<このWebサイトはアフィリエイト広告を使用しています。> SS投稿掲示板

SS投稿掲示板


[広告]


感想掲示板 作者メニュー サイトTOP 掲示板TOP 捜索掲示板 メイン掲示板

[10571] 旅人の精一杯【現実→異世界】
Name: ねしのじ◆b065e849 ID:1c805346
Date: 2009/09/13 18:33
まえがき


初めて小説を書くということに挑戦しましたので、相当見づらい文章になっているのではないかと思います。

至らない点が多々あるとは思いますが、皆様の意見、批判を取り入れて少しでも良いものを仕上げられたらと思います。(ハートが堪え切れればですが)


作品の傾向としては異世界に召喚されてしまった男がどうにかこうにか生活していく話にできたらと思っています。

ですが、プロット通りに進んでくれるものか自信がありません。ひょっとしたら全く違う話になるかもしれません。


以上のような状況でも許せるという方、暇だからノリでみてやるよという方はどうぞ。

最後に、感想などをいただければ狂喜乱舞しますので、よろしくお願いいたします。


09/09/13 複数の話をまとめて記事数を大幅に削減しました。第一章プロローグを別のものへと変更いたしました。

09/08/11 チラ裏から移動しました。もう少し書き方の練習した方が良いよ、という声が多数あるようでしたら戻ることも検討しています。

09/08/09 タイトルを嘘つきな旅人の精一杯から旅人の精一杯へと変更しました。

09/08/01 追記

本作のプロローグは作者の自己満足により第一話と同じ内容が記載されています。
プロローグは見なくても話は通る(はず)ですので、冗長な文を読んでもいいよと言う方以外は第一話から読むことをお勧めいたします。


09/07/25 初出



[10571] 第一章 プロローグ
Name: ねしのじ◆b065e849 ID:1c805346
Date: 2010/03/29 13:25



 自然にあふれた森の中、二つの生命がそれぞれの炎を燃やし、対峙していた。
 一方は鎧を身にまとった中年の男。右足の太ももから血液が流れ出して、男の体力を奪っていた。
 もう一方はワニのような頭部を持つ緑の異形。全身にびっしりと生えた鱗は太陽の光を反射してまるで濡れているようにすら見えた。
「なんで……なんで、こんなところに」
 男は泣きそうな声でつぶやく。握っている剣の先が震えていた。
 異形はその大きな口からよだれをたらしており、その姿勢は今にも目の前の人間に襲い掛からんと前に傾いていた。ハッハッと呼吸に合わせてその身体が上下している。
 男は意を決したのか、剣の柄をさらにきつく握りしめた。
「うっ、うわぁぁぁっ」
「ギシャァァァァァッ」男と異形の叫び声がこだました。









 風にざわめく森だけが、その結末を知っている。



[10571] 第一話 ジャングルからジャングルへ
Name: ねしのじ◆b065e849 ID:1c805346
Date: 2010/03/29 13:25



「…………は、……え?」
 瞬きをした瞬間に目の前の景色が圧迫感を主張するコンクリートジャングルから本物のジャングルへと一瞬にして変化した。
「林……森? イヤ、ジャングル?」
 震える声はまるで他人の物のようにも聞こえた。
 夢か、と頭によぎった。だが、 風に揺れる木々のざわめき、踏みしめている大地の感触、それらの放つ森の匂い、全てが現実の二文字を突き付けてくる。
 瞬きをするとそこはジャングルでした。いったいどこの三文小説だというのか。
 まだ朝早いのか、それとも季節が異なるのかもしれない。冷たい空気が肌をさしてくる。今まで体験したことがないほど澄んだものだった。その空気が運んでくる、むせ返るような緑の香りは人工的な気配を微塵も含んでいない。
 自分の意思でここに来ていたのならば素晴らしいリフレッシュの機会になっただろう。
 辺りを見回すも、眼前に広がるのは見覚えのない木々のみだった。木の名前などあまり気にしたことはなかったが、それでも見覚えのある木が一本もない、というのはあり得ることなのだろうか。
「すいませ~ん……だれかいませんか~?」
 想像に難くないことだったが、やはり応えはない。
 見たことのない植物が風に揺られ、葉をこする音が聞こえる。周りに存在する樹木は全てその身を左右へとくねらせながら、それでも天へとその幹を伸ばしている。
「なんだ……これ。なんなんだよ!」
 ――ギャギャギャ
「ひっ!!?」
 その叫びに答えたのは背後から聞こえた鳴き声だった。まるでこちらを嘲笑う悪魔のものにも、餌が来たことに喜ぶモンスターのものにも聞こえた。
 冷水を浴びせられたように身体から熱が引く。 耳へと神経が集中され、肩へと力が入っていく。そこは音で満ちていた。木々は影の動きに合わせて葉を鳴らし、遠くから微かに鳥のような鳴き声も聞こえてくる。
 人の気配はしない。だが生物の気配に溢れていた。
「何処なんだここ……」
 吐き捨てるようにつぶやいた言葉も、森の喧騒にかき消されていった。








 地面を一歩一歩踏みしめる。徐々にだが、落ち着いてきた。納得はできていないが、状況を受け止め対処するしかないと何度も心の中で呟く。
 こんな所で死なないためにも、今できる精一杯のことをしなければ。考えろ、少しでも思考を前へ。深呼吸をひとつした。
 服装を確認する。幸い、今のところやぶれたりはしてなかった。だが、――当たり前のことだが、この恰好は大自然の中を歩くことなど想定していない。
 ジャングルとも言えそうなほどの森の中では、毒虫に刺されて死んでしまうことすら容易に想像できた。
 足元には小さい昆虫の姿が見える。 この昆虫ですら毒を持っているかどうか、判断が出来ない。
 しゃがみ込み、ズボンの裾を靴下で巻き込む。
 ひどい見た目だが、今はそんなことは二の次だ。顔を上げて辺りを見回す。他に問題は無いかとしばらく考え込むと猛獣と出会ってもアウトだということに思い至った。
 再び周りを見渡すと足元の石が目についた。全力で投げたらそれなりの威力になるだろう。移動のことも考え、こぶし大の石を4つほどかばんの中に入れ、小さめのものをポケットに入れた。
 方向感覚などは全くない。少しでも下っていそうな場所を選び、進んでいく。だが、歩きなれない森に、足取りが徐々に重くなるのが分かった。
 不意に、今までにはなかった音を耳が拾った。断続的な草木のざわめきにかき消されそうではあるが、別の音が混じっていた。これは……「水の音!!」
 疲労によってボイコットを開始しそうだった身体に活力が湧く。木々を避けながら下り坂を駆け降りていく。力強く地面を蹴る足は高い草も難なく越える。目の前が開けた。
「良っ、かっ、た~っ」
 その先には透き通るような小川が流れていた。途端に力が抜け、ごつごつとした石の上にへたり込んでしまった。川の周りには木が生えておらず、歩きやすそうに見える。何より、遠くまで見通せることが出来れば不意の自体にも対応しやすいはず。
 水場の確保と道に迷うという危険性が激減したと言えるだろう。
 川へ近づき、中を覗き込む。清流という表現がこれほど相応しい川を実際に見るのは初めてだった。これでもう水に関しては心配なさそうだ。
 鞄の中から取り出したペットボトルに口を付け、中身を一気に飲み干した。空になった容器を軽くすすぎ、川の水で満たした。覗き込んでみると普段見ている水道水と違わないように見えはする。するが、
「さすがにこれを飲むのは抵抗あるなぁ……」
 そうは言っても背に腹は代えられない。その時が来れば腹をくくるしかない。容器を鞄に戻すと先ほどの石も相まってそれなりの重さになった。
 だが、薄れた不安と新たに湧いてくる活力の前では些細な問題だった。足は鞄の重さを物ともせず、軽やかに地面を踏みしめていった。








 川を見つけてからもう2時間は歩いたはずだ。さすがにこれだけ歩くと身体のほうも不満をこぼすようで、何度かへたり込んでしまった。
 今回のこれで3度目だ。できれば日が暮れるまでにジャングルからは出たいと思う、思うのだが、それが可能かどうかは運を天に任せるしかない。
 ただ、出口に近いほうに向かうことができているのは間違いない。周りの木々の密度が低くなってきているのだ。
 先ほどのような太い木は見えず。幹をまっすぐ天へと伸ばしている木が増えてきた。周りはすでにジャングルではなく森といった様相になっている。
 さらに幸いなことに、日の光から推測するにまだ太陽は天頂付近にありそうだ。
 このような好条件が重なり、安心していたのかもしれない。
 ――ギャァッ――
 今回聞こえた鳴き声は先ほどより冷静に聞くことが出来た。
 この感じだとそれなりに離れているはずだ。 どんな生物か確認できれば対策にも役立つ可能性が高い。
 茂みに近付き、奥をのぞく。
 そこには二本足で立っている生物の影が見えた。
  人だ! 人里まで連れて行ってもらえば! そう考えたのと反射的に声をかけたのは同時だった。
「お~いっ!!」
 影はその呼びかけにこたえて振り返った。
 一旦目を閉じ、再び開く。だが、目の前の光景は変わらない。
 二足歩行で立っている生物がいる。その前には黒い何かが倒れていた。思考が鈍くなっていくのがわかる――

 あのでかい刀は何だ?

 あれは人か?

 人はあんなに首が長いか?

 足が三本あるのか?尻尾?

 あのワニのような貌は?

 ――恐怖によって
 「ゴァァァァッ!!!!!」
 ――っ!

 威嚇の雄たけびか、それとも裂帛の気合なのか、相手を委縮させるはずのそれにより意識を現実へと引き戻された。
 猛然と走り寄ってくるワニ頭の化け物に対し、半ば反射的にポケットの中の石を投げつけた。石は吸い込まれるようにワニの頭に当たった。
「グギャッ!!ギャァァァァッ!!!」
 ワニもどきはその凶悪な顎を見いっぱいに広げ、叫ぶ。
 自分の荒い息が、聞こえる。脈打つ鼓動で、地面すら揺れているように感じる。
 今の内に逃げなくては。未だ戦慄から抜け出せない頭でそんなことを考えた。だが――見た。いや、見えてしまった。視界に入ったのは先ほどワニもどきがいた所に倒れていた誰かと、その誰かを必死に起こそうとする少女だった。
「くそっ!」
 見捨てて逃げるべきか、それとも――逡巡してしまった。いつの間にか立ち上がったワニもどきの視線と俺の視線が交錯する。肩を大きく揺らしながら呼吸をしている。その眼に湛えているのは激怒の光。
 ゼッタイニ、ニゲラレナイ
足がすくむ、呼吸が浅くなる、身体が重たくなって行くのがわかる、だが――思考だけはクリアになっていく。考えろ。一歩でも思考を前に。歯を食いしばる。
 握りしめていた拳にさらに力が入った。
「ガァァァッ!!」
 ワニ頭は再び雄たけびを上げた。鞄から取り出した石を投げつける、だがやつの持っている刀で簡単に撃ち落とされた。だが、それでも石を投げる。
 さっきのカウンターに懲りたのか、走り寄ってはこない。石を撃ち落とすことに専念しながら徐々に近づいてくる。
 鞄の中にあったもの、ここに来るまでに見かけたものを必死に思い出す。ワニもどきは茂みの前まで来てしまっていた。そして、石は投げつくしてしまった。
 石がない――川のほとりに、考えると同時に反転、走る。川辺には石が大量にあったが、投げるのに手頃な物は水際近くまで行かなければない。
 石が比較的多い場所まで戻り振り返る。やつが茂みから出てくるのはほぼ同時だ。
 その刀を使って茂みを切り進んできたのか、奴の周りに瑞々しい木の葉が舞う。適当な石を拾っては投げる。だがすべてやつの刀によって切り落とされる。
 投げる、切り落とされる。
 投げる、切り落とされる。閃く。
 なんてご都合主義な思い付きだ。自嘲の声が聞こえる。だが、やらなきゃ死ぬ、殺されるのだ。蜘蛛の糸にだって全体重を預けなければ。
 やつは醜悪な笑みを浮かべながらにじり寄って来る。
 そのまま侮れ、油断しろ。怖い、近付いてくるな。まだ遠い、そのまま近付いてこい。
 理性と感情の間で全く逆の思いが脳裏をめぐる。奴にはこちらの行動が悪あがきに見えているのだろう、ついに笑い声まで上げ出した。
「ゲッギャッギャッギャッ」
 三本目の足に見えた尻尾が、喜びからか、左右に振られている。
 成功のイメージを固めろ。身体がその通りに動けるように。
 今まで投げていた足元にある石ではなく、鞄から取り出したデオドラントスプレーを投げつける。石が切れるなら――これも切れるだろ!

 同時にやつに向かって駆ける。

 やつは今までと同じように刀を振り下ろす。

 ――――爆発

 奴の手から武器がこぼれる。

 ――刀、武器

 反射的にそれを拾う。

 仰向けに倒れていくそいつに

 ――振り下ろす

 刃が首を過ぎ去る瞬間、やつはこちらを見ていた。





 生き残ることができた。口からこぼれる喘ぎが他人の物のように感じられた。へたり込んでしまった。今日四度目だな。そんな詮無い言葉が浮かんで、消えた。

 ――パパラパーパーパーパーパッパパー

 唐突に始まったファンファーレが唐突に終わったと思ったら、女性の声が聞こえた。
「おめでとうございます。レベルが5上がりました」
「――――はっ?」
 レベル……? なんの?
「誰かいるのか?」
 周りを見渡しながら問いかけるが、応えはない。
 先ほどまでと同様断続的に聞こえる木々のざわめきと水のせせらぎ。耳の届くのはその二つ。戸惑いは解消されないが、今は先にやるべきことがある、と頭を振った。
 倒れていた人達のところに向かわねば。そう考え、振り返ったところで死体の方向から光が溢れた。
 倒れているワニもどきの少し上部が光輝き、その中からひと振りの刀が現れ、死体の上に落ちた。
 黒光りする鞘に収められ、握りの部分に赤と黄色の紐で見事な飾り付けがなされた刀剣からは気品すら感じられる。
 恐る恐る手に取ってみるとワニもどきが使っていたものとは違い、記憶にある日本刀の形状にかなり近いものである。ただその長さは優に1.5メートルはあり、簡単に振れそうには見えない。
 しかし鞘が付いており持ち運びが便利そうということもあるのでこの刀も持っていくことにした。ベルトにさし、ひもを使って角度を調整する。
 茂みを越え、ワニもどきが立っていた場所に向かう。先ほど見た少女は男性に肩を貸して半ば引きずるように連れていた。精一杯この場から離れようとしている。
「すいませ~ん!!」
 どうやらこちらに気づいたようだ。近付こうとするが、いかんせんまごついている。
 危険はなさそうなので、こちらから歩み寄った。少女は長袖の服にゆったりとした茶色のズボンと言う服装なのだが、上下ともに薄茶色の生地には、血液が大量に付着していた。ある程度近付いたところで、少女が口を開く。
「あのっ、先ほどのリザードロードは?」
 リザードロードというのはさっきのワニもどきのことだろう。よほど恐ろしかったのか、良く見るとその顔は青ざめていた。その手や服には男性のものと思われる血が大量に付着しているため、見ようによっては死人のようにも見える。そこまで考えて気付いた。おそらく俺の顔も同じような状況だろう。
「なんとか倒したよ。そちらの方は大丈夫なの?」
 皮の鎧だろうか? 少女が肩を貸している男性が身につけている鎧には肩口は大きな切れ目が入っており、血にまみれている。
「簡単な治癒は行ったんですけど、このとおりなので家に連れて帰って休ませないと」
 肩を貸している男性を心配そうに見つめている。
「容態はどうなの?」
「傷口はふさがっているので、体力が急激に落ちて眠ってるんだと思います」
「そっか、じゃあ命に別状があるわけではないの?」
「はい、体力だけはあるので、しっかり睡眠をとれば元気になると思います」
 青ざめていた顔には幾分か血の気が戻っている。どうやら時間の経過とともに徐々に落ち着いてきたらしい。
「実は俺、道に迷ってしまって。そちらの方を家に運ぶのを手伝う代わりに村まで連れて行ってくれないかな?」
「え……こちらとしては願ったりかなったりですけど……よろしいのですか?」
 見ず知らずの他人に迷惑をかけることをためらっているのだろう。不安そうな顔をしている。だが、ここで置いていかれて困るのは間違いなく俺の方だ。不安をにじませないように、声色に注意する。
「うん、そのままだと家に着くのは明日になっても無理そうだしね。そちらの方の体調が第一でしょう?」
「……ではお言葉に甘えさせていただきます。ありがとうございます」
「どういたしまして」
 しかし少女の不安そうな顔にあまり変化はない。
「どうしたの?」
「いえ、すいませんが……私たちの村は裕福ではないのでご期待に添えるお返しができるかどうか……」
「いっ、いいよいいよ!! 見返りが欲しくてやるわけじゃないって!!」
「!! ……ありがとうございます」
 彼女は信じられないと言った顔をした後その頭を勢いよく下げてきた。
「どういたしまして。それじゃ行こうか、あっちのほうでいいのかな?」
「はい。あちらの方向に半刻程歩けば森を出ます。さらにもう半刻程歩くと村に着きます」
 少女に手伝ってもらい男性を背負う。ワニもどきが使っていた刀は彼女に持ってもらった。半刻とはどれくらいなのか、聞こうかとも思ったが、不審がられるだけだと思い直した。男性を背負ったまま先行する少女について行くのは骨が折れそうだ。






 少女は歩きながらこちらをちらちらと伺っている。警戒しているのだろう。こちらとしてはまったく知らないところに放り出されたのだ。この少女とはできるだけ良好な関係を築いていきたい。こういうのもなんだが、危ない所を助けることが出来たのは僥倖だった。少女と目があった。
「俺は修冶(しゅうじ)っていいます」
「私はアーリアと言います。そちらが私の兄でランツです」
「なるほど、それじゃよろしく。アーリア」
「……あっ、はい、こちらこそよろしくお願いします」
 こんな状態だというのに礼儀正しくお辞儀してくる。徐々に人を背負いながらの森歩きにも慣れてきたので、さらに会話を振ってみた。
「村の名前はなんていうの?」
「ソニカの村といいます」
「そっか、なんか売りつけられた地図がでたらめだったみたいで……こんな森のことも書いてなったし、そんな名前の村も載ってなかったなぁ……」
「それは、なんというか……ひどい目に逢いましたね」眉を眉間に寄せ、同情を禁じ得ないと言った様子でアーリアが呟いた。どうやら信じてもらえたようだ。
「まぁもう焚火にしちゃったんだけどね、ところでここから大きな街まではどれくらいで行けるのかな?」
 この話をあまり掘り下げられると困る。何も知らないのだ、化けの皮など簡単にはがれてしまうだろう。
「そうですね、比較的大きな街だとリオルの街までが馬車で3日、反対側ですが、ガイスの街までは4日、王都だと1週間といったところです」
「なるほど、ありがとう」
「いえ、シュージさんはハンターなのですか?」
“ハンター”、いったい何を狩るのやら。
「いや、俺の育った村はちっちゃいわ、土地は痩せているわでね、出稼ぎのために大きな街に行くところだったのさ。そこで何をやるかはまだ決めてないんだけどね」
「そうなんですか、さっきのリザードロードを倒せるほどの腕前ならハンターかと思ったのですが……」
 少女の顔が明らかに曇ったのがわかった。
「ご期待に添えなくて申し訳ない」
「……っ!! いえいえ!! そんな、こちらが勝手に思い込んだだけですから、お気になさらないでください!!」
 手に持っていた籠をひじに下げ、刀を持っていない方の手をぶんぶんと振る。その必死な姿に苦笑してしまう。その時、川の先が開けた草原のようになっていることに気付いた。
「ん? あれが森の切れ目かな?」
「あ……そうですね、あそこから先はなだらかな丘になっていますので、もうモンスターに襲われる心配はありませんよ」
 まだそんな心配があったのか。アーリアの言葉に冷や汗が流れた。
「そういえば森で何をしていたの? 果物採取とか?」
「はい、他にも薬草やキノコなんかを」
 そう言って見せてもらった籠は半分程が森の幸で埋まっていた。何がどういうものかわさっぱりわからない。
「そうか、災難だったね」
「いつもは兄の手に負えないようなモンスターは出てこないのですが……」そう言いながら今日の体験を思い出したのか、また顔を曇らせる。
「……まぁ何事にも例外はつきものだよ。そういえば、何か稼ぎのいい仕事ってないかな?」
「そうですね……この辺りはあまり大型のモンスターはいないですし、ダンジョンがあるわけでもないので、ハンターやサーチャーの方は居られないですね。稼ぎの良さで言ったらティンカーが 一番だと思います。特に裕福な村ではないので依頼もあまりありませんが」
 なるほど、ハンターは大型モンスターを狩り、サーチャーはダンジョンを探索するのだろう。特に裕福な村ではないと言いながらアーリアの服には特に穴も見つからない、ランツにいたっては皮の鎧を身にまとっている。
「どっちがティンカーなの?」
 アーリアと背負っているランツを交互に指差しながら尋ねる。
「あっ、はい、兄は正式に登録していまして、依頼内容によっては私が手伝うこともありますね」
 依頼のある仕事……名前からして、なんでも屋のようなものだろうと推測する。
「どんな仕事をするかはお決めになっているんですか?」
 首を緩やかに傾け、こちらを覗き込むようにたずねてくる。あちらからも質問が出るようになった。少しは警戒心が薄れてきたと考えて良さそうだ。
「ほんとにまだ全然決めてないんだ……あまり大きな街を見たことがないから行ってみたいってことぐらいかな」
 色々検証しなければならないこともある。これは心の中でつぶやくにとどめておいた。
「そうなんですか、ちょうど3日後には街からの商隊が来ますので、馬車に乗せてもらえれば楽に行けますよ」
「それはツイてるな。交渉してみるよ。ありがとう」
「いえ、お役に立てたなら幸いです」
 にこっという擬音が聞こえてきそうな微笑みをアーリアが向けてくれた。見惚れてしまった。顔が熱くなっていくのがわかる。幼いとはいえ、しっかりとした受け答えからは女性特有のやわらかな雰囲気を感じ取ることが出来る。
 もとは輝くようであったろう髪は泥だらけ、手や服にはランツのものか血が大量に付着しており、相当なマイナス補正がかかっていそうだが、それでもなお人を引き付ける魅力にあふれている。「う、あ」などとどもっていると、アーリアにくすくすと笑われてしまった。正確な年齢は分からないが中学生程度の少女に笑われたと思うとより一層顔が火照って行く。何とか話をそらさねば。
「商隊は何を持ってくるの?」
「この辺りでは手に入りにくい魚などの食べ物やアクセサリ―に服、あとは武器や防具に郵便物の配達なんかもやっていますよ」
「……じゃあうちの村とあんまり変わらないんだね」
「まぁそうでしょうね、ここまで何日ぐらいかかったんですか?」
 藪蛇だった。またこの話題になってしまった。
「村からなら徒歩で2週間かな。ただ途中迷ったこともあったし実際どれくらいかかるかは分かんないや」
「それだけ冒険してきたなら相当レベルも上がってるんじゃないですか?」
 ――レベル――出たな。
「そうだね、一応村から出る時より5は上がったと思うよ」
「5もですか!?相当厳しい道のりだったんですね」
「まぁ最後の一つはさっきのリザードロードだったんだけどね」
「!!?? ……すいませんでした。私たちのせいで危険な目にあわせてしまって」
 いきなり落ち込まれてしまった。
「アーリアが気にすることじゃないさ。もし君たちがいなくても俺がやつと出会っていた可能性は十分にあったんだから」
「そう言ってもらえると……ありがとうございます」
 その時遠くに村が見える。辺りは夕焼けに染まり始めており、その赤く染まる世界は胸に迫ってくる優しさを内包していた。
「あれがソニカの村だね?」
「はいっ!! そうです。兄の体調も問題なさそうですし、それもこれもシュージさんのおかげです」
 胸の前で手を組んでいるアーリアからは心から感謝を寄せられていることが分かる。
「俺も村まで送ってもらったんだからおあいこだよ」
「なんとお礼を言ったらよいか……」
「普通にありがとうだけでいいよ。そう畏まられているほうが困るって」
「そうですね……ありがとうございます」
『どういたしまして』
 こちらのセリフを先読みしたのかアーリアがかぶせてきた。いたずらが成功した子供のような顔だ。また顔が朱に染まっていくのがわかる。願わくは夕焼けが紛らわしてくれますように。アーリアは村のほうへと少し歩を早め、5、6歩前に出ると振り返る。その遠心力につられて広がる黄金色の髪、服の裾。そして何より自ら輝きを放っているような笑顔を向けて
「それでは、ようこそソニカの村へ。シュージさん」






[10571] 第二話 おいしい晩御飯
Name: ねしのじ◆b065e849 ID:5945485a
Date: 2010/03/29 13:26

 ソニカの村は思いのほか大きく、おそらく村を囲むのであろう木で出来た柵や、入り口となる門があった。門の隣には門番らしき人までいる。門番がこちらに気付き、近づいてきた。
「アーリアちゃ~ん!! ランツどうしたんだ!!?」
 俺がランツさんでないこと、あるいは俺に背負われているのがランツさんであることに気付いたのか、熊のような見た目の門番はひどく驚いていた。
「ちょっとレベルの高いモンスターが出たんだけど……怪我はその場で治癒したし、そのモンスターはそこのシュージさんが倒してくれたわ」
「そうか、ランツがやられるとなるとは……厄介な相手だったんだな。おう、お客人、シュージって言ったか? おれはジョフだ。どうもありがとうよ、この二人を助けてくれて」
 豪快に笑いながら背中を叩いてくる。叩き方に容赦がない。普通に痛い。
「どうもシュージです。俺も無我夢中だったんで、それに俺もアーリアさんに助けられましたし」
 ジョフは不思議そうな顔をする。
「シュージさんはネムの森で迷子になってたの」その言葉にジョフと名乗った男性はパチクリと目を瞬かせた。
「ランツより強い人がネムの森で迷子とはね」
 ジョフは可笑しいのかククク、と笑っている。どうやらあの森は迷うような森ではないらしい。とてもじゃないが道なんてなかったと思うのだが。
「でもおかげで助かったわ。それじゃあ兄さんを休ませたいし、シュージさんをもてなさないといけないから私たちは行くね」
「おう、あんまり珍しいものはないだろうがゆっくりして行ってくれや」
 俺にとっては十分珍しいと思いますけどね、と心の中だけで呟く。
「ありがとうございます。それじゃ、失礼します」
 アーリアにつれられて村の中に入った。



 あそこが定食屋であそこが道具屋などと村の細かい情報を聞きながら進んでいくと比較的大きな、並び立つ二棟の建物が見えた。
「右が教会で左がギルドです。教会はもう閉まっていますので明日にしたほうが良いですね」
 何か教会に行く理由、あるいは行かなければならない理由があるらしい。どうやって聞き出すかと考えているとアーリアはすたすたと先に行ってしまった。しょうがないのでそのまま付いて行く。



 どうやら目的地に着いたようでこちらに振り返った。
「ここが私たちの家になります」
 きれいに手入れされている二階建ての建物に通された。二階に上がり、ベッドにランツさんを寝かした。
「顔色は悪くないし、ほんとに寝ているだけなんだろうけど、よく起きないね」
「兄は一度寝てしまうと中々起きなくて……」
 こういう世界でそれは大丈夫なのだろうか?
「それは……旅なんかに支障ないの?」
「……ありますね。なので、商隊の護衛依頼なんかには手を出さないようにしています」
 頭の痛い部分でもあるのだろう。アーリアは苦笑いとともに小さなため息を吐いた。
「寝込みを襲われたら一発だろうしね」
「そうだ、お礼代わりといっては何ですが、今日は是非泊まっていってください」
 良いことを思いついたというように軽く跳ねた。いきなりの提案はありがたいものではある。あるが……
「いいの?」
 いくら助けられたからといって、今日初めて会った男を泊めるアーリアの危機管理能力に疑問を覚える。
「ええ、さすがの兄も私が悲鳴を上げたら起きますので、襲ってきても無駄ですよ?」
 前言撤回。思ったより強かそうだ。
「それなら俺も迷惑を考えなくて良いね。お言葉に甘えさせてもらおうかな」
 何とか口調に動揺を表さないことには成功した。頬が赤くなっている自覚はあったが。
「どうぞ。ゆっくりとくつろいでください」
 くすくすと笑いながらアーリアが答える。ベッドのついている客間へと通された。
「ご飯が出来たら呼びますね」
「何か手伝うよ」
「お客様にそんなことさせられませんよ」
 手のひらをこちらに向けて制される。
「……そうか、ありがとう」
 食い下がろうかとも思ったが、やめておいた。
「どういたしまして。それではまた後で」
 静かに扉を閉めて、アーリアは階下へと降りて行った。




 部屋に一人取り残された俺はベッドに座るとそのまま上半身を倒した。木の板の身で出来たベッドは固く、思いのほか痛かった。しばらく天井を見上げているとリザードロードの目が思い出された。縦に割れた瞳孔がこちらを見つめてくる。手のひらに首を断つ感覚がよみがえる。背筋をひんやりとしたものが駆けていった。
 ベッドから起き上がると一つ息を吐いた。休もうかと思ったが、とても休めそうにはない。ふと辺りを見回すと鞄の中から筆箱が顔をのぞかせていた。今の内に分かる範囲のことをまとめておこう。かばんから筆記用具とルーズリーフを取り出し、今までに判明した情報を記していく。
 最終目標は元の世界に変える手段を探し出すこと。

 中期的な目標として生計を立てる手段を確立すること。

 初期の目標としては路銀を得ることが挙げられる。

 正直、あちらの世界に特に未練があるわけではない。こちらでの生活が快適ならそのまま留まることも視野に入れておくべきだろう。
「親しい知人が居なかったという事実を喜ぶべきか悲しむべきか……」
 窓から外を眺めると夜の帳はもう下りきっていた。静寂に包まれていた部屋に控えめなノックの音がこだまする。
「シュージさん、ご飯の用意が出来ました」
「ありがとう。すぐ行くよ」
 ルーズリーフをバインダーにはさみ、かばんの中にしまった。





 テーブルには色とりどりの具材を挟んだサンドイッチとポタージュが用意してあった。
「簡単なもので申し訳ないのですが……」
 お風呂に入ったのだろうか、汚れを落としたアーリアは輝いているようにすら見える。実際、水分を含んだ髪は光を反射している。
「いや、すごく美味しそうだよ。ありがとう」
「お口に合うとよろしいですが」
「大丈夫じゃないかな。それではいただきます」
 手を合わせる習慣があるかわからないので、アーリアに軽く一礼してサンドイッチを手に取る。正直何を挟んでいるのかさっぱりわからないが、まさか毒だの食べられないものだのは入ってないだろう。
 見た目だけを言えば具材を挟んでいるパンはピザの生地のように薄い。挟まれている具材はレタスのような形状でありながら、ホウレン草のように緑の濃い野菜。マグロのような生き物のものだろうか?ハムのように四角い脂身を含んだ赤身でありながら、刺身のように柔らかいのだろう。はみ出した部分が垂れ下っている。
 大きく口をあけ、頬張り、咀嚼する。口の中には口内の温度で溶け出す肉の脂身に香ばしいパンの香り、シャキシャキとした歯ごたえと共に口一杯に広がる野菜の香り何より噛むとジュースかと思うような甘みを含んだ水分が出てくる。どうやら見えないところにトマトのような果実系の野菜があったようだ。…………これは旨い。
「……どうですか?」
 俺の顔が緩んだのがわかったのだろうか、つい先ほどまで不安そうにしていたアーリアはうれしそうに感想を聞いてきた。
「いや、正直すごく美味しくて驚いてるよ。こんなに美味しいサンドイッチは初めて食べた」
「よかった~、でもシュージさん大げさですね」
 俺の言葉を聞いてアーリアが顔を綻ばせた。だが、俺としてはお世辞でもなければ誇張のつもりもない。パンは向こうのものと比べると比較的普通、ソースは若干旨い程度、肉のうまみと柔らかさはかなり良い。だがそれと比較しても野菜だけ次元の違うものに感じる。
「この野菜はどうしたの?今まで食べたことないくらい美味しいんだけど」
 アーリアは両手にサンドイッチを持ったまま顔をほころばせる。
「そういってもらえるとうれしいです。実は私が育てた野菜なんですよ」
「そうなの?すごいね」
「これでも菜園には結構自信があるんですよ。仮にも調剤士の卵ですから」
“調剤士”か、薬剤師みたいなものだろうか。
「そっか、通りで森でも薬草集めてるわけだ」
「ええ、畑の大きさには限りがありますから、ものによっては採取に行かないといけないんです」
 そのとき天井から大きな音が聞こえた。
「兄さんが起きたかしら?」
 大きな足音は階段を駆け下りてきた。
「アーリアッ!!??」
 ランツさんはアーリアの姿を確認するとへなへなとその場にへたり込んだ。
「よかった。無事だったのか」
「ええ、 兄さんが倒されてしまった後こちらのシュージさんに助けられたんです」
 こちらを向いたランツさんと目が合ったと思った瞬間深々と頭を下げられた。
「このたびは私たちの危ないところを助けていただきまことにありがとう。感謝する」
 そのままの姿勢で動かない。大の大人がへたり込んだまま頭を下げている図はかなりシュールだ。
「そんな、頭を上げてください。俺も妹さんには助けられたんです」
「しかし、あのままでは私だけではなく妹まで……あぶなかったかもしれないんだ」
 悲痛な声を出すその顔は見えない。
「それは俺もですよ。妹さんが居なかったら俺は今もあの森をうろついてたかも知れません」
 頭を上げたランツさんが怪訝そうにアーリアのほうを向く。
「たぶんホントよ。シュージさん道に迷ってたみたいだから」
「ホントの話ですよ」
 その言葉にランツさんは俺とアーリアの顔を交互に見つめ、安心したように息をついた。
「……そうか、ではせめてこの村に居る間はこの家を宿代わりに使ってくれ。せめてもの礼だ」
「いや、そんな……、あーではそうさせてもらいます。ありがとうございます」
 アーリアも“それがいい”と、口にこそ出していないが、手を叩くジェスチャーをしている。現在路銀がまったくないことも頭を掠めたため、好意に甘えることにする。
「ではよろしく。妹から聞いてるだろうが、俺の名前はランツだ」
 口調が若干砕けたものになった。
「シュージといいます。こちらこそよろしくお願いします」
 その後は三人で食卓を囲み、にぎやかな時間をすごした。



 食後、洗い物ぐらい手伝うといった俺にアーリアはかたくなに譲らず、仕方ないので、ランツさんとリビングでくつろいでいる。
 ランツさんが思い出したように尋ねてきた。
「もう教会へは行ったのか?」
「いえ、村についたときには閉まっている時間だったので、明日行くことになったのですが」
「そうか、何か鑑定するものがあったらついでに持って行くと良い。ギルドには俺から話を通しておく」
 鑑定……普通に考えたらアイテムのことになるだろう。
「ありがとうございます」
「気にするな。恩人のためだ。これぐらい分けないさ」
「ランツさんこそ、あまりそう気にしないでください。俺も助けられたんですから」
「ぬ……検討する」
 その後、洗い物を終えたアーリアがやってきた。リビングで三人、雑談をしながらゆっくりとした時間をすごした。





 翌朝、何か悪夢でも見ていたのだろうか、空が白み始めるころに目が覚めてしまった。寝汗がひどく気分も最悪だ。とてもこれ以上寝られそうにないため、昨日の日本刀を持って外に出る。
 人の気配がしない早朝は、耳を澄ますと辺りから動物の息吹を色濃く感じることができた。屋根の上に止まっている猛禽類のような大きな鳥。一足先に起きて家主の目覚めを待っている犬。一晩中働きまわっていたのだろう。壁際を目にもとまらない速さでかけていくネズミなど、様々な生物がいる。
 目に見える範囲にいる生物は見覚えのあるものにかなり近い。生物学的に一致するものはいないのかもしれないが、少なくとも種族を特定できそうな程度には常識的な姿をしている。
 ……やはり、昨日のあれは例外的なものなのだろう。

 辺りに気を配りつつ抜き身の日本刀を使っての素振りを開始した。刀から発生する風を切る音は軽く、どことなく物足りないものを感じた。
 昨日の例もある。いつどこで武力が必要となるかわからないので、せめて武器の使い方に慣れる必要があると判断したため始めたが、今後の習慣にする必要がありそうだ。型も何も知ったものじゃないが、がむしゃらに刀を上下へと振り続けた。

 10分ほど刀を振って違和感に気付いた。それなりの重さの武器をこれだけ振っているのにほとんど疲れていないのだ。そういえば昨日もランツさんを背負ってここまで来たけど特に疲れたということはなかった。
 自分より体格の良い人間を背負ってきたというのにだ。
「レベルアップの恩恵か?」
 そうだとしたら棚から牡丹餅だろう。いくら死に掛けたとはいえ。後は重力の大きさが違うとか、なにか変な力が使えるとか言う可能性も捨てきれない。せっかくなので疲れるまで全力で刀を振ってみる。
 振りかぶり、振り下ろす。そして間髪いれずに振り上げる。急制動をかけ、上から下へ、下から上へと刀は跳ねまわった。



 どうやら全体的に身体能力が向上しているようだ。今までにないほどの速さで腕が動いた。ただ、やはり全力を出すと疲れるというのは変わらないらしく、すぐに息が上がってくる。あまり意味がなさそうなので、一度深呼吸してから丁寧に剣筋を意識しながら振るようにした。

 さらに30分ほどしたころだろうか、アーリアが扉を開けて出てきた。
「おはようございますシュージさん」
「ああ、おはようアーリア」
 そう言って振り返ろうとすると止められた。
「すいません、まだ身支度を整えてないので……できれば見ないでください」
「気にしなくても良いのに」
 苦笑しながら答える。
「私が気にするんです。朝から精がでますね」
 むくれているのだろうか、顔が見れないのでどうにも判断がつかない。
「生来の臆病者だから。生きてくために精一杯なんだよ」
「でも、今回の旅でレベルが5も上がったんでしょ? そんなシュージさんが臆病者ならみんな臆病者になっちゃいますよ」
 何か関連性があるのか? 参考になりそうな情報もないため適当に話を合わせておく。
「それもそうか。でも訓練は必要だしね」
「そうですね。でもあまり根をつめないように気をつけてくださいね。それでは」
「ああ、また後でね」
 足音が遠ざかっていく。家の裏手へと向かって行ったようだ。

 適度なところで素振りを切り上げ、タオルを持って井戸へと向かった。体感時間では一時間程度経っていそうだが、これがはたして意味があるのかは疑問だ。
 紐のついた水桶を井戸の中へ落とすと、痛いほど冷えた水を汲みとり、タオルを浸す。井戸の周りは広場となっているが、朝早いためか、人が少ないためか周りには誰もいない。火照った体に冷たいタオルは心地よかった。

 運動で流した汗をふき取り家に戻るとアーリアが朝食の準備を始めている。
「何か手伝うよ」
「お客さんは――」
「どちらかというと居候に近いんじゃ?」
「……じゃあお皿取ってください」
 しぶしぶ手伝いを認めてくれた。
「了解」







 朝食の準備の間に起きてきたランツを交え、昨晩同様三人で食卓を囲んだ。一足早く食べ終わったランツが尋ねてくる。
「おれはギルドに行くが、シュージはどうする?」
 目の前にはまだ2割ほど残っている朝食がある。
「俺はもう少し後にするよ。ところで、前の街で路銀をほとんど使い果たしてしまったんだ。昨日のモンスターの武器を売りたいんだが、どこか良い場所はないかな?」
「そうなのか? ちょっと見せてもらってもいいか?」
「いいよ。じゃあ、とってくる」



「かなりよさそうな剣だな。これなら俺が買い取ってもいいか?」
 そう言ってくるランツさんは口元が……なんか変な風になっている。
「問題ないよ」
「じゃあ前金で銀貨5枚渡しとく。ギルドで鑑定してもらって差額は後で払う」
「了解」
 500円玉大の硬貨を5枚渡される。銀色の輝きを持つそれはいわゆる銀貨なのだろうか?その後残っていた朝食を食べ終わり、洗い物をしているとアーリアが声をかけてきた。
「道具屋に薬を卸しに行くので、教会にいかれるなら一緒に行きませんか?」
 両手を後ろに回しながら小首を傾けるアーリアからのお願いを断れるはずもなく、断る気もない。
「喜んで」





 道具屋からの帰り、協会へと向かう途中、アーリアとの間には微妙な空気が流れている。それもこれも道具屋の女将のせいだ。アーリアにばれないように、心の中だけでため息をついた。先ほどのやり取りに思いをはせる。



「あら、アーリアちゃん、こんにちわ」
 道具屋に着くと恰幅の良いおばちゃんが店の中から出てきた。
「ジェスカさん、こんにちわ」
 礼儀正しくお辞儀をするアーリアにつられてこちらもお辞儀をした。ジェスカと呼ばれた女性はがっしりとした体つきと豪快な口調が印象的な人だった。
「こちらにおいていただけますか?」
「了解」
 アーリアに荷物を持たせるのも気が引けたため、道具屋まで付いて行ったのが運の尽きだろうか。
 こちらを見てニヤリという擬音がぴったりな表情をした道具屋のおばちゃんがアーリアに向かって「アーリアちゃん、彼氏かい?」とか「中々良い感じの人じゃないか」とか、俺に向かって「アーリアちゃんはとってもいい子なんだから泣かしたら許さないよ」とか「ランツさんに認められるのは大変だろうねぇ」とか言っちゃってくれた。



 おかげで教会へと向かう二人の間には、どこかぎこちない空気が流れてしまっている。というかランツさんはシスコンなんだろうか。よくわからない考え事をしている間に教会の前へと着いた。
「私は兄の所に行ってますね」
 といい、逃げるようにアーリアはギルドの建物へと向かった。教会の扉を開けて中を覗き込むと恰幅の良い中年のシスターが居る。
 シスターの服装が白黒なのはどこの世界でも変わらないのだろうか?シスターは腰のものを一瞥するとこちらにたずねてくる。
「祝福の確認ですか?」
 たぶん……そうなのだろう。確証は得られないが話を合わせておく。
「はい、そうです」
「ではこれを持ってその円の中に入ってください」
 シスターは羊皮紙を差し出しながら、教会のほぼ中央に描かれているサークルを指差す。
「はい」
 紙を受け取り、サークルの中に入ると、いつの間にか祭壇の前まで移動していたシスターが膝をつき祈りをささげていた。5分ほどそのまま立っていると祈りが終わったのかシスターが立ち上がった。
「これで確認は終了です。問題はありませんか?」
 近づきながら尋ねてくるシスターの目線は羊皮紙に向けられていたので、確認する。羊皮紙には文字が浮かんでいた。読めないはずのその文字だが、なぜか意味は理解できる。どうやら内容はレベル、スキルなど、俺のステータスと思わしきものと――――
「はい、大丈夫です」
「ではお布施はあちらにお納めください」
 ――――お布施という名の料金だった。
「わかりました、両替とか出来ますか?」
「大丈夫ですよ」
 ちなみに銅貨10枚だった。あと、どうやら銀貨一枚は銅貨100枚になるらしい。








 ギルドに入るとランツさんとアーリアが手を振ってきたので、振り返して近づく。
「今朝の剣なんだが、鑑定の結果がこれだ」
 先ほどの羊皮紙と似た材質の紙を渡してきた。

 [半月刀:明星に振る手]
 総合:C+
 攻撃力:C
 耐久性:B+
 希少性:C-
 斬撃補正:D+
 刺突補正:D-(負)

 備考:
 金額換算:銀貨15枚程度

 やはりギルドでの鑑定とはアイテムの鑑定のようだ。
「だからこれが、残りの銀貨10枚だな」
 そういってランツはテーブルの上に銀貨を置いた。アーリアは置かれたコインに目線をやると目を伏せている。相場が良くわからない。
「ありがとうございます」
 テーブルの上の銀貨を受け取り1枚をアーリアへと渡した。
「これは宿代とご飯代代わりに」
「こんなには受け取れませんよ!!」
 両手を振って断ってくるアーリア。
「いいんだよ。その代わりアーリアの育てた野菜たくさん食べさせて」
「……わかりました。好きなだけ食べていってくださいね」
「話は纏まったな。シュージも鑑定に行っとけ。あそこの人に言っとけば手続きはしてくれる」
「了解。ありがとう」


 受付を行っていたのは小柄な老人だった。しわだらけの顔には穏やかな笑みを浮かべている。
「これの鑑定をお願いしたいんですけど」
 腰に差してある日本刀を指差しながらたずねた。
「銅貨10枚になるよ」
「はい」
「刀なら鞘の上からじゃなくて柄のところに巻くんだよ。うまく鑑定できなくなるからね」
 そういうと先ほどランツさんが見せてくれた物と同じような紙を渡してきた。いわれた通り柄に髪を巻くと、二人の所へと戻った。


「鑑定結果はどうなんだ?もういいだろ?」
 席に着くや否やそう言われたので、先ほど巻いた紙を外すと、紙には文字が浮かび上がっていた。

 [野太刀:忠義を示し刃]
 総合:B+
 攻撃力:B
 耐久性:C-
 希少性:B
 斬撃補正:B+
 刺突補正:C+

 備考:
 金額換算:金貨6枚程度
 身体能力上昇:微弱

「うおっ!? すげぇ!!」
 見せるや否やランツさんが驚嘆の声をあげた。いきなり耳元で叫ばれ、身体が反射的にのけぞる。
「どっ……どうしたんですか?」
「どうしたんですかって、お前、B+だぞB+!!」
 失敗した。どうやらB+は驚嘆に値するらしい。アーリアに至っては茫然としている。
「この半月刀だってここいらじゃあ最高級の武具だってのにB+なんて言ったら王国の近衛が持ってるようなレベルじゃねぇか!!」
 どうやって切り抜けるべきか。
「そうなの?実は武器って手作りの木刀ぐらいしか使ったことなくて……いまいちすごさが分からないんだけど」
「なっ……よくそれでここまで生き残ったな……」
「シュージさん……」
 アーリアにひどく憐れんだ目で見られている。ランツさんは本棚の方へと歩いていった。受付の人と二言三言交わした後、本を取り出しこちらへと戻ってきた。
「お前はもうちょっと旅の心得を学べ、そんなんじゃいずれ騙されるぞ」
「兄さん……もうすでにシュージさんは前の街で偽の地図をつかまされたそうです」
「遅かったか……まぁこれから先同じような被害に遭わないためにも基礎ぐらい身に付けとけ」
「あ……はい、ありがとう」
 ランツさんが渡してきたものは「ギルド新規入会者基礎知識」と「明解:モノの価値」という二冊の分厚い本だった。




 その後、一足先に家に帰らせてもらった俺は早速本の中身を確認した。
「……やっぱり分かるなぁ」
 先ほどの鑑定や祝福の確認と同様に、見たことのない文字であるはずのそれらがなぜか理解できる。どういう仕組かは分からないが、読めないよりははるかにましであるため、そういうものだと思い込むことにする。……甚だ理不尽だとは思うが。
 やたら分厚いと思った本だったが、ページ数にしてみると100ページ程度しかない。それに加えて字の密度も低かった。
 丁寧に読んだが「ギルド新規入会者基礎知識」は1時間程度で読み終わることができた。……正直、頭が痛い。


 どうやらこの世界には神様が居るらしい。それも多種多様な。多くの神様は何らかの形で人間達の営みに影響を与える。レベルもその一つであるらしい。
 レベルというのは好闘神ディリウスという神が勇敢な戦士を湛え、付与する。このディリウスは戦闘を見るのが何よりも好きらしく、より自分が楽しめる戦闘を探している。勇敢な戦闘を行える者をさらに高見へと登らせ、より自分を楽しませてくれるように、あるいは楽しませてくれたお礼としてレベルや強力な武具、スキルなどを勝者に与えるらしい。
 自分より強い相手へと向かっていった者へ、誰かを守ろうと立ち上がった者へ、窮地からの大逆転を行った者へ、ディリウスが楽しめるような戦闘を行った者への“褒美”、それがレベルなどの加護らしい。その他にもギルドに所属するような人間がお世話になる神様として治癒神アリテス、鑑定神ソクラシム、武具神ガリケイアなどがいるとのことだ。
 また、レベルというのは最もシンプルな強さに直結するとのことである。具体的には筋力、スピード、体力がレベル毎に強化されるらしい。その他のスキル、相性や戦術などにより、純粋にレベルのみで勝負が決まることはない。だが、レベルが相手より低ければそれは大きなハンデを背負って戦うのと同義であり、勝つことが非常に難しい。つまり、レベルはその当人の強さを表す最も簡単な指標となりうるのだ。
 そのため、武力を必要とする仕事役職には必須レベルというものが設定されていることが多く、レベルが高いほど収入もよく、仕事の選択肢も増えることになる。逆にいえばレベルが低い場合、得られる仕事の種類は少なく、報酬は低い。これはつまり、その手の仕事で生計を立てようとした場合には、死ぬかも知れない戦いを何度も経験してレベルを上げなければ十分な収入が得られないということだ。

 それは避けたい。昨日ので十分に怖かった。しかし、そうすると特に役立ちそうな技能を持ってない、こちらでの一般常識も怪しい俺は職に就けない。ひいてはまともな生活ができないかも知れない。その場合、何とか元の世界に帰る方法を発見しなくては。
 ふと、教会で貰った紙を手に取り眺める。


 --------------------------------------------
 流亡の薄弱者

 レベル:6
 職業:――
 出身地:――

 スキル:投擲必中 弱


 加護神:――
 --------------------------------------------



 この紙は祝福を受けた本人が手に取っていない限り誰にも読むことができないと説明が書いてあった。身分証書代わりにもなると。“流亡の薄弱者”……正直恥ずかしい。
 みんながみんな、こんな恥ずかしい名前を付けられているのだろうか?
 この紙には各人の個人名が載るのだがそれは生まれてから親に付けられるものではなく、“神様達がそいつをどのように認識しているか”によって変わるらしい。少なくとも名付けた神様は俺が異世界から来たことを知っているらしい。

 そしてレベル6というのは一般的な大人よりやや高めというぐらいで全く珍しくない程度のものとのことだ。軽く気落ちする。するが、今は他にすべきことがあるので意識の外に締め出すことにする。――思考停止だけはしてはならない。辺りが暗くなるにつれて光を発するようになったランプに照らされる天井を一瞥した後、短く息を吐く。「明解:モノの価値」を手に取った。




「明解:モノの価値」を読み終わり思索にふけっているとドアがノックされた。
「シュージさん、お昼ごはんの用意ができましたよ」
「ありがとう、すぐ行くよ」
 下に降りると上機嫌なのかランツさんが鼻歌を歌いながら椅子に座っている。
「何かいいことでもあったんですか?」
「おう、シュージ。いや、お前に売ってもらった刀な。そりゃもう使いやすくてな。前から良い剣が欲しかったんだが、買おうにもこんなとこだろ?仕入れ自体がなかったんだよ」
 ゆらゆらと身体を揺らしながら上機嫌に答える。
「喜んでもらえたならよかったです。あ、今の剣も必要なら売ろうかと考えているんですけど、誰か買ってくれそうな人に心当たりはないですか?」
 もう戦うつもりもない以上金に換えてしまうのも一つの手だろう。何せ金貨6枚あれば十年は余裕で暮らせるらしい。
「え?……この村にはあんないい剣買えるだけの貯蓄ある奴なんていないぞ。それこそガイスまで行かないと無理だろうが……いいのか?」
 ガイスはそれなりに大きな街なのだろうか?
「何がです?」
「いや、こんな世の中だろ? せっかく手に入れた良い武器を手放す奴なんてそうはいないぜ?」
 そうだったのか。でも十年は、でもそれまでに稼ぐ手段も、武器の必要性と金額を秤にかける。
「あ~、まぁ使ってみてなじまなかったらの話なんで、気にしないでください」
「そうか?まぁそれならいいんだが」
「早くご飯にしましょうよぅ」
 そんな会話をしてる間にお腹が減ったのか、せっかくの料理が冷めてしまうのが悲しいのかアーリアがせっついてきた。









 さわやかな風が草を揺らしている草原には思い出したかのようにぽつぽつと木が生えている。雲ひとつない青空からの光をはじく草原はまるで濡れているようでもあり、さざめく姿は寄せては返す波を彷彿とさせる。涼しい風と温かな光の融合が心地良い。
 食後少しまったりとした後、村の外れに来た。スキル欄に書いてあった投擲必中スキルの検証を行うためだ。

 スキルとはその名の通り各種技能を表すものである。ある一定の動作を反復練習することで得られたり、レベルなどと同様に好闘神ディリウスからの加護によって得られたりと様々な習得方法がある。その種類も多岐にわたっており、戦闘に使用できるものや一般生活で役立つもの、果てはそれ一つで飯を食っていけるような特殊技能まであるとのことだ。足元に落ちている小石を拾い、遠くに見える木に投げつけた。石は見事にあさっての方向へ飛んでいく。
「あれ?」
 投擲必中というくらいだから絶対に当たるのではないのだろうか?試しにもう一つ。……やはり外れる。
「???」
 何か発動条件でもあるのだろうか?気合を入れながら投げてみる。
「はぁぁぁぁ、はぁっ!!」
 手の中に収まっている石を力強く握りしめ、気合を肺に貯めた空気とともに吐き出す。思いっきり振りかぶり、腕を振り下ろす力を使って身体を後ろに引っ張る。限界まで伸びきった背筋が貯め込んだエネルギーを徐々に開放する。下半身から順に身体をひねると同時に右足で地面を力強く蹴りだし、身体を前方へとスライドさせる。左足が地面に着いた瞬間、前方への運動エネルギーは一瞬にしてゼロになりその力は慣性の法則に基づいて上半身へと伝えられた。各関節を通過するたびにその力が跳ね上がるようだ。それら全身から集められた力を頭より高い場所を通過する右手に乗せる。
 ――目標はあの木――
「らぁッ!!」
 手から離れる小石は――鈍い音とともに地面をはねた。……恥ずかしい。誰にも見られてなくて良かった。しかし……なんで外れるのだろう?投げ方の問題かと思い、サイドスロー、アンダースロー、果てはトルネード投法まで試してみたが、全く当たらない。めげずに石を探しては投げ、探しては投げしていたらだいぶ的に近づいてしまった。石を探すのが面倒になってきたので的に向かう。的にしていたこともあって木の周りには石が大量に落ちていた。石をまとめて持っていこうと考えた俺は散逸しているそれを木の根元に集めることにした。
 拾っては木の根元に向かって投げる。木まで2メートルも離れていないので十分近くに固まるだろう。


 こんなものでいいか、と木の根元に近付く。
「なっ!?」
 そして愕然した。
 投げ集めた石がピラミッドのように積み重なっていたのだ。
 これは間違いなく投擲必中の効果だろう。だが、それなら発動条件は何だ? 今までとの違いを考える。

 ――距離。

 今までとは狙った場所との距離が違うのだ。他にも要素はあるかも知れないが、これが最も可能性が高そうだ。

 集めた石を拾ってすぐそばにある木に向かって投げる。

 ――あたった。正直スキルなんてなくても当たると思うが。

 一歩離れる。投げる。――あたった。

 また一歩離れる。を繰り返すと八歩目で外れた。


 その後検証を続けると、どうやら対象から十歩前後の範囲がこのスキルの有効距離らしい。目測でおよそ5m。
「…………使えねぇ~」
 なんて役に立ちそうにない能力だ。ちなみに他の発動条件として対象を視認できないと無理らしい。後ろを向いて投げると当たった音がしなかった。レベルも普通、スキルもこれでは本気で帰る手段を探したほうがよさそうだ。生活に困りそうなことは目に見えている。
 一通り検証を終え、その日は家に帰った。





[10571] 第三話 キャラ作りと不思議アイテム
Name: ねしのじ◆b065e849 ID:4c0ee536
Date: 2010/03/29 13:27


 今日は時差ボケが治ったのか、早朝に目が覚めることは無かった。部屋を出ると階下に人が動いている気配を感じた。アーリアがご飯の準備をしていた。
「おはようアーリア」
「おはようございます。シュージさん」
 肩越しにこちらを覗くアーリア。揺れるウェーブがかったきれいな金髪が窓から差し込む朝日をはじく。
「もう少し待ってくださいね。すぐにできますから」
 夫婦、という言葉が頭に浮かんだ。
「どうしたんですか?顔が赤いですよ?」
「いや、なんでもないです。ハイ」
 落ち着け落ち着け。経を唱えるように一心に念じる。顔にあつまってきた熱は簡単には消えそうになかった。



 起きてきたランツさんを交えての食事中にアーリアが尋ねてきた。
「今日はどうなされるんですか?」
「あ~、そうだなぁ旅に必要なものを買いそろえようかと思うんだけど」
「……アーリア、ついていってやれ」
「そうですね。不安ですし」
 即答だ。 正直助かるが全く信頼されてない。苦笑がこぼれた。




 食後の皿洗いを終え、アーリアと一緒に道具屋へと向かう。
「そういえば明日商隊が来るって言ってたけど何を売りにくるんだ?」
「ガイスやリオルの街で仕入れた日用品や食料、武具なんかを売りますけどメインはジェスカさんの所への仕入れと、ここで農作物なんかの食料品を買ってガイスで売ることですね」
「なるほど、確かに両方で売買したほうが利益は出るし、卸を兼ねれば収益も安定するか。…………ん?」
 アーリアが驚いた顔をしている。
「どした?」
「いえ、シュージさん商いの見習いでもしてたんですか?」
「あ~、昔ちょっとね」
 これぐらいでも驚かれるのか。うかつなことは口に出来ないな、と気を引き締めた。
「そうですか……シュージさんはいろんな経験をしてるんですね」
 何処か寂しそうにアーリアがつぶやく。理由を聞いたものかどうかと考えているうちに機を逸してしまった。



「あら、アーリアちゃんおはよう。朝から中睦まじいわねぇ」
 道具屋につくとまたもジェシカさんにからかわれてしまった。相変わらず元気一杯と言った風な女主人は今日もけらけらと笑っている。
「もう、ジェシカさん。シュージさんはそういうのではありません」
 そこまで力いっぱい否定されるのも悲しいものがあるが……
「まぁまぁ、ジェシカさん。あんまりアーリアをいじめないであげてください」
「そういうことにしといてあげるさ。で、今日はどうしたんだい?」
 ニヤニヤという擬音が聞こえてきそうな笑みまで止めるつもりはないらしい。
「今後の旅のための道具を買いに来たんですよ」
「もう旅に出るのかい?」
「ええ、明日来る商隊にガイスまで連れて行ってもらおうかと」
「やれやれ、この村の若いモンはみんなガイスに行っちまうねぇ。そんで誰も帰ってこないんだから村が潰れちまうよ」
 ――誰も帰ってこない?
「そうなんですか?」
「ああ、大体あんたと同じで商隊にガイスまで連れてって貰うのさ。で、向こうの暮らしを気に入って誰も帰ってこないのさ。せいぜい手紙をよこす程度で」
 道理でこの村の年齢分布が変なわけだ。中年以上の人がそこそこ居るわりに若者が少ないのはそういうわけだったのか。
「都会には若者をひきつける魔力でもあるのかもしれませんね」
「そうだねぇ、私も若いころに何度か行ったことがあるけど、どれも良い思い出だよ」


 ジェシカさんとの話も終わりアーリアと一緒に商品を見る。
「これはどういう道具なの?」
「これは燃え紙ですよ。それは水をかけても消えないタイプですよ」
「へ~」
 花火みたいに酸素が発生するようになっているのだろうか?
「へ~って、前の村出るときにそろえなかったんですか?」
「……ああ、木刀ぐらいしか持ってなかったから。じゃあこれは何?」
 もうそういうキャラで押し通すことにした。
「……それは水盛器(みずもりうつわ)です。一晩外においておくと翌日に器一杯分の水が溜まります」
 ……もはや理解の範疇を超えたアイテムだ。
「次これ」
「それは火打ち石と言って」
「たたくと火花が?」
「……そうです。でも小さいのしか見たことありませんか?これぐらいなら普通に火が出ますよ?」
 何も考えずに打ち付けたところ、ライターで作るよりはるかに大きい火が出た。
「シュージさん!!危ないでしょう!!」
「ゴ……ゴメン!!」
 まさかこれも不思議アイテムだったとは。
「なにか、武器になりそうな道具ってないの?」
「そんな危険なもの売ってないですよ」
「まぁそっか」
 あきれられてしまった。だが、正直接近戦なんてしたくないので、何とか遠距離で殺傷能力のあるアイテムがほしいところだ。
「それにここからガイスまでなら商隊の護衛も居るから危険なんてないですよ?」
 そうだといいのだが。
「それもそうだね」
 とりあえず納得した振りをしておく。必要そうなものを一通りアーリアに見繕ってもらい、いくつかあった興味深い道具を付け加えて清算を行う。明日商隊から仕入れを行うということで在庫整理もかねていくらかサービスをしてもらえた。


 付き合ってもらったお礼に帰りに定食屋に寄り、ご飯をご馳走した。こちらで初めてアーリア以外の料理を食べたが美味かった。かぼちゃのスープのような色をした温かいスープはトマトのように酸味が効いていてそれでいてとても甘い。メインは巨大なラザニアとでもいうべきか、ピザのような生地を重ね合わせその間に具材を挟んでいる。生地にスプーンを入れると、中からアツアツのスープが滴り、食欲を刺激する香りが漂ってくるものだった。こちらに来てからまだ食事を外していない。これで身の危険なく生活していけたら何の問題もないんだが。


 店を出て教会の前を通ると、ここに商隊が店を開くことを教えてくれた。
「そういえば商隊に売る食料品ていうのは何を売るの?」
「ガイスまではそれなりにあるんで保存の利く小麦粉や乾燥させたハーブ等ですね」
「へぇ~、アーリアも何か売るの?」
「はい。乾燥ハーブと香油を少し。そのお金で服なんかを買うんです」
 そういって楽しみそうに微笑む。
「その服も商隊から買ったの?」
 今日のアーリアはくるぶしまであるスカートをはいている。模様は特にないが足元に向かうにつれて緩やかに広がりを見せるそれは彼女の体形によく合っていた。上着は若干茶色がかった長そでのシャツの上に黒く丈の短いカーディガンのようなものをはおっている。
「ハイ。どうですか?」
「うん。よく似合ってるよ」
「……えへへ。ありがとうございます」



 家に帰った後は荷造りを行い、ギルドへ本を返しに行く。建物へと入ると中にはランツさんが居た。
「おう、シュージ。どうした」
「昨日の本を返しに」
「もう読み終わったのか。早いな」
 二冊で二時間程度しかからない分量だったんだが。
「そうですかね?あそこの本棚に入れとけばいいですか?」
「おう。この辺の人間は本になれてないからな。それだけ読もうと思ったら相当時間がかかるんだよ。なんか読みたいものあったら好きに読んでいいぞ」
「ありがとうございます」
“危険生物と危険地帯”という本があったので手に取り、机へと向かった。



 4冊目を手に取ったところでランツさんが話しかけてきた。
「よくそんなに集中が続くな。そろそろ帰ろうと思うんだが」
 全く気付かなかったが、窓を見ると外は赤い光に包まれていた。
「じゃあ、俺も一緒に帰ります」



 その後は家でまったりとすごした。








 翌朝の朝食後、工作に励んでいるとドアがノックされた。
「シュージさん、商隊の方々が来られたようですよ。一緒に行きませんか?」
「うん。準備するから一寸待って」
「はい。下で待ってますね」
 トントンと階段を下りていく音が聞こえる。工作の片付けを行い、昨日買った財布代わりの皮袋を持って階段を下りる。
「お待たせ」
 商隊に売るものだろうか。アーリアの足元にある荷物を持った。
「あ、ありがとうございます」
「どういたしまして。それじゃあ行こうか」
「はい」




 どうやら商隊は教会とギルドの前の広場で店を出しているらしい。人だかりが出来ている。アーリアについて奥まで歩いていくと商隊のリーダーらしき髭面の腹がたゆんたゆんと揺れそうな親父が居た。忙しそうに記帳している。
「バイツさん。おはようございます」
「ん、おぉ、アーリアちゃんじゃないか。おはよう」
 記帳が忙しいのか、アーリアを一瞥するとすぐに視線を帳簿へと戻す。
「今日は乾燥ハーブと香油を持ってきたんで見てください」
「おお、そこに置いといてくれ。すぐに見るよ」
「わかりました。シュージさん、ちょっと服を見に行ってもいいですか?」
 指定されたところへ荷物を置く。
「いいよ、行こう」
「ありがとうございます」



 服を選んでるアーリアは真剣そのものだ。良さそうなものを見つけては広げ、うなりながら凝視している。時々自分の身体に当てては「どうですか?シュージさん」とこちらに話を振ってきた。こちらの流行などさっぱり分からないのであまり奇抜なもの意外は無難に褒めておく。

 最終的に二つに絞ったようだ。ひとつはゆったりとした淡いクリーム色のワンピース。腰の部分に小さいながらも刺繍が施されている。もうひとつは薄青のスカートと淡いピンクのシャツとの組み合わせだ。こちらはシンプルでありながらとてもきれいな色合いをしている。こちらの世界ではここまで色の濃い服は見た覚えがなかった。
 どこの世界でも女性が衣服に悩むのは変わらないようだ。なぜか少し安心した。
「シュージさぁ~ん、……どっちがいいですか?」
「見た目で決められないなら値段を比較してみたら?」
「それも含めて悩んでるんですよぉ」
「……どっちもいいと思うけど、こっちの方がアーリアに似合ってるかな」
 スカートとシャツの組み合わせを指差す。
「……じゃあこれにします」
 まだ後ろ髪を引かれるのか、ちらちらとワンピースを見ていたが、シャツとスカートを手に取りバイツさんのところへと戻った。




「いくらになりそうですか?」
 ハーブと香油の鑑定は終わっているらしい。
「おぉ、アーリアちゃん。これなら銀貨一枚でどうだい?」
「銀貨一枚ですか・・・じゃあそれで良いんでこれ値引きしてください」
 そう言ってバイツさんに先ほど持ってきたシャツとスカートを見せている。
「アーリアちゃんには敵わないな。これを銀貨一枚に値引いて差し引きゼロにしろってことだろ?」
「えへへ」
 服の値札を確認するバイツさん。
「ん、問題ないな。それでいいよ」
「ありがとうございます」
「いいんだよ。アーリアちゃんのハーブは質がいいからな。一応これでも利益は出るから」
 商談は終わったようだ。
「あ~、はじめましてバイツさん。シュージといいます」
「おっ? 確かに見た事ない顔だな。新参者か?」
「はい。今大きな町へ向けて旅をしているんですが、もしよろしければガイスまで乗せて行っていただきたいのですが……」
「あ~、かまわんよ。うちの商隊には護衛も居るし一人で行くより安全だよ」
「ありがとうございます」
 思いのほかあっさりと決まった。
「それじゃあ明日の朝出立するから遅れないようにここまで来てくれよ」
「ハイ。ありがとうございます」





 その後、当てもなく商隊が広げている商品を見て回る。周りにはこの街にこんなに人がいたのかというくらいの人間がいた。みな思い思いにしゃがんでは商品を手に取り眺めている。その中に木彫りのブローチを見つけた。バラの形をした丁寧な造りのブローチだ。アーリアはハンカチを広げ見入っていて、こちらのことは視界にないようだ。お礼代わりにちょうどいいかなと思ったこともあり、銅貨20枚出してそれを買う。ランツさんには丁度良いものが思いつかなったので酒を買っておいた。一通り見て回った後は家に帰り、アーリアと一緒に昼御飯を作る。昼食の完成とランツさんの帰宅は計ったようにぴったりだった。



 昼食後、筆記用具を持ってランツさんとギルドに向かう。昨日読んだ本の情報を纏めるためだ。特に「危険生物と危険地帯」と地図に関する情報は纏めておかなければならない。一通り纏め終わるとランツさんに一言言って家に帰った。




「ただいま」
「おかえりなさい、シュージさん」
 家に帰ると買った服に着替えたアーリアが迎えてくれた。
「どうですか? 似合ってます?」
 そう言ってくるくると回るアーリア。遠心力に従い広がるスカート、流れる髪。何より心底うれしそうなアーリアのその笑顔に、正直見惚れてしまった。
「……あぁ、うん。すごい似合ってるよ」
「よかったぁ。やっぱりこっちにして正解でしたね」
「うん。すごいきれいだよ」
 二度もいうつもりはなかったのだが、つい口をついて出てしまった。
「……もう、シュージさん褒め過ぎですよ」
 頬を染めたアーリアに諌められる。
「今日は腕によりをかけてご飯作りますね」
「うん。楽しみにしてるよ」
「はい。それまでゆっくりしておいてください」
「ありがとう」
 そういうとトントンと跳ねるように歩いて部屋に戻っていくアーリア。夕食に呼ばれるまでは今朝の工作の続きを行うことにした。




 最後の晩餐は本当に豪勢だった。とりとめもない話をし、ゆっくりと時が過ぎるのを楽しむ。食事も終盤に差し掛かったころ。
「二人には本当にお世話になりました。これは、お礼の気持ちです」
 そう言って商隊から買ったブローチと酒を手渡す。
「そんな……受け取れませんよ。もう十分なお金ももらってるんです」
「そうだ、シュージ。お前が気にすることなんて何もないぞ」
 そう言われるだろうことは想像が付いていた。
「いえ、受け取ってください。その代わり、またこの村に来ることがあったらお世話になってもいいですか?」
「それはもちろんです。お礼なんてもらわなくてもシュージさんならいつでも大歓迎ですよ」
「ありがとう。でもそれならなおさら受け取ってください。お願いします」
 この知らない世界に帰れる場所を作りたい。そう思うのは臆病な事なのだろうか? アーリアとランツさんを交互に見つめる。
「……分かった」
「兄さん!?」
 思いが通じたのだろうか。ランツさんが首を縦に振ってくれた。
「その代わり、必ずまたこの村に来てくれよ」
「はい。必ず」
「アーリア、お前も受け取れ」
「……分かりました」
「ありがとう」
 受け取ってくれたアーリアが可笑しそうに微笑む。
「シュージさん。それは私が言う台詞です」
 そう言いながら目じりに浮かんだ涙を拭いているアーリアは今までで一番きれいだと思った。














 徐々にソニカの村が小さくなっていく。アーリアお手製のサンドイッチを食べながら、その様を脳裏に焼き付けた。






[10571] 第二章 プロローグ
Name: ねしのじ◆b065e849 ID:1119cabb
Date: 2009/08/02 14:55


――とある夜――



暗い森の中を声を走る影がある。

その影は手に持った刀で枝を切り倒しながらほぼ一直線に走っていく。

風が吹いているのだろうか。木々のざわめきは影の足音を呑み込んでいた。

だが、そんな音の本流の中に、かすかに聞き取れる別の音が存在した。

「考えろ――考えるんだ。」

それは呪いのように、あるいは祝詞のように空へと消えていった。

森は、これから何かが起こることを予感しているようにざわめいている。



[10571] 第四話 涙の道
Name: ねしのじ◆b065e849 ID:1119cabb
Date: 2010/03/29 13:27
 なだらかに見える下り坂の先には川でも走っているのだろうか、小さな橋が見えた。
 雲一つない青空から注ぐ日差しは受け続ければ不快になるだろう。だが、馬車の中に居る俺にとっては,運ばれてくる空気をさわやかに変え、風景を華やかに見せてくれる天からの恵みとなった。

 ソニカの村を出て、早くも一日が経過した。だが、思っていたものと異なり、異世界での旅は何とも言えないのどかなものだ。
 一日歩いてもモンスターの一匹も出ない。なぜ護衛が必要なのか不思議なほどだ。
 荷台にずっと座っているため特にやることもなく。昨日は一日中景色を見ていた。そして,今日も今日とて景色を見ている。
 視界の端に映っていた毛布がもぞもぞと動き出した。
「あ~、シュージさん。おはようございふぁふ」
 そう言ってくるまっていた毛布から健康的に焼けた肌をした少年が起き上り、挨拶してくる。
「ああ、おはようカゥ。もう起きるのか?」
 カゥの頭に乗っていた毛布が滑り落ちる。
「はい。昨日は見張りながらうつらうつらしてしまったので……ご主人様には内緒ですよ?」
「分かってるよ」
 くすくすと笑いながら答えると、恥ずかしそうにしていたカゥも微笑む。
 カゥはバイツさんが運営するバイツ商会の従業員でバイツ家の奉公人らしい。働き始めて5年になるらしく、最初はなかなか慣れることが出来なかった仕事も最近ようやくコツをつかんだとうれしそうに話していた。
 顔つきは幼いが荷物の上げ下げなどを頻繁にしているためか体格は驚くほどがっちりしており、見た目の違和感がひどい。そして性格は朗らかで若干抜けている,と非常に混沌とした人物像をしていた。
 今回の旅はバイツさん、カゥ、護衛のクラフさんに馬車をひいている馬っぽい生物のバルイ(雄)とレイツ(雄)におれを加えた四人と二頭のパーティだ.
「でも見張りなんて必要なのか?昨日から全く危険を感じないんだが?」
 今も見晴らしの良い丘を通っているのだ。危険が迫っていたとしてもすぐに逃げることが可能だろう。
「そりゃ街道通ってますからモンスターなんてめったに遭遇しませんけど、見張りがいなかったら遭遇した時点で即死亡ですよ?」「用心に越したことはないってことだな」
「そうですね。まぁでもこの辺は盗賊なんかもいないし、安全だからご主人さまもここを商売路にしてるんですけどね」
「なるほど。他の地域だと盗賊やモンスターって結構出るのか?」
「ん~、ここ以外の商売路には手を出してないんでわからないんですけど、以前,別の商隊が護衛を10人雇っているのを見たことありますね」
「今の十倍か。それはさすがに危険な香りがするなぁ」
「はい。もしそんなところに行っちゃったら、ぼくなんてがくがく震えて何にも出来ないですよ」
「おれもだな」
 二人で顔を合わせて笑う。その時馬車がゆっくりと止まった。護衛のクラフさんが顔だけを馬車のなかに入れて告げてきた。
「休憩ポイントに着いたぞ。昼飯にしよう」


 やはり先ほどの橋は川があった印らしい。澄んだ水が清涼な音を立て重力に従い流れてゆく。
 川べりにあった石を積み重ねる。火をくべ、食事の用意をするためだ。
 ご飯はカゥが担当している。さすがにアーリアのものと比べると味は落ちるが、それでも旅の途中ということを考えると相当いい食事なのではないだろうか。
 特に質の良い干し肉が食べられるのが素晴らしい。この干し肉、噛めば噛むほど味が出てくる上に干し肉とは思えないほどに柔らかい。そのままパンにはさんで食べても全く問題ないほどだ。
 カゥは今回、その干し肉をスープに入れた。具材が芋のような根菜と干し肉だけというシンプルなスープはスパイスと肉のうまみが相まった極上の一品だった。




 お世話になっている身なので、その後の片付けに名乗り出た。
 一通り終えたところでクラフさんが近づいてきた。
「バルイとレイツを休ませる必要があるから少し休憩するぞ」
「はい。了解しました」
「……昨日から思っていたが、その刀……相当なものじゃないか?」
「これですか?……まぁそこそこのものですね」
 パラメータは伏せておく。
「そうか、ガイスへは……修行か?」
「修行というよりは出稼ぎですね。育った村への恩返しってとこです」
「そうか、ソニカの村は裕福とは言えないからな」
 訂正は……やめておいた.これからはあの村出身ということにしておこう。
「特にうちは貧乏で村のはずれに住んでたんですけど……みんなやさしくしてくれて」
「そうかそうか。出稼ぎなら強くならないとな。どれ、手合わせでもしてみるか?」
 やはり金を稼ぐには強くなければならないのか。
「……それじゃあ、お願いします」
「おお、ちょうどいい事に、ここに二本棒きれがある」
 そう言って背後から乾燥した木の棒を二本取り出す。最初からそのつもりで近づいてきたのは間違いなさそうだ。
「わー、ほんとだちょうどいー」
 棒読みで返した。クラフさんが弱い者いじめを楽しまない性格であることを祈ろう。
「遠慮せずにかかってこい。少なくともワシは遠慮しない」
 ……どうやら祈りは届かなかったようだ。

「じゃあ……行きます」
「いつでもいいぞ」

 こちらは剣道の授業で習った正眼の構えなのに対し、クラフさんは半身に構え木の棒の真ん中と端を握っている。木の棒を剣としてではなく,槍か薙刀のようなものとして使うのだろう.狙うは鎧で守られている左胸。体を弛緩させた状態から出来るだけ予備動作を見せないように……突く!

 素振りの成果か、自分のイメージどおりに体が動く。前へと伸びる右足、地面を踏み締める左足。体幹を通してその力を剣先へと伝える.同時に腕を伸ばし剣先はさらに加速する。
 あたる――そう思った時だった.
 コツッ。乾いた音がやけに耳についた。
 眼の前で起きたはずのその音が何を意味するものか瞬時には理解できなかった.
 こちらの剣先に合わせるようにクラフさんが切っ先をずらし、槍の穂先と剣先が触れていた。刹那の時の中でその瞬間だけが写真のように止まって見える。
 次の瞬間にはこちらの剣先はクラフさんの身体から逸らされ,地面に突き刺さり、クラフさんの棒がこめかみのすぐ横にあった。
「スピードは問題ないし、動き出しもよかったが、目線が素直すぎるな。どこを狙ってるか一発で分かるぞ」
 唖然としてしまう。
「ほれ?どうした?もう諦めたのか?」
「くっ!」
 立ち上がり再び構えをとった。











 ボコボコにされました.後から聞いた話だとクラフさんのレベルは9らしい。そんでそれだけレベルが違うとああいう結果になるのは当然とのことでした。……でもくやしい。





 休憩も終わり、手合わせでくたくたになっていた俺は移動中ずっと寝てしまった。目が覚めると夜の帳が降りていた。こちらの暗闇は火を焚かなければ一寸先まで見えないようなものなのに、なぜかこちらを柔らかく包んでくれているようだ。
 幌の隙間から赤い光が漏れている。外に出ると夕食の準備ができていた。
「あ~、すいません。寝入ってしまって」
「気にすんな。こいつの趣味みたいなもんでな。若者を乗せるといっつも手合わせするんだよ」
 バイツさんはそう言って豪快に笑う。
「若いもんとの交流は和むからな」
 ニヤリと笑うクラフさんは絶対に確信犯だ。というか、あれはそんな穏やかなものだとは思えない。
「さっき十分寝ましたんで、今日の見張りは俺がやりますよ」
「いいんですか?」
 カゥがうれしそうに聞いてくる。
「あぁ、多分寝ようと思っても寝られそうにないし」
「ありがとうございます」
「どういたしまして」
 その言葉にクラフさんの笑みが深くなった。
「もう一度手合わせしたら良く寝られるんじゃないか?」
「いや~、見張り頑張らないとな~」
 聞こえないふりをした。




 その夜は見張りをしながらではあるが、素振りをいつも以上に行った.明日こそは一本取ってぎゃふんと言わせてやる,と胸に秘めながら。












 三日目も今までの旅同様のどかなものになった。カゥの作るうまい飯に、休憩毎の手合わせ。移動中は景色を見るのにも飽きてきたので大体は寝ている。
 バイツさん曰く、明日の昼ごろにはガイスへ着くらしい。ちょっとした旅行としては非常に適度な距離に感じる。
 現在、馬車は左手に森、右手に川を臨む街道を走っている。この川はガイスまで続いているとのことだ。もう少し行ったところに広場があり、今日はそこで野営を行うらしい。
 辺りはまだ明るいが,森の奥の方は薄暗く,不気味な気配を出していた。





 夕食後、見張りをカゥが立候補したこともあり、今日は早めに寝床についた。寝床といっても焚き火を囲むよう毛布にくるまり横になるだけだが。
 疲れているとは言え、昼間あれだけ寝たこともあり、なかなか寝付けない。そうこうしているうちに焚き火の光が気になりだしたので、反対方向へと寝返りを打った。

 やはり眠れない。一時間ほど格闘した後だろうか、少しずつ眠りに落ちそうな予感がし始めたころに今度はなぜか耳鳴りが聞こえ始めた。
「…………っ!!」

「…………ッ!!」
 耳鳴りは鳴りやむどころかだんだんと大きくなっていく。
「…………いッ!!」
 だんだんと鮮明になっていき、人の声のように聞こえる。
「あぶないッ!!」
 とっさに跳ね起きる。今まで自分の頭があった場所を槍の石突きが通過していった。
「なんだよ。タヌキ寝入りかぁ?」
 さっきの声は誰だとか、くらってたら死んでたんじゃないかとか考える余裕は一瞬にして霧散した。こちらを向いてニヤニヤと笑っている人間が三人。

 一人は石突を突き出した槍使い。
 もう一人はいやらしい笑みを浮かべた髭面。
 最後の一人は幼い顔に汚い笑みを貼り付けている。

 思考が鈍くなっていくのがわかる。その三人は――――





 ついさっきまで一緒に食卓を囲んでいた




 ――バイツ、カゥ、そしてクラフだった。






「おいおい、死んでしまっては売れないんだからな」
「わかってますよ。何年この仕事やってると思ってるんですか」
「分かってるんならいいが、あまり大きな傷は付けるなよ。この顔なら趣味の良いばあさんが高値を出すだろうからな」
 その言葉に了解の意を示しているのだろうか、クラフが一歩前へ,そのまま鋭くこちらへと踏み込んできた.気を抜くと混乱した頭が暴走してしまいそうだ。
 ――考えろ、考えるんだ。思考を一歩でも前へ
 ――クラフは俺を殺せない、それなら槍の穂先は使えない――――なら来るのは――石突きでの一撃か――柄の部分を使った――
 大地を踏みしめたクラフはその慣性を回転モーメントへと変化させた。
 ――――横薙ぎ
 唸りを上げながらこちらへと迫るそれにのみ注意を払う。踏み込み、しゃがみ、転がるようにそれをかわした。
 かわされるはずがないと思っていたのだろうか。事実,かわすことが出来たのは偶然だ.勝率二分の一の賭けにそう何度も勝てるほど俺の運は良くない。
 だが,今回は勝つことが出来た.その為,クラフには一瞬の硬直時間が発生した。
 その隙にクラフを置き去りに走り抜けた。他の二人に戦闘能力はないはず。早く馬車へ――

 馬車へ入ると鞄を拾い上げ、幌を切り裂き反対側へと逃げた。後方からクラフの怒号が聞こえた.
「逃がすかよっ!!」
 森に逃げ込めば,後ろを振り向かず,ただ,ただ,走る.レベルはあちらが上だが、あんな鎧着込んでるならこちらにも利があるはず。そう簡単に追いつかれるはずがない。
 不確かな根拠の上に立った希望的観測を追いかけ,森の中へと飛び込んで行った.



 誰もを等しく眠らせる暗闇は、逆らうように走り回る俺に対して容赦ない試練を与えてきた.
 足元もろくに見えない暗闇で全力疾走した結果、枝には顔を叩かれ、地を這う根に足をつかまれる。だが、止まれば死ぬのだ。森からの罰は甘んじて受け、全力で逃走した。
 二分ほど走ったころだろうか、膝が落ちたのが分かった。
 もう、走れない。息は乱れ、足も震えている。
 それでもいつもの口癖を呟いているあたり、相当焦っていたのだろう。
 深呼吸を一度し、何とか息を止め、周りの気配を探る。耳の奥で太鼓が鳴っているようだ。うまく気配を探れない。音をたてないように周りを見回し、クラフが追いかけていないことを確認すると近くにあった木に登る。
 この暗闇だ。木の上にじっとしていればそう簡単には見つかるまい。樹上で体を休め、日が上がる頃にはあちらもあきらめるはずだ。不意に涙がこぼれた。
「……ちっくしょう……」
 逃げることしかできなかった自分へのふがいなさか、それとも無事逃げることのできた安堵か、自分でもうまく説明できない感情を吐き出すように静かに涙はこぼれた。






 5分ほどたっただろうか。やっと落ち着いてきた俺は鞄の中身を確認した。良かった、何もなくなってはなさそうだ。木から落ちないように体を休めようと思い、体制を入れ替えた瞬間だった。
「このあたりかな~?」
「っ!!?」
 クラフ!! なんで――そんな簡単に,暗闇の中、一度見失った相手を,見つけられるはずがない。
 現に,あいつは,ここまで近づいておきながら,俺の事を見つけられていない。
 ハッタリだ、このままじっとしていれば,過ぎ去るはず。
 俺が上っている木に近づいてくる。
 ――まさか、まさか、まさか。
 気づいているはずがない。
 一歩一歩近づいてくる。
 足音が耳に着く。

 ――ザッ、ザッ
 奴が嗤っているのが見えた.
 ――ザッ、ザッ
 近付いてくる。
 ――ザッ、ザッ
 息をのんだ.
 ――ザッ、ザッ
































 奴の姿が木と暗闇に隠され,見えなくなった.
 ため込んでいた息を吐き出す。これで、もうここには戻ってこないだろう。
 体が弛緩していくのがわかる。手を見ると震えていた。そんな自分になぜか笑いがこみあげてくる。木の幹に背を預けた.緊張から解き放たれた身体が弛緩して行く.

 ――ザッ、ザッ
「――――ッ!!」
 今度こそ心臓が止まるかと思った。
「やっぱりここいらだな。いるんだろー?でてこいよぉ」
 ニヤニヤと下卑た笑いを浮かべていた。そんな、何で、そんな、理不尽な――
 そこで思い出した。そんな理不尽なものがこっちにはたくさんあったことに。どこからともなく水の湧き出る器、魔物を倒すだけで上がる身体能力、そして――ありえないを実現する技術(スキル)




 クラフが俺を見つけたのはスキル、あるいは道具の能力なのだろう。
 それはこのままでは遅かれ早かれ見つかるということを意味していた。
 全力で走った俺に対してゆったりと歩いて来たのだろう。今にも足が痙攣しそうな俺に対して,奴の息は全く上がっていない。
 そして、俺が遠くへ走り去らず、近くに隠れるということも分かっていたのだろう。相当手慣れている。
 ここで奴を行動不能にするしかない。そしてそれが意味することは――それを思い至るのに二秒――張りぼての覚悟を構築するのに十秒――どうせ後悔することに気付くのに一秒.突撃の準備をしながら,何とか、ざわめく自分の心に,向き合う。鞄を抱え、木から飛び降りた。

「おおおぉぉぉぉぉおおおおあぁ!!」
「出てきたなぁ、えらいえらい」
 笑みを深くするクラフ
 全力で突撃する.
 あと、五歩
 奴はその場で迎撃するつもりなのだろう.足場を確保している.
 あと、三歩
 槍を構え腰を深くするクラフ.
 あと、一歩
 動き出しが見える.

 鞄の中から皮袋を取り出した.
 ――射程圏内――
 右手に持つ皮袋を全力で投げつける。それを鼻で笑い打ち落とすクラフ。ゆるく口を結んだだけの袋は何の抵抗もなく中身を吐きだした。
 そして、その中身は俺の能力――投擲必中によりクラフへと向かう。中身の白い粉がクラフの顔に当たり視界を塞いだ。
「なっんだこりゃぁ!?」
 俺はすぐさま第二射となる別の皮袋を投げつける
 一つ目の皮袋に入っていたものは小麦粉、今それはクラフの顔の周りに漂っている。そして第二射の袋には砕いた火打石と燃え紙
 二つ目の袋がクラフへと当った瞬間――爆発。
「ギャッ!!??」
 リザードマンのときとは比べるまでもなく小さな爆発だったが、より一層顔の近くで爆発したそれは,敵の体勢を十分に崩してくれた。
「おおぉぉぉおおおっ!!!」
 右手で刀を抜き、今までの素振り等全く反映されていない、力任せの一撃を叩き込んだ。
「がぁっ!!」
 どこかに当ったらしく苦悶の声をあげている。倒れたクラフの左手には親指と小指だけが残っていた。
「ぐぅ!!……てめぇぇぇえ!」
 鬼の形相でこちらを見るクラフ
「覚えてろよぉ!!貴様ぁぁっ!!」
 指を減らした左手を一瞥した後、倒れた体勢のままこちらに激情を飛ばしてくるクラフ。
「えぇ、覚えておきます。クラフさん」
 自分でも驚くほどいつも通りの声が出た。こちらが何を言ったか分からなかったのか、むしろ分かり過ぎてしまったのか、先ほどの激情がなかったかのようにクラフはポカンとした顔を見せた。
「絶対に忘れないです」
「ちょっ、お前……落ち着けって、なにするつもりだ」
「俺だってしたくはないです」
 先ほどの涙の跡を、
「落ち着けって、良く考えろ、もうワシは動けないんだぞ?」
 今日二度目の涙が流れた。
「分かってます。それがホントかどうか調べる術がないことも、あなたが俺を殺そうとすることも」
「そっ、そんなはずないだろ。ワシはもとから殺そうとするつも」
 右腕を振り下ろした。




[10571] 第五話 タヌキなキツネと馬鹿試合
Name: ねしのじ◆b065e849 ID:b7c8eab1
Date: 2010/03/29 13:28
 ――パパラパーパーパーパーパッパパー ――
「おめでとうございます。レベルが4上がりました」
 いつかと同じようにファンファーレと女性の声が響いた。半ば自失していた俺に、その声はひどく滑稽に聞こえた。ランツの使っていた槍を拾い上げる。生まれてくる光を見つめながら,これから行うべきことについて思いを巡らせた。









 馬車のところまで戻り息を殺して様子を窺う。
 カゥを見張りに立て,バイツは高いびきをあげていた。
 クラフが俺に負けることなど想像していないようだ。見張りに立っているカゥもうつらうつらと舟を漕いでいる。
 焚火のまたたきに揺られるその表情は暢気なものだ。
 これなら気付かれずに近づくことが出来る。そう判断した俺は、少し迂回しカゥの視界に入らないように近づいて行った。







 カゥの背後まで回った俺はランツの使っていた槍をカゥの側頭部に叩き込む。
「グャッ!!」
 短い悲鳴をあげ倒れ伏した。どうやらうまいこと気絶したようだ。ぴくぴくと痙攣してはいる様を見ても何ら思うことが無い。一線を越えてしまい,感覚が壊れたのかもしれない。
 バイツは先ほどの悲鳴など全く聞こえなかったのか、いまだに高いびきをあげている。欲望がみっちりと詰まったその腹を蹴り上げた.仰向けになった所で,頬を二発ほどはたく。
「ぐぁっ!!ヒィッ!!な、なんだ?」
「バイツさん、その節はどうも」
「なんだ、なんで!? なんでっ? なんっ、なんでお前が生きてる!?クラフが逃がすはず」
「クラフさんなら死にましたよ」
「っ!?」
 クラフの使っていた槍を見せつけるように持ちあげた.
「馬鹿なっ!!レベル6の貴様にクラフがやられるはずないだろっ!!?やつはレベル9なんだぞ!!手合わせでもこっぴどくやられてたじゃないか!?」
「なんでそれが演技だっていう可能性に気付かないんですか?」
「!!?」
 実際は演技でもなんでもなかったわけだが。バイツは戸惑ったような顔を見せた後,何かに気付いたのか驚愕に目を見開いた。
「なんだ……貴様は……なんなんだ……」
 表情はどこか諦めを感じさせるものになっていった。何か心辺りがあるように感じる.
「俺がなんなのかは想像がついてるんじゃないですか?」
「……縁剣隊(えんけんたい)か……」
 何も言わず、笑みを深くした。バイツの顔に浮かんだ驚愕……いや、恐怖がより一層色濃くなった。
「そんな……なんで縁剣隊にこんなレベルの低い奴が……頼むっ!!なんでもするっ!!なんでもするから許してくれっ!!」
「とりあえず質問に答えていただきましょうか」
「わ……分かった」
「まず、このようなことは何年間続けているのですか?」
「……もう始めてから……2年になる」
 その言葉に頭が沸く。右手が勝手に動いた。乾いた音が響く。
「ヒィッ!……すいません……5年です」
 どうやら平手打ちの意味を誤解したらしい。だが、都合がいいので話を合わせる。
「次の偽証はそのまま死につながりますよ。述べ人数は?」
「前回ので……38人になります」
 勝手に動かないように拳を握りしめる。
「その人たちの解放は可能ですか?」
「それは……無理です。もう首輪も付いていますし、……死んでいるものが大半でしょうから」
「人攫いの方法は今回とそう変わらないのでしょう? 村の人たちに渡した手紙はどうやって用意したのですか?」
「こちらで偽造しました。……ソニカの村にはあまり字の書ける者が居なかったのでばれませんでした」
 胸糞悪くなってきた。これ以上聞いているとしたくもない殺人を激情だけで犯してしまいそうだったので切り上げる。
「そうですか……詳しいことはまた戻ってからですね。まだ暗いですが、ガイスへ向かって出発しましょう」
 いまだに気絶しているカゥを馬車の中にあったロープで縛りあげ、馬車の中に転がす。バイツも逃げれないようにと馬車にロープでつないだ。










 日が昇って少ししたころにガイスへと着くことができた。馬車を少し離れた所にとめ、門の前に立っている衛兵へと一人で近付く。
「とまれ、何者だ?」
「すいません、縁剣隊の方を呼んでいただけますか? 犯罪者を捕まえたので、引き渡したいのですが」
「私も縁剣隊の一員だ」
「それは失礼しました」
「いや、いい。それより犯罪者とは?」
「あの馬車につないでいます。どうやら5年間、人攫いとその人身売買に手を染めていたようで」
「なっ!? そうか、分かった。犯罪者の身柄はこちらで引き取る」
「ありがとうございます。あと、あの人縁剣隊の名前に過剰に反応していたので、叩けば何か出てくるかもしれないですよ」
「そうか、ご協力感謝する」
「いえ、あ~、安くていい宿を知らないですか?あれを捕まえたせいで昨日から全然寝ていないんですよね」
「じゃあ、この通りをまっすぐ行って3つ目の路地を入ったところにある宿にいきな。少しぼろいが、安くて飯がうまいぞ」
「ありがとうございます。それでは」
「おいおい、一応身分証を見せてくれ」
「ああ、すいません」
 すっかり忘れていた。こちらの世界での身分証代わりであるステータス表を見せた。
「流亡の薄弱者ね……」
 これを見せると大体こういう反応をされる。正直恥ずかしい。自分でつけたわけじゃないのに。衛兵は持っている紙と見比べ、何かを書き込んだ。
「よし、問題ないぞ」
「はい、それでは」







 教えてもらった宿は確かに新しい感じはしなかったが、周りはきれいに掃除されており、家人に長年大事にされてきたことが分かる温かみのある建物だった。
 宿に入ると老夫婦がせっせと働いている。夫人は掃除をしているのか台を拭いており、夫は料理を作っているのだろうか? 奥の部屋で壁に向かっている。
「いらっしゃい。朝早くからとは珍しいね」
 夫人のほうが話しかけてきた。
「ええ、ちょっと夜通し歩いてきたもので、部屋空いてますか?」
「もちろん。一晩銅貨20枚だよ。週契約なら銀貨一枚、月契約なら銀貨二枚だ」
「あ~、じゃあ週契約で」
 銀貨一枚を渡す。
「毎度あり。朝ごはん食べてくかい? 一応代金には入ってるけど」
「じゃあいただきます」
「じゃあそこに座ってな。じいさ~ん!!朝ごはん一つ!!」
「はいよ!!」
 二人とも元気だなぁ。そんな感想を抱きながらなんとなしにその様子を眼で追う。昨夜の殺伐とした気持ちがほぐされていくのがわかった。
「お待ち」
 出てきた朝食はパンとシチューだった。
 パンは少し硬いが、シチューに付けると途端に柔らかくなり、小麦の香りが楽しめるものであり、シチューは野菜の甘みが溶け出している絶品だった。あっという間に平らげてしまうと夫人(というより女将さんの方が合うかもしれない)が「サービスだよ」と言って二杯目をくれた。

 全てをきれいに平らげると,おなかが膨らんで安心したのか,急激な眠気が襲ってきた。
「それでは、少し休ませてもらいますね」
「あいよ。二階の右側、奥から二番目を使って頂戴」
「了解しました。ありがとうございます。それではお休みなさい」
「はい、おやすみ」


 与えられた部屋は質素なベッドと机、窓だけがある部屋だ。広さはそれなりにある。倒れるようにベッドに飛び込むのと眠りに落ちるのはほぼ同時だった。












 身体が揺れる。規則的に揺れる。その波に身を任せると今度は揺れが止まる。せっかく気持いい波だったのになどと考えていると今度は軽い衝撃が襲ってきた。
「んぁ?」
 目を覚ますと、鎧を着込んだ美女がこちらを睨んでいた。
「縁剣隊からの呼び出しだ。早く準備しろ」
 高圧的な声でそれだけを告げられた。頭がうまく回らない。
「聞こえなかったのか? 早く準備をしろと言っているのだ」
 そういうと後ろを向く。短くそろえられている金色の髪が頭の動きに合わせてさらさらと流れる。
「え……あっ、はい」
 とりあえず、着ていた服から着替える。
「あの、……なんで呼び出されたのでしょうか?」
「隊舎に着いてから知らせる」
「拒否権は?」
「ない」
「……そうだと思ってました」
「なら聞くな」

 ……こいつ、いい性格してんなぁ。





 連れられた先はレンガ造りの建物だった。
 重厚さを感じさせるその建物は、まるで意思を持ってこちらを見下ろしているようにすら感じる。隊舎というのに相応しく、別館と思わしき建物からは訓練だろうか怒号が聞こえてくる。
 どうやら目的地にはすでに付いているらしく。前を歩いていた女性は歩みを止めていた。
「着いたんなら、連れてこられた理由を教えてくれますか?」
「待て」
 そもそも着いたら教える約束だったと思うのだが。
「着いたら教えてくれるって言ってませんでしたっけ?……はい、待ちましたよ。さぁ教えてください」
 女性はこちらを鬼のような形相で睨みつけるが、深いため息をつくと、視線を外した。……こいつめ。怒鳴り散らしたい衝動を押さえるのに四苦八苦する。
 どうにか怒りを沈めることに成功すると、二次性徴を迎えたばかりのような少年が現れた。一段高い場所にある椅子にためらいもなく座ったことから、この少年が目の前の上司であろうことは容易に想像がついた。
「アリティア、御苦労であった。そなたが流亡の……薄弱者で間違いないか?」
 思い出せなかったのか、客人を薄弱者と呼ぶことに抵抗があったのか定かではないが若干言い淀む。
「そうです。シュージと言います」
「そうか、犯罪者の引き渡し、誠に大義であった。褒美として、奴の持っていた馬車一式とその積荷を授けようと思うが、どうだ?」
「!?」
 馬車とあの積荷があればこちらでの生活は相当楽になるだろう。是非もない。
「はい、ありがとうございます。差し出がましいようですが、一つお願いがあるのですが、よろしいでしょうか?」
 なぜか前にいるアリティアと呼ばれた女性が射殺すような視線を投げかけている。整った容貌から発せられる怒気は物理的な力すら持っているようにすら感じた。少したじろいだが、こちらも向こうの態度には腹が立っている。睨み返すとその後は無視を決め込んだ。
「よい、申してみよ」
「はい、奴の被害に遭っていたソニカの村へ、その旨を伝える手紙を届けていただきたいのです」
「なるほど、分かった。間違いなく届けよう。他にはないか?」
「好奇心なので、無理ならよいのですが、奴が隠していたことが気になります」
「なに、大したことではない。……我々と敵対している勢力に奴隷を販売していたという、……よくある話だ」
「そうですか、ありがとうございます」
「――しぃ」
「?」

 こちらに聞かせるつもりはなかったのか。少年が何かをつぶやいた。辺りが静寂に包まれていることに気付く。先ほどまで響いていた訓練の怒号もいつの間にか消えていた。
「それでは、……我らが誇り高き縁剣隊の名を騙った罪、権限のない身で犯罪者相手への聴取を行った罪で“流亡の薄弱者”シュージを捕縛する」
 どこに隠れていたのか一斉に現れる衛兵たち。
「!!?」
 俺を囲うように突き出された槍に対し、できることは両手をあげることだけだった。
「ほう、抵抗はせぬか。その方が賢いな」
 やや前傾姿勢になる少年。どうしたものか……
「……謂れのない罪なら晴らすことなど簡単ですから」
 いきなり槍を突き付けられたことからこのまま捕まってもろくなことになりそうにないと判断。口先でなんとか逃げきれないかと模索する。
「そのような事実はないと?」
「ええ、全く身に覚えがありません」
「だが、あ奴はおぬしが縁剣隊であることを否定しなかったと言っておるぞ。また、尋問されたとも」
 少年の指差す先には両手に枷をはめられたバイツが居た。
「確かに縁剣隊であることは否定はしませんでしたよ。……ですが、肯定もしていません。それに被害を被ったのは私の住んでいた村なのです。知人が犠牲者になった可能性もあるというのにそれを問い詰めることが犯罪だとは思えません」
 いい加減両手をあげているのがだるくなってきた。
「確かに聴取については情状の余地はある。……だが、縁剣隊の名を否定しないことがどういうことに繋がるのか分からなかったわけではあるまい」
「残念ながら、私の育った場所は村からも離れておりまして、縁剣隊の名前は昨日初めて聞きました」
 周りの衛兵に怒りの色が浮かぶ。槍先がより一層首へと近づく。
「この状況でそんな張ったりが言えるとはな」
 そういうと大げさな身振りで両手を広げる。
「真実を述べているまでですよ?」
「神に誓えるのか?」
「もちろん」
 周りの衛兵たちがその一言に固まった。
「?」
「ほう、本当に違うのか?まぁいい、では持ってこい」
 少年は近くの衛兵へと命令する。命令を受けた衛兵は奥へと走り、台を持ってきた。台にはグラスと二本のナイフが置いてある。周りの衛兵の何人かが慣れた手つきでテーブルをセットし、台の上に置いてあったグラスとナイフをテーブルの上へと置く。少年は台の前まで降りてきて、一方のナイフで指先を浅く切る。指先から垂れる血液をグラスの中へと落とした。
「汝“流亡の薄弱者”シュージに問う、汝我らが縁剣隊の存在を昨日まで知らずというのは誠なりや?」
近くにいた衛兵にもう一つのナイフで指先を切られる。
「っ!」
 恨みを籠めた視線を向けるとその衛兵はグラスへと顎をしゃくった。どうやら同じように血をたらせということなのだろう。血を落とす。
「誠なり」
 ……見事に何も起こらない。アリティアは怒りをにじませた顔でこちらを見ていた。




「どうやら本当のようだな」
 一分ほどたっただろうか、それまで器にのみ注がれていた視線をこちらへ向け、少年が口にした。本当のことを言うと何も起きないのか。なんて分かりにくい道具なんだ。
「……しかし、知らなかったとはいえ縁剣隊の名前を否定せず、またその状態で聴取を行ったのも事実。そこで罰として先ほどの褒美である馬車と積荷を押収する」
 ニヤリと笑った少年は年不相応の老獪さをにじみだす。その顔は釣り上がり気味の目と相まってキツネのようにすら見える.元から渡す気なんてなかったようだ。
「……誇り高き縁剣隊の皆様ならきっと被害者のことも考えておられるでしょうから、バイツの財産の半分はソニカの村へ還元していただけるのですよね? 同様に私から押収した馬車と積荷も同じようにソニカの村へと還元してください。そうしていただければ被害者も多少は救われるでしょう」
 少年の笑顔が固まった。周りで聞いている衛兵たちは一部を除き、それは妙案だと言ったような顔をしている。まぁ実際に村に還元されるかは分からないが、少なくとも目の前の少年は衛兵の説得に労力を割かなくてはならないだろう。ただの嫌がらせだが、それなりに効果はありそうだ。
「……もちろん分かっているとも。村には相応のものを送ることにする。ではもう良いぞ」
 軽いため息をついた少年にそのまま帰らされた。得られたものは悪くなった気分だけだった。





[10571] 第六話 屋台と軍と縁剣隊
Name: ねしのじ◆b065e849 ID:1119cabb
Date: 2010/03/29 13:28
 縁剣隊の隊舎から追い出されるように出てきた俺は、イラついた気分を落ち着かせるために新しい街の中を散策していた。
 先ほどのやり取りで熱されていた頭は、新しい街を歩く昂揚感によって徐々に霧散していった。
 ガイスはソニカと違い石造りの家同士は間隔も狭く、庭もなければ畑もないところがほとんどだ。子どもたちも多く、みな何かしらの遊びをしているのだろうか、笑い声が絶えない。目の前を突然子供たちが駆け抜けるということもしばしばあった。
 ソニカのようなのんびりしたところも好きだが、こういう活気がある街も見ていてわくわくできるな,などと考えつつ歩いていると広場に出た。
 路地裏は土の地面だったのだが、大通りや広場は石畳が敷いてあるらしい。そこには屋台が輪を描くように並んでおり、それぞれの屋台では主が声を高らかに商品のよいところを主張している。空腹を覚えていた俺は食事をとることに決めた。








 広場を一周してすべての屋台を覗き込んだ後に、いかにもあんちゃんと言いった風な若者が開いている屋台で食事をとることに決めた。
 そこでは何やら揚げパンのようなものをソースに付けて食べている二人組がいて、そのソースの香りにやられてしまったのだ。同じものを頼むと出てきたそれにすぐさまかぶりついた。
「兄さん、良い食べっぷりだね」
「いや、これはうまいよ。ほんとに」
 人懐っこい笑みを浮かべ、関心したように告げる主に賞賛の言葉を告げる。
「はは、ありがとよ。ここいらじゃ見ない顔だな? 外から来たのか?」
「ああ、ソニカの村ってとこから来たんだ」
「そうかそうか、まぁ外の地名はあんまり知らんけど、どうだ? この街は」
「あ~、そうだな。……活気があって良い所だと思うよ」
「その割には浮かない顔しとるじゃないか?」
「……おなかが減ってたからだよ」
 自分では全く自覚がなかった。色々ありすぎて、どれが浮かない顔の原因なのか自分でもわからない。
「そうかい? もう腹も膨れたろ? もっと楽しそうな顔しろって。な?」
「……そうだな」
 子どものような笑顔を見せてくる店主につられてこちらの顔にも笑みが浮かんだのが分かった。
「そうそう。せっかくうちに来たんだ。どうせなら笑顔で帰ってくれよ。その方が宣伝にもなるし」
 若いのにしっかりした店長だ。確かに塞ぎ込んでもしょうがないし、少なくとも飯はうまい。今ウジウジするのは止めておこう。感情が追いつかなくとも,思考だけでもそう考えることにした.
「ありがとう」
「良いってことよ」
 残っていた揚げパンを平らげると店長が飲み物を聞いてきたので、何かあったかいものをと頼む。出てきたものは、はちみつレモン的な飲み物だった。
「酒じゃなくてよかったのかい?」
「ああ、というかこんな時間から飲んでる奴なんているのか?」
 まだ、昼を過ぎたぐらいだ。
「結構おるよ。どこの屋台でも大なり小なり飲んでるし」
 店主はそう言い、皿を拭き始める。確かに辺りを見回すと赤ら顔の人間が何人か確認できる。
「特にハンターやティンカーの連中は仕事がなければ朝から飲んだくれとるのが多いしね」
「なるほどね」
 一人で飲んでいるものから、パーティーの仲間で飲んでいるのだろうか、宴会のような騒ぎを起こしているものまで様々だ。二つ右隣にある屋台から怒号が聞こえてきた。
「ハンターがそんなにエラいのかよ!?」
「少なくともビビってモンスターと戦えないティンカーよりはなぁ!!」
「おめーらだって数揃えて囲むなり罠にかけるなりしねぇと戦えねぇだろうが!!」
 鎖帷子を着込んだ男と皮の鎧に身を包んだ男が机を挟んでにらみ合っている。今にも殴り合いが始まりそうだ。
「え? ちょっ……あれいいのか?」
 だというのに周りにいる人間は止めようとせず、むしろはやし立てている。
「今日はジオだな」
「いや、あいつもうエール三杯開けてたからな、セリオが勝つだろ」
「引き分けに一票」
 などと聞こえる。
「ああ、大丈夫大丈夫。すぐに軍が聞きつけてくるから」
 店主は肩をすくめると皿を拭く作業を再開した。
 グン? と言うのはいわゆる軍隊のことだろうか? そうこうしているうちに鎖帷子の男はマウントポジションをとったようだ。さっきまでできていた人だかりがきれいになくなっていた。誰が言ったのか分からないが「引き分けか」という呟きが聞こえてきた。
「ほれ、早く降参しないとひどい目に」
「こんのっ!! バカモンがぁ!!!!」 
「グァッ!」
 自分の絶対的優位を信じていた鎖帷子の男に後ろから近づいてきた大柄な老人が鉄拳を加えた。ガッという鈍い音を聞くと,こちらの頭まで痛くなってくるようだ。
『ぐ、グランツさん!!』
「ま~たキサマラかっ!! あれほど人に迷惑をかけるなといっとろうが!!!!」
 さっきまでの喧嘩は何だったのか、争っていたはずの二人はまるで同一人物のように背中を丸めてうなだれている。
「大体キサマラはいつもいつも真っ昼間から飲んだくれおって!! いくら別の日に仕事で稼いだからといって昼間から飲んで良い理由にはならんわっ!! そもそも……!! だというのに……!! わかっとるのかっ!!……」
 目の錯覚だろうか、二人の背中が徐々に小さくなっているように見えた。
「今日はいつもより長そうだな」
 眩しそうに目を細めた店長はそれだけつぶやくと別の皿をとった。
「あの人が軍なのか?」
「ん? どゆこと?」
「いや、軍という割には一人しかいなかったから」
「ああ、ジオとセリオの喧嘩はいつものことだからな。だからグランツさん……あのじいさん一人で来たんだよ。もちろん隊舎にはもっとおるよ?」
「隊舎? 軍って縁剣隊とは違うのか?」
「他の街にはあんまり知られとらんのか? この街には領主が昔から用意していたガイス軍と、ここが発展してから王都が派遣してきた縁剣隊の二つの組織がおるんよ」
「あ~、田舎に住んでたから知らなかった」
「まぁ別の街のことなんて関係ないよな。縁剣隊は何かあるとすぐに武器を突き付けるわ 王都びいきでこっちの言うこと聞いてくれんわで、この辺じゃあんま好かれとらんのよ。……ようするにお堅いんよね」
 そう言われれば確かにそんな感じしたな。
「軍はそうでもないのか?」
「もちろんある程度人によるけど縁剣隊程じゃないさ。特にグランツさんは昔からこのあたりの治安を守ってきた人らしくて、うちの親もお世話になってたって言っとったし、みんなからすげぇ信頼されとるんよ」
「なるほど。強そうだもんな」
「はは、実際にはあそこで叱られてる二人の方がはるかに強いさ。グランツさんの仕事は治安維持だしね。 ただ、この辺の人はみんなグランツさんに怒られると頭が上がらないんよ。ひょっとしたら叱り上手なんてスキルを持っとるかもね」









“グランツさん叱りの波動”をBGMには食後のドリンクを飲みほした俺は店主にギルドと教会の場所を聞き、屋台を後にした。






「ギルドと教会?それならこの道をまっすぐ五分も行けばでかい建物が三つ並んでるから手前から組合、教会、ギルドだよ」
 組合というのが何か分からなかったが、とりあえず向かってみると石造りの町並みの中にひときわ大きな建物が三つ並んでいた。教会で祝福の判定を行い、ギルドに入ると先ほどの屋台以上に飲んでいる人がたくさんいた。
 カウンターに向かう。背中に背負っていた槍を置き、次いでクラフを倒した後に出てきた革袋を鞄から取り出した。
「すいません、これと、これの鑑定をお願いします」
「はい。料金は銅貨40枚よ」
 祝福の確認ではそんなことはなかったのに、鑑定ではソニカの倍の値段が必要らしい。言われた金額をカウンターへと置いた。渡された紙はソニカで見たものより若干白いように見える。これが倍の値段になる理由だろうか?釈然としないものがあるが、とりあえず槍に巻きつけ、革袋へと押し付けた。
 辺りを見回すとさすが都会というべきか、依頼が張ってあるだろう掲示板はびっしりと紙で埋め尽くされていた。ソニカにはこんな掲示板があったのかすら定かではないというのに。






 ギルドを後にし、好奇心から組合と呼ばれた建物へと入ってみた。中の様子は先ほどのギルドとほとんど変わらない。ただ、ギルドと比べると人数と掲示板に張ってある紙の数が少なかった。掲示板に近づき紙を見てみると懸賞金をかけられているモンスターの一覧らしい。出現場所や特徴、見分け方などとともに懸賞金が書かれている。その金額に驚いた。
「坊主、見たことない顔だが、余所者か?」
 声に振り返ると、椅子に座っている初老の男性と目があった。
「はい。そうです」
「おめぇ仲間はどうした? まさか一人でそいつらに向かっていくわけじゃねぇだろ?」
 好奇心で来たとか言ったら怒られるだろうか?
「あ~、組合って見るの初めてなもんで……」
 男はフンと鼻をならし体勢を入れ替えた。
「危険なモンスターを知ろうってんなら文句はない。知らない方が危険だしな。だが、覚悟もねぇのにこの世界に入ってくるなよ? まともな生活できなくなるぞ」
 そういった男性の左肩には右腕が無かった。
「大丈夫です。そのつもりはありませんから」
「それならいい。それならいいんだ」
 老人は安心したかのように呟いた。
 どうやら何も知らなさそうに手配書を見ていたおれを心配して声をかけてくれたらしい。
「俺ってそんなにボケっとして見えますか?」
「かなりな」
 即答だ。……ソニカの村出てからそういうキャラ作りはしてないんだけどな。


 組合の建物から出た俺は少し早いが宿に帰ることにした。縁剣隊の隊舎から気の向くまま歩いたため宿の場所が分からない可能性に気づいたのだ。先ほどの広場に戻り、記憶を頼りに進む。



 ……やはり道に迷ってしまったようだ。やはり先ほどの路地を曲がったのが、間違いだったのだろうか?
 しかし、路地から出てきた以上、路地を通って帰らなければ全く知らない道を歩くことになってしまう。
 縁剣隊の宿舎からどう歩いてきたのか、はっきりとは思いだせなかった俺はなんとなく見覚えがあるような気がした路地を進んできたのだが、先はだんだんと細くなり、今では暗くじめじめした通路になってしまった。
 進むべきか戻るべきか、それが問題だ。
 悩みながらも惰性で歩みを進めていると二人の男性が話している所に出くわした。一人は良く分からないが、もう一人はにっくき縁剣隊の制服を着ていた。
 こんな人目のつかない所で話をしているなどまっとうな内容ではなさそうだ。諜報活動なら嫌がらせが出来そうだし、不正行為ならあのキツネの顔に泥を塗れるだろう。黒い感情が鎌首をもたげる。
 だが、二人の男性はいち早くこちらに気付くと、縁剣隊の男はそそくさと逃げてしまった。だが、もう一人の男はにこやかに近付いてきた。身構える。
「そう警戒するなって。」
「こんな暗い所に居る人間を警戒するな? それは無理だ」
「これも仕事だ。それとも諜報員を簡単に通した方が良かったか?」
「……どういうことだ?」
「……もしかしてこの街の人間じゃないのか?」
 男は一瞬だけ顔をしかめると、すぐに元のにこやかな表情に変わった。
「そうだけど?」
「じゃあ知らんか。この街には治安維持組織が二つあるんだが、非常に残念なことに我らが軍と先ほどの男が所属していた縁剣隊は現在対立している。なので、お互いの仕事の邪魔をしないためにもこの辺りを境目にして軍と縁剣隊の領域を区切っている。だが、さっきの奴はその境目を乗り越えようとしてきたので、お帰りいただいた。そういうことだ」
 男はやれやれと手を上げ、首を振った。だが、それでも疑問は残る。その割には剣呑な雰囲気が感じられなかったのだ。さらに……
「一つ質問があるんだが……」
「なんだ?」
「こんな細い路地まで全部監視しているのか?」
「……そこら辺は企業秘密だ」
 俺の中で判決が下った。こいつは怪しい。間違いない。ほんとに軍の人間かもしれない、言ってることは真実だけかもしれない。だが、信用はしないことにした。張りつめていた筋肉を弛緩させる。油断している風を装う。
「分かってくれたか」
 男はそう言ってこちらに近付こうとした。その瞬間、俺は反転して全力で駆け出す。最近は逃げてばっかりな気がするが、今度は追いつかれることも、足が動かなくなることもなかった。



 宿屋に着いた時には街が赤に染まっていた。
 宿屋の扉をくぐると反対側の壁側に誰かがいた。 コツコツと音を響かせながらこちらに歩み寄ってくる影。
 室外から室内へ入ったことで顔が良く見えないが、どうやらアリティアのようだ。
 今朝の話は終わったのでは? 浮かんだ疑問が、俺に警戒心を生ませた。
 俺の前まで歩良いてくると、「朝はすまなかった」と言って頭を下げてきた。
「は? え~と……」
「朝、嫌な態度をとってしまったことだ。まことに申し訳なかった。このとおりだ」
 さらに深く下げられる頭。
「あ、あ~。……そんなことするなら何であんなことしたんだ?」
 顔を上げるアリティア。
「それは、話を聞くまでお前のことをぐ……私たちの敵対組織の人間だと思っていたからだ」
「え?何でいきなりそんな話になるんだ。大体、バイツの顧客が敵対組織だったんだよな?俺がその一員な訳ないだろ」
「そことはまた別の話で……色々とややこしい状態にあるんだ」
 投げたな。
「説明がめんどくさいからって投げるなよ」
「ちがっ!! 縁剣隊の一員として住民を不安にさせるようなことを言えないだけだ!!」
 ものすごい言ってるような気がする。理由が気になるところではあるが、このまま聞くとまた何か厄介ごとに巻き込まれそうな予感もする。そのとき奥で晩御飯の手伝ってる女将さんの姿が見えた。
「そうか、わかった。今朝のことはもう良いから」
「許してくれるのか?」
「俺が帰ってくるの待っててもらって、こっちこそ悪かったな」
「いや、それは良いんだ。こちらの自業自得だから。どうしても謝っておきたかったんだ」
「ああ、お前の気持ちはわかったよ。もう気にするな」
「そうか、ありがとう……って言うのも何かおかしい気がするが……ありがとう。何か困ったことがあったらいつでも言ってくれ。力になる」
「助かる、そのときは頼むよ。何せ伝手がまったくないからな」
「それと……アリティアだ」
「ん?」
「アリティアだ……名前。そう呼んでくれ」
「了解、アリティア。俺のこともシュージって呼んでくれ」
「分かった、シュージ。ホントにすまなかったな」
 そう言って笑顔を見せるアリティア。正直不意打ちのそれは……反則だろう。
「だからもう気にするなって」
 顔を直視していられないので、視線をずらしながら答える。
「うん。そうだったな。それじゃあ私はもう戻るな。大体そこの門番をしてるか隊舎に居るんで何かあったらそこにきてくれ」
「それじゃあお休みアリティア」
「うん。お休み、シュージ」
 扉から出て行くアリティアを見送った。
 振り向くとそこには女将さんが居た。
「いい雰囲気じゃないか。アリティアちゃんは良い子なんだから泣かしちゃだめだよ」
 なぜか最近よく耳にする台詞を告げてきた女将さんに尋ねる。
「そんな雰囲気じゃなかったでしょう? 晩御飯って食べれるんですか?」
 腰に手を当てて仁王立ちしていた女将が胸をドンとたたく。
「任せときな。銅貨8枚でお腹一杯食べさせたげる」
「じゃあそれお願いします」
 代金を渡した。
「毎度あり。準備しとくから荷物置いてきな」
「ありがとうございます」




 自分の部屋に荷物を置いて戻ってくると山盛りのパスタが用意してあった。
「好きなだけ取って食べて良いよ」

 そういって皿を渡してきた。確かにこれならお腹一杯になるな。
「ありがとうございます。ところで……縁剣隊と仲の悪い組織ってどこがあるか分かります?」
「そうだねぇ、この街を守ってるからやっぱり犯罪者たちとは犬猿の仲だと思うよ」
 女将さんはコップに水を注ぎながら答える。テロリストみたいなものだろうか?
「それぐらいですかね?」
 あの言い方だと少なくとも二つはあるとおもったのだが……
「あとはまぁ軍の連中とは仲が悪いね」
 先ほどの男が喋っていた内容が思い出された。
「縄張り争いってやつですか?」
「そんなかわいいもんじゃないさ。軍のやつらはね、まじめに取り締まる気なんかないのさ。この街の出身だからって酔って暴れたハンターを叱るだけで済ませたりすんだよ!!あたしら弱いものは泣き寝入りするしかなかったんだ。
 それが王都から縁剣隊が来てそういうやつらをキチンと取り締まるようになってからずいぶん良くなったんだ。そういうわけで軍のやつらは縁剣隊のことが目障りで仕方ないのさ」
 今日まさにその光景を目の当たりにした。しかし、屋台で聞いた話とはだいぶ印象が違う。
「あ~、なるほど。でも王都から派遣されたんなら王都の人を贔屓したりはしないんですか?」
 確かそんな話もあったはず。
「貴族連中のことかい?それは仕方ないさ。半ば上司みたいなものだからね」
 どうやら屋台の主の言ってたことも正しいらしい。
「でも縁剣隊はたとえ貴族が相手でも犯罪を犯せばキチンと取り締まってくれるよ。以前、貴族のドラ息子に若い娘が殺されたことがあったんだけどね。すぐに犯人は分かったんだけど軍は手を出さなかったんだ。でも縁剣隊の連中はその犯人を捕まえてね。立場を危うくしてまでこの街を守ってくれたんだよ」
 一気にまくし立てて疲れたのか手に持っていた水を飲み干す女将さん。
「ありゃ、すまないね飲んでしまったよ」
 どうやら俺の水だったらしい。
「いえ、こちらこそ興奮させてしまったようで、すいません」
「いいのいいの。こういう噂話は気になるものだからねぇ」
 そう言って恥ずかしそうに笑う女将さん。
 こちらの世界でも井戸端会議はあるんだろうか? そんなことを考えながら口にしたパスタはやはり絶品だった。








 食後、部屋に戻ってベッドに横になる。縁剣隊と軍について考えてみるが、うまくまとまらない。
 情報が足りないのだ。一旦、思考の外に置く。やるべきことはまだまだあるのだから。
 今日受け取ってきた祝福の確認とアイテムの鑑定結果を手に取った。

 --------------------------------------------
 流亡の薄弱者
 
 レベル:10
 職業:――
 出身地:――
 
 スキル:投擲必中 弱
 自然陰伏
 
 加護神:工物神アランシム
 --------------------------------------------


 [長槍:待ち針]
 総合:D+
 攻撃力:C
 耐久性:C
 希少性:E
 刺突補正:C+
 
 備考:
 金額換算:銀貨1枚程度
 
 
 [道具袋:小さき物広き場所]
 総合:B
 耐久性:B
 希少性:B
 
 備考:
 金額換算:金貨1枚程度
 
 
 
 クラフとの戦いの結果だろうか? 祝福には新しいスキルと加護神の欄に記入がなされている。
槍のほうはまだ良いが、道具袋のほうは効果が全く分からない。何回も使えるものか確証がない以上、迂闊に使ってみるわけにもいかないだろう。
 これらの内容に付いて調べる必要がある。明日は図書館があればそこに向かおう。なければまたギルドに行く必要があるかもしれない。 その後余裕があれば縁剣隊と軍の関係も調べてみることにした。
 こうして考えてみるとソニカの村に居たときはのんびりと過ごせた気がする。
 まだ一日しか経ってないというのに本当にいろんなことがあった。そして、明日からもやることは、やらなければならないことは多い。


 その日は予定を考えているうちに意識が沈んでいった。







[10571] 第七話 女性の神秘
Name: ねしのじ◆b065e849 ID:b7c8eab1
Date: 2010/03/29 13:29
 今までの疲れが一気に出たのか、起きたときには朝食の時間はとっくに過ぎていた。一階に下りると朝の仕事が一段楽したのだろうか、女将さんが椅子に座って何かを飲んでいた。
「おはようございます」
「もうおはようって時間じゃないよ」女将さんは苦笑交じりに返事を返した。
「はは、そうですね。今日はちょっと調べ物をしたいんですけど、この街って図書館とかありますかね?」
 女将さんはニヤリと笑う。
「あるよ~、ここいらじゃ一番の図書館が」
「そんなに大きな図書館なんですか?」
「詳しいことは知らないんだけど、国内でも有数のって評判さ。領主様が建てたんだけど、お披露目の時には王様を呼んだりもしたんだよ」
「それだけ大きいなら期待できます」
「そうだね。だけど図書館行く前に身体を拭いたほうが良いよ」
 鼻をつまむしぐさをしながら忠告された。
 自分でも匂ってみると……かなり臭い。
「そうですね。そういえば昨日はごたごたしていて忘れてました。すいません」
「まぁこの宿には全く拭かない人も居た位だからそれぐらいならかわいいもんさ。でもそれで図書館はやめといたほうが良いね」
「じゃあ身体を拭いたら出ます。水場はどこですかね?」
「そこに水桶があるからその仲のものを使うといい。冷たすぎなくてちょうど良いはずだよ。後、図書館は前の通りを門と反対側へずっと行くとあるよ。教会よりも奥だから結構歩くけどね」
「分かりました。ありがとうございます」





 部屋で身体を拭いていると無性に湯船とシャワーが恋しくなった。向こうに居たときはカラスの行水だったというのに変な話だ。領主や王族も身体は拭くだけなのだろうか? 詮無い疑問が浮かぶが、そのような人種とそうそう縁があるとも思えない。考えるだけ無駄なことだろう、と思考を切り替えた。



 途中で朝飯兼昼飯となる食事を済ませ、図書館へ入った。図書館に流れる静謐な空気はもとの世界を超えるほど濃密に感じる。
 この場にいる人間は全力で本に相対しているのだろう。内容を必死に理解しようとする者、目的の本を探している者、未だ見ぬ物語に思いを寄せている者様々だが、それら一人一人が持つ本への情熱がこの静謐な空気を生み出しているのだろうと感じた。
 立ち止り、深呼吸し、その空気を身体に巡らせる。頭の中がクリアになっていくようだ。初めての場所なのに、懐かしさすら感じた。辺りを見回すと受付のらしき場所にお姉さんがいたので声をかける。
 金色の髪を後ろでまとめ、ポニーテールにしているお姉さんはこちらに気付くと「いらっしゃいませ」と笑顔とお辞儀で迎えてくれた。
「すいません、図書館って初めてくるんですけどお金とかかかるんですか?」
「館証を持っていれば無料で読めますが、そうでなければ一冊に付き銅貨10枚かかります」
 こうして考えるとソニカの村はかなり親切だったのだろう、無料で読ませてくれるどころか、貸出までしてくれたのだから。
「中身の確認って出来ないんですか?」
「こちらに持ってきていただければ大雑把にならわかりますが」
「そうですか、中身を写したりとかは大丈夫なんですか?」
「本を汚さなければ大丈夫ですよ。返却の際に確認しますから気をつけてくださいね」
「わかりました。ありがとう」


 目的と合致しそうなものを探す。神様に関しては「神様大全集」、アイテムに関しては「神から授かりし物 Part IV:特殊道具編」、スキルに関しては「神から授かりし物 Part V:スキル編」がそれぞれ見つかったのだが、肝心の元の世界に帰る方法が見つからない。とりあえず、司書さんに尋ねることにした。
「すいません、この中身が知りたいんですけど?」
「はい、え~とそうですね」
 本についている鍵を外すと中をぱらぱらと確認する。
「はい。神様大全集が現在確認されている神族の種類と特徴、系譜、加護なんかを網羅した事典ですね。で、こちらの神から授かりし物二つはそれぞれ現在分かっている特殊なアイテムとスキルに関する事典です」
 持っていった本は大体想像通りの物の様だった。
「じゃあ、それを読めるようにしてください。あと……人がいきなり全く違う場所に行ってしまうような話って無いですか?」
「そうですね……それでしたら二階の緑の棚三番が物語の棚となっていますので、そこで見たような気がします」
「ありがとう」
 せっかくの情報だったが、物語の棚とは、期待度が薄そうだ。一縷の望みに賭け、二階への階段を上った。



























 ――――衝撃を受けた。結果から言うとどうも元の世界に帰る方法はなさそうだ。いや、ひょっとしたらあるのかもしれないが、その道を詮索するぐらいならこの世界で巨万の富を得るほうが簡単なようだ。
 二階には司書さんの言っていた本かは定かではないが、目に付くタイトルの本があった。そのタイトルは「ジロウの冒険」。どうやら伝説的な英雄ジロウの娘アスカが彼の日記を一部訳し、そこに自身の日記を付け加えて書いたものらしい。
 曰く、ジロウはこちらの世界の文字を読むことは出来ても書くことは出来なかった。(ジロウの日記はアスカだけがかろうじて一部読むことが出来たらしい。)
 曰く、珍しい現象や出来事が起こったと聞けば危険も顧みずに向かった。
 曰く、帰ってくると決まって落胆しており、そのたびにレベルが上がっていた。
 最終的にはディスマーズと呼ばれる高レベル火竜を単身で倒し、伝説級の武器を持ち帰り、それを売って、家族三人末永く幸せに暮らした……らしい。
 そんな危険を潜り抜けた結果だめだったというのなら、例え探したところで見つかるはずが無いだろう。こちらの世界で職探しをすることがいよいよ現実味を帯びてきた。それどころか、こちらの世界で骨を埋める覚悟すら必要かもしれない。
 こちらの世界での出来事が脳裏を駆け巡った。



 こんな場所で泣き喚こうものなら縁剣隊か軍の世話になるだけだ。気持ちを切り替えると残りの三冊に取りかかった。
 どうやら加護の欄に書いてあった工物神アランシムというのは大雑把に言うとものづくりの神様らしく、創物神の下位に存在するらしい。加護の内容としては手先が器用になる。戦闘後の報酬として素材が多くなる。材料さえあれば一度作ったものと全く同じものを作れるようになると言ったものらしい。
 …………これまたビミョ~な能力だ。おそらくだが、クラフに使ったあの簡易爆弾が気に入られたのだろう。そんな簡単な理由でいいのかとも思うが、本によると大体そんなものらしい。
 また、神様は加護を与える際に一つ奇跡を与えるらしいとも書いてある。
 心当たりが……あった。
 クラフ達に寝込みを襲われたときに聞こえた声だ。あれが奇跡か、余りに小さな奇跡の内容に半ばあきれてしまうが、あれが無ければ今頃奴隷になっていただろう。
 そう考えるとすさまじい幸運だったのだと自分を納得させた。


「神から授かりし物 Part IV:特殊道具編」によると昨日鑑定してもらった道具袋は某ネコ型ロボットの四次元ポケットのようなもので、見た目以上にものが入るらしい。同系統のアイテムに現在確認されているものでは「大きい物広き場所」総合C+、「小さき物狭き場所」総合C、「大きい物狭き場所」総合C-があるとのことだ。
 そして「自然陰伏」。このスキルは自然界においてこちらの気配を隠すことが出来る。……二つの条件付で。その条件とは第一に「相手がこちらに気付いておらず、かつこちらが相手を視認していること」もう一つが「膝と肘を地面につけていること」である。条件が厳しすぎやしないだろうか。
 このスキルを持っている人間は凶悪モンスターによる被殺害数は極端に減っているが、大型モンスターによる圧死が死因の第一位になっていた。……明日は我が身だ。注意しよう。





 とりあえず現状必要な情報はそろえた。
 だが、せっかく金を払って読んでいるのだ。有用そうな情報ぐらいはメモしておこうと、カバンからルーズリーフと筆記用具を取り出し、図書館の隅で写し始める。
 一時間ほど経ったころだろうか少し疲れてきたため、軽く伸びをすると司書のお姉さんと目が合った。
 軽く会釈する。すると立ち上がってこちらへと歩いてくる。辺りを見回すが場所が隅ということもあり近くにはほかの人は居ない。
「あのっ!これなんですか!?」
 控えめな音量で、だが驚きを表しながら聞いてきた。視線の先はこちらの右手に向かっている。視線の先を見て己の迂闊さを呪った。その通りだろう、こんな世界にボールペンなんてものがあるはずない。
「いや、え~と」
 しかし司書のお姉さんにはこちらの回答を聞く気はないようだ。
「え、これも!?」
 司書のお姉さんはボールペンを凝視していた視線をルーズリーフに移すとひったくりまじまじと見ている。
「なん……ろい、いや……そも……薄い……」
 口に手を当てて何かをつぶやきながら紙を睨んでいるお姉さんにひいてしまう。今の内になんとか逃げれないかと壁伝いにゆっくりと移動した。
 静謐な図書館の空気はこの一帯だけ完全に霧散している。机の方を向いているお姉さんの背後に回ることに成功したと思った瞬間お姉さんが肩越しにこちらを睨みつけてきた。……正直怖い。怖すぎる。
「これは……どこで手に入れたのですか?」
 まさか生協で200円出してなどと言えるはずもない。
「あ~実は祖父が発明家でして」
 田舎で農業を営んでいる亡き祖父(趣味は読書)に泥をかぶってもらうことにする。……ごめんよじいちゃん。
「そうですか……ここであまり色々尋ねるわけにも行きませんわね。少しお待ちいただけますか?」
「は……はい」
 そう言ってちらちらとこちらを窺いながらカウンターへ向かった。カウンターに着くと何かベルのようなものを手に取り振った。が、特に音はしない。
 せめて目の届かないところへ行ってくれれば逃げられたのになどと考えているとドアが開いた。
 入ってきたのは知的という言葉がその甘いマスクからにじみだしているような青年だった。服装はスーツのような黒っぽいジャケットとパンツに見える。
 司書の女性と二言三言交わすと青年をその場に残し、女性だけがこちらへと戻ってきた。脱出は困難を極めそうだ。
「お待たせいたしました。屋敷に招待いたしますので、どうぞ着いてきてください」
 また拒否権ないのだろうか? もはや決定事項といった口調である。
「……分かりました」
 悪意があるようには見えないのでとりあえず着いていくことにした。怖いのは非常に怖かったんだが。






 連れられた先は高い塀に囲まれた、もはや無駄だとしか言いようのないほど広い屋敷だった。
 客を威圧することが仕事だというような扉を越え、道行く人すべてに頭を下げられながら行き着いたのは来客用と思わしき広い部屋だった。
 今はソファに座らされ待っている。テーブルの上には紅茶のようなものが置いてあるが、正直怖くて手をつけられない。漂ってくる香りだけを楽しむことにする。
 落ち着かない。そもそも周りの調度品が元の世界でも見たことないような焼き物や複雑な模様の絨毯なのだ。落ち着けという方が無理だろう。
 そして話をする相手もいないので、できることと言ったら辺りを見回すことぐらいなのだが、結果としてさらに落ち着かなくなってしまうという悪循環だった。
 そんな中、足音を耳が捉えた。


 ドアを開けて入ってきたのは彼女の妹だろうか? 
 豪勢なドレスに身を包んだ金髪の少女とお付きの者が三名だ。こちらとの会話に参加する気はないとの意思表示だろうか? お付きの者たちは一様に目を伏せている。
「あ~、お姉さんはどうしたのかな? ここで待っとくように言われたんだけど?」
「……そこまですっとぼけた反応をされたのは初めてです」
 心外だというように少女はつぶやく。
「……は、え? もしかして……司書のお姉さん?」
 コクリとうなずく目の前の少女。どう見ても目の前の少女と司書のお姉さんでは5、6歳は離れて見えるのだが……恐るべしは女性の神秘か。
「この髪と服のせいというのは分かるのですが、レディに対してその態度はいささか失礼ですよ?」
「あ~、すいません」
 確かにと思ってしまったので、頭を下げておく。頭をあげてよく見てみると確かにドレスはピンクで花の形をした飾りがついているようなものだったが、少女……女性の雰囲気には合っている。先ほどは後ろでまとめていた髪も下ろすときれいなストレートになっていて顔だちを幼く見せている。だが、その眼に携えられている理知的な光だけは確かにあの女性と同じものであった。
「あまりじろじろと見つめるのもです。……申し遅れました。私はファールデルト・ヴァル・サル・ディートリと申します」
 頬を赤く染め、拗ねたような自己紹介を行われた。
「すいません。シュージと申します」
「それで、先ほどの続きなんですがあの……紙? はおじいさんが発明したものなのですか?」
 いつの間にか淹れられていた紅茶を優雅に手に取り、訪ねてきた。
「そうです」
 待っている間に方向性はまとめておいた。簡単にぼろを出すことはあるまい。
「あのペンもですか?」
「そうです」
 カップをテーブルに置いたファールデルトはその言葉にうれしそうな笑みを見せた。
「ではその人はどこにおられるのですか?」
「去年亡くなりました。さっきの代物はその時の形見なのです」
 生協で買った200円のボールペンとルーズリーフが形見とか言ってごめんよ、じいちゃん。田舎で農業を営んでいた祖父(日曜日はゲートボールに出かけていた)に対し心の中で再び謝罪する。
 ファールデルトはその言葉に一気に塞ぎ込んでしまった。
「そう……です……か」
 少し想像していた流れと違う。製造方法を聞き出したいのだろうと思ったが、そうではないのだろうか?
「中々ままならないものですね。では、製造方法などはご存じですか?」
「いえ……それがまったく。紙に関してはどうやら木が原材料だと思うのですが、それ以上のことはちょっと」
「やはりそうですか。紙自体はここ最近東の大国で作成されるようになり、我が国にも輸入で多少は入ってくるので少しは情報があります。あそこまで白くて薄いものは初めて見ましたが」
 想像通りだという言葉に違和感を覚える。
「そうなんですか」
「ええ、あのペンなのですが、少し使わせてもらってもよろしいですか?」
「はい、どうぞ」
 鞄から取り出したペンを渡す。手に取ったそれをまじまじと見つめている。
「なるほど、中にインクを入れて……どうやって少しづつ? ずっと下を向けてても垂れてこないし……」
 ペンを片手にぶつぶつ言いだした。美少女が無表情で何かをつぶやいている図はかなり怖い。
「書き心地もいい、紙のざらついている部分に引っかからないし……」
 ほっとくと自分の世界から帰ってきそうにない。付き人たちは慣れているのか止めようとしない。
「あの……」
 返事がない。
「すいませーん」
 こちらの声が聞こえないのか、耳に届いていないのか、返答はない。助けを求めるように付き人を見るとダンディな紳士がわかりましたと言わんばかりにうなずいた。
「お嬢様、そろそろ」と言って椅子を軽く叩く。
「……すいません、ちょっと考え事をすると止まらなくなるくせがありまして。これだけの物を発明できる方がお亡くなりになられたとは……残念です」
 その振動で気付いたのだろうかこちらを向き謝ってくる。
「なにか、発明品より祖父の方に興味がお有りみたいですね」
「実は……領主の娘が恥ずかしいのですが、私こういう研究・発明が趣味なんですの。それほどの発明家ならぜひ弟子入りしたかったのですが……」
 実に残念そうに顔を伏せるが、そもそも領主の娘が弟子入りなんてできるのだろうか?
「そこまで評価していただければ祖父もきっと喜んでいるでしょう」
「そんな、ほんとにこれらは素晴らしい発明ですよ」
 顔を傾けながら華が咲くような笑顔を見せてくれるファールデルト。その時、部屋にノックの音がこだました。部屋に鳴り響いたノックの音にファールデルトがほんの一瞬だけ動きを止める。付き人に目線をやると一礼した付き人が扉へと近付いて行った。扉を少しだけ開け、来訪者の確認をしている。ふと前に目線をやるとファールデルトも視線だけを扉の方に向けている。どうやら来客が気になるようだ。付き人は小走りで戻ってくるとファールデルトに何やら耳打ちをした。ファールデルトは最初のノックから表情をほとんど動かしていないが、付き人の反応から来客者が今ここに来てほしくない人物、あるいは想定外の大物のどちらかであることが窺い知れる。ファールデルトが口に付けていたカップをテーブルに置くのと来客者が部屋に侵入してくるのはほぼ同時だった。


 来客は30代ほどに見える男性で、絹のような素材なのだろうか? 光沢のあるゆったりとした服を着ている。そして、こちらの世界に来て初めてメガネをかけている人を見た。そのメガネの奥にある瞳は何かを連想させた。
「ファル、せっかく客人を連れているのならどうしてこの父に知らせてくれなかったんだい? 危うく客人をもてなさないという末代までの恥を作成してしまう所だったじゃないか?」
 …………ファールデルトだ。
「そのような恥、父上は毎日のように作ってるではありませんか」

「何を言ってるんだいファル。私は神に誓ってそんなことはしていない。するはずがないじゃないか」
「縁剣隊の持つ審判の盃にでも誓ってほしいものですね。今日も嘆願に来ていた商人を門前払いしてたではありませんか」
「ああ、彼らのことかい?ファルもまだまだだね。ああいうのは客とは言わないんだよ?自分の要求ばかり喋ってこちらに不幸を連れてくるのは客じゃなくて厄と言うんだ。厄は払わなきゃ。できることなら門前でね」
「屁理屈を」
 漫才を見ているようだ。アドリブとは思えないほど複雑な嫌みの応酬を間断なく続けている。
「だが、真実さ。ところで客人を紹介してくれないかい」
「……こちら、偉大な発明家を祖父に持つシュージさんです。シュージさん、この恥ずかしい物体は悲しいことに私の父、デイトリッヒ・ヴァル・サル・ディートリです」
「ファールデルトの父、デイトリッヒ・ヴァル・サル・ディートリと言う者です。今後とも良しなに」
「よろしくお願いします。シュージと言います。娘さんと仲良いんですね」
「何を言ってるんですか!?」
「わかるかい? いや、君は実に良い目をしている」
「今すぐ撤回してください!!」
「分かりますよ。お互いに深く理解してないとああ言った掛合いはできませんから。何かわだかまりがあってもすぐに溶けますよ」
「う……」
 ファールデルトは落ち着いたのか、唸って下を向いてしまった。どうやらビンゴだったようだ。
「……君は本当に良い目をしてるね」
 デイトリッヒさんは居住まいを正してこちらのことをじっと見つめてきた。
「さすが軍と縁剣隊の関係に一石を投じた流亡の薄弱者なだけのことはある。臆病者故の彗眼なのかな?」
 今度はこちらが驚かされてしまった。不敵そうに笑うその顔から、どうやらこちらの驚愕が向こうに伝わってしまったことを察する。正直舌打ちしたい気分になった。
「見えすぎると不安になるんですが、見えないのもまた怖い。ほんとに損な性分してると思ってます」
「改めて自己紹介しようか。ファールデルトの父でありこの街の領主でもある、デイトリッヒ・ヴァル・サル・ディートリだ。以後お見知り置きを」
「……流亡の薄弱者、シュージです。よろしくお願いします」
 そういうとデイトリッヒさんは笑みを浮かべる。
「やはり一度会ってみて良かった。アッサム様とやりあったというのも誇張ではないらしい」
 アッサム様?……やりあったということは縁剣隊のあの少年のことだろうか?
「それで……私の評価はどのようなものになりましたか?」
「いや、実に面白い。田舎で育ったとは思えない腹芸だ。それが純粋に才能のみだと言うなら君は偉大な指導者になる素質を持っていると言えるよ」
「それは褒められているのですかね?」
 人格を否定されているようにしか聞こえないのだが。
「私からの最大級の賛辞だよ。実にタイミング良いことに今日は晩餐会が開かれる。是非参加して行ってくれたまえ」
「それは良いアイデアです。是非参加して行ってくださいませんか?」
今まで会話を聞いているだけだったファールデルトも父親の援護に走る。が、正直これ以上きな臭いことになるのはごめんだ。
「あいにくと礼儀作法も知らない田舎者ですので」
「何、その程度のことに如何ほどの問題があろうか、スピーチをするわけでもあるまい。それに今こうして相対している君が不作法者だというのは少し信じられないがね」
 逃げ道をふさがれた。服がないなどと言ったところですぐさま用意されるのだろう。少し考えているとファールデルトが立ち上がり、領主の反対側――俺の左隣へと座った。
「シュージさん……こうして会えたのも何かのご縁でしょうし、私はできればシュージさんともっと親交を深めたいのですが……シュージさんはお厭ですか?」
 そういい、上目づかいでこちらを覗きこんでくるファールデルト。おかしい、絶対におかしい。こんなかわいい子が今日初めてあったばかりの男にこんなこと言うはずがない。落ち着け――――思考を加速しろ――――なにか裏があるはず――――
「お厭なんですね」
 そう言って顔をこちらから背けるファールデルト。だが手だけはこちらの袖口をつかんでいる。――これはもう詰んでるのではないだろうか?
「ぐっ……分かりました。その代わりすいませんが服を用意してもらえませんか?晩餐会に着ていくようなものは持っておりませんので」
 ファールデルトは勢いよくこちらに振り返ったと思うと――――
「ありがとうございます!!」
 そう言って抱きついてきた。落ち着け、落ち着くんだ。こんなことあるはずない――絶対に何か裏があるはずだ――心の言葉とは裏腹に頭が真っ白になっていく。抱きつかれたことで、俺には全く見えなかった。予想通りにファールデルトの顔にしてやったりと浮かんでいる笑みと










 予想外に真っ赤になっていた耳が。




[10571] 第八話 ダンスの手ほどき
Name: ねしのじ◆b065e849 ID:641274c3
Date: 2010/03/29 13:29
「おいおい、あまり見せつけないでくれないか?」
 ファールデルトはこちらから離れるとデイトリッヒさんに向けて叫んだ。
「そういうつもりではありません!」
「そうかい? なら良いんだけどね。じゃあ私はシュージ君の服を選んで来るから……節度あるお付き合いを頼むよ?」
 そう言ってドアが静かに閉じられる。
 ファールデルトはそう告げた父親に対して精一杯に下を出していた。
「……まったく、冗談にしても性質が悪すぎますわ。ねぇ? シュージさん」
 そう言ってこちらに同意を求めてくるが、おそらくデイトリッヒさんの最後の一言はそれなりに本気だっただろう。あれを発した時の視線は、ファールデルトではなくこちらを見ていたのだから。ファールデルトには苦笑だけを返しておいた。
「先ほどの話の続きをいたしましょう? 他にはどんな発明品があったのですか?」












 尋問はデイトリッヒさんが見繕った服を持ってくるまで続いた。製造方法が分からないと見ると、ファールデルトは各道具の使い心地やどんな改善点が考えられるかなどの専門知識を必要としない質問に切り替えてきた。それによって、こちらも頭を使う破目になり非常に疲れてしまった。
 

 デイトリッヒさんが直々に持ってきた服は黒を基調としたもので、ところどころに銀の刺繍がなされている。予想していたものよりも大人しめで問題なく着れそうだ。
「どうもありがとうございます」
「こちらが誘ったんだからこれくらい当然さ。晩餐会が始まるまであと半刻程あるからゆっくりしておいてくれ」
「では私もそろそろ着替えに行ってきます」
 そう言って立ち上がったファールデルトは優雅に一礼すると付き人たちを伴って部屋を出ていった。デイトリッヒさんもそれにならって出ていく。








 着替えも終わって一息つくと再びデイトリッヒさんが再び部屋を訪れてきた。
「シュージ君、服のサイズはどうだい?」
「ぴったりですよ。ありがとうございます」
 デイトリッヒさんは満足そうにうなずくと急に顔を引き締めた。
「ところで……君はファールデルトのことをどう思ってるんだ?」
 ……わざわざそれを尋ねに来たのか。
「いや、いい娘だとは思いますが、どんなも何も今日初めて会ったんですから特にそれ以外の感想はないですよ?」
「なるほど、君のおじいさんが発明家だと言っていたが、ここに来たのもそのおじいさん関係かね?」
「はい。私の持っていた道具に関心を持たれて、ここに招待されました」
「そうか、では先ほどもその道具について話していたのか?」
 質問はさらに続く。確かに抱きつかれてあたふたはしたが、それにしても疑いすぎではないだろうか。
「はい、使い心地や改良の余地について大量に質問されました。……正直少し疲れてしまいましたね」
「……そうかね。いや長々と尋問のようなことを続けてすまない。あれで一人娘でね。君がただの友人と言うなら良いんだ」
 こちらをじっと見つめた後、嘘はないと判断したのだろう。張りつめていた空気が弛緩する。
「領主の娘さんともなるとそういう噂は命取りになりかねないでしょうからね」
「いや、理解が早いようで助かる。色々と複雑な時期でね。もうしばらくすると使用人が来る手はずになっている。晩餐会の会場には彼に連れて行ってもらいなさい。それではまた後で」
 そういうと踵を返した。
「はい、また後で」
















 さすがに街の領主が主催するだけあって、晩餐会は非常にきらびやかな物となっていた。
 色とりどりのドレスを着たご婦人方に、それをエスコートする男性陣。テーブルの近くには鮮やかな盛り付けがなされている数々の料理に舌包みを打っているお客もいる。それらを全力でもてなす接待係は笑顔ながらも全力を尽くしていることが窺える。
 接待係から受け取った食べ物と飲み物を胃袋へと収めた後は、できるだけ目立たないように壁際にたたずんでいた。
 晩餐会には壁際に何人か護衛が配置されている。華やかな晩餐会で無粋なそれらは嫌われるのか、周りが比較的すいている。その近くに立ち、壁を背にしていればあまり人は寄ってこない。のんびりと思索にふけっていると隣に立っている護衛が目に入る。どこかで見覚えのある顔だ。
 ――昨日広場で見たグランツさんだった。今日は無言で左右に視線を振っている。そういえば軍は領主直属だったかと考えていると、人をかき分けてファールデルトが現れた。白のドレスはグラデーションがかかっており、足元にかけてピンク色になっていく。先ほどまで下ろされていた髪は複雑に編みあげられており、この短時間でこれを仕上げた職人の腕に感動すら覚える。
 すぐそばまで来るとファールデルトは満面の笑みを浮かべた。
「ダンスのお相手をしていただけませんか?」
 周りから好奇の視線が注がれてくるのが分かった。目立ちたくなかったのだが……この状況ではもはや不可能そうだ。
「上手く踊れないと思いますが……」
「問題ありません、誰でもはじめは下手な物です」
 どうやら逃がす気もないらしい。デイトリッヒさんに見られていないことを祈るばかりだ。
「では、手ほどきお願いしてもよろしいでしょうか?」
「もちろんです」
 ダンスを行っている一帯では音楽が流れており、動き回るためだろうか、周りよりも人口密度が低い。ファールデルトが告げてくる様に曲にあわせて動く。
「そんな流れで問題ないですよ。初めてにしてはリズムが取れてますね」
「指導が良いおかげかな」
「これなら大丈夫そうですね。そのまま反応せずに聞いてください」
 かろうじて聞こえる声で告げてくる。
「じつは、今日シュージさんがおっしゃっていたわだかまりというのは、私が以前から王都にある大学に行きたいと頼んでいることなんです」
 このままダンスを中断して帰りたい願望に駆られる。
「そこで、シュージさんは父に気に入られているようですし、説得を手伝っていただきたいのです」
「そんなのできるはずがないだろ」
 ファールデルトと同じ声量で抗議を伝える。
「大丈夫です。シュージさんの腹芸と私の情熱があるのですから」
 大丈夫な理由になってない。
「そういう問題ではないだろう?」
「詳しい話はまた後で、すでにプランは考えてますので」
 そう告げられると同時に曲が終了した。
「初めてとは思えないほど上手でしたよ」
 少し離れて告げてくる。ここで抗議などしたらさらなる視線に晒されることになるだろう。
「……ご指導の賜物ですよ」
 かろうじてそう返すことが出来た。
「いえいえ、きっとシュージさんの才能が素晴らしいのですよ。では、失礼します」
 隣を通り過ぎる際に「父上のスピーチの後、テラスへ」とつげ、人波にのまれていった。















 ファールデルトとのダンスが終わった後は先ほどの影響だろう。こちらをちらちらと窺い見る視線とそれに伴う雑音が発生していた。
「……ファールデ……、……った……」
 もともと良くなかった居心地が加速度的に悪化して行くのがわかる。特に年若い男性は時折怒りのこめられた眼差しや嘲笑の笑みをこちらに投げかけてくるので、できるだけ視線に入れないようにする。こうなってしまえば、あとできることと言ったら時間が過ぎていくのを祈るばかりだ。
「やぁやぁシュージ君、私が直々に招待した客人が壁の花とはいただけないねぇ」
 辺りの視線がこちらを覗き見るものから凝視するものに変わった。……絶対に確信犯だ。娘と同じように人をかき分けて現れたデイトリッヒさんは、両手を大げさに広げてこちらへと話しかけてくる。
「そんな隅では晩餐会の空気を十分に味わえないだろう? もっと華やかな場所へ来たまえ」
 そういうと肩に手をまわしこちらに囁く。
「さっきはファールデルトと親密そうだったねぇ」
 ……やはり見られていたか。俺の希望的観測は見事に打ち壊された。
「誘われた以上は断ってしまうと顔に泥を塗ることになると思ったのですよ」
 せめてもの抵抗にと囁き返す。
「そうかい? 君なら上手く切り抜けることも出来たろう?」
 確かにファールデルトと密着できるだろうダンスに心ひかれなかったと言えば嘘になるが、あの状況を切り抜ける方法などに覚えはない。デイトリッヒさんは顔を離すと今までとは全く異なる口調で告げてきた。
「是非中央へ来なさい。刺激的な話ができるよ」
 顔は笑っているが、こちらに拒否権は存在していないだろう。そういうとデイトリッヒさんは会場の中央へと向かって歩き出す。
 仕方無いのでそのままついていく。どうやら中央には貴族連中が集まっているらしい。話の内容に耳をそばだててみると何処何処の特産品を買っただの、何とかという画家の絵が素晴らしいだの、正直どうでもいい話ばかりが聞こえてくる。
 前を歩いていたデイトリッヒさんが歩みを止めた。
「これはこれは、お忙しい所このような場に足を運んでいただけてありがとうございます」
 どうやら客の対応をしているようだ。こちらにかまってる暇がなさそうなら逃げるのだが……周りの様子をうかがう。
「紹介したい人物がいるのですよ。こちら、今度から私の第三秘書を務めることになった…」
 あまりにも突然な言葉に顔を前に向けると、デイトリッヒさんは横に一歩動き、その前に居た人物が視界に入る。こちらを無表情に見つめている少年は――
「流亡の薄弱者――シュージです」
 縁剣隊に居たキツネだった。

 縁剣隊の少年――おそらくアッサムというのだろう――はこちらを無表情で見つめてくる。
「それはそれは、第三とはいえその若さでデイトリッヒ殿の秘書を務められるとは、さぞ優秀なのでしょうな」
「ええ、それはもう。良い拾い物をしました」
 そう言って満面の笑みを浮かべている。こちらとしてはどういう対応を取るのが正解なのか分からない。下手に口をはさむと後々碌なことになりそうにないが、かといって流されるままでいいはずもない。――考えろ、思考を一歩でも前に――
「……そういえば流亡の薄弱者と言いましたかな?偶然にも書類の整理をしていたときにその名を見ましたね。珍しい名前を与えられているもので良く覚えていたのですが、確かこの街に来たのは昨日だったはずでは?」
「ええ、実は以前近くの街を査察していたときに見かけましてね。少し話をしてみたところ驚くほど聡明だったもので機を見てこちらに赴くように勧めていたのですよ」
 対応を考えている間にもどんどん状況が悪化しているように感じる。内心の焦りを何とか押しとどめ、デイトリッヒさんの思惑に思いを巡らす。
「やっとこちらに来てくれたと思ったら、なんでも早速貴族相手の人売りを逮捕したとのことではないですか。できることなら軍の方で裁きたかったのですが、そこは 私が詳しい事情を説明しなかった不手際、まぁ誇り高き縁剣隊さんに任せるというのも決して間違ってはいないのですからよしとしました」
 周りにいた貴族たちの挙動が止まり、こちらを凝視している。一つ、閃く。女将の言っていた軍への批難が脳内に再生された。今回、俺が動いたことで縁剣隊は軍を出し抜き、再び貴族の犯罪行為を取り締まる機会を得たことになる。これによりこの街の庶民からの支持が益々縁剣隊よりになることを軍としては許容できないのでは? だが、そのきっかけを作った俺が軍の側で――
「お客さま方には申し訳ないのですが、少々お付き合いいただきます。この中に人身売買に手を染めた方がいらっしゃいます」
 周りにいた軍の護衛が持っていた槍を一斉に構える。――縁剣隊との協力体制を引いているという体を見せたとしたら?
「さ、アッサム様どうぞ連行ください」
 話を急遽振られたアッサムはそれでも表情に変化はない。懐からベルのようなものを取り出し、音の鳴らないそれを振るとドアの外から三人ほど兵士が入ってくる。
「グレスター卿を取り押さえろ」
 静かな、それでいて良く通る澄んだ声でそれを告げた。三人の兵士はデイトリッヒさんの発言から先、明らかに挙動のおかしかった一人の男性を囲む。
「ヒィッ!な、何をする!?」
 がりがりの体躯に禿げあがった頭を持つその男性はぎょろぎょろと視線を左右に動かしながら批難の声をあげる。
「奴隷商人のバイツが白状しましたよ。あなたが彼から奴隷を買い上げていたことをね。それではデイトリッヒ殿、ご協力感謝いたします」
 アッサムは抑揚のない声でそれだけを告げると踵を返し会場から出て行った。
「ち、ちがうっ!! そんなことするはずがないだろう!!」
 グレスター卿と呼ばれた男性の必死な叫びもむなしく、兵士たちは淡々と彼を連行して行った。
「さて、皆様。皆様の大事な時間にこのような形で水を差したことを深くお詫び申し上げます。また別の機会を設けますので、本日の所はお引き取り願います」
 そう言うとドアの外から給仕人がテーブルを押して入ってくる。
「心ばかりの品ですが、本日のお詫びの品です。お持ち帰りください」
 そういうと来客達は戸惑いながらもお土産を受け取り帰って行った。







「俺を晩餐会に誘ったのもあれが目的だったんですね?」
 来客が全員引き揚げた後、最初に通された客間で反対側のソファに座っているデイトリッヒさんに尋ねる。
「そうだよ。君を第三秘書にしようと思ってね。そのお披露目さ」
「とぼけないでください。民衆に対する軍のアピールでしょ?」
「……まぁ隠し通せるものでもないね。その通りさ。以前、貴族の息子を捕え損ねた時はずいぶんとイメージが悪くなってしまったからね」
「まぁそうでしょうね。犯人が分かっても逮捕しないようではイメージも悪くなるでしょう」
「あれは犯人がわかっていたわけじゃないのだけどね。こちらは貴族の立てた身代わりの捜索にかかりっきりだったのさ。まぁ騙されたこちらが悪いのだが。それが市中では犯人が貴族だから逮捕しなかった軍という、より一層不名誉な形に変わった」
 デイトリッヒさんは椅子に深く座りなおすと、まったく……とため息と一緒に吐き出した。
「足の引っ張り合いですか?」
「その噂が縁剣隊からでたのか、軍に恨みを持つ他の誰かから出たのかは分からないさ。間違いないのはその噂で一部からの軍の評判が極端に悪くなったということだけだよ」
「一部からというのは?」
「軍の隊舎がある街の北側ではそこまでひどくはならなかった。だけど縁剣隊の隊舎がある街の南側では軍の評判は地に落ちた」
 得られた情報を整理して行く。今までにあった情報、街を歩いて感じた雰囲気との比較を行い、頭の中で検証する。するとデイトリッヒさんが苦笑をこぼす。
「いや、失礼。先ほどとは逆にこちらが尋問されているようだと思ってしまってね」
「いきなりダシに使われたのだからこれぐらい良いでしょう?」
「いや、ファールデルトが連れてきたのが調査を行っていた流亡の薄弱者だと知ったときには天啓だと思ったよ」
 実にうれしそうに語る。
「まぁおかげで仕事が手に入ったのでチャラにしておきます。あんな場所で公言したんだ。まさか嘘ということはないですよね?」
「君さえ良ければね。もちろんそのつもりさ。仕事……探していたんだろう?」
「ええ、是非よろしくお願いします。あ、最後に一つ良いですか?」
「なにかね」
「これは好奇心からの疑問なんですが……グレスター卿というのはそんなに大物なんですか?」
「……いや、貴族としては中間程度の規模だが……それがどうしたのかね?」
「いや、40人近い人間を買うなんて、よほどの大物なのかと思ったのですが……さすが貴族と言うだけあって金があるんですねぇ」
 感心してしまう。
「……君がもし人身売買を行うとしたらどんな問題点が挙げられると思うかね? 金はある程度あるとしよう」
「ざっと考えると、顧客の確保と……引き渡しの方法、それに検閲の回避ですかね?」
「ではそれを回避するにはどうする?」
「……顧客の確保は別の健全な取引を通じて相手の性格把握に努めます。引き渡しと検閲については治安維持組織あるいはその一員を買収することで回避できる確率は跳ね上がると思います」
「つまりはそういうことなのだろう。軍の評判が悪い南側では治安維持はほぼ縁剣隊のみが行っている。一旦街に入ってしまえば相手の屋敷で取引を行うことだって可能になる。
 縁剣隊の聴取によってグレスター卿は単独犯として仕立て上げられこの一件は終わり。背後に居た大物はまんまと逃げおおせる。という形になる公算なのだろうね」
「良いんですか?それで」
「何、手は打ってあるさ。うちからも一人尋問に出して軍と縁剣隊の二人体制で尋問を行うことになっている。これで聴取の内容をごまかすことはできないだろう?」
 そう言って凄絶な笑みを浮かべるデイトリッヒさんには百獣の王のような威厳があった。









「ところで、なんでファールデルトとあんなに親密そうだったのかな?」





[10571] 第九話 白い眠り黒い目覚め
Name: ねしのじ◆b065e849 ID:1119cabb
Date: 2010/03/29 13:30
 デイトリッヒさんからの尋問の前に俺の良心は砂上の楼閣でしかなく、ダンスの間に行われた会話の全貌を暴く破目になった。
 しかし、そのおかげで尋問は長引くことなく、彼はしようがない娘だと言わんばかりのため息を一つつくと、明日もう一度この屋敷を訪れるようにとこちらに言い含め、見送ってくれた。
 服は返すと言ったが、どうやら秘書としての制服でもあるらしい。同じものをもう一着渡され、明日も着てくるようにとのことだ。





 宿屋に帰ると遅かったためか、ご主人と女将さんの姿はなかった。そのまま部屋へと帰ると今日集めた情報のまとめを行い、四次元袋にアイテムをまとめ入れる。
 どうやら刀なども問題なく入るようだ。刀は腰にさしていた方がいざという時も対応できるのだが、袋に入れておけば非常に身軽でもある。どうするべきかなどと考えていると部屋にノックの音がこだました。
「あたしだよ。開けとくれ」
 女将さんの声だ。
「どうしたんですか?」
 そのままドアに近付き、窓を開けると俺を出迎えたのはこちらに倒れこんでくる、真っ赤に腫らした眼を見開いている女将さんと――左肩に振ってくる鈍色の斜線だった。
 反射的に身体をひねるが、斜線の速度の方が速かった。左肩を貫く衝撃によって吹き飛ぶように後ろに倒れると入口に見知らぬ男が立っている。その男が手に持っている剣がこちらに振り下ろされた鈍色の正体らしい。
 男は若干驚いたような顔をしている。刀は右手に持っている袋の中だ。左手がまともに動かない今では取り出すことはほぼ不可能。
 男は悠々と剣を振りかぶった.
 ――殺される――
 反射的に座り込んでいる体勢から振りかえり、窓へ向かって全力でかける。背中に衝撃を受けたが、それすらも速度に変えて窓から飛び出た。
 迫りくる地面からの衝撃をできるだけそらそうと身体をひねるが、あまり効果はなかった。
 全身の内臓がひっくりかえるような衝撃に、動きが止まった。悶絶しているとこちらを見下ろしている男と目があった。
 暴れまわる内臓を精神力で必死に抑え、体勢を立て直すと男が窓際に足をかけているのが見えた。
 熱を持ったように疼く左肩と背中。フラッシュバックする先ほどの痛みと恐怖。
「うわっ!!うわぁぁぁぁぁっ!!」
 意図しない悲鳴をあげてしまい、その場から反転すると何処を目指すともなく駆け出す。曲がり角を曲がった途端に足が絡まり思いっきりヘッドスライディングしてしまった。
 必死に起き上がろうとするが、さっき動けたこと自体が奇跡のようなものなのだろう。絡まった脚はまるで糸で操られたマリオネットのようにカクカクとしか動かない。後ろから迫ってくる恐怖に対して俺が出来ることはもはや顔を向けることだけだった。
 曲がり角から出てくる先ほどの男
 
 悲鳴は誰の注意もひかなかったのだろうか?
 
 なんで誰も外を歩いていないのか?
 
 全てが向こうの都合の良いように動き、男の持つ鈍色は今度こそこちらの命を絶ち切るだろう。

 歩いてくる男

 民家からの光を受けて煌めく剣

 外せない視線







 だが、男は気にする風もなくこちらの目の前を過ぎ去っていった。
 何が起こっているのか,男は俺の姿が見えていないのだろう。きょろきょろとあたりを見回している.だが,この状況は俺も混乱に陥れていた.今度は見つかるのがおかしい以前とは状況が異なり、見つからないのがおかし――
 ――新たに身に付けたスキル――
 あのスキルには発動条件が二つあった。「相手がこちらに気付いておらず、かつこちらが相手を視認していること」そして「膝と肘を地面につけていること」だ。図らずも今のおれはその条件を満たしている。
 そのまま背を向けて歩いてゆく男は、完全に油断している。肘を地面から離さないように道具袋の中へ手を入れた。
 このまま後ろから切りかかってやる。
 その時、トンッという軽い振動が身体をかけ巡り――続いて雷に打たれたかのような痛みが体中を駆け巡った。
「アガァァッ!!」
 視線が男から切れる。
 後ろを振り向くと25メートルほど先だろうか?
 弓を構えた一人の男がこちらに第二射を構えている所だった。とっさに起き上ると弓の男から離れるように、剣の男に近付くように駆ける。
 剣の男はすでにこちらに振り向きその剣を正眼へと構えている。かろうじて道具袋から取り出していた眼つぶし袋を剣の男に投げつける。クラフと同じように剣の男もその袋を切り,中の粉を顔に受けた。だが、火打ち袋は痛む左肩と動きの鈍い左腕のせいで取り出せなかった。

 男の脇を通り抜けてひたすら走る。前に門が見えてきた。痛みを訴え続ける背中と左肩。特に背中は一歩踏み出すたびに電気を流されているようだ。どんどん白くなっていく思考、とっさに浮かぶのはアリティアの言葉
「大体そこの門番をしてるか隊舎に居るんで、何かあったらそこにきてくれ」
 門は――まだ開いていた――
 門の外には好都合にもアリティアが居る。
「たっ、たすっ、けてくれっ!!」
 それだけ言ってこちらを向くアリティアを視認すると膝から力が抜け、目の前が白く塗りつぶされて行く。
 前のめりに倒れて行くのがわかる。――ああ、もし縁剣隊の仕業なら……俺……死ぬな――暢気にそんなことを考えながら。目の前を染め上げていく白の世界は、こちらを優しく包んでくれるようだった.











 白が若干晴れると、そこには見覚えのある景色が現れた。白い雪景色の中、目の前を通る線路の先には無人の駅が見える。
 かつては嫌いだったその風景は、少し前に中々風情があるじゃないかと見直し、今ではもはや見ることが叶わなくなったものだ。だが、今感じるのはその景色への郷愁の念ではなく、焦燥感。
 駅に黒い機関車が来ている。あの列車に乗らなければ。その強迫観念にも似た思いによって足は駅へと向かう。
 記憶の中では、あの駅には機関車なんて通っていない。だが、そんなことはもはや瑣末なことだった。
 雪の持つやさしい冷たさや顔にまとわりつく不快感、自分の呼吸が白くなることさえないというのに違和感をもつこともない。
 早くしないと駅を出てしまう。
 あれに乗らないと次の列車は長いこと来ないだろう。五感はなかった。ただ頭の中の焦燥感に駆られて走る。
 その中でよみがえる感覚があった。背中と肩が急激に熱くなる。呼気は出ていないにも関わらず息が苦しくなり胸を押さえる。
 熱い、苦しい、早くあの列車に。
 地面を蹴る足により一層の力を込めた。
 だが、突然前に進めなくなる。
 肩口に熱を持っている左腕が前に進まなくなってしまったのだ。
 まるで、空間に固定されているようだ。必死にもがくが、それでも腕は動かない。
 そうこうしているうちに機関車は力強く蒸気を上げ始める。辺りに響く汽笛の音はもう間に合わないことをこちらに告げているようだ。だが、そんな中動かない左手に今までのものとは異なる感覚があることに気付いた。
 それは確かに熱だった。自分の発するもの以外の熱。左肩と背中からあふれ出るものとは異なり、その優しい熱はこちらに安らかなぬくもりを与えてくれる。
 列車に乗ることをあきらめ、力を抜き目をつむる。白銀の世界はそれでもまばゆいばかりの白をこちらに与えてくる。
 突然その世界が黒く塗りつぶされた。







「う……」
 身体が熱い、特に背中と左肩は今までに覚えがないほどの熱を放っているのがわかる。
「……!!」
「……かっ!?」
 誰かがこちらに話しかけているということが徐々にわかってくる。
「大丈夫か!?」
 俺は――確か――
「!? ……いっってぇ……」
 不意に戻ってきた記憶に身体が硬直してしまい、背中に電流が流れたかのような痛みが再び走った。
「大丈夫か!? 痛むのか?」
 ようやく声の主がこちらを案じていることに気が回った。
「アリティア……背中が痛い」
 こちらの左手を痛いほどに握りしめ、泣きそうな顔で見つめてくる。
「そうか……大丈夫だとは思うがこれはわかるか?」
 そう言って足をコツコツと叩いてきた。
「ああ、わかるよ。動かそうとすると背中が痛いけど」
「そうか、よかった。とっさのこととは言え、毒の可能性も捨てきれなかったから傷口を開いて矢じりを抜いたんだ。神経が傷付いてなくてよかった」
 そういうとアリティアは握っていた左手を額に当てると祈るように目を閉じた。
「アリティアが応急処置をしてくれたのか、ありがとう」
 だいぶ頭が覚醒してきた。
「いいんだ。民を守るのが縁剣隊の使命なんだから。それがたとえ軍の一員でも」
「そう……か」
 あれは縁剣隊からの刺客ではなかったのだろうか。ほかに俺が狙われそうな理由がわからない。
 いや、そもそも気が動転していたが、俺が縁剣隊に狙われる理由などあるのだろうか。確かに流れから縁剣隊を騙したような形になったがそこはその程度のこと。
 俺を殺したところで軍が貴族を取り締まったという形は消えようがないはず。あのキツネが私怨で軽率な行動に出るとも考えられない。
 可能性としては俺に何らかの罪を着せ、それをもとに軍を取り締まることだろうが、その程度ならば今までにも、俺を狙う以外にもチャンスがあったはず。縁剣隊でないとするなら「おまえは――」
 考えをまとめる前にアリティアが口を開いた。
「シュージは……なんで軍に所属したんだ」
「俺は軍に所属したわけじゃなくて、あくまで第三秘書だよ」
「それはわかってる。でも領主に属するということは軍に属するも同じだろう?」
「そうか?どちらかというと軍に属するということが領主に属するということになるだろうけど?」
「?? ……ええい、とにかく同じようなことだろ!!」
 うまく伝わらなかったらしい。細かく教えるようなことでもないのでスルーするが、
「まぁそうだな。それで?」
「なんで、領主に仕えたんだ?」
 一応齟齬が生じない程度の言い訳をする必要があるだろう。
「ほかに仕事がなかったってのが第一で、俺が運よく領主様に認めてもらえたってのが二番目かな」
「……じゃあもし縁剣隊に仕えろと言われたら仕えたのか?」
「……仕事の内容によるけど」
 縁剣隊どころか第三秘書が何をやる仕事かさえ知らないのだが、無難にそう答えておく。
「……そうか」
 一体何が言いたいのだろうか、この間のようにぽろっとこぼしてくれればこちらにも想像がつくのだろうが。
 今のところ分かった事といったらアリティアはデイトリッヒさんに仕えることを快く思っていないということぐらいだ。少し、つついてみることにした。
「なんでそんなに軍を嫌うんだ?」
「別に嫌ってなんかいない」
 とたんに視線をそらすアリティア。ここまでわかりやすくていいんだろうか?
「そうなのか? 俺はてっきり軍と縁剣隊が幼稚な縄張り争いでもしてるのかと思ったよ」
「!! 我らがそんなくだらないことをするはずないだろう!!」
 とたんに激昂するアリティア。これならすぐにこぼしてくれそうだな。
「じゃあなんで仲良く――」
「そこまでだ」
 アリティアの怒号が届いたのか、それとも扉の前で機会を窺っていたのか、絶妙なタイミングでキツネが現れた。
「アリティア、君にはその男と過度な話をしない様にと言い含めておいたはずだが?」
「……申し訳ありません」
「少し席をはずしたまえ」
「はっ」
 肯定の返事とともにアリティアは部屋の外へと出て行った。扉の閉め際に、こちらへと心配そうな視線を送りながら。






「さて、流亡の薄弱者、シュージ」
 椅子に座り、さも当然と言わんばかりに偉そうな態度をとったキツネに若干カチンと来たが、話が進まないので黙っておく。
「我々縁剣隊はバルディア、ハイトス両夫婦を殺害し、君を襲った襲撃者を送り込んだ人物がデイトリッヒ殿ではないかと睨んでいる」
「っ!?」
 あまりの内容に何処から驚いて良いのか分からない。いや、そもそもなんでこんな話を俺に――
「根拠は三つ。一つは君がこの街に来てまだ間もなく、ほかに知り合いが極めて少ないこと。あの襲撃者の狙いが君だったことはほぼ間違いなさそうだ。被害者は宿屋の経営者夫婦と部屋にいた君だけで他の人間、貴重品等に特に被害がなかったことからそう推察される。
 第二に昨日の奴隷売買貴族に対する対応だ。我々はグレスター卿を泳がせ、奴隷売買に加担していた貴族を一網打尽にする計画だった。だが、奴の手によりそれも阻まれた」
 それは、軍の人気を得る……ために。
「そして、バイツと昨日捕えたグレスター卿が殺された。それも軍から人員が送られてきて半日もたたないうちにな。その三つから、デイトリッヒ殿を少なくとも参考人として呼ぶ必要ぐらいは理解していただけると思うが?」
「待て、動機は……動機は何が考えられるんだ?」
 俺を殺すつもりだけならあの屋敷でいくらでも可能なはずだ。
「奴隷の売買に奴も一枚咬んでいたということだ。この街へのバイツの出入りは縁剣隊が守っている南門と軍が守っている西門を分けて使っていたと証言が取れた。奴隷がいる場合は西門、そうでない場合は南門という風にな。以前から軍が検問を行っている門から不審な馬車が入ってくるという情報は上がってきていた」
 バイツは縁剣隊のいる門を使っていたのでは? それもデイトリッヒさんから出た言葉だったことを思い出す。だが、しかし、それが何故俺を殺すことにつながるのか。
「そしてこれが昨日君の背中に突き刺さっていたものだ」
 そう言ってアッサムは一本の矢を取り出した。
「この矢には縁剣隊の紋章が入っている。だが、今朝武器庫を確認させたところ、矢は一本も減っていなかったらしい」
「おそらくシナリオはこうだ。
 バイツの口から自分も奴隷売買に関わっていたことが判明するのを恐れたデイトリッヒは公の場で君のことを紹介した。しかも私に向かって。
 そしてその場でグレスター卿を逮捕することで自身の潔白を印象付ける。
 その後、縁剣隊の矢を背中に刺した君の死体が発見される。君を第三秘書として雇っているデイトリッヒは捜査の主導を握り、罪をこちらになすりつけ、我々をこの街から追放する。
 最終的にはこの街の治安組織は奴らだけとなり、奴らは今後好きなようにこの街の治安をコントロールできるようになる。またも貴族を逮捕することになった我々に擁護は少なく、おそらく簡単に放逐されるだろう」
「幸運だったのは君が襲撃者に殺されなかったことと、我々の所へ逃げ込んできてくれたことだ。……最初君がバイツを連れてきたときは軍の陰謀だと思ったが」
「どういうことだ?」
「以前、縁剣隊の上司に当たる、ある貴族のご子息を捕えたことがあった。その時は怒った父親に我々は解散寸前まで追いやられたんだ。今回の奴隷商人の件でも貴族が絡んでるのは容易に想像がついた。縁剣隊が解散に追いやられかねないほどの大物な可能性も十分にあった。以前から見られていた軍の不穏な動きはこのためのものではないかと思ったが、どうやらふたを開けてみれば、向こうにも予定外のことだったらしい」
 少なくとも俺が軍なんていう組織を知らなかった以上、向こうに想像がつくはずはない。デイトリッヒさんが縁剣隊を陥れるために策を巡らす。確かにありうる話ではあると思う。だが、釈然としないものを感じるのも事実だ。
 何か、川岸から水底を覗きこんでいるような。決して偽物ではないが、本物はそこにないような。
「そこで、だ。君に捕まえるための協力を要請したい。このまま今日デイトリッヒのところへ向かって何らかの証拠を見つけてきてほしい」
 それが俺にこんなことを話した理由か。
「君が屋敷から出てきたと同時に、参考人として呼び出す。もし何か見つけられたのならその時に出してくれ。見返りとして、アイテムによるその傷の回復ではどうかね?」
「……分かった。やるよ」
 釈然としない思いを抱えながらも、気付けばそう返していた。




 衛兵が持ってきた霧吹きの中にある液体は、傷口に一吹きすると熱を持っていた幹部が冷やされ、もう一吹きすると今度は痛みが飛んでいく。どうやらそれなりに高級な品物らしく、衛兵は一吹きするたびに傷口が完治しているか確認してきた。
 左肩は五回、背中は八回ほど吹きかけると完治したようだ。動かすのに支障がなくなった。傷口の持っていた熱がなくなると思考がクリアになって行くのがわかる。
先ほどの違和感は時間がたつほど強く感じてしまう。だが、その正体がわからない。一体何がここまで心をざわつかせるのだろうか。
 ――考えろ、思考を加速しろ――
 いま、分岐点に立っているのではないだろうか。そんな他愛もないはずの問いかけがやけに本質を突いているように感じた。
 


 衛兵が一人やってきてアッサムに何か報告を行っている。
「どうやらデイトリッヒはまだ屋敷にいるらしい。いけるか?シュージ」
 ここ二、三日の出来事がフラッシュバックする。



 縁剣隊の軍への疑い

 縁剣隊に対する市民の異なる評価

 縁剣隊と軍との関係

 買収されている治安維持組織

 背後に居るだろう大物貴族

 狙われた俺

 軍と縁剣隊の目がある中で殺された容疑者



「なぁ、……なんでお前はデイトリッヒさんが黒幕だと思ったんだ?」
「それはさっきも言っただろう?」
「バイツの証言から軍との協力が出てきた。晩餐会の会場でグレスター卿を逮捕させた。軍から人員が送られてきたと同時に容疑者が殺された。知り合いの少ない俺が狙われた」
「そうだ」
「……バイツの証言はともかく、昨日の逮捕劇は市民へのアピールが狙いだと思ったんだが。以前貴族を捕らえ損ねたと言うことで反対感情を持っている市民も居たようだし」
「確かに昨日の時点では私もそう思っていたのだが、晩餐会の最中にバイツからの証言が出ていた。そして軍から人員が送られてきた途端に容疑者が殺害された」
「軍と縁剣隊から一人ずつ出して尋問するんじゃなかったのか? どうやって殺害されたんだ?」
「交代の隙をつかれたらしい。交代のために尋問員が二人とも部屋を出て、新しい尋問員が入ってくるまでのわずかな時間にだ。こんなこと内部から手引きがないと不可能だ」
「……内部からの手引きがあれば可能なのか?」
「どういうことだ?」
「協力者がいると言う前提なら容疑者の殺害が可能なのか? 方法は分かっているのか?」
「……それについては調査中だ」
「……デイトリッヒさんは証拠を隠滅させないために人員を送ったと言っていた」
「だが本当は証拠を隠滅するために人員を送ってきたと言うわけだ。だが、時はすでに遅く、バイツの口は割られていた」
「そして軍と縁剣隊ぐらいとしかかかわっていない俺が狙われた……か」
「それもご丁寧に偽装までしてな」
 憤懣やるかたないといった口調でアッサムがこぼす。釈然としない。
 顔を合わせた時間は半日にも満たないがデイトリッヒさんがそんな露骨な証拠隠滅・偽装を図るだろうか? そしてそのまま静観するだろうか?
 少なくとも俺なら……俺なら策をめぐらすと同時に動くだろう。何かしら手を打つ以上、相手に考える時間を与えないのが基本だ。だが、アッサム曰くデイトリッヒさんはまだ動いていないらしい。
「もしデイトリッヒさんが黒幕だとして、他に協力者あるいは片棒を担いでいる人間と言うのは居ると考えるのが妥当か?」
「どちらかと言えばデイトリッヒが協力者だろうな。でなければやつがこれほど簡単に尻尾を出すとは思えん」
「それはつまりデイトリッヒさん以上の大物が後ろに居るかもしれないと」
「まぁそうだな。だからこそ最初は軍の陰謀かとも思ったわけだ」
 デイトリッヒさんは権力に屈したと言う形になるのだろうか。昨日受けた印象とは乖離しているような気もするが。
「そんな大物なら……お前らも……」

 天啓が振ってきた。
“お前ら”、“ら”複数人だ。俺は今まで軍と縁剣隊と俺というのは、デイトリッヒさんとアッサムと俺と考えていた。だが、実際はそうではない。軍にも縁剣隊にも、俺の知らない“第三者”がいる――それも大量に。
 昨日の、路地裏で話していた軍と縁剣隊の男を思い出した。
 今回の事件には大物の貴族が絡んでいる。その大物がデイトリッヒさんを凌ぐ財産を持っていたとしたら? 縁剣隊など歯牙にもかけない権力を持っていたとしたら?
 俺の考えている構想を実現するのは容易だ。

「これはあくまで、仮説だ。確証はない。だが、お前がデイトリッヒさんを疑っている案と比べても十分に可能性はあると思う」
「なんだ?」
 辺りを見回すが周囲に人はいない。アッサムに顔を寄せ、囁く。
「縁剣隊に密偵がいる可能性がある」
 アッサムは一瞬顔を硬直させるが、すぐにそれを解く。
「その可能性は私も調べた。だが、軍に通じていそうなものは皆無だ。これは間違いない」
「まだ、それでは甘かったんだよ。同じように軍にも、もぐりこんでる密偵がいるだろう」
「なっ――我々はそのような卑劣なマネはせん!!」
「違うんだ、その両密偵はおそらく――大貴族が出しているものだ。大貴族なら、その気になれば少なくとも縁剣隊には直接人間を送り込むことだってできるだろう?」
 昨日の、軍と縁剣隊の人間に険悪そうな雰囲気は感じられなかった。あの二人が何らかのつながりを持っている可能性は十分に考えられた。
 アッサムは今度こそ目を見開いて硬直した。少しすると考え込むように口に手を当てる。
「……可能だ。実際に送り込んできているし軍もそうだろう。……だからこそ、素性を隠して密偵として送り込んでくるなどというようなことは想定していない」
「だろう? たとえ兵士から上がってきているのが偽の情報だとしても、その出所がつながりのまったく見えない二者から上がればだれも疑わない」
 アッサムやデイトリッヒが自分で情報を集めるために遁走するというのは考えにくい。
「デ イトリッヒさんと話して、そしてお前と話して疑問に思った事がある。お前たちのような人間が利益になりそうもないいがみ合いを続けている理由だ。ここからは俺の想像なんだが、軍が違法行為を行っているというような不確かな情報がいくつか上がってきているのではないか?」
「……その通りだ。おそらく……その大部分は、」
『偽物』
 アッサムと俺の声が重なる。
「軍と縁剣隊、両方にいるそれぞれの密偵は大貴族から直接送り込まれている衛兵と結託して、お互いの間に諍いを起こす。
 不確かな情報を錯綜させる中なら実際に奴隷売買を行うことも可能になるし、何よりいがみ合わせることで互いの治安維持能力も減衰させることができる」
「そしていざというときにはその諍いと密偵を利用して自身が逃げる時間を作る……か。どちらがどちらを捕えたところで奴隷売買に関する不都合な情報は互いの密偵がもみ消していくこともできる」
「そしておそらく俺を襲ったのは互いをいがみ合わせるというのもあるが……今後のためを考えると軍と縁剣隊の橋渡しになりそうな存在を放置しておけなかったという可能性もある。どうだ? 仮説だが十分な可能性を秘めてないか?」
 しばし考え込んだ後アッサムは懐から昨日のベルを取り出した。音のならないそれを力いっぱい振る。
 すぐに部屋のドアが開かれた。ドアの向こうから現れた屈強そうな衛兵たちはこちらをいぶかしげに見た後、一列に整列している。そんな中アッサムの命令が響き渡った。
「今よりただちに六人一組の編隊をくみ、各門の検閲に入れ!! 緊急事態ということを説明して軍担当の西門と北門にも貼り付け!! この街から出ようとする貴族を徹底的に調べ上げろ!! たとえ誰が相手でも中身の確認をさせないものは決し通すな!!!!」
『はっ!!』
 威勢の良い返事とともに部屋を出ていく偉丈夫たち。
「シュージ、我々はデイトリッヒ殿のところへ向かうぞ。さっきの説明は君の口からしてくれ」
「分かった」








 デイトリッヒさんの屋敷で同じ説明を行う。どうやら俺の仮説に同意のようだ。
「なるほど……十分に可能性のある話だ。少なくともうちにも貴族から直接送られてきた人員はいる」
 その時、アッサムが急に振り返った。
「アッサム様、見つかりましたか?」
 頭を左右に振りながら何かを確認しているようだ。
「ああ、これは……西門のほうだな」
「犯人が見つかりそうなんですか?」
「ああ、どうやら西門で不審な人物がいたようだ」
「我々はこれからそちらに向かう。君はどうするね?シュージくん」
 デイトリッヒさんがこちらに訪ねてくる。脳内に再生されるのは昨日の痛み、殺意。
「いえ、やめておきます。なにかあった場合、邪魔になるでしょうし」
 声が震えるのだけは何とか抑えることができた。薄弱者という汚名は返上できそうにない。
「……そうか、ファールデルトの相手でもしてやってくれ」
 何も聞いてこない。それはきっとデイトリッヒさんの優しさなのだろう。
「分かりました。スイマセン」
「何を謝る必要がある?荒事は専門の集団に任せておけばいい。そのための我々縁剣隊とガイス軍だ」
 アッサムもこちらに笑みを向けてくる。いつものニヒルで生意気な笑みではない。精悍な中にも少年の幼さが残るそれは、年相応のきれいな笑みだった。
「では、またあとでね」
「はい、ご武運を」
 なんと声をかけるべきか分からなかったが、そう的外れでもなさそうだ。男くさい笑みを浮かべたデイトリッヒさんは、右手を軽くあげるとアッサムを連れ部屋から出て行った。






[10571] 第二章 エピローグ 異世界での覚悟
Name: ねしのじ◆b065e849 ID:1119cabb
Date: 2010/03/29 13:30
 捕り物についていく勇気を絞りだせなかった俺は室内でくつろぐ気にもなれず、隊舎の前に座りデイトリッヒさんたちの帰りを待っていた。
 日の光をさえぎっている雲は遠くで雷鳴をとどろかせてはいるものの、雨を降らせてはいない。
 雷鳴の音とは似て非なる、馬車の車輪が奏でるごろごろという音に伏せていた顔を上げた。
 犯人らしき男と馬車数台を連行して戻ってきたデイトリッヒさんたちには特に変わった様子は見られない。どうやら軍にも縁剣隊にも大きな被害を出すことなく逮捕できたらしい。
 こちらとしては犯人が最後の悪あがきに大乱闘でも起こすのではないかと危惧していただけに、この結果には安堵するとともに若干拍子抜けもした。
「ご無事そうでなによりです。アッサムはどうしたんですか?」
「多分もう隊舎に帰ってる頃じゃないかな?」
「その人が今回の主犯ですか?」
 猿轡をかまされ、衛兵に連れられ歩く男を一瞥する。
「ああ、そうだよ。ガリウス卿だ。他の兵士は馬車に押し込んでいるけどね」
 ガリウス卿はこちらのことなど一瞥もせずにデイトリッヒさんのことを睨み続けている。
「……逮捕するときに何かやったんですか?ものすごく睨んでいますよ?」
 ガリウス卿を指さすが、その視線はデイトリッヒさんから動かない。
「犯罪者ってのは自分を捕えた人間に逆恨みするものだよ」
「そうですか、ところで……そいつ一発殴らせてもらっていいですか?」
 ガリウス卿が初めてこちらに視線をよこした。目が合う。胸の中に粘着質な熱が生まれたのが分かった。
「命を狙われた恨みかい?」
「いえ、宿屋のご主人夫婦を殺した……まぁこれも逆恨みでしょうが」
「……ふむ、……やめておきたまえ。そんなことをしても喜ぶ人もいないんだからね。労力の無駄さ。あれは君が悪かったわけでもない。悪かったのは巡り合わせだ。どうしようもない」
「それは分かっているのですが、……分かっているつもりなのですが。…………いや、きっと分かってなかったのでしょうね」
「彼らの墓は押収したこいつの財産を使って建てよう。せめてもの供養になるだろう」
「ありがとうございます」
 そういうとデイトリッヒさんはガリウス卿を連れて、隊舎の中へと入って行った。
 これからどうしたものかと考えていると、どこからかファールデルトがやってきて部屋へと招待してくれた。特に行くあてもなかったことと、一人でいると碌な事を考えそうになかったので、その言葉に甘えることにした。
 空からは大粒の雨が降り始めていた。








 昨日と同じ部屋に通され、同じような質問を投げかけられる。違うのは付き人の人数が半分以下になっていることだ。おそらく昨日の付き人は大部分が護衛の役割だったのだろう。ファールデルトの質問に、今日は真剣に答えを考え、議論を重ねていく。だからと言って画期的な答えが出るわけでもないのだが。
「せめてこの紙の製法だけでも分かればいいのですけど」
 そう言いながら手に持ったルーズリーフをひらひらとはためかせる。だが、知らないものは知らないのである。これが以前知っていて忘れているだけなら思い出すこともあるだろうが、ルーズリーフの製法なんて見たこともない以上出てくるはずがない。況やボールペンをや。
「まぁ祖父の最高傑作の一つでしょうし、そう簡単に判明するものではないのでしょう」
「……そうですね。いずれあなたのおじい様に追いついて見せます」
 ファールデルトの瞳には決意の炎が宿っていた。
「ところで、お父様を説得していただける件についてはどうなりました?」
「……いえ、特に何も進んでいませんが」
 反応が少し遅れてしまった。まさか全て漏らしてしまったとは言えない。
「そうですか。実は昨日偶然にもお父様から、あまりシュージくんを困らせてはいけないよ、というありがた~いお言葉を頂戴したのですが、何か心当たりはございませんか?」
「いや~、あっ、きっとあれですよ。昨日無理やりダンスにつれださ……れ……た」
「なるほど、そんなに私とのダンスは嫌でしたか」
 口を滑らしたと思った時はもう遅かった。これまでにないほど極上の笑みを浮かべるファールデルトの背後にこちらの理解を超える何かを感じる。
「そ、そういうわけじゃなくて、ほら、あれだよ。ファールデルトは奇麗で目立つから、あんまり目立ちたくなかったんだよ!!」
「あ、う……」
 顔を真っ赤にするファールデルトにまた口が滑ったことを悟った。意識すると今度はこちらが恥ずかしくなってくる。
「いや……その……」
「う……」
 気まずい空気が流れた。打開策を考えねば。だが、茹っている頭では何も妙案が浮かんで来ない。そんな中、響き渡るノックの音はまさに救いだった。






 来客はデイトリッヒさんの第一秘書であるクライフさんという方らしい。今後の仕事の環境や住む場所、賃金などの話をしてくれた。
「と、言うわけであなたには今後ここで住み込みで働いてもらいます」
「分かりました。どんな仕事を行う事になるんですか?」
「今のところは特に仕事はないそうです。ただ、しばらくするとやってもらいたいことがあるそうです。なのでそれまでは簡単な雑務を頼む程度だと思われます」
 正直、破格の条件だ。良すぎると言っても良い。
「いいんですか? その程度で?」
「まぁ今回活躍した分でチャラということではないでしょうか。その後はしっかり働いてもらいます」
「ありがとうございます」
「今日のところは特に雑務もないでしょうから、しっかり休んでおいてください。それでは」
 そう言ってクライフさんは部屋を出て行った。
「できそうな人ですね」
「クライフはすごい有能よ。まさにお父様の右腕だわ」
「そんな感じがします」
 ファールデルトの付き人の一人に部屋に案内してもらい、その日はゆっくりと休んだ。


























 デイトリッヒさんの館に住み始めてもう一週間が経つ。軍はそうでもないが、屋敷で働いている人の顔と名前は大体覚えることができた。この一週間は何も仕事を頼まれることはなかった。まったく何もしないのも気が引けたため、ファールデルトの付き人に掃除やベッドメイキングの方法を教えてもらうなどして過ごしている。

「どう?」
 そんな付き人の一人であるライカは、俺がシーツを変えたベッドを見ている。
「ん~……80点。まぁ、ギリギリ合格ラインだよ」
「まだ80点か、道のりは遠いな」
「一週間もしてないんだからこんなもんだよ。次は時間をもっと短くできるようにね」
「了解。早さ以外は問題な――」
 その時、ノックの音とともにクライフさんが入ってきた。
「シュージくん、デイトリッヒ様がお呼びですので執政室に来てもらえますか?」
 ついに初仕事だろうか?
「はい、分かりました」








 執政室に入ると椅子に座り、積まれている書類の山を前にしたデイトリッヒさんが迎えてくれた。
「やぁ、シュージくん。もうこの屋敷での生活には慣れたかな?」
「はい。おかげさまで。ただ、できれば早く何か仕事がほしいのですが。さすがに居候のような生活は気が引けるので」
「丁度いいね。仕事の依頼だよ。これを縁剣隊に持っていってほしいんだ」
 そう言って机の上に布の袋を置く。金属音が部屋に響いた。
「それは……?」
「ガリウス卿がため込んでいた財産の一部だよ。どうやら彼が手を染めていたのは奴隷売買だけではなかったようでね。かなりの財を押収できた。縁剣隊にも協力してもらったし、寄付という形になるけど、面識のある君に持って行ってもらいたいんだ」
 デイトリッヒさんはそういうと袋から手を離した。じゃらっという金属音が響く。
「なるほど。了解しました。でも、てっきり縁剣隊と折半になると思ったんですが、そうではないんですね」
「……実は縁剣隊が追いつめていたのは別の人間でね。偶々こちらが真犯人を捕まえることができたんだよ」
「ああ、上手く騙せたと思ったところを捕まえられたからガリウス卿はあんなに睨んでたんですかね」
「かもしれないね。まぁ実際のところは彼しか分からないだろうが」
「確かにそうですね。分かりました。では行ってきます」
「ああ、頼んだよ」













 縁剣隊の隊舎へ行くと未だに突き刺さるような視線を向けられているように感じる。アッサムはまだ軍に対する誤解を解いていないのだろうか?
「寄付にきたんですけど……アッサム、様に面会できますか?」
 様付けで呼ぶのにかなり抵抗があったが、役職的にも敬意を払ってしかるべきだろう。通されたのはアリティアに連れてこられた大広間ではなく、執政室のような部屋だった。
「一週間ぶりだな」
「そうですね。そういえば、これはデイトリッヒさんからの寄付です。そういえば軍への誤解、解いてくれなかったんですか?受付で睨まれたんですけど」
「……その件で言伝を頼まれてほしいのだが」
「?いいですが」
「この借りは受けて置く。前のを含めてまとめて返すから忘れるな。と伝えてくれ」
 デイトリッヒさんから施しを受けるのが気に食わないのだろうか。若干むくれているようにも感じた。
「分かりました」
 しかしこれが軍への誤解とどんな関係があるのだろうか?おそらくデイトリッヒさんには通じるのだろう。
「では、失礼します」
「ああ、……ファー ――」
「ん?」
「……いや、なんでもない。ご苦労だったな」
「いえ、それでは」












 帰り際に、宿屋夫妻のお墓により手を合わせた。墓場には大小さまざまな石が整然と並べられているが、目の前にある石はひときわ黒く、つややかに見える。デイトリッヒさんが自費で建ててくれたらしい。おそらく、ガリウス卿の財産で補填するのだろうが。
 供えられている花束は太陽の光を浴び、輝いているようにすら見える。合わせていた手を離し、空を見上げると抜けるような青空に鳥が一匹旋回していた。
 空の広さこそ以前のコンクリートジャングルとは異なれど、その青さと深さはあまり違わないように見える。
 優しい風は頬をなでるかの様に通り過ぎていき、小さな丘の上にある墓場からは街の様子がよく伺えた。初めてこの街に訪れた時のような疎外感はもう感じない。色々な縁もできた。職にも恵まれた。一方で死にかけたこともあった。郷愁の念を感じないわけではない。だが――
「これから、この世界で生きていくんだな」
 不意に口をついた言葉に、憂愁の念を感じることはなかった。






[10571] 番外編1 腹黒領主
Name: ねしのじ◆b065e849 ID:1119cabb
Date: 2010/03/29 13:31
 今にも泣き出しそうな空の下、一人の顎髭をたくわえた男が声高に号令をかけている。
「早く荷物を積め!! 傷はつけるなよっ!!」
 命令を受けている男たちはその言に従い、屋敷から運び出してきた荷物を馬車に積みこんでいる。号令を出している男は大きな声を出してはいるが、それほどあわてた様子はない。仁王立ちをしながら荷物を運んでいる男たちを観察している。そこへ、一人の若い男がやってきて顎髭の男へと報告を行う。
「ガリウス様! 各門へ縁剣隊が隊員を派遣した模様です!!」
「なにっ!?」
 ガリウスと呼ばれた男は先ほどとは打って変わってそわそわと左右へ動き始める。
「何故だ!! 今朝の報告ではデイトリッヒのほうへ注意がそれているという話だったではないか!?」
「それは分かりません。ですが、現在各門へ向かった人員を調査中です。五名程度でしたので、いざとなれば強行突破も可能ではないかと」
「……そうか、それならばぐずぐずしてはおられんな。おいっ!! 急げ!! お前も荷積みを手伝え」
「はっ!!」
「……フン、あと少しでこの街の領主にもなれるところだったが、まぁいい」
 そういうとガリウスは踵を返し、屋敷の中へと入って行った。


















 縁剣隊と軍の一団は領主の館を出た後、西門へと向かっていた。
「アッサム様、西門には我らからは二名門番を出しているのですが、そちらからは何名出しておられるのですか?」
 アッサムとデイトリッヒはそれぞれの部下を従え、馬上で作戦を練っている。
「六名だ」
「ふむ、では万が一のことを考えてはさみうちにすべきではないでしょうか? 向こうの規模が分からない以上万全を期すべきでは?」
「そうだな……」
「では、我らは北側から回りますので、アッサム様は南側から向かってください」
「分かった。我らは南側から西門へ向かう!!」
 作戦が決まるや否や、アッサムは部下へと命令を告げ、先頭に立ち進んでいった。



















 ガリウスは荷物の運び出しを終え、馬車に揺られていた。
 いつも使う馬車とは違い、荷物と一緒の荷台は大きな振動を伴い、湿気もこもっていたが、周りの積み荷がすべて自身の財だと考えるとむしろ快適にすら感じる。
 今まで順調に動いていた馬車がゆっくりと停まった。おそらく門に到着したのだろう。その表情に緊張が走る。
 ガリウスの息がかかっている者が多い門を選び、さらには強行突破できるだけの兵力も用意してある。上手く機先を制することさえできれば、いや、機先を制されさえしなければ問題ないはずだ。何度も自分にそう言い聞かせた。
 ガリウスが乗っている馬車の兵士は護衛が第一目的としている。だが、他の馬車に乗っている兵にはあちらが幌を開けると同時に戦闘を開始するようにも言い含めていた。
 最終的な手段だが、いざとなればこの荷馬車とガリウスだけでも逃げることは可能だろう。そして後始末は軍と縁剣隊にもぐりこんだ密偵がしてくれるという公算だ。
 荷物の陰に隠れながら馬車が再び動き出すのをじっと待っていた。

















 アッサムが西門へとたどり着くと、門の前には荷馬車が5台ほど停まっていた。
 商人らしき男が先ほど派遣した縁剣隊と何やらやり取りをしている。周りにはほかに人間はいないが、馬車の中に戦闘要員が隠れていないとも限らない。
 デイトリッヒはまだついていないようだ。少し悩む様子を見せたアッサムだったが、速度を優先したのだろう。
 部下たちに合図を送ると一気に飛び出て馬車を囲んだ。弓を構える衛兵たちに対し、それでも沈黙を保っている馬車を一瞥すると、アッサムは商人のところへと向かった。
「あの積み荷は一体何だ?」
 商人は縁剣隊の長が出てきたことに驚いたのだろうか、しどろもどろになりながら返答を返す。
「そ、それは……お客からの要望でここの門番以外には見せるなと……」
「門番はどうしたのだ?」
 アッサムは部下に訪ねる。
「中身は確認したからもう通って良いと……ただ、その積み荷の内容を告げてはくれませんでした」
 アッサムの頭に疑念がよぎった。デイトリッヒが間諜の存在に気付いていなかったのなら、ここの門番にも息がかかっている可能性があるのではないかと。
「我らが見ても問題はなかろう? 軍とは違うと言え、同じくこの街を守るものだ。何、悪いようにはせんよ」
「う……」
 返事に詰まった商人をしり目にアッサムは馬車へと向かい、その幌をめくった。

















 そこには、希少食材である鳥竜種の加工肉が大量に積んであった。気を取り直して次の馬車へ向かう。だが、他の馬車も積まれているのは希少な食材ばかりで人は一人もいなかった。予想外の積荷を見たアッサムは混乱を隠しきれない。
「これは……誰に頼まれた荷物なんだ?」
 商人に詰め寄った。
「りょ……領主さまです」
 ――謀られた――
 アッサムの脳裏には最初描いていた領主への疑いが再び浮き上がっていた。
































 ガリウスは馬車の中で不審に思い始めた。いくらなんでも停まっている時間が長すぎるのだ。検閲が入るにしてもなんにしても、もう何かしら動きがあってしかるべきだ。もし時間稼ぎをされているようならそれこそ強行突破するべきだろう。
 ガリウスは頭を上げ、幌を少しめくり、外の様子を窺う
「――――!!!!」
 声を上げなかったのは僥倖だろう。それほどまでにガリウスは驚いていた。
 他の荷台の幌がすべて取り払われ、積み荷がすべて露わになっているではないか。各馬車に待機させていた兵士もいない。混乱しているガリウスにさらに追い打ちがかかる。
 自身が乗っている馬車の幌がいきなり取り払われたのだ。
「なっ!!なんだ!!!!」
 今度こそ声をあげてしまった。だが、もうどうしようもなかっただろう。ガリウスは弓を構えた衛兵に取り囲まれていた。
「これはこれは、ガリウス卿ともあろうものが、荷馬車に横になっているとはどうされたのですかな?」
 声の主は愉快そうな笑みを浮かべてこちらに近づいてくる。
「ガリウス卿が強欲なのは知っていましたが、まさか宝から一歩も離れたくない程とは知りませんでした。これは評価を改めざるを得ないですな」
 それはガリウスの代わりに疑いをかけられているはずのガイス領主だった。
「おやおや、そんな睨まないでいただきたいですな。大体、私としても今回の捕り物は不本意なのですよ?」
 ガリウスは強行に陥りそうな心を必死になだめ、焦りながらも現状を打破するための手立てを考える。弓を構えている八人の衛兵のうち、二人はガリウスの良く知った顔だった。
 最近新たに軍へと送った密偵。デイトリッヒは余裕な態度をとっているが、馬車には御者と兵士二人がまだ乗っている。実質五対六である。先手を取ることができればまだ可能性はある。
「あなたにはもう少し財を蓄えていただきたかった。出来ることなら縁剣隊と二分しても十分な程度には」
「――は?」
 ガリウスの思考が停まる。両目を見開いてデイトリッヒを見つめた。
「これでもあなたの商才だけは買っていたのですよ? それ以外は人並み程度ですが」
 これ以上話を聞いてはだめだ。ガリウスは心の叫びに反応して反射的に命令を出す。
「討てぇっ!!」





 だが、馬車の兵士二人が若干動いただけで、密偵の二人と御者は何の動きも見せない。
「や、やれっ!! あいつを殺せといってるんだっ!!」
「その自信にあふれた態度は商売をする際には良いのでしょうが、計略を仕掛ける際にはもう少し臆病になったほうがいいですよ?」
 ガリウスは耳をふさぎたい衝動に駆られた。だが、身体は動かない。
「あなたが密偵を忍ばせるのならその逆だってありうるでしょうに」
 御者は馬車から下りるとガリウスへ向けて弓を構える。ガリウスは自身がデイトリッヒの掌で転がされていたことに気付かざるをえなかった。
「それではガリウス卿を連行します」
 うなだれているガリウスを御者であった衛兵が縛り、猿轡をはめた。
「デイトリッヒ!!」
 アッサムが怒りを露わにした表情でやってきた。後ろには縁剣隊の面々も連なっている。だが、ガリウスを捕えている軍の衛兵を見ると現状に混乱したようだ。
「アッサム様。見ての通り不審な馬車を目撃したので中身を確認したのですが、どうやらこのガリウス卿が今回の事件の真犯人のようです」
 アッサムはその言葉に反射的に口を開く。
「デイトリ――」
「アッサム様」
 問いただそうとするアッサムにデイトリッヒが有無を言わさぬ態度で語りかける。台詞こそ敬意を払ったものだったがその声の厳格さは口をはさむことを良しとしていなかった。
「人の上に立つからには清廉なだけでは限界がありますよ。もしそれを実現したいのならば、誰にも負けないくらい優秀になりなさい。今回あなたが乏しい根拠で私を疑ったことは貸しにしておきます」
 その全てを見透かしたような態度にアッサムは何も言えなかった。
「ガリウス卿に関しての調査は軍主体でやらせてもらいます。それでは」
 そう言うとデイトリッヒは領主の館へと帰って行った。後に残ったアッサムの頭の中は羞恥と自虐に満ちていた。







[10571] 第三章 プロローグ
Name: ねしのじ◆b065e849 ID:b7c8eab1
Date: 2010/03/29 13:32
 昔々、ある緑に溢れた森の中にそれはあった。
 向こう側への入り口でもあるそれは何物をも拒まず。されど身に包んだものには容赦がない。
 それへ入っていく者は大小の差はあれど、その悉くがそしりを受け、強欲、愚者のレッテルをはられる。
 それから出てきた者は大小の差はあれど、その悉くが賞賛を受け、富を、栄誉を手に入れる。
 数多の人間が栄誉を求め、愚者のそしりを受けながらそれの中へと入って行った。
 僅かな人間はそれの深くから生還し、望んだままの富と栄誉を手に入れた。
 いつしかそれの周りには人が集まり、森は切り開かれ、街ができた。
 それへ向かう人間は後を絶たず、街は日に日に広げられ、その国最大の都市として世に名を知らしめる。
 そんなある日、それを攻略したという男が現れた。
 男はそれの最深部まで至り、全てを目にしたと告げる。
 都市の人間はそれの中で気でもふれたのかと同情を禁じ得なかったが、「至りし者」という名前を見て男の話を信じた。



 男の名はシュリングベルト・デルフォール、後に国を立ち上げし者。
 都市の名はダンザニア、今では王都と呼ばれる場所。
 それの名は誰も知らない、皆から地下街と呼ばれるダンジョンの入口である。




[10571] 第十話 王都への旅
Name: ねしのじ◆b065e849 ID:b7c8eab1
Date: 2010/03/29 13:32
「……王都にですか?」
 クライフさんによる作法の勉強中に呼び出された俺は、デイトリッヒさんからの突然の要求に耳を疑った。
「うん、実はこの街にも大学を作ろうと思うんだ。そのための人員集めをお願いしたくてね」
 机に肘をついて手を組んでいるデイトリッヒさんは満面の笑顔だ。ここまで親バカな人が領主で良いのだろうか。
「いろいろ言いたいことはとりあえず置いておきますが……王都に知り合いなんていませんよ?」
「それはみんな同じさ。大学で学んでいる人間なんてかなり限られてるからね。誰が行っても条件が同じならできるだけ目が信頼できる人間にお願いしたいんだよ」
 特に仕事のない俺が最も適任だったというだけだろう。
「分かりました。具体的には何をすればいいんですか?」
「なに、そう大したことじゃないさ。向こうで優秀そうな学生や講師を探してこちらで働く気がないか打診してくれればいい」
「具体的な条件を示さないと人材なんて集まらないと思いますが」
「それはこちらから提示するよ。環境や待遇に満足していない人なら話だけでも聞いてくれるだろうしね」
 デイトリッヒさんの言うことにも一理ある。
「分かりました。ですが、せめて道中危険がないようにはしてください」
 デイトリッヒさんは俺の言葉に口角を上げた。
「それはもちろんだよ。……でも第三とはいえ私の秘書をやるなら武術の一つくらい嗜んでほしいのだがね?」
「秘書に武術を求めないで下さい」
 俺の言葉に目を丸くする。
「私が言うのもなんだけど、大多数の秘書は武術を修めているよ?いざというときに主を守れないようでは秘書失格さ」
 こちらの秘書が肉体派だったとは。
「ひょっとして……クライフさんもですか?」
 あのスラリとした体躯からは武術の武の字も感じることは出来ないのだが。
「もちろんだとも。彼はレベル・スキルともに相当の者だよ」
「そうだったんですか」
「そうだよ。それにそうでなければ服をそんなに防護性能に優れたつくりにしてないさ」
 自分の着ている服を引っ張ってみる。手触りとしては通常のものと大差があるようには感じない。
「……それも知りませんでした」
「以前君が襲撃されて生き残ることが出来たのもおそらく服のおかげだよ。一発程度なら強い斬撃でも防げるからね」
 通りで刀で切られて骨折程度で済んだわけだ。運が良かった……のだろうか? タイミングが良すぎる。目の前に居るデイトリッヒさんを見つめた。
「どうしたのかね?」
「……いえ、なんでもないです」
 真実を知りたい欲求に駆られるが、抑え込む。追求することのデメリットが頭をよぎったからだ。
「そうかね? それでは詳しいことはまた準備が出来てから追って通知するよ」
「わかりました。それでは失礼します」
 あの事件の黒幕はガリウス、それで何の不都合もない。そう頭の中で呟き、デイトリッヒさんの執務室を後にした。










 本日のクライフさんの授業は“実践:紅茶の淹れ方”だ。紅茶は好きなのだが、合格するまで淹れ続けた紅茶を全て処理しなければならなかった為、お腹が胃の中にある液体が波打っているような気がする。
「ふむ、良いでしょう。合格です。五回でコツをつかむとは中々筋が良いですよ」
「はは、ありがとうございます」
 クライフさんの賞賛に顔が引きつるのが分かる。きっと筋の良くなかった人たちは紅茶を飲めなくなったにちがいない。
「今日はちょっと政務が多いので、ここまでにしておきましょう。昼食後デイトリッヒ様の所へ行くのを忘れないように」
「はい、ありがとうございました」
 挨拶を終えるとクライフさんはすぐに部屋を出て行った。
 相当忙しいだろうに、こちらのために時間を割いてくれている以上文句なんて付けようもない。とは言っても時間が空いたところで特にすることはないので少し早いが昼食へ向かった。
 領主の館とあって食堂は広く作られており、出てくる料理の質も他と比べても高いらしい。少なくとも今までは外れたことがない。食堂から厨房は覗き込むことができるようになっており、厨房に一番近い席に着くと料理人がせわしなく動いているのを見ることができる。
「今日のご飯はなんですか?」
 最近では指定席とも言えるその席に着き、厨房で鍋を振っている料理長に尋ねた。料理長はこちらに気付くと鍋の中で踊っていた野菜炒めを皿に移し、厨房から出てきて正面の席に座った。
 テーブルの上においてある灰皿を寄せると煙草をくわえ火を付けた。やや吊り気味の目が細められる。通気口方向に向かって満足げに紫煙を吐き出す表情は額に煌めく汗と相まって、妙に色気を感じるものになっていた。
「今日は早いじゃないか? どうしたんだい?」
「クライフさんが忙しいみたいで少し早く終わったんですよ」
「そうかそうか、悪いが今はデイトリッヒ様達に出す食事の準備をしてるから君らに出す食事はまだ作れないんだ。いいかい?」
「いいですよ。もし良かったらここから料理作るの見てて良いですか?」
「別にかまやしないが……そんなもの見て楽しいのかい?」
「ええ、一流の職人が作業している姿なんて中々見られるものじゃないですから」
「そんな大層なもんじゃないさ」
 そうつぶやくと半分程度になっていた煙草を灰皿に押し付け、厨房に戻って行った。
 男勝りに料理人たちに檄を飛ばす様はまるで戦場をかける戦乙女のようだ。女性にしては高い身長とその頭に乗っている誰よりも長い帽子からたとえ厨房の奥に居てもその姿は容易に発見できる。
 周りの料理人もワルキューレに続けと、流れるように調理が進んでいく。食材は魔法のように料理へと変わっていく。その様子を目にした後の食事は、いつもより一層美味に感じられた。











 昼食後デイトリッヒさんの部屋を訪れると王都へ明日の朝発ってほしいとのことだ。
「また、性急ですね」
「すまないね。代わりと言っては何だが準備はこちらで済ませておいたよ」
「そうですか、ありがとうございます」
「王都まではグランツが送ってくれるから。グランツは知ってるよね?」
「はい、何度か話したこともあります」
「なら特に問題はないかな。何か聞きたいことはないかい?」
「……二人だけで危険はないのですか?」
「一応ここから王都までは街道も走ってるし、治安も悪くない。最近は大型のモンスターを見たって話も聞かないから相当運が悪くない限りは大丈夫だよ」
 つい先日に相当運が悪い出来事に出合った身としてはあまり安心できないフォローの言葉だ。
「わかりました。何事もないことを祈ってます」
「まぁグランツは王都に何度も行っているから、いざ危なくなっても何とかしてくれるさ」
「そうですか」
「お父様!!」
 ファールデルトが勢いよく部屋のドアを開け、入ってきた。
「シュージさんもいましたか。丁度いいです」
 こちらを一瞥し、そうつぶやくとデイトリッヒさんの方へと向き直る。
「お父様。シュージさんが二人だけで王都に向かうということを耳にしたのですが? それは本当ですか?」
 デイトリッヒさんはいつも通りの笑みを浮かべているつもりなのだろうが、口元が引きつっている。
「確か以前私が大学に行きたいのを反対された理由は“旅程が危険”というものでしたよね?」
 聞き捨てならない言葉が聞こえた。ひょっとして騙されたのだろうか?
「いや、ファル、それは……ちょうど、そうちょうど大型のモンスターが退治されてね」
 どうやら騙されたのはファールデルトのようだ。態度があからさまに嘘だということを物語っている。
「おや? そうなのですか? じゃあ今なら王都に行っても良いということですね?」
「ぐっ……いや、それは……」
 狼狽していたデイトリッヒさんはたたみかけられるとまずいと思ったのか一度深呼吸をする。下を向いて深く息を吐きだし上げた顔はいつものデイトリッヒさんだった。
「確かに、今は王都に行くには安全なのだが、いかんせん君に割ける護衛の人数がいないんだよ」
「なぜです? 以前より縁剣隊との関係も良好。不穏な動きの貴族も逮捕したではありませんか」
「その貴族がこちらに密偵を送り込んでいたのは知っているだろう? そのため軍は一時的に人数が減っているし、まだその密偵が残っていないとも限らないんだろ?」
「それは……そうですが」
「それにこう言っては何だが、君とシュージ君では重要度が違いすぎる。シュージ君個人を狙う賊はいないがファル個人を狙う賊はありうるんだ」
 どうやらファールデルトは形成不利のようだ。最初の勢いがなくなってしまっている。
「……分かりました。失礼します」
 そう言うとファールデルトは下を向いたまま部屋を出て行った。
「……大学を作ろうとしてることを言ってあげればよかったじゃないですか」
「あそこまで熱意を持っていることに対して不確定なことは言えないさ。ファールデルトの行きたがっている工学部の人材が集まるかどうかも分からないんだ。まぁファルのためにも頑張って来てくれよ?」
「分かってます」














 翌日、デイトリッヒさん、クライフさん、ファールデルト、ライカに料理長の五人が館の前まで見送りに来てくれた。デイトリッヒさんは手紙を一通取り出し、渡してきた。
「シュージ君、この手紙をハーディという方に渡してほしい。場所についてはグランツが知ってるから」
 ハーディという単語に後ろで直立不動を保っていたクライフさんが反応を示す。だが、それは一瞬で消えてしまった。
「分かりました」
 デイトリッヒさんの後ろではファールデルトが恨めしそうにデイトリッヒさんを睨みつけている。デイトリッヒさんがこちらから離れると同時にこちらにやってきた。
「シュージさん、いくら危険が少ないとはいえ道中お気をつけくださいね」
「ああ、ありがとう」
 ファールデルトはちらりとデイトリッヒさんの方に視線をやる。つられてデイトリッヒさんの方へと視線が動く。次の瞬間、ファールデルトのきれいな金色の髪がすっぽりと胸の中に飛び込んできた。
「……は? え?」
 ファールデルトが抱きついている。二度目のこととはいえ頭の中はパニックだ。一拍の後、ぱっと離れたファールデルトの真っ赤になった顔が目に入る。
「それではお気をつけて」
「え、あ、あり……がとう」
「さぁ~てシュージ君。そろそろ出発しないとね~」
 いつの間にか俺の後ろに居たデイトリッヒさんがこちらの肩に手を置いてきた。
「あぐぁ!」
 肩の骨が砕けるんじゃないかと思うほどの力で。
「……は……はい。それでは行ってきます」
 なんともしまらない旅立ちになってしまった。













 グランツさんと二人、小さな馬車での旅は思いのほか快適なものとなった。以前乗ったものと比べて若干小さい馬車は、二人で乗る分には全く問題ない。
 初めて見たときの印象から怖いと思っていたグランツさんは気のいいおじいさんという感じで気さくに話しかけてくれる。
 天候にも恵まれ、陽光を反射しながら風にそよぐ草原の間に街道が遠くまで見えた。グランツさんは王都に娘夫婦が住んでいるらしく。毎年一度はそちらに行っているらしい。
「いつもは一人二人護衛を雇ってるんだが今年はその必要がなくなって良かったわい」
 かっかっかと豪快に笑っている。
「でも……ほぼ素人の俺との二人じゃ万一の時危ないんじゃないですか?」
「ん? シュージ、お主はレベル10なんじゃろう? わしは8じゃし街道に沿っていけばめったなことがない限り問題ないわ」
「……はは、そうですか」
 何事も起きないことを切に願う。











 初日の休憩ポイントである河原に到着した。河原は川に向かってなだらかな傾斜を描いており、転がっている石は小さくてこぶしサイズ、大きいものになるとそれより一回りほど大きい。
 グランツさんはデイトリッヒさんの言うとおり旅に手慣れており、以前誰かが組み立てたのだろうかまど跡を見つけると崩れてしまっているそれを瞬く間に組み直す。大きめの中華鍋のようなものを取り出し、サイズが問題ないことを確認するとこちらを向いた。
「すまんが薪になりそうなものをとってきてくれ」
「わかりました」
 辺りを見回すといくつか手ごろな大きさの木が落ちている。拾い上げてみると地面に接していた部分が若干濡れているがほかの部分は程よく乾いていそうだ。
 皮袋から刀を取り出し湿った部分を切り取る。10分もすればそこそこの量が集まった。材料を切っているグランツさんの元へと戻った。
「こんなもので良いですかね?」
「ああ、十分じゃよ。ご苦労じゃったな」
「いえいえ、ほかには何かないですか?」
「特になさそうだのう。ゆっくり休んでおれ」
「わかりました」




 グランツさんが作ってくれたのは干し肉と野菜を使った鍋だった。干し肉からゼラチン質でも出ているのだろうか。色こそ付いてない無いものの、若干とろみの付いているそれにシチューを連想させられる。
 塩だけの味付けだがその分野菜の甘みと干し肉の旨みを強く感じることができた。
「足りるか? 若者ならもっと精の付くもん食べたいじゃろうが」
「十分足りますよ。それに美味しいです」
 目の前では半分程度残っている鍋がこぽこぽと呼気を吐き出している。
「それなら良いんじゃが、以前孫に料理を振舞ったときなぞ……」
「そういえば娘の結婚式のときは……」
「依然雇った護衛が……」
 彼の豊富な人生経験の前に晩餐の時間は短すぎたらしく、語らいは彼が寝るまで続いた。













 明け方に護衛を交代し、寝床についた。起きると空には薄墨色のカーテンがかかっていた。
「おはようございます。今はいつ位ですかね?」
「正確にはわからんが、大体昼前じゃろう。飯というには味気ないがこれを食っとけ」
 そういって一切れの干し肉とパンを渡される。
「ありがとうございます」
 干し肉をかじる。結構な強度を誇るそれは一噛みしたぐらいでは切れないため、まずは咥えるだけにとどめ唾液をしみこませる。
「こんなもんですまんがの」
 そういうグランツさんの口にも干し肉がぶら下がっていた。
「いえいえ、十分ですよ」
 干し肉は臭みも少なくかめばかむほど味が出てくる。今までに食べたビーフジャーキーが陳腐に思えてくるほどだ。二人ともがじがじとそれをかみ続ける。
 後ろから見たらかなりわびしそうに見えるのではないだろうかなどと詮無いことを考えてしまった。
 寝ている間にそれなりに進んだのだろう。辺りの風景は昨日と打って変わって狭いものになっていた。
 街道の右隣は十メートルも進むと森になり、光をさえぎる厚そうな雲の存在もあいまって不吉そうな様相を見せている。空を見上げているとグランツさんが声をかけてきた。
「雨が降りそうじゃのう」
「やっぱりそうですか? どこか雨宿りできそうなところってあるんですかね?」
「基本的に馬車の中に居れば大丈夫じゃろうが、そうするとまた食事が干し肉になるしのう……この森を抜けたところに昨日と同じ川があるからそこで飯を作っておくか」
「危なくないですか? 俺なら別に干し肉でもかまいませんよ?」
「若いもんが何をいっとるんじゃ。いいもん食わんといざというとき力が出んぞ。それに一刻も進めばつくわい」
 いいもの食いたいのはグランツさんのほうじゃなかろうか。
「わかりました」
 ため息交じりの返答を返すとグランツさんは手綱を操り馬車の方向を変換する。
 比較的木の密度が低いところを探し出し森の中へ入っていった。グランツさんの操縦技術は思いのほか高く、木々の間を難なく通り過ぎていく。すぐに川原に到着した。
「わしはかまどを組むから薪集め頼むわい」
「分かりました」
 皮袋から刀を取り出し、昨日と同じように枯れ木を探す。だが、なぜか落ちている木の量が少なく、たまに落ちていても全体が湿っていたりと中々集まらない。
 とりあえず見える範囲にあるものをすべて集めたが昨日の半分程度しかない。グランツさんに渡すが、やはり足りないと言われてしまった。
 しょうが無いので森のほうに足を伸ばす。時間をかけずに、深いところまで行かなければ問題ないだろう。
 川原から中を覗き込む。見える範囲には危険はなさそうだ。森の中に入る。さすがに森の中にはそれなりの枝が落ちていた。これなら十分に集まるだろう。
 足元にある枝を拾おうとした瞬間、何も無かった地面から茶色の物体が突然現れ、奇声を上げながら突進してきた。
「シャァァァ!」
 ――しまった。完全に不意を付かれた形だ。できるだけ衝撃を殺すように動く。右肩に迫ってくる茶色の物体。反射的に右肩を後ろにそらす。茶色の異形は鈍く光る刃物を俺の肩へと伸ばしてくる。だが、その刃物と肩は触れることは無かった。
 突進の勢いのまま後ろに流れていく異形。信じがたいことだが、やつの突きとそう違わない速度で俺の身体が動いたということか。腰の高さほどの身長を持つ異形はその手に持ったナイフを地面に突き刺し、すぐさま振り返る。
 全身を茶色の毛皮に覆われた人型の異形は、荒い息を隠そうともせずこちらを睨み付ける。真っ赤に濁った目からはその感情をうかがい知ることはできない。薄く開かれた口からは禍々しいほどに長く伸びた犬歯が見えている。逆手に握られているナイフが怪しい光を放っていた。
 背筋をぞわぞわと虫が歩いているようだ。柄を握りなおすのと異形の身体が浅く沈むのはほぼ同時だった。刹那息を呑んでしまう。今回も動き出しは向こうのほうが早い。しかもこちらの武器はまだ鞘に納まったままだ。
 しかし、一度前傾に構えた身体は後ろには動いてくれまい。その体長と同じ高さまでの跳躍を見せたその異形は、ナイフを頭の上へと振りかぶりこちらへと降って来る。
 理性は避けろと考える。本能は逃げろと叫んでる。けれど身体は刀を獲物へと滑らせた。
 明らかに相手より悪い体勢、明らかに相手より遅い動き出し、明らかに相手より遅い武器。

 それでも先に届いたのはこちらの刃だった。彼の身体は大した抵抗を感じさせない。
 一瞬にして異形は頭と両腕と身体の四つへと分離し、その体液を辺りに撒き散らした。遠心力で飛んでいった鞘が木に当たり,カァンッと甲高い音を奏でた.
 あまりに簡単に消えてしまった脅威に,こちらの戸惑は消えない。不意を付かれる連続。あまりにもまずい対応の連続。それでも目の前の脅威は脅威足り得なかった。
 鞘を拾い上げ,刀に付いた血を振り払って収める。チィンという鍔鳴りの音が妙に耳に残った。







「おわっ! どうしたんじゃ!?」
 薪を拾って帰るとグランツさんが驚いたように駆け寄ってきた。おそらく、モンスターの返り血が付いているのだろう。
「いえ、薪を拾っていたらモンスターに襲われまして」
「なにっ!? 怪我は無いか!?」
「ハイ。大丈夫です」
「それなら良かった。……すまんかったのう。もう少し気をつければよかったのう」
「いえ、無事に済みましたし、俺の不注意でもありますから」
「そうか……まぁ無事で良かった。……そのモンスターはどこじゃ?」
「森に入ってすぐのところですが……」
「そうか、お主は顔を洗っておけ、血だらけじゃぞ」
「分かりました」
 そういうとグランツさんは森のほうへと向かっていった。何をするつもりか疑問に思ったが、まずは顔を洗ってからだと川へ向かう。
 水面に写っている歪んだ顔には右頬にべっとりと血が付いていた。顔を洗い終えると、グランツさんが森からモンスターの胴体を引きずってくる。その顔は非常に満足げだ。
 川のほとりまでそれを引きずってきたグランツさんに尋ねる。
「……何でそれ持ってきたんですか?」
「ん? 決まってるじゃろう?」
 そう言って腰に刺さっているナイフを取り出す。
「今日は獣ゴブリン鍋じゃの」
 その発言に血の気が引く。
「そ……それ食べるんですか?」
「なんじゃ? おぬしも実物を知らない口か? モンスターの肉は基本的に美味じゃぞ。そもそも昨日から食べている干し肉もモンスターじゃ」
 美味いかどうかの問題ではない。少なくとも目の前で解体などされてはその後の食事は間違いなくのどを通らないだろう。
「な……なるほど。すいませんが少しトイレに行ってきます」
「ん? 分かった。もうモンスターに襲われないように気をつけるんじゃぞ」
「は、はい」
 そう言ってそそくさとその場から離れた。解体しているグランツさんを遠目に見ながら食べずに済む言い訳をどうするべきか考えた。











 解体作業が終わったのか、グランツさんは川辺から離れ鍋の方へと向かう。俺も何時までもここで座っているわけにも行くまい。立ち上がるとグランツさんが作業していた場所が視界に入らないよう鍋のほうへと歩く。
「おう、やっと戻ってきたか」
 グランツさんの前には昨日の二倍は水が入っているだろう鍋が火にかけられていた。
「はい。すいませんでした」
「モンスター食ったこと無いと言っとったが血抜きしやすいように手と頭を切ったわけじゃないのか?」
「いえ、無我夢中でしたから……特にそういうわけでは」
 まな板の上には獣ゴブリンのものだろう肉が乗っている。捌かれてしまったそれはただの肉にしか見えない。グランツさんの後ろにある残骸を見なければ。どの肉がどの部位かは分からないが赤身に脂肪が網目状についているものから、赤黒い塊、ひだがびっしりと張り巡らされている薄い肉など様々な肉が結構な量ある。
「食べ方に希望はあるかいの?」
「いえ、……火を通してくれればなんでも良いですよ」
 食べたくないと言う思いは、すでに半分程度はどこかに飛んで行ってしまっていた。
「そうかそうか。まぁ調味料も少ないしの、できることと言ったら煮る、焼くぐらいなんじゃがな」
 そういうとグランツさんは火にかけていた鍋に肉をどぼどぼと加えていく。どうやら肉を半分残しているのは、夕食用と言うことだろう。グランツさんの様子から、おそらく今食べないと言う選択肢はなさそうだ。鍋の中の液体は沸騰をやめ、一瞬静まる。その水面上に油が浮き上がってくるのが分かった。








 ゴブリン鍋はグランツさんが灰汁を丁寧に取ったこともあり、輝くような薄い琥珀色の液体となった。いや、実際に浮かんでいる油がキラキラと輝いている。こんこんと湧き出る湯気の香りと合わさり、見ているだけでよだれがこぼれそうになる。
「美味そうじゃろう?」
 そう言って、中身をなみなみと蓄えたお椀をこちらに渡してくる。
「ありがとうございます」
 受け取ってお礼を言うがグランツさんの関心はもはや目の前の鍋に独占されているらしい。自身のお椀を満たし、すぐさまそれをかき込んだ。あまりの勢いに唖然とするが、気を取り直してこちらも食べることにした。
 スープを一口含み、衝撃を受ける。
 ただのお湯かと勘違いするほど滑らかな液体は、口の中に広がるとともに舌へ圧倒的な存在感をぶつけてくる。キラキラと輝いている油が放つ香りは呼気とともに鼻先を抜けていくが、その香りにすら味を感じるようだ。気が付くとグランツさんと同じように中身をかき込んでいた。すぐに椀の中身はからになった。
 二杯目をつごうとすると、いたずらが成功したような笑顔を浮かべているのが見えた。
「どうじゃ? こんな美味いもんが食べれて良かったじゃろう?」
 こちらの考えが除かれているようで若干恥ずかしいが、事実なのでしょうがない。つぐ手は止めない。
「はい。まさかここまでのものとは思いませんでした」
「これぐらいならまだ序の口じゃよ。美味いもん食いたくてハンターやらサーチャーやらになる連中も沢山居るんじゃからな」
「そうなんですか?」
「そうじゃよ。何せ強いモンスターの方が美味いんじゃからな。高レベルのサーチャーがとってきた肉など家が買えるような値段で売られることもあるんじゃよ」
 なんとも豪勢な話だ。だが、そこまで言われてしまうとどんな味か食べてみたいものである。無理ではあろうが。だが、とりあえず今は目の前の鍋を堪能することに専念すべきだ。グランツさんも同じ意見なのか自身のお椀に二杯目をついでいる。二人してニッと笑う。一拍の後、中身をかきこんだ。









 結局、グランツさんが4杯、俺が5杯食べると鍋の中身はからとなった。あれだけあった料理が無くなっていくさまは壮観だったが、今は苦しくて動けそうに無い。ごつごつとした川原の石を背に寝ていると、先ほどより幾分か薄くなった雲間から光がこぼれ出ていた。
「グランツさん」
「おう、なんじゃ?」
「うまかったです。ご馳走様でした」
「いいんじゃよ。そもそもあれが食えたのはお主の手柄じゃ。こちらこそありがとうよ」
「これからどうします?」
「少し休憩して残りの分を調理したら出発するかの」
「そうですね」
 どうやら今しばらくはこの至福の時を味わえるらしい。風になびく髪も喜んでいるように見えた。








 出発してからの道のりは順調なものだった。
 グランツさんも美味しい食事が取れたことで満足している様子だ。あれほど泣き出しそうだった空も、唇をかんでぐっとこらえている間に涙が引っ込んでしまったのだろう。今では雲も減り、青空の割合が増えている。
 グランツさんに馬車の操縦を習いながら進む。馬車を引いている馬の名前はグリアというらしい。軍の馬でグランツさんも時折世話をするとのことだ。
 前方から二台の馬車がやってくるのが見えた。
「あれはなんの馬車ですかね?」
「ん? ……あの大きさは商人の馬車じゃろうな。ちょうどいいわい。調味料でも売ってもらうかの」
 グランツさん曰く、獣ゴブリンの鍋は一度冷ましてしまうと臭みが出るらしい。近づいてきた馬車にグランツさんは馬車を降り、大声で叫ぶ。
「すまんが、調味料を売ってもらえんかのー?」
 どうやら声は届いたようだ。歩みを止めた向こうの馬車から一人の男が出てきた。グランツさんとその男は互いに歩み寄っていく。何事か会話を交わすと、双方馬車へ戻っていった。
「調味料売ってもらえたんですか?」
「おう。といってもハーブ数点だけじゃがの。それなりに良心的な値段じゃったぞ」
 そう告げるグランツさんの顔は実にうれしそうだ。すれ違う際、互いの馬車が大きく街道を外れ、離れて進んだのが印象的だった。
 ハーブを加えて食べた鍋は昼食ほどの衝撃は受けなかったものの、印象が大きく変わったそれに舌鼓を打った。







 三日目はついに雨に見舞われてしまった。小雨がぱらぱらと降っている程度だが、遠望が利かないというのは中々まずいことらしい。
「大型のモンスターが居ても分からんからのう」
 サラッと怖いことを言ってくれる。
「大型は現れないと言うようなことを聞いたような気がするんですが……」
「何事にも例外は付き物じゃろう? そもそも道中では万一に気をつけるぐらいでちょうど良いんじゃ」
「じゃあ今日はここで待機ですか?」
「いや、進むのは進むが今日はわしが手綱を握る。いざと言うときに対応するのは難しいからのう」
「なるほど。了解しました」
 グランツさん一人に任せたため、進みはいまいちだったが、特に問題は起きなかった。その日は雨で火が使えなかったということもあり食事はすべて干し肉とパンだった。グランツさんの機嫌が悪くなったのは言うまでも無い。










 四日目ともなるとグランツさんも疲れたのだろう、朝から手綱を任された。
「おぬしもまぁまぁ操縦できるようになったじゃろ」
 そういうと肩をポンとたたいて、荷台へと移ってしまった。若干の不安は残るが、自分を奮い立たせる。グリアはこわごわと手綱を握る俺など気にも留めないといった風にゆっくりとその歩を進めた。



 太陽もそろそろ天頂に差し掛かろうかと言う頃、急にグリアがその歩を止めた。尻尾を丸めている。手綱を引いても緩めても一向に動こうとしない。こうなるともう嫌な予感しかしない。急いでグランツさんに助けを求める。
「グランツさん!! グリアが動かなくなりました!!」
「なにっ!?」
 横になっていたグランツさんは俺の言葉に馬車から飛び降りるとグリアの元へ駆け寄る。その様子を一瞥すると今度は首を振って辺りを見回した。俺もつられて辺りを見回すが、馬車の左手には草原、右手には森が見えるぐらいだ。今は近くを通る馬車もない。
「おそらくそう遠くないところに中型以上のモンスターが居るようじゃのう」
 予想はできていたが、あんまりな言葉にめまいを覚える。
「それは……大丈夫なんですか?」
「グリアは賢い馬でな。モンスターには自分が逃げれると思う距離までしか近づかんのじゃ。これ以上進むと危険と言うことじゃろう」
「ではどうするんですか? このまま危険が過ぎ去るのを待ちますか?」
「せめてどんなモンスターか確認ぐらいはしておきたいんじゃがのう……」
 グリアは小さくいななくと視線を森のほうへ向けた。
「これは……森の中に居るんでしょうね」
「そうじゃのう。どこにいるか正確にわからん以上、このまま街道を直進したいところじゃが……」
 グランツさんのその声に呼応するようにグリアが一歩だけその歩を進めた。
「グリア……いけるのか?」
 グランツさんのしゃべっていることが理解できるのか、その問いかけに小さないななきを返す。その返事に対しグリアの首筋をそっとなでた。
「すまんの……シュージ! 行くぞ!!」
「はいっ!」
 二人が馬車に乗るとほぼ同時にグリアは駆け出す。
 しばらく走ると森の奥からやすりで金属をこすったような音が聞こえる。おそらくグリアにはあの音が聞こえたのだろう。馬車の速度は今までに無いほど早く、草原を走っているが石が落ちているのだろうか、時折大きく揺れる。
「ぐ、グランツさん! 石畳走ったほうが良くないですか!?」
「無理じゃ! グリアが足を痛める!!」
 右側の車輪だけが石畳に乗っているのだろう。規則的にガツガツと鳴りそれに合わせて馬車が振動する。気のせいだろうか、車輪の音にかき消されそうだった音が徐々に大きくなっているような気がする。
「ギジャァァァァ!!」
 間違いない。今度の鳴き声は明確に聞こえた。明らかに近くにいる。そのとき全力で馬車を引っ張っていたグリアがその力を緩めた。
 後ろの馬車に追突されないように徐々に速度を落としていくところを見ると本当に頭が良いんだなとのんきな感想を持ってしまう。
「グ、グリア! どうしたんじゃ!!」
 グランツさんの必死の激励もむなしく、グリアはついにその歩みを止めてしまった。
 その瞬間
 木々をなぎ倒しながら森の中から現れた茶色の異形は俺たちの目の前を横切り、10メートルほど進み地面へとダイブした。どうやって逃げるかなどということすら頭の中から抜け落ちてしまっていた。
 目の前に居る鳥のような生物はその全長が優に6、7メートルはあるだろう。その黒い嘴は俺など一飲みにできるのではないかというほど大きく、その血塗れた様に赤い足は俺の胴体など瞬く間に真っ二つにするだろう。あまりに想定外の化け物が出てきた。まるで頭と身体をつなぐ神経接続が途切れてしまったかのように動けない。隣のグランツさんもおそらく同様だろう。目線を目の前の怪物から離せないため確認はできないが。
 猛禽類を思わせる相貌に爬虫類のような縦に割れた瞳がギョロギョロと動き回っているのが見える。一拍おきに動く翼は嵐のような風をこちらへとたたきつける。足は走っているかの様に動き、つま先で徐々に地面を掘っている。だが、モンスターは起き上がらない。ようやく硬直が解けた俺は隣のグランツさんを見た。グランツさんも怪訝そうな表情をしている。グリアは特にあわてた様子も無く小さくいなないた。
 モンスターの動きはだんだんと緩慢になっていく。
「ひょっとして……もう死んでたりしますかね?」
 グランツさんにそう問いかけると以外なところから回答はあった。モンスターの上部が光を発し、一本の大剣を生み出した。
「祝福が起きるということは……死んでるんじゃろ」
 よく見ると頭に剣の柄のようなものが生えている。あれによりこの生物は絶命したのだろう。死んでからもあれだけの動きをするとは何たる生命力。
「げっ!? 大丈夫ですか!?」
 そのとき森の中から4人の男女が現れた。こちらを見て狼狽の声を上げた男性が駆け寄ってくる。
「あ、はい。何とか……これは貴方達が?」
 確信を持ちつつも尋ねる。
「良かった……そうです。やったと思ったらいきなり走り出しましてね、驚きました」
 駆け寄ってきた男性以外は何かしら凶悪そうな武器を持っていたことから、おそらくこの男があの大剣の持ち主なのだろう。
「驚いたのはこっちじゃよ」
 グランツさんの言うことは尤もだ。
「はは、そうですよね」
 男もそういいながら頭をかいている。
「おい! バルディー!! 大剣が出てるぞ!!」
 ハンマーを持っていた男が声を上げる。
「なにっ!? すぐ行く!! ……すいません。怪我が無くて良かったです。ぼくはバルディアといいます。今度から王都でサーチャーをやろうと思っていますので何かあったら頼ってください。それでは失礼します」
 そういうとバルディアはモンスターの元へ駆け寄っていった。後には唖然とした俺とグランツさんが残る。
「……ホントに失礼なやつじゃったのう」
 グランツさんの言葉に苦笑以外返せそうに無かった。グリアと馬車の様子を確認するが特に問題はなさそうだった。グリアが止まったのはあそこを通ると轢かれると分かったのか、モンスターが死んで危険がなくなったと判断したからなのか、あるいはその両方かもしれない。
「お前はホントに賢いんだな……」
 そう言って首をなでると当然だろ、といわんばかりに鼻息をかけてきた。思わず笑みがこぼれる。
「なんか無駄に疲れちゃいましたね。王都までは後どれくらいなんですか?」
「おそらく夕方までには着くかの……後はわしが走らせるわい」
「ありがとうございます」








 それから王都までの間、グランツさんはバルディアたちに憤慨しっぱなしだった。
「まったく、少しぐらいあの肉分けてくれても良いじゃろうに」……と。






[10571] 第十一話 好奇心は猫をも殺す
Name: ねしのじ◆b065e849 ID:1119cabb
Date: 2010/03/29 13:32
 門を抜けたその先は、賑わっているなどと言う表現では表しきれないほどの喧騒に包まれていた。ガイスの街をどこか懐かしい温かさにあふれた観光地のような場所とするならば、ここ王都は人の野望という熱が詰まった、まさに大都会だ。
 あちこちで歓声と笑い声が生まれ、屋台の店主は呼び込みの声を張り上げ、細い路地は薄暗い口腔内へとやってくる獲物を待っている。そのいびつな陰と陽、そして大きすぎるほどの喧騒にあちらでのことが思い起こされた。向こうにいた時はあまり好ましくなかった喧騒だが、今ではこれこそが人の営みだと強く感じた。
「相変わらずここは騒々しいのう」
 隣で話しているグランツさんの声ですら辺りにはびこる不協和音によってかき消されそうになる。
「いつもこんななんですか?」
 少し大きめの声でたずねる。
「ああ、そうじゃ。特にこのへんは地下街の入口に近いからの。もう少し行ったら多少はましになるわい」
「地下街ですか?」
「知らんのか? ダンジョンじゃよダンジョン」
 バルディアがサーチャーをやると言っていたことを思い出した。それならばダンジョンがあっても不思議ではない。
「大きいんですか?」
「さあのう。詳しいことは知らんが、……入るのはやめといた方がいいぞ。命がいくつあっても足りんわい」
「そんなつもりはないですよ。只の好奇心です」
「そういうこという奴が一番危ないんじゃ。好奇心とか知的欲求がどうのこうの言う奴がな」
 この言葉には苦笑しか返せなかった。もっともだ。







「もうそろそろハーディ様の御屋敷じゃな」
「この辺はだいぶ静かですね」
 辺りは民家と思わしき建物が並んでおり、時折子供の甲高い笑い声が聞こえてきた。
「この辺りは平民街じゃし、店もだいぶ閉まっとるからの。昼間に来ればかなり活気はあるぞい」
「そうですか。暇があれば見てみたいですね」
「…………の」
 俺の言葉に反応してグランツさんが何事かつぶやいたが、それはこちらの耳に届くことはなかった。
「どうしました?」
「いや、なんでもないわい。……それより、着いたぞ。ここがハーディ様の屋敷じゃ」
 目の前に広がるのはこの通りにしては珍しい木造の建物だった。アーリアの家も木造だったため、その点に関して言えばそこまで驚くことではなかった。だが、俺の視線は建物のある一点から動かせなくなっていた。おそらく平屋建てであろう低い屋根の上に瓦らしきものが乗っていたのだ。
「あれは……何ですかね?」
「詳しいことは知らんが、なんでも東にある島国風な建物らしいからの。あれもその一環じゃろ」
「そう……ですか。ありがとうございます」
 突然現れた,あちらとの共通点に心が乱されていくのが分かった。冷静に考えれば日本刀らしき武器だってあるのだ。瓦があっても何ら不思議ではない。一度深呼吸すると目の前の屋敷に目をやる。ここまで見てきた家が石造りでどちらかというと縦長な形をしていたのに対し、目の前の平屋は横に長く、屋根の上に黒光りする瓦と相まって重厚な存在感を放っている。屋敷を見て固まっている俺に気がついたグランツさんが声をかけてきた。
「何をぼっとしておる。早く入るぞ」
「ああ、すいません。すぐ行きます」




 屋敷の中に入ると一人の女性が出迎えてくれた。
「これはグランツさん。お久しぶりです」
「ネスティアさん。久しぶりじゃのう。ハーディ様はおられるか?」
 ネスティアと呼ばれたその女性は金色に輝く髪をアップでまとめ、黒い着物を着ていた。雪のように白い肌とのコントラストはひどく扇情的で、幼くも見える容姿に倒錯感を引き出される。
「はい、いま修練場に居ると思いますので、上がって待っていてください。……そちらの方は?」
「はじめまして。デイトリッヒさんの第三秘書を務めることになったシュージと言います。」
「はじめまして。その若さで秘書とはすごいですね」
 そういうとネスティアさんはこちらを眺めてくる。蛇に睨まれた蛙とはこういう状態を示すのか。動けない。動こうと言う意思が沸かない。
「真面目そうな方ですね」
 そう言ってにっこりと笑う彼女だが、未だ身体のしびれは消えず、動かない。彼女の赤い目は歓迎というより愉悦によって細められているように見えた。
「それに……勘も良さそう」






「これはこれはグランツさん。久しいですな」
「お久しぶりです。ハーディ様」
 まさに道場というような板張りの部屋から出てきたのは筋骨隆々な偉丈夫だった。
 短く刈られている黒髪は汗に濡れていても天を突き、上半身は何も身につけておらず玉のような汗を浮かべている。その体躯を支えている二本の足は袴に隠れていてもその力強さを感じさせ、その脚先は根をはっているかのように地面を捉えている。右手に握られている大きめの木刀からも彼が修練を行っていたことは容易に想像がついた。
「お忙しい所、誠にありがとうございます」
 そう言って頭を下げるグランツさんに合わせてこちらも頭を下げる。
「なに、見ての通り弟子もいない状況ですから。忙しいなどとはとてもとても。……所で後ろにいる彼は?」
「はじめまして。デイトリッヒさんの第三秘書を務めることになったシュージと言います。」
「はじめまして。ハーディだ。……ああ、すまない。家督というものに未だに慣れなくてね。ハーディ・インセリアンだ」
「デイトリッヒさんからの手紙です。渡してほしいと頼まれましたので」
「うむ」
 そう言ってこちらが差し出した手紙を受け取るが、開けようとしない。よほど重要なことでも書いてあるのだろうか。
「所でシュージくんはご飯は食べたのか?そろそろ妻が用意してくれると思うのだが」
「いえ、まだです。ごちそうになってもよろしいのですか?」
「もちろんだとも。妻の作る料理は絶品だぞ。楽しみにしておきなさい」
「ありがとうございます」
 ひょっとして和食が食べられるのだろうか。期待が膨らんだ。
「それじゃあわしは娘の所に行くからの。粗相のないようにの」
 グランツさんはそういうとそそくさと出て行った。食事の話に乗っかってこないことに違和感を覚えるが、きっと娘や孫に早く会いたいのだろう。







 出てきた食事はやはり和食だった。
「見慣れないだろうが、味は保証する」
 お猪口を持ったハーディさんは男くさい笑みをこちらに向けてきた。確かにこちらでは和食は食べてないが、どうして見慣れないなどと言えよう。茶碗を持ってご飯をかき込みたい衝動を必死に押さえる。
「それでは食べようか」
 久しぶりに食べた白米に、自分が日本人であることを再確認させられた。




 食事も終盤に差し掛かると自分が浮かれていたことに気付いた。日本の空気を感じることができる家や食事、服装に油断して目の前の二人を観察することを忘れていたのだ。恐る恐る顔をあげると二人とも驚くほどにこやかな顔をしていた。
「シュージ君。米や味噌汁をどこかで食べたことあるのか?」
「……はい。昔何度か」
「そうかそうか、通りで。いや、米や味噌のことを知らない人も多くてね。見た目で食べたがらない人も多いのだが……身内に倭の国出身の人でもいるのか?」
 倭の国と言うのが日本文化に近い国なのだろうか。
「そうです、……祖父が」
「なるほど。実は私も父が倭の国出身だ。意外な所で縁はあるものだな。君の黒髪を見たときからもしやとは思っていたのだが。」
「そうなんですか、不思議なものですね。この家も受け継いだものなんですか?」
「この家は褒章で建ててもらったんだ。ちょうど良いことに交易で瓦を仕入れていたのを見たんでな」
 戦争にでも行っていたのだろうか。グランツさんも様付けのことを考えると身分も高そうだ。
「なるほど」
「妻が倭の国にご執心なんだ。何か君の祖父の話でも聞かせてやってくれるとうれしい」
 ネスティアさんは期待に満ちた表情でこちらを見ている。その眼からは先ほどの恐怖は影もない。そんなことを言われても倭の国の文化がどの程度のものか分からない。それどころか日本と倭の国が同じものかすらわからないというのに。気のせいかもしれないが、沈黙に伴い、ネスティアさんからプレッシャーを感じるようになってきた。
「……ええっと、では倭の国のことをどの程度知ってるんですか?」
「そうねぇ、おおざっぱに言うと山が多くて自然がきれい。食事が身体に良くて武士っていう兵隊がいることぐらいかしら」
 何か矛盾が生じたらじいちゃんのせいにしようと決意する。
「まぁ俺も祖父から聞いたことぐらいですので信憑性が薄いのですが……倭の国には富士と呼ばれる……」
 とりあえずその日の食事中には特に矛盾を指摘されることはなかった。





 この家には湯船がついた風呂もあるらしい。こちらに来て初めての風呂は格別なものだった。湯船につかると足先からしびれにも似た快感が走るのが分かる。今までの人生で最も長く湯船に浸かっていたかもしれない。湯船に使ったおかげだろうか、その日は布団に入るとすぐに寝入ることができた。













 朝起きると胴着のような着替えと涎をこぼしてしましそうになる朝食が用意されていた。白いご飯に味噌汁、卵焼きというこれ以上ないほどの食事をとった後、ハーディさんに修練場へと呼び出された。そこには胴着をきっちりと着込んだハーディさんが座して待っていた。その前に座る。正座などしたのは一体いつ振りだろうか。
「昨日デイトリッヒから受け取った手紙なんだが、君を一人前に戦えるよう鍛えてやってくれとのことだ」
「……え?」
「やはり聞いてなかったのか?」
 驚きのあまり、止まりそうになる思考を何とか突き動かす。
「……聞いてないですね。良くあることなんですか?」
 武術を修めてほしいと言ったことは聞いたが実際に修めるという話には至ってなかったはず。
「デイトリッヒからは君で二人目だ。先代から数えれば四人目だったと思うが」
 幕府御用達の道場みたいなイメージでよいのだろうか。何も言わずに送り込まれたというのは、話す必要が無いと判断されたからなのか、話すと逃げられると評価されているからなのか。
「知らせた場合、逃げられるとでも思ったのだろう」
 ハーディさんの意見は後者のようだ。
「逃げられるような内容なんですか? いきなり迷宮に放り込まれるとか、モンスターと戦わされるといったような」
 質問の内容を吟味したのだろうか、幾分か細められた目にはこちらを射抜くような光がたたずんでいる。
「……そういう鍛練だったらどうするんだ? 逃げるのか?」
 正直に言ったものかとも思ったが、生半可な嘘が通用しそうな相手ではない。少なくともあのデイトリッヒさんが認めているだろう相手なのだ。腹を括る。
「逃げますね」
「ほう? そうするともちろん秘書の仕事も首になるだろう。それでもいいのか?」
 それを言われると辛い。だが、かといって死地に赴けと言われて素直に向かえるほど人生を達観しているわけでもない。
「良くはないですが……いざとなればそれも辞さないかと。仕事を失う前に命を失いたくないんで」
 その言葉に、ハーディさんは無言のままこちらを見据える。体感時間では一分近く感じられた沈黙の後、ふっと息を吐きだした彼は嬉しそうに唇を釣り上げた。
「これだから困る。自ら門を叩く人間より無理やり連れられてくる人間の方が見込みがあるのだからな。」
 どうやら何かが彼のお眼鏡にかなったらしい。豪快に笑い始めた。鍛えられたその身体は太鼓のようにその身を震わせ大きな音を放つ。
「いや、すまない。実はデイトリッヒにはここに連れてくる人間には修行のためと言うのを伏せて置くように頼んでいるんだ」
「……何でですか?」
「まぁ色々と理由はあるのだが、大きくは二つ。第一は虚を突いて本音を引き出すためだ。仮にも内弟子にするのだからある程度の人となりは知っておきたい。そしてもう一つはその本音から見込みのあるなしを判断するためだ」
 ここまで喋ってくれるということは何かしら見込みがあったということだろう。何処にそんなものがあったのかは分からないが。
 こちらが不思議に思っているのがわかったのだろうか、ハーディさんが口を開く。
「強さというのはそのまま栄光に繋がる。特にここ王都には迷宮もある。金も栄光も手に入るだろう」
 栄光は言い過ぎな気がするがそういうものなのだろうか。
「はぁ……」
「では強くなるにはどうすればいい?」
「レベルを上げればいいんじゃないですか?」
「そうだ。そして道場でいくら刀を振ろうともレベルは上がらない。だが、ここではその刀を振るという行為を行う。まずこれを出来そうな人間かどうかが見込みのあるなしの第一基準だ」
 根気があるかどうかということだろうか。確かに俺としては危険にさらされるよりそちらの方がはるかに良い。
「第一基準と言うことは他にもあるんですか?」
「その通りだ。レベルはどうすれば上がるか知っているか?」
「戦闘に勝てば上がるのでは?」
「それだけでは60点だ。レベルというのは自分と同等以上の敵を倒して、もっと正確に言うなら好闘神ディリウスが困難だと認める戦いに打ち勝たなければ上がらない。レベル的に十回戦って七回は勝てる相手に何度勝った所でレベルは上がらない。」
 それは……安全圏から出ずにレベルをあげるのは事実上不可能ということではないのか。
「それは知りませんでした。……できればそんな戦いに身を投じたくはないのですが」
「なに、レベルを上げろなどとは言わん。レベルというのは基本的に上げるものではなく上がっていくものだ。ここにはレベル的な不利を覆すための、レベル以外の力を身につけることを目標としているものが集まる」
「スキルのようなものですか?」
「違うな、もっと原始的なものだ。速さ、重さ、動き、思考そういったものを極めることを目指している。私もまだまだ道半ばだがな。……不利な状況でも身につけたものを余すことなく使えるかどうか。それが第二基準となる。こればっかりは予測はできても実際にどうなるかは実践を通さないと分からんからな。今の所は第一基準に対しては見込みありだ。」
 そういうとハーディさんは隣に置いてあった木刀を手に取り立ち上がった。
「自ら門を叩く輩は刀を振らせていると三日と持たずに逃げて迷宮に潜っていく。お前にはその心配がなさそうで喜ばしい限りだ。そこに一通り練習用の武具がある、好きなのをとれ」
 顎をしゃくられた先には刃の潰された剣に木製の槍や刀が置いてあった。戸惑いながらも慣れ親しんだ刀と同じ程度の長さを誇る木刀を手に取る。
「今回は私は攻めん。好きなように打ち込んでこい」
 そういうとハーディさんは両手をだらりと下げた。右手に持った木刀の切っ先は地面ギリギリをたゆたっている。いきなり打ち込んでこいと言われても、そもそも修行を受けることを了承したわけでもないのだが。
「どうした? 来ないようなら気絶させて迷宮に放り込むぞ?」
 あんまりだ。
 深呼吸を一つ行い困惑を箱の中に閉じ込める。正眼に構え、気合を放つ。頭がさえていくのが分かった。
「それでいい。さあ来い」
 その一言にカチリとスイッチの入る音が聞こえた気がした。
 視線をハーディの持つ木刀へと落とす。一瞬の後、視線は動かさずに全力の突きを放つ。目標であるのど元へと最短距離を疾走する切っ先。しかしそれよりも速く動いたハーディは右側へと回り込んできた。柄から左手を離し右手だけで横なぎの一撃を放つ。今度はばねのように身体を縮めてその一撃をやり過ごされた。振りぬいた木刀に急制動をかける。左手を添え直し袈裟がけに振り下ろした。急激な方向転換の連続に右腕がみしみしと悲鳴をあげている。だが、それすらもバックステップによって距離をとったハーディには届かない。
「まぁまぁ、そこそこな攻撃だ。……どうした?もうおしまいか?」
 あれだけの動きで荒くなってしまった呼吸を無理やりねじ伏せ、ハーディへと突撃する。
「そうだ、どんどん来い」










 結局一度たりともこちらの攻撃はハーディさんには届かなかった。それどころか彼が持っている木刀は一度も使われなかったのだ。全て体捌きだけでかわされてしまった。
「ふむ、突きと横なぎの攻撃はなかなかな鋭さを持っていた。袈裟切りなどの振り下ろす斬撃はいまいちだったがな」
 床に四つん這いになって上がってしまった息を抑えようとするが、体全体を揺らすように脈打つ心臓はより一層の酸素を欲しており、中々思うように整わない。
「そのままでいいから聞け。先ほどの話の続きになるが、私たちはレベルが上がると強くなる。ではどう強くなるのか? 知っているか?」
 その問いかけに首を振って返答する。上から見たら相当滑稽な姿になっているのではないかと思い至る。そのまま床に倒れこんだ。仰向けになると地面が揺れているようにすら感じる。
「うむ、基本的に我々のレベルが上がった場合、体力……具体的に言うと持久力だな、が若干上昇し、反射速度と膂力が大幅に向上する。勇者クラスの人間であれば石を投げつけるだけで中位モンスターを殺すことすら可能だ」
 思い至る節はある。獣ゴブリンと対峙した時は身体が想像よりもはるかに速く動き、容易に彼の肉体を引き裂いた。
「だが、身体の防御力はほぼ変わらない。精々が自身の膂力に耐えれる程度に強度が上昇する程度だ。つまりレベルが上がったとしてもモンスターの一撃で死に至りうる。なので回避について徹底的に鍛える」
 おそらくハーディさんの異様ともいえる体捌きも長い間そのようなスタンスに立っていた集大成なのだろう。
「時間は有限。かつ圧倒的に足りない。そこでお前が鍛えるのは回避に関連する一連の動きと必殺足り得る一撃だ。おそらくそれが最も効率が良いだろう」
 なんとか息を整える事に成功し始める。だが、鼓動は未だに早鐘をついている。
「鍛える一撃はお前の好きなようにしろ。先ほどの動きを見る限り突きか横なぎがいいとは思うがな」
 道場といっても手取り足取り教えてくれるわけではなさそうだ。落ち着き始めた鼓動をBGMにそんなことを考えた。
「何せ、学者の卵の勧誘もしなければならないのだろう? デイトリッヒの手紙にこれが入っていたぞ」
 そう言って懐から一枚の便箋を取り出し、渡してきた。内容に目を通し、飛び起きる。驚愕の表情でハーディさんを見るが、彼はにやりとした笑みを返してくるだけだった。
「これだけのことをやるというのに三年という期間は短すぎると思わんか?」
 そこには三年以内に勧誘すべき学者の内訳と、給料の支払いに関する詳細が書いてあった。
「……これは、三年間は帰ってくるなと言うことでしょうか?」
「いや、違うな。三年間はここで修行しろと言うことだろう。呼び出されることがあれば帰らなければまずいだろう? 仮にも雇い主なんだからな」
「以前来たマクシムやクライフは修行だけで大分参っていたからな。それに加えて人材勧誘とは……覚悟だけはしておいたほうがいい」
 実にうれしそうにそう言ってくるハーディさんはこれ以上ないほどサディスティックな笑みを浮かべていた。






[10571] 第十二話 分身・変わり身
Name: ねしのじ◆b065e849 ID:1119cabb
Date: 2010/03/29 13:33
「さて、それでは修練に入るか」
 先ほどの攻防は修練の内には入らなかったのか。ハーディさんの目は真剣そのものだ。木刀を手に立ち上がる。
「今日は初日ということもある。素振り千本でいいぞ」
 サディスティックな笑みは目の錯覚ではなかったらしい。
「でだ。鍛える一撃はどうする?うじうじ悩んでも仕方ないだろう?スパッと決めてしまえ」
「……じゃあ横薙ぎで」
「ふむ、理由は?」
「いえ、なんとなく突きよりは応用範囲が広そうだなというだけですが」
「まぁいいだろう。では横薙ぎを左右千回ずつだ」
 想像はしていたが、当たってほしくはなかった。左右五百回ずつで済むかと思ったが、やはり修業というだけあって甘くないらしい。







 右手に持った木刀を左腰に構え、一気に振りぬく。ブンという空気を裂く音が生まれた。
「腕だけで振らずに身体全体を使え、今はまだ大振りでも構わん」
 いきなりの助言にハーディさんの方に向き直る。
「は、はい」
「いちいち止まらなくていい。素振りをしたまま聞け」
「はい」
 木刀を左手に持ち直し右腰におく。腰の動きを腕に伝えるように意識しながら左手を振りぬく。空気を裂く音が大きくなった。
「刀を持っている方の足を一歩前に出し、その力を使え」
「はい!」
 再び右手に木刀を持ちかえる。腰を落とした状態から左脚で地面をけり、右脚でその勢いを無理やり止める。その慣性の力に各筋肉・関節が生む力を乗せ、腰を通して回転運動へと変換する。

 腕が――走る

 剣先が――疾走した

 より一層大きな音とともに、右腕がびりびりとしびれるのが分かる。空気を切っているという感触があった。
「それでいい。今日のとこはその感触を忘れないように振れ」
 そういうとハーディさんは修場から出て行った。未だにしびれが残っている右手を見つめる。
「……これを……千回?」
 今日の昼には箸も持てなくなっているかもしれない。






 左右合わせて100回目の素振りを数える頃には両手に合わせて五つのマメができ、内4つは早々につぶれていた。
 
 左右合わせて200回目の素振りを数える頃には足の裏にもマメができ、つぶれていた。もはや感覚はマヒしているが、身体は危険信号を出し続けているのかフォームが崩れていくのを自覚する。
 
 左右合わせて256回目の素振りで左腕から木刀が飛んで行った。幸い何もないほうへ行ったので特に器物を破損したということはないが、汗にまみれた左腕は疑いようがないほど震えている。右腕も同じ状態になるのにそう長い時間はかかるまい。太ももは熱を持ち、肘は痛みを訴えている。257回目の横薙ぎをふるうも先ほどまでの風切り音は見る影もなくなっていた。
 
 350回目の横薙ぎをふるった後に、修練場にネスティアさんがいることに気付いた。やかんらしきものとタオルを持っている。今日は着物ではなく青いワンピースを着ていた。
 髪をおろしたネスティアさんは活発そうだ。まとめていた髪に引っ張られていたからだろうか。昨日は釣り気味だった目が垂れており、昨日よりもさらに若く見えた。この若さでハーディさんの奥さんとは信じられない。ひょっとしたら未成年ではないかと思うほどだ。

「はい、これ。脱水症状になっちゃいけないから」

 そう言って湯呑を渡してくれた。
「あー、ありがとうございます。」
 湯呑に入っている液体にかなり心惹かれはしたが、いかんせん腕が震えて上手く飲めない。道場にだいぶこぼしてしまった。それを見たネスティアさんはどこと無くうれしそうだ。
「がんばってるわね」
「初日でこれじゃ先が思いやられますけど……初日ぐらいは耐えたいですからね」
「なるほど……大人しそうな感じの割に、男の子してるのね」
「はは、まぁ迷宮に叩き込まれるよりはましでしょう」
「そっちの方がいいって人のほうが多いわよ?」
 こちらの世界の人間はなぜそうも命知らずなのだろう。
「臆病者の薄弱者なんで」
 苦笑とともに返事を返す。
「なにそれ」
 ネスティアさんも笑っている。その時、身体の震えが治まっていることに気付いた。マメだらけになってしまった掌を握ったり開いたりしながら見ているとネスティアさんが微笑んでいた。
「そろそろ効いてきたかな?」
「その薬缶の中身……普通の水じゃないんですか?」
「うん。うちの道場かかりつけの調剤士お手製、“疲労回復薬:肉体労働の後に”を溶かした水よ。効くでしょ。脱水症状にならないように飲んでね?」
「はい、すごいですね。両手足にできたマメ以外は最初と変わらないぐらいです。ありがとうございます」
 そういうとネスティアさんは掌を覗き込む。
「これは……痛そう~。今まであまり武器を振ってなかったの?うちに来る人でここまでマメのできる人はちょっと覚えがないかな」
 今日まで自主的に行っていた修練がどれだけ意味のないものだったかを痛感させられた。あんなのは、ままごと以下の代物だ。
「はは……スイマセン。どちらかというと頭脳派だと自負してましたんで」
「……とりあえず足にはこの軟膏を塗っておきなさい。少しは痛みがマシになるはずよ」
 そう言って渡されてきた軟膏は毒々しい緑色をしている。恐る恐る塗りつけると信じられないほど染みた。
「~~っ!!」
 痛みに震えているとネスティアさんが包帯を差し出してくる。
「これを巻いておきなさい。それよりひどくなったら化膿するわよ。手も貸して」
 とりあえず渡された包帯を足に巻く。動きをなるべく阻害しないように巻くのは中々難しい。
 包帯を巻き終わるとネスティアさんに有無を言わさず手を取られ、薬缶の水で洗われる。掌を通る水は心地よくもあるが、それよりも傷に染みた。持っていたタオルで掌をたたくように拭かれる。その後、床に落ちてしまった水分をふき取った。先ほどの軟膏を塗られ、包帯を巻かれたが、傷に染みる痛みよりも女性特有のやわらかな掌の感覚に頭が沸騰しそうだった。
「これで良し。軟膏も置いとくから修練終わったらもう一度塗ってね。忘れると明日の修練がもっとひどいことになるよ」
「ありがとうございます」
「どういたしまして。それじゃがんばってね」
 そう微笑みかけると、ネスティアさんは手を振りながら修練場から出て行った。
「……さて、続きをやるか」
 誰にともなくそうつぶやくと再び素振りを開始する。崩れていたフォームが直っているような気がした。












 定期的に取る薬湯の効果とネスティアさんが巻いてくれた包帯の威力はすさまじく、左右千回の素振りは無事に終わった。いくら薬湯のおかげとはいえ、これだけのことをやってのけた自分に少しだけ自信が持てた。
 最後に一度、今日最高の斬撃を目指し、振る。気のせいか疾走する剣先も当初よりずいぶんと速くなったように感じる。それが少しだけ、うれしく、楽しかった。外に出るとハーディさんが縁側に座っていた。
「終わったか?」
「はい。なんとか」
 そう言って苦笑を返す。
「よくやった。今日のところはこれでいいからしっかりと休みなさい」
 そう言って頭の上にポンと手を置かれる。分厚く、大きく、力強い手は俺に勇気を与えてくれるようだ。











 昼食は和食ではなく、ピザだった。非常に大きな生地の上には色とりどりの野菜とざっくりと切った肉が乗っており、醤油で照り焼きにされているそれが放つ香りに涎が止まらない。ハーディさんは席についているが、いつの間にか和服に着替えていたネスティアさんは皿を置いた後どこかに行ってしまった。あれだけ動いて空腹状態の俺にはこの仕打ちは拷問にも等しいのではなかろうか。早く来てくれることを切に願う。願いが通じたのかネスティアさんはすぐに帰ってきた……二人になって。
 一人は和服、もう一人は青いワンピースを着ている。混乱に空いた口がふさがらない。こちらの様子を見て和服を着たネスティアさんがもう一人のネスティアさんを叱った。
「ノーディ、あなた自己紹介しなかったわね」
「あー、そういえばしなかったわ。ごめんね、シュージくん」
 ワンピースのネスティアさんがそう言って謝ってきた。
「私はノーディリア・インセリアンっていうの。この二人の娘です」
 突飛な出来事に対する説明はさらに突飛なものだった。
「……え?娘?」
「うん。そーだよ。私はハーディ・インセリアンとネスティア・インセリアンの娘のノーディリア・インセリアンです。ノーディって呼んでね」
 ウインクを放つ活発そうなネスティアさん……ノーディはそういうが、どう見てもノーディの年齢は十六には達しているはずだ。
 ということは目の前の二十台にしか見えないネスティアさんは……駄目だ、上手く思考がまとまらない。
「何に対してそんなに驚いているのか知らんが、あとで説明してやる。今は飯を食うぞ」
 混乱している俺にハーディさんが助け船を出してくれた。助けになっているかは甚だ疑問ではあったが。





 食事も一段落し、みなが満足げにお茶をすすっている。
 混乱した状態でも、ネスティアさんが作ってくれた食事は感動的なほどに美味しかった。
 目の前に居るネスティアさん、左隣に居るノーディ、斜め前に座っているハーディさんの三人と食事の余韻を楽しんでいる。お茶を飲んで一息ついた今では、先ほどの疑念と混乱にも若干冷静に向き合うことができた。
 どのように尋ねたものか悩んでいると、その様子を察したのかハーディさんが口につけていた湯飲みをテーブルに置く。
「さて……実はお前が何に混乱しているのかは分かってないんだが、今朝修練場に差し入れを持っていったのはノーディのほうだ。」
「はぁ……いや、そうじゃなくてですね……」
 なんと言ったものだろう?“ノーディの親としては若すぎませんか?”特殊な事情がある可能性もあるのだ。迂闊に口に出していい質問ではない。もっと回りくどく、聞きたいことをぼかす必要があるだろう。
「……実は,あまりに似ているんで双子だと思ったんですよ」
 我ながらこの質問は中々のものでは無かろうか。質問に対してはネスティアさんが答えてくれた
「ふふっ、まぁ実の親子で肉体年齢もほとんど離れてないから」
 どこか嬉しそうにそう告げてきた。
「肉体年齢が離れてないんですか?」
「そうよ? 今まで周りにレベルの高い人は居なかったのかしら?」
 おそらく今まで出会った中ではハーディさんが一番高いだろうが、他の人は特に分からない。何の気なしにハーディさんを見るとなぜか哀愁が漂っている気がする。
「居ませんでしたね」
「じゃあ仕方ないか。ほらあなた、師匠なんでしょう?落ち込んでないでしっかり説明してあげなさい」
 そう言って隣のハーディさんをゆする。
「ん……、ああ。……先ほどの話にも通じるところがあるが、レベルが上がる恩恵と言うのは純粋な身体能力の強化だけにとどまらん」
 考え事から帰ってきたのだろうか。ハーディさんは湯飲みを手に取り話し出す。
「その中の一つに、……細かい条件は省くが、レベルが上がった者はそれから一年の間は老いが生じないというものがある。その間は病にもかからず、外的要因以外で死ぬことは無いそうだ」
 そういうと湯飲みを口に当て、冷めているだろう液体を一気に流し込んだ。
「私の実際の年齢は八十歳だ。肉体年齢はおそらく……二十台半ばと言ったところだと思う。妻にいたっては――」
「あらあら、何を口走ろうとしているのかしら?」
「……永遠の二十歳だ」
 この家庭における力関係の一端を垣間見た。だが、それで納得がいく。おそらく二人はノーディが生まれてから肉体的にほとんど年をとってないのだろう。そして、それが意味するところは
「お二方とも相当レベルが高いんですね」
 その言葉に今まで口をつぐんでいたノーディが反応する。
「あったり前だよ。二人とも数少ない勇者なんだから!」
「勇者?」
 ハーディさんの説明にも出てきた気がする。首をかしげていると続けて説明をしてくれた。
「ホントにどんな田舎から来たの? キミ? 勇者って言うのはね、数多くの試練を勇気を持って乗り越えてきたってことで王様から与えられる称号なの。レベルが百に達しないともらえないんだよ」
「なるほど。ちなみに住んでた所は村から少し離れてまして、あまり交流が無かったんで知識が少ないんですよ」
「う……ごめんなさい」
 嬉しそうに話していたノーディが一転して落ち込んだ様子を見せる。
「いっ、いや、良いんですよ? 慣れてますし。実際田舎だったのは間違いないですし」
 こちらの世界での故郷とも言えるソニカの村を思い出す。また行くと言ったが、あの村へ帰るのは当分先になりそうだ。




 後片付けの手伝いをする。と言っても洗い物の数も少なく、ネスティアさん、ノーディと二人掛かりで行っているため俺にできることと言えばテーブルを拭くことぐらいなのだが。気を使ってくれているのか、手馴れているのか、既にこの二人とは気兼ねなく話すことができるようになっていた。
「そういえばさっきハーディさんがもの悲しそうにしてましたけど、俺なんかまずい事言いましたか?」
 そう尋ねると二人は洗い物の手を止め、顔を見合わせる。一拍の後二人してクスクスと笑い始めた。
「実はね、お父さん、あたしがお父さんに似てないことを気にしてるんだって」
 この世界では娘が居る家庭の父親は親ばかが標準なのだろうか? どこぞの腹黒領主の顔が思い出された。
「最近はまだ良いんだけど、昔なんか初対面の人に変態扱いされたこともあるらしいよ」
 その言葉に隣のネスティアさんがさらに揺れだす。
「はぁ、あの時は面白かったわよ?あの人が珍しく酔いつぶれるまでお酒を飲んでねぇ。起こそうとしたらいきなり泣き出して、俺だってちっちゃい頃はかわいいって言われてたんだとか分けの分からないことを言い出してね」
「は、はぁ」
 きっと今の俺の顔は盛大に引きつっていることだろう。
「どうやら”あんたみたいな厳つい人がこの子の親なわけないだろう”みたいなことを言われたらしいのよ」
 そういうとネスティアさんはつぼに入っているのかまたクスクスと揺れだした。いきなり師匠としての威厳が消え去る話を暴露されてしまったハーディさんに、憐憫の情を送ることを禁じえなかった。








 道具を用いて疲労を吹き飛ばしたとは言え、やはり疲れは溜まっていたのだろう。
 食後、たたまれた布団に体重を預け横になっていると、いつの間にか眠ってしまっていたようだ。
 まだ日が高いことから、そこまで長い時間ではないことが推測される。だが、睡眠をとったことにより身体が軽くなっていた。掌と足の裏に軟膏を塗りなおし、包帯を巻く。軟膏の効能だろう、マメが潰れた跡には早くも薄皮ができていた。掌を軽く開閉してみるが痛みは感じない。これだけ回復が早いとなると修練の密度を上げることは容易だろう。……根性さえあれば。
 今日は軽くと言うことで素振り二千回だった。明日以降の修練が恐ろしくもある。きっと弟子が逃げたのはダンジョンに潜りたかっただけというわけではあるまい。だが、同時に楽しみでもある。
 袋から刀を取り出し、その刀身を顕わにする。今日の素振りを思い出し、一振りすると木刀が放つ呻る様な鈍い音とは異なり、刀は小鳥のさえずるような甲高い音を奏でる。
 今まではどんなに頑張ってもこんな澄んだ音は聞けなかった。口元がにやけてしまう。強くなる、と言う実感がここまで恍惚的なものだとは思わなかった。
 わくわくが止まらない。袋に刀をしまうと障子の向こうから声が聞こえた。
「シュージ君。街に出てみない? 案内するよ」
 どうやらノーディらしい。
「ありがとうございます。お願いします」





 夕方は閑散としていた通りも昼間は活気に包まれている。ハーディさん宅の面している通りは個人商店が多いらしく様々な店が並んでいた。
「あれが八百屋さんで、あっちが魚屋さん、あっちが武器屋でその隣が鍛冶屋、さらにその隣が……」
 ノーディは一つ一つ丁寧に教えてくれるが一度には覚えられそうに無い。追々覚えていけば良いだろう。
「おっ!ノーディちゃんこんにちは。デートか?」
 店先で客の呼び込みをしていたおじさんが声をかけてくる。
「ちがうよ~。新しいお弟子さんが来たから街の案内してるの」
「ハーディさんにか、……うむ、中々根性なさそうだ! 持って一週間と見た!」
「そんなこと無いもん! シュージ君はこれでもすごいんだから! そんなこと言ってるとおじさんとこで野菜買わないよ!!」
「いやいや! 冗談だよ冗談。実に根性ありそうだ! いや~これは百年に一度の逸材かもしれないな!!」
 彼女は街の人気者なのか行く先々で声をかけられている。似たようなやり取りもこれで三回目だ。
「人気者ですね」
「そうかな? まぁお父さんとお母さんの顔が広いからね」
 きっとそれだけじゃないだろう。目の前で頬をかきながらひまわりのような笑顔を浮かべている少女は気づいていないようだが、彼女からは人を元気にさせるようなエネルギーがにじみ出ている。
 彼女の人となりからそのエネルギーが生まれるのか、そのエネルギーが彼女に魅力を与えているのかは分からないが、彼女が魅力的というのは事実に変わりはないだろう。
「それだけじゃないと思いますよ」
「ん? 何か言ったかな?」
「……いえ、何でもないです。あそこに見える大きな建物は何ですか?」
「ああ、あれはねぇ……」
 日が落ちるまで散策は続いた。








[10571] 第十三話 大学
Name: ねしのじ◆b065e849 ID:4c0ee536
Date: 2010/03/29 13:33
「足捌き、体捌きで最も重要なことは死に至る一撃を回避することだ。そして次に如何に体勢を崩さずに回避することができるかということになる」
 朝の澄んだ空気の中、ハーディさんの声は良く通った。
 一晩道場の中にとどまっていた空気からは、ある種の神聖さすら感じられた。
「重心をぶらさず、緩急、方向転換を容易に実現するためには歩くという動作を極める必要がある。普段、何気なく行っている動作を技に昇華するには並大抵の努力では足りん。常日頃から歩法を、重心を意識しろ」
「はい」
「そして判断力も高めろ。特に相手が自分より速い場合、全ての攻撃をかわすことなど不可能だ。取捨選択を常に心がけろ」
「はい!」
「うむ、では今日も素振り千本だ」
「はい!! ……え、素振りなんですか?」
 勢いの良い返事を返したものの内容に疑問を覚える。本数も昨日と変わっていない。昨日のはウォーミングアップではなかったのだろうか?
「話の流れ的に回避の修練を行うのではないですか?」
「それも並行して行う。一回素振りをするごとに五歩歩け」
 そう言って木刀を手に取るハーディさん。何が行われるのか想像がついてしまった。
「まさか……全力で……とかはないですよね?」
「心配するな。今の段階では重心が動いたりしなければ何もしない」
「そう、ですか」
 昨日は根性さえ続けば強くなれると思ったが、認識が甘かったらしい。間違いなく強くなれるだろう……生き残りさえすれば。瞑目し、一つ深呼吸した。
「じゃあ、行きます」
 左右合わせて二千本の素振りを開始する。一つ、昨日最後に振った一撃よりも速く腕が動く。ぶれそうになる軸を、右腕を引っ張る慣性の力を、背筋が、右脚が抑える。
 振りきった瞬間を狙われるかとも思ったが、ハーディさんは動かない。伸びきった左足を寄せ、そのまま一歩を踏み出す。二歩三歩進むがハーディさんは動かない。そのまま五歩目に達し、左手に持ち替えた木刀を振り抜く。二つ。


 六つ目、左脚の踏ん張りが不十分だったのか、身体が左へと流れていくのが分かる。しまったと思った時には木刀が右肩にそえられていた。そのまま身体が流れる方へと押し込まれる。バランスを崩した身体は修練場の床へとダイブした。
「つっ!」
 打ちつけた腹から空気がこぼれた。
「気付いているようだったが、重心が崩れたぞ」
「はい!」
 返事とともに起き上がり、重心を意識する。一歩目を踏み出した瞬間、のど元に木刀が突きつけられていた。
「そして、残心が甘い。集中力の組み立て方が甘い。敵はお前が準備するまで待ちはしない。油断を見せたらやられる。実際の戦闘がそうである以上修練もそうだ」
「……っはい!」
「関節を柔らかく、一つ一つを連動させることを考えろ。一歩一歩が血に、肉に刻まれていくことを意識しろ」
「はいっ!!」








 その日の修練では、合計二千回の素振りの間に二百回以上床を転がる羽目になった。







「うむ、では今日はここまで」
「あ、ありがとうございました」
 正座の状態から頭を下げる。ハーディさんは立ち上がると修練場から出て行った。修練の途中にノーディが置いて行った、軟膏と薬の溶けた水を求めて端へと移動する。薬缶の水を飲む。身体にしみわたって行くようだ。
 手のひらや足の裏にできるマメだけにとどまらず、木目の床を何度も転げ回ったせいで顔や肘に火傷のような擦過傷が出来ていた。ひりひりと痛むそれらの傷に軟膏を塗っていく。
 一通り塗り終わり、修練場をあとにする。
 修練を行うことでより一層強く感じるようになった空気に、自然と頭を下げていた。





「シュージ君、午後は何か予定があるの?」
 昼食後、お茶を飲みながら食事の余韻に浸っていると、ノーディが午後の予定を尋ねてきた。
「そうですね、そろそろ大学に行ってみようかと思ってるんですが」
「大学? なんで?」
 ノーディに話は届いてないのだろう。ハーディさんを一瞥するが気付いていないのか、沈黙を保っている。特に秘密にしなければならないような情報でもないと判断した。
「実は、修行と平行して大学での仕事を仰せつかってるんですよ」
「ええっ!? それは……ずいぶんと人使いが荒いね。修練だけでも耐えられなくて逃げる人が居るぐらいなのに」
 ノーディは大げさなほどの驚きを見せた。
「シュージならやれると判断してのことだろう。我々が口を挟むことではない」
 お茶を飲んでいたハーディさんがノーディを諌める。
「それはまぁ……そうだけどさ」
「良いんですよ。わざわざ修行用のお金まで出してもらってるんです。少しくらい仕事しないとかえって気持ち悪いですよ」
「……知っていたのかね? デイトリッヒの手紙には知らせないでくれと書いてあったが」
 俺の言葉に若干驚いたような表情を見せる。そのハーディさんの表情で想像が確信に変わる。
「想像ぐらいつきますよ。三食付いて修行までしてもらってるんですから」
 苦笑してしまう。どうやらハーディさんは腹の探りあいのようなことは苦手のようだ。
「……それもそうか」
「ええ」
「じゃあ、シュージ君。午後は大学に一緒にいこ?」
「ノーディも何か用事があるんですか?」
「あるよ。だって私も学生の一人だもん」
「そうなんですか?」
「信じてないの? これでも結構成績良いんだよ」
 そう言ってハムスターのように頬を膨らませた。白い肌が頬の部分だけ赤く染まっていく。
「いえ、そういうわけじゃないんですけど……それじゃあ大学まで連れて行ってもらえますか?」
「うん。それじゃあ準備するから待ってて」
 そういうと向日葵を彷彿させる笑顔を見せてくる。ころころとめまぐるしく変わる表情に思わず笑みがこぼれる。
「なに?」
「いえ、ノーディ……分かりやすいってよく言われないですか?」
「うー、よく言われます。ハイ」
「きっとそういうところはハーディさんに似てるんですね」
「……そうかも」
 目の端に写っているハーディさんは、どこと無く嬉しそうにお茶をすすっていた。






 玄関で待っているがノーディは中々出てこない。荷物を取ってくるだけかと思っていたがそれにしては遅すぎる。
「お待たせ!」
 そう言って現れたノーディは水色のワンピースに薄手の白いカーディガンを羽織った格好で出てきた。どうやら時間がかかっていたのは着替えが原因らしい。
「学校に行くのにそんなにお洒落していくんですか?」
「そういうわけじゃないんだけど……まぁ良いじゃない」
 その服は彼女の持つ白い肌、赤い瞳と合わさり、幻想的な雰囲気すら感じさせる。
「確かに、似合ってるんで問題は無いと思いますが」
「……でしょ? じゃあ細かいことは気にせずに行こう!」
 そういうノーディの頬が朱に染まっているように見えたのは、きっと俺の気のせいだろう。






 レンガ造りの建物が密集している区画につれてこられた。赤いレンガと角度によっては緑にも見える屋根、どれも似たようなつくりをしている。
「ひょっとして、これ全部大学の建物なんですか?」
「そうだよ。基本的には学科ごとに一棟ずつ。業績の少ないとみなされたところは学部で一つとか、逆に業績の多いところは研究室で一棟とかね」
「ずいぶんと規模が大きいんですね」
「まぁこの国に二つしかない大学だからね」
「他にも大学があるんですか?」
「うん。港町ハグリブにも大学があるよ。向こうは造船とか他国との交流が盛んだから工学とか薬学、医学なんかが重視されてるかな。こっちは法学、神学、哲学、工学がよく評価されてるね」
 人差し指を立てて、歌うように説明する。
「なるほど」
 おそらくデイトリッヒさんのことだ、そちらにも誰か使いを出していることだろう。
「ところで、ノーディはなんの勉強をしてるんですか?」
 そういうとノーディは顎に手を当て首をひねっている。
「……前から思ってたんだけど、シュージ君なんで敬語なの?」
 質問に対して斜め前の返答が返ってきた。
「一応師匠の娘さんと言う体になりますので」
「名前は呼び捨てなのに?」
「それは自己紹介の印象が強くて」
「いいから敬語は禁止ね」
「……はい」
 押しの強さは母譲りだろうか。
「うん。ちなみに私は教育について学んでるよ」
「そうです――」
「敬語禁止」
「……そっか」
「そういえばシュージ君は大学でなんの仕事があるの?」
 仕事の内容には言及してなかったことをおもい出した。
「実はガイスでも新しい大学を建てようという動きがありまして、そのための人材獲得です。そういう話をつけるためにはどういう手続きをすればいいですかね?」
 しかし返事はない.不審に思って後ろを振り向くとノーディは数歩後ろで立ち止まっていた。また、敬語で話していたことに気付く。
「ねぇ」
「ご、ごめん。次から気をつけるよ」
 あわてて弁明するもノーディはとまらなかった。
「今の話本当!?」
「え?」
「今の新しい大学を作るって話、ホント!?」
「は、はい」
「そこって教育学部ある!?」
「い、いえ。学部なんかの詳しい話はまだ聞いてなくて、たぶんまだ決まってないんじゃないかなぁと。おそらく人材が集まれば作ると思うけど」
「……そう、その人材って私も立候補できるの?」
「一応、推薦はできるけど決定権を持つのはデイトリッヒさん……ガイスの領主だから」
「じゃあ私のこと推薦して!」
「研究内容を見せてもらってからでいい?」
「うん! 待ってて、今から資料取って来るから」
「いや、今度希望者を集めてまとめて話し聞くからそのときに。一応ガイスの使者としては特別扱いはできないよ」
「う……分かった」
「で、そういう話はどこに通せば良いかな? 何か取りまとめをしているような場所はあるの?」
「事務に言えば問題ないとは思うけど。あそこに見える一つだけオレンジ色の屋根の建物があるでしょ。あそこが事務のある建物だよ」
「了解。俺はあそこ行くけどノーディはどうする?」
「私の研究室この建物に入ってるんだ」
 そう言ってすぐ左にある建物を指差す。よく見ると入り口に教育学部棟:3と書いてあった。
「じゃあ一通り手続きしたらここにくれば良いかな? それとも先に帰っておいたほうがいい?」
「研究室に迎えに来て。五番部屋に居るから」
「了解しました。それじゃあまた後で」
「うん。またね」





 手続きは非常に簡素なものだった。どうやら上の方で既に話は着いていたようだ。事務のお姉さんは流亡の薄弱者という名前と領主秘書の肩書きを不審に思ったのか、事情を説明すると怪訝そうな顔を見せた。しかし、彼女が上司に相談すると態度を180度変えてきた。そのお姉さん曰く、各教員への通知準備はできているとのことだ。また、引き抜きの際の手続きに関してはこちらと言うよりも引き抜かれる教員が行うべきものらしく、特にこれと言って行うことはないらしい。
 正直、妨害を受けるかと思っていたのだが、拍子抜けだ。俺のすることは手紙の内容を告げるだけだった。来月以降、毎月の月末に面接を行うこと、面接の一週間前に取りに来るので論文を二本提出してもらえるように通知をお願いすると、その建物を後にした。





 研究室の前にたたずむ。何となく排他的な空気を感じてしり込みしてしまう。意を決してノックした。ハーイと言う返事の後、若い女性が出てきた。
「どちら様?」
 なんと答えたものだろう。とっさに良い案が浮かばなかったので名前のみ伝えることにする。
「シュージといいます。ノーディ居ますか?」
 女性は少し考えた後、にやりと悪そうな笑みを浮かべた。
「……告白? やめといたほうが良いよ? ノーディは軟弱な人は嫌って言ってたから見込みないと思うよ?」
 まくし立てるように告げられた、いきなりのダメ出しに苦笑してしまう。
「なるほど、今後の参考にします。とりあえず今日の用事はそれではないんで、呼んでもらっても良いですかね?」
「ふぅん、良いけど。ちょっと待ってて」
「はい」
 次に閉じられた扉から出てきたのはノーディだった。
「ゴメン、シュージ君、後ちょっとで終わるから中で待っといてくれない?」
「いいよ」
 研究室の中には六人ほどの学生と思わしき人間が居た。先ほどの女性とノーディ、そして後の四人は全員男性だ。彼らは殺意のこもった視線を向けてくる。先ほどの会話と合わせて、ノーディの人気が伺えると言うものだ。特にノーディの席の隣に座っている短髪の男性の視線がこちらから全く離れない。その視線に気付いたノーディがこちらを向き、ゴメンねと小さくささやいてきた。
 五分程度だろうか、その視線を徹底的に無視し続け、ノーディの作業を見守った。








 帰り道、ノーディは憤慨しっぱなしだった。どうやらあの短髪男性は貴族の三男坊らしく、いつもノーディに色目を使ってくるとのことだ。大して研究もしないくせにやたらとちょっかいはかけてくる。いつも尊大な態度で周りを見下している。とはノーディの弁だ。
「ゴメンね、シュージ君。気分悪かったでしょう?」
「大丈夫。最近睨まれること多いんからもう慣れたよ。あの程度じゃまだまだ」
「そっか、やっぱりシュージ君結構修羅場くぐってるんだ」
「まぁほどほどにかな」
 この街に来るまでは死線をくぐりすぎだったとは思うが。
「やっぱりモテるんだね」
「……いやいや!そういう修羅場じゃないよ!?」
「え~っ、ホントかなぁ? なんか間があったし」
「理解が追いつかなかったんだって。いきなり話飛んだし!」
「別に飛んでないよ? 色恋沙汰の話してたでしょ?」
「それはそうだけど!?」
「きっと会う人会う人にかわいいとかきれいだとか言ってるんでしょ?」
「くっ、口には出してない!」
 多分。
「ということは思ってはいるんだ?」
 そう言って下からこちらをのぞきこんでくるノーディ。盛大に墓穴を掘ったことに気付いた。
「私のことは?」
 この質問は沈黙した場合には否定となるのではなかろうか?
「……言わなきゃダメ?」
「もちろん」
「秘密で」
「ダメです」
「どうしても?」
「当然」
「…………かわいいと思いましたです。ハイ」
 自分の頬が赤くなっているのが分かる。あまりの羞恥にこのまま転げまわりたい衝動に駆られる。
「ふぅ~ん、そっかぁ」
 そう言って勝ち誇った顔をしているノーディの頬も赤くなっていた。太陽はまだ高いところにある。夕日のせいというわけではなさそうだった。






[10571] 第十四話 手紙
Name: ねしのじ◆b065e849 ID:b7c8eab1
Date: 2010/03/29 14:30
 アーリア様

 お元気ですか?
 仕事が一段落したということもあり、こうして筆を取りました。遅くなってしまって申し訳ない。
 ソニカの村ではバイツのことで落ち込んでいる方も多いのではないでしょうか。
 アーリアは優しいので、その人たちの悲しみに心を痛めているのではないかと心配です。
 気にするなというのも変だけど、あまり落ち込まないようにね。
 せめて縁剣隊が届けてくれた財でソニカの村に少しでも活気が満ちることを祈っています。
 
 縁剣隊の方に聞かれたとは思いますが、ガイス領主の第三秘書の仕事をもらいました。
 今はガイスの街に大学を作るとのことで、初任務として王都での人材集めに励んでいます。
 同時にガイスの領主曰く秘書たるもの武道の一つも修めてしかるべきと言われ、修業を受けることにもなりました。
 修行を始めて一ヶ月が経ちました。厳しいですが、師匠を始め、皆とても良くしてくれていますので、なんとかやっていけそうです。
 大学の人材集めもなかなかの滑り出しを見せてくれ、第一陣となる推薦者を乗せた馬車がガイスに出発します。

 期間が三年といわれたので、当分そちらへ窺うことはできなさそうだけど、何かの折に王都へ来られることがあれば案内します。
 俺もできるだけ早くそちらに顔を出せるように頑張るよ。
 ランツさんにもよろしく伝えておいて。
 末筆ながら、ご自愛のほどお祈り申し上げます。

 それでは

シュージ





「……こんなものかな」
 下書きした手紙を見直す。夜中に書いたせいと信じたいが、所々に痒くなるような台詞が入ってしまい、思いのほか手こずってしまった。
 消しては書き足しを繰り返していたので前後の文脈も怪しいのではないだろうか。異性に手紙を書くということ自体が初めてというのも原因の一つかもしれない。
 時間を置いてからもう一度見直す必要があるだろう。そんなことを考えながら、自分が考えたとは思えない恥ずかしい台詞を脳内から消去していく。
 明日、ノーディを見送った後に代筆屋に持っていき清書してもらう。そして配送屋に依頼すれば手紙はアーリアのもとへ届くとのことだ。
 代筆屋の存在を知らなかったとはいえ、王都に来てもう一カ月だ.かなり遅くなった。さすがに忘れられてはいないだろうが、怒ってないと、呆れられてないといいんだが。








 今日の修練は朝食前の朝修練のみらしい。ノーディがガイスへと出立するからとのことだ。ハーディさんも相当親ばかだと思う。
 朝食中は何か言いたそうな顔でちらちらとノーディの様子をうかがっているのだが、何を言ったらよいかわからないのだろう。ノーディが顔を向けると信じられない速さで顔をそらしていた。
 その様にネスティアさんはくすくすと笑い、ノーディはあきれ顔、俺は苦笑をこぼすしかなかった。






 準備を済ませ、家の外に出てきたノーディはいつかと同じ水色のワンピースに白いカーディガンという出で立ちだ。
「忘れ物はないかしら?」
「大丈夫よ」
「悔いのないようにやってきなさい」
 そう言ってノーディを抱きしめるネスティアさん。
「うん。ありがとうお母さん」
 一拍の後、二人が離れるとノーディはこちらを向いた。
「シュージ君もありがとうね。君のおかげで夢でもある大学教員への道が開けたし、……あっ、あとシュルトの奴も真面目に研究するようになったしね」
 その言葉に貴族の三男坊を思い出す。論文に駄目出しをした時の真っ赤な顔が出てきた。
「ノーディの研究を評価したんだよ。贔屓なんてしてないしね。それにシュルトの方は意図してやったわけじゃあないさ。あいつの持ってきた論文がめちゃくちゃだったから色々と質問しただけだよ」
「ふふ、ありがと。でもシュルトは相当頭に来たみたいだよ? 平民の分際でとか言って、相当おかんむりだったね。暴力に訴えるとかじゃなくて良かったけど」
「そこは俺も意外だったね。研究で見返してやる。なんてまっとうな方向に動いたのが」
「……そうだね。まぁおかげで色々と質問してくるようになっちゃって面倒は増えたかもだけど」
 そう言って苦笑をこぼしている。それが治まるとノーディはハーディさんの方を向いた。どうやら俺との会話は今ので満足したらしい。腕を組み、目を閉じていたハーディさんがその眼を開いた。
「……今までの努力を思い出して、やれるだけのことをやってきなさい」
「はい!」
 その返事に満足したのか、ハーディさんはうんうんと頷いている。
「それじゃ、行ってくるね」
 そう言って振り返り歩き出すノーディ。肩にかかる程度の金髪が嬉しそうにはずんでいた。少し歩くとシュルトが現れ、ノーディに走り寄って行った。手に丸めた紙のようなものを持っていることからおそらく研究のことで聞きたいことでもあるのだろう。並んだまま見えなくなるまで歩いて行った。






 縁側でたそがれているハーディさんはまるで一気に年を取ってしまったかに見える。今日の修練が休みなのはこうなることを予測していたからだろうか。
「あら、どこかに行くの?」
 いつの間にか真後ろにネスティアさんが立っていた。足音どころか気配すらしなかった。ちょくちょくこういった悪戯をしかけられるが、そのたびにこの人がレベル百を超える猛者だということを思い出す。
「あ、はい。ちょっと手紙を出そうかと思いまして、代筆屋と配送屋に行こうかと」
「もうあんまり驚いてくれないのね」
「いいかげん慣れますよ。それでは行ってきます」
「気をつけてね」
「はい」








 代筆屋と配送屋は並んで立っていた。代筆屋の方へ入ると若いお姉さんが受付をしている。
「手紙の代筆をお願いしたいのですが」
「はい。紙は持っておられますか?」
「……持っていません」
 ルーズリーフを使おうかとも考えたが、あれを異性への手紙代わりにするのは、なんというか気が引けた。
「では料金は一枚につき銅貨15枚となります」
「分かりました」
「それでは内容をおっしゃってください」
 お姉さんは紙とペンを取り出す。この可能性を失念していた。代筆を頼むということは内容を伝えなければならないのは自明の理だろう。
 夜に書いた手紙の朗読という辱めに何とか耐えきった俺は、すさまじい脱力感との戦いを繰り広げながら隣の配送屋へと入って行った。



「銅貨50枚になります」
「はい、よろしくおねがいします」
「あちらへの到着はおよそ十日後となります。ありがとうございました」
 配送屋への依頼を済ませ,帰路に着いた。




「帰りました。……こんにちは」
 どうやら来客らしい。ネスティアさんとハーディさんに加え、玄関には見知らぬ男性が立っていた。こちらを確認したネスティアさんが尋ねてきた。
「シュージ君、代筆屋への途中でノーディを見なかった?」
「見てませんよ? もうガイスへ出発してるんじゃないんですか?」
 ハーディさんは腕を組んだまま虚空をじっと見つめている。
「それが……相乗り馬車の集合場所へ来てないらしいのよ」
 見知らぬ男性は困ったように頷きながら手に持った帽子をもてあそんでいる。
「もう……だいぶ前に出たのにですか? まだ着かないなんてことは普通ないですよね?」
「ないわ。集合時間には余裕を持って着くはずよ。何か……変なことに巻き込まれない限りは」
「!? それって」
「まだ、悪いことに巻き込まれたと決まったわけじゃないわ。あの子のことだから迷子を見つけて親探しをしてるとかも有り得るし」
「とりあえず探したほうがいいのは間違いないですね」
「そうね。じゃあ私は大学、シュージ君は門、あなたは地下街の方を見てきて、一通り探していなかったらここに戻ってくること。いいわね?」
「はい」「わかった」
 今まで虚空を見つめているだけだったハーディさんは、返事の直後家から飛び出していた。もうその姿は見えない。
「それじゃあ私たちも行くわよ」
「はい!」
 玄関から出たネスティアさんが地面に足を付けた瞬間、砂ぼこりが舞いあがる。本気を出したのだろう。ネスティアさんは一瞬で見えなくなった。人を轢かないといいのだが、などと的外れな感想を抱いてしまう。




 家から門への道を全力で走る。門への道はそれなりに活気に溢れており、人が多い。
「! ノーディ!!」
「えっ?」
「スイマセン、人違いでした」
もうこれで三人目だ。焦りから同じような服装の人が皆ノーディに見えてしまう。
「くそっ!!」
 人をかき分け、走る。走る。もしノーディが迷子の手助けをしているというのならこの辺りに居てもおかしくない。希望的観測だとは分かっていても辺りを窺うことは忘れない。だが、その中でそれを見落とさなかったのは僥倖と言えるだろう。


 ――時が、止まった。
 そこには、見覚えのある白いカーディガンと、束ねられた金色の毛を手に持ち、醜悪な笑みを浮かべる


 貴族の三男坊が立っていた。




 シュルトはこちらの存在に気づいていたのだろう。交錯させていた視線を外すと、路地の奥へと入っていく。罠の可能性が頭をよぎった。だが、かといってハーディさんを呼びに行けば、やつを見失うのは間違いないだろう。
「くそっ!!」
 選択肢の残されていない状況に、悪態が口をつく。人波を掻き分け、シュルトが消えていった路地へと駆ける。やつはこちらが見失わないように、かつ近づき過ぎないように路地の奥へ奥へと入っていく。細く、うねった路地裏はシュルトの腐った性根を現すかのように暗く、湿気っぽい。どこかに罠があると見て間違いないだろう。袋から刀を取り出し、いつでも抜けるように佩く。曲がり角を曲がるたびに現れるあいつの顔に、いい加減怒りを覚え始めた。


 もう何回角を曲がっただろうか。路地を出て通りを渡り、また路地へと入る。やつとの距離は全くといっていいほど縮まらない。だが、同時に離れもしない。またも通りに出た。そこで妙なことに気づく。周りの人間の雰囲気が今までと異なるのだ。
 この通りを歩いているものは大なり小なり皆武器を持ち、防具に身を包んでいた。おそらくこの近くにダンジョンがあるのだろう。
 誘導された。九割がた間違いないであろう。やつが消えた曲がり角を曲がり、それは確信へと変わった。
 そこには円形の広場があり、その真ん中には地下へと続く階段がぽっかりとその口を開いていた。







 広場には見張りなのか、衛兵が一人立っている。
「すいません、金髪の男が来ませんでしたか?」
「ん、ああ。なにか白いもの持ったやつが地下街に入っていったが,なにかフードをかぶってたから金髪かどうかはわからなかったな」
 やはり、あいつがあの中に行ったのは間違いないらしい。このままハーディさんが来るのを待つという誘惑がその鎌首をもたげる。だが、もしノーディが既にあの中につれられていたとしたら?ハーディさんが見回りを済ませ、もう家に集合しているとしたら?
 不確定要素が多すぎる。
「……さっきの男なんですが、今日ダンジョンに何回入ってるかわかりますか?」
「んなもんいちいち覚えちゃいねぇよ。俺の仕事は人間の監視じゃなくて、地下街の監視なんだから」
「そう……ですか」
 どうする。どうするべきだ。……選択肢が無いことはわかっているのだが、どうしても考え込んでしまう。あそこに入るということは命のやり取りを行うということになるのだろう。それがわかるからこそ、わかってしまうからこそ足がすくむ。
 だが、俺がシュルトを見つけたときから、いや、ノーディがいなくなったと聞いたときから既に選択肢は無かったのだろう。
「すいません、ハーディさん……ハーディ・インセリアンをご存知ですか?」
「ん? 勇者のだろう? そりゃ知ってるよ」
「もし、此処に来たらシュージが中に入ってるということを伝えてもらえないでしょうか?」
「そりゃいいが、さっき、少しだけ様子を見て慌てて帰って行ったからもう来ないと思うぞ?」
 やはり既に来ていたのか。助けに来てもらえる可能性が一気に小さくなってしまった。
「それでもいいので、お願いします」
「ああ、分かった」
 刀を抜いた。毒を食らわば皿までという格言が頭を掠める。せめてこの毒は致死性でないことを祈りながら、階段を下りた。







 それは不思議な経験だった。階段の途中は完全な闇となり、一瞬恐慌状態へと落ちかけたが、すぐに視界は回復した。
 先ほどまで地下への階段を下りていたはずなのに、降り立った場所でも空に太陽が浮かんでいたのだ。階段は壁から生えており、その先は暗闇に包まれていて見えない。
 どういう原理かは想像もつかないが、この世界でも更に謎とされているような場所なのだ。こういうものなのだろう、と疑問を無理やり押さえつけた。
 ダンジョンというには余りに明るい。だが一方で、壁により影が出来ている部分は不吉なほどに暗くなっている。
 王都が持ち合わせている陽と陰がそのまま迷宮内に残っているようだ。
 地面は土がむき出しになっており、所々草が生えている。両脇は高い壁に覆われているものの、その幅はかなり広く、端から端へは優に二十メートルはあるだろう。
 階段が生えている後ろの壁はすぐに見える位置に有るが、前方は何百メートルも先にあるように見える。これで只の一通路だというのならこのダンジョンの全体像は計り知れないものになるに違いない。
 進行方向は一つしかないため、前方へと歩を進める。隠れるような場所が無いことは事実だが、獣ゴブリンの前例もある。刀を抜き、臨戦態勢を崩さない。崩せない。
 二分ほど行くと横道が有った。まっすぐ進むべきか迷っていると、横道を少し入ったところに白い服の切れ端が落ちているのが見える。そしてそれは等間隔におかれている。
 動物を捕らえるための簡易トラップと同じだ。これは、こちらにいるという、こちらに来いというアピールなのだろう。それに沿って進む。最大限の警戒を払って。




 周りに注意を払いながら進むと、不意に後ろから異音が聞こえた。ジャリッというその音は何かが大地を踏みしめる音だ。咄嗟に振り返る。
 そこにいたのは予想外の、だが、見覚えのある相貌だった。
「ゴァァァァッ!!!!!」
 背後からの奇襲に失敗して苛立っているのか、それとも獲物を見つけたことに対する喜びだろうか、いつかと同じような雄たけびを上げた、ワニ顔の化け物はこちらに突進してくる。リザードマンは以前と同じ様な鎧に身を包み、その手には槍とも斧とも着かない武器を持っている。
 刀を抜き、今ではもうなじんだ構えを取る。怪しく光る斧の先に背筋を怖気が走る。響く足音に眼を背けたくなる。それらを全て纏めて息を一つ吐いた。腰を落とすと頭の中が白くなっていく。
 リザードマンがその得物を槍として使い、切っ先をこちらへと突き出してくる。
 迫り来る槍先にあわせ、右腕を振るう。自身としては合格点には程遠い一撃であったが、それは槍の横っ腹をたたいた。
 舞い散る火花、そらした切っ先、体勢の崩れていく敵。
 振り切った刀を引き寄せ、そのまま左足を前に出すと同時に刀を左手へと持ち変える。そこから放たれた合格点の一撃に、ワニの首が飛んだ。


 たったの二撃により荒くなってしまった息を何とか静める。こんな状況では長期戦は無理だろう。自分の未熟さに怒りすら覚える。だが、自身の成長に場違いな感動も覚えていた。
 実践と修練の違いを痛感した。同時に、出来なかったことが出来るようになっていることを実感した。リザードマンの使っていた槍を袋に入れると、再び、通路を先へと進む。





 切れ端は扉の前で途切れていた。この先にあるのが、部屋なのか通路なのかは分からないが、扉で閉ざされたその先に何かしらの空間があるのは間違いないだろう。
 その頑丈そうな扉はまるで地獄へ続く門のように見える。周囲を厳重に確認し、罠や伏兵がいないか確かめる。入った瞬間に挟み撃ちになるのが最も恐ろしい状況ではないだろうか。
 辺りには特にそれらしい痕跡は無かった。正直、俺に判断できないほどの使い手がいるのなら、既に死んでいるだろう。つまりは敵は中にのみいるということになる。嬲り殺したくて此処まで誘導したという最悪のパターンは思考から除外しておく。その場合、もはや俺にはどうしようもないのだから。

 刀を抜き、扉を開いた。



 意外な事に、その先にいるのはシュルト一人だった。もちろん伏兵がいる可能性は充分にある。だが、扉を開けた瞬間に攻撃してこなかったのも事実だ。こんな状況でこちらが油断するとでも思っているなどというのはさすがに考えにくい。
「やぁ、シュージ君。良く此処までやって来れたね。私のプライドをずたずたにしてくれた君がモンスターの餌食になってしまわないかとヒヤヒヤしていたよ」
 会話により気をそらすつもりなのだろうか。大げさに両手を広げ、芝居がかった口調で話しかけてきた。
「残念でしたね。俺が此処に来た以上、あなたはこの前以上に貴族としての矜持を無くすことになりますよ」
「安心したまえ、そのようなことにはならんさ。なぜなら、正々堂々した勝負の末に、勇者の弟子を打ち破るのだ。観客がいないのが残念なぐらいだよ」
 やはり狙いはノーディではなく俺だったのか。
「その為にノーディを利用したのか?」
 その言をシュルトは鼻で笑う。
「利用? 何を言ってるんだい? このままでは愛しい人と離れ離れになってしまう彼女のために私が一肌脱いだのさ」
 戯言を。と吐き捨てたい衝動に駆られるが、その前に聞いておくことがあるだろう。
「で、彼女は今何処にいるんだ?」
「ふん。お前が心配する必要などない。どうしても知りたければ私を倒すんだな。だが、それは叶わない。そして貴様を倒した私に彼女は愛を誓うだろう」
 下卑た想像に興奮したのか、その頬が赤くなっていく。
「こちらでも馬鹿につける薬はなさそうだな。有ったらこんな馬鹿が生息しているはずがない」
これ以上話しても無駄だろう。やつの目線は先ほどからこちらを見据えている。伏兵は本当にいないのだろうか。それを確認するすべはない。
 今出来ることを,精一杯。息をひとつ吐いた.
 刀を構える。
「きたまえ」
 やつの尊大な物言いにより、戦いの幕は切って落とされた。


 空気が変わる。ダンジョンとは思えない陽光が差し込む中、重く、暗く、その密度を高めていった。シュルトはポケットに手を入れると、そこから二本の剣を取り出し、地面に落した。あの剣がおそらく奴の武器なのだろう。間合いはまだ遠い。投擲必中の射程圏内までもあと十歩はあるだろう。
 ランツの時とは違い、今回は虚を衝いていない。突進してもいいものか逡巡する。だが、他に手がないのも事実だ。息を一つ吐き、吸い込む。身体を瞬間沈ませ、大地を蹴った。
「ふっ」
 反動で肺に溜めていた空気が漏れ、口をついた。シュルトはこちらの突進に合わせるように広げていた両手を仰々しく天へと向けた。その手に合わせるように二本の剣が重みをなくしてしまったかのように浮かびあがる。驚いている、暇はない。
「オオッ」
 張りぼての気合を放ち、すくむ足を無理やり動かした。シュルトは両手を振り下ろす。その動作に合わせ、二本の剣がこちらへ向かって一直線に飛んできた。並んで飛んできたそれらを横なぎの一撃で迎え撃った。
 剣本体の重みしかないのだろう。それらは簡単に弾き飛ばすことが出来た。だが、弾き飛ばした二本の剣はシュルトの手に呼応するように再び宙へと浮かび上がる。
 相当まずい状況だ。断続的に攻撃されればすぐにやられるのは火を見るより明らか。長期戦に持ち込んまれたらその時点でアウト、間合いに入れなければアウト。攻撃を受けて動きが鈍ればアウト。
 考えろ。思考を加速させろ。一歩でも前へ。
 剣がこちらに飛んでくる前にシュルトの方へと走る。シュルトが両手を手前に引く。その動作に合わせて右に飛ぶ。先ほどまで俺がいた場所を剣が通過した。
 やはり、シュルトの手を見ていれば、ある程度は軌道予測が可能だ。射程圏内まではあと二、三歩。地面を転がる。その勢いに逆らわず立ち上がり、進む。
 シュルトが大きく広げた手を交差するように振り下ろした。いつの間にか左右に広がっていた一対の剣が交差するように振ってくる。地面を蹴ってさらに間合いを詰める。奴は手を引こうとし、ためらった。
 ――かかった。
 企みが成功したことに思わず笑みがこぼれる。距離が縮まった状態で剣を手前に引くことはできまい。
 その隙をつき、一気に間合いを詰める。そこはすでに刃の届く距離。右腕を疾走させる。だが、こちらをあざ笑うかのように、奴は後ろへと飛び、間合いを外す。もともと範囲ギリギリだった俺の刃は、奴の身体に達することなく過ぎていく。
 空振った。そしてそれと同時に重心が右へ流れていくのを感じる。
 しまった。そう思ったが、流れていく身体は止められない。これでは先ほどのリザードマンと同じ状況ではないか。

 リザードマン

 浮かんだ単語に身体が反応した。左手を道具袋へと突っ込み、柄を逆手に持つイメージ。回転して行く身体に合わせてそれを振り抜く。
 主を変えたばかりの戦斧は、新しい主の意思に従い、奴へと迫って行った。ガキッ、という硬質な手ごたえ、その勢いを止めることかなわず、俺の身体はそのまま地面へと倒れ込む。希望を込めた一撃は奴の身体には届かなかったようだ。すぐさま体勢を立て直す。追撃が来ない理由を考えている暇はない。
 奴の手には鞘におさめられたままの直剣が握られていた。鞘の一か所に切れ目が入っていることから、先ほどの一撃はあれに防がれたらしい。鞘から解き放たれるその剣は、氷のように透き通った刀身を持っていた。
「まさかこれを抜く破目になるとは……ねっ!」
 そう言うや否や踏み込んでくる。速い。一瞬にして詰められた間合い。予想をはるかに上回る体捌きによって完全に虚を突かれた。見えてはいる。だが、足は地面に縫い付けられているかのように動かない。こちらへ剣を振り下ろす。とっさに刀を頭上へと上げる。主を守ろうとその身を呈し、真っ二つに折られ、飛んでいく刃。そんな妨害を意に介さず俺の頭へ迫ってくる刃。二つの刃が、ゆっくりと動いていく。時が止まって行くかのように








































 髪の毛を二、三本切り落とした死神の刃は俺の命を刈ることなく、その場にたたずんでいた。シュルトは悔しそうな表情を見せたが、一瞬の後にその表情はニヒルな笑みを浮かべたものになった。
「合格」
「……は? え?」
「だから合格だって」
 そういうとシュルトは落とした鞘を拾い上げ、剣を収め、ポケットへとしまう。両手をあげるシュルトに身構える。だが、浮き上がった剣はそれぞれがシュルトのもとへと戻って行き、それらもそのままポケットへとしまわれた。
「そういうことなんですよね?」
 後ろを振り向き問いかけるシュルト。
「ああ、合格だ」
 何もない空間から出てきたのはハーディさんとネスティアさんだ。
「むしろシュルト。最後の一撃は不要のはずだが?」
 そういうとハーディさんはシュルトの方を横目で見た。
「……スイマセン。鞘に傷を付けられてちょっと熱くなっちゃいました」
 シュルトは頭をかきながら答える。どう見ても旧知の知り合いといった風だ。その様子に思考がついていかない。いや、想像はつくが信じたくない。ネスティアさんに尋ねた。
「あ……あの……どういうことなん、ですか?」
「ほら、あなた。お師匠様でしょ、弟子にちゃんと説明してあげなさい」
 ハーディさんをせっつく。
「うむ。……まずは、この通りだ。すまなかった」
 そういうとネスティアさんとともに頭を下げてきた。いやな予感が頭をよぎる。
「どういう……ことでしょうか?」
「以前行った見込みの話しは覚えているか?」
 ハーディさんはなぜか視線を微妙にそらしながら尋ねてきた。どうやら予想は外れていないようだ。どっと疲れが襲ってくる。
「はい」
「まぁつまり、そういうことだ。不利な状況で、今まで身に付けたものを使えるかどうか、諦めることなく戦えるかどうかを見るために、な」
「……ちなみにノーディが行方不明っていうのは?」
「うむ、嘘だ」
「シュルトが持ってた服と髪は?」
「あの服はその為に私が買っておいた物なの。髪は……シュルト君が頼んだんじゃない?」
「いや、だって恋人が遠くに行っちゃうんで何か欲しいって言ったらあれをくれたんですよ? 僕が自ら欲しいと言ったわけでは」
 こちらを無視して会話を進める三人。あまりの内容に頭皮が逆立つ感覚を覚える。怒りで口元が引きつり、奥歯をかみしめ顎が震えた。
 冷静になれと告げてくる自分がいる。殴りかかれという自分がいる。雄たけびをあげて切りかかれという自分がいる。思考が支離滅裂になっていった。
「……シュルトのあの頭の悪そうな演説は?」
「嫌だって言ったんだけどネスティアさんが……恥ずかしかったんだよ?」
 シュルトはそう言って恥ずかしそうに頬をかいている。俺は一つ深呼吸を行う。落ち着け、落ち着けと煮えたぎる頭の中を理性が必死に走り回った。
「じゃあ、あの論文も?」
「……あれは本気でした」
 そういうと、今度はうなだれた。本気で落ち込んだ様子を見せるシュルトに若干溜飲が下がった。下がった頭をはたきたい欲求に駆られたが。
「貴族の三男坊というのは?」
「……僕の名前はシュルト・デルフォールっていうんだ」
 そう言って首をかしげるシュルト。先ほどまでの不遜な態度は鳴りをひそめ、今では見た目に反した少年のような雰囲気をまとっている。
「…………それが?」
 何か話が続くのかと思ったがシュルトは何も言ってこない。どうやらそれで察するものだと思っていたらしい。だが、ド田舎出身という体で通しているのだ。分からないものは分からないというスタンスで問題ないだろう。
『……』
 三人とも絶句している。どうやらしょうがないとは言ってもらえなさそうだ。
「……シュージ君、今日の晩御飯は君の好きな物にしてあげる。何でも言ってちょうだい。食材はこの人とシュルトが調達してくれるから」
 ネスティアさんが悲しそうな顔でこちらを見てくる。良く分からないがものすごく同情を買ったらしい。
「食材の調達は良いが……ちなみにシュージ、この国の名前は知ってるか?」
 ハーディさんと視線が交錯する。その瞬間脳裏に閃くものがあった。おそらく、そういうことなのだろう。
「……やっぱ知らない人ってあんまりいませんか?」
「少なくとも私の知り合いにはいないな……この国の名前はデルフォール王国、シュルトはこの国の第三王子だ」
 ハーディさんは想像通りの回答を示してくれた。
「あ~、そうですか。なんでその王子がこんな所でハーディさんのお手伝いを?」
「師匠の頼みとあっては弟子は中々断りにくいものがあるから。それに僕にもうまみのある話だったからね」
 シュルトが答えてくれた。
「うまみと言うのは?」
「師匠と言う方には驚かないんだね?」
 悪戯が失敗に終わった為か不服そうにするシュルト。実はネスティアさんの弟子なのだろうか?
「まぁ十分あり得る話だと思ったんで」
「そっか。うまみって言うのは……国の名前を知らないんだから王位継承についても知らないよね?」
 頷く。長男が引き継ぐというパターンが一般的だとは思うが。
「だよね。この国は成立ちの関係もあって王位は強い人間が取ることになってるんだ」
「……強いって言うのはレベルとしてってことですか?」
「総合してかな。ただ、レベルとしてという側面が強いのも事実だけどね」
 色々と質問したいことはあるが耐える。
「その強さを測る指標としてこのダンジョンを使うんだ。具体的には王位継承権を持つ人間はパーティを組んでダンジョンを下って行く。もっとも深い階層まで行って戻ってきたものが王位を継承できるんだ」
なんて決め方だ。しかも賞品は王位。それは王族同士で殺し合えと言ってるも同義なのではないだろうか?
「その王位継承のためのダンジョン探索が二年後にあるんだ。そのとき一緒にダンジョンに潜ってくれる仲間を探しているんだよ」
 話の流れがとてつもなく不吉な物になってやしないだろうか。
「ハーディさんやネスティアさんに頼んだらどうです?」
「連れていく仲間にはレベルに制限がある。というわけで、有能な仲間を探しているんだ。レベルがさほど高くなく、これから強くなる可能性が高く、そして何よりも信頼に値する人間であるシュージ君に是非仲間に加わっていただきたい」
 そう言って手を差し出してくるシュルト。後ろにいるハーディさんとネスティアさんは好きにしろと言った風にうんうんとうなずいている。なぜか卒業式の日に後輩から告白されていた友人を思い出した。確かに愛の告白と通じる部分はあるなと苦笑してしまう。
 その様子を見て不思議そうな顔をするシュルト。王族と言うぐらいだ。この顔もおそらくはその本質を隠したものなのだろう。どこぞの親ばか領主が思い出された。
「お断りします」
「……え?」
「いや、だからお断りします」
「な、なんでかな?」
 シュルトは信じられないと言った様子でこちらを凝視してくる。うろたえている様子に若干溜飲が下がった。
「いや、むしろそんな危険な所に突っ込んでいく奴の気がしれないです」
「もし僕が王になったら富も名誉も思いのままだよ?」
「……デイトリッヒさんからもらってる給料で十分なんで」
「諦めろシュルト。今回は間違いなく脈なしだ」
 ハーディさんが会話に割り込んできた。
「諦めきれないならまた一年後にでも勧誘しろ。俺が鍛えておく」
 そう言って笑うハーディさんはなぜかとても楽しそうだった。













 帰り道はネスティアさんと二人、まだ昼前の街は喧騒に包まれている。ハーディさんとシュルトは本当に晩御飯の材料を調達するためにダンジョンを奥へと進んで行った。
「そういえば来る途中でモンスターにはあわなかった?」
「一体。リザードマンに襲われましたね」恨みを籠めた視線を向ける。
「出て来ちゃったか。一応あの部屋までの敵は一掃しておいたんだけどね」
「死ぬかと思いましたよ」
 精一杯の嫌みを込めた。
「強いモンスターだったの?」
 ネスティアさんは心底驚いた表情を見せる。……この人の感情表現ほど当てにならないものもないだろう。
「……レベルは上がりませんでしたけど」
「なんだ、そっか。……あのね、シュージ君。倒してもレベルが上がらない相手っていうのは基本的なことさえできてればレベル差だけで圧倒できる相手なんだよ。特に低レベルモンスターなんて単調な攻撃しかしてこないしね」
「……はぁ」
「まだ一ヶ月とはいえ、うちで鍛えられてる人が第一層で発生したばかりのモンスターにやられるなんてことはないよ。多分だけど一合で決まったんじゃない?」
 リザードマンとの戦闘を思い出す。確かに拙い一撃だったが、奴の攻撃を払うことはできたし、返す刀は簡単に奴の命を絶った。
「まぁ……そうですね」
「でしょ?こういっちゃ悪いけどそこまでお膳立てしてもダメならそこまでの人間だったとしか言えないよ。うちは命がけの戦い方を教える場所なんだ。そこに来ている以上は覚悟を決めてもらわないとね」
 半ば騙されるような形で連れてこられたのに、とも思ったが、過程がどうあれ今もまだ道場に居ると言うのも事実だ。そしておそらく、道場から逃げ帰れば秘書はクビになるだろう。その場合、結局武力が必要になる。
 今俺がやれることは一人でも生きていけるように強くなることだけだ。選択肢がない状況に苛立ちを覚えた。最近はこんなことばかりだな、と。
「どしたの?」
 その様子を不審に思ったのか、ネスティアさんがこちらを覗きこんできた。ハーディさんもまだ何か隠し事がある様子だった。シュルトにいたっては人となりすら不明。ネスティアさんは場をかきまわすことを楽しんでいる、と周りに信頼できる人間がいないことに気づいた。
「いえ、大丈夫です……そういえば、ネスティアさんはともかく、ハーディさんとノーディに騙されるとは思ってませんでしたよ」
「あら、確かにあの人は芝居が下手だから騙すときは黙っててもらったけど、ノーディはなんで?」
「だって、ハーディさんに似て分かりやすいじゃないですか」
 そういうとネスティアさんはくすくすと笑いだす。
「え、違うんですか?」
「シュージ君、この世には男性から見たら二種類の女性がいると思いなさい。騙されるわよ?理解できない女性と、理解したと勘違いさせる女性。私の娘がどちらかくらい想像がつくでしょう?」
 ネスティアさんと会話する自分を一歩後ろで見ているような、そんな感覚を覚えた。おそらく、このスタンスが変わることは金輪際無いだろう。
 くすくすと笑い続けるその声は風に運ばれて溶けていく。この街は今日も変わらず、全てを映し出すように明るく、それらを残さず飲み込むように暗かった。





[10571] 第四章 プロローグ
Name: ねしのじ◆b065e849 ID:641274c3
Date: 2010/03/29 13:51
 地下街と呼ばれるダンジョン内にある一つの部屋。
 陽光差し込むその部屋は静寂に包まれている。
 その場に動くものはまだない。
 経験豊富な凄腕サーチャーにはその場で何が起こるか想像できただろう。ダンジョンを経験したばかりの初心者ですらなんとなく嫌な空気を感じ取るだろう。
 一辺が100メートルほどある正方形の部屋には濃密な死の空気が漂っていた。


 数瞬の後、その部屋は何の前触れも無く大小様々な異形の怪物たちに埋め尽くされた。その数は千に達するのではないかと言うほどだ。
 生まれたばかりの怪物たちはその環境に戸惑っているのか、それともその生に戸惑っているのか、みな一様に辺りを見回している。
 そんな中、牛の頭を持つミノタウロスが一つ目のサイクロプスへとこん棒を振り下ろした。
 響き渡る悲鳴。それを皮切りにその部屋は地獄へと姿を変える。
 鳴り響く剣戟、打撃音、悲鳴、雄たけび。
 ワーウルフを喰らうケルベロス、焔トカゲに踏みつぶされるリザードマン、ケンタウロスを捕える食人植物、次々と命が消えていく。






 一体どれほどの時間が経過しただろう。
 その部屋に一つだけ残った命は、勝ち鬨となる雄たけびをあげた。



[10571] 第十五話 薪割り
Name: ねしのじ◆b065e849 ID:641274c3
Date: 2010/04/11 16:09
「ふっ」

 まだ空気が冷たい早朝にもかかわらず、額には汗が浮かび、視界をふさぐように流れてくる。
 一人黙々と木刀を振っていると、身体は剣を振る為の土台であり、剣こそが己だという気すらしてくる。剣と身体の境界が曖昧になる。立場が入れ替わって行く。
 身体を動かす、剣が動く。腕を奔らせる、剣が奔る。
 剣を動かす、身体が動く。剣を走らせる、腕が奔る。
 思考もろとも溶けていく、一つの肉体に、一本の刀に。










 上がってしまった息を整えた。例の最終試験から二週間が経過した。
 あの出来事があってから最も変わった部分は自主的な修練を行うようになったことだろう。そして意外なことに、今では一人での修練は憩いの時間とも呼べる。
 ハーディさんとの修練中は必要以上に気を張り詰めるようになってしまい、ネスティアさんといるときもそれは同様だった。
 そんな中、頭をからっぽにして剣を振れる時間が持つ意味は日に日に増大していった。寝ているときでさえ、部屋の前を誰かが通ると目が覚めるのだ。修行の日々は、内容が変わらないにもかかわらず、日毎きつくなっていった。
 道場の前に誰か来た。障子が開かれる。
 その先にはネスティアさんがいた。
「シュージ君、ご飯になるわよ」
「はい、ありがとうございます」
 そういえば、ふと脳裏によぎるものがあった。最近ネスティアさんが背後に立つことが無いな、と。













 三人での朝食後、いつものようにハーディさんと二人、道場に来た。
 木刀を手に取るハーディさん。こちらは何も言われずともやることは分かっていた。未だ素振り以外のことは習っていないのだから一つ息を深く吐き、腰を落とす。
 身体を、腕を、剣を奔らせる。
 今朝の感触がまだ残っている。重心もぶれていない。木刀は身体の一部になったかのよう。いい感じだ。
 二つ、三つと数を重ねていく。重心がずれる回数も最初と比べるとだいぶ少なくなってきた。
 ハーディさんが動く。
 速――
 頭で考えるよりも先に身体が反応した。膝を抜く。殺しかけていた慣性を解き放ち、身体を流す。傾く重心、落ちていく頭。だが、それでもかわしきることはできなかった。
 肩口にめり込む木刀、只でさえ傾いていた身体は、簡単に吹っ飛ばされた。地面を転がる。
 ――来る。歯を食いしばると同時にそれは来た。
「ぐぅっ!」
 打たれた肩に、床をすった膝に激痛が走った。
「……起きろ、次だ」
「は、い」
 打たれた肩はジンジンと熱を発している。日に日に精神的な疲労は溜まり、回を重ねるごとにハーディさんの動きは速くなる。さらには痛みも日に日に増して行った。限界は、足音が聞こえるほど、近くに居た。










「そこまで、飯にするぞ」
「……ありがとうございました」
 耐えた。耐えきった。修練が終わるたびに自分の忍耐力に賞賛の嵐を送る。若干、マゾヒズムに侵されている気がしないでもないが。
 上着を脱ぎ、汗をふく。両肩、両太もも、背中にはあざが浮かび上がっていた。毎日のように叩かれているのだ、あざが消えることはない。
 やかんに直接口を付け、水を飲む。疲労が消えるのとともに、今日新たに出来たあざと筋肉疲労でしびれている手足から熱が引くのが分かった。
 背にしているふすまが開くのが分かった。振り返る。ネスティアさんだった。
「準備できているわよ。いらっしゃい」
「はい、ありがとうございます」
 ネスティアさんが待つ入口へと向かう。なぜかネスティアさんが動かなかったので、こちらも自然と立ち止まる。ネスティアさんまでは2メートル半といった所だ。
「どうしたんですか?」
「なんでもないわ」
 ネスティアさんは嬉しそうにそう言って、踵を返した。






 最近は食事のスタイルが若干変わってきた。ネスティアさんとハーディさんは相変わらず日本食を中心とした食事をとっているが、俺の分だけは別に用意してくれている。
 今も、目の前には一口サイズのサイコロステーキが山と積まれている。ソースは、いくつかのハーブと思われるものを煮詰めたもので、何重もの香りが鼻腔をくすぐってくる。
 信じられないほど食欲を刺激してくる肉の塊を食べきった時、どんな境地に達するかは今までの経験が教えてくれた。
 食事ごとに量は増えてきた、ギリギリ食べきれるぐらいの量に。今回この量が出されたということは、これぐらいはギリギリ食べきれるということなのだろう。
「足りなかったらお代わりもあるからね」
 そういうネスティアさんは実に良い笑顔を浮かべている。こちらの口元が引きつるのが分かる。
「がんばります」
 食事の前とは思えない決意を口にし、修練は始まった。










「もう、食えません」
 眼の前に積まれたステーキを何とか消費し終え、テーブルに突っ伏しそうになり、思いとどまった。
 これ以上腹を曲げたら詰め込んだものが出てしまう。
 浅い息を繰り返し、腹の内圧を抑え込んでいると、ハーディさんから声がかかった。
「腹が落ち着いてからでいいから、道場に来なさい」
「……分かりました」
 いつもなら午後は自由な時間に割り当てられているため、大学関連の雑務や自主鍛練を行っていたのだが、今日は勝手が違うようだ。









 食後、胃が落ち着いた段階で道場に向かうと、裏庭へと連れていかれた。
 裏庭にはあまり使ってなさそうな倉庫と風呂焚きに使う薪があった。薪は割られておらず、直径15センチはあろうか。
 ハーディさんはその中の一つをおもむろにつかんだ。右手に刀、左手には薪を持ち、一つ、息を吐いた。
「修行の第二段階として、素振りで覚えた棒の振り方を剣の振り方へと変えていくぞ」
 そう言うとハーディさんは薪を宙に投げた。右手の動きには、脳の処理が追いつかなかった。
 地面に四本の薪が落ちた。いや、この場合は四つの、と言った方が正しいだろうか。薪は輪切りにされ、円盤に近い形状へと変わっていた。
「シュージの今のレベルならば、宙にあるうちに一度切れれば合格だ」
 化け物め。もはや手品を見ているような心境だった。今すぐあの薪を拾い、タネがないか調べつくしたい。
 どうやったら何の支えもなく、空中にある木を切れると言うのだ。
「残念ながら……刀を持っていないのですが」
「あの倉庫に今まで拾ってきたものが入っている。好きなのを使え。売ったりはするなよ」
 ハーディさんはにやりと笑い、その場を後にした。






 倉庫の中は埃にまみれていた。無造作に、様々な種類の武器や防具、用途不明の物体が山積みにされていた。全てのアイテムには鑑定の結果と思われる紙が付随していた。足元にある槍の鑑定を手に取る。
 [長槍:竜屠る意思]
 総合:A-
 攻撃力:A-
 耐久性:B+
 希少性:A
 刺突補正:B
 
 備考:
 金額換算:金貨11枚程度
 対竜攻撃補正:強

 目眩がした。この山となっているアイテムが全てこのクラスだとしたら総額で一体いくらになると言うのだろうか。そして、この中からひと振りの刀を探し出すことにも。
 入口から投げ入れ続けてきたのだろう。刃物と鈍器の山は絶妙なバランスで構成されており、下手に物を引っこ抜くと全て崩れてしまいそうだ。
 一歩倉庫内へと足を踏み入れる。床がきしんだ。積み上げられている道具に一つずつ触れていく、慎重に荷重がかかっていない部分を探す。見える範囲には刀が二、三振りある。おそらく見えない部分にも大量にあるだろう。心が沸きたっているのを感じていた。









 出てきた刀は十本、以前のものと同じように1.5メートル近い、長い刀が六本、それよりも長く2メートル近いものが一本、1.2メートル程度の短いものが三本だ。
 鑑定結果が擦り切れて読めないものが大多数だった。後日鑑定を依頼すべきだろう。ただ、手に取った鑑定結果は全てA-のものだった。おそらく倉庫にはA-ランクの道具が集められていたのだろう。
 そう考えるとこの十本の刀も同じランクの武器なのだろう。
 最も長い一本を手に取り、抜く。艶めかしく光る刀身は何かを語りかけているようにすら感じた。
 ハーディさんと同じように右手に刀、左手に薪を持った。異なるのは、ハーディさんが自然体に構えていたのに対し、俺はすぐさま刀を振るえるように右脚を前に、半身に構えている。
 薪を少し前へと放った。身体を前へと滑らせる。地面を踏みしめ、その力を上半身へと伝える。腰を経由し、身体をまわす。下半身から伝わってきた力を腕へと流し、刀へ伝える。
 だが、ここで、異変が起きた。いつもなら前に出てくる腕が中々出てこない。刀が重く、始動が遅い。さらに腰をひねり、無理やり力を生み出す。
 やっと出てきた刃は無残に空を切った。
 これでは……使えない。
 次は短めのものから白鞘の一本を手に取り、もう一度薪を取った。
 先ほどと同じ体勢から同じように薪を放る。今度は、今まで経験したことがないほど、始動が速い。何も手にしていないようにすら感じた。
 薪が、刃が乾いた音を立てる。刃はその身を、半分ほど薪に埋めていた。









 全十本の刀を試してみたが、薪に切れ込みを入れることが出来たのは白鞘の一本だけだった。
 只の偶然かもしれないが、他に信じられるものもない。今後はこの白鞘の刀を用いることにした。
 名称の分からない刀が多数のため、十本全てを道具袋へとしまった。別の機会に鑑定してもらうことにする。白鞘の鑑定結果を手に取り、目を通す。

 [太刀:白虹招く祈り]
 総合:A-
 攻撃力:A+
 耐久性:B
 希少性:A

 備考:
 金額換算:金貨12枚程度
 反射速度補正:強

 以前のものよりはるかに高いその性能は、明らかに分不相応だろう。少しでも見合う力を手に入れねば。薪を拾い上げ、再び構えを取った。







 修練を終え道場に向かうと、道場の中ではハーディさんが誰かと話している様子だった。不思議に思っていると、ネスティアさんが廊下の向こうから手招きをしている。
「どなたかいらっしゃっているのですか?」
「ええ、仕事の依頼らしいわ」
「仕事……ですか?」
「ええ、勇者と言っても結局は官僚よ。依頼と言う名の命令からは逃れられないわよね」
「そういうもんなんですね」
「そういうもんなんですよ」
「じゃあネスティアさんは行かないんですか?」
「まずはハーディが様子を見てくる。その時彼一人の手に負えそうならばそこで解決。もし無理そうなら一旦戻ってきて戦力を増やして再チャレンジ。もし戻ってこなかったら今出せる最大の戦力で再チャレンジ。……最小の労力で最大の効果を、なんて言われても中々納得できるものじゃないわよね」
 そう言って寂しそうに、悲しそうにネスティアさんは笑った。
「で、でもハーディさんはレベル的にも圧倒的ですし、あれだけの人なら万が一なんて起きないでしょう?」
 あの試験から二週間。何処となくハーディさんやネスティアさんに対して気を許せず、一歩置いていた。だが、そんなことは頭から抜け落ちてしまっていた。
 下を向いたネスティアさんはこちらから顔をそむけている。
「……プッ、フフ」
 ネスティアさんの肩が揺れた。また騙された。羞恥と怒りで顔が赤くなるのが分かる。
「ありがとね、心配してくれて」
 そう言って振り返ったネスティアさんの瞳は、はっきりと濡れていた。冷水を浴びせられた気分だ。
「……いえ」
 当たり前だ。心配でないはずがないのだ。先ほどの最小の労力で最大の効果を、という言葉が脳裏をよぎる。ハーディさんに依頼が来ると言うことは、勇者クラスの人間でないと対応できない問題ということになる。俺に言えることは、何もなかった。














 夕食と言う名の修練はいつも以上に厳しかった。胃を通り越して食道にまで食べ物が詰まっているようにすら感じる。
 ネスティアさんは俺が苦しみながら食べている様を見て良い笑顔を浮かべていた。食後、椅子に座ったまま苦しみに耐え抜いていると、前に座っていたハーディさんが口を開いた。
「明日以降、修練は休みとする」
「依頼ですか?」
「ああ」
「はい、お茶ですよ」
「ありがとう」「ありがとうございます」
 洗い物を終えたネスティアさんがお茶を入れてくれ、ハーディさんの隣に座った。
「依頼内容はなんだったんですか?」
 ネスティアさんがハーディさんに尋ねた。
「ん? ああ、牢名主が出たらしい」
 ロウナヌシ? 牢名主? 犯罪者の取り締まりだろうか?
「規模と階層は?」
 尋ねる前にネスティアさんがハーディさんへと質問を投げかけた。階層……と言うことは地下街関連なのだろう。
「規模は大きいらしいが浅いようだからな。安心はできないが、……まぁ問題はないだろう」
「油断だけはしないでくださいね」
「わかってる」
 二人は何やら良い雰囲気で見つめ合っている。……忘れられているのではないだろうか?
「あの……」
「っと、まぁそういうわけで、依頼が終わるまでは修練は休みだ」
 忘れられていたらしい。
「了解しました」
「食事の方は手を抜かないから、運動しないと入りきらないと思うわよ」
 そっちは忘れていてほしかった。
「……了解しました」











 翌朝、いつもより早い時間に朝食を済ませ、ハーディさんの見送りを行う。
「それじゃあ、行ってくる」
「お気をつけて」「行ってらっしゃい。油断しないようにね」
「ああ、キミの手を煩わせることのないように頑張るよ。それじゃ」
 そう言ってハーディさんは出かけていった。いつもの恰好に道具袋を腰にぶら下げただけの楽な恰好とあっさりした会話は、とても勇者が依頼をこなしに行くものとは思えなかった。






 ハーディさんの見送りを行ってから、午前中はずっと薪切りの修練を行っていた。どうやら有効な斬撃には刃先の角度、振り抜くための最適な軌道が必要なようだった。
 木刀では気にしていなかったため、コツを中々つかむことが出来ない。稀にうまくいくことはあったが、再現率は非常に低く、偶然以外の何物でもないようにしか感じなかった。
 ひたすらに回数を重ねる。
 薪を放る。刀を振る。刀にはじかれ薪が飛んでいく。
 薪を放る。刀を振る。当たり所が悪いのか空中でそのまま回転する。
 薪を放る。刀を振る。刃が若干食い込んだ。
 違いは分からないが、やはりうまくいくと嬉しい。口元が緩んでいるのを自覚する。
 薪を放る。さっきと同じ動きを、そう心で呟いて刀を振る。刀は、空を切った。













 昼食後、お腹に余裕が出来るまで休んでからアイテムの鑑定を兼ねてギルドへと向かった。ついでに露店や商店も覗いてみよう。デイトリッヒさんからの給与で銀貨20枚程度の余裕がある。食べ物ぐらいなら余裕を持って買えるだろう。
 ギルドに着くと中には人がごった返していた。
 窓口がいくつもある。依頼の看板すらいくつもある。そして……
「次の人どうぞ」
「はい」
「鑑定ならばアイテム一つにつき、銅貨30枚です」
「七つ分お願いします」
「銅貨210枚分お願いします」
「はい」
「銀貨2枚と銅貨10枚確かに受け取りました。次の人どうぞ」
 そして今までのどのギルドよりも機械的だ。
 窓口から離れ、道具袋から柄のみを取り出しては紙を巻きつける。
 背中に視線を感じた。振り返る。そこには一度だけ見たことがある金髪の男性が立っていた。
「よぉ、シュージ君……だったかな?」
「はい。バルディアさん……でしたっけ? 他の方は?」
 バルディアさんは以前見た銀色の鎧ではなく、漆黒に塗られた鎧を身に着けていた。また、傷一つなくきれいだった顔には大きな切り傷がつき、精悍さが増していた。彼の優しく、丁寧な口調とのギャップがすごい。
「あぁ、もう酒場で一杯やってるさ。僕はリーダーの辛い所でね、拾ってきたアイテムの鑑定さ。シュージ君も鑑定なんだろう?」
「ええ、まぁ」
「そうかそうか、シュージ君も王都でうまく儲けてるんだね」
 どうやらバルディアさんはサーチャーの仕事がうまくいっているようだ。
「……たまたま拾ったアイテムを鑑定しに来ただけですよ」自虐気味につぶやく。
「そうか……ちょっと暇あるかい?」
 そう言ってバルディアさんはウインクした。






「それでは、今回の探索の成功とメンバーの無事を祝って……」
「「「「「カンパーイッ」」」」」
 バルディアさんに連れてこられた所は酒場だった。もうすでに出来上がっていた他のメンバーに、のみ込まれるように巻き込まれる。
「いやぁ、シュージ、だったっけ? まだ生きていたとは僥倖僥倖!!」
 そう言って痛いほどの力で背中を叩いているのは筋骨隆々の斧使いだ。スキンヘッドに髭面はあちらの世界ではやくざにしか見えないだろう。
「こらゴッティ! みんながみんなサーチャーなわけじゃないんだから縁起の悪いこと言わないの!!」
 そう男を叱るのは褐色の肌を持つ女性だ。肢体を黒いタイトな服で包んでいるため、胸元がはちきれそうだ。髪も黒く、全体的に黒っぽい印象を受ける見た目とは裏腹に話し方は砕けていた。
「ん? 確かにナーディの言うとおりだ。シュージは何の仕事やってるんだ?」
 一杯目を早くも空にしたバルディアさん……バルディアがフランクな口調で聞いてきた。顔がほんのり赤くなっているのは酒がまわったのか、空気に酔ったのか。
「あたしも気になるかも……です」
 そう言ってきたのはちびちびと酒をなめている女の子だ。金色の髪に青い目、白い肌はアンティークドールを思いださせる。
「仕事……と言うなら今度ガイスの街で開く大学の人材集めをしています」
「えっ!……ひょっとして貴族か何かなの?」
 質問してきたのは黒い美女――ナーディだったが、皆一様に驚いているようだった。
「いや、そういうわけじゃないんですけど……成り行きというか何というか」
「へー、頭良いんだねぇ。エリートさんだ」
 彼女は感心したようにつぶやく。
「そんなことないですよ。最近のメインはハーディさんのとこでの修行ですし」
 その言葉に、バルディアが傾きかけていたグラスをテーブルに置いた。
「ハーディっていうとあの……勇者の?」
「そうです」
「どんな人生歩んでたらそんな状況になるんだ?」
 心底不思議そうに聞いてくるバルディア。その疑問には俺も同感だ。
「はは、俺にも読めない展開ばかりで……もう少しゆっくりした人生が好みなんですが」
 グラスをあおる。鼻腔をアルコールがくすぐった。
「なかなか人生思い通りにはいかないよなぁ」
 そう言ってゴッティは突っ伏した。たくましすぎる男性の泣きそうな声は中々に気持ち悪いものがある。
「俺もなぁ、昔は田舎で農場をやってたんだよ。それが近くに火竜が住みつきやがってよ。依頼を出せるほどの金はないし、泣く泣く手放してなぁ」
「その話はもうなんども聞いているからいいです」
 唯一名前の分からない女の子がそう突っ込みを入れる。どうやら仲間内では聞き飽きた話らしい。
「まぁいいじゃねーかミル。シュージは知らないんだ。聞きたいだろう? 俺の話」
 ノーとは言えない雰囲気だ。
「ええっと……」
「それよりもシュージの話聞かせてよ」
 ナーディが割って入ってきた。その台詞に冷や汗をかく。アルコールの入った状態では迂闊なことをこぼしてしまう可能性があるからだ。最近聞かれることがなかったため油断していた。
「それよりも……ゴッティさんの話が気になるかなぁ……と」
「そうだろう、そうだろう!! いやぁ、シュージは良い奴だなぁ」
 そう言ってばしばしと背中を叩いてくる。他の三人は不満そうな顔をしたが、ゴッティさんが意気揚々と話し始めたため、もう止めることなど不可能だろう。







 聞き飽きたと言っていたゴッティさんの話にナーディとミルの二人は沈没してしまっていた。俺たちが来るまでに相当な量飲んでいたというのもあるのだろう。ゴッティさんも話している途中に眠ってしまっていた。起きているのは俺とバルディアだけとなった。
「いつもこんな感じなんですか?」
「そうだな。大体はこんな風に終わるかな。まぁ宿はこの建物というのもある。今日はいつもより早いがな」
「そうですか。やっぱりサーチャーはストレスたまるんですね」
「と言うよりはこいつらの性格のせいだな。サーチャーと言っても僕らは下の階を目指しているわけじゃない。そこまで厳しい戦いじゃあないさ」
「そうなんですか?」
「ああ。しっかりした知識と実力さえあれば地下街は少ない危険でたっぷりとお金を稼げる職場だ」
「へぇ、それが本当なら俺もサーチャー目指してみようかな」
 そう言ってから気付いた。俺もかなり酔っているのかもしれない。
「なんなら、一度潜ってみるか? サポートぐらいならするぜ」
 それはバルディアも同じようだった。







[10571] 第十六話 加護
Name: ねしのじ◆b065e849 ID:99142141
Date: 2010/04/11 16:11
 朝の空気はひんやりと冷たく、身体を外部から冷やしてくれる。
 外で修練を行っているため、時折吹く風が微かながらも木々の香りを運んでくれた。
 バルディア達と初めて飲んでから二日が経過した。あの時はそのまま帰ったが、バルディアの言葉は妙に耳に残っていた。
 “なんなら、一度潜ってみるか? サポートぐらいならするぜ”
 ありえないだろう、そんなこと。そう自分に言い聞かせるように呟くと首を振る。
「よしっ」
 気合を入れなおすと道具袋から白鞘に包まれた相棒を取り出し、にっくき薪を手に取った。
 余計なことだと頭から追い出す。たのしい、たのしい――薪割りの時間だ。
 
 
 
 
 
 
 
 
 身体の内部から発せられる熱はとどまることを知らず、額には大粒の汗が浮かんでいるのを感じる。
 薪割りを始めてまだ二日しか経っていないが、身体の動かし方に対する意識が変わった。
 今までは剣を振ること自体が目的だったのだが、今ではそこにある何かを斬ることを目的として振るうようになった。
 当たる直前に手首によるしなりを加える。刃の入射角、引き斬る為の角度を意識する。
 薪割りをしていて気付けたのはそのぐらいだった。だが、それだけを意識するだけで負荷は増大する。
 また、身体操作をより意識し始めたからだろうか。身体の異変にも気付いた。
 若干ではあるが、身体が重くなっている気がするのだ。
 今までは修練の疲労がたまっているせいだと思っていたのだがハーディさんとの修練が行っていない今、以前よりも精神的負担は小さいはずであるし、肉体的疲労は薬湯で回復しているはずである。
 それにも関らず剣先の速度が落ちているような感覚があるのだ。これがいわゆるスランプという奴なのだろうか?
 だが、その問いに応えてくれるはずの人はいない。また、いたとしても素直に問える気もしなかった。
 大きく息を吐き出すと頭を左右に振り、ごちゃごちゃと脳に詰まっている雑念を振り落とす。
 再び薪を手に取り、刀を構えた。
 
 
 
 
 
 
 朝食とは思えない量と内容を持った食べ物が胃の中で暴れている。
 テーブルに突っ伏して何とか耐えているとネスティアさんがお茶を置いた。
「はい、どうぞ」
「……ありがとうございます」
 テーブルから起き上がり礼を告げる。
 ネスティアさんが食後に入れてくれるお茶は消化促進作用があるのか、飲むと胃が落ち着きやすくなる。今までの経験からそれを知っていたので半ば無理やりそれを飲み干した。
 ネスティアさんは空いた湯呑にまたお茶を注ぐ。
「身体も少し大きくなってきたわね」
 そう言われて腕を見た。確かに人生においてこれほど太い時期はなかっただろう。さらにあれだけの暴食を行っているにも関わらず、腹筋も未だかつてないほどの凹凸を手に入れていた。
「そうですね。……でも、筋力はレベルで上がるのに、筋肉が必要なんですか?」
「もちろんよ。筋力は筋肉の量とレベルで決まる。どちらか一方よりも両方備えた方が大きな力を発揮できるからね」
 ハーディさんに言われるなら分かるが、華奢としか言いようのないネスティアさんに言われると納得しきれないものがある。
「筋力だけで勝敗が決まるわけじゃないけど、無いよりはあった方がいいわ」
「そうですか」
「それに、美味しいもの食べるだけで強くなれるなら願ったりかなったりでしょ?」
 それにしても限度があるとは思うのだが。
 
 
 
 
 
 
 朝食後、最近の修練場所となっている裏庭へと再びやってきた。昨日は薪に刃が食い込むのは五回に一回あればいい方だった。しかし今日はほぼ五回に一回食い込むようになっている気がする。
 ほんの少しの、微々たる成長。それを実感するたびに自主鍛練の場は楽しくなっていった。
 何せ、息を切らすことはあっても肉体疲労は薬湯で回復する。もう手にマメを作ることもなくなった。そして今はハーディさんがおらず、精神的疲労も少ない。
 このまま帰って――かぶりを振った。
 沸きあがってくる黒い感情を眼前にイメージし、刀を振った。
 
 
 
 
 
 昼食後、いつものようにテーブルへ突っ伏しているとネスティアさんが手紙を差し出してきた。
「シュージ君宛てよ。女の子から」
 そう言ってにやりと笑う。
 気後れしながらも受け取る。裏を確認すると、期待通り差出人の宛名はアーリアとなっていた。
 ネスティアさんからの追及を振り切ってなんとか自室に逃げ込むと、早速手紙の内容を確認する。
 
 
 
 
 
 シュージさん
 
 お元気そうでなによりです。
 村はあの事件以降、元気とは言い難い状況ですが、それでも皆、少しずつ前を向き始めています。
 縁剣隊の方からいただいた馬車なども大活躍していますよ。
 縁剣隊の方に聞いたのですが、シュージさんが提案してくださったそうで、本当にありがとうございました。
 そのおかげで村の皆も何とかやっていけそうです。
 
 シュージさん領主様の秘書をやっているなんてすごいですね。
 そんな方の手助けが出来たと思うと誇らしいです。
 実は今、仕事の関係でガイスに来ています。ガイスではたくさんの建物が建設中です。
 きっとあれが大学になるんでしょうね。シュージさんならきっと素晴らしい先生を集められると思います。
 周りの方も貴族ばかりで気苦労が絶えないとは思いますが、頑張ってください。
 
 私たちの方にも色々と変化がありましたが、それはまたの機会に説明しますね。
 お体にお気を付けください。お忙しいとは思いますが、お返事待ってます。
 
                                アーリア
 
 
 読み終えて、顔がほころぶのが分かった。
 ソニカの村が何とか復興できそうだというのは非常にいいニュースだ。
 縁剣隊は、アッサムはしっかりと仕事をしてくれたようだ。
 だが、それより何より俺の顔をほころばせているのは最後の一文だった。
 “お返事待ってます”
 この手紙のやり取りが消えてしまわないことに、心が温まっていくのを感じた。
 ルーズリーフとペンを取り出す。前回はどんな風に書きだしたかなと考えた瞬間――
 脳裏に前回書いた手紙が寸分たがわず再生された。
 あまりの驚きにペンを落としてしまった。床に落ちたペンのカツッと言う音が妙に遠くに感じる。
 今の映像は一体何なのか。以前作った下書きがまるで眼前にあるかのように脳内に再生されたのだ。
 しかも脳内に再生された映像はその質感すら持っていた。一文字一文字に注目することすらできる。また、意識を集中すると白紙の状況から徐々に文字が埋め尽くされていく所がビデオの早送りのように再生された。
 明らかに異常な事態だ。少なくとも以前に経験したことはない。
 この世界に来て何度めの驚愕か分からないが、驚愕自体に慣れることはないようだ。だが、理由には容易に至れるようになった。
 おそらく、スキルの恩恵だろう。ひょっとしたら新しいスキルが増えているのでは――そんな期待が胸を高鳴らせた。
 鞄の中から祝福の結果を取り出す。
 そこにあった工物神の名前を見て納得がいった。
 すっかり忘れていたが、加護の内容に“素材さえあれば同じものが作れる”があったことを思い出した。
 てっきり何かしらのアクションを行えばオートで作成が開始されたりするものかと思っていたが、どうやら脳内に設計図と完成形が浮かび上がるようだ。
 だが、同時に疑問もわいてきた。この程度でもスキルの対象となるのなら今までの生活で発動しなかった理由は何なのだろう?
 何度も淹れなおした紅茶、一週間近く練習したベッドメイキング。
 加護の発動対象となりそうな出来事はたくさんあった。何故、今回なのだ。
 手紙を書いた状況とその他の状況を比較する。しかし、いずれの場合も時間が空いているせいで状況を明確に思い出すことはできなかった。しかし、手紙以外にも加護が発動した。紅茶の淹れ方だ。
 脳裏には以前使っていたティーセットに注ぎ込まれた紅茶がたたずんでいた。信じられないことに湯気すら出ている。
 また、作成の過程を再生して行くと、所々で注釈が入っていることに気付いた。
 使用するお湯の温度、蒸らしの時間、カップを先に暖めておくなど……これはおそらく、紅茶を入れる過程で俺が気をつけていたことが自動で書きこまれているのだろう。
 だが、肝心の発動条件があやふやだ。これほどの能力、確実にものにしておきたい。
 手紙と紅茶の共通点を必死に探す。だが、それらしい点は見つからない。
 例が少なすぎて判断を下せそうになかった。
 仕方がないので、先にアーリア宛ての手紙に取りかかる。
 実際に手紙を書きながら加護の発動条件を探せばよいのだ。半分ほど書くと、“この手紙の内容は”と心の中で呟く。
 だが、脳裏には何も浮かんでこなかった。その後も一行書いては加護が発動するか試す。
 結局、最後まで書いた後も加護は発動しなかった。今回と前回の手紙、違いは一体何だと言うのか?
 手紙の内容を確認する。
 
 
 
 
 アーリア様
 
 無事に村が復興に向かっていると聞いて安心しました。
 ここ最近修行が大変だったので、そのような明るいニュースはとても励みになりました。
 応援することしかできませんが、頑張ってください。
 
 秘書の仕事と言っても見習いみたいなものだから。やってる仕事も大学の人材獲得だけです。
 修行に来ている間に何か学べればいいのですが、中々苦戦しています。
 アーリアがガイスに居るというのに驚きました。仕事の関係と書いてありましたが、ランツさんも一緒なのでしょうか?長距離の移動は難しいと言っていたので、少し心配です。
 仕事と言えばアーリアは調剤士でしたね。修行中に薬湯のお世話になることが多いのですが、すごい効き目に驚きました。
 ソニカの村にはアーリアのおかげで元気に暮らせる人もたくさんいると思います。
 お気を付けください。
 
 
 こちらで友人が出来ました。王都には地下街と呼ばれるダンジョンがあって、そこに潜っているサーチャーなのですが、皆明るく、良いやつらばかりです。
 王都に来られた際は紹介しますね。
 ランツさんにもよろしく伝えておいてください。
 末筆ながら、ご自愛のほどお祈り申し上げます。
 
 それでは
 
                          シュージ
 
 
 
 
 
 ……こんなものでいいだろう。しかし、前回の手紙との違いは何なのだろうか? ひょっとして手紙という種類に対して一度しか使えないということなのだろうか? そう考え、もう一度挑戦する。
 脳裏につい数瞬前に書き終わった手紙の内容が浮かび上がる。……つまりは加護の発動に成功した。
 わけがわからない。
 見直しが必要なのか? だが、見直しならベッドメイキングでも行っている。
 手紙の見直しを、自身の行動を顧みる。
 ベッドメイキングを教えてくれたライカの声が聞こえた気がした。
“ん~……80点。まぁ、ギリギリ合格ラインだよ”
 それを聞いた時どう思った。“まだまだだなぁ”と思わなかったか?
 紅茶の時はどうだった?
“ふむ、良いでしょう。合格です。五回でコツをつかむとは中々筋が良いですよ”
 それを聞いた時どう思った。“これで良いな”と思わなかったか?
 もしその違いが加護の発動条件だとしたら?
 加護の発動条件は“製作物に満足している”ことになる。
 そう考えると、見直しを行った直後に加護が発動するようになったのもうなずけた。
 だが、正直これも仮説の域をでない。まだまだ検証が必要だろう。
 鞄を手に取り、立ち上がった。
 
 
 
 
「入館は館章をお持ちでないのでしたら銅貨30枚となります」
「はい」
「ありがとうございます。確かに銅貨30枚確認しました。本を汚さないようにお気を付けください」
「はい、本を読むにはお金がいるのですか?」
「いえ、そんなことはありませんよ」
「分かりました。ありがとうございました」
 アーリアへの手紙を出すために代筆屋と配送屋に立ち寄った後、俺は図書館へと来ていた。
 ガイスとはずいぶんとシステムが違って驚いたが、どちらかと言うとこちらの方がなじみやすい。
 土地は違っても、図書館の空気は静かに澄んでいた。
 
 
 
 流石王都と言うだけあって図書館はかなり大きい。ガイスの物も大きかったが、あちらは本棚に隙間が目立っていた。それに比べてこちらの本棚には隙間などほとんどない。
 目当ての本を探し、歩きまわる。今回の目的は二冊。
 一冊目は簡単に見つかったが、二冊目が中々見つからない。
 ひょっとしたら無いのかもしえないが、出来れば書物で確認しておきたいものだ。
 そうして目的の本を探していると見覚えのある表紙を見つけた。
 “神様大全集”
 以前まとめた内容は加護によって引き出すことはできない。
 そう言えばあのときはまとめている最中に妨害が入ったのだと思いだした。
 先ほどの仮説が真実味を帯びてくる。
 神様大全集を手に取り、工物神アランシムの項目に目を通す。目新しい情報はなかったが、創物神の下位に属していたことを思い出した。
 その情報を元に再び本を探す。きょろきょろしながら本棚の間を縫って行った。
 
 
 
 
 
 目当ての物と思しき本を見つけた。“創物神の系譜”。そのタイトルが示す通り創物神に連なる神について詳しく書かれた本のようだ。
 パラパラとページをめくると工物神アランシムについて書かれているページを見つけた。自然と顔が本に近付く。
“創造物を愛す神で、その加護は職人の大いなる手助けとなるでしょう。何かを作り出す者を尊び、作られたものを愛でるこの神は加護を与えた人物が作り出した設計図を決して忘れません。職人は自身の作った設計図に、自身の発見に自信を持ちなさい。多くの設計図をささげた人はその存在を創物神へと薦められるでしょう。また……”
 具体的なことが書かれているわけではないが、内容的に言って、どうやら俺の仮説は間違ってなさそうだ。“創物神の系譜”を棚に返す。
 と言うことは、俺が今考えている案は実現出来そうだ。脇に抱えているひときわ分厚い本が、これ以上ないほど頼もしく思えた。
 
 
 
 
 



[10571] 第十七話 意思
Name: ねしのじ◆b065e849 ID:b7c8eab1
Date: 2010/09/23 08:50
 ハーディさんが帰ってきたのは手紙を受け取ってから二日がたった朝だった。
 朝食後、「ただいま」とハーディさんの声が玄関から聞こえると、一瞬の後にネスティアさんは台所から消えていた。
 玄関へ向かうとハーディさんとネスティアさんが抱きしめあっていた。
「ほら、シュージが見ているよ。離れなさい」
「もう少しだけ……」
 そういうネスティアさんは動こうとしない。目の置き場に困ってしまった。
「あー、ご無事で何よりです。居間で待ってますね」
「すまないな。ありがとう」
「いえ、ごゆっくり」
 
 
 
「すまなかったな」「ごめんなさいね」
 ハーディさんとネスティアさんは入ってくるなり謝罪を告げてきた。
「いえ、大丈夫です。……それよりも、依頼の方はどうだったんですか?」
 二人は俺の返答を聞くとテーブルの向かいへと座った。ダンジョンに潜っていたハーディさんの服は若干汚れている。
 だが、流れるような動作、凛とした姿勢は服の汚れを霞ませるほどに美しかった。
「ああ、無事終わったよ。これが、今回の報酬と言うことになる」
 そう言ってハーディさんは右手に持った道具袋を目の高さまで持ち上げた。
「何が入ってるんですか?」
 俺の問いに答えるようにハーディさんは道具袋へと手を入れた。袋から次々と武器、防具、アイテムを取り出す。
 十、二十……まだまだ出てくる。アイテムが出てくるたびにネスティアさんの手が強く
 結局、三十九個もの大小様々、多種多様なアイテムが出てきた。唖然としているとネスティアさんが口を開く。
「五百体級だったのね」
「おそらくそうだろう。ただ、階層が浅かったものあってこちらのレベルは上がらなかったな。実力的にも大した相手ではなかったよ」
「そう、何も無くて良かったわ」
 そう呟くネスティアさんの頭にハーディさんが手を伸ばした。
「心配駆けてすまなかったな」
「信じてましたから。心配なんてしてませんよ」
 嘘をつきながら、ネスティアさんは目を細めた。
「ところでシュージ」
「はい?」
「すまないが、お使いを頼まれてくれないか?」
「いいですよ」
 お邪魔虫は早々に退散することにした。
 
 
 
 
 
 
 お使いの内容は、先ほどの大量のアイテムを鑑定、売却することだった。
 鑑定と言っても行先は教会ではなく、ハーディさんが指定した個人商店だった。
 看板は“ゲイルグ商店”としか書いていない。
 店のたたずまい自体も一般的な木造二階建て、派手な装飾もない至ってシンプルなものだった。とても勇者が取引相手に指定するようには見えない。
 とりあえず入ってみることにした。扉に近付く。
 どうやら中に何人かいるようだ。人の気配を感じる。
 扉を開けてみると中には真剣に商品を見ている人が二人。どう見ても戦闘専門と言った様子だ。
 ハーディさんほどではないが、引き締まった身体に隙のない立ち姿。
 おそらく、サーチャーかハンターなのだろう。俺どころか、バルディア達よりも強いように感じた。
「おや、いらっしゃい。はじめてだね?」
「あ、はい。」
「店主のゲイルグと言います。本日の御用は何でしょうか?」
 話しかけてきた男はこの店の店長らしい。身長は高く、190センチ近くあるのではなかろうか。だが、身体に厚みはなく、言ってしまえば華奢に見える。
 そしてこちらでは珍しく、メガネをかけていた。髪を後ろで縛り、顔は良く見えているというのに感情は全く読みとれない。張り付いている笑顔は鉄壁の要塞を感じさせた。
「……アイテムの鑑定と買い取りをお願いしたいんですけど」
「喜んで。所で、うちには誰かの紹介ですか?」
「はい。勇者ハーディの弟子でシュージです。今日は師匠の代わりに来ました」
「ハーディの新しい弟子……なんですか。それはそれは、今後ともよろしくお願いしますね」
「あ、はい。ご丁寧にどうも」
 丁寧に頭を下げる店主につられ、こちらも頭を下げた。
「ハーディからの紹介なら問題なさそうですし、どうぞこちらへ」
 そう言って店の奥に通された。
 
 
 
 
 奥の部屋には所せましと武具、防具、アイテムが並んでいた。その全てがきれいに並べられ、そのまま店頭に並べることが出来そうだ。
 そして、この部屋は外からは信じられないほど広かった。いや、そもそも俺の見間違いでなければ先ほどの店の広さが建物の限界では無かっただろうか?
 また何か不思議アイテムの効果なのだろう。驚くと怪訝な顔をされると思い、驚嘆は内心だけにとどめた。
「……どこかで部屋シリーズを経験したことがあるのですか?」
「はい?」
「いや、部屋の広さに驚きませんでしたから。鈍そうには見えないですし、うち以外で経験したことがあるのかと思いましてね」
 墓穴を掘ったようだった。
「いや……ダンジョンと同じようなものかなと勝手に思ってしまいまして……」
「なるほど、そういう見方も……言われてみれば確かにそうですね。どちらも神の作られたものである以上、そういうことも十分にあり得ますね」
 苦しい言い訳だとは自分でも思うが、店主には通じたようだった。
「良い視点をしておられる。流石ハーディの弟子になるだけはありますね」
「……ありがとうございます」
 思いもしない評価に苦笑を返すしかなかった。
「それで、こちらの評価と買い取りをお願いします」
 先ほどのハーディさんと同じように道具袋を持ちあげた。
 
 
 
 
 
 鑑定はものの五分で終わった。店主は一瞥しただけでパラメータが分かるようで、書き込む時間の方が長いぐらいだった。
「これだけの量でこの質と言うことは、牢名主討伐ですね」
「……ハーディさんも言っていたのですが、牢名主とは何なのですか?」
 店主は瞬きを二、三度すると、にこやかにこちらの質問に答えてくれた。
「牢名主はモンスターハウスの勝者のことですよ」
「モンスターハウス……ですか?」
 聞くからに不吉そうな名前だ。
「地下街では、稀に一つの区画に大量のモンスターが発生することがあります。その区画のことをモンスターハウスと呼ぶんです」
 想像通りのおぞましいものだった。
「そして牢名主はモンスターハウスに住みつきます。つまりそこに現れたアイテムは牢名主を倒さない限り手に入らず、倒せば全てが手に入ります。このようにね」
 悪いことだけではないようだ。要はハイリスク・ハイリターンと言うことなのだろう。
「では、今回の鑑定結果なのですが、B-が20、Bが12、B+が5、A-が1、Aが1となっています。買い取り分はB-からB+までの37点、占めて金貨40枚となりますね。よろしいですか?」
「……はい?」
「お気に召しませんでしたか? 鑑定分を差し引いているとは言え、良心的な値段だと自負しているのですが」
「いえ、そうじゃなくて……金貨40枚って多すぎないですか?」
「いえ、そんなことは無いですよ。平均的な値段で言うとBランクのアイテムはおよそ金貨1枚、B+ランクで金貨5枚に相当しますから」
 言われてみれば、確かに。ソニカで読んだ本にも同じことが書いてあった気がする。だが、そうだとすると……
「ですが、そうだとしてもそちらに利益が出ないのでは?」
「そんなことはありませんよ。ではこちらの値段でよろしいですか?」
「……A-とAランクは買い取って貰えないのですか?」
「A-以上のアイテムは買い取りに制限が付いておりまして……」
「そうなんですか、それなら問題ないです」
「ではこちらにサインをお願いします」
 ガイスに居た間に、唯一書けるようになった自分の名前を書類へと記入した。
「こちらがお代となります」
 しばらく待った後、店主から黒い革袋を手渡された。ずっしりと重い革袋の中身を取り出し、一枚一枚数える。
 確かに40枚あるようだった。中々壮観な眺めだ。
「では、失礼します」 
「またのおこしをお待ちしております」
 
 
 

 店を出て、途方に暮れてしまった。道場に戻って良いものなのだろうか? ……止めておこう。何をしているか分かったもんじゃない。
「おっ、シュージ!」
 呼び声に振り返るとスキンヘッドの斧使いがいた。
「ゴッティさん。こんにちわ」
 今日は武器や防具を身に着けておらず、ゆったりとした無地のシャツとパンツという身軽そうな出で立ちだ。
「どうした? そんな所でつったって」
 がっはっはと豪快に笑いながら近付いてくる。
「いえ、……今日は修行が休みになったので」
「おっ? ……じゃあ今日はヒマなのか?」
「特段予定はありませんね」
 ゴッティさんはニヤリと笑い、口を開いた。
「それなら、ちょっと付き合えよ」


 ゴッティさんに連れてこられたのは定食屋だった。油で黒くなった天井が年月を感じさせる。
 戸惑いを感じていた。どういう意図があってここに連れてこられてたのか分からない。二人掛けにしては若干大きいテーブルの向かいに座るゴッティさんを見る。
「ここの店長とは以前農場をやっていたときからの知り合いでな、味は保証するぜ。それに……ホレ」
 テーブルの上に置かれたのは鱗が付いている肉の塊だ。ざっと一キロはありそうに見える。
「とっておきの一つだ」
 ますます意味が分からない。ゴッティさんの顔を見る。
「いや、こないだの飲み会な……覚えてないんだが相当からんでしまったらしいじゃないか?」
 ゴッティさんはそう言って苦笑いしている。だが、俺の方にそんな記憶はない。確かに昔話を聞かされたが、からまれたというほどではなかったはずだ。……他の人は嫌がっていたが。
「女性陣に怒られてな。」
「……じゃあいただきます。でもお代は払いますよ?」
「いいんだよ。余った材料を卸して金はかからねぇんだから。おーい、これで飯二人前頼むわ」
 俺の主張はあっさりと跳ねのけられた。反論を重ねる前に古い知り合いだという店長が肉を持って行ってしまった。
「ところでおまえさん、本当に勇者の所で修行してるのか?」
「ホントですよ?」
「そうか、勇者は良い人か?」
「よくも悪くも癖が強いですね。まぁ悪人ではないと思います……多分」
 一体何だと言うのだろうか?
 ゴッティさんはバツが悪そうに頭をかきながらちらちらこちらを見ている。
 妙齢の女性にならまだしも、筋骨隆々のオヤジにやられるのは中々辛いものがある。
「どうかしましたか?」
「いや、まぁ……その、な。なにか辛いことがあったら少しぐらい助けになるからな」
「え? はぁ、ありがとうございます」
 それっきり会話は止まってしまった。一体なんだと言うのだろうか? 戸惑っている所に救いの手が差し伸べられた。
「へい、お待ち!」
 威勢の良い掛け声とともにテーブルの上に置かれたステーキに二人の視線が集中する。
 二人とも、何も言わずにフォークを手に取った。
 
 
 
 とっておきという肉は確かに美味い。
 これもモンスターの肉なのだろうか? 以前牧場を経営していたというゴッティさんにとってもこの肉は美味なのだろう。黙々と肉を口元へと運んでいる。
 その様子を見ていると自然と言葉がこぼれた。
「……ゴッティさんは、どうしてサーチャーになったんですか?」
「ん? こないだ話さなかったか? 以前は農場やってたんだが、近くに火竜が住みついちまってなぁ」
「確かにそれは聞いたんですが、他にも仕事の選択肢はあったんじゃないかと思いまして」
 その質問に、ゴッティさんの視線はどこか遠くへと飛んで行った。
「まぁなぁ。火竜が来るまでの俺は、まさか自分がハンターやるとは、ましてやサーチャーやるとは思ってなかっただろうなぁ」
 そう言いながら肉を口に運び、咀嚼し、飲み込む。湧き上がってきた感情を無理やり飲み込むように。
「まぁ、しいて言うなら自分の大事なもんを守れるぐらいに強くなりたいからだな。火竜が来て、泣く泣く牧場を手放した。他に出来ることはなにもなかったからな。あれは辛いぜぇ。あんな思いはもうしたくねぇ。
 幸い年もそこまで取ってなかった。今では気の良い仲間……俺にとっては息子や娘に近いかもしれないが、にも出会えた。人生そんな悪いことばかりでもないってことよ」
 そう言ってがっはっはと豪快に笑う。
 ゴッティさんに対する印象がだいぶ変わってきている。悩み等一つもなさそうな豪快な笑いに、積み上げてきたものの重みを感じた。
 
 
 
「どうも御馳走様でした」
「良いってことよ。おれが迷惑をかけたお詫びなんだからな」
 ゴッティさんはそう言うとばしばしと背中を叩く。相変わらず痛い。
「その代わり、また飲み会に誘うからそん時は参加してくれよ。俺のせいで断られたとかいう話になるからな」
 そう言っていつもの豪快な笑いと「じゃあな」という一言を残して街並みへと消えて行った。
 
 
 
 
 翌朝、いつもの庭で深呼吸をひとつ。右手には刀、左手には薪。
 ゴッティさんには大事な物を守りたいという意思があった。
 強くなっていく過程は確かに楽しい。だが、強くなりたいという意思が自分には足りていなかったのではないだろうか。
 弱ければ命がなくなってしまうような世界に居ながら、自分の成長をハーディさん達任せにしていた。
 言われたことをこなすのではなく、やり遂げねば。
 今は、誰を信頼して良いのかも分からない状態なのだから、なおさらだ。
 少しでも早く、強くなる必要がある。自分の身を自分で守れるように。
 深呼吸をもう一つ。
 薪を投げ、刀を振るう。いつも通りの一撃はいつものように薪へと浅い傷をつけた。
 ――ここで必要なのは自己肯定だ。
“良い、これで良い。ここがスタート地点としては完璧だ”頭の中で自分へとそう言い聞かせる。
 もはや呪詛に近いかもしれない。
 再び薪を手に取り、同じ体勢へ。
 脳内に浮かび上がるのは先ほどの自分。
 体重移動と刀の出が合っていないことが分かる。僅かだが、確かにずれている。そのことに気付いた瞬間、脳内からイメージはかき消えた。だが、やりたいコトは出来た。薪を拾う。
 刀を振るい、自己を振り返る。少しずつ、思い通りに動かない身体へ修正と改良を加えて行く。
“強くなりたい”という生まれたての、固まりたての意思に従って。
 
 
 



[10571] 第十八話 女神の抱擁
Name: ねしのじ◆b065e849 ID:b7c8eab1
Date: 2011/11/27 16:14
 朝食後、いつものように出された大量の肉をいつものように腹に詰め込み、いつものように浅い息を繰り返していると、昨日帰ってきたばかりのハーディさんから声が掛かった。
 同時に革袋がテーブルに置かれ、ジャラッという金属の音が放たれる。
「これが今月分の給金だ」
「ありがとうございます」
 いつものことだが、革袋はずっしりと重い。
「ところで大学の人員選びはどうなってる?」
「そうですね、やっぱりそれなりに有能な人や熱意のある人は一度目の募集に応募してきていますので、中々人が集まらないのが実情です」
 仕事としてはこれから先が大変な所なのだろう。集まらない募集人数、高まらない質。これからの困難が容易に想像できる。
 それを思うと浅く繰り返していた息の中に深いものが一つ入った。
「今月分はどうだ? すでに選考は行っているのか?」
「一応選考は終了しています。ただ、やはり質が難しい所で、合格か判断に迷う人が数名いる程度ですね」
「なるほど、ちょうど良かった。実は今月からもう大学の人員は送らなくて良いという話だ」
「……ぅえっ?」
 自分でも驚くほど間抜けな声が出た。
「もう大学での人員集めはしなくて良いとのことだ」
 ハーディさんは同じ内容を繰り返した。意味は分かる。理由は分からない。
 前回ガイスへと送ったのが10名をちょっと越える程度だ。
 全員採用したとしても必要な人員には到底届かないのではないだろうか?
 既に必要な人員はそろっていた? あるいはほぼそろっていたということになる。
 そういえば、ノーディはこことは別に港街にも大学があると言っていた。
 そちらに別の人員が向かい、大量の人員を獲得した。あるいはしていたという可能性もあり得る。
 原因について考えているとネスティアさんがお茶を置いてくれた。
「いいじゃない。これで修行に専念できるでしょう? 」
「……それもそうですね」
 何しろ、指令を出している腹黒領主は遠いガイスの地に居るのだ。近くても真っ黒で中身が見えないのに、こんな離れた場所からあの人の腹の内を見るのは到底不可能だろう。
 そしてそれよりも、目の前のネスティアさんが浮かべているサディスティックな笑みに、血の気が引いて行くのが分かった。
「やることはいつもと変わらんさ、それじゃあ道場で待っているぞ」
 そう言ってハーディさんは席を立った。
 
 
 
 
 
 
 久々にハーディさんと行う修行は辛いものとなった。
 ハーディさんの動きは見える。だが、回避が間に合わない。
 刀を振っていると、その隙にハーディさんが木刀を差し込んでくる。
 刀の振り終わり、振り始め、あるいは持ち手を変えている隙が狙われる。
 肩を打たれ、床に転がされるたびに脳を焼き斬るような痛みが奔った。
「ガッ」
 口からは、意味をなさない呻きが漏れる。以前よりも、さらに痛みが増している気がした。救いは痛みが後を引かないことぐらいだ。
 だが、転がされた回数はもうすでに二十回を優に超えるだろう。
 身体へのダメージよりも先に、心が折れてしまいそうだ。
 四つん這いになった身体が重かった。視線が床から離れない。立ち上がれない。
 立ち上がりたく、ない。
「ほれ、いつまで寝ているんだ?」
 鳥肌が立つ。反射的に顔が上がった。
 一瞬だけ、ほんの一瞬だけだがハーディさんの雰囲気ががらりと変わっていた。
 いつもハーディさんから感じる存在感とは似て非なる――禍々しく、粘度の強い、あれが殺気というものだろうか。
 このまま起き上がらなかった場合、何が起こるのかは想像できないが、起き上がらないという策が下の下だということは分かった。歯を食いしばる。
 九割の恐怖と一割の怒りを糧に何とか立ち上がった。刀を構える。
 左側に立っているハーディさんから意識を外せない。
 一つ刀を振り、持ち手を右手へと変え、もう一つ振る。ハーディさんが視界の外へと消えた。
 同時に動く気配がした。左半身が粟立つ。
 イヤダ、イタイノハ――イヤダ!!
 脊髄反射を生んだのは、本能か、身体に刻み込んだ経験か。
 膝を抜き身体を沈める。重力に任せるだけでなく身体にひねりが加わる。
 左手を柄に添え、身体は右へ、反動を使って刀を左へ――
 左から迫りくる木刀から逃げるだけではなく、迫りくる脅威を叩き落とす。
「あぁっ!」
 漏れる声。
 手ごたえは、無い。
 だが、襲ってくる衝撃もなかった。カラカラという乾いた音だけが響く。
「今のは中々だ」
 ハーディさんはさっきと同じ位置に立っていた。
 先ほどと違うのは、ハーディさんが持っている木刀の先が五分の一ほどなくなっていることか。
 反射的に後ろを振り返ると、道場の隅に木刀の切っ先が転がっていた。
「その感覚を忘れるな。今日はここまでだ。薪割りもやっておくように」
「……はい」
 スキルがなければ、どんな動きをしたか全く思い出せなかっただろう。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 昼食後、逃げるように街へと出た。喧騒が耳を付く。
 強くなるという意思はすでにぼろぼろだ。
 なにか気晴らしでもしようと、ずいぶん重くなった革袋を取り出した。
 中身は銀貨45枚。まぎれもない俺の全財産である。
 今回はなぜか給料も増えていた。今まで銀貨25枚だったのが今回はなぜか30枚あったのだ。
 このタイミングで昇給ということもないだろうが、せっかくもらった物。有意義に使いたい。
 辺りを見回しながら、喧騒の大きい方へと歩みを進めた。
 
 
 
「さぁさぁ、南の果物だよ! 甘くておいしいよ!」
「東の大国から来た新商品! 他の店じゃ手に入らねぇぞ!」
「地下街から出てきたばかりの武器いろいろありますよ! Cランク以上の武器も!」
 祭りか何かだろうか? 地下街の近くにある広場はいつも以上に盛り上がっている。
 子どもたちはいいにおいのする出店をまるで宝石のように見つめ、大人たちは道具を真剣な顔で見つめている。
 どの店も客を呼び込むため大きな声で商品の宣伝に余念がない。珍しいものにはつい目が行ってしまうので、しつこく引きとめられることもあった。
 そんな中、以前感じたことのある気配がした。
 辺りを見回と、少し離れた所でバルディとゴッティさんが出店を覗いているのが見えた。
 近付いてみると道具屋の様だ。
「何見てるんですか?」
 答えてくれたのはバルディだった。
「ん? ああ、シュージか。探索に役立つ道具がないかってな。 こういう祭りの時は相場より安くなることもあるから」
「そうなんですか。 何か良いものはありましたか?」
「それなりに。 だけどこういう時は不必要な物でもつい買ってしまうな。 散財してしまったよ」
「いいじゃねぇかよ。こんな時に使わないで何のための金だっつう話だろ。せっかく稼いでるんだ」
 そう言っていつものように豪快に笑う斧使い。
「まぁ、そうだけど。僕は後悔するような使い方はしたくないの」
「後悔なんてモンは後ろを向いてるからするんだよ。若者らしく前向いとけ」
 そう言ってゴッティさんはバルディの背中をばしばしと叩く。……本当にばしばしという音が聞こえてくる。バルディは慣れているのか全く痛そうな表情を見せないが。
「参考のためにどんなものがあったか教えてもらっても良いですか?」
 その言葉に二人が微妙な表情を見せた。
「まぁ、教えるのは構わないけど……正直参考にはならないと思うよ?」
「そうなんですか?」
「まだ始めて間もないとはいえ、これでもサーチャーの端くれだからね」
「探索用の物を買ったんですか?」
「いや、そうじゃなくて……まぁ実物を見せた方が早いか」
 そう言うとバルディは腰にぶら下げた袋から瓶詰の液体を取り出した。
「これは“女神の抱擁”という薬で、飲むと痛みを感じにくくなり、傷が早く治る――」
「それ! どこで買えますか!?」
 バルディの目が丸く開かれているのが、ひどく滑稽に映った。だが、今のおれにとってその薬はホントに、ホントにのどから手が出るほど欲しいものだ。
「おいおい、どうした? 落ち着けシュージ」
 ゴッティさんが止めに入ってきた。バルディはパクパクと口を動かし、酸欠の魚のようだ。その姿に自分が取り乱してしまったことに気付いた。
「す、すいません」
「い、いや、良いんだ。驚いてしまっただけだから。それにしても君がそんなに取り乱す所なんて初めて見たたよ。何かあったのか?」
 なんて答えるべきだろうか? 修行がつら過ぎてそれを和らげるためにと正直に言うべきだろうか? ……かなり情けない気がするが。
「……まぁ何か事情はあるんだろうけど、これ銀貨四枚だぞ? これでもかなり相場よりは安いんだ。僕らがハンターやってた時でもこんな薬買ってなかったっていうのに」
 銀貨四枚……確かに高いがそれで今後の修行が楽になるなら安いものな気がした。だが、バルディの言い分からあまりあっさり買えるというのもやはり問題があるのだろうか?
「それなら金は何とかしますんで……せめて安く売ってる場所だけでも教えてもらえませんか?」
 俺の言葉にバルディとゴッティさんは顔を見合わせる。二人とも苦虫を噛んだような顔をしているのが印象に残った。
 
 
 
 
 
 
 二人に連れられ、広場の奥へと歩みを進めた。奥へ行くほどサーチャーが多いのか、辺りから強者の放つ気配を感じた。
「ここが買った店。まだ在庫があるかは分からないけどね」
 バルディに紹介された店は一見すると他の露店と変わらない。日よけのテントと商品を敷いておくための敷物だけで構成されている至ってシンプルな店構えだ。だが、その店は他の露店よりも少しだけシンプルだった。敷物の上には薬と思しき液体の入った茶便が並べられているだけだった。
「また来たのか。中々景気がよさそうじゃないか」
 煙草をくゆらせている女店主がけだるそうに言った。長いキセルの先から上がる紫煙が店主の妖艶さを際立てる。
「今度は俺じゃなくてコイツだよ。景気はそんなに悪くないけど、この店で何度も買い物できるほど良くもないからね」
 女店主の視線がバルディからこちらへと移った。流れるような黒髪がサラサラと動く。値踏みするような視線を頭から足先へと移し、また頭へと戻す。女店主の顔を正面から見ていた俺からは形の良い眉が微かに跳ねたのが分かった。
「誰かと思ったらハーディんとこのボウヤじゃないか」
「……どこかでお会いしましたっけ?」
「いや、俺が一方的に知ってるだけさ。お前とハーディはお前が思っているよりは有名だと思うぞ」
 そう言うとこの話は終わりだと言わんばかりにキセルをくわえた。女性の一人称が“俺”というのは珍しいと思ったが、彫刻のように整った顔立ちは性別を超えていて、違和感を感じさせなかった。
 紫煙を虚空へ向けて吐き出すと視線だけはそちらに向けたまま口を開く。
「で、だ。何が欲しいんだ?」
「ええっと、バルディが買った……」
「“女神の抱擁”が欲しいんだと」
 言葉に詰まっていると他の薬を見ていたバルディが助け船を出してくれた。
「は? なんでハーディの弟子がそんなもん欲しがるんだ? あそこならほとんどの傷が瞬時に治せるぐらいのモノがそろってるだろ?」
「いや、どちらかというと痛み止めとして欲しくて……」
 そのセリフにバルディとゴッティさんが目を見開いてこちらを見つめてきた。なるほど、これが驚いた人の気配なのか。
「まぁ確かにそういう効能があるのは事実だが、ずいぶんと豪勢な使い方をするものだな」
「他に痛み止めがあるのならそちらでも良いんですが……」
「一時的に痛みを感じなくするような薬ならあるが、女神の抱擁のように身体変化薬ではないな」
「身体変化薬ですか?」
 店主は軽くため息をつくとキセルをバルディへと向けた。バルディが店主の方を向く。
「身体変化薬ってのは何かだと。教えてやれ」
 そう言ってアゴをクイッとこちらへしゃくった。
「身体変化薬って言うのは飲むと身体に変化のある薬の事で、“女神の抱擁”もその一つなんだ。普通の薬と違うのは効能がずっと続くことなんだけど、その分どうしても普通の薬よりも効果は薄くなるね。だから使う人は定期的に飲み続けて効果を重ねて行くことが多いかな」
 バルディが説明してくれた薬の効能はこちらの想像以上のものだった。つまりは一度飲めばずっと修行が楽になるということか。なんて素晴らしいアイテムなんだ。あとは……いくつ買うか。それが問題だ。
「一気に二、三本飲んでも大丈夫なんですか?」
 その言葉に驚いた顔を見せたのは女店主だった。
「そんなに買うのか? いや、まぁ金さえ払ってもらえればこっちとしては文句はないが……あぁ、重ねがけについてだったな。
 薬の種類にもよるんだが、効果が高いものほど重ねがけには期間が必要になる。女神の抱擁は副作用がほとんどないが、重ねがけには10日の期間が必要だ。それに効きは重ねがけするほどに落ちて行く。効果があるのは……大体10本までだ」
 10本、銀貨四十枚だ。買えなくはないが、とりあえず様子見ということで三、四本にとどめておくのがベストだろうか?
「じゃあ……四本ください」
『四本っ!?』
 バルディとゴッティさんの声が重なった。バルディにいたってはそこからさらに言葉を重ねる。
「強くなりたいんならそれで武器でも買った方が良いって!」
 バルディの言うことはもっともである。今の俺の目的は“強くなるための修行に専念するため”の物なのだ。それがどれだけ後ろ向きか、回りくどいかは自覚していた。
「それはそうなんですが……それでも、今の俺に必要なのは強い武器よりもこの薬なんです」
「……勇者の修行でか?」
 ゴッティさんが珍しく真剣な声で尋ねる。
 今さら誤魔化しようもない。素直に首を縦に振る。
「シュージ、それはお前……騙されてるんじゃないか?」
 ゴッティさんの口調は、疑問形ではあったが……確信を含んでいるように聞こえた。
 
 



[10571] 第十九話 秘書とレベル
Name: ねしのじ◆b065e849 ID:e52e3d9c
Date: 2011/11/27 16:26
「騙されてる……ってなんでですか?」
 神妙な顔つきでそう告げてきたゴッティさんは顔を左右に振ると当然だろと言わんばかりに語り始めた。
「あのなぁ、普通強くなるのに女神の抱擁なんて必要な状況になると思うか?」
「レベルのコトですか? でもレベルを上げるには命がけの闘いをしないといけないでしょう?」
 おれの反論にゴッティさんは再度頭を振った。周りを見渡すとバルディも女主人も可哀想という表情を越えて悲痛な面持ちになっている。
「その前提がおかしいだろ。レベル上位の人間がついていればレベルを上げるってのは危険でもなんでもねぇんだ」
 ゴッティさんが何を言っているのか理解するのに一秒、自分の記憶と照合するのに二秒、内容を再検討するのに二秒、合計約五秒間の静寂が生まれた。ゴッティさんもバルディも女主人も何も言わない。
「は? あ、え?」
 誰かが意味をなさない音を発する。それが自分の口から生まれているものだというコトに一拍遅れて気付いた。
「れ、レベルは……命がけのたたかいをこえないと上がらないんじゃ?」
 先程と全く同じ質問をしている。そのことは自覚しているが声に出さずにはいられなかった。こちらが混乱しているコトを悟ったのか、ゴッティさんは一つため息をつき、頭をかいた。
「とりあえず、落ち着け。お前が勘違いしているコトは分かったから」
 そういうとゴッティさんは女主人の方に向き直った。
「仕事の邪魔をして悪かったな。後はこっちでやるんで……とりあえず女神の抱擁は二本くれ。それで良いよな? シュージ」
「え、ええ」
 混乱状態のおれにまともな判断力が有るはずもなく、ゴッティさん言葉に反射的に頷く。
「ここで話してもらっても……いや、やめとこう、俺の店は町の南西にあるグレッティって店だから、これからもどうぞご贔屓に」
 女主人も話が気になる様子ではあったが、飯の種をおろそかにする訳にもいかないのだろう、銀貨八枚と引き換えに女神の抱擁二本を受け取り、店を後にした。





 適当な屋台に入り、適当に注文する。正直何を頼んでも、まともに味を理解できる自信がなかった。
「それで……本当に、……いえ、レベルを容易に上げる方法っていうのは何なのですか?」
 あそこまで言われるのだ。方法が有るというのは本当なのだろう。問題はその方法が実現可能かどうか、本当にハーディさん……いや、ハーディに騙されていたのかどうかだ。
 この質問に答えたのはバルディの方だった。
「簡単な話だよ。レベル的に圧倒的上位の仲間がいるのなら、レベルの高いモンスターを瀕死状態にしてもらえばいい」
 バルディは何でもないようなコトのようにそう答えた。
「は……え?」
 ハーディの説明が脳裏に浮かぶ。
“レベルというのは自分と同等以上の敵を倒して、もっと正確に言うなら好闘神ディリウスが困難だと認める戦いに打ち勝たなければ上がらない。レベル的に十回戦って七回は勝てる相手に何度勝った所でレベルは上がらない。”
 【レベル的に】
「あ、の、やろぉ!」
 ぎりっと歯が鳴る。ゴッティさんが顔をしかめるのが目の端に写った。
「落ち着け、落ち着け」
 バルディはこれが落ち着いていられるだろうか。ギリギリと歯の鳴る音が鼓膜を通して頭に響く。それが本当なら素振りに愛想尽かして辞める人間が続出することに何の違和感もない。むしろ勇者の下に弟子入りする大半の人間がそのような方法で武力を求めるだろう。確かに、いわれてみればおかしな点はあった。違和感は感じていた。命をかけなければいけないとすれば、レベルを有している人間が多すぎるだろう。レベル5の人間がみな最初の闘いのような修羅場を、あるいは死ぬかもしれない闘いを5回も乗り越えたということは考え難い。
「落ち着けよ。そもそも僕はシュージが騙されてるとは思ってないぞ。この方法にもメリットとデメリットが有るんだから」
 バルディの言い分に少し頭が冷える。確かに、それが成立するならば巷には勇者が溢れることになるだろう。
「メリットはもちろん危険が格段に少なく、容易にレベルが上がる事、デメリットはボーナスが少なくなることだ」
「ボーナス?」
 メリットは分かる。この方法なら低レベル者に要求されるのはとどめをさすことだけだ。相手が動けない状況にしておけば危険は皆無といっても過言ではないだろう。
「戦闘後に好闘神から得られるものはレベル差からくる基本の祝福に加えて、闘いの困難さからくるといわれているボーナスが付いているんじゃないかって言われてる。たとえばレベルが自分より低い相手でも敵がたくさんいるような場合はレベルが上がったりアイテムが得られたりする。一回の戦闘で一定の閾値を超えるとレベルが、アイテムが、スキルが入ってくるってわけだ。」
 バルディは腕を組み、顎に手を当てながら答えた。
「そのボーナスがないってことは……」
「無いわけじゃなくて少なくなるってだけなんだが……まぁボーナスが少ないとレベルは上がりにくいしスキルやアイテムは得られなくなる」
 バルディの説明を受けてゴッティさんが口を挟んできた。
「だが、その方法でも間違いなく強くなれるぞ。どう取り繕っても強さの根幹はレベルだ。どんな修行をしているのかは知らんが、スキルにしたってアイテムにしたってどんなものが得られるかは物が出てくるまで分からん。そんなモン手に入れるために女神の抱擁が必要か?」
 ゴッティさんの言葉にバルディも反論する。
「だけどスキルが無いと成長に限界が生まれてしまうのも本当でしょう? 現実問題、何かしらの武器が無ければレベルが上位の敵に勝ち続けることなんてできないんだ」
「そりゃ、俺達みたいに普通の人間が集まってるパーティならそうさ。だけどこいつが学んでるのは勇者だ。レベル50越えのモンスターだって赤子同然にひねる事が出来る怪物以上の存在だぞ。そんだけの力がありゃあ秘書に必要なレベルなんてすぐにクリアできるだろ」
 そのままゴッティさんとバルディの二人で議論が始まる。当事者を完全に置いて行ってしまっているが、こちらの思考も全く別の方向に進んでいた。そもそも、必要としていた物は何だ。全てを打ち倒す圧倒的な力か? 富か? 名誉か? 違う。おれが必要としてたのは――
「そう思うだろ? シュージ」
 思考の海に溺れかけていた俺をゴッティさんの一言が無理やり浮上させた。しまった。話の流れが分からない。
「ええっと、要は、ハーディさんに補助してもらってレベルを上げてしまうか、現状の修行を続けて一人でレベルを上げることが出来るようになるかっていうことですかね?」
 その言葉にバルディとゴッティさんは二人して腕を組んでしまった。微かな逡巡の後、ゴッティさんが口を開く。
「まぁ、大雑把にいえばそういうことになるんだが……もっと根本的な問題にもなる。そもそもシュージが勇者に騙されてると言ったのは、噂を聞いたからだ」
 『噂?』
 バルディとおれの声が重なった。この話はバルディも知らないのだろう。
「そうだ。曰く勇者ハーディの所で行われているのは心を折るためのモンだっていう噂だ」
 心を折るための修行と聞くと精神を鍛えるという意味だろうか。確かに苦行めいた修行ではある。ゴッティさんはそのまま話を続ける。
「なんでもハーディは親交のある領主から依頼を度々受けているらしいってな。依頼の内容は至極簡単で、弟子を辞めさせるってもんだ」
「辞めさせる? 修行を、ってことですか?」
「そうだ。各地の領主は仕事としてハーディの下で修業を言いつけ、弟子とさせる。ハーディはその弟子たちに苦行を強いて心を折り、修行を辞めさせる。仕事を達成出来なかった弟子たちは領主の下に戻ってクビを宣告されるっていう寸法だ」
 その言葉に嫌な予感が生まれる。
「そ、そんなコトしてなんになるんですか? ……なんになるっていうんですか!?」
 喧騒に溢れていた屋台の中が一瞬、静かになった。だが、周りを気にしている余裕などどこにもない。
「落ち着け。大きめの地方都市領主のもとには大貴族が息子を修行に出したりする。普通の貴族相手なら断るって選択肢もあるんだが、ガイスの領主程度ではそんなことが不可能な相手もいるんだ。そういった大貴族の……いわゆるどら息子なんかを追い払うためにそんなコトをしてるらしい。」
 ゴッティさんの説明は沸いた頭でも理解することが出来た。要は、息子を派遣に行かせたら剣を振るのが嫌になって帰ってきました。恥ずかしくて公には文句が言えません。ということなのか。確かに修行先として勇者であるハーディの所は、ある種最高のステータスになるだろう。そんなトコに修行に出された上で、命の危険も無いのに修行が嫌になって逃げだしましたとなれば公にデイトリッヒさんの所へ文句がいくはずもない。
 自身のケースにあてはめて見るならば、縁剣隊に奪われかけた手柄を、おれを引き込むことが決まっていたという体で無理やり軍に持ってきた。ここで簡単におれを切ってしまうとそもそもデイトリッヒさんに人を見る目が無いという事になる。それが貴族の世界でどんなデメリットになるのかは想像するしかないが、あまり好ましくない事態であるだろう事は想像がついた。
「シュージ君のケースもそれと同じなんじゃないかってコト?」
 バルディがとどめの質問をゴッティさんに投げた。
「それ以外に考えられるか? なんで秘書がサーチャーでも必要になるか分からない戦闘技術を身につける必要が有るんだよ。単に力が必要なら勇者にレベルを上げてもらえばいいだろ」
 ゴッティさんのいうことはもっともだ。
 そして、それはつまり――この世界で、今まで手に入れてきたと思ったものが、砂上の楼閣に過ぎなかったということだ。




感想掲示板 作者メニュー サイトTOP 掲示板TOP 捜索掲示板 メイン掲示板

SS-BBS SCRIPT for CONTRIBUTION --- Scratched by MAI
0.20613694190979