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[10137] 【完結】 とある第八位の風紀委員(ジャッジメント) とある科学の超電磁砲
Name: 咲夜泪◆ae045239 ID:ceb974ce
Date: 2011/04/03 00:37



 七月十六日(1)


「――動くな!」

 活気溢れる銀行内にお決まりの怒号が響き渡る。
 雑多な小火器を片手に振り翳し、申し分程度に口布を着用する三人組は何処に行っても一目で判別出来るぐらい立派な銀行強盗だった。

「……やれやれ。何で銀行に金下ろしに行く度に、ああいう輩と必ず遭遇するのかねぇ。不幸だわ」

 多くの客人が突然の事に立ち竦み、仕事に従事していた銀行員達も日常を脅かす理不尽な強盗達の存在に動揺する。
 そんな中、ワイシャツの裾をだらしなく出した赤髪の少年は、緊迫した空気を読まずに窓口に歩いて、無言で通帳と一枚の書類を提出する。書かれた金額は五万円ジャストだった。
 窓口の女性が「え?」と疑問符を浮かべる中、銀行強盗達は自分達の警告を無視して平然と動いた少年に視線が集中した。

「テメェ、何動いてやがるっ!」

 彼等は怒りで眉間を歪め、銃口を一斉に少年に向ける。
 銃の引き金を引こうとする人差し指に力が入り、いつ暴発しても不思議じゃない状況で、少年はポケットから腕章を気怠げに取り出し、自身の右腕の袖に着ける。

「ホント、同情したくなるほど不幸だね、君等」

 盾をモチーフにしてデザインされた腕章は学園都市では周知の、彼等にとって非常に苦々しいものだった。

「な、風紀委員(ジャッジメント)だと!?」

 風紀委員は生徒の中から選出される、学園都市の治安維持の役割を担う組織の一つである。
 大抵の者が戦闘の心得がある能力者であり、個々の能力によっては次世代兵器で武装した大人達の警備員(アンチスキル)より厄介な存在だった。

「さて、銀行強盗の現行犯で全員拘束しなきゃいけないんだが、無条件で投降する気は無いか? それがお互いにとって最善の選択だと思うんだが」

 少年は半眼で面倒そうに降伏するよう勧告する。
 犯人達は眼を合わせ、同時ににやりと笑う。

「ケッ、ビビッてやがるぜ! 一人じゃ何も出来ないってか!」

 その異常なまでのやる気の無さを、恐怖を隠す為の虚勢だと勘違いしたのか、銀行強盗達は一斉に笑った。
 幾ら風紀委員と言っても、誰も彼もが戦闘向きの能力を持っている訳ではない。
 全員が全員武装している警備員と比べて、目の前のハズレであろう風紀委員は脅威に値しないだろうと三人は都合良く考えた。

「きゃあっ!」

 念の為か、三人の中で最も巨体な男は傍らで脅えている女性を強引に引っ張り上げ、頭に銃を突きつける。
 正義の味方を自称する風紀委員や警備員は、これで容易に手出し出来なくなる。銀行強盗達は自身達の悪党っぷりと機転の良さを自画自賛した。
 彼等の誤算は唯一つ、この時まで無表情だった少年の口元が酷く歪んだ。常闇の中で亀裂が生じたように、不気味なまでに。

「ほらよっ、人質だ。コイツの命が欲しければ大人しく――そげぶっ!?」

 少年は間髪入れず懐に踏み込み、迷う事無く人質を盾にした男の顔面を殴り抜いた。巨体の男は訳が解らない内に吹っ飛び、窓口に強烈に激突し、意識を失った。
 人質だった女性は腰が抜けたのか、声も無くその場にぱたんと尻餅付いた。

「――実に喜ばしい選択だ。君達に抵抗の意志があるんなら遠慮無く叩き潰せる」

 少年の威圧感に満ちた声が響き渡る。
 端麗で無表情だった少年の顔は、今では立派なまでに極悪人の面構えになっていた。
 まるで目の前の玩具をどうやって弄くって壊そうか、見下して嘲笑う少年に寒気を通り越して悪寒さえ感じたが、恐慌に駆られた銀行強盗は震える銃身を少年に向けた。

「な、舐めんなァ!」

 鈍い火薬音と共に発砲された弾丸は、されども少年の〝眼〟の前でぴたりと停止した。
 強盗達が眼を見開いて驚く中、あろう事か、少年は止まった弾丸をデコピンで弾いた。

「――え、がぁっ!?」

 それだけで弾丸は発射された速度と同じ速さで銃口に出戻り、銃の内部で暴発して弾き飛ばした。

「念動力(テレキネシス)か!? だがっ!」

 手に裂傷と手酷い火傷を負った男が床で蹲る中、最後の一人になった男は銃を捨て、自らの右手に燃え滾る炎を燈した。
 それは種も仕掛けもある手品でも種も仕掛けもない魔法でもなく、学園都市では一般と化した技能だった。

「発火能力者(パイロキネシスト)、強能力(レベル3)といった処か。で、その火遊びでどうするんだ?」

 学園都市では暗記術や記録術という名目で人為的に超能力を開発する事が、普通に時間割り(カリキュラム)に入っている。
 発現する能力は個人の資質が大きく関わり、一通りの時間割りをこなせば大体の者が何かしら能力を使えるようになる。
 また、それら能力には強度(レベル)が六段階まで存在し、日常的に役に立たない程度ならば無能力者(レベル0)から異能力者(レベル2)、目の前の男ならば日常でも便利に感じる強能力者(レベル3)である。
 男の掌で燃え滾る炎を少年は細目で眺め、それでも危機感を覚えないのか微動だにしない。完全に舐め切った態度に男は激昂する。

「余裕扱きやがって! 丸焼きにしてやるぜぇ!」

 掌から放たれた炎は一直線上に走った。火炎放射器と比較しても遜色無い一撃、されども少年は地の床に擦れるほど身を低く屈めて走って素通りする。

「――!?」

 不恰好な姿勢から繰り出されたとは思えない瞬発力に、二撃目を繰り出す為の演算は間に合わない。
 単純に炎を放つにも式に基づく計算が必要だ。授業を怠って不良となり、銀行強盗にまで落ちぶれた男にそれを求めるのは酷だろう。
 男は瞬時に手を掴んで引き寄せられ、強引に後ろに放り込まれた。

「ぬわっ!?」
「焼き加減はレアにしといてやるよ」

 体勢を崩して転び掛けた彼に対し、少年は指先を小気味良く鳴らす。
 その瞬間、先程と同じように炎が一直線上に走り、「へ?」と振り返ったばかりの男を無慈悲に焼いた。

「ぎゃあああああああああ~~!」

 炎が服部分に燃え移り、火達磨になった男が必死に地面に転がり続けているのを少年は愉しげに眺める。その貌には喜悦が見え隠れしていた。
 一人の能力者が二つ以上の能力を使うなど在り得ない。銃の破壊によって痛む手を押さえる男は、されどもそんな例外的な存在に心当たりがあった。

「多重能力者(デュアルスキル)だと……!? ま、まさかテメェは……!」

 男は見るからに青褪めて小刻みに震える。今になって自分達がどんな化け物を相手にしていたのか、不幸にも思い至ってしまった。

「この学園都市で唯一の多重能力者にして超能力者(レベル5)! 出遭ったら最期、誰も彼も無差別に、微塵の容赦無く再起不能にするという史上最悪の風紀委員……ッ!」

 曰く、出遭ったら諦めろとさえ言われている、二三〇万人の頂点に君臨する八人の超能力者の中で唯一人だけ風紀委員に所属する変わり者。
 ――建物に篭城したら建物ごと木っ端微塵に爆破された。
 彼に潰された武装集団が報復の為にプロの狙撃手を雇って狙撃しようとしたら、逆に撃ち落とされた。
 人質を盾にしたら「人 質 な ぞ 取 っ て ん じ ゃ ね ぇ!」と人質ごと遥か彼方にぶっ飛ばされた。
 大能力者(レベル4)を含む、強能力以上の能力者二十人なら大丈夫だと襲ったら、三十人が病院送りにされた。過剰分の十人は止めに入った風紀委員や警備員だったとか。
 その眉唾物の逸話の数々が、此処に来て限り無く近い真実であった事に男は実感し、戦慄する。

「八人の超能力者の第八位『過剰速写(オーバークロッキー)』赤坂悠樹!」
「おやおや、我が悪名も随分と広まったものだ。それが治安の向上に繋がらないのは皮肉な話だがな」

 本気で「何故かねぇ?」と思案する赤髪の少年こと赤坂悠樹に、超能力者を恐れて犯罪が三割ほど軽減しても、個人的な怨恨で三割は増えるじゃねぇかと男は内心突っ込んだ。

「じょ、冗談じゃねぇ! こんな化け物を相手にしてられっか!」

 二人の仲間を捨て、男は脇目振らず一目散に逃げ出す。
 無防備な背後を曝してまで銀行を抜け出し、脱兎の如く駆ける男を、悠樹は前髪を掻き上げながら悠長に歩いて追う。

「おいおい――この『過剰速写(オーバークロッキー)』から、本気で逃げれると思ってんの?」

 男は逃亡用に用意していた車に乗り込み、慌てながら鍵を差し込むが、こういう時に限ってエンジンが掛からない。

「クソクソクソクソォッ、早く掛かりやがれぇ……!」

 神に祈るような心境で何度も駆け直す中、漸くエンジンが掛かる。
 アクセル全開で車道を突っ走り、今まさに超能力者の魔の手から逃れるという前代未聞の快挙を成し遂げつつある時、悠樹はポケットから五百円大の金属の球体を取り出し、宙に放り投げる。
 ゆっくり自由落下する球体に合わせ、悠樹は正拳突きの要領で、全力で殴り抜いた。

「へっ、流石に車は追えま――!?」

 ――ただそれだけで世界を突き抜けた。
 音を置き去りにして超加速した球体は車のタイヤをプリンのように穿ち貫くだけでは飽き足らず、車体をダンプカーで刎ね飛ばしたかの如く、宙に数回転させたのち逆さまに転倒――完膚無きまでに停止する。

「あーあ、やっぱり照準が甘いか」

 周囲の喧騒が大きくなる中、悠樹は車に歩み寄り、銀行強盗の生死を確認する。
 運が良いのか悪いのか、運転席にいる男は泡吹いているが、まだ意識があるようだった。

「れ、超電磁砲(レールガン)……!?」
「まぁ所詮は物真似だ、本家より威力も命中精度も大分劣るしね」

 赤坂悠樹は携帯電話を気怠く弄りながら喋る。
 荒事は自分の領分だが、面倒な後始末はいつもの如く、他の風紀委員や警備員に押し付ける気満々だった。




「コイツ等が連続発火強盗犯だったのか。期待外れだな」

 首尾良く連続発火強盗犯を病院送りにした赤坂悠樹は、今日一日分の仕事は片付けたと自己判断し、適当に警邏しながら帰宅する事にした。
 当然、優先して片付けるべき案件や事件は幾らでもある。
 風紀委員八名もの負傷者を出した連続虚空爆破事件に、短期間で急激に力をつけた能力者の犯行が相次ぐ中、風紀委員の中で最強の戦力を遊ばすなど言語道断だろう。

「あ、待って下さい。これから来る警備員の方に事件の報告を――」
「面倒だから全部任せた。それぐらい君でも出来るだろ?」

 だが、それは同時に――何処の誰に超能力者の手綱を握る事が出来るだろうか。
 赤坂悠樹の気質は善ではない。治安を維持する風紀委員に有るまじき事だが、彼は対極に位置する悪そのものである。

「オレの領分は理不尽な暴力を更に理不尽な暴力で捻じ伏せる事だ。後始末は君達で頑張ってくれ」

 そんな彼が何故風紀委員に所属しているのかはさて置き、悠樹は他の風紀委員と一切連携を取らず、遭遇した事件を単独で解決する事しかしない。
 周辺への被害や犯人の負傷など齎す不祥事は甚大だが、一般人に対しては絶対に傷一つ付けない事と、異常なまでの事件の遭遇数(つまりは解決数)、そして絶対的な戦闘力を背景に、半ば強制的に黙認する形となっている。

「――あら、職場放棄ですか? 余り褒められた行いではありませんわね」

 だが、何事にも例外が存在する。今日この時、不良風紀委員である悠樹を咎める者が目の前に立ち塞がった。
 有名校である常盤台の制服を纏った、茶髪のツインテールの少女。右腕の袖には風紀委員の腕章があり、自信と余裕に満ち溢れた笑顔は中々様になっている。

「いいや、適材適所ってヤツさ。オレみたいな有能な人間には現場が似合うってな」

 自分の事を知ってか知らずか、平然と話しかけてきた無謀な中学生に悠樹は親切に対応する。暴力以外の手段を使う時点で、彼の感覚では親切に値したりする。

「学外での治安維持活動は越権行為ですわ。貴方は自分の始末書をその子に書かす気で?」
「生憎と始末書を書いた事なんて一度も無いのでな。第一、あれって他人に書かすもんだろ?」

 自分だけの非常識を世界の常識を語るような言い草に、ツインテールの少女が青筋を立てる。
 悠樹は新しい玩具を見つけたように挑発的な笑みを浮かべる。
 内心でどう弄ぶか、あれこれ考えていた時――横から今にも飛び出しそうだった少女を制した、もう一人の常盤台の少女に眼を奪われる。

「――傲慢も其処まで来れば怒りも通り越して呆れるわ」

 彼女の茶髪の髪が揺れる度に、青白い火花が宙に散る。
 能力行使すらしていないのに、これほど解り易い発電能力系のAIM拡散力場は、幾人もの電撃使い(エレクトロマスター)を見てきた悠樹にしても未知なるものだった。
 同時にこの余りにも別格の様子から、悠樹はある人物へと瞬時に思い至る。相対する全ての者が格下と、常時見下していた傲慢極まりない態度が今だけ消える。
 恐らく彼女は、学園都市でも他に七人しかいない同格。その中で電撃使いは一人しかいない。

「格下どもにオレの一挙一動全てが傲慢不遜に見えるのは致し方無い事だが、君から言われるのは心外だ。あぁ、心外だとも。常盤台中学のエース、第三位『超電磁砲(レールガン)』御坂美琴」
「自己紹介の必要は無さそうね。長点上機学園の頂点、 第八位『過剰速写(オーバークロッキー)』赤坂悠樹」

 御坂美琴も赤坂悠樹も互いの学校と順位を敢えて強調しながら、一触即発の空気を張り巡らせる。

(……同じ超能力者で、よりによってあの長点上機学園の御方――第五位の『心理掌握(メンタルアウト) 』より相性が悪そうですわね)

 ――常盤台中学と長点上機学園は学園都市の中で五本指に入る名門校である。
 常盤台は在学条件の一つに強能力者以上という最難関であり、二百人余りの生徒に大能力者が四十七名、更には超能力者が二名いるトンデモ校である。
 長点上機学園は能力開発においてナンバー1とされる超エリート校であり、常盤台と違って高位能力者でなくとも一芸に秀でていれば良い。
 対極の在り方ながらも、二校はあらゆる面でライバルなのである。特に、二三〇万人の学生を抱える学園都市の全学校が合同で行う超大規模の体育祭、大覇星祭で顕著に現れるのは余談である。

(うわぁ、どの方も名門校で高位能力者の人ばかり。私だけ場違いかな? でも、第八位かぁ。御坂さんの方がずっと上だけど――)

 超能力者の順位は、学園都市側が定めた正確無比にして無慈悲な格付けである。
 一つ順位が違うだけで、相性云々以前に、絶対的な壁に隔たれているとさえ言われているが、実際に超能力者同士の戦闘が行われた事は滅多に無く、真実は定かではない。

「弱い者苛めも大概にしたら? 見ていて気分が悪いわ」
「強者気取りで上から目線か? やれやれ、順位で勝敗が決定しているなんて的外れな勘違いをされるのは不愉快極まるな」

 下位が上位に打ち勝って下克上するなど夢のまた夢、増してや第三位と最下位など比べるまでもない。それが上位の者の一般論である。

「やはり無能の愚民達に一度思い知らせる必要があるな。誰が学園都市最強なのかをね」
「そんなに最強を名乗りたいなら『一方通行(アクセラレータ)』と戦ったら? 最初から敵わないって理解しているから挑まないんでしょ?」

 心底馬鹿にした美琴は鼻で笑うが、悠樹もまた同質の笑みをもって返す。

「見縊らないで欲しいな。順番だよ、順番。第七位から第二位まで順々に潰してから第一位に挑むのが挑戦者の礼儀ってヤツだろ? 予定が若干繰り上がったが、名前も詳細も解らない第六位を探すのは飽きたしな」

 テメェなんざ前座の噛ませ犬に過ぎねぇんだよ、という悠樹の傲慢不遜な態度に、ただでさえ気が短い美琴は完全にカチンと来た。
 彼女の髪の周辺で、視認出来るほどバチバチと電極の火花が飛び散るぐらいまでに。

「――へぇ、一度痛い目に遭わないと解らないみたいね」
「後で泣き言吼えるなよ。ああ、それとも慰めて欲しいのか?」

 売り言葉に買い言葉。一触即発どころか爆心地(予定)と化したこの空間に、周囲の一般人達は我先にと自主的に退避する。規模はともかく、能力者の喧嘩は学園都市では割と日常茶飯事である。
 他に残ったのは、風紀委員の腕章をした二人の少女だけだった。

「え、ちょ、お姉様!? 待って下さいまし……!」
「こんな処で超能力者同士が戦ったら、周辺が更地になっちゃいますよ……!」

 先程のツインテールの少女と頭に花を模った髪飾りを大量に付ける少女が慌てるのも無理はない。
 大能力者の時点で軍隊においても戦術的価値が得られるほどの能力なのに対し、超能力者は一人で軍隊と対等に戦える戦略級の最終兵器である。
 そんな人間兵器の二人が街中で衝突し合えば何処まで被害が広がるか、主に桁外れの弁償代などの方向性で想像すら出来まい。
 二人が色んな意味で慄く中、超能力者同士の超常決戦の幕が切って落とされ――る前に、とある人物の一喝で二人の高ぶった戦意は即座に霧散した。

「またお前か赤坂ぁ! 事情聴取が後回しになるから病院送りにしない程度に手加減しろって言ってるだろ! って、現場にいつまでも留まるなんて珍しいじゃんよ」
「うわぁ、よりによって黄泉川かよ……」

 そのジャージ姿の警備員、黄泉川愛穂の姿を見て、悠樹は肩をがっくり落とす。
 普段は「警備員何それおいしいの?」を地で行く悠樹でも、とある縁で知り合った彼女だけは苦手な部類だった。唯一、頭の上がらない大人だったりする。
 そんな限界まで脱力し、諦めムード全開の悠樹の様子を見て、美琴もまた遣る瀬無く溜息を吐いたのだった。






[10137] 七月十六日(2)
Name: 咲夜泪◆ae045239 ID:ceb974ce
Date: 2009/07/23 00:54


 七月十六日(2)


「君達みたいな見目麗しい女性と食事を出来るなんて男冥利に尽きるねぇ。あ、勿論嫌味だけど」
「……女々しい殿方ですわね」

 とあるファミレスにて、全力で不貞腐れる悠樹を含む四人、不機嫌な御坂美琴とツインテールの少女、花飾り全開の少女――白井黒子と初春飾利は一緒に食事していた。
 先程の一触即発の緊迫感とはまた違った、陰険でジメジメした空気が漂う。
 考えてみれば、超能力者二人が同席する異界じみた空間であり、この中では無力に等しい飾利はごくりと咽喉を鳴らす。注文した飲み物も緊張で咽喉に通らなかった。

「……五月蝿いなー。折角第三位の『超電磁砲』と戦う機会が訪れたのに、邪魔入って興が削がれた上に黄泉川の説教フルコースと来た。やる気が皆無になるのは致し方無い事だろ?」

 注文したチョコレートケーキを食べる時だけ自然と破顔しながら、悠樹は心底退屈そうに喋る。
 因みにこれが八個目であり、幾ら甘い物は別腹だとしても食べすぎだった。
 本人曰く、能力を使えば脳を酷使して腹が減るので糖分を摂取しなければならない、という尤もらしい建前を立てている。

「解りませんわねぇ。貴方はこの学園都市で八番目に優秀な人間で、更には治安維持の活動を務める風紀委員ですのよ。今更順位如きに拘られても困りますわ」
「いいや、拘るね。男として生まれたからには最強の座を目指すのは至極当然だ。オレは風紀委員である前に赤坂悠樹という一人の人間で、そういう馬鹿な人種なんだよ。それが『過剰速写』って男なのさ」

 本人は格好付けているつもりだろうが、チョコレートケーキを頬張りながら言っても全然格好が付かない。
 何でこの不良予備軍が風紀委員をやっているのか、黒子がジト目で呆れている中、飾利は先程から抱いた疑問を口にしてみる事にした。

「その、何で『過剰速写(オーバークロッキー)』なんですか? 英語と仏語の組み合わせって変じゃありません?」
「さぁね。そればかりは名付けた能無しの研究者に聞いて欲しいわー」

 悠樹の何処かはぐらすような言い方に、飾利は妙な違和感を抱く。
 学校側が命名する能力名は念動力や発電能力、発火能力などシンプルなものが多い。
 この法則から考えれば、赤坂悠樹の能力名は単純に『多重能力』になる筈だが、御坂美琴の『超電磁砲』や学園都市最強の第一位『一方通行』など、学生自身が決めた名称で呼称されるケースがある。
 それならば赤坂悠樹の『過剰速写』は間違いなく後者、彼自身が決めた能力名でなければおかしい。
 もし、彼の言う通り研究者が決めた名称だとしても、超能力者の彼が気に入らなければ呼称を変える事ぐらい簡単な話だ。
 普通の感性を持つ者なら英語と仏語が組み合わさった歪な造語など気に入らないだろう。
 それなのに変えない理由は一体――飾利が思い悩んだ時、フォークを皿の上に置く音が響いた。
 目の前を見れば悠樹が八個目のケーキを完食し、紅茶を優雅に啜っていた。

「それでさっきのアレなんだけど――」

 そのタイミングを見計らってか、先程から沈黙していた美琴が喋りかける。
 さっきのアレ、とは彼が使った擬似的な超電磁砲の事である。威力から見ても手加減した本家にも及ばないソレは、されども美琴の視点から見れば重大な問題でもあった。

「さっきのアレ? ああ、本家本元に見られたか。でもまぁ全力で撃ってあの程度だ、君と比べれば児戯に等しいよ」
「当たり前ですわ。貴方の模倣如きがお姉様の超電磁砲に敵う筈ありませんわ」
「手厳しいな。まぁその通りなんだが、格下を片付けるには便利な火力なんでね。使う事ぐらいは許してくれ」

 まるで我の事のように誇らしげに笑う黒子を見て、美琴はこんなに本物を見る機会があったのに気づいてないのかと内心溜息を付いた。
 ――擬似的な、とはそのままの意味である。悠樹の超電磁砲はそもそも超電磁砲とさえ呼べない。
 悠樹は電流や電磁波や磁力などを一切使わず、全く異なる法則を用いて同じような結果を生み出したに過ぎない。これは電磁力線を目視出来る御坂美琴だからこそ観測出来た事である。
 偶々発電系の能力を使えないからの苦渋の応用なのか、それとも誰にも想像出来ない隠れた真実が潜んでいるのか。非常に気になる処だった。

「いや、そうじゃなくて――」

 美琴が興味津々な表情を浮かべて追究しようとする中――偶然居合わせたとある人物の一言で今までの事全てが意識の外に葬り去られてしまった。

「――げっ、ビリビリ中学生」

 全員の視線がその少年に集中する。
 其処にいた棘々頭の少年は何処にでもいそうな平凡な高校生であり、何処か幸薄そうだなと悠樹は失礼な第一印象を抱いたりした。

「ビリビリって言うな! 私には御坂美琴というちゃんとした名前があんのよっ!」

 テーブルを叩きつけ、怒りで髪から放電する様はまさにビリビリといった感じであり、的確な仇名だなと悠樹が同年代ぐらいの少年に感心する。
 その反面、棘々頭が同じ超能力者を此処まで白熱させる相手という事実に疑問を抱く。

「……何方様?」
「ま、まさかこの殿方が……!」

 美琴の隣に座る黒子には心当たりがあるようだが、悠樹は気づかずに己が思考の裡に内没する。
 超能力者はその突き抜けた実力差の御陰で、他の者と対等に付き合えないケースが多い。見下す見下さない以前にそういう意識が何処かにある。
 例えるならばいつでも踏み潰せる蟻みたいな矮小な存在に、人と同様の感情を抱けるかと問われれば否だろう。それと同じ感覚である。

「今日という今日は決着を――!」
「決着?」
「あ」

 悠樹が反射的に聞き返すと、美琴は眼に見えて錯乱する。頭を掻き毟り、「あぁ~!」と叫びながら不思議な踊りまでして取り乱している。
 その奇行を見た白井黒子と初春飾利の眼はまん丸になっていた。

(……決着? 第三位の『超電磁砲』が、何と?)

 赤坂悠樹は御坂美琴の事を過小評価していない。
 他に類を見ない複雑な能力ではなく、単純極まりない発電能力だけで第三位にいるという事実を額面以上に重く受け止めている。
 そんな彼女が自身と同等扱いしている相手の存在が心底信じられない。そんな化け物は学園都市でも第一位や第二位ぐらいしか居ない筈だ。
 激しく動揺する美琴を悠樹はまじまじと眺める。次に少年の顔を食い入るように見る。やはりただの学生にしか見えない。

「……其処の平凡極まりない一般学生の君、もしかして存在感が欠片も無い第六位だったりする?」
「んな訳あるかっ。上条さんは何処にでもいる平凡な無能力者です、はい」

 学園都市で八番目に優秀な思考能力を駆使して導き出した結論は、呆気無く否定される。悠樹は顔に出さないが、少し落ち込んだ。

「アンタの何処が何処にでもいる無能力者よっ! 二三〇万分の一の天災の分際でぇっ!」

 更にヒートアップする美琴の反応を見て、悠樹は益々解らなくなる。
 とりあえず、自分の目の前で公開処刑が行われるのは非常に戴けない。少年の安否は至極如何でも良いが、自分の面子に泥を塗られるのは死活問題である。
 悠樹は似合わないと思いつつも仲裁する事にした。

「……よぉ解らんが、とりあえず周囲を見て、それからオレの腕章見て冷静になってくれ。今日はこれ以上仕事しないと決めているのでな」

 黒子から「まだまだ仕事は山ほどありますよ!」などと突っ込まれるが、全力で無視する。
 上条という苗字の少年は「ほっ」と心底安堵した表情になり、美琴は「うっ」と不満の色が見え隠れするものの、自分がどれだけ人目に付く奇行をしていたか自覚してしまい、真っ赤な顔になって矛を収めた。
 その上条と名乗る少年の小市民じみた様子から、決着云々は直接戦闘とは別の事と、悠樹は個人的に解釈する。
 見た目に寄らず、ある分野で御坂美琴を打ち負かすほど優秀な一面があるのだろうか。そういう輩は自身の出身校に幾らでもいるが故に、悠樹はすんなりと納得する。

「さて、自分はそろそろ御暇させて貰うよ」

 もう今日は仕事しないと心の中で決めたのに余計な仕事をしてしまった、と悠樹は自己嫌悪に陥りながら席を立つ。
 ポケットから財布を取り出し、五千円札をそっと机の上に置いた。

「釣りはいらんよ。我ながら己が矜持だけは度し難いものだ」




「……全く、お姉様も何であんな類人猿と……!」
「白井さん落ち着いて。こういう時は深呼吸が一番ですよ」

 白井黒子は怒り心頭で、初春飾利は苦笑しながら帰宅していた。
 黒子の焦燥は止まらない。飾利は内情を知らないから平然としていられるが、あの少年――上条当麻は御坂美琴が一ヶ月前から追い回している人物だ。
 前々から美琴が無意識の内にその殿方との諍いを楽しんでいた節があったが、今日本人を見て確信する。アレはあらゆる意味で危険だと黒子は直感する。

「あれ、赤坂さん?」

 如何に盛り付いた類人猿を美琴から引き離すか、黒子が内心暴走していた時、完全に眼中から消えていた人物の名が飾利の口から出る。

「へ?」

 飾利の視線の先を追えば、其処には何処にでもある公園があり、四人の小学生の中に赤坂悠樹が混じっていた。
 いや、混じるというよりも最大の違和感として目立っていた。

(……まさかあの暴走超能力者、無垢な子供達に危害を加えるのでは……!?)

 どう見ても一緒に子供達と遊ぶような性格はしていない。むしろ無力な子供達を率先して甚振るような悪癖を持っていた、としても然程不思議ではない極悪人である。
 黒子が最大限に危惧する最中、悠樹は砂山から砂で固めた長身の棒を掴み取り、立ち茂る樹木に向かって殺人的な突きを繰り出し――枝に引っ掛かって取れなかったボールをぽんと突き落とした。
 落ちたボールを拾った子供達の笑顔が眩しい。退屈気に立派な風紀委員をやっている悠樹を遠巻きから見て、黒子は恥ずかしげに顔を伏した。

「あれですよ、普段素行の悪い不良の人が雨の中で子犬に餌をあげる的なイベントですよ。好感度アップです!」
「……確かにあの殿方の気性を考えたら意外性あるイベントですが、誰が惚れる女の子役なんです?」
「えーと、白井さん?」
「……う~い~は~るぅ~!」
「じょ、冗談ですってばー!」

 飾利とど突き漫才をしながら、少しは見直した黒子だったが――途端、彼の居た場所が大爆発して炎上した。

「――!?」

 二人は絶句する。悠樹自身の安否など心配するまでもない。心臓に銃弾を撃たれても平然とし、果てには核兵器にすら無効化するとされるのが超能力者という怪物の次元だ。
 問題なのは彼の周囲に居て大能力者級の破壊に巻き込まれた、無力に等しい四人の小学生だった。
 二人の脳裏に最悪の結末が過ぎる。既に八人の被害者を出した連続虚空爆破事件でも死者は出ていないが――。

「――白昼堂々仕掛けやがって。待ても出来ないのか最近の駄犬は」

 悪態を突く声は背後から鳴り響く。
 瞬時に振り向けば、其処には鬼の如く歪んだ苦悶を浮かべた赤坂悠樹が居た。
 右腕と手で無理矢理二人抱え、左手で一人の後ろ袖を掴み、最後の少年は悠樹の目前で唖然としている。少年の著しく乱れた後ろ袖から、歯で食い噛んで連れてきたと思われる。

「いつの間に背後にっ……空間移動(テレポート)まで使えるのですか!?」

 黒子は自身で言って、即座に否定する。
 空間転移系は三次元の座標から十一次元への座標へと特殊変換する為、膨大な演算を必要とする。
 平常時ならまだしも、発動に時間が掛かり、集中力が欠けるとすぐに使用不可になる繊細な能力故に、突発的な出来事に対処出来ない。それは学園都市で八番目に優秀な彼をもってしても覆せぬ条理である。
 その証明か、または黒子に知らぬ法則があるのか、悠樹は身に走る激痛を必死に我慢するように眉間を限界まで顰め、軋みが上がるほど歯を食い縛っていた。

「結果から見れば似たようなものだ。――黒白、信号弾で避難命令。もう一人と一緒にガキの避難を」
「わたくしの名前は白井黒子です。何で黒が先なんですかっ! それにアレ使うと始末書を書かなければいけませんから、貴方のを使って下さいまし!」
「忘れたから言ってるんだよ。さっさとしろ」

 燃え盛る炎の中から堂々と出てきた下手人を苛立ちを籠めて睨みながら、悠樹は手で急かす。
 黒子が葛藤した後、周囲の安否には引き換え出来ないと決断し、スカートのポケットに入っている小型の拳銃のようなものを取り出し、真上に向けて引き金を引く。
 上空に撃ち放たれた金属筒は瞬時に目映い閃光となって消える。この学園都市に生きる者ならば誰もが知っている避難命令、戦闘による流れ弾に当たりたくなければ即座に逃げろ的な意味が込められている。

「……大丈夫ですの? 何なら、わたくしも参戦しますが?」

 恐らく赤坂悠樹は、四人の子供を無傷で救出した奇跡の代償を何らかの形で受けている。
 それなのに戦闘を行うという事態に、黒子は心配そうに案じ、それを包み隠すように小馬鹿にするような口調で「手は必要か?」と問う。
 当然、その意図は悠樹にも伝わった。伝わったが、答えは最初から変わらない。

「誰に物言ってんだ? オレは天下無敵の超能力者だぜ。格下相手に、ハンデが幾らあっても不足なんだよ」

 不利だろうが窮地だろうが、その程度で悠樹は不遜を崩さない。黒子は強く笑い返し、自らの仕事を務める事にした。

「さあ、皆様此方へ。急がず迅速に避難しますわよ!」
「お姉さん達に着いて来て下さい!」

 悠樹は額を右手で押さえ、指の隙間から黒子と飾利が子供達を避難誘導する光景を眺めつつ、正面を見据える。
 手を離して眼下に曝した悠樹の表情は、いつもの如く唯我独尊で余裕に満ち溢れていた。

「――で、こんなにクソ暑いのに近寄らないでくれる? 非常に迷惑なんだけど。年中暖房状態の発火能力者クン」

 炎から現れたのは細身の男だった。乱雑に染めた金髪は伸びっぱなしで、歪に捻じ曲がった精神が顔に出たような醜悪な面構えだが、その能力の規模以外は何処にでも居る不良だった。

「ケッ、今のは単なる挨拶代わりだよ。久しぶりだな『過剰速写』、遭いたかったぜェ」

 金髪の男は狂暴な振る舞いで嫌らしく哂う。
 まるで知己のような物言いに、悠樹は首を傾げる。

「誰?」
「アン? 忘れたなんて言わせねェぞ。テメェに病院送りにされた恨み――」
「自分に酔い痴れながら長々と無駄話か? テメェの猿並に衰退した脳みそでも理解できるよう簡潔に言うと、一度忘れたどうでも良い事なんて二度と思い出せない性質なんだよ。だから聞いているんだが――ああ、別に答えなくて良いよ、最初から覚える気無いし」

 一瞬、我を失いそうな憤怒が金髪の男の思考を埋め尽くし、しかし、寸前の処で冷静に立ち戻る。
 危うく以前の二の舞を演じる処だった。以前も金髪の男は赤坂悠樹に挑発され、怒りに身を任せて猪突猛進してしまい、よりによって発火能力で返り討ちにされるという屈辱的な敗北を演じてしまった。

「っっ! ハッ、その手には乗らないぜ。挑発して此方の平常心を奪うってか? そんなセコい手に頼らざるを得ない力不足の第八位様に心底同情するぜ」
「なるほど。正々堂々不意討ち噛ます奴の言う事は違うな、三下の小者くぅん」

 悠樹は哂う。腹を抱え、身体を〝く〟の字に曲げて、声を出して嘲笑い続ける。
 ぷつん、と何かが切れる音が金髪の男の中で響き、無意識の内に溢れた熱波が爆ぜるように空間を焼く。
 急激な気温の上昇に、悠樹は「暑い」と不機嫌そうに目を細めた。

「……良いだろう。思い出せないなら嫌でも思い出させてやる。尤も、今のオレは大能力者の範疇じゃねェッ! 第八位のテメェを余裕でぶっ倒す事で、オレが九人目の超能力者になった事への証明とするッ!」

 極限まで両掌を握り締め、歯軋りするほど食い縛り、怒張する鬼の形相をもって射殺さんばかりに凝視する。
 その尋常ならぬ殺人的な視線を悠樹は正面から見据え、果てには鼻で笑って見下す。

「このオレを登竜門扱いとは舐められたものだ。一人盛り上がっているところ悪いけどさ――超えられない壁があるから大能力者(テメェ)と超能力者(オレ)って分類されている訳なんだが、その点、理解してるぅ?」
「何時までも見下してんじゃねェッ!」

 金髪の男は自身の足元を全速で踏み抜き、比喩ではなく爆発しての超スピードで突撃し、それを悠樹は正面から向かい撃つ。
 急激に力をつけた大能力者と超能力者の末席、その闘争の火蓋が盛大に切って落とされた。




「オラオラァ! 存分に味わいなっ!」

 子供の避難を初春飾利に任せ、白井黒子が再び現場に戻ってきた時――戦いは一方的になっていた。
 金髪の男が掠っただけで灰燼と化す地獄の炎を存分に撒き散らす。大規模な火炎放射から空間指定の爆破まで織り交ぜて繰り出し、尚且つ際限無い弾幕は面制圧の爆撃そのモノだった。公園の遊具などは既に原型すら留めずに融解して全滅する。

「チッ……!」

 この地獄の中で唯一原型を保っている赤坂悠樹は押し寄せる猛火の、あるか無いかの極僅かな隙間を瞬時に見極め、綱渡りのような紙一重で潜り抜けて行く。
 飛び散る汗が空中で瞬時に蒸発する煉獄の中、回避行動しか出来ず、手詰まりとなっていた。

(――まずいですわ。やはり赤坂さんの動きが鈍い。あの安全装置の外れた火炎放射を紙一重で避け続けても、余波で焼かれて程無く力尽きてしまいますわ……!)

 暴虐の極みたる炎は金髪の男を中心に渦巻いており、近寄っただけで焼き尽くされる陽炎の処刑場と化している。
 まるで太陽に近づくが如く無謀な試みだと、白井黒子は戦慄する。超能力者に対してこれほど圧倒的な実力差を見せながら、何故大能力止まりなのか、黒子は猛烈に疑問視する。
 何かしら致命的な欠陥があるからなのか。もしあるならば其処から活路を見出せるが、発火能力の演算は複雑な空間移動と比べて非常に簡潔であり、現に金髪の男は自身の炎を完全に制御している。その線は薄いだろう。

(それとも、前回の身体検査(システムスキャン)後の短期間で、急激に力を……?)

 論点がズレたと、黒子は首を振って思考を戻す。問題はあの暴走発火能力者をどうやって制圧するかである。
 あれを相手に接近するのはほぼ不可能――ならば、と思い至ったのは悠樹も同じだった。
 一際大きい炎の放射を躱した直後、悠樹はポケットから金属の球体を取り出すと同時に宙に放り投げ、全力で蹴り上げた。
 御坂美琴が手加減して音速の三倍、には到底届かないものの、苛烈に加速した金属の球体は飛翔の際に生じた余波だけで炎を跡形無く吹き飛ばし、本体の金髪の男を一直線に目指す。

「ぬァアめェるなアアァアアァ!」

 金髪の男は超人的な反応速度で両手を目前に突き出し、限界まで圧縮した白炎をもって擬似超電磁砲を受け止める。
 その瞬間に生じた衝撃で融解していた地面が深く罅割れたが、拮抗状態は一瞬で終わる。金属の球体の外縁が崩れ、呆気無く溶けて跡形も無くなる。金髪の男は安堵の息を零し、勝ち誇ったように笑った。

「計測してねェから摂氏何度かまでは解らんがよォ、今のオレなら本家の超電磁砲すら着弾前に焼き尽くせるぜェ!」

 御坂美琴の超電磁砲なら反応すら出来ずに吹っ飛んでいる、と黒子は金髪チンピラの思い上がりに苛立つが、悠樹のでは通用しない。

(……困りましたわね。ただでさえ動き回って照準が付け辛いですのに、金属矢(ダーツ)も通用しなさそうですね……!)

 あの超絶的な威力で連射出来るのも本家の利点であるが、一投一投に全力を費やしている悠樹の擬似超電磁砲では単発が限度なのだろう。
 状況は何一つ変わらず、最大の切り札が無駄骨に終わった分、絶望が増す。

「ハハッ、どうしたどうしたァ! 逃げるしか出来ないってかァ!」

 調子に乗った金髪の男が更なる追撃を加えようとした時、それより疾く悠樹は自身の指先をぱちんと小気味良く鳴らした。

「……!?」

 瞬間、さっきのお返しとばかりに、金髪の男の全周囲から複数の爆発と炎の放射が乱れ飛ぶ。爆心地にいた男は咄嗟に反応出来ず、理不尽な炎の渦に消えた。

「さ、流石は『過剰速写』と名乗るだけありますわね。しかし、幾らなんでもやりすぎじゃ――」

 態々先程の攻撃と類似した発火能力で仕留める当たり、多重能力者としてのポリシーなのだろうかと黒子が楽観視した途端、急激に炎が渦巻いて上空に解き放たれ、無傷同然の姿で金髪の男は同じ場所に立っていた。

「おっと、同じ手は通用しねェぜ」

 余裕綽々の金髪の顔を見て、黒子は息を呑んだ。
 男の能力は単純な発火能力の域ではない。考えてみれば、男は自身の周囲を在り得ないほど燃焼させていた。普通の発火能力者でそんな真似をすれば、自分自身が焼け死ぬか、酸欠で倒れているかの二択である。
 そうならない理由もまた単純で、空間全域の熱量及び燃焼を掌握するほど強大な――超能力者に匹敵する演算能力を持っている証明に他ならない。

「クク、何だ何だァ、超能力者ってのはその程度なんかァ? それとも第八位が特別に弱いってか? ああ、オレが強くなり過ぎたって線も多いにあるよなァ。アッハッハハハ!」

 最早、悠樹に打つ手はあるまい。金髪の男は全身全霊をもって狂喜乱舞する。
 あの時受けた屈辱と鬱憤を倍にして返せる。敗北を認めた悠樹の情けない表情を、今か今かと待ち侘び――されども、悠樹は在り得ない表情を浮かべていた。


「――で、その程度?」


「……は?」

 突如、脈拍も無く出てきた言葉を金髪の男は理解出来なかった。超能力者に匹敵すると自負する思考能力をもってしても何処からそんな言葉が飛び出すのか、理解に苦しむ。
 悠樹は退屈そうに、見飽きた玩具をどうやって処理するか悩む、そんな無慈悲な眼で金髪の眼を射抜いていた。それは絶対的強者の憂鬱だった。

「出し惜しみしているのならば早く出せ。攻守交代した時点で瞬殺確定なんだからさぁ」

 此処まで圧倒的な実力差を突きつけたのに、悠樹はそれが余裕と言わんばかりに侮って見下している。
 ――出遭った当時と同じように、悠樹の眼に自分の事など最初から映っていない。他の有象無象と同じ程度にしか、見られていない。

「――っざけんじゃねェ! 人が親切に手加減してりャいい気になりやがって! 望み通りぶっ殺してやる、誰だか判別出来ねェぐらい無惨な焼死体にしてやるぜェエエエエェ!」

 完全にぶち切れた金髪の男は自身の両手を天に掲げる。
 途端、膨大な炎の渦が巻き起こり、球体状に圧縮していく。昔の漫画で他の者の生命力を略奪して撃ち放つ必殺技があったなと、悠樹は気怠く欠伸をしながら思い出す。
 炎は限界を知らず、際限無く膨らんで行く。十数メートル先から肌を焼く小型の太陽を見て、敵方の惑星吹っ飛ばした必殺技の方が的確かと一人淡々と違う部分を分析する。

「赤坂さん! 何を悠長に欠伸してやがりますかッ! 早く攻撃をっ、そんなもの放たれたら貴方どころか周囲一帯が吹っ飛びますよ!?」
「ったく、身近に御坂美琴がいる癖にまだそんな事抜かすか。黙って見てろ」

 必定の破滅を前に、悠樹は背伸びしながら笑う。

「――今日は特別サービスだ。超能力者が超能力者である所以、存分に見せ付けてやるよ」

 臨海を迎えた恒星は、躊躇無く撃ち放たれた。

「死ねエエェエエエエェエェ!」

 悠樹はその場から動かずに、左手だけを前に差し出して正面から受け止めた。
 幾らなんでも無謀すぎる。黒子は悠樹の死を確信し、金髪の男は自らの勝利を確信した。

「ひゃはは、あはあはははあはははは!」

 能力者による災厄は、もう止められない。黒子が絶望した矢先、空気の膜を音速を超えて叩きつけるような轟音が鳴り響いた。

「――へァ?」

 金髪の男の顔が凍りつく。それもその筈だ。生涯で最大最高の一撃が跡形も無く掻き消え、冗談のように右拳を突き出す悠樹の姿があったからだ。
 まるで拳一つで破ったと言わんばかりに、頬を吊り上げて嘲笑っていた。
 ――怪物。男が無意識の内に一歩退いた時、数十メートル離れていた筈の赤坂悠樹は目と鼻の先に突如現れ、更には右腕を大きく振り被っていた。

「ま――!?」

 待て、という静止の言葉すら紡げず、拳は腹部に突き刺さる。自身の一撃を打ち砕いた破壊力を身を持って痛感する事となり、幸運な事に途中で意識が途切れた。
 ダンプカーで跳ねられたかの如く二十メートル以上吹き飛び、地面を転がり続けた果てに仰向けで大の字に倒れて止まった。

「相変わらず手加減出来ないな」

 死んでいなければ大丈夫か、と悠樹は結論付ける。脳裏に過ぎるのはどんな患者でも治療してしまうカエル顔の医者だった。

「大丈夫です、の……?」

 黒子が駆け寄り、犯人の身のついでに悠樹の負傷状況を尋ねるが、悠樹の方は平然としていた。
 良く見れば、赤坂悠樹は火傷一つ負っていなかった。それどころか制服に至っても煤けた部分すらない。
 これは金髪の男と同じく熱量操作の御陰なのか、巨大な炎を消し飛ばした風力操作らしき能力の一端なのだろうか。
 幾らなんでも『多重能力』の一言だけでは説明出来ない。黒子は身に湧いた不信感を拭えなかった。

「それにしてもこの短期間で、良く此処まで力を付けたものだ」
「……忘れた事は二度と思い出せないのでは?」
「失礼な、大能力者以上は基本的に覚えている。こういう煽り耐性の無い馬鹿は挑発しただけで思い通りに動いてくれる。現に被害は公園だけで済ませたぞ」

 確かに人的被害が出なかったのは幸いだが、爆心地の公園は再起不能なぐらい破壊し尽くされている。まともに整備しても、雑草一本生え茂るかどうかの惨状である。

「……はぁ。最後に聞きますけど、何で貴方のような人間が風紀委員やってますの?」

 後始末の事で頭を痛くしながら、黒子は純粋に湧いた疑問を問い掛ける。
 悠樹は悩む素振りさえ見せず、晴れ晴れとした笑顔で答えた。

「権限を盾に犯罪者どもを問答無用で吹っ飛ばせるからに決まってるだろ」

 何を当然な事を言ってるんだ、HAHAHAと悠樹は豪快に笑う。
 いつの日か、この準犯罪者を取り締まらなければなるまい。更に痛む頭を抱えながら白井黒子は決心したのだった。






[10137] 七月十七日(1)
Name: 咲夜泪◆ae045239 ID:ceb974ce
Date: 2009/07/23 00:57


 七月十七日(1)


「う~~~む……」
「どうしたんですか白井さん? あれ、書庫(バンク)で赤坂さんの登録データを調べていたんですか? も、もしかして本当に一目惚れですか!?」
「絶対に在り得ませんわ」

 同僚の初春飾利を睨みつつ、白井黒子はパソコンの画面を食い入るように見つめた。
 長点上機学園一年、赤坂悠樹。学園都市で唯一の多重能力者だが、詳細な情報は書庫にも記録されていない。
 彼の能力『過剰速写』にしても、数多の目撃例から、彼が火炎系能力、念動系能力、電気系能力、大気系能力、移動系能力など、何れも大能力程度の規模で使えるという憶測程度で、これもまた詳しい詳細は載っていない。

「うわぁ、本当に何でもありですね。少し羨ましいです」
「ええ、明らかにおかしいですわ」

 食い違う意見に二人は顔を見合わせ、同時にパソコンの画面を注視する。

「一人の学生に二つ以上の能力を発現させるのは不可能だと結論付けられていますのに、完全な多重能力者である赤坂さんは例外扱いですわ。……何かおかしいと思いません?」
「……えと、そうですね。悠樹さんみたいな具体的な実証者がいるなら、其処から多重能力の原理を解明出来て然るべきだと思いますけど――研究者でも解明出来ないほど複雑な能力だったからでは?」

 能力の原理が科学的に解明されていない、そんな例外は確かに存在する。あの『超電磁砲』さえ通用しない無能力者の少年や、超能力者の第七位などがその代表例だろう。

「その可能性もありますわ。でも――」
「でも?」
「いえ、何でもありませんわ」

 自分から言いかけて止めた黒子に飾利は不思議に思うが、瞬時に入れ替わる書庫の情報に眼を奪われる。
 他に何か無いか、黒子は書庫の登録データを漁るが、肝心な事柄は悉く載っていなかった。

「書庫に不備――いえ、此処まで来ると意図的な検閲のように思えますわね」
「でも、風紀委員の権限でも見れない事になると、どうしようもないですよ?」
「そうですよねぇ……」

 これ以上は不毛だと、黒子は赤坂悠樹の私的な調査を一端打ち切る事にした。
 此処での仕事は山積みだ。昨日の暴走発火能力者の身元や、連続虚空爆破事件の関連性の調査など、やるべき事は幾らでもある。

「――それにしても、置き去り(チャイルドエラー)、ですか」

 それは学園都市で問題となった社会現象の一つであり、彼がそうである事はあの振る舞いから到底想像出来ない。
 その名称通り、学園都市の制度を利用した捨て子である。入学させるだけさせて、学園都市の寮に住ませ、後は保護者が雲隠れするだけで成立する。
 置き去りを保護する制度は学園都市にあるので、子が疎ましい保護者にとっては何の良心も痛まない現代の姥捨て山に見えるのだろう。
 それに加えて、赤坂悠樹の学歴には長点上機学園しか載っていない。それ以前のデータは不自然なぐらい白紙だった。
 ――何処かきな臭い。まるで怪しさの上乗せだった。それらの違和感は仕事中の合間、黒子の脳裏から離れなかった。




「電気系統の能力? アイツ、全然使ってなかったよ」
「はい?」

 仕事を終えた黒子と飾利は御坂美琴と一緒に喫茶店で寛いでいた。
 その際、愚痴として昨日の事と今日の調べ事を美琴に口にすると、あっさりと別の解決の糸口が一つ飛び出した。

「……黒子、アンタ本当に気づかなかったの? アイツ、超電磁砲の物真似を別の法則でやっていたわ。どんな法則かまでは解らなかったけど、電流や磁力操作も使わずにね」

 更に美琴は「私の一番近くで見続けたから気づいても良いでしょ」なんて無理難題を言うが、こればかりは黒子も半目になりながら反論する。

「そんなのにお気づきになりますのは、電磁力線を目視出来るお姉様だけですわ……」

 日常から超電磁砲に見慣れていても、肝心な其処が見えなければ解らないだろう。
 何はともあれ、幸運な事に判断材料が一つ増えた。全く別な方式を使ってまで超電磁砲に拘った事が非常に気になる。

(……単純に考えて、お姉様と同じ手順で超電磁砲を発動出来ないから、別方式で……苦肉の策でしょうか?)

 もしくは――先程、黒子の脳裏に浮かんで消えた推論が再び浮上する。
 そもそも前提そのものが違う。赤坂悠樹は多重能力者なのではなく、御坂美琴と同じように、いや、それ以上に応用の利く一つの能力者なのでは――?
 それならば幻の多重能力者云々の説明が簡単になる。だが、逆に唯一つの能力であれだけ多種多様の現象を引き起こせるだろうか。そんな能力など思いつく訳もない。

「あ。あれ、赤坂さんですね」

 再び袋小路に陥り、黒子が知恵熱で机にうつ伏せになる中、飾利のその声でむくりと顔を上げる。其処には昨日と同じ姿で無愛想な赤坂悠樹がいて、傍目から見て非常にぎこちない歩き方で店内の空いている席を探し――引き寄せられるかのように眼が合った。

「……昨日の今日で良く会うな。折角だし隣良いか?」
「あ、はい、どうぞー」

 飾利が奥の席に座り、手前の席に悠樹が座る。その短い動作の中にさえ、身体の何処かを庇うような不自然な挙動が目立つ。

「……どうしたのです? 変な歩き方をしていますが」
「昨日は徹夜でフルマラソンを強行したから全身筋肉痛なんだよ。我ながら自主休校すれば良かったと少し後悔している」

 誰が聞いても見え見えの嘘を悠樹は平然と語り、更には「個人的に今年の目標は皆勤賞なんでな」と無駄な注釈を加えたりする。 
 昨日の戦闘でも後を引いているのだろうか。それを正直に言わない悠樹が変に意地っ張りだと黒子は内心笑うが、即座にある事に気づく。
 あの戦闘で赤坂悠樹は無傷であり、痛みなどを訴えていたのは開始前の四人の子供達を救出した時だった。それは見逃してはいけない要因である。
 そもそも空間移動で全身筋肉痛になど何をどう間違えても絶対にならない。むしろ結び付かない。
 これもまた彼の謎を解く断片の一つなのは間違いないだろうが、正解を導くにはまだまだ情報が足りない。黒子が黙々と考え込んでいる時、珍しい事に赤坂悠樹から話しかけて来た。

「どうしたんだ、黒白。何か思い悩んでいる様子だが」
「わたくしの名前は白井黒子です。何でもありませんわ。強いて言うならば、貴方がどうやって風紀委員の適性試験を突破したのか、非常に興味深く思いまして」
「あ、それ気になるわ。どうせ能力測定の一点突破でしょ?」

 美琴がその話題に乗り、からかうようにニヤニヤ笑う。

「ハッ、何を言うと思えば。座学・実技・能力測定、その他十種類、全てにおいて歴代一位の成績で突破したが?」
「嘘ぉ!? 風紀委員としてのモラルが欠片も無い癖にぃ!?」

 美琴の絶叫に黒子と飾利は全力で頷きながら同意する。
 というか、何でこんな危険人物を風紀委員に選出したのか。風紀委員である二人は選出基準そのモノを今更ながら疑問視せざるを得なかった。

「能ある鷹は爪を隠すと良く言うだろ」
「えと、それは意味的に能力の事を指していて、本性の事では無いと思いますが……」
「おー。こりゃ一本取られたわぁ。うんうん、花を大量に頭に飾って愉快そうな感じだったが、突っ込みの才能がありおる。やるなっ、君!」

 座布団でも一枚上げたいほど気分爽快そうに笑う悠樹に、三人は揃って「駄目だコイツ、何とも出来ない」と内心項垂れるのだった。
 そして初春飾利は自分の名前、完全に覚えられていないのではと少し悲しくなった。

「それはそうと黒白、どっかの考察で超能力者が風紀委員に参加すれば抑止力の効果だけで三割ほど治安が安定するって与太話があったんだが、オレとしては減っている実感が全然無いんだが? むしろ最近増えてないか?」
「だからわたくしは……そりゃ、貴方はどんな事件でも速攻で片付けれる最終兵器ですけれど、同時に不要な挑戦者(チャレンジャー)や無謀な復讐者(リヴェンジャー)を際限無く招く誘蛾灯ですから。最近の傾向も重なりますし、有名税って事で諦めて下さいまし」

 直接見た者や敗れた者ならば勘違いしないだろうが、超能力者の末席である第八位は、超能力者の中では最弱というレッテルを周囲から張られている。
 これは即ち、低位能力者からも「最弱なら自分でも勝てるのでは?」などと勘違いされる要因でもある。超能力者の中では、という前提は都合良く無視されるのである。

「やっぱりアレだよなぁ、第八位ってだけで舐められてるんだと思うんだよ。大体超えられない壁があるから超能力者認定されているのに、勝てると夢想する阿呆とか、オレを登竜門扱いする馬鹿とか多すぎなんだよ。昨日の馬鹿とか昨日の馬鹿とか」

 同じ事を二度言う当たり、意外と陰険で執念深いのかもしれない。
 超能力者はお姉様(御坂美琴)を除いて性格破綻者が多いのだろうか、黒子は本気で超能力者の実態に疑問を投げかける。

「其処で神算鬼謀を誇るオレ様の頭脳は最高の解決策を見出した。他の超能力者ぶちのめして実力を示せばこの苛立つ現状を解決出来ると思うんだよ。出来るだけ上位でぇ、名の知れた奴が良いんだけどぉ――」

 悠樹の目線が露骨なまでに、上位の第三位で、その異名である『超電磁砲』が学園都市中に轟いている御坂美琴へ向けられる。
 まずい。致命的にまずい。治安を守る風紀委員の癖に、この男は何という爆弾発言をするんだ。何としても話の流れを変えなければと黒子が慌てるが、ただでさえ短い堪忍袋の緒が完全に切れていた。

「――へぇ、喧嘩、売っているんだぁ」
「ああ、是非とも買って貰いたいものだ」

 性質の悪い事に昨日の焼き直しであり、違う点は止められる警備員の人がいないという一点に尽きる。つまりは最悪の事態である。

「え、ちょ、お待ち下さい! お姉様も赤坂さんも何しようとしているのですか!? 特に赤坂さん! 貴方、風紀委員なのに率先して治安乱そうとしていませんかっ!」
「そ、そうですよ。お二人とも落ち着いて! 落ち着いてくださいー! 赤坂さん、自身が風紀委員って事を思い出してぇ!」

 必死に止めようとする二人を尻目に、悠樹はにやりと嫌らしく笑い、右袖に着けた腕章を外してポケットに捻じ込んだ。

「ああ、そんなっ、腕章外しただけで風紀委員じゃないって意思表示されても……!」

 涙目の飾利だが、悠樹は何処吹く風といった具合に口笛を吹いていた。

「来なさい、これから案内する其処がアンタの墓場よ」
「その言葉、その間々返させて貰うぜ。――おっと、此処の支払いはオレが済ませよう。昨日も言った通り、男の甲斐性ってヤツだ」

 悠樹は会計の紙を手に取り、率先して歩いていく。筋肉痛で動きが機械的でカクカクしている当たり、いつも通り格好が付かない。

「どうしてその気遣いを此方の事に少しでも回そうとしないのですかぁ~!」

 黒子が世の理不尽さを叫びながら嘆いたが、世の中、どうしようも無い事は依然どうしようもないのである。






[10137] 七月十七日(2)
Name: 咲夜泪◆ae045239 ID:ceb974ce
Date: 2009/07/23 00:59


 七月十七日(2)


「――確かに、此処ならば周囲を気にする必要は無いな」

 人の気配が少ない河岸の下にて、第三位『超電磁砲』御坂美琴と第八位『過剰速写』赤坂悠樹が対峙していた。
 二人の間は十メートルばかり。双方共に手をスカートまたはズボンのポケットの中に入れている姿は、撃ち合う寸前で殺気立つ西部劇の銃使い(ガンマン)を強く連想させる。
 握っているものがコインと小さい鉄球である事を余人が知れば失笑するかもしれない。だが、それを握るのは学園都市に八人しかいない超能力者であり、繰り出される馬鹿げた破壊力を二人だけの見物人は嫌というほど思い知っていた。

「お姉様ぁ~……!」
「あわ、わわわ、どうしましょう……!」

 結局、道中での白井黒子と初春飾利の説得は無意味に終わった。
 努力の甲斐虚しく、二人は百メートルぐらい離れた河岸の上にて疲労感を滲み出しながらも万が一の事態に備えていた。
 不幸にも通行人が訪れようものなら、空間転移で即座に強制退去させる気概で、白井黒子は神経を張り巡らせていた。




「風紀委員の仕事に支障無い程度にぶちのめしてあげるわ」
「無理だと思うが、ぶちのめすなら徹底的にして欲しいな。休めるし」

 言葉遊びの応酬の果て、先にポケットから手を取り出したのは悠樹の方だった。金属の球体を宙に放り投げ、力んだ拳を大きく振り被る。
 刹那に行われた一連の動作は霞むほど神速であり――されども、美琴の指で弾くだけの挙動に比べて、絶望的なまでに遅かった。

「……っ!?」

 ――閃光が駆け抜けた。音速の三倍で撃ち出された小さなコインは金属の球体を跡形無く消し飛ばす。光り輝いた弾道の軌跡から、一瞬遅れて音と衝撃が暴風となって吹き荒んだ。

「――ぐおぉっ!」

 旋風に煽られただけで身体が浮きそうになるが、悠樹は寸前の処で踏み止まる。
 悠樹の顔から一筋の汗が知らずに流れる。超電磁砲の余波だけで、大能力者の風力使い(エアロシューター)が巻き起こす能力規模を超えていた。

「どう? まだやる?」

 早くも勝ち誇ったように余裕の笑みを浮かべる美琴に、悠樹は頬を引き攣らせて睨む。睨みつけながら、気づかれぬように自分の足元の土に靴の爪先を突き立てる。

「勿論、やるとも」

 悠樹は盛大に蹴り上げる。十メートルも離れた距離から目潰し――ではなく、地面が爆発的に破砕し、土の破片が馬鹿げた速度で機関銃が如く飛来する。
 これも擬似超電磁砲の応用なのか。飛んでくる土の破片よりも粉砕して目隠し代わりにになっている土埃が邪魔だと美琴は即断し――悠樹が元いた位置に超電磁砲を問答無用に撃ち込んだ。絶対にその場所に留まっていないという確信があったが故にだ。
 破片も土埃も纏めて消し飛び、一瞬にして視界が開く。だが、其処には予想通り赤坂悠樹の姿は無く、背後から忍び寄る存在を美琴は見ずして知覚する。

「――!」

 能力者が無自覚の内に発する微弱な力をAIM拡散力場と呼ぶのは余談だが、発電能力者は常に微弱な電磁波を発する。その領域内に侵入する存在があれば、反射波となって瞬時に感知する事が出来るので死角は無いに等しい。
 それを知らずに奇襲の一手を選んだ悠樹は、手痛い洗礼を受ける事になる。
 美琴の髪から鋭い電撃が後方に走る。不意を突いたつもりで不意を突かれた悠樹は、されども超人的な反応で急停止して立ち止まる。

(貰った――!)

 電撃は足元に炸裂して足止めとしての役割を十全に果たし――振り向き終わった美琴は電撃の槍を無数に撃ち放った。
 最大出力の十億ボルトには程遠いものの、掠っただけで行動不能に陥るだけの威力を秘め、更には四方八方まで飛び散る電撃――これを、悠樹は飛ぶように疾駆し、跳ねて、仰け反って、紙一重で回避していく。先程訴えていた筋肉痛が、芝居か夢幻のようだった。

「んな滅茶苦茶な……!」

 数秒先の未来でも予知しているかの如く全ての電撃が当たらない。しかも、紙一重では感電してしまう筈なのに、平然と何の支障も無いかの如く避け続けている。
 美琴は内心少なからず驚くが、何処ぞの誰かの如く完全に無効化している訳では無い。動揺は少なく済み、この時ばかりはあの不幸が口癖の少年に感謝した。

「ちょこまかとっ……! 当たんなさい!」

 止め処無く電撃を撒き散らし、美琴は眼を凝らして情報分析していく。自身が一方的に攻勢に出ているとは言え、電撃が通用せず、歯痒い時が続くが、次第に一つの法則性を見出した。

(電撃が当たる寸前で微妙に誘導されている……? 幾つかの能力を組み合わせて周囲に避雷針みたいな性質を生み出しているのかしら? 多重能力か単一能力かはどうでも良いけど、必死に逃げ回っている事から、あの防御は万能でも絶対でもない……!)

 今のところ、神懸り的な見切りで躱され続けているが、行く先をある程度なら誘導出来るし、あれだけの全力疾走し続ければ人間いつか必ずバテる。同じ超能力者だとしても体力は人間の範疇の筈だ。
 幸いにも此処は河川、御坂美琴は周囲の環境を有効利用する事にした。

「逃すかっ!」

 美琴は電撃の槍を放ちながら、時折行き先を遮るように直下型の雷撃を幾つも落とす。
 悠樹は反撃の機会を窺いながら一度の機会も訪れる事無く、器用に飛び跳ねて回避して行く。次第に息切れが激しくなり、動きが徐々に鈍くなっていく最中――踵が水に浸る。知らず知らずの内に河川側に追い詰められ、後退先が無くなった事に気づく。

「とったぁ……!」

 悠樹が動きを止めた一瞬を見逃さず、御坂美琴は渾身の雷撃を撃ち放つ。悠樹の身体より軽く三回りは太く大きい稲妻は一直線に駆け抜け、落雷した対岸の地形を大きく破砕した。
 人がいたら、いや、いなくても大惨事であり、白井黒子と初春飾利は悲鳴と絶叫を上げた。
 今度ばかりは反れず、悠樹の周囲にあった不可視の膜を確実に撃ち抜いたと美琴は実感する。実感して、十数メートル横に、水面の上で悠々と佇む赤坂悠樹を睨み付けた。

「水面の上歩いて神様気取り? 水の中にいる魚と一緒に感電死したくなければ陸に上がる事ね。アンタはともかく、魚が可哀想だわ」
「慈悲深いねぇ。魚の死骸が浮くだけなのに」

 美琴の言葉の毒吐きを笑い返し、悠樹は目の前の敵から眼を逸らさずに屈んで、水中に手を入れて何かを掴み、俊敏に引き抜いた。
 汲んだ水が零れた後に現れたのは、水で形成された半透明の片刃の剣だった。全長は三メートルほどで野太刀を模しているが、元が水であるので重量を感じさせない。

「水流操作系の能力で剣を? そんなの自殺行為、いや――!」

 美琴は咄嗟に電撃の槍を撃ち放ち、悠樹は正面から単調に飛翔する水の剣で軽々切り払った。電撃は霧散するが、悠樹に感電して痺れる素振りは全く無く、逆に余裕で口元が歪む。

「御察しの通り、コイツは一切の不純物を取り除いた、理論純水に限り無く近い純水だ。その電気抵抗率からほぼ絶縁体と言って良い代物だから、その程度の電撃は通用しないぜ」

 頼まれてもいないのに詳しく解説する赤坂悠樹に、どんだけ自信過剰なんだと美琴は苛立つが、同時に何故これだけ手の内を曝すのか、疑念が過ぎる。
 擬似超電磁砲にしても、本物の物真似のように見せ掛ける曲者だ。この水の剣にしても、そう錯覚させようとする意図が見え隠れする。もしくはそう思わせる事で真実を虚実だと錯覚させようとしているのだろうか――疑惑が疑惑を呼ぶばかりである。
 一体何が虚で、何が真なのか、現時点では解らない。美琴はあれこれ悩むよりも、この腹立つ謎の塊をぶちのめす事にした。

「甘く見ないで欲しいわ。電撃だけが攻撃手段って訳じゃないんだから!」

 眼には眼を、剣には剣をと言わんばかりに、美琴の右手に砂鉄が収束して剣の形となる。一見して固体に見える砂鉄の剣だが、その実は流体である。
 それ故に砂鉄の剣はチェーンソーの刃が如く振動し、触れただけで斬れるほど鋭利な切れ味を誇る。

「さて、どっちが甘く見ているのやら」

 悠樹は勢い良く踏み出し、水飛沫を跳ね上げながら疾駆する。
 剣の間合いまで接近して斬り結ぶ――そんなつもりなど欠片も無いだろうと美琴は確信する。互いに手にするのは液体と流体であり、見たままの形に意味は無い。

「――てぇいっ!」

 美琴が間合い外から振るった砂鉄の剣は鞭の如く撓る。いや、撓るどころか刀身が伸びに伸びた。元が流体故に、外見の形など思いのままである。
 恐らく悠樹もまた同じ事を狙っていた筈――水の刀身と砂鉄の刀身が噛み合えば、単なる液体など呆気無く食い破れる。その確信は一太刀によって斬り捨てられる。

「はぁ――!」

 迫り来る砂鉄の剣を、走る悠樹は止まらず、水の剣で一息に切り払った。一瞬の火花が激しく散る。砂鉄は木っ端微塵に砕け散り、水は欠片も刃毀れせずそのままの形で健在だった。
 美琴は砂鉄を変化自在の流体に、悠樹は水を絶対不変の固体に、両者が噛み合わないのは当然の顛末だった。

(弾かれた!? 水の圧縮、いや、念動力で異常なまでに硬質化している? ホント、何でもありね……!)

 美琴が思考する間も悠樹は止まらず駆け抜け、水の剣を横薙ぎに振るう。
 美琴は舌打ちして飛び退いて避ける。攻守交替、千載一遇の機会の到来に悠樹は怒涛の攻めに出た。
 悠樹は水の剣を、馬鹿みたいに縦横無尽に振るう。型も技術も欠片も無い素人丸出しの剣法だが、在り得ないほど軽い質量と在り得ないほどの堅牢さで驚異的な魔剣と化していた。

「ぐっ……!」

 再び砂鉄の剣を形成して振るっても即座に切り払われて霧散し、電撃の槍を繰り出しても迎撃され、それらを突破して振るわれる斬撃を身も凍る思いで美琴が回避する中、一際大きく退いた時に限って追撃せず、悠樹は口元を歪めながら――ぱちんと指を鳴らした。
 その瞬間、御坂美琴を目掛けてほぼ全周囲から無数の雷撃が走る。一発一発が美琴の操る規模に匹敵する雷撃は集中し過ぎて極光の渦となり――悠樹は仕留めたという高揚感よりも、同じような事が先日あったなという既視感を優先して退いた。

「……『過剰速写(オーバークロッキー)』とは良く言ったものね」

 消失した雷撃から這い出てきた御坂美琴は、予想通り無傷だった。あの一瞬で雷撃の式を逆算されて弾かれた事実以上に、赤坂悠樹はある事に苛立って舌打ちする。

「どうやらアンタの多重能力は、特定の条件が揃わなければ他人の能力を模写出来ないようね。擬似的な超電磁砲がその証明だけど――」

 悠樹は鬼の形相で睨んだまま沈黙する。その反応を肯定と取ったのか、美琴は謎に包まれた多重能力の一端を掴んだと意気込む。だが――。

「――いい加減本気を出せ。御坂美琴」

 悠樹が憤っているのは、同じ超能力者が相手なのに、格下どもと戦うように手加減する舐めに舐めた行為にだった。
 代名詞の超電磁砲にしても、悠樹自身に絶対に当たらないように照準を外している。雷撃にしても見掛け倒しで威力は据え置き、砂鉄の剣の切れ味は匙加減一つ故に斬られても後遺症にすらなるまい。

「……っ、言ってくれるじゃない。多重能力ってだけで超能力者認定されているようなアンタに本気出せって? 死ぬわよ、確実に――!」

 美琴の怒りに呼応して、バチバチと激しい電撃が空気中に生じる。
 その怒気に反比例するように悠樹は無防備に放心し、かくんと項垂れる。右眼はやる気無く瞑り、左眼は死んだ魚の眼が如く、人間味が欠片も無かった。

「……萎えた。帰る」

 物凄く面倒そうに風紀委員の腕章を着けながら、赤坂悠樹はとぼとぼと立ち去る。
 背中はだらしなく猫背になって、首を切られて路頭を迷うサラリーマンのような哀愁を漂わせていた。

「え? ちょっと――!」

 御坂美琴が必死に静止の声を張り上げるが、結局は止められず――まるで勝ち逃げされたような、不完全燃焼でもやもやした感触が心の裡に残ったのだった。




 時刻は過ぎて午後六時の夕食時。
 とあるファミレスの一席にて、赤坂悠樹はうつ伏せになって虚脱感に身を委ねていた。
 御坂美琴との一戦は悠樹にとっても不完全燃焼と言わざるを得ない結末だった。
 久方振りに訪れた超能力者との戦闘が、こんな呆気無い幕切れになるとは本人も夢想だにしていなかっただろう。

(――同じ超能力者なのに、此処まで違うとはな)

 赤坂悠樹が御坂美琴との戦いで求めたのは勝利ではない。そんなもの欲しければ過程や方法なぞ最初から選ばず、いや、そもそも勝負という形にすらならないだろう。
 悠樹が何より切望したのは――何度繰り返したか解らない思考を遮ったのは、営業スマイルの影に小動物じみた脅えを抱いたウェイトレスの少女だった。

(……またか)

 都合上、この少女が悠樹の下に訪れるのは三度目である。一度目は注文の際に、二度目以降はどれも同じ用件なのだろうと、悠樹は退屈そうに欠伸する。

「お、お客様。大変申し訳ありませんが、相席の方、よろしいでしょうか?」
「残念だけど、この席は超能力者(レベル5)専用なんでね。他の店行って貰える?」

 不機嫌さ全開の悠樹の睨み付けに、ウェイトレスの少女は涙目で震える。
 悠樹の理不尽な物言いに反論した前の客は、他ならぬ悠樹自身の手によって丁重にお帰り頂いた。同じ事されて風評落としたくなければ手を煩わせるなと、悠樹は無言で凄んで脅迫する。

「――それなら問題ねぇな」

 ウェイトレスの少女にとって身も凍るやり取りを遮ったのは、金髪で無駄に髪が長い、柄の悪い学生だった。
 悠樹の眠気と虚脱感が一瞬にして吹っ飛ぶ。目の前の相手は、瞬き一つした刹那に一区間を木っ端微塵にするような怪物であり、あの『超電磁砲』を超える数少ない存在である。

「よぉ、初めましてだな最下位。垣根帝督。名前ぐらい聞いた事あるだろ?」

 彼こそは学園都市に八人しかいない超能力者の一人、第二位『未元物質(ダークマター)』垣根帝督だった。






[10137] 七月十七日(3)
Name: 咲夜泪◆ae045239 ID:ceb974ce
Date: 2009/07/23 01:03


 七月十七日(3)


(も、もう、何なのこの風紀委員はぁ~!)

 学園都市で一番有名な風紀委員、第八位『過剰速写』赤坂悠樹の対応をした時から、ウェイトレスの少女は嫌な予感ばかりしていた。
 混雑してどの席も満席状態に関わらず、四人席を一人で独占する悠樹は噂に違わず問題児だった。
 相席を頼めば、客側ではなく、彼女自身を無言の圧力で脅迫するのもまた性質が悪い。二人目の客は幸運にも別の席が空いてくれたので問題無かったが、また違う人を其処の席に案内する事になり、彼女は胃の痛みを強く実感した。

(え? ちょ、嘘……垣根帝督ってまさか――!?)

 そして、其処は低位能力者がいてはいけない人外魔境と化した。まさか案内した不良学生でホステスっぽい人物が同じ超能力者、第二位『未元物質』垣根帝督だったとは夢にも思うまい。
 二人の殺気立った様子を見て、ウェイトレスの少女の体感温度が三度ほど下がる。今すぐ脇目振らずに逃げ出したいが、足が震えて動かない。
 営業スマイルだけは崩さなかっただけでも称賛すべきだろうと彼女は内心錯乱しながら自画自賛する。

「確かに聞き覚えがある名前だな。えーと、何だっけ、あれだ――永遠の二番手だったか、日陰者の」

 ぶちっと、何かが音を立てて崩れた錯覚に陥る。
 幾らなんでもそれは無いだろと彼女は見るからに青褪め、帝督の顔を窺うように眼をやり、直後に後悔する。
 鬼がいた。途方も無い怒りで右頬を引き攣らせる怒れる鬼が、学園都市で二番目にヤバい化け物がキレる寸前まで憤っていた。……やはり順番気にしているんだとバレたら殺されそうな事を思ったりする。

「ムカついた。良い度胸だな最下位。誰に口聞いてるか、解ってんのか?」
「そんなのは至極如何でも良い事だが、オレには赤坂悠樹という名前がある。いつから仏教の戒律みたいな名前になったのやら。それとも第八位と斎戒を掛けているの?」

 悠樹が暢気に「高度過ぎて誰にも解らんがな」と、やれやれといった具合に言う。
 仏教の守るべき八斎戒なんて何処から出てきたと彼女は内心突っ込みつつ、更に訳解んない事言って、怒りを煽ってどうするんだこの風紀委員、などと全力で驚愕する。

「――は」

 垣根帝督は遂には笑い出した。人間、怒りが限界まで来ると笑い出すと本当だったんだ、などと場違いな分析をする。
 それは、本来笑顔が威嚇行為である事を示さんばかりの凄惨な笑みだった。

「そのクソ巫戯山た口を引き裂いて、二度と戯言吐けねぇようにしてやろうか?」
「非効率な。舌引っこ抜くか咽喉潰すか息の根止めた方が手っ取り早いと思うが? あとその諸々の発言はオレが風紀委員だと知っての事? 威力業務妨害と脅迫罪が適当な具合で成立するんだが」

 この場合、どんなに良く見積もっても喧嘩両成敗ではないだろうか。
 いや、治安を守る風紀委員が率先して治安を乱すのは問題かと、と彼女は内心であれこれ提案するが、実際に言葉に出す勇気など欠片も湧いてこなかった。

「ハッ、テメェ如きが俺を取り締まる? 一体何の冗談だ、寒すぎて笑えねぇぞ」
「冗談に聞こえたなら病院に行った方が良いな。耳鼻科か精神科かは知らんが、どんな異常でも治してしまう凄腕の医者なら紹介するぜ」

 店が物理的に閉店に陥り兼ねない絶体絶命の窮地に立たされる中、立ち竦む彼女に同僚のウェイトレスが肩を叩く。
 機械的にギコちなく振り向けば後ろには茶髪で物腰が優雅な女性の客がおり、同僚のウェイトレスは一礼して即座に立ち去った。

(あ、え……? 助けに来たんじゃないのぉ~!?)

 つまりは、自分が言わないと駄目なのである。彼女はいもしない神様を壮絶に呪った。死の呪文というものがあれば躊躇わず唱え続けるぐらい。

「あ、あの、お客様っ!」

 思わず上擦る声に、二人の超能力者の視線が彼女に集中する。
 具体的には「何話かけてる訳?」と言わんばかりの、尋常ならぬ殺意の籠ったものであり、心臓に宜しくない。
 何時までもこの視線に曝され続けたら緊張の果てに発狂死してしまう。彼女はなけなしの勇気を振り絞って口を開いた。

「とと、当店はただ今大変混雑しておりましてっ、あ、相席の方よよろしいでしょうか!?」

 極度の緊張で壮絶に噛んだが、言葉になっているので意図は伝わっただろう。
 二人はこの時ばかりは仲良く「テメェ、場違いなんだよ」と憮然として不機嫌になる。

「今取り込み中だ」
「この席は超能力者専用って事で諦めて貰ってくれ」

 垣根帝督はあしらうように、赤坂悠樹はまた先程と同じような事を言った。
 当店に超能力者専用の席など御座いません、と彼女は涙目になるが、その時、後ろにいた女性の客が彼女を押し退けて一歩前に出た。

「それなら問題無いわね」

 ウェイトレスの少女が「え?」と疑問符を浮かべる。

「……全く、今日は奇妙極まる巡り合わせだ。第三位に続いて第二位に、更には第四位にまで遭遇するとはな」

 赤坂悠樹は淡々と呟く。彼の口から飛び出した第四位という単語を聞く限り、この目の前の女性もまた超能力者の一人であるらしい。
 垣根帝督は小さく「麦野沈利」と彼女の名前らしきものを忌々しげに呟く。
 ウェイトレスの少女の記憶が確かならば、第四位『原子崩し(メルトダウナー)』の名前はそれだった筈である。

「あら、何処かで見た顔じゃない」

 一身上の理由で早退宜しいでしょうか、そんな切なる願いを籠めた視線を遠くで見届けている店長に送ったが、気づいているのに気づかぬ振りして、即座にそっぽを向かれた。




「……なんだそれ。頭まで糖分で出来てんの?」
「幾らなんでもそれは無いわね」

 赤坂悠樹の席に並べられたのは相変わらず甘ったるいチョコレート系のデザートだった。
 食前のデザート、食中のデザート、食後のデザート、つまりは全部デザートである。それらを飽きもせず、悠樹は黙々と食べていた。
 垣根帝督と麦野沈利は見ているだけで胸焼けしそうだった。というより、こんな食事では早死にするだろうと心配の念まで沸いてくる。

「人が何を食べ漁ろうが勝手だろ。だが、ファミレスで物頼まず、自前の弁当食うのは無いな。初めて見たぜ」
「流石に在り得ねぇな」

 今度は悠樹がお返しとばかりに沈利を批判し、帝督も不承不承で追随する。
 麦野沈利が口にしていたのは自分で持ってきた鮭弁当だった。注文すらせず、お冷だけ貰って居座っているようなものである。

「別に、涼む場所が欲しかっただけよ。そういうアンタは何の変哲も無いわね」
「面白味も欠片も無い普通のメニューだな。詰まらん」

 沈利と悠樹は挙って、垣根帝督が食べるファミリーレストランの定番、ハンバーグ定食を退屈気な眼差しで見下す。

「何で俺がテメェらを楽しませる為にゲテモノを頼まなければなんねぇんだよ」

 垣根帝督は不機嫌そうに顔を顰め、それでも箸を進める。
 傍目から見れば仲の悪い三人が仲良く食事する殺伐とした光景に見えるかもしれない。だが、そんなのは上辺だけで、二三〇万人の頂点に立つ三人の超能力者はいつでも殺し合える状態にあった。
 誰か一人でも能力を使うような素振りを見せたのならば、それは三人による三つ巴の全面戦争の開幕を意味する。

「それにしても、まさかこんな場所で二人も超能力者に出会うとは思わなんだ」
「それは此方の台詞だ。何で第七学区にいるんだ? 俺の記憶が正しければ、テメェの管轄は第一八学区だった筈だが?」

 垣根帝督の言う通り、赤坂悠樹の出身校は長点上機学園であり、能力開発関連のトップ学校が集う第一八学区に位置する。
 基本的に風紀委員の平常時の仕事は校内の治安維持をメインとする為、校外で活動する者は始末書関連の問題で少なく、それが区外までに及ぶと更に少なくなる。

「へぇ、随分と物知りなんだな」

 悠樹はもう幾つ目か解らないデザートを啄ばみながら、退屈そうに語る。

「理由は単純だ。第一八学区にオレに逆らう愚者はもういないからさ。だからまぁ、態々隣の区まで遠征して学園都市の治安維持活動に貢献している訳だ」
「普通に越権行為じゃない」
「勤勉な事だな、風紀委員の犬」

 自信満々に語る悠樹に、沈利は呆れ顔でやれやれと弁当を片付け、帝督は心底不快そうに吐き捨てる。

「ゴミ処理係に褒められても嬉しくないな」

 学園都市の暗部に潜む統括理事会直属の小組織、それを指す暗喩を帝督と沈利は当然のように受け入れる。
 『スクール』や『アイテム』などの組織の機密性は極めて高いが、彼が知っていて何の不思議もあるまい。
 赤坂悠樹は表の生温い治安維持の組織に所属していながら、裏の血腥い治安維持の組織に所属する二人の在り方と奇妙なほど酷似している。

「……解らねぇな。テメェは完全に俺達寄りだ。それなのに何で其方側にいる?」
「自分の立ち位置ぐらい自分で決めただけだが、何か不思議な点でも?」

 手も触れずに人を殺せる人間は学園都市に腐るほどいる。だが、尚且つ自分の意思で殺せる人間となると――極少数の人でなしに行き着く。
 赤坂悠樹はその類の人間だと垣根帝督は一目で確信する。同類としての勘がそう訴えている。
 だからこそ、解らなくなる。手加減して殺さないようにしなければいけない、柵だらけの表の世界にしがみ付く、赤坂悠樹の矛盾した在り方に。


「――特例能力者多重調整技術研究所。通称『特力研』の事、知らねぇと思ったか?」


 ぴくり、と。多種多様のデザートが来てから目を合わせなかった悠樹が帝督の眼を射抜く。
 食い付くのは当然だ。だが、垣根帝督の予想とは裏腹に、それだけだった。

「食事中に話す単語ではないな」

 とは言いつつ、目線を落とし、悠樹は変わらぬ速度で食べ続ける。
 長点上機学園に入学するまで在学していた地獄の釜の名前を聞いても、赤坂悠樹は感慨一つ浮かべなかった。

「多重能力者の唯一の実例である『過剰速写』を参考に、多重能力の法則を解明しようとした稀代のお笑い研究だっけ。その点を踏まえて、是非とも御本人の感想を聞きたいわね」

 麦野沈利もまた面白げに話に乗る。
 そう、研究は完全なる多重能力の超能力者、赤坂悠樹を中心に行われ――見事、唯一人の成功例が出ぬまま潰えた。
 完璧な実例がいるのに関わらず、多重能力が実現不可能の夢物語と結論付けられたのは、積み重ねられた犠牲者の骸が、研究者達の夢を覚ますほど余りにも多大だったからだ。

「私見で良いなら述べるけど、脳の要領が足りないんだよ。超能力者の頭脳なら多重能力も実現可能だが、それ以下の能力者では不可能なんだろうね。――だから愉快な事になる」

 赤坂悠樹は口元を酷く歪ませて嘲笑った。心底愉しげに思い出し笑いするように、微塵の憐憫も悲哀も同情すら無く。

「――ハッ、大した外道だ。犠牲になった被験者も同じ置き去りだったのによ」
「最高の褒め言葉をありがとう。それと同じ置き去りとは少し語弊があるな」

 悠樹が嬉々と核心を話そうとした時、滅多に鳴らない悠樹の携帯電話が鳴った。悠樹は不機嫌そうに携帯を取り出し、耳に当てる。

「……もしもし、詰まらない用件なら――お、今回のはギリギリ間に合う場所じゃん」

 必要最低限のやり取りを経て、悠樹は立ち上がって自身の伝票を手に取る。その挙動は待ち望んだ玩具を取りに行くような、何処か愉しげだった。

「すまないが、仕事が入った。それと喜びたまえ。今日で連続虚空爆破事件は終了だ。がくがく震える日々もお別れ、枕を高くして眠れるぞ」
「明日の朝刊の一面にテメェの爆笑必須の爆死写真が載ってないか、楽しみだ」

 垣根帝督の皮肉を軽く笑い返し、赤坂悠樹は早足で立ち去る。
 残された二人は相変わらず険悪な空気を漂わせる。『スクール』のリーダーと『アイテム』のリーダー、真っ向からの敵対はしていないものの、互いにイケ好かないと思う部分は多々ある。
 それとは別に、麦野沈利はらしくない言葉を口にした。第四位の自分より、第八位の赤坂悠樹に比重を置いた、第二位の垣根帝督への当てつけに。

「随分と御執心のようね。たかが第八位如きに」
「あん? 何処を見ればそうなるんだよ」

 帝督は露骨に嫌そうな顔をして、即座に否定する。
 風紀委員に所属する超能力者の噂を初めて聞いた瞬間から、帝督は存在そのモノが気に入らなかった。圧倒的な力を雑魚に振り回して、正義の味方気取りかと虫唾が走った。
 実際に出会い、その風紀委員が自身に限り無く近い性質だった事を知り、そのもやもやした蟠りは確固たるモノへと変わる。心底気に入らない、と――。




 
「――!? ちょっと、貴方! この店には爆弾が……!」
「お勤めご苦労、引き続き客の避難を続けてくれ」

 店の前にいた風紀委員の少女を過ぎり、赤坂悠樹は悠々と重力子(グラビトン)の爆発的な加速が確認された爆破予定地に足を踏み入れた。
 店内の避難は大体終わり、擦れ違うのは自身の危険を顧みず、健気にも爆弾を探す名も解らない風紀委員だけである。

「他の風紀委員? おい、不用意に奥に行ったら危ないぞ!」
「あー、君も客の避難に回って良いぞ。爆弾の確保はオレがやるから」

 切羽詰った風紀委員の少年の静止を完全無視し、悠樹は適当にあしらう。
 尚、悠樹自身は爆心地の中心にいても無傷でいる自信があるので勇猛果敢な風紀委員の範疇に入らない。気分は対岸で物珍しいモノを探すような、気楽な遊び感覚である。

「きゃっ」

 悠樹が物陰や死角を重点的に探っている時、短い悲鳴が聞こえた。
 自分の仕事は爆弾の発見と割り切っているので、悠樹は反応すらせずに探し続ける。

(何なんだ、アイツ……!)

 風紀委員としてあるまじき悠樹の対応を苛立ち気に睨みながら、先程の風紀委員の少年が即座に駆け寄った。

「どうした!?」
「すみません、足を……」

 足を挫いた少女に肩を貸し、風紀委員の少年は避難を急ぐ。これが模範的な行動だと地に這い蹲って爆弾を探す悠樹に示すように。

(……ん?)

 その途中、何か普段では在り得ないものが視界に過ぎる。反射的に視線を向ければ、其処にはウサギのぬいぐるみが物陰に置かれており――不自然だと思うより疾く、それが爆弾であると悟った。

「な、これが――!?」

 風紀委員の少年は肩担ぐ少女を咄嗟に抱え込み、爆発寸前のぬいぐるみに背を晒した。死ななければ御の字と思いつつ、一般生徒だけは守らなければと必死に。
 だが、爆発はいつまで経っても起こらなかった。風紀委員の少年が恐る恐る振り向く。其処には店の売り物である布切れで何かを包んだ赤坂悠樹がいた。

「うし、確保成功っと」

 悠樹の口から在り得ない言葉が飛び出した。
 今回の爆破事件は既に七件あり、犯人の爆弾魔は量子変速(シンクロトロン)という、簡潔に言えばアルミを爆弾に変える能力で爆発テロを起こしている。
 普通の爆発物との違いは、加速し続ける重力子を操れる能力でない限り、爆発を未然に防げない点にある。

「あ、アンタ、一体何を……?」
「それは企業秘密だ。店主、この布切れの代金だ。釣りはいらねぇぜ。くぅ、一度やってみたかったんだよねぇ、これ」

 悠樹は財布から万札を取り出し、唖然とする店長の目の前に置く。実はこの為だけに無駄に五万円引き出したりしている。超能力者に優遇される奨学金に、第一八学区の独立した奨学金制度の恩恵を大いに受ける悠樹は、経済的に裕福だったりするのは余談である。

「でも、良かった。これで――」

 何はともあれ、爆発前に爆弾を確保出来たのは大手柄だ。今までは爆発した後の遺留品だったが故に読心能力(サイコメトリー)での追跡が出来なかった。
 これで犯人の目星が立つ、とこの場にいる風紀委員達が安堵した時、赤坂悠樹は不謹慎にも爆弾を包んだ布を振り回しながら軽快な足取りで外に出た。

「ちょ、ちょっと待って下さい! そんな危険物を持って何処に!?」
「何処って、そんなの決まっているだろ。――落し物は、持ち主の下へ返さないとな」

 その晴れ晴れとした悠樹の笑顔は獲物を追い詰めた狩人のように、無慈悲で残酷だった。




「何故だ……何で爆発しないっ!?」

 爆弾が仕掛けられた店を見渡せる最寄りの裏路地にて、眼鏡を掛けた男子生徒は驚愕を隠せずにいた。
 当然の事だが、爆発しなかったのに驚くのは爆弾を仕掛けた張本人だけである。
 確かに能力は発動した。日々能力の規模が増大する感触には身震いさえ起こる。それだけに自分のミスで不発弾など起こり得ないと男は断言出来る。それならば何故――。


「忘れ物だ」


 その声は背後から発せられ、元々挙動不審だった男は思考が真っ白になりながら振り向き、飛んできたあるものを反射的に受け取る。

「え?」

 それは自分が爆発の素となるアルミのスプーンを仕掛けたウサギのぬいぐるみであり、アルミの重力子の加速が臨海まで達する寸前だった。

「うわっわぁあああああぁ!?」

 素っ頓狂な声を喚きながら男は無我夢中に自身の能力の発動を喰い止める。
 その甲斐あってか、爆発は寸前の処で止まり、男は息を乱しながら安堵する。その必死な光景を愉快気に眺めていた赤髪の風紀委員の存在に気づくまでは。

「量子変速の爆発を止めたって事は、テメェが噂の爆弾魔で良いんだよな? 状況証拠と良い、ご丁寧に物的証拠まで持っているようだし」

 滑稽なものを見るように笑いながら、風紀委員の少年は鞄に視線を送る。慌てて後退りした男から金属のぶつかり合う音が鳴り響く。

「あ、いや、これは――!?」

 言い訳すら聞かず、風紀委員の少年は彼の手首を掴み取り、無防備な足を払って地に叩きつけるように倒し、掴んでいた腕の関節を逆側に極める。

「容疑者確保っと。ああ、暴れても良いけど折るよ。二百本ぐらい」

 体にある全部の骨じゃねぇか、などという悪態すら突けない。爆弾魔は悔しげに歯軋りした。

「クソクソォ……! いつもそうだ、何をやっても僕は地面に捻じ伏せられる――弱者を虐げる強者が悪いんだ。そんな世界を変えようとして何が悪い!」
「お前の論だと、自分より劣る弱者を虐げたお前自身が悪い事になるんだが。ま、そういう奴の末路は正義の味方に愛の鉄拳制裁を受けるか、より強大な悪に捻り潰されるかだ。ちなみに今回は後者だね」

 会話がまるで噛み合わない。爆弾魔の脳裏にある疑問が寒気と共に過ぎった。コイツは本当に風紀委員なのだろうか、と。
 まだ自分が爆弾魔だと確証が持てない段階で爆発寸前の爆弾を押し付けるなど、普通の風紀委員とは常軌を逸した行動に出ている。
 爆弾魔は縋るような気持ちで、声を上げた。

「お、お前、風紀委員だろ……! オレみたいな弱者を助けるのが仕事だろ!」
「そそ。君みたいな不良学生を力尽くで片付けるのが風紀委員の仕事だ。生憎と更生は領分じゃないから諦めてくれ」

 途端、頭に衝撃が走る。意識が途切れる間、今まで自分を救わなかった風紀委員達がどれだけまともな人物だったのか、改めて実感したのだった――。





[10137] 七月十八日(1)
Name: 咲夜泪◆ae045239 ID:ceb974ce
Date: 2009/07/23 01:08


 七月十八日(1)


「相変わらず滅茶苦茶な結果だな」

 とある長点上機学園の職員室にて、学園唯一の超能力者の担当教師はタバコの煙を気怠く吐いた。目を通す書類は、彼の身体測定(システムスキャン)の結果である。

「……まるで複数の生徒を一度に測定したみてぇだぜ」

 専門家がこれを見れば、まず間違いなく我が目を疑い、装置の故障を疑う。身体測定の装置に異常無しと判明した処で、ようやく多重能力者という事実を認めざるを得なくなる。
 念動力、水流操作、発火能力、発電能力、大気能力、空間移動など、ほぼ全ての分野で大能力判定というふざけた結果が示されている。一般の生徒達の努力など、嘲笑うが如く。

「唯一つの例外は、この超能力判定の正体不明の能力――これが多重能力の鍵で『過剰速写(オーバークロッキー)』なのか。名前通りならコピー能力なんかねぇ?」

 どんな研究者も解明出来なかった、既存の能力に当て嵌まらない未知の能力――本人の非協力的な態度も重なり、第七位とは別の意味で手出し出来なかったものである。
 この能力の原理さえ完全に解明出来れば、夢の多重能力者の実現など容易いだろう。それによって齎される巨万の富、歴史に名を残せるだけの名誉――それらは研究者として目が眩むほどの栄光だが、担当教師は「割に合わないか」と即座に諦めた。
 赤坂悠樹を担当した教師は自分で三人目、目の前の栄達に狂った前任者がどんな末路を辿ったかは精神の衛生上、考えない方が良いだろう。

「なんでこんな性格破綻者が風紀委員なんかやってんだか」

 それこそ長点上機学園の七不思議の一つだったりする。七不思議なのだが、七つ以上あったりするのは些事である。




 白井黒子がある事に思い悩みながら歩いていると、歩きながら板チョコを幸せそうに食べる赤坂悠樹と遭遇した。
 こんな暑さに関わらず、何であのチョコレートが溶けていないのかは謎だが、歩き食いするものではないのは確かである。

「……昨日は大活躍のようで。性根は歪で腐っていても実力は本物ですわね」
「何を言うか、こんなに真っ直ぐな性根なんて他にいないぞ。そもそも常人とは立ち位置と方向性が違うだけだ」

 黒子の「うちの島で好き勝手何やってんの?」という皮肉も、悠樹は涼しげに受け流す。
 昨日の御坂美琴への喧嘩も含め、色々言いたい事があるが、黒子は今思い悩んでいた事を最初に述べる事にした。

「そんなのはどうでも良いですわ。昨日、貴方が捕まえた容疑者、書庫の登録データでは異能力判定になってましたが? まさか冤罪じゃありませんよね?」
「現行犯逮捕だから間違い無いが、過去の事件見る限り、大能力判定じゃなければおかしいな。でもまぁ、最近は食い違う事が多いから別に不思議でも無いだろう」
「……うっ、それはそうですけど」

 それが今回の事件の最大の謎であり、出口の無い袋小路に行き詰ってしまう。
 横でばりばり板チョコを食べる悠樹を尻目に、頭から煙が出んばかりに黒子が思い悩む中、視界に最愛のお姉様である御坂美琴が過ぎる。
 普段ならば飛びついたり抱きついたり、過剰な愛情表現をする処だが、昨日の今日で赤坂悠樹との予期せぬ再会に、致命的にまずいと黒子は戦慄した。

「いたいたいた! 昨日はよくも抜け抜けと逃げ出してくれたわね!」
「……最近、超能力者との遭遇率が異常だな」

 御坂美琴がはちきれんばかりに怒りを撒き散らす反面、悠樹はやる気ゼロと言った感じにチョコレートを完食し、生じたゴミを地面に捨てる。
 掃除ロボが勝手に片付けてくれるが故のぽい捨てである。

「訳の解らない事をっ。昨日の決着、此処でつけてくれるわ!」
「おいおい、オレみたいな模範的な風紀委員が、善良かはさておき一般市民を傷つけるなんて在り得ない話だぜ?」

 悠樹は自身の腕章を何度も指差し、それを見た美琴は「は? こいつ何言ってんの?」といった具合に目がまん丸になる。
 真っ先に反応したのは二人の遭遇に戦々恐々していた白井黒子だった。

「あ、貴方の何処が模範的な風紀委員なのですか! 謝れっ、真面目に風紀委員やっている皆様に謝ってくださいまし!」
「あーあー、聞こえんなぁ」

 悠樹は耳に手をやりながら白々しく聞いてない振りをする。
 怒りが沸点に到達しそうになったのは黒子ではなく、無視された美琴の方だった。

「こんのぉ、昨日、喧嘩を売った張本人がそれを言うかぁっ!」
「後に言った言葉が正しいという素晴らしい格言を知らんのか?」

 更に食いつく美琴だが、悠樹は全く相手にしない。
 急な方針転換が不自然すぎて気になるが、当面は超能力者同士の決闘は回避されたと黒子は内心安堵の息を零す。
 別に赤坂悠樹がどんなにズダボロに返り討ちにされても全く気にならず、むしろ因果応報で自業自得で良い気味だが、愛する御坂美琴の柔肌に一つでも傷が付けば大事である。
 美琴が白熱し、悠樹が一方的に躱し続ける中、遠巻きから御坂美琴の姿を確認した初春飾利が手を振った。

「あ、御坂さーん……って、赤坂さんも!?」
「何だその歩く大災害(トラブルメーカー)を目撃してしまったような露骨に嫌そうな反応は」
「……自覚、ありましたの?」

 白井黒子は驚きながら呆れる。自覚してその振る舞いを止めないのならば、尚の事、性質が悪い。
 飾利の出現によって人目を気にしたのか、美琴は悠樹への追及をとりあえず収める。黒子は自分の時では気にしないのに初春の時は気にするのか、と少し悲しくなった。

「あ、初春さん――そっちはお友達?」
「……あ、はい、えーと――」

 美琴の言葉に、周囲の視線が一点に集中する。
 初春飾利は気まずそうに言い淀む。とても言えない。風紀委員の仕事を蔑ろにしてセブンスミストに行こうとしていたなんて。
 同僚の黒子や悠樹のいる手前、何と言い訳しようか思い悩もうとした時、隣にいた佐天涙子に肩を強く掴まれ、強引に後ろに引き摺られる。

(ちょっと! あの二人、常盤台の制服着てんじゃない。男の人は長点上機学園の制服だし! 二人は風紀委員だけど知り合いなの?)
「ええと、風紀委員の方でちょっと……」

 涙子の驚きようを見て、自分も最初は高位能力者ばかりで場違いじゃないか、という最初の印象を飾利は思い出す。

「初春のお知り合いですか? 初めまして、わたくしは白井黒子と言いますの」
「あ、どうもご丁寧に。初春の親友やっている佐天涙子です」

 タイミング良く、黒子は優雅に自己紹介する。如何にも礼儀正しいお嬢様然とした格好に、飾利は思わず「似合いませんよ?」と突っ込みたくなったが、必死に自制する。

「私は御坂美琴って言うの、よろしくね」
「どうもよろしく――って、嘘、もしかしてあの『超電磁砲』? 超能力者の!?」
「そうですよ、私、こないだ生で見ちゃいましたよ、レールガン! 見た事は見たんですが……」

 興奮して自慢げに言った飾利だが、その初めての超電磁砲の目撃が、赤坂悠樹との一戦だっただけに自然と気まずくなる。
 風紀委員に関わらず、一般人に喧嘩売ったその内容だけは対外的に言えるものではない。
 最後の一人となった赤坂悠樹は、爽やかな笑顔を浮かべる。美琴も黒子も飾利も一斉に思った。――似合わない、と。

「初めましてお嬢さん、私は山田太郎と申す何処にでもいる平和を愛する風紀委員で――」
「何真顔で嘘八百並べるかぁっ!」

 美琴の猛烈な突っ込みと同時に、鋭い電撃が悠樹の頭部に向かって飛ぶが、悠樹は首を横に傾けるだけでひらりと避ける。
 回避された電撃は空の彼方に消えたので、周囲の被害は心配無かったが、その突発的な能力の行使に涙子は見るからに驚愕し、うろたえた。

「突っ込みを電撃でするのは道徳的にどうよ? 激しい愛情表現すぎて身も心も真っ黒に焦げそうだ」
「……自惚れも其処まで良くと褒めたくなるわ。どうせアンタにはこの程度通用しないでしょ」

 涙子は「え? これ通常のやり取りなの?」という視線を黒子と飾利に送るが、二人は苦笑しながら即座に目を背けた。

「仕方ない。改めて自己紹介しよう。オレの名は赤坂悠樹だ、よろしく」
「不本意ですが、本当に不本意なのですが……これでも美琴お姉様と同じ超能力者です」

 白井黒子の渋々した注釈に、佐天涙子は大変驚くのだった。




「でも、超能力者かぁ。凄いなぁ」

 佐天涙子は憧れるように呟く。
 その超能力者で風紀委員の実態を知れば幻滅する事間違い無しだが、言わぬが華だろうと黒子と飾利は気まずそうに沈黙した。

「あーあ、『幻想御手(レベルアッパー)』があったらなー」
「何ですか? それ」

 涙子から飛び出した奇妙な単語に、飾利は聞き返す。

「いや、あくまで噂だし、詳しい事はあたしも知らないんだけど……あたし達の能力の強さ(レベル)を簡単に引き上げる道具があるんだって」

 その言葉に反応したのは赤坂悠樹を除く全員だった。
 急激に力を付けた能力者の事件が多発する中、普段では信憑性の欠けるそんな都合の良いものでも疑いたくなる。

「使うだけで簡単に?」

 黒子が訝しげに聞き返す。確かに現在の異常な状況は、そんな異常なものが無ければ発生しない。その幻想御手なる存在が袋小路に行き詰った事件の解決の糸口のように思えた。

「ネット上の都市伝説みたいなもんなんですけどね。でも本当にあったら――」


「――実在したとしたら洗脳装置(テスタメント)以上に凶悪な代物だろうね。使うヤツの気が知れんよ」


 佐天の言葉を遮ったのは先程から静観していた赤坂悠樹だった。
 その顔は酷く退屈気で、その眼は完全に冷めていた。

「そ、それでも能力が使えるようになるなら……!」

 執拗に食い下がる佐天涙子に悠樹が何か喋ろうとした時、ポケットの携帯の着信音が鳴り響いた。悠樹は眉を顰めて携帯を取り出す。

「……失礼。もしもし、何処の誰?」
『初めましてだな、第八位の風紀委員。私の名は――』

 男性とも女性とも思えぬ奇怪な声が鳴り響く。悠樹は躊躇せずに通話を途中で切った。

「……いきなり切ってどうしたんですの?」
「間違い電話だ」

 皆の意見を代弁した黒子の言葉をさっくり流しつつ、悠樹は携帯を手に持ったまま、空いた手でポケットというポケットを手探りで漁る。
 程無くして、また携帯が着信音を出しながら震動する。

「……また鳴っておりますの?」

 悠樹は自身の携帯に何かを手早く取り付け、片耳用の小型ヘッドフォンを美琴、黒子、飾利の三人に投げ渡し、無言で着用を求める。
 三人が渋々耳を当てたのを確認してから悠樹は電話に出た。

『いきなり切るとは失礼な奴だな』
「女ならまだしも、見知らぬ野郎とお喋りする趣味は持ち合わせていないのでな」

 雑な変声機を通したような声だが、悠樹は完全に野郎と断定して話す。
 三人は状況が掴めずにいたが、息を潜めて耳の感覚を集中させる。

『……まぁいい。改めて名乗ろうか。私はゼロ、貴様ら超能力者を超える者だ』
「第零位(ゼロ)とは捻りもない安直なネーミングだ。はっきり言うとセンスの欠片も無いぜ」

 心底馬鹿にしたような悠樹の発言に、されども電話の相手は挑発に乗らない。
 第一位の『一方通行』に挑んで殺されればいいのに、悠樹は心底思っていた。

『私の言葉が戯言かどうか、すぐに証明して見せよう。これは我々からの宣戦布告にして、超能力者への挑戦状だ』
「面倒だから明日にしてくれない? 今日はオフと決めているんだ」

 黒子が「そんな訳無いだろ」と無言で睨むが、悠樹は無視する。
 不穏な気配が犇く中、電話の相手から三人の意識を釘付けにするような言葉が飛び出す。


『――我々を見事打ち倒せば『幻想御手』の作成者の情報を提供すると言っても?』


 美琴達は眼を合わせて驚く。そんな夢のような道具が実在の存在だったのか、憶測混じりで疑問視する中、悠樹は目を細めて周囲を見回す。

「タイムリーな野郎だな。――良いだろう、特別に遊んでやるよ」

 少しだけ、勿体付けるように考える素振りをし、悠樹は全身脱力しながら答えた。

『これから私は場所と時間を指定する。時間内に指定した場所に来なければ、罪無き一般生徒が犠牲になるとだけ告げておこう。他の風紀委員や警備員を呼んでも同様だ。――最初の場所は第七学区のコンサートホール前広場、時刻はライブ開始時の五時ジャストだ』

 言うだけ言って、其処で通話が切れる。
 ツーツーツーという無機質な音が鳴る中、悠樹を除く三人は事の重大さを再認識する。この一件はヘタすれば大惨事になり兼ねない、と。

「……はぁ、気が滅入るな。白痴な自殺志願者のテロリストの命を救う為に無駄な労力を費やさないといけないとは」
「何を言っているんですか!? あのテロ予告が本当ならば大事件ですわよ!」

 危機感が無い悠樹に黒子は緊迫して叫ぶ。一人、電話の通話を聞けずに仲間外れだった佐天涙子は何が何だか解らずにいた。

「――三十分も無いな。黒白、第七学区のコンサートホール前広場って何処だか解るか? 第七学区(こっち)に来て日が浅いから全然解らん」
「一つ、心当たりがございますわ。初春、バックアップは任せますわよ!」
「はい! ……佐天さん、すみません」
「あ、いや、気にしなくていいよー」

 初春飾利は近くの支部に走っていく。
 悠樹は都合の良い足が無いか、周囲を見回す。正確には車を止めて、強制的に協力させる為に。

「ちょっと、私を置いていく気? 事が事だし、黙っていられないわ!」

 そんな中、輪に加わっていながら置いてきぼりされた御坂美琴は激しく自己主張した。
 この緊急時、超能力者という戦力は最高なまでに魅力的だが、一瞬の気の迷いを払うように黒子は首を振った。

「え、いや、お姉様はあくまでも一般人ですから……!」
「善良な一般人のご協力感謝する。時間が無いからさっさと行くぞ黒白」
「赤坂さん!? 貴方、先程と言っている事が――ああもう、御二人とも、わたくしの手を握って下さいまし!」

 黒子はヤケクソ気味に美琴と悠樹の手を掴み、己が能力の真骨頂である空間転移を行った。

「……うわぁ、空間移動能力者なんて初めて見た。私も能力が使えればなぁ……」

 一瞬にして消失した三人を見て、佐天涙子は憧れと、妬ましさを滲ませて独白した。『幻想御手』さえあれば、自分もあの能力者と同じ視点に立てるのだろうか、と――。




「……って、お前、空間移動能力者だったのか? 割とレアだな」
「今更ですわねっ!?」

 暗に「大能力者だったの?」という悠樹の言葉に、黒子は失礼な奴だと思いながら空間移動を続けた。一人で空間移動し続けるよりは慎重なれども、速度的にはあと十分足らずで目的地に辿り着けるだろう。
 とりあえず時間前には到着出来るという目算を立てた悠樹は、再び携帯電話を取り出す。

「って、ちょっとアンタ! 何処に電話掛けてんの! さっきあの犯人に呼ぶなって言われたばかりじゃない!」
「足手纏いなんざ最初から呼ばんよ」

 御坂美琴の指摘を無視し、悠樹はある相手に掛ける。

「もしもし――今すぐオレの携帯の番号知っている奴に『風紀委員の仕事ちゃんとしているか?』って電話して、嘘付いた奴知らせろ。ついでに現在位置も頼む」

 会話はそれで終わる。要領を得ない内容だった。

「どういう事ですの?」
「恐らくだが、あのゼロとか名乗る野郎は初対面の相手じゃない。十中八九、内部犯の可能性が濃厚だな」

 黒子の問いに悠樹は淡々と告げる。

「まさか同じ風紀委員が? アンタじゃあるまいし」
「オレが黒幕ならもっと愉しく演出するがね。――奴が言った事を思い出せ。『我々を見事打ち倒せば『幻想御手』の作成者の情報を提供する』だったか。何か違和感が無いか?」

 美琴と黒子は今一度、犯人の言葉を思い出す。
 キーワードはやはり『幻想御手』だろう。まるで図ったように飛び出した単語ゆえに、信憑性以上の何かが生じる。

「……そうですわね、実在するか解らない物の作成者の情報なんて眉唾物ですわ」
「どうせ餌として釣るなら直接的に『幻想御手』本体の提供にすれば良いのに」

 そんな美琴の何気無い一言に黒子ははっと気づく。悠樹はにやりと笑った。

「そう、其処だ。奴はオレが『幻想御手』本体に興味を引かないと知っていて、敢えて作成者の情報にしたんだろうね」
「……何か突拍子無くおかしな事言っておりません? それではまるで貴方が――」

 悠樹はポケットから音楽プレーヤーを見せびらかすように出す。

「今朝、実物らしき音声ファイルを回収したと言ってるんだよ。二日前に襲ってきた発火能力者が原因不明の昏睡状態に陥ったって報告受けて住処漁ったら一発だ」







[10137] 七月十八日(2)
Name: 咲夜泪◆ae045239 ID:ceb974ce
Date: 2009/07/24 23:56


 七月十八日(2)


「この中からテロリストを探せってか。正しく無理難題だな」

 ピークは既に過ぎているものの、コンサート会場に向かう人々の群れを眺めながら、赤坂悠樹はげんなりとして呟いた。
 手段を選ばないのならば、今此処で避難警告の信号弾を打ち上げれば良い。だが、それは何処の誰のものか興味無いコンサートを中止に追い込む行為であり、まだ事件として成立していない段階で騒ぎを大きくするのは避けたい。

「黒子、アンタ大丈夫?」
「さ、さすがに、御二人を連れて、空間移動し続けるのは、疲れます、わね」

 空間転移し続けた白井黒子は疲労感を滲ませて息切れし、ぐったりしていた。
 一人での空間移動ならまだまだ余裕なのだろうが、其処に二人も加われば演算式の面倒さが倍増する。
 空間移動能力者としての優秀さは赤坂悠樹も評価するが、現時点では戦力として数えない方が良いだろう。

「御坂美琴、君は黒白と一緒に向こう側を探してくれ。オレは此方側を探す」
「わ、わたくしも……違う方面を探した方が、効率が良い、のでは?」

 黒子は無理に体を起こして進言する。確かに黒子の言う通りだが、悠樹は首を横に振る。

「そんな状態で襲われたら一発でやられるぞ。安心しろ、まだ足として活躍して貰うから」
「……全く、人使いの、荒い殿方ですわ」
「それだけ君が有能な証拠だ」

 傲慢不遜が板に付いた男の口から飛び出した素直な称賛に、黒子は「似合わないですね」とむず痒くなって調子が狂う。

「それなら、ちゃんと本名で呼んで欲しいものですわね」

 未だ一度も名前を呼ばない事への不満をぶち撒けるが、悠樹は「気が向いたらな」とだけ言って立ち去る。
 あの含みのある笑い方から、その気が欠片も無いのは明白だった。




 コンサートの開始時間が刻一刻と近づく。
 御坂美琴と白井黒子は不審人物か危険物が無いか、入念に眼を凝らしながら探るが、自分達が一番怪しいという始末だった。

「……何かおかしくない?」
「へ? 何がですか?」

 徐々に体調を戻してきた黒子は聞き返す。

「――超能力者(レベル5)を正しく理解しているなら、絶対に真正面から挑まない。それなのに、コンサート前で閑散とするこの広場を指定した事よ」

 一対一で、馬鹿正直に正面から挑むならば今のこの空間は人通りが少なく、尚且つコンサートホールを背にすれば強力な能力行使を抑止出来る。
 だが、その程度で超能力者という壁を超えるかと問われれば不可能である。二日前に玉砕した発火能力者の事を思い出しながら黒子は断定する。
 御坂美琴にしても赤坂悠樹にしても其処までの能力を使うまでもなく、その手の雑魚の片付け方なぞ人一倍心得ている。

「……確かに、これでは一般人を装っての不意討ちも出来そうにありませんわね。周囲に被害を及ぼしたくないからは、犯人の言動から考えるに在り得ない事ですし」

 時間内に来なければ無差別テロを引き起こそうとするような連中に、そのような慈愛溢れる考えは何処にも無いだろう。
 では、何故この場所でなければいけないのか。疑問は最初の振り出しに戻る。

「それでもこの場所を選んだのは、相手にとって都合の良い何かがあるから――?」

 この閑散として、遮蔽物が無くて見晴らしだけが良い広場に一体何の利点が――御坂美琴がそう思考した時、それが絶好の条件だと気づいた。
 すぐさま周囲を見渡す。数百メートル離れた遠巻きにはビルが数え切れないほど立ち並んでおり、どれが本命だか判別出来ないと諦めて美琴は走り出した。

「お姉様!?」
「すぐアイツと合流するわよ! テロリストは此処にはいない! 此処に――コンサート前広場に誘き寄せる事が目的だったようね……!」
「何ですって……!? では――」




 コンサート前広場から五百メートル離れたビルの屋上にて、前世代の軍用対物狙撃銃『バレットM82A1』を構えた黒服の学生がいた。
 彼、古畑義雄には赤坂悠樹に対して因縁があった。
 強能力者(レベル3)だった彼は昼は一般生徒として学業に励む一方、夜な夜な無能力者(レベル0)を憂さ晴らしに甚振る悪癖があった。
 何も出来ない無能力者を能力で一方的に叩きのめす快感は何物にも勝る美酒であり、日頃溜めていたストレスの発散に大いに役立った。
 何の価値も無い無能力者が自身の為に役立つなら本望だろう。古畑義雄は本気でそう考えており、今もまたその危険な思想は変わっていない。
 そんな古畑義雄を地獄の淵に突き落としたのは超能力者(レベル5)で唯一人の風紀委員、赤坂悠樹だった。

『――能力使用による暴行の現行犯って事で、風紀委員のオレとしては取り締まらなければならない訳だ。大丈夫、腕の良い医者まで送ってやるぜ』

 いつものように無能力者を痛めつけていた夜、赤坂悠樹は薄ら寒い笑みを浮かべて眼下に立ち塞がった。まるで待ち侘びていたかのように――否、義雄が手を出すのをちゃんと見計らって奴は出てきた。
 凡そ戦いにすらならず、古畑義雄は完膚無きまで叩きのめされた。
 古畑義雄は対象に風の噴射点を作り、ミサイルの如く飛ばす事の出来る『空力使い(エアロハンド)』だった。強能力判定のそれを扱い、ありとあらゆるモノを弾丸として発射したが、その悉くを悠樹は素手だけで掴み取られた。
 まるで悪夢のような光景には続きがあり、赤坂悠樹は嘲笑うが如くその全てを投擲し返す。古畑義雄は成す術無く蜂の巣にされ、血の海に沈んだ。
 それから病院で目覚めた時、古畑義雄は全てを失った。あれほどの重傷だったのに関わらず、傷は痕すら残らなかった。だが、社会的に傷ついたものは取り戻せなかった。
 赤坂悠樹に押された犯罪者という烙印と、通り魔として地に落ちた風評は何処に行っても付き纏い、彼は学園都市での居場所を完全に失った。学校を退学し、寮を追われ、路地裏暮らしになるまで落ちぶれた。
 自暴自棄になっていた彼の前に、ゼロというあからさまな偽名を名乗る人物が間接的に接触を図ったのは最近の事であり、古田義雄は自ら望んで乗った。自分のやってきた事を棚に上げて、全てを奪った元凶である赤坂悠樹に復讐を果たす為に。
 それからは至れり尽くせりだった。寝床も用意して貰い、聞くだけで能力の強度が上がる夢のような音声ファイル『幻想御手』で楽々大能力者入りを果たし、自分にとって天与とも言える最高の装備まで与えられ、今に至る。
 ――今ならば、人をゴミみたいにぶちまけれる対物狙撃銃の銃弾に、大能力まで強度が上がった『空力使い』の強烈な噴射を併合すれば――超能力者だろうが、先手必殺する事が出来る。いや、余りの破壊力故に、周囲は愚か死骸すら跡形も残るまい。
 試射は既に何度か済ませてある。専門知識は嫌というほど叩き込んだし、風速などの環境変化の観測は『空力使い』である彼の得意分野だった。
 外す要素など無い。後は引き金を引くだけである。

「やっと、やっとあの時の借りを返せる。今度は貴様が血の海に沈む番だ……!」

 狂気で顔を歪ませ、引き金を触る指先に力を入れた瞬間――偶然か否か、遠視スコープの中の赤坂悠樹と眼が合った。
 心臓が異常に高鳴る。何故、よりによってこのタイミングで此方に気づいてしまったのか。その偶然による理不尽さえ赤坂悠樹への憎悪に変え、古畑義雄は構わず撃とうする。
 その躊躇は時間にして三秒ほど、当然の如く致命的だった。
 赤坂悠樹はポケットから小型の拳銃を取り出し、間髪入れず撃ち放つ。彼の記憶が正しければ、それは風紀委員に支給される、避難勧告の信号弾を撃つ為のデバイスだった筈。
 この期に及んで他人の心配か――古畑義雄は心底安堵し、その砲身が五百メートル先で狙撃体勢に入っている自身に向けられていた事を愚かだと嘲笑った。
 届く道理が無い。最期の悪足掻きが余りにも滑稽過ぎて腹が捩れ――その刹那、スコープ越しから眼を焼き付ける強烈な閃光と鼓膜を破り兼ねない大音響と熱を伴う衝撃が同時に発せられた。
 古畑義雄は何が起こったのか理解出来ずに意識を遥か彼方に手離した。
 まさか、違法改造された信号弾――いや、もはや原型すら留めていない閃光音響弾が空気摩擦を始めとする各種の物理法則を無視し、正確無比な照準で届くとは夢にも思うまい。




「――命中。我ながら素晴らしいお手並み」

 悠樹は小型銃を大道芸のように器用に回し、ポケットに仕舞う。
 最初から自分自身が一番の標的である事を理解し、この立地条件でベストな攻撃手段が遠距離からの狙撃である事も、大体察しがついていた。
 敢えて御坂美琴達を遠くに送り、襲撃者が狙い易いように一箇所に留まっていたのもその為である。
 それから慌てて走ってくる美琴と黒子を尻目に、悠樹は笑いながら手を振った。

「それそういう道具じゃありませんからっ!」
「何言ってるんだ、これこういう道具だから」

 息切れしているのに関わらず黒子から飛び出した鋭い突っ込みに、悠樹は真顔で返す。避難勧告も出来て暴徒も鎮圧出来るなど一石二鳥だと自信満々に胸を張ったりする。
 発火能力者の折、黒子に信号弾を使わせた本当の理由は、違法改造の秘匿を優先したからだったりする。

「ちょっとちょっと! 何でアンタの超電磁砲は途中で燃え尽きないのよ!?」

 憎たらしいほど無事な様子に安堵したのか、今度は御坂美琴が突っかかる。
 御坂美琴の異名でもある超電磁砲は絶大な威力を誇るが、空気摩擦の影響で弾丸であるコインが溶けてしまう為、射程距離は五〇メートル足らずだったりする。
 だが、今の悠樹の擬似超電磁砲は信号弾もとい閃光音響弾を軽く五〇〇メートルまで飛ばしている。本家本元が納得いかないのは当然の話である。

「君のとは違って、オレのは遠距離に特化している。そういう事で納得してくれ」

 悠樹は面倒臭げに説明しているようで詳しい原理を説明する気は皆無だった。
 納得いかない美琴が更に食い付こうとした時、悠樹の携帯が鳴る。コイツ等、実は組んでんじゃないかと疑いたくなるぐらいのタイミングだった。
 着けっ放しだった小型イヤホンを投げ渡し、悠樹は無言で電話に出る。

『――まさか狙撃前に迎撃されるとはな。あの眉唾物の逸話は真実だったか』
「御託は良いから次の場所と時間言え。態々テメェらの御飯事に付き合ってやってんだから」

 軍用対物狙撃銃での過剰殺傷間違い無しの狙撃を、遊び程度の認識で片付ける超能力者の常識に思う処があったのか、数秒間余り沈黙が続く。
 悠樹にしても今の所は受身の体勢で解決の糸口が無いので、何かボロを出してくれる事を期待していたが、あっさり裏切られる。

『――次は常盤台中学、時刻は五時半だ』

 最低限のやり取りで終わり、悠樹は内心舌打ちする。
 もう少し、露骨に挑発すべきだったか。あまりやり過ぎるとあれなので加減が難しい。とりあえず、次の目的地に意識を集中させる事にした。

「おいおい、学舎の園にある常盤台なんて部外者立ち入り禁止だろ。厄介極まるな」

 第七学区の南西端に位置する其処の場所は悠樹の頭にも入っているが、常盤台中学を含む五つのお嬢様学校が作る共用地帯ゆえに、赤坂悠樹とて無断侵入を躊躇う場所である。
 何せ男性というだけで一発でバレる。違う高校出身以前の問題である。この事件が表面化していない今、入る口実すら無いのである。
 その点の心配は、常盤台中学の生徒である二人に任せる事にした。

「黒白は五〇〇メートル先に伸びている狙撃手を確保して花飾りのに身元を探らせろ。俺達は先に向かうから常盤台中学で合流してくれ」

 悠樹の采配に、黒子は真っ先に異を唱えた。
 完全に気を失ったとは言え、軍用対物狙撃銃を持つ危険人物を野放しには出来ないし、彼から得られる情報は後々大きくなるのは納得出来る。
 彼の回収に最適なのは空間移動能力者である白井黒子であるのは間違い無いが、其処には大きな問題が一つあった。

「ですが、徒歩では間に合いませんわよ!?」
「誰が徒歩で行くなんて言った? 大丈夫だから行け。御坂美琴はオレが責任を持って送り届けてやる」

 悠樹は相変わらず自信満々に言う。
 それが単なる虚勢ではなく、行き過ぎなまでの自信に実力が見合っているだけに、悩むだけ時間が浪費するだけかと決断を下し、黒子は空間移動してその場から消えた。

「どうすんのよ、移動系の能力とか都合良くあるの?」
「残念ながら、その手の能力は無いな。オレとて万能じゃないし」
「何でもありの多重能力者でも不可能はあるのね。――って、本気でどうすんの!?」

 本気と書いてマジと読む気迫で美琴は問い詰めるが、悠樹は「大丈夫大丈夫、当てはある」など楽観視した様子で走り出す。
 美琴は「結局走るのかぁ!」などと突っ込みながら、悠樹の後を必死に追う。現時刻は五時三分、残り二十七分しか残されていなかった。




「おやおや、丁度良い処で出遭ったな」

 適当に走り回る事、二分余り。風紀委員とはとても思えぬ極悪な笑顔で、悠樹は改造した単車から降りた不良学生の群れに話しかけていた。
 ただでさえ時間が無いのに「コイツ、こんな時に何してんの!?」と御坂美琴は彼の正気を改めて疑ったが、不良学生達の様子が何処かおかしい。
 こういう場合、弱い癖に面子にやたら拘る人種の彼等は喧嘩腰になる筈だが、彼等はというと露骨なぐらい脅えている。蛇に睨まれた蛙でも此処まで可哀想な状況になるまい。

「あ、ああ、赤坂さん!? いやいや、俺達何も悪い事してませんよ!? あの一件以来ちゃんと改心しましたからっ!」
「そっすよ! 俺達まだ何もしてませんよ!? 本当ですお願いです信じて下さい!」

 不良達は挙って必死に弁解する。その哀れなぐらい青褪めた顔を見る限り、以前に赤坂悠樹にぶちのめされた連中らしい。

「良いバイクだな、少し借りるぜ。今は風紀委員として緊急事態なんでな、民間人の自発的なご協力感謝する」
「は、はいぃ!? え、いやいえ、どうぞどうぞ、こんなバイクで宜しければっっ!」
「後日、オレの支部に連絡してくれ。万が一破損した時はポケットマネーで新品にして返そう」
「きょ、恐縮っす! おい赤坂さんとその彼女さんに合うヘルメットを渡せっ!」

 赤坂悠樹は一番大型で馬力がありそうなバイクを見繕い、我が物顔で颯爽と着座する。
 最近の風紀委員の一般市民への協力要請は、不良の恐喝よりも性質が悪いらしい。
 御坂美琴はそんな事を考えながら、冷や汗流して謙る彼等からヘルメットを受け取り、悠樹の後ろ席に座った。

「……いや、彼女じゃないから。それにしてもアンタ、バイク乗れるの?」
「それなりにね」

 ヘルメットを被る前に、悠樹は態々振り返って会心の笑みを浮かべる。
 寒気が走るほど嫌な予感がする。美琴は羞恥心を遥か彼方に追いやった危機感から悠樹の腰周りに手を回して力一杯掴んだ。
 悠樹はアクセルグリップを全開で回す。猛々しく音が鳴り響き、回転数が上がる毎に美琴の中の悪寒は高まる一方だった。

「さぁ行くぜ、しっかり捕まって歯ぁ食い縛ってろォ! ヒャッハー!」
「待てコラ何で世紀末の雑魚っぽひゃああああああああぁ~!?」

 美琴の悲鳴と共に爆発的な加速で走り出した彼等二人を、不良学生達は災厄が通り過ぎるのを祈るような気持ちで見送ったのだった。






[10137] 七月十八日(3)
Name: 咲夜泪◆ae045239 ID:ceb974ce
Date: 2009/07/30 01:06


 七月十八日(3)


「風を正面から切って突き進むこの感触っ! もう最高だなぁー!」
「いや死ぬ死ぬ死ぬマジ死ぬって! 法定速度三倍超えてるってぇぇぇ!」

 風力発電のプロペラが立ち並ぶ道路を二人乗りのバイクが異常な速度で走り抜ける。
 車体の僅かな隙間を潜り抜けて牛蒡抜きし、急なカーブを曲がる度に少女の悲鳴が木霊するが、聞き届ける者は運転者の少年しかいない。
 速度を示す針は一八〇を指し、今尚上がり続けている。
 後ろで喚く少女、御坂美琴が確認する限り、運転者である赤坂悠樹は信じ難い事に唯一度もブレーキを踏んでいない。いつも以上に頭のネジが吹っ飛んでいた。

「舌噛むぞ? 学舎の園に到着してからの事だが、オレは外を探すからその点宜しく。多分、あのテロリスト風情もオレ達の分断が狙いだろうしね」

 二手に別れさせて各個撃破という事は、前提として敵が二人以上という事になる。
 美琴は体全体に掛かる重圧に耐えながら、何でコイツは敵戦力を冷静に分析出来るほど余裕があるのか、ある種の理不尽さに苛立ちを募らせていた。

「うぅぅっ、敢えて掌の上で踊るっての!?」
「今だけな。振り回されるのは趣味じゃないし」

 何台目か解らない車を追い抜いたその瞬間、甲高いサイレンが鳴り響いた。
 追い討ちを掛けるかの如く輝くは赤色灯であり、風紀委員と双璧をなす治安組織の警備員が運転する高速車両だった。

『――其処の暴走単車止まれぇ! 警備員の前で突っ走るたぁ良い度胸だぁ! しかも何の冗談か風紀委員の腕章付きじゃんよ!』

 備え付けの拡張期から女性の声が喧しく鳴り響く。美琴が悠樹の腕章を見て今更「あ!?」と呟く中、悠樹はその事とは別に「チッ!」と忌々しげに舌打ちした。

「この奇妙な語尾は黄泉川かぁ!? おのれ、またしてもオレの覇道に立ち塞がるか……!」
「ちょっとどうすんのよぉ! 捕まったら間に合わないわよ!?」

 驚異的な猛加速で追い上げてくる悪夢めいた高速車両を見ながら、美琴は焦りながら絶叫する。
 もし、指定した時刻に間に合わなければ、その時は明日の一面に無差別テロ事件が大々的に載る事になる。
 犯人側がどれだけ本気かは、前世代とは言え、まだまだ現役の軍用対物狙撃銃を調達した辺りから窺える。何が何でも遅れる訳にはいかないと意気込むのは当然だろう。
 悠樹は首だけ振り返り、ヘルメット越しからでも解るように笑って見せた。
 本来ならば「安心しろ」という心強いニュアンスなのだろうが、両頬が露骨に釣り上がって口元が三日月の如く歪んだ狂気が見え隠れする表情に、美琴は言い知れぬ悪寒を覚えた。

「決まってるだろ。カーチェイスってのはな、逃げ切れば無罪放免なのさぁ!」
「少しは法と秩序を守りやがれ不良風紀委員オォオオオオォ!」

 美琴の切実なる言葉は虚空に掻き消え、エンジンが織り成す猛烈な加速音が轟いた。
 斯くして風紀委員と警備員の異色のカーチェイスが開始されたが、初速では悠樹側のバイクが大幅に上回っているだけに、警備員の高速車両と言えども簡単には追いつくまい。
 何だかんだ言って、悠樹の運転技術は良い意味で常軌を逸している。この馬鹿げた速度を完全に制御している。

(このままミス一つ無く走り続ければ、何とか逃げれるかな?)

 美琴が速度に慣れて安心し始めた反面、悠樹は内心焦りを感じていた。
 あの高速車両に乗っている警備員、黄泉川愛穂は相手が死ななければ何でもする女だ。
 追いつかれたら最期、映画の如く壁際まで寄せられ急停止させられるか、悠樹でも考えられない手段を強行して来るだろう。何方かと言えば後者が恐ろしい。

(ったく、人が珍しく真剣(シリアス)に仕事しているのに滑稽(コミカル)に処理されて堪るかっ)

 何度目かの急カーブを曲がり切り、橋に差し掛かる。
 直線にして一〇〇メートル、前には不思議と邪魔な車は一切無く――橋を抜ける寸前の道路に、巨大な円筒形のバリケードロボットが黒いネットを路上に敷きながら転がる。
 その傍に、他の警備員の高速車両が何台か急停止して待ち構えた。

「封鎖されてるわよ!? 路面に何か設置しているし! でも、あれぐらいの隙間なら突破出来なくも――」
「無理。あれは通過すると蜘蛛の巣の如くタイヤに巻きついて、中に張り巡らされたスパイクでパンクさせる優れ物だ――が、他に道があるのにご苦労なこった!」
「他? 何処にそんな道があんのよ!? どうみても一本道じゃない……!?」

 前は獲物を待ち伏せる蜘蛛の巣状態、後ろには黄泉川愛穂の高速車両が追い上げて差を詰めつつある。
 前門の虎、後門の狼。こんな切羽詰った状態でどんな活路があるのか、御坂美琴はパニックになる。

「もっと強く掴まれ、振り落とすぞ!」
「自発的に落とすんかい! って、一体何を――!?」

 その瞬間、御坂美琴は奇妙な感覚に襲われた。今まで瞬く間に通り過ぎていた景色が驚くほど緩やかになる。
 脳内物質の分泌による特異な現象の原理云々はともまく、今ならば赤坂悠樹の一挙一動まで見極められる。彼が選択した道は前でも後ろでもなく――在ろう事か、真横だった。

(――はいぃ!?)

 角度にして綺麗なまでに九十度、今までで最高の曲がりに車体が限界まで地に近寄る。
 路面に髪の毛が接地した感触に美琴は身震いし、後ろからその間々の速度で突っ込んできた高速車両を目の当たりにして全身が凍りつく。
 ――まずい。ぶつかる。バイクの後端の無駄に出っ張った部分がぎりぎり当たる。こんな馬鹿げた速度の中、掠りでもしたらバランスが完全に崩れて事故になる。
 幾らなんでも、こんな速度で投げ出されたら生命は無い。他の超能力者ならいざ知らず、御坂美琴の発電能力ではどうにもならない。

(――っ!)

 ――バイクの後頭部と車両の先端が激突する寸前、車両の速度が僅かに遅くなり、擦れ違う。
 最悪の結果だけは回避した。その間々突き進んだバイクの前タイヤが歩道の段差を勢い良く踏み越え――誇張無く飛んだ。歩道どころか橋の手摺さえ通り越して。
 重力の束縛から解き放たれて眼下に映ったのは、広大な河川だった。疑いようの無いぐらい、落下コースに入っていた。

「いいぃぃやああああああぁぁぁぁ!? 飛んだ浮いた落ちてるぅぅぅ!?」

 現状を的確に言い切る美琴の悲鳴に、意外と冷静なんだなぁと悠樹はのんびり思った。
 慣性に従ってバイクは落下し、水面に苛烈に激突する。撒き散る水飛沫に、車両から飛び出してきた警備員達が「あーあ」と唖然とする。
 だが、一人だけ慌てて駆け寄った黄泉川愛穂は「チィ、逃したぁ!」と悔しげに歯軋りした。
 長点上機学園の風紀委員であんな暴走行為をする者には一人心当たりがあり、その問題児が水に沈没するという滑稽な結末を辿るとは決して思えず――実際に何とかなっていた。

「ブゥラボォオオオォ――!」

 やたらハイテンションな叫び声と共に、爆発したように水飛沫が晴れる。
 其処から猛加速で飛び出したのは二人乗りのバイクの車体であり、在り得ない事に水面の上を路面の如く走行していた。
 後輪のタイヤから飛び散る水飛沫が酷く印象的であり、学園都市は遂に水陸両用の自動二輪車を開発したのかと、残された警備員達はぽかーんと口を開けた。

「ふふっ、はぁーっはっはっはっ! 水上に道路規制法は適用しまい! あーばよ、とっつぁん! そしてさらばだ明智君、また会おう!」
「アンタは何処の怪盗三世で怪盗二十面相だぁー!? 絶対寿命縮まった! 殴る、降りたら絶対殴るから覚えてやがれぇええぇ!」

 暴走したように甲高い笑い声と怒りが籠った悲鳴が不協和音を奏でる中、高速船の如く突っ走る単車を警備員達は見届けるしかなかった。




「痛い痛い、あの程度で酔うとはお子様だなぁ。それに淑女としての嗜みも足りないと愚考するが?」
「事件終わったらもう一発ぶん殴るから覚悟してろ!」

 右頬を痛々しげに押さえ、悠樹は笑顔で手を振りながら怒れる美琴を見送る。
 連絡の為に携帯の電話番号を交換した直後に、本気の右ストレートで殴ってくるとは流石の悠樹も思わなかった。腰の入った良いパンチで、喰らった瞬間に電流が走ったような感触が走ったのは気のせいだと信じたい。

「さて、と」

 巫戯山るのもさておき、悠樹は欠伸しながら背伸びする。
 今回の敵は探すまでも無く、正面から隠れる事無く堂々と訪れた。
 何の変哲も無い常盤台中学の少女であり、戦う前から息切れしているなど、その無防備な挙動に悠樹は目を細める。

「貴方が赤坂悠樹さんですよね? 風紀委員で超能力者の第八位の!」
「……ああ、そうだが?」

 自分から敵ですと自白しているようなもので、悠樹は毒気を抜かれる。
 多く見積もっても大能力者風情が『幻想御手』を使ったぐらいで超能力者を無策で正面から打ち破れるなど夢想しているなら、その思い上がりごと叩き潰す気概でいるのだが、目の前の少女は敵意が欠片も感じられない。
 まさか関係無い一般人なのでは、いや、それを装って油断した隙を、などと悠樹があれこれ深読みする最中、常盤台の少女は眼を輝かせてこう言った。

「貴方も僕と同じオリ主なんですね! 良かった、心細かったんですよ!」
「……オリシュ?」

 今まで一度も聞いた事の無い単語で、頭の中でも漢字に変換出来ない。
 オリシュとは何かの暗号、それとも能力名、または極秘の組織名なのだろうか。同じ、という事は自分と何らかの共通点が無ければいけない訳で、目の前の少女を穴が開くほど凝視しても何一つ見出せない。
 悠樹が浮かべた怪訝な表情を見て、少女は良く言えば親密そうに、悪く言えば妙に馴れ馴れしく笑いかけてきた。

「まぁた惚けちゃって。オリジナル主人公の略称ですよー。申し遅れました、僕の名前は山川幸平と言いまして、気づかぬ内に常盤台のこの娘に憑依しちゃったみたいなんですよ、今流行りのTSですね!」

 この普通ぽい少女から発せられた言葉は異次元過ぎて悠樹は理解に苦しむ。
 疑問その一、オリジナル主人公が何を示すのか、全く解らない。赤坂悠樹もそうだと断定しているが、演劇などに関わった記憶は欠片も無い。恐らく勝手な勘違いか何かだろう。
 疑問その二、何で名乗った名前があからさまなまでに男性名なのか。山川幸平なる名乗りが自称で、性同一性障害なのだろうか。
 疑問その三、憑依した事が今流行りのTS(ティエス)であるらしい。憑依という言葉を態々使う事から、幽霊なのだろうか。非科学的な、と悠樹は即座に切り捨てる。何か別の言葉の置き換えなのだろう。
 TSにしても、自動車のナンバープレートで国際ナンバーにつけられる地名(徳島県)の略称なのか、イタリアの県名略記号なのだろうか、タイムストップとかトラックステーションの略称なのか、他に十以上の候補が立ち並ぶが答えは出ない。
 内心混乱する悠樹を余所に、その少女は空気を読まずにマシンガンの如く喋り出した。

「いきなり禁書世界で一体どんな死亡フラグだぁと混乱しましたが、原作にいない第八位の超能力者がいるって事でぴーんと察しが付きましたよ。僕と同じような身の上なんだなぁって! でも、こっちがレベル3なのにレベル5なんてチートすぎて羨ましいっす! 最強系主人公って最高ですよね、はい! ところで自分は憑依系ですけど、赤坂さんも同じですか? それとも転生系?」

 妙にハイテンションな少女を、悠樹は絶対零度の視線で見ていたが、生憎な事に気づかない。
 いい加減、話に付き合うだけ無駄だと悠樹は気疲れしながら悟る。
 現実と空想の区別が付かない電波娘という事で、そろそろ物理的に黙らせようかと思案した時、向かいからもう一人の少女が現れた。この少女もまた常盤台の制服を着ており、あの電波娘と同じように息切れしていた。

「――見つけたわ!」
「げげっ、また貴女ですか! しつこいですねー」

 まさかコイツも同類じゃないだろうな、と悠樹は危惧する。
 二人は学園に八人しかいない超能力者を無視して、白熱して盛り上がっていく。

「五月蝿い。明海を、明海を返せぇ!」
「いや、返せも何も無理なんじゃないかなぁと。僕も何故こうなったか解らないですし」

 この後から来た少女の叫びから、悠樹は一つの推測を打ち立てる。それと同時に敵の能力者がこれほど悪辣極まる手口を用いた事に戦慄する。
 悠樹は二人が口論している隙に電波娘の背後に忍び寄り、押し倒して手早く手錠を嵌めて拘束する。

「な、何をもががが……!?」

 最後に、自害させない為にハンカチを押し込んで完成する。咽喉を詰まらせて窒息死しないよう、匙加減が大切である。
 もう一人の少女が驚愕して色々と引いている中、悠樹は極めて冷静に、丁寧に尋ねた。流石に痴漢扱いや強姦魔扱いされるのは嫌である。

「質問するが、コイツが山川幸平と名乗る男で、または性同一性障害とかで、普段からこうラリって電波撒き散らしている奇怪な人格なのか?」
「い、いえ、断じて違います! 本名は美空明海で、昨日の夜は普通だったのに、今朝からおかしくなったんです! ああ、一体どうすれば……!?」

 拘束されながらじたばた暴れる電波娘を抑えながら、悠樹は自分の推論が正しかったと納得する。

「落ち着け。状況から推測するに、極めて悪質な精神感応系の能力で異なる人格を埋め込められた可能性がある。話に統合性が無く、現実を架空の世界と誤認している雑で御粗末な具合がその証明だろう」
「そ、そんな……! 明海は元に戻るのですか!?」

 人格一つ丸々埋め込めるような精神感応系の能力者には流石に心当たりは無いが、能力の強度を上げる『幻想御手』が氾濫する中、そういう能力者が生まれる可能性も無いとは言えない。
 切実に詰め寄る少女に手応えを感じながら、悠樹は安心させるように柔らかな笑顔を浮かべる。
 彼の実情を知っているものが見れば寒気が走るほど奇怪な顔だが、迷える子羊状態の少女には救いを差し伸べる神(詐欺師)に見えた。 

「心配には及ばない。君は常盤台中学の生徒なのに忘れているのか? 学園都市の第五位『心理掌握(メンタルアウト)』の存在を。史上最強の精神系能力者と名高い彼女ならば乱造品の人格ぐらい跡形無く消去出来るだろう」

 下に這い蹲る電波娘が「むーむー!」と必死に何かを訴えているが、悠樹と彼女は当然の如く無視する。
 光明を得た少女は、何故か持ってきた縄で電波娘を更に縛り上げ、身動き一つ取れなくなった彼女を軽々背負う。
 その細い体に何処に力があるのだろうか、という悠樹の疑問は面倒だから良いやと遥か彼方に放り投げられた。

「何から何までどうもありがとうございます! それでは私はこれでっ!」

 眼にも止まらぬ速度で少女は立ち去った。途中、何処かの男子生徒が擦れ違い間際に当たって転んだが、少女は気づかずに行った。
 外と学舎の園を隔てる場所に、自分以外の男が何故いるのか不審に思うと同時に、悠樹はその男のポケットから落ちた拳銃を見て、即座に敵と判断する。
 あのテロリストと関係無くても取り締まる必要のある馬鹿である。

「……ど、どうも、こんにちわぎゃ――!?」

 この男が異なる人格を埋め込んだ精神系の能力者の可能性があっただけに、悠樹は男の頭部を鷲掴み、容赦無く地面に叩きつけて潰した。
 どうしようもないほどドジで馬鹿だったが、恐ろしい相手だった。悠樹は額に流れる冷や汗を拭った。




「もしもし。此方は片付けたが、其方は?」
『黒子と合流して探してるんだけど、出て来ないわ。深読みし過ぎたかしら?』

 二手に分断したからには、と悠樹も美琴も思っていただけに意外な報告だった。
 片方だけに戦力を集中させたのか、相手が常盤台のエースである御坂美琴だと知って戦意喪失したのか。
 何方とも言い難いが、この場に戦力を残すのは得策じゃないだろう。

「先程奴から電話があった。次の場所は『セブンスミスト』、時刻は六時ジャスト。ご丁寧に爆破予告まで付けて来やがったぜ」
『……まさか振り出しに戻るとはね。佐天さん、もう帰っていれば良いんだけど』
「事前に止めりゃ問題無い。セブンスミストで合流しよう」
『ええ、解ったわ』

 御坂美琴と通話終了後、悠樹はすぐさま違う相手に電話を掛ける。
 その相手は律儀にも一コールで出た。

「オレだ、結果は?」
『今連絡しようとした処っすよ。該当者は一人、荒川重典だけっすね。で、居場所の方なんですけど第一五学区の北西端にある廃棄された放送施設で、詳しい地理はメールで確かめて下さい』

 風紀委員の一人である彼は相手の声を聞くだけで対象の心理を解析し、読心能力に近い事を出来る強能力者である。その能力精度は携帯越しの声でも正確に読める。
 その能力の使い勝手の良さから悠樹は重宝し、その能力から人に疎まれていた彼にとって、平然と自分を使いこなす赤坂悠樹の存在はまさに天恵だった。

「そうか、ご苦労だった。この件に関しては他言無用だ。どうせすぐ無かった事になる」
『あいさ、了解っす。またの電話をお待ちしてますぜー』

 ぱたん、と携帯を閉じた悠樹は深々と溜息を吐いた。
 第一五学区は第七学区の隣にあるが、北西端を目指すならばこのバイクがあっても遠すぎる。

「――間に合わないな、こりゃ」




[10137] 七月十八日(4)
Name: 咲夜泪◆ae045239 ID:ceb974ce
Date: 2011/02/24 02:41


 七月十八日(4)


 赤坂悠樹は自身の携帯のアドレス帖を漁り、荒川重典の名前を探す。
 ア行だけに、すぐ見つかる。電話番号を交換した経緯は思い出せないが、今みたいな緊急時に連絡手段として交換したのだろう。
 事件が終われば二度と使う事はあるまい。そんな必要無くなったものを残しておいたのは単に削除が面倒という理由だった。
 悠樹は気乗りがしない顔で発信する。コールは四回、少し遅かった。

『おや、赤坂さん。貴方から電話が来るなんて珍しいですね、あの時の事件以来ですよ』

 普通の男の声が聞こえる。あの事件がどの事件を示しているのかは思い出せないし、相手にどのような事情があるかは興味すらない。
 悠樹は事務的に、感情の色無く淡々と話す事にした。

「猿芝居に付き合う気は無いのでな、単刀直入に言う。――今すぐ最寄りの警備員の詰め所に逃げろ。出来るだけ早く」

 携帯越しから絶句したように沈黙が続く。
 その予定調和じみた沈黙を破ったのは曇った笑い声だった。

『――流石、貴方は優秀だ。まさかこんな短時間で辿り着くとは。だが、勝ち誇って投降を薦めるのはまだ早いのでは? 我々には――』
「廃棄された放送施設から学園都市の全学区に『幻想御手』を流す準備がある、と?」

 その施設に鎮座している時点で予想出来る顛末を、悠樹は退屈気に言う。
 廃棄されたとは言え、施設の設備を復旧するのは簡単だろうし、隠れ家としても最適だ。第七学区で踊らされた身としては憤慨する処だが、悠樹は哀れみの情さえ抱いていた。

『その通り。そして聡明な貴方ならば、もう止められない事ぐらい察しているのでは? 此方はいつでも『幻想御手』を発信出来るのに関わらず、貴方は未だに第七学区だ』

 言うなれば、このゲームは最初から王手詰み(チェック・メイト)の状態から始まっていた。次々と襲い来る刺客も犯人側にとっては単なる余興に過ぎなかった。

『そもそも『幻想御手』は能力の強度を上げる事のみ注目されているが、これの副作用は貴方達『超能力者』すら数日足らずで昏睡状態に出来る最終兵器なのですよ』

 実証例は無いが、ほぼ間違いない事実だろう。
 赤坂悠樹は溜息を吐いた。もう少し無能ならば救いがあっただろうに、と。
 『幻想御手』の後遺症が原因不明の昏睡で、その副作用を知った使用者がどんな自暴自棄な行動に出るかは未知数だったが、風紀委員での使用者が此処までの自爆テロを起こすとは神ならぬ身では予測不能だろう。

「……やれやれ、まるで話が伝わっていないな。だからこそ、投降ではなく逃走を薦めているんだがな」

 悠樹は前髪を指先で弄りながら、やる気無く受け答える。
 気力など欠片も湧いて来ないのは当然だ。彼にとって、この事件は既に終わっているも同然なのだから。

「お前達はやり過ぎた。もうこの案件は風紀委員(オレ)や警備員の領分ではない。学園都市の能力者の殆どが昏睡し、都市機能が麻痺する致命的な大規模テロまで発展してしまった。――さて問題だ。この場合、どういう連中が動くと思う?」
『異な事を。貴方や警備員さえ我々を止められないのならば、何処の誰に我々を止められるのか、逆に教えて欲しいものだ』

 風紀委員の最強の戦力である赤坂悠樹が諦めて匙を投げたのならば、誰が阻止出来ようか。
 この学園都市に超能力者(レベル5)以上の脅威がある筈も無い。その浅慮を、赤坂悠樹は自嘲しながら笑った。


「――さっさと殺して跡形無く片付ける類の連中だよ。お前達は学園都市の暗部を舐め過ぎた。学園都市のヒエラルキーの頂点は超能力者ではなく、それを抑える上層部のクソ野郎だというのに」


 途端、電話越しから異音が飛び込む。慌てざわめく周囲の声が次第に大きくなる。
 解り切っていた結末だった。学園都市には得体の知れない技術に満ち溢れている。コイツ等の行動もこの会話だって、上層部には全部筒抜けだろう。

「配線が切られたか、停電したか、恐らく両方だろうね。これでオレの時間稼ぎ(仕事)は終わりだ。ご愁傷様、迷わず成仏してくれ」

 お膳立ては終わった。後は暗部に潜むゴミ処理係に任せるだけである。
 一仕事を終えた爽やかな気分で通話を切ろうとした時、荒川重典は必死な有様で食い付いてきた。

『ま、待て。待ってくれ! 今の話は本当なのか……!?』
「死に際まで寝惚けるつもりか? もう少し無能なら有情にも半殺しで捕まえるオレの管轄で終わったのに。そうだ、最期に駄目元で聞くけど、『幻想御手』の作成者って誰? 知っている有益情報を教えるなら助けてやっても良いが?」

 悠樹は心底どうでも良さそうに対応する。
 それと対照的に切羽詰ったゼロこと重典は言葉を選びながら叫ぶ。

『……『幻想御手』の作成者は知らない。だが、『幻想御手』をダウンロードできるサイトは知っている! アドレスは――』

 作成者の情報に関しては欠片も期待していなかったが、『幻想御手』をダウンロード出来る音楽サイトが判明したのは予期せぬ収穫だった。
 重典は悠樹の歓喜具合から手応えを感じる。此処まで解決の糸口を提供したからには助けてくれるだろう、と。

「ふむふむ、なるほど。隠しページにあったのか。良かった、これで骨折り損のくたびれ儲けだけは回避出来た訳だ」
『頼む、助けてくれ! 今となっては貴方だけが頼りだ……!』


「――てかさ、自分でも言ったじゃん。オレの居る場所からでは間に合わないって」


 重典にとっては予想外の、悠樹にとっては予定通りの解答だった。
 良い情報を得られるのならば御の字、出し渋るなら見殺す。悠樹が突き付けたのは、そんな救いの無い不条理な二択だった。
 言葉にならない喚き声が電話越しから聞こえる。既に携帯を耳から離した悠樹は最期に一言だけ喋る。

「骨すら拾ってやれないから諦めれば?」

 ぷつんと通話を切る。実験動物廃棄用の電子炉で灰になる連中の事など考えるだけ無駄だと、悠樹は思考の内からも切り捨てる。
 事件は無事終了した。その事を御坂美琴達に知らせようとした時、偶然にもその彼女からの連絡が来る。

「おやおや、丁度良いタイミングで――」
『ああ、もう何でさっさと出ないのよ! さっきの狙撃者から犯人の居場所と目的が解ったわ! アイツ等、第一五学区の廃棄された放送施設で『幻想御手』を学園都市の全学区に放送する気よ! セブンスミストは私が何とかする! 黒子を先に向かわせたからアンタも急いで!』

 この脇腹を直接抉るような連絡には、悠樹も絶句した。
 白井黒子の空間移動ならば間に合ってしまい、暗部の連中と鉢合わせする危険性がある。
 風紀委員の正義感を普通に持ち合わせている彼女が遭遇すれば、間違いなく首を突っ込み、証拠隠滅の為に殺されるだろう。
 彼女が大能力者だから大丈夫とか、そういう次元の問題ではない。対象を生かして拿捕する事を主眼とする者と、最初から始末する事を前提とする者、何方に利があるかは語るまでも無い。

「ああ、白井黒子の事は任せろ。嫁入り前の娘に傷一つでも付けさせたら男の恥だしな」
『……アンタって変な処で律儀よね。キザっぽいって言うか。ちゃんと名前覚えてるなら普通に呼んであげたら? てか、私も嫁入り前の娘なんだけど? 喧嘩売ったアンタがそれを言う?』
「切るぞ、無駄話をしている時間も無いしな」
『――任せたわ』

 携帯をポケットに仕舞い、悠樹は思わず頭を抱えた。
 気分は仕事をやり終えた達成感を味わった直後に残業を言い渡されたようなものだ。更には間に合わないのに間に合わせろ、という無理なお達しまで付属している。

「……全く、重たい言葉だね。こんなのを安請け合いするとはオレも焼きが回ったか」

 白井黒子とは知り合って間もなく、ぶっちゃければ何の義理も無い。むしろ、いなくなって困る人物など悠樹の中には一人足りてもいない。
 自分と他人、世界はそれだけで出来ており、それ以外の境界はない。自分以外に執着するものは無く、唯一人で満ち溢れている自己完結型の人間故に、他人などあるだけの希薄な存在だ。
 そんな有象無象の一人である彼女が行方不明になるぐらい、赤坂悠樹にとっては何て事も無いのだ。蟻一匹が誰かに踏み潰された、他人の本が一つ損失した、その程度の認識である。
 そんな悲劇ぐらい、学園都市では溢れている。適当に行って、当然のように間に合わず、御坂美琴には「行った時には誰もいなかった」――それで終わる話だった。


 ――ああ、白井黒子の事は任せろ。嫁入り前の娘に傷一つでも付けさせたら男の恥だしな。


 その宣言を虚言に貶めない為に。極限まで突き詰めれば自分自身の肥大化した誇り(プライド)の為だけに、理由なんてその程度で十分だった。
 既存の法則で不可能ならば、それ以外から引っ張り出せば良い。赤坂悠樹が普段から意図的に行っている能力の偽装を取り止め、己が能力の真価を思う存分発揮すれば良い。

「――久しぶりに本気出すか」

 バイクに跨り、フルスロットで発進する。
 されども、その前輪は見えない段差を登るように上へ上へと駆け抜け――トンでもない速度で文字通り、飛翔したのだった。




「チッ、こんな雑用に駆り出されるとはな」

 廃棄された放送施設が立ち並ぶ一角にて、垣根帝督は無感情に愚痴る。
 彼等が出動するような仕事があったのに関わらず、衣服には汚れ一つすら付着していなかった。

「良いじゃない。最近暇だったんだし」

 派手なドレスを着こなす十四歳程度の少女が受け答えるが、帝督は素っ気無く無視する。
 彼等二人は作業服の男達が黒い寝袋をゴミ収集車に運んでいるのを遠巻きに眺めていた。彼等の仕事は疾うの昔に終わり、後は下っ端どもによる片付けの段階である。
 待つのも億劫になってきた帝督は自分の足で帰ろうか思案し始めた時、予兆無く唐突に出現した常盤台中学の生徒に眼を点にする。
 彼女の右腕には風紀委員の腕章が着けられていた。

「風紀委員です! その貴方達、此処で何をしておりますの?」

 面倒な事になったと帝督は内心舌打ちする。
 此処にいた馬鹿どもを追っている風紀委員の存在は報告にあったが、撤収の作業が終わるまで間に合うとは思わなかった。

「ゴミ処理のボランティアですよ。此処は廃棄された放送施設が多いですから」
「片付ける機材はまだまだあるしね」

 帝督は似合わぬ笑顔を浮かべて親切丁寧に答え、ドレスの少女もまたそれに追随する。
 その笑顔を見た黒子は真っ先に赤坂悠樹の不自然な笑顔を連想させ、強い不信感を抱く。
 黒子の眼が垣根帝督達から作業服の男達に移る。彼等は黒子の乱入で、作業を中断していた。視線は自然と、彼等が二人掛かりで運んでいる黒い寝袋で止まる。

「……お待ちなさい。その黒い寝袋には何が入っていますの?」

 自分で尋ねて、黒子は嫌な予感がした。一目見た瞬間から悪寒が生じる。
 ふと気づけば、垣根帝督の笑顔の質が豹変していた。赤坂悠樹のを更に極悪に煮詰めたような、邪悪で禍々しいものに変わっていた。

「あーあ、とても残念ね」
「そうだな、もっと無能なら問題無かっただろうに。……おい、ゴミが一つ増えるから片付けの用意しろ。何、今更風紀委員の死体が一つ増えるぐらい誤差にもなんねぇだろ?」

 悪寒に駆られた黒子は咄嗟に空間移動して後退し、一瞬前まで居た地点に正体不明の爆発が巻き起こる。
 余波に煽られて完全に粉砕したコンクリートの地面を見るに、人一人ぐらい簡単に殺傷出来る破壊力はあった。そんな攻撃を挨拶代わりに繰り出した垣根帝督に、黒子は恐怖を抱く。

「な、貴方達は……!?」
「空間移動能力者か。風紀委員には勿体無い力だな」

 帝督の心無い称賛は彼我の戦力差が圧倒的に開いているからに他ならない。
 敵の危険性を肌で感じ取った白井黒子は太股に付けたショルダーから金属矢を触れ、空間移動させて垣根帝督の右肩部に撃ち込む。
 生じた隙で逃げ出す為に――金属矢は確かに当たった。当たったのに関わらず、矢は物理法則を無視して彼方に吹き飛んだ。

「痛ってぇな」

 まるで感情の籠ってない声で、無傷の垣根帝督は静かに言った。
 まずい、と黒子は自分が致命的なまでに読み違えていた事を悟る。
 あれは『幻想御手』で補強した程度の大能力者ではない。御坂美琴や赤坂悠樹と同じく、理不尽なまでの暴力を撒き散らす超能力者(レベル5)だと。

「遊ぶのは良いけど、逃げられるのだけはやめてよね」

 そう言ったドレスの少女は無防備にも歩み寄って来る。黒子は警戒し、牽制の為に金属矢を撃ち込もうとした時、猛烈な拒絶感が生じて動きを止めた。
 撃ち込めない。意識がズタズタに裂かれて何一つ演算出来ない。込み上がる嘔吐感は酷くなる一方で、黒子は正体不明の感情に押し潰されそうになる。

「無理よ。今の私の距離単位は三。『白井黒子―御坂美琴』と同じ心の距離を維持している。あなたが御坂美琴を絶対に傷つけられないのと同じように、今の私を攻撃するのは不可能よ」

 その気になれば本物の感情を偽物の感情で塗り潰せる、自分に対する心理的距離を自在に調節出来る心理定規(メジャーハート)により、黒子は思考の大半を圧迫され、空間移動に必要な十一次元ベクトルの演算が封じられる。
 あの女が御坂美琴じゃないと理性で解っていても、平常心を保てない。集中力を乱すとすぐ使用不能になる複雑な能力ゆえの悲劇だった。

「機密保持も重要な仕事なんでな、怨むなら首を突っ込んだ自分を怨むんだな」

 興醒めしたように眼を細めながら、垣根帝督は仕留める為に能力を行使する。
 黒子の思考が真っ白になる。――殺された、と。最期に想うのはやはり愛しきお姉様である御坂美琴の事であり、彼女の無事を切実に祈った。

 ――垣根帝督の能力が発動する前に、音速を超えて飛翔したバイクが彼に衝突した。

 バイクが爆散して大炎上し、鼓膜を破き兼ねない爆音が轟いた。
 黒子はぱたんと力無く尻餅付く。余りの状況の変移に理解が追いつかない。

「一体、何が……」

 黒子が呆然としながら呟いた時、爆心地から巻き起こる煙から何かが転がり出てくる。
 丁度黒子の前で転がりながら起用に立ち上がったバイクの運転手らしき人物に、黒子は嫌というほど見覚えがあった。

「赤坂さん!?」

 あれだけの惨状の中心にいて無傷なのは超能力者たる所以なのか。
 少しだけ、不謹慎にも助けに来たのが御坂美琴だったら良かったのにと、そんな戯けた事を思考する余裕が黒子に出来る。

「やれやれ、ぎりぎり間に合ったか。――この度は同僚が迷惑掛けたようだね。オレの顔に免じて見逃してくれないか? 垣根帝督」

 黒煙と炎が渦巻く爆心地に向かって、悠樹はさも当然の如く喋る。
 灼熱の炎から垣根帝督は歩いて出てくる。黒子に寒気が走った。赤坂悠樹と同じく、彼もまた無傷だったからだ。

「――痛ってぇな。そしてムカついた。女の窮地に颯爽と駆け付けて白馬の王子様気取り? 特力研の置き去り(チャイルドエラー)を全員見殺したド腐れ外道の行動とは思えねぇな」
「堅気の女を集団で寄ってたかって暴行した強姦魔に言われる筋合いは無いな。あと其処の女、そのクソ不愉快な能力止めねぇと先に殺すぞ」

 悠樹は視線を帝督から反らす事無く、物理的に息の根を止め兼ねない驚異的な殺気だけでドレスの女を脅えさせ、自発的に退けさせる。
 以前にも超能力者同士の対峙を見た事ある黒子だが、今のこの光景はあの時が生温く見える。
 空間中に濃厚な殺意が充満していると表現すべきか、彼等が対峙しているだけで息が詰まって心臓が萎縮する。
 一挙一動で鏖殺せしめる、超能力者による超能力者の、二人だけの戦争が始まる寸前なのだから。

「俺達だって一般人の口封じなんざ気乗りはしないさ。だが、テメェは別だ。ギネスに乗るほど愉快な死体にしてやるぜ」
「そんなにギネスに乗るほど愉快な死体になりたいのか。それなら趣向を凝らさないとな」

 軽口ですらない殺人予告が飛び交う。
 黒子には異世界の出来事にしか見えないこれが、超能力者(レベル5)の日常風景だった。
 会話など最初から無意味。動きを止めたければ殺せば良いし、気に入らなければ壊せば良い。それが悪の流儀である。

「一応聞いておくけど、此処に居た救いようの無い馬鹿な連中は?」
「ああ、大した事無かったな」

 予想通りの垣根帝督の答えに「そうか」と悠樹は退屈そうに呟く。

「さて」
「じゃあ」

 赤坂悠樹は懐から回転式の拳銃を取り出す。
 見栄えの無い銃身は太陽の光を反射して黒光りする。悠樹は静かに撃鉄を起こす。
 それは西部開拓時代には使用されていた黴が生えた骨董品、シングルアクション・アーミーだった。
 対する垣根帝督は無手のまま――その程度の小火器に頼る悠樹を馬鹿にするように嘲笑う。

「死ねよ」
「死にな」

 銃身を木っ端微塵にして放たれた弾丸は音速の十倍で飛翔し、垣根帝督から放たれた小さな白光は物理法則を次々に塗り替えながら飛翔し、二つの軌跡は交差する事無く、ほぼ同時に炸裂した――。




「――クク、アハハハッ! あれが『未元物質(ダークマター)』か。今のオレでは瞬殺確定だな。流石は流石は第二位だ!」

 赤坂悠樹は心底愉しげに笑う。
 第二位と第八位の激突はあの一回で終わった。それは赤坂悠樹が白井黒子の安否を優先し、右手で抱き抱えて脱出した為である。
 巻き込んで殺してしまうのは本末転倒も良い処、一撃離脱があの場に置ける最善の選択だった。

「赤坂さん! その左腕は……!」

 黒子の顔が青褪める。染み一つ無かった白のワイシャツは血塗れで、特に左腕の損傷が酷かった。
 手の甲から上腕部に掛けて深い裂傷が生じており、同時に焼き爛れて火傷しており、また大質量の力が掛かったかの如く骨が砕けていた。
 ぷらん、と悠樹の左腕は力無く下げられている。一体、どういう能力を使えばこうなるのか、黒子には想像すら付かない。
 最初の出血から一切流血が無いのは彼の能力の一つなのだろうか。何方にしろ、異常極まる重傷だった。

「最高だ、そうでなければ意味が無い! こんなに楽しいのは久方振りだ、あは、あはははははっ!」
「赤坂、さん……?」

 悠樹は生じる激痛に顔を歪ませながらも、狂喜喝采する。
 まるで自分の傷など、自身の生死すら問題外と言わんばかりの所業だった。

「これが笑わずにいられるか? 垣根帝督はオレより強い。だからこそオレは挑戦者として、遥か高みに挑む事が出来る。この素晴らしさ、大能力者(レベル4)の君では解らないかな!」

 笑い声は途絶えない。一体何が彼をこんなに壊したのか、赤坂悠樹の狂気の一端を垣間見て、黒子は得体の知れないものを見るかのように恐怖を覚えた――。




「あらあら、派手にやられたわね。左腕、大丈夫?」

 一方、垣根帝督も無傷とはいかなかった。
 第三位の『超電磁砲』をも超える速度で射出された弾丸は帝督の防御を紙障子の如く貫通する。その弾速と威力は凄まじく、掠っただけで左腕に重大な損傷を負わせた。
 弾丸が直撃した放送施設は砲撃が直撃したかの如く、木っ端微塵に破砕し、余波の衝撃で建物として成り立たないほど崩れ去っていた。

「クク、ハハハハハ! こりゃ傑作だっ!」
「……痛みでおかしくなったの? 頭」

 ドレスの少女が呆れたように尋ねる。

「バーカ、これが笑わずにいられるか! 赤坂悠樹の『過剰速写(オーバークロッキー)』は多重能力ですらない。もっと別の何かだ。多重能力の研究は前提から間違っていたって訳だ!」

 どうやら垣根帝督はあの一撃で赤坂悠樹の『過剰速写』の一端を掴んだらしい。
 だが、とドレスの少女は考える。第八位の能力が多重能力でなくても、別段意味は無いだろう。
 垣根帝督を傷付けられるという時点で、最下位ながら上位に食い込むほどの素質があるのだから。

「それはそうと、お前の『心理定規(メジャーハート)』が通用しないとはな。誰に距離を合わせたんだ?」

 笑い終えて一段落した帝督は不思議そうに尋ねる。
 いつも余裕泰然としてるドレスの少女はこの時珍しく、苦渋に満ちた表情を浮かべた。

「彼の妹さんよ。距離単位は二。――でも死者は駄目みたいね、能力以前に完全に別物と区別されるみたい。あんなにドロドロして読めない人は、貴方や一方通行(アクセラレータ)ぐらいよ」




[10137] 七月十九日(1)
Name: 咲夜泪◆ae045239 ID:ceb974ce
Date: 2009/08/20 14:59


 七月十九日(1)


「君が此処に来るとは珍しいね? また同じ超能力者(レベル5)と喧嘩かい?」
「そんな処です。お世話になります、先生」

 とある病室にて、ベッドに寝転がっていた赤坂悠樹はカエル顔の医者の来訪に気づいた瞬間、体だけ起き上がって丁寧に対応する。
 いつもの傲慢不遜の態度は形を潜めるばかりか、心底から敬意を払っていた。彼を知る者からは眼を疑う光景だろう。

「そう思うなら、君と対峙した生徒を悉く病院送りにしないでくれないか?」
「出来るだけ手加減しているのですが、自分もまだまだですね」

 悠樹は苦笑いする。彼こと冥土帰し(ヘヴンキャンセラー)の存在があるからこそ、気兼ねなくぶちのめせるのは心の内に留めておく。
 忠言を訊いて尚且つ無視する頑固な患者に溜息一つ零し、カエル顔の医者の視線は悠樹の左腕に移る。ギプスで固定された左腕は襷掛けになっていた。

「左腕は全治十日程度だが、能力での治癒はお勧めしないね? 出来れば入院して欲しい処なんだが?」
「あー、それだけは先生の頼みでも訊けないです。微妙に皆勤賞目指してるんで、それに――」

 悠樹は眼を伏して笑う。されどもそれは決して、他人に親しみや安心を与えるものでは無かった。

「一秒足りても立ち止まりたくないんです。時間は有限ですから」

 今の悠樹の思考に『幻想御手』に関する事柄は一握りも無い。一連の事件の記憶は完全に蚊帳の外、他人に言われて初めて思い出す程度の事に成り下がっている。
 赤坂悠樹には昔から夢中になれるものが一つでもあれば、他のものを全て放り捨て、それのみに集中する悪癖があった。
 幼い子供がクリスマスに訪れるサンタをワクワクしながら待ち望み、今か今かと切望し、他のものに手が付けれなくなるのと同じように――赤坂悠樹は垣根帝督を如何に打倒するか、考え得る全てを想定して演算に演算を繰り返していた。
 導き出された結末が全て自らの死でも、悠樹は喜々と演算し続ける。一手一手、死に至るまでの過程を伸ばしながら、那由他の彼方に揺蕩っている勝機を掴み取る為に。

「……全く、君は僕の患者なんだがね」

 現在まで全ての手術を成功させ、どんな患者を救い続けた彼にも救えないものが一つある。
 自ら死に傾斜する者に手を差し伸べても、その者が拒絶する限り届かない。赤坂悠樹は、まさにその類の――救えない人間だった。

「ところで、今、何時何分何秒でしょうか?」

 カエル顔の医者はポケットから携帯電話を取り出し、正確な時間を教える。
 悠樹から飛び出した珍妙な質問を律儀に答えるのは、単に彼の信条故にだった。




『何故です! 何故通報してはいけないのですかっ! 彼等は人を――!』
『学園都市の暗部に潜む小組織の一つさ。それも学園都市統括理事会直属の。この意味、説明しなくても解るよな?』

 悠樹の無慈悲な言葉に、白井黒子は息を呑んだ。あの人をゴミと同じように片付ける悪魔の所業が、上層部の承認を得て公然と黙認されていた事になる。
 そんな事実など一般常識から考えて在り得ない。信じられないし、信じたくない。黒子の苦渋に満ち溢れた顔を、悠樹は酷く退屈気に見下ろす。

『奴等は今回のような大規模な事件を手を汚してでも片付ける連中だ。事件の痕跡すら徹底的に抹消されるから、最初から無かった事にされるね』

 だから問題にも上がらないし、そもそも最初から問題にもならない。其処でこの話は終わりだと悠樹は無言で諭す。

『……納得出来ません。あんな事が平然と許されるなんてっ!』
『別に納得する必要は無いよ。ただ、黙すれば良い。――言い方を変えるか。君が裏の事情に巻き込まれると、御坂美琴も自動的に巻き込まれる訳だが、そうなるのは不本意だろ?』

 黒子がその最悪の事態を想像して絶句する。
 如何に御坂美琴が学園都市の第三位『超電磁砲』と言えども、相手がその上の第二位『未元物質』となれば――勝敗は想像したくないが、あの男だけは戦わせてはならないと直感が告げている。
 だが、幾ら上層部と言えども、学園都市に八人しかいない超能力者を簡単に切り捨てる筈が無い――そんな甘い思考を、赤坂悠樹は冷めた眼で無情に切り捨てた。

『学園都市に八人しかいない超能力者だけど、逆に言えば八人もいるんだ。一人や二人、不慮な事故で消えるぐらい、なんて事も無いんだがな』

 その軽すぎる命の勘定には、美琴どころか彼自身の命すら含まれていた。
 黒子は最強に固執する赤坂悠樹からそんな言葉が出てくるとは夢にも思わず、何も言えなくなった。

『ま、仕事に没頭すれば嫌でも忘れるだろうよ。配信元のサイトの封鎖と『幻想御手』本体を専門家に解析依頼、保有者の拿捕、その他諸々を任せるよ。オレが復帰する頃には開発者の目星ぐらい付けとけ』




(――垣根帝督、学園都市の第二位『未元物質』、赤坂さんが『トクリョクケン』とやらで置き去り(チャイルドエラー)を見殺し……解らない事だらけですわね)

 初春飾利と共に一晩で配信元のサイトを潰し、赤坂悠樹が独断で秘密裏に呼び寄せた大脳生理学を研究する専門チームの責任者、木山春生に『幻想御手』の解析を依頼した黒子は忙殺状態から解き放たれ、不幸にも思考する余裕が出来てしまった。
 今まで忙しくて考えずに済んだが、未だに気持ちの整理など出来ていない。それだけ昨日の出来事が衝撃的で、脳裏から離れない。

(……駄目ですわね。まだ保有者の確保が残っていますのに。でも――)

 傍目から見ても上の空で尚且つ気まずい黒子の様子を、学園の終業式から専門チームが待つ病院までも付き添った彼女が気づかない筈も無かった。

「『幻想御手』の事は進展しているのに元気無いわね。……まさか、赤坂悠樹(アイツ)に何かされたの!?」
「……いえ、助けて貰っただけですの。その際、わたくしを庇って赤坂さんが怪我をしてしまい――どうしたんですか、お姉様?」
「驚いた。アイツでも怪我するんだねー。……私の攻撃は全部避けた癖に」

 美琴は驚いたり、根に持ったような不機嫌さを醸し出したり、コロコロと表情を変える。
 そんな彼女の愛くるしい様子に苦笑を浮かべようとするが、黒子は自分自身でも解るぐらいギコちない笑顔となる。
 今の自分では昨日の事がちらついて、自然に笑い合う事すら出来そうに無い。
 御坂美琴にだけは昨日の事を知られても悟らせてもならないと、黒子は空元気を出しながら決意する。

「それじゃお見舞いに行かないとね」
「――はい?」

 その矢先、美琴から予想外の言葉が飛び出した。
 お見舞い? 一体誰が、誰を? その言葉は黒子の能力が使用出来なくなる程の混乱を齎した。

「あんな性格悪い奴でも黒子の為に怪我したんだから、疎かにしたら罰が当たるわよ?」

 美琴は一人あれこれ思案して「やっぱりお見舞いの品はチョコレートでいいのかなー」など言ったりするが、黒子は既にお見舞いが決定しているような今の事態に焦る。
 今、赤坂悠樹に会ってもどんな顔をすれば良いのか解らない。
 更には昨日の事で非常に気まずい。心の整理が付かない中で意見が致命的に食い違う彼と対峙すれば、呆気無く玉砕して益々捩れてしまうだろう。

(――ですが、このまま向き合わないのは……単なる逃避、ですわね)

 己の信念に従い、正しいと感じた行動を取るべし。風紀委員の心得の一つを思い出し、黒子は奮起する。
 今はまだ何が正しいのか、何が間違っているのかさえ解らず、自分が取るべき行動など思い浮かばない。
 だが、この間々ではいけない事だけは理解している。
 あの悲劇が日常的に起こっている事を知った自分が何をすべきか。その答えの糸口に繋がるかは不明だが、学園都市の暗部を深く知る赤坂悠樹とはもう一度、じっくりと話し合わなければなるまい。

「そういう訳だから頑張ってねぇー。邪魔者はいない方が良いでしょ?」

 煽るだけ煽って、御坂美琴は清々しい笑顔で手を振りながら一目散に退散した。

「お、お姉様っ! ななな、何を勘違いなされてるのですかぁー!? わたくしは一生涯お姉様一筋ですぅうぅ!」

 そんな黒子の涙目混じりで心からの悲痛な叫びは、基本的に美琴に届く事は無かった。




「彼ね、昨日の時点で自主的に退院したよ? 全く、医者としては困った患者だね?」
「なんですって……!? あの怪我で、ですの?」

 カエル顔の医者から信じられない事実を告げられ、黒子は自身の耳を疑い、次に赤坂悠樹の正気を疑った。
 あの見るも凄まじい負傷は出血はしていなかったものの、即日退院出来る傷ではなかった。数日は絶対安静で入院を余儀無くされるだろうと予想していただけに、黒子の驚きは大きい。
 赤坂悠樹の性格から考えて、風紀委員の仕事はサボっても、街に出歩く事は一切自重しないだろう。幾ら超能力者でも、左腕が重傷の状態で他の能力者に襲われれば万が一も在り得るかもしれない。完全に自分のせいで――。

「これは独り言なんだが?」
「え?」

 居ても立ってもいられないが、されども居場所が掴めず、連絡手段すらない黒子は途方に暮れたが、カエル顔の医者はそっぽを向いて、わざとらしい独り言を呟いた。

「第七学区、第五学区、第十八学区が密接する境界地点に巨大なスキルアウトの溜まり場があってね? 彼は其処の顔役でもあってね、名前を出せば即座に取り合ってくれるだろうね?」
「え……あ、ありがとうございますっ!」

 カエル顔の医者が一拍子置いて振り向けば、其処には誰もいなかった。
 彼は患者に必要なものなら何でも用意する。今回の事がどう転ぶかは本人達次第だろうと結論付け、カエル顔の医者は次なる患者の下へ出向くのだった――。




 第七学区と第五学区と第十八学区、その三区が密接する裏路地はスキルアウトにとって都合の良く、風紀委員にとっては都合の悪い場所だった。
 何せ一つの区間を越えれば別の学区の管轄になってしまい、逃げられれば容易に手出ししにくいからだ。
 唯一の例外を除き、普通の風紀委員は越権行為を侵さない為、この境界地点はいつの間にか吹き溜まりが集結する無法の場になっていた。
 その裏路地の一角、人知れぬ場所に完全会員制の店舗があった。扱う物は銃器全般であり、会員で金を積めば生徒だろうが大人だろうが何でも手に入る違法店である。

「……暇じゃなぁ。まぁそれが一番なんじゃが」

 経営者にして唯一人の店番である老年の男性は雑誌を捲りながら暇な時間を潰していた。
 極度に客を選ぶが故に、この人が居ない状態が日常茶飯事だった。
 男はタバコに火をつけ、煙を肺に吸い込む。これが無い世界など考えられないと至福の時を実感していた。

「ぷはぁー。ん……?」

 その直後だった。タバコが異常な速度で灰になっていき、手元まで至る前に崩れ去った。 こんな芸当を出来る会員に心当たりは無いが、会員じゃないのに利用しにくる無法者には心当たりがある。男は不機嫌極まる顔で灰皿にタバコを捨て、客じゃない客の対応に勤める。

「……やれやれ、お前さんか。年寄りの数少ない楽しみを減らさんでくれ」
「タバコは大嫌いなんだよ」

 口元を押さえながら現れた赤髪の少年は、IDカードによる電子ロックも呆気無く打ち破り、古典的な四桁の錠前にしようが問答無用に侵入してくる。
 諦めた店主は会員になる事を薦めたが、ならなくても無断侵入出来るので一向に入ってくれない。
 規則を取り締まるべき風紀委員が率先して破るのは、違法経営する彼にしてもどうかと思うが、この少年、赤坂悠樹は聞く耳すら持たないだろう。

「怪我とは珍しいな。ほれ、約束の品だ」

 左腕のギプスを珍しそうに眺めながら、店主は仕立てた逸品の入った箱を眼下に出す。
 悠樹は無造作に蓋を開け、中の逸品を見定める。
 素人が見たならば、それは単なる旧世代のシングルアクションアーミーに過ぎないが、これは学園都市の技術を総動員させた代物である。

「試射させてくれ。あと追加注文だ。何日掛かる?」

 悠樹から手渡された紙切れを見て、店主は眼を見開く。
 ただでさえ単なる小火器をカノン砲並みに過剰増強する彼の手にこんなものが渡れば、想像すら恐ろしい事態になるに違いない。

「あんな物騒な欠陥品をか? 四日で調達出来るが、戦争でもおっぱじめる気か?」
「オレとアイツじゃ、嫌でも戦争になるな」

 一人で軍隊と戦えると称される超能力者が一人の相手に戦争になる。つまりは相手も超能力者であると容易に察知出来た。

「出遭った当初から気に入らなかったし、多分奴もオレの事を気に入らないだろうね。互いの存在が心底気に食わない。殺し合う理由なんてその程度で十分だろ?」

 片手で器用に動作確認しながら、悠樹は口元を歪ませながら話す。
 その銃身に見据えるものは一体誰なのだろうか。どうしてこの少年の日常はこんなに歪んでしまったのか、男は遣る瀬無くなった。

「……お前さんを見ていると時折思う事がある。この学園都市の所業はお前さんのような恐るべき子供を生むほど罪深いものだとな」

 銃を生徒などにも売る立場にある自分が言うのもおこがましい。だが、こんなものが必要とされる現状に憂いは感じる。銃器を必要とする無能力者の大半は、心無き能力者からの防衛が目的なのだから。

「そんな戯言が飛び出すほど老い耄れたか? オレがこうなのは学園都市に放り込まれる前からだぜ?」




「お、昨日の風紀委員か」

 空間移動で病院から出た直後、白井黒子は無視出来ない人物に出遭ってしまった。

「……垣根、帝督」

 彼の左腕には包帯が巻かれていたが、赤坂悠樹の傷よりは浅い。それが第二位と第八位の実力差なのだと思わずにはいられなかった。
 黒子は無意識の内に後退り、恐怖で動揺しながらも逃げる為の演算を必死にこなす。

「ま、そう警戒するな。別にとって食おうという訳じゃない」
「……どの口が言いますの?」

 小馬鹿にしたような笑みを浮かべ、垣根帝督は脅えた子供をあやすように優しげに語る。
 腕が一本使えないからと言え、その程度で戦力差が縮まるとは到底思えない。

「昨日は片付ける理由があったが、今日は理由が無い。それに、あの野郎から事情ぐらい聞いているだろ?」

 一瞬だけ、帝督が不愉快そうに眉を顰めたのは赤坂悠樹の事を思い浮かべたからか。

「――たかが大能力者一人を始末する為に二人も超能力者を消したら本末転倒だろ?」

 垣根帝督は凶悪な笑みを浮かべ、第三位も第八位も敵じゃないと断言する。
 この男なら、正直やりかねない。実力的にも性格的にも。黒子の額から冷や汗が止め処無く流れ出た。

「っ――待って下さい」

 話は終わりだとばかりに踵を返し、垣根帝督は立ち去ろうとした時、黒子は反射的に呼び止めてしまった。
 帝督は面倒臭げに振り向く。黒子は自身の突発的な行動に後悔しながらも――聞くべきじゃない事を口にした。

「……二つだけ、訊きたい事があります。『トクリョクケン』と、それと赤坂さんとの関係です」
「あん? アイツの傍にいる癖に知らないの? ――というか、本気で知りてぇの?」

 その時の垣根帝督の表情は哀れな子羊を絶望のどん底に陥れるような、悪魔めいた笑みだった。



[10137] 七月十九日(2)
Name: 咲夜泪◆ae045239 ID:ceb974ce
Date: 2009/09/11 02:15


 七月十九日(2)


「此処は第一八学区ですよ。第七学区の風紀委員さんは管轄外なのでは?」
「おいおい、冗談きついぜ。此処は第五学区だ。まぁ何方にしろ管轄外だぜ、嬢ちゃん」

 三つの地区の境界が集う路地裏に入った途端、白井黒子の前に眼鏡を掛け、夏にも関わらず長袖を着た童顔の少年と暑苦しいまでに筋肉質な半袖の少年が立ち塞がる。
 彼等は恐らく武装無能力集団(スキルアウト)と呼ばれる類の人間だろう。
 無論、額面通りの物騒な者は一万程度いる中の極一部であり、大半は学校に通わない者や夜出歩く者など素行が悪い者――つまりは不良かチンピラ風情というのが的確だろう。

「此処に赤坂悠樹さんがいると聞きましたが、取り次いで貰えませんか?」

 赤坂悠樹の名前を聞いた途端、二人は互いの顔を見合わせ、驚いたように黒子を見た。

「赤坂さんの知り合い? それを早く言って下さいよ。余所者かと思いましたよ」
「へぇ~。あの人、別の処で本命がいたのか。隅に置けねぇなぁ」

 童顔の少年は今までの上辺だけの笑顔から親密なものに変わり、半袖の少年は物珍しいものを眺めるような顔になる。
 黒子は半袖の少年から妙な勘違いされて不本意だったが、ぐっと堪える。

「ちょっと待ってね、今連絡するから――あれ……うーん、電波の届かない場所に居るみたいだね」
「って事は多分、あそこか。お前、会員証持ってる?」
「ええ、自分は常連ですから」




 二人に案内された店の入り口は巧妙なまでに目立たず、入る前から怪しい雰囲気を醸し出していた。
 昼でも暗い階段を降り、ID式の扉を開いて黒子の眼下に広がったのは、部屋中に銃器を展示する異様な空間だった。
 何処を如何見ても完全に真っ黒な違法経営であり、黒子は余りの堂々振りに思わず絶句する。

「お久しぶりです、爺さん。お邪魔しますねー」
「……部外者を入れるなとあれほど口を酸っぱくして言った筈じゃが?」

 店主である老人は黒子の風紀委員の腕章を見て、あからさまに嫌そうな顔をしたが、それだけで読んでいた新聞にまた眼を向けた。

「いやまぁ急用なんですよ。此処に赤坂さんは――」

 童顔の少年が言いかけた時、地から唸り出る轟音と共に誇張無しに店全体が揺れた。黒子は驚愕しながら地震かと疑ったが、震動はそれだけで治まった。

「……どうやら来ているみたいですね」

 童顔の少年は呆れたような顔で呟いた。どうやらこの局地的な地震の震源は赤坂悠樹らしい。超能力者の非常識さを身近で思い知っている黒子もまた、超能力者ならやれても不思議じゃないと納得する。

「地下の射撃場じゃ。入る際は気をつけるのじゃな。怪我されても責任取れんよ。……全く、どれだけ壊されているか検討も付かん」

 目の前の客に見向きもせず、店主は新聞を流し読みしながら素っ気無く言い捨てた。




 黒子は螺旋状の階段を一人で降りて行く。時折激しく震動するが、もう慣れたものである。
 ビルにして十階分ぐらい降りた処で、ようやく射撃場の扉に辿り着く。
 強固で堅牢な扉はまるで核シェルターに備え付けてあるような代物であり、普通の射撃場の施設にこんなものが必要なのかと黒子は疑問符を浮かべる。
 回転式の取っ手を力一杯回し、開封されたその先には広大な空間が広がっていた。
 常盤台の体育館以上の大部屋には飾り気というものが欠片も無く、硝煙と火薬の臭いが充満していた。
 遥か彼方、目測で三○○メートルはあるだろうか、其処には対衝撃を意識した緩急材じみた的が配置されており、軍用でとんでもない強度を誇るものだったと容易に想像出来るが、今は罅割れていて無惨にも半壊状態にある。
 そんな惨状を引き起こした張本人は銃身を脇で抱え、右手だけで器用に銃弾を補充していた。

「黒白? 何故此処に?」
「……それは此方の台詞です。絶対安静の身で病院から抜け出して、銃を違法に扱っている店で射撃の訓練ですの? そういえば何故あの時も銃器を所持していたか、問い詰めていませんでしたね」

 軽口を叩く黒子を一瞥した悠樹は構わず銃弾を詰め、シンプルな銃を備え付けのテーブルに置いた。

「用件は? 見ての通り忙しいんだけど」

 悠樹はさも面倒臭げに眼を細める。人目があっては邪魔だと言いたげな様子だった。
 黒子はデパートの地下で買った、適当に高そうなチョコの入った袋を眼下に見せる。途端、臭いだけで何が入っているか解ったのか、悠樹は露骨なまでに破顔する。

「お見舞いです。それと――話が、ありますの」




「……おい、何でイチゴなんだよ。チョコレートに不純物を混ぜるなんて外道だ邪道だ! カカオ分35%以上、ココアバター18%以上、糖分55%以下でレシチン0,5%以下、レシチンとバニラ系香料以外の食品添加物無添加でココアバター・乳脂肪分以外の脂肪分を使用していない事、尚且つ水分3%以下、この純チョコレート生地に分類される規格こそ王道にして至高、単純にして最強のチョコレートだろうがぁ!」
「……チョコレートなら何でも良いって訳じゃありませんのね」

 地下射撃場に備え付けられた休憩室に入り、我先にチョコレートに手を伸ばした悠樹だが、それがイチゴチョコレートだと知った途端、悠樹は失望を露にし、激しく憤った。
 悠樹の変な拘りを適当に聞き流しつつ、買ってきたチョコレートを再び袋に仕舞おうとした時、黒子の指が触れる寸前の所で悠樹はチョコレートを引っ手繰った。

「待て。誰が食わないと言った」

 乱雑に箱を開き、無駄に装飾の凝ったピンク色のチョコレートを悠樹は嫌々口に放り込んだ。
 味わう最中、眉間に皺が寄り、目元がぴくぴくと痙攣する。いつもの幸せ全開の表情とは異なり、込み上がる嘔吐感を必死に堪えるような最低最悪の状態だった。

「……やっぱり不味い。泣けるほど不味い。何で此処まで不味くなるんだ、発案者に殺意が芽生えるわ」
「苦手でしたら食べなければ良いでしょうに」
「見舞いの品を粗末には出来ないだろ。全くもって己が矜持だけは度し難い」

 この偏った律儀さを何故別の処に活用しないのか、黒子の胸の内に文句の一つや二つぐらい浮かんでくる。
 既存のルールを完全に無視し、自分の決めたルールだけを絶対に遵守するだけに性質が悪い。

「で、話とやらは? 昨日の事か?」
「……それもあります。どうか、真剣に答えて下さいまし。――赤坂さんは、どうして風紀委員に志願したのですの?」
「前にも言わなかったか? 詳しく教えて欲しいとしても私利私欲の四文字で語り尽くせるが?」

 そんな事の為に態々訪れたのかと悠樹は眉を顰めながら呆れる。
 時間の無駄だと即座に判断して席を立ったが、普段とは異なる黒子の思い詰めた表情を改めて見て、悠樹は立ち掛けた席を座り直して無言で話を催促する。

「……わたくしはこの街の平和と皆の生活を守りたいから、その為に自身の能力が役立てればと思いまして、風紀委員に志願しました」

 いつもなら「そいつはご立派な事で」と興醒めしながら茶化す処だが、黒子の顔から色濃く滲み出る焦燥から軽口を叩く気分になれず、悠樹はただ沈黙をもって聞き続ける。

「だからと言って、犯罪に手を染め、許し難い惨状を生み出す者でも……昨日のような事になるのは絶対に許せません。彼等にも更生する機会があった筈です。それさえ一切合財奪ってしまうなんて――」
「駆逐される側まで救おうなんて物語の正義の味方でも不可能だよ。無駄に思い悩みすぎだ、切り捨てられる犠牲を直視しても碌な事無いぜ?」

 ――何処かで割り切れ、と赤坂悠樹は無表情で告げる。
 黒子が抱いている葛藤など、悠樹にしては悩むまでも無いものだった。


『――アイツは同じ被験者の置き去り(チャイルドエラー)を見殺して、唯一人だけ表の世界でのうのうと正義の味方気取りだ。外道の俺が言えた義理じゃないが、あのクソ野郎の前では霞むな』


 ふと、黒子の脳裏に垣根帝督の言葉が鮮やかに蘇る。彼の言葉を全部が全部、真実だと信じ切った訳ではない。だが――。


「……赤坂さんは、昨日のような人達を救う為に風紀委員をやっているのでは……?」


 いつも不真面目で、とことん風紀委員に向いていない傍若無人な性格の彼だからこそ――学園都市の暗部の所業を知って尚、風紀委員をやり続ける、その行動原理を知りたかった。
 ほんの一瞬だけ、悠樹の表情が揺らいだ気がした。

「おいおい。何処をどう思考すればそんな爆笑必須の結論になるんだ?」

 だが、次に見せた表情は嘲笑そのものであり、心底馬鹿馬鹿しいと鼻で笑った。

「――『特力研』の事、聞きましたの」

 ぴたりと、悠樹から感情が消え失せる。
 無感情な眼で黒子を射抜くように睨んだ後、前にもこの不快な話題を出した人物がいたなと思い出し、一人納得する。

「……意外と親切でお喋りで御節介なんだな、あのクソ野郎は。その今にも吐き出しそうな顔を見るからに、補足説明する必要は無いようだな」

 心底愉しげに、悠樹は身震いするほど禍々しく笑った。
 まるで深淵を覗き込んで、想像を遥かに超える何かを目の当たりにしてしまったような、そんな危機感が黒子の中に生じた。

「数え切れないぐらいの〝置き去り〟が脳を弄ばれ、犠牲になった『特力研』から抜け出したオレは、裏の事情で犠牲になる者を食い止める為に正義の風紀委員になって、手段を選ばず奔走しているってか。何それ、虫唾が走るほど美談だな!」

 悠樹は腹を抱えて哄笑した。感情の栓が壊れ、狂ったように笑い続けた。


「――お前さ、まさかこのオレを善人だと勘違いしてない?」


 滑稽過ぎて笑いが止まらないと、悠樹は眼に涙を溜めながら邪悪に笑う。
 黒子に寒気が走った。動悸が激しくなり、背筋から震えが全身に駆け巡る。其処に居るだけで危機感を覚えずにいられないほど、今の赤坂悠樹は尋常ではなかった。

「学園都市で唯一の多重能力者で更には超能力者のオレだが、都合の良い事に〝置き去り〟だったからな、研究者達にとっては簡単に使い潰せる格好の実験体だったろうよ。身寄りの無いからいつ死んでも殺されても壊れても、穴だらけの書類一枚で何の問題無く片付く訳だし」

 脅える黒子の反応を愉しむように、舞台の語り手を演じるように悠樹は大袈裟な仕草を混ぜながら語る。
 ――垣根帝督の話を聞くまで、白井黒子は〝置き去り〟が学園都市の制度に保護されている程度の認識しかなかった。彼の話を聞いていなかったら、そんな非人道的な事が許される筈が無いと反論しただろう。


『――『自分だけの現実(パーソナルリアリティ)』は脳の何処に宿るのかを調べる為に脳を徹底的に解剖した『プロデュース』、一方通行の演算パターンを参考に各能力者のパーソナルリアリティを最適化しようとした『暗闇の五月計画』、最近じゃ暴走能力の法則解析用誘爆実験なんてのもあったな。被験者は一生植物人間だな、ありゃ』


 全部が全部ではないと信じたいが、中には制度を逆さにとって、違法的な実験の検体にされるケースが多々あると垣根帝督は喜々と語った。
 特に『特力研』、正式名称は特例能力者多重調整技術研究所で一体何が行われたかを詳しく――。

「それでも『特力研』での待遇は破格だったがね。他の何一つ抵抗出来ない哀れな被験者と違って、オレはあの当時から研究者の連中を皆殺しに出来たからな」

 そんな地獄のような環境に放り込まれ、何故彼はこんなにも愉しそうに笑っていられるのだろうか。
 何もかも理解出来ない未知の怪物と対峙したかの如く、恐ろしくなる。

「あの糞の肥溜めの中で一生のたうち回って過ごすのは流石に御免だった。オレはいつか来るであろう千載一遇の機会を虎視眈々と待ったよ。他の被験者が死んだ方がマシだと思えるようになる凄惨な光景を、鼻歌混じりで眺めながらな」
「そんなの、嘘です……! そんなの出来る筈がありません!」

 幾ら他の被験者と面識が薄かったとしても、同じ境遇の者に想う処が必ずある筈である。そう縋るように直視したが、悠樹は歪に口元を曲げる。

「端的に事の成り行きを言うなら、わざと入院が必要なほどの怪我を負って『特力研』から脱出し、無能な研究者達が責任問題で揉めている内にオレは悠々と長点上機学園に転校したという訳だ。めでたしめでたし」
「……施設に残っていた〝置き去り〟は、どうなったのですか……?」


「――『特力研』はその後、警備員に制圧され、解体された。それだけだ。後の事をオレに聞くのはお門違いだぜ。縁切りした俺は当たり前だが一切関与してないし」


 欠片も興味無さそうに、赤坂悠樹は退屈気に語る。

「オレが何故、風紀委員をやっているのか。そんなの至極単純な理由だ。派手に活動して学園都市中に名が知れ渡れば、上層部もそう簡単に消せなくなるだろ? また日陰の世界に引き摺りこまれないようにする為だ。そう、完全に自己保身の為なのさ」

 悠樹は畳み掛けるように捲くし立て、全ては自分一人の為であると断言する。

「……後悔は、していないのですか……?」

 日々壊されていく〝置き去り〟を助ける事が出来なくて、沢山の死を見届け続けて。
 結果的に何も出来ずに見殺す事になって、何処かに罪悪感があるのでは無いだろうか?
 そういう無念が、風紀委員として結果的に沢山の人々を救う彼に繋がっているのでは無いだろうか?
 黒子の切望に似た問い掛けを前に、悠樹は数秒間だけ両目を瞑る。


「――後悔など在り得ないし、罪悪感など最初から存在していない。哀れな弱者が強者の糧になった、それだけの話だ」


 再び開かれた眼は微塵も揺らぎ無く、赤坂悠樹は完全否定する。
 彼の世界は彼一人だけで自己完結していた。他人の存在など一切必要とせず、ただ己の為だけに利用する――その在り方は、完全無欠なまでに悪だった。


『――アイツの一番の悪行はな、自分が多重能力者だと、研究者さえ騙し抜いて偽装した事だ。目指すべき完成形が間違っていたのなら、多重能力の研究が失敗するのは当然だろ?』


 ――嘘だと、即座に否定した言葉が脳裏に過ぎる。
 もし、本当にそうならば実験の為に犠牲になった被験者は――。

「……今でも、第十学区の何処かで多重能力の研究が続けられていると、聞きました」
「へぇ、そいつは初耳だ。で、それがどうしたんだ? また哀れな被験者を量産するなんて非生産的だな」

 まるで他人事のように、赤坂悠樹は興味を示さなかった。自分以外の者が犠牲になっても何も感じないのか、それとも――。

「……多重能力の研究が成果を出さないと確信しているのは――貴方自身が、多重能力者では無いから、ですか?」

 煮え滾るような怒りで黒子の唇が震えた。
 まるで親の仇を射殺さんばかりに睨まれた悠樹は、身震いするほど凄惨な笑みで顔を歪ませた。

「それは面白い仮定だな。もしそうだとすれば――今まで犠牲になった被験者は全員、完全なまでに犬死だった訳だ。こりゃ傑作だね。あはははっ!」
「――ッ、貴方という人は……!」

 ばしんっと、小気味良い音が響いた。
 右頬を叩かれた悠樹は意に関してないのか、ただ眼を細めるだけで、渦巻く激情に駆られて立ち去る黒子を眺めるのみだった。




 少し時間を置いてから、赤坂悠樹は気怠げに階段を登り切る。
 銃器を飾る店先に白井黒子の姿は当然の如く無く、新聞を読み続ける店主の他に見知った顔が二人いるだけだった。
 二人の視線は叩かれて赤くなっている右頬に集中していた。

「……どっちでも良いから、追いかけて第七学区まで案内してやれ。多分迷うだろうから」
「それなら自分が行きます。……そういう配慮は御本人の前で見せた方が良いですよ?」

 悠樹は事在る毎にいらぬ御節介を焼く少年の忠言を聞こえなかったように無視する。
 そんな悠樹の様子に仕方ないなと溜息一つ零し、童顔の少年は走って後を追う。

(……さて、どうするか)

 本来なら悩むまでも無い疑問だった。今日の予定は地下の射撃場に一日中籠る処だったが、白井黒子とのやり取りで興が削がれてしまった。
 かと言って、対垣根帝督を想定した演算を行うには、思考に無駄な雑音が多すぎてやる気が出ない。
 悠樹は帰って飯食って寝ようと結論付ける。

「……もう何人目っすか? 来る者拒まず、去る者追わずなのに深入りする者に対しては相変わらずっすよね」

 悠樹が不愉快そうに無言を貫く中、筋肉質な少年は「勿体無いなぁ、可愛い子なのに」とぼやいた。
 性格は最悪なまでに歪んでいる無慈悲な暴君だが、学園都市の第八位の名は伊達ではなく、性質の悪い事に悪魔じみたほど頭脳明晰だった。
 その気になれば相手を一方的に盲信させ、無償で利用出来る駒に仕立て上げる事だって容易だろう。
 それを敢えてしないのか、また何らかの理由で出来ないのかは不明であるが、などと考えている内に少年は携帯の着信音に気づく。

「あいあい、一体何の用で――あん? 何だって……そりゃ本当かって赤坂さん!?」

 話している最中に、悠樹はさも当然のように彼の携帯を奪って耳に当てる。
 それが緊急を要するものであり、尚且つ自分に関わりがあるものだと薄々勘付いていた。腕一本負傷したぐらいで好機と捉える愚者は、残念ながら山ほどいるだろう。

「電話代わって赤坂だ、何があった?」
『え、赤坂さん? 丁度良い処に……! 第七学区からスキルアウトらしき連中が大量に押し寄せて好き勝手暴れてるんですよ! 能力の強度も無駄に高いし、俺達じゃ対処出来ませんよ……!』




 凡そ十数人の不良集団が学園都市で一番平和な裏路地に向かっていく。
 その様子を、旭日旗を模した奇抜なシャツに学ランを羽織った少年は遠巻きから眺めていた。

「どうやら噂は本当らしいな。だが、怪我を理由に攻め込むなんざ根性が足りねぇな」

 ――同じ超能力者(レベル5)の道が交わる時、物語は急速に廻り出す。





[10137] 七月十九日(3)
Name: 咲夜泪◆ae045239 ID:ceb974ce
Date: 2009/10/30 02:56




「――何故、彼が第八位かって?」

 パソコンの画面だけが光明となっている暗い部屋にて、彼は妙な来訪者と話し合った。
 前任者である自分に『赤坂悠樹』について尋ねてくるのは良くある事だが、彼は事有る毎に機密扱いだとあしらった。彼にとって、それは思い出したくもない忌まわしき記憶の一つだった。
 だが、今回、話そうと決断した理由は気紛れでも、この少女からの得体の知れぬ能力からではなく、その質問の内容ゆえだった。

「削板軍覇が『原石』で、他の超能力者とは関係無く第七位だから、という前提の疑問かね。簡単な話だよ、彼もまた例外だからだ」

 萎びれたタバコに火をつけ、一気に吸い込む。酒もあれば完璧だったが、生憎な事に残っていなかった。

「唯一人の多重能力者だから? いやいや、微妙に違うな。――これは彼が十五歳、つまりは去年の身体検査の結果だ。見れば一目瞭然だと思うがね」

 引き出しの奥からある書類を抜き取り、少女に手渡す。
 実地の能力測定で、彼は例外的にほぼあらゆる種類の測定を行った。そしてその全てにおいて優秀な結果を残している。だが――。

「どの能力も測定では大能力の域でしかない。公式の記録では、彼は一度足りても超能力者としての本領を発揮していない事になるな。あれは学園都市の監視網を掻い潜るのが病的なまでに上手い」

 風紀委員として精力的に活動しているのに関わらず、誰も超能力者としての彼を見た者はいない。
 その限られた情報から推測する事は出来ても、真実には辿り着かない。その巧妙過ぎる手口は、あの化け物じみた学園都市総括理事長をも連想させ、背筋を冷やす。

「学園都市には正体不明の能力者など山ほどいる。強大な力の持ち主ゆえに誰も本気を出している姿を見た事無い能力者もな。末恐ろしい事に、超能力者である彼もその一人だ」

 今にも崩れそうなタバコの灰を灰皿に落とす。まるで赤坂悠樹の能力で燃やし尽くされたみたいだと回想し、嫌悪感が先立つ。
 飲みかけのコーヒーがあった事を思い出し、平常心を心がけながら口にする。その時の手の震えはこの暗闇の中で少女からもはっきり見えるほど、大きいものだった。

「……何を脅えているか、とな。――私の先任は有能な男だったよ。特力研の無能と違って、確実に多重能力の原理を解明出来ると豪語出来るほどにな」

 長点上機学園で、赤坂悠樹の最初の担任に当たる彼はあらゆる分野において自分より優れており、学生時代から憧れると共に妬み、憎んだ。
 その彼の事など、皮肉な事に誰よりも知り尽くしている。今回の多重能力の解明も、栄光は彼の手に納まる筈だった。

「それが交通事故などで急死し、私に担当が回って来た時は狂喜したよ。彼の成果をそのまま引き継ぎ、自分が多重能力を解明出来るとな。それも、あれの本性を知るまでだ」

 その交通事故が偶発的なものなのか、意図的なものなのかは如何でも良かった。転がり込んで来た栄光を掴み取り、全てを見返してやれると喜んだ。
 そして運命の日、赤坂悠樹と最初に出会った時の事は今でも思い出せる。
 底無しなまでに暗く淀んだ眼で我が目を射抜き、そして一瞬だけ、悪魔の如く嘲笑った。
 ……その意味に気づくのに、余りにも時間を掛け過ぎた。

「……恐らく、あれは一目で見抜いたのだろうな。私では、自身の能力を絶対に暴けないと。それに気づいた私は、翌日、辞表を出したよ」

 その時の絶望と虚脱感は言葉に出来ない。
 何故、特力研という地獄の底で何ら成果をあげられなかったのか。
 簡単な話だ。能力ではなく、人格の時点で非人道的な研究者達を圧倒的に凌駕しているのだ、あの悪魔は。

「生徒の君に言うのは不謹慎な表現だが、実験素材(モルモット)に飼い殺しにされていた研究者は、一体何と表現すべきかね――?」


 七月十九日(3)


 ――信じてみたかった。不条理なまでの理不尽さを体現する彼の中にも、黄金の輝きを放つ尊い正義があるのだと。
 親に見捨てられて〝置き去り〟になっただけでも悲惨なのに、人を人と思わぬ違法研究所に放り込まれ――それでも風紀委員に身を置く理由が何なのか、黒子は知りたかった。
 その答えが今自分が思い悩んでいる事への解決の糸口になるかもしれない。そんな淡い想いは木っ端微塵に打ち砕かれた。他ならぬ悠樹自身の答えによって。

「……最低、ですわ」

 最初の出会いから赤坂悠樹の印象は悪かった。
 暴れるだけ暴れて、自身の仕出かした後始末を他の風紀委員に押し付けるなど言語道断であるし、更には風紀委員としての立場を顧みずに御坂美琴に喧嘩を売る始末。まさに頂上に立つ超能力者の傲慢さを体現する男だった。
 それでも、風紀委員として最低限の矜持はあると信じていた。
 不真面目で、それなのに意欲的に管轄外での活動を平然と行って、周囲の建造物への被害を余計に拡大したり、犯人への過剰暴力は酷かったりするが、大能力者の暴走に巻き込まれそうになった少年達を代償を覚悟の上で助けるなど、一般人の安否を第一にしていた。そうだと思っていた。

(……それすらも、あの人にとっては単なる余興に過ぎなかったのでは――?)

 赤坂悠樹は擁護すら出来ない、完璧なまでに悪だった。
 己が保身の為だけに多重能力者を装い、誤った研究対象故に被験者の悉くが無駄死にになり、それでも一欠けらの罪悪感すら抱いていない
 白井黒子が遭遇した中で最悪と言って良い類の極悪人だろう。
 この学園都市の正義と治安を司る風紀委員の彼女にとって、彼こそは怨敵であり、その吐き気さえ覚える所業は憎むべきものである。


 ――だからこそ、脳裏にちらつく。
 では何故、赤坂悠樹は垣根帝督から、自分を命懸けで助けたのだろうか――?


 本当に完全なまでに悪だったら、何の疑問も抱かず、嫌悪の対象として憎めた。
 あの時、赤坂悠樹には黒子を見捨てるという選択肢があっただろう。それこそ特力研の他の被験者と同じように。それと同じ次元の話だろう。
 ――でも、彼は自分を見捨てず、傷ついて尚、自身の安否を優先した。同じ超能力者との戦闘を風紀委員の役割より優先していた彼がである。

(……っ、益々解らないですの)

 頭の中がごちゃごちゃしすぎて、何も考えられない。考える度に深みに嵌る感覚に陥る。その悪循環を断とうと、黒子は一度深呼吸する。
 落ち着いて最初に気づいた事は、此処が何処だか解らない事だった。

(うっ、何も考えずに走ってきましたから帰り道が――)

 近くの建物屋上まで空間移動し、居場所を確認しようとした時、黒子は背後から何者かの気配を感じる。
 確かに、他の裏路地に比べて治安は良さそうだが、素行の悪い不良なんてゴキブリの如く何処でもいる。半ば戦闘態勢に入って振り向いた先に居たのは、先程の童顔の少年だった。

「あ、いたいた。此処は道が入り組んで迷い易いですから、第七学区まで案内しますよ。と、赤坂さんからの有難い配慮です。……あ、自分が言ったのは伏せておいて下さいね」
「……結構です。一人で帰れますわ」

 赤坂悠樹の名を聞いた途端、黒子は感情的になって童顔の少年の有り難い申し出を拒否する。
 今はその要らぬ御節介が苛立たしかった。

「いえいえ、余所者の風紀委員がうろついていると少々困るんですよ。他の裏路地と違って治安は良い方ですけど、赤坂さん以外の風紀委員は基本的に受け付けませんから」
「……何故、彼だけは例外なのですか?」

 カエル顔の医者から居場所を知らされた時からの疑問が蘇る。
 風紀委員なのに武装無能力者集団の顔役をやっている経緯そのものが最大の謎である。

「知っての通り、此処は三つの学区の境界上です。管轄の違いから風紀委員は手出しし難く、警備員の介入だけ気をつければ良い場所ですから、他よりならず者が集まり易く、同時に縄張り争いが絶えませんでしたね。人の命は金より軽く、鉛玉一つで片付きますから」

 童顔の少年は笑いながらポケットから取り出した銃弾を宙に弾いて見せる。
 その笑顔は余りにも自然すぎて、日常茶飯事の会話にしか聞こえず、黒子は逆に自身の耳を疑ってしまった。

「終わり無い抗争、氾濫する麻薬など、諸々の問題を一挙に解決したのが赤坂さんです。管轄の違いなど完全に無視して武力介入し、制圧したグループを留置場送りにせず、自身の傘下に次々と加えながらあっという間に天下統一といった流れです。――今はグループの元リーダー達の上に赤坂さんがいる、という形ですね」

 童顔の少年は懐かしむように、お祭りの顛末を語るように楽しげだった。

「は……? ちょっと待って下さい。それはどう考えても風紀委員の領分では――」
「今考えても風紀委員の所業とは思えませんよ。それほど常識外れで常軌を逸してからこそ、普通の風紀委員や警備員が解決出来ない問題を簡単に解決出来たんでしょうね」

 その時の決め台詞が「此処はオレがいるから第一八学区だ、何一つ問題無いぜ」だった事や、本当に悠樹の始末書を専門に書く苦労人の風紀委員が居た事も、童顔の少年は笑いながら語る。

「……一体、何を考えているのでしょうね」
「さぁ? あの人の真意なんてあの人以外解る筈も無いですよ。無言実行でいつも結果だけを示す。他人の評価なんて眼中に無い感じですね」

 黒子からの視点で、赤坂悠樹は良い意味でも悪い意味でも何時如何なる時も揺るがず、またぶれない。善悪の方向性はさておき、一貫している人間だ。
 だからこそ、『特力研』での出来事を知れば知るほど違和感が湧き出てくる。
 所詮、人伝えの自分では本当の意味での悲惨さを理解出来ないだろうが、其処での出来事を良しとし、悔いる事の無い人間が風紀委員(ジャッジメント)なんて面倒な無料奉仕をやるだろうか?

(……ですが、彼は――)

 彼は自己保身の為と断言した。この学園都市の暗部は、超能力者でさえ飲み込まれるほど深い。言われた当初は納得しかけたが――今では理由が弱いと感じる。
 昨日、風紀委員である自分が簡単に消され掛けたのだ。そんないつ吹き飛んでも可笑しくない不安定な保身なぞ、いつもの彼を考えるならば何時でも斬り捨てれる保険の一つ程度としか思ってないだろう。
 それに彼が恐れから保身に走るような小物には見えない。むしろ、恐れても尚、立ち向かって挑む類の人間だ。
 それが勇敢なのか、無謀なのかは問題ではない。垣根帝督との超えられない壁を実感して尚笑ったのだ、赤坂悠樹という男は。

(……我ながら女々しいですわね。信じていて、つい先程裏切られたばかりなのに……)

 黒子は頭をぶんぶん振るって雑念を払おうとする。

「先程の口論の内容は聞き及んでいませんが、気に病む必要は無いですよ。それだけ距離を縮められた証拠ですから、あれ」

 突如、童顔の少年から放たれた言葉に、黒子は目を丸くする。

「……え?」
「いつもそうなんですよ。一定以上踏み込まれると、徹底的に突き放して拒絶するのは」

 童顔の少年は苦笑いしながら、少し悲しげに遠くを見た。

「何処かのお偉い学者さんが唱えた心理的距離(パーソナル・スペース)みたいなもので、一定の距離なら何とも無いんですが、その一定以上のラインを超えると非常に攻撃的になって排他してしまう。一人で何でもこなせる完璧超人の赤坂さんでも自覚していて尚且つ矯正出来ない、唯一の欠点ですね」

 普段の彼からは想像すらも出来ない。けれども、過去の事で何らかの心的外傷を受けていたのなら――考えられなくもない。
 ――ただ、親しくなった者を片っ端から排他してしまうのは、どんな心境にしろ、悲しい事だと黒子は思う。
 いつまで経っても一人なんて、そんな救いようの無い孤独は常人の神経では耐えられない。八人しかいない超能力者という立場も、その悪循環を更に酷くしているだろう。

「ま、こんだけ話してなんですけど、自分の話は余り参考になりませんから話半分でお願いしますね。どう贔屓しても自分は赤坂さんの事を絶対的に、盲目なまでに信仰してますから」

 童顔の少年は胸を張って、誇らしげにそんな事を言う。

「一つ、良いですか? 何故其処まで赤坂さんの事を……?」
「少し話が長くなりますし、余り面白い話ではありませんが――知っての通り、第一八学区は能力開発関連のトップ校が集う学区でして、昔の自分はそれなり優秀でそれなりの学校に通ってました」

 童顔の少年は目を細め、自身の過去に思う事があるのか、何処か憂鬱な色を浮かべて語る。

「当時の自分は思い出しただけで恥ずかしくなるほど傲慢で世間知らずでした。能力を使えない人間を無条件で見下し、自分が優れているという的外れな優越感に浸っていた最低野郎です」

 と言うものの、その謙虚な様からは全く想像出来ないと黒子は訝しく思う。
 そんな黒子を目の当たりにし、童顔の少年は苦笑いする。

「きっかけは唐突でしたね。訓練中に能力暴発が起きまして、その事故の後遺症で能力が全然使えなくなったんですよ、自分。そんな足手纏いの在学が許されるほど、あそこは優しくありませんでした」

 そういう事例は少なからずある。
 例えば空間移動に失敗して地面にめり込んでしまい、トラウマになって能力使用が困難になってしまった者や、脳髄に深刻な障害を受けて演算自体出来なくなった者などが該当する。
 普通の学校ならば、そうなってもまだ道はあるが、第一八学区には特別な奨学金制度がある為、無情にも取り下げになるケースがある。

「学校にも通えず、寮にも戻れず、自暴自棄のまま此処に辿り着き――今度は高位能力者による無能力者狩りに遭いました。いつの間にか、自分が見下していた無能力者まで転落していたのは皮肉以外何物でもありませんね。流石にあの時は死ぬかと思いましたよ」

 童顔の少年は自身の長袖を捲くって見せる。
 其処には夥しい火傷痕が生々しく残っており、真夏に関わらず暑苦しい長袖を着用する理由が痛いほど窺えた。

「――そんなこれ以上無い絶望のどん底で、自分は赤坂さんに助けて貰ったんです。格好良かったですよ、押し寄せる炎を振り払って、同じ発火能力で仕留めちゃいましたから」

 何処かで聞いたような、という奇妙な既視感に黒子は頭を傾げたが、思い当たらないので大した事無いだろうと思考の隅に放り投げる。

「あの人にとっては、意識にも留まらない、大した事無い日常の出来事の一つでしたが、僕にとっては人生を変えるに値するほどの救いだったんです。……その時からあの人の為に役立ちたい、それが最大の目的になりましたね。基本的に何でも出来る人ですから、機会が中々巡ってきませんが」

 少し残念そうに、童顔の少年は寂しげに笑った。
 其処で黒子の脳裏に疑念が過ぎる。目の前の彼は、特力研での出来事を知っているのだろうか、と。
 知らないのならば何も問題無い。無知ゆえの表面上の憧憬で済む。だが、知っているならば――。

「貴方は、赤坂さんの過去をご存知で……?」
「自分の事を語らない人ですから、そういうのは全然です。ですが――ちょっと待って下さい。何か、音が聞こえませんでした?」

 童顔の少年は口元に人差し指を一本立て、しぃと声を潜めるようにとジェスチャーをする。
 黒子も不審に思い、耳に神経を集中させてみると遠くから何者かの喧騒が聞こえる。それは普通のやり取りではなく、悲鳴に近いものだった。
 黒子は即座に駆け出し、一瞬遅れて童顔の少年も後を追った。
 音は次第に大きくなる。複数の奇声と癇に障る笑い声と、一人の悲鳴。一体何が起こっているのか、想像させるには十分過ぎる材料だった。

(――っ、これは……!)

 現場らしき地点に辿り着き、黒子は物音を立てないように物陰から覗き込む。
 其処には十数人の人相の悪い不良達と、それに取り囲まれて地べたに膝を付く一人の少年がいた。

「おいおい、寝るにはまだ早いだろ。もう一度聞くぜ? 赤坂の野郎は何処にいる?」
「……知っていても、誰が言うか……がぁっ!?」

 腹に靴の爪先を叩き込まれ、少年はくの字に横たわる。既に幾度無く殴る蹴るの暴行を受けたのか、顔は腫れ、切れた唇からの流血が痛々しい。
 すぐさま黒子が飛び出そうとした瞬間、後ろから肩を掴まれ、阻まれる。背後を慌てて振り向けば、息切れした童顔の少年が必死な形相を浮かべていた。

(待って下さい……! 幾ら貴女が風紀委員でもあの人数の前に出て行くのは無謀です。それに僕の仕事は貴女を無傷で第七学区に届ける事です)
(あの人を見捨てろと言うのですか!)
(間もなく赤坂さん達が来ます。それまで――)

 一際、鈍い音が鳴る。頭を蹴られ、少年は力無く地面に激突する。更には追い討ちを掛けるが如く、他の者達も面白がって彼の腹を蹴り、または頭を踏みつける。

「オウ、ソイツ立たせろ。――お前等のレベルがどれくらい上がったか、ソイツで試してみろ」

 リーダー格の非情さに慄きながらも、彼等は熱に浮かされたように倒れ伏す少年を無理矢理起こし、拘束する。これから起こる惨劇は火を見るより明らかだった。
 湧き上がった怒りが黒子の理性を吹き飛ばす。童顔の少年の制止を振り切り、黒子は不良達の眼下に立ち塞がった。

「――風紀委員(ジャッジメント)です! 今すぐ暴行を止めなさいっ!」

 不良達の視線が倒れて蹲る少年から反れ、黒子に集中する。
 数は十七人、如何に大能力の空間移動能力者でも、同時に相手出来る数ではない。だが、此処で足を止めているようでは、風紀委員など務まらない。

「その女、見覚えありますぜ。最近、あの野郎と一緒に行動していた風紀委員ですよ!」
「ほう、こりゃ丁度良いな。ガキ、赤坂の居場所を教えて貰いたいんだが。何でも骨折したらしいからな、見舞いついでにお礼参りしないとなぁ!」

 前歯を抜歯し、爬虫類じみたギョロ眼に趣味の悪い派手なピアスを付けたリーダー格の男は凶悪な笑みで顔を歪ます。

「怪我人相手にしか強気になれないなんて情けない人ですわね。その前歯は赤坂さんに抜かれたものですか?」

 数の上では圧倒的に不利だが、目の前のリーダー格の男さえ何とかすれば後は烏合の衆、勝手に散るだろう。黒子は不敵に微笑み、小馬鹿にするように挑発する。
 後半の指摘が本当に図星だったのか、リーダー格の男は目に見えて怒りを露にし、黒子を睨みつける。

「良い度胸だ。テメェ等は手ぇ出すなよ」
「あら、後悔しますわよ?」

 誘いに乗ったと、黒子は内心ほくそ笑む。
 一対一ならば、相手が超能力者という例外でもなければ遅れを取るまい。
 先手必勝、一人のこのこと出てきたリーダー格の背後に空間移動し、手を逆手に極めて拘束する――刹那、掴もうとした手が空を切った。それ処か、一瞬前までいた男が視界にいない。
 消えた? まさか同じ空間移動能力者、などと思考した直後、脇腹に強烈な衝撃を受け、黒子は地面に叩きつけられた。

「ぐぁ……!」

 一瞬呼吸が出来ず、苦痛と息苦しさで激しく咳き込む中、黒子は後方から蹴られた事実に驚きを隠せずにいた。

「ほう、空間移動(テレポート)って奴か。初めて見たぜ」

 舐めているのか、リーダー格の男は追撃すらせず、余裕を持って見下す。
 一体どんな能力を――否、それを考える場合ではない。黒子は太股に取り付けている金属矢に手を伸ばし、空間移動で相手の左肩に撃ち込む。
 この距離で、止まっている的ならばミリ単位の制度で命中出来ると自負する回避不可能の射撃は、されども大幅にズレて地に落下する。

(外した? そんな、この距離で摩擦指定を誤る筈が――!?)

 黒子が呆然とする中、リーダー格の男は無造作に飛び掛かる。
 慌てて飛び退き、その鈍重な蹴りを躱し――躱したと思った刹那、足が在り得ない方向に伸び、黒子の小さな身体を痛烈に蹴り飛ばした。

「がっ!?」

 黒子はサッカーボールのように転がり、何かにぶつかって止まる。
 それは建物の壁などではなく、不良達の足元だった。彼等の黒子を見下ろす顔が不気味なほど歪んだ。

「っっ!? ぁ――」

 蹴り、踏むなどの原始的な暴行を、黒子が空間移動を行う間無く加え続ける。
 空間移動を行う為の演算が理不尽な暴力での痛みで掻き消される。こうなってしまっては立て直す事が困難であり、黒子と言えども年相応の少女同然だった。

「手は出すなと言ったが、足なら仕方ないな」

 不良達の下卑な笑い声が五月蝿く発せられる。
 その間も彼等の暴行は止まらず、黒子は悲鳴すらあげれずにいた。

「もっと徹底的に痛めつけろよ。空間移動で逃げられちゃ話にならんからな」
「コイツ、良く見ると中々の上物ですぜ? 痛めつけるついでにヤッちまっても良いですかねぇ?」
「おいおい、ロリコンかよおまえ。でもまぁ風紀委員様の初体験に貢献出来るなんて、俺達、絵に描いたような模範的な優等生じゃね?」

 一際強く頭を地面に叩きつけられ、黒子の意識は途絶える寸前まで朦朧となる。
 此処に至って暴行は漸く収まったが、空間移動を使うには程遠い状態にあった。
 複数の男達に組み伏せられ、腕も掴み取られて動かせられない。何も出来ない事への絶望と、これから起こる事への恐怖が、黒子の心を更に乱す。

「そうだな。あの野郎の反応も楽しそうだ。手短に済ませろ」
「へへっ、待ってました! オレが一番だっ!」
「あ、ずりぃなぁ! さっさと済ませろよ――」


「――去勢が必要のようだな、盛り付いた駄犬ども」


 恐ろしく冷たい声が彼等の背後から発せられると同時に、聞き慣れない機械的な音が全周囲から複数鳴った。
 即座に振り向けば、不良達を取り囲むように、警備員が如く完全武装した正体不明の何者達が小型機関銃じみた銃器を構えて立っており、その中心に――今現在は腕章を着けていないが――噂通り左腕を骨折した超能力者の風紀委員、赤坂悠樹がいた。

「な、何だテメェら!?」

 その数は確認出来るだけでも二十名以上、何れも強化ヘルメットを装備している為、表情どころか顔すら見えない。
 その微動だにしない銃身は、一人残らず、かつ迷わず彼等に向けられていた。

「何って、何処から如何見ても武装無能力集団(スキルアウト)だろ。テメェ等のその眼は節穴か?」

 心底馬鹿にするように嘲る刹那、悠樹は組み伏せられた黒子に視線を送り、瞬時にもう一人の被害者に送り、また黒子に戻す。
 それだけで彼の意図は伝わった。伝わったが、先程の事は横に置いといて、余力があったなら文句の一つや二つ言いたくなる。

(……全く、相変わらず人使いの、荒い人ですわね。此方とてボロボロなのに――)

 オマケに最後のニュアンスは「出来るか?」などではなく、問答無用で「やれ」と来た。
 黒子は折れかかった心を奮い立たせ、最後の力を振り絞って空間転移を発動させる。座標は自分以上にボロボロな少年のすぐ傍であり、瞬時に彼の手を取って一緒に空間移動して離れる。距離にして五メートル余り、それが今の黒子の限界であり、それで十分だった。

「な、しまっ――」

 悠樹達の登場に呆気に取られ、黒子の逃走を阻止出来なかった彼等に待っていたのは、無慈悲な指揮官からの死刑宣告だった。
 フルオート射撃による絶え間無い面制圧が十秒余り持続し、一方的な殲滅が繰り広げられる。銃声が途絶えた後に残っていたのは死屍累々と言った有様だった

「ゴム弾だから死にはしないが、死ぬほど痛いらしいぞ」

 自業自得だと、特に感情の色を籠めずに悠樹は吐き捨てる。
 一、二発で意識を失った者は運が良い方であり、意識がまだある者は悲惨な事に撃たれた激痛に悶え苦しんでいる。
 ゴム弾と言えども、当たり所が悪ければ簡単に骨に損傷が出る。
 非殺傷兵器だからと言って対象の安全を完全に確保する訳ではないのは学園都市の科学力をもってしても一緒である。

(……!? リーダー格の男は何処に――っ!?)

 黒子が気づいた最中、背後から唐突に首に腕を回され、絞め上げられた形でナイフが頚動脈の近くに当てられる。

「っ、ぁ……!」
「はぁ、はぁっ、動くなっ! 全員銃を捨てろ! コイツがどうなっても知らんぞォ!」

 血走った眼でリーダー格の男は怒鳴り散らす。
 息が出来ず、黒子は必死に振り解こうと男の腕に爪を立てるが、夏に似合わぬ長袖が邪魔して無意味に終わる。
 能力も、こんな切羽詰った状況では発動すらままならない。こんな時ばかりは、平常時じゃなければ使用不能になる、自身の能力の使い勝手の悪さを呪った。
 また、垣根帝督の時と同じように自分が重しとなり、足手纏いになってしまうのか――薄れる意識で黒子は悔しく思う。
 だが、それは目の前で立ち止まった赤坂悠樹の表情を見るまでだった。


「――よりによって」


 地獄の淵から轟いたような、あらゆる恐怖を孕んだ声だった。
 憤怒すら凌駕する憎悪を滾りに滾らせた赤坂悠樹の貌を、黒子を初めて見た。垣根帝督と対峙した時も、その後も、こんな恐ろしい表情はしていなかった。
 そんな今までに無い恐怖を感じさせる悠樹を見て、背後の男は何を勘違いしたのか、勝ち誇ったように口元を歪ませた。

「へへっ、動くなよぉ赤坂。ちぃっとでも動いたら手元が狂って頚動脈を――」

 その男の言葉を聞いていたのか、聞いていなかったのか、恐らくは逆上し過ぎて耳に届いてすらいなかったのだろう。
 黒子が気づいた時には悠樹は背後の男を正面から殴り抜いていた。十メートルの距離を空間移動したが如く零にし、鼻っ面を殴り抜いた。
 その拍子に黒子への拘束が解け、リーダー格の男は唯一の勝因を手離し、最大の敗因だけが手元に残った。

「ぐぉ、て、テメェ……!」

 鼻血が出て痛む鼻を押さえながら、彼は全力で蹴りを放つ。
 無論、これはただの蹴りではない。幻想御手で増強した彼の能力、自身の周囲の光を捻じ曲げて、誤った位置に像を結ばせて視覚を欺かせる偏光能力(トリックアート)を用いたものである。
 方向感覚と距離感を狂わす彼の能力は、例え手の内が知られても対処出来ない類の能力である。赤坂悠樹によって捕縛された時にある程度能力を知られているが、此処まで強度が向上しているとは思うまい。
 斯くして赤坂悠樹は誤った像の蹴りを右手で掴みに行って見事に空振りする。

(その折れた左腕を粉砕すりゃ、超能力者とて只では済むまい!)

 完全に決まった。そう確信した刹那、悠樹は在り得ない反応で何も無い虚空を掴み掛かり、一発で本物の足を掴み取ってしまった。
 男は驚愕する。幾ら多重能力者と言えども、前回の戦闘から視覚系の能力は無かった筈だ。
 それなのに何故、あんなにも正確に掴み取れたのか――その謎を思索する余裕は、秒単位で倍増する握力によって文字通り潰された。

「がぁああああああぁあああぁ!?」

 怪力、などという次元ではなかった。男の右足はぐしゃりと握り潰された。ただの素手でだ。
 手を放した悠樹の右掌は真っ赤に染まり、地に尻餅付いた男の右足は酷く流血しながら、在り得ない方向に九十度曲がっていた。
 カラン、と。余りの激痛で唯一の武器であるナイフを落としてしまう。錯乱しながら反射的に拾おうとする。ナイフの柄に手を伸ばし、握った手を悠樹は踏み抜いた。

「いいい痛っ、待て待ってくれ、折れる、手、手がぁ、ぁああああああああ~~~~!」

 手を踏み抜いた後から加重が殺人的なまでに強くなり、地面のアスファルトすら陥没させて、その手諸共打ち砕く。
 足を退けば、ナイフの柄が三つに砕け、握っていた手が面白いぐらいバラバラに折れ曲がっていた。

「……っっ、ま、参った。もう、止してくれぇっ! この様じゃ抵抗すら出来ねぇよぉお……!」

 男は泣き叫びながら、見下ろす悠樹に許しを請う。
 見上げられた悠樹は凄惨に笑い、丁寧に拳を握り込んで、裁きの鉄槌を下す神が如く、頭上に掲げる。

(まずい――!)

 黒子は我が身を顧みずに駆ける。
 ――嘗て、悠樹から繰り出される不可解な超打撃を受けた者は、二十メートル以上吹き飛ばされ、胃の中の内容物全てを吐き出す羽目となった。
 手加減出来なかったとぼやいた一撃でも――死なない程度には手加減しているのだ。
 今の悠樹は見ての通り、手加減という言葉は完全に消失している。その本気の一撃が、超能力者の全力が、過剰殺傷にならぬ筈も無い。

(ッ――!)

 止めに掛かろうとした黒子だが、よろめいて転び、悠樹の血塗れの拳は無情にも振り下ろされた。
 誰もが最悪の結果を想像した。頭蓋陥没して即死するか、原型すら留めずに肉塊になるか――否、その前に謎の衝撃波が直撃し、彼は遥か彼方に高速回転しながら吹っ飛んで意識を失った。

(え、え? 一体何が……?)

 唐突過ぎる展開に、黒子の理解が追い付かない。
 その不慮の事態に悠樹は逸早く反応し、遠くに離れた殺害対象を猟犬の如く追い回そうとする。
 その機械的なれども執拗な追撃の足を一歩目で止めざるを得なかったのは、目の前に立ち塞がった障害が余りにも脅威だったからだ。

「ちぃとばかり、やりすぎだぜ。悠樹」

 白い鉢巻に、旭日旗を模した奇抜なシャツに学ランを羽織った少年の名は削板軍覇――学園都市に八人しかいない超能力者の第七位だった。







[10137] 七月十九日(4)
Name: 咲夜泪◆ae045239 ID:ceb974ce
Date: 2009/11/19 02:04




「すみません、遅くなりました。早く避難しますよ」

 何処と無くひょっこり現れた童顔の少年は、倒れて立ち上がれずにいる黒子に肩を貸す。
 言葉とは裏腹に焦る彼の目の前には、第七位の削板軍覇と第八位の赤坂悠樹が立っている。
 順位だけを見れば、超能力者(レベル5)の中では下位なれども、実際に彼等が力を振るう場面に立ち会えば、そんな的外れな思い違いなど二度と出なくなる。
 事実、今この場所は砲火に曝された戦場より危険なのである。

「……いえ。赤坂さんを、止めなく、ては――」
「無理言わないで下さい。超能力者同士の戦闘に巻き込まれたら簡単に死ねますよ? 彼、削板軍覇さんは第七位です」

 悠樹の目の前に立つ男が彼と同じく、御坂美琴と同じ超能力者である事を知って、黒子は余り驚かなかった。
 何となくそんな予感はしていた。大能力者さえ脅威としない赤坂悠樹が脇目振らず集中せざるを得ない相手は、先日の垣根帝督のような、彼と同じ超能力者しかいない。

「っ、それ、でも……!」
「でもじゃありません。貴女の怪我も結構酷いですよ?」

 童顔の少年は厳しい口調で眉を顰める。
 黒子自身も、今の自分が手酷くやられている事は自覚している。もしかしたら骨に罅が入っているかもしれない、と危惧するぐらいは。

「……解りました。見物出来る場所で絶対に安全な場所なんてありませんけど、とにかく離れますよ。軍覇さんが勝てば止める必要は無くなりますし」


 七月十九日(4)


「其処を退けろ、軍覇。ソイツ殺せないだろ?」

 仇敵を睨み殺すような、これ以上無く感情的になった悠樹の眼を軍覇は初めて見た。
 基本的に、赤坂悠樹は自身の手の内を曝さない。能力にしても、感情一つにしても、唯一つの真実を九の虚に混ぜて、巧妙に隠してしまう。
 そんな彼が、此処まで生の感情を剥き出しにしている。それだけで、今の事態の異常さは計り知れない。

「確かにコイツの仕出かした事と根性は最低だ。だが、それでも殺すのは些かやりすぎだぞ」
「――よりによって、その言葉をオレに言うか」

 口調だけは静かに、されども悠樹は顔を溢れんばかりの憎悪で歪ませる。
 窘めるつもりが、此処ぞとばかりに逆鱗に触れたようだ。相変わらず気難しい奴め、と軍覇は内心毒付く。

「もう一度だけ言う。今すぐ目の前から消えろ。オレが殺すと決めた以上、それの死は確定事項だ」
「断る。俺を退かせたければ気合と根性を見せてみろ!」

 普段とは違う悠樹の鬼迫を軍覇は真正面から跳ね除ける。
 悠樹は血塗れの右掌を握り締め、軍覇は腕を組んだまま仁王立ちして睨み合う。
 一触即発の緊張感が場を支配する中、赤坂悠樹は視線は軍覇一点に集中したままで、背後で戸惑っている配下達に指示を出した。

「転がっているの回収して撤収しろ。それとあれの応急手当もしてやれ、死んでいたら殺せないから」

 彼等は動揺しながらも、負傷者をテキパキ運んで何処かに去っていく。
 悠樹の言葉は直訳すると「殺意を抑えられている内に目の届く範囲から消えろ」であり、この場にいれば巻き込まれる事は疑いようの無い事実である。
 最後に、誰も怖くて近づけなかった――悠樹の殺害対象となっているリーダー格の男の下に、先程黒子を案内した筋肉質の男が近寄り、「失礼、コイツ回収しますねー?」と恐る恐る尋ね、削板軍覇は「ああ、任せた」と心地良く了承する。
 ――程無くして撤収作業が終わり、悠樹と軍覇だけが残った。
 邪魔者はいなくなった。軍覇は徐に鉢巻を外し、首から左腕に巻いてきつく固定する。さながら、左腕を負傷してギプスで固定している悠樹と同じように。

「……何のつもりだ?」
「これでイーブンだ!」

 軍覇からしてみれば対等の条件であっても、悠樹からしてみれば舐められた事に変わりない。「ふざけやがって」と悠樹の歯軋りが重く響く。

「お前のそういう処が大嫌いなんだよ……!」
「へっ。その腐りに腐った性根に歪みに歪んだ根性、今日こそ矯正してやるぜ!」

 研究者にもその原理を解き明かせなかった二人の超能力者が激突する。
 第七位の削板軍覇と第八位の赤坂悠樹、通算七十九回目の果し合いだった。




 ――見えなかった。ただ愚直なまでに踏み込み、頬目掛けて殴りつける単純な動作も音速の二倍という馬鹿げた速度で行われれば、常人では視認不可能にして不可避の魔技と化す。
 踏み込みだけで地が砕けに砕け、拳打一つで並みの風力使いを凌駕する衝撃波が巻き起こる。轟音は冗談みたく遅れて木霊する。
 そんな規格外の攻撃を繰り出したのに対し、赤坂悠樹は不可解な事に見える程度の速度で避けてのけた。
 右頬を捉えた右拳を頬の肉を抉られながらも直撃だけは避ける。
 悠樹は同時進行でその腕を掴みに行くが、途中で止める。
 軍覇は拳打から即座に首を薙ぎ払うような掌底を繰り出す。余りにも早すぎて首を両断されたと黒子は一瞬錯覚したが、悠樹にしゃがまれて空振りとなる。

「――!」

 そんな不恰好な体勢から、悠樹は下から軍覇の顎を狙ったアッパーカットが繰り出される。
 これまで黒子の眼でも視認出来た速度ではなく、腕が霞むぐらいの超速度で振るわれた必殺の一撃を、軍覇は咄嗟に退いて紙一重で避ける。
 後ろに飛び退く、その一足だけで削板軍覇は十数メートル余り後退していた。地を引き摺った足場は抉れ、一際さくれた処でやっと止まる。
 空間移動能力者の黒子にしても瞬間移動としか思えない反則的な身体能力であり、この出鱈目な加減は超能力者である事に他ならない。
 悠樹はポケットからいつもの鉄球――ではなく、短めのナイフを四本、手の間に挟み、大きく振り被って投擲する。まるで此方が本当の運用方法だと言わんばかりの鮮やかさで。

(……そんなっ! ナイフなんて鋭利なものをあの威力で撃ち放ったら――え?)

 頭部、右肩、心臓、腹部と、音を置き去りにして超加速した四本のナイフは確かに軍覇に直撃した。
 鋭利な刃物が突き刺さる心配より、貫通して余り余る威力を秘めていたそれは、如何なる原理が働いたのか、軍覇の皮膚に突き通る事無く地に落ちた。そればかりか、刀身の方が逆に砕けていた。

「すごいパーンチ!」

 お返しとばかりに軍覇はふざけた掛け声と共にその場で拳を振るう。
 そんな距離では素振りにしかならないだろうという黒子の思惑とは裏腹に、悠樹の姿はその場から跡形無く消失する。
 いつぞやの発火能力者の時に見せた、空間移動じみた離脱を何故今使うのか――黒子の疑問は刹那に粉砕された地面を持って解決される。

(――え?)

 不可解極まる一撃だった。不可視の力が突然爆発した、としか言い様が無い。
 パンチというからには何かを飛ばしたのだろうか。それにしては拳を振り抜いてからのタイムラグが余りにも感じられない。

「削板さんが言うには『身体の前に敢えて不安定な念動力の壁を作り、それを自らの拳で殴る事で壊し、爆発の余波を遠距離まで飛ばす必殺技』らしいですけど、言うまでもなく、普通の念動力ではそんなの出来ません。まさに『説明出来ない力』というのが一番しっくりくる表現ですね。研究者さえ匙投げてますし」

 頼まれもしないのに童顔の少年は丁寧に解説する。
 どうやら二人の戦闘は今が初めて、という事ではなく、何度か彼らの前で行われているらしい。

「二人の能力を、御存知で……?」
「余り参考になりませんが、削板さんが説明出来ない能力なら、赤坂さんは真実に辿り着けない能力という処ですかね。でも、この勝負の行く末は大体想像つきます」

 極めて険しい顔付きで、童顔の少年は重い口を開ける。

「――唯一度でも触れば赤坂さんの勝ち、唯一度でも直撃すれば削板さんの勝ちです。今回はやはり、腕一本の差が重いですね」

 童顔の少年の視線の後を追うと赤坂悠樹がビルを背に立っていた。
 すごいパンチもとい念動砲弾(アタッククラッシュ)が炸裂した地点から後方に十メートル、削板軍覇からは二十数メートル離れた場所だった。
 やはりあの空間移動じみたものは身体の負担が大きいのか、この距離でも見えるほど息切れしている。
 憤怒と憎悪で歪んだ顔に、苦痛の色が見え隠れする。一瞬だけ、悠樹の視線が下に向き、瞬時に軍覇に戻す。
 軍覇は意図的に見逃したが、同じ超能力者を相手にしているのに、あるまじき隙だった。

(あ――)

 その挙動で黒子は気づく。悠樹が奥歯を食い縛って漸く耐えられる激痛の出所が、自分を庇って負傷した左腕だった事に。
 昨日の今日であんな無理な動きをすれば、傷が開いたとしても不思議じゃない。あの傷は、一日や二日程度でどうにかなるものでは無かった。

「らしくないな。ああ、全然らしくないぜっ! あんな小物に執心なんて、今日のお前は何だか変だぞ!」
「赤の他人のテメェにオレの何が解るんだよ、知ったような口叩くな……!」

 二人は足を止めて力の限り叫び合う。
 赤坂悠樹は息を整えるまでの時間稼ぎという打算で話に乗る。
 自分では抑えられない幾多の感情の渦で頭が沸騰しそうだが、こと戦闘に関しては冷静そのもので、削板軍覇を出し抜く算段を無数に練っていた。

「オレらしさって何だよ、一体何がオレらしいんだよォッ!」

 悠樹は胸に蓄積した苛立ちを爆発させるが如く怒鳴り散らす。
 咽喉が痛くなるほど叫んだのは一体いつ以来か、など今は関係無い部分に意識が行ってしまい、悟られないように息を整えながら目の前の相手に集中する。
 ――質問は時間稼ぎの為に、その答えに価値など最初から置いていない。だから、他人の言葉なぞ心に響かないし、同時に揺らがない。

「極悪非道な上に理不尽なほど横暴で、暴力的なのに狡猾で抜け目無くて、胸焼けするほどチョコレート中毒で、常に無言実行で他人の言葉に耳を傾かない、唯我独尊で自分勝手な野郎だ!」

 少しだけ、カチンと来る。この場面で空気読まないシリアスブレイカーとか、一体何考えてやがるんだと。
 自分とは違い、本当に正体不明の能力といい、相変わらず訳解らない奴だと悠樹は内心毒付く。
 ――悠樹の誤算は一つ。削板軍覇が本当に打算無く、損得の勘定を一切無視して、本気で自分の愚挙を止めようとしていた事だった。


「――それでも自分の決めたルールを遵守して筋を通す。そういう筋金入りの根性を持つ男だぜ、赤坂悠樹という俺の親友は」


 ……だからこそ、赤坂悠樹は削板軍覇の事が大嫌いだった。
 どんなに突き放しても、どんなに打ちのめしても、どんなに言葉で拒絶しても、平然と立ち上がり、何事も無かったように接し、当然のように不可侵の領域に土足で踏み込んで来る。
 悠樹の脳裏に在り得ない選択肢が過ぎり、瞬時に振り払う。そんな惰弱な思考は、彼が彼とする全てが許さない。
 お喋りは終わりだと、悠樹は無言で前に歩む。

「……お前が何も言わないならそれで良い。一度決めた事は絶対に妥協しないし、他人の説得に応じない事も熟知している」

 軍覇は首から左腕に巻いた鉢巻を解き、また額に巻き付ける。
 漸く本気を出すか、と悠樹は口元を笑みで歪め――瞬時に疑問に変わる。目の前の根性馬鹿が、一度自分で決めた事を覆す訳が無い。
 軍覇は自由になった左拳を開き、両腕を広げて立ち塞がった。制止するように、十字架に磔になった聖人のように。

「その殺意の矛先、全部俺が根性で受け止めてやる。気が済むまで来いっ!」

 悠樹は軍覇の言葉を一字一句聞き逃さなかった。その上で疑った。まずは自分を聴覚を、手で何度か耳を叩いて正常に動作している事を確認する。
 続いて自身の眼を疑う。戦闘中にあるまじき事だが、擦り、何度か閉じ開きを繰り返し、今の光景が正常である事を信じられないと思いながら確認する。
 そして最後に疑ったのは軍覇の――


「――それ、正気?」


 悠樹の周囲が物理的に歪んだのは錯覚では無かった。
 彼は悪魔の如く嘲笑う。余りにも可笑しすぎて腹が捩れ切れそうだった。息が飛び出るような笑みが散発的に漏れた。

「幾らテメェの力が説明出来ないものでも、総量を越す力をぶつければ攻略出来る。それは過去の対戦から把握しているが?」

 悠樹は悠然と近寄っていき、軍覇は微動だにせず見据える。
 遂には一メートルもない距離に至り、漸く足を止める。棒切れの如く立ち塞がる軍覇の姿に、悠樹はくっと笑う。

「――殺せないと、本気で思ってんの?」

 大きく振り上げた悠樹の右拳は軍覇の腹部を抉り穿つ。――異変は殴った後からだった。
 奇妙な感覚が軍覇を襲った。殴られた直後、全ての光景が緩慢に見える。それ故に自身に起こった一部始終を客観的に眺める事が出来た。

(……いつもなら、悠樹に指一本でも触れられたら訳解らない内に負けていたな――)

 削板軍覇の身体は無意識の内に纏う念動力みたいなものに守られている。
 それがどういう原理かは本人にも解らないが、ナイフに突き刺されても銃で撃たれても痛い程度で済むほど堅牢な鉄壁である。
 その絶対の守護が今――遅くなった時間感覚だが――秒単位で軋みを上げている。
 取るに足らぬ打撃の力が、際限無く倍増し続けている。性質の悪い事に、それは薄皮一枚隔てた外側で行われており、解放の一瞬は未だ程遠い。

(あ、まずい。こりゃ死ぬかも――)

 自身の得体の知れぬ力を腹部に集中させようとした時、緩慢な意識と同じように能力発動も遅くて行き届かない。
 最終的には悠樹の拳を中心に際限無く吸い込む力場が生じ、その中心に収束する風の渦が形成され――解放と同時に世界が衝撃でブレた。




 世界が割れるような轟音が鳴り響く。衝撃だけで鼓膜を破き兼ねない音は遠く離れていた黒子達にも容赦無く襲い掛かり、暫し鈍い痛みと共に聴覚が麻痺してしまう。

(……っっ、一体、何が……!?)

 衝撃の中心点を見れば、右拳を振り抜いた悠樹が一人で立っており、軍覇は見当たらない。
 其処から一直線に、地面のコンクリートが左右に不自然なほど隆起している。意図せず出来た道を目で辿れば向かいの無人ビルに辿り着き、巨大な砲弾でも浴びたが如く半壊している。
 十二階建てのビルの壁面に罅割れしていない箇所は無く、一際大きい瓦礫が崩れ落ち、連鎖するように次々に倒壊していく。削板軍覇の姿は、未だに見当たらない。
 理性が理解を拒否するが――理屈など必要無く、生存は絶望的だろうと脳裏に刻み込まれる。
 ――こんな過剰殺傷を、あのリーダー格の男に喰らわせるつもりだったのかと、黒子は心の其処から恐怖し、身震いした。

「存外、悪運だけは良いな。今日限りで八人の超能力者が七人になると思ったが」

 赤坂悠樹は苛立ち気に舌打ち一つし、踵を返して背中を向ける。
 勝敗は決した。既に自身に立ち塞がる障害は無い。
 ――止めなくては。全身痛む身体を押して黒子が悠樹の前に立ち塞がろうとした時、悠樹の背後からかつんと、小さな靴音が聞こえた。

「……待てよ」

 振り向けば、満身創痍の削板軍覇が立っていた。
 額から右頬に掛けて流血し、腹部は血塗れで傷の状況すら掴めない。それでも五体満足なのは奇跡と言えた。
 悠樹の驚きの表情は一瞬で消える。
 完全な状態で放てば、反則的なベクトル操作を誇る『一方通行』と、トンデモ建造物として知られる、学園都市総括理事長アレイスター=クロウリーの住処『窓のないビル』を除いて、確実に過剰殺傷(オーバーキル)する事が出来ると自負するが、不完全な状態で放った不完全な一撃だ。削板軍覇なら――脱帽せざるを得ないが、根性で立ち上がったとしても不思議ではない。

「何処に、行くんだ……? 奴を殺しに行くのは、まだ早いぜ……!」

 だが、それだけだ。最早、今の削板軍覇に赤坂悠樹を止める力は無い。
 軍覇は選択を誤った。あの一般人の殺害を止めるには、悠樹を殺すか、完膚なきまで叩きのめせば良かったのだ。
 無抵抗の抑止など、意味を成さない。

「良く立ち上がれたものだ。それで、どうするんだ? そんな死に損ないの状態じゃ、根性云々ではどうにもならんぞ」
「……前にも言ったな。本物の根性ってのは、絶体絶命の窮地とか、絶望的だろうが、そんな程度で失われるもんじゃねぇんだよ……!」

 身体中に走る激痛が軍覇の精神を蝕み、血が止め処無く流れ出て、ただでさえ揺らいでいる意識を更に朦朧とさせていく。
 それでも、軍覇は折れない。既に限界を超えているのに、精神が肉体を凌駕して、悠樹の前に立ち塞がる。

「大それた理由なんぞいらねぇ。友が間違いを犯すのを黙って見てられるか……!」

 悠樹は眼を見開き、伏して瞑る。先程までの狂暴さはなりを潜め、儚げに移ろう。
 されども、次に開かれた眼には爛々と狂った憎悪が燃え滾っていた。


「さっき、殺すのはやりすぎだと言ったな。それはさ――実際に目の前で、殺された事のある奴にも同じ台詞を吐けるか?」


 絶対に言うつもりの無かった弱者の泣き言を吐露してしまい、悠樹は自己嫌悪で己を殺したくなった。
 否応無しに認める。削板軍覇は自身と同格の人間であると。好意の反対は嫌悪ではない。残酷なまでの無関心なのだ。
 赤坂悠樹はこの上無く嫌っているが、それでも軍覇の事を無視出来ない。それが何よりの証明であった。

「……っ! 殺された奴が、殺してくれと望むものか……!」
「虫唾が走るほど的外れな模範解答だな。……違うよ、軍覇。死者は何も望まない。何も望めないから死者なんだよ。――この答えを出すのは、いつだって生きている人間だ」

 その悠樹の眼には、燃えるような憎悪と深い苦悩が絶えず入り混じっていた。その貌は永遠に解けない命題を無為に問い続ける哲学者の如く、磨耗して擦り切れていた。

「逆恨みなのはオレが一番良く解ってる。けどな、もうこれは理屈じゃねぇんだよ。この学園都市の暗部でのた打ち回って、残ったのが憎悪(それ)だけだ」

 断言し、悠樹の眼は憎悪一色に染まる。燃え滾るように、されども凍えるほどの殺意が、ボロボロの軍覇目掛けて一身に注ぎ込まれた。

「話し過ぎたな。――こういうの、世間一般では冥土の土産って言うみたいだぜ?」

 再び右手を握り込み、大きく振り被る。今度こそ確実に殺す為に、はちきれんばかりの力で小刻みに震えるほど強く握り込んで。
 最早、赤坂悠樹の暴虐を止める者はいない。拳は振り下ろされ、今度こそ軍覇は死ぬ。彼が幾ら規格外だとしても、あの冗談が百個ぐらい重なった打撃からの、二度目の生存は絶望的だろう。
 また昨日の事のような悲劇が繰り返される――そう脳裏に過ぎった瞬間には、黒子は空間移動を行い、軍覇と悠樹の間に割って入った。

(駄目――!)

 止める手段など最初から思いつかない。元より大能力者(レベル4)と超能力者(レベル5)は一つしか強度が違えども、天と地ほどの差がある。
 庇った処で、自分も軍覇も助かる見込みなど抱けない。自身の死を代償にした程度で、この絶望は埋められるものでもない。
 其処に理屈や打算も無く、黒子は切迫する死の腕を目の当たりにしながら、緩やかに意識を失った。







[10137] 七月十九日(5)
Name: 咲夜泪◆ae045239 ID:ceb974ce
Date: 2009/11/29 02:48


 七月十九日(5)


 ぼやけた視界に映ったのは、白い天井。先程までの炎天下から打って変わって涼しく、耳が痛くなるような静謐さが保たれていた。

「……わたくしは、生きて――?」

 呟いて、黒子は自分自身が死んでいない事実に驚く。
 最後に見た光景が迫り来る悠樹の拳だっただけに、当たれば原形を留めないグロテスクな肉塊になる事は疑うまでも無かった。
 ――その疑問に答えたのは、指定されたブレザーとネクタイを着用せず、ワイシャツの襟元の校章で漸く出身校が解る不良風紀委員、赤坂悠樹その人だった。

「この馬鹿。自殺願望があるとは知らなんだぞ。てか、そんなボロボロな身体でオレの前に立ち塞がるってどういう魂胆? 馬鹿? オレが偶然止めなければ間違い無く死んでいたぞ、この馬鹿めが」

 悠樹は見舞い用の椅子に腰掛け、不機嫌さを隠さずに黒子を睨む。
 一度の会話に馬鹿という言葉を三回も使うほどご立腹な様子だったが、先程までの触れたモノ全てを壊しかねない危うさは消え失せていた。

「赤坂、さん? ……あの殿方は? それに……っ!」
「病院で騒ぐな、怪我に響くぞ。順を追って説明してやるから少しは落ち着け」

 起き上がろうとする黒子を手で制して、悠樹は気怠げに溜息を吐く。
 右頬に大きいガーゼが貼られている事以外は変化は無いが、何処か気疲れが見え隠れしている。
 黒子は能力の多用と左腕の負傷で疲労が溜まっているものと解釈した。

「まず君の怪我だが、全身打撲及び二本ほど肋骨に罅入っている。普通なら全治三週間以上だが、詳しい事は医者に聞いてくれ」

 黒子は自身の症状の重さに落胆する。よりによって幻想御手の事件で忙しい時期に、と悔やまざるを得ない。

「で、軍覇の野郎は軽症だ。あれだけやったのにピンピンしてやがるよ。もう人類じゃないな、アイツ。それと君に刃物を突きつけた蛸は、オレの配下が勝手に護送したからな、何処の病院にいるかも解らんわ。全く、トップの意向を知っていて背くとは使えない駒共だ」

 悠樹は興味が失せたように退屈気に答え、「これで奴との勝負は負け越しだ」と、削板軍覇の勝負の方が大切な事だったかのように一人不貞腐れる。
 何が何でも殺そうとしていた先程と比べて、信じられない対応であり、黒子はその不自然な方針の変化に戸惑いを抱いた。
 それを知ってか知らずか、悠樹は一息ついた後、真剣な眼差しになる。

「――此方の事情に巻き込んでしまい、済まなかった」

 彼の普段の人柄を考えれば、まず在り得ない謝罪の言葉が飛び出し、黒子は心底驚愕する。
 ぶっちゃけ信じられず、まずは本当に本人なのか疑った。学園都市の脅威の科学力は、瓜二つのクローンを製造出来るのかと本気で勘繰るまでに。

「それに君の御陰で斉藤隆志……最初に襲われていた男子生徒だがね、ソイツの怪我も軽微で済んだ。率いる者として感謝するよ」
「え? い、いえ、結果的に助けたのは赤坂さんですし、わたくしは足を引っ張って……!」

 らしくない悠樹の振る舞いに翻弄されながら、ふと、黒子はある事に気づく。
 如何に悠樹と言えども、準備無しに完全武装した二十人以上の手勢をあの現場に連れて来れるだろうか?
 事前に準備していたとすれば、左腕が著しく損傷して完全な状態じゃない悠樹が何故あの場所にいたのか、という疑問の答えにも繋がる。

(……赤坂さんが負傷したとなれば、それを好機と見て報復に来る者達が現れるのは火を見るより明らか。普段から人の恨みをダース単位で買ってますし……それを、あの場所で一網打尽にしようとしていたのでは――?)

 通い続けていた第七学区にいなかった理由も、完全武装の手勢がすぐさま集ったのもそれで説明が付く。
 ――お見舞いと称して、地下の射撃場で出会った時の悠樹の顔が脳裏に過ぎる。
 今思えば、自分が居ては都合が悪かったのだろう。能力発動の現場を見られる事も、また不良学生の襲来に関わる事を懸念して。
 もしそうならば、自分は余りにも滑稽な道化だと黒子は呆然とする。自分の身勝手な理想を悠樹に押し付け、一方的に頬を打った挙句、足を引っ張ってこの様だ。
 最低な初仕事に匹敵するほど惨めな気持ちになる。謝るのは、自分の方だった。

「……さて、文句も言い終えた事だし、オレは退散するよ。こんな腐れ外道が近くに居ては絶対安静にならんだろう」

 一言断ってから席を立ち、悠樹は背中を向ける。
 今はまだ近くに居るのに、その背中は遠かった。このまま二度と遭遇しないかもしれない、そんな予感を抱かせるほどに。

「っ、待って下さい!」

 咄嗟に声を荒げてしまうが後の祭り、振り返った悠樹から不審な人物を見るような刺々しい視線を浴びる事になる。
 羞恥心で顔が真っ赤になった事を自覚してしまい、ますます赤くなる。ごほんっ、と誤魔化すように咳払いし、黒子は気を取り直す事にする。

「少し、お話しませんか……?」

 一瞬だけ、悠樹が微妙な表情で躊躇した後、また座っていた椅子に腰掛ける。

「構わないよ。これは独り言だが、赤坂悠樹は自分の失態を許せない完璧主義者でね。そのままにしていたら夜も眠れないから、精神安定の為に挽回の機会を心から望んでいる。――今なら、オレの能力の詳細だって口が滑るかもしれんぞ?」

 赤坂悠樹は普段では絶対に提案しない事を言いながら、調子良く笑う。
 随分とワザとらしく、そして魅力的な独り言だと黒子は内心思う。
 だが、悠樹の捻じ曲がった性格を考慮すれば、その魅力的な提案は真に痛い腹を探られないようにする為の餌だと容易に推測出来る。
 出遭ってから白井黒子の頭を悩ませ続けた彼の超能力『過剰速写(オーバークロッキー)』の正体が本人の口から語られるのは確かに魅力的だが、それ以上に問いたい事が黒子にはあった。

(でも、それは――)

 されども、その問いは余りにも赤坂悠樹の核心を突く、否、刀身が焼き爛れた鋭利な刃物で抉り穿つようなものだった。
 黒子は口に出す事を何度か躊躇う。焦りばかりが先行し、重苦しい沈黙が続く。
 それでも悠樹は文句一つ言わずに待ち続ける。時間にして数分余り、黒子の体感時間では永遠に匹敵するほどの時間を経て、意を決して口にした。


「――人質を目の前で殺された、のは、本当、ですの?」


 自分自身で嫌悪したくなるほど、心を踏み躙る最悪の問いだった。
 黒子は恐る恐る悠樹の顔色を覗き込む。鬼が出るか蛇が出るか――だが、予想とは裏腹に、悠樹は生徒から困った質問をされた教師のように、淡く苦笑した。

「あ……すみません、このような事――!」
「――この学園都市に捨てられる前、オレが六歳の頃だったかな。ある娯楽施設に立て篭もった強盗犯に人質として選ばれたのがオレの妹で、警察の甲斐甲斐しい説得虚しく、激情した犯人に殺された。首筋に当てたナイフで頚動脈を掻き切られて、な」

 悠樹は淡々と、特別な感情を籠める事無く語る。既に終わった物語を、関係無い語り部が観客に披露するように。
 黒子は絶句するしか無かった。今の悠樹からは何も窺い知れない。あの禍々しい憎悪も激情も憤怒も、何一つ察せない。
 その底無しの深淵を思わせるような無表情が今は恐ろしかった。

「母親は既に死んでいて、父親はその事件の機に失踪、唯一人残ったオレは母方の祖父母に引き取られた。だがこれも、地獄のどん底でのた打ち回る道中に過ぎなかった。彼等は母を早期に死に追いやった父を怨んでいたからな、その矛先は当時六歳だったオレに向けられたよ。母の面影を色濃く残していた妹と違って、父の面影を色濃く残すオレは酷く嫌われていたからな」

 短い年月ながらも、一般的な家庭で育った黒子には信じ難い、悲惨な家庭状況だった。
 当然の如く両親に愛されて育った黒子には、その境遇は言葉の上では理解出来ても真の意味では理解出来ない。
 それをひしひしと思い知らされ、黒子は歯痒く思う。その反面、悠樹はまるで他人事のように何処か冷めていた。

「その時の生活は最悪だった、とだけ言っておこう。――程無くして学園都市に入学させられたよ。最初から捨てる事を目的にな。祖父母達は何処で知ったのか、嬉々と喋ったよ。学園都市における置き去り(チャイルドエラー)の現状と、暗部によって有効活用されて処理される結末をな」

 黒子は今の気持ちを言葉に出来なかった。
 報われず救われない、まるで出来の悪い御伽噺のような――それが、そんな夢想だに出来ない悪夢の非日常が、彼の日常だった。

「ま、その頃にはオレは今のオレだったがな。最初の地獄が最上級だっただけに、後の地獄なんざ生温かった。オレの中の『正義』は妹が殺された時に死んで、『悪』が真理となった。――守りたかったモノも、守るべきモノも、疾うの昔に失っていた」

 地獄の底に突き落とされ、のた打ち回りながら磨耗して、最後に残ったのが憎悪だけだと、彼はあの時言った。
 ……垣根帝督と一戦交えた時、悠樹は自身の怪我に何の頓着も示さなかった。その時覚えた違和感と恐怖の正体を、黒子は漸く掴めた。

 この人は――自身の命なんて、どうでも良いのだ。

「後は先程話した通りだが……そうだな、風紀委員になった理由の一つは、意趣返し、なのかな。特力研に居た〝置き去り〟は揃いも揃って馬鹿みたいに正義を信じていた。いもしない正義の味方が絶体絶命の窮地から助けてくれるとか、いないなら自分こそがその正義の味方――風紀委員(ジャッジメント)になって救いたいだとか」

 興が乗ったのか、悠樹は心底馬鹿にするように嘲笑する。
 無根拠で有りもしない『正義』を信じず、手段を選ぶ必要の無い『悪』に殉じたからこそ、あの地獄の底から這い上がれたのだと自負するように。

「だから死ぬんだよ、救いようの無いほど愚かで馬鹿馬鹿しいにも程がある――そんな存在が本当に実在しているのなら、実際にこの目にしてみたいものだ」

 悠樹は遠い眼で、怨むように、憎しむように、妬むように、羨むように、憧れるように、複雑な感情を入り混ぜる
 ――もしかしたら、そんな正義の味方による救済を誰よりも求めたのは、他ならぬ彼自身だったのかも知れない。
 此処まで来れば、理由の一つに述べた〝意趣返し〟の意味も察せる。
 正義の味方がいないから、赤坂悠樹は『悪』をもって事件の解決に当たる。
 彼自身の優れた能力なら完璧に立ち回れるものを、いつも力で強引に解決する様はいもしない正義の味方に対する、子供じみた当てつけとも思える。

「オレは正義の味方なんてものには絶対になれない。そもそも、なろうとも思わない。だから、風紀委員をするに当たって、一つの賭けを自分の中でした」
「……一つの賭け、ですの?」
「オレが学園都市最強の超能力者『一方通行(アクセラレータ)』を打倒するまでに〝他の理由〟を得られたのならばそれで良し。何も変わらなければ――オレは風紀委員(きみたち)にとって史上最悪の存在に成り果てる、いや、戻るのだろうな、元の鞘に」

 彼という空っぽの器には、悍ましい憎悪が無限に湧き出ている。
 今は堅牢な構造で外部に漏れないが、性質が悪い事に時限爆弾が取り付けられている。
 一度解き放たれれば如何程の災厄を齎すか、幾ら想像してもそれを遥かに凌駕するだろう。

「一般常識や道徳が欠如している社会不適合者が、羊達の群れで違和感無く暮らせるようにと作り上げた幾十のルールに縛られず、完全無欠なまでに『悪』だったあの頃に――」

 彼が普段遵守する妙な矜持の数々も、自らを戒める鎖に過ぎなかったのだろうか。
 それでも――それらのルールが、彼の歯車が狂う前のものではないかと思うのは、単なる勘違いなのだろうか?

「どうだ? 即興で考えたにしては良い出来だろ。如何にも悲劇的な主人公って感じでさ――この学園都市では在り来たりなのが難点だがな」

 悠樹は誰も信じない嘘を態々口にし、「そもそも悲惨さが馬鹿みたいに重なり過ぎて、現実味が欠片も無いな」と場違いなほど明るく笑う。笑い声は病室に虚しく響いた。
 そんな事が在り来たりだと言えるほど、学園都市の暗部は悲惨なのだと否応無しに伝わる。

(あ……)

 今、彼と同じように笑い飛ばせば、今までの話全てが冗談として片付けられ、単なる与太話として終わる。そういう逃げ道を、悠樹は敢えて作った。
 此処がこれまで通りの日常と非常の境界線であると無言で告げている。

「……妹さんを、殺めた犯人は――」
「無期懲役、最長でも三十年程度だね。日本の司法は人一人殺しても命で償わなくて良いらしいよ。素晴らしく慈悲深いものだ」

 黒子は苦渋に満ちた表情で退路を断ち、悠樹は退屈気な表情で語る。一瞬だけ、眼の中に陽炎の如く殺意が燈ったのを、黒子は見逃さなかった。

 無慈悲な裏の現状を直視して、当たり前だと思っていた平和な幻想は脆くも崩れ去り、黒子は自分自身を見失ってしまった。
 その事を知った自分が何をするべきか、どう立ち向かうべきか、その答えを、学園都市の暗部を深く知る赤坂悠樹に求めた。
 ――結局、そんなのは甘えだったのだと黒子は痛烈に悟る。目の前に居る彼もまた答えを追い求めているのだ。
 守りたかったモノなど最初に喪い、年相応の夢も希望も抱けず、自分の命にすら何とも思わない。それでも自らが確立した強靭な意思に基づいて行動している。
 地獄に転げ落ちて、奈落のどん底から這い上がった那由他の果てに――赤坂悠樹は立っている。
 黒子には守りたいモノがちゃんとある。街の平和を、親しき友人を、敬愛し尊敬する少女の笑顔を――己の信念に従い、正しいと感じた行動をとるべし。まるで一歩も前進していない結論なれども、その一歩から進んでいくしかない。その後に結果がついていくのだから。


「――きっと、いえ、絶対見つかります。今は見えずとも、必ず」


 ――悠樹にとって、自分の過去を話す事に何ら意味を見出していなかった。
 下らぬ同情などされても癇に障るだけだし、自分がそうでないという前提の憐憫もまた同様である。
 それだけに、この反応は完全に予想外だった。

「赤坂さんは御自分の事を『悪』だと思い込んでいるだけです。わたくしには、そんなに悪い人だとは思えませんの」
「同じ境遇の〝置き去り〟を全員見殺して平然としているオレが『悪』じゃないとでも?」
「そんな彼等がなりたくてなれなかった風紀委員(ジャッジメント)をやっているのが何よりの証拠なのでは? 確かに貴方の素行は『善』とは到底掛け離れたものですが、それだけでは無いのは短い付き合いのわたくしにも解りますわ」

 かつての調子を取り戻したように、自信に満ち溢れた黒子の様子が、悠樹にはこの上無く不可解だった。
 黒子が裏の事情関連で――悠樹からしてみれば無駄に――深刻に思い悩んでいた事は薄々悟っていたが、何が解決の糸口になったのかが掴めない。

「……妄念を抱くのは君の勝手だがね。それじゃ万が一、一方通行を打倒するまでに目的や理由を見出せなかったら、どうする?」

 悠樹は意地悪そうに笑う。「その前に垣根帝督に返り討ちに遭う可能性が高いがな」と割と在り得る末路の一つを付け加える。
 露ほどもない可能性を綱渡りし、奇跡の果てに一方通行の打倒を成した処で、何か掴めるのかと自問すれば、ほぼ間違い無く否だろう。
 真偽は定かではないが、学園都市はいもしない神の問題を解く為に超能力者(レベル5)を超越した前人未到の境地、絶対能力(レベル6)を目指している。
 例え自分がその領域に達したとしても答えなど出ないだろうと、悠樹は半ば諦めている。だからこそ、答えが出なかった先を想定している。
 恐らくその後の自分は学園都市の根本を揺るがす大事件を引き起こす。学園都市最強を凌ぐ力を持って、立ち塞がる障害を悉く排除して成し遂げるだろう。


「その時は、わたくしが頬を叩いて修正してあげますわ」


 その言葉は頬を叩かれた時以上に、悠樹の心に響いた。
 確かに彼女の能力、空間移動(テレポート)なら或いは――赤坂悠樹を殺す事も不可能ではない。手段を選ばず、反撃の余地が無い奇襲で一撃で仕留めれば、の話であるが。
 それとは別に――悠樹は気の迷いだと断じ、思考の片隅からも消す。

「……何それ。新手の告白?」
「なな、何を言いやがりますかっ! わたくしはお姉様一筋ですぅ!」

 面白いほど顔が赤く茹で上がった黒子を、悠樹は楽しげに眺める。

「さて、そろそろ帰るぜ。君が抜けた御陰で忙しくなるしな」
「これしきの怪我、すぐにでも――」
「少しは体を愛えよ。それに満身創痍の怪我人が現場に居ても邪魔なだけだ」
「同じ言葉を返しますわ。……その左腕は、決して軽い怪我では無いですの」
「それなら安心しろ。全治二日になったから明後日には完治だ」

 そんな筈は――と言いかけ、悠樹の能力は治癒を促進出来るような応用も可能であるのでは、と推測を立てる。
 ただ、それを負傷した当初にしていなかった事を鑑みると、何らかのリスクがあるのではと勘繰り、黒子は再び意気消沈する。

「二、三日中に朗報を届けてやる。期待して待っているが良いさ、黒井白子」

 そんな黒子の一喜一憂の様子を、悠樹はその一言でぶち割った。主に悪い意味で。

「んな、わたくしの名前は白井黒子です! 何でよりによって黒井白子なのですか! わざとですか、わざとですねっ!?」
「おいおい、何言ってるんだ。黒白だから黒が先だろ?」

 黒子は「ムキー!」と怒りを全身で表現し、悠樹は心底不思議そうに首を傾げ、「そんな単純な引っ掛けに騙される訳無いだろ、ハハハ」と大笑いする。
 愉快に荒れる黒子を背に病室を出て行き、無表情に戻った悠樹は扉の外側に背を掛けていた御坂美琴に遭遇する。その時の彼女の顔は言いたい事を言わないような、複雑さを醸し出していた。
 悠樹は顔に驚き一つも出さない。元より彼女を携帯で呼んだのは悠樹自身であり、二度目に病室から抜けようとした直前に訪れていた事も気づいていた。
 擦れ違う最中、悠樹は美琴の耳元で「一階の待合室で待っている」とだけ言い残し、振り返らずに去る。その足取りは極めて重かった。




 御坂美琴が白井黒子のお見舞いを終えて一階の待合室に足を運んだ時、待っていた赤坂悠樹は携帯電話で通話中だった。
 悠樹は椅子にも腰掛けず、少し苛立った素振りで慌しく歩き回っていた。

「――そうですか。解りました、何か判明しましたら随時連絡下さい――待たせてすまんな、御坂美琴」

 通話が終了したと同時に慣れない敬語を取り止め、悠樹は美琴を正面から見据える。
 世間話をする間柄でもあるまい。悠樹は直球で本題に乗り出した。

「白井黒子の怪我は全面的にオレの責任だ。弁解の余地も無い。……風紀委員の活動に支障が出ない範囲なら、煮るなり焼くなり好きにしろ」
「もう支障が出ている腕で言われてもねぇ……なら一つ言わせて貰うけど、あの子だって風紀委員よ。それを無視して語るなら――それは黒子に対する侮辱よ」

 言い訳一つしない悠樹に対し、「私だけ悪役にする気?」と美琴はジト目で睨んだ。
 悠樹から黒子が事件中に怪我したという一報が入った時、その場に居たのに守れなかった悠樹の不甲斐無さに憤怒を抱いた。それこそ、一発全力で殴らないと気が済まないぐらいに。
 実際に病室に駆けつけてみれば、黒子の負傷は事前に説明された以上に酷く、見るに耐えない状況だった。
 しかしその反面、朝から張り付いていた異常なほどの深刻さが綺麗に無くなっており、オマケに黒子が悠樹を必死に弁明して庇うなどという在り得ない事態が起きた。
 これで見苦しい言い訳を一つでもしたら、無視して殴ろうと美琴は思っていたが、左腕の怪我が治るまで保留する事にした。あくまでも保留である。

「……全く、厳しい奴だ」

 形のある罰が下ればそれだけで心が晴れるが、と悠樹は内心毒付く。

「アンタでも、自分のミスを認めるぐらいの殊勝さがあるのね?」
「自分の失敗や過ちを認められない奴に未来は無いよ」

 その点、結論が間違っていたとしても前進し続ける自身には望めないだろうと、悠樹は表情に出さずに自嘲する。

「こんな事言えた義理じゃないし、一般人の君に頼むのは筋違いだが、恥を忍んで言う――この事件はオレ一人では手に余る。君の手を、学園都市第三位の力を、貸してくれないだろうか?」

 悠樹は混じりけ無しの真剣な表情で問う。美琴は迷わず答えた。

「良いわ。私もこの事件に少なからず関わっているし、乗り掛かった船だしね」
「……感謝する、ありがとう」

 そんな悠樹の素直な反応に、美琴は逆に戸惑う。まさか軍用に開発された良く似た偽者では、と知らずに黒子と同じような疑問を抱いたりした。

「……何か調子狂うなぁ。いつもと違って綺麗過ぎて気色悪いし――」
「そうかそうか、話の解る奴で助かったぜ。いやはや君なら喜んで首を突っ込んでくれると思っていたよ。あれか、今流行りの『俺は俺より強い奴に会いに行ってぶん殴る!』的なノリで」
「私は何処かの路上で戦う格闘家かっ! てかそれアンタでしょアンタ!」

 十七日の決闘もどきの事を「まだ根に持っていたのか」と悠樹は荒れる子供の扱いに困ったように笑う。
 そのいつも通りの舐めた仕草に、美琴は「いつも通りだけどむかつく!」とムキになって怒りを顕わにした。

「さて、明日から忙しくなるし、英気を養う為にも晩飯を食いに行くか。無論、オレの奢りだ」
「……それは良いけど、今日はする事無いの?」
「本腰を入れる為の下準備はオレが今日中に済ませるよ。――そもそもこの程度の事件で梃子摺るのは論外だ。二、三日中に終わらせるからそのつもりでな」
「……それだけ聞くと、今までどれだけ手抜きしていたか気になるんだけど?」

 如何にも胡散臭いものを見るような眼で美琴は悠樹を睨む。
 コイツなら、手抜きの一つや十つぐらいやりかねない。そんな疑いの視線を送るが、悠樹は平然と居直る。

「個人としては最善の一歩手前を尽くしているが、此処で言う本領はそういう事ではない。発想が貧相になっているぞ、御坂美琴」
「……今、人の胸ちらりと見て言った? 言ったでしょ!」

 自身の胸を隠すように覆い、美琴は若干顔を赤めながらキツく睨みつける。
 やはり手抜きしているのかという突っ込みはその混乱の中で消える。

「ホントこれだけはやりたくなかったんだが、まぁ仕方ない」
「一人納得している処悪いんだけど、結局どうすんのよ? 私達二人でも二、三日中で如何にかなるとは思えないわよ?」
「その前提が根本的にズレている。簡単に言えば、君に助力を求めた事と同じさ」
「私に……? アンタ、他にも超能力者(レベル5)の知り合いいたの?」

 確かに悠樹は他の超能力者と大体は顔見知りだが、一人の根性馬鹿を除いて特別親しい訳じゃない。
 悠樹は楽しげに否定する。その程度で済ますものかと、言い張るように。

「違う違う。幾らオレと君が超能力者(レベル5)でも数の上では二人前だ。個人の力がどれだけ優れていても出来る事など高が知れている。ならばこそ、足りないなら補えば良い。――さて、問題だ。この学園都市に風紀委員(ジャッジメント)は何人いたかな?」







[10137] 七月十九日(6)
Name: 咲夜泪◆ae045239 ID:ceb974ce
Date: 2011/02/24 03:30




「あーあ、見つからないなぁ『幻想御手(レベルアッパー)』」

 その日の夜、佐天涙子はネットの検索サイトで『幻想御手』の情報を集めに集めていた。
 匿名の掲示板やら不特定多数のブログを巡ったが、苦労して骨を折った割には都市伝説だという以上の情報は手に入らなかった。
 椅子を斜めに逸らし、危ういバランスを保ちながら涙子はため息を吐いた。
 やはり、そんな都合の良いアイテムなど転がっていないかと酷く落胆する。
 無能力者の自分でも能力を使えるようになるような夢のような代物など――普段は気にしないようにしていても、一人になると一気に憂鬱になる。一体何の為に自分は学園都市に来たのだろうと、後悔の念さえ滲み出てくる。
 後ろに逸らし、反転した視界の上に地面に投げ捨てた音楽プレイヤーが目に入った。

「コイツにも何か新曲入れとくかね」

 眠気を堪えながら、気分転換にと拾い上げ、涙子はいつも世話になっている巡回サイトを開く。

「何かオススメのヤツあるかなぁ――って、あれ?」

 出てきたサイトは『404 not found』と書かれた文章だけのものであり、『未検出』または『見つかりません』という事を簡易に表すページだった。

「サーバー落ち? それとも削除された? うわぁ、このサイト気に入っていたのになぁ」

 不幸って重なるものだと更に憂鬱になりながら涙子は他のサイトを巡った。
 ――このサイトの隠しページに『幻想御手』のファイルをダウンロード出来たのだが、それは昨日の時点でとある風紀委員によって閉鎖されている。
 結局、彼女が『幻想御手』の現物を入手する事は無かった。


 七月十九日(6)


「――全く、せっかちな事だ。それとも疑われているのかな?」

 目元の隈が目立つ白衣の女性、木山春生は受話器を元の場所に置き、やや疲れた表情で机に置いてあったコーヒーを啜った。
 電話の相手は十八日の時点で『幻想御手』の現物を回収し、大脳生理学の専門家である彼女に解析依頼を出した、風紀委員の中で唯一の超能力者からだった。

「……噂通り優秀だな。いや、流石は超能力者と言うべきか」

 この事件には既に二人の超能力者が密接に関わっている。
 一人は第三位『超電磁砲』御坂美琴。風紀委員でない彼女が何故風紀委員の少女と一緒にいたのかは解らないが、春生は眼に見えない因縁を感じずにはいられなかった。
 もう一人は学園都市唯一の多重能力者とされる第八位『過剰速写』赤坂悠樹。此方は副産物的な縁だが、恐らくその彼が最初に自分に辿り着くだろう。

「……困ったな。これでは全然足りない」

 今現在の『幻想御手』の使用者は五千人弱。配信元を止められた今、急激な増加は見込めないだろうし、残り時間も少ない。
 一万人ぐらいが目安と考えていた木山春生にとって完全に誤算だった。これでは目的を達する事が出来ずに終わってしまう。身を焼く焦燥は積もるばかりだ。
 だが、この間々手をこまねいているほど、木山春生は諦めの良い人間では無い。無いのだが、この状況を一挙に打開する名案などすぐに浮かぶ筈も無かった。

(八方塞がりとはまさにこの事だな)

 とりあえず、木山春生はとある書類に目を通す。
 それは頭にこれと言わんばかりに花で着飾った風紀委員の少女から参考資料として送られた、『幻想御手』を大々的に悪用しようとした事件の詳細だった。

「あれを昏倒目的に使おうとするとは、その発想は無かったな」

 自分では思いつかなかった発想ゆえに、春生は素直に賞賛する。
 あれはAIM拡散力場を持つ者、つまりは生徒ならば全員に通用する。論理や無関係の者を巻き込んでしまう罪悪感を気にしなければ、『幻想御手』は超能力者にも通用する効率的な無差別兵器だろう。
 学園都市全土に放送され、大惨事に陥らなかった事を感謝すべきか。いや、もしそうなっていたなら苦労せずに目的を果たせた筈――などと思考が幾分ズレた時、春生はある事に気づいて息を呑んだ。

(――方法を選ぶ余裕は、既に無いか)

 これは一種の賭けだった。このまま成す術無く破滅するか、達成してから破滅するかの違いだったが、活路には違いない。
 この『幻想御手』を配信した時から後戻りという選択肢など消えている。今更罪状が一つ増えるだけの、至極単純な話である。
 それでも躊躇させたのは、彼女の動機が己が知的探究心を満たす為だけに行動する非人道的な科学者としてではなく、木山春生という一人の人間としてだからだった――。




「……チョコレート以外も食べるのね、ビックリだわ」
「普通の観点から考えれば、それで驚く方がおかしいと思うのだが?」

 最近、何かと他の超能力者と食事する機会が多いなと思いながら、赤坂悠樹は右手だけで不自由そうにステーキの肉を味わっていた。
 案外美味しい。肉そのものは中の下ぐらいだが、三日月型の白パレットに入っている三色タレのお陰で途中で食い飽きる事は無い。この手の店にしては上出来だろう。

「いやだって、いつもチョコレートしか食べてないでしょ」
「確かに否定出来ないが、これでも怪我人なんだ。精の付く物を食わないとな」

 目の前の御坂美琴が頼んだものは天ぷら定食であり、サクサクに揚げられたエビが三本、ナスとピーマンと何らかの魚――おそらくはシルバースメルトあたりか――という構成であり、見ているだけで食欲をそそる。
 次はあれを頼んでみるかと悠樹は密かに決めるのだった。

(……それにしても無駄に疲れたな)

 得る物の少ない一日だったと悠樹は自身の中で酷評する。
 対垣根帝督への対策と此方の負傷を好機と見た不穏分子の一掃で終わる予定だったが、何処で螺子が狂ったのやら、全力で『幻想御手』の事件に取り組む事になった。

(……全くもって自身の矜持だけは度し難い。我ながら面倒過ぎる)

 だが、一度決めた事を覆すのは在り得ない。今日だけでも妥協して遣り残した事が一つあるが、それはそれ、これはこれである。
 さっさと終わらせて垣根帝督に引導を渡してやろうと悠樹は心の中で誓う。
 今日だけで左腕の苦痛を嫌というほど味わったのだ。激痛が走る中で能力の演算を行う事の困難さは得難い経験だったが、溜まりに溜まった苛立ちは当の本人で払拭せねばなるまい。
 自身の思考に耽っていると、いつの間にか食べ終わっていた。満腹感を実感しつつ、悠樹は水を飲む。通り抜ける水は喉の渇きを癒し、一種の爽快感を与える。
 奇妙な飲料の新商品が次々と開発される学園都市にあっても、水に敵うものは無いと断言出来る。
 消毒された際の独特な臭みが残っている汚水は別だが、幸いな事に学園都市の科学力はそれを一切感じさせない。
 そういう方面での科学の発展なら歓迎出来るのだが、と悠樹の思考が壮大に横に逸れた処で、目の前の美琴が何かを聞きたそうに自分を見ていた事に気づく。

「そういえばこの前のアレなんだけど、そっちから喧嘩売ってきたのに何で途中でやめたの?」
「またその話か、君も物好きだねぇ。……そうだな、君とでは一線を超えれないと悟ったからかな」

 悠樹はそんな事を真顔でほざき、美琴の顔は一瞬にして真っ赤になった。

「な、なな、いきなり何言ってんのよ!?」

 そういう事に関して免疫の無い美琴は慌てに慌てる。
 目の前の悠樹に対して、同じ超能力者でその割には良く会うというだけで、異性として意識したりとかそういう事は絶無である。
 むしろ、自分より下の能力者を完全に舐め切って見下している事や、順位が上の自分に対しても強者の余裕を漂わせている事やら、バイクの後ろに乗っているのに馬鹿みたいな加速で暴走されたり、出会って早々に喧嘩売って来た事など、気に食わない面が多々ある。思い出しただけで腹が立ってくる。
 それでも風紀委員として最低限の矜持は持ち合わせており、黒子を我が身を盾にして庇ったりと、最近は色々と見直す箇所がある。
 それでそういう話には――などと美琴が心の中で盛大に自爆している時、悠樹は不思議そうに頭を傾げていた。

「ん? ……ああ、そういう意味では無いよ。何気無い一言で顔色変えるなんて器用だな、百面相ってヤツ?」

 如何にも年長者の余裕を醸し出し、悠樹は小馬鹿にしたように笑う。
 やはり目の前のコイツはむかつく。理不尽に此方の電撃を一方的に打ち消すアイツとは違うベクトルで気に食わない。
 美琴はむっとした視線で悠樹を睨みつけた。無言の圧力で説明しろという要求に、悠樹は出来の悪い生徒を諭す先生のように苦笑いする。
 仕方ないなぁ、という傲慢な仕草が非常に腹立たしい。

「オレの能力は複雑怪奇でね。研究者の連中も解明出来なかったし、オレ自身でも未知の部分が多々ある。ぶっちゃけ言うと、自分の限界が今一解らんのよ」
「自分の能力なのに?」
「まともな開発を受けていないから全部手探り状態なのさ。だからまぁ、同等の能力者相手に石橋を渡るように探るのが一番なんだよ。そうじゃなきゃ、やる気になれない」

 通り掛かったウェイトレスに水のおかわりを頼み、悠樹は眠たそうな半眼で説明する。今日はどうにも口が軽くなるようだと内心自嘲する。

「でも、自分の限界なんて能力を全力で使えば簡単に解るでしょ?」
「違う違う、限界なんて簡単に超えられるよ。その結果死ぬんじゃ意味が無いだろ?」
「え?」

 聞き捨てならない事実が唐突に発覚し、美琴は眼をまん丸にした。
 美琴の場合、全力で能力を行使しても死ぬ事など在り得ない。せいぜい電池切れ状態になって動けなくなるぐらいが関の山だろう。
 それが多重能力者となると、生死に関わる問題に発展するのだろうか。いや、もしかしたら幾つもの能力を行使出来る弊害に、複雑に相互作用して予想外の結果を生み出しかねないからでは――?

「生と死の境界で、自分が限界と定めた一線を超えていく。手加減してくれる相手に、生命を賭ける気にはなれんよ」

 もし能力使用に常時命を賭けている危険極まりない状態ならば――彼からしてみれば、手加減する自分など冒涜に等しかっただろう。
 ウェイトレスから運ばれた水に早速口付ける悠樹との間に、美琴は言い様の無い隔たりを感じた。
 同じ超能力者なのに、自分とは何かが違う。その説明出来ないもどかしさが胸の中にいつまでも残る――。

「あ、ちなみにこれ嘘だから本気にしないでくれよ」
「はい?」
「大体、全力行使で自身に危険が及ぶ能力があったとしても、生存本能とかが無意識の内にリミッターが掛かっているものだ。幾多の能力の良いとこ取りのオレには全く関係無い話でした、まる」

 真剣な表情から一転して、悠樹は自身の悪戯を丁寧に解説するようにケタケタと笑う。
 深刻になって損した。美琴は怒りを通り越して逆に呆れた。

「……あのさ、言って良い冗談と悪い冗談があると思うんだけど?」
「場を和ませる為の軽いジョークだろ、さっくり流せ」
「アンタの場合、冗談かどうか解り辛いのよ!」

 美琴の憤慨した態度に、悠樹はあっはっはと笑って流す。
 結局、また話が有耶無耶にされてしまった事に、美琴はかなり後で気づくのだった。

「そういえば、君は元々は低能力者(レベル1)だったね。一体どんな魔法を使って超能力者(レベル5)まで上り詰めたんだ?」

 科学が異常なほど発展した学園都市で『魔法』なんて種も仕掛けもある手品の別名でしかないのに、悠樹は敢えて『魔法』という言葉を口にした。
 この手の話題は他の者にも何度かされた事があるが、その時感じられる強度(レベル)に対する嫉妬や嫌味は感じない。
 当然と言えば当然かと美琴は一人納得する。目の前の彼も同じ強度なのだから。

「普通に努力しただけよ。私は目の前に壁があったなら登り切らなければ気が済まなかっただけ、超能力者なんて単なる結果に過ぎないわ」
「へぇ、中々言うねぇ」

 悠樹は素直に感心するが、美琴は何か含みを感じて妙に引っ掛かる。
 それを実践して実際に超能力者まで駆け上った美琴の与り知らぬ事だが、目の前の壁を乗り越えられないから多くの者は超能力者になれない。
 その認識の違いは超能力者に辿り着けなかった能力者にとって酷く残酷だろう。悠樹は敢えてそれを指摘しなかった。

「そういうアンタはどうだったのよ?」
「信じ難い事に無能力(レベル0)判定だった。いやはやあの時は本気で焦ったものだ」

 悠樹は気難しい表情で「あの時は冗談抜きでヤバかった」と呟く。

「え、嘘? ……あ、今度は騙されないわよ!」

 最初は低い強度でも超能力者まで駆け上がった実例――第三位の御坂美琴、つまりは彼女自身の事なのだが――はあるが、無能力者(レベル0)から超能力者に至った例は聞いた事が無い。
 もしそんな快挙があったなら自分以上に有名な逸話となるだろう。今度は騙されないぞとばかりに、美琴は得意げに笑う。

「いや、これは本当の話だぞ。何せオレの能力は発動していないと身体測定(システムスキャン)でも観測出来ない類のものだったからな。自分で使い方に気づかなかったら、今でも無能力者だっただろうな、ぞっとしない話だ」

 身体測定の機材で観測出来ず、無能力者の烙印を押されるような能力などある筈が――とまで思考し、美琴はそんな巫山戯た能力に一つ心当たりがある事に気づいた。
 超能力者の放つ電撃を片手で消しながら、身体測定では無能力者判定だとのたまったヤツの顔が鮮やかに蘇る。

「……ねぇ、どんな能力も効かない能力を持つ男って都市伝説、知っている? それもさ、う、噂では無能力者(レベル0)らしいよ?」
「初耳だが、割と良く出来た胡散臭い話だね。能力を無効化する能力なんて、実際に能力を打ち消せない限り立証出来ないから、身体測定で観測出来ないのは納得出来る話だ。まぁ、もしそんな能力者がいたとしても、オレ達の能力を打ち消せるとは思えないがな」

 悠樹は話半分と言った感じで、真面目に受け止めていない。
 自分の能力の規模が規模なだけに、そんな存在など想定出来ないのだろう。……実際にこの眼にしなければ、美琴だって馬鹿な与太話だと一笑した事だろう。
 だが、現実に対面した彼女にとっては笑うに笑えない。

「いや、それが超能力者の能力も簡単に打ち消して――あ、いや、噂の中の話だから信憑性なんて全然無いけどっ! そ、そんなヤツが相手だったら、アンタはどうするかなぁって。あは、あははははっ……!」

 美琴は慌てながら訂正する。コイツに弱みを見せたらどうなるか解らない。
 幸いにも、悠樹は美琴の挙動不審を訝しげに見るものの、どうでも良い事扱いしているので深く追及しなかった。

「……拡大解釈すれば、その能力を無効化する能力者は能力しか打ち消せない訳だ。ならば能力での戦闘は無意味だろう。普通に殴ってボコる」
「……え、えーと、普通の喧嘩も物凄く強い場合は?」
「無手で叶わないなら文明の利器を使うまでだろ、スプレーとライターを用いた即席の火炎放射器とか鉄パイプとか、非殺傷のゴム弾とかが有効かな。……それにしてもヤケに具体的だな。そういう能力者、知っているの?」

 ぎくり、と美琴は内心焦る。
 言えない、絶対に言えない。自称『無能力者』に全戦全敗で負け越しているなんて死んでも言えない。
 その性根が歪に曲がっている男にバレたら最後、一ヶ月は笑いの種にされ、学園都市中に良い広められるかもしれない。
 いや、もしかしたら率先してアイツに戦いを挑みかねない。――別に二人が戦ってどうなろうが自分の知った事じゃないが、自分がアイツに挑む機会が減るのは本末転倒だと美琴は自分の中で必死に言い訳する。

「いやいや、全然心当たり無いわ! そんなヤツがいるなら会ってみたいなぁって思っただけよ!?」
「そうだな、本当にあらゆる能力を無効化出来るのか、全部試してやりたいものだ」

 美琴は傍らから聞けば非常に解り易いわざとらしい口調で誤魔化す。
 最初から真面目に受け止めていない悠樹はあっさり流し、寒気が出るほど凄惨な笑みを浮かべた。実際にそういう状況を想定したのだろうか?
 アイツの存在を知ったら、本当にやりかねない。というより、確実にやるだろう。人知れず不幸を払ってやったのだから感謝して欲しい、と美琴は内心愚痴る。そうなりそうになった原因は自分だが、お構いなしである。

「そろそろ勘定済ませるか。夜遅い事だし、寮まで送って行こうか?」
「必要無いわ。――へぇ、心配してくれるの?」
「無謀にも君に襲い掛かり、返り討ちにされる有象無象の雑魚が心配だな」

 まるで人を無差別に攻撃する危険人物か何かと勘違いしているのではないだろうかと美琴は眉をぴくりと動かす。
 悠樹は気怠そうに「これでも風紀委員なんだ」とポケットから腕章を取り出してひらひらと見せつける。

「そういえば常盤台の門限って何時なんだ? 結構良い時間だぞ」
「あ」

 常盤台の門限は八時半までであり、美琴が取り出したカエル型の携帯電話が示す時刻は無情にもそれを過ぎていた。




「……門限破り如きに超能力者(レベル5)の力がもう一つ必要とは、前代未聞だな」
「うるさいわね、アンタにも一因があるんだから黙って従う!」

 げんなりとした表情で悠樹は呟くが、美琴の怒気に吹き飛ばされる。理不尽だが、その原因の一端を担っただけに拒否出来ない。
 それに明日から大仕事に取り掛かるのに、パートナーが門限破りの罰で来れなくなったとなれば本末転倒も良い処である。

「大体、門限気にしてんなら時間知らせてくれたら良かったのに!」
「それは無理な注文だな。オレのオンボロ携帯は何故だか知らんが、良く時間がズレる」

 悠樹はおもむろに赤一色の傷一つ無い新品じみた携帯を取り出し、外付けの時刻の部分を美琴の眼下に突き出す。
 デシタルの表示に示された時刻は四時過ぎ。彼の言う通り、七時間以上もズレている。

「何よそんなあからさまな不良品、さっさと買い換えれば良いじゃない!」
「面倒だ。それに現状でも大して困る事は無い」
「そのせいで私が困ってるんだけどっ!」

 二人の間には海より深く山より大きい認識の違いがあった。悠樹は小事と断じて余裕なのに対し、今の美琴には余裕のよの字もない。
 たかが門限破りぐらい、見つからなければ大した事あるまいに。美琴が何に脅威を抱いているのか、悠樹には未だに理解出来なかった。

「……アンタはあの寮監を知らないから言えるのよ! 私も黒子も、屋上から忍んでも下水道からコソコソ侵入しても悉く捕まったんだから!」
「もっと自身の能力を有効活用すれば良いのに。……てか、そんな事までやるのか今時のお嬢様は。大能力の空間移動能力者と超能力の発電能力者がいながら普通の人間に遅れを取るとは情けない」
「だから、あの人は普通じゃないのよ!」

 能力開発を受けていない、ただの寮監に何を恐れるのだか。悠樹は美琴の評価を見直す必要があるのではないかと思案する。
 間もなく常盤台の寮が見える間近まで来ているのに、二人の認識の違いは埋めれずにいた。

「全く大袈裟なんだよ。ま、このオレが協力するからには――!?」

 悠樹は完全に舐め切った状態で、建物の影から寮を覗き込んだが、すぐさま顔を引っ込める。
 先程の緩んだ様子が完全に消え去り、額からは冷や汗が流れ落ちる。まるで見てはいけないモノを見てしまったような感じだった。

「え? ちょっと、どうしたのよ?」
「……まさか、この距離で見つかるとはな」

 正確に測定した事は無いが、赤坂悠樹の視力は能力とは関係無しにそれなり以上に良い。
 100メートル離れた場所でも細部まで見分けれるほど卓越しているが――今回の場合、常盤台の寮の二階にいたとある人物と在り得ない事に眼が合ってしまった。
 あの今時のフレームが小さい眼鏡を掛けた女性が寮監なのだろうか、そんな容姿の事はどうでも良いぐらいの脅威を感じた。
 理由無く、直感のみでただの大人に脅威を覚えたのは初めての経験だった。裏の事情でも、それほど逸脱した大人に遭遇した事は無かった。

「すぐさま顔を引っ込めたが、明らかに警戒されるな。これじゃ完全に不審人物だし。君じゃなくて幸いだったと言うべきか」
「良く無いわよ! どうすんのよ!?」

 美琴が涙目でテンパる中、悠樹は美琴を見捨てる事を視野に入れて考え直す。
 果たしてあれの監視網を潜り抜ける事が出来るだろうか。何の前兆無く覗き込んだ自分がこの距離で発見されたのだ、目視以外の探知能力も鋭い可能性がある。
 だが、何の能力も無い人間が――否、あれは能力とかそういう小細工など通用しそうにない。あの寮監らしき女性は、悠樹に出し抜ける想像すら浮かばないほどの危機感を初見で与えた。
 下手な侵入工作をして自分まで巻き添えになっては、『幻想御手』の事件の進退に影響が出る。此処は美琴を見捨てて自分一人でも――いや、超能力者という最大戦力を手放すなど絶対に在り得ない。

「正攻法で攻略しよう。君の能力で此処一帯を停電させられるか?」
「それの何処が正攻法なのよ!? ……そりゃ、出来るか出来ないか問われれば出来るけど、何処まで被害が広がるか私も想像出来ないよ?」
「使えないヤツだな」
「言うに事欠いてそれぇ!? そういうアンタはどうなのよ!」
「出来る事は出来るが、演算が面倒過ぎる。工程を簡略化させると、君がやるより被害がデカくなるだろうな。それじゃ明日に支障が出る。……OKOK、それじゃ搦め手で行こう」

 そう結論付けた悠樹はこの場から立ち去り、キョロキョロと周囲を見回す。
 後を追う美琴は「アンタの成す事全て、いつも外道じみた搦め手じゃ?」という素朴な疑問が脳裏に過ぎったが、今頼れる者は彼だけなので黙る事にする。
 お目当てのモノを見つけた悠樹は早足になる。立ち止まった先には何処でもある自動販売機が鎮座していた。

「前準備に必要なのはミネラルウォーター、四本ぐらいで十分かな。ただの水如きに金払うとか、葉っぱが小判に変わるぐらいの詐欺だろ」

 そう愚痴りながら、悠樹は千円札を投入して矢継ぎ早にペットボトルのミネラルウォーターを買い続ける。

「それ、何に使うの?」

 美琴が興味津々と覗き込む中、悠樹は買ったミネラルウォーターを地面に置いた間々、ポケットから一枚の紙切れを取り出す。
 名刺みたいだが、美琴の視点からでは名前などは見えない。
 悠樹は右手で血管が浮き出んばかりに強く掴む。そんな事したら紙がくしゃくしゃになってしまうという美琴の危惧とは裏腹に、紙は鉄板の如く不動だった。
 念動力の一種で硬化したのだろうか――そう思った刹那、悠樹は霞むような速度でそれを振るい、ペットボトルの上部分を見事に一刀両断した。その斬り口は鋭利な刃物で切断したが如く綺麗なものだった。

「天岩戸の逸話は知ってるか?」
「古事記の?」
「そう、それ。細かい解釈や諸説は無視して、大筋の話は破壊不可能で侵入不可能という難攻不落の要塞に引き篭もった神様を引き摺り出す為にあれこれ試行錯誤するものだ」

 そんなバイオレンスな話だったけ、と美琴が疑問符を浮かべる。
 その話とペットボトルの開け口を大きくする事がどう結びつくのだろうか。悠樹は淡々と残り三本のペットボトルの上部分を斬り捨てる。

「その話のオチは外側からはどうにもならないから、内側の引き篭もった張本人に開けさせるという逆転の発想だ。今回の作戦はその故事に倣う」

 そう言った悠樹は悪寒が走るほど爽やかな笑顔を浮かべる。
 何かヤバイ――美琴がその危機感から行動に移る前に、悠樹は四つのペットボトルを一掴みし、流れるような動作で美琴にぶっ掛けた。その為に水の出口を広げたと言わんばかりに。

「うわっ!? いきなり何すんのよッ!」

 全身ずぶ濡れになった美琴は怒りで頭から激しい電撃を垂れ流す。
 こんな状況で無闇に能力を使用しては誰彼構わず感電しそうだが、当の本人は自分の電撃如きでは何ともないようだ。

「何って、今からするんだよ」

 怒り猛る美琴を他所に、空のペットボトルを投げ捨てた悠樹は小気味良く指を鳴らした。
 途端、遠くから耳障りな音が鳴り響く。危機感を常に煽るベルの音は、寮の方角からだった。続いて人の悲鳴と混乱が此処まで届く。
 嫌な予感どころの話ではない。前に悠樹が指を鳴らした時は、使えないと思っていた電撃を四方八方からお見舞いされたのだ。それと同じぐらいの事が寮で起こったと見て間違い無いだろう。

「アンタまさか……!?」
「おいおい、人を勝手に放火魔扱いするなよ。単純に火災警報器を誤作動させただけさ。他の生徒には迷惑極まりないだろうが、突発的な避難訓練と思って諦めて貰おう」

 此処まで説明されれば何故悠樹が自分を水浸しにしたのか、納得出来ないが理解は出来る。
 火災警報器が作動すれば、スプリンクラーから自動的に水が噴射され、外に避難してきた生徒一同は全員水浸しだろう。
 つまりはその騒ぎに乗じて、中に混ざって門限破りを有耶無耶にするのが、彼のいう搦め手の全貌なのだろう。

「……一応風紀委員なんだから他人の迷惑を少しは省みなさいよ」
「引かないし、媚びないし、省みない。学園都市全土が停電になって復旧作業に一日以上の時間が掛かるよりはマシだろう? 大事の前の小事だ」

 威張るように悠樹は笑いながら断言する。
 本当に彼という人間は手段も過程も方法も選ばない。敵に回せば厄介極まるが、味方でも安心出来ない。

「木の葉を隠すには森の中が一番だ。上手く合流して誤魔化せ。あと風邪引くなよ?」
「……水をぶっ掛けた張本人が言う台詞じゃないわね」

 美琴は迷惑を被った他の生徒達に心の中で謝りつつ、くしゅん、と小さなくしゃみをするのだった。




 七月二十日、学生にとって記念すべき夏休み初日、非常に爽やかな朝だった。
 これから補習がある事さえ目を瞑れば、不幸まみれの自分では考えられないほど平穏な朝である。
 全くもって信じられないが、夏休みだからという事で神様もほんの少しだけ幸福を分けてくれたのだろう。きっとそうに違いない。いつも不幸な分、少しくらい見返りがあっても良いぐらいだ。

「いーい天気だし、布団でも干しとくかな!」

 思わずそんな事を呟いてしまうぐらい、彼こと上条当麻の気持ちは今日の天気が如く晴れ晴れとしていた。
 普段なら、夕立ちとかでずぶ濡れになってしまうのでは、などと勘繰ってしまうが、今日は大丈夫だろうと無根拠に信じる。
 ベッドの上の布団を両手で抱え、鼻歌を囀りながら網戸を足で開き、ベランダに向かう。
 朝飯は余りのモノの野菜を適当に炒めれば良いだろう。昨日買った焼きそばパンもある事だし、朝食べる物にしては十分すぎる。
 当麻は手際良くベランダに布団を干し、早速食事の準備に取り掛かる。時間も十分余裕があり、久しぶりに幸先良い一日だと当麻は日常の小さな幸せを噛み締めた。


 ――その運命の日、科学と魔術の道は交差しなかった。







[10137] 七月二十日(1)
Name: 咲夜泪◆ae045239 ID:ceb974ce
Date: 2010/01/09 02:32




「おはよう、実に爽やかな朝だな御坂美琴」

 早朝、柵川中学の一室に存在する第一七七支部の前にて、赤坂悠樹は待ち合わせの時間通り訪れる。
 いつもの涼しそうなワイシャツ姿ではなく、今日は長点上機学園指定のブレザーを上から羽織っている。負傷して襷掛けに固定している左腕も無事な右腕も袖を通していない当たり、通常の枠組みに嵌らない彼らしいと言えなくもない。
 後ろには同じく長点上機学園出身と思われる風紀委員の少女が重そうな荷物を両手にぶら下げていた。

「アンタのブレザー姿、初めて見たわ」
「……夏だと暑いし重いわの二重苦で着たくないんだよ」
「重い?」

 何かおかしな事を聞いたが、美琴はとりあえず保留する事にした。
 それよりも、後ろで目が充血し、更には目元に隈が目立つ、丸縁の眼鏡を掛けた女の人の方が気になった。

「えと、其方の人は?」
「……ああ、貴女が御坂美琴さんですねぇ~、噂は兼ね兼ね聞いておりますぅ……。初めまして、私は風紀委員の雨宮園子です~……」

 低血圧なのか、雨宮園子と名乗った女生徒は物凄く眠たそうに受け答える。
 意識の半分以上が夢の中に逝っている感じで、今にも倒れてしまいそうな危うさが漂っていた。
 この人は大丈夫なのか、美琴が心配する最中、悠樹は無視して第一七七支部の扉を開けた。

「さっさと中に入るぞ。最初にして最難関なんだから気張らないとな」


 七月二十日(1)


 前日、休日の者を含む全ての風紀委員に所属する支部に集まるよう緊急の召集令が下った。
 この異例の事態に誰もが首を傾げた。風紀委員を総動員する機会など、学園都市に所属する全学校が合同開催する超大規模な体育祭、大覇星祭を除けば皆無である。
 そして彼等を更に困惑の渦に陥れたのが、これを実行した首謀者の名前だった。

「初見となる、赤坂悠樹だ。知っている者もいるかもしれないが、超能力者(レベル5)の末席に名を連ねる者でもある」

 ブリーフィングに使う比較的大きな一室にて、赤坂悠樹は神託を語る神父のように威厳を持って、人の意識を惹き付けるように語る。
 その名を聞いた途端、第一七七支部に集まった風紀委員はざわめく。風紀委員の中で唯一の超能力者である彼の名は、良い意味でも悪い意味でも有名だった。

「――諸君等も最近多発する『幻想御手』事件については存知だと思う。現物は既に確保し、専門家に解析依頼を出したものの、未だ効果を実証出来ないが故に少数の者しか動かせず、事件に対する対応は不十分極まりない」

 普段の彼を知る御坂美琴から見れば、演技100%の芝居掛かったものでしかないが、それを差し引いても今の彼の振る舞いには指導者としての風格があった。

「学園都市の上層部は重い腰を上げようとしない。この傍観がどれだけ被害を拡大させるかは諸君等にも容易に想像出来るだろう。――それを良しとしないのであれば、私に協力して欲しい」

 気づけば、会場中の視線が赤坂悠樹に釘付けになっていた。
 こういう大衆を魅了して引き寄せる資質をカリスマと呼ぶらしいが、美琴は詐欺紛いの集団商法みたいだと率直に思う。
 彼の多重能力の中には精神に作用する催眠系のものでもあるのだろうか、真剣に疑う。

「既に『幻想御手』は第七学区に留まらず、全学区にまで及んでいる。各支部が独立して動いているだけでは対処出来まい。――よって、全学区の支部の指揮系統を一元化し、一丸となって対処に当たるのが最善であると私は提案する」

 風紀委員の性質として、共通する学区内での支部の連携はある程度機能しているが、一つ学区を隔てればほぼ完全に断絶していると言って良い状況である。
 学園都市に蔓延する『幻想御手』にしても各支部毎に情報の一律化がなされておらず、捜査状況に差が生じている。
 その場限りの小さな事件ならばそれでも構わないが、長丁場が予想される大きな事件では致命的と呼べる。
 確かに、それが現状で事件の進展を妨げる要因であるのは理解出来る。だが同時に、幾つもの問題を孕んでいる事も――。

「……幾つか質問があります。この提案は貴方一人の独断ですか? 警備員(アンチスキル)への通達は?」
「形式上はそうなる。故に生じた責任の所在は全て私にある。二つ目の質問だが、我々が組織立って行動するのに警備員の許可は必要無い。それに彼等の性質と現在の多忙振りから、協同はほぼ不可能だろうしな」

 眼鏡の女子生徒の質問に、悠樹は淀みなく答えるが、周囲の風紀委員の不安は払拭されず、尚も増すばかりである。
 そもそも風紀委員は学生で組織されたものである。
 子供を危険にさらす訳にはいかない、危険を蹴散らすだけの力を子供に持たせないという二つの理由から、基本的に重要な任務には就かない。
 それが教員で構成された警備員(アンチスキル)の言い分であり、風紀委員(ジャッジメント)の限界でもある。
 赤坂悠樹の提案は確かに有効だろうが、風紀委員の領分から逸脱する越権行為に過ぎない。

(……う、話の雲行きが怪しく――)

 風紀委員をやっている者ならば、誰しも一度はぶつかる壁であり、容易く超えられるものではない。
 組織に身を置くからには組織のルールに従わなければならない。それが出来ない者に、街の秩序など守れる筈も無い。

「風紀委員の正義の範囲は校内のみで、校外及び他の学区には適応されない。そう考える者は早々に立ち去ってくれ。邪魔なだけだ」

 悠樹は痛烈に言い捨てる。向かいの席には「なんだと!?」と反射的に食いかかる者もおり、何で此処で挑発するような発言をするんだと美琴は慌てに慌てる。

「……されども、私は信じている。諸君等の抱く尊い理念が、そんな二流三流のものでは無いと。そして今一度思い出して欲しい。諸君等が何の為に風紀委員に志願したのかを――」

 そう、誰もが一度は望んでいただろう。頭の固い大人達が構築したくだらないルールとは関係無しに、困っている人を助けたいと、危険に晒される誰かを救いたいと、大事な人を守りたいと。
 その志があるのだからこそ、彼等は風紀委員を続けている。
 結局立ち去る者はおらず、各々が浮かべる決意に満ちた表情に悠樹は満足気に頷いた。
 だがその悠樹の表情も、美琴の視点からには「計画通り」というような微笑ましいぐらい悪どい笑顔にしか見えない。

「諸君等の答えは聞かせて貰った。既に大半の支部が賛同し、協同している。言い忘れたが、名誉ある捜査本部はこの第一七七支部だ」




「久しぶりですね。貴方があの第八位とは思っていなかったわ」
「虚空爆破(グラビトン)事件以来だね。固法美偉、だったかな」
「あら、名乗った覚えは無い筈だけど?」
「美人の名前は基本的に覚える事にしている」

 ミーティングが終わり、三つの部門に分けられた風紀委員達が慌しく行動する中、赤坂悠樹は先程質問をした眼鏡の女子生徒と和やかに会話している。
 似合わない。物凄く似合わない。この場に黒子がいれば同意しただろうが、いないので一人きりである。
 唯一同意出来そうな初春飾利も、パソコンの用意などで慌しく働いているだけに、喋り相手がいなかった。

「よぉ、あの時は助かったぜ。……言いそびれていたが、ありがとよ」
「気にするな、出来る事をしたまでだ。今日は宜しく頼む」

 隣にいた男子生徒もやや照れた様子で謝礼し、悠樹は自ら右手を差し出し、友好的に握手を交わす。
 仮にも超能力者なのだ、優等生の外面を被る事ぐらい容易いだろう。だが、それでも口に出さずにはいられなかった。

「……凄く似合わない」
「自覚しているよ。だから扇動者なんてやりたくなかったんだ」
「リーダーとか指導者じゃないのね、それならアンタらしいわ……」

 漸く人だかりから抜け、御坂美琴の下に訪れた悠樹は取り付けた仮面を早速脱ぎ捨てて大きなため息を零す。
 限界まで弛緩して「慣れない事はするもんではないな」と愚痴る。いつも通りの彼だった。

「それで、リーダーとしての仕事は良いの?」
「他の支部には優秀な配下を送ったからな、後はふんぞり返る事と全ての責任を取る事ぐらいだ。緊急時は別だがな」

 責任を取る、その事に対して御坂美琴は敏感に反応する。
 今回の組織的な行動が問題視された場合、赤坂悠樹の独断専行として片付けられ、他の風紀委員は「力尽くで従わせられて仕方無く動いた」と見捨てさせる予定である。

「……大丈夫なの?」
「別に、腕章一つ剥奪されるぐらい痛くも痒くもない。そんな事の為に風紀委員やっている訳じゃないし、いざとなれば踏み倒せば良い」

 本人は風紀委員の資格を剥奪される事を何でもないかのように振舞うが、全ての代償を背負い、相応の覚悟を持って挑んでいる。
 それだけに、今回の本気具合を見て取れる。

「……そう。それにしてもこんなマニュアルまで一晩で作っちゃうとは」
「ああ、彼女が一晩でやってくれたぜ」

 美琴の手に持つしおりは先程の会議で全員に配布されたものである。
 100ページに渡って『幻想御手』の事件について記され、基本的な事から学生寮で生徒の安否を確認する際のマニュアル、『幻想御手』の所有者を摘発する際のマニュアル、支部で対応しつつバックアップする際のマニュアルなど、ほぼ完璧に網羅されている。
 こんな大層なものを一晩で作ったから、あの長点上機学園の風紀委員、雨宮園子は亡者のような目をしていたのだろう。ちなみに彼女は現在、限界だったのか、仮眠室で睡眠を取っている。

「それにしても凄いな」
「……凄いね、ホント」

 二人の超能力者が揃って感嘆する。
 その視線の先にあったのは、複数のパソコンの画面に囲まれ、次々に送信される膨大な情報を的確に対処する初春飾利の姿だった。

「こうでもしないと処理が追い付かないのです」

 十台近くのパソコンの画面を同時に認識に、初春飾利は余裕をたっぷり感じさせる挙動で動かしていく。

「第一七七支部には『守護神(ゴールキーパー)』と呼ばれる凄腕のハッカーがいると噂されていたが、いやはや中々どうしているものだな。その情報収集と処理能力なら長点上機学園でも通用するだろうよ、初春飾利」
「あ、名前覚えていたんですね。呼ばれたの、初めてな気がします」

 初春飾利は嬉しげに微笑むが、美琴はどうにも疑いの目を向けてしまう。
 彼が人の名前を普段まともに呼ばないのは意図的では無いだろうか。先程の演説もとい扇動みたいに、飴と鞭を使い分けているような印象を受ける。

「有能な人材は基本的に覚えているさ、後で扱き使う為にな」
「その割には黒子の名前呼ばないわね」
「呼ぶかどうかは俺の勝手だ」

 ジト目になって美琴に、悠樹は不敵な笑顔で返す。
 その例外がわざと名前を間違えている白井黒子のみだが、案外彼女の事を特別に気に入っているのかもしれない。

「それで、私は何をすれば良いの? ふふんっ、何でもこなしてみせるわ。矢でも鉄砲でも持って来なさいっ!」
「基本的に待機で」
「ちょ、何でよ!?」

 いきなり出鼻を挫かれ、美琴は悠樹に食って掛かる。

「言うなれば君は最終兵器だ。瑣末な事など他の者に任せるが良い。状況が出来上がって最終段階に移行した時、とりを飾るのは君だ。今は英気を養ってくれたまえ」
「……んー、何か引っ掛かる言い方ね」

 褒めているようだが、どうにも裏がありそうで素直に喜べない。美琴は内心訝しんだ。
 勿論、これは建前である。御坂美琴はどう足掻いても一般人であり、その能力は知れ渡っているので彼女が風紀委員じゃない事を誤魔化すのは不可能だろう。
 それが問題になるのは確実なので、故に使えるのは最後だけというのが本音である。事件さえ解決してしまえば、後の問題など些事だと悠樹は考える。

「それでも何かやりたいなら、学園都市で三番目に優秀な頭脳を借りるかね」
「へ?」

 悠樹はパソコンの画面とキーボードを一台分掻っ払い、自身の眼下に設置する。
 初春飾利が人間の出来る範疇で動かしているに対し、悠樹は目にも留まらぬ速度で必要なファイルを次々と展開していく。

「今まで入手した情報を徹底分析して『幻想御手』の開発者に至る。新情報は秒単位で増えるから、後はオレ達次第だ」




「そもそも『幻想御手』は一体何の目的で無料配布されていたのだろうか? 開発者に何らかの利点があるのは確実だが、能力者の強度の向上がそれだとは考え辛い。副作用の昏睡にしても――いや、本当に副作用なのか?」
「どういう事よ? 能力の強度が上がる代わりに数日以内に昏倒するなんて、副作用以外何物でも無いでしょ」

 二時間後、二人の超能力者は早速行き詰まっていた。
 一応、学生寮で昏倒していた生徒を早期発見したり、『幻想御手』の所有者を補導したりなど、各支部から続々と成果が挙がっているが、開発者に至る情報は未だに不足していた。

「発想の視点を変える必要があるな。もしかしたら能力者の強度の向上が副産物的なもので、昏睡状態にさせる事が目的だとすれば――推測の材料が足りないな」
「報告ばっかで新情報、全然無いしねぇ……」

 幾ら優秀な頭脳を持っていても、必要な情報が無ければ正確な答えを演算出来無いのは当然である。
 悠樹は眠たそうに背伸びし、大きな欠伸をする。二、三日中に解決すると豪語したが、この調子では長引き兼ねない。

「赤坂さーん、長点上機学園の風紀委員から重要ファイルが転送されましたよー」
「お、漸く来たか。こっちに送信してくれ」

 やる気を失い掛けた悠樹を歓喜させたのは初春飾利からの一報だった。

「これ何の統計?」
「『幻想御手』を使用してから昏睡に至るまでの統計だ。強度の推移も解る範囲で調べさせた。本人から聞けなかった分は周囲の聞き込みで補っているがな」
「なるほど、此処から何か共通点や法則を見つける、の、ね?」

 ・介旅初矢、能力は量子変速、強度は異能力(レベル2)、七月十日に『幻想御手』を使用し、大能力(レベル4)まで向上し、十九日未明に意識不明となる。
 ・釧路帷子、能力は量子変速、強度は大能力(レベル4)、向上しても超能力(レベル5)には至らず、十日未明に意識不明となる。使用日は不明である。
 ・丘原燎多、能力は発火能力、強度は低能力(レベル1)、七月十二日に使用、強能力(レベル3)まで向上し、十八日未明に意識不明となる。
 ・岡林光謙、能力は発火能力、強度は大能力(レベル4)、能力が向上しても超能力(レベル5)に至らず、使用日は七月五日以前と推測され、七月十七日未明に意識不明となる。
 ・重福省帆、能力は視覚阻害(ダミーチェック)、強度は異能力(レベル2)、強能力(レベル3)まで向上、七月十三日に使用、十七日に意識不明となる。

 以下、延々と続くものの、全体を通して共通点の「きょ」の字も見当たらなかった。

「……使用してから昏倒するまでの日数も、向上する強度も、全部バラバラじゃない。共通点なんて何一つ見当たらないわよ」
「……完全に空振りか。期待していただけに残念だ」

 悠樹と美琴は精魂尽きて、同時にダウンする。
 一旦、休憩入れて思考の入れ替えをしようとした刹那、支部の扉から風紀委員の腕章を付けない女子学生が唐突に現れた。

「こんにちはー! 初春はいますかー……って、御坂さんに赤坂さんもいたんですか」

 その女子学生、佐天涙子の視線は疲れ果てた美琴と悠樹に向けられ、次に壁際に配置されたホワイトボートに向けられる。
 誰が書いたのかは悠樹とて与り知らぬ処だが、其処にはデカデカと『幻想御手対策本部』と書かれていた。
 一般人が入って来れるなど想定外だっただけに、悠樹は内心舌打ちした。

「……え? 『幻想御手』ってマジモンなんですか?」
「……そういう名称の音声ファイルで、実際に能力が向上すると思われる代物は実在しているな。何なら試してみるか? 数日以内に確実に昏倒する羽目になるがな」

 悠樹は「実際に試してくれる者がいたら何か解るかもしれんな」と意地悪く笑い、涙子は慌てて「いえいえ、全力で遠慮しときます!」と首を振った。

「ところで佐天涙子、今日の予定は何かあるかな?」
「え? いやぁ、そんな大それたものは無いですけど……」
「そうか、それは良かった。すまないが、今日一日身柄を拘束させて貰うよ。『幻想御手』の存在を外部に漏らす訳にはいかないからな。――ああ、君がそういう人間ではないと思うが念の為だ、今日一日は諦めてくれ」

 その時の悠樹の眼は本気と書いてマジと読むほど危ういものだった、と後に涙子は語る。




「へぇ、強度(レベル)が上がっても絶対に昏睡しちゃうんじゃ意味無いよね。やっぱりそんな都合の良いアイテムは無いかぁ」
「そうですよ、ズルしても良い事なんて何もありません」

 泣き言に近い強がりを涙子は平然を装いながら言い、返って来た初春飾利の言葉が心に突き刺さって痛い。
 もしも万が一に自分が『幻想御手』を見つけていたら、多分使ってしまって昏睡状態になっていたんだろうと思う。
 そしたらこの表にも自分の名前が乗っていただろう。無能力(レベル0)から低能力(レベル1)か異能力(レベル2)、魅力的だが恢復の見込みが見られない昏睡なんて真っ平御免である。

「だよねぇ。……ねぇねぇ、初春。気になったんだけど、これって日時が進むほど昏睡するまでの時間短いけど何で?」
「え? 佐天さん今なんと――」

「――何?」

 涙子の何気無い言葉に反応したのは、休憩ついでにコーヒーを飲んでいた赤坂悠樹だった。

「初春飾利。すまないが、『幻想御手』を使用した日時が古い順に並べてくれ」
「は、はい!」
「え? なになに、何か解ったの?」

 迅速に駆けつけた悠樹に、更にはソファでぐったりしていた御坂美琴も駆けつける。
 涙子は自分は何がまずい事を言っただろうか、少し不安になる。

「これはお手柄かもしれないぞ、佐天涙子。誇って良い、超能力者二人が見逃していた事を君が気づいたんだから」

 やっと進展の糸口を掴み、悠樹は生き生きとする。
 そして全て並べ直した結果、見えなかった法則が明確に見えてきた。

「使用した日時が古いほど昏睡するまでの時間が長くて、新しいほど昏睡する日数が少ない?」

 まるで『幻想御手』の性能が日々向上しているようだと、美琴は思う。
 十日以前に使用した者は昏睡に至るまで一週間から二週間以上の時間を必要としたが、十二日や十三日ぐらいに使用した者は一週間未満で昏睡している。

「……使用者が多いほど昏睡までの時間が短い? という事は『幻想御手』は全体で一つ、つまりは繋がっている? リンクしているというのか? 複数の能力者でネットワークを構築していると言うのか? そんなの可能――いや、実例が一つあるか。人間の脳で代用した桁外れの性能を誇る並列コンピューターなんて『樹形図の設計者(ツリーダイアグラム)』に匹敵しかねな――」

 自分の思考を纏めるように呟いてた悠樹の口が止まる。
 どうして今の今まで其処に気付けなかったのか、自分の愚鈍さを呪いたくなる。
 狂気の実験の副産物である『あのネットワーク』の詳細を、事前に知っている自分なら真っ先に辿り着けた結論だろうに、と。

「……すまないが、席を外さして貰うよ」

 悠樹はそれだけ言い残し、美琴や涙子が訝しむ中、一目散に第一七七支部の外に出る。
 自身の携帯を取り出し、登録されていない番号を淀みなく押す。コールは七回、電話の相手は限界まで渋りながら出た。

「赤坂悠樹です。お久し振りですね」
『……何のようだ』
「いえいえ、少しばかり噂を小耳を挟みましてね。まだ続けているそうじゃないですか」

 具体的な言葉を避け、悠樹は惚けた風に喋る。
 電話から重苦しい沈黙が漂う。時折聞こえる荒い息遣いから、相手の精神状態が手に取るように分析出来る。
 これだから自身の保身にしか興味の無い老人は扱い易い。

『……さて、何の事だか』
「御園製薬・第八臨床検査研究所、霞ヶ原大学付属・AIM拡散力場実験センター、他には――」
『もういい! 何が目的だ……!』

 電話の相手が声を荒らげて激昂する中、悠樹は腹の底から嘲笑う。
 赤坂悠樹の事を悪魔のようだと恐れ戦くだろうが、それは間違いだ。悪魔の契約は内容こそ酷いものの、良くも悪くも契約内容に忠実だ。
 だが、赤坂悠樹の交渉内容は一方的な搾取だ。それに都合次第では簡単に反故する。その悪魔を凌駕する悪辣さは人間らしさの極限に他ならない。

「此処一年で『樹形図の設計者(ツリーダイアグラム)』の使用を要請し、複数回に渡って却下された人物と、その使用用途を口頭で教えて頂きたい。貴方の権限なら、それぐらい容易い事でしょう?」

 最高に嫌味たらしく、相手の尊厳と威厳を踏み躙りながら悠樹は笑った。
 電話の内容もそうだが、今の自分の顔は、正義を絶対的に盲信する他の風紀委員達には見せられない――。





[10137] 七月二十日(2)
Name: 咲夜泪◆ae045239 ID:ceb974ce
Date: 2010/01/14 03:01




「赤坂さん、どうしたんですかね?」

 花飾りだらけの頭に疑問符を浮かべながら、初春飾利は首を傾げる。
 何かぶつぶつと言いながら、重要な何かに気づいた素振りを見せたが、理由云々は本人が帰って来るまで判明する事は無いだろう。
 重要なのは、能力の強度を上げるという効果を持つとされた『幻想御手』がリンクしている事実――否、使用者を何らかの手段で繋げる事が『幻想御手』の本当の効果だったのかもしれない。

(能力者の強度の向上が副産物ってのは、結構良い線いっていたのかな? じゃあ、アレと何の関係が――?)

「あの、赤坂さんが最後に言っていた『樹形図の設計者(ツリーダイアグラム)』って、学園都市最高のスーパーコンピューターですよね?」

 美琴が内心疑問に思った時、佐天涙子が話題の中に丁度出した。

「ええ、学園都市で一番の、だから世界最高の超高度並列演算器(アブソリュートシュミレーター)よ。今後二十五年は誰にも追い抜けないと言われた代物ね」

 彼女達の背後から現れた固法美偉は親切丁寧に解説する。
 学園都市が打ち上げた人工衛星『おりひめⅠ号』に搭載された『樹形図の設計者』は学園都市の科学の粋を結集させたスーパーコンピューターであり、正しいデータさえ入力すれば完全な未来予測まで可能とも言われる。
 事実、『樹形図の設計者』によって行われる天気予報に一分の狂いも無く、確定事項として扱われている。

(――『幻想御手』は『樹形図の設計者』の代用品だった? 確かに脳波を一定に保てるなら、その人達と脳を繋ぐネットワークのようなものを構築出来るかもしれない)

 だが、そんな事をすれば人体の活動に大きな影響が出る。――それこそ、急に倒れ、昏睡状態になるのだろう。

(……うーん、一つ判明しただけで随分と前進したけど、開発者までは届かないなぁ)

 何しろ『樹形図の設計者』の代用品を必要とした開発者の意図が掴めない。
 美琴の思考はまたもや袋小路に陥り、ちぐはぐとなる。こうなれば、何か気づいた悠樹に期待するしかない。
 それから数分足らずで帰って来た赤坂悠樹は見るからに不機嫌そうに眉を顰めながら、ぶっきら坊に言った。

「――開発者の目星が付いた。物的証拠は無いが、ほぼ確定だ」

 期待以上の爆弾発言に、「えぇ!?」という驚愕の叫びが複数重なる。

「即座に確保するか、証拠の方を固めるか、悩むな」
「流石に証拠無しでの確保は問題あるわ。……いつぞやの時のように現行犯逮捕は無理ですし」

 固法美偉は苦笑しながら釘を刺す。今回は『幻想御手』の現物を暴力と共に突き付ける訳にはいかないだろう。
 美偉の言葉を悠樹は軽く流したが、実際は迷っていた。――己の勘に従うのならば、真っ先に身柄を確保すべきだ。不用意に時間を与えるべきでないと警鐘を鳴らしている。
 万が一、億に一つも無いと思うが、もしも冤罪だったなら「ごめんなさい、間違ってました」と笑って済む問題だ。其処の意識については、他の風紀委員と隔絶している。
 だが、証拠を固める方にも利点がある。いざという時の保険も作れるし、証拠さえ揃えて突き付ければ多忙の警備員とて動かざるを得ない。一番面倒な工程を押し付けられる事は魅力的である。

「御坂美琴、一緒に来てくれ。此処は固法美偉、貴方にお願いする。それと初春飾利は木山春生の経歴について徹底的に洗ってくれ」

 悠樹が容疑者筆頭の名を出した途端、御坂美琴の顔色が一変する。

「ちょっと待ってよ。何で其処で木山先生の名前が出るのよ!」
「……個人的に何かあったのか? まぁいい。現時点で話すのは無意味だ。今の段階では何を言っても仮定に過ぎないからな」

 悠樹は酷く気怠げに、さも面倒そうに、今までと違って気乗りしない顔で言う。
 先程まで意欲的で積極的だっただけに、何故此処まで悠樹の様子が急変したのか、美琴は首を傾げた。
 普通、追い続けていた犯人が判明したなら、歓喜の一つや二つあるだろうに。それは真逆の反応を示す当たり、何かあったのだろうか?

「……で、何処に行くの?」


 七月二十日(2)


「……全く、君は僕の事を青いネコ型ロボットと勘違いしてるんじゃないかい?」
「違うのですか? てっきりそういう類のものを目指しているのだと思っていましたが」

 カエル顔の医者は呆れながら、露骨に惚ける赤坂悠樹の要請を淡々と受け入れる。

(リアルゲコ太……!? いやいや、今はそれどころじゃなくてっ!)

 パソコンの画面に釘付けの二人の後ろから、御坂美琴はカエル顔の医者を写メで撮りたいとうずうずしているのは別の話である。

「……『幻想御手』の患者の脳波に共通するパターンを探るのはとりあえず置いといて、何でアンタ自身の脳波を率先して調べるのよ?」
「ちょっとした保険さ。使わないに越した事は無いがな」

 振り向く事無く、悠樹は淡々と画面に集中する。
 まるで一目で暗記せんが如く一心不乱の集中心だっただけに、美琴は色々と言いたい事があったが口を塞ぐ。
 この病院に来るまでの道中でも、悠樹から殆ど説明がされていないので一人置いてきぼり状態だった。

「こういう人の特定は君達『風紀委員』の仕事だと思うのだがね?」
「昏睡状態に陥った患者の治療は医者の仕事だと思いますが?」
「やれやれ。相変わらず医者使いの荒い患者だね、君は?」

 傲慢不遜が板に付いたコイツでも普通に目上の者に敬語を使う事あるんだね、と不思議そうに眺めていた美琴だが、カエル顔の医者の発言に少し引っ掛かりを覚える。

「患者?」
「良く世話になるからな。この腕とか」

 悠樹はギプスで固められた左腕を少し動かし、美琴に見せつける。

(良く世話になるって事は、結構な頻度で怪我している? コイツがそんなにヘマ踏むかな?)

 仮にも風紀委員、そういう危険な事態に巻き込まれる機会は一般生徒より多いだろうが、自分と同じ超能力者が他の格下相手に遅れを取る筈が無い。
 持病か何かで病院に通う機会が多いのでは、と思い浮かび、美琴は即座に否定する。コイツのキャラはそんな病人属性とはかけ離れていると内心苦笑した。
 解析が進み、余り時間を掛けずに植物患者に共通する脳波のパターンを持つ人物が特定された。

「やはり、木山春生か」

 赤坂悠樹は少し残念そうに呟いた。
 御坂美琴も動かぬ証拠を見せつけられ、何も言えなくなる。過去に木山春生と会った機会は二度あったが、すぐに服を脱ぎ出す変わった人間なれども、こんな事件を起こすような悪人には見えなかった。
 何はともあれ、必要な証拠は出揃った。学園都市全土を巻き込んだ事件は大詰めを迎える――。




「後は警備員にこの動かぬ証拠を突き付ければ勝手に捕まえてくれるだろう。先にお疲れ様だ、御坂美琴」

 病院の外で拾ったタクシーの中で、赤坂悠樹は脱力しながら労う。
 後は支部に戻って、資料を纏めてから警備員に連絡するだけで終わるので「オレや君の力が必要な事態にならなくて良かった良かった」と楽観視している。

「……ねぇ、それなんだけど私達の手で捕まえないの? 今回の御手柄は風紀委員なのに――」
「確かに全ての風紀委員の尽力が無ければ今の結果に辿り着かなかったが、誰が解決したかなんて些細な問題だ。成果で労ってやれないのは少し残念だがな」

 その悠樹の言葉に、御坂美琴は隣の彼に聞こえない程度の小さな声で「あの馬鹿と同じ事を言うのね」と気まずそうに呟く。
 十八日、セブンスミストで無差別テロを行おうとした暴走能力者を御坂美琴が止めた事になっているが、実際は違う。
 あの時、美琴は寸前の処でしくじり、間に合わなかった。其処に居合わせたあらゆる能力を無効化する自称無能力者の学生がいなければ、大惨事になっていただろう。
 その彼と同じような事を言われては、返す言葉も無い。

「本音を言うと、余り出しゃばり過ぎると後々が大変なんだよ。独断専行で良い結果を生んだという不用意な前例を残せば、今後の事件で警備員との連携が難しくなるし、相手側からしても良い感情を抱かれないだろ? 何でも匙加減が大切なのさ。持ちつ持たれつつが理想的だから、華ぐらい持たせてやるさ」

 そして悠樹は邪な笑顔で「それにオレの責任問題も有耶無耶に出来るしな」と最後に締め括る。
 そうやって言わなければ良いのに言って、先んじて悪役を気取る処が彼らしいと美琴はため息混じりで笑う。
 短い付き合いだが、上手く立ち回れるのに敢えて損を買う当たり、コイツも複雑怪奇な性格してるなぁと美琴は思う。

(おっと、今の時刻は五時過ぎか。これなら今日は門限守れそうね)

 夏休み初日から疲れる一日だったが、『幻想御手』事件を一日足らずで解決出来たのだ。素晴らしいぐらい上出来だろう。
 この間々何事も無く終わると確信した刹那、それを嘲笑うかのように悠樹の携帯から着信音が鳴り響いた。第一七七支部に残した初春飾利からだった。
 悠樹は眉を顰めながら、専用のイヤホンを取り付けて美琴に投げ渡す。二人とも、同様に嫌な予感がした。

「もしもし、何かあったか?」
『赤坂さん大変です! 『幻想御手』で昏倒したと思われる生徒が続出しています! 何でも道端で突然倒れた事例が学園都市全土で相次いで報告されてます! 解っているだけでも三十、いえ、五十――ああもう数え切れないです!』
「何だと? ――クソ、完全にしてやられたっ! やはり先に確保するべきだったか……!」
「何? 一体どうなって――あ」

 言いかけて、美琴は気づく。悠樹の顔もまた同じように苦渋に満ち溢れていた。

「方法は解らない。だが、結果からの推測になるが、ゼロを名乗る馬鹿どもがしようとした事を実際にされたようだな。一体何処まで被害が及んだか、想像も出来んよ」

 忌々しげに顔を歪ませながら「それだけ数が増えれば、幻想御手のネットワークに取り込まれる時間も瞬時か」と悠樹は分析する。

「初春飾利、今すぐ警備員に連絡しろ。何としても木山春生の居場所を突き止めるんだ!」
『既に連絡してますけど回線が混雑して一向に繋がりません! 多分、通報が多すぎて混乱状態になってるのだと思います!』
「――!? なるほど解った。警備員に繋がるまで連絡を続けてくれ、オレ達は木山春生の確保に向かう。何か解り次第連絡を入れろ」

 最後に「木山春生の情報はメールで頼む」と早口で付け加え、悠樹は苛立げに通話を切る。

「確保って、居場所すら解らないのにどうやって!?」

 馬鹿正直にAIM解析研究所にいるとは思えないし、混乱渦巻く現状では警備員と風紀委員の情報網も崩壊していると見て間違いないだろう。
 過剰な戦力はあれども、木山春生の所在を探る方法など無く、打つ手が無い。――少なくとも、我が身を傷付けない方法では。

「……早速、切り札の一つを切る事になるか」

 悠樹はポケットから音楽プレイヤーを取り出してイヤホンを右耳に付ける。それに見覚えがあった美琴は瞬時に悠樹の意図を察する。

「――アンタ、正気!?」
「現状で方法を選ぶ余裕など無いさ。オレ自身が『幻想御手』を使用し、繋がったネットワークから木山春生の居場所を逆探知する。……理論的には多分大丈夫だ、その為に自分の脳波のパターンを確認したのだからな」

 赤坂悠樹は飄々と「運が悪ければ一瞬でネットワークに取り込まれ、昏睡した奴等と御仲間入りだがな」と付け加える。

「失敗したら即座に昏睡、成功しても自分の脳波の維持に能力を常時使用しなければならない。どちらにしろ戦力外となるな。だが、勘違いするなよ。君を木山の元に行かせる事が出来たら、その時点でオレ達の勝利だ。それに役割分担的には君の方がきついぞ?」

 珍しく自分の事を心配する美琴に「最悪の場合でも居場所だけは気合で伝えるさ」と悠樹は笑う。危険性を十二分に理解した上での、覚悟の現れだった。

「もし最悪の事態になっても気にするなよ。オレが勝手に決断して勝手にやるんだ。他人の重荷になるなんざ趣味じゃない」
「あ――!?」

 未だに迷っている美琴が制止する間も無く、悠樹は曲を再生させるボタンを押した。
 ――想像絶する衝撃が赤坂悠樹の脳を突き抜け、その一瞬で意識を失い掛ける。
 自分の脳波が強制的に他人の脳波に修正される未知の感覚に侵されながら、悠樹は何かと繋がった感覚を全身全霊で辿る。
 自分の脳波への干渉はまだ止めない。繋がりを切ってしまえば逆探知は不可能だからだ。意識を塵屑のように刈り取られ、削り取られ、尽くされるより疾く、ネットワークの中心へ感覚を伸ばす、ひたすら手を伸ばす。
 万に及ぶ人の意思が混在する果てに、悠樹は中心に座する存在の居場所を掴んだ。

「――見ぃ、つけた……!」

 即座に自身の脳波を矯正し、平常時に戻す。
 息切れで苦しく、激しい動悸が我ながら耳障りだった。額からは玉粒のような汗が幾つも流れ落ちる。精神的にも酷く消耗したが、赤坂悠樹は何とか取り込まれずに済んだ。

「――悠樹、悠樹ッ!」
「……そう耳元で怒鳴るな。後、名前で呼ばれるの初めてな気がする」
「何度呼びかけたと思ってんのよッ、この馬鹿……!」

 今の一度だけだろと悠樹が言いかけそうになった処で、車の窓から見える周囲の景色がかなり変わっている事に気づく。
 主観時間では一瞬にも満たないものだったが、結構な時間が経過していたらしい。心配しながら怒る美琴の顔から、ほんの少しだけ申し訳ないと思った。

「良く解らんが話は聞かせて貰った。何処に向かえば良いんだ? 坊主」
「……あー、運転手さん。生命に関わる事態になりますから、下車する事をオススメします。車の代金は後で支払いますので」
「何言ってんだ、車があっても運転者(ドライバー)がいなけりゃ意味が無いだろ。此処で引いたぁ男が廃るってもんだ! 良いから場所を言いな、最速を信条とする俺が最速で送り届けてやるぜ」

 妙に個性的な二十代後半のタクシー運転手が自信満々に笑う。
 悠樹の能力を活用すれば運転手がいなくても車の一台や二台動かす事に支障は無いが、自身の負担は小さい方が良いかと悠樹は妥協する。

「……、それじゃお願いします」
「おう、任された。――ィィイヤッホォー!」

 急激な加速に、二人は大きく仰け反り、美琴は「うわっ!?」と悠樹は「ぐえっ!」と呻いた。

「ハッハァー! 昔の血が騒ぐなぁ!」

 信号など無視し、タクシーはあるか無いかの車体の隙間を華麗に潜り抜けながら爆走する。後部座席に座る悠樹と美琴は右に左に揺れ、てんやわんやだった。
 ハイテンションで奇声を発するタクシー運転手を見て、悠樹は「早まったかもしれん……」と珍しく後悔するのだった。




「――木山春生、第十三学区立の小学校に教師として赴任するも翌年に辞職、辞める契機になったのは能力開発の実験中に起きた、教え子を原因不明の意識不明に至らしめた事件?」

 初春飾利から送信された木山春生の経歴を読み、御坂美琴は思わず唸る。

「それが『AIM拡散力場制御実験』だ。その子達の恢復手段と事故の原因を究明するシュミレーションを行う為に、木山春生は『樹形図の設計者』の使用を二十三回申請し、同じ数だけ却下された」

 その原因不明の事件を事細かく説明され、美琴は「何処でそんな事を……」と疑問に思うが、悠樹は「蛇の道は蛇さ」とはぐらかす。

「……何で申請が通らなかったの?」
「その実験が、実は失敗していなかったからさ」

 美琴が不思議そうに「はい?」と聞き返す中、悠樹は憂鬱そうに自身の横髪を指先で弄る。
 その表情の色は先程から悠樹が漂わせていた不自然な感情と同質のものだった。

「表向きは『AIM拡散力場制御実験』と銘打っているが、裏向きは『暴走能力の法則解析用誘爆実験』だったのさ。能力者のAIM拡散力場を刺激して暴走の条件を探るものであり、被験者が暴走して壊れるのは必然だった訳だ」

 美琴は信じられないと言った表情で驚く。悠樹は構わず続けた。

「――『樹形図の設計者』の使用を却下された理由は実に明確だ。事故の原因など解り切っていた結末だし、わざわざ究明して表沙汰にする訳無いだろ?」

 当たり前の事だが、『樹形図の設計者』の使用権限は学園都市の上層部が握っている。それだけに暗部に踏み込むような事を許す筈が無い。

「……何よそれ、ふざけてる……!」
「その子供達『置き去り(チャイルドエラー)』が壊れて文句を言う保護者はいないからな。研究者にとっては『学園都市のお荷物が科学の発展に貢献したのだから逆に感謝して欲しい』ぐらいの意識だろうな」

 無感情に話す悠樹だが、美琴の眼からも不機嫌さが見え隠れしている。
 それを察したのか、悠樹は「オレも『置き去り』だからな」と忌々しげに付け加える。

「でもまぁ、木山春生が他の科学者と同じように非人道的だったなら、この事件は最初から起こらなかった。其処だけは同情しよう」

 ――本当に面倒な事だと、悠樹は煮え切らない態度で喋る。

「かつての教え子達の為に、立場も何もかも捨てて、学園都市の全てを敵に回してでも恢復手段を求める。そんなの並大抵の奴には出来無いし、やろうともしないさ」

 今回の『幻想御手』の事件は、木山春生が善人だったが故に起きた事件だ。――この世の中の仕組みはズル賢い悪党に優しく、馬鹿な善人が損するように出来ている。
 その当然の不条理を嘆いた処で何の足しにもならないが、それでも内心愚痴りたくなる。
 御坂美琴は個人的な感傷で犯人に肩入れしている悠樹の様子に、強い不満を抱く。

「……何? これだけの人間を巻き込んでおいて、まさかそれを見過ごす気?」
「いや、逆だ。だからこそオレ達の手で確保する。彼女が始末される前にな」
「え? それ、どういう――」

 核心部分に差し掛かった時、車は急に停車する。
 耳障りな音が鼓膜を突き抜け、慣性に従って二人に重圧が掛かる。

「っ、一体何が……」

 美琴が運転席の隙間から正面を覗き込んだ時、十数メートル離れた場所に一人の学生が立っていた。
 その金髪の少年は如何にも柄が悪く、まるで悠樹を思わせるような凶悪な顔で笑っていた。
 沈み行く夕日の宵闇を背に、死刑を執行する処刑人が如く立ち塞がっていた。


「――よりによって奴か。忌々しいぐらい仕事熱心だなおい」


 ――暗く、されども何処か愉悦混じりの口調で赤坂悠樹は言い捨てる。
 知り合いなのか、などと場違いの言葉は吐けない。一目見た瞬間から、あれは自分とは決定的に違うと美琴の中で警鐘が鳴り響いていた。

「――御坂美琴、木山春生の確保は君に任せる。オレが来るまで風紀委員を名乗ろうが警備員を名乗ろうが、どんな奴にも引き渡すな。今回は何方も動かないからな」
「え? ちょ、どういう事よ……!」

 後部座席の扉を開き、悠樹は唯一度も視線を金髪の学生から離す事無く下車する。
 一瞬でも離したらその瞬間に死ねる。それは学園都市で三番目に優秀な超能力者がいても同じ話である。

「迂回して目的地を目指せ。あれの足止めはオレがやる」
「ちょっと、一人で勝手に自己完結しないでよ! ただでさえアンタは『幻想御手』のせいで能力が制限されてんだから、邪魔なら私が――」


「――この学園都市には第三位の『超電磁砲』を上回る能力者が二人いる。アイツはその一人だ」


 ――垣根帝督。第二位の超能力者(レベル5)であり、此処から見る限り、二日前の負傷による影響は皆無だった。

「っ、それなら尚更、そんな腕でどうにかなる相手じゃ……!」
「君の場合、能力の相性的に詰んでいる。オレの場合はこれで二度目だし、この腕の借りを返さないとな」

 そう言って、赤坂悠樹が力を篭めた瞬間、左腕のギプスが木っ端微塵に砕ける。
 中から現れた悠樹の左腕には傷痕一つ無く、後遺症を全く感じさせない滑らかな動作で、羽織っていた制服のブレザーに腕を通した。
 そして悠樹はズボンのポケットから何かを取り出し、後ろの美琴に投げつける。反射的にキャッチしたそれは、風紀委員(ジャッジメント)の腕章だった。

「それは預ける。オレの代行として木山春生を保護してやってくれ。……ああ、後で返せよ。それでも一応大切なものだからな、みさ――『美琴』」

 先程の名前だけで呼んだ意趣返しなのか、悠樹はいつも通りのフルネームを言いかけ、わざわざ同じく名前だけで呼んだ。
 力量を認めた相手だけフルネームで呼ぶ彼が名前だけで呼ぶ意味は、それ以上の信頼に他ならない。

「――任せなさい。さっさと捕まえて、絶対に助けに行くから」

 御坂美琴は受け取った腕章を自身の右腕に付け、強く笑う。

「はっ、オレがアイツを片付ける方が早いさ」

 いつもの調子で、悠樹は意地悪く笑う。
 負ける気など元より無いし、この展開は自分にとって最高のものだった。何せ片付けなければならない要件のついでに、本命を果たす事が出来る。一石二鳥だったからだ。
 ドアが閉められ、タクシーは急速反転し、逸早くこの場から離脱する。

 ――そして三度、二人の超能力者は対峙する。最初はレストランで、次は既に終わった殺人現場で、最後は大舞台の前座、物語の本流に関係無い脇役二人には不相応なまでの立派な舞台である。

「――別れの挨拶は済ませたか?」
「待ってくれるとは意外と律儀なんだな。それにしても『スクール』が動くとは、上層部の連中も気が早いものだ」

 この殺伐とした雰囲気を楽しむように、二人は意味の無い会話を交わす。

「はん、解ってんなら逃がせば良かったのによ。あの常盤台の女、確実に死ぬぜ?」
「余り見縊らないで欲しいな。彼女はオレの代行を務められる唯一の人材だぜ? お前以外のメンバーで止められるものか」

 垣根帝督はポケットから両手を出し、赤坂悠樹はブレザーの懐から回転式の銃を取り出す。奇しくも、白井黒子を救出しに来た状況と同じだった。

「なら問題ねぇな。テメェを速攻片付けて、それで王手詰み(チェック)だ」
「残念だが、王手詰み(チェック)を掛けたのはオレの方さ。お前は此処でオレに敗れるのだからな」

 以前の焼き直しが如く、赤坂悠樹は自身の能力をフル活用して銃を撃ち、垣根帝督は白の極光を放つ。
 二つの軌跡はやはり交差する事無く、ほぼ同時に炸裂する。


 ――それが今回の、二人の超能力者による、死闘の幕開けだった。







[10137] 七月二十日(3)
Name: 咲夜泪◆ae045239 ID:ceb974ce
Date: 2010/01/18 03:55


 七月二十日(3)


「嬢ちゃん、しっかり掴まっていろよ!」

 卓越した運転技術の持ち主なら、少し度が外れた高速運転でも安定していて怖くはない。
 誰かが言った知ったかぶりの知識が致命的なまでに間違っている事を、御坂美琴は再び実感した。

「うぅー!? 何で最近こんな事ばっかなのぉ~!?」

 唸り上がるエンジンの回転音が異様に甲高い。以前、赤坂悠樹と一緒に乗ったバイクと同じぐらいなのが今の異常さを如実に醸し出している。
 そして錯覚だと信じたいが、フロントガラスを跨いで見える景色の流れる速度が、前以上に早く思える。バイクで馬鹿みたいに180キロ以上出していた時よりもである。
 ただ、事実を知るのも怖いので、間違っても速度計を見れない美琴だった。

(これ絶対ただのタクシーじゃないっ!?)

 詳しい事は解らないが、外装だけが普通のタクシーで、内装がまるっきり別物のモンスターマシンだろう。多分、外と隔絶した学園都市の科学力が無駄に費やされている。
 それと同じぐらい、乗り手の頭の螺子もぶっとんでいた。

「迂回して貴重な時間をロスしちまったが、その分は速さで補うッ! この俺より前を走ってようが俺が走る限り先頭は譲れんなぁ!」

 左手でのギアの変速がまず眼に止まらない。ハンドル操作も目を回すほど小刻みに、時には大胆に回し、急なコーナーも最短の鋭利角度で突き抜けていく。ガードレールからほんの数センチしか離れていない瞬間を目撃した時、美琴は気絶しそうになった。
 事故にならないのが不思議で仕方ない超特急の走行だが、この速度とは裏腹にドリフトを代表とする派手なパフォーマンスは行わず、一挙一動を厳選して堅実にタイムを縮める。

「嬢ちゃん、あの坊主の予測通りならこの迂回路からの合流地点で食らい付けるぜっ!」

 精神的に一杯一杯だった美琴にとっても、喜ばしい知らせだった。
 悠樹の逆探知によって、木山春生が車で走行中なのは解っていた。幸いにもこの道中は暫く一本道だったので追跡は楽だったが、唯一の迂回路から500メートル先に分岐路がある。其処まで追いつけなかったらこれ以上の追跡は不可能となり、ほぼ詰んでしまう。

(良し、この調子で木山を速攻確保し、戻れば――っぁ!?)

 その時、車体が大きく揺れる。今までのトンでも走行によるものではなく、明らかに外的要因――他車による衝突からだった。

(っ、妨害!? あれに仲間がいた……?)

 まるで映画のワンシーンだった。横道から乱入して迷わず車体を衝突してきたのは大型のワゴン車であり、此方の動きを止める為か、横に並列になって再び衝突を繰り返す。

「きゃっ!」
「うおぉ!? やってくれるじゃねぇか! 俺の車に傷付けやがって、それに俺より早く走ろうとしている!? どちらかというと後者が許せないっ!」
「意味解らないですよっ!?」

 激突によって大きく減速されながらも、自称タクシー運転手はアクセルを全開に踏み――あろう事か、ハンドルを急速に回し、妨害車と比較して小柄な車体で逆に体当たりをかました。

「っ! 無茶苦茶よぉ!?」
「いいや、そうでもないぜ!」

 これが意表を突いたのか、押し負けはしたものの、妨害車と若干距離が開き、フルスロットで引き離す。
 一度距離が開けばあの大型車では追いつけまい。美琴がそう確信した矢先、映画ではこういう場合どうなるかなと想像しながら、背後を見る。
 実際にその通りになったのだから、一瞬にして美琴の顔が青褪める。
 妨害車の横窓から黒光りする妙に太い銃身が此方に向けられる。普通の雑多な小火器ではない、一般車など一撃で無効化出来る小型のグレネード砲だった。

「――おじさん避けてッ!」

 その言葉の意図を理解せずとも、彼は咄嗟にハンドルを左に切った。
 後方からグレネードが発射されるも、タクシーが左に急速移動したお陰で直撃こそ免れる。だが、爆風に煽られ、車体の安定の為に速度が殺がれる。

「ちぃ、最近の学生は危険な玩具を持ってんなぁっ!」

 後方車との差は縮まる。このままでは体当たりされる以前にグレネードで爆散しかねない。美琴はスカートのポケットに入っているコインに手を伸ばした。

「おじさん、窓を開けて!」
「まだ年齢的にお兄さんと呼んでくれた方が俺としては非常に色々と嬉しいのだが、開けたがどうすんだぁ!?」
「こぉすんのよ――!」

 開いた窓から手を外に出し、乗っているタクシーに影響が出ないように電気の流れを精密に操作しながら、美琴は彼女の能力の代名詞たる超電磁砲を後方車に撃ち放った。
 音速を置き去りにして放たれた破壊の雷光は、後方車の左前輪を豆腐の如く撃ち貫き、その反動で車体そのものを宙三回転させ、されども路上に墜落させる。
 運転者が死なないように配慮し、尚且つ邪魔が入らないよう完全に行動不能にする。その両方を御坂美琴は完璧に成したのだ。

「どんなもんだいっ!」
「……わぉ、最近の学生は凄いな」

 美琴はしたり顔でガッツポーズを取り、自称タクシー運転手も頼もしいと笑う。
 だが、此処で消費した時間は馬鹿にならない。今でこそ大破しているが、あの妨害車は足止めの役割を十全に果たした。

(……これは、思ったより深刻ね)

 お世辞にも堅気とは思えない超能力者が動いているだけで大事だが、厄介な事に仲間までいる。
 ――最悪の事態を想定すると、既に木山春生が襲撃されている可能性がある。こればかりは無事に逃げ切っている事を祈るしかなかった。

「……なんだこりゃ」

 運転手の呟きと共に車体を一回転させて急停車する。今回は意図的にスピンし、慣性に任せて速度を殺している為、急停車による反動は少なかった。

「……これは」

 車の中から周囲を見渡せば、路面は爆撃でもされたかの如く所々破壊され、奥にはものの見事にスクラップになった青いスポーツカーが炎上していた。
 既に他の能力者によって襲撃された。手遅れだったのかと美琴は息を呑む。その直後、少し離れた場所から轟音が鳴り響く。何か爆発したような音だった。
 最悪の事態には変わりないが、まだ一歩手前だ。誰かが能力を使うという事は、能力を振るう対象が存命しているという事。まだ、間に合う。

「おじさん、ありがとうございます。此処からは一人でいけますんで早く安全な場所に逃げて下さいね! 終わったら連絡します!」
「おう、気をつけろよ嬢ちゃん! あと俺はまだおじさんという年じゃないんだがなぁ。……嗚呼、若さとは残酷で罪だぁ……!」

 車の中で大袈裟に嘆く運転手を無視し、御坂美琴は一直線に爆音が生じる地点に全力で駆け出す。木山春生の無事を祈って――。




(――何これ? 一体どうなってるの?)

 路面が水浸しで尚且つ鋭利な刃物で切断されている箇所があれば、ドロドロに溶けたガードレールもあり、物理的に破砕されたアスファルトや綺麗な円に抉り取られた箇所もあった。
 これだけの惨事を引き起こすには、水流系の能力、発火能力、念動力に空間系の能力など、高い強度(レベル)且つ複数の能力が必要だろう。
 少なくとも、唯一人の例外を除いて、一人では出来まい。

(アイツなら出来るかもしれないけど、此処にいないから無理。という事は、大能力(レベル4)相当の能力者が複数いるって事――)

 幾ら御坂美琴が超能力者でも大能力者が徒党を組めば苦戦は必須、それと同時に木山春生の安否が限り無く絶望的だった。
 ある種の覚悟をしつつ、美琴はひたすら走る。そして予想とは異なる光景に思わず足を止めた。

 ――とりわけ壊れた路面、倒れ伏す生徒と一人だけ立っている白衣の科学者、少し遠くには煙が巻き上がっていた。

 倒れ伏す男子生徒は、やたらゴツい機械製のヘットギアをしている。能力の補助ツールか、詳しい用途は解らないが、美琴はそれが土星の輪っかみたいだと思った。
 少し遠く、此処から500メートルは離れたビルの屋上からは黒煙が上がっている。まるで其処にいた狙撃者を逆に狙撃したみたいだと冗談じみた仮定が脳裏に過ぎる。
 そして唯一人、己が足で立っている白衣の科学者もとい木山春生は気怠げに御坂美琴の方に振り向く。彼女の左目は不自然なほど充血していた。

「――生徒に片棒を担がせるとは、学園都市の暗部は私の想像以上に深いようだ。君も私を始末しに来たのか? 御坂美琴」
「違うわ、アンタを保護しに来たわ」

 不敵な笑みに、されども何処か焦りが見え隠れする木山春生に、御坂美琴は堂々と答える。
 春生の視線が美琴の右袖に付けられた風紀委員の腕章に集中する。少し意外なものを見たような表情を浮かべた。

「……ふむ、君が風紀委員に入っていたとは知らなかったな」
「ただの代行よ、強度(レベル)も丁度同じだしね」

 それを聞いた木山春生は「風紀委員は一般人でも代行出来るのか、それは知らなかった」と素で関心したりする。妙に世間離れしているのは、今も一緒だった。

「それにしても『多重能力(デュアルスキル)』とはね。そんなデタラメ、アイツ以外いないと思っていたけど」
「彼が本当に多重能力者なのかは別の話だが、私の能力はアレとは方式が違う。言うなれば『多才能力者(マルチスキル)』だ」

 木山春生から語られた専門用語に、美琴は「結果は同じでしょ」と毒づく。
 よりによって、唯一の多重能力者とされている彼と共同している時に、敵として多重能力者のようなものに遭遇するとは、まさに最高の意外性(サプライズ)である。


「――君に、三万の脳を統べる私を止められるかな?」


 それだけの生徒が『幻想御手』の犠牲になった事に、美琴の理性が一瞬にして沸騰しそうになるが、其処までやらざるを得ないほど彼女が追い詰められている事実が歯止めを掛けた。

「――止めてみせるわ。アンタの事情は一応聞いている。『幻想御手』が『樹形図の設計者』の代用品で、意識不明の教え子達の恢復手段を探るのが目的だって事も。それでも、この方法は間違っている」

 今まで学園都市で八人しかいない超能力者だからという好奇の目で見ていた木山春生の瞳に驚愕が浮かぶ。
 直後に、木山春生は自嘲気味に笑った。

「……驚いたな、其処まで知られたとは。――いや、この場合は逆かな。まさか其処から私に至るとはね」

 酷く気疲れした表情で「まぁ彼ならばそう不思議ではないか」と春生は冷静に分析する。
 最近まで学園都市の最深部にいた赤坂悠樹ならば、此方の事情を知られていたとしても不思議ではない。

「なら、少し待ってくれないか? この演算が終われば全員解放する。後遺症は無いし、誰も犠牲にしない」

 何を都合の良い事を、と言いかけて、咄嗟に美琴は口を塞ぐ。
 もしも木山春生が『幻想御手』の使用者を犠牲にするような人間ならば、そもそも今回の事件が起こらない。彼女のその言葉は、嘘偽り無く、限り無く真実に近い。
 それでも、と美琴は思う。一瞬生じた迷いはとうに消え果てていた。

「……アンタのこの方法は、あの人体実験をやったヤツと同じよ」
「だろうな。――だから、どうした?」

 その程度の事、実行者である木山春生が誰よりも痛感している。言われるまでもない。悩み苦しみ、その果てに出した答えは揺るがない。

「もう統括理事会は動いている。私に残された時間は余りにも少ない。方法を選ぶ余地も余裕も無いんだ、邪魔する者は誰であろうが叩いて潰す」
「――っ、仮に子供達を助けられても、アンタが死んだら意味無いじゃない! 恢復した時にアンタがいなきゃ、本当に救われた事にはならないわ……!」

 一瞬だけ、木山春生の眼に動揺が走る。
 ――いつも、こんな事ばっかりだった。いつだって、大切な事は後から気付かされる。此処に至るまでの一本道でさえ、そんな初歩的な事を見落としていた。

「こんなやり方をしないなら私も協力する。悠樹(アイツ)だって、面倒臭がりながらもちゃんと手伝ってくれると思う」

 ――やはり、子供は嫌いだ。
 損得の勘定無く、それが正しいのだと感情のまま動き、いつも驚かせて困らせる。自分達が大人になるまでにいつの間にか失った純真さを、嫌なほど見せつけられる。

「……優しいな、君は。出来れば違う出会い方をしたかったよ」

 本音を吐き、木山春生は能力を行使する。咄嗟に避けた美琴は「分からず屋っ!」と叫び、動きを封じようと電撃を放射する。
 今更止まる事は出来ない。後一歩で、彼女の目的が成就するのだから――。




 ――第二位『未元物資』と第八位の激突は前回と違い、両者共に無傷で終わった。


 赤坂悠樹は苛立げに舌打ちする。
 前回と同じ手口など到底通用しないだろう、と目測を立てていたからこそ、四日後に仕上がる予定だった対物ライフルの試作モデル『鋼鉄破り(メタルイーター)』でぶち抜こうと思っていたが、決戦に間に合わないのでは意味が無い。
 牽制用に仕立てた丈夫だけが取り柄の小銃も、傷一つ刻めないのならば脅威に成り得ない。

「六枚翼の天使か、笑えるほど似合わないな」
「心配するな、自覚はある」

 垣根帝督の背中から六枚の翼がゆったりと羽ばたく。
 予想通り、垣根帝督は全力を見せていなかった。白く輝く極光は彼の能力であり、能力の全開時のみ展開されるのだろう。
 そして彼の何気無い言動から、この形状は本人の意図とは関係無いものらしいと推測出来るが、今は全く関係無い話である。

「――『未元物質(ダークマター)』とは名前通りの能力だな」

 言葉とは裏腹に、悠樹は苦悶に満ちた顔を浮かべる。
 事前に垣根帝督の能力の正体を幾十通りも想定し、その実態が想定した中で最悪の能力だったからだ。
 ただでさえ地力で劣っているのに、今は『幻想御手』のネットワーク遮断の為に常に一割から二割ほど容量を割いている。
 この制御を一度でも取り乱した時点で、赤坂悠樹は『幻想御手』によって問答無用に昏睡し、無防備のまま殺されるという最悪すぎて笑えない結末が見え隠れしている。

「言葉にすれば『この世に存在しない素粒子を生み出す、または何処からか引き出す』だけだが、その一つの異物が既存の物理法則を塗り替えてしまう。学園都市に存在するほぼ全ての能力者にとって天敵たる能力だな」

 例えば垣根帝督と御坂美琴が戦った場合、御坂美琴の電撃は『未元物質』という異物が存在する空間では違う物理法則に沿って歪められてしまい、まともな能力行使が出来なくなる。
 その中で、垣根帝督だけが自分の土俵で思うがまま戦えるのだから、初めから勝負にすらならない。
 やはり「第二位からは次元違いか」と愚痴らずにはいられない。

「良く気づいたと言いたい処だが――気づいたのがテメェだけだと思ったか?」

 赤坂悠樹とは反面、垣根帝督は余裕綽々の表情で嘲笑う。
 垣根帝督にとって、自身の能力『未元物質』の詳細など知られた処で何一つ問題無い。解らないのならば自分から親切丁寧に説明しても良いぐらいだ。
 その程度で第二位と第八位の絶対的なまでに隔絶した優位は崩せない。だが、第八位の能力はとなると、事情は一変するようだと帝督は笑う。

「十八日の時、テメェが一瞬の内に行使した能力は『加速』『逆行』『停滞』『停止』の四種類だった。一方通行(アクセラレータ)みたいなベクトル操作じゃ『多重能力(デュアルスキル)』をあそこまで装う事は出来ねぇし、単純に速度を操る能力も同様だ。テメェの能力の正体は――」
「……やれやれ。『未元物質(ダークマター)』を見極める代償は、オレの腕一本程度では不足だったか」

 殺気立った顔で「初めてだよ、完全に見抜かれたのは」と悠樹は自嘲する。
 対象を加速させ、また逆行させ、停滞させ、停止させる。――それはまるで『時計の針を指で弄る』ような、気づいてしまえば余りにも解り易い能力の片鱗だった。


「――『時間暴走(オーバークロック)』、それがオレの能力の本当の名だ」







[10137] 七月二十日(4)
Name: 咲夜泪◆ae045239 ID:ceb974ce
Date: 2010/01/21 10:47


 七月二十日(4)

「――『時間暴走(オーバークロック)』とは名前通りの能力だな」

 嫌味たらしく、六枚の翼を生やした垣根帝督は先程の悠樹と同じように言う。

「本来の意味は、デジタル回路を定格を上回るクロック周波数で動作させる行為だったか。――思考の倍速。道理で、テメェの有り得ない超反応も納得出来る訳だ」

 赤坂悠樹は表情に一切出さないが、概ね正解だった。
 時間操作の演算には独自の計算式を用いる為、空間転移と同じぐらい複雑で速効性に欠ける。
 その欠点を補う為に、赤坂悠樹は思考の伝達速度を常時二倍速に設定し、それでも足りなければ三倍四倍と瞬間的に加速させて、脳の負担が倍増する代償に能力の発動時間をほぼ一瞬にまで早めている。
 それにより反射速度も常人とは比べ物にならない領域になっている。偏光能力を用いて屈折した蹴りを、何度か空振りながらも勘頼みで掴み取れるほどに。 

「そして『多重能力(デュアルスキル)』の真似事は逆行の応用か? 同じ条件でしか『再現(リプレイ)』出来ないのに、今まで良く誤魔化せたもんだ」

 これもまた正解だった。
 時間を操るからには時間そのものを観測する事が可能であり、赤坂悠樹は過去に行われた能力行使を検索し、再現する事で『多重能力』の真似事を可能とした。
 再現というからには元にした能力とほぼ同一の条件で行われるので、悠樹の基本的な戦術は逃げ回りながら相手に能力を使わせて、相手を当たる位置まで誘い込んで再現するものだった。
 発火能力を使った銀行強盗に対しては無理矢理射線上に引っ張り込んだりしている。この際に行われるのが指鳴らしだが、別に無くとも発動出来る。
 また、身体測定(システムスキャン)の時にも他人の計測時の結果を複数再現する事により、自身が『多重能力者』であると研究者の眼も欺いた。
 実地試験も同様である。彼の計測結果を調べれば、模写した者と同一の試験結果が必ずある。もっとも、その法則に気付けた者は皆無であったが。

「それにしても信じらんねぇ欠陥能力だな。使えば使うほど自分の首を締め続けるとはな!」

 垣根帝督は「それで良く超能力者(レベル5)を名乗れるもんだ」と嘲笑う。腹立たしい事だが、これもまた正解だった。

「疑問に思ってたんだよ。十八日の時、何でテメェは一目散に逃走したのか。あの風紀委員の安否を優先したから? 腐れ外道のテメェがそんなタマか。左腕が負傷したから? あの場においては同条件だった。じゃあ何故か――あれ以上の能力行使が不可能だったからと思うんだが、どうよ?」

 憎たらしいほど正解だった。
 バイクで飛翔するという荒業を、悠樹は停止を使って不可視の道を作り、ひたすら加速する事で成した。水中の上での走行も、タイヤとの接地部分を停止させる事で解決している。
 飛翔そのものは慣れたものではなく、非常に疲れる能力行使だが、戦闘が継続不可能になった理由は精神的な疲労ではない。

「テメェの能力じゃ、自分の能力で生じた反動を消せない。精々誤魔化すのが関の山だ。加速で生じた殺人的な負荷を停滞させながら、時間を掛けて徐々に拡散させる。テメェは能力を使えば使うほど悪循環に陥るって訳だ。その反動を処理出来なくなれば最期――どんな愉快な死に方するか、興味が湧くなぁ!」

 単純な話だ。例えば自身の身体全てを二倍速にしたとしよう。
 全ての行動が二倍の速度で行える代わりに、全ての行動の負担が二倍になる。通常の速度に戻すにしても、急激に戻せば深海から一気に海上に上昇するようなものであり、簡単に自滅する。

(――オレ以外にも既存の物理法則に従わず、独自の法則で動く能力があるとはな。軍覇の能力もそれっぽいが。腹立たしい事に、異界の法則に塗り替える『未元物質』はオレの時間操作より上位の能力か)

 悠樹はその殺人的な負荷、つまりは生じた力場を停滞させ、ほんの少しずつ解き放って解消する。即死するような負荷を一気に受け入れず、少しずつ受けて無害にするのだ。
 つまり、能力を使う毎に負荷が生じ、その負荷を対処する為に能力を使う。使えば使うほど能力の使用容量が切羽詰り、生じる負荷が発散する負荷を上回れば、対処出来ずに負荷が蓄積していく。
 そして悠樹自身でも解らない許容範囲を超えてしまえば――待つのは絶対の死である。

「良く囀るヤツだ。其処まで解っているなら絶え間無く攻め続ければいいだろうに」

 此処が、御坂美琴に話した「限界など簡単に超えられる」という話の根拠である。
 その気になれば、二十倍速だろうが百倍速だろうが行えるだろう。だが、それを行うと負荷の対処すら間に合わずに死ねるのは間違いない。
 あの話の中で悠樹が付いた嘘は一つ、あの話全体が嘘だという事が嘘、それのみである。

「いいや、最期に一つ聞きたくてよ。そんな欠陥能力を発現した本人の気持ちを知りたくてな」

 帝督の舐めた仕草に「もう勝った気か?」と、何とも気楽なものだと悠樹は毒づく。

「何言ってんだか。これ以上の能力なんて他に無いだろ」

 強がりでも虚勢でもなく、赤坂悠樹は自信満々に断言する。
 能力一つにしても適材適所であり、悠樹は自身の超能力『時間暴走』が自分に最も適した能力であると自覚している。その致命的な欠陥を含めても――。


「御託は良いからさっさと来いよ。今宵、此の場所で第二位と第八位の順位は逆転する。――今日は死ぬには良い日だぜ?」
「ハッ、テメェがな――!」


 帝督から六枚の翼が一斉に放たれる。それらは鞭の如く、六方向から赤坂悠樹の五体を八つ裂きにせんと貪欲に走る。
 悠樹は迷わず前へ、十メートル先の垣根帝督を目指して一直線に駆けた。
 一瞬前まで居た地点に六枚の翼が殺到し、路面を呆気無く圧壊させるだけでは済まず、道路の一区間を崩し落とすまでに被害が拡大した。
 足場が崩壊する最中、悠樹は全身の時間の流れを二倍速から三倍速まで加速させ、弾丸じみた勢いで真っ直ぐ突っ込むに対し、帝督は翼を自身に包み込むように戻す。
 翼の内側に入った悠樹に逃げ場は無い。一秒未満で撲殺される未来を前に、悠樹は最速で帝督の額に銃を突き付け、己の限界と定めた十倍速の加速を付加させて撃ち放った。

「――っ!」

 その舌打ちは何方のモノだったか、この決死の攻防も両者無傷で終わる。
 悠樹が引き金を引くより先に、帝督が翼で空気を叩いて真上へ飛び、悠樹は崩れ落ちた路面の真下に落ちる。
 コンクリートの砕け散った破片と共に落下しながら、一瞬、赤坂悠樹だけ落下速度が急速に遅くなった。
 周囲の時間の流れを停滞させ、落下速度を緩和させる。ビル五階建ての高さから落下したのに関わらず、軽やかに着地する。破片が飛散して土埃が立ち昇る中、赤坂悠樹は憎々しげに天を見上げた。

(……あの翼を掻い潜れば何とかなると思ったが、唯一の好機を逃したか――っ!?)

 手が届かない上空から、帝督の翼が一際大きい光を放つ。
 その直後、巻き起こった烈風が粉塵を吹き飛ばし、悠樹の居場所が明らかになる。咄嗟に飛び退くも、悠樹は自身に起きた異変に気づく。
 ジリジリと化学繊維が焼けて出る不愉快な匂いがブレザーから生じる。恐らくは『未元物質』に触れて反射した太陽光が独自の物理法則に従って動いた結果であろう。
 今が日暮れ刻ではなく、日中だったら目も当てられぬ事態になっただろう。

「日焼けで死ぬ気分はどうだ」
「最悪な気分だよ、副業に日焼けサロンでもやってみたら?」

 軽口を叩くものの、悠樹の劣勢は覆せない。
 ただでさえ『幻想御手』からのネットワーク遮断というハンデを背負っているのに、外に作用する能力使用法の全般が『未元物質』の物理法則の塗り替えで事実上無効化されている。
 現状では負担が大きい自身への能力行使のみで戦わざるを得ず、演算するまでも無く、数分先に自滅による結末が見え隠れしている。

(これ以上、状況が悪化する前に手を打つか)

 やや焦げたブレザーの袖から、手品師の如く鮮やかな手並みで小型のナイフを四本取り出す。
 こういう事態の為に、悠樹の長点上機学園指定のブレザーには暗器じみた武器が多数仕込まれている。そのせいで重量が半端無い事になり、普段着用したくないのは本末転倒の話であるが。

「ふっ――!」

 悠樹は全力で振りかぶり、渾身の力で四本のナイフを投擲する。
 これが通常の状態では時速130km/hだと仮定しよう。単純に十倍の加速を掛ければ時速1300km/hとなり、音速の壁を突破する。
 威力と速度を保つなら、射線上の空間にも同程度の加速を施すが、今回は『未元物質』の影響を懸念して止めているので1300㎞/hという数字は最大瞬間速度に過ぎない。
 帝督の白い翼が獰猛に捻れ唸る。四条の一閃を悉く切り払い、僅かに羽根を散らすだけに終わる。

(純粋な衝撃も拡散出来るのか。あの翼を正面から突破するには超電磁砲並の砲撃を持続して行う必要があるか、無理難題だな)

 超電磁砲を超える一撃を銃の弾速を頼って叩き出す事は可能でも、全身に掛かる負担から連射は不可能である。停滞させた力場を少しずつ処理し終わるまで撃つ事さえままならない。

「もう打ち止めか? 特力研の置き去り(チャイルドエラー)を犠牲にしてまで隠した能力ってのはこの程度かぁ!」

 帝督の翼がまた光り輝く。また日焼けは御免だと悠樹は加速を活用して地面を蹴り上げ、視界を覆うほどの土煙を瞬時に撒き散らす。回折で物理法則が変わっていようが、光は光、威力は目に見えるほど減衰出来るだろう。
 だが、垣根帝督は凶悪に嘲笑う。先程とは前後が異なるが、愚かにも二番煎じだ。
 帝督は翼にありったけの力を込めて、地に炸裂させた。周囲一帯の空間が破裂させるような衝撃が土煙どころか瓦礫をも薙ぎ払う。
 この暴威の只中に人間がいたなら、さぞかし愉快な死体が出来上がる事だろう。だが、何もかも吹き飛んで晴れた光景には、赤坂悠樹の姿は何処にも無かった。

(……見失った? 一体何処に――)

 ――いた。予想とは少し外れた場所、爆心地から三十メートル近く離れた場所に仰向けに倒れていた。
 逃げ遅れて、余波で彼処まで吹っ飛んだのか、能力をフルに活用して逃げ切ったが何らかの要因で倒れたのか、どちらにしろ動けなくなったのならば結末は変わらない。

「おいおい、何だよもう限界なのか? ――期待外れだな、第八位の『時間暴走』ってのはこんなもんかよ」

 垣根帝督は心底失望した表情を浮かべる。だからといって見逃す理由にはならない。
 正義の味方を気取ろうとした三流の悪党が、結局誰も守れず、一流の悪党にぶち殺される。学園都市の裏で見飽きた結末だった。
 帝督は自身の翼を二十メートル近く伸ばす。巨大な剣じみた翼を垂直に振り落とす。
 それはさながら無慈悲な天使が繰り出した神の鉄槌であり、物言えぬ罪人は裁きを受け入れるしか無かった――。
 赤坂悠樹の脳裏どころか身体を真っ二つに両断する直前、帝督の携帯が鳴った。
 ギリギリの処で止めてしまい、垣根帝督は不機嫌極まる表情で携帯に出た。

「邪魔すんな」
『お熱の相手に夢中なのは解るけど、自分の仕事忘れてない? 早く駆けつけて欲しいんだけど』

 電話の相手は自分と同じ『スクール』に所属する少女からだった。

「あん? 三人もやっといてまだ片付いてないのかよ?」
『二人ならとっくにやられているわ。今は『超電磁砲』が相手しているけど、これも時間の問題ね』
「へぇ。アイツの連れ、第三位だったのか。てか、誰にやられてんの?」

 敵が同じ超能力者なら、自分以外の『スクール』のメンバーでも倒せないだろうが、心理定規(メジャーハート)の少女が「今は『超電磁砲』が」と言ったからにはもう一人いるらしい。

『――木山春生よ。どういう理屈かは知らないけど『多重能力者』みたいな真似事しているわ。もう滅茶苦茶ね、少なくとも私でどうにかなる相手じゃないわ。これも『幻想御手』の効果なのかしら?』

 ノーマークの名前が出てきて、垣根帝督は関心したように口笛を鳴らす。
 情に絆されたと言えども、流石はこの学園都市の科学者、一筋縄ではいかない。
 第三位『超電磁砲』を倒せるのなら、其処に転がっている偽物とは違い、少しは楽しめそうだと帝督はほくそ笑む。

「仕方ねぇな、すぐ片付けるから待って、」
「――ああ、その必要は無いぞ」

 その瞬間、在り得ない衝撃波が垣根帝督の翼を穿ち抜いた。無数の羽根に変換してばら撒く事により、衝撃が自分自身の身体に伝わらないように阻害したが、不意に影が刺す。
 瞬時に見上げると、十トン級の土石の塊が重力に従って落下する。理解するより疾く、垣根帝督は全力で飛翔して回避する。
 膨大な土石が地面に衝突して大地を更にぐちゃぐちゃにする。
 今のはやばかったと帝督は冷や汗を流す。幾ら物理法則を塗り替えていても単純な質量で押し潰されれば敵わない。
 だが、説明が付かない。今の芸当は空間移動系の能力者でなければ行えないだろうし、此処までの重量を空間移動させる能力者もまた学園都市に一人も存在しない。
 それを成したであろう張本人は、笑っていた。どんな悪党よりも悪党らしい、邪悪な笑みを浮かべて、全てを嘲笑っていた。

「――中々面白いものだな『多重能力』というのは。正確には『多才能力者(マルチスキル)』というらしいが」

 制服に付いた土埃を叩きながら、赤坂悠樹は何事も無かったかのように立ち上がる。
 今の巨塊の空間移動は、時間操作では説明が付かない。一瞬此処で起きた何らかの能力を『再現』したのではと疑ったが、そもそもこれを出来る能力者がいない。
 術者のトラウマさえ無ければ超能力判定を受けたであろう、空間移動系で最強の能力『座標移動(ムーブポイント)』でも重量は4トン程度が限度である。
 理屈が合わない。解が食い違う。垣根帝督はあらゆる可能性を模索し、そして一つの結論に辿り着いた。

「――『幻想御手』を使った?」
「おいおい、このオレがまさか使用しただけで済ませるとでも思ってんの? 見縊るのも大概にして欲しいなぁ。だからテメェは二流なんだよ」

 垣根帝督にしても外道と評された赤坂悠樹はその本領を存分に発揮する。
 人の貌をした何かはケタケタ笑う。その程度の事にも気づかないのかと心底馬鹿にするように。

「『幻想御手』の使用者はネットワークと一体化する事で能力の処理能力が向上する。だが、それは超能力者(レベル5)にとっては微々たるものだ、誤差と呼べるほどの。此処で大事なのはネットワークに繋がるという感覚、その一点に尽きる」

 ――御坂美琴に言った保険とはこの事である。
 最悪の事態を想定し、その最悪を打破する為に用意された鬼札(ジョーカー)がこれであった。
 赤坂悠樹は木山春生の境遇や動機に少なからず同情していた。同情していて尚、彼女の望みを完全に潰すこの行為を躊躇いも無く実行する。

「まさかテメェは――!」
「繋がっているのならばオレの能力で操作出来るという事だ。他人の脳波を加速・逆行・停滞・停止を駆使してオレの波形パターンに一定させ、開発者から管理権を完全に乗っ取った。――『樹形図の設計者』に匹敵する巨大な並列コンピューターは、今はオレの支配下にある」

 垣根帝督は自分で言っておきながら、その本質を理解していなかった。
 自分をも超える外道が如何なる存在なのか、赤坂悠樹はこれが一流の悪党なのだと誇る。

「さあ此処からが本番だぜ。テメェの異世界の法則、徹底的に暴いてやるよ」






[10137] 七月二十日(5)
Name: 咲夜泪◆ae045239 ID:ceb974ce
Date: 2010/01/24 18:51




 ――其処は爆撃機に蹂躙されたような、酷い有様だった。
 高層に建てられた道路は崩壊し、破壊の爪痕はその下にも及んでいる。
 周囲を粗方爆破されており、その爆風に巻き込まれ、土砂に埋れている御坂美琴はぴくりとも動かない。
 それに対し、彼女を見下ろす木山春生はその白衣にすら埃一つ付着していなかった。

「――不意打ちをするつもりなら止めときたまえ。其処で寝ているなら何もしないがな」

 退屈そうに木山春生は呟く。気を失っているように見える御坂美琴は最初微動だにしなかったが、むくりと起き上がる。
 その背に磁力で固めた鉄塊を咄嗟に背負い、爆風から寸前の処で身を守っていたのだった。
 やられたフリして、木山春生が油断している処を背後から忍び寄り、零距離の電撃で仕留めようと咄嗟に思い付いたのは良い案だったが、気づかれたのは誤算である。
 御坂美琴は悔しげに睨みつけた。

「……バレバレって訳?」
「侮って貰っては困るな。三万人もの能力者の中には探知系の能力も複数あるし、超能力者(レベル5)に対する過小評価は先程ので捨てている」

 木山春生の妙な物言いに、「先程の?」と美琴は疑問符を浮かべる。

「『幻想御手』のネットワークに侵入し、取り込まれる事無く此方の居場所だけ持ち帰ったのは彼なのだろう? 開発者である私でも想定外の事態だよ」

 木山春生は気怠げに「大したものだよ。自身の能力の詳細さえ掴ませないとは」と呟く。
 今此処にいない赤坂悠樹に「アンタのせいか!」と叫びたくなるほどのとんだ置き土産だった。
 それさえ無ければ油断してくれて奇襲に成功しただろうが、そもそも彼の捨て身の挺身が無ければ此処に辿り着けなかったので半々と言えよう。

(……それにしても能力の詳細を漏らしてないなんて、そんな処だけちゃっかりしているわねぇ)

 少しだけ期待してしまっただけに、余計残念に感じる美琴だった。

(それはともかく――正攻法じゃ崩せそうにないわね)

 木山春生は限界が無いかの如く複数の能力を同時に使い続け、実際に息切れ一つ無い。
 気を失わせる程度の電撃では誘電力場で弾かれ、磁力の剣も複数の能力で簡単に捌かれる。時間が惜しい状況で千日手だった。
 ――問答無用に打ち倒すなら非常に簡単だった。コインを一枚取り出し、撃ち出すだけで全てが片付く。電撃にしても、本気の出力ならあの程度の誘電力場など意味を成さない。
 だが、美琴の脳裏にはその選択肢すら過ぎらなかった。其処が、彼女と他の超能力者との決定的な違いである。
 御坂美琴は誰が相手だろうが極力怪我をさせずに、これ以上無く優しく倒そうとする。相性云々以前に、垣根帝督には最初から詰んでいると悠樹が評した理由はまさに其処にある。

「……? ――な、に。そんな、ネットワークが……!」

 美琴が攻め手を決めかねていた時、木山春生の挙動がおかしくなる。
 先程からあった余裕が崩れ、見るからに狼狽している。不審に思うも――後ろから飛来していた何かを察知し、複数の鉄塊を磁力を用いて固めて堅牢な盾にする。
 先程まで木山春生の猛攻を受けていた美琴の感覚からして、小規模な爆発が生じる。少し耳が痛くなるが、この程度では鉄塊の盾を突破する事も無く、無傷でやり通す。
 背後を振り向けば、其処には年不相応なまでに派手なドレスで着飾った同年代ぐらいの少女が立っており、その手には四十ミリの小型グレネード砲が握られていた。
 その銃は見覚えがある。さっき、超電磁砲でぶっ飛ばした妨害車から放たれたのも同じ銃だったので、恐らく運転していた者が自力で追いついたのだろう。

「……いきなり随分な挨拶ね」
「先程の御礼よ。ご自慢の超電磁砲でぶっ飛ばされて、此処まで来るのに苦労したんだから」

 能力が『心理定規(メジャーハート)』の名称不明の少女は不敵に微笑む。
 自分の能力が通用しそうにない木山春生がどういう訳か無能力者に戻った今、自身の能力が通用する御坂美琴など敵では無いと言わんばかりに――。


 七月二十日(5)


(――空間移動も存外使えんな。予定通りの座標なら『いしのなかにいる』で即死コースだったのに『未元物質』の影響で若干ズレたか)

 自信満々に勝ち誇ったように笑いながら、赤坂悠樹はこの不出来な結果に対して内心文句を吐く。
 空間移動の性質上、飛ばした先に障害物があったのなら重なった部分の物質を押しのけて割り込むように転移する為、本来ならあの土砂は巨大な墓標になる筈だった。何しろ、本来の座標地点は垣根帝督の体内だったのだ。
 物理的な防御を無視して確実な致命傷を負わせられる事から、一般的には空間移動系の能力が最強なのではと呟かれるが、目の前の『未元物質』には異なる物理法則の前に通用せず、第一位の『一方通行』の場合なら座標設定そのものが反射で逸らされるのがオチだろう。
 赤坂悠樹にしても、白井黒子の空間移動で大体掴んでいたが、今ので完全に対処法を確立してしまったので最早脅威にすらならない。

(ネットワークの中に軍覇でもいれば、あの正体不明の超能力を把握出来る上に『未元物質』に真正面から対抗出来たかもしれんが、無い物ねだりか)

 『幻想御手』に取り込んだ三万人に及ぶ能力者の中に超能力(レベル5)は不幸な事にいない。
 最大でも大能力(レベル4)が関の山であるが、悠樹の元からの超能力を加えれば超能力級の能力行使が可能となる。
 能力の開発を受けていない木山春生と、超能力者である赤坂悠樹の差は其処にある。

(他の能力の計算式を参考に演算効率が格段に向上したが、遠距離から対人への時間操作は相解らずか。一体何処で式が食い違っているのやら――)

 また『幻想御手』は悠樹の元からの演算能力の向上にも役立った。
 研究者から殆ど開発を受けず、独自に能力の演算法を確立させた悠樹にとって、他の能力の計算方法はまさに宝の宝庫だった。
 多種多様の能力の計算法を参考に最適化し、演算速度、能力精度などを大体一割ほど向上させるに至る。
 だがしかし、一番期待していた『遠距離からの他人の時間操作』を可能とするには至らなかった。向上した己の能力だけでなく、三万人の能力をフルに活用しても出来そうにない。

 ――赤坂悠樹の『時間暴走(オーバークロック)』は時間の流れを観測し、操る能力である。

 その能力の及ぶ範囲は『一方通行(アクセラレータ)』のように触れた物限定という訳ではない。把握出来る範囲なら遮蔽物があろうが無かろうが幾らでも操る事が出来る。
 数百メートル先を正確無比に狙撃する為に、当たる条件へと空間を調整して固定する事や、常盤台の寮の火災警報装置を誤作動させた時なら、一度でもあったであろう『作動させた状況を再現する』などが代表的な実例である。
 其処まで可能なのに、それに人間が絡むと、どういう訳か能力が及ばなくなる。その理由は赤坂悠樹にも解らない。
 例えば、相手のいる空間を直接停止させようにも、誰もいない空間なら何とか成功するが、誰かがいただけで呆気無く失敗する。
 もっとも、空気という実感を掴めないものを時間操作するのは苦手な部類に入るので、最初から意味の無い例えであるが。

(……ま、その訳解んない法則も直触りからの時間操作なら関係無いがな)

 他人への時間操作の影響は自身の距離と反比例するという事で、赤坂悠樹は納得している。正確には少し違うが、彼自身、説明しようにも適切な言葉が見つからないし、誰かに講釈する予定も未来永劫無い。

(かと言って、現状じゃ近寄る事さえ自殺行為か)

 取り込まれた能力の一つである大能力相当の『透視能力(クレアボイアンス)』を応用し、『未元物質』と思われる素粒子にピントを合わせる。
 正体不明の『未元物質』は垣根帝督の翼を中心に半径二十メートル近くに渡って残留している。この範囲に触れた瞬間、行使した能力は別の現象に変質してしまい、此方の制御を外れてしまう。
 率直に言えば、範囲内からは能力暴発の危険があるので、幾ら三万人の能力を使えようが完全封殺され、範囲外から能力行使しても、結局は違う現象に変質して通用しない。
 ――三万人の能力者を取り込んだ『幻想御手』という反則的な恩恵を得ても、あの『未元物質』に対しては勝機など無いのである。

(……泣き所はそれだけじゃ無いが――)

 三万人を束ねる巨大なネットワークには、時間が経過する毎に僅かながら綻びが生じている。
 最初は些細なものに過ぎず、何も問題無い。だが、歯車が一つ狂えば全体に影響が出るのは明白であり、悠樹の計算上、今から「三分三十六秒」がタイムリミットだった。
 この時間以内に皆無に等しい勝機を用意する。まさしく無理難題だと赤坂悠樹は両頬を釣り上げ、嬉々狂々と口元を歪めた。




 手始めに『心理定規』の少女は御坂美琴との心理的距離を『御坂美鈴』に合わせた。彼女の中ではそれが一番親密な人物だったからだ。
 まさか実の母親にあの殺人的な電撃は繰り出せまい。躊躇して思考を乱した隙にグレネード砲をお見舞いすれば終わりだ。
 如何に超能力者(レベル5)と言えども所詮は生身、厄介な能力さえ使われなければ――。

「アンタは私のママかぁ~!」

 ドレスの少女の思惑とは裏腹に、御坂美琴から眩い電撃が放たれる。
 驚いた少女は咄嗟にグレネード砲を投げ捨て、電撃への盾にする事で難を逃れる。弾丸に誘爆して爆散し、舌打ちしながらレディース用の小銃を取り出す。
 ――何かおかしい。彼女の性格なら間違い無く躊躇する筈だった。同じ超能力者の垣根帝督や赤坂悠樹とは違い、彼女は解り易いほど善人だ。
 それなのに――混乱しつつも、今度は距離を『白井黒子』に合わせた。二番目に親密であり、あれほど慕っている後輩ならば攻撃出来ない筈。だが――。

「へぇ、今度は黒子か」

 即座に見破られた上に、美琴の戦意は未だ衰えず、バチバチと怒りを顕にしながら放電している。
 在り得ない。彼女の能力は発電能力であり、間違っても精神系の能力ではない。発電能力をどんなに応用しても、心理距離の調整から逃れる術などあるまい。
 ましてや御坂美琴の精神性は化物じみた垣根帝督と赤坂悠樹とは違うのだ。超能力者の癖に一般人じみている。
 ならば、と今度は心理的距離を『赤坂悠樹』に設定する。此処に来るまでも一緒に行動し、安否を気遣っている事から今度こそは、と――途端、御坂美琴は解り易いほど余裕満々な笑みを浮かべた

「うわぁ、すっごく攻撃しやすーい!」

 四方八方に撒き散らされた電撃が周囲を蹂躙する。
 ドレスの少女が必死に逃げながら銃を撃つも、銃弾は地面から巻き起こった砂鉄の嵐にあっさりと遮られる。
 何故、一体どうして? 止め処無く吹き出る疑問と混乱で切羽詰まる中、『心理定規』の少女は自暴自棄に、御坂美琴が一番脅威を抱いている人物に心理的距離を設定する。否、設定してしまう。
 御坂美琴の動きがぴたりと停止する。やっと効果があったと歓喜した刹那、美琴は地獄の底から響き渡るような、寒気が走るぐらい凶悪な笑みを浮かべた。

「――アンタはあのバカみたく、トンデモ能力までは持っていないわよね?」

 その死刑宣告を受け、御坂美琴から回避も防御も不可能な極太の雷が繰り出され、『心理定規』の少女は電撃の渦に飲み込まれた。
 彼女は前提を読み違えてしまった。確かに彼女が心理的距離を設定した人物は二人を除いて、躊躇う人物だった。――殺すほどの攻撃をするには、であるが。
 御坂美琴の電撃は見た目の派手さとは裏腹に、常に手加減しているものである。攻撃の質が戦力を削ぐものである為に、親しい人物であろうが躊躇いなど殆ど抱かないだろう。

「ふぅ、あいつよりマシな能力で助かったわ」

 それに加え、御坂美琴はこの手の能力者はやり慣れている。
 同じ常盤台中学に所属する第五位『心理掌握(メンタルアウト)』は、記憶の読心・人格の洗脳・念話・想いの消去・意志の増幅・思考の再現・感情の移植など 精神に関する事なら何でも出来る十徳ナイフのような能力であり、一部分しか出来ない『心理定規』など敵では無かった。

(さて、あとは木山だけど、さっきから様子が――)

 御坂美琴が傍観していた木山春生に視線を戻した時、突如彼女は崩れ、覚束無い手で頭を掻き毟るように抱えた。

「ぐ、あ、ああああああああああああああああああ!」
「ちょ、ちょっと……!?」

 急に苦しみ出した木山春生に美琴は困惑する。その尋常じゃない様子に美琴は駆け出そうとするが、咄嗟に足を止めてしまった。
 ――倒れ伏した木山春生の身体から、透明の靄みたいなものが吹き出る。世界から拒絶された異物は急速に一つの形に纏まり、生み堕とされた。

「……は?」

 それはまるで巨大な胎児だった。天使のような輪っかを頭に浮かべ、幾十の粒形の翼が絶えず揺れ動く。

(胎児……? こんな能力、聞いた事無いわよ。肉体変化(メタモルフォーゼ)? いやでもこれは――)

 光り輝く胎児は神々しくも禍々しかった。両眼を開き、血走ったように紅い眼球が御坂美琴の姿を捉える。
 胎児は断末魔のような産声を上げた。音は強大な振動となり、周囲の瓦礫を一挙に吹き飛ばす。
 美琴は咄嗟に鉄塊を全面に敷き、守りに費やした鉄屑を全て剥ぎ取られながらも全周囲の振動を何とか凌ぐ。

「っ、この!」

 怒りに任せて反撃の電撃を繰り出し、それは呆気無く胎児の身体を穿ち貫いた。

「いぃ!? あっさり?」

 そこまでするつもりが無かっただけに一瞬焦るが、着弾箇所が不自然に爆ぜ、尚且つ血一滴も流さない。やはりと言うべきか、既存の生物とは構造が根本的に違うようだった。
 破損した箇所は細胞が分裂して歪に膨れ上がるように、変質しながら治っていく。巨大な胎児は美琴を睨みつけた後、無視するように何処かへ飛んでいく。

「……追って来ない? 闇雲に暴れているだけなの? ――って、あ!」

 こんな危険なものを放置する訳にはいかないが、飛んで行った方角がまずい。
 その方角の先には超能力者の一人と思われる少年を足止めする、赤坂悠樹がいる――。




 ――既に決着は付いていた。
 先程と変わらず悠々と空を舞う垣根帝督と、激しく息切れしながら片膝を地に付けている赤坂悠樹、勝者と敗者の差は歴然だった。

「――俺の『未元物質(ダークマター)』を、学園都市に存在するほぼ全ての能力者にとって天敵だと言ったのはテメェだろ?」







[10137] 七月二十日(6)
Name: 咲夜泪◆ae045239 ID:ceb974ce
Date: 2010/01/27 22:06




「もう、何なのよあれぇ! 怪獣映画かってんの!」
「はっは、流石の俺もあんなのを追う事になろうとは思いもしなかったなぁ!」

 車の猛々しい駆動音と少女の甲高い喧騒で、木山春生は目を覚ました。
 どういう経緯でタクシーの中にいるかは解らないが、何かを追っているらしい事は把握出来た。
 重い身体を起こし、窓から覗き込めば、百メートル先ぐらいに巨大で歪な形状の胎児が浮遊していた。
 それが何なのか、木山春生は一瞬で理解した。同時に、自分の願いが完全に叶わなくなった事も、絶望と共に悟る。

「フ、ハハ。凄いな、まさかあんな化物だったとは。学会で発表すれば表彰ものだ」
「……一人で納得してないで説明して欲しいんだけど」

 自害する事も視野に入れて、腰にある小銃に手を伸ばしかけた木山春生だが、その御坂美琴の一言で一時的に引き止められる。

「アレは恐らくAIM拡散力場の集合体だ。そうだな、『幻想猛獣(AIMバースト)』とでも呼んでおこうか」

 あんなものを産み出したからには、どうにかする責任がある。春生は解る範囲で説明する事にした。

「『幻想御手(レベルアッパー)』のネットワークによって束ねられた三万人のAIM拡散力場が触媒となって産まれた潜在意識の怪物は、学園都市のAIM拡散力場を取り込んで成長しようとしているのだろう」
「そんな専門的な話はどうでもいいから、何であれが悠樹達の場所を目指しているの?」
「……ふむ、あれに自我があるとは考えにくいが、赤坂悠樹は『幻想御手』を使用しながら唯一人取り込まれていない人間だ。『幻想猛獣』は最後の一人である彼を取り込もうとしているのかもしれんな。――三万人のネットワークに超能力者まで取り込まれれば、最早止める手段など無くなるだろう」

 考えられる限り、最悪の結末だ。
 警備員(アンチスキル)や風紀委員(ジャッジメント)、統括理事会直属の部隊や虎の子の駆動鎧(パワードスーツ)部隊を総動員させても止められないかもしれない。

「――どうやったらあれを止める事が出来るの?」

 木山春生はポケットから小さな端末を取り出し、御坂美琴に手渡す。
 もしも彼女の電撃に一発でも当たっていれば壊れていただろうが、幸いにも誘電力場の御陰で被弾していない。不幸中の幸いだった。

「『幻想御手』をアンインストールする治療用のプログラムだ。アレは『幻想御手』のネットワークが産んだ怪物だ。ネットワークを破壊すれば止められるかもしれない」

 最後に一つだけ「これの安全性を信じるか信じないかは君の自由だがね」と付け加えたが、御坂美琴はそんなの聞くまでもないと言わんばかりに強く笑う。
 美琴は趣味が余り宜しくないカエル型の携帯を取り出し、何処かへ発信する。

「――もしもし、初春さん聞こえる!?」


 七月二十日(6)


 傷一つ無いのに赤坂悠樹は満身創痍だった。
 三万人の脳波を自分のパターンに固定する為に時間操作をフルに稼働させ、その三万人の能力全てを使い切る勢いで行使し続けた。
 そしてネットワークが暴走の寸前に遮断し、今は自分の脳波を影響されないようにするだけで精一杯という状況だった。
 それでも赤坂悠樹はふらつきながら立ち上がり、無傷で疲労すら見せずに飛び続ける垣根帝督を見上げる。

「いい加減諦めろよ。『幻想御手』を使っても結果が変わらない事ぐらい予測済みだろ? それともあの女の事がそんなに大事なのか? 犠牲にして踏み潰した奴等の事を忘れて、一人安穏とした日々を過ごす畜生以下のテメェがよ」

 垣根帝督は出遭った当初から赤坂悠樹の事を気に食わなかった。
 理由は彼自身も明確には掴めなかったが、今此処で漸く解りかけてきた。

 ――この腐れ外道は、いつでも逃げれる癖に逃走せず、生命を賭けてでも足止めする方を選んだ。

 その在り方は『悪』と呼ぶには酷く矛盾している。
 数多くの人命を自分の為だけに犠牲にした癖に、風紀委員として我が身を犠牲にしてでも数多くの人間を救う。その中途半端さが帝督には許せず、苛立つほど憎たらしかった。
 今更些細な善行を積んだ処で、過去の所業が許される筈も無い。裏での出来事はいつまでも付き纏い、泥水の如く粘りつき、更に深くへと引き摺り込んでいく。
 どう足掻こうが、結局は抜け出す事など出来ないのだ。それなのにコイツは――。

「――既に諦めた負け犬に相応しい言い草だな。だからテメェは悪党として二流以下なんだよ。美学も足りねぇしな」

 赤坂悠樹の表情は先程から変わっていなかった。
 絶体絶命の苦境である事を悟りながら、死が間近である事を誰よりも実感しながら、口元を歪ませて狂ったように笑っていた。

「第八位のオレを簡単に蹴散らせる力がありながら、最初から何もかも諦めてアレイスターの走狗になっている。オレが許せないのはその一点だ」

 今度は垣根帝督の表情が崩れる。全身を小刻みに震えさせるほどの激情がふつふつと沸騰する。
 奥歯が砕けんばかりに軋ませる様子を、赤坂悠樹は愉快気に眺める。

「まさかさ、この世界全てがアレイスターの手の内で、何をしようが無駄だと思ってんじゃねぇだろうな? その例外たるオレの前で」
「……解ってねぇな。アレイスターのクソ野郎は複数のプランを同時並行で進めてやがる。例え計画が詰まったとしても、並列する別ラインに一度軌道を乗せ換えて、後で再び元のプランに戻すから性質が悪い」

 それはあみだくじで一度別の線に行った後、最終的に元のラインに戻ってくるようなものだ。
 だから何をしても無駄だ。どんなに変えようとも、最後の結果は全て同じなのだ。
 この学園都市でアレイスターの支配が及ばぬ場所は無い。言うなれば神に匹敵する存在なのだ。

「テメェもそうだ。一時的に逃れたに過ぎねぇよ。まぁ今から死ぬテメェには――」
「何それ。アレイスターを神様とでも崇めてんの? 虫酸が走るほど気色悪い新興宗教だな」

 帝督の言葉を途中で遮り、悠樹は癇に障るほど哄笑した。馬鹿馬鹿しいほど可哀想だと、優越感から生じた純然なる憐憫すら篭めて。

「あれはただの人間だよ。イレギュラーな事態が発生する度に修正して誤魔化しているが、其処で出来上がった綻びは完全に消せない。それはいつか小さな亀裂となり、アレイスターでさえ予測出来ない事態を生むだろうよ」

 悠樹は興味なさそうに「その御大層な計画が何処で破綻するか見物だがな」と付け加える。


「結局、オレとテメェの決定的な違いは一つだけだ。――やったか、やらなかったか、それだけだ」


 ――果たして、奈落で這い蹲る者と地上で足掻き歩む者はどちらだっただろうか。
 悍ましいほど邪悪に微笑んで、赤坂悠樹は天空に舞う垣根帝督を見上げながら、完全に見下す。
 ぷちん、と垣根帝督の中で何かが切れた。或いはそれは、今まで理性で押さえ込んで来た感情の栓だったのかもしれない。

「テメェは何もせずに駄々をこねる糞餓鬼以下の三下だ。男の嫉妬なんざこの上無く無様で見苦しいぜ?」
「ッッ! 随分愉快な遺言だな、えぇおいッ! 赤坂ァァああああぁッ!」

 殺意のままに垣根帝督は六枚の翼を全力で疾駆させた。
 一度殺しただけじゃ物足りない。バラバラに引き裂いてから尚も微塵切りにし、原型が無くなるほど徹底的に殲滅して――。

「……な、に?」

 絶対の死を齎す六枚の翼は、赤坂悠樹の身体を穿ち貫く事無く、彼の目の前でぴたりと停止した。
 翼の制御が急速に奪われていく。停滞して完全に停止していく。帝督は翼の制御を完全に奪われる前に散らして霧散させ、また新たに背中から六枚の翼を生やす。
 制御を奪われた部分はそのまま微動だにせず、赤坂悠樹が翼の先端を手で触れただけで羽根が舞い散るように消し飛んだ。

「――ホント感謝するよ。勝機を用意出来る唯一の機会に、このオレの前にのこのこと現れた事を」

 赤坂悠樹は時間の流れを観測し、操る能力者であり、あらゆる現象を時間の流れという独自の視点から解析して理解する。
 だたし、異なる素粒子を生む『未元物質(ダークマター)』については解析出来なかった。それは悠樹にとって初めて、時間の流れが一定じゃない物質だったからだ。
 自身の『時間暴走(オーバークロック)』では理解出来ない。それ故に悠樹は『幻想御手』のネットワークを必要とした。あらゆる能力をもって、あらゆる能力を試し、あらゆる視野から『未元物質』の法則を徹底的に解析したのだ。

「っっ! クソが、たかが一度止めた程度でいきがってんじゃねぇええぇ――!」

 叫びと共に、六枚の翼が一気に巨大化する。翼はまるで引き詰められた弓の弦の如くしなり、赤坂悠樹の急所六ヶ所に照準を定め、爆音と共に放たれる。
 掠りもしただけで致死に至り兼ねない、殺人兵器と化した翼はされども、立ち止まる赤坂悠樹から五メートル地点で急速に減速し、二メートルまで迫った頃には亀の如く鈍足な速度まで落ちてしまった。

「これがオレの本来の戦い方さ。一方通行の『反射』が絶対防御なら、オレの『停滞』は絶対回避って処だ。何せ攻撃対象が勝手に遅くなるんだ、欠伸していても避けられる」

 低速度で迫り来る六枚の翼を歩いて、ひょいと避けながら「普段は能力の発覚を防ぐ為に此処まで露骨にやらないがな」と皮肉気に笑う。
 無論、口に出してやらないが、『一方通行』の反射と比べてこの停滞は完璧という訳ではない。
 泣き所はほぼ全周囲に停滞しているので自分まで停滞してしまい、否応無しに自身への加速と併合してやらなければならない。
 停滞と加速の同時行使の負担は個別で使う時以上に大きく、常時発動など夢のまた夢であるし、『一方通行』の反射は自動発動だが、停滞は手動発動である。
 完全な状態なら長く持って三十秒、他に時間操作を使えば更に縮まるし、万全な状態で無ければ時間がまだまだ縮まるのは言うまでもない。

「初見の時はこれの御陰で手痛い目に遭ったが、『未元物質』の法則を解明した今、テメェの勝機は完全に潰えた」

 だが、今の垣根帝督に引導を渡すには十分過ぎる時間だった。
 停滞を打ち切り、垣根帝督に向かって疾駆する。停滞の檻から解き放たれた翼が背後で炸裂するが、そんなのは関係無い。
 帝督は翼を羽搏き、此方の届かない天空に逃げようとするが、『未元物質』を解析した今、外への時間操作が解禁されている。
 何もない宙を停止で固定させ、赤坂悠樹は透明の階段を登って垣根帝督の下へ走る。自身に五倍速の加速を施し、悪夢めいた速度で接近する。

「――っっ!?」

 垣根帝督は展開していた翼を戻そうとするが、間に合わないと判断した。
 戻す過程で先程のように、翼の内側に入った悠樹を攻撃出来るが、其処でまた停滞をされては完全に無防備になってしまう。
 故に、帝督は展開していた翼を消し、即座に再展開して自身を白い繭のように包み、絶対防御の姿勢に入った。
 その翼の密度は今までの比ではない。最初の十倍速で撃ち放たれた銃弾さえ耐え切ったものである。

 ――此処を凌ぎ、立て直せれば垣根帝督の勝利は揺るがなかった。
 彼が犯した致命的な誤算は一つ、銃弾の十倍速を凌駕する必殺の手段を赤坂悠樹が持っていた事だ。

 悠樹は自身の右手を限界まで握り締め、全身全霊を籠めて振り抜いた。

(――な!?)

 その異変は即座に垣根帝督まで伝播した。
 絶対防御の翼から本体である垣根帝督まで、極限まで停滞が施された。直接本体に触れなくても、翼を通して本体である人間の時間を問答無用に掌握する。
 赤坂悠樹が触れた瞬間、相手側が詰む理由はまさに此処であり――悠樹は拳が着弾している地点を停止させ、ひたすら加速させて無尽蔵に力を加えていく。

(一体何を……っっっ!?)

 ――例えば、停止させた対象に外から力を加え続ければどうなろうだろうか?
 停止している最中はほぼあらゆる物理現象に影響されないので何も起こらないが、与え続けられた力場はエネルギー保存の法則に従って蓄積されている。
 その力場は停止が解放された瞬間、一斉に解き放たれる。これが第七位の削板軍覇をも一撃で戦闘不能まで追い込んだ、赤坂悠樹の最後の切り札だった。


 永遠とさえ思えるほど長い一瞬、赤坂悠樹の右拳が白い翼から離れた瞬間に全てが解き放たれた。
 ――夕日が完全に沈んだ宵闇の学園都市に、一人の天使が流れ星のように墜落した。




「……ああ、疲れた。チョコレート食いてぇ」

 限界まで疲弊した赤坂悠樹は地べたに尻餅付き、大きく溜息を零した。
 周囲一帯の道路はほぼ完全に破壊し尽くされているが、それに気を掛けるのは学園都市の雑用係の仕事だ。そんな些末事は彼自身には関係無い。

(此処が街中だったら面倒な事になっていただろうが、それについては運が良かったか)

 もしそうなっていたならば、戦闘の余波の煽りを受けて大惨事になっていただろう。
 あの第二位を相手に他の人々を気に掛ける余裕など一切無いし、そうなったらそうなったらで無視して戦闘続行するだろう。他を省みないのも悪の形の一つである。
 そんな無意味極まりない「if」を頭から払い除け、悠樹は気怠げに立ち上がってある方向へ向かう。
 この戦闘で最大の被害を齎した爆心地の中心に、垣根帝督は仰向けで倒れていた。まるで得体の知れない魔法陣のように地面に歪な亀裂が入り、物言わぬ彼を中心に紅い鮮血が広がっている。

 これでも垣根帝督は微かに生きていた。

 善人ならば此処でトドメを刺さず、更生への足掛かりを残して行くかもしれないが、赤坂悠樹は悪党である。
 悪党に相応しい結末を与える為に一歩足を進め、ふと立ち止まる。

(……ん? 一体何の光だ?)

 奇妙な光源に首を傾げ、悠樹が空を見上げる。
 その巨大な光は数百メートル先にあり、どういう訳か浮遊している。
 赤坂悠樹は自身の眼を疑う。どう見ても、あれは手が幾つも生えて、天使の輪っかみたいなものが頭に浮いて、粒形の翼を幾十に羽搏かせた、何処なの創作神話じみた怪獣の胎児にしか見えなかった。

「……は? 何あれ、ふざけてんの? ――ぐあぁッ!?」

 現実逃避した悠樹に、激しい頭痛が襲った。
 この意識を一瞬で奪い兼ねない感覚は『幻想御手』のネットワークに繋がった時のものと同じであり、危うく飲み込まれそうになった処を寸前の処で持ち直す。

「はぁっ、はあぁっ、冗談じゃねぇ。あれが『幻想御手』だと言い張るつもりかよ……!」

 ネットワークからの干渉を停止させる事だけでは防げなかった。
 なので今度は弄られた自分の脳波を自分で正常な脳波パターンに再現させる事で気絶だけは逃れる。
 だが、疲労で満身状態に陥っている中、これ以上の演算は出来そうにないし、もう秒単位で持たない。

 ――万策尽きた、悠樹がそう認めざるを得ない時、本当の異変は背後で起こった。

「くく、ははははは、ははははははははははははは!」

 即座に背後へ振り向く。其処には満身創痍の垣根帝督が立ち上がっていた。
 それだけなら驚くに値しない。垣根帝督の六枚の翼が猛烈な勢いで展開される。
 凡そ数十メートルまで達した白翼には神秘的な光が備わり、その反面、機械のような無機質さを併せ持っていた。
 先程までとは次元が一桁も二桁も異なる――神が如く、圧倒的なまでの力の具現が其処にあった。

「……っっ!」

 一瞬だけ、赤坂悠樹は垣根帝督と視線が合った。
 それは「まだいたの?」という完全に眼中に無いものであり、次の瞬間、悪寒が走るほどにやりと笑った。
 手に入れた新たな力を早速試すように、垣根帝督は六枚の翼を赤坂悠樹に叩きつけた。


 神々しい白翼が接近する刹那――死んだな、と赤坂悠樹は完全に諦めて両眼を瞑った。
 殺しているのだから、殺されもする。死ぬのなんて、早いか遅いか程度の問題であり、悠樹は笑いながら受け入れた。







[10137] 七月二十日(7)
Name: 咲夜泪◆ae045239 ID:ceb974ce
Date: 2010/01/28 03:42


 七月二十日(7)


 ――赤坂悠樹にとって、死んだ双子の妹という存在を一言で表現するなら『空気』だった。

 それは存在感が薄いという意味では無い。
 何処ヘ行くにしても一緒なのが当たり前、居て当然であり、自分という基盤を確立させる上で絶対に無くてはならない存在だった。
 母の胎内で別れた半身を我が身以上に愛しく思い、悠樹は兄として相応しく振舞おうといつも背伸びし、妹はいつも無茶する兄を支え合った。

 だから、あって当然である『空気』が無くなれば窒息死するのは当然の結末であり、そういう意味では、赤坂悠樹は十年前から死んでいる。

 妹を目の前で殺されたその時から、悠樹の未来は鎖され、生きる目的を完全に失っていた。自分の生きる価値そのモノを見出せずにいた。
 失意の内に学園都市に捨てられ、地獄のどん底にいた赤坂悠樹が自身の能力を把握した時、その身に渦巻く憎悪を糧に、一つの明確な目的を持って行動を始める。
 ただそれは、果たせれば果たす程度のものであり、全身全霊を費やす理由には成り得なかった。

 いつ死んでも構わない、というよりは、早く死んでしまいたい、というのが概ね正解だった。

 自身の能力を限界まで行使する時、間近に迫った『死』は何よりも魅惑的だった。
 自殺願望は余り無いが、生きたいという願望もまた限り無く薄かった事もある。十年前から続く、終わらない悪夢の日常に終止符を打てるのならば本望と言えよう。

 ――それでも『特力研』から抜け出した後の一年は、まるで夢のような日々だった。それだけは強く断言出来る。

 自身の『時間暴走(オーバークロック)』の限界を軽く踏み外し、瀕死の重傷であの医者が待つ病院に送られたのが人生最大の転機だった。
 患者に必要だという理由で何から何まで世話になり、長点上機学園の入学手続きと風紀委員(ジャッジメント)への志願書さえ用意された時には、カエル顔の医者が本当に能力開発を受けていない無能力者なのかと強い疑念を抱いたものだ。
 警備員(アンチスキル)の黄泉川愛穂との腐れ縁もこの時期からだった。
 長年悪い意味で世話になった『特力研』を解体して貰う際、猛烈に情報提供し過ぎたのが運の尽きであり、以後、頭が上がらなくなった。

 風紀委員(ジャッジメント)として適当に活動しながら生きる目的を探し、それと同時に、憎悪を糧に抱き続けた一つの目的の為に更なる力を追い求めた。

 普通の学園生活に違和感を覚えながらも、様々な事件に巻き込まれながら力尽くで解決したり、第七位の削板軍覇と馬鹿みたいに喧嘩したり、とにかく毎日が破茶滅茶だった。
 風紀委員の事も面倒な事が沢山だったが、それなりに楽しかったと思う。

 ――結局、何も掴めぬまま、何も果たさぬまま、此処で朽ち果てる。
 所詮、この程度が自分の器だったのだろう。赤坂悠樹は潔く諦めた。やれる事は全部やった、その果ての終焉ならば文句は無いだろう。

 それなのに、何で今際の際に死んだ妹の顔ではなく、御坂美琴や白井黒子の顔を思い浮かべてしまったのだろうか――?

 御坂美琴の方は大丈夫だろう。木山春生から『幻想御手』の支配権を奪うという最高のお膳立てをしてやったのだ。問題無く確保出来ただろうし、『スクール』のメンバーに妨害されても垣根帝督以外が相手なら簡単に蹴散らせるだろう。

 ――ふと、此処で心残りを一つ見つけてしまった。

 彼女には風紀委員を名乗ろうが警備員を名乗ろうが、どんな奴にも木山春生の身柄を引き渡すな、と言ってしまっていた。
 それら二つの治安組織は学園都市の上層部に抑えられ、暗部の何者かが警備員を装って木山春生の身柄を無条件で奪取する事への対策だったが、御坂美琴には本物かどうか見分ける手段が無い。
 本物に対しても抵抗してしまっては本末転倒であり、協力してくれた彼女を犯罪者にしてしまう。笑えない話だった。
 白井黒子にしても、朗報を期待しろと大口を叩いてしまい、それで自分が死んだと伝われば一生後悔するだろう。――誰かの死を背負うのがどんなに重いか、それを身を持って知っているだけに忍びない。
 それに今回総動員した風紀委員にしても、トップに立っている自分が不審な死を遂げれば不用意に暗部を探る者が出るかもしれない。無駄に正義感が強いだけに、いずれも不慮な結果になるだろう。
 ついでに言えば、削板軍覇との勝負は負け越しており、そのまま終わりという結果では非常に気に食わない。


 ――何も背負わないように生きてきたつもりだったが、いつの間にかこんなにも背負っていた。




 その歪で巨大な胎児を見た瞬間、垣根帝督は自身の能力の本質を知った。
 この世界の何処を探しても見つからなかった正体不明の素粒子、『未元物質(ダークマター)』が一体何だったのか、何処から引き出されたのか、そしてその意味を――。

「ははっ! ははははははははははははは!」

 今まで体感した事の無い、途方も無いほどの力が暴走するように漲る。この神が住む天界の片鱗を、帝督は完全に掌握している自覚がある。
 ――最早、出来損ないの超能力者である第八位など敵では無かった。否、今この瞬間をもって第二位と第一位の順位は逆転したとさえ垣根帝督は確信する。
 それは主観的な思い込みなどではなく、極めて冷静で客観的な感想だった。今なら第一位の『一方通行』を含む、学園都市の全ての能力者と敵対しても無傷で勝利し得る。それほどまでに偶然手にしたこの力は絶対的だった。
 最初に眼に付いた悠樹に六枚の翼を叩きつけたのは、単に一番手頃な実験対象だったからであった。
 もはや戦略兵器と化した六枚の翼は動くことすらままならない赤坂悠樹に殺到し、そして――。


「――今のお前になら殺されても良いと思ったんだがな。駄目だな、全然駄目だ」


 溢れ出ていた力が幻夢の如く消え去り、数十メートルまで巨大化した六枚の翼は淡く散った。
 神にも匹敵する力の片鱗は、帝督の掌からするりと何処かへ零れ落ちてしまった。

「……何を、何をしたァッ!?」

 同様の異変は木山春生が『幻想猛獣(AIMバースト)』と名付けた胎児にも生じる。
 『幻想猛獣』は飛び切りの悲鳴を上げる。急激に姿を保てなくなり、ノイズが走るように姿が時折霞む。
 赤坂悠樹はゆらりと立ち上がる。
 生きた心地が欠片もしない。その理由は二つあり、一つは既に自分が限界と定めた一線をとうに踏み越えている事、もう一つは垣根帝督の『未元物質』を通して把握した、全く理解の及ばぬ異世界の法則が、ただでさえ削られた思考の余白を塗り潰すように切迫していたからだ。

「……オレが名付けた能力名は『時間暴走(オーバークロック)』だがな、オレが無自覚に発するAIM拡散力場は、周囲の素粒子を『停止』させるものなんだよ」

 垣根帝督から「……な、に?」と息を呑む音が生じる。
 それこそ赤坂悠樹が正体不明の多重能力者を振る舞えた最大の要因、学園都市に五千万機ほど散布している最大の情報網『滞空回線(アンダーライン)』を無自覚の内に停止させ、自身の能力の情報を完全遮断したAIM拡散力場だった。

「勘違いさせて悪かったね、オレが一番得意とする領分は『加速』ではなく『停止』なんだよ。幾らテメェがAIM拡散力場を無茶苦茶に干渉しても、力の源を『停止』してしまえば意味が無い」

 確信犯は誇るように嘲笑う。
 今まで秘匿し続けた能力名『時間暴走(オーバークロック)』さえ、最後に騙し討つ為の布石に過ぎなかったのだ。
 それでも二つの幸運が無ければ、今のこの奇跡的な状況は成り立たなかった。
 一つは『幻想御手』のネットワークを乗っ取った得難い経験。あれのノウハウを生かして、今のAIM拡散力場を掌握して停止させた状況が実現したのだ。
 もう一つは垣根帝督の『未元物質』を徹底的に解析した事。悠樹単体では『幻想猛獣』の仕組みを解明出来なかったが、『未元物質』を通して理論や過程を抜きに把握する事が出来たのは正に僥倖だった。

「それと二つほど参考になったよ。オレの時間操作の演算に狂いを生じさせていた正体がAIM拡散力場だったとはな。余りにも影響が薄いんで条件から除外していたが、存外侮れんものだった」

 それが遠距離からの時間操作を妨げていた原因だった。周辺に漂っているAIM拡散力場も場所によって千差万別、能力者個人でAIM拡散力場が違うのは当然であり、今まで失敗していたのは必然だった。
 こんな初歩的な事に気づくまで、酷く遠回りしたものだと悠樹は自嘲する。

「そしてAIM拡散力場に数値設定を入力、その発想は正直無かった。お陰様でオレも『自分だけの現実(パーソナルリアリティ)』に新たな『制御領域の拡大(クリアランス)』を取得出来たよ」

 それが非科学的な理論をもって動くのならば、既存の演算能力は関係無かった。
 赤坂悠樹の背中から紅い光が噴射する。それは鮮血の赤より紅い、片羽の翼だった。

 ――即座に垣根帝督は六枚の翼を再展開し、場の制御を奪おうとする。
 停止を解いたなら干渉が可能である筈だが、圧倒的なまでに初動が遅かった。

 赤坂悠樹にはその無限に湧き出る力の奔流を自身の眼下に集中させる。
 垣根帝督と違い、この未知の力を完全に掌握出来ていない。いや、制御して安定させる気など最初から無かった。むしろ最終的に暴走させる気概で一点に圧縮していく。
 弾丸は正体不明の力で、引き金は制御出来ずに暴走した一瞬、となればこの科学に完全に喧嘩売っているオカルトな現象も既存の銃の仕組みに過ぎない。

 ――轟音と共に撃ち放たれた紅の極光は垣根帝督の翼を貫く処か、背後に居た『幻想猛獣』の頭部を穿ち貫き、凄まじい破壊の余波を残して地平線の彼方に消えた。




(……何の音だ?)

 言葉では説明出来ない、五感に働きかけるような不思議な音が聞こえる。
 同時に『幻想御手』からの干渉が綺麗さっぱり消え去った。どうやら御坂美琴の方は上手くいったらしい。
 安堵した直後、厄介な眠気が押し寄せてくる。
 此処でこの心地良い眠気に身を委ねれば、そのまま楽に死ねる。まだ能力によって生じた負荷を処理している最中なので、何が何でも意識を失う訳にはいかない。
 それまでは何とか意識を保たせられるが、その他に費やす余力は残されていない。現状の自分は指一本さえまともに動かせそうにない。


 ――あの真紅の光が直撃して尚、『幻想猛獣』は健在だった。


 体の構成が九割九分崩壊しながら、露出した核と思われる三角柱のような物体は傷一つ無い。
 逆にあれさえ破壊出来ていれば呆気無く終わっていただろうが、こればかりは運が悪かったとしか言い様がない。

『――ntst殺kgd』

 異形の怪物は地面をゆっくり這い蹲りながら、仰向けに倒れ伏している赤坂悠樹の下を目指す。
 見えているのが逆にもどかしかった。あの崩壊した化物の足取りは牛歩の如くのろいが、此方が動けないのなら、それは死刑執行までの僅かな猶予に過ぎない。
 今は、何が何でも死ねない。意識があるのだから、諦める事など出来ない。それでも現実は非情であり、成す術など――刹那、甲高い音が耳に届いた。
 つい最近、何処かで聞いたようなエンジン音だと思うが、霞がかった意識では答えを出せない。

(……目と鼻の先には形容し難い怪物の触手。で、遠くの崩壊した高層道路からはタクシーが減速すらせず飛び出しって、え?)

 何か今おかしな光景が眼に入った。幻覚を見てしまうほど末期なのか、思わず疑ってしまうほどに。
 第一、崩壊した道路から飛び降りたら十メートル以上落下する事になる。車体も中の人も無事では済むまい。

(……凄いな。崩壊して中途半端に落ちていた道路を次々に足場にして無事に済んだよ。映画の中でも見れそうにない迫力のワンシーンだ)

 現実逃避する余裕など無いのだが、見えてしまうのだから仕方ない。
 そのタクシーは土砂を巻き上げながら此方へ一直線に走り、鈍足の怪物を追い抜いてスピンするように停止しようとする。
 車が止まる前に後部座席が開き、一人の少女が飛び出る。
 彼女は地面を転がりながら、倒れ伏す悠樹の前に立ち、右手に持っていたコインを宙に弾き飛ばした。

 ――ああ、終わったな、と早くも悠樹は確信する。
 相手が人間でなく、且つ射線上に遮蔽物が何もない以上、彼女が手加減する理由は何処にもない。

 斯くして、彼女の放った本気の超電磁砲は露出していた三角柱の核を穿ち貫き、残りの構成要素を跡形も無く吹き飛ばし、容赦無く殲滅する。
 こんな馬鹿げた一撃を何らリスクを背負わずに撃てるのだから、羨ましい限りだと悠樹は内心毒付く。
 垣根帝督には強がったが、隣の芝生は蒼く見えるものだ。

「……遅い、ぞ」
「悪かったわね、こっちも手間取ったのよ」

 美琴も悠樹も、お互い酷くボロボロになりながら笑い合った。
 清々しいほど美味しい処取り過ぎて、逆に感心してしまう。

「……でも、まぁ、格好良かったぞ。オレが女なら、間違い無く惚れてる」
「……それ、どういう意味よ?」

 ――逆の立場だったら最高だったという意味さ、とヒーローになれない悪役は強すぎるお姫様に愚痴ったのだった。







[10137] 七月二十日(8)
Name: 咲夜泪◆ae045239 ID:ceb974ce
Date: 2010/01/28 21:04




「……ふぅ、何とか持ち直したか」
「ちょっと、立ち上がって大丈夫なの?」

 自身の能力によって生じた負荷を完全に処理し終え、赤坂悠樹は覚束無い足で立ち上がる。
 疲労感が酷すぎてさっさと気を失いたい処だが、まだやる事が一つ残っている。

「そういえばあの超能力者はどうしたの? 倒したんでしょ?」
「ああ、多分生きていると思うから、ちょっくら探しに行ってくる。それまで木山春生を宜しく、あと警備員が来たら知らせてくれ」

 矢継ぎ早に告げ、悠樹はふらふらしながら早足に立ち去る。
 一般人である御坂美琴が一緒にいては、不都合だからだ。


 七月二十日(8)


「……良く生きているよな。流石は第二位か」

 赤坂悠樹は瓦礫の下に半ば埋れている垣根帝督を静かに見下ろす。
 帝督は赤い極光の砲撃を寸前で避けたが、翼を掠った余波だけでこうなっている。
 AIM拡散力場を掌握した力と、超能力単体で此処まで差が開くとは悠樹も思っていなかった。

「……っ」

 仰向けに倒れている垣根帝督が弱々しく眼を開く。
 この様子では、指一本動かすどころか、能力を使用する事も出来ないだろう。

「……殺さねぇのか?」
「オレは一流の悪党だからな、勿論殺さんよ」
「……どういう意味だよ?」

 帝督は不思議そうに聞き返す。
 殺す奴の世界は一方的に縮まるのみで、赤坂悠樹の目的を達成させるには世界を広げる必要がある。
 マイナスを無理矢理でもプラスに変えていかなければ、到底届かないのだ。

「此処で学園都市に超能力者の死体一つ提供しても、オレが得する事は何も無いって事だ。それならお互いハッピーになる道を選ぼうぜ?」
「良く言う、この悪党が……」

 帝督が悪態を付く中、悠樹は勝者の笑みを浮かべる。
 この勝者と敗者が完全に決した現状で、対等という前提は在り得ない。

「此方から提示する条件は二つ。一つはオレが死ぬか諦めるか勝つまで『一方通行(アクセラレータ)』との交戦を禁ずる事」
「……今のテメェなら楽勝だろうよ」
「それはオレを過大評価しすぎで、一方通行を過小評価しすぎだ」

 今の疲労困憊した思考では考慮したくないほど、一方通行とは厳しい戦闘を強いられるだろうと悠樹は考える。

「もう一つはオレが一方通行に勝った時限定で良い。一回だけオレに協力する事。それぐらい容易いだろ?」
「断る、と言いたい処だがな。……一つ条件を付け加えさせろ。もう一度戦って勝ったら、だ。次は絶対殺してやる」

 もし再戦したならば、その時は間違い無く垣根帝督に軍配が上がるだろう。
 能力の詳細をほぼ完全に知られたのは手痛い失態であるし、AIM拡散力場の掌握戦も何方に転ぶか解るまい。
 ぶっちゃけ、AIM拡散力場を停止させ、あの未知の力を阻害した時、垣根帝督の元からの能力を即座に使われていたら殺されていた。
 停止する事が出来たのはAIM拡散力場であって、垣根帝督が操る正体不明の素粒子『未元物質(ダークマター)』では無かったのだから。

「オッケイ、交渉成立だな。いやはや、其方にとっても悪い話じゃないと思うよ、垣根」

 それでも構わない、と悠樹は笑う。
 垣根帝督が今以上の壁として立ち塞がるなら、また乗り越えてやればいい。自分の能力を知った者がどんな対策を練ってくるのか、今までに無い経験になるだろう。

「お前の願いは学園都市の内に向いていて、オレの願いは学園都市の外に向けられている。互いの領分を尊重する限りは上手く付き合えると思うがね」
「……首洗って待ってろ、赤坂」

 もう喋る事は無いと、帝督は不機嫌そうに目を瞑る。
 元々馴れ合いをする関係でもあるまい。悠樹は背を向けて立ち去る。

「ああ。じゃあな、垣根。――次に遭うまでには這い上がって来いよ」

 ――そんな、悪党に似合わない余計な一言を残して。

「……ハッ。テメェこそ、一方通行如きに殺されんなよ」

 ――テメェを殺すのはこの俺だと、今度こそ自身が誇れる『悪』を見せつけてやると誓い、垣根帝督は静かに意識を失った。




「ま、まさか一日足らずで『幻想御手』事件を終わらせてしまうとは……!」
「今日だけで色々ありすぎて疲れちゃったわ」

 とある病院にある白井黒子の病室にて、ボロボロの制服に包帯塗れの御坂美琴と初春飾利、ついでに付いて来た佐天涙子が事件の事の顛末を黒子に伝える。
 赤坂悠樹が画策した風紀委員の総動員から始まり、佐天涙子のちょっとしたきっかけから『幻想御手』の開発者が木山春生だと判明する。
 これにより簡単に事件が終わったかと思いきや、木山春生が『幻想御手』を大々的に流して(この方法については未だに捜査中であるが)事態が一転する。
 警備員も風紀委員も混乱状態に陥り、通信すら難しい中、赤坂悠樹は『幻想御手』を使用するという危険を犯して木山春生の居場所を逆探知して向かうが、其処に立ち塞がったのは第二位の垣根帝督だった。
 その後は「此処はオレが足止めする、御坂は先に行け!」という死亡フラグを赤坂悠樹が華麗に立て、美琴が映画さながらのカーチェイスをやったり、能力開発を受けていない木山春生が多重能力で暴れ回ったり、何か訳解んない怪獣が出現したりと信じられない事が続出したらしい。
 黒子は親愛するお姉様の発言なれども、半分も信じられなかった。

「それで赤坂さんは……?」
「ああ、アイツなら能力使いすぎて疲労困憊なだけよ。念の為、私と同じく一日入院するみたいだけど。それに風紀委員を勝手に総動員した件も、全ての風紀委員が自発的に協力したって庇い立てしてね、十日間、風紀委員の活動を自粛するって事で実質お咎めなしよ」

 その時の悠樹の不機嫌そうでいて、多分照れ隠しの表情は見物だったと御坂美琴は笑う。

「それにしても赤坂さんって第二位の人倒しちゃったんですよね? って事は順位が逆転したりするんですか?」
「いえいえ、佐天さん。そんな素敵な下克上制度は多分無いですよ」

 幾ら学園都市の治安が世紀末寸前でも、超能力者の順位は成績や身体測定の結果だと思われる。
 というのも、その明確な規準が余り解ってなかったりするのであくまでも憶測であるが。

「そうよ。第一、私はアイツに負けてないもん」

 そんな負けず嫌いな御坂美琴の物言いに、黒子は「お、お姉さま……」と苦笑し、釣られて皆一斉に笑ったのだった。
 御坂美琴も赤坂悠樹も、皆無事で良かったと黒子は安堵する。

(――でも、これで赤坂さんは迷わず第一位の『一方通行(アクセラレータ)』に挑戦する……)

 御坂美琴を凌駕し、垣根帝督を上回る最強の超能力者(レベル5)に。
 果たして無事に済むのだろうか。答えは、見つかるのだろうか――?




 一方、赤坂悠樹の病室は通夜の如く沈痛な雰囲気が漂っていた。
 悠樹は退屈気にベッドに横たわり、カエル顔の医者は悠樹に一枚の書類を無言で手渡す。悠樹は書類を一通り一瞥した後、くしゃくしゃに丸めてゴミ箱に放り投げた。

「――このまま能力を使い続ければ、君は最短で六年程度しか持たないよ。それでも止めないのかね?」

 カエル顔の医者の診断は概ね事実だった。
 赤坂悠樹の『時間暴走(オーバークロック)』は通常の物理概念から外れ、科学的に説明出来ない部分もあるが、能力を使う毎に『自分の時間』を消費している可能性があった。
 今は目立った老化現象は起こっていない。もしかしたらその予兆が無く、寿命が著しく縮まって突然死するかもしれないし、もしかしたら何も問題無いかもしれない。
 それ故に、大体の目安として、この診断は赤坂悠樹の寿命が八十年であると仮定して行われている。
 今から能力を一切使わなければ、三十年程度は長生き出来るだろう。だが、それに何の意味があるだろうか?

「自分で選んだ自分の道です。それに幾ら貴方が『冥土帰し(ヘヴンキャンセラー)』と呼ばれていても、自分から死を奪わないで下さい」






[10137] 七月三十日(1)
Name: 咲夜泪◆ae045239 ID:01231db7
Date: 2011/01/23 03:59


 七月三十日(1)


『――白井さん、其処を右に曲がった先が通報現場です……!』
「了解しましたわ、初春っ!」

 薄汚れた裏通りにツインテールが舞う。
 学園都市の全学区を巻き込んだ『幻想御手事件』から十日間も経過し、昨日退院した白井黒子は復帰早々路地裏を走っていた。

(~~っ、流石に体力の衰えを感じますわねぇ……!)

 年寄りっぽい事を考えながら、黒子は鈍った自身の身体に悪戦苦闘する。
 十日間近く寝たきり生活をしていただけに、完全な体調を取り戻すにはまだ時間が掛かるようだ。
 ゴミが散乱した路地裏の角を曲がり、通報があった地点に漸く辿り着く。
 右腕に付けられた腕章を誇らしげに眼前に突き出し、黒子は久々に自身の役職を確かめるように高々と宣言する。

「――『風紀委員(ジャッジメント)』ですの! 大人しくお縄に……って」
「遅かったじゃないか。『何の罪も無い無辜な一般学生』が不良どもに寄って集って襲われたというのに」

 其処には複数の不良生徒に囲まれ、そして既に制圧した不良風紀委員が皮肉げに笑っていた。
 最後の一人だけ意識を失っていないが、泣きながら許しを乞う光景は僅かな同情を禁じ得ない。

「……はて、そんな稀有な存在なんて何処にいます? 私の目の前には不良どもを片手感で捻り潰した極悪な超能力者(レベル5)しか見えませんわ。というより、風紀委員の活動はまだ止められている筈では?」
「だから降り掛かった火の粉を払うだけに留めている」

 黒子は目の前の彼をジト目で睨み、そんな視線を欠片も気にしない赤坂悠樹は欠伸しながら弁解にすらならない答弁を正論が如く図々しく並べる。
 一応、風紀委員の腕章を付けていないが、やっている事は普段と全く変わらないと黒子は内心突っ込む。

「それにしても最近の雑魚は雑魚過ぎて困る。手応えも全くないし、楽しむ暇もありゃしない」

 学園都市で第八位に位置する超能力者は心底退屈気に目を細める。
 そんな危険な能力者が其処ら中に徘徊している訳無いだろうと、黒子は無茶振り過ぎて突っ込む気概も無くし、深い溜息を吐く。

「はいはい。……ところで赤坂さん。貴方、まさかあんな少女までも……!?」
「? 世界で一番女に優しい男に向かって唐突だな。一体何の事――むむ?」

 黒子が劇画風に慄き、悠樹が不思議そうに彼女の視線を辿ると、其処には白いシスター姿の少女が行き倒れていた。
 彼の驚いた反応を見る限り、悠樹にとっても想定外の出来事だったようだ。

「其処なリトルシスター、そんな処で寝転んでどうしたんだ?」

 あの赤坂悠樹さえ不審人物を見るような眼で行き倒れシスターに話しかける。
 黒子自身も後から思った事だが、面倒な事になりそう、その予感は多分当たりだった。

「お、お腹減った……」




「――『スクール』の連中もざまぁないね。ただの風紀委員と一般人に返り討ちに遭うなんてさ」
「……その二人は第八位『過剰速写(オーバークロッキー)』と第三位『超電磁砲(レールガン)』という超反則な組み合わせですけど」

 とある第七学区のファミレスにて、今日も外からの持ち込みを店内で堂々と食べ、何一つ注文しない迷惑な四人組は我儘顔に店のテーブル席を陣取っていた。
 『スクール』という小規模ながら学園都市の暗部に潜む極秘組織を堂々と中傷するのは同じく暗部組織の一つである『アイテム』のリーダー、学園都市に八人しかいない超能力者の一人であり、第四位『原子崩し(メルトダウナー)』麦野沈利である。
 その彼女の自信満々な発言を気疲れした表情で突っ込んだのは『アイテム』の一員である十二歳ぐらいの大人しそうな少女、絹旗最愛だった。

「うーん、結局『未元物質(ダークマター)』は見掛け倒しだった訳? それとも噂の多重能力者(デュアルスキル)が強かったの?」
「多分、第八位の人が超強かったんじゃないかと思いますが――」
「冗談。あんな雑魚にやられるなんて良く超能力者を名乗れるもんだわ」

 麦野沈利の隣にいる金髪碧眼の少女フレンダは心底不思議そうに疑問を唱え、最愛が第八位の肩を持とうとするが、沈利によって無情に切って捨てられる。
 最愛はリーダーが第八位『過剰模写』に何か恨みでもあるのだろうかと少し不安になる。

「あれ? 麦野って第八位の人と面識あるのー?」
「一度だけね。吹けばすぐ吹っ飛ぶような甘ったるい優男だったわ」

 フレンダと沈利はいつものようにスキンシップしながら気軽に話すが、最愛にはどうにもそう思えない。

「お嬢様育ちの『超電磁砲』に構成員三人やられ、挙句の果てに垣根帝督本人は一対一で第八位如きに敗北よ? そんな生き恥晒したら自殺しちゃうわ!」

 下品に笑う麦野沈利を横目に、最愛は自分の横で先程から会話に加わってない滝壺理后に話しかける。

「……うーん、ホントにそうですかねぇ。滝壺さんはどう思いますか?」
「……北北西から信号がきてる……」

 相変わらず彼女は何を考えているか解らず、絹旗最愛は考えるのをやめた。




「もが? ぼぉじまほ?」
「……口の中を空にしてから喋ってくれ。そんな小柄な体で、良く食べれるなと関心した処だ」

 赤坂悠樹は次々と食べ物を消化していく世紀の暴食暴飲シスターを呆然と眺めていた。

(……こりゃ貧乏籤を引いたか)

 白井黒子に不良どもの引き渡しを任せたのが運の尽きだった。悠樹はこの正体不明のシスターの面倒を見る事となり、必然的に奢る事となった。
 女性相手に奢るのはいつもの事で当然だが、まさか此処まで暴食するとは思いもしなかった。追加注文の数など十を超えた当たりで数えるのを止めている。
 金銭は気にしなくていいが、まさか周りの目を気にする事になるとは本人も思っていなかっただろう。
 精神的にゴリゴリ削られている気がすると悠樹は精神的な疲労感を漂わせていた。これについては別の理由もあるが。

「――ん、育ち盛りなんだよ。それはそうとありがとね。教会に行きたかったんだけど、お腹が減って動けなくて困っていた処なんだよ」

 悠樹は「そうか」と話半分に適当に相槌打ちながら、相当燃費が悪いんだろうな自分の中で納得する事にする。胃袋の許容量とか科学的に考えたら負けかなと思っている。

「私の名前はね、インデックスって言うんだよ。見ての通り教会の者です。あ、バチカンじゃなくイギリス清教の方だね」
「へぇ、何処の生徒なんだ?」
「生徒じゃなく、シスターだよ?」

 どうにも噛み合わない会話に、悠樹はやる気無く「そうか」と終わらせる。
 不審な点はそれこそ星の数ほどあるが、今の自分は幸運にも風紀委員としての活動を制限されている。無駄に仕事する事もあるまい。というより早く白井黒子に全て任せてトンヅラしたい気分だった。

(……どうもコイツといると調子が狂う)

 それはこの暴食シスターのマイペースぷりに此方のペースが乱される、のではなく、現在進行形で実際の感覚器官に異変が起こっているからだ。
 このシスターの前には死んでも見せないが、先程からテーブルの下で指先が小刻みに震えており、おまけに正体不明の圧迫感で息が詰まる。
 いや、全くの正体不明という訳ではない。似たような感覚なら十日前程に一度体験している。理論的に説明など全く出来ない事から正体不明である事には変わりないが。

(……AIM拡散力場が産み出した化け物胎児と、目の前の暴食暴飲シスター、共通点なんざ見当たらないな)

 ――十日前、木山春生の『幻想御手(レベルアッパー)』を乗っ取り、あの正体不明の『赤い翼』に至ってから、赤坂悠樹の『時間暴走(オーバークロック)』は劇的に進化を遂げた。
 AIM拡散力場を計算に入れてから、力場の影響が薄い人間であれば遠距離からもある程度の時間操作が可能となり――つまりは無能力者(レベル0)から異能力者(レベル2)まで掌握可能となった。
 更には『幻想御手』で数多の能力者と繋がった恩恵で、時間操作に関して最適な計算式を構築し直し、前以上の能力行使が可能となって限界と見定めた領域が格段と広がった。

(……稀にこのシスターみたいに能力行使出来ない例外がいやがる。どうも法則性が掴めないな)

 ただ、あの正体不明の『赤い翼』に関してはAIM拡散力場に強烈な影響を齎すが故に、あれから一度も実践出来てない。
 元よりあんな訳の解らないものを二度と使う気にはなれないので本人としては問題無い。

「ご馳走様でした。本当にありがとね。あ、そうだ。教会の場所知らないかな?」
「残念だが、知らないな。宗教に興味無いし」
「そっか。うん、それじゃあね」

 悠樹は自身の思考に意識を傾けながら「そうか」と適当に相槌打ち――おかしな会話の流れに「ちょっと待った」と意識を現実に戻す。

「……いない?」

 あの『目次(インデックス)』というあからさまな偽名を使った少女は影も形も無くなっていた。
 非常に面倒な事になった。あの常時お花畑の脳天気具合から学園都市の裏に関係する人間ではないと思うが、かと言って表側の人間でもあるまい。

 赤坂悠樹の見立てでは彼女は十中八九『外部』の人間であり、学園都市の監視から『意図的』に外されている存在だろう。これが厄介でなくて何を厄介と呼ぶか。

 学園都市の警備はほぼ完璧と言って良い。上空からは監視衛星が二十四時間目を光らせ、学園都市内部には五千万を超える直通情報網が張り巡らされている。
 門の記録と一致しない不審者など即座に確保されるのが当たり前だが、あの少女は学園都市の上層部の何らかの事情で例外的に放置されている。

(――性質の悪い『撒き餌』だ。まるで食いついてくれ、と言わんばかりの)

 学園都市最強の超能力者との交戦を間近に控えている赤坂悠樹にとって、そんな得体の知れぬ厄介事に首を突っ込む気にはなれない。
 これは勘だが、超能力者である悠樹でも手に余る事情を、あの少女はおそらく背負っている。悠樹の中で飛び切り質の悪い警報を鳴らしている。

(あの天使のような外見とは裏腹に疫病神のようだな)

 裏の事情に密接に関わる悠樹にとって、その勘が外れた事は残念ながら少なく、事前に回避する事が何より重要であると実感している。
 白井黒子には「トイレに行っている内にいなくなった」と伝えよう。弁解としては非の打ち所が無いほど完璧だ。

「……冷めちまったか」

 あの奇妙な圧迫感のせいで置きっぱなしとなっていたコーヒーに砂糖を何杯も入れながら、今後の事について思考を進める事にする。
 白井黒子が来るまでの退屈凌ぎには十分だろう。一応待って報告してやるぐらいの義理はある。
 砂糖が溶け切らず、微妙な味わいになったコーヒーを飲みつつ――これじゃ『いつも通り』だと考え直す。

「胸クソ悪ィ……」

 大きな舌打ちを一つし、赤坂悠樹は勘定の紙を抜き取って立ち上がる。当ては無いが、先程の圧迫感を頼りに探せば何とかなるだろう。




「……うーん、迷ったかも」

 こうして風紀委員の中で唯一の超能力者の捜索対象となったインデックスは路地裏にいた。
 彼女にとってこの科学の街は異世界に近く、完全記憶能力があるのにどういう訳か迷ってしまう。
 困惑しながら歩いていると、インデックスは服装が乱れた少年達と遭遇した。

「何そのシスター姿、コスプレ?」
「こんな処でそんな格好って、誘ってんのかぁ?」

 不良生徒達は下品な笑みを浮かべて近寄ってくる。
 囲まれてはいるが、彼女は一切危機感を抱いていない。素人が幾ら頑張った処で、こんな包囲網なぞ穴だらけも同然だ。
 凄腕の魔術師から逃げ遂せて来たインデックスにとって、この程度はピンチにも入らない。
 さっさと逃げちゃおうとした時、馬鹿でかい声が全員の動きを止めてしまった。

「待てぇーい!」

 この場に居た全員が耳を抑えながら音の発生源に振り向く。
 其処には原理は不明だが赤青黄色のカラフルな爆発を背負いながら腕を組んで仁王立ちする、異様な存在感を放つ少年が立っていた。

「白日堂々いたいけな少女を集団で襲うたぁ根性が足らんな! いや、足りないのは根気か? それとも甲斐性か? 何方にしろ情けない!」
「な、何だテメェは!?」
「良くぞ聞いたっ! 我こそは学園都市の超能力者の一人、八人の内の七番目なんだがそんな事はどうでもいい! ――嘆かわしい、実に嘆かわしいぞ! 幾ら女にモテないからって集団で強硬手段をとるなど真の男のする事では無ぁい!」

 日章と旭光を意匠化した日本の旗をモチーフにしたシャツの少年は拳を振るい上げて断言する。
 インデックスは皆が彼に集中している間にこの場を抜け出す事にした。

「や、やべぇぞ。マジで超能力者なら――」
「さあ歯を食い縛れ修正してやる根性無しどもっ! すごいパーンチ」
「何それしょぼウボァー!?」

 背後で行われる常識外の出来事に興味を惹かれたが、今は教会に辿り着くのが一番の目的だ。こんな時に魔術師達に見つかったら目も当てられない。

「ありがと、ごめんね」

 誰にも聞こえないような小声で、インデックスは感謝の言葉と謝罪を残して去った。
 走る、走る。その小柄の身体と動き辛いシスター姿からは想像出来ない活発さで学園都市を駆け巡る。
 見るもの全てが新鮮で、何もかもが初体験。まるでこの科学の街は御伽話に出てくる幻の都市のようだった。
 先進的な風車、地面を駆け回る奇妙な機会仕掛けの使い魔など、色々と見とれていると、前が疎かになり、誰かに衝突してしまうのは当然の帰結だった。

「あ、ごめんなさーい!」
「ちょっと、気をつけなさいよ。消し炭にするわよ?」

 慌てて駆け抜けるインデックスは聞き流したが、ぶつかっただけにしては物騒な文句だった。
 不機嫌そうにそう言う彼女には、実際に人一人を消し炭に出来るだけの力がある事をその場にいる三人はある種の恐怖と共に知っている。
 本当に不機嫌な時は有無言わずに実行し兼ねないだけに性質が悪い。超能力者の第四位『原子崩し』麦野沈利とはそういう人間である。

 ――本来なら、麦野沈利は今の出来事を記憶の片隅にも残らなかっただろう。
 一足遅れて走り去った、明らかに今の彼女を追跡する人影を見るまでは。

「――第八位?」
「へ? あれが噂の『過剰速写』?」

 フレンダの声に返答すらせず、沈利は突発的に後を追う。
 何だか事情は解らぬが、最近調子付いているクソ生意気な格下を黙らすには丁度良い機会だ。
 獲物を前に舐めずりする肉食獣が如く、麦野沈利は『アイテム』の同僚三人が引くぐらいの凶悪な笑顔を浮かべた。




 たった今、初春飾利や御坂美琴と合流した白井黒子の前を颯爽と通り過ぎた白いシスター姿の少女は、先程まで空腹で倒れていた人物に違いなかった。

「え? 何であの子が……?」

 彼女は赤坂悠樹が餌付けしていた筈――黒子が内心困惑する最中、一拍子遅れて駆ける赤坂悠樹と偶然か必然か、目が合った。

「丁度良い処に居たな黒井白子、追うぞ!」
「わたくしの名前は白井黒子です! 何でいつもいつもワザとらしい間違い方を……! というより、あの少女は何で……!」
「説明は後だ、早く追わないと見失うぞ!」

 そのまま走り抜ける悠樹の背後を「ああもう!」と叫びつつ、黒子も律儀に追う。
 話について行けず、居残された美琴と飾利はぽかーんと立ち竦んだ。逸早く呆然から立ち直ったのは御坂美琴だった。

「ちょっと、アンタ達待ちなさいよ! 私を置いていくなぁー!」

 何だか無視されて苛立つ既視感を覚えた御坂美琴は理由無く走る。
 前を走る悠樹と黒子とは少し距離が開いていたが、能力を使用して加速すれば追いつけない程でもない。
 一瞬で追いついてみせるという意気込みは、先頭を走る二人が急に止まった事で簡単に実現し、美琴は止まり切れずに悠樹の背中に激突してしまう。

「痛っ! ちょっと何で急に立ち止まるのよ!」

 涙目で強くぶつけ、鼻を押さえながら美琴は文句を言うが、悠樹の方は一切振り向かず前を凝視している。
 訝しげに彼の前を見ると、悠樹の前に誰かが立ち塞がって――いるというより、その人物も不慮の遭遇に驚きを隠せずにいるように見える。
 その金髪のホステスみたいな少年の顔を見た瞬間、「げっ、あの時の……!?」と美琴と黒子の声が重なった。

「こんな処で出遭うとは奇遇だな。まぁそんな事はどうでもいいが、今シスター姿の幼女が通らなかったか? 其処の不良生徒くん」
「オレが知るかよ。何だぁ、今度は女の尻でも追っかけてんのか? この不良風紀委員が」

 二人は一瞬で険悪極まる空気を形成する。
 十日間も経って、まだ顔や腕に包帯が取れていない事を見る限り、『幻想御手事件』の最後に赤坂悠樹とぶつかり合った第二位『未元物質』垣根帝督の傷は相当深かったのだろう。

「そ、そんな事より赤坂さん、向こうに……!」

 このまま二つの戦略兵器を居合わせては百害合って一利も無い。黒子は追跡目標であるシスターをだしに二人の意識を必死に逸らそうとする。
 一瞬だけ悠樹の意識が追跡目標である少女に向く。インデックスと名乗った少女は不注意にも誰かと正面衝突し、地面に尻餅付いていた。

 ――にも関わらず、激突された白髪の少年の方は微動だにせず、何事も無かったかのようにぶつかってきた少女を冷たく見下す。

 否、実際彼にとっては本当に何事も無かったのだろう。
 彼女が正面から激突していなければ一切気付かなかった程に。

「あ痛たた……」
「あァン? なンだテメェは?」

 誰よりも傍若で凶暴極まる赤い瞳は、科学の街に迷い込んだ哀れな小羊を凝然と睨んだ。








[10137] 七月三十日(2)
Name: 咲夜泪◆ae045239 ID:01231db7
Date: 2011/01/25 03:49



 七月三十日(2)


 もはや単純作業と化した『実験』の帰り、白髪赤眼の少年の前には奇妙な面々が立ち塞がっていた。
 最初の一人は白いシスター姿の少女だったか。愚かにも彼と真正面から激突した彼女は「無事では済まねェだろうなァ」と人事のように思いながら――奇妙な感覚を残し、予想外にも無事で無傷だった。

(――? 何で一般人と一緒にいやがるンだ?)

 そしてこの少女を追ってきた学園都市の生徒が四人余り、先頭の長点上機学園の赤髪の少年には若干の見覚えがあり、記憶の片隅に引っかかったが、もう一人の方は嫌はほど見飽きた顔だった。
 だが、同じ制服の他の生徒と一緒にいる当たり、普段と何かが違う。『実験』の為に生み出された彼女達が常盤台中学の一般生徒と交友があるとは考えにくい。
 ならば――学園都市で最も優秀な頭脳は瞬時に正確無比の解答を導き出した。

「へェ、どうりで違和感あると思ったンだが――オマエがオリジナルかァ」

 底知れぬ深淵に覗き込まれたかのように、彼女達の原型である御坂美琴に恐怖が走る。

「オリジナル? いきなり何を……!?」

 ふと、御坂美琴は脳裏の片隅にあった疑問が浮かび上がる。
 都市伝説にも似た噂だ。学園都市の超能力者、その第三位である『超電磁砲』のDNAを使ったクローンが製造されているという根も葉もない噂だが、それなのに他の生徒から良く聞かれる与太話を。

「アンタ、あの噂の事、何か知って――」

 御坂美琴のその問いかけは、意図的か無自覚か、赤坂悠樹によって強引に遮られる。

「久しぶりだな。ま、お前は覚えてないだろうがね」
「いィや、その顔覚えてンぞ。そういやオレを前に敵前逃亡した腰抜け野郎がどっかにいたなァ?」

 その二人が醸し出す殺伐さは以前に垣根帝督と相対した時と同じくらい酷い。
 赤坂悠樹は目の前のどう考えても異常な少年とは初見ではなく、かなり因縁深いと御坂美琴と白井黒子に察知させる。

「第二位の野郎をぶちのめした。テメェへの挑戦権としては相応しい戦果だと思うがね?」
「ハッ、三下倒したぐらいで何いきがってンだァ? オレに敵わないから逃げた雑魚がよォ」
「何だ、その雑魚に下克上されるのがそんなに怖いのか? 自称学園都市最強の『一方通行(アクセラレータ)』」

 ぴきり、と横から空間を歪めんほどの怒気を顕にする『かませ犬扱いの者』が若干一名居たが、美琴と黒子は彼こそが学園都市二三〇万人の頂点に立つ第一位である事に大いに驚く。
 途中から物見遊山の如く、少し遠くから奇妙な女子生徒四人組が眺めていたが、一部には気にする余裕もなく、残りの超能力者の男子三人組には眼中にも入ってなかった。

「――最強さいきょうサイキョーってかァ? ホント不本意だぜ、未だに最強止まりってのはよォ」

 心底納得がいかない。そういう風に一方通行は大袈裟に嘆いて見せる。

「学園都市には最高位のレベルが5しかねェから此処に甘んじてるだけなンだがなァ。そもそも、何でオレとテメェらが第一位とその他に分類されてンのか知ってるか?」

 その他扱いに分類され、此処に居合わせた超能力者四人から笑顔が消える。

「其処に超えられない絶対的な壁があるからだ」

 自分以外全て格下と見下す第一位の言動に他の超能力者達から盛大に顰蹙を買う。
 第三位と第八位の取り巻きである白井黒子はハラハラするしかなく、第四位の取り巻きであるフレンダ、絹旗最愛、滝壺理后の三人は急降下する麦野沈利の機嫌に慄くしかなかった。

「其処ン処解ってンだろうな三下ァ……!」
「ああ、つまり挑まれるのが超怖い、頼むから何処かに去ってくれと言いたい訳だな。最強止まりの腰抜け第一位」

 心の中で「あ、またやりやがったコイツ」と白井黒子は開いた口が塞がらなかった。
 そういえば御坂美琴と出遭った時も、其処にいる垣根帝督と出遭った時も、露骨に挑発して喧嘩売っていたなぁと他人事のように思う。
 黒子は恐る恐る第一位の表情を覗き込んで見ると、人とは思えない悪魔が笑っていた。

「――どうやら、死にてェみたいだな」
「くだらねぇ御託並べてないでさっさと掛かってこいよ。今のテメェじゃ250年掛かっても指一本触れれないだろうがな」

 最初は第三位、次は第二位、そして今回は第一位、徐々に段階を上げる災害規模は黒子の想像など遥かに超越する。
 今の黒子に出来る事など、物見遊山気分で火山の噴火口にいる一般人らしき四人組に避難勧告を上げる事ぐらいだった。

「あ、うぇ……其処の貴女方、ひ、避難して下さい今すぐっ!」
「へぇ、面白い事になってるじゃない。第一位様による第八位の一方的な処刑なんて見物よねぇ……!」

 女性が浮かべて良い表情じゃない、それほど歪んだ女王気取りの女性の顔を見て「あ、まずい。また変な人だった」と黒子は瞬時に後悔する。
 まだこの彼女が第四位『原子崩し』である事を知らなかったが、黒子は無意識の内に他の超能力者(一方通行、垣根帝督、『心理掌握(メンタルアウト)』、削板軍覇、赤坂悠樹)と同様の変人である事を見抜いていたのは賞賛に価するだろう。

(こんな街中で戦ったらただですまないじゃない……!)

 自分の過去の事は棚に上げて、このままでは御坂美琴視点で何の罪もない一般生徒が巻き込まれてしまうと危惧する。
 第一位と第八位の私闘、それを自分一人では止めれそうにないと悟った美琴は、既に我関せずと観戦モードになっている垣根帝督に目をつけた。

「っ、ちょっとアンタ手伝いなさい!」
「あぁん? 何をだよ?」
「何って、この二人を止めるのをよ! こんな処で全力で戦ったら――!」

 正直、前に敵対したばかりの垣根帝督と協力するのは癪だが、今の緊急性から手段は選べまい。こんな処で戦われては迷惑だ、その認識は共有していると信じている。
 だが、此処まで切迫された事態とは裏腹に、帝督は美琴の顔を詰まらそうに一瞥し、嫌らしく笑う。

「別に何の問題もねぇだろ。肥溜め以下のクソ野郎どもが好き勝手に潰し合うんだ、むしろ大歓迎だ」

 人として心底信じられず、すぐさま言い返そうとした美琴の言葉は、今度は別の誰かに遮られる。先程の女性としてアウトな顔をしていた女からだった。

「そうよねぇ、第二位のアンタには望む展開よねぇ。自分の力じゃ絶対勝てないんだから」
「……聞き捨てならねぇな、おい。誰が誰に劣るだって?」
「第八位如きに敗北した誰かさんがそれを言うの? ハハッ、笑わせんじゃねぇよ!」

 ついに言動さえ崩れ、麦野沈利は下品に嘲笑う。
 一方通行と赤坂悠樹という臨海寸前の爆弾が破裂しそうになっている中、今度は垣根帝督と麦野沈利という新たな爆弾が投入された。
 御坂美琴にしても「あれ、何でこんな事になっているの?」という泣き言さえ吐きたくなるような事態にまで状況は発展していた。

「ちょっとちょっと! 何でアンタ達までやる気になってんのよ!?」
「ピーチクパーチク五月蝿ぇぞ売女ァっ! ゴミ以下の雑魚能力者が口出ししてんじゃねぇよォ!」

 どの口からそんな汚い言葉が出るのか、というより未だに麦野沈利から超能力者と見られていない御坂美琴が心底慄く中、垣根帝督は美琴の方を見てにんまりと笑った。
 まるで何か飛び切り最悪な悪巧みしたような邪悪な笑顔に美琴の背筋に悪寒が走った。

「それじゃあテメェが口出し出来ねぇんじゃねぇか? コイツより序列が低い雑魚能力者がよぉ」
「? ……へぇ、それじゃこの小便臭ぇ小娘が第三位の超能力者、常盤台の『超電磁砲』って訳か!」
「そ、そうよ。それが何よ……?」

 麦野沈利の狂気の矛先が垣根帝督から御坂美琴に向いた。
 一体何故、何でこんな目に遭っているのか、不条理だと思いつつも、美琴は精一杯の虚勢を張る。

「全く、何が第三位だ。能力研究の応用が生み出す利益が基準なせいでテメェが三位で私が四位? 此処でテメェをぶち殺せばそんなの関係ねぇって証明出来るよねぇ?」

 今の彼女に比べれば、赤坂悠樹が超能力者の序列に対する感情は『少し文句がある』程度のものであり、普通は此処まで執着しないよねと美琴は沈利の鬼気迫る様子に圧倒されながら若干現実逃避する。
 爆発を止める立場からいつの間にか爆心地に居た御坂美琴に助け舟を出したのは、予想外にも一方通行と相対している赤坂悠樹だった。

「其処の第四位の雑魚能力者、ピーチクパーチク喧しいぞ。空気読め。巻き込まれて現代芸術風味の愉快なオブジェになる前にさっさと退散した方が良いぜ?」

 ――否、助け舟ではなく、炎にガソリンだった。「爆心地は変わらず、災害規模は更に広がるようです」という無情なナレーションが聞こえるようだった。

「……あァ? 最下位のクソ雑魚は誰に物言ってるんだ?」
「こういう時でも自分の矜持が度し難くて困る。解らなかったんならもう一度言うけど、『貴方程度の能力者では死んでしまいますから早く離れた方が身の為ですよ』と。どうだ? ド低脳の雌猿でも理解出来るほど解り易かっただろ?」

 悠樹は悦に入るように「いやぁ、オレって女に優しい男だねぇ」と自画自賛し、対する麦野沈利は――恐る恐る見て、美琴は後悔した。
 末恐ろしい表情で麦野沈利は何かを言っていた。声は聞こえなかったが、何故だか知らないがこの時だけ口の動きで言っている事が解ってしまった。

 『ブ、チ、コ、ロ、シ、か、く、て、い、ね』、と――。

 きぃん、と地面のコンクリートが派手に破砕される音が鳴り響き、この場にいる全員が一斉に其方に振り向く。

「ったく、三下の分際でこのオレを無視とは良い度胸だなァ……」

 爆発的に破砕されたコンクリートの極小の破片が舞う中、埃一つの付着すら許さない、他の超能力者と比べても圧倒的で絶対的な最強の権化が笑う。

「――ごちゃごちゃ言ってねェで全員で掛かって来いよ。テメェらも超能力者って言うなら、少しは愉しめるンだろうなアァ……!」

 第一位の声明と共に戦禍は切って落とされ――学園都市の頂点に立つ、五人の超能力者による戦争は最初の一打で挫かれた。

「――?」

 第一位『一方通行』にとっては正体不明の攻撃を自動的に反射して無傷だったが、その正体不明の攻撃がベクトル操作して反射した後も解析出来なかった事に頭を傾げる。
 彼のベクトル操作は『自身が観測した現象から逆算して、限りなく本物に近い推論を導き出す』という究極的なまでに万能の感知能力だ。
 それを用いても解き明かせなかった法則性に、動きを止めたのは当然の成り行きだった。

「痛ってぇな。少しムカついた」

 第二位の垣根帝督もそんな事を言いながら無傷であり、予期せぬ襲撃者を睨みつけていた。
 今回の正体不明の攻撃は単純に出力が足りなかっただけで防げたが、既存の現象を一つの物質だけで変質させる『未元物質』に触れても他と変わった反応を起こさなかった。

「……~~っ、今の何だったのよ!?」

 第三位の御坂美琴は自身のAIM拡散力場たる電磁波によって正体不明の攻撃を察知し、寸前の処で躱す事が出来た。
 もし、躱す事が出来なかったのなら――其処で伸びている第四位と同じ羽目に遭っていただろう。

「む、麦野っ! 突然倒れてどうしちゃった訳!?」

 第四位の麦野沈利はこの正体不明の攻撃に対応出来ずに直撃し、一人だけ意識を失っている。
 今はフレンダを初め、『アイテム』のメンバーが看病しながらこの場を逸早く離脱する算段を立て、機会を今か今かと焦燥しながら窺っていた。

「いきなり酷いな、軍覇。前のオレなら結構痛かった処だぞ」
「腕を上げたようだな、悠樹。しかし、これは一体どういう状況だ?」

 そして第八位の赤坂悠樹も当然の如く無傷であり、その正体不明の攻撃を行った第七位の削板軍覇に文句を一つぶつけていた。

「学園都市最強の超能力者である『一方通行』への宣戦布告さ。それを見届ける観客は豪華絢爛だったがな」

 一人気を失ったが、今この場は学園都市の八人しかいない超能力者が六人も勢揃いしている。恐らく今日という日は学園都市始まって以来の事件に数えられるだろう。

「ハッ、また怖気付いたのかァ?」
「焦んなよ、近々直接赴いてやるよ。テメェが御執心の高尚な実験中にもでもな」

 ぴくり、と一方通行の表情が一変し、詰まらげに唾を吐き捨てる。
 彼は無言でこの場を後にし、赤坂悠樹は御坂美琴と白井黒子を無言で引き連れ、この特異地点から後にする。

「あ、危なかったですわ。危うく第七学区が地図から消える処でしたわよ……」
「……本当にね。何でアンタも含めて、超能力者には性格破綻者が多いのよ……?」

 今の短時間だけで二人の精神は限界まで消耗したと自覚する。溜息一つ付きながら、先行する悠樹に文句の一つや二つ叩きつけようかと思った時、彼はぴたりと立ち止まり、真剣な表情で二人を見据える。

「……御坂、第一位『一方通行』の能力はベクトル操作であり、アイツはありとあらゆるベクトルを自動的に跳ね返す無敵の鎧『反射』を常時展開している」

 聞かれてもいないのに第一位『一方通行』の能力の説明に入り、「君の代名詞である『超電磁砲』でも反射され、通用しないだろうよ」と悠樹は皮肉げに笑う。
 何を言いたいのか、御坂美琴はむっとしながら一瞬で悟る。遠まわしに、何が何でも『一方通行』とは戦うなという忠告なのだと。

「……それじゃ、アンタはどうやってその『反射』を攻略するのよ?」
「『反射』と言っても何が何でも全て反射している訳ではない。無意識の内に有害と無害のフィルタを組み上げ、必要の無いモノだけ選んで『反射』しているのだから『無意識の内に受け入れている』ベクトル方面から攻撃を加えれば良い。垣根帝督の『未元物質』ならそれで一度は攻撃を通す事が可能だろう」
「一度は?」
「二度目は無いという事だ。アイツはあんな反則的な能力さえオマケ程度にしかならない、学園都市最高の頭脳の持ち主だ。ベクトルを逆算され、瞬時に能力の法則を掌握されるだろうな」

 赤坂悠樹でさえ外部の特殊な演算機能である『幻想御手』に頼らなければ判明出来なかった事を、一方通行は個人で軽々とこなす。
 それは覆しようの無い地力の違いを吐露するようなもので、それでも『一方通行』との決着を付けようとする悠樹の身を白井黒子は危惧した。

「流石は学園都市最強の超能力者、伊達ではないという事ですわね。……ですが、それでは赤坂さんでも勝ち目が万の一にも無いという事では?」

 恐らくは、一方通行も垣根帝督と同じ類の人間だ。人を殺す事への忌避感は欠片も無く、小石を蹴っ飛ばす感覚で人を殺せる人間だと。
 そんな人間に勝負を挑み、敗北するという事は死と同意語だ。
 十日前から募る不安を気取られないようにしつつ、白井黒子は一方通行との決着を「やめといた方がいいのでは?」と遠回しに言う。

「――だから、アイツとは真正面からやり合わなければ意味が無いんだよ」

 その時の悠樹の眼を見て、黒子は何も言えなくなる。
 その視線の先には何も無い、遥か彼方の虚空を睨んでいた。




「あのクソッタレの早漏野郎ォ……!」
「ま、まぁまぁ落ち着いて麦野……ひっ!」

 あれから目が覚めた麦野沈利は荒れに荒れ果て、彼女を宥めようとして失敗したフレンダは恐怖の余りに言葉の呂律が回らなくなり、絹旗最愛はとばっちりを食らわないように滝壺理后と後ろに退いていた。

(うーん、今更第八位の人以外に攻撃された、なんて超言えませんよねぇ)

 今、怒り狂う麦野沈利を気絶させた張本人は第七位の削板軍覇なのだが、彼女は彼の事を目撃しておらず、更には三人も彼が超能力者であると気付かなかった為、怨念の矛先は全て第八位の赤々悠樹に向けられる。
 その八つ当たりとしてフレンダが犠牲になっているのは『アイテム』内では別に珍しい事では無かった。

「滝壺」
「大丈夫、あの場に居た能力者のAIM拡散力場は記憶した」

 復讐の舞台はいつでも整えれる。その優越性から若干冷静さを取り戻した麦野沈利は、とりあえずこの怒りをフレンダで発散させようと結論付ける。
 ガタガタ震えて命乞いをするフレンダを眺めながら、どんなお仕置きをするか、沈利は楽しげに考え出したのだった。




 その夜、赤坂悠樹はとあるバーの席に座っていた。
 熱々のコーヒーに砂糖を何杯もぶち込む最中、隣席に座った金髪のサングラスの男は見慣れても嫌になる光景に溜息吐きながら話を切り出した。

「――聞いたぜ。第二位をぶっ倒したってな」
「それなりに手強かった」
「お前が相手を賞賛するとは並じゃなかったみたいだな」

 表面上は友好的だが、基本的にこの情報屋との関係は淡白だった。
 彼が『安倍晴明』という解り易い偽名を名乗り、学園都市の内部から外部までと、多重スパイの真似事をしているのは赤坂悠樹も承知している。
 新鮮な情報を得る為に自身の情報もある程度奪われる。それを理解した上で被害より利益が上回る限り泳がせ、彼自身もそれを理解している。

「ほらよ、ヤツの近況だ」
「……はっ、随分派手に殺ってるようだな。第一位様は」

 頼んでいた資料を読んだ都度にライターで焼いて処分していく。
 一方通行が関わる計画『絶対能力進化(レベル6シフト)』の経過を見る限り、八千後半の実験まで消化し、外で実験が行われるようになるのは時間の問題だった。
 最後の一枚まで見終わり、焼き終えた時、金髪の男は厳重に包まれた封筒を悠樹の眼下に投げ捨てる。

「……? それは?」
「一つ忠告する。悪い事言わないから見ずに燃やせ」
「情報屋が言う台詞じゃないな」

 悠樹は構わず封筒の封を破り捨てる。

「コイツは破滅への片道切符だ、確かに忠告はしたぞ」

 念を押すような言動に違和感を抱きつつも、悠樹は資料を早読みしていき――直後、能面の如き無表情(ポーカーフェイス)が完璧に崩壊した。

「――くく、あはは、ははははは。こりゃ傑作だ。まさか此処までやるとは、いや、やれるとは思ってもいなかった」

 砕け散った器から零れ落ちたのは純粋なる憎悪、赤坂悠樹はこの油断ならぬ情報屋を前に、初めて生の感情を晒け出した。

「いいねぇ、胸にじーんって来たよ。じーんと。ホント――ああもう、今のこの感情は言語化すら出来ないねぇ……!」
「早まるな、と言っても遅いか」
「賽を振ったのは奴等だ。それに少しだけ予定を前倒しするだけの事だ」





[10137] 八月一日(1)
Name: 咲夜泪◆ae045239 ID:01231db7
Date: 2011/02/03 03:10


 八月一日(1)


『――昨夜未明、第一○学区の定天遺伝子バンク研究所から火災が発生し――』

 昨日とは一転して気分の晴れない豪雨が降り注ぎ、常盤台の学舎のロビーに流れるニュースもまた締まらないものだった。

「物騒だねぇ」
「火の始末には注意が必要ですわねぇ」

 食後の紅茶を嗜みながら、御坂美琴と白井黒子は心非ずと言った具合にニュースの内容を聞き流す。
 不審火か不注意が原因かは今の処不明らしいが、負傷者や死者がいないのは不幸中の幸いと言うべきか。続くニュースも暗いものばかりで、心が更に沈んでしまう。

「ふぁー、なんか退屈ねぇ。……昨日みたいな事は更々御免だけど」
「あ、はは。お姉様ったら、昨日のは例外過ぎますわ」

 こんな大雨の時に、わざわざ外に出歩く気分にはなれない。
 貴重な休日を部屋の中で過ごすのも悪くは無いが、どうも若さ故の情動を持て余してしまう。

「そういえば今日は風紀委員の仕事は無いの?」
「ええ、今日はお休みですの。病み上がりにこの雨はキツイだろうって、全く余計なお世話ですわ」

 そういえばこの今日の天気予報は一ヶ月前から確定していたっけ、と美琴は納得する。
 学園都市の天気予報は世界最高のコンピューターである『樹形図の設計者(ツリーダイアグラム)』によって導き出された確定事項である。外す事など在り得ない。

(天気が解っていてもどうしようもないって事は沢山あるよねぇ)

 此処で駄べっていても仕方ないので、二人はとりあえず自室に戻る事にした。
 何か暇潰しになるものはあったか、そう考えながら部屋のドアノブを開けようとした時、御坂美琴は奇妙な違和感を覚えた。

「? お姉様、どうなさいました?」

 美琴は口元に人差し指を添え、黒子に静かにするように無言で指示する。
 ポケットからコインを取り出し、いつでも彼女の代名詞である『超電磁砲』を撃てる状態で勢い良くドアを蹴り開けた。

「動くなっ!」

 美琴の制止の声が響き、黒子が状況を掴めず驚く中、彼女達の部屋には二人の不法侵入者が堂々と立っていた。
 ずぶ濡れの黒色の雨合羽を被っていて顔を伺えないが、一人は高校生ぐらいの大きさで、もう一人は小学生ぐらいのちんまりとした身長の不審者だった。

「留守中に押し入ったのは此方の不手際だが、撃たないでくれよ」

 高校生ぐらいの不審者は被っていた雨合羽の帽子部分を脱ぐ。良く見慣れた赤髪に、焦燥した顔付きに目元の隈が目立つのは普段通りではないが、見知った人物であった。

「赤坂さん!?」

 よりによって常盤台の女子寮に無断で侵入するとは一体何事か、黒子はその常識外の行動を咎めようとしたが、瞬時に思い止まる。
 普段の彼は憎たらしいほど余裕たっぷりで皮肉げに笑うのに対し、今の彼の挙動から全くの余裕が感じられない。
 能面の如く無表情ながらも、疲労感と焦燥感を隠せずにいる。それを肯定するように、赤坂悠樹は早口で本題を話す。

「時間が惜しいのでな、手短に話す。――これを預かってくれないか? 一日か二日程度でいい」

 悠樹の視線の先には黒い雨合羽を被った小さい誰かがあり、雨合羽の帽子部分を脱ぎ捨てる。
 十歳ぐらいの黒髪の少女だった。長い髪は少し濡れていて、少女は邪魔そうに後ろ髪を掻き上げる。
 その少女は似ている、と黒子はそんな印象を受け、即座に在り得ないと混乱する。
 髪の毛の色は染める前だから違うのだろうが、それでも彼のソレに当たる存在は疾うの昔に――。


「あれ、アンタって妹いたの?」


 一瞬だけ、赤坂悠樹の眉間が鬼の如く歪み、怖気の走る眼で彼自身に余りにも似ている少女を睨んだ。

「――オレのクローン体らしいぞ」
「え? アンタって、もしかして女だったの? 男装の麗人? 今流行の男の娘?」
「……んな訳ねぇだろ。真面目に話してるんだ、少しは空気読んでくれ」

 一瞬にして奇妙な緊張感が消え、悠樹は呆れた表情で美琴を睨んだ。
 こほん、と悠樹はわざとらしく咳払いし、気を取り直して説明に入った。

「――『多重能力(デュアルスキル)』の原理解明の一環に、学園都市で唯一の多重能力者とされる『過剰速写(オーバークロッキー)』を素体としたクローン体を生産して進める、これはその狂気の計画の産物だ」

 捕捉として「何かどう間違って性別が変わったかは知らんがな」と、悠樹は嫌悪感を籠めて自身のクローン体を見下す。
 確かに、黒子は悠樹本人の口から『多重能力』の研究に対して非協力的であり、ありとあらゆる手を使って彼等の手から抜け出した事を知っている。

(……あれ。何か引っかかるような――?)

 ――しかし、同時に黒子は赤坂悠樹が『多重能力者』ではないかもしれない、という確信に近い疑惑を抱いている。
 その根拠などは省略するが、彼のクローン体を国際法を違反してまで生産しても『多重能力』の研究など進まないだろう。
 それどころか、赤坂悠樹が『多重能力者』でない事の証明になるかもしれない。

「それじゃ、この子はアンタと同じ能力を?」
「性能は素体となった『過剰速写(オレ)』の1%未満、強度(レベル)にして異能力(レベル2)程度。遺伝子操作・後天的教育を問わず、クローン体から超能力者(レベル5)を発生させる事も『多重能力』を発現させる事も不可能だったみたいだ」

 黒子の中で違和感が燻る。それはとても小さく、些細な物に思えるが、同時に絶対に見逃せないような――ある種の予感が過ぎる。
 そんな正体不明の感情に思い悩んでいる最中、悠樹の説明は淡々と続く。

「さて、此処からが本題だ。これを匿っていた『定天遺伝子バンク研究所』を昨晩襲撃し、施設もろとも研究成果を全焼させ、唯一の残存個体を確保した。――そして今日未明、統括理事会直属の暗部らしき特殊部隊に襲撃され、これを殲滅した」

 淡々とした口調なれども、今の赤坂悠樹は冗談を言っている顔では無かった。
 美琴と黒子の脳裏に、先日の『幻想御手事件』、その際に現れた学園都市の暗部にして最強の刺客、第二位『未元物質』垣根帝督の顔が過ぎる。

「連中の目標は『過剰速写』のクローン体の奪還及び施設襲撃者の処分。流石のオレでも足手纏いを抱えながら連中と交戦するのは無謀だからな、信頼出来る人間の処に来た訳だ」

 つまり、今の悠樹の状況はあの時と同じぐらい危険なのだと、美琴と黒子は否応無く理解する。
 あの事件の時と違う点は、赤坂悠樹が『始末される立場』だという事ぐらいか。

「無理を承知で頼む。これを預かってくれないか?」

 悠樹の頼みに、二人は言葉が詰まる。簡単には、肯けなかった。

「――警備員(アンチスキル)には? 人間の量産化(クローン)は国際法で違反しているし、抜け目無いアンタの事だから動かぬ証拠くらい完全に掴んでいるんでしょ? その方が……!」
「木山春生と同様のケースさ。暗部で生じた出来事は暗部で片付けられる、秘密裏にな。今回、上層部のクソ野郎に喧嘩売ったのはオレだった、差異はそれだけだ」

 其処で美琴は気づいた。今の赤坂悠樹は想像以上に切羽詰っている事に。
 学園都市の暗部とは関わりのない自分達に頼るぐらい、今の悠樹には余裕が無いのだ。

「――アンタはどうする気なの?」

 ――それならば、否応を判断出来る材料を説明しなければ良かったのに、彼は律儀にも説明した。彼の口八丁なら幾らでも誤魔化せるのに関わらず。
 呆れるほど損な性分だが、嫌いにはなれなかった。

「追手を迎撃、いや、此方から『出撃』する。長期戦では勝算が無いからな、短期決戦で雌雄を決し、平和的な交渉の場に無理矢理でも座らせてやるさ」

 悠樹は自信満々に笑う。漂う悲壮感を断ち切るかの如く。

「このオレを後先考えずに『幻想御手事件』を引き起こした木山春生なんかと一緒にされては困る。勝算の無い勝負など絶対にしないし、オレは学園都市で八人しかいない超能力者で、第二位にも打ち勝った最強の第八位だぜ?」

 いつもの調子を取り戻して皮肉げに笑う悠樹に「私との勝負は付いてないでしょ」と美琴は突っ込んでおき、悠樹はいつも通り「まだ気にしていたのか」と苦笑するのだった。

「――解ったわ。この娘は責任をもって預かる。他に出来る事は?」
「無い。これ以上はオレ自身の問題だ。強いて言うなら外出は絶対に控えてくれ。籠城するには丁度良い場所だからな、此処は」

 公共施設、その中で指折りに警備が堅い常盤台の女子寮、そして今回の事件には関係無い『超能力者』など、クローン体の奪還を躊躇う要因は山ほどある。

「二日間以内に連絡する。符丁(パス)は其方が『レールガン』で、オレが『オーバークロック』、白井黒子の方の携帯に連絡する。オレが立ち去ったら、絶対に口にするなよ。盗聴される恐れがある。あと今の条件で一つでも違えたら偽物だ、気を付けろよ」
「『過剰速写(オーバークロッキー)』じゃなく『オーバークロック』ね、解ったわ」

 彼の能力名『過剰速写(オーバークロッキー)』ではなく、一文字違いの『時間暴走(オーバークロック)』なのは手の込んだ引っ掛けだろうと二人は判断する。
 それが赤坂悠樹の本当の能力名である事を、今の彼女達が知る由も無く――。

「二日以内にオレから連絡が無かった場合、警備員の第七三活動支部所属に行き、黄泉川愛穂という女に引き渡してこの一件を全部忘れろ。何か質問は?」

 悠樹は気怠げに「最悪の場合だがな」と言い捨てる。
 今回、悠樹の陣営が抱える『王将』は二つ、『過剰速写』のクローン体、そして赤坂悠樹本人である。
 悠樹が始末されてしまえば、敗北決定なのでこのクローン体を守る意味は無い。――警備員に今更渡せというのは「容赦無く見捨てろ」という事である。

「預ける。後で返せよ」

 白井黒子に風紀委員の腕章を投げ渡し、赤坂悠樹は雨合羽のフードを深く被って窓際に立ち、侵入した逆の手順で窓から飛び降りた。




「相変わらず気障な奴……って、黒子どうしたの?」
「……あ、いえ。聞き間違いでしょうか、今初めて正しい名前で呼ばれたような……?」
「え? アイツって其処まで徹底していたの? 黒子がいない時は普通に黒子の名前呼んでいるのに」

 驚愕の新事実に黒子が驚く中、美琴は先程から一言も喋っていない赤坂悠樹のクローンらしき少女と目が合う。

「……えーと、私、御坂美琴。こっちが後輩の白井黒子。貴女の名前は?」

 立ち話も疲れるだろうし、自身のベッドに座るよう勧めながら、美琴はなるべく怖がらせないように笑顔で聞く。
 正直、クローンと言っても普通の少女にしか見えない。赤坂悠樹と隣に並べば普通に兄妹として見られるだろう。
 少女は歳相応に笑いながら答える。

「研究者達からは『第九複写(ナインオーバー)』って呼ばれているよ」
「『第九複写』? 第八位の赤坂さんのクローンですのに?」

 現実から引き戻った黒子は疑問に思い、『第九複写』は良くぞ聞いたと無邪気に笑う。

「由来は第八位『過剰速写』のクローンを製造したのに、学園都市に存在しない第九位(アンノウン)のクローンになったからという皮肉らしいよ? 中々洒落ているね」

 少女はあどけない表情で「実際に第九位が誕生した場合は名称が変わっちゃうかな? 『第十複写(テンオーバー)』なんて語呂悪いし」と的外れな心配をする。
 こんな少女を失敗作呼ばわりする科学者の神経も信じられないし、これを普通と受け入れている少女の現状も信じ難い。美琴の中に怒りが湧いてくる。

(……しかし、何かがおかしいですわ)

 その最中、まるで喉に魚の骨が刺さったかのような違和感が黒子の中に付き纏う。
 何か致命的な事を見過ごす、いや、見誤っているような、そんな危機感が湧いてくる。


 ――その違和感の正体が解るまで、暫く時を要する。
 何て事も無い、この事件は最初の前提そのものがおかしかったのだ――。




「くく、あーっはははははっ! そうそう、その依頼を待っていたのよ! たまぁにゃ出来るじゃない!」

 とある車両の中にて、学園都市の暗部が抱える小組織『アイテム』のメンバーは今回の依頼についてブリーフィングを行っていた。

『……えー、何このハイテンション、超ウザいんだけど?』

 彼女達の目先には『SOUND ONLY』と書かれたディスプレイがあり、文字通り担当者の声だけが流される仕様となっている。

『まぁいいわ、今度ばかりは失敗は許されないわよ? 何処かの第二位みたいな二の舞だけはよしてよねー。向こうの方は動けないみたいだしー』
「誰に物言ってんのよ。すぐに現代アート風味の面白オブジェにしてやるわよ……!」

 『アイテム』のリーダーである麦野沈利は端正な顔を歪ませながら強気に答える。
 今日明日でリベンジの機会が訪れ、極めてハイテンションになっていた。こうなった沈利を止めれる者は今の『アイテム』内には生憎いない。

「? 『スクール』の人達はまだ怪我を超引きつっているんですか?」
『いいやぁ、小耳挟んだ話じゃ『未元物質』はターゲットと繋がっている疑惑があるらしいよー。つ・ま・り、日頃からムカつく『スクール』の連中どもを引き摺り下ろす絶好のチャンスって訳』

 絹旗最愛の疑問に声だけの担当者は活き活きと答える。
 恐らく不確定情報だろうが、『スクール』の介入は無いという事だけは頭に入れておく。
 今回の依頼は今までに無いぐらい厳しいものとなるだろう。先述された情報から、既に暗部の特殊部隊の幾つかが全壊状態に陥っている。
 ターゲットがリーダーの第四位より格上の超能力者だけに、相当骨が折れるだろうと最愛は覚悟する。

『それじゃ頑張って『過剰速写』を始末してねー』







[10137] 八月一日(2)
Name: 咲夜泪◆ae045239 ID:01231db7
Date: 2011/02/10 01:12





 時間という概念を独自の視点で観測して操る、学園都市さえ未確認の超能力(レベル5)、赤坂悠樹はそれを『時間暴走(オーバークロック)』と名付けた。

 自らの能力を自覚した時、彼が最も注目したのが物事の起こり、言い方を変えれば前触れや前兆を観測して至る結果を理解し――発端から終末を導き出す『未来予知』の演算が可能か否か、だった。

 一つの情報――例えば「あのコップは相当ガタが来ていて、数秒後に自然に割れる」、この情報だけでは余り意味は無い。
 だが、そんな大した事の無い情報が十、百、千、万、億ぐらい揃えば――不確かな未来を形作り、初期条件を変える事で本来の未来とは別の道筋を幾らでも作る事が出来る。

 ――結論から言えば、赤坂悠樹は不完全ながらも『未来予測』が可能だった。

 とは言え、最初から出来た訳ではない。予測した未来と違う未来に至る事の方が多かった。その上、一分後の未来を求めるのに、二分間の演算が必要という本末転倒ぶりだった。
 後者に関しては演算速度を思考の加速で無理矢理解決したが、それでも未来は食い違う。
 観測した情報が足りないと結論付け、どんな些細な事も見逃さず、膨大な情報量を軋む脳に叩き込み、其処から推測された未来を幻視し続ける。

 幻と現実がぴたりと重なった時、いつしか悠樹は第八位の超能力者となっていた。この過程で、地獄のどん底から這いずり上がる強大な力を自然と身につけていた。
 当時の彼は初対面の能力者にも、彼独自の視点から見たAIM拡散力場の僅かな前兆から全てを把握し、未知の能力を予知したかの如く振る舞い、勝ちの決まった詰将棋にしかならなかった。
 思えば、その当時の彼は物事の全てが思い通りに行き、いや、行き過ぎて慢心していた。自身がこの世界の頂点にいる事を信じて疑わなかった。

 ――そう、本当の最強に出遭うまでは。

 第一位の『一方通行』が特例能力者多重調整技術研究所、通称『特力研』が預かる事になった理由は知らない。
 こんな場所まで盥回しされた理由なんて、どうせロクでも無い事だろう。
 同じ学校に超能力者が二人もいる。通常ではまず在り得ない環境下だったからか、研究者達は超能力者同士による模擬戦を企画、貴重なデータを取れると期待し、実行した。
 それが一体何の実験だったのか、何を目的としたものだったか、今となっては思い出せない。そんなのは些細な問題だった。

 学園都市最強の超能力者『一方通行』と対面した直後、赤坂悠樹は突如体調を崩し、超能力者同士の模擬戦はお流れとなった。

 それから何度か立案し、実施される度に赤坂悠樹は体調を崩して延期となる。当然、仮病だったが、それは『一方通行』が『特力研』の研究者の手に負えず、他の施設に譲り渡されるまで続く。
 ――結局、第一位と第八位が戦う事は一度も無かった。
 理由など単純明快だ。当時の赤坂悠樹が『一方通行』と戦闘になれば、その結末は死でしかない。幾ら条件を変えても、敗北の結末は変わらない。完全に詰んでいたのだ。

 それ以来、赤坂悠樹は『未来予測』に頼る事を止め、意図的に使わなくなった。
 幾ら未来を予測しても抗えない未来がある。絶対に変えられない未来がある。自身の能力の限界が其処なのだと、絶望したくなかったからだ。

 そして再び『未来予測』を使ったのは、数年振りに『一方通行』に出遭ったからだ。

 演算結果はやはりあの時と同じ。今現在でも『一方通行』と戦闘になれば間違い無く敗れ去る。
 正体不明の『赤い翼』が不確定要素だが、二度と使わないものを入れていても仕方あるまい。
 つまり、『一方通行』と戦闘して勝利するという事は、自身の能力の枠組みを超越する事に他ならない。
 真の意味で、己を制限する限界を突破する試みなのだと、ある意味で『一方通行』とは違うアプローチの絶対能力進化(レベル6シフト)とも言える。
 その途方も無い先にしか、赤坂悠樹の本当の願いには届かないのだ。

 ――その最優先事項を地平線の彼方まで投げ捨てさせ、『一方通行』関連以外使う気が無かった『未来予測』を使わせたのが、今回の事件だった。

 第二位の『未元物質』の時でさえ使わなかったそれを、使わせたのだ。
 今回の事件の特異性は、赤坂悠樹という人間を此処まで執着させた異常さ、その一点に尽きる。


 八月一日(2)


 学園都市で八人しかいない超能力者、その力は一人で軍隊と対等に戦えるという。
 確かに、過去実際に軍隊が出動する事態となった学園都市の第一位『一方通行』ならばその評価は正しい。
 だが、他の七人になると、所詮は子供一人、最新鋭の銃火器と数の暴力ですぐに押し潰されるだろう。
 科学の最先端を行く学園都市の軍事力の前では『唯一人の軍隊(ワンマンアーミー)』など恐るるに足らぬのだ。

「――そう思っていたんだが、見通しが甘かったなァ。化け物め」

 ターゲットの自宅に突入させた一個小隊は数分後に全滅、ご丁寧にも生存者無しの大惨事となり、証拠隠滅を生業とする彼の部隊は味方の死体掃除をする羽目となった。
 これを行ったのは第八位の超能力者『過剰速写』であり、彼が甘ちゃんどもの集まりである『風紀委員』であるという参考資料を、隊長格の男は徹底的に破り捨てた上でゴミ箱に投げ捨てた。殆どの紙が入らずに散乱したが。

「何が能力者同士の戦いでなければ『多重能力』を発揮出来ないだ。出鱈目書くのもいい加減にしやがれ」

 この欠陥極まる参考資料では第八位『過剰速写』は能力者戦において無類の強さを誇るが、無能力者相手では『多重能力』を行使出来ないと分析されていた。
 確かに六割の隊員の死因が『銃殺』だっただけに信憑性高い情報だが、二割が玄関入り口に設置してあったクレイモア地雷によって『挽肉』と化し、最後の二割近くが原因不明の死因になっている。

「つーかよォ、超能力者が同じく武装しているなんざ聞いてねぇよ。反則だろオイ」

 此処まで現場が混沌としていると、専門家でもどうしてこうなったか判別し難いだろうが、隊長格の男は何らかの能力行使で此方の銃撃を一方的に遮断され、一方的に撃ち殺されたという処だろうと判断する。
 つまり、能力行使による体力の浪費を最小限に抑え、弾薬と装備を現地調達して旅立った訳だ、この性質の悪い『唯一人の軍隊』は――。

「まァ、後片付けの俺達には関係無い話か」

 要請を受けて動いた部隊には先に冥福を祈っておこう。同時に自分達に面倒な仕事が回って来ない事を祈るばかりだ。
 ――その唯一人を打ち倒せない限り、学園都市の暗部と第八位の超能力者の『戦争』は終わらない。




「それで、お二人さんは『過剰速写(オリジナル)』とどんな関係なの?」

 雨合羽を脱ぎ捨て、白を基調とし、赤いリボンと多数のフリルが特徴的なゴスロリ風の洋服を着こなす『第九複写(ナインオーバー)』は興味津々と疑問を投げ掛ける。
 御坂美琴と白井黒子はお互い目を合わせ、今までの苦労や厄介事を思い出し、深い溜息を吐いた。

「どんなって……風紀委員の同僚ですけど?」
「んーと、私の方は腐れ縁かな?」

 そんな普通の答えに、西洋の人形のような少女は不満足そうに頬を膨らませる。

「えぇー、恋人だとか二股とかそういう昼ドラみたいな爛れた解答を期待していたのにぃ」

 ぶーぶーと可愛らしく文句言うこの娘の道徳概念は一体どうなっているのか、二人は担当だった者に不信感を抱いた。

「いや、黒子はともかく、在り得ないから」
「なんでわたくしは例外なのですかっ!? わたくしはっ、わたくしはぁっ!」

 余りの扱いに逆の意味で感極まったのか、黒子は空間移動を使ってまで美琴の胸に飛びつこうとしたが、移動して現れた直後に頭を抑えつけられ、ベッドの上に頭を叩きつけられる。
 じたばた暴れる黒子を見ながら、少女は目を光らせて「おー、もしかして百合で三角関係!?」と妙な勘違いをした。いや、白井黒子が御坂美琴に懇意なのは真実であるが。

「だってさぁ、学園都市に八人しかいない超能力者で知り合いとか、奇跡的な巡り合わせでしょ? 確率的に二十八万分の一だし」
「そういえばそうだったね。……昨日は本当に何だったのやら」

 もがく黒子に電撃を走らせて物理的に沈黙させた美琴は、そういえば学園都市でも珍しい癖に第六位を除く全員と顔合わせしていた事に気づく。

(それにしても、アイツのクローンなのに似ても似つかないなぁ)

 性別が違っている時点でもう別の何かだが、外見がある程度似通っている以外は驚くほど共通点が無い。
 むしろ美琴の趣味をストレートの直球で穿つ彼女の可愛らしい容姿に和み、ひねくれ者の赤坂悠樹とは性格の共通点が無くて逆に良かったのだろうと納得する。

「ねぇねぇ、『過剰速写(オリジナル)』ってどんな人なの? 二人の視点から見てさ」

 それは自然と何気無く出た質問だが、美琴の眼からも、少女から先程まで無かった真剣味が若干感じられた。

「そうね、一言で言えば『不良風紀委員』だね。良くあんな性格破綻者が風紀委員やっているよねぇ。あと格好つけのキザ男で超甘党」
「素行は最悪で自分勝手ですけど、筋は通しますわ。自分独自のルールにしか従いませんけど」

 美琴の物言いに復活した黒子が付け加える。
 何だかんだ言ってもやる時はやる性格なので、友好度が最低値だった最初期よりは認めている。

「へぇ、私が抱いた印象と随分違うなぁ」

 少女は首を傾げながら意外そうな顔を浮かべる。

「えーと、第九複写ちゃんはアイツの事、どう思っているの?」
「あ、ナインで良いよー。長ったらしいし呼びにくいでしょ?」

 自分の名前に何の感慨も無いのか、普通の感覚が欠如している少女を、美琴は少し不憫に思う。

「私ってば完全な失敗作だったから、『過剰速写』には思う処が結構あるの。私が『過剰速写』と同じ能力だったならまだ存在価値あったし、偽物の私と全てが違う本物の彼が羨ましかった。妬ましかった。でも、実際に出遇ってみて『過剰速写』への感情は全部一変しちゃったかな」

 ――思えば、彼女の第一印象はある意味当たっていたのかもしれない。

「ただ単純に怖いわ。今まで出遭った、どんなものよりも」




「――配置付いたかァ? んじゃ、おっ始めるか」

 とある車両の助手席にて、『猟犬部隊(ハウンドドッグ)』の隊長である木原数多は気怠げに作戦実行の合図を出した。
 本来ならば、単なる学生徒の反乱の一つや二つぐらい、アレイスター直属の彼に回ってくる筈は無かったのだのだが――出動する理由を改めて思い出し、胸糞悪くなって忘れる事にする。

「い、一班からの連絡で、対象を見失ったと……」
「オイオイ、勘弁してくれよー。嗅覚センサー持っておいて小僧一人の追跡すら出来ないほど腐れ無能ってかァ? 生きてる価値ねェなソイツら」

 運転席の方に座る部下から不甲斐無い報告が届き、木原数多の機嫌は最高に悪くなる。
 一班の人員の末路を瞬時に悟った運転席の男は慄き、彼は今日の食事を決めるが如く気軽さで、無能共をどう処分するか考えながら次の指示を出す。

「二班に工作急がせろ。ガキさえ確保すりゃ用はねぇ」

 振り分けた班は三つ、『過剰速写』を追って処理する追跡班が一班、常盤台中学の女子寮に侵入する口実を作る為の工作班が二班、そして『過剰速写』のクローン体を確保する為の捕獲班が三班となっている。

『て、敵襲っ! ターゲットがC地点にっ……がァッ!』

 さっさと終わらせたい木原数多の思惑とは裏腹に、無能な部下は今度もやらかしたらしい。
 木原数多は忌々しげに舌打ちし、運転席の部下は慌てて無線を繋ぐ。

「っ、二班、生きている者は応答しろ! 二班っ!」

 聞こえてきたのは無数の銃声と悲鳴、そして一際大きい爆発音の後、二班からの通信が完全に途絶えてる。
 分厚いゴーグルで目元しか見えない運転席の男が見るからに青褪める。

「あー、あれだ、一班の連中を呼び戻して『過剰速写』を迎撃し、三班は工作を引き継がせ――」

 指示は途中で途切れ、木原数多は言葉より早く車外に脱出し、状況を掴めなかった運転席の男と空席になった助手席に五十口径の対戦車砲がぶち込まれ、車両は即座に炎上した。
 即座に木原数多は後方車両に積まれた対能力者用の音響兵器『キャパシティダウン』を起動させようとし、その前に何発かぶち込まれ、性能を発揮する前に破壊された。

(味な真似をしやがって……!)

 部下の男は見るまでもなく即死であり、超人的な反応速度で離脱した木原数多はわざわざ近寄ってきた狙撃者と対峙する。
 狙撃者は豪雨の中、馬鹿みたいに真正面から歩いて来る。
 全長一八四センチの対戦車ライフルの試作モデル、鋼鉄破り(メタルイーターMX)を道端に投げ捨て、西部劇でしか見ないような回転式拳銃を右手で回しながら近寄ってくる。

「初めまして。面倒だからちゃっちゃと死んで欲しいな。自害するのが超オススメだぜ?」
「本気でムカつくガキだな」

 黒合羽の少年と白衣の男は薄汚れた裏路地にて対峙する。
 遠くから爆発音が次々と鳴り響く。クズどもの援軍が余り期待出来ないと、木原数多は表情に出さずに心の中で舌打ちする。

「いやはや、こんな処で学園都市最強の超能力者の能力開発を行っていた男に出遭えるとは感動ものだね。出る仕事間違って無い? この一件はそれほど重要なものでも無い気がするけど。あ、テメェの価値ってその程度のもんなのか?」
「俺としてもこの程度の仕事に出っ張るのはお断りだったんだけどよォ、上の連中が言うから仕方無く超能力者で一番の雑魚を捻り潰しに来た訳だ」

 此処に至って即座に殺さず、お喋りを優先させるとは――表の世界で不焼けた『過剰速写』のクソ甘さに活路を見出す。
 幾ら木原数多と言えども、『一方通行』以外の超能力者と単騎で挑む気にはなれない。
 元担当者として攻略法を完全に把握している第一位ならともかく、資料でしか見た事の無い第八位の手口を把握するには程遠いのだから。

「そういう訳で、さっさとおっ死んでくれねぇかー? テメェの面見てるとクソ不愉快なガキの顔思い出すしよぉー」
「ハハ、『一方通行』すら御せない無能な研究者が何をほざくのやら。うん、決めた。その愉快な顔を更に愉快にしてやるよ」

 今は少しでも時間稼ぎをし、露骨な挑発を受け流しながら部下のクズどもが駆け付けるのを待つのみ。
 何人か来れば肉の盾ぐらいになる。その隙に離脱し――ふと、木原数多の研究者として最高の頭脳に違和感が蔓延る。
 目の前の『過剰速写』は回転式の拳銃を弄ぶように回しながらロクに銃身を此方に向けない。
 最初はいきなり構えて早撃ちするだけのガキらしい小細工かと思えば、撃つ気配が全く無い。
 人殺しに禁忌感を抱いたからか? 否、対戦車ライフルを問答無用に撃ち放ったコイツがそんな善人である筈がない。ならば何故――。

「――そう、時間稼ぎが目的さ。オレもね」

 『過剰速写』の口元が夜空に裂けた三日月の如く邪悪に歪む。
 瞬間、木原数多は自身の心臓部を肉が裂ける勢いで抑え、悶絶しながら倒れ崩れる。
 呼吸が出来ない。否、酸素を取り入れるという行為が意味を成さない。心臓部から走った正体不明の痛みに悶え――彼は、自分の心臓の鼓動が既に止まっている事に気づいた。

(――っッ!? 馬、鹿なっ、――っ、っ――!)

 一体何をされたのか。能力者の力の流れを読んで、その隙を突く戦闘術を得意とする木原数多が成す術も無く、何も解らずに殺されようとしている。

「その顔面を愉快にぶち壊すと言ったな、ありゃ嘘だ」

 赤坂悠樹は指を小気味良く鳴らし、木原数多の心臓に施した『停止』を解除する。
 止まっていた彼の心臓は動き出し――塞き止まり、力場が蓄積していた血流によって心臓が破裂し、木原数多は呆気無く絶命する。

「常々思っていたけど、テメェらはオレ達の事を実験動物(モルモット)扱いしているけどさ、ただの人間が超能力者(レベル5)に勝てる訳無いだろ」

 止まっている無能力者相手に一分間――直接触れずに外部からの部分停止、人体のような複雑な構造への干渉は演算時間が大量に掛かって仕方ない。

(――大雑把な空間指定なら簡単だが、無駄に能力使って疲労感を溜める事もあるまい)

 しかし、真正面から仕掛けたら何を仕出かすか解らない、危険極まる研究者を一方的に葬れたのはお釣りの上に特典付きと言った処か。

(……それにしても)

 久方振りに、今日だけで大量の人間を殺したが、大した感慨が思い浮かばない。
 退屈で眩しかった日溜まりの日常が何処か遠くに行っただけで、青っぽい感傷すら浮かばない。
 そう、赤坂悠樹は元々此方側の人間だ。表の世界で『風紀委員』として活動して、どんなに自分を誤魔化しても無意味で無価値だ。
 この学園都市の暗部という肥溜め以下の掃き溜めでのたうち廻って、救い無く朽ち果てる運命の『悪党』に過ぎないのだ。

 ――双子の妹を殺されたその時から、この世界の真理を身をもって理解した筈だ。
 この理不尽な『悪』に対抗出来るのは、より強大で不条理な『悪』だけだと――。

 元々こんな詰まらない事態で倒れるつもりは更々無い。
 完全完璧な勝利を掴み取り、我が道を突き進むのみ。
 悠樹は口元を際限無く歪める。回転式拳銃を懐のホルダーに仕舞い、現地調達したサブマシンガンを新たに取り出す。
 弾を弾装に入れ、遊底を引いて安全装置を外す。引き金を引く殺意は問うまでもなく準備万端だった。

「――まずは、狗どもの残党狩りだな」







[10137] 八月一日(3)
Name: 咲夜泪◆ae045239 ID:01231db7
Date: 2011/02/16 15:18


 八月一日(3)


「――畜生、畜生ぉっ!」

 聴き慣れた銃撃音、豪雨の路地裏で途切れる断末魔の数々。
 作戦地点に設置されていた偽装済みの爆発物を皮切りに、早々に指揮系統が崩壊した猟犬部隊は隊としての機能を完全に失い、今は一人の超能力者に一方的に蹂躙されていた。

(こんなクソッタレな雨の日に出動って時点で運が悪いと思っていたが、最悪だ最悪ッ! 何だよ何だよ一体何なんだよォ……!)

 脇目を振らず逃げ惑う彼女は元警備員という経歴の持ち主であり、猟犬部隊にまで落ちぶれた理由は「捕まえて無抵抗になった生徒を試し撃ちの的にした」という自業自得なものだった。
 それでも今の環境は撃つ的に困らないので、彼女として満足行く仕事場だった。
 最新鋭の装備で、先手を打って殲滅する一方的な加害者。その立場が完全に逆転した今、酔い痴れた妄言など吐けなくなった。

(クソクソクソクソォ、在り得ねぇっつーの、何で一斉射撃した時に全員ジャムるんだよ! クソ、どう考えてもおかしいだろ!)

 彼女達の隊の方針は基本的に『見敵必殺(サーチアンドデストロイ)』である。
 抹殺対象の『過剰速写』を発見した際、全員が彼に向かって引き金を引き――誰一人、撃ち放つ事が出来なかった。
 空砲、排莢不良、欠陥品、対象の能力行使――雨音だけの静寂の一瞬に無数の推測が入り交じり、対象からの一方的な銃撃によって掻き消された。

(何だあれ、念動力(テレキネシス)? でもあんな芸当なんて超能力者でも出来るのか!? 空間移動で何か送り込んで詰まらせた? 阿呆な、非効率的な上に在り得ねぇ! こっちだけ丸裸で軽機関銃ぶちかまされるなんざお話にもなんねぇよ!)

 極めつけは苦し紛れに投げた手榴弾が『過剰速写』の足元に転がっても何故か爆発せず、逆に『過剰速写』に蹴られて投擲者の下に戻った瞬間に爆発するという理不尽さ。
 あんな化け物相手に勝ち目など皆無、そう瞬時に判断した彼女は一心不乱に逃げる。
 人目の付かない路地裏から表通りに出ればこっちのものだ。表の人間に目撃される事は究極的なまでに不都合なれども、形振りなど構っている余裕など既に無かった。
 非日常の路地裏から日常の表通りの出口が見え、生き残れたという希望が見えた瞬間、表通りから黒い人影が立ち塞がる。

「あ――」

 右手に握られていた拳銃は消音器(サプレッサー)付きのベレッタM92、まるで未来予知していたかの如く、最適な場所で最適の装備で第八位の超能力者は待ち伏せていた。

「ま、待て待て待ってくれ、降参だっ! もう私に戦う意思なんざ欠片もねぇ! ほらっ、武器も全部捨てた! なっなっ、こんな無条件降伏した奴を鴨撃ちにするなんざ後味悪いだろ!?」
「……女か」

 武装を全部投げ捨て、両手を上げて命乞いする彼女に、『過剰速写』は興醒めしたように呟く。
 わざわざ自分の性別を言って殺すのを躊躇うのは、彼の中に女性に甘いフェミニスト的な思考がある事に他ならず、この時ばかりは自身の思考の速度に感謝した。

「私だって好きでこんなクソッタレの部隊にいる訳じゃねぇ、上からの命令で仕方無くだ! 上がくたばったんならアンタと敵対する理由もないだろ!? お願いだから生命だけは――」

 酷く霞んで腑抜けた音が路地裏に鳴り響き、それ以上何も考えられずに彼女は倒れた。
 脳天を穿たれた彼女を一瞥し、銃を懐に仕舞った赤坂悠樹は死に絶えた彼女から銃弾などの物資を調達する。

「――喧しい売女だ。無駄に時間取らせんな」

 自分に向けられた銃火器は一部分に『停止』を施した為、能力を解除したら壊れるので使い物にならない。
 この方式では相手の銃器を回収出来ないのが難点だが、体力の消費は最小限に抑えられるのが利点だ。

(さて、此処はもう大丈夫だな)

 当初の目的は果たされた。これで常盤台の女子寮に秘密裏に細工して人知れずに突入出来る、ほぼ唯一の隠密部隊を叩き潰した。
 後続の部隊はこの場の証拠隠滅を優先しなければならないので、当分の間は御坂美琴達の無事を確保出来た。

(この予想以上に警備が厳しい常盤台の女子寮、その上に派閥的な問題がある御坂美琴の眼を出し抜いて『第九複写』を奪還するのはほぼ不可能だろう)

 本人は意図せずとも『絶対能力進化(レベル6シフト)』に関わり、関係者から不可侵扱いを受けている。
 つまり、一般人の眼を避け、御坂美琴に察知されない、その無理難題の両方の条件をクリア出来ない部隊に突入など命令出来ないという事だ。
 そんなリスクを犯すぐらいなら、赤坂悠樹の抹殺を優先した方が楽、と上の連中は考えるだろう。其処が狙い目だった。

(……此処までは予測通りか。一体何処で食い違うのやら)

 赤坂悠樹は自分の能力の中で『未来予測』だけは欠片も信頼を寄せていない。
 これから齎される不可避の未来を変える事が長年の目的である事と、代入していない時間の情報から未来が食い違うからである。
 樹形図の設計者(ツリーダイアグラム)でも同じだ、正しい情報を入力すれば完全な未来予測が可能だが、そもそも情報が足りなければ、または最初から間違っていれば答えは自ずと誤る。己の能力が『多重能力』であると誤解されたように。

(だが、余り過信しない方が良いか。幾ら能力の詳細を隠し切っても垣根帝督という前例もあるしな)

 表通りに出て、すぐ其処に無断駐車されたスポーツカーがあった。
 悠樹は盗人らしからぬ堂々とした仕草で車のドアに手をかけ、ロックを解錠状態に『再現(リプレイ)』して開き、同じ要領でエンジンを掛ける。
 次の戦場まで一時間余りの、楽しい愉しい休息(ドライブ)である。




「――怖い? ああ、確かにアイツは暴力的で粗暴な振る舞いしているけど、実際にナインちゃんを施設から助け出した訳だから、怖がられたらちょっとだけアイツが可哀想かなーって」

 本気で震えている『第九複写』を尻目に、御坂美琴にしては珍しく悠樹のフォローに回る。
 幾ら何でも、命懸けで助けた少女に怖がられるのは普段の行いから考えれば自業自得だが、それでも不憫過ぎる。
 頑張っている奴が報われないのは、どう考えてもおかしな事だ。

「別に、助けてくれって頼んでないよ」

 心の底から、揺るぎ無い意志で少女は呟く。迷惑だと言わんばかりに。

「井の中の蛙はね、大海を知らないから井の中でも幸せなの。そんな実験動物の私を世間に放り投げるなんて酷いと思わない?」
「実験動物って……! そんな扱いをする奴等の何処が良いのよ!?」

 余りにも感覚がズレている。もしも御坂美琴が何処かの研究者に実験動物扱いされたのなら、即座にキレて電撃でこんがりと焼き上げるだろう。
 そんな畜生じみた運命を自ら受け入れる、それ自体が選択肢として最初から無いほど在り得ない。
 そう、最初から日常に生きる者には当然の反応、だが、最初から非日常の中に生きる彼女にとっては非常識に等しかった。

「それが当然なの。私は第八位『過剰速写』のクローン体として製造された、多重能力を解明する為の実験体。私自身は多重能力者ではない失敗作だけど、研究の発展の為に貢献するのは当然の義務よ」
「……それで、訳の解らない実験で殺されても……?」
「それが私の製造目的であり、『第九複写』の存在意義だからね」

 少女が淡々と、当たり前のように告げた言葉は余りにも悲しい答えだった。
 ――だからこそ彼は、救いの手を求めない彼女の手を無理矢理掴み取って、学園都市の闇から引き摺り上げたのだろう。

「もしさ、私のクローンが実際いたらやっぱり薄気味悪いと思う。でも、アイツは損得抜きで助けた。あのアイツがよ? 超能力者だから大抵の事は片手間で済むけど、今回は命懸けで事を当たっている」
「……でも、それは私の製造目的を著しく逸脱させているよ。存在否定と同じじゃない?」
「製造目的なんて関係無い。産まれる過程が他の人とは違っても、ナインちゃんは一人の人間として生きている。研究者の連中に勝手に決められたレール通りに生きる必要なんて、何処にもない」

 少女は沈黙する。まるで出口が見えない迷宮に迷い込んだかのように、悲しげに沈む。

「……そんな事、いきなり言われても解らないよ。じゃあ、どうすればいいの?」

 今まで少女は他人に従えばそれで良かった。上から命令され、忠実にこなす。それだけで良かった。
 自分の意志など最初から必要無かった。疑問に思う、考える余地や発想すら沸かなかった。
 だから、他人に敷かれたレートを踏み外し、其処から自分の好きにしろ、なんて急に言われても逆に何をしたらいいのか困惑してしまう。
 美琴は優しく微笑む。その笑顔は研究者達のように不自然で歪なものじゃない、混じり気無しの笑顔だった。

「今すぐ決める必要なんて無いわ。当たり前の日常の中で考えればいい。アイツは今、その為に戦っている」

 不安が完全に払拭された訳ではない。
 けれども、この小さな胸は少しだけ暖かさが残る。
 それは「自分の望みを抱いて良いのか」という小さく儚い灯火。それを持つ事すら少女が居た環境は許さなかった、希望という名の目映い感情だった。




 この二人の会話を尻目に、白井黒子の脳裏には深い疑心が蔓延る。

 ――そもそも、赤坂悠樹は自身のクローン体を命懸けで助けるような性格の持ち主だっただろうか?

(……いいえ、あの方なら一瞥すらせず見捨てるのが通常の反応の筈。では何故――?)

 学園都市の闇は深い。第二位の超能力者さえ抜け出せない程までに。それを赤坂悠樹は誰よりも熟知し、それ故に極力裏の事情に接触しない生き方をしていた。
 冷酷で薄情だが、そのシビアなリスク管理無くして生き残れなかったとも推測出来る。
 それが今になって何故、学園都市の上層部に真正面から敵対する事になったのか。無謀な行為である事は本人が百も承知の筈だ。

(それを成すだけの理由や価値が、この少女、またはこの事態にはあった。それは一体何なのか?)

 赤坂悠樹からの説明を何度も思い出す。不可解な点はあれども、嘘は言っていないような気がする。
 単に、核心たる内容を喋っていない。そんな気がする。そのせいで正しい解答に至れない。

(っ、もどかしいですわねぇ。何かが確実におかしいですのに、その何かが掴めない。この少女の何かが――少女?)

 唐突に、黒子の中で違和感の正体の推測が一つ浮上し、まさかと逆に疑う。
 そんな事が本当に可能なのか、否、そんな事が許されるのか――考えるだけで胸から吐き気が込み上がって来る。

(もし、そうならば――でも、それでは矛盾点が……!)

 黒子は一人、悶々と思い悩む。
 真実に近寄れば近寄るほど真実から遠のく。まるで彼の能力が如く――されども、黒子の直感だが、これだけは見逃して良いものではないと最高級の警鐘を鳴らしていた。




 盗んだ車で高速道路に乗り継いで三十分前後。
 赤坂悠樹は片手で携帯を弄り、電源を入れてから『警備員』への番号を打ち、電話を掛ける。

『――おや、何処に掛けるのですか?』
「別に。テメェの電話番号を聞いた覚えは無いからな」

 コールは二回、悠樹にとっては予想通りの人物に繋がる。

「さて、愉しい愉しい交渉の時間と行こうか」
『降参でもしてくれるのですか? それならば此方も話が早いので助かるのですが』
「寝言は寝てから言え。学園都市の暗部どもが幾ら束になってもオレ一人の排除すら出来まい。これ以上被害が大きくなるのは不本意だろう? さっさと手を引け」

 学園都市の上層部に繋がっている交渉役は馬鹿にするように鼻で笑う。

『これは舐められたものですね。確かに貴方によって齎された人的被害は甚大ですが、それだけです。代わりなど幾らでもいますしね。貴方自身が与えた被害を補償するのならば見積もりを出して協力しますが? まぁ、前提としてあの娘を返して貰う事になりますがね』
「オレの要求は二つ、あの娘の身柄とオレの安全、それだけだ。ああ、オレは無欲だからな、その他に付随するものは一切いらないぞ」

 交渉役は『第九複写』の身柄を渡した上で首輪付きで暗部に堕ちる事を条件とし、赤坂悠樹は逆に無条件降伏を突きつける。
 欠片も折り合いが付かない。二人は同時にわざとらしく溜息を吐いた。

『話になりませんね』
「話にならないな」

 最初の交渉が決裂するのは予定調和だった。
 先程から対向車の存在が一切無くなり、そろそろかと悠樹はバックミラーを注視して身構える。

『では予定通り、貴方の始末を優先しましょう。その方が手っ取り早いでしょうし』

 視線の先にはAH-64アパッチに似た、六枚の羽根が特徴的なヘリが獰猛な速度で接近してくる。
 数は全部で四機、肉眼で視認出来る当たり、既に相手の射程距離に収まっている。こんな車程度、いつでもミサイルで爆破出来るだろう。
 撃たれてしまったら、幾ら超能力者でもただでは済まない。その身体はあくまでも生身なのだから。

「――へぇ、『HsAFH-11(六枚羽)』か。あれ一機で250億相当の高級な玩具を四機も用意するとは学園都市も豪気なものだ」
『降参するなら今のうちですよ? 撃たれてからは私の権限では間に合いませんので』
「全く、オレの評価が低くて嘆かわしいわ」

 視認出来る距離、つまりは赤坂悠樹にしても射程内なのだ。
 面倒で複雑な演算など必要としない。回転翼にありったけの『加速』を施し、強制的にオーバークロックさせる。
 猛加速の負荷に耐えられなかった部品は破損し、後は自滅するのみ。まるで空中で羽根を毟られた蜻蛉が如く、学園都市最新鋭の無人兵器は地に落ちて派手に爆散した。

「あーあ、今ので千億程度がガラクタになっちまったな。ご愁傷様」

 念の為にミサイル兵器や掃射砲には『停止』を施したが、心配する程でも無かった。
 無言にならざるを得なかった交渉役の顔を思い浮かべ、悠樹は勝ち誇るように嘲笑う。

「それじゃ気が変わったら連絡してくれ。オレとしては何一つ譲歩する必要性が無いのでな」

 ぶちっと電源ごと切る。携帯の電波から追跡されては元も子も無い。
 そして悠樹は盛大に溜息を吐いた。

 ――未来予測では三機だった。早くも生じた狂いに、焦燥感を滲ませるのだった。










[10137] 八月一日(4)
Name: 咲夜泪◆ae045239 ID:01231db7
Date: 2011/02/17 03:34




(チッ、あの場で第一候補(メインプラン)をぶっ潰すのもありだったな)

 それは他の超能力者と五人も出遭った昨日の夜の事だった。
 もしもあの場に赤坂悠樹さえいなければ、他の超能力者がいなければ、垣根帝督は迷う事無く学園都市最強の『一方通行』に対して下克上をしただろう。

(まぁいい。いずれ第一位と第八位は激突する。それで生き残った方を始末すりゃ良い)

 有りたい言えば、今日という日は刺激的なれども不完全燃焼だった。
 そんな遣り切れない想いに苛立つ垣根帝督の下に、不可解な非通知がしつこくコールする。
 暫く無視したが、それでも鳴り止まない事に怒りを覚え、文句を言う為に通話状態にする。携帯の曇った音声越しから届いた声は更に苛立つほど聞き慣れたものだった。

『やあやあ、数時間振りだねぇ。で、これ垣根帝督であってる?』
「……何でテメェがオレの携帯番号知ってんだ?」

 垣根帝督の機嫌が一気に急降下する。
 そんな彼の様子を解っている上で無視するように、赤坂悠樹はお道化た調子で話す。

『おいおい、そんな細かい事など気にすんなよ。そんな機会、少なくとも一度はあっただろ?』
「……ぶち切るぞ。テメェと世間話するような仲じゃねぇ筈だぜ?」

 確かにその機会は一度だけあった。自身が打倒され、気を失っている間に。
 みしみし、と自身の携帯から軋む音が鳴る。どの道、あの野郎に知られたからにはこの携帯番号のまま使うという選択肢は在り得なかった。

『まぁ、要件は一つだけだ。――例の件、宜しくー』
「例の? おい、一体何の――あのクソ野郎、好き勝手話して切りやがって……!」

 まるで意味が解らず、帝督は感情任せに自身の携帯を木っ端微塵に握り潰す。
 それが昨日の夜の顛末であり、今現在考えても「例の件」など思い浮かびもしない。一方通行との交戦を禁止した事か、それともその後の決闘の約定か。
 あの性根の腐った男がまるで意味の無い事をするとは思えない。ならば何故――思考の九割を此方に向けながら、垣根帝督はまた苛立ちながら口を開いた。

「……で、何で集合させたのに連絡無しなんだ? おまけに正規メンバー二人はまだ使い物にならないのによぉ。舐めてんの?」
「さぁね、私に当てられても困るわよ。私だって『超電磁砲』にやられて髪が荒れ放題なんだから」

 同僚の少女は雑誌を見ながら退屈気に話す。
 垣根帝督が率いる『スクール』が招集されて早くも一時間余り、彼等の上司である電話先の男からの連絡は一向に無い。
 いい加減ぶち切れても良い気がしてきた。

「でも、私達が出るような事件なら一つ起こっているわよ。貴方の御執心の『過剰速写』がね、多重能力の関連施設に強襲して自身のクローン体を奪取したらしいわよ?」
「へぇ、無駄に詳しいな。……って、聞き間違いか? 何であの腐れ外道が自分のクローンなんざ今更奪取するんだ?」

 余りにもおかしな事態に垣根帝督は瞬時に頭を傾げた。
 赤坂悠樹という人間は、自分のクローンが二万体殺されていても余裕でスルーする生粋の人でなしだ。
 そうなると『心理定規(メジャーハート)』の話は前提からおかしい。こんな些細な事に赤坂悠樹が動く筈無いのだ。

「そうよねぇ、私から見ても『過剰速写』はそんな些細なもの100%見殺しにするよね。で、もう一つ不思議なのは、この事が末端にも広く行き届いているって事。彼がそんなミスすると思う?」
「……アイツがそんな処でドジる訳がねぇ。つまり、上層部のクソッタレは最初から奴の仕業だと断定している訳か」

 大方、第二位に偶然打ち勝った第八位に脅威を覚えた、という処か。
 あの野郎はあの能力あの性格でいて学園都市の首輪が一切付けられていない最大のイレギュラーだ。
 今まで放置されていたが、とうとう無視出来ないほどの危険分子として排除に掛かったか。

「その撒き餌は『過剰速写』が絶対喰いつく何かだったみたいだね。非常に興味深いわ。それなのに交戦経験のある私達の出動命令が来ないのはおかしな話よねぇ?」

 『心理定規』は「折角のリベンジの機会だったのに」と小馬鹿にするように笑う。
 彼女は自分達では戦力不足と見做されたから出動が無いと結論付けたが、垣根帝督の中には他の推測材料があった。昨日の携帯の件である。

「――あのクソ野郎、謀りやがったな……!」

 今日の事を見越して、赤坂悠樹はあんな意味の無い電話をしたのだ。
 第二位と第八位が密かに結びついている、そんな在り得ない誤解を上層部に与える為に。なるほど、アイツ自身も今回は自分達と激突する余裕は無いらしい。
 少なくとも――垣根帝督が最たる脅威であると認めているという事だ。

「? 他に心当たりでも?」
「何でもねぇよ。少なくとも今回は俺達の出番はねぇって事だ」


 八月一日(4)


 とある第一〇学区の廃工場にて、暗部の執拗な追跡を受ける赤坂悠樹は潜伏していた。というより、全身全霊で脱力していた。
 元より長期戦が想定される中、常に気を張り詰めているのは不可能だ。適度に休憩が必要である。

(次は駆動鎧(パワードスーツ)装備の部隊か、『スクール』のような少数精鋭の能力者か、またはその両方か、だな)

 相性的には駆動鎧部隊なら完勝、少数精鋭の能力者は垣根帝督以外なら全く問題無い。そして強能力者以上が駆動鎧を駆るなら一番苦戦するだろう。
 そのAIM拡散力場のせいで駆動鎧にも時間操作がし難く、直接的な破壊を繰り出す為に能力を使わなければならない。

(面倒だな。手っ取り早く総括理事会の首、十二人ぐらい挿げ替えるかねぇ)

 猟犬部隊を手早く片付けられたのは先手を打ったからであって、後手に回ればそれなりに苦戦する。
 追う立場と追われる立場では能力の使用度が天と地ほどの違いがある。
 もう一度交渉する為に携帯の電源をオンにするか――そう思い悩んだ矢先に、周囲の空間に異物が紛れ込んだ事に気づく。

(ナノサイズの粒子、滞空回線(アンダーライン)とは別物だな。これ自体はオレのAIM拡散力場で勝手に停止するから問題無いか――)

 彼自身に危害は加えられないが、先手を打たれた事には変わりない。
 悠樹は立ち上がり、遅からず仕掛けて来るであろう敵の襲撃に身を備えた。

『ほう、気づいたか。今後の参考のまでに何故察知出来たか、尋ねて良いかね? 第八位の超能力者、赤坂悠樹』

 方向の掴めない老人の声が悠樹の耳に届く。
 随分と余裕だと内心毒付く。大方勝ち誇って余計な事をべらべら喋る小物なのだろう。

『……ふむ、だんまりか。残念だ。此処で超能力者、それも唯一の多重能力者を失うのは勿体無い話だがな』

 先手を打たれる前に、工場内に散布されたナノサイズの粒子を全て『停止』させ、相手の出方を様子見しながら悠樹は地面に手を当てながら知覚範囲を工場の外へ向ける。
 何も能力を行使する方法は視覚のみに頼っている訳では無い。時間の流れを掌握しながら全てを辿る方法もある。

(見つけたぞ、糞爺。その老い先短い人生に幕を閉じて――!)

 ――悠樹は自身の背後に生じた空間移動(テレポート)独特の予兆を逃さず察知する。
 出現した瞬間に合わせ、不可避のタイミングで相手の肋骨部分に肘打ちを打ち込む。

「――がっ!?」

 勿論、空間移動で奇襲してくる相手に二度目の機会を与えるつもりなど毛頭も無い。
 対象全体を『停滞』させてどう足掻いても逃げれなくし、肘との接触部に部分的な『停止』を施し、後は殺人的な『加速』を加えて――オーバーキルの威力まで高めて解放する。

「悪いな、空間移動は対策済みだ」

 『超電磁砲』が発射したコインが如く勢いで飛翔して、立ち並ぶ廃材を悉くぶち破り、外壁を突き破り、外まで吹き飛んだ空間移動能力者の生死など確認するまでもない。

「さて、聞こえているから敢えて言うが――誰一人逃さねぇぜ?」




 『メンバー』の正規構成員の一人である査楽が一瞬にして屠られ、博士と呼ばれる『メンバー』を率いるリーダーは即座に散布した特殊兵器『オジギソウ』で始末させようとした。
 回路も動力も無い、特定の周波数に反応するだけの反射合金の粒だが、人間の細胞を一つ一つ毟り取って白骨死体にしてしまうほどの殺傷性を持ち、如何に超能力者と言えどもこの完全な初見殺しに対策など取れまい。

「――!?」

 だが、博士の手に持つ小型端末に表示された『オジギソウ』の稼働状況を見て、驚愕する。何一つ反応無い。確かに散布されたのに欠片も動かせない。
 超能力者の一人で唯一の多重能力者、そんな興味深い研究対象をなるべく破損の無い状態で回収しようとした事が完全に裏目に出た。

『博士、どうしました?』
「査楽がやられたようだ。私の『オジギソウ』も何らかの方法で無力化されている。遺憾だが、此処は一旦撤退して体制を立て直――」

 状況を掴めず、暢気に問う機械の獣とは裏腹に、博士は瞬時に自身の迂闊さを公開し、『メンバー』の下位構成員に車を出させようとした。
 今回は超能力者という存在を少々甘く見過ぎただけであり、次は油断無く万策を尽くして仕留めれば良い。博士の思考は間違ってはいなかったが、二度目の機会を与えてくれるほど彼と敵対した超能力者は優しく無かった。

「あ……!?」

 一際甲高い銃声が鼓膜を叩きつける。
 彼等の最期を見届けたのは『メンバー』の正規構成員の少女であり、機械の獣が木っ端微塵に粉砕される光景と、博士が上半身と下半身が永遠に別れたスプラッタな光景を見る羽目となる。

(対戦車ライフルでの狙撃!?)

 車の助手席で固まる少女は混乱しながらも銃声の方向へ視線を向ける。
 廃工場の薄い壁を突き破り、『過剰速写』は組み立てたばかりの鋼鉄破り(メタルイーターMX)の銃身を此方に向けていた。

「出して、早くっ――!?」

 ただでさえ一発掠っただけで致命傷に至るような過剰殺傷、それに連射機能まで取り付けた化け物銃はフルオートで火を吹く。

「きゃあああああああああ――!」

 初弾で運転手の頭を頭ごとぶち抜かれ、少女は祈るような気持ちで頭を抱えて縮こまった。
 『メンバー』の移動用の装甲車は十数メートルの距離すら走れず仰向けに転倒し、完全に走行不能となった。

「っ、あ、生きて、いる……!」

 あれだけの弾幕を受けて生きている奇跡に、普段は信じない神様に盛大に感謝する。
 だが、この殺人的な弾幕を撃ち放った張本人は未だに健在だ。少女は狂乱しながらシートベルトを外し、扉を開けようとし、開かない事に驚愕する。
 撃たれた衝撃で車のフレームが歪み、開かなくなった。言葉にすると簡単だが、錯乱した少女の思考が理解するには絶望的な事実だった。

「っ、いや、いやぁっ!」

 何か手は無いのか、壊れたドアを破壊する手段は――全面のフロントガラスは完全に割れている事に少女が気づくまで数秒の時間が掛かり、かつん、と死神の足音が彼女の耳にも届いた。

「あ、あ、あ……!?」

 未だに逆さまの少女の額に小型拳銃の銃身が突きつけられる。
 余りの緊張感で歯がガタガタ震え、命乞いの言葉さえ発せられない。

(あ、殺された……)

 『過剰速写』は引き金をゆっくり引く。
 その余りの恐怖に少女は途中で意識を失い――それに気づいてか、気づかずか、赤坂悠樹は忌々しげに気を失った少女の顔を睨みつけ、撃たずに懐に仕舞った。

「ったく、ガキが遊び半分で手ぇ突っ込む場所じゃねぇっつーの」




 ――赤坂悠樹にとって、赤という原色はこの世で一番忌み嫌う色である。

 その色彩は鮮血を連想させ、最悪の記憶を思い出させる。
 双子の妹の首筋を掻き切られ、彼女の血が自身の手と頭に降り注ぎ、全身血染めになった、人生最悪の瞬間を鮮明に呼び起こす。

 彼が何故その色で髪染めしているのか。
 それは一瞬足りても忘れない為であり、そして自らを戒める為である。

 己の半身を六歳という年齢で失い、地獄のどん底まで突き落とされ、学園都市の『置き去り(チャイルドエラー)』として暗部に転がり落ちる道中、磨耗し続けた悠樹の精神は妹の死を思い返す気力も余力も機会も完全に無くしていた。
 そして己が能力を自覚し、地獄のどん底から一心不乱に駆け上がる道中も、唯一度も省みる事さえしなかった。
 死を待つだけの弱者が死を撒き散らす強者に、自身の状況が完全に一変した悠樹は蓄積された鬱憤と憎悪を晴らすが如く舞い上がっていた。
 この当時の彼は矜持も制限も何一つ無い、自身が生き残る為に全てを犠牲に出来る、正真正銘、真性の『悪』だった。
 その上、大切なものを何一つ持たなかったが故に歯止めなど無かった。

 『特力研』の頂点として君臨し、人の死に何ら感慨すら抱かなくなった頃、切欠が何だったのか既に忘却の彼方だが、少女の能力者と殺し合いになった事が契機だった。

 超能力者を打ち倒せば自身に価値が生じ、多重能力の研究でも優遇されて生き残れる可能性が出てくるかもしれない。無謀にも自分に挑む理由などそんな処だろう。
 どうせ近い将来には研究でくたばる身なのだ、自らの手で引導を渡してやるのがせめてもの情けだと、赤坂悠樹は弄びながら殺す事に決めた。
 無駄に能力を使って追い詰め、最後の一撃は『再現』による多重能力の偽装。もしも彼女の能力が発電能力か発火能力だったのならば、この事故は発生しなかったかもしれない。

 その少女の能力は風力使い(エアロシューター)、それも強能力者(レベル3)相当。自身が放った真空波によって切り裂かれ、その返り血は悠樹の頬に掛かる。
 無駄に汚れてしまったと拭き取り、その真っ赤な自身の掌を見た時、悠樹は人生最大のトラウマをフラッシュバックしてしまった。
 その時の記憶は不確かで覚えていないが、『停滞』していた力場の能力制御を誤り、暴走状態に陥って、長時間掛けて拡散する筈だった全ての反動を一瞬で受ける事となる。

 ――意識不明の重体まで追い込まれた赤坂悠樹は学園都市で最も優秀な医師の下に担ぎ込まれる事となる。

 今、考えれば妹を失ってからの彼の精神状態は常に瀬戸際だった。
 時期が悪ければ――自身の能力に自覚する前にこの爆弾を爆発させていれば、学園都市の超能力者は七人だけだった、そんな事態に陥っていたのかもしれない。
 そういう意味では、超能力者まで登り詰めたタイミングは最高だったと言える。

 とは言え、程無く意識を取り戻した悠樹は精神状態は不安定を通り越して暴走状態であり、自身の能力さえロクに制御出来ない状況になっていた。
 何故今の今まで最愛の妹の事を思い出せなかったのか、何故思い出そうともしなかったのか、自責と自己嫌悪は悪循環を生み、何処までも転がり落ちていく。
 そんな悠樹に、カエル顔の医者は一つの解決策を出した。彼は患者に必要なものならば何でも用意する。

 ――今までの負債を埋める代償行為として、『風紀委員(ジャッジメント)』という一つの道を指し示した。




(……白井黒子の時に解っていた事だが、やはり殺せないな)

 再び盗難車を調達して廃ビルに移動した赤坂悠樹は精神的な疲労を隠せずにいた。
 白井黒子が削板軍覇の前に飛び込んで来た時、赤坂悠樹は自らのトラウマの再発を回避する為に全能力を使って自身を停止させた。

 ――つまり、赤坂悠樹にはどう足掻いても女の子供を殺す事が出来ないのだ。

 その禁を犯せば能力そのモノが使えなくなる恐れがある。それほどまでに妹の死は彼の深部に蔓延っていた。
 そんな彼にとって致命的でマイナスにしかならない事実を、悠樹は喜ばしいとも愛おしいとも思えた。
 そう、それだけが彼の中に残された人間らしい感情であり、赤坂悠樹という人間の根幹を支えるものなのだから。

(しかし、あの手の部隊だと弾薬が補給出来ないな)

 主力の鋼鉄破りは残念な事に前回で弾切れとなり、完全に破棄している。
 残りの武装は弾薬に余裕のあるサブマシンガン一丁、サプレッサー付きの自動拳銃一丁、能力使用に耐えられる回転式拳銃が一丁、投擲用のナイフが十数本ばかりである。

(弾を節約するか、能力を節約するか。相手次第か)

 早速追加が到着したようだ、と悠樹は気怠げに立ち上がり、ひょいと自分目掛けて発射された白く光り輝く極太の光線を危なげ無く避けた。

 一撃で解る、ある意味解り易い破壊力だった。

 ビルの壁程度など障害物にもならず、威力が減衰せず貫通して翔ける様は常識から外れた現象であり――この強く禍々しく痺れるようなAIM拡散力場には見覚えがあった。

「――見ぃーつけた。探したわよ最下位ィッ!」

 まるで恋焦がれた相手を見つけ出したかのように、第四位の超能力者『原子崩し(メルトダウナー)』を行使する麦野沈利は狂ったように哄笑した。
 彼女の背後には三人の少女が臨戦態勢で『過剰速写』を睨んでおり、彼女達が『アイテム』の正規構成員である事を瞬時に察する。

「この前の借りを兆倍にして返してやんよォ! 覚悟はいいかァ!」
「はて? ゼロに何掛けてもゼロだろ。何言ってんだお前? 軍覇の一撃浴びて脳みそまでカビたか? そんな効果あったけな、あれ」

 本気でそう思っていると言わんばかりに悠樹は首を傾げる。

「まぁいいや。此処で出遭ったという事は『アイテム』としての活動なんだろ? 見逃してやるからさっさと立ち去れ」
「……は?」
「俺自身、相当な外道である事は自覚しているが、女のガキを殺すほど追い詰められてもいなければ落ちぶれてもいない。ほら、さっさと家に帰って自身の今後の身の振り方でも考えるんだな」

 かたかたかた、と麦野沈利は怒りで震える手で自身の髪を乱雑に掻き上げる。
 仮にも彼女は第四位の超能力者であり、格下相手に此処まで舐められた言動を聞かされたのは生まれて初めてだった。

「舐めてんのかァ――アぁ!?」

 白く光り輝く粒子が彼女から激怒と共に噴出する。
 一発でも被弾すれば黒焦げになりそうな破壊力だ、と悠樹はその砲身を向けられているという危機感などまるで無く、暢気に分析する。

「舐めるも何も、優劣も格付けも既に付いているだろ。第二位の垣根帝督どころか、第三位の御坂美琴以下のお前なんざ、最初から眼中に無いのだが」

 性質の悪い事に、赤坂悠樹が騙る恒例の挑発は混じり気無しの本音であり――ぷっつん、と麦野沈利の中で決定的な何かがブチ切れた。

「そのクソッタレの顔千回引き裂いて五臓六腑ぶち撒けてブチ殺してやらァ――!」
「はぁ、仕方ないな。出来るだけ優しく倒してやるよ、オレは女に優しいからな」

 ――そして此処に、第八位『過剰速写』と第四位『原子崩し』の戦闘が人知れずに開始された。



[10137] 八月一日(5)
Name: 咲夜泪◆ae045239 ID:01231db7
Date: 2011/02/22 04:58



 八月一日(5)


「オラオラァ、無様に逃げ回って尻振る事しか出来ないってかァ! このホモ野郎がアァッ!」

 品性の欠片も無い下品な女だ、と赤坂悠樹は内心毒付きながら『原子崩し(メルトダウナー)』の攻撃を涼しい顔で軽々と躱す。
 正式名称は『粒機波形高速砲』だったか。電子を粒子と波形、その中間の曖昧な状態に固定して強制的に操る、希少な超能力(レベル5)である。
 確かにその絶大な破壊効率は赤坂悠樹の『過剰速写』を圧倒的に上回っている。逆に言えば、それだけなのだが――。

「ちょこまかしてんじゃねェよ!」

 麦野沈利が乱射する直線状の光線は唯の一発でも掠れば、赤坂悠樹を灰にして消し飛ばす程の威力を秘めている。
 だが『曖昧なまま固定された電子』を強制的に動かす超能力は、良くも悪くもそれだけしか出来ない。
 電子を操作する一面はあれども、麦野沈利は単なる砲身に過ぎない。撃ち放った光線を途中で曲げたり、手動でホーミングさせる事すら出来ないのだ。

(電子を操って幾らでも応用が効く御坂美琴と違って、麦野沈利はこの単純な攻撃しか出来ない。他の格下が相手なら十分だが、その殺傷力高い能力の弊害か、麦野沈利は同格との戦闘を全く経験していない)

 赤坂悠樹はこの過剰殺傷の砲撃を、自身の一メートル付近の一部分だけに展開した『停滞』で、弾速を一瞬遅らせる事で余裕満々に避け続けている。
 自分を含めて全周囲を『停滞』し、自身に『加速』する事で運用した前回の方式とは比べ物にならないほど効率良く運用出来る。
 完全な状態でも三十秒しか持たなかった『絶対回避』は、全体の工程を一工程まで省略し、効果の強さを段階付ける事で長時間に渡って運用が可能となったのだ。

(やはり同レベルかそれ以上の超能力者との交戦経験は物が違うな。素材は良くても同格との戦闘経験がゼロのコイツを見て、改めて思い知らされる)

 またえげつなく下品な言葉をまき散らしながら砲撃する麦野沈利を一瞥しながら、赤坂悠樹は落胆の視線を籠めて溜息をつく。
 こんな遥か格下の超能力者と戦っても得るものは何も無い。彼女が女で無ければ早々に瞬殺してやっただろう。
 実際、彼女が馬鹿みたいに『原子崩し』の光線を撃ち放った御陰で、未だに参戦して来ない『アイテム』のメンバー諸共、詰む準備はもう整っていた。

「無理して一人で戦う必要は無いぞ? それともあれか? 負けた時に『他のメンバーを参戦させていなかったら』という理由でも作っておきたいのか?」
「言ってくれるじゃないか! テメェみたいなチンカスなんざ私一人で十分なんだよォ!」

 悠樹は砲撃を避けながら「そぉかい」と投げやりに呟き、やる気無く指を鳴らした。
 赤坂悠樹の前面から目映い光が一直線に走り、麦野沈利は鬼気迫る表情でその極太の光線を反射的に能力を使って折り曲げた。

「え? 嘘? 『原子崩し』!?」

 恐々と見物していた『アイテム』の一員、金髪碧眼の少女フレンダはその見慣れた攻撃法に「信じられない」と驚愕を隠せずにいた。
 それは絹旗最愛も滝壺理后も――というより、第四位の超能力者である『原子崩し』も同じだった。
 銃での攻撃や、擬似超電磁砲では驚きもしなかっただろうが、その攻撃は『原子崩し』と全く同種・同レベルのものであり、ギリッと、沈利から歯軋り音が鳴り響いた。

「この程度で何驚いていてやがるんだ? 最強の多重能力者であるこのオレが、テメェのチンケな能力を使えないとでも思ったか? その顔と一緒でおめでてぇなぁ」
「ッッ! この猿真似野郎がァ! ふざけやがって!」

 赤坂悠樹は自分にお見舞いされた『原子崩し』を次々と『再現(リプレイ)』していき、麦野沈利はそれをひたすら己が『原子崩し』で迎撃していく。
 一度『再現』した現象は、AIM拡散力場や諸々の問題が重なり、同条件を揃えられないので二度と再現出来ない。
 だが、此処までストックがあれば、迎撃する為に景気良く撃ってくれるので弾切れは無いだろう。
 地力の差、能力の相性差など、最初から明らかだったが、勝利の決まった勝負だった。

(まぁ、腕や足の一本や二本ぐらい消し飛ばすぐらいは許容範囲だな)

 女の子供は殺さない。ただし、殺しさえしなければ、相手がどんな状態になっても良かったりする。
 四肢をもがれて達磨になろうが、永遠に意識不明になろうが、殺してさえいなければ何も問題無い。
 赤坂悠樹という悪党は敵対する女に其処まで情けを掛けれるほど善人ではない。

「うわあああああああぁ! ちょっとちょっと麦野タンマタンマ! もしかして完全に私達の事忘れているって訳!?」
「そんな事言ってないで超回避して下さい! 死にますよフレンダ!?」

 性質の悪い事に、赤坂悠樹は蚊帳の外にいた三人も標的とし、激高した麦野沈利は遂に仲間の存在さえ思考の片隅に放り投げてしまった。
 致死の光線が交差して炸裂する中、滝壺理后は作戦前から麦野沈利に手渡されていた、意図的に拒絶反応を起こさせて能力を暴走状態にする為の粉末状の薬品『体晶』をその口にする。
 大抵の能力者の場合、デメリットしか生まない禁忌の代物だが、稀に暴走状態の方が良い結果を出せる能力者もいる。滝壺理后はその類の能力者であり、逆に服用しなければ能力を使用出来なかった。
 いつもは眠たそうに淀んでいる眼に光が宿り、彼女の能力『能力追跡(AIMストーカー)』が可能な状態となる。
 AIM拡散力場から干渉して、『過剰速写』の自分だけの現実(パーソナルリアリティ)を乱す事で攻撃を一時的にも中断させようとし――直前、麦野沈利しか見てなかった赤坂悠樹がギロリと、滝壺理后の眼を射抜いた。

(此方に気づかれた? でも少し遅――え?)

 エラー。不可解な結果が弾き出る。
 リスクを考えず、全力で行えば超能力である『未元物質』や『原子崩し』すら乗っ取る事が可能な能力は、赤坂悠樹の『自分だけの現実』に触れた瞬間に侵食が凍結、逆に彼女の『自分だけの現実』に強烈で不快な影響を与えて蝕み――耐え切れず、滝壺理后は能力による干渉を強制的に打ち切った。

「滝壺さん!?」

 滝のような汗を垂れ流し、ぜいぜいと息切れしながら滝壺理后はその場に膝を折ってしまった。
 赤坂悠樹はその場に立ち止まって、俄然と滝壺理后だけを見ている。まるで自分と同格の超能力者など眼中に無く、彼女こそが真の障害であると認定するかのように。

(――AIM拡散力場から干渉された!? 逆探知して反射的に『停止』して事無きを得たが……!)

 赤坂悠樹は予想外の能力者の存在に慄く。
 AIM拡散力場という無自覚の領域を侵食された『幻想御手(レベルアッパー)』の時の経験が無ければ『自分だけの現実』を根刮ぎ乱され、常時暴走して自滅する危険性を孕む事態に陥る処だった。
 ただでさえ赤坂悠樹の能力行使は暴走と紙一重、歯車が狂えば簡単に自滅して死ねるのだ。
 此処まで生命の危機に直結した不意打ちを受けたのは、能力者との戦闘で百戦錬磨を誇る悠樹と言えども初めてだった。

(若干見誤っていたか。いや、大いに見縊っていた。『アイテム』の要は第四位の超能力者ではなく、AIM拡散力場から働きかけるあの能力者か……!)

 本来ならば一秒足りても生かしておきたくない類の希少な能力者だった。
 今は大能力者級だろうが、いずれ超能力者の序列に加わる可能性すら秘めた能力の片鱗をあの一瞬で味わった。
 背中に隠し持つサブマシンガンを取り出し、地べたに這い蹲る滝壺理后に照準を向け、瞬時にフルオートで発砲する。
 狙いは全て足、もしかしたら痛みでショック死するかもしれないが――被弾する前に、パーカーの少女・絹旗最愛が割り込んで銃撃を受け、皮膚に通る前に何らかの膜に遮られ、銃弾は全て地面に落ちる。
 精鋭揃いで粒が揃っている。赤坂悠樹はこの時初めて顔を歪ませ、舌打ちした。

(大気操作系の能力? いや、遠距離からの攻撃を全く行っていない事から、射程距離というものが欠片も無い? ――なるほど、この歪められて特化した自動防御能力、一方通行の演算パターンを参考に各能力者の『自分だけの現実』を最適化しようとした『暗闇の五月計画』の被験者か。難儀なものだ)

 一瞬にして相手の素性を半分以上看破した悠樹は最愛に同情の眼を送ると同時に、どの程度まで耐えれるのか、演算が面倒だと内心愚痴る。
 本気でやれば自動防御があろうが無かろうが簡単に肉塊になるだろうし、半端に手加減すれば無傷、実に面倒な相手である。

(残りの金髪碧眼はその微弱なAIM拡散力場から無能力者と断定出来る。どんな隠し玉を持っていようが、無能力者の時点でいつでも料理出来る、か――)
「この私を無視してんじゃねエエエエエェ――!」

 麦野沈利は当たれば赤坂悠樹が塵一つ残らず消滅するほどの極大の光線を撃ち放つ。
 気抜けた『停滞』のままじゃ避けれないと判断した悠樹は全身に三倍速を施して跳ぶ、置き土産に閃光手榴弾を残して。

「~~ッッ!? クソッタレ、超能力者の癖に小細工に頼るかァッ!」
「うわぁあああぁ! 待って待って麦野! そんな適当な照準で撃たないでぇ~!? 死んじゃう死んじゃう!」
「早く伏せて下さいフレンダっ! 滝壺さんも超早く!」
「……!?」

 視界を失いながら所構わず『原子崩し』を撃ち放ち、他の『アイテム』のメンバーから悲痛な叫びが暫く木霊する。
 ぜいぜい、と怒りで呼吸を乱した麦野沈利の視界が元通りになった時、赤坂悠樹の姿は影も形も無くなっていた。

「あんの野郎ォ――!」

 まんまと逃げられた。麦野沈利は奥歯を砕けんばかりに歯軋みさせる。
 此処まで舐められ、おちょくられたのは初めての経験だった。
 気に入らないものがあれば容赦無く葬ってきた彼女だが、一瞬で晴らせなかった屈辱は今この瞬間しか在り得ない。

 ――そういう意味では、彼女は初めて道端に転がる小石に躓いたのだ。

 心の奥底から際限無く溢れる、身を焦がす憎悪は全て彼一人だけに向けられる。
 こんなにも激しく誰かを想うなど、生まれて初めてだった。自分以外は全て格下、彼女の気分一つで消し飛ぶような微弱な存在に過ぎなかったのに。

 そう、その格下の存在が、在ろうことか自分を見下している。絶対に許せない事だった。

 こんなにも誰かを八つ裂きにしたいと願うなど、今まで一瞬で八つ裂きに出来た彼女の中では初めての怪異だった。

「――絶対逃さねぇぞ、第八位イィ!」

 唯一度も決して省みず、燃え滾るような一途な想いは方向性が真逆なれども、その在り方は何処か恋に似ていた――。




 能力行使によって蓄積された負荷を徐々に拡散させながら、赤坂悠樹は再び盗難車でドライブと洒落込んでいた。
 電源を落としていた携帯を取り出して電源を付け、即座にベルが鳴る。それを予期していたが如く一コールで悠樹は取った。

『――やっと繋がりましたね。こんなに派手に暴れて、証拠隠滅と後片付けする身にもなって欲しいですね』
「お前が直接する訳じゃねぇし、文句なら馬鹿撃ちした第四位に言え。御託はいい、時間の無駄だ」

 さっさと本題に入れ、と悠樹は無言で催促する。

『そうですね、先払いの報酬として『第九複写』の身柄は貴方に引き渡しましょう。代わりに、今回の負債を含めて暗部で働いて貰えませんか? 何、軍事産業の需要は幾らでもありますし、貴方ならすぐに返済出来る額でしょう。学園都市は第八位の超能力者である貴方を高く評価しています。其方にとっても悪い話では無いと思いますが?』
「このオレに学園都市の狗になれ、と? テメェら学園都市から先にこうなる原因を仕掛けておいて、厚顔無恥も甚だしいな。一片死んでみる?」

 この交渉役の人をこれでもかと小馬鹿にした、物凄く腹立たしい口調に苛立ちながら、悠樹はこの自作自演の茶番に呆れ果てる。

『今の貴方の日常と大して変わりませんと思いますが? 暗部の仕事は風紀委員のお遊戯と違って、手心を加える必要も手加減する必要はありませんよ?』

 ぷちっと、一瞬理性が弾き飛んだ。
 大抵の挑発は水に流せるが、この種の類は無意味と知りつつも言い返さないと気が済まなかった。

「ま、テメェらから見ればお遊びだろうがな。確かにオレ以外の風紀委員は甘ったるい青臭い理想論者の集まりで、性質が悪い事に全員本気でそれを追い求めている。腐乱し尽くしたクソ暗部の根暗野郎と一緒にすんな」

 言い捨てると共に返答を聞かず、電源を即座に落とす。
 自分に似合わない事を言ったものだ。ともかく、この茶番の交渉は次で最後と言う処だろう。
 瞬間、先程感じた『自分だけの現実』への干渉が一瞬だけ生じる。
 余りの短時間過ぎて逆探知して元凶まで遡れなかったが、この手の能力だったかと悠樹はようやく理解する。

「チッ、またこの感触か。どうやら本質は追跡能力だったか。厄介厄介。殺してぇ、真っ先に殺してぇな」

 こんな危険な能力者を殺さずに仕留めないといけないのは中々に厳しすぎる制限だ。
 ある意味で、女の子供四人で構成された『アイテム』は赤坂悠樹が一番手を焼く存在だったりする。

「死なない程度に済ますのは慣れているとは言え、何とも遣る瀬無い――ん?」

 前方に不審な集団を目の辺りにし、そのまま轢き殺そうと悠樹が気軽に判断し――即座に覆し、悠樹は脇目振らず車外に脱出した。
 彼の乗っていた車は超高速で駆け巡る目映い光に貫かれ、塵屑のようにバウンドして遥か後方に飛んだ。

「~~っっっ!?」

 赤坂悠樹は超高速の道路にその身を放り投げながら、自身の目を疑う。しかし、その攻撃は確かにそれ以外では説明が付かないものだった。

 それはまるで、彼女の『超電磁砲』のような一撃だった――。




「――つまり、あのクソッタレの第八位の『多重能力』にはある程度条件がある、と?」

 名前すら覚えていない元スキルアウトの男に運転を任せながら、『アイテム』のメンバーは赤坂悠樹について対策を話し合っていた。

「ええ、彼が『原子崩し』を使えるのならば、最初から超使っていた筈です。ですが、使い始めたのは超途中から、そして滝壺さんを標的にした時は『原子崩し』を使わず、わざわざ銃器を使用した。其処に何らかの法則性があると見て間違いないでしょう」
「そういえば、第八位って相手と同じ能力を使って倒す事で有名だから、もしかして相対した能力者と同じ能力しか使えない? 結局それって『多重能力』と言える訳?」

 確かに、実際に戦った麦野沈利の中にはある種の疑問が生じていた。
 何度も仕留めたと確信した一撃が不自然に避けられる。感覚的に『原子崩し』に何か干渉を受けた覚えはあるが、それが電子を操る類の同種の力では無いと断言出来る。
 一旦仕切り直した為に冷静に戻った麦野沈利は、赤坂悠樹の戦力評価をほんの少しだけ向上させる。多重能力者にしろ、でないにしろ、一筋縄ではいかない超能力者であるようだ。
 腐っても第二位を一度は打倒したのだ、それぐらいの力を持っていて然るべきだろう。でなければ殺し甲斐が無い、と運転席の男が引き摺るような笑みを浮かべる。

「もしかしたら『過剰速写』はAIM拡散力場を操る系統の能力者かもしれない。現に、私の『能力追跡』が逆探知され、逆に干渉されかけた」
「え? それって大丈夫なの? 滝壺」
「大丈夫、追跡する分は問題無い」

 フレンダが心配する素振りを見せる中、滝壺は素っ気無く、されども何処か疲労感を漂わせて答える。
 先程の戦闘のように相手の能力を乗っ取るのは無理そうだが、追跡程度ならまだ使えると麦野沈利は判断する。
 貴重な能力を持つ彼女を使い潰してでも使う価値が、第八位の『過剰速写』にはあった。

「麦野、『過剰速写』は現在100メートル前方の赤い車で走行している」
「よっし、追いついたァ! 追跡されていたとも知らず、暢気に走りやがって! 今すぐ車ごと星の彼方に吹き飛ばしてや――!?」

 窓を開けて外に乗り出し、景気付けに『原子崩し』で砲撃してやろうとした時、彼の走っていた車が尋常ならぬ力を受けて空中高くバウンドし――此方に向かってくる悪夢めいた光景に麦野沈利は意識を奪われた。

「え? 何? のわあああああああああああぁ?!」

 本当に吹き飛んできた車は彼女達の乗る車のすぐ傍に墜落し、車体が掠ったのか、バランスを崩してスピンしてしまう。
 横転しなかっただけ幸いだった、と三人が自身と仲間の無事を確認する中、麦野沈利は真っ先に車外に出て、全力疾走する。
 彼女の前方には一直線に抉れた道路と、うつ伏せに倒れ伏して微動だにしない赤坂悠樹の無様な姿、そして学園都市の暗部と思われる駆動鎧の部隊が立ち塞がっていた。

「人の獲物横取りしようたァ良い度胸だ。何処のどいつだァ!」

 怒り狂った顔で麦野沈利は怒鳴り散らす。
 コイツを八つ裂きに引き裂いてやるのは自分の役目であり、自分だけの特権だ。それを何処の馬と知れぬ野郎どもに邪魔されるのは余りにも不快だった。
 遅れてフレンダ、絹旗最愛、滝壺理后が追いつく。駆動鎧の部隊からはリーダー格と思わしき紫色のスマートな駆動鎧が前に出る。その右手には槍状の巨大な兵器を握って。

「あらぁ、可愛らしい女の子達ねぇ。同業者かい? テメェらみたいなビチグソはお家に帰って糞して寝てなァ……!」







[10137] 八月一日(6)
Name: 咲夜泪◆ae045239 ID:01231db7
Date: 2011/02/28 03:43



 ――意識が揺らいだ刹那、懐かしい光景が目に映る。
 血塗れになった子供の自分、ぴくりとも動かなくなった亡骸の妹、自分が殺したのに驚いている憎き仇敵――そして、それを俯瞰している今の自分がいる。

 既に何もかも終わった過去の光景だった。
 希望という希望が砕かれ、無根拠に信じていた当然の正義が死んだ瞬間。何度も思い返し、何度も絶望した、赤坂悠樹という人間の運命を決定付けた原点。

 ただ、今回は面白い事に今の自分がいる。学園都市の能力開発を受け、超能力判定を下された、こんな三文芝居の惨劇など簡単に捩じ曲げる事の出来る今の自分が――。

 無意識の内に妹を殺した元凶の頭を鷲掴みにし、握撃をひたすら『加速』し続けて、やがてトマトを握り潰すが如く感触を得る。
 力無く倒れた体を能力込みの全力で殴り続け、肉片がこの世から残らず消えるまでその作業を繰り返す。
 此処で、最初に呆気無く殺し過ぎたと猛烈に後悔する。もっと苦しめて殺すべきだった。実際やる時はその点に留意しよう。
 次に目を付けたのは過去の自分であり、その頭に銃を突きつけて無造作に撃つ。
 素敵な風穴が両眼の間に出来た過去の自分は壊れた人形のように事切れ、弾切れても構わずに何回も何回も撃つ。

 ――何でお前が死ななかったのか。
 ――何でお前が生き延びたのか。


 ――何で、お前(オレ)は、


 八月一日(6)


「あァ? 年増の糞婆が何ほざいてんだ? 消し飛ばされてぇようだなアァ……!」

 紫色のスマートな駆動鎧に乗った女に殺意を抱きながら、麦野沈利はいつでも駆動鎧の部隊を葬る用意をしていた。
 彼女の超能力『原子崩し』は専らこういう大々的な殲滅戦にこそ真価を発揮するものであり、恐らくは超能力者の中でも最も効率良く撃破出来るだろう。

「ちょっと待ってよ麦野! 結局対象(ターゲット)は完全に沈黙してるからお仕事終了、って訳には?」

 だが、幾ら仕事がかち合ったとは言え、同業者――学園都市直属の暗部と事を構えるのは非常にまずい。
 フレンダは笑顔一杯で麦野沈利を宥めようとし、即座にその禍々しい眼力に怯んで失敗する。

(うぅー! どうして最近こんな役回りって訳ぇ!?)

 どういう訳か、あの第八位が自分達の下に現れてからロクな事にならない。
 とにかく、その元凶が気絶しているのだから穏便に済ませたい。そういう大人な話し合いを期待して紫色の駆動鎧の女に笑顔を送ったが――フレンダの涙ぐましい努力は無駄に終わった。

『良いね、良いねぇ。超能力者二人に能力体結晶の適合者! 今日は実験動物(モルモット)が豊富に揃っていやがる!』

 うわぁ、狂科学者(マッドサイエンティスト)かよとフレンダはげんなりする。
 というか、麦野沈利が超能力者だと解っていて手出ししようとする精神が理解出来ない。
 自分がどうこう手出しするまでもなく、沈利に一方的に殲滅されて終わりだなと、フレンダは内心黙祷する。正当防衛なら上からも文句は言われまい。

「もうボケが頭に来てんのかねぇ、この年増は。絹旗、先に片付けるわよ」
「……仕方ないですね、超不本意ですけ――!?」

 何か小さい音が聞こえる、フレンダにはその程度の違和感に過ぎなかったが、麦野沈利を初め、絹旗最愛、滝壺理后までもが苦悶しながら膝を折ってしまう。
 一体何が――状況に追いつけず、混乱している中、紫色の駆動鎧の女は舐めた挙動で正面から間合いを詰め、立てないほど苦しむ絹旗最愛と麦野沈利を槍型の兵器で纏めて薙ぎ払った。

「え、嘘!?」

 フレンダが驚くのも無理は無い。あんな殺して下さいと言わんばかりの大振りの一撃に対し、あの麦野沈利が何一つ反撃出来ず、絹旗最愛は大能力(レベル4)に分類される『窒素装甲(オフェンスアーマー)』の自動防御能力が正常に作動してないのか、強打された痛みで立てずにいる。

『オラァ、どうした! さっきまでの威勢は何処に行ったんだァ?』
「ッッ、畜生っ、何だこの音は……!?」

 眉間を酷く歪ませた麦野沈利は、歯を食い縛りながら立ち上がる。
 滝壺理后に至っては能力を使い過ぎた時の如く、見ている此方が危機感を抱くほどの脂汗を滲み出していた。
 まずい。自分は無事だが、『アイテム』の主力戦力が何らかの方法で無力化されている。
 無能力者の自分が無事な事から、高位能力者のみを対象とした妨害音波が何処かで流れているとフレンダは推測する。

(多分、アイツ等が乗っていた車から。注意が逸れている内に爆破出来れば――)

『あぁ? 一片の存在価値も無い屑の無能力者が紛れ込んでいたのか。そんな塵屑のようなカスでも放っておいたら後々面倒よねぇ?』

 駆動鎧の部隊の銃身が一斉にフレンダに向けられる。
 何処をどう見ても大口径のグレネードランチャーであり、あんなのにしこたま撃たれては自慢の脚線美は愚か骨一つ残るまい。
 基本的に、フレンダの戦術はトラップと爆発物――つまりは、待って嵌める、これに尽きる。麦野沈利のように打って出るような戦闘要員では無いのだ。

(ままま、まずい! ど、どうしよう! 麦野も絹旗も動けないし、私一人じゃどうにも……!? 白旗振って降参しちゃう? でも後で麦野に殺される……! かと言って正面突破して音源の爆破なんてムリムリ! 撃たれて死んじゃう……あれ、完全に詰んだ?)

 一瞬、頭が真っ白になる。何か、何か活路は無いか、フレンダは必死に周囲を見回し――未だに倒れ伏す第八位に目が止まった。

「ま、待って! 私なんかより、そっちの第八位を放置しておいて良いのかな? もしかしたら気絶した振りして横合いから叩きつける最高のタイミングを見計らっているかもよ?」

 完全なハッタリである。だが、それでも疑心暗鬼に陥ってくれれば活路は開ける。
 背中にリモコン式の爆弾を用意しながら、フレンダは今か今かと機会を窺う。麦野沈利さえ復活すればこんな奴等など簡単に片付けられるのだ。頑張れ私、とテンパりながら自分に激励する。

『ふーん、面白い事を言うのねぇ。それじゃまず、テメェの顔を綺麗に吹き飛ばしてからコイツの四肢を取り外そうかァ! 脳髄さえ無事なら問題無いしなァ!』

 だが、下された号令は無情にもフレンダの射殺であり、「ひっ」と怯えながら思わず目を瞑る。
 だが、何時までも銃声が鳴らなかった事に疑問を覚えたのはフレンダも紫色の駆動鎧の女も一緒だった。

「――全く、モテる男は辛いねぇ。その無能力者の言う通りだったのは少々癪だが」

 大きな欠伸をしながら、赤坂悠樹は自然に起きるように立ち上がり、窮屈そうに背伸びする。
 走行中の車から転がり落ちた影響など欠片も見当たらなかった。

『テメェら、何チンタラしてやがる!?』

 リーダー機を除く他の駆動鎧はその場からぴくりとも動けず、通信機能さえ外的要因で『停止』していた。
 これだけ時間があれば駆動鎧の関節部を遠隔操作で『停止』させる事など第八位の『時間暴走(オーバークロック)』には容易い。
 ただ、リーダー格の女に関してはAIM拡散力場が何処か壊れており、強能力者以上と同じように遠隔からは干渉出来なかった。

『何故だ、何故テメェは『キャパシティダウン』の影響を受けない!?』
「え? まさか其処から説明しなきゃいけないの? 面倒だから嫌だよ、自分で勝手に解釈してくれたまえ」

 赤坂悠樹は事前に『キャパシティダウン』についての知識があり、当然の事ながら既に対策済みだった。
 木原数多の時はそもそも最初から使わせず、そして使用されてしまった今回は特定の音波を『停止』させる事で完全にシャットアウトしている。

「それにしても準備の良い奴等だな。わざわざ自分から鉄の棺桶に入っているなんてさ――殺して下さいって言わんばかりだろ?」

 今回の駆動鎧に乗った哀れな連中は心臓を掌握するまでも無い。
 彼等は今動かない駆動鎧を必死に動かそうと『停止』した関節部に負担を掛け続けている。それがどんなに危険な事か、彼等は気づく事無く――赤坂悠樹が笑いながら指鳴らす。
 駆動鎧を纏っていた彼等の腕や足の関節は360度、在り得ない方向など無いと言った具合に捻れ曲がり、紫色の駆動鎧の女を残して全員一斉に倒れ崩れた。

「きゃははっ! 何それ、最高に愉快な死に方だなぁ! ちなみにこの場合はショック死になるんかねぇ? もしくは千切れた関節部からの出血死?」

 通信機能が復帰し、細切れた断末魔が立て続けに鳴り響く。
 紫色の駆動鎧に乗った女は即座に通信を切り、歯軋り上げながら悪魔じみた嘲笑を浮かべる第八位を睨んだ。

「さぁて、茶番は終わりだ。先程の礼を兆倍にして返してやるよ。劣化超電磁砲という何とも滑稽で無様な一発芸を見せて貰ったしな」
『――劣化だって? 舐めんなよ第八位(モルモット)。私は第三位の『超電磁砲』を解析・再現し、オリジナルを超える性能のレールガンを作り上げた! この偉大さが解らないっていうならもう一度味合わせてやんよォ……! 超能力者の中でも序列が低いテメェらが生き残れるとは到底思えねぇがなアァ!』

 槍状の兵器が四方八方に開き、布を剥ぎ取った傘の内側が如く展開する。
 夥しい電気が歪な銃身に迸る。御坂美琴の『超電磁砲』を再現したと豪語するだけはあり、その規模は確かにいつぞやに見た光景だった。

「御宅の解析した『超電磁砲』は玩具のコイン如きで撃たれた超手加減バージョンですかぁ? その程度の豆鉄砲を再現して有頂天とは、マジ片腹痛い。何この道化っぷり、オレを笑い殺すつもりですかぁ!?」

 極限まで馬鹿にしながら赤坂悠樹は回転式拳銃を取り出し、片手で持って正面に構える。

「つーかさぁ、参考にするのが御坂の『超電磁砲』っていう時点でもう間違って無い? 垣根の『未元物質』を参考にした方が兵器として遥かに良いもん作れると思うんだけど? まぁテメェ程度の科学者じゃ触れられない領域っぽいし、そもそも頭の出来が余りにもお粗末だから理解すら出来ないだろうがねぇ」
『最高に愉快な遺言を、あ・り・が・と・う。超能力者(レベル5)のテメェの死体は徹底的に解剖し尽くして絶対能力(レベル6)への礎にしてやるよォ……!』
「本流である一方通行の絶対能力進化(レベル6シフト)から脱落した分際で良く大法螺吐く気になれるねぇ。いい加減現実を見つめ直した方が良いんじゃないか? ま、此処でテメェが死ぬのは確定事項だからその必要は無いが」


『――減らず口を。この実験動物(モルモット)風情が、単なるサンプル如きがぁ! この私に逆らってんじゃネェエエエエエエエエエエエェ――!』


 チャージを完了し、科学の力によって再現されたレールガンはその最大出力で発射され――この刹那に、赤坂悠樹の擬似超電磁砲がその胸に突き刺さり、途方も無い威力を駆動鎧で受けた彼女は色々飛び散りながら遥か彼方に消え失せる。

 それに対して、レールガンの弾丸は幾重に敷かれた『停滞』によって干渉され、赤坂悠樹に近寄る毎に減速していく。
 最終的には見てから躱せる程度まで弾速が落ち、ひらりと避けた赤坂悠樹の付近を通り過ぎると同時に元の最高速に戻って、車すら吹き飛ばせるぐらいの衝撃波を撒き散らした。

 ――余りにも無情で無惨な結果だった。この現実こそが当然と言うが如く、赤坂悠樹は高々と哄笑した。

「実験動物(モルモット)風情に返り討ちにされる研究者を何と言うか知っているか?」

 笑い過ぎて痛む腹を押さえながら、悠樹は涙目混じりで断言する。

「総じて『間抜け』って言うんだよ」






[10137] 八月一日(7)
Name: 咲夜泪◆ae045239 ID:01231db7
Date: 2011/03/03 04:04



 八月一日(7)


 ――第八位が繰り出した擬似超電磁砲は、第三位を参考にしたレールガン以上の速度で駆け抜けた。

(第八位の超電磁砲には発電系統の能力が使われてない? 他の法則であれと同じ事を? それならば生じた馬鹿げた反動を一体どうしている!?)

 電子を操る系統の能力者である麦野沈利だからこそ、それが見逃してはいけない現象だと気づけた。

(確かに絹旗の言う通り、奴の多重能力には何らかの条件がある。私の『原子崩し(メルトダウナー)』を好き勝手に使えるならこの殲滅戦に使っただろう。――先程出来て、今回出来ない理由は一体何だ?)

 AIM拡散力場から絡む方面の能力ならば、近くに対象となる能力者がいれば成立する。それ故に、滝壺理后のように他人の能力を乗っ取る類のものでは無い。

(注目すべき点は途中から。私と遭遇した初期状態では私の能力を使えないという事。相手に使わせる事が第一条件と見て間違い無いだろう。奴の超能力が名前通り、能力の模写(コピー)に過ぎないのならば、あの超電磁砲が説明付かない)

 何か引っ掛かる。憎き相手を射殺すばかりに睨みつけながら、麦野沈利は至極冷静に考察を進める。
 奴がこれまでに行った能力行使は『原子崩し』に何らかの干渉を加えて回避する、麦野沈利と同規模の『原子崩し』を撃ち放つ、瞬間移動の如く高速移動、駆動鎧の動きを止めて四肢を捩じ曲げる、擬似的な『超電磁砲』を撃ち放つ――そして、相手のレールガンを肉眼で確認出来るまで減速させ続けて欠伸混じりに回避する事。

(――私の『原子崩し』を簡単に避けられた絡繰りがこれか! 速度の増減、遠隔からの停止もか? だが、それだけでは『原子崩し』の模写が説明出来ない)

 速度の変化に能力の模写、まるで結びつかない。やはり『過剰速写』はその二つの能力を持つ多重能力者なのか?
 相手の能力をその間々模写する万能な能力ならば、奴は第八位という序列に座っていない。元の能力より劣化しているだとか、何らかの欠点や欠陥が無ければおかしいのだ。
 それなのに奴は同規模、同条件で『原子崩し』を――同規模で同条件? 不意に脳裏に生じた単語が引っ掛かる。

(同規模の『模写(コピー)』じゃなく、同条件の『再現(リプレイ)』?)

 麦野沈利はあの廃ビルで赤坂悠樹が撃ち放った『原子崩し』の軌跡を克明に、全て思い出す。
 偶然にも、いや、必然と言うべきぐらい何一つ誤差無い。――あれは自分が撃ち放った『原子崩し』の軌道だった。

(そうか、それならば辻褄が合うっ! テメェのチンケな超能力の正体は――!?)

 第八位の擬似超電磁砲によって紫色の駆動鎧の女諸共音響兵器が吹っ飛んだのか、能力阻害の影響が綺麗サッパリ消え去り――その事に気づいていないフレンダが「チャンス!」と言わんばかりに背中に隠していたリモコン式の爆弾二つをよりによって奴に無造作に投げた。

「ば、フレンダァアアアアァ――!?」

 何で怒られたのか解らないフレンダは「え?」と小首を傾げ、麦野沈利の予想通り、二つの爆弾は起爆スイッチを押したのに関わらず爆発せず、赤坂悠樹の足元に転がった。

「え? ちょ、何でこんな時に不発!? ……もしかして配線、間違った?」

 限界まで焦りながら、フレンダは第八位に向かって可愛気に「てへっ」と微笑むが、対する彼は名案を思い浮かべたが如く、飛び切り凶悪な笑みを返した。
 悠樹は瞬時に爆弾をフレンダへと蹴り上げ、拾ったもう一つの爆弾を麦野沈利に投げ捨てた。

(え? あれは運悪く不発弾だから爆発しない筈? もしかして能力で爆破出来る!?)

 フレンダの悪寒は正しく、二つの爆弾はほぼ同時に爆発する。
 麦野沈利は『原子崩し』を自身の目の前に展開し、迫り来る爆発を防ぐ処か消し飛ばす。

(――チッ。自業自得とは言え、フレンダの方は助からないな)

 などと麦野沈利は半分諦めていたが、能力の制御を取り戻した絹旗最愛がぎりぎり間に合い、フレンダは爆風の余波で意識を失ったが、一命は取り留めたようだ。

「――ッ、あのクソ野郎は何処行きやがったァ!?」

 あの爆弾は仕留める為ではなく、逃走の為の目眩ましであったらしく、赤坂悠樹の姿は完全に消え失せていた。

「滝壺、奴は何処行ったァッ!」

 麦野沈利は瞬時に滝壺理后に眼を向けたが、彼女は以前倒れたまま、未だに立ち上がれずにいる。

(滝壺の能力は意図的に暴走させる事で発動する無理筋の力、音響兵器による阻害は誰よりも深刻だったか……!)

 肝心な時にその便利な追跡能力を使えないのでは話にならない。
 第八位を見失った怒りを役立たずの彼女にぶつけようかと麦野沈利が血迷った刹那、滝壺理后は最後の力を振り絞ってある方角を指差して力尽きる。
 沈利は理后の安否を一切気にせず、その方向へ一直線に走る。

「麦野さん! こんな状態で追うのは超無謀です!」
「逆だァッ! 奴を殺す機会は今この瞬間しかねェッ!」

 正体不明だった第八位の超能力の詳細が発覚した今、時間を置いて万全な状態に立ち戻られては本末転倒だ。
 今この場で追い詰めているのは此方なのだと、麦野沈利は勝ち誇ったが如く、常人なら一目見ただけで引き攣って踵を返すほどの凶悪な笑みを浮かべた。




 第一〇学区は最も土地の値段が安い学区であり、学校よりも研究施設が目立つ。
 その中には途中で頓挫し、廃棄された研究施設も多数ある。赤坂悠樹が最後に逃げ込んだ先はそういう類のものであり、八階建てという周囲でも一際高い建物だった。

「君もしつこいねぇ。それに一人で此処まで追ってくるなんて少し無謀じゃないか?」

 周囲一帯の研究施設を見下せる屋上にて、第八位『過剰速写(オーバークロッキー)』赤坂悠樹と第四位『原子崩し(メルトダウナー)』麦野沈利は再び邂逅する。

「虚勢も此処まで来れば賞賛ものだね。銃弾の加速、弾速の停滞、駆動鎧の一部分を停止、私の『原子崩し』を同条件で再現――テメェのチンケな能力の絡繰りなんざ御見通しなんだよォ……!」

 二人の距離は十五メートルほど。面積の少ないこの屋上は、第四位の『原子崩し』にとっては絶好の狩り場であり、『過剰速写』にとってまさに逃げ場の無い死地だった。

「――テメェの能力は『多重能力(デュアルスキル)』では無く、限定的で不完全な時間操作だろ? 今のテメェは自身の能力で生じた膨大な反動の処理だけで精一杯なんだろォ……!」

 狂ったように笑いながら、麦野沈利は勝ち誇る。
 だが、追い詰められた筈の赤坂悠樹の態度は依然として変わらず、傲慢で余裕に溢れた不遜の間々だった。

「腐っても同じ超能力者か。垣根の野郎は一回の接触で気づいたけどね」

 出来の悪い生徒に漸く気づいたかと溜息付く教師のように、赤坂悠樹には追い詰められたという認識など欠片も無かった。

「――『時間暴走(オーバークロック)』、それがオレの能力の本当の名称だ。おめでとう、此処まで辿り着いたのは君で二人目だ。賞賛に価するよ」

 ぱちぱち、と悠樹はやる気無く拍手を送る。

 ――そんな彼の行動全てが麦野沈利の癇に障る。

 何故此処まで余裕なのか。絶体絶命の窮地まで追い込まれ、泣きながら絶対的強者である自分に命乞いする立場なのに――それはまるで、絶対的強者が弱者に哀れんでいるような傲慢さだった。

「それでさ、オレの能力の詳細が解った処でもう詰んでいるんだけど?」
「そのクソ愉快な寝言が遺言かァ? 脳みそまで湧いてんじゃねぇぞォ!」
「いやね、このビル全体の時間を『停止』させているんだよ。停止させている最中は並大抵の外的要因では何一つ干渉出来ずに、加わった力場は際限無く蓄積され続ける。そしてオレが停止を解いた瞬間に一斉に解放されるって訳だ」

 赤坂悠樹の言葉が正しいのならば、駆動鎧の一部分を停止させられた哀れな連中は自分で首を締めて死んだようなものだ。
 そして、今のこの状況は非常に不味い。もしも彼の言う通りに八階建ての建物が倒壊して、その只中にいて『原子崩し』は生き残れる能力では無い。
 そう、本当に正しいのであれば――。

「――『王手詰み(チェック・メイト)』だ。此処に来た時点で君の勝機は完全に潰えた。生命が惜しければ即座に退け。同じ超能力者の誼だ、見逃してやるよ」
「ハッ、詰まんねぇハッタリだ。テメェには私と心中する気なんざ更々無い。――この私でも殺せねぇんだろォ、このフェミニストの甘ちゃんがよォッ!」

 そう、赤坂悠樹は本当に自分達を殺せない。
 本当に殺す気があれば、彼女の『原子崩し』を再現した一撃目で有無を言わさずに仕留めているだろう。
 あれの初見殺しは並大抵の者では仕組みさえ理解出来ずに死ぬだろう。舐めに舐め切って手の内を明かし過ぎた。それが赤坂悠樹の敗因であり、最大の死因だ。

「何か根本的に勘違いしていないか? 確かにオレは子供の女を自分の手では殺したくない。反対に言えば、見殺しは全然OKなんだが。人の最終通告に聞く耳持たないで、勝手に自殺する愚か者の事なんざ基本的にどうでも良いんだが。――最後にもう一回言うぞ、此処に居たら死ぬぞお前」

 それも嘘だ。アイツは駆動鎧の部隊に殺される道しか無かったフレンダを庇うほど、救いの無いお人好しだ。その致命的な甘さが裏の世界では命取りだ。

「死ぬのはテメェの方だァ! 抜かしてんじゃねぇぞ第八位イイィ!」

 そして麦野沈利は此処まで我慢に我慢を重ねて温存していた切り札、面制圧を不得意とする『原子崩し』の弱点を補うカード状の装備『拡散支援半導体(シリコンバーン)』を所持する全ての数を眼下に投入する。

「逃げ場がねぇのはテメェの方なんだよオオオオォ!」

 カード全てに目掛け、麦野沈利は全力で『原子崩し』を撃ち放った。
 このカードに電子線を当てるとパネルが分散し、『原子崩し』の光線が広範囲に拡散する仕組みとなっており――まさに逃げ場など何処にも無い、面制圧の弾幕が目映い光として駆け巡った。

 今度こそ間違い無く仕留めた。クソッタレの第八位は死んだ事に後悔する暇無く、細胞一つ残らず蒸発した。

「――クク、アァハハハハハァッ! ざまぁみろっ! 弱者の分際でこの私を見下した報いだッ! 嗚呼、最高に爽快で晴れ晴れとした気分で笑いが止まらないぞォ! アハハハハハハハハ!」


「――停止中の対象は並大抵の外的要因では干渉出来ない。そう、並大抵のではな。ちゃんと説明した筈だぞ?」


 死んだ筈の男の声は背後からであり、思考より早く振り向き――其処には誰もいなかった。
 彼女の『原子崩し』の弾幕による面制圧は当然の事ながら時間が止められている建物にも被弾し、その複数の箇所は呆気無く壊れ――限界以上の力場が加わった為に『停止』が解けて、決定的な崩壊を巻き起こす。
 一際大きい振動と音が鳴り響いた瞬間、足場が崩れる。いや、違う。建物全体が完膚無きまで破砕されて崩れ落ちる。
 虚を突かれた麦野沈利は何かに捕まろうと手を伸ばし、無情にも空振った。

「あアアアァかさかァアアアアアアアアアアアァ――!?」




 赤坂悠樹は空中に存在する諸々の物質を『停止』させて透明な足場を作り、階段を降りるかのような気軽さで下っていく。
 そして思い出したかのように携帯電話に電源を入れ、またもや一コールで出る。

『いやはや、参りました。第四位の超能力者までこうも簡単に葬ってしまうとは。私も上層部も、貴方の力を過小評価していたようですね』
「解り切っていた結末だろう。第二位を打倒したオレが、今更第四位如きに敗北する訳無いだろうに」

 肩が凝った首を回しながら、悠樹は余裕満々に騙る。
 実際の処、良い処まで追い詰められていたのは本当の話だ。
 第四位の超能力者と交戦し、連戦で駆動鎧の部隊を相手にしてしまったのだ。能力の冷却時間が余りにも少ない。
 その際、自分への負荷が一際大きい擬似超電磁砲を使ってしまった為、生じた負荷の処理が間に合わず、自転車操業的な遣り繰りで四苦八苦していた。

『今回は手を引きましょう。後腐れ無くきっぱりと。ですが、貴方が学園都市に牙を剥いた、その事を夢々忘れずに。いずれ後悔する時が来るでしょう』

 予定調和の結末に内心舌打ちしつつ、不快極まる通話を即座に終わらす。
 漸くこの腐れた一件に終止符を打った。否、此処からが本番だと緩んだ兜の緒を締め直すが如く、疲労した精神や身体に一喝する。

「という訳で、君と戦う理由は無くなったんだが? それとも麦野沈利の敵討ちでもするかい? 暗部に居ながら案外律儀だねぇ」

 くるりと振り返る。其処には『アイテム』の最後のメンバーである絹旗最愛が息切れしながら立っていた。







[10137] 八月一日(8)
Name: 咲夜泪◆ae045239 ID:01231db7
Date: 2011/03/30 03:13




 八月一日(8)


「はふぅ、外の食べ物ってこんなに美味しかったんだね!」

 初体験の感動を全身で表現する少女を微笑ましく思いながら、御坂美琴は口元についたソースをハンカチで拭き取る。
 夕食から余分に取ってくるのは色々と苦労したが、少女の華開くような笑顔に見合う物だったと思える。

(クローンだとか言っても、私達と何処も変わらないなぁ)

 最初にクローンと聞いた時は機械的で無機質なイメージを抱いたが、その印象は今では完全に払拭され、同じ人間にしか見えない。
 この少女の輝かしい笑顔を、アイツは守りたかったんだと思う。

「そういえば黒子どうしたの? さっきから黙ってさ」
「……え? いえ、何でもありませんわ」

 気まずそうに沈黙していた黒子は取り繕ったような笑顔を浮かべる。
 それは自分に対して何か隠している時の表情であり――びびっと美琴は気づいた。

「あ、もしかしてアイツの心配? どうせするだけ無駄――え?」

 美琴のゲコ太を模した携帯から着信音が鳴り響く。相手は赤坂悠樹からだった。

「……アイツから?」

 確かに彼は白井黒子の方に連絡すると言った筈だ。
 即座に偽物疑惑が脳裏に過ぎり、黒子と目が合い、とりあえず電話に出る事にする。

『――状況終了、オレの完全勝利だ』

 電話越しからも奴だと判明できるほどの傲慢さで、美琴の電話に掛けてきた彼は自信満々に断言する。

「レールガン」
『オーバークロック』

 即座に帰ってきた符号(パス)は引っ掛けの『過剰速写(オーバークロッキー)』では無く、事前に打ち合わせた通りの正しい方であった。

「どうやら本物のようね。……てか、黒子の方に電話するんじゃなかったの?」
『おっと。オレとした事が大事が終わって気が緩んだかね。今日以上に疲れた日は垣根帝督の時以外無いからな』

 幻想御手事件の終わりを思い出しながら「アンタでもミスはあるんだねー」と美琴は茶化す。……ほんの少しだけ、無事だった事に安堵しているのは秘密だった。

『最初にオレ達が戦った川辺で落ち合おう。白井黒子に腕章忘れるなよって伝えといてくれ』




 朝から降り続いた鬱陶しい雨は晴れ、夜空には三日月がうっすらと浮かんでいる。
 赤坂悠樹と一戦交えた川辺はもうすぐ其処であり、あれからまだ二週間しか経ってない事に御坂美琴は改めて驚く。

(……それにしても随分と濃い付き合いになったもんだ)

 同じ常盤台中学に在学する第五位とは別の意味で、同じ超能力者である彼は彼女を特別視せず、同じ視点に立っていた。良くも悪くも対等だった。
 不幸が口癖のつんつん頭の少年と同じく「いずれ決着を付けねばなるまい」と負けず嫌いな彼女は心の中で強く誓うのだった。

「これから、どうなるのかな?」

 美琴と手を繋いでいる『第九複写(ナインオーバー)』は少し不安そうに尋ねる。

「そうね。これは私の予想だけど、少しばかり窮屈で厄介事も色々とあるだろうけど、アイツなら私でも考えつかない方法で次々と解決していくでしょうね。……主に強引に、力技で」

 後半は半笑いしながら、美琴は少女の不安を払拭しようと勝気に笑う。

「……『過剰速写(オリジナル)』と、上手く付き合えるかな?」
「そんな事を心配する兄妹はいないよ」

 少女は「え?」と心底から驚く。

「兄妹? 違うよ、私は『過剰速写』のクローンで――」
「生まれ方は違っても、先に生まれた方が兄で、後から生まれた方は妹なの。それは何処に行っても変わりない事よ」

 御坂美琴は自信満々に宣言する。
 自分には兄も妹もいないけれども、そういうものだと胸を張って答える。もしも自分にクローンがいても、同じ認識に至るだろう。

「……そう、なのかな?」
「うん、そうよ」

 少女は笑顔を取り戻す。
 人間、やっぱり笑顔が一番だ。このあどけない笑顔を取り戻す為に生命を賭けて頑張った彼に早く届けてやろうと御坂美琴は意気揚々と足を進める。
 一人だけ、後ろから彼女達に付いて行く白井黒子の足取りだけは重かった――。




「えーと、アイツは――いたいた。どうやら無事だったみたいだね」
「当然だ、このオレを誰だと思っている。流石に垣根帝督が出てきたら詰んでいたが、それ以外に負ける道理は無いからな」

 御坂美琴は赤坂悠樹の傲岸不遜な応酬に「いつも通りだ」と安堵する。
 黒の雨合羽を脱ぎ捨て、珍しく長点上機学園指定のブレザー姿の彼には怪我無く、完璧なまでに健在だった。

「……赤坂さん、一つ良いですか?」

 白井黒子は美琴達の一歩前に出て、駆け寄ろうとした彼女達を手で制し、指の間に挟んだ金属矢を悠樹の眼下に晒しながら威嚇する。

「黒子? アンタ、急にどうしたの?」
「貴方が本物かどうかは聞きません。唯一つ、答えて下さいまし」

 突然の事に美琴の思考が追いつかない。
 何故、黒子は憎き敵を見るような眼で、赤坂悠樹を睨んでいるのか――。

「――この娘を、この後どうするつもりで?」

 何を当たり前な事を、と美琴が笑って和ませようとした時、赤坂悠樹の表情が完全に崩れ、凄惨に笑った。


「其処まで解っているのなら言う必要あるの? ――勿論、殺すよ」


 一瞬何を言っているのか、訳が解らなかった。聞き間違えだと信じたかった。
 されども、赤坂悠樹が怯える『第九複写』に向ける殺意は本物だった。それだけで射殺せるほどの圧迫感を、対象外の美琴にも実感させるほどの。

「……え? どういう、事よ? アンタが助けたのに、何でっ!?」

 まるで意味が解らない、と御坂美琴は悲鳴の如く叫ぶ。
 隣に居た『第九複写』は気落ちする。驚きは少ない。彼と出遭った当初から、何となくそんな予感がしたからだ。

「……そうだよね。やっぱり自分のクローンなんて、気持ち悪い、よね」
「――違う」

 赤坂悠樹の表情はまた無表情の能面に戻り、その一部分だけ否定する。

「それがオレのクローンなら、何も問題無かった。そもそもこんな面倒な事態に発展しないし、完全に無視する事が出来た。オレのクローンが一万人死のうが二万人死のうが、気にもならないからな」

 それは曲がりなしの本音だった。もしも『絶対能力進化(レベル6シフト』の要となる超能力者の量産型能力者(レディオノイズ)計画に赤坂悠樹自身が素体になったとしても、彼は何一つ動かず無視して静観しただろう。
 ならば何故、我が身を焦がさんばかりの憎悪を籠めて無垢な少女を睨むのか――。

「――これはね、六歳の時に殺された、俺の双子の妹のクローンなんだよ」

 その告白に、三者三様の驚愕が走る。
 御坂美琴は双子の妹がそんな幼い頃に殺されていた事に、『第九複写』は自分自身の製造目的を根本から否定された事を、白井黒子は最悪の予想通りだと自身の唇を噛みながら。

「オリジナルが生存して尚且つ開発を受けていれば九人目の超能力者になっていたかもしれない。だから『第九複写(ナインオーバー)』とは良く言ったものだ」

 悠樹は忌々しげに吐き捨てながら「君の事といい、案外『素養格付(パラメータリスト)』は都市伝説の類じゃないのかもな」など今はどうでも良い愚痴を零す。

「流石のこれはオレでも無視出来なかった。学園都市の暗部はオレにとって絶対不可侵の領域に火付きの煙草を叩き捨てた上で土足で踏み抜きやがったようなものだ」

 能面だった顔が極限まで歪み、怒りの炎が灯る。
 今の赤坂悠樹は自身の感情を制御し切れず、不安定に揺らいでいた。

「これの製造目的は多重能力の解明などでは無く、第八位の超能力者『過剰速写』に対する『首輪』だ。――今回の一件は、オレが死んでも、敗北して暗部に叩き落とされても、勝ち抜いてこれを確保しても、結局は結果が同じという茶番だった訳だ」

 猟犬部隊(ハウンドドッグ)に『メンバー』に『アイテム』にMAR(先進状況救助隊)も、そんな予定調和の茶番に駆り出された哀れな駒に過ぎない。
 個人に其処まで過剰な戦力を投入するほど、何一つ制限無く動ける第八位は目障りだったのだろう。


「――でも、殺せなかった。……そうですよね? 漸く疑問が解けましたわ。最初から匿わず、殺せていたのならば今回の件は此処まで大事にならなかった筈です」


 白井黒子は真っ直ぐな眼で赤坂悠樹を射抜く。
 悠樹は微動だにせず、此処まで自分の嘘が見抜かれやすくなったのかと、自嘲の笑みを零した。

「……最高なまでに忌々しいがな。ああ、認めよう、その通りだと。双子の妹を目の前で惨殺されたオレにとって、子供の女の死は今でも最大級のトラウマだ。能力の制御を全て失って暴走するぐらいのな。だからこそ、全ての障害を排除し、最後に持ってきた」

 研究所に侵入して出遭った時、その場で殺していれば此処まで手間は掛からなかった。
 学園都市の上層部の狙いは初手から挫け、赤坂悠樹は憂い無く対一方通行と集中出来る筈だった――。

「ただ殺すだけでは不十分だ。代わりの個体を製造されては敵わない。このクローンが完全に無意味だと言う事を学園都市の上層部に知らしめる必要がある」
「だからって、自分の手で殺して、自分の手で証明するって言うの……! 例え、この娘が本当にそんな救いようの無い理由で作られたとしても、それがこの娘自身を殺して良いという理由にはならない!」

 前に立っていた黒子を押し退け、御坂美琴は必死に叫ぶ。

「確かにさ、学園都市の腐れ外道の勝手な意図で製造されたコイツ自身に何ら罪は無い。同情すら出来る。――純粋に気に食わないんだ。似て非なる者を目の当たりにするのは、それだけで苦痛なんだよ。……アイツは死んだ、肥溜めの糞にも劣るクソ野郎に首を掻っ切られて殺されたッ! 代わりなんてこの世界の何処にも無ぇんだよッ! 今更オレの妹の死まで穢して代用品を寄越すだって……? ふざけんじゃねぇぞ糞野郎ッ! 学園都市が製造した劣化乱造品など一秒足りても存在すら許せねぇんだよォッ!」 

 感情の堰が崩壊し、赤坂悠樹は全てを吐露するが如く怒鳴り散らした。
 はぁはぁと息切れしながら、全ての殺意を籠めて忌むべき模造品を睨む。少女は生まれて初めて体験する殺意と恐怖の余りに、知らず涙が零れた。

「アンタだって、迷っているんでしょ! こんな事、絶対に間違っているって。……私の方に電話したのも、心の何処かでは此処に来て欲しくなかったから――!」

 一途の望みを賭けて、美琴は全身全霊で叫ぶ。それでも悠樹には届かない。

「そんな甘さは『悪党』には必要無いんだよ。最後までオレの中に残った一握りの人間性は愛おしく、何よりも邪魔だった。――捨てたいんだろうな、それをオレは」

 それさえ捨てれば、赤坂悠樹は完全無欠な『悪党』になれる。学園都市最強の超能力者に相対しても何一つ気後れせず誇れるほどの、最高の『悪』として――。
 だからこそ、模造品なれども妹の死は必要なのだ。赤坂悠樹の限界を、歪に騙れた枠組みを完膚無きまでにぶち壊すには――。

「もはや言葉は無用だ。――止めたくば力尽くで止めてみろよ、第三位『超電磁砲(レールガン)』御坂美琴。死力を尽くせば、或いは届くかもしれないぜ?」
「……そういえば、アンタとの決着はまだだったわね、第八位『過剰速写(オーバークロッキー)』赤坂悠樹。――絶対に、アンタを止める!」

 美琴の髪から闇を白く照らすほどの目映い電撃が走る。
 ――奇しくも、場所も展開も、二週間前の焼き直しだった。
 ただし、今回は前回のように生半可な結果にはならず、行き着く終点まで一直線に辿るだろう。赤坂悠樹は口元を愉しげに歪めた。

「――アンタが自分の間違いを正せないならそれで良い。その顔引っ叩いて無理矢理でも修正してやるわ……! 」
「どっかで聞いたような台詞だなオイ。そういうのはオレに指一本でも触れてから言うんだな――!」

 一人は平凡で退屈だった日溜まりの日常を捨てる為に、もう一人は捨てられて踏み躙られた掛け替えの無い日常を今一度拾う為に――今此処に、第八位『過剰速写』と第三位『超電磁砲』の決戦の幕が切って落とされた。






[10137] 八月一日(9)
Name: 咲夜泪◆ae045239 ID:01231db7
Date: 2011/03/30 03:11




 ・八月一日(9)


 赤坂悠樹はポケットから金属の球体を宙に放り投げる。二週間前、この川岸で対峙した時と同じように。
 御坂美琴も二週間前と同じように『超電磁砲』で金属の球体を放たれる前に消し飛ばそうとし――最強の電撃使いである彼女に匹敵するほどの電磁場が発生し、目映い閃光の槍となって駆け抜けた。

「――!?」

 呆然とする彼女の左脇を通り過ぎ、一瞬遅れて大能力者級の暴風を撒き散らす。
 巻き起こった殺人的な旋風に煽られ、危うく吹き飛ばされそうになる。額からは止め処無く冷や汗が零れ落ちた。

(嘘っ!? 何でアイツが――!)

 それは彼女の代名詞である『超電磁砲』だった。日頃、彼が繰り出す擬似的な紛い物では無く、学園都市では彼女しか撃ち出せない筈の、正真正銘の。
 二週間前は使えなかったのに、否、使えないからこそ違う方式で撃ち出していたのに――疑問を解消する間も無く、赤坂悠樹は淡々と球体を宙に放り投げる。今度は二つもだった。

(まさか二連射、それとも――いや、一つは囮っ!)

 一つはそのまま地面に落下し、もう一つは閃光となって翔ける。音速を超えて迫り来る脅威を、御坂美琴はコインを指で弾き、オリジナルの超電磁砲で迎撃する。
 衝突と拮抗は一瞬、互いの超電磁砲は双方に猛烈な暴風を撒き散らして光と共に消える。
 旋風によって二人の超能力者が行動不能に陥った数瞬、地面に落ちた本命の球体は物理的な力学に従わず、独自の法則をもって爆発的に飛翔し――『第九複写』を保護していた白井黒子の腹部に直撃した。

「黒子!?」

 その本命の一撃は御坂美琴の超電磁砲ではなく、赤坂悠樹が多用する擬似超電磁砲であり、被弾した白井黒子は十数メートルばかり吹っ飛ぶ程度で済んだ。
 遠目からは、意識を失っただけなのか、最悪の結末になったのかは定かではないが。

「寝惚けんなよ、御坂。オレの最終的な勝利条件は『第九複写』の殺害だ。その前提を簡単に覆す空間移動能力者の存在などいの一番で潰すのは当たり前だろ? 二週間前とは立ち位置が完全に逆だという事を自覚しろ、二重の意味でな」
「アンタ……!」

 何方が格上で格下か、挑む者と挑まれる者が逆転していると赤坂悠樹は暗に言う。
 だが、それだけで二重だとわざわざ言い回すだろうか? 白井黒子に手を出され、頭が沸騰寸前まで沸き上がっている美琴の思考が少しだけ冷静に戻る。

「――『特定の条件が揃わなければ他人の能力を模写出来ない』とは、二週間前の君自身の言葉だぞ? 余り失望させるなよ。第四位以下まで評価を落とす事になる」

 小馬鹿にするように、何かを期待して美琴を試すように、赤坂悠樹は一向に仕掛けようとしない。
 その意図を掴めずとも、美琴は自分が二週間前に吐いた言葉を今一度思い出す。

(……アイツが発電系の能力を使い出したのは、私と交戦して暫くしてから。規模は私の全力より遥かに下だけど、大能力の域では無かった。――そして、今回は私の同規模の超電磁砲を繰り出した)

 赤坂悠樹の能力の一端に『相手の能力を模写する』という類のものがあるのは間違い無いだろう。
 その特定の条件の一つに『相手に能力を使わせる必要がある』と、二週間前の美琴は確信を持って推測していた。
 だが、今回は違う。使ってもいないのに本家本元に劣らぬ超電磁砲を二発も撃ち込まれた。

(私の読み違いだった? いや、違う。何か根本的な部分で食い違っている……!)

 それに気付かずに交戦すれば、赤坂悠樹の謎に包まれた超能力を勘違いしたまま戦えば、御坂美琴は間違い無く敗北する。
 今の赤坂悠樹は二週間前対峙した時と明らかに違う。第二位の垣根帝督と対峙したあの時のように、同じ超能力者である御坂美琴とすら隔絶した雰囲気を纏っている。
 凄味か貫禄という風に表現するべきか、飲み込まれぬように気を張りながら、美琴は過去に交戦した状況を奥の細部まで回帰させる。

(何が違う? 二週間前と今で何が違う……! 立ち位置が逆? 特定の条件が揃わなければ他人の能力を模写出来ない? 一体何の繋がりが――相手に能力を使わせる必要がある、その条件を既に満たしているとすれば?)

 一度使われた能力を好きなだけ使えるのならば、赤坂悠樹の戦い方は『幻想御手』で多才能力(マルチスキル)を使った木山春生のようになるだろう。
 それ相応の縛りがあるからこそ、赤坂悠樹の多重能力と思われる部分は相手の能力をそのまま模写するだけに留まっている。

(同じ場所、同じ条件の筈なのに何で今回だけ発動の条件を満たして――同じ場所? 立ち位置が、逆?)

 美琴の脳裏に二週間前の戦闘が一瞬で回想され、全ては一本線に重なった。
 二週間前の戦闘で、御坂美琴が撃ち出した超電磁砲の数は二発。そして――二週間前、自分が立っていた場所に赤坂悠樹は陣取っていた。

(――あ、全部一致した! アイツが繰り出した発電系の能力は、全部私が撃った軌跡だ! 同規模じゃなくて、全くの同条件、模写じゃなく再現……!)

 赤坂悠樹の能力は空間そのものに作用する類の能力、過去から起こった現象を再現させるもの――。
 いつぞやのファミレスで奢ってもらった時、悠樹の携帯電話は新品にも関わらず時計が遅れていた事を思い出す。
 今思えば、それこそが厳重に秘匿された超能力の一端、彼のAIM拡散力場だったのだろう。

 ――電撃が掠りもしなかったのは解らない程度で微妙に誘導されたのではなく、単純に一瞬遅くなっただけ。恐らく、バイクの時の体感時間が遅く感じたのも車が寸前で接触しなかったのもそうなのだろう。

 ――擬似的な超電磁砲も、数倍程度に加速されて撃ち出されただけ。空間移動の如く離脱も、急加速で説明出来る。黒子を不意打ちした一撃を見る限り、力場を停止させて留めるという物理法則に喧嘩を売った芸当も可能なのだろう。

 思い当たる節は次々と浮かび上がるが、もう必要無い。彼、第八位である赤坂悠樹の能力の本質は――。


「――多重能力の皮を剥いだら、時間操作なんてね。そっちの方が馬鹿げているじゃない……!」
「――第八位の超能力は学園都市唯一の多重能力『過剰速写(オーバークロッキー)』ではなく、時間という概念を観測して操る超能力『時間暴走(オーバークロック』なんだよ。一文字違いなのに此処に至れたのは君が三人目だ」

 その結論に至る時間は瞬き一回程度の時間だったが、やっと気づいたのかと馬鹿にするように赤坂悠樹は嘲笑う。

「……随分と余裕ね。自分からネタばらしするなんて」
「学園都市暗部の超豪華メンバー、その中には第四位もいたっけな、それを駆逐して残った疲労感だけではハンデとして不十分だろう?」

 美琴の目からはいつも通りの挑発に見えたが、内情は違った。

 ――今の赤坂悠樹は普段の状態と比較して、総合的にニ割程度ほど性能が落ちている。

 負傷そのものは車から脱出した際に擦り傷と打撲が数点ある程度だが、能力行使によって蓄積された疲労感が突き抜けていた。
 一回の戦闘だけならば消耗は少ないのだが、それが連戦となると話が一変する。

「幻想御手事件から人に対しても遠距離操作が出来るようになったが、強能力以上の能力者まではどうにも上手くいかない。AIM拡散力場の影響が強いからか? オレ自身にもその法則性は掴めていない。まぁ、直接触れれば大能力者だろうが超能力者だろうが関係無く瞬殺だがな。その点は軍覇と垣根で証明出来ている」

 使えば使うほど多種多様の負荷が蓄積されて悪循環に陥る『時間暴走』には持久性というものが欠片も無い。
 第四位との戦闘から暫く時間が空き、停滞させた力場の処理は終わっていたが、能力行使による消耗は無視出来ない領域に達していた。

「――前々から言おうと思ってたんだけどさ、第二位の噛ませ犬倒したぐらいで私より強い気になってない? 物凄く不快なんだけど」
「おいおい、酷いな。あんな化け物を噛ませ犬扱いに出来るのは第一位ぐらいだろうに」

 頭髪からバチバチと帯電させながら、美琴は怒りを込めて言い放ち、悠樹は呆れ顔で本音をぶち撒ける。

「麦野沈利が言ったように、超能力者の序列は能力研究の応用が生み出す利益が基準だ。オレが第八位なのはね、多重能力だと偽装して利益どころか多大な損害が生じたから、能力の原理が正体不明過ぎて応用が何一つ効かない第七位の削板軍覇より下にいるだけだ。序列の基準が単純な戦闘結果なら、今の処は第二位だろうな」

 もしも能力を隠さなかったら、赤坂悠樹の『時間暴走』は第三位だったかもしれない。
 それはそれで、アレイスターの進める壮大な計画に利用され、第一位と同じように散々な目に遭っただろうが。

「それは私を倒してから言えってんの!」
「能力面では総合的に君の方が上だ。それはオレも認める処だよ」

 悠樹から飛び出た賞賛の言葉に「へ?」と美琴は虚を突かれる。
 能力の応用範囲では第三位の『超電磁砲』も第八位の『時間暴走』も同じぐらい幅広い。差があるとすれば、生命に関わるリスクがあるか無いかの違いである。

「だが、其処に精神面が加わると君とオレの優劣は完全に覆る。――君は、優しすぎる」

 何かを思い出すかのように目を瞑り、悠樹は怒りを込めて美琴の眼を射抜く。その眼差しはまるで二週間前の続きだった。

「――オレを止めるなら全力で、殺す気で来い。君と本気で戦う価値を見出せなかったら、オレは障害にすらなれない君を無視して目的を果たすだろうよ」

 震え竦む『第九複写』を一瞥し、悠樹は両眼に殺意を燈して再び美琴を見据える。
 この死闘の決着は、赤坂悠樹の死か『第九複写』の死、その二通りしかないと断言するかのように。

 ――同じ超能力者(レベル5)なのに、住む世界がまるで違う。そう痛感したのはこれで三度目だった。

 一度目は幻想御手事件の前夜のファミレスで。あの時の話、能力使用に生命を賭けているという話は恐らく本当だったのだろう。
 二度目は第二位の垣根帝督と対峙した時。今この場で噛ませ犬などと軽口を叩いたが、自分が超能力者になってから、一目見て純粋に怖いと思った人間は彼の他にいない。

 そんな未知の脅威と対峙し――同じく笑った赤坂悠樹が、堪らなく怖かった。

 殺し殺される事を許容する、まるでそれが普通であると、学園都市によって捩じ曲げられた超能力者の日常であると言わんばかりで、御坂美琴は認めたくなかった。
 確かに超能力者は一人で軍隊と戦えるほど規格外の存在だ。彼等の戦術的価値は個人という領域を超え、計り知れない。
 それでも、超能力者は完全無欠な殺人兵器ではなく、あくまでも人間なのだ。他の人と同じように傷つき、血も涙も流す、一人では生きていけない弱々しい人間なのだ。

 ――赤坂悠樹が価値観が狂った地獄のような非日常を日常とするのならば、それで構わない。一発ぶん殴って、無理矢理でも引き摺り上げるまでだ。


「――絶対に嫌。この娘はアンタが助けたんだから、最後まで責任取って貰うわよ」


 どの道、赤坂悠樹と御坂美琴が戦闘すれば、彼女の電撃が直撃した時点で能力が制御不能となり、呆気無く自滅する。
 停滞させていた力場次第で、赤坂悠樹は簡単に死ねるのだ。御坂美琴に殺す気が欠片も無くとも――。

(……同じ超能力者なのに、此処まで違う、か。環境の違いか、出会いの違いか、むしろ運が良かったと言うべきか)

 その事実を喋る気など悠樹には無い。逆に、死んでも彼女に殺される訳にはいかなくなった。
 日常という日溜まりにいながら、非日常という救いの無い深淵に無謀にも手を出すのならば、今此処で徹底的に折るべきだろう。
 いずれ彼女は自身のクローンが利用された絶対能力進化計画に辿り着いてしまうだろう。
 第三位の超能力をもってしても抗えない絶望の運命は、彼女を容赦無く奈落の底に突き落とす。
 学園都市のくだらない計画で彼女を潰されるぐらいなら、二度と裏関連に関わろうと思わないぐらい精神的に叩き潰す事が彼女の為だろう。

「お喋りが過ぎたか。来い、先手は譲ってやる」
「黒子に不意打ちかましたヤツの台詞じゃないわよ!」

 御坂美琴から撃ち放たれた電撃の槍が飛び跳ぶ。
 されども、その電撃は赤坂悠樹の眼下で不自然に減速し、遂には停止する。まるで一枚の写真に納めたかのように、粒形の電撃はぴくりとも動かない。

「一方通行の『反射』が絶対防御ならば、オレの『停滞』は絶対回避だ。能力の隠蔽を度外視し、露骨にやればこうなるさ」

 悠樹は気怠げに停止した電撃を拳で殴り、停止していた電撃は加えられた力の方向に逸れて霧散する。
 美琴は常識外の出来事に唖然とするも、自称『無能力者(レベル0)』の右腕で問答無用に掻き消されるよりは理不尽じゃないと早期に復帰する。
 その一瞬の間に、悠樹はポケットから複数の銀の球体を宙に放り投げていた。

(同じ手が二度通用すると――っ!?)

 銀の球体は独自の法則に従い、美琴目掛けて射出される。それを磁力を使って射線を逸らそうとし――全く動かせなかった事に驚く。
 彼女に着弾する軌道を取った球体は反射的に撃ち出された電撃によって焼き切れ、それ以外は地面に突き刺さり、大量の破片を撒き散らす。

(あの球体、金属製じゃない! 初めから対策済みって訳!?)

 最初から自分と戦う気満々じゃないかと毒づきながら、自分の下に飛翔する数の猛威を、磁力で砂鉄を操り、自身の周囲に竜巻状に展開して全て薙ぎ払う。
 自分で視界を遮ってしまったが、美琴の全周囲には彼女のAIM拡散力場である電磁波を発しており、反射角から攻撃を感知出来る為、不意打ちはほぼ不可能である。
 前回と同じように突っ込んでくるのならば手痛い一撃をお見舞い出来る。だが、それは赤坂悠樹とて承知だった。

(……仕掛けて来ない?)

 砂鉄の嵐を解き、視界が開ける。しかし、赤坂悠樹の姿は何処にも無く――まさかと思いきや、彼の殺害目標である『第九複写』の方も無事のようだ。
 一体何処へ――途端、影が差す。空を見上げれば、其処には超巨大なハンマー型に固定した水の塊が振り落とされる寸前だった。

(以前の水の剣の応用!?)

 それが一体どういう原理で成されたのか、考える余地すら無く、御坂美琴は自身の代名詞である『超電磁砲』をもって迎撃する。
 時間操作によって停止していた水はその衝撃に耐え切れず、崩壊して豪雨となって降り注いだ。

「――っっ!」

 こればかりは回避しようが無い。どんなに不意を突かれても確実に迎撃出来ると自負する美琴でも、大容量の水に打たれざるを得なかった。
 河の水を利用した攻撃は打撃というよりも、防がれる事を前提に、水浸しにして動きを阻害する意図の方が強い。
 長期戦では不利になる、と水に打たれながら美琴は判断し――右手の付け根を誰かに掴まれた。

 ――それが誰かになんて決まっている。御坂美琴は刹那に電撃を撒き散らす。

 赤坂悠樹の能力は直接触れての電撃を無効化出来る類ではない。短期決戦を目指し、完全に仕損じた――御坂美琴が自身の勝利を確信した直後、トンと、顎先に鋭い拳の一撃が掠った。
 規模にしては軽い脳震盪を起こし、御坂美琴は一瞬だけ意識喪失し、地に力無く崩れた。
 何か起こったのか、理解出来ない。だが、世界が反転したかのような浮遊感と虚脱感、意識の混濁は能力使用を不可能とした。

「……どう、して?」

 電撃を直接流し、意識を奪われてこうなるのは赤坂悠樹の筈だった。
 赤坂悠樹は無力化した御坂美琴を冷たく見下ろしながら、彼女の手を掴んでいた自身の右手に歯を突き立て、ベリベリッと、手全体の皮膚を薄い手袋が如く一気に剥ぎ取って、ぷっと吹き捨てた。
 『停止』が解除された薄皮一枚の皮膚は瞬時に焦げ、激痛の走る血塗れの右手を赤坂悠樹は眉一つ顰めずに握り締めた。

「肉を切らせて骨を断つ。君を倒す為の一度限りの手だ。――だから忠告しただろう? 殺す気で撃っていれば、オレの『停止』など突き抜けていただろうに」







[10137] 八月一日(10)
Name: 咲夜泪◆ae045239 ID:01231db7
Date: 2011/03/30 03:09




 ・八月一日(10)


 ――終わった。早々に御坂美琴を片付けられ、赤坂悠樹は心底から溜息を付いた。

「……待、ちな、さい……!」

 芋虫のように地面に転がる御坂美琴に意識はあれども、能力行使は暫く出来ない。これで『第九複写』を殺害するに当たって、障害は完全に無くなった。
 何か呟く御坂美琴を無視して悠樹は背中を向ける。其処には殺すべき対象と――擬似超電磁砲を喰らって、尚立ち上がった一人の風紀委員がいた。

「よくまぁそんな身体で立ち上がったものだ。素直に賞賛するよ。で、どうするんだ? 今の君の状態では『第九複写』を連れて逃げ切る事は不可能だが?」

 今更、大能力者程度など障害にすらならないと、赤坂悠樹は感情無く告げる。

「……逃げる、ですって? 冗談、全力で、止めますわ。貴方の蛮行を……!」

 隠せぬ苦悶を滲ませながら、それでも白井黒子は勝気な笑みを浮かべる。
 その反面、赤坂悠樹は冷めていた。万全な状態でも相性以前の問題なのだ。
 超能力(レベル5)の『時間暴走(オーバークロック)』と大能力(レベル4)の『空間移動(テレポート)』は――。

「寝言は休み休み言えよ。超能力者に空間移動系の能力者がいないのはその悉くが凌駕しているからだ。全く諦めが悪いな、君も」

 麦野沈利を打倒した後に交戦した窒素系の大能力者の事を思い出しながら、白々しく溜息を吐く。

 油断して慢心するのならば好都合だと、白井黒子は苦々しく判断する。
 真正面から挑んで勝てるとは黒子とて最初から思っていない。だが、体内に金属矢を直接空間移動させれば――今まで人道的な問題で禁忌としていた最終手段を用いれば、如何に超能力者と言えども初見は対処出来ない――!

 スカートの裾に隠したベルトから金属矢を取り出し、座標指定を右腕、左腕、右足太腿、左足太腿、計四カ所の体内に設定し――撃ち出す直後、赤坂悠樹はゆらりと後方に退いた。
 まるで何処を狙ったのか感知したかのように、赤坂悠樹は空間移動させた金属矢四本を両手で掴み取ってしまった。

「な――」

 ――事実、赤坂悠樹の『時間暴走』は空間移動の特徴的な前兆を視覚認識する処か、察知すら可能だった。
 特に白井黒子の空間移動は、一緒に空間移動した時に分析済みであり、ほぼ完全に対策済みだった。

「手緩いな。此処か此処を狙えよ」
「――っ!?」

 赤坂悠樹は自分の脳と心臓に指差し、無造作に四本の金属矢を『十倍速』で投げ返す。
 地面に突き刺さった四つの破壊槌は土壌の破片を膨大に撒き散らし、立っているだけで精一杯だった白井黒子を無情に薙ぎ払った。

「――悪いが、これが現実だ。勧善懲悪など空想上の概念に過ぎない。力無き正義は理不尽な悪に駆逐されるのみさ」

 吹き飛んだ白井黒子の安否を一瞥すらせず、赤坂悠樹は第九複写に向かって一直線に歩いて行く。
 無事な左手に回転式拳銃を掴み取り、双子の妹に酷似した少女の額に突きつける。
 最後に残された少女は銃身を見上げるだけでぴくりとも動かない。絶望に沈み、諦めの表情が過ぎっていた。

「遺言はあるか?」
「……無いよ。研究材料にもなれない私に存在価値なんて無いし」

 この時、赤坂悠樹が初めて第九複写に話しかけたのは、御坂美琴との一戦で生じた力場を完全に処理し終えるまで猶予があったからだ。
 もっとも、短期決戦で終わっただけに一分程度で終わるだろう。その短い時間で御坂美琴と白井黒子が復帰する可能性は限り無く零だった。

「……お姉ちゃん達はどうするの?」
「この期に及んで他人の心配か? 殺す気なら最初から仕留めているさ」

 自分より他人を優先する、そんな処までこの吐き気の及ぼす模造品は彼の最愛の妹に似通っていた。

 ――悠樹の妹が進んで人質にならなければ、そう、本来死んでいたのは自分だった。先に死ぬのは兄である自分であるべきだった。

 されども、今更悔やんでも仕方ない。既に終わった過去の出来事は何一つ変わらない。何一つ変えられない。
 その過去との決別を、今夜、この瞬間に果たすのだ。己が手で、妹の模造品を殺す事で、忌まわしい過去を乗り越えるのだ。もう二度と迷う事無く本願を果たす為に――。

「――ごめんね、私のせいで手を煩わせて」

 最期に、少女は笑って、震えながら目を瞑った。
 その姿が最愛の妹と重なる。正体不明の嘔吐感が赤坂悠樹の中に込み上がる。自身の中に生じた拒絶反応を自覚しながら、それを無視して、かちりと、撃鉄を起こす。

 一分間のインターバルは疾うの昔に過ぎた。引き金を弾く指に力が入り――緩んだ時、御坂美琴の叫び声が割って入った。

「……っ、避け、て――!」

 それは目映い極光だった。第九複写の背後から赤坂悠樹ごと消し飛ばさんとする破滅の光は見間違える事無く第四位『原子崩し(メルトダウナー)』のものだった。

(くく、あはは、あはははははははははは――!)

 ――初めから、解り切っていた事だった。

 研究施設で第九複写を殺せなかった時から、自分の手で殺す事が不可能だというぐらい、先刻承知だった。
 だから用意した。自分の手で殺せないのならば、他人の手を借りれば良い。その為に挑発を繰り返し、その為に苦心して彼女を生かしたのだ。
 今此処で乱入し、復讐鬼と化した麦野沈利は全て予定通りの、第九複写を葬る為だけに用意された哀れな駒だった。

(麦野沈利、君はオレにとって最高の駒だっ! 此処まで思い通りに踊ってくれるとは笑いが止まらないぞ!)

 自分だけ安全圏内に退き、赤坂悠樹は模造品の最期を見届ける。
 あの規模なら、苦しむ時間すら無く、一瞬で消滅するだろう。
 後は麦野沈利を完全無視して御坂美琴と白井黒子を回収して離脱すれば、学園都市は第九複写という存在が無意味だった事を自ずと悟るだろう。
 第九複写を麦野沈利に殺されても、赤坂悠樹は憎悪の念すら抱かないと、今回の一件が茶番で無価値であったと思い知らされるだろう。

 ――『原子崩し』で第九複写が消し炭になる刹那、赤坂悠樹の脳裏にある光景が過ぎった。

 血塗れになった子供の自分、ぴくりとも動かなくなった妹の亡骸、自分が殺したのに驚いている憎き仇敵――そして、それを俯瞰している今の自分。
 いつぞや見た悪夢の光景だった。

(――何故、今更? 既に何もかも終わった過去の光景、それを今更見て、一体何が変わる?)

 光景が更に歪み、垣根帝督が白井黒子を仕留めようとした時に変わり、続いてアイテムの一員が駆動鎧の部隊に殺されそうになった場面に変わり、今の光景に戻る。
 もう間に合わない。例え自分が能力を最大限に使ったとしても間に合うタイミングでは無かった。
 それなのに、赤坂悠樹は自分が一歩前に足を踏み入れている事に気づいた。

(……え? 何してるんだ? 今前に進んだら巻き込まれるだろうに)

 心底自分の行動が理解出来なかった。破壊力という観点では『原子崩し』を高く評価している。
 停滞で回避するのは簡単だが、直撃を受ければ自分の停止ではどうにもならない。なのに何故、自ら望んで死地に飛び込むのか?

 ――再び景色が暗転し、過去の光景に戻る。
 無力だった己と、死んだ妹、憎き仇、一体自分は何をしたいのか。

 憎き仇を殺したいのか。無力だった自分を殺してやりたいのか。否、違う。そんな事ではない。本当にやりたかった事は――。

(――あ)

 この光景に救いは無い。だから、憎しみしか浮かばない。何もかも諦めるしかない。
 赤坂悠樹が本当に願ったものは、この光景になる前――ほんの一分前、ほんの数秒前。

(――、……!)

 間に合わない。どうやっても間に合わない。今からでは遅い。時間でも遡らない限り、絶対に間に合わない。『時間』――?

(――そうか。オレは、この絶望の光景を覆したかったんだ)

 それでも無意識の内に不可能だと断じていた。
 加速、停滞、逆行、停止の中で、能力の再現以外思い浮かばず、一番苦手な分野だったのが『逆行』だった。
 皮肉な事に、誰よりも強く望んで得た時間操作の超能力でも、それだけは出来ないと本人自身が無意識の内に決めつけていたのだ。

(時間逆行なんて理論の理の字も思い浮かばない。それでも数秒、いや、一秒か二秒ぐらいなら――)

 ――出来る筈だ。この身に発現した超能力は、本来その為だけの代物だ。
 今のこの状況はまさに十年前の繰り返しだ。あの時と違い、今の自分にはこの悲劇を覆す力がある。

(……ったく、救いようのない馬鹿だな、オレは。他人にも自分にも嘘を付きすぎて、自分まで騙り尽くして、本当の自分を見失って――!)

 ――枷が完全に外れた。
 完璧な悪党を目指した彼は、今一度だけ、彼が憧れた正義の味方に成り済ます。

 演算速度を際限無く加速させ、滅茶苦茶な式をもって強引に世界全てを巻き戻す。
 自分が限界と見定めた領域を遥かに逸脱し、未知の領域に踏み込む。自分の中で決定的な何かが壊れる破滅の音が鳴り響いたが、彼は全力で無視する。

(――届け、届け、届けえええええええええええぇ――!)

 嘗て無いほど破茶滅茶で大規模の逆行と、我が身を度外視した超加速の果てに、赤坂悠樹は第九複写の前に割って入り、破滅の極光をその右手に浴びた。

「ぐううぅぅううぅぅう!」

 全力で『停止』させた右手は末端の指先から消し飛んで蒸発していく。
 彼の右手は神の奇跡さえ問答無用に打ち消せる唯一無二の右手ではない。悪党の血塗れた右手だ。当然の如く『原子崩し』を受け止められず、こうなる事ぐらいは予測済みだった。

「っっ、アあああアアァあアアァあああぁ!」

 右手が跡形無く消し飛び、迫り来る『原子崩し』にも停滞と停止を全身全霊で施しながら拮抗状態を作り上げ――永遠とも思える一秒間が過ぎ、『原子崩し』の光は消えた。




 ――第九複写が目を開き、振り向くと、其処には赤坂悠樹の背中があった。されども、右腕は根元から消失し、付け根は血を流す処か炭化していた。


「――なん、で。どうして。紛い物の私を、何故?」


 何故、殺す筈の自分を其処までして庇ったのか。紛い物の彼女には『過剰速写(オリジナル)』の腕一本の価値すら無いのに。

「……いい加減、自分の馬鹿さ加減には飽き飽きしてくる」

 赤坂悠樹は振り向かない。けれども、その声は今までにない暖かさがあった。

「――兄が、妹を助けるのに、理由なんざいらねぇんだよ」

 それが彼の結論だった。十年前に果たせず、消え果てた誓いだった。
 最上の悪党を正義の味方に戻した、唯一無二の理由だった。

「……違う。私は貴方の妹の模造品で、貴方の妹じゃ――」
「そんな理屈知らねぇよ。心の何処かで認知しちまったんだから、こればかりはどうしようもない」

 結局、赤坂悠樹は人の情を捨て切れなかった。それだけの話だった。
 愚かで未熟で救いようのないほど甘い選択だが、それでも良いやと思える。

「――アハハッ! 好い様ねぇ! 次は左腕がいいかァ! それとも両脚かアァッ! 頭は最期にしてやるよォ!」

 一方、麦野沈利は満身創痍だった。左手は折れ、ほぼ全身に巻かれた包帯は赤く染みており、右眼部分には眼帯のように厳重に巻かれている。
 生きて立っているのが不思議と思えるほどの重傷なのに、彼女は赤坂悠樹への執着と狂気だけで此処に立っていた。

「――手が一本、吹き飛んだぐらいで、勝利宣言か? やれやれ、オレも、舐められ――」

 間髪入れず、麦野沈利から先程と同規模の『原子崩し』が放たれた。
 回避する選択肢は赤坂悠樹には無い。その背中には先程庇った少女がいるのだから。
 まずはその舐めた口を二度と聞けないように両脚を消し飛ば――される筈だった。

「――は?」

 赤坂悠樹は避けず、そのまま『原子崩し』を受けたのに、何かに弾かれて傷一つ付かない。
 麦野沈利は容赦無く『原子崩し』の閃光を十数発撃ち放ち、その全てが同様の結果となった。

「――何を、した」

 赤坂悠樹は答えず、静かに歩を進める。
 片腕を失ったせいで全体のバランスを崩し、危うい足取りなれども、麦野沈利に近寄る毎に彼の周囲には正体不明の赤い粒子が収束していき、遂には赤い片翼として噴射した。

「……何、だ。それは。何なんだそのふざけた翼はァ――!」

 恐慌状態に陥った麦野沈利は『原子崩し』を乱射し続けるが、説明不能の不可視の力に阻まれ、霧散する。
 まるで説明が付かない。時間操作で何でこんな正体不明の現象に至るのか。同じ超能力者である沈利さえ理解が及ばない。

「どうした……? 早く真似しろよ。オレのコレは、垣根帝督の二番煎じだ。同じ超能力者なんだ、出来るんだろ? ――つーかよぉ、やらないと死ぬぜ?」

 赤坂悠樹は苦痛で顔を歪ませながら、凄惨に笑った。

 ――麦野沈利の本能は全力での撤退を求め、理性は全力で拒否した。
 相手は何もせず、前に進んでくるだけだ。それなのに自分が退く事は敗北を自ら認める事に他ならない。

「う、あああああああああああああああぁ――!」

 叫びながら、麦野沈利は一歩も引かず、自分が放てる最大限の威力を繰り返し砲撃し続ける。
 赤坂悠樹はただ歩くだけ。そして遂に、手が届く領域まで、麦野沈利との間合いを詰めた。

「そん、な……」

 沈利は動けない。自分の全身全霊を振り絞っても、歩くだけの彼を仕留めるに至らなかった。雪辱に燃えていた彼女の心が、完璧に折れてしまっていた。
 赤坂悠樹は幽鬼の如く動きで左手を麦野沈利に差し向ける。
 何もせずとも『原子崩し』を弾くような規格外の力だ、それを攻撃に転じたら一体どうなるか、想像するなど容易だった。

「――え?」

 こつん、と。赤坂悠樹は彼女の額を指先で小突いた。
 それほどの膨大な力を纏っているのに、やろうと思えば数百回は殺せるというのに、それだけで終わった。

「今のオレは『正義の味方』だからな――敵の一人や二人ぐらい、救わないとな」

 こんなに透き通った笑顔を、麦野沈利は見た事が無かった。
 伝説の中の聖人でも、こんな顔は浮かべられまい。赤坂悠樹には敵意も憎悪も殺意も、何も無かった。

「散々迷惑掛けたな、麦野沈利。此処に居る三人に危害を加えないと約束するなら、オレの死体は好きにして良い。どうせなら塵一つ残らず綺麗に消滅させてくれ。学園都市の糞野郎どもの研究に貢献するなんて、真っ平御免だ」
「赤、坂? 一体何を言って――」

 赤坂悠樹の背中から噴出していた赤い片翼が綺麗に消失する。名残惜しそうに赤い粒子は雪のように舞い、そして一つ残らず消えていく。

「……やっぱり、完全無欠のハッピーエンドとはいかないな。所詮、此処いらがオレの器だったという処か――」

 かくん、と。赤坂悠樹は力無く、麦野沈利と交わる事無く、前のめりに倒れ崩れた。
 地面には夥しいほどの鮮血が流出する、止め処無く流れ出る。

 ――奇跡には代償が必要だ。特に彼の能力は顕著な例であり、限界を超えた歪で身を滅ぼす結末を彼は笑って受け入れた。






[10137] 八月一日(11)
Name: 咲夜泪◆ae045239 ID:01231db7
Date: 2011/03/30 03:07




「――オリ、ジナル? 嘘、でしょ?」

 第九複写の震える声に答える者は誰もいない。
 倒れ伏した赤坂悠樹から血が広がっていく。それを見下ろす麦野沈利は奥歯を砕けんばかりに食い縛り、溢れんばかりの怒りを込めて叫んだ。

「――今度は、今度はッ、勝ち逃げかァ……!」

 ――麦野沈利は潔癖なほどの完璧主義者だ。一つのミスも認めず、完璧でなければ納得しない類の人間である。
 それ故に、超能力者である彼女を軽くあしらった赤坂悠樹の存在は許せなかった。自分より序列が低い分際で己を格下と見なすなど、絶対にあってはならない事だった。
 この人生で最大の屈辱は己が手で赤坂悠樹を抹殺する事でしか晴らせない。この事に限り、他の代償行為など在り得なかった。

「退い、て! 今、アンタに構っている暇は……!」

 御坂美琴は気合だけで立ち上がり、指先に乗せたコインを怒りで放心する麦野沈利に向ける。
 先程のダメージが抜けず、指先が震えて照準が定まらない。仮に超電磁砲を撃ち出せたとしても見当外れの場所に飛んでいくだろう。
 だが、今、麦野沈利を止められるのは御坂美琴だけだ。第九複写には超能力者への対抗手段が無く、白井黒子は気を失っている。
 敵対して手酷くやられたと言えども、赤坂悠樹を見殺しには出来なかった。

 ――あれだけ頑張った奴が報われないのは、きっと間違っている。
 無償の献身には然るべき報酬を、悲劇の先には喜劇を、それが御坂美琴が信仰する正しい物語の姿だった。

「……ぇ」
「え?」
「間に合わねぇよ……! 救急車呼んで来るまで今から五分か? 十分か? 其処まで持たねぇよッッ!」

 まるで泣き出しそうな顔で、麦野沈利は感情の赴くままに絶叫する。
 麦野沈利は学園都市の暗部の人間だ。人の死など見飽きるほど見てきた。倒れ伏した赤坂悠樹を一目見て、その直感が告げている。

 ――もう絶対に助からない、と。

 恐らくは限界を度外視して能力を使用し、そして彼女の見立て通りに、逃れられぬ破滅を迎えたのだろう。
 停滞させていた力場の制御を手放してしまい、赤坂悠樹の内部はミキサーで掻き混ぜたような凄惨な状況に至っている。
 即死していない事がもはや奇跡であるが、一瞬で死ぬか数分後に死ぬかの違いしかない。

 赤坂悠樹の死は、彼女の生涯最大の屈辱を晴らす機会が永遠に喪失する事を意味する。死んでしまっては殺せない。死体を幾ら壊しても、まるで意味が無い。
 他の代償行為など存在せず、帳消しにも出来ない。この汚点は永遠に刻まれる事になる。

(クソ、クソクソクソクソクソクソクソォ――! 何か方法はッ!? ある訳ねぇだろ……! こんなの科学じゃどうにもなんねぇよ……!)

 果たしてこの学園都市に、今の赤坂悠樹を救える能力者が存在するだろうか? もし、存在していたとしても、それが偶然通り掛かる可能性など在り得るだろうか?
 学園都市で八人しかいない超能力者の頭脳をもってしても、赤坂悠樹が助かるには『奇跡か、魔法でも無い限り不可能』という滑稽な演算結果に至る。
 科学の最先端を行く学園都市の住民が、常に否定して嘲笑する超常現象(オカルト)に頼らざるを得ないなど、諦めと同意語だった。


「――あっ。あの時の赤い人!」


 ――そしてこの日、科学と魔術の道は確かに交差した。
 この日以前に、別の形で交差していたのならば、この奇跡は在り得なかったかもしれない。

「ちょい待ちっ! こんな真夜中に堂々と出歩くたぁいい度胸じゃんよ――って、赤坂!?」
「黄泉川先生、待ってくださいよ~! ……とと、一体何事ですか?」




 ・八月二日(1)


 その日の早朝、垣根帝督はとある病院に足を踏み入れた。
 病院に赴いた理由は自身の十日前の負傷からでは無い。学園都市の裏で暗躍する暗部組織『スクール』の同僚から齎された一報が原因だった。

(……暗部の連中を悉く蹴散らすのは予想通りだったが――)

 その理由を思い返した瞬間、垣根帝督は苛立って憤り、冷静でいられなくなる。
 ただでさえ普段から人を寄せ付けない危険極まる雰囲気を醸し出す彼だが、今日は「触れた瞬間に爆発するのでは?」という危惧を見知らぬ人達に抱かせるほど切羽詰っていた。

「すみません、赤坂悠樹様の病室は現在面会謝絶でして……」
「親友の危機に駆け付けずして、どうして友を名乗れようかっ!」

 受付から騒がしい声が鳴り響く。そう、病院の受付嬢の口から出た『赤坂悠樹』だ。
 学園都市に八人しかいない超能力者の一人で、序列こそ一番下の第八位だが、第二位の垣根帝督を特定の状況下で下した事のある、彼にとって因縁深き人物だった。

(あん? アイツはあの時の――)

 受付で暑苦しく詰問している少年は旭日旗のTシャツに白い学ランを羽織っており、二日前に見た事ある面構えだった。
 むさ苦しい熱血漢など関わりたい類の人間ではない。帝督は暫く静観する事にした。

(……コイツら、いつまで続けてやがるんだ……!)

 受付と彼のやり取りは不毛で終わりが見えず、苛立ちが頂点に達した垣根帝督は遂には我慢出来ずに後ろから割って入った。

「――此処で無駄死にするか、部屋の号室を教えるか、好きな方を選ばせてやる」

 脅迫された受付嬢は彼が第二位『未元物質(ダークマター)』である事を知っている。患者として通院していたから、当然と言えば当然である。
 彼女は動揺する素振りさえ見えず、本当に仕方ないなぁという表情で部屋番号を伝えた。実に不貞不貞しい態度だった。
 垣根帝督は「いい根性しているなぁ」と神経を逆撫でされながらも、一直線に病室に向かおうとする。その際、関わり合いたくなかった彼と目が合ってしまったのは不運以外何物でもない。

「むっ、お前はあの時の! ……誰だっけ?」
「……垣根帝督だ」
「オレはナンバーセブンこと削板軍覇だ! ……そうか。お前も悠樹の事を心配で来た性質か? うむうむ、アイツは良い友を持ったものだ」
「……は?」

 削板軍覇と名乗った彼は、垣根帝督の理解の及ばない生物だった。

(ナンバーセブン? まさかコイツが第七位なのか?)

 確かに二日前に受けた攻撃は普通では無かったが――こんなふざけた奴が自分と同じ超能力者なのかと今一度自分に問い詰め、垣根帝督は敢えて考えないようにした。
 不本意ながらも一緒に病室に赴く形となり、帝督の内に溜まった鬱憤は更に積もるばかりである。

 垣根帝督は「――くたばり損ないの赤坂悠樹を嘲笑いに来た」と、自分に言い聞かせるが、あの外道がそう簡単にくたばるとは到底思えない。

 今回の一報も、不穏分子を炙り出して返り討ちにする類の意図的な誤報かもしれない。性根が完全に腐っている赤坂悠樹なら在り得る事だと垣根帝督は分析する。
 程無くして、二人は赤坂悠樹の病室の前に辿り着いた。

「――どういう事よッ!?」

 廊下にも鳴り響くほど甲高い女の声には聞き覚えがあった。
 垣根帝督は『面会謝絶』という札が貼られた扉を構わず開ける。
 一人専用の病室には彼もお世話になったカエル顔の医者と、声の主と思われる第三位『超電磁砲(レールガン)』の御坂美琴、取り巻きの風紀委員の少女、包帯だらけの第四位『原子崩し(メルトダウナー)』の麦野沈利、赤坂悠樹と瓜二つの少女、そして――死んだように眠っている第八位『時間暴走(オーバークロック)』の赤坂悠樹がベッドの上に居た。

「面会謝絶の筈だが、君達も彼の友人かね?」
「親友だっ!」
「……テメェは黙ってろ」

 削板軍覇の暑苦しいノリについて行けず、頭痛を感じながらも、帝督はカエル顔の医者に無言で説明を要求する。

「検査の結果、腕の欠損以外の異常は見受けられなかった。原因不明の昏睡状態、現状ではそれしか言えない。――能力を暴走させたようだね」

 カエル顔の医者が最後に付け出した一言で、垣根帝督は現状の深刻さを察する。

「彼がいつ目覚めるか、それは僕にも解らない。もしかしたら一日後かもしれないし、一年後かもしれないし――或いは、一生目覚めないかもしれない」

 あれだけ強大な『悪』を誇った少年は、今はこんこんと眠り続けている。
 ――遣る瀬無かった。超能力者の中でも別格である第二位の垣根帝督に追随出来るのは、第一位の『一方通行(アクセラレータ)』と、第八位の彼のみだった。

「……甘ぇんだよ、テメェは。筋金入りの悪党の分際で、弱者守って善人気取りか? ハッ、だからこうなるんだよ」
「ッ! アンタ、そんな言い方は――!」

 目元に涙を浮かべながら、御坂美琴が食いつく。風紀委員の少女も、彼と瓜二つの少女も涙を浮かべながら、果てには麦野沈利すら批難の視線を差し向ける。
 唯一人だけ、背後に居た削板軍覇だけが彼の震える握り拳に気づき――


「――人の病室で喧しいわ。少しは快眠していたオレの迷惑を考えろよ」


 心底不機嫌だと言わんばかりの表情で、昏睡状態と宣告された筈の赤坂悠樹は半分だけ目を開き、欠伸をしながらそんな事をのたまった。

「オリジナル……?」
「おはよう、諸君。お見舞いに来たからにはチョコレートの一つや二つぐらい用意しているよな? 人道的に考えて」

 その傲慢な態度は確かに彼そのものであり、病室は暫くテンヤワンヤの大騒ぎとなった――。




「無意識の内に能力を行使したようだね? 目覚めるまで時間を進めたのか、未来の結果を過程を飛ばして持ってきたのかは判断出来ないがね?」

 ベッドの端で眠る第九複写(ナインオーバー)の頭を残った左手で撫でながら、赤坂悠樹はカエル顔の医者から本当の診察を受ける。
 今回の事件で消費した時間は計り知れない。赤坂悠樹に許された余命は、驚くほど僅かだった。

「……先生。もう少しだけ、生きてみようと思います。せめて、コイツが幸せに暮らせるようになるまでは――」
「――厳しい戦いなるぞ。君がやろうとしていた事よりも」

 そんな事まで見抜かれていたのかと、悠樹は自嘲する。
 そして真剣な表情の『冥土返し(ヘブンキャンセラー)』に顔を向け、悠樹は穏やかな表情で首を横に振った。

「そんな顔をしないで下さい。自分は自分の天寿を全うするだけです。人より遥かに短いというのは別問題ですよ」

 ――事実、彼には赤坂悠樹の絶望的な運命を解決する手段を持っている。

 彼自身も禁忌とした研究の成果を使えば、赤坂悠樹の寿命問題を解決する事だって可能だろう。
 それでも赤坂悠樹は頑なに拒否する。
 彼の医者としての矜持を穢してまでそれを望もうとは思えないし、それは自分を自分として構成する要素に全く必要無いものだと、誇らしげに胸を張る。
 生命は有限だからこそ輝ける。だからこそ、一瞬に満たない時間だとしても、全力で駆け抜けるだけだ。

「全く、君はどうしようもない患者だ」
「それは此処に運び込まれた当初から解っていた事でしょ?」

 患者と医者は笑い合い、医者は次なる戦場に向かい、患者は眠り続ける二人目の妹に眼をやる。
 そして、窓の外、遥か彼方に視線をやり、静かに独白した。

「――ごめんな。少しだけ、逝くのが遅くなる。代わりに土産話を沢山用意するからさ、それで勘弁してくれよ」







[10137] 後日談
Name: 咲夜泪◆ae045239 ID:01231db7
Date: 2011/04/02 04:33





「――まさか、黄泉川の家に世話になるとはな」
「何言ってんだか。子供が大人の世話になるのは当然じゃんよ」

 そう言いながらも、赤坂悠樹はソファを独占して寝っ転がり、我が家のように寛いでいた。

「うわぁ~、凄く広い!」

 白いゴスロリ服を着こなす第九複写は歳相応にはしゃぎ回る。四人家族が暮らすような立派な4LDKは薄給の公務員の家とは思えないレベルの部屋だった。
 赤坂悠樹と第九複写が黄泉川愛穂の家に居候するに至った理由は単純に二つある。
 一つは赤坂悠樹の住居が先の事件でほぼ全壊した事――元々二度と戻る気が無かったので、再起不能になるぐらいブービートラップを仕掛けたので仕方無いと言える。
 もう一つは今の赤坂悠樹の現状を憂い、黄泉川愛穂が保護者として名乗り出たのが主な原因だった。
 当初、悠樹はその提案に拒絶気味だったが、そう遠くない自分の死後、第九複写を任せられる大人は彼が知る限り彼女ぐらいしかいないので、考え直せば悪くない条件だった。

「義手の調子はどうだ?」
「違和感しか無いが、日常生活には支障無いよ」

 赤坂悠樹は黒い素材で作られた右腕の義手を握ったり開いたりしながら、退屈そうに眺める。
 腕部のカービングスキー状のペラペラの板は肘の部分と一体化しており、電気的な刺激で曲げたり捻ったりする事が可能な素材であり、右腕の欠損をほぼ完全に補う性能となっていた。

(学園都市脅威の科学力と驚けば良いのか、これを数日足らずで用意した冥土返しの手腕に慄けばいいのやら)

 特殊なコーティングをすれば、人体と何一つ変わらないレベルまで隠蔽出来るが、普段のメンテナンスが著しく面倒になるので、そのままとなっている。
 日常では問題にならないが、戦闘になれば幾つもの問題が浮上する。相手が電気系統の能力者なら腕の制御を奪われる事など日常茶飯事だろうし――其処まで考えて、この義手を戦闘に使う予定は無いか、と悠樹は思考を打ち捨てた。

「さて、と」

 悠樹は気怠げに起き上がり、ソファに掛けてあった長点上機学園指定のブレザーを拾い上げる。
 左腕部分は腕を通さずに羽織り、義手部分の右腕は袖を通す。あとはポケットに手を突っ込んでしまえば義手である事は気づかれまい。
 最新鋭の科学技術よりも時として単純な動作の方が優っている事もあるという事だ。

(……長点上機学園、か。今は夏休み中だから問題無いが、終わる前に無期限休学を申請しておくか)

 明確な目的が定まった今、学校になんぞ費やす時間は一秒足りても無い。後で風紀委員の後輩に必要な書類を揃えさせようと悠樹は決意する。……自分で面倒な作業をする気は欠片も無かった。

「何処行くじゃんよ?」
「警邏さ、これでもオレは風紀委員だぜ?」

 風紀委員の腕章を右腕に取り付けながら、悠樹は出かける準備を整える。
 特に必要無い事だが、身体が若干鈍っているので手頃に動かす事は大事である。

「あ、私も行く! 付いて行く!」
「遊びじゃ無いんだがな、まぁいいか」

 一人で出歩かせるよりは、自分の監視の目があった方が百倍マシだろうと悠樹は判断する。
 それに少女一人守れずして風紀委員(ジャッジメント)も超能力者(レベル5)も名乗れないだろう。

「二人とも気を付けるじゃんよ、あと食事の時間守れよー?」
「はぁ~い! いってきまーす!」

 悠樹はジト目で「お前は母親か何かか」と内心突っ込みを入れながら溜息を吐く。
 ――そういえば、こうして誰かに見送られるのは一体いつ以来か、柄にもなく考えてしまった。




「うわぁ、改めて見ると新鮮だねぇ!」
「余りはしゃぐなよ? こちとらまだ病み上がりだからな」

 あの日は苛立つほど雨で、人目を避けて移動したからか、活気溢れる第七学区の街並みは第九複写にとって新鮮だったのだろう。
 眩しいほどの日差しに目を細めながら、よくまぁ陽の目を浴びれたものだと自分自身の悪運を褒めてやりたい処だった。

 ――あの時、赤坂悠樹は確かに致命的な損傷を負った。

 能力の使用限界を超え、停滞していた力場の制御を完全に手放したのだ。死んで当然の事態だった。
 それを救ったのが白い修道服の少女、あのインデックスとかいう偽名を名乗った彼女だとは悠樹とて夢想だに出来なかった。
 詳しい事は説明を受けた悠樹自身も解らないが、『魔術』という不可思議な手法で損傷を元通りにしたらしい。腕は欠損だったので元通りに出来なかったという話である。
 思考の倍速で在り得ない超反応を可能とする代償に、致命的で破滅的な損傷を負った脳を後遺症無しまで完治させたのだ、それはもう『奇跡』か『魔法』としか表現のしようがない。

(……全くクソ面倒な話だが、いつか見つけ出して礼と借りを返さんとな)

 何でもあれは『飯のお礼』だったらしいが、生命の借りは生命を賭けて返さなければなるまい。
 あのインデックスとかいう少女が巻き込まれている事態は相当危険度の高いものだろうと安易に予測出来るが、残りの時間を消費してでも首を突っ込もうと思う。
 相変わらず自身の矜持だけは度し難い。悠樹は内心舌打ちしながら決定事項として片付ける。

(――本題は、コイツの生存権の確保だ)

 元気良く走り回る第九複写を眺めながら、苦難の道程になると深々と溜息を付く。
 彼女の価値は赤坂悠樹の『首輪』であり、その赤坂悠樹が生きていなければ完全に無価値と化す。
 故人の違法模造品という発覚すれば非常に危険な立場上、赤坂悠樹という存在が消えれば学園都市の暗部は何の迷いなく処分するだろう。
 彼がなす事は二つ。第九複写を人質として赤坂悠樹を思い通りに動かそうとする勢力を徹底的に叩き潰しつつ、赤坂悠樹の死後も第九複写が生存出来るように環境を整える事である。

(全く、我ながら無理難題だ)

 その為には自分の死後、第九複写の生存権を確保出来る人材を用意しておく必要がある。
 保護者として黄泉川愛穂は理想的だが、学園都市の暗部と張り合うには彼女一人だけでは力不足なのだ。

(御坂と軍覇との関係も疎かに出来ないな)

 されども、前者の御坂美琴には致命的な問題が一つある。
 学園都市最強の超能力者、一方通行を絶対能力(レベル6)に進化させる狂気の計画に、彼女のクローンが二万人使われている事だ。
 他の超能力者ならば何一つ問題無かったが、御坂美琴だけはその事実を無視出来ない。――遠からず、彼女は学園都市の最深部の『闇』に相対し、破滅する運命にある。
 それを回避する為には――思考の裡から、悠樹は瞬時に現実へと意識を立ち戻す。はしゃぐ第九複写を後ろに退け、悠樹は眼下に立ち塞がった金髪の少年を睨みつけた。

「変われば変わるものだな。第八位の超能力者ともあろう者がガキの子守とは腑抜けたもんだ」
「心配するな、自覚はある」

 其処にはかつて悠樹が打ち破った超能力者、第二位『未元物質』の垣根帝督が立っていた。
 余り出遭いたくない人物だが、丁度良い機会だった。

「一方通行に関しては好きにしろ」
「ハッ。腕一本吹っ飛んだから敵わないってか?」
「いいや。あれに掛ける時間は一秒足りても存在しなくなった、それだけだ」

 以前、勝利した時に叩きつけた条件を自ら破り捨て、悠樹は焚き付ける。
 実際問題、今の赤坂悠樹と一方通行が戦闘すれば互角に渡り合えるだろう。時間の消費さえ気にしなければ、という前提があるが。
 それで御坂美琴は救えても第九複写は救えないのでその選択肢は論外である。
 第二位の垣根帝督が交戦して一方通行を倒してくれるならば『絶対能力進化(レベル6シフト)』を簡単に破綻させる事も可能だが、帝督の興味無さそうな顔を見る限り、悠樹の思い通りにはいかなかった。

「一方通行のクソ野郎なんざ知った事じゃねぇよ。テメェには借りがあったよな――」
「――なんだ。また地べたを這いずり回りたいのか」

 まぁそういう結論になるよなぁ、と自嘲しながら悠樹は臨戦態勢に入る。
 能力使用は出来るだけ控えたいが、生命が直結する場面において躊躇など必要無い要素である。
 第九複写を守り、周囲の一般人に危害が及ばぬように戦場を操作しながら、垣根帝督を打倒する。
 瞬時に実現不可能な勝利条件だと諦めた悠樹は逃走手段の方を探り――背後から切迫する危険な気配を察知し、首を瞬時に傾け、目映い破滅の光線を避ける。

「――!?」

 見慣れた極光は垣根帝督に突き刺さり、その殺人的な攻撃を繰り出した張本人は悠樹の背後から覆い被さるように抱きついてきた。

「やっほー、元気そうだねぇあーかさかぁ」
「……つーかさ、挨拶代わりに『原子崩し(メルトダウナー)』を撃ち放つとかどういう了見? 宣戦布告? 奇襲による先制攻撃? あと、こんな暑い真夏日に引っ付くなぶち殺すぞ」

 後ろから抱きつく彼女は麦野沈利、彼女も超能力者の一人であり、数日前に赤坂悠樹と幾度無く殺し合った仲だった。
 彼女の方には前の怪我は無く、万全な状態で胸が彼の背中に引っ付くほどの零距離に居るが、悠樹は無理に振り払おうとしない。
 確かにこの距離から『原子崩し』をお見舞いされては絶対に生き残れないが、都合が良いのは赤坂悠樹も同じだ。彼の超能力『時間暴走』は接触時に最も効力を発揮する。攻撃する気配や素振りが欠片でもあれば即座に返り討ちにする算段だった。
 そんな殺伐とした思惑が駆け巡る中、第九複写は恨みを籠めた眼で麦野沈利を睨む。赤坂悠樹の右腕が義手になったのは、自分を庇って彼女の攻撃を防いだせいなのだから。

「そう睨むなって。別に取って食う気は……あるかも?」
「今すぐ離れてぇー!」
「――痛ってぇな。そしてムカついた。オレを無視して漫才とは良い度胸だ」

 苛立ちを顕にしながら、『原子崩し』の直撃を受けて無傷の垣根帝督は麦野沈利を射殺んと睨む。
 が、当の本人は赤坂悠樹に夢中で見向きもせず、「あ、まだ生きていたんだコイツ」と言わんばかりの尊大な態度でやっと視線を返した。

「ちょっと。コイツ殺すの私なんだから横から手出ししないでくれる? 双方合意で予約済みなのよね、私達」

 悠樹はげんなりとした表情で「一体どう解釈すればそういう結論になるのか小一時間ほど問い詰めたい」と心底消沈する。
 確かに死体は好き勝手にしていいと言ったが、殺されるのは御免だ。沈利を帝督に投げ捨ててその隙に逃走しようか、と悠樹は真面目に思案する。

「――邪魔だ、引っ込んでろ。女のテメェが出る幕じゃねぇんだよ」
「うわっ、今時男か女とか、そんなチンケな面子にこだわるなんて第二位様は器量の狭いねぇ。テメェこそお呼びじゃねぇんだ、すっ込んでろ」

 垣根帝督と麦野沈利は赤坂悠樹と第九複写を無視して猛烈に盛り上がる。
 悠樹は二人で勝手にやってろと吐き捨てたくなったが、事態は彼女の登場で更に混んがった。

「ちょっとアンタ達! 白昼堂々何やって、ななななっ!?」

 彼女こそは学園都市が誇る第三位の超能力者、御坂美琴であり――何故かは解らないが、彼女は悠樹と抱きつく沈利を見て、顔を真っ赤にした。

「あらぁ、お子様の第三位には刺激が強すぎたかしら?」
「ななな、何引っ付いてんのよ! 病み上がりのアイツにいいい色仕掛けしてまでやろうってんの!?」
「お、お姉様落ち着いてっ!」
「そうよぉ、イク(逝く)処までヤろう(殺ろう)ってんの」
「ななな――!?」

 白井黒子が必死にフォローするが、動揺し続ける御坂美琴は麦野沈利に良いようにからわれる。
 幾らお嬢様学校出身でも異性関係に耐性が無さ過ぎる、と赤坂悠樹が思考を停止させた時、SAN値が削れて危険域に達した精神にトドメを刺すべく、原理不明の七色の煙を上げてあの男が満を持して現れた。

「話は聞かせて貰ったっ! これが噂に聞く修羅場、四つ巴バージョンなんだな! 一人の男として見損なったぞ悠樹イィィッ!」

 何故か血の涙を流すその男は第七位の超能力者である削板軍覇であり、いつからこんなに超能力者との遭遇率が上昇したのか、悠樹は『樹形図の設計者(ツリーダイヤグラム)』に徹底的に演算して貰いたいとさえ思った。

「モテモテだね、オリジナル」
「……で、この状況を誰が収集付けるんだ? オレは嫌だぞ、面倒臭いし」

 存在しない物質やら白く輝く光線やら電撃やら正体不明の現象が巻き起こる中、今日も学園都市は概ね平和であった。




 他の超能力者から抜け出し、赤坂悠樹はオープンカフェで一息付こうとした時、懸念すべき裏関連の厄介事は自分からやってきた。

「――よぉ『卒業生』。店のお勧めだってさ。まぁ飲んでみれば?」

 声の主は白いトレンチコートを頭に被った、イルカのビニール人形を隣の席に立て掛けた、年不相応に眼が濁っていた黒い少女だった。
 年は十二歳程度だろうが、彼女の纏う殺伐とした雰囲気は悠樹にとっても慣れ親しんだものだった。

「……『卒業生』ねぇ。それならばテメェは差し詰め『在校生』って処か」

 怯んで怯える第九複写を立ったまま庇いながら、赤坂悠樹は鼻で笑って嘲笑する。
 彼女の言う『卒業生』とは暗部から完全に脱却している自分を指すのならば、彼の言う『在校生』は学園都市の暗部に良いように使われている哀れな連中である。

「無様だねぇ。そんな模造品を救い上げる為に腕一本失って、自分から『首輪』を嵌めるなんてよぉ。その甘さにゃ反吐が出るほど笑っちまうよ」
「自分の事を棚に置いて良くまぁほざけるものだ、ゴミ処理係の下っ端。それとさ、目上の者への言葉遣いを一から教えないといけないか?」

 瞬間、少女から圧縮された空気の槍が掌から放たれる。
 背後に第九複写、そして一般人がいる以上、躱すという選択肢が初めから無い赤坂悠樹は人一人簡単に殺傷出来る威力の攻撃を無防備のまま受け――両腕をポケットにしまった間々、微動だにしていないのに関わらず無傷だった。

 ――第八位『過剰速写(オーバークロッキー)』は応用性こそ桁外れに優れているが、防御性能は人並みの筈。それ故に第四位の『原子崩し』で右腕を失ったのだから。

「――窒素系の大能力者か。似たような感じの能力に出遭ったけど、相変わらず詰まらない能力だ。おまけに前回の能力者より遥かに劣る」

 前に叩きのめした『暗闇の五月計画』の被験者を思い出しながら、悠樹は心底失望の意を籠めて侮辱する。
 内心驚きながらも、黒い少女はギリッと歯軋り音を鳴らした。荒々しい戦意とドス黒い殺意は未だ衰えていなかった。

「ハッ、腐っても超能力者だよなァ。まァこの程度で殺せるなンざ欠片も思ってねェンだよ――!」

 イルカのビニール人形が爆ぜる。中から飛び出たのは無数の腕であり、十数に及ぶそれは彼女の脇腹に次々と接続し、全ての手を赤坂悠樹に向け――彼にしてみれば余りにも遅い攻撃動作だった。
 その間に赤坂悠樹がした事は両手をポケットに仕舞ったまま一歩距離を詰める事。それだけで黒い彼女は詰んだ。

「――っぇ!?」

 何の予兆無く首に強烈な拘束感が生じ、彼女が操っていた窒素と全ての腕が悉く停止する。
 黒い少女の身体が地面から浮く。彼女は触れたら最後の『時間暴走(オーバークロック)』によって、完全に掌握されていた。

「なるほど、掌から窒素を自在に生み出す類の能力者だったのか。それ故に手を増やして能力増強とは子供じみた幼稚な発想だな」

 完全に舐め切った態度は油断でも慢心でも無く、完全なる余裕だった。
 赤坂悠樹の両腕はポケットに仕舞われた間々であるが、黒い少女の首に食い込む五指は不可視ながらも彼の『右手』に他ならなかった。

「――三、本目……!?」
「その目は節穴か? 取り替えた方が良いんじゃないか? 三本目なら此処にあるだろうに」

 右腕の義手をこれみよがしに見せびらかせながら「あー、動かし辛ぇな」と不満を漏らす。
 ――確かに赤坂悠樹の右腕は『原子崩し』によって木っ端微塵に吹き飛ばされた。だが、彼の『自分だけの現実(パーソナルリアリティ)』は欠損を認めず、現に彼の右腕の感覚は幻影肢として完全に残っていた。

「逆にさぁ、本体の手を切り落としたらどうだ? 予想以上にパワーアップできるかもよ?」

 それが意味する処は、義手の右腕での直接触れる能力行使は出来ないが、不可視である幻肢の右手での直接行使が可能という事を意味する。

 ――右腕の欠損を代償に、彼の『時間暴走』は絶対に破壊されず、どんな能力者でも視認出来ない、幻の右手を手に入れたのだ。

「さて『卒業生』として『在校生』に言える事は一つだ。――いつまで肥溜めの底辺で塵虫のように這いつくばってんだ? 人体改造大好きなマゾヒストちゃんよぉ」

 赤坂悠樹は身動き一つ出来ない黒い少女の脇腹にぶら下がる歪な手を握り――意図を察した彼女は瞬時に蒼褪め、悠樹はにやりと加虐的に嘲笑い、一本一本ぶちっと引き抜いていった。

「――、――ッッッ!?」

 本人の意志で動かせるからには神経が通っている。接続した状態で引き抜かれる痛みは想像絶するものだろう。
 結局の処、彼女は六本余りで気を失った。

「……生きてる?」
「ああ、一応な。裏の後始末は風紀委員の領分じゃねぇからな、帰るぞ」

 余りに悲惨な状況に第九複写は心底同情した。
 赤坂悠樹が女の子供を殺せない事は勝因にはなり得ない。学園都市の第四位と第三位さえ退けてしまったのだから――。




 窓のないビル、其処は学園都市の頂点に君臨する『人間』アレイスター・クロウリーが巨大な円筒の器の中に逆さに浮く異界だった。

「――確かに奴に『首輪』は付けられたが、支払った代償は大きかったな」
「大した事はあるまい。欠員の補充など幾らでも効く」

 金髪でサングラスを掛けた少年は吐き捨てるように呟き、逆さに浮かぶアレイスターはうっすらと笑った。

「肝心の飼い犬が壊れてしまっては意味が無いぞ? 今のあれは消えかけの蝋燭の炎だ、吹けば消し飛ぶ程度の」

 今回の一件、第八位『時間暴走(オーバークロック)』が彼女の妹のクローンである第九複写を巡って起こった戦いは、何方の勝利とは呼べず、学園都市の暗部に夥しい犠牲を生み、唯一の戦果である彼も無視出来ぬ損傷を与えた。

「それこそ些細な問題だ」

 ――彼が壊れようが、壊れまいが、そもそもこの一件が何処に転がろうとも、アレイスターには何ら支障を齎さなかった。

 彼にしてみれば暇を持て余す為に使い潰す玩具が一つ壊れかけた。それだけの話である。

 ――赤坂悠樹が超能力者(レベル5)に至れる可能性は、限り無く低かった。
 素養格付(パラメータリスト)にしても、至れる可能性が那由他の彼方にある程度で、将来超能力者になるとは誰からも思われず、先行投資しようとする研究者も存在しなかった。

 そんな彼が超能力者まで上り詰め、『第二候補(スペアプラン)』と先駆けてAIM拡散力場の数値設定を『自分だけの現実(パーソナルリアリティ)』に入力した。
 那由他に転がる可能性すら掴み取って進化し続ける彼が一体何処まで至れるのか、そういう意味では赤坂悠樹は最大のイレギュラーだった。

 ――その予期せぬイレギュラーさえ、アレイスターは自分の計画に取り込んで修正する。

 彼の計画に必要な『幻想殺し(イマジンブレイカー)』の成長は著しく遅れているが、彼を使えばベクトル制御装置にAIM拡散力場の数値設定する作業を大幅に短縮出来るだろう。
 恐らく其処で完全に壊れるだろうが、万が一生存したのならば『ニ五〇年法』を用いて稼働限界を補強してやればいい。

「ならば一つだけ忠告してやる。あれは早めに殺しておけ。利用されたままで終わるような生易しい奴では無いぞ」

 彼が告げると、タイミングを見計らったかのように空間移動能力者が現れ、ビルから出て行く。
 誰も居なくなった部屋の中、逆さまに浮かぶ彼は口元を歪ませた。

「プランに縛られた現状ではイレギュラーこそ最大の娯楽だ。――あれが何処まで足掻けるか、私さえ興味深いさ」





 波乱の一日が終わった帰り道、第九複写は赤坂悠樹にとある質問した。

「オリジナルはさ、どうして『風紀委員(ジャッジメント)』をやろうと思ったの?」

 それは今まで幾度無く聞いた質問であり、嘘つきの彼は唯一度足りても本当の答えを言わなかった。
 だが、それは今日までだ。もう自分さえ欺いていた過去から抜け出し、赤坂悠樹は漸く本当の自分と向き合える機会を得たのだから。

「――唯一人ぐらい居てもいいだろう? 不真面目で乱暴で絶対に正義の味方にはなれない奴でも、世の中の理不尽や不条理を木っ端微塵に粉砕して無理矢理ハッピーエンドにする奴が居てもさ」

 第九複写は「そうかぁ」と納得し、彼らしいなぁと微笑む。

「それじゃ微力だけど私も手助けするよ。貴方の失った右腕を補えるくらい頑張る」

 そんな少女の言葉に意表を突かれたのか、赤坂悠樹は眼を真ん丸にし、照れ隠ししながら乱雑に第九複写の頭を左手で撫でた。

 言葉になど絶対にしてやらない。されども、万来の想いを心の中だけに吐露する。


 ――番たる半身を失い、傷だらけの片羽で飛べなかった孤高の鳥は、無垢な小鳥の手助けを受けて漸く空を飛べたのだった。








[10137]  7月16日
Name: 咲夜泪◆14334266 ID:917f6572
Date: 2012/07/17 00:50






 ・7月16日


 その日の朝は項垂れるような熱気で目が覚めてしまった。
 寝汗が酷く、気分は最低最悪。半眼で時刻を確認すると七時二十九分、まだ一分の猶予がある始末だった。
 非常に憂鬱な一分間である。寝直すには圧倒的に時間が足りず、起きるには少し勿体無い。
 思考が淀む微睡みの中、何方も選択出来ずに時間だけが無情に過ぎる。

 ――そして近寄る足音。小気味良いリズムを刻んで、すぐさま立ち止まる。

「悠樹ぃ、朝だよー、起っきろー!」

 男子寮に相応しくない少女の活気溢れる声は我が双子の妹のものであり、こんな気怠い朝にも関わらず元気一杯といった様子だった。

「……眠ぃ、あと十二時間……」
「そんなに寝ていたら一日が終わっちゃうわよ。ほらっ、朝ごはん冷めちゃうよ!」

 ぷんぷん、といった感じで学校の制服にエプロン姿で仁王立ちしている妹――今日の髪型はポニーテールであり、可愛らしい赤いリボンで着飾れている。

「……むぅ、朝ごはんが冷めるのは困る。うん、起きる」

 気怠い動作で起き上がり、大きく欠伸をする。
 全然思考が回らない事を自覚しながら、同じ種から生まれたのに、自分は究極的なまでに朝に弱いのに妹は何故こんなにも朝に強いのか、深く疑問に思う。
 早朝に起きて、女子寮から男子寮まで赴き、二人分の朝食の準備をして自分を起こしに来るなんて、逆にやれと言われたら徹夜でもしない限り不可能だろうと自信を持って断言出来る。

「おっはよう。相変わらず朝弱いねぇ」
「……おはよう。うん、朝は全然頭回んねぇ。顔洗ってくる」

 妹の爽やかな笑顔を眺めながら、オレこと赤坂悠樹はのっそりと起き上がって洗面所に向かうのだった。




「そういえば、何で俺と同じ学校を選んだんだ? 無能力者(レベル0)のオレと違って大能力者(レベル4)のお前なら長点上機学園とかも楽勝だっただろうに」

 太陽の光が眩しくて煩わしい登校途中、全力で脱力しきったオレは日頃気になっている事を我が妹に聞く事にした。
 オレ達が通っている高校はごく普通の学校であり、落ちこぼれの無能力者の自分には相応しいが、希少な大能力者である妹には不似合いな高校である。
 それに身内贔屓ではあるが、妹の能力の将来性には光るものがある。後一歩で八人目の超能力者(レベル5)になれるぐらい、飛び抜けて優秀なのだ。

「……別にぃ。あんな能力至上主義の鎖国学園なんて御免です!」

 にも関わらず、妹の反応は口を尖らせるほど不機嫌なものであり、予想外の挙動にますます困惑する。
 確かに長点上機学園の生徒は鼻持ちならぬ者が多い。自身がエリートであると自覚し、他の生徒を見下す様は見ていて面白く無い。
 そんな差別主義者が集う学園に妹を通わすなんて我慢ならない話だが、少しだけ眼を瞑れば輝かしい未来が確実に齎されるだろう。

「勿体無いなぁ。彼処の最新鋭の能力開発なら超能力者になれる可能性も高かっただろうに」
「能力の強度(レベル)なんて正直どうでも良いし」
「そういうのは他の人に妬まれるからあんまり公言するなよ」

 能力の強度は先天的な才覚に左右される。低能力者(レベル1)から超能力者まで成り上がった唯一人の例外を除けば、努力云々で突破出来る壁では無いのだ。
 かくいう自分もずっと無能力者のまま、一向に次の段階へ向上する気配すら無い始末である。

「……そういう悠樹はどうなの? やっぱり気にしている?」

 妹は申し訳無さそうな表情で、オレの顔を恐る恐る伺う。
 ……うーむ。他の低能力者から入らぬ嫉妬を買わないように窘めたつもりが、逆にオレが気にしていると勘違いされてしまったか。

「元々無能力者だし、能力に関しては全く興味無いなぁ。火ぃ吹いたり、電撃放ったりするのは愉しそうだけど、普通に生きる分には必要無いだろう?」

 ――足りないのならば、もっと別の方法で補えば良いし、そもそもそんな攻撃的で危険な能力が必要とされるような環境で生活している覚えは無い。
 勘違いが解けたのか、妹は目に見えるぐらい、ぱぁっと明るく笑った。

「うん、そう、能力なんて必要無いの! 若くして真理に辿り着いたの!」
「だから、無能力者のオレが言うのは大丈夫だが、大能力者のお前が言ったら嫌味にしか聞こえないって言ってんの」
「大丈夫、悠樹の前でしか言わないし!」

 何故か一人勝手に盛り上がっている妹を尻目に、本当に解っているのかなぁと不安に思う。

 ……しかし、まぁ、妹が長点上機学園に入園志望した時の為に、此方も受験する算段を練っていたのは墓までの秘密である。
 徹底した能力至上主義だが、突出した一芸があれば何とかやっていけるらしかったし――。





「朝から美少女で貧乳な妹ちゃんと一緒に登校とか、超羨ましいやん! しかも毎朝女子寮から通って朝御飯まで作って貰っているさかいな!? なぁなぁゆーやん、今度紹介しウボァっ!?」

 妹と別れて自身の教室に到着し、朝から真っ先に絡んできた青髪ピアス(本名何だっけ?)を渾身の右拳で軽快にノックダウンさせつつ、オレは自分の席に座った。朝から暑苦しいったらありゃしない。

「よぉ同志! 朝から熱烈だにゃー!」
「シスコン軍曹に同類扱いされるとは甚だ不本意だな。こっちは実の妹、そっちは義妹だろうに」

 次に絡んでくるのはシスコン軍曹こと金髪サングラス、土御門元春である。
 これまで数々のトラブルを呼んできた1年7組の『クラスの三バカ(デルタフォース)』と懇意なのは、重ねて言うが非常に不本意な事である。
 メイド服フェチでロリ義妹好きの彼に何故かシンパシーを抱かれ、同類扱いされるなどもっての外である。

「……それで上条、どうしたんだ? 今日もまたこの世の不幸を一身に背負ったような辛気臭い顔しているが?」
「今日の朝もまたビリビリ中学生に絡まれたんですよ! オマケに財布も落とすし! 不幸だぁー!」

 そして隣の席で項垂れていた『クラスの三バカ』の最後の一人であり、我が校きっての名物男、上条当麻は自身のとんがり髪を掻き毟りながら、恒例行事となった口癖を高々と叫ぶのだった。

「あーあ、まぁたカミやんが新しい女の子をっ! それも今度は常盤台の美少女!? 不条理だわぁ、ボクちゃんも新しい出会いが欲しいぃ!」
「もう復活しやがったのか。まぁ確かに、上条の不幸体質とフラグ体質は見事なまでに反比例しているようだな。あ、妹に近寄ったら殺すから」
「理不尽だぁー!?」

 その持ち前の不幸さには全力で同情するが、そのフラグ体質は絶対許さない。妹の前に立とうものなら全身全霊を尽くして排除する事になるだろう。短い友情だった。

「やっぱりゆーやんはシスコンの鏡だにゃー、他の女の子なぞ眼に映らんぜい!」
「実の妹萌えとか経験値高いでぇー! 双子の妹ちゃんという事で更に倍増やわー!」

 とても騒がしい三人だが、見ていて飽きないのが唯一の救いである。
 自身の黒髪をくるくる指先で弄りながら、絶対に口に出してやらないがそう思って晴れやかに笑ったのだった――。




「ねぇねぇ、悠樹、クレープ買って~」
「仕方ないなぁ。一つ奢ってやろう」

 下校途中、クレープの甘い匂いに誘われた妹は上目遣いでせがみ、オレは迷う事無くほいほいと五百円玉を手渡したのだった。
 「わーい!」と子供のように喜ぶ妹を見て、ほんわりと暖かい気持ちになる。
 甘やかしすぎと言われればそれまでだが、日頃朝食や夕食を作って貰ったりしているので今日はその恩返し、言うなれば帳尻合わせなのである。
 と、もっともらしい言い訳を誰にでも無い、自分にしておく。

「あれ? 悠樹はいらないの?」
「チョコレートだけならまだしも、不純物が沢山混ざっているからいらん」

 あれこれトッピングを頼みながら妹は不思議そうに尋ね、オレもまた本音で答える。
 チョコレートプラス何かなど外道も良い処、チョコレートはそれ単品で完璧であり、至高の甘味なのだ。
 其処を突っ込めば、また長々としたこだわりを聞かされる事を知っている我が妹はジト目で呆れた顔をしていた。

「勿体無いなぁ、喰わず嫌いでしょそれ」

 クレームを小さな口を開けて精一杯ぱくつきながら、こんなに美味しいのに心底勿体無いと言った感じで残念がっている。

「オレには冷凍庫にある板チョコがあればそれで良いのだ」

 あの冷え冷えとした感触にチョコレートの甘味、それに勝るものなどこの世にあるまい。
 寮に帰ったら真っ先にチョコレートを一口齧ろうと個人的に決定し――何故か目線を反らす妹の姿が目に映る。

「……あ、あぁ! そういえば夕食の食材足りなかったんだ!」

 急な話題変更、怪しいまでの挙動不審、其処から導き出される答えは――!?

「ま、まさか食ったのか!? オレの、オレのチョコレートをぉっ!」

 眼から血の涙を流す勢いでオレは妹に確信をもって問い詰める。
 これに関してだけはオレは正気ではいられない。食い物の恨みは恐ろしいのだ! オレの、オレのチョコレートをよくもおおおぉ――!

「ご、ごめんごめん、つい冷凍庫にあったから……!」
「そんなに甘いものばかり食べていると太っても知らんぞ!」
「わ、私は能力とか一杯使っているから太らないわよ!? 演算で脳をフル回転させているから適度な糖分が必要不可欠なの!」
「そんな都合の良い学説、根拠すら存在しないわ!」

 ぜいぜいと息切れするまで言い合い、非常に不毛である事を悟る。
 どうせこれから買い物するから十個ぐらいストックすれば良いだけの話である。今回は妹の方に非があるのだから押し切って買えるだろう。

「……まぁそれは良いとして、先に銀行で金下ろして来ないとな」
「……あーい。本当にチョコレート好きよねぇ、悠樹は。……私よりも?」

 余りにも唐突に飛び出してきた爆弾発言に息を呑む。
 若干不貞腐れている妹とチョコレート、何方が好きだって……? これはオレにとって究極の選択だ。簡単には選べず、不覚にも言い淀んでしまう。

「ちょっとちょっと、何で其処で深刻に思い悩むのよ!? 普通即答でしょ、チョコレートと私なのに!?」
「お前自分がしている質問の意味理解して言ってるか!?」

 お互い顔を真っ赤にしながら叫び合う姿は滑稽そのものであり、傍目から見れば微笑ましいものであるかなぁと思いたい。

「チョコレートと私、どっちが大切なの!?」
「何故に仕事と私、どっちが大切なの、なんていうワーホリックなサラリーマン並に理不尽な問い詰めに遭わないといけないのだ!?」

 何だか言い合う毎に墓穴を掘っている気がする。
 とりあえず、話題を別方向に誘導しつつ、最寄りの銀行を目指す。同時に二つを達成しなければいけないのが大変な処だが――。

「あれ、銀行閉まっている?」

 白昼の最中、防犯シャッターが閉められている銀行の扉の前で二人揃って困惑する。
 時間的には営業時間だが――物凄く嫌な予感がした。

 オレの能力判定は無能力であり、細かい分類すらされていないのだが、能力開発されてからこの手の直感は非常に冴えている。
 とは言え、スケスケ見る見るなど能力専攻のカリキュラムには全く効果無い。
 その直感は専ら危機に関してのみ働き、残念な事にほぼ外れないが、その危機が何なのかは実際に遭遇してみないと解らない不確かなものである。

(真昼に関わらず防犯シャッターが閉じている。つまりは単純に閉じるような事態が銀行の中で発生したと推測される。営業時間に関わらず防犯シャッターが閉じるような事態とは一体何か――?)

 思考が妙に加速する。アドレナリンやら脳内麻薬が分泌しているのか、周囲の時間が妙に遅く感じられる。
 結論に至るより早く、横目で妹の様子を見て――状況の不明さに小首を傾げて困惑し、能力が即座に発動出来る状態でない事を認識する。
 自身の思考速度の遅さを全力で悔やみながら、咄嗟に我が身で庇うように妹を抱えて飛ぶ。

「え――きゃっ!?」

 その前後、防犯シャッターは勢い良く爆散し、背中が熱に炙られ、また鈍い痛みが複数生じる。
 爆風に吹き飛ばされるように跳び、何とか踏ん張って着地する。
 振り返れば、銀行強盗らしき三人組が現金を入れたバッグを片手に脱出する最中だった。

「……大丈夫か? 怪我は無いか?」
「だ、大丈夫……って、怪我している本人の台詞じゃないよ!」

 砕け散った破片でも食い込んだのか、背中の激痛で眉間が酷く歪む。
 間一髪と言った処か。あのまま銀行の扉の目の前に立っていたら目も当てられない惨状になる処だった。

「――『風紀委員(ジャッジメント)』ですの! 器物損壊及び強盗の現行犯で拘束します!」

 此方に見向きしない銀行強盗、そして即座に現れる常盤台中学の制服を着たツインテールの風紀委員。此方への危険度が限りなく無い事を確認してから、妹の容態を一目散に確かめる。
 幸いな事に負傷したのはオレだけで、傷一つ無く無事なようだ。ほっと一息付く。

「……っ! よくもぉ――!」
「よせ、あの『風紀委員』に全部任せとけ。権限無き者が出しゃばると後々面倒だぞ」

 あの今現在進行形でボッコボコにされている強盗犯三人に八つ当たりしようとした怒れる妹(超能力一歩手前の大能力者)を強く抱きながら精一杯止める。
 が、どうにも選択肢を間違えたのか、怒りの矛先はオレ自身に向いてしまったようだ。

「何で危ないのに庇ったの! 私は大能力者だから大丈夫だけど、悠樹は無能力者なのに!」
「何故って、兄が妹を守るのに理由が必要なのか? うん、当然、必要無いな」

 ――あの状況では能力発動による防御は不可能だっただろうなぁと分析した結果なのは、敢えて言わない事にする。

「お兄ちゃんは可愛い妹を守る為ならば超能力者にだって打ち勝てるさ」

 背中の痛みを痩せ我慢しながら、精一杯の強がりで笑ってみせる。
 ……のだが、妹は今にも泣き出しそうな眼になってしまい、どうして良いか、若干困ってしまう。
 困惑している内に、もう一人の風紀委員が此方に走ってきた。風邪なのかマクス着用し、頭にお花畑を飾っている奇妙な女子中学生だった。

「大丈夫ですか!?」
「背中を多少火傷した程度ですよ。病院行きの救急車呼んでくれると嬉しいなぁ」

 その風紀委員は慌てて携帯電話を取り出し、オレと妹は強盗犯三人組の結末を他人事のように見届ける。
 車で逃走しようとした処を、かの有名な『超電磁砲(レールガン)』の一撃によって転覆させた、第三位の超能力者の偉大さを目に焼き付ける事となる。
 名前は何て言ったけ……確か、御坂、御坂美琴だったか?

「しっかし、実際に見ると凄いねぇ、超能力者ってもんは。全く敵う気がしないわ」
「……さっきと言っている事が全然違うんだけど」
「無理無理、あんなの瞬殺確定だわ。無能力者が背伸びした程度で超能力者に勝てるなら苦労しないぜ」

 住んでいる世界がまるで違う。これが超能力者、彼女の視点ではこの世界はどのように映っているのだろうか?
 端役の自分は妹を我が身を犠牲に守るだけで精一杯、でもまぁそれで十分である。無能力者としては過ぎた成果だろう。

「――でも、まぁ……格好良かったよ、お兄ちゃん」

 この笑顔を守れるのならば、どんな不可能も唯の可能に貶められよう。


 銀行強盗の一件に巻き込まれ、踏んだり蹴ったりな一日だったが、最愛の妹に看病されるならばそれも悪くない――。




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