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[32063] 神楽坂明日菜、はじめました。
Name: 折房◆d6dfafcc ID:6f342f26
Date: 2012/04/28 18:01
 ふと気づいたら神楽坂明日菜だった。原作に関わらないとか、立場的に無理。多分。じゃあどうしよう? うーむ、とりあえず鍛えておこうかな……。
 そんなこんなの、まったり幼女生活、はじまります。
 バトル? シリアス? 当分ありません。
 プロット的には将来百合方面に向かうはずです。
 超不定期更新です。

2012/03/15
 某所より移転してきました。よろしくです。
 01~06 UP
 ノートパッドでコピー&ペーストしたら改行が変になったので頑張って修正。

2012/04/23
 EX01 UP
 番外編なのでsage更新しておきます。

2012/04/27~28
 全体的に微修正(ルビに<rp>タグを追加)。



[32063] 01 幼女生活、はじめました
Name: 折房◆d6dfafcc ID:6f342f26
Date: 2012/04/27 16:23
「神楽坂明日菜だ。よろしく」
 正対するちびっ子の集団に向け、簡潔に挨拶した。
 と言っても、俺もちびっ子だけどな。
 軽く頭を振ると、左右側頭部に結った髪の根元で、リボンについたベルがチリン、と小さく鳴った。

 説明しよう。マンガの世界の登場人物に憑依だか転生だかをした。

 その一言で終わっていいような気もするのだが、もう少し話そう。
 前世? だか何だか、とにかく、今の俺の意識の元になったのは男だった。そして今の体は少女……と言うより幼女のものである。つまり、TS転生だ。
 実は、今の意識が目覚めたのは割と最近である。それまでは普通の……とは激しく言い難いが、とにかく前世の記憶なんぞ持たない幼女だった。
 その時の名はアスナ・ウェスペリーナ・テオタナシア・エンテオフュシア。長ぇ。今は無きウェスペルタティアって王国の、元・お姫様だ。
 で、色々あって、一週間ほど前、アスナ姫は記憶を消されてしまった。
 記憶ってのは人生の軌跡であり、人格を形成すべき代物だと俺は思ってる。何しろ、記憶を消された「アスナ姫」は死んじまったからな。本来は、まっさらな精神のまま新しい「アスナ」が構築されたはずなんだろうが、ここでイレギュラーが起きた。
 つまり、「俺」の意識が覚醒しちまったってことだ。

 さらなる問題は、俺の記憶に「魔法先生ネギま!」と言うマンガの知識があったことである。
 このマンガが、つまり今俺がいるこの世界の未来を描いたものなのだ。
 自分でも「そんなバカな」と思わないでもないが、今のところマンガの知識との齟齬はない。ならば当面は、ここはマンガで描かれた世界、またはそれに非常に近似した世界だと考えておくのが無難だ。
 そして今の俺、「神楽坂明日菜」は、そのマンガのメインヒロインと言える立ち位置にいる。で、物語が始まってからこっちの波乱万丈の展開は、俺にとってはかなり剣呑と言っていいものだ。
 となれば、俺のすることは一つ。
 タナボタで手に入れた第二の人生を楽しみつつ、危難を跳ね除ける力を手に入れることだ。……危難そのものを回避するのはムリっぽいので。俺の立場的に。

 で、その第一歩がここ。
 麻帆良学園初等部である。今日から俺は、ここに編入されるのだ。いまさら小学校なんぞ行かされるのは激しくダルいのだが……生活費を供出してもらっている以上、文句は言えない。早いところ自立したいが、何か割のいいバイトとかないだろうか。……小学生では雇ってもらえないか。せめて中学からだよなあ。
 で、そろそろ席に着かせて欲しいのだが。指示してはくれんのか、担任教師。
 見上げてみると、若い女教師は微妙に頬を引きつらせていた。
 何故だ、と首を傾げていると、ガタンと席を立つちびっ子が一人。綺麗なロングヘアの美幼女である。
「ちょっと貴女、その態度はあまりに無愛想でしてよ!」
 びしっ! と指差してくる。
 なるほど、自己紹介が端的に過ぎたらしい。教師の様子もそのせいか。
 ――しかしまあ、仕切り屋と言うか、お節介と言うか。実害が無いのなら相互不干渉でいいと思うのだが。多分だが、もっと愛想よくしてクラスに溶け込め! と言いたいのだろう。行き過ぎた親切心の発露とも解釈できる。典型的な委員長気質だな。だが、まだ互いの距離感が未熟と言うか、少々押し付けがましい。
 つまりは……。
「……ガキだな」
「なっ! 何ですってぇ~~~~!」
 あ、いかん。言うつもりはなかったのだが、口から出てしまった。
 その後、掴みかかってきた彼女をあしらうのに大変苦労した、とだけ言っておく。
 ……あとクラスメイト諸君。慌てるでなし脅えるでなし、はやし立てつつ勝負の行方に小銭まで賭けると言うのは、いくら何でも順応性が高すぎじゃないかね?
 確か、学園結界が認識阻害効果を持ってると言うのは、二次創作設定だったと思うのだが。

「アスナちゃんって、どこからきたのー?」
「おうちはどこー?」
「すきなテレビはー?」
「どんなあそびがすきー?」
 休み時間のたびにちびっ子どもがわらわらと寄ってきては話しかけてくる。
 好奇心いっぱいのキラキラした瞳は無邪気と言えばそうだが、警戒心なさすぎじゃないかキミら。早く打ち解けるにこしたことはないので何も言わんが。
 やや辟易しつつも顔には出さず受け答えしていると、朝のちびっ子が声を上げた。
「ちょっと貴女、女の子が「俺」などと言ってはいけませんわ!」
 ……あれ、口に出てた? そりゃうっかり。せめて人称は改めようと思い決めていたのに。
 しかし、朝取っ組み合った相手にビシビシ言い募ってくるとは、物怖じしないな、キミ。その勇気には敬意を表する。
 微妙にお節介だが。
 心の中で「いんちょちゃん」と呼んでやろう。
 ちなみに、さすがに小学1年のうちから学級委員とかあるわけないので、念のため。
 ちびっ子とマジにやり合うほど大人げなくないので、いんちょちゃんの言い分は「はいはい」とテキトーに受け流していたのだが、それがよくなかったらしく、いっそうムキになって突っかかってきた。
 宥めたり、いなしたりするのに大変労力を使った。

 放課後、「あそびにいこー!」とわらわら寄ってくるちびっ子どもを「引越ししたばかりで色々あるから今日はダメだ」と遮り、帰路に就いた。……明日以降は付き合ってやるから、聞き分けろ。まとわりつくな。
 そんなこんなで、非常に疲れる小学生生活一日目を終え、俺は居候先の職員寮へ足を向ける。
 登校時、同居人は「迎えに行こうか?」とかほざいていたが、すっぱり断わった。仕事しろ、新任教師。
 代わりに要求したのは、合鍵といくばくかの金銭である。
 その成果は、エコバッグに詰め込まれた、ずっしり重い生鮮食品類だ。この体は確か気とか魔力とか使えたはず、と思い出し、ついつい気と魔力を合一させて身体強化した俺は悪くない。――と思う。だって荷物が手に食い込んで痛かったのだ。
 思いがけない成り行きでカンカ法(漢字は忘れた)が使用可能であるのを実証できてしまったが、今後はカンカの気の密度を上げたり、戦闘技能を修得したりして行こうと思う。……とか思ってるうちにカンカ法が切れた。バッグの持ち手が掌に食い込む。重い。そして、かなり痛い。さすが幼女ハンド、ぷにぷにだ。自分のだと思うと微妙に萎えるが。
 カンカ法を再実行しながら、持続時間の延長も急務だと思い定める。
「ただいまー」
 そうこうするうち、職員寮に到着。人の好さそうな管理人の爺さんに挨拶して、玄関の泥落としで靴裏の汚れを落とし、えっちらおっちら廊下を歩く。
 目的の扉の前に着き、エコバッグを床に下ろして、ランドセルとは別に肩掛けしていたポシェットからカウベル型キーホルダーを取り出す。見上げる扉には部屋番号と、「高畑・T・タカミチ」とムダに流麗に書かれたネームプレート。そしてそこに、メモ用紙が一枚セロテープで貼り付けられ、「かぐらざかあすな」とボールペンで書いてある。改めて見ると実にぞんざいだ。まあ、いつまでも同居はしてられないんだろうから、一時的な措置として大目に見ておこう。
 俺は鍵を開け、扉を開いて、今度は小さく「ただいま」と口にした。この時間に保護者殿がいるはずがないが、まあ気分の問題だ。

 食材を冷蔵庫に仕舞い込み、夕食の下拵えを始める。
 昨日の夕飯は宅配ピザであり、今朝の朝食はトーストだった。台所を確認したところ基本的な調理器具は揃っていたが、冷蔵庫の中身は冷凍食品やらドリンク類やらで、保護者殿の自炊能力に期待が持てないのは確定的に明らかである。
 ならば、自分でやるしかあるまい。多少の恩返しにもなるだろう。
 エプロンをつけ、調理台に向かったところで最初の挫折を味わった。……キッチンユニットの高さが身長に合わない。恨めしげに自分の幼女ボディを見下ろすが、それでどうなるわけでもない。やむを得ずリビングから椅子を持ち込み、その上に膝立ちになって作業を始める。
 ……明日は踏み台を買ってこよう。是非そうしよう。
 よく手を洗って、野菜も洗い、まずはキャベツの微塵切りを開始。……幼女ハンドだと包丁がでかくて重いな。思わずカンカ法を使ったのも仕方ない。多分。まな板がかなり傷んだっぽいのも気のせいだ。
 ちなみに、「気だけ」とか「魔力だけ」とかでの身体強化はまだやり方がわからない。なのに何故カンカ法だけできるのかは、俺にも謎だ。世の中は不思議でいっぱいである。特に麻帆良ここでは。
 刻み終わったら、軽く塩を振って水を絞り出し、続いて白ネギとニラとショウガを刻む。ショウガは摩り下ろしてもいいんだが、シャキシャキした触感が欲しかったので今回はコレで。
 豚の挽肉に軽く下味をつけて捏ねる。とにかく捏ねる。疲れるのでカンカ法を使った。便利だなカンカ法。実に家事向きの技法だ。究極技法とか言うだけあって、何にでも有用なのだな。などと考えるうちに、肉の色が均一になって粘りが出てきたのでOK。
 今度は肉と野菜を混ぜる。均等になる程度で、あまりしつこくは混ぜない。
 これでタネは完成だ。一旦冷蔵庫で寝かせる。
 手を洗い、時計を見ると大体14時半。ちなみに昼は給食が出た。
 んー、ご飯を炊くには少し早いか……どうするかな。一応宿題は出たが、あんなもの授業の合間にとっくに片付けたので、放課後の時間は好きに使える。
 そう言えば、修行を始めようと思ったんだ。方針でも考えるとしよう。
 LDKのテーブルにノートを広げ、腕組みして唸る。
 とりあえず思いつくままに箇条書きしてみた。

・基礎体力をつける。
・武術や体術。最終的には武器戦闘。原作通りなら将来、長物武器が手に入るはず。
・気と魔力の使い方。
・カンカ法の効果時間延長。カンカの密度を上げていけばいいのか? 要検証。
・視力や反射神経を鍛える。
・走力や移動速度を上げる。瞬動の訓練。
・知力や学力も放置してたらヤバい。語学の勉強とか高校・大学のテキストとかやっとくべき。
・今はいいけど、どっかで勝負度胸も鍛えないと。
・そう言えばレアスキル持ちだったはず。AMFだっけ? でも検証とか鍛錬のしようがないような。
・ボッチはツラい。友達作るべき。

「……こんなところか?」
 しかし最後のはどうしよう。対人コミュニケート能力も上げとかないとマズいか。いんちょちゃんに無愛想って言われたし。
 問題は、ちびっ子相手に上手いこと対等に付き合えるだろうか、って点だが。お姉さん的ポジションで面倒見てやるようにすれば……何とかなるかなぁ。

 ――後々思えばコレが、いんちょちゃんとのライバルフラグが立ってしまった瞬間だったかもしれん。

 夕方まで色々考えを進めてから、ノートを片付け、炊事を再開した。手を洗い、計量した米を洗米して米研ぎして水を張って米に水を吸わせる。簡単にキッチン周りの片付けなどをしつつ1時間ほど置き、米が十分水を吸ったのを確認したら炊飯器にかけ、スイッチオン。水を張った炊飯器の釜をセットするのには、当然のごとくカンカ法を使用した。
 アルミトレイに小麦粉を振っておき、作っておいたタネを取り出して、市販の餃子皮(もち米入りと普通のものの2種)に包んで端を折り、トレイに並べていく。……最初片手でやろうとしたら、幼女ハンドが小さすぎてムリだった。何となく悔しかったが、しょうがないので両手でやる。作りながら思ったが、もち米入りの方は、ショウガを摩り下ろしたタネを作り分けておいた方がよかったかもしれん。まあ、次に覚えていたら考えよう。鳥餃子とかも面白そうだしな。
 15個ずつ生餃子を作ってトレイに並べ、ラップをかけておき、スープの素を使って簡単なスープを作り始めた。手抜きだが、まあまだ暮らし始めたばかりなのでやむを得ん。冷蔵庫に屑野菜もブイヨンも鶏ガラもないのでしょうがないのだ。次の土日にでも、そこら辺とか、デミグラスソースとか、作り置きしとこうかな。
 ん、よし。夕食の支度は大体整った。後は保護者の帰宅を待つばかりだ。

 さて、手持ち無沙汰になってしまったが、何をしようか。散歩するほど時間はないし、そもそも子供が出歩くには遅い時間になりつつある。ならばインドアでできることを見つけよう。
 勉強……小学1年生のテキストとか論外。
 ゲーム……この部屋にはゲーム機がない。
 読書……良い案に思えたが、この部屋には碌な本がない。……保護者殿、教師をするのならもっと教養をつけた方がいい。今度、苦言を呈しておこうか。
 トレーニング……思い立ったが吉日と言うが、まだ修行内容の詳細が煮詰まってない。
 ネット……いい考えだと思ったが、この部屋にはPCがない。この時代、ちょうどPC98とDOS/V機の競合期のはずだが、Win95すら未発売だし、まだまだお高い買い物である。気軽に「買え」とは言えん。
 テレビ……まあそのくらいしかないか。何かこう、テレビと言うメディアは今一つ好きになれないのだが。新聞くらい取ろう、保護者殿。もしかしたら出勤途中に買ってるのかもしれんが。
 と言うわけで、テレビをつけて情報収集しながら、関節の稼働範囲を広げるべくストレッチに励むことにした。ただボーッとブラウン管を眺めているだけなのは何かイヤだ。我ながら貧乏性である。
 で、やってみたところ――さすが幼女ボディ、めちゃめちゃ柔らかい。股割り程度は楽勝。前屈はベッタリいける。後屈はちょっと苦しいが、伸ばした掌が床につく。猿手鳥足も少しやれる。手首は曲げてやれば手の甲が腕にくっつく。そう言えばツーテールの髪が床を掃いていた。……昨日新入居の際、ざっと掃除したから、まあよかろう。

 そうこうするうちにご飯が炊き上がり、蒸らしも終わったので、一度蓋を開けてしゃもじで切るように混ぜ、空気を含ませておく。

 その後も面白くなって、ついつい色々試してみた。
 前後股割り。Y字バランス。立位前屈でどこまで曲げられるか試し、股の間に頭部を入れてみる。今度は逆に、うつ伏せになって海老反り、両足を捕まえてさらに丸まる。
 何と言ったかな、これ……。
 そう。
「……キングアラジンの真似!」
「えっと……アスナちゃん?」
 ふと横を見ると、玄関を開けたところで保護者殿がひきつった笑顔で立ち尽くしていた。鞄と反対の手に提げた紙箱は、お土産の菓子だろうか。
「…………」
「…………」
 ちなみに、朝着せられたのはシンプルだが可愛らしいデザインのワンピースである。着替えていないので、当然今着ているのもそれだ。
 さて、ワンピースで件のポーズをすると、どんな格好になるか、お分かりだろうか?
 …………。
 俺はポーズを解いて何気なく立ち上がると、服の埃を払ってキッチンユニットに向かった。
 振り向かずに告げる。
「すぐご飯にするから、待ってて」
「……ええっ!? 何事もなかったかのようにスルー!? って言うか、アスナちゃんが作るのかい!? 作れるの!? いや、それ以前に危ないんじゃ!?」
 怒涛の連続ツッコミを放ちつつ、それでも突っ込みきれずにあたふたしていた。
 ちなみに返事は聞いていないので、俺は保護者殿の声に一切反応を示さず、エプロンをつけ直し、生餃子を並べたフライパンに小麦粉を溶いた水を少し張って、コンロに乗せて火をつけ、蓋を被せた。
 なお、振り向かなかったのは、あられもない姿を見られて羞恥に赤くなった頬を見せないためだったりはしない。しないったらしない。……多分。

 温め直したスープをよそい、焼き上がった餃子を皿に乗せ、茶碗にご飯を盛って並べる。ちょっと彩りが足りないかなと思ったので、急遽レタスを千切ってトマトを切り、付け合せに。
 塩とマヨネーズと酢と醤油とラー油、小皿と箸立てを食卓に出す。
「できた。召し上がれ」
「す、凄いねアスナちゃん。いただきます」
「いただきます」
 餃子に箸をつける。うん、普通においしい。
「これは……美味い。おいしいよ、アスナちゃん!」
 ま、飛び切り美味ってほどじゃないけど、普通の家庭料理レベルには作れてると思う。普通の7歳の幼女に作れるレベルはぶっちぎったかもしれないが。と、今さら思い当ったが後の祭りだ。まあよしとしておこう。たとえ「俺」でなくとも、「神楽坂明日菜」が普通の7歳の幼女であるはずがないのだから。――と言い訳しておく。
 餃子の皮を2種使い分けたのも好評だった。この人、どうも欧米気質っぽいんで、おべっかではないと思う。でも、やっぱりタネも作り分けた方が、違いが際立ってもっと食感を楽しめただろう。要改善。
「ごちそうさま」
「おそまつさま」
 綺麗に食べきってくれた。俺も食べ終わって、使い終わった食器を片付けようとすると、保護者殿に止められた。
「あ、洗い物は後で僕がしておくよ。転入祝いにと思って、ケーキを買ってきたんだ」
「……すぐには入らない」
 甘いものは別腹と言うが、この体ではそもそも胃の容量がそれほどなかろう。入らないものは入らない。
 食休みがてら雑談する。
 初めての学校の印象を聞かれ、勉強について聞かれ、クラスの様子について聞かれる。
 俺も保護者殿の担当教科は何かとか、新聞は取らないのかとか、もっと本を買ったりした方がいいんじゃないかとか、PCを買う気はないかとか色々聞き返した。
 ちなみに、本がない理由は、麻帆良には世界有数の蔵書を誇る大図書館があり、そこで借りれば大抵の用は済んでしまうからだとか。あと、PCについては、どうしても必要な場合は学校の備品を借りて使うので、今のところ自室に備える気はないようだ。
 ……それ、小学校にもあるだろうか。まあ、あっても低学年児童に触らせてくれるとは思えないが。
 ネカフェやら漫喫やら、この時代にあるかな? あったとしても、麻帆良で開業許可は下りないだろうな、きっと。
 1時間ほど話し、多少消化が進んだと思うので、紅茶を淹れてケーキをいただく。美味いが、ちょっと甘すぎる。もう少し甘さ控えめが好みだな。
 礼とともに忌憚のない感想を告げると、保護者殿は苦笑を見せた。
 デザートタイムの後、彼は洗い物を片付けるために台所に向かった。
「アスナちゃんはシャワーを浴びておいで」
「わかった」
 素直に着替えを用意してシャワールームに入る。幼女ボディはエネルギーの蓄積量が少ない。夕食と甘味でお腹が膨れると、急に疲労と眠気を自覚した。
 疲労回復のために、たっぷりした湯船に浸かりたいところだが……職員寮は一応男女で分かれており、この建物には男風呂しかないのだとか。7歳ボディなら、別段気にすることもないとは思うが。後日交渉しよう。
 シャワーを浴びて体を洗う。体の表面積が少ないので洗いやすいが、筋力がないので汚れは落ちにくい。カンカ法を使ったら力が上がりすぎ、肌が痛かった。カンカ法のコントロールの精度が上がるまで、入浴時のカンカ法は禁止だな。
 体を洗い終わったので、次にシャンプーを手に取った。髪が長いせいで、洗髪は少し面倒だ。
 そして、洗髪時のものなど物の数ではない面倒が、入浴後に待ち受けているのは、昨夜もシャワーを浴びたのでわかっている。
 微妙に憂鬱な気分でシャワールームを出て、バスタオルで体を拭き、髪の水気を取る。ぐしゃぐしゃぐしゃっ! と拭いて終わり、なら楽なのだが。湿った髪を大きめのタオルで包み、クリップで留める。何しろ髪の量が多いので、いきなりドライヤーをかけたら乾くまで何十分かかることか。と言うか昨日はそれをやって、優に30分くらい取られた。
 下着とパジャマを着込み、洗面所を出る。
「上がった」
 端的に告げると、保護者殿ももう洗い物は終えたらしく、居間でタバコをくゆらせていた。副流煙でガンになるのは御免こうむるので、さりげなく煙が来ないほうへ動く。
 台所に行き、冷蔵庫から牛乳パックを出して片手鍋に注ぎ、砂糖を加え過熱。ホットミルクを作る。
 保護者殿は「コーヒーをブラックで」とか言い出しそうなので、何も聞かずに二人分作って無理やり手渡した。
 保護下にある可愛い幼女が作ってくれたものを、よもや飲まないなどとは言えまい。少なくとも俺だったら無理だ。
 安眠効果もあるんだ、素直に召し上がるがいい! ふはは!
 ……少々テンションがおかしいが、眠いせいだったりする。
 だったらもう寝てしまえ、という考えにはものすごく惹かれるものがあるのだが、そうはいかない。

長髪を乾かさずに寝てしまうと、凄まじい寝癖になるのだ。前世でアパート暮らしの大学生だった頃、床屋に行くのも自分で切るのも面倒がって伸ばし放題にしていたところ、風呂上りにやらかして翌朝とんでもなく苦労した覚えがある。以来、長髪は嫌になって、ずっと短髪にしていた。
 ふうふう吹いてホットミルクを適温に冷ましつつ、ちびちびすする。
 明日の朝はお手軽にトーストで済ませるつもりなので、ご飯は炊かなくていいな。明後日の朝食は和食にしよう。
 勝手にふらふら揺れる頭(物理的に)で思考を巡らせる。
 そうこうするうちにホットミルクを飲みきった。
 少しは髪の水気は取れただろうか。頭に巻いたタオルに触れるとじっとり湿っている。これならまあ大丈夫か?
 洗面所からドライヤーを持ち出し、タオルをほどいて、多少は湿り気の減った髪に温風を当てる。
 ぶおー。
 モーター音がうるさい。
 幼女ハンドが短いので、適度な距離を取るのが難しいな。そして熱い。暑いじゃなく熱い。時折冷風に切り替えつつ水気を飛ばし続ける。
 結局十数分かかった。保護者殿の見ている前でカンカ法を使うわけにいかないから、ドライヤーを保持していた手が疲れたよ。
 ああ、面倒だった……。これから毎晩これか。この髪、バッサリやったらダメだろうか?
 ……保護者殿が髪留めをプレゼントしてくれたすぐ後にショートにするとか、どこまで体を張った嫌がらせなんだ。
 やっぱダメだな。俺自身が早々に慣れてしまうことを祈ろう。
 ドライヤーを片付け、かわりにヘアブラシを持ち出した。前髪、サイド、うなじをブラッシュした後、全体を梳いていく。……量が多いので大変だ。髪質が優れているのだろう、ブラシの通りは怖いくらい軽いので、そこは楽だが。
 見かねた保護者が手伝いを申し出たが断わった。髪にタバコのにおいがつくので、やるなら喫煙前にお願いします。その旨告げてみると、がっくり肩を落としていた。悪いこと言ったかな?
 いよいよ眠くなった。ブラッシングを切り上げ、マグカップを洗って水切り棚に置き、洗面所に向かう。ブラシを片し、歯ブラシを手に取った。手にフィットするそれは当然子供用歯ブラシだ。微妙に物悲しい。
 いい加減に磨くと汚れが落ち切らないので、眠いのを我慢して念入りに歯を磨く。ガシガシ力任せにやらないのもポイントだ。健康な歯は美味しい食事のもとである。
 十分近くかけて歯磨きを終えた。髪の手入れと違ってこちらは苦にならないのは不思議である。やはり慣れが重要なのだろうか。
 洗面所を出た後、トイレに行って用足しをする。最初は色々と勝手の違いに戸惑わされたが、だいぶ慣れてきた。――やはり大事なのは慣れか。肝心なのは諦めか。
 嘆いてもマイサンが戻るわけではないので、適当に気持ちを切り替える。
 最後に就寝のあいさつを告げた。
「お休み」
「うん。疲れただろ、ゆっくり休んでね」
「Have a nice dream」
 無駄に流暢に言い置くと、意表を突かれた表情になる保護者殿。それを眼の端に認めて、何となく嬉しくなった俺は、我知らず薄い笑みを浮かべていた。
「……ふあぁ……っ」
 寝室に引っ込むと、あくびが漏れる。……眠い。目がしぱしぱする。心地よい疲れが全身に満ちている。よく眠れそうだ。
 俺はベッドに倒れ込み、睡魔に逆らわず意識を手放した。

 ……寝入る寸前、明日も小学生(&幼女)をやらなきゃならないことを思い出して、微妙に憂鬱になった。





――――――――――





※念のための注釈

キングアラジン / 怪奇大作戦
「キングアラジンの真似!」 / 究極超人あ~る



[32063] 02 修行、はじめました
Name: 折房◆d6dfafcc ID:6f342f26
Date: 2012/04/27 16:31
 修行しようと意気込んでいた俺だったが、具体的なトレーニング方法は何もわからなかったりする。
 だが麻帆良には図書館島がある。
 第二土曜日の休日、朝から乗り込んで資料を探した結果、武術の解説本やら、VHSの映像資料やら色々出てきたのだが……そんな中で、俺が思わず手に取ったのは『拳児』全21巻だった。マガジン世界のここでも、無事に存在したらしい。と言うかマンガ単行本まで置いてあるとは……。図書館島、侮りがたし。
 思わず通読する。
 ……………………。
 …………。
 ……。

 よし。八極拳の修行をしよう!

 と最初は思ったのだが、待って欲しい。八極拳は剛の拳であり、どう考えても女子供向けではない。女子に向いてるのは……八卦掌、これか? 資料はあるかな……。
 あと、でも、形意拳の、崩拳だけは修行しよう。うん、そうしよう。

 朝早く起きて洗顔、朝食の下拵えをする。
 ストレッチの後、崩拳の修行をしながら世界樹前広場に行き、資料と首っ引きで八卦掌の練習。
 まずは歩法か……えっと、扣歩こうほと、擺歩はいほ? 聞き覚えがあるな。
 …………。
 ああ、思い出した。サンデーの某武術マンガの週刊版で、主人公が最初に教わる歩法にして技。それがコレだ。
 ……おお、何かテンション上がってきた。我ながら単純だが。
 えっと……丁字歩、反丁字歩……趟泥歩しょうでいほ。んで、拳児でもやってた走圏か。
 早速やってみよう。えっと、こうして、こうして、こうかな?
 流れ的にはこんなもんか。
 で、八歩で一周するように。右回り、左回り。
 っく、これ、やたら足腰にクルな……。

 歩法は、まあ形はこんなものか。走圏を何十周かして、おおむね流れは把握した。無論練度なんぞないようなもんだが、それはこれから少しずつ上げていけばいい。
 八卦掌の手法は……こんさんそう……こうで……こうで……こうで……こう、かな? 何か違うな……。もっと全身を使う感じか?
 こう、こう、こう……うわ!? な、何か身体中持っていかれそうな感じがしたが……基本的には間違ってなさそう、かな?
 八卦掌では螺旋と捻転が重要ってのは、こう言うことか。常に心がけよう。
 手法も混ぜ、走圏を続行。螺旋と捻転。円の動き。……段々頭がこんがらかってきた。

 ほどよく脳と筋肉がシェイクされ、一応套路を形だけは覚えたところで、次の修行に移ることにする。足腰立たなくなったからやめたわけではないぞ? 確かにガクガクしていて動けないが。タオルで顔を拭き、スポーツドリンクを呷りつつ次の予定を思い出す。
 今日のメニューは以下、気と魔力の操作、カンカ法の密度と持続時間の向上、瞬動の習得、の予定だ。
 よし、順次頑張ろう。
 一息ついた俺はベンチから立ち上がり、まずは気と魔力の運用に取り組んだ。

 ……色々試してみた結果、どうもこの体は相当なチートスペックだと実感した。

 気と魔力に関しては、頭カラッポにして、左手に魔力、右手に気、と集めた段階で、それぞれに意識を集中してみると、それだけでおおむね感覚的につかめてしまった。カンカ法を使えるのだから把握できてもおかしくはないとは言え、扱いの習熟速度が明らかに異常だ。
 気は体内から湧き出す感じで、魔力は外部から引き込んで体にまとわせる感じのようだ。全然質が違う。確かに、これをそれぞれ等量にして合成とか、普通に考えたらまず無理だろう。究極技法アルテマ・アートとか言われるのも頷ける。
 ――何故かできちゃうんだけどね、俺。
 気を集中していくと、徐々に密度が高まっていくが、それにつれて集中した部分の肉体にえらく負担がかかるのがわかった。どうも、鍛え方が足りないらしい。気の運用で身体強化はされるものの、素の肉体強度がないと強化した能力に耐えられない感じだ。気の総量も少ない。こちらも鍛錬で増えそうな感触はある。
 魔力の運用はそれに比べれば楽だ。子供先生がもっぱら魔力による身体強化を用いていたのは、魔法使いだからと言うのもあるけど、体が未発達であることも理由の一つだったんだろう。ただし、外部から取り込んで運用可能な魔力量と言うのは、どうも先天資質に大きく依存するんじゃないかと言うのが、使ってみた印象だ。どうも、こう、魔力を扱っていても、自分の魔力容量が変化しそうな感覚がない。魔力密度の向上とかはできそうな印象なので、そっちの方面で対応していくべきか。

 カンカ法の強化は、正直言って難しい。
 発動は(何故か)できるものの、その維持や収束、つまりは「カンカの気」の操作がさっぱりわからなかった。発動したらしっ放し。自然に切れるまで手が出せない。
 どうしたものか。
 ……これも究極的には「気と魔力の運用」の一部だよな。前段階となる気と魔力の強化訓練を地道にやっていけばなんとかなる……かな? 合成する時の量とか質とか上げられれば、多分いけるんじゃなかろうか。
 どの道、一朝一夕ではムリっぽい。
 まあ、まだ時間はある。今後色々試していこう。

 瞬動は、試したら一応できたが、到底「瞬」動などとは言えないレベルである。単純に気や魔力の絶対量が足りないようだ。気は体ができてこないと無理っぽいので、魔力ベースで再挑戦。少しマシになったが、やはり瞬動モドキでしかない。
 カンカ法発動状態で試したらあっさりできたけど。
 思わず虚ろな笑いをもらした。色々な人にケンカを売ってないか、この体。

 そして極め付け。ふと思いついて、居合拳を試してみたのだが……カンカ法状態だと、割とあっさりできてしまった。

 えーと……すまん、保護者。
 何だかひどく申し訳ない気分になって、思わず心の中で謝ってしまう。
 無論、八卦掌と同じく、使いこなすには到底習練が足りないが。今後も鍛錬に組み込んでいこう。そうしよう。手札は多いに越したことはないからな。うん。
 ……重ね重ねすまん、保護者。

 修行を終えて、崩拳しながら帰り、整理運動として再度ストレッチ。炊飯器のスイッチを入れ、シャワーを浴びて汗を落とし、髪を乾かしてブラッシング。ああ、面倒だ……。
 身支度が終われば朝餉の支度だ。昨夜のうちから炒り子(イワシの煮干し)を水出ししておいたので、それを出汁に味噌汁を作る。具は大根と人参だ。並行してグリルでアジの干物を焼く。付け合せにホウレンソウのお浸しと白菜の浅漬けを小切りに。
 よし完成。
「朝ごはん」
 端的に告げると、飄々ひょうひょうとやってきた保護者殿が完成した料理を食卓に運んでくれる。彼は早起きだ。何せ、修行のために早起きした俺より先に起きていた。
 ちなみに、修行はちゃんと保護者殿の許可を得てやっている。
「拳法マンガを読んだらカッコよかったから、私も修行する」
 と告げたところ、苦笑しつつ認めてくれたのだが。
 ……いまさらだが、世界樹前広場でやるとマズい修行がいくつかあったような気がする。
 崩拳や八卦掌、これはいい。
 後は…………全部ダメじゃないか? ちょっと浮かれすぎていたか。反省。
 そうすると、修行場所を考えなきゃならんな。気や魔力の扱いも、今後の修行が上手くいって総量を増やすことができてくれば、多分魔法関係者に捕捉されてしまうだろう。気や魔力を遮蔽できて、多少動いても問題ない場所が必要だな。
 …………。
 うむ、全く見当がつかん。
 まあ、そんな都合のいい物件をすぐに見つけることはできまい。今はメシだ。
「いただきます」
「いただきます」
 二人して手を合わせ、朝食に箸をつけた。アジの身をほぐし、白米と一緒に口にする。
 いい塩加減だ。普通に美味しい。素朴な味わいと言うのだろうか。
「何だか、ほっとする味だね」
 保護者殿も笑顔で感想を口にする。家庭の朝食に対するものとしては合格点、と言うかほぼ理想的な評価だろう。
 かなり嬉しい。口の端にいつの間にか薄い笑みが浮かぶ。
 確かに、今日は上手くできた。
 こくこくと頷きつつ食べていく。
 微笑ましげに見守る保護者殿の視線は、とりあえず見なかったことにしておく。

「じゃあ、行ってくるよ、アスナちゃん」
「ん。行ってらっしゃい」
 教員をしている彼の出勤時間は、当然早い。ちなみに、弁当までは渡していない。手の込んだものでなければ作れるが、と聞いたところ、そこまではしなくていいとのことだったので、手控えた。まあ、三食俺の料理だと飽きるだろうしな。
 俺も登校準備だ。今日の時間割に合わせて昨夜のうちに揃えた教科書・ノート・筆記具等に不備がないか確認し、体育や特別授業の有無、その準備をチェックし、髪をツーテールに結って鈴とリボンの髪留めをつける。
「行ってきます」
 一応挨拶を声に出し、合鍵で施錠して出発。寮の玄関で掃き掃除をしていた管理人の爺さんにも挨拶する。
「管理人さん、おはよう。あと、行ってきます」
「おお、アスナちゃん、おはよう。気を付けていっておいで」
 目を細めて顔中で笑顔になる管理人に手を振って、学校に向かった。
 さすがに道中崩拳で、とはやらない。汗だくになるし。
 とは言え、実は鍛錬も兼ねてはいる。汗をかかない程度に早足で、規則正しい呼吸を心がけつつ、一定のペースを保って歩き続ける。体力がついてきたらそのうちパワーリストとパワーアンクルを装備しようと思う。心肺機能を鍛えるためにマスクをつけるのもいいかもしれない。えーと……リビングハイ・トレーニングロウ、だっけ? ん? それだとマスクを常用しなきゃならんのか?
 よろしくないな……。却下だ。
 無為な思考を中断し、内面と外面に意識を振り向ける。
 手足の、筋肉の、血流の、気の動きを意識し、無意識の連動を認識し解析し最適の動作を模索する。無論言うほど簡単なことではないが、諦めずやれば絶対に身になるはずだ。最終的には指先の一本ずつまで精密動作可能になりたい。目指せスタープラチナ。
 並行して、視覚、聴覚、嗅覚、皮膚感覚、外「気」の流れ、魔力の流れを感知し、統合し、外界情報を立体的に把握しようと努める。なお、あくまで「努める」だけで、必ずしもできるわけではない。と言うかできない。できるようになりたいと考え、努力しているだけである。現実的に考えれば無理だが、ここはネギま世界。麻帆良なら……麻帆良ならなんとかなる! はず。多分きっと。
 目は意図的に焦点をぼかして、見の目ではなく、観の目を鍛えようと意識する。見の目は精密視力、観の目は周辺視・総合視・動態視などのことだ。見の目は別に鍛える。高いところからひたすら遠くを見続けるだけなので、簡単と言えば簡単だ。楽ではないが。
 この内面・外面把握訓練だが、死ぬほど集中力を消尽するシロモノである。まあ、疲れるからこそかえって「有効だろう」と判断しているが。

 普通の小学生にはやや早い登校時間だが、学校が近づくとちらほらとちびっ子どもが増えてくる。中にはクラスメイトもいるので、総スルーはできない。
「おはよー、アスナちゃん」
「おはよう、兼一けんいち。早いな」
「おにわのかだんにお水をあげてきたー」
「そうか。日が高くなってからだと、水滴レンズで葉が傷むからな。いい心がけだ」
「そーなのー?」
「うむ。ま、何年かすれば理科で習う。それまで待っておけ」
「よくわかんないけど、わかったー」
 頷いて駆けていく。
「おはよ、アスナちゃん!」
「おはよう、純夏すみか。珍しく早いな。たけるもお早う」
「おうー」
「眠そうだな。だが、挨拶はしっかりしろ。おはよう」
「ん、ぐ。お、おはよう」
「よろしい」
 のんびり歩いている二人を置いて先行する。
「あーっ、アスナちゃーん、おはよーっ!」
「おはよう、桜子さくらこ。朝からハイテンションだな」
「いっしょにがっこいこー!」
「む。まあいいが、歩調は合わせんぞ? しっかりついてこい、桜子隊員」
「がってんだー、たいちょー!」
「そこは「了解」とか「Roger,wilco」とか「Ma'am,yes,ma'am!」とかだ。が、よかろう。行くぞ」
「りょーかいだー!」
 ノリがいいな。
 そんなこんなで、会話が増えるとそちらに脳の処理容量を取られ、いっそう疲弊する。
 が、我慢して修行と会話を並行しつつ学校に向かう。この修行は、一見してバレないのが素晴らしい。脳の使い過ぎで段々頭が痛くなってくるがな。

 その後も何人かとあいさつしたり隊列に加えたりしつつ登校。教室の自分の席に座り、修行を切り上げた。
 ランドセルの中身を机に移し、授業の準備をする。
 俺の机の周りで談笑する級友どもに、パンパンと手を叩いて注意を惹き、呼びかけた。
「お前達、話に夢中になるのは、朝の準備を済ませてからにしろ」
 はーい、と返事をしてバラバラ散っていく。うむ、素直でよろしい。
「あ……」
「ん?」
 微かな嘆声が聞こえたのでそちらを見ると、片手を腰に当て、もう片手を人差し指を立てて伸ばしかけた格好で、いんちょちゃんが口をぱくぱくさせていた。
「どうした? っと、挨拶が先だな。おはよう、あやか」
「う……お、おはようございます、アスナさん」
「相変わらず固いな、あやか。もっと砕けた口調でかまわないぞ?」
「わっ、わたくしの勝手ですわ!」
「ふむ。ま、言い回しなど個人の自由か。気に入っているのならば口を挟むまい。差し出口を謝ろう。済まないな、あやか」
 謝意が伝わるように深めに頭を下げる。
「う、あ、う……そ、そこまでしていただかなくても結構ですわ!」
 顔を赤くしたいんちょちゃんは、荒っぽい足取りで自分の席に向かった。どうも怒らせてしまったみたいだな。――理由はよくわからんが。
 一応謝ったんだし、これ以上はどうしようもあるまい。放置でいいや。
 などと思っているうちに、授業の支度を整えたちびっ子どもがわらわらと再度集まってきた。
 いや、いいんだが、何故俺のところに来る?
「お前達、騒ぎすぎて余所のクラスの迷惑にならないようにな」
 注意はしておく。
『りょうかーい!』
 大きな声を揃えた。桜子の入れ知恵か……。満面の笑顔でVサインを出している幼女を半眼で見るが、溜息をついてスルーした。
 それよりもだ。
「騒ぐなと言っただろう」
 威圧感を込めてぐるりと見回す。
『……りょうかーい』
 先ほどより静かに声を揃えた。ムダに結束力が高いな。が、聞き分けがいいのはよろしい。
 微妙に声を抑えつつ、俺の席の周りで雑談に興じる級友ども。
 ふと気付くと、自分の席でいんちょちゃんが微妙に恨めし気な眼差しをこちらに向けていた。
 やっぱりうるさかったか? すまん、きちんと統制しておくから許してくれ。
 そんな思いを込め、片手拝みを向けてみると、ぷいっと顔をそむけられる。
 やれやれ、嫌われてしまったな。
 ま、当分一緒の教室で過ごすんだ、時間をかけて打ち解けていけばよかろう。
 そう思い決め、俺は時折周囲の雑談に口を挟みつつ、授業前の時間を潰した。

 お分かりだろうが、小学校の授業なぞまともに受けるつもりは全くない。そんな真似をすれば、精神的苦痛で死ねる。――とまで言うのはいささかオーバーだが。
 では、まともに聞いていない授業中、俺は何をしているのか?
 勉強である。
 ちなみに矛盾はしていない。やってるのはいわゆる「内職」だ。生活費をやりくりして高校のテキストを何冊か購入し、小学校の教科書に隠してこれに取り組んでいる。大学のテキストは単価が高いので今は手が出ない。なお、テキストや学習参考書の類は各学校の図書室では充実しているらしい。図書館島にもなくはないが、そんなものは自分で買え! とばかりに、閲覧は自由だが貸し出しは禁止されている。
 あとは図書館島で原書を借りてきて読んだりしている。内職で。
 勉強と一時限交代で修行もしている。朝にやっていたアレの簡易版だ。さすがに体を動かすわけにはいかないので、体機能の意識的把握は上手くできない。なので、外界の空間認識と立体的把握の訓練をする。
 ……何だかんだで脳を酷使しているので、時折一時限使って頭を休める。意識的に何も考えずにボーっとするのだ。やろうとすると難しいような気がしたが、考えてみればカンカ法の前段階としてよくすることなので、何と言うことはなかった。
 勉強、修行、時々休憩。これが俺の学校生活のローテーションである。休み時間にはちびっ子どもの相手をしている。
 当然、授業のノートなど一切取っていない。が、当てられれば全て正答。さぞ扱いに困る生徒だと思う。すまん、担任教師。
 だからと言ってまともに授業を受けてやったりはしないが。
 ただし、体育と芸術科目(音楽と図画工作)は別である。息抜きのレクリエーションには最適だからな。
 このボディ、運動神経も音感も優れているし、精密動作はまさに集中訓練中である。何でも高レベルでこなせる。何この万能超人。まあ、この高い基礎スペックをもってしても、原作開始後の展開は、到底予断やら余裕やらを持てないシロモノなのだが。

 ……明るい未来が見えない。

 算数の小テストを終えた空き時間で、窓の外を見上げて嘆息する。
 いっそ麻帆良から逃げようかとか思うが、外で正体がバレて襲われたら身を守る術がない。
 よくよく考えたら、髪色も微妙なオッドアイの瞳も名前も変えてないってどうなんだ。
 しかも苗字がガトウ? だかのミドルネームから取ってるし……隠す気あるのか、保護者殿。
 危険から遠ざけて一般人として幸せに暮らさせようと記憶を消すのはまあいいのだが、その後の処理が杜撰すぎる。
 うーん、「アスナ」の重要性を認識できてなければこんなもんなのかな?
 ま、実際祖国は滅びてるし、「アスナ」を狙ってた『完全なる世界コズモ・エンテレケイア』は『紅き翼アラ・ルブラ』が壊滅させたと思ってるんだろうし、それほどの危険はないと判断しているんだろう。俺は原作知識と言うチートによって『完全なる世界コズモ・エンテレケイア』が潰れてないと知っているからこそ危機感を募らせているわけだが、そうでもなければその判断を妥当でないなどとは言えまい。
 実際、麻帆良にいる限りにおいては、それほど危険はないわけだし。確か悪魔が侵入したりしたことはあったと思うが、麻帆良内での直接的な危険はアレくらいだったはずだ。それもネギと関わりさえしなければ巻き込まれなかったはずのものだしな。麻帆良祭? 火星人? いや、あれは「アスナに対する直接危機」ではないだろう。
 なお、今のところ、京都はともかく(学校行事だからな)、ウェールズとか魔法世界とか行く気はさらさらないのは、念のため申し述べておく。アスナの立場的に危険すぎる。
 ん? でも確か、白坊主一味がゲート破壊に走ったのって、「アスナ」が誘拐される前だったような。
 つまり……アスナがいなくても作戦遂行は可能なのか? それとも、麻帆良からアスナを拉致する算段がついていたのか?
 前者ならいいが、後者だと「麻帆良内なら安心」とか安穏としてられんわけだが。
 判断がつかない以上、危険から逃れるために、やはり修行は必須だな。そう結論したところで、教壇で女教師が声を上げた。
「はーい、時間です。そこまでー。お隣の人とテスト用紙を交換して、答え合わせをしましょう」
 む、終わりか。テスト時間は堂々とよそ見していても叱責されないので楽なのだが。
 先生が黒板に小テストの答えを書いていき、赤鉛筆で級友の答案を採点する。ちなみに教師の解説より先んじてとっとと終わらせてしまった。
 暇な時間が経過し、採点時間が終了した。隣の級友に答案を返す。
「ほら、返すぞ才人さいと。どうも繰り上がりがよく理解できていないようだが、それでも半分は合っている。慌てず考えれば全問正解できるはずだ」
「ああ、わかった! つぎは百点とるぜ!」
「うむ、頑張れ」
 きりーつ、れーい、で算数の授業終了。
 で。
「アスナさん! 勝負ですわ!」
 つっかかってくる、いんちょちゃん。
 ちなみに、お題はさっきの小テスト。
 見せ合うと、お互い満点である。
「くっ、やりますわね」
 いやいや、いくら何でも、一桁の足し算を間違えるとか、さすがに無理だから。
「次は勝ちますわよ!」
 何度もテストの点数勝負を吹っかけられているが、当然無敗だ。勝ちか引き分けかしかない。つまりは、いんちょちゃんからすると一度も俺に勝ったためしがないということである。
 あー、だから小学校の勉強で挑まれても、負けようがないと言うか。
 肩を怒らせて席に戻るいんちょちゃんの後ろ姿に、何となく罪悪感を覚える俺だった。

 放課後になった。
「アスナちゃん、あそびにいこー」
「いこー」
「いくー」
「おれもー」
「あたしもー」
 既に決定事項にされているようだが……俺の意思は? まあ、付き合ってやるが。
 あー、冷蔵庫の中身はどうだったか……うむ、今日は買い物しなくても大丈夫だろう。
 こいつらに意見を聞いてもまとまらないので、遊びに行くときには俺が案を出し、異論があるか確認することにしている。
 集まってきたちびっ子の数は7人。ぐるっと見回すと、どうやら運動が苦手な子はいないな。
「よろしい。ならば缶蹴りだ」
『りょうかーい』
 異論はないようだ。
「俺は空き缶を入手しておく。まなぶ栄一郎えいいちろうと桜子は麻帆良東第二公園、他の者は麻帆良東第三公園に行き、使用状況を確認。誰か一人を伝令として桜通り中央広場に送り、報告せよ。よし行け」
 わーっ、と小走りに駆け去るちびっ子ども。俺も急ぎ足で、やや離れたコンビニを目指した。
「缶蹴りに使いたいので、スチールの空き缶をいただいていいでしょうか」
 礼儀正しく問いつつ、ちょこんと小首を傾げると、コンビニ店員は微笑ましげに相好を崩して了承してくれた。ゴミ箱からよさそうなコーヒー缶を見繕い、念のため3本ほど確保。水道を借りて一応洗っておく。
「ありがとうございます」
 ぺこり、となるべく可愛らしく見えるよう深くお辞儀をし、手を振って立ち去った。――男のプライド? はは、何を馬鹿な。この身は幼女。備わった愛らしさを手管として利用することに躊躇いなどない。
 微妙に鼻の奥がつんとするのは気のせいだ。気のせいだったら。

 偵察部隊の伝令によれば、第三公園では他のグループが遊び始めているとのことなので、そちらに行ったチームに第二公園へ移動するよう再度伝令を出し、俺ともう一人の伝令も移動。全員第二公園で無事合流を果たした。
「では、ルールを説明する。
 1ゲームの制限時間は20分。公園の敷地内から出たら失格。缶を蹴る際、障害物や他人のいる方向に蹴ったら失格。鬼は、誰々見つけたポコペン、と宣言しつつ缶を3回踏みつけることにより対象を捕獲する。勘違いは捕獲に至らないが、虚偽申告は禁止だ。
 鬼は回り持ちで全員が一回ずつ務める。最初の鬼は私がやろう。以後の順番は応相談だ。
 ゲームの終了は制限時間の経過、または鬼による全員の捕獲。鬼は前者の場合、その時に捕まっている人数分のポイント、後者の場合は10ポイントを得る。制限時間経過時に鬼に捕まっていない者は1ポイントを得る。ゲーム中に缶を蹴って被捕獲者を解放した者は、解放した人数分のポイントを得る。最終的に一番ポイントを稼いだ者が優勝。優勝者には俺がおやつを奢ってやろう。
 なお、ルールに明示されない策略は、そのすべてを有効とする――ただし、他人に迷惑をかける行為は一切禁止だ。
 以上。何か質問は?」
 いっぺんに説明したら、ちびっ子どもはぽかんと口を開けていた。噛み砕いて説明し直し、何とか内容を理解させる。
「ではゲームを始めよう。そうだな、才人、缶を蹴ってくれ。私が缶を拾ってきて、踏みながらゆっくり10数えたら開始だ。――ああ、言うまでもないが、公園外まで蹴っ飛ばそうとか阿呆なことは考えるなよ?」
「うっ!? わ、わかった」
 カーン、と景気のいい音を立ててスチール缶が飛ぶ。
 わーっ、と走り出すちびっ子ども。
 さて、それでは全力で遊ぶとしようか。

 ――ちなみに、優勝者は学。やたらと目と反射神経と要領がいいので、上手いことポイントを稼いだ。同じく目と頭がいい栄一郎が次点。才人は運動神経はいいのだが要領が悪くポイントを稼げずじまい。栄一郎を見習って、もうちょっと頭を使った方がいいぞ?
 俺や桜子はミスは一切しなかったが、ポイントはそれほど伸びなかった。俺の場合、策略を駆使して場を掻き回すことに注力してたしな。意表を突かれてあたふたする鬼役のちびっ子どもの姿を、たっぷり鑑賞し愛でさせてもらった。
 奢ると言いつつ、優勝した学には持参していた自作のクッキーを進呈した。学も嬉しそうだったから文句はあるまい。
 なお、使用した空き缶はきちんと捨て直した。

 解散し、帰宅。シャワーを浴び、夕食の支度をして、自宅でできるストレッチや套路をこなす。
 保護者殿の帰宅を待って、食事。今日は煮込みハンバーグをメインに、サラダとパスタを付け合せにした。何だか出来合いの弁当でよく見るメニューの気がしたが、まあよかろう。あと白米とコンソメスープ。白飯は正義。
 食後、皿洗いを保護者殿に任せ、再度シャワーを浴びて、ホットミルクを飲みつつ髪を乾かし(面倒だ……)、歯磨きして就寝。
 明日も修行で早起きなので、早く寝るのだ。
 寝る子は育つ。お休みなさい。

 眠りに落ちつつ、何だかんだで小学生生活に慣れ始めている自分を発見し、微妙に情けない気分になった。
 だからと言ってどうしようもないので、慣れるのはいいことだ。いいことなのだ。…………多分。





――――――――――





気や魔力、咸卦法などの設定には一部独自解釈が入っていますので、ご承知おき下さい。

どこかで聞いたような名前があるかもしれませんが、気のせいです。例えば、一部神奈川在住のはずの人がいるように見えても、名前だけの別人です。多分。

缶蹴りの詳細はカット。そこまで書いてたらキリがないので。

何も起こらない話で、すいません。
なお、今後も当分、大したことは起こりません。



[32063] 03 トモダチ、はじめました
Name: 折房◆d6dfafcc ID:6f342f26
Date: 2012/04/27 16:40
「勝負ですわ、アスナさん!」
 もはや聞き慣れた感のあるセリフが、休み時間の教室に響き渡った。
「おー」
「きたきたー」
「ひきわけに10円ー」
「アスナちゃんの勝ちに20円ー」
「ぼくもひきわけー」
 わいわいがやがやと、それを引き金に騒ぎ始めるちびっ子ども。
「んー……アスナちゃんの勝ちだとおもう」
「なんだと!?」
「くそ、ミスった!」
 そこで最終判断を下すな。確かに彼女の勘は滅多に外れないが、まだ結果は出てないぞ?
 いちいち指摘はしないが。
 恒例のレクリエーションとなりつつある周囲の騒ぎを聞き流し、漢字の書き取りの小テストを見せる。もはや言うまでもなく満点である。――いやだから、小1で習う超簡単な漢字を間違うとか、無理。
 対するいんちょちゃんは、ケアレスミスで1問落としていた。
「むぐぐぐぐっ……わたくしの負けですわ……。次は負けませんわよ!」
 悔しそうに顎下で小さな拳を握り、頬を膨らませながら、素直に負けを認めて引き下がる。潔い。あと、ぶんむくれてても可愛らしさが先立つのは、素材がいいせいだろうか。得だな美幼女。
 しかし、1問でも間違えたら勝てないのはもうわかってるだろうに、それでもテストの度に見せに来るのは何故だ、いんちょちゃん。
 律儀と言うか、公正と言うか。自分に不利でも一度決めたことをやり抜く姿勢は、頑迷ではあるが素直に好感が持てる。
 ……内容が、俺に突っかかってくることでさえなければ。
 引き分けならまだしも、勝つたびに微妙に罪悪感があるのだが……。
 まあ、だからと言って手を抜く気はないが。このレベルで負けてしまったりすれば、なけなしのプライドが粉微塵になりそうだ。

 この学校に通い始めておおよそ1ヶ月。
 周辺環境にも慣れてきて、新生活のルーティンワークも形になってきていた。
 起床、洗顔、朝食の下拵え。崩拳と八卦掌の修行。シャワーを浴びて髪の手入れ(……面倒)。朝食を作り、食事。歯磨きして勉強道具の確認、登校。身体把握と周辺把握の訓練。
 学校では内職と周辺把握訓練と休憩、休み時間にちびっ子どもの相手。
 まさに今していることだ。
 朝からの流れを確認していたところで、目の前にぷにぷにの幼女ハンドが突き出された。その間に絡み合いながら何本も走る毛糸。
 ふむふむ。ここがこうなってああなって……。
 テキトーに形を読みつつ、毛糸の間に指を差し入れてひょいひょいと動かす。
 ――こんなものか?
 にこにこ笑顔の桜子さくらこの手から、すっと毛糸の網、すなわち綾取りを抜き取った。
「……む」
 綾取りは俺の手の中でばらりとほどけて広がる。どうも取り方を間違えたようだ。精密動作そのものにはだいぶ自信がついてきたのだが……。
「くしししっ。アスナちゃんはあやとりヘタだね~!」
 むむ。おかしい。空間把握も得意になって来たつもりなのだが。
「ヒナちゃん、はっきりいいすぎだよ! もっと、とおまわしにいわなきゃ!」
 ……下手なのは否定しないわけだな? まひろ。それ以前に、わざわざ指摘しなくていいわけだが。これだから天然は……。
「そうなの? わかった、まっぴー、気をつける! えっと……アスナちゃん、あやとり、にがてだねー?」
 言い直さなくていい。大して遠回しになってないし。
 これだから天然どもは……。
 仕切り直すことにして、輪っかに戻し手首と指に絡めて基本形を作り、雛子ひなこに差し出す。幼い顔立ちを真剣に引き締め、毛糸に指を滑らせる。
 さっきのテスト勝負後の中休み時間、珍しく運動が得意でなさそうな女子ばかり集まってきたため、遊びのお題を綾取りにしてみた。みたのだが……俺が取ろうとすると何故か形が崩れる。
 くそう、何故だ。何となく悔しいぞ。
「はい、6段ばしごー」
 綺麗な菱形を連ねた毛糸を前に、動きを止める。
 むむむ。どう取ればいいんだ。
「おーい、まひろー。鉛筆貸してくれー」
「あ、おにいちゃん。わかったー」
「お? あやとりか。ふふふ、何をかくそうオレは、あやとりの達人!」
 ひょいっと割り込んできた少年が、ひょいひょいと、いとも簡単に綾取りを自分の手に移した。
 すいすいと器用に指先を動かし、毛糸をからげていく。
「ぃよっ! はい、ジェットせんとうき!」
 いや待て。飛行機ってのは聞いたことあるが、明らかにそれどころじゃないぞ。やたらと立体的で躍動的なソレ、どうやって作った?
 おーっ、と周囲から拍手が湧く。
「まっぴーのにーちゃん、すげー!」
「かっこいいー!」
 それで済むのか……能天気な連中だな。少々釈然としない。まあいいが。
「やー、どーもどーも」
 笑顔で手を振って喝采に答え、少年は綾取りを返して立ち去って行った。

 数分後、慌てて鉛筆を借りに戻ってきたが。

 ふと気付くと、いつもなら皆を注意するはずのいんちょちゃんは、騒ぎに背を向けてノートに鉛筆を走らせていた。傍らにさっきのプリントがあるので、黙々とテストの復習をしているようだが……。
 周囲を拒絶するような雰囲気を漂わせてるのが気になるな。
 とりあえず、彼女の代わりに騒ぎを鎮圧しておく。
 ぱんぱん、と手を叩いてちびっ子どもの注意を惹起した。
「そろそろ中休みが終わる。次の準備に入れ」
『りょうかーい』
 次の授業は体育である。体操着に着替えねばならない。
 小学1年のうちから別々に着替えたりはしない。
 セーラーカラーの淡いブルーのワンピースを脱ぎ、お子様パンツ一枚になって、体操服を取り出す。
 別に恥ずかしくなどないぞ? この頃の性差など、ないも同然だ。堂々としていればよろしい。
 シャツを着て、シンプルな紺のブルマを穿く。公立学校からは昨年度駆逐されたそうだが、麻帆良学園は私立。未だに、一部の者のフェティシズムを著しく刺激するこの装束が生き残っている。高学年ならともかく、小1ではただ子供ガキっぽいだけだが。
 俺としては短パンのほうが楽な気はするが、まあどうでもいい。
 着替え終わった者から、三々五々、わらわらと校庭に向かう。
 予鈴が鳴ると、ジャージに着替えた担任女教師が、朝礼台に向かって歩いてきた。
「はーい、みんな、集まってー」
 両手をメガホンにして声を上げるが、一部のちびっ子はじゃれ合いに夢中で気付いていない。
 なので、修行の成果の一部を試してみることにした。
 自らの体機能を意識する。腹筋、横隔膜、肺、気管、声帯。それらに「気」を通し、強化し、連動させる。息を吸って唇を開いた。
「集合。だらだらするな、きびきび動くがいい」
 大きな声は発しない。だが、体の隅々まで意を配った腹式呼吸に加え、「気」を込めた声は妙に通りがよかった。全員、問題なく言うことを聞き、小走りに朝礼台前に集まる。……別段強制力とかはないはずだが。いつもながら聞き分けがいいな。いい子揃いのウチのクラスは、学級崩壊などとは無縁だろう。
 うんうん頷いていると、担任教師が何やら落ち込んでいるのが目に留まった。
 生徒を急かしたのに、貴女が動かないでどうする。
 何やらぶつぶつ言っているので耳を傾けた。
「うう……担任の私がまとめきれないのに、どうして神楽坂さんはこんなに統率力があるの……? 今度弟子入りしようかしら……」
 いや、さすがに、やめておけ。

 復活した女教師の指示で、まずはラジオ体操第一。
 これまでの授業では、手つなぎ鬼や、鉄棒や、ドッジボールや、50m走や、縄跳びや、大縄跳びや、フラフープ跳びや、フォークダンスなどをやったが、今日は何だろうか。
「今日は、馬跳びをします!」
 ということだった。
 ……ま、1年生のうちは、体育の授業なんてのはなかば以上レクリエーションの時間だからな。
 今度、先日のポイント式缶蹴りとか、あるいは遠野家式鬼ごっことか、提案してみるのはどうだろうか?
 とか思っていたところ。
「勝負ですわ、アスナさん!」
 ……あー、またですか。
 さすがにちびっ子相手に「受けずに逃げる」とか選択できん。受けるしかないのだが……。
 はあ、やれやれ。
 気や魔力やカンカ法を使わなければ、この身も単なる幼女でしかない。鍛え始めて3週間程度で劇的に体力が上がるわけでもなし。
 そして幼女同士、単純な身体能力では差はほとんどない。彼女も運動神経はいいので。
 なのだが、どういう巡り合わせか、体育でもいんちょちゃんに負けたことはなかったりする。
 毎回いい勝負にはなるのだが。不思議だ。無論、手抜きは失礼なので、いつも真剣にやってはいる。
 さて、勝負の方法だが。テキトーに十人ほど馬になってもらい、それを2列作って、左右の掌をかざしたまなぶをゴール地点に立たせる。ヤツの手に先にタッチしたほうが勝ちだ。ゴール係が学なのは、一番感覚が鋭敏そうだったからである。ほぼ同着でも、微妙なタイミングの差異を判別してくれそうだと思ったのだ。
 なお、担任教師には「まずは俺とあやかが見本になる」と言うことで勝負を了承してもらった。まあ、毎回のことだし、苦笑して認めてくれたが。
「はいはーい。みんな、準備はいいかしらー? 白浜くん、頭はもっと下げとかないと、跳ぶ人の膝がぶつかっちゃうよー。神楽坂さん、雪広さん、用意はいい?」
 それぞれ頷く俺といんちょちゃん。
 女教師は頷き返し、俺達の後ろで開始の合図を始めた。
「それじゃあ、位置について。よーい……どん!」
 ぺちん、と小さな拍手音が鳴り、俺達は弾かれたように駆け出した。反射的に瞬動を使ってしまいそうになるのを抑えるために無駄な労力を使ったのは内緒だ。
 ちびっ子どもの声援を受けながら、ほぼ並走した俺達は、横を向いて屈んだ級友の背に手をついて開脚跳びをする。跳び越して着地し、勢いを殺さず前にステップ、次のジャンプの態勢に入る。うむ、これはこれで身体機能の意識的把握に非常に適した遊戯だな。
 始めた当初よりは微妙にできてきた空間把握も駆使して(と言っても、何となく距離感が以前よりわかる、程度だが)、次回、次々回のステップ、ジャンプに適した位置を予測し、可能な限り正確に手足の動きやポジションをコントロールし、リズミカルにちびっ子どもを跳び越していく。
 色々と余計なことを考えながら動いているため、トップスピードはやや落ちるが、代わりに動作のつなぎのスムースさでタイムを稼ぎ、がむしゃらに目の前の馬を跳ぶことに夢中のいんちょちゃんより半身分くらいリードしていた。
 リードを保ったまま、十人目のちびっ子へ。……兼一けんいち、担任教師が頭を下げろと言っただろう。蹴られても文句は言えんぞ? 蹴らないが。その代わりちょっとくらい怖い思いをするのは勘弁しろよ?
 俺の膝が兼一の頭皮をかすめるほどギリギリに、大開脚して跳躍。「ひぃ!?」とか悲鳴が聞こえたが、勢いを殺さず兼一の頭を躱すためには仕方がない。元々このボディは柔軟性が高かったが、ストレッチを続けていたおかげでさらに稼働域が広がってきている。やっててよかったよ。AMBACで空中姿勢制御……とまではいかないが、すぐに次の行動に移れるよう態勢を整えながら着地。直ちにダッシュした。
 いんちょちゃんは最後の跳躍の勢いを殺し切れずにたたらを踏み、半歩分遅れた。
 あとはダッシュするだけだ。無駄のないフォームを心がけ、小さな体を目一杯大きく使ってストライドを稼ぐ。
 いんちょちゃんも根性で猛ダッシュを見せ、差を詰めてくるが、残念ながら距離が足りない。
 学の掌に軽くタッチした半瞬後、必死で伸ばしたいんちょちゃんの手が反対側の掌を叩き、乾いた音が鳴り響いた。
 痛かったのか、微妙に眉をしかめつつ、学が宣言する。
「アスナちゃんの勝ちー!」
 わーっ!
 と、沸き返るちびっ子ども。
 いんちょちゃんは、がくっと膝が抜け、走って来た勢いのままゴロゴロッと転がり、仰向けに倒れた。よほど全力を尽くしたのか、顔は汗だくで、ゼェゼェハァハァと荒い呼吸を繰り返している。しばらくは動けそうもない風情だ。
 対して俺は、彼女ほど余力を振り絞ったわけではないので、普通に立っている。それどころかほとんど汗もかいていない。
 それが、勝負に注力した彼女に応えきれなかった証拠のように思え、居心地の悪さを覚えた。彼女の動きに無駄がありすぎたために疲労度が異なるのだと、理由付けはできる。だが、俺は彼女ほど真剣だっただろうか。そう自問した時、はっきり「否」と言えてしまうのだ。
 手抜きなど、していない。
 なのに、この胸に宿る後ろめたさは何なのだろうか。
 俺は首を振って、迷走する思考を打ち切り、いんちょちゃんに歩み寄った。
「派手に転んだな。怪我はしていないか?」
「…………。平気、ですわ……」
 声色には明らかに張りがない。どうも身体のダメージより精神に打撃を受けているようだ。
 原因は俺だが。
 とは言え放置はできまい。身体も完全に無傷とは言えないしな。
「あちこち擦り剥いてるな。保健室に行ったほうがいい。立てるか?」
 手を差し出すと、何やら言いたげな眼差しでじっと見つめた後、ふいっと顔を逸らした。
「ひ、一人で立てますわ」
 よろめきながらも、俺の手を借りずに立ち上がる。
「それじゃ、私が付き添うから、保健室に」
「一人で行けますわよ」
 先回りするように強い口調で言い切るいんちょちゃん。どこか頑なな瞳を見て、俺は説得を諦めた。
「……わかった。無理はしないようにな、あやか」
 頷きだけを返し、彼女は逃げるように駆け去った。
 ……どうしたものかな。
 今のいんちょちゃんは、どうも上手くない方向に向かっているように見えるのだが。
 腕組みして首を傾げるが、ならばどういう方向が望ましいのかもよくわからない状態でどうにかなるものでもあるまい。
 ふと気付くと、何人かのちびっ子が、俺の真似をして、背を伸ばし広めの歩幅で立って腕組みしつつ小首を傾げていた。
 …………。
 別にいいが、楽しいか? ソレ。

 午前の授業が終わり、給食の時間になった。今日は、ソフト麺焼きそばと、コッペパンとマーガリン、野菜たっぷりのクリームシチュー、パック牛乳、デザートのゼリー、というメニューだ。とりあえずコッペパンに縦の切り込みを入れ、焼きそばを挟んでみる。一口食べると、ソースが薄いが、まあ一応焼きそばパンの味がした。
 問題は、口が小さいせいで、一度にかじれる量が少ないことだ。もっと大きくかぶりつきたいのだが、端っこからちまちま、かじり取っていくことしかできない。むぐむぐと焼きそばパンもどきに挑んでいると、普段は欠食児童同然に給食に立ち向かっている才人さいとが、手を止めてじっとこちらを見つめていた。
「む? どうした才人。私のほっぺたにソースでもついているか?」
「ぬぁ!? いいい、いやいやいや、何でもない。どうぞおしょくじをおつづけくださいませ!」
 何故だか泡を食って左右の手を振る。妙な態度に首を傾げるが、コイツが変なのは割とよくあることなので、気にせず食事に戻った。
 はむはむ、むぐむぐ。
 俺の生活は実は消費カロリーがかなり多く、そのため食事量はそれほど少なくない。が、前述の事情でスピードが今ひとつ上がらないため、食事は俺にとっては意外と大変な作業である。
 だが、咀嚼量が少ないのならば、数で補えばいいのだ。よく噛んだ方が消化にいいしな。
 真剣に給食に取り組む俺に、方々から何やらほんわりした緩い眼差しが向けられているのを感知するが、忙しいのでスルーしておく。
 ――ちなみにその最たるものは、教壇から担任女教師が向けてくる幸せそうに蕩けた笑顔だったりする。何がそんなに嬉しいのかはよくわからんが、幸せであるのならば問題はあるまい。
「ああ……普段の凛々しさとは一線を画す、食事時のあの小動物的な愛らしさがたまらないのよねぇ。これがギャップ萌えと言うものなのかしら……?」
 担任の口から駄々洩れる妄言など聞こえん。……何がそんなに嬉しそうなのかは、よくわからない。わからないのだ。

 ちまちまむぐむぐと給食を食べきった俺は、最終的な片付けを給食当番のちびっ子に任せ、一人で階段を昇っていく。2階、3階、4階。さらに昇って、鉄扉の外へ。
 そこは、高いフェンスに囲まれた屋上だ。基本的に、麻帆良学園都市の校舎の屋上は運動場として開放されている――らしい。俺はこの麻帆良学園初等部しか知らんので、伝聞知識なのだ。
 遊んでいるちびっ子ども(上級生もいるが、しょせん上限12歳なのでな)の間を縫い、フェンス際へ向かう。
 頑丈かつ目の細かい金網に到達すると、額をつけ、金網越しに遠くの景色をじっと見つめた。
 何をしているかと言うと、遠視力の訓練である。ただ漫然と遠くを見るのではなく、ギリギリ見分けがつくくらいのものの細部に目を凝らすようにする。タイルを数えたり、瓦を数えたり、きっちり注視して見分けるタイプの作業が有効であるそうな。
 ずっとやっているとかなり目が疲れるのだが、適度に休憩して目を休めつつ続ける。昼休みはもっぱらこの訓練に費やしているため、ちびっ子の相手はお休みだ。
 ちなみに雨の日は最上階の窓からやっている。

 放課後は大抵、わらわら寄ってきたちびっ子どもを率いて遊びに行く。大抵の場合は外でだ。屋内でゲーム? 元気の有り余っているお子様が? あり得ん。特に運動が苦手な子がいたりとか、雨だったりとかしない限りは、野外を走り回って服を汚し、母親に溜息混じりの笑顔で迎えられるのが子供の仕事である。
 冷蔵庫の中身が乏しい時には早めに切り上げるか、先に抜けるかする。
 それがここのところのお決まりのパターンだったのだが……非常に珍しいことに、今日は一人だった。
 たまには静かなのもいいな。気疲れしないし。
 だが、さて、そうすると、何をしようか。
 炊事以外の家事は大体土日にまとめて片付けることにしているし、今日は買い物も必要ない。昨日のうちに「明日はカレーにしよう!」と天啓が下りてきた(電波とも言う)ので、その勢いのまま、とっくに作って寝かせてあったりする。
 図書館島に行く気分でもないし、周囲を散策するのも気が乗らない。
 つらつらと考えていたら、ふと以前気になったものを思い出した。
 ふむ、よし。物は試しだ。

 四階の特別教室エリアに足を向け、音楽準備室を訪ねる。幸いこの時間、音楽の授業はないようだ。
「すいません、先生。ちょっとギターを弾いてみたいのですが、よろしいでしょうか」
 準備室を根城にしている音楽教師に訊いてみると、気軽に許可が出たので、音楽室に入る。
 壁際に並ぶ楽器の一つ。ちんまいアコースティックギターに歩み寄る。
 これを見た時に、子供用のギターなんぞあるんだなあ、と感心したのを思い出したのだ。
 俺はギターを手に取ると、椅子に浅く座って足を組み、ボディを膝に乗せる。
 一弦ずつ軽く鳴らして音を聞く。ペグを回してチューニングを微調整。まあ、元より大体合ってるが。
 ネックで弦を押さえ、ストロークでコードを奏でた。ナイロン弦なのでぷにぷにの幼女ハンドでもそれほど痛くないが、決定的に握力が足りない。
 やむを得ん。カンカ法を使おう。……便利使いしてるが、実際便利なのだから仕方がない。
 当然、今のボディでギターを弾くのなど初めてなので、最初のうちはイメージと運指にずいぶんと齟齬があったが、そこは身体把握訓練を続けていた成果で、次第に思う通りに動くようになってきた。
 よし、これならアルペジオでも弾けるな。
 ――それで弾ける曲なんて一つしかないのだが。
 前世で大学生の時、金がなかったので一時期暇潰しにひたすらギターを弾いていたのだが、そらで弾けるのが一曲しかなかったので、そればっかりやってたのだ。
 数ヶ月ずっとやってたら、上手くはなったが、死ぬほど鬱になったのでやめた。
 と言うわけで、これだけは相当の腕前で情感豊かに弾ける曲を披露するとしよう。

 曲名は――「禁じられた遊び」。

 ……鬱になったのもご理解いただけるだろうと思う。
 前世で身につけたテクニックを惜しみなく発揮して弾ききる。
 実は、音感は今のボディの方が上なので、前世より巧く弾けたかもしれない。曲の威力も相まって微妙に欝な気分だ。
 弾かなきゃよかっただろうか。
 最後の弦の余韻が空気に溶けていくのを追う耳に、かたん、と小さな音が響いた。視線を向けると、音楽室の扉から顔だけ出していた美幼女と目が合う。
「あやか?」
「――――ッ!」
 呼びかけると、いんちょちゃんはハッと息を呑み――悲痛な表情を残して、身を翻した。
「……えっ?」
 パタパタ駆け去る足音。
 何故、そんな顔をする?
 放っておいたら、マズいような気がした。
 俺は急いでギターをスタンドに戻し、準備室の音楽教師に「すいません、帰ります」と一声かけて、彼女の走って行ったほうへ向かう。そもそも、放課後とは言え、いんちょちゃんが廊下を走るとは。生真面目でルールに厳格な彼女が、廊下を走ったところを見た記憶は、俺にはない。
 そう言えば、いつもいつも突っかかっては来るのだが、いんちょちゃんと遊んだ記憶もないな。
 確か誰かに、彼女は放課後はいつも習い事に行ってしまうのだと聞いた覚えがある。又聞きだが。
 だが、それって毎日なのか? 一度くらいは一緒に遊んでいても不思議はないと思うのだが。もしかして、意識的に避けられてた?
 そのうち打ち解けられるだろう、などと高を括らずに、もっと気にかけるべきだっただろうか。

 いんちょちゃんを見つけたのは、俺達の教室内でのことだった。帰り支度をする途中の姿勢で、糸が切れたように動きを止め、じっとしている。
 ――危うい。
 額に冷や汗が浮かぶのを感じつつ、俺はいんちょちゃんに声をかけた。
「えーっと……あやか?」
 ぴくっ、と肩を震わせるが、反応はそれだけだ。
 彼女に向けて歩を進めようとすると、それを遮るように、平板な声を発した。
「――わたくし、習い事をしていますの」
 思わず足を止める。
「週に三回、家庭教師の先生に勉強を見ていただいて、その他に、お花と、習字と、乗馬と、あとバイオリンを習っていますわ」
 そんなにか。それで毎日放課後すぐにいなくなるのか。いくら何でも過密スケジュールじゃないか? 子供は遊ぶのが仕事だと、俺なんかは思っているのだが。
わたくしはお父様やお母様の助けになりたい。将来は、雪広グループをリードしていきたい。だから、何でも1番になろう。皆さんのリーダーになろう。そう思って、そして、それは上手にできていたと、思っていました」
 ……それは。
「でも、アスナさんが来て。……わたくしは、1番ではなくなりました。クラスのリーダーは、いつの間にかアスナさんになっていました。わたくしは、一生懸命頑張りましたけれど……一度も勝てませんでしたわ」
 いつの間にか、いんちょちゃんの横顔には、光る雫が幾筋も伝い落ちていた。
わたくし、実は習い事の中で、バイオリンが一番好きですの。今日はバイオリンのお稽古の日でしたけれど、先生のご都合が悪くなって、お休みになりましたわ。でも、急に弾きたくなって、お家に帰るまで我慢できなくて、音楽室のバイオリンを借りようと思ったのです」
 俺は鉛のように重くなった足を前に出し、一歩ずつ、いんちょちゃんに近付いていく。
「何度も、アスナさんに負けて……悔しかった。でもきっと、わたくしの好きなバイオリンでなら、音楽でなら、わたくしのほうが、上手だと。そう、思って、ましたわ。そんなの、なんの、こんきょも、なかったのに」
「……あやか」
 ようやく彼女の傍らに着き、声を絞り出す。迷いながら手を伸ばし、肩に手を置いて、そっとこちらを向かせた。
 正面から俺と向き合うと、彼女はぐしゃっと表情を崩し、俺の胸に拳を打ちつけながら、泣き叫ぶ。
「ぐすっ……アスナさんは、ズルいですわ! な、何でも簡単に、1番になってしまって……! わたくしだって……わたくしだって、頑張っていますのに……!!」
 本気で殴る気はないのだろう、俺の胸に降る左右の拳には、全く力が入っていない。
 俺は無言でいんちょちゃん、いや、あやかを抱き寄せた。

 彼女の慟哭に、苦い思いが湧き上がる。

 あやかの言う通りだ。彼女はものすごく努力している。本来なら彼女が文句なく一番のはずなのだ。
 前世知識などという反則チートを持つ、俺がいなかったのならば。
 まさしくズルだ。慧眼と言う他ない。本質を見抜く目が優れている。
 だが、本能で察したにすぎない俺の「ズル」を指摘もできず、ならばと正面から挑んできていたのだろう。それが、今になって理解できる。
 何と誇り高いことか。
 感嘆が胸に満ちる。
 俺の「ズル」に敗れるたびに、彼女の心に降り積もった微かな憤り。しかし、本能が抱くその不満を、あやかの優れた理性は認めなかったに違いない。
 勝てないのは自分の努力が足りないからだ。それを棚に上げてライバルを責めるような本末転倒なことをできようはずがない――そんな風に思っていたのではなかろうか。
 授業をまともに受けず、放課後は友達と遊び呆けて、なのに自分より何でも上手くこなしてしまう。
 そんな俺を見て、どれほど苦々しく思っていただろうか。
 もう少し大人だったのなら、それでもその思いを飲み込んでいっそうの努力を自分に課していたかもしれない。しかし、未成熟な子供の心では、いつまでも耐えることなどできなかった。今回のこれは、その発露であり、ある意味甘えであり、そしてSOSのサインだ。見過ごすことはできない。
 だが、その苦しみは、本来彼女が味わうはずがなかったものである。
 それを与えたのは、俺だ。
 なのに、その俺が、今の彼女にどんな言葉がかけられると言うのだろう。
 謝る? 何を馬鹿な。それは彼女の努力を否定する行為だ。
 努力を称賛する? その上を行く相手に褒められても嫌味なだけだ。
 俺のせいなのに、慰める言葉もない。
 何と情けないことか。
 俺は奥歯を噛みしめながら、あやかの背と髪を、あやすようにゆっくりと撫でることしかできなかった。
(それは八つ当たりじゃない。正しい怒りだ。正しい嘆きだ。俺は君を肯定する。――君は、何も間違ってはいない)
 口にはできない思いを、精一杯込めて。
 あやかの泣き声を聞きながら……ふと気付けば、俺自身の頬にも、苦い雫が次々と流れ落ちていた。

 大泣きに泣いて、ようやく少し落ち着いたあやかは、まだぐすぐすと鼻を鳴らしながらではあるが、俺の胸から顔を上げないまま、ぽつぽつと言葉を紡いだ。
「ごめんなさい、アスナさん。こんな泣き言……言うつもりは、ありませんでしたのに。わたくし、最低ですわ……」
「そんなことはない」
 ぎゅっ、と抱きしめながら、強く否定する。
 ――最低なのは、俺だ。だが、それは言えない。言ってしまうのは、彼女の気概に対する侮辱だ。
「きゃ……えっ? あ、アスナさん……。何故、貴女が泣いているんですの……?」
 驚いて顔を上げたあやかは、ようやく、俺の頬を伝う涙に気付いた。
「あやか。君は頑張った。苦しみに耐えて、たった一人で、誰にも弱音を吐かず」
「…………。でも、それは……」
「俺は君を尊敬する。君は凄い奴だ」
 予想外の言葉を聞いた、とばかりに彼女は目を丸くした。
「だが……違うんだ。耐えなくていい。弱音を吐いていいんだ。一人で頑張らなくてもいいんだ」
「でも、わたくしは……1番に」
「目指せばいい。思ったことを吐きだして。両親の、先生の、友達の手を借りて。一人じゃなく、誰かと一緒に」
 才能豊かな彼女は、これまで何でも一人で上手くこなしてしまっていたのだろう。まず率先して自分がやろう、と言う委員長気質からもその辺りがうかがえる。このタイプは、総じて甘え下手だ。独立不羈、自らの力を頼み、本質的な部分で他者をあてにしない。長ずれば段々丸くなっていくのだろうけど。
「――護身術の究極、って知ってる?」
「え? いきなり何を」
「それはね……『敵と友達になってしまうこと』。そうすれば、敵だった者の力も、自分の力の一部になるんだ」
 俺は抱きしめていた腕をほどき、数歩後ろに下がる。
「雪広あやかさん。君は頑張り屋で、意地っ張りで、心根の清い、尊敬すべき人だ。――俺と友達になってくれないか? そして、一緒に頑張っていこうよ」
 自己嫌悪や贖罪の気持ち、それに同情がないとは言わない。
 だが同時に、俺は心の底から、この気高く愛らしい少女と友誼を結びたいと思った。
 彼女に向けて手を伸ばす。
 その手をじっと見つめていたあやかは、おずおずと手を差し出し、そっと握った。
「……そうですわね。勝てない相手にただ向かって行っても、いつまでも勝てませんわ。ならば、貴女自身から学べばよいのです。いつも余裕たっぷりで、とても頭がよろしくて、クラスのみんなをしっかりまとめていらっしゃる、貴女から」
 握られた手に、きゅっと力が入った。
「神楽坂明日菜さん。わたくしからもお願いしますわ。是非、この雪広あやかの友となってくださいませ。共に切磋琢磨して、そしていつか、貴女を追い越して見せますわ!」
 どこまでも誇り高く宣言しつつ、泣き濡れた、だが生気に輝く明るい笑顔を浮かべる。……彼女のこんな眩しい表情、初めて見た。
 つられるように、普段はあまり動かない俺の顔も笑み崩れていく。
「これからよろしく、あやか」
「は、はい。よろしくお願いしますわ、アスナさん」
 一瞬驚いたような顔をしたあやかは、再び屈託のない無邪気な笑顔を見せた。何故か頬が真っ赤だったが。

 こうして、俺とあやかは親友トモダチとなった。

「……それはそれとして」
「ん? 何、あやか」
「女の子が『俺』などと言ってはいけませんわ! 徹底的に矯正してさしあげます!」
 うえ!? しまった。普段は意識して一人称を変えていたのだが……。つまり意識しないと地金が出てしまうわけで。
 な、何だか逆らいがたいオーラを感じる。
 逃げちゃダメかな?
 ……ダメですか、そうですか。
 立ち直り早いな、しかし。

 あやかの説教を聞き流しつつ、先ほどからの会話を思い返し、ふと思う。
(しかしこの子、ホントに小1か? 大人びてるとか言うレベルじゃねーぞ)
「聞いてますの!?」
 ゴメン、聞いてなかった。

 それからしばらく、彼女の説教は続いた。





――――――――――





あやかがバイオリンを習っている&バイオリンが好き、と言うのは、捏……もとい、本作中のみの独自設定です。

あと、小1の会話じゃねえ。……作者の筆力の限界です。すいません。



[32063] 04 幼女生活、やってます
Name: 折房◆d6dfafcc ID:6f342f26
Date: 2012/04/28 17:37
 ピピピピッ、ピピピカシャ。
 鳴り始めた目覚ましの頭を叩いて電子音を止める。
 就寝時刻が早かったので目覚めは悪くないのだが、眠気はなかなか取れない。結構寝てるのに。これも日々成長していく代償だろうか。寝る子は育つと言うしな。
「ふわぁぅ……」
 あくびを一つ、目をこすりながらもそもそ起き出し、寝室を出る。保護者殿が居間のテーブルに書類を広げて、コーヒーを飲みつつ書き物をしていた。どうやら、俺と生活時間を合わせるために、なるべく残業をしないようにして、代わりに仕事を持ち帰って深夜とか早朝に片付けているらしい。
 心遣いは嬉しいのだが、そこまで気を遣わなくてもいいものを。とは言え、この身は幼女。心配するなと言うほうがムリか。
「おはよう」
「おはよう、アスナちゃん。毎日早いね」
 そちらこそな。俺より遅く寝るくせに俺より早く起きている。幼女と比べるのが間違いかもしれんが。
 洗面所に行き顔を洗い、眠気を飛ばす。軽くブラシを当てて簡単に髪を整える。
 台所に向かい、エプロンをつけ、朝食の下拵えにかかった。ここ最近の献立を思い返しつつ冷蔵庫の中身を確認。そろそろ卵を使い切っておくべきか。あとは……おっと、マグロの刺身が少し残ってるな。こいつは焼いてしまおう。で、ほぐして卵焼きに混ぜてしまうか。人参も半分あるから、これも刻んで混ぜ込んでしまえ。あ、いや、味噌汁の具にも使おうか。それと豆腐。付け合わせに、いつもの白菜の浅漬けピリ辛バージョン。こんなものかな。
 よし、朝食メニュー決定。踏み台に乗って調理台に向かい、洗米して米研ぎして水張りして水を吸わせる。
 手を拭いてエプロンを外し、部屋に戻る。長髪をポニーテールにまとめ、台所で少し動いたおかげで目覚め始めた感じのする体をストレッチでほぐす。効率的なストレッチングについては、図書館島でスポーツ科学の本を読んで学習した。
 時間をかけてじっくりと腱を伸ばし、関節の稼働域を広げていく。日々続けていると、じわじわと効果が出てきているのがわかり、意外に楽しい。やっている最中は痛苦いたくるしいが。
 ――ちなみに、継続的な身体負荷に対しては脳内麻薬が分泌され、それを和らげようとする作用が働く。いわゆるランナーズハイと言うものだ。これはスポーツや武道、肉体的トレーニング全般に敷衍ふえんできる話で、まあ要するに、「修行は苦にならない」「つらいトレーニングもへっちゃら」「いくらでも頑張れる」とか言ってるアスリートは、体を苛めて脳内麻薬でトリップしているのであり、本人の自覚の有無はともかく、虐待を好むマゾヒストの資質を育てているようなものではないかと考える。
 む? この理論からすると、俺も日々Mっ気を増進させているということだろうか?
 ……この考えは、怖いからやめよう。
 益体もない思考に耽りつつ半時間くらいストレッチに費やし、台所に戻ると、米が十分に水を吸っていたので、保護者殿に頼んで炊飯器にセットしてもらう。で、炊飯器のスイッチオン。ぴ。
 再度部屋に戻り、今までずっと着ていたパジャマからトレーニングウェアに着替える。ちなみに子供用のジャージであり、味も素っ気もないシロモノであることはあらかじめ断わっておこう。
「修行に行ってきます」
「……行ってらっしゃい。気をつけてね」
 何にだ。
 あと、いい加減、修行に向かう俺を苦笑混じりで見送るのはやめて欲しい。一種のお遊びと解釈して放置してくれるのは、ある意味ありがたいので、口に出しては言わないが。
 一応、日は出ているが、管理人さんもまだ寝ているので、静かに職員寮を出る。
「……ふっ! ……ふっ! ……ふっ!」
 右崩拳、左崩拳、右崩拳。繰り返しながら歩を進めていく。拳児によると、最初のうちは正確な型よりも勢いが重要であるようなことを言っていたので、なるべく全身の力で拳を打ち出すよう心掛ける。大展より緊凑きんそうに至る、だったか。
 気も魔力もカンカ法も使わない状態だと、情けないほど頼りない幼女ナックルではあるが、踏み込み、腰、肩、全身の連動を意識して、拳に集約させていく。始めた頃はヘロヘロフラフラと拳の軌道すら定まってはいなかったが、最近はそこそこ一直線を描くようにはなってきている。
 未だ弱々しいままだが。
 拳速も次第に上がってきているように思うので、まだまだこれからだろう。
 半歩崩拳、あまねく天下を打つ。
 遠い境地だが、ま、半歩ずつ進んで行くとしよう。八年もやれば、それなりにはなるだろうさ。

 世界樹広場に到着。スポーツドリンクを一口飲んで気息を整え、八卦掌の套路に移る。スタミナの鍛錬も兼ねているため、疲れが抜けきるほど長時間休んだりはしない。
 手法と歩法を取り混ぜて走圏。右回り、左回り。ぐるぐるぐるぐる。通常の、趟泥歩しょうでいほで八歩のものをメインに、自然歩(普通の歩き方)や鶴形歩(腿上げ式)、三~四歩で一周したり、逆に増やしたりと、歩法や歩数、歩速を変えた走圏なども行う。
 魔力の扱いやカンカ法はともかく、気は武術をやってれば身についてもおかしくないことに先日気付いたので、時々わずかながら併用して練度を上げていく。
 套路の動作もそこそここなれてきたため、肉体機能掌握と外界把握の修行も同時に行う。どのような動作で、どこの筋肉がどれほど動き、関節がどう曲がり、血流や呼吸とどんな関連があり、内臓への影響はどのようなものかを感得し、考察し、動作の目的への最適化を図る。外「気」を感じ、魔力の流れを感じ、空気の流れ、風の匂い、外界からの刺激と、俺が起こす外界への変化の反響を読み取る。
 ――と、格好つけて述べてはみたものの、正直全然できてはいない。
 八卦掌の套路自体も、一通り覚えられたとは思うが、そこからの上達が今一つである。そもそも今の套路も本やビデオで見取っただけのものであり、正式に師に付いて教わったものではないしな。
 そんなわけで、ただいま絶賛壁にぶつかり中である。
 暗礁乗り上げ中でも可。
 無論地道に修行を続けるつもりではあるが、この先に行くには何らかのブレイクスルーが必要であるような気がしてならない。
 だが、ふと、自らの感慨を振り返って自嘲する。
 修行を初めて二ヶ月にも満たない分際で何を考えているのか、俺は。ここまでの上達が早すぎて錯覚していたのかもしれない。その上達も、この体が持つチートスペックのおかげであり、「俺」自身が強くなるのは、これからだと言うのに。
 壁にぶつかったというなら、とりあえずは愚直にその壁にぶつかり続けてみるとしよう。しばらく続けて、破れなかったならその時にまた考えればいい。

 なお、指折り数えて、破れていない壁の多さに、思わず膝と両手をインターロッキング舗装についてしまったのは……とりあえず、なかったことにしておく。

 崩拳をしつつ帰宅。
「ただいま」
「お帰り、アスナちゃん。先にシャワーを使ったよ」
「ん」
 つまり、保護者殿も自分の修行を済ませたということだろうか? 武術家とは生涯修行するものだとどこかで聞いた覚えもあるし、まさか「今さら修行など必要ない」とか妄言を吐くような人格でもなさそうだ。多分俺よりもずっと効率的で密度の濃い習練を心得ているのだろう。
 そう考えると、保護者殿に鍛錬を見てもらうというのも、選択肢の一つとして考慮に入れておくべきかもしれない。
 アスナ姫に一般人としての幸せを謳歌して欲しいと思っているだろう彼は頷かないかもしれないが。
 炊飯器を見ると、ちょうど炊き上がったばかりのようだ。蒸らしの間に整理運動代わりのストレッチ。着替えを用意して部屋を出て、蒸らし終えたご飯に空気を含ませて保温し、洗面所に向かった。
 ジャージを脱ぎ、朝脱いだパジャマと一緒に洗濯機に放り込んで、粉末洗剤を適量入れてスイッチオン。下着を脱いで脱衣籠に。いっぺんに洗いたいが、色移りしてしまうから仕方がない。
 湯を浴びて汗を落とし、体と髪を洗い、シャワー室を出る。体を拭いて替えの下着を穿き、タオルで押さえるように髪の水気を取って、別のタオルで髪を巻いてクリップ止め。初等部の制服(セーラーカラーのワンピース)を着込む。
 では、調理を開始しよう。
 エプロンを着け、冷蔵庫から食材を出して、踏み台に乗る。
 まずは人参を短冊切りにし、出汁で煮込む。残りの人参を刻み、マグロの刺身をフライパンで炒め、ある程度火が通ったら菜箸で適当にほぐし、刻んだ人参も投入してざっと炒める。ボウルに溶いた卵に軽く味付けしてフライパンに流し、下手に固まらないうちにガシャガシャガシャッ、と菜箸でひたすら掻き混ぜる。保護者殿の前でカンカ法を使うわけにはいかないので、非常に疲れる。
 焼けてきたらフライパンの端に寄せ、フライ返しで何度も折り畳みつつ火を通す。あんまりカチカチに焼くより、中は微妙にとろ味を帯びてるくらいが好みだ。焼き加減を見るために、焼きながらこっそり卵焼きに微量の気を通して、状態を確認してみたり。うむ、魔力の扱いがあまりできない分、気の細かい扱いが割と上手くなってきたような気がする。焼き上がったら皿に移して、ちょんちょんと包丁を入れてメインは完成。
 角切り豆腐を出汁に投入、味噌を溶いて、一煮立ち。味噌汁も完成。
 白菜の浅漬けと、茶碗に盛った白飯。
 上手にできましたー!
「朝ごはん」
 完成した料理を保護者殿が食卓に並べる。
「いただきます」
「めしあがれ。そしていただきます」
 手を合わせ、朝食に箸をつけた。
 メインの卵焼き、上手く火が通っている……が、ちょっと量が多かったかもしれん。同じ味ばかりで飽きる。使い切ろうと思って卵を使いすぎたか。一個か二個は温泉卵にするとかデザート用にするとかして、フライパンを使ったんだから、ついでにベーコンと細切りポテトでも炒めて、付け合わせにすればよかったような気がする。
 保護者殿は如才なく褒めてはくれたが。成人男性だし、消費カロリーは多いので、彼の食事量は多い。きっちり完食してくれた。
「ごちそうさま」
「おそまつさま」
 朝食後、保護者殿は出勤。俺は濡れ髪で服が濡れないよう肩にバスタオルをかけてから頭に巻いたタオルを解き、湿った髪にドライヤーを当てる。ぶおー。ああ面倒。……でもなくなってきたな、最近。毎日朝晩やっていたから、ようやく体がこの作業に慣れてきてくれたのかも。そうなら、気分的に楽になるのだが。
 乾いた髪にブラシを当て、左右の側頭部で結い上げ、いつものリボンを装着して完成。
 ちなみに、俺の髪型は基本ツーテール(ツインテールと呼ぶ者もいる)にしているが、まとめる位置は毎日ちょっとずつ変えているし、気分によってはストレート、ポニー、緩めの一本編み、うなじで縛ってみたり、髪先の方で縛ってみたり、シニョンにしたり、fateのセイバー編みに挑戦してみたりと、色々試している。
 せっかくの長髪だ。手入れが大変な分、楽しまないと損だろう。……色々やっていて、段々楽しくなってきたのは秘密だ。
 今日の授業内容とランドセルの中身を見比べ、問題なければランドセルとポシェットを装備して準備完了。靴を履き部屋を出て施錠する。
「おはよう、管理人さん。行ってきます」
「行ってらっしゃい、アスナちゃん」
 いつものごとく、玄関前を掃き掃除している管理人のお爺さんに手を振り、学校へ向かった。

 身体把握と外界把握の修行をしながら、級友と合流しつつ登校。
「おはようございます、アスナさん」
「おはよう、あやか」
 あやかとも合流。以前は校門までリムジンで乗り付けていたが、最近は途中で降りて待っていてくれる。
 ムダな気負いが抜けて態度に余裕が見えるあやかは、自然にクラスの中心になり始めていた。ムリのないリーダーシップを備えてきたと言えばいいか。
 今も、柔らかな笑顔で級友共との雑談に興じている。テレビやゲームやマンガの話題には、一部ついていけていないようだが。某氏の初の長期連載である霊力バトルマンガが去年完結したものの、7つ集めるとどんな願いでもかなうアレとか、伝説的なバスケマンガとかが未だとある少年誌で連載中だと言う、マンガ黄金期だと言うのに。ついでに、数年前には魔女狩りがごときマンガ規制の嵐が吹き荒れたりもしたのだが。
 ちなみに、昨年プレイステーションやらセガサターンやら発売されており、コンシューマゲーム黄金期でもあったりする。
 生真面目なあやかに色々とマニアックな知識を教え込んでやってみたらどうなるのかとか、興味はあるが、無理強いはすまい。無論、尋ねられれば、微に入り細を穿ち語ってやろうかと目論んではいるわけだが。

「アスナさん、ちょっと教えて欲しいのですけれど」
「ああ、そこはだな」
 さて、あの日以降、ことあるごとに突っかかってくることはなくなったあやかだったが、代わりにことあるごとに教えを請うてくるようになった。ついつい求められるままに教授し続けた結果、元々高かった彼女の学力は、学校の授業より随分先行してしまっている。少なくとも半年分、下手をすれば一年分以上。
 この流れに待ったをかけたのは、本来は当然のはずだが何故か意外の感がある、我らが担任教師だ。
「あのー、ちょっと待ってもらえる? 神楽坂さん、雪広さん」

 学習相談室と称する小部屋で、俺とあやかは並んで座り、長机を挟んで担任と向かい合った。
 何となく申し訳なさそうにしょんぼりする女教師は、これから叱られでもするかのようだ。
「……立場が逆に見えますわ」
 俺と担任を見比べてぽつりとこぼすあやかの独白は聞き流し、担任教師に話を促す。
「で、どういうお話ですか、先生?」
「う。あ、あのね?」

 二人だけでお勉強するのは、やめて欲しいの。

 その言葉の意味を理解するのに、やや時間がかかった。
「――なっ! 何故ですの!?」
 椅子を鳴らして立ち上がるあやかを宥める。
「落ち着け、あやか。理由もなくこんなことを言い出しはすまい。まずは詳しい話を聞こう」
「……わかりましたわ」
 深呼吸して無理矢理に感情を鎮め、着席するあやか。大した自制心だ。

 集団学習とは難しいものである。
 どうしても個々人の学習速度にはムラがあり、授業の進行速度をどこに合わせるべきかは、教職にある者にとって尽きない悩みの種に違いない。遅れ気味の生徒に合わせれば、成績優秀者にとって退屈な授業となって学習意欲を奪うし、全体進行も遅れていく。中庸に合わせようとすれば、授業についていけない生徒を生み出し、成績不良者を切り捨てるがごとき様相を呈する。
 特に、徐々にゆとり教育が進行し、授業のコマ数が削減されつつある昨今、この問題は一層重みを増してきている。
 私立の麻帆良学園であっても、公立より授業内容の質を高めることは可能だが、授業時間の減少ばかりは避け得ない。
 この流れに危機感を抱く、教育意識の高い保護者は、子供を塾に通わせたり、家庭教師につけたりして学力の向上を目指し、結果としていっそう教室内の学力格差を広げてしまったりする。
 俺達がやっていたのは、それに類する行為だったようだ。
 自学自習は素晴らしいことだが、少数が進みすぎてしまうと、学校の授業としては問題があるのである。
「つまり、勉強するのはいいが、できれば成績の悪い子の面倒も見てあげて欲しい、と」
「なるほど……そういうことですの」
 己の向学心を燃え立たせすぎて、クラスメイトをないがしろにしかけていた自分に気付いたらしいあやかは、いともあっさり教師の言い分に納得してみせた。
「いいのか、あやか?」
 一応確認する。
「かまいませんわ。知らなかったことを覚えて、どんどん色んなことがわかっていくのは、とても面白く楽しいですけれど、わたくしだけでなく、クラスの皆さんにもそれを教えてさしあげたいですわ!」
 笑顔で宣言する。協調性が高い。あと気高けだかい。
 日本の学校教育は、突出した才能には向かない。単純な学力向上だけを目的としておらず、協調性、道徳、一般常識などの、他者と円滑にコミュニケートする能力、すなわち社会性の習得に大きなウエイトを置いているためだ。このような環境では、他者に配慮できる優れた人間性こそが尊ばれ、公平性と均等化が重視される。学力「だけ」高くてもダメなのだ。
 欧米のエレメンタリースクールであるならば、学力に応じてどんどん飛び級させてくれるのかもしれないが、日本ではそうはいかない。それ自体は悪いことではない。万遍なく平均的に児童の学力を向上させることにかけては、間違いなく日本は世界でトップクラスである。一部が突出した人材をそのまま育成するのが苦手だと言うだけのことだ。
 あやかの発言は、無論善意と博愛と公共心に根差したものであり、高貴なるものの義務ノブレス・オブリージュの本来の意味そのままのものだろう。ただ、その根底には日本人的な、機会の公平性と能力の平均化を美徳とする考え方があるように思うが。
「よかったー。よろしくね? えへへっ」
 胸前で拝むように両手を合わせ、小首をかしげて照れたように微笑む担任教師。……愛らしいが、二十代女性が6~7歳児に見せる仕草ではないぞ。子供に媚を売ってどうする。多分天然無意識なんだろうが、同僚の男性教員にでも見せてやるがいいさ。どこか幼い仕草の天然美人。モテると思うぞ?

 テストの点数がよい者は勉強を教えるのに向いているか?
 必ずしもそうではない。
 全般的に経験が足りないちびっ子どもは、己が体感していない事象をシミュレートして擬似的に掌握するのが不得意であり、つまり好成績を取るのに困ったことがない者は、そうでない者が何故そうできないのかが理解できなかったりする。
 こんな簡単なことが何故わからないの? と言いつつ、その「何故」を自分もわからない。
 勉強ができる優等生だからこそ、はまりがちな陥穽である。
 あやかもまずはそこでつまずいたが、元より努力家で負けず嫌いな上、力の及ばない部分は他人に頼ることを覚えた彼女に隙はなかった。
「あの……アスナさん? ちょっと助けて欲しいのですけれど」
 具体的にはこんな感じだ。
 元々美幼女である彼女が、恥ずかしげに頬を染め、ちょっと潤んだ瞳で困ったように見上げてくる、その破壊力は半端ではない。
 ついつい求められるままに「勉強の教え方のコツ」を全力で教授してしまったとしても、仕方のないことなのだ。多分。……そのはずだ。

 給食後、精密視力の訓練を経て、本日最後の授業に向かう。
 体育である。
 今日は、体育館でマット運動と平均台渡りをするらしい。
 ラジオ体操後、ちびっ子どもに指示して一緒にマットと平均台を並べる。
 平均台はともかく、マット運動か。今回やるのは精々前転・後転くらいだが、確か床運動は体幹を鍛えるのにいいと聞いたことがある。時間のある時に、マットを借りて宙返り系の技を練習してみるのもいいかもしれない。
 ……さすがに今はやらないぞ?
 そこまでKYな真似は……。
「いくぞひっさつ! たきざわサマソー!」
 見事な抱え込み後ろ宙返りを披露するちびっ子が一人。おおー、と盛り上がってはやし立てるクラスメイトども。
 …………。
 ああ、そうか。ここは麻帆良だったな。
 担任にアイコンタクトを送ると、困った笑顔で、だがきっちりサムズダウンして見せる。
 頷きを返し、騒ぎを鎮圧するために指を鳴らしつつ歩み寄っていった。

 ああ、別段、暴力は振るっていないので、念のため。

 帰りのホームルーム時に、担任教師が何やら紙束を抱えてきた。
「みなさーん! 来週は遠足があります。遠足のしおりを配りますから、おうちの人とよく読んで、しっかり準備してきてくださいねー」
 そうか、遠足か。
 遠足。
 …………響きだけで微妙に萎えるな。小1ではいかんともしがたいが。
 とは言え、周囲で盛り上がっているちびっ子どもに水を差すのは気が引けるので、おもてには出さない。
 前の席から回ってきた遠足のしおりを受け取る。A4用紙2枚を2つ折り中綴じにした8ページの小冊子である。やけに凝ってるな。と言うか、クラスの人数分を一人で作ったのか? いや……1年5クラスが全員行くようだな。と言うことは、各クラスの担任が集まって5人で製作したのだろう。それに、多分プリント類のテンプレートくらいあるんだろうし、大体は前年度の使い回しで用が済む。コピーと紙折りとホチキス止めの手間は必要だがな。
 教師と言うのは意外に忙しい職業だが、就業時間中にそのくらいの作業は可能だと思う。俺達の下校後も彼らは定時まで帰れないわけだし。
 が、まあ、そんなことはどうでもいい。
 益体もない思考をうっちゃって、内容を吟味する。
 日時は来週木曜。雨天順延。
 目的地は麻帆良近隣の山。山と言っても周囲との標高差数十メートルの小山で、どちらかと言えば大きな丘のようなものらしい。ピクニック向けに整備されているようだ。
 出発は朝9時、ここ麻帆良学園初等部より。学内路面電車をチャーターして最寄駅まで向かい、以後は徒歩。
 解散は同じくここにて、15時予定。
 服装は動きやすく、過度に肌を露出しないものを推奨。歩きやすい運動靴を履いてくること。
 雨具は空模様と相談して、必要であれば準備すること。
 鞄ではなくリュックサックを持って来ること。電子的遊具やカードゲーム・ボードゲーム等の室内遊具は持参禁止。歩くのに邪魔になるほどの長物や大荷物も持参禁止。
 弁当持参。水筒、またはペットボトル持参。炭酸飲料は禁止。500ミリリットル程度が望ましい。
 おやつは300円まで。バナナはおやつに入りません。
 ……と言うような事柄が、上手いとも下手とも言えない微妙なイラストをまじえつつ、なるべくわかり易くしようと苦心惨憺したような表現で書いてある。ところで、最後の項目はネタなのか? それともお約束なのか?
 まあいい。それより遠足だ。
 今のままで問題ないか、と遠足対策をシミュレートしてみる。
 …………。
 いくつか問題があるな。対処せねばなるまい。

 放課後になった。
 あやかは少し習い事を減らしたようで、週に1~2回は一緒に遊ぶようになっている。
「今日は何をしますの?」
 体育の授業以外でこういう庶民のお子様向けの遊びはあまりやったことがないらしい彼女は、きらきらと好奇心に輝く瞳を向けてくる。
 集まったメンバーをざっと見回し、運動能力や気質を考慮する。
「では、麻帆良湖畔で水切り合戦をする」
「水切り?」
「各員、投げるのに適した平たい石を拾い集めつつ、30分後に図書館島に渡る橋のたもとに集合。ただし、拾い集めるのに夢中になって周囲の警戒を怠らないように注意すること。よし、行け」
『りょうかーい!』
 ぱーっ、と蜘蛛の子を散らすように駆け去るちびっ子ども。一人疑問顔で立ち尽くすあやかに、簡単に説明をする。
「水切りとは、水面に平行に回転させた石を投げ、沈まないように跳ねさせて、沈むまでに跳ねた回数や到達距離などを競う遊びだ。別に競わなくてもいいが。この遊びには手頃な大きさの平らな石が必須なのでな。さ、私達も行こう」
 麻帆良は高度に都市化が進んでいるため、石を拾うのも一苦労だったりするのだが。大きな河原とかあれば早いが、手近な場所には小川しかない。
 あやかを促して移動しつつ、砂利道や砂利敷きから適当に石を探す。両手一杯に石を持って集合。
 図書館島への橋の横の地面にガリガリと棒で線を引き、五メートル置きくらいに橋にちびっ子を並べる。
 線と湖畔は少し離して、危険がないよう計らった。
「二人ずつ並んで立ち、三回ずつ投げて、遠くまで飛ばした石が多かったほうの勝ち。ただし、三回以上跳ねなかった石は数えない。審判員は跳ねた回数と距離をしっかり確認すること」
 とりあえず全員で数回ずつ練習させ、本番に移った。

 ――けっこう盛り上がった、とだけ言っておく。

 あやかが帰る時間になったので解散。帰りしなのあやかに声をかけ、一つ約束を取り付けておく。まだ遊び足りなそうなちびっ子どもには、くれぐれもうかつに水辺に近付かないよう念を押しておいた。
 俺は帰る前に買い物をしていかなければならない。
 夕食のメニューは、特売品を見て決めるとしよう。
 帰ったら今朝洗った服を干して、分けておいた白系の洗濯をしなければ。
 今後の予定を立てつつ、ランドセルから畳んだエコバッグを取り出し、商店街せんじょうへ向かう。とか言いつつ、商店街のおじちゃんおばちゃんとはけっこう顔見知りになっていて、殺伐とした雰囲気なぞどこを探しても出てこなかったりするのだが。
 肉屋のおばちゃんと魚屋のおっちゃんの顔を思い出しつつ、今日のメインをどっちにするか悩む俺だった。





――――――――――





水切りの詳細はカット。そこまで描写してたら(ry



[32063] 05 デート? はじめました
Name: 折房◆d6dfafcc ID:6f342f26
Date: 2012/04/28 17:40
「…………人選を誤ったか」
「え? 何かおっしゃいまして? アスナさん」
「いや……何でもない。そう、何でもな」
「そうですの? では、次に参りましょう」
「Roger,wilco,Ma'am」
「どこの軍の通信ですの」
 通じるんだ。凄ぇ。
 俺は精神疲労を押し隠しつつ、半歩遅れてあやかに続いた。
 俺達がどこにいるかと言うと、都心部の老舗高級デパートの、女児向け服飾品店エリアである。
 デパートの子供服売り場と言うと、ライトでオープンでカラフルと、そのような印象を持っていたのだが……シックで雅やかで高級感に溢れたここは、そんな俺の先入観とは大きくかけ離れた場所だ。と言うか、場違い感が強く、非常に居づらいのだが。
 顔には出さないが。
「こちらですわ!」
 嬉しそうに案内された先には、ふわっと裾の広がったロングスカート。どう見ても子供用ドレスの専門店に見える。いつ着るんだこんなの。と言うか。
「あやか。趣旨しゅしを忘れていないか?」
「は!? そう言えば、遠足の服を見に来たのでしたわね」
 ……忘れていたな。
 そう。日曜日の今日、デパートにまでやって来たのは、遠足の準備のためである。
 新生活を始めるにあたって、俺のために用意されていた衣装は、制服を含めて、もっぱらワンピースであり、それ以外には体操着とジャージとパジャマくらいしか所持していない。ここから遠足向きなのを選び出すのならばジャージくらいで、俺としては別にそれでも構わないのだが、着ていったらダメ出しされるような気がしてならない。あやかとか、桜子さくらことか、まひろとか、主に幼女連中に。想像するだけで面倒だ。
 そんなわけで、未所持であるところの、アウトドア向きの服とか、リュックサックとか、水筒とか、弁当箱とかを調達しようと考えた。こういった品々をいっぺんに揃えるには、結局のところデパートが最適である。いつも行ってる商店街にそれらの店があれば話は早かったのだが、あの辺りは生鮮食品や生活雑貨の類ばかりなのだ。店主のおっちゃんおばちゃんにそれらの店の所在を尋ねるという方法もあったと思い至ったのは、あやかと約束した後だった。
 で、あやかと待ち合わせて、デパートに案内してもらったわけである。
 ……俺としては、「最寄りの」デパートでよかったんだがな。
 待ち合わせ場所にリムジンで乗り付けてきたのはまあいいとして、一直線に麻帆良を離れて行ったのには首を傾げたものだ。そして、行き着いたのがここである。
「……でも、ちょっと試着してみませんこと?」
 言下に断わりかけたが、キラキラと期待のこもった眼差しで見つめられて口ごもる。
「…………着たいのか?」
「えっと……わたくしが着たいと言うより、アスナさんを着飾らせてみたいと思いまして……。制服と体操服の姿しか見たことがありませんし」
 せっかく素材がよろしいのですから、と照れた笑みを見せるあやかは、凶悪に可愛らしい。素材がいいと言うのならこの子もだろうに。
 ちなみに、休日の今日、俺が着ているのはさすがに私服だが、胸元に赤い細リボンのワンポイントが入った、亜麻色のシンプルなワンピースである。デザイン的には制服と大して違わない。最初のうちは腰回りや股下が頼りなく感じられたものだが、慣れてしまうと案外楽だ。男物の服はどうしても上着とズボンを別々に着なければならないが、ワンピースの場合、これ一枚かぶればそれで済むので。
 今までの休日は、大体図書館島にこもって高校大学のテキストを開いたり原書を読み込んだり普段は手の回らない家事を片付けたり修行したりしていたので、クラスのちびっ子連中と会うことは少なかった。特にあやかは麻帆良の外から通っている上、何かと忙しい身の上であるために、このように約束して出かけるのでなければ、まず会わない。よって、私服姿を見せるのは初めてである。同時にあやかの私服を見るのも初めてなのだが。
 なお、放課後に遊ぶ際は制服のままだ。麻帆良の広さを舐めてはいけない。全員が簡単に着替えに帰れる距離に住居があるわけではないのだ。徒歩通学、路面電車通学、自動車送迎と色々なパターンがある。
 ……話が逸れた。逃避していたわけではないぞ? 多分、きっと。
「迷惑……でした……?」
 俺が無反応でいたのを、怒っていると解釈したのか、しゅんと小さくなって上目遣いでこちらをうかがってくる。雨に打たれる子犬の風情だ。
 何だろう、この、胸に刺さる、いたたまれないような気分は。
「…………。あまり、長時間はダメだぞ? 本来の用事は済んでいないのだからな」
 微妙に目線を逸らしながら口にすると、パァッと花が咲いたような笑顔。しょうがないなコレは。この笑顔には勝てん。
 ああ、わかった。娘のおねだりに屈する父親の気分だ。多分。娘を持ったことはないが。
 それに、この身は幼女。女児用ドレスを身に着けるのに葛藤などない。ボディの素地がいいのは疑いないので、似合うだろうことは着ずとも明らかだ。元々王族だしな。
 ……葛藤などない。本当だぞ?

 結果だけ言おう。
 葛藤はないが、羞恥はあった。
 なるべく自分のことだとは思わず、第三者的意識を持つことによってやり過ごした。
 まあ……似合ってはいたさ。試着した俺とあやかが鏡の前で並んでいるのを見て、女性店員が目をキラキラさせていたしな。見事なプロ根性を発揮して、穏やかな営業スマイルを堅持はしていたが。
 そして、恐ろしいことに、試着した衣装には値札が一切ついていなかった。
 いくらだ。
 時価か?
 どこの老舗江戸前寿司だ。
 あやかが熱心に購入を勧めてくるのを、断固として退ける。多分相当冷や汗を掻いていたと思う。あいにくだが、セレブ幼女とは金銭感覚が違うのだ。
「仕方がありませんわ」
 終いには納得して、自分の分だけ何着か買っていた。
 実家のツケで。
 そこはせめてカードとかじゃないのか。
 ……色々と怖すぎる。こちとら、一般庶民の感性しか持ち合わせていないのだ。予算も、予想外に潤沢に提供してくれはしたが、ここで買い物をするのには多分、いや絶対足りない。余ったら返そうと思っているので、なるべく安く抑えたいしな。
「では、他の店に参りましょう」
「いや、場所を移したいのだが」
「え? デパートの場所がわからなかったのではありませんの?」
 いや、それには「麻帆良では」と但し書きが付くからな? 都心部まで出て来てしまえば、それなりに土地勘はある。この世界のものではないが、まあ、それほど変わるまい。
 それに、このデパート内の店には、俺の求める価格帯の商品は存在しないような気が、ものすごくするのだ。

 そんなわけで、運転手さんに保護者として同行してもらい、地下鉄に乗る。リムジンはデパートの駐車場に置かせてもらっている。この時代、まだ駐車違反の罰則が強化されていないため、駐車場の数が少なく、放置駐車などが多い。都心部の移動は電車が圧倒的に早いのだ。
 あやかはもっぱら自動車送迎、あとはせいぜい麻帆良の路面電車に何度か乗ったことがあるかどうかくらいのようで、地下鉄移動の間、始終物珍しげに周囲を見回していた。俺はと言うと、普段やたらと大人びているこの少女が珍しく見せる年相応の様子を観賞させてもらっていたわけだが。
 4駅ばかり移動して地上に出る。横断歩道を渡り、百メートルほど移動。山手線高架までたどり着く。
 微妙にレトロな雰囲気の電飾看板を見上げ、首を傾げるあやか。
「アメ横……ですの?」
「ああ。上野アメ横と言うのはここのことだ。アメヤ横丁の略称とする説が有力だが、米軍払い下げ品が多く出回ったり、米兵が自国製品を多く持ち込んだからアメリカ横丁と呼ばれていたとする説もある。どんな場所かは、ま、見た方が早かろう」
 日曜なのでけっこう人出がある。人混みをすり抜けて歩き出しかけて、あやかがついて来ないことに気付いた。振り向くと、戸惑った様子で立ち尽くしている。下町風のごみごみした雰囲気に、気後れしているらしい。
 慣れてしまえばどうと言うことはないのだが、無理をさせても仕方がない。
 ――と、思いはしたのだが。
 あやかのところに戻った俺は、唇の端をわずかに笑み崩し、腰をかがめて、見上げるように彼女の顔をのぞき込んだ。
「あやか。……怖いのかね?」
 口調のイメージは某赤い弓兵である。こういう風に言えば、意地っ張りの彼女のこと――。
「なっ!? こ、怖くなどありませんわっ!!」
 目を吊り上げて言い放つ。
「そうか。では行こうか」
 促すと、微妙に尻込みしていたが、自らの怯懦を振り切るようにして、大きく一歩を踏み出した。
 そのままずんずん進み始める。
 人混みを上手くすり抜けられずに、あっちこっちにうろうろしていたが。
 あうあう、と呻きつつ目を回す様子は大変面白い。
 ……あー、別に、ドレスを着せ替えられた意趣返しではないぞ? 多分。
 未知に挑む恐怖とそれを克服する達成感は、ちびっ子にとってはよくあることである。いや、そのはずだ。ただ、学園都市である麻帆良では、そうした体験の機会が、外の町より少ないように思う。それだけ厳重に守られているということではあるだろうが、見方を変えれば籠の中の鳥のようなものだ。
 あやかの困惑も、未知を既知に変えた大人には決して味わえない貴重なものである。俺にそれを邪魔することなどできようはずがない。
 ――よし、理論武装完了。
 まあ、溜飲はだいぶ下がったので、そろそろ手助けするか。やっぱり意趣返しじゃないかって? さて、知らんな。
「すまん、ちょっと意地悪だったな。はぐれたら困るし、一緒に行こう、ほら」
「あ……。わ、わかりましたわ」
 自分の不慣れさは充分自覚できたらしく、手を差し出すと、おずおずと乗せて来る。
 軽く握ってやると、照れた様子で微笑んだ。
 何だろう、この可愛い生き物は。
 系統樹の近い生物の幼形態は総じて可愛らしいと認識されるものであり、さらに元より美形のあやかであればその効力も一入ひとしお。故に、あやかを可愛く思うことに何の不思議があろうか。いやない。私は彼女を愛でてもよいのだ。
 ……落ち着け俺。
 深呼吸して、ふと周囲を見回すと、通りすがりの人々が微笑ましいものを見るような目を向けてきていた。
 どうも俺自身、今のあやかと同様に見られていたらしい。
 この身は幼女。当然と言えば当然なのだが……それで気恥ずかしさがなくなるわけではない。
 頬に熱を感じつつ、俺はあやかの手を引いて歩き出した。

 視点が下がっているのが少し面倒だったが、その点を除けば雑踏を歩くのに大して苦労はなかった。

人の流れをある程度読んで、進みたい方向の流れに乗ればいい。そして、譲るべき部分は譲る。思うようにならなくてもイラつかない。それだけでいい。山手線の朝の通勤通学ラッシュに比べれば、こんなもの何と言うことはない。
 さっきのあやかは、自分の行きたい方向に一直線に進もうとしていたので、ああなった。
 この場合、行きたい方向と言うのは、興味を惹かれた対象のあるところである。普段は大人びているくせに、この辺り妙に年相応の行動だった。多分、不慣れな場所だからこそ素が出ているのだろう。
 ちらちら後ろを確かめると、好奇心全開でキラキラと輝く瞳をあちらこちらに向けている。
 やれやれ、手を繋いでおいて正解だったな。何せ、興味を引かれた方向にふらふらと寄っていきかけるので。ついさっきは涙目だったのに、現金なことだ。
 が、子供っぽいかと思えば、さすがはあやか。
 かなりそわそわしつつ、時折「アスナさんアスナさん、あれはなんですの?」とか聞いてはくるものの、見ればわかるもの、ちょっと考えればわかるもの、充分に推測がつくものなどに関しての質問はない。
 理解力高すぎである。
「ホルモン焼きは、要は内臓の焼き肉だ。モツ焼きも同じだな」
「同種の店舗が固まってる理由か……それは私にもわからない。だが、店ごとに独自の特色を出しているからこそ潰れないんだろう」
「珍味か。そうだな……味にクセのある食べ物の総称と思っておけばいいんじゃないか。酒の肴としてよく食われる」
「立ち飲みってのは、立ち飲み酒場の略だ。腰を落ち着けずに、仕事帰りのサラリーマンなんかが一杯引っ掛けて帰る時などに寄る」
 などと解説しつつ移動。今回の主目的は服とリュックだが、さて、子供服を売る店はあったかな。以前来た時は成年男性の姿だったので、行きつけだった店では幼女ボディに合う品揃えはあるまい。サイズ的に。そもそも世界も違うことだし、同じ店があるとも限らないわけだが。
 目的に合う店を探しつつ、あやかと二人、もとい影のように背後に控える運転手さんと三人で観光がてら人波を泳ぐ。
 ただついてくるんじゃ退屈だろうと思って、運転手さんにも多少話を振ってみる。濃い顔立ちの割に爽やかな印象のイケメンで、俺達ちびっ子についてくるのも嫌な顔をしないデキた青年だ。アラシさんと言うらしい。何とびっくり、警察官の資格を持ってるんだそうな。何故また専属運転手なんぞやってるんだろうか。聞いてみたが、にっこり笑って受け流されてしまった。
 まあ、人それぞれ自分だけのドラマがあるものだ。詮索はすまい。俺自身、マンガのストーリーに巻き込まれていくことになるわけだし。
 ……しまった、イヤなことを思い出してテンションが下がった。
 頑張ろう。うん。頑張ればなんとかなる。多分。
 自分を鼓舞して、あやかと共に衣料品店巡りを続ける。
 む? そう言えば、最初は俺が案内してもらうはずだったのに、いつの間にか俺があやかを観光案内しているような。まあ、いいのだが。目的が達せられればそれでいい。その上、楽しければなおよし、だ。

 お昼の時間になったので、海鮮丼の店でネギトロ丼を食べる。一杯500円のリーズナブルな丼だ。まあ、こと価格の話では、麻帆良内の一部の学食の安さは異常だったりするが。
 あやかはヅケ丼、アラシ氏は五目海鮮丼を頼んでいた。
「いただきます」
 両手を合わせて宣言。幼女ハンドが小さいので持ちにくいが、何とか片手に丼を持ち、割り箸を咥えてもう片手でパキン、と割り裂く。保持した丼を口元に持っていき、背を伸ばし、掻き込むようにしてタレのかかったマグロすき身とご飯を頬張る。
 むぐむぐ。うむ、美味い。少し行儀は悪いかもしれないが、この食い方が一番しっくりくるな。
 と言っても、口が小さいのであまり大量に詰め込めはしないのだが。早いところ成長して欲しいものだ。
 無心に丼に挑み続けること十数分。
「ごちそうさま」
 満ち足りた気分で空の丼をテーブルに置く。結構な分量があったが、こう見えても体を動かしているせいか、そこそこ食事量は多い方である。問題なく食べきった。
 ほう、と嘆声が複数聞こえたので周囲を見回すと、他の客達が感心したような目を俺に向けている。
 ……ああ、確かに、幼女が食べるには少し多いかもしれん。
 頑張ってヅケ丼の攻略を続けるあやかを見て納得する。頬を膨らませ、「んー、んー」と唸りながら懸命に咀嚼しては、微妙に涙目で嚥下していた。
「あやか、無理してまで食べなくていい。残すのはいいことではないかもしれないが、美味しく食べてもらえないほうが食材にも料理人にも悪いだろう」
「ん、んっ……。わかりましたわ」
 完全攻略を諦め、あやかは丼を置いた。ちなみに、それでも3分の2くらいまでは箸を進めている。
 うん、頑張ったな。
 思わず彼女の髪を撫でる。
「…………。……はっ! な、何ですの?」
 一瞬目を細めてから抗議の声を上げるあやか。俺は苦笑で応えるだけだった。

 昼食後、腹ごなしを兼ねて午前中よりペースを落としゆっくりと歩く。
 なお、残ったヅケ丼は、あの後スタッフ(アラシさん)が美味しくいただきました。
 まあ結果から言えば、子供服の店はけっこうあった。価格帯やデザインなどを見比べ、時には古着屋にも出向き、ただでさえ安価な商品を「何枚かまとめて買う」「今度冬物もここに買いに来る」などと交渉してさらに値引きしてもらったりして、気付けば7~8着ほども服を買い込んでいた。ストーンウォッシュ……ではない、単なる中古のいい感じに古びたジーンズ上下と、アーミージャケット、迷彩ズボン、タクティカルベスト(以上、すべてちびっ子サイズ)辺りが個人的にいい買い物だった。
 森林迷彩の背嚢(これもちびっ子サイズ)も買ったし、今日の主目的は達したと言っていいだろう。
 ちなみに、あやかは服の安さと、そこからさらに値引く喧々諤々の価格交渉にカルチャーショックを受けたらしく、「ありえませんわ……」「あそこからさらに……」とかぶつぶつ呟いている。ちょっと怖いので、いい加減現世に復帰して欲しい。
 と、いい物を見つけたので、あやかが自失している間に注文と交渉を済ませてみた。出来上がりは1時間後。了解だ。お、もう一ついいものを発見。これも買おう。
 まだ帰ってこないあやかを引っ張って移動。
 アメ横まで来たのだから、ちびっ子としてはここは外せまい。
「な、何ですのここは!?」
 戻ってきたか。
「駄菓子屋だ」
「駄菓子屋って、もっと小さなものだと思っていましたわ!?」
 実際は駄菓子屋ではなく、菓子や食品の小売卸し業店だがな。
 ニ○ニ○ニ○ニ○、○木の菓子。アメ横でーす♪
 ……関東ローカルネタだったか。
「遠足のおやつは三百円まで、だったな?」
 にやりと笑って見せると、あやかははっとして俺の顔を見返す。俺の言葉の意味を悟って、面白そうに笑みを返した。
「アスナさん。素晴らしいですわ!」
 いやまあ、この程度の小知恵を働かせてくるちびっ子は、他にもいるだろうけどな。
「今日買う分にはいいが、遠足のときに持っていくお菓子は、溶けやすいチョコ系禁止、傷みやすいもの禁止、嵩張りすぎるもの禁止、腹に溜まりすぎるもの禁止だ。アラシさん、監修お願いします」
 苦笑して引き受けてくれた。
 ちなみに言うなら、自作していけば材料費だけで済んだりするわけだが、これは言わないでおく。
 あやかと俺はそれぞれ分かれて、2階分の広大な売り場を見て回り始めた。

「まだ何かありますの?」
 服とリュックと菓子を買い込み、これ以上の目的を思いつかずに首を傾げるあやかを引っ張って、とある店を目指す。先ほど注文を入れた店だ。
 完成していた2つの品物を受け取り、一つをあやかに手渡した。
「? 何ですの?」
 不思議そうに首を傾げつつ受け取る。
「プレゼントだ、あやか」
「えっ……」
 目を丸くして固まる。ややあって再起動し、手の中の小さな紙袋と俺の顔を見比べる。
「あ、あの、開けてみても?」
「もちろん」
 中身は、シンプルなドッグタグ。それにアルファベットを刻印してもらったものだ。
『AYAKA YUKIHIRO & ASUNA KAGURAZAKA』
 そう刻んである。俺の分は、二人の名前を前後入れ替えただけのものだ。
「ま、大したものじゃないが、今日の記念にな」
 あやかはドッグタグを抱きしめ、頬を上気させて輝くような笑みを見せた。
「ありがとう、アスナさん。大事に、しますわ」
 年齢に似合わない艶やかな笑顔に、ついつい見入ってしまった俺だった。

 地下鉄に乗って最初のデパートに戻り、アラシさんの運転で麻帆良へ戻っていく。
 後部座席で雑談を交わしながら、あやかは先ほどの言葉通り大事そうに握ったドッグタグに、時折目を落としてにこにこしていた。
 今日行った店の話をしていて、ふと思いつく。
「今度、時間のある時にカラオケでも行きたいな」
 上野にパ○ラはこの時期あるかな? もしなくても、最低限J○YS○UNDが入ってる店があればまあいいか。
「カラオケですの? 行ったことありませんわ」
「そうか。カラオケは、二人でもいいが、六人くらいまでが適正人数かな。遠出せずとも麻帆良の近くにもカラオケ屋くらいあるだろうし、他の連中も誘って行くか」
「そうですわね。楽しみですわ」
 今日一日だけで、随分あやかの雰囲気が柔らかくなった。張り詰めすぎず、適度に気を抜くことを覚えたのなら、それはきっといいことだと思う。

 職員寮の前まで送ってもらう。……そう言えば、親がおらず、高畑教諭が保護者代わりだと、言っていなかった気がするが。まあ、聞かれるまでは黙っておこう。不幸自慢は趣味じゃない。特に、今現在、俺が不幸だとは思っていないしな。
「今日は楽しかったですわ、アスナさん。また……遊びに誘ってくださいね?」
 はにかんだ笑みはやたらと愛らしかった。記録しないのはもったいない気がするな……今度デジカメでも買っておくか? いや、この時期だとまだまだお高いシロモノだったんじゃなかったかな。
「そうだな。とりあえず、また明日学校でな」
「ええ、では」
 リムジンはすぅっと幽霊のように走り去っていった。乗ってたときから静かだと思ってたが、外からでもエンジン音がほとんど聞こえないと言うのはどういうことだろうか。
「ただいま、管理人さん」
「おお、お帰り、アスナちゃん」
 管理人の爺さんにあいさつして、今日の戦利品を抱えて住処に戻る。
「ただいま」
 鍵が開いてるってことは、保護者殿はご在宅だな。
「お帰り、アスナちゃん。お疲れ様」
 少々老成した印象の眼鏡青年が笑顔で迎えてくれる。うむ、やはり帰宅のあいさつが返ってくるのはいいものだな。
 買ってきた荷物を片付け、リビングで緑茶を淹れて休憩しつつ、今日の外出について話をする。
 それほど面白い話ではないとは思うが、にこやかに相槌を打って聞いてくれた。
「で、ドッグタグを買って……っと、そうだ。ちょっと待って」
 部屋に戻り、細長いケースを持って戻る。
「はい、プレゼント」
「えっ。僕にかい」
 俺に断って包装を解く。
「万年筆?」
「ちょっと古いけどブランドもののいい品物が安売りしてたんで買ってきた。日頃の感謝の印。使って」
「日頃の感謝って……。まあ、うん、わかった。ありがたく使わせてもらうよ」
 苦笑する保護者殿。
 さて、じゃあ、夕飯の支度を始めるとしようか。
 俺は台所に向かい、冷蔵庫の扉を開けて、何が作れるのかを確認し始めた。

「……どっちかと言うと、僕のほうがお世話になってる気がするんだけど……」

 保護者殿の情けない声音の独白は、黙考する俺の耳には届かなかったのだった。



[32063] 06 遠足、はじまりました
Name: 折房◆d6dfafcc ID:6f342f26
Date: 2012/04/28 17:53
今回、作中で歌詞を表記していますが、著作権が切れているものであることを、あらかじめお断りしておきます。





―――――――――――





 初夏の日差しが容赦なく降り注ぐ。
 空を仰げばピーカンの青空。
「暑くなりそうだな……」
 ちなみに、「ピーカン」は撮影関係の業界用語テクニカルタームだが、語源には諸説あって……って、そんなことはどうでもいいか。
 現実逃避気味に空を見上げる俺のローテンションに同調する者はいない。遠足の日のちびっ子なんぞ、テンションが振り切れているものだと相場は決まっている。あいにく、俺はその類例からは外れているわけだが。
「はーい! 1組の子は先生のところに集まってー!」
「2組はこっちですよー!」
 きゃあきゃあと甲高いはしゃぎ声に負けないように、各クラスの担任教師が声を張り上げる。
 あやかもサポートするように動き始めた。
 ぱんぱん、と手を叩き、クラスメイトを見回す。
「みなさん、先生の言うとおりにいたしましょう。早くまとまれば、それだけ早く遠足に行けますわよ!」
 いや、それはどうだろう。いくら麻帆良内の路面電車とは言え、指定時間前には動かないと思うが。実はかなり舞い上がってないか、あやか。
 が、同じように舞い上がっているちびっ子連中には充分通用したらしい。『りょうかーい』と声を揃えてわらわらと教師の周囲に群がる。
 率先して教師のそばに急ぐあやかの衣装は、ガールスカウト風にキメられている。被っているのが紅白の体育帽でなければ完璧だったのだが。
 ちなみに俺はと言うと、迷彩柄+タクティカルベスト+コンバットブーツ+背嚢……と言うのは、さすがに自重した。いや、一度は着てみたのだが(コンバットブーツは未所持だ、念のため)、全身鏡に映してみて、「これはないな」と思わざるを得なかったと言うか。そんなわけで、普通の長袖綿シャツにジーンズにスニーカー、ウェストポーチに背嚢に水筒、そして体育帽、という装備である。帽子をかぶる都合上、ツーテールは今日は低めの位置で結っている。
 周囲を見回してみれば、皆が私服姿なのでかなり新鮮に思えた。
 試みに例示してみると……。
 桜子さくらこは薄手のブラウスに半袖ジャケット、黒タイツにキュロットスカート、と言う動きやすさとファッション性を両立させた服装。可愛らしくはあるが、転んだりヤブに引っ掛けたりと言ったアクシデントを考慮していないように見える。……この娘に限っては、途中波乱はあっても何だかんだでアクシデントゼロで乗り切りそうな気もするので、まあいいのかもしれない。
 まひろは一言、サファリルックと言うだけで済む扮装だ。これも体育帽でなくサファリハットを被っていたら非の打ちどころがない。これはこれで似合ってはいると思うが、どこまで探検に行く気なのかと問いたくなる。
 男子の格好などは、まあどうでもいいので、描写は割愛させてもらう。
「どうした、才人さいと
 何やら難しげな顔で首をひねる級友に声をかけた。
「いや、なんか、ひどくぞんざいな扱いをされたような気がして」
 なかなか勘がいいな。
「ふむ? まあ、どうでもよかろう。私達も行くぞ」
「そうだな。待ちに待った遠足だもんな! よし、行くぜ!」
 一瞬でテンションを最高潮に上げて駆けていく。重ねてぞんざいな扱いをしたような気もするのだが、今まさに始まろうとする遠足の前では大した問題ではなかったようだ。
 正直、イベント時のお子様のエネルギーは「これに一日付き合わねばならんのか」と思うとひるみを覚えるほどの勢いではあるのだが……始まる前から疲れていても仕方があるまい。ちょっとは気を入れていくとしよう。
 ……先程から、ちびっ子どもに群がられて捌ききれなくなっている担任教師が、微妙に涙目でこっちをちらちら見ていることだしな。
 二十歳はたちを過ぎた大人が、七歳児(少なくとも対外的には)に頼ろうとするのはどーなんだ、と思わなくもないが。

 カタンコトン。カタンコトン。
 レールの響きをBGMに、無邪気な笑い声が車中にあふれる。
 友達とおしゃべりに夢中な者。シートに膝立ちになって車窓に貼り付いている者。運転席との仕切りにかぶりついてレールの先を注視する者。手摺りに掴まって体を斜めに傾けている者。ふざけ合って互いに押し合い通路を走る者。シートに立って吊革にぶら下がり体をスイングさせる者。
 皆好き勝手に騒いでいた。
「……って、待て、後者三つほど。私は吊革に行く。あやか、走る奴。――先生、頼もしそうに見ていないで、あの斜めになってる奴に行ってください」
 はしゃぎすぎが目に余る者にはやんわりと注意する。視線と声に「氣」を込めてたしなめると、皆おとなしく聞き分けてくれるので、それほど手間はかからない。
 ウチのクラスは素直な子ばかりで、いいことだ、うん。
 ……威圧? さて、何のことだかな。

 路面電車での移動は、さしたる問題もなく終了した。少なくともウチのクラスは、だが。よそのクラスの担任教師が声を張り上げているのが聞こえていたが、そっちの面倒まで見てはいられん。
 さっきの騒ぎなら、早期に鎮圧したので、問題にはなっていない。問題になる前に処理したのだから、すなわちそれは問題ではないのだ。
 電車を降りてクラスごとにまとまり、点呼。はぐれた者がいないのを確認して、小休憩を取る。トイレタイムを兼ねているので、行きたい者はこの時間中に向かうよう指示された。休憩後、再点呼し、順に徒歩移動を開始する。
「走るな、道の真ん中に出るな、極端に間隔を空けるな、列を逸れて行くな」
 あと、仕事しろ、担任教師。
 俺とあやかと女教師の苦労の甲斐あってか、他のクラスよりは秩序を保って歩いていく。外れとは言え麻帆良学園都市の一角だけあって、無関係の車両などが通らないので、多少列が乱れたところで危険は少ない。とは言え、皆無ではないので気を抜いていいわけではない。
 安全責任者である教師連中は、の話だが。
 俺には関係ない。
 と、突き放せれば楽なのになあ……。
 やれやれだ。
 ちなみに、あやかは嬉々として皆を取りまとめている。元々責任感旺盛でまっすぐな性根であるのは確かだが、あれは自分も遠足が楽しくてテンションが振り切れてるだけだと思う。その証拠に、ちびっ子連中の暴走をたしなめつつも満面の笑顔だ。ぷりぷり怒りながらでないためか、注意された方も笑顔で言うことを聞いている。
 あれはあれでいい関係……なんだろうか? 真似はできんし、したいわけでもないけれど。
 だが俺も、ただ疲れるばかりではシャクだ。ここは一つ、楽しく統率するべく試みよう。
 あやかを見ていてそう思ったので、率先して歌を歌い、歩調を合わせるよう誘導してみることにした。

It's a long way to Tipperary, it's a long way to go.
It's a long way to Tipperary, to the sweetest girl I know.
Goodbye Piccadilly, farewell Leicester Square,
it's a long long way to Tipperary, but my heart lies there.
It's a long long way to Tipperary, but my heart lies there.

 全曲はもっと長いはずだったが、このリフレイン部分しか覚えていなかったので、しばらくエンドレスで歌っていたところ、「リズムはいいんだけど歌詞がわからない」「歌詞はわからないのになんか耳に残る」「耳に染みついて取れなくなってきた」「怖いからやめて」などと苦情を言われたため、やむなく曲を変える。
 「HEART TO HEART」「ムーンライト伝説」「宝島」「勇気100%」「夢の舟乗り」「CHA-LA HEAD-CHA-LA」と立て続けに歌った。さすがにメジャーな曲が多いのでウケはいい。と言うか、何曲かはクラス大合唱になったりした。……ん? 一部の選曲が偏ってる? 別に問題あるまい。ハネケンも大野サウンドも大好きだ。古めの曲を混ぜたのは、うっかり未来の曲を歌ってしまわないための用心でもある。例えば、「嵐の勇者ヒーロー」はギリギリ許容範囲(今年の頭に放映終了した)だが、「勇者王誕生!」はアウトだ。
 しかしまあ、何だ。女性ボーカル曲が綺麗に歌えるようになったのは嬉しいのだが、反面、男性ボーカル曲をかっこよく歌えないのが悔しい。大野サウンドとかは、男性ボーカルじゃないと似合わない曲が多いからなあ……。残念だ。
 だが、こぼれたミルクを惜しむのは無益である。しょうがないので、かっこいい女性ボーカル曲を歌って自分を慰めておくことにする。
 と言うわけで、「ダンバインとぶ」を熱唱してみた。さすがに知ってるちびっ子はほとんどいないようだが、おとなしく聴いてくれていた。
 その後は、リクエストがあればそれを歌い、知っている歌は皆で合唱したりしつつ、メロディに足を揃えて一列で進んでいった。
 アニソンがメインだったのは、俺が先鞭をつけたせいだと思う。ふと、知らない曲ばかりで微妙に乗り切れずに寂しそうな様子のあやかが目に入った。罪悪感がちくりと刺激される。
 とりあえず、すまん。
「あやか。アン・ディ・フロイデ。歌える?」
「あ……はい。歌えますわ!」
 と言うことなので、指を振ってリズムを取り、二人で歌い出した。

Freudeフロイデ, schönerシェーネ götterfunkenゲッテルフンケン, tochterトッホテル ausアウス Elysiumエェリージゥム.
Wirヴィル betretenベトレェテン feuertrunkenフォイエルトゥルンケン, himmlischeヒンムリシェ, deinダイン heiligtumハァイリヒトゥム!
Deineダイネ zauberツァウベル bindenビンデン wiederヴィーデル, wasヴァス dieディー modeモーデ strengストゥレング geteiltゲッタイルトゥ;
Alleアァッレ menschenメンシェン werdenヴェルデン brüderブリューゥデル, woヴォ deinダイン sanfterザンフテル flügelフリューゲル weiltヴァイルトゥ.

 男女混唱にした方がカッコイイのだが、女声合唱でもそれなりにサマになった。
 その後は、ポップスやら、著名な童謡やら、たまに有名な外国語曲なども混ぜて、あやかも楽しめるように配慮する。外国語曲を当然のように原語で歌ってみると、きっちりついてくるので、まったくもって侮れない。例えば、定番の「ピクニック」を敢えて外し、原曲とされているが実際はあまり似ていない「She'll be coming around the mountain」を歌ってみたりとか。他のちびっ子は置いてきぼりになっていたが、アニソンの時はあやかが置いてきぼりなので、まあその辺は我慢してもらいたい。
 しかしあれだ。多人数で高歌放吟するのは楽しいものだな。先日あやかと出かけた際、そのうちカラオケに行きたいとか思ったが、お子様のうちはカラオケなど必要ないのかもしれない。――オケ付きで歌いたい曲も多いので、行きたくはあるのだが。
 元気よく歌っているうちに、ふと気付くと目的地の小山に到着していた。おや、いつの間に。
 一旦集合し、再点呼の後、小休憩。立ち止まると、そこそこ汗ばんでいたことに気付く。初夏の日差しの中延々歩いていれば、否応なく汗も出ようというものだ。背嚢のサイドポケットから出したハンドタオルで汗を拭きながら、水筒のドリンクを一口か二口含んでおくよう、ちびっ子連中に警告しておく。熱中症で倒れでもしたら大ごとだからな。
 ……いや、安全管理の責任は俺にはないわけだが。
 歌い続けて喉も乾いたことだし、俺も水筒に詰めてきたスポーツドリンクを一口あおり、口内に馴染ませるようにしてゆっくり嚥下した。
 と、すぐ目の前で、水筒の飲み口を咥えて天を向いている姿を認めて、後頭部を押し上げてやる。
「ぬおっ! な、何すんだ!?」
「一口か二口、と言っただろうが、たける。後で喉が渇いたときに飲む物がなくなるぞ。あと、水っ腹で長く歩くのは結構つらいから、お勧めしない」
「う。……わかったよ」
 微妙に不満そうな表情なので、相方に釘を刺しておく。
「その辺、見ておいてくれ、純夏すみか
「うん、任せといて! ちゃんと見とくから!」
「本人に言えよ!」
 無論、スルーさせてもらった。
 休憩が終わり、再点呼して出発する。点呼が多いな。万一にでも迷子になられては困るだろうから仕方がないのだが。集団行動と言うのは……もとい、集団行動を監督すると言うのは、実に労力を要することだ。
 頑張ってくれ、責任者。
 生暖かい目で担任教師を見遣ると、視線で「手伝ってくれるよね!?」と返されたので、「まあ手の空いている時には」と言う意思を込めて見返してみた。通じたかどうかはわからんが。それ以前に、女教師の視線の意味も独自解釈だったりするわけだが。目と目で通じ合うほどツーカーな間柄なわけではないんでな。
 山登り……と言うほど大げさなものではない。ハイキング、いやピクニックか。舗装はされていないが整備はされている緩やかな上り坂を歩き始める。
 大した山ではないとは言え、小学一年生のお子様にとっては、延々登り坂を歩き続けるのはそれなりに苦行である。
 ……あるのだが、ちびっ子どもは時として苦しさそのものをキレイさっぱり忘れ去ることができる。
 つまり、遠足が楽しすぎてテンションが振り切れているような場合に。
 スキップするような勢いで先を急ぐ連中は、リミッターが吹っ飛んでるので、疲れなど感じている時間も惜しいと言わんばかりだが、付き合わされるこっちはたまったものではない。鍛え始めているとは言っても、所詮この身は幼女。体力の蓄積量は体格相応にしかないのだし、少ない体力を元気で補うためには、今だけに全力を傾注する向こう見ずさが必要だ。そしてそのようなひたむきな成分は、俺の心からは揮発して久しい。
 などとノスタルジックな気分に浸りつつちびっ子どもを眺めやっていたが、要は肉体的疲労度が精神的なそれに追いついてきたのであり、一言で言えば、何かもうやる気ねぇ。
「先生。もうとっとと帰って一杯ひっかけて寝てしまいませんか」
「神楽坂さん。いくら何でもテンション低すぎじゃないかしら。その気分はわかりすぎるけど。あと、一杯ひっかけるとか言わないように。小学生の発言じゃないからね?」
 この場合、寝る前にひっかけるのはホットミルクなわけで。わざわざ説明はしないけど。
 だがしかし、確かに今からやる気を失くしていてはこの先耐えきれるかどうか不安だ。何とかすべし。
 体力が消耗し始めているのはどうしようもないのだから、元気で補えないのならば別のもので補わなくてはならない。
 腕組みして考えるが、まあ、考えるまでもなかったな。
 俺は気息を整え、体内の氣を控えめに練り上げていった。気脈を伝い全身に行き渡った生命力が、体力を賦活し、身体能力を強化する。不思議なもので、疲労が薄れると気力も戻ってくるものだ。
「でも、もうちょっと頑張って、あと……」
「――よし、切り替え完了。遠足の続きと行きましょう!」
「復活早いなぁ! せめて先生に元気付けられてからにして欲しかったわ!? もっと、こう、美しい師弟愛を!」
 知らんがな。

 そんなこんなで、山頂広場に到着。
 クラスごとに集合して点呼して先生の注意を聞き流して、「お昼まで自由行動」と言われるが早いか、歓声と共に蜘蛛の子を散らすように走り出すちびっ子ども。いや、絶対ちゃんと話を聞いてないと思うんだ、こいつら。
「やれやれ。子供は元気だな」
貴女あなたも子供でしょうが! なんでそんなに枯れてるの!?」
 転生者だか憑依者だからです。とは言えん。
 いや待て。何故言えないんだ? 異常者として扱われる? 麻帆良で? あり得んな。
「うむ。実は私には前世の記憶があってな」
 と言うわけで、さらりとカミングアウトしてみた。
「……あー、神楽坂さんなら、あるかも……。うん。って、わかりにくい冗談はやめて欲しいんだけど。先生、一瞬納得しかけたわ」
 そう言うリアクションは、こちらも対応に困る。軽く流すスルーとか、ノリ突っ込みをかますとか、真に受けて検証にかかるとかならともかく、そのまま何事もなく受け入れられかけるってのはどういうことなのか。麻帆良民の気質と言われればそれまでだが。
「アスナさん! あっちに展望台がありますわ! 行きましょう!」
 既に完全にお子様モードに移行したあやかが瞳をキラキラと輝かせて呼びに来たので、頷いて後を追った。
「では行ってきます」
 ぴっ、と敬礼を残すと、担任教師は苦笑しつつ顔の横で手をひらひらと振り見送ってくれた。

「まあ……」
「おー、絶景だねー!」
「ほう。これは、なかなか」
 小山の展望台から見下ろす麻帆良の風景は、充分に一見の価値はあるものだった。赤レンガを多用し統一した印象のある洋風の街並みと、中央にそびえる樹高数百メートルに達する神木・蟠桃、通称世界樹。
 どう見ても日本の風物ではない。世界樹まで入れると日本どころか世界中どこにも見られない風物になってしまうが。改めて一歩引いて俯瞰すると、かなり異様にも感じる。いやだって、街を見下ろしているのに、その街に根を下ろした樹を見上げてるってのは、どうなんだこれ。自分の目で見ているのに、何だか嘘っぽいような、そう、騙し絵でも見せられているような気分である。とは言え、感性がスレていないちびっ子にとっては、単に「すごい」光景でしかないようだ。
 ……ん?
 世界樹?
 そうか、世界樹か。
 ふとした思いつきに気を取られている間に、背後から気配が近付いていた。視界に頼らず周囲の状況を把握するスキルも、ささやかながら習得できている。実は、始めた頃は「いくら何でもムリじゃね?」と思ったりもしたが、さすがマンガの中の世界。やればできるものである。まだまだ、時々何となくわかる、程度のものだが。
 手すりにかじりついて景色に見入っているあやかと桜子はそのままに、後ろを振り返る。
「あ……」
 小さく息を呑んだのは、黒髪をボブカットにした小柄な少女だった。レモン色のシャツとライムグリーンのバミューダショーツを着て、白いカーディガンの袖を首元に結んで背中に流していると言う、爽やかなパステル調のコーディネートである。顔立ちはよくわからない。何故なら、長く伸びた前髪が目元を隠しているからだ。鼻筋や口元、顔の輪郭などを見るに、整った小顔ではあるが。会ったことのない子なので、他クラスの生徒なのは確定的に明らかだな。
 展望台はそれほど狭くない。俺とあやかと桜子以外にも、五~六人くらいのちびっ子がやはり手すりにかじりついているし、まだまだスペースは余っている。とは言え、手すりに寄ろうと思えば、他の子と肩が触れそうになる程度の隙間だ。つまり、引っ込み思案な子だと気後れしそうな感じの。
 どうやらかなり内気で人見知りするタイプと思えた。
 この外見でその性格。……彼女の名は、聞かずとも分かる気がするわけだが。
「景色が見たいのかな? 君さえよければ一緒に見よう。遠慮はいらない。あやかも桜子も、かまわないな?」
 なるべく穏やかに声をかけ、笑顔で手を差し伸べる。脅えさせないように。小動物を相手にするように。
「はい? ええ、もちろんですわ」
「うん、いいよー。こっちこっち」
 優しい笑みのあやかと、ひまわりのような笑みで手招きする桜子に警戒心を解いたのか、少女はおずおずと歩み寄って来る。
 ぺこぺこと頭を下げながら俺達の輪に加わり、感嘆の声を上げた。
「わぁ……!」
 小さな口が薄く開き、頬が興奮に上気するのが横顔から見て取れる。俺達三人が微笑ましげにそれを眺めているのにも気付かず、彼女は陶然と見事な情景に見入っていた。
 ……ところで、その前髪でちゃんと景色は見えているのだろうか?

 心ゆくまで目を楽しませてから、四人で連れ立って展望台を離れた。
「予定がないのなら、一緒に来ない?」
 誘ってみたところ、こくこく頷いたので、まずは拠点を築くべく、背嚢から取り出したレジャーシートをよさそうな木陰に広げ、風で飛ばないよう背嚢や石で四隅を押さえ、靴を脱いで座り込んだ。
「歩き疲れたから、まずは休憩だ。さ、どうぞ」
 朝からずっと立ちっぱなし、歩きっぱなしだ。疲れていないはずはない。自覚の有無はともかくとして。
「お邪魔しまーす」
 即座に靴を脱いで上がり込む桜子。素直でよろしい。飴ちゃんをあげよう。ウェストポーチから自作のミルクキャンディを取り出し、1個手渡す。
「ありがとー」
 不得要領な顔で桜子に続くあやかだが、シートに座り込むと、ふっと表情が緩んだ。
「あら、確かに。意外に疲れていたのですわね……」
 そうだろう。ほら、あやかにも飴ちゃん。糖分を摂取して疲労を和らげるがいい。
「いただきますわ。……素朴な味わいで、ほっとしますわね」
 最後に、先ほど一緒になった少女がおずおずとシートに乗り、飴を受け取った。
 俺もキャンディを1つ口に放り込み、舌で転がす。うむ、普通に甘い。
「では、自己紹介と行こうか。私は神楽坂明日菜。アスナと呼んでくれ」
「雪広あやかです。わたくしも、あやかでいいですわ」
「椎名桜子だよー。よろしくね」
 続けざまに「名前を呼んで」されてあたふたしていた少女は、俺達の名と顔を頭の中で整理しているのだろう間を置いてから、ぺこりと頭を下げ、小さな口を開いた。
「あ、あの、よろしく。私……大河内おおこうちアキラ、です……」

 ……………………。

 え。あれ?





――――――――――





7年もあれば、髪型とか性格とか体格とか多少変わっていて不思議はないよね? と言う話。
性格はあんまり変わってないかも、ですが。


以下、注釈です。

ティペラリー・ソング/第一次大戦時英軍兵士の間で流行った歌。行軍歌としても使われたとか。
HEART TO HEART/勇者警察ジェイデッカーOP。
ムーンライト伝説/美少女戦士セーラームーンOP。
宝島/宝島OP。
勇気100%/忍たま乱太郎OP。
夢の舟乗り/キャプテン・フューチャーOP。
CHA-LA HEAD-CHA-LA/DRAGON BALL Z OP。
嵐の勇者/勇者特急マイトガインOP。
勇者王誕生!/勇者王ガオガイガーOP。
ダンバインとぶ/聖戦士ダンバインOP。
アン・ディ・フロイデ/第9。Rの発音を思いっきり巻き舌にするとソレっぽく歌える。和訳版は「喜びの歌」。
She'll be coming around the mountain/イギリス民謡。欧米のガールスカウトでは定番の歌であるとか。



[32063] EX01 部活、はじめました?
Name: 折房◆d6dfafcc ID:6f342f26
Date: 2012/04/28 17:59
番外編です。
本編とは一切かかわりはありません。
百合成分強めです。










――――――――――










 淡い色のボブカットの前髪で目元を隠した、内気そうな少女は、おずおずと名を告げた。
「あ、あの、私……原村のどか、です……。よ、よろしく、お願いします……」

 …………。

 ――のどか違いだろうがッ!

 内心で激しくツッコんでしまった俺は悪くない。……と思う。


 ◆


 遠足の日に友達になったのどかとは、それから仲良く遊ぶようになった。と言うか、何だかやたらと懐かれた。
 聞けば、小学校に入学する時に麻帆良に引っ越してきたが、どうやら、引っ込み思案だったせいでいまいちクラスに溶け込めていなかったようだ。図らずも、俺が麻帆良で最初の友達になったために、印象が強かったのだと思われる。
 気付けば、ことある毎に俺について歩くようになっており、だからと言って邪険にできようはずもなく、色々と面倒を見てやっているうちにさらにベッタリになってしまった。
 可愛くて、控えめな性格であり、鬱陶しくは感じないため、まあいいかと思ってそのままにしている。
「そんな、私、可愛くなんか……」
「何を言う。のどかほどの美よ…少女は滅多にいないぞ? 自信を持つがいい。そして他の子達にも素顔を見せてやれ」
「アスナちゃんに褒めてもらえるのは嬉しいですけど……それは、恥ずかしいですぅ……」
 こうやって、二人きりでいる時には前髪を上げさせることに成功したのだが、常にそうしているにはまだまだ精神的にいくつものハードルを越えねばならないらしい。
 やれやれ。
 ともかく、いいところはいっぱい褒めてやって、自信をつけさせてやらねばな。増長までいかないよう、注意は必要だが。


 ◆◆


「最近おどおどしなくなって来たのに、まだ前髪を上げないのか?」
「可愛らしいのに、もったいないですわ」
「いいんです。アスナちゃんにだけ見てもらえば」
「その発言はどうかと思うにゃー」
「意味深ですわね。激しく意図を追求したいところですが……ポンです」
「ちょ、今さらダブトンとか」
「確率的にマズそうですね。ここはベタ降りです」
「うー、うー……うにゃらばコレで……」
「通りませんわ。ロンです」
「うにゃー!?」
「チャンタ、白、ダブ東、ドラ1。親満、12,000点ですわ」
「うわーん。……アスナと囲むと牌の回りが悪いよー」
「アスナさんがいない時の桜子さんが回りすぎなのです。乗ってくるとダブリー当たり前、ひどい時には天和テンホー地和チーホー人和レンホーなども出してきますものね……」
「私が桜子を抑えておけるのは半荘ハンチャンが限度だがな」
「……そんなオカルトあり得ません」
 大体分かったかもしれんが、小学生生活も半ばとなったこの頃、いつの間にやら全国的に麻雀が流行っていた。普段引っ込み思案なのどかが妙に食いつき、打ち方を教えている間に我が校でも蔓延してしまった。
 どうしてこうなった。……聞かれるままに学校で教えてた俺のせいだろうけど。
 で、一通りまともに打てるようになってくると、それぞれ特色が出てくる。
 桜子は異常なまでの引きのよさ。が、反面、運頼りのため他人の手牌が読めない。
 のどかは確率論に基づく徹底的なデジタル打ち。物覚えのよさや計算能力を褒めそやしたのが影響しているような気がしなくもない。欠点は、極めて人見知りなため、知らない相手と卓を囲むと実力が発揮できないこと。
 あやかは普通の強さだが、他人の顔色を読むのが上手い。そして、どういうわけか、東場の親番で妙に強くなる。南入すると、親ではなく、南風で何故か強い。加えて、コンビ打ちの時はこの上ないサポート能力を見せる。自分が勝つよりも味方を勝たせる方が好きらしい。色々と損な性分である。早い手作りが苦手みたいで、速攻型の打ち方とは相性が悪い。
 俺はまあ、もっと普通だ。強くもなく弱くもない。身内連中とは、大体誰と打っても五分の勝率である。だが特殊能力はある。カンカの気で卓を覆うと、常識を超えた打ち方を封じることができる。例えば桜子の引きの強さなどである。ただし、当然「氣」力が尽きれば使えなくなるのだが。要修行だ。
「何を言っているのですか。アスナさんの強さは粘り強さでしょう。基本に忠実と言いますか、高いレベルでまとまっていますわ」
「大きい手を張っても絶対振り込んでくれないしー」
「迷彩も上手ですよね。捨て牌から待ち手が読みにくいので、すごくやりづらいです」
 防御特化と言うことか? デカい手が組みにくい打ち方なのは自覚してるが。
「……アスナちゃん、好きな上がり手は?」
 タンピン(平和ピンフ、タンヤオ)。門前メンゼンならなおよし。
 ……なんだ。その「ほら見ろ」みたいな顔は?


 ◆◆◆


「先日のパーティで龍門渕の令嬢とお会いしたのですけれど、麻雀の話題で盛り上がってしまいましたわ。で、それを横で聞いていた互いの両親が、これもまた盛り上がってしまいまして。今度、TV局に出資して、高校生の全国大会を中継することになったそうなのです」
 それでいいのか雪広財閥。


 ◆◆◆◆


 のどかの誕生日に、でかいペンギンの縫いぐるみをプレゼントしてみた。
「あ……ありがとう、アスナちゃん。一生の宝物にします!」
 ……いや、そこまでせんでも。普通に大事にしてくれたらいいさ。


 ◇


 ふと気付いたら小学校を卒業していた。
 ……あれ? 確か小学生のうちに近衛木乃香と知り合うはずじゃなかったか?
 試みに探りを入れてみると、学園長のお孫さんは京都在住で、麻帆良に引っ越してくるような話はない。しかも麻雀に入れ込んでるとか。
 おかしい。どうしてこうなった。
 危険がない分には助かるのだが。


 ◇◆


 麻帆良学園女子中等部に進学した。寮ではのどかと同室になった。
「嬉しいです! よろしくお願いします!」
 全力で抱きつかれた。
 二次性徴からこっち、急成長を遂げたのどかの双丘がふにゅんふにゅんと二人の間でたわむ。大変柔らかい。
 この魅惑の膨らみが垂れたりしたら人類の損失である。土台となる胸筋のトレーニングをさせよう。あと、時折クーパー靭帯に氣を流して強化を促してみることにしよう。
 などと、アホなことを考えたりした。


 ◇◆◆


 ちなみに実行してみたところ、さらなる成長と造形の美麗化が見られた。人体の可能性の持つ神秘を垣間見た心持ちになった。


 ◇◆◆◆


 ところで、私とのどかの部屋では、最初にあった二段ベッドは知らないうちに撤去され、大きめのベッドで毎晩のどかの抱き枕にされている。人体の神秘を体感するのは、時たまでよかったのだが。夏になったらさぞ寝苦しかろう。
 だから、今のうちにまた二段ベッドに戻さないか?
 いや、言ってみただけだ。どうしても嫌と言うわけではない。だから、そのものすごく悲しそうな顔はやめて欲しいのだが。


 ◇◆◆◆◆


「麻雀部?」
「はい。今までなかったようなので、私たちで作りましょう」
 ポジティブになったなあ。ポジティブついでに、いい加減前髪を上げないか? キャラだけでなく名前までかぶってる子もいるようだし。
「男の子もいなくなりましたし、アスナちゃんがお望みならいいですよ」
 あれ、あっさり? 実は男が苦手だっただけ? 担任は男性教師だから……同年代の男子が苦手なのか?


 ◇◇


 麻雀部を立ち上げてみたところ、思ったより部員が集まった。
 部長は何故か私になった。
 そうそう、中等部に上がってから、内心の一人称を「私」に変えた。
 いい加減、自分が女であることを受け入れようと思ったので。男と同衾する気はさらさらないがな。
「男になんかアスナちゃんは渡しませんよ?」
「心を読むな。感触は嬉しいが抱きつくな。微笑ましげに眺めてるそこのブラコン、助けろ」
「よろしいのではなくて? アスナさんが男の子より女の子のほうが好きでいらっしゃるのはお見通しですわ」
 否定はできん。ところで、あやかもブラコンは否定しないのだな。
 ちなみに、この娘、小学1年の時に生まれた弟にゾッコンラブだったりする。この世界では無事に生まれていた。あやかの弟だけあって、非常に賢く愛らしい。アレなら、ブラコンになるのも理解はできる。同調はしないが。


 ◇◇◆


 まがりなりにも部長を拝命してしまったので、それなりに真面目に取り組んでみた。
 まずは部費で中古の雀卓と牌を2セット購入。意外に人数が集まったのでもっと欲しかったが、もらった部室の面積と部費の制約で、今のところはこの辺が限界だ。
 秋葉原に足を運んで型落ちパーツやジャンク寸前のパーツを買い込んでPCを自作、ネット環境を整えて、面子が足りない時も気軽にネット麻雀できるようにしてみた。正直、PC本体は格安で組めるのだが、モニタが高価で、複数揃えるのが難しい。部員に、知り合いがモニタを買い替える時には古いのを譲ってもらえるよう交渉するように指示しておく。
 中学生が参加できる麻雀大会を調べ、参加を申し込んだり、週一で部外生徒でも気軽に参加できる麻雀教室を開催したり、プロの牌譜を研究する研究会を開いたり、テーマを決めて打ち筋を考える勉強会を開いたり、もちろん普通に卓を囲んだり。
 ま、こんな感じでやっていけば問題はないと思うのだが。どうだ? 副部長。
「やりすぎですわ。普通中学校でここまで熱心に活動している麻雀部はありません」
「そうなのか?」
「ええ。県内の麻雀部については全校調べましたから、間違いありませんわ」
 ……今、さらっとすごいことを言われたような気がするのだが。
 こいつもやりすぎだと思うのは私だけだろうか?
 まあ、ともかく、集めてしまった情報は有効活用しないと損である。
「とりあえず、大会より先に学外交流戦をしてみようと思う」
「いいアイデアですわね。適当な相手を見繕ってアポイントメントを取っておきますわ」
「よろしく頼む。移動の手間を考えると、最初のうちは麻帆良内でいい」
「ごもっともですね。となると……確か西中に同好会があったはず……」
 人差し指をアゴに当てて検討を始めるあやか。実に有能だ。思わず頼もしげな目で見つめてしまった。
 ちなみに、私とあやかを周囲の部員達が畏怖するような目で見ていたのは、気付いてはいたが全力でスルーさせてもらう。


 ◇◇◆◆


 ウチの部の勝率は割と高かった。
 あんまり勝つことだけにこだわらず和気藹々わきあいあいと打ってるだけなのだが。
「え。あんだけ研究会とか勉強会とか検討会とか真剣にやってて、こだわってなかったのかよ」
「参加を強制したことはないだろう、千雨ちさめ。あと、やるからには真剣に取り組むのは当然だと思うが」
「参加しないとアスナのケーキが食べらんないからにゃー」
「うっせえ椎名。カロリー控えめであのウマさは反則なんだよ! 相伴に預からないなんて選択肢は最初から存在しねえ! ……あと、部長の教え方がやけに上手いんだよな。真面目に部活に出てるだけで、否応なく実力がついていくと言うか」
 小学校の頃からずっと級友の勉強を見てたからな。教えるのはいい加減慣れた。
「私はおやつはなくても、アスナちゃんさえいれば必ず参加します」
「……じゃあ、原村の分のケーキは私がもらってもいいのか?」
「いいですよ。……アスナちゃんの手作りでない時に限りますが」
「お前……いや、いい。……これさえなきゃ、コイツも常識人なんだが……。まあ、私に被害が来ない分には問題ない。神楽坂はどうか知らんが」
 千雨がぶつぶつと口の中で呟いた後半のセリフも、私の鍛え抜いた聴力はきっちり捕捉していた。……聞きたくなかったような気もするが。


 ◇◇◆◆◆


 麻雀部で学外交流を多く持った結果、のどかの人見知りも多少マシになった。
「そう思ってるのはアスナさんだけですわ……」
「のどっちはアスナが視界にいないとおどおどそわそわしてボロボロなんだよねー」
 何と。それは……どうすれば治るのだろうか。


 ◇◇◆◆◆◆


 中等部に上がって初の麻帆良祭。ウチの部では、当然のように雀荘を開いた。いつもの中古卓ではまかないきれるはずもないので、全自動卓を6台ほど短期リースする。ちなみにフリー雀荘。メンバーはもちろん部員だ。可愛い女子中学生と卓が囲めるのだから、男性客中心に繁盛するだろうと見込んだ。
 料理とケーキと飲み物も出した。
 度胸づけにと、のどかに立ち番ウェイトレスをさせてみたところ、砂糖に群がる蟻のように若い男性客が押し寄せてきた。そして、のどかは若い男性には近付きたがらない。そこを無理押ししてナンパしようとする不届き者どもは、涙目ののどかの手で床に転がされることになった。
 護身用にと、幼い頃から簡単な化勁と合気道を仕込んでおいたのは無駄ではなかったようだ。さすがに本格的な武道経験者に通用するほどのものではないが。
 結果、のどかにはある程度の勝負度胸(ただし実戦の)がついたようだった。
 肝心の対人対処能力はさっぱり上がらなかったが。
「うう……それ以前に、この服、胸元を強調しすぎです。シフォンミニも頼りなくて、全体的に恥ずかしいですよう……」
「私のプロデュースに間違いはない! 原村も素材として極上だしな! 見ろこの客入りを!」
「じゃあ長谷川さんも着てくださいよ!」
「いや、私は……皆ほど素材がよくないしな……並ぶと引き立て役になるからヤだ」
「なんてワガママな……」


 ◇◇◇


 ちなみに、私はウチの部に割り当てられた家庭科室の一角で、ひたすらチャーハンや麻婆丼や中華丼やカレーやヤキソバやサンドイッチや杏仁豆腐や餡蜜などを作り続けていた。メニューにはケーキとかシュークリームとかも乗っけてあるが、さすがに作り置きである。
「おかしい。何故こんなに注文が多いのだ? ウチは雀荘だぞ? 喫茶店や食堂ではない!」
『食事だけ頼んじゃダメですか? とか、麻雀打てないけどケーキ食べたい! とか言ってくる人がけっこういるよー』
 インカム越しに桜子の気軽な声が聞こえる。さきほどの店内の様子は、桜子の報告で聞いた話である。
「雀荘ってそういうもんじゃなかろう。と言うか、明らかに色々と趣旨が違っているぞ」
『ウチの部員が部外でアスナのおやつとか自慢してたみたいで、口コミで広まってるらしいよ』
「……つまり、ある意味私のせいか? 今度からお菓子を作っていくのはやめるべきか」
『それだけは勘弁して!? と言うか、雀荘なら食い物を出せるようにすべきだ、とか言い出した人のせいだと思うよ!』
「誰だそんな迷惑なことを言い出したのは!?」
『アスナだよー』
 ぎゃふん。
 いや、もちろん自覚はしているが、言わずにいられなかったと言うか。
 くそう。寂れた喫茶店のように、たまに来る注文をこなすだけの簡単なお仕事のつもりだったのに。
 どうしてこうなった。
『あ、チャーハン2、中華丼1、ケーキセット3入ったよ』
「…………」
 もはや無言で手を動かし続ける。来年は、同じことをするにしても、調理スタッフを増やそうと心に決めた。いや待て、そもそもドリンクはともかく食い物は外注でよかったような気がする。今更だが。
『はいはーい。……え? さらに餡蜜5杯追加ぁーって、マジ、たつみー? ……。マジだって、アスナー』
「龍宮ぁあああーーーッ!」
 自重しろ! あと、ウチじゃなく甘味処でも行くがいい!


 ◇◇◇◆


「……疲れた」
「ご苦労様です、アスナちゃん」
 滔々とうとうと流れ落ちる滝を見下ろしながら、ぐったりとベンチに背を預ける。
 麻帆良祭2日目。昨日は開会からずっと、用意していた食材が尽きるまで料理を続け、午後はクラスの出し物の歌声喫茶でギター&ボーカルのノルマをこなし、中夜祭に引きずって行かれて騒ぎ、力尽きて泥のように眠った。今日になったら、あやかがムダにソツなく食材を手配してくれていやがったため、再びノンストップクッキングに駆り立てられ、昼を過ぎてようやく解放されたのだが、同じく非番になったのどかに引きずられて、図書館探検部の図書館島探検ツアーに参加しているところである。
 絶景なのは確かなのだが、心があまり動いてくれないのは、色々とマズいような気がする。今日も中夜祭に引っ張って行かれそうになったら断固拒否して爆睡しようと固く決意した。
「……あのー」
「ん?」
 呼びかけに振り向くと、何やらえらく既視感が刺激される風貌の少女が佇んでいた。二の腕に巻いた腕章と手に持つ小旗が、彼女の所属を明らかにしている。
「宮崎か。ツアコン役、ご苦労様。楽しませてもらっている」
「こんにちは、宮崎さん」
「あ、はいー。こんにちはです、神楽坂さん、原村さん」
 クラスメイトではあるが、正直彼女とはあまり接点がなかった。図書館島は時折利用しているが、中等部の図書室にはほとんど行ったことがないし、成績優秀な彼女は私が勉強を教える必要もない。引っ込み思案な彼女が積極的に話しかけてくることもなかった。――これまでは、だが。
 私も別に宮崎を避ける理由などない。交流を求めてくるのならば友好的に対応したいところだ。
 ただいま蓄積疲労で絶不調である点を度外視すれば、と言う話だが。ちなみに、ここまで疲れているのは、昨日今日の作業だけでなく、クラスと部活の模擬店の準備で奔走しまくったからだ。ウチの身内どもは、悪乗りで盛大に話をあっちこっちに脱線させるくせに、凝り性で妥協を許さないと言う、非常にタチの悪い特性を持っていて、準備期間を無駄遣いしまくってどう考えても時間が足りなくなったのを体力でムリヤリ乗り切りやがったのである。当然、付き合わされた私の体力も相応に、あるいはそれ以上に、消耗を強いられていた。
「実はー、お二人とはお話ししてみたいなーと思ってたんですー」
「そーなのかー」
 微妙に間延びした宮崎の口調についつい釣られてしまう。……いかん、体力の減退にひきずられて、気力とか思考力とかも萎えている気がする。
 まあ、入学当初はのどかと色々と被ってたし、興味を持つのは当然と言えば当然か。名前、髪型、引っ込み思案、男性が苦手、万遍なく成績良好、美少女揃いの1-Aでもトップクラスの容姿。並べてみたが、よくまあこれだけ被っていたものだ。今は髪型は変わっているし、一部の身体的特徴に限っては絶望的な戦力差があったりするわけだが。
 まあともかく、やたらと似たところが多いのどかと、その親友である私に対して大いにシンパシーを感じていて、仲良くなれそうな気がしていたらしい。
 実際、話が合った。話していたのはもっぱら両のどかで、私は相槌を打つばかりだったのだが。
 だが、何故かそれが、控えめ気質の宮崎から話題を引き出すのに適していたらしく、気付けば「こんなにいっぱい喋ったの初めてですー」とか言って照れ笑いされ、妙に懐かれた。笑顔はやたら可愛かった。
 で。
「私も名前で呼んで欲しいかなー、なんて……」
 ……いや、さすがにそれは……。
 ちなみに、小学校時代からの知人・友人は名で、中学に入ってからの知り合いは姓で呼ぶことにしている。お子様の頃ならともかく、いきなり名呼びは馴れ馴れし過ぎると思うので。部の仲間など、親しくなって本人が望めば名前呼びに切り替えている。
 苗字呼びがよそよそしく感じると言われれば、まあその通りなのだが。この場合はなあ。
「愛称でもつけるか?」
 クラスでのアダ名は「本屋」だったか。気安くはあるが、あまり親しげな感じはしないな。
「ミヤミヤ」……と言うには裏表がなさすぎる。
「みやむー」……いや、宮村じゃないし。
「のとまみ」……「まみ」はどっから出て来た?
「ロサ・ギガンティア」「ニュイ・エトワーレ」……いやだからどっから来た電波だ。
「ほのか」……本屋とのどかを混ぜて。語感も本名と近いし、これでどうだろうか。さらに語感が近い近衛木乃香は麻帆良にいないことだし。なお、桜咲刹那もいない。念のため。
 確認してみるとこくこく頷かれたので、私から彼女への呼び方はそう決まった。
 なお、のどか同士の呼び名は、原村→宮崎は同じく「ほのか」、宮崎→原村は麻雀部ののどかと言うことで「まどか」に……なりかけたところでストップをかけた。
「釘宮とかぶるだろう、今度は」
「あ」
「気付きませんでした」
 ……くぎみー乙。


 ◇◇◇◆◆


 なお、結局「のどっち」に決まった。ほのかが口にしているのは最初のうちは違和感が強かったが、何度も聞いているうちに耳に馴染んだ。人間は慣れる生き物である。


 ◇◇◇◆◆◆


 ほのかとの繋がりで、綾瀬や早乙女ともそれなりに打ち解けた。
「よろしくです」
「よろしくね! いやー、ようやくコナかけたんだね。のどかってば、ずっと気にしてたのよねぇ」
「はははハルナ!?」
「はいです。恋する乙女のごとくそわそわしていましたね」
「ゆ、ゆえまで~」
 ぎゅ。
 ふと見ると、のどかが何やら警戒感を漂わせる視線を彼女らに向けつつ、私の腕に抱きついていた。
 …………。まあ、感触が気持ちいいからいいのだが。
 人見知りなタチだからな。見るからに大人しいほのかはともかく、ハイテンションな早乙女と、物静かだがちょっと突き放した感じのある綾瀬を相手にすると、身構えてしまうのだろう。
 ……ん? 視線が、その二人でなく、いじられて頬を染めるほのかに向いてないか?
「要観察です」
 ごく小さく呟くのが耳に入ったが……何でさ。


 ◇◇◇◆◆◆◆


 夏休み、麻雀部の合宿で海に行った。
「海っつーか、南海の孤島じゃねーか! せめて国内のプライベートビーチくらいにしとけよッ!」
 砂浜で絶叫する千雨。
 落ち着け。あやかのブルジョア振りに突っ込んでも、今さらすぎる。
「旅費や宿泊費的に非常に助かった。多少落ち着かないとしても、文句を言う筋合いはあるまい」
「そりゃそうなんだが……つい、な」
 ちなみに千雨には麻雀部ウチの金庫番をやってもらっている。現実感覚が強固な彼女は、こういったシビアな仕事を任せるのに最適の人材だ。
「アスナちゃーん! こっちこっちー!」
 満面の笑顔ではしゃぐのどかと言うのも、珍しい絵面だな。しかし……。
「大胆な水着だな」
「えへへ。他に人はいないと聞いたので、頑張っちゃいました。どうですか?」
 色合いはおとなしい桜色だが、布面積はかなり少ない、きわどいデザインのビキニを身に付けたのどかは、くるりと一回転して見せ、やや前かがみで両手を膝に置いた。二の腕で左右から押された魅惑の麗峰が柔らかく変形し、深い谷間をアピールしている。
 始終抱きつかれたり、毎晩抱き枕にされたり、入浴の度に背中を流し合ったりはしているのだが、正面からまじまじと見る機会は実はあまりなかったりする。時として大胆になるくせに妙に恥ずかしがりなところがあるしな。
 太陽の下でじっくり眺めてみると――。
「デカいな。デカすぎる。色々と規格外な1-Aウチでトップだけのことはある。――チクショウ、モゲロ」
 ……同感な部分は多いが、その黒いオーラは何とかならないか、千雨。
「ああ、よく似合っている。可愛らしさと大人っぽさが両立していて、実に綺麗だぞ、のどか」
 飾らず感想を述べると、のどかは微かに頬を染め、南国の日差しにも負けないほど輝かしい笑みを見せてくれた。


 ◇◇◇◇


 サンオイルとか、ビーチバレーとか、色々あったが割愛する。
 合宿後半からは何故か図書館探検部連中が合流して、のどかとほぼ同じやり取りをほのかと繰り返したような気もするが、まあ、大したことではない。多分。


 ◇◇◇◇◆


 なお、合宿自体は非常に有意義だった。これを機に実力をグンと上げた部員は多い。
 のどかは、そんな部員を相手にしてもトップクラスの勝率を誇った。
 対人恐怖症さえ何とかなれば、非常に頼りになる戦力なのだが……。
 もっと色々試してみるとするかな。


 ◇◇◇◇◆◆


 ちなみに、合宿から一気に部内で頭角を現した者の一人は千雨だったりする。
 もとからPCに強く、プログラミングなども得意で、論理思考能力が高かったため、研究会の度に力を付けてはいたのだが。
 論理思考を元にしているため、のどか同様ロジカルな打ち手ではあるが、その方向性はのどかとは少々趣が異なっていた。
 のどかの場合は高度な記憶力と膨大な計算能力を背景にした徹底的な確率論打法を駆使するが、前提となる高速計算能力に劣る千雨は、グローバルな視点に基づく戦略的な打ち筋を開花させた。防御的に打ちつつ、他者の大物手の気配を敏感に察して潰しにかかり、振り込みを避け、安手でもちまちまアガっていく。トップは取りにくいものの絶対に最下位にならず、長丁場になるほど順位を上げていくという、至極玄人好みの打牌である。
 私としても実に好ましい打ち筋……と言うか、主に私が教えたためにこうなったのかもしれん。
 なお、千雨の実力アップを絶賛していたところ、のどかが妙に不機嫌になった。ほっぺを膨らませているのは小動物チックでかえって愛らしかったが。


 ◇◇◇◇◆◆◆


 ところで、いつの間にか某新興ネットアイドルのサイトに麻雀関係のページができたらしい。
 あと、ネット麻雀で2大アイドル雀士が頻繁に頂上決戦をしていたりするらしい。
 詳しくは知らんが。


 ◇◇◇◇◆◆◆◆


 時間は飛んで、中学三年。
 別に中二から中三にかけて子供教師が担任になったりするイベントはなかった。
 あれ? 原作とかどうなったんだろうか。
 平和な分には文句はないが。
「そう言えば、いつの間にか例の上がり症? はかなりマシになってるようだな」
 色々やってみた結果、どれも失敗に終わったのに。どうやって克服したんだ。
「アスナさんの肖像入りの銀のロケットをプレゼントしたのですわ」
 …………。
「え? それだけ?」
「それだけですわ」
 どうしてそれだけでよくなるんだ?


 ◇◇◇◇◇


「……まさか、その勢いで全中個人優勝してしまうとは……」
「勢いって怖いねー」
「桜子さんが個人戦に興味がなかったのも大きいと思いますわ」
「桜子はほとんど反則だからな。桜子禁止、とか看板を出されても文句が言えん」
「卓にアスナがいないと打つ気にならないよー」
 運が良すぎると言うのもいいことばかりではないのかもしれんな。


 ◇◇◇◇◇◆


 中等部の卒業式が終わった。
 この日のうちに、のどかは地方都市に引っ越すことが決まっていた。
 そののどかは、今、がらんとした寮部屋で、私の胸に顔を埋め、「やっぱりアスナちゃんと離れたくない」と大泣きしている。のどかほどの超美少女にここまで慕われるのは悪い気はしない。
 とは言え、どうしてこうなった。
 背中や髪をそっと撫でて、落ち着くのを待つ。
 泣き止んだ後、一度顔を洗いに行ったのどかと、二人で向き合う。
「アスナちゃん。私、アスナちゃんのことが、大好きです。――友達として、じゃないですよ?」
 そう告白して、唇を重ねてきた。
 温かくて、柔らかい。ほのかな甘い香り。
 頭の中が真っ白に染まる。
 気付くと、のどかは最後の手荷物を担いで、逃げるように駆け去っていた。
 見送りのために、みんなで駅に集まる約束をしている。私はしばし迷ってから、のどかの後を追った。


 ◇◇◇◇◇◆◆


 駅前広場で、級友達に囲まれて寂しげに笑っているのどかは、私の姿を見て頬を染め、逃げ出しそうな様子を見せた。
「のどか!」
 呼び止めるように声をかける。
「全国大会で会おう」
 それだけ告げると、瞳の輝きを強くしたのどかは、大きく頷いたのだった。


...to be continued to "SAKI" ?










――――――――――

最初の5行だけの小ネタだったのが、気付けばこんなことに。
ちなみに続きません。多分。


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