「遅い! この程度の草案をまとめるのにどれだけ時間をかけてるのよ!!」
「……まこと申し訳ありません」
俺は自分よりもはるかに歳下の少女に無能呼ばわりされる屈辱に耐えながら深々と頭を下げる。
目の前にいる少女の名は荀彧(じゅんいく)、字を文若(ぶんじゃく)。
黄巾の乱のさなかにめきめきと頭角を現し、いまや曹操軍の筆頭軍師となった稀代の才女だ。
「もういい、私がやった方が早くすむわ。今ある帳簿をすべてよこしなさい!」
「じ、荀彧様、さすがにそれは……」
「ああもう、イライラする。さっさとよこしなさい! このグズ男!」
「……こちらになります」
俺はしぶしぶ草案のために苦労してそろえた帳簿を差し出した。
こうして叱責されるいったい何度目になるだろうか。
だがこれは決して俺が悪いというわけではなく、どちらかというとこの女の要求難度が高すぎるからだ。
これでこいつが無能なら文句の一つぐらい言ってやるところだが、あいにくこの女は超が付くほど優秀で、実際に俺の十倍以上の仕事量をはるかに高い精度でそつなくこなしているのだから始末が悪い。
「……いつまでそこにいるつもり? もうアンタに用なんてないんだからさっさと出て行きなさい。それともまだ何か言いたいことでもあるのかしら。もしあるっているのなら論理的に説明してみなさい。少しでも論理が破綻してるなら嗤ってあげるから」
「……いえ何も。それでは失礼します」
「ふん、これだから男は……この世から滅べばいいのよ」
俺は聞こえないふりをしながら執務室から出て行く。
扉がしまり視界からあの猫耳が消えたところでようやく俺は一息ついた。
(……まったく勘弁してほしい)
あの女が大の男嫌いであるということは周知の事実だったが、最近ますますそれがひどくなってきている。
かつての同性の同僚達もあの女の罵詈雑言に耐えかねて自ら職を辞していった。
かくいう俺もそろそろ限界なのではないかと思っている。
(いまさら俺一人抜けたところで政務になんの支障あるまい……)
むなしくそう心の中で自嘲した時だった。
「―――ふふ、随分とご苦労されているようですね」
「!!」
突然前方からかけられた声に肩を震わせる。
気が付くと、俺と三歩と離れていない距離に、眼鏡をかけた学者風の優男がたたずんでいた。
(ば、馬鹿なっ!? 確かについさっきまでは誰もいなかったはず)
日も落ちて薄暗くなっているとはいえ、見通しのいいこの通路で人一人を見逃すことなどそうそうないはずだが。
「はじめまして、于吉(うきつ)、と申します。お見知りおきを」
「……昇紘(しょうこう)だ」
気を取り直し、口元に笑みを浮かべている于吉と名乗った男の正体を探る。
「……于吉殿、このような時間にいったいどのような御用向きか。この区画は曹家の文官以外立ち入ることは基本的にご遠慮願っているのだが」
「それは申し訳ありません。では手短にすませるとしましょう……」
――――『縛』
ただ一言、そう于吉が囁いた瞬間、凄まじい重圧が俺の身体を襲った。
「ッ!?…ガッ……アッ!?」
手や足といわず、全身のあらゆる箇所が鉛になったかのように固まり、悲鳴すらあげることができない。
(いったい何がッ!?)
驚愕に身を震わせる俺の目の前で、相も変わらず笑みを浮かべたままの于吉。
今この身に起きていることは、目の前の男の仕業であることは疑いようもない。
言葉のみで人を縛るなど妖術や仙術が実在するとでも言うのか。
「ふふ、論より証拠と思いまして。安心してください。危害を加えるようなつもりはありませんので。実をいいますとあなたにぜひとも引き受けていただきたい願いがありましてこうして声を掛けたわけですが………話しだけでも聞いていただけませんか?」
相変わらず口元に笑みを浮かべてはいるが、その目線はひどく冷ややかだった。
抗えばどうなるかわかってものではない。
俺は眼で抵抗する意思がないことを必死に伝える。
「話しが早くて助かります―――『解』」
「―――ぶはぁっ!」
途端に体が軽くなり、俺は無様にも尻もちをついてしまった。
一刻も早くこの場から立ち去りたかったが、今度は男への恐怖から身体が思うように動いてくれない。
「さて、お願いの内容なのですが……」
「―――ちょっと騒がしいわよっ!! なんなのよもうっ!!!」
バタンと勢いよくすぐそばの扉が開くと、不機嫌そうな顔の荀彧が姿を現す。
「は?……昇紘? なんでアンタがまだここにいるのよ。こそこそ扉の前でいったい何を……」
「いや、あの……」
荀彧に逃げろと言うべきか助けてくれと言うべきか俺が逡巡していると、この場にもう一人別の男がいることに気付いた荀彧の顔がさっと青ざめる。
扉をつかんでいた手を、そっとはなして……何かを警戒するように後退していく。
「ま、まさかアンタ、さっきのことを逆恨みして私を襲いに来たんじゃ……しかも男二人で強姦しようだなんて……この鬼畜っ!」
「な、なに言ってんですか!?」
「お黙りなさいこの変質者っ! 近寄るんじゃないわよ! 死ねっ、地獄に落ちろっ! この馬鹿! 女の敵! 下半身精液男っ! きゃああああああああっ、華琳様ああああああ!!」
(この女コロス)
あまりにも理不尽な荀彧の言いように、恐怖を忘れ一瞬本物の殺意が生まれた。
そんな中、于吉はやれやれと呆れたように首を振る。
「はぁ、まったく騒がしい小娘ですね。これだから木偶人形は……」
「はぁっ? ちょっとそこのアナタ、今何て言ったのかしら」
「小煩い木偶人形といったのですよ」
「な、なんですって~~!!」
男の無礼ないいように荀彧が激高しかけたその時だった。
―――『操』
于吉がそう囁く。
ふっと、荀彧の身体が弛緩し顔から表情が消えさった。
さきほど激高していたのがウソのような一瞬の変化だった。
『部屋に入ってお茶でも用意なさい』
「……はい……おちゃ、よういします」
ふらふらと夢遊病者のような足取りで部屋の中に入っていく荀彧。
「さぁここではなんですから、続きは部屋の中で話しましょうか」
「そう遠くない未来、この中華の地に『天の御使い』を名乗る一人の男が台頭するはずです」
言われるがまま執務室の椅子に腰かけた俺に于吉はそう切り出した。
「て、天の御使いですか……」
「そう、白く光る衣装を身にまとい異国の知識を持つ、字も真名もない外法人。名は北郷一刀―――我らが怨敵です」
北郷一刀と口に出した時の于吉の形相を見て、ぞくりと背筋が震えた。
「この男は各地の権力者のもとで何らかの形で成り上がり、いずれはこの中華に多大な影響を及ぼす人物になるでしょう」
なぜそのようなことがわかるかなど聞くつもりはない。
先ほど見せられたこの男の力をもってすれば未来予知などたやすいことに思えてくるからだ。
「そしてあなたにお願いしたいことなのですが……まずはこれをどうぞ」
そう言って于吉は俺に一冊の書を手渡した。
書の表紙には『太平要術の書』と記されている。
「この書は張姉妹が所持するまがいものとは違い本物の『力』を宿しています。使い方次第で木偶人形を操るといった私達と同じようなことができるようになるでしょう。それを差し上げます」
「木偶人形を操る……」
俺はそうつぶやきながら于吉の足元――正確には尻の下を見た。
そこには荀彧がいた。
ただし、手と膝を床につきまるで犬のように四つん這いになりその背に于吉の尻を乗せて。
そう、頭脳明瞭で自尊心が人一倍高いあの荀彧が、いまや見も知らぬ男の腰かけになっているのだ。
あの後部屋に入り言われるがままお茶を入れた荀彧に、于吉が新たに命じた結果がこの姿だった。
膝をついて腰かけになれという無礼千万な男の言葉に、荀彧はいわれるがまま手足を折って四つん這いになり、今も無言で于吉の体重をその細い身体で支え続けている。
その目には相変わらず何の感情も映っていない。
あまりに異常すぎるその光景に頬を冷たい汗が流れた。
「……この力を使って北郷一刀の抹殺に力を貸せといったところか?」
怨敵と言っていたことから俺はそのように推測する。
「ふふ、それならもっと富も権力もある御仁に話しを持ちかけていますよ」
もっともな話だ。
自慢ではないが俺は家柄も能力も並を出るかでない程度だと自分で評価している。
「そもそもこの世界であの男を殺すことなど不可能なのですよ。『真』が基となるこの外史に我らが存在してはいけないのと同様に、あらかじめ決められたプロットが終了するまであの男の生は確定されています。今こうしてあなたと話していることも本来ならあってはならないことなのですが、まぁそこは管理者の特権ということで……」
外史だの管理者だの聞き慣れない言葉に、言っていることの半分も理解できない。
そもそもこの男、こちらに理解させる気が無いのではなかろうか。
「ならばこの書を使って俺に何をしろというのか」
「―――――別に何も」
「……は?」
俺は思わず間抜けな声を出してしまう。
「私の頼みとはこの書をあなたに受け取っていただきたい。ただそれだけなのです。その後はあなたの自由です。なんなら即刻破り捨ててしまってもかまいません」
何を言っているのだこの男は。
「そんなことをして、あなたはいったい何がしたいのだ?」
「――――ただの嫌がらせですよ」
三日月のような笑みを浮かべて男はそう言った。
「まぁ本当に嫌がらせになるかどうかはあなた次第ですが。この外史に本来存在しない私ではこの程度の介入が限界ですし…………できれば書の力を使ってあの男の女の一人でも手込めにしてくれれば面白いのですが、プロット通りぬくぬくとこの世界を満喫するあの男の姿を見るのは癪ですからね」
「……」
相変わらず意味のわからない言葉に渋面している俺を無視して、男はすくりと立ち上がる。
「さて、目的も果たしましたしそろそろお暇します。最後に少々おまけをしておきましょうか……『立ちなさい荀彧』」
「……はい」
四つん這いの姿勢からすくりと立ち上がった荀彧は、相変わらず弛緩した表情で焦点の合わない瞳を揺らしている。
『答えなさい。あなたの使えるべき主は誰ですか』
「……かりん、さま」
華琳は曹操様の真名だ。
この女は曹操様を狂信的といってもいいぐらいに崇拝している。
『違います』
男は荀彧の言葉をきっぱりと否定した。
「ちが…う?」
『そう、あなたが本当に使えるべき真なる主はこちらの男。昇紘です』
「……おとこ……しょう、こう……ち、ちがう……か、かりん、さま……」
「人形ごときが生意気な……」
荀彧の無機質だった瞳に一瞬意志の光が宿ったかに見えたが、男が再度『操』と唱えるとその光も一瞬で掻き消えてしまった。
『再度問います。あなたの主は誰ですか』
「―――――――――――――――しょう、こう、さま」
長い沈黙の後、荀彧は自分の主は俺だと答えた。
『その通りです。昇紘こそあなたが終生を賭して使えるべき主人。あなたがかつて曹操に向けていた敬意、忠誠、愛情、そのすべてをこの男に捧げなさい』
「しょうこうさまに……」
『あたなの肉片一つから魂魄の一片まで全てこの男のものです』
「わがあるじ、しょうこうさま……すべてをささげる……」
俺は荀彧が徐々に歪んでいく様をただ茫然と見続けていた。
「ふふ、人形は人形らしくしていればいいのです。――――――さてこれで『王佐の才』はあなたのものです。書を読み進めればあなたもこれぐらいのことはできるようになるでしょう。存分に楽しんでください―――では良い物語を期待していますよ」
そう言い残して于吉は消えた。
部屋を出て行ったとかではなく、霞みのように目の前から掻き消えたのだ。
「――――――――――――――――――俺は夢を見ていたのか」
呆然とそうつぶやくが、俺の手の中には太平要術の書がしっかりと存在している。
「あ、あれ……私、何を……」
そういって目をぱちぱちさせている荀彧。
さきほどまでの人形のような状態ではなく、意志に満ちた普段のままの様子だ。
どうやらあの男の術中から解放されたらしい。
そんな荀彧とピタリと目が合った。
「―――しょ、昇紘様っ!!?」
荀彧は俺に気付くや驚愕に目を見開き、顔を真っ青にさせてガバリとその場に平伏しだした。
そして震えながら声を絞り出す。
「も、申し訳ありませんっ!! しょ、昇鉱様ほどの方に私はいままでなぜあのように無礼なことを……なんて愚かなっ!…………お許しくださいっ! お許しくださいっ! お許しくださいっ!!!!!!」
あっけにとられている俺のもとで荀彧は額を床に擦りつけながら、涙声でなんどもなんども謝罪の言葉を繰り返す。
「あ、あの荀彧様……」
「なんともったいない、私ごときに様などと! どうか荀彧と呼び捨てでお呼びください!」
慚愧に満ちた声でただただ俺に許してほしいと乞う少女。
(これがあの生意気だった荀彧だといいうのか!?)
男に絶対的な嫌悪感を持っているこの女が俺に平伏し、ましてや呼び捨てを許すなど、元来であれば考えられない所業だ。
于吉の術のすさまじさに背筋が冷たくなるのを感じる。
「え~っと……それでは荀彧」
「は、はい。わかっております」
何をだろうか。
「この荀彧すでに覚悟はできております。もはやこの罪、生きて償いきれるとは思っておりません。いかような処罰でも甘んじて受ける所存です。どうかその正義の刃にて、我が首をお刎ねください!!」
(お刎ねくださいと言われてもなぁ……)
文官である俺は当然刀剣などは持ち合わせていないし、もし刎ねることができたとしても、自軍の重鎮を殺したとあれば俺はそのまま縛り首だろう。
どうしたものかと思っていると、ふと手の中の太平洋術の書が震えたような気がした。
同時に頭の中でいままで見たことも聞いたこともないような知識や言葉の数々が濁流のように流れ込んでくる。。
(……こ、これは太平要術の書の力か)
――『操』
俺はただ一言そうつぶやいた。
「あ……」
あの男がやったように、ただそれだけで目の前の少女は人形へと変わる。
その無防備となった心はいかな暴論も理屈も受け入れ、己が中でただひとつの真実としてしまうだろう。
書の知識を得たいまならばわかる。
今やこの女は与えられる役どころを忠実にこなすだけの哀れな木偶人形なのだ。
(そうだ…荀彧の命運は俺の思うがまま……)
死ねと命じれば即刻自害するだろう。
曹操を殺せと命じれば己が知略の全てを持って暗殺を謀るだろう。
だが、そのようにもったいないことはしない
目の前に自分に絶対服従の女がいるのならば、男としてやることは一つであろう。
性格はともかく、容姿だけならば曹操軍でも指折りの美少女だ。
俺の中に今までは考えもしなかったような黒い思いが浮かび上がってくる。
『荀彧…お前の主は誰か』
「……しょうこうさまです」
『だがお前はその使えるべき主に対していままでひどいことをしてきたな』
「……はい」
無表情だった荀彧の顔がわずかに歪む。
『お前は主に対して謝罪をしなくてはならない』
「はい……くび…さしあげます」
『主はお前の首など望んではいない。お前が唯一できる謝罪方法は……』
おそらく俺の口には今まで生きてきた中で最も醜悪な笑みが浮かんでいることだろう。
『……それは主の性欲を解消させることだ』
「……せいよく……かいしょう」
この男をゴミくずのように貶す女に俺の下の処理をさせる。
想像しただけで興奮に頭がクラクラしてくる。
『やり方はわかるか?』
「……はい。……ちんこ……せいえき……だします」
少し不安だったがこちら方面の知識もしっかりと持っているらしい。
『では俺が三つ数えたら目を覚ませ――――――ひとつ、ふたつ、みっつ』
同時にパンと手を叩いてやると、荀彧の目に意識がもどる……俺と于吉により歪にねじ曲げられた意識がな。
「さて荀彧。俺はお前の首などいらぬ。本当に罪を償う意志があるのならばもっとふさわしい方法があるだろう」
「も、申し訳ありません、失念しておりました……改めて申し上げます。この身の犯した大罪を償うため、我が身を持って昇鉱様を御慰めさせていただきたいと思います」
「……わからんな。もっとはっきりと言え」
「は、はい申し訳ありません。――――どうか、どうかこの荀彧めに昇鉱様の性処理をさせてくださいませ!!」
「ふ、ふははははははは……っ!!」
言った。言いやがった!
俺をさんざん見下していた女が、死ねとまで言った女が! 床に手をつき、頭を垂れ、俺の性処理をさせてほしいと言いやがった。
そのあまりも滑稽な姿に腹の底から笑いが込み上げてくる。
「くくく、いいだろう、お前の好きにしてみせろ」
「は、はい。ありがとうございます!」
ぱっと花が咲いたような笑顔を浮かべると、荀彧はずりずりとこちらにすり寄り、うやうやしく俺の腰の紐を緩め、ずるりと下着ごと衣服を引きずり下ろした。
―――――――――――――――――――――――――――――――
いまさらながらに恋姫をプレイしたので妄想してしまいました。
驚異のツンデレ比率10:0の桂花にびっくりです。
需要ありますか?
※般若さんという方は別人になります。