「隆一……隆一ってば……」
寝起きの僕の頭の中で聞き覚えのある女性の声がした。
僕の名前は隆一ではないから、少なくとも僕が返事をする必要はない。
……と思っていると今度は強く揺さぶられた。
「こらっ!隆一、起きろ!」
最終的にベッドから引きずり下ろされた僕は床に頭をぶつけてしまった。
「ぎゃふん!」
「やっと起きた。私はもう朝シャンを済ませたし顔も洗ったし着替えて朝ご飯も済ませたんだよ」
女性は言った。
「痛ってえ……。何だよ。まだ暗いじゃないか。それに僕は隆一なんて名前じゃ……」
僕はぶつけた頭をさすってから起き上がる。
「呆れた。健忘症でもないのに自分の名前を忘れるなんて。ここでのあなたの名前は半戸隆一じゃない」
女性は言った。
そうだった。僕はこの仮想現実空間にアバターとして入りこんだ時に、今目の前にいる女性、すなわち葉月音美から半戸隆一という名前を付けられたのだった。
ちなみに半戸隆一という名前は現実世界でインターネットのサイトにコメントをする時に僕が使っているハンドルネーム(ハンドルという全く捻りのない名前)を音美がもじったのである。(音美は他にも僕の名前の候補をいくつか挙げたのだが、セシル・ハーヴィとかバッツ・クラウザーとかFFのキャラクターの名前ばかりだった。まあ、セシルやバッツならまだましだが、ティナ・ブランフォードという女の子の名前を付けられそうになった時はさすがにまいった記憶がある。)
「やっと思い出したわね?さあ、早く支度して」
音美は言った。
「……支度って、何の?」
「まだ寝ぼけてるの?今日はA子さんから教会のチャリティイベントにお呼ばれしてたじゃない」
「……A子さんって、魔法の杖の前の持ち主で、今は尼さんをしているっていう浅田夏子さん?……お呼ばれなんてしてたっけ?」
僕がそう言うと、音美は急に顔色を変えた。
「教会のチャリティイベントのことは昨日伝えたのに……まさか?!」
音美は突然僕の目を押し開けた。
「うわたた!何するんだよっ!僕の目をどうしようっていうんだ?!」
僕はそれこそ目を白黒だ。
「……な、何でもないわ。とにかくすぐに出かける用意をしてね」
音美はそう言うと部屋を出て行った。
「……変な奴だな。一体どうしたんだろう?」
僕はベッドを整理すると部屋を出て台所へ向かった。
台所のテーブルには朝食のサンドイッチがあった。
僕はアバターだから別に食べなくてもよいのだが、せっかく音美が用意してくれたのだからサンドイッチを口に入れる。
音美は玄関の外で誰かに電話をかけていた。
電話中の人に声をかけるのは失礼だと思った僕は音美が話し終えるのを待った。
音美は僕が後ろに立っていることに気付かず、話し続ける。
「……ですから、このままだとまずいんです。彼に気付かれないように何とか対処をお願いします」
音美はそう言うと電話を切った。
「気付かれないようにって?」
僕が突然声をかけたので音美は驚いた。
「わっ!……な、何でもないわ。それにしてもずいぶん早く支度できたわね」
「まあね。それより対処って何のことだい?」
「女の子の電話に干渉する男は嫌われるぞ!」
「……」
仕方がないので僕はそれ以上聞くのはやめた。
「とにかく、隆一は昨日話したことを忘れちゃってるみたいだけど、やることはちゃんとやってよね」
音美は紙の束を僕に差しだした。
「何これ?」
僕は聞いた。
「チャリティイベントのポスターよ。100枚用意してあるから50枚いろんな所に貼って。残りの50枚は私が貼るから」
音美の言葉に僕は面食らう。
「100枚って、教会のイベントのレベルじゃないぞ!第一どこに貼ればいいんだ?!」
「人目につく場所ならどこでもいいのよ。A子さん、いろんな人に来てもらいたいらしいから」
音美はそう言うと行ってしまった。
「……なるほど。イベントにお呼ばれしただけじゃなくこういうことも頼まれていたから早起きしなきゃならなかったのか」
僕は50枚のポスターを抱えた。
その時、音美が引き返してきた。
「それとさ、通り魔に気をつけてね。最近出るらしいよお」
「通り魔?!」
僕は驚いてうっかりポスターの束を落としそうになる。
「その通り魔っていうのがねえ、強力なブレイクブレイドを持っている甲冑姿の騎士の石像なんだって。……まあ、襲われているのは女子高生ばかりらしいから、隆一はあまり心配しなくてもいいかもしれないけどね」
ぶれいぶはーとを持っている渦中の岸信介……?
何だか分からないが、気をつけよう。
僕は50枚のポスターを抱えて歩きだした。
僕は公園の前までやってきた。
この公園は駅に近いし、この辺りにポスターを貼れば人目につくだろう。
それに公園の内側にポスターを貼れば遊びに来る子供や散歩に来るお年寄りの目につく。
公園の門を通った僕は鉄棒に見覚えのある傘が掛けられていることに気がついた。
「あれ?この傘は確か……?」
見覚えがあるにはあるのだが、誰の傘だったっけ?
突然背後で犬の鳴き声がした。
僕が振り返ると、散歩中の犬が猫を見つけて吠えていたのだった。
「犬?……あっ、思い出した」
数日前、この公園に子犬が捨てられていたことがある。
この傘は雨の中で震えていた子犬のためにセーラー服の赤毛の少女が置いて行ったものだった。
幸い、子犬の引き取り手は昨日見つかった。
子犬を引き取ってくれた人は、後で少女が傘を取りに来るようにと、傘を鉄棒にかけていったのだった。
傘がまだここにあるということは、少女はあの後まだ公園に来ていないということ、すなわち少女は子犬の引き取り手が見つかったことをまだ知らないわけだ。
僕は何気なく少女の傘を手にとって、名前が書いてあることに気がついた。
白石真衣希……おそらく少女の名前だろう。
そして丁寧に住所まで書いてあった。
子犬の引き取り手が見つかったことを教えに行ってあげようか?傘もついでに持って行ってあげればいい。
そう思った僕は公園内に何枚かポスターを貼ってから、傘に書いてある住所へ向かった。
「ここか。……って、ここは……」
僕は傘に書いてある住所にたどり着いてため息をついた。
何しろ僕が住んでいるアパートじゃないか。
しかも傘に書いてある住所は201号室で僕と音美の部屋は202号室である。
隣人の顔さえ知らなかったなんて情けない。
僕は202号室の呼び鈴を押そうとして手を止めた。
時刻はまだ朝の7時前だ。
今日は土曜日だということを考えると、こんな時間に人の家を訪ねるのは失礼というものだろう。
僕がそんなことを考えていた時だった。
「きゃあああ!」
突然部屋の中から女性の悲鳴が聞こえてきたのだ。
ただならぬ予感がした僕はドアを叩いた。
「ど、どうしたんですか?!大丈夫ですか?!僕は隣の部屋の者です!ドアを開けて下さい!」
すると部屋の中は急に静かになる。
「ご、ごめんなさい。はしたない大声を出しちゃって……。何でもありませんのよ」
声色は大分違うが、先程悲鳴を上げた女性と同じ声だ。
すると別の女性の声が聞こえる。
「騒々しいなあ。朝っぱらから何よ~」
この声は……間違いない。傘の持ち主のあの赤毛の少女、すなわち(おそらく)白石真衣希さんだ。
だが、僕が何かを言うタイミングはなかなか見つからなかった。……というのは……
「誰のせいだと思ってるのよ!あんた私の顔に何てことを!!」
「あはは!その顔で怒るとお姉ちゃん怖~い!」
「真衣希っ!もう許さないわよ!」
「へへーんだ!捕まえられるもんなら捕まえてみろや~い」
そしてドタバタと足音が鳴り響く。
足音はドアのすぐ近くまでやってきた。
「あっ!しまった。追いつめられた!」
「ふふふ……。真衣希、覚悟しなさい。……あら?笑っているの?」
「えっへっへ。お姉ちゃん、ここのドアを開けようか?」
「げっ!や、やめて!外にいる人にこの顔を見られちゃ……」
「おーっと、手が滑ってドアノブを回しちゃった~」
201号室のドアが開く。
女性の顔を見て絶句した僕は失礼だったろうか?
10分後……
掌形に頬が腫れてしまった白石真衣希ちゃん、すなわち赤毛の少女に僕は傘を手渡した。
「災難だったね。お姉さんにあんな悪戯をしちゃだめだよ」
僕がそう言うと、真衣希ちゃんは腫れた頬をさらに膨らませる。
「何よ!半戸さんまでお姉ちゃんの肩を持つなんて!今度はもっとすごい方法で仕返ししてやる!」
真衣希ちゃんがお姉さんの千鶴さんにやった悪戯というのは……もうお分かりだとは思うが寝顔に落書きをしたのだ。
子犬のために傘を置いた日、ダンプカーに泥をはねられた真衣希ちゃんは頭からつま先まで全部泥んこという姿で(しかも傘を持たずに)家に帰ったために千鶴さんにこっぴどく怒られたそうだ。
怒られた真衣希ちゃんは、千鶴さんに反発し、仕返しを企んだ。
仕返しのチャンスは昨日訪れた。
仕事で疲れて帰ってきた千鶴さんはベッドに直行し、早々に寝入ってしまった。
真衣希ちゃんは千鶴さんの寝室に忍び込み、千鶴さんの顔を覗き込んだ。
千鶴さんは小さな寝息を立てていた。
真衣希ちゃんは黒のマジックインキを取り出すと、千鶴さんの顔にムツゴロウの絵を描こうとした。
ところが、千鶴さんは寝相が悪く、真衣希ちゃんは千鶴さんの顔にムツゴロウをうまく描けずに結局真っ黒に塗りたくってしまったそうだ。
だから、僕は千鶴さんの顔を見た時に現実世界にあるゲームのドラゴンクエストシリーズに登場するモンスターの首狩り族を思い出してしまった。
「何が仕返しよ!あんたが悪いんじゃない!馬鹿真衣希!」
顔を洗った千鶴さんは真衣希ちゃんの頭に拳骨を振り下ろす。
「痛ーい!鬼婆!」
真衣希ちゃんは言った。
「何よ!もう1度言ってみなさいよ!」
千鶴さんの拳骨がまた真衣希ちゃんに振り下ろされそうになる。
「まあまあ、千鶴さん。本当に悪いのは子犬を捨てた人とダンプカーの運転手ですし、真衣希ちゃんを責めないであげて下さい」
僕は千鶴さんをなだめた。
「仕方がないわね。半戸さんに免じて今日の所は許してあげるけど、今度悪戯したら承知しないわよ。……それじゃあ私はシャワーを浴びてくるから、あんたはちゃんと学校に行きなさいよ」
千鶴さんはそう言うと行ってしまった。
「あれ?今日は学校に行くの?」
僕は真衣希ちゃんに聞いた。
「そうなの。今日は模試をやるんだって。嫌になっちゃうよ。……そうだ。半戸さん、教会のイベントのポスターを貼ってまわっているんでしょう。だったら私が通っている高校の周りに貼ったら?そうすれば大勢の目につくよ」
真衣希ちゃんは言った。
「それはいいね。そうさせてもらうよ。……でも、君の学校ってどこにあるの?」
僕は言った。
「案内してあげる」
真衣希ちゃんはそう言ってからパジャマを脱ぐ。
僕は慌てて後ろを向こうとしたが、その必要はなかった。
「……パジャマの下にセーラー服着てたの?」
「そう。こうすれば遅刻しそうになった時に着替える時間を短縮できるでしょ(よい子はまねしない)。さ、行きましょ」
「……ちょっと待って。朝食はいいの?」
「マックで。……おっと、早く行かないと……」
真衣希ちゃんはそう言うと足早に玄関に向かう。
僕はその後に続いて玄関についた。
次の瞬間、シャワールームから千鶴さんの悲鳴が聞こえてきた。
「ぎゃあああ!」
先程のようなことがあった後だし、僕はシャワールームのドアを叩きに行こうとは思わなかった。
第一ドアを叩きに行っても僕は男だから開けられない。
「あれ?どうしたんだろう?ゴキブリでも出たのかな?」
僕が言うと、真衣希ちゃんはにやにやしながら首を横に振った。
「実は、シャワーノズルの中に泥を詰め込んでおいたの」
「なんてことを……。それは怒られても仕方ないな」
僕はため息をついた。
「真衣希~!」
泥人形と化した千鶴さんが怒り狂ってシャワールームから飛び出してきた。
「おーっと、玄関のドアを開けてもいいの?」
真衣希ちゃんはそう言ったが、それ以前に……
「馬鹿ね!半戸さんは外にいないじゃない!半戸さんは今……中に!?」
そう。僕は今度はドアの内側に立っているのだ。
見ていたいと思わなかったわけではないが、千鶴さんのために僕は玄関のドアの方を向いた。男としての礼儀だ。
千鶴さんは慌ててシャワールームに駆け戻る。
「あはは!ちゃんとバスタオルを巻いてただけよかったね。裸を見られるよりましでしょ。(私は時々見せてるけどね……)ねっ、お姉ちゃん」
真衣希ちゃんは笑いながら言う
「うぐぐ……!真衣希、覚えていなさいよ!」
千鶴さんの腹の中は煮えくりかえっている。
「帰ったらお姉さんにちゃんと謝るんだぞ」
僕は真衣希ちゃんに言った。
真衣希ちゃんの案内されて、僕は高校までやってきた。
「ありがとう。この辺りなら人目につきそうだ。……それにしても登校中の高校生の姿がほとんど見えないね」
僕は言った。
「だって、まだ開門時間前だもん。今日は土曜日で開門は8時だからさ」
真衣希ちゃんは言った。
今の時刻は7時30分だ。
「そうなのか。……真衣希ちゃん、ひょっとしていつも開門前に登校しているの?」
僕が聞くと、真衣希ちゃんは首を横に振る。
「今日はあることをするために早く来ただけだよ。いつもは遅刻寸前に駆け込んでる。私早起きは苦手なんだ」
「そうなんだ。……あることって、今日ある模試の勉強を友達と一緒にする約束でもしてたの?」
僕がそう聞くと、真衣希ちゃんはさっきより激しく首を横に振った。
「違うよお!そんなガリ勉みたいなことやってたら、私死んじゃうよ!」
真衣希ちゃんは言った。
「……じゃあ、何をやるんだい?」
僕は聞いた。
「知りたい?私がやろうとしていることはねえ…開門時間に校門にいれば分かるよ」
真衣希ちゃんは意地悪そうに笑いながら言った。
「……それじゃあ、それまでにポスターを貼るとするか」
僕はそう言ってから目立つ場所にポスターを貼り始めた。
僕は高校の周りを一周しながらポスターを貼っていった。
高校に到着する前にも人目につきそうな場所を見つけてはポスターを貼っていたから、残っているポスターを全部貼るのにそれほど時間はかからなかった。
さて、時計は7時55分を指している。
どうしようか。真衣希ちゃんがやろうとしていることとは何なのかを教えてもらいに行こうか?
真衣希ちゃんのあの表情からだいたいの察しはつくし、別に知らなくてもいいことでもあるのだが……やっぱり気になる。
インターネットで芸能人や一般人のブログを見つけて、見る必要はないのになぜか見たくなるというあの感覚だ。
僕は少し考えてから、結局校門へ向かうことにした。
校門の前には既に10数人の生徒が集まっていた。
真衣希ちゃんは僕を見つけると、声をかけてきた。
「半戸さん、見てて。もうすぐ開門されるから。きっと面白いよ」
「面白いって……?真衣希ちゃんがこれからやることが?」
「そう。……さあ、時間だわ」
真衣希ちゃんがそう言った時、重々しい音を立てて校門が開き始めた。
校門を開けているのは……若い女の先生らしい人だ。
「先生、おはようございます!」
真衣希ちゃんは女の先生に挨拶をした。
ここまでなら現実世界でもあり得る光景だ。
普通じゃあり得ないことはここからだ。
女の先生は真衣希ちゃんの顔を見るなりびっくりして腰を抜かしてしまった。
「ど、どうして?白石さんがこんな朝早くに登校してくるなんて……。ああ、だめだわ。私ったら寝ぼけて幻覚でも見ているのね」
あまりと言えば失礼すぎる先生の反応だが、真衣希ちゃんは別段怒りもしない。
それどころか真衣希ちゃんは先生に調子を合わせ始めた。
「そうですよ。先生は幻覚を見ているんですよ。さあ、顔を洗って下さい」
真衣希ちゃんは先生に桶を差し出す。…桶なんてどこから出したんだ?
「そ、そうね。目を覚まさないと。ありがとう、白石さん……の幻覚」
先生は桶の中身を手ですくう。
「あっ!そ、それは……」
僕は先生を止めようとしたが、時すでに遅し。
「げ・げほっ!うえっ!……何よ!これ泥水じゃない!」
先生はむせ返りながら言った。
なぜ手ですくった時点で気付かないのだろうか?
「あはは!引っかかった引っかかった!」
真衣希ちゃんは笑った。
後ろにいた男子生徒達は爆笑、女子生徒は申し訳なさそうな顔をしながらも笑いをこらえきれなかった。
一瞬とはいえ若い女性のmessyならば見てみたいなどとと思ったために真衣希ちゃんの悪戯を止める機会を逃した僕は正直申し訳ないという気持ちの方が大きかった。
「あの……よかったら、これを……」
僕は先生にハンカチを差し出した。
先生は泥が目に入ったのか、手探りでハンカチをつかんだ。
「あ、あなたは誰?この学校の生徒じゃないみたいだけど……」
「僕ですか?僕は……」
僕が自己紹介をしようとしたまさにその時だった。
「きゃあああ!」
後ろにいた女子生徒の1人が悲鳴を上げた。
今度は何だろうと思った僕は後ろを振り返って愕然とした。
甲冑姿の騎士のような形の石像が女子生徒に向かって剣を突き付けていたのだ。
「と、通り魔……?!」
先程まで笑っていた生徒達は青冷める。
「な、何をしているの?!早くこっちへ!」
先生の声に我に返った生徒達は一斉に校門の中へ逃げ込む。
だが、先程剣を突き付けられた女子生徒は恐怖のあまり動けなかった。
通り魔は動けない少女の恐怖をさらに煽るかのように、1度剣を構え直した。
「暁美!早く!」
「殺されるぞ!」
みんなが口々に叫んだが、暁美ちゃんというらしいその少女についに剣が振り下ろされる。
暁美ちゃんは思わず目を閉じた。
通り魔に斬りつけられたのは暁美ちゃんをかばった別の女子生徒だった。
「あ、碧……!」
「暁美ちゃん……逃げよう」
碧ちゃんというらしい少女は斬りつけられた左腕を押さえながら言った。
通り魔は2人の少女めがけてさらに剣を振り下ろそうとした。
僕はこの時何を考えていたのだろうか?
女の子が襲われているのを見て黙っていられなかったのか、それともここが仮想現実空間であるからアバターの僕がどうなっても現実世界にいる僕本体に危害は及ばないということを見越して格好つけようとしていたのか……
「この野郎ーっ!」
とにかく僕は気付いた時にはそう叫ぶと通り魔に体当たりをくらわしていた。
通り魔は地響きを立てて倒れ、通り魔が持っていた剣は地面にぶつかって折れた。
だが、僕の方も無事ではない。
「うわー!痛ーい!」
甲冑姿の……しかも石像を相手に体当たりなどすれば痛くて当たり前である。それは現実だろうが二次元だろうが変わらなかった。
おまけに通り魔が持っていた剣で左手の甲を少し切ってしまった。
最悪だったのは僕が痛がっている間に通り魔が起き上がってしまったことである。
「な、なんてしぶとい奴だ!」
通り魔は必死で校門の中に逃げ込もうとする暁美ちゃんと碧ちゃんに襲いかかろうとした。
「ちくしょう!やめろーっ!」
僕が叫んだ次の瞬間、通り魔は突然硬直し、そのままガラガラと崩れ落ちると砂になってしまった。
そして通り魔のなれの果ての砂を踏みつけながら現れた女性は……
「音美じゃないか!」
「金の針は石化を解除するアイテムよ。だから元々石でできた相手に使えば倒すことができるってわけ」
音美は言った。
「……金の針?……石化?ファイナルファンタジーのやり過ぎだよ」
僕がそう言うと、音美はため息をついた。
「本当にいろんなことを忘れちゃってるのね。この世界はインターネットに直結しているからネット上に上がっている話題ならドラゴンクエストやファイナルファンタジーの要素だって入ってくるのよ。……まあ、何にしろあいつの剣に斬られなくてよかったわね」
「斬られなくて……?いいや、実はそこにいる子が腕を……」
僕の言葉に音美はさっと青ざめ、碧ちゃんに駆け寄った。
「ねえ、腕を見せて。怪我の具合を見るから」
音美は碧ちゃんの腕の傷を見る。
僕やみんなもその様子を見ようと、覗き込んだ。
そして全員が息をのむ。
「きゃ!」
「う、うわあ!」
「な、なんてこった!」
碧ちゃんの腕は傷の周辺からどんどん肌色を失い、冷たい灰色に変っていったのだ。
碧ちゃんはもはや左腕を動かすことができなかった。
「い、嫌だ!石になっちゃうなんて嫌だよ!」
泣き叫ぶ碧ちゃんの顔も徐々に灰色に変わっていく。
「音美!早く……えっと、金の針ってやつを!それを使えば石化を解除できるんだろう?」
僕はそう言ったが、音美は首を横に振った。
「金の針は……今使った1本で最後だったの。ごめんなさい」
「そ、そんな……」
碧ちゃんの顔に絶望が浮かぶ。
「碧!お願いだから元に戻って!石になんかならないで!」
暁美ちゃんは泣きながら碧ちゃんにすがったが、どうにもならない。
音美は俯いてしまった。
僕は何もできない自分に腹立たしさを覚えた。
いいや、何もできないとは思っちゃだめだ。何とかしようとしなければ……
僕は碧ちゃんの前に立つと、言った。
「必ず元に戻すよ。だから心配しないで」
絶望に満ち溢れていた碧ちゃんの顔に僅かだが安堵が浮かぶ。
だが、それも束の間で碧ちゃんは完全に石となってしまった。
「……必ず、何とか……」
「無駄だよ」
突然後ろから声が聞こえたので、僕は振り返った。
そこには僕のように現実世界に住む人々のアバターが大勢いた。
「その娘はどうせ助からない。俺が持って帰ってインテリアにする」
1人がそう言うと別の1人も口をはさむ。
「冗談じゃないね。持って帰るのは俺だ」
「俺にくれよ。コレクションに加えたいんだ」
「あたしのものよ。退屈しのぎにおもちゃにするの」
アバター達は口々にとんでもないことを言っている。
「ふざけるな!この子はインテリアでもおもちゃでもない!人間なんだぞ!」
僕は怒ってそう言ったが、直後にアバター達から拳銃やナイフを突き付けられた。
「どうやらお前は正義の味方を気取っているようだが、お前はただ現実と仮想現実を混同しているだけだ。この娘が人間だって?笑わせるなよ。その娘もそこにいる高校生どももみんな作りものだ。それを俺達がどうしようとお前に止める権利はない。」
拳銃を構えているアバターは言った。
「……僕はこの子と約束したんだ。必ず助けるって……。だから……」
僕はそう言いかける。
「つべこべ言わずにさっさとその石像を渡せ!さもないと……」
突然、アバターの1人が音美の腕をつかんだ。
「きゃあ!」
「音美!!」
僕が止める間もなく、音美はアバター達に捕まってしまった。
「この女が死ぬぞ。へへへ……」
音美を捕まえたアバターは音美の頭に拳銃を突き付けた。
音美は強いが、拳銃で頭を撃たれたりしたら……
「隆一!こんな奴らの言うことを聞いちゃだめよ!」
音美はそう言ったが、拳銃をさらに押しつけられる。
「お前は余計なことを言うんじゃない!」
「は・半戸さん、どうするの?」
真衣希ちゃんは言った。
「……」
どうする?僕はどうしたらいい?
第2部へ続く……