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[35954] もし目の前で女子高生が石化したら……
Name: ハンドル◆60815e14 ID:132352f6
Date: 2012/11/28 19:27
はじめに
このSSは牙行さんのMaiki's Houseを元にして執筆しております。
女性の石化やmessyなどの表現を含んでいるので、苦手な方はお戻りください。




[35954] もし目の前で女子高生が石化したら…… 第1部
Name: ハンドル◆60815e14 ID:132352f6
Date: 2012/11/28 19:28
「隆一……隆一ってば……」

寝起きの僕の頭の中で聞き覚えのある女性の声がした。

僕の名前は隆一ではないから、少なくとも僕が返事をする必要はない。
……と思っていると今度は強く揺さぶられた。

「こらっ!隆一、起きろ!」

最終的にベッドから引きずり下ろされた僕は床に頭をぶつけてしまった。

「ぎゃふん!」

「やっと起きた。私はもう朝シャンを済ませたし顔も洗ったし着替えて朝ご飯も済ませたんだよ」
女性は言った。

「痛ってえ……。何だよ。まだ暗いじゃないか。それに僕は隆一なんて名前じゃ……」

僕はぶつけた頭をさすってから起き上がる。

「呆れた。健忘症でもないのに自分の名前を忘れるなんて。ここでのあなたの名前は半戸隆一じゃない」
女性は言った。

そうだった。僕はこの仮想現実空間にアバターとして入りこんだ時に、今目の前にいる女性、すなわち葉月音美から半戸隆一という名前を付けられたのだった。

ちなみに半戸隆一という名前は現実世界でインターネットのサイトにコメントをする時に僕が使っているハンドルネーム(ハンドルという全く捻りのない名前)を音美がもじったのである。(音美は他にも僕の名前の候補をいくつか挙げたのだが、セシル・ハーヴィとかバッツ・クラウザーとかFFのキャラクターの名前ばかりだった。まあ、セシルやバッツならまだましだが、ティナ・ブランフォードという女の子の名前を付けられそうになった時はさすがにまいった記憶がある。)

「やっと思い出したわね?さあ、早く支度して」
音美は言った。

「……支度って、何の?」
「まだ寝ぼけてるの?今日はA子さんから教会のチャリティイベントにお呼ばれしてたじゃない」
「……A子さんって、魔法の杖の前の持ち主で、今は尼さんをしているっていう浅田夏子さん?……お呼ばれなんてしてたっけ?」

僕がそう言うと、音美は急に顔色を変えた。

「教会のチャリティイベントのことは昨日伝えたのに……まさか?!」

音美は突然僕の目を押し開けた。

「うわたた!何するんだよっ!僕の目をどうしようっていうんだ?!」

僕はそれこそ目を白黒だ。

「……な、何でもないわ。とにかくすぐに出かける用意をしてね」
音美はそう言うと部屋を出て行った。

「……変な奴だな。一体どうしたんだろう?」

僕はベッドを整理すると部屋を出て台所へ向かった。

台所のテーブルには朝食のサンドイッチがあった。

僕はアバターだから別に食べなくてもよいのだが、せっかく音美が用意してくれたのだからサンドイッチを口に入れる。

音美は玄関の外で誰かに電話をかけていた。

電話中の人に声をかけるのは失礼だと思った僕は音美が話し終えるのを待った。

音美は僕が後ろに立っていることに気付かず、話し続ける。

「……ですから、このままだとまずいんです。彼に気付かれないように何とか対処をお願いします」
音美はそう言うと電話を切った。

「気付かれないようにって?」

僕が突然声をかけたので音美は驚いた。

「わっ!……な、何でもないわ。それにしてもずいぶん早く支度できたわね」
「まあね。それより対処って何のことだい?」
「女の子の電話に干渉する男は嫌われるぞ!」
「……」

仕方がないので僕はそれ以上聞くのはやめた。

「とにかく、隆一は昨日話したことを忘れちゃってるみたいだけど、やることはちゃんとやってよね」

音美は紙の束を僕に差しだした。

「何これ?」
僕は聞いた。

「チャリティイベントのポスターよ。100枚用意してあるから50枚いろんな所に貼って。残りの50枚は私が貼るから」

音美の言葉に僕は面食らう。

「100枚って、教会のイベントのレベルじゃないぞ!第一どこに貼ればいいんだ?!」

「人目につく場所ならどこでもいいのよ。A子さん、いろんな人に来てもらいたいらしいから」
音美はそう言うと行ってしまった。

「……なるほど。イベントにお呼ばれしただけじゃなくこういうことも頼まれていたから早起きしなきゃならなかったのか」

僕は50枚のポスターを抱えた。

その時、音美が引き返してきた。

「それとさ、通り魔に気をつけてね。最近出るらしいよお」

「通り魔?!」

僕は驚いてうっかりポスターの束を落としそうになる。

「その通り魔っていうのがねえ、強力なブレイクブレイドを持っている甲冑姿の騎士の石像なんだって。……まあ、襲われているのは女子高生ばかりらしいから、隆一はあまり心配しなくてもいいかもしれないけどね」

ぶれいぶはーとを持っている渦中の岸信介……?

何だか分からないが、気をつけよう。

僕は50枚のポスターを抱えて歩きだした。



僕は公園の前までやってきた。

この公園は駅に近いし、この辺りにポスターを貼れば人目につくだろう。

それに公園の内側にポスターを貼れば遊びに来る子供や散歩に来るお年寄りの目につく。

公園の門を通った僕は鉄棒に見覚えのある傘が掛けられていることに気がついた。

「あれ?この傘は確か……?」

見覚えがあるにはあるのだが、誰の傘だったっけ?

突然背後で犬の鳴き声がした。

僕が振り返ると、散歩中の犬が猫を見つけて吠えていたのだった。

「犬?……あっ、思い出した」

数日前、この公園に子犬が捨てられていたことがある。

この傘は雨の中で震えていた子犬のためにセーラー服の赤毛の少女が置いて行ったものだった。

幸い、子犬の引き取り手は昨日見つかった。

子犬を引き取ってくれた人は、後で少女が傘を取りに来るようにと、傘を鉄棒にかけていったのだった。

傘がまだここにあるということは、少女はあの後まだ公園に来ていないということ、すなわち少女は子犬の引き取り手が見つかったことをまだ知らないわけだ。

僕は何気なく少女の傘を手にとって、名前が書いてあることに気がついた。

白石真衣希……おそらく少女の名前だろう。

そして丁寧に住所まで書いてあった。

子犬の引き取り手が見つかったことを教えに行ってあげようか?傘もついでに持って行ってあげればいい。

そう思った僕は公園内に何枚かポスターを貼ってから、傘に書いてある住所へ向かった。



「ここか。……って、ここは……」

僕は傘に書いてある住所にたどり着いてため息をついた。

何しろ僕が住んでいるアパートじゃないか。

しかも傘に書いてある住所は201号室で僕と音美の部屋は202号室である。

隣人の顔さえ知らなかったなんて情けない。

僕は202号室の呼び鈴を押そうとして手を止めた。

時刻はまだ朝の7時前だ。

今日は土曜日だということを考えると、こんな時間に人の家を訪ねるのは失礼というものだろう。

僕がそんなことを考えていた時だった。

「きゃあああ!」

突然部屋の中から女性の悲鳴が聞こえてきたのだ。

ただならぬ予感がした僕はドアを叩いた。

「ど、どうしたんですか?!大丈夫ですか?!僕は隣の部屋の者です!ドアを開けて下さい!」

すると部屋の中は急に静かになる。

「ご、ごめんなさい。はしたない大声を出しちゃって……。何でもありませんのよ」

声色は大分違うが、先程悲鳴を上げた女性と同じ声だ。

すると別の女性の声が聞こえる。

「騒々しいなあ。朝っぱらから何よ~」

この声は……間違いない。傘の持ち主のあの赤毛の少女、すなわち(おそらく)白石真衣希さんだ。

だが、僕が何かを言うタイミングはなかなか見つからなかった。……というのは……

「誰のせいだと思ってるのよ!あんた私の顔に何てことを!!」
「あはは!その顔で怒るとお姉ちゃん怖~い!」
「真衣希っ!もう許さないわよ!」
「へへーんだ!捕まえられるもんなら捕まえてみろや~い」

そしてドタバタと足音が鳴り響く。

足音はドアのすぐ近くまでやってきた。

「あっ!しまった。追いつめられた!」
「ふふふ……。真衣希、覚悟しなさい。……あら?笑っているの?」
「えっへっへ。お姉ちゃん、ここのドアを開けようか?」
「げっ!や、やめて!外にいる人にこの顔を見られちゃ……」
「おーっと、手が滑ってドアノブを回しちゃった~」

201号室のドアが開く。

女性の顔を見て絶句した僕は失礼だったろうか?



10分後……

掌形に頬が腫れてしまった白石真衣希ちゃん、すなわち赤毛の少女に僕は傘を手渡した。

「災難だったね。お姉さんにあんな悪戯をしちゃだめだよ」

僕がそう言うと、真衣希ちゃんは腫れた頬をさらに膨らませる。

「何よ!半戸さんまでお姉ちゃんの肩を持つなんて!今度はもっとすごい方法で仕返ししてやる!」

真衣希ちゃんがお姉さんの千鶴さんにやった悪戯というのは……もうお分かりだとは思うが寝顔に落書きをしたのだ。



子犬のために傘を置いた日、ダンプカーに泥をはねられた真衣希ちゃんは頭からつま先まで全部泥んこという姿で(しかも傘を持たずに)家に帰ったために千鶴さんにこっぴどく怒られたそうだ。

怒られた真衣希ちゃんは、千鶴さんに反発し、仕返しを企んだ。

仕返しのチャンスは昨日訪れた。

仕事で疲れて帰ってきた千鶴さんはベッドに直行し、早々に寝入ってしまった。

真衣希ちゃんは千鶴さんの寝室に忍び込み、千鶴さんの顔を覗き込んだ。

千鶴さんは小さな寝息を立てていた。

真衣希ちゃんは黒のマジックインキを取り出すと、千鶴さんの顔にムツゴロウの絵を描こうとした。

ところが、千鶴さんは寝相が悪く、真衣希ちゃんは千鶴さんの顔にムツゴロウをうまく描けずに結局真っ黒に塗りたくってしまったそうだ。

だから、僕は千鶴さんの顔を見た時に現実世界にあるゲームのドラゴンクエストシリーズに登場するモンスターの首狩り族を思い出してしまった。



「何が仕返しよ!あんたが悪いんじゃない!馬鹿真衣希!」

顔を洗った千鶴さんは真衣希ちゃんの頭に拳骨を振り下ろす。

「痛ーい!鬼婆!」
真衣希ちゃんは言った。

「何よ!もう1度言ってみなさいよ!」

千鶴さんの拳骨がまた真衣希ちゃんに振り下ろされそうになる。

「まあまあ、千鶴さん。本当に悪いのは子犬を捨てた人とダンプカーの運転手ですし、真衣希ちゃんを責めないであげて下さい」
僕は千鶴さんをなだめた。

「仕方がないわね。半戸さんに免じて今日の所は許してあげるけど、今度悪戯したら承知しないわよ。……それじゃあ私はシャワーを浴びてくるから、あんたはちゃんと学校に行きなさいよ」
千鶴さんはそう言うと行ってしまった。

「あれ?今日は学校に行くの?」
僕は真衣希ちゃんに聞いた。

「そうなの。今日は模試をやるんだって。嫌になっちゃうよ。……そうだ。半戸さん、教会のイベントのポスターを貼ってまわっているんでしょう。だったら私が通っている高校の周りに貼ったら?そうすれば大勢の目につくよ」
真衣希ちゃんは言った。

「それはいいね。そうさせてもらうよ。……でも、君の学校ってどこにあるの?」
僕は言った。

「案内してあげる」
真衣希ちゃんはそう言ってからパジャマを脱ぐ。

僕は慌てて後ろを向こうとしたが、その必要はなかった。

「……パジャマの下にセーラー服着てたの?」
「そう。こうすれば遅刻しそうになった時に着替える時間を短縮できるでしょ(よい子はまねしない)。さ、行きましょ」
「……ちょっと待って。朝食はいいの?」
「マックで。……おっと、早く行かないと……」

真衣希ちゃんはそう言うと足早に玄関に向かう。

僕はその後に続いて玄関についた。

次の瞬間、シャワールームから千鶴さんの悲鳴が聞こえてきた。

「ぎゃあああ!」

先程のようなことがあった後だし、僕はシャワールームのドアを叩きに行こうとは思わなかった。

第一ドアを叩きに行っても僕は男だから開けられない。

「あれ?どうしたんだろう?ゴキブリでも出たのかな?」

僕が言うと、真衣希ちゃんはにやにやしながら首を横に振った。

「実は、シャワーノズルの中に泥を詰め込んでおいたの」

「なんてことを……。それは怒られても仕方ないな」
僕はため息をついた。

「真衣希~!」

泥人形と化した千鶴さんが怒り狂ってシャワールームから飛び出してきた。

「おーっと、玄関のドアを開けてもいいの?」
真衣希ちゃんはそう言ったが、それ以前に……

「馬鹿ね!半戸さんは外にいないじゃない!半戸さんは今……中に!?」

そう。僕は今度はドアの内側に立っているのだ。

見ていたいと思わなかったわけではないが、千鶴さんのために僕は玄関のドアの方を向いた。男としての礼儀だ。

千鶴さんは慌ててシャワールームに駆け戻る。

「あはは!ちゃんとバスタオルを巻いてただけよかったね。裸を見られるよりましでしょ。(私は時々見せてるけどね……)ねっ、お姉ちゃん」
真衣希ちゃんは笑いながら言う

「うぐぐ……!真衣希、覚えていなさいよ!」

千鶴さんの腹の中は煮えくりかえっている。

「帰ったらお姉さんにちゃんと謝るんだぞ」
僕は真衣希ちゃんに言った。



真衣希ちゃんの案内されて、僕は高校までやってきた。

「ありがとう。この辺りなら人目につきそうだ。……それにしても登校中の高校生の姿がほとんど見えないね」
僕は言った。

「だって、まだ開門時間前だもん。今日は土曜日で開門は8時だからさ」
真衣希ちゃんは言った。

今の時刻は7時30分だ。

「そうなのか。……真衣希ちゃん、ひょっとしていつも開門前に登校しているの?」
僕が聞くと、真衣希ちゃんは首を横に振る。

「今日はあることをするために早く来ただけだよ。いつもは遅刻寸前に駆け込んでる。私早起きは苦手なんだ」
「そうなんだ。……あることって、今日ある模試の勉強を友達と一緒にする約束でもしてたの?」

僕がそう聞くと、真衣希ちゃんはさっきより激しく首を横に振った。

「違うよお!そんなガリ勉みたいなことやってたら、私死んじゃうよ!」
真衣希ちゃんは言った。

「……じゃあ、何をやるんだい?」
僕は聞いた。

「知りたい?私がやろうとしていることはねえ…開門時間に校門にいれば分かるよ」
真衣希ちゃんは意地悪そうに笑いながら言った。

「……それじゃあ、それまでにポスターを貼るとするか」
僕はそう言ってから目立つ場所にポスターを貼り始めた。



僕は高校の周りを一周しながらポスターを貼っていった。

高校に到着する前にも人目につきそうな場所を見つけてはポスターを貼っていたから、残っているポスターを全部貼るのにそれほど時間はかからなかった。

さて、時計は7時55分を指している。

どうしようか。真衣希ちゃんがやろうとしていることとは何なのかを教えてもらいに行こうか?

真衣希ちゃんのあの表情からだいたいの察しはつくし、別に知らなくてもいいことでもあるのだが……やっぱり気になる。

インターネットで芸能人や一般人のブログを見つけて、見る必要はないのになぜか見たくなるというあの感覚だ。

僕は少し考えてから、結局校門へ向かうことにした。



校門の前には既に10数人の生徒が集まっていた。

真衣希ちゃんは僕を見つけると、声をかけてきた。

「半戸さん、見てて。もうすぐ開門されるから。きっと面白いよ」
「面白いって……?真衣希ちゃんがこれからやることが?」
「そう。……さあ、時間だわ」

真衣希ちゃんがそう言った時、重々しい音を立てて校門が開き始めた。

校門を開けているのは……若い女の先生らしい人だ。

「先生、おはようございます!」

真衣希ちゃんは女の先生に挨拶をした。

ここまでなら現実世界でもあり得る光景だ。

普通じゃあり得ないことはここからだ。

女の先生は真衣希ちゃんの顔を見るなりびっくりして腰を抜かしてしまった。

「ど、どうして?白石さんがこんな朝早くに登校してくるなんて……。ああ、だめだわ。私ったら寝ぼけて幻覚でも見ているのね」

あまりと言えば失礼すぎる先生の反応だが、真衣希ちゃんは別段怒りもしない。

それどころか真衣希ちゃんは先生に調子を合わせ始めた。

「そうですよ。先生は幻覚を見ているんですよ。さあ、顔を洗って下さい」

真衣希ちゃんは先生に桶を差し出す。…桶なんてどこから出したんだ?

「そ、そうね。目を覚まさないと。ありがとう、白石さん……の幻覚」

先生は桶の中身を手ですくう。

「あっ!そ、それは……」

僕は先生を止めようとしたが、時すでに遅し。

「げ・げほっ!うえっ!……何よ!これ泥水じゃない!」
先生はむせ返りながら言った。

なぜ手ですくった時点で気付かないのだろうか?

「あはは!引っかかった引っかかった!」
真衣希ちゃんは笑った。

後ろにいた男子生徒達は爆笑、女子生徒は申し訳なさそうな顔をしながらも笑いをこらえきれなかった。

一瞬とはいえ若い女性のmessyならば見てみたいなどとと思ったために真衣希ちゃんの悪戯を止める機会を逃した僕は正直申し訳ないという気持ちの方が大きかった。

「あの……よかったら、これを……」
僕は先生にハンカチを差し出した。

先生は泥が目に入ったのか、手探りでハンカチをつかんだ。

「あ、あなたは誰?この学校の生徒じゃないみたいだけど……」
「僕ですか?僕は……」

僕が自己紹介をしようとしたまさにその時だった。

「きゃあああ!」

後ろにいた女子生徒の1人が悲鳴を上げた。

今度は何だろうと思った僕は後ろを振り返って愕然とした。

甲冑姿の騎士のような形の石像が女子生徒に向かって剣を突き付けていたのだ。

「と、通り魔……?!」

先程まで笑っていた生徒達は青冷める。

「な、何をしているの?!早くこっちへ!」

先生の声に我に返った生徒達は一斉に校門の中へ逃げ込む。

だが、先程剣を突き付けられた女子生徒は恐怖のあまり動けなかった。

通り魔は動けない少女の恐怖をさらに煽るかのように、1度剣を構え直した。

「暁美!早く!」
「殺されるぞ!」

みんなが口々に叫んだが、暁美ちゃんというらしいその少女についに剣が振り下ろされる。

暁美ちゃんは思わず目を閉じた。

通り魔に斬りつけられたのは暁美ちゃんをかばった別の女子生徒だった。

「あ、碧……!」

「暁美ちゃん……逃げよう」
碧ちゃんというらしい少女は斬りつけられた左腕を押さえながら言った。

通り魔は2人の少女めがけてさらに剣を振り下ろそうとした。

僕はこの時何を考えていたのだろうか?

女の子が襲われているのを見て黙っていられなかったのか、それともここが仮想現実空間であるからアバターの僕がどうなっても現実世界にいる僕本体に危害は及ばないということを見越して格好つけようとしていたのか……

「この野郎ーっ!」
とにかく僕は気付いた時にはそう叫ぶと通り魔に体当たりをくらわしていた。

通り魔は地響きを立てて倒れ、通り魔が持っていた剣は地面にぶつかって折れた。

だが、僕の方も無事ではない。

「うわー!痛ーい!」

甲冑姿の……しかも石像を相手に体当たりなどすれば痛くて当たり前である。それは現実だろうが二次元だろうが変わらなかった。

おまけに通り魔が持っていた剣で左手の甲を少し切ってしまった。

最悪だったのは僕が痛がっている間に通り魔が起き上がってしまったことである。

「な、なんてしぶとい奴だ!」

通り魔は必死で校門の中に逃げ込もうとする暁美ちゃんと碧ちゃんに襲いかかろうとした。

「ちくしょう!やめろーっ!」

僕が叫んだ次の瞬間、通り魔は突然硬直し、そのままガラガラと崩れ落ちると砂になってしまった。

そして通り魔のなれの果ての砂を踏みつけながら現れた女性は……

「音美じゃないか!」

「金の針は石化を解除するアイテムよ。だから元々石でできた相手に使えば倒すことができるってわけ」
音美は言った。

「……金の針?……石化?ファイナルファンタジーのやり過ぎだよ」

僕がそう言うと、音美はため息をついた。

「本当にいろんなことを忘れちゃってるのね。この世界はインターネットに直結しているからネット上に上がっている話題ならドラゴンクエストやファイナルファンタジーの要素だって入ってくるのよ。……まあ、何にしろあいつの剣に斬られなくてよかったわね」

「斬られなくて……?いいや、実はそこにいる子が腕を……」

僕の言葉に音美はさっと青ざめ、碧ちゃんに駆け寄った。

「ねえ、腕を見せて。怪我の具合を見るから」

音美は碧ちゃんの腕の傷を見る。

僕やみんなもその様子を見ようと、覗き込んだ。

そして全員が息をのむ。

「きゃ!」
「う、うわあ!」
「な、なんてこった!」

碧ちゃんの腕は傷の周辺からどんどん肌色を失い、冷たい灰色に変っていったのだ。

碧ちゃんはもはや左腕を動かすことができなかった。

「い、嫌だ!石になっちゃうなんて嫌だよ!」

泣き叫ぶ碧ちゃんの顔も徐々に灰色に変わっていく。

「音美!早く……えっと、金の針ってやつを!それを使えば石化を解除できるんだろう?」

僕はそう言ったが、音美は首を横に振った。

「金の針は……今使った1本で最後だったの。ごめんなさい」

「そ、そんな……」

碧ちゃんの顔に絶望が浮かぶ。

「碧!お願いだから元に戻って!石になんかならないで!」

暁美ちゃんは泣きながら碧ちゃんにすがったが、どうにもならない。

音美は俯いてしまった。

僕は何もできない自分に腹立たしさを覚えた。

いいや、何もできないとは思っちゃだめだ。何とかしようとしなければ……

僕は碧ちゃんの前に立つと、言った。

「必ず元に戻すよ。だから心配しないで」

絶望に満ち溢れていた碧ちゃんの顔に僅かだが安堵が浮かぶ。

だが、それも束の間で碧ちゃんは完全に石となってしまった。

「……必ず、何とか……」

「無駄だよ」

突然後ろから声が聞こえたので、僕は振り返った。

そこには僕のように現実世界に住む人々のアバターが大勢いた。

「その娘はどうせ助からない。俺が持って帰ってインテリアにする」

1人がそう言うと別の1人も口をはさむ。

「冗談じゃないね。持って帰るのは俺だ」
「俺にくれよ。コレクションに加えたいんだ」
「あたしのものよ。退屈しのぎにおもちゃにするの」

アバター達は口々にとんでもないことを言っている。

「ふざけるな!この子はインテリアでもおもちゃでもない!人間なんだぞ!」

僕は怒ってそう言ったが、直後にアバター達から拳銃やナイフを突き付けられた。

「どうやらお前は正義の味方を気取っているようだが、お前はただ現実と仮想現実を混同しているだけだ。この娘が人間だって?笑わせるなよ。その娘もそこにいる高校生どももみんな作りものだ。それを俺達がどうしようとお前に止める権利はない。」

拳銃を構えているアバターは言った。

「……僕はこの子と約束したんだ。必ず助けるって……。だから……」
僕はそう言いかける。

「つべこべ言わずにさっさとその石像を渡せ!さもないと……」

突然、アバターの1人が音美の腕をつかんだ。

「きゃあ!」

「音美!!」

僕が止める間もなく、音美はアバター達に捕まってしまった。

「この女が死ぬぞ。へへへ……」

音美を捕まえたアバターは音美の頭に拳銃を突き付けた。

音美は強いが、拳銃で頭を撃たれたりしたら……

「隆一!こんな奴らの言うことを聞いちゃだめよ!」

音美はそう言ったが、拳銃をさらに押しつけられる。

「お前は余計なことを言うんじゃない!」

「は・半戸さん、どうするの?」
真衣希ちゃんは言った。

「……」

どうする?僕はどうしたらいい?



第2部へ続く……



[35954] もし目の前で女子高生が石化したら…… 第2部
Name: ハンドル◆60815e14 ID:132352f6
Date: 2012/12/01 15:15
「さあ、その石像を渡すんだ!この女がどうなってもいいのか?!」
音美に拳銃を突き付けたアバターは言った。

「は、半戸さん。どうするの?」
真衣希ちゃんは言った。

……どうすればいいんだ?
僕はいろいろと考えを巡らした末、一か八かの賭けに出た。

「……兎には負けない」
僕はそう言った。

「はあ?何を言って……痛てえー!」

音美を捕まえていたアバターは痛みの余り拳銃を取り落とした。

僕の言葉の意味を理解した音美がアバターの腕を噛んだのだ。

音美はアバターの腕を振りほどくとついでに落ちた拳銃を奪い取った。

「私は早撃ちが得意よ!もしあんた達が銃を撃とうとしたらその前に撃つわ!」

先程まで人質に取られていたとはいえ、音美の構えは様になっていたからアバター達に対してそれなりの威嚇をすることはできた。

「こ、このアマ……」

アバター達と僕等の間でしばらく睨み合いが続いた。

やがてパトカーのサイレンが聞こえてきた。

「ちっ!警察が来ると面倒だ!お前ら覚えていろよ!」
アバター達はそう言い残し、行ってしまった。

「ふう、やっと行ってくれた。……いいや、ほっとしている場合じゃない。この子を…碧ちゃんを元に戻してあげなきゃ」
僕は言った。

「取りあえずは警察に頼んで病院へ」
先生は言った。

「……先生、取りあえずってどういうこと?」
そう言った暁美ちゃんは厳しい目つきをしていた。

「え?」
「病院に連れて行けば、碧は元に戻れるの?それとも碧を元に戻す方法が分からないから取りあえず病院へなんて言ったの?答えてよ!」
暁美ちゃんはさらに先生に詰め寄る。

「……」
先生は何も答えることができない。

代わりに口を開いたのは音美だった。
「大丈夫よ。病院へ連れて行けば碧ちゃんは元に戻れるわ。病院なら金の針はないにしても万能薬を蓄えてあるはずだから」

音美の言うことはおそらくファイナルファンタジーをやったことがない人には伝わらないだろう。

「音美、暁美ちゃんの顔を見てごらん」
僕は言った。

暁美ちゃんの目は点になっている。

「……詳しく説明するね。金の針っていうのはさっき説明した通り石化を治すアイテムよ。万能薬は石化も治せるし、その他のいろいろな状態異常も治せるというその名の通りの便利な薬なの」
音美は言った。

「……その、万能薬っていうのは、完全に石化した人でも元に戻すことができるの?」
暁美ちゃんは聞いた。

「もちろん」
音美は言った。

「なんだ。それなら心配することもなかったのね」
暁美ちゃんはほっとしたようだ。

「だけど、楽観はできないわよ。石化してから時間がたち過ぎてしまったり、雨風にさらされたりすると、万能薬を使っても2度と元に戻れなくなるのよ」
音美は言った。

「そんな……」
暁美ちゃんは再び青ざめる。
「石化してどれくらい時間が経つと元に戻れなくなるの?」
先生は聞いた。

「それが、正確には分かっていないんです。……待てよ。ひょっとしたら、あの人が……」
音美は突然何かを思い出したようだ。

「どうしたんだ?あの人って、一体……?」
僕は聞いた。

「私は調べなきゃならないことができたから会社に行くね。隆一は碧ちゃん達に付き添っていて」
僕の質問に答えず、音美は行ってしまった。

「……ねえ、半戸さん、音美さんって半戸さんと同居してるっていう女の子だよね」
真衣希ちゃんは言った。

「そうだよ」
僕は答える。

「音美さんって一体何歳なの?見た感じは私とそう変わらなさそうなのに会社に行ってるなんて……」

真衣希ちゃんの疑問は尤もだ。

「16歳だよ。……いいや、本当は何歳なのか分からない。彼女は16歳から歳をとれないんだ。かわいそうにな。周りの人は歳をとっていくのに自分だけ大人になれないなんて……」
僕は言った。

すると真衣希ちゃんはとんでもないことを言い出した。
「……歳をとらないって、この世界じゃよくあることだよ。私やお姉ちゃんだってそうだもん」

「えっ?そうだったの?……てっきり歳をとらないのは音美だけかと思ってた」
「半戸さん、さっきの連中じゃないけど、現実世界とここを同じには考えない方がいいよ」
「……」

僕は何も言えなかった。

「だけど、16歳で就職できる企業なんてこの世界でも滅多にないよ。音美さん、よく就職できたね」
真衣希ちゃんは言った。

「音美は歳を6歳ごまかして会社に入ったらしいんだ」
僕は言った。

「もったいないなあ。音美さんみたいなかわいい人なら、この世界ではアイドルになった方が絶対にいいのに」
真衣希ちゃんはそう言った。

「……」

おっと、今はそんな話をしている場合ではなかった。



「何でパトカーが来ないの?サイレンは聞こえてるのに!」
暁美ちゃんは苛立っている。

本当になぜパトカーが来ないのだろう。

「様子を見てくるよ」
僕はそう言ってパトカーのサイレンが聞こえてくる方に向かった。

そしてパトカーを確認した僕はため息をつくしかなかった。

サイレンを鳴らしていたのはおもちゃのパトカーだったのだ。

おもちゃのパトカーで遊んでいた子供は不思議そうな顔をする。

おもちゃのパトカーには人は乗せられない。

……まあ、このおもちゃのおかげで先程のアバター達は逃げて行ったわけだから文句を言うわけにもいかないが……

こうなったら救急車を呼ぶしかない。もちろん通り魔に襲われたわけだから警察も呼ぶべきだが……

僕はポケットから携帯電話を……

携帯電話なんてない!僕の携帯電話があるのは現実世界だけじゃないか!

こんなことをしている間にも時間はどんどん過ぎて行く。

僕は校門に駆け戻ると、暁美ちゃん達に事情を説明した。

「……というわけで、誰か携帯電話を持っていないかな?」

「携帯電話は持っていないわ。校則で禁止されているもん」
真衣希ちゃんは言った。

「公衆電話なら校舎の中にあるよ」
暁美ちゃんは言った。

「校舎の中だね」

僕は校門の中に入ろうとして先生に止められた。

「救急車は私が呼ぶから、あなたはここで待っていて」

確かに、先生の言う通り部外者の僕が学校に入るのはまずい。

「それではお願いします。……えっと、先生」
先生の名前が分からなかったので、僕はそう言った。

「先生の名前は千歳麗子っていうんだよ」
真衣希ちゃんは言った。

千歳麗子?はて……どこかで聞いたことのある名前だ。

千歳先生は電話をかけに行き、しばらくすると戻ってきた。

「どういうわけか救急車を呼ぼうとしても警察を呼ぼうとしても回線が混雑していてつながらなかったわ。でも大丈夫。救急車よりも早く鹿目さんを病院に連れて行ける人に電話したから」

鹿目さんとは碧ちゃんの名字らしい。

「その救急車よりも早く病院に行ける人って、一体……?」
僕は聞いた。

「私の知り合いの刑事さんよ。少年犯罪を専門に取り扱っている人でね。今日は非番だそうだからすぐに来てくれると思うわ。名前は伴場静子っていうの」
千歳先生は言った。

伴場静子?はて……その名前も聞き覚えがある。

それにしても……

「その刑事さんには一応正当防衛だって報告すればいいんですよね」
僕は通り魔だった砂を見ながら言った。

「……まあ、一応正当防衛ではあるわね。下手をすればここにいる全員が殺されていたかも知れないわけだし……。でもまあ、少なくとも殺人という扱いにはならないわよ。……だってこれは誰かに操られていた人形でしょうからね」
千歳先生は言った。

「え……?これって人形なんですか?……というより、人形だったんですか?」
僕は言った。

「この通り魔が人間に見えたの?」
千歳先生は言った。

「……いいえ。見えませんでした」
僕は言った。

「だけど、この石像は本当に人を殺すつもりだったのかな?まるで人を石化させるためだけにブレイクブレイドを振り回していたような……」
真衣希ちゃんは言った。

「え?」
「だってそうでしょ。殺すつもりならひと思いに突き刺していただろうし……」
「真衣希ちゃん、恐ろしいことを言うなよ。……でも、多分通り魔が人を石化させるつもりでその……ぶれいくふぁーすとっていう剣を振り回していたなんてことはまずないと思うよ。剣を振り回せば周りにいる人が怪我をすることはあっても石化するなんてことはないだろう」
「知らないの?ブレイクブレイドって斬りつけた相手を徐々に石化させる効果があるんだよ」
「変だな。それだったら、僕だってとっくに……」

僕がそう言って左手を差し出した途端、真衣希ちゃんはぞっとして2~3歩後ずさった。

「う、嘘……!何で?半戸さん、どうして石化しないの?」
真衣希ちゃんは言った。

「……普通逆だろう。普通だったら石化したら驚くんじゃないか?」
僕は言った。

「あなた、異常体質なの?」
千歳先生までそんなことを言う。

沈黙を守ってくれたのはおそらくファイナルファンタジーのことをよく知らないであろう暁美ちゃんと数人の生徒だけであった。



そうこうするうちに向こうから赤い車が見えてきた。……かと思うと一瞬にして僕等の目の前に止まる。

何というスピードだろうか。

あまりびっくりしたので僕は尻もちをついてしまった。

赤い車からはサングラスをかけた刑事らしい女性が降りてきた。この女性が伴場静子刑事なのだろうか?……と思っていたら石化している碧ちゃんの身体に手を当てている。

この刑事さん……行動が早すぎる。

「石化してから10分って所ね」
刑事さんは言った。

「ど、どうして分かるんです?」
僕は刑事さんに聞いた。

「体温で分かるのよ。……それにしても、あなたいつからここにいたの?」
刑事さんはサングラス越しに軽く僕を睨みつけながら聞いた。

「え……?」
「あなたがここに来たのは通り魔が来るより前か来た後かって聞いているのよ!」
「は、はい……。通り魔が来るより前です」

僕がそう答えると、刑事さんはため息をついた。
「あなたねえ、大の男のくせに女の子を助けられないなんて情けないと思わないの?男なら女の子の1人くらい守ってあげなさいよ!」

刑事さんに怒られて僕は何も言えなかった。

「まあまあ、落ち着いて。彼は一応通り魔と戦ってくれたんだから」
千歳先生は刑事さんをたしなめる。

刑事さんは今度は千歳先生を睨みつけた。

「一番責任が重いのはあなたよ。C子、あなたはこの子を守らなきゃいけない教師なんだからね」
「……本当にそうよね。B子、あなたの言う通りだわ。でも、今は反省する前に鹿目さんを助けなきゃ」

えっ?……今、先生と刑事さんがお互いに呼びあった名前って……

「あの……まさか、先生はいじめっ子のC子さんで、刑事さんはいじめられっ子のB子さん?」
僕がそう聞くと、先生と刑事は驚いたようだった。

「どうしてそのことを知ってるの?」
2人は同時に僕に聞き返した。

「実は僕は、浅田夏子さん……もといA子さんと知り合いなんです」
僕はポケットから折れた魔法の杖を取り出し、言った。

「そっか。A子から聞いたんだ」
伴場刑事……もといB子さんは言った。

「はい。この杖に関することはA子さんが全部話してくれました」
僕は言った。

「それじゃあ、私がその杖でA子を石化させたことも知っているの?」
千歳先生……もといC子さんは言った。

「ええ。その後バスケットのゴールに直撃されたって話も聞いています。……それにしても驚いたなあ。B子さんもC子さんもA子さんの話のイメージとは大分違っていたんで……」
僕がそう言うと、B子さんとC子さんは顔を赤らめる。

「……A子のやつ、高校時代の話ばっかりして最近のことは話してくれなかったんでしょう?」
C子さんは言った。

「いいえ、最近のことも話してくれましたよ。C子さんが事件の後で心のケアを受けたっていう話や、B子さんとA子さんがいじめをなくすための活動をしているっていう話も聞いていますし……」
僕は言った。

「……A子ったら、もう少し私達のことを具体的に言ってくれてもよかったのに。まあ、それはそれとして……」

B子さんは碧ちゃんの方に向き直った。

「この子を早く病院へ連れて行かなきゃね。……でっかい君、鹿目さんを持ってあげて」
「え?でっかい君って……?」

僕は周りを見渡した。

「あなたのことよ。あなたより大きい人はここにいないでしょ」
B子さんは僕に言った。

「えっ?で、でも……」
僕はとまどった。

碧ちゃんは細身だし、僕の力で持ち上げられなくはないだろう。……だけどそれは彼女が生身であればこそだ。

石化した碧ちゃんはどんな重さになっているか分かったもんじゃない。

下手をすれば僕は押しつぶされかねないだろう。

それに万が一碧ちゃんにひびでも入ったら……

「ほらっ!早く持つ!」
B子さんは言った。

「お願い。今の碧は自分で車に乗れないのよ。持ってあげて」
暁美ちゃんは泣きそうな顔で僕に頼みこむ。

これじゃ断れない。

「わ、分かりました。やってみます」

僕は転倒しないように一度足を開くと、碧ちゃんを持ち上げようとする。

予想以上にずしっときた。

「お、重い……!一体何キロあるんだ?」

「半戸さん、女の子に失礼よ」
真衣希ちゃんは言った。

「そうだよ。碧って体重軽い方なんだから」
暁美ちゃんは言った。

そんなことを言われても仕方がない。

僕はやっとこさっとこ碧ちゃんを担ぐと車に乗せることができた。

転倒しなくてよかった……いいや、それよりも碧ちゃんにひびが入ったりしなくて本当によかった。

「さあ、あなたも早く車に乗って。病院に行く途中で車が揺れたら、誰かが支えてあげなくちゃ鹿目さんは倒れちゃうでしょ」
B子さんは言った。

「は、はい」

僕は言われたとおりに車に乗り込む。

確かに、病院に着くまでは気が抜けないな。

「それじゃあ、C子はこの後私の後輩の刑事が来るまで生徒さん達を見ていてあげて。みんなには通り魔の目撃者として、事情聴取を受けてもらわなきゃならないから」
B子さんは素早く運転席に座ると言った。

「分かったわ。B子、気をつけて」
C子さんは言った。

……僕には何も言ってくれないのだろうか?



B子さんのドライブテクニックは確かにものすごかった。

混雑している道でもあっという間に走り抜ける。

それはいいのだが、碧ちゃんが倒れないように支える僕はえらい災難だった。

何度舌を噛みそうになったか分からないし、下手をすれば目を回しかねなかった。

だから僕は車が病院についた時には心底ほっとしたものだ。

……そしてほっとした直後にとんでもない事態に直面することになった。



B子さんの携帯電話が鳴った。

「……C子からか」

落胆した表情でB子さんは電話に出る。

「B子、ニュース見た?」
電話口から聞こえるC子さんの声も沈んでいた。

「うん。病院のテレビで見たよ」
B子さんは言った。

C子さんが言うニュースというのはとんでもないものだった。

それは今朝がたのこと、この仮想現実空間にある全ての病院や薬局から石化治療薬が回収されてしまったらしいのだ。

安全性に問題があるというのが回収理由だったため、病院側も回収に応じるしかなかったようだ。

そして僕等が駆け込んだ病院も例外ではなかった。

新しい治療薬が病院に届けられるのは明日以降になるそうだ。



「石化の状態があまり長く続くと元に戻れなくなるって聞いたんですが、碧ちゃんは……いいや、鹿目さんは大丈夫なんですか?」
僕は病院の先生に聞いた。

「鹿目さんは温度と湿度を一定に保った病室に寝かせていますから、元に戻れなくなるまでの時間を少しは延長できるでしょう。……しかし、それでもできる限り早く元に戻してやらねば手遅れになるやもしれません。」
先生は言った。

「……そんなのかわいそう過ぎるじゃないですか。何とかならないんですか?」
僕は言った。

「薬が届かないことにはどうしようもないんです」
先生は言った。

僕はため息をつくしかなかった。

「……半戸君、こんな時に悪いんだけど事情聴取を受けてくれるかしら?」
B子さんは言った。

「……分かりました。見たことを全部話します」
僕は答えた。

「ありがとう。それじゃあ車まで来て」
B子さんは言った。

僕は車の中で碧ちゃんと暁美ちゃんが襲われた時の詳細をB子さんに話した。

「……というわけなんです」
「なるほど。つまり事件のあった時にあなたが高校の校門にいたのは全くの偶然だったわけね」
「……はい。でも、念のために後で音美の話も聞いて下さい」
「分かったわ。……それより、あなたの手」

B子さんは包帯の巻かれた僕の左手に目を移した。

「……僕の手がどうしたんですか?」
僕は聞いた。

「どうしてあなたは石化しないのかなと思ってね」
B子さんは言った。

「……さあ、それは僕にも分からないんです」

僕がそう言った時、B子さんの携帯電話が音を立てた。

「あら?C子からだわ。……ちょっとごめんなさい」

B子さんは携帯電話を耳に当て、しばらくしてから携帯電話を僕の方に差しだした。

「白石さんって子があなたに話したいことがあるんだって」

「僕にですか?」

僕はB子さんから電話を受け取る。

「もしもし?」
「あっ、半戸さん……ザザザ……碧ちゃんを……ザザザ……」

真衣希ちゃんの声に雑音が混じっている。

「ちょっと待って。電波の状況がよくないみたいだ」

僕は携帯電話の電波が届きやすくなるように車から降りた。

とたんに何者かが僕の胸ぐらをつかんだ。

「き、貴様か!碧を石化させたのは!」

男性の声が僕の耳をつんざく。

「この人殺し!碧を返して!」

今度は女性の声だ。

「うぐえーっ!ひ・人違いですよ。ら・乱暴はやめて下さい」
僕は慌てて言った。

「お父さん、お母さん、落ち着いて下さい。この人は犯人ではありません」
B子さんは言った。

……この人達は碧ちゃんのご両親なのだろうか?

「何、違う……?そ、それは失敬」

碧ちゃんのお父さんはようやく僕を放してくれた。

「ふう。……僕の方が心臓が止まるかと思いましたよ」
僕は言った。

「刑事さん、それじゃあ碧を石にした犯人は一体……?」
碧ちゃんのお母さんはB子さんに聞いた。

「……まだ分かっていないんです」
B子さんは言った。

もちろん碧ちゃんを石化させたのは例の甲冑姿の石像だが、B子さんが分からないと言ったのは甲冑姿の石像を操っていた何者かのことだった。

「そうなんですか。……刑事さん、碧は助かるんですよね?」
碧ちゃんのお父さんは聞いた。

「……何とも言えないそうです」
B子さんは俯いて答えた。

「……」

碧ちゃんのご両親も俯いてしまった。

僕は碧ちゃんのご両親に何か声をかけたかったが、何と言っていいのか分からなかった。

少しの間沈黙が流れた。

その沈黙を破ったのは通話中になったままの携帯電話だった。

「ねえ!ちょっと!半戸さんってば!私の話を聞いてよ!」

真衣希ちゃんの怒った声を聞いて、僕は急いで携帯電話を耳に当てる。

「ごめん。どうしたの?」

「病院に万能薬も金の針もないそうね。でも、ひょっとしたら金の針や万能薬以外に碧ちゃんを元に戻す方法があるかもしれないんだ」

真衣希ちゃんの言葉に、B子さんと碧ちゃんのご両親も僕の方を見る。

「それ本当かい?まさかエスナじゃないよね?」
僕は聞いた。

「違うわよ。詳しいことは半戸さんがこっちに来てから話すから」
真衣希ちゃんはそう言ってから電話を切った。

「半戸君、すぐに白石さん達と合流しましょう。もう1度車に乗って。……お父さんとお母さんは碧さんに付き添っていてあげて下さい」
B子さんは言った。

「分かりました。どうかよろしくお願いします」
碧ちゃんのご両親は頭を下げた。



車の中で、僕はずっと気をもんでいた。

僕につかみかかってきた時の碧ちゃんのご両親の声は本当に悲痛なものだった。

悲しみと怒りの入り混じったあの声は、もう2度と聞きたくなかった。

「半戸君、どうしたの?鹿目さんを元に戻す方法を白石さんが教えてくれるかもしれないのに暗い顔をして」
B子さんは言った。

「……僕、被害者にはなりたくないけど加害者にもなりたくないです。加害者と間違われるのも2度とごめんです」
僕は言った。

「……そう。その気持ちは絶対に忘れないでね」
B子さんは言った。

「はい。絶対に忘れることはないと思います」
僕はそう言った。



間もなく車は高校に……。あれっ?高校を通り過ぎてしまった。

「B子さん、高校を通り過ぎましたよ」
僕は言った。

「そりゃ通り過ぎるわよ。C子や白石さん達と合流するんだもん」
B子さんは言った。

「……C子さんも真衣希ちゃんも高校にいるはずじゃ……」
僕は首を傾げる。

「忘れたの?あそこに居合わせたみんなは事情聴取を受けるために警察署にいるんだよ」
B子さんは言った。

……そうだったっけ?



車が警察署に到着すると、見覚えのある赤毛の少女が近づいてきた。

B子さんの言う通り、真衣希ちゃん達は警察署にいたようだ。

「半戸さん、待ってたよ」
真衣希ちゃんは言った。

「真衣希ちゃん、さっそくだけど碧ちゃんを元に戻せるかもしれない方法って一体何なんだ?」
僕は聞いた。

「半戸君、白石さんもここじゃなんだから中で話そうか」
B子さんは言った。

「……そうですね」

僕等は建物の中に入った。

真衣希ちゃんの同級生達が事情聴取を終えて帰る所だったらしい。

彼等は談笑しているようだった。

「模試が中止になってよかったね。」
「そうだな。さっさと帰ってテレビゲームでもやるか。」
……などとひどい会話だ。

彼等を叱責したのは暁美ちゃんだった。

「あんた達最低!碧が大変な時によくそんなことを言っていられるわね!」

暁美ちゃんの目には涙がたまっていた。

なぜか僕はそんな暁美ちゃんから目を背けようとしていた。

激昂する暁美ちゃんの声とその姿が、先程の碧ちゃんのご両親の姿と重なったからだろうか?

「斎藤さんの言う通りよ。友達が辛い目にあっているのに平気でそんなことを言うなんて許されることじゃないわ」
B子さんは言った。

斎藤さん……?暁美ちゃんの名字か。

「……」

彼等は俯いた。さすがに罪悪感があったらしい。

暁美ちゃんは顔を手で覆い隠し、泣いている。

僕は俯いている生徒達と暁美ちゃんを交互に見た。

目を背けずに彼等に声をかけようとするべきじゃないか。

そう思い……

「……暁美ちゃん、泣くなよ」

僕の口から出たのはそんなしようのない言葉だった。

胸の辺りが熱くなった。……という表現をすると誤解されるかもしれないが、これは暁美ちゃんの涙だ。

僕は暁美ちゃんの背中をなでてやりながら、今度は俯いている生徒達に声をかけた。

「……そんなに落ち込まなくてもいいよ。僕にも経験がある。……僕は小学生の時に宿題を忘れたことがあって、その日はたまたま先生が出張でいなかったんだ。先生がいないことを知った時はほっとしたよ。……僕はその時のことを今頃になって反省してる」

またしようのないことを言ってしまった。

彼等が今置かれている状況と僕の宿題忘れでは状況が違いすぎるではないか。

彼等は1度お互いに顔を見合わせると、暁美ちゃんに声をかけた。

「……暁美、ごめんね。……碧が元に戻ったら、碧にも謝るよ」
「……俺、テストは嫌いだけど、碧ちゃんが助からないようなことになったらもっと嫌だ」

そこへ事情聴取を終えたばかりらしいC子さんがやってきた。

「みんな、鹿目さんのお見舞いに行く?」

C子さんの言葉にみんなは頷いた。

さすが先生だ。



真衣希ちゃん以外の生徒達がC子さんに連れられて病院へ向かった後、真衣希ちゃんは話しはじめた。

「私は…お姉ちゃんもそうなんだけど、現実世界にいる人のイラストから生まれたんだ。私とお姉ちゃんのイラストを描いてくれた人のハンドルネームは牙行さんっていうの」

「……牙行さん?イラストレーターさんなんだったら画業っていう字を使いそうだけどな……」
B子さんは言った。

「牙行っていう字は多分当て字なんだろうけど……ともかく、その人をアバターとしてこの世界に連れて来れば、碧ちゃんを元の人間に戻してくれるかもしれないのよ」

真衣希ちゃんの言葉に僕は驚いた。

「えっ?牙行さんって現実世界の人間なんだろう?どうしてそんな能力を持っているんだい?」
僕は聞いた。

「もちろん、現実世界にいる牙行さんはそんな魔法みたいな能力は持っていないわよ。でも、彼は女の子を繰り返し石化させたりするのが人並み外れて好きだから、アバターになれば人を石化させたり元に戻したりする能力を身につけられるわ」
真衣希ちゃんは言った。

「大丈夫なの?そんな人を連れてきて?半戸君が言っていたアバター達みたいに鹿目さんを飾り物にしようとするかもしれないじゃない?」
B子さんは言った。

「……でも、牙行さんは真衣希ちゃんの生みの親みたいなものですし、もしかしたら僕等の味方になってくれるかもしれませんよ。牙行さんにかけてみましょう。……間に合うかどうか分からない石化治療薬を待つよりは、少しでも可能性のある方にかけるべきですよ」
僕は言った。

「……それもそうね」
B子さんは言った。

「決まりね。それじゃあ半戸さん、牙行さんをアバターとしてこの世界に連れてきて」
真衣希ちゃんは言った。

「え?」
僕はきょとんとした。

「え?じゃなくて、牙行さんをこの世界に連れて来られる人がいるとしたら、あなたくらいじゃない。あなたは牙行さんのいる現実世界から来たんでしょう?」
真衣希ちゃんは言った。

「その……実は、僕はどうやってこの仮想現実空間に来たのかよく覚えていないんだ。音美に連れて来られたってことしか覚えていなくて……」
僕は言った。

「えっ?半戸さん、自分の意思でこの世界に来たんじゃないの?……それに音美さんは元々この世界の住人なんだよね。どうして現実世界にいた半戸さんをこの世界に連れてきたりできたの?」
真衣希ちゃんは言った。

「……その、悪いんだけど、全然覚えていないんだ」
僕は言った。

「……それじゃあ、音美さんに聞くしかないみたいだね」
真衣希ちゃんは言った。

「音美に電話してみます。電話を貸してもらえますか?」
僕はB子さんに言った。

「ええ、いいわよ。」
B子さんは携帯電話を貸してくれた。

音美の電話番号は090-XXXX-XXXXで……

つながらない。何度かけても音美は電話に出なかった。

「……困ったな」

すると、真衣希ちゃんはとんでもないことを言い出した。

「半戸さん、音美さんが電話に出られないんだったら、いっそのことアパートに1度帰って音美さんの部屋に牙行さんをこの世界に連れてくるヒントがないか探してみたら?」

「そ、そんなことできないよ」
僕は慌てて言った。

「半戸さん、早く牙行さんを呼ばないと碧ちゃんが危ないんだよ」
真衣希ちゃんは言った。

……仕方がない。

音美には悪いが、真衣希ちゃんの言う通りにするしかないようだ。



第3部へ続く……



[35954] もし目の前で女子高生が石化したら…… 第3部
Name: ハンドル◆60815e14 ID:132352f6
Date: 2012/12/02 22:31
同居人とはいえ、女の子の部屋を勝手に捜索するというのは……正直言って罪悪感でいっぱいだ。

「半戸さん、何か見つかった?」

そう聞いてくる真衣希ちゃんの頬は掌形に腫れあがっていた。

今朝の悪戯の罰として、真衣希ちゃんは千鶴さんからお仕置きをされたのだった。

それにしても、真衣希ちゃんは傷ついていないだろうか?

千鶴さんが怒っていたのはもちろん当然だろうが、いくらなんでもあの言い方はないと思う。

『碧ちゃんじゃなくてあんたが石になればよかったのよ。そうなれば私はどれだけ気楽になれるか分からないわ』

千鶴さんはそう言ったのだった。

「……半戸さん、どうしたの?さっきから私のことをちらちら見てるけど。……ひょっとして、私のかわいらしさに惚れた?」
真衣希ちゃんは言った。

「いいや、その……お姉さんが言ったことを真衣希ちゃんは気にしていないかなと思ってさ」

僕がそう言うと、真衣希ちゃんは激しく首を左右に振った。

「鬼婆の言うことなんかいちいち気にしちゃいないわよ。それより牙行さんを呼ぶヒントを早く見つけよう」

……無理に気にしないふりをしているということがよく分かる反応だ。

「ねえ、半戸君。この本棚を見て」
B子さんは言った。

「えっ?本棚ですか?」

僕はB子さんの言う通り本棚を見る。

「ほら、これ。葉月さんの日記よ」

B子さんが指差す先にあるノートには、分かりやすく日記帳と書いてあった。

「本当だ。半戸さん、読んでみよう」

真衣希ちゃんは日記帳を本棚から引っ張り出した。

「いいや、いくらなんでもそれは……」

僕は真衣希ちゃんを止めようとしたが……

「碧ちゃんを元に戻すためよ。音美さんだって許してくれるわ」

真衣希ちゃんはさっさと日記帳を開く。

「書き初めは2006年……つまりは今年の4月1日ね。今日は5月20日だから、音美さんは割と最近から日記を書いていたんだ」

真衣希ちゃんの言葉に僕は奇妙な違和感を覚えた。

確かに今年は2006年だし、今日は5月20日だ。……なのになぜかそれに違和感を覚えてしまうのだ。

真衣希ちゃんは日記を読み始めた。


4月1日(土)……

今日は会社の科学部最高顧問の九十九博士の実験が開始される日だ。


突然B子さんが身を乗り出した。

「九十九?!その博士の下の名前って、まさか宝子なんじゃ……?」

「B子さん、この博士の名前に心当たりがあるんですか?」
真衣希ちゃんは聞いた。

「1年くらい前に、葉月さんが勤めているっていうこの会社で、当時の科学部最高顧問だった甘粕陽美っていう科学者の失踪事件があったのよ。その時に事件の重要参考人として私が取り調べたのが、当時甘粕博士の右腕だった九十九宝子だったの。……もしここに書いてある九十九博士って人が九十九宝子なら、彼女は失踪した甘粕博士に代わって会社の科学部最高顧問の椅子を手に入れたってことになるわね」
B子さんは言った。

「……そう言えば、一度音美が酔って僕に愚痴ったことがあります。何で九十九博士みたいな人が科学部最高顧問なんだろう。甘粕博士に戻ってきてほしいって……」
僕は言った。

「えっ?葉月さんって未成年なんじゃ……?まあ、ここの法律では喫煙も飲酒も年齢制限はないから、別にいいんだけどね」
B子さんは言った。

「それなんですよ。僕はいつも音美にアルコールはよせって言っているんですけどね。音美は、『私は22歳だからいいの!』の一点張りで……。本当は16歳なのに……」
僕は言った。

「……だけど、その九十九博士がB子さんの言う九十九宝子と同一人物なら、音美さんが勤めている会社はどうして元の科学部最高顧問だった人の失踪に関係があるかもしれない人を昇進させたりしたのかしら?」
真衣希ちゃんは言った。

「九十九宝子は相当の権力者でね。会社の実権はほとんど彼女にあるようなものなのよ。それに彼女は財界に顔が利いているから……」
B子さんはそこまで言って苦虫をかみつぶしたような顔になった。

「……察しますよ。B子さん」
真衣希ちゃんは言った。

僕にもだいたいの予想はつく。

警察の上層部が財界に圧力をかけられ、甘粕博士の失踪事件の捜査は取りやめになった……といったところだろうか?

B子さんはいわゆる熱血刑事のようだから、よほど悔しかったに違いない。

「……にしても科学部か。この会社って一体何の会社なんだろう?」

僕がそう言うと、真衣希ちゃんとB子さんは驚愕の視線を僕に向けた。

「ちょ、ちょっと待って。半戸さん、この会社のOLの音美さんと同居しているのに、この会社が何の会社なのか知らないの?」
真衣希ちゃんは言った。

「全然。音美はこの会社の社名さえ教えてくれないからさ。音美が会社のことで僕に何かを話したのは、酔って愚痴った1回だけなんだ。……音美が酔いからさめた後に九十九博士と甘粕博士の話を詳しく聞こうとしたんだけど、女の子の独り言に干渉するなって怒られたよ。」
僕は言った。

「……」

真衣希ちゃんとB子さんは顔を見合わせる。

「……とにかく、日記の続きを……」


現実世界の人間は自分の住む世界とこの仮想現実空間の区別をつけられるかという実験だが、その内容はまず現実世界の明日……すなわち4月2日、午前5時に存在する適当な人物を選んでアバターとしてこの仮想現実空間に連れ込み、その直後に現実世界の同日午前6時から現実世界の別の人間をアバターとしてこの世界に連れ込めるかというものだった。

九十九博士が考え出した方法で現実世界に住む人間を仮想現実空間に連れ込むと、その人間が現実世界に帰るまでの間、現実世界では時間が止まる。……すなわち、仮想現実空間に連れ込まれた人間が現実世界に帰らなければ現実世界の時間は永久に止まったままとなってしまうのだ。

現実世界から来たアバターが自分のいた世界に帰れなくなるとしたら、その理由はただ1つ。……自分がいた現実世界と仮想現実空間の区別をつけられなくなった時だ。

よって、現実世界の2日の5時からアバターが連れ込まれた後に、現実世界の同日6時からアバターを連れ込むことができれば、少なくとも5時から来たアバターは自分のいた現実世界と仮想現実空間の区別をつけられるということになる。

私はこの実験には反対だった。

もしも現実世界の時間が2日の5時で止まれば、この仮想現実空間の時間も2日の5時で止まってしまうかもしれないからだ。

だが、研究員の末端にさえ加われないしがないOLの私の意見など、九十九博士には聞き入れられなかった。

私にできることといえば、現実世界から連れて来られる人間が自分のいた現実世界と仮想現実空間の区別をつけられるよう、祈ることくらいだろう。


「九十九博士はマッドサイエンティストなのかな?」
僕は言った。

「ねえ、半戸君。あなたが自分の意思でこの世界に来たんじゃないとしたら、ひょっとしてあなたは現実世界の4月2日の5時から連れて来られたっていう実験用アバターなんじゃない?」
B子さんは言った。

「……多分違いますよ。僕は音美にこの世界に連れて来られたはずなんですし……」
僕は頭をかきながら言った。

「どっちにしてもここまでじゃヒントが少ないから、もう少し読んでみますね」
真衣希ちゃんは言った。


4月2日(日)……

昨夜から私はA子さんの教会で震えていた。

教会の柱時計の針が5時に近づくにつれ、震えは大きくなる。

九十九博士の恐ろしい実験のせいで、もしかしたら永遠に時間が止まってしまうんじゃないかと思うと、私は怖かった。

だけど……

「怖がらないで。神様がついていてくれるわ。」

A子さんが優しく声をかけてくれたおかげで、私はいくらか楽な気持ちになれた。

柱時計がついに5時を知らせた。

時間は……止まらなかった。

私はとりあえずほっとしたけど、6時になるまでは油断はできない。

……と思っていたけど、6時になっても時間は止まらなかった。

教会では静かにしなければいけないということも忘れて私ははしゃいでしまいそうになった。

きっと九十九博士に連れて来られたアバターがちゃんと自分のいた現実世界とこの仮想現実空間の区別をつけてくれたのか、それとも現実世界の時間が今日の5時に止まれば、この世界の時間も今日の5時に止まるかもしれないという私の考えが間違っていたのかなのだ。

安心すると眠くなった。

家に帰って寝ることにしよう……


「まだヒントが足りないわね」
B子さんは言った。

「続きを……」
真衣希ちゃんは日記を読み続ける。


4月3日(月)……

出社した私は驚愕の事実を知ることとなった。

九十九博士は現実世界の2日の5時と6時にいた人間をアバターとしてこの仮想現実空間に連れ込んだ後、さらに2日の7時、そしてもっと後の時間からも次々にアバターを連れ込んでいたのだ。

どうやら九十九博士は、現実世界の人間の中には現実世界と仮想現実空間の区別をつけられない者が必ずいるという仮説を立てており、どうしてもそれを証明したかったらしい。

私が出社したときに連れ込まれていたアバターは、なんと現実世界の2007年、すなわち今から1年後から来たということだった。

このまま現実世界の人間がアバターとしてこの世界に連れ込まれ続ければ、いずれは九十九博士が探しているような現実世界と仮想現実の区別がつかない者が現れるかもしれない。

私は再びその恐怖にかられることとなった。

だが、その恐怖は意外な形で払拭されることとなった。

それは、アバターの1人が混乱して九十九博士につかみかかり、九十九博士の護衛に射殺されるという痛ましい事件に端を発した。

死亡した……というよりも壊れたアバターから抜け出た人間の意識の行方が大至急調べられたが、その意識はなんと現実世界へ戻っていたのだ。

すなわち、アバターが自分のいた現実世界と仮想現実世界の区別がつかなくなった時には、最悪の場合はアバターを破壊すればその意識を現実世界にある本体に返すことができ、現実世界の時間はまた動くようになるわけだ。

思わずそんなことを考えた私は自分を恥じた。

非人道的なことを考えるようになれば、人間として失格ではないか。


「……音美さん、葛藤してたんだね」
真衣希ちゃんは言った。

「葉月さんが半戸君に会社に関する話をしたがらなかったのは、こういう理由があったからかもしれないわね。半戸君に軽蔑されるかもしれないと思ったんじゃないかしら?」
B子さんは言った。

「……」
僕は何と言っていいのか分からなかった。

「……とにかく続きを……」


4月7日(金)……

相変わらず九十九博士の実権は続いている。

だが、私は前ほど恐怖感を持っていなかった。

九十九博士が考えているような現実世界と仮想現実空間の区別をつけられない人間などいないに違いないと私はたかをくくり始めていたのだ。

それならば、九十九博士がこのまま実験を続けることを黙認し続けるべきではないだろうかとさえ私は考えていた。

九十九博士が間違った説を唱え続け、無意味な実験に莫大な費用をかけているという風に大勢の人に思わせられれば、九十九博士は失脚するかもしれない。

そんな考え方をしていたためか、現実世界の人間をアバターとしてこの世界に連れ込む作業を手伝わないかと誘われた時、私はその誘いを受けてしまった。

渡されたメモを見る限り、現実世界の人間をアバターとしてこの世界に連れ込むのは難しい作業ではなさそう……


「これだわ!ねえ、半戸さん。音美さんは手紙とかメモなんかを渡されたら、どこにしまってる?」
真衣希ちゃんは聞いた。

「……確か音美はそういう手紙やメモは状差しに入れていたと思うよ。」

……真衣希ちゃんに教えずに自分で状差しを調べるべきだったか……

真衣希ちゃんは即刻状差しをひっくり返す。

状差しの中からは……あまり詳しく言うと音美がかわいそうなので、言わないでおこう。

「見て!あったわよ」

真衣希ちゃんはメモを振って見せる。

「今、この場でできる方法だわ。すぐに牙行さんを呼びましょう」
真衣希ちゃんは大はしゃぎで言った。

「待って。それは九十九宝子……なのかどうかは分からないけど、日記にあるマッドサイエンティストが考え出した方法でしょう。もし牙行さんがこの世界と自分の住む現実世界の区別がつけられなかったら……」
B子さんは心配そうだ。

僕も心配だった。

僕は確かに先程牙行さんを呼ぶことに躊躇いなく賛成したが、それは日記に書いてあるようなリスクがあるとは思わなかったからだ。

「B子さん、それは大丈夫ですよ。だって……」
真衣希ちゃんはそう言いながら自分の顔を指差す。

「……?」
真衣希ちゃんの言うことの意味が分からず、僕とB子さんは顔を見合わせる。

「いくらなんでも、牙行さんは自分が作り出したキャラクターがいる世界を現実世界と混同したりはしませんよ。それに牙行さんは自分が作っているホームページに、『現実と空想の区別をつけられないとお考えの方もご遠慮願います。』って書いているくらいですから、間違いなく現実世界とこの世界の区別をつけてくれるはずですよ」
真衣希ちゃんは言った。

「……それもそうね。だけど……」
B子さんは腕組みをして考え込む。

「マッドサイエンティストが考え出した方法で牙行さんをここに連れてきたりして、万が一にも牙行さんの身に何かあったら……」
僕は言った。

「半戸さん、自分がいい例じゃない。あなたは全くの無事でしょう。……それに、早く碧ちゃんを助けてあげたいじゃない」
真衣希ちゃんは言った。

「……分かった。いざって時には、私が責任を持って牙行さんを現実世界に返してあげるわ」
B子さんは言った。

……B子さんのその言葉の裏には、拳銃を使うという意味が込められていそうで怖い。

牙行さん、B子さんに拳銃を使わせないためにも、どうか現実世界と仮想現実空間の区別をつけられる人であってくれ……

「まずはパソコンを起動させるみたい。……半戸さん、テーブルの上にあるパソコンを使わせてもらうわね」

真衣希ちゃんが指差しているパソコンは音美と僕が共同で使っているものだ。

「……いいけど、音美のフォルダーは絶対に見ちゃだめだよ。これ以上音美の個人情報をもらすわけにはいかないからね」

僕はテーブルの上にさらされている手紙やメモを状差しにしまいながら言った。

日記もちゃんと元あった場所に戻す。

日記には僕がこの世界に来た時のことも書いてあるかもしれないし、もう少し見たいという気持ちはなくもないのだが、必要な情報は得たし、これ以上音美の個人情報を詮索してはならない。

碧ちゃんを助けるためとはいえ日記や手紙を僕等が見たことを知ったら、音美は許してくれるだろうか?……やっぱり怒るだろうな……。

パソコンが不気味な音をたてはじめたのはその時だ。

「ど、どうなってるの?!」
真衣希ちゃんは慌てている。

すると……

「ソレハコチラガ聞キタイ!私ハゴ主人様ト隆一以外ニ触レラレテハナラヌノダ!オ前ハ一体誰ダ?!」

「ひっ!」
真衣希ちゃんは思わず手をひっこめた。

「ぱ、パソコンがしゃべった?!」
B子さんも驚いている。

「ど、どうなっているんだ?」
僕は言った。

「オイ、隆一。答エテクレ。今私ニ触ッタアバズレハ一体何者ダ?」
パソコンは言った。

「あ、アバズレですって?!私は……ギャース!」

真衣希ちゃんは椅子から転がり落ちた。

「お、おいおい!えっと……パソコン、何をやったんだ?真衣希ちゃん、大丈夫か?」
僕は言った。

「痺れた~。何すんのよ~!」
真衣希ちゃんはパソコンに怒る。

どうやら真衣希ちゃんの身体に軽度の電流が走ったようだ。

「オ前ニハ何モ聞イテイナイ!私ハ隆一ニ答エテホシイノダ」
パソコンは言った。

「きーっ!憎たらしいパソコンね!」
真衣希ちゃんは言った。

「この子は隣の部屋に住んでいる白石真衣希ちゃんだよ。……それにしても、どうしてパソコンなのにしゃべれるんだ?」
僕は言った。

「ナ、ナント!私ガシャベレルコトヲ忘レテイタナンテ……!隆一、私トオ前ハ一度話シタコトガアルデハナイカ!私傷ツイタゾ!」
パソコンは言った。

「……ごめん」
僕は謝った。

どうも今朝から忘れっぽい。

「……マア、覚エテイナイノモ仕方ナイカ。オ前ト話シタノハ、オ前ガココニ来タ時ノ1回キリダッタカラナ。アレ以来ゴ主人様ハ私ニ余計ナコトヲ話スナト命令サレテ……ズット黙ッテイタンダ」
パソコンは言った。

「……そうだったのか。でも、音美は余計なことを話すなって言っただけで、ずっと黙っていろって言ったわけじゃないんだろう?」
僕は言った。

「ゴ主人様ハ私ノ言ウコトハ全テ余計ナコトダトモ言ッタンダ!ダカラ私ハズット黙ッテイルシカナカッタンダヨウ!」

無表情だから分からないが、パソコンは泣いているようだ。

「……それは気の毒だ。……ひょっとして僕が原因だとしたらごめんね。音美が帰ってきたら、君が話してもいいように説得してみるよ」
僕は言った。

「グスッ……アリガトウ。デモ、ゴ主人様ガ帰ッテ来タ時ニ隆一ガ真ッ先ニスベキハ、ゴ主人様ノ日記ヲ勝手ニ見タコトヲ謝ルコトダロ」
パソコンは言った。

「……ちゃんと見てたのね。……申し訳ない」
僕は頭をかいた。

「私ニ謝ッテモ仕方ガナイヨ。……トコロデ、私ニ触ッタトイウコトハ、何カ用ナノカ?」
パソコンは言った。

「今、死にかけている子供がいるの。その子供を助けられる人は現実世界にいるから、アバターとしてここに連れて来なきゃならないのよ。そのために、パソ子さんには大至急起動してもらわなきゃならないわ」

僕の代わりにB子さんが説明する。……ちょっと待った!今、B子さんはパソコンのことを何て呼んだ?!

「ナ、ナゼアナタガ私ノ名前ヲ知ッテイルンダ?」
パソコンは驚いている。

「だって……」
B子さんはパソコンの片隅に目を移す。

そこには片仮名でハツキネミ、ハンドリュウイチと書いてあった。

……いいや、よく見ると僕の名前のハとリとチの部分が変だ。他の部分を無視すれば、確かにパソ子と読めなくもない。

「仕事柄、常日頃から観察力は持ってなきゃならないからね」
B子さんは警察手帳を出し、言った。

「サスガ刑事サンダ。ソコニイルアバズレトハ違ウナ」
パソ子は言った。

「むっかー!何て厭味なパソコンなの?!」
真衣希ちゃんは怒っている。

「まあまあ。真衣希ちゃん、押さえて。とにかくパソコン……いいや、パソ子。頼む」
僕は言った。

「OKダ」

パソ子の起動音が鳴る。

「真衣希ちゃん、メモを見せて」
僕は言った。

「どうぞ。これの通りにやればきっと牙行さんは来てくれるわ」
真衣希ちゃんは言った。

僕は真衣希ちゃんからメモを受け取ったが……

「……あれ?」

どういうわけか、視界に亀裂が入っている。……眼鏡にひびが入ってしまった!

考えてみれば、今日は石像に体当たりしたり胸ぐらをつかまれたりと衝撃に見舞われることが多かった。

気付かないうちに眼鏡には小さな傷ができていて、今何かの拍子で大きなひびが入ってしまったのだった。

仕方がない。僕は眼鏡を外した。

「B子さん、すみませんけど、代わってもらえますか?」
僕は振り返って言った。

「ええ、いいわよ」
B子さんはそう言ったが……

「ダメダ!私ニハ指紋認証しすてむガ付イテイルンダ。忘レタノカ?」
「……そうだったっけ?」
「ソウトモ!」
「……仕方がない。僕がやるしかないのか」

一応、キーボードの文字はちゃんと見える。

しかし、メモ用紙に書いてある文字は見づらい。

僕はB子さんにメモを読んでもらいながら作業を進めた。

「……最後はTに適当な日付と時間を、Lにはこの世界の今日の日付と時刻を入力して。2~3秒くらいのずれなら修正できるそうだけど、なるべく正確にね」
「……適当な時間というと?」
「現実世界の時間よ。その時間に牙行さんが存在していれば、牙行さんの意識にアクセスできるそうよ」
「……それじゃあ、時間は慎重に選ばないとだめですね。変な時間に呼び出したりしたら牙行さんに迷惑だし……」
「いいや、そこは本当に適当な時間でいいと思うわよ。何しろ牙行さんがこっちに来たら、向こうの時間は止まるんだから」
「……」

僕はまず、Tに適当な日付と時間を打ち込んだ。

ブーッ!エラー!

「適当な時間でいいはずじゃないんですか?」
僕は言った。

「そのはずなんだけど……。あら?」

B子さんがパソ子の画面を覗き込む。

僕もつられてパソ子の画面を見る。

Tには独りでに数字がならんだのだ。

2012年6月2日(土) 午前6時

「パソ子、お前がやったのか?」
僕は聞いた。

「私ノ意思デハナイ」
パソ子は言った。

2012年っていったら6年も先か……

「仕方がないわ。牙行さんには6年先の現実世界からここまで来てもらいましょう。とにかくLに今日の日付と時刻を入力して」

B子さんの指示通り、僕はLに2006年5月20日(土) 午前9時47分23秒と打ち込んだ。

パソ子の画面には……

牙行さんの意識にアクセスします。

「ふーっ。これで牙行さんが来てくれる」
僕は汗を拭いた。

「まだよ。今は牙行さんの意識にアクセスしているだけなの。牙行さんをアバターとしてここに呼ぶには、最後の作業を終わらせなきゃならないわ」
B子さんは言った。

「最後の作業……?そうでした。アバターの設定をしなきゃならないんですね」
僕は言った。

「そうよ。しかも牙行さんが気にいってくれるアバターじゃなきゃだめ」
真衣希ちゃんは言った。

「牙行さんが気にいってくれるアバターか……作れるかな?」
僕は心配だった。

「まあ、ほとんど心配しなくていいんじゃない?アバターの設定は牙行さんの意識がほとんど自分でやってくれるだろうから」
真衣希ちゃんは言った。

間もなく、アバターの設定に関する指示がパソ子の画面に映る。

1. 本名を入力して下さい。
2. 生年月日を入力して下さい。
3. 性別を入力して下さい。
4. インターネット上のハンドルネームを入力して下さい。

1は□□さん、2はX年Y月Z日、3は男性、4は牙行さんだ。

まあ、1から4までは僕が入力しなくても(……というより1と2は知らなかったから入力できないわけだが……)牙行さんの意識が入力してくれた。

さて、次は……

5. アバターの容姿を入力して下さい。

「キーボードで入力できるか!」
僕は思わず突っ込んでしまった。

「大丈夫ダ。牙行サンノ意識ニアル容姿ガ投影サレルノヲ待テバイイ」
パソ子は言った。

「まあ、半戸君がそうだと思うけど、ここで出てくるアバターの容姿は本人そっくりになることが多いそうよ」
B子さんは言った。

だが、パソ子の画面に浮かび上がったのは……

「チョウチンアンコウ?」

「牙行さんって、こんな顔してるの?」
B子さんは真衣希ちゃんに聞いた。

「そんなわけないじゃないですか!牙行さんは人間ですよ。何でこんなチョウチンアンコウみたいなアバターになっちゃうの?」
真衣希ちゃんは情けなさそうな顔をした。

「……まあ、これは牙行さんの意識が作り出した容姿なんだから、牙行さんがこれでいいと言われるのなら……」

とにかく最後の項目は……

6. アバターの名前を入力して下さい。

「これも牙行さんに任せましょうか」
僕は言った。

「それがいいわね」
真衣希ちゃんは言った。

だが、そうは問屋が卸さなかった。

6に牙行という文字が入力される。

ブーッ!エラー!

「な、何で?!」
僕は思わずそう言った。

「6は人の名前とみなされる名前を入力しないとエラーになるそうよ。何か名前らしい名前を入れなきゃいけないって書いてある。後、アバターの設定は1度エラーになると、牙行さんの意識による入力ができなくなるみたい。仕方がないから半戸君が牙行さんに気にいってもらえる名前を考えて入力するしかないわね」
B子さんは言った。

……ひょっとすると、僕もこの世界に連れて来られた時にこうなったのかも知れない。

ハンドルという名前では人の名前として受け入れられなかったために、音美が半戸隆一の名を入力したのだろう。(セシルやバッツの名前を入力されそうになったのも頷ける。)

牙行さんのアバターの名前は……牙行さんの本名ではだめだろう。

この世界はインターネットと直結しているし、別の名前を考えるべきだ。……それも牙行さんが納得してくれるものでなくては……

「真衣希ちゃん、牙行さんが好きなものを教えてくれるかな?」
僕は言った。

「女の子の固めやmessyだよ」
真衣希ちゃんは答える。

「……そうじゃなくて、名前のヒントが欲しいんだ」
僕は言った。

真衣希ちゃんは少し考える。

「……ドラゴンクエストやファイナルファンタジーかな。特にファイナルファンタジーは固め要素があるしね」
「……じゃあ、ドラゴンクエストの主人公の名前を牙行さんはどうしてた?」
「確か……」

僕は真衣希ちゃんが言った名前を入力する。

ブーッ!エラー!

理由は名字を入れなかったかららしい。

今度は真衣希ちゃんが言ったドラゴンクエストの主人公の名前に適当な名字を付けてみる。

ブーッ!エラー!

僕は頭を捻った。

現実世界で僕がインターネットを見る時に使うハンドルネームはハンドルで、半戸隆一はそれをもじったものだ。

ひょっとすると、牙行さんのアバターの名前も、牙行をもじったものにすればいいのではなかろうか?

日向鏡太郎……僕は6にそう入力してみた。

実際にあってもおかしくない名前だし、名前判定にはひっかからないだろう。

後は牙行さんがこの名前に納得してくれるかどうかだが……

パソ子の画面に映った牙行さんの感想は『まあ、いいか』だった。

ついに牙行さんのアバターが完成した。

後は牙行さんがアバターとしてここにやってくるのを待つだけかと思われたが……

「半戸君、気をつけて!アバターが完成したらすぐにその場を離れるように書いてあるわ!」
B子さんが慌てて言った。

「えっ……?」

次の瞬間、僕の頭に衝撃が走った。



「……半戸君、半戸君、しっかりして」

優しい女性の声が僕を起こした。

目の前がまだぼやけているが、どうやら僕を起こしてくれた女性は尼さんのようだった。

「大丈夫?起きられる?」
尼さんは言った。

「は、はい。大丈夫です」

僕は起き上がったが、まだ頭が痛い。

「……ところで、あなたは一体……?」
僕は聞いた。

「まさか、半戸君たら頭を打った背いで記憶を失くしたの?」
尼さんは驚いている。

頭を打ったせい……というか、僕は今朝から何かと忘れっぽい。

目の前にいる尼さんは僕のことを知っているようなのだが、僕は尼さんの顔に覚えがなかった。

……いいや、違う。尼さんの顔に覚えがないのではなく、尼さんの顔が判別しないからどこの誰なのか分からなかったのだ。

だが、尼さんの声には聞き覚えがある。このきれいな声は……

「……A子さん、どうしてここに?」
僕は言った。

「チャリティイベントの準備が済んだから、音美ちゃんと半戸君に知らせようと思って電話したのよ。そしたらなぜかこの部屋の電話にB子が出て、半戸君が大変だって言うから急いで駆け付けたってわけ。……でも、あまりひどい怪我をしていなくてよかったわ」
A子さんは言った。

「心配をかけてすみません。……そうだ!僕は、現実世界にいる牙行さんっていう人を呼ぼうとしていたんです」
僕は言った。

「話はB子から全部聞いているわ。安心して。牙行さん……いいえ、日向さんならちゃんといるわよ」

A子さんがそう言って指差す先にいたのは……

「……チョウチンアンコウ?」

考えてみれば僕は失礼な言い方をしてしまったものだ。

「吾輩はチョウチンアンコウに見えなくもない外見をしているが、人間だ。吾輩の名は牙行。……いいや、今は日向鏡太郎と名乗るべきかな?」
彼は言った。



第4部へ続く……



[35954] もし目の前で女子高生が石化したら…… 第4部
Name: ハンドル◆60815e14 ID:132352f6
Date: 2012/12/09 13:45
「日向さん、こんな所まで来ていただいてありがとうございます。……さっそくお願いがあるんですが……」
僕は言った。

「真衣希から話は聞いている。しかのめあおちゃんという女子高生を助ければいいんだな?」
牙行さんは言った。

「……彼女の名前は鹿目碧と書いて、かなめあおいって読むそうです」
僕は言った。

「……通りで変だと思った。……ところで半戸君、頭は痛まないか?」

牙行さんが心配しているのは先程のことだ。

現実世界の人間をアバターとしてこの世界に連れてきた場合、アバターは呼び出されたその場所に到着するため、呼び出した側の人間はすぐにその場を離れなければいけなかった。

だが、僕はB子さんから警告された時にすぐにその場を離れなかったため、上から降ってきた牙行さんのアバター……すなわち日向さんと鉢合わせしてしまったのだった。

「ちょっと傷むけど、大丈夫です。……日向さんはどこも痛くありませんか?僕がすぐにあの場から離れなかったせいで申し訳ありません」
「心配ない。吾輩はこの通りメタルボディだから大丈夫。痛くもかゆくもなかったよ」
「……メタルだから灰色なんですか」

確かに、日向さんは頑丈そうだ。

僕も自分のアバターはもう少し強固なものにすればよかったかな?

……まあ、そんなことより善は急げだ。

「B子さん……あ、あれ?」

B子さんの姿が見えない。

真衣希ちゃんもいないし、パソ子もいなかった。

「B子なら、今外にいるわよ。C子から電話があったんだけど、電波が入りづらかったから外に出たの。真衣希ちゃんはさっきから隣の部屋でお姉さんに叱られてるわ。パソ子ちゃんは隣の部屋に……あら、今戻ってきたわ」
A子さんは言った。

「え?」

変じゃないか?B子さんと真衣希ちゃんは自分で移動することができるが、パソ子はパソコンだ。

パソコンがどうやって隣の部屋に行ったり戻ったりできるんだろうと思い、振り返った僕が目にしたのは……

「……あの、どなたですか?」

僕の目の前には見知らぬ女性が立っていた。

「今は人間の姿だから分からないんだな。私だ。パソ子だよ」

女性の発した言葉を聞いた僕はそれこそ目玉が飛び出さんばかりに驚いた。

……ど、どうしてこうなった?!

「説明するから落ち着け」
女性は言った。



僕が気絶している間、真衣希ちゃんはこれまでのことを大まかに日向さんに説明した。

「……というわけで、日向さんには私の同級生を助けてもらいたいの」
真衣希ちゃんは言った。

「だいたいの話は分かった。……吾輩は女の子の石化は好きだが、期待を裏切って大勢の人をがっかりさせたくはない。協力してあげよう」
日向さんは言った。

「本当?よかった」
「ただ、1つ条件がある」
「……私のmessyを見たいの?それならすぐにお見せするわ」
「……吾輩が作ったキャラクターとはいえ、早とちりする娘だな。そうじゃなくて、吾輩はアバターに成り立てだ。自分の能力をうまく使えるようにするために、1度練習してみたいのだ」
「……練習って?」
「ほら、ドラクエやFFをやっていて新しい呪文を覚えたら、まずは通常戦闘で試すだろう。それと同じだよ」

「それって、つまりは私か白石さんのどちらかを1度石化させてから元に戻すってこと?」
B子さんは言った。

「まあ、実質そういうことになるな」
日向さんは言った。

「……いいわ。私を練習台にして」
真衣希ちゃんは言った。

「ちょ、ちょっと。白石さん、なんてことを……」
B子さんは慌てて真衣希ちゃんを止める。

「大丈夫です。私は日向さんの……いいや、牙行さんのイラストの中で何度も石化していますから、もう慣れっこなんですよ。粉々に砕け散ったって元に戻りましたからね。……それに、私はお姉ちゃんからずっと石でいればいいなんて言われるくらいだから……」
真衣希ちゃんは少し寂しそうに言った。

「……では、真衣希。そこに立ってくれ。今から君を石化させる」
日向さんは言った。

真衣希ちゃんが日向さんの指定した場所に立ったその時だった。

「やめてーっ!」

突然誰かが日向さんと真衣希ちゃんの間に割って入った。

それは真衣希ちゃんの姉、千鶴さんだった。

「お姉ちゃん!邪魔しないで……」

真衣希ちゃんが言い終わる前に、平手打ちの往復する音が部屋に響き渡った。

「馬鹿!あんたって子は何度私を困らせれば気が済むの!?」
千鶴さんは真衣希ちゃんを怒鳴りつけた。

「痛ーい!2度も打った~!鬼婆!因業婆!」
真衣希ちゃんは悪態をついた。

「何よ!この……」
千鶴さんが再び手を振り上げる。

また打たれると思った真衣希ちゃんは目を閉じた。

だが、平手打ちの衝撃はこなかった。

千鶴さんはしっかりと真衣希ちゃんを抱き締めていたのだ。

「お願いだから……もう私に心配をかけさせないで……」
千鶴さんの声は、妙にうわずっていた。

「……お姉ちゃん……」
熱いものを感じた真衣希ちゃんは、それ以上何も言わなかった。

予想外の光景に、日向さんは絶句するしかなかったようだ。

しばらくして、千鶴さんはB子さんがいることに気がついた。

「ごめんなさい。見苦しい所をお見せしてしまって……」
千鶴さんは言った。

「え?……い、いいえ。とんでもない」
B子さんは言った。

千鶴さんは今度は日向さんの方を振り返る。

「あなたは私達の生みの親のアバターね。あなたのサイトの中では何をやっても構わないわ。……でも、この世界で真衣希をどうかしてしまうことだけは、絶対にしないで」

「……分かったよ。千鶴。君達のことはサイトの中だけで扱うよ」
日向さんは言った。

「さあ、たっぷりお説教するから来なさい」
千鶴さんはそう言って真衣希ちゃんの手を引いた。

真衣希ちゃんは黙って連れられて行ったという。

「……やっぱり姉妹ね」
B子さんは言った。

「いやはや驚いた。千鶴と真衣希のあんな姿は、作者の吾輩でさえ見たことがないぞ」
日向さんは言った。

「……それで、どうするの?私を練習台にする?」
B子さんは日向さんの方に向き直り、言った。

「……そうさせてもらうかな」
日向さんは言った。

それを止めたのはパソ子だった。

「待ッタ!ソレヨリイイ練習台ガアル」

「え?」

B子さんと日向さんは驚いてパソ子の方を見る。

その時、電話が鳴り響いた。

「葉月さんはいないし半戸君は気絶しているのに……仕方がないわね。私が出るわ」

B子さんは電話に出るため、日向さんやパソ子から離れた。

「もしもし」

「もしもし、教会の浅田です。音美ちゃん?……にしては声が変ね。いつもは機械音みたいな声なのに……」

電話の相手は浅田夏子さん……もといA子さんだった。

「……A子、葉月さんは今いないのよ。私はB子だよ」

B子さんはなぜ自分がその場にいるのかをA子さんに説明した。

「音美ちゃんいないんだ。……半戸君はどうしているの?」
「……それが、半戸君たら意識不明でさ……」
「えっ?!大変じゃない!すぐにそっちに行くわ!」
「ちょ、待った!意識不明って言ってもちょっと気絶しているだけだし、そもそも彼はアバターなんだから……切っちゃった。A子ったらそそっかしいわね」

B子さんはため息をついて電話を切った。

元々この世界の住人ならともかく、アバターならば外傷を受けない限り、気絶しても危険な状態にはならないということをA子さんは忘れていたようだったそうだ。

「なんだかなあ……うわっ!」

B子さんは日向さんとパソ子のいる部屋に戻って、思わず腰を抜かしそうになった。

日向さんの目の前には見知らぬ女性が立っていたのだ。

「だ、誰?!どこから入ったの?!」

B子さんは拳銃を取り出す構えをしながら、女性を威嚇した。

すると、女性の口からはとんでもない言葉が飛び出した。

「お、落ち着いてくれ。私だ。パソ子だよ」

「えっ……?」



「……つまり、私は日向さんの能力の練習台として擬人化したわけだよ」
パソ子は言った。

「練習としてはちょうどよかったかな。吾輩は以前に自分のパソコンを擬人化させたことがあるから簡単だったよ」
日向さんは言った。

「そういうことだったんですか」
僕はようやく納得すると同時に日向さんの能力に感心するしかなかった。

ともかく、日向さんは自分の能力を自由に使いこなせるということを立証してくれたわけだし、改めて善は急げだ。

「パソ子、僕は日向さんと病院へ行ってくるから、留守番を頼むよ。……それと、真衣希ちゃんによろしく伝えておいてくれるかな?」
僕は言った。

「分かった。隆一、行って来い」
パソ子は言った。

「……真衣希は連れて行かないのか?」
日向さんは言った。

「……今は、お姉さんと一緒に居させてあげましょう。碧ちゃんが助かったら連絡すればいいでしょうから……」
僕は言った。

「ねえ、私もついて行っていいかしら?……ちょっと気になることがあるから」
A子さんは言った。

「……気になることというと、これのことですか?」
僕はポケットから折れた魔法の杖を取り出し、聞いた。

「そうじゃないの。でも何か気になってね……」
A子さんは言った。

「……分かりました。一緒に行きましょう」
僕は言った。

僕等は外にいるB子さんと合流するため、玄関へ向かった。

そして玄関のドアを……

玄関ドアは通常外開きになっているものだが、このアパートの玄関ドアは内開きになっていた。

玄関ドアは外開きであってほしかったと、僕はこの時強く思ったものだ。

「ごめん。半戸君、大丈夫?」
B子さんは言った。

「だ、大丈夫です。……さっきみたいに気絶するまでには至っていないので……」
僕はそう言ってごまかしたが、本当は頭が割れそうなほど痛かった。

「すぐに車に乗って。病院へ行くわよ」
「もちろんです。日向さんの能力で碧ちゃんを早く助けなきゃ……」
「そうじゃないの!大変なことになったのよ!」
「えっ?」



病院……

「うう……。碧が……、碧が……」

泣き腫らし、真っ赤になった暁美ちゃんの目からさらに涙がこぼれる。

碧ちゃんのお母さんも泣いていたし、お父さんは俯いていた。

「私どもの不手際のせいで……申し訳ありません!」

病院の先生は暁美ちゃんや碧ちゃんのご両親に深々と頭を下げた。

「一体誰がこんなひどいことを……」

開いたままの窓から外の風が吹き込む空っぽの病室を目の当たりにした僕は、その場に立ち尽くすしかなかった。



事件の詳細はこうだ。

C子さんに連れられて碧ちゃんのお見舞いに来た生徒達は、碧ちゃんのご両親の了解を得てから2~3人ずつ碧ちゃんの病室に出入りしていた。

最後に暁美ちゃんが病室に入ろうとした時、女医さんと思われる2人の若い女性がやってきた。

2人の女性は碧ちゃんの体温を測りに来たということだった。

碧ちゃんの身体に手を当てた女性は次のように言った。

「予想していたよりも体温の下がり方が著しくなっています。申し訳ありませんが、これから体温を上げるための緊急治療を行いますので、患者以外の方は外して頂けますか?」

暁美ちゃん達は不思議に思ったが、緊急治療ということならば仕方がないため、碧ちゃんのご両親も含めて全員が病室を出た。

「それじゃあ、待合室で待っていようか」
碧ちゃんのお父さんは言った。

皆は待合室へ向かった。

待合室へ行く途中で、皆は1人の医師と会った。

その先生は僕に碧ちゃんの状態を説明してくれた先生だった。

「おや?皆さん、どうかされたんですか?」
先生は聞いた。

「女の先生が碧の病室に来られて、碧の体温を上げるための緊急治療をされるということだったので、私共は1度外したんです」
C子さんは言った。

先生は不思議そうな顔をした。

「変ですね。土曜日は女医は全員非番でいないはずなんですが……」

「えっ?それじゃああの2人は一体……?」

皆は顔を見合わせると、急ぎ足で碧ちゃんの病室に戻った。

「失礼します」

先生は病室のドアを開けた。

そして、皆は目の前に広がっていた光景に愕然としたのだった。



「碧……どこに行っちゃったの……」
暁美ちゃんは顔を手で覆い隠し、泣き続けた。

僕はそんな暁美ちゃんに声をかけてやることすらできなかった。

僕はこの時、ようやく碧ちゃんを助けてあげられると思ったのに……などと考えていたのだろうか?

自分に怒りさえ覚える。

「泣くな!」

暁美ちゃんを怒鳴りつけたのはB子さんだった。

……立ち尽くしていた僕の方がびっくりした。

「斎藤さん、泣いていたって鹿目さんは帰って来ないんだよ。すぐに応援の警察官を呼んで鹿目さんの捜索を始めるから、協力してね」
B子さんは言った。

「……はい」
暁美ちゃんは小さく言った。

「先生、この事件のことを他の患者さんや医療スタッフの方は……?」
B子さんは先生に聞いた。

「いいえ。事件のことを知ったのは私やここにいる皆さんだけです」
先生は言った。

「そうですか。それでは、皆さんには鹿目さんが誘拐されたとだけお伝えください」
B子さんは言った。

「分かりました」
先生は言った。

B子さんは全員に向かい、こう言った。

「どうか皆さんも我々警察の捜査にご協力ください」

全員が頷いた。

そうだ。立ち尽くしたりせずに碧ちゃんの捜索を手伝うのが今の僕のすべきことだ。

碧ちゃんをさらった犯人の目星はある程度つくではないか。



「……つまり、偽者の女医2人は実行犯で、主犯は今朝碧ちゃんを強奪しようとしたアバター達の中にいるんじゃないかと思うんです」

皆のいる待合室で僕は言った。

「考えられるわね。あいつらならやりかねないわ」
C子さんは言った。

「最低!もしあの連中の中に本当に犯人がいるとしたら、絶対に許さない」
暁美ちゃんは言った。

碧ちゃんのご両親の言ったことは書かないでおこう。

ご両親の言葉には怒りに任せてアバター達を罵る被害者の感情が如実に現れていた。

ご両親の前で今朝のアバター達の話をした僕は正直浅はかだったかもしれない。

僕は日向さんの方を見た。

日向さんは落ち着かないようだった。

「……僕、トイレに行きたいんですけど、ちょっと外しても構いませんか?」
僕は言った。

「別にいいけど……?」
B子さんは言った。

「すみませんね。……日向さんはトイレ大丈夫ですか?」
僕は日向さんの方に向き直り、言った。

「そ、そう言えば、吾輩もさっきからトイレを我慢していたんだ」
日向さんは言った。

僕と日向さんは逃げるように待合室を出ると、トイレに向かった。

トイレの周りに人がいないのを確認し、僕と日向さんは一息つく。

「ふう。あの場を離れる言い訳はトイレ以外に思いつかなかったのか?」
日向さんは言った。

「……すみません。トイレしか思いつかなくて……」
僕は言った。

学校や病院のトイレというのは落ち着かないものだ。

しかもここは男女共用のトイレだから、個室から花子さんが現れるかもしれないじゃないか。

「吾輩は犯人じゃないのに罪悪感を覚えてしまったよ。吾輩も女子高生の石像はお持ち帰りして鑑賞したいと思う方だからな」
「……でも、日向さんは思うだけで本当に碧ちゃんを観賞用にしようとしたりはしないでしょう?」
「……いいや、しようとしたかもしれない。吾輩が皆の期待を受けていなかったり、碧ちゃんにご両親の設定がされていなかったり、暁美ちゃんのような親友と言えるべき人が設定されていなかったらな。……半戸君はどうだ?」
「僕は……まず、石化した女の子を持って帰って観賞したいなんて思いませんけど、思ったとしても、思うだけで本当にはしないです。皆の期待とかご両親の設定とかがなくても、モラルというものがありますから……」
「……モラル?」

モラルという言葉を僕が使った途端、日向さんは首を傾げた。

「……どうかしたんですか?」
僕は聞いた。

「君や吾輩のように現実世界から来た人間がこの世界の女子高生を観賞用にするということは、はたしてモラルに触れるのだろうかと思ってね。……現実世界で花瓶に花を生けて観賞することと同じなんじゃないかと思うんだ」
日向さんは言った。

「碧ちゃんは花瓶じゃなく人間ですよ」
「もちろん碧ちゃんは人間だ。……だが、この世界は仮想現実世界なんだろう。そうなると、碧ちゃんや暁美ちゃんや真衣希のようなこの世界の住人も架空の人物、すなわち作られたものということになるんじゃないか?」
「……」
「吾輩はそういう風に考えているから、皆の期待を受けていなかったり、碧ちゃんにご両親の設定がされていなかったり、暁美ちゃんのような親友と言えるべき人が設定されていなかったら石化した碧ちゃんを持ち帰ろうとする側に回っても不思議ではなかったわけさ。……まあ、さっき言った通り、リアルに作られたご両親や親友の感情を目の当たりにしたから罪悪感は覚えたがね」
「……」

僕は何も言えなかった。

日向さんの言葉は、僕にとってとても重かった。

「まあ、安心したまえ。B子さん達が碧ちゃんを取り戻してくれたら、約束通り碧ちゃんを元に戻してあげるから」

日向さんは僕をがっかりさせまいと気を使って、そう付け加えてくれた。

その時、トイレの個室のドアが静かに開き始めたのだ。

僕はぎょっとした。

まさか花子さんが出たのではないかと思ったのだ。

……違った。個室から出てきたのはA子さんだった。

僕はほっとして、それから大事なことに気付いて青ざめた。

A子さんは僕等が来る前に個室に入っていたわけだから、今の話を全部聞いていたということではないか。

「……半戸君、日向さん、あなた達から見ると、この世界で生まれた私やB子達はやっぱり作りものなの?」
A子さんは聞いた。

「……」
日向さんは申し訳なさそうな顔をしながらも頷いた。

「そう。……半戸君はどう?私やB子達は作りものだと思う?」
A子さんは寂しそうに僕の方を見る。

「……ぼ、僕等がどう思おうがA子さんもB子さんもC子さんも暁美ちゃんも碧ちゃんも人間です!ここは僕等にとっては仮想現実世界でも、A子さん達にとっては住むべき世界なんだから、ここで生まれたA子さん達は本物の人間です!だから、自分のことを作りものだなんて思わないで下さい!」

僕が言ったことはA子さんの質問に対する答えとして適切ではなかったと思う。

A子さんはくすっと笑った。

「……ありがとう。半戸君」

ちょうどその時、B子さんがやってきた。

「何?A子ったら、トイレで半戸君を口説いてるの?」

B子さんの言葉に、僕の方が恥ずかしくなる。

「そんなことしないわよ。そんな聖職者にあるまじきことをしたら、神父様に叱られるわ。……半戸君、そんなに赤くならなくていいのよ」
A子さんは言った。

「半戸君、こんなことで赤くなっていたら、吾輩のサイトは見られないぞ。何しろ吾輩のサイトには真衣希のヌ……」

B子さんに睨みつけられ、日向さんは黙った。

「……とにかく、私の後輩の小林初穂っていう巡査が、怪しい奴を見かけたって人を見つけたらしいのよ」

「ほ、本当ですか?」



B子さんに連れられて病院の中庭に到着すると、そこには小林巡査と思われる女性と車椅子の老人がいた。

「初穂、目撃者ってそのおじいちゃん?」
B子さんは小林巡査に声をかける。

「ええ。そうらしいんですが……」
小林巡査は何やら困っているようだ。

「おじいちゃん、聞きたいことがあるんだけど……」
B子さんは老人に声をかける。

「わしに何か御用かな?」
老人は言った。

「……病院から怪しい人が出て行くのを見たの?」
B子さんは言った。

「え?」
「……だから、怪しい人を見かけなかった?」
「もうちょっと大きい声で言ってくれんか?わしは耳が遠いもんでな」
「……だから、怪しい人を見なかったかを聞いてるの!」
「それなら見た。散歩中に若い娘のスカートが風でめくれそうになったのを見た。もうちょっとで中を拝めたのにおしかったのお」

B子さんは真っ赤になった。

「このスケベ爺!私の話をちゃんと聞きなさいよ!」

「伴場さん、ここは我慢して下さい。このおじいさん、耳が遠いんですよ」
小林巡査はB子さんをなだめた。

僕は不思議に思った。

老人の手元には補聴器がある。

耳が遠いのになぜ補聴器を使わないのだろう?使い方が分からないのだろうか?

老人はB子さんが怒っていることに気付かず、話し続ける。

「……そういえば、散歩から帰って来た時に見かけたお地蔵さんを運んでいた2人組の娘もなかなかのもんじゃったのお」

「えっ?」

全員が再び老人に注目する。

お地蔵さんって、まさか……

「その2人組って、どんな人相でした?その2人がどこへ行ったか分かりますか?」
僕はすかさず老人に聞いた。

「双子の人形が欲しいなら、おもちゃ屋に行けばあると思うが……」
「……おじいさん、その補聴器を使った方がいいと思いますよ」
「わしは包丁は持っとらんよ」
「……だめだこりゃ」

「B子も半戸君もおじいさんの耳元で話してあげないからよ。私が代わるわ」

A子さんはそう言って、老人の耳元で話しはじめた。

「おじいさん、お地蔵さんを抱えた2人の女の人って、白衣を着てましたか?」
「白衣じゃなかったのお。運送屋のような格好だった」
「……その2人って、どこから出てきたか分かりますか?」
「そうじゃのお。確か……」

A子さんは老人から粗方の情報を聞くと、即座に老人から離れた。

「あ、ありがとうございます。参考になりました」
A子さんは言った。

「礼には及ばんよ」
老人は言った。

礼どころか、A子さんは老人に対して怒ってもいいと思う。

あれは現実世界だったらセクハラで訴えられても文句は言えない行為だ。

「あのおじいさん、ドラゴンボールの主人公のお師匠さん並にスケベだな」
日向さんは言った。

「……私は耳元で話さなくてよかった」
小林巡査は言った。

「A子、よく我慢してたわね」
B子さんは言った。

「私、もうニ度とあのおじいさんには近づかないわ。お尻を触られるなんてもうごめんよ!」
A子さんは顔を真っ赤にして言った。

老人が補聴器を使わなかったのは、使い方が分からなかったからではなく、A子さんのような女性が自分の耳元で話しかけようとして近づいて来るようにしむけたのだった。

「とにかく、おじいちゃんの証言と病院の見取り図を照らし合わせてみましょう」
B子さんは病院の先生がくれた見取り図を取り出し、言った。

「……おじいさんが運送屋のような格好の2人組を見た所は、この非常口付近ね。そして鹿目さんが偽者の女医2人に連れ去られた病室はここか……」
A子さんは言った。

「C子さんや暁美ちゃん達が目撃した偽者の女医2人と、おじいさんが見た運送屋2人の背格好は似ているようだが、ひょっとしたら同一人物なのかも知れないぞ」
日向さんは言った。

「確かに。碧ちゃんの病室からおじいさんに目撃された場所までの通路に着替えを隠していたのだとしたら、日向さんの言う通りかも知れないですね」
僕は言った。

「日向さんの言うように女医と運送屋が同一人物だったという可能性は高いですけど、半戸さんの言う通路を通ったということはまずないでしょう。……何しろこの通路には、いつも見周りの兵士がいるんですから」
小林巡査は言った。

「兵士?!なんで兵士なんているんですか?!」
僕は驚いて聞いた。

「……あら?現実世界の病院には見周りをしたり入口を見はったりする兵士はいないの?」
小林巡査は聞いた。

「……それは現実世界では警備員の仕事ですよ」
「警備員だったら銃を持てないんじゃない?」
「病院で銃を持った兵士が見はりなんかしてたら物騒じゃないですか」
「……日本人的な考えだね。この世界でもそう考えている人は結構多くて、実際に兵士のいない病院だってあるよ。まあ、私の感覚だと病院では銃を持った兵士が見張りをするのが普通なんだけどね」

小林巡査だって日本人の名前なのに……

「……話を戻そうか。初穂の言う通り、わざわざ兵士のいる通路を誘拐犯が通るなんてことは考えにくいわね。……普通に考えたらの話だけど」
B子さんは言った。

「どういうことですか?」
僕は聞いた。

「……耳を貸して」
「え?」
「半戸君と初穂は歳が近いでしょう。だから……」



「おーい!どこだい?出ておいでよー」
僕はそう言いながら通路を歩き回った。

「こらっ!そこで何をしている!?」

突然何者かに怒鳴りつけられ、驚いて振り返ると、そこには鉄の筒があった。

僕はなおさらびっくりする。

「わーっ!う、撃たないで下さい!ぼ、僕は決して怪しいものではありません。僕はただ彼女を探してるだけでして……」

「彼女を探しているだと?ふざけているのか?!」
銃を構えた兵士は言った。

「ふ、ふざけてなんかいませんよ。僕の彼女は……コスチュームプレイとかくれんぼが大好きなんです。よく婦警さんの格好をして警察署に隠れたり、鉄道員の格好をして駅に隠れたりしているんですよ。……そんでもって今日はこの病院の先生の格好をして隠れているらしくて……」
僕は言った。

「……コスチュームプレイだと?」
「いわゆるコスプレです」
「そんなことは分かっている!貴様は病院を何だと思っているんだ?!」
「ひえーっ!ごめんなさい!……主にかっこいい社会人女性のコスプレをしてその職場に解け込もうとするのは彼女の唯一の楽しみなんで、大目に見てあげていたらここまで来ちゃったんです。彼女を見つけたらすぐに帰りますから、許して下さい」
「……まったく、とんでもないやつだ。さっさとそのアバズレみたいな彼女を見つけてとっとと帰れ!」
「それが、彼女と同じ格好をした先生がいて、2回くらい間違えたんです」
「……いて当然じゃないか。ここは病院なんだからな」

僕が兵士と珍問答をしていた時だった。

「もう!半戸君たらどうして見つけてくれないのよ!」

そう言ったのは白衣につけ髭姿の小林巡査だった。

「初穂ちゃん、ごめんよ。見つけられなくて悪かった」
僕は言った。

「何だ?……女医の格好じゃなく男の医者の格好?さっきお前の彼女って奴は社会人女性のコスプレをするって言っていなかったか?」
兵士は僕に聞いた。

「はい。確かにそう言いました。でも、主にですよ」
僕は言った。

「半戸君が社会人女性という言葉を使ったから、あなたは私が女医の格好をしていると思ったのね。……でも、半戸君はその後で、この病院に私と同じ格好をしている先生がいたから間違えたとも言ったわよね」
小林巡査はつけ髭を取り去り、兵士に言った。

「な、何?!」
兵士は自分の失敗に気がついた。

「病院の先生に聞きました。あなたはこの病院の全てのドクターの勤務日を把握しているそうですね。それなら、初穂さんと同じ格好の先生がいたっていう半戸君の台詞から、初穂さんが女医さんの格好をしている可能性はないということに気づけたはずではありませんか?……なぜ初穂さんが男の先生の格好をしているのを見て不思議そうな顔をするのですか?」
兵士の後ろからA子さんが言った。

「ぐ……」

「あなたはいないはずの女医がいたことを不思議に思っていない。石化した女子高生を連れ去ったのは女医の格好の犯人だったということはまだ病院内にも公表していないわ。事件の詳細を知っているのは一部の病院関係者と目撃者を除くと、誘拐犯かもしくはその共犯者だけになるのよ」
B子さんがやって来て、言った。

「くっ……。こうなったら!」
言うが早いか兵士は一番華奢な小林巡査の顔に銃を向けた。

「あっ……!」

「運が悪かったと思って諦めな!」

兵士は銃の引き金を引いた。

銃口から飛び出したのは弾丸ではなく、泥だった。

「……へ?」
兵士は唖然となった。

顔を汚された小林巡査の肩が小刻みに震える。

「あーあ。吾輩は知らないぞ。確かに弾丸を泥に変えたのは吾輩だが、引き金を引いたのは兵士だからな」
陰に隠れていた日向さんは言った。

「よくも……嫁入り前の大事な顔を汚してくれたわねーっ!」

現実世界だったら、小林巡査のやったことは過剰暴行だ。

タコ殴りにされた兵士はふらふらと倒れ込む。

さらにとどめのパンチを見舞おうとした小林巡査をB子さんが止めた。

「初穂、もうそれくらいにして手錠をかけなさい」

小林巡査はようやく怒りを静め、兵士に手錠をかけた。

「午前10時31分、公務執行妨害の現行犯逮捕」

「さて、この鞄を調べさせてもらうわよ」

B子さんは兵士が持っていた鞄を開けた。

鞄の中には女性用の白衣があった。徹底的な証拠だ。

「どうして誘拐犯に手を貸したりしたんだ?!」
僕は兵士に言った。

「……ふん。金のためだよ。俺はあの2人組と取引したんだ」
兵士は言った。

気がついた時、僕は兵士の胸ぐらをつかんでいた。

「……僕に病院を何だと思っているんだと言ったな。同じ言葉をお前に返す!病院は怪我や病気と戦っている人の手助けをする大事な場所なんだ!」



「B子はうまく鹿目さんを助け出してくれるかしら?」
C子さんは言った。

「大丈夫。B子なら、きっとやってくれるわ」
A子さんは言った。

「B子さん、頼りになりますからね。……私もB子さんみたいになれたら、碧を守ってあげられたかも知れなかったのに……」
暁美ちゃんは複雑そうな顔をして言った。

「大丈夫。あなたもB子みたいになれるわ。B子だって高校時代はあまり身体が丈夫な方じゃなかったし、いじめられっ子だったの」
A子さんは言った。

「……そういえば、半戸さんが言っていました。あなたが話してくれたって……。B子さんをいじめていたのが千歳先生……もといC子先生だったんですよね」
暁美ちゃんは言った。

「ちょっと、恥ずかしいからその話はやめてよ」
C子さんは言った。

碧ちゃんが救いだされそうだという希望が出てきたことで、暁美ちゃんは少々安堵しているようだった。

誘拐の片棒を担いだ兵士は全てを白状した。

僕等の思った通り、偽者の女医と運送屋は同一人物で、彼女等は今朝のアバター達から碧ちゃんをさらうように依頼を受けたのだった。

B子さんは碧ちゃんの救出を最優先として、誘拐犯達を逮捕に向かった。

「ちょっと気になるんだが、現実世界から来たアバター達はこの世界の法律にのっとって逮捕できるのか?」
日向さんは言った。

「現実世界の人間でも、アバターとしてこの世界にいる間はこの世界の住人とほとんど同じように扱われるそうです。だから犯罪に手を染めれば逮捕されますし、裁判にかけられることもあるそうです」
僕は以前音美が言っていたことを日向さんに話した。

「だが、逮捕されてもアバター達は反省しないだろうな。君の話によると、元々彼等はこの世界もこの世界にいる人間も作りものだと認識していたようだし、現実世界に帰ってしまえば何のお咎めもくわないわけだからな」
日向さんは言った。

「……でも、人間ならモラルというものを考えるでしょうし、ひょっとしたら反省してくれるかもしれませんよ」
「……さっきも言ったが、この世界での誘拐がモラルに触れるかどうかは、個々の考え方次第だと思うから、彼らにそれは期待できないと思うぞ」
「……彼等はそこまでモラルについて考えないような人間でしょうか?」
「いいや、それは分からない。彼等はひょっとしたら現実世界ではモラルの塊のような人間で、この世界での犯罪がモラルに触れるとは思わないという型かも知れないからな」
「……」

僕は少し考え込んだ。

「何か、思い当たる節があるのかい?」
日向さんは言った。

「……ばっちい話なんですけど、僕は現実世界で時々立ち小便をしていたんです。……でも、この世界に来て、立ち小便ができなくなりました」
「立ち小便か。男特有のマナー違反だな。この世界でできなくなったというのはどうしてだい?」
「この世界に来てから、1度トイレに行きたくなったのに近くになかったから、建物の影に隠れてしようとしたことがあるんです。そしたらそこに生えていた向日葵に睨まれちゃって……以来、この世界で立ち小便はしていません」
「吾輩が挙げた例と逆だな」
「彼等が日向さんの言うような考え方をしていたとしたら、見方によっては、僕の方がモラルの低下した人間ということになるかもしれないと思って……。だからといって、僕は碧ちゃんを助けなければならないという考えを曲げたりはしませんけどね」
「……難しいな」
「……あっ、すみません」

僕はA子さん達に謝った。

「別にいいのよ。気にしないで」

A子さんはそう言ってくれたが、女性の前でするには少々下品な話だった。

その時、C子さんの携帯電話が鳴った。

「B子からだわ」

C子さんは急いで電話に出る。

「もしもし、B子。いい知らせなんでしょうね?」

僕等は期待してC子さんに注目した。

だが、C子さんの表情はまず驚愕の色を浮かべ、それから曇ってしまった。

「……そうなの」

C子さんは電話を切った。

「刑事さんは何て言ってたんですか?」
碧ちゃんのご両親は聞いた。

「その……まずはここに戻って来られるそうです」
C子さんは言った。

一体何があったんだろう……?



第5部へ続く……



[35954] もし目の前で女子高生が石化したら…… 第5部
Name: ハンドル◆60815e14 ID:132352f6
Date: 2012/12/17 23:40
病院の前にマイクロバスが止まった。

マイクロバスを運転してきたのはB子さんだった。

「刑事さん、誘拐犯は逮捕できたんですか?碧は取り戻せたんですか?」
碧ちゃんのご両親は車から降りてきたB子さんを質問攻めにした。

「……ちょっとややこしい事態になったんです。詳しい説明は署の方でしますので、皆さんは車に乗って下さい」

「病院から離れるんですか?」
僕は言った。

「ええ」
B子さんは言った。

「そうですか。……私共は結局なにもできませんでしたな。本当に申し訳ありませんでした」
病院の先生は僕等に深々と頭を下げた。

「そんなことはないですよ。先生達は薬がない中、それでも碧ちゃんを助けようとして手を尽くしてくれたじゃありませんか」
僕は言った。

「……ありがとう。そう言ってもらえるとうれしいよ。君達なら、必ず鹿目さんを助けられる。……そうだ。これを持って行ってくれ」
先生はそう言って、何かの瓶を差し出した。

「……スポーツドリンクですか?」
僕は聞いた。

「いいや、これはエルフの飲み薬だよ」
先生は言った。

僕等はバスに乗り込んだ。

「先生が君をどれだけ信頼して期待しているかということがよく分かるな。敬語を使っていなかっただろう」
日向さんは言った。

「そんな、僕なんか……。僕は日向さんみたいな能力は持っていませんし……」
僕は言った。

「謙遜するなよ。能力とかそんなものとは関係なく、あの先生は君に期待しているんだよ」
日向さんは言った。



バスが到着したのは、風力発電所の裏にある古い空き倉庫の近くだった。

「あの倉庫は……?」
僕は聞いた。

「ここは風力発電所の定期点検の時以外は無人になっているし、人目につきにくいから、誘拐犯のアジトになっていたらしいの」
B子さんは言った。

「えっ?それじゃあ……」

「C子と半戸君と日向さんだけ降りてきて。……他の皆さんは車の中で待機していて下さい」
B子さんは言った。

「私もついて行きます」
暁美ちゃんは言った。

「だめよ!待っていなさい!」
B子さんは厳しい顔で暁美ちゃんを睨みつけ、言った。

「……分かりました」
暁美ちゃんは俯いて言った。

B子さんのあの顔から察すると、空き倉庫の中には……

嫌な予感が僕の頭をよぎった。

「半戸君、行こう。あの倉庫に何があるかは分からないが、危険なものがあるのなら、B子さんは吾輩達をあそこに連れて行こうとはしないだろう」

……確かに、日向さんの言う通りだ。

僕はC子さんや日向さんの後に続いてバスを下りた。

倉庫の中からは、何台かの担架に乗せられた何かが警察によって運び出されようとしていた。

「伴場さん、こっちです」
キャスター付きの担架を押していた小林巡査がB子さんを呼んだ。

僕等は小林巡査に近づいた。

「千歳さんと半戸さんは、まずこれを見て下さい」
小林巡査はそう言うとキャスターに掛けられていたシートをめくった。

「うわっ!」
僕は思わず声を上げた。

「こ、これは、今朝のアバターの内の1人だわ。……死んでいるの?」
C子さんは聞いた。

「ええ。……でもアバターですから、壊れていると言った方が正しいかも知れません」
小林巡査は言った。

「C子、この遺体……いいや、抜け殻は鹿目さんを連れて行こうとしたアバターに間違いないのね」
B子さんは言った。

「ええ。間違いないわ」
C子さんは言った。

「念のために半戸君にも聞くけど、間違いない?」
B子さんは言った。

「……」

「……半戸君?」

「すみません。よく覚えていなくて……」
僕は言った。

「……そう。ごめんなさいね。こんなものを見せて。……だけど、このアバターが一番損傷が少なかったの」
B子さんは言った。

小林巡査は壊れたとか抜け殻とかいうにはあまりにもにも生々しいアバターにシートをかけ直す。

「C子は大丈夫?」
B子さんは言った。

「ええ。平気よ。……斎藤さん達に気を使ってくれてありがとう」
C子さんは言った。

「千歳さん、それでは他の抜け殻も鹿目さんを連れて行こうとしたアバターなのかどうか確認してもらえますか?」
小林巡査は言った。

「ええ。いいわよ。……多分ここにある担架に乗っているアバターは全部そうだと思うけどね」

C子さんはすぐに別の担架を確認しに行く。

「半戸君、大丈夫か?……顔色が悪いぞ」
日向さんは言った。

「……大丈夫です。何ともありません」
僕はそう言ったが、正直な所気分が悪かった。

「このアバター達に宿っていた人の意識が、葉月さんの日記にあったようにちゃんと現実世界の自分の身体に戻っていてくれればいいんだけど……」
B子さんは言った。

確かにそう願わざるを得ない。

尤も、彼等に同情はできなかったが……

「あの、壊れたアバターはどうなるんですか?」
僕は聞いた。

「まずは死因を調べるために司法解剖されて、最終的には火葬や土葬ではなくコンピューターで消去されることになっているの。お葬式やお通夜がないことと最終処理の方法以外は亡くなった人とほとんど同じ扱いになるのよ」
B子さんは言った。

「……そうですか」

考えてみれば、僕もアバターとしてこの世界にいる以上は、この世界でアバターの身体が壊れないという保証はないのだ。

アバターの僕がどうなっても現実世界にいる僕本体に危害は及ばないなどと無意識の内に思っていたのか石像に体当たりするなど無茶なことをしたが、やっぱりいざとなった時は僕は往生際が悪いだろう。

「それにしても、彼等はどうしてこんな目にあったんだろう?」
日向さんは言った。

「それはまだ分からないの。誘拐の実行犯から鹿目さんを受け取った後、仲間内で鹿目さんを奪い合って最終的に殺し合いにまでなったのか、それとも第三者の仕業なのか……」
B子さんは言った。

「どっちにしても凄惨だな。……ここが現実世界じゃないから平気で殺し合いなんかしたのかな」
日向さんは言った。

「さて、日向さんはこっちに来てもらえますか?……半戸君も来る?1人でそこにいるよりも私と一緒に来た方がいいでしょう」
B子さんはそう言うと、倉庫の中に入って行った。

日向さんはすぐにB子さんについて行く。

僕は少し考えてから日向さんの後について行った。

薄暗い倉庫の中は、ここで起きた凄惨な事件を何も言わずに語っていた。

赤黒い染みを僕はなるべく見ないようにした。

……おや、あれは?

倉庫の中央に女性の形をした石像があった。

この時、眼鏡をかけていなかった僕はその石像を碧ちゃんだと思い込んでしまった。

「なんだ。碧ちゃんいるじゃないですか」

「半戸君、待って!その石像は……」

B子さんの話をよく聞かずに、僕は石像に駆け寄った。

碧ちゃんが元に戻った時に怖いものを見せないように、まずは外に……できれば暁美ちゃん達が乗っているバスの所まで移動させて、それから日向さんに石化を解いてもらえれば皆はきっと喜ぶだろう。

僕はそう考えていたのだった。

だが、石像の姿がはっきり見えるまで近づいた僕は、驚愕の余りその場に立ち尽くした。

「そ、そんな……なんてこった!」

石像は音美だったのだ。

「音美!どうしてこんなことになったんだ!しっかりしてくれ!目を開けてくれよ!何か言ってくれよ!」

動揺の余り僕はそんな無茶な要求を並べ立てていた。

「触っちゃだめ!その子の身体が壊れちゃうわ!」
B子さんが僕を止めた。

よく見ると、音美の脇腹にはひびが入っていて、しかもそれがだんだん大きくなっていくではないか。

僕は愕然とした。

「日向さん!音美を、この子を助けて下さい!このままじゃ……!」

いくら動揺していたとはいえ、日向さんをとっ捕まえて揺さぶった僕は反省しなければならないだろう。

「わった!そ、そんなに揺さぶらないでくれ!あ、慌てなくても大丈夫だ。吾輩の能力なら、石化した身体が砕けてしまっても元に戻せるから……」
日向さんは言った。

「半戸君!少しは落ち着きなさい!」
B子さんは僕を押さえた。

「……お願いします。日向さん」
僕はようやく一息つき、言った。

「ま、まずは深呼吸させてくれ。……ああ、びっくりした」

日向さんはその言葉通り深呼吸すると、何やら呪文を唱え始めた。

すると、音美の脇腹にあったひびが消え出した。

同時に音美は肌色を取り戻していく。

「……よ、よかった」

情けないことに僕はその場に座り込んでしまった。

「ごめんなさいね。私が悪かったわ。私が葉月さんの顔を知らなかったから……。この人が葉月さんだと知っていたら、半戸君には外で待っていてもらっていたのに……。葉月さんが元に戻ってから半戸君に会わせるべきだったわ」
B子さんは言った。

「あっ、いいえ。僕も動揺しすぎました。日向さん、すみませんでした」
僕は立ち上がり、B子さんと日向さんに謝った。

「半戸君、もう少し落ち着いて行動した方がいいと思うぞ。石化は吾輩の能力ですぐ直るわけだからな。それにこの子……葉月音美さんか。この子は君から見れば作りもののはずじゃないか。それなのに君の反応はまるでガールフレンドが石化したかのようだったぞ」
日向さんは言った。

「……はあ、申し訳ありません」

僕は穴があったら入りたかった。

「まあ、別にいいんだがね。吾輩も動揺することはあるからな。……おっと、そろそろ音美さんが元に戻るようだ。……ん?」

音美の髪や目の色が元に戻りだした時、日向さんは首を傾げた。

「どうかしたんですか?」
僕は聞いた。

「いいや。……この子、どこかで見たことがあるような……」
日向さんは言った。

音美は完全に元の色を取り戻した。

「りゅう……いち……?」
音美はまだひきつっているらしい唇を動かした。

「音美、大丈夫か?」
僕は聞いた。

「私……どうやって元に戻ったの?それにこのチョウチンアンコウは何?」
音美は不思議そうな顔をしている。

「吾輩はチョウチンアンコウに見えなくもない外見をしているが、人間だ。吾輩の名は日向鏡太郎。半戸君と同じく、現実世界から来たアバターだよ。ちなみに現実世界でのハンドルネームは牙行だ」
日向さんは言った。

「この人が助けてくれたんだよ」
僕は音美に言った。

「……そうだったんですか。ありがとうございます。おかげで助かりました」
音美は日向さんにお礼を言った。

「ところで、ここで何があったのか聞かせてくれるかしら?」
B子さんは言った。

「そ、そうだわ!何があったのか説明しますから、警察を呼んで下さいますか?」
音美は言った。

「大丈夫。私が警察よ。外には仲間の刑事もいるわ」
B子さんは言った。



今朝、僕に碧ちゃん達に付き添うように言ってから、音美は自分が勤めているライトウィング・カンパニーという会社(音美は仕方ないというような顔で僕にも社名を教えてくれた)へ向かった。

会社の受付嬢は、音美が非番にも関わらず会社にやってきたことを不思議に思った。

「あら?葉月さん、今日は土曜日で非番のはずなのに、どうされたんですか?」

「え?えっと、アパートの鍵を置き忘れちゃったから取りに来たのよ。昨日は隆一が留守番してくれていたから、何とか部屋に入れたけどね」
音美はそう言ってごまかした。

音美は会社の科学部の研究室をこっそりと覗いた。

研究室では数人の上位研究員が集まって何やら相談をしていた。

音美は耳をすまし、研究室の中の声を聞こうとした。

「……ブレイクブレイドを持たせた石像が破壊されたわ。ブレイクブレイドも折れちゃったみたい」
「まずいことになったわね。石化サンプルを回収できなきゃ、九十九博士の研究が始まらないじゃない」
「こうなったら私達でサンプルを回収するしかないわ。さもないと私達がサンプルにされかねないもの」

研究員達はそう話していた。

音美は頭を抱えた。

研究員達の話から察するに、碧ちゃんを石化させたあの通り魔はこのライトウィング・カンパニー科学部から放たれたらしかった。

それも音美の予感した通り、ある一定年齢の女性を石化させて、九十九博士が行う何かの実験台にするためにだ。

音美はその時点で警察に駆け込むべきか悩んだ。

今の時点ではライトウィング・カンパニー科学部が石像を放ち、碧ちゃんを石化させたという証拠は何もないし、警察は九十九博士を中心とする科学部の研究員達を逮捕することはできないわけだ。

それに九十九博士は甘粕博士失踪事件の重要参考人だったにも関わらず、すぐに権力にものを言わせて警察から解放されたことがあるし、今の時点で警察に駆け込んだとしても同じことが繰り返されるだけだろう。

さらに音美を躊躇わせたのは、内部告発を行えば九十九博士の研究に無理やり付き合わされている下位研究員や会社内の友人や……下手をすれば自分自身も捕まるかもしれないという恐怖感だった。

音美は悩んだ末、もう少し上位研究員達の様子を見ることにした。

研究員達は音美に気付かず、相談を続けている。

「……だけど、石化サンプルは1体だけじゃとても足りないわよ。ブレイクブレイドはもうないけど、どうするの?」
「……石化液を使ってみる?」
「石化液はまだ試作段階よ。ラットの石化には成功したけど、うまく人を石化できるか分からないわ」

その時、研究員の背後から1人の女性が近づいてきた。

「分からないのなら、今から人間で実験してみればいいことよ」

研究員達は振り返り、慌てた。

音美はその女性の声を聞いただけで虫唾が走った。

「つ、九十九博士……」
上位研究員の1人が震える声で言った。

「も、申し訳ありません。……何者かに石像を破壊され、貴重なブレイクブレイドを折られてしまったのです」
別の上位研究員が言った。

「確かにブレイクブレイドは会社にとって損害ね。でも、3日間かかってたったの1人しか石化できないような石像なんか不必要よ。それよりも、石化液の効果が確かなものなのか早く実験してみなさい」
九十九博士は言った。

「で、ですが……実験台となる人間が必要で……」
上位研究員は言いかける。

「あら?それならあなた達の内の誰かが実験台になればいいことじゃなくて?」
九十九博士は淡々と恐ろしいことを言った。

「そ、そんな……」

「嫌ならいいのよ。その代りすぐに実験ができないのなら、あなた達に暇を出すことになるわ」

九十九博士にそう言われた上位研究員達は慌てた。

「す、すぐに実験台を用意します!」

上位研究員達は下位研究員のデスクに向かった。

「ねえ、篠原さん。ついさっき破壊された石像を作ったのはあなただったわよね?」
上位研究員の1人が下位研究員に声をかける。

「え?……ええ。誰が石像を壊したんでしょうね。ひどいことをする人がいたものです」
篠原さんと呼ばれた下位研究員は言った。

「来なさい!あなたが作った石像がお使いの1つもまともにできなかったから、九十九博士はご立腹なのよ!」
上位研究員は篠原さんの腕をつかむ。

「えっ?お使いをできなかったなんてそんな……あの石像はちゃんと買い物できたはずですよ」
篠原さんは言った。

「買い物じゃないわよ!あの石像には女子高生を石化させて会社に持ってくるように命じたのに、3日間かかって1人しか石化させられなかった上に、石化した女子高生を持ちかえる前に壊されたのよ!」
上位研究員は言った。

「そ、そんな!どうして石像にそんなひどいことをさせたんですか?」
篠原さんは言った。

「ええい!黙りなさい!とにかく来るのよ!」

上位研究員達は無理やり篠原さんを九十九博士の前まで引っ張って行った。

「九十九博士、実験台にはこの篠原美咲を使います。篠原は女子高生ではありませんが、4月1日生まれの18歳なので、この実験でうまく石化できれば博士の研究のための石化サンプルとしても十分に使えるでしょう」
上位研究員は言った。

「ほう。よく考えたわね。……さっそく石化液を使ってみなさい」
九十九博士は言った。

上位研究員達は篠原さんを鎖で縛ると、大きな水槽の上に吊り下げた。

水槽の中には不気味な紫色の液体が注がれている。

「やめて下さい!お願いですから許して下さい!」
篠原さんは泣きながら懇願した。

篠原さんを縛っている鎖がつながれた滑車が回りだす。

篠原さんの身体と水槽がだんだん近づいていった。

我慢が出来なくなった音美は、とうとう研究室に駆け込んだ。

「やめて下さい!そんな恐ろしい実験は今すぐ中止して下さい!」
音美は言った。

上位研究員達は音美の方を振り向いた。

「何だ。誰かと思えば書類係じゃない」
「実験の邪魔なんかさせないわ」

上位研究員の1人が音美に拳銃を向けた。

「どうしても実験をやめないのなら……!」

音美はポケットから煙幕弾を取り出し、床に叩きつけた。

瞬く間に白い煙が部屋中を覆う。

「わっ!」
「な、何てことするのよっ!」

上位研究員達は悶絶している。

音美はハンカチで口を押さえながら篠原さんに近づいた。

「篠原さん、今鎖を解きます。」
音美は上位研究員達に見つからないように、小声で言った。

「あ、あなたはここの社員なの?九十九博士に逆らったりしたら……」
篠原さんは心配そうだ。

「……私、もう我慢できないんです。この会社から逃げて警察に行きましょう」
音美はそう言うと、篠原さんが水槽に落下しないように気をつけながら鎖を解いた。

「よし!解けた。さあ、逃げましょう!」

その時だった。

「こ、このアバズレめ!」

音美の姿に気付いた上位研究員が、音美に襲いかかったのだ。

「きゃあっ!」

首根っこを押さえられた音美は、身動きができない。

「覚悟しなさい!」

上位研究員は音美の頭に拳銃を突きつける。

「や、やめて下さい!」

篠原さんと上位研究員の間で、銃の奪い合いになった。

そして首根っこを押さえられていた音美が苦しがってもがいた、その瞬間だった。

上位研究員はバランスを崩した。

「きゃあー……」

上位研究員が倒れた所には、床がなかった。

代わりにそこにあったのは不気味な紫色の石化液で満たされた水槽だった。

上位研究員は苦しそうにもがいていたかと思うと、見る間に肌色を失くし、冷たい石に変わっていった。

「美咲……よくも……」

完全な石となるその刹那、上位研究員はそう言ったように見えた。

「あ……、あ……、そ、そんな……」
篠原さんはその場に座り込んでしまった。

音美は息をするのに忙しく、篠原さんの様子がおかしいのに気付かなかった。

その時、誰かの笑い声が聞こえてきた。

「とても面白いものを見させてもらったわ。何を犠牲にしても自分だけは地位を守って生き残ろうとした姉が、姉思いの妹に殺されるなんてね」

声の主は九十九博士だった。

「な……何を……」
音美はようやく身体を起こした。

九十九博士は音美には目もくれず、水槽の前に立った。

「彼女の名前は篠原桜子。4月1日生まれの18歳よ」

九十九博士の言葉に、音美はぞっとした。

「まさか……」

「そう。篠原桜子と美咲は双子の姉妹。天才としての考えを持ち、凡人の考えを捨てた桜子は、私の研究に全面的に協力することで上位研究員という地位を手に入れた。……でも、そこにいる美咲は凡人の考えというものを捨て切れず、いつまでたっても下位研究員のまま。桜子にとっては、美咲は自分の足を引っ張る邪魔者になりつつあったのよ」
九十九博士は言った。

「……私が、桜子さんの足を引っ張っているのは分かっていました。桜子さんには天才になる資格があったのに、私のせいで……。でも、私は桜子さんには元の優しい桜子さんに戻ってほしかったんです。凡人でもいいから、優しい桜子さんに戻ってほしかったから……。九十九博士、お願いです!これからは、あなたの考えに従います!私を研究のサンプルにしても構いません!ですから、どうか金の針か万能薬を下さい!桜子さんを助けて……」
美咲さんは泣きながら九十九博士に懇願する。

「……あなたは石化液の研究に関わっていないから知らないだろうけど、石化液を使って石にしたラットは、金の針や万能薬を使っても元に戻らなかったのよ。石化液による石化はすなわち死と同じなのよ」
九十九博士は言った。

驚愕と絶望の表情を浮かべ、美咲さんは姉から奪った拳銃を自分の頭に押し当てた。

「……ごめんね。お姉ちゃん……」

「やめてーっ!」

音美は叫んだが、遅かった。

美咲さんの身体はゆっくりと倒れた。

「そんな……。早まったことを……」

音美は拳骨を床に叩きつけた。

「あらあら。もったいないことをするわね。どうせなら姉と一緒に石化サンプルになってくれればよかったのに。……でも、本当に面白いわ。感情が高ぶった人間の行動は、どんなものより面白いわ」
九十九博士は笑いながら言った。

「よ……よくもそんなことを!」
音美は美咲さんの手にあった銃をつかみ、九十九博士に向けた。

「あなたも面白い行動を見せてくれるわね。私を撃てる?やってみなさい!」
九十九博士は言った。

「うう……」

音美は引き金を引くことができなかった。

「あら?残念ね。あなたは感情に任せて引き金を引くと思ったのに」
九十九博士は言った。

次の瞬間、音美は残っていた上位研究員達に取り押さえられた。

「よ、よくもやってくれたわね!」

「おやめなさい!」
九十九博士は上位研究員達を制した。

「し、しかし……」

「あら?私の言うことが聞けないの?」
九十九博士は上位研究員達を睨みつけ、言った。

「め、滅相もございません!」

研究員達は、慌てて音美を放した。

「あなた達はさっさと石像が持ち帰り損ねたサンプルを回収しに行きなさい。場所は分かっているじゃない」
九十九博士は言った。

「は、はい。しかし……」

研究員達は音美の方を見る。

「OLに邪魔されないか心配なんだったら、なおのこと早く行くのね。念のために石化液も少し持って行きなさい」
九十九博士は言った。

研究員達は九十九博士に従った。

「さて、私の予想通りなら、あなたはやっぱりサンプルを助けに行こうとするんでしょう」
九十九博士は言った。

「……碧ちゃんは隆一達が病院に連れて行ったはずだから、きっともう元に戻っているわ!私のやることはあなたを警察に突き出すことよ!」
音美は九十九博士を睨みつけ、言った。

「どうかしら?サンプルを助けるには、これが必要よ」

九十九博士がちらつかせたのは、金の針のようなものだった。

「病院や薬局に石化治療薬はあるもの!」
「あら?知らないの?……病院や薬局にある石化治療薬は、今朝がた全て回収されて廃棄されたのよ。安全性に問題があるという尤もらしい理由をつければ、皆あっさりと回収に応じるのよ」
「……汚いことを!」
「つまり、サンプルを助けるためには、あなたがこれを持ってサンプルの所に行かなきゃならないわけよ」

音美は九十九博士を睨みつけ、金の針のようなものをむしり取った。

「その金の針は呪われているの。サンプルの石化解除に失敗した場合、使ったあなたが石化することになるから、気をつけることね。……そうそう。サンプルは風力発電所の裏にある古い空き倉庫にあるから」
九十九博士は言った。

音美は九十九博士を睨みつけ、研究室を出た。

音美は、なぜ碧ちゃんを助けようとする自分に手を貸すのかと九十九博士に聞こうとは思わなかった。

九十九博士は、音美の行動を観察したいのだ。



「後は隆一達が見た通り、私は上位研究員達の先回りはできましたが、碧ちゃんを助けるのには失敗しました。私が完全に石化する前に、上位研究員達が碧ちゃんを手に入れようとしたアバター達を皆殺しにして碧ちゃんを奪い、2人組の誘拐実行犯もついでに石化させてさらっていきました。上位研究員達は本当は私も持って行くつもりだったんでしょうけど、私にはひびが入っていて運べなかったから置き去りにしたんです」

警察署の取調室でそこまで話すと、音美は一息ついた。

僕は九十九博士に対して非常な恐れを抱いた。

九十九博士は僕が考えていた以上に……いいや、僕の考えていたのとは比べ物にならないようなマッドサイエンティストだった。

彼女は研究のためならば人の命など何とも思っていないのだろう。

「……話してくれてありがとう。あなたの勇気ある内部告発は決して無駄にしないわ」
B子さんは言った。

「B子さんも最後まで聞いて下さってありがとうございます。それにしても……」

音美は僕の方に振り返った。

「ひどいじゃない、隆一。私の日記を勝手に見るなんて!」

「それについては、本当にごめん。だけど、日向さんを呼ぶためには仕方がなかったんだ。4月7日より後は読んでいないから、勘弁してくれよ」
僕は言った。

「……本当に4月7日より後のページは読んでいないでしょうね?!」
音美は言った。

「……もちろんだよ」
僕は言った。

「……そう。それならいいけど、2度と私の日記を見ないでよ!」
音美は言った。

……どうしたんだろう?

一瞬音美が安堵したように見えた。

僕は不思議な違和感を覚えた。

4月7日以降は見ていないなどと言い訳をされた所で、日記を見られた女の子はそれならいいけどなどと言えるものなのだろうか?

いいや、よく考えてみれば、あまりよく知った間柄ではなかったとはいえ同僚の自殺というショックな事件や大勢のアバターが殺されていく様子を目の前で見て、その上で日記について気にする余裕があるのも変だ。

だが、今はそれについて考えている時ではない。

「とにかく、すぐにその……らいとうぃんぐ……でしたっけ?……に行って、鹿目さんを救出しましょう!音美さんが日向さんに助けられたことを九十九博士はまだ知らないわけだし、今なら九十九博士の隙をつけるかもしれませんよ」
小林巡査は言った。

「ええ。でも、まずは盾や防弾着を用意して、それにSAT隊にも出動してもらわなきゃならないわ」
B子さんは言った。

「……へ?」
小林巡査と僕は同時にきょとんとした。

「ライトウィング・カンパニーはこの仮想現実空間最大の軍事企業よ。社員はほとんど武器を携帯していて、警察官4~5人が捜査のためと言って入り込んでも、軍事機密を探ろうとしていると言われて追い返されるか、最悪の場合はスパイとして銃殺されるわ」
B子さんは恐ろしいことを言った。

「そ、そんな恐ろしい会社なんですか?ライトウィングって……」
僕は言った。

「甘粕博士がいたころはライトウィングもそんな恐ろしい企業じゃなかったわ。……たとえて言うならトルネコさんの武器屋が大会社になったような感じのいい企業だったのよ。今みたいな体質になったのは九十九博士が会社の実権を握ってからなのよ」
音美は言った。

「……話を聞く限りでは、ライトウィング社はトルネコの武器屋というよりも神羅に近いように思えるが……」
日向さんは言った。

「……B子、トルネコって分かる?」
A子さんはB子さんに聞いた。

「知らないわ。……A子は神羅って分かる?」
B子さんはA子さんに言った。

「さあ……?」

ドラゴンクエストⅣとその派生作品であるトルネコの大冒険、さらにはファイナルファンタジー7とその派生作品を知らない人には、今の音美と日向さんの例えはちんぷんかんぷんだと思う。

「私、分かりますよ。説明しましょうか?」
小林巡査だけは、音美と日向さんの例えを理解できたようだった。

小林巡査がした説明は、大人の事情があってここにはあまり詳しく書けないが……

「とにかく、ライトウィングに向かう人員を集めてもらえるように、署長に話してくるわ」
B子さんは言った。

「それでは、僕は暁美ちゃん達に碧ちゃんの居場所が分かったと伝えてきます」
僕は言った。

「半戸君、ライトウィング・カンパニーや九十九博士の名前はしばらく伏せておいて。もし、斎藤さん達の耳に入ったら、これ以上じっとしていられなくなるかもしれないでしょう」
B子さんは言った。

「え?それは……」

「頼んだわよ」
B子さんはそう言うと、行ってしまった。

……うまく説明するのが難しそうだ。

「……半戸君、覚悟はできているか?」

日向さんは突然妙なことを言い出した。

「えっ?覚悟?」
僕は聞いた。

「ライトウィング社に乗り込む覚悟だよ」
日向さんは言った。

「えっ?……ライトウィング・カンパニーに乗り込むのは警察の部隊ですよ」
僕は言った。

「いいや。事と次第によっては、君や吾輩達がライトウィング社に乗り込むことになる可能性の方が高いんだよ」
日向さんは言った。

「……?」



第6部へ続く……



[35954] もし目の前で女子高生が石化したら…… 第6部
Name: ハンドル◆60815e14 ID:132352f6
Date: 2012/12/30 13:25
「僕等がライトウィング社に乗り込むことになるかもしれないって、どうしてですか?」

待合室に向かいながら、僕は日向さんに聞いた。

「何となく……。吾輩の勘なんだが……」
日向さんは言った。

「さて、待合室の前だよ。くれぐれもライトウィングや九十九博士の名前は出さないようにね」
音美が言った。

「できるだけ、気をつけるよ」
僕は言った。

待合室のドアを開けたとたん、見覚えのある赤毛の少女が僕にくってかかった。

「半戸さん、ひどいじゃない!どうして私を置いてけぼりにしたりしたのよ!私だって碧ちゃんのことが心配なんだからねっ!」

「……ごめん。真衣希ちゃんとお姉さんの時間を邪魔したくなかったんだ」
僕は言った。

「お姉ちゃんとはいつでも話せるんだからいいのっ!……B子さんと日向さんはどこ?!2人にも文句言ってやるんだから!」
真衣希ちゃんは言った。

「吾輩ならここだが……」
僕の後ろにいた日向さんが言った。

「日向さん!あなたは一番私を蔑にしちゃいけない人でしょう!」
真衣希ちゃんはすぐさま日向さんにまくしたてる。

「……悪かったよ」
日向さんはため息混じりに言った。

「ごめんなさいね。真衣希ったら分からずやで……」
千鶴さんは言った。

「……いいえ、いいんですよ」
僕は言った。

「……まったく、配慮してもらったというのにアバズレは……」

パソ子の声だった。

「パソ子、君が真衣希ちゃんをここに連れて来たのか?」
僕は聞いた。

「……アバズレがどうしてもと言うから、仕方なく隆一のGPSを辿ったんだ。アパートの鍵はちゃんとかけてきたから、心配するな」
パソ子は言った。

僕は携帯電話を持っていないが、アバターの体内にはGPSが組み込まれているのだ。

「それはいいけど……パソ子、真衣希ちゃんのことは名前で呼んであげろよ。アバズレなんていう言い方は失礼だぞ」
「……隆一がそう言うなら仕方がない」
「仕方がないとかじゃなくて、人としての礼儀だろう」
「私は人間じゃなくパソコンだ」
「パソコンでも、礼儀ってものは持たなきゃだめだよ」
「……現実世界のパソコンは礼儀正しいのか?」

パソ子の質問に、僕は少し困った。

現実世界のパソコンは……

「……どうだろうね。でも、礼儀知らずよりは礼儀正しい方がいいに決まっているさ」
僕は言った。

「あのさ……。半戸さん、お話し中に悪いんだけど、音美さんが何を話したのか、教えてくれない?」
暁美ちゃんは言った。

「葉月さんはあの倉庫で何を見たんですか?」
碧ちゃんのご両親も言った。

「葉月さんは鹿目さんが石化した後で、調べなきゃならないことがあると会社に行ったけど、一体その会社って何なの?鹿目さんが石化した原因は、葉月さんの会社と何か関係があるの?」
C子さんも言う。

「そ、それは……」

どうしよう?なんて説明すればいいんだろうか?

僕の後ろで日向さんと言い合っている真衣希ちゃんは、音美の日記を読んでいるし、B子さんから九十九博士の話も聞いているから大方のことが分かるはずだ。

あまりごまかし過ぎると、真衣希ちゃんは矛盾に気づくだろう。

それに、もし真衣希ちゃんが音美の日記の内容をここにいる皆に話していたとしたら、ライトウィング・カンパニーや九十九博士の名前を伏せて説明するのは困難だ。

結局、多くのことを伏せた説明は音美がすることとなった。

「わ、私が勤めている会社では、石化予防ができる服をつくっているんです。だから、その線維を調べれば、金の針がなくても碧ちゃんを元に戻せるんじゃないかと思ったんですよ。……でも、だめでした。私が勤めている会社で作っている服の線維は、石化予防はできても、石化した人を元に戻すことはできないってことが分かったんです」

「それじゃあ、あの倉庫にいたのはどうして?音美さんはあの倉庫で何を見たの?」
暁美ちゃんは聞いた。

「その……会社から帰ろうとしていたら、今朝のアバター達が乗った車を見つけてね。気になって後をつけたら、あの倉庫にたどり着いて、アバター達が誘拐実行犯から碧ちゃんを受け取ろうとしている所を見たの。……だから碧ちゃんを取り返そうとしたんだけど、ちょうどその時にアバター達が仲間割れを始めてね……。私はその巻き添えを喰ったの」
音美は半分以上嘘の混じった説明を続けた。

「……ということは、碧は生き残ったアバターに……」

「ええ。……生き残ったアバターが碧ちゃんを連れ去ったのは私が完全に石化するより前だったの。だから私はそのアバターの特徴をこと細かくB子さんに伝えることができたわ。B子さんは敏腕だから、すぐにそのアバターがどこの誰なのか、今どこにいるのかを突きとめてくれたの。……だから、B子さんは今度こそ碧ちゃんを取り戻してくれるわよ」

音美の説明に、皆は納得したようだった。

僕はほっとした。

真衣希ちゃんは音美の日記の内容を話していなかったようだ。

それに、真衣希ちゃんは音美の勤める会社がライトウィング・カンパニーだとは気付いていないから、何とかごまかし通せそうだ。

ただ、真衣希ちゃんが日記に書かれていた九十九博士は九十九宝子と同一人物だということに気付いたら、少々厄介だが……

「……それにしても、話は聞いていたけどやっぱり違和感があるわ。パソ子が人間の姿だっていうのは……」
音美は言った。

「ご主人様、心配無用だ。私は人間の姿になってもパソコンとしての機能は失っていない。……ほれ、この通り」

パソ子は白壁を見ながら自分の髪をいじった。

白壁がスクリーンとなり、パソコンの画面らしきものが映し出される。

「……それはいいけど、人間の姿のパソ子は私より大人びているし美人さんなんだもん。何か嫉妬しちゃうな」
音美は言った。

「え?そう言われても……」
パソ子は困っている。

「おまけに……私のより大きいじゃない。……私もそれくらい欲しいな」
音美は自分のシャツの襟を引っ張って中を見ながら言った。

「音美、高校生の見ている前だぞ。やめておけよ」
僕は言った。

「そ、そうね。……ごめんなさい、皆」

音美は慌ててシャツの襟を整え、暁美ちゃんやその同級生達に頭を下げた。

男子生徒の多くが少し残念そうな顔をし、そんな男子生徒に対して女子生徒は嫌な顔をする。

「それとさ。音美、パソ子がいろいろと話をするのを許してあげないか?……音美に余計なことを話すなと言われて、パソ子はずっと黙っていたらしいんだ」
僕は言った。

「あら?そうだったの?……そう言えば私が隆一と同居するようになってから、パソ子は全然しゃべらなくなっていたわね。……別に私はパソ子に永遠に黙っていろなんてそんな意地悪なことは言わないわよ」
音美は言った。

「で、でもご主人様は私が話すことは全て余計なことだって言うから……」
パソ子は言った。

「ごめんね、パソ子。私が悪かったわ。……あの時は隆一に話しちゃいけないことをパソ子が言おうとしていたから、ついかっとなったの。……隆一に話しても差し支えないことなら、どんなことでもしゃべっていいわよ。……じゃないとストレスがたまっちゃうでしょ」
音美は言った。

「あ、ありがとう。ご主人様はやっぱり優しい人だった。……で、隆一に話しちゃいけないことっていうのは?」
パソ子は聞いた。

「それは……隆一に話せないことなんだから、ここでは言えないわ。パソ子、こっちへ来て」

音美はパソ子の手を引いて待合室を出る。……その前に一度振り返った。

「隆一、絶対に私の後をつけて聞き耳を立てたりしないでよ。いい?!」

「は、はい」
僕は言った。

音美とパソ子が行ってしまうと、少し前にようやく真衣希ちゃんの文句を聞き終えた日向さんが、右側から僕に声をかけた。

「気にならないのか?音美ちゃんが言う君に内緒にしておきたいことって一体何なのか?」

「気にはなりますけど、詮索はやめておきます。親しき仲にも礼儀ありって言いますし……」
僕は言った。

「……そうか。吾輩なら盗み聞きするぞ。二次元の世界で聞き耳を立てるなと言われたら、立てるものじゃないか」
日向さんは言った。

まあ、考え方によってはそうなのだろうが……

「あら?半戸君、その目はどうしたの?」
僕の左側に立ったA子さんが言った。

「えっ?僕の目ですか?」
僕は聞いた。

「ええ、半戸君の目が黄色くなっているわ」
A子さんは僕の顔を覗き込み、言った。

「ぼ、僕の目が黄色?」

僕は目を白黒だ。

現実世界からこの世界にアバターとしてやって来た人間の目の色は、アバターの設定に関わらず、現実世界オリジナルの色になる。

だから、僕の目は絶対に黒のはずだった。

……そう思っていた僕は、次の日向さんの一言でさらに混乱することになった。

「黄色ではないぞ。……半戸君の目は緑色じゃないか」

「そんなまさか。僕の目の色は黒ですよ」

僕はA子さんと日向さんにそう言った。

するとA子さんと日向さんは僕の正面に立ち、僕の顔を覗き込んだ。

「半戸君……鏡で自分の目を見てみる?」

A子さんはそう言うと、布切れで包まれた鏡を取り出した。

……教会の尼さんがいつも持ち歩くという悪魔避けの鏡だ。

A子さんは鏡を覆っている布を外した。

僕はぎょっとした。

鏡に映っていたのは無精髭の男……すなわち僕の顔が映ったわけだが、その左目はA子さんの言ったように鈍く光る黄色、右目は日向さんの言ったような鈍い緑色だったのだ。

ちらっと見ただけでは分からないが、よく見ると何とも不気味な目だ。

「変だな。吾輩が音美ちゃんの石化を解いた時に半戸君の目を見たが、その時は両目とも緑色だったぞ」
日向さんは言った。

「……今朝は右目が青で左目が藍色じゃなかった?……半戸さんの目って、色素が薄いの?」
暁美ちゃんは言った。

「アパートでは両目とも紫だったわ」
千鶴さんは言った。

一体どういうことだろう?

僕の目はどうしてしまったんだろうか?

そういえば、音美は今朝何かを察したかのように僕の目を押し開けた。

……あの時点で僕の目の色は変わっていたんだろうか?

音美はあの時なんでもないと言っていたが……エルフの飲み薬をくれた先生のいる病院には眼科もあったはずだけら、後で行って診てもらった方がいいかもしれない。

「半戸さんの目……怖い」
女子生徒の1人が言った。

「隠した方がいいと思うよ」
男子生徒の1人が言った。

隠せと言われても、目隠しなんかすれば視界は真っ暗だ。

……仕方がない

視界ゼロよりはましだ。



「……あ、あれ?なにそれ?変なの」

真衣希ちゃんがきょとんとして立ち止まるほどサングラスをかけた僕の顔は変だったらしい。

「その……元々かけていた眼鏡は壊れちゃったからさ。黒眼鏡しかなかったんだよ。……それよりどうしたんだい?」
僕はそう言ってごまかした。

「……それが、B子さんが署長さんと喧嘩していて……」

真衣希ちゃんの言葉に、僕と日向さんは顔を見合わせた。



僕と日向さんはこっそりと署長室を覗いた。

B子さんを小林巡査が懸命に押さえている。

「九十九宝子がそんなに怖いの?!あんたみたいなやつがどうして警察署長なのよ!」

どなり声なのでよくは分からないが、B子さんはそう言っているようだった。

「お、落ち着くんだ。九十九博士を敵に回すということは、すなわち財界を敵に回すことになる。そうなったら我々はどんな経済制裁を受けるか……。ひょっとしたら、捜査費用を取り上げられるかも知れないんだぞ」

机の裏に隠れている警察署長らしい……僕が言うのもなんだが、でっぷりとした男性は懸命にB子さんに言い訳をしている。

「おのれ……この期に及んでまだ言い訳を!」

警察署長の言い訳は、当然ながら火に油を注ぐものとなった。

「伴場さん、落ち着いて下さい!」

屈強な兵士を打倒した小林巡査だったが、B子さんを押さえるのはそろそろ限界のようだった。

ついにB子さんは小林巡査を自分からひきはがし、投げ飛ばしてしまった。

「ぎゃふん!」

小林巡査は床に倒れた。

……掛け込んで受け止めてあげるべきだったかな。

「どうしても九十九を野放しにするつもりなら……」

B子さんはすさまじい形相で警察署長の方に歩み寄る。

「B子、やめて!今は署長さんと喧嘩している場合じゃないでしょ!」
A子さんは署長室のドアを開け、言った。

「A子……」

「冷静になって!あなたがここで自棄なんか起こしていたら、あなたを頼りにしている暁美ちゃん達はどうしたらいいの?誰が碧ちゃんを助け出すの?」
A子さんは言った。

「……」

B子さんは一度振り返り、警察署長を睨みつけた。

「……上層部にはもう頼らない。鹿目さんは私が助け出すわ。財界には、鹿目さんをライトウィングから連れ去ったのは私の独断によるもので、警察幹部は一切関与していないとでも言っておきなさい」

「……わ、分かったよ」
警察署長は小さな声で言った。

僕が言うのもなんだが、情けない警察署長だ。

「初穂、投げ飛ばして悪かったわね」
B子さんは小林巡査に肩を貸しながら言った。

「……い、いいえ。いいんです。受身の練習になりましたから。……それより、本当に1人でライトフライに乗り込むつもりなんですか?」
小林巡査は言った。

「……ライトウィングよ。そうするしかないじゃない。上層部の連中は頼りにならないからね」
「……私も連れて行って下さい。伴場さんのお役に立てるかもしれません」
「だめよ。あなたはまだ若いし、恋人だっているでしょう」
「彼氏がいるっていうのは、見栄を張るためのはったりです。伴場さんにだって彼氏は……いませんでしたね」
「うるさいわね!また投げ飛ばすわよ!……いい?初穂。この堕落しきった警察組織を変えられる警察官がいるとしたら、あなたはその1人よ。……そのあなたを、命を落としかねないような危険な潜入捜査に同行させるわけにはいかないわ」
「……でも、伴場さんと一緒に行けないなんて、私は寂しいですよ。それに伴場さんは私のことをかってくれていますけど、私はまだ未熟者です。……もし、伴場さんがライトエラーに行ったまま帰って来なかったら……」
「……だから、ライトウィングだってば。それに縁起でもないこと言わないでよ。私は生きて帰ってくるつもりなんだから」
「……必ず、帰ってきてください」

「小林さん、安心して。B子を1人では行かせないから」

小林巡査に声をかけたのは、A子さんだった。

「浅田さん……」
小林巡査の顔に安堵の色が浮かぶ。

小林巡査はA子さんとB子さんの関係を僕や音美よりよく知っているようだった。

「A子、危ない目に逢うかも知れないわよ」
B子さんは言った。

「危ない目に逢うかもしれない時に一緒にいてあげてこそ親友じゃない?私はB子を守るわ」
A子さんは言った。

「高校の時みたいにドジ踏まないでよ」
B子さんは苦笑いを浮かべ、言った。

「分かってるって」
A子さんも苦笑いを浮かべる。

「……」

日向さんの言った通りの展開になったことを、僕は悟った。

ライトウィング・カンパニーに乗り込んで石化した碧ちゃんを奪還するのは、A子さんとB子さんの2人だけでは無理だ。

碧ちゃんの石化を解ければ、碧ちゃんが自力で走って逃げることも可能だが、武器を携帯している人間が大勢いる場所で碧ちゃんを元に戻すのは危険だ。

すなわち、ライトウィング・カンパニーから碧ちゃんを運び出す役の人間が少なくとも2人以上は必要ということになる。

いざという時、僕は往生際が悪いであろう。

現に僕は、ライトウィング・カンパニーに乗り込むのは怖い。

だが、僕は必ず碧ちゃんを元に戻すと約束した。

碧ちゃんの救出を人任せにしていてはいけないのだ。

「ぼ、僕も行きます。……戦うのは苦手ですが、碧ちゃんを運ぶ手伝いはできます」
僕は言った。

「半戸君、ありがとう。あなたには石化耐性があるようだし、来てくれると助かるわ」
B子さんは言った。

「吾輩も行こう。少人数で大勢と戦うには、吾輩の能力が役に立つかもしれん」
日向さんは言った。

「心強いわね。日向さん、頼りにしているわよ」
A子さんは言った。

「……ここが仮想現実空間とはいえ、あなたのようなきれいな人にそう言われると照れるな」

心なしか、日向さんの灰色の顔が少々赤くなったように見えた。

「後は音美が来てくれると助かるんですけどね。音美はライトウィング・カンパニーのことをよく知っているし……」
僕がそう言った時だった。

「呼んだ?」

急に音美の声がしたので、僕は驚いて振り返った。

「ね、音美!いつ僕の後ろに来たんだ?」
「パソ子と一緒に待合室に戻ろうとしたら、隆一達が署長室に向かっているのが見えたから気になって様子を見に来たのよ」
「そうだったのか。パソ子は待合室に戻ったの?」
「ええ。ここに来たのは私だけよ」
「そうか。……それなら、パソ子に心配をかけなくて済みそうだな。音美、僕等に……」
「もちろんついて行くわ。これ以上九十九博士の人体実験を見逃すわけにはいかないもの!」
「早!」

「それよりどうしたの?その似合わないサングラス」

当然、真衣希ちゃんのように音美もサングラスのことには突っ込む。

「本当。一体どうしたの?」
B子さんも聞いた。

「こ、これは……眼鏡が壊れちゃったんで、仕方なく黒眼鏡を……」
僕は再びそう言ってごまかした。

碧ちゃんを助け出すまでは、音美やB子さんにも心配はかけないでおこうと思ったのだ。

「それじゃあ、皆に見つからないようにこっそりマイクロバスに乗りましょう。碧ちゃんの救出に向かうのが僕等だけだと知れたら、暁美ちゃんもC子さんも碧ちゃんのご両親も皆心配するでしょうからね。……それに九十九博士を捕まえられない警察に対して皆が不信感を持つようなことになっちゃいけないでしょう」
僕は言った。

「ごめんね、半戸君。気を使わせちゃって……」
B子さんは言った。

「さて、真衣希はここに残って警察の部隊が碧ちゃんの救助に向かったと皆に言ってくれ。吾輩達のことはうまくごまかしてくれよ」
日向さんは真衣希ちゃんにそう言ったが……

「嫌よ!日向さん達が面白そうなことをやるのに私はここに残るなんて!」
真衣希ちゃんは言った。

「真衣希、吾輩達はゲームをしに行くんじゃないぞ。わがままを言うんじゃない」
日向さんは言った。

「……いいのよ。皆に本当のことを言っちゃっても」
真衣希ちゃんは言った。

「わーっ!やめやめやめーっ!……しょうがない。連れて行ってやるよ。……千鶴に知れたら殺されるな」
日向さんはため息をついた。

「やったー!」
真衣希ちゃんは喜んだ。

まあ、確かに人数は多い方が心強いのだが……

「……それじゃあ初穂、待合室の皆さんにはうまくごまかしておいて」
B子さんは小林巡査に言った。

「分かりました。……伴場さん、必ず戻ってきてください」
小林巡査はそう言って待合室に向かった。

「さあ、行きましょうか」

僕等は人目につかないように駐車場へ向かった。

駐車場には僕等が乗ってきたマイクロバスがあった。

B子さんはバスの鍵を取り出そうとして、首を傾げた。

「あら?変ね。……ここに入れておいたはずなのに……」

「B子、探し物はこれでしょう」

その声に振り返ったB子さんは驚いた。

「C子!」

「……B子、あの時みたいな顔しないでよ。私はもうあなたをいじめたりしないわ。……借りを返させてほしいの。……それに、私の生徒を助けに行くんだからいいでしょ?」
C子さんは言った。

「C子、ありがとう。一緒に行きましょう」
B子さんはそう言ってC子さんから鍵を受け取った。

「……何か納得できないな。どうして千歳先生はすんなり一緒に行かせてもらえるのに私は一度行くのを反対されたの?」
真衣希ちゃんはむくれた。

「……B子もC子もあの頃と変わったからかな?」
A子さんは言った。

僕はA子さんから話を聞いたことがあって、あの時やあの頃について知っているのだが、その当時の話をほとんど知らない真衣希ちゃんは……

「……だから、あの時とかあの頃とか、一体何のことなの?」

「おっと、ごめんね。真衣希ちゃんには話してなかったわよね。……碧ちゃんを助けた後で話してあげるわ」
A子さんは言った。

「……それにしても、どうして鹿目さんを助けに行くのが警察の部隊じゃなくて半戸さん達なの?」
C子さんは言った。

「C子にはもう隠すこともないから言うけど、絶対に生徒さん達に言わないでね」

B子さんはC子さんにこれまでの経緯を説明した。

「……そっか。分かるよ。私が勤めている高校も政府の補助金を受けているから、理事長は財界に対して頭が上がらないの」
C子さんは言った。

「……そうなんだ。お互い大変だね。……C子、重ねて言うけど、ライトウィング・カンパニーに私達だけで乗り込むことは……」

「もちろん私は言わないわ。……だけど……」

C子さんは申し訳なさそうな顔をした。

「まさか!」
B子さんは慌ててバスの中を調べた。



「これで顔を拭けよ」

僕はハンカチを暁美ちゃんに渡した。

「ありがとう、半戸さん。……ごめんね。私、足手まといにはならないし、他の皆に警察の部隊が出動しなかったことは言わないから、碧を運ぶのを手伝わせて」
暁美ちゃんはハンカチでバスの内装と同じ色の顔を拭きながら言った。

「本当なら、危険だからついてきちゃだめだって言うべきなんだろうけどね。君は碧ちゃんを助けるために相当無茶をしそうだし、なおさらだ。だけど、危ないと思ったら必ず逃げるって約束してくれればついてきても構わない。……いいや、本音を言えば、僕等は君がついてきてくれることをありがたいと思っているよ」
僕は言った。

「……千歳先生からも同じことを言われたわ。碧のために無茶をせずに危なくなったらすぐ逃げろって……。でも、私は碧を助け出すまで頑張りたい」

暁美ちゃんは肌色に戻った顔を上げた。

「今朝、碧ちゃんに庇われたからかい?」
僕は言った。

「今朝だけじゃないわ。……碧はいつも私のそばにいて、私を守ってくれたの」
暁美ちゃんは言った。

「……よかったら、その話を聞かせてくれないかな?」
僕は言った。

暁美ちゃんは小さく頷くと、話しはじめた。

「……私が今の学校に通い始めたのは、5月からなの。前の学校に慣れてきたころ、急にお父さんが転勤することになってね。私はせっかく慣れてきた学校を辞めて、今の学校に通うようになってからはどうしても皆となじめなかったの。……今の学校の制服が届くのが遅れたから、初めの内は1人だけ皆と違う制服を着ていたし、制服が皆と同じになった後も私は周りから浮いていた。……友達はいないし、だんだん学校へ行くのが嫌になっていったわ」

「……大変だったんだね」
僕は言った。

暁美ちゃんは話を続ける。

「大変どころか、もう地獄だよ。孤立するっていうのはこんなにつらいものなのか、1人ぼっちはこんなに寂しいものなのか、そう思わない時はなかったわ。それが10日くらい続いたわ。ある時……確か昼休みだったと思うけど、私はいつもの通り、自分の席について大人しくしていたの。そうしたら、足下に何かが落ちて来て、拾ってみたら紙飛行機だったの。誰が飛ばしたんだろうと思っていたら、急に私の前に駆け付けた子がいてね。……それが碧だったの」

「それじゃあ、碧ちゃんがその紙飛行機を飛ばしたの?」
僕は言った。

「そう。碧は『紙飛行機を拾ってくれてありがとう。中にメモを書いているんだ』って言ったの。私が紙飛行機を返すと、碧はもう1つ紙飛行機を取り出して、『どっちが紙飛行機を遠くまで飛ばせるか競争しない?』って聞いてきたんだ。私は初めの内は断ろうかと思ったんだけど、碧は『斎藤さんが勝ったら、紙飛行機の中のメモを見てもいいよ』って言って、私に紙飛行機を渡したんだ。私は碧の言うメモが気になって、とうとう碧の誘いに乗ったの。……ねえ、半戸さん。私と碧のどっちが勝ったと思う?」

暁美ちゃんが急にそう聞いてきたので、僕は困った。

「えっ?……ええと、話の流れからすると暁美ちゃんが勝ったのかな?」
「碧が勝ったに決まってるじゃない。……だって紙飛行機はどっちも碧が作ったんだよ」
「え?……それじゃあメモの中身は分からず終いだったの?」
「まあ、続きを聞いて」

暁美ちゃんはそう言うと、話を続けた。

「碧は私に『がっかりしないで。私のお願いを聞いてくれたらメモを見せてあげるから』って言ったの。私は碧のお願いが何なのか聞いたわ。……そしたら碧ったら、『リボンがほどけちゃったから、結ぶのを手伝ってほしいの。私は超がつくほど不器用だから1人じゃ結べないんだ~』だって。……思わず笑っちゃいそうになったけど、ちゃんと碧のリボンを結んであげたよ。それで碧は約束通りメモを見せてくれたの。……なんて書いてあったと思う?」

暁美ちゃんは再び僕に聞いてきた。

「えっ?……何だろう?……見当がつかないな」
僕は言った。

「碧のメモには、友達になって下さいって書いてあったんだ。……私はそれを見て……涙が出そうだったわ」

話している内に、暁美ちゃんの目には涙がたまっていた。

当時のことを思い出したのだろう。

「そうだったのか。……碧ちゃんはいい子だね」
僕は言った。

「後で聞いたんだけど、碧は初めから私と友達になりたかったけど、皆から浮いている私にどう声をかけたらいいのか分からなかったらしいの。そんな碧に紙飛行機の入れ知恵をしたのが……」

涙を拭いた暁美ちゃんの目線の先にいたのは……

「A子さんの入れ知恵?……それじゃあ、A子さんは碧ちゃんとは知り合いだったんですか?」
僕は言った。

「ええ。碧ちゃんはよく教会に遊びに来てくれていたのよ。半戸君達とはほとんど入れ違いだったけどね」
A子さんは言った。

「なるほど。……アパートで気になるって言っていたのは、碧ちゃんのことだったんですね」
僕は言った。

「碧ちゃんのこともあるんだけど……他にも何か気になることがあってね」
A子さんは言った。

「他にも……ですか」
僕はそう言いながら暁美ちゃんの方に向き直った。

「碧は私をどん底から救い出してくれた。……だから、碧を助け出すまでは……」
暁美ちゃんは言った。

「暁美ちゃん、それでも、無茶をしちゃだめだよ。……碧ちゃんが石像から君を庇ったのは、君に無事でいてほしいから、危ない目にあってほしくないからじゃないか?」
僕は言った。

「……」

「だから、もう1度言うよ。危ないと思ったら、すぐに逃げるって約束してくれるね?」
僕は言った。

「約束するわ。……半戸さん、震えてるよ」
暁美ちゃんは言った。

「えっ?」

僕は不思議に思いながら自分の足に目を落としてみた。

おかしなことに、足は小刻みに震えていた。

……やっぱり、まだ僕はライトウィング・カンパニーに乗り込むことを怖がっているんだ。

ええい!半戸隆一、しっかりしないか!高校生の暁美ちゃんはこんなにしっかりしているんだぞ!

「……大丈夫だ。吾輩が立てた作戦通りにやれば、必ずうまくいく」
日向さんは僕の足の震えに気付いたのか、そう言ってくれた。

「そろそろ到着するわ。……皆、くれぐれも慎重に行動するのよ。いざとなったら私が皆の盾になるから」
B子さんは言った。



ライトウィング・カンパニーの門の前には、兵士が3人ほど立っていた。

僕はリュックサックを背負うと、作戦通りに挙動不審者のふりをして兵士の前を通り過ぎる。

尤も、僕は恐る恐る行動していたから、演技しなくても十分挙動不審に見えたようだが……

「何者だ!怪しい奴め!止まれ!」
兵士達は一斉に剣に槍に銃を構える。

「あ、怪しいというだけで、ぶ、武器を構えるなんて、な、なんて対応だ!」
僕は言った。

「何だと?貴様、もう1度言ってみろ!」

兵士は武器を構えたまま、僕に近づいてきた。

「ぶ、武器を向けるな!」
僕はそう言いながらじりじりと後ろに下がる。

「こいつ!あまりふざけていると……」

「今だ!全員眠れ!」
リュックサックの中から日向さんが言った。

「何だと?!……ふあぁ~」

3人の兵士は皆倒れて寝てしまった。

「いともあっさりと監視カメラの死角に来てくれたもんだな」
日向さんは言った。

「兵士の服と武器を拝借しましょう」
音美はそう言って、さっそく兵士のヘルメットをとる。

「1着は音美が着なよ。後の2着は暁美ちゃんと真衣希ちゃんに着せてあげればいい」
僕は言った。

……というのも、門番の兵士は3人とも小柄だったのだ。

「あまり格好良くないね」
真衣希ちゃんはそう言いながら兵士の服を着込んだ。

寝ている兵士は物陰に隠す。

「風邪を引くかもしれないけど、悪者にはいい薬だわ」
暁美ちゃんは言った。

「はい、半戸君。これを持っていて」

B子さんが兵士の服のポケットにあった拳銃を差し出したので、僕は慌てた。

「ぼ、僕は拳銃なんか使えませんよ。……それに人を撃ちたくなんかないです」
僕は言った。

「……そうね。人を傷つけたくないというのは、人間の性だものね。悪かったわ。これは私が持っておくわね」
B子さんは言った。

「まあ、とにかくここまでは作戦通りだな」
日向さんは言った。

「さて……」

音美は僕に剣を突き付けた。

「ひえっ!……心の準備ができるまで待ってくれよ」
僕は言った。

「ぐずぐず言わずにさっさと歩け!」

音美は兵士に成りきっている。

仕方なく、僕は両手を上げてライトウィング・カンパニーの門をくぐった。

建物の1階には普通の会社と同じように受付係があった。

普通ではありえないのは、ここにいる全員が武装していることだ。

「門の前をうろついていた怪しい者を捕えました。こいつは何やら不審物を所持しているようです」
音美は受付嬢に言った。

「確かに怪しいわね。その荷物を調べてみましょう」
受付嬢は言った。

「僕のリュックサックを取っちゃ嫌だい!」
僕は大げさにそう言った。

その時、入口の方が騒がしくなってきた。

「お願いします!中に入れて下さい!今連れて行かれたのは、私の弟なんです!」

B子さんの声だった。

「だめだ!部外者をこの敷地内に入れるわけにはいかないんだ!」

これは暁美ちゃんの声だ。

「弟を返して下さい!」

「お前の弟は不審人物として捕えたんだ!警察が来るまではここで拘束する!」

これは真衣希ちゃんの声。皆芝居がうまい。

「隆一を返して!」

B子さんは真衣希ちゃんと暁美ちゃんの間を抜けようとする。

「あっ!こら!……皆!手を貸してくれ。この女、俺達の手には負えない!」

真衣希ちゃんは言った。

「ちっ!仕方がないな」

1階にいた兵士の半数がB子さん達の所へ、残りの半数が僕の荷物を調べようとして近づいてきた。

まさか兵士のほとんどがこんな単純な作戦に引っ掛かってくれるとは……

受付嬢はリュックサックを開けて、そのまま凍りついてしまった。

リュックサックの周りに集まってきた兵士達は、凍りついた受付嬢と、リュックサックから現れた日向さんを見てぞっとした。

「心配するな!この娘は確かに氷漬けにはなったが、呪文を弱くかけたから1時間もすれば元に戻る!お前達も殺しはしないから安心しろ!ただし吾輩達の邪魔をされては困るから、お前は豚になれ!お前は蛙で、お前は小人だ!そんでもってお前は河童!」

日向さんは集まってきた兵士達に少々力を押さえた呪文をかけ、次から次へと変なものに変えていった。

しかし、本当にかわいそうなのは1時間もすれば解ける呪文をかけられた兵士達よりもB子さんに近づいてタコ殴りにされた兵士達の方だったかもしれない。

もちろん僕等の目的は兵士を倒すことではない。

まずはこの会社内の移動手段を確保しなければならなかった。

……というのも、この会社内での音美のIDカードは、音美が石化した際に壊れてしまっていたのだ。

IDがなければ、エレベーターでに乗ることもできないそうだ。

音美は99桁もあるというIDを覚えていなかった。……というより、覚えられないと思う。

だから僕等はこの会社に勤めている誰かからIDカードを借りてエレベーターのドアを開けなければならなかった。

上の階に連絡を取ろうとしていた気の弱そうな社員が、日向さんの能力で透明になっていたC子さんに足を引っ掛けられ、転んだ。

「あわわ!な、何をするんですか!」
社員は言った。

「大丈夫よ。エレベーターに乗るためのIDを教えてくれれば、あなたにはこれ以上何もしないわ」
C子さんは言った。

「そ、そんなもの教えたら、僕の首が……」
社員は言った。

「あなたの首?……おいしそうな血が通っているわね。私って、バンパイアの子孫で血が大好きなのよ。IDを教えてくれないんなら、あなたの血を頂ける?」
C子さんは恐ろしい冗談を言った。

「ひいーっ!わ、分かりました。お、お教えします。え、エレベーターのIDは各社員ごとに違うんです。……そ、それで、僕のIDはこれで……」

社員がポケットからIDカードを取りだした時だった。

突然銃声が響いたかと思うと、社員はIDカードを取り落としてしまった。

「どうやって透明になったのかは知らないが、こっちには熱を探知する装置もある!そのIDカードを拾おうとしたら、どうなるか分かっているな?!」

IDカードを取りだした社員を撃った兵士は、今度はC子さんの頭があると思われる場所に銃を突き付けた。

「あ、あんた、この人は会社の同僚でしょう!どうしてこんなひどいことを平気で出来るの?!」
C子さんは震える声で言った。

「俺の目的は出世だ。こいつのように、脅されればすぐに怯えて秘密を明かしてしまう奴はいつか九十九博士の偉大な研究の阻害因子になりかねない。そういった奴を排除し、九十九博士に陰ながら尽くしていれば、いずれ俺は九十九博士に認められて出世できるに違いないからな!……そしていつかは九十九博士の右腕となるんだ!」
兵士は言った。

「最低!」

「うるさい!本当なら問答無用で貴様も撃つ所だが、選ばせてやろう。このまま銃に撃たれるか、それとも俺にじっくりとなぶり殺しにされるか……」
兵士は不気味に笑いながら言った。

「C子!」

B子さんがC子さんに駆け寄ろうとする。

「貴様らも動くな!この女の命は俺が握っているんだ!」
兵士はさらにC子さんの頭に銃を強く押しあてた。

「うう……」

僕等にはどうすることもできなかった。

「さあ、選べ」
兵士は言った。

「……分かったわ。私が選ぶのは3つ目よ」
C子さんは言った。

途端に兵士は打倒され、銃を取り落とした。

「神様、私の罪をお許しください」
A子さんは言った。

「ちっ!もう1人いやがったか!……もう少しで、九十九博士の右腕になれたというのに……」
兵士は言った。

C子さんが銃を拾い、B子さんがすぐさま兵士を取り押さえた。

「殺人の現行犯で逮捕するわ!」

B子さんがそう言っても、兵士は笑っていた。

「貴様のような奴が俺を生かして捕まえられると思うか?」

「ば、馬鹿な真似はやめなさい!」

だが、間に合わなかった。

「見るな!」
僕はとっさに暁美ちゃんと真衣希ちゃんの目を隠した。

兵士は血を吐き、倒れてしまった。

「な、なんてことを……」

僕は恐ろしさの余り、その場に立ち尽くしてしまった。

「……九十九博士に忠実な者は、2種類に分けられるわ。……片方は九十九博士が怖くて仕方なく従っている者、もう片方は心から九十九博士に従い、ついには九十九博士のような狂人と化してしまう者……」
音美は言った。

あまりにも痛ましかった。

「かわいそうに……。せめて、冷たい床の上ではなく……」

A子さんは周りを見回し、担架を3台ほど見つけた。

「半戸君、手伝ってくれるかしら?」

「分かりました」

僕はまず、IDカードを持っていた社員を担架に乗せた。

よく見れば、社員は僕とそう変わらない年齢のようだ。……いいや、下手をすると僕より年下かもしれない。

「君のIDは、大事に使わせてもらうよ。……ごめんな。僕等のせいでこんなことになって……」
僕は言った。

続いて舌を噛んで自殺した兵士を担架に乗せようとする。

「半戸さん、そんな奴うっちゃっておけば?」
C子さんは言った。

「そいつとかわいそうな社員を同じように扱うのはどうかと思うわ」
B子さんは言った。

「でも……この人も亡くなっているんですよ」
僕は言った。

「そうよ。死者に対する冒涜は許されないわ」
A子さんは言った。

「後で必ず、家族の所に返してあげるから……」
音美は担架の前でそう言った。

暁美ちゃんと真衣希ちゃんは怖がって震えている。

「大丈夫だよ。さあ、碧ちゃんを助けに行こう」
僕は無理に平静を装い、2人に言った。

IDカードのおかげで、エレベーターは僕等を招き入れてくれた。

「担架も乗せられるかな?」

僕は残っていた担架に碧ちゃんを乗せようと思っていたのだ。

「折り畳めば乗せられるわよ」
音美は言った。

「そうですね」

僕は担架を折り畳もうとしたが……

「ねじを緩めないと畳めないわよ」
「うへえ!細かい作業が必要なのか……」
「サングラスを外せばいいじゃない。むしろサングラスは邪魔でしょう」

そう言われても、皆が見ている中でサングラスを外すのはまずいんじゃなかろうか?

「それにしても、碧ちゃんは何階にいるのかしら?」
A子さんは言った。

「地下13階だと思うわ。科学部の研究室と、実験道具の保管室があるから、きっとそこに……」
音美はそう言いながら下を見た。

「研究室って地下にあるの?」
真衣希ちゃんも下を見る。

「マッドサイエンティストの怪しげな実験が行われているわけだから、地下はそれにふさわしい場所ってわけね」
B子さんも下を見る。

今だ!

僕はサングラスを外し、急いで担架を畳み始めた。

「あら?半戸さんの目の色……」

……暁美ちゃん、僕の目の色が変わっていることは警察署の待合室で見たから知っているはずじゃないか。今は言わないでほしかったな。

「また色が変わってる」
暁美ちゃんは言った。

「えっ?」

「ほら、右目が赤で左目が橙色……」

暁美ちゃんの言葉に、音美が驚いて僕の顔を見る。

「そ、そんな……」

一体どういうことなのか、音美の顔に絶望の色が浮かんだ。



……吾輩はリュックサックごと床に落下した。

「あいたっ!」

「だ、大丈夫?日向さん?」
音美ちゃんが吾輩に声をかける。

「は、半戸君が……消えた?」

皆は驚き慌てて周りを見回した。

吾輩が入っているリュックサックを背負った半戸君が、まるで神隠しにでもあったように急に跡形もなく消えてしまったのだ。



急に目の前の光景が変わったので、僕は驚いた。

そこは一面何もない所だった。

日向さんがリュックサックごといない。

音美もA子さんも……誰もいないではないか?

……ど、どうなっているんだ?

その時、聞き覚えのない女性の声が聞こえてきた。

「何とか間に合ったわ。あなたが壊れるのを止めることができた」

声のした方を振り返ると、そこには1人の老婆が立っていた。

「あ、あなたは一体……?」
僕は恐る恐る聞いた。

「私の名前は甘粕陽美。音美に頼まれて、あなたのことを見ていたのよ」
老婆は言った。



最終部へ続く……



[35954] もし目の前で女子高生が石化したら…… 最終部
Name: ハンドル◆60815e14 ID:132352f6
Date: 2013/01/09 19:17
吾輩達の目の前から、半戸君が消え去ってしまった。

「は、半戸さんが、いなくなっちゃった」

「ど、どうなっているの?」

エレベーターの中で皆は動揺している。

吾輩も動揺を隠せなかった。

「皆、落ち着いて。隆一は……現実世界に帰らなきゃならないのよ」
音美ちゃんは言った。

「ど、どういうこと?音美ちゃん、詳しく説明して!」
A子さんは言った。

「……全て、ここで告白します」
音美ちゃんは言った。



「あなたがライトウィング・カンパニーの前の最高顧問だったっていう甘粕博士?……僕を見ていたって、どういうことなんですか?第一ここはどこなんですか?他の皆はどうなったんですか?僕は碧ちゃんっていう女の子を助けなきゃならないんですよ」
僕は甘粕博士に詰め寄った。

「そんなに1度に聞かれても……。とにかく、私の話を聞いて。まず、ここはさっきまであなたがいた仮想現実空間ではないわ。……かと言って、現実世界でもない。ちょうど仮想現実と現実の中間地点に当たる場所よ」
甘粕博士は言った。

「中間地点?そんな所にまで空間が?」
僕は言った。

「ええ。仮想現実世界の2005年に、私は九十九宝子の策略でこの世界に飛ばされた。以来私はずっとここで仮想現実世界の成り行きを見守っているの。私が作った世界がどうなっていくのかを見定めるために……」
甘粕博士は言った。

「ちょ、ちょっと待って下さい。さっきまで僕がいた世界は、あなたが作ったって言うんですか?」

「ええ。……さっきまであなたがいた世界は2006年5月20日だったようだけど、私が仮想現実世界を作ったのは現実世界の2007年の4月なの。当時情報大学に入学したばかりの私は、パソコンをいじっていた時に偶然にもインターネットに直結した二次元の空間を発見したの。興味本位で、私はその空間に仮想現実世界を作ってみることにしたわ。……私はまず、何もない空間に宇宙を完成させた。……そして、次に仮想現実空間での何億何千万年後という世界を見てみると、仮想現実空間における地球が誕生していた。そこから一千万年毎に観察を続けると、仮想現実空間における地球はインターネットにある要素を取り入れながらも現実世界の地球とほとんど同じように成長していったわ。……そしてしばらくすると生物が誕生した。……私は仮想現実世界の観察の頻度を百万年毎、十万年毎と狭めていったわ。すると仮想現実世界の時代が現代に近づくにつれ、インターネットから取り入れられる要素はどんどん大きくなっていき、現実世界とは異なる部分がいくつも現れ始めたの」

甘粕博士の話を聞いていて、僕は奇妙な違和感を感じた。

「あの、甘粕博士。ちょっと失礼な質問かも知れませんけどあなたは2007年から何年くらい仮想現実世界の観察を続けたんですか?」
僕は聞いた。

「4年くらいかな。この中間世界からだと、1年くらい」
「それって計算が合わないんじゃ……?」
「……あら、ごめんなさい。今の私がお婆さんの姿だから奇妙に思ったのね。仮想現実世界の住民から博士と呼ばれてはいるけど、私って結構若いのよ」

甘粕博士はそう言うと、近くに揺り椅子を出現させ、座った。

そしてそのまま動かない。

うたた寝でもしているんだろうかと思ったが、そうではなかった。

「こっちよ」

甘粕博士の声に、僕は振り返る。

そこには、スクリーンに映されたような若い女性のグラフィックがあった。

「甘粕博士?」

「ええ、そうよ。これが本物の私の姿……に近いものかな?これは私のアバターの顔で、本物よりも少し美化しているんだけどね。……現実世界の私の本物の身体はもうないからさ」

甘粕博士の言葉に、僕は驚いた。

「ど、どういうことですか?」

「……まあ、続きを聞いて。私は現実世界の2011年頃までは、現実世界から仮想現実空間を観察するという手法を取っていたわ。……でも、ある日私は仮想現実世界にアバターとして入りこむ方法を見つけ、仮想現実世界の観察を外からではなく内側からするように切り替えたの。アバターとして仮想現実世界にいる間は現実世界の時間が止まるから、観察のために時間をかけずに済むという利点もあったし、何より一時的に自分が作った世界に入れるわけだから、外から見るよりもずっとよかったのよ。……まあ、音美は九十九宝子が考え出した方法だと現実世界の時間が止まるものと勘違いしていたようだけどね。そして、私は仮想現実世界を自分の理想通りにするためにいろいろと干渉を始めたの。ライトウィング・カンパニーも私の干渉が原因で誕生したものよ。……でも、私がアバターとして仮想現実世界に干渉したのは大きな間違いだったわ」

甘粕博士はそこまで話して顔を曇らせた。

「何があったんですか?」
僕は聞いた。

「仮想現実世界の2000年のこと、ライトウィング・カンパニーは本来コンピューター・ウィルス撃退のために作られた企業だったにも関わらず、対人間用の武器を作り始めた。その中心人物となったのが、当時は私の右腕だった九十九宝子だったの。私は対人間用の武器の製造を中止するよう、宝子に頼んだわ。……でも、だめだった。治安維持のためには武器も必要だと言う宝子の考えに賛同する者は多かったのよ。ついにライトウィング・カンパニーはとある外国で起きた紛争に関与することとなった。……折角作り上げたライトウィング・カンパニーが軍事企業と化してしまったことに、私は失望した。そして、私と宝子の間には少しずつ確執ができていった。私はついに宝子と対立し、2005年4月に宝子の策略でこの世界に飛ばされてしまったのよ」
甘粕博士は言った。

「……そうだったんですか。……でも、どうしてここに飛ばされた後に仮想現実空間に戻らなかったんですか?僕をここに呼べたんだから、戻ろうと思えば戻れたはずじゃないんですか?」
僕は言った。

「宝子は私が仮想現実空間に戻って来られないように、私の意識だけをこの中間世界に飛ばして、私のアバターの機能を停止させたの。……そのせいで私は仮想現実世界に戻ることができなかったのよ。……仮想現実空間に戻るためには、倫理的に少々問題のある方法を使うしかなかった。それは、仮想現実世界の住人が亡くなるか、もしくは意識を失った直後にその身体に意識を潜り込ませ、意識のない身体を操って自分のアバターを再起動させるというものよ。アバターが再起動すれば、私の意識は自然とアバターに入り込むことになるわ。……だけど、そのためには誰かが亡くなるか意識不明の状態になるまで待たなければならなかった。……しかも、亡くなった直後の人の身体じゃないと入り込めないから、条件の合う身体を見つけるのには時間がかかったわ。……私は罪悪感を感じながら、仮想現実世界の誰かが亡くなる瞬間を探していたの」
甘粕博士は俯いた。

「それじゃあ、このお婆さんは……」

僕は揺り椅子に座っているお婆さんを見る。

「……ええ。このお婆さんは、私が見ている目の前で亡くなったの。それが仮想現実世界の2006年4月1日だった。私は罪の意識に耐えながら、お婆さんの遺体に自分の意識を投入したの。そして次に自分のアバターを探したんだけど、宝子がどこか見つかりにくい場所にアバターを隠したらしくて、なかなか見つからなかった。少なくとも、アバターは隠されているだけで破壊されたわけではないようだし、時間をかければ見つかるはずだと考えた私は、ひとまず長い間帰っていなかった現実世界に戻って外からアバターを探そうとしたと思ったの。……ところが、私が戻って来られたのはこの中間世界までだった。……そこで私は、初めて重大な事実に気付いて、絶望に打ちひしがれたわ」
甘粕博士は再び俯いた。

「まさか、現実世界の甘粕博士の身体がなくなったというのは……」

「ええ。現実世界の人間が仮想現実世界にアバターとして入り込んでいる間は、その人のいた現実世界の時間は止まる。……でも、現実世界の人間の意識がアバターから離れると、現実世界の時間は再び動き出す。……そのことを知らなかった私は、中間世界から仮想現実世界に戻ることばかりを考えて、現実世界の方を振り返ろうとしなかった。私が最後に現実世界から仮想現実世界へ行ったのは、現実世界の2011年の5月だった。私が仮想現実世界にアバターとして存在している間は現実世界の時間は止まっていたけれど、宝子によって私の意識がアバターから切り離された瞬間に現実世界の時間は動き出した。私の意識がアバターから離されて1年近くの間、私は身体を持たない意識だけの存在としてこの世界にいた。……つまり、現実世界に残していた私の身体はそれと同じ時間、空っぽだったのよ。……脳が働かない、心臓が動かない、そんな状態が1年も続いた私の身体は当然……」

甘粕博士はついに取りみだしてしまった。

「博士……」

僕は甘粕博士に何と声をかけていいのか分からなかった。

かわいそうだとか気の毒だとかそんな言葉で表わされるものではない。

彼女は自分の意識が生きているのにも関わらず身体は死んでいるという幽霊のような状態なのだ。

グラフィックを見る限り、甘粕博士は僕とそう変わらない年齢だろうから、なおさら重い話だった。

「……ごめんなさいね。取りみだしちゃって。……私は罰を受け入れたつもりだったのに……」
甘粕博士は言った。

「……いいえ。いいんです。取りみだすなと言う方が酷だ」
僕は言った。

「ありがとう。今度こそ振り切ったわ」
甘粕博士はそう言ったが、やはり少々無理をしているようだった。

「……ところで、どうして僕をここに呼んだんですか?」

甘粕博士に対して気を使うべきかもしれないが、僕はとにかく質問を続けた。

「……あなたをこれから現実世界に帰すためよ。そうしないと、あなたは破滅するかもしれないの」

甘粕博士の言葉に、僕は驚いた。

「え?!どういうことですか?!」
「あなたは確か音美の日記を4月7日まで読んでいたわよね?」
「え?……はい。確か4月7日まで読みました」
「それじゃあ、音美がライトウィング・カンパニーの科学部研究員から現実世界の人間をアバターとしてこの世界に連れ込む作業を手伝わないかと誘われて、それを引き受けたことは知っているわよね?」
「……はい」
「音美が現実の世界からアバターとして連れ込んだ人間は、九十九宝子の実験に対する1つの結論を出すことになったの。……その人間は、現実世界の2012年6月2日の午前6時から、この世界の2006年4月8日に連れ込まれたわ。……そしてその後に現実世界の2012年6月2日の午前6時よりも後の時間からアバターを連れ込むことはできなかった。……つまり、音美が連れ込んだアバターは現実世界と仮想現実世界の区別をつけられず、現実世界へ帰ることのできない人間だったのよ。それが……」

甘粕博士は顔を上げた。

僕は愕然とした。

指差したりしなくとも、ここにいる現実世界の人間は甘粕博士を除いてただ1人だ。

「音美はあなたにそれを悟られまいとして、あなたを不安にさせまいと黙っていたようだけどね。……この際だから、本当のことを言うわ」
甘粕博士は言った。

「えっ?そんな馬鹿な!僕は仮想現実世界と現実世界の区別くらいつけられますよ」
僕は言った。

「……はじめはそうだったかも知れないわ。でも、あなたはあまりにもリアルな仮想現実世界に住み続けるうちに、仮想現実世界と現実世界を混同し始めたのよ」
甘粕博士は言った。

「そ、そんな……」
「否定するのなら、あなたの職業を答えて。」
「えっ?……フリーのカメラマンですが……」
「それは仮想現実空間で音美からカメラを渡されてやっていたことでしょう。現実世界でのあなたの本当の職業は?」
「カメラマンです。……あれ?」

……違う。僕は現実世界で何をやっていたのか、覚えていない。

「あなたは現実世界ではどこに住んでいるの?」
「音美のアパートで下宿……いいや、違う」

現実世界に音美のアパートはない。……僕はどこに住んでいたんだ?

「現実世界でのあなたの名前は?」
「ハンドルです。……いいや、ハンドルはハンドルネームで、本名は……」

何ということだろうか!

僕は現実世界で自分が何者だったのかを全く覚えていなかった。

「……現実が仮想現実と混同され、現実世界の記憶がなくなりつつあるのよ。あなたのそれは、最早末期症状に近いわ」
甘粕博士は言った。

僕は言葉が出なかった。

「音美は大変なことをしてしまったと、とても後悔していたわ。……あなたがアバターとして仮想現実世界に存在し続ければ、2012年6月2日の午前6時に仮想現実世界の時間は止まるかもしれない。それを阻止するためには、タイムリミットまでにあなたに仮想現実世界と現実世界を明確に区別させて現実世界に帰れるようにするか、もしくはあなたの意識の入ったアバターを破壊し、強引にあなたの意識を現実世界に帰さなければならなかった。……心優しい音美は後者を選ぶことができず、とにかくあなたの様子を見続けることにしたの」
甘粕博士は言った。

「それで僕なんかと同居を……?」
僕は聞いた。

「ええ。そうよ。あなたが現実世界から牙行さんをアバターとしてこの世界に連れ込んだ時、現実世界の時間を2012年6月2日の午前6時から変更できなかったでしょう。あれは音美が万が一の事態に備えて、あなたのやってきた現実世界の時間以外は入力できないようにしていたのよ。そんな音美をこの中間世界から見ていて、私は立ち直る決意をしたわ。いつまでもくよくよしてはいられない。そう思った私は、音美に可能な限り手を貸すことにしたの。ここにいるお婆さんの身体を借りて仮想現実世界に戻った私は、まず音美に会いに行ったわ。そして、私の意識に語りかける方法を教えたの。困った時にはすぐに呼んでもらえるようにね」
甘粕博士は言った。

「……音美があなたの意識に語りかける方法って、まさか電話ですか?」

「ええ、そうよ」

……なるほど。音美が今朝電話していた相手は甘粕博士だったわけか。

それにしても、僕は現実と二次元の区別くらいはつけられる自信があった。

もちろん二次元の世界に対する憧れを持つことはしょっちゅうあったが、それは現実と二次元が違うものだと分かっていたからだ。

だから僕は、自分が仮想現実世界と現実世界を混同していると言われてすぐに納得することができなかった。

「……甘粕博士。僕はドラえもんが現実世界にいないことを知っています。なのにどうして現実世界と仮想現実世界を混同してしまったんでしょうか?」
僕は言った。

「……これは私の想像だけど、あなたは現実世界で挫折していたんじゃないかしら?仮想現実世界に呼ばれた時、いっそのこと仮想現実世界へ逃げてしまおうとあなたが考えてしまったのだとしたら、あなたが仮想現実世界と現実世界を混同したのも頷けるわ」
甘粕博士は言った。

現実世界の記憶を失っているはずなのに、僕は甘粕博士に言われたことに覚えがあるような気がした。

「……分かっているんです。僕が住むべきなのは音美達のいる仮想現実世界じゃない。僕は現実世界に帰ってそこで生きていくべきなんだ。……どんなことがあってもそれは変わらないんだって……」

その瞬間、目の前が明るく輝きだした。光が渦を巻いているようだ。

光の中に1人の男の姿があった。

あれは現実世界の僕の身体だ。

「私が開けなきゃならないかと思っていたけど、その必要はなくなったみたいね。この光は現実世界への扉よ。……ここを通り抜ければ、あなたの意識はそのアバターから抜け、現実世界の2012年6月2日の午前6時にあるあなたの身体に戻ることになるわ」
甘粕博士は言った。

「……ってことは、僕は今現実世界と仮想現実世界の区別をつけたってことですよね。もういつでも自分の意思で現実世界に戻れるんですよね。それなら……」

僕は光の渦に背を向けた。

「ど、どうしたの?!」
甘粕博士は驚いて僕に尋ねた。

「まず碧ちゃんを助けて、それから現実世界に戻ります!」
僕は言った。

「だめよ。仮想現実世界に行ったら、あなたは破滅してしまうかもしれないわ!」
甘粕博士はそう言って僕を止めた。

「なぜですか?僕は現実と仮想現実の区別をつけられるようになりましたよ。それに仮想現実世界は今2006年ですから、2012年まではまだ時間が……」
僕は言った。

「私があなたをここに連れて来た理由は、現実と仮想現実の区別の問題だけじゃないのよ。あなたのそのアバターの身体は、機能不全を起こしかけているの」

甘粕博士の言葉に、僕は再び驚かされた。

「どういうことですか?」
「宝子がいくらマッドサイエンティストだと言っても、自分のいる世界をストップさせようとは思わないわ。宝子はあなたが現実世界に帰れなくなることを知って、あなたのアバターに自己破壊機能を取りつけたの。仮想現実世界の2012年6月2日の午前6時までに現実世界に帰らなければ、自己破壊機能が発動してあなたのそのアバターは機能不全に陥るようになっていたのよ」
「そんな!仮想現実世界の2012年までは、まだ6年もあるのに……」
「何かの拍子にアバターの自己破壊機能が早まったのよ。……自己破壊機能には前兆があるわ。あなた、今朝から物忘れがひどかったんじゃない?」

甘粕博士の言葉に、僕は思い当たる節がある。

今朝はA子さんの教会のイベントのことを忘れていた。

真衣希ちゃん達と合流するためにB子さんの車で警察署へ向かっていた時は、警察署に行くはずだったのに高校へ行くものと勘違いしていた。

牙行さん……すなわち日向さんを連れてくる時は、パソ子の機能をほとんど忘れていた。

「それに、あなたの目の色が変わっていたのも破壊の前兆なのよ。通常の目の色から紫、藍色、青、緑、黄色、橙色、赤と変化していき、最後には白濁してアバターが機能停止に陥るの。今、あなたの右目が赤で左目が橙色だから、あなたはもう機能停止寸前なのよ」
甘粕博士は言った。

「……そうだったんですか。でも、僕の意識が中に入った状態でアバターが機能不全を起こしたとして、その時は僕の意識は現実世界に戻るんですよね?」
僕は言った。

「それは……戻れることは戻れるんだけど、でも、碧ちゃんを誘拐したアバター達の意識が現実世界にあるそれぞれの身体に戻った後、彼等はすぐに精神科病棟に送られたのよ」
甘粕博士は言った。

「ど、どうしてですか?」
僕は聞いた。

「現実世界に戻った彼等は、仮想現実世界で凄惨な殺され方をしたことを覚えていて、その恐怖からおかしくなったのよ。……あなたがもしアバターの機能停止によって現実世界へ戻ったら、彼等と同じように精神に異常をきたすかもしれないわ」
甘粕博士は言った。

「……」

僕は怖くなった。

もし、そんなことになったら……

「あなたは仮想現実世界の人間ではないんだから、無理をして碧ちゃんを助けに行くことはないのよ。……大丈夫よ。碧ちゃんのことは、きっと音美達が助けてくれるから。もし仮想現実世界に戻ってあなたの身に何かあったら、あなたを守ろうとした音美に申し訳ないと思わない?」
甘粕博士は言った。

……その通りかもしれない。

僕がやらなければならないことは、現実世界にあるはずだ。

碧ちゃんの救出は音美達に任せて、僕は大人しく身を引こう。

僕はもう1度、現実世界への扉の方を向いた。

「分かってくれたようね」
甘粕博士は言った。

「ええ。現実世界に帰ります」
僕は言った。



「……というわけなんです。皆さん、隠していてごめんなさい」
音美ちゃんは皆の前で頭を下げた。

「……そっか。それじゃあ、半戸君はもう戻って来ないでしょうね」
A子さんは寂しそうに言った。

「……遅かれ早かれ、半戸君が現実世界に帰ってしまうことは分かりきっていたことじゃない。それが今だったっていうだけよ」
B子さんは言った。

「日向さんはもう少しこの世界にいてね。碧ちゃんを元に戻す人がいなくなるから」
真衣希は言った。

「もちろんだ」
吾輩は言った。

「……それにしても、このエレベーター遅過ぎない?地下13階まで降りるのに何分かかっているの?」
暁美ちゃんは言った。

確かに変だ。

なぜいつまでたっても地下13階に到着しないのだろう?

「いつもならとっくに地下13階についているはずなのに、おかしいわ。……まさか!」

音美ちゃんは青ざめた。

「ど、どうしたんだ?」

「皆!息を止めて!」

音美ちゃんがそう言った時には、もう遅かった。

「……気持ち悪いよお……」

まず、真衣希が崩れ落ちるように倒れた。

「か、身体が……痺れて……」

全員次々に倒れだした。

「……ど、毒ガス?!」
「……し、しまった!九十九博士は私達がエレベーターに乗ることを見越して……」

吾輩は自分の能力を使い、懸命に毒ガスを中和しようとした。

だが、どういうわけか吾輩の能力は発動しなかった。

目の前がぼやけ、意識がもうろうとする。

エレベーターのドアが開いたような気がした。

「安心しなさい。このガスの毒性はあまり強くないから、皆死なないわ。……ええ、こんな面白い実験サンプル達には死なれちゃ困るもの。……うふふ……あーっはっは!」

薄れゆく意識の中、吾輩は一生耳から離れないであろう不気味な女の笑い声を聞いた。



僕は現実世界への扉に足を踏み入れようとしていた。

しかし、頭の中に何かが浮かび上がった。

碧ちゃんの顔か?

『必ず元に戻すよ。だから心配しないで』
これは僕が言った言葉だ。

絶望に満ち溢れていた碧ちゃんの顔に僅かだが安堵が浮かぶ。

……そうだ。僕は碧ちゃんと約束したんだった。

1度は気持ちが揺らいだが、やっぱり碧ちゃんとの約束を破るわけにはいかない。

「やっぱり僕は碧ちゃんを助けに行きます。碧ちゃんと約束したんです。……あなたの力を借りられれば、僕は目が白くなる前に碧ちゃんを助けることができるかもしれません。……だから、まずはあなたのアバターを再起動させます!」
僕は言った。

「またそんなことを言って!私のアバターは私が自分で……お婆さんの身体を借りなきゃいけないけど、見つけて再起動させるわ。碧ちゃんを助けるのは音美達に任せて……」
甘粕博士は言った。

「甘粕博士、お婆さんの身体は、今どうなっていますか?」
僕は言った。

「えっ?」

椅子の上には、既に老婆の姿はなかった。

「お婆さんは既に亡くなっているわけですし、身体の活動限界も近かった。遠からずこうなるということを知っていたから、あなたはお婆さんの身体から自分の意識を出した。そうなんでしょう」
僕は言った。

「……そうよ。どうして分かったの?」
甘粕博士は聞いた。

「……これが教えてくれたんです」
僕はポケットから折れた魔法の杖を取りだした。

「そ、それは魔法の杖?折れているのにどうして魔法が発動したの?」
甘粕博士は不思議そうに聞いた。

「魔法は発動していませんよ。……おそらく、折れていますから永久に魔法は発動しないでしょうね。ただ、杖を介してお婆さんの意識が僕に伝わって来たんです。……というのも、あなたが身体を借りていたお婆さんは、偶然ですけど魔法の杖の元の持ち主だったようなんです」
僕は言った。

「それじゃあ、あのお婆さんはA子さんに魔法の杖を渡した人だったのね。……私が勝手に身体を動かしたことをお婆さんは怒ってた?」
「いいえ。むしろ亡くなった後も歩き回れるなんて夢のようだったとお婆さんは言っていましたよ。……それと、あなたに頼みがあるそうです」
「頼みって?」
「アバターの身体に戻れたら、A子さんの助けになってあげてほしいそうです」

「……分かったわ。お婆さんにはしばらくの間身体を貸してもらっていたものね。お婆さんの頼みをちゃんと聞き届けなきゃ」
甘粕博士は言った。

「そうでしょう。だから、一刻も早くあなたのアバターを再起動させるために、僕が仮想現実世界に戻ります」
僕は言った。

「だけど、もしあなたのアバターが機能停止してしまったら……」
甘粕博士は心配そうだ。

「必ず間に合わせます!」

僕はそう言って、仮想現実世界への扉を開けた。

「た、大変だ!」

何ということか、僕がいない間に皆は捕まっているではないか!

……よし。まずは甘粕博士のアバターがあるであろうあの場所へ出よう。

甘粕博士がいくら探しても見つけられなかったそうだから、彼女のアバターの場所はあそこしかない。九十九博士が目を離した今がチャンスだ!



……僕は今日何度頭をぶつけたか分からない。

次元の違う世界に入り込む時、出口を机の下なんかにするのはよした方がいいな。

……とにかく僕は机の下から周りを見回してみる。

科学部の研究員は数名しか残っていなかった。

僕は研究員達に気付かれないように身を低くしながらそっと机の下から出た。

そして目的のものをあっさりと見つけてしまった。

ハンガーにかかっている九十九博士の白衣だ。

いくら根っからのマッドサイエンティストと言っても、防護服を着るのに白衣は引っかかって邪魔になるからおそらく脱いでいるはずだと思っていたが、僕の勘は当たったわけだ。

ずいぶん不用心な所に引っ掛けてあるようにもみえるが、九十九博士のことだ。

人に見せられないものをわざと不用心な場所に置くことで、人目に触れないようにしているのかもしれない。

僕はそっと九十九博士の白衣のポケットに手を入れた。

確かに手ごたえがある。

傷がつかないように、僕は手に触った物を取りだした。

一見小さな人形のようにも見えたが、この顔は確かに見覚えがある。

九十九博士が何らかの方法で小さくしたのだろうか?

しかし、こんなに小さいと再起動させるのが難しそうだ。

僕がそんなことを思っていた時だった。

「何をしているの?!」

しまった!研究員に見つかってしまった。

「あ、あなたは誰?九十九博士の白衣をどうするつもり?!」
研究員は僕に近づいてきた。

……幸い、研究員は拳銃を出していない。

一か八か、僕は強硬手段に出た。

研究員と僕の距離が1メートル弱となったとき、僕は研究員に飛びかかった。

「わあーっ!」
「きゃー!」

僕は研究員の上に馬乗りになった。

……よく見ると、研究員はまだ若い女性だ。

「由香!」

その場にいた他の研究員が駆け寄ろうとする。

由香とは僕の下敷きになっている研究員だろうか?

「ぜ、全員動かないで下さい!ぼ、僕は拳銃を持っているんです!だ、誰か、ちょっとでも変なことをしようとしたら、よ、容赦しません!」
僕は懸命に研究員達を脅した。

「お、落ち着いて!あなたの要求は何?」
研究員達は言った。

「て、手先が器用な人はいますか?こ、このアバターを、さ、再起動させてほしいんです!」
僕は言った。

その途端、研究員達は目の色を変えた。

「甘粕博士!」
「こ、ところにいたなんて……」
「やっぱり、甘粕博士の失踪は九十九博士が……」

研究員達は驚きと喜びにあふれた声で口々に言った。

「わ、私、できます」
僕の下にいる由香さんというらしい研究員が言った。

「ほ、本当ですか?」
僕は急いで由香さんの上から下りた。

「ええ。ここをこうやれば……」

由香さんは甘粕博士のアバターを受け取ると、人形のねじを巻くような動作を始めた。

「……再起動できそうですか」

「ええ。これで甘粕博士の意識が戻ってくれば……」

その次の瞬間、甘粕博士のアバターは大きく伸びをした。

「ようやく戻って来られたわ。ありがとうね」
甘粕博士は言った。

「甘粕博士!お帰りなさい!」
「私、甘粕博士は必ず帰ってくるって信じていました!」
「よかった。本当によかった!」

研究員達は泣きながら喜んでいる。

だが、僕は納得いかなかった。

「……こんなことを言うのは無神経かもしれませんけど、どうして目と鼻の先にいた甘粕博士のアバターを見つけてあげられなかったんですか?あなた達がもっと早く甘粕博士を見つけていたら、甘粕博士は現実世界でも死なずに済んだかもしれないんですよ!」

「半戸さん!」
甘粕博士は僕を睨みつけた。

「……甘粕博士、いいんです。この人の言う通りですよ」
「……私達は九十九博士が怖くて何もできなかったんです」
「……でも、甘粕博士にお許しを頂けるのなら、今からでも九十九博士と戦います」

研究員達は言った。

「ありがとう。皆」
甘粕博士は言った。

甘粕博士は、九十九博士に逆らう勇気のなかった研究員達を許しているのだ。

僕は研究員達を叱責し、甘粕博士が現実世界では死んでいると告げたことを少々後悔した。



「上位研究員や兵士は心から九十九博士に従っていますから、完全に敵だと思って下さい。逆に九十九博士に心から従っていないのが私達のような下位研究員や平社員です」
由香さんは言った。

「……それじゃあ、倒すべきはあの兵士ですか。僕に倒せるかな?」
僕は言った。

今、僕等は鳥籠状の檻が吊り下げられている吹き抜けのすぐ近くにいる。

檻の前には見張りの兵士と下位研究員がいた。

そして檻の中には……

「お前なんか蛙になれ!」

日向さんが兵士に向かってそう言っていた。

どういうわけか、日向さんがいくら言っても兵士は蛙にならない。

「黙れ!殺されたいか!」

兵士は檻越しに日向さんに銃を突き付ける。

「や、止めて下さい!」
下位研究員は言った。

「何だと?」
兵士は下位研究員を睨みつける。

「その……大事な、実験サンプルです。」
下位研究員は言った。

「ちっ!九十九博士の実験サンプルじゃなかったら、こんな気味の悪いチョウチンアンコウはさっさと片付けちまうんだがな!」
兵士は言った。

「吾輩はチョウチンアンコウに見えなくもない外見をしているが、人間だ!それに九十九博士の実験サンプルになる気はない!」
日向さんは言った。

「ええい!口の減らない魚野郎だ!その舌を引っこ抜いてやろうか!」
兵士は言った。

「やめて下さい!」
下位研究員は必死で兵士をなだめる。

僕はトンカチを構え、兵士の後ろに近づいた。

もちろん兵士を殺したりはしない。ただ、少しの間気絶させて日向さんを助けるつもりだった。

「てめえもさっきから俺に口出しばかりしやがって!不愉快なんだよ!」

突然兵士は下位研究員の胸ぐらをつかもうと体勢を変えた。

それは僕がトンカチを振り下ろしたのと同時だった。

「ぎゃっ!」

兵士は檻の方に倒れ込む。

檻が吊り下げられている吹き抜けには柵がなかった。

兵士は咄嗟に檻の鉄格子をつかんだ。

「た、助けてくれ!引き上げてくれ!死にたくない!」
兵士は先程の態度が嘘のように怯える。

「……生憎だな」
日向さんは兵士の手を噛んだ。

「い……たあーい!」

兵士はついに鉄格子から手を離してしまった。

「うわあああ……」

兵士は落下し、気絶した。

その距離僅か1メートル弱。

「あ、あなたは誰?!」
下位研究員は怯えている。

「怖がらないで!」
そう言ったのは僕のポケットの中にいた甘粕博士だった。

「甘粕博士!戻ってきて下さったんですね!」

下位研究員の態度の変わりように、僕はため息をついてしまった。

「……でも、どうしてそんなお姿に?」
下位研究員は言った。

「九十九博士の仕業よ。詳しくは後で話すわ」
そう言ったのは由香さんだった。

「とにかく、檻の鍵をくれませんか?」
僕は言った。

「申し訳ありませんが、この檻の鍵は九十九博士が……」
下位研究員は言った。

ならばと、僕は日向さんに声をかけた。

「日向さん、能力で檻の鍵を柔らかくできませんか?」

「半戸君!現実世界へ戻ったんじゃなかったのか。……さっきから君が言うようにしようとしているんだが、どういうわけか能力が発動しないんだ」
日向さんは言った。

「ええっ?!……いいや、待てよ?」

僕はポケットから瓶を取り出した。

「病院の先生がくれたエルフの飲み薬です。これはドラゴンクエストのマジックポイント回復アイテムですから、日向さんの能力が発動しない原因がマジックポイント切れだとしたら、これで……」

「おお、そうか!」

日向さんが瓶を受け取ろうとした時だった。

突然、瓶が砕け散った。

「くっくっく……。残念だったな」

瓶を撃ったのは、別の兵士だった。

「そ、そんな……」

「さあ!遊びは終わりだ!全員手を上げ……」

兵士は最後まで言うことができなかった。

A子さんは非力ではあったが、不意打ちならば油断していた兵士を倒すには十分だった。

「神様、私の罪をお許しください」
A子さんは言った。

「き、貴様……。どうやって牢屋から……ぎゃふん!」

起き上がろうとしていた兵士の上に、気絶した別の兵士が投げ落とされた。

「こいつが不必要に鉄格子に近づいてきたからね。鉄格子の間から胸ぐらをつかんで思い切り引いたら、こいつは鉄格子にぶつかって気絶したのよ。後はこいつから牢屋の鍵を奪ったってわけ」
B子さんは言った。

「お、おのれ……この恨みは必ず……ぎゃふん!」

最後に兵士は足蹴りに遭い、気絶した。

「それはこっちの台詞よ!よくカビの生えた牢屋に入れてくれたわね!」
C子さんは言った。

「皆さん、無事だったんですね」
僕は言った。

「半戸さん、戻って来ていたのね。……ええ、私達は無事。でも子供達が……」
C子さんは言った。

「斎藤さん達は研究室に連れて行かれたのよ」
B子さんは言った。

「えっ?研究室に?僕は研究室から来たんですよ」
僕は言った。

「あれは第2研究室です。九十九博士が向かったのはおそらく第1研究室ですよ」
由香さんは言った。

「だ、第1研究室ってどこにあるんですか?」
僕は言った。

「この廊下をまっすぐに進んで、突き当りを左に曲がって、次は3本に分かれた通路の一番右を進んで、次は左手に見える通路を……」
由香さんは言った。

「……迷路見たいで分からなくなってきましたよ」
僕の頭はこんがらがりそうだ。

「私が言う通りに行けばいいのよ」
僕のポケットから甘粕博士は言った。

「半戸君と一緒にいるということは、あなたは甘粕博士ね。私は警察官なの。後で事情聴取させてもらうけど、いい?」
B子さんは言った。

「ええ、もちろん」
甘粕博士は言った。

「申し訳ないが、吾輩はここで待つとしよう。特殊能力を失くした吾輩は、最早役立たずだ。……九十九博士が金の針を隠し持っているかも知れないから、碧ちゃんを助ける時はそれを使ってくれ」
日向さんは言った。

「……いいえ、日向さんはまだ特殊能力を使えますよ。これをどうぞ」

僕がもう1本瓶を取りだしたので、日向さんは目を丸くした。

「それが本物のエルフの飲み薬?それじゃあさっきのは囮か?」
日向さんは言った。

「ええ。さっき後ろから兵士が近づいてきたことを甘粕博士がこっそり教えてくれたので、研究室に置いてあった食用アルコールの瓶を先に出したんです」
僕は言った。

「食用アルコールって……そのまま酒だな」
日向さんは言った。

「まあ、とにかくエルフの飲み薬を飲んで下さい」
僕は言った。

「そうするか」

日向さんはエルフの飲み薬の瓶を受け取り、中身を飲みほした。

「おお、分かる!分かるぞ!吾輩の能力が戻ってきた!どれ、さっそくこの鍵をクッキーに変えてやる!」

檻の鍵は冷たい鉄から甘い香りのするクッキーに早変わりした。

日向さんは鍵を噛み砕き、檻から出た。

「お味はどうでした?」
僕はそう聞いてみた。

「……鉄分たっぷりだった」
日向さんは言った。

「それじゃあ、次は私を元の大きさに戻して下さる?」
甘粕博士は聞いた。

「任されよう!」

日向さんは甘粕博士を元の大きさに戻した。

……ちょっとまずかったかな。着替えを用意しておいてあげるべきだったか……



由香さん達下位研究員に兵士を見張ってもらい、僕等は天井の通気口から第1研究室に忍び込もうとしていた。

日向さんの能力で全員の姿を消せば堂々と入り込めるのだが、残念なことに僕が足を引っ張ることになってしまった。

「状態異常に陥らないというのは便利なようでこういう時に不便でもあるんだな」
日向さんは小声で言った。

「す、すみません」
僕は穴があったら入りたかった。

「本当にどうして半戸君にだけ耐性があるのかしら?」
A子さんは言った。

「これは私の想像でしかないんだけど、半戸さんのアバターの体内には状態異常防止の機能が組み込まれているんじゃないかしら?」
甘粕博士は言った。

「えっ?でも、誰がそんなことを?」
「おそらく宝子だと思うわ」
「九十九博士が?なんたってそんなことを?」
「さあ……。それは分からないわ。でも、あくまでも可能性の問題だからね」

「あっ!あれを見て」
B子さんは押し殺した声で言った。

B子さんの指差した先には……

音美と暁美ちゃんが縛られている!

それに石化したままの碧ちゃんの姿もあるではないか!

そして彼女等の前にいるのは……後ろを向いているので顔がよく分からないが、あれが九十九博士だろうか?

まずい。九十九博士はいつの間にか下位研究員に取って来させたのか、白衣を着ている。

もし今白衣のポケットの中に甘粕博士のアバターがないと気付かれたら……

僕は気が気ではなかった。

「あなた達には感謝しているわ。とても面白い行動をしてくれたからね。……でも、残念ながら遊びの時間はお終いよ」
九十九博士は言った。

「九十九博士!私のことは煮るなり焼くなり好きにしてくれて構わないわ!でも、他の皆は助けてあげて!」
音美は言った。

「うふふ。まだ面白いことを言ってくれるのね。あなたは今度はひびなんか入らない固い石になることでしょうね。……ひょっとしたら、この子よりも……」

九十九博士は碧ちゃんに触っている。

「汚い手で碧に触らないで!この人殺し!」
暁美ちゃんは言った。

「残念ながら、私はただの人殺しではないわ。人の命さえも科学のためには惜しまない、凡人には理解されない天才よ!あーっはっはっは!」
九十九博士は高笑いしている。

「……恐ろしいマッドサイエンティストね」
A子さんは言った。

「よく言ったものだわ。自分が天才だなんて」
B子さんは吐き捨てるように言った。

「あの人のせいで鹿目さんは……」
C子さんは怒りを込めて言った。

「……何度聞いても不気味な笑い声だ」
日向さんは言った。

「皆、よく見ておいて。あれが九十九宝子よ」
甘粕博士は言った。

この時、僕は奇妙なことに気付いた。

「……どうして真衣希ちゃんだけいないんでしょうか?」

「む?……そ、そう言えば……」
日向さんも気がついたようだった。

その時、九十九博士に上位研究員の1人が大量のドラム缶の乗った台車を押して近づいてきた。

「九十九博士、石化液の用意ができました。今からあの赤毛の小娘を石化させます」
上位研究員は言った。

「手際がいいわね。すぐにここに連れて来て石化させなさい」
九十九博士は言った。

よかった……とは言えないが、少なくとも今はまだ真衣希ちゃんは無事だということだ。

「どうする?日向さんの能力を使って下にいる研究員を全員眠らせて、それから飛び降りて4人をまとめて助ける?」
B子さんは言った。

「それがいいな。……だが、吾輩が呪文をかけられるのは下に見えている人間だけだ。死角になっている所にいる研究員に呪文をかけられるのは飛び降りた後になる。リスクを押さえるためにも、真衣希の姿が見えてから能力を使うのがいいだろう」
日向さんは言った。

九十九博士の指示で、床が開かれ、水槽が現れる。

水槽にはドラム缶から石化液らしい液体が流し込まれる。

次に滑車付きのクレーンが用意された。

あの滑車はおそらく真衣希ちゃんを水槽に入れる際に石化液が飛び散らないようにするためのものだろう。

そして連れて来られた真衣希ちゃんは……かわいそうに、見るからに重々しい鎖で身体を縛られ、猿轡を噛まされていた。

「日向さん、能力を……」
「まだだ。もう少しこっちに近づいてくれないと……」

「ほらっ!さっさと歩きなさい!」

上位研究員が真衣希ちゃんを小突く。

真衣希ちゃんは何とか抵抗しようともがいている。

「日向さん、そろそろ……」
「いいや、まだだ。もう少しこっちへ……」

上位研究員は真衣希ちゃんを縛っている鎖を滑車にかける。

「お願い!やめてあげて!」
「白石さんにひどいことしないで!」

音美と暁美ちゃんは口々に言った。

「日向さん、そろそろ……」
「よし!今だ!」

日向さんが呪文を唱えようとしたその時だった。

「天井にいる人達、私の実験が見たいのなら、ここに下りてきてもっと近くで見たら?」

九十九博士がそう言ったのだ。

「!?」
「わ、私達のことがばれて……」

次の瞬間、上位研究員達が僕等のいる通気口めがけて拳銃を撃った。

銃弾は通気口のねじを吹き飛ばし、僕等は通気口ごと落下した。

「うわあー!」

上位研究員は日向さんが浮遊呪文を使うことも見越して僕等を落としたらしかった。

確かに僕以外の5人は空中で止まることができたが、浮遊呪文さえ聞かない僕は空中で止まらない。

「キャー!」

上位研究員は悲鳴を上げ、逃げようとしたが間に合わなかった。

どしん!

僕は上位研究員の上に落ちた。

「ぐえっ!」

僕の下敷きになった上位研究員はつぶれて気絶してしまった。

かわいそうだが、これは自業自得だろう。

「あらあら、おバカさんね」

九十九博士は僕の下でのびている上位研究員に向かって言った。

この時初めて九十九博士の顔を見た僕は、最早例えようもないくらい驚いた。

九十九博士の容姿は中学生かそこらにしか見えなかったのだ。

九十九博士は音美や真衣希ちゃんと同じで歳を取れない人間らしかった。

「あなた達が牢屋を出てここに来ることを私が予想しなかったとでも思っているの?……まあ、半戸さんまでここに来るとは思わなかったけどね。……さあ、6人を捕えなさい!」

九十九博士の命令で上位研究員達が僕等を取り押さえにかかって来た。

「取り押さえられてたまるもんですか!」
B子さんは浮遊した状態でも難なく上位研究員を投げ飛ばした。

「舐めるんじゃないわよ!」
教師とは思えぬ汚い言葉を吐き、C子さんは上位研究員を棒で殴り倒す。

「吾輩の能力だって復活したんだ!」
日向さんは2人の研究員を風船にしてしまった。

「全く、使えない連中ね。彼を呼ばなきゃだめか……」
九十九博士はそう言うと、どこから取り出したのか笛を拭いた。

怪しげな笛の音色が研究室に響き渡った……かと思うと、壁の向こうから何やら不気味な音が響いてきた。

そして轟音と共に壁が崩れ落ち、現れたのは石でできた人形……しかも今朝の石像の何倍も大きかった。

人形の顔に輪郭はなく、顔の真ん中に2つの目が爛々と光っている。見た感じはドラゴンクエストに登場するモンスターのゴーレムに似ていた。

「ぐおおお……!」
ゴーレムは雄叫びをあげ、こちらに突進してきた。

「うわあーっ!」
「きゃーっ!」

敵味方の区別をつけないのか、ゴーレムは研究員さえも弾き飛ばした。

「な、なんて力なの?!……でも押さえなきゃ!」

B子さんはゴーレムに立ち向かった。

だが、ゴーレムは巨大な手でB子さんをつかんだ。

「ぎゃあーっ!」

悲痛な叫びと共にB子さんは気を失う。

「か、軽く捕まれただけで……?!」

恐ろしい光景に足がすくんだC子さんもすぐさまゴーレムにつかまれた。

「ぐえーっ!」

C子さんも気を失った。

「あらあら、気絶させちゃうなんて。……ゴーレム、もっと優しく取り押さえてあげなさい。私の偉大な実験を見られないなんてかわいそうだわ」
九十九博士は言った。

ゴーレムは九十九博士に従い、やや力を弱めて右手で日向さんをつかむ。

「こ、こいつめ!小さくなれ!」
日向さんは言ったが、ゴーレムには何の変化も起きなかった。

「な、なぜだ?……あっ!そうか!」

ゴーレムの頭には、ファイナルファンタジーでよく見かける状態異常防止のためのアイテムがつけられていたのだ。

「モンスターに状態異常防止アイテムを装備させるとは……!むう、似合わん!」
日向さんは言った。

「宝子!やめなさい!」
甘粕博士は九十九博士を止めようとした。

「あなたはしつこいのよっ!ゴーレム、この女は気絶させなさい!」
九十九博士は投げやりに言った。

ゴーレムの左手の拳骨が甘粕博士に襲いかかる。

「きゃー!」
甘粕博士は思わず目を閉じた。

突然ゴーレムは左手を止めた。

甘粕博士の前にA子さんが立ち、両手を広げている。

「もうやめて。……あなたは正義の味方のはずじゃない!」
A子さんは言った。



一瞬、辺りの景色が変わった。

まさか、僕はまた異次元に飛んだのか?

……いいや、違う。これは魔法の杖から伝わってくる幻影だ。

今度はお婆さんの意思によるものではなく、A子さんの無意識の内の意思だろうか?

小さな女の子が石を積んで遊んでいる。

そこへ別の女の子がやって来た。

「何してるの?」
質問をした女の子の顔はB子さんにそっくりだった。

「石でお人形さんを作ってるの」
そう答えた女の子はA子さんにそっくりだ。

「へえ、強そうなお人形さんだねえ」
「うん。すごく強いよ。私達が困ったら助けてくれる正義の味方だよ」
「かっこいいねえ。名前はあるの?」
「ゴーレムっていうんだ。名前も強そうでしょう」

その時だった。

突然誰かが人形を足蹴にし、壊してしまった。

「あはは!へーんなの!」
人形を壊して笑っている女の子はC子さんにそっくりだ。

C子さんはかつていじめっ子だったそうだが、今の光景を見ると納得できる。

「ひ、ひどいよお……」
A子さんにそっくりな女の子は泣き出してしまった。

「謝りなよ!」
B子さんにそっくりな女の子がC子さんにそっくりな女の子にくってかかる。

だが、B子さんにそっくりな女の子はあっさりと突き飛ばされてしまう。

B子さんはかつていじめられっ子だったそうだが、やはり子供のころは今のように強くなかったのだ。

「悔しかったらゴーレムに助けてもらえば?」
C子さんにそっくりな女の子はそう言うと、行ってしまった。

「うう……なんて酷いことを……」
B子さんにそっくりな女の子は悔し涙を流す。

A子さんにそっくりな女の子は、涙を拭いてもう1度石を積み始めた。

「ゴーレムは強いもん!倒れたって立ちあがるもん!」



「ご主人……様?」

ゴーレムはそう言ったようだった。

「ふん!あなたも結局役立たずね!」

九十九博士はそう言うと、金の針のようなものを取り出し、ゴーレムの足に突き刺した。

「ぐおおお……!」

あっという間だった。

ゴーレムはガラガラと崩れ、砂になってしまった。

後には状態異常防止のアイテムだけが残る。

「ゴーレム!そんな……」
A子さんは泣き崩れた。

「な、なんてかわいそうなことを……」
僕は言った。

「あらあら。さっきまで怖がっていたのに、今度はかわいそうだというの?」
九十九博士は言った。

「……」
僕は何も言えなくなった。

僕等は、上位研究員達に取り押さえられてしまった。

僕は音美と暁美ちゃんの隣に座らされた。

日向さんの能力で逃げ出そうにも、日向さんは目隠しと猿轡をされてしまったから呪文を唱えられない。

「ごめんよ。……助けに戻ってきたつもりだったのに、こんなことになって……」
僕は音美と暁美ちゃんに謝った。

「隆一、どうして現実世界に帰らなかったの?どうして危険を冒して帰って来たの?」
音美は聞いた。

「……仮想現実世界で碧ちゃんを助けられなかったら、現実世界に帰っても人助けなんかできないんじゃないか?……そう思ったんだ。つまり用は、このリアルな仮想現実空間で碧ちゃんや皆を助けることで、現実世界で生きていく自信をつけたかったんだ。そうすればもう仮想現実世界と現実世界を混同することもなくなるかもしれないからね。……それに、碧ちゃんとの約束を守りたいと思ったんだよ」
僕は言った。

「……隆一、もう目が……」
音美は泣きそうな顔をした。

「僕は自分では確認できないから、どうなっているか教えてくれるかな?」
僕は言った。

「右目はもう白濁し始めていて、ピンク色っぽくなっているわ。左目も、もう真っ赤よ」
音美の目からは涙がこぼれた。

「半戸さん、死んじゃうの?」
暁美ちゃんも泣きそうだった。

「……少なくともこのままにしていれば、この世界では死ぬ……というより壊れるだろうね。助けになってあげられなくて、本当にごめんよ」
僕は言った。

「あら?それはどうかしら?」
そう言ったのは九十九博士だった。

「……どういうことですか?」
僕は聞いた。

「あなたの身体に自己破壊機能を取りつけたのは、あなたが現実世界へ帰れない人間だったからよ。あなたが現実世界に帰れるようになった今なら、自己破壊機能を取り除いてあげてもいいのよ」
九十九博士は言った。

「半戸さん!宝子の言うことに耳を貸しちゃだめ!」
甘粕博士は言った。

「陽美!あなたは黙っていなさい!……どう?半戸さん、助かりたくない?」
九十九博士は言った。

「……この世界でアバターの身体が壊れても、僕は現実世界に戻りますよ」
僕は言った。

「あら?陽美はあなたに教えなかったのかしら?この仮想現実世界で死ねば、現実世界に帰ったあなたは精神を病んでしまうかもしれないのよ」
九十九博士は言った。

「……何もかもお見通しってわけですか」
僕は言った。

「ええ、そうよ」
九十九博士は言った。

「……仮に僕が自己破壊機能を取り除いてほしいと言ったら、どうですか?」
「交換条件を出すわ」
「……やっぱりね」
「あら?交換条件を聞きもしないの?」
「……じゃあ、聞くだけ聞きます。その代わり、条件が気にいらなかったらこのまま壊れます」
「それはひどいんじゃない?私はあなたを助けてあげたいのよ。……もう気付いているとは思うけど、あなたの身体に耐性機能を入れたのは私なんだからね。少しは信用して欲しいわ」

九十九博士はわざとらしくすねて見せる。

「隆一があなたを信用するとでも思っているの?!」
音美は言った。

「黙りなさい!」
上位研究員の1人が音美を打った。

「乱暴はよして下さい!……音美、言われた通り大人しくしていてくれ。じゃないと余計ひどい目に遭うかもしれない」
僕は言った。

「でも……」
音美は僕の方を見た。

「大丈夫だよ。……僕が九十九博士と交渉する」
僕は言った。

「半戸さん、騙されちゃだめよ!」
甘粕博士は言った。

「聞こえなかったの?黙らないと撃つわよ」
上位研究員は甘粕博士に言った。

「甘粕博士を撃たないで下さい!九十九博士の話を聞きますから!」
僕は言った。

「やっとその気になってくれたようね」
九十九博士は言った。

「まだ自己破壊機能を取り除いてくれとは言っていません。あなたが言う条件というものを先に聞きます。あなたの条件とは、自己破壊機能と一緒に耐性機能も取りだすってことですか?」
僕は言った。

「……うふふ。天才の私がそんな条件を出すと思う?まず、私が現実世界の人間をアバターとして次々にこの世界へ呼んでいたのは、ただ単に現実世界の人間が、現実と仮想現実の区別をつけられるかを調べたかったわけじゃないわ。……同時に現実世界の人間の弱点を探っていたのよ」
九十九博士は言った。

「現実世界の人間の弱点を探っていた?何のために?」
僕は聞いた。

「決まっているじゃない。現実世界を……」

「……支配したいのか破壊したいのか、大方そんなところでしょう!そして僕にはそれを手伝わせるつもりなんだ!そんな条件が飲めるか!」
僕は大声で言った。

九十九博士の顔がさっと青ざめた。

僕が手錠を引きちぎったからだ。

「ひっ!」

驚いている九十九博士に僕は体ごとぶつかった。

相手は小柄な女性だ。

九十九博士は倒れてしまった。

上位研究員が慌てて僕に銃を向けたが、音美が銃口をつかんでねじ曲げてしまった。

これは一か八かの賭けだった。

僕等は、暁美ちゃん、音美、僕、甘粕博士、C子さん、B子さん、A子さん、そして日向さんの順に並ばされていた。

僕は九十九博士達が目の前に来た時点から一心不乱にA子さんに伝言を送っていた。

仮想現実空間にいたころはお婆さんの意思が魔法の杖を介して僕に伝わって来た。

先程は杖の働きで僕はA子さんの幼年時代の幻影を見ることになった。

この折れた魔法の杖は魔法が発動しなくなった代わりに人の意思を伝える力を残しているのではないかと僕は思っていた。

僕は甘粕博士に頼んで甘粕博士からC子さんへ、C子さんからB子さんへ、B子さんからA子さんへと杖を回してもらい、僕の考えをA子さんへと伝えたのだった。

僕の考えとは、手錠を粘土に変えるというものだった。

目隠しを外せば、すぐに九十九博士達に気付かれてしまうだろう。

しかし、猿轡なら口を動かせる程度に緩めてもごまかすことができる。

日向さんは猿轡を少し緩めれば呪文を唱えられそうだったし、触っているものなら見なくても状態変化させられるのではないかと僕は考えたのだ。

しかし、日向さんは手錠……と言っていいのか分からないが、拘束具以外に床にも触れている。

拘束具と床は金属とコンクリートという違いはあったが、床も粘土になる可能性があった。

床が粘土になると、碧ちゃんを担いで逃げるのが少々厄介になる。

さらに、周りにある他の金属やコンクリートが粘土になってしまったらどうなるだろう?

今、滑車に吊り下げられている真衣希ちゃんを縛っている鎖が粘土になってしまったら、粘土は真衣希ちゃんの重さに耐えきれなくなり、真衣希ちゃんは石化液の水槽に落ちることになる。

そこで日向さんは徐々に状態変化という手法を取ることにした。

変化が徐々にならば万が一の時すぐに対応すれば、間に合うかもしれなかったからだ。

最後の問題はA子さんが日向さんの猿轡を緩める所を九十九博士達に見られないかということだった。

これは音美と甘粕博士に感謝しなければならない。

2人が殴られたり銃を突きつけられたりしながらも上位研究員の気を引いてくれたおかげで、九十九博士も上位研究員達も不審な行動をするA子さんに気がつかなかったのだ。

音美がつかんだ銃口がねじ曲がったということは、この研究室の中の金属は全て粘土に変わり始めたということだ。

B子さんが上位研究員を投げ飛ばすと、上位研究員は床にめり込んでしまった。

床も粘土に変わり始めている。

「真衣希ちゃんを早く下ろしてあげないと!」
音美は言った。

「真衣希のことは吾輩に任せろ!半戸君達は碧ちゃんを台車に乗せるんだ!」

「分かりました!」
「私も手伝うわ!」

僕とA子さんと暁美ちゃんは石化した碧ちゃんを近くにあったシーツに包み、台車に乗せた。

本当なら担架に乗せてあげたいが、担架は皆が捕まった時に取り上げられてしまい、今はどこにあるのか分からない。

B子さん、C子さん、音美、甘粕博士は向かってくる上位研究員達に応戦した。

僕等は台車を押して走った。

一刻も早くこの恐ろしい研究室から逃げださなければ!

「うっ!」

急に目の前がくらんだ。……かと思うと、右目が見えなくなった。

激しい頭痛に見舞われ、僕は膝をついた。

「は、半戸君!目が……」
A子さんは言った。

「右目が、真っ白になってる!」
暁美ちゃんは言った。

「隆一!」
音美達が僕の所に駆け付けた。

僕は覚悟を決めた。

「やれやれ、とうとうこうなっちゃったか。碧ちゃんが元に戻る所、見たかったな」
僕は言った。

「そ、そんなこと言わないでよ!死んじゃ嫌だよ!」
暁美ちゃんは言った。

「……死ぬわけじゃないよ。僕は自分がいるべき世界に戻るだけだよ。……まあ、身体が壊れなくてもいずれは現実世界に戻らなきゃならなかったからね。これでいいんだよ」
僕は言った。

「馬鹿!なんで安全に現実世界に帰る方法を選ばないのよ!」
音美は泣きながら言った。

「……ごめんよ」
僕は言った。

「そんな……ここまで頑張ったのに……」
A子さんも目に涙をためている。

……現実世界への扉だ。

よかった。どうやら精神を病まずに現実世界へ帰れそうだぞ……

僕がそう思っていた次の瞬間だった。

「あっ!危なーい!」

上を見た暁美ちゃんが言った。

「えっ?」

僕は頭に強い衝撃を感じた。

どういうわけか、蛍光灯が頭の上に落ちたのだ。

「うわー!痛ーい!……あ、あれ?」

蛍光灯が頭の上に落ちたのだから痛いに決まっているのだが、どういうわけか痛みはすぐに引いていった。

そして、右目の視力が戻っている。

「音美、僕の目、どうなってる?」
僕は音美の方を向き、言った。

「く、黒くなってる!隆一の目……黒に戻ってる!」
音美は言った。

「……ってことは、半戸君は助かったの?」
B子さんは言った。

「……みたいです」
僕は言った。

「やったー!」
皆は大喜びしてくれた。

祝福されたり喜んでもらえると、僕もうれしくなる。

「……だけど、どうして蛍光灯に当たったら半戸さんは助かったのかしら?」
C子さんは言った。

「……分かりませんけど、隆一は今朝からしょっちゅう頭をぶつけていましたから、頭をぶつけるうちに自己破壊機能が少しずつだめになっていったんじゃないでしょうか?期限まで後6年もあるのに自己破壊機能が作動し始めたのも、衝撃によって欠陥が生じたための誤作動だったのかも」
音美は言った。

「……」

皆はため息をついた。

そんなことで自己破壊機能を壊せるのなら、今まで機能停止に陥るかもしれないという恐怖と戦ってきたのは何だったんだろう?

「と、とにかく喜ぶのはまだ早いです。碧ちゃんを早くここから連れ出さなきゃ!」
僕は言った。

「そうね」
A子さんも言った。

「それにしても、どうして蛍光灯のガラスの部分だけ落ちて来たのかしら?」

そう言いながら天井を見た暁美ちゃんは青ざめた。

「天井が歪んでる!」

「そうか!コンクリートの天井や天井を支えている金属も粘土に変わりだしたのか!早く逃げないと建物が崩壊する!」

上位研究員達は我先にと押し合いへしあい逃げていってしまった。

「急がなきゃ!せーの!」

僕等は懸命に台車を押した。

車輪が床にめり込み、うまく進まない。

「こうなったらいっそのこと碧ちゃんを担いで走る?」

音美がそう言った時だった。

どぼんという音がした。

間違いなく、何かが少々高い所から液体の中に落ちた音だった。

僕等は青ざめた。

なんということだ!日向さんは間に合わなかったのか……!

真衣希ちゃんは……いいや、下手をすれば日向さんも……

「斎藤さんは見ちゃだめ!……半戸さん、様子を見てくれる?」
C子さんは暁美ちゃんに向こうを向かせ、言った。

「わ、分かりました」

僕は水槽の方を見た。

水槽の近くには日向さんがいた。

少なくとも日向さんは水槽に落ちずに済んだのだった。

だが、真衣希ちゃんは……

日向さんは俯いているように見えた。

石化液による石化は、確か死と同じということだった。

さすがの日向さんも、もう真衣希ちゃんを助けることはできないのだろうか……

僕は日向さんに何と声をかけていいのか分からなかった。

すると……

「ぷはーっ!最高!」

え?!真衣希ちゃんは石化しているのに生きている?!

……いいや、違った。

日向さんは真衣希ちゃんが水槽に落ちる前に、水槽の中の石化液を泥に変えていたのだった。

「この方が真衣希は喜ぶと思ってね」
日向さんは言った。

「紛らわしいことしないで下さいよ。まあ、僕もエルフの飲み薬の囮やりましたけど……。それより早く逃げなきゃ危険ですよ!」
僕は言った。

「危険って、どうして?」
「建物の構造が粘土に変わっているから、急いで脱出しなきゃ建物が崩壊するんですよ!」
「それなら大丈夫。心配することはない」
「心配することないって、このままじゃつぶされちゃいますよっ!」
「つぶされることはないさ。……だって吾輩の能力で建物の構造を強固にすれば済むことではないか?」

「え……」

僕も音美達も目が点になっていたと思う。

日向さんは呪文を唱えた。

すると、歪んでいた研究室はちゃんと立ち直った。

「皆慌てん坊だねえ」
泥まみれの顔で真衣希ちゃんは笑った。

日向さんも笑った。

僕等も苦笑いするしかなかった。……いいや、まだ笑ってはいられない。

「早く碧ちゃんを運び出しましょう」
僕は言った。

「運び出すより、もうここで元に戻してあげてもいいんじゃないかしら?上位研究員達は皆逃げてしまったし、ここはもう安全でしょうから」
音美は碧ちゃんをくるんでいたシーツをめくり、言った。

確かにその通りだ。

だけど、念には念を入れよだ。

僕等は研究室の中に上位研究員が残っていないかを調べた。

研究員はもう誰も残っていない……と思ったら、1人残っていた。

それは床に倒れたまま動かない九十九博士だった。

僕は少々嫌な予感がした。

まさか、さっき打ち所が悪かったのではなかろうか?

「……宝子の様子を見てみるわ」
甘粕博士はそう言ったが、B子さんに止められた。

「ここは私が。一応警察官だから」

B子さんは念のために上位研究員が落とした銃を拾い、構えながら九十九博士に近づいた。

「……気絶してる。でも息はあるわ」
B子さんは言った。

「生きているんですね。……よかった」
僕は言った。

「時計が壊れたから、時間はここから出た後に取らなきゃね」
B子さんは九十九博士に手錠をかけた。

これでもうここは安全になったはずだ。

「日向さん、お願いします」
暁美ちゃんは言った。

「それではいくぞ。……エスナ!」

日向さんの呪文が響き渡った。

……

碧ちゃんの身体がだんだん元の色に戻っていく。

「……暁美……ちゃん?」
碧ちゃんはゆっくりと暁美ちゃんの方を向いた。

「碧!」
暁美ちゃんは碧ちゃんに抱きつくと、声を上げて泣き出した。

「泣かないで。暁美ちゃん」
碧ちゃんは身体を起こし、暁美ちゃんの背中をなでてあげた。

「よかった。……本当によかったわ」
C子さんの目にも涙がたまっていた。

「うふふ。鬼の目にも涙ね」
A子さんは言った。

「今じゃあ鬼は私の方かもしれないけどね」
B子さんは言った。

「半戸さん、ありがとう。私、半戸さんが励ましてくれたから、希望を捨てなかったんだよ」
碧ちゃんは言った。

「僕は何もしていないよ。君が元に戻れたのは、君自身の頑張りと暁美ちゃんや日向さんや他の皆のおかげさ」
僕は言った。

「日向さん、ありがとう。日向さんのアバター、かっこいいな」
碧ちゃんは言った。

「そう言われると照れるな。……あ、でも吾輩は女の子を汚したり石化させるのが大好きだから、次は悪に回るかもしれないぞお」
日向さんは冗談めかして言った。

「え~!怖~い!」
碧ちゃんは笑いながら言った。

でも、真衣希ちゃんの話によると、日向さんは本当に女の子を繰り返し汚したり石化させるのが人並み外れて好きらしいから、今の冗談はシャレにならないぞ。

「ねえ、碧ちゃん。元に戻った所で、一緒に泥遊びしない?」
真衣希ちゃんは言った。

「今はだめ!真衣希ちゃんも早く泥から上がるの!」

全員にそう言われ、真衣希ちゃんはしゅんとなった。



「残念ね。あなたみたいなアバターなら、私に協力してくれると思ったのに。……まあ、あなたの気が変わるのを気長に待ちましょう」

小林巡査に連れて行かれながら、九十九博士は僕に言った。

「天地が裂けても半戸さんはあなたに協力しないわよ!さあ、さっさと歩きなさい!」
小林巡査は九十九博士に言った。

……そういえば九十九博士が現実世界をどうしようとしていたのかについては、僕が途中で話を遮ってしまったので、具体的には分からないままだ。

そして女子高生の石化という実験がそれにどう関連するのかということも謎のままだ。

二次元の世界だと、謎が残るということは後でまた一波乱あるということを暗示させるものであるから、少々無気味であった。

「……と、とにかく、財界への言い訳を考えるとしよう。……ああ、女子高生を救えたのはよかったが、この後は一苦労だ」
警察署長は頭を抱えている。

僕が言うのもなんだがやっぱり情けない警察署長だった。

「署長、それは正直にいえばいいんですよ。もし脅されたらその時は財界の不正を新聞社に伝えたらどうですか?……さて、甘粕博士。これから事情聴取をしますので……」
B子さんは言った。

「ええ。何でも聞いて下さい。全て答えますから」
甘粕博士は言った。

「あなた達もいいですか?」
B子さんは由香さんをはじめとする下位研究員達の方を振り返った。

「ええ、もちろんです」
下位研究員達は言った。

「先生、ありがとうございます。おかげでこの通り!」
碧ちゃんは病院の先生にお礼を言った。

「元に戻れてよかったですね。本当によかった」
病院の先生は碧ちゃんの頭をなでてあげている。

この先生のおかげで、僕等は生きて帰ってこれたのだ。

「碧ったら、心配していたのよ」
「だけど無事で本当によかった」
碧ちゃんのご両親は無事な姿の碧ちゃんを見て本当に心から安心していた。

「ついさっきまで石化していたとは思えない元気ですね」
C子さんは言った。

「碧ちゃん、お帰りなさい」
「皆で考えていたんだけどさ……」
碧ちゃんは同級生に囲まれた。

「何?お祝いに胴上げでもしてくれるの?」
碧ちゃんは言った。

「あれ?気付いちゃった?」
男子生徒の1人が頭をかいた。

「だって、みんなのポーズはそのまんま胴上げじゃん」
碧ちゃんは笑いながら言った。

「……まあ、いいや」

生徒による胴上げが始まった。

……派手な胴上げだな。碧ちゃん目を回しちゃうぞ。

「碧、ちょっと来て」
暁美ちゃんが碧ちゃんを呼んだ。

「どうしたの?暁美ちゃん」
碧ちゃんは胴上げから下り……やっぱり少し目を回したのかよろよろしながら暁美ちゃんの所に向かった。

「音美さんが教会のチャリティイベントに来ないかって言ってくれているの。碧も一緒に行く?」

「もちろん行くわ。……お父さん、お母さん、いいでしょ?」
碧ちゃんはすぐに立ち直ると、ご両親の方に向き直り、言った。

碧ちゃんのご両親は不安そうに顔を見合わせる。

「よかったら、お父さんとお母さんもどうぞ」
音美は言った。

「……どうしましょうか?お父さん」
碧ちゃんのお母さんは言った。

「……そうだな。お言葉に甘えさせてもらおう」
碧ちゃんのお父さんは言った。

「私もお父さんとお母さんを連れて行こうかな……」
暁美ちゃんは言った。

「それじゃあ、電話で呼んでみたら?」
音美は暁美ちゃんに携帯電話を渡す。

「ありがとう。音美さん」
暁美ちゃんはお礼を言って携帯電話を受け取った。

「ああ、私も携帯電話を使ってみたいなあ」
「俺も……」
他の生徒達は少しうらやましそうな顔をした。

「ほれ。今日だけ特別だよ」
C子さんが生徒達に携帯電話を差し出す。

「えっ?使っていいんですか?」

生徒の1人がC子さんの携帯電話を受け取ろうとすると、C子さんは携帯電話をひっこめた。

「ただし、チャリティイベントの話しかしないことよ。雑談は禁止だからね」

「ひえ~。厳しい~」
生徒達は言った。

「千鶴さんと真衣希ちゃんも来てくれますよね」
音美は千鶴さんに言った。

「ええ、行かせていただくわ。……私の場合、真衣希が馬鹿なことをしないように見張る役も兼ねてね」
千鶴さんは言った。

「とほほ……」
真衣希ちゃんは掌形に腫れた頬をさすっている。

「日向さんも来るでしょう。日向さんは現実世界からやって来たヒーローだって皆に紹介させてもらうわ」
音美は日向さんに言った。

「うわあ。そう言われるともう悪には走れないな」
日向さんは苦笑いしながら言った。

皆うれしそうだ。

僕はちょっと席を外すことにした。



「亡くなった方のご冥福を祈ります。イエス様に仕える私には日本的なお弔いはできませんが……」

霊安室の前で一礼すると、A子さんはこちらに戻って来た。

「さて、そろそろ行かなきゃ。私が遅刻したりしたら、神父様は絶対に怒るもの」
A子さんは言った。

「そうですね。そろそろ行きましょう。隆一、行くわよ」
私は隆一を呼んだが、返事はなかった。

「変ねえ。半戸君、どこに行ったのかしら?」
A子さんは言った。

「全くもう!隆一ってば!」

私は隆一を探して歩き回った。

「あそこじゃないか?ほら、窓の外」

パソ子が指差した窓の外には、確かに隆一らしい影があった。

外に出てみると、隆一は窓辺のベンチに座ってうたた寝をしているようだった。

「隆一、こんな所で寝てたら……。あら?」

隆一のアバターは、起動していなかった。

隆一のアバターの手には何やら紙切れが握られていた。

私はすぐに紙切れを取る。

紙切れには、隆一の字でこう書いてあった。


本当はもう少しこの世界に居たいのですが、この世界のことは、後は音美達に任せた方がいいでしょう。

僕は自分の生きていくべき場所、すなわち現実世界へ帰ることにします。

僕のアバターは、消去していただくのが一番よいのでしょう。

音美、仮想現実世界の皆さん、どうか末長くお元気で……

半戸隆一ではなく、△△(現実世界の僕の本名)としてこの置手紙を残します。


……馬鹿。挨拶くらいしてから行きなさいよ。

私は1度上を向くと、隆一の置手紙をポケットにしまった。



このお話はここでひとまずお終いだ。

吾輩の名は牙行。最後に吾輩から読者諸君に質問をさせていただきたい。

もし目の前で女子高生が石化したら、あなたならどうする?

よろしければ、感想の覧に書き込んでくれたまえ。



Special Thanks:Maiki`s House



[35954] 番外編 傘と子犬と赤毛の少女
Name: ハンドル◆60815e14 ID:132352f6
Date: 2013/01/08 21:22
二次元の仮想空間にて……

僕は(……といっても二次元なのでアバターなのだが)仮想空間にあるアパートで音美という女性と同居していた。

音美は仮想空間にある何とかという会社に勤めているOLだった。

ある日の夕方、いつも音美が帰ってくる時間帯に雨が降って来た。

僕は電話の方を見る。

予想通り電話は鳴りだした。
僕は受話器を取る。

「もしもし。半戸です」

電話の相手が誰なのかある程度分かっていても、この決まり文句は出るものだ。

「隆一、傘を持って駅まで迎えに来てくれない?傘忘れちゃってさ」

僕の予想通り、電話をかけてきたのは音美だった。

「……またか。しょうがないな。昨日の内に天気予報を見ておかないからだよ」

僕は自分と音美の傘を持ってアパートを出た。

駅に行くには公園の前を通れば近道になる。

僕は公園の前を横切ろうとして、思わず足を止めた。

公園の真ん中で子犬が震えていたのだ。

「おい、飼い主はどうしたんだ?」

僕は犬に声をかけたが、仮想空間の中でも犬はしゃべらない。

その時、背後から女性の声が聞こえた。

「どうかしたの?」

僕が振り返ると、そこには赤い色の長い髪を2つ結びにしたセーラー服の少女が立っていた。

「あなた、ひょっとしてその子の飼い主?」

少女は聞いた。

「いいや、違うよ。僕は同居している女の子を迎えに行こうとして通りがかっただけなんだ」

僕は答えた。

「その子、今朝からここにいたの。かわいそうに。きっと捨てられたのね」

少女はそう言うとしゃがんで犬の頭をなでてやった。

「二次元の世界でも捨てられるペットがいるのか……」

僕は言った。

「え?」

少女はきょとんとする。

「現実世界でもペットを捨てる人がいてね。僕の家の周りにも時々捨て猫が来て困ってるんだ」

僕は言った。

「そうなんだ。……とにかくこの子が濡れないようにしてあげなくちゃね」

少女はそう言うと、持っていた傘を犬に差しだした。

「それじゃあ君が濡れちゃうんじゃないか?僕は傘を2つ持っているから……」

僕が言いかけると、少女は首を横に振った。

「いいの。私、濡れたい気分だから」

「そんな漫画みたいな台詞を言わずに。風邪ひいたら大変だろう」

「いいのいいの。あなたが彼女さんの傘を置いたら彼女さんが困るでしょ。1つの傘に2人で入るにはあなた少し太いことなくて?」

少女はそう言うと雨に濡れながら公園から出て行ってしまった。

痛い所を突かれた僕はため息をつくしかなかった。

「お前、あの女の子に感謝するんだぞ」

僕は一度しゃがみ、犬の頭をなでてやりながらそう言った。

突然ブレーキのきしむ音がした。

「まさか?!」

嫌な予感がした僕は急いで公園を出ると先程の少女が向かったであろう方向に目を向けた。

案の定、急ブレーキをかけて止まったダンプカーの傍らでセーラー服の少女が尻もちをついていた。

ダンプカーが水溜りを撥ねたのか、少女は泥まみれになっていた。

「馬鹿野郎!気をつけろ!」

ダンプカーの運転手は少女を怒鳴りつけると、そのまま行ってしまった。

どっちが馬鹿野郎だ。一時停止の標識を無視したダンプカーが悪いに決まっている。

少女はダンプカーに接触したわけではなかったようだが、どんなに怖い思いをしたことだろうか……

「大丈夫かい?」

僕は少女に声をかけたが、少女の耳に僕の声は聞こえていないようだった。

少女の方が小刻みに震えている。

泣いているのだろうかと思ったが、そうではなかった。

少女は突然笑い出したのだ。

「最高!このまま泥遊びしちゃお!」

その言葉通り、少女は泥遊びを始める。

あまりのことに僕はしばらくの間その場に立ち尽くすしかなかった。

一体、この少女は何者なんだろう?



おっと、早く音美に傘を届けなきゃ。






[35954] 番外編 魔法の杖
Name: ハンドル◆60815e14 ID:132352f6
Date: 2013/01/08 21:24
僕がこれから話すのは、数年前にとある女子高で起こった出来事だ。



授業中、A子はちらと隣の席にいる幼馴染のB子の方を見る。

制服に隠れて見えないが、B子の身体には無数の痣があった。

B子は同じクラスのC子を中心とするグループからいじめを受けていたのだ。

A子はそれを知っていて見て見ぬふりをしていた。

A子はC子が怖かったのだ。



ある日の放課後、A子はB子に声をかけた。

「一緒に帰ろう」

だが、B子はA子を無視した。

「返事ぐらいしてよ。B子が一緒に帰ってくれないと、私寂しいな」

A子がそう言うと、B子はちらとA子の方を見た。

B子のその目はA子が見たことのないほど冷たかった。

「……私がいじめられていても助けてくれなかったくせに」

そう言うとB子は帰ってしまった。

B子のその言葉と冷たい目はA子に深く突き刺さった。

自分はC子と同じだ。自分は見ぬふりをすることによってC子と同じようにB子を傷つけていたのだ。

弱い自分に対する腹立たしさと悔しさでA子は胸がいっぱいだった。



その日の帰り道、A子は一人の老婆に声をかけられた。

「お嬢さん、駅までの道を教えて下さいませんか?」

「ええ、いいですよ」

根は人のいいA子は老婆を駅まで案内してあげた。

「ありがとうございます。お礼にこれを上げましょう」

老婆が差し出したのは何の変哲もない一本の棒だった。

「え?……これって?」

「それは魔法の杖。正しい使い方をする人にはきっといいことが、間違った使い方をする人には災いが訪れるでしょう」

そう言うと老婆は行ってしまった。

「魔法の杖だなんて、おとぎ話じゃあるまいし……」

そう思いながらもA子は杖を家に持ち帰った。



その夜、A子は遅くまで勉強していた。

「ああ、眠くなっちゃった。コーヒーでも飲もうかな。……でも今からお湯を沸かすのは面倒だな……」

独り言を言ってからA子は机の上にある魔法の杖に目を止めた。

「……まさかね」

そしてA子は冗談のつもりで部屋にあったポットに杖を向けた。

「ポットさん、お湯を沸かして」

次の瞬間、ポットからは湯気が立ち始めた。

「嘘……。本当に魔法の杖だった」

A子は杖を見つめた。

「……おっと、せっかくお湯が沸いたんだし、コーヒーを入れよう」

そしてA子は大事なことに気付く。

「そういえばコーヒーは切らしてたんだっけ。考えてみたら魔法でお湯を沸かすよりコーヒーを出した方が良かったかな」



翌日、A子は学校へ行く途中でB子にあった。

「おはよう、B子。……あのさ」

A子が声をかけてもB子は振り向かずに行ってしまう。

A子はため息をついた。

そして何気なく鞄に入れてきた魔法の杖を取り出す。

「この杖を使えばB子は私を許してくれるかもしれない」

一瞬そう思ったA子だったが、考え直して杖をしまった。

老婆は杖を正しく使わなければならないと言っていた。

魔法で人の心を動かすことが正しいとは思えない。

A子は魔法の杖に頼らずにB子と仲直りしようと心に決めた。



その日の放課後、A子は掃除当番で帰りが遅くなっていた。

「魔法の杖で楽に帰れる乗り物なんか出せないかな……?」

そう思いながら下駄箱についたA子は奇妙なことに気がついた。

先に帰ったはずのB子の靴がまだあるのだ。

そしてC子とそのグループの女子達の靴もある。

「まさか……!」

A子はトイレに駆け込むと、手洗い場の鏡に魔法の杖を向けた。

「B子は今どこにいるの?」

すると鏡にはA子のよく知る風景が映し出された。

「ここは……体育館ね」

A子は体育館に向かって駆け出した。

体育館の前にたどり着くと、A子はそっと中の様子をうかがった。

案の定、B子はC子のグループに取り囲まれていた。

「だいたいあんたは生意気なのよ!」

「あんたと同じ空気を吸うのも不快だわ!」

C子のグループは口々にそんなことを言っている。

B子は黙って俯いていた。

その内にB子を小突く者、殴る蹴るなどの暴行を加えるものまで出始めた。

「ひどい……」

B子を助けたいA子だったが、相手は大勢いる上、やはりC子が怖かった。

A子は先生を呼ぼうかと思ったが、先生は既に帰ってしまっていない。

用務員は今日に限って風邪で休んでいた。

A子は魔法の杖を見つめた。

「B子のために使ってもいいかしら……?」

A子は考えた末に決心した。

C子達に向かい、大声を上げる。

「やめなさいよ!B子がかわいそうじゃない!」

C子達はA子を睨みつける。

「誰かと思えば弱虫A子か」

「私達に逆らおうってつもり?」

C子はA子の髪をつかんだ。

「きゃっ!やめて……」

「威勢がいいのは口だけなのね。あんたなんかがでしゃばっても話にならないのよ」

C子はA子の頬を打った。

「うう……よくも!立場を変えてあげる!」

A子はそう言うと魔法の杖を振った。

次の瞬間、周りにいた女子達は息を飲んだ。

A子が片手でC子の髪をつかみ、もう片方の手でC子の頬を打ったのだ。

「な、何よ今の……」

C子は左手で頬を押さえる。

A子は得意げな顔をした。

「うふふ。驚いた?種はこの魔法の……あれっ?」

A子の右手の中にあったはずの魔法の杖はC子の右手に移っていたのだ。

「しまった!さっきの魔法で……」

「……こんな棒きれで魔法を?」

C子は魔法の杖を眺めた。

「か、返して!」

A子は必死で杖を取り返そうとした。

「うるさいわね!石にでもなっていなさい!」

C子がそう言った途端、A子は身動きが取れなくなった。

A子は生きたままだんだんと冷たく硬い石になっていく。

「A子!」

B子はA子に駆け寄る。

「す、すごい。本当に魔法の杖だわ」

C子は言った。

「ね、ねえ、C子。私にも使わせてよ」

C子の仲間の女子が言った。

「……何か言った?あんたも石になってな!」

C子は声をかけてきた女子を石にしてしまう。

他の女子達は震えあがった。

「こんな面白いものを他の奴らに渡すと思う?」

C子は言った。

「そ、そんな!私達、友達じゃない!」

他の女子達は言った。

「何が友達よ。あんた達は私が怖くて従ってるだけでしょう。つまんないわ」

C子は杖を振った。

「きゃあーっ!」

女子達は次から次へと石になっていく。

「あーっはっは!みんなみんな石になっちゃえ!」

C子は狂ったかのように杖を振り回す。

人間ばかりでなく体育館の備品も石化し始めた。

「A子!しっかりしてよ!A子!」

だんだん肌色を失っていくA子に抱きつき、B子は泣きじゃくった。

まだ完全な石にはなっていなかったA子は辛うじて声を出せた。

「B子……ごめんね」

「何言ってるの!謝らなきゃいけないのは私の方だよ!」

B子は泣きながら言った。

「B子……お願い。……杖を……」

A子はそれ以上声を出せなかった。

「分かった。すぐに杖を取り返してA子を元に戻すよ!」

B子はそう言うとC子の方に向き直った。

既に正気を失っていたC子はB子に気付かず杖を振り回す。

「C子!やめてーっ!」

B子はC子から杖を奪おうとした。

「邪魔よ!」

C子はB子を突き飛ばすと、杖を振り上げた。

「お前も石にな……」

C子はその先を言うことができなかった。

石となり異常な重さとなったバスケットのゴールがC子の上に落下したのだった。

気を失ったC子の手から魔法の杖が転がり落ちる。

B子は杖を拾うとA子に向けた。

「お願い!元に戻って!」

するとA子の身体は徐々に肌色を取り戻していった。

「B……子?」

「A子!よかった!」

B子は再びA子に抱きつき、泣いた。

「B子、助けてくれてありがとう」

「ううん。A子だって……」

二人はしっかりと抱き合った。



石化から元に戻ったC子のグループだった女子達はおかしなことにA子が駆けつけた後の記憶がないということだった。ただし、B子をいじめたことについては皆反省しており、いじめっ子のグループでいるとろくなことはないということには気がついたようである。

バスケットゴールの落下は体育館の老朽化が原因ということになった。

C子の怪我は大したことはなかったが、本当に必要なのは心のケアだということだった。

A子とB子は現在も親友どおしで、いじめをなくすための活動を行っているそうだ。

魔法の杖はどうなったかって?実を言うと、今ここにある。

見せてほしいって?どうぞ。これだよ。

……どうして魔法の杖を折っちゃったんだって顔をしているね。

杖を折ったのは僕じゃなくてA子だ。

A子は最後の願い事をした後に、二度と間違った使い方をされないように杖を折った。

A子の最後の願いは何かって?

それは……



「みんなにいいことがありますように」





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