『夢の国、地虫の話』 第一話
俺は、暗くボロボロな下水道の中、汚水に混じり流れてくる、夢人が垂れ流したクソの、あまりにも臭い匂いで目を覚ました。
寝起きのぼんやりした視界の中、足元を何匹もの畸形のネズミが走り回る。
体長10センチほどの大きさ、全身に目が20個ほどついた、毛の生えていないピンク色ネズミ。
どこかの死体から奪ってきたのか、グズグズに腐った指をくわえ、元気に走り回っている。
ゆっくりと体を起こし、ポケットから紙巻コメレスを取り出し、それと同じように昨日盗んだライターで火をつける。
肺いっぱいに大きく吸い込み、息を止める。下水の寒い空気の中で、吸い込んだケムリだけが温かい。
限界まで息を止め、肺の隅々にまでケムリを充満させてから、俺はゆっくりと紫煙を吐き出す。
悪くない、上物だ……。クスクスと笑いが込み上げてくる。聴力、視力が冴え渡ってくる。
ぐっ……、足元のクソの臭い、何ヶ月もフロに入っていない俺の体臭までがくっきりと漂う。
「アバラ、いいもん持ってんじゃん。ワタシにも頂戴」
ぼんやりとした視線で声のするほうに目を向ける。腰まで届くサラサラした銀色の髪、臭いのしない清潔なカラダ。
細いウエスト。ボロボロの服から覗く白い肌。人形のように整った顔。エメラルド色の瞳。栄養失調でツルペタの胸。細い足。長い指。
「あーー、ほら」
ケムリを吐きながら、火がついたままの吸いかけの紙巻を渡す。
「おっ、感謝、感謝。いやー、アバラは優しいね」
柔らかな笑顔を見せながら、ソイツはピンク色の唇に紙巻を挟む。目を閉じ、眉を寄せながら、ゆっくりとケムリを吸っている。
俺は足元をちょろちょろと動き回るネズミどもを蹴飛ばす。ピギッと小さく豚のように一声あげて、ピンク色のネズミどもが走り去っていく。
走り去る直前、体中の目が俺を怨むように一斉に睨む。気にしない。走り去った方角に思い切り唾を吐く。
「んーー。いいね。どしたのさコレ。もしかして、夢人を襲ったの?」
勝手に俺の隣に座ったソイツが問いかけてくる。馴れ馴れしい。というかコイツの名前、何だったか……。
かすかに記憶にあるんだが……。どうも思い出せない。
「ああ……。黒夢持ちで苦労したが、色々収穫はあった。で……、お前誰だっけな」
何もかもが気だるい。かなり上質のコメレスだったようだ。自分の声がゆっくりに聞こえる。意識して話さなければ口が動かない。
効いてきたのだろう、突然空腹と性欲が沸きあがる。足元の荷物袋から、乾燥させたオオグリ蛾を取り出し、羽をむしり取り口の中に放り込む。
口の中に、じゃりじゃりとした歯触りの後に、毎度おなじみのクソみたいな強烈な苦味、ゲロそっくりの酸味。そして、ほんの少しだけの甘み。
「また忘れたの?ジャンク品のコピー夢ばっか食ってんじゃない?ワタシはゾウムシだよ。ていうか、おとといもこんな会話したよ。あ、ワタシにもそれ頂戴、駄目……かな……?」
コイツも腹が減ってるんだろう。俺が口の中に放り込むオオグリ蛾を、羨ましそうな目で見つめている。
変なヤツだ。これだけ外見が良いんだから、カラダを売ればいいものを。
袋の中から、乾燥させたオオグリ蛾と、ミドリ蛆の串焼きを取り出す。いつから入れていたのかはっきり憶えていないが、まあ食えるだろう。
この程度で食中毒になりくたばってしまうほど繊細な体なら、地下には住めない。もうとっくにネズミの餌になっているだろう。
ゾウムシの足元に、取り出した蟲を投げる。
「ああ、脳のどっかが壊れてるんだろうなぁ。ま、どうでもいいよ。ところで、その食い物とコメレス半分やるからよ、一発抜いてくれよ」
俺の投げた蟲どもを、まさにガツガツという勢いで口に運ぶゾウムシに言う。
ポケットから残りのコメレス紙巻を取り出す。あと19本入っている。一本はあとで吸って、残り8本でジャンクディスクと交換して貰おう。
「えっ、あ……、そ、そりゃ、ワタシはいいけどさ……。アンタ、天使とはヤらないって言ってたじゃん?いいの?」
目を逸らし、白い頬を赤く染めながらゾウムシがゆっくりと言葉をこぼす。
「あ?んだよっ、てめえフタナリかよ。ちっ、損したじゃねーか。クソ野朗」
口の中に酸っぱいモノが込み上げる。クソ……。
というか、気付かなかった己に腹が立つ。寝起きとはいえ、コイツの整いすぎた顔を見た時に気付くべきだった。
愛玩用に作られた存在。夢人どもはジョークのつもりか『天使』などとほざいているが、まあ、飽きたら捨てられるペットだ、このゾウムシのように。
清潔な肌にも納得、こいつらは新陳代謝が少ない。まあ、そのぶん寿命も短いらしいが……。
「ア、アバラ!!そんなら……、口で、シてあげようか?それなら関係ないじゃん。ね?アンタいつも親切だしさ……」
俺の服に華奢な腕ですがりつくゾウムシ。すがるような瞳で俺を見上げ、小さな唇を広げ、誘うように真っ赤な舌をくねらせる。
「天使じゃ勃たねえんだ。邪魔だ、どけ」
唾を吐き、勢いよく立ち上がる。
「きゃっ」
ゾウムシが勢いに押されて倒れる。長く美しい銀色の髪が下水に浸され、クソ塗れに汚れる。
それを見ながら、足元の荷物袋を肩に背負う。
胸がムカムカする。唾を何度も吐き出す。下水のヌルヌルしたヘドロがついた指を、躊躇せず口の中につっこみ、奥歯に挟まっていたオオグリ蛾の足を取る。
体中が痒い。ヒゲの生えた顎をこすりながら、ゆっくりと地上へのステップを登っていく。
「ちょ、ちょっと、まってよアバラ。ワタシも連れてってよ。もう何日もまともなご飯食べてないの。これだけじゃ足りないよ。いいかげん死んじゃう」
「知るか、死ね」
背後からかけられる声を無視し、ステップを登りきり、重い蓋を押し上げる。
ギシギシと軋む音を立てて蓋を持ち上げると、地上の清清しい空気が一気に流れ込んでくる。
地上の埃まみれの空気。イオンと金属、埃の臭いだが、クソまみれの下水よりはマシな香りだ。
地下よりも遥かに暴力的で、夢人どもが支配するクソ以下の地上だが、少なくとも地下より清潔な事は確かだ。
「夜か……、良く寝てたって事だな」
空を見上げると、馬鹿馬鹿しいほど多くの星が夜空に輝いている。昨日はここまで存在していなかったように思う。
きっと上級の夢人が創造したんだろう。くだらない。全く無駄な事をする。
普通人に見つからないように、地上へズルズルと、虫ケラのように這い出す。
割れたビン、所々にぶちまけられた嘔吐物を避けながら、暗い路地の中をゆっくりとナメクジのように這って、手近の建物の影に入り込む。
「アバラ……、誰もいない感じ?」
ようやく立ち上がろうとした俺に、ゾウムシの声がかけられる。思わずため息……。
「てめえ、ついてくるなって言ったろうがっ」
小声で、しかし険悪な口調で言い放つ。
「いやー。ワタシ、地上は久々だわ。独りじゃ怖くって、ちょっと無理」
無視かよ……。あきらめてため息を吐く。頭痛がする。脱力感に支配され、建物を背に座り込む。
そんな俺の隣に、すりよる猫のようにゾウムシがくっついてくる。
「ねっ、ウワサで聞いたんだけどさ、アバラって黒夢使いなんでしょ。だから夢人相手に強盗なんて出来ちゃうんだよね。いやー、ウワサでしか聞いた事なかったけど、実際に夢人がくたばる瞬間が見れると思うと、超興奮しちゃうよ」
白い頬を染めながら、ゾウムシが興奮した口調で話しかけてくる。キラキラと尊敬したような潤んだ瞳で俺を見つめる。
「馬鹿か……。俺が夢人だったら、あんなクソ塗れの地下に住んでるワケねーだろ。少しは考えて話せよ。つか、邪魔だから帰ってくれ、頼む。お前の面倒見てる余裕は無いんだ」
コイツ、声が大きい。このまま普通人に見つかりでもして、自治人でも呼ばれると非常に面倒な事になりかねない。
ゾウムシの折れそうなほど細い肩を掴み、強引に俺に向かせ、正面からそのエメラルド色の瞳を見つめ、はっきりと言い放った。
「あ。う、そ、そんなに邪魔だったの?ゴメンなさい……。ワタシはただ……、ん、何でもない。じ、じゃあ、また下で待ってるから。ホントに気をつけてね、アバラ」
強く言い過ぎたか?少し涙声で俯きながら謝るゾウムシ。
「クソ山にクソして寝てろ。まあ、一仕事終えたら帰るから」
俺らしくもなく優しめに言い放ち、振り返らず、建物沿いに街へと向かって足を進める。
向かう先は歓楽街。淫夢の街。夢人、普通人、奴隷の関係なく、皆が快楽に溺れる眠らない街。
その街で俺達みたいな『ハグレ』は狩りをする。
夢を見れない為、『普通人』にもなれず、『奴隷』になるには自我が強すぎ、『夢人』になれる才能などあるハズも無い。
そんな俺達『ハグレ』 いや、夢人達に言わせれば俺達は『地虫』
「くくっ、理想郷にも地虫がいるってか……」
ぼそりと呟いて、俺は走り出す。
◆
200年ほど前の大航海時代、ある一人の男が『夢』を実体化させる術式を編み上げた。
夢を具現化する能力。それは最初は歓喜、次に恐怖、そして諦めをもって世界に浸透していった。
術式に真に必要なモノが何かは秘匿されながら、ただその男の一族と、その男に認められ服従を誓った者だけが世界を支配していく。
夢を己に反映させ、人間をはるかに凌駕する能力を手に入れる夢人達。
ある者は手のひらから炎を一瞬にして呼び出し、また超人的な運動能力、サイキックパワーとでもいう力を手に入れる者たちもいた。
噂では原初の『男』は不老不死の夢を見て、文字通り不老不死になったらしい。
どんな武器も、優れた戦術も、『私は天才』といった夢を得た者や、凶悪な津波、地震などの自然災害の夢によって潰されていった。
そして、時代は進み、技術は進歩していく。
良い夢を見たものが、夢人にそれを売る時代が到来する。夢人でなくとも、良い夢を見る事ができる人々が富を稼げる時代。
リアルで、優れた夢を見れたのなら、それを高額で夢人に売る、また、ある者は有力者の夢人に庇護され、生活の面倒をみてもらえる。
どんな宝石も、至高の料理も、便利な道具も、『リアルに夢に見る』ことができれば現実化できる世界。
だがそれは、ある負の一面も持つ事になった。
『リアルに幸せな者は、リアルに幸せな夢を見ることが出来る。だが、不幸なものが、真実味のある幸せな夢を見られるか?もちろん、見ることはできない。あこがれる事は出来ても、現実に耐えられるほど幸せな夢は見れない』
つまり、『幸せな者はよりよい夢を見て、さらに幸せになり、貧しい者、不幸な者はよりいっそう不幸になる』というスパイラルが出来てしまった。
まれにこの壁を打ち破るほど、夢に才能をもった人間が現れるが、それは極一部であり、時代と共にはっきりとした階級が出来上がっていく。
『リアルな夢』を『現実化』することができ、さらに己を夢で改造した『夢人』
『良い夢』を見ることを目標に、日々を過ごす『普通人』
『夢』をみることを諦め、リアルな夢を見れず、自我を捨て作業にのみ従事する『奴隷』
そして『夢』を見ず、ただ日常に抵抗する『地虫』
ここは夢が現実になる世界。夢の国。
この国の名は『アルカディア』と呼ばれていた。
これは、そんなアルカディアで、もがき、足掻き、生き抜く『地虫』の物語である。