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[32502] 【チラ裏より】東方永醒剣~Imperishable Brave.(東方Project×仮面ライダー剣)【連載中】
Name: 紅蓮丸◆234380f5 ID:d3c4d111
Date: 2012/11/17 13:06
チラシの裏より移転しました。

・11/17追記
第7話投稿しました。

※注意事項

この作品は、以下2作の既存作品の設定などを独自に解釈し組み合わせた、いわゆる「クロスオーバー」の「二次創作」です。

・上海アリス幻樂団「東方Project」
・東映「仮面ライダー剣(ブレイド)」

その性質上、上記2作の内容を暴露してしまう「ネタバレ」が含まれる事があります。
特に、上記2作のどちらか、もしくは両方を見た事がない方でも理解していただけるように丁寧な描写を心がけて執筆するため尚更だと思われます。
また戦闘シーンなどもある関係上、暴力的な描写が行われる事があります。

以上の事を理解した上で許容できない方は本作の閲覧をご遠慮下さい。
本作を読んだせいで不快な気分になったとしても作者は責任を負いかねます。

原作のどちらも知らなくてもわかるように書いていきたいと思います。
が、東方・ブレイドどちらも自己解釈が付加されている場合があります。
特に東方は、可能な限り原作設定に忠実に描写するつもりですが、元の設定の量が膨大&二次設定が氾濫しているので、ひょっとすると思い違いしている箇所があるかもしれません。

この作品は「にじファン」にて公開していたものですが、こちらでの掲載にあたって一部修正しています。



[32502] 第1話「青き剣士と不死の少女」
Name: 紅蓮丸◆234380f5 ID:d3c4d111
Date: 2012/10/27 16:57
 その地は、この世界とは異なる空間にある。
 そこでは人間や妖怪が共に暮らしている。
 その地の名は、幻想郷。

 その幻想郷の竹林を、少女が1人歩いていた。
 歳は10代半ばから後半ほど、ブラウスに赤いズボンをサスペンダーで肩に吊り下げ、足まで届く銀色の長い髪にリボンを結わえている。
 少女――藤原ふじわらの妹紅もこうは散歩をしていた。
 竹林の中に居を構え1人で生活している彼女にとって、竹林は庭も同然。道も目印もないため、一度入り込むと迷ったまま出られない者もいる事から『迷いの竹林』と呼ばれているが、彼女は竹の妖精に顔が利くためその心配はない。そのため、竹林を横切る必要がある者の案内役を買って出る事もある。最も、そういう者はそう頻繁に来ない。その日も例外ではなく、暇を持て余した彼女は竹林をぶらついていた。
 それだけで帰るつもりだった。

「・・・・・・」

 しかし妹紅は途中から、ある『異変』に気づいていた。気配だ。
 何者かの気配が、ずっとつきまとっているのだ。
 適当に歩き回ってもそれは消えない。何者かが自分をつけている――それしか考えられない。意を決し、立ち止まる。そして意識を集中させ、気配の位置を探る。
 竹林は薄暗く、風で竹が揺れる音だけが聞こえる。その音が不意に止んだ。
 その瞬間、気配が変化した。

「!」

 とっさに後ろへ大きく跳び退る。
 刹那、一瞬前まで自分がいた空間に影が落ちてきたと思うと、スパッと鋭い音がした。次の瞬間、影の近くにあった太い竹が真っ二つに切れ、倒れた。

「ただの人間ではない・・・か」

 声が聞こえ、それが眼前の影が発したものだと瞬時に理解した。そして、影が立ち上がる。
 妹紅はその異形の姿に眉をひそめた。
 顔は不気味な形でまったく微動だにしない。まるで仮面をつけているようだ。200cmを越える黒く大きな体にびょうやら棘やらがついた出で立ち。背中に大きな翼があるが骨だけ、両腕には大きな爪が生えている。その爪で竹を切り裂いたのだろう。そしてそれは自分を狙って振り下ろされたのだ。自分を殺すために。

「私に何の用?」

 腰を落とし、身構えながらその異形に言葉を投げかける。
 幻想郷には妖怪や妖精が多数住んでいる。しかし、妹紅は目の前のそれに似た妖怪を見た事がない。
 それに、この幻想郷では戦闘行為は“基本的に”ご法度である。生物がすむ空間ならば当然ではあるが。にも関わらず殺害目的での襲撃。自分がそれほどの恨みを買っているか、もしくはそのルールをそもそも知らないか、あるいは・・・

「人間に対する用など決まっている。死んでもらう」

 予想した中で最悪の結論。殺すなら人間の誰でもいいという意味だ。それ以外に解釈のしようがない。

「通り魔ってわけだ・・・正気か? この幻想郷で」
「幻想郷・・・? まあいい。人間ごときが私にそんな口を利けるものか」

 そう言って妹紅の方へゆっくり近づく。先の言葉に引っかかるものがあるが、それどころではない。
 ふっ、と鼻で笑う妹紅。

「何がおかしい?」
「お前がどこの誰かは知らない。だけど、お前に私は殺せない」

 目前の黒い怪物をにらみつける。
 そう。この怪物が何者であろうと、“自分を殺す事は不可能”だ。

「ふん」

 今度は、怪物の方が鼻で笑ったようだ。顔を見る限り、鼻は無さそうに見えるが。
 素早く妹紅に駆け寄り、右腕の鉤爪を振り下ろす。妹紅はそれを横に素早く動いてかわす。そして怪物に向かって右手をかざす。その手から火の玉が噴き出した。

「!?」

 表情は変わらないのに、怪物が驚いたのは理解できた。一瞬で自分が炎に包まれれば当然だろう。
 幻想郷において、こういった超常的な現象を起こせる人間は珍しくない。人間である妹紅が――実際の所、“普通の人間”ではないのだが――炎を使役できるのは長年培った妖術の賜物だ。大抵の妖怪ならば打ち倒せるほどの力がある。
 怪物を包んだその炎はすぐに消えたが、今度は左右の手から立て続けに火炎弾を浴びせる。

「くっ!」

 数発の弾を浴びながら、怪物は上空へ飛び上がる。翼がある事からそれも予想の範疇だった妹紅は慌てる事なく、それを追う様に火炎弾を撃ち続ける。怪物は空中でそれらをかわそうとするが、竹が密集している竹林では思うような飛行は出来ず、1発の弾をその身に受けた。
 怪物の方も手の先から、鋭く尖った骨の刃を妹紅目がけて飛ばしてくる。妹紅はそれを走ってかわす。骨は地面や竹に次々と突き刺さる。まともに受ければひとたまりもあるまい。しかし、竹の陰に隠れながら移動すれば被弾する恐れは低い。だがそれは怪物の方も同じだ。このままでは決着が着かない。
 それに痺れを切らしたのか。怪物は竹を爪で次々に切り裂きながら妹紅目がけて直進してきた。

「!」

 迎撃しようにも竹が邪魔で射線が取れない。距離は瞬く間に縮まり、両腕の爪が妹紅に迫る――
 その直前、妹紅は真上へ飛び上がり、紙一重で怪物の攻撃をかわした。
 怪物は突進の勢いのまま、竹を避けながら滑空して後ろを振り返るが、そこに妹紅の姿はない。と、怪物はその場がわずかに明るくなった事に気づいた。赤い光が辺りに揺らめいている。自分の影を見て、光源は上方だと見当をつけ、見上げると。

「何・・・?」

 見上げたその先に妹紅がいた。背中に炎の翼をはためかせ、宙に浮いていた。

「この程度で驚いているようじゃ、無差別殺人どころか弾幕ごっこもおぼつかないよ」
「弾幕ごっこ・・・? 何を言っている・・・!」

 羽を飛ばしながら再び妹紅に迫る怪物。
 妹紅は身を翻しながら上昇する。そのまま竹の葉の中を突っ切り、竹林の上空まで到達した。それを追うように怪物も竹林から飛び出してくる。

「お互い、この方が思い切りやれるだろ?」

 ポケットに手を突っ込み、余裕の笑みを見せる妹紅。

「舐めた事を・・・人間風情が!」

 3度妹紅に突進する怪物。
 妹紅は今度は下降してそれを回避、竹すれすれを滑空するように飛び、ポケットから取り出したカードを掲げる。

「不滅『フェニックスの尾』」
「むっ!?」

 妹紅の両手から多数の火の玉が怪物の周囲を囲むように撃ち出される。火の玉はゆらゆらと非常にゆっくりした速さで動き出す。

「貴様、何をした?」
「スペルカードさ。これが弾幕ごっこだよ」

 片手をポケットに入れ、スペルカードを見せつける妹紅。

「カード・・・? ラウズカードではない・・・?」

 怪物が何か独りごちているが、妹紅は構わずさらに火の玉を撃ち込む。迂闊に動けばゆらゆらと動く火の玉に触れてしまう。その状態でさらに攻撃をすれば回避は非常に困難。
 だが。

「オオオォォォッ!」

 怪物は高速で動き出した。火の玉を受ける事も構わず、妹紅目がけて一直線に。

「何!?」

 これには妹紅も驚き、手から火の玉を放って牽制する。しかし怪物はそれを横に動いて避け、翼から骨を飛ばす。

「っ!?」

 骨は妹紅の腕と肩に突き刺さった。そして、怪物の爪が妹紅の胸を切り裂いた。鮮血が舞い、炎の翼がかき消える。妹紅の体は真っ逆さまに竹林へ落ちていった。

「ふ・・・面白い技を使ってくれたが、所詮は人間」

 火の玉を受けた部分から煙を上げながら、怪物は爪についた血を払いつつ妹紅の落ちた辺りを見下ろす。

「だが、ライダー以外にもカードを使うとは・・・それもラウズカードではなく」

 つぶやいた直後、後ろの方で音がした。
 振り向く。

「な!?」

 そこには、今しがた殺したはずの妹紅が飛んでいた。肩や胸の傷はない。どころか服が破れてすらいない。

「やってくれるわね。あんな無茶するとは思わなかったとはいえ、不覚だった」

 ポケットに片手を突っ込み、前髪をかき上げる妹紅。

「バカな!? 致命傷だったはずだ!」

 狼狽する怪物に妹紅は冷ややかな視線を送る。

「言っただろう。お前は私を殺せないって。私は死なないんだ」
「なんだと・・・!?」
「肉体が滅びても、魂が新たな肉体を作り出す。体は老化も止まっていて、私はもう1000年以上生きている」

 自嘲気味に笑う妹紅。

「貴様・・・アンデッドではないのに不老不死だというのか?」
「アンデッド?」

 聞いた事のない単語に、妹紅はオウム返しに聞き返した。

「私は貴様と同じ不老不死の存在だ。新しい肉体を構築したりは出来ないがな」
「何だって?」

 今度は妹紅の方が驚いた。
 自分以外で不老不死の存在など、1人しか知らない。

「見るがいい」
「!」

 体を広げる怪物。
 妹紅の炎を浴びた部分が癒えていくのが見て取れた。

「私など何億年前から存在している。もっとも、存在した時間のほとんどは封印されたままだったがな」
「封印・・・?」

 幻想郷には数百年以上生きている、人間よりも長寿の妖怪が多数存在するが数億年はさすがにスケールが違う。
 ただ、封印という言葉が気になった。

「しかし、不死の人間・・・いや。貴様、本当に人間か?」
「っ! 私は人間だ!」

 むきになって叫ぶ。自分でも気にしている点だ。

「まあいい。確かに私は貴様を殺せないようだが、それは貴様とて同じ。ならば決着はつけようがないな。貴様がアンデッドで、これが正規のバトルファイトならば話は別だったのだが」
「何を言ってるんだ、一体」

 拳を握り締める妹紅に対し、怪物はゆっくり後ろへ下がり始める。

「決着はお預けだ。勝ちも負けもないのでは勝負とは言えん」

 そう言って、怪物は飛び去っていった。
 妹紅はそれを追わず、その場にたたずんでいた。

「・・・勝負とは言えない、か。確かにね」

 思い当たる節が大いにあり、うつむいて独りごちる。と。

「・・・ん?」

 目線を下ろした先は竹林だが、一面緑の光景に一点だけ色が違う所がある。竹の上に何か乗っているようだ。
 高度を下げて見ると、カードだった。スペルカードとは違う、見慣れないデザインのカードだ。『6 FIREファイア』と書かれ、尻に火がついた虫の絵が描かれている。

「こんな所に落ちてるって事は・・・さっきのヤツかな?」

 先ほどの怪物が自分と戦った拍子に落としたのではないかと推測した。こんな所に物を落とすとしたらこの上空を飛んでいる時しかないし、カードがどうこうと言っていた気もする。

「しかし、『FIRE』って・・・なんでこれを私が拾うのかな。ワザと?」

 勝ち負け着かずでは損をした気分なので、とりあえずもらっておく事にした。それに、このカードはただの紙切れには見えない。
 カードをポケットに押し込み、竹林の外に降り立つ。

「はぁ・・・帰ろ」

 首をこきこきと鳴らしながら足を自宅の方へ向けると。

「妹紅」

 その方向からの自分を呼ぶ声に顔を上げると、見知った人物が立っていた。

「あ、慧音けいね

 青いワンピースに角ばった帽子をかぶっている10代後半ほどの若い女性。妹紅の友人、上白沢かみしらさわ慧音けいねだ。

「今、竹林の上空で弾幕ごっこをしていたのはあなたですか? あなたの家を訪ねようと思っていたら、そういう気配がしたので」
「うん、まあね。慧音が来るってわかってたら出歩かなかったんだけど」
「いえ、急に遊びに来たのは私の方なので」

 笑いかける慧音と申し訳無さそうに頭をかく妹紅。
 妹紅にとって慧音は唯一無二の心を許せる人物だ。慧音は人間の里――普通の人間が暮らす集落――に住んでいて家は離れているが、互いに家に遊びに行ったり一緒に酒を飲む事もある。

「今から私の家に寄って行く? お茶くらい出すよ」
「いえ、残念ですがあまり時間が無いもので。でも、ここで少し話すくらいならいいですよ」

 そう言って竹の根元に腰掛ける慧音。妹紅もそれにならって座る。

「そうだ、慧音。これ拾ったんだけど、知ってる?」

 妹紅はポケットから先ほど竹の上で拾ったカードを取り出し、慧音に見せる。彼女の知識の量は尋常ではないので、あるいは知っているかもしれない。
 それを見た慧音の表情が変わった。

「妹紅・・・これをどこで拾いました?」

 滅多に見せない真剣な表情に妹紅は一瞬逡巡するが答える。

「実はさっき・・・」

 竹林での戦いの事を話すと、慧音の表情はさらに固くなった。

「妹紅。これは『ラウズカード』です。私も今まで実物を見た事はありませんでしたが・・・」
「ラウズカード?」
「これはオリジナルトランプとも言い、トランプのモデルとなったものです。言うなれば、全てのトランプはこのラウズカードのレプリカ」

 確かに『6』という表記はトランプのようだ。
 さすが慧音と感心してうなずきながら、慧音の持つカードを覗き込む。

「じゃ、古いの?」
「ええ。何せ、このカードは全ての生物の起源と深く関わっているのですから」
「はい?」

 思わず素っ頓狂な声を出してしまった。

「これは単なるカードではなく、不老不死の始祖生物『アンデッド』が封印されているんです。恐らく、あなたが戦ったのもアンデッドでしょう」
「アンデッド・・・って・・・」

 さっきの怪物が言っていた、死なない存在という意味の言葉。確かに不老不死の存在を表すにはストレートな表現だ。

「始祖生物の名前の通り、地上に存在するあらゆる生命の始祖。全部で53体います。人間はヒューマンアンデッド、トカゲはリザードアンデッドから生み出されました。このカードに封印されているのはファイアフライアンデッド、ホタルの始祖です」

 幻想郷ですらついぞ聞かないような存在だが、急にずらずらと並べ立てられて頭の整理が追いつかない。だがアンデッドについては気になるので、その点だけ聞いてみる。

「確かにあいつはアンデッドって言ってた。封印ってどういう事?」
「1万年に一度、バトルファイトという全アンデッドによる戦いが行われ、その戦いに勝ち残ったアンデッドの種が地上の覇権を手にするのです。約一万年前にヒューマンアンデッドが勝利したため、現在は人類が繁栄しているのです」

 一応、理路整然としてはいるが、こっちが理解するペースを考えていない。
 慧音は寺子屋を開いて里の子供達に教育を施しているのだが、その授業が面白くないともっぱらの噂である。寺子屋でもこんな感じならば、確かに子供にはしんどいだろう。
 しょうがないので気になる所だけ口に出す。

「だけど、不老不死だと決着のつけようがないんじゃ・・・」

 実際、さっきはそれで痛み分けに終わったのだ。それに不死者同士の戦いは妹紅自身、幾度も経験がある。結果は言うまでもない。

「そのためのラウズカードです。敗北したアンデッドは、この通りカードに封印されてしまうのです」
「・・・なるほど。ちゃんとルール決めてやってるってわけね」

 ――貴様がアンデッドで、これが正規のバトルファイトならば話は別だったのだが。
 あの怪物――やはりあれもアンデッドだろう――が言っていたのはそういう意味だったようだ。

「ですが、これは外の世界にしかないものです。幻想郷に存在する事は本来有り得ない。アンデッドがいるのだから幻想入りというのも考えにくいですし・・・」

 幻想郷は外の世界で人々の記憶から忘れ去られたものが流れ着く世界。しかしアンデッドがいて、彼らは当然ラウズカードを知っているのだからその可能性はあるまいと慧音は考えたのだろう。訝しむ慧音の言葉に、妹紅は気になっていた事を思い出した。

「そういえばあいつ、幻想郷や弾幕ごっこを知らないみたいだった。多分、外から幻想郷に迷い込んだんだよ」

 忘れ去られたのでなくとも、何かの弾みで幻想郷を異世界たらしめる結界を人や物が越えてくることが稀にある。

「となると・・・まずいですね。アンデッドからすれば自分以外の種族は敵。特に前回の勝者として繁栄している人間は目の敵にするでしょう」
「それで私を襲ってきたのか・・・」

 自分の身に降りかかった災難の詳細はわかったが、死なないとはいえ命を狙われてはたまらない。
 それに、そうなると。

「あいつ、もしかすると他の人間を襲うかもしれないな」
「恐らく、そうするでしょう」

 慧音は立ち上がり、ラウズカードを妹紅に返す。

「私は人里へ戻って警戒を呼びかけてきます。あなたは博麗神社に行ってくれますか」
「博麗神社に?」
「こういう異変が幻想郷に起こった時は、博麗の巫女がそれを解決するのが幻想郷の決まり事ですから」

 確かにその通りだ。納得した妹紅は立ち上がり、ラウズカードをポケットにしまう。

「慧音に聞いて正解だったよ。ありがとう」
「どういたしまして。自分の知識が役に立ってよかったです」
「でも慧音。確か歴史編纂って幻想郷の歴史しかわからないんじゃなかったっけ?」

 実は慧音もハクタクという妖怪と人間のハーフであり、人間ではない。その能力とは歴史編纂の力であり、幻想郷の歴史を全て知るだけでなく、歴史を消したり創ったりもできる。だが外の世界までは範囲外のはず。そこがふと気になった。

「ええ。これは幻想郷が博麗大結界で外の世界から隔絶される前の歴史なので」
「なるほど」
「それでは、お願いしますね」
「ああ。じゃ、また」

 そう言って慧音は人里の方へ、妹紅はそれとは逆の方に歩き出す。

「・・・・・・」

 ふと、ポケットからラウズカードを取り出し、見つめる。
 勝ち負けを明確にした不死者同士の戦い。終わる事のない、永遠の戦い。それを繰り返すアンデッドは、どんな気持ちで生きているのだろうか。不老不死である妹紅には、どうにも他人事に思えなかった。


~少女移動中・・・~


 博麗神社は幻想郷の東の端、小高い山の頂上にある。妹紅は、その神社のある山を麓から見上げていた。
 ここが外の世界と幻想郷を隔てる博麗大結界の要になっていると同時に、外の世界との接点でもある。外の世界から来る者は初めにここへ辿り着く。それゆえ、この場所は幻想郷における最も重要な聖地と言える。しかし、神社を管理する博麗の巫女がおおらかな――実の所は細かい事を気にしない――性格ゆえか、幻想郷の住人からはそれほど仰々しいものとは思われていないようである。訪れる者は人間・妖怪を問わない場所であるがその数は少なく、さらに参拝客としてではなく境内で宴会をする者の方が多いらしい。博麗の巫女自身も酒好きなのが、それに拍車をかけているとか。ある意味では、幻想郷という地を端的に表す場所とも言えるかもしれない。

(だから神社からは酒の匂いがいつも漂う・・・なんて事はさすがにないけど)
「とりあえず、登るか」

 変な事を考えながら石段の方へ足を向けた時。
 背後から気配がした。

「・・・!?」

 この気配を感じたのは、その日2度目だった。
 振り返ると、木の陰から妖怪が姿を見せていた。だが、その妖怪が発する気配と雰囲気は先刻戦ったアンデッドのそれに酷似していた。

「まさか・・・こいつもアンデッド?」

 牛のような角――左右で赤と青と色が違う――がある事や大柄な体つきなどは違うが、黒い体色などから同じ種族である事が見て取れた。角を見てつい友人を連想してしまったが、聞いたら彼女は怒るだろうか。

「ウウゥ・・・」

 うめき声を上げるアンデッド。気配からするに、自分を襲うつもりのようだ。妹紅はアンデッドに向き直り、身構えた。

「消えろ。何もしないなら私も何もしない。私なんかを襲っても何の徳にもならないぞ」

 警告する。
 だが――

「ムォォォッ!」

 アンデッドは頭を下げて角を突き出し、妹紅目がけて突進してきた。

「っ!」

 横に飛び、アンデッドの側面に火炎弾を叩き込む。しかしアンデッドはそれをものともせず急ブレーキで止まり、再度突進してきた。

「やめろ! 本気でやるなら今の程度じゃ――」
「グァァァッ!」

 全く減速する気配がない。妹紅は舌打ちしながら背中に炎の翼を作り出し、上昇した。
 自分の真下を駆け抜けたアンデッドは勢い余って木に衝突、木は鈍い音を立てて真っ二つに折れた。

(見た目通りか・・・それにしても、もしかしてこいつ、言葉がわからない?)

 自分の言葉に反応するそぶりすらない。聞く耳を持たないだけかもしれないが。
 木をへし折ったアンデッドは地上からこちらを見上げ、右手で左肩の突起を引き抜いた。そして先の尖ったそれを、こちら目がけて投げつける。少し驚いたが、なんなくかわす。

「もう容赦なんかしない!」

 宣言してから火球を立て続けに数発打ち込む。全て直撃するが、堪えていないようだ。
 頑丈だが直進以外の動きは鈍い。ならばと高威力のスペルカードを使うべくポケットに手を入れようとした瞬間、妹紅の体が“引っ張られた”。

「うわぁっ!?」

 体全体を見えない腕に掴まれたかのように、炎の翼の浮力を上回る力が働き、かなりの速さで地上へ落下していく妹紅の体。その向かう先には、頭を突き出して待ち構えるアンデッド。もう目前まで迫っている――

「っ!!」

 直後、妹紅の体に強烈な衝撃が走る。あまりの激痛に一瞬頭の中が真っ白になり、我に返ると口の中に血の味を感じた。
 今、自分は地に倒れており、アンデッドはだいぶ離れた所にいる。アンデッドに接触する瞬間、なんとか身をよじって串刺しは免れたものの頭に強打され、大きく吹き飛んだのだと理解した。腹が痛い。内蔵がやられたようだ。
 現在の状況はどうにか把握した。それはいいが、ここからどうするべきか。この怪我では身動きが取れない。
 不死身である妹紅ならば怪我は常人より非常に早い速度で癒えるが、アンデッドに近づかれる間に治るほどではない。

(リザレクションする以外ないけど・・・非常にまずいわね)

 激しい損傷を負った体を捨て、新たな肉体を生み出す『リザレクション』は体のダメージ自体は無かった事に出来るが、魂のダメージに関しては話は別だ。これほどの重傷を負った直後では、激しい痛みに圧迫された精神を立て直すには時間がかかる。そのような状態ではスペルカードの行使もままならない。空を飛んで逃げる事もできまい。今、自分を引っ張ったのは恐らく、このアンデッド。妖術か何かを使ったのだろう。そんな能力があるのでは逃げ切れない。また吸い寄せられて頭突きをくらうのがオチだ。
 考えを巡らす間に、アンデッドはずんずんと近づいてくる。

「うっ・・・」

 うめいただけで痛みが走る。このままでは更に攻撃を加えられてしまうだろう。想像しただけで背筋が寒くなる。死なないからといって、そんなものは歓迎したくないに決まっている。

「ブォォォ!」
「っ!」

 雄たけびを上げるアンデッドに、妹紅はびくんと身を震わせた。
 その瞬間。

「待て! 相手は俺だ!」

 何者かがアンデッドに飛びついた。
 その人物は飛びかかった勢いを活かし、地面を転がりながらアンデッドを投げ飛ばした。

(え・・・?)

 突然の事に妹紅が呆然としていると、その人物は起き上がって自分の元へ駆け寄ってきた。

「大丈夫か!?」

 顔をのぞきこんできたのは、長身で茶色い髪をした20歳ほどの男。線の細い印象の、整った方の顔立ちは心配そうな表情を浮かべている。
 妹紅は返事できず、ただ見つめ返すしか出来なかった。それでも自分が重傷者だという事は、荒い呼吸と口から流れる血でわかったようだった。

「ウウゥゥゥ・・・」

 男の後方でアンデッドがうめきながら起き上がった。それに反応した男の瞳に怒りの色が浮かぶ。

「貴様・・・!」

 男は拳を強く握り締め、立ち上がった。アンデッドに向かって立ちはだかるその姿は、まるで自分を守ろうとしているようだ。いや。実際そうするつもりだと妹紅は確信した。
 無茶だ。
 今の動きを見れば、体術の心得があるらしい事はわかる。だが、それでもこいつに立ち向かうのは無謀だ。痛めつけられるのは嫌だが、自分の目の前で他人が痛めつけられるのは尚更嫌だ。

「に・・・」

 自分は放って逃げろ。そう言いたかったが、口を開く事すら苦しい。それに目前の男が気づくはずはなく。
 男はズボンのポケットに手を突っ込み、その中から小さい箱のような四角い物とカードを取り出した。そのカードのデザインに、妹紅は見覚えがあった。

(あれは・・・ラウズカード?)

 書かれている字や絵は違うようだが、デザインは間違いなく自分が持っているラウズカードと同じだ。
 男はカードを箱の中に差し込み、自分の腰にあてがった。すると箱の右側からカード状の帯が飛び出し、男の腰を周って箱の左側につながった。男の腰に巻きつき、ベルトのバックルとなった箱からシグナルのような音が鳴り出した。バックル前面は透明になっており、ラウズカードが見えるようになっている。青いカブトムシのような絵が描かれていた。男は右手の平を手前へ向けながらゆっくりと左上に掲げ・・・

「オオオォォォ!」

 そこにアンデッドが突進する。しかし男は身じろぎもせず、右手首を返し、鋭く叫んだ。

「変身!」

 そして左右の腕を一瞬交差させるように動かし、左腕を左上に振り上げながら右手でバックルのハンドルを引いた。カシャッという乾いた音と共にラウズカードの部分が回転し、トランプのスペードのマークが現れた。

『 Turnターン upアップ 』

 不自然に低い音声と共にシグナルが止み、バックルから青い光が放たれる。光がアンデッドに触れると、衝撃音と共にアンデッドが大きく後方へ吹き飛んだ。

「ウォォォ!?」

 光は四角い形を形成している。人間をすっぽり覆う事ができそうな大きさだ。それはまるで大きなラウズカードの幻が現れたようだった。カブトムシの絵までくっきり見える。

「うおおおぉぉっ!」

 男は叫びながらその光へ走り出す。そして、その光をくぐり抜けると一瞬にして男の姿が変化した。
 全身が青い皮膚に銀の鎧をつけたような外見。頭部も、大きな赤い目の仮面のようなものに覆われている。どう見ても人間のそれではない。それこそ鎧のようだ。
 腰に下げた変わった形の剣を引き抜き、起き上がろうとするアンデッドに斬りかかる。

「でえぇぇいっ!」

 火花が飛び、アンデッドの体が傾く。青き剣士は容赦せず2撃、3撃と刃を浴びせる。しかしアンデッドは4撃目の剣を右手でつかみ、左腕で反撃した。

「うっ!?」

 パンチを数回受け、よろめく剣士。アンデッドは剣を手放し、頭突きをくらわせた。剣士はそれを胸で受け止め、大きな音が鳴り響く。相当の衝撃だったはずだが、剣士は耐えた。アンデッドは剣士を角に引っかけ、後ろへ投げ飛ばした。
 剣士は地面を転がり、体勢を立て直して膝を突くと剣を逆手に持ち替えた。そして剣から何かを扇状に広げ、そこからカードを引き抜いた。デザインからするにラウズカード。どうやら剣の中に多数のラウズカードが収納されているようだ。妙な形をしていると思ったら、そういう作りになっていたらしい。

(だけど、カードをどうするんだ?)

 スペルカードではあるまいし・・・と思っていると、剣士はそのカードを剣の側面にある小さな溝に滑らせた。

『 Beatビート 』

 不自然な声が響き、カードから絵柄の形の四角い光が現れ、剣士の胸に吸収された。そこにアンデッドが突っ込んでくる。剣士がそれに向かって右拳を突き出した瞬間、拳が光り輝いた。

「ウェイッ!」

 直後、剣士はアンデッドを文字通り殴り倒していた。
 妹紅は地に倒れ伏すアンデッドを見ながら、その威力に目を見張った。アンデッドの体躯からすれば相当の重量があるはず。それを打ち倒すとなると、尋常ではない力だ。
 剣士は更にもう1枚カードを取り出し、それも剣の溝に滑らせる。

『 Slashスラッシュ 』

 またもカードから四角の光が剣士の胸に吸い込まれ、今度は剣の刃がにわかに輝く。アンデッドに走り寄り、剣を右に薙ぐ。ズバッとものが断ち切られる音がして、アンデッドの胸から緑色の体液が飛び散る。さっきの斬撃に比べて剣の切れ味が増しているようだ。

(カード・・・か?)

 なんとか左手を動かし、ポケットからラウズカードを取り出す。さっきのパンチも、カードを使った後で強力な攻撃を繰り出しているようだ。
 カードを見ながら思うものの、考えがまとまらない。内出血がひどいのか、頭がぼーっとする。おぼろげな意識ではまともに考える事ができず、ただ成り行きを見守る事しか出来ない。
 剣士は輝く刃を翻し、もう一撃を繰り出そうとしたが、突然後ろへ吹き飛んだ。

「う!?」

 アンデッドは剣士に触れてもいない。もしかすると引き寄せるだけでなく、弾き飛ばす妖術も使うのか。さらに倒れた剣士の体が浮き上がり、アンデッド目がけて飛んでいく。今度は引き寄せる妖術のようだ。アンデッドは自分に向かってくる剣士へ突進、剣士は頭突きをまともに受けた。

「ウワァッ!?」

 激しい火花が飛び散り、弾き飛ばされた剣士は妹紅の目の前まで転がってきた。

「!」

 声をかけたかったが、やはりうまく口が利けない。

「くっ・・・」

 剣士はうめきながら地面に手をつく。頭突きをくらった胸の装甲はへこんではいるが致命傷ではないようだ。とはいえ、かなりの衝撃を受けたはず。
 それでも立ち上がろうとする剣士と妹紅の目が合った。

「それは・・・」

 と、剣士が声を上げる。剣士の目線の先は自分の持つラウズカード。それを見て驚いたようだ。

「そのカードをどうして?」

 今の妹紅には、それに答える体力はない。
 剣士の肩越しにアンデッドが歩いてくるのが見えた。彼もそれに気づいたようでアンデッドを振り返ると、再び妹紅の方を向いて手を差し出した。

「そのカードを俺に!」
「・・・!」

 その瞬間、なぜか妹紅は彼にカードを渡すべきだと直感した。その勘に従い、妹紅は痛みをこらえて左手を伸ばした。
 剣士の指がカードをつかんだ瞬間――
 剣士の体が浮き上がった。

「!?」

 アンデッドに引き寄せられる剣士。飛ばされながら剣士は、妹紅から手渡されたカードを剣に滑らせる。

『 Fire 』

「うおおおぉぉっ!」

 アンデッドに接触する直前、剣士は剣をアンデッド目がけて突き出した。

 ドンッ!

 アンデッドの頭部で炎が爆ぜ、アンデッドは頭を抑えて仰向けに倒れこんだ。剣から放たれた炎が、アンデッドの頭に炸裂したのだ。この炎には物理的な衝撃もあったらしく、アンデッドが剣士を引き寄せる勢いが加わって威力が増したようだ。
 アンデッドの角から免れ、倒れこんでいた剣士は素早く起き上がると剣からカードをさらに1枚取り出し、妹紅が持っていたカードと2枚を立て続けに剣に滑らせる。

『 Kickキック 』
『 Fire 』

『 Burningバーニング Blastブラスト 』

 剣士の仮面が赤く輝く。赤い光はちょうどスペードマークの形だった。ザンッ、と剣を地面に突き刺し、身を起こそうとしているアンデッドへ跳躍する。

「ウェェェェェイ!」

 剣士は前方宙返りから炎をまとった右足をアンデッド目がけて突き出す。その蹴りはアンデッドの胸に突き刺さり、強烈な衝撃音と共にアンデッドは炎にまみれながら大きく後方へ吹き飛んだ。剣士は着地し、アンデッドは地面に叩きつけられる。直後、アンデッドの体が爆発した。
 やったか、と一瞬思われたが、巻き起こった炎が収まるとそこには炎に包まれたアンデッドの姿があった。不死の存在ならば、肉体が無事なら復活するはずだ。
 剣士は地面に突き立てた剣からカードを1枚抜き取り、それをアンデッドへ投げつけた。するとカードはアンデッドの体に突き刺さり、アンデッドの体は緑の光となってカードの中に吸い込まれた。そしてカードは剣士の方へ飛んでいき、剣士はそのカードを受け止めた。

(もしかして・・・封印した?)

 慧音から聞いた、敗北したアンデッドはラウズカードに封印されるという話を思い出す。どうやら自分はたった今、その封印の光景を目の当たりにしたようだ。
 その封印を行った剣士は剣を腰に収め、バックルのハンドルを引いた。再びカードの幻が現れ、それが剣士の方へ動く。幻が体に触れると、剣士は元の男の姿に戻った。その男はこちらの方へ駆け寄りつつ、赤い血のにじんだ口を開いた。

「大丈夫か!?」

 その言葉に、なぜかとても安心した。
 彼とアンデッドの戦いを見て少なからず気分が高揚しており、さらに封印まで目の当たりにした。そこに安堵が加わって、妹紅の精神から一気に緊張が引いたため――
 妹紅はそこで意識を失ってしまった。




――――つづく




次回の「東方永醒剣」は・・・

「大丈夫か? 体、痛くないか?」
「こういう時はあんたの出番じゃないのか?」
「そう言うんならあんた、彼に手を貸してあげれば?」
「ほら、乗れよ」
(妹紅、大丈夫なんですか、この人?)
(し、心配いらないよ・・・多分)
「やめろ! 変身!」
「私、決めた」

第2話「幻想郷の仮面ライダー」



[32502] 第2話「幻想郷の仮面ライダー」
Name: 紅蓮丸◆234380f5 ID:d3c4d111
Date: 2012/03/29 21:23
「ん・・・」

 目を開いて最初に見えたのは天井。
 どうやら、布団に寝かされているようだ。妹紅ははっきりしない頭のまま上体を起こした。

(えーと・・・どうしたんだっけ、私・・・確か、博麗神社に行こうとしてて・・・あ!)

 そこで、自分がアンデッドに襲われた事を思い出した。
 自分の腹を見てみると、アンデッドの頭突きを受けた所は多少赤いだけで、もう痛くなかった。
 見回すと、四方は壁と障子。ようやく頭がはっきりして来たのか、部屋の外に人の気配を感じた。妹紅は布団から起き上がり、部屋を出た。
 縁側に出ると、男女が並んで座っている。2人ともこちらに気づいて顔を向けた。
 黒い髪に赤いリボンを結わえ、肩の辺りが露出した赤い服を着た妹紅より年下の風体の少女と、シャツにジーンズの男。少女の方は博麗神社の巫女、博麗霊夢(はくれい れいむ)だ。男の方は、先ほどアンデッドから自分を助けてくれた者だった。

「あ! 気がついたのか!」

 男が縁側から勢いよく立ち上がる。

「大丈夫か? 体、痛くないか?」
「あ・・・うん、大丈夫。おかげ様で」

 そう答えると男は、ほっとした表情で安堵の声を上げた。

「よかった・・・本当に死んじまうんじゃないかって心配したんだぞ。携帯は圏外だし、この神社に運び込んでも誰もいないし」
「だから言ったじゃない。そいつ死なないって」

 縁側に手をついて安堵する男に、お茶をすすりながら言う霊夢。色々と言いたい事があるが、妹紅はとりあえず現状の把握を優先した。

「ここ、博麗神社?」
「そうよ。帰ってみたら驚いたわ。この人が、死にそうな人がいるから助けて、なんて言うもんだから」

 状況が大体わかった所で、男が顔を上げた。

「それにしても・・・霊夢から聞いたけど君、本当に不老不死なのか?」

 男は非常に背が高く、縁側に立っている妹紅が地面に立っている彼よりわずかに高い程度だ。

「・・・話したの?」

 霊夢をにらむ妹紅。霊夢はにべもなく、

「ええ。ホントにテンパってたもの、彼。だから、放っといても死なないからって言い聞かせたの。聞いたわよ。アンデッドとかいう怪物に襲われたんですってね」

 言い終わって空になった湯飲みを置く霊夢。

「あんたもお茶飲む?」
「いや、いい。私はどれくらい気を失っていたのかな?」

 霊夢は男を指して、

「私が、あなたを抱えて右往左往してる彼を見つけて1時間って所ね」

 妹紅はその男の方に向き直る。

「さっきはありがとう。おかげで助かった」

 素直に頭を下げると、男はにっこりと笑った。

「ああ、いいんだ。無事でよかった」

 その笑顔に釣られて、妹紅もつい微笑む。

「私は藤原妹紅。あんたは?」
「俺は剣崎けんざき一真かずま。よろしく」

 笑顔で自己紹介など、幻想郷では慧音に初めて会った時以来だ。自分を助けるために戦った姿を見ているからだろう。それに、彼――一真は善人だと今までの言動から十分わかる。

「あなたが寝ている間に話を聞いたんだけど、彼は外の世界の人間よ」

 霊夢の言葉に、一真が頷く。

「聞いた時は驚いたよ。ここは妖怪と人間が住む異世界だって言われて。アンデッドも非常識だけど、もっと非常識なものがあったんだな」
「同感だね。私も最初にここに来た時はそう思った」
「最初は?」
「ああ。私は元々あんたと同じ外の世界の出身だ」

 へー、と頷く一真。妹紅は続いて疑問を投げかける。

「でも、どうして幻想郷に?」

 自分や一真のように、人間が外からやって来るのは極めて稀だ。

「アンデッドを追って来たんだ。ヤツらを探していたら、ここにいた」
「アンデッドを?」

 霊夢がそれに答えた。

「彼、アンデッド退治を生業にしているそうよ。仕事の名前は・・・なんて言ったっけ?」
「ああ、『仮面ライダー』だ」
「仮面・・・?」

 アンデッドを倒す事が仕事ならば合点はいくが、その職業名は聞いた事がない。

「ボードっていう組織がアンデッドに対抗するために作ったライダーシステムで変身するのが仮面ライダーだ。君も見てたろ? 俺が変身して戦う所」
「ああ・・・あれが仮面ライダー?」

 一真が変化した青い剣士の姿を思い出す。

「そう。俺が変身するのは『仮面ライダーブレイド』。あと3人いるんだけど、それはここにはいない」

 聞いて納得する。そのブレイドとやらが強い事はすでにわかっているが、それでも53体いるというアンデッドと1人で戦うのは無理だ。

「それであなたどうするの、一真?」
「もちろん、アンデッドを探し出して封印するさ。他にもこの世界にいるはずなんだ」
「他にも? 何体かわかるか?」

 すでに妹紅は2体のアンデッドと遭遇している。だが、その2体だけとは限らない。

「俺は6体のアンデッドを追っていた。多分そいつらもここに逃げ込んだと思うんだ」

 案の定。ならば重要な情報はしっかり明かさねばなるまい。

「1体見たよ。翼の生えたやつだった」
「本当か!?」
「それ、本当にアンデッド?」

 身を乗り出す一真と対称的に、冷静につっこむ霊夢。

「本人・・・いや、人間じゃないか。自分でアンデッドだって言ってたからな」
「そいつはイーグルアンデッドだ。俺が追っていた中で翼があるのはそいつしかいない」

 名前までわかっているらしい。

「さっき私を襲ったのは?」
「あれはバッファローアンデッドだ。それはもう封印したから、あと5体だ」
「でも、本当に6体とは限らないわよ? 幻想郷に来なかったやつがいるかもしれないし、逆にもっと多いかも」
「それは・・・」

 霊夢にそう言われて、言葉に詰まる一真。妹紅は幻想郷内のアンデッドの数を正確に把握する方法を思案した。

「慧音ならわかるはずだ」
「けーね?」
「あのワーハクタクね。確かにあいつならわかるかも」

 霊夢は納得しているが、一真は首を傾げている。

「ワーハクタクって何?」
「ハクタクっていう妖怪と人間のハーフよ。詳しくは妹紅に聞くのね」
「・・・・・・」

 妹紅は、霊夢が落ち着き払っているのがずっと気になっていた。

「いいのか? そんなに落ち着いていて」
「何が?」

 あっけらかんとしている霊夢。
 いい加減、苛々(いらいら)しはじめて来たので聞く。

「あのな、アンデッドの話聞いたんだろ? こういう時はあんたの出番じゃないのか?」
「確かにそうなんだけど、私じゃ無理なのよ」

 指で頬をかく霊夢。

「アンデッドは死なないから、倒すには封印する以外ないって言うじゃない。私にはそれを封印する手段なんかないもの。ここは封印する方法を知ってる専門家がいるんだから、彼に任せるのが最善手だわ」
「だけど、お前・・・」

 霊夢の言う事はもっともである。だが、だからといって何もしなくていいのか。そう反論しようとすると、

「何もしないとは言ってないわよ。幻想郷のあちこちに警告をしに行くくらいできるわ。だけど、封印をするのはあなた」

 そう言って一真を指差すと縁側から降り、今度は妹紅を指差す。

「そうだ。そう言うんならあんた、彼に手を貸してあげれば?」

 カチンと来て、言い返す。

「言われなくてもそうするさ。助けてもらった恩もある事だしな」
「いや、ちょ、ちょっと待ってくれ」

 と、一真が妹紅の顔をのぞきこむように回りこむ。

「気持ちは嬉しいけど、アンデッドは危険だ。不死身だからってやつらと戦うのは・・・」
「ああ、言ってなかったけど、そいつ強いわよ。十分役に立つでしょ」

 一真にそのつもりはないのだろうが、見くびられているようで少し不愉快になった。

「私がただ死なないだけだと思ったのか?」
「そんな事言ったってねえ、瀕死の重傷負わされて助けてもらったんじゃ絶対そうは思わないわよ」
「うっ・・・」

 痛い所を突かれ、口ごもる妹紅。反論したかったが言い訳にしかならないので沈黙せざるを得なかった。

「強いって、例の弾幕ってのを彼女も使えるって事か?」
「そ。ま、手伝わせて損になる事はないでしょ。死なないから無理もきくしね」

 そう言うと霊夢は歩き出した。

「どこ行くんだ?」
「まずゆかりの所へ行って来るわ。あいつ、体調が悪いって言ってるから様子を見に行ってあげてたのよ。多分アンデッドが幻想郷に入り込んだのは、それで結界が弱まったせいね」

 神社を不在にしていたのはそういう用事だったらしい。

「それから、色んな所へ警告して来るから。あなた達も頑張ってよね。それじゃ」

 霊夢の体は宙に浮き、彼方へと飛んでいった。飛び立った霊夢を見る一真は驚いていないようだった。

「驚かないのか? 人が空を飛んだのを見て」
「ああ、それなら君が寝ている間に見せてもらったから」
「弾幕も?」
「ああ」

 どうやら、幻想郷の事や幻想郷におけるルールなどについてはちゃんと説明していたようだ。

「なあ、ユカリって誰なんだ?」

 今度は一真が尋ねてくる。

八雲やくもゆかり。霊夢と一緒に、幻想郷を外の世界から隔てる博麗大結界を維持しているスキマ妖怪だ」

 スキマ妖怪とは物事の境界を支配する能力を持つ妖怪で、その種族は現在紫ただ1人しかいない。その力を駆使して、幻想郷と外の世界の境界『博麗大結界』を作り上げている。さらにその博麗大結界には博麗の巫女、即ち霊夢の存在も不可欠という。

「その紫の調子が悪い・・・」

 一真は妹紅の言葉を聞いて少し考え込んだ。

「・・・それって、メッチャやばくないか?」
「ああ。だからあいつ、わざわざ出向いて様子を見に行ったんだよ」

 霊夢は基本的にものぐさな性格だ。その霊夢が自分から見舞いに行く事など相手が親しい友人か、土産でも用意されていなければまずない。妹紅は霊夢とは親しいという間柄ではないが、人々の評判ではそういう人物である。

「霊夢から、弾幕ごっこの事も聞いた?」

 縁側に腰掛けながら聞く妹紅。一真もその隣に座る。

「ああ。揉め事を解決する時にやる競技みたいなやつだって。ヤクザが利権をかけて麻雀で勝負するようなもんだろ?」
「・・・何、その例え」
「いや、スペルカードっていうのを持ってれば普通の人間と強い妖怪だって対等の条件での勝負になるんだろ? 麻雀もケンカの強さとか組織の大きさとか関係ないから、そういう所が似ているかなって」
「・・・・・・」

 ひどい例えだと思ったが、そこまで理解しての事だったようだ。
 弾幕ごっこのルールを制定したのは他ならぬ霊夢であり、その目的は一真が言った通り、人間と妖怪の間でのいさかいと干渉を最小限に抑える事である。
 幻想郷では弾幕ごっこ以外の戦闘行為は禁止されており、もし違反する妖怪がいた場合は霊夢に退治される事になる。人間よりも妖怪の方が力が強いので違反するとしたら妖怪の方、という理屈である。しかし、妖怪も妖怪で強すぎるがゆえの肩身の狭い思いをしている所があり、それが弾幕ごっこで解消されているという一面もある。なにより弾幕ごっこ自体が楽しいのか、実際に違反する妖怪などはほぼ皆無である。

(ほぼ・・・ね)

 実は妹紅自身、幻想郷で本気の殺し合いをした事が幾度となくある。スペルカードを使っての戦いではあるが、その際は殺傷目的での使用ばかりで広義での弾幕ごっこの範疇を逸脱した戦闘である。

「カードで戦うって、なんとなくライダーシステムでラウズカードを使うのに似てるな。あ、そういえば」

 一真は妹紅に体ごと向き直った。

「あのさ、藤原。君は・・・」
「妹紅でいいよ。それに、君ってのもやめてくれ。お前でいいから、一真」

 必要以上に丁寧に接されるのは好きではない。そういう意思表示のつもりで、妹紅は一真の名を呼んだ。
 一真は頷き、

「わかった、妹紅。お前に聞きたい事があるんだ」
「何?」
「カードで思い出したんだけど、お前なんで『FIRE』のカードを持ってたんだ?」
「さっき、アンデッドを見たって言ったろ? イーグルアンデッドだったっけ? そいつと戦った時、やつが落としていったんだよ」
「・・・そうだったのか」

 それを聞いて、一真はまた頷いた。

「あれさ、やつが俺の先輩から奪っていったものだったんだ」
「それであの時、驚いていたんだ」

 妹紅も頷き、それからふと思った事が口をついて出た。

「私がやつの仲間だとか思わなかったのか?」
「いや・・・正直、一瞬そんな事考えたけど、アンデッドに襲われてるんだからそれはないって思ったんだ。ただ単にわからなかっただけで」

 申し訳なさそうな一真。だが、そう考えてしかるべきだ。
 それでも一真は、

「だからさ、あんな状況で見ず知らずの俺にカードを渡してくれた時、いい人間に違いないって確信したんだ。だから、絶対に守ってみせるって思ったんだ」

 妹紅を真っ直ぐ見てそう言う一真。その言葉と目に、妹紅はあの時どうしてカードを渡すべきだと直感したか理解した。
 一真は自分を守るために戦っていた。妹紅の意識が一真とアンデッドの戦いそのものに向いていた中で、その事を頭のどこかで理解していたからだ。あの時初めて会ったにも関わらず、妹紅は一真を信頼していたのだ。

「お前・・・だまされやすいだろ」
「うん・・・」

 悲しそうに頷く一真。
 妹紅は一真に対して大いに好感を抱いていたが、一真の真っ直ぐな目に、それを直接言うのはかえって躊躇われた。我ながらひねくれていると思う。だからこそ、一真の真っ正直さが羨ましかった。

「まあ、私がついてるんだ。大船に乗ったつもりで任せてくれ」

 ポンポンと一真の肩を叩いて、靴を履く。

「とりあえず、慧音の所へ行こう。私が案内するからついて来て」
「ありがたいけど、体はもう大丈夫なのか?」

 さすがにあの重傷を目の当たりにしては、気づかうのも当然だろう。妹紅は軽く飛び跳ねながら歩く。

「大丈夫。言ったろ? 私は不死身だって」

 しかし一真は真剣な顔をして、

「だけど、死なないからって痛くないわけじゃないんだろ? 不死身だからって無理はしてほしくないんだ」
「・・・・・・」

 妹紅は少し考えると、一真に向き直り、深呼吸をした。
 そして。

「よっ」

 後ろ宙返り。タッ、と綺麗に着地して、一真に笑いかける。痛みどころか違和感も無い。完全に傷は癒えている。

「言ってるじゃない、大丈夫って。これでも信じられない?」

 それを見た一真も、にっこり微笑んだ。

「わかったよ」

 そして立ち上がり、2人並んで神社の境内の方に出た。

「ん?」

 鳥居の付近に、黒い車輪が前後に2つついた見慣れない物があった。先端部には青い半透明な素材でスペードのマークがあしらわれている。

「何これ?」
「ああ、これ、俺が乗ってきたバイクだよ。ブルースペイダーっていうんだ」

 妹紅が声を上げると横を歩いていた一真がそれに答えた。

「ばいく?」

 3回連続の疑問符。

「え、知らない?」

 意外そうに驚く一真。
 幻想郷が博麗大結界で外界から完全に隔絶されたのは明治時代であり、そのため幻想郷の文明も明治時代の日本と同等である。それ以前から結界そのものはあったが、その頃は外側から見えないという程度のものだった。妹紅はその時期に幻想郷に来ている。ただし、まれに現れる外来人によって外の世界の文化が伝えられる事はある。なお、その初期の結界を作ったのも八雲紫であるという。

「何なの、これ?」
「えーと、乗り物だよ」
「乗り物・・・?」

 妹紅はそのブルースペイダーとやらの周りをぐるぐる動きながら観察した。外の世界とは文明が違う事はわかっているが正直、乗り物には見えない。
 そうしていると一真はブルースペイダーにまたがり、前の方に引っ掛けていた丸い物を手に取ると頭にかぶった。

「乗ってみるか?」

 丸い物は穴が開かれていて、そこから一真の目元が露出している。

「・・・どう乗るんだ?」
「ここ」

 一真は顔の開いている部分に透明なカバーを下ろしながらそう言って、自分の座っている部分のすぐ後ろをポンポンと叩いた。
 妹紅は少し考えて、ある乗り物との類似性に気づいた。

「あ、あれか。馬に乗るのと同じ感じか」
「ああ、そんな感じ。ほら、乗れよ」

 促されるままに一真の後ろにまたがる妹紅。馬ならば不老不死になる前、父に乗せてもらった事がある。

(また、ずいぶん懐かしい事を思い出したな・・・)

 思わず感慨に浸っていると、ブルースペイダーからブォンと大きな音がした。驚いていると、ブルースペイダーが小刻みに震えだした。

「しっかりつかまっていろよ」

 一言かけて、一真はブルースペイダーを走らせた。慌てて一真にしがみつく。体を密着させる事になるが、気にならなかった。
 ブルースペイダーは石段の方へ進み、石段のすぐ横を下り始めた。石段を下りるとガタガタと揺れるから避けたのだろう。下り出すとだいぶスピードが出た。揺れは思ったほどではないが、下り坂をけっこうな速度で走るのは少々緊張する。
 ほどなく山を下りきり、平坦な地面に辿り着いて止まる。

「どっちに行けばいいんだ?」
「ああ、この道を行ってくれ」

 肩越しに聞く一真に道の先を指差すと、ブルースペイダーは再び走り出した。道といっても一面草が生えた大地に、露出した砂地が筋状に地平線まで続いているだけである。
 一真にしがみついてみて、妹紅は一真の体の細さに驚いた。さすがに妹紅よりはがっしりしているが、背の高さに比べれば華奢とさえ言える。こんな体でよくアンデッドに勝てたものだと感心する。
 砂煙を巻き上げながら幻想郷を疾駆するブルースペイダー。
 見慣れているはずの景色が違うものに見えた。歩いている時より速く後ろへ流れていく。この道を飛行した事もあるが、より地面に近いのでスピード感が違う。自分の長い髪が後ろへたなびいている。飛んでいない時にそうなった事はない。

「一真!」
「なんだ?」

 ブルースペイダーのたてる音が大きいため、くっついているのに大声でないと会話も出来ない。

「これ、速いな!」
「もっと出せるぞ!」

 そう言ったと思うと、ブルースペイダーがさらに加速した。

「わぁ!?」

 思わず声を上げてしまう。髪が風に呑まれてはためく。

(うわあ、速い速い!)

 妹紅は内心ではしゃいでいた。自分が飛行する時よりも速い。景色がこんなに早く流れていくのを見た事がない。1000年以上生きてきて初めての体験だった。
 やがて塀に囲まれた土地が見えてきた。

「一真、あそこだよ!」

 歩くより遥かに早い時間で人里に着いてしまった。神社から人里まで移動しただけでこんなに楽しかったのは初めてだ。

(これだけでも、一真に会えた価値はあったかも知れないな)


◇ ◆ ◇


 妹紅と一真が人里に着いた頃、人里を彼らとは反対側から見る者があった。丘の上に立つそれは、里の中の人影1つ1つをなめるように観察し、やがて丘を下りて人里へ向かった。
 その丘には、無残に噛み殺された数体の死体だけが残された。


◇ ◆ ◇


「まるで時代劇に出てくる街みたいだな」

 塀に囲まれた人里の中を見た、一真の第一印象がそれだった。木造の家々が立ち並んでいて、人々の着る服は着流しのような和装ばかりだった。

「これはここに置いておけ」

 ブルースペイダーから降りながら妹紅。一真もヘルメットを外してハンドルに引っ掛け、下車する。
 入り口付近にいる人々が珍しそうに自分とブルースペイダーを見ている。さっきの妹紅の反応からしても、この世界ではバイクは珍しいようだ。

「で、その慧音って人は?」
「ああ、案内するよ。こっち」

 一真は妹紅に連れられて街の中へ入り、少しして振り返るとブルースペイダーの周りに人が集まっていた。興味はあるが近づけないでいるようだ。

(・・・壊されたり、しないよな?)

 一抹の不安を抱えながら、一真は妹紅の後についていった。


◇ ◆ ◇


「そういう事になっていましたか・・・」

 慧音は神妙な表情で腕を組んだ。

「それで、慧音にアンデッドの正確な数を調べて欲しいんだ。幻想郷の歴史を調べればわかると思って」

 と、妹紅。
 程なく慧音の家に着いた2人は、彼女にアンデッドに関する事を話した。妹紅が一真に助けられたと聞いて、慧音は妹紅を助けてくれてありがとうと一真に頭を下げ、一真に協力する事を約束した。そして3人で卓を囲み、現在に至る。

「アンデッドサーチャーに頼れないから、本当にわかるんだったらすごくありがたいんだけど」
「アンデッドサーチャー?」
「アンデッドを探すレーダーだ。いつもは俺の仲間がそれで探してくれるんだけど、今は連絡が取れないから」

 妹紅に説明する一真を見て、慧音も一真に尋ねた。

「一真、君の言うライダーシステムについて詳しく教えて欲しい。アンデッドとの戦いにおいては、君の存在そのものが切り札と言える。こちらも君の力をなるべく知っておきたいのだ」

 慧音は妹紅に対しては丁寧語で話すが、それ以外に対しては中性的な――男らしくも女らしくもない――口調である。半獣である彼女は数百年生きているが、妹紅の方が遥かに長く生きているからだ。妹紅は一真の時同様、そういう接され方は好きではないと言ったが慧音はまったく改めようとしない。結局、慧音の場合は妹紅に対してだけ丁寧なので、それはそれで悪くないと妥協(だきょう)してしまったのだ。

「ああ、わかった」

 一真は慧音の話し方の違いなど意に介さず、ポケットから持ち物を出して卓に広げた。妹紅が見た、ベルトのバックルと数枚のラウズカードだ。
 一真はその中から、青いカブトムシの絵と『A CHANGE』という字が描かれたカードとバックルを手に取り、

「この『ブレイバックル』にカテゴリーエースのカードを差し込む事で、俺はこのカテゴリーAと融合してブレイドに変身するんだ」
「アンデッドと融合?」

 妹紅が身を乗り出す。

「そう。アンデッドはカードの状態でも特殊な装置を使えばその力を引き出すことが出来るんだ。特にこのカテゴリーAと融合すれば人間が強力な力を得る事ができる。これを利用したのがライダーシステムだ」
「でも、何の目的でそんなものを?」
「解放されたアンデッドと戦うためだ。普通の人間ではアンデッドに太刀打ちできない。幸い、カテゴリーAが2体封印されたままだったから、それを使ってライダーシステムを作ったんだ」
「すると、アンデッドを倒すためにアンデッドの力を利用する事にしたわけ?」
「そうだな。毒を持って毒を・・・なんだっけ?」

 言葉に詰まり、首を傾げる一真。

「毒を制す?」

 妹紅が後を続けると一真は妹紅を指差し、

「そうそう、それそれ。そういう事だ」
「・・・・・・」

 恥ずかしそうに笑う一真。慧音が妹紅に耳打ちする。

(妹紅、大丈夫なんですか、この人?)
(し、心配いらないよ・・・多分)

 ちょっぴり不安になったのは妹紅も同様だが連れてきた手前、そんな事は言えない。

「そういえば、戦っている時にカード使ってるみたいだったけど、あれどうなってるんだ?」

 とりあえず、話の続きを促す妹紅。

「ああ。あれはラウザーっていう装置を使ってカードの力を引き出しているんだ」
「もしかして、あの剣の事?」
「そうそう」

 頷きながら一真はラウズカードを卓の上に広げる。カードは8枚。
 青いカブトムシの絵が描かれた『A CHANGE』。これはブレイドへの変身に使うカードだ。それから『2 SLASH』『3 BEAT』『4 TACKLE』『5 KICK』『Q ABSORB』、そして妹紅が一真に渡した『6 FIRE』。

「さっき封印したのは?」
「あれはバッファローアンデッド。これだ」

 一真は『7 MAGNET』のカードを妹紅へ押しやる。磁石形の角が生えたバッファローが描かれている。

「マグネット・・・磁石か。なるほど」

 幻想郷には外国から来た妖怪もいるため、英語もある程度は浸透している。『MAGNET』の字で、妹紅はあのアンデッドの妖術について納得した。
 『CHANGE』は変身に使うもの、『SLASH』と『BEAT』は先の戦いで見た感じでは、それぞれ剣とパンチの強化のようだった。『TACKLE』『KICK』『FIRE』は名前の通りだろう。
 そのカードの並びを見て、ふと妹紅は気づいた。

「これって、肉弾攻撃用のカードばっかりなんじゃないのか?」
「そうなんだよ。この中で遠くから攻撃できるのは『FIRE』だけだ」

 確かに、さっきの戦いでは接近戦ばかりだった。それならば、誰かが弾幕で援護すれば戦いの幅は広がると妹紅は考えた。

「この『ABSORB』というのは? 『吸収』や『同化』という意味だが」

 慧音は上下に2つのヤギの頭が描かれた『ABSORB』のカードに指で触れた。

「それは別のカードと組み合わせて使うものなんだ。単体で使うとAPがチャージされる」
「エーピー?」
「ラウザーでカードの力を使う時に消費するポイントだよ。APがなくなるとラウズカードが使えなくなる」
「つまり、使用には制限があるって事か」

 正規の弾幕ごっこにおいても最初にスペルカードの使用回数を宣言する必要があり、スペルカードをその回数使っても相手を降参させられなかった場合が負けとなる。若干形式は違えど、スペルカードとラウズカードのシステムは近いようだと慧音と妹紅は感じた。

「そのカードに封印されているのは、アンデッドの中でも強力な『上級アンデッド』だ。お前が見たっていうイーグルアンデッドもそうだ。こいつらは知能が高くて、人間の姿に変身する事もできる」
「人間の姿に?」
「ああ。そうすれば、この街の中に潜む事もできるはずだ。ヘタすると、もういるかも知れない」

 その言葉に妹紅と慧音は顔を見合わせた。もしそうなれば里の人間を守り抜く事は不可能に近くなる。

「その上級アンデッドの数は?」
「2体だ。イーグルアンデッドとウルフアンデッド」
「後で、そいつらが人間の姿になった時の特徴を教えてくれるか?」

 一真は頷いた。

「それから、これが封印用のカードだ」

 今度は絵柄の部分に鎖しか描かれていないカードが卓に出される。

「アンデッドを封印できるのは、弱らせてベルトのバックルが開いた時だけだ。そこにカードを投げつければ封印できる」

 妹紅はバックルなど開いていたかどうか思い出そうとしたが、あの時はそこまで見られる状況ではなかった。
 慧音は腕を組んで少し考え、

「それでは一真、次は君が幻想郷に来た時の事を詳しく話してもらえないだろうか? なるべく詳細に知っておきたいのだ」
「ああ、わかった」


◇ ◆ ◇


 関東のある山の中。
 その日、一真が戦っていたのはアンデッドではなかった。

「やめろ、睦月(むつき)!」
「うおおぉっ!」

 次々に迫る刃をかわすブレイド。
 その相手は、仮面ライダーレンゲル。上条かみじょう睦月むつきという少年が変身する一真の仲間の仮面ライダーの1体である。

「よせ睦月! カテゴリーAなんかに支配されるな!」

 レンゲルに後ろから組みついたのは、一真の先輩であるたちばな朔也さくやが変身する仮面ライダーギャレン。

「うるさいっ!」

 しかしレンゲルは仲間のはずのギャレンを振りほどき、先端に三つ葉型の刃が着いた錫杖型の武器『醒杖レンゲルラウザー』でギャレンを斬りつける。

「橘さん!」

 レンゲルはアンデッドの1体・ピーコックアンデッドが自分の手駒とするべく作り出したライダーシステムであり、カテゴリーA・スパイダーUが変身者の精神を支配するように作られたものである。睦月は心の中に闇を抱えており、その闇につけこまれてスパイダーUに心を蝕まれてしまっていた。
 倒れこむギャレンを尻目に、レンゲルは右腰のラウズカードホルダーに手を伸ばす。やむなくブレイドも『醒剣ブレイラウザー』のカードトレイを扇状に開く。

『 Remote 』

「!?」

 その瞬間、レンゲルラウザーから音声が響き、レンゲルの手に握られたカードから光がブレイラウザーのトレイ目がけて放たれる。直後、その光を受けたカードの中からアンデッドが数体現れた。
 『REMOTE』はカードに封印されたアンデッドを解放し、自分の意のままに操るカードである。一真もそのカードを最も警戒していたが、まだホルダーからカードは抜いていなかったはず。恐らく、いつの間にか『REMOTE』を手に持っていて、こちらにトレイを開かせるためにホルダーからカードを取るフリをしたのだ。

「剣崎!」

 ギャレンが起き上がり、拳銃型の『醒銃ギャレンラウザー』からトレイを開き、カードを取り出す。

『 Bullet 』

 ギャレンラウザーのカードリーダーにカードを読み込ませ、続いて『FIRE』を通そうとした時、その手を解放されたイーグルUにつかまれた。

「くっ!?」
「これはいただいていくぞ」

 イーグルUはギャレンの手から『FIRE』をもぎ取るとギャレンを爪で斬り伏せる。

「橘さん!?」

 橘を助けに行きたいが、数体のアンデッドに囲まれて身動きが取れない。これでは橘を助けるどころか自分がやられてしまう。
 と、急にレンゲルの体から火花が飛んだ。

「うあっ!?」

 ギャレンがイーグルUに組み伏せられた状態から、レンゲルをギャレンラウザーで撃ったのだ。『BULLET』を使ったため威力は増しており、その拍子に『REMOTE』の支配が解けた。
 アンデッド達は困惑気味だったが、やがて全員逃げ出した。

「剣崎! 睦月は俺に任せて、お前は逃げたアンデッドを追え!」

 レンゲルにタックルし、もつれこむギャレン。

「わかりました、橘さん!」

 ブレイドは2人を置いてその場を離れ、変身を解除して携帯を取る。

「広瀬さん! アンデッドはどっちに!?」
『剣崎くん、アンデッド達はそこから北東の方へ向かってるわ!』
「了解!」

 電話の向こうからの仲間の指示に従い、ブルースペイダーにまたがってアンデッドを追う。東は山地の奥の方へ入り込む方角だった。ブルースペイダーは悪路での走行にも強く、山の中でさえ問題なく走る事ができる。
 しばらく上ったり下ったりと走り続けたがアンデッドの姿はない。携帯が鳴り、ブルースペイダーを止めて出る。

「広瀬さん、アンデッドは?」
『それが、アンデッドの反応が途中で消えたの』
「消えた?」

 アンデッドサーチャーはアンデッドの発するエネルギーを感知するシステムだ。しかし、非戦闘時などアンデッドがエネルギーを発していない時はその位置を特定する事ができない。これまでも、それで逃げられてしまった事は多々ある。

『でもおかしいの。6体のアンデッドが固まって移動してたんだけど、それが一斉に全部消えたのよ』
「固まって?」

 アンデッドにとって、他のアンデッドは敵である。実際、一真はアンデッド同士が戦う所を見た事もある。だが逆に、アンデッドが協力して自分達を襲ってきた事もあり、その時は上級アンデッドが下級のアンデッドを従えているという場合が多かった。さっき解放された中に上級アンデッドがいたので、それらによって従わされていたかもしれない。力の差による従属もあるだろうが、アンデッド達にとってライダーは共通の敵といえる。それを討つ為に手を組んだのだろう。今回もそういうケースではないかと一真は考えた。

「その反応が消えた場所は?」
『さっき剣崎くんが睦月くんと戦ってた所から北北東8kmの所よ』
「わかった。行ってみる」

 自分が走った方向と距離からすると、ここから北2kmという所か。携帯を閉じ、ブルースペイダーを走らせる。
 さらに山の奥深い所へ分け入り、そろそろ言われたポイントだと思った頃。
 さすがにブルースペイダーで進むのも苦しいと感じ始めた時、古い建物が現れた。鳥居が建っている事から神社と思われたが、打ち捨てられて長いらしく社殿も鳥居も朽ち果てかけている。もしかすると社殿の中にアンデッドが潜んでいるかもしれないと考え、一真は鳥居をくぐった所でブルースペイダーを停めた。
 エンジンを停めてヘルメットを外し、ハンドルに引っかけてブルースペイダーを降りた所で顔を上げると――

「あれっ?」

 目前の社殿が綺麗になっていた。
 さっき見た時はボロボロで蹴りでも入れれば倒壊するのではないかと思われるほどだったものが、立派なものに変わっていた。自分の頭上を見上げると鳥居も真っ白で奇麗なものだった。『博麗神社』と神社の名前もはっきり読める。
 さらに周囲を見回すと、辺りの景色自体も違うような気がする。草や木が群生していたはずだが、今のこの場所はちゃんと人の手が加えられ管理されている感じがした。キョロキョロしていて、山の上から見える景色に気づく。
 山際に立つと、下界の様子が一望できた。山、森、川、湖。そのいずれもが人の手がほとんど加えられておらず、この世のものとは思えないほど美しい景観を作り出していた。

「こんな所に、こんな場所が・・・?」

 こんな山奥にこれほど美しい場所があった事に驚きながら一真は、それよりもアンデッドの事が気がかりでその景色に背を向けた。再び見回すと、下へ降りる石段を見つけた。結構長いが、とりあえず下へ降りてみる事にした。
 しばらく降りて石段の半ばを過ぎた辺りで、下の方から何か聞こえた。石段を外れて様子を伺うと、見覚えのある異形の姿があった。

「アンデッド!」

 さっきレンゲルに解放されたアンデッドの1体・バッファローUだった。倒れている少女に迫っている。
 それを見て一真は反射的に駆け出し、バッファローUに飛びかかっていた。

「待て! 相手は俺だ!」


◇ ◆ ◇


「・・・というわけだ」

 話し終わり、出されたお茶を一気に飲み干す一真。慧音は腕を組んだまま、じっと話を聞いていた。

「その古い神社というのは恐らく、そちらの世界の博麗神社だろう」
「こっちの世界の?」
「博麗神社は幻想郷と外の世界に、その存在の半分ずつを分けている。そうやって、2つの世界の門のような役割を果たしているんだ」
「そういえば、神社の鳥居って境内と外の境い目を表すって聞いた事があるな」

 毒をもって毒を制すがわからなかったのに、どうしてそういう事は知っているのだろうと妹紅と慧音は不思議だったが、それは気にしない事にした。

「とはいえ、そう簡単に幻想郷には入れないはずだが・・・」
「そういえば今、結界が不安定だって言ってたな。そのせいでしょ」
「ああ・・・」

 そして3人とも黙り込んでしまう。

(この世界でまでアンデッドの犠牲者を出したくない・・・俺がしっかりしないと)

 一真は手元のラウズカードを眺めながら改めて決意した。

(複数のアンデッドが同時に幻想郷に入り込んだ・・・結界が不安定とはいえ、偶然にしては出来すぎている。作為的な匂いさえ感じるな・・・)

 慧音はアンデッドが幻想郷に入り込んだ状況について考えを巡らせる。
 そして妹紅は、2人とは違う事を考えていた。

(あっちの世界の博麗神社か・・・私もあそこから幻想郷に来たんだっけ。まだちゃんとあったんだ・・・)

 一真が幻想郷に来た話を聞いて、妹紅は自分が幻想郷に来る以前の事を思い返していた。
 不老不死になってから、彼女は各地を転々と渡り歩いた。10代のまま成長が止まったため、1年以上も一所(ひとところ)に留まっていれば外見が変わらないのを不審に思われてしまう。不老不死になって最初に住み着いた村落では妖怪と思われ、村を追われた。長くて半年。ずっと住む場所を頻繁に替え続け、そんな生活が300年も続いた。
 そうしていくうちに神経はすり減ってしまい、人里で暮らす事にすっかり嫌気が差してしまった。それで山に分け入り、ひたすら山奥へ向かった。そこで博麗神社を見つけ――当時はまだそれほど古くはなかった――、鳥居をくぐった所で幻想郷に入ってしまったのだ。直後に幻想郷内の博麗神社から見た幻想郷の景色が、ささくれだった心に爽やかな感動をもたらした。
 一真の、状況はだいぶ違うがまるで自分の追体験のような話を聞いて、その頃の事を思い出した。

(昔の事なんて思い出したくないけど・・・それでも懐かしいものなのね)

 妹紅は思わず今の状況も忘れて、ノスタルジックな気分に浸っていた。
 そうして3人が各々、物思いにふけっている時――

「きゃああああああ!!!」
「うわああああっ!!?」

 外からのつんざくような悲鳴に思考を中断され、3人は家の外へ飛び出した。
 人々が門の方角から慌てふためいて逃げ惑っている。

「おい、どうした!?」

 慧音がその中の1人を捕まえて尋ねる。

「よ、妖怪だ! 見た事のない妖怪が襲ってきて・・・」

 その言葉に、3人の間に緊張が走る。

「まさか・・・!」

 妹紅らは人の流れに逆らって門の方へ向かった。
 そして最後の角を曲がった時。

「!!」

 彼らの目に飛び込んだものは、怪物が人の喉笛を噛み切る凄惨な光景だった。怪物はヒョウのような体色で顔に黒い仮面をつけたような姿をしている。

「アンデッド!」

 その怪物――ジャガーUをにらむ一真。
 辺りにはすでに数名が血まみれで倒れている。ジャガーUは噛みついた男を手放すと、近くで腰を抜かして震えている女に狙いを定めた。噛まれた男がドサリと倒れ、それを見て女が後ずさろうとするが家の外壁で後がない。

「やめろ!」

 一真は逃げ惑う人々の流れに逆らってジャガーUへと駆け出し、ブレイバックルに『CHANGE』のカードを差し入れ、腰に装着する。その動作を手早く済ませ、バックルのハンドルを引いた。

「変身!」

『 Turn up 』

 カード型の光の壁『オリハルコンエレメント』が現れ、それを通過すると一真の姿は青き剣士・仮面ライダーブレイドへ変じた。

「おおぉっ!」

 女に迫るジャガーUに走った勢いから拳を叩き込むブレイド。横っ面にパンチをくらったジャガーUがよろけ、ブレイドがさらに蹴りを見舞う。怯ませた所でブレイドはジャガーUに体当たりし、腕を抑えつけつつ門の外の方へ押しやる。
 ブレイドがジャガーUを遠ざけた隙に、妹紅は襲われかけた女を助け起こす。

「大丈夫か!?」
「あ、あ、あわわ・・・」

 全身震えてしゃべる事もできないようだ。

「早く逃げて!」

 そう言うと女は足をもつれさせながら里の奥の方へ走っていった。その女が角を曲がったのを見届けて、妹紅はその近くに倒れている男へ駆け寄った。

「おい、大丈夫か? おい!」

 その体に触れて、右手にぬるりとした感触がした。爪か何かで切り裂かれた背中に触れた手が、赤い血に塗れていた。一瞬、背筋に寒気が走るが、血に触れるのに構わずその体を揺する。だが反応はない。血溜まりに突っ伏すように倒れている男の首筋に触ろうとして、その首が大きく抉れているのに気づいて思わず手を引っ込めてしまった。
 他の倒れている者は3人。同じように血だらけで微動だにしない。慧音も倒れた人を見ていたがこちらを向き、首を横に振った。
 妹紅は呆然と血の着いた自分の手を見た。わずかな時間で4人もの人が命を絶たれた。場所もあろうに幻想郷の人間の里の中で。
 赤く染まった手を強く握り締める。こんな事が許されていいはずがない。自分の心に、怒りの炎が激しく燃え上がるのがわかった。
 心の中にその熱を自覚した瞬間、妹紅は走り出していた。


◇ ◆ ◇


「でええぃ!」

 組み合ってジャガーUを門の外まで連れ出した一真――ブレイドは、ジャガーUを投げ飛ばしブレイラウザーを腰から引き抜いた。

「ガアアッ!」

 ジャガーUは地に伏せた状態からしなやかに跳ね上がり、振り下ろされた刃は大地を削っただけだ。

「でいっ! たあっ!」

 ブレイドは距離を詰め斬撃を浴びせるが、ことごとく紙一重でかわされる。

「グッ!」
「!」

 ジャガーUが反撃に転じようとしたのを気配で察し、屈んで足払いをかける。見事に転倒するが、またも飛び上がって距離を取るジャガーU。そこから再び跳躍、ブレイドに爪を振り下ろす。しかしブレイドは後ろへ飛び退きながら爪をかわし、ジャガーUの胸を切り裂いた。
 着地際、動きが一瞬止まった所に踏み込みブレイラウザーを突き込む。腹にまともに突きを受けたジャガーUに更に袈裟懸けの一撃を加え、ジャガーUは三度地面に転がった。
 ジャガーUのすばしっこさには一真も苦しめられたが、それを破って一度は封印した事がある。動きはあらかた読めている。
 ブレイラウザーのカードトレイを開き、体の各所にトゲの生えたイノシシが描かれた『TACKLE』のカードを引き抜いてカードリーダーに読み込む。

『 Tackle 』

 ブレイラウザーから電子音声が発せられ、カードリーダーの横に表示されたAPの数値が減少する。

<ブレイド初期AP 5000>
<『TACKLE』消費AP 800>
<ブレイド残りAP 4200>

 ブレイラウザーの切っ先に手を添えるように構え、ジャガーUへ突進する。しかしジャガーUはギリギリの所でブレイドの体当たりを飛び越え、そのまま逃走しようとする。

「逃がさないぞ!」

 ブレイドはブルースペイダーへ走る。野放しにしておいたら、またいつ人を襲うかわからない。絶対に封印しなければならない。

「待って、一真! 私も行く!」

 ブルースペイダーにまたがった所に妹紅もやって来て一真の後ろに乗る。

「妹紅、襲われた人達は?」

 聞くと、妹紅は俯いた。

「もう、みんな・・・手遅れだった」

 悔しそうに自分の右手を見る妹紅。その手には血がついていた。

「・・・・・・」

 この世界でまでアンデッドの犠牲者を出さない――ついさっき、そう決意したはずなのに。なぜ止められなかった。なぜ救えなかった。悲しみと怒りが一真の心に去来する。
 ふと、妹紅とブレイドの目が合う。
 仮面越しでも、互いが全く同じ気持ちである事を2人とも理解した。自分達がするべき事は、アンデッドを封印し幻想郷から脅威をなくす事だ。
 ブレイドはブルースペイダーを走らせ、妹紅はブレイドの体にしがみついた。
 どこまでも続く平原を尋常ではない速さで疾走するジャガーUと、それを追うブルースペイダー。ブルースペイダーも普通のバイクの速さではないが、それでもジャガーUとの距離を詰められない。先ほどブレイドに受けたダメージで全力で走れないでいるようだが、じきにそれも回復するだろう。

「妹紅、もっとスピード上げてもいいか!?」
「私に構うな! 重くて追いつけないっていうなら私を捨てていってもいい!」

 その言葉に頼もしささえ感じて、一真はブレイドの仮面の下で笑みをこぼした。

「よし、飛ばすぞ! しっかりつかまってろ!」

 一気にアクセルを吹かし、加速する。妹紅が小さくうめきながら全力でブレイドに抱きつく。ほどなく速度計が最大速度の時速340kmに達した。
 ブルースペイダーの左右を蝶や鳥が凄まじい速度ですれ違っていく。妖怪や妖精も混じっていたが、ブレイドも妹紅もジャガーUさえそんな事を気にしている場合ではなかった。やがてジャガーUとの距離がじりじりと狭まる。
 しかし、ジャガーUは急に90度右に方向転換した。

「!」

 一瞬遅れてブレイドもハンドルを切る。横滑りに地面を削るように止まり、再度アクセルを全開にして走り出す。妹紅は危うくブルースペイダーの上から投げ出されそうになったが、辛うじて堪えた。
 今ので距離をまた離されてしまった。距離を詰めれば、かえって急な方向転換についていけない。このままでは逃げ切られてしまうかもしれない。

「一真、私に任せてくれ!」

 そう言って妹紅は左腕だけで一真にしがみつき、右手でポケットのスペルカードに触れた。取り出そうとすると、叩きつける猛烈な風に持っていかれてしまいそうだ。

「滅罪『正直者の死』!」

 スペルカードの宣言はカードの名前を詠唱する必要は無いが、妹紅は性格的にカードの名前を言うのを好んでいる。
 宣言し、ジャガーUへ右手で人差し指と中指を突きつけるとその指先から光が放たれた。光はレーザーのようにジャガーUの右側の地面をえぐり、じわじわとジャガーUへ迫っていく。ジャガーUはそれに気づき、左の方へ避けようとする。そこに、左からゆっくり飛んできた火の玉がジャガーUに命中した。

「グォッ!?」

 死角からの攻撃にジャガーUは悲鳴を上げた。レーザーは囮、それを避けようとすれば逆方向からの火の玉に当たる。『正直者の死』とはそういう意味だ。
 火の玉はジャガーUの胸と足に当たり、足に衝撃を受けた事でたたらを踏んでスピードが弱まった。

「今だ!」

 チャンスと見るやブレイドは両手をハンドルから離し、ブレイラウザーからカードを取り出す。
 そしてそのカードをブルースペイダーのパネルにあるカードリーダーに読み込ませた。

『 Fire 』

 ブルースペイダーから電子音声が流れ、ブルースペイダーの先端から炎が吹き出す。

<『FIRE』消費AP 1000>
<ブレイド残りAP 3200>

「うおおおおおぉぉぉっ!」

 ブレイドは炎に包まれたブルースペイダーごとジャガーUに体当たりした。ジャガーUは咄嗟に身をよじったが避けきれず、炎に包まれながらきりもみ回転して地面に叩きつけられた。タイヤを滑らせブルースペイダーが止まりきるまで、ジャガーUは地面を転がり続けていた。

「・・・結構えげつない事するんだな、お前」

 呆れたようにつぶやく妹紅。あんなスピードで衝突すれば誰だろうとただで済むわけがない。だからといって、アンデッドに同情する気などお互い全くなかったが。

「グウゥ・・・」

 2人はブルースペイダーから降り、ブレイドはブレイラウザーを抜いてよろめきながら立ち上がるジャガーUに刃を浴びせる。

「でぃっ! やあっ!」

 滅多斬りにされていたジャガーUだったが、数回目の斬撃をブレイドごと飛び越えた。
 空中で宙返りするジャガーUに火球が命中する。

「グワ!?」

 ブレイドの後ろで様子を伺っていた妹紅に迎撃され、またも倒れこむジャガーU。そこへさらに妹紅が火炎を浴びせ続ける。
 ジャガーUは地面を転がりながらそれをしのぎ、弾幕の合間を縫って立ち上がった。さらに撃ち込まれた火球を飛び越え、妹紅へ飛びかかる。

「う!?」

 しかしその背中にブレイドが投げつけたブレイラウザーが命中し、ジャガーUはバランスを崩して妹紅の目の前にうつ伏せに落下した。

「この!」

 妹紅はジャガーUの顔面を思い切り蹴りつけ、投げたブレイラウザーを回収したブレイドの横へ並んだ。
 そして2人は同時にカードを手に取る。

「不死『火の鳥・鳳翼天翔ほうよくてんしょう』!」

 妹紅が宣言すると同時に、ブレイドは尻尾が巨大な剣になっているトカゲの絵の『SLASH』と『FIRE』を続けて読み込ませた。

『 Slash 』
『 Fire 』

『 Burning Slash 』

 妹紅の両手とブレイラウザーの刀身が炎に包まれる。
 ラウズカードは特定の組み合わせで2枚以上を同時に使う事で、より効果の高いコンボ技を繰り出す事ができる。
 ブレイドが左手から右手に持ち替えながら振るうブレイラウザーの切っ先が炎の円を描く。

<『SLASH』消費AP 400>
<『FIRE』消費AP 1000>
<ブレイド残りAP 1800>

「はああっ!」

 妹紅が突き出した両手から巨大な火の鳥が現れた。火の鳥は大きく翼を広げ、ジャガーUへ向かって飛翔する。ジャガーUはジャンプで火の鳥をかわした。しかしそれは妹紅の狙い通り。
 飛び上がったジャガーUの目前で、その動きを読んでほぼ同時に跳躍したブレイドが右腕で炎の剣を振りかぶっていた。

「ウェェェェェイ!」

 振り下ろされたブレイラウザーがジャガーUを縦に切り裂く。
 ブレイドが剣を振り下ろした姿勢のまま着地した背後にジャガーUが墜落、直後に爆発した。仰向けに倒れたジャガーUのベルトのバックルが開き、『9』の文字が見える。
 ブレイドは封印用のカード『プロパーブランク』をジャガーUに投げつけ、ジャガーUの体はカードに吸い込まれていった。そして一真の手元へ戻ってきたカードには『9 MACH』と書かれていた。


◇ ◆ ◇


 ジャガーUが封印されるのを、遥か上空から見る影があった。

「ブレイド・・・まさかこの世界まで来るとはな」

 イーグルUは腕を組んで唸る。
 平原を飛行していた所に高速で走っているジャガーUとそれを追うブレイドを遠くから見かけ、追ってきたのだが着いた時にはもう勝負はついていた。全てのアンデッドにとっての脅威といえる存在が、幻想郷とかいうこの世界まで現れた事に驚いていた。

「しかも、あの不死の娘と組んだか・・・厄介だな」

 娘の実力も侮れないものである事がわかっている。しかも今の戦いで2人は息の合った連携を見せ、手傷を負っていたとはいえジャガーUを封殺してみせた。自分が幻想郷に来る前後の状況からすれば、2人は今日会ったばかりのはずだ。

「ふ・・・」

 しかし、イーグルUは笑った。

「例え何者が立ちはだかろうと、勝ち残るのは人間でもどのアンデッドでもない。私だ」

 戦うために、勝ち残るために自分は存在している。仮面ライダーもアンデッドも、全てが自分の獲物。あの娘だけはどうにも出来ないとしても、ライダーさえいなくなれば自分が封印される事はない。
 バトルファイトに勝利すれば自分の眷属が世界を席巻する。そうなれば不老不死とはいえ人間1人には何も出来まい。

「そして・・・カリス」

 全アンデッドの中で友と認めた存在。だが彼はすでに封印されていた。その意趣返しもしなければならない。
 まずはブレイドからだ。

「見ていろ・・・」

 それまでは夢を見せてやろう。
 イーグルUはその場を飛び去っていった。


◇ ◆ ◇


 ジャガーUが封印されるのを見届けた妹紅は、自分の右手を見た。もう血は乾ききっている。
 アンデッドは封印したが、この血を流した人は帰って来ない。
 これまでも自分を置いて逝った人は数え切れないほどいる。死ぬ事のない自分にとって、死とは他者のそれ以外に意味を持つ事はない。きっと自分は誰よりも多く“死”を目撃する事しかできない定めの人間だ。
 だが1300年以上生きてきても、誰かが死ぬ事はどうしても慣れる事が出来ない。
 不老不死になって数十年後、風の噂に両親の死を知った。その頃になると両親の事など忘れかけていたが、死んだと聞くと涙が溢れて止まらなかった。帰るに帰れなかったとはいえ、行方をくらませた自分の顔を見せることのないまま、みすみす死なせてしまった。もし余命幾ばくもないとわかっていれば、危険を冒してでも会いに行ったのに。
 自分は最低の親不孝者だ。
 人が寄りつかない山の中で、両親に謝りながらずっと泣き続けた。
 そんな経験があれば誰の死を見ても、その遺族らの悲しみは他人事には思えない。多少でも関わりを持った人なら尚の事。
 いつまで経っても死は悲しいもの。だからこそ、こんな理不尽極まりない人の死に方は許せない。
 幻想郷は人間と妖怪の最後の楽園。輪廻の輪から外れた自分をさえ受け入れてくれた世界。その地で誰かが殺される事は、絶対に許してはならない。
 妹紅は血に染まった右手を握り締めた。

「一真・・・私、決めた」

 変身を解除して元の姿に戻った一真に告げる。

「アンデッドを全て封印してやる。そして誰もが笑って暮らせる幻想郷を取り戻す」

 妹紅は、右手を染める血に誓った。これほど強く何かを決意したのは不老不死になって以来初めてだろう。自分は、自分で思っていたよりも人間と幻想郷が好きなのだと気づいた。
 手を開いてもう一度血を見ていると、その手を大きな手がつかんだ。

「えっ・・・」

 見上げると、一真が真剣な顔で立っていた。

「妹紅。必ず平和を取り戻そう。俺達の手で」

 血の着いた妹紅の右手を握り、瞳に強い意志を宿らせている。
 その手に妹紅は、一真が自分の気持ちを正確に理解してくれているのが、そして彼もまた同じ決意を持っている事がわかった。そうでなければ血のついた手を触る者などいまい。

「よろしく頼むぜ、妹紅」

 そして一真は優しく微笑んだ。その笑顔に、妹紅の顔からも笑みがこぼれる。

「よろしく、一真」

 2人は笑顔で、組んだ手を改めてぐっと握った。




――――つづく




次回の「東方永醒剣」は・・・

「あなたが剣崎一真ね?」
「挨拶なら、せめて玄関から入ってきてくれないか」
「似てるとか本人に言うなよ」
「えっ!? い、言わないって!」
「私は・・・本当に人間じゃなくなってしまうような気がしてさ」
「俺もさ、いるんだ。お前達みたいな関係だった奴が」
「お前・・・っ! なんでここに!?」
「お前を・・・もう一度封印する!」
「あなたを殺しに行くわ・・・妹紅」

第3話「不死者の望むもの」



[32502] 第3話「不死者の望むもの」
Name: 紅蓮丸◆234380f5 ID:d3c4d111
Date: 2012/04/04 00:20
 突然の出来事に里は混乱していた。白昼の悲劇にある者は震え上がり、ある者は泣き崩れた。
 人里でわずかな時間の内に4名の命を奪った怪物は退治したとの妹紅と一真の報せに人々は胸をなでおろしたものの、同じような怪物があと数体いると聞いて恐れ戦いた。里では怪物が全て退治されるまで外出は控える事が呼びかけられた。
 すでに慧音によって外の世界から怪物が幻想郷に入り込んでいる事は知らせられていたのだが、それに対する警戒は門に見張りを立てる程度のものだった。今回のジャガーUの襲撃で真っ先に殺されたのは、その見張りだった。彼が門の外で襲われた事、さらにジャガーUの標的の息の根を止めるまで時間をかけて襲う習性のお陰で人々はジャガーUが里に侵入する直前に気づく事ができ、死者が4名で済んだという見方もできる。門に立つ見張りの数は2人に増え、里を囲う塀に設置された櫓にも人が配置された。
 妖怪による襲撃などほとんどなく、里がこれほどの厳戒態勢に入るのは珍しい。それだけ幻想郷が平和だという事であり、それが今脅かされているという事でもある。慧音にそれを聞かされた妹紅と一真は悔しさを隠せなかった。

「慧音、アンデッドの正確な位置を調べてくれ」

 慧音から話を聞いた妹紅の第一声がそれだった。
 ジャガーUは封印しても、まだ平和は取り戻せていない。2人とも里に戻ってきてジャガーUを封印した事を人々に伝えた時、殺された人達の遺族から感謝の言葉を受けた。しかし皆、悲しい顔で頭を下げていたのが2人の脳裏から離れない。アンデッドは全て封印すると2人は彼らに約束したが、それがどれほどの慰めになるかわからない。

「もうこれ以上犠牲者を出したくないんだ。頼む」

 その悲しみとやるせなさが2人の心に重くのしかかっていたが、それでもなお2人は戦う意志を曲げようとしない。
 妹紅に続いての一真の言葉に、慧音は頷いた。

「わかった。歴史を見れば今の位置もわかるはずだ」

 そう言って慧音は紙と筆を卓に置いて座った。

「でも、どうやってそんなの調べるんだ?」

 一真が妹紅に尋ねる。

「まあ見ててよ」
「本当は満月の夜がいいんだが・・・」

 慧音は帽子を取ると畳に置き、目を閉じた。

「・・・?」

 そのまま数秒の時が流れる。
 そして、慧音の体に変化が起きた。

「あっ!?」

 慧音の頭から2本の白い角が生えてきた。さらに慧音の青い髪も緑がかった色に変わる。角はけっこう長く、左側の角には赤いリボンが結んである。
 変化が終わると同時に、慧音は筆で何事か紙に書きつけ始めた。驚いている一真に妹紅は小さい声で、

「気が散るといけないから、私達は隣の部屋に行こう」
「あ、ああ」

 2人は静かに隣の部屋へ移動した。
 その間にも慧音は何か書き続けている。

「慧音はワーハクタクだから、歴史を正確に知る事ができるんだ。だから、この幻想郷で起こった事は何でも知る事ができる。アンデッドの動向だってね」

 その様子を珍しそうな目で見ている一真に妹紅が説明する。
 すると一真はポケットからラウズカードを1枚取り出して、それと慧音を交互に見比べた。妹紅が一真の手元をのぞくと、それは『MAGNET』のカードだった。

「角が似てるとか本人に言うなよ」
「えっ!? い、言わないって!」

 言われた一真はぎょっとして首を横に振る。

「もし言おうもんなら慧音から頭突き食らわされるぞ」
「ズツキ!? あの頭で!?」

 裏返った声を上げ、慧音の頭を指差す一真。妹紅は両手を広げて首をすくめた。

「私も食らった事あるけど痛いぞ・・・角がない時にだけど。あいつ寺子屋やってるんだけど、宿題忘れた子には頭突きのお仕置きするんだよ。角は出さずに」
「へー、先生なんだ・・・でも、子供に頭突きするのか?」
「本人によると、ハクタクの本能らしい。攻撃といったら角なんだと」
「・・・・・・」

 それを聞いて一真はまたもカードに目を落とす。

「だから似てないって!」

 一真の腕を押さえる妹紅。

「いや、むしろそう思ってるのはお前じゃないの?」

 図星を指されて妹紅はギクっとうろたえた。

「な、何言って」
「わかったぞ、2人とも」
「ウェアアア!?」
「わあああっ!?」

 大声を上げる2人。
 声をかけた慧音は怪訝そうな目を向ける。頭にもう角はなかった。

「どうした?」
「い、いや、なんでもない」

 カードを後ろ手に隠しながら笑ってごまかす一真と妹紅。
 慧音は釈然としない様子だったが、帽子をかぶりなおし、

「まあいい。アンデッドの正確な数と位置がわかった」
「! 本当か!?」

 それを聞いて2人は卓に座った。
 慧音は紙に書いた地図を示しながら、

「現在、幻想郷にいるアンデッドは4体。すでに2体が封印されたから、やはり6体いたようだ。過去のバトルファイトの歴史と照らし合わせると、この4体はイーグルアンデッド・ウルフアンデッド・ディアーアンデッド・トリロバイトアンデッドと思われる」

 アンデッドの名前を聞いて、妹紅が首を傾げた。

「・・・イーグルとウルフはわかるけど、他のはどんな生き物なんだ?」
「ディアーは鹿、トリロバイトは三葉虫です。後者はもう絶滅しています」

 慧音はそう答えて、地図の1ヶ所を指差す。

「イーグルアンデッドは君達がジャガーアンデッドと戦った平原にいたようだが、頻繁に位置を変えている。平原は広いし、見つけるのは難しいだろう」

 妹紅と一真は頷いた。
 続いて慧音は別の所へ指を滑らせる。

「ディアーアンデッドは妖怪の山の付近にいるようだ」
「妖怪の山?」

 今度は一真が疑問の声を上げる。

「あの山だよ」

 妹紅が窓の外に見える高い山を指す。

「文字通り、色んな妖怪が住んでいる山だ。鹿だから山が居心地いいのかな?」
「だが、すでに山の妖怪と小競り合いをしたようだ。妖怪の方も被害は出たようだが、ディアーアンデッドは撃退されて山の麓をうろついている」
「アンデッドを追い払うなんてたいしたもんだ。その山の妖怪って、そんなに強いのか?」

 一真が感心したように言う。

「ま、私も近づきたいとは思わないね」

 両手を頭の後ろで組んで答える妹紅。

「ウルフアンデッドとトリロバイトアンデッドは迷いの竹林にいる」
「竹林に?」

 妹紅は思わず声を上げた。

「私のテリトリーも同然じゃないか。よし、一真。私が案内するから早速――」
「待って下さい、妹紅」

 立ち上がろうとした妹紅を、慧音が呼び止める。

「やる気があるのは結構ですが、そろそろ日が暮れる時間です。いくらあなたでも、夜の竹林でアンデッドを探すのは危険ですよ」

 外を見ると、日が傾いてきている。一真のブルースペイダーを使っても、竹林に着く頃には夕方も遅い時間になっているだろう。

「私が歴史を読みながら探すのが確実でしょうが、里の守りも必要ですし・・・」

 妹紅の手助けをしたいのは山々という風に、申し訳なさそうに言う慧音。
 それから一真の方に目をやり、

「それに、一真の宿泊場所も見つけないと・・・里を探せばいいと思いますが・・・」
「よし」

 妹紅はポンと手を叩いて一真を見た。

「一真。お前、今日は私の家に泊まっていけ」
「え?」

 異口同音に声を上げる一真と慧音。

「私の家は迷いの竹林の中にあるから、明日朝早く起きてアンデッドを探しに行くんだ。いい考えだろ?」
「いや、だけど・・・」

 渋る一真。当然、少女――実年齢は一真のそれを遥かに上回るが――とはいえ女性の家に泊まるには抵抗がある。

「言っとくけど、変な気を起こしたらタダじゃ済まないからな」
「い、いや、そんな事はしないけどさ」
「ならばよしだ。飯も出してやるよ」
「しかし妹紅・・・」

 それで最低限の義理は果たしたとばかりに言う妹紅に慧音も何か言い返そうとしたが、逆に妹紅に遮られる。

「大丈夫。今までだって家に人を泊めた事はあるしさ。それに、竹林にいるって事は私の家を見つける可能性もあるだろ? だからボディガードを置いとくんだ」
「・・・・・・」

 人差し指を立てて言う妹紅に、慧音はもう止められそうにないと判断した。彼女は言い出すと聞かない所があるのは、浅くない付き合いの中でよく知っている。
 はあ、とため息をつく慧音。

「一真、彼女はすっかりその気だ。おとなしくそうした方がいいと思う」
「・・・いいのか? 本当に」
「妹紅は君のパートナーになる気満々だ。その気分を損ねるのは得策ではあるまい」

 慧音の言葉に、妹紅がうんうんと頷く。

「そうそう。私がいないと、竹林であっさり迷子になって一生出られないかもよ?」
「今のは比喩ではないぞ。あの竹林は本当に遭難する者が後を絶たん。“迷いの”というくらいだからな」
「・・・・・・」

 一真は2人の顔を何度か見比べて、結局首を縦に振った。

「わかった・・・お世話になります」

 そう言って、小さく頭を下げる。

「いえいえ、こちらこそよろしくね」
「・・・ん?」

 女性の声。だが、妹紅でも慧音でもない。
 部屋の中をきょろきょろと見回す3人。しかし、他には誰もいない。

「うふふふ」

 今度は笑い声。聞こえてきた方向は・・・上だった。
 3人が一斉に見上げると、女性が虚空から体を乗り出していた。部屋の上方の空間に黒い切れ込みのようなものがあり、金髪に白い帽子を乗せた紫と白の服の女性の姿がその切れ込みの中に見える。よく見ると、その切れ込みの両端には赤いリボンがついている。

「な、何だ!?」

 その様に驚いた一真は見上げたまま後ろに手をついてしまった。妹紅と慧音も驚きの声を上げる。

「お前・・・八雲紫!?」
「え、ゆかり? この人が?」

 慌てふためく一真を見て、女性――紫は口元を袖で隠しながら笑った。

「あなたが剣崎一真ね? 話は霊夢から聞いてるわ。幻想郷に入り込んだアンデッドを退治してくれるそうね」
「あ、はい・・・」

 一真は見上げた姿勢のまま頷く。

「悪いわね。本当は私が幻想郷から全員追い出してやる所なんだけど、体調が優れなくてできないのよ。こうして挨拶に来るのもしんどくて」
「挨拶なら、せめて玄関から入ってきてくれないか」

 慧音が抗議するが、紫は悪びれた様子もなく微笑む。

「いちいちスキマの外に出るのも面倒じゃない。戸を開ける手間も省けるし」
「そんな事、面倒臭がってどうするんだよ」

 卓に頬杖をついて突っこむ妹紅。

「あなたもアンデッドと戦ってくれるそうね。助かるわ」
「やつらが心底気に食わないだけだ。あんたのためじゃない」

 気だるそうに手を振る妹紅を見て、また微笑む紫。

「2人とも、よろしく頼むわね。それじゃ、私は眠いからこれで失礼するわ」

 そう言うと紫は切れ込みの奥に戻り、切れ込みも消えた。

「・・・・・・」

 3人はしばらく、紫が消えた空間を見上げていた。

「本当に挨拶に来ただけだったようだな」
「顔を見せただけ、よしとしないといけないのかなぁ」
「・・・・・・」

 ぼやいてはいるが平然としている慧音と妹紅を見て、

(ホント、スゴい所なんだな。幻想郷って・・・)

 一真は改めてそう思った。

「よし。じゃ行くか」
「え?」

 聞き返す一真と、立ち上がる妹紅。

「私の家だよ。そろそろ行かないと、日が暮れるよ」
「あ、ああ」

 妹紅に腕を引かれて一真も立ち上がり、玄関へ向かう。

「それじゃ慧音、今日はゆっくり休んで明日からアンデッドを探すから」
「ええ。2人とも、気をつけて」

 妹紅と一真は連れ立って慧音の家を後にした。

「お前の家って、どの辺なんだ?」
「ちょっと遠いけど、ブルースペイダーならすぐだろ」
「お前、あれ気に入ったみたいだな」
「まあね。あははは」
「・・・・・・」

 慧音は、楽しそうに話しながら門へ歩いていく二人を見送りながら腕を組んだ。

「ずいぶん彼を信頼しているんだな・・・」

 妹紅は人づきあいが苦手な方だ。素直でなくぶっきらぼうで、さらに少々短気ときている。そのくせ、困っている人を見過ごす事ができない。
 家に人を泊めるというのも迷いの竹林で迷った人を保護したり、竹林の案内を彼女に依頼する人を泊める事があるからだ。付き合ってみると、そういう憎めない性格に好感を持てる人物ではあるのだ。
 しかし妹紅自身が友人を作ることに消極的――むしろ避けている所があり、彼女が親しくしているのは幻想郷全体を見ても慧音しかいない。そういう慧音も、気難しい性格が災いして友人と呼べるのは妹紅しかいないのだが。人里へは用事がある時以外はほとんど寄りつかないので、慧音が妹紅の家へ行く事の方が多い。
 その彼女が、会ったばかりの一真を家に泊めてもいいと思うほど心を許している。アンデッドと戦う事に集中していて、その仲間として認めたというのもあるだろうが、やはり彼がそれだけの信頼に足る人物であると見たのに違いない。慧音が一真と言葉を交わした時間はわずかだが、そのわずかな言葉の端々からも彼が裏表のない性格らしい事は理解できる。一真が妹紅の心をこうもたやすく掴んでいるのはちょっと妬けてくるが、友人としては喜ぶべき事であろう。
 妹紅が彼をそれだけ信じているならば、きっと自分も信じて大丈夫だろう。慧音は妹紅を信じているから。

(あの2人がいるなら・・・今回の異変もすぐに収まる。信じていよう)
「さて・・・あの件はどうしたものかな」

 先ほど歴史を見てアンデッドの足取りを追った時に、里の外ですでにアンデッドに襲われた人間や妖怪がいる事がわかった。妖怪は簡単に死なないし、妖精はすぐに復活するのでまあ問題はないが、人間は数名が殺されており、彼らはちゃんと弔ってやりたい。しかしアンデッドがいる以上、不用意に里の外へ出るのは危険だ。なんとか実力者を里に集めて、彼らに力を借りねばなるまい。当てがない事はない。妹紅と一真に頼めば遺体の回収もしてくれるだろうが、彼女らにはアンデッドを倒す事に集中してもらいたい。

(私は私にできる事がある。だから妹紅、一真。君達は自分のするべき事をやってくれ)


~少女&青年移動中・・・~


「こんな所に家あるのか?」
「もうすぐだって」

 人間の里をブルースペイダーで発って数十分。
 竹林の中へ分け入っていった一真は、ブルースペイダーを手で押しながら妹紅の後について行っていた。この辺りの竹はそれほど密集しておらず、ブルースペイダーも割とすんなり進める。上を見ると竹の葉にだいぶ空が隠れているが、暗くなり始めた茜色の空は見えている。

「ほら、ここだ」

 妹紅が指差す先を見ると、比較的開けた場所に平屋建ての小さい家があった。小さいといっても、縁側もあってそれなりに広い部屋もありそうだ。

「ここがお前ん家?」
「ああ。何もないけど、ま、上がってよ」

 ブルースペイダーを玄関の傍らに置いて、妹紅に続いて一真も玄関に入ろうとしたが。

 ゴンッ

「痛っ!?」

 入り口に頭をぶつけてしまい、その場にうずくまってしまった。

「だ、大丈夫?」
「あいったたた・・・」

 頭を両手で押さえて顔を歪める一真に妹紅が駆け寄る。

「背が高すぎるのも案外不便なんだな」
「た、たまにな。いてて・・・」

 涙目の一真に苦笑する妹紅。
 頭をさすりながら、一真は妹紅に連れられて部屋に上がった。

「あー、慧音の家でも思ったけど、なんか畳って久しぶりだな」
「畳が久しぶりって、どういう家に住んでたんだ? お前」

 座布団を出していた妹紅が振り返る。

「ああ、洋風の家。友達の家に居候になってるんだ」

 幻想郷がどんな文化なのかある程度わかってきた一真は、座布団に座りながら妹紅がちゃんと理解できそうな返答をした。

「ライダーになりたての時、訓練で2ヶ月くらいアパート空けてたら家賃払うの忘れてて追い出されちゃってさ」
「何やってるんだよ・・・それで友達の家に世話になる事にしたわけか」

 妹紅も座布団に座りながら、呆れたように肩をすくめた。

「正確には、居候になってから友達になったんだけどな。そいつ虎太郎っていって、ルポライター志望で最初はライダーの取材目的で俺を家にいさせてくれたんだけど、今はすっかり俺達の仲間だよ」
「取材ねえ・・・幻想郷にもいるな、そんなやつが」

 ちゃぶ台に肘を突いて、虚空を見やりながら妹紅。

「あ、そうなのか?」
「ああ。私の所にも来た事あるよ。弾幕放ってやったんだけど、私の弾幕をかいくぐりながらそれをカメラで撮影してさ。あれはさすがに驚いたよ」
「すごい根性だな、それは。虎太郎も俺がアンデッドと戦ってる所に乗り込んできたっけ」
「ああいう連中って、どこに行っても根性だけはあるみたいだな」
「言えてるよな」

 あははは、と2人でひとしきり笑う。
 話している間に暗くなってきたので、妹紅は指先に火を灯し、火の玉を作り出して宙に浮かべた。
 普通の人間が客として来ている時にこれをやると驚くので、そういう時は行灯やロウソク、ついでにマッチを使うのだが、一真なら遠慮はしなくていいだろう。実際、一真は「おー」と小さく感嘆の声を上げるだけで驚いたりはしない。

「腹減ったろ? 飯、すぐ用意するから待ってな」

 台所へ行き、そこにも同じように火の玉を作る妹紅。

「あ、手伝うよ。2人でやれば早く終わるだろ」

 言いながら台所へ入り、指輪を外してポケットに入れる一真。

「・・・お前、男のくせに指輪なんてしてるのか?」

 指輪の存在は博麗神社で会った時点で気になってはいたが、聞くきっかけがつかめず今まで保留していた。

「これ、先輩の橘さんがしてるの見て真似したんだよ。カッコよかったから。水道どこ?」
「ないよ。井戸なら裏にあるけど」

 答えながら妹紅は台所に置かれた水がめから柄杓で桶に水を汲んだ。手を洗って水を捨て、桶を一真に差し出す。

「・・・・・・」

 一真はそれを受け取り、同じ様に手を洗った。
 妹紅は一真に手ぬぐいを渡して、大根などの野菜を取り出す。金を稼ぐ術がなく、人里へもあまり行かない妹紅を気づかって慧音が分けてくれたものだ。時折、竹林で迷った人を助けたり竹林を案内した時にお礼をもらう事もあるが、どうしても金が必要な場合は里で何とか稼いでいる。

「あ、それ俺が切るよ」

 そう言うと一真は妹紅の手から大根をさっと取って桶で洗い、出しておいた包丁とまな板で大きめに切って皮をむき始める。

「へえ、案外上手いんだな」

 料理に関しては正直期待していなかったが、危なげのない手つきに感心した。

「独り暮らしが長かったからな。料理はちょっと自信あるんだ」
「それ、味噌汁に入れるから小さく切ってくれるか?」
「わかった」

 言っているうちに皮をむき終わり、大根をいちょう切りにしていく一真。これなら任せて大丈夫そうだと判断した妹紅は釜で米を洗い始めた。

「橘って、アンデッドにカードを奪われた人だろ? 頼りになるの?」
「橘さんだってそういう事はあるさ。ほら、言うだろ。河童の・・・何だっけ?」
「河童の川流れ?」
「そうそう、それそれ」

 左手で妹紅を指しながら頷く一真。それに妹紅は手も止めず半眼だけを向ける。

「・・・お前、ことわざ苦手だろ」
「んー・・・そういや、こないだ鬼に金棒が出てこなかった事が・・・」
「重症じゃんか」
「あははは・・・」

 そう切り捨てて、白くなった水を数回捨てるとまた水を入れてかまどへ乗せる。かまどの中に割った竹を適当に放り込んで、手から炎を噴きつけるとたちまち燃え上がった。そこへ更に竹を入れる。竹林の中に住んでいるので、木より竹の方が手に入りやすい。というより、付近には竹しか生えていない。

「便利だなー、火が出せると」

 大根を切り終わった一真がその様子を見て言う。今度はごぼうを取り、

「ごぼうはどうする?」
「ああ、それも味噌汁に入れる」
「じゃ、ささがきにするよ」
「うん」

 しばらく2人は調理を続け、ごぼうをだいぶ切ってそろそろ十分な量かと思い始めた頃に一真はふと手を止めた。

「そういえばさ、不老不死でも腹は減るのか?」
「ん? まあ、死ぬ事はないんだけど気分的に何か食べたい時はあるし、今日みたいに激しく動いたりすると腹減るな。それに・・・」
「それに?」

 一真がそう言った直後、妹紅の表情が曇った。

「飯を食べる事までやめてしまったら、私は本当に人間じゃなくなるような気がして・・・」
「・・・・・・」

 それを見て、一真は言葉に詰まった。

「ご、ごめん。余計な事聞いちゃって」
「あ、いや、いいよ。気にするなって」
「いや、ホントごめん。考えなしに俺・・・」
「いや、私の方こそ余計な事言っちゃって・・・」

 それから気まずい沈黙が数秒訪れて。

「あ、そうだ。味噌汁作るんだろ? 俺やるよ。鍋どこ?」
「え? あ、ああ。じゃ、これ・・・」

 妹紅がかまどのそばに置いていた鍋を取ると一真はそれをつかみ、

「じゃ、そっちにも火つけといてくれ」

 そう言って水がめから鍋に水を入れ始めた。

「あ、うん・・・」

 促されるまま、米を炊いている隣のかまどに竹を入れて火をつける。そこに一真が水の入った鍋を乗せた。

「ダシは何使う?」
「ああ、しょう油だけでいいよ」
「かつお節とか昆布とかは?」
「そんなのないよ。幻想郷には海はないんだから」
「え!? そうなのか?」

 ばっと振り向いた一真の驚いた顔と声に妹紅は思わず吹き出す。

「元々内陸地だった所を結界で隔離しただけだからな。だから魚といったら川魚だけだ」
「はー、なるほどなぁ」

 今度は心底納得したように頷く一真に、妹紅はまた笑ってしまった。それに一真も笑顔になり、

「何笑ってんだよ?」
「いや、だってお前の反応がいちいち・・・」

 さっきまでの重苦しい空気はどこかへ吹き飛び、そのまま2人は笑いながら料理を続けた。


~少女&青年料理中・・・~


「いただきます!」

 数十分後、出来上がった食事が並んだちゃぶ台を挟んで2人は座っていた。白米と味噌汁、干物と漬け物。簡素な食事だが2人とも猛然と食べ始めた。

「美味い! やっぱアンデッドと2回も戦って腹が減ったからな」
「うん、なんか私も普通に腹減ってたな。疲れたのかな」

 ご飯や味噌汁をかき込みながら話す2人。

「あー、自分で料理したのも久しぶりだったな」
「そうなのか?」
「うん、最近は虎太郎に任せてばっかだったから。広瀬さんもほとんど作らないし」
「ひろせ?」
「ああ、俺と一緒に虎太郎の家に居候してる女の人。彼女もボードの職員だったんだ」

 2人とも全く箸を休めずに会話を続ける。

「女と一緒に住んでるのか?」
「一応そうだけど、ただの同僚だよ。腕っ節強いからケンカしたら絶対勝てないし」
「ふうん。でも、なんで一緒に住む事に?」
「ボードの施設がアンデッドに襲撃されて壊滅してさ。俺はその時いなくて、広瀬さん以外はほとんど殺されちゃってな・・・」

 一真がわずかに顔を歪ませる。

「それからしばらく、広瀬さんや虎太郎にサポートしてもらいながら俺1人で戦ってたんだ」
「他の仮面ライダーは?」

 昼間の話では、ライダーは一真の他に3人いたはずだ。

「橘さんは・・・ちょっと事情があって一緒に戦えなくて、睦月はその時まだライダーじゃなかった」
「あとの1人は?」
「そいつも・・・なかなか一緒に戦えなくてな・・・組織もなくなって、頼りにしてた橘さんもいなくて、あの時は本当に大変だった。ほとんど一人で戦ってたから」

 少々歯切れが悪かったのは気になったが、恐らく色々とあったのだろう。

「ふぅん・・・そりゃ大変だったな。その分、打たれ強くなったんじゃない?」
「それはあるかもな」

 ちょっとだけ笑顔を見せる一真。詳細を知る由もないが、逆境の中でも戦いをやめなかった事は立派だと妹紅は思う。そんな状況にあっても自分の戦う理由を見失う事はなかったのだろう。
 と、そう思い至って。

「なあ。お前、どうして仮面ライダーなんてやってるんだ?」

 その『戦う理由』が気になった。

「アンデッドなんかと戦うとなると、命がけだろう? どうして今までやり通せたんだ? 仕事って事は、金のため?」

 それは多分違うと思いながら、あえて意地の悪い聞き方をした。
 妹紅の予想通り――そして期待通り、一真は首を横に振る。

「違うよ。金銭面で言うならもっと割のいい仕事は他にあるだろ。給料は安いし、残業手当もつかないし」
「じゃあ、なんで?」

 そう聞かれた一真は、両手を止めてちゃぶ台の上に下ろした。

「この間も同じ事を聞かれたな。最初はそれが俺の仕事だから、って答えてたけど・・・」

 一真は真っ直ぐに妹紅の目を見て、

「俺は、人間を愛しているからだ」

 淀みない言葉ではっきりと答えた。

「人間をアンデッドから守りたい。誰かが傷ついたり、悲しい思いをするのが許せない。だから俺は戦うんだ」
「・・・・・・」

 あまりにストレートな言葉と眼差しに、妹紅は一瞬沈黙してしまった。

「そんな恥ずかしい事、よくはっきりと言えるな」
「いや、でもこれ、紛れもない本音なんだって」

 照れたように笑う一真。しかし、その表情はすぐに引っ込んでしまう。

「俺、11歳の時、両親が死んだんだ。火事で、俺の目の前で家と一緒に燃えてしまってさ」

 悲しみの色を浮かべたその顔に、妹紅は思わずはっとした。ジャガーUを倒した時に妹紅も親の事を考えていたからだ。

「その時、そこにいたのにどうする事もできなかったのがずっと悔しくて。だから、家族や友人が傷ついて悲しむ人の気持ちってどうしても、こう・・・」

 そこまで言って一真は虚空を見上げた。表現が思いつかないらしい。

「他人事に思えないっていうか、放っておけないっていうか、なんとかしたい気持ちになるっていうか・・・」

 首を傾げて考えながらしゃべる一真の表情に、妹紅はまたも軽く笑ってしまう。

「いいよ、大体わかったから。優しいやつだな、お前」
「そうかな?」

 今度は照れ笑いを浮かべる一真に妹紅も微笑み返す。
 一真は天真爛漫というか純粋で素直な性格のようだ。そして、苦しむ人々に迷う事なく手を差し伸べる優しさと厚い正義感も持ち合わせている。言ってしまえばお人好しだ。ある意味、仮面ライダーという職業にこれ以上なく最適なタイプと言えるだろう。
 妹紅の1000年以上にも及ぶ人生を振り返っても、こういう人物は少なかった。いや、いなかったと言いきれる。
 人づきあいを避けていたといえども、純粋で優しい人物はいた。だが一真のようにそういう気持ちを持ち、なおかつその情熱を実現できる力を持ち合わせた人物となると話は別だ。幻想郷の妖怪ならば力は持っているが、進んで人助けをするような神経を持ち合わせた者はほとんどいない。その両方を兼ね備えた一真は、極めて稀有な存在だと断言できる。

「お前だって、理由は同じなんだろ?」
「え?」

 飯を口に運んだ所で不意に聞かれて、一瞬きょとんとした。

「俺と一緒にアンデッドと戦ってくれるのは、お前もみんなを守りたいからなんだろ?」

 にこやかな一真。

「・・・まあね」

 妹紅は箸の先を口にくわえたまま、気のないような返事を返した。一真はそんな返事にも満足したように頷いて、食べるのを再開した。

「・・・・・・」

 確かに、アンデッドが人々の安全を脅かす事は許せない。そういう点では、妹紅と一真は同じ理由で戦っていると言える。そうだとわかって結構嬉しい気持ちになった。

(許せない、か・・・)

 ただ、妹紅には許せない人間が1人いる。
 アンデッドとは違い、“彼女”に対するそれは完全に私怨だ。一瞬その事が頭をよぎり、さっきの一真の問いをはっきりと肯定しきれなかった。
 はっきり言って“彼女”は、妹紅にとって守りたい人間の範疇から外れている。仮に“彼女”がアンデッドに襲われたとしてもアンデッドごときには殺せないと確信しているのも理由の1つだが、建て前でしかない。
 それは妹紅が“彼女”に殺意を抱いているからだ。一真にはそんな人物はいなさそうに思える。だから、はっきり同じだと言いにくかった。
 自分は憎んでいる人間がいながら、人間のためという正義を掲げてアンデッドと戦おうとしている。

(・・・私って偽善者かな)

 妹紅が自己嫌悪に陥っていると、

「妹紅、おかわりしていいかな?」
「え? ああ、いいよ」

 妹紅が返事すると、一真は「よし」と言いながら櫃から飯を嬉しそうによそう。

「悪いな、メシまでご馳走になっちゃってさ」
「気にするなって。代わりに色々仕事やってもらうから」
「あ、そういう事? なら遠慮しなくていいな」

 そう言うと一真は飯を山盛りにした。

「いや、少しは遠慮しろよ、お前」

 ほとんど脊髄反射的につっこむ妹紅。

「まあまあ。ちゃんと仕事はするからさ」

 食べながらにこやかに答える一真。
 仕事云々は今思いついたのを言っただけなのだが。

「アンデッドはちゃんと封印するさ。それが俺の仕事だからな」

 笑顔で、しかししっかりと言い切った。
 軽い気持ちで言ったのではなく、当然の義務だとでもいう風に。

「・・・なら、まあいいよ」

 ばくばくと飯をかき込む一真を眺めながら、つぶやく。この男が相手だと、なぜかペースが狂う。それなのに悪い気がしないのは、もはや卑怯ですらある。
 だから妹紅も、再び夕食に箸をつけた。

(偽善とかどうとか、一真にもアンデッドにも関係ないよね)

 ぐだぐだと考えるのは性に合わない。今は、アンデッドを倒す事に集中していればいい。一真のように。そう頭を切り替え、妹紅も飯をかき込んだ。


◇ ◆ ◇


 あるのは静寂とわずかな月の光。夜の竹林の中には異様な雰囲気が漂う。
 その中をゆっくり進む人影があった。
 着物風のピンクの上着と長いスカート、黒絹のような長い髪の少女。その顔立ちはまだあどけなささえ感じさせる一方、その愛らしさに不釣り合いな程の気品も漂わせていた。不気味な闇の中さえも、彼女が立ち入れば一瞬で幻想的な空間へと変貌する。その場に誰かいれば、そう錯覚したであろう。それほど彼女は美しかった。
 彼女――蓬莱山ほうらいさん輝夜かぐやは歩きながら上方へ顔を向けた。
 竹の葉の間から月が垣間見えている。今夜の月はおおむね十三夜。あと数日で満月になるだろう。
 別に月が満月だろうと半月だろうと、何が変わるわけではない。それは幾星霜を通して変わらず続いてきた営み。そしてそれはこれからも続くのだ。月がそこにある限り、永遠に。
 これから自分が彼女に会いに行くのも、その後起こるだろう事も、これまでも繰り返されてきたし、これからも続くのだろう。
 別に構いはしない。時間など掃いて捨てるほどあるのだ。
 輝夜は自虐気味に口の端を吊り上げた。

「今からあなたを殺しに行くわ・・・妹紅」

 そうつぶやき、輝夜は仄暗い竹林の中へと歩を進めていった。


◇ ◆ ◇


「妹紅、水の量はいいぞ」
「うん。ご苦労さん」

 妹紅は火の入った風呂釜の前にしゃがんで竹を入れ込みながら、風呂場の窓から顔を出す一真に返事をした。
 夕食中、しばらく2人は色々な話題で会話を続けていた。そしてその後、風呂を沸かすために一真に水を入れさせていた。なみなみと水が入った桶を両手に持って風呂と井戸を何度も往復するのは重労働のはずだが、一真はそれほどきつそうではない。自分の場合、桶にあまり多く水を入れるとばててしまうので往復回数は多かったが、やはり力仕事は男にさせるべきらしい。

「汗かいたろ? お前が先に入っていいよ」
「いいのか?」

 勝手口から出てきた一真に声をかける。

「悪いな。じゃ、そうさせて・・・いや、待てよ」

 言いかけて、腕を組む一真。

「そういえば俺、着替えとか持って来てないんだよな。泊まる予定なんてなかったし」
「ああ、それもそうか」

 妹紅の服では考えるまでもなくサイズが合わない。「う~ん」と考え込む一真。

「里まで買いに行くかな」
「でもお前、こっちの金なんて持ってないだろ」
「あ・・・確かに」

 指輪などの持ち物を売れば多少の金になるだろうが、それは少々酷い気もする。

「仕方ない。私が金貸してやるよ」

 一応、多少は持っている。

「え? いや、でも」
「いいから。ちょっと待ってて」

 渋る一真を押しとどめて、勝手口から家に入る。棚に仕舞っていた財布を持って来て一真に渡す。

「ほら。1人で里まで行けるか?」
「ああ、それは大丈夫だと思うけど・・・」
「店の場所は慧音に聞けばわかるだろ。この時間ならまだ起きてるはずだし」

 財布を受け取った一真は申し訳なさそうに、

「なあ、ホントにいいのか?」
「気にするなって。じゃあ・・・明日、朝飯はお前が作ってくれよ」

 それを聞いた一真は笑って頷いた。

「わかった。じゃ行って来る」
「早く戻って来いよ」

 一真が表へ周った後、ブルースペイダーのエンジン音が鳴り響き、やがて遠ざかっていった。戻ってくるまで1時間程かかるだろう。自分が先に風呂に入っていていいかもしれない。そんな事を考えながら竹を風呂釜に入れ、火かき棒で適度に混ぜる。

「ふう」

 一息ついて、外壁に背を向けてしゃがむ。ふと空を見上げると、月が見えた。

「・・・・・・」

 月を見る度に“彼女”の事を思い出してしまう。それが“彼女”に対するいらつきを更に増長させる。いつもなら単にそれだけで気分を適当に切り替える所なのだが、今日は少し違った。
 アンデッドは戦いを幾度となく繰り返してきたという。その話を慧音や一真から聞いて、それが自分と“彼女”を想起させた。“彼女”との戦い――否、殺し合いは実に300年にも及ぶ。毎日というわけではないが。それは月の満ち欠けのように、ずっと繰り返されてきた歴史。始めた時から何も変わっていない。それはいつまで続くだろうか。
 自分の“彼女”への憎しみ――そして、それ以外の感情が消える事はあるまい。何かにこだわる事をやめてしまったら、自分は死ぬ事も年を取る事もない人形と一緒だ。体が人間ではなくなっても、心だけは人間のままでいたい。それが彼女を捕らえ続ける『永遠』に対する、せめてもの抵抗だ。

「・・・・・・」

 ふと、風呂釜を見ると竹がほとんど燃え尽きていた。意外と長い時間、物思いに耽っていたらしい。
 竹をまた数本くべ、そろそろ湯加減を見ようと立ち上がって勝手口へ足を向けようとした瞬間。
 気配を感じた。

「・・・!」

 反射的に、スペルカードが入ったポケットに手を入れる。“彼女”がやって来たのかと思ったのだ。
 意識を集中させて周囲を伺う。
 明かりは月光と風呂釜の炎、そして妹紅が作った火の玉くらいで辺りは暗い。燃やしている竹が時々爆ぜる以外は音もなく静かだ。次第に、気配がはっきり感じ取れてくる。格子のように立ち並ぶ竹の合間に目を凝らすと、影がわずかに見えてきた。

「あれは・・・?」

 大きめの火の玉を空中に生成し、ようやく相手の姿をはっきり視認できた。
 鉄仮面のような頭部に金属のような皮膚、左腕に2本の爪と右腕に幅広の甲殻を持っている。そして腰にはベルトのようなものが見受けられた。

「アンデッド!?」

 予想外の来訪者に妹紅は驚愕した。
 アンデッドが竹林にいると聞いて、自分の家を見つけるかもしれないと冗談めかして言いはしたものの、本当に現れるとは思わない。しかも間の悪い事に今、一真がいない。帰ってくるまで、あと数十分はかかるはず。それをどうにか乗り切らないといけない。

(慧音の話じゃ、竹林にいるのはトリ・・・何だっけ? 確か、三葉虫だったか・・・こいつがそうかな? それとウルフアンデッドってやつが・・・待てよ?)

 竹林にいるアンデッドは2体。その事を思い出し、目前のアンデッド――トリロバイトUから周囲へ注意を向けた時。
 右方向から殺気。

「!」

 咄嗟にしゃがみ込み、飛びかかってきた影からの攻撃を凌ごうとした。右肩に痛みを感じるも、地面を転がって影から間合いを取る。

「ハァァァッ!」
「くっ!」

 影はそのまま妹紅に追撃、妹紅はそれらをなんとかかわして火の玉を影に撃ち込み、炎の翼で上空へ飛んだ。

「やはり貴様も普通の人間ではないようだな?」

 影がしゃべる。白っぽい体色に狼のようなシルエット。毛並みのように全身に刃がついている。
 影――こいつがウルフUだと目星をつけた――とトリロバイトUを空中から睨みつける妹紅。

(アンデッドが協力してる・・・?)

 一真の話では、封印されたカードから解放されたアンデッド達はまとまって動いていたらしい。ここでも引き続き協力体制を取っているのだろうか。
 妹紅の右肩はウルフUの刃に切り裂かれ、血が流れ出ている。これくらいの傷ならばじきに回復するだろうが、2体のアンデッド相手では楽観はできない。肩を押さえ、自分の取るべき手段を考える。とはいえ、打てる手は限られる。
 一真がいなければアンデッドは封印できないので結局の所、彼が来るまで時間を稼ぐしかない。逃げるという方法もあるにはあるが、わざわざ向こうからやって来た所を見逃す気にはなれない。それに、自分の家の所在がばれてしまったのが非常にまずい。ここで逃がしたら襲撃を警戒しなければならなくなる。何より、放っておけば人間が襲われる危険性が高い。
 昼間の人里での惨劇が脳裏に蘇る。なんとか封印したい。そう思いを巡らせていると、

「ふん、まあいい。ここには妙な生き物ばかりいるようだが、何であろうと俺に敵うはずなどない」

 ウルフUは吐き捨てると、妹紅の家の屋根の上へ飛び上がり、更にジャンプして妹紅へ腕を振りかざす。

「!」

 咄嗟に降下して爪撃をやりすごし、振り向いてウルフUへ弾幕を放つ。地面へ降り立ったウルフUは即座に跳躍し、弾幕は地面に炸裂した。それを追うように弾幕を撃ち込むが、ウルフUは竹から竹へ身軽に飛び回り、狙うタイミングを絞らせない。

「この、ちょこまかと!」

 普通の弾幕ごっこ並の回避に――幻想郷の者なら、これくらいは誰でも出来る――狙い方を変える必要を感じていると、別の方向から殺気を感じた。
 妹紅が仰け反った直後、一瞬前まで彼女の頭があった空間を何か尖った物が通過していった。
 飛んできた方にはトリロバイトUがおり、左肩の突起を発射してきた。アンデッドは案外、飛び道具を備えているらしい。

「フッ!」

 トリロバイトUの攻撃に気を取られている所に、ウルフUが上から飛びかかってきた。身を翻して避け、弾幕を撃ち込む。
 ウルフUはせわしなく動き続けてかわし、トリロバイトUは右腕の甲殻を盾にして防いでいる。体に命中してもほとんど堪えていないようだ。

「くっ!」

 状況を打破する方法を思案しながら、妹紅は炎を撃ち続けた。


◇ ◆ ◇


「悪いな、慧音。こんな時間に」
「いや、構わん。気にしないでくれ」

 一真と慧音は人里の道を並んで歩いていた。
 夕食後、本を読んでいた所に一真が訪ねて来て、着替えを買いたいので店を教えて欲しいと言ってきた。それで今、その店に向かっている所だ。金は妹紅に貸してもらったらしい。代わりに家で色々仕事をする事になっているそうだ。

「ん?」

 と、一真が何かを見つけて足を止めた。道端に立てられた掲示板に人相書きが2枚貼りつけられている。

「あ、これ俺が教えた・・・」
「人間に変身した上級アンデッドの顔だ。町中に貼ってある」

 人相書きには、人食い妖怪と書かれている。

「アンデッドの事を説明しても、ほとんどわかってもらえないと思ってな」
「それもそうか」

 一真は頷き、少し屈んでいた背筋を伸ばす。そして辺りを見回し、

「そういえば、誰もいないな。いつもこうなのか?」

 通りには明かりはほとんどなく、慧音が持っている提灯を除けば家々から少し漏れ出る光くらいしかない。人影はまったくなく、慧音の家を出てからは見回りの男性数名と一度すれ違った以外に人は見ていない。

「元々少なくはあったが、昼間あんな事があったんだ。夜に出歩くのが恐くなるのも無理はない」
「・・・・・・」
「私は寺子屋をやっているんだが、それもしばらく休む事にした。昼間とはいえ子供を出歩かせにくいからな。それに・・・」

 提灯の光でわずかに照らされた地面に視線を落とす慧音。

「今日、アンデッドに殺された人達の中に1人、私の生徒の父親がいてな・・・その子は、とても勉強などできる状態じゃなかった」

 一真と妹紅がジャガーUと戦っていた間に被害者の家族が駆けつけた。父親の亡骸を前に母親にすがって泣き叫ぶ教え子の姿を見るのは、心が切り裂かれるほど辛かった。
 宿題を忘れたりすれば頭突きをやって泣かせたりするが、毎日勉強を教えたり面倒を見ていれば当然、自分の教え子は可愛い。授業などできる気力がないのは、むしろ自分の方かもしれない。いつも満月の夜にハクタクの能力で得た正確な歴史を歴史書に書いているが、今日の事を記録するのはとても辛いだろう。
 沈んでいると、一真が肩に手を置いて顔を覗きこんできた。

「大丈夫だ、慧音。残りのアンデッドは必ず俺が封印する。寺子屋もすぐに再開できるようにするよ。約束する」

 件の襲撃の際、逃げる人々をかき分けてジャガーUに向かっていった彼の姿が脳裏に蘇る。ライダーという力があるとはいえ、アンデッドのような怪物に立ち向かうにはかなりの勇気がいる。それを彼は、アンデッドの姿を見るや何の躊躇もなく向かっていった。あの行動だけで彼は勇敢な男だと十分に理解できる。それも手伝ってだろう。笑顔を浮かべ優しく言い聞かせるような一真の穏やかな口調には、とても安心感があった。
 慧音は一真に小さく頭を下げた。

「よろしく頼む、一真」
「ああ、任せてくれ」

 ぐっと握り拳を作って応える一真。頼もしいと思った。

「急ごうか。妹紅を待たせてはいけない」

 再び歩き出し、やがて目当ての店に着いた。
 里でも珍しい洋風の服を扱っている店で、なんでも奉公していた店のつてで外の世界の品物を扱う道具屋から服を卸しているらしい。店主は物好きらしく、大抵の店が閉まる時間も営業している。2つの意味で、一真にとっては運が良かったと言えるだろう。

「ここだ。私は外で待っていよう」
「ああ、すぐ終わるよ」

 一真が店に入っていったのを見届け、慧音は店の脇の路地に入った。空を見上げると、月が出ている。満月まであと少しという所だ。
 帽子を取り、ハクタクに変身する。人通りがほとんどないとは言え、通りで堂々と変身はしにくい。
 ワーハクタクである慧音はハクタクになっている時だけ、歴史を正確に認識する事ができる。本来、ハクタクの力は満月の夜に真価を発揮する。満月でない時でもハクタクに変身はできるが、心身ともに負担が大きい。昼間は短い時間しか持たず、今日変身した時もだいぶ疲労があった。月の出ている夜は負担は小さい。
 慧音は意識を集中させ、アンデッドに関する歴史を見ていく。先ほどの一真の励ましを受けて、今何かをしたいと思った。今、この瞬間にも誰かがアンデッドに襲われていないとも限らない。昼に調べたアンデッドの痕跡を辿って行く。

「・・・えっ?」

 その結果得られた情報は、悪い予感が的中している事を示すものだった。しかも・・・
 慧音は慌てて角と尻尾を引っ込め、表へ飛び出した。ちょうど袋を持って出てきた一真と出くわし、彼に飛びつくように訴える。

「一真、大変だ! 妹紅が今、アンデッドに襲われている!」
「へ?」

 急に言われて一真は困惑したようだったが、すぐに真剣な表情になる。

「どういう事なんだ!?」
「今、歴史を見たら妹紅の家にアンデッドが2体現れたらしいんだ! 急がないと彼女が危ない!」

 それを聞いて一真は走り出した。

「一真、私も行く!」

 慧音も一真を追って駆け出す。一真は背が高い上に走り方もわかっているようで足が速く、まったく追いつけない。

「変身!」

『 Turn up 』

 里の門を出た所で、一真はブレイドに変身した。
 ブレイドがブルースペイダーとかいう乗り物にまたがった所で慧音はようやく追いついた。

「後ろに乗ってくれ!」
「・・・どう乗ればいい?」

 妹紅達がジャガーUを倒して戻ってきた時に2人が乗っているのを見たが、ワンピースを着ている自分ではまたがるのは難しい。

「横から腰かけるように乗るといい。タイヤにスカートを巻き込まないように気をつけて」
「こうかな?」

 言われた通り、足をそろえて左側からシートに座り、スカートを足に巻きつけるように固定する。

 ブレイドはラウズカードを取り出し、ブルースペイダーのカードリーダーに通す。

『 Mach 』

「行くぞ! 目一杯飛ばすから、しっかり捕まっていてくれ!」
「わかった」

 そう言って一真はアクセルを捻りこみ――

 ギャリギャリギャリギャリッ!

 激しく回転するタイヤが地面をけたたましく抉り――

 ギュオンッ!

「うわ!?」

 慧音の帽子が後ろへ吹き飛んだ。正確には、帽子だけがその場に取り残された。ブルースペイダーは電光の如き加速で走り出し、一瞬で人里が見えなくなった。空気を切り裂く音が大きく、耳を塞ぎたいが両腕でしっかり一真にしがみついていないとふりほどかれそうだ。注視しないと周囲の景色がまともに判別できないほど早く流れていっている。尋常でない速度に、慧音は冷や汗をかいた。

(ど、どうしてこんなスピードが出せる!? そういえばさっきラウズカードを・・・)

 ブルースペイダーで走り出す直前に一真が使ったラウズカードの音声を思い返す。
 確か『MACH』だった。

(マッハ・・・音速!? 急ぐからって、限度があるだろう!?)

 納得すると同時に、一真に頭突きを食らわせてやりたいと思った。しかし、こんな猛烈な速度で走っている時に転倒でもしたら本気で命が危ない。緊急事態とはいえ、恐怖すら感じるほどの超スピードに神経を削られながら慧音はじっと耐えるしかなかった。

<『MACH』消費AP 1600>
<ブレイド残りAP 3400>


◇ ◆ ◇


 唐突に解放された後、何かに導かれるようにこの世界へやってきた。なんとも奇妙な世界で、人間と思って襲ったものがことごとく人間ではなかった――妖怪やら妖精だなどと名乗っていたようだったが、上級アンデッドである自分に比べれば遥かに脆弱だった――。
 その間も他のアンデッドの気配は感じていた。アンデッド同士で戦った形跡はなく、やつらもこの世界の人外と戦っているのだろう。アンデッドを狙いたかったが、近い位置におらず行こうとしても途中で戦いが終わったようで気配が消えてしまう。それが数度あった。
 そして日が沈む頃になって、この竹林の中にアンデッドの気配を感じ、ようやくトリロバイトUとまみえる事ができた。叩きのめし屈服させて満足したので―――どうせ自分では封印できない――人間や人間もどきを襲うのに使ってやろうと引き連れていると、家と女を見つけた。
 やはり普通の人間ではなく、空を飛ぶ上に炎の技を使ってくる。それまで蹴散らした人間もどきよりはできるようだが、パワーに欠けるのか決定打になるような攻撃を狙う素振りすらない。飛び回りながらたいした威力のない炎の弾を撃ってくるだけだ。2体がかりでもなかなか追い込む事ができないが、それも時間の問題だろう。竹林を縦横無尽に跳ね、次々に飛来する炎はほとんど自分に当たらない。
 竹の幹に手と足をかけ、竹に張りついた状態から竹を蹴り、別の竹へ飛ぶ。炎の翼を背中に生やした女は狙いどころを伺っているのか、自分より低い高度を滑空している。チャンスと見たウルフUは横を通り過ぎようとした竹を左腕でつかみ、それを支点に回転して方向転換、そして腕を離して女目がけて落下していく。女はそれを見てウルフUから遠ざかるように後ろ向きに下がりながら火球を放つ。
 ウルフUは火球を爪で打ち払いつつ着地し、即座に女を追って大地を蹴る。女は炎を撃ちながら後ろ向きに飛び、ウルフUは火の弾を左右に動いたり腕で払ってかわしながら追走する。
 少しずつ距離が詰まっていく。女は焦った表情を浮かべている。不意に女の飛行速度が落ち、そこに一気に踏み込む。

「フッ!」

 短く息を吐き、女の腹目がけて爪を突きこむ。
 しかし、爪は空を切った。

「!」

 急上昇した女を見上げる。その顔は笑っていた。

「・・・何がおかしい?」

 爪をカチカチと鳴らしながら言う。疲労はほとんどない。女は空中で笑ったままポケットに両手を入れた。

「狙い通りに事が進んだからさ」
「何だと?」

 月明かりに照らされた女の不敵な笑顔に眉をひそめる。

(・・・何? 月明かり?)

 竹林の中では月の光などほとんど届かなかったはずだ。周りを見渡すと、回り一面に立ち並んでいた竹が1本もなくなっていた。後ろを振り返ると、だいぶ離れた距離に竹林が見えた。いつの間にか竹林の外まで誘導されたらしい。

「なるほど・・・」

 竹林では自分の足場になる竹に事欠かない。地の利を削ぐために竹林の外へおびき出したようだ。
 さっき女が隙を見せたのは、自分自身をエサにしてウルフUを竹林から誘い出す最後の詰めだったのだ。炎を撃っていたのも、自分が凌ぎながら走れる程度に加減していたのだろう。そうすればかえって女を追うのに集中するし、ある程度視界を遮る事もできる。
 まんまと引っ掛けられてしまったというわけだ。そして、女がそういう行動を取った意味は、

「オレと徹底的に戦うつもりか、貴様」

 自分にとって有利な地形へ誘い込んだ。つまり戦って勝つつもりでいるという事だ。相手の策にハメられた苛立ちや怒りよりも、相手の戦う意思をしっかり感じ取れた事による高揚感が勝っていた。
 アンデッドは戦うために生み出された存在。戦い、倒し、勝ち残り己の種族を繁栄させる事が使命――いや、アンデッドの唯一の存在価値。

「だが、貴様ごときにオレは倒せんぞ」
「そいつはどうかな?」

 余裕の表情を浮かべ、右手をポケットから出して髪をかき上げる女。と、ウルフUは切り裂いたはずの右肩の傷が治っていることに気づいた。

「何・・・? なぜ傷が・・・?」
「私はお前らと同じ不老不死なのさ」
「なんだと?」

 ウルフUは二重の意味で驚いた。普通の人間ではないと思っていたが、この女も不死だという事。そして、アンデッドの事を知っているという事だ。

「だからって、お前達に同情なんてしない」

 女の表情が変わった。

「もうこれ以上お前達に好き勝手させるわけにはいかない。まとめて仕留める」

 女の体から火の粉が舞い、長い髪が浮き上がる。『これ以上』というセリフに引っかかるものがあったが、それよりも女の発する熱気と闘志の方に興味を惹かれた。

「・・・今から本気を出すという事か」

 気配で後ろを伺うと、トリロバイトUはすでに竹林から出てきていたようだ。一体どんな戦いになるのか。血が滾るのが自覚できた。思わず拳を握る。

「不死鳥は燃え尽きても、灰の中から新たな命を得て蘇る。お前が不死鳥ほど気高く立ち上がれるか、確かめてやる!」

 女が両腕を振り上げ、その手に炎が燃え盛る。そして振り下ろされた腕から、大量の炎の弾が撃ち放たれた。

「!」

 さらに女は素早く左側へ回り込み、そちらからも炎球が雨霰と降りそそぐ。視界一面に広がる炎の壁が迫る。

「クッ!」

 逃げるのは間に合わないと判断し、赤く輝く弾幕を見据える。激流のような炎は目前まで迫っている。その熱気だけで皮膚が焼けつくようだ。そして直径数十センチほどある最初の火の弾がウルフUへと到達した。

「ヌウゥッ!」

 ウルフUはそれをかわし、次々に飛来する弾幕を避け続けた。
 前と左、アンデッドゆえの優れた感覚で弾幕の位置を見切り、前後左右に細かく動いてそれをやり過ごし、避け切れないものは爪で打ち払う。理不尽な事に、火球同士は触れてもぶつかって消える事はなくそのまますり抜けてしまう。
 かわしきれなかった炎が左肩に当たり、ボンと爆ぜる。当然、肩には熱傷が残った。
 その痛みを堪えひたすらかわし続けるが、数が数。2発3発と次々に火炎の弾幕を浴びていく。
 さらに、右斜め後ろの方からも弾幕が迫るのを知覚して、ウルフUは総毛立った。あの女は本気で自分達を灰にするつもりらしい。
 アンデッドである自分が死ぬ事はないが、負ける事は許されない。勝つ事がアンデッドの誇りなのだ。


◇ ◆ ◇


「あれは!?」

 ブレイドは正面方向、妹紅の家の方角が明るくなっているのに気づいた。赤い光が揺らめき、暗い空を照らし出している。

「炎・・・? 妹紅か!?」
「ちょっ、一真、できれば少しゆっくり――うわ!?」

 アクセルを捻り込み、ブルースペイダーは夜の幻想郷を駆け抜ける。


◇ ◆ ◇



 ウルフUは頭をフル回転させ、弾幕からの突破口を探した。なんとか活路を見出さねばならない。
 と、その場にいるもう1体のアンデッドの存在を思い出した。
 弾幕の流れに逆らいながらトリロバイトUの気配の方へ走る。足に被弾してバランスを崩しかけたが、転倒などしようものなら確実に消し炭になってしまうので全力で耐えた。
 どうにかトリロバイトUが見える所まで来ると、トリロバイトUは直立したまま弾幕を受けまくっていた。しかしトリロバイトUは全く動じておらず平然としている。よく見れば体全体が鋼鉄のような鈍い色になっており、冷たい光沢を放っている。
 トリロバイトUは体を鋼鉄化させる能力を持っている。この状況なら、それを使って凌ごうとするだろうと考えたが案の定だった。
 鋼鉄化したトリロバイトUに素早く近寄り、それを盾に弾幕をやり過ごす。複数方向から飛んでくるためトリロバイトUだけで全てを避ける事は出来ないが、それでもだいぶマシになった。トリロバイトUを中心に動いて安全な空間を探し当て、その間に気配を探る。
 今のままでは焼き尽くされるのは時間の問題。その前に敵を倒すしかない。途切れる事のない炎の弾幕に囲まれながら、やがて女の気配を探り当てる。割と近い位置を飛びながら火球を撃ちまくっているようだ。こちらがトリロバイトUを盾に使い出したので焦れているのかも知れない。
 意識を集中させて女の気配に注意を払う。

(今だ!)
「ハァッ!」

 トリロバイトUの肩を踏み台にして、女の気配目がけて大きく跳躍する。
 空中から見下ろすと、大地はまさしく炎の海と化していた。大量の炎の弾が隙間も見当たらないほど飛び交う様は、地獄どころか美しくもさえ見える。そしてその炎を撃ち続ける火の鳥は、まだこちらが空中にいる事に気づいていないまま弾幕を放っている。
 やがてウルフUの体は空中で弧を描くように降下しだした。
 ようやく女が驚いた顔でこちらを見上げたのは、ウルフUが右腕を振り下ろす瞬間だった。

「うっ!?」

 しかし女は反射的に後ろへ飛び退き、爪は頬をかすめ、髪に結んだ小さいリボンが千切れ飛ぶ。
 着地し、再度跳躍して左の爪を体勢を崩した女の腹目がけて突き出す。凍りついた女の顔を見て、決まりだ、と思った瞬間――
 左肩に衝撃を受けて吹き飛ばされた。

「グッ!?」

 なんとか足から着地し、攻撃が飛んで来たと思われる方向――竹林に目を向ける。

「今のは・・・」

 仕留め損ねた女のつぶやきが聞こえる。

「派手にやってると思ったら、やられそうだったじゃないの。妹紅」

 暗い竹林の中から別の女が姿を現した。ピンクの服に赤いスカート、長い黒髪。

「輝夜っ!?」

 上空の女が驚いた声を上げる。

「お前・・・っ! なんでここに!?」
「決まってるでしょ。あなたを殺しに来たんだけど・・・今夜は先客がいたみたいね。何なの、そいつら?」

 輝夜という女――人間の名前などいちいち覚えていられないが――は物騒な事をさらりと言いながら、袖で口元を覆う。
 妹紅というらしい女はこっちをにらんで、

「こいつらはアンデッド・・・外の世界から来た、私達と同じ不死の怪物だ」
「あら、蓬莱人以外にもそんなのがいたのかしら」

 ウルフUは輝夜と妹紅の関係を推し量りかねていた。殺しに来たと言っているくせに助けたので、妹紅の敵か味方かはっきりしないのだ。今のわずかな会話にしても、一見普通の顔見知りのようでどこかそっけない。それに、妹紅が引っかかる事を言っていた。

(・・・『私達と同じ』?)

 その意味はつまり・・・

「さて、どうしたものかしらね。せっかくのデートの邪魔しちゃ悪い――」

 意地悪く笑いながら言っていた輝夜の言葉は、不意に飛んできた矢のようなものに阻まれた。矢は輝夜の右手をかすめ、彼女の手の甲から赤い血が滴り落ちる。

「・・・・・・」

 その場の全員の視線が集中する先には、いつの間にか鋼鉄化を解いていたトリロバイトUがいた。肩から突起を輝夜へ発射したようだった。見た目は人間であるし、ウルフUが攻撃されたのを見て敵と見なしたのだろうが、敵か味方かはっきりしない状態でそんな事をすれば・・・

「やったわね・・・」

 輝夜は口の端を吊り上げ――だが目には怒りの色が浮かんでいる――何かカードを1枚取り出した。一瞬ラウズカードかと思ったが、そんなはずはない。

「『五色の弾丸』でお返しよ!」

 輝夜が叫ぶと同時に彼女の周囲に数個の光の玉が現れ、そこからさらに光が放たれた。赤・青・白・黄・黒の5色の光の矢が尾を引いて飛来する。
 それは妹紅の炎の弾幕とは違った美しさを放っていたが、当たればどうなるのか大体予想がつくので回避に専念した。先ほどの炎の嵐に比べれば優しいといえる。トリロバイトUを見ると、鋼鉄化はせず多少避けつつ腕の甲殻で防いでいる。

「おいっ、輝夜!」

 その弾幕は妹紅まで巻き込んでいたらしい。宙を舞い、避けながら怒鳴る彼女に輝夜はにべもなく、

「これくらい、いつも避けてるじゃないの」
「お前は・・・!」

 片や弾幕を撃ち、もう一方がそれを避けながら言い合うのを聞きつつ弾幕を避けながら、ウルフUは輝夜の手の傷がすでに癒えているのに気づいた。さきほどの『私達と同じ』というのはやはり、輝夜も妹紅と同様の不死の存在だという事だ。
 その事実と2人の言い合いの内容からウルフUはようやく、この2人は自分達と同じなのだと思い至った。アンデッド同様、戦い合う因縁にあるものの、その期間が――付き合いが、とも言えるかも知れない――長いため殺伐としていながら多少馴れ合っている。そういう関係なのだと推測した。恐らく、この2人も何度も戦っているのだろう。

「今、お前とやりあっている場合じゃない! こいつら、放っておけば無差別に人間を襲う! 倒さないといけないんだ!」
「そんな事言っても、不死身なんじゃ倒しようがないじゃないの」
「それは・・・」

 ウルフUは、2人の会話を聞きながらどうするべきか考えていた。この場にいる全員が不死となると痛み分けにならざるを得ないのだが、どうやって戦いを中断させるか。その思考は、妹紅の次の言葉で吹き飛んだ。

「手立ては有るさ・・・こいつらを封印する手段がな」
「何!?」

 耳を疑ったが、妹紅は間違いなく『封印』と言った。なぜそんな事を知っているのか。驚いて妹紅を凝視すると、彼女は遠くウルフUの後方を見ながらにやりと笑っている。そして、その後方から音が聞こえた。
 大いに聞き覚えのある音。
 振り返ると、光を放つ何かがこっち目がけて凄まじい速度で突っ込んできた。

「ウッ!?」

 慌てて横へ身を投げ出し、すんでの所で光をかわす。光を放つものは轟音と風を撒き散らしながら、ウルフUがいた場所を通り過ぎて止まった。起き上がり、それ――青いバイク――をにらむ。
 自分自身が使っていたので、音だけでバイクだと瞬時に判別できた。しかもこのバイクには見覚えもある。そしてその乗り手にも。

「ブレイド!?」

 忘れるはずもない。一度自分を封印した男、仮面ライダーブレイドだ。アンデッドサーチャーで自分の位置を捕捉してきたのか。そうでなければ、これほど都合よく現れるはずがない。

「お前は!」

 当然、向こうもこっちを知っている。赤い目でこちらを睨みつけてくる。

「遅いじゃないか、一真!」
「妹紅! 大丈夫か!?」
「まったく、1人で全部やっちゃう所だったぞ!」

 ホッとした表情で軽口を叩く妹紅。その瞬間、妹紅がアンデッドの事を知っている理由を理解した。

(この女、ブレイドの仲間だったのか!)
「チィッ!」

 自分の失策を呪いながら、ウルフUはブレイドへ踊りかかった。ブレイドはバイクから降り、ウルフUへ踏み込んで爪をかわして腕を振るう。それを防ぎ、両腕で組み合う。

「まさかこんな所まで追ってくるとはな! いつかの礼をさせてもらうぞ!」
「お前の好きなようにさせるか!」

 組み合ったままにらみ合うブレイドとウルフU。

「お前を・・・もう一度封印する!」
「やれるものなら・・・やってみろ!」

 ブレイドの腹に蹴りを入れ、ラッシュをかける。数発の攻撃がブレイドに入るが、ブレイドは後ろへ下がりながら身を翻して間合いを取り、腰の剣を引き抜く。月光に煌めく刃がウルフUの胸をかすめ、さらに返す刃が描く弧の外側へ飛び退く。

「・・・・・・」
「・・・・・・」

 ウルフUは腰を落とし、ブレイドは剣に手を添えて構える。ゆっくりと足を運び、位置を、飛び込む隙を、仕掛けてくるタイミングを計る。呼吸さえ、心音の変化すら聞き逃すまいと意識を研ぎ澄ます。世界から自分達2人以外のものが消える。そう錯覚するほど集中していた。そして、感じ取る。ブレイドの足が一瞬強く踏み込むのを。

「!」
「はっ!」

 小さい動きで刃が下から斬り上げられる。左へ体をずらしてかわし、刃を返す前に肉薄する。ブレイドはそれを肘で阻み、膝蹴りを繰り出す。膝は右腕で防ぎ、左の爪を突きこむ。身を捻るブレイド。爪は胸の装甲に受け流される。さらに逆の方向へ身を捻りながら肘をたたみつつ剣を振るい、至近距離でありながらウルフUの胸が斬りつけられた。しかし大して力はこもっておらず、一瞬怯んだものの左腕を裏拳気味に左へ振るう。腕についた多数の刃がブレイドの横っ面に浴びせられる。2人同時に足を突き出し、同時に蹴りが当たる。それにバランスを崩し、後ろへ下がる2人の戦士は再び距離を取って対峙した。


◇ ◆ ◇


 妹紅は一真がウルフUの戦いをじっと見ていた。2人の集中力が作り出した場に引き込まれてしまっていたのだ。直後のわずかな時間の内に繰り広げられた攻防。息を呑む戦いに我を忘れて見入った。同時に、この2人の戦いは幻想郷において異質である事を改めて認識した。弾幕を全く使わず、相手を倒すための攻撃ばかり繰り出している。さっきの自分もそうだったが、こういう戦い方は本来幻想郷であってはならないスタイル。やはりアンデッドは幻想郷にいてはいけない存在だ。
 だが、自分がそれを言えるのか? 輝夜を殺したい自分に――

「妹紅、ご無事でしたか」

 不意に声をかけられ、我に返る。なぜかふらついている慧音がブルースペイダーから降りてきていた。

「慧音、来てくれたんだ」

 地上に降りて駆け寄ると慧音が少しよろけたので、慌ててそれを支える。

「慧音、大丈夫?」
「心配しているのは私の方なんですが・・・一真があんまり飛ばしていたもので」

 彼女の顔がいつもより白く見えるのは月明かりのせいばかりではないらしい。しかし確かにブルースペイダーは早いが、こんなふらふらになる程だったろうか。

「わ、悪いね。でも、なんで慧音も?」
「たまたまアンデッドの歴史を辿っていたら、あなたと戦っているとわかったもので一真に知らせて飛んで来たんです」
「ありがとう慧音。やっぱ持つべきものは友達だね」

 笑いかけながら、ぽんぽんと慧音の背中を叩く。

「また変なのが増えたわね。あれの同類?」

 と、そこに輝夜がやって来た。トリロバイトUは、輝夜が作り出した光が張り続ける弾幕で動きを抑えられている。
 妹紅は輝夜に詰め寄った。

「輝夜、あいつは外の世界からアンデッドを追ってきたやつで、あいつならアンデッドを封印できるんだ」
「さっき言った倒す手って、その事?」
「ああ」

 妹紅は輝夜の襟をつかみ、声を荒げる。

「いいか。あいつはアンデッドから人を守るために幻想郷まで来たんだ。あいつには絶対攻撃するんじゃないぞ! あいつに手を出したら、私が許さないからな!」
「わかったわよ」

 妹紅の手を振り払い、襟を正す輝夜。

「とりあえず私はあっちのと適当に遊んでるから。早く済ませてよね」

 そう言うと輝夜はトリロバイトUの方へ向かって行った。

「妹紅・・・なぜ輝夜がここに?」

 聞いてくる慧音に背を向けたまま、

「いつもの用事だよ。たまたまアンデッドが来た時にあいつも来ただけ」
「・・・そうですか」

 感情を抑えようとして、それでも抑えきれない声だった事に慧音は気づいたようだ。
 輝夜こそ妹紅が憎み、300年の長きに渡って殺し合いを続けてきた不死者だ。両者とも不死の為、当然決着など着くわけがなく、もはや2人の習慣と化している。妹紅はため息をつき、輝夜への黒い感情を払うように頭を振る。

「それより、まずはあっちのウルフUから片づけよう。3人がかりなら――」
「ウェェェェイ!」
「!?」

 大声の聞こえる方を見ると、一真の拳とウルフUの蹴りが同時に炸裂している所だった。


◇ ◆ ◇


 一真が以前ウルフUを封印した際は、橘も一緒に戦ってくれた。2人がかりでどうにか倒せた強敵だったが、それから一真も腕を上げている。
 一真――ブレイドとウルフU、両者の実力は拮抗しているといえる。
 攻撃を当て、防ぎ、かわした回数はおおむね同じ。ウルフUが妹紅と戦った後なのを鑑みても、ブレイドとしての戦闘能力は感嘆すべきレベルだった。しかし、ラウズカードを使うスキがなかなか見出せず、決め技が狙えない。当然ウルフUの方もそれをわかっていて攻め立て、あるいは着かず離れずの位置を保っているのだ。跳躍して一息で間合いを詰めるウルフUの爪を地面を転がってかわし、素早く起き上がって次の攻撃をブレイラウザーで受ける。力任せに弾き返し、刃を振るうが紙一重でかわされる。ブレイラウザーを振るった勢いに逆らわず身を翻しながら横へ動き、ウルフUの反撃をやりすごす。踏み込もうとした所を狙ったウルフUの飛び蹴りを、かろうじて肩で受けて頭を守る。それでよろけた所を肉薄され、体中の刃を利用した連続攻撃を浴びせられる。
 やはり全アンデッドの中でも最も強い力を持つ上級アンデッド。一筋縄でいかない事は経験から良くわかっていた。
 だからこそ、倒さねばならない。こんな怪物に襲われれば、普通の人間に成す術などない。人里の犠牲者の遺族の、先ほどの慧音の悲しい顔が浮かぶ。両親を亡くした時に経験した不条理な悲しみ。もう誰にも、あんな悲しい思いをして欲しくない――させたくない。装甲ごしに伝わる痛みを堪える一真の意識の中で、そんな思いが強くなっていった。

「終わりだ、ブレイド!」

 喉元目がけてウルフUの爪が突き出される――直前にブレイドは自ら踏み込み、肘をウルフUの顔面に叩き込んでいた。

「ウグゥ!?」

 カウンターをくらったウルフUはたたらを踏んで後ずさる。

「俺は・・・」

 肘を打ち込んだ姿勢でブレイドが声を絞るように上げる。

「俺は絶対に負けない! 負けられない!」

 叫ぶと同時、ブレイラウザーのナックルガードを叩き込つけるようにパンチをウルフUの顔に打ち込む。
 そこから、今度はブレイドが攻勢に転じた。ブレイラウザーの刃はことごとくウルフUの体をとらえ、ウルフUの反撃はいなされるか空を切るばかり。
 ライダーシステムは装着者の精神状態によってパワーが大きく左右される。装着者と融合するカテゴリーAとの『融合係数』が影響するためで、戦う事に消極的だったり恐怖感を抱いたりしていると融合係数が下がってカテゴリーAとの融合の親和性が悪くなり、カテゴリーAの力が引き出せなくなる。逆に、確固たる強い信念を持って戦いに臨めば融合係数は上がり、装着者がカテゴリーAの持つ力を強く引き出す事が出来る。一真は先天的に融合係数が高い体質で、さらに人のために戦う優しく強い心を持ち合わせた、仮面ライダーになるべくして生まれたような人間だった。

「クッ!」

 ウルフUが突きを繰り出そうと右腕を上げた瞬間、ブレイドの蹴りが一瞬だけ無防備になったウルフUの右脇腹に命中した。

「ガァッ!?」

 ほぼダイレクトに肺に衝撃を受け、一瞬ウルフUの呼吸と動きが止まる。振り下ろされたブレイラウザーが火花を散らす。

「グハァッ!」
「うぉぉおおおっ!」

 叫びと共に剣を振り上げる。渾身の斬り上げを受け、ウルフUはついに地に伏した。転がるウルフUを一瞥し、ブレイドはブレイラウザーのトレイを開いて2枚のカードを取り出し、カードリーダーにラウズした。

『 Beat 』
『 Fire 』

『 Burning Fist 』

 『BEAT』に描かれた前足の大きなライオンと『FIRE』のホタルの絵の形をした光のビジョンがブレイドアーマーに吸い込まれ、ブレイドが頭上に掲げた右拳に炎が巻きつく。そして拳を引きながら、膝をつくウルフUに向かって跳躍した。

「ウェェェェイ!」

<『BEAT』消費AP 600>
<『FIRE』消費AP 1000>
<ブレイド残りAP 1800>

「クッ!」

 突き出される炎の拳を避けられないと判断したウルフUは軽く地を蹴って宙に体を横たえるように浮き上がり、右足を蹴りこんだ。そしてブレイドのパンチが一瞬早くウルフUの左肩に、直後にウルフUのキックが一真の胸に命中した。

「うっ!?」
「グォッ!」

 同時に倒れこむブレイドとウルフU。2人ともすぐに立ち上がろうとするが、それぞれ肩と胸を押さえて膝をついた。

「一真!」

 そこに駆けつける妹紅と慧音。
 ウルフUは状況は明らかに不利、そして逃げられるチャンスは今しかないと判断し、肩を押さえつつ後方の竹林へ走り出した。

「待て!」

 後ろから妹紅の怒号。
 直感で危険を察知し、ジャンプすると足元で炎が炸裂した。竹林の中へ入り、立て続けに撃ち込まれる炎は竹を焦がすにとどまった。

「くそ!」
「妹紅、深追いは危険です!」

 後を追おうとする妹紅を慧音が止める。

「だけど!」
「手負いの獣ほど危険なものはありません。それより一真が」

 ブレイドは胸を押さえて、肩で息をしていた。

「一真、大丈夫か!?」
「ああ・・・大した事はない」

 仮面に覆われた顔を上げて返事をするブレイド。

「それより、もう1体は?」
「それなら・・・」

 見ると、トリロバイトUは輝夜の弾幕を防ぐ一方だった。しかし頑丈なため、有効なダメージが与えられないでいる。輝夜も本気で倒すつもりがないでいるのだが、仮にその気だったとしても鋼鉄化で大抵の攻撃は凌いでしまうだろう。だが、鋼鉄化していると動けないので攻撃が出来ない。だから常に鋼鉄化はしないのだ。倒すには、一瞬の隙を突いて強力な攻撃を叩き込まなければならない。

「妹紅、ヤツからなんとかスキを作れるか?」

 一真は左手首に取りつけた『ラウズアブゾーバー』のホルダーから『ABSORB』のカードを取りながら言った。

「わかった。やってみる」

 妹紅は答えると、炎の翼で空へ舞った。

『 Absorb 』

 一真が『ABSORB』をブレイラウザーに読み込ませると、ブレイラウザーの表示APの数値が上昇した。

<『ABSORB』AP2000回復>
<ブレイド残りAP 3800>

 妹紅も宙でスペルカードを宣言する。

蓬莱ほうらい凱風快晴がいふうかいせい・フジヤマヴォルケイノ』!」

 大きな炎の玉を生成し、それを――

「輝夜!」

 トリロバイトUとそれに弾幕を打ち続ける輝夜の間辺りに投げつける。

「えっ? ちょ、ちょっと!?」

 それを見た輝夜は慌てて弾幕を中断し、逃げ出す。火の玉が地面に触れると、轟音と共に地面が揺れ、文字通り噴火のような大爆発が起こった。トリロバイトUはその炎と衝撃に巻かれ、大きく体勢を崩した。

「今だ!」

 それを見たブレイドは用意していた3枚のカードをラウズする。

『 Kick 』
『 Fire 』
『 Mach 』

『 Burning Sonic 』

 カードリーダーに通した『KICK』の大きな後ろ足のイナゴ、『FIRE』のホタル、『MACH』のジャガーの大きな光のビジョンが一真の背後に現れ、1つずつブレイドのボディに吸い込まれる。
 ブレイラウザーを地面に突き立てるブレイドの仮面がスペード型に赤く輝く。

<『KICK』消費AP 1000>
<『FIRE』消費AP 1000>
<『MACH』消費AP 1600>
<ブレイド残りAP 200>

「おおおおっ!」

 走り出すブレイド。『Mach』の効果で残像しか見えない程の速度でトリロバイトUに向かっていき、そしてジャンプした。

「ウェェェェェイ!」

 右足を突き出し、真っ赤な弾頭と化したブレイド。よろけていたトリロバイトUの胸に蹴りが打ち込まれ、大きく鈍い音と共に足先から炎が散り、トリロバイトUの体が滑るように低空を飛ぶ。地面に叩きつけられたトリロバイトUは爆発し、ベルトのバックルが開いた。
 着地してそれを見届けた一真はブレイラウザーへ歩み寄り、カードを取り出してトリロバイトUへ投げつけた。大地に横たわるトリロバイトUの体にプロパーブランクが突き刺さり、カードに吸収された。ブレイドの手元へ三葉虫の絵が描かれた『7 METAL』のカードが飛んで戻ってきた。

「やったな、一真」

 バックルのハンドルを引き、元の姿に戻った一真に妹紅が声をかける。

「大丈夫か?」
「ああ、なんとかな」

 胸をさすりながら返事する一真。

「なるほど、今のが封印ってやつね」

 輝夜の声に、妹紅ら3人は彼女の方を向いた。

「それより、さっきのはひどいんじゃない? 私まで巻き込まれる所だったわよ」
「あれくらい、いつも避けてるじゃないか」

 言ってから輝夜に顔を背け、見えないように舌を出す妹紅。輝夜は憮然とした表情で、

「なによ。さっき私が助けてあげたっていうのに」
「よく言う――」
「君が妹紅を助けてくれたのか? ありがとうな」

 言いかけた妹紅を遮るように一真が――その気はなかったが――手を差し出しながら輝夜へ歩み寄ろうとしたが、妹紅がその腕をつかんで止めた。

「やめろ、一真! そんなやつに礼なんて言う必要ない!」
「えっ・・・」

 驚いた表情を妹紅に向ける一真。話からするに知り合いのようであったし、そんな事を言われるとは露ほども思っていなかった。
 しかし妹紅は一真の戸惑いも意に介さず、輝夜を険しい顔で睨みつけている。その鋭い視線を受ける輝夜はふっと笑い、

「今夜はもう帰るわ。なんだか気がそがれちゃった」

 妹紅らに背を向け、袖で口元を隠しながら振り返り、

「それじゃあね、妹紅。また今度、殺しに来るわ」
「――!?」

 その言葉に驚く一真。当の妹紅は黙って輝夜を睨んでいる。そして輝夜は、月明かりの届かない竹林の闇の中へと姿を消した。


◇ ◆ ◇


 夜の空を翔ける影があった。イーグルUは夜の幻想郷の風を切りながら、戦う相手を探していた。目指すは2体のアンデッドの気配。それも戦っている時のものだ。だが、その気配はとうに2つとも消えていた。戦いはすでに終わったのだろう。しかし、まだその辺りにアンデッド、もしくはアンデッドと戦った者がいるかも知れない。もしかするとそれは、ブレイドかあの不死の娘ではないか――そう考えながら飛んでいると、見覚えのある景色が見えてきた。月明かりのみで少々わかりにくいが、昼間に不死の娘と戦った竹林だ。彼女との戦いを思い出しながら見下ろしていると、何か竹林から飛び出してきた。
 体に多数の刃を備えた異形――ウルフUだった。左肩を押さえ、上半身を大きく上下させていて、遠目にもわかるほど消耗していた。さっき戦っていたのは間違いなくこいつだ。イーグルUは気配を抑えながら空中で静止し、ウルフUを観察した。同じカテゴリーJで基本的な能力はおおむね互角ではあるが、空が飛べる分こちらが有利なはず。ましてこの消耗具合からすれば、今戦えば自分に分がある。

「・・・・・・」

 だがイーグルUは動かず、代わりに耳を澄ませてウルフUの様子を伺う。アンデッドの感覚をフルに駆使すれば上空からでも声を聞き取るくらいはわけもない。

「ハァ・・・ハァ・・・」

 竹林から離れ、木に右手をついて荒い息をつくウルフU。左腕を上げようとするが、激痛からか上げられないようだ。彼をこれほど追い詰めるとなると、やはり相手はブレイドだろうか。

「オオォォォッ!」

 ウルフUが唐突に右腕を木に叩きつけた。ベキベキときしみながら木は中ほどから音を立てて真っ二つに割れ、大地にその幹が横たわった。ウルフUはその右手を強く握り締め、

「オレは負けん・・・負けるものか・・・!」

 喉から声を絞るようにうめく。

「勝ち残るのはこのオレだ・・・!」

 握り締めた手に爪が食い込み、緑色の血が肘から滴る。

「絶対に勝ち残る・・・絶対に・・・!」

 そしてウルフUは肩を押さえ、歩き出した。

「・・・・・・」

 イーグルUはそれを黙って見ていた。
 ウルフUの、勝ち残る事に対する執念。それをはっきりと耳にしてしまった事で、ウルフUを倒してしまう事がためらわれた。アンデッドがアンデッドに同情するなど本来はありえない。だがイーグルUには実力を認め合ったアンデッドがいた。それゆえ、ついウルフUの心境を考えてしまったのだ。この不思議な世界に迷い込んだ上級アンデッドという、妙な仲間意識のようなものもあるのだろう。
 それに。
 こいつは利用できるかもしれない。
 考えていたある思惑に、ウルフUを組み込めるかも知れない。ウルフUが立ち去るのをただ見ながら、イーグルUは思いを巡らせた。


◇ ◆ ◇


「はぁ~っ」

 妹紅の家で、妹紅は大の字に寝そべって、慧音は卓に乗せた腕に突っ伏し、一真は後ろに手をついて天井を仰ぎ、同時にため息をついた。
 外はもう真っ暗になっており、妹紅が疲れて火の玉も出せないと言うので部屋の明かりに行灯を灯しているが、電球にも劣る光量だった。

「ああ、疲れた・・・」
「1日に3回もアンデッドと戦うのは流石に辛いな・・・」
「私は全然戦っていないが」

 口々に言う妹紅と一真と慧音。

「あのスピードはきつすぎたぞ、一真」
「わ、悪い。妹紅が襲われてるって言うから急ごうとして・・・」
「そんなに早かった?」
「『MACH』のカード使ったからな。これをブルースペイダーに使うと速くなるんだよ。それで全速出したもんだから」
「・・・それはきついだろ。あれから更に早くなるとか」

 横を向いて畳に肘を突く妹紅。

「まあ、急いで来てくれて助かったけどね」
「そういえば家の近くで襲われたようでしたが、竹林の外へおびき出したんですか?」

 慧音が伏せていた顔を上げる。

「うん。竹があると邪魔だったし、家巻き込みたくなかったし。それにあそこ、里からここへの道の途中だから一真が帰ってきたらすぐ気づくと思って」
「頭いいな、お前」
「伊達に長生きはしてないってね」

 あはは、と笑う3人。

「これで6体いたアンデッドのうち3体は封印された。もう半分が片づいたな」

 慧音の顔から笑顔がこぼれる。それを見て一真も微笑むが、一瞬だけだった。

「ああ。だけどまだ3体残っている。安心は出来ないな」
「うん・・・明日、どうする?」

 と、妹紅。竹林にいるアンデッドを明日探す予定だったのが、今夜遭遇してしまった。

「ウルフアンデッドを追うか? 一晩で回復するダメージじゃないはずだし」
「いや、それはやめた方がいいかもしれない」

 そう言う一真に対し、慧音は卓から上体を起こした。

「さっき歩きながら歴史を見たが、ウルフアンデッドはイーグルアンデッドがいる辺りに逃げ込んだようだ。もしその付近で戦闘になると、イーグルアンデッドもやってくる可能性がある」
「上級アンデッド2体を同時に相手するのは危険、か」
「じゃあ・・・」

 慧音と妹紅の言葉に、一真は頭をかきながら、

「確か、ディアーアンデッドが妖怪の山の近くにいるんだよな? そっちを当たってみよう」
「わかった」

 そして訪れる沈黙。3人とも、疲れからかしばらく何も言わず寛いでいる・・・ように見えた。

「・・・なあ、妹紅」

 一真が幾分かの躊躇を伴った重い口を開いた。

「さっきの輝夜って女の子・・・お前とどういう関係なんだ?」
「・・・・・・」

 妹紅も慧音も、一真はずっとその事が気にかかっていたという事に感づいてはいたが、どちらも自分から話す気にはなれなかったのだ。

「あー、妹紅、疲れたでしょう。風呂にでも入ってきたらどうです?」

 目を泳がせている妹紅にそう言う慧音。2人の目が合う。

「・・・そうだね。そうする」

 そう言って立ち上がり、一度慧音を振り返ってから部屋を後にする妹紅。それがどういう意味か、鋭い方ではない一真も理解していた。一真は卓の前に座り直し、慧音に向かい合った。

「一真、君は竹取物語を知っているか?」
「竹取物語って、かぐや姫の?」
「そう。あの輝夜は、そのかぐや姫本人だ」
「・・・・・・」

 固まる一真。その意味を正確に理解するのに時間がかかったようだが、やがて口を開く。

「ホントに?」
「ああ。彼女が月から地上にやってきたのが、ちょうど妹紅の生まれた時代なんだ」
「へー、キレイな娘だとは思ったけど、あれがかぐや姫だったのか。おとぎ話の人物がいるなんて、やっぱ幻想郷ってすごいな」

 心底感心したように腕を組んでしきりに頷く一真。と、何かに気づいたように身を乗り出す。

「・・・月から、って言った?」
「ああ。彼女は月に住む月の民で、言ってしまえば宇宙人だ」
「月に人が住んでるのか?」
「結界を張って、人間には見えない空間を作って生活しているそうだ。ちょうど幻想郷のようにな」

 ふーん、とまたも頷く一真。

「それで、妹紅とはどういう?」
「ああ。竹取物語の内容は知っているか?」
「確かかぐや姫が貴族達から求婚されて、それで実在するのかわからないものを持って来いって難題を出して、結局誰も持って来れなかったんだよな」
「その貴族の1人が妹紅の父親だったんだ」
「そうなの? ていうかあれ、史実なわけ?」

 まあな、と答える慧音にぽかんと口を開ける一真。

「って事は妹紅、貴族のお嬢様だったの?」
「そうなる。もう1300年も昔の話だが」

 今度はへー、と感嘆の声を上げる。
 それにため息をついて、慧音は話を続けた。

「それから、かぐや姫はどうなった?」
「月から迎えが来て、不老不死の薬を置いて帰ったんだっけ。その不老不死の薬は富士山に捨てられて・・・待てよ。不老不死?」

 慧音は頷き、

「妹紅は、その薬を飲んで不老不死になってしまったんだ」

 一真は、今度は得心がいったようにゆっくり頷いた。

「富士山の頂上に持って行こうとしていた所を途中で奪ったそうだ。父親に恥をかかせた輝夜が許せなくて、その薬を盗んで仕返しをしたかったらしい」

 慧音は無表情に目を閉じて頭をかいた。

「単純な発想と思うだろうが、当時の彼女は子供だったからな」
「ああ・・・まあ、富士山にまで登るアクティブさはあいつらしいかも」

 少し苦笑する一真。笑えない事はわかっているが。

「それから彼女の人生は狂ってしまった。歳を取らない事で1ヶ所に何年と留まる事もできず、絶えずいろんな場所を渡り歩いて人の目を気にして・・・」

 うつむく慧音。

「重傷を負っても死なない所を見られて、それなりに親しくしていた人間達から妖怪と言われて追われたり、泊めてもらう事もできず食べる物もなく1人ぼっちで雨風にさらされながら夜を明かした事もあったという」

 一真は慧音の表情から、妹紅は思い出しただけで辛く悲しい気持ちになるような生活を強いられていたのが理解できた。

「不老不死の人間の生き肝を食べると不老不死になるという言い伝えを信じた者達に追い詰められそうになった事さえあった」
「そんな・・・!?」
「欲に目がくらんだ人間というのはそんなものだ。その言い伝えは本当だしな」

 人間の長い歴史を正確に知る慧音は、人間の醜い部分も見飽きるほど知っている。それに対して妹紅に『人間を愛している』と答えた一真には非常に衝撃的だった。

――俺と一緒にアンデッドと戦ってくれるのは、お前もみんなを守りたいからなんだろ?
――・・・まあね

 知らず、自分は彼女に残酷な事を聞いてしまった。一真にそう答えた妹紅の心中はいかばかりだったろうか。

「そうして人里を離れて幻想郷に辿り着いたが、この竹林の中で何百年も孤独に世捨て人のような生活をしていた」

 知り合って1日しか経たないとはいえ、自分の知る妹紅から想像もできない彼女の過去に一真はただ絶句する他なかった。

「最初、彼女の歴史を見た時、こんなに辛い人生を送った人間が本当にいたのかと信じられなかった」

 行灯からジジッと炎が揺らめく音が小さく響いた。

「実は私も元々は外の世界の普通の人間だったんだ。ある時ハクタクの力を得て半獣になってしまい、幻想郷へ来たんだが・・・彼女の境遇が自分とあまりにそっくりで、どうしても他人事に思えなかった」

 卓に両肘を着き、顎の辺りで手を組む慧音。

「彼女の歴史を追ってみると、幻想郷にいるのがわかったので会いに行った。それから私達のつき合いは始まったんだ」

 その言葉に一真は納得した。そんな経緯で人との接触を拒んだ彼女が慧音に心を開いたのは、同じ身の上だったからなのだ。

「実は輝夜も不老不死だ。月で作らせた不老不死の薬・・・『蓬莱の薬』を飲んだ罪で地上へ追放されたそうだ。地上に置いていった薬が、その蓬莱の薬らしい。蓬莱の薬で不老不死になった者を『蓬莱人』と言う」

 一真はまたも驚いたが、おとぎ話の人物ゆえにかえって納得できる部分がある。

「だけど、月に帰ったんじゃ?」
「いや。結局月には帰らず、そのまま地上に残ったんだ。それから幻想郷に来るまでは、妹紅と同じように転々としながら生活していたようだ」

 慧音は大きく息を吐いた。

「それから数百年経って・・・妹紅と輝夜は幻想郷で再開した。たまたまな。そして・・・」

 慧音が一瞬、一真から視線を逸らす。

「2人は殺し合いを始めた」
「殺し合い・・・!?」

 目を見開く一真。

「妹紅にしてみれば、輝夜は自分の人生を大きく狂わせた元凶だ。蓬莱の薬を飲んだ事は彼女の自業自得だが、そもそも彼女が蓬莱の薬を作らせ、それを地上に持って来なければそんな事にはならなかった」

 そういう慧音自身も本心は納得しているわけではないように、一真には感じられた。

「でも、それは・・・」
「逆恨みだと思うか? だが妹紅にとって、1000年以上受け続けたその苦しみをぶつけられる相手は輝夜しかいないんだ」

 慧音の悲しそうな目に、一真は何も言えなくなってしまった。

「どっちも不老不死だから当然殺せるはずがない。それでも2人は300年ほど、ずっと殺しあっている」
「それじゃまるで・・・」

 まるで遥かな昔からバトルファイトを繰り返してきたアンデッドのようだ。
 だが、それとは異なり妹紅と輝夜の場合は勝ったからといって何が得られるわけではない。それどころか決着をつけることすらできないはずだ。
 ただ心と体を傷つけ合うだけの、何も生み出さない戦い。
 どうして、そんな事をするのだろう。妹紅は優しい人間のはずなのに。

「君の気持ちはわかるが・・・君には2人の気持ちはわからないだろう」

 思わずうつむいていた一真は、上目遣いで慧音を見た。彼女も悲しげな目をしていた。

「正直、私も君と同じ気持ちだ。そんな事はやめて欲しいと思う。だが・・・」

 慧音は腕を組んでうつむいた。

「自分が人間でなくなってしまった張本人がいたら、私とて妹紅と同じ事をするかもしれない。そう考えると、私には彼女を止める事ができない」

 もどかしげな表情。慧音は少し顔を上げた。

「それに・・・あの2人はお互いに対して強くこだわっているが、それは憎しみからだけではないと思う」
「どういう事だ?」
「私の推測が混じるが」

 そう前置きして、真っ直ぐ一真を見た。

「それは、互いの不老不死ゆえの苦しみを誰よりも理解できる相手だからだ」

 半分納得し、だが半分はまだよくわからない。

「さっき、輝夜も妹紅と同じように居場所を変え続けたと言ったろう? 妹紅はその点で彼女に同情している節がある。元々、人のいい性格だからな」

 それを聞いて、一真は少し安心した。憎い相手にさえ思いやりが隠せない性格だと。

「それに、長く生きすぎているがゆえに妹紅には古い知り合いというのがいない。普通の人間の寿命では全く足りないからな。だから輝夜は、妹紅が不老不死になる前から知っている唯一の人間という事になる。輝夜には長命の従者がいて妹紅より恵まれているといえるが、それ以外の人物では妹紅がそれにあたる」

 その言葉には頷ける。アンデッドにもアンデッド同士の因縁などがあるのを知っている。

「蓬莱人の気持ちは、蓬莱人でないとわからないという事だ。そういう共感と憎悪を同時に感じているんだろう」

 一真は卓に頬杖をついて考え込む。結局の所、2人の関係は――

「複雑なんだ、あの2人は・・・恐らくは、私が考えている以上に」

 一真もそう評せざるを得ない。

「ケンカ友達・・・ってレベルじゃないな」

 それを聞いて慧音はわずかに苦笑した。

「多分それが近い。もしかすると妹紅と輝夜は分かり合えるのかもしれない。だが、そうやって歩み寄る事がどうしても出来ないのではないだろうか」

 頬杖をついたまま一真は頷いた。そのあたりの気持ちはなんとなく理解できる。自分も近い経験があるからだ。ふう、と慧音は一息つく。

「・・・本人のいない所で推測を語るなど本当はフェアじゃないんだろうが――」
「構わないよ、慧音」

 声と共に開いた襖の音に驚いた慧音がびくっと肩を震わせた。隣の部屋から、寝巻きだろう白い浴衣を着た妹紅が入ってきた。

「・・・すいません、妹紅」
「いいよ。むしろ悪いね、説明してもらって。本当は私が自分で言わなきゃいけないのに」

 うつむき気味に謝る慧音に笑いかけ、妹紅は縁側の障子を開ける。月の淡く白い光を浴びながら縁側に座る妹紅の背中に一真が声をかけた。

「妹紅、ごめん。お前が人間に襲われた事があるなんて知らなくて、俺――」
「ああ、いいよ。昔の話だし、気にしてない。それに、私を襲おうとした連中はそれこそとっくの昔に死んでるはずだしね」

 背中越しに自虐的な言葉をかける妹紅。3人ともしばし沈黙していたが、一真がそれを破った。

「なあ、妹紅」
「今回だけはお節介はいらないよ。私の問題なんだ。お前が首を突っ込む事じゃない」

 言おうとした一真の言を遮り、背を向けたまま手を振る妹紅。一真は妹紅に向けていた体を卓の方へ戻したが、今度は顔だけを向け、

「・・・お節介はしない。ただ、ちょっと聞いてくれるか」

 務めて穏やかな口調で言葉を投げかける。
 妹紅は何も言わない。それを話を聞くと解釈して一真は言葉を続けた。

「俺もさ、いるんだ。お前達みたいな関係だった奴が」
「・・・?」

 妹紅と慧音が反応を示した。

相川あいかわはじめ。俺と同じ仮面ライダーの1人、『仮面ライダーカリス』だ。だけど本当はそいつは人間じゃなく、アンデッドだったんだ」
「なんだって?」

 それを聞いて妹紅は一真を振り返った。慧音も驚いた表情を彼に向ける。一真は卓の下で指を組みながら、

「そいつもアンデッドと戦っているんだけど、その理由は俺達と違って、アンデッドとしてバトルファイトに勝ち残るためだった」

 それから一真は薄く笑みを浮かべ、

「最初会った時、アンデッドと戦ってたからてっきり味方だと思って話しかけたら急に襲われてさ。『貴様ら人間もオレの敵だ』って。だけど・・・」

 まだ驚きの色が残っている妹紅に顔を向け、

「始はさ、今日妹紅に話した虎太郎のお姉さんの家に下宿してたんだ。アンデッドである事を隠して。その家の女の子――天音あまねちゃんっていうんだけど、その子に凄く好かれてて」

 月明かりに照らされる竹林に妹紅の銀色の髪と赤い瞳が映え、室内から見た縁側は絵になる風景になっていた。それを眺めながら一真は話を続ける。

「天音ちゃんがアンデッドに襲われて危なかった時、始は自分の正体が俺にバレるのも構わずに助けに行ったんだ。それで俺、こいつは本当はいいヤツなのかなって思ったんだけど」

 目を妹紅から離し、卓の真ん中に向ける一真。

「実はアンデッドだってわかった時、裏切られたような気分になって・・・だから俺、こいつは絶対許せない、アンデッドのクセに人間の皮をかぶってみんなを騙しているこいつは絶対倒さないといけないって・・・あいつを心の底から憎んだ」
「・・・!」

 妹紅は目を見開いた。一真は人のいい男で、自分のように誰かを憎む事などないだろうと思っていたからだ。

「だけど、その後行方をくらませた始を天音ちゃんがとても心配して・・・少なくとも天音ちゃんにとっては、いいヤツだったんじゃないかって思うようになって」

 一真は顔を上げて虚空を見上げた。

「ある時、そいつが別のアンデッドにやられて重傷を負ってた所を見つけて・・・どうしても封印する事ができなくて、そいつを助けたんだ」
「・・・甘いなあ、お前・・・」
「自分でもそう思うよ」

 呆れた声を上げる妹紅と、苦笑する一真。やっぱりこいつはお人好しだったと、妹紅はちょっと安堵した。

「あいつ、以前はそんなんだったけど最近はだいぶ人間らしくなってきて、俺達に手を貸してくれるようになったんだ」
「・・・私と輝夜もそうなるって言いたいの?」

 なんとなく嬉しそうに話す一真に、妹紅はつい噛みついてしまう。

「そんな単純じゃないさ」

 一真は顔から笑みを消し、嘆息した。

「お互いに・・・な」
「・・・どういう事?」

 悲しそうな目を下に向けた一真に聞き返す。

「俺がライダーで、あいつがアンデッドなら・・・例えどんなに人間らしくても、俺はあいつを封印しないといけない」
「アンデッドを封印していって、最後の1体が決まればそれが勝者となり、そのアンデッド以外の種は滅亡してしまう・・・人間も」

 一真の言葉の後を、それまで黙って聞いていた慧音が続けた。

「そういえば、その始というのはどのアンデッドだ?」

 慧音の問いに、一真は目だけを上げ、

「あいつは・・・ジョーカーだ」
「な・・・ジョーカー!?」

 卓に手をつき、身を乗り出す慧音。
 妹紅はそれに目をひそめた。

「慧音? ジョーカーって?」

 慧音がこういう反応を示す事は珍しい。慧音は身を乗り出させたまま妹紅に顔を向け、

「ジョーカーはアンデッドの中で唯一、種の始祖生物でない存在です」
「始祖じゃないって・・・じゃあ、それが勝ち残るとどうなるの?」
「ジョーカーが最後の1体になると・・・」

 慧音ではなく一真が真剣な顔でそれに答えた。

「地上の全ての生物が滅ぼされる・・・らしい」
「そんな!?」

 妹紅は思わず声を上げていた。

「どうしてそんなのがいるのよ!?」
「全アンデッドにとって共通の敵。用意されたゲームオーバー。恐らくバトルファイトを活性化させる目的で生み出されたのでしょう」

 と、やはり真剣な顔の慧音。

「それでも俺はあいつを封印したくない。ずっと人間らしく生活して欲しいと思う。あいつもそれを望んでいるはずなんだ」

 妹紅と慧音は同時に一真に目を向ける。一真は真剣な顔でうつむいている。

「・・・結局、何が言いたいの? 一真」

 縁側から部屋へ入り、卓につく妹紅。

「言ったろ? お節介はしないって。ただ・・・」

 一真は言いながら広げた自分の両手を見た。

「俺は始を友達だと思ってる。それでも、俺はあいつを封印する事になるかもしれない」

 そして顔をあげて妹紅を見据え、

「お前には・・・お前達には、そんな悲しい関係にはなって欲しくない」

 一真の目は、その願いを強く訴えていた。


◇ ◆ ◇


「は~あ」

 輝夜は月を見上げながらため息をついた。竹林の中、帰途につく輝夜はずっと眉をひそめていた。
 結局自分は何回か弾幕を撃っただけ。肝心のアンデッドは退治できなかったし、妹紅との殺し合いもお預けだ。外の世界に不死の存在がいたというのは面白い話だが、それほど興味を引かれるものではない。妹紅はわざわざ首を突っ込んでいるようだが、そこまでする気にはなれなかった。

「つまらないわね、もう」

 退屈でしょうがない。
 月の民の姫として生まれた輝夜は何不自由のない生活をしてきたが、そんな生活に退屈を覚えるようになった。『退屈は人を殺せる』が口癖だったくらいである。挙句の果てには、地上ならば楽しい生活が出来るかもしれないと考えて不老不死の薬を作らせて飲み、わざと地上へ追放されるよう仕向けたほどだ。
 地上に降りた直後はそれなりに楽しいと思ったが、だんだんとまた退屈さを感じてきた。それでも地上で自分を育ててくれた老夫婦や好意を抱かれた天皇らとの触れ合いから月では感じられなかった人の温かみに触れ、それが忘れられず罪を許されて遣わされた月からの迎えから逃れてそのまま地上へ居ついた。月の追っ手から逃れるためにそちこちを移り続けながら、現在の幻想郷となる土地で竹林の奥に居を構えた。
 輝夜には『永遠を操る程度の能力』がある。それを用いれば何も変化しない歴史の止まった空間を作り出すことができ、誰も訪れる事のない屋敷を作り出した。蓬莱の薬もその能力を応用して作らせたものである。現在はその能力は屋敷には発動させていない。月の民は幻想郷を見つけ出す事ができないので必要ない。もっとも、その事に気づいたのはごく最近だが。

「まあいっか。永琳への土産話にはなるわね」

 家で待っているであろう従者の事など考えながら独りごちる。
 熱しやすい妹紅に比べて、輝夜は何事にも腰が重くすすんで動かない性格である。月にいた頃から変わらないその性格が退屈の大きな原因なのだが、本人はその事に気づいていない。退屈しのぎといえば、屋敷に住み着いている妖怪兎達をからかうか――

「・・・・・・」

 思い浮かんだ少女の顔に、再びため息をつく。
 まだ屋敷の歴史を止めていた頃、従者の目を盗んで外出して竹林を散歩するのがわずかな楽しみだった。といっても何もしないよりはましという程度でしかなかったが。
 だがあの日に限っては、彼女の人生で一番刺激的な夜となった。
 ある満月の夜、いつものように竹林の中を歩いていると少女が現れ、自分の名を呼んだ。そんな事は初めてだったので驚いていると、少女は遥かな昔自分がもてあそんだ男の娘で、自分が天皇に渡したはずの蓬莱の薬を飲んで不老不死になってしまったという。
 その時の彼女のぎらついた赤い瞳は今でも忘れられない。
 そして次の瞬間、自分の体は焼き尽くされていた。
 すぐに復活し、応戦した。
 長いような短いような妖術の応酬の後、気づけば自分は屋敷で寝ていた。傷はなかったが血だらけでぼろぼろの格好で玄関に倒れていたらしい。
 それからしばらくは連日のように竹林へ出向いて彼女――妹紅と全力の戦いを繰り広げた。戦いながら妹紅は1300年にも及ぶ恨みつらみの限りをぶつけてきた。輝夜はそれを受けて立ち、2人とも動けなくなるまで戦い続けた。
 あの時は、唐突に燃やされた事に対する報復程度にしか考えていなかったが、今思い返してみると――自分は彼女に心を震わされたのだ。
 かぐや姫というおとぎ話ではなく、実際の自分を知る者はもう地上にはいないと思っていた。だが、当時の自分を知っている人間がいたと知って輝夜の胸は躍った。それは輝夜を憎悪するが故であったが、そんな強い感情をぶつけられた事もなかった。そして、自分と同じ蓬莱人としての運命に翻弄されている。妹紅と自分の因縁はとても新鮮だった。
 本来ならばそんな呑気な事など考えられない事態だが、彼女達には死などない。不老不死である自分にとって過去は無限に押し寄せるもの。だから何よりも今を楽しむ事が重要なのだ。自分の代わりに妖怪兎や竹林で見つけた妖怪を妹紅にけしかけた事もある。そして妹紅はそれに腹を立ててまた自分に挑んでくるのだ。死をなくした彼女達は殺し合いにすら多少なりと娯楽性を見出すようになってしまった。
 それも数年、数十年、百年と続くと特別なものではなくなり、ほとんど習慣と化した。殺し合いを行う頻度もだいぶ間が空くようになったし、状況次第では顔を合わせても手を出さない場面も出てきた。割と普通に口を聞く事もなくはない。自分でも意外なほど気安い関係かもしれない。殺伐としてもいるが。
 もし妹紅がいなくなったとしたら、それこそ死ぬほど退屈になってしまうだろう。だが、妹紅の事は単なる暇つぶしの相手と思っているわけではない。妹紅は自分に対して強くこだわっている。そうやって思いを向けられる事が――例えそれが憎悪と殺意であっても――自分が生きている人間である事の証明のように思える。
 そして、妹紅は『過去』に変わらない。いつまでも『今』でいてくれる。例えどんな感情を抱いていても、自分と『永遠』を共有する存在。我ながら、歪んだ感情だと思う。だが蓬莱人そのものが輪廻から外れた、歪んだ存在といえるのだから当然といえば当然だろう。

「・・・何考えてるのかしら、私」

 取り留めのない事を色々考えながら歩いていて、ふと立ち止まり声に出す。こんな妙な事を考えてしまうのは、天に妖しく輝く彼女の故郷のせいだろうか。

「・・・帰ろ」

 思考を払うように頭を振り、輝夜は再び歩き出した。


◇ ◆ ◇


 高く上った月を慧音と2人、縁側に座って見上げていた。夜の外気はだいぶ冷たくなっている。

「そういえば、今は何月だっけ?」
「9月ですよ。もう秋ですね」

 外の世界と同様、幻想郷でも新暦が使われている。妹紅は暦を持っていないので(そういう生活が染みついているし、金もないからだ)、今は季節のいつごろ程度にしか考えていない。

「あと数日で十五夜ですよ」
「そういえば、慧音とお月見とかした事ないね」
「私は満月の夜はどうしても外せないので・・・」

 満月の夜は月に1度、ハクタクの力を最大限に発揮できる日だ。歴史書の編纂は最低1ヶ月分以上書かないと歴史、というか過去の方が溜まっていってしまうので一晩費やしてしまう。
 ある時、作業中の慧音に近づいたら頭突きをされた事がある。時間が無くて気が立っていたらしい。翌日ちゃんと詫びを入れてきたが、そういうわけで満月の夜は慧音の家には近づけない。

「・・・・・・」
「意外でしたね」

 月を眺めたままぼーっとしていた妹紅に、慧音が笑みを浮かべながら言った。

「・・・うん」

 目線を下げ、頷く。

「あいつには関係のない事だからって思ってたんだけどね・・・」

 頭をかきながら片目をひそめ、今は風呂に入っているはずの一真の事を考えた。

「私も、あんなに正面から受け止めてくれるとは思いませんでした」
「ま、ああいう経験をしていたんならね」
「経験があるからこそですよ。私達だってそうじゃないですか」

 言われてみると、一真は最初に会った時から妹紅が不老不死であるという事実をすんなり受け入れていた。

――だけど、死なないからって痛くないわけじゃないんだろ? 不死身だからって無理はしてほしくないんだ

「道理で・・・」

 つぶやく妹紅。それに慧音がくすりと笑う。

「なんだか、運命的ですらありますね。あなたと一真の出会いは」
「何その変な言い方。ていうか慧音は運命なんて信じない方だと思ってたんだけど」
「ただの表現ですよ。あまりに出来すぎているのでつい」

 よしてよ・・・と額に手を当てる妹紅。

「確かに、歴史に運命など有り得ません。ですが、何かしら近いものを持った者同士が引かれるように巡り合う事は珍しくありません。ましてやここは幻想郷。非常識な事が日常的に起こる世界です」

 真剣な表情。歴史を語る時、慧音はいつもそうだ。

「そうした、人の出会いが歴史を動かす事があります。これは予感なのですが・・・一真は、あなたの歴史を変える人間かもしれません。輝夜のように」

 そう言うと、優しく微笑んだ。

「願わくば、いい方向へ変わってほしいものです」
「ま・・・輝夜よりはましだと思うよ」

 小さく笑い返す妹紅。慧音は満足そうに頷くと、座っている縁側に両手をついて天を仰いだ。

「正直面白くなかったのですが、もう諦めました。あなた方はもっと親しくなるべきです」
「何? 慧音、妬いてたの?」

 にやりと口の端を片方つり上げる妹紅。慧音は手をついたまま顔だけを向け、

「私の時よりもすんなり心を開いているものですから、つい」
「慧音は友達少ないからねえ」
「あなただって人の事は言えないでしょう」

 口を尖らせる慧音に、妹紅は自慢げに腕を組んで横目を向ける。

「私は今、1人進行中だもんね。慧音には勝ってるよ」
「頭突きしますよ?」
「それは勘弁」

 慧音に頭を向けられ、両手を突き出して首をぶんぶんと振る妹紅。2人とも、けらけらと笑い合った。
 慧音は靴を履きながら立ち上がり、

「それじゃ、私はそろそろ帰りますね」
「1人で大丈夫? 一真に送ってもらえば・・・」
「いえ、大丈夫です。アンデッドは途中にはいないようですから。それに、あの乗り物は私にはきつすぎるようです」
「ならゆっくり走ってもらえばいいと思うけど・・・」

 ブルースペイダーの速さはむしろ気に入っているのでそう言ったが、慧音は自分の頭を指し、

「本当は、一真に頭突きを叩き込んで帰りたい所なんですがね」
「そこまで・・・?」

 笑顔のままさらりと言う慧音に、妹紅はなぜかちょっぴり恐さを感じた。

「それでは。頑張って下さい」
「うん。お休み」

 暗闇の中へ消えていく慧音の背中を眺めていた妹紅は、彼女が見えなくなると雨戸を閉め始めた。最後の1枚を締め切る直前、ふと月を見上げて手を止めた。

「・・・・・・」

 あの日――幻想郷で輝夜を見つけた夜は、今日より綺麗な満月だった。
 竹林を何気なく歩いていて人影を見つけた。誰だろうと目を凝らしてよく見ると、知っている少女だった。それに気づいた瞬間、妹紅の心臓は爆発するかと思うほど強く跳ね上がった。
 求婚した父に難題をふっかけ、屈辱にまみれさせた悪女。蓬莱の薬を地上に残し、自分を不老不死にさせた元凶。
 彼女を直に見るのは、かつて父が屋敷に彼女を招いた時以来だ。遠目に見ただけだったが、自分と変わらない年頃の女の子だったのに驚いたのをよく覚えている。確かに美しかったが、どうしてこんな娘に結婚など迫るのかと心底父に呆れたものだった。結局彼女を見たのはその一度きりだったが、1300年経ってもはっきり思い出すことができたのは一重に彼女への憎悪ゆえだ。
 そしてそれが目前を歩いていた。なぜまだ生きているのかは、驚きやらなにやらでその時は考えられなかった。
 ほとんど無意識の内に走って彼女の前に立ちはだかり、彼女の名を呼んだ。驚く彼女に名乗り、そしてその身に炎を全力で叩き込んだ。
 甲高い悲鳴を上げながら倒れ、燃えていく輝夜。
 それを見た妹紅は、やりたかった事を実現させた事と意外なあっけなさに茫然自失としていた。
 だが次の瞬間、まばゆい光が輝夜の死体から飛び出し、そして無傷の輝夜が現れた。混乱していると、今度は輝夜の放った光が妹紅の胸を貫いた。そうなってもわけがわからないでいたが、とりあえずリザレクションする事を考えた時、輝夜もまた蓬莱人なのだと思い至った。
 そうして2人は炎と光を激しくぶつけあい、いつの間にか気絶していた妹紅は竹林の中で目を覚ました。
 次の夜も竹林の中を歩き回り、輝夜を見つけると即座に襲いかかった。それは毎日のように繰り返された。
 しかし妹紅自身も自覚しない内に、その理由は憎しみだけではなくなっていった。
 人間と関わる事に疲れ、600年ほど竹林の中で孤独に暮らしている内に心が動く事がなくなっていた。それが輝夜の出現により、1つの事に打ち込む情熱が彼女の中に復活したのだ。元々、父の報復のために富士山まで登って蓬莱の薬を奪おうとするほどの行動力をそなえた少女である。気の遠くなるほど長い時間押し殺していた心を取り戻そうとするように、妹紅はどうやって輝夜を殺そうか終日考え続けた。その鬱憤をぶつけて当然の相手という建前もあった。
 人間は情熱がなければ生きていけない。不老不死とて例外ではない――むしろ無限の時を生きる蓬莱人は尚更だ。輝夜が言った『退屈は人を殺せる』は的を得ていると思った。
 今思えば、一真のアンデッド退治につきあっているのも情熱を抱きたいからかもしれない。蓬莱人同士で不毛な殺し合いをするよりは建設的であるし、その殺し合いも以前ほど情熱を傾けなくなった気がする。惰性でやっているような気がするのだ。今はアンデッドがいるからそっちに集中しているが、その件が片づいたらやはり輝夜と殺し合いを繰り返す日々に戻るのだろう。
 結局、自分にはそれしかないのだ。
 だが、一真と出会った事で何かが変わるかもしれない。慧音が言っていた通り、もしかすると自分という存在に対して一真が一石を投じるのではないか。これまで、輝夜と慧音以外に『明日』を変えてくれるものはなかった。一真と共に戦いに身を投じた事で、明日何が起こるか全くわからなくなった。明日はどうなるのだろう。今日のように体験した事のない出来事が起こるのだろうか。考えただけでわくわくしてくる。輝夜や慧音でもこんな気持ちにはさせられなかった。
 この戦いが終わった時、自分は何か変わっているだろうか。
 とりあえず、雨戸を閉めて布団を敷こう。さすがに同じ部屋に男と寝る気はないから、一真の分は別の部屋に用意してやろう。妹紅は月をひとにらみして、雨戸を閉め切った。


◇ ◆ ◇


「はあ」

 霊夢は縁側に寝そべって月を眺めていた。もうじき満月だとか、秋らしくなってきたとかいう感慨は何もない。そういう事に疎いわけでもないが、今しがた帰ったばかりで少々疲れているせいもある。
 紫を訪ねてアンデッドの事を話すと、彼女はスキマを使ってどこかへ雲隠れ。かと思えば数分足らずで戻ってきて即行寝てしまった。何事もマイペースなこのスキマ妖怪にはいつも振り回される。
 それから冥界の白玉楼を訪れた。死者の管理を行っているその屋敷へ警告するついでに、アンデッドを倒す方法はないか聞きに行ったのだ。だが返ってきた答えは、アンデッドを死に至らしめる事は不可能だというものだった。
 さらに、その日に人間の死者が数名出ており、それはアンデッドに殺されたと知らされた。
 スペルカードルールを作って以来、妖怪が人間を殺す事はほとんどなくなったので危機感が薄かった。決して楽観視していたつもりはなかったが、今回ばかりは自分の見通しが甘かったと言わざるを得ない。

「ん~・・・」

 しばらく唸っていた霊夢だったが、唐突にがばと起き上がった。深刻に考えるのは柄ではないが、もはやそんな事は言っていられない。仮にも博麗の巫女として、死者が出たのに何もできなかったのは悔しい。

「夜回りくらいはしないと、寝られないわ」

 霊夢はつぶやき、靴を履いて夜の幻想郷へ飛び立った。
 誰もいなくなり、静まり返る博麗神社。そこに玉砂利を踏みしめる足音が響く。無人の境内に現れたのは――異形だった。月明かりに照らし出される緑色の皮膚と無機質な顔。背中には翼が折りたたまれている。
 その異形の存在は、自らに課せられた使命を反芻していた。

『お前に、初めて使命を与える』

 異形の脳裏に、記憶から引き出された男の声が聞こえる。

『剣崎一真の消息が不明となった。お前は剣崎の痕跡をたどり、奴の所在を明らかにしろ。そして、私の元へ連れてくるのだ。抵抗するなら実力でおとなしくさせろ。邪魔をするものは剣崎以外は殺して構わん。これは、お前の人造アンデッドとしての能力テストも兼ねている。私の期待に応えてくれ。行け、トライアルC!』
「ハァァァァ――」

 長い息を吐き出した異形――トライアルCは4枚の翼を広げ、博麗神社から月が照らす幻想郷へ飛んだ。




――――つづく




次回の「東方永醒剣」は・・・

「そうしてると、お前も普通の女の子なんだなって」
「お前・・・私を何だと思ってたのさ?」
「これがただのピクニックだったら楽しかったんだけどな」
「あ、吾亦紅だ」
「われもこう?」
「アンデッドに仮面ライダー・・・面白そうじゃない」
「ぐあっ!?」
「妹紅っ!?」
「まさか・・・7体目のアンデッド!?」

第4話「人造アンデッド・トライアルC」



[32502] 第4話「人造アンデッド・トライアルC」
Name: 紅蓮丸◆234380f5 ID:d3c4d111
Date: 2012/03/31 20:45
「なるほどね」

 そうつぶやき、レミリア=スカーレットは小さい右手に持ったティーカップを口につけた。

「アンデッドに仮面ライダー・・・面白そうじゃない」

 姿は10歳にも満たない少女に見える。霞のかかった月に照らされている、背中に生えた黒い翼さえ除けば。薄ピンク色のドレスを纏った彼女の、その幼い顔立ちの肌は血が通っていないかのように白く、透き通っているのではないかと錯覚するほどだ。その容姿に似合わぬ落ち着いた雰囲気は吸血鬼という血統ゆえであろうか。

「私はちっとも面白くないわ」

 レミリアの向かいに座る霊夢が半眼を返しながらこぼす。
 壁も絨毯も天井もテーブルクロスに椅子、扉まで全面赤色の部屋の中はテラスの窓から差し込む月光に照らし出され、かとなく不気味な雰囲気を醸し出している。だが霊夢が不機嫌そうな表情なのは、その雰囲気のせいとばかりは言えなかった。

「こっちはそのおかげで、こんな時間まで働かなきゃいけないんだから。報酬も出ないのに、やってらんないわよ」

 彼女達はレミリアの居城である『紅魔館こうまかん』の一室にいた。
 夜回りをした霊夢は休憩ついでにアンデッドの事を教えておこうとここを訪ねた。時刻は草木も眠るといわれる丑三つ時(午前2時から2時半)ごろだったが、吸血鬼なので深夜なら起きていると考えたのだ。そして館の中に案内され、レミリアと対面してアンデッドについて知っている事を話していたのである。

「だらしがないわね。少しはうちの咲夜さくやを見習いなさい」

 レミリアが意地の悪い笑みを浮かべながらソーサーに乗せた空のカップをテーブルの脇へ押しやると、彼女の傍らに立っていたメイド服の少女がポットから赤い液体をそのカップに注いだ。年齢は霊夢より少し上ほど。肩にかかる長さの銀色の髪をこめかみのあたりから三つ編みのおさげにしている。

「恐れ入ります、お嬢様」

 メイドの少女――十六夜いざよい咲夜さくやはカップをレミリアに差し出しながら折り目正しくおじぎした。

「あんたは人使い荒そうだものね」

 いかにも気だるそうな態度の霊夢は、目前に置かれた紅茶を一気に飲み干した。

「咲夜、私もおかわりもらえる?」
「人使いがどうのと言っておいてそれ?」
「私は客なのよ。お茶のおかわりくらいいいじゃない」

 やれやれと椅子の手すりに頬杖をつくレミリア。咲夜はワゴンの上からレミリアのカップに注いだのとは別のティーポットを取った。

「そういえば、妖怪の山に幻想郷では見かけない妖怪が出たって噂を聞いたわ」

 霊夢のカップに紅茶を注ぎながら言う咲夜に、霊夢は少し身を乗り出した。

「どんな妖怪だったの?」
「聞いただけだけど・・・雷の妖術を使っていたらしいわ。天狗や河童も見た事のない、鹿のような角を持った、まったく可愛げのない姿だったって。見つかるなりいきなり攻撃してきて、天狗が撃退したらしいけどそっち側にも負傷者が出たっていう話よ」
「それが霊夢の言うアンデッドだと思うの?」

 レミリアの問いかけに、咲夜はポットをワゴンに戻しながら、

「可能性は高いと思われます。幻想郷で妖怪の山に入り、まして天狗に攻撃する者など余程の命知らずでもなければいません」

 妖怪の山に天狗や河童をはじめとする多数の妖怪が暮らしている事は、幻想郷に住むほとんどの人間や妖怪が知っている。幻想郷で『山』といえばこの妖怪の山の事を指すほどである。侵入者の存在を認めれば、人間など相手にもならないほどの力を持った多数の妖怪が排除にかかる。それゆえ、人間はもちろん妖怪でさえその山には近づけないのだ。

「ですが、山の事を知らないのであれば話は別です。外の世界から来たのなら、知らなくて当然です」
「なるほどね」

 湯気の立つ紅茶に息を吹きかけながら霊夢は頷いた。と、不意に顔を上げ、

「って事は、そいつ今この近くにいるんじゃない?」
「そうかも知れないわね」

 さらりと答える咲夜。この紅魔館は妖怪の山から程近い所にある。

「それはそれで楽しそうね。やって来たら迎え入れて、もてなしてあげなきゃ」

 レミリアがくっくっと笑い、彼女が吊り上げた口の端から鋭い歯がのぞく。

「アンデッドの血はどんな味がするのかしら」

 悪魔のような笑顔を――実際悪魔だが――浮かべるレミリアを見て、霊夢は宙を見上げる。

「確か、アンデッドの血は緑色だって一真が言ってたわね」
「・・・なんか不味そうね」

 霊夢に言われて、笑みを引っ込めたレミリアに咲夜は、

「お嬢様、案外健康にいいかもしれませんよ。青汁のようなものかも」
「尚更嫌だわ。青汁って飲んだ事ないけど」

 半眼になるレミリアと、それを見て薄く微笑む咲夜。主従関係でありながら、咲夜はレミリアに対して軽口を叩くことが多い。と言っても、プライドの高いレミリアの性格をしっかり理解した上でちゃんと度をわきまえた事しか言わないので、当のレミリアもそれを楽しんでさえいるようだ。人間でありながら――普通の、とは言いがたいが――吸血鬼に仕える瀟洒(しょうしゃ)なメイドとしてそれなりに名は通っている。それゆえ他の人間とは親交が非常に薄いが、本人はやむなしと気にしていないようだ。

「白玉楼で聞いたんだけど、実は昼、人里も襲われたらしいの」

 その言葉に、レミリアと咲夜は同時に顔を上げた。

「里の外で3人、中で4人。幽々子ゆゆこは断言しなかったけど、多分アンデッドの仕業ね」

 西行寺さいぎょうじ幽々子ゆゆこは白玉楼で死者の魂の管理をしており、幻想郷での死者の人数くらいはわかる。

「今日、里へ行って詳しく聞いてみるつもりよ。ろくに何もしてない上に人が殺されたのも知らないなんて、馬鹿みたいだし」

 そう吐き捨て、まだ湯気の香る紅茶をぐいとあおる。無表情を取り繕おうとしているが、レミリアと咲夜はその顔からにじみ出る悔しさを感じ取っていた。感情をあまり表に出さない霊夢には珍しい表情だった。
 と、

「私もつきあわせてもらおうかな」

 不意に響いた声に3人が一斉に振り向くと、いつの間にかドアが開け放たれていた部屋の入り口に、黒のとんがり帽子を目深にかぶり、白と黒の典型的な魔法使いの服を着た人物が腕を組んで寄りかかっていた。その人物が部屋の注目を集めてから帽子を人差し指で押し上げると、金髪の少女の不敵そうな笑みがのぞいた。

魔理沙まりさ!」
「話は聞かせてもらったぜ」

 箒を持って部屋へ入ってくる少女――霧雨きりさめ魔理沙まりさに咲夜が鋭い目を向ける。

「どうせまたうちの図書館から本を盗みに来たんでしょう。こそ泥」
「盗んでないって。ただ借りてるだけだぜ」
「返す気がないなら、それは盗みなのよ」
「ちゃんと返すって。いつになるか私も知らんけど」

 にこやかな魔理沙とそれを睨む咲夜に、レミリアはまたもややれやれと肩をすくめた。

「相変わらずね」
「お前もな」

 あっけらかんと返事した魔理沙は、霊夢の肩に手を置いた。

「霊夢、そこまで好き勝手されて何もしないでいられるほど、お前は温厚篤実(おんこうとくじつ)じゃないだろ?」
「魔理沙・・・」
「私だってそうだ。そういうふざけた奴には一発がつんとぶちかましてやらないとな」

 霊夢に見せつけるようにぐっと拳を握る魔理沙。それに霊夢はふっと笑みを浮かべ、

「そうよね。不死身だろうと何だろうと、私が幻想郷のルールだって事を思い知らせてやらないと気が済まないわ」
「そう来なきゃな!」

 ぱん、と霊夢の肩を叩く魔理沙。

「じゃ、さっそく行くか。今夜は私の家に泊まっていけよ」
「それじゃ、お言葉に甘えるわね」

 霊夢は立ち上がり、魔理沙は残った紅茶を飲み干してから揃ってドアへ足を向ける。

「ご馳走様。それじゃあね」
「邪魔したな!」

 2人が連れ立って部屋を後にし、咲夜は空のカップをワゴンに乗せる。

「嵐のように去っていくって、ああいうのを言うんでしょうか」
「私が幻想郷のルール、ねえ・・・」

 頬杖をつくレミリア。

「ま、ああでないと霊夢らしくないわね」
「だから魔理沙はああ言ったんでしょうね。まったくいいコンビです事」

 人間・妖怪関わらず公平に接するが、さして誰かと親密にもならない霊夢にとって最も親しい人物が魔理沙である。頻繁に神社へ遊びに来る珍しい人間であり、異変が起こったときは彼女ら2人でそれを解決する事がほとんどだ。
 かつてレミリアが幻想郷に紅い霧を立ちこめさせ、日光を遮(さえぎ)って昼でも自分が出歩けるようにしようとした際もこの2人によって阻止されてしまった。現在『紅霧(こうむ)異変』と呼ばれている事件である。レミリアは霊夢らと対決するにあたり、当時制定されたばかりのスペルカードルール、即ち弾幕ごっこでの勝負を挑んだ。それが幻想郷の歴史上初めて行われた妖怪と博麗の巫女の弾幕ごっこであり、弾幕ごっこが幻想郷で一気に流行するきっかけとなった。
 現在は、さっきのように霊夢がレミリアを訪ねてきたり、魔理沙が勝手に上がりこんで本を持って帰ったりする程度の仲に落ち着いている(後者に関しては大いに迷惑を被っているのだが)。
 異変を起こしたり人間をみだりに襲ったりしない限りは、このように人間と妖怪が悪くない関係を構築する事ができる。レミリアらは幻想郷の妖怪にとって、その見本となった形になる。

「あの2人をその気にさせるなんて、アンデッドが可哀相(かわいそう)になりますよ」

 言っている事の割には面白がっているような咲夜の言葉を聞きつつ、頬杖をついたままカップを手に取るレミリア。

「まあ・・・」

 つぶやき、カップになみなみと満たされた深紅の液体に目を落とす。

「アンデッドのお手並み拝見と洒落こもうかしらね」

 にやりと笑い、レミリアは赤い液体――人間の血を飲み下した。


◇ ◆ ◇


 人間の里では深夜になっても門や櫓の炎は絶やされず、人間が柵の外の暗闇に目を光らせていた。しかし柵の外に目は行っても、上空までは目は回らない。
 イーグルUは里の中央あたりの路地の中に降り立ち、自分の姿を変えた。背広を着てメガネをかけた20代ほどの男性。この人間の姿では高原と名乗っている。イーグルU――高原はメガネを指で押し上げながら路地を進んだ。
 この地は色々と勝手が違うのを肌で感じていた高原は、ここで人間がどんな生活をしているのか興味を持った。元々、理知的な性格ゆえ新しい知識に興味を持つタイプであり、人間の文化の中で多くの知識を得ている。この幻想郷なる世界に暮らす人間の文化はどのようなものなのか。遠目に見た感じでは、相当古い時代の服装をしているようだった。自分の服装では浮いてしまうだろうし余所者がいればすぐに気づく可能性もあるので、まず夜中に様子を見る事にしたのだ。
 路地から通りへ出ようとして、家の影に身を潜める。直後、数名の人間が通りを歩いていった。男のみ、武器のつもりだろう、棒や何やらに松明を持っている。里の様子を伺っていた時から気になっていたが、ここは今厳戒態勢下にある。そういえば、昼間にブレイドに封印されたジャガーUの気配は最初、この辺りから感じ取られた。どうも、先を越されたようだと高原は推測した。
 男たちが過ぎ去り、誰もいなくなったのを確認して通りに出た。
 月に照らし出される町並みも数百年も昔の様式のようだ。山奥だからといって、ここまで文化レベルが遅れる事など有り得るだろうか。まるでこの辺りだけ時間の流れが止まったかのようだ。

(まさかな・・・)

 馬鹿な事を、と思うが完全には否定しきれない自分がいた。ここが変わった場所である事がわかっているからだ。舗装されていない道の砂を踏みしめながら歩いていると、立て札が目に入った。

「これは・・・」

 そこには『人食い妖怪』と書かれ、人相書きが2つ並んでいた。その顔の1つは今自分が化けている高原の顔だった。

「・・・ブレイドか」

 この世界では異邦人である自分の顔を知っている者は彼しかいない。上級アンデッドの事を知っているなら当然の対策だ。もう1人の顔は、恐らく自分と同時に解放されたウルフUのものだろう。

「・・・・・・」

 高原は先ほど出てきた路地へ再び足を向けた。面が割れているなら長居は無用だ。指名手配犯が自分のポスターを見るのはこういう気分なのだろうとどうでもいい事を考えながらアンデッド態に戻り、夜空へ飛び立つ。
 それより『人食い妖怪』と書かれていた事が気になった。アンデッドと書かないのはわかるが、書くならそれこそ犯罪者とでも書くだろう。事実と異なっても、人に害をなすものとして世間に広く認識されているものだと言えば警戒するからだ。ところがここでは妖怪ときた。ここではそういうものとしては犯罪者より妖怪という認識が浸透しているという事だろうか。自分でもこれまた馬鹿な理屈だと思うが、やはりこの世界では有り得るような気がした。

「それだけでも収穫があったと考えるべきか・・・」

 独りごち、イーグルUの姿は闇夜に吸い込まれていった。


◇ ◆ ◇


 どんなものにも、朝は平等にやって来る。
 晴天に輝く太陽の光が地上の万物を明るく照らす。大半の生物と違い、人間が活動し始める時間帯である。それは剣崎一真にとっても例外ではない。

「♪~♪~」

 朝日が差し込む台所に立って鼻歌など歌いながら、おにぎりと沢庵を筍の皮で包んで紐で縛る。すでに朝食を済ませ、昼に食べる弁当を用意していた。と言っても中身は先に述べたものしかないが。

「まるで時代劇みたいだよな、この弁当」

 それでも、一真にとって2人分の弁当を作るのは彼の22年の人生で初めての経験だったため、朝から妙に浮かれ気分であった。弁当の、時代劇でしか見た事がないような古風さも愉快な理由の1つだ。

「そんな事でそんなに嬉しそうにしてるなんておめでたいよ、お前は」

 とは妹紅の弁である。

「妹紅、弁当の用意できたぞ。そろそろ行こうか」

 弁当を風呂敷に包みながら、家の中にいるその相棒に声をかける。

「あ、もうちょっと待って」

 台所から顔を出して家の中を覗きこむと、妹紅が鏡の前に座って頭にリボンを結んでいる所だった。一真に背を向けて座っており、傍らには櫛(くし)が置いてある。何をやっているのかと思えば、髪に櫛を入れていたらしい。時間からして恐らく、入念に。
 結びつけたリボンを両手で広げ、鏡に近づけた顔を左右に傾けてリボンの角度を確認しながら調整している。鏡越しに見える彼女の表情は割と真剣だ。
 顔を鏡から離して「よし」と頷き、今度は髪を数本まとめて小さいリボンを結びつけ始めた。櫛の近くに置かれたリボンはあと5つある。もうしばらくかかりそうだ。
 と、鏡越しに2人の目が合った。

「・・・何?」

 にやにやしていた鏡の中の一真に半眼を向ける妹紅。

「そうしてると、お前も普通の女の子なんだなって」
「お前・・・私を何だと思ってたのさ?」

 振り向いた妹紅に、一真は手を横に振り、

「いや、気にするなって。ゆっくりしてていいから」

 そう言って台所へ引っ込んだ。
 妹紅は頬を膨らませて軽く唸っていたが、程なく作業を再開した。一真は笑顔を絶やさず、壁に背を預けて腕を組んだ。
 彼の同居人の広瀬も身だしなみにはそこそこ気を使っていたようだった。彼女の部屋に入った事は一度も無いが(もし入ったら鉄拳制裁が待っているだろう)多分、妹紅のようによく髪を梳いていたのだろう。華美に着飾ったりはしないが、いつも薄い化粧はしているし(時々ノーメイクの顔を見かけるのでわかる)、たまに枝毛がどうとかぼやいていたのを覚えている。
 一真は姉や妹もおらず女性と交際した事もないので、さっきのようなシーンは新鮮だった。同時に、不老不死でも妹紅には普通の少女らしい面があるのだと安心した。

「お待たせ」

 程なく妹紅が台所へやって来て、弁当を包んだ風呂敷を腰へ後ろ向きに巻いて竹の水筒をポケットに入れた。その間に一真は手持ちのラウズカードを手元で広げて確認している。

「ん?」

 妹紅がふと一真の手元を覗き込むと、昨日見せてもらった中には無かったカードがある事に気づいた。
 両前足を高く上げた金色の象が描かれ、『10 FUSION』と書かれているが、スート――スペードやダイヤなどのトランプのマーク――の部分にはそういったマークがなく、代わりに丸と十字を重ねたようなマークが描かれている。

「そんなカード持ってたっけ?」

 そのカードを指す妹紅に答える一真。

「ああ、これカテゴリージャックなんだけど、使えないんだ。プライムベスタじゃなくてワイルドベスタだから」
「・・・何それ?」

 聞かれて一真はポケットから『A CHANGE』を含めて数枚のカードを取り出した。

「封印用のカードは2種類あるんだ。『プロパーブランク』と」

 中央に鎖の絵が描かれた『6』『J』『K』のカードを示し、

「『コモンブランク』」

 続いて、鎖の部分はプロパーブランクと同じだがスートの部分が丸と十字になっていて、数字が書かれていないカードを見せる。

「プロパーブランクはスートと数字が一致するアンデッドだけを封印できるカードで、コモンブランクはどんなアンデッドでも封印できる。プロパーブランクにアンデッドを封印したカードを『プライムベスタ』」

 今度は『CHANGE』を見せ、そして『FUSION』を出す。

「コモンブランクに封印したのを『ワイルドベスタ』って言うんだ」
「それなら、そっちだけ持ってればいいんじゃないの?」

 コモンブランクを指す妹紅に、一真は困ったように眉をひそめた。

「それが、ワイルドベスタはラウザーに通しても効果が出ないんだ。一度、対応するスートのラウザーに通してプロパーブランクにしないと使えない」
「対応するラウザーって・・・」
「他のライダーに使わせるって事だ。これはクラブのカードだから、レンゲルのラウザーに通さないといけない」
「レンゲルって確か、アンデッドを解放したやつだろ?」
「そうなんだよ。だから渡すに渡せなくてさ。睦月がカテゴリーAから解放されたら渡してもいいんだけど・・・」

 ぼやきつつ、カードを仕舞う一真。

「なんで昨日、それ見せなかったの?」
「いや、ちょっと難しいからさ。話がややこしくなりそうだからと思って省いたんだ」
「あー・・・ま、妥当な判断だろうね」

 確かに、この情報量で一気に説明されてもよくわからないだろう。

「じゃ、行こうか」
「ああ」

 2人は家を後にし、ブルースペイダーにまたがった。
 オフロード用バイクをベースにしたブルースペイダーにはトランクがないため、荷物は乗る者が身に着けねばならない。弁当を一真の腰に巻いた場合、妹紅が後ろに乗ると2人の体で挟む形になってしまうし、ブレイバックルを装着するのに邪魔になるので、妹紅が腰に巻く事にしたのだ。
 手袋とヘルメットを装着した一真に妹紅がしがみつき、エンジン音を立てるブルースペイダーは竹林を出て一路妖怪の山へ向かって走り出した。
 山へ通じる道はなく、草原をブルースペイダーで突っ切っていく。葉が赤や黄に染まった樹木やすすきが所々に見受けられ、秋の気配を感じられる風景が流れていく。滅多に竹林の外を出歩かず季節感に疎い生活をしている妹紅はようやく今は秋である事を実感した。昨日、博麗神社へ行った時はアンデッドの事を考えながら歩いて行ったため風景はほとんど気にとめていなかったが、今日はブルースペイダーのスピードに慣れてきたためか早く流れる景色に目が行く。

「もうすっかり秋だな」

 次々に通り過ぎていく風景をぼうっと眺めている妹紅に一真が話しかけた。ブルースペイダーの音が大きいので結構大声だが。

「ああ、そうだな。竹林の中じゃ季節ってあんまりわからないから」

 妹紅も大声で返す。こうやって誰かと出歩く事は(今はバイクに乗っているが)慧音から強引に誘われた時くらいしかない。
 一真もアンデッドと戦いに行く以外に外出する事は少なく、幻想郷という見知らぬ土地という事と目的地までけっこう時間がかかる事も手伝って少しツーリング気分になっていた。
 そうして時々言葉を交わしながらブルースペイダーを走らせた所で、一真が腕時計を見ると出発しておよそ40分が経っていた。近くにあった川の近くにブルースペイダーを停め、ヘルメットを取る。

「どうした?」

 横から顔を出す妹紅に、肩越しに振り向く。

「ちょっと休憩しよう。揺られ続けて疲れたろ?」
「大丈夫だよ。まだ行けるって」
「無理はするなって。先はまだ長いんだし」

 だいぶ大きく見えてきたがまだ遠い妖怪の山を親指で示し、グローブを外しながら川へ足を向ける一真。

「・・・そうね」

 つぶやき、大きく伸びをする妹紅。ずっと同じ姿勢でいるとやはり体が固くなる。一真は川面に身を屈めて顔を洗った。

「はー、冷てえ!」

 天を仰ぐ一真。

「一度やってみたかったんだよな、こういうの」
「こういうのって?」
「川で顔洗ったり」

 今度は水を両手ですくって飲んだ。

「川の水飲んだりさ!」
「ふーん・・・ほんとおめでたいやつ」

 呆れる妹紅を尻目に一真ははしゃいでいる。その日暮らしの経験が長い妹紅からするとそういう生活は普通なのだが、不老不死になる以前はそんな暮らしとは縁がない程度の環境にはいたので一真の気持ちはわからなくもない。

「にしても、いい所だよな。水も紅葉もキレイだし」
「そうだね」

 それなりの幅がある川と色づいた木々が織り成す風景と、川のせせらぎしか聞こえない静けさは確かに、誰もが穏やかな心持ちになるだろう情緒を感じさせた。

「少なくなっちまったからなー、こういう所」
「・・・そうなの?」

 何気なくこぼした一真の言葉に、妹紅は聞き返した。

「ん? あ、そうか。お前、何百年もここにいるんだっけ」

 一真は川原に腰を下ろし、

「街中の川はほとんど護岸工事とかして川原なんて見かけないし、排水流してるから水とか飲んだら腹壊しちまう。色々便利になってるんだけど、こういう田舎暮らししたがる人も多いらしいぞ」
「ふうん・・・」

 妹紅も座って頷いた。外の世界では自然が少なくなっているという話は幻想郷でも聞かれる。それこそが幻想郷という異世界が生まれた原因だからだ。

(・・・長くなるから、その話はしないほうがいいかな)

 速やかに自己完結させて、うんうんと頷く。一真に幻想郷の事で変に気を揉ませたくないし――妹紅にその気がなくとも、彼の性格からすれば大いに有り得る事だ――、なによりアンデッドの事に集中しなければならない。

「あれ?」

 と、一真は水面の異常に気づいた。よく見ると、何か透明なものが上流から漂ってきている。一真は冷たい水からそれを拾い上げた。非常に薄く固いそれは一真の指の中でやがて消えてしまった。

「・・・氷?」

 そう思い至ったが、そんな事は有り得ない。そう思ったが、考えてみればいくら秋だといっても水が冷たすぎる。しばらく指をつけていてかじかんできたくらいだ。

「・・・そういえば、ちょっと寒すぎるな」

 一真の肩越しに川を眺めていた妹紅が両腕を抱く。やはり秋にしては冷たい風が肌寒く、それは上流の方から吹いている。

「ひょっとすると・・・」
「なんだ?」

 つぶやいた妹紅が上流の方に目を凝らす。一真もそっちを見ると、上流から白い空気が流れ込んできている。次第にそれが風に乗って一真らの所へ達すると、さらに気温が下がった。冷気だ、と2人とも気づいた。

「なんでこんなに寒いんだ・・・?」
「・・・あいつのせいだ」

 見通しが悪くなった白んだ空間の中、妹紅が指を差した先に青い影が見えた。

「ふっふっふ・・・」

 その方向から、笑い声が響いた。

「久しぶりの獲物発見!」

 冷気の中から、宙に浮いて腕組みをした10歳前後くらいの幼い少女が現れた。水色の髪を青いリボンで結び、青いワンピースの背中から氷の結晶のような羽をぱたつかせている。

「さあ、あたいと勝負しろ!」

 びし、と2人に指を突きつける少女。

「やっぱりお前か・・・」

 それを見て頭を抱える妹紅。

「知ってる娘か?」
「まあな・・・一度、弾幕ごっこにつき合ってやった事が。誰彼構わずふっかけてくるんだよ、こいつ」
「あれ? お前と弾幕ごっこした事あったっけ?」

 かくん、と肩をコケさせる妹紅と首を傾げる少女。
 と、少女の後ろからひょこっと別の少女が顔を出した。やはり10歳ほどで背中には虫のような羽が生え、緑の髪をポニーテールにしている。

「ち、チルノちゃん。その人、以前チルノちゃんが溶かされそうになった人だよ」
「ん?」

 チルノと呼ばれた青髪の少女は腕を組んだまま目線を上げて考え込んだ。右上へ向けた目線を左へ少しずつ動かしながら考える事およそ10秒。青い瞳が左上へ到達した所でまた妹紅に指を突きつけた。

「あー、思い出した! あの時はよくもやってくれたな!」
「・・・まあいいけど」

 疲れたような顔で、こめかみのあたりを指でかく妹紅。

「ええと、君は誰なんだ?」
「何ー!? お前、あたいを知らないのか!?」

 一真が妹紅とチルノの2人を交互に見ながら言うとチルノは大声を上げ、一真へ飛びかかって上半身に組みつき、顔を目一杯に近づけた。

「あたいは最強の氷の妖精チルノだ! あたいを知らないなんて、お前引きこもりか!」
「よ、妖精?」
「そいつは昨日外の世界から来たんだよ。知らなくて当然だろ」
「外の世界?」

 仰け反った一真に取りついた姿勢のまま妹紅を見やるチルノ。もう一度、一真の顔をのぞきこみ、

「お前、外の世界から来たのか?」
「う、うん」

 一真が頷くとチルノは一真から離れた。

「よーし。お前、今からあたいと勝負しろ!」
「は?」

 ぽかんと口を開ける一真。

「あたいと弾幕ごっこするの! 外の人間にも、あたいは強いんだって体で教えてあげるわ!」
「やめとけ、こいつは強いぞ」

 妹紅がたしなめるが、チルノは空中で――登場してからずっと浮いている――両手を腰に当ててふんぞり返った。

「ふん! どれだけ強くてもあたいに勝てるわけないわ! あたいが最強だもの!」

 それを緑髪の少女が止めに入る。

「チルノちゃん、この間もそう言ってその人に溶かされかかったじゃない・・・」
「大妖精ちゃんは黙ってて! あの時は足がかゆくて集中できなかっただけなんだから!」

 明らかな負け惜しみを言いながら緑髪の少女――大妖精の腕を振り払い、チルノは一真に指を突きつける。

「逃げようってもそうはいかないわよ! さあ、勝負!」
「・・・どうしよう?」

 一真は困ったように妹紅に聞いた。妹紅はやれやれと肩をすくめる。

「しょうがないから相手してやれば? 実際は大して強くないから適当にあしらってやれば逃げるだろ」
「でも俺、スペルカードとか持ってないぞ?」
「カードならあるだろ」
「いや、変身なんかできるわけないだろ!? 女の子相手に!」
「大丈夫、妖精は死なないから。ある意味、蓬莱人と同じようなもんだ。煮てよし焼いてよし斬ってよし」
「いいのかよ!?」
「氷の妖精だから焼くのが手っ取り早く片づくぞ。私もそうしたし」
「容赦なさすぎないか?」
「幻想郷ってのはそういう所だ」
「過酷すぎんだろ・・・」

 頭を抱える一真。

「おいっ! あたいを無視するな! なんでもいいから戦えー!」

 2人のやりとりを見ていたチルノが両腕を振り上げながら叫んだ。妹紅は一真の背中を叩き、

「ほら。時間ないからさっさと済ませちゃってよ」
「そうは言ったって・・・」
「あーもう! そっちがかかって来ないならこっちから行くぞーっ!」

 とうとう痺れを切らしたチルノは頭上に掲げた左手に氷柱を作り出した。

「え? ちょっと――」
「てやーっ!」

 一真目がけて撃ち出された氷柱はとっさに横へ飛んだ妹紅と一真の脇を過ぎ去り、川原の石を数個弾いて突き刺さった。

「何すんだよ! 危ないだろ!?」

 さすがに怒鳴る一真。だがチルノは頭上へさらに冷気を集中させている。

「ふーんだ! お前なんか濠太剌利オーストラリア牛と一緒に冷凍保存してやる!」
「ほら一真、変身して! さもないと下手したら死ぬよ!」
「あんまり強くないって言ってなかったか!?」
「ごめん、あれ私基準」
「お前は不死身だろ!?」
「でも変身すれば大丈夫だから! 早く!」

 焦れったそうに一真のポケットに手を突っ込み、取り出したブレイバックルと『CHANGE』のカードを押しつける妹紅。

「お、おい」
「ほら、やっつけて来い!」

 妹紅は一真の肩をぽんと叩き、そそくさと彼から離れてしまった。

「覚悟ーっ!」

 一真がブレイバックルと妹紅とチルノを見比べながら慌てふためいていると、チルノが冷気と複数の氷柱を飛ばした。彼はそれに身の危険を感じ、とっさにブレイバックルにカードを挿入して装着し、ハンドルを引いた。

『 Turn up 』

 オリハルコンエレメントが一真の正面に現れ、冷気と氷柱は全て阻まれ霧散した。

「な、なんだー!?」

 大きな目を見開き、驚いて大声を上げるチルノ。一真は渋い顔で首を傾げていたが、結局意を決し、

「へ・・・変身」

 オリハルコンエレメントへ走って突っ込み、ブレイドへ変身した。チルノはさらに目をむいて、

「お、お前、妖怪だったのか!?」
「安心しろ、そいつは普通の人間だよ。それはなんていうか・・・変身しただけだ」
「よくわからないんですけど・・・」

 妹紅の言葉に大妖精がつぶやく。

「と、とにかく!」

 気を取り直し、チルノはスペルカードを掲げる。

「これでもくらえ! 『アイシクルフォール』!」

 宣言した直後、チルノの左右に出現した氷塊から氷柱が次々に発射される。

「はっ!」

 抜き放たれたブレイラウザーが氷柱を切り裂き、ブレイドに当たる軌道にあったものはすべて払われ、それ以外は川原に次々刺さっていく。

「や、やるな! それじゃ本気を出しちゃうぞ!」

 チルノはさらに突き出した両手から数個の冷気弾を撃ち出す。ブレイドは氷柱に当たらない様に、冷気弾が拡散して広がった隙間を抜けるように位置を変えてやり過ごす。弾もあまり早くなく、チルノの弾幕は一真に全く当たらない。

(でも避けてるだけなんだよなあ・・・)

 妹紅は頭をかきながら考えた。
 なかなか上手くかわしてはいるが、ブレイドからは攻撃しないので防戦一方になっている。幻想郷に来たのは昨日だし、相手は少女だからしょうがないと言えばそうだが・・・

「一真。その弾幕、懐に飛び込めば楽だよ」
「懐?」

 そう言われてよく弾幕を観察すると、確かにチルノの両脇から放たれる氷柱弾幕はチルノの近くならばやり過ごせるだろう。チルノ自身が放つ冷気弾も、近づいても十分かわせそうだ。ブレイドは意を決し、弾幕の中へ飛び込――

「って、近づいてどうすりゃいいんだよ!?」

 もうとして、踏みとどまった。妹紅はずるっと足を滑らせてしまった。

「あー、『Fire』でもぶちこんでくれば?」
「できないって!」
「ったく・・・」

 しゃがんで頭を抱える妹紅。

「えーと・・・スペルカードは時間制限があるから、避け続けてれば一応終わるけど・・・」
「ひたすら避けてればいいんだな!?」

 それを聞いた一真は弾幕を避ける事に専念しだした。

「はあ、まったく・・・」

 だるそうに川原に胡坐をかいて膝に頬杖をつく妹紅。

「あの、なんだかすいません・・・」

 そこに大妖精がおずおずと謝ってきた。

「いや、いいんだけどね・・・大変だな、お前も」
「はい・・・」

 ちょっとやるせなさそうに下を向く大妖精。

「そうだ。ところでさ、昨日から変な妖怪みたいのを見てないか?」
「変な妖怪ですか?」
「獣が2本足で歩いてるような、ちょっとでかくて、体が黒っぽいやつ」
「ん~・・・そんなのは見てないです」
「そうか。山の近くにいるらしくて、私達はそいつを探しに来たんだ。もし見たら私達に教えてくれ」
「はあ・・・」

 生返事を返す大妖精から外した目線をブレイドの方へ向けると、チルノの左右の氷塊が消えた所だった。スペルカードの効果が切れたのだ。
 チルノは氷塊が消えた左右の空間に何度か顔を往復させていたが、腕を組んでふんぞり返ると、

「や、やるな! 時間切れまで粘ったのはお前が初めてだ!」
(そりゃ、そこまで待つより近づいて叩きのめした方が手っ取り早いからな)

 半眼の妹紅に気づかず、チルノはもう1枚カードを取り出し、

「よーし、次はこれだ!」
「ま、まだあるのか!?」
「何言ってんの! 勝負はこれからよ!」

 妹紅はため息をついて立ち上がり、どうしようと立ちすくむ一真の肩を叩いた。

「しょうがない。私がやるよ」
「え」
「時間ないし、ちゃっちゃと終わらせてもらうよ」

 前に進み出る妹紅にチルノは指を突きつけ、

「おい! 今そいつとやってたんだぞ!」
「いいのか? また時間切れまで粘られるぞ」
「むー・・・」

 そう言われてチルノが口ごもっている間に、妹紅は右のポケットからスペルカードを全て取り出して広げた。

「ええと・・・これでいいか」

 その中から1枚を選んで、残りをポケットに押し込む。

「よーし、じゃあこないだのリベンジだ。行くぞー! 『ダイアモンドブリザード』!」
「一真、下がってて。藤原『滅罪寺院傷めつざいじいんしょう』!」

 互いに宣言して弾幕を展開する2人。
 チルノは小さい氷柱を大量に撒き散らし、妹紅が左のポケットから取り出した札を宙に投げる。札はVの字に並んでチルノへ向かって飛んでいった。
 チルノの弾幕は速度と角度が変則的だが全体的に遅いので妹紅は落ち着いてかわしている。
 対してチルノは妹紅の札の弾幕を飛び越えた。

「ふんだ! こんなのに当たるわけ――」

 言いかけた台詞はUターンした札が後頭部に当たった事で中断された。

「あだだっ!?」

 さらに他の札がチルノに前から後ろから立て続けに当たりまくる。

「いだっ、こ、このブッ!?」

 それまでチルノの弾幕を全て避けきっていた妹紅は1つ嘆息すると左手をかざし、チルノに火の玉を1発見舞った。

「あぢぢぢぢ!?」
「あ! 待ってよチルノちゃーん!」

 まとわりついていた札ごと炎に包まれたチルノは足をばたつかせながら飛び去っていき、大妖精もそれを追って飛んでいった。

「・・・ふう」

 静けさを取り戻した川原には、せせらぎと妹紅のため息だけが響いた。

「大丈夫かな? あの娘」

 変身を解除した一真は不安そうな表情を浮かべている。

「大丈夫って言ってるのに。一真がぐずぐずしてるせいで余計な時間喰っちゃったじゃない」
「・・・ごめん」

 頭に手を当てる一真。妹紅はまたため息をついて、

「まあ、しょうがないけどね。一真だから」
「?」

 一真はそう言われて首を傾げた。

「ところでさ、さっきの札はなんだ?」
「自作の魔除けのお札。昔、妖怪退治してた頃があってね。最近あまり使ってなかったんだけど、アンデッド以外に力を消費したくないから」
「へー。どういう作りになってるんだ?」
「まあ簡単に言うと」

 左のポケットから赤・青・紫と色とりどりの大量の札を取り出す。

「これに妖力を注入して飛ばして、当たると妖力が弾けて衝撃が出るんだ。炎ほどの威力はないけど、加減しやすいし火事を起こす心配もないしね。さっきみたいにこれを使ったスペルカードもあるよ」

 へー、と頷く一真。

「しかし、妖精なんて初めて見たよ俺。あんなだったんだな」
「あいつは妖精の中でも変わり者だよ。妖精としては桁外れに強い力を持ってて、そのせいか生意気なんだ」

 札をポケットに押し込む妹紅。

「外の世界じゃ少なくなったらしいね。ほら、さっきお前、外の世界は自然が少なくなったって言ってたろ? 妖精は自然から生まれるものだから、それが少ないと妖精も少なくなるんだ」
「なるほどなー。幻想郷は自然が一杯だから多いのか」

 腕組みしてしきりに頷く一真。

(それだけじゃないんだけどな・・・)

 胸中で独りごちつつ、妹紅はきびすを返した。

「そろそろ行こう。あんまり時間つぶしちゃいられないからね」
「あ、ああ」

 そうして彼らは川原を後にした。


◇ ◆ ◇


 朝の里はいつもと違う空気が流れていた。
つもならば活気に溢れている通りは人もまばら、その少ない人々もどこか浮かない顔をしてそそくさと道を急ぐ。開いている店も客が少なく、店の者もどことなく元気がないが、その原因は客が少ないというだけではあるまい。
 ジャガーUの襲撃から一夜明けたが、その影響は誰の目にも明らかなほど里の雰囲気を一変させていた。ずっと平和だった里の人々にとって、白昼に人が殺されるという事件の衝撃はあまりに大きかった。里の門や櫓の見張りは昨日から絶えず監視の目を張り巡らせ、武器を持った男達が里の中を見回っている。
 慧音も、買い物で家と店を往復する間だけでその空気を敏感に感じ取っていた。いつもなら寺子屋で子供達に勉強させているはずの時間。その時間に手持ち無沙汰でいる事に、ついため息を漏らしてしまう。歴史を識る者としてわかっていたつもりではあったが、平和というものはかくももろいものだったのか。こうしてみると、人間と妖怪が暮らす幻想郷の平穏は奇跡的なバランスで保たれていたのかもしれない。妖怪がその気になれば、これ以上の被害を出すくらいは造作もないはずだ。当然自分は人間のために戦うが、それもどれほど通用するかわからない。昨日のジャガーUにしても、一真がいなければどうなっていただろうか――

「・・・うん?」

 ふと顔を上げると、自分の家の前に2人の少女がいた。

「ねー、いないのー?」
「どうも留守みたいだぜ」

 戸をどんどんと叩く赤と白の服の少女に、背伸びして窓から中を覗き込んでいた白と黒の服の少女が言う。どちらも見知っている。彼女達こそが、幻想郷の平穏の均衡を支えている少女達なのだ。

「お前達、私に用か?」

 話しかけられた2人の少女――霊夢と魔理沙は同時に振り返った。



「なんだ、もう半分も片づいたのかよ。ならもう出番は無いんじゃないか、霊夢?」

 家に2人を上がらせ、慧音は一真が里に来てからの事を彼女らに話していた。

「だが上級アンデッドが2体いるし、妖怪の山から戻ってこれるようなやつも残っているからまだ安心できない」
「だけど、その一真ってやつ以外にはアンデッドは封印できないんだろ?」

 卓に肘をついて、出されたお茶をすする魔理沙。それとは対照的に霊夢は眉根をひそめ、

「確かに私もそう思って彼に任せたんだけど・・・でも、あの2人だけで本当に大丈夫かしら?」
「うむ・・・」

 慧音は腕を組んで霊夢の表情を見る。里で死人が出たと聞いて居ても立ってもいられなくなったという話だったが、どうも本当のようだ。日頃やる気が感じられないと評判の霊夢だが、博麗の巫女としてのプライドはあるらしい。
 慧音は霊夢に微笑みを返した。

「2人ともちょうどいい時に来てくれたな。お前達に頼みたい事があるんだ」

 言われて顔を見合わせる2人。

「実は、里の外で殺されてしまった人達の遺体はまだ回収していないんだ。アンデッドがいるとなると迂闊に里の外を出歩くわけにいかない。そこで、お前達について来てもらいたいんだ」
「私達は用心棒ってわけか?」
「そういう事だ。もちろん私も行くぞ。言いだしっぺだし、遺体の場所がわかるのは私だけだ」
「里に誰かいなくていいの?」
「私達が出る間、里の歴史を食っておけばいいだろう」

 ワーハクタクとしての能力として慧音は『歴史を食う程度の能力』を持っており、『歴史を食う』事ができる。食われた歴史は誰にも認識できなくなるが、実物はもちろん、人々の記憶を消すというわけではない。食った歴史はちゃんと元に戻す事ができる。
 例えば慧音が『剣崎一真が幻想郷へやって来た』という歴史を食ったとしても、一真が幻想郷から消えるわけではないし、妹紅や霊夢が一真の事を忘れるわけではない。だが幻想郷の中では誰も一真を認識する事ができなくなり、一真が視界にいても見えず、一真の声が届く所に居ても聞こえない。言うなれば、全ての生物に対してそんな歴史は存在しなかったと暗示をかけるようなものである。もし、この能力を使って1人の人間の歴史を食い尽くしたならば、その人間は慧音と本人以外には認識できなくなり、実質世界から抹消される事になる。
 使いようによってはそれこそ歴史を変える事さえ可能な能力だが本人もそれは十分承知しており、使う際は細心の注意を払っている。

「あー・・・それならまあ大丈夫ね」

 目線を上に向けながら霊夢が頷く。彼女は一度、慧音が里の歴史を食ったのを見た事があるのだ。
 かつて満月が出るはずの夜に、異常な妖気を発する待宵月――満月になる直前の月――が現れ、月を元に戻すために八雲紫が夜空を停止させた『永夜異変』の際、里の近くに来た霊夢と紫を警戒して慧音が歴史を食った。満月にハクタクの力を発揮できる慧音は当然月の異常に気づき、歪んだ月の妖力で妖怪が活性化する事を予想しており、里が襲われるかもしれないと注意していたのだ。実際、霊夢らによればかなりの数の妖怪や妖精が活発になっていたらしい。結局それは慧音の杞憂であったが、その際も霊夢は里の事は覚えていたのに里は見えていなかった。ただし強大な力を持った妖怪である紫には通用しなかったようである。
 なお、永夜異変の黒幕は蓬莱山輝夜の一味だった。
 ・・・正確には人々が言う永夜異変は『夜空が止まった異変』でそれは紫の仕業であり、『満月を隠した』のが輝夜達であるがそれに気づいた人間は1人もいなかった(霊夢でさえ、紫から言われるまで気づかなかった)。月の住民が地上へやって来るという情報を得たため、満月を偽りの月で覆って月と地球の間を行き来できないようにしたのだ。もっとも、遮断された空間である幻想郷には外から誰かが入ってくる事は基本的に不可能だったのだが、輝夜達がその事を知ったのは霊夢らに打ち負かされた後だったという。

「でもさ、だったらずっと里の歴史を隠しっぱなしにしてりゃいいんじゃないか?」
「そんな事をしたら妹紅やお前達が里に入れなくなるだろう」
「あ、それもそうか」

 笑ってごまかしながら頭の後ろに手をやる魔理沙を横目に、湯飲みを口にやる霊夢。

「でも、遺体って私達3人で運ぶのはさすがにきついんじゃない? 確か里の外で死んだ人は3人って話だったけど」
「台車とかあるだろうけど、運んでて疲れた所を襲撃とか勘弁してもらいたいな」
「里の男達に手伝わせる?」
「それもちょっとな。不意打ちでも受けたら殺されてしまうかもしれない」
「運ぶ死体を増やされるのは困るな」

 不謹慎な事を言って霊夢と慧音ににらまれる魔理沙。視線に気づいて目を逸らす。

「まったく・・・」

 顔をしかめて頭を振る慧音。軽口を叩く性格なのは知っているが、さすがに今のは気持ちのいいものではない。と、霊夢が手をぱんと叩いた。

「あ。いるわよ、ちょうどいいのが。1人で遺体3体楽に運べて、襲われても大丈夫そうなやつ」
「へ?」

 異口同音に声を上げる魔理沙と慧音。

「あいつ、今どこにいるかしらね。神社かもしれないけど」
「・・・あー、あいつか」

 顎に手を当てて考える霊夢の言葉に、何度か頷く魔理沙。

「じゃ、手分けして探そう。2時間経ったらここに集合な」
「うん、わかったわ」

 簡単に打ち合わせ、立ち上がる2人。

「慧音、ちょっと助っ人をもう1人呼んでくる。2時間待ってくれ」
「ああ、構わないが・・・誰を連れてくるつもりだ?」
「さあね。あ、そうだ」

 靴を履きながら振り返る魔理沙。

「台車じゃなく、戸板を3枚用意しといてくれ。あいつの場合、そっちの方が運びやすいはずだ」
「戸板? ああ、わかった」
「それと、酒も用意しておいてくれない? あいつ酒に目がないから、あげれば喜んで手を貸してくれるわ」

 魔理沙に続いて霊夢。

「酒?」
「ていうか、酒がないと動かないかもしれないぜ。あいつ」
「だからよ。慧音、よろしくね」

 口々に言うだけ言って、2人は玄関を飛び出していった。静まり返った家の中、慧音は腕を組んでふう、と息をついた。

「・・・まあ、いいか」

 誰なのか教えてもらえなかったのはちょっと収まりが悪いが、ともかく協力してもらえるだけありがたいと考えるべきだろう。確か、酒屋の店主から寺子屋で子供が世話になっているからともらった清酒があったはずだ。今度、妹紅と一緒に飲もうと思っていたものだがしょうがない。慧音は押入れを探し始めた。


◇ ◆ ◇


 平原の真っ只中を青い鉄騎が駆け抜けていく。見上げると、そびえ立つ妖怪の山は威圧感さえ感じられるほどに近づいている。
 一真は近くの丘をブルースペイダーで駆け上った。丘の上にブルースペイダーを停め、ヘルメットを取る。

「この辺かな」

 起伏と色に富んだ大地を丘から見下ろし、つぶやく。山を覆う色づいた木々は麓まで広がり、その手前の平原には風が黄色がかった緑の波を走らせている。

「手分けして探そう。私は空から、お前は地上な」
「ああ。アンデッドを見つけたら、そうだな・・・大きな音を立てて知らせられるか?」
「大丈夫。でも、ちょっと火事が心配かな」

 『フジヤマヴォルケイノ』のスペルカードを見せながら笑う妹紅。

「妖精や妖怪に襲われたら、ちゃんと変身して戦えよ」
「ああ、わかってる」

 妹紅がブルースペイダーから降り、一真は再びヘルメットをかぶった。

「正午ごろにここで落ち合おう。じゃ、気をつけてな」

 そう言うと妹紅は炎の翼を広げて丘から滑空し、一真もブルースペイダーで丘を下っていった。


~少女&青年探索中・・・~


 太陽が真上辺りまで昇り切った頃、2人は丘の上に戻ってきた。

「どうだった?」

 ヘルメットを外しながらブルースペイダーから降りる一真に、妹紅は両腕を広げ、

「見つからないね。出くわした妖精に聞いてみたけど、昨日山を出て行ってからこの辺りでは見られていないみたい」
「そうか・・・」

 真剣な顔でつぶやく一真。と思ったら急に顔をしかめて腹を押さえた。

「はあ、腹減ったな。メシにしようか」
「・・・おいおい」

 思わず半眼になる妹紅だった。

「だってさあ、神経張りながら走り回って探したのに見つからなくて、なんか変に疲れたっていうか」
「・・・そうだね」

 その気持ちはまあわからないでもない。妹紅は腰に巻いていた風呂敷包みをほどき、弁当を出した。

「じゃ、食べようか」

 2人はスタンドを立てたブルースペイダーに寄りかかるように並んで座った。

「いただきます!」

 一真はグローブを外した両手を合わせてそう言った直後、猛烈な勢いでおにぎりにかぶりついた。

「うめぇ! やっぱ外で食うと美味いな」
「食べながらしゃべるなよ」

 聞いているのかいないのか、一真は満面の笑顔でおにぎりを食べながら漬け物を口に放り込んだ。

「しかし、本当に美味しそうに食べるね」

 あっさりと1個食べきり、2つ目に手を伸ばした所でポケットから竹の水筒を取り出す一真。見ていて食い気を誘われた妹紅もおにぎりを頬張りだした。

「これがただのピクニックだったら楽しかったんだけどな」
「・・・そうだね」

 おにぎりを持った手を下ろし、一緒に空を見上げる。明るい日差しと穏やかな風が心地よく、出かけるのにぴったりな日和だ。竹林の中よりは遥かに気持ちのいい気候には違いない。

「そういえばさ」

 と、一真があごを上げた状態のまま横に顔を向ける。

「1つ気になってたんだけど、普通の弾幕とスペルカードってどう違うんだ?」
「ああ・・・」

 おおかた、さっきのチルノとの戦い(と呼べないような一方的な結果だったが)で疑問を持ったのだろう。

「スペカ・・・スペルカードの利点はどんな法則の弾幕を放つか最初に決定できる事で、複雑なパターンでも簡単に発射できるんだ。ある程度弾の多さとかも加減できる。ただ、スペカの弾幕は必ず回避可能なものでないといけない。絶対かわせない弾幕は、弾幕ごっこでの反則になる。言うなれば、競技用の弾幕って所かな。でも、限りなく不可能に近いのはありだ」
「ふーん・・・」

 2人ともおにぎりはすでに食べきって、時折水筒を口に運んでいる。

「逆に、かわされる事前提で破壊力を重視した弾幕もある。私のフジヤマヴォルケイノがそうだ。あんなもん直撃するような馬鹿はいないからね」
「確かに、あんなんくらったら絶対死ぬな」

 昨夜トリロバイトUを無防備にした妹紅の弾幕――というより一真には爆撃に見えた――は、まともに当たればアンデッドも木っ端微塵にできるのではないかと思われた。

「それに、あれ撃った所に別の弾幕を重ねて動きを抑制するととってもスリリングになるんだ」
「・・・えげつないな、それ」

 昨日、妹紅に言われた事をそっくり返す一真。

「あと、スペカで重要視されるのが見た目の美しさだ。弾の形、色、飛ばす軌跡と速度。色々な要素が絡み合う分、作る者のセンスを反映しやすいからね。幻想郷で特に美しい弾幕を使うと言われているのが・・・輝夜だ」

 最後の一言を口に出す時、一瞬目を逸らしてしまう。
 実際、彼女の弾幕をよく見る妹紅からすれば、やはりその美しさは認めざるを得ない。ただ、妹紅の弾幕を知る者からは、彼女の炎を用いた弾幕もかっこいいと評価されているようだ。

「・・・・・・」

 一真は妹紅の態度に気づいたものの、かける言葉がわからなかった。妹紅は再び顔を上げて説明を続ける。

「普通の弾幕ならスペカ以上に自由に撃てるんだけど、どういう構成で撃つかいちいち考えないといけないからちょっと面倒ではあるね。その代わり、逃げられないような弾幕も撃てる」

 昨晩の戦いでウルフUを竹林からおびき出した後、スペルカードを使わなかったのはそういう理由だ。

「その代わり、そんなもん使ったら向こうもそういう弾幕ぶっぱなしてくるだろうけどね。ま、弾幕についてはこんな所かな。わかった?」
「ああ、サンキュ」

 笑顔を見せる一真にうなずき、水を飲む妹紅。一息ついてふと地面に視線を落とすと、赤い花が咲いているのに気づいた。

「あ、吾亦紅われもこうだ」
「われもこう?」

 きょとんとする一真に、妹紅は花を指し示す。茎の先に暗い赤色の小さな花が密集して咲いたような外見で、よく見ないと花とわからないだろう。一真は地面に両手をついてその花に顔を近づけてしげしげと見た。

「へー、変わった花だな」
「だろ? 私の妹紅って名前はこれからとったらしい」
「そうなんだ?」

 顔を上げる一真に、立てた膝に頬杖をついて微笑む妹紅。

「変わった名前だと思ったろ?」
「まあな」

 あははは、と2人で笑い合う。

「しかし、本当に変わった名前だよな」
「何でも『我もこうありたい』が語源っていう話だけど」
「それで『われもこう』か。でも、こうありたいってどういう意味だろ?」
「なんかこう、花のようにひっそりと、とかそんな感じじゃない? ま、私の場合は」

 広げた手の平の上にぼっと炎を灯らせ、

「この赤い花のように真っ赤に燃えろ、って意味だと思ってるけどね」

 自分の出した炎を自虐的な笑みで見る妹紅。この身を炎で燃やし尽くしたとしても、何度でも蘇る。自分の身を焦がしながら、それでも死ぬ事が許されない。誇り高い不死鳥に重ねてみても、結局はこうやって己れを皮肉って笑うしかできないのだ。
 一真はそんな妹紅の思惑をなんとなく感じ取った。

「お前は今、燃えてるか?」
「ああ、燃えてるよ。アンデッド退治にね」

 炎を消し、さっきよりは柔らかい笑顔を向ける妹紅。口下手なので不安だったが、一真は妹紅の気分を切り替えさせるのが上手くいった事に内心ほっとして笑顔を返す。

「じゃ、そろそろ行こうか」
「ああ。でも、どこを探す?」

 立ち上がる妹紅を見上げて一真が言う。

「どこか、この近くでそういうのがいそうな場所とかあるか?」
「そうね・・・」

 顎に手を当てて考え込む妹紅。

「『霧の湖』って所がある。生き物は水辺に集まるものだから、やつもそこにいるかも」
「標的が集まるからって事か?」
「それにアンデッドだって水は飲むかもしれないし」
「・・・ああ、するみたいだ」

 アンデッドに食事を与えた事があるのでわかる。
 妹紅は筍の皮を風呂敷に包んでブルースペイダー後部の側面にある取っ手のような部分に結びつけ、ブルースペイダーにまたがった一真の後ろに座った。

「方角は?」
「あっち」

 妹紅が指し示す方へ、ブルースペイダーは機首を向けて走り出した。


◇ ◆ ◇


 妖怪の山から川の水が流れ込む湖は常に霧が立ち込めている。それゆえ幻想郷の人々はそこを『霧の湖』と呼んだ。その湖畔(こはん)に、2人の妖精が座っていた。

「はー。ようやく元の大きさに戻った」
「チルノちゃん、大丈夫? 溶けてだいぶちっちゃくなってたけど」

 チルノと大妖精は妹紅に追い返された後、この湖へ来ていた。湖と言ってもさほど大きいものではないが、濃い霧に阻まれて対岸どころか数十メートル先も見えない。霧のせいで日光はあまり地上に届かないためか、地面を覆う草は黄色くなっている。

「まったくあの紅白2号、あたいを溶かしちゃうなんて1号よりとんでもないわ」
「1号って、巫女の事?」


「っくしゅん!」
「どした霊夢? 風邪か? 年中、腋を丸出しにしてるからだろ」
「うっさい」


「あいつもおーぼーだけど、2号の方は熱い分もっとたち悪いわね」


「はっくしょん!」
「? 寒いか?」
「いや、そうじゃないけど・・・蓬莱人は風邪なんかひかないし」


「わかってて勝負しかけるチルノちゃんもチルノちゃんだと思うよ・・・」
「ふんだ。あいつらをやっつけてあたいが最強になるんだから」

 腕組みしてふんぞり返るチルノに大妖精は小さくため息をついた。
 向こう見ず極まりないチルノと一緒にいるといつもハラハラさせられ通しだ。そういう彼女もいたずらは好きだが、相手は選ぶ。チルノときたら強い妖怪や人間でもお構いなし、むしろそういう手合いに無謀な挑戦をしたがる傾向にある。自分が最強だと信じて疑わないチルノはその証明のために様々な相手に挑み続けている。のだが、結果は散々なものである。友達だからあんまり心配はかけて欲しくないのだが、止めても全然聞いてくれない。チルノには自分以外にも気の合ういたずら仲間がいるが、彼女らは夜に活動する妖怪なので今はいない。いたらいたで煽るのだろうが。
 空を見上げると太陽は直接見えず、白い天蓋のように立ち込める霧が明るく光っている。

「あー、思い出したらまたむかついてきたわ。紅魔館の門番でもからかってやろうかな」
「あ、それいいね」

 大妖精が食いついてきた事で、しかめっ面だったチルノは得意げに笑った。

「よーし、じゃどうしようか。居眠りしてるあいつの帽子を盗んでくるとか。それか、背中に凍らせた蛙を入れて来る?」
「けっこうひどいね、チルノちゃん・・・泥で顔に髭の落書きするとかどうかな。口に泥団子放り込むのも面白いかも」
「大ちゃんもあたいの事言えないじゃん」

 きゃははは、と嬉々としていたずらの相談をする妖精2人。
 と。

「フゥゥゥ・・・」
「ん? チルノちゃん、今何か聞こえなかった?」
「え? さあ」

 きょろきょろと辺りを見回す大妖精。

「シュゥゥゥ・・・」
「あ、ほら。また」

 耳に手を当てる大妖精。チルノも両耳に手を当てる。

「ハァァァ・・・」

 耳を澄ませてよく聞くと、その音はすぐ近くからしているようだ。ざっ、ざっ、と人間が歩くような音も聞こえた。
 チルノと大妖精は一度顔を見合わせ、同時に横を向いた。霧の中からうっすらと何かの影が浮かび上がっている。その影は次第に2人に近づき、やがてまともに見える距離に達した。現れたのは見た事もない妖怪だった。黒い体で肩から腕にかけてと顔の一部は黄色く、鹿のような枝分かれした大きな角が頭に生えている。

「獣みたいで、2本足で、おっきくて、黒っぽい・・・」

 その姿は紅白2号が言っていた特徴と一致する。これが彼女が言っていた変な妖怪だろう。

「なんだお前! あたいにけんか売ってるのか!?」
「ち、チルノちゃん」

 そうとは知らないチルノは立ち上がって妖怪に指を突きつける。

「フゥゥ・・・」

 と、妖怪の角に筋状の光が走る。

「え?」

 次の瞬間――
 霧の中に閃光と轟音が轟いた。


◇ ◆ ◇


「妹紅、今・・・」
「ああ、雷かな?」

 ブルースペイダーを走らせていた一真は雷鳴のような音を聞いてブレーキをかけ、バイザーを上げて妹紅へ振り向いた。
 ちょうど進行方向――霧の湖の方から聞こえたようだった。

「ディアーアンデッドは雷を操るアンデッドなんだ。自在に落雷を起こす事ができる」
「って事は・・・」

 一真はバイザーを下げ、ブルースペイダーを急発進させた。


◇ ◆ ◇


「チルノちゃん、しっかり!」
「はらほろひれはれ~」

 真っ黒に焦げて体から煙を立ち上らせるチルノの腕を引っ張る大妖精。
 いきなり雷がチルノに直撃、それは今彼女らにゆっくり歩いて距離を詰めてくる妖怪の仕業だと直感した。タフなチルノだからこの程度で済んだが、普通の人間なら即死しているかもしれない。ふらつきながら大妖精に引っ張られて歩いていたチルノだったが、とうとう倒れこんでしまった。

「も、もうだめ~・・・」
「チルノちゃん、しっかりしてよ! チルノちゃん!」

 両腕でチルノを引っ張る大妖精。だが彼女の小さい体にはチルノを引きずる力はない。

「だ、誰か助けて~!」

 破れかぶれで叫ぶが、そうこうしている内にあと数歩の所まで妖怪は近づいていた。

「あ・・・」

 目の前で見ると妖怪は非常に大柄で、へたりこんだ大妖精には巨人のように大きく感じられた。自分達を見下ろす妖怪の姿は逆光で少し暗く見え、それが不気味さを引き立てている 威圧的な姿と自分達を射抜く矢のような視線に強烈な恐怖を感じ、大妖精の体は震えだした。

「い・・・いや・・・」

 蛇ににらまれた蛙のように動けない。恐くて今にも泣き出しそうな顔で大妖精はつぶやいたが、震える口からは思うように言葉が出ない。
 妖怪はさらに一歩、足を踏み出した。

「ひ・・・!」

 息を呑んだ瞬間――

 ぼん!

「きゃあ!?」

 妖怪の背中で炎が爆ぜた。大きな音に、大妖精は思わず両手で頭を抱え込んだ。
 と、

「一真、こっちだ!」

 聞き覚えのある声。顔を上げると、妖怪は空を見上げていた。大妖精も上を見ると、赤い光に包まれた人影が霧の中に見えた。
 妖怪がその人影に向かって一歩踏み出した時、遠くから何かの音が聞こえた。だんだんその音は大きくなり――
 そして霧の中から青いものが猛スピードで現れ、妖怪に激突した。

「グワァァ!?」

 妖怪は大きく吹き飛び、大きな水音を立てて湖の中に落ちた。

「君達!」

 声の方を向くと、車輪が2つついた大きなものにまたがった者が頭にかぶっていたボールのようなものを取った。さっきチルノの弾幕をかわしていた男だった。

「あなたは・・・」
「大丈夫か、お前達?」

 もう1人、空から降りてきたのは紅白2号こと妹紅だった。

「こいつは私達に任せて、早く逃げろ!」
「う、うん」

 まだ妖怪に迫られた恐怖は抜けていなかったがどうにかチルノを助け起こし、大妖精はその場から逃げ出した。


◇ ◆ ◇


 大妖精とチルノが霧の中に消えたのを見届けた妹紅と一真は、湖の中から起き上がった妖怪――ディアーUを睨みすえた。

「本当にここにいるとはね」
「お前の読み通りだったな」

 湖の近くまで来たが霧でどこにディアーUがいるかわからないでいる時に、大妖精の助けを呼ぶ声が聞こえた。それを聞きつけた妹紅が火炎弾を撃ち込み、それが炸裂した時の赤い光目がけてブルースペイダーで突っ込んだのだった。
 一真はブレイバックルに『CHANGE』を挿し込んで装着した。

「ウォォォッ!」

 水を飛び散らせ、一真目がけて飛びかかるディアーU。

「変身!」

『 Turn up 』

 ブレイバックルから飛び出したオリハルコンエレメントに真正面から衝突し、ディアーUは再び湖に着水した。
 一真は青い光を駆け抜けてブレイドに変身、ブレイラウザーを抜き放って跳躍した。

「ウェイ!」

 水の中に倒れこんだディアーU目がけて最上段に振りかぶった醒剣が振り下ろされ、大きく水飛沫が舞う。しかし刃は空と水を切り、ディアーUは直前に横へ飛び退っていた。
 ブレイドはブレイラウザーを振り下ろした体勢からすぐに立ち上がり、距離を詰めようとしたがひざ上あたりまである水のせいで歩きにくい。もたつく間にディアーUは鹿の角のように枝分かれした2本の七支刀を両手に持ち、ブレイドに飛びかかった。
 ブレイラウザーを横に向けて、振り下ろされる2本の剣を受け止めるが、水に足を取られてバランスを崩し水中に倒れこんだ。その機を逃すまいとディアーUが再び剣を振り上げる。

「一真!」

 それを見て、湖岸から妹紅が炎を飛ばす。ディアーUは跳躍してそれを回避。なんとかブレイドから引き離した。
 次々と炎の弾幕を打ち込むが、ことごとくジャンプで避けられてしまう。こうやって跳ぶのであれば動きが水に制限される事はない。地の利は一真に不利だ。

(なら私が何とかしないと・・・!)
「一真、陸に上がってて!」

 炎の翼で飛翔し、空中から狙い撃つ。空を飛べば地の利など関係ない。有利なのは自分の方だ。
 ディアーUはやはり跳躍して弾をかわす。その着地――いや着水か――する場所を予測、そこに弾幕を集中的に撃ち込む。妹紅の読み通り、湖面に降り立ったディアーUは炎に包まれた。

「今だ! 『鳳翼天昇』!」

 スペルカードを宣言、炎が鳳凰を形作って具現した。本当は『フジヤマヴォルケイノ』を叩き込みたいところだったが、ブレイドがまだ湖から上がっていないので巻き込みかねない。
 水煙と水蒸気と霧が立ち込める湖面に火の鳥が頭から突っ込み、爆音と共に激烈な衝撃を生み出した。発生した水蒸気爆発が水を高く巻き上げ、妹紅の頬まで水滴がかかった。

「ふふん」

 妹紅はにやりと笑って、まだうねりの収まらない水面を見下ろす。今の爆発で気温が多少上がったのか、霧が少し薄くなった気がする。

「妹紅、仕留めたのか?」

 岸に上がったブレイドが声を上げる。

「多分・・・でも参ったな」

 バラバラになっても封印はできるだろうか、などと考えつつ困ったように笑いながら頭をかく妹紅。視界に映る限りに湖を見渡すが、ディアーUの影は見当たらない。水没しているのだろうか。
 ブレイドはブレイラウザーのトレイを開いてプロパーブランクを見た。

「・・・!」

 仮面の下で一真は目を見開いた。
 プロパーブランクは封印対象のアンデッドが封印可能な状態だった場合、それに反応して輝きを放つ。しかし、ディアーUを封印できるスペード6のプロパーブランクは光っていない。

「妹紅! ヤツはまだ倒れていない!」
「え?」

 一真が叫んだ刹那――
 ざばぁっ、と水音が響き、ディアーUが水中から姿を現した。

「!?」

 2人が驚いている隙に、ディアーUは角を光らせ――
 空に浮かぶ妹紅の背中に天から稲妻が突き刺さり、火花が飛び散った。

「ぐあっ!?」
「妹紅っ!?」

 衝撃に妹紅の意識は一瞬で暗転し、炎の翼が霧散した体は真っ逆さまに落下していく。

「妹紅!」

 重力に引かれるまま湖面へ落ちた妹紅へ向かって、ブレイドは湖へ飛び込んだ。ディアーUはその隙に湖から飛び出し、霧の中へ消えていったが、ブレイドはそんなものに目もくれずに水をかき分けるように妹紅の元へ急ぎ、うつ伏せに浮かぶ妹紅を抱え上げた。彼女の背中は服どころか皮膚まで焼け焦げていた。

「妹紅! しっかりしろ!」

 叫ぶが、妹紅はぐったりしたまま微動だにしない。
 両腕で抱え上げて岸まで運び上げる。

「妹紅! 妹紅!」

 濡れた髪が貼りつく頬を何度か軽く叩きながら呼びかける。

「く・・・ぅっ」
「妹紅!」

 苦しそうにうめきながら、妹紅が小さく目を開いた。

「大丈夫か、妹紅!?」
「う・・・一真・・・?・・・あうっ!?」

 身じろぎしようとした妹紅の顔が歪んだ。

「動くな! 無理するんじゃない!」
「つ・・・あ、アンデッドは?」

 言われて辺りを見渡す。ディアーUの姿はどこにもなかったが、黄色い草地の上に緑の液体が点々と続いている。妹紅の攻撃で負傷したディアーUの血だろう。

「追うんだ、一真・・・」
「だけど――」
「私なら大丈夫だから! 私が死なないの、知ってるだろう・・・もしやつを逃がしたら、あとでぶん殴ってやるからな・・・!」
「・・・わかった。すぐに戻るからな」

 一真は妹紅をその場に残し、ブルースペイダーで緑の血痕に沿って走っていった。
 1人取り残された妹紅は深く息をつき――
 次の瞬間、妹紅の体が炎に包まれた。
 真紅の炎が体を飲み込み、灰も残さず焼き尽くす。やがて妹紅の体は全て炎に変わり、立ち昇る炎の中から妹紅の新しい体が生まれ出でた。たっ、と大地に降り立ち、もう1度息をついた。

「ふう・・・っと」

 しかし立ち上がろうとしてふらついてしまい、尻餅をついてしまった。

「てて・・・ああ、駄目だ」

 頭の中がぐらりと傾いて倒れこみ、地面に四肢を投げ出した。
 『リザレクション』で傷は完全に消えたが、精神へのダメージは残ってしまう。一瞬で気絶してしまうほどの衝撃を受けたのだから動けないのも無理はない。妹紅自身、体は頑丈なわけではない。

「はあ・・・」

 情けなさに、ため息がもれた。
 ディアーUを倒したと思って油断してしまった。恐らく、咄嗟に水中に潜って炎を凌いだのだろう。出血している事から無傷では済まなかったようだが、倒すには至らなかった。
 妹紅の実力は幻想郷内でも高い方に位置づけられるレベルだが、その長い経験のほとんどは竹林内での輝夜との戦いが占めている。そのため今回のような水辺での戦いはほとんど経験がなく、それがこういう事態を招いた。

(一真も一真だよ。私なんてほっといてやつを倒せばよかったのにさ・・・)

 内心でぼやくが、一真がそんな事をするわけがないに決まっている。だからこそ、ここまで手を貸しているのだ。

「情けないな・・・手助けするつもりが逆に足引っ張るなんて」
「それはへこむわよね」
「!? 誰?」

 独り言に不意の相槌を打たれて顔を起こす妹紅。

「聞き覚えのある声ね」

 霧の中から女の声。妹紅も聞いた覚えがあった。やがて白いもやをかき分け、メイド服を着た銀髪の少女が姿を現した。

「あんた確か、吸血鬼の娘の従者の・・・名前は確か・・・十六夜咲夜?」
「覚えていてくれて嬉しいわ、藤原妹紅。いつかの肝試し以来かしら」

 無表情に腕組みする少女――咲夜。

「なんであんたがここに?」
「こっちの台詞なのだけど・・・うちの近くで爆発やら雷鳴やら聞こえたから、様子を見に行くようにお嬢様から仰せつかったのよ」

 歩いて妹紅に近づきながら返事を返す咲夜。

「そういえば、この湖の辺りに悪魔の館があるって噂を聞いた事があるけど・・・あんた達の事だったのか」
「そういう事。それよりあなた、大丈夫?」
「・・・私が死ぬわけないだろ。知ってるくせに」

 咲夜の皮肉に聞こえる言葉と、傍らに立って見下ろす態度に少々不愉快になったがそれは口に出さずに答える。

「まあ、倒れている人に対する社交辞令というものよ。誰にやられたの?」

 そんな社交辞令があるか、と内心毒づきながら、

「アンデッドっていう、外の世界から来た怪物だ」
「アンデッド・・・話は霊夢から聞いているわ。それを追ってきたハンターに手を貸しているらしいわね」
「まあな・・・それなら話が早いや。今、そいつが逃げたアンデッドを追ってる。私も行きたいんだけど、肩を貸してくれないか」
「そこまで指示はされていないけど・・・いいわ。お嬢様も仮面ライダーとやらに興味を持たれたようだから」

 妹紅は咲夜に助け起こされながら立ち上がった。

「で、そのアンデッドはどっちに行ったの?」

 妹紅は咲夜に肩を抱えられながら空いた手で地面を指し、

「その緑の液体を辿って行ってくれ。それはアンデッドの血だ」
「そういえば血が緑色だって言っていたわね。青汁みたいな味がするって本当かしら?」
「・・・・・・」

 精神的疲労が一気に増した気がした。突っ込む気力も失せ、妹紅は片手で顔を覆いながらため息をついた。


◇ ◆ ◇


 霧の湖から遠ざかるにつれて霧は薄くなり、やがて完全に視界が開けた。
 血痕は正面の木々の中へ続いているようだが、草の色も緑が濃くなってきてアンデッドの緑の血はわかりにくくなっている。ブレイドは地面に目を凝らしながら、遅めの速度でブルースペイダーを走らせていた。

「・・・・・・」

 一真の苦渋の表情は仮面に隠れて見えない。今はアンデッドを追わなければならないとわかっていても、どうしても妹紅の事が気にかかって仕方がなかった。
 彼女の言う通り、妹紅が死なない事は理解しているが、それでも彼女が目の前で傷つけられた事が容認できるわけがない。妹紅が狙われたのは、水辺での自分の不利を補おうとしたからだ。自分のせいだ。自分を信頼してくれ、危険を顧みず一緒にアンデッドと戦ってくれる、幻想郷で出来た大切な仲間。
 自分への不甲斐なさと怒りで、ハンドルを握る手に力がこもる。

「俺の仲間を傷つけて・・・許さない!」

 草地から木立の中へ入った時――

「ガアアァッ!?」
「うわっ!?」

 雄たけびを上げて横から飛びかかってきた何かに突き飛ばされ、地面に打ちつけられた。
 どうにか受け身を取って身を起こす。ブルースペイダーは草と落ち葉の上を滑り、木に衝突して止まった。

「今、何が・・・?」
「ハァァァァ――」

 異音が聞こえた方へ顔を向けると、そこには異形がいた。緑色の皮膚に黒い仮面をつけたような顔、背中には4枚の翼がついており、腰にベルトのようなものが見える。

「別のアンデッド!?」
「カァァァッ!」

 アンデッドは両腕に折りたたまれていた刃を伸ばし、突進しながらそれを振り回してきた。ブレイラウザーを抜くのが間に合わず、1撃目は身を屈め、2撃目は上体を反らしてかわす。しかしアンデッドの攻撃は素早く、斬撃を2回胸に受けてしまった。

「ぐぅっ!」

 火花を散らしながら倒れこむブレイド。突きこまれる刃を身をひねって避け、腹に蹴りこむ。後退した隙にブレイラウザーを抜刀しながら立ち上がり、反撃する。
 アンデッドは2本の刃を巧みに操って一真の攻撃を受けつつ切りかかってくる。再度蹴りを腹に打ち込み、間合いを取った。

「く・・・こんな時に」

 これではディアーUを追うどころではない。とにかく、こうなったらこいつを倒して封印しなければならない。
 目前のアンデッドを睨みつけ――

(・・・待てよ?)

 一瞬、はたと思考が止まった。
 幻想郷に入り込んだアンデッドは6体。うち3体はすでに封印し、残るはイーグルU・ウルフU・ディアーUの3体だけのはず。
 しかし目前の怪人は見た事がない。だが外見にはアンデッドの特徴が認められる。人造アンデッドの事など知る由もないブレイドが思い当たった可能性は1つしかなかった。

「まさか・・・7体目のアンデッド!?」
「グッ!」

 アンデッド――トライアルCは左腕の刃を折りたたんで一真に突きつけた。

「!」

 反射的に横に跳んだ瞬間、手首の部分から真紅の炎が噴き出した。炎はブレイドがいた場所のすぐ後ろの木をあっさり炎上させた。
 ブレイドが立ち上がるより早く、トライアルCは背中の4枚の翼を広げて飛び上がり、口から白いエネルギーの弾丸を発射した。再び横に跳んでそれを避ける。エネルギー弾は地面に触れると炸裂し、地面のえぐれた跡から煙が昇った。さらにエネルギー弾は2発、3発とブレイド目がけて放たれ、地面や木を穿つ。
 ブレイドは逃げつつ、木の陰でエネルギー弾をやり過ごしながらブレイラウザーのトレイからカードを抜いた。

『 Fire 』

「はっ!」

 木の陰から飛び出し、ブレイラウザーを振るって炎を放つ。

<『FIRE』消費AP 1000>
<ブレイド残りAP 4000>

 しかしトライアルCは空中で横に体をずらすように動いて炎を避け、エネルギー弾を撃ち返す。エネルギー弾がブレイドの足元に着弾し、弾けた衝撃で足がもつれる。

「くっ!」

 続いて撃ち込まれたエネルギー弾を地面を転がってかわし、体勢を立て直して歯がゆさをかみしめた。
 空を飛ぶトライアルCに攻撃できる方法は『Fire』しかない。ジャンプすれば届くかもしれないが、あっさり迎撃されるのは目に見えている。だがAPからいって、あと4回しか撃てない。全部当たったとしても倒せるとは思えないし、そもそも当たるかどうかさえ怪しい。

(くそっ・・・他に手はないのか?)

 妹紅がいれば状況は違っただろうが――

(・・・甘ったれるな! 俺のせいで妹紅は死ぬような目に合ったんだぞ! 最初に会った時だって・・・そうだ!)

 ある考えが浮かび、再びトレイからカードを2枚取り出す。

「ウオォォッ!」

 トライアルCの口の中に白い光が見えた瞬間、ブレイドはラウザーにカードを滑らせた。

『 Magnet 』

「グッ!?」

 不意に強力な引力に引き寄せられたトライアルCは驚いたような声を上げ、ブレイドの方へ一直線に飛んで行く。
 妹紅がバッファローUに飛んでいる所を引き寄せられて攻撃されたと昨日話していたのを思い出し、同じ事を試してみたのだ。
 手足をばたつかせながら迫るトライアルCを睨み、もう1枚のカードをラウザーに通す。

『 Slash 』

「ウェイッ!」

 輝く刃を振り下ろし、トライアルCの右側の翼2枚を根元から切り落とした。

<『MAGNET』消費AP 1400>
<『SLASH』消費AP 400>
<ブレイド残りAP 2200>

 ブレイドとすれ違うように地面に頭から墜落したトライアルCは切断された翼を腕で押さえながら立ち上がろうとした。そこへブレイドが素早く走り寄り、光が消えたブレイラウザーを振るった。

「でやぁっ!」
「グワァッ!?」

 トライアルCの皮膚へ刃が振り下ろされ、薙ぎ払われ、突き込まれ、振り上げられ、その度に火花が散る。ぐらついたトライアルCの肩に剣を食い込ませ、蹴り倒してカードを出した。

『 Tackle 』
『 Fire 』

『 Burning Break 』

 刀身に手を添えて構え、ブレイドアーマーの上半身が炎で覆われる。

<『TACKLE』消費AP 800>
<『FIRE』消費AP 1000>
<ブレイド残りAP 400>

「でいっ!」

 立ち上がるトライアルCが踏ん張った右足に、逆手に持ち替えたブレイラウザーを投げつける。

「ガッ!?」

 ブレイラウザーに右足を切り裂かれ、バランスを崩したトライアルCは右ひざをついた。
 そこに突進するブレイド。

「ウェェェェェイ!」

 避けきれず、まともに炎の体当たりを受けたトライアルCは体を焼かれながら轟音と共に吹き飛び、衝突した木を真っ二つにへし折って地面に落ちた。
 大の字になって倒れたトライアルCのバックルが開く。よく見ると横に長い六角形でアンデッドのそれとは形が違う。人工的な感じのデザインだし、スートや数字も書かれていない。
 不審に思いながらも投げたブレイラウザーを拾い、スートと数字がわからないのでとりあえずコモンブランクを投げつけた。
 しかしコモンブランクが胸に突き刺さったトライアルCはカードに吸い込まれず、逆にカードの方がトライアルCの体に吸収されてしまった。

「な!?」

 声を上げて驚く間に、トライアルCは傷ついた体も切断された翼も回復してブレイドに襲いかかる。

「うぐっ!?」

 動揺したブレイドはまともにトライアルCの拳を顔に受けてしまう。続けて両腕の刃を展開して斬りかかってくるが、浮き足立ってしまって凌ぎきれない。

(一体どうなってるんだ!? 封印できないなんて――)

 混乱するブレイドを、打って変わって攻め立てるトライアルC。ブレイドは何度も斬撃を受け、草の上に倒れこんだ。

「く!」

 刃を収納した左腕をブレイドへ向けるトライアルC。まだ頭の整理が追いつかないが、ともかく起き上がろうと地面に手をついた瞬間。

「立ち上がらないで」

 不意に冷静な声が響き、はっとした。
 直後。
 トライアルCに四方から大量のナイフが飛来した。

「!?」

 ナイフの大半はトライアルCの硬い皮膚に弾かれたが、顔に飛んだものが目に刺さった。

「ガアアッ!?」

 顔を両手で押さえるトライアルC。

「でやっ!」

 ブレイドは倒れた姿勢から素早く膝をついて、トライアルCの腹にブレイラウザーの突きを食らわせた。

「グウッ!」

 ブレイドが立ち上がるとほぼ同時にトライアルCは飛び上がり、そのまま彼方へと飛び去ってしまった。

「・・・・・・」
「一真!」

 トライアルCが飛んでいった方向を眺めていたブレイドが声に振り返ると、妹紅が小走りで駆け寄ってきていた。

「妹紅! もう大丈夫なのか?」
「言ったじゃない、大丈夫だって。お前こそ、怪我はないか?」

 変身を解いた一真の前で止まった妹紅はそう言うが、まだ顔が青い。
 それを見て、一真は非常に申し訳ない気持ちになった。

「妹紅、さっきはごめんな。俺のせいで・・・」
「いいってば。それより、さっきのやつもアンデッドなのか? 私達が追っている6体とは違うだろ?」
「ああ、俺もよくわからないんだけど・・・」
「お話中、申し訳ないのだけど」

 2人が声の方へ向くと、メイド服を着た少女が両手にナイフを持って半眼を投げかけてきていた。

「私を無視って言うのはつれないんじゃない? 誰かさんをここまで連れてきてあげたり、援護してあげたりしたのに」
「あー・・・いや、そういうつもりじゃなかったんだけどさ」
「知り合い?」

 困ったように頭の後ろに手をやる妹紅に訊ねる。

「まあね」

 こちらを見上げてくる妹紅から少女――咲夜に視線を戻す。

「そのナイフ・・・さっきのは君か?」
「そうよ。あなたが剣崎一真ね。私は十六夜咲夜よ」
「さくや?」
「私の名前が何か?」

 オウム返しにされて、咲夜が眉をひそめた。一真は慌てて手の平を咲夜に向けて振り、

「あ、いや、俺の先輩と同じ名前だったから、つい・・・」
「もしかして、橘?」

 と、妹紅。

「そうそう。たちばな朔也さくやっていうんだ」
「ふうん、それは奇遇ね」

 それを聞いて咲夜の表情が少し和らいだ。

「ありがとうな。おかげで助かったよ。それにしても、さっきのは一体どうやったんだ?」
「時間を止めてからナイフを投げたのよ。止まった時間を動かせばああいう風に一斉に飛んで行くわ」
「時間を止める? そんな事ができるのか? すごいな・・・」

 一真はすっかり感心して頷いた。不老不死に歴史を見る半獣、実在したかぐや姫に妖精まで見たが、幻想郷はまだ広いらしい。

「それであなた達、これからどうするの?」

 聞かれて、腕組みして考え込む一真と妹紅。

「うーん・・・ディアーアンデッドにはもう追いつけないだろうし・・・」
「それなら、2人とも紅魔館へいらっしゃい」
「こうまかん?」
「ええ。お嬢様があなたに会いたがっているわ」


◇ ◆ ◇


 さざ波と風だけが音を立てる霧の湖。全てを覆いつくさんばかりの真っ白な霧の奥、かすかに赤い色が垣間見える。霧が風に流され、その中から現れた館は、吸血鬼の住処に相応しい造形といえるだろう。全てが赤で彩られた館は、幻想的でさえある白い霧の中にあって不気味な空間を演出していた。
 隠れるように、あるいは閉じ込められたように、紅魔館は霧で白む空間にそびえ立っていた。




――――つづく




次回の「東方永醒剣」は・・・

「2人がかりはあれだろ? 順番にいこうぜ」
「人間ごときが私に勝つつもりか?」
「本当、呆れを通り越して笑っちゃうわ」
「ね、私と遊ぼ?」
「多分私は・・・あいつが羨ましいんだ」
「夢想封――」
「そんなの可哀相じゃないか」
(まさか、アンデッドが幻想郷に侵入したのは――)
「幻想郷は全てを受け入れるわ。だけどそれは、とても残酷な事なのよ」

第5話「『幻想』の真実」



[32502] 第5話「『幻想』の真実」
Name: 紅蓮丸◆234380f5 ID:d3c4d111
Date: 2012/10/26 11:53
 戸が開く音が聞こえて、慧音は読んでいた本を閉じて顔を上げた。

「おーい、連れてきたぜ」
「ああ、待っていたぞ」

 窓の外を見上げ、太陽の位置を確認すると確かに2時間ほど経っていた。上がってきた霊夢と魔理沙は畳の上に腰を下ろした。

「・・・誰もいないようだが?」

 2人しかいないのを訝り、そう聞く。

「ああ、堂々と里に顔を出すのはちょっとまずいからな。こっそりと来てる。ほら」

 そう言って上方を指す魔理沙。見上げると、外から霧のような白い気体が入り込んで来ていた。その霧から妖気を感じる。それもかなり強い。霧は下りてきて畳の上に集まりだした。

「これは・・・」

 そして濃度の増した霧の中から小さい人の形が現れた。外見は10歳前後の少女。袖が千切れた白いブラウスに紫のスカート。長い金髪に赤いリボンを結び、そして頭から2本のやや歪な形の長い角が生えていて、片方に紫のリボンが結わえてある。ハクタクのそれとは明らかに形状が違う。
 その角を見て、慧音は驚きの声を上げた。

「まさか・・・『鬼』か!?」

 鬼といえば、日本において人間から最も恐れられた妖怪である。幻想郷でもそれは例外ではなかった。しかし幻想郷から鬼が姿を消して長い年月が流れており、人々は鬼の事はほとんど覚えていない。記録すらほぼ全く無い――膨大な蔵書量を誇る紅魔館の大図書館にすら鬼について書かれた書物は無かったという――が、正しい歴史を知る慧音はもちろん知っている。
 確かに、鬼を人里へ連れて来ると知っていれば許可しなかっただろう。

「そう。伊吹いぶき萃香すいか。今回はこいつに手伝ってもらうわ」

 霊夢に紹介されて、胡坐をかいた萃香は酔っ払ったような赤ら顔で手を上げた。萃香の両腕に繋がれた、球・立方体・三角錐の3つの分銅がついた鎖がじゃらじゃらと音を立てる。

「あんたが慧音だね? 私は萃香。よろしく」
「あ、ああ・・・うっ!?」

 とりあえず返事をしようとして、強烈な酒の匂いに思わず鼻をつまんでしまった。

「ん? どしたの?」

 萃香が赤い顔で可愛らしく首を傾げたかと思うと、持っていた紫の瓢箪に入っている液体をぐいぐいと勢いよくあおった。

「ぷはぁ~」

 大きく息をつく萃香。その吐息から強いアルコールの匂いが漂ってくる。

「むむ・・・鬼は酒好きと聞いてはいたが、これほどとは・・・」

 慧音が両手で鼻と口元を押さえているのを見て、萃香はあははと笑う。

「あんた、面白いね。飲むかい?」

 瓢箪を差し出す萃香。中身は酒だろう。

「け、結構! 昼に酒は飲まない主義だ!」
「ふーん。じゃ、私が飲む」

 そう言ってまた瓢箪の中身を飲みだした。

「しょうがないわね」

 呆れた表情の霊夢。魔理沙は酒のにおいを払うように手を振っている。

「そうだ。酒は用意しといてくれたか?」
「あ、ああ。これだ」

 部屋の隅に置いておいた1升の徳利を卓に置く。

「おー、どれどれ」

 萃香は体をふらふらと揺らしながら徳利を取り、木の蓋をぽんと外して直接口元に運んだ。見た目幼い少女がごくごくと酒を飲んでいる光景はなんとも言えない。

「ん~、まあまあかな。悪くない。お駄賃には十分ね」

 そう言いつつまた酒をあおる萃香。

「戸板は用意してある?」
「ああ、里の入り口辺りに運んでもらった」
「よし、じゃ早速行くか」

 立ち上がる霊夢と魔理沙。

「ほら、行くわよ」
「はいはい、っと」

 霊夢に促され、萃香は空になった酒瓶を転がしてふらふらと立つ。

「ほいじゃ、里の外で待ってるからね」

 萃香の体は霞になって窓から出て行った。

「・・・・・・」

 慧音は空の徳利と萃香が出て行った窓を呆然と見ていた。

「驚いた?」
「ああ、なんというか・・・まあ、鬼が手を貸してくれるなら心強いか」

 頭を押さえつつ、慧音は自分を納得させるようにつぶやいた。


◇ ◆ ◇


 霧の湖は先ほどの戦いが嘘のように穏やかだった。妹紅が起こした爆発で立っていた波も静まり、小さい波音が聞こえるだけ。
 霧が立ち込めるそのほとりを3つの影が歩いていく。

「なあ、その紅魔館ってどこにあるんだ?」

 ブルースペイダーを押している一真が、先を歩く咲夜に声をかける。

「この湖の中央にある島よ」
「不便そうな立地だな」

 振り返らずに返事する咲夜に、一真の隣を歩く妹紅がぼやく。

「そういう風に勿体つけたがるものなのよ、貴族って」
「いや、そうかも知れんけど」

 ポケットに手を突っ込んで歩きながら、またぼやく。
 と、一真が、

「そういえば、お前も貴族なんだってな」
「え?」
「あら、そうなの?」

 虚を突かれた妹紅と、振り返る咲夜。

「ああ、慧音から聞いたのか・・・そんなの大昔の話だよ」

 手を左右に振る妹紅。

「なあ、もしかしてそういう酔狂な貴族に心当たりがあったりするのか?」
「まあ、ない事もないけど・・・」

 興味津々の一真と、はぐらかす妹紅。一真がなおも聞こうとした所で咲夜が足を止めた。

「ここが紅魔館に一番近い岸よ」

 一真と妹紅は湖の方へ目を向けるが、濃い霧の中には館の姿どころか影すら見えない。

「どうやって渡るんだ? 橋とか舟とかは?」
「ないわよ。そんなの用意したら、わざわざ湖の中なんかに建てる意味がないわ」
「もしかして、飛んで行くしかないわけ?」
「そういう事。あなた、飛べる?」

 尋ねられた一真は首を横に振った。

「いや・・・空を飛べるラウズカードもあるけど、持ってないし・・・」
「私達が抱えて行く?」

 妹紅がそう言うと咲夜は、

「やってもいいけど、手が滑って湖に落ちるかもしれないわよ?」
「・・・遠回しに嫌だって言ってるだろ」

 睨み上げるように半眼になる妹紅。

「まあ、こっちの方が楽だし」

 咲夜の足がふわりと地面を離れ、水面の上を滑る。湖の上を少し進んだ所で振り返り、一真に視線を固定する。
 すると。

「お、おわ!?」

 一真の体が浮き上がった。慌てて手足をじたばたさせるがバランスは崩れない。

「あなたは自分で飛んで来てくれるかしら?」
「ああ、いいよ」

 妹紅は背中に炎の翼を作り出して飛び上がり、ふとブルースペイダーを見た。

「ブルースペイダーはどうする?」
「置いて行かない?」

 眉をひそめる咲夜だが、一真は首を傾げ、

「でも、こんな所に置いてて誰かに盗られたりしないかな?」
「そうでなくても、通りすがりの妖怪や妖精に壊されたりするかもしれないし・・・」

 一真と妹紅が同時に咲夜を見、視線を向けられた咲夜は額に手を当ててため息をついた。

「わかったわよ。それもちゃんと持っていくから」

 咲夜がそう言うと、ブルースペイダーは揺れる事なく宙に浮き上がった。

「じゃあ行くけど、変な話はしないでね。私の気が散ると、あなたもそれも湖へ自由落下よ」
「う、うん」

 釘を刺してから咲夜が前を向くと、彼女と一真とブルースペイダーが湖の中へ向かって水平に動き始めた。妹紅も飛行してついて行く。

「なあ・・・これ、どうやって浮かせてるんだ?」

 不安げに下の湖面を見ながら、一真。特に力が加わっている感じはせず、割と安定している。

「私は空間を操る事もできるの。これはその応用よ。他にも、投げたナイフを加速させたり、飛ぶ方向を曲げる事もできるわ」
「便利だな」

 落ち着かない様子の一真を面白そうに眺めながら妹紅が言う。

「なあ、浮かせたものをくるくる回したりできるかな?」
「ええ。見てみる?」
「おい、ちょっと待て!?」

 空中で慌てる一真に、妹紅は笑い出した。

「ははは。冗談だよ、冗談」
「あら、やらないの? つまらないわね」
「おいおい」

 さも面白くなさそうに言った咲夜に一真と妹紅が同時につっこむが、咲夜は聞こえないふりをして前を向いている。

「そろそろ着くわよ」
「この人のペースがつかめない・・・」
「同感」

 半眼の一真と、お手上げという風に両腕を広げる妹紅。
 前方の霞の中から陸地が現れ、更にその向こうに大きな影がうっすらと見えている。咲夜と妹紅は高度を下げて着地し、一真とブルースペイダーも地面に降り立った。

「もうすぐそこよ」

 水辺から遠ざかるように陸地の奥へ歩を進める咲夜に妹紅と一真も続く。湖の外側と変わらないような黄色がかった草地で、木もまばらに生えている。

「湖の中の島って言うからもっと小さいのかと思ったら、案外大きいんだな」

 ブルースペイダーを押して進む一真の言葉に妹紅も頷く。
 次第に霧の向こうの影ははっきり輪郭を現し、大きな館と高い塀が迫ってきた。霧で白んで見えるがどちらも赤く、塀には大きな門が設えられている。
 その立派な門構えの前に、動く影が1つ。赤い長髪に緑の服と帽子の、妹紅や咲夜より少し年上ほどの少女がゆっくりした動作で体を動かしていた。どうやら太極拳のようだ。
 と、彼女はこちらに気づいて動きを止めた。

「あ、咲夜さん。お帰りなさい」
「暇そうね」

 やたら冷たく鋭い視線を向ける咲夜。

「あはは・・・こう見えて、門番って大変なんですよ?」

 そのナイフのように突き刺さる視線に困ったように手を頭に当てる少女。それに咲夜は嘆息した。

「まあ、昼寝するよりはましね」
「と、ところでそちらの方々は?」

 汗をかき始めた少女は咲夜の後ろに立っている一真と妹紅を示して話を逸らした。

「お客様よ」

 2人を振り返る咲夜。一真は少女に会釈した。

「初めまして。剣崎一真です」
「私は藤原妹紅」
「あ、ご丁寧に。私はホン美鈴メイリン、紅魔館の門番です」

 彼女――美鈴は笑顔で頭を下げた。

「美鈴、門を開けてちょうだい」
「はい、わかりました」

 返事をして、美鈴は門に手をかけた。
 いかにも重そうな両開きの門は、ぎしぎしと音を立ててゆっくりと内側へ開いていった。

「どうぞ、お入り下さい」

 美鈴は開いた門の脇に身を寄せ、開いた門の向こう側を開いた手で示した。ブルースペイダーを門の外に置いて、3人が門をくぐると大きな館の全容が目に飛び込んだ。
一真と妹紅が見上げる西洋風の館はほぼ全面が赤い壁で、かなりの大きさだと思ってはいたが、やはり間近でみると非常に大きい。中庭の花壇には色とりどりの花々が咲き乱れ、その中を横切るように門から館の入り口まで小道が続いている。

「おお、キレイだな」
「そうでしょう? ここのお花は私がお手入れしてるんですよ」

 感嘆の声を上げる一真に、自慢げに胸を張る美鈴。

「これでネズミを館に入れさせなければ文句はないのだけれど」
「ネズミ?」
「そう。昨晩も入り込んでたみたいだし」
「あはは・・・すいません」

 居心地悪そうにうつむく美鈴とそれを冷たくにらむ咲夜を見つつ、妹紅は首を傾げた。

「ところで、塀の内側だけ霧が無いような気がするんだけど」
「あ、そういえば」

 妹紅に言われて一真が庭を見渡すと、確かに庭の中に霧はかかっていない。空を見上げると、晴天の中で太陽が自らの存在を地上に知らしめるように強い輝きを放っている。だが塀の上を見上げると、その先には霧が立ち込めて見通しが悪い。

「私が空間をいじって館の周りに霧が入らないようにしているの。花の生育に悪いから」
「凄いんだな、お前」

 どことなく固い表情で咲夜を見ながら妹紅が言う。

「その気になれば、太陽や月を止める事もできるわよ。永夜異変の時もお嬢様の命令があればやっていたんだけどね」
「あの時お嬢様、霊夢に後れを取ったーって悔しがってましたよね。気づいたのに一晩放ったらかしにするから・・・」

 美鈴はそこまで言って、咲夜にキッと睨まれて口をつぐんだ。

「・・・すいません」

 謝った美鈴はしゅんとしていた。咲夜は美鈴に何も言わず、妹紅と一真に向き直る。

「じゃあ行きましょう。お嬢様がお待ちかねのはずよ」
「あ、ああ」

 咲夜が美鈴に目配せすると、彼女は門の外へ出て門を閉め始めた。庭を進む3人が小道の半分も進まぬ内に、門は大きな音を立てて閉じられた。

「ふう」

 門を閉じて、する事がなくなった美鈴は霧が立ち込める門の脇に寄りかかった。

「さて、どうやって暇つぶそうかな・・・」

 深い霧の奥に目をやりながらつぶやくが、その先には白い空間しか見えない。
 門番なのだからもちろん監視が任務なのだが、立地条件などから紅魔館を訪れるどころか通りがかる者も非常に少なく、ましてや許可無く侵入しようとする者などはさらに少ない。いる事はいるが。
 当然美鈴は単に門の前にいるだけの時間が長く、いつも太極拳などしながら時間をつぶすのだが塀に寄りかかって寝てしまう事も多い。その隙を突かれて魔理沙に侵入を許すケースが多く、咲夜から二重の意味で大目玉をしょっちゅうくらっている。多分、昨夜もそうだったのだろう。
 とはいえ門番の仕事がきつい事は理解しているようで、割と大目に見てもらってはいる。寛大な主人と上司で幸運だと思っている。
 見上げていて首が疲れてきたので視線を下ろすと、門の傍らに置かれたブルースペイダーに目が留まった。

「・・・なんだろ、これ?」

 ブルースペイダーに近づき、物珍しそうにしげしげと観察する。

「車輪が縦に2つだけついてるって変わってるなあ。これじゃ自分で立てないと思うけど・・・って、じゃあなんで今立ってるんだろ?」

 ぶつぶつと言いながらブルースペイダーの周囲を回っていると、後ろの車輪の左側面にスタンドが立ててあるのに気づいた。

「あ、なんだ。こうなってるんだ」

 納得しながらしゃがみこんでスタンドに指で触れる。
 と。
 うっかり力が入ってしまい、スタンドが後方へずれた。一真のスタンドの立て方が中途半端だったせいもあり、車体は自身の重みでスタンドを折りたたみながらゆっくり傾いていく。

「え?」

 車輪が縦に2つ並んでついていてはバランスが取れない。自分の分析が正しかった事を、彼女は身を持って知る事になった。

「きゃー!?」

 悲鳴を上げながら美鈴は成す術も無く、倒れたブルースペイダーの下敷きになってしまった。

「う~ん・・・」

 100kg以上ある車体にのしかかられ、美鈴は目を回して伸びてしまった。
 意識を取り戻した美鈴が悪戦苦闘しながらどうにかブルースペイダーの下から脱出できたのは、それから1時間後の事だった。


◇ ◆ ◇


 昼下がりの秋空の下、紅白・白黒・青と妙に彩りの華やかな一団がのんびりと歩行していた。
 遺体を回収に向かう慧音らだが、それに似合わないはずの『のんびり』という表現がぴったり当てはまる雰囲気だった。

「時に霊夢、あやの話聞いたか?」
「文? そういえば見ないわね。こういう時はしゃしゃり出てくるはずなのに」

 両手で水平に持った箒を首の後ろに担いで歩いている魔理沙は、いかにも楽しそうににっこり笑った。

「それがさ。さっき萃香を探しに妖怪の山に行った時に聞いたんだけど、昨日山に変な妖怪が出たらしいんだよ。多分、アンデッドの事だろ」
「へえ。それで?」
「天狗どもが追い払ったらしいんだが、文のやつ、そいつを激写しようとして雷の妖術みたいのを喰らっちまったらしいんだよ」
「へ~。あいつがそんなヘマやらかすなんて珍しいわね」
「写真取ろうとして一瞬止まった所を狙われたらしい」

 話題に上っている射命丸しゃめいまるあやは妖怪の山に住む天狗の一種・鴉天狗である。
 天狗は妖怪の山において独自の社会を築いており、その中で鴉天狗は情報収集を担当していて、天狗社会内外に新聞を発行している者が多い。文もその一人で、『文々。ぶんぶんまる新聞』という新聞を作っている。

「で、怪我でもしたの?」

 そう聞く霊夢だが心配している様子は全く見られない。

「いや、咄嗟に結界を張ったんで大した怪我はなかったらしいんだが、商売道具のカメラがぶっ壊されたらしい」
「あらら」
「しかも、たくさん写真を取り溜めたフィルムもパァになっちまったもんで、がっくりきて寝込んじまったんだってさ」

 同時に大きな笑い声を上げる2人。

「それは哀れだわね。カメラがないんじゃ新聞に写真載せられないもんね」
「全くだ。それでもあいつ、落ち込みながら『新聞休刊のお知らせ』っていう号外を作ってるらしいぜ」
「自分の不幸までネタにするなんて、転んでもただじゃ起きないわね。さすが天狗だわ」
「その逞しさは見習わなきゃいかんのかなあ」

 片手を開いてみせる魔理沙と皮肉っぽく笑う霊夢。その様子を横目に見ていた慧音は、あまりの緊張感の無さに内心こっそりとため息をついた。だが、かといってそれを咎める気もない。彼女達とて、状況がわかっていないはずがない。せめて目的の場所に着くまでは平常通りでいさせてやりたい。

「たまにはこうやって歩くのも悪くないわね」
「だな。萃香につきあって歩くってのも変な話だが」
「・・・・・・」

 歩きながら後ろを振り返る霊夢、魔理沙、慧音。その後ろでは角の生えた少女が戸板の上に寝そべってぐびぐびと瓢箪の酒をあおっていた。

「ん~? どしたぁ~?」

 ほろ酔い加減で寝転がったまま首を傾げる萃香。

「なんかムカつくんだけど」
「気が合うな」

 ジト目で萃香を睨む霊夢に同意する魔理沙。

「だが、確かにものを運ぶのには適していると思うぞ」

 戸板の下を覗き込むように頭を下げつつ慧音が言う。
 3枚重ねられた戸板はわずかに地面から浮いていた。その下の隙間では体長20cmくらいの小さい萃香が数十体、戸板を持ち上げて行進している。

「『密と疎を操る程度の能力』か・・・」

 霊夢らから聞いた、あらゆる物体の密度を操作する萃香の能力。
 自分自身の密度を下げて霧に変えたり、自分の体を分割して小さな分身を作り出したりできるのはその能力によるものだ。話によると物体の密度を変えるのみならず、人間や妖怪を1ヶ所にあつめられるらしい。巨大化する事までできるという。

「・・・・・・」

 幸せそうに酒を飲む萃香を見つつ、慧音は自分の知る鬼の歴史に思いを馳せた。
 強大な力を持ち、神格化さえされる事もあったほどの存在。現在は妖怪の山を実質取り仕切っている天狗すら、鬼の配下に甘んじざるを得なかったほどだ。
 その割には人間と関わる事を好み、人間を酒の席に誘ったり力比べをしていたという。その力比べに負けた人間はさらわれて鬼の住処に連れ込まれてしまい、それを助けに来る人間とまた勝負をする、というのが古来からの鬼と人間の付き合いだった。それゆえ、現代でも『鬼』という言葉は強さと畏怖の代名詞として人々の心に浸透している。
 だが鬼は地上から姿を消し、人々の記憶からも忘れ去られてしまった。
 力に差がありすぎて、鬼に勝ち目がほぼ無いという事に人間が気づいたのが始まりだった。鬼に勝つための武器や技術も考え出されてはいたが、誰でも対等に渡り合えるというものではなかった。そのため、人間は鬼を欺いて出し抜く手段を講じるようになった。その非情なやり口に、豪快で乱暴だが実直な鬼達は隣人のように親しくしていたはずの人間に裏切られたと悲しんだ。
 だが人間からすると、鬼の事を弱者に対して最初から結果の見えている勝負をふっかけた末にさらっていく乱暴な妖怪と見る者が多くなっていた。人間は鬼を追い立て続け、とうとう彼らは人間と関わる事を諦めてしまった。
 幻想郷では博麗大結界が構築される少し前ごろにはもう鬼はいなくなっていたようだ。
 そうして人間は脅威を排除する事ができたが、鬼を倒す術は必要がなくなったために失伝され、現在そういった資料は残存していない。今では節分の豆まきさえ行われなくなったほど、『鬼』という名前以外は完全に人々の記憶からも忘れられてしまった。

「そういえば、彼女はどこにいたのだ? だいぶ探し回ったようだったが」

 盛り上がっている霊夢と魔理沙に話しかける。

「それがねー、紫の家にいたのよ」
「八雲紫の?」
「うん」


~少女回想中・・・~


 博麗大結界の北東の端、八雲紫の邸宅は博麗神社同様、その境界上に構えられている。
 霊夢は一度博麗神社へ萃香を探しに行った後、ここへ飛んで来た。
 紫と萃香は旧知の間柄らしいので、ここにいるかもしれないと考えたのだ。
 空から館を見下ろしていると、外壁の陰に妙な物体を見つけた。
 黄色と白の大きな房が揺れている。
 その近くに降り立つと、房の後ろから女性の顔がのぞいた。

「やあ、霊夢」
「こんにちは、らん

 藍と呼ばれた女性が立ち上がって向き直る。短めの金髪と金色の瞳を持った美しい顔立ち。青と白の道士が着る物のような、ちょうど紫の服の紫色の部分を青に変えたような服を着ている。
 藍は妖怪『九尾の狐』であり、房に見えたものは9本の尻尾だった。見事な毛並みで、後ろから見れば藍自身を覆い隠すほどの大きさがある。ちょうど藍が薪を並べていてしゃがんでいたようだ。頭には白い帽子をかぶっているが、その下には狐の耳が生えているはずで、帽子はそれに合わせて2つの山のような形をしている。

「よく働くわねえ。私も『式』が欲しいわ」
「ははは。だが私ほどの式を操れるのは紫様くらいのものだろう」

 自慢げに笑う藍。
 妖怪が作り出す『式神』を憑依させる事で『式』として妖怪を使役できる。式神とは主の妖怪の能力・思考を移植したもので、主が強力であるほど式もより強い力を付与される。逆に式神の内容にない行動には融通が利かないし、またそれ以上の能力を発揮できない。以前、紫はそれを外の世界でいうコンピューターのプログラムのようなもの、と言っていた(霊夢にはさっぱりわからなかったが)。

「紫はどうしてる?」
「まだ調子は良くないが、今は起きていらっしゃる。客人と話しているよ」
「もしかして萃香じゃない?」

 それを聞いて、藍は目を丸くした。

「よくわかったな?」
「萃香を探してる所なのよ。ここにいるかなって思って」
「相変わらず勘が鋭いな。縁側にいらっしゃるはずだ。お茶を持っていくよ」
「ええ、いただくわ」

 藍は台所へ引っ込み、霊夢は館の縁側へ足を向けた。広いとはいえ程なく縁側に辿り着くと、紫と萃香が並んで腰かけていた。

「あら、霊夢」
「おー? いいとこに来たねぇ。ほら、霊夢も飲もうよ」
「あんたは飲みすぎよ」

 萃香に瓢箪を差し出されるが無視。
 萃香と来たら、常時酔っ払っていて素面しらふな状態でいるのを一度も見た事がない。本人曰く、最後に酒が抜けていたのは500年前との事だ。
 萃香から目を離し、紫に向ける。

「調子はどう?」
「いまいちね。お酒が美味しくないわ」

 両手を膝の上に置いたまま肩をすくめる紫。傍らに盃が置かれている。寝すぎてかえって体を壊したんじゃないかと言おうとすると、

「そんなら紫の代わりに私が飲んでやるよ」

 そう言って萃香が瓢箪の酒をがぶがぶ飲み出した。霊夢は萃香から瓢箪を取り上げ、

「萃香、飲んでる場合じゃないわ。あんたに仕事よ」
「仕事~? 働きたくないでござるぅ~」
「ふざけてる場合じゃないの! ちゃんとお礼のお酒も用意してあるから、来なさい!」
「お酒ぇ? いい酒じゃなきゃ駄目だよ~?」
「はいはい、わかったから」

 瓢箪を投げ返し、腕を引っ張って立たせた所で、お盆に湯飲みを乗せた藍が障子を開けて現れた。

「あれ、もう帰るのか?」
「ごめんね、急いでるから」

 湯飲みのお茶を一息で飲み干し――飲みやすいようにという配慮だろう、ぬるめだった――、お盆に戻す。

「また今度ゆっくりお茶飲みに来るわ。じゃあね」

 きょとんとしている紫と藍を尻目に、霊夢はそのまま萃香を引っ張り上げて空へ舞った。

「それで、どこに行くのさ?」
「その前にまず魔理沙と合流しないと。あんたを探して無駄な時間を食ってるからね。ていうか、あんた飛びなさいよ」
「にへへ~」

 霊夢に腕をつかまれたままぶら下がっている萃香はへらへらと笑うだけだ。

「大体あんた、どうして紫の家にいたのよ?」
「あのね、具合が悪いって聞いたから、お見舞いに行こうと思って」
「お見舞いにかこつけて酒飲みたかっただけじゃないの?」
「まあ半分はそうなんだけどね」

 頭に手を当てる萃香に、霊夢はため息をついた。



「・・・で、魔理沙も探して来たってわけ」
「知ってる場所を片っ端から当たろうかと思ってた所だったからな。助かったぜ」

 丘を登りながら霊夢達の話を聞いていた慧音は、見上げていた顔を彼女達の方に戻した。

「そうか。苦労をかけたようだな」
「気にすんなよ。大した事じゃないしな」
「そ~そ~。大した事じゃないない」
「あんたが言うな」

 3人の後ろ、締まりのない笑顔で傾きながら登っている戸板のへりに両手で掴まっている萃香に霊夢がつっこむ。そうしている内に彼女達は丘を登りきった。

「・・・ここだ」

 慧音の言葉に霊夢らが顔を向けると、丘の上に骸が転がっていた。


◇ ◆ ◇


 紅魔館の薄暗い玄関ホールに入って2人が抱いた最初の感想は、赤い、だった。洋館と聞いて想像する、そのままの光景が眼前に広がっている。赤い壁、高い天井、石製と見られるタイルの赤い床。
 ホールから左右に廊下が伸びていて、その先は暗くてよく見えないほど長い。正面の大きな階段は踊り場から奥の通路と左右の階段の3方向に分岐し、左右に分かれた階段はホールを回るように造られた廊下へ続いている。
 階段にも赤い材質が使われていて、手すりとその根元あたりだけは白い。薄暗さが手伝って、これでもかと赤い空間はかなり不気味な雰囲気を醸し出している。

「そうか、窓が無いんだ」

 どうしてこんなに暗いのだろうと考えていた一真は、妹紅のつぶやきでその原因を理解した。明かりは壁にかけられた燭台の炎のみで日光が全く入り込んでいない。

「吸血鬼が建てた屋敷だからね。日光が極力入らないようにしているの」

 入り口横の壁に据えつけられた棚の中から燭台とロウソクを取り出していた咲夜が言う。ロウソクに火がつけられ、燭台が掲げられるとわずかに周辺の明るさが増した。

「お嬢様の所へ案内するわ。ついて来て」

 階段へ足を向ける咲夜に続いて妹紅と一真も歩き出した。
 静まり返ったホールにカツカツと足音が反響する。
 階段にさしかかった所で、一真は手すりの端の四角い部分に目を留めた。
 ライダーの活動拠点だった『人類基盤史研究所じんるいきばんしけんきゅうじょ BOARDボード』の施設が、中は洋風でなんとなくこのホールと雰囲気が似ていた。その奥のエリアには持っている携帯端末や網膜などの認証を行わねば入れない厳重な作りになっていて、ちょうどこういう手すりの所に指紋と掌紋の認証装置があった。認証の手順は面倒だったが、そういういかにも秘密基地という雰囲気が面白くて気に入っていた。

(・・・・・・)

 一真は手の平を手すりに置いた。
 ボードに入ってわずか2ヶ月で施設は破壊されてしまい、それからアンデッドとの戦いは苛烈になっていった。あの頃はまだ戦いの勝手もよくわからず、1人では満足にアンデッドとも渡り合えなかった。拠点を無くし、ボードに利用されていると疑念を抱いた橘ともはぐれ、正に五里霧中だった。それでも人々をアンデッドの手から救うために歯を食いしばって戦い続け、多数のアンデッドを封印してきた。

(なんだか、遠い昔の事みたいだな・・・)

 石の冷たい感触を手の平全体で感じながら、一真は感慨にふけっていた。思い起こせばそれらはいずれも今年の事なのに、何年も戦い続けてきたような気がする。その間、ライダーとして戦う道を選んだ事を後悔した事は一度もない。
 手すりの上に置かれた自分の手。剣を握り続けたその手で成してきた事がまざまざと頭をよぎっていった。

「あまり触らないでくれるかしら。触られた跡とか、お嬢様がうるさいから」

 上から聞こえた咲夜の声で、一真の思考は現実に引き戻された。

「あ、ああ、ごめん」

 慌てて手を離し、だいぶ先に上がっていた咲夜と妹紅に続く。踊り場の奥へ続く、薄暗い通路をずっと進んでいく。

「なあ、お嬢様ってどんな人かな?」

 隣を歩く妹紅に、身を屈めて小さめの声で尋ねる。咲夜は聞こえていないのか、歩き続けている。ポケットに手を入れて歩いていた妹紅は一真の顔を見上げ、

「人じゃないよ。吸血鬼だ」
「・・・ヴァンパイア?」
「そう、それだ」
「今度は西洋の妖怪かよ・・・ホント、幻想郷には何でもいるんじゃないか?」
「かもな」

 一真のリアクションに妹紅は含み笑いしながら答える。

「私も詳しい事は知らないけど、なんでも異変を起こした時に幻想郷で初めて霊夢と弾幕ごっこをした妖怪って事で有名らしい」
「そうなんだ・・・おっかない人じゃなきゃいいなあ」
「多分大丈夫だろ。1度会っただけだけど、見た目はむしろ可愛い方じゃないかな」
「お嬢様の前では、それは言わない方がいいわよ」

 前から声。ちゃんと聞こえていたらしい。一真と妹紅は軽く汗をたらしながら顔を見合わせた。
 時折曲がり角にさしかかったり扉を通り過ぎるがひたすら真っ直ぐ進み、やがて通路の突き当たりに大きな扉が現れた。

「ここよ」

 揺らめく蝋燭の明かりに浮かび上がる扉を見上げる2人。

「今からお嬢様に会ってもらうけど、その前に・・・」

 咲夜は一真の手に目を落とし、

「その指輪、銀製?」
「え? ああ、シルバーだけど」
「吸血鬼は銀が苦手だから、それは私が預らせてもらうわ。後で返してあげるから」

 そう言って左手を差し出す。

「ああ・・・わかった」

 一真は指輪を外して咲夜に渡した。

「ブレスレットとペンダントもシルバーだけど」
「それも預っておくわ」
「でも、お前のナイフも銀だって聞いたけど」
「そうだけど、私がお嬢様を傷つけるわけないもの。それに苦手と言っても致命的ってほどじゃないし」

 咲夜は一真のアクセサリーをポケットに入れながら妹紅に答える。

「そういえば、吸血鬼って苦手なもの多いよな。日光にニンニクに十字架に」
「水もダメよ。もっとも、お嬢様はにんにくも十字架も平気だけどね」
「え、そうなの?」
「なんでそんなもの恐がらなきゃいけないんだって仰ってたわ」

 えー、と首を傾げる一真。

「今から正しい吸血鬼の姿をしっかり見るといいわ」

 そう言って咲夜は扉に向き直り、ノックした。

「失礼いたします、お嬢様」
「通して」

 扉の向こうから返事が聞こえて、咲夜が扉をゆっくり押し開けた。3人が扉をくぐり、やはり赤い部屋の中へ入った。白いテーブルクロスがかけられた大きなテーブルが中央に置かれ、それが部屋の赤さを一層引き立てている。
 その向こう側に大仰な椅子が鎮座し、その上に小さい影が座っている。薄ピンク色のドレスをまとった幼い少女。部屋の中には彼女しかいない。

「お嬢様。客人を連れてまいりました」
「ご苦労様」

 咲夜が手を体の前でそろえ、少女に対して折り目正しく頭を下げた。

「あ、あの・・・その娘が、お嬢様?」
「そうよ」

 頭を上げた咲夜が一真にそう答えると、少女は高い椅子から飛び降りた。スカートがふわりと広がり、背中の黒い翼が動く。それを見て一真は、咲夜の言う事が真実だと認めざるを得なかった。少女は余裕を感じさせる笑みを、異常なほど肌の白い顔に浮かべた。

「私が紅魔館の主、レミリア=スカーレットよ」
「えっと・・・け、剣崎一真です」

 テーブルよりも低いレミリアの体を見下ろし、一真は狼狽しながら名乗りを返した。レミリアは一真を見上げてまた微笑んだ。

「背が高いわね。何センチ?」
「ひゃ、185センチです。体重は56キロ・・・」

 その長い体を縮こまらせて答える一真。

「聞いてないよ。ていうか軽いなお前」

 と、妹紅。
 レミリアは今度は意地の悪そうな笑みで、

「吸血鬼がこんなにちっちゃくてがっかりさせてしまったかしら?」
「い、いやそんな事は」
「どう? これが本物の吸血鬼よ。しっかり見ておきなさい」

 胸を張るレミリアだが、体が小さいので迫力は無い。

「あら、もしかして聞こえていましたか?」
「どの口がそれを言うのかしら。聞こえているってわかってて言ったくせに」
「ふふ、やはりお嬢様には敵いません」

 笑い合うレミリアと咲夜。微笑ましいその光景に、妹紅と一真は、この主従の信頼関係は相当に厚いものだと直観した。

「紅茶をお持ちします」

 そう言って咲夜は部屋を後にした。

「とりあえずかけて頂戴。あ、それから割とタメ口で構わないわ」
「あ、うん・・・」

 言われて椅子に腰かける妹紅と一真。レミリアが黒い翼をはためかせ、高い椅子にひょいと身軽に飛び乗った所で、

「紅茶をお持ちしました」

 ワゴンにティーポットとカップを乗せて咲夜が部屋に入って来た。

「早っ!?」

 驚いた妹紅と一真は危うく椅子からずり落ちそうになった。

「な、なんでこんなに早いんだ? 今部屋を出たばかりなのに」
「時間を止めている間に厨房へ行って、お湯を沸かすのは時間を早めて、そして時間を止めて持って来たの」
「便利でしょう、咲夜は」
「恐れ入ります」

 唖然とする2人を尻目に、咲夜は紅茶を注いだカップとソーサーを2人の前に置いた。

「すごいんだな」
「うん・・・こりゃ、私が勝てなかったのも無理からぬ事かな」

 咲夜の能力の機能性の高さに舌を巻く2人。とりあえず気分を落ち着かせようと紅茶に手を伸ばす。いただきます、と言ってカップに口をつけるが、一口飲んで2人とも眉をしかめた。

「口に合わなかったかしら?」
「いや・・・この紅茶、ちょっと濃すぎないかな?」
「うん、私もそんな気がする」

 それを聞いた咲夜はポットの蓋を開けて中を覗きこんだ。

「・・・これも時間を進めたんだけど、進め過ぎたかしら。さすがに時間を戻す事はできないのよね」

 やってしまった、という風に眉を片方吊り上げ、独りごちる咲夜。

「あれか。盆に水が・・・何だっけ?」
「覆水盆に返らず?」
「そう、それ」

 またかい、とうんざりした様子の妹紅。

「以前も同じ事言われたのよね」
「盆水に返らずって?」
「覆水盆に返らずだっつの」

 とぼけた事を言った一真と、それに即座に突っ込む妹紅を見て、レミリアは声を上げて笑った。

「面白いわね、あなた」
「あはは・・・」

 恥ずかしそうに笑って誤魔化しつつ、紅茶をすする一真は話題を変えようと口を開いた。

「ところでさっき、勝てなかったって言ったけど、弾幕ごっこの事か?」
「うん。この2人と戦って負けた事があるんだ」
「1対2で? なんでそんな事に?」

 そう聞くと、妹紅は昼にも見せた険しい表情になった。

「輝夜だよ」

 憎々しげに吐き捨てる。それに咲夜が続ける。

「以前、輝夜が永夜異変という異変に関わって霊夢に退治された事があるの」
「永夜異変って・・・さっき門番の人が言ってた?」
「ええ。それから1月経った頃に、輝夜が霊夢に肝試しを提案してきたのよ」
「肝試し?」
「丑三つ時に2人1組で迷いの竹林に入るっていう内容だったの。そこに彼女がいたのよ」

 言って、目で妹紅を示す咲夜。妹紅はテーブルに頬杖を突いていた。

「輝夜の奴、霊夢達を私と戦わせるためにそんな事を企んだんだよ。肝を試されたのは私の方だったんだ。実際四組と戦わされて全部負けたからね。次の日、筋肉痛がひどかったよ。全くロクな事をしないんだから、あいつは・・・」

 言いながら紅茶をごくごくと飲み干す。

「なんでそんな事を?」
「嫌がらせだろうさ。それまでもそういう事は何度もあったし。あいつ、わざわざ私を怒らせるような事ばっかりしてきやがるんだよ、まったく」
「なんだか、気を引こうとわざと意地悪をする子供みたいね」

 口汚い言葉を言い放つ妹紅にレミリアが笑う。

「んな可愛いもんじゃないよ。私の腹を立てさせた所で、こいつで仕返しするだけだってのにさ」

 椅子の背もたれに体を預け、開いた手の平の上に炎が踊る。

「人の家の中でいきなり火を出すのはやめてもらえないかしら」

 咲夜に言われて炎を握りつぶすように消した妹紅は、両手をポケットに入れて仏頂面で天井の隅に目をやった。

(なんか、ご機嫌斜め30度って感じだな・・・)

 紅茶をすすりながら妹紅の様子を横目で伺う一真。

(なんか話題を変えた方がいいかな。えーと・・・)
「それにしても、すごい豪華な屋敷だよな、ここって。まるで貴族みたいだ」

 そう言うと、レミリアは自慢げに胸を張り、

「みたい、じゃないわ。由緒正しい吸血鬼の家柄なのよ」
「ずっと幻想郷に住んでるのか?」
「いいえ。ここに来てからまだ10年と経っていないわ」
「あ、結構最近なんだな」
「幻想郷では新参者ね。でも結構顔が利くのよ」
「吸血鬼は生まれつき強いカリスマ性を持っていると言われているわ」
「私の実力と言いなさい、咲夜」
「存じ上げております、お嬢様。失礼いたしました」
「吸血鬼ってすごいんだな。でも家柄ならこっちも負けてないぞ。な、妹紅」

 笑顔で妹紅の肩をぽんと叩く。

「へっ?」

 いきなり話を振られた妹紅はきょとんと一真を見た。

「妹紅も貴族の家のお嬢様なんだぞ。な、そうだろ?」
「い、いや、だからそれは昔の事で・・・」
「あら、それは知らなかったわね」

 レミリアが興味を示したように言う。咲夜は無言で空になった妹紅のカップに紅茶を注いでいる。
 浮き足立った様子の妹紅に一真は椅子ごと向き直り、

「なあ、どんな家に住んでたんだ? いいもん食ってたのか?」
「いや、貴族って言っても、私の母は身分が低かったから父様と一緒に住んでたわけじゃなくて、世間より少しいい家に住んではいたけど・・・」
「そうなんだ。兄弟は?」
「えーと、母親が違う兄や姉がいたらしいけど、あまり会った事もないままだったな。父様はごくたまに訪ねてくれて、私だけは館にも入れさせてくれたけど」
「館ってどんな所だった? 広かったか?」
「うん、あちこち歩き回ってたら迷子になっちゃって、後で叱られたな・・・」

 表情がだんだんとしんみりしたものに変わってきた妹紅に、一真は楽しそうに聞き続ける。

「食べ物は? 三食いいもの食べてたのか?」
「いや、あの時代は一日二食が普通だったよ。館の食事はかなり豪勢だったけど、母様はそういうのは食べられなかったな。母様に食べさせてあげようと思って、こっそり持って帰ろうとしたこともあったっけ・・・」
「親思いだな、お前・・・」

 目を細めてうんうんと頷く一真。妹紅はそれを横目で見て、

「別に面白くもないだろ、こんな昔の話」
「そんな事ないって。ほら、レミリアも楽しそうに聞いてるしさ」

 にこにこと笑っているレミリアを示す。その笑顔からは歳相応の可愛らしさが感じられた。

「まあ、興味なくはないわね」
「そうだろ? 何か聞きたい事とかないか? 例えば――」

 しゃべっている途中で咲夜に肘で肩をつつかれ、振り向くと咲夜は半眼で一真の隣を顎で示した、見ると、妹紅が悲しそうな顔でテーブルに頬杖を着いてうつむいていた。

「あ・・・」

 一真の心がずきりと痛んだ。

「ご、ごめん妹紅。つい調子に乗っちゃって・・・」

 言われて、妹紅は顔を上げた。

「え・・・あ、いや、別にそんな事は」
「いや、本当にごめん・・・」

 一真もうつむいてしまい、気まずい空気が部屋に流れた。

「・・・う・・・あ、俺トイレ行きたいんだけど」
「じゃ、案内するわ」

 一真が咲夜に連れられて席を立ち、部屋には妹紅とレミリアだけが残った。

「デリカシーがないわねえ。私も人の事は言えないけど」

 扉が閉まってから口を開くレミリア。うつむき加減にそれを見る妹紅。

「そう言うなよ。あいつは悪気はないんだ」
「悪気がない方が、かえって深々とえぐるのよねえ」

 嘆息しながら肘掛けに肘をつく。

「別に私は気にしてないよ。単に昔の話になって妙な気分になっただけ。こんな話、慧音ともした事ないし。それに多分、私が不機嫌になったんで気分を変えさせようとしたんだと思うし」

 妹紅はカップの取っ手を指でくいくいと回しながら言った。

「思い出したくない事をほじくり返されたんじゃないの?」
「違うよ。ただ・・・すごく懐かしかっただけ。普通の人間だった頃を思い返す事なんてなかったからね」

 カップを手に取り、紅茶の水面を覗き込む。

「ホント、懐かしいよ。思い出せるのが不思議なくらい・・・あいつのおかげかな」

 皮肉げに口の端を上げる。

「ずいぶんあの男の肩を持つのね。襲われたのを助けられたって霊夢から聞いたけど」

 そう言うとレミリアは少し身を乗り出して口元に片手を沿え、

「もしかしてあんた、あいつが好きなの?」
「馬鹿言え。誰があんなバカに」

 即答する妹紅。レミリアの顔からにやけが一気に引いて、さもつまらなそうな表情になった。

「ま、愛すべきバカではあるけどね。単純でことわざが苦手でお人好しで」
「じゃあ、なんでそんなに思い入れてるわけ?」
「そりゃ、アンデッドは放っておけないし・・・あいつ見てると、なんか自分自身も素直になれる気がするんだよな」

 軽くカップを揺らす。

「蓬莱人になってから私はろくでもない生き方をしてきたから、あいつみたいに何に対しても真っ直ぐな生き方に・・・憧れてる、のかな」

 手を止め、目を落とすと中の紅茶だけが揺れている。

「多分私は・・・あいつが羨ましいんだ」

 ゆらゆらと揺れる紅茶を見ながらつぶやき、カップに口をつけた。


◇ ◆ ◇


「余計な事しちまったな・・・」

 一真は肩を落としてため息をつきながら廊下をとぼとぼと歩いていた。

「いっつもこうなんだよな、俺。何かしようとしても空回りして裏目に出て・・・」
「そういう事もあるわ。だけど、他人の過去に不用意に踏み込むのはよくないわね」

 落ち込んだ表情の一真を振り返る咲夜。

(詰まる所、彼は霊夢と一緒なのね)

 咲夜は彼に対する分析をそう結論づけた。一見似ても似つかないが、どちらも自分が思った事を率直に口に出す点では同じだ。
 ただ、一真は相手の心の機微に疎いようで、うっかり失言してしまう危うさがある。霊夢はその逆で、暢気なようで鋭い所があり、相手を傷つけかねない事は言わない。が、タチの悪い事に、鋭い上に口が悪いものだから挑発や皮肉など余計な所にまで気が回る。一真はそういう事は言わなそうに思える。
 どちらも一長一短だが、面白いほどに対照的だと咲夜は見た。

「特に彼女の場合、色々あったでしょうから。人には、どうしても触れられたくない過去があるものよ」
「・・・君もそうなのか?」
(・・・言ってるそばから聞くわけ?)

 気づかれないように顔をしかめる。だが、話の流れを切るには気まずいだろうし、自分もそうだとアピールしているように聞こえたかもしれないと思い直し、別に気にしないしと答える事にした。

「私はね、昔の事が思い出せないの」
「えっ?」

 思わず聞き返す一真。静まり返った薄暗い廊下には足音が大きく響き、この広い館の中に2人だけしかいないような錯覚を覚えさせる。

「この紅魔館の近くに倒れていたのを拾われたそうなんだけど、それ以前の事を全く覚えていないの」
「・・・記憶喪失?」
「そうとも言うわね。私の十六夜咲夜っていう名前もお嬢様につけていただいたの。あの方は人の上をいくネーミングセンスしてるから」
「・・・かっこいい名前だと思うけどな」
「かっこつけすぎると、かえってかっこ悪いものよ」

 自分の主人に対する言葉とは思えないなと感想を抱きつつ耳の後ろを指でかく一真。

「それからここに住むようになったんだ?」
「ええ。吸血鬼に人間が仕えるっていうのは結構大変だったけど、もう慣れたわ」

 後ろから覗き込むように咲夜の表情を伺うと、彼女は腕を組んだままあまり感情の読めない顔をしていた。

「大変って、例えば?」
「・・・・・・」

 咲夜が足を止めた。遅れて一真も彼女の横で立ち止まると、彼女は一真の顔を見上げ、

「あなた・・・お嬢様をどう思ったかしら?」
「え? そうだな・・・案外いい人なんじゃないか?」
「吸血鬼でも?」
「別に恐そうには――」
「それはあなたが吸血鬼の事をよくわかっていないからよ」

 一真から顔を逸らす。

「吸血鬼が何故『吸血鬼』と呼ばれるか知ってる?」
「そりゃ、人間の血を――」

 言いかけて、自分が吸血鬼に関して最も重要な事を失念していた事に気づいてはっとした。
 咲夜が再び一真を見上げる。

「人間の血を飲む妖怪だからよ。実際、お嬢様は毎日人間の血を紅茶と称して飲んでいらっしゃるわ」
「な――」
「さっきあなたたちの分だけ紅茶を出したのは――もちろん、普通の紅茶よ。さすがに幻想郷に来て日の浅い人間の前で血を飲むほどお嬢様も分別のつかないわけじゃないからよ」

 愕然と絶句する。あの可愛らしい少女が人の生き血をすすっているとはどうしても想像できない。だが、そういうのは見た目で判断できない事もよく知っていた。

「用意しているのはいつも私」
「用意って・・・」
「詳しく聞きたい?」

 ロウソクに照らされた咲夜の冷たい視線に思わず身震いした。

「よくそんな生活が出来ると思っているでしょう? だから大変だったって言ったのよ」

 あっさり言い放つ咲夜の言葉にうろたえる。

「あの門番の人も苦労してるのかな?」

 どうにか平静を保とうと、言葉を搾り出す。

「美鈴は妖怪よ」
「えっ、そうなのか!?」

 てっきり美鈴も人間だと思っていた一真は驚いて聞き返した。

「見た目では区別できない妖怪もいるのよ。お嬢様だって、翼が無かったらわからないでしょう?」

 驚く事ばかり聞かされ、一真の顔はすっかり色を失ってしまっていた。

「お嬢様だけじゃないわ。妖怪というのは基本的に人間を襲って食うの。美鈴が人間を食べる所は見た事ないけどね。で、幻想郷には妖怪がたくさん住んでいるわ」

 咲夜と目が合う。彼女の瞳からは感情が読み取れない。

「ただ、妖怪の間での取り決めが有って、幻想郷の人間を食ってはいけない事になっているの」
「・・・じゃ、どこから・・・」
「外の世界からさらってくるのよ。八雲紫が先頭に立って、犯罪者とか浮浪者とかを連れて来るらしいわ。紫は『神隠しの主犯』という二つ名で呼ばれているわ」
「そんな・・・!?」

 一真は背中から冷水を浴びせられたような心持ちで、目を大きく見開いた。つまり、この幻想郷の妖怪は一真のいる世界の人間を食っているという事だ。

「そうしなければ、人間と妖怪が共存する事はできないのよ」

 一真が口を開こうとするのを制するように咲夜。

「・・・人間を食わないわけにはいかないのか?」

 確かに、それ以外に方法はないだろう。しかし理解は出来ても、もちろんすんなり受け入れられるわけはない。
 だが、咲夜は首を横に振った。

「そんな事したら、妖怪は消滅してしまうもの」
「人間を食べないと生きていけないのか?」
「それもあるけど」

 考えるように目線を宙にやる咲夜。その表情からは年齢相応の少女らしさが垣間見えた。

「これは知り合いから聞いた話だけど・・・そもそも妖怪や妖精というのはね、人間の力の及ばない自然現象や未知の存在、言うなれば『幻想』に対して人間が心の中に持つ恐怖や不安、畏敬の念などが自然界にある霊的なエネルギーと結びついて具現したものなの。妖怪を恐れる、妖精を信じるという事は即ち、幻想に対してそういう念を持っているという事」

 妖精と聞いて、さっき勝負を挑まれたチルノを思い出した。かなり抽象的な概念だが、かえって納得できる部分もあった。
 53体いるアンデッドには妖怪や妖精の始祖はいない。人間の存在によって副次的に出現したものならばそれは頷ける。美鈴やレミリアが人間に非常に近い外見なのも、そのせいかもしれない。

「当然、人間は妖怪に対して戦う手段を色々と講じたわ。それはそれで自然災害などに対して備えを行うのと同じ事、幻想に対する畏怖の表れだからあって当然のもの。でも、いきすぎて人間に親しみを持っていた妖怪に愛想をつかされることもあったようね」

 咲夜は、頭に角を持ち酒に目がない少女を思い起こしながらそう言った。

「妖怪は人間を襲う事で自分のアイデンティティを確立する。だけど、人間の念から生まれるから人間がいなくなると自分達も存在できない。元々、そういうジレンマを抱えた存在なのよ」

 自然界においても、草食動物の数が減れば肉食動物も減るという事が起こる。少し違う気はするが大体そんな感じなのだろうと一真は考えた。

「でも、今の外の世界ではほとんど妖怪や妖精は信じられていないんでしょう? 科学で解明できないものはない、幻想などありはしない、妖怪なんか迷信に過ぎないと考えて」
「ああ・・・」

――街中の川はほとんど護岸工事とかして川原なんて見かけないし、排水流してるから水とか飲んだら腹壊しちまう。色々便利になってるんだけど、こういう田舎暮らししたがる人も多いらしいぞ
――外の世界じゃ少なくなったらしいね。ほら、さっきお前、外の世界は自然が少なくなったって言ってたろ? 妖精は自然から生まれるものだから、それが少ないと妖精も少なくなるんだ

 頷き、数時間前に妹紅と話した事を思い出す。外の世界で自然に溢れた土地が急速に少なくなっているのは、確かに人間の自然に対する畏敬の念が薄れているからかも知れない。今や妖精が生まれる、自然に恵まれた地の方が幻想になってきているのだ。それは同時に、妖怪の居場所もなくなってきたという事か。

「つまり・・・妖怪にとって危機的な状態にある?」
「そう。外の世界の妖怪や妖精は相当数が減ってしまっているはずよ。それを憂いた紫が幻想郷を作ったの」

 咲夜は一真を見上げていた顔を下げ(首が疲れてきたのだ)、首を軽くひねりながら、

「幻想郷の結界の事は聞いているかしら?」
「博麗大結界の事か?」
「それともう1つ、八雲紫が作った『幻と実体の境界』っていう結界があるの。幻想郷は二重の結界で閉ざされているのよ」

 『幻と実体の境界』は外の世界から幻想郷が途絶される以前に作られたものだ。幻想郷を完全に隔離する際に、幻と実体の境界と同じ範囲に博麗大結界が形成されたのである。

「この幻と実体の境界はね、外側で忘れられてしまったり姿を消してしまったものが内側――つまり幻想郷へ入ってくるっていうものでね。少なくなった妖怪や妖精がここに多いのはそれによるものなの」

 じじっ、とロウソクの音が響く。小さい音だったが、はっきり聞こえるほど館の中は静まり返っている。

「妖怪以外にも、道具や生き物もね。例えばこの数年、幻想郷では蛍が非常に増えてきたらしいわ。外の世界では減ってきているんじゃないの?」

 言われて頷く。確かに蛍などほとんど見た事がない。

「言うなれば、幻想郷は妖怪その他の絶滅危惧種の保護区みたいなものなのよ。そうやって妖怪が暮らせる場所を確保しなければならないほど、妖怪は追い詰められているの」

 再度一真を見上げる咲夜。

「ただ、人を食う妖怪と人間が同じ空間で共存する事に問題がある事は、紫も最初からわかってたみたい。それで幻想郷を外界から完全に隔絶する際に、外の世界からさらってくる人間を食べていいから幻想郷の人間を絶対に襲ってはいけないと妖怪達に言ったそうよ」

 そんな特殊な空間を作り出せるほどの力を持った者ならば、妖怪も言う事を聞かざるを得ないだろうと一真は思った。

「だけど、さっきも言ったように妖怪は人を襲って畏怖の念を抱かれないと存在できない。当時の妖怪達は干上がった川の魚みたいに気力をなくしてしまっていたらしいわ」

 咲夜は思わせぶりにまた顔を下げた。

「そんな状況でさらに・・・妖怪達に脅威が降りかかった」
「脅威?」

 3度顔を上げる。

「数年前・・・私が幻想郷に来る少し前ごろに、幻想郷に現れた吸血鬼が妖怪たちを次々に支配していったの。『吸血鬼異変』と呼ばれているわ」
「吸血鬼って・・・」
「レミリアお嬢様のお母様だそうよ。この紅魔館もその時に幻想郷へ移ったんですって」
「その、幻と実体の境界だっけ? それは外国の妖怪も呼び寄せるのか?」
「妖怪が住みにくくなったのは日本だけじゃないみたいね」

 ふうん・・・と頷く一真。

「かなり野心的な性格だったらしいわ。彼女は瞬く間に腑抜けきった妖怪達を屈服させて勢力を拡大していったけれど、妖怪の中でも特に強い力を持った者達によって倒されてしまった。まあ、当然よね」

 嘆息する咲夜。

「そうして脅威は去ったけれど、また同じような事が起こったら今度は対処しきれないかもしれない。そういう危機感を抱いた妖怪達は打開策を求めて博麗の巫女――霊夢に相談したわ」
「霊夢に?」
「そして生まれたのがスペルカードルール。これで妖怪は割と気軽に人間に喧嘩を吹っかける事ができるようになったわ。返り討ちにされやすいから」

 メイド服のポケットをぽんぽんと叩く咲夜。一真は思わず苦笑した。

「おかしな話だな」
「でも実際、そのおかげで人間と妖怪はひとまず良好な関係を築けているわ。妖怪は人間を襲い、人間は妖怪を退治する。そういう関係を構築する事で、妖怪は幻想郷で自分の居場所をしっかりと確立する事ができているの」
「あれか。雨降って・・・何が固くなるんだっけ?」
「地固まる、でしょ」
「そうそう」

 頭に手をやる一真に、咲夜はジト目を向けた。

「そう考えるとすごく画期的なんだな、スペルカードって」
「霊夢は暇つぶしに考えたらしいけどね」

 やれやれとかぶりを振る咲夜に、またも笑みをこぼす。

「しかしさ・・・スペルカードを作る直接の原因になったのはレミリアのお母さんだろ? レミリアからすると、なんていうか・・・」
「それなんだけどね」

 言いにくそうに口ごもる一真だったが、すぐに切り返された。

「制定されたはいいけど、最初はスペルカードルールを実際に行う人間も妖怪もほとんどいなかったの。ここには法律なんてないし」

 そして咲夜は自分達が歩いてきた通路の方に目をやる。

「でも、お嬢様が異変を起こし、弾幕ごっこで霊夢に敗れてから一気に広まったわ。かつて妖怪たちを震撼させた吸血鬼という妖怪に人間でも勝てる、ってね」
「・・・もしかして、最初からそのつもりで異変を起こしたのか?」
「仮に本人に尋ねても、勝って幻想郷を我が物にするつもりだったに決まってるとしか答えないでしょうね・・・真意がどうであれ。あのお方はプライドが高いから。吸血鬼のさがかしら。だけど」

 きっ、と一真を真っ直ぐに見据え、

「幻想郷が抱える問題に一石を投じた吸血鬼の娘として、その責任を全うした・・・という風にも取れると思うのよね、私は」

 その目からはレミリアに対する強い畏敬の念が伝わってきた。

「それに、お嬢様が妖怪達から一目置かれるようになったのもその頃からね。それまではけっこう敬遠されてたんだけど、強大な力を持つ吸血鬼が人間相手に対等の勝負を挑んだ事が評価されたみたい」

 なるほど・・・と頷く一真。

「度量が広いんだな、レミリアは」

 恐らく、そういう所が咲夜を惹きつけて止まないのだろう。

「私の勘違いかもしれないけどね。もしくは、勝っても負けても見返りがあると踏んでやったのかも」
「それはそれですごいんじゃないか?」

 そう言いながらも顔を少しほころばせる咲夜。が、それをすぐに引っ込ませ、

「とまあ、事ほど左様に人間と妖怪が一緒に暮らすに当たっては大変な紆余曲折を経たわけなのよ。他の妖怪と吸血鬼の、妖怪同士の間でさえ一悶着あったくらいだし」
「・・・・・・」

 妖怪と人間の複雑な関係についてはわかったが、それでも許容しがたかった。

「人間を守る仕事をしているあなたからすると、どうにも納得できないのはわかるわ。私も最初はそうだったから」
「・・・今は?」

 咲夜はまた嘆息し、

「記憶喪失の私には、ここ以外に行く場所なんてないから仕方がなかったのよ。人間、衣食住は不可欠だもの」

 無表情を取り繕っていたが、複雑そうな表情が少し見えた。えらくさっぱりしていると思うが、顔色からするに彼女もいろいろ悩んだのだろうか。

「でも、お嬢様はましな方よ。お体が小さい分、人が死ぬほどの量は飲まないから・・・それはそれで酷かも知れないけどね」
「・・・・・」

 額にしわを寄せていると、

「紫はこう言っていたわ」

 腕を組んだ咲夜がそれまで以上にはっきりした口調で、

「幻想郷は全てを受け入れるわ。だけどそれは、とても残酷な事なのよ」

 まさしく断言する、と表現できるほどはっきり言った。

「まだ納得いかないなら・・・妖怪を全て倒す? あなた1人じゃ無理よ」

 一真は黙り込んだ。
 うつむいたまま、しばらく時間だけが過ぎた。

「・・・なあ」
「何?」

 ようやくぽつりと口を開くと、それまでじっと待っていた咲夜はすぐに返事を返した。

「幻想郷で人間と妖怪が一緒に暮らしているように・・・人間とアンデッドも共存できると思うか?」

 一真が投げかけた問いかけに、咲夜は目を丸くした。

「そうしたがってるアンデッドが1人いるんだ。そいつは正体を隠して人間の家族と生活していて、ずっとそうして暮らしていきたいと思っている」

 咲夜は腕を組んだ姿勢のまま目線を斜め上に向けて考え込んだ。

「そうね・・・お互いが譲歩し合わないと無理でしょうね。人間は自分の理解を越えたものは煙たがるし、アンデッドは自分の種の繁栄に人間が邪魔らしいし」
「大変だって事は、俺もそいつもよくわかってる。壁も多くて諦めそうになった事もあったけど・・・」

 一真は両手を握り締め、真っ直ぐ咲夜の目を見つめた。

「それでもあいつは、人間として生きていこうとしているんだ。俺は、あいつの望みを叶えてあげたい」

 咲夜は考えるように少し目を逸らした後、一真の目を見返した。

「私には確かな事は言えないけれど・・・不可能ではないんじゃないかしら。幻想郷でも問題はあったけど、それなりにどうにかなってるしね」
「そうか・・・そうだよな」

 安堵の表情を浮かべ、頷く一真を見て咲夜はちょっと首を傾げた。

(変わった人ね)

 人の事は言えないけど、と胸中で付け足す。

「ところであなた、トイレはいいの?」

 そう言うと、一真は少し身を屈ませた。

「じ、実はそろそろ我慢が・・・」

 泣き笑いのような表情を見せられ、咲夜は嘆息した。

「もうすぐよ」

 やや早歩きで進み出した咲夜を、一真はその後について歩き出した。


◇ ◆ ◇


 高く昇った太陽の下、丘の上にいた3人の少女の表情は陰鬱なものだった。
 慧音は立てた膝の上に頬杖を突き、魔理沙は顔に帽子を乗せて寝転んでいる。霊夢はいらついた様子で持って来た御幣ごへいの尻で地面を何度も突いていた。彼女の周りには引き抜かれた草が乱雑に散らばっている。
 そこに後ろから声がかけられる。

「お~い、終わったよ~」

 3人は振り返り、立ち上がって声の主――萃香の所へ向かった。
 茣蓙ござがかぶせられた3枚の戸板の近くを、小さな萃香の分身がうろちょろしている。地面には血を吸い込んだ土が大きな黒い染みを作っていた。

「悪いな、萃香。きつい仕事やらせちまって」

 魔理沙が萃香に笑いかける。だがその笑顔は少し陰っていた。

「いーよ。その代わりもっと酒もらうけどね」
「ああ、わかった」

 慧音も薄く笑って言った。
 遺体を発見し、全員が立ち尽くしていた所にそれらを戸板に乗せる事を自ら買って出たのが萃香だった。少し意外だったが霊夢や魔理沙に手伝わせるのも酷だと思い、彼女の言葉に甘える事にした。その間は3人ともほとんど口を聞かず、重苦しい雰囲気のまま今まで座っていた。
 ふう、と萃香がため息をつく。

「死んだ人間を見るのは実に久しぶりだったよ・・・やっぱり気分良くないや。酔いが覚めちゃった」

 そう言いながらも酒に手をつけようとしない。3人に気を使っているのだろう。
 元々鬼は人間に恐れられながらも、そのさっぱりした性格には好感を持たれる事が多かった。もし鬼が地上から姿を消す前にスペルカードルールがあったなら、歴史は変わっていたかもしれない。それがあれば人間が鬼に勝てず卑怯な手段に走るというという事態は回避できたかもしれない。歴史にもしもはありえないが、萃香を見るとどうしてもそう思わずにはいられなかった。

「じゃ帰ろうか。早く新しい酒飲みたいしね」
「そうだな。行くとしよう」

 4人は連れ立って丘を降り始め、萃香の分身達が戸板を持ち上げてその後に続く。先頭を行く慧音が後ろを見ると、やはり霊夢がいかにも不機嫌そうな表情だった。
 萃香が遺体を片づけている間から、風向きが変わって血の匂いが漂ってくるとひっきりなしに草をぶちぶちと引き抜いていた。あんな有り様を見せつけられれば腹が立つのも無理からぬ事だが、爆発すると手がつけられないかもしれないと思った。
 と、その隣を歩いていた魔理沙がぽんと霊夢の肩に手を置いた。

「霊夢、あの人達にお経でもあげてやったらどうだ?」
「あのね、私は巫女よ。お経はお坊さんがあげるものでしょ。これ以上ないくらいお門違いだわ」

 半眼を向けて魔理沙に言う霊夢。

「まったく、魔理沙は・・・」

 そうぼやく霊夢の雰囲気はわずかに和らいだようだった。さすが友達だ、と慧音の表情が緩んだ。

「・・・ん?」

 と、霊夢が立ち止まった。

「どうした?」

 慧音らも足を止める。

「・・・ねえ、幻想郷にあんな妖怪いたかしら?」

 霊夢が指差した先を見上げると、黒いシルエットが空を飛んでいた。骨だけの翼に大きな爪、黒い体。

「あれは・・・イーグルアンデッド!」

 思わず慧音が声を上げる。
 それ――イーグルUは非常に早いスピードで真っ直ぐにこちらへ飛んできて、あっという間に彼女達の上空へ飛来した。

「集落から離れた迂闊な人間がいたと思ったが、私を知っているという事はブレイドの知り合いか」

 宙に浮かぶその黒く大きな体躯は、離れていても強い威圧感を放っていた。

「へ・・・どうやら用心棒を雇ったのは正解だったようだな、慧音」

 不敵に笑って帽子のつばに指をかける魔理沙。

「ふん、ライダーでもない人間が・・・私に勝てると思っているのか?」
「言ってくれるわね」

 鼻で笑うイーグルUに対して前に出る霊夢。

「勝てると思うか、ですって? そっくり返すわよ」

 きつく睨みつける。

「私は今、無性に腹が立っているの。謝るなら今のうちよ」
「おーおー。こいつは怒らせると恐いんだぜ? 知らないぞ」

 魔理沙も霊夢の隣に並ぶように踏み出した。

「私からも警告だ。痛い目見たくなきゃ、さっさと幻想郷から出て行け」

 慧音には、並び立つ2人の少女の背中がこの上なく頼もしく見えた。だが、イーグルUは意に介した様子もなく、

「愚かな・・・アンデッドを見くびった報い、その命であがなうがいい」
「ったく、愚かなのはどっちだか・・・」

 目元を隠すように帽子をずらしてため息をつく魔理沙。

「そんなにやりたきゃ、やってやるわよ。あんた達は死なないらしいから、本気でやっても構わないわね。私達に勝てるとは思えないけどね」
「ちょっと待った、霊夢」

 魔理沙が肩に肘をかけてきて、霊夢が横目を向ける。

「2人がかりはあれだろ? 順番にいこうぜ」

 霊夢の動きが一瞬止まった後、にやりと意地の悪い笑みを浮かべた。

「そうね。私が先でいいでしょ? あんたの出番はなくなっちゃうけど」
「構わないぜ」

 魔理沙が肘をどけると霊夢は空へ飛び上がった。
 ほう、とイーグルUが声を上げる。

「空を飛ぶ者にお目にかかったのは2人目だ。ここは変わった所だな」
「さっきからなんかムカつきっぱなしだったんだけど、理由がわかったわ。あんたが近くにいるのがなんとなくわかったからだってね」
「それは違うんじゃねーか、霊夢?」

 ぼそりと言う魔理沙の言葉を無視する霊夢。

「変わった所って言ったわね? もっと変わった事教えてあげるわ」
「ほう、なんだ?」
「この幻想郷では、この私がルールだって事。アンデッドだか何だか知らないけど、幻想郷で好き勝手する奴はこの私に退治されるのがお約束なのよ」

 言葉と共に、霊夢は御幣をイーグルUに突きつけた。


◇ ◆ ◇


 足音が薄暗い紅魔館の廊下に響く。
 トイレに案内してもらった後、ちゃんと部屋に戻れるからと咲夜を戻らせ、考え事をしながら用を足した。
 意外な事にトイレは水洗で、外の世界のそれと大差なく非情に快適な設計だった。動力が電気ではなさそうなのは気になったが、

(まあ、ここは幻想郷だからな)

 とすんなり受け入れてしまった。2日目にして早くも幻想郷に慣れてきたようだ。それと、咲夜から幻想郷について話を聞いたからだろう。

「・・・・・・」

 トイレの中からずっと考えていたのはそれについてだった。
 妖怪と人間が共存する世界・幻想郷。その人間と妖怪の理想の関係を維持する方法、それは外の世界の人間を妖怪に食わせる事。そうすれば妖怪は幻想郷内の人間を食わない。だが、外の世界から連れ去られ、妖怪達のエサにされてしまった人間達は・・・

「・・・なんか、外国の童話が本当は残酷で恐いっていう話を思い出したな」

 読んだ事はないが、そういう書籍も出回っているらしい。案外、日本も同じなのかもしれない。竹取物語にしても、かぐや姫に求婚した男達は哀れな末路を辿り、そして一人の少女が不老不死になってしまうという悲劇を生んでいる。
 妖怪と人間の楽園、幻想郷。その幻想の真実も残酷だった。

「色々釈然としないけど・・・」

 ぼりぼりと頭をかく。

「でも、人間とアンデッドだって同じだよな」

 アンデッドも妖怪と同様、人間を襲う。そのアンデッドが人間と共に生きていくのも、人間と妖怪の共存とほとんど変わらない問題のはずだ。

「きっと始も何とかなるよな・・・」

 アンデッドでありながら人の心を理解しつつあるジョーカー――始も、人間と共に生きていけるはず。もしかすると、幻想郷での人間と妖怪のあり方が参考になるかもしれない。

「・・・でもなあ」

 ただ、それは幻想郷の妖怪が外の世界の人間を食う事を容認するという意味でもある。始は人間を襲う事はないはずだ。その点はやはり許容しがたい。しかし、自分は人間とそうでないものとの共存を望んでいる――

「あーっ! 一体どっちなんだよ俺は!」

 思わず両手でがりがりと頭を掻き毟りながら大声を上げた。

「何悩んでるの?」
「・・・へ?」

 不意に後ろから声がした。
 ぼさぼさになった頭から両手を離し、振り向くが誰もいない。

「うふふ、こっちよ」

 と、また後ろから声。再び振り返ると、すぐ後ろの足元に少女が立っていた。

「うおっ!?」

 ちょっと驚いて後ずさる。
 8歳か9歳、あるいはそれより幼く見える彼女は楽しそうな笑顔を浮かべて一真を見上げていた。白い帽子をかぶった頭は金髪で瞳は赤く、赤い服の襟元に黄色いリボンを結び、上下そろいの赤い短めのスカートをはいている。細い枝のような翼に赤・緑・黄など色とりどりの水晶のような羽がついている。彼女が笑うと、その羽が揺れた。その幼い顔立ちはなんとなくレミリアに似ていた。肌も彼女と同じように異常なほど白い。ただ、子供らしい笑顔や仕草、大きな目からはレミリアよりも活発そうな印象を感じた。

「あなた、だあれ?」
「え」

 直前の不可思議な状況に驚いていた所に質問され、とりあえず気を取り直して答える。

「えっと、俺は剣崎一真。君は?」
「一真っていうんだ。私、フラン。フランドール=スカーレットよ」
「スカーレット・・・君、もしかしてレミリアの?」
「レミリアは私のお姉様よ。あなた、お姉様のお客様?」
「うん、まあね」

 しゃがんで少女――フランと目線を合わせる。

「レミリアの妹って事は、君も吸血鬼?」
「そうよ。一真は人間?」
「うん、普通の人間だよ」
「ふーん。人間ってあまり見た事ないのよね。お外に出ないから」
「そうなのか? 吸血鬼だから?」

 吸血鬼は日光に弱いからそのせいかと思ったが、フランは首を横に振る。

「ううん、お姉様が外に出させてくれないの。自分は普通にお出かけするのに、私は生まれて1度も館から出た事ないのよ」
「本当に? そりゃひどいな」
「でしょ?」

 不満そうな表情のフラン。

「ね、私と遊ぼ?」

 フランに手を引かれ、その手の冷たさに驚いた。

「ねえ、遊ぼうよ。お姉様は全然遊んでくれないし、咲夜も時々しか相手してくれないし」
「友達とかいないの?」
「いないよ」

 フランは更に手を強く引く。

「ねー、遊んでよー」

 腕をぐいぐい引っ張るフランを一真はじっと見つめた。
 両親を亡くし、なかなか友人が作れなかった一真にはフランの寂しさがよくわかる。吸血鬼とはいえ、こんな小さい子供が外に出してもらえず友達もいないのは可哀相過ぎる。そんな事を妹に強いているレミリアに怒りさえ感じた。

「よし、じゃあ俺がフランの友達になってあげるよ」
「本当? 遊んでくれるの?」

 一真がにっこりと笑いかけると、フランも顔を輝かせた。

「ああ。何して遊ぶ?」
「んーとね」

 フランは右手の人差し指を立てて、びっと天井へ突き上げた。

「弾幕ごっこ!」
「・・・遊びってそれなのかよ・・・」
「えー、嫌なの?」

 しゃがんだままがっくりうなだれる一真に対し、残念そうな声を上げるフラン。子供の遊びにしては少々過激な気がするが、案外それが遊びとして普通なのかもしれない。なにせ、ここは幻想郷だ。が、それを差し引いてもほとんど戦闘と変わりない行為を、吸血鬼とはいえ小さい女の子とする気にはなれなかった。

「いや、でも俺スペルカード持ってないし・・・」
「そうなの? でも何か出来るでしょ? お姉様が何も出来ない弱い人をここに入れさせるわけがないもの」
「えっと・・・それは、まあ・・・」

 意地の悪い笑顔を見せるフラン。その表情はレミリアに似ていた。けっこう鋭いなと思いつつ、頭をかく。

「じゃあいいでしょ?」

 そう言ってフランはポケットからカードを取り出しつつ宙へ浮かび上がった。

「あ、おい!?」
「いっくよー! 『クランベリートラップ』!」

 2つの魔法陣が現れ、慌てる一真の周りを四角を描くように動きながら赤と青の弾幕を撃ち出した。
 心の準備も何もできていなかったが、弾はそれほど速くない。取り囲むように四方から撃ち込まれる弾幕のコースを読み、弾の隙間をかいくぐってなんとか避けた。弾幕は一真がいた地点へ集束した後、そこから外側へ拡散するように広がり、廊下の壁や床に接触して弾けて焦げ跡を残した。

「けっこう上手いね。霊夢や魔理沙はもっと上手だったけど」
「ま、待ってくれよ!?」

 楽しそうに笑うフランは一真の叫びに耳を貸さず、ポケットから次のカードを出す。

「じゃ、次ね。『レーヴァテイン』!」

 宣言した直後、頭上に掲げたフランの右手から真紅の炎が伸びる。

「!」

 フランが剣のように振るうそれに、一真の直感がこれは非常に危険だと警鐘を鳴らした。
 頭が理解するよりも早く体が動き、カテゴリーAのカードを差し込んだブレイバックルを素早く腰に装着してハンドルを引いた。

『 Turn up 』

 ベルトから放たれた青いビジョンと、フランの手から伸びる赤い剣が交錯し――
 オリハルコンエレメントが粉々に砕け散った。

「うあああっ!?」

 衝撃で一真の体は吹き飛ばされた。
 オリハルコンエレメントで相当威力が削がれたはずだが、それを破壊してなお強力な衝撃が自分まで達した事に一真は戦慄した。
 一真がブレイドの適合者に選定される前、ボードが行った変身実験で被験者がオリハルコンエレメントに弾き飛ばされ、片腕を失うほどの重傷を負ったことがあるという。この青い光の壁にはそれほどの力がある。これまで何度もアンデッドの攻撃を防ぎ、一真の身を守ってきたそのオリハルコンエレメントを打ち砕いたとなると、フランの攻撃の破壊力は計り知れないものだ。

「ダメだよー、ちゃんと避けないと。ほら、もう一回行くよ!」

 しかし本当に恐ろしいのは、そんな破壊の力を平然と撃ち放つフランの無邪気さだ。
 炎を撒き散らし、再び迫る炎の剣。
 一真は衝撃で受けた痛みを堪えながら、再度ベルトのハンドルを引いた。こんな攻撃を生身で受けていては命がいくつあっても足りない。

「変身!」

『 Turn up 』

 2度目の電子音声と共にオリハルコンエレメントが出現し、一真はそれを駆け抜けてブレイドに変身して地面を転がった。ブレイドの装甲ごしに皮膚が焼けそうなほどの熱さを感じつつ、真紅の長大な炎の剣はかわした。
 が、レーヴァテインが払われた軌道を後から追うように炎の雨が降り注ぐ。かわす間もなく炎に飲まれたブレイドの全身から火花が飛ぶ。
 よろけて膝をついてしまう。そこに炎の第二波が迫る。
 避けきれないと判断したブレイドはブレイラウザーを抜き、カードをラウズした。

『 Metalメタル 』

 ブレイドの体が鋼鉄に変化し、炎の弾幕を弾き飛ばした。

<『METAL』消費AP 1200>
<ブレイド残りAP 3800>

「やっぱり。あなた普通の人間じゃないんだ」

 ブレイドを見て嬉しそうな声を上げるフラン。それだけならば可愛いで済まされるのだろうが。
 廊下の床と壁にはレーヴァテインで穿たれた爪痕のような痕跡。

「変身してない時はホントに普通なんだけどな・・・」

 鋼鉄化した体が元に戻り、フランに聞こえるように言ったが、聞いているのかいないのか彼女は3枚目のカードを掲げた。

「どんどん行くよ! 『フォーオブアカインド』!」

 今度はフランの体から赤い影が3つ飛び出す。その影は3つともフランと同じ姿をしていた。

「何!? 分身!?」

 アンデッドの一体・シマウマの祖であるゼブラアンデッドも分身する能力を持っていたので、これが分身だと思い至るのは簡単だった。
 昼に見たチルノのそれとは比較にならないほどの、4人のフランが撒き散らす大量の弾幕。
 どうにか避けつつ、一真は頭をフル回転させて考えた。
 こっちからフランに手は出せない。いかに危険な状況とはいえ、どうしても女の子に攻撃することはできない。
 持っているラウズカードの内、弾幕をしのぐのに使えそうなものは2つ。『METAL』と『MACHマッハ』だ。『METAL』はさっき使った通り弾幕を防御できるし、『MACH』は動きが素早くなるので弾幕を早く避けられるはずだ。消費APは『METAL』が1200で、『MACH』は1600。残りAPは3800、『ABSORBアブゾーブ』でのチャージも考慮すれば残り5800だ。カテゴリージャッククィーンキングでのチャージは1度の変身で1枚につき1回しか行えない。
 ざっと頭の中で計算してみたが、APは『ABSORB』の分を含めても『METAL』もしくは『MACH』をあと計4回使える分しか残っていない。それまでに何とかしないと変身していても一真の身はもたないだろう。

「ふ、フラン! もうちょっとこう、優しくできないか!?」
「えー? これでも易しいよ? 制限時間一杯まで使ってないもん」

 返されたフランの言葉に愕然とする。確かにチルノの時は先の2つよりも長い時間弾幕を放ち続けていた。
 それで一瞬動きが鈍ったのか、足に1発被弾してしまう。そこに数発の弾が直撃コースで飛んでくるのが見える。

『 Mach 』

 なんとか素早く立ち上がりながら『MACH』をラウズし、動きを加速させて弾をかわす。
 フランは楽しそうに手を叩いた。

「やるねー。今のはやられちゃったかと思ったよ」
「勘弁してくれよ・・・」

 息を切らせながら、ラウズアブゾーバーから取り出した『ABSORB』をラウザーに通す。

<『MACH』消費AP 1600>
<『ABSORB』AP回復 2000>
<ブレイド残りAP 4200>

 弾幕が止み、フランの分身が全て消える。
 『MACH』を使って逃げるべきだろうかとある意味最も現実的な考えがよぎるのだが、フランの笑顔が楽しそうなせいでどうにも踏ん切りがつかない。この遊びが命がけなのはわかっているのだが。

「一真って自分から撃ってこないから物足りないけど、久しぶりに楽しいかも。もっと頑張ってね。えーっと、次は・・・」

 弾幕ごっこにギブアップのルールはあるんだろうか。というか、フランがギブアップさせてくれるだろうか。背筋の寒い思いをしながら、この危険な遊びから生き延びる方法を考えた。


◇ ◆ ◇


 そよぐ秋の風が吾亦紅の花を揺らす。天高く雲は流れ、草原には虫が鳴いていた。
 その高い空から、二陣の風が地上に吹き降ろされた。
 赤と黒、2つの影が空中から地上へ降下し、地表すれすれを飛行しながら弾幕を撃ち続ける。
 赤いスカートをはためかせ、霊夢は霊気が形作ったお札型の弾幕を撃ちまくり、イーグルUはそのお札の雨を黒い体に触れさせず腕から爪を撃つ。両者は飛行しながら上下に体を振り、加速と減速を繰り返し、一瞬たりと攻撃と回避を止めない。
 霊夢のお札が草を散らせ、イーグルUの爪は地面に突き刺さる。互いに相手を追うように弾幕を撃ち続ける2人の体は、螺旋を描くように目まぐるしく飛び回る。
 開始から数分経った現時点でまだどっちも被弾していない。
 イーグルUが距離を詰めようとすると霊夢は素早く上昇し、赤と白の巴模様の球体『陰陽玉』を生成、そこからさらに正方形のお札型の弾『ホーミングアミュレット』が撃たれる。イーグルUはそれを避けようとするが、札型の弾は軌道を変えてイーグルUに迫る。

「追尾弾か」

 イーグルUはホーミングアミュレットから真っ直ぐ身を引くように飛んで相対速度を合わせ、自分の体へ近づくのを待つ。ホーミングアミュレットは間もなくイーグルUの腕が届く範囲に入り――
 その全てが爪によって切り裂かれた。
 ばらばらになったホーミングアミュレットは霧散して消滅。イーグルUは頭をめぐらせて霊夢を探す。
 イーグルUの真上に位置取った霊夢はもう1つ紅白の球体を作り出し、2つの陰陽玉から針状の弾幕『パスウェイジョンニードル』を撃つ。イーグルUは減速しながら横へ滑るように飛び、霊力の針は地面に無数の穴を残した。
 両腕から爪を飛ばす。
 霊夢はその爪の弾幕の隙間へ潜り込む。体すれすれを爪が掠めていくが顔色一つ変えない。軌道を読んでいるのではなく、全て勘でかわしている。
 博麗の巫女としての力か、霊夢個人の生まれついての力かは定かではないが、霊夢の勘はよく当たる。過去の異変の際も、最初は特に当てがあるわけでもないのに最後には元凶の所へ辿り着けるのだ。その神懸かり的でさえある勘の鋭さは弾幕ごっこで遺憾なく力を発揮する。その的中率たるや、弾が自分を避けて飛んでいると霊夢が錯覚するほどである。弾幕ごっこが浸透してきている幻想郷において、霊夢はまさしく弾幕ごっこの申し子といえよう。
 陰陽玉から再びホーミングアミュレットが出現し、霊夢の手からもお札型の弾が滑るように流れ出る。イーグルUは地表すれすれまで高度を下げ、霊夢の真下に潜り込んだ。お札の弾幕をぎりぎりまで引きつけた後、一気に前方へ加速。地面が小さく爆ぜ、イーグルUを追おうとしたホーミングアミュレットも方向転換が間に合わず、同じく地面で弾けた。
 仰向けになるように滑空しながら両腕を上げ、霊夢と弾幕の両方に爪を飛ばす。互いの弾幕がぶつかり合い、ホーミングアミュレットは大半が相殺される。
 霊夢は案外ゆったりした動きで爪を難なくかわしていく。
 迎撃し切れなかったホーミングアミュレットが数個、イーグルUに迫る。さらに霊夢の手からお札、陰陽玉からパスウェイジョンニードル。イーグルUは自らホーミングアミュレット目がけて突っ込み、それらを撃ち落とした。先刻イーグルUがいた空間を滝のような弾幕が空しく通過した。

「やるじゃない、あんた」

 空中で仁王立ちのポーズを取り、イーグルUを睨む霊夢。黒髪と服がはためく。

「なめてもらっては困るな。だが、これほどの力を持っていたのは驚いたぞ」

 ホバリングしながら大きな爪を見せつけるように軽く腕を上げるイーグルU。だが霊夢はふん、と鼻を鳴らし、

「あんたこそ、私をなめてんじゃないわよ」

 スカートのポケットに手を差し入れ、そこからカードを取り出す。

「少し本気見せてあげるわ」

 人差し指と中指ではさんだそれを頭上に掲げる。

「『二重弾幕結界』!」

 巫女の声が秋の青空に高らかに響き渡る。瞬間、霊夢の体から半透明の立方体が広がった。

「む?」


◇ ◆ ◇


「霊夢の奴、とうとうスペカ使ったか。けっこうできるな、あいつ」

 離れた場所で二人の空中戦を見ていた魔理沙がつぶやく。飛行の速さ、判断力、弾幕の威力といずれを取っても幻想郷の妖怪となんら遜色がない。口にした言葉以上に、魔理沙はアンデッドの強さに舌を巻いていた。

「ぷはー。けっこう面白いじゃん、あれ。外の世界にあんなのがいたとは知らなかったね」

 2人の戦いが本当に面白いらしく、萃香は寝転がって酒を飲んでいる。

「魔理沙、霊夢は勝てると思うか?」
「んー・・・」

 慧音に聞かれ、魔理沙は腕を組んで唸る。

「ま、少なくともあれをどうにかできないようじゃ霊夢には歯が立たないだろ」

 言って、結界を広げる霊夢を顎で示した。


◇ ◆ ◇


 立方体型の空間が二重に展開される。
 青い内側の結界は霊夢とイーグルUの間まで、外側のピンクの結界はイーグルUを飲み込むまで広がった。結界に入ってもイーグルUの体には衝撃どころか何も異常はない。だが、アンデッドの本能がこの空間は非常に危険だと警告していた。
 その瞬間、霊夢が全方位、前後左右上下に大量のお札を飛ばす。

「!」

 イーグルUは後退し、2つの結界の外まで移動した。
 直後、彼は自分の目を疑った。
 内側の結界の青い境界面に触れた霊夢の弾幕が消え、外側の結界から内側へ――つまり霊夢に向かう弾幕が現れたのだ。

「――!?」

 さらに外側の結界から撃ち出された弾幕は内側の結界に接触するとまたも消え、今度は外側の結界のピンクの境界面から外へばらまかれた。
 即ち、イーグルUのいる所へ、である。

「ぬぅっ!?」

 ひらりとかわしていくが、近い位置から現れる上、複数の弾が固まって飛んでくるため非常に避けにくい。全ての方位へ放たれているため、安全なエリアは存在しない。
 爪を撃ち返す。
 霊夢の弾幕と違い、爪は結界を通過して真っ直ぐに飛んでいく。しかし霊夢はそれを小さい動きながら悠然と回避する。
 もっと距離を取れば楽にはなるが、それは霊夢にとっても同様。

「まだ余裕があるみたいね」

 呟きにしてはよく聞こえる声で霊夢が言う。

「じゃ、これならどう?」

 霊夢は周囲に複数の陰陽玉を配置した。紅白の球体の一つ一つから赤と白の楔形の弾が光線のように間断なく撃ち出される。真っ直ぐ放たれた弾幕はさっきのお札弾幕と同じように結界に触れて消え、外の結界面から内の結界面、そして外の結界面から外側へと真っ直ぐ伸びていく。

「――?」

 その光景に何か引っかかるものを感じたが、すぐに思考を切り替えざるを得なかった。陰陽玉が弾幕の発射方向をずらしたため、結界外のイーグルUへ迫ってきたのだ。
 紅白の光の帯がイーグルUを追い込むように距離を狭める。帯状になった弾幕の間をすり抜けるのは無理だ。
 弾を食らう事を覚悟で飛び込むこともできるかもしれないが、仕留め損ねた場合は自分が不利になるだろう。この世界の人間達は厄介だ。あるいはライダーと同じくらいに。隙は見せられない。逆に隙を見出さねばならないが、弾幕には隙間がない。
 瞬間的な判断の繰り返しで避け続けていたが、とうとう退路を塞がれてしまった。赤と白の弾幕が壁を成して迫る。
 被弾覚悟での突破を考えながら頭を巡らせると、弾のない空間が見つかった。前方、結界の内側だ。
 即断し、結界へ飛び込む。
 ピンクの光をくぐった直後、後ろを大量の弾幕が通過していった。しかし、今度は左右から紅白の弾幕がやはり迫る。
 今度は後方、結界の外の空間が空いている事を確認し、すぐに取って返す。
 結界を境に目前で収束し、通り過ぎていく弾幕。
 とりあえず窮地は脱したが、向こうが作り出した結界を利用して弾幕をかわすというのも皮肉というか相手の掌の上で踊らされている感が否めないのが腹立たしい。

「・・・・・・」

 だが。
 イーグルUは弾幕をかいくぐりつつ、その動きを観察する。結界を利用して避けることができるとわかれば、ある程度余裕ができる。
 その様子を見た霊夢がさらに球形の弾も撃ってくる。それも同じように結界から消えて現れる。
 結界の境界面を往復している内に、内側と外側の結界の間の空間越しに見える地上の様子がおかしいことに気づいた。境界面で切り抜いて別の景色を貼り付けたかのように、その範囲だけ不自然に途切れて見える。
 右の方に目をやると非常に大きな山が目に入った。霊夢の真後ろにその山が見えるように位置取る。そして結界面の左端と山の中央が重なるように位置を調整した。
 すると結界内に見えるはずの山の右側は結界面で中央から真っ二つにされたように消え、結界右端の左側に、同じように中央線が結界面に接するように山の半分が入っている。どうやら、外側と内側の結界の間では背景は左右対称に見えるようだ。

「・・・ふむ」

 それを念頭に置きながら、丸い弾を注視する。
 霊夢の手から放たれた弾は内側の結界面に触れて、外側の結界から出て内側の結界の、ちょうど先ほど触れた場所で消えた。そして外の境界面、内側向きに現れた所から外へ向かって弾が出てきた。いずれの場合も、最初に撃った時の延長線に沿って動いていた。
 イーグルUは確信した。

(なるほど、そういう事か・・・)

 2つの結界の間の空間では、弾の軌道の外側と内側の方向が逆転する。
 一体どういう原理でこうなっているのかはわからないが(ましてや背景は左右が反転するのに弾は外と内が逆転するとはどうなっているのか)、よく見れば紅白の弾幕も結界の間ではそういう法則に従って向きが変わっている。見ようによっては、外と内の方向が逆になっているだけで弾はいずれも真っ直ぐ飛んでいる、といえる。
 そうとわかれば、後は簡単だ。
 霊夢と陰陽玉が撃つ弾幕に注意を払う。

「今だ!」

 周辺の弾幕をすり抜け、一気に結界の中へ飛び込む。結界の間では後ろから弾が飛んでくるが、法則がわかれば弾道は予測できる。
 予想通り弾幕の隙間ができているのを確認し、球形の弾を紙一重に避けて内側の結界も突破した。

「!」

 間近に見えた霊夢の顔が驚きの色で染まった。
 弾幕に捕まるより早く、腕を霊夢に突き出す。
 爪が陰陽玉を2つ切り裂く。手応えはそれだけ。
 霊夢は上昇し辛うじて難を逃れたが、イーグルUもそれを追う。引き離されないように全速力でくらいつき、腕を振るう。霊夢はその攻撃をことごとくかわしていくが、彼女の周囲を漂う陰陽玉が次々に破壊されていく。
 そして、霊夢の左腕の袖を爪が引き裂いた。

「くぅっ!」

 うめいた霊夢は両腕を広げ、体から不可視の衝撃波を発した。予想外の攻撃にイーグルUはバランスを崩し、きりもみ回転して落下する。

「むぅっ!」

 独楽こまのように回りながらイーグルUは霊夢目がけて腕を伸ばし、爪を発射する。回転する視界の隅で、その爪が狙い過たず霊夢へ吸い込まれていくのが見えた。
 地面すれすれで体勢を直して地上に降り立つ。
 その目前に霊夢も着地してきた。

「・・・やるわね。私に『霊撃』を使わせるなんて。今のはちょっぴり焦ったわ」

 霊夢は緊張から解放されたという表情でそう吐き捨てながら御幣に突き刺さった黒い爪を引っこ抜き、乱暴に投げ捨てた。

「貴様の方こそアンデッドを甘く見ていたようだな」
「どうもそうみたいね」

 イーグルUは再び浮上し、霊夢を見下ろした。それを見ていた霊夢の顔がきっと引き締まる。

「もう出し惜しみなんかしない。全力でやるわ」

 ポケットからカードを出す。

「これであんたをぶっ飛ばす!」

 カードを人差し指と中指で挟み、横へ突き出し宣言する、そして。

「『夢想封――』」
「ちょっと待った!」

 ぐぎっ!

「あうっ!?」

 頭のリボンを後ろから引っ張られ、かくんと倒れた首から鈍い音が響いた。痛みに悶絶しながら霊夢が振り向くと、いつの間にか彼女の背後に箒を持った魔理沙が立っていた。

「何すんのよ!」 

 左手で首を押さえながら右手を上げて魔理沙に抗議する霊夢。

「交代だ」

 そう言って、魔理沙は霊夢が振り上げた手を軽くパンと叩いた。

「ちょ、ちょっと魔理沙!」

 霊夢がおろおろしている内に、魔理沙は箒にまたがってイーグルUへ向かって飛んでいった。

「おい、鳥がら野郎! 今度はこの霧雨魔理沙が相手だ!」

 イーグルUと水平の位置で停止した魔理沙に、イーグルUは鼻を鳴らした。

「ふ、貴様が先に死にたいのか?」
「簡単に言ってくれるな。私は強いぜ?」

 魔理沙は不敵に笑った。

「まったく、よくわからんが人間を目の敵にしやがって。そういうやつは普通の人間の魔法使いが退治してやらあ」
「その格好は魔女のつもりか」
「そうだ。これが魔法使いの正しい服装だぜ」

 左手はまたがった箒をつかんだまま、右手を腰に当てて胸を張る。

「時代錯誤な」
「1万年封印されてたっていうお前に言われたかないな。バトルファイトだかなんだか知らないが、いつまで続けるつもりだよ」
「それこそ知らん。いつまでも続くのだろう。少なくとも、人間が覇者の時代はもう終わりだ」

 イーグルUは腕を組む。

「それに、いつまでと言うなら人間こそ愚かな蛮行を繰り返している」
「へえ、例えば?」
「中世ヨーロッパなどにおいて、人間は動物を裁判にかけていた。子供を殺したブタや食料を食い荒らしたネズミに有罪判決を下して死刑にしたそうだ。動物に人間の倫理を押しつけた身勝手で間抜けな行為だ」
「動物裁判か。よく知ってるな」
「他の種族を抑えつけ、自らは繁栄を極める。バトルファイトの勝者になるというのはそういう事だ。だが、調子に乗りすぎたな」

 軽く上げた腕が魔理沙へ向けられる。

「人間は勝手な理屈で命を奪う。自分の同属でさえな。ジャンヌ=ダルクはフランスでは聖女と称されたが、イギリスに捕らえられた後は魔女の烙印を押されて火あぶりにされた。聖女と魔女、殺す対象とそうでないものの境界など曖昧なものだ」
「境界がどうのこうのと抜かす奴なんざ、どっかのスキマ妖怪だけでたくさんだぜ」

 平然と切り捨てる魔理沙。

「では、魔女狩りといこうか」
「火あぶりは遠慮するがな」


◇ ◆ ◇


「もうっ・・・」
「霊夢、大丈夫?」

 霊夢が首をさすりながらため息をついていると、慧音と萃香が走ってきた。

「どうって事ないわ。今の魔理沙のが一番きいたくらいよ」

 と軽く返す。

「二重結界をあんな簡単に見破られるとは思わなかったけど」

 つぶやきながら、今しがた撃ち合いを繰り広げ始めた2人を見上げる。

「イーグルアンデッドはアンデッドの中でも特に知能に優れているからな。割と弾幕ごっこに向いているのかも知れん」
「感心してる場合じゃないでしょ」

 腕を組んで言う慧音の脇を肘でつつく霊夢。3人は並んで空を見上げ、成り行きを見守った。

(やはりアンデッドは危険だ・・・早く倒さないといけない)

 拳を握り締め、慧音は改めてそう感じた。
 まだ余裕はあるとはいえ、博麗の巫女を追い込む程の存在が人間に敵意をむき出しているのは危機的状況と言わざるを得ない。本当なら今すぐ自分もイーグルUに頭突きと弾幕を見舞ってやりたい所だが、そんな事をすれば魔理沙と霊夢から非難されるのは目に見えている。どっちも、多少危険でも弾幕ごっこは弾幕ごっこというスタンスを崩す事はよしとしない少女達だ。

(それにしても・・・どうしてアンデッドが幻想郷に侵入したのだ?)

 妹紅から話を聞いた時からずっと気になっている疑問。
 いくら八雲紫が体調を崩していたからといって、そう都合よく幻想郷に入ってこられるだろうか。作為的な感じさえするものの、そうだとして理由は何か。
 わからないまま、慧音は空を舞う黒い巨躯をにらみつけた。


◇ ◆ ◇


 戦いが始まってすぐ、この相手はさっきの紅白とはタイプが違うとイーグルUは感じた。
 縦横無尽に飛び回る様は霊夢とほぼ変わらないが、彼女が広い範囲に弾幕を放つのに比べて魔理沙は一点集中で撃ちこんでくる。緑色の弾丸のような『マジックミサイル』に爪を数発飛ばした所、炸裂して全て叩き落された。次いで『イリュージョンレーザー』の光が足をかすめ、皮膚がわずかに焼かれた。
 どちらもまともに食らってしまえばひとたまりもあるまい。霊夢と戦法が違うので少々困惑させられながらもいなしていく。

(もしや、それが狙いで交代したのか?)

 そうならば、この相手はかなり食えない。
 それならばと接近を試みるがそうすると魔理沙はさっと下がり、ずっとつかず離れずの距離を保っている。
 イーグルUの動く先を予測し、その機動力を活かして先回りして狙い撃つ。直進の速さ自体は霊夢より上である。
 霊夢が弾幕の天才ならば、魔理沙は秀才といえる。魔法が使えるとはいえ普通の人間である自分には霊夢ほどの才能はなく、妖怪と戦うには限界がある事を魔理沙はよく理解している。
 相手をよく観察し、動きを読み、一撃必殺の弾幕を叩き込む。それが彼女の、地力で自分を上回る相手とも渡り合うための戦闘スタイルである。新しい技の開発にも余念がなく、才能に胡坐をかいている霊夢とは実に対照的だ。だからこそ、この2人が組むと手がつけられないのだ。

「さて、そろそろ行くか」

 魔理沙がポケットからカードを出したのでイーグルUは身構えた。ライダーのラウズカードとは違うが、カードで技を発動させるらしい事は重々承知だ。

「くらえ! 『スターダストレヴァリエ』!」

 星型の大きな弾が8つ、魔理沙を中心に渦を描くように撃ち放たれた。その星から、さらに小さい星型の弾が撒き散らされる。
 魔理沙を中心に色とりどりの星がさながら銀河系のようにきらめき、その光景は『星屑幻想スターダストレヴァリエ』の名前に相応しい美しさだった。
 だが幻想的な見た目に反して、その実は触れれば怪我をする凶悪な弾幕である。
 とにかく、かいくぐっていくしかない。
 密度そのものは先ほどの二重弾幕結界より余裕があるが、数はその比ではない。小さい玉の隙間をすり抜けるのはなんとかなるが、何度も放たれる大きい星型の弾が時折その隙間を埋めるように飛来するため、それら大小の弾幕を同時に避けるのはだいぶ読みを必要とする。
 負けじとイーグルUも撃ち返す。

「よっと!」

 魔理沙は笑顔さえ浮かべながら箒を巧みに操り、飛ばされた爪をすいすいと避けていく。

「ただ飛ばしてるだけじゃねーか、美しくもねえ。こんなもん弾幕とは呼べないな」
「何を・・・!?」
「よく覚えとけよ」

 ニイ、と魔理沙の口の端が吊り上がる。

「弾幕はパワーだぜ!」

 言うやいなや、魔理沙は星の弾幕を発射するペースを上げた。

「くっ!」

 弾幕の真っ只中、イーグルUは視界をせわしなくめぐらせる。くらってしまったとしても自分の場合は死ぬ事など有り得ないが、確かにこれほどの攻撃を繰り出すその力は認めざるを得まい。
 だが。

「確かに、こういう攻撃は私にはできん」

 つぶやく。
 直後、猛然と前へ突っ込み、流星雨の中を突き進んでいく。小さい星、大きい星、それらをすべて紙一重でかわし、上下左右のかずかな空間を縫うように魔理沙へ詰め寄っていく。

「おお?」

 魔理沙は思わず目を丸くした。
 イーグルUはかなりのスピードで弾幕の合間を駆け巡っている。スペルカードであるからあえてかわせるように多少の隙間ができるようになってはいるものの、霊夢でさえここまで素早くは動けないだろう。

「だが貴様は、進化を競う戦いがどれほど過酷か知らない」

 思わず魔理沙は弾幕の量をさらに増やしたが、イーグルUは止まらない。弾の動きを予測し、弾を避ける隙間ができる位置を読み、弾を紙一重でかわす。

「環境に最も適応した個体がその環境で優位に立つ。その形質を受け継いだ子孫が種族全体を覆うほどに増加すれば、その種族がそのフィールドの覇者となる。それが進化だ。適応できなかったものはフィールドを追われ、衰退する」

 進む速さは衰えることなく、次第に両者の間は狭まっていく。

「生物が持つ悠久の成長の力・・・お前達にこういう力が備わっているのも、進化なのかもしれん。だが、この程度の変化で・・・」

 ついにイーグルUは魔理沙に接近し、

「始祖生物が動じるものか!」

 腕を振り下ろした。

「やべえっ!?」

 叫びながら上昇し、斬撃をかわす魔理沙。イーグルUはそれを追う。

「始祖生物が進化できないと思っているのなら、それは間違いだという事を教えてやる!」

 振り払おうと全力で飛ぶがイーグルUは追いすがり、ぴったりとついて来て爪を撃ち込む。

(やべえやべえやべえ! 速ぇぞ、あいつ!?)

 左右に体を振って避けつつ、後ろ向きに撃ち返すが向こうが減速する気配はない。腕が届く距離ではないが、下手にスピードを落とせばその限りではない。振り向いて迎撃しようとすれば、その一瞬の隙に自分はこの世とおさらばだろう。霊夢の二重弾幕結界の法則を短時間で看破した事から相当に頭が切れることはわかっていたが、後ろを取られて改めて強敵である事を思い知った。

(どうする!? いやその前にまず落ち着こうぜ私。そうだ、落ち着け)

 対処法を必死に考えながら自分にそう言い聞かせる。

(そうだ、素数を数えると落ち着くって聞いた事あるな。えーと、素数素数・・・)

 と考えながら後ろを振り返ると、イーグルUが両腕から多量の爪を飛ばしている所だった。

「3!」

 短く口走り、帽子を右手で押さえてバレルロールしながら急降下する。その一瞬後に彼女の頭があった所を爪が通り過ぎていった。
 地上すれすれまで一気に到達し、そこから水平に戻す。相当の速度だったが、イーグルUは事もなげについてきて爪を連発している。弾切れとかないんだろうか、と思いつつ、爪を避けるために蛇行しながら視線を巡らせる。
 すでに霊夢らがいるはずの場所からだいぶ離れてしまった。今自分が幻想郷のどの辺りにいるのかよくわからないほど夢中で逃げている。右の方に川を見つけ、後ろへ弾を撃って牽制しつつそちらへ箒を向けさせる。川面ぎりぎりを流れに沿って――流れに逆らって、かも知れないがそこまで見ている余裕はない――全速力で飛ばす。
 魔理沙が通った後を、水面を左右に切り裂くように白い波が立ち、水が舞い上がる。視界がわずかながら遮られるので、イーグルUは魔理沙の真後ろから少し右へずれた。
 互いに撃ち合い、しばらく膠着状態が続く。
 不意に魔理沙は前方の水面へ大きい星を1個飛ばした。大きく上がった水幕のような水飛沫が魔理沙の姿を覆い隠す。彼女はそのまま水飛沫を突っ切――らなかった。

「!?」

 イーグルUは通り過ぎた着弾点を振り返るが、水飛沫の収まった川面の上に人の姿はない。魔理沙の姿はイーグルUの視界から忽然と消えた。
 刹那、川に上から星が降り注いだ。
 本能的に右へ動いたために弾幕から逃れることはできたが、今度は自分が後ろを取られた事を理解した。後ろを見上げると、魔理沙が何かを右手に持ってこちらへかざしている。

「くらえ!」

 彼女の右手にある黒い八角形の物体に白い光が吸い込まれていく。この状況でカードを切るとしたら、切り札のはず。自分は今、非常に危険な状態にさらされている。それを理性と本能の両方で認識し、高度を上げようとした。

「『マスタースパーク』!」

 魔理沙が高らかに叫び、彼女の右手から純白の閃光が放たれた。
 イーグルUが上昇しようとしたのを見て、撃つ直前に角度を上に修正したため、ビームのような光は熱と衝撃を撒き散らしながらイーグルUへ真っ直ぐ伸びていく。
 イーグルUは左へ切り返し、マスタースパークを辛うじて避けられた。しかし右の翼をかすめ、激しい熱によって表面が焼けた。

「ぐぅっ!」

 上手く動かない翼で降下しながら魔理沙へ爪を撃ち、どうにか体勢を保って地上付近まで高度を下げて森の中へ突っ込む。
 ふらつきながら木々の間を抜けながら後方を伺う。誰も追って来ない事を確認し、それでもスピードを緩めない。

「・・・・・・」

 飛びながら、最後の攻撃を思い出す。
 強烈な攻撃だった。まともに受ければ身動きも取れなかっただろう。翼が片方使えない状態であれに対抗するのは無謀だ。

「おのれ・・・」

 歯噛みしながら、悔しさに拳を握り締めた。とはいえ、この世界の住人が侮りがたい実力を持っている事は覆しようのない事実。

(まあいい。どの道、やつらには我々は封印できん。ライダーを倒した後ならば時間さえかければ・・・)

 どれほど強くても、アンデッドを殺す事は不可能。今は屈辱にまみれても、最後に笑うのは自分だ。

(それまでは笑っているがいい・・・見ていろ)

 熱傷のせいかなかなか回復が始まらないのを少々疎ましく思いながら、イーグルUは飛び続けた。


◇ ◆ ◇


「ち、逃げられちまった」

 マスタースパークの第二射を撃ち損ね、魔理沙は右手に持っていた『ミニ八卦炉』を懐に仕舞った。
 連発するつもりだったが、正確に自分を狙っていたイーグルUの弾を避けた隙に森の中へ逃げ込まれてしまった。森ごと吹っ飛ばすと後で誰から何を言われるかわからない。

「ふー。しかし、さっきのはやばかったな」
「魔理沙ー!」

 川の水をかぶって濡れた帽子の表面を払いながら一息ついていると、霊夢が飛んでやってきた。

「おう。奴さんはどうにか追い払ったぜ」
「そう。とりあえず戻りましょ」

 2人並んで飛ぶ。

「魔理沙、なんで急にあなたが行ったの?」
「何だよ、横取りされて腹立ててるのか?」
「首を痛めた事にもね。私が『夢想封印』を使おうとしたから?」
「はは・・・」

 首をさする霊夢を見て、魔理沙は指で頬をかきながら笑ってごまかした。

「あいつ、かなり強いみたいだからさ。手の内はあんまり見せない方がいいと思ったんだ。特にお前のはな」
「・・・そうかもね」

 霊夢は、魔理沙の考えている事がそれ以上聞かずともわかった。
 不死身のアンデッドに勝つ事はできても、倒す事はできない。戦い続けてこちらの手を明かすと、その後は不利になりかねない。永久に倒す事が出来ないならば有り得る事態だ。だから魔理沙は、霊夢の必殺技というべき夢想封印を止めさせたのだろう。

「どうも、私達が思ってた以上に深刻みたいだな。今回の異変は」
「うん・・・」

 実際に戦ってみて実感したアンデッドの強さは2人の想像以上だった。早く手を打たねばならない。幻想郷の異変を何度も解決した2人の少女は明確な危機感を抱いていた。
 やがて慧音と萃香のいる場所へ着いて、霊夢と魔理沙は地上に降り立った。

「大丈夫か?」
「へっ、この魔理沙様が負けるかよってんだ」

 慧音にウインクしてみせる魔理沙。萃香は程よく酔いが回っているようで、赤ら顔でぼーっとしている。

「しかし、ちょっと危なかったからって即行マスタースパークを使ったのはアレだったな。反省反省」

 ぼやく魔理沙。
 弾幕ごっこは結果に遺恨を残さないという原則があり、そのため多分に遊びの要素を含んで行われる。だから今回の魔理沙のように露骨に勝ちを狙う行為は忌避される。とはいえ、それだけ危険だったという事をその場にいた全員が理解していた。

「なあ、アンデッドってのはどいつもあれくらい強いのか?」
「いや、奴は上級アンデッドだから最も強いグループに位置する。あれほどのは少ないという事だ」
「そうか」
「確か一真、あいつに勝って封印したって言ってたわね」

 魔理沙と霊夢は顔を合わせた。

「そいつ、実はすげー強いんじゃないか?」
「そうは見えなかったけど・・・多分」
「見た目で言うなら、お前達だってそうだろう」
「にゃはははは!」

 慧音のつっこみに、萃香が声を上げて笑い出した。

「あんたにだけは笑われたくないわよ」
「まったくだ」

 萃香にジト目を向ける霊夢と、やれやれと両腕を広げる魔理沙。

「早いとこ里に戻ろうぜ。少し疲れた」
「賛成」

 酔いが回った萃香の重い腰を上げさせるのにちょっと手こずったが、戸板を彼女の小さい分身に運ばせながら彼女達は里への帰途についた。
 やがて里が見えてきて、魔理沙がつぶやいた。

「あんなもんに襲われたら普通の人間じゃ歯が立たんよな、やっぱ」
「そうだ。問題なのは、あいつらは人間を滅ぼすつもりだという事だ」
「あながち、出来ないわけでもなさそうね。今、外の世界は大変な事になっているのかしら・・・」

 あごに手を当てる霊夢。魔理沙は腰に手を当てて、

「ま、仮に外の世界の人間が滅びたって幻想郷には影響ないだろうけどな」
「――!」

 頭に何かが走り、慧音は立ち止まった。

「あのね、そんな単純じゃないのよ。あっちで大きな変化があればこっちにも絶対に何かあるの」
「おいおい、そんなムキになるなよ。そんなにしかめっ面してるとシワが増えるぞ」
「私はおばあさんか!」
「毎日縁側でお茶飲んでるのはババくさいと思うぜ」
「なんですってー!?」

 それに気づかず、霊夢と魔理沙は足を止めずに言い合っている。だが慧音にはそんな事も耳に入らない。見開かれた目が意味なく右に左に動く。脳裏に浮かんだ事があまりにも衝撃的だったからだ。

(まさか、アンデッドが幻想郷に侵入したのは――)

 己の頭に閃いた仮説に、慧音は自分で驚愕していた。


◇ ◆ ◇


「遅いわね」

 レミリアのつぶやきが聞こえて、妹紅は顔を上げた。
 確かに、一真がトイレに立ってから結構経つ。

「もしかして、館の中で迷子になってるんじゃないかしら」
「あー・・・ひょっとすると有り得るかもな。あいつ、どっか抜けてる所があるから」

 もう3杯目になる紅茶をすすりながらぼやく。

「咲夜、探して来て」
「畏まりました」

 傍らに控えていた咲夜は一礼して部屋を後にする。

「世話が焼けるわね」
「まったくだよ」

 互いに小さい笑みを見せ合う。
 とその時、館がずしんと揺れた。

「熱っ!?」

 飲もうとしていた紅茶が鼻の辺りにかかって妹紅は悲鳴を上げた。服は汚さなかったが、テーブルクロスに茶色い染みが出来た。

「あちち・・・な、何、今の?」

 聞きながら袖で顔を拭う妹紅。レミリアは座ったまま、壁の方を見ながら首を傾げている。

「ひょっとして・・・」
「お嬢様」

 気配もなく咲夜が姿を現した。

「妹様が一真と遊んでいます」
「・・・そういう事ね」
「妹様? お前の妹か?」

 また揺れる。
 ため息をつくレミリアに、椅子の上で身を屈めながら妹紅が聞く。

「そうよ。フランっていうの。これはまずいわね」
「まずいって?」

 その問いには咲夜が答えた。

「妹様も吸血鬼だから力は非常に強いわ。しかも、ものを壊して遊ぶのがお好きなの」
「この間なんて館にいたメイド妖精達を一列に並べさせて、楽しそうに1体ずつ粉々に吹き飛ばしてたわ」
「危なすぎるだろそれ!?」

 がたんと勢いよく立ち上がりながら妹紅は叫んだ。そのタイミングでまた揺れたので妹紅はバランスを崩しかけた。レミリアはまたため息をつき、

「だから今まで地下室に閉じ込めてたんだけど、最近は少し緩くして館の中なら出歩いてもいい事にしたのよね。多分、それで一真を見つけたんでしょ」
「そんな暢気にしてる場合か! 止めさせないとまずいんじゃないのか!?」
「そうね。早く止めないと彼の命は保障できないわね」

 平然としている咲夜。
 妹紅が口を開くより早く、レミリアが椅子からぴょんと飛び降りた。

「しょうがないわね。私じゃないとあの子は止められないでしょ。咲夜、案内しなさい」
「はい、お嬢様」


◇ ◆ ◇


 壁も床もぼろぼろに朽ちた通路。
 砕けて散乱した壁材や床材にまみれてブレイドは突っ伏していた。

「はあ、はあ、はあ・・・」
「うふふ」

 息も切れ切れのブレイドに対して、フランは楽しそうに笑っている。

「一真、面白いね。普通の人間だったらもう死んじゃってるのかな?」
「はあ、はあ・・・ふ、フラン・・・」

 洒落になっていない。
 生身だったらもう何度も死んでいるだろう。
 ブレイドの装甲もそこかしこに傷つき、満身創痍の様相を呈している。
 ラウズカードで何度も危ない所を切り抜けてきたが、すでにAPもほとんど使い切ってしまった。

<ブレイド残りAP 200>

「なあ・・・そろそろ終わりにしないか? 俺、もう持たないよ・・・」
「えー、私まだ遊び足りないよー。楽しいのに」

 フランの不満の声に、ブレイドは余計に疲れが増した気がした。
 元気のよ過ぎる子供の遊びに付き合う大人の心境というのはこんな感じだろうか。
 多分違うな、と思いながら聞いてみる。

「・・・楽しいのか?」
「うん、楽しい。撃ち返してこないのはちょっと物足りないけどね」

 にこっと笑うフランを見ると、つい許容してしまいそうになってしまう。

「一真も撃ってきていいのよ?」
「こ、子供に攻撃なんか出来ないよ。それに、今の俺にはもうそんな元気がないや・・・」

 自分でも情けない事を言っていると思うが、どっちも本音である。

「遠慮なんかしなくていいのに。じゃあ次もフランの番ね」
「い、いや、ちょっと待――」
「『カタディオプトリック』!」

 本気で焦りながら制止させようとしたが、フランは無情にも何度目になるかわからない宣言をした。
 拡散気味に青い弾が5発撃たれ、その後に続くように小さい弾が群れを成して飛んでくる。壁や床に触れた弾は炸裂せず跳ね返った。

「う!?」

 直進してきた弾を右に動いて避けた所で、弾幕の挙動に驚いて動きが一瞬鈍った。右の壁に反射した弾の軌道を読み損ね、青い光がブレイドに迫る。

「一真!」

 廊下の角から姿を現した妹紅の目に飛び込んできたのは、ブレイドが顔に爆発を受けるシーンだった。

「一真!?」

 妹紅は、顔から煙を上げ倒れこんだブレイドに駆け寄り、その顔を見て目を見張った。
 仮面が砕け、一真の素顔の右側が露出していた。
 アンデッドとの戦いから見てブレイドの装甲は極めて強固なはずだったが、それがこれほど破損するとは。

「フラン、そこまでになさい」

 妹紅と一緒に現れたレミリアが一真とフランの間に進み出た。

「あ、お姉様」
「彼はもう動けないわ。あなたの勝ち。だから弾幕ごっこは終わりよ」
「えー?」

 地上に降りたフランは幼い顔をしかめた。

「遊びにもルールはあるの。それが守れない子とは誰も遊んでくれないわよ」
「もー、お姉さまの意地悪」

 頬を膨らせるフラン。

「咲夜、彼の手当てを」
「はい」

 大の字に倒れ、荒い息をつくブレイドに屈みこむ咲夜。

「一真、大丈夫か?」
「た、助かった・・・」

 弱弱しくバックルのハンドルを引き、真上に現れたオリハルコンエレメントが倒れたブレイドの体を包んだ。
 変身を解除した一真の体は所々服が破れて小さい痣や傷が覗いている。2人の少女に支えられながら起き上がり、一真はなんとか歩いて行った。

「フラン、部屋に戻りなさい。もう十分遊んだでしょ」
「やだよー。部屋にいても全然面白くないもん」

 2人だけになった廊下の割れた床の上にぺたんと座り込み、鬱憤を満面に表して不満を訴えるフランに、レミリアはため息をついてフランの所へ歩み寄った。軽く笑みを浮かべながら、姉の威厳を示すように両腰に手を当てて、上から覗き込むように顔を近づける。

「それじゃフラン、1ついい事教えてあげる」
「なに?」

 姉の顔を見上げながら聞き返すフラン。

「遊びというものの最低限のルールはね、相手にケガをさせない事よ」

 フランは一瞬きょとんとした。

「でも私以前、霊夢と魔理沙に軽くケガさせられたよ?」
「あれはあの2人がおかしいのよ。今度私から一発がつんと言っておくわ」

 そう言ってレミリアはフランから顔を離し、彼女を見下ろしながら腕を組んだ。

「わかったら戻りなさい」
「・・・はーい」

 納得したわけでもなさそうだったが、ともかくフランは立ち上がって廊下の向こうへ歩き去っていった。廊下の角にフランの姿が消えてから、レミリアは再びため息を漏らした。

「本当に世話の焼ける子ね、まったく」

 まだ組んだままだった腕を崩し、レミリアもきびすを返した。

「・・・咲夜の仕事が増えたわね」

 荒れ放題の通路を見回しながら、軽く頭を抱えたレミリアだった。
 

◇ ◆ ◇


 太陽が傾きかける刻限、里へ帰還した慧音らによって回収された遺体は遺族の元へ返された。
 彼らがすでに死んでいたことは事前に知らせていたが、やはり遺体を見せられたショックは大きく、里には悲しみの嗚咽と悲鳴が響いた。遺族達は慧音らに礼を言うのもそこそこに、遺体と共に帰宅していった。
 運んできた萃香は、酒は後で霊夢に持たせる約束をしてから人に見られる前に霧になって姿を消した。里の中では男達が遺体を運ぶのを買って出てくれた。
 そうして後の事は里の人々に任せて、慧音は霊夢と魔理沙を連れて家へ帰っていた。

「はぁ~、やっぱ弾幕ごっこの後の一杯は最高だな」
「魔理沙、それこそ年寄りくさいわよ」

 お茶を一気に飲み干し大きく息を吐く魔理沙に半眼を向けながら、空になった彼女の湯飲みに急須からお茶を注ぐ霊夢。魔理沙はありがとよ、と霊夢に礼をして慧音が出した団子にぱくついた。彼女の後ろに黒い帽子が置かれている。

「団子といえば、そろそろ十五夜だろ。霊夢、神社で月見しようぜ」
「あんたの目当てはお酒でしょ」
「どうせ呼ばなくたって誰か気の利いた奴が酒持って神社に来るだろ。私の読みじゃ萃香は絶対来るな」
「あいつは何もない日だってウチに来るもの。読みも何もあったもんじゃないわ」

 卓に頬杖をつく霊夢と笑う魔理沙。ついさっきイーグルUと戦ったというのに、そんな深刻な様子は微塵も感じられない。緊張感がなさ過ぎるようにも見えるが、こういう気楽な部分も彼女達が弾幕ごっこに向いている一因でもある。

「ったく、どいつもこいつも酒だけ飲みに来てお賽銭なんて入れていった試しがないんだから」
「まったく、信心に欠ける奴らだぜ」
「あんたの事言ってんのよ!」

 がなり立てる霊夢。しかし魔理沙は右から左である。

「あんたはどうだ、慧音? 今度の十五夜、神社で一緒に飲まないか?」

 それまで腕を組んで何か考え事をしている風だった慧音は、不意に声をかけられて顔を上げた。

「ん? ああ、悪いが満月の夜は駄目だ。歴史書を書かないといけないからな」
「あ、そういやあんたワーハクタクだったわね」

 食べた団子をお茶でのどに流し込む霊夢。また真剣な顔で思考にふけりだした慧音に対し、魔理沙を親指で示しながら、

「魔理沙には気をつけたほうがいいわよ。こいつ、興味を持ったものは勝手に借りていくから」
「ああ、心配すんな霊夢。さっきトイレを借りた時にその歴史書とやらをこっそり見たが、ちっとも興味を引くもんじゃなかった」
「なに人の家の物を勝手に見てるんだお前は!? 興味を持ったら盗むつもりだったのか!?」

 さすがに聞きとがめた慧音が猛烈な勢いでつっこむが、魔理沙はにべもなく腕を広げ、

「内容が堅苦しすぎて難しいんだよ。もうちょっと読む側が楽しめるように書いた方がいいと思うぞ」
「余計なお世話だ!」

 怒鳴って、慧音はさもうんざりした顔をして頭をかいた。

「まったく、人が深刻な事を考えているというのにお前達と来たら・・・」
「なんで私まで含まれてるのよ」

 慧音に半眼を向けつつ抗議の意を唱えて、霊夢はその目を卓に向けた。

「つうかあんた、さっきから何考え込んじゃってるの?」

 慧音の前に置かれたお茶も団子も手がつけられていない。
 少し迷った素振りをした慧音だったが、その顔を引き締めて口を開いた。

「魔理沙、お前さっき『外の世界の人間が滅びても幻想郷に影響はない』と言ったな」
「それが?」
「それが、アンデッドが幻想郷に現れた理由ではないかと考えているんだ」

 団子を食べていた魔理沙の手がぴたりと止まる。

「どういう事?」

 身を乗り出す霊夢に釣られて、魔理沙も串を口にくわえたまま顔を突き出した。

「推測の域を出ないが・・・恐らく、アンデッドは幻想郷に偶然迷い込んだのではない」

 2つの視線に、慧音は自分の視線をぶつけながら告げた。

「バトルファイトでどのアンデッドが勝利しようと、その結果は幻想郷には及ばない。そんな空間が存在してはバトルファイトそのものが成り立たなくなってしまう。だからアンデッドを送り込み、直接幻想郷を滅ぼしに来たのではないか、とな」

 霊夢と魔理沙は思わず顔を見合わせた。

「一真の話によると、アンデッド達は外の世界の博麗神社にそろって移動したらしい。最初から神社を目指していたのなら辻褄は合う」
「ちょっと待ってよ。するとアンデッドどもは幻想郷の存在を知ってたって事? 結界の存在自体、そうそう見破れるもんじゃないわよ?」

 疑問をぶつける霊夢に、慧音は首を横に振る。

「いいや。アンデッドにはそんな事まではわかるまい。恐らく気づいたのは、バトルファイトを牛耳る黒幕だ」
「黒幕? 誰よそれ?」

 いよいよ詰め寄る霊夢。魔理沙もさらに身を乗り出しつつ、

「お前さっき、アンデッドが送り込まれたって言ったな? その送り込んだって奴の事か。何者だよ?」

 2人の顔を交互に見、慧音は1つ息をついてから口を開いた。

「『統制者』だ」

 一瞬の沈黙。

「統制者?」 

 霊夢と魔理沙は異口同音に慧音の言葉を反復した。

「統制者は、数億年もの昔に当時の生物達の『他の種族よりも優れた生き物に進化したい』という思念によって生まれた、精神だけの存在だ」
「神様のようなものって事?」
「案外、幻想郷にいてもおかしくなさそうなやつだな」
「そうだな。さしずめ、進化の神という所か。その進化に対する意思からアンデッドが生み出され、地上で最も優れた種族を決める戦いを繰り返しているというわけだ」

 魔理沙はくわえていた串を皿に置いた。

「で、そいつが幻想郷の存在をかぎつけてアンデッドを差し向けてきたってわけか?」
「恐らくな。思うに、八雲紫が体調を崩した事で結界の効力が弱まり、幻想郷の存在を感知したのだろう。ちょうどその近くでアンデッドが解放されたので、それらを幻想郷に向かわせたのではないだろうか」

 霊夢と魔理沙は目線を下ろして黙り込んだ。やがて魔理沙が顔を上げ、

「なあ。その件、一度紫と相談した方がいいんじゃないか?」
「そうだな。もし真実だとしたら、こんな重大な事を彼女に知らせないわけにはいくまい。今すぐ行くとしよう」

 言うや否や、慧音は立ち上がった。

「え? 今から?」
「当たり前だ! 早くしろ!」

 まだあまり休んでないのに、と言おうとしたが慧音が即座に言い返したので霊夢は口をつぐんだ。玄関へ駆け出す慧音を呆気に取られた様子で見ている魔理沙を半眼で睨む霊夢。

「魔理沙・・・」
「しょうがないだろ」

 嘆息しながら慧音が食べなかった団子を口に入れ、魔理沙は置いていた帽子をかぶって立ち上がった。

「もう、人使いが荒いわね」

 霊夢も、だいぶ低くなった太陽を窓越しに見上げながら腰を上げた。


◇ ◆ ◇


「いてて・・・」
「大丈夫か、一真?」

 客室のソファに腰掛けた一真がうめく。顔や腕はあちこちが包帯や絆創膏で覆われ、いかにもケガ人らしい外見になっている。
 とりあえず手当てを受け、館の一室で休ませてもらっている。服は破れたり血がついたりしていたので、館に用意されてあった男性用の洋服をもらって着替えた。一真は背が高いものの細身なのでシャツは合うものがあったが、ズボンは咲夜が急いで裾上げをしてくれたそうだ(時間停止まで使ったらしい)。

「えらい目にあったな、お前。災難だったな」
「ん・・・」

 妹紅は別のソファの上で胡坐をかき、足に頬杖をついてむすっとしている。客室の内装は、絨毯やカーテンは赤だが壁や天井は白い。さすがにこんな所まで真っ赤にはしなかったようだ。小さい窓もあり、外は霧に阻まれた淡い色合いのオレンジの光が差し込んでいる。

「ったく、あのお嬢様は妹にどういう教育してるんだか。告訴ものだぞ、こんなん」
「幻想郷にも裁判所、あるのか?」
「いや、ないけど」

 一瞬表情を緩めるが、またすぐに顔をしかめる。

「行ってみたら顔が割れてるんだもんな。驚いたなんてもんじゃなかったよ」
「ああ・・・あれは俺もマジでビビった。顔はなんともないけど」

 そう言って両手で顔をぺたぺたと触る一真。

「変身してなきゃホントに死んでたろうな」
「洒落になってないっつうの。そういやあの鎧、ぼろぼろだったけど大丈夫なのか?」
「ああ。オリハルコンアーマーは自己修復するから、放っとけば勝手に直るよ」

 そっか、とつぶやいて妹紅は両腕を頭の後ろに組んでソファに背中を預けた。

「・・・妹紅、さっきはごめんな」
「まったく、ひやひやしたよ」

 顔を上に向けたまま答えると、一真はふっと笑った。

「そうじゃなくてさ、レミリアの前での事」
「え?」

 そう言われてきょとんとした。自分の昔の話を聞こうとした事を謝っているのだと、ほどなくして気づいた。

「ああ・・・別に気にしてないって。もう忘れろ」
「うん・・・でも、本当にごめん」
「・・・律儀だな、お前」

 目を合わせて、互いに微笑みを交わす。
 と、ドアがノックされた。2人がそちらへ顔を向けると、咲夜が扉を開けて入ってきた。

「具合はどうかしら?」
「ああ、大した事はないよ」
「ごめんなさいね。危ない目に合わせてしまって」
「全くだね」

 そう返すと、一真は妹紅を注意するように目を向けた。

「お詫びといってはなんだけど、夕食を用意しているわ」
「夕食?」

 言われて、一真は腹をさすった。

「そう言えば腹減ったな。それじゃ、ご馳走になっていいかな?」
「ええ。ただ」
「ただ?」
「お嬢様も一緒に食事して構わないかしら?」
「レミリア?」

 一真と顔を見合わせる。吸血鬼である彼女の食事という事は――

「ええ。お嬢様には紅茶をお出しするんだけど、嫌なら自分は遠慮すると仰っているわ」
「・・・ああ、大丈夫だ」

 妹紅が逡巡している内に一真がうなずいた。驚いて一真を見ると、目が合った。それで、『食事』の意味をちゃんと理解した上での返事だと直感した。

「わかったわ。もうすぐ出来るから、用意が出来たら呼びに来るわ」

 言って、咲夜は部屋の外へ出た。と、

「一真」

 ドアを閉める直前、その手を止めた。

「ありがとう」

 表情は変えなかったが感謝の言葉を一言だけ言って、彼女はドアを閉じた。



 テーブルに並べられた豪華な食事を見て、妹紅と一真はため息を漏らした。白いテーブルクロスがかけられた細長いテーブルの端にパンやスープ、そして何か肉のソテーといった見ただけで食欲をそそるような料理が並べられている。そのテーブルの反対側の端にレミリアが座っており、彼女の前にはカップが置かれている。わざわざ距離を取ったのは、彼女の食事である『紅茶』が見えないようにという配慮だろうか。

「本当は順に料理を持ってこないといけないんでしょうけど、そういうのは堅苦しいと思ってね」

 と、2人を案内した咲夜。彼女は椅子を引いて2人を座らせるとテーブルの傍らに立った。

「体は大丈夫?」
「あ、うん」

 2人が座った所でレミリアが尋ね、一真が頷く。

「危ない目に合わせてすまなかったわね。そのお返しに、咲夜に食事を作らせたわ。遠慮なく食べていってちょうだい」

 テーブルの上を示すレミリア。咲夜も2人を促す。

「さ、どうぞ」
「い、いただきます」

 両手を合わせてフォークとナイフを取り、切ったソテーを口に入れた。

「どう?」
「美味い! すげえ美味いよこれ!」

 まだ飲み込まないうちに感嘆の声を上げる一真。

「君、料理上手なんだな」
「それほどでも」
「いや、ホントに美味いよ。これ何の肉? 牛や豚じゃなさそうだけど」
「鹿肉よ」
「・・・鹿ね・・・」

 数時間前に仕留め損ねたアンデッドが脳裏に浮かんだが、今度こそ封印してやると気合を入れつつ肉を食べ続ける。
 と、ふと横を見ると妹紅は手を動かしていない。ただ呆然としたように料理を見ているだけだ。

「妹紅、どうした? 食べないのか?」
「い、いや、すごい美味そうなんだけど、その・・・」

 困ったように頬を指で書きながら、一真の手元を見る妹紅。それを見て、咲夜が妹紅の顔を横から覗き込む。

「フォークとナイフの使い方がわからないの?」
「・・・うん」

 恥じるようにうつむきながら頷く。

「今までずっと竹林の中に閉じこもってたし、里でもこういうのは食べた事無いんだよね・・・」
「ごめんなさいね、そこまで気が回らなくて」

 咲夜はそう言って、妹紅の左右に置かれたフォークとナイフを取った。

「こっちがナイフでこっちはフォーク。ナイフは右手、フォークは左手で持つのよ」
「こ、こう?」

 言われるままにフォークとナイフを持たされる妹紅。

「そうよ。それで、フォークをお肉に刺して――」

 咲夜に教えられながら、ぎこちない手つきで肉にナイフを入れる妹紅をレミリアは楽しそうに見ている。

「よかったじゃない、長生きしてきて初体験が出来るなんて」
「は、話しかけないでくれ」

 妹紅は少し緊張したような顔で肉と格闘している。レミリアはちょっと首を傾げ、

「何か初体験をするといい事があるとか聞いた事あるけど、どんなだったかしら?」
「初物を食べると寿命が75日伸びる、ですか?」

 妹紅の横に立つ咲夜が答える。

「これは初物とは違うだろ。だいたい私は蓬莱人なんだから寿命伸びるとか関係ないっての」
「あら、そうだったわね」

 くすくすと笑うレミリアと、なかなか肉が切れずにむきになりつつある妹紅。一真と咲夜はお互い、笑うに笑えずばつの悪そうな表情で顔を見合わせた。レミリアがカップに口をつけるのとほぼ同時に、妹紅がようやく切れた肉を口に入れた。

「ん、美味い!」
「だろ?」

 レミリアのカップをあまり見ないようにしながら、妹紅に声をかける一真。彼女はもう一切れを食べ、別の皿を見て咲夜に顔を向けた。

「他のはどうやって食べればいいかな?」
「ライスはフォークですくって、サラダは刺すの。左手で使いにくいならナイフを置いて右手に持つといいわ。スープはスプーンを使ってね」

 丁寧に教えている咲夜に、一真はふと気になった事を聞いた。

「君は食べないの?」
「私は後でいただくわ。気にしなくていいわよ」

 そうやって2人ともしばらく食べる事に集中した。
 一真はアンデッド2体とフランを相手にした後だったし、妹紅も長い人生で初めて食べる洋食を楽しんでいる(もちろん最大の功労者は咲夜である)。やがて短時間で2人とも料理を平らげてしまい、2人の前には食後の紅茶が出された。

「今度は時間しくじってないわよ」

 ソーサーに乗せられたカップをテーブルに置く時に自信有り気な顔でそう言う咲夜に、妹紅と一真は苦笑いした。じーっとこちらを注視する彼女の視線に妙なプレッシャーを感じつつ、2人は紅茶をすすった。

「美味しい」
「私も」

 それを聞いて咲夜は満足そうに笑みを浮かべた。

「おかわりは何杯でも持ってくるわよ」
「う、うん、ありがと」

 急ににこやかになった咲夜と、彼女にやたらへこへこと頭を下げる2人を見てレミリアが笑った。

「咲夜の料理はどうだったかしら?」

 今、彼女の前には何も置かれていない。

「うん、すごく美味しかったよ。すっかりご馳走になっちゃったな」

 カップをソーサーに置いてレミリアに笑顔を返す一真。

「ま、一真に怪我させたお詫びなんだから当然だけどな」
「あなたの胃袋にも納まったのよ?」
「・・・やぶへびだったな」

 意地の悪い笑顔のレミリアから目を逸らして紅茶をすする妹紅。それを聞いた一真が首を傾げる。

「やぶへびってなんだっけ?」
「藪をつついて蛇を出す。余計な事をして状況を悪化させる事よ」

 と、咲夜。

「そんなことわざだったっけかなあ?」

 しきりに首をひねる一真に咲夜はこっそりと嘆息し、妹紅も額に手を当てた。

「けどさ、あの妹様とやらは何考えてんだよ? 止めるのがあと少し遅かったら本当に死んでたかも知れないんだぞ?」
「どうも本人は遊びのつもりだったみたいだぞ。友達も遊び相手もいないって言ってたな」

 怒りを含んだ妹紅の言葉に、一真がなだめるような調子で口を開く。レミリアは椅子に頬杖をついて、

「そりゃそうよ。あの子は生まれてから495年間、館どころか部屋の外に出た事もないんだから」
「495年!?」

 妹紅は思わず大声を上げた。彼女も蓬莱人として約1300年の時を生き、そのうち約900年を竹林の中で孤独に過ごして来た。だがそれは俗世に身を置く事に耐えられずに自ら引き篭もったのであり、フランのように閉じ込められたのとはわけが違う。それでも時折、人恋しくなる事はあった。フランが遊び相手に餓えるのも無理はない。そう考えると急にフランに対して同情が沸いてきた。

「なんでそんなに閉じ込めてるんだよ?」
「あの子、生まれつき『ありとあらゆるものを破壊する程度の能力』を持っていてね。とにかく理屈抜きでどんなものでも欠片も残さず破壊できるの。この間なんて、地球に向かってきた巨大隕石を木っ端微塵にぶっ壊したわよ」

 妹紅と一真は顔を見合わせた。互いに強大な力を目の当たりにしたことがあるが、それらとは破壊力のスケールが違いすぎる。

「だけど昔から手加減てものを知らなくてね。人間を襲おうとすると血の一滴も残さず消し去ってしまうのよ」

 レミリアは腕を組んで天井を見上げた。

「しかも考え方がまだ子供なものだから、人も物も遊び半分で破壊しつくしてしまいかねないのよ。そんなんじゃ外に出せないわ。母からは気が触れているように見えたらしいわね」

 そしてゆっくりと顔を下ろし、妹紅と一真に視線を定める。

「ひどい姉だと思うでしょうね。でもそうしないと冗談抜きで地上には何も残らなくなるわ。あの子はその気になれば地球だって破壊できると思うわよ・・・あ、これあの子に言っちゃ駄目だからね。ホントにやりかねないから」

 人差し指を口に当てる仕草はとても可愛らしいが、2人とも目線を下げてしまった。
 しばらく沈黙が続いて、一真が顔を上げて口を開いた。

「なあ、レミリア」
「何かしら」
「俺、フランの遊び相手になってあげたいんだけどいいかな?」

 レミリアは目を丸くして、妹紅と咲夜も彼に驚いた顔を向けた。

「・・・本気で言ってるの? 今日だって死にそうだったじゃない」
「そうだけど・・・でも、そんなの可哀相じゃないか」

 真剣な表情を作るレミリアを真っ直ぐ見返して一真は言った。

「人間でも子供ってたまに変な事をして怪我したりさせたりするけど、そういう事は周りの大人が気をつけて、それはやっちゃダメだ、でもこれはいい、ってちゃんと教えてやらなきゃいけないもんじゃないのかな?」
「もっともだけど、あの子の場合、本当に命がけよ」
「だからって誰も何もしないままじゃ、それこそいつまで経ってもフランは外に出せないだろ? 吸血鬼の寿命がどれくらいか知らないけど、お前、このまま自分の妹を死ぬまで館の中に閉じ込めておくつもりか?」

 そう言われて、レミリアはかすかに苦い表情を浮かべた。

「妖怪にも妖怪の社会があるんだろ? 人間も妖怪も1人じゃ生きていけないんだ。ちゃんとみんなと生活できるようにならなきゃ」

 幻想郷は全てを受け入れると咲夜は言った。それはとても残酷な事だとも。ならば、フランだって受け入れる事が出来るはずだ。

「そういうのは友達がいないとわからないんだ。フランに友達がいないなら、俺がなる」

 一真自身も友達が出来なくて寂しい思いをした事がある。フランには自分と同じ寂しさを味わってほしくない。
 それに一真には、友達でいたいと思うアンデッド――始がいる。
 始は人間社会の中で誰にも正体を明かす事が出来ずにいて、それもあって他者と関わりを持つことに消極的だ。世話になっている家の少女・天音にだけは心を開いていて、彼女もまた、父親を亡くした直後に出会った始に好意を抱いている。しかし彼女にもその正体は秘密にしている。表に出した事はないが、正体を隠している事の後ろめたさやそれが露見する事の不安などを抱えているのかも知れない。
 だが始がいた事で彼女の家がアンデッドに狙われた事があり、これ以上彼女をアンデッドとの戦いに巻き込まないように、彼はその家を去ろうとした事がある。しかし結局彼女達はまたもアンデッドに狙われ、始は彼女達を守るために家に戻った。その時に戻るように説き伏せたのが一真だ。始なりに思い悩んだようだが、そういう他者を思いやる気持ちこそが人間らしさだと一真は思っている。
 彼女の存在が始に人間らしい心を与えている事は明白だ。アンデッドだって人間と関わる事で人間らしく変わることが出来る。フランだってきっと変わっていけるはずだ。そして自分も彼と――始と心を通わせられるはず。それを信じている――信じたいから、フランを放っておいてはいけないのだ。

「面白い人間だとは思ったけど・・・本当、呆れを通り越して笑っちゃうわ」

 妖しい微笑を顔にたたえ、レミリアがつぶやいた。

「そこまで言うなら今後もあの子に会わせていいわよ。その代わり、命の保障は出来ないけれど」

 一真を見下ろすように上半身を背もたれに預け、腕を組む。

「粉微塵にされても知らないからね」

 右の手の平を上に向け、少し顔を背けながら言った言葉に、一真は背筋に少し冷たいものを感じた。

「・・・な、なんとかなるだろ」

 一真はちょっぴり顔を引きつらせながらも、

「そ、それじゃ、明日また来るから。夜に」

 そう言って紅茶をごくごくと飲み干した。
 最後まで決めろよ、と思いながら妹紅はため息をついた。

(ま、こいつらしいわ)

 少し頼りないが、呆れるほど真っ直ぐ。よくもここまでストレートな性格でいられるものだと感心するほどに。だが妹紅は意外だとは思わなかった。自分も、フランの事を他人事に思えなかったからだろうか。
 そして気づいた。今の一真の発言でレミリアと咲夜の、一真を見る目が明らかに変わった事に。
 薄く笑みを浮かべながら、妹紅も紅茶を飲んだ。なぜか、さっきよりも美味しい気がした。


◇ ◆ ◇


 夕焼けに染まる丘の上、屋敷の縁側に腰掛ける紫は慧音・霊夢・魔理沙に囲まれながら憂いの表情を浮かべていた。

「今回の異変はそういう事だったのね・・・」

 うつむき、ため息をもらす。

「幻想郷は人間と妖怪が共に暮らす理想郷。確かにここは、生存競争をやめてしまった空間と言えるわ。それがアンデッドに狙われる原因だなんて・・・」

 慧音からアンデッド侵入の目的を聞かされた彼女の表情は、霊夢も魔理沙もこれまで見た事がないほど悲しげなものだった

「しかし、ちょっと待って欲しい」

 廊下から現れた藍がお茶を載せた盆を縁側に置き、紫の横に立って慧音に相対した。

「その統制者とやらが幻想郷を滅ぼそうとしているとして、なぜアンデッドを差し向けるという回りくどい手段を使うのだ? アンデッドを作り出すほどの力を持つのなら、直接介入を行えるのではないか?」

 縁側の上に立つ藍が、自然と地面に立つ慧音を見下ろす形になる。慧音は一歩進み出て藍の顔を見上げた。

「統制者は確かに神と呼ぶべき存在だ。しかし人類が繁栄する以前から存在しているため、その存在のほとんどが人間ほど知能が発達していない生物の思念で構成されている。だから人間が崇める神と違って、はっきりした形を持っていない。それゆえ生物の進化以外の事に対して力を行使する事が苦手なのだ」
「・・・どういう意味だ?」
「どういう意味?」

 魔理沙が隣に座る霊夢に聞き、霊夢は更に隣の紫に尋ねた。

「人間が神を信仰する場合、風の神だとか戦いの神だとかいう風に、はっきりした形をイメージしながら信奉するものでしょ? 精神的な存在は、重要なものだと生き物にはっきり認識されて力を得るものなの。私だって『境界』という概念に対する様々な精神活動から生まれた妖怪だしね」

 『境界』という物体・物質はこの世に存在しない。人間が社会を構築するに当たって、領域というものを重要視するようになったために発生した概念。
 区別、種類、分類、系統、所有地、国境、国籍、人種。
 本来物理的にはなんの制約ももたらさないはずのそれが、時に生死さえ分かつ境目となる。そういった境界のもたらす力が具現化した存在、それがスキマ妖怪なのだ。

「だけど動物にはそんなイメージなんかできないからね。進化したいという意思はあっても、進化の神様がいるなんて思っている生物はほとんどいないのよ。だから浅く広くしか力が集まらず、強大ではあるけどちょっと不器用な存在になってしまっているの。それで自分の創造物であるアンデッドを使役して事を済ませようとしているのよ」
「ふーん・・・」

 なんとも気の抜けた返事をする2人。紫が説明し終わった所で慧音が再度口を開く。

「それにバトルファイトを管理しているのは、正確には統制者ではない」
「では、なんだ?」
「『モノリス』だ」
「モノリス?」

 藍は両手をそれぞれ左右の袖に差し入れつつ聞く。

「モノリスは、意思というものを持たない統制者がバトルファイトの管理のために作り出した代行役のような存在で、統制者の定めたルールに従ってアンデッドの封印や解放を行っている」
「式のようなものか?」
「そうだな、統制者の式と言っていいだろう。お前と違って自分自身の意思は持っていないが」
「それならば統制者の命令以外の行為は行えないはずだな? それがアンデッドを幻想郷へ差し向けることができるのか?」

 慧音は握った左手を腰に当て、右手の人差し指を立てた。

「その答えは簡単だ。最初からそういう命令が組み込まれているのだろう」
「そういう命令とは?」
「バトルファイトの影響が及ばない異空間の存在を認めた場合、その空間を滅ぼすという命令だ」
「過去、その命令が実行された事は?」
「ない。これまで、そういった異空間が存在した事がないからな」
「では、その命令が実行されるのは今回が初めてという事か?」
「その通り。我々は今、歴史的な事件の渦中にいるのだ」

 藍は腕を解き、片眉を吊り上げながら手をあごに当てた。

「だがアンデッドの幻想郷侵入が本当に統制者――もしくはモノリスの仕業だという証拠はないのだろう?」
「確かに。だが6体ものアンデッドが同時に幻想郷に入るなど、そんな偶然はそう起こらないだろう」
「確率が非常に低い事は認めよう。統制者の存在や、幻想郷の存在がバトルファイトの障害になる事もな。だが、それらを結びつけるものはない」
「でもねー。私、慧音の言う通りなんじゃないかって気がするのよ。なんとなくだけど」

 お茶をすすっていた霊夢が2人の白熱した議論に口を挟んだ。

「藍の言う事ももっともだけど、慧音の言う通りである可能性は否定できないわ。いずれにしても、結界の修復を急がないといけないわね」

 紫はお椀を持った手をひざの上に置いた。

「結界に多少揺らぎが生じている程度で幻想郷内部に影響はないからと放っておいたけれど・・・ちょっと荒療治する必要があるかもね」

 うんざりしたような表情を軽く浮かべ、ため息をつく。その顔を上げて慧音に向ける。

「感謝するわ、慧音。わざわざ出向いてもらって済まなかったわね」
「いや、役に立てたのなら何よりだ」

 慧音は紫に軽く笑いかけた。

「では私はこれで。あまり里を空けるわけにはいかないからな。2人とも、今日はありがとう」

 紫に小さく頭を下げ、霊夢と魔理沙にも一言かけてから最後に藍に向き直った。

「藍と言ったか。お前とは今度ゆっくりと話がしたいものだ」
「そうだな。折を見て訪ねるよ」
「紫、大事にな」
「ええ、ありがとう」

 最後に紫にそう言うと、慧音の体はふわりと浮き上がり、里の方向へと飛び去っていった。

「・・・あの2人の会話にはもう付き合いたくないな」
「本当。想像しただけで頭痛くなりそうだわ」

 苦笑いする魔理沙と、渋い表情の霊夢だった。

「私達も帰りましょ」
「ああ、そうしよう」
「それじゃあね、紫」
「ええ、お疲れ様。2人とも」

 2人も連れ立って、博麗神社のある南の方向へ飛んでいった。程なく小さくなっていく2人を見ながら、腕を組んだままだった藍は紫に語りかけた。

「さすがは歴史の聖獣、あれほど淀みなくすらすらと答えられるとは。ボロを出させるつもりでいたのですが」
「なんだか嬉しそうね」
「ああいう会話の出来る者は紫様以外では初めてです」

 微笑みあっていた紫と藍だったが、きっと藍の表情が引き締まった。

「それで、どう思われますか?」
「調子が万全だったらどうとでもできるんだけど」

 膝に肘をつき、浮かない表情を浮かべる紫。その美しい顔を照らす黄昏の光は暗くなり始めていた。昼と夜の境界の時間が終わり、幻想郷に夜が訪れようとしている。

「しょうがないわね。疲れるの覚悟で結界を強化しないといけないかも」
「それをすると、現在の紫様の状態では数ヶ月ほどお休みになる必要があると思いますが」
「やむを得ないわ。藍、準備してちょうだい」
「かしこまりました」

 恭しく頭を下げ、藍は館の中へ姿を消した。


◇ ◆ ◇


「すっかり世話になっちゃったな」

 ホールの階段を下りながら、先を歩く咲夜に声をかける一真。

「構わないわよ。たまには来客があった方が楽しいから」

 階段を下り、咲夜が開いた玄関の扉を妹紅と一真がくぐると、外はすっかり夜の帳が下りていた。空には満月まであとわずかというほど満ちた月が雲の隙間から輝きを放っている。

「すっかり遅くなっちまった。今日はもう帰るか」
「うん」

 話しながら門まで歩く3人。

「美鈴、門を開けてちょうだい」
「あ、はーい」

 咲夜が門に向かってはっきり通る声を上げると、返事がした数秒後に門が開かれた。

「あ、お帰りですか」

 門の向こう側から顔を出した美鈴が愛想のよい笑顔を浮かべる。にこやかなその表情を見て、彼女を妖怪だと思う者はいるまいと考えながら一真は頭を軽く下げた。

「どうも。お世話になりました」
「いえいえ。あ、ところで・・・」

 美鈴が後ろに目をやる。一真が覗き込むと、美鈴の後ろから大妖精がひょこっと顔を出した。

「あ、君はさっきの・・・」
「ど、どうも・・・あの」

 大妖精はおどおどした様子で美鈴の陰から姿を現し、一真と妹紅に頭を下げた。

「さ、さっきは助けてくれてありがとう」
「ああ、いいんだよ。ケガはなかった?」
「はい。チルノちゃんももうなんともないです」
「そっか。それはよかった」

 にっこりと笑顔を返す2人。

「えっと、それで・・・あの・・・こ、これ」

 彼女は後ろに持っていた包みを2人に見せた。

「知り合いの夜雀が作った八目鰻の蒲焼です。良かったら・・・」

 差し出された包みからは食欲をくすぐる匂いが漂っている。

「ほら、もらっとけよ」

 逡巡していた一真の背中を妹紅が肘で押す。

「わかった。いただくよ」

 包みを受け取ると、大妖精はうれしそうに笑った。

「それじゃ・・・あの、本当にありがとうございました!」

 また頭を深く下げ、大妖精は飛び去っていった。

「話は聞きましたよ。やるじゃないですか。妖精が礼を持ってくるなんて、すごく珍しいんですよ」
「ええ、私も初めて見たわ」

 にこにこしている美鈴と、小さく口元を緩める咲夜。

「それじゃあ、行きましょうか」

 咲夜に促され、一真は留めておいたブルースペイダーのスタンドをたたむ。

「あ、それ磨いておきました。時間があったので」
「本当? 悪いな」
「いいんですよ」

 両手を振る美鈴。自分が倒したせいで汚してしまったなどとは言えない。それを見透かしたように咲夜は彼女を半眼でにらんでいる。

「それでは、またいらっしゃってくださいね~」

 その場を後にする3人に大きく手を振る美鈴。

「いい人だよな」
「うん。人当たりがいいよね」
「なあ妹紅。あの人、どう思う?」
「ていうか人じゃなくて妖怪だよ、あいつ」
「え、知ってたのか?」
「言ったろ、妖怪退治してたって。だからそういう気配はわかるんだよ」

 妹紅はそう言い、歩きながら右手をポケットに手を入れて左手で火の玉を作り、それを前を歩く咲夜に先行させるように前進させる。

「あの門番、実は結構強いんじゃないか?」
「そうでなければ門番にはしないわ。抜けてるけどね」

 背中に受ける言葉に咲夜は振り向かずに答え、ちょうどそこで水辺に到着した。夜の闇に加え、立ち込める霧で一寸先も見えない状態だ。

「それじゃ、向こうまで連れて行くわ」

 咲夜が一真とブルースペイダーを浮かせ、3人は湖上を飛んで湖畔へ降り立った。

「じゃあ明日の夜も来るから」
「どうやって? あなた、飛ぶか泳ぐかしないと島まで入れないわよ」
「・・・迎えに来てくれないかな?」
「いいけど・・・じゃあ、ここから館まで何か合図を送る? 花火でも上げればわかるでしょうけど」
「あ、じゃあこれならどうだ?」

 プーーーーーッ!

「うわ!?」

 急にブルースペイダーから鳴り響いたクラクションの大音響に、妹紅と咲夜は慌てて耳をふさいだ。

「着いたらこれ鳴らすからさ」
「・・・いいわ、それを聞いたら私が迎えに来てあげる」

 耳を押さえたまま、一真をにらみつけながら凄絶な笑みを浮かべて咲夜は答えた。

「いきなりでかい音鳴らすなよお前・・・」
「あはは、悪い悪い」

 妹紅は咲夜と違い、抗議の意をあらわにしている。

「ああそうそう、忘れる所だったわ。預かっていたアクセサリーを返すわね」
「あ、そういえば」

 ポケットから指輪やペンダントを取り出し、一真に渡す咲夜。それらを指や首につけた一真はヘルメットをかぶってブルースペイダーにまたがった。

「じゃあまた明日の夜な」
「ええ、待っているわ」
「レミリアとフランにもよろしく言っておいてくれ」

 妹紅が車体に結ぶつけていた風呂敷で大妖精にもらった包みを腹に巻きつけてから一真の後ろに乗り、2人はブルースペイダーにまたがった。

「じゃあな!」

 手を上げて一声、ブルースペイダーはエンジン音と共に暗い霧の中へ消えていった。
 2人が去ったのを見届け、咲夜はふわりと自らの体を浮遊させた。霞の中を突っ切り、そのまま飛んで館の門の前に着地する(一真達を門の前まで運ばなかったのは面倒だったのと、自分の能力を安売りしたくなかったからだ)。

「あ、咲夜さん。今何か音がしたんですけど」
「美鈴、彼がまた明日来るわ」
「あ、そうなんですか?」
「ええ。湖に来たら今の音を鳴らすから、聞こえたら私を呼びなさい」
「わかりました」

 敬礼のポーズを取る美鈴の脇をすり抜け、館の中を奥へ進み、レミリアのいる部屋へ入る。

「お嬢様、一真と妹紅は帰りました」
「ご苦労様」

 ソファに座って窓に映る月を眺めるレミリアに折り目正しく頭を下げる咲夜。

「いかがでしたか?」
「なかなか楽しかったわ」

 妖しく笑みを浮かべ、月を見上げたまま答える。

「お嬢様、本当によろしかったのですか?」
「フランの事?」
「はい。今日はたまたま命拾いしましたが、明日も同じようになるとは限りません」
「そうねえ、とりあえずフランに念入りに釘を刺しておくとしましょう」
「それはそれで大丈夫でしょうか?」
「大丈夫よ。だって」

 レミリアは咲夜へ顔を向け、

「『友達が遊びに来る』のよ。たいていの事は聞くでしょ」

 そう言ってまた窓へ目を戻し、椅子に頬杖をつく。

「まったく、仕事ばっか増やしてあの妹ときたら」

 嘆息する主を見て、咲夜はふっと微笑んだ。

「お嬢様、嬉しそうですね」
「そう?」
「はい」

 寄り添うように椅子の後ろに立ち、咲夜も月を見上げた。


◇ ◆ ◇


 夜の幻想郷に存在を示すように、エンジンがけたたましい音を立てて走る。月とライトが照らす夜道を疾駆するブルースペイダーの上で、妹紅は月を見上げていた。

「なあ妹紅、八目鰻って美味いのか?」
「ああ、たまに慧音が持って来てくれるんだけどいけるよ。今日はこれで一杯やろうか」

 右手を一真の前へ伸ばし、人差し指と親指で杯を傾ける仕草をする。

「お、いいな! ってお前、酒飲んでいいのか?」
「忘れたのか? 私はお前より年上なんだぞ」
「あ、そうだったそうだった」

 妹紅が時々方向を指示して、一真はそれに従ってブルースペイダーの進路を変える。

「妹紅、幻想郷っていい所だな」
「・・・そう?」
「うん」

 即答する一真。

「・・・そうか。よかったな」

 そう言って、再び月を見上げる。
 今日、紅魔館で彼に何かあったようだ。多分、咲夜あたりから何か聞いたのだろう。そのあたりは酒を飲みながら聞いてみようと考えて、昼間彼が昔の自分のことを聞きたがっていた事を思い出した。

(飲みながら話してやろうかな)

 あの時は急に聞かれたので戸惑ってしまったが、その事を気にしていないという事を彼に理解してもらうにはそれが一番いいだろう。慧音とならそういう話もした事があるし、どうということはない。考えてみれば、彼の事について昨日の夕食の時に聞かせてもらったのに自分が話さないのは不公平だ。知らず、妹紅は家に帰った後の事が非常に楽しみになっていた。
 月下を走るバイクの上、2人の家路は穏やかだった。


◇ ◆ ◇


 漆黒の闇が覆う森の中、木の根元に座り込んでいる大きな影が1つ。

「フゥー、フゥー・・・」

 影――ディアーUは何時間もその場所で息を潜めていた。昼間、小さい生き物を襲おうとしていた所に現れたブレイド。水辺での戦いに持ち込んでブレイドの動きは封じることができたが、一緒にいた女に深手を負わされてしまった。女に落雷を見舞い、どうにか逃げ切る事ができたが傷は深く、未だに治りきっていない。それで森に逃げ込んで自らの体が回復するのをおとなしく待っていたのだった。

「・・・!」

 と、不意に殺気。

 ザンッ!

 ディアーUがジャンプした直後、後ろの木が倒れた。完全に水平な切り口を作り、切断された木は幹と切り株に分離させられた。

「避けたか。そう来ないと張り合いがない」

 切り倒された木の陰からウルフUの姿が現れる。木が倒れた事で月の光が森の中に差し込み、ウルフUの腕の刃がぎらついた。着地したディアーUはすでに2本の七支刀を抜き放っている。

「フゥゥゥ・・・」

 小さくうなるディアーUをにらむウルフU。彼も昨日ブレイドに受けたダメージの回復を1日待っていたが、その間何もしていなかったわけではなく、意識を集中させてアンデッドの気配をずっと探っていた。そしてディアーUとイーグルU、ついでにアンデッドのようで少し違う気配が戦っているのを感じ取った。戦いが終わった後は気配は察知できなくなったが、どこにいたかは大体わかる。まずはカテゴリーの低いディアーUから倒そうと、その気配が消えた付近を探し回っていたのだ。
 そして夜になってようやく目当てのものを見つけ、今に至る。

「ハァァァッ!」

 向かい合っていた2体のアンデッドは同時に跳躍し、森の中の狭い空間で爪と七支刀が交差する。
 七支刀の片方が弾き飛ばされ、ディアーUはバランスを崩して地面に落下した。
 両足で着地したウルフUは即座に地面を蹴り、ディアーUに爪を振るう。飛び上がり、間一髪それをかわしたディアーUは木の枝に乗り、大きな角を発光させた。
 雷鳴が轟き、光の筋が雲から森の中へと伸びる。雷に打たれる直前、それよりも早く、正に電光石火の動きで木の上へ飛び上がったウルフUは左腕の刃でディアーUの胸をかき切り、腹を蹴りこんで地面へ叩き落とした。
 カテゴリー6とカテゴリーJでは地力に差がある。しかもウルフUのケガはほとんど治っているのに対し、ディアーUのダメージはまだ抜け切っていない。悠然と木から飛び下りたウルフUは、のろのろと立ち上がろうとするディアーUを見下ろした。

「この勝負・・・オレの勝ちだ!」

 爪を突き立てんと右腕を振り上げた刹那――
 2体の耳に、何かが風を切る音が聞こえた。

「――!?」

 咄嗟に両腕で頭と上半身をガードした直後、2体の周囲に火花が飛んだ。見ると、地面や木に黒い爪が突き刺さっている。
 意識を周りに向けると、上方に気配を感じた。見上げた先には、木が倒れて出来た葉の切れ目から月の中に影が見えた。翼を持ったその影――イーグルUは素早く森の中へ降り立ってきた。

「その勝負、私が預かった」
「何のつもりだ?」

 急に現れたイーグルUに対し、ウルフUは敵意と不快感をあらわにした。戦っている気配を感じ取ってきたようだ。さらにディアーUが落雷まで使ったのだから目立って当然であろう。
 と、ウルフUはイーグルUの翼が片方、破損している事に気づいた。

「フン、貴様もライダーにやられたのか?」
「いや、ライダーですらないこの世界の人間だ」

 それを聞いたウルフUは笑い声を上げた。

「ハハハ! 上級アンデッドともあろう者が情けない事だな!」
「この世界を甘く見ない方がいい。貴様も足元をすくわれるぞ」

 そう言われてブレイドの仲間だった妹紅とかいう女の事を思い出し、ウルフUは口をつぐんでしまった。

「それで、何をしに来た?」
「お前達に面白い話を持って来た」
「何?」
「ふふふ・・・」

 怪訝そうな声を上げるウルフUと、油断なく構えているディアーUを見て、イーグルUは笑い出した。。

「ははははは・・・!」

 真っ暗な森の中に不気味な笑い声が響き渡った。


◇ ◆ ◇


 朝霞の中に木漏れ日が幾重にも光のカーテンを張る。山際から姿を見せた太陽は深い山の中も明るく照らし出していた。
 どんなものにも、朝は平等にやって来る。幻想郷にも、外の世界にも。
 鳥の鳴き声が何度も響き渡る霞の中に、朽ち果てた神社が構えていた。傾き、黒ずんだ鳥居の上に山鳥が留まり、鋭い泣き声を上げる。
 と、木々の間から聞こえる小さい異音に山鳥はぴくりと反応を示した。その音は少しずつ大きくなり、音の源が近づいてきていると気づいた山鳥は鳥居から飛び去り、木立の中へ消えていった。程なくして、その場に1台のバイクが現れた。バイクの運転者は鳥居の近くで止まり、ヘルメットを脱いだ。

「・・・・・・」

 ヘルメットを取った若い男は鳥居をしばらくにらみ、そしてつぶやいた。

「ここか・・・」




――――つづく




次回の「東方永醒剣」は・・・

「その乗り物、一真のに似てるわね」
「じゃ、俺、紅魔館に行って来るから」
「やはりそういう事か・・・」
「貴様の相手はオレだ!」
「変身」
「運命からは逃れられんぞ・・・」
(その願いが叶うといいな・・・)

第6話「宿命~Inevitable destiny」



[32502] 第6話「宿命~Inevitable destiny」
Name: 紅蓮丸◆234380f5 ID:d3c4d111
Date: 2012/10/26 11:47
 巫女さんの朝は早い。
 木の葉から朝露が滴る博麗神社。霊夢は境内を掃除していた。紅葉や銀杏の落ち葉を箒で掃き、境内の隅へ寄せていく。
 赤や黄に色づいた美しい葉は見る者の心を楽しませてくれるが、地に落ちてしまうと見る影もない。だが、そうでなければ紅葉は風情がない。

(1日に何度も掃き掃除しなきゃいけないのは面倒だけどね)

 と思いつつ霊夢は落ち葉を集めていく。この季節は特に落ち葉が多いから、うんざりもする。
 朝食後に博麗神社の境内を掃除するのが彼女の日課である。自覚は薄くとも、巫女としての職責は全うしている・・・と言えばまだ聞こえはよいが、単に自分の家だからというだけだったりする。参拝客が絶無なので、掃除しなければ困るのは実質自分だけなのが物悲しい。
 あらかた落ち葉を集めきった霊夢は箒を持ったまま大きく伸びをした。

「ん~・・・っと。お茶にしようかしら」

 つぶやき、うず高く積もった葉っぱの山を後にする。掃除の後に縁側でお茶を飲むのもまた日課。昨日、魔理沙から年寄りくさいと言われたばかりだが、そんな事を気にするほど繊細な神経は持ち合わせていない。
 自分でもそう思っていたのだが。

「・・・・・・」

 昨日の事、と考えて慧音と紫の話を思い出し、ふと足を止めた。
 これまで彼女は『紅霧異変』『春雪異変』『三日置きの百鬼夜行』『永夜異変』と数々の異変を解決してきた。しかし、それらのほとんどが幻想郷の生物に重大な影響を与えかねない規模でありながらも、首謀者の割と個人的な野心や事情が起因するものだった。
 だが、今度のアンデッドの件はそれらとは根本から性質が異なる。最初から幻想郷の生き物を根絶する事が目的なのだ。もっとも、これは慧音の推測に過ぎない――が、霊夢の勘はそうは言っていない。彼女のそれは良く当たる。いいものにせよ、悪いものにせよ。
 本来ならばこれまでと同じく、彼女が異変の元凶を叩かねばならない。だが、彼女にはアンデッドを封印する事は出来ない。唯一の対抗手段を持つ人物・一真に頼る他ないのだが、彼でさえ今回の事態を彼女ほど深刻に考えてはいまい。長くない人生でこれまで悔しいなどと思った事はほとんどないが、今回に限っては自分が動いても事態は動かず、状況をちゃんとつかめていない者に任せなければならない事が悔しく、歯がゆい。
 無意識に箒を強く握り締めていた。
 昨日戦ったイーグルUも、手強い相手には違いないが勝てないとは思わない。だからこそ、封印できない事が余計に腹立たしい。

「・・・考えてもしょうがないか、こんな事」

 ため息を吐く。神社裏の壁に箒を立てかけ、縁側に上がるべく靴を脱ごうとした時。

 ブォン!

「ん?」

 今しがた自分が来た境内の方から聞き慣れない――だが、つい最近どこかで聞いたような――音がした。踵を返して境内へ向かった。急がず、のんびりゆっくりと。近づくにつれ、低く唸るような音が聞こえてくる。そして境内に着いてみると、これまた見慣れないが最近見かけた物と似ている物体が鳥居の真下にあった。車輪が2つついた、バイクとかいう乗り物。それにヘルメットをかぶった男がまたがって周りを見ている。

「あなた、誰?」

 その男は霊夢の声に気づき、顔を彼女へ向けた。

「ここはどこだ?」
「聞いてるのはこっちなんだけど・・・ここは博麗神社よ」

 彼の方へ歩を進める。男はヘルメットのバイザー越しに霊夢をきっとにらんでいる。警戒されているようだが、敵意というほどではない。

「あなた、外来人でしょ。それ、一真のにそっくりね」

 バイクに目を向けながらそう言うと、男の顔色が変わった。

「一真・・・?」

 その態度に霊夢が顔を上げると、男はヘルメットを取ってその素顔を晒した。

「剣崎を知っているのか?」


◇ ◆ ◇


 魔法使いの朝は早い。
 魔理沙は早寝早起きが信条である。今日も朝から魔法の森の奥に構えた自宅を元気よく箒で飛び出し、博麗神社へ向かっていた。のんびり屋の霊夢の事だからまだ家にいるだろう。行けば大抵お茶にありつける。

「魔理沙!」

 そんな事を考えながら空を飛んでいると、森の切れ目の上空あたりで呼び止められた。聞こえてきた下方を見やると、人影が森の中から浮上してきた。

「よう、アリス。魔法の研究ははかどってるか?」
「よう、じゃないわよ。また異変なんですって?」

 飛んで来た少女は停止した魔理沙の横で止まり、人形のように美しい顔をしかめた。年齢は魔理沙と同じくらい、だが美しい顔立ちからこちらの方が大人びた雰囲気がある。スカート丈の長い青のワンピース、肩に羽織った白いケープにかかる金髪の頭にはリボンが巻かれている。
 彼女――アリス=マーガトロイドは魔法の森に住む魔法使いである。
 幻想郷において『魔法使い』という言葉は2つの意味で使われる。広義には魔法を扱う者全てを指し、この場合は魔理沙もアリスも含まれる。狭義、即ち本来の意味は妖怪としての種族名だ。魔理沙は人間だが、アリスはそれに該当する。さらに妖怪としての魔法使いには生まれついての者と、人間が寝食を不要とする魔法を用いて変化した者とがあり、アリスはその後者、つまり元人間の妖怪である。

「まあな。誰から聞いたんだ?」
「昨日の夜、人間の里に行ってみたら様子がおかしいんだもの。里の人に聞いたら、怪物に襲われたって話じゃない」

 朝の光に輝く金髪を右手でかき上げ、アリスは真剣な表情を見せた。左腕には洋風の装丁が施された本を抱え、彼女の傍らには金髪の少女を模した可愛らしい人形が付き従うように浮いている。
 彼女が最も得意とするのが人形を生き物のように使役する魔法で、アリスに魔法で与えられた指示通りに人形が自動で動くのだ。歩く、跳ねる、物を持つといった簡単な動作から、空を飛ぶ、弾幕を放つ、掃除や洗濯や食事といった複雑な動作までこなす。藍のような式神にも似ているが彼女とは違って人形に意思はなく、あくまでアリスが出した指示通りに動くだけである。が、その『指示』が多彩であるほど人形の取れる行動も多くなる。
 魔理沙はふっと笑みを浮かべ、

「耳が早いな。永夜異変に絡めなかったのをまだ根に持ってんのか?」
「違うわよ。あれはまあ、私の行動が遅かったのもあるしね・・・」

 小指で首をかくアリス。
 永夜異変の際、魔法使いである彼女も夜空に昇っているのが偽りの月である事に気づいた。そこでそれを解決するために、顔見知りの魔法使いで異変にしょっちゅう首を突っ込んでいる魔理沙に協力してもらおうと考えたのだが、彼女が魔理沙の家を訪ねても魔理沙はいなかった。その時すでに魔理沙も月の異変に気づいて家を飛び出していたのだ。だが人間に過ぎない魔理沙は月が動かない事にしか気づかず、その原因であると予測した紫に1人で勝負を挑んだ。
 紫と一緒に異変解決に動いていた霊夢も同時に相手にする事になったが結果は散々なもので、しぶしぶ後の事を霊夢らに任せて引き下がり、家に帰ってみるとアリスがいた。
 魔理沙はアリスがいれば2対2でまだ勝負になったかも知れないのにと悔しがり、アリスも魔理沙が勝手に先走ったせいで異変に気づいていながら手を打てなかったと腹を立てた。その夜は思い通りにいかなかった事を互いのせいにして毒づき合っていたが、真の満月が夜空に復活するとそんな事はどこ吹く風と2人で神社へ繰り出し、解決祝いの宴会に参加した(魔理沙はそういう方向に話を誘導するのが上手いのだ)。
 そういう事もあって、この2人は特別親しいと行かないまでも友好な関係である。魔理沙が時々アリスの家から勝手に本を持って帰ったりしなければ。

「昨日、あなたと霊夢がその怪物とやりあって仕留め損ねたそうね」
「ああ、アンデッドっていう外の世界の怪物だ。不死身な上に強いんで梃子摺ってるんだ」
「詳しく聞かせて欲しいんだけど」
「じゃあ着いて来いよ。今から神社で霊夢とその話をしに行く所だ」
「・・・そう。じゃ、そうさせてもらうわ」

 魔理沙とアリスは共に神社へと飛んでいった。

「ねえ、不死身ってどういう事?」
「文字通り、死なないって事だ。幽々子もそう言ってたらしい」
「蓬莱人なの?」
「それとも違うらしい」

 秋の朝、上空の風はかなり強く冷たい。2人とも風にたなびく髪を片手で押さえつけている。

「そうだ。蓬莱人と言えば、妹紅が積極的に動いてるそうだぞ」
「妹紅って、あの肝試しの時の蓬莱人?」

 魔理沙とアリスも永夜異変の1ヶ月後に輝夜から持ちかけられた肝試しに参加していて、それゆえ妹紅とも面識はある。

「私も霊夢から聞いただけでよく知らないが、最初にアンデッドと接触したのがあいつらしい」
「・・・不死同士で引かれ合ったのかしら」
「この幻想郷じゃ、有り得ない話じゃないな。ともかく、私も聞いただけで細かい事はわからん。詳しくは霊夢に聞いてくれ」

 そう言われて、色々と聞きたがっていたアリスも黙るしかなかった。

「・・・本当に知らない?」
「本当だ。私が嘘をついた事があるか?」
「それはもう、しょっちゅう。ていうか私の本返してよ」
「別にいいじゃんか、死ぬまで借りるだけだ」
「・・・それこそ嘘であって欲しいんだけど」
「死んだ後まで借りてていいのか?」
「いやそっちでなく」

 二枚舌の魔理沙相手に手応えのない言い合いをしていて、気づけば神社付近まで飛んできていた。裏の方へ回って下降すると、洗濯物を干していた霊夢が2人に気づいて顔を上げた。

「よっ」
「あら、アリスも来たの?」
「いけない?」
「いた事をたった今まで忘れ去ってしまっていたわ」

 干し竿に手ぬぐいをかけた霊夢はぱんぱんと両手をはらった。地面に置かれた籠には何も入っていない。

「あなたね・・・まあこの所、魔法の研究で殆ど家を出なかったのは確かだけど」
「で、何の用? お賽銭箱は表よ」

 神社の表の方を左手で指しながら、籠を右手に持って縁側へ上がる霊夢。

「アンデッドの事を聞きに来たのよ。今、大変な事になってるらしいじゃない」

 霊夢は家の奥へ入っていき、彼女の姿はアリスらから見えなくなった。

「聞いてどうするわけ?」

 奥の方から霊夢の声と、かちゃかちゃと音が聞こえる。

「それは聞いてから決めるつもりだけど、多分私はそいつらに喧嘩を売ると思うわ」

 魔理沙と縁側に並んで腰掛けつつ、家の奥へ声を飛ばす。

「里の人間達が襲われたんだもの。見過ごせないわよ」

 アリスは横に座る魔理沙に真剣な表情を見せた。その後ろで、アリスの人形も真剣そうな顔つきを作っている。
 彼女は人間から魔法使いに変わってまだ期間が短く、本来なら不要な食事や睡眠を取って人間らしい生活を送っている。まだそういう習慣が抜けていないのだ。里へ買い物にも行くし、祭の時などは得意の人形を使役する魔法で人形劇を披露する。そういうわけで、彼女は幻想郷で最も人間に対して友好的な妖怪の1人である。

「正直、あんまり関わらなくていいわよ」
「なんでよ!?」

 あっさり即答されてしまったので思わず大きい声が出てしまう。振り返ると、奥からお盆を持って霊夢が戻って来ていた。

「はい、お茶」
「あ、ありがと」

 お盆を置いた霊夢にその上に乗っていた湯飲みを渡されて、アリスは礼を言いながら受け取り、すすった。

「魔理沙からどれくらい聞いてる?」
「不死身って事くらいしか」
「だったら、すごく厄介だってわかるでしょ」
「・・・確かにね」
「しかも、それだけじゃないのよ。今回はこれまでとだいぶ違うわ」
「それを聞かせて欲しいのだけど」

 霊夢と魔理沙も湯飲みに手を伸ばす。

「霊夢、私ももうちょっと詳しく聞かせてほしいんだが。正直、今回はいつもみたいにいい加減にやってちゃ対処できないと思う」
「いつもいい加減にやってたわけ・・・?」

 アリスが魔理沙に半眼を向ける。

「じゃあ・・・最初から順を追って話すわね」


~少女説明中・・・


 霊夢が話し終わった頃には、空になった3つの湯飲みが盆に乗せられていた。アリスは腕を組んで唸った。

「確かに、妖怪の異変とは色々わけが違うみたいね・・・」
「でしょ? 私達がどれだけ気を揉んでも、結局は一真に全てかかってる。私達じゃ解決できないんですって。幻想郷そのものが狙われてるのに」

 膝の上に頬杖をついてぼやく霊夢。魔理沙は彼女が、説明している間に段々とイライラが募ってきている事に気づいていた。

「で、このまま指をくわえて静観してるつもりか?」
「それはなんか嫌」

 即答して、霊夢は盆を持って立ち上がった。アリスはそれを見上げ、

「かといって、手立てはないんでしょ?」
「それがムカつくんじゃない」

 そう吐き捨てて再度奥へ行った霊夢。程なく、お茶が満たされた湯飲みを持って戻ってきた。座るなり、自分だけ湯飲みを持ち上げる。

「まったく、これじゃ私の立場がないじゃないの。冗談じゃないわよ、もう」

 そうぼやいて、ずずっと茶をすする霊夢。

「あんた達もそうよ。もっと早く来てくれれば説明の二度手間が省けたのに、余計な手間をかけさせて」

 愚痴に顔を少ししかめるアリス。

「二度手間って、どういう事?」
「1時間くらい前かしら。外の世界から一真の仲間だってやつが来たのよ。それでこっちの状況を教えてあげたの」

 アリスと魔理沙はその言葉に顔を見合わせた。

「もしかして、あれ? ええと・・・仮面ライダーって言ったっけ」
「そう言ってたわ」
「でもそれ、本当にその人の仲間なの? 今の話じゃ、人間に化けられるアンデッドもいるって話だったじゃない。何を根拠にそいつの言う事を信用したの?」
「勘」

 ずるっとアリスの体が縁側から滑り落ちた。

「アリス、こいつが日頃から勘主体で動いているのは今に始まった事じゃないぜ」
「それじゃ私がいつも何も考えてないみたいじゃないのよ」

 やれやれと両手を広げる魔理沙、言い返す霊夢、のろのろと立ち上がって服についた砂を払うアリス。

「・・・じゃあ聞くけど、その勘ではその人は安全な人?」
「なんか普通じゃなさそうな感じはしたわね。でも嘘は言っていなかったと思うわ」

 あっさり飲み干した湯飲みの中を覗き込みながら答える霊夢。

「で、その人それからどうしたの?」

 アリスは盆に乗った湯飲みを1つ霊夢に差し出しながら聞いた。霊夢はそれを受け取り、中身を自分の湯飲みに移し替える。

「慧音の所へ行くように言ったわ。そうすりゃ一真と合流できるでしょ」
「ま、そんなとこだろうな。で、お前はこれからどうする?」

 魔理沙は自分の湯飲みをすでに確保していた。

「・・・とりあえず、永遠亭にでも警告に行こうかしら」
「ま、そんなとこだろうな。運がよければアンデッドに出くわすかも知れんし。巫女も歩けば異変に当たるってな」
「私ゃ犬かい」
「あなたと来たら、誰彼構わず噛みつくじゃないの。言い得て妙だわ」
「あはは、確かにな」

 口を大きく開けて笑う魔理沙と、口元に手を当てて上品に笑うアリス。人形も笑顔になっている。霊夢は2人に半眼の視線を突き刺しながら、また空にした湯飲みを縁側に置いた。

「ま、歩いて行かないけどね。それ片づけといて」

 霊夢は後ろに置いてあった御幣を持って靴を履き、飛んで行ってしまった。残された2人がきょとんと見上げている間に、紅白のシルエットはあっという間に見えなくなった。

「・・・怒ったのかしら」
「こりゃ誰彼構わず噛みつくぞ」

 顔を空へ向けたままつぶやく2人。

「で、あなたはどうするの?」
「決まってるだろ? アンデッドを探し出して退治するんだよ」
「倒す事も封印する事も出来ないんでしょ?」
「勝手に暴れてりゃ、そのライダーとやらが勝手に来るだろ。いずれにせよ、指をくわえて見てるだけなんて真っ平だぜ」

 魔理沙が立ち上がったので、アリスも釣られるように腰を上げる。

「お前は来なくてもいいんだぞ?」
「そう言わないの。あのオリジナルトランプに封印されていたっていうアンデッドも一度見ておきたいしね」
「さっきもそこに食いついてたよな、お前」
「もちろんよ! きっとこんなチャンス、永遠に来ないわ」

 人形にお盆を奥へ運ばせながら、アリスは目を輝かせる。さっき霊夢からラウズカードの事を聞いた時、アリスはそれがオリジナルトランプの事だとすぐに看破した。
 魔法使いは先人の知恵を得る事に余念がない存在である。それゆえ多数の古書を所有しているアリスはその存在についても本から知識は得ていた。と言っても、オリジナルトランプについて言及された書物は非常に少ない上にはっきりしない記述ばかりだった。1枚ごとに怪人が封じ込められているとか、生命の起源を司る、という風にどうにか解釈できる、という程度の伝承だけで、実在しない物だろうと考えていた。それが今、幻想郷にあるとわかって、魔法使いとしての知的好奇心が俄然湧いてきていたのだ。

「私は、あなたがオリジナルトランプを知らない事に驚いたわよ」
「お前に比べりゃ私は若造だからな。だから本をたくさん集めてる」
「集めるだけ集めてろくに目も通さないくせに」

 腰に両手を当てて口を尖らせる。振り返り、人形が家の中から戻ってきたのを確認して、本を持つ。

「で、やつらはどこにいるのかしら?」
「さあ、知らん」
「知らないのに戦う気なの?」
「まあまあ。私だって何も考えていないわけじゃないんだぜ。とりあえず行くぞ」

 颯爽と箒にまたがって飛び立つ魔理沙。それを追ってアリスも人形と共に空へ舞い上がった。

「それで、考えって何?」
「おう。飛んでいればまあ目立つからな。こうして飛び回っていれば、私を狙って出て来るだろ。そこを返り討ちにするって寸法だ」
「自分をエサにしておびき出すつもり? 危険よ。大体、そんな都合よくアンデッドが近くにいると限らないじゃない」
「魚釣りと一緒だ。辛抱して釣れるのを待つしかないんだ。それに、大物を釣るためにはエサも豪華じゃないとな」
「釣れるかしら?」

 頬に指を当てながら首を傾げる。そんな手段、結局は行き当たりばったりと変わらない。

「そういえば、どこに向かってるの?」
「ん、適当」
「・・・・・・」

 とうとうアリスは右手で頭を抱えた。そんな事に気づかず、魔理沙は箒をしっかり握る。

「さあ出て来い! 弾幕でお出迎えだぜ!」
「あなたね――っ!?」

 言いかけて、すぐ近くを飛行していた人形からシグナルを感じ取った。人形には視覚や聴覚も与えられており、その感覚をアリスと共有する事が出来る。人形が何かを察知したという事だ。

「魔理沙っ!」
「ぐえっ!?」

 その察知したものを即座に理解したアリスがほとんど反射的に魔理沙の首元を引っつかんで制動をかけたその瞬間、急に止まった2人の眼前をエネルギーの塊が通り過ぎていった。

「げぇほげほっ」

 咳きこむ魔理沙。

「だ、大丈夫?」
「ああ、ちょっと痛いが今のを食らうよりはマシだ」

 と、首をさすりながら魔理沙は弾が飛んできた方向をにらみ、アリスもそちらへと目をやった。2人の視線の先には、4枚の翼を持った緑の怪物があぎとを大きく開いていた。

「おいでなすったな! 出てこなかったらどうしようと思ってた所だぜ!」
「そんな事だろうと思ったわよ。あれがアンデッド?」
「昨日見た奴とは違うけど多分な!」
「クァァァァッ!」

 アンデッドらしき怪人は奇声を上げながら2人に突進した。怪人の突進を魔理沙とアリスは左右に分かれるようにかわす。

「急に襲ってきたんだもの、1人で相手する必要なんかないわよね!」
「それもそうだな!」

 通り過ぎた怪人が再度向かってくる。魔理沙とアリスは冷静にスペルカードを宣言した。

「『霧の倫敦ロンドン人形』!」
「『ミルキーウェイ』!」

 魔理沙は大量の星型弾幕をばらまき、アリスは出現させた多数の人形に緑の弾を発射させながら自分も撃つ。弾幕の真っ只中に突っ込む形になった怪人は両腕でそれらをガードし、切り返して側面に回り込もうとする。

「逃がすもんですか!」

 人形がそろって向きを変え、怪人の動きを追って弾幕を撃ち込む。身を翻す怪人の背中に弾が突き刺さり、弾けた。アリスが怪人の動きを予測し、そこに命中するように計算して人形に攻撃させたのだ。
 怪人はスピードを上げ、不規則に動き回るがアリスはその動きを正確に読み、人形から放たれる弾幕はことごとく怪人の緑の体を捉え続けた。

「相変わらず冴えてるな、アリス!」
「何度も言ってるでしょ。弾幕はブレインよ!」

 アリスの攻撃で怯んだ所に、容赦なく流星雨の如き弾幕を撃ち込みながら魔理沙が軽口を叩く。
 多数の人形を自在に操る柔軟さと、相手の行動予測の正確さを初めとする知能的な立ち回りがアリスのスタイルである。読みを重視する点は同じだが最終的に力技で押し切ろうとする魔理沙とは、霊夢とはまた違う意味で対照的と言える。
 怪人は2人の弾幕に飲み込まれて姿が見えなくなった。

「意外にこのままいけるかな?」
「・・・いえ、来るわ!」

 つぶやいた魔理沙にアリスが警告する。その直後、緑の怪人が急に弾幕の中から迫って来た。2人に突き出した両腕から炎が噴き出す。

「わっ!?」

 咄嗟に横へ避ける2人。アリスは人形にも避けさせようとしたが、間に合わず2体が炎に飲み込まれた。

「あーっ、私の人形!」

 燃え上がって落ちていく人形。その間にも火炎放射で追い回される。

「こんにゃろっ! 私は焼いたって美味しくないっての!」
「確かにあなたは煮ても焼いても食えないけどね!」

 逃げ回りながらも、2人は口と弾幕を止めない。怪人は腕の火炎放射器の部分を回転させて刃を伸ばし、弾幕を全身に受けながらも魔理沙に接近して腕を振りかぶった。

「魔理沙っ!」
「この!」

 魔理沙の体から霊撃が発せられる。衝撃で真正面から弾き飛ばされた怪人が体勢を崩した所に『ミルキーウェイ』の弾幕を集中的に浴びせられる。だが、それをものともせず怪人は再度魔理沙へ向かっていく。

「しつこいぜ!」

 星弾幕を中断し、青い流線型の『マジックナパーム』を連発する。直撃したマジックナパームは次々に爆発、怪人の速さは鈍ったがそれでも止まらない。その間に魔理沙は急降下、真下から今度は『イリュージョンレーザー』を放った。白く細い光が怪人の背中を焼き、翼の1枚を貫いた。

「ギャゥッ!?」

 悲鳴を上げる怪人の翼に、さらにアリスが集中砲火を打ち込む。人形達が翼の根元一点に弾幕を集め、皮膚に裂傷が生じるが翼を折るには至らない。

「タフね・・・」

 険しい表情を見せるアリス。動きは単純だが、速さや頑丈さなど身体能力は妖怪以上だ。下手に長引かせると、万が一という事もありえる。

「・・・やってみるか」

 なにやら苦い表情でつぶやき、アリスは魔理沙へ声を飛ばす。

「魔理沙、ちょっとヤツの動きを抑えてくれる?」
「あ? おう、いいぜ」

 存外軽く受けた魔理沙はスペカを切った。

「リクエストにお答えして、『アースライトレイ』!」

 光の魔法陣が5つ、魔理沙の指先から地面へ放たれた。魔法陣が地面に接し、その中央が光る。

「カァァァッ!」

 迫る怪人。すると魔法陣から一筋の光が空へ向かって伸びていった。レーザーは反射的に急停止した怪人の体を掠め、その部分が音を立てて焦げた。そして他の4つの魔法陣から縦に発射された4本のレーザーが怪人の四方を囲んだ。

「今だ! 『リモートサクリファイス』!」

 アリスの人形が1体、彼女の前に進み出る。そして、その人形は全身から赤いレーザーを放射した。レーザーは赤い光の粒を撒き散らしながら、光の檻に閉じ込められた怪人の胸に直撃した。赤い光は数秒間照射され続け、それが途絶えた時には人形は完全に燃え尽きて灰になってしまっていた。それを受けた怪人も、緑の体の胸全体が焼け焦げて真っ黒に変色し、煙がもうもうと上がっている。相当のダメージを与えた事が見て取れるが、それでも予想より軽そうだ。犠牲にした人形のように、灰になるまで焼き尽くすつもりだったのだが。

「もらいっ――」

 アリスの攻撃に目を丸くしていた魔理沙だったが、勝負を決めるチャンスと見て畳みかけようとした。

「ウォォォ!」

 しかし、体から煙を立ち上らせながらも怪人が口からエネルギー弾を撃ちまくり、魔理沙とアリスは慌ててそれらを避けた。

「ち、往生際の悪い――」
「グゥァァァッ!」

 怪人が両腕から火炎を噴出させる。かなり距離を置いている2人も火傷しそうなほどの熱量を放つ炎の中に、怪人はエネルギー弾を放り込んだ。
 ボン!と炎の中でエネルギーが弾け、周囲に熱と赤い光が拡散する。

「きゃ!?」
「おわ!?」

 咄嗟に結界を形成したので2人とも難を逃れたが、飛び散った炎が治まった時には怪人の姿はなかった。

「・・・逃げられたみたいね」
「今のは目くらましか」

 まだ空気に残っている熱気を肌で感じながら、2人は辺りを見回して言った。

「あれじゃ、あいつ自身もただじゃ済まないだろうに」
「それでもやらなきゃいけないほど追い詰められていたのよ。私もあんまり利口な手段じゃないと思うけど」
「しかしアリス。お前が人形を使い捨てるとは、ちょっと驚いたぜ。お前らしくない」
「しょうがないじゃない。あの子、もう40年くらい直しながら使ってたのよ。長持ちさせすぎると妖怪になっちゃうもの。あえて壊すのも作った私の責任よ」

 アリスは腰に手を当てて眉を片方吊り上げた。
 どうせ処分してしまわなければならないのなら、ただ壊すだけではなく別の物を巻き込む自爆攻撃に活用する事を考えた。それが『リモートサクリファイス』だ。人形にとって最後の活躍に相応しいものにしようと、大抵の妖怪ならば一撃で倒せる程の破壊力を持たせ切り札として使う事を想定した。実際に使うのは今回が初めてだったが、威力・精度共に予想通りの結果が出た。だが、怪人にそこまでの重傷を負わせるには至らなかった。奴の体の丈夫さはアリスの予想を大きく上回っていた。

「そういうもんかね」

 風が吹きつけ、辺りの空気は一気に冷えていった。

「なあ。あいつ、逃がさなければ私達が勝ったと思うか?」
「・・・有利だったのは私達だけど、断言は出来ないわ。今のだって、逃げずに攻める隙は有ったといえば有ったもの。それに私達の弾幕で受けた傷、回復してたわ」
「本当か?」
「微妙にではあったけど、あんな見てわかるほどの早さで治るなんて妖怪でもありえないわ。アンデッド・・・確かに恐ろしい存在ね」

 真剣な表情で腕組みするアリス。

「ねえ、昨日あなた達が戦ったのとさっきのと、比べてどうだった?」
「そうだな。昨日のヤツは1発も食らわないように見事に避けてた。完璧主義者だったのかもしれん。なんか神経質そうだったし」

 イーグルUを思い出しつつ、帽子を直す。

「だが、今のヤツは被弾するのも構わずに突っ込んできてた。スタイルが根本から違うって気がする」
「なるほどね・・・」

 あるいは、イーグルUも多少被弾してもどうという事はなかったのかもしれない。それでもなお、かわし切る事にこだわったのは始祖生物としてのプライドだろう。
 一方、今戦った怪人は頑丈さに任せた強引な戦い方だった。それはこの2体の戦いに対する姿勢が異なる事を示している。そういう点は弾幕ごっこでも如実に現れる事を2人はよく知っている。

「で、どうする? 今のを追うか?」
「どっちに行ったか、もうわからないわよ」
「そうだな。逃げられた時の事も考えないといかんな・・・」

 魔理沙も腕組みする。

「ねえ、自分を囮にするのやめましょうよ。今みたいに不意打ちして下さいって言ってるようなもんじゃない」
「じゃあどうするんだよ」
「さっき霊夢の話で、妹紅があのワーハクタクならできるって言ってたらしいじゃない。彼女を頼ってみましょうよ」

 上方に目をやりながら頬を指でかく魔理沙。

「他人と同じ手段を取るっつうのは私の主義じゃないんだがな」
「結果を出せれば、経過や手段なんてどうでもいいのよ」
「幻想郷的にはそれアウトじゃねえ?」
「いけないかしら」
「むしろ乗ったぜ」

 魔理沙は手の平を上に向けてあっけらかんと即答した。


◇ ◆ ◇


 剣崎一真の襲撃に失敗し、トライアルCは慎重になっていた。
 肉体の能力はアンデッドと同等以上のものを有しているが、生み出されたばかりで戦闘の経験がない事が不安要素だと彼の創造者も悩んでいた。存在そのものが兵器と言える力を有しているトライアルCだが、それをどう使えば効率よく生物を殺害できるかはよくわかっていない。たいていの人間や動物ならば適当に力を振るえば殺せるからだ。
 剣崎一真は非常に強い戦士だ。ライダーシステムの性能と、それを使いこなしてアンデッドと戦い勝利した経験も十分にある。
 トライアルCはさしあたって別の生物を襲い、殺しの経験を積む事にした。アンデッドから生み出されたためにアンデッドの闘争本能も持ち合わせており、それを持て余した面もある。それで動物や妖怪や妖精(という事を全く知らずに)を適当に襲ったが、いずれも腕を打ち下ろすくらいで死んでしまうため(妖怪や妖精は死なないが、動きが止まるのでトライアルCは死んだと思った)経験も何もなかった。
 だが、今しがた遭遇した黒と青の服を着た少女らはそれらなど比較にならないほどの能力を持っていた。剣崎一真と同様、能力と経験を併せ持っているのだろう。どちらにも傷を負わせることさえ出来ず、逆に自分が逃げる羽目になってしまったが、必要だった経験は少し得られた。体の頑丈さに任せて強引に突っ込むばかりでは致命的な威力の攻撃が来たらおしまいだし、動きが単調になって相手に予測されやすい。
 今度はなるべく素早く不規則な動きをする事を意識する。高い学習能力を持たされた人造アンデッドの頭脳でそうやって考えながら、森の中で息を殺すトライアルC。胸全体に負った火傷も修復が進んでいる。計算ではあと1時間足らずで全快する。まずは森の中で獲物を探し、いなければ森の外へ出る。剣崎一真を倒すためには昼夜を問わず襲うつもりでいる。
 人造アンデッドには昼も夜も関係ない。


◇ ◆ ◇


「ったく、あいつら、私を何だと思ってんのよ・・・」

 ぶつぶつと不満を口にしながら、霊夢は青空を飛んでいた。堂々と犬呼ばわり――それも狂犬のように言われれば機嫌が悪いに決まっている。異変の最中などは妖怪や妖精に対しては口より先に弾幕が出るので魔理沙やアリスの言う事もけっこう的を射ているのだが、本人に自覚はない。

「まあ、妖怪に果敢に噛みつくくらいでないと異変の解決なんてできないんだろうけどね」
「だから、誰が犬みたいだってのよ」

 突如虚空から聞こえてきた声に対してあっさり返事する。まるで、そこに誰かいると最初からわかっていたように。

「にはは、段々異変だって意識し始めたみたいだね。いつものように」

 霊夢の周辺の空気が白み始め、その白い気体が集まって人の形を取り、萃香が姿を現した。

「うっさいわね。あんたから退治するわよ」
「おお恐。まるで狂犬病だ」

 白い霞の上に寝そべった姿勢で紫の瓢箪を掲げてみせる萃香に、霊夢はいよいよ声を荒げ始めた。

「あんたね」
「まあまあ。実はさ、ちょいと面白い物を拾ったんだ」

 そう言って萃香は紙の束を差し出した。

「何よ、これ」

 それを受け取って、目を走らせる。

「『花果子かかし念報ねんぽう』? 天狗の新聞?」
「そ。今朝まで妖怪の山の中で霧になって寝てたんだけど、起きたら近くにこれが束で捨ててあったんだよね。で、その内容がちょっと面白くてさ」

 その花果子念報とやらの記事を読み進めていくにつれ、霊夢の顔はにやにやと緩んでいった。

「なるほど、これは珍しく面白い事が書いてあるわね」

 さっきまでの仏頂面はどこへやら、霊夢は満面の笑みを萃香に向けた。

「ねえ、これもらってっていい?」
「いいよ。私もう読んじゃったし、これ全部あげる」
「よーし、行く先々にばら撒いてやろ。萃香、ありがとね」

 霊夢は上機嫌で踵を返し、鼻歌など歌いながらふわふわと飛び去っていった。

「単純だねえ。あんなゴシップごときであんなに喜ぶなんて」

 呆れたような顔で酒をあおる。

「ぷはー。ま、あんな膨れっ面で空飛んでいかれちゃ酒がまずくなるしね」

 つぶやいて、また酒をごくごくと飲んだ。

「ぷは~っ」

 天を仰ぎながら大きく息をつき、そのまま自分の体の一部で作られた霞の上に寝そべった。やはり、余計な事は考えずに酒に酔うに限る。後で霊夢が慧音からもらったはずの酒を飲もう。神社に置いてあるはずだ。
 鬼は朝から晩まで酒に酔っているものだ。


◇ ◆ ◇


 寺子屋教師の朝は早い。
 毎朝授業の準備があるからなのだが、現在アンデッドによって寺子屋は開かれていないので早く起きる必要はない。しかし習慣というものは異常事態の中でも変わらないもので、慧音は今日も朝早くに目が覚めた。のだが他にやる事もなく。

「・・・・・・」

 ぼんやりと朝食を作って食べ、それからずっと思案にふけっていた。考えているのはもちろん、アンデッドの事だ。
 昨日、藍に答えた事が論理的である事には自信があるが、それが真実かどうかについては別だ。一夜明けて、紫達に話したのは少々軽はずみだったかもしれないと彼女は思い始めていた。
 慧音は真実であると確証を得られない事は口にしない。全ての歴史を知るはずの彼女が誤った事を人々に伝えようものなら、誰も彼女の言う事を信じなくなるだろう。しかし、あらゆる歴史を見ているからこそ、様々な思惑が絡み合うほどそれは形になって現れる事を知っている。将校がクーデターを画策したならば、そのために兵力を集結させる。逆に権力者が反乱を察知したなら、スパイを送り込んでその詳細を探る。
 アンデッドが幻想郷に侵入した事についてもそうだ。異なる種族の共存のために創造された幻想郷に、種族間の生存競争の象徴とも言えるアンデッドが現れた。この点に、どうしても何者かの意思を感じずにはいられない。そして、その『何者か』とは統制者以外に有り得ないのだ。
 ――だが、それを指し示す決定的な証拠はない。外の世界の歴史を見る事が出来ない以上、慧音に外の世界の事を断言する事は出来ない。結局、これは彼女1人の推測――言い様によっては妄想に過ぎないのだ。

「・・・はあ」

 ため息。
 ふと窓に目を向けると、太陽がだいぶ高く昇っていた。自分が朝食を取ってからどれくらい時間が経ったかよくわからない事に気づいて、また唸る。茶でも飲んで気分を切り替えるかと腰を上げようとした時、ドンドンと戸が叩かれた。

「はい?」

 玄関へ歩き、戸を開けると、洋装の男が立っていた。どちら様かな?と慧音が言おうとするより早く、彼は無表情に口を開いた。

「お前が上白沢慧音か」
「・・・ああ、そうだが」

 愛想というものがロクに感じられない話し方に軽く眉をひそめながら(愛想のなさでは彼女も人の事は言えないのだが、それが余計に不愉快だった)短く答える。

「剣崎はどこにいる?」


◇ ◆ ◇


 吸血鬼にとって、朝は眠る時間である。


◇ ◆ ◇


 蓬莱人は別に早起きをする必要はない。
 仕事なんてしていないし、誰か近くに寄るならばその時に動けばいい。不老不死だから、どれだけ不健康な生活をしようとも体を壊す事などない。だから昨夜のように夜明け前まで飲み明かして、太陽が高く昇るまで寝ていても一向に構わないのだ。

「ふぁ~あ・・・」

 雨戸をのろのろと開けた妹紅は大きくあくびをした。

「ああ、さすがに寝すぎたな、こりゃ・・・」

 頭をぼりぼりとかきながら、寝ぼけ眼で真っ青な空を見上げる。狭い家の中を振り返ると、散らかった部屋が目に入った。たくさんの徳利が畳や卓の上に無造作に転がり、昨夜もらった八目鰻の蒲焼は包みしか残っていない。そして卓の脇でひょろ長い男が大の字になっていびきをかいていた。

「ったく・・・」

 一真のその様子を見て、ため息が出た。雨戸を全て開け、部屋へ取って返す。

「・・・ちょっと飲ませすぎたかな?」

 すっかり眠りこけている一真の寝顔を見下ろして独りごちた。
 昨夜、蒲焼を肴に一真と2人で始めた酒盛りは大いに盛り上がり、2人とも箸も酒も話もぐんぐん進んだ。妹紅が蓬莱の薬で不老不死になる前の話を聞かせると一真も自分の昔話を始め、互いに酌をし合いながらじゃんじゃん飲んだ。
 蓬莱人である妹紅は酔いが覚めるのが人より早い。ところが彼女はその事を失念して、自分のペースで一真にも酒を勧め続けたのだ。飲んでいる一真がとても楽しそうだったのと、妹紅もあんなに楽しく飲んだのは慧音以外では初めてだったため、ついやりすぎてしまった。そんなわけで、ほろ酔いで眠った妹紅に対して一真はぐでんぐでんに酔い潰れて正体をなくしてしまった。

「・・・飯作るか」

 部屋の惨状は一真が起きた後でどうにかする事にして、とりあえず朝食の準備に取りかかった。

「う~ん・・・」

 一真が目を覚ましたのはそれから30分ほど経ってからだった。寝癖のついた頭をかきながら台所に顔を出した一真に、妹紅が言葉をかける。

「おう、起きたか」
「・・・おはよう」

 彼女は火の入った竃の前で、袖をまくった手に箸と鍋の蓋を持っている。

「食うだろ? 朝飯」
「うん・・・」
「じゃ、部屋片づけて」
「・・・えっ?」

 冴えない顔でちょっと間を置いて聞き返す一真に、箸で部屋を差す。

「片づけないと飯も食えないだろ。ほら、飯は私がちゃんと作るから、早く。もうすぐ出来るよ。燃えるごみは今、薪と一緒に燃やしてるから、徳利は縁側の下に出しといて」
「・・・うん」

 言われるままに一真は徳利を集めて外に出した。それが終わって、外の井戸で顔を洗って戻った所で朝食が出来上がったので2人で配膳をした。ご飯と味噌汁と漬物。簡単な食事ではあったが、食卓は穏やかな雰囲気だった。

「一真、今日はどうする?」
「いや、聞きたいのは俺の方だよ。どうする?」
「お前ね・・・」

 さっきまで寝ていたとは思えないペースで食べながら相談する2人。

「やっぱり慧音にアンデッドの居所を教えてもらって、そこに行くしかないんじゃない?」
「うん、俺もそれしかないと思ってた」
「本当かよ」
「いや本当だって。なんか他に考えがあるかと思って」
「んなもん、そうぽんぽんと出てくるもんか」
「・・・だよなあ」

 相談する事およそ10秒。とりあえず行動方針は固まったので食べる事に集中し、ほどなく食事を平らげて片づけも速やかに終わらせた。

「よし、行こうか」
「ああ。すぐ行くから先に出てて」

 食器や鍋を仕舞っている妹紅。そして、それが待ち切れないという風にライダーグローブを手につけながら外へ駆け出す一真。

「早く来いよ。あんまりのんびりしていられ――」

 ガンッ

「いて!?」

 だったが、玄関で頭をぶつけた。妹紅の方を見ながら外へ出ようとしていて、上を見ていなかったのだ。

「あーあ、またやったか」
「くそ~、昨夜は気をつけたのに・・・」

 うずくまって頭を押さえる一真の横に妹紅もしゃがみこむ。

「大丈夫?」
「すっげー痛い・・・」

 妹紅が右手で顔を覆ってため息をついたが、一真はそれどころではなくて気づかなかった。



 蒼穹の下、空と同じ色のバイクが細い道を走る。一真が運転するブルースペイダーに妹紅は揺られていた。
 南中を過ぎた直後の太陽を、手をかざしながら見上げる彼女の顔はほぼ真上に向けられている。風は少し冷たいが日差しは暖かで、ややもすればこのまま一真の背に身を預けて寝てしまいそうなほどだ。本当にそんな事をしたら大惨事になるが。

(なんていうか・・・平和だなあ)

 流れる雲をぼーっと見ながら、何気なくそんな事を考える妹紅。

(・・・いや、違うな)

 すぐ前にある一真の背中を見て、その考えを打ち消した。
 のどかな雰囲気は自分の目に見える範囲だけで、今もどこかで誰かがアンデッドに襲われているかもしれない。
 2日前に見たイーグルUの姿を思い出す。あやかしが跳梁跋扈する幻想郷でさえ異質な怪物。一応人間とされているとはいえ、普通とは一線を画す力を持つ妹紅でさえ致命傷を負わされた。不老不死ゆえの油断もあったかもしれないが、その強さと冷酷さは恐るべき存在だ。
 誰かが、自分ほどの力も持たない誰かが同じ状況に陥っているかもしれない。それを見て見ぬ振りをする事ができないから、自分は今こうやって一真と共に走っているのだ。
 急ごう、と一真に声をかけようと口を開きかけたその瞬間。
 殺気を感じた。

「――っ!」

 妹紅が喉から出かけた言葉を飲み込むのと同時に、ブルースペイダーが甲高い音を響かせながら急激に向きを変えた。その直後、彼らを狙った矢のようなものが周囲の地面に突き刺さり、激しく火花が散った。

「大丈夫か、妹紅っ!?」

 同様に危険を察知してハンドルを切った一真はブルースペイダーを急停止させて後ろの彼女を振り返る。

「ああ、大丈夫・・・今のは――!」

 答えながら殺気の源――空を見上げた。青い空の中に、大きく翼を広げた黒い影が羽ばたいている。それはつい今しがた妹紅が思い出した異形の姿に間違いなかった。

「貴様っ・・・!」
「フ・・・我々を追ってきたか、ブレイド」

 宙に浮かぶ怪人――イーグルUは両腕を広げながら薄ら笑った。

「貴様だけは厄介だ。死んでもらう」
「このっ・・・!」

 不意打ちを受けた事で頭に血が上った妹紅は短く口走り、炎の翼を出して一真の背から空へ飛翔した。イーグルUと同じ高度まで上昇し、向き合う。

「用があるのはブレイドだけだ。邪魔をしないでもらおう」
「私がお前に用があるんだっ!」

 叫ぶや否や、腕を突き出して火球を撃つ。ヒュッと風を切る音と共にイーグルUは横へ体を滑らせてそれをかわし、小さく首を傾げて見せた。

「私はお前に用はないのだがな」
「黙れっ!」

 更にカッとなった妹紅は炎の弾幕を撃ちまくる。イーグルUはそれらを最小限の小さな動きで左右へ体を振って避けていく。

「フン」

 鼻で笑い――やはり鼻はなさそうなのだが――更に上昇する。

「仕方ない。相手になろう」

 上空から妹紅を狙って爪を撃つ。その数は非常に多く、弾幕と呼べるものだった。

「上等だっ!」

 爪の弾幕をかいくぐり、妹紅も炎の弾幕で応戦する。

「妹紅!」

 せわしなく動き回りながら撃ち合う2人を追って一真はブルースペイダーのアクセルを吹かす。すでに腰にはブレイバックルが装着されている。

「変身!」

『 Turn up 』

 ウィリーし、加速しながらオリハルコンエレメントをブルースペイダーごと通り抜ける。
 ブレイドに変身した一真は、激しく弾を撒き散らしながら遠ざかる2人を追いすがる。かなりの速度で移動しながら戦っていて、地上の一真には手が出せない。ならば、と走りながら腰に差したブレイラウザーに手をかける。昨日トライアルCに使った手で――
 その瞬間、ブレイドの目の前に雷が落ちた。

「うわああっ!?」

 直撃はしなかったが、衝撃で倒れたブルースペイダーから前方へ投げ出された。背中から地面に落ち、ごろごろと転がる。

「一真!?」

 それを見て驚く妹紅にイーグルUの爪が飛ばされ、彼女の腕をかすめた。

「よそ見とは余裕だな」
「くっ――!」

 血のにじむ腕を押さえ、妹紅は一真とイーグルUのどっちに注意を向ければいいかわからなった。

「う――!?」

 一方、ブレイドは何が起こったのか分からなかった。とにかく立ち上がろうとした時、彼の目に灰色の影が飛び込んできた。

「貴様の相手はオレだ!」
「うあっ!?」

 急に殴られ、野原に再び倒れ込む。突っ伏したまま上げた顔の先に立っていたのは、長い爪の生えた手をぼきぼきと鳴らすウルフUだった。

「お前――!?」
「呆けすぎだ。上手くいきすぎて拍子抜けなくらいだぞ」

 殴られた頭が上手く回らず、少々理解が追いつかないがとにかくブレイドは膝をついて立ち上がろうとした。

「ハアッ!」

 立ち上がりかけた所にウルフUが素早く距離を詰め、拳が顔面へ打ちつけられる。ぐらついたブレイドのボディを腕の爪が切り裂き、火花が飛ぶ。更に蹴りを受け、ブレイドはたたらを踏んで後ずさる。

「く・・・」
「一真っ!」
「おっと」

 叫ぶ妹紅だったが、ブレイドの所へ向かおうとした先にイーグルUが回り込み、立ちはだかった。

「俺が相手をしてやるといっただろう」
「こいつっ・・・!」

 相手の術中にはまった事を理解し、妹紅は歯噛みした。
 いいように攻められていたブレイドだったが、ウルフUのパンチを防ぎ、反撃を試みていた。腰のブレイラウザーは抜く余裕がなく、素手で応戦する。
 ブレイドのフックは屈んでかわされ、ウルフUの斬撃を両腕でブロックする。ボディブローがウルフUの腹に入るが、今度はブレイドアーマーの胸に拳が叩き込まれる。

「うおおっ!」

 ブレイドの渾身の右ストレートがウルフUの左手で受け止められる。咄嗟に左手も振るうがそれも押さえられた。

「おい、今だ!」

 両腕を押さえられたまま、ウルフUが短く叫ぶのを訝しむブレイド。

「一真、後ろ!」

 妹紅の怒号が飛ぶ。
 その一瞬後に、飛びかかったディアーUの2本の七支刀がブレイドの背中に振り下ろされ、金属同士が激しくぶつかる高い音と共に火花が飛ぶ。

「ぐああっ!?」
「一真!」

 2体のアンデッドに挟まれて打ちのめされるブレイド。妹紅は眼前のイーグルUをきっと睨みつけた。アンデッド3体が結託していた事に驚きの色が隠せなかったが、とにかくこのままでは一真が危ない。

「そこをどけ!」

 左手から炎を放ちながら、スペルカードを右手で抜く。
 イーグルUも下がりながら爪を撃つ。

「不死『徐福時空じょふくじくう』!」

 妹紅のポケットから赤と青の札が舞い、二重の卍を描く。見事に直角に整列した札は青の逆卍と赤の卍を中央から崩すように空間をスライドしていった。瞬時に展開した札の弾幕にイーグルUの飛ばした爪が触れると、札から生じた衝撃で爪が砕けた。それを見ても、そして前後左右を赤と青の札に囲まれてもイーグルUは平然としている。
 多量の札が前後から迫る。
 しかしイーグルUは札同士の隙間へ身を滑り込ませ、細かく動いて的確に避け続ける。あまつさえ、避けながら爪を撃ち返してきた。

「うっ!?」

 それを避ける妹紅の顔に動揺が走る。イーグルUの動きを抑制して一真を助けに行くつもりだったが、足止めにすらならない事に驚愕していた。ここまで精密に避けるのは幻想郷で弾幕ごっこを何度となく経験していないとできるものではない。先日妹紅が1度スペルカードを使ったが、その程度で身につくとは思えない。

「ぬるいな。あの赤と黒の娘達の方が手強かったぞ」
「赤と黒・・・まさか、霊夢と魔理沙と戦ったのか?」
「名前まで覚えていないが、あの娘どもはかなりの手練れだった。おかげでこういう事には慣れた」

 弾幕を避けながら言うイーグルU。その声には余裕さえ感じさせる。

(くそ、あいつら余計な事してくれて・・・!)

 胸中で霊夢達を罵るが、そんな事をしても事態が好転するわけもなく、汗が頬を流れる。

「ウリャア!」
「くっ!」

 囲まれないように何とか距離を取ろうとするブレイドと、それを攻め立てるウルフUとディアーU。飛び交う弾幕越しに睨み合う妹紅とイーグルU。
 どうにかブレイドの元へ行こうと隙を伺うが、イーグルUのプレッシャーにはそれがない。
 頭を働かせるが、焦燥感ばかりが募っていく。



 妹紅とは逆にイーグルUは、計画通りの状況に内心ほくそ笑んでいた。
 ブレイドを見つけたら、まず娘の方を相手すると見せて空中へ引きつけ、2人が離れた隙を突いて、離れた場所で待機させておいたウルフUとディアーUがブレイドを包囲する。ウルフUとディアーUには自分の気配で位置とタイミングを知らせる。そうやって分断した上で娘は自分が足止めして、ウルフUとディアーUにブレイドを倒させる。
 ブレイドを倒して封印用のカードを奪ってしまえば、自分達を封印する事は不可能になる。そうなれば不老不死の娘をはじめ他の者には手も足も出せない。
 そして現在、ブレイドはアンデッド2体にいたぶられ、娘の方は自分が足止めできている。あとは、ウルフUとディアーUがブレイドを倒すまで娘の相手をしていればいい。
 とはいえ彼女もブレイドを助けるために必死だし、ブレイドも簡単には倒せない。自分には先日よりも激しい弾幕が迫っている。それにブレイドも懸命に反撃を試みている。気を抜けないが、それでも有利なのはこちら側。冷静に追い詰めていけば十分勝機はある。



「ウェイ!」
「ウグッ!」

 ブレイドはウルフUの突き出した左腕をひねりながら右腋に抱え込んで押さえ、横から来たディアーUを蹴り倒してブレイラウザーを左手で逆手につかんで抜き放った。体を回転させながら逆手に持ったブレイラウザーでウルフUの腹を切り裂く。飛ぶ火花。さらに腹にキックを打ち込み、ブレイラウザーのトレイに手をかける。

「カードなど使わせるか!」

 痛みを堪えてウルフUはブレイドに肉薄する。ライダーに勝つには、とにかくラウズカードを使わせない事だ。2日前の戦いでは結局カードを使う隙を与えたせいで逃げ帰る羽目になった。そもそもラウザーを持たなければカードの力は引き出せないので、その隙さえ与えないつもりだった。それでもラウザーを抜かれて悔しい思いだが、そうなった以上はカードの使用を全力で妨害する他ない。
 突進するウルフUに素早く反応したブレイドはジャンプでウルフUを飛び越える。

「ヤツに隙を与えるな!」

 ディアーUがブレイドに飛びかかる。2本の七支刀をブレイラウザーで受け止め、鍔迫り合いになる。一瞬動きが止まり、ウルフUが即座に近づく。七支刀を力任せに弾き返したブレイドはウルフUの右フックをしゃがんで、続けて振るわれた左腕も地面を転がって避けた。転がったのは間合いを取るためでもあったが、ウルフUに素早く距離を詰められてしまう。斬りかかるが刃を跳ね上げられ、ウルフUにボディブローを打ち込まれる。身をよじるがかわしきれない。ラウザーを振り下ろそうとした所に組みつかれた。密着されては剣で攻撃できず、逡巡する。

「やれ!」

 命令を受け、ディアーUがジャンプする。振りかざされる七支刀を見て、ブレイドはもがくがウルフUに力強く抑えられている。
 七支刀が振り下ろされる直前、ディアーUの背中に青白い光が突き刺さった。

「ギャッ!?」
「何!?」

 空中でバランスを崩したディアーUは落下し、地面にうつ伏せに倒れた。ウルフUが驚いたその一瞬を突き、ブレイドは膝蹴りを打ち込み、ウルフUを強引に振りほどいた。なんとかウルフUから逃れたブレイドが上空を見上げると、そこには青い服と髪をたなびかせる女性が浮かんでいた。

「慧音!」

 妹紅の声に慧音は微笑み、妹紅の顔からも笑顔がこぼれた。その場にいた全員の目が慧音に集中したその瞬間に、彼らは唸るような低い音に気づいた。

「ん・・・?」
「これは・・・バイクか?」

 つぶやくブレイドとイーグルU。今度は全員の視線がその音の聞こえる方向へ向けられた。近づいてきた1台の赤いバイクが彼らから少し離れた位置で止まった。シャツとジーンズを着た、明らかに外来人とわかる服装。

「あれは・・・!」

 ブレイドとイーグルUがさらに強い驚きを込めた声を異口同音に上げる。
 乗っていた男がヘルメットを外す。茶色がかった髪から垣間見える大きい目から、感情の感じられない、刺さるような厳しい視線をアンデッド達に向ける姿からは冷酷な印象を受ける。

「始!」
「はじめ、って・・・」

 一真の言葉をオウム返しにつぶやく妹紅。彼女の近くで浮遊しているイーグルUは立ち尽くしている。

「あれは・・・? ヤツもここに・・・?」

 不思議そうな声を上げるウルフU。それぞれ異なる反応を示す彼らの目を集める本人は低い声で言った。

「やっと見つけたぞ」

 彼――始は持っていたヘルメットをバイクの上から投げ捨て、ポケットから『A CHANGE』という字とカマキリの絵が描かれたカードを出した。

「なに?」
「ラウズカード・・・!?」

 ウルフUと妹紅がつぶやいた時、始の腰に白と赤のベルトが浮き出るように現れた。

「変身」

 抑揚の抑えられた声音の短い言葉と同時に、彼はカードをベルトの中央の溝に上から下へと通した。

『 Changeチェンジ 』

 電子音声が響くと彼の姿は黒い影に包まれ、白い光の粒子が飛び散った。そして影と光の中から漆黒の異形の姿が現れた。顔にはハート形の赤い大きな単眼。黒いカマキリを連想させる、刃の様に細く鋭い体。変わっていないのはベルトだけだ。同時にバイクもどことなくその姿に似た印象の、黒いボディに変わっていた。

「なんだと!?」
「カリス・・・!」

 それを見てウルフUは驚きの声を、イーグルUは怒りのこもった声を上げた。

「なぜカテゴリーツーがカテゴリーAに・・・!?」

 そして、変身した始――カリスは黒いバイクを走らせた。

「まさか、ヤツは――」

 ウルフUのつぶやきは、黒いバイクが突進してきた事で中断された。

「クッ!」

 猛スピードで向かってきたバイクを横に跳んでなんとか避ける。

「始、来てくれたんだな!」

 急停止したバイクから降りたカリスに声をかけるブレイド。どことなく嬉しそうにしている。

「お前を助けに来たんじゃない」

 低い声でそっけなく返事をしながら、向かってくるウルフUに相対する。カリスの手に、刃と弓が一体になった武器『醒弓カリスアロー』が不意に現れた。

「ハアッ!」
「ぬん!」

 ウルフUが拳を打ち出す前にカリスが自ら踏み込み、カリスアローで袈裟懸けに斬りつける。

「グァッ――」

 その呻きも消えない内に2度3度とカリスアローの2つの刃が閃き、ウルフUの体から激しい火花が飛ぶ。

「一真、そいつが――?」

 ブレイドが空にいる妹紅を見上げる。

「ああ、相川始。『仮面ライダーカリス』だ!」

 ウルフUはカリスの鋭い後ろ回し蹴りを頭に受け、たまらず倒れこんだ。

「ウグゥッ!?」

 続いてカリスはカリスアローを、刃を開いたブレードモードから刃を閉じたボウモードに切り替えてディアーUに向け、カリスアローの中央からエネルギーの矢『フォースアロー』を3発放つ。

「ギャアッ!?」

 胸に3発ともくらって動きが止まったディアーUに、カリスは再びブレードモードにしたカリスアローをジャンプして振り下ろす。それは七支刀で受け止められたが、すぐさま七支刀を跳ね上げた。がら空きになったボディに、全身の筋肉をひねり上げてのキックと斬撃を叩き込まれる。流れるような連続攻撃を立て続けに受けたディアーUも地に倒れた。

「すごい・・・!」

 上空から見ていた妹紅は、瞬く間に2体のアンデッドを叩き伏せたカリスの強さに思わず感嘆の声を上げた。

「おのれ・・・!」

 呻いたイーグルUがカリス目がけて急降下する。

「あっ!?」

 妹紅はそれを追おうとしたが、イーグルUが後ろ向きで放った弾幕に阻まれてしまう。
 そしてイーグルUが地上の2人のライダーに爪の弾幕を連射する。
 ブレイドとカリスはいち早くその気配を察し、それぞれ違う方向へ転がって弾幕から逃れた。

「お前の相手は俺だ」

 カリスは腰のベルトからバックル部分『カリスラウザー』を取り外してカリスアローの真ん中に取りつけ、右腰のホルスターからカードを1枚取り出した。

「こいつめ!」

 それを見たウルフUとディアーUは起き上がってカリスに向かおうとした。

「待てっ!」

 しかしウルフUはブレイドが斬りかかって制し、ディアーUは慧音の赤と青の弾幕を浴びて身じろぎした。

『 Floatフロート 』

 カリスラウザーにトンボが描かれた『4 FLOAT』のカードを通すと、始の体は宙に浮かび上がった。

<カリス初期AP 7000>
<『FLOAT』消費AP 1000>
<カリス残りAP 6000>

 飛びあがりつつフォースアローを撃つカリス。イーグルUはそれを素早く避ける。

「貴様・・・!」

 呪詛のような呻き声をあげ、イーグルUも弾幕で応戦を始めた。もう妹紅の事は眼中にない。どうせ3対2だった数的優位は、慧音とカリスが現れた時点で3対4とひっくり返されてしまっている。
 妹紅はというと、カリスとイーグルUが空中戦を始めたのを呆気に取られて見ていたが、

「妹紅!」

 慧音の声にはっと顔を上げる。

「こっちは私達が引き受けます! あなたは相川始を援護して下さい!」

 言われて、頭を巡らせる。
 4対3。数はこちらの方が多い。さっきまでアンデッド達は空を飛べる自分を同じく飛べるイーグルUが足止めして、一真を1対2で倒す算段だった。だから今度は他の2体を一真と慧音が食い止め、アンデッド側で唯一飛べるイーグルUを2人がかりで倒すという事か。

「わかった! 気をつけて!」
「ええ、あなたも!」

 イーグルUとカリスの方へ飛んでいく妹紅を見送りながら、慧音はディアーUに弾幕を浴びせ続けた。

「一真、こいつらは我々が抑える! いいか!?」
「ああ!」

 ウルフUと組み合いながらブレイドが大きく声を上げる。



 黒い爪と光の矢が飛び交う蒼天。さらに赤い炎の弾も空を切り裂く。

「く・・・!」

 2方向からの弾幕はさすがに避けにくく、呻くイーグルUは後退して距離を取った。

「お前が藤原妹紅か」

 すぐ横まで上昇してきた妹紅に、始が声をかける。

「上白沢から聞いている。剣崎と一緒に戦っているそうだな」

 剣崎に上白沢という呼び方に一瞬違和感を覚えてしまったが、それはひとまず置いておく。

「私もあんたの事は聞いてるよ。アンデッドなんだって?」

 表情は変わらなかったが、なんとなく嘆息が聞こえた気がした。

「口の軽い奴だ」
「気にするな。私も同類だ」
「それも聞いている」
「そう」

 そうでなければ、初対面の者に協力はしてくれないだろう。イーグルUが体勢を立て直し、2人の上方へ位置取った。

「戦うのは構わないが、俺の邪魔はするな」

 そう言い残し、カリスは横へ滑るように飛んで行った。イーグルUの側面へ回り込むつもりのようだ。

「・・・まあ、いいけどね」

 冷淡なセリフに片眉をひそめる。なんとなく彼は本当にアンデッドだという実感が湧いてきた。

「おのれ――ジョーカー!」

 イーグルUが憤激のこもった声で叫び、カリスと妹紅とに爪を撃つ。

「俺をその名で呼ぶな――!」

 フォースアローで応じるカリスの声にも微/かに怒気が混じる。

「その姿で――よくもカリスの姿でまた私の前に現れたな!」

 爪と炎と矢が宙で交錯し、一部は衝突して砕け散る。

「貴様からカリスを取り返し、解放してやる!」

 妹紅はイーグルUの言葉に疑問を抱いた。

(カリスを解放って、どういう意味だ?)

 始の正体がジョーカーというアンデッドだという事は聞いているが、カリスというのも始の事ではないのか?
 疑念が脳裏をよぎるが、今はそれどころではないと頭を切り替え、次に切るカードを考えながら炎を撃ち続けた。




「『エフェメラリティ137』!」

 慧音は赤と青の弾幕で牽制しながらスペルカードを宣言、ディアーUの左右に白い弾幕を発射した。その白い弾が泡のように弾け、赤と青の弾幕が飛び散る。
 左右から波のように包み込む弾幕にディアーUは飲み込まれていった。時間にして1秒程度。弾幕が命中する音が何十と響く赤と青の空間から、ディアーUが慧音の目前へ飛び込んできた。

「!」
「グォォォッ!」

 七支刀が振り下ろされる。だが慧音はそれから逃げるどころか逆に踏み込んだ。

「ふんっ!」
「ウッ!?」

 どてっ腹に頭突きを受け、ディアーUはバランスを崩して倒れた。ダメージそのものは微々たるものだが、アンデッドを転倒させる程度のパワーはある。慧音は頭を軽く払いつつ後ろへ飛び退き、弾幕を再開した。

「・・・・・・」
「・・・・・・」

 慧音の頭突きがあまりにも見事だったので、その様子をちらりと見ていたブレイドとウルフUは剣と爪を交えた姿勢のまま、一瞬動きを止めてしまった。

(すっげぇ頭突き・・・)
(あの女も人間ではないのかもしれんが・・・アンデッド相手によくやる)

 だがそれも一瞬だけ。同時に相手を押し返し、少し空間的余裕を作った上で得物を振るう。刃と刃がぶつかり合い、剣戟の響きが刹那に消え、静寂が生まれる。
 ウルフUは退かない。余裕を与えればカードを使われる。だがイーグルUの作戦で勝てる見込みは薄くなってしまった。『ヤツ』が――忌むべき存在がこの場に現れてしまった事で。こうなったらブレイドだけでも倒す。その意志を押し通すために。
 一真も退かない。この戦いにおいて、アンデッドを封印する役目は自分である必要はない。
 始が助けに来てくれた。
 かつては心から憎み合い、剣を交えた男。それが、こんな別世界にまで駆けつけてくれた。その事がとても嬉しくて、一真の意気は高揚していた。彼の強さはよく知っている。始と妹紅、信頼できるこの2人に任せておけば大丈夫だ。助けに来てくれた始のためにも、自分は絶対に後ろに下がらない。思いには、思いで答えなければならないから。



 3人は空中で射撃戦を繰り広げていたが、膠着状態に業を煮やしたらしいイーグルUが、カリスに対し弾幕での牽制から接近戦に持ち込んだ。

「死ねっ!」

 幾度も爪を振り回すイーグルU。明らかに頭に血が上っている。冷静なこいつが、らしくない――そう妹紅は思った。
 2人が接近戦に入ったので弾幕は迂闊に打ち込めず、妹紅はいつでも動けるように身構えながら、一時成り行きを見守る事にした。
 カリスは落ち着いて攻撃をいなすが、流石に空中戦はイーグルUに分があるようだ。上からかぶせるように両腕を振り下ろされ、カリスがそれを防いだ瞬間、蹴りがカリスの腹に打ち込まれる。

「ぐっ!?」

 わずかに体を曲げるも、次々に振るわれる爪を防ぐ。だがいずれも際どく、畳み込まれつつある。

「いけない――!」

 妹紅は静止状態から一気に加速した。

「はぁぁぁっ!」
「うぐっ!」

 ついにカリスは数回目の攻撃を胸に受けた。

「こいつ!」

 更に攻撃しようとしていたイーグルUの背中に体ごとぶつかる。攻撃の手を一瞬止める事は出来た。妹紅が即座に離れたその直後、カリスがイーグルUの胸をX字に斬りつける。

「くっ!」

 力任せに横から叩きつけられた爪をカリスアローでブロックするが弾き飛ばされるカリス。今度はその直後にイーグルUの背中に炎が爆ぜる。

「こうるさいっ!」

 自分を標的に定めたイーグルUに、妹紅は札を投げつつ炎も発射する。イーグルUはそれらをすり抜けるように妹紅へ近づきながら爪を撃ち返す。

「私の邪魔をするな!」
「さっきまで落ち着き払ってたのに、一体何をそんなにムキになってるんだ?」

 イーグルUに疑問を投げかける。気を散らせる狙いもあるが、それ以上にただ気になっていた。

「黙れ! アンデッドですらない貴様に何がわかる!」

 互いに撃ち合いながら、空中を縦横無尽に駆け回る。

「私はカリスとの――友との約束を果たさねばならぬのだ!」
「友との約束――?」

 その言葉に驚いた直後。

「お前の都合につき合う義理はない」

『 Bioバイオ 』

「!?」

 後方から重なるように聞こえたその声にイーグルUが振り返った時、植物の蔓のようなものが2本、イーグルUの両腕に巻きついた。
 目でその蔓を辿ると、カリスの背中から2本の蔓が伸びていた。その手には2本の触手と大きな口を持った動物とも植物ともつかない怪物の絵柄のラウズカード『7 BIO』が握られている。

<『BIO』消費AP 1600>
<カリス残りAP 4400>

 蔓に絡め捕られ、動けないイーグルUにカリスがフォースアローを撃ち込む。
 この好機を逃すまいと、妹紅もスペルカードを取り出した。

(悪く思うなよ)
虚人きょじん『ウー』!」

 カリスを睨みつけながらもがくイーグルUの背中に向かって、妹紅の手から3本の炎の筋が走る。炎は爪のようにイーグルUの背中を切り裂き、2つの翼が根元から切り落とされた。

「ぐあああっ!」

 イーグルUの背中に刻まれた3本の爪痕や翼の切断面から緑の体液が飛び散り、切断された翼は落ち葉のように地上へ落ちていった。蔓が消え、翼をなくしたイーグルUの体も地上へ吸い込まれるように落下していく。それを見下ろしながら、カリスは2枚のカードをカリスラウザーに読み込ませた。

『 Drillドリル 』
『 Trnadeトルネード 』

『 Spiningスピニング Attackアタック 』

 ドリルがついたオウムガイのような生き物が描かれた『5 DRILL』と、翼を大きく開いた鷹の絵の『6 TRNADE』がラウズされ、2つのカードから四角い光がカリスの胸部に吸い込まれる。

「ハァァァッ!」

 カリスは両腕を胸の前で交差させながら、全身を捻り込んで駒のように回転し、重力に逆らえないでいるイーグルUに突っ込んでいった。
 周囲の空気が彼の周りに収束していき、風がその回転に沿って巻きつくように黒い体を包み込む。小さい竜巻のような空気の渦がカリスの足先を頂点とする三角錐を形成し、その中にいる黒い姿は猛烈な速さで回転していて霞んで見える。

<『DRILL』消費AP 1200>
<『TRNADE』消費AP 1400>
<カリス残りAP 1800>

 黒い旋風が空気を切り裂き、無防備な状態だったイーグルUの横腹に三角錐が先端から衝突した。

「うわああああぁぁぁぁっ!!」

 激しい衝撃音と、何かが砕けるような鈍い音、そして悲鳴が同時に青空に響き渡る。地上で戦っていた4人が見上げると、不自然に折れ曲がった大きな体が、宙で滅茶苦茶に回りまくりながら吹き飛んでいた。
 直後、その体は空中で赤い閃光と爆音を発し、爆発した。炎を上げるイーグルUの体はばさっと意外に軽い音を立てて落下、直後にカリスも地上に降り立った。

「やった!」

 ウルフUと一進一退のインファイトを続けていたブレイドは快哉の声を上げた。

「クソッ! おい!」

 イーグルUがやられたのを見て取ったウルフUはディアーUに指示を出し、ブレイドを突き飛ばした。ディアーUの角から電気が走り、ブレイドと慧音の周囲に数発の稲妻が落ちる。

「うっ!?」

 咄嗟に防御姿勢を取ったブレイドと慧音だったが、彼らには落雷は当たらなかった。しかし2人が顔を上げた時にはアンデッドの姿はなかった。

「逃げられたか!?」
「妹紅! やつらは!?」

 慧音が上方の妹紅へ声を上げる。

「ごめん、わからない。逃げ足の速い奴らだ」

 妹紅が謝るが、一真も慧音も責めない。3人が立ち込める煙の源に目を向けると、イーグルUが炎の上がる体を横たえ、漆黒の戦士がそれを傍らで見下ろしていた。


◇ ◆ ◇


 ウルフUの心中は苦々しかった。同じ相手に対して3日間に2度も撤退を余儀なくされたからだ。息を切らせて駆け込んだ先は、昨夜イーグルUとディアーUに遭遇した森。
 イーグルUを見捨てて逃げたように見えるが、あの状況は不利を挽回できまかったイーグルUの自業自得だ。こっちもひっくり返されまいと必死だったのに。自分の体へと視線を下せばブレイドに斬られた傷がいくつも目に入る。ディアーUも弾幕を受けた小さい傷跡が全身を覆っている。
 最初はイーグルUの作戦が的中し、有利なはずだった。ヤツが現れるまでは。

「カテゴリーAと1万年前の勝者を封印していたか・・・やはりヤツは恐るべき存在だ」

 予期せぬ乱入者の姿を思い出し、手を強く握りしめる。

「冷酷な殺し屋――ジョーカー」

 畏怖の念を抑え込んだ声が、暗い森の中に吸い込まれていった。


◇ ◆ ◇


 原型は留めながらも燃え上がるイーグルUのバックルはすでに開いている。

「ふ・・・また負けたか・・・」

 並んで自分を見つめる2人の少女と、青と黒のライダーにゆっくり目をやるイーグルU。

「今回はカリスの姿を目にしたからといって油断などしなかったのだがな・・・」
「カリスの姿・・・?」

 つぶやく妹紅。慧音がそれを受けて口を開く。

「カリスというのは、ハートのカテゴリーA・マンティスアンデッドの事です」

 言われて、始が変身に使ったラウズカードの事だと思い至った。

「ジョーカーはラウズカードに封印されたアンデッドの姿や能力をコピーする事が出来るのです。今の彼はマンティスアンデッド・・・カリスではなく、マンティスアンデッドの姿を借りたジョーカーなのです」

 その言葉でイーグルUが言っていた事のほとんどがようやく理解でき、妹紅はゆっくりと頷いた。

「友・・・っていうのは、そのマンティスアンデッドの事なのか?」
「そうだ・・・太古に約束を交わした、私の友だ・・・」

 苦しそうに声を発するイーグルU。つまりイーグルUは、友を封印した上、その姿に変身している始が許せなかったのだと妹紅は考えた。

「約束って何だ?」

 そして最後に1つだけ、まだわからない点を口にした。

「互いに勝ち続け・・・そして最後は2人で、最高の敵として勝利を賭けて戦おう・・・と・・・」
「友と・・・殺し合う約束を!?」

 妹紅は驚きの声を上げた。

「貴様らから見ればおかしいだろうな。だが私達はアンデッドだ。その存在価値は戦う事以外になく、自分以外のアンデッドは全て敵。ならば、永遠に続くこの戦いに目的を持って何が悪い?」
「――!」

 永遠の戦いに目的を。その言葉を耳にした瞬間、妹紅の脳裏に輝夜の姿が閃いた。
 イーグルUはゆっくりと右手を上げ、

「その2人もそうだ。今は手を取り合っていても、いずれは戦い、雌雄を決する運命にある――」

 ブレイドとカリスを震える手で指し示し、絞り上げるように言った。

「運命からは逃れられんぞ・・・」

 死にかけと言える状態の割には饒舌だなと意識の隅で考えながら、妹紅はイーグルUが力なく腕を落とすのを見ていた。
 カリスがイーグルUに背を向ける。

「剣崎、封印しろ」
「あ、ああ・・・」

 ブレイドがブレイラウザーのトレイを開いてカードを取り出し――その時、ブレイドの手が一瞬止まったのに妹紅は気づいた――イーグルUに投げつけた。封印される事を受け入れたかのように微動だにせずカードの中に消えていくイーグルUの姿には高潔ささえ感じられた。
 そして黄金の鷲が描かれた『J FUSION』のカードが一真の手に受け止められた。
 初めて遭遇し、苦戦した相手を封印したにも関わらず、妹紅の心境は複雑だった。
 変身を解除しているブレイドから目を離すと、カリスもまたカードを手に取っていた。

「――?」

『 Spiritスピリット 』

 カードが、カリスアローからベルトに戻されたカリスラウザーに通される。そのカードには『2 SPIRIT』と書かれており、その絵柄は動物ではなく、人に見えた。ラウザーからピンクの光の壁が現れる。彼がその光を歩いて通り抜けると、カリスの姿から人間の姿へと変わった。
 妹紅はその光景に何か引っかかるものを感じた。
 と、

「始、よく来てくれたな!」

 一真が始に駆け寄り、肩に手を置いた。

「お前を助けに来たんじゃないと言っただろう」

 始はその手を払いのけ、つっけんどんに言い放つ。
 その時、妹紅は始が鎖骨のあたりに傷を負っている事に気づいた。小さい切り口だが、そこから緑の液体がにじみ出ている。一真にもそれが目に入り、表情を一瞬固くした。始は2人の気配を察したのかシャツで胸元を隠した。しかし一真は次の瞬間に明るい表情を見せ、

「そんな冷たい事言うなよー、大変だったんだぞ。6体も解放されちゃって、一昨日だけで3体も封印したんだからな」

 言いながら、一真はポケットからラウズカードを取り出して始に見せつけた。わざと明るく振る舞おうとしているのが見え見えだった。

「3体か。1人にしてはまあまあだな」
「へへっ、すごいだろ? でもさ、俺1人でやったんじゃないんだ」

 妹紅の両肩に手を置く一真。

「この妹紅に助けてもらったんだ。こいつ、すごく強いんだよ。お前もさっき見ただろ?」

 そう言う一真に、始は初めて笑顔を見せた。といっても口の端をわずかに上げた程度のものだったが。

「確かに、お前よりは頼りになりそうだ」

 そう言われて笑ったままひきつった一真の顔を見て、妹紅は思わず笑いそうになって口を押えた。

「そういえば慧音、なんでお前がいるんだ?」

 にやつきながら慧音に聞く。

「彼が私の所を訪ねて来た時に、あなた方が戦っている事に気づいたんです。私は歴史を見て、彼はアンデッドの気配で」
「始が慧音を?」

 一真がつぶやくと、始は目だけを彼に向けた。

「博麗から言われてな」
「博麗って・・・霊夢の事?」

 幻想郷では霊夢を『博麗の巫女』と呼ぶ事はあっても、『博麗』と姓で呼ぶ者はほとんどいない。なので妹紅はどうにも違和感を感じてしまう。

「ちゃんと話しておきましょうか。先ほど彼が私の家を訪ねてきて――」



「剣崎・・・剣崎一真の事か?」
「そうだ。博麗霊夢から、お前が知っていると聞いている」

 家の玄関、戸口の外と中で向かい合う慧音と始。

「お前は、相川始か?」

 始の表情が険しくなる。

「なぜ知っている」
「一真から話は聞いている。ジョーカーが人間の姿を借りて、そう名乗っているとな。それと――」

 慧音は腕を組んだ。

「霊夢からこれは聞いていないか? 私は歴史を知る事ができる。だからお前のその姿は、人間の始祖・ヒューマンアンデッドだと知っている」

 彼の姿を見たその時点ではヒューマンUの事には思い至らなかったが徐々に思い出し、一真の名前が出た瞬間にそれらの事実が繋がった。
 彼女を睨みつける始の視線が警戒の色を帯びる。慧音はそれを正面から見つめ返す。彼が発する威圧感は強烈で、少しでも気を緩めると押しつぶされそうだった。

「幻想郷の中にいては外の世界の歴史を見る事はできないが――その2つを総合すれば、ジョーカーがヒューマンアンデッドに変身しているのだろうという事は想像できる」

 始はしばらく無言で慧音を睨んでいたが、やがて口を開いた。

「・・・博麗からここはおかしい世界だと教えられたが、これほどとはな」
「博麗・・・ああ、霊夢の事か」

 始からのプレッシャーが軽くなり、慧音も内心ほっとしていた。

「この世界にはアンデッドのような不老不死の人間がいると聞いたが本当か?」
「ああ、本当だ」
「剣崎がそいつと行動を共にしているらしいとも聞いた」
「それも本当だ。あの2人は気が合うようでな」
「今、どこにいる?」
「多分、彼女の家に泊まったはずだ」
「彼女・・・女か?」
「そうだ」
「そいつの名前は?」
「藤原妹紅、私の友人だ。少々やさぐれているが根はいい奴だ」
「そいつの所へ案内してもらおうか」
「構わないが・・・色々聞きたい事がある。後で聞いていいか?」
「好きにしろ」
「じゃあ調べるから少し待ってくれ。取りあえず、上がっていいぞ」

 そう言うと慧音は卓の前に座り、おもむろにハクタクに変身した。靴を脱いで上がった始はそれを見て大きな目を見開いた。

「・・・お前、人間じゃないのか」
「半分違う」

 リボンの巻かれた角を凝視する始を尻目に、慧音は妹紅の歴史を調べ始めた。と、その時、始ははっと横へ振り向いた。

「!」

 そして直後、慧音の顔も驚愕に染まった。

「何――!?」

 角を引っ込め、慌てて立ち上がる慧音。

「始、妹紅と一真が今、アンデッドと戦っている!」
「そうか、この気配は剣崎達を襲っているんだな」

 慧音には目もくれず、始は外へ飛び出した。

「待ってくれ、始! 私も連れて行ってくれ!」

 慧音も靴を足にひっかけながら戸外へ身を躍らせた。走る始を追いかけるが、大柄とは言えない体格のくせにかなり速い。この状況にデジャヴを感じながら里の門を出ると、立っていた見張りの男が、バイクにまたがる始を何事かと見ている。その男が慧音の姿を認めると慌てた様子で声をかけてきた。

「あ、先生。この男、博麗の巫女の紹介で先生に会いに来たと言ってましたが――」
「あの妖怪が出現した。これから彼と一緒に退治しに行ってくる」
「えっ? あの、先生――」
「心配はいらない。里が襲われないようにしておく」

 浮足立つ彼らに背を向け、始の乗るバイクへ近づくが、彼女はそこで固まってしまった。

「一緒に来るんだろう? 乗れ」
「・・・なあ、あまりスピードを飛ばさないでくれるか?」

 無意識に背中を丸くして頭を下げながら慧音が頼むが、

「時間がないとわかっているだろう」

 ぴしゃりと切り捨てられ、慧音は重い気持ちで始の後ろに乗った。

「行くぞ」

 内心びくびくしながら始の乾いた声を聞き、やがてバイクが走り出すときゅっと目を閉じて彼の体にしがみついた。思っていた程早くない事に気づいて顔を上げたのは、しばらくそのまま走ってからだった。



「・・・慧音。こないだの、そんなに怖かったわけ?」
「いえその、まあ・・・夢でうなされるくらいに」

 慧音に半眼でじろりと睨まれ、妹紅からも同じような視線を向けられて一真は目を泳がせた。4人は車座になっていて、妹紅・慧音・一真・始の順に並んでいる。

「でもさ始、お前どうやって幻想郷に来たんだ?」

 左に座る始に顔を向け、慌てて話を逸らそうとする一真。始はそれらのやりとりを見ていながらも表情に何の変化もなかった。

「呼び寄せられたんだ」
「呼び寄せられた?」

 慧音が前のめりになりながら聞き返す。妹紅と一真は顔に疑問符を浮かべるだけだ。

「アンデッドの本能が、あの神社へ俺を引きつけた。誘導するようにな。恐らく統制者の仕業だ」
「統制者?」

 妹紅がつぶやく。それと同時に、慧音は地面に両手をついて勢いよく身を乗り出した。

「それは間違いないのか!?」
「ああ、それ以外に有り得ん。恐らく全てのアンデッドに対して、この世界へ来るように統制者が働きかけているんだ」

 慧音の表情が真剣なものに変わった。

「やはりそういう事か・・・」
「どういう事? 統制者って何?」

 と、妹紅が慧音に尋ねる。

「統制者というのは――」


~少女講義中・・・~


「――つまり今回のアンデッドの襲来は、統制者によって仕組まれたものだったのです」

 慧音は昨日藍に話した事を妹紅らに説明し、その言葉で締めくくった。

「まさか、幻想郷を滅ぼそうとしているなんてね・・・」

 両膝を立てて座る妹紅は、こめかみのあたりに手を当てながら苦い表情を浮かべている。

「そういえば始。さっき、全てのアンデッドが幻想郷に引きつけられてるって言ったよな? って事は、また別のアンデッドが来るかもしれないって事か?」

 妹紅と同じようにずっと厳粛な顔をしていた一真が始に問いかける。始は慧音が話している間もずっと表情を変えなかった。

「この世界に入る前に神社の近くでジョーカーの気配を発しておいたからほとんどは近づいてこないと思うが、それも一時しのぎにしかならんだろうな」

 それに慧音が続ける。

「弱まった結界を元に戻せば幻想郷へ入る事はもちろん、位置さえわからなくなるはずだが・・・八雲紫次第か。それに外からの侵入はそれで防げても、すでに侵入したアンデッドを排除しない事には・・・」
「つまり、アンデッドを早く封印しなきゃいけないって事だろ?」

 言うなり、一真はすっくと立ち上がった。

「幻想郷は、人間と妖怪が一緒に生きていくために作られた世界なんだろ? 統制者はその人間と妖怪の共存っていう理想そのものを否定しているんだ。そんな事、許せるか!」
「一真の言う通りだ。この世界がなくなったら、私も慧音も住む場所がなくなってしまう。幻想郷が滅びるなんてごめんだ」

 右手を握りしめる一真の強い口調に、妹紅も同調の声を上げる。2人は目を合わせ、互いに頷き合った。その目からは強い意志が感じ取れた。
 慧音と始はじっと2人を見つめていた。

「始、お前も力を貸してくれるだろ?」

 その始に一真が言う。

「この世界がどうとか、そういう事に興味はない」

 一真から目を離し、そっけなく答える始。

「だが、アンデッドは封印する。それだけだ」

 そう言った始の目は、刃物のように鋭い眼光を放っていた。すると一真は妹紅と慧音の方をばっと振り向き、

「2人とも、始も幻想郷を守るために協力してくれるってさ! よかったな!」
「お前は話を聞いていたのか」
「まあまあ、細かい事は気にするなよ」

 笑顔で言う一真に始が顔を少ししかめてつっこむ。先ほどの険しい表情は一瞬で消えた。

「よし、そうと決まったら今逃げたあいつらを追うか。そう遠くへは――」
「剣崎」
「何だ、始?」

 一真の言葉を遮りながら立ち上がった始は、いきなり一真の背中を叩いた。

「いてぇ!?」

 叩かれた背中を仰け反らせ、たたらを踏んで叫ぶ一真。

「さっきの戦いでだいぶ痛めているだろう。無理をするな」

 妹紅は、悶えている一真のシャツを後ろからめくった。

「うわ、お前すごい腫れてるじゃないか!? なんで言わないんだよ!」

 ミミズ腫れが何筋も浮き上がっている背中を見て驚きの声を上げる。

「いや、大丈夫だってこれくらい――」

 バチィッ!

「いってぇっ!?」

 妹紅の全力の張り手を背中に見舞われた一真は絶叫を上げて大地に崩れ落ちた。

「ったく、どこが大丈夫なんだか。これじゃ退治されるのはお前の方だよ。今日はおとなしくしとけ」

 片眉を吊り上げて両手をポケットに入れながら、地面に手をついて悶絶する一真を見下ろす妹紅。

「・・・容赦のない奴だな」

 始はぼそりとつぶやいたが、妹紅は聞こえない振りをした。

「始、お前はどうする?」

 苦笑を浮かべて頬を指でかいていた慧音が始にそう言うと、始は立ち上がり、

「今はアンデッドの気配は感じられない。初めて訪れた土地で闇雲に探すのは時間の無駄だ」
「それなら私が歴史を見ればすぐにわかるぞ」
「そういえば、昨日見たヤツの居所もわかるよな?」

 悶えている一真をにやにやと見下ろしていた妹紅がそう聞いた。

「昨日見たヤツ?」
「うん。緑の体に4枚の翼を持ったアンデッド。もしかしてさっき言ってた、幻想郷に入り込んだ新しいアンデッドかな」

 慧音と始は眉根をひそめて顔を見合わせた。

「そんなヤツを見たんですか?」
「うん。何ていうアンデッドかわかるか?」

 慧音に聞かれて答える妹紅。慧音が始を振り返ると、始は訝しげな顔つきのままわずかに首を傾げた。

「そんなアンデッドはいない」
「え?」
「53体いるアンデッドの中に、緑色で翼が4枚あるやつなど見た事がない」
「私もアンデッドの歴史は調べた事がありますが、そんな個体は知りません」

 漂い始めた不穏な空気に、地面に手をついていた一真も顔を上げた。

「そういえば、あいつ封印できなかったんだよな。って事はアンデッドじゃないのかな。あ、でもアンデッドじゃないやつにカード投げても戻ってくるはずなんだけど・・・」

 妹紅が3人の顔を見比べてると、顎に手を当てて考え込んでいた慧音が口を開いた。

「始、今日の所はアンデッドを探すのは待ってもらいたい。調べたいのでな」
「・・・いいだろう」

 始は両手をポケットに入れながら、ただ一言。

「慧音。わかるかな、そいつの事」
「もし幻想郷ができた後の時代に現れたのなら・・・私にはわからないでしょうね」

 困った表情で頭に手を当てる慧音。

「でも、この幻想郷でどうしているかならわかります。とりあえず一度里に戻りましょう。おや、もうこんな時間だ」

 慧音は空を見上げてつぶやいた。もう西の空が赤く染まりつつある。

「お前の話が長すぎたんだ。剣崎なんか、寝てしまいそうになっていたぞ」

 始が毒づく。
 先ほどの慧音の説明が詳細すぎてかなりの時間を費やしてしまっていた。途中、何度も寝落ちしそうになっていた一真を、妹紅が肘で小突いたりつねったりして必死に阻止していた。気づかれたら頭突きが待っているからだが、慧音自身は説明に夢中だったのでなんとかバレずにすんだ。背中が痛むのに眠くなるほど慧音の話し方は堅苦しく単調だったのだ(ちなみにその妹紅もけっこう眠かった)。
 あくびをしながらブルースペイダーにまたがる一真に慧音が半眼を向けたが、本人は気づいていない(今の始の声も聞こえていなかった)。

「ああ、腹減ったな」

 そう言って一真は腹を押さえる。それを見て妹紅は天を仰いだ。

「なんか私もだよ。慧音、里はどこか店空いてるかな?」
「確か、うどん屋が開いていました。今日は私がおごりますよ」
「いいのか? 悪いな」

 一真は慧音に頭を下げ、彼女の厚意に甘える事にした。妹紅も慧音からよくおごってもらうと言っていたし、幻想郷の金を持たない手前、しょうがない。

「始も食うだろ? うどん」
「腹など減っていない」

 腹をさすりながら言う一真に、始はヘルメットをかぶりながらぶっきらぼうに答える。

「でもこの間、俺が作ったメシは食べたじゃないか」
「あの時は消耗した体力を早く回復したかっただけだ」
「まあそう言わずにさ。ほら、あれだよ。作戦会議。うどん食べながらさ」
「・・・まあいいだろう」

 始の後ろに慧音も乗り、2台のバイクは里を目指して走り出した。

(・・・・・・)

 一真の背中に触れないように気をつけながら、妹紅はブルースペイダーに並走する始に目を向けた。
 冷たい感じはするが、悪い人間ではないように見える(というか人間ではないのだが)。一度は憎んだと一真は言っていたが、2人のやり取りを見るとそういう風には感じられない。一真が構って、始はそれを邪険にしているようでまんざらでもない様子だ。反りが合わないなりに親しくしている友人同士と見えない事もない。

(相川始・・・ジョーカー・・・)

 一真から聞いた話からは始に対する具体的なイメージは抱けなかったが、自分と輝夜に近い関係ではないかと類推していた。しかし実際は、自分達よりも踏み込んでいるように感じる。
 もしも自分か輝夜のどちらかが歩み寄ることがあれば、自分達も――

(私は何を考えてるんだ。あいつと歩み寄るなんて――!)

 自分の脳裏に浮かんだ考えにおぞましさを感じて、妹紅は思わず一真の背中に額を押しつけた。

「あだっ!?」
「おわぁ!?」

 急に妹紅の体が激しく揺さぶられた。いきなり背中に痛覚が走った一真の手元が狂い、ブルースペイダーが蛇行したからだ。慌てて一真の背中に強くしがみつくと、一真の暴走がひどくなってしまった。

「いでででで!? おい、背中っ!」
「うわわわわわ!」

 滅茶苦茶に揺れる車体上で2人がパニックに陥っているのを、始は冷ややかに見ていた。

「何を遊んでいるんだ、あいつらは」
「仲がいいんだよ。家に泊めるほどだからな」

 慧音が微笑ましいという表情で右往左往するブルースペイダーを見ながらつぶやく。

「・・・それは冗談で言っているのか?」
「ユーモアは割と理解しているんだな」
「まあな」

 ブルースペイダーが減速しながら倒れ、一真と妹紅も両腕を投げ出して倒れ込んだのを尻目に、始のバイクは里へ走り続けた。


◇ ◆ ◇


 うどん屋の席で、妹紅と始は卓を挟んで向かい合って座っていた。
 今は慧音が一真を里の医者の所に連れて行っている所で、それが終わったらここで4人で食事をすることになっている。さっき妹紅が、一真の痛めた背中を悪化させてしまったためだ。彼女達以外に客はおらず、店内は閑散としていた。

「・・・・・・」

 妹紅は卓に頬杖をついて始の横顔を見ていた。
 入ってから数分経つが彼は何もしゃべらず、時々出された水を口につけるだけだった。胸元の傷はもうふさがっているようだ。いつの間にか緑の血も拭き取られていた。数分間見ていて彼の顔に違和感を感じたが、その理由がわかった。瞬きが少ないのだ。

「俺の顔がどうかしたか?」

 と、始が顔も向けずに急に口を開いた。

「え、いや別に」

 不意打ち気味に話しかけられ、慌てた妹紅は顔を隠すようにお品書きを手に取った。

「あー始、お前何食べる?」
「どれでもいい。本来は何も食べなくても構わん」

 思わず顔を上げた。始は顔を背けたままだ。

「ただ、人前で全く食べないと怪しまれるからな。一応、腹の減ったふりはする」
「・・・やっぱり、一緒なんだな」

 お品書きを下ろしてうめく。始はそこでようやく妹紅に目を向けた。

「お前、人間の家族と一緒に暮らしてるんだって?」
「ああ」
「どんな人達?」
「・・・・・・」

 始はしばらく押し黙っていたが、やがてポケットから1枚の写真を取り出して卓の上に置いた。
 男性と女性、そして10歳ほどの少女。一目で家族だと知れた。3人とも寄り添って幸せそうな笑顔を浮かべている。妹紅は不意に1000年以上前に死んだ両親を思い出し、顔をほころばせていた。

「いい写真だな、これ」
はるかさんと天音ちゃんだ。父親は去年死んでしまって、俺が訪れるまで2人きりだった」
「大変じゃないか? アンデッドだって事をごまかすの」
「最初は常に神経を使っていたが、最近は多少慣れた。とはいえ、時々ひやりとする事がある」
「そっか・・・」

 伏し目がちに肩をすくめる。

「普通の人間に混じって、普通じゃないってバレないようにするの、難しいよな」
「・・・そうだな」

 短くつぶやく始に写真を返す。

「一真は知っててお前とつきあってるんだよな?」
「俺にはあいつの考えている事が理解できん。最初に会った時から、今でもそうだ。それ以前に――」

 ポケットに写真を仕舞いながら、始はかぶりを振る。

「人間の姿で過ごして1年と少し経つが、未だに人間の考えている事はよくわからん。誰も彼も考え方が大きく異なる」
「正直、私もそう思う。1300年生きてきてたくさんの人間を見てきたけど、それでもいまいちよくわからないよ。人間って色々いるからな。だけど、あいつはわかりやすいだろ」
「だから余計にわからない。あいつは他の人間達とだいぶ違う。人間とはどんな生き物なのか、あいつを見ているとわからなくなる」

 妹紅はあははと笑った。

「ま、珍しい人間には違いないな。でもああいうのがいて、むしろありがたいんじゃないか? 私達にとっては」
「・・・・・・」

 少し間を置いて、始は妹紅にちらりとだけ目を向けた。

「お前には剣崎が理解できるか?」
「会ってまだ2日しか経たないけど」

 笑みを見せながら頬杖をつく。

「確かにわかりやすすぎるくらいわかりやすいよな。そしていい奴だ。だからなんか放っとけないんだよな、あいつ。いい奴過ぎて危なっかしいから」
「それは同意見だ」

 そう言った一瞬、始の口元が緩んでいたように見えて、妹紅もにっこり笑った。

「お待たせしました」

 声に振り返ると、慧音と一真が入ってきていた。

「どうだった?」
「打撲程度で大したことはないってさ。背中に塗り薬をつけてもらったよ」

 割とにこやかな表情でそう言いながら、一真は妹紅の隣に腰を下ろす。慧音も始の隣に座った。

「ああ、腹減った。早く食べようぜ」
「ちょっと、臭うよお前」

 一真の体から漂う塗り薬の臭いに、妹紅は顔をしかめて鼻を押さえながら顔を背けた。

「お、俺だって臭いんだぞ!?」

 言い返そうとした一真だったが、慧音も顔の前で臭いを払おうとするように手を横に振り、始までぎろりと一真を睨みつけている。3人の顔を見比べた一真は、彼女らの視線を避けるように慌ててお品書きで顔を隠した。

「え、えっと・・・俺、かきあげうどん大盛り!」



 数分後、出されたかき揚げうどんを一真は勢いよくすすっていた。

「美味いな、ここのうどん」
「食いながらしゃべるなよ」

 口をいっぱいにしながら、もごもごとしゃべる一真を妹紅がたしなめる。

「行儀の悪いやつには慧音が頭突きするぞ」
「んぐっ!?」

 意地悪くささやかれ、一真は喉にうどんを詰まらせかけた。慧音が半眼で睨んでいる。忍び笑いをしながら、咳き込む一真に水を差し出す妹紅。ごくごくと水を飲む一真を見て、慧音は小さく嘆息してきつねうどんをすすった。

「子供じゃないんだ、しつけがなっていないとか言われるんじゃない」
「わかってるよ・・・」

 山菜うどんを口に運ぶ始に、一真は口を尖らせた。

「しつけというものを理解しているのか?」

 慧音が始に問いかける。

「何度か、天音ちゃんが叱られる所を見た事がある。なるべく俺に見せないようにしているようだがな。俺にもあまり甘やかさないでほしいと言われた」
「天音ちゃんも気分の差が激しいからな。お前がいると大抵ご機嫌なんだけど」

 一真が食べる手を止める。

「お前がいなくなっちゃった時はホント、見てて可哀想だったんだぞ」
「・・・悪かったな」

 そう言われた始の顔からは、申し訳なさそうな表情が少し伺えた。

「つうか、何も言わずにこんな所に来てよかったのか? ここ、携帯つながらないぞ」
「それは大丈夫だ。何日か泊りがけで写真の撮影に行くと言ってある。状況が過去に例のない異常さだったから、時間がかかると踏んでな。携帯はわざと置いてきた」
「そうか。ってカメラは?」
「駅のコインロッカーに置いてきた」
「人間の社会がだいぶわかってきたじゃないか、お前」
「箸をこっちに向けるな」

 始はそう言い捨てて無表情に、一真は楽しそうに笑いながらうどんをすすった。

「でさ、アンデッドはどうする?」

 と、月見うどんを食べていた妹紅が口を開いた(輝夜に勝つために縁起を担いでいるらしい)。

「幻想郷にいるアンデッドはあと2体・・・そして、正体のわからないのが1匹。今日はもう休むとして、明日にでも全滅できるんじゃない? 正体不明が問題だけど、始もいる事だし」
「確かに始は強いからアンデッドはそうだとしてもさ、正体不明はどうすりゃいいんだ? カードで封印できないんじゃさ・・・」

 麺もかき揚げも食べ切ってつゆをすすりながら一真が言う。

「それについては私が可能な限り調べてみます」

 慧音はそう言って席を立った。

「どこへ行くの?」
「八雲紫の所へ行ってきます。この異変の元凶は間違いなく統制者だとわかりましたから、それを知らせないと。それに、彼女ならばその正体不明についても何かわかるかもしれません。その前に始、お前の宿泊場所を探そう。いくつか宛てはある」
「俺は別に野宿でも構わんが」

 そう言った始に一真と妹紅が反論した。

「そう言うなよ、始。人からの好意は素直に受け取るもんだぞ」
「そうそう。私が言うのもなんだけどさ、人間は素直が一番だぞ」

 2人の顔を見比べていた始だったが、やがて頷いた。

「わかった。世話になる」
「よし。妹紅と一真はもう帰って休むといい。私は遅くなると思う」

 金を卓に置き、始を引き連れて慧音はうどん屋を後にした。

「・・・大変そうだな、慧音」

 慧音の後ろ姿を見送って、妹紅は箸を置いてつぶやいた。

「彼女も俺達と一緒に戦ってくれてるんだ。直接でも間接でもな」

 一真はいつもサポートをしてくれた虎太郎と栞の事を考えながら、そのつぶやきに答えた。

「うん、そうだね・・・」

 妹紅は、考えてみれば慧音と共に何かをするのは初めてだった事に気づいて、心を許した友人が一緒にアンデッドに立ち向かってくれている事を今更ながらに嬉しく思っていた。

「じゃ、俺達も行くか」
「うん。ごちそうさま」

 店員にそう言って、妹紅と一真も店を出た。外は太陽が沈み切った直後で、月がすでに出ているとはいえ、かなり暗くなっていた。

「妹紅、家まで送っていくよ」
「送るって、お前は?」
「紅魔館に行くよ。約束してたからな」

 門へ向かって並んで歩き、妹紅は眉をしかめて一真の顔を見上げた。

「本気でフランと遊ぶ気か? 危ないって」
「大丈夫だよ。多分」
「多分ってお前、アンデッドとも戦わなきゃいけないのに、無茶してる場合じゃないだろ」
「大丈夫だって。何とかなるさ」

 ポケットに手を入れる妹紅に、一真は笑顔を向けた。

「なんなら私も一緒に行こうか?」
「いや、1人でいいよ。俺個人の事情なんだし。お前は家でゆっくり休んでろ。終わったら帰るから」
「不安だな・・・」

 嫌な予感に首を傾げる妹紅だった。


◇ ◆ ◇


 真円に限りなく近い月の下、紫は口を押さえながら大きなあくびをした。彼女の屋敷の縁側で、紫は目をこすり、隣に腰掛けるワーハクタクに目をやった。頭に2本の角を現した慧音が、瞑想するように目を閉じて動かない。これが10分ほど続いていた。

「ん~・・・」

 暗転しそうになる意識を何度も持ちこたえさせていた紫はだらしなく半開きにした口から意味のない声を発し、とろんとした視線を虚空に泳がせる。男女問わず魅了される美しい顔も、今は見る影もない。今の彼女を見て、これが幻想郷で一番恐れられる妖怪だとは誰も思うまい。
 寝ぼけ眼を右にやる。紫の右側の空間に小さくスキマが開いている。
 彼女が眠いのは単に体調不良からではなく、そのスキマを維持している事も負担になっているからだ。万全の状態であればこの程度の小さい空間のスキマくらいはどうということはないのだが、今日の彼女には起きている事自体が辛いのだ。そんな無理を押してでもそのスキマを開いているのは、慧音が歴史を正しく読むためだ。慧音は今、紫の頼みで歴史を見ている。慧音が紫を訪ねて相川始から聞いた事を伝えた後、紫は彼女にそれを依頼した。

「・・・ふうっ」

 慧音が一息つくと、角がかき消え、髪の色が緑から青に変わった。

「どうだった?」

 スキマを消しながら、帽子をかぶる慧音に紫は聞いた。

「お前の予想通りだったよ。結界は外側から次元的な圧力をかけられていた。微弱ながら、1年ほどに渡ってな」

 真剣な表情で慧音は告げた。
 慧音が調べていた歴史とは、幻想郷の結界の歴史――結界の外の世界でも内側の幻想郷でもなく、“結界そのもの”の歴史である。
 結界強化のために結界の状態を確認した際、紫は違和感を感じた。それを突き詰めていって出した仮説が、“自分の体調が悪いから結界が弱まったのではなく、結界が弱まったのが原因で自分は体調を崩したのではないか”というものである。スキマ妖怪は境界を操る存在であり、境界という概念から生まれた存在。だから彼女が直接管理する境界に異常が起これば、それは紫の存在そのものにも異常をきたす。それを知るために、訪ねてきた慧音に結界の歴史を調べさせたのだった。さっきまで開いていたスキマは、慧音が結界の歴史に触れられるようにするためのものだ。

「外の歴史までは見られんが、やはり・・・統制者か。時期的にも、一真から聞いたアンデッドの解放と重なる」
「もはや疑いをはさむ余地はないわね。恐らく、次元的なエネルギーを放出してソナーのように地上に異空間がないか探しつつ、同時に結界を少しずつ弱らせる効果も持たせている。バトルファイトが行われている最中は常にそれを放出しているんでしょう」

 慧音に伝えられた事実は、紫から眠気を忘れさせるに足るものだった。

「気づかなかったのか? お前ほどの者が」
「気づかないくらい小さい力なのよ。知ってる? 毒もごく微量なら飲んでも人間は死なないけど、わずかずつ長期間与え続ければ衰弱して最後には死に至るのよ。この場合、毒を盛られてるのは私なんだけどね」

 何も言わない慧音から目を離し、ため息をつく。

「結界の管理はほとんど藍に任せてたしね。あの子じゃそこまではわからないか。気づかず放っておいたらそれこそ私は死んでいたかもね・・・でも、こうやって幻想郷に踏み入る事が目的だったんだから、それはそもそもありえない事だったんでしょうけれど」
「それにしても、まるで幻想郷が作られる事を予期していたような仕掛けだな。統制者、なんと恐ろしい存在だ・・・」
「多分、統制者自身に次元を操る力があるんだと思うわ」
「お前のようにか?」
「ええ。だからバトルファイトの影響が及ばない異空間が現れるかもしれないと予測できたんだわ、きっと」

 待宵月に雲がかかり、照らされていた2つの顔に影が落ちる。

「そんなものを相手に幻想郷を守れるのか?」
「大丈夫よ。そういう回りくどい手段を使うという事は、すぐに結界を破る力はないという事。そうとわかれば打つ手はあるわ・・・私は大変だけど」

 紫は傍らに置かれた扇子を手に取った。

「ともかく、結界を維持する事。これで私の方針は完全に固まったわね。ありがとう、慧音。手間をかけさせて済まなかったわね」
「気にするな。幻想郷を守りたい気持ちは、お前達と同じだ。妹紅と一真も、幻想郷を守ると言っていた」
「そう・・・」

 閉じられた扇子を口元に当て、かすかに微笑む。

「みんな、幻想郷のために戦ってくれている。嬉しいわね」

 月が再び顔を覗かせ、幻想郷に青白い光が降り注ぐ。

「結界の方はなんとかするわ。それから、正体のわからない敵というのも調べてみる。私にかかればどんなものだろうと識別できるわ」
「わかった。アンデッドの方はこちらに任せてくれ。何かわかったら連絡を」

 そう言って夜空へ飛んで行った慧音の姿を見届けた紫は、扇子を広げて口元を覆った。

「藍」
「・・・は」

 低い声で名を呼ばれ、紫の背後に現れた式神は硬い表情で彼女の背中に向かって頭を深く下げた。

「結界の事、申し訳ございません。管理を一任された身でありながら浸食されているのに気づかなかったなど、この八雲藍、慚愧ざんきの念に耐えません」
「全くよ。主が毒を盛られているというのに見過ごすなんて、式神失格だわ。それにしても今時、慚愧なんて言葉を使っている人間はいるのかしらね」

 下げたままの顔をさらに硬くする藍。
 式神の思考パターンは使役者が作ったものなので、式神に至らない点があるのならそれは主である紫自身の失敗という事になる。だから紫が言っている事は責任転嫁と言えるのだが、藍は恥じ入っていてそんな事にも気づかない。

「罰として、ハクタクが言う所の正体不明の正体を探ってきなさい。何か掴んでくるまで戻ってきちゃダメよ」
「しかし、それでは紫様の結界が――」
「あなたに心配されるほど焼きが回ってはいないわよ。それよりも、幻想郷の中にわからないものが入り込んだ事の方が問題だわ。わかったら行ってきなさい」
「・・・かしこまりました。必ずや紫様のご期待にお応えして、今回の汚名を返上いたします」

 藍はさっと体を起こして踵を返したが、その背中を紫が呼び止めた。

「あ、ちょっと待って、藍」
「はい?」
「今日の晩御飯は?」
「まだ用意しておりませんが」
「じゃあ、作ってから行ってきなさい」
「・・・わかりました」

 口元も隠さず大きくあくびする紫に、藍はまた頭を下げた。
 式神の苦労は朝から晩まで尽きる事はない。


◇ ◆ ◇


 紫の屋敷から里に戻った慧音は、家への道を歩いていた。彼女は律儀なもので、遠い所へも門から出て飛んで行くし、戻った時も門から里へ入る。
 すっかり夜の帳も降りて、街灯もなく月明かりだけが頼りの暗さだが、慧音はそれでもまっすぐ自宅への道を、考え事をしながら進んでいた。紫の屋敷を出る時からずっと考え込んでいて、里の門で声をかけられたのにも気づかず、腕を組んで歩いていた。
 とりあえず今日の事。里へ着く前に歴史を見たらアンデッドは鳴りを潜めているし、始は信頼できる所に下宿させる事にした。
 そして明日の事だ。慧音は月を見上げた。明日は満月。慧音が毎月欠かさず行っている、歴史書を書く日だ。できれば明日の夜までに今回の異変を解決しておきたい。こんな時に自分の都合を心配しているのもどうかとは思うが、それは彼女にとって重大な用事――いや、使命なのである。
 人間は歴史を繰り返す。誰かが犯した過ちを、100年後にまた誰かがやってしまう。100年前にその過ちを犯した人間がいた事を知っていたなら、同じ事は起こらなかったはずなのだ。歴史はただの過去の出来事ではなく、良き未来を創り上げるための地盤なのだ。そして、確固たる地盤にするためには歴史を正しく伝えなければならない。きっと自分は人間の歴史を人間に伝えるためにハクタクとなったのだ。自分がまだただの人間の娘だった頃の思い出など一瞬浮上してきたが、そんな事よりも明日ちゃんと歴史書が書けるかどうかの方が気がかりだ。
 さっさとアンデッドを幻想郷から追い出したいと思いつつ、到着した自宅の戸を開けた。頭の中が歴史書とアンデッドの事でごちゃごちゃになりそうな状態のまま、靴を脱いで上がる。と、そこでようやく家の中が明るい事に気づいた。

「・・・ん?」

 間の抜けたつぶやきを発し、光源を探して家の中に視線を巡らせた。
 居間の行燈に明かりが灯されており、その手前の卓に金髪の少女が2人、なんだかげっそりした顔をこっち向きに卓に押しつけ、両手をだらりとぶら下げてぐったりしていた。どっちも見知った顔。魔理沙とアリスだった。アリスの頭の近くには、可愛らしい人形が目をバツの字にして転がっていた。

「・・・何をやっているんだ、お前ら?」

 面妖な光景に首を傾げる。2人は顔を突っ伏したままで、疲れきったような声を絞り上げた。

「慧音・・・お前、今までどこに行ってたんだよ・・・」
「あなた、里の歴史を食っていってたでしょ・・・」

 一様に怨嗟が込められた半眼で睨まれ、状況がよくわからないでいる慧音もたじろいだ。

「おかげで私は里がわからなかったんだぞ・・・」
「私には見えてたけど、魔理沙が外で待つのは嫌だって言うし、夕方ごろに里が戻ったから入ったけど、あなたはいないし・・・」
「一体何時間、飲まず食わずでお前を待ってたと思ってんだよ・・・」
「あ~・・・」

 2人の恨み言で話がなんとなく飲み込めてきて、慧音は虚空に目を泳がせた。

 この3人の1日は、こんな感じで終わったのだった。


◇ ◆ ◇


 青白い闇が満ちていた。
 部屋に広がるそれは光と呼ぶには弱々しく、暗闇と呼ぶには明るかった。
 開け放たれた障子窓は小さく、畳と布団にまたがるように描かれた月光の四角形も同様で、そこから拡散する光量は部屋全体を照らすには些少に過ぎた。
 6畳の狭い部屋の中に置かれた箪笥や小さな机も、よほど目のいい者でないとはっきりと見えまい。もしこれが太陽の光ならば、この小さい窓からでも部屋の中がはっきり見えるほど明るくなるだろう。それでもその光は確かに部屋全体を包み込んでいて、そのかすかな明るさが部屋を幻想的な、もしくは妖しい雰囲気にしていた。
 月の光には生き物の心を乱す魔力がある。かつて永夜異変で、紛い物とはいえ長時間月が空に存在し続けた時、幻想郷の妖怪や妖精は本能をかき乱され、発狂寸前だった者さえいたという。その部屋にいれば、月光の持つ異常な力――正しくは、月光の魔力にあてられてかき乱された自分の心だろう――をなんとなく実感できたかもしれない。
 しかし、始の心にはそんなわずかな変化さえ起こらず、永夜異変についても今日幻想郷に来たばかりの彼は知る由もなかった。変わった点があるとしたら、栗原家以外の家に泊まる事と、畳の上に敷いた布団の中で横になるという事が初の経験である、という点だけだ。
 慧音に紹介してもらった先は老夫婦の家だった。アンデッドの事など詳しい話は一切せず、数日、寝床を提供してやってほしいと彼女が頼むとあっさり承諾してくれた。そしてこの2階の部屋で寝る事になったのだった。昔、息子が使っていた部屋らしい。夜も遅いし、疲れているだろうからとあまり話をせず休ませてくれたが、穏やかな人達なのはすぐにわかった。だから慧音はここに頼み込んだのだろう。
 布団に入ってずっと、始は天井を見つめていた。神経が研ぎ澄まされ、わずかな光しかないこの部屋の中も隅々まで目が届き、それでなくとも何も動くものがない事が見るまでもなくわかるほどだ。
 環境が変わった事が原因で眠れないのではない。
 アンデッドとて睡眠は取る。不死身だから疲れないわけではないという点は蓬莱人と一緒だ――それも始は知らないが。
 しかし、アンデッドの戦いには時間など関係ない。夜に襲われた事など何百、何千回とあるし、こっちから夜襲を仕掛けた回数も同じくらいはある。
 そういった気が遠くなるほど長い経験、そして戦いが目的で生み出されたアンデッドは感覚がどんな生物よりも優れている。そして何よりアンデッドの本能が否応なく意識を戦いに向けさせるのだ。
 だから夜でも周囲の状況には鋭敏で、栗原家で過ごすようになっても最初の頃はそうだったが、次第に夜の過ごし方は変わっていった。
 暗い部屋で横になっていると、『考える』ようになった。別の事に意識を向けていては敵の襲撃に即座に対応できないとわかっていても、頭がつい動いてしまう。そんな時間が段々長くなっていった。
 人間という生き物。その事ばかりを考え続けた。自分はアンデッド、それもジョーカーでありながら。

「・・・・・・」

 今考えている事はいつもと違う。

――今は手を取り合っていても、いずれは戦い、雌雄を決する運命にある。運命からは逃れられんぞ

 イーグルUが言い残した言葉だ。以前、剣崎と共に封印した時も同じ事を言っていた。
 剣崎は人間を守るライダーで、始は全てを滅ぼすジョーカー。いずれ、人間の生存を賭けて剣崎と自分は戦う。そう言っていた。
 だが、考えていたのはイーグルUの事でも、その言葉の意味そのものでもない。
 掛け布団をはねのけ、ランニングシャツに包まれた上半身とジーンズのままの下半身を空気にさらす。起き上がって窓から月を見上げた。
 月が空にあるのはいつからだろう。最初のバトルファイトの時、月の光の下で戦った覚えがある。この月は彼らの戦いをいつも見てきたのだろうか。
 そんな感傷的な考えはすぐに意識の奥へ追いやり、さっき布団の中で浮かべていた思考を引っ張り出す。
 ジョーカーは全てを滅ぼすもの。だが始は人間に興味を持ち、特に2人の人物から大きな影響を受けつつある。
 1人は栗原天音。そしてもう1人は、剣崎一真。
 どちらも違う性格ながら、人間の持つ感情や他者への思いやりなどを自分に教えてくれた。自分が全てを滅ぼす者ならば、彼女らもその対象としなければならない。始はその自分の運命に対して恐れさえ抱きつつあった。
 その運命を回避できるか? どうすれば?

「・・・・・・」

 苦々しく月を睨みつけ、始は再び布団へもぐった。

(俺は・・・他のアンデッドを倒し、勝ち残るだけだ)

 その結論も何度目か?
 それでも始には、それ以外の答えは出せなかった。
 部屋には、青白い闇だけが満ちていた。


◇ ◆ ◇


 一真の背中でブルースペイダーに揺られながら、妹紅は後方へ流れ行く月夜の幻想郷をぼんやり見つめていた。
 ブルースペイダーの乗り心地にはすっかり慣れた。疾走感と風を切る感触がむしろ気に入って、用がなくても乗っていたいと思うくらいだ。ただ、しがみついている一真の背中から薬のきつい臭いがするのは本当に勘弁して欲しいと、鼻をつまんだり顔を横に向けたりしながら切に思った。これではろくに考え事もできやしない。

「・・・・・・」

 考え事とは、イーグルUが残した言葉だった。
 
――ならば、永遠に続くこの戦いに目的を持って何が悪い?

 イーグルUのその言葉に、心外ながら妹紅は痛いほど共感してしまった。
 イーグルUとマンティスUの関係は、自分と輝夜と同じだと一瞬で理解した。慧音から最初にアンデッドの話を聞いた時も同じ事を思ったが、彼らについては他人事には思えなかった。
 何をどうしても自分には本当の『終わり』は永遠に来ない。
 きっと、イーグルUとマンティスUの約束は彼らなりの抵抗だったのだろう。戦いだけを永遠に繰り返す自分達の運命への。自分の種族の覇権という大義名分があっても、そんなものだけで永遠に生きてはいけない。その事は誰よりも妹紅が痛感していた。妹紅も、輝夜と殺し合う事で自分の存在する意味を見出そうとしている。
 だが――まるで自分を鏡に映したようなイーグルUのその姿を、妹紅は悲しいと思ってしまった。
 自分が、悲しい。
 薄々思ってはいた。同じ蓬莱人でありながら、アンデッドのように戦う事を運命づけられたわけでもないのに傷つけ合う事しかできない自分は、哀れだと。そう思っていても、それでも怒りや憎しみをぶつけずにはいられない。それが尚更悲しかった。イーグルUの、マンティスUへのこだわりを見て、それを強く意識するようになってしまった。
 そして、一真と始。

――運命からは逃れられんぞ・・・

 彼らも、イーグルUや自分と同じ――

「妹紅、着いたぞ」

 思考に深く沈んでいた意識が、一真の声に引き戻された。いつの間にかブルースペイダーは妹紅の家の前に止まっていた。

「ああ、ありがと・・・」

 一真の後ろから降りる。バイザーが上げられたヘルメットから彼の笑顔がのぞく。

「じゃ、俺、紅魔館に行って来るから」
「本当に大丈夫か?」
「大丈夫だってば」

 バイザーを下ろしてアクセルに手をかけた一真を、妹紅は思わず呼び止めた。

「一真」
「ん?」

 ハンドルから手を離し、またバイザーを親指で押し上げる一真。

「なんだ、妹紅?」
「始の事なんだけどさ・・・」

 うつむいてそう言ってから、妹紅は顔を上げた。
 雲が月を覆い、夜の闇が濃さを増した。ブルースペイダーのライトがわずかに2人の顔を浮かび上がらせ、規則的なエンジン音が静寂を打ち消していた。

「お前さ、言ってたよな。あいつも封印しなきゃいけないって・・・もしジョーカーが勝ってしまうと、全ての生物が滅びるって・・・でも・・・」

 そこで言葉を切り、またうつむいた。
 一真とはこの3日間、一緒にいてすっかり打ち解けている。始に対しても、人間との狭間で苦しむ不老不死という同族意識を抱き始めた。そのせいだろう。一真が始を倒さねばならないという事に対して妹紅は不安を感じていた。
 イーグルUとマンティスU、そして一真と始。彼らの関係は、妹紅と輝夜の構図とそっくりだ。立場は違えど、いずれも永遠の命という運命に翻弄された者ばかり――一真は不老不死ではないが、その運命に深く関わっている――。そして、全員が戦っている。互いを倒そうとしている。
 輝夜は自分の人生を狂わせた憎い女だ。だが同時に、自分との数奇な因縁を感じずにはいられないのも事実。
 イーグルUとマンティスUはアンデッド同士、戦う運命にありながら友情を交わした。
 どちらもいびつえにしを構築している。
 そして、一真と始。仮面ライダーとアンデッド。この2人もそうだ。
 人類を守るにはアンデッドを全て封印しなければならない。だが――

「さっき、始と話してたらさ、私も、あいつは悪い奴じゃないって思ったんだ。お前が、あいつを封印したくないって気持ちがなんとなくわかってさ・・・だけど、その・・・」

――お前達には、そんな悲しい関係にはなって欲しくない

 一昨日、一真が言った言葉。今は、妹紅がその思いを心に抱えていた。この2人には、自分やイーグルUらのようにはなって欲しくないと。その気持ちを上手く表現できなくて言葉に詰まっていると。

「大丈夫だよ」

 その不安を打ち消そうとするかのように、一真はヘルメットを取って笑顔を妹紅に向けた。

「あいつは、人が人を想う気持ちを少しずつ理解してきている。だから、あいつは人間を滅ぼしたりしない」

 再び顔を出した月の光が、笑みを浮かべる一真と不安げな妹紅の顔を照らし出した。

「どうして、そう言い切れるのさ?」
「信じたいじゃないか」

 即答。

「人を信じて、人を思いやる。それはとても素晴らしい事だって、あいつにわかって欲しいんだ。俺、あいつを封印しないで戦いを終わらせたいから。だから俺は始を信じる」

 なんともこの男らしい答えだ。馬鹿みたいに真っ直ぐで、呆れそうなほど。だが自分はむしろそういう答えを期待してたのかもしれない。

「それに、お前みたいに心の優しい不老不死がいるんだからな。始だってきっとお前みたいになれるって、俺は信じてる」

 そう言われて、妹紅は目を泳がせた。

「そんなんじゃないよ・・・私は」
「そんな事ないって」

 ぽん、と妹紅の肩を軽く叩き、一真はヘルメットをかぶってブルースペイダーを走らせた。竹の中に消えていく青いバイクを見送り、妹紅は家へ踵を返そうとして立ち止まった。

――あいつは人間を滅ぼしたりしないよ
――俺は信じてる

 その言葉を口にした一真の笑顔を思い出し、ふと、その笑みにわずかな悲しみが混じっていたような気がした。
 なぜ、と考える。

――俺がライダーで、あいつがアンデッドなら、俺はあいつを封印しなければならない

(そうか・・・恐いんだ、お前も)

 一真も、始を倒さなければならない時が来る事を恐れているのだ。始を信じている、という言葉は、その不安の裏返しなのかもしれない――いや、そうに違いない。

――俺、あいつを封印しないで戦いを終わらせたいから

 この言葉は嘘偽りない一真の願いに違いない。そう願うからこそ、不安に立ち向かっているのだ。

(強がっちゃってさ。本当は自分が一番不安でしょうがないってのに)

 そう思うと、悲しいのと同時に安心もした。彼も、自分と同じ思いなのだと。つくづく放っておけないヤツだ、とわずかに笑みをこぼしながら嘆息する。

(その願いが叶うといいな・・・)

 穏やかな気持ちで、妹紅は月を見上げた。




――――つづく




次回の「東方永醒剣」は・・・

「ったく、世話が焼けるなあ・・・」
「なんか親近感を覚える名前だなーって思ってたんですけど」
「逃がさん!」
「妹紅っ!」
「馬鹿野郎、なんで私なんか・・・」
「おのれええぇぇぇ――」
『 Fusionフュージョン Jackジャック 』

第7話「心の形、強さの形」



[32502] 第7話「心の形、強さの形」
Name: 紅蓮丸◆234380f5 ID:d3c4d111
Date: 2012/11/17 13:06
 月を見ていた。
 群生する竹の葉の隙間からかすかにこぼれる月光は、光と呼ぶには暗く、闇と呼ぶには明るい。
 竹の根元に腰掛け、風に揺れる竹の葉越しにその淡い輝きが見え隠れする夜空を見上げる輝夜は所在なさげにため息をついた。
 何より退屈を嫌う自分がこうしてただ月を眺めているだけなのが原因なのは自分でもわかっていた。
 家でやる事と言えば兎達とおしゃべりをするか、彼らの遊びにつき合うくらいなのだが、今日はそんな気分ではない。もう何百年とそんな生活を続けているのに。
 家では月から持ってきた優曇華うどんげの花を管理するのが日課だが、それも今日の分は終わり、その気分転換に夜の散歩に出たのだった。
 そして月を見るのによさそうな場所を見つくろい、そこに腰掛けて月を眺めていたのだ。
 竹に体重を預け、息を吐き出す。
 まだ花の観察を始めていなかった頃は兎の相手に飽き、する事がなくなって困った事も何度かある。
 それは実に久しぶりの事で――
 では、それまで何をして過ごしてきたのか?
 その解答もすでに自ら心得ている。
 妹紅と戦う事。
 戦いそれ自体は回を重ねるごとに頻度は少なくなっていったが、その合間に前回の内容を思い返したり、次回はどう戦おうかと、戦っていない時間にも戦いの事を考えるようになっていった。
 妹紅の体を完膚なきまでに破壊し尽くした事もあるが、自分自身がただの炭になるまで焼き尽くされた事もある。
 彼女が妹紅と戦う理由。
 戦いが好きだったわけではない。蓬莱人とて痛覚はあるし、血を見るのが好きな性分でもない。そうしてまで押し通すような大層な主義主張も持ち合わせていない。
 きっかけは簡単だ。自分が殺されたので怒りに任せて反撃しただけ。その後も腹の虫は治まらず、それが彼女との戦いを持続させた要因である。あの時の事は、未だに思い出しただけで体が燃えそうなほどの怒りを覚える。
 その怒りと憎しみだけだったならば、話は簡単だったのだろう。
 妹紅からぶつけられた彼女の過去。自分を罪人と断じる告発。最初は、頭に血が上ってまともに理解する気もなかった。しかし何度も妹紅と殺し合う内に、少しずつ彼女の内面を垣間見て、輝夜の妹紅に対する感情は次第に変化していった。
 彼女と出会っておよそ300年経った現在――
 正直、妹紅に対して罪悪感がないわけではない。
 蓬莱の薬を彼女が飲んだのは自業自得だと切り捨てる事は簡単だが、容易くそうできるほど輝夜は冷酷になれなかった。蓬莱の薬を地上に持ち込んだのも、それを奪う動機を作ったのも自分である事は事実として認めざるを得ない。
 その後、普通の人間として生活できなくなった事についても、逃亡生活を続けてきた輝夜は少なからぬ共感を覚えた。妹紅本人の言によれば、むしろ彼女は自分よりも辛い生活を強いられてきたようだ。
 戦ってばかりだが、妹紅という少女は根は悪人ではない。すり切れているが本当は優しい面もある人物だと次第に分かってきた。妙な因縁さえ無ければ、もっと好感を抱く可能性もあったかもしれない。
 蓬莱人にならなければ、こんなにも誰かを強く憎む事なく、平凡でもそれなりに幸福な普通の生活をしていたのではないか、と考えると無性に悲しい思いにとらわれた。
 妹紅に同情してしまった輝夜には、自分が彼女の運命を狂わせた事に対する罪の意識が植えつけられてしまった。自分の罪を認めてしまったならば、責任を取らなければならない。
 それが――彼女を殺す理由だ。
 蓬莱人を元の死すべき定めの人間に戻す事はできない。その永遠の命を絶ち切る事もできない。ならば自分が彼女にできる事は、彼女の望み通りに戦う事だけだ。
 妹紅は輝夜を憎み、輝夜は妹紅にやり返す。
 これでいい。
 謝るつもりはない。謝った所で何も変わらないし、そうしたら妹紅と自分が戦う理由が無くなってしまう。
 彼女達をつなぐものは憎悪だ。これが消えてしまうと2人の間には何もない。

「・・・はあ」

 輝夜はため息をついて頭に手をやった。自分の考えている事に自分で呆れたのだ。
 2日前の夜、アンデッドと遭遇した後から、なぜか妹紅との関係をじっくり考えるようになっている。
 あの時も、そろそろまた戦う頃合いかなどと思っていたが、考えてみればそれこそ妹紅の事をかなり意識していると自分で思い始めた。
 しかし当の妹紅は一真なる人物とアンデッド退治に熱中しているらしい。
 今日の昼、霊夢が訪ねてきて、その時にアンデッドや一真の事、さらにはアンデッドの狙いが幻想郷の滅亡かもしれないという話をしていった。それから妹紅がアンデッドに深手を負わされ、そこを一真に助けられた事や、里が襲われたという話も聞いて、それでアンデッド退治かと納得した。
 納得はしたが、自分よりそちらを優先させている風なのが少々面白くなかった。あいつは自分が憎いんじゃなかったのか。
 自分は、妹紅と殺し合っていないと落ち着かない体になってしまったのだろうか?

(馬鹿みたい)

 さっきから思案に暮れていて視界には入っていたが見ていなかった月を見つめ直し、変な考えを振り払う。そんな考えが浮かぶのは、単に手持ち無沙汰で困っているだけだ。
 どうせ、アンデッドがいなくなればまた妹紅と殺し合いを繰り返す日常に戻るだけだ。合間がちょっと広くなるだけだと考えればいい。

「故郷が恋しくなった?」
「悪い冗談ね」

 唐突に掛けられた声に即答する。直前に気配は感じ取っていた。

「あらそう。てっきりホームシックかと」

 振り返ると、夜の闇の中に口を開けた、もっと黒い空間から顔がのぞいていた。金髪の女が空間のふちに肘を立て、組んだ指の上にあごを置いている。
 輝夜は特に驚きもせず、口元に袖を当てながら冷ややかな視線を返した。

「何か用?」
「用がなければ顔を見せてはいけないのかしら」

 その女――紫は余裕を見せるように妖しく微笑んでいる。

「別に用もないのに顔を見せに来たという事?」
「いいえ。幻想郷の出来事を知る機会に乏しいあなたに、最新のニュースをお届けしようと思って」
「・・・気が利くのね」

 それは自分が引きこもりがちな事への皮肉かと、隠した口元をわずかにひくつかせながら――そう思っている時点でもはや図星なのだが――返事をすると、紫は微笑んだまま少し首を傾げさせた。

「それほどでも」

 このスキマ妖怪には全部見透かされているようで、どうにも居心地が悪い。

「で、どんなニュースかしら? 天狗の新聞よりは信憑性がある事を期待するわ」

 そう言うと、紫はスキマから腕をどけ、背筋を伸ばした。

「本日正午過ぎ、外の世界から幻想郷に仮面ライダーがもう一人やって来ました」

 いかにもアナウンサーのような口調ですらすらとしゃべる紫。

「仮面ライダー?・・・ああ、アンデッド退治の」
「そうそう。彼の名前は相川始。ダークなヒーロー、仮面ライダーカリスに変身するそうよ」
「ダークなのね。って、あなたこそ伝聞?」
「そうなんだけどね。情報提供者は、あなたもよく知ってる寺子屋の先生」
「あー・・・まあ、情報源としては信用できるわね」

 慧音の里での評判は知っているし、何回か口を聞いた事はある。主に妹紅絡みで。なので心象は今一つよくない――正しくは、相手が自分に抱いた心象が悪そう、だが。

「彼女によると、やって来てさっそくアンデッドを1体封印したの。頼りになりそうなんですって」
「そう」
「あなたのライバルと協力して、らしいけど」
「・・・ふうん」

 もう一度半眼を突き刺す。いちいち妹紅の事を強調するあたり、悪意しか感じられない。

「幻想郷に入ってきたアンデッドを全て封印するつもりみたい。それまでは人間の里に滞在するらしいわ。やる気に満ち溢れてる。素晴らしいと思わない?」
「そうね」

 さっきまで時間を持て余していた自分への当てつけに聞こえる。
 どうにも言葉の端々に棘があるような気がしてならない。過剰に意識しているのかも知れないが、それこそ見透かされているようで気に入らない。

「一度、お話しするのもいいんじゃないかしら」
「・・・なんで私がそんな事しなきゃいけないのよ」

 妙に話が飛躍して、心から疑問が生じた。

「どうせやる事ないんでしょ? ライバルもアンデッド退治に夢中で構ってくれないし」
「言う事はそれだけ?」
「それだけ。じゃあね」

 これ以上神経を逆撫でするようならスペカ切ろうかと思って言うと、あっさりスキマを閉じた。

「何だったのよ・・・」

 紫が退場し、元の薄い闇に戻った竹林に輝夜のつぶやきが吸い込まれた。
 どうも今回は終始内心を見透かされ、転がされていたような気がする。
 とりあえず月を見上げる。

「・・・・・・」

 さっきと変わらず夜空に輝いているそれをぼんやりと眺めながら、紫に言われた事に意識を向けた。
 アンデッドやライダーとやらに別段興味はないが、実際やる事はない。
 そういえば、明日の十五夜に食べる団子の材料が足りないので里へ買いに行くと兎達が話していた。それなら、それについて行ってみよう。ついでに他にも何か買っていいし、相川始なる人物にも会えるかもしれない。
 ならばさっそく兎達に話をしなければと腰を上げた。結局まんまと紫に乗せられた気もするが。
 空いていた予定が埋まった事で輝夜は少し上機嫌になって帰って行った。


◇ ◆ ◇


 秋の夜は風が冷たい。
 その冷たい空気を切り裂く白い影。
 八雲藍は自慢の尻尾をふわりと広げつつ、霧の湖付近の木立の中へ降り立った。

「さて・・・」

 そうつぶやいて頭を巡らす。
 慧音に聞いた話では、昨日、剣崎一真は正体不明な怪人とここで戦ったらしい。何か手がかりはないかとその現場に足を運んだのである。
 木々が月明かりを遮って暗いが、妖獣・九尾の狐の目には、その程度の明るさで十分だった。
 少し歩くと、木々が穿たれたり燃やされたりへし折られたりしている所があった。
 それらの周りに視点を巡らすと草地に染み込んだ緑の液体――そんなものさえ見逃さない――、そして切断された長大な緑色の翼を2枚見つけた。
 翼を持ち、緑の体色をしていたという話だったから、これらはその正体不明のものに違いない。

「ふむ・・・」

 予想以上に大きな証拠品が見つかった事に拍子抜けさえしつつ、藍は袖の中から取り出したケースに血液を吸い込んだ土を地面からもぎ取って放り込んだ。
 そのケースを袖の中へ戻し、翼を拾い上げる。これらを調べれば、かの存在の正体が明らかになるに違いない。



「ふわ~ぁ・・・」
「紫様! どちらへおいでだったのですか!?」

 紫の屋敷に戻った藍は、姿が見えないので探していた主が廊下で大きく口を開けているのを見つけるや否や大声を上げた。

「ちょっとね、アンデッドによって日常に変化が現れた人の様子を見に」
「こんな時に何をされているのですか! 紫様は今、力が発揮できない状態なんですから、スキマを使うのは控えていただかないと」

 まくし立てる藍と、それを尻目に欠伸しながら部屋へ足を向ける紫。

「なんかこうしたら面白い事になりそうだから」
「は?」

 明かりもない真っ暗な廊下の角を正確に曲がる紫の後に、藍は大きな尻尾を押さえながら続いて曲がった。

「幻想郷で私がちょっかいを出さないなんて考えられないわよ」
「いやあの紫様」
「困ったちゃんでごめんね」
「何言ってるんですあなたは!? まったく、こんな時まで勝手な事をなされては――!」
「はいはい、わかったから。それよりあなた、頼んだ件は?」
「え? ああ、例の正体不明ですね。昨日、剣崎一真が戦ったという場所で、それらしい血液と切断された翼を回収してきました。これを調べればわかるでしょう」
「ご苦労様。じゃ、お休み」

 最後にそう言い残し、スキマ妖怪は襖の奥へ姿を消した。

「・・・はあ」

 藍はため息をつき、体を尻尾より小さく丸めたのだった。


◇ ◆ ◇


 闇の妖魔が、月夜に舞う異形の姿を捉えていた。

「うふふふ」

 その幼い体を包む漆黒のワンピースが溶け込んでしまいそうなほどに深い闇の中で、ルーミアは短めの金髪をなびかせ、幼い顔だからこそ恐怖を感じさせるような笑みを浮かべていた。
 彼女の笑い声は周囲の暗黒の中に響き、そして消えた。

「獲物だ獲物♪ どうやって食べよっかな」

 嬉しそうに両腕を広げながら闇と共に素早く飛び立ち、獲物まですぐに到達した。

「えいっ!」

 標的を暗い空間で包み込む。これで獲物は何も見えなくなったはずだ。
 闇を操る程度の能力を持つ妖怪・ルーミアにとって夜は正しく彼女の時間。闇に隠れて接近し、闇で覆い尽くして視界を奪う。この方法ならば逃げられる者はいまいと考えて初めて使った作戦だ。どうして今までこんな素晴らしい戦法を思いつかなかったのか。
 スペルカードを使わず人を襲うのは本来ルール違反だが、ルーミアはそういう事はあまり気にしない性格だ。それに今度の標的は人間ではなさそうだ。

「ふふ・・・いただきまーす!」

 猟奇的な笑顔で、長い爪の生えた腕を力一杯突きこんだ。
 ガキン!

「・・・あれ?」

 爪から腕に伝わってきたのは、期待していた、柔らかい肉を引きちぎる感触ではなく、硬い物同士がぶつかるような手ごたえと音。

「?」

 ルーミアが不思議がっていると、目前の丸い暗闇の中から突然、高熱を持った赤い光が噴き出した。

「あちっ!?」

 突然の炎をまともに浴びたルーミアは動転し、服についた炎の尾を宙に引っ張るように急速降下していった。

「あちち、熱い熱い!」

 森の中の地面に後ろから突っ込む。ルーミアの尻についた火は、柔らかい土に覆われた事でしばらくすると消えた。

「はぁ~、助か――」

 安堵の声を上げるルーミアの前に、何かが降り立った。今しがたルーミアが襲った怪人だった。
 異形の顔と緑の皮膚が月明かりを鈍く反射させ、妖怪であるルーミアでさえ不気味だと思った。
 おもむろに怪人は無言で両腕をルーミアへ向けた。尻餅をついた姿勢のままよく見ると、手首の部分に穴のようなものがあり、そこから煙が立ち上り、熱気を発していた。

「・・・らないのかー?」

 ひきつりまくった顔でルーミアがつぶやいた次の瞬間、怪人は両腕から炎の奔流を解き放つ。

「きゃ――」

 ――よりも一瞬早く、高速で飛来した霊気の刃が、怪人がいた場所に突き刺さった。
 紙一重でそれをかわした怪人は、立て続けに撃ち込まれた多量の針の雨から逃れるべく、低空を滑るように飛んだ。

「・・・?」

 体を縮こまらせて頭を両手で覆っていたルーミアは、いつまで経っても自分が何もされないので恐る恐る顔を上げ、ようやく状況の変化に気づいた。
 目前にいたはずの緑の巨体は忽然と消え、きょろきょろと見回したが姿が見えない。と、上方から羽ばたきのような音が聞こえたので空を見上げた。
 赤と緑、夜天を駆け巡る2つの影が月光に浮かび上がる。待宵月の明かりは、結構はっきりと両者の姿を照らし出していた。そのうち赤い方にはルーミアは見覚えがあった。あの巫女だ。
 上空でお札やら針やらが飛び交い、火炎が空を焼いている。

「・・・助かったのかな?」

 突如現れ、目まぐるしい空中戦を繰り広げる霊夢を、ルーミアはほっと胸を撫で下ろしながら見上げていた。
 両者とも動きが非常に素早いが、霊夢がルーミアも呆れるほどの超人的な動きで命中と回避を両立させているのに対して、怪人の方は霊夢に肉薄しようとするものの彼女についていけないでいる。しかし陰陽玉から吐き出される大量のホーミングアミュレットやパスウェイジョンニードル、更には先ほどの刃状の大型弾『エクスターミネーション』を受け続けているが、まともなダメージにはなっていないようだった。
 すると霊夢は他の攻撃は動きを制限させることに使い、エクスターミネーションを当てる事に重点を置くように戦法を変えてきた。
 怪人は避けようとするものの、それでも霊夢は順調に弾幕を当て続けた。多少の回避運動も、彼女の勘の前には意味がないとさえ言える。だが、やはり有効打にはなっていない。

「もう、手間かけさせてくれるわね! じゃあ、これでどう!」

 巫女がポケットからカードを取り出していた。怪人はそれを見てピクッと反応していた。

「『夢想封印むそうふういん』!」

 闇夜の隅々まではっきり響き渡る声で高らかに霊夢が宣言すると、彼女の周囲に眩いばかりに輝く大きな光の球体が8つ、周りながら現れた。
 光の尾を引いて夜の世界を真っ白に浮かび上がらせる、流星のような――いや、それ以上に幻想的な光の奔流を、ルーミアはただじっと見ていた。
 怪人が身を翻すのと、8つの光弾が一斉に怪人に向かっていくのは同時だった。
 怪人は上下左右に動き回るが、夢想封印はその動きをぴったりと正確に追いかける。
 やがて1発が怪人の背中で炸裂、空が一瞬明るくなるほどの強烈な閃光と衝撃音を発した。
 残りの7発も次々に命中し、夜という巨大な暗闇の全てを打ち消さんばかりに世界が照らし出した。
 そして光が消えて闇が戻った空に浮いて、霊夢はしばらく夢想封印が炸裂した辺りを見つめていたが、やがて地上へ降り立ち、ルーミアの所へ歩み寄ってきた。

「ああ、あんたか。暗いからよくわからなかったわ」

 何の感動も興味もないという表情でルーミアに声をかけてくる霊夢。

「やっぱり目悪いんじゃないの?」
「だから私は鳥目なんかじゃないっての」

 助けられた事ですっかり気を緩めるルーミアと、片眉を吊り上げる霊夢。

「じゃあ、さっきのヤツ、どんなだった?」
「どんなって・・・」

 口ごもる霊夢ににやにやと笑みを向ける。

「姿もよく見えないのにやっつけちゃったんだ」
「そ、そんな事はないわよ! 今のはアンデッドに違いないわ!」

 霊夢は腕をわたつかせながら反論した。

「あんでっど?」
「外の世界から幻想郷に来た怪物よ。不死身で倒す方法が限られてるから手を焼いてるの。今のも綺麗に当たってたけど死んでないはずよ」
「そーなのかー。私、やばいのを襲っちゃったんだ」
「そういう事ね」

 へー、とあどけない表情を見せるルーミア。先ほどまでの緊迫した空気はもうなかった。
 と、霊夢が口を開いた。

「・・・襲った、って言った?」
「あ」

 顔を引きつらせるルーミア。霊夢は半眼で彼女をにらみつけてポケットに手を入れた。

「無闇に襲うなって言ってるでしょ? そんな悪い妖怪は退治しなくっちゃね」
「・・・やっぱり助からないのかー」

 霊夢がカードを取り出しながらにやりと笑ったのを見て、ルーミアはだらだらと汗を流した。

「安心しなさい。今回は特別に手加減してあげるから」

 そう言って、カードを上に掲げた。

「『夢想封印・散』!」
「みゃー!」

 先程のものよりは小さめの光弾が八方へ飛び散り、ルーミアはそれをまともにくらって吹き飛んだ。

「まったくもう、余計な事をするからこうなんのよ。ちょっとは反省しなさい」

 すでに目を回して聞こえていないルーミアにそう言葉をかけて、なかなかぶつける機会がなかったストレスを発散できた霊夢は開放的な表情で神社へ帰るべく宙に浮いた。

「はあ、ちょっとすっきりしたわ」

 緩んだ顔が月に照らされる。そのまま飛行していたが、時間が経過するにつれて段々その表情は失せて行った。

「・・・むぅ」

 月光に紅葉や銀杏の赤色と黄色が浮かび上がる大地を見下ろして飛びながら、うめく。
 八つ当たりをしてすっきりしたはいいが、結局の所、根本的な問題の解決にはなっていない。幻想郷一暢気と言われる霊夢といえど、現実から目を背け続けるほど間抜けではない。
 スペルカードはある程度威力の調整ができるが、今の夢想封印は出せる限りでかなり強いパワーをつぎ込んだものだった。さらに言えば、夢想封印は彼女が昔から愛用している技で何度も改良を加えていて精度も高い。
 アンデッドに憤慨を覚えていた事と、相手が不死身だから手加減しなくていいという考えからだが、さっきのアンデッドを夢想封印で仕留め損ねたのは霊夢にとって計算違いだった。
 手応えは十分にあったから動けなくなるくらいのダメージは見込めると思っていたが、逃げる余力は残っていたようだ。
 それが腹立たしかったから八つ当たりなどしたのだが、単に倒し損ねたのが悔しいだけではなく、夢想封印を受けて逃げ切れるような危険な存在を逃がした事の焦りもある。
 危険だとわかっていたからこそ、いきなり切り札を使ったのだ。なのに倒せなかった。加減などしたつもりはなかったが、弾幕ごっこばかりしているが故の甘さがあったのだろうか。それを振り払いきれないでいる自分がとてももどかしい。

(そんな事、悩んでもどうにもならないわ。今日はもう寝よ・・・)

 余計な事を考えていては上手くいかない。
 月に照らされた神社が視界に入り、霊夢はそう切り替えた。


◇ ◆ ◇


 トライアルCは考えていた。
 自分が負ったダメージは非常に大きい。胴・腕・足・翼と全身から激痛が走る。今も飛行のためのバランスを取る事も苦しいほどだ。
 朝、2人組の少女らと戦ってから、妖怪と妖精と人間の区別もないまま見つけた者を次々に襲い、1日中戦いに明け暮れていた。
 まったく抵抗できずに動かなくなった者もいれば、激しく反撃してきた者、逃げおおせた者もいた。
 その『激しい反撃』について、1つ気づいた事がある。
 朝の少女ら、そして先ほどの赤い服の少女もそうだったように、そういう者らは攻撃の時にカードを示し、その後に多量のエネルギーの弾のようなものを撃ち出す。さっき赤い服の少女の攻撃も、カードを見た事で強力な攻撃が来る事を予測したので後退したのだ。その結果、強力な攻撃を受けながらも逃げ切れたのだから、その判断は正しかった事になる。
 トライアルCは考えていた。
 先ほどの赤服の少女は今日戦った中でも一番の強敵だった。あるいは剣崎一真よりもやりにくかったかも知れない。結局敗走してしまったが、昨日の自分であればもっと悲惨な結果だっただろう。
 1日戦い続けて、その経験から自らの動きがより効率的なものになった事を感じつつある。が、今日戦った少女らや剣崎一真などに勝つにはまだ厳しいだろう。まだまだ戦わなければならない。
 そしてもう1つ気づいていた。この世界に新たな脅威が出現した事を。
 感じたのは昼ごろ。その気配に、トライアルCは強い恐れを抱いた。畏怖を感じつつも、倒さねばならないと本能が激しく訴えていた。
 トライアルCは考えていた。
 いつでも最大の力を発揮できるように、ベストの状態を維持しなければならない。今の負傷が癒えるまで身を潜めるべきだろうと。
 そして、自分の使命を全うしなければならない。
 剣崎一真を抹殺しなければ。


◇ ◆ ◇


 太陽と月は地球に最も大きな影響を及ぼす天体である。昼は太陽が、夜は月が天を支配する時間とされている。
 月は満月の時に最も強い力を持つ。その力が満ち足りるまであとわずか。
 幻想郷の夜を照らした、真円に限りなく近づいた月は地平の彼方へその姿を隠し、太陽が支配する時間が訪れる。
 そして幻想郷は満月の日を迎えた。


◇ ◆ ◇


「遅いな、一真のやつ・・・」

 妹紅は縁側であぐらをかきながら独りごちた。
 膝に頬杖をつき、太陽を見上げる。大体、の刻(午前10時ごろ)といった所だろう。
 昨夜、紅魔館に行くと言って出ていった一真は朝になっても戻ってこない。朝食後も縁側でぼーっとしながら彼を待っていて今に至る。

「うーん・・・」

 ぼりぼりと頭をかき、溜め息を1つ漏らした。

「しょうがない、行くか。ったく人の仕事増やしてあいつは」

 ぶつくさと文句をこぼしながら、妹紅は腰を上げた。


~少女移動中・・・


 霧の中を鳳凰が飛ぶ。
 炎の翼を持つ赤い影が霧の湖の上空を、水面も見えないほどの霧を切り裂いていく。飛翔していた火の鳥はやがて湖の中心へと降りていく。
 背中の赤い翼を一度羽ばたかせ、妹紅は島に着地した。彼女の目の前には門。そして女が一人、そこで寝ていた。
 美鈴とかいう門番が、門のすぐ横の塀に寄りかかって、器用に立ったまま眠っている。

「・・・・・・」

 ひどいものを見たという目で彼女に一瞥いちべつをくれてやりながらポケットに手を入れ、妹紅はつかつかと門へ歩み寄る。美鈴は気づくどころか目を覚ます気配さえない。
 門に両手を押しつけ、音を立てるのも構わずに門を押し開ける。数秒かけて門が開き切っても、美鈴は目覚めない。

「ん~、んふふ・・・」

 なにやら寝言でむにゃむにゃと言いつつ、美鈴の寝顔が幸せそうににやける。
 その様が何故か異常にイラっと来たので、妹紅は美鈴を蹴り倒した。

「きゃいん!?」

 犬のような悲鳴を上げながら、美鈴は顔から地面に両手足を投げ出して倒れ込んだ。

「す、すいません咲夜さん! あ、あの、もう居眠りしないのでそんなに怒らないで――」

 顔を押さえながら慌ててまくしたてながら、あたふたと手をついて振り向いた美鈴と、それをポケットに手を入れたまま半眼で見ていた妹紅の目が合った。
 美鈴は土で汚れた顔で数秒間きょとんとしていた。

「な、なんだ、あなただったんですか」

 美鈴はほっとした様子で息をつくと座り直し、ハンカチを取り出して顔を拭き始めた。

「もう、驚かさないで下さいよ。ひどいじゃないですか」
「むしろ私の方が驚いたわい。門番が寝ててどうするんだよ」
「たははは・・・」

 笑って誤魔化しながら、美鈴は立ち上がって服を払う。

「え~っと、あなたは確か・・・」

 人差し指を口元に当てながら目線を上に向ける美鈴。

蒙古もうこさんでしたっけ」
「妹紅だ! 私はモンゴル人か!」

 思わず怒鳴る。

「す、すいません。なんか親近感を覚える名前だなーって思ってたんですけど」
「意味わかんないし」

 困ったような笑顔で頭に手をやる美鈴を、顔をしかめながらにらみつける。

「それより、一真来てるだろ? どうしてるんだ?」

 言いながら、門の近くに停めてあるブルースペイダーを見やる。

「あ、一真さんでしたら昨夜はお泊りになりましたよ。妹様とお遊びになって、お疲れだったみたいです」
「ケガとかしてないだろうな」

 今度は美鈴に流し目を向ける。美鈴は落ちた帽子を拾い上げつつ、

「大丈夫ですよ。ちゃんと治療はしましたから」
「してるんじゃないか!」

 また怒鳴る。迫られた美鈴は両手を上げながら、ぶんぶんと首を左右に振った。

「いえ、傷の方は完治してるんですが疲労でまだお目覚めにならないってさっき咲夜さんが・・・」
「ったく、だからやめとけって言ったんだよ・・・」

 顔をしかめ、右手で頭をかきむしる妹紅に美鈴が頭を下げる。

「すいません」
「お前に謝られてもな・・・とにかく入らせてもらうよ」
「あ、ちょっと待って下さい」
「あん?」

 門をくぐろうとする妹紅を呼び止め、美鈴は足を内股にしながら恥ずかしそうに言った。

「あの、トイレ行きたいんで、ちょっとここにいてもらえませんか?」

 妹紅は無視してずんずんと中庭を突っ切り、後ろから聞こえるわめき声を後にして館へ入ってばたんと扉を締め切った。

「いらっしゃい」
「わっ」

 急に声をかけられ、軽く驚きながら薄暗い館の中を振り返ると、咲夜が腕組みして立っていた。扉を開けた時はいなかったと思うが。

「・・・ずっといたのか?」

 ちょっと引いた姿勢で聞く。

「いいえ。誰か来た気配がしたから時間を止めて歩いてきたの」

 臆面もなく答える咲夜。妹紅はそれを聞いて一筋の汗を頬に垂らした。
 確かに来客への対応は素早いのだが、素早すぎて恐い。もうちょっと出迎えられる側の気持ちも考えてもらいたいものだ。

「・・・なんか不気味だからあんまりやらない方がいいと思うぞ」
「考えておくわ」

 素直に思った事を述べると、咲夜もすんなり返した。
 やっぱりこいつはペースがつかめないと思いつつ、何か言おうかと口を開きかけた所で、咲夜が先に言葉を発した。

「それで、ご用件は?」

 ああ、これはあれだ。確信犯だ。外の世界ではもはや誤った意味の方が広く浸透しているという単語の、その誤った意味が今まさにぴったりだ。なんで自分がそんな事を知っているのか、自分でもわからないが。多分、慧音が言っていたのだろう。他に情報源の心当たりはない。
 彼女は他者の気持ちに対してとても気が回るメイドのかがみだ。それを最大限に活かして相手の考えを先読みし、常に自分のペースで事を進めようとしているのだ、このメイドは。
 勝手に納得して内心うんざりしつつ、とりあえず小さく嘆息して心のペースを整えようとした。

「わかってるだろ。一真はどこにいるんだ?」

 顎を引き、にらむように咲夜を見る。冷たい瞳で悠然と妹紅の視線を受け止め、咲夜は身を翻した。

「部屋で休んでいるわ。ついて来て」

 歩き出し、それに妹紅も続く。
 玄関ホールから数分程度進んだ部屋のドアを咲夜はノックした。

「パチュリー様、いらっしゃいますか?」
「入って」
「失礼いたします」

 ドアの向こうから女性の声が小さく聞こえ、ドアを押し開いた咲夜に続いて、妹紅はその部屋へと入った。
 2日前にあてがわれたのと同じ造りの客室に、2人の人物がいた。
 ベッドに横たわっている長身の男。言うまでもなく一真だ。こっちに背を向けて眠っているようだが、昨夜と服が違う。
 しかし一真よりも、その手前の椅子に腰かけているピンクの服の人物に、妹紅は真っ先に目を引かれた。
 ローブのようなゆったりとした長いピンクの服と紫色の髪、そして三日月の飾りがついた帽子、さらには靴にまで赤・青・黄と色とりどりのリボンがついている。
 全身ピンクにリボンだらけという可愛らしく目立つ服装とは対照的に、彼女は入ってきた妹紅らにすら目も向けず、無表情に膝の上に広げられた本に視線を固定させている。伏し目がちに下を向いたままの横顔は、感情というものが欠落しているようにさえ思われた。
 暗いやつだ。妹紅はそう感じた。

「失礼いたします、パチュリー様。彼女が藤原妹紅です」
「そう」

 咲夜が紹介して、ようやく彼女は目だけ妹紅に向けた。

「こちらはパチュリー様。一真を魔法で治療して、ずっと様子を見て下さっているの」
「・・・藤原妹紅だ」

 妹紅は彼女――パチュリーにあまりいい印象を抱かなかったものの取りあえず名乗った。
 すると彼女は顔を上げ、妹紅に向けた。

「パチュリー=ノーレッジよ」

 たった一言。小さめの声でそういってパチュリーはまた本に目を落とし、妹紅は半眼になった。

「ごめんなさいね。パチュリー様は本を読む事以外にはあまり興味がないの」
「お前に謝られてもなぁ・・・」

 妹紅の顔色を見て、咲夜が頬を指でかきながらフォローにならないフォローを入れた(というより、フォローする気など毛頭なかったろうと妹紅は思った)。
 そんなこんなで、妹紅がパチュリーに抱いた第一印象は悪いものだった。



「それでは、ごゆっくり」

 紅茶を運んできた咲夜が退室し、部屋には3人が残されたが一真は依然眠っているので、実質、妹紅とパチュリーの2人きりである。

「・・・・・・」

 紅茶が目の前にあるにも関わらず、パチュリーは本を読みふけり続けている。
 妹紅はパチュリーが紅茶に手をつけるのを待っていたが、彼女の動きといえばページをめくるだけだった。
 小さいテーブルを挟み合ったままでの沈黙に耐えられなくなって、妹紅は口を開いた。

「その、一真を治療してくれたそうだな。ありがとう」
「お嬢様の指示だからね」

 暗く低い声でそう答えたきり、本から目を離さない。なんかやりにくいと思いつつ、妹紅はカップに指を伸ばしてみた。

「なあ、一真の具合どうなんだ?」

 カップを指でちょんちょんと回しながら尋ねると、パチュリーはやはり本から目を上げないまま、

「今は治癒魔法で回復して消耗した後だから眠っているだけ。傷自体は完全に治っているわ」

 淡々と答えるパチュリー。それだけ言って黙ってしまったので、会話をつなごうと妹紅は口を開いた。

「魔法で回復した後って、消耗するの?」
「治癒魔法は魔力によって人体の再生力を早めるもの。傷が早く治るという事は、体内のたんぱく質等の物質を急激に消費し、損傷した肉体組織を修復するために修復機能を盛んに活動させるという事。それに加えて妹様との『遊び』の疲れも重なって体の機能効率が落ちる。だから、体内物質の補給と体の休息が必要になるわ」

 妹紅は思わず半眼を向けた。ようやく彼女からまともな台詞を聞く事が出来たのはいいが、声が小さい上にやや早口なので言っている事が聞き取りづらい。

「・・・つまり、食事と睡眠?」

 ジト目になりながらも、なんとか言葉をひねり出した。

「そう。眠る前に食事を取ったから、次に目覚めた時は平常の状態に戻っていると思うわ」

 聞きながら思った。解説になると口がよく回る所は慧音に似ている。正直、ちょっと面倒で損をするタイプだな、とも。彼女と同じでパチュリーも知識に対してこだわりを持つタイプだろうか。

「ふうん、そうならいいけど・・・」

 テーブルに頬杖を突きながら妹紅がそう言うと、パチュリーはぱたんと本を閉じ、紅茶を飲み始めた。

「しゃべって喉が渇いたか?」
「まあね」

 妹紅の表情が緩んだ。
 パチュリーが紅茶に口をつけたのを見て、妹紅もようやくカップに手をつけた。先ほどから紅茶の香りが鼻をくすぐり、とても飲みたかったのだが、パチュリーより先に飲み始めるわけにいかないと思っていた。

「それにしても、妹様の遊び相手なんて実に無茶な事をしたわね。彼女はとても嬉しそうだったけど」
「人が喜ぶなら無茶をするヤツなんだよ。なんていうか馬鹿なんだ、こいつは」

 まだだいぶ熱い紅茶をゆっくりと喉に流し込む。

「蓬莱人はどうなの?」
「えっ?」

 急に聞かれて、妹紅はぱっとカップから顔を上げた。

「蓬莱人は肉体をすぐに新しいものに替えられるそうだけど、魔法で回復するのとは違うのかしら? 蓬莱の薬について書かれた本も少ないけど蓬莱人の記述ってもっと少ないのよ。せっかくだから教えて」
「いや、その・・・」
「ねえ、どうなの?」

 パチュリーがずいっと身を乗り出してきたのに思わず身を引きながら、少し考えて答えた。

「魔法で回復された事がないから比較のしようがないけど、リザレクションした後も疲労や精神的ダメージは抜けないな。筋肉痛とか次の日まで残るし」
「ふうん。さっき私が言った事と概ね同じようね。やはり魔力的なものかしら」
「・・・まあある意味、魔法とか呪いとかそんなようなもんかもな」

 パチュリーが椅子に身を戻したのに胸をなで下ろし、2人は同時に紅茶をすすった。

「っていうか、何で私が蓬莱人だって知ってんの?」
「咲夜から大体の事は聞いているわ。一昨日の事も肝試しの事も」
「あっそ・・・」

 また同時に口をつける。

「そういうお前はどうなんだ?」
「私が何?」
「お前こそ、昔は人間だったんじゃないのか? 魔法使いだろ、お前」

 妹紅にその言葉を投げかけられても、パチュリーは何ら動じる事なく紅茶を飲んだ。

「咲夜からでも聞いたの?」
「いや。さっきから魔法って言ってるし、魔法使いなら1人見た事があるからな」

 最初見た時点で、彼女が妖怪である事は気配からわかっていた。それと似た雰囲気を持った人物と肝試しで戦った事がある。それに、悪魔の館の図書館には強大な力を持つ魔法使いがいるという噂も聞いた事があった。

「アリス=マーガトロイドね?」
「ああ。あいつも蓬莱の薬に興味があったみたいだったし」
「あれは人間だったけれど、私は生まれついての魔法使いよ」
「ふうん」

 魔法使いには2種類あると慧音から聞かされた事がある。知識を得る事に貪欲であるとも。

「お前も不老不死に興味があるのか? それならやめとけ。悪い事は言わない」

 つっけんどんに告げる。自分の経験則からの台詞だった。

「さっき咲夜は間違った事を言ったわ」

 パチュリーがつぶやく。
 妹紅はカップを口に運ぼうとした手を止めて、ぴくりと眉をひそめた。

「私は本を読む事に興味があるのではなく、知識を得る事に興味があるの。蓬莱人についても、欲しいのは知識だけ。知る事が出来るだけで十分よ」
「・・・できたら知的好奇心も持たない方がいいと思うぞ」

 先ほどとは逆に、妹紅は話を打ち切ろうと思ってそう言った。不老不死の話などしたくない。

「どうして人間を捨てて魔法使いになる者が後を絶たないか知ってる?」

 しかし、そんな妹紅の気持ちも知らず、パチュリーはかんさわる話を続ける。

「人間は何の知識も持たずに生まれてくる。生きていく内に経験と共に脳に蓄えた知識も、死んでしまえば消えてしまう。伝える事は出来ても、知識そのものを他人の脳に移す事は出来ない。それでも、いや、だからこそ、できるだけたくさんの知識を後世の者に伝えるために本はある」

 カップを持ったまま、妹紅はパチュリーをきつく睨みつけていた。ここからどういう話に進むか、予想できたからだ。
 気が乗ってきたのか、パチュリーはカップを置いて更に話を続ける。

「だけど人間は勘違いをしたり、自分の都合で事実を歪めたりする。だから、時に誤った知識が伝えられてしまう場合がある」
「寺子屋の先生やってる知り合いもそんな事を言ってたよ。正しい知識を伝える事は大事だって」

 平静を装って絞り出した声は少し震えていた。
 教育の重要性について一晩中熱く語る慧音を見ていれば、パチュリーの言わんとする事は最もだとは思う。それでも、越えてはいけない一線というものがある。

「正しい知識、誤った知識の取捨選択には甚大な時間が必要になる。得るにせよ与えるにせよ。ならば、寿命をもっと長く――」
「やめろ!」

 両手をテーブルに叩きつけながら妹紅は叫んでしまっていた。ガシャンと大きな音を立てて2枚のソーサーが一瞬浮いた。妹紅が手放したカップは床に落ちて絨毯に染みを作り、パチュリーのカップも倒れて澄んだ色の液体がテーブルに広がった。
 言葉を乱暴に遮られてもパチュリーは特に驚きもせず、ただ紅茶がこぼれたテーブルに視線を落としただけだった。彼女が顔を上げた時、妹紅は憎悪の込もった凄まじい形相でパチュリーを睨みつけていた。

「私や慧音がどんな気持ちで生きてきたか、お前にはわからないだろ!」

 パチュリーの涼しい目と、妹紅のぎらついた視線が交錯したまま、数秒の静寂が部屋を支配した。

「う~ん・・・」

 その静寂は、ベッドに眠っていた男に破られた。
 妹紅がはっとその音の方向に目を向けると、一真がベッドからのっそりと上体を起こしていた。

「ふぁ~」

 大きな欠伸と共に伸びをする一真。妹紅は慌てて口を開いた。

「わ、悪い。起こしちゃったか?」
「・・・ん? 何?」

 目をこする一真。

「な、なあ。もしかしてさっきの聞いてた?」
「何の話だよ? なんか大きな音がしたような気がしたけど」
「い、いや、なんでもないんだ。なんでも」
「体の具合はどう?」

 引きつった表情で汗をかいている妹紅を尻目に、パチュリーが何もなかったように尋ねる。一真はそれに寝ぼけ眼を返した。

「あ、うん。なんともないよ、パチュリー。悪いな」
「いいのよ。気にしないで」
「あー、その、そうだ! 咲夜呼んで来ないと! 一真起きたし、紅茶こぼしちゃったから、あはは・・・」

 おどおどと挙動不審だった妹紅はまくし立てて部屋を後にした。ドアがばたんと閉まり、数秒の沈黙が流れた。

「本当は聞いてたんでしょ」
「えっ?」

 頭をかいていた一真は驚きの声を上げた。パチュリーは座ったまま一真に顔だけを向けている。

「・・・き、気づいてた?」
「ええ」

 半眼を向けられた一真はベッドの上でシーツを脇に押しのける。

「いやその、話し中だったから、なんか起きたよって自己申告できなくて」
「あのわざとらしい『う~ん』はそういう事?」
「だってさあ、色々気まずかったから」
「そうね。むしろあのタイミングでよかったと思うわ。あんなに怒るとは思わなかったから」

 そう言ってパチュリーは紅茶が広がったテーブルに目をやる。一真はそれを見ながら少し考え、ベッドの上で座り直した。

「なあ、パチュリー。妹紅には人間を捨てるとか寿命がどうとか、そういう話はしないでくれないかな」

 胡坐をかいた一真はそう切り出した。

「あいつ、蓬莱人になってしまった事ですごく苦しんだんだ。不老不死になんてならなければよかったって。だから、これ以上あいつの心をえぐるよう事は聞かないでやってくれ。頼むからさ」
「私はもっと蓬莱人についていろいろ聞きたいのに」
「頼む! この通り!」

 両手を合わせる一真に、パチュリーは一度嘆息した。

「いいわ。レミィの客で妹様の友達からのお願いだから」
「すまない! 恩に着る!」

 両手を合わせたまま、一真は頭を深く下げた。

「・・・レミィって、レミリアの事?」
「忘れなさい」

 ん?と顔を上げる一真に素っ気なく答えると、パチュリーは本を持って席を立った。

「どこ行くんだ?」
「あなたの体に異常がないなら、私の仕事はおしまい。図書館に戻るわ」

 彼女がそう言い残してドアから出ていき、それと入れ違いに妹紅と咲夜が入ってくるのを一真はベッドで胡坐をかいて両手を合わせた姿勢のまま見ていた。


◇ ◆ ◇


「若いのに慣れてるのね」
「はい」

 台所に立って皿を洗う始は、隣に立ってやはり皿を洗っている女性ににこやかな表情を向けた。

「悪いわねえ、始さん。後片付けまで手伝ってもらっちゃって」

 満面の笑みを返す女性。年齢は60代ほど、簡素な着物の上から割烹着かっぽうぎを着て、大半が白くなった長い髪を後ろで束ねている。多くの皺が刻まれた笑顔は、老人特有の穏やかさを醸し出している。

「いえ、これくらいは。いつもやっていますし」

 小さく笑って頷く。こういう時にこういう表情を作る程度には人間の中での生活は経験している。

「気が利く男の人はもてるわよ。始さんはきっといい旦那さんになれるわね。あたしの勘に間違いはないんだから」
「はあ・・・」

 生返事を返し、始が積み上げた皿を女性が拭く。

「あ~、今日は早く終わった。助かったよ、始さん。後は私がやっとくから、休んどいで」
「はい、それでは」

 後を任せて始が居間へ戻ると、散歩に出かけていたこの家の主人が座っていた。

「お帰りなさい」
「おお、始さん。すいませんな、手伝わせて」

 年齢はやはり60代くらい。短い白髪を撫でながらそう声をかけてきた主人に、始は微笑みかけながら畳に腰を下ろした。

「いえ、泊まらせていただくんですからこれくらいは当然です」
「若いのに感心だねえ。ウチの息子より出来がいいや」

 主人はたもとに手を入れると小さい箱を取り出し、その箱から小さい粒を手に乗せて始に差し出してみせた。

仁丹じんたん、食うかい?」
「あ、いえ。どうぞおかまいなく」
「遠慮なんかしなくていいん――」
「ちょっとあんた、やたらと仁丹を勧めるんじゃないって今朝も言ったじゃないか」

 居間に入ってきた女房に言われ、主人は手をしぶしぶ引っ込める。

「うまいのに・・・」

 そうぼやいてから仁丹を口に放り込み、箱を袖にしまった。
 慧音に紹介されて下宿する事になったこの家の夫婦はどちらもおおらかな人物で、始は内心胸をなで下ろしていた。詮索でもされるのは困る所だ。

「ところで、十五夜の団子はできてるのか? もう今から楽しみでな」
「それがねえ、始さんの分がないから材料を買いに行かないといけないのよ」
「あーそうか、儂ら2人分しか用意していなかったからな」
「そうなのよ。ねえ始さん、買い物つきあってもらえない?」
「いいですよ」

 始が正座してそう答えると、女房は顔をほころばせた。

「助かるわ~。この人ったら、こういう時は一緒に来てくれないんだもの」
「しょうがないだろう。怪物への対策の話し合いに行かなきゃならんのだから」
「わかってるわよ。そこの味噌屋の人も殺されたんでしょ? 恐いわ~。もう1人で出歩けないじゃないの」

 眉をひそめた顔が始に向けられる。

「始さんも気をつけないといけないわよ。万が一、怪物が出たって言われたら、すぐに逃げるんだからね」
「・・・わかりました」

 うなずく。本心では逃げるつもりなど一切ないが。

「じゃあ行ってくる」

 そう言って立ち上がる主人に女房が声をかける。

「行ってらっしゃい。気をつけるんだよ」
「お前もな」
「大丈夫よ。始さんがいれば心配いらないわ。あたしの勘に間違いはないんだから」
「お前はいつもそれだな。まともに当たった試しはないが」

 居間を後にする主人に、女房は顔を膨れさせた。

「さてと、それじゃこっちもぼちぼち行きましょ」
「はい」

 割烹着を脱ぎながら腰を上げる女房に、始も返事と共に立ち上がった。


◇ ◆ ◇


「失礼いたします、パチュリー様」

 紅魔館の図書館に落ち着き払った調子の声が響く。

「何?」

 広大な図書館の奥に鎮座する机で本を読んでいたパチュリーは、目を落としたまま低い声を出した。

「妹紅と一真は今帰りました」
「そう。今何時くらい?」
「2時くらいです。あの2人には昼食も出したので」

 淡々と答える咲夜。主が西洋出身であり、時計塔まである紅魔館では時刻は現代と同じスタイルを使っている。

「フランは今どうしてる?」
「お休みです。はしゃいでいらっしゃいましたから、お疲れだったんでしょう」
「そう。ご苦労様。それで?」

 ページをめくりながら言うパチュリー。
 レミリアとフランを妹紅の前では「お嬢様」「妹様」と呼んだのは彼女が客人だからで、いつもは「レミィ」「フラン」と呼んでいる。

「パチュリー様、妹紅と何かありましたか?」
「何かって?」
「彼女の様子がちょっと変だったので。心当たりといえばパチュリー様しか」
「ちょっと蓬莱人の事について聞こうとしてキレられただけよ」
「・・・そうではないかと思いました」

 咲夜は小さく嘆息した。

「それからどうなったのです?」
「別に。一真からそういう話はもうしないでくれって頼まれたくらいだわ」
「妹紅に謝ったりはされていないんですね?」
「まあね」

 咲夜は立ったまま、パチュリーは本を見たまましばし沈黙し、ややあってパチュリーは横目を向けた。

「・・・咲夜、私にどうしろって言うの?」

 咲夜は再び小さくため息をついた。

「妹紅に一言詫びていただけませんか」

 先代の主人――レミリアの母から招かれた客人であり、それ以来紅魔館お抱えの魔法使いであるパチュリーに対して口にするにははっきりした苦言を呈する。

「彼女は幻想郷における一真の実質的な後見人です。お嬢様が彼を妹様の友人として受け入れた以上、彼が外へ帰った後も妹紅と交流を持つ可能性は高いです。ですから、妹紅と私達の間に溝が生じる事は避けた方がいいと思います」
「一度客人として迎えた人物と疎遠になったりすると、レミィの権威に関わるって事?」
「そう考えていただいて結構です」

 パチュリーははあとため息をつきながら本を机に置いた。

「じゃあ今度会ったらなんとか言っておくわ」
「お願いします」
「ところで咲夜」

 頬杖をついて目を咲夜から離す。

「またネズミがいるようなんだけど」
「申し訳ありません」

 咲夜はどこからかナイフを2本取り出し、パチュリーの視線と同じ方向へきっと顔を向けた。

「ストップストップ! 投げるな!」

 今にもナイフを投げようとしていた咲夜を制止したのは、本棚の陰から姿を現した魔理沙だった。

「また魔理沙か」
「ああ、また私だぜ」
「堂々としすぎ」

 両手を腰に当てる魔理沙の後ろから顔を出したアリスは半眼だった。

「一緒に忍び込んでおいて何言ってるのよ」

 そのアリスに咲夜が更に半眼を突き刺す。ナイフは左手に構えたままだ。

「一応、玄関から普通に入ってきたのよ」
「門番はどうしたの」
「なんかトイレに駆け込んでたな。我慢してたんだろ」
「まったくもう・・・」

 咲夜は右手で頭を抱えた。

「トイレ休憩くらい与えてやれよ。労働環境が悪いとやる気がなくなるぞ」
「いや、わかってるけど」

 咲夜は左手を下ろして大きくため息をついた。頬杖をついた姿勢のままその様子を眺めていたパチュリーが口を開く。

「で、何しに来たのよ。もうこれ以上本はあげないわよ」
「なんだよ、まだこんなにあるじゃないか。あと何百冊かくらい構わないだろ」
「ホントいい根性してるわ、あなた」

 アリスが指で額をかきながら言うと、彼女のそばを飛んでいる人形も同じような表情で額をかいていた。

「真面目な話、アンデッドの事で相談に来たのよ」
「魔法使いならこういう時頼るのはやっぱ知識人って事だ」
「生憎だけど、アンデッドの本なんてないわ。それらしい伝承とかなら少しだけあるけど参考になるものじゃないし」

 椅子を引いて勝手に座る魔理沙とアリスに、パチュリーは口を曲げてみせた。

「大体、ここにいたら現在の状況って全然わからないわ」
「じゃあ私が教えてやるよ」

 魔理沙はパチュリーの半眼も意に介さず、彼女の向かいの椅子にどっかと腰を下ろした。

「慧音によるとアンデッドはあと2体いて、それからアンデッドなのか何なのかわからないヤツもいるらしい。昨日、私達が戦った緑で羽根が4枚のがそのわからないヤツみたいだ」
「アンデッドの事を聞きに行ったのに、逆に私達の方が根掘り葉掘り聞かれたのよ。その正体不明について」

 やれやれという風に両腕を広げるアリスと人形。と、

「それなら私もゆうべ見たわよ」

 不意に聞こえた声に全員が目を向けた先には、霊夢が立っていた。

「なんだ、お前もか?」
「うん。夢想封印を叩き込んでやったんだけど逃がしちゃった」
「まあ。本当に頑丈なのね、あいつ」
「一応聞くけど・・・あなた、どうやって入って来たの?」

 魔理沙らの座る机に歩み寄る霊夢に、咲夜が腕を組んで声をかける。

「門からよ?」
「門番は?」
「いなかったわ」
「それで、なんであなたもここに?」

 目を険しく吊り上げる咲夜を無視して、パチュリーは霊夢に聞いた。

「うん、ちょっと見せたいものがあってね。なんかここに集まってそうな気がしたから」
「出た、巫女の勘」
「見せたいものって何?」

 大げさに腕を広げる魔理沙と、対照的に冷静なアリス。霊夢は懐から紙を取り出した。

「いや、大したものじゃないんだけど・・・」

 畳んであった紙を広げ、机に置く。『花果子念報』と書かれていた。

「何これ?」
「天狗の新聞よ。2日前の」
「何だよ、そんなのか。あてになる事なんて書かれちゃ・・・」

 と、霊夢以外全員が同時に覗き込んだ。

「おりょ?」
「あら」
「まあ」
「へえ」

 順に魔理沙、咲夜、アリス、パチュリーが声を上げる。

「ふーん、こういう事だったのね。ちょっと意外だったわ」
「こいつが噂のあいつか。顔まで映ってるな。あ、おい、よく見せろよ」
「まだ何枚もあるわよ」

 霊夢が出した新聞数枚は瞬く間に少女らの手に行き渡った。

「あ、この写真、文が撮影したのを念写したって書いてるな。あのカメラごとダメにされたフィルムの事か?」
「燃えたと思った写真があるんだからよかったじゃない」
「他人の新聞に使われてるんだけどな」
「あの子、以前見た時はこういう事には縁がなさそうって思ってたけどねえ。でも慧音が、この2人がアンデッドと戦ってるって言ってたわね」
「今日も帰りが遅いからって迎えに来てたわよ」
「おいおい、もしかしてこりゃあマジネタかぁ?」
「多分、半分くらいは正しいと思うわ」
「あなた、そういう事にも勘が働くわけ?」
「ねえ、お嬢様に見せる分、ある?」

 少女達が新聞でしばらく盛り上がり、アンデッドの事を思い出すのはそれから30分後である。


◇ ◆ ◇


 人間の里は幻想郷で一番規模の大きい集落で、店などの施設は充実している。幻想郷が外界から隔絶された世界である事も要因の1つである。閉ざされた世界の中の閉ざされた生活空間という見方もでき、それゆえに大抵の品物は里の中で手に入る。
 もっとも、始がそんな事を知る由もない。

「割と人が少ないですね」
「ほら、例の怪物騒ぎよ。あれでみんな恐がって家の外に出ないのよ」

 団子の材料を買いに出かけた始と妻は人気のない道を並んで歩いていた。

「恐くないんですか」
「そりゃ恐いけど、恐がってたら始さんのお団子が作れないもの」

 笑顔を見せる妻。

「慧音先生の話じゃ怪物は外の世界から来たらしいけど、始さん知ってる? 始さんも外の人でしょ?」
「ああいうのがいるらしいという噂は聞いた事ありますが、ちゃんとした情報はありません」
「そうなのかい?」

 始はなんら表情を変えず答える。アンデッドの事は知らないどころではないが、そんな事を彼女に教える必要はない。

「人間は理解できないものの存在を認めたくないんです。ないという事にしておきたいんですよ」

 淡々と言う。この言葉には始が人を観察して得た経験則も含まれていた。

「うーん、確かに私も妖怪ってよくわからないから恐いって思った事ないのよねえ。この年になっても妖怪に襲われた事ってないから。それと同じかしら?」
「・・・まあ、認めない事と、わからないから気にしない事は似ているかも知れませんね」

 妻ののんきさに呆れつつ、むしろ助かったかも知れないと思う。これなら余計な詮索はされなそうだ。

「始さんは妖怪を見た事ある?」
「いえ、ありません」

 始は即座に否定した。アンデッドは妖怪ではない。変身した慧音については妖怪なのか何なのかよくわからない。

「私はあるわよ。時々、里に買い物に来るのよ」
「そうなんですか?」
「うん。案外可愛らしいのが多いみたいよ」

 人を襲うというから妖怪はアンデッドと同じようなものだろうかと思っていた始は意外に感じた。里の人々は妖怪をアンデッドほど恐がっていないようだ。

「あ、あそこの店よ・・・あら?」

 指差そうと手を上げかけた妻は何かに気づいたように声を上げた。

「ねえ始さんほら。店の所にいるの、兎の妖怪よ」
「えっ?」

 言われて見ると、白く長い耳が生えた子供が何人か店の前でしゃべっている。流石に驚いて、つい凝視してしまった。

「多分、永遠亭って所の子達よ。兎の妖怪がたくさん住んでるらしいのよ」
「はあ・・・」

 生返事しか出て来ない。2人は入り口をくぐって店内に入った。粉末が一杯に詰められた大きな桶が並べられていて、それを量り売りする店のようだ。

「始さん、ちょっと待っててね。すいません、団子の粉くださいな」

 店の者に声をかける妻から目を離す。
 店の中にも兎の妖怪が何人かおり、店先と同じようにおしゃべりをして笑い合っている。と、隅にしつらえられたベンチに兎の耳がない黒髪の美しい少女が腰かけているのが目に入った。
 その時、彼女の方も始に顔を向け、目が合った。彼女は妖怪ではないのだろうかと考えているとその少女は立ち上がり、始に近づいて声をかけてきた。

「あなた、外来人?」
「・・・ええ、そうですが」

 丁寧語で返す。妙な印象を残さないようにと意識しているからだ。

「もしかして相川始ってあなた?」

 ピクッと反応してしまう。初対面なのに、なぜ名前を知っている。

「知り合いから聞いてるわよ。あなた、仮面ライダーなんでしょ?」
「・・・ええ」
「大変ね。外からこんな辺鄙へんぴなとこまでアンデッドを追いかけて」
「仕方ないです。アンデッドを倒さないといけないので」
「そう」

 兎達の笑い声は途切れない。
 少女は少し怒ったような表情を作り、腕を組んでみせた。

「でも早い所なんとかしてもらいたいものだわ。あいつらのせいでこの里に入るのもチェックが厳しいし、妖怪を連れてきてるからって変な目で見られたし」
「しょうがないですよ。自分の身に危険が及ぶと不気味なものや危険そうなものは遠ざける。人間はそういうものです」
「まったくその通りよね。人間なんだからしょうがないけど」

 うんうんと頷く少女。
 ついさっき妻に同じような事を言った時と違う反応に、始は少し興味を引かれた。

「あなたはアンデッドが恐くないんですか?」
「私は自分の身くらい自分で守れるわよ。一昨日出くわした時もなんてことなかったし」
「弾幕ですか?」
「そうよ。よく知ってるわね」
「大体は博麗から聞いていますから」
「博麗・・・ああ、霊夢の事ね」
「それに昨日、その弾幕というのを実際に見ました」
「誰かに弾幕ごっこをしかけられたの?」
「いえ、アンデッド相手に上白沢と藤原が使っていました」
「ああ、妹紅か・・・」

 そうつぶやくと、彼女は目を横にそらして口元を隠した。

「藤原と知り合いですか?」
「まあね。言っとくけど、あなたの話を聞いた知り合いってそいつじゃないわよ」
「はあ」

 ちょっと言い訳がましい言い方にも聞こえたが、適当に聞き流す事にした。

「しかし妹紅も物好きよね。あの一真とかいう男につき合ってアンデッド退治なんて」

 知っている名前が出て、始の眉がわずかに動いた。

「剣崎も知っているんですか?」
「まあね。あなたの仲間なんでしょ?」
「仲間なんかじゃありませんよ、あんな奴」

 吐き捨てて顔を背ける。

「ふうん・・・」

 少女が始の顔を覗き込んできて、2人の目が合う。

「ぷっ・・・」

 ちょっと沈黙を挟み、彼女が突然噴き出した。

「ふふふふ」

 少女は両手の袖で口元を隠して笑っている。

「何がおかしいんです?」
「だって・・・ふふふ」
「・・・?」
「あなた、鈍いのね」

 顔に疑問符を浮かべていると、彼女は始の顔を指差した。

「私の妹紅に対する感情と、あなたがその一真って人に抱いてる感情が同じだからよ」
「同じ?」
「最初はすごく気に入らないって思ってたのにだんだん憎めなくなってきて、今、ちょっとどっちつかずな感じなんでしょ?」
「・・・・・・」

 表情には出さなかったが、言葉に窮した。昨夜考えていた事だったからだ。

「こういう時に黙ってると、肯定してるって思われちゃうわよ」
「・・・・・・」
「それも否定しないのね」

 彼女は店の奥の方へ目を向けた。始もそちらを見ると、袋を担いだ兎達が店の奥から姿を現していた。

「ねえ。もしかして妹紅、今、この里にいるのかしら?」
「昨日は家に帰ったようですが、今はわかりませんね」
「そう。じゃ出くわす前に早く帰ろうかしら。あなたの顔は見られたし」
「なぜ俺に?」
「まあ暇だったし・・・うーん、あのスキマ妖怪、何を企んでるのかしら」
「?」
「こっちの話よ。それより今の、妹紅には内緒だからね。私も一真って人には言わないでおいてあげるから」
「はあ――」

 要領を得ないまま返事をしようとした時――

「――!」

 体に走ったその刺激は、馴染み深い感覚だった。

「あ、ちょっと!?」

 少女が呼び止めるのも聞かず、店の外へ飛び出す。
 本能が導くままに走っていると、行く手から何かが壊される音と悲鳴が上がった。里を覆う塀の付近からのようだ。何が起こっているのか、逃げ惑う人々を見つつ冷静に理解していた。
 人の波に逆らいながら進んだ先に見えたのは、傾いた家の下で震えている女とそれにすがる子供、そして七支刀を構えたディアーUが彼らに迫る光景だった。武器を持った数名の男達が遠巻きにディアーUを囲んでいるが、一様に腰が引けていた。
 ディアーUを鋭く睨みつけて駆ける始の腰に白と赤のベルトが現れる。

「変身」

 ポケットから取り出した『A CHANGE』のラウズカードをベルトに通す。

『 Change 』

 始の姿が瞬時にカリスに変化する。
 カリスは逡巡している男達を飛び越え、右手に出現させたカリスアローをディアーU目がけて振り下ろした。直前で気づいたディアーUは飛び退いてそれを避けた。カリスの姿を見た人々が更に声を上げるが、戦いに集中し始めたカリスの耳には入らない。
 素早く懐へ潜り込み、振るったカリスアローを七支刀が阻む。

「早く逃げろ!」

 鍔迫り合いをしつつ、女に声を飛ばす。
 七支刀を力ずくで弾き返し、カリスアローを横に薙ぐがディアーUはさっと後ろへ身を引いて刃から逃れると塀へ走り寄り、それを飛び越えた。
 カリスをそれを追って塀を飛び越えると、ディアーUは里から飛び跳ねるように走り去ろうとしていた。

「逃がさん!」

 彼方からシャドウチェイサーがカリスへ向かって自走してくる。このマシンはカリスの脳波で遠隔操作する事が出来る。
 カリスはシャドウチェイサーへ飛び乗り、ディアーUを追跡し始めた。


◇ ◆ ◇


「始さん、お待たせ・・・あら?」

 包みを持って店の奥から出てきた女性が店内をきょろきょろと見回す。

「どこ行っちゃったのかしら、始さん」

 その様子を見ていた輝夜ははあとため息をついた。彼女が捜している人物ならば、話をしていたと思ったら今しがた急に飛び出していったばかりだ。

「・・・何よ、もう」

 と、むくれっ面をしていると店の外がにわかに騒がしくなった。

「?」

 気になって暖簾から外へ顔を出す。
 往来は多数の人々でごった返し、大声が飛び交っている。外出している人は少なかったはずだが。里の中で何かが起こったらしい事を察した輝夜の脳裏に、ある推測が浮かんだ。

(もしかして・・・アンデッド?)

 数日前に里が襲われたという噂、そして行き交う人々の引きつった顔で、輝夜は直感的にそうではないかと思った。
 群衆の多数が一方向を指差しながら口々に叫んでいる。その方向へ、輝夜は走り出した。もう1つの推測を確かめるためだ。人の波に飲まれないように気をつけて進むと人垣ができている一角があった。人をかき分けていくと目に入ったのは、柱が折れたのか傾いた家と、人々に囲まれ慰められて泣いている母子だった。

「おい、何があったんだよ!?」
「化け物だ! 角の生えた化け物が塀を飛び越えて入って来て、家を壊してあの2人を襲おうとしてたら別の黒い化け物が現れたんだ!」
「またこの間のと同じのか!? 2体も出たのかよ!」
「だけどそいつら、仲間割れでもしてたみたいだったぜ。黒いのが角のある方に襲いかかって、それから一緒に里の外へ逃げてったんだ」

 雑多な状況で聞き取りにくかったが、男達の話に耳を傾けてその時の状況がようやくわかってきた。
 あわや襲われる所だったという母親は地面にへたり込んで両手で顔を覆って泣いている。子供の方は泣いてはおらず、困惑しているような顔をしている。状況がわかっていないのだろう。
 輝夜は子供にゆっくり近づき、しゃがみこんで話しかけた。この状況なら、気に留める者もいまい。

「大丈夫? 恐かった?」
「うん・・・」

 あまりはっきりしない返事を返す子供の頭を撫でてやる。ちゃんと話を聞けるだろうか、と少々不安を感じつつ、

「ねえ、黒いやつってどんなだった? 何か言ってなかった?」
「あのね・・・」

 そう聞くと、子供は顔を上げて案外はっきりと答えた。

「早く逃げろ、って言ってた」
「黒い方が?」
「うん」

 輝夜の頭に浮かんでいた推測は確信に変わった。
 黒い怪物というのは、ライダーに変身した始の事だ。一真とやらが変身した姿を見た事があるのでそう見当をつけた。さっき話の最中に店を飛び出していったのも、アンデッドの気配か何かを感じたからだろう。輝夜は何も感じ取れなかったが。そして彼はアンデッドからこの母子を守ったのだ。
 周りの喧騒から状況を聞き取るに、間一髪だったようだ。さっきは素っ気ない感じで答えていたが行動は非常に素早かった事に、輝夜は内心素直に感心していた。
 しかし。

「黒いやつって、いつの間に里に入って来たんだ!? 誰かそいつにやられたやつはいないか!?」
「見張りは何してたんだよ! 2匹も入って来るなんて!」
「ちくしょう、女子供を狙いやがって、許せねえ!」

 口々に悪態をつく男達を横目に、輝夜は子供の頭を撫でながらこっそりと嘆息した。
 助けられたと思うどころか、アンデッドの同類だと考えている者ばかりのようだ。彼は『逃げろ』と言ったらしいが、この子以外には誰にも聞こえていなかったのだろう。こんな状況では1人や2人が擁護しようとしても耳を貸す者はいまい。

――しょうがないですよ。自分の身に危険が及ぶと不気味なものや危険そうなものは遠ざける。人間はそういうものです

 さっき始が言った言葉が頭に蘇る。確かにその通りだ。人を助けたというのになんとも理不尽な話だと輝夜は始に同情した。
 遥かな昔、かつて輝夜に求婚してきた男達は彼女の要求した難題を本気で手に入れようとして、結局全員が大損をするだけで終わり、その内1人に至っては命を落とした。視野の狭くなった人間の愚かしさは昔から全く変わっていない。
 この場にいても何をどうする事も出来ないと判断した輝夜はその場を後にしようとした。さっきの店へ戻ろうとしていると、駆けつけてきた見知った女性と目が合った。上白沢慧音だった。

「お前か。こんな所にいるとは珍しいな」

 慧音は輝夜に意外そうな表情を見せた。

「まあね」
「騒がしいが、何があった?」
「怪物が襲ってきたんですって。アンデッドじゃないかしら」
「何だと? やはり・・・」
「でも始が撃退したみたいよ」
「始が? 見たのか? というかなぜ始を知っている?」
「さっきちょっと話したのよ。彼もライダーなんでしょ? 黒い姿の」
「ああ、まあそうだが・・・」
「ここの人達、変身した始の事もアンデッドだと思ってるみたいよ。変身した所を見た人はいないみたいだから、正体はばれていないようだけど」
「何だと? それはいかんな・・・」
「頭に血が上って冷静に話を聞く人はいなさそうだから、ちゃんと理解させるのは骨が折れるわよ、きっと」

 輝夜は両手を腰に当ててため息をついた。

「まったく、思い込んだ人間ほど危なっかしいものはないわね」
「だからこそ、誤解というものはなくしていかなければならない」
「すると、本当の事を言うつもり?」

 慧音の真面目な顔を真っ直ぐ見返す。

「間違った思い込みは悲しい結末を招く。お前はわかっていると思うのだが」
「わかってるから、私はずっと隠れ住んでたのよ」

 睨みつけるように眉根を険しくさせる。
 月の使者から逃げた後は人間と関わりを絶たなければならなかった。ただでさえ月人であるというのに更に蓬莱人であるから、地上の人間の中でまともに暮らせるはずがないと考えたからだ。それに、目立ってしまえば追っ手に見つかりやすい。
 妹紅はそれがわかっていなかったから、何百年も苦しんできたのだ。

「言うの? あなた達が見た黒いのは怪物じゃなくて人間の味方で、今この里に滞在してる相川始だって。人間の味方だってのはまあいいとして、それが始だって事は伏せておいた方がいいんじゃない? 言ったでしょ、冷静に話を聞く人はいないって。どこに住んでるか知らないけど、下手したら彼は里にいられなくなるわよ」
「む・・・」

 口ごもる慧音に輝夜はさらに畳みかける。この生真面目で堅物な女にはこういう事はしっかり言ってやらなければわからないだろう。

「世の中にはね、言わない方がいい事もあるの。それが万事において最善と言うつもりはないけど、事実は時として障害物になるのよ」
「うむぅ・・・」

 慧音は考え込むように腕を組んでうつむいた。

「ま、せいぜい上手に立ち回る事ね。じゃ、頑張ってね。センセイ」

 最後の一言に皮肉を込めつつ、輝夜はその場から立ち去ろうとした。と、

「輝夜」

 呼び止められて振り返ると、慧音が両手に腰を当てて、なんというか少し悔しそうな感じの笑みを浮かべていた。

「案外お節介なんだな。ちょっと意外だったぞ」
「何の話だかわからないわね」

 お節介と言われた意味がわからず、そう言う。

「脱帽だよ。この場合はお前のやり方の方が利口だと言わざるを得ない。それが始の事を一番よく考えていると私も思う」
「・・・素直に認めるのはいい事よ」

 実際、感心していた。対立した時に自分の意見を引っ込めるのは難しい。それができるという事は、慧音は本当の意味で聡い。

「ならお前も、素直に認めるんだな」
「・・・何をよ?」

 そう言い残して、今度こそ輝夜はその場を後にした。
 慧音が言った、素直になれとは妹紅の事だろう。慧音の真意はともかく、少なくとも輝夜自身はそう考えた。
 これは最後に自分が一本取られた。聡くないのは自分の方だったようだ。

――最初はすごく気に入らないって思ってたのにだんだん憎めなくなってきて、今、ちょっとどっちつかずな感じなんでしょ?

 今度は自分が始に言った言葉が頭に浮かぶ。始にああ言ったのは、それこそ彼が素直じゃないのがわかったからだ。自分の心境の変化を認めきれない、それが自分と同じなのだと彼の顔色を見て直観的に感じたのだ。
 慧音が『お節介』と言ったのは、始の事は黙っておいた方がいいと提案した理由が始の身の安全を考えての事だという意味だろう。考えてみれば、そんな事に世話を焼くような義理はない。やはりそれは、彼にシンパシーを抱いたからであろう。
 今日の一連の出来事で、輝夜は始に少しばかり興味を抱いていた。また会って話ができないだろうか、と思う。

(・・・ま、機会があればね。忙しそうだから邪魔しちゃ悪いし)

 とりあえず今日はもう帰ろうと、兎達と合流すべく歩を進めた。


◇ ◆ ◇


 ウルフUは興奮を必死に抑えつつ、息を潜めていた。
 昂ぶった精神を落ち着かせるように、ウルフUは素早く竹を駆け上った。ややまばらに林立する竹の間から集落がある方向に鋭い目を凝らす。
 迷いの竹林にわずかばかり入った地点で、竹上の狼より後ろは竹の密度が次第に高くなっている。

「まだか・・・?」

 神経を張り巡らせるがディアーUはまだ来ない。もどかしさから指をぼきぼきと鳴らす。
 ジョーカーが集落にいる事はつかんでいる。それをディアーUを使ってここにおびき出させて自分が不意打ちをかけ、2対1で倒すという作戦だ。
 ブレイドも倒さなければならない敵だが強敵には違いないし、炎を操る娘が一緒となると尚更迂闊には手が出せない。ジョーカーもアンデッドとして最大級の脅威だが、2対1であると考えればまだ有利ではないかと思われた。実際そんな甘い話ではない事はわかっていたが、戦って勝つためならずる賢い事も平気でやるウルフUには戦わないという選択肢だけはなかった。アンデッドなのだから当然だ。
 と、集落とは別の方角から音が聞こえて、そちらを見やると青いバイクが走っていた。

「む、ブレイド?」

 距離はかなり遠いが、ヘルメットをかぶった男の姿とたなびく長い髪はしっかりと見えた。
 ウルフUは顎に手を当てて思案する。

(どうする? ジョーカーより先にこちらからやってしまうか、それとも見過ごしてジョーカーを・・・いや、待て!?)

 そこまで考えてはっとした。ブレイドのバイクは集落の方へ向かっている。このままだと、ジョーカーをおびき出す囮になってこっちへ向かっているはずのディアーUがブレイドと鉢合わせる恐れがある。そうなれば、ディアーUはブレイドとジョーカーを同時に相手しなければならなくなる。

(おのれ、まずいタイミングで・・・!)

 両手をわななかせて腹立ちを募らせる。
 もしかすると、アンデッドサーチャーでディアーUの反応を感知しているのかもしれない――ウルフUは一真がアンデッドサーチャーに頼れない事を知らないのだ。

(こうなれば・・・やるしかない)

 決意を固めて、竹の上から地上へと降り立ったウルフUは自分の気分が高揚するのを感じていた。やはり戦いは胸が躍る。じっと待つのは性に合わない。


◇ ◆ ◇


 妹紅と一真は一路人間の里を目指して青いバイクの上にいた。いつものように一真の後ろから妹紅が両腕でしがみついている。

「この辺りからは道はわかるな?」
「うん、大丈夫だ」

 ヘルメット越しに妹紅に横顔を見せる一真。紅魔館から里への道程は妹紅が指示を出していた。
 道がわかる所まで来たからと内心でちょっと気を緩ませた彼女は一真の背に頬を寄せた。パチュリーの治療で、ついでに背中の怪我も治してもらったらしい。
 秋めいてきたとはいえまだ寒くはないがスピードがある分、風が少し冷たく感じる。顔を押しつけた背中はほんのり暖かく、紅魔館でもらった新品のシャツからの糊の臭いがした。一真の背中に身を預けたまま、空を見上げる。今日もいい天気だ。
 ふと、さっきの紅魔館での事を思い出す。
 パチュリーの言葉に対して思わず激昂してしまったが、今になって考えてみると短慮だったかもしれないと思ってきた。
 一般論として他人の家でいさかいを起こすのはよくない。たとえ、相手の方に非があるとしてもだ。自分はもちろん、一真への心象も悪くしかねない。紅魔館には客として迎えられた手前があるから尚更だ。
 それに、誰しも永遠の命があったらと思う。パチュリーのように知的好奇心が非常に強い者は尚の事だ。そういう欲求を蓬莱人の前で口にするというのは腹を立てて然るべきとは思うが、たとえ蓬莱人でもその考え自体を否定する権利は果たしてあるのだろうか。
 これが他の者だったら、どうしただろう。慧音だったら自分と同じように怒っただろうか。彼女も割と短気だから有り得る気がする。それとも、冷静に理知的に反論するのだろうか。
 イーグルUだったら鼻で笑ってみせただろうか。始はどうしただろう。
 輝夜だったら。

「・・・・・・」

 向ける対象もいないのに半眼になる。この際、仇敵の名前が浮かんだからと言って腹立たしくなるのは無視して考えを進める。
 さっきパチュリーと話したのが輝夜だったら、どう反応したろうか。彼女も、自分と同じように不愉快に感じただろうか。有り得るようにも思えるし、有り得ないようにも思える。あの女が自分と同じような感情を抱くだろうか。余裕ぶって笑い飛ばしてみせるかも知れない。
 ふと思う。それはどちらかというと輝夜の性格を顧みた上での推測ではなく、輝夜という人物はそうあって欲しいという願望なのではないか。
 彼女がそういう、意地の悪い女であれば彼女への殺意を今後も継続させられる。殺し合いを続けたくてそう解釈させたがっているのではないか、自分を。しかしそう思っている反面、自分と同じような感情を持っていて欲しいとも、心のどこかで希望している。
 はっきりとではなく、漠然とそんな考えが妹紅の頭をよぎった。自分は輝夜をどうしたいのか、何となくわからなくなってきた。今までそんな事を気にした事はなかったのに、なぜだろう。
 それは多分、イーグルUと始、そしてこいつのせいだ。目の前の背中を睨む。
 昨日、彼らを取り巻く因縁や感情をまざまざと見せつけられた。それに自分自身を重ね合わせ身につまされた妹紅は、ずっと目をつむってきた、輝夜への複雑な感情を無視し続ける事が出来なくなってきたのだ。

(・・・とはいえなあ)

 しかしその一方で、そういった感情への反発もある。これまで散々殺し合った輝夜にすんなり歩み寄る事が出来るほど素直な気性ではない。相反する感情がないまぜになって、どうすればいいかわからず、混乱した。
 と、また目前の細い背中に目を向ける。
 この迷いを生じさせた元凶の1つである一真。それは、彼と自分が似た悩みを共有しているからだ。彼が答えを見出す事が出来たなら、あるいはそれが自分の迷いに対する答えにもなるのではないか。つと、そんな期待を抱いた。
 色々とありすぎて考えがひねくれた自分よりも、真っ直ぐな性格の一真こそがその答えを出すのに相応しいのではないか、と思ったのだ。問題があるとしたら、それは他人の考えに乗っかろうとしているような気がする事と、一真が答えを見つけられたとしてそれを妹紅が実行できるかどうかだろう。
 ああ、また自分の感情に自分で反発している。どうして自分はこうも素直になれないのだろう。輝夜はともかく、一真は信じられる人間なのに。永遠の命という運命に翻弄されてきた事で、流れに身を任せる事に対して抵抗があるのだろうか。我ながら、なんと難儀な事だろう。
 悩んだ妹紅が思考の袋小路に入り込んでため息をついたその時――
 視界の隅に灰色の物体が見えた。

「!」
「カァァッ!」

 一瞬で距離を詰めてきたそれの手を逃れて2人はブルースペイダーから身を投げ出した。
 飛び降りた2人は勢いよく地面を転がり、乗り手を失ったブルースペイダーは倒れて大地を滑っていった。
 飛びかかってきたそれ――ウルフUが一真へ迫ろうとした。

「死ねっ!」
「この!」

 奇襲に際して考えていた事が全て吹き飛んだ妹紅は、倒れたままでほとんど反射的に炎弾を放った。

「ムゥッ!?」

 左腕で炎を防いだウルフUは、手を突き出した妹紅を睨んだ。
 妹紅はそれを睨み返し、ポケットから無数の札を投げた。

「一真!」

 その牽制の隙に、一真は倒れたままブレイバックルを装着している。

「変身!」

『 Turn up 』

 妹紅の弾幕にさらされながらもその身に迫るオリハルコンエレメントを飛び越え、ウルフUは一真に爪を振り下ろした。
 素早く立て直した一真は前方へ身を投げ出して爪をかいくぐり、転がりながらオリハルコンエレメントをすり抜けてブレイドへ変身した。

「チィッ!」

 はっきり聞こえるほど大きな舌打ちをして、ウルフUは炎や札を爪で打ち払う。瞬時に終わらせてしまうつもりだったが、ウルフUの想像以上に2人は連携が取れていた。
 ブレイドはブレイラウザーを抜きながら立ち上がり、そのラウザーを振るう。

「ウェイ!」
「クッ!」

 爪を交差させて刃を受け止める。その間に妹紅はいったん射撃を止め、空を飛んでウルフUの上空に位置取った。

「ちょこざいっ――!」

 彼女に気を取られた一瞬を突き、ブレイドがウルフUの爪を跳ね上げる。振り下ろされるブレイラウザーを避け、蹴りを肘で防ぐ。
 左、右と軌跡を描く剣筋をかわしたウルフUは屈みこみながら踏み込む。ブレイドは横へ身を翻して爪撃をやりすごして側面へ回り込み、キックを肩口の辺りへ見舞った。
 ウルフUが振り向くのと、ブレイドが一歩下がるのと、妹紅が弾幕を放ったのは同時だった。
 上空からの炎の雨に一瞬怯んだウルフUだったが、大きく飛び退って弾幕を逃れる。そこへブレイドがジャンプからブレイラウザーを振り下ろす。
 咄嗟にウルフUが自分から踏み込んだ瞬間、鈍い音が響いた。
 ブレイドとウルフUの手首がこすれ合い、切っ先はまだ天へ向かっている。
 拮抗した状態は数秒と続かなかった。

「クゥゥッ・・・ハァッ!」

 ブレイラウザーが横へ弾かれ、ウルフUの腕の刃がブレイドアーマーの胸部を抉った。

「うわっ!?」
「ムンッ!」

 左右の腕の刃が数度ブレイドアーマーから火花を散らせた。

「一真!」

 両腕を振り回すように連続攻撃を繰り出すウルフUの足元に妹紅が炎を撃つ。迂闊に狙えばブレイドに当たりかねないので牽制をしたのだが、地面に着弾するより早くウルフUはブレイドを蹴って飛び退いた。
 ブレイドはダウンし、妹紅はそれ以上の追撃をさせまいと弾幕を張る。しかしウルフUは果敢にダッシュして炎の弾が降り注ぐ中を駆け抜ける。

「!」

 起き上がりきっていないブレイドに猛然と突っ込み、ウルフUは右腕を突き出す。
 咄嗟にブレイラウザーでそれを受けようとしたブレイドの腕から、キィンと高い音とともにブレイラウザーが飛んだ。

「くっ!」

 剣を落とされてもブレイドは怯まず、しゃがんだ姿勢からウルフUの腹にパンチを打ち込む。低く呻いてウルフUの動きが一瞬止まる。その隙に素早く立ち上がったブレイドはワンツーを狼の顔に叩きつけた。
 ウルフUはそれを殴り返す。
 打たれながらもブレイドはウルフUの胸に右拳を打ちつけ、左腕を顔面へ振るうがそれはさばかれる。
 妹紅は何度も弾を撃とうとしてはそれを押し留まった。殴り合って互いに肉薄したこの状況では手など出せない。
 ボクシング以上に激しいインファイトは5秒も続いたろうか。
 ブレイドとウルフUの拳が互いの胸を同時に穿ち、その直後に出したパンチはウルフUの方が一瞬早かった。

「うっ!?」

 ぐらついたブレイドの顔面を怪人の拳が打ち据えた。ウルフUは更に畳み込もうとするがブレイドは次の攻撃を何とか防ぎ、蹴りを返して距離を開けた。
 たたらを踏むブレイドの眼前で、ウルフUが後ろへ飛ぶ。直後に炎が地面をえぐり、黒く焦がした。
 ウルフUは妹紅が続けざまに放った弾幕をしゃがんでやり過ごし、その間にブレイドはブレイラウザーを拾い上げていた。

「フーッ、フーッ・・・」
「はぁ、はぁ・・・」

 互いに激しく肩を上下させながら睨みあうブレイドとウルフU。そのブレイドの元へ妹紅が高度を下げる。

「一真、大丈夫か?」
「なんとかな・・・」
「フッフッフッ・・・」

 笑うウルフU。どこか満足そうにも聞こえる。

「さすがと言っておこう、ブレイド。だが、勝つのはこのオレだ」

 口を腕で拭う仕草をしてゆっくり踏み出す。

「妹紅、一瞬でいいから時間を稼いでくれ」

 身構えた妹紅にブレイドがつぶやく。

「・・・わかった。何とかする」

 妹紅は短く答え、ポケットからスペルカードを出した。

「ウォォォォッ!」

 正に狼のような咆哮を上げ、ウルフUが駆け出す。
 ブレイドは左腕のラウズアブゾーバーのホルダーを開き、妹紅は飛翔してウルフUの横へ回り込んだ。

「藤原『滅罪寺院傷』!」

 炎の弾を撃ちながら宣言する妹紅。ラウズアブゾーバーから2枚のカードを取り出すブレイド。

「こんなもので!」

 炎と札を機敏に体を振ってかわすウルフUはブレイドに迫ろうとしたが、避けた札が戻ってきたのに驚き、反射的に身を捻ったが当たってしまう。

『 Absorbアブゾーブ Queenクィーン 』

 ブレイドが『Q ABSORB』をラウズアブゾーバーに差し入れ、音声が響く。
 往復する滅罪寺院傷の札に続き炎弾に飲み込まれていたウルフUは、ブレイドがカードを使っているのを見て慌てて飛びかかった。

「ウオォッ!」
「させるか!」
「ウォッ!?」

 妹紅の手から放たれた炎の塊がウルフUの横っ面と腹に炸裂した。ウルフUが膝を崩して倒れ込む。
 その間にブレイドは右手に握っていたもう1枚のカード『J FUSION』をラウズアブゾーバーのカードリーダーに滑らせた。

『 Fusionフュージョン Jackジャック 』

 すると、ラウズアブゾーバーから『FUSION』のカードに描かれていた大きく羽を広げた金色の鷲のビジョンが羽のような光を撒き散らしながら現れ、ブレイドのボディに重なった。
 鷲のビジョンはブレイドアーマーの背中で6枚の細い翼へと変化し、折りたたまれてマント状になった。ブレイドアーマーは頭から足まで全身が金色に変わり、胸部にはビジョンと同じ鷲のエンブレムが出現していた。ラウズアブゾーバーにも鳥型の意匠が現れ、そしてブレイラウザーの切っ先に黄金の刃が追加されていた。

「な、何!?」
「これは・・・!?」

 ブレイドの体に起こった変化に驚愕するウルフUと妹紅。
 ラウズアブゾーバーは上級カテゴリーのラウズカードの力を引き出すために作られた装置であり、カテゴリーJとカテゴリーQを組み合わせる事で装着者を更にカテゴリーJと融合させることができる。その形態が『ジャックフォーム』である。
 ジャックフォームへの変身を終えたブレイドは、静かにウルフUを睨みつけた。

<『ABSORB』 AP2000回復>
<『FUSION』 AP2400回復>
<ブレイド残りAP 9400>

「クッ・・・ウオオッ!」

 己を奮い立たせるように叫び、ウルフUがブレイドへ突進する。
 妹紅は弾幕を撃とうとしたが、ブレイドから無言のプレッシャーを感じて手を止めた。

「はっ!」

 素早くブレイラウザーが振り上げられ、走っていたウルフUの胸から激しい火花が飛ぶ。

「ウグッ!?」
「ウェイ!」

 黄金の刃『ディアマンテエッジ』によってリーチが長くなったブレイラウザーが2度閃き、ウルフUの身に浴びせられる。
 まともに防御もできなかったウルフUはがくりと膝をついた。見た目以上に重い攻撃だったのが妹紅にもわかった。

「ク・・・!」

 ウルフUは立ち上がり、迫る黄金の刃を肩にかすらせながらも間合いを詰めようとする。

「オォッ!」

 繰り出した腕をブレイドは右半身を後ろに半歩ずらして避け、左腕で殴り返す。
 怯まされながらもウルフUが振るった右腕はブレイドの左腕で押さえられ、剣のナックルガードで殴られたウルフUの顔が横へ弾かれる。
 ブレイドが続けざまに振るった刃は辛うじてかわしたもののサイドキックを腹にもらい、横薙ぎが腹に刻まれ、袈裟懸けの一閃が胸を切り裂く。

「ウ、クッ・・・」

 よろよろと数歩後退するウルフUを唖然と見つめる妹紅。パワーもスピードも、それまでのブレイドよりも強化されている事に感嘆していた。
 ブレイドはウルフUをきっと睨みつけ、ブレイラウザーのトレイを開いた。

『 Slashスラッシュ 』
『 Fireファイア 』

 2枚のカードがラウザーに通される。ウルフUはまだふらついている。

『 Burningバーニング Slashスラッシュ 』

 直立し、腕をゆっくりと回してブレイラウザーを下へ向けるブレイドの体に、2つの光のビジョンが吸い込まれる。

<『SLASH』消費AP 400>
<『FIRE』消費AP 1000>
<ブレイド残りAP 8000>

「ウ・・・ウオオォォッ!」

 刃の跡が残る胸を押さえていたウルフUは雄叫びと共にブレイドに向かっていく。
 見えないほどの速さで振り抜かれた爪を、ブレイドは上へと飛んで逃れた。

「何ッ!?」

 背中の6枚の翼を広げ、ブレイドの体は天高く飛翔してくるりと回った。そして急速に高度を下げ、低空からウルフUに向かって凄まじいスピードで飛来する。
 ウルフUは身を低くしてブレイドを待ち受ける。カウンターを狙う算段だ。
 炎をまとったブレイラウザーを携えたブレイドと、両腕を腰だめに構えたウルフUが接触する――
 と思われた直前、妹紅の炎がウルフUを包み込んだ。

「ウッ!?」

 飛散した炎で、ウルフUからブレイドの姿が見えなくなった。

「!」

 視界からブレイドが消えたのは正に一瞬――

「ウェェェェェイ!」

 炎が消えた後、気づいた時には、ブレイドはウルフUの真上から炎の剣を振り下ろしていた。

「グワァァァァッ!」

 火花と炎、緑の血、そして絶叫。グレーの巨体が背中から大地に倒れ伏し、そして爆発した。
 左肩から腰まで縦一文字に大きく切り裂かれた狼の始祖の体は、四肢を力なく投げ出して燃え上がっていた。ベルトのバックルがカチンと音を立てて開き、『J』の刻印が見えた。
 コモンブランクがブレイドの手で投げつけられ、炎上する体に突き刺さる。

「お――」

 ウルフUは緑の光に変化しつつある右手をブレイドへと伸ばした。

「おのれぇぇぇぇぇ――」

 伸ばした手も断末魔の叫びも、光となってカードの中へ消えていった。
 カードがしきりに回転しながらブレイドの手へ戻る。その右手に握られたのは『FUSION』のワイルドベスタだった。
 バックルのハンドルを引いて変身を解除した一真に、妹紅が着地して駆け寄ってきた。

「一真、やったな!」
「いてっ」

 言いながら一真の背中に肘からぶつかる。一真は後ろから押されて軽く驚いたが、すぐに笑みを返した。

「なあ、さっきの何なんだ? なんか金色になって空飛んでたけど」
「ああ、ジャックフォームだよ。どうだった?」
「うん、あいつを簡単にやっつけちまって驚いた。すごいじゃないか」

 高揚している妹紅はついまくしたててしまう。一真はそれに気分を良くしたのか、笑顔で手の中の『FUSION』に目を落とした。

「ああ。ようやくヤツを封印できてよかった」

 こぼれた笑みからは強敵を倒せた事の嬉しさがにじみ出ていた。

「これで残るアンデッドはあと1体!・・・いや、緑のヤツもいるか。でも、もう少しだな」

 カードをポケットに入れ、一真は妹紅に向かってぐっと拳を握りしめて見せた。

「妹紅、もうすぐ幻想郷は平和になる。あともう少しだ!」
「ああ・・・!」

 妹紅も笑顔で頷き返した。

「よし、妹紅、行こう!」

 一真は屈託なく笑い、離れた所に倒れているブルースペイダーへ足を向けた。
 妹紅は両手をポケットに入れ、笑みを浮かべて一真を眺めながらゆっくり後について行く。軽い足取りでバイクに駆け寄る彼の背中は本当に嬉しそうだ。
 幻想郷での一真とウルフUの3度に渡る戦いを間近で見てきて、一真が苦戦を強いられた相手である事をよく知っているし、妹紅自身も戦って身に染みているから倒した事の感慨はひとしおだ。だが、一真が喜んでいるのはそういう事ではなく、ウルフUを倒した事で人々の安全が守れるからだ。さっきの『もうすぐ幻想郷は平和になる』という言葉でわかる。
 人々を守るために戦う。その純粋な願いを持って戦いに臨む一真が眩しく映る。彼は己の戦うべき理由を見失わない。迷わず、剣のように真っ直ぐ。それこそが彼の強さなのだろう。

「ふっ・・・」

 思わず、穏やかな声が漏れる。
 一真の戦う理由は単純明快、至ってわかりやすい。だからだろう、自分もそれに乗せられている。
 剣崎一真と共にアンデッドと戦う。こんなに明確な目的を持って生きるのは輝夜への復讐以外では初めてだ。この4日間、あれほど憎んだ輝夜の事さえ忘れて集中している。
 考えてみれば、この熱に似た感覚は竹林で輝夜を見つけた直後の、彼女を殺す事しか頭になかったあの頃の感情に似ている。しかし、当時のそれが自分さえ焼き尽くす程の炎のような激情だったのに対し、今のこの感覚はもっと穏やかで爽やかで、時には強く吹く暖かい風のようだ。
 殺すためだけの戦いと、誰かを守るための――そして、一真と共に挑んだ戦い。どちらも自分の心から強く湧き上がる望みから来るものなのに、どうしてこうも性質が異なるのだろうか。
 蓬莱の薬を飲んで以降、遥かな時をずっと1人で生きてきた妹紅にとって、同じ願いを抱いた仲間と呼べる人物に出会えた事には強く心を突き動かすものがある。
 誰かと何かを成し遂げる事の喜びは、かつて人の中で生きる事に絶望した妹紅の心に、輝夜と戦っていた時とは性質の違う強い充足感を与えていた。
 その感情に従う事に一切の迷いや躊躇いはない。むしろ強い爽快感さえもたらしていた。
 彼に出会えて本当に良かった。今、心からそう思う。
 残るアンデッドは後わずか。彼と共に戦う時間も終わりが近いと思うと一抹の寂しささえ感じてしまう。そう思うのもこの情熱――恐らくは生の喜びというもののおかげだろう。
 もちろん、アンデッドを倒すための戦いなのだからアンデッドがいなくなれば終わるに決まっているが、きっとそういう、始まりと終わりがあるという状況が心の琴線に触れたのだ。
 わずかな期間だけ心血を注ぐ事と、その終わり――疑似的な死を享受する事。それは人間らしい行為だ。
 蓬莱人としての永遠の命と、同じ宿命の輝夜との戦いと、終わりの存在しない世界で生きてきたから、本来ならば誰でも経験するその機会がなく、そして今まさにそれを体験している事が刺激的で――
 言ってしまえば、楽しいのだ。
 自分は今、人間らしく生きている。その事に満足している。
 戦いはもうすぐ終わる。ならば、最良の形で終わらせる。そのために力を尽くす事が人間らしい生き方だ。

「一真」

 その事を教えてくれた背中に声をかける。

「ん?」

 足を止めて振り返った一真に微笑みかける。

「生きているって素晴らしいな」
「え?」

 小首を傾げて聞き返す一真。妹紅は照れくさくなって顔を逸らした。

「何でもない」
「何だよ、急に?」

 そう言いながら笑い、一真は再び歩き出す。妹紅は小走りで、歩幅の差によって開いた距離を縮める。

「待てよ。お前、もっとゆっくり歩けよ」

 追いつき、横に並ぶ。一真は自分に歩調を合わせて早歩きする妹紅を見下ろし、妹紅も軽やかに歩く一真を見上げる。目が合い、一緒に破顔した。
 ――その時、強い風が木や竹の葉を鳴らした。

「――!?」

 その瞬間、感じる気配。2人が同時に顔を向けた先には、巨体を揺らして跳躍しながら近づくディアーUの姿。

「一真!」

 妹紅の声を聞くよりも早く一真はポケットに手を入れ――ようとするよりも早くディアーUの角が光る。

「!」

 妹紅と一真が左右に身を躍らせた直後、2人の間に雷が落とされた。

「うっ!?」

 閃光と同時に発生した衝撃を受け、2人とも地面に倒れ込んだ。

「く・・・!」

 妹紅が身を起こそうとすると、ディアーUが妹紅に狙いをつけ、再度角を輝かせたのが見えた。

「妹紅ーっ!」

 一真が叫びながら素早く身を起こし、妹紅に走り寄って彼女の体を突き飛ばした刹那――
 妹紅の目の前で雷光と火花が炸裂した。
 倒れ、再び顔を起こした妹紅の目に飛び込んだのは、背中が焼け焦げ、倒れ伏したまま動かない一真の姿だった。

「か・・・」

 一瞬、パニックになりそうになる。何が起こったのか、頭の整理が追いつかなかった。

「一真っ!?」

 頭がごちゃごちゃになりながらも、倒れた一真に駆け寄る。

「一真っ・・・おい、一真!」

 一真の体を揺さぶるが、ぴくりとも動かない。そうしているうちにディアーUが迫って来ていた。

「っ!」

 動揺しきった妹紅はどうすればいいかわからず、歩いてくるディアーUに炎を撃つ事もできなかった。
 その時、ディアーUの背中から火花が3度飛んだ。

「!?」

 ディアーUの後方に目を向けると、疾駆するシャドーチェイサーの上で流鏑馬やぶさめのように両手でカリスアローを構えているカリスの姿を認めた。

「始!」

 カリスはシャドーチェイサーから跳躍し、カリスアローをディアーU目がけて振り下ろす。七支刀を出現させるも防ぐのが間に合わず、カリスの一撃をまともにくらったディアーUはたじろいだ。
 その次の攻撃は受け止め、鍔迫り合いになる。その状態でカリスは妹紅の方へ顔を向けた。

「剣崎・・・!?」

 驚きが混じった声を上げるカリスをディアーUが押し返し、七支刀を振るう。カリスはその1振り目をしゃがんで避け、2振り目を弾いて懐へ潜り込む。

「剣崎を連れて逃げろ!」

 ディアーUの腕を抑えつけながら、妹紅へ声を飛ばすカリス。その言葉に我に返った妹紅は一真を抱え上げようとする。

「一真、しっかりしろ!」

 微動だにしない一真の腕を肩に回して体を支え、立ち上がった妹紅は、カリスがディアーUの動きを抑えているのを見て竹林の方へ向かった。
 背後からの剣戟を聞きながら、その音が小さくなるまで竹林の奥へと分け入る。

「一真っ・・・」

 薄暗い竹林の中、一真を地面に下ろすが、彼は目を閉じたままぐったりとしている。
 嫌な予感に背筋が凍る。
 恐る恐る首筋に指を押し当てる。すると、弱いが脈を感じた。
 そして口元に耳を近づける。やはりかすかながら呼吸の音が聞こえた。
 辛うじて彼はまだ生きている。しかし、このままでは力尽きてしまうのも時間の問題だろう。

「馬鹿野郎、なんで私なんか・・・」

 急激に胸が締めつけられる。
 まさか不老不死である自分をかばうなんて。
 この男が大変なお人好しである事はわかっているつもりだったが、これほどまでとは思わなかった。

「本当に・・・馬鹿だよ、お前・・・!」

 堪え切れず、涙が溢れた。
 自分が死なないと知っているのに、それを助けて死にそうになるなんて。
 どうしようもない馬鹿だ。

「死なせない・・・!」

 一真は虫の息。もう時間がない。しかし、彼を助けられる可能性が1つだけある。

「絶対にお前を死なせないからな・・・!」

 この男はこんな所で死ぬべきではない。絶対に死なせてはならない。
 涙をぬぐい、妹紅は一真の体を両腕で抱え込んで背中に炎の翼を出現させる。
 幻想郷で唯一、一真を助けられる場所を目指して、妹紅は竹林の更に奥へ飛翔した。




――――つづく




次回の「東方永醒剣」は・・・

Spinningスピニング Danceダンス
「俺のせいなのか」
「無鉄砲は私でも治せないわ」
「輝夜ぁぁぁっ!」
「やっぱり私達には、こういう生き方が合っているのよ」
「なぜ戦う?」
「約束してくれ、妹紅」

第8話「月夜に狂う」


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