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[27798] エルフさんに転生なりますた ~妖精文書~
Name: 矢柄◆c6a9a2cf ID:022f668f
Date: 2015/02/20 23:20
オリジナル転生系ファンタジー?と思う。



注意:この作品にはTS成分が含まれています。アレルギー等がある方はご遠慮ください


異世界のエルフさん(女の子)に転生してしまった主人公が、異世界から日本に帰ってきたり、戦ったり、わりと酷い目にあったり、萌キャラだったりする話です。

シリアス5に萌え4だったりします。現代日本編だけ読むと萌え成分だけを効率的に摂取できます。後の1は無駄な設定で出来てます。



H23.5.13 何を思ったのか全編改訂(あるいは改悪)してしまった。反省はしていない。後悔はいつだってしている。

H27.2.20 三回目の改定とか、いい加減にしろって感じですよね。登場人物の年齢を下げました。ジュブナイル的な。あと、《小説家になろう》にも投稿予定です。

sage投稿にチェックし忘れた…orz。上げるるもりはなかったんですすみません。




[27798] Phase001『エルフさんはウナギがお好き July 11, 2012』
Name: 矢柄◆c6a9a2cf ID:022f668f
Date: 2015/02/20 23:03

「おー、ウナギだー」


目の前で金色の髪のコーカソイド系の容貌をした美少女が、隣のテーブルの中年の男性客が食べようとしている鰻重に身を乗り出してキラキラとした期待に満ちた視線を送る。

この国ではディスプレイ以外では滅多にお目にかかれない、輝くような美を体現した幼い少女。そんな少女に見つめられて、心穏やかに食事を続けられるほど日本人男性は図太くできていないらしい。


「すぐに来るわよ」

「お、おう」


それを見かねたのか、俺の隣の席に座る大和撫子然とした長い黒髪の少女が苦笑しながら金色の少女に注意を促す。

金色の少女はそそと姿勢を正し、俺たちに正対する。見ていて微笑ましい限りだが、萌えていては話が進まないので、コホンと咳払いをして場を繋ぐために紳士である俺は会話の切っ掛けを提供することとした。


「で、まじでエルフっ子になったのか」

「子ってつけんな、子って。大体、こっちと向こう合わせたら実質お前らよりも年上だぜ。敬え」


ここは繁華街のどこにでもあるような和風飲食店の一席。木の柱と梁と白壁、石畳の床に木製のテーブルとカウンター。

椅子には和風に朝顔の図柄がモチーフとして染め付けされた赤色のカバーがついていて、内装は実に和風。しかし、流れる音楽はそんな店の内装には全く合わないポップ調。

おそらく、一昔前に流行ったバンドの代表曲。名前は思い出せないが、多分、ランキングとかにも入っていたはずだ。たぶん。

俺たちのテーブルは店内の奥の方の四人掛けで、俺こと後藤隆は木之本佳代子と共に、先程のとある事件で自分たちを救った小さな少女と相対していた。

事件の詳細についてはまた語る事もあるかもしれないし、あるいはないかもしれない。というか、顛末の大半ついては、そもそも気絶していた俺の知るところではない。

相対するのは北欧系の容貌の、信じられないほどの美少女。これほど精巧な美を体現しているなら、俺などは物怖じして普通は話しかける勇気など湧いてこないだろう。

黒髪黒目の生粋のアジア系人種である俺たち、後藤隆とその隣に座る木之本佳代子との組み合わせは客観的に見て違和感がある。

いや、傍目から見れば留学生か何かを案内しているようには見えるだろうか?

もちろんそんな違和感の原因はそれだけではないが、しかしブロンド髪の美少女というのはそれだけで平たい顔族たるアジア人が多数を占めるこの国においておおいに浮く存在だ。

少女の三つ編みで後ろにまとめられた髪は明るい日の光のような金、大きく愛らしい瞳もまた宝飾の黄金。

歳のころは12、3歳ぐらいだろうか?

黄色人種とは異なる白磁の様な白い肌は黄金の髪によく映えて、小柄で華奢な身体とまだ幼い顔立ちは人形を思わせる。

装いは清楚ながら金糸の刺繍が入った淡い青のワンピースをと桜色のカーディガン、足元に目をやれば本物の獣皮で作られたであろうブーツ。

好奇心に満ちた瞳でキョロキョロと周りに視線をやりながら椅子の上で足を揺らす姿は、どこに出してもおかしくない西洋のどこかの国のお嬢様に見えるだろう。


その妙に長く尖った耳を除けば。


エルフ耳はロマンである。

エルフとはヨーロッパ北部地域を中心とした伝承に登場する妖精の類であるが、その存在が広く世界に知れ渡った理由はトールキンの著作によるものだろう。

しかしながら、今目の前にあるようなアンテナのように長く尖った耳という特徴がこの国のエルフの外見に関する基本的な合意に至った諸悪の根源と言えば、ロードス島戦記にその因を求めることが出来る。

かの作品における挿絵において描かれた、ヒロインのハイエルフの耳が長くとがっており、その可憐な容姿が当時の大きなお友達に大変な好評を得たのが全ての震源地であったわけである。

長々と語ってしまったが、要は日本のオタク、萌豚どもにとってエルフ耳は極めて普遍的なシンボルである。

故に俺が目の前の絶世の美少女ならぬ、エルフ耳魔法少女(仮)に対して舐めるような視線を注ぎ、観察することにはなんの異常もないのである。QED。


「ていうか、何で来たそうそうに正体バレたんだろ…」

「それは単純にアナタが迂闊なだけでしょう? 昔からそうだったもの」


溜息をつくエルフっ子を見つめながら、クスクスと隣で佳代子が笑う。

切れ長の憂いを帯びた瞳の同い年の少女。射干玉のようななどという表現が似合う腰まで伸ばした艶やかな黒髪はある意味において日本美人の典型。

スレンダーな身体ながらすらりと伸びた美しい白い脚、どことなく影のある色っぽい笑みを浮かべるその姿は男どもの視線を釘づけにする。

そんな佳代子と目の前のコイツの二人は昔から仲が良い。ドジで迂闊でどこか抜けたところのあるコイツをいつもフォローしていたのが佳代子だった。


「そもそも、隠すつもりあったの? あれで」

「いや、まあ、だって、そもそもお前らとこんな所で会うなんて想定外だったし…」


少女はごにょごにょと言い訳を独りごちりながら、出された湯飲みを右手で取って緑茶を音も立てずに口にする。そして首をひねって怪訝な表情をした。

記憶と現実が噛み合わない様な、歯と歯の間に言語では表現できない何かが詰まって取れない様な、そんな表情。


「緑茶は久しぶり…、けどなんかどこか違うような?」

「そう? 普通の緑茶よ。ねぇ、タカシ君」

「ああ」


俺は佳代子の言葉にうなずき、少女の言葉に怪訝な眼を向けながら湯飲みを手にズズっと音を立ててすする。

と、少女は俺をじっと見た後、はっとした様に声をあげた。


「おうっ、それだそれ。何か忘れてると思ったら、日本人って茶を飲むとき音立てるんだよな」


すするという飲み方や食べ方には、香り成分を口から鼻により多く通すという効果があり、食味にいくらかの影響があるのだという。

まあ、そんなことはどうでもいい。本当にどうでもいい。

問題は、少女がうんうんと納得するようにして、嬉しそうに湯飲みをとって口をつけ、そして止まり、苦悩に満ちた表情に変わるという一連の動作にある。可愛い。

そして少女は湯飲みから口を離し、


「…長年の習慣ってのは恐ろしいな。音を立てて啜ることにものすごい抵抗を感じちまったぜ」

「欧米かっ」

「懐かしいなーソレ…。何だったっけ? 思い出せねぇ」


少女はあーでもないこーでもないと腕を前に組んで考え込む。

そんな様子のエルフっ子を佳代子は目をキラキラさせて「何このカワイイ生き物」と呟き、そして席を移動してエルフ少女の隣に座ると抱きしめ、頭を撫ではじめた。


「ちょっ、はーなーせー、はなーせー! 噛むぞ! マジで噛むぞ!」

「可愛い。これすごい可愛い。ねぇ、耳触っていいかしら? いや、触る」


羨ましいが、男である俺がこのような行動に移れば、間違いなく周囲からロリコンの誹りを受け、警察の人に職務質問を受ける羽目になるだろう。

目の前の二人が「こんな人知りません。他人です」と警察の人に答えるまでリアルに想像できた。男女差別反対。変態にも人権を。


「カヨっ、やめれっ。うわちょと、くすぐったいからっ、やーめーれー!」

「ここ? ここがいいの? うふふふふふ」


じゃれ合う二人を眺めながら俺は苦笑する。

本当に今日はとんでもない日だ。訳のわからない事件に巻き込まれ、魔法少女(仮)に間一髪で助けられた。

まるでアニメか何かの一場面に放り込まれたような偶然。しかし、ある意味においてこの俺たちの《再開》が必然であったことを知るのは、事が全て手遅れになった後だった。




Phase001『エルフさんはウナギがお好き July 11, 2012』




「ていうか、その身体でその口調は似合わないぞ」

「判らんでもねぇーけどさ、お前らに会ったら、なんか自然と昔の口癖が出てきたんだよ」


少女は苦笑しながら応える。

実のところ、俺との再会もまた天文学的な確率での偶然だったらしい。あの場に居合わせた事自体が奇跡なのだそうだが、とはいえ何か運命的なものを感じてしまうのは確かだ。

なにしろ目の前の少女は俺の、俺たちの親友だったのだから。

俺は大きく姿かたちが変わってしまった親友の姿とかつての姿を見比べるように、改めて目の前の少女を上から下へとまじまじと診察でもするかのように見つめる。

そんな視線に少女は居心地の悪さを感じたのか、ジト目で俺を睨んで咳き込むふりをした。


「しかしお前が…ねぇ」

「う、なんだよ」

「異世界トリップ+転生+性転換とか、どんだけテンプレなんだよ。ありえねー」

「言うな。ありえないってのは十分承知だぜ」

「いいじゃない、こんなに可愛くなって帰って来たんだから」

「それはどうかと思うぞ」

「アタシだってこんなナリになるとは思わなかったぜ」


茶化すと少女は渋い顔をして溜息を吐く。

それはあまりにも突飛な話。文字通り“ありえない”。

目の前にいるお嬢さんは、間違いなく3年前に死んだはずの親友と呼んでも差し支えの無い人物、佳代子にとっては幼馴染と言ってもいい相手なのだから。

俺の記憶が確かならば、その親友は生物学的には男であった。間違いなく男で、女の子に間違われるような容姿ではなかったし、断じてコーカソイドでもエルフでもなかった。

こんな、こんなに愛らしい、妖精のような容姿の少女ではなかったはずだ。


「ねぇ、そっちもついてないの?」

「そっち?」

「だ・ん・せ・い・き」

「あー、うん、まあ、キレイさっぱり。代わりに子宮あんぞ」

「じゃあ、その、女の子なんだ」

「女の子なんだよ。まあ、わりとマジで」


そう、俺の親友であるところの『彼』だったモノは、何の冗談か異世界などに輪廻転生し、あまつさえエルフさん(♀)になって帰ってきたのである。

本来ならば正気を疑うような展開。どこぞのファンタジーやライトノベル、今時ならばネット小説ぐらいでしかお目にかかれない設定。


「しかもエルフ耳で魔法少女、どんだけって感じだな」

「うっさい、あと魔法少女言うな。アタシは決してカードを集めたり、砲撃とかしたりはしない」

「変身、しないの?」

「しねぇよ」

「砲撃、撃てないの?」

「う、撃てるけどさ」


とはいえ、佳代子の方はこの正気を疑うような展開に難なく適応しているらしい。むしろどこか嬉しそうで、声が弾んでいて、いつもよりも笑顔が輝いていて、笑っている。

そうして、ああ、そうなんだなと俺は勝手に納得して、そうして心の奥で少しだけドロリとした感情を押し込めて、苦笑して、からかう事にする。


「つーかさ、一人称『アタシ』?」

「変か? 一応目立たないようにって口調とかは気をつけてみたんだけど」

「…お前さ、言葉以前に何故耳を隠さない。そんな耳してたら周囲から浮きまくりだぞ。ただでさえこの国じゃ外人は浮くからな」

「うっ…」


俺は少女の耳を指差す。図星を指されて少し落ち込んだのか、長く尖った少女の耳は下向きにしなっとなっている。

それが楽しいのか佳代子は少女のエルフ耳をつまむが、「アンっ」とかちょっと色っぽい声を出して少女は嫌がり佳代子の手の中から逃れる。やはり性感帯なのか?


「いやさ、ちゃんと術が効いてれば大丈夫なはずだったんだぜ」

「術? 魔法か?」

「まあな。認識阻害系の奴で、ちゃんと作動してたら耳とか普通に見えてたはずなんだけど、全然効果なくてさ」


いわゆる灯台元暮らしというか、誤認による認識阻害。

人間は目で見たモノそのままを視覚情報として認識するわけではなく、脳内である程度修正を加えた上で認識する。

曰く、そういった『勝手な思い込み』を利用した幻術を使用しており、正しく作動していれば、相手は視覚情報を自ら常識によって修正し、手前勝手に誤認するはずだったのだとか。

と、ここで店員がお盆に赤い漆器で出来た箱を3つと汁物の入った椀、そしてお新香を運んでくる。


「うな重・竹3つ、お待たせしました~」

「う…」


少女が箱を凝視し、呻く。


「「う?」」


俺たちは少女のうめき声に怪訝となるが、その瞬間少女は、


「うな~~~~っ」


妙な声を上げた。


「うな?」

「う~~なっ♪ う~~なっ♪」


少女は喜色満面の笑みを浮かべ踊るように箱の蓋をとり、その香りを胸いっぱいに吸い込み、ふにゃらとだらしない表情へと変わる。どうやら相当、目の前にある鰻の蒲焼にご満悦の様子らしい。


「何この可愛い生き物っ、ねぇ、これ持ち帰っていい? いいわよね。っていうか、許可なくても持ち帰るわ!」


佳代子は興奮して目をキラキラさせはじめる。そして少女はそんな佳代子に構わず変な歌を歌いながらリズムに身体を揺らしつつ、うな重に箸を勢い良く突き入れて、


「いっただっきまーすっ」


たどたどしく一口、鰻を口に運ぶ。箸の使い方をイマイチ思い出せていないようだ。もう佳代子の表情が完全に蕩けてモザイク修正しなければならないレベルに達している。放送事故である。


「はくはく…。ん~~~、ん~~~、絶滅危惧種ふめぇ」


少女は笑みを浮かべながら悶えだす。喜びを体で表現しているらしい。アカン、俺も自然とニヤニヤ顔になっているのが自分でわかる。


「これは、反則…」「鼻血がでちゃうわ…」


俺たちは良くわからないが、エルフさんのその表情、仕草に萌えていた。

不覚にも、かつて男であった親友に、どうしようもなく、心の奥底から湧き上がる感情を、性欲とは明らかに異なる、「萌」という感情を制御できないでいた。

やはりかつての『彼』と目の前のエルフっぽい何かを完全に同一視することは少しばかり困難らしい。

というわけで、俺たちは理性と思考を放棄し、目の前の生物に素直に萌える事にする。人間、素直になるのが一番なのだ。

佳代子のそそと自らの口の縁から涎がダダ漏れするのをハンカチで拭い去ったのを俺は視線の端で確認した。まあ、それもまた仕方がない。


「なんという破壊力。俺は今世界の真理を垣間見た」

「そうね」

「だよな、やっぱり土用の丑の日は鰻だよなっ」

「この魅力には抗えないものがあるからな」

「もう、たまらないわ」

「この油の旨さと醤油と味醂の香り、最高だぜ」

「輝きと形が違う」

「表情がもう…」

「そうそうこの照りが。やっぱ国産が一番だよな。ふわっふわだなっ」

「私はトロけそうだわ」

「俺はふにゃふにゃになりそうだ」


微妙にかみ合っていて、噛み合っていない会話。その言葉のとおりトロ顔をさらしている佳代子。しかしと俺はそんな感情に逆らい、場を引き締めるために尋ねる。


「蒲焼はまあ、判るとして。鰻は向こうにいないのか?」

「似たようなのはいくつか居るな。だけど醤油と味醂がないと。あと米」

「お米ないの?」

「ねぇなぁ。麦はあるんだけど、麹がないんだよなぁ」


少女が小さな口でたれの付いた白いご飯を口に入れる。顔がまたふにゃっと綻んだ。俺たちは萌えもだえる。洋ロリエルフ耳付の破壊力は想像以上だ。

とうとう佳代子は自分のウナギを箸でとり、「あーん」と餌付けを始めた。親鳥から餌をもらう雛鳥のようにそれにパクつくロリエルフ。癒しである。今の俺の顔はさぞキモいことになっているだろう。


「へ、へぇ、そ…そりゃあ帰ってきたくもなるよな」

「米で納得かよっ」


俺は挙動不審な自分の姿に、目の前の少女が不審がらないことを安堵する。かつての親友が自分の姿に萌えるなんて場面は見たくないだろう。でも、いや、これは無理だ。萌える。


「日本人が異世界から帰る理由は米」

「断言かよ。まあ確かに米には飢えてたが」

「しかしよく(米のためだけに)帰ってこれたよな」

「語られなかった部分についてはあえて突っ込まんが…。協力してくれたヒトたちもいるからな」


遠い眼をして、どこか楽しそうな。

そんな表情をする少女の頭を、佳代子がどこか慈愛に満ちた表情で撫でた。少女はどこかくすぐったそうな仕草をして、そして佳代子の顔を見ると抵抗を諦めてなされるがままになる。


「向こうでも、元気にやっていけてたのね」

「…まぁな。お前らはどうなんだよ? 俺がいなくなって寂しかったんじゃねぇのか?」

「ん、そうね。寂しかったわ」

「っ…、そ、そっか」


どこか影のある佳代子の表情に、少女はバツが悪そうにかしこまって押し黙る。そんな表情のエルフさんを佳代子は抱きしめた。表情は悦に入った悪い顔。

俺は思う。ああ、佳代子の奴、わざと落ち込んだフリしやがったなと。好きな子をイジめるのを趣味とする彼女らしい所業である。


「しかし、お前にも手を貸してくれる奴いたんだな」

「まぁな。何ていうか、迷惑かけっぱなしっていうか」


少女は思い出すように、苦笑する。それを見て少し安心した。


「お前はヘタレだからな。それぐらいで丁度いい」

「うっさいわ」


憤慨する少女を俺はからかい笑う。先ほどの停滞した空気はどこかに流れ、少女は舌打ちしつつ、お茶がなみなみと注がれた湯飲みに手を伸ばす。


「へゃうっ!?」


いつの間にか店員さんがお茶を淹れ直していたせいで、高温のお茶に舌を火傷。エルフさん涙目。それを見た佳代子がそれはもう18禁な表情で悦に入っている。

まあ、俺も萌えたのだが。


「あづひ…」

「お前、どれだけ人を萌えもだえさせれば気が済む」

「萌へ?」

「はい、お水よ」

「んにゃ」


舌を冷ましながら少女は怪訝な表情で問いかける。佳代子がお冷を少女に手渡すが、その表情は完全に蕩けていた。


「お前。もう、どこからどうみても萌えキャラな」

「も、萌へキャラ…? どこをどう見たりゃしょうにゃりゅ?」


抗議の声。ちなみに舌はまだ痺れてるらしい。何を言っているのか分からないが、萌えることは確かである。


「なんていうか、そのバカっぽいトコとか、迂闊なトコとか」

「ば…バキャっ!? 喧嘩売ってんにょきゃっ?」

「ダメじゃないタカシ君、本当の事言っちゃ。バカで迂闊なのは昔からなんだから」

「カヒョまでぇ!?」

「じゃー、さっきのウナ重踊りは?」

「うにっ…」


確かにバカっぽい。


「猫舌で涙目?」

「にょ…」


まだ舌がヒリヒリしているそうです。


「ロリ・エルフ耳・魔法少女。ほら、要素詰め込みすぎだろ? ランドセル(赤)が似合うだろ? 白スク水が似合うだろ? 俺の事はおにいたんと呼べ」

「にゃ、にゃんということだ…。あ、アタシは、萌えキャラだったのか…」


少女は愕然と頭を抱え、両肘を机の上について苦悩する。佳代子はそんな少女を愛おしそうに抱きしめる。


「タカシ君、メイド要素が抜けているわ。あと、私の事はお姉ちゃんって呼んで」

「ニーハイは?」

「お前らな……」

「まあ、エルフ(♀)に転生した時点でアウトだろう。あと、俺の事はおにいたんと呼べ」

「そうね。あと、私の事はお姉ちゃんって呼んで」

「そ、そうだよな…、エルフ(♀)に転生したら普通だよな、これぐらい」


エルフさんは錯乱している。


「その時点で普通じゃないことに気付け」

「うっせぇバカヤロー…。もういいや、萌えキャラで…」


少女はうな垂れた。そのまま肝吸いに手を伸ばす。香りをかいで少し笑顔になった。割と単純らしい。と、ここで俺はコホンと咳払いをし、ずいと身体を前に出す。


「ところで…、改めて聞くが、さっきのは一体なんだったんだ?」

「さっき?」

「おう。あのガキが暴れて…、人間を…したやつだ。夢とか幻じゃないよな? その、魔法とかと関係あるのか?」


話はほんの二十分前の出来事。

あの後俺たちは警察の事情聴取などの厄介事から逃げるように、この和風料理店に席を移したのだが、その間、少女から件の怪異についての説明は一切無かったのだ。

自分の命、そして佳代子の命にも関わったことでもあり、改めて先の件について少女に尋ねる。


「コイツが分かるか?」

「ん?」


少女は腰の小さなポーチから何かを取り出し、テーブルの上に置く。それは見間違い出なければ、先の事件で少年の手の平に嵌っていた黄色の光を放っていた宝石だった。

それは一辺が3cmほどの澄んだ明るいレモン色のガラスのように薄い板状の三角形の欠片。

良く見ればそのレモン色の宝石の中で金色の文字のようなものが単語を形成して踊っており、その文章は板状の欠片の表面に浮かんでは消え、散っては踊っていた。

神秘的な宝石板。まるで小宇宙のような煌めきに、引き込まれるような錯覚すら覚える。


「妖精文書(グラム・グラフ)ってアタシたちの世界では呼ばれてる」

「ねぇ、その、大丈夫なの?」

「ああ。封書、つまりは一応だけど封印したから、よっぽどのドジ踏まなけりゃさっきみたいに暴走はしねぇぜ」

「暴走?」

「うん。まあ、なんていうか、向こうの世界でも超危険物扱いされてる石でさ。簡単に言うと、持ち主の願いを勝手な解釈で叶えちまう、そういう傍迷惑な魔法アイテムって思ってくれ」

「勝手な解釈っていうのがミソなのね?」

「ああ、そうだな。例えば、強くなりてぇっていう願いがあるなら、勝手にそいつが一番強いって思うイメージ通りに持ち主を心とか精神もろとも変身させちまうとかさ。そのせいで怪物になったりすることもある」


少女は語る。おそらく、先ほどの少年はそういった願望を持っていたのだろう。そうして彼は強力な力を得た。

だが、それは声を出したり、あの宝石に祈って得た願いではなく、あの少年が潜在的に持っていた心の中の願望だった可能性が高いらしい。

たまたま少年の近くにあの宝石が落ちていて、たまたまあの少年とあの宝石の相性が良く、たまたまその少年が心の底で強く何らかの破壊的な願望を抱いた。

それだけで、あの宝石は奇跡を引き起こす条件を満たすのだ。そうして妖精文書は暴走する。


「危ないわね。なんでそんなモノがあんな場所にあったの?」

「……いろいろあってな。かなりの量がこっちの世界に入り込んでるらしい」

「じゃあ、お前はその、妖精文書とやらを集める為に魔法の世界からやって来た魔法少女という設定なのか?」

「設定いうな。つーか、何でアタシがそんな面倒なことせにゃならん。スポンサーの思惑は別みたいだけど、アタシは単にもう一度日本に戻ってきたかっただけだ」

「なんだ、ヘタレめ」

「ふふ、ヘタレねぇ」

「てやんでい、べらぼうめ! ヘタレヘタレ言うんじゃねぇ!」


そう悪態をついて、少女は最後の鰻の一切れを口に放り込む。

俺も佳代子も食べ終わっていて、というか、途中から佳代子は餌付けを始め出していたが、それはともかく皆のお重の中身は空になっていた。


「…そろそろ出るか。ご馳走様」


一服の後、俺たちは席を立つ。まあ、久しぶりに親友と会えたわけで、ここは俺が持つことにしよう。上着の懐から財布を取り出す。


「ゴチになります」「ふふ、ごちそうさま」

「ここは俺のオゴリな」

「むしろアタシはこっちの金もってねぇ」


文無しだと少女は何故か偉そうにひらひらと手を振る。そこには金を払う俺への敬意などと言うものは欠片もない。まあ、俺だってお小遣いくれる親への敬意なんてほとんど表してないんだけど。


「…そういやお前泊まるトコあんのか?」

「唐突な話題だな。はっ、まさかっ?」


少女が我が身を庇うように俺から一歩下がる。佳代子は軽蔑するような視線を俺に向けて、少女を庇うような位置取りをする。

なんとなく、というか酷く心が傷ついた。そんな風に憮然としていると、二人の女子はケラケラと笑いだす。


「いや、違うから。単純に気になっただけだから。その、家に帰るのか?」

「いんや。だいたい、この姿で帰ってもなぁ…」

「そのだな、泊まるトコないんだったら―」


真剣に話しているのが伝わったのか、少女はため息をついた。そして、呆れまじり、どこか嬉しそうな笑みを浮かべてピンと人差し指を立てて俺の言葉を遮る。


「アタシみたいなの、どうやって泊める気だ? 今日から犯罪者やってみっか?」

「無理か…」

「家族になんて説明すんだよ。ロリエルフ拾いましたってか? そりゃねぇよ、マジ笑える。家出少女拾うよりもありえねぇ。拉致監禁とか疑われんぞ」


確かに、唐突に外国人に見える小学生ぐらいの少女を家に連れ帰ったら、間違いなく警察に電話しようとするだろう。主に姉貴が。


「召喚?」

「バーカ。まあ心配すんな。サバイバルとかは魔女の基本だぜ?」


と、少女は胸を張って大丈夫だと主張する。しかし、俺はそんな彼女の言い分をいぶかしむ。


「で、具体的には?」

「…こ、高度の柔軟性を維持しつつ臨機応変に」

「ぐ・た・い・て・き・に・は・な・せ」

「野宿とか?」

「ダメよ。もう貴方は女の子なんだから」

「うぁ」


おどける少女の背中から、佳代子が腕を回して抱きしめる。抱きしめられる少女はどこか影のある複雑な表情。


「いや、まあ、ビジネスホテルとかもあるしさ。あんま迷惑かけられねぇし」

「迷惑だなんてっ。だいたい、お金とかどうするのよ。それに貴女、そんな姿でホテルに行ったって…」


問1:白人の12歳ぐらいの少女が一人、ビジネスホテルのフロントで一部屋取ろうとするとする。この時、ホテルの従業員はどのような反応をするか?

答え:「お嬢ちゃん、親御さんはどこ?」「警察ですか…、はい、そうです。すぐに来て頂けますか?」「じゃあ、お嬢ちゃん、ちょっとお姉さんとそこでお菓子食べてようか。ジュースにする? それともコーラ?」

証明終了。


「いやいや、アタシ魔法使いだから。催眠術とか幻術とかでどうにでもなるから」

「つーか、遠慮するな。ホテルって言っても金がかかるんだし、俺たちの家に居候すればタダなんだぞ」

「そうよ。タカシ君の家が嫌なら、私の家でもいいのよ?」

「そういうんじゃなくてよ…」


少女は言い淀む。何をそんなに気にしているのだろうか。確かに説明とかは面倒だけれども、その気になればなんとでもなるはずだ。

分からない。でも、こういう時に限ってコイツは何かを抱え込んでいるのは昔からの付き合いのおかげで理解できた。

そして、案の定、コイツは俺たちの手を払いのけようとする。


「ああっ、もう、うぜぇな! これ以上、アタシに関わんな!」


暴発するように声を荒げて、踵を返し、店の戸を少しばかり乱暴に開け放って、少女は速足で俺たちから離れようとする。


「待てよ!」

「離せよ!」


急いで追いかけて腕を掴んだ俺を、キッと強く睨んでくる。そこには苛つきと憤りの感情が見て取れて、綺麗な顔だけに嫌に迫力があった。

それでも、この手は離せない。ここで離したら、多分、コイツとは二度と会えなくなるなんて、そんな予感がしたから。

それに、コイツのこういう態度は昔にも見たことがある。大抵が、自分のせいで自分の周囲に迷惑をかけるような時だった。身内が困っているときは率先して手を差し伸べるくせに。

だから、いつも苦労を背負い込んで、いつも肝心なときに行き詰る。まあ、それは佳代子も言えるのだけれど。この幼馴染二人組は、そういう意味ではよく似ている。

そして、なんとなく、そういう気配をコイツの態度から感じ取る。そして、経験上、こういう時は強引に手を取るのが正解だと知っている。

だから、俺は絶対に離さない。

少しばかり睨み合って、しばらくすると諦めたのか少女は全身から力を抜いた。そうして俺は溜息を吐いて、改めて話しかける。


「相変わらずだなお前は」

「お前もな。…放せよ。これ以上、アタシなんかに関わらない方がいい」

「何も分からないで、そんな事ができるか」

「……っ」


少女は何かを言いかけて、すぐに言葉を飲み込み、食いしばるような表情で黙り込む。なんて苦しそうな表情をしやがる。

すると、後から駆け足で追いかけてきた佳代子が、俺が掴む少女の手をふんわりと両手で包み込んだ。


「ケイ君、お願いだから…」


佳代子の口から出たのは、そんな言葉足らずな言葉。だけれどもその瞳には大粒の涙が溜まっていて、それを見上げた少女は言葉を失い、さらに苦しそうな表情に変わる。


「すまねぇ、カヨ。でも、アタシと一緒にいたら、多分、またさっきみたいなのに巻き込んじまうから」

「そんなの構わないわっ」

「…っ、頼むから、分かってくれよカヨ。頼むからさ…」


案の定の理由だ。本当にコイツらしい。何よりも初志貫徹できずに、最後まで拒絶し続けられなかったり、女の涙に弱かったりするところなんか、どう考えても案の定だ。

なら、初めからこんな店で一緒にメシを食わなければよかったんだ。さっさと俺たちの前から姿を消せばよかった。だというのに、未練タラタラのクセに。


「このヘタレが」

「はっ?」

「いいんだよ! 死んだと思ってたバカがこうして帰ってきたんだ。放っておけるわけないだろう? だから大人しく来い。返事はハイかYESだ。それ以外は許さん」

「………」


少女は絶句する。佳代子もそんな俺を見て絶句して、そして笑みを浮かべた。

強引なぐらいが丁度いい。考えなしなぐらいが丁度いい。この無計画な言葉の結果が悪い目を出したとしても、それでも今ここで手を離すよりかは余程いい。

すると、見逃してしまうぐらいに少女は小さく口元に笑みを浮かべて、聞こえないぐらいの小さな声でバカ野郎と呟いた。


「先生、ここに幼女を未成年略取しようとする変態がいます」

「おまわりさんに通報しなくちゃね」

「お前らな」


睨む俺の前でクスクスと笑う二人。いつの間にかしみったれた雰囲気はもうどこにもなくて、昔一緒に過ごしていた頃のような、軽い雰囲気に戻っていた。


「冗談だって。でもさ、お前ってさ、時々すげぇイケメンな」

「今頃気づいたか」

「たいていは変態なのにね」

「だよなー」

「お前らいい加減にしろよ」


なんなの、さっきまでのシリアスはどこに行ったの? ここは顔を真っ赤にして「ありがとう」とか言うシーンじゃねえの? 俺、めっちゃカッコ良かったろ?


「はんっ、つーか、後で後悔するぜド阿呆が。アタシがベッドで、お前の寝床、床の上だかんな!」

「は? いや、同じ部屋?」

「……あー、そーだったな。青少年にはちょっと刺激強すぎたな。うん、じゃあ、アタシ、押し入れな。未来から来た猫型ロボットみたいなのがいい!」

「相変わらずバカねぇ、ケイ君は」


泣きそうな表情だった佳代子もいつの間にか、いつもの調子に戻っていて。まあ、今日の所はこれぐらいにしてやろう。


「あー、これからはケイ君って呼ぶなよ。家の人が変に思うだろ? だから、これからはルシア様と呼べ」

「わかったわルシア様」

「そうだな、ルシア様」

「おい、お前らな、本気にすんな…」

「ん、どうしたのルシア様」

「はっはっは。ルシア様は照れてるだけだ」

「ごめん。様付けは止めてください」

「ルシアたん萌え~」

「燃やすぞ、この変態紳士が」


手から雷をビリビリするエルフ。青白い電光が火花となって放電する。どうやら本当に魔法使いだったらしい。


「でもまあ、まさかお前とこんなカタチで再会するなんて、人生何があるかわからないよな」

「そうね。本当に、夢みたい」


佳代子が俺の言葉に同意する。だけれども、その言葉は本当に文字どおりの意味で、俺は少し胸が痛んだ。

そうして俺は会計を済ませて、待っている二人に合流する。そしてふと少女が何かを思い返すように、静かな笑みを浮かべ、のびをした。


「どうした?」

「いや、そうだな…。今日もいい天気だって、思っただけだ」


少女は振り向き、妙に吹っ切ったような笑顔で応えた。

振り向き様に振り乱された彼女の髪を、夏の日差しがまるで光の糸のように輝かせる。だけどそれ以上に、少女の笑顔が明るく輝いて見えて、俺は思わず息を呑んだ。




[27798] Phase002『エルフさんは迂闊である July 11, 2012』
Name: 矢柄◆c6a9a2cf ID:022f668f
Date: 2015/02/20 23:04

Phase002『エルフさんは迂闊である July 11, 2012』


「や、やっぱり帰る!」

「だめよケイ君、ここまできたんだから」


エルフさんは逃げ出した。しかし回り込まれた。仕様上、大魔王からは逃げられないのである。つーか、ここまで来たんなら諦めろヘタレ。


「うう、なんでこんな目に…。あとカヨ、ケイ君って人前で呼ぶなよ。ルシア様と…、いや、その、ルシアちゃんと呼べ。…その、色々誤解されるだろ?」

「げへへ、ルシアたん萌!」

「てめぇは黙れ」


なぜローキックされるし。

さて、我が家である。二階建ての軽量鉄骨の戸建。新興住宅地と呼ばれるこの団地には、まるでコピーペーストのように似た戸建の住宅が碁盤目状に配置されている。

我が家、後藤家はそんな実に没個性的な住宅地の一角、市民公園から少し入った場所にある実に没個性的な家屋だ。

コンクリートの塀に囲まれた、狭い庭はバラスが敷き詰められて花1つ植えられておらず、少し茶色にくすんだ白い外壁の、黒ずんだスレート屋根の我が家。

造成されてから30年近く経つこの団地は、既に多くの子世代を育て終わり、団塊世代の初老の夫婦が取り残された、極度に高齢化が進んだ街だ。

歩いて出逢うのは老人と彼らが飼う犬ばかりで、子供たちの遊び声なんてほとんど聞こえない。時代に取り残されたような、局所的に時が止まったような街。


「ここらもずいぶん寂れたな」

「年上はだいたい出ていったからな」

「同世代なんて私たちぐらいだったけれどね」


だからこそ、この3人でつるむ様になったのだけれど。

コイツと佳代子の家族は新参者の家庭で、親の仕事の関係で新しくこの団地の一角にあるマンションに引っ越してきた珍しい例だ。

珍しいので同じマンション、同級生、そして父親同士が同じ職場だった目の前の二人は、生まれてから小学生までずっと一緒で、幼馴染になったのだという。

俺とコイツは小学校3年の時にとある縁で知り合い同士となり、それからも家が近く帰り道が一緒だったことから中学になってもつるんでいた間柄だ。


「懐かしいなー。咲姉とかまだいたりするのか?」

「…居座ってやがる。まったく、どうしてアイツが……」

「どうしたんだ?」

「フフ、なんでもないわ。じゃあ、お邪魔しましょ」


佳代子がついてきたのは、このエルフっ子を我が家で面倒を見るための説明要員としてだ。俺とコイツだけだと家族を説得できる自信がない。

ウナギを食った後、俺たちはそのまま我が家に向かう事となったのだが、どんな理由を付けて家族に説明するか悩むことになった。

男ならダチで済んだ。だが、コイツは今や女子である。しかも、小学生高学年か中学1年生ぐらいにしか見えないロリだ。ダチで済むわけがない。

佳代子の家は色々とデリケートな時期なので頼りたくないが、こっちが無理な場合は結局佳代子の家に居候させることになるかもしれない。


「ただいま」

「…後藤の家の匂いだ」

「臭いか?」

「いや、懐かしいなって思ってさ」


引き戸中には薄暗い、黒いタイル張りの玄関。真鍮製の筒型の傘立てには6本ほどの傘、木製の靴入れの上には少し元気のない観葉植物(パキラ)。

俺の後に二人はついて来て、というか、佳代子の後ろに隠れるようにして金色の少女はおそるおそる玄関に入ってくる。

そして俺が靴を脱いで家に上がると、エルフさんは「おお」と声を漏らした。何に興味を持ったのだろうか。


「いやー、家に入る時に靴脱ぐとか、日本に帰ってきたなーって思ってさ」

「ケイ…、ルシアちゃんの所は洋風だったの?」

「おう。まあ、靴を脱ぐのは住んでたトコの気候の関係だけど。そだな、向こうの暮らしぶりは、たぶんこっちの感覚で言うと中世ヨーロッパって感じだと思う。いろいろ例外のある世界だけどな」

「ファンタジー設定だな。テンプレ乙」


ファンタジー世界の世界設定は基本的に中世ヨーロッパを舞台にしたものが多い。ファンタジー小説の有名所が欧米生まれという理由が大きいのだろう。

テーブルトークRPGの多くもそういった影響で舞台が中世ヨーロッパ風だし、それになにより、エルフという架空種族が北欧系の神話に基づいた存在でもある。

こっちのエルフと向こうのエルフに何か関係があるのかは全く俺の知るところではないが。


「まあ原則、剣と魔法の世界だかんな。モンスターとかもいるんだぜ」

「マジかよっ? じゃあ、ゴブリンとかは?」

「山ん中とかにはいるぜ。野蛮人だけど」

「ドラゴンはっ」

「おう、あんまり美味くはない。肉が硬いんだよな。パサパサしてるし」

「猫耳メイドはっ!?」

「なぜメイドさん限定なのか。まあ、いるぜ。犬耳も狐耳も兎耳もいるぜ。メイドさんとは限らねぇけどな」


これは滾る。猫耳メイドとかロマン過ぎるだろう常考。行きたい。俺は今、無性に異世界に行って猫耳メイドさんを愛でたい!

ところで尻尾はあるのだろうか。あって欲しい。服のどこから出すのかは分からないけど。専用の穴とかあるのだろうか?


「変わんねぇなコイツ」

「いつからこんなのになっちゃったのかしらね」

「小4まではマトモだったんだけどな。小5の秋にな…」

「ああ、そうだったわね…」


某魔法少女アニメに魅了されてしまった俺は、道を軽く踏み外し、果てしなき萌道へと突き進むこととなったのである。

どこか可哀想な目で俺を見るエルフさんと佳代子。ヴァカめ、そんな養豚場のブタを見るように冷たい美少女の視線など、俺にかかればご褒美にしかならん。ありがとうございます!

そんな風に和んでいると、唐突に玄関から奥に続く廊下の向こうの階段を誰かが駆け下りてくる音が響く。その音に俺たちは廊下の方へ目を向けて、


「タカシ! てめぇっ、私のアイス食っただろ!!」

「はがっ!?」


眼にもとまらぬ速度で飛来する影を視認した瞬間に、こみあげるような痛み。蹴られた。跳び蹴りである。強烈な一撃が俺の腹に抉り込まれた。一片の躊躇も容赦もない、無慈悲な鉄槌である。

みぞおちに叩きこまれた強烈な一撃。俺はなす術もなくノックアウト。

視界の端に驚くようなそぶりをしながら、実の所ものすごい悦の入った良い笑顔の佳代子が映った気がするが、たぶん気がするじゃなくて実際に笑っていたのだろう。


「……ご、後藤、大丈夫か?」

「ひ…ひぬ……」

「ったく、いつも勝手に食うなって言ってるだろうが」


倒れ伏す俺の傍で仁王立ちするのは、不機嫌そうな表情のボサボサの黒髪の女性。少しばかり気の強そうなツリ目の、美人ではあるがダルそうな表情の妙齢の彼女は、実のところ俺の従姉にあたる。

その姿は木綿100%の緩い感じの寝間着のズボンを穿き、上半身はタンクトップ。口にはスルメを咥え、ヘソを出して腹をぼりぼりかくそのだらしない姿を見れば百年の恋も冷める。

平山咲。俺の従姉であり、数年前から我が家をねぐらとしている、女の姿をした怪獣である。見てくれとスタイルは良いが男っ気の無い暴力女なので、いろいろと台無しの残念な美人である。


「お邪魔します、咲さん。相変わらず素晴らしい蹴りですね」

「…お邪魔します」

「お、佳代子か。それに…、外人?」


うずくまる俺をよそに、佳代子がたおやかに挨拶する。姉貴は笑顔でそれに応じるが、同時にエルフさんの姿を目に留めてしばし凍りつく姉貴。

外人を見て心理的警戒水準が高まるのは、排他的島国根性丸出し土着未開人の悪い癖である。姉貴がこそこそと俺に近づき、耳元に口を近づけてささやき声で話し出す。


「おい、何だあの洋モノは?」

「アダルトビデオみたいな表現は止めろ。えっと、なんだ、我が家の新しい居候?」

「お前は何を言っている?」

「いろいろと事情があってな。ウチで預かることになった」

「佳代子、これはいったい何をしでかした? 警察に自首させた方がいいのか?」

「いや、必要ないから」

「はい、実はタカシ君、道に迷っていたこの子を路地裏に連れ込もうと…」

「してねぇよ!」


俺の意見は聞かないらしい。そのあと、佳代子が改めて大丈夫と答えると、姉貴はようやく納得したような表情となる。


「…叔父さんたちは知ってるのか?」

「まだ説明してない」

「……はぁ。まあいい、こんな場所じゃなんだからな。とりあえず居間に通しておけ」


呆れたように姉貴は溜息を吐き、親指でクイッと男らしく中に連れて行けとのジェスチャー。そんなにイケメンだから男より女にモテるんだろうが。

さてそんな訳で、俺たちはそのまま居間に移動。量産型の和室の居間には四角いちゃぶ台が中心を占拠しており、周囲をタンスやらテレビやらが包囲する。

佳代子が手慣れた様子で座布団を敷き、俺とルシアたんでお茶の用意をする。とはいっても、冷蔵庫で冷やしている麦茶を運ぶだけだ。

エルフさんは手慣れた様子で食器棚からガラスコップを4つ取り出し、お盆に乗せて運ぶ。


「あんまし変わってねぇな、この家」

「まあ、3年程度だからな」


改築も増築もそんなに頻繁にはしないのだから、3年程度で家が大きく変わることはない。変わるのは若い人間ぐらいだ。ああ、あと、庭に勝手に生えた木がずいぶん成長したぐらいか。


「結局さ、アタシってこっちじゃどういう扱いになってるわけ?」

「…飛行機事故の犠牲者ってところだな」

「そっかぁ。やっぱあの飛行機落ちたのか。他の人達、どうなったのかな」


結局のところ、あの時何が起きたのだろうか。俺はニュースや新聞、雑誌でしか事故について知らないし、そもそも本当に墜落したのかもはっきりしていないはず。

連日のニュースで捜索やら続報が伝えられたが、半年の捜索にも関わらず痕跡も残骸すら発見されず、生存者はゼロ…というか全員行方不明。

フライトレコーダーとかのブラックボックスも回収できず、公開された通信記録にもはっきりした原因を示すものはなかった。真相は闇の中だ。


「あとで調べてみるか…」

「大したことは分からんと思うぞ」


そう言いながら俺たちは茶を居間に運ぶ。姉貴は座布団の上でオッサンみたいに足を広げてだらしなく座っており、背筋を伸ばして正座の佳代子とはえらい違い。

俺たちは茶を配り、敷かれた座布団の上に座る。姉貴の正面にルシアが座らされ、幾分緊張した面持ちで姉貴と対面している。

そして尋問が始まった。


「んで、名前は?」

「えっと、ルシアです。ルシア・リア・ファル」

「どこの国から来たんだ?」

「えっと、その、USAです…はい」

「親は?」

「えっと、両親は…、その、本国に」

「ふうん。日本語上手いんだな」

「それなりに長いですから」


エルフさんは挙動不審だ。目が泳いで、どう見ても不審者にしか見えない。流石はキングオブヘタレ。姉貴と目を一度も合わせていない。

そしてふと、姉貴は何かに気づいたように目を見開き、腰を上げて顔をエルフさんに近づける。さらにキョドるエルフさん。カワイイ!


「……珍しい耳だな」

「え、あ、ちょと」

「本物か?」

「あ、いやん、触ったら…」


姉貴に耳を触れられ、実に艶めかしい声を上げるエルフさん。やっぱり性感帯なのだろうか。気になる。性感帯だったら、滅茶苦茶触ってみたい息を吹きかけてみたい舐めまわしたいしゃぶりたい。

そうしている間に姉貴はぐいっと両手でルシアの顔を掴んで改めて見つめる。端と鼻が触れ合うような距離。ルシアは意を決したのか真っ直ぐに姉貴の目を見返した。3秒もせずにすぐに逸らした。


「ふふ、ケイ君は相変わらずヘタレね」

「言ってやるな。むしろちゃんと見返そうとした勇気を褒めてやれ」


昔から他人の目をちゃんと見て話すのが苦手な奴だったから仕方がない。初対面だと確実に視線が泳ぐヘタレ仕様。

姉貴のエルフさん観察はなかなか終わらない。そして委縮するエルフさんを2分ほど顔を突き合わせたあと、ようやく姉貴は少女を解放した。


「えっと…」

「いや、悪いな。なんだか、知り合いに似ていてね」

「知り合い?」

「ああ、もう死んじまったんだが。こう、細かい仕草とか、人間が苦手なのがなんとなくな」

「……」


つまり、ヘタレだと姉貴は言っている。姉貴はなつかしそうな、しかし何処か寂しそうな表情で、過去を噛みしめるように語る。そして、クスリと笑い、


「そういえば、アイツの童貞は私が「わーっ! わーっ!!」 ん…?」


突然の姉貴による爆弾発言。それをかき消すようにエルフさんは大声を出す。視線がエルフさんに集中した。佳代子の表情は笑みだが、どこか凄みを感じる。やだ、怖い。

居間を静寂が支配する。姉貴は少女に胡乱げな視線を向け、少女は居心地悪そうに咳ばらいをした。そんな少女を観察し、一息置いて再び姉貴が語りだす。


「あれは私が大学4回生の時の夏…」

「あっ、そうだ! ここでアタシのとっておきの手品を披露してやるぜ!!」


再び口を開いた姉貴、それを阻止すべく立ち上がる少女。その不自然さ、有罪(ギルティ)である。というか、どうやらかつて、このヘタレは俺の従姉とチョメチョメな関係を結んでいたらしい。

なんかそれ、ちょっとヤダ。つーか、5年前って小6の頃だろうが。なに、小学生食ってるんだよこの姉貴は…。

居間を再び静寂が支配し、視線がエルフ少女に再び集中した。そして姉貴がニヤリと口元を釣り上げる。悪い事を考えている表情だ。


「そう、あの日、アイツは無理やり私を押し倒して、唇を奪い舌を…」

「ちげーよ!! アンタがアタシを無理やり縛っ…、あ」

「語るに落ちたか」

「おうふ」


迂闊にもほどがある。エルフさんは自らの失言というか、カマをかけられた事に気づき機能停止。姉貴はある程度を理解したように目を丸くしている。

そして佳代子はと言うと、とても冷ややかな瞳で、しかし顔には笑顔を張り付けて、そしてエルフさんの背後に立ち、両肩に手を置いてその横から顔と顔を近づけた。


「ふうん、だから私の時、慣れてたのね」

「おいっ、カヨっ!! って、ちがっ、違うから! アタシはそのっ」

「なんだ、私との関係は遊びだったのか」

「ちょっ、誤解招くような言い方やめろよ咲姉!」


少しばかり残念そうな顔を演技する姉貴。そして、いまだに笑顔を絶やさない佳代子。


「どういうことなの、ちゃんと答えて。…怒らないから」

「だからっ、あの日は咲姉がロト紋全巻見せてくれるって誘われてコイツん家いったら、いきなり縛られてっ、そのまま…、おうふ」

「誘ったのはお前だろう」

「誘ってねぇよ!」

「ひどい、信じてたのに」

「だーっ! 手前ぇら、アタシで遊ぶんじゃねぇ!!」


よよよよと時代がかった泣き真似をする佳代子。完全に弄ばれてやがるエルフさん。というか、アイツ、佳代子とそういう関係になってたのか、分かってたけど、でもなぁ。

俺は微妙な気分になるも、事態を静観する。というか、もう全部手遅れじゃね? 姉貴はニヤニヤとひとしきり笑った後、すぐに顔を引き締めた。


「で、圭介なのか、お前」

「……なんの事でせう?」


少女は今さらながらとぼける。つんと目をそらして、おすまし。だいたい手遅れだが、最後の悪あがきをするようだ。


「ネタは上がってるんだ」

「弁護士が来るまで黙秘権を行使するぜ」


守備表示。ターンエンド。


「そういえば、昔、お前のラブレターの添削をしてやったな」

「………っ」


ダイレクトアタック。少女の耳がピクリと動いた。というか、ラブレターの添削とか、頼む相手間違ってるだろう、このヘタレ。本当に救いようのないバカだな。


「中々愉快なポエムだった」

「おい、やめろ…やめろよ」


少女の声は震えている。姉貴は虐めっ子の顔になっている。佳代子はもう完全に悦に入った悪い表情だ。若かりし頃に書いたラブレターのポエム朗読会。軽く死ねる。


「ん、どうした。確か『この両腕は、ただ君を抱きしめるためだけにあるのだと…』」

「やめろ…やめてくれっ!!」


悲痛な叫び。それを眺める姉貴の顔は既に嗜虐の快感に笑みを浮かべるいじめっ子。ああ、これは既に勝負がついている。

にも拘らず抵抗するコイツの態度はしかし、姉貴と佳代子を喜ばせるだけでしかない。まあ、だからコイツは面白いんだけど。


「頼み方がなってないんじゃないか? ん? 『佳代子、僕は一人では何もできない弱虫だけど、君の事を想うだけでどんな事だって…』」

「やめ…、止めてくださいお願いしますアタシが全面的に悪かったです全ての責任は自分にあります何でもしますから許してください犬とお呼びください!」

「堕ちたな」

「堕ちたわね」

「もう少し粘ってほしかったんだが」


そうして、少女の秘密は初日早々に3人の人間に発覚してしまったことになるのでした。エルフさんは観念したように全てを姉貴に白状する。

つーか、そんな古風なことしてたのかこのヘタレは。今時ラブレターしたためて、幼馴染に送るってどれだけ面白いんだろうコイツ。


「ふうん、しかし、本当に女になったのか」

「イエスマム」

「ふむ…」

「?」


そしておもむろに姉貴はちゃぶ台を迂回してルシアの傍に近づく。そして隣に座ると、


「ほれ」

「ちょっ、やめろ!」


何を考えたのか姉貴は少女のスカートの裾を右手でつまみ、ぴらりとめくり上げた。白い布の切れ端が俺の視界に焼け付き●REC。

まったく、教育者がなにをやっているんだ。そんな事したら訴えられるぞ。まったく、けしからん。けしからんぞ●REC。


「な、何するだー!?」

「いや、確かめてみようと思って」

「こんなにナリが変わってんだから、見てわかるだろ!」

「いや、本当についてないのか、調べようと」


なんというセクハラ発言。ついているかどうかなんて、どうでもいい事をまったく。あとで結果を教えてもらわなくっちゃ。

そうしてにじり寄っていく姉貴の表情がニタァと虐めっ子のそれに変わった。エルフさんはビクリと体を震わせ太腿を強く閉じる。


「おい待て止めろ、アンタ、もしかしてとんでもない事考えてるだろう。絶対やめろよ。絶対にだぞ。条例とかに引っかかるんだからな。おい止めろ近づくな、近づかないでください、やめてよして触らないで、いやいやいや、カヨっ、見てないでぇっ!」

「咲さん、お手伝いいたしますねっ」

「ふふ、お主も好きものじゃのう」

「うふふふふふふ」

「ふふふふふふ」

「ひっ…」


ものすごい悪い微笑を浮かべる佳代子が少女を反対側から追い込んでいく。同時に姉貴も虐めっ子モードになって、エルフさんを両サイドから挟み込む。

恐怖の表情を張り付けたエルフさんはじりじりと尻餅をつきながら後ろに逃げようとするが、がしっと腕を二人に捕まれた。そして、姉貴たちの顔がくるりと俺に向けられる。


「タカシ、しばらく外出とけ」

「分かったわね、タカシ君」

「……おう」


俺は反論する事などできずに頷くしかない。俺は悪くない。悪いのは世界をこんな風にした社会の方なのだと自己正当化する。


「おい、後藤っ、待て! 助けて!!」

「悪く思うな」


そして俺は振り返らずに今から離脱する。これから行なわれる凶行、略取、犯罪行為には少しばかり興味があるが、この先は男子禁制の百合世界。

俺は一人の紳士として、この場に男がいる事の弊害について速やかに理解し、立ち去る事を選んだのだ。おお、なんとモッタイナイことか。MOTTAINAI。しかし、命は惜しいのである。


「止めろ近づくな! 冗談は止せ! 今ならまだ間に合う考え直すんだ! ひゃっ!? ふぁっ!? 今変なとこ触ったっ!? ヘンタイっ! ヘンタイっ! カヨっ、パンツ脱がすな! そこ違っ、やだやだやだやだ、たーすーけーてーーーぇぇぇ!!」


全てが終わり、許可を得て居間に戻った所、壁に背を持たれ、瞳から光を失い、憔悴しきったエルフ少女を見た。

佳代子はとても上機嫌に、全てをやり終えた満足感溢れる表情で実にお行儀よくお茶を飲んでいた。姉貴はぷはーっと親父くさくお茶を飲み干し、胡坐を崩してだらしなく座っていた。

俺はこの場でいったい何が起こったのかについて尋ねる事は憚られた。世の中には知らない方がいい事は山ほどあるのである。俺はそれを知っているのだ。







「まったく、酷い目に遭ったぜ」

「ご愁傷様」

「私は眼福だったわ」


我が家の二階、俺の部屋のベッドの上でエルフの少女が疲れた表情であぐらを組んで座り、その隣に佳代子がニコニコ顔でぺたん座りしながら少女のおさげ髪を弄ぶ。

俺はデスクの前のキャニスター付きの椅子に腰かけて、そんな二人と駄弁りながら寛いでいた。

結局、姉貴が知り合いから預かった客ということでコイツの事を親父たちに説明してくれる事となり、コイツの居候問題は一定の解決を見た。


「なあカヨ。お前ってそっちの気あったか?」

「なかったわ。でも、今目覚めたかも」

「おうふ、なんてこった」


右手で顔を覆うエルフさん。まあ、確かに佳代子に同性愛的な嗜好は無かったはずなので、たぶんコイツ限定なのだろうけど。

いや、まあ、コイツの妹とはたまに百合百合しくしていることもあるが。


「でもまあ、いろいろ説明する手間は省けたけどな」

「まあ、知られて何か困るってわけでもねぇし、良かったのかもな」

「まあ、そういう考え方もあるのか」


相手が信じるか信じないかが問題であって、この世界の住人ではないコイツにとって、正体が発覚することに明確なデメリットはないのだろう。

俺たちや元の家族には多少の迷惑はかかるかもしれないが、公に情報が漏れたところで信じる奴なんてほとんどいないだろうから、さほど神経質になる必要はない。


「この部屋もあんまし変わり映えしねえし。強いて言えば本棚の中身が変わっただけか」


そう言いつつ少女は部屋の主である俺の許可を得ずに本棚を物色しだす。

俺の部屋は家の西側にあり、いちおうフローリングだが、和室だった部屋を改装したものなので押入れが存在する。部屋自体もそれほど広くない。

内装は東側にちょっとした本棚とベッド、北東の角にアンテナと繋がっていないブラウン管のテレビがあり、窓のある西向きの壁に沿ってデスクが置かれている。

北側には押入れがあり、そこは今は物置になっている。と、いつの間にか駄エルフが押入れを漁り始めていた。


「何を探している?」

「もち、エロ本」

「おい止めろ」


いきなりそんなエクストリームスポーツを開催しないでください。まあ、そこには無いのだが。分かりやすい場所には隠してはいないのだ。


「そこには無いわよ。タカシ君はこことここに隠してるわ」

「マジで止めろよ。つーか佳代子、なんで知ってる?」

「性嗜好に一貫性が無いのよね、彼」

「ふーん、節操がないのか」

「止めてくださいお願いします」


佳代子までもが混ざりだす。あかん。佳代子にばれてるってことは、既に姉貴にはばれている筈で、となれば母さんにも…。ふふふ、首吊りたい。


「おっ、これ昔の夏休みの自由研究の奴じゃん。懐かしいな」


そう言って取り出してきたのは、金属製の歯車やら円筒などがこっちゃになった、他人から見ればガラクタにしか見えない工作。

小学校の時に俺とコイツと佳代子の3人による共同研究と銘打って一から組み上げた蒸気船のミニチュアである。キットとか、そういうのではなく、空き缶とかそういうのを素材にした工作だ。


「でも、これアタシん家にあったよな」

「お前の葬式の後、形見分けで引き取った」

「懐かしいわね。タカシ君、残してくれていたのね」

「…そっか。もう、葬式上げられてるのか」

「生存は絶望的だってことで1年前にな」

「そうか…、そうだよな」


少しばかり部屋を静寂が支配する。少女の表情はどこか寂しげな、どこか悲しげな。そんな少女を佳代子は後ろから優しく抱きしめた。

それでも俺はここでコイツに言っておかなければならない事がある。あの事故の後のことを。


「お前さ、やっぱ実家には顔出しとけよ」

「タカシ君!」


佳代子が少しばかりの怒気を帯びた表情で声を上げる。だけど、委縮したのは佳代子に抱きしめられた少女の方だった。まるで、迷子の幼子のような表情。


「うん、いや、でもさ…。今更っていうか…」

「葬式でさ、お前の妹とおばさんさ、すげえ泣いてたぞ。それにお前ん家、お前がいなくなったせいで色々あったみたいでさ」

「え…?」

「タカシ君、それ以上は…」

「いや、だがせっかく帰ってきたんだぞ」

「…そっか」


コイツの母親はその事をそうとう気に病んで、精神的に参ってしまったらしい。同じくコイツにその話を勧めたコイツの妹と佳代子もそろって相当落ち込んで、自殺でもするんじゃないかって思うぐらいで。

佳代子はなんだかんだと持ち直したが、多分あの家族をなんとか出来るのは、多分コイツだけなんじゃないかと思う。

とはいえ、佳代子の心配も分からないでもない。あんな状態になったあの家を見せるのは正直いって酷すぎる。

そもそも、コイツが帰って、あの家が元通りになるのかと問われれば、そうだと答えることは出来ない。結局はまた大きな傷をつけるだけなのかもしれない。


「うん、でも今はだめだ」

「なんで?」

「なんつーか、その、危ないっていうか、巻き込みたくないっていうか…。今起きてるのが収まったなら、改めて考える」

「今起きている事って…、さっきあったみたいな事?」


佳代子の問いにエルフさんは少しだけモジモジと話すかどうかを逡巡するが、しばらく佳代子が見つめると意を決して語りだす。


「さっき、メシ食ってるときにも少し話したけど、妖精文書ってのが今回のに関わってる。んで、これが関わる事件に偶然はあり得ないってのが、向こうの世界の暗黙の了解なんだよ」

「誰かが裏で糸引いてるってことか?」

「いや、違う。あれはそういうもんなんだ。説明するのは難しいんだけど…、そうだな、呪いっていうか、そういうのに近い。いうなればアタシは呪われてんだよ」


少女の尖った長い耳が力なく下を向き、力のない瞳には一種の自嘲が見え隠れする。俺はそんな表情をする目の前の少女にトゲトゲとした苛立ちを覚えた。

おそらく、あれだけ俺たちを遠ざけようとしていたのもそのせいだろう。それは何となく理解できる。ただ、自分の事を呪われているなんて言う事に、どうしても脳が熱くなる。


「収まる目途はあるのか?」

「分かんねぇ…」

「分からないって…」

「すまねぇけど、本当に分かんねぇんだ。いつまでとか、どんな範囲でとか予想もつかないんだ。呪われてるって言っただろ。本当に、あれだ、まるで、疫病神みたいだろ?」

「疫病神って、お前な…」

「だってそうだろっ、そうじゃなきゃ、あの時だって百何十人も巻き込んだりとかしねぇよ!」

「待って、それって…」


少女は悲痛に、吐き捨てるように言い放った。俺は言葉を失いかけ、わずかに佳代子が声を震わせて問い返す。それは、つまり、あの飛行機事故すらもその体質とやらに影響されて?


「だろうな。過程はどうあれ、多分、アタシを向こうの世界に呼び込む必要があったんだろ。たぶん、これはアタシが死んだって収まらないんだと思う。悪いな、巻き込んじまって」

「そんな…そんなのはいいのよ。私はどういう形でも、もう一度あなたに会いたかったんだもの」

「そっか…」


しかし、佳代子のその言葉はしかし少女の憂いを晴らさない。それで俺たちが危険にさらされる可能性は消えてなくならないからだ。俺も佳代子もそんなことより、コイツに会えたことが嬉しいのに。


「今回なんかさ、予備の実験で何度もこっちの宇宙に来てたんだけど、その時とか一度も観測可能な宇宙の中に銀河系入ってなかったんだぜ。それが、本番一発で太陽系どころかこの街にドンピシャなんてさ。持ち込んでた装備のほとんどが無駄になっちまったし。それに、来て早々に妖精文書の暴走、文書災害に巻き込まれたのも、たぶん偶然じゃないと思う」

「だから、俺たちに会ったのも偶然じゃない…か?」


少女がすまなそうに頷く。全くなんて顔をしてうつむくのか。まるで、俺たちがコイツを一方的に責めて苦しめる悪者のような気分になる。


「この先、何が起こるのか、分かったりしないのか?」

「それも分かんねぇ。…とにかく、中心は十中八九アタシだと思うし、アレがお前らと引き合わせたんなら、お前らにも関わってくる話しかもしれねえ。…その、なんだ、身の回りには気を付けろよ」

「どうにかならないの?」

「ある程度はできるんだぜ。でも、大きな流れは無理だな。アタシは呪いっていうか、流れみたいなものに完全に組み込まれてるらしくてさ、自殺だって確実に失敗するし…」

「お前…」


苦笑いに似た、苦痛を隠し切れない表情。特に今コイツが口にした自殺という言葉に強いショックを受ける。それは、つまり、試したというか、実際にしたという事。そこまで追い詰められたという事。

そしてコイツは多分、これから起こるかもしれない厄介ごとに俺たちを巻き込むことに自分を責めているのだろう。それでも、


「結局のところ、そいつは地震か台風みたいなものでお前のせいじゃないんだろ? お前が気に病む必要はないんじゃないか?」

「でも、アタシがいなけりゃ…」

「ど阿呆が」

「あう」


デコピンを一発叩き込む。涙目になって見上げてくるエルフさん。可愛い。じゃなくて、相変わらずコイツはバカだなあと思いつつ溜め息をつく。佳代子、そこでクスクス笑うな。


「俺お前がいない平穏無事と、お前がいる波乱万丈の方を選ぶなら、お前がいる方を選ぶ」

「私もよ」

「……後悔するぞ」

「後悔先に立たずっていうからなぁ」

「おい、どっちなんだよ」


その妖精文書とやらが存在することはどうしようもない。そして、コイツと出会ったことはもうどうしようもない。こいつと友達になった事も。だとしたら、もう何もかも手遅れなのだ。それでも、


「私は…、あなたに出会ったことだけは後悔しないわ」

「カヨ…」


雨に濡れた子犬のような寂しげな表情の少女の頬に佳代子は手を当て、そして二人は見つめあう。あれ、俺のセリフ先に取られてないか? 何お前らそんなに百合百合しく見つめあってるの?


「ブヒィと百合豚として鳴いとくか…」


おっかしいなー、俺の超カッコいいイケメンぶりにロリエルフさんも佳代子もメロメロになって両手に花状態になる予定だったのになー。


「つーか、お前さ、単純に妹にどういう顔して会えばいいか分からなくて、先延ばしにしてるだけなんじゃね?」

「なななな、何を、こ、根拠に?」


俺の何気ない言葉にビクリと体を反応させて、震える声で応えるエルフさん。ああ、やっぱり、コイツはどうしようもなく、


「このヘタレめ」

「ヘタレねぇ」

「うっせぇ!」


コイツの言うとおり、この先心底後悔することになったとしても、コイツと出会ったことも、再会したことも、間違いだったなんて事だけは絶対に思うことはないだろう。






[27798] Phase003『エルフさんは居候 July 11, 2012』
Name: 矢柄◆c6a9a2cf ID:022f668f
Date: 2015/02/20 23:05


「たくさん食べてね、ルシアちゃん」

「ええ、ありがとうございます。とっても美味しいです」

「お世辞なんていいのよ?」

「いえ、本心ですよ。このお芋もすごく味が染みてて」

「やだわもう。こんなに可愛い子が来るなんて分かってたら、もっとご馳走用意してたのに」

「あはは、お構いなく。突然お邪魔した私が悪いんですから」

「はぁ…可愛いわぁ。こういう可愛い子が欲しかったのよ。咲ちゃんはガサツだし」


佳代子も家に帰り、日も沈んで両親も家に帰ってきた。姉貴の言葉を信じ切った母親は、猫被りによって見事に擬態したエルフさんに騙され、メロメロになっている。

まあ、見てくれに関してだけ言えば、コイツは間違いなく北欧系の美少女なのだし、妙に堂の入ったお淑やかなお嬢さんモードは別人にでもなったかのよう。

というか、俺と姉貴はポカンとそれを見守るしかない。つーか、なんだその周囲に花が咲き乱れているかのような上品なスマイルは。


「日本語上手なのねぇ」

「昔、何年か滞在していましたので」

「そうだったわねぇ。でも、お父さんもお母さんも離れていて寂しいでしょう?」

「そんなことはありません。咲お姉さんにはとても良くしてもらっていますから」

「そう? この子、ちっとも女の子らしくなくて。いい加減な性格だし」

「いえ、とても面倒見のいい方ですよ。私もこんな人が実のお姉さんだったら良かったのにと思ってしまいます」


なんという心にもない事をペラペラと。ああ、そういえば、コイツは上の立場の相手には徹底して下手に出る生粋のヘタレだったことを思い出す。

ちなみに、学校とか初めの頃とかは妙に教師受けが良いのだけれど、そのうち化けの皮が剥がれていく系。たまに口を滑らせて相手をダメ出しするからだ。


「あらあらまあまあ。いつまでもこの家にいていいのよ。タカシがいるのが不安なら、追い出してしまっていいのよ」

「おい、待て」

「なに?」


聞き捨てならない言葉。このババア、ロリエルフ可愛さのあまり、俺の扶養義務を放棄しようとしやがった。これが人間のやることかよぉぉぉぉぉ!


「アンタなんてもう、ただのオッサンじゃない」

「なんという言い草」

「私は娘が欲しかったのよ。なのに、咲ちゃんは可愛げも女子力もないし」


姉貴も母には頭が上がらないらしく、父にお酌しながら被弾を回避している(ただし失敗したもよう)。なお、矢面はいつだって俺。

父は父で構ってくれる姉貴に甘くなっているようだが、決して俺の味方ではないし、姉貴を庇うような発言もしない。まさに置物である。

なお、俺と父は共に家族ヒエラルキーの下層に位置するが、そこに同盟関係にはない。母による弾圧の矛先を向けさせあう生存競争におけるライバル同士なのだ。裏切り上等、骨拾うものなし。

しかし、あざといなこのエルフ。自分が可愛いことを理解しきっている上目遣いがあざとい。俺だったら好きなおかず一つや二つ無償で差し出すところである。

もともと男だったころの昔から母にも好かれていたが、女になって好感度上昇に拍車がかかっている。どこで道が分かれた。

加えて、見た目からして欧風金髪美少女で、お人形さんみたいなコイツは母親のハートにどストライクだったのだろう。激甘の待遇である。

とはいえ、当の本人はさっきから救難を求める目をこちらにチラチラ向けてくる。甲斐甲斐しい世話に居心地が悪いらしく、相変わらずのヘタレである。

最底辺なヒエラルキーにいる俺が母親に文句など言えようはずもないのだが。



Phase003『エルフさんは居候 July 11, 2012』



「おばさん、変わってなかったな」

「まあな」


夕食後のくつろぎタイム。カチカチとマウスを操作する音が響く。俺の部屋でネットサーフィンをするハイテクなエルフさんを横目に、俺は読みかけの本の文字列を追う。

部屋に女子を上げるのは初めてでもなく、佳代子のやつが何度も入っているので緊張はしないが、それでも金髪エルフの少女が我が物顔で居座る様はなんとなく新鮮でもある。

ちょっとぐらい触っても、元男のコイツなら笑って済ませてくれるかもという邪な考えが浮かぶものの、その先にある姉貴と佳代子による処刑ショーをリアルに思い浮かべてヒヤリとする。

あれ、俺って調教済み?


「俺らと違って、3年で大人は変わらんからな」

「アタシにとっては…18年だけどな」

「18年?」


想定していなかった数字に耳を疑う。こっちでは3年、しかしコイツにとっては18年とはどういうことか? いや、まて、そういうことも在り得るのか?


「時間の流れが向こうとこっちだと違うんだよ。だいたい、向こうの方が6倍ぐらい早ぇえのかな」

「ウラシマ効果みたいな感じか?」

「かもな。重力か速度の問題か、それともそれ以外か。とにかく、向こうの時間の流れはこっちより速いらしい。一番わかりやすい説明は相対性理論での説明なんだろうけど」

「マジかよ…」


18年。それは俺がこの世界で生を受けて今まで過ごした時間とほぼ同じ。こいつにとっては、この世界で過ごした14年よりも長い歳月を異世界で過ごしたことになる。

そしてそれは、それだけの時間をかけなければ帰れなかった。それだけの時間をかけて帰ってきた。そういう意味でもあった。


「18年か。こっちに帰ってくるのは、そんなに時間がかかるものなのか?」

「魔法があるっていっても、まったく別の世界ってのは大問題なんだよ」


地球から火星に無人探査機を送るだけでも大変な苦労が伴うのだという。少し前に日本が打ち上げた金星探査機は軌道を外れ、ロシアの火星探査も多くが失敗に終わっている。

なら、世界を隔てるような冒険の成功確率が想像を絶するほど困難であることは想像に難くない。少なくとも、地球人類では18年程度で到底達成は出来ないだろう。


「別の世界か」

「文字通り異世界、マルチユニバース的な意味での別の宇宙だからな。物理法則からして微妙な違いがあんだよ」

「物理?」

「元素の性質が違うんだ。具体的には奇数の原子番号、陽子の数が奇数になってる原子の性質がかなり違う。まあ、魔法なんてのがあるぐらいだかんな」


奇数の原子番号。すぐには思い浮かばないが、語呂合わせで思い出す。水兵リーベ僕の船、七曲がりシップスクラークか。

水素、リチウム、ホウ素、窒素。あとはナトリウム、アルミニウム、リン、塩素、カリウム。

それらは生物の肉体を構成するうえで必須ともいえる元素の数々。もしこれらの性質が大きく異なるならどうなるだろう?


「だから、アタシたち向こうの世界の人間はさ、定期的にある薬を飲んどかないと、こっちじゃたぶん体調崩すと思うぜ」

「大丈夫なのかそれ?」

「薬持ってきてるからな。これでも、酸素の性質がほぼ同じだからまだマシなんだ」


原子番号8の酸素の性質が似通っているために、窒息などの弊害は防ぐことが出来る。しかし、水素を含む水の性質が若干異なるため、水不足その他の弊害は避けられない。


「データが無いから分かんねぇけど、薬切れたら最悪死ぬかもな。まあ、文字どおり水が合わないんだ」

「どうにかならんのか?」

「無理っぽい。薬が切れる前に帰らなきゃだし、薬も向こうじゃないと手に入らねぇし、そう簡単に行き来できるような場所でもねぇし」


それはつまり、もしかしてコイツはこっちに帰って昔のように暮らすことが出来ないという意味ではないだろうか?

その薬とやらは、おそらく夕食の前に飲んでいた丸薬のことだろう。行き来が難しいなら、薬だってそう簡単に入手できるはずもない。

だから、異世からその薬とやらを定期的に補給しないと、コイツはこの世界では長期的に過ごすことも出来ないのだ。


「事前実験とかやったり、無人機送り込んだりして下調べはやってるんだけどな」

「なあ、お前また異世界…とかに戻るのか?」


俺はどんな顔をしているだろう。読みかけの本を置き、顔を上げて俺は少女に視線を向ける。少女はバツの悪そうな、寂しそうな笑みを浮かべながら俺の問いに答えた。


「察しがいいな。アタシも向こうで18年生活してきたからな。つまり、その、こっち以上にしがらみっていうか、縁みたいなものが出来ちまって。その、家族とかな」

「向こうの生みの親とかか?」

「ん、まあ、そんなところ」


自嘲気味に嘘つきエルフがそう口にする。それは少しばかり寂しそうで、長い彼女の耳も萎れるように垂れ下がる。

そんな深刻な空気に耐えられず、思わず俺はいつものようにコイツをからかうことで当面の問題を先送りしようとした。


「なあ、お前の耳ってさ、感情とか…表すん?」

「ななななな、何をいきなり言っておるのザマス!?」

「ああ、うん、だいたい分かった」

「な、何が分かったんだよ!?」


エルフ耳は雄弁に語る。驚いた時とかにはものすごい勢いで耳が上に上がる。元気をなくした時には垂れ下がる。なんという、犬の尻尾状態。萌える。


「ファンタジーってすげー。で、性感帯なん?」

「ちげーよ!」

「いや、でも、佳代子に弄られてるときは…」

「くすぐったかっただけだし。感じてなんかいねーし」

「分かった分かった。うんうん。そういうの、バレると恥ずかしいからな」

「殺すぞ。っていうか死ね」


笑いがこみあげる。ちょっとばかりしんみりとした雰囲気も、馬鹿話のおかげで吹き払われる。こういった、お馬鹿なやり取りは懐かしくて、変わらないものがある事を確認できる。

3年という時間は多くを変えるのには十分な時間で、特に俺のようなガキにとっては長いというに十分な時間だった。

なら、18年という月日はどれほどコイツを変えたのだろうか? さっきは自殺すらしようとしたと言っていた。どれほどの経験をしてきたのか。

表向きは変わっていないようにも思えるが、バカで優柔不断で、つまらないことで悩んでばかりで、なんだかんだでお人よしだったコイツは本当に昔のままなのだろうか?

コイツの中の想いはどうなってしまったのか。俺たちの関係はどうなってしまうのか。そんなとりとめのない事を考えていた俺の思考に風穴を開けたのは、以外にも目の前の少女だった。


「…話変わるけどさ。その、お前さ、カヨとその…付き合ってんの?」

「…あ、ああ。分かるのか?」

「まあな」


そんな事をコイツが尋ねるなんて思わなかった。昔のコイツなら、少なくとも聞くべきかどうかを数日悩んだ挙句、斜め上の方向に暴走して壮大に自爆するはずなのに。

だから、虚を突かれて正直に答えてしまう。


「いつ告白したんだよ」

「今年の…、2月だな」

「意外に最近なんだな」

「意外か?」

「ああ。その、1年ぐらいすれば付き合いだしてるかなって思ってた」

「そこまでアイツの尻は軽くない」

「そっか」


4年前、中学1年生の時、コイツと佳代子は晴れて付き合いだした。それは何処までも自然で、俺自身もお似合いの二人だと思っていたし、二人の家族もそれを歓迎していた。

新婚夫婦なんて感じでクラスの連中と一緒にからかったりしたものだ。コイツが佳代子に告白した後、真っ先に報告を受けて、俺はヘタレのくせに良くやったなと心から祝ったのを覚えている。

親友たちは幸せそうで、バカップルで、正直嫉妬してしまいそうで。いや、初恋の相手である佳代子と親友の幸せそうな姿に内心暗い感情を抱いていた。

それでもそんな感情は表に出すこともなく、俺は二人を冷かしながら、俺たち幼馴染3人とコイツの妹の4人1組でつるみ続けた。

結局、コイツにそんな暗い感情をぶつけるなんて気にならない程、俺はコイツらと一緒にいるのが好きだったのだ。

そのおよそ一年後、あの3年前の飛行機事故が起きるまでは。

あれから全てが変わって、一時は今にも死にそうに見えた佳代子の心を救うことも出来なくて、結局、佳代子は別の、もっと大変になったコイツの妹を守るという義務感で勝手に立ち直って。

もしかしたら佳代子と恋人同士になれるんじゃないかなんていう期待と、そんな感情を抱いた自己嫌悪を抱きながら、ただ俺は佳代子の傍にいただけだった。

そうして5か月ほど前にその淡い期待は現実になった。同じ学年のある男子学生が、佳代子に告白したいとか俺に相談してきたのがきっかけだったけど。

衝動的だった告白は、きっと断られるだろうと思っていた俺の言葉は、受け入れられた。その時は馬鹿みたいに喜んだ。

けれどコイツが帰って来て、それを心の底から喜ぶ佳代子を見て、佳代子が俺に向けた事のない、3年前にコイツに向けていた笑顔と同じものを見た時、理解した。

佳代子はまだコイツのことが好きなんだろう。なら俺は…。


「怒らないのか?」

「怒るような立場じゃねぇよ。ずっと、アイツの傍にいてくれたんだろ?」

「…違う、俺は何も、何も出来なかった」


慰めの言葉なんて陳腐過ぎてかけられなかった。気の利いた言葉も、気の利いた行為も何も出来なくて、ただただ何をすればいいか迷ってばかりだった。


「お前なら、無理にでもアイツを外に連れまわしてさ、笑顔にできたんだろうさ。でも俺は…」

「別にそんなのカヨもアタシも期待してねぇよ。でもさ、アイツをひとりぼっちにしないように気を使ってくれたんだろ? それだけでも十分感謝してんだよ」

「その恩をお仕着せた形で、佳代子と付き合えたんだとしてもか?」


息が詰まるような、心臓を内側から圧迫する罪悪感。吐き出して楽になりたいのか? それなら、罵倒された方がまだ救いがあったのに。

それなのに、なんでコイツはそんな風に笑えるのか。


「それでもだ。何も出来なかったアタシは何か言える立場じゃねぇし、結局はカヨが決めた事だしな。お前がカヨのこと好きだったのも知ってたし」

「……マジか?」

「おう。だから、お前なら大丈夫かなって思ってた。期待してたっていうか、向こうの世界で数年経った時には、そんな風に思ってた。そん時は時間差がこんなにあるとかも知らなかったけどな」

「今はどうなんだ?」

「安心したかな。アタシは今はこんなナリでさ、しかもこっちの世界にそう多くは関われねぇし。だから、お前なら信頼できるから、しょうがねぇかなって。んー、もうこの話はいいじゃん」


少しおどけるように、苦笑するように少女は語る。こんなのだから、きっと佳代子はコイツの事を好きになったのだろう。

後に残ったのは敗北感。それでもコイツを嫌えないという本心の確認。だから、コイツがそう言うのだから、これ以上この話をするのも不毛だと頭を切り替える。


「そうだな…。話は変わるが、やっぱりお前って、《あの》エルフなのか? 普通の人間と何か違うとこでもあるのか?」

「現地の言葉じゃとうぜんエルフって発音じゃねーけどな。概念的にはそれが一番似てるんじゃね? ただ、妖精とかは関係ない」


北欧神話系列に属する妖精の類。主神に討たれた巨人の遺体から生まれた妖精の一つ。ゲルマン系の民族に広く信じられていた伝承上の存在。

今ではファンタジー創作物にはなくてはならないガジェットであるが、どこまでその認識が当てはまるのか。そもそも創作物によってもその設定はまちまちなのだから。


「地球じゃエルフって言えばヨーロッパの妖精だからな。違うっていうのは?」

「単純に耳が長いだけってわけじゃねえんだけどな。精霊が見えるとか、暗視能力が有るとか、生殖能力が低いとかはあるぜ」

「精霊…、ファンタジー用語いただきましたありがとうございます」


思った以上にテンプレートな存在だった。


「うん、まあ、お前ならそういう反応だと思った」

「今も見えるのか?」

「この世界では見えないな。言っただろ、物理法則が違うんだよ。自然現象の中に当然の如く魔法的な現象があるからな。空に浮かぶ島とかあるし」

「ラピュタあるのかっ?」

「その手の遺跡はあるぞ。だけど、保水性ないから水不足だし、ドラゴンの巣になってるし、資源もないし、外との交流とかも難しいしで、そんなトコに今時住んでる奴なんて余程の物好きか軍人か空賊ぐらいだろ」


ロマンあふれる単語が次々と出てくる。ドラゴンに空に浮かぶ遺跡都市。そして空賊にエルフさん。これはかなり行ってみたい。猫耳メイドさんもいると言う事だし夢は広がる。


「40秒で支度しな!」

「おお、懐かしいな。アニメだったっけ? 久しぶりに見てみたい」

「レンタルしてくれば見れるんじゃね?」

「いや、テレビとDVDレコーダーごと買って帰る」


随分と剛毅なことである。コイツのことだから、帰る時には荷物がいっぱいになって泣きが入るに違いない。ヘタレで迂闊だからだ。

というか、向こうの世界に100ボルト交流電源はあるのだろうか? 向こうで発電するにしても、周波数とか調整できるのだろうか?

と、そんなことを考えていると、一階から母さんの声が。


「ルシアちゃーん、お風呂湧いたわよーっ」

「えーっと、一番湯いただいちゃっていいんですかーっ?」


一階と二階なので、大きな声でやり取りする二人。一番湯を遠慮するエルフと、それを勧める母。結局はコイツが一番湯をもらうことになったらしい。


「んじゃ、風呂先に頂くぜ」

「おお行ってこい行ってこい。つーか、お前着替えとか持ってるのか?」

「当たり前だろ。じゃあな、覗くなよ」


そう言ってフラグを立てたエルフ少女はどこからか取り出した着替え一式を手に、一階にある浴室へと降りていく。

そう、フラグである。

俺は男、そして奴は今や金髪美少女である。洋ロリである。もちろん俺はロリコンと言う訳ではない。単純にストライクゾーンが上から下まで広いだけなのだ。(※社会的には許容されません。)

容姿は10代前半の、第二次性徴が完了しきっていない、青く硬い蕾。しかし、肉体年齢は18歳であり、精神については30を越えているはず。つまり、合法ロリ。

これを愛でずして何が紳士だろうか、いやない。すなわち、覗きは人としての礼儀であり、男としての義務である。責務である。(※犯罪です。)

だいたい、アイツだって覗くなよとイベントフラグを立てて行ったじゃないか。これは暗に覗いて欲しいと言う複雑な乙女心の発露に違いない。(※世間一般的な解釈ではありません。)

つまり、覗かないのは失礼にあたる。アイツをガッカリさせることなんてできない。俺はやるぞ。いざ桃源郷へ!!

しかし、次の瞬間、俺のポケットから着信音が。おうふ、失念していた。潜入捜査の最中だったら一機死んでいたところだった。

表示される名前は木之本佳代子。俺は電話の受信ボタンを押す。


「こちらスネーク」

「貴方が今から何をしようとしているのか瞬時に理解したわ」

「助かる」


流石、我が彼女さん。以心伝心とはこの事だろう。恋人の理解というのは健全な関係を結ぶ上で必要不可欠と言える。そういう意味では俺たちはきっとベストな関係。


「OKよ。音声はそのままにしておきなさい。画像は必ず撮るように」

「ラジャ。しかし、なかなか無茶なこと言ってくれる」

「今の気分は?」

「性欲を持て余す」

「GOOD」

「じゃあ、征ってくる」

「逝ってらっしゃい」


そうして俺は再び潜入ミッションを開始する。感情を抑え、COOLに、KOOLになれ!

階段を下りれば一階の板張りの廊下に出る。すぐ左には居間があり、ふすま越しに父さんと母さんがテレビを見ながら駄弁っている声が聞こえる。

そのまま真っ直ぐに玄関の方へとスニーキングすると、左手にキッチン、そして脱衣室と続く。その先にはトイレがあるが、今は関係ない。

脱衣室はよくある洋風のドアによって廊下から仕切られており、洗面所と一体となっている。そしてその奥にはガラス戸で仕切られた浴室、我らが桃源郷が存在するはずだ。


「こちらスネーク、今、脱衣所の前に到達した」

「慎重に逝くのよスネーク。まずは脱衣所でターゲットの下着を入手しなさい」

「OK、了解した」


下着。すなわちパンツである。中身がアレではあるが、れっきとした美少女のパンツである。興奮する。これは匂いを嗅いで頭から被るしかない。

そして俺は慎重にドアを開ける。音を鳴らすなど素人がやることだ。そして俺は内部を確認すべく顔を中に差し入れ、れ?


「お?」

「なんだタカシ」


何故ここに姉貴がいるのか。

姉貴がキョトンとした表情で俺を見る。姉貴は服を脱いで、色気のない灰色のスポーツブラと3枚1000円ぐらいのベージュ色のショーツという色違いまったく色気のない姿でタンクトップを脱ごうとしていた。


「え、え、えっと、なぜお姉さまが?」

「石鹸が切れてたらしくてな。持っていくついでに私も入ろうかと思っただけだが? お前はどうした?」

「ははは、そうですか。いやあ、あはははは、ちょっと手を洗おうかなって思いまして。あはははは」

「ハッハッハッハ。そうか、そうか、つまりきみはそんなやつなんだな」


豪快に姉貴が笑う。携帯からは佳代子が笑い転げている声が聞こえる。そうして笑いながら姉貴が俺の顔に向かって手を伸ばし、顔面を右手一本で掴んだ。


「あ、これアイアンク…」

「豚のように哭け」

「ぷぎいぃぃぃぃぃ!?」







その頃、浴槽のお湯に顔を鼻の所までお湯に沈め、ポコポコ気泡を吐き出して遊ぶルシアたん。ポコポコ、ポコポコ。


「ん、今、哀れな豚がねじり殺されたような情けない悲鳴が聞こえたような…?」


ふと顔を上げ、脱衣所の方を見る。さきほど拒否したにもかかわらず、咲姉が一緒に入ると宣言し、服を脱ぎだした所だった。そこから奇妙な悲鳴と音が響く。

グシャッ、バキッ、ゴキッ、ドコッ、ティウンティウンティウン。あまり深く考えない方が精神衛生に良さそうだ。

しばらくしてカラリとガラス戸が開いて、咲姉がいっさい何も隠さずに入って来た。(※なお、視聴者の皆さまからは湯気による高度なディフェンスにより大切な所は見えません。)


「マジで入って来たし。つーか、羞恥心とかねーの咲姉?」

「いや、お前はもうどこからどうみても女だろ? それとも生えてるのか?」

「残念ながら飛行機の中に落としてきちまったぜ」

「それは残念。まあ、粗末な物だったんだから、いっそ無くしても惜しくはなかっただろう?」

「ハハハ、犯すぞこのアマ」

「やってみろ洋ロリ」


咲姉はそう言いつつシャワーを浴びる。うむ、普段がファッションセンスゼロの残念女なだけに、一糸まとわぬ姿なら妖艶な美女に見える。

つーか、なんであんな自堕落な性格なのにプロポーションが維持できてるんだろう? なんで腰がくびれてるの? なんでおっぱい大きいの?

アタシはなんとなく咲姉の身体を上から下まで観察する。良いオッパイである。(※なお、視聴者の皆さまからは湯気による高度なディフェンスにより大切な所は見えません。)


「なんだ、さっきから?」

「いや、なんでも。さっき、向こうから変な音がしたけどなーに?」

「哀れな豚を屠殺していただけだ」

「そっかー」

「しかし、今のお前の視線には昔みたいなエロさがないな」

「性欲を持て余す」

「女になると変わるものなのか?」

「脳が変わるからなー。18年も女の身体でいたら、ホルモンとかの影響も受けてるだろうし」

「…男を好きになるとか?」

「ねーよ。生理的に…じゃなくて、精神的な意味でそいつは無理だぜ。かといって、昔みたいに女の子相手に劣情的なもんは抱けねーんだよな」

「そういうものか」


咲姉がざばんと浴槽に入ってくる。狭くなるから上がろうかと思ったら腕を掴まれそのまま胡坐の上に乗せられ腕を回される。背中に当たるふわふわポッチーズ。うわーい、オッパイでけー。


「何をなさるか」

「いや、細いなと思ってな」

「美少女ですので。大事なことなのでもう一度言うと、アタシ、美少女ですので」

「自分で言うな」

「客観的視点を取り入れた正統な評価だぜ」


昔からの評価だ。鏡を見ても自分でそう思う。つーか、なかなか成長しないのが玉に瑕。べ、別に咲姉のことが羨ましいわけじゃないんだからねっ、とツンデレ風に表現。


「私が男なら襲っているな」

「セクハラ発言頂きました」

「褒め言葉だ」

「襲われると言われて喜ぶ奴の気がしれねー」

「ちゃんと食ってるのか?」

「いや、飢えてはいないから安心してくれ。なんつーか、脂肪とか筋肉がつかねぇんだ」


少なくとも咲姉みたいに引き締まったプロポーションを得ることは出来ない。ぷにぷにでやわやわなのである。ガリガリとかではないのが救いであるが。


「昔は胸当てただけで顔紅くしてたくせに」

「わざと当ててたのかよ!」

「反応が面白くて、つい」

「とてもとても役得でした。でも今はさー、向こうの知り合いが女ばっかしでさー。女ってスキンシップ激しいし、ぶっちゃけ慣れたっつーか」


タオルで空気を閉じ込めて、お湯の中で風船みたいなのを作り、押し潰してぶくぶくさせる。っていうか、このヒトと一緒に風呂入るのって初めてかもしれない。

咲姉とガッチャンゴッチョンな関係を持ったのは、あの夏の日一度だけだ。あの日までの咲姉は適当だったけど、ここまで女を捨ててるというか、自堕落ではなかった。

あの日、こっぴどい失恋したらしく、漫画本を目当てに行った時、咲姉の顔には泣き跡があった。だからまあ、色々と気を使っていたら、いつの間にか延長コードで縛られて、押し倒されてた。

いや、まじで天井のシミを数える立場にされてたし。黒歴史の類である。


「女の人ってスキンシップ激しいよなー」

「何を思い出して言っている」

「いいえ、何も思い出しておりませんとも」

「……やはり、実家に帰る気にはならないか」


急に彼女の顔が真剣なものに変わる。なんだかんだで心配をかけたんだろうなと思い、アタシは浴槽の中で咲姉と対面する形に体勢を回転させた。


「いろいろと厄介なしがらみがあってさ。それに、そういう心構えとかはしてなかったから」

「私達にも会う気はなかったっていう話だったな」

「うん」

「嘘だろう?」

「……」


何故見破られたし。

実の所、予感はあった。実験の事を知って、それに参加することになった時から、この街に再び戻ってこれること、また3人と出会えるのではないかと漠然と予期していた。

そもそも、妖精文書がこの地球に落着している可能性は高いということは分かっていた。それは、私がこの世界から向こうの世界へと転移したことから自明だった。

だからこそ私がこの実験に選ばれたのだけれど、だからと言って私が妖精文書を回収する実行部隊というわけではない。

私はビーコンのようなものだ。向こうの宇宙からこの宇宙の位置を確定し、行き来するための手段を確立するための目印として送られた。

私が拓いた道なり門の位置から地球が光学的に観測可能な宇宙の外にあったとしても、連中ならなんとかしただろう。

滞在予定期間はこの宇宙の、この星の時間で1ヶ月~2ヶ月程度の期間。そうすれば道は拓かれ、私はこの実験と計画における役割を全うしたことになる。

なら、あとは連中がうまくやるはずだ。実働部隊を送り込むのか、あるいはこの星の政府機関と交流を開始するのかは私の知るところではない。

でも、もし出来るなら、一目だけでも、会話とかそういうのはいいから、遠くからこっそりと覗きに行ければとは思っていた。

それでもし-


「前はヘタレだが、何だかんだいって世話を焼くつもりだったんじゃないのか?」

「買いかぶり過ぎだって咲姉。春奈にはなんだかんだでカヨがついていてくれたみたいだし、カヨにはあのバカが一緒にいてくれたみたいだから。アタシがいなくても大丈夫だろ?」


一人の人間の死は悲劇だけれども、その人間に関わっていたヒト達の心に大きな傷を残すこともあるけれど、それでもヒトがヒトの間で生きていく以上、時間と日常が痛みを薄れさせる

どんなに理不尽で、心を怒りと後悔で満たすような死に直面したとしても、そうやって古い記憶と感情は新しい記憶と感情で希釈されていくべきだ。

それは残酷な過程だけれど、そうでなければ人間は前に向かって歩いていけない。憎しみと怒りと悲しみと後悔をいつまでも引き摺って生きても、幸せにはなれないのだから。

もし、アタシのことを引き摺って幸せになれないと言うのなら、いっそかつてのアタシを記憶ごと忘却して欲しい。

だから、両親や春奈、カヨや後藤が新しい日常の中で、かつての前川圭介としてのアタシの記憶を埋没させていたなら、それはきっと喜ばしい事だっただろう。

とはいえ、


「咲姉はさっさと家に帰れって言うと思ってたけど」

「…言えない。言えるわけがない」


咲姉の表情に影が差す。その意味が良く飲み込めず、私は戸惑い、さて、どうしたものかなと考え込むと、対面したせいで間近にドアップな素敵オッパイが目に入っているのに気づく。

うむ。これは良いモノだ。(※なお視聴者の皆さまからは湯気による高度なディフェンスによりB地区などの大切な所は見えません。)


「なんだ、触りたいのか?」

「ななななな、何のことでせう?」

「遠慮せんでもいいんだぞ」


悪戯っぽく笑う咲姉が、ずいと胸を張るように堂々とおっぱいを突き出してくる。たゆんと揺れる脂肪の塊。そこには男の子の夢と希望が詰まっているのだとか。

おうふ、これが物量。なんという我儘米帝自由資本主義ボディ。(※なお視聴者の皆さまからは湯気による高度なディフェンスにより大切な所は見えません。)


「しかし、お前のは小さいな」

「ささやかと表現していただきたい」

「はは。そうだ、言い忘れていたが…」


次の言葉にアタシは絶句する。そして「はぁぁぁぁ~~!?」と叫んでしまったのは仕様がない事なのだ。まったく、このヒトは昔からいつもこんな感じだ。





[27798] Phase004『エルフさんはシスコンである July 12, 2012』
Name: 矢柄◆c6a9a2cf ID:022f668f
Date: 2015/02/20 23:06


がやがやと騒がしい朝の教室。大気や建築物などの散乱によって朝の日の光が教室にも入り、外は徐々に気温も上がっているが、空調の入る教室はそこまで暑くない。

男子たちは男子たちで集まり、週刊誌やらを中心に固まって、時折レスリングじみたじゃれ合いをしながら騒ぐ。女子は女子でグループごとに固まり姦しくお喋りだ。

とはいえそれは全員ではなく、中には机につっぷして夢の続きを見る者たちもいる。俺は夢の住人の方で、佳代子は取り巻きの女子どもといっしょに他愛のないお喋りに興じているようだ

そして予鈴がスピーカーから流れ、しばらくして生徒たちは自分の席につく。それでもいくらかは未だ集まって群れを解いていないが、それを注意する者も特にはいない。

そしてガラリと右前の扉が開けられ、我が従姉にして担任である姉貴が藤色のスーツを着こなして入って来た。

学校ではそれなりにキリっとしているが、それは教頭とか学年主任に叱られるかららしい。その自堕落さを知らない男子どもの中にはアイツに懸想する者も多いらしいが、早く目を醒ますべきである。


「おーし、お前らさっさと席に戻れ。ホームルーム始めるぞ」

「平山せんせー、今日のパンツ何色ですかーっ?」

「あ? いきなりご挨拶だな中山? そんなに課題が恋しいか?」

「冗談っすよーっ」

「まあいい。出席とるぞ」


恒例の男子どものセクハラ発言を軽くいなしつつ、出席をとるために名前の点呼が始まる。いつもの朝、いつもの日常。

しかし、そんな日常の中にアイツが帰って来たのだ。学校にはこれないけれども、放課後になればまた馬鹿話をして遊びまわれる。

それはまるで奇跡のようだ。


「あー、それとだ。今日はお前らに紹介したい奴がいる」

「転校生ですか? 聞いてないですけど」


教室がざわつく。1学期も終わるこの時期に転校生? ありえないだろう。俺はふと佳代子の方に目を向けると、佳代子は何か含む様な笑いを俺に返してきた。

そして察する。まさかな。昨日の今日だぞ?


「転校生ってわけじゃないんだが、ちょっとした事情があってな。授業に見学と言う形で参加してもらうことになる。喜べ男子ども、とびきりの美少女だ。入って来い」


美少女という言葉に男子たちのテンションが一気に上昇し、口笛を吹くものまで現れる。俺はもう嫌な予感しかしない。フラグ立て過ぎだろう。

そしてガラリと扉が開き、予想どおりにアイツが現れた。教室の空気がシンと一瞬静まり返る。息をのむほどに、現れた少女が美しかったからだ。

憂いをたたえる蜂蜜のような黄金色の大粒の瞳、一本のおさげに纏められた、腰まで伸びる太陽の光をそのまま糸に凝縮したような金色の髪。

幼いながらも、日本人とは違う、精巧に調整されたような彫が深く形の良い目鼻と口は、それぞれのパーツが奇跡的な数学的調和により一種魔的な美を形作る。

この学校の制服を纏う白い肌は病的のそれではなく、透き通るような印象を与え、その幼さを残す容貌と華奢な身体は、どこかこちらが恥じらいを感じてしまう程の艶やかさ、色気すら感じさせた。

ピンと細長い尖った耳は物語に登場する妖精のようで、現実離れした美貌を持つ少女にさらなる神秘性を与えていた。

そして何よりも、どこか不安そうな所在なさげな表情は男女を問わず庇護欲を掻き立てる。

次の瞬間、教室が騒然となったのは言うまでもない。

男子どもは「すっげー可愛い!」などとボキャブラリーの貧困さをその身を挺して証明し、女子もまた「何この子カワイイ!」なる貧困な表現方法によって頭蓋の中のお花畑をさらけ出した。

そして、奴も顔や細長い耳を真っ赤にしてモジモジと俯いたのだから同罪である。その愛らしい所作はクラスメイトたちを完全に籠絡し、なけなしの理性を崩壊させてしまった。

萌。

女子どもが奴にたかり、写真を撮ったり、ベタベタと触れたりしている。お人形か珍獣扱いである。アイツはアイツで面倒くさそうに、助けを求める視線をこちらに寄越してきた。

そういうのは俺には無理なので、佳代子に視線を移すと、彼女はいつもの笑みを捨て、この世のものとは思えない般若の表情をしていたので、俺はそそくさと視線をそらす。


「おら、後で時間はやるから静かにしろ。…じゃあ、挨拶しろ」


姉貴の一喝の後に促され、金色の少女が黒板に名前を書き始めた。下手な字である。まあ、日本語の読み書きなんて長い間していなかったのだから仕方がないが。

しかし、アイツが学校に来るなんて昨日も、今日の朝も聞かされていない。まあ、聞かされていないのは大方驚かそうとして秘密にしていたのだろうが。

とはいえ、そう簡単に学校の授業に参加なんてできるのだろうか? 手続きとか結構必要じゃないのか? つーか、あのロリエルフはこの世界の戸籍なんて無いだろうに。


「えっと、名前はルシア・リア・ファルといいます。国籍はUSAらしいです。コンゴトモヨロシク」

「歳いくつなのっ?」

「14歳っていう設定になってます」

「日本語上手いね?」

「むかし日本に住んでいましたから」

「好きなタイプは?」

「亭主元気で留守がいい」

「なんで14歳なのにこの学校に来たの?」

「それは大人の都合というヤツで…あ痛っ」


姉貴に二の腕つねられやがった。真面目にやればいいのに。


「えっと、この学校の理事の方が私の父と友人同士だったので…。異文化交流の一環とお考えください」

「耳、長いよね? エルフみたい?」

「遺伝です」


やいのやいのとクラスの連中から質問をされ、猫を被りながら律儀に不真面目に答えていく。表情は完全に外行き用。加えて可愛い美少女という外面のせいで注目の的だ。

男子も女子たちも突然のゲストに興味津々で、そしてヤツの受け答えはそれなりに好評を博している。つーか、エルフ耳を遺伝の一言で受け流しやがった。


「そこまでだ。後は休み時間にしろ。とりあえず、お前は後ろの席に着いておけ。では日直、プリント配るから手を貸せ」


そうしてそわそわした空気を残したままホームルームが続き、金色の珍客が座った席の周りのクラスメイトたちも落ち着かない様子で、少女をちらちらと見たり、小声で話しかけたりする。

ホームルームが終わると、やはりと言うべきか女子を中心にアイツの周りに集まり始めた。案の定質問攻めに遭って目を回しているようだ。

俺は特に助け舟を出すわけでもなく、大変だねぇと眺めるに留まるが、高校でよく一緒につるむ男子3人組が俺の席の周りにやってきて、予想通りの話題を振って来た。


「すごいよねあの子! 金髪外人の女の子なんて初めて見たよ僕!」

「まあ、確かにな」

「なんでこんな学校に来たんだろうね!? 何かアニメみたいな展開じゃない!?」

「華奢だな。筋肉ついてんのか? まあ、可愛いことは認めるが」

「な、なんで、お、お前は、き、筋肉の事しか、あ、頭にないの?」


無駄に高いテンションが高い満井は色白ピザデブ眼鏡オタクという何か典型的な存在だ。見た目は完全に美少女ヒロインな奴の姿に興奮が収まらないらしい。

色黒マッチョ過ぎて頭蓋骨の内部にまで筋肉が詰まっているだろう野島は興味なさげだが、ドモり気味の女みたいな顔のチビである立川はそれなりにアイツの事が気になるらしい。


「しかし、大人気だなアイツも」

「なんだい、タカシ君は奥さんにぞっこんで興味ないって感じかい?」

「き、木之本さんは、び、美人だから。怖いけど」

「彼女は見た目清楚だからな。怖いが。…まあ、羨ましい限りだ」


俺と佳代子の仲はクラス全員に知られている。アイツの事を知る者もいるが、それもすべて過去の話として、おおむね佳代子との関係に文句を言う奴らはいなかった。

まあ、佳代子に逆らう奴は学校にはいないのだけど。


「お前らな…。つーか、満井、お前はヒトを羨む前に少しは痩せろ」

「全くだ。お前には筋肉が足りん」

「うるさいよ。僕だってこれでも少しは努力してるんだよ!」

「例えば?」

「寝る前のポテチ食べないようにしたよ」

「それは当り前だろう…」



Phase004『エルフさんはシスコンである July 12, 2012』



「んで、なんでお前がここにいる?」

「アタシもどうしてこうなったのかさっぱりだぜ」

「私はルシアちゃんと一緒にいられて嬉しいわよ」


休み時間。俺と佳代子はこのお子様エルフを連れ出し、屋上につづく階段の踊り場で3人して状況の確認を行うことに。

ルシアにたかっていた者どもは、佳代子の『お願い』によって空気を読んで退散した。やだ、佳代子さん流石女王様かっこいい。

赤黒い色を基調としたリノリウムの床、幾星霜の日に焼けてくすんだコンクリートの壁、北向きの窓から差し込む弱い光、それを鈍く反射するステンレスの手すり、隅に埃が溜まった階段。

屋上は基本的に立入りが禁じられていて、そこに続く階段はほとんどヒトが寄ってこない。なので、密談するにはうってつけだったりする。


「話せば長い話になるんだが…」

「ふむ」

「咲姉が学校に来いって言った。以上」

「予想通りに短い話だったわね」

「様式美だぜ」

「いや、断らなかったのかお前」

「いやー、一度は断ったけど、風呂から上がったらパジャマの代わりに制服が置かれてた。いつの間にかお前の家のオバサンとオジサンもその気になってて断る雰囲気じゃなかった」

「あの時か」


姉貴に処刑されて簀巻きにされていた俺は、その辺りの遣り取りからは蚊帳の外だったのだとか。ついでに驚かすために先ほどまで秘密だったらしい。

しかし、制服はいつどこから調達したというのか。そもそも学校側との交渉とかはいつ終わらせたのか。


「蛇の道は蛇なんだってさ」

「意味が分からん」

「まあ、またお前らと学校に来れたのは嬉しいんだけどな」

「やれやれだな」


向こうで18年過ごしていたそうだが、デレた相手にこうやって素直に表現できる無邪気さは変わらなかったようだ。たまにその辺りのせいでアホの子に見えてしまうのだけど。

思い出すのは小学生の頃の話。ちょっとした対決。その後に邪気のない爛漫とした笑みで好意を真っ直ぐに伝えられた。男のツンデレなんて美味しくもなんともなかったが。

制服姿の美少女金髪エルフが向けてくる警戒のない無邪気な笑み。うむ。


「うん、あの時お前がこのナリだったら、俺は間違いなく堕ちてたな」

「何の話だ?」

「いや、こっちの話だ」


首を傾げて問うエルフさんに苦笑して誤魔化す。こんなことを表だっていえば、からかわれるに違いないからだ。主にホモとかゲイ的な意味で。ちなみに佳代子は分かったのかニヤニヤ笑っている。

そうして、いつの間にかお喋りに転じて、これからの学校生活をどうするのかなんていう話題が後回しにされていく。まあ、ここで話さなければならない話題ではないが。

さて、ここで今度は佳代子が口を開く。


「ねぇ、ルシアちゃん。携帯買わない?」

「ん、なんで?」

「連絡手段、欲しいのよ」


確かに、今時連絡しあうのに携帯電話がないのは不便だ。SNSを使えば離れていても同時多数で会話できるし、相手の事情を把握するのにも役立つ。


「週末、一緒に買いに行かない?」

「いや、アタシ、戸籍とか残ってないから契約できないだろ」

「何とかしなさい」

「相変わらず無茶言うなお前」


流石、佳代子さんである。まあ、資金的な余裕があれば個人でも複数持てるので、戸籍云々についてはクリアする手段なんていくらでもあるんだろうが。


「週末、どう?」

「まあ、いいけどさ。後藤、お前はどうする?」


さて、どうするか。佳代子はニコニコ笑顔で何を考えているかわからない感じだが、笑顔の裏に「空気嫁」的な威圧を感じる。

まあ、女の買い物とかデートでもない限り一緒するのは俺としても勘弁願いたい。


「俺はパスで」

「ふーん、そっか」


ドライにこの話は終了。佳代子とルシアが互いに予定を確認し合う。まあ、色々と振り回されてくればいい。

そうして佳代子との話が一段落し、次にエルフ幼女が問うてきた。


「そういやさ、この辺りで一番大きな図書館って何処か知ってる?」

「図書館? 学校のじゃだめなの?」

「新聞のバックナンバー見たくてさ」

「なんでだ?」


佳代子と視線を交わしてエルフさんの言葉の意味を考え、分からないと匙を投げて肩をすくめる。この3年間の世情の変化でも知りたいのだろうか?


「仕事だぜ仕事。まあ、お前らみたいに親のスネ齧ってのうのうとしてるのとは違って、アタシは忙しいからなぁ。ふふん」


そう言ってドヤ顔でこちらを小馬鹿にしたように胸を張るエルフさん。なんだかイラっとすると、佳代子が「うふふ」とか笑いながら少女の後ろをとる。


「まあ、お前らはただの学生だし? 今はまだ安穏としとけばいいんじゃね…、アイタタタタ、いひゃいいひゃいっ、ひゃめてぇっ」


後ろから尻をつねられて悶絶するエルフさん。後ろの和風美人はその反応に物凄い悦に入った笑みを浮かべる。


「やめ、止めろカヨっ」

「可愛いわぁ…、うふふふふ」


既に当初の動機を忘れて虐めることに快感を覚えだした佳代子。なんだろーなー。コイツがこういう事するのって、好きな相手だけなんだけど、俺、何でコイツに惚れたのかなー。


「べらぼうめっ、死ねっ、ばーか、ばーかっ!」

「あ、逃げた」


佳代子の手から身動ぎして逃れたエルフさんは、そんな雑魚キャラっぽい捨て台詞を吐いて佳代子から走って逃げだした。

そうして残された俺たち二人は顔を合わせ、そして大笑いした。うん、やっぱりアイツは楽しい。





「お前ら、なんでついて来るん?」

「私たちの仲じゃない」

「そうそう。手伝えることがあれば何でも言ってくれていいぞ」


放課後、俺たちはエルフさんを伴って地元の県立図書館に足を延ばすことに。エルフさんは俺たちの思いやりに満ちた言葉に涙ぐむ。


「お前ら…」

「だいたい、お前だけで行かせたら心配だろう」

「そうよねぇ。迷子になったら困るものねぇ」

「お前らな…」


打って変わってジト目で非難を表すヘタレを無視し、俺たちは少女を手の平で押して、さっさと歩くように促しながらバスに乗り込もうとする。他にも客がいるのだからさっさと歩け。

と、その時唐突に後ろから人が駆け足で近づいてくる気配が。タッタッタッタと小気味よいステップの音。軽い体重の、おそらく小柄な。

それに反応してぴょこんとエルフさんの耳が上を向く。なんだコイツの耳はウサギの耳か何かか? 可愛い。そしてすかさず佳代子がバックステップをして後ろに下がった。


「佳代子おねえちゃん!」

「当たらなければどうということはない」


さて、女子のスキンシップは激しいというのは周知の事実だ。だから後ろから抱き着くなんて日常茶飯事チャメシゴトである。手をつないだり腕を組んだり膝の上に座ったり。

そんなつもりで襲撃をしてきた問題の女子、しかしすげなく佳代子は回避してしまう。彼女の神回避には俺も何度も泣かされた。うん、本当に。


「ひぁっ!?」

「ふがっ!?」


結果として勢いづいて突っ込んできた女子はそのままエルフさんに衝突。背の低いエルフさんは女子の豊満なパイオツに埋もれてしまう。なんてラッキースケベ。その位置変われ。

肩までかからないボブカットの、昔通っていた中学校の制服を着た女子生徒。その見慣れた相貌は、俺たちにとっても親しい間柄の少女のものだった。


「えっと、大丈夫?」

「ふがふが。な、何とか…!?」


そうして見つめあう衝突した2人。苦笑いする快活そうな少女とは対照的に、エルフさんは信じられないものを見たように表情を引き攣らせて凍りつき、巨乳少女を見上げた。


「うわぁ、こいつは何というか…。佳代子、お前、狙ってやったのか?」

「うふふ、さあどうかしら」


実に楽しそうに様子を見守る佳代子に俺は呆れて何も言えず、事態の推移をとにかく見守る。少女はというと、ただ呆けたように口を開いたまま石のように固まっているのだが、それもそのはずだ。

アレの目の前の少女は、前世、コイツが転生する前の前川圭介の妹である、前川春奈その人であったから。


「はる…な?」

「えっと、あの、ごめんなさいエルフさん?」

「あ、ああ」

「ところで、何で私の名前…?」

「はうあっ!?」


俺はアチャーっと右手で顔を覆う。当然の疑問をぶつける巨乳、ビクリと跳ね上がってようやく失態に気付く迂闊エルフ。


「私とどこかで会ったことある?」

「はわわ、えっと、あっと、気のせい、そう、気のせいだ!」

「え、いや、絶対私の名前呼んだし」

「お嬢さん。世の中には人間如きには理解できない不思議なことがいっぱいあるんだぜ」

「無理やり誤魔化そうとしてるよね?」

「例えばあれだ、世の中にはスカイフィッシュってのがいてな…」

「それ、ただの虫だよね」


収拾がつかない状態。意地の悪い佳代子は腹を抱えて笑い、呼吸困難になって咳き込みはじめた。相方がこんなんだと、俺は俺でハッスルできないんだけど。

とりあえず、助け舟でも出しておくか。


「よう巨乳」

「こんちわ後藤先輩。あと、その呼び方どうにかしてください。それで、このすんごく可愛い子誰なんです?」

「ウチの居候だ」


横でホッと一息安心している迂闊エルフに非難の視線を浴びせつつ、コレは姉貴の客分だというテンプレートな説明をする。

前情報が無い以上、特に疑う要素もないので巨乳は素直に俺の話を信じ込んだようだ。情弱め。


「へぇ、後藤先輩の家に居候してるんだ」

「ま、まーな。いちおう咲姉の客って身分になってる」


バスの客に迷惑になるので、俺たちはそのままバスの中へ。巨乳も勝手について来る。

前川春奈。2つ下の後輩であり、前川圭介という名の俺たちの親友の妹。つまり、今はこんな姿になったコイツの家族。

ボブカットの快活そうな少女。顔立ちはそこそこ整っているが、佳代子ほど美少女然としているわけではない。美しいとか美少女というよりは、可愛らしい系。

しかし、それにも増して俺ら男どもの目を引く素晴らしいものを前川春奈は有している。すなわち、同年代と比べると歴然と分かるたわわに実った母性の象徴。

おっぱいは正義である。おっぱいわっしょい。

そんな実の妹を前に明らかに動揺して目線が泳ぐ金色の髪の少女。少女は佳代子の服を掴み、そして出来うる限り目立たないように佳代子の影に隠れようとする。


「ヘタレすぎだろお前」

「う、うっせぇ黙れ」


小さな声での抗議。可愛い。しかし、こんなので隠れた気になっている辺り、相当のアホの子である。何しろ、前の席に座る巨乳の視線はまっすぐにコイツに向けられているのだから。

そして、座席のシートを乗り出してエルフさんに顔を近づける春奈。行儀悪いです。


「でもでも、うわぁ、外人さんだぁ、すっごい可愛い!」

「ほぁっ?」


うん、まあ、人種的な意味でも容姿的な意味でも、お前が隠れられるはずがないという事をそろそろ認識すべきだと思う。

それとも何か? 異世界の女は美人ばかりでお前程度じゃ埋もれちまうってか? 何それすごい行きたい。俺、異世界に行ってケモミミ美少女メイド達に囲まれたい。


「やだー、恥ずかしがってるっ。しかもお人形さんみたいで可愛い! えっと、名前教えて。って、日本語分かる?」

「る、ルシア」

「ルシアちゃんかぁ。日本語上手だねぇ」


ぐいぐいと接近してくる巨乳に押されてたじろぐエルフさん。いや、女になったとはいえお前これの兄貴だろうに。

あきれ返る俺とは対照的に、慈愛に溢れた菩薩の顔となっている佳代子が春奈を宥める。

しかしおかしいなー、両手に花状態からハーレム状態に移行したのに、なんで俺、通路を挟んだ離れた席に一人座ってるんだろう。なんだか蚊帳の外だなー。


「佳代子おねえちゃん、席変わってっ!」

「いいわよ」

「お、おいっ」


佳代子と春奈は姉妹のように仲がいい。というより、ほとんど姉妹のような関係といえる。息もぴったりだ。

そもそも物心つく前からコイツと春奈は一緒にいて、当然、コイツの妹である春奈は赤ん坊の時からこの二人と一緒にいたわけだから、そういった関係になるのは自然だったのだろう。

佳代子と席を代わって、ヤツの隣に座った春奈は少女に過剰なスキンシップ、つまりはハグによる攻勢をかけ始める。まるでぬいぐるみみたいな扱いだな。羨ましい。


「うー」

「でも、咲さんの知り合いなんだ。あのヒト、結構謎の多いヒトだけど」


あの馬鹿姉貴の謎さ(理不尽さともいう)は今に始まったわけではない。たとえば高校を卒業と共にバイクで日本を縦断し、その勢いで南米に渡ったなんていう過去がある。

アマゾンの部族との交流(賭け事)で民芸品を譲ってもらったり(巻き上げたり)、発掘のバイトでインカ文明の土器とかを譲ってもらったり(ちょろまかしたり)、そんなエピソード満載だったりする。


「しかし、アイツもいい感じにトラブル体質だな」

「私もびっくりしたわよ。春奈ちゃんとはいつか会うとは思ってたけれど、学校も違うからこんなに早くとは思わなかったわ」

「でも、お前は結構会ってただろ?」

「放課後とか休みの日だけよ。私が直接あの子の家に行ったり、街で待ち合わせしたりだから、直接会いに来るとは想定外だったわね。まあ、面白いからいいんだけど」

「ですよねー」


他人が困っているのを見るのが大好きな佳代子さんらしい感想である。無理難題を出して相手が右往左往するのを見て楽しんだりするのが趣味というこの女と付き合うのは結構大変だったりする。


「春奈ちゃん、その子、女の子のおっぱいが好きなのよ」

「え、そうなの?」

「カヨっ、てめぇっ!」

「そっかそっかぁ、私のおっぱい、おっきいのよ。うりうり」

「にゃうっ!?」


戯れる少女二人。眼福である。佳代子は弄られるエルフさんを見てご満悦な感じだ。いや、その瞳には優しさも垣間見える。

アイツは会う気はないと言っていたが、佳代子は会わせたかったのだろう。あの日以来、春奈を支えていたのは佳代子だったから。

まあ、そんな姦しい遣り取りは、同乗しているバスの乗客の咳払いでようやく収まる。


「じゃあ、その時に?」

「お、おう」


ニコニコと明るい表情でヘタレに話しかける春奈。そんな彼女をどこか泣きそうな表情で少女は相槌をうつ。


「それでね…、て、え? えっと、ルシアちゃん、私、何か悪い事言っちゃった?」

「ん、いや? 別に…」

「でも、涙が…」

「え?」


本人は気づいていないようだが、少女の目には涙が浮かんでいて、それが春奈を戸惑わせていた。少女は慌てて袖で涙をぬぐう。

まあ、会う気は無いと言っていたが、なんだかんだ言って感極まったのだろう。

そわそわと何とか少女の涙を止めようと焦る春奈と、誤解を解こうと必死になってそわそわするエルフさん。何これほほえましい。

と、


「…あうちっ!? 佳代子、何をするっ!?」


突然隣に座る佳代子に頬をひねられた。


「ごめんなさい。ニヤついた顔があまりにも気持ち悪かったから、引っ張って治してあげたかっただけなの。でも、治らなかったみたい」

「余計なお世話ありがとうございます」







県内で最大の蔵書を誇るらしい広大な図書館は、この国の高度成長期に建てられた4階建ての建物だ。地元の著名な建築家にデザインを依頼したそれは、石でできた方舟を思わせる。

そんな、どこか昭和くさい佇まいの鉄筋コンクリートを剥き出しにしたその建造物には、その地下の階層を含めれば、おそらく一生かかっても読みきれない書物が納められているはず。

ルシアはキョロキョロと吹き抜けのホールを見回しながら先頭を歩いていく。こういう雰囲気は嫌いではない。

建物の中央には1階から3階まで貫く大きな吹き抜け構造があり、蔵書でごった返していながら、それなりの開放感がある。

ワインレッドのカーペット、蔵書の保全のために光が制限された薄暗い静かな大空間。それは心を落ち着かせるものであり、少し薄汚れているのも悪くない。

広すぎて管理が行き届いていないのか、所々においてある観葉植物の葉にはホコリが積もっていて、どこか時間が止まった、取り残されたような雰囲気。


「ねぇねぇ、ルシアちゃんは何を調べに来たの?」

「あー、その、なんだ、雑誌とか新聞のバックナンバー…かな?」

「? 変なもの読むんだね」


不思議そうな表情をする地元の中学の制服を身に纏う美少女、春奈。3年前に比べれば幾分大人びていて、背も高くなって、美人になっていた。あの時はまだ小学生だったはずだ。

春奈とこんなタイミングで出会うとは思わなかった。いや、内心、もしかしたら会ってしまうのではないかという予感はしていた。

妖精文書との親和性は基本的に血縁には依らないから、彼女が私の身の回りで起こるだろう異変に巻き込まれない事を無意識に信じ込もうとしているのかもしれない。


「まずは…パソコンで検索した方が早いんじゃないか?」

「そだな」

「新聞のバックナンバーはこっちで調べられるみたいよ」

「だが、何のとっかかりもないと、探すのはしんどいとおもうぞ?」

「抜かりはないぜ」


ポシェットから一枚のプリントを取り出す。昨日、後藤のパソコンで調べておいたリストだ。

探しているのは、未解決の怪異に関する事件の情報。この世界に紛れ込んだ妖精文書に関わる事件を探し出すのが主な目的だ。

上手くいけば『妖精文書』そのものがどこかに保管されている、なんて情報も見つかるかもしれない。

色々な候補があるけれど、まずはあの事件、自分が転生するきっかけとなった、飛行機事故について。他には、南洋の島の消失事件など未解決の超常現象。

そうして資料の捜索を開始する。少しすると佳代子が最初に動き始め、それに倣うように春奈と後藤も何も言わずに私を手伝い始めてくれた。

おお、持つべきものは友。頼まなくとも手伝いを始めたりとは、空気を読む日本人らしい行動ですな。こんなんだからワーカーホリックになるんだ。


「うさんくさいな」

「なんでこんな事調べてるんだろ?」


そんなエクストラの反応の数々。妖精文書が関わってるっぽい事件というのは概してそういうものだ。

―そして、そんな作業を始めて2時間ちょっと。


「なに…これ?」

「いやいや、おかしいだろ。なんでこんなにわけの分からん事件が起きてるんだよ!?」


佳代子と後藤が顔をしかめる。実際に新聞などの記事になり、原因が良く分からずうやむやになった事件。そんなのが山と出てくる。

3年前の飛行機事故を発端として、国内国外を問わずそういった事件が加速度的に増加していた。街が一つ消失して、数千人が一夜にして跡形もなく消えたなんて事件もある。


「こんなにも色々と起きているのに、マスコミの話題にも上がらないなんて…」

「大体の事件が数日で続報が途絶えてるな。まあ、規模が小さいのも多いんだろうが」


そして、それらの事件を関連づける考察が一つも見当たらない。3年前から増加した傾向についても、それに言及するような意見は一つもないのだ。

それはオカルトを専門に扱う胡散臭い雑誌にしても同じで、そういった事件については思い出したように散発的に触れるだけ。

そしてふと気づく。春奈の顔が真っ青になっていた。思わず声をかける。


「おい、大丈夫か春奈?」

「……ちょっと、気分が悪くなっちゃった」

「向こうに休憩場所があるわ。春奈ちゃん、いきましょ」

「うん…。ごめんね、ルシアちゃん。ちょっと休んでくるね」


佳代子が春奈を連れて休憩所に向かう。残されたアタシの傍に後藤が近づいてくる。


「お前の事件、まだアイツ引き摺ってるみたいだな」

「…そっか」


バツが悪いなと思いつつ、付き添われて出て行った後の誰もいない空間に視線を送る。何でこうなったのかという思いは確かにある。未練も多い。

あの出来事に巻き込まれたことは不幸だった。けれども、今はもう一応は整理はついているつもりだ。後悔後に立たずみたいな。


「それはそうとしてさ、後藤…」

「なんだ?」

「あいつ、デカくなったよな」

「ああ、ぷるんぷるんだな。あの大きさは正直そそる。挟まれたい」

「どのぐらいなんだろ」

「Dは確実に超えているな」

「ほぉ、お前はアタシの妹にそういう視線を送っていたのか。そうかそうか、つまり君はそういう奴だったんだな」

「え、あれ、何この唐突に仕掛けられた地雷?」

「はは、地雷ってそういうもんだろ親友」


私はそう言うとポキポキと指を鳴らして立ち上がり、後藤に向けてかわいらしい笑顔を向けた。後藤は「ご冗談を」「すまんかった、性欲を持て余した」などと見苦しい言い訳を始める。


「お、男なら分かるだろ? 反射だ、反射なんだ! 俺は悪くない」

「さあ、罪を数えろ」

「ちょ、お前、そんなシスコンだったっけ? ちょ、あ、それ電気? やめ、ひゃめて、あががががががががが!?」





「まだ痺れが取れんのだが…」

「妹は至宝」


いろいろこじらせた結果がシスコンかよ…。今や並んでても巨乳の方が年上に見えるのに。


「んで、これも妖精なんとかのせいなのか?」

「これ見てみろよ」


アタシは春奈には隠していた一枚の記事を後藤に見せる。どんな病気でもたちどころに治してしまうという奇跡を起こしたインド人女性の話。

その写真には女性がアクセサリーとして身に着けるのは、見たことのあるような宝石板。記事には、その宝石を手に入れた時から、彼女に奇跡の力が宿ったという。


「…これ、そうなのか?」

「ペリドットの一種って類推されてるから、第7かな。天使か何か呼んだんじゃね?」


黄緑色の、ちょうどペリドットのような色合いを呈する妖精文書は第7類型に分類される。向こうの世界では一つの宗教体系を生み出し、神や悪魔を世界に解き放ったとされるタイプだ。

規模にもよるが、暴走した場合、呪いや悪質な化け物を世に放つなど極めて厄介な影響を後世にまで残し続ける性質がある。まあこれは、大規模な文書災害の共通した傾向だけれども。


「第7?」

「妖精文書ってのは13種類に分類されててな、それぞれ、発現する力の方向性が違ってるんだよ。基本的には、色で分類できる。第7類型ってのは想像上の存在とか出したりできんの」


13色。13種。それぞれが強力で人知の及ばない力を宿した、人類の存続にすら影響を与えかねない最大級に厄介な危険物。


「しかし、こんなに事件が起きてるのによく今まで話題にならなかったな」

「無意識に干渉するタイプってのがあってさ。もしかしたら、そういった事件から目を逸らすように干渉受けてるのかも。もしそうなら、この規模の干渉を考えるとかなりの大物だろうな」

「大物?」

「下手したら第三次世界大戦起こして人類絶滅させるぐらいの干渉規模ってこと。まあ、そこまで行くことはほとんどないんだけど」


第2類型による文書災害は人心を蝕むという意味で最悪だ。一国全ての人々のモラルを破壊した事件では、周辺国を巻き込んで数多の悲劇を生み出した。

強盗、強姦、拉致、詐欺、殺人、紛争が蔓延り、人心を荒廃させ、その影響を受けた人々の地位を暴落させた。今でもその地域の人間は息を吸うように嘘をつくといった差別的な先入観を持たれている。

そんな規模の干渉が、この世界の、例えば核ミサイルを有している強力な軍事力を持つ大国で起こったならば何が起きるだろうか?

きっと、碌な結果にならないだろう。

と、そんなやり取りをしていると、なにやら周囲が騒がしくなる。周りにいた来館者たちが、ガラス窓に集まりだす。


「火事でも起こったのか?」

「警報は鳴ってないな」


騒ぎはどんどんと大きくなり、しまいには図書館の外へ駆け出す者まで現われる。流石に無視を決め込むわけにはいかなくなり、後藤と共に窓へと向かうと、


「なんだ…、コレ?」


それは、黒い何かだった。敷地内を埋め尽くす黒い何か。それが波立つように蠢き、図書館を呑み込もうとしている異様な光景。


「ネズミ?」


何やら全体が生物の内臓のように蠢き不快感を催させるそれは、良く目を凝らせば小さな生物の群集。黒く薄汚れたネズミの集団であった。


「おい、これって…」

「くそっ、このタイミングかよっ!」


毒づくと同時に、後藤が視線を投げかけてくるのに気づく。どうやら同じことを想像したようだ。そしてとっさに、今、ここにいない二人を探すため周囲を見回す。


「とりあえず二人を探すぞ疫病神」

「分かってるよ!」


そしてアタシたちは同時に駆け出した。





[27798] Phase005『エルフさんは変身しない July 12, 2012』
Name: 矢柄◆c6a9a2cf ID:035184dc
Date: 2015/02/20 23:08


「な、なんなのこれ!?」

「春奈ちゃん、こっちに!」


2つ上の姉同然のヒトに手を引かれて駆ける。黒く蠢く小さな獣の群れは、酷く興奮してキーキーと金切り声をあげて絨毯を埋め尽くしていく。

それらは天井に埋め込まれたエアコンの隙間から滲み出すように這い出し、ボタボタと粘性の高い液体のごとく床に落ち、シミのように広がる。

ようやく落ち着いた気分は、その不快な獣臭のせいで再び吐き気を催してきた。一匹一匹ならばまだ見られるが、これだけの群れならば醜悪過ぎで虫酸が走る。


「ひっ…」

「こっちは、ダメね」


出口を目指して進んだ先は、既に獣の群れが溢れる海をなしていた。獣臭と排泄物様々が混ざった悪臭に鼻がバカになる。

膝の高さまで折り重なるネズミの群れは、その重みで下層に踏まれる同胞を押し潰し、死骸を重ねる。

建物からは多くの人たちの悲鳴と怒号が木霊し、不安に胸が張り裂けそうになって佳代子おねえちゃんの手を握る力も強くなる。

そして、そんな恐ろしい黒い沼をかき分けて、向こう側から中年の女性が無数のネズミを体中に張り付かせて、ヒステリックな声を上げて駆け寄ってきた。


「た、助けて」

「大丈夫ですか!?」


中年の女性の身体に登り集るネズミを、カバンを使って払い落とす。憔悴した中年女性は体中が傷だらけで、ネズミたちは人間に牙を剥いているようだ。


「あ、ありがとう。助かったわぁ」

「向こうは…」

「ダメよ。ネズミでいっぱいよ」


行動は極めて攻撃的。それらは黒い津波のように押し寄せて、来館者の身体によじ登り、その体に齧りつく。

自分もまたそういった目に、数えきれない不潔なネズミに集られて、体を少しずつ齧られていく未来を想像して背中に冷たいものが流れた。


「大丈夫。私がついているわ」

「おねえちゃん…」

「とにかく、戻りましょう。この通路は進めないわ」


一階は既に黒く埋め尽くされ、来館者は逃れるように階段を登って避難してくる。私たちも中年の女性と共にそれに続こうとするが、


「ひぃっ!?」


その時、唐突に天井に穴が開き、無数のネズミが濁流のごとく落下を始めた。中年の女性はそれを直に浴びて飲み込まれる。

そして私は腰が抜けてしまい、


「春奈ちゃんっ!?」

「だ…だめ、佳代子おねえちゃん、おねえちゃんだけでも…」


情けないことに足がすくんで体が持ち上がらなくて、佳代子おねえちゃんに私なんて放って逃げてと心にも事を声と目で訴えた。

けれど、というか、当たり前のようにおねえちゃんは私を置いては行かない。這いよる黒い群れを追い払おうと、必死になってカバンを振り回して。


「いいよもうっ! お願いだから先に!」

「それは出来ないわっ。貴女だけは絶対にっ!」


その必死な表情に胸がズキリと痛む。ダメだ。このヒトにこれ以上の負担をかけたくない。私はなけなしの勇気を振り絞って立ち上がり、そして、

目の前に山のように膨れ上がった、黒い黒い無数の獣で出来た壁が覆いかぶさってくるのを見た。

佳代子おねえちゃんの顔が引きつるのを見た。私は頭の中が真っ白になって、まぶたを強く閉ざして、


「お兄ちゃんっ!」


もういないはずの誰かに助けを求めた。


「アタシ、参上!」


その時、唐突に、閉ざしたまぶたを貫く光が、視覚を白く塗りつぶした。



Phase005『エルフさんは変身しない July 12, 2012』



闊達さを思わせる勢いのある少女の声が有象無象の金切り声を切り開き、チリリと僅かに頬を焼く熱と轟く雷鳴を伴って、世界を穿った。


「ふえ?」


目の前には佳代子おねえちゃんと同じ制服を身に纏った、私よりも3つは年下に見える金色の髪の少女の背中が私の目の前にあった。

金色の少女は不適な笑みを浮かべながら右腕を前に突き出し、ヴァンデグラフのように青白い電光を腕に走らせていて、まるで少年漫画のヒーローのよう。


「春奈、カヨ、大丈夫か?」

「遅いわ。怪我しちゃうところだったじゃない」

「ヒーローは遅れてやってくるもんなんだぜ」


佳代子おねえちゃんが安心したような笑みを浮かべて少女に話しかける。対する少女は、ルシアちゃんは肩を落としてそれに応じる。

紫電はジージーと低い音をたてて唸り、中年女性を覆っていたネズミたちも一目散に逃げ出すか、手足を痙攣させて横に転がっている。

わたしはホッとすると共に、不思議な気分になりながら二人の遣り取りを見つめた。


「そのせいで私は怖い思いをしたわけね。お仕置きモノだわ」

「そりゃねぇぜカヨ。ここは感涙にむせびながら抱き着いてキスするのがヒロインの仕事だろ?」

「あら、して欲しいの?」

「後藤はむしろ喜ぶと思うぜ。立ったっ、キマシタワーが立ったって叫びながらさ」

「ありえるだけに反論できないわね」

「なあ、お前、なんでアイツと付き合い始めたん?」

「その場のノリ…かしら?」


不思議な気分の正体は、多分、佳代子おねえちゃんがルシアちゃんと、まるでお兄ちゃんとそうするように軽口をたたきあうから。

あまりにもそれが《らしかった》から、3年より前の《あの二人》の遣り取りの場面を幻視してしまうから。

だから、どうして彼女がマンガ染みた《力》を使っているのかなんて言う当たり前の疑問すら一瞬脳裏から消えてしまった。


「え、えっと…」

「ん、おおっ、そうだ。こんなところで油売ってるヒマはねぇな」


私が声をかけようとすると、少女は勝手に自己完結して頷いた後、周囲を見回しだす。すると、後ろから聞きなれた男の人の声が。


「おーい、生きてるかー?」

「役立たずが来たわ」

「酷ぇ言い草だな」

「いいのよ。曲がりなりにもこの私の彼氏やってるくせに、ピンチに駆けつけられないなんて三行半突きつけるレベルだわ」

「なあ、お前らホントに彼氏彼女やってんの?」

「……」

「無言かよ!! 佳代子、俺本気で泣くぞ」

「ふふ、冗談よ」

「カヨ、その良い笑顔は説得力ない。まあ、しょせん後藤だから仕方ねぇけど」


佳代子おねえちゃんは相変わらず綺麗な笑顔で後藤先輩を弄繰り回し、ルシアちゃんは苦笑いしながらそれに乗っかっている。

それはまるで旧年来の付き合いのよう。


「3人とも仲いいね」

「そうかしら?」

「そうだよ。まるで…、お兄ちゃんがいるみたい…」


そう、それはまるであの人がいた頃のような。そんな独り言染みた言葉を思わず声に出すと、急に3人ともがよそよそしい態度になる。


「あー、うん、でも、まあ、アタシ、女の子ですし」

「うん?」

「まあ、あれだ。アタシが春奈の兄貴みたいにイケメン過ぎるからって、惚れるんじゃねぇぜ」

「いや、お兄ちゃんはイケメンっていうより、ヘタレだったから」

「うっせぇっ」


この簡単に調子づいて妄言を吐くところなんて、あまりにもお兄ちゃんにそっくりで私は思わず吹き出してしまう。


「…しかし、酷いな」


しかし、すぐにそんなコントは終わりを告げ、後藤先輩は打って変わって深刻な顔で吹き抜けから階下の惨状を見回し、そうつぶやいた。


「そうだね…」

「一歩間違えば、私たちもあの中だったわね…」


それは想像するだけでぞっとする。あんな風に少しずつ齧られていくのなら、むしろ一思いに一撃で殺された方がましだと思うぐらいに。

階下からはもう悲鳴も上がってこない。むせ返るような刺激臭とキーキーと耳障りな合唱。顔をしかめていると、ルシアちゃんがさも当たり前のように欄干に飛び乗った。


「んじゃ、ちょっくら一掃してくるぜ」

「え、あ、危ないよ!」


まるでヒーローのように登場して私たちを助けてくれた彼女だけれども、私は思わず彼女を引き止める。

あんな恐ろしい場所に、こんな小さな子が飛び込んでいく事に酷い恐れを抱く。

それでも彼女は不敵に笑い返して、


「アタシを誰だと思ってる? 天下のルシア様だぜ! 任しときやがれ」


そんな威勢のいい言葉にあっけにとられて、私は思わず噴き出した。いやだって、私は彼女と今日会ったばかりなのだから。

それでも何故か、その姿に妙な懐かしさを覚えたのは何故だろう。


「「キャー、ルシアサマカッコイー」」


佳代子おねえちゃんと後藤先輩は何の心配もしていないのか、茶化すようにルシアちゃんを囃し立てる。

そんな二人の言葉にルシアちゃんは何故か耳の先まで真っ赤にして「るっせぇっ」と毒づいた。いや、ルシア様って自称したのはルシアちゃん自身なんだけれども。


「大丈夫なの?」

「あたぼうよ。そこで見てな、1分で片づけるぜ」


しかし、次には囃し立てていた佳代子おねえちゃんが一転して真剣に尋ねる。それにルシアちゃんは大言壮語で応えた。そして、おねえちゃんは笑みを浮かべる。


「わかったわ」

「おうよ。じゃあ、ちょっくら、いってくらぁ!!」


黄金の髪の少女は欄干から勢いよく跳躍する。それはまるで陸上選手の幅跳びのよう。後ろのおさげを踊らせて、彼女は蠢く無数の獣の海に紫電を纏って飛び込んだ。

青白い放電と渦巻く烈風が爆心地を切り開く。有象無象は木枯らしに舞う木の葉のように吹き上げられ、閃光と共に黄金の少女は着弾した。

牙を剥くような獰猛な笑みを浮かべ、少女は溢れかえる黒い塊を前に払いのけるように水平に腕をふるう。

振るわれた腕に追随した風雷が荒れ狂い、本棚の中身とともにネズミたちは悲鳴にも似た鳴き声を上げて弾け飛び、群れは粉々になって一掃されていく。

切り開かれた一角にむけて少女は駆け込んだ。疾走と共に風雷は奔り、縦横無尽に建物の中を走り抜ける。

それは蹂躙と表現するのが正しいだろう。


「なに、あの俺TUEEE」

「タカシ君はあの時気絶していたものね」


私が唖然と呆けている横で、二人が安穏と声を交わしている。おねえちゃんたちは彼女が何なのか知っていたのだろう。

それはまるで少年漫画やアニメの世界の住人のよう。気が付けば、いつの間にか階下を埋め尽くしていた小動物の群れは動きを止め、あるいは多くがどこかへ逃げてしまっていた。


「どーよ。流石、アタシってばサイキョーだな!」


揚々とした表情で無い胸をはってVサインを私たちに向けてくるルシアちゃん。そのドヤ顔は、可愛いのだけれどもアホっぽい。


「3分28秒ね」

「お?」


しかし、そんな少女を見下すのが佳代子おねえちゃん。やれやれといった表情でそんなことをおっしゃる。


「1分で片づけるって言ったクセに」

「いや、それは表現の仕方というか、すぐに片づけるって意味で…」

「言い訳は聞き苦しいわ。出来なかったんでしょ、1分」

「う、いや、まあ、そうかも」

「後でお仕置き追加ね」

「ちょ、おい待てよカヨ、待ってくださいっ」


ちょと半泣きっぽい少女と、物凄い虐めっ子な笑顔をしている佳代子おねえちゃん。ああ、おねえちゃんってこれさえなければなあ。

私の友達とか露骨におねえちゃんの事を怖がってるし。うん、まあ、噂の半分ぐらいが真実だから仕方がないけど。

大病院を舞台にしたドラマの教授の回診みたいに、いっぱい取り巻きを引き連れて歩いてるの見たら、流石に下の学年の女の子は怯えちゃうよね。

それにこの前、膝擦りむいた時、優しく消毒してくれたけれども、消毒液がしみて私が顔をしかめた瞬間のおねえちゃんの表情、どう考えても悦んだ顔だったし。

そうして、ネズミたちが一掃された階下へと降りてみる。ネズミたちは既に多くが手足を痙攣させて仰向けになっているか、死んでいるかのどちらか。

だが、臭気はいまだ酷く、そして何よりも逃げ遅れた人たちの状態がひどかった。


「ところで、怪我したヒト、どうするんだ?」

「……そうね。かなり、酷い怪我みたい」


ネズミに襲われた人たちは気を失い、血まみれになりながら呻き声を上げ、咳き込んでいて、とてもじゃないが正視に耐えない。

ほとんどのヒトが体中をネズミに齧られていて、表面の柔らかい部分、まぶたや耳たぶ、鼻なんかが噛み千切られ、生きているのが不思議なぐらい。

私は足がすくんで、いけないとは思いつつも吐き気を止めることが出来ない。胃から込み上げるものをこらえるため、私は座り込んで口を手で押さえる。

遠くでパトカーのサイレンが鳴っているので既に警察は出動しているだろうが、この建物の外にも被害が出ているのか、図書館には未だやってこない。

だけれども、被害者の人たちは出血などがひどくて応急処置でどうにかなるようにも思えず、素人目にも早く専門の医療機関に運んだほうが良さそうに感じる。


「素手で触んなよ。感染症あるかもしんないし」

「え…?」


ルシアちゃんが被害者の一人に近づこうとした佳代子おねえちゃんに注意する。そして、その事にまったく気が回らなかった私たちはすぐに身を引く。

ネズミは伝染病の媒体となる。それは学校でも習ったことだし、例えばペストなどはネズミが広め、過去多くの被害者を出した代表格でもある。

今の衛生的な環境が整った日本じゃそんなことを意識することもないから、完全に失念していたのだ。

ルシアちゃんは足元の大きなネズミを蹴り飛ばす。見たこともない程の大きな、1mはあるかもしれない大ネズミ。


「新種?」

「いや…、こいつはただのドブネズミだろうさ」

「こんなにデカいドブネズミがいるわけない…、いや、アレのせいか」

「第6類型かな…。くそっ、救急車とかは間にあわねぇか…」

「放っておくしかないのか? お前、ケアルとかホイミとか使えないの?」

「そういうのは白魔とか僧侶の仕事だし…。いや、まあ、使えるけどさ」


ルシアちゃんは一瞬だけ私の方を見る。そして、諦めたような表情で息を吐いた。しかし、今の後藤先輩のセリフからして、ルシアちゃんの正体は…。


「まあ、今さらか」

「助けられるの?」

「ああ。まあ、見てろ」


おもむろにルシアちゃんはポシェットからナイフと革製の巾着袋を取り出した。そして、袋の中身を少しだけ手の平にとる。


「それは何?」

「綺麗」

「ピース…。書片(Letter Piece)っていってな。0.1カラット以下の妖精文書の細かな破片…をそう呼ぶんだけど」


色々な色彩のキラキラした砂。宝石を砕いたようなそれはとても綺麗で、不思議な魅力を放っていて、私は目を離せない。

すると、ルシアちゃんはいきなり人差し指の先にナイフで少しだけ傷をつけ、赤い雫を書片に落した。

それが痛そうで、私は自分の痛みでもないのに顔をしかめる。その横でおねえちゃんがイケナイ笑みを浮かべたのは今さらなので無視する。


「うわぁ、光ってる」


ルシアちゃんの血に濡れた宝石の砂は、ぼんやりと光を放ち出す。薄暗い図書館を無数の色の綺羅めきが彩った。


「解凍完了」


そう彼女がつぶやくと、次に少女はそれを宙にむかって撒き散らした。キラキラと舞う宝石の砂。しかしそれはすぐに空中で規則的な形状を形成し始める。

みるみるうちに形状は互いに結合しあい、一つの形を浮かび上がらせる。それは無数の線で編まれた立体的で針金細工の籠のような球状。

それを構成する線は球の表面に複雑な模様を浮かび上がらせ、宙にて静止する。それはまるでイルミネーションのよう。

その美麗に、息をするのも忘れてしまう。


「管理者権限により起動。初期化開始…、完了。記述開始…、完了。文書校正…、完了」


宙に浮く球状の模様に右手をかざし、独り言のような作業。それに伴って模様は万華鏡のように千変万化に変化し、肥大し、縮小し、心臓のように脈動する。


「詠え、唄を、響け、声よ、届け、意志よ」


言霊と共にかざした少女の手の平の前で球状の模様は破裂した。弾ける光は花火のよう。光子が流星のように線条を描いて空間を閃く。

次の瞬間、空間がたわみ、世界が大きく揺らいだ。キンッという音が一度だけ響き渡り、そして再び何事もなかったように静寂が支配した。


「すご…」


気が付けば、周囲に満ちていた悪臭は鳴りを潜め空気は清廉となり、呻き声を上げていた人たちの息も穏やかなリズムに変わっている。

まるで、奇跡を見ているような。


「集え」


言葉と共に少女の手に砂が集まる。まるでこれは、


「魔法…」

「直に見たのは俺も初めてだがな…」

「後藤先輩…、知ってたんですか? いえ、佳代子おねえちゃんも…。ルシアちゃんって…」


向こうでは佳代子おねえちゃんとルシアちゃんが一緒になって怪我をした人たちの様子を見ている。

おねえちゃんは後藤先輩と違って魔法じみた技に呆気にとられていないようで、すぐに彼女と共に行動を始めていた。


「傷は…治ってるみたいね」

「欠損部も修復してる。消毒もしてある。記憶も曖昧にしておいた。まあ、血は消してないけど」

「これがアナタの魔法なの?」

「まあ、魔法っていう括りにはなってるけどな。雷だすのと違って、魔力は使わないんだけど」

「…種類があるのね」

「カヨってさ、滅茶苦茶頭いいな」

「褒めても何も出ないわ」

「雷だす方のは向こうで古代語魔術って呼ばれてる。魔力を対価にいろんな現象を起こす的な、まあ、こっちの世界のゲームとかに良く出てくるような奴だな」

「それともう一つが妖精文書を使った魔法かしら」

「いんや。他に呪術とか精霊魔術、神霊魔術があって、5つ目にお前の言う文書魔術がある」

「ファンタジーねぇ…。精霊と神霊に違いはあるの?」

「精霊は自然発生した霊体で、神霊は妖精文書によって人為的に生み出された霊体だな。いや、まあ、宗教家にこの説明するとぶっ殺されるんだけど」


なんだか難しい話をしている。というか、なんであの二人、あんなに仲がいいのだろうか? そして、なんでこんなにモヤモヤとした気持ちになるのだろうか。

すると、後藤先輩がポンポンと肩を叩いて知ったような顔で励まそうとしてきた。正直ウザイ。そのまま先輩はおねえちゃんたちに話しかける。


「…それよりも、これからどうする?」

「とりあえず、お前らは他のお客と一緒に上に行け。アタシは元凶を潰してくる」

「警察とかに任せた方がよくないか?」

「それじゃあ、間にあわねぇな。殺鼠剤なんかを毒ガスみたいにばらまいて一掃するのが手っ取り早いけど、そんな装備、警察どころか自衛隊も備蓄してねぇだろうし」

「でしょうね。ネズミがこんな大量に溢れて人間を襲うなんて、誰も想定してないでしょうから」

「大丈夫なの? ルシアちゃん」

「さっきの見てただろ。このルシア様にかかればちょちょいのちょいだぜ」

「「キャー、ルシアサマカッコイー」」


先ほどの、私を庇うような背中。網膜に焼きつく青紫の電光。幻想的な不思議な魔法。まるでマンガのヒーローのよう。

いや、容姿だとか魔法からすればむしろ、


「ルシアちゃんって魔法少女みたい」

「アタシは変身したりしないし、魔法の国のプリンセスでもねぇ…」

「え、違うの?」

「そのネタはいい加減にしてくれ…」

「でも、魔法少女って言えば、不思議な怪奇現象を魔法で解決する存在でしょ? で、アナタは魔法を使ってこの変な騒動を解決するんでしょ? だからほら、アナタは魔法少女でしょ?」

「なんだそのぐぅの音も出ねぇ三段論法は」


疲れたような表情で切り返してくるルシアちゃん。なんというか、そういうどこかダウナーな所も今は可愛らしく思える。

なんというか、少しだけ佳代子おねえちゃんの気持ちが分かったような気がする。そうして溜息を吐いてルシアちゃんは呆れかえるような表情をして、


「まあ、そんだけ余裕あれば安心だ。怪我人見てショック受けてるかと思ったんだけどな」

「ルシアちゃんのおかげだよ。そうじゃなきゃ、今も動けなかったと思う」

「そういうもんか」

「そうだよ」


血だらけの怪我をした人たちを見た時、足がすくんで動けなくなった。恐怖、生理的嫌悪といった様々な負の感情が私を縛り付けた。

でも、あの星空のような魔法を見て、そして多くの人たちが癒された時に、私の体を重くするもの全てが吹き飛んだのだ。

私の言葉にルシアちゃんは照れて耳まで赤くして、私から目を逸らす。その仕草に一瞬だけ懐かしい人を幻視する。


「まあ、うん。じゃあ、さっきも言ったけど、お前らは非難しろ。上の階が絶対に安全とは保障できねぇけど、今の所は大丈夫そうだ。林道はネズミがアンブッシュしてる可能性があるから気を付けろ。まあ、あれだ。高度の柔軟性を維持しつつ臨機応変に?」

「それは行き当たりばったりって意味じゃないのか?」

「自分の身は自分で守れ。特にお前はカヨと春奈を身を張って守れよ」


後藤先輩のツッコミにルシアちゃんが冷かすように、どこか悪戯好きな男の子のような表情をして返す。そして、


「じゃあ、行ってくる」

「気を付けてね」

「ああ」


そうして、ルシアちゃんは佳代子おねえちゃんに見送られて、軽やかに図書館の入口へと駈け出して行った。







「さてと…」


県立の図書館は街の中心から離れた山の中にあり、そこには博物館や福祉施設といった公共の建物が集まっている。

このため、人口密度が低く大きな人的被害はでていない。それでも、大きな県立の病院などがあり、そちらの方は大変なことになっているようだ。

そしてこの騒動の中心は、その病院に併設されている建物にあるらしく、私の手にあるオレンジ色の小さな宝石板を嵌め込んだ振り子がそちらの方向を指して揺れている。


「バイオハザードかよ…」


大学との共同医療研究施設。シンと静かで騒動とは何の関係もなさそうだけれど、間違いなくここに元凶があるはず。


「ふっ飛ばした方が早いかな…」


電気が通っていないのか、正面のガラスの自動ドアは機能しておらず、私は電撃を当ててこれを粉砕する。

そして屋内に入った瞬間、四方から私を押し潰そう様に黒い津波が金切り声をあげて襲いかかってきた。


「しゃらくせぇな、そいつはもう飽きてんだよ」


<中略>


シュウシュウと黒焦げが散乱する中、私は周囲を注意深く見回しながら研究所内を探索する。そして、すぐに気付く。無数の白骨が転がっていることに。

それらは最早、一片の肉の断片すらなく、一糸の衣服の残骸もない。食い尽くされ、ネズミの糞尿に塗れた、間違いなく成人男性の人骨。

ただ、その近くに落ちているプラスチック製のネームカードだけが、彼が何者であったのかを教えてくれる。


「ここで働いてたヒトのか…。惨いな」


荒れ果てたエントランスには、食い破られた来客用のソファにボロボロに食いちぎられたポスター、無数の書類の残骸が散らばっており、蛍光灯は粉々になって落ちている。

受付のカウンターには座ったまま食い殺されただろう女性の白骨が椅子に腰かけていて、まるでここは何年も放置された廃墟のよう。

そのまま私は研究所の奥の方へと歩く。途中、壊されたバイオハザードマークの付いた重そうな扉を抜け、深部へと。

扉の先は研究区画になっているようで、実験のための机やクリーンルーム、実験器具や薬品ビンが散乱する様を横目に進む。


「雰囲気あるな…」


この区画に入ってから、周囲から私を監視する気配がしはじめた。連中には知性があるのか、先ほどの襲撃で私には通常の手段が通じないことを学んだらしい。

そうして、私は区画の一室にて白骨死体と共にある研究記録を綴ったノートを発見する。


「へんじがない、ただのしかばねのようだ」


私は研究日誌を読み進めていく。どうやら彼はいくつかの免疫機能を欠損させたノックアウトマウスの作成をしていたようだ。




〇月△日
作成したマウスの中に奇妙な形質を発現しだした個体が現れた。この個体は他に比べ明らかに成長が早く、運動能力も高い。
私はこの個体を他とは別に分け、観察を始めることにした。

〇月△日
非常に興味深い! この個体の知性はマウスのそれを明らかに逸脱している。何よりも興味深いのは、この個体がわれわれ人間に対してコミュニケーションを取ろうとしているように見える行動をとっていることだ。
私たちはこの個体にあの小説にちなんでアルジャーノンと名付けることにした。

〇月△日
なんということだろう! なんと、アルジャーノンが文字を覚えたようだ。彼は拙いながらも我々が与えた文字表を使って、文章を作って見せたのだ。
これはノーベル賞ものの成果かもしれない!

〇月△日
最近、私はアルジャーノンに恐怖を覚えるようになった。彼はパソコンを上手く使いこなし始めており、ネットサーフフィンまでするようになった。
彼はどこまで賢くなるのだろうか?

〇月△日
彼に質問された。何故、人間たちは自分たちを使って酷い実験を繰り返し、それでも心を痛めないのかと。
私は君ほど賢ければ同情して実験になんか使えないんだけれどと答えた。彼は何かを考え込むように檻の中に帰って行った。

〇月△日
どうしよう! アルジャーノンが檻から逃げ出してしまった。研究所総出で捜索したが見つからない。
彼がいなくなったら、私たちの研究成果は水の泡だ!

〇月△日
彼が帰ってきた。彼はいつの間にか人語を話すようになっており、そして私に告げた。彼は、これから地球上に住む全ての動物たちの権利を主張し、人類に認めさせたいのだという。
そして私はそれに友人として協力するように求められた。
彼の言いたいことは分からないでもないが、それよりも、私たちは彼のような知能の高いネズミが世に放たれることを恐れた。
私たちは彼を巧妙に言いくるめて彼に睡眠薬入りの餌を食べさせて捕獲した。

〇月△日
所長からアルジャーノン種の繁殖を命じられた。健康体の若いメスをあてがえば彼も喜ぶだろう。
とはいえ、また脱走されても困るし、何よりも彼は賢くなり過ぎた。代わりが生まれたら彼は処分した方がいいかもしれない。

この先は何も書かれていない。





「…かゆ、うま」


日誌を読み終わる。なんというか、物凄く後味の悪い感じ。まあ、文書災害なんてだいたいそんなものなんだろうけれど。


「しかしまあ、自業自得ってことか。分かり易すぎる展開だろう。なあ?」

「その通りでチュね」


背後に声をかける。応じた声はどこか可愛げのある高い声。そうして振り向いた先にいたのは、1mほどの大きさの、赤い瞳をした白いネズミだった。




[27798] Phase006『エルフさんとでっかい蛇 July 12, 2012』
Name: 矢柄◆c6a9a2cf ID:035184dc
Date: 2015/02/20 23:10


「で、アンタがアルジャーノンか?」

「そのとおりでチュよ人間。よくここまで来たでちゅね。歓迎するでチュウ」

「歓迎…ね」


愛嬌のあるつぶらな赤い瞳、毛並みの良く触り心地の良さそうな、白くふわふわした毛皮。そして、大型のヘビのような長い尾っぽ。

人間の子供ぐらいの大きさの、人語を解し、あまつさえ操って見せる齧歯類の怪物でがあるが、得意げに胸を張るその姿はコミカルで、どこかアニメの1シーンを思わせ脅威はあまり感じない。

だが、舐めてかかったり油断していいような存在でもない。

そもそも、ネズミというのは哺乳類全般におけるもっとも基礎的なフォーマットである。分化に必要なすべての要素を備えていると言えよう。

極端な事を言えば、地球上のネズミ以外の哺乳類が絶滅したとしても、ネズミさえいれば再び同じような種の系統樹を再現できると言っていい。

ネズミから鯨や猿、猫に進化する道程は歴史を繰り返すだけでいい。しかし、猿から鯨に進化するのは困難であるし、逆もしかり。

彼らはあらゆる可能性を残しているがために、あらゆる状況に適応しうる可能性を有している。

それは恐竜の直系の子孫である鳥類が恐竜絶滅後に地表を支配できなかったことを見ても明らかだ。

進化とは何かの形質を進化させるかわりに他の形質を失う現象の連続だ。そして、失った形質はよほどのことが無い限り再び得ることは叶わない。

肉食性の陸鳥は、その翼を腕に、くちばしを牙に変えられなかったために肉食性の哺乳類に敗れ、絶滅に追い込まれた。

鯨やシャチといった水棲哺乳類は水中において栄華を築いたが、ついぞエラ呼吸を再現するには至らなかった。

そのネズミに第6類型の妖精文書、進化の促進をもたらすこの異物が取り込まれたのなら、それは全ての哺乳類、人間と人類文明含めた、を再現しうると考えて間違いない。


「それで…、ここの連中を食い尽くして気は済んだのか?」

「チュッチュッチュッチュ、冗談はほどほどにするでチュウ人間。我々の大望、そのノートを読んだ後ならば予想はチュくはずでチュよ?」

「なんだ、愉快な動物園でも作る気か?」

「やれやれでチュ。人間はそうやっていつも自分と違う相手を狭い檻に閉じ込めようとするでチュ」

「移動制限が社会秩序を維持するのに一番手っ取り早いからな」

「傲慢な考えでチュ。ゲットーしかりアパルトヘイトしかり。お前たちは歴史から何も学んでいないでチュ」

「お前らだって変わんねえだろうが。縄張り意識は生物の基本だろ?」

「そうやって世界全てを人間だけで切り分けしようとする傲慢さ、修正しなければならないでチュ」

「ルールの変更を求めるってか?」

「当然でチュ。このままでは多くの仲間たちの命が弄ばれ続け、地球上の数多くの種が失われてしまうでチュ」


なんて意識の高いネズミ。ちょっと尊敬してしまいそうになる。これでも自分、エルフさんですので。

人間ってのは自然は自分たちのために神が与え給うたものとか言って、こっちの都合も考えずに後先考えずに森を切り開きやがるからいけねぇ。

挙句の果てに水不足になったり土壌流出・洪水のコンボで良港を土砂で埋めて自滅するんだから性質が悪い。

わかるわ。


「ところで話は変わるでチュが、人間、お前は他の個体とは大きくかけ離れているようでチュね。普通の人間にはあんな能力は無いはずでチュう。何者でチュか?」

「エルフだぜ」

「エルフ? 妖精…でチュか?」

「齧歯類のくせに、よく知ってるな」

「首は一つでチュが、さしずめ自分はネズミの王様でちゅからね」

「あなどれねぇな、このネズミ」


ネズミが持っているような知識ではない。まるで、本当に人間と話しているかのような錯覚。知能レベルはその域以上にまで達していると考えた方がいい。


「エルフ。自分が知る知識では、エルフはヨーロッパの伝承上の存在だったはずでチュが…。やはり、知識だけで物事は判断できないでチュね」

「書を捨てよ、街へ出よう」

「若者の活字離れが問題になっているでチュ」

「本を出版するにも木を伐らなきゃだし」

「人間は電子媒体を手に入れておきながら、前にも増して紙を消費する愚かな生き物でチュから」

「実物が無いと頭に入らねぇんだよ。ブルーライトが目に染みるぜ」

「無駄が多すぎるでチュウ。この国の人間は食べ物の3割を捨てておいて、食糧自給率の不足を語る度し難い浪費家なのでチュウ」

「食の安全は地球よりも重いんだぜ。虫が入ってただけで全部回収するのが信頼の証」

「是正が必要でチュよ。意識改革が必要でチュ。この星が人間だけのものではない事を、身を以て知るべきなのでチュウ」

「まあ、身を以て知らなきゃ学ばないのが人間だしな。のど元過ぎれば熱さ忘れるってぐらいだし」

「自然物の妖精であるエルフならば、我々と手を取り合えないでチュかね?」

「何をやろうとしてんのか、具体的な話がないとなんとも言えねぇなぁ」

「身内になるか分からない相手には答えられないでチュ」


なるほど確かに。誘導尋問は失敗。まあ、こんなので答えもらえるとは思ってはいなかったけれども。

まあ、どんな答えだろうとも畜生の類と仲良く手を取る趣味は毛頭ないのである。

そもそも、相手にいかに同情すべき点があり、もっふもふであろうとも、目の前の存在は明らかに人類文明の秩序を乱す存在だ。

もはやこの世界の人間社会の一員とは言えない自分であるが、それでも春奈やカヨが生きる日常に混乱をもたらすこの存在は許容できない。


「なら、変えられる力があるのか示してみろよ」

「チュッチュッチュッチュ、少しばかり不思議な力を使えるからと言って調子に乗っているでチュね。いいでチュウ。これからお前を組み敷いて、その力、大義のために役に立てさせてもらうでチュ」

「なんだエコロジスト。テメェの頭ん辞書には話合いって言葉はねぇのか?」

「交渉は対等な相手同士でなければ成立しえないでチュウ。《力》を示せなければ、軽くみられるのがオチでチュからね」

「はっ、いい度胸だ。テンジクネズミみたいに丸焼きにしてやんよ!」


楽しいトークタイムはおしまい。話合いよりもぶん殴る方が簡単でシンプルな解決法。都合の悪い存在は皆殺しにして歴史の闇に葬るのが人類の歴史の積み重ねなのである。

まあ、それでこの先都合の悪いことが起きるとしても、そういうのは後から考えればいいのである。未来の子供たちへの宿題とかそういうの。

とりあえず、あの毛玉を一回、おもいっきりぶん殴るべく身体を加速させる。だが、


「頼んだでチュよっ、白娘子さん」


そして私は、突如としてコンクリートの床を突き破る大きく白い鱗を見た。



Phase006『エルフさんとでっかい蛇 July 12, 2012』



「ルシアちゃん、大丈夫かな?」

「心配?」

「佳代子おねえちゃんは心配じゃないの?」

「いろいろな意味で心配よ…」


横で佳代子が盛大に溜め息をつく。そんな佳代子の様子に春奈は顔をひきつらせて苦笑いを返した。

遠くに見える大学病院の建物は、火事が起きたのか黒い煙がもうもうと上がっている。ネズミが配線を齧って出火したのかもしれない。

周囲からは消防車と救急車のサイレン。ヘリコプターが上空を旋回する音。それでも未だ救援は届いていない。

来館者たちは不安そうにヘリコプターを眺め、時には助けを求めて大きく手を振って叫ぶが聞こえてはいないだろう。

そして、変化は唐突に。


「なっ!?」


思わず声を漏らす。視線の先、大学病院の近くにて爆発が生じたのだ。白い土埃が舞い上がり、そしてソレは姿を現した。


「なん…だあれ?」

「う…そ?」


巨大な白い大蛇。鎌首をもたげたその高さは数十メートルに達しており、とぐろを巻くその全体を加えれば数百メートルを超えるかもしれない。

まるで怪獣映画を見ているかのような非現実感。

巨大な大蛇が身をよじり尻尾をふるうと、メキメキという鋼鉄を含むコンクリートが軋み、崩壊する音と共に赤い車体、おそらくは消防車が空を舞った。


「に…逃げろ!!」「ここも危ないぞ!」


来館者たちが我先にと、逃げるために鋼鉄のドアへと殺到していく。俺はどうすべきか迷い、佳代子に視線で問う。


「逃げるか?」

「ここがもっと開けていたら簡単だったけれど」


図書館の周囲は森で囲まれている。そもそも山の上に作られた施設群だ。街に降りるにしても、山道を通る必要がある。

そして、


「なんだ、えらく頭がいいじゃないか」

「先輩…あれって……」


この区画に通じる山道は2本。一つは隣町に通じ、もう一つは俺たちの街に通じる。その一本から唐突に細く黒い煙が上がった。


「これは、困ったわね」

「なんつーか、昨日の今日でこれか…」

「後悔してる?」

「乗りかかった船だしなぁ」

「泥船ね」

「佳代子がのるなら俺も乗るさ」

「あっ、あれ、ルシアちゃんよ」


気障に決めたつもりのセリフは、軽く無視されて佳代子は身を乗り出してあちらの騒動に指をさす。うん、まあ、ええんよ別に。


「まあ、せいぜい頼りにしているわ。タカシ君」

「デレいただきました!!」


照れ隠しな感じの佳代子のデレにガッツポーズをとりつつ、出来ることが無い事に歯がゆい思いを抱える。

暴れまわる大蛇。土煙とともに瓦礫や樹木が空を舞う。咆哮は蛇とは思えないほどの内臓をゆさぶる重低音。発声器官の拡大は発する音波の波長を長くする。

牛若丸の軽業のように跳び回るアイツは、遠目から見ればヘビにまとわりつくノミかなにかのようなスケールの違い。

それに負けじと青い電光が奔っては大蛇の行動を阻害して、怪物は浴びせかかけられる雷に身をよじって呻き声を上げたりする。

平和の国ジャパン生まれの平凡な高校生な俺に、どこぞの少年漫画の主人公染みたスキルなど存在しないわけで、あんな怪獣大決戦に巻き込まれたらギャグ補正も効かずに即死である。


「おねえちゃん、わ、私たち、どうしたら…」

「破片が飛んでくると危ないわね。かといって、ここから逃げるにしても…」


下に視線をおろせば、街のある方向に続く林道にて、先ほどこの屋上にいた人たちがポメラニアンやプードルなどの野犬の集団に襲撃されているのが確認できた。

そうやら、この騒動には予想以上に多くの動物が関わっているらしい。となれば…


「佳代子!!」


俺はとっさに佳代子に覆いかぶさり押し倒す。コンマ一秒遅れて先ほどまで彼女の顔があった場所をトンビが高速で飛び去って行った。


「おねえちゃん!?」

「大丈夫よ。タカシ君、ありがとう」

「いや。とりあえず、屋根のあるところに入った方が良さそうだな」


結局のところ、この状況をなんとか出来るのはアイツだけらしい。どこか悔しさと共に、俺はそう決めるが、


「え…、ルシアちゃんが…」

「どうしたっ?」


向こうの様子を改めて見た春奈が口を押さえて指をさす。俺と佳代子もその指さす方に目を向けると、


「…逃げてるわね」

「自信満々に出て行ったくせになぁ」


エルフさんは大蛇から逃げの一手を打って出ていた。いや、まあ、あの怪獣は予想外だったけれども、格好悪い。

とはいえ、


「まあ、どっちかと言えば」

「誘導してるのね」


病院の近くで怪獣を暴れさせるのは危険だと判断したのだろう。巨大なヘビが追いかける方向には、建物が無く、普段は使う者がほとんどいない広いグラウンドのある方だ。

アイツらしい判断ともいえた。


「まあ、そういうことだから、心配する必要はないぞ春奈…。おろ?」

「どうしたのタカシく……、え?」


振り向いて話しかけた先、そこには居るはずの少女がどこにもいなくて、


「春奈ちゃんは?」

「まさか…っ!」

「おいおい、相変わらずの思い込み激しさだな!」


俺と佳代子は頷きあい、全くの同じタイミングで駆け出した。





「三六計逃げるに如かずってな!」


周囲は予想以上の混乱の坩堝。隣接する建物の病院は火の手が回り、その消火作業に入っていた消防車も大蛇が弾き飛ばしてしまった。

空にはカラスの群れが嫌がらせのように向かってくるが、電気を纏っていれば脅威はない。とはいえ、他の人間たちの安全までは保障できない。

白い大蛇の皮膚は予想以上厚く、電撃はなかなか通らない。相手が大きすぎるというのも効果がいまいちな理由だろう。

このままあの場所でやり続けるのはいろいろと迷惑極まりないので、とにかく人の気配のない方向にトンズラすることに。


「ちょこまかと素早しっこいでチュね! 待つでチュ!」

「ネズミに言われる筋合いはねぇぜ」


予想以上の規模の文書災害。

こんな大物が飛び出てくるのはちょっと予想外だった。走る私の後ろを、木々をなぎ倒しながらヘビらしく体をうねらせて大蛇が迫ってくる。

メキメキと木々を押し潰し、あるいは根っ子ごと宙に弾き飛ばす様は恐ろしい。あんなものに巻き込まれたくはない。

うねるヘビの巨体はそれ自体が凶器だ。あんなものに踏みつぶされたら、どんな屈強な男だろうとカルパッチョになること請け合いである。

ちなみにエルフは生肉食べます。エルフは狩猟民族ですからね。

地方によっては火を宗教的禁忌にしてる部族もいるので、野生動物の生肉にガブリンチョするのはよくあるのである。野蛮やわぁ。

まあ、私は文明人ならぬ文明エルフなのでそういうのは好きじゃありません。加熱大好きビタミン消失上等。黄金のタレがあればさらによし。香辛料と調味料は人生のエッセンス。

とはいえ、事態が事態だけにあまり時間をかけたくはない。放っておいたら自衛隊とか米軍とかがやってきそうなそんなスペクタクル。

戦闘機とか飛んできたらどうしましょ。

とはいえ、早く片付けたいのは向こうも同じだったらしい。蛇の頭に乗る白いネズミがこちらを指差した。


「埒が明かないでチュね…。仕方ないでチュ。白娘子さん、本気をだチュてください!!」

「なら、こっちもギア上げていくぜ! 其は我が大弓、横に弦を。其は我が標、縦に弦を。一つ目っ」


かなり人気のないところまで来れた。まあ、この辺りで勝負をかけようか。私は逃げ回るのをやめ、進路を横に逸れ、すこし大き目の木の枝の上に着地する。

そしてスカートの内側、右太腿に巻きつけたホルスターからダーツを一本取り出し、蛇をめがけて投擲した。


「!?」


20cm程の金属矢は、すぐさまルシアのその投擲速度からは考えられないほどの速度に加速し大蛇をめがけ、赤い軌跡を描いて飛翔する。

それは驚き身をよじって避けようとした大蛇の右側面に衝突、その肉を抉り、蛇は傷から血を吹きだして悶えた。


「な、なんでチュかっ!?」

「はっ、ザマァねぇな!」


大鼠の表情はいまいち判別できないが、その声から驚きうろたえていることが分かる。しかし大蛇の瞳には戦意が未だ滾っており、さほどのダメージは与えられなかったようだ。

いや、違う。


「傷がふさがって…、ちっ」


ダーツが抉った傷の部分を肉が盛り上がり、瘡蓋になって、すぐさま剥がれて元通りの鱗に治ってしまう。どうやら再生能力も異常に増強されているようだ。


「こしゃくなっ、白娘子さん、容赦は無用でチュ!」

「今まで容赦なんてしてたのかっ?」


そして鎌首をもたげる大蛇。これだけの大きさのヘビを見上げるのは、結構な迫力。なんて感心していると…って、そんなヒマはなぁぁい!?


「うわちょと!?」


嫌な予感と共に横っ飛びして無様に地面を四つ脚になりつつ着地。這うように逃げて、間一髪で大蛇が大口を開けて吐き出した霧状の物質を浴びずに済んだ。

いや、ちょっとだけ服にかかった。


「って、なんじゃこりゃぁっ!?」


シュウシュウと細かな泡と煙を立てて、霧を浴びた木々や石、土壌が溶解していく。立ち込める鼻が曲がるような刺激臭。

少しの飛沫が服についたが、そこもまた煙を立てて穴が開いた。受け取ったばかりの制服に大穴が。


「チュッチュッチュ、毒でチュよ!」

「こんな毒があってたまるか!! 2つ目」


生物毒といえば溶血性か神経系への作用と相場が決まっている。だというのに、無機物や有機物を構わず溶かすとはどういう了見なのか。

それは毒物ではなく危険物である。っていうか、あのヘビは溶けないのだろうか? まあ、そんな疑問は無意味だろう。溶けないのなら、耐性はあるに決まっている。


「粉砕、玉砕、大喝采!! ガンガンいくでチュよ白娘子さん!」

「周辺環境への影響に気遣いやがれ似非エコロジストが!」


噴霧される溶解毒。溶け、枯れていく森と遊歩道。あんなものが周囲を汚染したら、大変な環境汚染である。


「環境改変は生物の特権でチュ。珊瑚的な意味で」

「くそったれっ、駆逐してやる! 3つ目!」


小さな前脚を振り上げ調子にのる畜生。そろそろ生物種としての違いと、齧歯類と霊長類の越えられない壁という現実を見せなければならない。

大蛇は首を振って毒の霧を掃射してくる。向こうは首を振るだけで済むが、こっちは全力で走り回らないと酷い目に遭う。

地面を転がり這いまわりながら、溶解毒から逃げ回る。そのまま階段を転がるように降りてグラウンドへ。不幸だ。

グラウンドは山間の盆地のように少し掘り下げて作られていて、これはおそらく大雨が降った時のために周囲の水をここに集めて集積するのが目的だろう。


「4つ目…」

「ところで、さっきから何を数えてるでチュか?」

「おお、ようやく気づいたか齧歯類」


ポーチから黒っぽい矢のような直径1cm、長さ1mほどの細長い金属棒を私は取り出す。それを持つ右手にズシリとくる重さは、およそ1kgほどだろう。

私はそれを指でつまみ、弓につがえるかのように構えて持つ。それだけで、この金属棒がいかなる風に用いられるかをネズミは悟った。


「っ!? 白娘子さん避けっ!!」

「まだすこしばかり足りないが、一発喰らっとけ」


矢を放つ。それと共に十字に交わる横の《弦》、電界と縦の《弦》、磁界によって捕捉されていた負に強く帯電する《矢》が爆発的な加速を始めた。

一つの仮想砲身には十字に交差した《弦》が幾重にも重ねられている。それ故に加速は一度では済まず連続的に、一瞬にして秒速1150mに到達した。

矢は弦が交差する十字が構成する面に対して垂直に力を受けるために、面が向く方向によって微細な軌道修正を受け続ける。

矢は精密な軌道補正を受けながら、僅かにずれた狙いを修正されつつ、一つ目の仮想砲身から離れた後、すぐさまその先に展開された二つ目の仮想砲身を通過する。

二つ目の仮想砲身における加速を受け、矢はおよそ1616m/secに到達。さらに三つ目にて1980m/secに達する。

そうして4つ目の砲身を通過した際には2285m/secという音速の6.5倍強という速度に到達していた。

断熱圧縮による空力加熱により先端が赤熱し、一条の光線となった《矢》は、驚くべき反応速度で回避を試みる大蛇の想像を超えて身体に食らいつく。

大蛇の回避速度、反応速度は驚愕すべきものだろう。もしそれが音速を超えていなければ十分に回避できていたほどだからだ。

だが、どだい音速の数倍で迫るようなものを見てから避けるなど生物の領域にある存在には不可能だった。

そうして、瞬きすら置き去りにするような刹那に、タンタルを用いて特殊な加工を施し造られた《矢》は大砲すらも弾きかねないほどに頑強な大蛇の白銀の鱗に突き立った。

衝突により生じた圧力は瞬間的に40ギガパスカルを超え、タンタルと大蛇の鱗はユゴニオ弾性限界を迎える。

そうして矢と鱗の両者は互いに流体のような振る舞いを始め、運動エネルギーのベクトルに身を任せて硬さなどないかのように変形しはじめる。

細長い矢の先端は豆腐か何かのように潰れながらも、その速度に任せて大蛇の鱗を侵徹していく。大蛇の鱗もまた水面か何かのように潰れていくため、そこに大きな障害は無い。

突入したタンタルの金属塊はそれほど大きなものではなかったが、それでも厚さ数センチ程度のヘビの鱗を侵徹しきるには十分すぎるものだった。

硬い鱗を貫ききり、タンタルが元の物性を取り戻すのには刹那ほどの時間しかかからなかったが、その頃には大きく変形したタンタルの塊が十分な速度を以て大蛇の肉体に侵入していた。

その速度を以て複雑に細分化されたタンタルの金属片が、大蛇の肉を抉り始める。肉は抉られ、沸騰し、内側から破裂するようにして破壊された。

コンマ1秒にも満たない破壊現象。僅かな回避行動により中心線を外れたものの、その結果は、大蛇の長細い肉体が横から食い破られたような深い傷痕を生むに至った。

大蛇が大気を振るわせるほどの絶叫を上げて苦しみもがく。正直そうやって暴れられると迷惑なのだけれど。


「チュゥゥっ!? 白娘子さん!?」

「なんだ、まだ千切れてなかったか。まあいいや、次いくぜ」


再び《矢》をつがえる。ちなみに、ぶっぱなすのには別に弓の振りをしなくてもいいのだけど、気分的な問題でアーチェリーをしている。

私は悪くない。エルフ的な意味で使い慣れた弓矢をイメージしたほうが命中しやすいというか、魔法というのは気分が重要なのである。これ本当。

まあ、設置に時間がかかるのは難点だが、一度設置すれば連続で使用可能、連発できて威力も高い。何よりも周りにあまり被害をもたらさないのがいい。

タンタルは高価だけれど、鋼でもそれなりに代用は可能だから、準備に時間がかかるという短所に目を瞑れば使い勝手の良い攻撃魔法である。

大蛇が不利を認識したのか逃げはじめる。スルスルと大地を這いはじめ、木々を押し潰しながら私から離れていく。

向かう先は図書館の方向。その速度は体の大きさも合わさって驚くほど速い。だけれど、それでも音速を超えるわけではない。


「ほらよっ!」


緋色の弾丸がわずかにカーブを描いて大蛇を穿つ。交差する電界と磁界の平面の向きを少しずつずらせば、急激な方向転換は出来なくとも、ある程度の照準補正は可能だ。

そうして2発目は弧を描いて大蛇を撃ち下ろす。赤熱の線条の閃きが微かに空に焼き付き、爆音を上げて撃ちぬいた。


「チュゥゥゥゥゥッ!???」

「キャァァァァっ!?」

「ほえ?」


今、あの齧歯類のクソ野郎の憐れな悲鳴に交じって、胸が大きい美少女中学生の悲鳴が聞こえたような…?

唐突に、かつて股間のシンボルを失いし時と共に心の奥底に封印され、少し前に再び活動を開始した《お兄ちゃんレーダー》が警告を発する。いかん、何が起きている!?

地に沈み動きを止めた白い大蛇の身体の上に飛び乗り、その上を駆けて向こう側を望むと、蛇の頭の数メートル先で尻もちをついた春奈を見つけた。


「春奈!?」

「ルシアちゃん!!」

「なんで来てるんだよアホ、バカハル!!」

「ば、バカハルって…、もうっ、私は心配になって!!」

「もう少し周りを見て考えろ!」


危険を顧みずに無茶してやって来た春奈と、そうな風に子供のように声を荒げて言い争う。なんだか懐かしい気もするが、非常時にやられると困る。

私は春奈の傍に歩いていく。文句も言い足りないので、思いっきりへこませてやろうと思って近づくと、春奈はその両目に涙を湛えて今にも泣きそうで、


「も゛う゛、じんばいじだんだがら…」

「あー、うん、まあ、なんつーか、すまん」


抱きしめられる。私は世話が焼けるなと思いつつ、彼女の頭を撫でてやった。つーか、おっぱいでけえな、顔が埋もれるぜ。

ところで、どう考えても私は悪くなくて、コイツが悪いのに、何故か謝らなければならないと思ったこの罪悪感な何なのでしょう?


「チュッチュッチュ、油断大敵でチュ…」

「空気よめ」

「いくでチュ…ゥ!?」


視界の端で倒れていたはずの大蛇が再び牙を剥く。油断大敵、慢心ダメ絶対。次の瞬間、私が先ほど走った大蛇の胴体部分でいくつも連続する爆発が生じた。

大蛇は苦しみもがき、そして同時に痙攣するように奇妙なぎこちない動きで体をくねらす。思った方向に動けず、大蛇はあらぬ方向に首を振り回した


「なんで…チュかっ!?」

「教えねぇよ」


ということで、5個目の仮想砲身を展開。思うように動けない、ただの的と化した大蛇の頭をめがけて弓を引き絞るように狙いを構える。

こんどは特別な矢だ。私は右手の指に挟んだ矢を手放した。黒みがかった矢は即座に加速し、秒速2550mへと到達する。

そして、光条となった暴力的な運動エネルギーが大蛇の顔面を貫いた。


「ふえ?」

「あんま見るな。グロいから」

「お、遅いよ」


表皮や骨格は現存生物のそれを大きく上回っているとはいえ、主力戦車をスクラップにするそれの直撃を受ければダダでは済まない。

顔面に小さい穴を開けて侵徹、そのまま矢に込められた遅延型の魔術式が解放され矢はプラズマと化す。

大蛇の頭蓋骨の内部において解放されたプラズマは、そのまま内部から頭部を爆発四散させ、凄惨な遺骸を残す。

そんなグロい光景を目にして露骨に顔を引きつらせる美少女である春奈。あ、何度も言うけど春奈は美少女。わかるね?


「あう、スプラッタ」

「さてと、生きてるかな齧歯類」

「だ、大丈夫なの?」

「今までの見てたろ。何があっても守ってやるから安心しろ」


地面にへたり込んでいる春奈にカッコイイ私を演出しつつ、私は大蛇だった物体に注意深く警戒しながら近づく。

不死身になっていて、超再生するようになっていてもおかしくないのが爬虫類である。トカゲのしっぽ切りとか言うじゃない。

実際、そういうのを利用して定期的に素材源という名の超凶悪モンスターたちの牙とか血とか胎児を採取して小遣い稼ぎする姉弟子が実在するのを見ているので想像はできる。

流石にゲームとかで黒幕とかラスボスしてるような凶悪モンスターを、ペットの超超巨大触手モンスターに丸呑みさせて、生かさず殺さずで素材源にしてたの見た時はドン引きしたわぁ。


「ん?」

「しくじったでチュ…、まさか、あの構えがブラフだったでチュとは…」


アルジャーノン、生きとったんかワレェ! 白い毛並みの巨大ネズミがよろよろと茂みから姿を現した。

というか、なんで姿を見せたのか。さっさと逃げれば良かったのに。野生に帰ればよかったのに。雉も鳴かずば撃たれまい。


「弓みたいにつがえた方が雰囲気出るからな」

「適当過ぎるでチュよ…。まあ、ここは勝ちを譲ってやるでチュ」

「なんだ、まだ勝ちが拾えるとでも?」

「ッチュッチュッチュ、ゴールデン・ランスヘッド・バイパーの白嬢子さんは十二支の中でも中堅!」

「最弱ではないんだな」

「自分が最弱でチュ」

「謙虚だぜこのネズミ」


つーか、こんなのが四天王どころか12匹もいるのかよ…。これ以上関わりたくない。つーか、十二支だからドラゴンとかいるのだろうか? この世界で?

そんな風に内心嘲笑っていたその時、突如大地が突き上げるように揺らいだ。


「なぁ!?」

「ふっ、リヴァイアさんありがとうでチュ。では、グワイヒアさんお願いするでチュ!」


呆気にとられて油断したその瞬間、巨大な影が唐突に目の前の齧歯類を掴みあげて消え去った。同時に吹きすさぶ強烈な突風。


「ぐっ」


風が収まった後に見上げてみれば、遠く羽ばたく鳶色の翼とそれに捕まる白い齧歯類が点のような大きさになっていた。


「鷲か何かか…。もう音速超えてやがる……」


局所的な地震を起こすような化け物と、音速を超える鳥。なかなかに厄介だが、正直これ以上関わりたくないので視線を外す。


「おーい、生きてるかー?」


向こうから後藤たちが走って追いかけてくるのが見える。春奈がそれに手を振って応えた。

遠くの病院から立ち上っていた黒い煙は、ようやく細くその勢いを弱めはじめ、この場所を陸の孤島としていた野生動物たちの敵意は既に霧散している。

上空には一機のヘリコプター。魔法的な意味で目の良い私は、そこからこちらを注視するカメラレンズに目を合わす。

面倒くさいことになりそうだなと、ぼんやりと考えた。






[27798] Phase007『エルフさんはラーメンも好き July 14, 2012』
Name: 矢柄◆c6a9a2cf ID:035184dc
Date: 2015/02/20 23:13


雨。

この国の夏の始まりを告げるこの時期、梅雨などと呼ばれるこの季節は長雨が多い。曇天が続き、湿度が高く、これを好む人間は多くない。

しとしとと地面を叩く雨音のリズムと、雨の日の特有の匂い。視界は霞み、世界はモノトーンに近くなる。空気も重い。

湿度が高くて、洗濯物が乾かない。あと一週間もすれば明けるだろうけど、誰もが早く過ぎ去る事を望んでいるけれど、それでもこの国にとっては必要不可欠な天の恵み。

個々にとって都合の悪いモノでも、全体にとって必要だというモノはよくあることだ。税金や義務教育。挙げればきっと枚挙が無い。

雨は嫌いではない。狩猟民族であるエルフにあるまじき事だが、個人の好みなので仕方がない。

何故か安心できる。雨音のリズム。匂い。世界が静寂に包まれるような。空が低いことだけが難点だが。

傘をさして建物から出る。街には色とりどりの傘が咲き、雨の日を彩る。向こうの世界では見られない光景だ。


「ちょろいぜ」


ルシアは封筒から頭をのぞかせる札束を指ではじく。札束を手に悪い顔でニヤリとする幼女というのは、物凄く犯罪臭がして絵にならない。

俗世に汚れていくエルフを、雨は決して洗い流してなどくれない。傘をさしているからだ。

出てきた建物は宝石を扱う店舗だ。魔法とはかくも偉大であり、精密な検査機器ですらも天然のそれとの違いを判別できないほどの人工宝石を造りだすことができる。

科学的な手段では天然の宝石としか判別できないのなら、この世界においてそれらは間違いなく天然石として流通するだろう。

炭素やアルミニウムの塊が大金に変貌。バレなきゃ犯罪にはならないのである。法治国家万歳。

私は上機嫌で水溜りを避けながら踊るようなステップで雨の街を闊歩する。かつての「彼」だった頃はそんな少女趣味なことなどしなかったはず。

いや、まあ、アスファルトの上の白線とか歩車道を分けるためのコンクリートブロック以外を踏んだら死ぬ的な設定を勝手に作って歩いたことはあったけれども。

それはともかく、「彼」は実に模範的な子供だった。

幼馴染みや友人にかこまれ、非行に走るわけでもなく、勉強は好きではなかったが、かといって毛嫌いしたわけではなく成績は良い方だった。

特別な才能に恵まれたわけではなく、特別不幸な境遇というわけでもなく、ごく普通の家庭のごく普通の少年だった。

まあ、それは本人の主観であって、実際にはライターからガスを抜き取り、それを連結したアルミ缶製の円筒に詰め、出来損ないのバズーカを作って喜ぶクソガキであったわけだが。

ガス爆発ですごい音が出て、電気式で遠隔操作で起爆してなきゃ大怪我してたな。

なお、そのあと滅茶苦茶大人に怒られて三日だけ反省した。反省内容は今度はもっと上手くやろうということだけだったが。

閑話休題。

生まれ故郷を歩くと色々な事を思い出す。

公園の滑り台、逆走して上に登る遊びをしていたら、途中で足が滑って逆さまに滑って落ちて地面に頭を打った。カヨに思いっきりバカにされた。

テニスコート、の周りを囲うフェンスに登って雄叫びを上げたら大人に怒られた。カヨに思いっきりバカにされた。

近くのゴルフ場に落ちていたゴルフボールを大量に集めてカヨに自慢したら、冷ややかな目で褒めてくれた。その後、家に持って帰ったら親にさっさと捨てて来いと怒鳴られた。

セミの抜け殻を集めて、嫌がる妹に近づけてからかっていたら、カヨに取り上げられて踏みにじられた。

アイツ、あの時、絶望に打ちひしがれるアタシを見て思いっきり悪い笑顔になってたな…。

あれ? ろくなことしてねぇなアタシ。

あそこはあれだ。雀の雛が地面に落ちているのを拾って、どうにかできないかとカヨと妹で頭を悩ませた並木だ。

結局アタシが育てることになって、色々図鑑とかひっくり返して試行錯誤して。あの雀、結局何も礼もせずにどっか飛んで行ったな。つづらとか貰えなかったし。

そんな風に、繁華街から馴染みのある住宅街へ。

本日は単独行動。一匹狼ならぬ一匹エルフさん。いや、念のため言っておくけど、エルフの数え方は1人2人なので。

まあ、現金を得るための生臭い行為に連中を連れ立つ意味もないので、一人旅なのである。後藤もいつも自分の部屋に幼女がいては都合が悪かろう。健全な青少年的な意味で。


「あ、虹」


いつの間にか雨が止み、前方には天に大きな弧を描く鮮やかな弓。左の先端を地上に降ろし、右の先端は中空で掠れ見えなくなっている。不完全な半円。


――駆け出したくなる。


傘を閉じてステッキ替わり、少しだけ速足。小さな水たまりはスキップで飛び越え、大きな水たまりは避けてクルリとステップアンドターン。

ターンすると、ふわりとスカートが遠心力と空気を含んで広がり円錐状に。スーフィーの回転舞踏みたいで上機嫌。両手を広げてそれっぽく。

子供っぽい衝動は体に引き摺られているからか、それともひたすらに自己防衛に勤めた中身が年齢以上に幼かったからか。

そんな理屈っぽい自己分析に苦笑する。信じられるか、こっちと向こうで併せて30年越えてるんだぜ。


――いつまでも成長しないな。


虹の下。まだ暗い雨雲が覆う東の空と、陽光と青空を覗かせる西の空の境界線の天候。虹と言えば…、思い出したのは向こうの生みの母親が枕元でよく話したあの定番の。



「貴女が産まれた年、夜空に大きな虹のベールが覆ったのよ。虹の梯子って呼ばれてて、きっと貴女はその梯子から降りてきたのね」

「夜に虹?」

「そう、バーンていう感じで、ゆらゆらー、って感じだったわ」

「ばーんでゆらゆら・・・・・・」



夜空の虹のベール。オーロラのことだろうか? いや、まあ、ファンタジーな世界だから他の何かである可能性も無きにしも非ず。

いま徐々に消えようとしている空の弓とは異なる天体現象。向こうの世界では、低緯度地域でもオーロラに似た現象が見られることがある。

『虹の梯子』

中天を支配する氷の精霊が引き起こす現象。太陽や銀河中心から飛来する高エネルギー放射線を精霊が減速させる際に起こる制動放射が主な要因になるのだとか。

こちらの世界においてオーロラは天と地を結ぶ架け橋だなんていう伝承が北欧かどこかにあったはず。なら向こうは天国というわけだろうか。

ろくでもない話だ。思わず苦笑してしまう。そういえば北欧では死者は永遠に戦い続けるのだったっけ? 

曖昧な知識で確信は持てないでいたが、もしそうなら天国も地獄もさして変わりないのだろう。神様だって怒れば大量虐殺したりするんだし、最終戦争したりするのだし。

そもそも現世でさえ生存競争なのだから、結局はどれも延長線でしかないのかもしれない。

などという高尚(笑)な取り留めの無い思考は車のクラクション音で中断された。


「おっと」

「なにやってるんだお前」

「おあっ?」


通り過ぎていく騒音の元である高級車。踊りに夢中になって交通の邪魔をしてしまったらしい。

そしてそれを、呆れたような表情で我が友人が見ていた。


「よう」

「ななななななんでこんなトコにいる後藤っ!?」


顔が熱くなり、顔が見れなくなる。急いで目を逸らし、この場を乗り切るための方法を考える。

なんで奴がこんな所に? まさか全部見られていたのか? 私が上機嫌に水たまりの上でステップしてたなんて事をこの変態に見られていたのか?

とにかく誤魔化さなければ。他の話題にすげ替えて、今コイツが見たかもしれない事を記憶の奥底に沈めてしまわなかれば。気絶させるか?


「んで、お前…」

「お、お前、こんな所で何やってんだよ?」

「雑誌を買いに出てただけだが」


先手必勝。相手が問いを発する前に、こちらから問うことで話題に上らせない作戦。

後藤は雑誌とお菓子などが入ったコンビニのビニール袋を軽く掲げた。そういや、この辺りにコンビニがあったか。


「なんの雑誌?」

「やれやれ、なんでそんな事が気になるんだ? んん?」

「う、うっせぇ」


くっ、この男、まさか私の意図に気付いているというのか!? バカな。私を手の平の上で転がそうとしているのか? 後藤の癖に。認めん、認めんぞぉっ。


「お前の事だからエロ本じゃねぇだろうな?」

「はっはっは」

「この変態!」

「止めろ、そんな風になじられたら癖になるだろう」

「なるほど、それは問題だな。でも、カヨって基本的に…」

「アイツはドSだしな…」

「だよなー、ほんと、カヨの悪い癖だよなー」


よしっと私はガッツポーズを心の中で。カヨに対する悪口できっとこの変態も今目の前で起きた光景の事など頭の隅に追いやられたはずだ。

このままカヨの事を話題にし続けて、今コイツが見たことも無かったことにしよう。ふはは、どうだこの完璧な知的戦略。インテレクチュアル・タクティクス!


「というわけで、ドSの彼氏である俺は先ほど撮影したこの動画を投稿サイトにアップする」


そんな都合のいい展開はありませんでした。


「止めてくださいお願いします。カヨとかに見られたら、絶対あいつアタシのこと弄り倒すから。ドSだし」

「残念ながら佳代子には送付済みだ。虹の下でステップ踏んでるエルフとか、どう考えても永久保存です」

「消せよ…、消してください。心のフォルダーごと」

「悪いな。もう拡散済みだ。ところでどうだ、これから昼飯一緒に喰うか?」


遅きに失したか…。しかたない、ここはメシを奢らせてこのクサクサした気分をどうにか癒してしまおう。


「ゴチになりやす!」

「…じゃあな」


後藤は黙って踵を返した。おうふ、ほんの冗談だったのに。マネーならいっぱいあるので、別に奢ってもらう必要はないのである。


「待てっ、アタシが悪かったっ」

「誠意を見せろ」

「お兄ちゃん…、ごめんね……」

「グハッ」


上目づかいで、モジモジしながら、甘ったるい声音で精いっぱいの謝罪を表明する。後藤は喀血したようによろめいた。

やはりロリペドである。こうかはばつぐんだ。


「ゆるしてくれる、おにいちゃん?」

「も、も、もちろんだよルシアたん」


小首を傾げて問うと、後藤は快く機嫌を直してくれたようだ。

鼻の下を伸ばして、両手をわきわきとさせて私に近寄り、怪しげな笑みを浮かべながら「どんなものでも食べていいよ」「おにいちゃん張り切っちゃうぞ」などとのたまいだす。


「お、お、お、おにいちゃんが美味しいもの食べさせてあげるからねぇぇぇっ!!」

「わぁい」


両手を上げて、無邪気な笑顔で喜びを表現。ちょろいぜ。これなら奢らせるのも可能だな。美少女は男にたかる権利と義務があるのである。


「るるるルシアたん、何食べたい?」

「ラーメンがいいと小生は思うでありますっ」




Phase007『エルフさんはラーメンも好き July 14, 2012』




あの図書館での事件から二日が過ぎようとしていた。

今は街も平穏を取り戻してはいるが、昨日などはてんやわんやで大変だったようだ。全世界の大都市圏で同時多発的に大規模な停電が発生し、社会は大混乱に陥ったのだから。

俺たちは件の怪物を目撃した関係で警察やらから聴取を受けたり、疫病に罹っていないか検査する羽目になり、学校もまた軒並み休校となった。

混乱は全世界に広がっている。あの図書館で現れた巨大なヘビと同じように、各国で巨大化した動物たちが暴れまわり、大きな被害を出し、そして忽然と姿を消した。


「こんな店できたんだ。へぇ」

「冬に開店したんだ」

「ふうん、美味いの?」

「まあまあだな」


さて、コンビニに雑誌を買いに行く途中にエンカウントしたエルフさんを連れて、俺は一路、最近開店したラーメン屋へ向かった。

レトロでノスタルジックな雰囲気。口コミで美味いという噂だが、まだ行列が出来るほどじゃない…というなんともご都合主義な店。

店の昭和なたたずまいは、どこぞの有名店で修業をしたのだとかいう店主の趣味なのだろう。のれんをくぐると、目に飛び込むのは赤い合板のテーブル。

壁には「ビール」だの「カルピス」だのの日に焼けた昭和の香りプンプンなポスター。手書きのメニューは達筆なのか字が下手なのか判断がつかない。

多分下手なのだろう。

テーブルについて注文を頼む。目の前の金髪耳長ロリはウキウキである。ほほえましい。癒される。おにいちゃんと呼んでほしい。

席に座ると冷水で満たされた透明なプラスチックのコップを配膳するアルバイト店員の女の子がやってくる。スマイル0円。


「えーと、アタシはネギ醤油…、ネギ多めで」

「俺は焦がしバターとチャーシューめし」

「麺の固さはどういたしましょう?」

「アタシは普通のでいいや」

「俺は固めで頼む」

「かしこまりましたー」


店員の女の子が営業スマイルをふりまき注文を受け取る。そこそこ可愛いが、目の前の金髪ロリほどではない。まさに、俺は今、人生最大のモテ期にいる!

向かい合わせで座る少女がコクコクと水を飲む。ゴクゴクではなく、コクコクという擬音が正しい。これ重要。


『スマトラ島に出現した全長50mのスマトラトラは、52の集落を襲撃した後、忽然と姿をけし…』


店の奥、台に置かれたテレビが映すのは、ジャングルを巨大な何かが通り過ぎてできた巨大な道のようなもの。

テレビ番組は先週あたりから2つの話題で持ちきりだ。一つは世界各地で同時に出現した11匹の超巨大生物。

日本ではあのヘビが、アメリカではバカみたいに大きなバッファローが出現したらしい。それらは一通り暴れまわると、忽然と姿を消した。

あの大蛇もまた、死体はまるで嘘のように消失し、混乱に拍車をかけた。そしてもう一つの話題は、


『テロリスト《十二支》についての続報です。日本時間の14日午前2時にホワイトハウスにおける記者会見にて大統領が公式に認めた、テロリストにより世界各国の原子力潜水艦が奪われた事について…』


冗談のような話。核ミサイルを積載した核保有国の原子力潜水艦がテロリストによって奪われ、そして彼らは世界というより人間に対して最後通牒を突きつけたというのだから。

彼らの要求は『人類が進行中の全ての環境開発計画と動物消費の即時停止』。世界最悪の環境テロリズムだそうで、もう現実味すらわかない。

というか、一般市民の俺の守備範囲を大きく逸脱しすぎて、どうしようも出来ないのだから、考えないことにしている。

ちなみに、明らかに関係者な目の前のヘタレは「そーゆーのはアメリカ人の仕事だろ」などとやる気のない様子。

まあ、そんな世界がひっくり返るような事が起きても、ラーメン屋は開いているしサラリーマンは会社に出勤しているので日本人全体がそう思っているのかもしれないが。


「んで、お前の方はあんなところで何してたんだ?」

「マネーだよ。金。こっちでの活動資金が必要だからさ」


エルフさんがおもむろにものすごく分厚い封筒をテーブルに載せた。開け口からは100万ではきかない札束が顔を覗かせている。

俺は義務感を覚えて少女の肩に手を置いた。


「…自首しよう。な?」

「犯罪じゃねぇよ。正当な商取引の結果だぜ」


犯罪者はまずそう言うものである。


「んで、具体的には?」

「そういや、そんな話聞いたな。つーか、俺も行くんだったか」

「外国人登録証明書を役所からちょろまかして…」

「やっぱり犯罪だろうが…。だいたい、なんだったってそんな大金を…」


公文書偽造は犯罪です。ましてや登録原票レベルの改竄は言うまでもありません。写っている写真には耳の長いエルフさんの写真。どこからどう見ても犯罪行為だった。

そのうちパスポートとか偽造するんじゃないだろうか? 少女は苦笑いして偽造文書と金銭をポーチにしまう。

本当に大丈夫なのか俺は訝しみながらも水を口にする。と、ルシアは唐突に真剣な雰囲気を纏う。俺は身構えるように姿勢を正した。


「やっぱ、アタシさ、この街から離れようと思うんだ」

「唐突だな。なんでだ?」

「分かるだろ?」


先の事件の事だろう。直接的にはコイツが原因とは思えない。だが、コイツが言うには文書災害とやらには偶然はあり得ないそうだ。

つまり、コイツは自分がこの街にいたからこの街で事件が起きたと言いたいのだろう。だが、それは本当だろうか?

少なくともあのネズミはコイツが来る遥か以前から準備を整えていたはずだ。それなら、時系列的に矛盾が生じる。


「いや、妖精文書の干渉は因果を無視して、時間を越えて機能するんだ。例えば、必要な規模の妖精文書が今ここにあるなら、それを使って数百光年離れた恒星の超新星爆発の光を見ることが出来る」


ルシアは語る。本来なら今ここで数百光年離れた星を爆発させても、星の終わりの光が地球に届くのは数百年後になる。

しかし、妖精文書の干渉は時間を越えて因果を越える。星の終わりの光は今すぐに地球に届き、昼間でも見て取れる光源を天空に生み出すことが出来るだろう。


「だから、あの事件はアタシのせいだ」

「前にも話したぞ。俺と佳代子はそれでも…」

「春奈は…春奈からはその言葉は聞いてない」

「お前が話さなかったからだろう。お前が話せば、多分アイツだって…」

「必要ないさ。それに、どうせ一ヶ月ぐらいなんだぜ。遅かれ早かれアタシは元の世界に戻るんだ」


それは知っている。コイツの言いたいことも、その気持ちも理解できる。俺がコイツの立場でもそうするだろう。

でも、それじゃあ、残された側の気持ちはどうなるんだ?


「……」

「……」


お互い黙り込む。気まずい空気で、相変わらずコイツは俺の顔から黄金の瞳を逸らして、辛そうな表情をする。

やめろ、そんな表情をさせたいわけじゃない。残り少ない時間だからこそ、悔いのない時間を過ごしたいんだ。


「と、ところでさ、前々から思ってたんだけど、お前何処でこういう店の情報掴んでんの?」


ルシアは場を仕切りなおすように唐突にそんな事を問いかけてきた。俺は少しだけ間を置いて、息を吸う。

そうだ。残り少ない時間を、喧嘩とか仲違いで終わらせるわけにはいかない。俺は急いでとりつくろって、明るめの声で応える。


「ふっふっふ、交友関係がネコの額並に狭いお前と違って色々とあるんだよ、コネがさ」

「ネコの額…、まあ自慢できるほど顔は広くなかったけどさ。そこそこダチはいたんだけどな…」


すっかりと空気が入れ替わって、あの話を切り出される前の雰囲気に戻る。なんというか、俺もいい加減ヘタレだな。

目の前の少女は何やら考え込むように「んー」と唸っている。おそらくは記憶をたどっているのだろう。

かつて『アイツ』だったころ、本当に俺たちが無邪気でいれた幸せだった頃の記憶だろう。俺もつられて思い出そうとする。

しかし、記憶の中のアイツはカヨとか妹、俺たち4人の中の誰かと常にいたので、他の誰かと特別に仲が良かったという記憶は見当たらない。


「……」

「どうした?」

「ヤベ、全然思い出せねぇ。てか、何でお前ら以外の顔が思いうかばねぇんだろ…」

「惚れたか?」

「ばーろー。アタシはホモじゃねぇ」

「今はどうなんだ?」

「んー、どうなんだろうな?」


疑問を疑問で返すなこのヘタレ幼女め。とはいえ、恋愛対象になり得るかの判断はキスをする想像をしたとき、嫌でなければなり得るという有名な判定法がある。


「佳代子とならできるか?」

「ん、ああ、まあ」


百合ん百合ん。ただし、どう考えても佳代子がタチである場面しか想像できない。これはいったいどういうことか?


「俺とは?」

「吐き気がするな。キモイ」

「面と向かって女子に言われると、流石にへこむわぁ…」


女の子にキモイとか言われると、すごい落ち込むよね。こう、心を抉る感じ。目がさ、語ってるんだよ。ご褒美なのは二次元だけです。


「…それはまあいいとして、本気でダチの顔が思い浮かばねぇってのは自分でもどうかと思うんだ」

「オンナもか?」

「……」

「マジかよ…」


あきれ果てる。佳代子がいたから、他の女子は遠慮していたが、意外にコイツは女子から評判が良かった。

なんというか、昔から佳代子や妹の相手をしていたので、女子との距離感の取り方とか、気遣いができたからだろう。


「遠藤真由美とかは?」

「?」

「ほら、あの、ベンツで送り迎えされてた…」

「あー、真由美か。思い出したぜ。あの雰囲気ちょっと派手な感じの…」


ルシアさんは「あー、あー、あいつかぁ」なんて感じで当事を思い出す。芋づる式。ちなみに、そいつの下の名前を呼び捨てにすると、アレの機嫌が悪くなるのでやめてほしい。

しかし、本当に覚えてなかったのか。あんなに分かり易いぐらいアタックしてきてたのに。

いやあ、あの時の佳代子の機嫌の悪さはヤバかったなぁ。表情は笑ってるのに、目にどう考えても憎悪というか殺意が宿ってた。

当時、学年の女子を二分していた派閥のトップである二人が正面衝突状態になったせいで、当時の学校の雰囲気は最悪で、俺や男子たちの胃壁はずいぶんと削られた。

そのせいで俺は自らの胃壁の厚みを守るため、自分の感情を押し殺しつつ、この二人の関係を後押しすべく動き回るハメになったのはいい思い出である。


「んで、真由美、いまどこにいんの?」

「別の高校になったからな。知らん」


彼女は俺とはあまり交流が無かったので、コイツが飛行機事故でいなくなったあとはパッタリと話さなくなった。

どこぞの全寮制お嬢様学校にいったとかいかなかったとか、そんなぐらいしか知らない。

学校が変われば交流関係も大きく変わる。小学校の頃によく遊んでいた奴らとも、学校が別になったらパタリと縁が途切れた。

それは少し薄情なようで、当たり前の事なのだろう。


「それで思い出した。そういや、髪染めて先生に怒られて坊主にされた奴いたな。アイツ…誰だったっけ?」

「鹿島な」

「そうそう鹿島。似合わない金髪ロンゲに、日焼けサロンで色黒になったバカ。うん思い出した。真由美と駄弁ってる時、アイツ妙にアタシに絡んできてさー」

「だろうな。アイツ、遠藤に惚れてたし」

「そうなの?」

「んで、遠藤はお前に惚れてたし」

「マジ?」

「マジ」


微妙な空気が漂う。そして一息、ルシアはグラスに入った水をあおる。今明かされる過去の人間関係の真相に気まずい思いになっているらしい。

ちなみに、コイツと佳代子が付き合うことになった後、鹿島は嬉々として遠藤真由美にアタックしたが、あっけなく玉砕していた。

翌日には学校全体にそのことが言いふらされていた。女子って怖い。


「んあーっ、もうちょっと気ぃつければよかった」

「今さらだなヘタレ」


唸りながらテーブルにつっぷすルシア。何気ない過去の愚かさを思い出した途端に後悔と恥ずかしさで悶絶するのはコイツの特徴である。


「つーか、お前もモテてたじゃねーか。バレンタインでチョコ結構もらってただろ」

「まあ、今でもだがな」

「なんでお前モテるの? 変態なのに。ロリペドなのに」

「イケメンだからな」

「自分で言うんじゃねぇよ、爆発しろ今すぐに」

「まあ、ひがむな。お前だって今は美少女じゃないか。リアルTSロリエルフのお前には負ける」

「うわー、なんのフォローにもなってねぇ」


とはいえ、美少女である。この時代の日本なら犯罪だが、中世的な時代背景ならこのぐらいの幼女に集る男はいくらでもいるはずだ。

となれば、向こうの世界でコイツはかなりモテたのではないだろうか。男とはゴメンと言っているが、放っておかれるはずもないだろう。


「んで、お前はファンタジーな世界で浮いた話の一つでもあったのか?」

「無ぇな。全くといっていいほど無ぇ」


しかしルシアは断言する。まったくと言っていいほど表情に変化がなかったので、真実ではありそうだ。あるいは、コイツが気づいていないだけか。


「ツマラナイ奴だな。転生したんだろう? TSしたんだろう? 逆ハーの一つでも作るべきじゃないか?」

「何故、アタシが、そんなモノを作らにゃならん」

「テンプレだろ? イケメンの騎士とかイケメンの王子とか。乙女ゲー的な展開はなかったん?」

「あってたまるか」

「ライバルの悪役令嬢は?」

「金髪縦ロールの?」

「そうそう。ドリル的な髪形の高慢ちきな貴族令嬢」

「最後には没落すると」

「俺はチョロインだったなんていう展開がいいな。いろいろあって孤立した所を主人公がバクリとな」

「百合ものなのか?」

「公式は友情でも可。薄い本でのさらなるハッテンを望む」

「恐るべしマンハッテン計画」

「ホモっぽい計画だなそのネーミングは」

「とにかく、そういう学園ファンタジー系のラブコメを期待してもらっても困る」


曰く、魔法学園とかそういう分かり易い舞台は行かなかったらしい。行かなかっただけで、無いというわけではないらしいのだが。

例えば、王侯貴族の子弟が通うことになる学院。例えば、教会関係の神官や神官戦士を養成するための神学校。

特権階級御用達だが、そういう機関は存在するとのこと。富裕層にある平民などは私塾や家庭教師を用いて教育がなされ、数は少ないが大学に属することもあるらしい。

大学に関しては現代のような立派なキャンパスをもつような機関ではなく、都市の建物を間借りして授業が行われたため、やはり学園ファンタジー物からは程遠いらしい。


「ちっ、使えない奴」

「なんか酷い言われようだな」


舌打ちする。まったく、せっかくファンタジーで美少女のくせにこれだからヘタレは困るのだ。これでは同性愛的なキャッキャウフフも期待は出来まい。


「やっぱヘタレなお前じゃ無理か。しかも萌キャラだし」

「ヘタレ…萌キャラ…」

「水溜りの周りでクルクル回りながらステップを踏むエルフはどう考えても萌キャラだ。保障しよう」

「ぐぬぬ」


悔しがるエルフさん。コイツは普段から迂闊で油断が過ぎるのである。しかし、美少女になると一挙手一投足全部萌えるなコイツ。


「萌えるから唸るな。ところで、ハーレム繋がりで聞くんだけど、向こうでお前の周りに女子とかいるのか」

「まあ、女所帯だしな」

「可愛い子とかいるか?」


自分は男の子なのでそういう話題が好きなのです。ルシアは向こうでの知り合いの面子を思い浮かべたのか、柔らかく苦笑いした。

ちょっとだけドキりとする。おいやめろ、コイツは元男、元男。精神的同性愛とかマジで勘弁だから。セクハラはしたいが、恋愛対象にしたくはない。


「けっこう多いぞ。師匠が面食いだからさ」

「師匠? 男? 女?」

「女。しかも美人」

「マジかよ。すげぇ…」


師匠…というのならば、コイツの魔法の師匠のことだろう。しかも女で美人となれば、想像するのは妖艶な魔女だ。

俺も躾けてもらいたい。


「ちなみに、系統的には咲姉に近い」

「すげぇ、一気に興味なくなったわ」


奴の名前が出てきて頭の中にあの駄姉の顔が思い浮かび、一気にテンションが下がっていく。なんだよ、暴力干物じゃねえか。

とはいえ、話の流れ的には他にも可愛い女子がいる雰囲気。まだだ、まだ焦るような時間じゃない。


「んで、お前の周りの女の子だけど」

「えーと、セティだろ、アネットにステラ、ウィスタ、エミューズとエリンシアは入るのか?」

「説明しろ。みんな可愛いのか? エルフはいるのか?」


ずずいと身を乗り出す。すごいじゃないか、6人も可愛い女の子候補がいるとか。囲まれたい。囲まれてご奉仕されたい。


「アネットはアタシの妹分みたいなもので、お前の期待するエルフだ。巻き毛で目がクリクリしてて可愛いな。うん、可愛い」

「ほう」


同郷の幼馴染で妹分とのことらしい。今では自分よりも背が高くなって、ふわふわした美少女になっているのだとか。可愛い系のエルフか。夢が広がるな。


「ステラはドワーフで、アタシの姉弟子にあたるヒトだ。色黒で、お前の大好きなロリだぜ」

「ドワーフ…。ドワ子キターッ!! 髭はないよな?」

「ねぇよ。あと、メガネかけてるぞ」

「ドワ子っ、メガネ、ロリ、色黒っ! 要素多すぎワロスっ!」

「お前、声大きい」


おっと、紳士である俺としたことが興奮して思わず声を荒げてしまった。ルシアは周りの視線を感じて少しいたたまれない様子で、耳が少しだけしょぼんと垂れた。自重せねば。


「ふう、俺としたことが、スマン。で、猫耳は?」

「まったく懲りてねぇなお前。猫耳さんはそうだな、姉弟子とかにはいないけど、近くに魔女の教会って孤児院やってるとこがあって、そこにいるな」

「猫耳メイドなのか?」

「なんでそうゆー発想しかできねぇんだよ…。今は街の酒場でウェイトレスやってる。将来は自分の店持つんだってさ」


猫耳ウェイトレスさんか…。それも良い。語尾がニャンならなおさら良い。呆れたような目で俺を見るエルフさんには分からないだろうがな。

しかし、女所帯か。全員魔法使いなのだろうが、男がいないというのは不安ではないだろうか?

文明レベルが高くないのなら、治安だって良くないだろうし、女性の人権もそれほど良くないのではないだろうか?


「男はいないのか?」

「魔女の教会…っていうか孤児院にはいるぞ。あと、居候?な感じで、爺さんが一人」

「本当に女ばかりだな。つーか、お前の師匠って孤児院経営してるのか?」

「まあ、うん。ほとんど人任せなんだけどな。ものぐさだし」

「どんなヒトなんだ?」


その師匠とコイツが呼ぶ人物の事を話すとき、コイツの表情がなんというか和らいでいる感じがして、随分な懐きようだと、なんとなくその人物の事が気になる。


「んー、ワガママ、適当、ものぐさ」

「まさに姉貴そのものだな」

「咲姉をもっと砕けた風にした感じかな…。もっと、飄々としてる感じ」

「ふうん。美人なんだよな?」

「まな。灰色っていうか、鉛色に近い感じの髪の色で、巨乳な」


アンニィイな感じの美女だろうか? 残念な美女か。見ている分にはいいんだが、実際に被害を受けるとものすごいムカツクタイプだよな。うん。


「おお。それで、師匠とかお前が呼んでるんだから、さぞ強いんだろ?」

「べらぼうになー。宇宙戦艦とか落とせるぜ、あの人」

「おお、インフレインフレ。じゃあ、お前も結構強かったり?」


その質問にルシアは「ん~」と考え込み、どこを見ているのか遠い目をして、まるで決意表明をするような目をして答える。


「強くなったとは思う。うん、アタシは強くなったんだ」

「ルシア?」


突然表情が変わったルシアに、俺はどうしようもなく危うげなものを見出し不安になって、思わずオウム返しのように彼女の今の名前を声に出した。

まるで、コイツが本当に遠い存在になってしまったような気がして。


「何でもねぇよ」


少女はそう呟いただけで黙りこくってしまう。

何も語ろうとしないし、何も俺に背負わせようともしない。それはある意味においてかつてのコイツとよく似ていたけれど、その悲壮さだけは別物のように思える。

俺は無性に苛立ちを覚えた。

その苛立ちの正体が全部自分で背負いこもうとするコイツへのものか、それともコイツをこんな風に思わせた何かへのものか、あるいは多分、何もできないだろう自分へのものなのかは分からない。

けれども、声を荒げずにはいられなかった。


「何でもねぇって表情じゃないだろ! このヘタレ」

「ヘ、ヘタレ言うなっ!」

「なら、話せ」

「お前はアタシのお母さんかっ」

「え、どっちかというとパパの方がいい。なあ、俺のことパパって呼んで」

「…アホらしくなってきた」


呆れた表情に変わる少女。どうしても茶化す方向に向かってしまう自分に、俺はバカかと自己嫌悪しつつ、もう一度問おうと顔を上げる。

多分、何もできないだろう。コイツの言葉が正しいなら、俺は向こうの世界に行くことはできないし、だとしたら向こうの世界に関わることすらできないのだかから。

それでもきっと、聞かなければならないのだ。きっとそれは自己満足で、偽善で、単にコイツの親友である自分の義務感を晴らすためであっても。


「ネギ醤油ネギ多め、焦がしバター、チャーシューめしお待たせしましたぁ。ご注文は以上でよろしかったですか?」


その声が俺の言葉を遮った。

タイミングは最悪で、店員の女の子は陽気な笑顔でラーメンの入った鉢を配膳していく。

エルフ耳の少女は「お、美味そう」だなんて言いながら箸を手にして、完全にラーメンに意識がいってしまっている。

俺はもう一度話を戻そうと思ったが、無邪気な笑顔で目の前のラーメンに向かう少女の顔を見て思わず躊躇してしまい、そのまま言葉を飲み込んでしまった。


「まったく、ヘタレなんてからかえないな…」

「ネギが…ネギがぁっ!?」


ルシアは目の前のラーメンにうず高く盛られる白髪ネギを見て、そんなバカみたいな言葉を発して喜んでいて、それを壊せない俺は思わず苦笑してしまった。


「いや、警告というか、言おうかどうか迷ってたんだけどさ、お前チャレンジャーな」

「そういうの先に言え。うわ…ネギしか見えねぇじゃねぇか。麺の量より多いんじゃね?」

「つうか、メニューに写真があっただろう」

「いや、イメージ画像かと思って」


ルシアはネギがこぼれない様に慎重にレンゲをスープに沈めていく。俺はやれやれと首を振って、自分のラーメンに向かうことにした。


「んっ…」

「どした?」


唐突に、レンゲでスープを口に運んだエルフが一瞬だけ停止し、何やら気になるような声を上げた。俺は何事かと声をかける。

すると、


「ん~~~っ! うーまーいーぞーっ!!」

「大げさな、お前」


アホがいた。心配して大損だ。さっきまで微妙な雰囲気になっていて、コイツに対してセンシティヴになっていたけど、本当にどうでも良くなってきた。

まったく、本当に、バカな奴だな。


「何コレ、めちゃくちゃ美味いじゃん。うはっ、麺もうまいなっ。ちぢれ麺うまーっ」


ご満悦なエルフさん。ラーメン啜るエルフはウナギを食うエルフよりも希少かもしれんとふと思う。

やはり音を立てて啜るのに抵抗があるのか、ゆっくりと音を控えめにラーメンを食するエルフさんだが―


「おっ、煮卵。 にったまごっ♪ にったまごっ♪」


何が楽しいのか、煮卵を発見すると何故か陽気に歌いだした。変なリズムで体を揺らして踊りながら煮卵を割り、黄身とスープをレンゲで溶かしてスープを一口。


「ん~~っ♪ ん~~♪」


握った拳を上下にシェイクして身悶えるエルフ。あまりの可愛らしさに庇護欲とかもろもろのロリ魂を刺激され、華から父性汁が出てきそうだ。


「すばらしいな」

「だよな。この黄身のコクとスープが混ざったトコが最高なんだよ」

「見事なコラボ」

「判ってるじゃねぇか後藤。やっぱ『にったまご』はラーメンには欠かせないよな」

「不可欠…か。やはり深いな」

「だよなー。家で作るときは煮卵って手間かかるし入れないけどさ」

「他では味わえん」

「そうなのか? そう聞くとなんだかさらに美味しく見えるぜ」


途方も無く噛み合わない会話が続く。良いのである。いまここに、萌神が降りてきているのだ。何を躊躇する必要があるだろうか?


「萌える」

「ああ、燃えるなっ」

「ダメになりそうだな」

「ああ、ダメになりそうなぐらい美味いなっ♪」


どこまでもどこまでもダメな感じの二人だった。




[27798] Phase008『エルフさんは胃が小さい July 14, 2012』
Name: 矢柄◆c6a9a2cf ID:035184dc
Date: 2015/02/20 23:15



「はふはふ、ずずっ」


およそ18年ぶりのラーメンに夢中のエルフさん。その横で、美少女が一生懸命モノ食べてる構図っていいよねっとかそんなことを考える俺こと後藤隆。


「向こうではラーメン作らなかったのか?」

「豆から作った味噌みたいな調味料があったから、それで作ってみたけど、やっぱ本格的なのはなー」

「へぇ、お前って料理するのか?」


少しだけ意外。俺の記憶では、転生前の目の前の友人は料理をしていたという覚えはない。まあ、調理実習では作ってはいたが、平均的な家事を手伝わない男子レベルだったはず。


「向こうで覚えた。ほら、アタシって魔女の弟子してるだろ。だから、料理当番が回ってくるんだよ」

「へぇ、他にどんなもん作ってるんだ? 米はないんだろ?」

「米はないけど、こっちでいう小麦に対応するやつはあるんだ。そのまんまってわけじゃないけど。だから、パスタとかピザとか、パイなんかかな。キッシュなんかも作るけど。あと、米的な位置にある穀物もあるんだけど、それでチマキとか餅をか作ったりだな」


世界が異なると食材も異なる。こちらの世界でも大航海時代以前は新大陸と旧大陸に大きく分かれた食文化があったことを考えれば当然ともいえる。

しかし、異世界の料理というのも興味深いものがある。西洋の料理と東洋の料理、あるいは南アジアの料理が大きく違うように、向こうの料理も大きく違うのかもしれない。


「考えてみると面白いんだよな。向こうとこっちじゃ食一つとっても大違いだぜ」

「他に違いとかあるのか?」

「どういうわけか、文化的には似てるんだよな。宗教だってあるし…、服も似てるし、法律だってある。まあ、人間自体の形態とか精神性がほとんど同じだからしかたないけど。魔法が一般に認知されてるって違いはあるけどな」


リアルで剣と魔法の世界。とはいえ、魔法の存在は認知されていても、魔法を使える人間はそんなに多くはないのだという。

曰く、遺伝的な適正と、高度な教育を必要とするからで、ルシアは魔法の適正がもともと高いエルフなので、最初のほうはクリアしているとのこと。


「他には…精霊がいるってことぐらいかな」

「精霊ねぇ。ファンタジーじゃ魔力とか精霊とかデフォルトで出てくるけどさ、実際のところどうなんよ?」


椅子に深く座りなおし、水をあおって問う。口の中を覆っていた脂っこさを異に流し込んですっきり。


「どうって?」

「例えば魔力とかな。RPGとかじゃ使い果たしたら魔法が使えなくなったりとかあるけど、実際に使うとかなったらそんな単純なものじゃないだろ?」

「まあな。MPとかそういう単純な量で計るもんじゃねーし。どっちかっていうとさ、エンジンみたいに何ccとか排気量みたいな出力で表したりー。持久力とかも問題になってくるけど」

「何か数値とかで表してんのか?」

「一応な。潜在的な魔力…、出力の個人差は整数倍で表せるからな」

「ふーん?」


分かったような分からないような。整数倍というのは、つまり連続性がない事と同義だ。1.5とか1.7という数値はないという意味になる。

だけど、現実の機械などのエンジンではそういった事はない。出力は小数点以下で常に変動するはずだから、整数倍ということはありえない。


「エネルギーだって量子の世界じゃ整数倍で示されるだろ? まあ個人の魔力の大きさは細胞内のマナ小胞…、細胞内精霊の数で決まるんだけどさ」

「細胞内…? 細胞の中に精霊住んでんのか?」

「ミトコンドリアとかと一緒な」


ルシアさん曰く、精霊さんは元をただせば原始生命から分化した…、人間とかと起源を同じくする生物だとのこと。

ごく初期の精霊、古精霊は原始的な生命としての性質を強く持つので…当時の他の生物と同様に酸素に弱い。

そのせいで酸素を発生させるシアノバクテリアの登場を以って一時的に存亡の危機に陥ったとか。

ルシアはチャーシューを一口かじって、言葉を続ける。


「で、まあそれから古精霊は3つの道を歩むことになる。一つは古細菌みたいに熱水噴出孔とか嫌気条件の過酷な環境で細々と生き残ること。一つは原子で構成する自らの身体を捨てて、霊体だけで身体を構成する純粋な精霊に進化すること。そんでもう一つが―」

「細胞の中に共生すること…ね」

「そゆこと」


細胞内に共生することで、酸素からの直接的な脅威から免れることが出来る。しかし、そのうちに細胞の一部として退化の道を辿っていき、細胞の一つの器官となった。


「んで、魔術師は自分の細胞の中にあるマナ小胞を制御して魔法を使うんだ」


レンゲでラーメン鉢を叩きながら講釈を足れるルシアさんの声を聞き流し、後藤はラーメンを啜る。焦がしバターが香ばしくてよい感じ。


「それと、魔法には大きく分けて二種類ある。一つは自分の力だけでいろいろな現象を起こす魔法。もう一つが、他の存在の力を借りていろいろな現象を起こす魔法。前者には古代語魔術、後者には精霊魔術とか神霊魔術がある」

「前にも言ってたな」

「古代後魔術は全部自分の力でやるから、燃費が悪いし、細かな調整も自分でやらなきゃなんねぇ。だけど、出力とかアレンジとかは自由に出来る。精霊魔術の方は、細かい調整とかは精霊が勝手にやってくれるからコストの割りに複雑な現象とか起こせたりするんだけど、出力も力を借りる精霊の質次第で、起こせる現象もある程度きまった型に収まってる感じだな。自分でやるか外部委託するかの違いみたいな」

「ふうん」

「んで古代語魔術と違って、精霊魔術ってのは術者じゃなくて、精霊に現象を起こしてもらうわけだから実質的に力を運用する主体は術者じゃなくて精霊になる」

「術者は何するんだ?」

「術者は精霊の力を借りる変わりに、精霊の住処を提供すんの。より良い住処を提供できるかどうかが精霊魔術の適正に直結すんだぜ」


人間のような高等生物は生存しているだけで精霊にとって住みやすい場を形成する。場は一種の霊地となり、精霊にとって都合の悪い外部要因を排除し、栄養となる豊富な霊子を提供する。

このため人間を含めた高等生物の周囲には精霊の群落(コロニー)が、体細胞内のマナ小胞と一定の相互作用を持ちながら、その個体独自の精霊相(フローラ)を形成する。


「だから、精霊術で命令できるのはソイツのフローラに居る精霊だけなワケ。当然、おっきくて複雑なフローラを持ってる方が精霊魔術は強くなるんだぜ」

「ふーん」


レンゲでご飯モノを掬い、口に運ぶ。長々とした説明に飽き始め、俺はご飯ものの攻略に取り掛かった。


「精霊相(フローラ)を形成する精霊の組成とかは、個人の得意な魔術属性に関わったりするんだけど……何食ってんの?」

「チャーシューめし」


細切れのチャーシューをご飯の上に乗せ、特製の出汁を注いだお茶づけ風の一品。薬味を混ぜ、レンゲで掬う。美味い。

ルシアさんの目に留まる。


「…で、でだ、術は精霊が使うわけだから、簡単な魔術なら術者はほとんどコスト無しで使えるんだけど、あんまり酷使するとフローラから精霊が脱落していく恐れもでてくんの。環境悪い場所から逃げてく感じ。なあ、それ美味い?」

「ワサビが効いてなかなかだな。チャーシューの香ばしさと旨さが、和風出汁のお茶漬けと良く合ってる」


チャーシューめしを口の中にかきこむ。ほお張る。かみ締める。美味い。エルフ耳の少女のノドからゴクリという唾を飲む音が聞こえる。ふむ。


「…そ、それはいいとして、精霊の消耗が大きくなったり、脱落が増えたりすると精霊術の成功率とか出力が目に見えて落ちてくんだ。フローラが一旦崩壊したら、修復には手間と時間がかかるし…、あと肌荒れとか自分自身も体の調子が悪くなってくんだぜ」

「ふぇんひとか?」

「口の中にモノ入れながらしゃべんな。…んで、そうならないようにフローラを維持するのに結構魔力が食われるんだ。結局、フローラの元になる『場』自体が魔術的なモノだから…。なあ、それ美味い?」

「美味いぞ。脂っこいラーメンとの相性も悪くない」

「じ~~」


レンゲの動きを止める。エルフさんの瞳が睨むように俺のレンゲを射抜いているからだ。しかし、視線を茶碗から正面のルシアに移すと、ルシアはとっさにそっぽを向いて興味ないフリをした。


「授業の続きはどした?」

「…あー、えっと、何だったっけ?」

「フローラとかビアンカとか」

「ああ、そうそう、どっちと結婚するかだったよなっ。…アレ?」

「…やっぱ断然ビアンカだろう」

「幼馴染は強しって感じか」

「デボラは?」

「誰それ? てか本当にこんな話だったか?」


超関係ない話に移行。それでもチラチラとルシアさんの目線がチャーシューめしに。ふむ。欲しいと言えばくれてやるのに。

いろいろ考えて、ヘタレて、言い出せないのだろう。


「…欲しいのか?」


エルフさんの長い耳がピコンと上に上がる。何それ可愛い。


「べ、別にそんなんじゃねぇよ…。ちょっと気になっただけだぜ」

「ふうん」


ツンデレいただきましたありがとうございます。説得力は限りなくゼロなエルフさんの言い訳。

というわけで、俺は見せつけるように匙で掬ったチャーシューめしを口にほおばって見せる。


「じ~~」


再び感じる視線。うっわー、ガン見してるよ絶対。つーか、物凄い食べにくい。なんか子供虐めてるみたいだし。

というわけで、視線を少女に向けてみる。


「♪~~ ♪~~」


再び視線を明後日の方向にくいっと向け、鳴らない口笛で誤魔化しきれると思っているエルフさん。実に滑稽である。


「欲しいのか?」

「違うって言ってるだろーが」

「欲しいって言えばやるぞ」

「アタシはそんなにさもしくねぇんだよ」

「つーか、お前も注文すればよかったんじゃん?」

「食いきれねぇんだよ…」


しょぼんとエルフさんの耳が下がる。何これ萌える。胸がキュンときた。ときめいた。なんか、意地でも餌付けしたくなってきた。


「まあ一口ぐらいならやるぞ…」

「だからいらねぇって」

「俺も食いきれないかなって思ってたところなんだよ」

「…そうなのか?」


エルフさんの耳が中ぐらいまで上がる。もう一押しなのかもしれない。全く何をしているんだかとも思うが、萌えるのだからしょうがない。

男だった頃のコイツが目の前にいるならもっと見せつけるように食ってやったんだがと苦笑する。


「ああー、このままじゃ残しちまうかもなー、どうしようかなー、もったいないなー(棒読み)」

「そ、そいつはもったいないよな…。うん、もったいない。しかたねぇから貰ってやるよっ」


エルフさんの耳が幾分か持ち上がる。何これ超可愛い。内心激しく萌える。心の秘蔵画像フォルダーに記録したい。


「ほらよ」


レンゲで掬った一匙をエルフさんに差し出してみる。


「あ~ん、はくっ」


エルフさんが身を乗り出してレンゲにかぶりつく。一瞬くらっと来た。俺はもう本当にダメになりそうだった。もうロリコンでいいや。


「もう一口いくか?」

「っ?」


エルフさんの耳がこれでもかという感じでピコンと上がる。


「最高ですか?」

「最高だぜ…って、どした? 鼻血か?」

「いや、生命の躍動だ」

「大丈夫か? むしろ生命の危機って感じだぜ?」


首を傾げるエルフさん。でも目線はレンゲに固定。


「ほれ、あ~ん」

「あ~~ん。はくっ」


レンゲに喰らいつくルシアたん。かわゆい。

横を通ったアルバイトの女の子が犯罪者を見るような、ゴミを見るような視線で俺を見つめる。でもいい。もう逮捕されてもいい。


「はぁ…はぁ…る、るるるルシアたん、ももももう一口どうだい?」

「おうっ♪」





そして10分後。


「…くそっ、お前のせいでラーメン残しちまうだろうがっ!」

「何その理不尽な怒り?」


ルシアさんはご立腹だった。俺の仕掛けた卑劣な罠により、もうお腹いっぱいでラーメンが食べられないからだ。そういう設定らしい。

…怒っている理由があんまりにもアレなので、俺は生暖かい視線でルシアさんを見つめる。なんつーか、アホ可愛い。


「お前が調子乗ってアーンってやるから…やるから……」


と、何故か少しづつ声が小さくなっていくルシアさん。


「どーした?」

「あ、アタシは…アタシってヤツはぁっ!? よりにもよってお前なんかにアーンされてただとっ!!?」


両手で頭を抱えて首をぶんぶん振るエルフさん。今頃気づいたらしい。というか、俺も親友相手に何をやっていたのか。まあ、満足したけど。


「なんだその今更感いなめない苦悩は」

「不覚、ルシア様一生の不覚」

「お前はいつだって前後不覚だとおもうが?」

「くそっ、大体なんでお前そんなにアーンがナチュラルなんだっ!? 思わず食いついちまっただろうがっ!!」


今度は逆に後藤を顔を赤くして非難し始めるルシアさん。大変恥ずかしがっているらしい。というか、アーンがナチュラルってどういう意味なのか。


「それ、どんな責任転嫁?」

「責任転嫁じゃねぇっ! お前の『あーん』はあれだっ、なんと言うか一切の警戒心を呼び起こさないほどのナチュラルな、つまり『ステルスあ~ん』」

「何言ってるのか全くよく分からん」


というか、『ステルスあ~ん』ってなんなのだろう。レーダー反射断面積が低いという意味なのか。わけがわからないよ。


「くそっ、このルシア様を謀るとは、やるな後藤。お前には今日から『あーんマスター』の称号をくれてやるぜ」


何故か誇らしげに妙な称号を俺につけるルシアさん。そんな称号をもらったところで全く嬉しくはない。


「なんだその称号は?」

「ぐっ、しかしこんなトコ、セティには見せられねぇ…」

「セティ?」

「いや、なんでもねぇ(つーか、コイツにセティのことがバレたらなんてからかわれるか…)」


今度は苦々しい表情に変わり、ルシアさんは呼吸を整え心を静めはじめる。まったく、コロコロと表情が忙しない奴である。笑みがこぼれる。そして、胸の疼きが酷くなる。


「……」

「どした?」

「いや、お前はお前だなって思ってな」


本当に、一緒にいると楽しい。馬鹿みたいで、馬鹿らしくて、そういうのが何よりも良い。だから、無性に悔しくなった。


「やっぱりさ、俺、お前にいなくなって欲しくない」

「な、お、おい…」


顔を真っ赤にして、耳を真っ赤にして、照れて恥ずかしくなって俺から目を逸らすその仕草は懐かしい。

まあ、今の俺のセリフがどこか告白じみたものだったので、そういう反応になったのだろうけれど。

いや、自分でやってて、俺何言ってんだろうって思うけれど。


「ま、まあ、アタシは超美少女だしなっ。お前がそう思うのは無理もねぇけど」

「ふざけて言ってるわけじゃないぞ。お前がどんな風になってたって、お前がお前なら、俺はそう思う」

「…な、なんだよ。つーか、さっさとメシ食えよ。ラーメン伸びるぞ」

「いいんだよ、また食いに来ればいい。なんなら、今度は佳代子とかも一緒に来ればいいだろ」


ラーメン屋には悪いけれども、今はそれよりももっと大切な事がある。ラーメンはまた食いに来ればいい。でも、コイツとはもう二度と会えなくなるかもしれない。


「お前にも事情があるんだし、無理言っているのも分かる。けど、俺たちにも俺たちの想いとか…、まあ、そういうのがあるんだよ。佳代子もそうだ。だから、難しいだろうけど、これっきりにはしたくない」

「……」


ルシアは俯いて黙り込む。迷惑だっただろうか? 18年の年月だ。俺たちの3年とは文字通り桁が違う。

絶望的な距離と時間は、俺たちの関係をも無かったことにしたのだろうか?

もしそうなら仕方がないのかもしれない。これは俺の我儘でしかないのだし、気持ちの無い相手に強要するようなものではない、してはならない。


「いや、別に向こうに帰るななんて言ってるわけじゃ…」

「……だって…」

「ん?」

「…アタシだって、アタシだって離れたくないに決まってるだろうが!」

「あ…、すまない」


それは、悲痛過ぎた叫びだった。誰にも叩きつけられない憤りと、自由にならない苦しみがない交ぜになった慟哭。俺は思わず、先ほど思っていた思考を恥じた。


「謝んな! お前らは悪くないだろう…。危ない目に遭わせたのも、変な期待とか持たせちまったのも、全部アタシが帰りたいなんて馬鹿な事考えなきゃ起こらなかったんだからな」

「変な期待…? ざけんなっ、怒るぞ俺も!」


確かに危険な目に遭ったけれども、それはコイツのせいじゃないだろう。それに、俺たちの想いを《変な期待》だなんて表現はしてほしくない。あまりにも悲しいじゃないか。

そもそも、ただ帰りたいというそれだけの願いはそんなに罪深いものなのか? 誰にも阻まれているわけでもなく、ただ何か良くない事を引き起こすかもしれないからといって。

そんな言い方に俺は怒りを覚え、声を荒げて席を立ちあがった。そしてすぐに周囲の目が集中した事に気付いて、周囲に軽く頭を下げて座りなおす。

少し間を置いて、ルシアはしおらしく耳を垂れ下げて、目を逸らしながらも俺に謝罪を口にした。


「……ごめん」

「…悪い。こっちも興奮しすぎた」


別に喧嘩をしているわけではない。別にコイツを責めているわけではない。ただ、何か得体のしれない大きなモノの前で何もできないという事実にイラついただけだ。


「私はただ帰りたかったんだ。もう一度だけ、一目だけでもいいから、生まれ故郷を見たかったんだ」

「そうか」

「ホントはさ、アタシ、こういう事になるってのは予想してたんだ。予備実験じゃ一度も地球に辿り着けなかったのに、本番でドンピシャこの街とかさ」


以前にも言っていた話。ここに来る前に行った、幾度もの世界を越える実験。そこでは一度たりとも地球を光学的に捉えられる距離に到達することは出来なかったという。

本番前に行われた予備実験では地球から465億光年よりも遥か彼方の虚空にしか転移できなかったのに、本番ではこの街に一発で転移できた。これが偶然であるはずがない。

それをコイツは《呪い》だと言い切った。持ちこんだ宇宙空間で2ヵ月間漂うための装備が全部無駄になったと笑いながら。


「いつものパターンだから、今回もダメなのかなって思ってた。案の定、お前らいきなり文書災害に巻き込まれてたしさ」


あの場所にいた10人以上の人間が消滅し、街中に巨大な穴が発生した事件。公には道路陥没と行方不明とで処理されたが、俺たちは見ていた。

あの場に現れた一人の男が、その手で触れたモノを消し去っていく光景を。唐突に大地がお椀状のクレーターに抉られて、そこに落下した俺は気を失った。


「でも、またお前らに会えて嬉しかったんだ。本当はすぐに姿くらまそうって思ってたけど、ズルズルとさ」

「仕方ないだろう。俺がお前と同じ立場なら…って、おいっ!?」


まるでそれが懺悔のようで、聞いていられなかった俺は下手な慰めを言おうとして、絶句した。

何を思ったのか、ルシアは何の脈絡もなく割り箸をその先端を喉に向ける形で両手で持つと、全力で自分の喉を突こうとしたのだ。

俺は焦って止めさせようと思ったが、次の瞬間、目の前の事に理解が及ばなかった。

先ほどまで確かにそのままあったルシアの手の割り箸が、握った手の中で綺麗に折れて落下し、ルシアの喉には傷一つつかず、拳だけがぶつかった形となった。


「ナイフでもこんなんだ。自殺は必ず失敗するらしくてさ。焼身しようとしたって、勝手に火種が消えるんだぜ。すげぇだろ。主人公補正なんて目じゃねぇぜ」

「お前…」

「死にもしなけりゃ歩けば不幸を撒き散らすって、疫病神そのものじゃねぇか。マジでバカみたいな話だろ?」

「やめろよ。そんなこと言うのはやめてくれ」


ろくでもない話だ。気分が悪い。そんなワケの分からない呪いだなんて、そんなの人間の手でどうにかなるとは思えない。

どれだけ大丈夫だと勇気づけたくても、口だけでなにもできやしない。呪いから解き放つ方法も、危険から自分の身を守る自信もない。


「いつ…だ?」

「今すぐにでも」

「明日の約束はどうするんだ?」

「それは…」


明日の日曜日、コイツは佳代子と一緒に買い物に、携帯電話を買う約束をしていたはずだ。

佳代子は楽しみにしているようだったし、俺はまあ空気を読んでついてはいかないけれども、それでも、それぐらいは…

すると。見つめる先の少女が頬を赤らめて困ったような顔でそっぽそむいた。


「…しゃあねぇな。そのぐらいなら」

「そうか」

「お前は来ねぇの?」

「止めとく」

「そっか」


こんな事ぐらいかできない。それでも、突然いなくなられるよりはマシだろう。


「なぁ、今の、もうすぐ向こうの戻るって話だが。佳代子には…」

「アタシから話すよ。日曜の最期にさ。それぐらいはしねぇと」

「そうか。朝帰りしていいんだぞ。海の日で連休だからな」

「しねぇよ!」


そうして顔を見合わせてケラケラと笑う。何の解決もしていないけれど、それでもしみったれた空気が少しばかり晴れたような気がした。

そして少しばかり冷めたラーメンを改めて啜る。ツルツルと麺を啜っていると、それを隣の幼女が「む~」という感じのしかめっ面で見つめてくる。


「なんだ?」

「いんや。なんて言うかさ、男ってたくさん食えるよなーって思ってさ」

「そうか?」

「アタシ、タダでさえ身体ちっこいからさ、胃が小さいのなんの」

「まあ、これだけラーメン残してたらな」


半分以上残している。もったいない。昔のコイツなら俺と同じぐらいは食っていたはずだ。どちらがたくさん食べれるかなんて張り合ったこともある。


「男だったときが懐かしー」

「そんなものか?」


だらーんとやる気なさげに椅子の背もたれに体を預けるルシアに問う。

男から女になるというのはピンとこないけれど、佳代子あたりを見ていたら女というのが面倒くさいというのはなんとなく分かる。


「ん~、まあ、他にもいろいろなー。別に嫌ってわけじゃねぇけどさ。女だからこそってモンもあるし。でもまあそういうのも含めて、オンナってやっぱ面倒臭いぜ?」

「らしいな」

「体力ないしー、背とかちっさいしー、侮られるしー。あと男のときなんて身だしなみとかほとんど気にしてなかったけどさー、女になると朝とか起き抜けで出てくとか出来ねぇじゃん?」


干物である姉貴ですら、出かける前には結構な時間をかけている。女というのは色々とデリケートで難しいものなのだろう。

佳代子も準備には時間をかけるし、男よりもはるかに多く身嗜みのために色々と散在する必要もあるはずだ。

ところで、ふと気になったことが。


「そーいや、お前、生理とか来てんの?」

「ぶっ! 何だそのセクハラ発言。最悪だ。何でカヨと付き合えたんだろコイツ」


ジト目で睨むルシア。いや、まあ、デリカシーのない質問だから普通の女子にはなかなかできない質問だが、まー、コイツならセーフかなっと。


「やっぱTSモノなら避けて通れない道だろう?」

「人を何だと思ってやがる」

「萌えキャラ?」

「死ね」


呆れ返るルシアさん。冷ややかな視線を送ってくる。やめろやい、気持ちよくなっちまう。反応が面白かったので、もう一度突っ込んでみよう。


「んで、実際どうなんだ?」

「まだ聞くか…呆れてモノが言えなぇぜ」


溜息交じりにヤレヤレと首を振るルシアさん。コップの水を一口。ふむ、答えられないという意味だろうか。となると、


「言えないってことは、まだ来てないとか?」

「ぶーーっ!!」


吹く。虹がかかる。つーか、顔にかかっただろうが。美少女の吐き出した水とか二次元ではご褒美だけど、三次元では汚いなやっぱり。

おしぼりで顔をふく。


「てめっ、真っ昼間から大声でなんてこと言いやがるっ!!」


周囲から少女に視線が集まる。『ソーカー、マダキテナインダー』的な。うん、まあ、あれだ。人それぞれっていうからな。


「そうかそうか。うん、悪かった。妙なことを聞いたな」


とりあえず、やはりデリカシーが無い質問だったと反省すべきだろう。悪い事を聞いてしまったと思い、思わず気まずくなって視線を逸らしてしまう。


「てめっ、何を勝手に自己完結してやがるっ!? いや、まあ、確かに来てないけどさ……」


頬を紅潮させて怒るが、尻すぼみになっていくルシアさん。うん、まあ、ほんとうにスマン。これは佳代子にバレたら殺されるじゃすまないな…。


「あー、この事は佳代子にはいうなよ。な?」

「言うか! ったく、この変態は…」


まあ、こういう奴だからからかい甲斐があるのだけれど。とはいえ、佳代子には話さないのなら安全安全。

よぅし、もう少しこの可愛らしい顔をセクハラで紅潮させて遊んでみよう。


「いやー、しかしマダなのかー。いやあ、予想を裏切らない結果ありがとうございます。ありがとうございます」

「まだ言うかコイツ…」

「だってさー、合法ロリで生理まだとかこれなんてエロゲ状態だろ?」


プルプルと赤くなって震えだすロリエルフ。うむ、この辺りで止めておくべきだろう。紳士は引き際をわきまえるものなのだ。


「そーいえばさー、この前やったエロゲでエルフさんには生理周期に合わせて発情期があるってゆー設定があったんだけどその辺どうなってんのエロフさ――」


  ― ブチッ ―


そしてその瞬間、目の前のエルフさんの心の中から、理性とか堪忍袋とか自制心とか、そーゆーのが一斉に分断される音を聞いたような気がした。

うん、引き際間違えた♪


「…少し、頭冷やそうか」

「って? ギギギギギギギギッ!?」


アイアンクロー。ルシアさんの怒りの右手が唐突に俺の顔面を鷲摑み。細腕に関わらずその握力は万力のよう。流石はファンタジー帰り。

痛みに喉を潰したような声しか上げられない。わお、これこそ肉体言語による会話。OHANASHI。


「言い残すことは…?」

「まっ、待てっ、モチつけっ! 話せば分かるっ」

「……」

「ちょ、ちょっと調子に乗りすぎただけなんっす。マジで反省してるっすっ」


割と本気度の高い怒りを笑顔として顔に出すエルフさん。笑顔って攻撃的な表情なのね。ともかく俺は下手に下手に出て機嫌を取ろうとする下っ端モード。

流石に変態紳士とはいえ、命まで投げ出す愚は犯せない。功を奏したのか、顔面に食い込むルシアさんの指の握力が弱まる。

ふふ、バカめ。こんなんだからコイツは付け込まれるのだ。


「で、それでですね、最後に一つだけ…」

「?」


俺はゴマをするように、ワザとらしいほどの猫背になり上目遣いでルシアの様子を伺いながら言い放つ。こいつがラストだ喰らいやがれ。


「…まだキてないってことは、いくらヤっても安全なんですね分かります!!」

「……」

「でも、生理来てないと性欲とかないのか? ねぇ、エルフに発情期とかあるん?」


やっぱり、変態は変態でしかないのです。変態紳士たるもの、セクハラは命を賭して行うモノ。投げ捨てるものなのです。

耳を真っ赤にしてフルフルとルシアさんが震えだす。可愛い。ルシアたん合法ロリ可愛い。


「えっ、やっぱ発情するのっ? すっげ、それなんてエロゲ―」

「…契約しよう。おまえを生きたまま、少しずつ、高熱で熔かすように咀嚼すると」

「ひっ」


俺は見た。鬼を。すげぇ、赤い気炎が立ち上っているかのようだ。この絶体絶命の状況下、しかし、それでも、俺は――


「だがっ! 引かぬっ! 媚びぬっ! 省みぬっ! 発情した時のエロいルシアたん見てみたいぃぃぃっ!!」


変態の火は消えることなどないのだ!!


「審判の日だ」

「―――――っ!!?」


アイアンクローwithサンダーボルト。脳に伝わる素敵な刺激。過剰なセクハラは正義によって裁かれる運命にあった。

良い子のみんなは真似するなよ♪









「随分と派手に動き出してくれたものだ」

「僥倖、舞台は絞られた」

「この世界の住人は大迷惑だよ。平和な日常が一転、人類存亡の危機だ」


白髪の老人は黒革の大きな椅子に背中を預け、呆れたように目の前の話し相手を睨みつけた。だが、その話し相手は動じることはない。

いや、そのような機能は存在しないと言った方が正しい。赤い色をしたウサギのヌイグルミでしかないのだから。

かわりに、その喋る奇怪な顔をしたヌイグルミを抱いてソファに座る幼いブロンド髪の少女が首を傾げて反応した。


「おじい様、困ってる?」

「いや…、さしたる障害にはなるまい。一両日中には、この茶番も収まる」

「当然、この私が手を貸したのだから」

「……契約は果たそう」


目蓋を閉じれば、この半世紀の月日が一瞬で流れ去る。あらゆるものを失った自分が手にしたのは、悪魔との契約だった。

自分は多くのものを得た。新しい家族、使え切れないほどの富、多くの人々の人生を左右できる権力。

熱帯の泥に沈んで死ぬはずだった私が、映画で見たような成功者たちがふんぞり返るような部屋で、多くの人間に指示を出す立場にある。

落伍者には分不相応な人生だ。ならば契約は果たされなければならない。おそらく、これが自分の最後の仕事となるだろう。

リスクはあまりにも大きいが、上手く乗り切れば、最小限の被害に抑えることも不可能ではない。いや、家族を守るためにも、私は乗り切らなければならない。

この規模での異変と、そして舞台の発覚は、自分を誘うための兆しに違いない。そして、私たちはこの誘いに乗らなければならない。

乗らなければより大きな災厄がこの世界を襲うだろう。最悪、この惑星が塵芥と消えるなどという非現実的な行く末すらあり得るのだから。


「日本か…」

「どこにあるの?」

「ここだ」


傍に寄ってきた少女のために地球儀を回し、大平洋という巨大な海洋を挟んだ祖国と向かい側にある弧状列島を指差す。

特に思い入れのある国ではない。オキナワの土を踏んだことはあるが、記録に残ってはいても、記憶には残っていない。

ましてや、舞台となるのはこの国の都市部にほど近い街だ。行った事も見たこともない。ただ、偶然にしては出来過ぎているが、その街にはこちら側の足がかりがある。


「都合の良い駒がこの国にもあったはずだ。近々、報告書が上がってくるだろう」






[27798] Phase009『エルフさんとショッピング July 15, 2012』
Name: 矢柄◆c6a9a2cf ID:035184dc
Date: 2015/02/20 23:18


「スマートホンって格好いいけど、なんか壊れやすそうだな」

「ガラケーなんて最近じゃほとんど見ないけどね」

「便利よ。インターネットも使いやすいから」


夏休みの迫る週末の或る日、私はエルフ耳を生やした、かつて『彼』だった少女と、『彼』の妹である少女とともに繁華街へと繰り出すことになった。

今日は良く晴れて青空が見え、絶好の後楽日和であり、街も3日前の事件以来特に大きな騒動もなく落ち着きを取り戻して人通りも元に戻っていた。

テロリストを名乗る、彼女曰く異様な進化を遂げたネズミたちに関する続報はなく、マスコミの騒ぎも収まってはいないけれども、おおむね日常は戻ってきている。


「アタシはそんなに着飾ったものじゃなくてもいいんだけどさ」

「ダメだよ、カワイイの選ぼうよルシアちゃん」


本日の目的は、『彼女』のために携帯電話を購入するというもの。家電量販店の大きなスペースに、様々なメーカーの携帯電話が展示されている。

明るい照明の下、白いタイルの床に並べられた長方体の展示台の上、赤や青、黒や白のスマートホンが並び、その横に宣伝文句がひしめいている。

画面の大きさ、画質の良さ、カメラのピクセル数、操作性、価格。煽り文句はいろいろで、買う側が重視する視点も様々だ。

私などは使いやすさを、春奈ちゃんはデザインを優先して。『彼女』はというと特に必要も無さそうな性能や機能ばかりを見る。

そうして私たちはそれらを手に取って、あーでもない、こーでもないと話しながら騒ぐのだ。

なお、私の彼氏などをやっている変態は先日、ラーメン屋でのセクハラにより自宅謹慎中である。実際は気を使ったのだろうけど。

電話では先日、タカシ君と『彼女』が一緒に昼食を摂った時のことをある程度聞いている。何か隠そうとしていたが、カマをかけて話させた。

『彼』が『彼女』が考えそうなことだ。

まあ、セクハラの内容まで事細かに伝えてきた辺りは明らかに蛇足で、改めてお仕置きが必要であるが。


「……」


快活な笑顔の春奈ちゃんと、それに振り回されながら呆れ顔の『彼女』。それは、二度と見ることは叶わないと諦めていた光景だ。

しかし、それでも、再開したあの日にも見せた苦しそうな顔が脳裏によぎる。本当に、こんなに小さくなってしまった体に、どれほど多くの事を抱えているのだろう?

曰く、自殺すら実行したのだと。

私の覚えている『彼』からは考えられないような事。ヘタレで根性がなくて、それでも情にもろくて、優しくて、そしてどこか弱かった『彼』。

そんな『彼』、今は『彼女』が自ら命を絶とうとした。そうしなければならない程に追い詰められた。

そしてその原因の一つであろう《呪い》。私が逆の立場でも、もしかしたら同じように避けようと、早く離れようと考えてしまうだろう。

その気持ちは痛いほど分かるから、そこまで苦しんでいる『彼女』をこれ以上苦悩させたくないとも考える。

それでも私は『彼女』とずっと一緒にいたいと、それが無理なら私が向こうの世界に渡っても良いとすら思ってしまう。

きっと彼女を苦しませるだけだろうけど、私の我儘はその《呪い》とやらで殺されてしまう恐れがあったとしても『彼女』の傍に居たいと叫んでいる。

けれど、それはダメだろう。

私には私の生活が、『彼女』には『彼女』の都合と想いがあり、そして私はタカシ君を選んだのだから。

だから、裏切りだけはしない。『彼女』への裏切りも、タカシ君への裏切りも、私は絶対にしてはいけない。

だから、今日の終わりに話をしよう。これからの話を、私たちの関係が終わらずに済む方法を一緒に考えたい。


「これなんかどうかな?」

「んー、ちょっとカワイくないかなー」


春奈ちゃんが『彼女』の選んだ機種にダメ出しをしていく。二人の価値判断は微妙にズレているので噛み合わない。だからそれを眺めて自然と笑みがこぼれてしまう。

もしもあの時、私が『彼』を引き止めていれば、こんな光景を、こんな平和な関係をすっと続けてこれたのだろうか。

意味のない仮定。しかしその《もし》はこの3年間、『彼』が失われたあの日の夜のニュース番組を目にした時からずっと私に付きまとってきた事だ。

あの時は私はこの短期留学が『彼』にとってとても良い経験になると信じていた。信じて、背中を押して送り出したのだ。

多くの人の前ではあまり積極的に前に出れない、とても弱かった『彼』だからこそ、そういった経験は『彼』を人間的な意味で成長させると信じていた。

しかし、もたらされたのは誰も予想だにしなかった結末。何の痕跡も残さず、『彼』は海の向こう、空の向こうで消息を絶った。

残された『彼』の家族はとても酷い事になって、その結末は多くの人たちの心に癒しがたい傷を残した。

正直なところ、彼女を、ルシアとなった『彼』に、あんな風になってしまった家族を見せたくはない。きっと自分を責めるから。

春奈ちゃんはまだ良い。彼女はそこまで崩れなかった。なんとか私とタカシ君で支えることができたと、これは自惚れだけど思っている。

だけれども、おばさんたちは…。


「じゃあじゃあ、ルシアちゃん、これなんかどう?」

「なんだこのキラキラは…。もう少し大人しめのを…」


春奈ちゃんが手に取ったのはド派手なピンクにキラキラ輝くラメやビーズやらでデコレートされたもの。可愛いけれども、『彼』の好みではない。

ハートとかは特に恥ずかしがる。『彼』のために作ったお弁当で、ピンク色の田麩でハートを描いたのだけど、教室で蓋を開けた時のあの反応は実によかった。

クラスのみんなから冷やかされて真っ赤になりながら悪態をついて、それでも全部食べ切ってくれた。こう、なにか顔がにやけた。

お弁当箱を洗って返してきた時、普通の弁当にしてくれなどと懇願されて、それがとても可愛らしかったので、毎日腕によりをかけて作ってあげた。

ちなみに、タカシ君はむしろ周りに自慢して回るので面白くない。むかついたので、一度、弁当の表層にコーンを敷き詰めてやったことがある。この時に反応は良かった。

さて、私も選んでみるか。


「こっちのいぶし銀はどうかしら? とっても大人しめよ」

「それ、自分で持ってみるか? てかなんで葵の紋?」


天下の副将軍用の携帯電話なのだろうか? これで控えおろうなんて言うのだろうか。『彼女』は不満げな顔で抗議する。

何でも歴女向けの戦国携帯電話シリーズらしく、様々な家紋のついたシックなデザインらしい。印籠みたい。


「私がこれにしたら、おそろいで持ってくれるの?」

「え、お、あえ?」

「冗談よ、ふふ」


ふむ。相変わらず押し込まれる事に弱い。とはいえ、このまま『彼女』が暴走してコレでお揃いになってしまうのもどうかと思うので、ここまでとしておく。


「相変わらずエグい冗談だよね、佳代子おねえちゃん」

「あら、冗談だと思った?」

「すげぇ、コイツはドン引きだぜ」


可愛い子を虐めたくなるのは私の悪い癖だ。だけれども、どうしても止められない。楽しくて仕方がないのだ。

この二人とタカシ君はそういう私を受け入れてくれる。良い友人たちに、恋人に恵まれたと思う。


「これ、完全防水だって。圧力釜で炊いても壊れないって書いてあるよ」

「スゲェな日本の家電っ、マジかよ見せて!」


春奈ちゃんが新たに面白い携帯を見つけたとルシアちゃんを呼び寄せる。在り得ない性能の携帯だけれど、『彼女』は目を輝かせて春奈ちゃんの元へ駆けていった。

だが、春奈ちゃんは「ふふーん」と笑うと、


「嘘です♪」

「ちょ、春奈、お前な!」

「やだ、どうしよう。佳代子おねえちゃん、この子簡単に騙されて可愛い」

「女はみんなドSなのか…」


いいえ、貴女が弄り甲斐があるだけです。



Phase009『エルフさんとショッピング July 15, 2012』



ちょっと変わり種の携帯電話のコーナーを離れ、比較的保守的なデザインの携帯が並ぶエリアへ。


「おおっ、まともなのが並んでいる」

「つまんない」

「つまらないわね」


悦ぶエルフさん。なので私たちは不平不満をブーイングで表現する。虐めではない。親愛表現である。ちなみに、虐待する側は大体そう言って言い逃れしようとする。


「待て、ヒトの携帯だからってネタに走らせようとしてねぇか?」

「「めっそうもない」」


おお、春奈ちゃんとハモッた。これは私たちの友情力がカンストしたからに違いない。そのあまり理不尽に『彼女』がうなだれる。可愛い。


「くそっ、もう誰も信じられねぇ…っ、アタシの道はアタシが決める!」


そしてとうとう、圧政から解放されるべく少女が自ら立ち上がる。素晴らしい。感動的だ。私は期待する。『彼女』なら、この子ならやってくれる。


「君に決めた!」


そう強く宣言し、一つの携帯電話をむんずと掴んだ。


「……………」

「……………」

「……………」


高齢者向け、簡単操作、文字も大きい。GPSにより現在地を家族に伝えてくれて、徘徊癖があっても安心。


「…えと」


『彼女』が耳をへたらせてこちらを振り向く。今私は最高の笑みを浮かべているはずだ。だって、隣の春奈ちゃんもものすごく良い笑顔になっているのだから。


「じゃあ行こっか、ルシアちゃん」


春奈ちゃんが『彼女』の右腕をガッチリホールド。


「さっそく買いましょう」


私もまた『彼女』の左をガッチリホールド。まるでこれはロズウェル事件の宇宙人が黒服の男に連れて行かれる写真のよう。

私と春奈ちゃんの心は完全にシンクロを果たし、ただ一つの目的のために奇跡的な同期を実現する。


「待てっ、コレ違っ」

「店員さ~~んっ」


エルフさんは焦りに焦って半泣きだ。可愛い。このまま会計のコーナーに連れて行ったらどうなるだろう。店員さんの迷惑になりそうだけど、心がウキウキして仕方がない。


「すみません、ごめんなさい、アタシが悪かったですぅっ」


必死に二人を思いとどまらせるために無様に謝るヘタレエルフ。流石にこれには春奈ちゃんは苦笑いで応じたが、私は笑顔が浮かぶのを止められない。

タカシ君曰く、とても放送することが出来ない、子供が見たら泣きじゃくるような邪悪な笑みを浮かべているに違いない。

ということで、


「でも、さっき自分で決めるって言ってわよね」

「他人の意見にも耳を貸すのが人類の調和と協調に必要だと思うんだ」


実に歯の浮くような正論である。心にもない事を述べ立てるのは、獲物が弱っている証だ。昔えらい人が言いました。水に落ちた犬は叩けと。


「うふふ、私たちのこと、信じられないっていってたわよね?」

「信じるってすばらしいなと思います」

「なら、私たちの事、信じてくれるの?」

「もちろんですとも!」


言質は取った。私は歓喜の笑みと共に、先ほどから目を付けていた一つの携帯電話をむんずと手を伸ばして掴む。

後日、『彼女』はタカシ君にこう話した。まるで腕が伸びたかのようだったと。


「なら…これでどう?」


ピンク色、世界的に大人気な子猫をデフォルメしたキャラクターがプリントされた、とても可愛くって、女の子らしい素敵な素敵な携帯電話。


「そんな…バカな」

「うわぁ、これすっごく可愛い! 私も欲しいなぁ」


エルフさんは崩れ落ちた。拒否権? そんなモノが敗戦国に与えられるとでも?





「へえ、最近の携帯ってのは、いろんな機能が付いてるのな」

「アプリとか多すぎて全部使いこなせないよね。私、ラインとかパズルゲームとかしか使ってないかも」

「みんな、そんなものよ」


エルフ耳の少女は購入した携帯電話のカタログを興味深そうに眺めている。子猫うんぬんは忘れることにしたようだ。ささやかな現実逃避。後で現実を思い知らせてあげよう。

大概、先送りした問題は後からより深刻になって立ちはだかるもの。しかし彼女は目の前の『カワイイッ!』を直視することはしない。ヘタレだからだ。


「魔法の世界にはこういうの無いの? テレパシー的な?」

「人形通信っていう呪術通信とかはあるけどな。こんなゴチャゴチャした機能は無い。こういうのってガラパゴスとかいうんだろ」


知ったかぶりの『彼女』はちょっと昔に流行ったタームをふふんと、さもインテリぶって口にする。


「人形とか呪術とか、ちょっとオカルトっぽいね」

「文字通りだかんな。髪の毛とか血液とか、体の一部を双子の人形に入れて使うんだよ。それをマジックアイテム化すると、双方向通信が出来るようになるって具合だぜ」

「な、なんか本当にそれっぽいよね、それ」

「無断で仕掛けられるとビビるぜ。夜中にいきなりタンスの上に飾られてる人形が笑い出してさ…」

「いやーんっ、それ絶対怖いよっ」


二人を微笑ましく見守る。まるで、昔に戻ったような気分。だからこれ以上は贅沢というものかもしれない。

これ以上を望むことは裏切りだ。

そんな後ろ向きな事を考えていると、おもむろに春奈ちゃんが後ろを振り向く。突然の事に思わずどうしたのか問いかけた。


「どうしたの?」

「…あれ?」

「なんか、気になる事でもあったか?」

「ううん、なんか、ちょっと視線を感じて…」


春奈ちゃんがキョロキョロと周囲を見渡す。私と『彼女』も同様に振り向いてあたりを見渡すが、特に変わったところはない。


「気のせいじゃないか?」

「そうかな」


そして、その場はそれきりとして、私たちは再び買物に戻る。







「…ええ、分かっております。全て順調に」


男は携帯電話の通話を切る。手櫛で白髪の混じりのオールバックを整え、黒の革靴でカツリと小気味の良い音を響かせて正面を向く。

ブランド物の濃灰色のスーツを着こなす堂々とした態度は、この場にいる集団においての彼の地位を表しているのだろう。

目下では防毒マスクをして白衣を纏う男たちが忙しなく台車を使って機械を運び込んだり、中央の呻き声を漏らす黒いシートに包まれた何かに電極を取り付ける作業に没頭していた。

白衣の男の一人が鉛の箱で厳重に封印された何かを運んでくる。先ほどまで冷却されていたのか、箱からは白いもやが立ち、下の方に流れている。

厳重に何重にも保護する手袋で包まれた手で、箱が開けられ、透明なシリンダーが取り出された。

シリンダーに封じられているのは、まるで紫水晶のような色合いの、金色の文字のようなものが踊る宝石板。


「あと20分以内に実行する。急げ」







「なるほどなるほど…。んじゃ、アタシ、他に用事があるから、あばよっ」


エルフさんは逃げ出した。脱兎のごとく、後ろを振り向かず。そう、自由になるのだ。逃避は悪ではない。その先に新しい可能性があるかもしれないのだ。


「知らなかったの? 大魔王からは逃げられない」


しかし、エルフさんは回り込まれてしまった。コマンド?


「や、止めろ、アタシはそんなの買う気なんてねぇんだ!」

「いーじゃない、アレなんてすっごい可愛いよ!」

「いたいけな幼女にたいする虐待だ!」

「失礼ね。愛でているだけだわ」


さて、今ここにいる場所には、無数のカラフルな布切れが展示されている。布切れである。そんなものでどうやって身を守るというのか?

ビキニアーマー? そんな不合理なものは認めません。いや、まあ、私が着たことないだけで、南方のダークエルフとかは着たりするらしいけれど。

だいたい、なんだよアレ。ヒモじゃねえか。あんなの、ボンキュッボンな奴が着ればいいだろ? アタシみたいな幼児体型には似合わねぇよ。


「でも、貴女、水着持ってないでしょ?」

「持ってないけどさ…」

「私のお下がりの水着なんて着ないでしょ?」

「そりゃ着ねぇけどさ」

「暑いし、プールとかにも行きたいでしょ?」

「そりゃ行きてぇけどさ…」

「水着回は必要でしょ?」

「そりゃ必要だけど…、ん?」


おかしい、何か全く関係のない事に同意したような気がする。そうだ、水着回ってなんだ。そんなものマンガやアニメならともかく、現実には必要ないじゃないか。


「くっ、危うく騙されるところだったぜ」

「ちっ」

「おい、今舌打ちしただろうっ」


最悪だ。我が幼馴染みにして、昔はそういう関係だったこともあるけど、相変わらず性格悪いなコイツ。

よく男の子が好きな女の子に意地悪するっていうパターンがあるけど、私たちの関係は全く逆だったし。

ショートケーキのイチゴを確実に奪い、偽の情報で恥をかかせ、ボードゲームとかでアタシを集中攻撃してくるのは当たり前。

…ほんとうに、なんでこんな奴と付き合ったし私。

横では春奈がお腹を抱えてクスクスと笑っている。


「佳代子おねえちゃん、ルシアちゃんのこと相当大好きだよね」

「この虐めを見て何故そんな結論になるのか」

「だって、お姉ちゃん、好きな子しか虐めないし。しかも、他の子が自分のお気に入りの子を虐めるの大嫌いなんだよね」


わかるわ。カヨのお気に入りに手を出すなというのは、彼女との付き合いのある人間たちの暗黙事項である。

お気に入り同士のじゃれ合いなら許すが、そうでなければ壮絶な報復をするらしい。半ば伝説になっている話もいくつか。

例えば小学校の頃、クラスメイトらが囲む教室で、机の上に足を組んで座るカヨに泣きながら謝罪する女子たちを見たことがある。

うん、あの公開処刑は怖かった。あの見下したような目が特に怖かった。おしっこちびるかと思った。なお、後藤はナニカに目覚めたらしい。


「まったく、失礼ねあなた達」

「どの口が言うのか…」

「ふふ、まあまあ。ルシアちゃん、ちょっとこれを見て」


おもむろにカヨがスマートホンの液晶画面を私の顔の前に。そこには、そこには、水溜まりの周囲をクルクルと上機嫌にステップするエルフ耳の少女の姿が。


「ふふ、良く撮れてるでしょ?」

「はわ…はわわわわ」

「ねー、何それ、何してるのー?」

「後藤のクソ野郎がぁぁぁぁぁぁ!!」


どう考えても先日、アイツに見られたアタシの姿です、本当にありがとうございました。

アイツ、マジでカヨに動画送付しやがった。何に使われるかなんて知ってるだろうに。


「さあ、ルシアちゃぁん、選択肢がありまぁす。着る、着ない。貴女の自由意思を尊重するわぁ、ウフフフフ」


カヨはパッと液晶画面を消し、私の顔を覗き込んでくる。壮絶なドS顔である。どう考えても無抵抗な人間をいたぶる時の悪役のゲスい笑みである。


「なになに、お姉ちゃん、見せてっ」

「ふふ、ダメよ。でも、ルシアちゃん次第かしらねぇ」


くそっ。何が私次第だ。とはいえ、選択肢はないに等しい。他人から与えられる選択肢なんて、だいたいそういう類のものだ。

今の私のこの苦悶に耐えるぐぬぬ顔も、このサディストには甘露以外のなにものでもない。というか、現在進行形で歓喜に打ち震えるゲスい顔になっている。

その顔、放送禁止レベルですよ佳代子さん。小さい子供が見たら泣きますから。大きいお友達だって泣きますから。


「わ…、分かった…、着れば、着ればいいんだろ……」

「素直な子は好きよ」

「てやんでぇっ、好きにしやがれこんちくしょうっ!!」


そうして、悪態をつく私の運命は決定した。カヨの口が三日月状に歪んだ。





「いやあん、ルシアちゃん可愛いっ」

「子供っぽくねぇか?」

「そうね。でも、タカシ君なら涎を垂らして喜ぶわよ」


少し子供っぽい、レース状のフレアスカート様の飾り布のついた、淡い緑色の水着。カヨはクスクス笑いながら私を携帯で撮影し、春奈は可愛いしか述べない何かだった。

私の容姿が金髪北欧系の洋ロリのおかげで、周りの女性客の視線も集まる。店員さんも既にノリノリだ。ダメだコイツら、なんとかしないと。

ビキニタイプ、ワンピースタイプ。パレオにショートパンツ風。青や緑、赤やピンク。お前らもう選ぶとかいうより、着せ替えて遊んでないか?


「ふふ、鼻からパトスが溢れそうだわ」

「満足気な表情しやがって。アタシはげっそりだぜ」

「おかげで、携帯のメモリーも溢れ出しそう」

「消せよ。さっさと消せよ。あの動画ごと全部」

「そんなこと言ってー、ルシアちゃんも途中からノリノリだったじゃない。ポーズとったりさ」


うん。途中からもうどうでも良くなっただけなんだ。言われるがままに悪ノリして、セクシー(笑)なポーズをとって、媚びた表情とか作ってさ。

だから、冷静になった今、こう思うんだ。その写真のデータを今すぐ消してくださいお願いします何でもしますから(切実)。


「んで、どれが一番良かった」

「これとか?」

「そのデータ、後で絶対消せよな」


スマホの液晶に映る、クマさんがプリントされたワンピースタイプ。死ねばいいのに。私の目から光が失せたので、カヨは冗談よと笑いながら写真を切り替える。


「これとかはどう?」

「悪くないわね」


黒の縁取りの白いワンピースタイプ。サイドにリボンがついて、白地に猫の足跡をイメージしたプリントが描かれている。


「これも似合うよね」

「活発なこの子に良く似合ってるわ」


ジーンズタイプのショートパンツで構成されたビキニタイプ。胸を寄せるようなポーズをとっているが、寄せるほどの胸は持ち合わせていない。


「あ、アタシはこれが…」

「却下」


爽やかなパステル調の緑色のワンピースタイプは素気無く却下される。おかしいな、私の水着選んでるんやよね? なんで私に決定権がないん?


「これもいいわね」

「うんうん」


紫を基調とした、鮮やかな複数の色を用いるレース生地をふんだんに使用したビキニタイプ。派手ではなく、かといって地味ではない。

そんな風にいくつかの水着の候補が選ばれる。私はもういろいろ面倒になって、それらを大人買いしてしまうことにする。資産はあるのです。


「すごい、全部買っちゃうんだ」

「ふふふ、もうどうにでもしろってんだ。メイド服でもなんでも着てやんよ」

「言質はとったわ」

「え?」


不安なる一言、不安に身を震わす。しかし、すぐにカヨは春奈の方に振り向いて、ニタァと笑い、肩を掴んだ。ターゲット変更ですねわかります。


「じゃあ、次は春奈ちゃんね」

「ほぇ…?」

「そうだな。次は春奈だな」

「え、ちょ、まって、それ紐じゃっ? いやぁぁぁぁ!?」


そうして私たちはイヤイヤと首を横に振りながら懇願する春奈を、試着室へと連行するのであった。おうふ、コイツ本当に乳でかくなったな。


「さあ脱げ。さもなければ貴様の無駄にデカい脂肪の塊を揉みしだくぞゴラァ!」

「やっぱり、胸の大きな子は見栄えがするわぁ」

「じ、自分で脱ぐからぁっ」


この後、無茶苦茶着せ替えした。





さて、水着コーナーから離れ、時刻はおおよそお昼近く。どこかで何か食べようと、飲食店が集まる場所へと移動を開始。

ちょうど私たち以外の人間たちも同じように考えたのか、ファーストフード店などには行列が出来はじめている。


「何食べよっか。お腹すいちゃった」

「あれだけはしゃげば腹も空くだろうさ」

「そうねぇ、サンドイッチとかどうかしら?」

「アタシはいいぜそれで」


ランチにサンドイッチとは実に女子らしいチョイス。まあ、今の私はその女子であるので、それに特に不満はない。

男だった頃はもっとガツンとしたものを食べたがったはずだけど、食が細くなった今ではこの有様である。

お好み焼きとか焼きそばは青ノリが歯について女の子的な意味でよろしくない。ラーメンなんかの汁ものも、スープが跳ねるから危険だ。牛丼も女子的な意味でなかなかだ。

私は一向に気にはしないが。

向こうのご飯はこの世界ほど多種多様ではないので、こちらの世界の食事は楽しい。

向こうの世界では食肉用に品種改良され肥育された動物の肉なんて食べる機会に恵まれないし、冷凍技術も普及してないから新鮮な海の魚なんてなかなか食べれない。

野菜だって季節のモノだし、調味料は種類が限られて、香辛料の値段は安くない。特に甘味の類はなかなかの値段になる。

まあ、それはそれとして、私たちは全国にチェーン展開するサンドイッチを売りにした店に並ぶことに。


「アタシ、アボカド食った事ないんだよな」

「美味しいよ。海老とよく合うの」

「サーモンとも相性がいいわね」


というわけで、目当てはアボカドを使ったサンドイッチ。そんな風に決めて、その後、ぺちゃくちゃと駄弁っていると、


「っ!?」


唐突に、まるで世界が別のモノに切り替わったような違和感を覚えた。私は違和感が来たと思われる方向に振り向き、警戒しながら睨みつける。


「ルシアちゃん、どうしたの?」

「またかよ…、マジで嫌になるな……、クソッ」


悪態をつく。初日に二日目、そしてこれだ。ここまで同時多発的に巻き込まれるのは初めてだが、どちらにせよまた二人を巻き込んでしまった。

しかも、今回は文書災害ではない。人為的に引き起こされた、無差別テロ攻撃に分類されるべき事象だ。

まさか、こんなバカげた事をしでかす奴がこの世界にいるとは思わなかった。いや、そんな技術がこの世界にあること自体、想定なんてしてなかった。

甘かったとは言わないけれども、酷い自己嫌悪に陥りそうになる。


「あ、うぁ…」

「春奈ちゃん!?」


突然、春奈がうずくまる。胸を押さえて、ヒュウヒュウと喘ぐように速いペースで呼吸を繰り返す。過呼吸だった。

周囲でも同じような症状を呈する人たちで溢れる。視界に移るすべての人々が、うずくまったりバタバタと倒れ込んでいく。

どうやら、落ち込んでいるヒマなんてないらしい。


「春奈、落ち着け」


私は春奈の背中を右手で触れて、魔法を使用する。すると、呼吸がゆっくりになりはじめ、症状が収まっていく。


「はぁ…、はぁ…、なに、なんなのこれっ!?」

「落ち着け…、って言っても無理か」


真っ青な顔になっているカヨにも同じような術式を組み込む。対症療法なので、原因を何とかしなければ根本的な解決にはならないけれども。

周囲で次々と自動車の甲高いブレーキ音が響き、その後に心臓が飛び出すような衝突音があちらこちらで連続する。

効果範囲は少なくともこの街区を覆っているのではないだろうか? だとしたら、早く対処しなければ街は事故などで大混乱に陥るだろう。


「な、何が? まさか、また?」

「こいつは文書災害じゃねぇよ。どこかのバカが、文書魔術を使いやがった」







「システム、正常に作動しています」

「効果範囲は予定値の20%超。想定の範囲内です」

「警察と消防が現地に派遣されましたが、渋滞のため現地への到着は1時間後になる模様」

「衛星画像から、現在市内12か所で火災が確認できます。また、暴動・略奪行為の発生を確認」


巨大なモニターには市の俯瞰が映し出され、そこにリアルタイムで発生する様々な事象が表示されていく。

白衣の男たちが別の小さなモニターに映る情報を睨み、経過を解析し続ける。未知の事象に彼らの心は浮足立っているようだ。

中央の呻き声を漏らす黒いシートに包まれた何かには、紫色の宝石板が封じられたシリンダーが取り付けられ、痙攣するように跳ねている。

シートの中にはこの時のために選定した入力装置が入っている。洗脳を行い、身動きを封じ、長時間あらゆる刺激から遮断したことで、その精神状態は限界に達しているだろう。

制御は網膜投影ディスプレイを用い、プログラムを入力していく。宝石板は活性化を始め、表面に映る金色の文字のようなものも激しく移り変わりを始めていた。


「なんだ、テストの時よりも順調じゃないか」


白髪交じりの背の高い男は、満足そうにその様子を眺めた。この分ならば、予定通り目的を達することが出来るだろう。


「それで、撒いた種はどうなっている?」

「今のところ反応は…、っ! 来ました。8番ですっ」

「さて、獲物は釣れるかな?」







「魔術…って、ルシアちゃんの他にも使えるヒトがいるのっ?」

「できる。誰にでもできるんだ文書魔術ってのは。必要なのは妖精文書との相性だけなんでな」


未だ顔色の悪い春奈の質問に答える。情報の隠ぺいは不安を呼び起こす。この状況ではとにかく、正確な情報を。嘘でも安心できる情報を与えなければならない。

カヨはまだ落ち着いている方だが、それでも限界はある。妖精文書の力に人間個人の力なんてタカが知れている。


「今使われてんのは、不安を増大させる感じの干渉だとおもう。ちょっとした不安とかが際限なく大きくなって、パニック障害を誘発してるみたいだな」

「何のためにそんなことを?」

「さて、そいつは分からな…、いや、そうか…。はっ、最悪だなコイツは。連中、文書災害を誘発させようとしてやがる」

「え…、嘘…」


私が視線を向けた先を二人も見て、そして息が詰まるような、悲鳴にもならない声を上げた。前方にあった高層ビルが倒壊を始めたからだ。


「伏せろっ!!」


私は二人を押し倒し、そして魔術的な防御を展開する。

軋むような音、石が割れるような音。ゆっくりと、本当に冗談のようなゆっくりとした速度で建物が崩壊を始める。

ゆっくりに見えたのは、単純にビルの大きさによるものだ。小さなものが落下する速度も、大きなものが落下する速度も同じだから、スケールの違いによる錯覚が生まれる。

そこに何の救いも生まれない。錯覚は錯覚であり、崩壊によって生じるエネルギーが減じるわけではないのだ。

轟音と共にコンクリートの砕けた白い煙が吹き上がり、爆風のように周囲に瓦礫と共に広がる。まるで米国で起きた同時多発テロの画像の様だ。

飛来する瓦礫一つ一つが凶器だ。大きな塊ならば、人間なんてトマトか何かのようにグシャっと潰されてしまうだろう。小さな欠片でも当たればただで済まない。

また、落下の衝撃により周囲の建物もただでは済まない。隣にある複数の建物が倒壊を始め、ドミノ倒しのようにいくつもの建物を巻き添えにしていく。


「いやぁぁぁぁっ!?」


悲鳴。振動。轟音。爆風。視界は白く閉ざされた。





[27798] Phase010『エルフさんと壊れた街 July 15, 2012』
Name: 矢柄◆c6a9a2cf ID:035184dc
Date: 2015/02/20 23:53


「なんだこれ…」


テレビに映る非現実的な光景。非現実とはいえ、最近ではそこまで珍しくなくなってきている。

死んだはずの親友がエルフの少女になって戻ってくるわ、でっかい蛇の化け物が暴れるわで、すっかり現実と非現実の境界が曖昧になってしまった。

だから、テレビの臨時速報で大混乱に陥っている街を上空から映したライブ映像も、もはや珍しいものではなくなりつつある。

それが、自分の住む街の繁華街で、しかもそこにその親友とその妹、さらには俺の恋人が遊びに行っていると知らなければだが。

俺は思わず箸を落とした。目の前で一緒に昼飯を食べていた姉貴は、溜め息をついて立ち上がる。


「タカシ。あいつら、今あそこだな」

「ああ」

「一応は止めるぞ」

「アンタが行く気満々じゃないか」

「止めても無駄だからだろ」

「正解だ」


こういう時は、姉貴の性格が頼もしい。姉貴は車のキーのついたキーホルダーを指でチャラっと音を鳴らして回す。


「準備はいいのか?」

「問題ない。急ごう」




Phase010『エルフさんはおっぱいが小さい July 15, 2012』




「詠え、唄を、響け、声よ、届け、意志よ」


巨大な球状の光の籠が弾け、流星のように筋を描いて弾け飛びとる。空間がたわみ、透明な波動が球状に広がった。

それは3日前に図書館で『彼女』が見せた技を拡大したものだった。

すると、先ほどまでの、上下すらおぼつかなくなるような、まるで大地が失われ底ぬけて落下し続けるような、天が崩落して押しつぶしてくるかのような不安感が和らいだ。

そして、


「ん…、はえ?」


気絶していた春奈ちゃんが私の膝の上で寝ぼけたような声を上げる。なんとか目覚めてくれたようだ。

特に怪我はないと『彼女』は保証してくれたけれど、やっぱり目を覚ましてくれないと不安になる。良かった。

そして、私は粉塵で真っ白になった街を改めて眺める。そして、思わず笑いが漏れてしまった。

このままだと、この街が更地になってしまうのではないかと、ちょっと冗談交じりで考えてしまったからだ。

周囲や近くからようやく泣き声や悲鳴が聞こえてきた。先ほどまでの静寂が嘘のよう。きっと、『彼女』の魔法の効果だろう。

声すらも出せないほどに不安で押しつぶされた人々が、それが緩和されたことで動けるようになったのだ。


「なに…、何これっ!?」


春奈ちゃんが惨状を見て悲鳴を上げる。私は必死にそれをなだめ、落ち着かせようと抱きしめる。


「落ち着いて、春奈ちゃん」

「お、お姉ちゃ…」


春奈ちゃんはガタガタと震えながら私に強くしがみついてきて、こっちが痛いほどだ。仕方ない。周りは怪我人だらけだ。


「酷い…、酷いよ、こんなの」


百メートルも離れていない位置で、高層建築が崩壊した。『彼女』曰く、閉所恐怖症が誘発されたのだろうとのこと。

唐突に、おそらくはエレベーターか何かの狭い空間でこれに巻き込まれたのだろう。際限のない不安の増幅は、閉鎖空間において最悪の結果をもたらした。

出られなくなるかもしれない。落下するかもしれない。そんな、普段は気にもしない不安が無制限に増幅された。

そして望んだのだろう。早く外に出たいと。目の前の壁が、扉が、外と自分を分け隔てる全ての邪魔者を消し去りたいと考えるほどに。

通常、そんな非現実的な望みは実現しやしない。けれど、もし、その近くに、そんな妄想を実現してしまう何かが落ちていたりしたら?

そんなご都合主義な偶然なんてあってたまるかと言いたいところだけれども、アレはそれを可能にするのだと『彼女』は語る。

と、唐突に携帯電話の着信音が鳴り響く。手に取り確認すると、タカシ君からの電話らしい。心配になって電話をかけてきたのだろう。


「もしもし、タカシ君?」

「佳代子っ、無事か?」

「ルシアちゃんのおかげでなんとかね。でも、あまり良くない状況みたい」


彼の必死な声も私の言葉を聞いて少しずつ落ち着いていく。手短に『彼女』から受けた状況の説明を話し終わる頃には、いつもの彼に戻っていた。


「とにかく、迎えに行く。今は姉貴の車で近くまで運んでもらっているが、裏道使ってもすぐに渋滞にかかって動けなくなるはずだ」

「どうするの?」

「チャリを積んでいるから、それで合流したい」

「分かったわ。じゃあ…」


合流地点、咲さんの車が待つ予定の場所、私たちの現在地を確認し合う。とにかく、なんとかここから離れるのが優先されるべきだ。


「絶対に迎えに行くからな」

「うん、頼りにしてるわ。でも、無理しないで」

「ここで無理しないわけにはいかないな」

「ふふ、でも、怪我はしないでね。こっちには、可愛らしい魔法少女がついているから大丈夫よ」

「そうか。じゃあ、また後で」

「ええ」


電話を切る。普段はとても変なヒトだけれども、いざとなったら頼りになる。その辺りの安心感というか信頼感は『彼女』よりもあったりする。

まあ、『彼女』はヘタレで迂闊で、信用はするけども絶対の信頼を置けなくて、私が助けなきゃという思いが優先してしまうからだけど。

そして二人に電話での話を言って聞かせる。


「とにかく、まずは後藤と合流するのが先決か」

「そう…だけど。ルシアちゃん、これ、なんとかならないの?」

「したいけど、まずはお前らの安全確保が優先だな。アタシ、前衛職じゃねえし」

「紙装甲だものね」

「おいカヨ、今、私の胸を見て言わなかったか?」


本当に紙装甲なのだから仕方がない。それに比べて春奈ちゃんの装甲は分厚く、私はそこまでではないが、平均的な厚みは持っている。

春奈ちゃんは苦笑いし、私はなんとなく鼻で笑うような仕草をしてみる。紙装甲のルシアちゃんは私を睨み、プルプルと怒りをこらえているご様子。


「ぐぬぬ…。そ、そんなん別に羨ましくなんてねぇし。ねぇし!」

「ルシアちゃんは薄い分、攻撃に当たりにくいタイプだものね。足手まといはいない方がいいわ」

「そっか…。ルシアちゃんは薄いから仕方ないよね…」

「なあ、これ虐めなのか? 虐めだよな? 虐めかっこ悪い」


気分も少し落ち着いたところで、私たちは移動を始める。少し歩くと人だかりが見えて、混雑している様子が見て取れる。

普段ならば、いや、災害に遭ったとしてもある程度秩序だって行動するだろう彼らだが、今や互いを罵り合ったり、我先にと割り込んだりと烏合の衆となっていて、その眼には焦燥と狂気すら見て取れた。


「これも、妖精文書の力かしら?」

「さぁ…、こんなのは向こうの世界でも良く見たから何とも言えないけど、影響はデカいだろうな。放っておくと血が流れるぜ」

「どうしてこんな……」


老人を突き飛ばし、はぐれた子供が泣き叫び、辺りで喧嘩と怒号が満ち溢れる。一変した街と人々に春奈ちゃんは絶句し、また顔色を悪くする。

私もどこか心が浮ついて、悪いことばかり考えてしまう。また何か良くない事が起きるんじゃないか。無事にタカシ君はここにたどり着けるだろうか?


「ルシアちゃん、さっき使った魔法だけれど、ちゃんと効いているの?」

「完全には打ち消しちゃぁいねぇな。こっちも装備とか準備が完全じゃねぇし、文字通り緩和させただけだ」

「そっか。じゃあ、ちゃんと落ち着いて動かないとね…」

「だな。とにかく、術の中心から出来るだけ離れねぇと」


目の前の渋滞はなかなか引かない。どうやらこの通りは抜けられないかもしれない。そう判断し、別ルートを模索し始めた時、再び異変を感じ取った。


「気温が…下がってる?」

「うん、ちょっと肌寒いかも……」

「おいおい、またかよ…。さっきの場所に走れ、こいつはシャレにならねぇ!」


肌寒さは肌を刺す冷たさへ変わっていく。そして停車する車に霜が降り始め、道路が凍結を始めた。

原因は説明を受けなくても分かる。『彼女』は私たちにそう指示した後、一気に跳躍して、ビルの壁を蹴りながら群衆の向こう側へと駆け抜けていってしまう。

そうしている間に、前方の群衆が悲鳴に飲み込まれ、そして津波のようにこちらに押し寄せてきた。

こちらの方へ逃げ惑う群衆。私たちはそれに飲み込まれる。人と人の合間から、遥か前方に凍結を始め動けなくなる人々を見た。

怖気が全身を駆け巡る。このままでは、私たちも氷漬けだ。

焦燥感がこみ上げ、頭が真っ白になり、私は何も考えられずに悲鳴を上げながら後ろに向かって走り出した。







「まったく、あの馬鹿が来てからこんなのばかりだな」

「アイツの運の悪さがこっちにも感染したのかね?」

「それは嫌すぎるな。寺にでも行って祓ってもらうか?」


姉貴のワンボックスは残念ながらここで立ち往生。携帯電話もあれから一度も通じない。ここらあたりから、車を降りるしかないだろう。

渋滞の原因は交通法規を無視した車による事故の多発だ。逆走、信号無視、歩道を走る、一時停止無視。これ以上は歩いたほうが速い。


「しかしなんだ。あれは、どうやって浮いてるんだ?」

「俺に聞くな。どうせ体重が軽くなりたいとか神様にお願いしたんじゃないのか?」


前方をぽっちゃり系の女子が、助けを求めながらポーンポーンと月面を歩くように跳ねまわるのを、俺たちは呆れて見送る。あんなことも可能にしてしまうらしい。

有効活用できれば物凄い便利なのだろうが、制御できないのでは全く意味がない。というか、問題は脂肪の量であって、重さではないのだが。


「痩せるじゃなく、軽くなりたいか…。救いがないな」

「姉貴、俺、こっから降りていく」

「気を付けなよ。この先、常識は通じないみたいだからな」

「アレ見たせいでもう俺の常識のヒットポイントはゼロよ」


ぽっちゃり女子のムーンウォークは流石にインパクトがあり過ぎた。まるで現実感がないが、その分、想像力を働かせれば、あれがいかに厄介かが理解できる。

もう少し、例えば空気の重さよりも軽くなっていたらどうなっていただろうか?

生身で上空7000メートルなんて高度を超えて飛び上がったらどうなるだろう? 

エベレストではその頂点の高度において、生身で長時間いることは致命になるらしい。そこでは血液から酸素が抜けていくのだそうだ。

いくら呼吸しても、酸素を血に取り込めない。そんな高度に酸素ボンベなしで放り込まれたなら、きっと命に係わるだろう。


「行ってくる」


車から自転車を引っ張り出して跨り、力を込めてこぎ出す。合流予定の場所までは自転車でも20分はかかるだろう。本来はバスを使うような距離だ。

渋滞で動きを止めた自動車の群れを追越し、騒然とした街を駆け抜けて一路繁華街の中心部へ。

そしてふと、顔に冷たいものを感じた。はらりはらりと小さな、白いふわふわとしたものが舞い、それが頬に当たって溶けて消えた。


「雪…、もうわけが分からないな」







「たいへんだ…、たいへんだ……」


僕の眼前で平静さを失った群衆が秩序なく逃げ惑う。悲鳴と怒り、様々な感情を混ぜ込んだ声が通りを埋め尽くす。

いまだ粉塵が舞いあがり視界は煙っていて、遠くには火災によるものでああろう黒い煙が上がっているのが見える。

先日からメディアを賑わすテロに関するニュースが脳裏に浮かぶ。これはきっとテロリストによる攻撃に違いない。

なんて卑怯な奴らなんだ。この前の図書館でも、恐ろしいネズミの群れを操って僕たちを攻撃してきたばかりだ。

あの時は気絶してほとんど彼女の役には立たなかったけれども、彼女はなんとか無事だった。神様に感謝しなければならない。

だけれども、神は自ら努力する者を助けるっていうじゃないか。僕だって出来ることをしなくちゃならない。

それに、彼女が困っているところに颯爽と登場して救い出したりしたら、もしかしたら彼女の心を射止めることだってできるかもしれない。


「ふへ…、へへへ」


とはいえ、早く彼女を見つけ出さないと何の意味もない。取らぬ狸の皮算用なんて、そんなオチは認められないのだから。

人込みをかき分けて、懸命に彼女を探す。確か、さっきの逃げ惑う群衆に流されてあっちの方に行ったはずだ。


「あ…」


人込みの中に長い黒髪の女性を見つける。あれは…、あれは彼女の先輩の女の人だ。美人だけれども、怖いヒトだ。以前、僕の邪魔をした怖い人だ。

さっきまで、彼女はあのヒトと一緒に買い物をしていたから、近くにもしかしたらいるかもしれない。

しかし、目を凝らして探しても見つからない。はぐれたのだろうか? だとしたら大変だ。きっと一人になって心細い思いをしているに違いない。


「っ!?」


先輩の女の人と一瞬だけ目が合ったような気がして、僕はとっさに顔をそらして人込みに紛れる。あの人は怖い。

僕は彼女を危険から守っているだけなのに、まるで犯罪者呼ばわりして僕を責めたのだ。酷い人だ。でも、あの時は怖かった。

僕はそのまま歩いて、彼女を探し回る。そうして、いくつか十字路を過ぎた頃だろうか。とうとう彼女を見つけた。

彼女はモニュメントの前でうずくまって、自分の身体を抱きしめるようにして震えていた。早く声をかけて助けてあげなければ。

しかし、僕が声をかけようとしたその時、


「ようやく見つけたぞ、巨乳」

「へ、後藤せん…ぱい?」

「心配させるな。というか、合流地点になんでこないんだ。ったく」


自転車で現れた男。たしか、あの先輩の人の恋人だったはず。そして彼女はその男の胸に飛び込んだ。


「先輩っ」

「まったく、アイツにこんなの見られたら殺されるだろうが…」


苦笑いしながら彼女の頭に手の平を載せる男。そんな光景を見せられて、僕の心の中で息苦しさにも似た何かが沸き起こり増大していく。

なんなんだあの男は。あそこには僕がいるべきだろう? なんで横取りされなきゃいけないんだ。

まずい。あんな風に助けてしまったら、もしかしたら彼女はあの男に心を奪われてしまうかもしれない。

春奈さんが、僕の春奈さんが奪われる。

そんな不安はどんどんと増大し、まるでもっとも確実な未来であるかのように僕の心を占有していく。

だめだ。なんとかしないと。あいつはもう恋人がいるじゃないか。二股とか最悪だ。僕が守らないと。あんな奴から春奈さんを守らないと。

僕は春奈さんを守るためにネット通販で購入したナイフをポケットから取り出した。







「ほら、いい加減泣き止め。ただし、もう少し大胆に抱き着いていいんだぞ」

「せんぱいのへんたいぃぃ~~」


先ほど佳代子と合流することが出来たのだが、この巨乳がはぐれたらしく、すぐさま捜索活動をする羽目になったのだが、実に役得である。

お腹のあたりに当たる、かなり大きめの2つのマシュマロさん。佳代子よりおっきくてムチムチプニプニである。すばらしい。

つるぺたには侘び寂びがあるが、巨乳には触感がある。乳に貴賎なし。故に今ここにある乳を私は愛そう。
 
とはいえ、いつまでも役得に浸っている場合ではない。奴に見つかったら、また電撃とか食らわせてくるに違いないのだ。

俺は別にドМではないので、痛いのは勘弁である。

まったく、あのヘタレエルフ、すっかりシスコンになりやがって。俺はそう心の中でぼやきながら、抱き着いてくる春奈を引きはがす。大変に遺憾ながら引き離す。


「ふっ、お嬢さん。俺に惚れると火傷するぜ」

「…先輩、私の感動を返してください」


俺のカッコイイセリフに対し胡散臭そうなものを見るような表情を返してくる巨乳。なんと失敬な巨乳だ。

と、その時、春奈の表情が一瞬で驚いたような表情へと変わる。視線は俺の後ろの方へ。まるで何かを訴えるような。

視線を背後に回すと、中学生ぐらいの少年がナイフを持って俺に襲い掛かってくるのが見えた。

ナイフを両手でしっかりと固定し、腰に据えて、まっすぐに俺の胴に突き刺そうと迫ってくる。

どうする、俺?
① ハンサムの後藤隆は突如反撃のアイディアが思いつく。
② 仲間が助けに来てくれる。
③ かわせない。現実は非常である。


「ヴァカめ、ここは①一択だろう!」


右足を後ろに振り上げる。回し蹴りの要領で少年の手元を一撃、ナイフを弾き飛ばす。俺カッコイイ。


「痛っ」

「あ、足つったかも」


ナイフを弾き飛ばされて、痛みで手元を抑える少年。俺はというと、足がツーンと痛み始め、痙攣して硬く膨張した感じ。激痛でうずくまりそうになる。

が、ここで動かなければ右足の犠牲が無駄になってしまう。俺はそのまま少年に掴みかかり、そして押し倒してマウントポジションをとった。


「お前、誰だ?」

「くそっ、離せっ、離せっ!」

「ふっ、お前に俺を倒す事はできん。このシステマを極めた俺にはな」

「な、何が…」


小生意気な少年の顔面にパンチを寸止めでくれてやる。すると、怯えたような声を漏らして大人しくなった。

中学生ぐらいの、特に特徴のある容姿ではない普通の少年に見える。体は細く、鍛えている感じではないが、けっこう日焼けはしている。


「後藤先輩…、すごい。っていうか、システマってロシアの?」

「ふっ、こんなこともあろうかとって奴だ」


同人即売会で購入した『萌えっ娘と学ぶ軍隊格闘術』全5巻を読破し、実践的(中二病的)な訓練を積んだ俺に隙などないのだ。

元第二独立特殊任務旅団出身のツンデレ幼女軍曹アンナたん、感謝します。貴女のおかげで俺はこの戦いに勝利できました。


「くそっ、離せ、この二股男!」

「んあ?」


悪態をつく少年。しかし二股男ときたか。ロマンであるが、佳代子にバレた際のペナルティの大きさを考えて身が凍る思いになる。

すると、横で巨乳が冷ややかな視線を俺に浴びせてきた。やめて癖になる。


「先輩、お姉ちゃんに謝りなよ。初犯なら10本ぐらいで許してくれると思うから…ね?」

「え、10本って何?」

「爪の間に刺す爪楊枝の数」

「何それ怖い」


ほんとにもう、佳代子さんってばバイオレンスなんだから。佳代子のバイオレンス伝説にそんなのあったんだ知らなかったなー。

俺が知ってるのは、相手の手の平をコンクリートのブロックに広げさせて、カッターで指の間の空間をランダムで超高速で突いていく遊びだったよなー。

ハンド・ナイフ・トリックは自分の手でやるもので、他人の手でやるものじゃないんだけどなー。

最終的に虐めの主犯をそいつの取り巻きに取り押さえさせて、『笑いながらやった』って話。うん、実話なんだあれ。

取り巻きの連中全員泣きながら取り押さえててさ、主犯さんは最後に失禁して気絶するし。あんな地獄絵図、あの時初めて見たわー。正直、ぞくっときた。

あれでも、眼球系よりはマシなんだよな…。


「いやいやいや、俺、そんな自殺願望とか持ってないから!」

「ほんとにー?」

「マジだマジっ。誓って二股なんてしてない」

「騙されちゃダメだ春奈さんっ、こんな男に心を許しちゃいけない!」


俺が巨乳と命を懸けたフランクな会話をしているのを、少年が意味の分からない事を叫んで割り込んでくる。

ふむ。こいつ、もしかして勘違いしているのか? 俺と春奈がデキていると? それを二股と勘違いした? ついでに、コイツは春奈に惚れていると…。

ルシアによれば、この一帯で不安をとかく増大させる魔術が用いられているらしいから、そうであれば過激な行動にも理由はつくか…。


「ということなんだが、納得したか?」

「えー、そうなんだ。でも、私、この人のこと知らないよ」

「ぼ、ぼ、僕は君の事をずっと陰から守ってるんだよ。へへへへ」

「ストーカーみたいな発言だな」

「僕の事をストーカーって言うな! 僕の思いは純粋なんだ!!」


ストーカーという言葉に怒り狂う少年。そして春奈はコイツのことを知らないと。ますます犯罪臭が漂ってくる。

俺は少年の持っているスマホを無理やり奪い取り、春奈にポンと投げて渡す。


「えっと?」

「写真とかアドレス帳とか見てみろ」

「い、いいのかな?」

「何もなきゃ携帯番号交換してやれ」

「や、止めて!!」


暴れる少年を押さえつけて、春奈に携帯電話を調べるように促す。しぶしぶ了承した春奈はスマホを操作し、そして次第に表情が嫌悪へと変わっていく。


「キモっ」

「どうだった?」

「私の盗撮写真ばっかり。なんか私の携帯番号とか自宅の番号とかも載ってるし…」


どこに出しても恥ずかしいストーカーでした。まあ、この巨乳は見てくれも悪くないからモテるだろうとは思っていたが。

まあ、佳代子というドS魔人がお守役をしているせいで、ヤツの伝説を知る人間はおいそれと手を出さないので、今までそこまで問題にはならなかったのだろう。


「ぼ、僕は君のためを思って…」

「止めてください。貴方のことは必要ないです。もうこういう事しないでください。気持ち悪いです」

「ま、待ってっ、僕の話を…」

「まあ、諦めろ。これ以上は警察に突き出すことになるぞ」


足の状態が治ってきたので、俺はストーカーの上から退いて、ナイフを回収する。ストーカー少年は頭を抱えてうずくまり、嘆き叫びだした。


「僕は違う…、春奈さんはそんな事言わないっ、うわぁぁぁぁぁぁっ!!」

「重症だな」


ストーカー少年はそのまま叫びながら走り出して、どこかへ行ってしまった。まったく、人騒がせな奴だ。

本当は警察とかに連絡して突き出したかったが、正直今はそういう暇はない。携帯電話はこちらが確保しているので、ヤツの居場所はすぐに分かるだろうが。


「さて、気を取り直して、他のと合流するか」

「うん。佳代子おねえちゃんは…」

「無事だ。今は合流予定の場所で待ってるはずだ」

「そっか…、良かった」


春奈が安心したように笑みを浮かべる。本当に仲がいいなコイツら。俺は呆れ交じりで肩をすくめる。

まあ、ほとんど姉妹みたいに育ってきたし、アイツの訃報以来、精神的に依存しあっていたので当然といえば当然なのだろうが。


「しかし、厄介ごとばかりだな」

「ルシアちゃんの世界の宝石のせい…なんだよね?」

「らしいな」

「あの…、もしかしてなんだけど、お兄ちゃんの事故も…」

「どうかな」


しらばっくれる。実際にはその通りだとアイツは明言している。でなければ、異世界に転生するなんて馬鹿げたことが起こるはずがないのだと。

魂なんて在るかもわからないモノを扱い、世界と世界をまたぎ、世界を滅ぼすかもしれない災害を何度も引き起こす。

厄介ごとばかりだ。

だけれども、一番厄介に思っているのは俺自身の感情についてだ。アイツが無事で、帰ってきて、もう一度会えたことについては本当に喜んでいる。

でも、同時に、アイツのせいでこんなワケの分からない事態に巻き込まれているんじゃないか、なんて思ってしまう自分もいる。

アイツはその事で酷く悩んでいるし、苦しんでいる。だから、アイツを大切に思うのなら、それだけは思ってはいけないのに。

感情がクサクサして、気持ち悪い。


「バカか…、躊躇してたアイツを自分の家に呼び込んだのは俺自身じゃないか……」


イラついているのだ。何もできない自分に。アイツを引き止めたのも俺だ。アイツを家に招き入れたのは俺だ。

それでアイツを苦しめて、その責任をアイツに負わせようだなんて反吐が出るほど醜悪な思考だ。

そして、もっと最悪なのが、佳代子の笑みがアイツにばかり向けられることに、恋人を奪うかもしれないアイツに苛立っているという事実だ。

ただの嫉妬じゃないか。


「かっこ悪いな、俺」

「? 先輩、何か言いました?」

「いや、なんでもない


たまに最悪なことを考えている。アイツはいずれ向こうの世界に帰らなくちゃいけないから、佳代子とは絶対に結ばれないから安心とか。

最悪だ。死ねばいい。

一番悔しいのはアイツだろうが。分けの分からないモノのせいで死んで、女になったあげく、親友に彼女とられても、それを祝って笑わなくちゃいけないとか。

しかも、自分が近づいたら好きな相手に良くない事が起きるからって、それで俺たちを、佳代子を、家族を遠ざけなければならないとか。

そもそも、佳代子がアイツをまた選んだって、結局のところ元の鞘に戻るだけじゃないか。佳代子が俺に本当に惚れているわけないだろう。

だいたい、俺、楽しんでいるだろう? アイツとまたバカみたいな事を話して、ゲームしたりからかったりして。

他にもつるんで遊ぶ奴もいるけど、やっぱりアイツとが一番楽しい。何でも言い合えて、思いっきりバカを出来る気がする。

アイツが苦しんでいるのを見ると、俺も苦しい。何とかしたいって、同情じゃなくて、自然に、まるで当たり前のように思ってしまう。

アイツの境遇を知った時に抱いたのは怒りだ。もし誰かがこんな事を仕組んだのだとしたら、俺は絶対にソイツのことを許さないだろう。

本当に救いようがないな。

俺、アイツのこと、まだちゃんと大好きだ。


「そういえば、後藤先輩とルシアちゃんって仲良いよね。先輩、変態だけど、あそこまでセクハラするのルシアちゃんだけだし」

「え、俺、そんな風に見える?」

「見えるよ。佳代子おねえちゃんにだって、あんな風に趣味さらけ出してないよ。…その、お兄ちゃん相手みたい」

「マジか…?」


いや、まあ、確かに。佳代子の前でもそういうのはたまにしか…、つーか、殆どしてないな。

佳代子は佳代子でサブカル系の趣味があるから、そのあたりでバカ話することはあるが、実際に佳代子を対象にしたセクハラな話題をふったことはない。

手を出したこともあんまりないな。命が惜しいから。


「先輩、私たち以外の前じゃ紳士だからねー。実態知るとドン引きだけど」

「うるさいな巨乳」

「だ・か・ら、私の事を巨乳と呼ぶな!!」


昔は春奈のことを『妹』と呼んでいた。アイツが居なくなった後は、しばらく『春奈』と呼ぶようにしていた。

そのうち、春奈が泣かなくなって、胸の装甲が凶悪になり始めたのをからかってから、今のように巨乳と呼んだりするようになった。

まあ、セクハラである。


「褒め言葉なんだが…」

「それで納得すると思うなよー」


分かり易くぷんすか怒る巨乳。笑いながら後ろを確認し、そして目を見開いた。うわぁ、また厄介ごとだぁ。


「春奈、そのまま後ろを振り向かずに走れ」

「ようやく名前…、って、え?」

「いいからっ…、くそっ!」

「えっ、えっ!?」


俺の言葉の意味を理解できずに戸惑う春奈を押し倒して身をかがめる。直後に肌を削るような突風が頭の上を吹き抜けた。

押し倒された春奈は目を白黒させて驚いていたが、その突風の原因が先ほど俺の立っていた場所の背後に着弾したことで事態を把握し、その表情が引き締まる。


「なに、あれ…?」

「俺が知るか」


立ち上がって正対する。男がいた。余りにも痛々しい姿だった。同時にその姿は男の厄介さを象徴しているように思えた。

髪は色素を失い白。前髪はうっとうしい程に長い。瞳はルビーのように赤い。不敵に笑い、斜め45度に構え、手には指ぬきの黒い革の手袋を装着していた。


「ふっ、今のを避けたか。まあいい」

「痛々し過ぎるぞ。昔書いた設定集を思い出すから止めてくれ」

「だが、そうでなくてはつまらない。簡単に倒れてもらっては困るからな」

「で、お前は誰だ?」

「貴様を倒し、俺は俺を刷新する。お前の墓標を俺の新たなる始まりのための記念塔としよう」

「だからお前は誰だって言っているだろう」

「とはいえ、ただ殺すだけでは面白味が足りん。どうだ、1分だけやろう。死に物狂いで生きあがいてみろ!」

「話を聞けよ!!」


男は前髪をファサァッと右手で書き上げ、ドヤ顔で笑みを浮かべる。どうしよう、会話が成り立たない。

だが、あれの顔には見覚えがある。相当のイケメンだが、その顔だちは確かに先ほどのストーカー男のそれの特徴を一部残していた。

内心で苦笑する。その痛々しい姿から、おおよそ何が起こったのかを類推する。

当たってほしくない予想。アレはきっと、ライトノベルとかゲームとか漫画のキャラクターが持っているだろう危険極まりない能力を保有している。

馬鹿みたいな話がここ最近では現実になっているのだから、当然、目の前のバカみたいな話も事実である可能性を想定して動くべきだろう。

だから、目の前の男が伝説の禁呪《エターナルフォースブリザード》の使い手である事を十分に考慮に入れるべきなのだ。


「俺には何か特典ないのかよ…」


愚痴を吐きながら、ゆっくりと春奈から離れるように横へと移動してみる。注意深く観察すると、その視線は専ら俺を追跡する。だから、


「モテる男は困るな。春奈、お前は一足先に合流場所に行け。それでルシアを呼んで来い!」

「先輩!?」

「ちっ、逃げるか軟弱ものが!」


声を無視して俺は一気に走り出す。案の定、イケメソは俺を追いかけるためにフワリと宙に浮かび、追跡してきた。

あ、浮くんだ。卑怯くせぇ。

さて、分は悪いようだが鬼ごっこの始まりだ。男と鬼ごっこなんて色気がなくてまっぴらだが、しばらく付き合ってもらおうか。




[27798] Phase011『エルフさんと闇の力 July 15, 2012』
Name: 矢柄◆c6a9a2cf ID:035184dc
Date: 2015/02/24 22:26
違う。違う。違う。どうしよう。嫌われた。気持ち悪いと思われた。あんな冷たい顔で、迷惑そうな表情で。どうしようどうしようどうしよう?

警察なんかに訴えられたら、僕が犯罪者なんかになったら、彼女の隣にいる資格がなくなってしまうじゃないか。

そうしたら、僕はアイツらみたいな落伍者になってしまう。将来も何も考えずに享楽的に生きているだけの、いや、アイツらよりも悪い社会不適合者になってしまう。

どうしようどうしよう? 僕は悪くないのに、あの写真だってヤバいと思ったけれど、彼女を守るためには必要だったのに。

ビルの壁に寄りかかり、まるで浮浪児のように丸くなって、惨めに敗残兵のように震える。視線が集まる。集まるように思える。恐怖と不安が際限なく湧き起ってきた。


「何見てんだよ!」


怒鳴ると、周囲にいた奴らは露骨に僕から視線を逸らした。バカにしているんだ。僕の事を、憐れでバカな奴だと指をさして笑っているに違いない。

まるで世界中が敵になったような気がして、途方もなく不安になってくる。悪い事ばかりが思い浮かんで、いい事なんて一つも思い浮かばない。

嗚咽交じりに咳をする。しんどい。苦しい。悲しい。何よりも、誰も本当の僕を見てくれない事が悔しい。

アイツらはクズだ。僕の本当の価値を理解しようともしない。だけど、彼女だけは僕の事を理解してくれた。理解してくれたはずだった。

僕は縋る思いでポケットを探る。スマホに彼女の画像が入っていて、僕のことを誰よりも正しく評価してくれる。

だけれども見つからない。僕の春奈が見つからない。どこだ? そうだ、アイツに奪われたんだ。僕の春奈が、僕だけの春奈が。

取りに行く? バカな。アイツは卑怯にも格闘技をやっていると言っていたじゃないか。僕に先んじて、僕をバカにするために。

目前にまで振り下ろされた拳が脳裏によぎり、手が恐怖に震える。動けよっ、動けよっ!

僕はガクガクと震える膝に喝を入れて立ち上がり、再び歩き出す。周りの視線は全て敵だ。僕は人気のないビルの合間へと入り込む。逃げたんじゃない。


「クソッ、クソッ、全部アイツのせいだ。アイツのせいで僕の春奈は変わってしなったんだ。取り戻さないと」


春奈が変わってしまったのもアイツのせいだ。今までの彼女なら僕にあんな視線を送ってくることはなかった。

あの男が、二股なんてかける唾棄すべき男が、僕の本当の理解者である彼女を俗世に染めてしまったのだ。

取り戻さなくては。僕の本当の力で。

心の中の僕は理想の僕となって颯爽と彼女を救い上げる。普段は巧妙に隠している知恵とスマートな動きであの男を軽くひねってやるのだ。


「ふひっ、ふひひひっ」





それは本来ならばただの妄想でしかなかった。多くの無力な人間が当たり前のようにたれ流す自分本位の現実逃避。

しかし、その身勝手な空想は確かに発信され、そして受信された。彼の足もとの小さな蒼色の宝石板がにわかに震えだし、そして光が溢れた。


「え、あ?」


その時、世界が切り替わった。

あくまでも少年にしか認識できない世界の変化。相転移。彼の外の世界にはなんら変化はなく、しかし、劇的な変化が彼に生じたのだ。

切り替わったのは少年と世界を隔てる境界の内側。まるで表と裏を一瞬で反転させたかのように、彼は切り替わった。

外部から観測していたなら、相転移に伴う少年の外的特徴の変化に戸惑い腰をぬかしただろう。あるいは手品か何かと解釈しただろうか?


「何が…?」


四肢が急激に伸び、重心が上に上がったことに慣れず、覚束ない足取りで少年は歩く。視線が急に高くなり、手には部屋に置いてあったはずの指ぬきグローブが装着されている。

何か予想だにしない出来事が自分の身に起きた事だけは少年は理解した。だからこそ、鏡を探す。

再び通りに出る。未だこの身体に慣れなくて歩き辛い。なんというか、厚底の靴を履いているような感覚だろうか。


そうして街路樹に衝突して故障した自動車のサイドミラーを見つけ出し、彼は縋るように覗き込んだ。

そこには、見慣れぬ男が映っていた。


「は?」


いや、厳密には自分の顔の面影が残っている。しかし、それぞれのパーツの位置や形を少しづつ整え、顔の輪郭すらも少しばかり変容している。

どこか、数年後の大人になった自分像を美化したような容貌。凛々しく精悍で、かっこいいと言ってもいい。

瞳の色も黒から赤へと変わり、そして何より髪の色が大きく変わっていた。まるで雪のような白い髪。

髪は長く伸び、背中にかかるほど。髪質にはクセが抜けていて、柔らかな質感へと変容していた。

少年は何が起きているのか理解できず、両手で頬に触れ、形状を確かめてそれが自分のものであるか再三にわたって確認する。

その非現実に慄き、僕は思わず後ろに退いて、誰かにぶつかった。


「あっ、すみませ…」

「どこ見て歩いてんだ!」


ぶつかった相手の男は恐ろしい、余裕のない形相で大声を上げる。僕はビクリと身体を痙攣させて、何度も謝る。

男は舌打ちをして去っていく。なんて奴だ。ちょっとぶつかったぐらいであんなに怒る事ないだろ。こちらが下手に出たからって、調子に乗りやがって。

僕は内心愚痴をこぼしながら男の背中を睨む。そしてふと、何となしに、ただの冗談のつもりで、あるいは空想の続きとして、僕は拳を握った。

僕の右腕は空間を抉る。そういう力が眠っている。

ちょっとした設定だ。馬鹿げた、子供っぽい、まるで何の意味もない妄想。だけど僕はこの時それが出来るものとして、男の背中に向けて拳を突き出した。

不可視の力が大気を薙ぎ払う。螺旋の気流が大気を掻き乱して突風を生み出す。ゴォッという轟とともに、拳の先を向けた男が神か何かのように吹き飛んだ。


「……え?」


周囲の人々の視線が集中する。僕は拳を突き出したまま立ち尽くす。吹き飛んだ男は螺旋に回転しながら遥か前方の方に吹き飛び、街路樹に衝突した。

周囲の人々が黙り込む。先ほどまであった話し声が一切失われた。僕は拳を引き戻し、まじまじと見つめた。


「は…、はははははっ」


自然と笑いが口から漏れた。

どうやら、秘められた力が解き放たれ、僕に覚醒の時が訪れたようだ。先の図書館での異常な事態、そして今日のこの街の惨状、そしてあの男の登場。

大いなる試練の前に追い詰められた僕の鬱屈した精神が、人間の限界を定める殻を突き破り、真なる力の目覚めをもたらしたの違いない。

そう、僕は、いや、俺は主人公になったのだ。




Phase011『エルフさんと闇の力』




「はぁっはぁっ、死ぬ、まじで死ぬぞこれ!」


騒然とした街を駆け回る。できるだけ人ゴミのない場所を選んで走る。被害が拡大しないようにではなく、逃げるのに邪魔だからだ。

色とりどりの看板に飾られたコンクリートで出来た高層建築の谷を走り抜ける。心を圧迫する恐怖に足が止まりそうになる。

疲れた顔の座り込んでいた人々が、はっと驚いた表情に変わって俺の後ろから空を飛んで追いかけるイケメソを見上げている。


「ははっ、無様だな。さあ次だ、上手く避けろよ!」


あの白髪中二病、標識とか看板とか自販機とか、当たったらタダで済みそうにないものをポンポン投げ飛ばしてくる。

ある程度周りに気を使っているようで、無関係な人々に当たったりしないように気を使っているのか、今のところ流れ弾的な感じで被害を受けている人間はいないようだが、

何百キロもするような重量物が宙を舞って、ズドンとアスファルトに衝突して破片をまき散らすのだから、やっぱり周囲の人間たちは悲鳴を上げて身をかがめている。

実に羨ましい。俺も連中の仲間に入りたい。一緒にキャーキャーと安全な外側の席でポップコーン食べながらスリルを味わいたい。

何度も角を曲がったりして、当たらないようにしているが、あっちは鳥でこっちは獣だ。機動力が違います。


「クソッ、俺は少年漫画の主人公なんかじゃねぇぞ!!」


不安を振り払うように悪態をつく。不安の増大に対する対処は、とにかくネタに走って気を紛らわせることだ。

つーか、主人公補正とかついていないのです。あの中二病患者みたいな隠された力とか持っていないし、そんな力を得るようなフラグを過去に建てた覚えもない。

無責任なマスコットキャラクターとかに「タカシ君、地球の平和を守るためにはキミの力が必要ななんだ!」なんて友情・努力・勝利な展開を希望したいところではあるが、あのヘタレエルフからはそんな言葉を承ってはいない。

角にあるオサレな美容室を曲がる。その直後、原動機付自転車が縦に回転しながら飛び去って行った。

いやいや、原付はタイヤを回転させるものであって、それそのものは回転しないし、そもそも宙を飛んだりしない。

馬鹿な事を考えていたら、飛んで行った原付が駐車していた自動車に衝突し、めり込み、変形し、爆発した。


「オイオイオイオイッ、映画みたいな展開だな!」

「今のを避けたか、褒めてやる」


イケメソは相変わらず傲慢な笑みを浮かべている。まるで虫けらをいたぶるような素振り。その余裕が今の俺を生かしている。

アレが少しでも本気で俺を狩りに来たら、およそ1分ももたないだろう。つまり、アイツが遊んでいる限りにおいては、まだ生き延びる目はあるということだ。

次の瞬間、本能が警鐘を鳴らした。


「ちょわぁぁっと!」


身体を限界まで伏せる。その直上を横回転する自動販売機が通り過ぎる。コーラ150円って最近高くなったよねって、服に引っかかった!?


「あぐぁっ!?」


乱暴に引き抜いただろう自動販売機、その底の部分にある金具が俺のシャツに引っかかる。ものすごい勢いで飛翔する販売機の勢いに巻き込まれ、俺はそのまま投げ出される。

自販機に巻き込まれはしなかったが、体は勢いよく放り出され、地面にたたきつけられて強かに全身を打つ。

半袖だったので肘などを擦りむき、血まみれになる。息が詰まるほどの痛みに気を失いそうになり、ゴホッゴホッとむせるように咳こむ。


「ああっ、クソっ」

「やあセンパイ、大丈夫か? 怪我はないかな?」

「今日のお前が言うなのコーナーはここですか?」


うずくまる俺の目の前にいつの間にか近づいていたイケメソが、おどけたように首をかしげて俺を嘲笑う。

デニムのパンツのポケットに両手を入れて、中二病はゆっくりと地上に降り立った。

マンガみたいに可愛い女の子にぶっ飛ばされたりするなら萌える展開なのだけど、正直いって、男にぶっ飛ばされて喜ぶ趣味は無い。

殴られるなら佳代子か、今は美幼女になったアイツがいい。わりとマジでそう思う。踏まれたりしたらご褒美です。

などという軽い現実逃避を交えつつ、さてどうするか。俺はイケメソを見上げて考えをめぐらす。

しかし、コイツがさっきまでのストーカーか。CGってレベルじゃない程の変化だ。以前の図書館では鼠が知恵を持ったらしいが、その類の事象だろうか?


「じゃあ、センパイ。そろそろ終わりにしてやろう」

「待てよ、その前に命乞いか語りの一つでもさせろ」


振り上げられた拳は、実働を始めた害意は、俺の放言によりピタリと停止した。やだ、本当に止めやがった。ヴァカじゃねーの。

まあ、その実、心臓バクバクなんですけどね。

しかし、さっさとその拳を降ろせばいいものを、余裕ぶって、傲慢ぶっている証拠だ。唐突に分不相応な力を手に入れて舞い上がっているのだろう。


「いいだろう。言いたいことがあるのなら行ってみるがいい、センパイ」

「聞いて驚け。二股をかけているのは俺ではない」

「はっ、何を馬鹿な」

「木之本佳代子はバイなんだ」

「ふぁっ!?」


恐るべき真相の開示。どうせこのストーカーの事だから佳代子のことも知っていると踏んでいたが、どうやら割と知っているらしい。

佳代子にはすまないが、ここはとにかく時間を稼ぐべきなので濡れ衣を着てもらう。なに、バレなきゃいいのである。

とにかく、ある程度の信憑性を持つでまかせで煙に巻き、救援がくるまで間をもたせなければならない。


「お前も木之本佳代子の噂ぐらいは知ってるだろう?」

「あ、ああ」

「おおよそ真実だ。そんな佳代子を怒らせる可能性があるのに、どうしてこの俺が二股なんてかけられると思っている?」


正直二股なんてかける気はないけれども、そもそも佳代子が怖いというのは事実だ。ウチの学校であいつに逆らう奴なんて教師ですら存在しない。

佳代子が歩けば取り巻きの女子たちが一斉に後ろにぞろぞろと列をなすし、アイツの顔を見れば人混みもザァっとモーゼの奇跡のごとく二つに割れる。

いや、基本的には正々堂々と立ち向かえば正々堂々と対応するし、搦め手で攻めると搦め手で返してくる、10倍返し系バイオレンス大和撫子なだけなのだが。


「春奈を見ていたお前だから覚えがあるだろう? 佳代子と春奈の仲ぐらい」

「う…」


基本的に取り巻きのような『お友達』相手には酷くドライな対応をする佳代子さんなのだが、身内と定めているごく少数にはとてもウェットだ。

特に春奈については猫っ可愛がりをしており、腕を組む、ハグする、一緒にお風呂に入る、同衾するはごく当たり前といった過剰気味スキンシップをよくしている。

ちなみに、俺も一緒にお風呂入りたいと発言した時は、笑顔でレバーに二撃をもらった。俺、アイツの彼氏なのに。

なお、俺の知るアイツが身内と定める人間は、家族とヘタレエルフを除いて3人ぐらいしかいなかったりする。


「つまり、二股をかけていたのは佳代子の方だったんだよ!」

「な、なんだってーっ!!」


俺の言葉にオーバーに驚くリアクションをとる厨二。わりとノリがいいなコイツ。


「だ、だがゼンパイ、お前はなぜそれを知って見過ごしている!?」

「知れた事。お前も分かるだろう? 美少女同士の絡みは美しいと」

「!?」


ふっ、案の定かかったか。


「い、いや、俺はノーマルカップリング派で…」

「いいかね君。百合、古くから少女同士の恋愛とは、すなわち二人の女が永遠の童貞を誓うという意味において、ある意味別格の扱いを受けてきたのだ。中世キリスト教圏においても男同士の性愛はソドミィとされ最大の悪徳として扱われたが、女同士のそれの多くはおおよそ自慰相当とされてきた。またその歴史は古く、最古の記録としては紀元前6世紀の古代ギリシャに遡り、日本においては13世紀に物語としての描写が成立している」

「はあ」

「つまり何が言いたいかというと、美少女同士の秘め事というのはそれほど昔から世の男どもを魅了してきた分野だという事だ。別に俺は男同士のそれに昨今の女子が傾倒することを否定しているわけではない。ただ俺たちは男であり、そして多数派としての性嗜好を持っているとしても、それに一種の憧憬を覚えずにはいられないというだけの事だ。分かるかね?」

「は、はあ」

「そうして俺は思うのだよ。美少女同士の恋愛事、秘め事は見ている分には美しいと。君も想像したまえ。君が懸想しているのは春奈だったな? 春奈が見知らぬ男とそういう関係にあるのを想像すれば怒りを覚えるだろう? だが、その相手が男ではなく美少女だったとしたらどうかね? 一種の背徳的な美を覚えないかね? 俺はさらに踏み込んでこう思うのだよ。美少女同士の秘め事は尊いのだと」

「はあ」


俺の素晴らしい芸術的トーク技術によりイケメソはジリジリと後ろに下がっていく。そのたびに俺は一歩ずつ踏み込んでいく。

その眼には一種の怯えすら見て取れるが、真理を前にした者は怏々としてそういった態度をとるものだ。

これは思想と思想の衝突だ。この素晴らしい百合豚思想をもってこの中二病患者を蒙昧な思想を塗り替える思想戦なのだ。

他に何か目的があったような気がするが、この崇高な目的の達成、マニフェスト・デスティニーに従うこと以上に重要なものなどあろうはずがない。


「いや、それでも浮気は…」

「百合は浮気には入らない。いいね」

「アッハイ」


さあ、精神的優位はこれで確立した。これからじっくりとこのイデオロギーでこの男を染め上げていこうか。

この後、滅茶苦茶再教育した。





「キマシタワー!」

「キマシタワー!」


百合の素晴らしさ、尊さを胸に信仰を告白するための言葉を二人で五体投地しながら唱える。なんと美しい言葉だろう。

我々百合豚の本願である世界中にキマシ塔の建立を実現するための、いや、その実現を誓う祈りの言葉。

女性同士の絡みに男が混ざってはならない。ハーレムなんてもっての外だ。男など外野で良いのだ。

百合カップルの尊さを汚さない程度に、世界設定の矛盾が生じない程度につつましく登場すればいいのだ。

あー、世界の平和を守るって大変だなー。

と、


「お前、何やってんの?」

「ん?」


振り向くと、一人のエルフさんが耳を垂れ下げひどく疲れた表情でこちらを見つめていた。いや、お前こそなんでそんなに呆れた表情なのか。


「俺はこの青年に百合の素晴らしさを説いていただけだ」

「目から鱗でしたですセンパイ、尊敬するっス!」


このようなイケメソでも心から心理を説けば信仰に目覚めることが出来るのだ。なんと尊いことだろう。

何か本来の目的を忘れているような気がするが、そういったものは状況によって刻々と変化していくものなので問題はない。

目的が方便となり、手段が目的にすり替わる事など世の中ではごく当たり前だからだ。

例えば役所。本来ならば仕事に応じて組織の規模を決定するはずが、最終的に連中は組織の規模を維持したり大きくするため自ら仕事を作り出すのである。


「あー、うん、もうどうでもいいや」

「そうかそうか」


ルシアは溜息をついて肩を落とす。と、ここでイケメソが口を挟んできた。


「センパイ、この子も佳代子さんの愛人なんですか?」

「あー、まあ、そうだな、うん」

「は、何言ってんのお前ら」

「でも、お前、佳代子のことまだ好きだろ?」

「なっ、いきなりなんだよ!?」

「ツンデレの真似か?」


顔を真っ赤に、エルフ耳を赤くて声を荒げる。それだけで続きを聞かなくても、真実を察することが出来る。


「さ、さすが木之本佳代子…。春奈だけでなく、こんな外国人の女の子まで毒牙にかけるとは」

「んあ、なんでそこに春奈の名前が?」


おや、話の流れが…。はっ、しまった! 俺はこのイケメソを惑わすために言葉を弄していたんだった! この流れでは俺の口から出まかせが…。


「そうか君はまだ知らないのか。木之本佳代子と前川春奈の禁断の関係を」

「いや、あいつらそういう関係じゃねぇし」

「おい、それ以上は…」

「え?」

「え?」


イケメソとルシアの視線が俺に集まる。俺は誤魔化し笑いをしながら後ろへ下がることとした。

そうだ、コイツが来るまでの時間稼ぎだったんだから万々歳じゃないか。俺のスマートな頭脳が生み出した話術で目的を達成したんじゃないか。何も問題はない。

俺はタイミングを見て駆け出し、ルシアの背中の後ろへ。


「さ、さあルシア、やっちまえ!!」

「なあ、お前、それやってて恥ずかしくない?」

「適材適所という言葉がある」

「はん、このスットコドッコイが。呆れて物も言えねぇぜ」


半眼でこちらを睨んでくるルシア。俺もこれはどうかなと思うところがあるが、現実的な意味でこれが正しいのだから仕方がない。

相対する中二病野郎はプルプルと体を震わせ、怒り心頭といった表情。どうやら、俺のエクセレントな話術の種に気付いてしまったらしい。


「オノレ…、どこまでも見下げはてた男だな貴様は! この俺を巧みに騙し、あまつさえ女の影に隠れるなど!! 万死に値する!!」


微妙に時代がかった口上を述べると、イケメソは姿勢を低くして構えをとった。まるで一昔前に一世を風靡したバトルものの漫画のキャラのような構え。

具体的には右膝を曲げ左足を真っ直ぐに前に突き出し、両腕は軽く曲げた状態で猫が爪を立てているような中国拳法っぽい構えだ。特に深い意味はないだろう。


「その身に刻め! 狼牙ふうふ「ていっ」ふぉぁっ!?」


えらく懐かしい必殺技の名前を叫ぼうとした中二病君。しかし、そうはさせまいとルシアさんは容赦なく電撃をぶつけた。最後まで言わしてやれよ。


「無茶しやがって…」

「いやー、ほら、なんか見てて痛々しくてさ。これでアバンストラッシュだったらさらに容赦はしなかった」

「ネタが古いな…」


そんなにダメージは重くなかったのか、イケメソはなんとか再び立ち上がる。そしてその顔には驚愕の表情。

まあ、確かに自分だけが選ばれた存在だとか調子に乗っていたのだろうから仕方がない。これで鼻っ柱が折れて…、


「まさか今のは精霊魔法!? そうか、貴様も真の力に覚醒した選ばれし存在だったのだな!!」

「だめだこいつ、なんとかしないと」

「前半だけならあながち間違いじゃねーんだけどな」


そして同類認定を受けるルシアさん。まあ、TS転生とかエルフとか魔法とか連中が好きそうな設定だから仕方がない。

つまり、この場にはリアル中二病の二人が相対している事になる。ごく一般的かつ模範的な男子高校生には辛い状況だ。


「何故だ! お前のような選ばれし力の持ち主が、何故そんなクズを守ろうとする!?」

「良かったな、お前、クズだってさ」

「美少女にクズって言われるのはいいけど、男にクズって言われるとムカツクよな」


まるで意味が分からないと嘆くように呼びかけるイケメソ。だめだ、奴は完全に設定に酔っている。まあ、現実離れした力を得た以上、それはある意味において正しいのだろう。


「はぁ、いいか力有る者よ。お前はまだ覚醒してから時が浅く、こちらの世界の過酷さを知らないからそんな事が言えるのだ。お前は何もわかっていない」

「何を…?」


と、唐突にルシアが語り出す。おお、あれこそは奴が小学校の時とかにノートに書きためたブラックヒストリーの智慧に違いあるまい。

俗世に染まり、心が歪んだ後に聞けば悶えのたうち回る事になるという、聖なる魂の預言である。


「選ばれたなどというのは聞こえはいいが、実際はそんなに良いものじゃない。こんなものは呪いだ。一度その呪いを身に受ければ、二度とあの平穏な日常に変えること能わない、一方的で理不尽な呪いに過ぎないのだ!」

「な、なんだと…?」


ルシアの厳かなる言葉にイケメソは狼狽えるように声を上げた。ノリノリだなコイツら。なんか楽しそう。俺も右手が疼きだしそう。


「私がこの男を守るのは、この男が私にとっての日常の象徴であるが故。本当に大切なものというのは、失ってから初めて気づくものなのだよ。お前はまだ間に合う。私はもはや元の在り方に戻ることは叶わないが、私の精霊魔法を以てすれば、お前の身に宿った闇の力を払うことも不可能ではない」

「闇の…力」

「そうだ。国へ帰るんだな、お前にも家族がいるだろう…」


ドヤ顔でそう言い放つルシアさん。そして同じ波長を持つ相手との出会いに感動に打ち震える中二病患者。

でもルシアさん、そこでドヤ顔でネタに走るのはどうかと思います。


「さあ、日常へと帰るのだ若者よ」

「すまないが、それはできん。例えこの力が呪いなのだとしても、俺はもう逃げるわけにはいかないのだ!!」

「な…に?」


うわぁ、案の定、そっちの方向に突っ走りやがった。ルシアさんが心なしか助けを求める視線をこちらに送ってくる。

いや、お前が煽ったんだからお前が全部責任持てよ。俺は知らん。


「ば、馬鹿なっ、お前が行こうとしているのは茨の道だぞ! 暗い森と冷たい沼とどこにも通じることのない獣道をあてもなく行くようなものだ!」

「それでもこの右腕が、力が語りかけてくるのだ。《刻(とき)》は来たのだと」


おいやめろ。それ以上心が痛くなるセリフを吐くんじゃない。右腕は勝手に語り掛けてなんかこないし、そもそも刻をトキって読むとかどうしよう。

もうルシアさんが半泣きになってこっちに助けを求める視線を送ってきている。だからその世界に俺を巻き込むな。


「いいだろう。だが、試させてもらう。貴様がその力を手にするに相応しい魂の器足るかをな!!」

「待てっ、俺はお前と戦う理由はっ」

「捨て置けんのさ。その力は個人が保有するには規模が大きすぎる。強き力は時に救いをもたらすが、時には滅びと災いをもたらすものだからな!!」


人差し指でイケメソを指してそう言い放つルシアさん。どうやら、いいかげん痺れを切らしたらしく、実力行使に出るようだ。

つーか、その中二病的な話し方は維持し続けるんですか?

そして次の瞬間、ルシアの体が深く沈み込み、


「我は天馬、私の脚は万里を越える」


競技用の空砲のような、ターンッという破裂音という破裂音と共に少女の姿が俺の視界から消えた。

気が付けばその姿は男の懐に。男も俺も反応すら出来ず、ルシアはそのまま抉りこむように掌底を男の腹に叩きこんだ。


「かはっ!?」


そのままイケメソは身体を《く》の字に折り曲げて2,3mほど吹き飛び、仰向けになって倒れ込む。


「ぐっ、まだまだっ…、たはっ!?」


すると男に異変が起きた。まるで奇怪な踊りを踊るかのように、仰向けになった男の四肢や腰がビクリビクリと痙攣しながら妙な動きを始めた。


「あ、体がっ!? な、何をした!?」

「経絡秘孔を突いた。お前の命は後もって1分。敗北を認めるならば止めるための秘孔をついてやろう」

「経絡秘孔…、まさか、伝説の暗殺拳だと…っ」


勝ち誇るように宣言するルシア。いつの間に世紀末系バトルものになったんだ。というか、中二病バトル、まだ続いていたのか。


「さあ未熟者よ、敗北を受け入れるのだ。お前は良く戦った」

「くそっ、俺は…、俺はこんなものなのかっ」


悔し涙を流すイケメソ。両腕を胴に寄せ、手の平を上に向ける支配者のポーズで勝利宣言のルシアさん。あ、結局のところ同類なんですね。

ルシアは支配者ポーズのまま男に近づいていく。どうやらこの場はこれで収まるらしい。


「はぁぁぁ…、一時はどうなるかと思ったぞ。流石は我らがルシアたん」

「お前な…」

「さっさと片付けて帰ろう。俺もいい加減疲れたしな」

「アタシはさっさと風呂に入りたい。埃被って汚れちまったし」

「じゃあ帰って家で一緒に入ろう。全身くまなく俺が洗ってやる」

「死ねよ変態。お前は一人近所の銭湯にでも行って来い」


ビルの倒壊に伴い、この辺りには多量の粉塵が舞い上がっていて頭に埃をたくさんかぶってしまった。

確かにひとっ風呂浴びたいところである。

と、ここで男が控えめに口を挟んだ。


「あの」

「ん?」

「家で一緒に風呂とか…、もしかして、お前たち二人は、同じ家に一緒に住んでるのか?」


その言葉に俺とルシアは互いに視線を交わす。うわ、どうしよう。そうだ、ここは上手く誤魔化さないと。


「い、家が近所にあるのだよっ。だよな、ルシア」

「お、おう、そうそう、ご近所さん同士」

「それで一緒に風呂に?」

「入らないからっ。これ、ジャパニーズ・セクハラ・ジョーク。ユーノウ?」

「オ、オーイエイ、ヒーイズベリーHENTAI。オーケイ?」


二人でうさんくさい英語をまくし立てて必死に誤魔化そうとする。でも、イケメソ君は納得しがたいという表情。

とはいえ、完全に嘘とは見破られてはいない。このまま押し切ってしまえ。


「……まあ、そういうことなら」

「そうそう、俺たち正直者、嘘つかない」

「そうそう、エルフは正直者、嘘つかない」

「ところで」

「「ん?」」

「もう一分以上たってるような…」


俺はルシアをばっと見つめる。ルシアは「やべっ」と口を両手で押さえていた。俺は目の前の嘘つきエルフを追及せざるを得ない。


「おい」

「……」

「もう3分は経つぞ」

「……」

「ばーんって爆発して、こいつ死ぬんじゃなかったのか?」

「あ、えと、その、そうだっ、コイツの闇の力が予想以上にだなっ」

「その取ってつけたような言い訳は止めろ」

「…………てへっ」


ルシアさんはあざとい感じに舌を出して誤魔化そうとした。もちろん、その場の雰囲気は白けた。俺はイラッとした。


「何が経絡秘孔だ。期待して損しただろうがっ」

「ば、ばっか、勝手に期待して失望する手前ぇらが悪いんだろっ。アタシは悪くない」

「何がエルフは正直者、嘘つかないだ。お前、普段の言動からして嘘ばかりだろうが」

「嘘も方便って言うだろうがっ。お前こそ救いようのない変態のセクハラ野郎だろうが。この前咲姉から聞いたぞ。アタシが風呂入ってるの覗こうとしたってな!」

「ばっか、あれは同居人への礼儀って奴だろ。同じ屋根の下にいる女の子への当然の義務だ」

「はぁっ? じゃあ何か、同じ屋根の下で女が風呂入ってたら、お前、覗きに行くのかよっ?」

「当然だ。修学旅行にお泊まり会。佳代子の裸も春奈の裸もしっかりとマイ記憶のフォルダにしっかりとだな…、ん?」

「お?」


視線を交わし合ったあと、二人一緒に恐る恐るイケメソ君を見た。お怒りの様子で、右腕から黒い気炎が放たれていた。

そしておもむろに立ち上がる。幽鬼のごとく、ふらりと、そして俺を睨みつけた。


「リア充、死すべし」


その言葉と共に、黒い風が瀑布となって視界を満たした。





[27798] Phase012『エルフさんと闇の力2 July 15, 2012』
Name: 矢柄◆c6a9a2cf ID:035184dc
Date: 2015/03/04 19:58

「どうしてこうなった!?」

「手前ぇが馬鹿な事ベラベラ喋ったせいだろうが!」

「お前のなんちゃって経絡秘孔のせいだ!」

「はっ、そんな物騒なもん、使えても使わねぇよ! あれは単純に痙攣させてただけだ!」


ギャーギャーと言いあいながら、俺はその体をルシアの小さな肩の上に乗せられ、ルシアは俺を仰向けで頭を前にした形で、丸太を運ぶような状態で担ぎながら走る。


「おおおおおっ!?」


そしてまた急加速。ルシアは俺を担いだまま、一気に前へと加速した。しかも、あろうことか、その足は大地を踏みしめていない。

何もない虚空を足場として、コイツは恐るべき速度で走っているのだ。


「つか喋んな、舌噛むぞ! くそっ、くそっ、七面倒臭ぇっ!」




Phase012『エルフさんと闇の力2 July 15, 2012』




無人の街。ここいらはもう避難が済んでいるのだろう。事故を起こして店舗に突っ込んだ車や、窓ガラスの割れた店舗が並ぶゴーストタウンを駆け抜ける。

そして、コイツはまるでジェットコースターのようだ。体重60はある俺を軽々と肩に乗せ、自動車と同じぐらいの速度で上に下に縦横無尽に通りを抜ける。

アスファルトを足場にしていないので、あまり揺れないのは助かるが、斜めに横にとGがかかって生きた心地がしない。


「はっはー! 追いつけるもんなら追いついてみな!!」

「ぎゃぁぁぁぁっ!?」


恐怖で叫び声を上げる俺と対照的に、ルシアはハイなテンションで中二病を挑発し、虚空を蹴って方向転換する。

そのすぐ後ろを黒い奔流が過ぎ去り、それを浴びた建物の一部などが豆腐のように抉られていく。

あんなものを浴びたらと思うとゾッとするとともに、調子に乗って余計なおしゃべりなどした自分の浅はかさを後悔する。

後悔は不安を増大させた。

今の俺は明らかに足手まといだ。はっきりいって、俺をその辺りに捨てた方がコイツにとって逃げやすく、あるいは戦いやすくなるはずだ。

今は友情という絆で俺を助けてくれている。だが、もう少し状況が悪くなったらどうだろう?

疑念と不安が渦巻き、しかし俺は何も出来ない。


「ぜぜぜ、絶対に離すなよ!」

「なにそれフリ? 絶対に押すなよ的な」

「ちちち、違う!」


こちらの言葉を冗談と受け取る少女。だが、それすら前置き、予防線とすら思えてしまう。そのままあのコントのように、俺を真っ逆さまに落とすんじゃないかと。


「あんま喋るな舌噛むぞ」

「い、いいから、約束しろ!」


自分でも馬鹿な事を言っていると分かっている。けれども、言葉を、ちゃんとした確約が欲しい。

ルシアは少しの間返事を返さず黙り込んだ。不安が広がっていく。歯が震えてガチガチと音を鳴らす。

俺は邪魔なんじゃないだろうか? コイツと佳代子、二人だけなら話は単純だっただろう。俺がいなければ、この二人は何の気兼ねもなくヨリを戻せる。

もし、コイツがそれを望んでいたら? ここで俺を見捨てたところで、仕方なかったと言い張れば誰も疑わない。

そんな考えがグルグルと頭の中を巡り、恐怖と無様さに涙が出てきた。

しかし、


「信じろ後藤。アタシはお前を見捨てない。絶対にだ」

「圭介…」

「その名前で呼ぶなって言ってんだろう、このすっとこどっこいが!!」


その、どこか照れくさそうな表情が垣間見える言葉に、ふっと渦巻いていた不安とか恐怖が治まっていく。

まだ恐怖は消えず、不安は拭えないけれども、それでもコイツを信じたいという思いがそれを上回っていく。

だから、こんな状況にもかかわらず、何故か笑みがこぼれた。

だから、恐怖を振り払うように、それを直視しないために、俺は目の前の事象について話題を投げかける。


「つか、あの黒いのなんだ?」

「闇のぱぅわーだろ?」

「なんだよ闇のパワーとか…」

「フォースの暗黒面とか?」


闇の力。言葉にするのは簡単であるが、その実態を説明することは難しい。なんなの闇って? どんな効果なの?

抉られたビルは、その重量を支えられなくなり、中折れするように崩れて崩壊していく。

だが、こちらも負けてはいない。ルシアは空中で半回転すると、振り向きざまに指に挟んだ3本のダーツのようなものを放り投げた。

それらは不可視の、しかし僅かに放電する何かに捕まり、そして異様な加速を開始して3つ別々の赤い軌跡を残して飛翔した。

それら3つの軌道は一度、別々に見当違いの方向に飛んだが、途中で軌道を急変更し、空を飛んで追いかけてくるイケメソに向かって殺到する。

赤い軌跡は取り囲むように、男という焦点から少しずれた形で立体的に集束交差し、そして爆発を起こした。


「やったか?」

「フラグ乙」


しかし、その爆発は黒い墨のような靄に阻まれ、男に何の被害も与えることが出来ていない。若干、男をひるませ、僅かに追跡が鈍ったぐらいのもの。

分かります。こちらの攻撃の後、爆発とかで相手が見えなくなった時に「やったか?」と発言すると、ほぼ確実に無傷で敵が現れるんですね。


「全然効いてないぞっ」

「うっせぇ、これでも戦車ぐらいならぶち抜けるんだ! アイツがおかしいだけなんだよ!!」

「まじかよ…。どうにかならんのか、アイツ」

「どうにかしようにも、お前を担いでちゃ何にもできねぇな」


とはいえ、ルシアの攻撃は確かに足止めの役割を果たしている。あの即席はついさっきまでは一般人だったのだから、超高速で飛来する矢に怯むのは当然だ。

例え効かないと、防げると分かっていたとしても、それを無視することは出来ないようで、ルシアがそれを放つごとに彼我の距離が開いていく。

何度か目の攻撃で、逃げ切るのに十分な距離が稼ぎ出されると、ルシアは十分に相手の視界から死角になっていることを確認し、ビルの合間に着地した。

地元の銀行と証券会社の建物に挟まれた、人一人がどうにか通れる程度の細い路地。たばこの吸い殻などのゴミが散乱し、不潔で暗く狭い都市の谷間だ。

俺を肩からおろすと、両腕を万歳してルシアは伸びをして、柔軟体操を始める。

俺は先の、コイツのことを信じ切れなかったことの罪悪感がぶり返してきて、謝らなければならないと、気恥ずかしいけれども声をかける。


「さっきはスマン」

「ん、なんの事?」

「お前の事、信じられなかった。俺、マジで最悪だったわ」

「気にすんな。カヨから聞いてるだろ? 今、この周辺にそういう術式がかかってる。何でもない不安とか疑念を増大してく奴だ」

「…それでもだ。ただの自己満足だけど、ちゃんと謝らないといけない事はあるんだ」

「そっか。じゃあ、受け取っとく。あとでプリン奢れよ」

「安いな」

「は? プリン舐めんなよ。向こうにもあるけど、こっちのが絶対美味いんだかんな」

「分かった分かった」


本当に笑ってしまう。コイツには何でもない、当たり前の事を疑った自分の狭量さに。

外的要因があったとしても、トリガーを引いたのは間違いなく自分だ。その不安を抱いた事にこそ罪があり、だからこの可愛らしい罰を甘んじて受けるべきだろう。

ルシアは準備体操を終え、トンと軽くジャンプして立ち上がった。


「じゃあ、アレとガチで殴り合ってくる」

「一応聞いとくが、大丈夫なのか?」

「死にはしねぇよ。まあ、軽く揉んできてやる」


ルシアは豊かではない胸をはってそう答える。気負っている様子はない。まるで散歩にでも行くような軽さ。

それでも俺の不安は消えない。増幅する一方だ。コイツはいつだって無茶をするから、無茶をするときは大抵誰かのためだから、だからこそ手を貸してやりたいのだけれど。

俺にはその力はない。ただ心配して、応援してやることしかできない。


「そうか、なら勝てよ。あとで洋菓子屋のプリン食わせてやるから」

「美味いやつ?」

「佳代子と春奈が美味いって言ってたから、大丈夫だろう」

「そっかそっか、ぷーりーん♪ ぷーりーん♪」


また奇妙な歌を歌いながらクルリとターンを決めるロリエルフ。やだ、鼻血でちゃう。


「じゃあ、後藤、基本的にはここから動くな。たぶん、不安になると思うけど、あの術式がかかってる以上、自前の判断は危険だからな」

「ああ」

「でも、本当にヤバいと思ったら、自分の本能信じて逃げ回れよ。例えば近くのビルが崩れたりさ。アタシも全部面倒は見れねぇから、高度の柔軟性を維持しつつ、臨機応変に」

「分かった…。ってか、それ、いきあたりばったりって意味じゃ…」

「同盟の大戦略だぜ」

「信用ならないなおいっ」


ニヤリと笑うルシアに呆れながら、互いの拳をつき合わせてスタートの合図。

踵を返してルシアが細い路地から駆け出していく。俺はアスファルトの上に座込み、ため息をついて狭い空を見上げた。

元男とはいえ、今はあんな幼い少女の姿のアイツ。そんな奴に全部任せて、俺はこそこそと路地に隠れるという状況に酷く無力感を感じる。

助けたくても助けられない。たとえ俺が銃とか持ち出したとしても、何お役にも立たないどころか足を引っ張るだけだ。

所詮、俺はマンガの主人公になんかなれない。いや、まあ、役に立てる高校生男子なんてものがいたら、逆に見てみたい気もするが。

暇を持て余し、佳代子への連絡のためスマートホンを取り出す。すると、姉貴からのメールの着信に気付いてそれを開く。

開かなければよかった。

見てしまえば不安が異様に増大してくる。悪い想像ばかりが頭の中に浮かんでくる。それが外的な要因に促されていることに気が付いていても、焦燥は止められない。

俺は再び空を仰ぎ、少しだけ逡巡した後、重い腰を上げた。


「まったく、厄介事だらけだ。くそっ」







「さぁ、どうする?」


後藤を下ろした地点から少し離れ、アタシは黒ずんだコンクリートがむき出しのビルの屋上に陣取り、大きな空調の室外機の物陰から敵を伺う。

低い音を立てて熱風を噴き上げる室外機の向こうに、白髪の少年は後藤を探すようにキョロキョロと顔を左右にしながら空を低速で飛んでいるのが見えた。

とはいえ、探索能力自体はそれほど高くないらしく、手当たり次第、関係のない逃げ遅れた人を脅かしまわっているようだった。

原則的に他人を害する気はないようで、その辺りは安心できる。もっとも、巻き込むことに戸惑いはなさそうであるが。

直接的に関係のない人間は狙わないようだが、ビルの倒壊を引き起こして、それに伴う被害で害する可能性は高い。

行動原理に人間的な良心を未だ有しているようだが、怪物的な力を手に入れた人間は精神まで怪物的になる可能性がある。

それに、あの男が手にした力は…


「闇の力…ね。なんて曖昧なオーダーだ」


闇。光と対になる概念。だが、基本的に闇とは光が届かない状態を指すために、闇が存在するという表現そのものがナンセンスだ。

しかし、あの男は確かに闇らしきものを操っている。他にも空を飛ぶとか身体能力の向上みたいなものもあるようだが、その辺りは大きな障害にはなっていない。

さて、あの能力は何なのか。

触れた物質やエネルギーを跡形もなく消失させる黒い雲。気体のようでも液体の様でもあり、とてもじゃないが接近戦を選びたいとは思えない。

消滅は第8類型の特徴的な機能であるが、あれに身体能力向上などといった能力は存在しないし、何より姿かたちが変化するような願いを叶えるものではない。

所有者の姿形に強く影響を与える妖精文書は、第4類型と第6類型の二つが真っ先に候補として挙げられる。

このうち、本来持ちえない能力の獲得に関わるのは存在の改竄を主たる機能とする第4類型だろう。

まあ、それが分かったところで特に意味はなさそうなのだけれど。


「魔弾は…あんまり効果はなさそうだし……」


魔弾の射手。

ローレンツ力を利用して矢玉を加速する仮想の砲身を魔術的に展開する術式。砲身一つにつき、矢玉に700キロジュールに相当する運動エネルギーを加えることが可能だ。

既に仮想砲身は6個展開している。これは今の私の限界に近い行使だ。最大は7だけど、もう一つ展開した場合は狙いが定まらなくなる。

複数の弾種を使い分けることが可能で、攻撃力や汎用性が高く、周囲への被害を少なく済ませるという意味で私が多用する魔術の一つだ。

とはいえ、今回のように物理的な衝撃力のみで突破できない防御を有する相手には相性が良くない。

相手の防御のタネが分かれば、即興で徹甲弾を用意することも可能だが、それにはまず相手の能力の把握が必要になる。


「さて」


各砲身の位置取りと角度を調整してゆき、物陰からの曲射を狙う。

使用弾種は対霊聖別塩榴弾。精霊や神霊といった霊的存在に対して絶大な効果を有する弾種である。

純粋な魔術的防壁の打破にはそれなりに有効な手段であり、つまりそうでない防壁に対しては高速で塩をぶっかける程度の効果しかもたらさない。

とはいえ、霊的に強い特徴を持つ物質のため、防壁表面での挙動を観測するためのマーカーとしても有用である。

弓に矢をつがえるように、銀製の矢を右手にとって構える。狙いを定め、そして放とうとした瞬間、


「っ!?」


唐突に叩きつけられた大音響にビクリと反応して、しまったと思った時にはもう遅く、私は指先を狂わせてしまう。

狼の遠吠えのような獣の雄叫び。まるで音響を用いた暴徒鎮圧用の兵器のように私の鼓膜を貫き。

僅かにずれた狙いは、すでに飛翔を始めた矢の軌道に無視できない影響を与えた。ほんの僅かであるが、距離がある以上、最初のずれは修正が効かないほど大きい。

必死に展開している仮想砲身を制御して軌道修正を図るが、放たれた矢は大きく目標、から離れた場所へと飛んで行ってしまう。

そして榴弾は炸裂し、特別な処理を施した塩の結晶が熱とともに周囲に飛散して、白髪の男が驚いたような声を上げた。

もちろん黒いベールをなした闇は揺らぐことは無かったが、それでも聖別塩の挙動から、いくらかの有用な情報を取得できた。

それにしても、軌道変更が間に合ったからいいものを、いったいあの咆哮は何だったのか。


「ちっ、呼んでもいねぇのに乱入者か?」


音の出所に振り向くと、視線の先には馬鹿でかい、体長3mを超える毛を剣山か何かのように逆立たせた禍々しい狼のような化け物が目に入った。

一瞬だけ少し前の大蛇やネズミの群れの件が脳裏によぎる。連中がまた仕掛けてきたのか? このタイミングで?

化け物は私を一直線に目指して走ってくる。ビルの壁を蹴り、足場にして屋上に上がると、その肉食獣の瞳は寸分たがわず私を射抜いた。


「くそっ、前門の中二病、後門の狼ってか」


乱入者による異変は、白髪にも伝わったようで、あれの意識もこちらに向く。三つ巴とは本当に面倒な。

狼の化け物はあと数秒で私に襲い掛かってくるだろう。白髪は最短であれば、おおよそ同時に私に攻撃をしかけてくるだろう。


「しゃらくせぇ、両方相手してやるからかかってきな」


髪の毛を一本引きちぎる。金色の頭髪は光を纏い、そして急激に長く、太く拡大し、一本の槍を形成した。

透明感のある白い柄を、金糸で編まれた様な蔦植物をモチーフとした象嵌が彩る一本の槍。私はそれを脇に挟むように構えた。

そして屋上の空調の室外機などの構造物を足場に飛び掛かってきた狼の化け物に槍の穂先を合わせる。

そのまま串刺しになるかと思われたが、化け狼は空中で身をひねってこれを躱そうとし、私はそれに応じて槍を動かす。

穂先は化け狼の脇を切り裂き、鮮血が宙に吹き出るも致命傷には至らない。

狼は私の右傍らに着地し、私は槍を横薙ぎに振るうも、狼は後ろに飛び去って私の槍を回避して見せた。


「手伝ってやろうか?」

「はん、こんな犬っコロ、大した相手じゃねぇよ」


白髪は鷹揚に私に語り掛けてくる。どうやら化け狼を対処している隙をついて攻撃なんてことはする気はないらしい。


「あの男はどうした?」

「さぁ、ママのミルクでも恋しくなって家に逃げ帰ったんじゃねぇの?」

「……ずいぶんと口調が変わったような」

「こっちが素なんだよ。TPOは弁えなくちゃな」

「なぜあの男を庇う」

「腐れ縁って面倒だよな」

「……まさか、やはり惚れて?」

「ねーよ。あんな変態選ぶぐらいなら、独り身貫くわぁ」

「くくっ、今、ようやく理解したぞ」

「あん?」

「ルシアといったな」

「名乗るほどの者じゃねぇ」

「お前こそ我が運命の半身! 間違いあるまい」

「うわっ、私の男運少なすぎ」


男に告白されても正直なところ微妙な感情しか浮かばない。なんつーか、男を好きになるって言う感覚がいまいち理解できないんだよなー。

まあ、どちらにせよ目の前の中二病は論外だが。

さて、その間にも化け狼は低く唸りながらこちらを観察してきている。先ほど私がつけた傷はまたたくまに盛り上がる細胞に塞がれ、カサブタとなって剥がれ落ち、元通りに完治してしまっていた。


「俺としては、この邪悪なる獣を先に片づけるべきだと考えるが?」

「好きにしろよ。つーか、お前、闇の力とか使ってるのに、自分自身は邪悪じゃねーの?」

「笑止。闇とは原初にして終末。正邪などといったつまらぬ二元論に縛られることなどない」


そして白髪は大仰に太極拳っぽく両手を円を描くように動かし、闇のオーラ的なものを生み出す。もうやだこの中二病。


「闇の炎に焼かれて死ぬがいい、邪王炎「おいやめろっ」龍波!!」


特に炎でも龍でもない黒の奔流が白髪の手から放たれる。というか、その邪気眼の使い手が使うような技名は痛いからやめろ。

黒の奔流はビルを噛み砕き、濁流のごとく化け狼に襲い掛かるが、狼は軽々と跳躍してそれを回避してしまう。


「流速はそこまで速くはない」


黒の奔流は鉄筋コンクリートを飲み込み、喰らい、抉り、破壊するが、回避できないほどの速度ではない。単位接触面積・時間当たりの破壊量は定量であることが垣間見える。

だが、厄介なのは物質としての性質も有している点だった。つまり、溢れ、流れるのだ。溢れ出た黒い泥のようなものは周囲に飛び散り、被害を拡大させる。


「こっちにも飛び散ってるっての」


溢れこちらにも飛んできた黒い泥を避けるために後ろに跳躍する。はた迷惑だ。飛び散った泥が周囲を侵食して、建物を傷つける。

もし構造的な基部を破壊すれば、また建物の倒壊を誘うだろう。なので、早くあの馬鹿を止めたいが、化け狼に隙をさらすことも出来ない。

あの馬鹿が狼となぐり合っている隙に、漁夫の利であの馬鹿を仕留めたいところだが、まずはあの化け狼を仕留めておくか。

ポシェットから3本のダーツを取り出し、投擲する。加速する3条の火線は衝撃波と轟音を置き去りに、跳躍した化け狼に襲い掛かる。

化け狼は驚愕すべき反射神経と巧みな姿勢制御でこれを避けようとするが、3発の内1発が彼の胴体を貫いた。

もとより主力戦車の正面装甲以外ならば撃ちぬけるほどの威力を持つ魔弾だ。いくら強力な魔獣であっても、命中すれば致命的な一撃となる。

絶叫。断末魔にも似た咆哮と共に、魔弾は化け狼の胴の肉を抉りとり、その身体を真二つに分断した。


「ははっ、よくやった。後は俺に任せろ!!」


すかさず、白髪が黒い奔流で死に体の化け狼を押し潰した。多量の黒い泥はビルを飲み込み溢れ、周囲の建物やアスファルトの道路を侵食していく。

そしていくつもの建物が基部を侵され、自重に耐え切れずに倒壊を始めた。加減を知れって言うんだ。


「ふはは、すばらしいじゃないか。この華麗なる連携。やはり、お前とならば俺はさらなる高みに行くことが出来る」


崩れゆく街を背景に男が私の傍にふわりと着地し、不敵な笑みを作って握手を求めてきた。やだ、一回だけ成り行きで共闘しただけで仲間扱いとか気持ち悪い。

きらりと微笑む口からこぼれる白い光。芸能人は歯が命。殴りたい。


「おとといきやがれ」

「ぐわーっ!?」


ということで、笑顔で握手を求めてきた無防備な顔に雷撃を叩き込んでみた。案の定阻まれたのだけど。

本当は握手と共に電撃ながしてやるのがいいのだろうが、相手側の罠という可能性もあるし、なによりもあの男の手を握るのが嫌だった。


「ちっ、防いだか」

「くっ、やはり一度倒さないと仲間にならないイベントか…」


私は舌打ちをして、男のゲーム脳丸出しの気持ち悪い独り言をスルーする。殴りあって生まれる友情は男同士で育んでください。


「ふっ、一度躾けてやらないとなっ!」

「街をぶち壊しまわってるお前に言われたくはないセリフだな」


距離を取るため跳躍し、他のビルの屋上へと飛び移る。追いかけてくる白髪に向けて、ホルスターからダーツを取り出し投擲し、そのまま一気に引き離す。

行政書士事務所なんて書かれた看板のかかるビルの5階ぐらいの高さの壁を蹴り、コンビニが一階に入っているビルと建設会社のビルの合間に入り込む。

その後ろを黒い奔流が押し寄せてビルの合間を埋め尽くさんと迫るも、私の方が先に谷間から脱出する。

構造的に重要な柱を失った二つの建物はハの字に傾き始め、多大に支え合うように衝突した後、崩落が一時的に止まる。

体を翻すと同時にダーツを投擲。すぐさま時限信管の作動によって榴弾の爆発音が届いてきた。

榴弾自体は煙幕のようなものだ。時間を稼ぎ、そのまま裏手の路地をなす建物の壁を蹴りながら白髪との距離を稼ぐ。

放つ電撃やダーツは黒い泥に阻まれて届かない。一方、相手の黒い奔流はビルのコンクリートを抉って容赦なくこちらに降り注いでくる。

私はビルの屋上や壁を足場に次々と空を渡り、白髪の攻撃を避け続けるとともに攻撃の正体を探っていく。

そして、激しい応酬の中で私は飛び散った黒い泥の雫を電磁場を用いて捕捉した。

先程の聖別塩榴弾での実験でも観測されたが、この黒い泥は元素を消失させたり分解させる力を有さないようだ。

物質を消失させているわけではない。もしも触れた物質を消し去ったりしているのなら、大気圏で用いた場合には急激な気流の変化を生み出すからだ。

それはいくら埋めても埋めきれない真空地帯が生じていることと同義であり、つまりそれがあるだけで暴風がそれに向かって吹き込むことになるだろうからだ。

そうして、捕捉した泥を使っていくつかの試験を行い、その機能のおおよそを把握する。

どうやら無制限な機能を有しているわけではない。表面に接触した物質を破壊するようだが、その量や速度には限界がある。

単位面積当たりで、単位時間あたりに定量の物質やエネルギーに干渉する。機能についてもある程度の目星がついた。

つまるところ、これは秩序を破壊する類のものなのだろう。接触したモノの秩序を強制的に乱し、乱雑さを高め、破壊ないし無力化する。

黒く見えるのは可視光を吸収しているのではなく、散乱方向どころか波長まで乱雑に乱しているからのようだ。

無制限に長い波長、短い波長に乱され、無限大に薄められるために、純粋な熱エネルギーですら無力化される。

ただし、単位表面積、単位時間あたりの能力が限定されている以上、過剰な物量か火力があれば突破することが可能というわけだ。


「呆けている場合ではないぞ!」

「なっ!?」


次の瞬間、傍らにそびえるビルの壁を突き破る形で白髪が目の前に現れた。先ほどから遠くから黒い奔流を放ってくるだけだったので、接近戦を挑んでくるとは思わなかったのだ。

意表を突かれた上に、白髪の次の行動に私は一瞬だけ狼狽する。引き抜かれた街路樹が投げ飛ばされてきたのだ。

私はとっさに電撃を叩きつけてそれを粉砕するが、その爆発をものともせず、黒い雲を盾に男が突っ込んでくる。


「うぁっ!?」

「もらった!」


迫る拳。黒い奔流で私を殺してしまわないようにする配慮なのだろうが、むかつくのでそれは受けない。

私は左手に持っていた槍の穂先を男…ではなく、見当違いの場所に向ける。


「あばよっ!」

「なっ!?」


次の瞬間、槍は恐るべき速度で伸びた。何十メートルもの長さに一気に伸長し、向かい側のビルの壁に突き立ち、反動で私は後ろの方へ引っ張られる。

そのまま建物のガラス窓を突き破って内部のオフィスへと飛び込む。

肌を切り裂くガラス破片を無視して、私はいくつもの事務机にぶつかり押しのけながら、高圧の電撃で壁を撃ちぬき、ビルの反対側へと突き抜ける。

ビルから突き抜けると、槍から手を放して虚空を蹴り、一気にその場を離脱。同時にポシェットから小さな皮袋を取り出した。

革製の巾着袋から一握りの宝石の砂、書片を取り出す。血は既にガラスの破片で傷ついて出ているからそれを使う。


「解凍完了」


ビルを突き破ったのは相手にとっても意表を突いたのか、白髪は追いかけてこない。なら、その隙を利用させてもらう。

私は宙に書片を撒き散らした。そしてすぐさま形成される規則的な文様。その配列にどのような意味があるかは、専門的な知識と高度な演算装置がなければ解析できない。

球状の針金細工の籠のような形状をとるのを確認し、私はそこに一つの、書片よりかは大きな3cmぐらいのサイズの、トルコ石のような色合いをした妖精文書を放り入れる。


「管理者権限により起動」


シアン色の妖精文書は、さきほどの騒動、急激に気温が下がり凍結が起こった文書災害の原因だ。基底状態にあったそれを無理やり励起させる。


「初期化開始…、完了。記述開始…、完了。文書校正…、完了」


脈動するプラネタリウムを思わせる文様。淡く輝くそれを手に、私は術式を発動させた。


「詠え、唄を、響け、声よ、届け、意志よ」


球状の文様が花火のように破裂した。弾ける光は流星となって地上に降り注ぐ。瞬間、空間がたわみ、世界が大きく揺らいだ。

キンッという音が一度だけ響き渡り、私の直下を中心として葉脈を思わせるシアン色の光の筋が大地とビルの表面に這うように同心円状に広がっていく。


「何をした!?」


ようやくの登場だ。だが、遅きに失した。魔術師の詠唱を妨害できなければ、そのあと何が起きるなど自明の理である。

大地が鳴動を始める。震度にして4ぐらいの振動であるが、不安を掻き立てる音が地の底から響き始めた。


「なに…が?」

「さあ、ショウタイムだ」


私の言葉を合図に、鳴動の正体があらわになる。アスファルトを突き破り、鉄筋コンクリートを食い破り、無数の鋼の柱が大地からそそりでてきたのだ。


「なぁっ!?」


直径5mはある鋼の柱が白髪に殺到するように急速に押し寄せる。白髪は黒の奔流でこれを阻もうとするが、泥が鋼を喰う速度を上回る速度で鋼の柱は突き伸びる。


「おおおおっ!? バカな、バカなぁぁっ!?」


男の能力では押し寄せる鋼を喰らいきれず、そのまま鋼の塊に取り囲まれると、鋼の柱は互いの圧力により接合と変形を始め、巨大な塊となって白髪の男を包み込んだ。

妖精文書第5類型の機能は《数》である。元素を構成する電子・陽子・中性子の《数》が変われば、元素は別の元素へと変換される。

元素そのものの数もまた《数》だ。速度も時間もエネルギーも、それらは全て《数》で表される。

トルコ石の色をしたこの妖精文書を以てすれば、一粒の麦を一国の国民すべての腹を満たす量へと増やし、石ころを金に変えることも、気温を下げることも思いのままとなる。

悪用すれば経済の根幹を軽く崩壊させるだけに、この妖精文書の暴走はある意味において非常に厄介と言えるだろう。

そしてほどなく抵抗はなくなる。私はすぐに鋼の柱の成長を止める。


「なんという米帝プレイ」


相手に捌ける量の限りがあるなら、それを超える物量で押し潰せばいいじゃない理論。米帝資本主義のそういうの大好きです。

あの鋼の塊の中は酸欠か、あるいは分解された鉄の蒸気か粉塵で充満していることだろう。放っておくと白髪が死んでしまうので、元に戻す。

低いズズズという振動をたてて鋼の柱が元の大地に戻っていく。中から気絶した白髪の男が崩れ落ちてきた。

私は傍に寄り、検分を行う。


「はん、案の定、第4類型か」


右腕の皮膚に埋まった、小さな青色の宝石板を見つける。本当に沈まれ俺の右腕だったとか、正直いって苦笑いしか出ない。

それを抜取り、改めて文書魔術を発動させる。この白髪から件の能力を消すためだ。なお、元の容姿が分からないので、姿はこのままで放置である。


「集え」


撒き散らした書片を回収する。これで一件落着。私は「んー」と背伸びをするが、『音』を耳が拾ってため息をついた。


「なんだ、死んだんじゃなかったのかよ、犬っコロ」


崩れた瓦礫の影から、黒い巨大な狼型の獣がのっそりと現れ、低い唸り声を上げながらこちらを睨んでくる。

正直なところ、あの白髪をようやく倒した後という事で、なんとなく消化試合っぽくてやる気をそがれる。

先程の立ち合いで、アレのおおよその戦闘能力は把握しており、正直なところ脅威を感じない。

そして、でっかい犬が涎を散らしながら、遠吠えを上げ、そして私に向かって突進してきた。

私はホルスターから一本のダーツを手にする。


「じゃあな」


投擲したダーツは仮想砲身に捕まり、急加速して狼の化け物の頭部へと向かう。途中にも設置された仮想砲身によってさらなる加速と軌道修正を経て、それは狼の頭部を一撃した。

が、


「な…ぁ!?」


命中したはずの魔弾は狼の頭部の表面で消滅する。それは、あの黒い泥の表面で起きた現象と同じだった。

狼は止まらない、迂闊だった。アレはあの白髪の黒の奔流の直撃を受けて消失してもおかしくない損傷を受けたのだ。

だが、あの狼の化け物を生み出したのは妖精文書第6類型。際限のない成長と進化をもたらす機能がもたらした文書災害だった。

元々はもしかしたら野良犬か何かだったのかもしれない。それが何らかの願いを受けてあの化け物へと成長を遂げた。だが、それで終わらなかった。

黒い泥の侵食を受け、致命的な損傷を受けた時、それはさらなる進化を遂げたのだ。あの黒い力を取り込み、自らのモノとして利用する能力を手に入れたのだ。

狼が牙を剥く。白かったはずの牙は黒く染まり、あの白髪の能力を有していることを示す。


「ちっ、しくじったか」


腕一本なら上々。倒す手段ならいくつかある。先ほどの再現をした後、閉じ込めたあげくに大魔術で跡形もなく吹き飛ばすのがセオリーだろう。

相手は生物である以上、細胞をひとつ残らず消し炭にすれば、これを撃滅せしめることは可能だとふむ。

囮としての左腕を突き出し、そして、


「ルシア!!」

「んあっ!?」


唐突に誰かに押し倒された。目の前には男の胸部、抱きしめられ、間一髪で化け狼の一撃が通り過ぎ、そのままアスファルトに転がる。

臭いからそれが後藤だと気づく。震える腕で私を抱きしめ、決死の覚悟で私を助けようとしたらしいことが分かった。

馬鹿な奴。震えるぐらいビビってるくせに、まだ自分の背中を盾にして私を守ろうとしてやがる。私は思わずニヤりとしてしまう。

唐突な乱入者に化け物は戸惑ったように一瞬だけ動きを止める。それだけで十分だった。私は後藤に抱きすくめられながら、その脇から右腕を伸ばし、手の平を化け物に向けた。


「我は蛇、私の顎門は星を喰らう」


光が世界を蹂躙した。






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<エルフビーム>
エルフパワーを手の平に集中させ、前方に放つ究極奥義。相手は死ぬ。




[27798] Phase013『エルフさんは星を喰らう July 15, 2012』
Name: 矢柄◆c6a9a2cf ID:035184dc
Date: 2015/03/05 20:17

「我は蛇、私の顎門は星を喰らう」


言葉はトリガーだ。その言葉には大きな意味や力は存在しない。言葉に力は宿らない。言葉は切っ掛けを与えるだけだ。

定型句をもってルシアの右腕に埋め込まれた魔術式が駆動を開始する。外科的に式の結節点に移植された妖精文書の小片が励起を開始する。

次に葉脈か電子回路にも似た七色の光のパスが右腕に浮かび上がり、腕の周りに輝く腕輪のような円環が7つほど形成され、激しく回転を始めた。

円環は発生させた重力によって空間を捻じ切り、内部空間と外部空間を強制的に切り離し、腕の内側に一種の異界を形成する。

外側の世界の物理法則から切り離され、位相の異なる異界と化した腕の内側にて、世界の基盤たる原則が覆された。

この間、外部の、外側の世界の観測者から見ればコンマ一秒にも満たない刹那の時間。

人間という生物の知覚能力においては限りなく無意味で、しかし物理的には意味のある一瞬を経てそれは進行した。


「っ!?」


解き放たれようとするモノに、その言いようもない圧力に、襲い掛かる側だったはずの狼の化け物は明確な死を幻視した。

だが、彼には彼が視た未来を覆すための時間は与えられなかった。

外的要因によって極限までに進化洗練された彼の反射神経をもってしても、あまりにも刹那の時間では彼に次なる行動は許されなかった。

かくして、解き放たれたものは、青みがかった輝きの瀑布は、ルシアの小さな掌から、異界から世界へと射出された。

眩いばかりの光は、彼を容赦なく飲み込む。次の瞬間、狼を悪意に満ちた思想で歪めたような姿の化け物は内側から爆ぜた。

彼は、本能的にはその光が恐ろしいものであると見抜いていたものの、何故その光が己の肉体を滅ぼし得るのか理解できなかった。

彼は先の白髪の少年が有していた能力の発露、黒い霧状の場を細胞内に保持し続ける特異な性質を獲得していた。

その場に触れたなら、あらゆるものは乱雑さ、エントロピーを無限大に増大させられ、無秩序で無意味なものへと強制的に変化させられるといった強力なものだ。

光は確かに眩いものであったが、その程度ならば彼の身体を貫くことなどできないはずだ。にも拘らず、光は黒い泥を透過し、彼の肉体を蹂躙していく。

そうして、彼の肉体を構成する細胞は一つ残らず瞬時に蒸発し、プラズマ化し、焼きつくされ、元の分子構造を一切残さずに破壊し尽くされ、彼の思考は途絶えた。

そして光の瀑布は化け狼を焼き尽くすに飽き足らず、向かいのビル群へと突き進む。

円錐状に広がり多少は薄まっていくとはいえ、彼の化け物を滅ぼした有害極まる光の奔流だ。そんなものが、もしかすればまだヒトが残っているビルを貫いた。

だが、いかなる原理か。光はそのコンクリートを、傷一つつけずに透過していく。まるで、はなから障害物などなかったかのように、ただ光を周囲に放ちながら通過した。

もし、この建物の中に人がいたとしても、この光に曝されたとしても、多少の熱さを肉の内側から感じただけに終わっただろう。

多少の被曝は免れなかっただろうが。

そうして光は遥か彼方、僅か0.0045秒の行程、1,000kmを超える距離を踏破し、ようやく消滅した。

とはいえ、いくら他の建物や人々に無害であったとはいえ、目と鼻の先で化け物を跡形もなく消し去るようなエネルギーが解放されたのだ。

その余波は暴力的な圧力、爆風と熱となってルシアとそれを庇うような体勢の後藤に襲い掛かった。


「おおおおおっ!!?」


皮膚をジリジリと焦がす熱線と遅れてやってきた猛烈な爆風。台風のまっただ中のような風圧に後藤が雄叫びのような悲鳴を上げ、ルシアを庇うように強く抱きしめた。







「きゃっ!?」


強烈な爆風にあおられて、佳代子は右腕で顔を庇うようにしてコンクリートの壁に寄りかかり体を支えた。

何故、こんなにも危険な場所に足を踏み入れているのだろう。冷静な彼女、理性が足手まといだ、はやく戻れと警告を頻りに発している。

それと同時に、本能に近い部分の彼女が早く二人の元に行かなくてはとしきりに急かす。その声は理性のそれよりもはるかに大きい。

普段の木之本佳代子ならば理性の声に耳を傾けたはずだが、今の木之本佳代子はそんな冷静さを著しく欠いており、そしてそのことに彼女は気づくことが出来ないでいた。

さから、普段は大切に手入れを怠らない長い黒髪が乱れ、髪型はかなりみっともなくなっていても、今の彼女はそんな事に気を遣うこともできなかった。


「あそこ…なの?」


春奈を置いてきたのは正解だったと思いながらも、破壊の中心地に彼女は足を進める。同時に、彼女が想う二人が驚くほど危険な事態の中にいるだろうと想像した。

悪い想像を頭から追い出し、佳代子は光が放たれた場所を目指し、無人となった街を慎重に、祈るような思いで進んだ。


「二人とも…無事でいて……」


彼女の携帯電話に届いた平山咲からのメールによれば、狼のような巨大な獣が現れて暴れまわりながら街の方向へ走って行ったらしい。

その方向は間違いなく、あの二人がいる場所だった。おかしな力をもった男が、後藤隆に襲い掛かっていると聞いている。

先程から不安ばかりが彼女の胸の中に渦巻き、その足は何度もすくんで動かなくなりかけた。

二人が怪我を、あるいは致命的な怪我を負っているのではないかという後ろ向きな想像。少女がコンクリートの壁に叩きつけられて血を流すような恐ろしい妄想。

今の『彼女』は物理的にはずいぶんと強くなったようで、滅多な事は起こっていないと信じたいが、過去の実績がむしろ不安を呼び起こす。

また、《彼》を失ってしまうのではないだろうか?

そんな恐ろしい想像が脳裏に浮かぶ度に、彼女は叫びだしたくなるほど胸が苦しくなる。早く会いたい。会って、安心を得たいと願った。

そうして、しばらく進んで瓦礫と化した区画を横目に大きな通りに出ると、見知った背中を見つけた。


「いた…」


あれは後藤隆の背中だ。怪我はなく無事のように見える。無事だと思う。彼が、後藤隆がいるなら、『彼女』も近くにいるはずだ。

佳代子は慎重に周囲を見回し、危険がないことを確認した後、私は二人の無事を確かめるために、普段では考えられないような必死さで駆け出して、手を振って声をかけようとして、

目にした光景に、何故か足が止まり、声を発せなくなった。指先は震え、急速に冷えていくような錯覚を覚えた。





「え…?」


二人は抱き合っていた。金色の髪の『彼』であった少女は、慈愛に満ちた笑みを浮かべてタカシ君の頭を撫でていた。

少女はあの頃の『彼』とは違って、明らかに女の表情だった。

おそらくは、本人に面と向かって告げればムキになって否定するだろうが、その表情には明らかに母性的なものが見て取れた。

それは、『彼』が『彼女』となって、女性としてあることを完全に受入れ、今は女として生きていることをはっきりと私に理解させる。

だからこそ、不安が芽生えた。

まるで気の置けない中のように、楽しげに会話しているように見える。いや、二人は親友なのだからおかしくはない。おかしくはないはずだ。

だが、それは本当だろうか?

よく言うではないか。男女の間に真の友情は成り立たないなんて。事実、彼は私に恋愛感情を抱いたじゃないか。

なら、今や女性となった、そして女として歩んでいる『彼女』となったあのヒトはそういった感情を男に抱かないと言えるだろうか?

なら、後藤隆という男は、今や『彼女』となってしまったあのヒトに、そういった劣情を抱かないとどうして言えるだろう。

馬鹿な。

頭を横に振って否定する。冷静な自分は、理性は、こんなものは詰まらない嫉妬だ、とるに足らない誤解だと判断する。

だけれど、だけれど、本当に?

ほんの少しの、まるで気の迷いのような不安と疑念が種火となり、心の奥底に沈殿していた泥炭のような何かに引火した。

ドロリとした熱く暗く醜悪な泥のようなものが胸から湧き上がる。それは気管支を焼くような不快感をもたらした。

泥は血流にのって脳に届いたのか、毒が回ったかのように思考が滞り、視界が歪み、クラクラとしはじめる。

そうして、脳裏に二人が他の人間とは絶対にしないような、私とすらしないような、気の置けない掛け合い、親しく語り合う姿が浮かぶ。

あの二人はなんだかんだ言って相性がいいのだ。

喧嘩してもすぐに和解して、無邪気な笑顔で笑いあう。思春期が近づいてからは、私よりも多くの時間を一緒にいたはずなのだから。

そもそも、あんなにも可愛らしくなった『彼』に、タカシ君が惹かれないはずないじゃないか。

押しの弱い『彼女』は、タカシ君が本気で迫れば流されてしまうかもしれない。ヘタレだから、迷っているうちにとか。

熱く醜悪な泥に私の身体は支配されていく。

「盗られてしまうぞ」とダレかの声が私の頭蓋骨の内部に反響し、干渉しあい、無限に大きくなっていく。

不安が増大し始めて、止められなくなって、気が付けば私は衝動的に二人に向かって走り出した。

金色の髪の少女が私に気付く。一転、にこやかな表情でこちらに手を振った。胸が苦しくなる。


「カヨっ、無事だったか。見ろよコイツ、腰が抜けて-」

「ケイ君を放してっ!!」


私は二人の元にたどり着くと、自分でも信じられないほどの力で男を『彼女』から無理やり引きはがした。


「うえ?」

「ちょっ、おまっ!?」


信じられないモノを見るような、理解できないとでも言うような表情で私を見つめる二人。だが、そんなことはどうでもいい。

ケイ君は私のものだ。もう二度とだれにも渡さない。私は男を力の限り突き飛ばして、そのまま勢いに任せて『彼女』を抱きしめた。







「え…え?」

「ケイくん……」


絶賛混乱中。化け物をこの世から退場させた後、ものすごい形相のカヨが走ってきて、後藤を突き飛ばしたと思ったらハグされていた。

んで、今は前世でのあだ名をうわごとのように呟きながら私を抱きしめている。なにこれ、わけがわからないよ。


「えっと…」


カヨの懐かしい甘い体臭に、遠い記憶が脳裏によぎる。必死な声音に感情を掻き立てられる。だけれども、カヨはもう私の恋人じゃない。

つーか、後藤がいる前でこれは拙い。とにかく私は助けを求める視線で立ち上がった後藤を見上げた。今はお前のヨメだろう、何とかしろ的な意味で。

だが、視線の先にいた後藤は異様に冷たい表情で私とカヨを見下ろしていた。なんだその表情は? 私はお前のそんな表情は知らない。

嫌な予感に背中がぞわっとして、とにかくこの場を丸く収めるにはどうすればいいかを考える。


「や、だから、これは多分、文書魔術の効果で…」


カヨのこの取り乱した状態は、きっとこの周囲を覆っている文書魔術の効果によるものだろう。


この程度ならば、抵抗力を高める護符を持っている私に対しては影響を及ぼさない。対抗措置として、こちらも文書魔術を使ったことも大きい。

けれども、この二人には抵抗力は備わっていない。私の対抗措置も、簡易儀式によるものだから完全ではない。

それは分かる。分かるのだが、どうしてこういう結果になったのか理解が及ばない。いや、まあ何となく理由については想像がつくんだけれど。

とかく、理由や原因は後回しだ。そしてすぐに解決は出来ないだろう。だとしたら、今はとにかくお茶を濁して、問題を先送りにしなければならない。

が、その方法をグルグルと模索している最中にも事態は転がっていく。


「佳代子、やっぱりお前、そいつの事、まだ好きなんだろう」

「……あ」

「ご、後藤! ぷ、ぷりんをだなっ!」


後藤の異様なほど落ち着いた低い声。その声に正気に戻ったのか、カヨが顔を上げた。そして、サアっと血の気が引いたような青い顔に。

私は悪い予感に総毛だって、後藤の言葉を遮ろうと声を上げる。だが、後藤は手の平をこちらに向けて、私を静止した。


「う、嘘、私……」

「ずっと思ってた。お前が俺と付き合うって応えてくれた時から、俺はコイツの単なる代役なんじゃないかって」

「わ、私はっ、違うのタカシ君っ」


ゆっくりとした落ち着いた後藤の声。カヨは血相を変えて振り向き、泣きそうな表情で違うと叫ぶ。

止めろと声を上げたいけれど、どう考えても二人の修羅場の中心に私がいて、何をしたらいいか、何て声を駆けたらいいか分からなくて頭がグルグルになる。


「コイツを、死んだ圭介を忘れるためってか? じゃあもう必要ないだろ! コイツは生きて戻ってきたんだ! 責任とかそんな理由で恋人続けられても俺が惨めなんだよ!!」

「あ…」

「後藤っ! 言い過ぎだ!!」


私の声を無視して、後藤は踵を返して走り出した。カヨは追いすがるように手を伸ばして、そしてそのまま下ろしてしまう。

そうしてカヨはうつむいて、静かに涙の雫を落とした。

「どうすんだよこれ…」


私はすすり泣くカヨの頭を抱き寄せ、頭を撫でて宥めるぐらいしかできなかった。







「えっと、二人ともどうしたの?」

「……」

「……」


私の目の前で佳代子おねえちゃんと後藤先輩が黙りこくって、ぎこちない雰囲気を漂わせている。

ルシアちゃんはガラスで切ったと体中が傷だらけになっていて、看護師の人に連れて行かれ、簡単な手当を受けているのでここにはいない。

そうして、残された私はこの二人の間でまごまごとしていた。


「うう…、ルシアちゃん、早く帰ってきて…」


1刻ほど前、大きな爆発音が轟いた後、事態は急速に収束に向かいだした。

街をあれほどにまで混乱に陥れた魔法の効果は、いつの間にやら消失し、人々は冷静さを取戻し、警察や救急に従い、理性的な行動をとり始めている。

大きなカメラを担いだテレビ局の人たち、上空にはヘリコプター、あちらこちらで消防車と消防隊員が忙しなく動き回る。

先の図書館の事件といい、今回といい、何か得体のしれない大きな何かが背後で蠢いているような嫌な予感。

でも、今は、そんなことよりこの二人をどうにかしてほしい。

とにかく、話題を提供しなければ。


「こ、こんな大きな事件が立て続けに起きたら、学校お休みになっちゃうかも」

「そうね。休日だから学生もたくさん街に出ているでしょうし、巻き込まれた子も多いでしょうから」

「だな。それだったら、デートのやり直しでもしたらどうだ?」

「……何、その言い方」


と、唐突に険悪な雰囲気となる二人。あれー、もしかして地雷とか踏み抜いちゃったかなー?


「別に」

「何か言いたそうね」

「いや。ただ、改めて二人で行って来ればいいって事だ」

「…っ、ルシアちゃんも言っていたでしょう? さっきのは魔法のせいだって」

「だが、本心なんだろう?」

「そう、そういう風に言うのね」

「ああ。俺は代用品じゃない」

「私は貴方を代用品にした覚えなんかないわ」

「じゃあ、踏み台か?」

「……」


だんだんと二人の言葉に棘が出てきて、言葉に含まれる怒りが増えていく。私はどうしたらいいのか分からず、ただ焦るだけしかできない。


「はわわわ」


いつもは完全に尻に敷かれてる後藤先輩が、佳代子おねえちゃんと真っ正面から喧嘩している。

険悪な表情でにらみ合い、一触即発というような危うい状態になりつつあった。

何があったのか。おそらくはルシアちゃんに関わることなのだろうけど、それがどういう事なのか全く想像が及ばない。


「もういいだろう。俺の役割は終わりだ」

「そんな言い方は無いでしょう!」

「いいじゃないか、お前もさ、願ったり叶ったりなんだろ?」


次の瞬間、パァンッと佳代子おねえちゃんが平手で後藤先輩の頬を叩いた。おねえちゃんの瞳は涙ぐんでいて、後藤先輩は反対に少しだけ笑みを浮かべる。


「最低ね」

「ああ、最悪だ」


二人はそんな言葉を交わす。そして後藤先輩は踵を返しておねえちゃんの目の前から去っていく。おねえちゃんはそれを目で追わず、反対方向を向いてしまう。


「えっと…、その…」

「ごめんなさい春奈ちゃん、変なところ見せちゃって」


話しかけると、反対に謝られてしまう。


「いえ、その、結局、何があったんですか?」

「そうね…、ちょっとした擦れ違いよ」

「……」


そうして私は何も聞けず、何を話していいかもわからなくなり、自然と言葉が尽きた。


「今戻ったぞー…、って、後藤は?」


そうしている内に、ルシアちゃんが戻ってくる。そして、キョロキョロと辺りを見回し、後藤先輩を探し始めた。


「帰ったわ」

「えっと、そっか。薄情な奴」

「そうね。ええ、そうね」

「カヨ?」


佳代子おねえちゃんはそう答えて黙り込んだ。ルシアちゃんが弱ったような表情で私の傍にやってくる。


「何があった?」

「えっと、二人が喧嘩始めちゃって…」

「……何やってんだアイツら」

「ホントだね」


本当にどうしてこんなことになったのだろう? 私たちは一緒に途方に暮れることになった。




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ここから不定期更新になります。




[27798] Phase014『エルフさんとたくさんのプリン July 18, 2012』
Name: 矢柄◆c8fd9cb6 ID:5ba030de
Date: 2015/03/12 20:05

「ほら、食え」

「はわわわ…」


後藤が洋菓子店のロゴが入ったビニール袋から、大量のプリンを取り出し私の目の前に積んでいく。

そう、積んでいくのだ。

山のようなプリン。確かに子供の頃、お腹いっぱいのプリンとかメロンを食べたいと無邪気な希望を口にしたことがある。

それは邪悪なる幼馴染み(カヨ)によって実現され、軽くトラウマになったことがあるのだけど…、あれ、アタシ、虐められてた?

閑話休題。


「約束だからな」

「お、おう」


そうして後藤は黙って再び家から出て行った。わぁい、ゲロ吐くほどプリンが食べられるぞぉ。

誰か助けてください。

私はリビングで涅槃仏のごとくのんべんだらりとしている咲姉に助けを求める視線を投げかけた。


「ああ、私は昼から学校の方で会議があるから。無理」

「まあまあお代官様、そんなことをおっしゃらずに。山吹色の菓子でございます」


そうして私はこっそりとプリンを咲姉に差し出す。先の事件に多数の生徒が巻き込まれた関係で、学校はてんやわんやらしい。

そんな私の労りの心遣いに対し、咲姉は素気無くそのプリンをアタシの頭の上に乗せた。解せぬ。


「というか、お前たち、何かあったのか?」

「んー、まあ、その、色々と」


言葉を濁す。咲姉は私の頭の上に載ったカップ入りのプリンの上にさらにプリンを重ねて乗せた。解せぬ。


「まあ、話してみろ。私も教師だからな」

「ん、まあ、かくかくしかじかで…」


私は咲姉に事のあらましを話すことにした。煮詰まっていたところだから、相談できる相手がいるのは頼もしい。

そうして話し終わる頃には、私の頭の上には4つのプリンが積み重なっていた。解せぬ。


「なるほど。つまり、私のために争わないで?」

「そうなのか? 微妙に違う気が…」

「で、お前はどうしたいんだ?」

「アタシは、多分、そこまで長くこの世界にはいないから。だから私のせいで二人が疎遠なんかになったら絶対にヤダ」


本当はすぐに二人から離れて、この家からも出て、この街から去るつもりだった。文書災害にこれ以上大事な人たちを巻き込みたくないからだ。

だけれども、今、あの二人を放って出ていくようなことはしたくない。それだけは、絶対にダメだ。

そんな事をしたら、私はただあの二人の仲をぶち壊すためだけにこの世界に来たことになってしまう。


「なるほど」

「そろそろいい加減にしろよ」


頷きながら私の頭の上にさらにプリンを乗せようとした咲姉を静止する。静止された咲姉は恨めしそうな表情をしながら口を開いた。


「3人仲良くしたいということだろう?」

「おう」

「うむ、なら、佳代子のやつを寝取ってしまえばいい」

「ふぁ?」


え、何言ってるのこの人、バカじゃないの。驚きのあまり、頭あの上のプリンが落っこちる。慌ててお手玉のように全部キャッチ。あぶねぇ。


「タカシは佳代子のこと、まだ好きでいるんだろう?」

「多分」


アイツの想いは、ああいう事があったとしても、はいそうですかと好きという感情がなくなるような、そんな簡単な想いじゃなかったはずだ。


「佳代子はタカシと付き合っているが、お前に未練があるんだろう?」

「……みたいだな」


本当にバカな奴。もう3年も前に死んだはずの、しかも戻ってきたって言ってもこんな幼女みたいなナリになった奴にまだそんなことを。

だけど、感情というのは理性でどうこうできるもんじゃない。出来るのは抑圧して、表に出さないようすることだけだ。


「だが、佳代子はああ見えて義理堅いからな。タカシからお前に乗り換えるなんて、そんなことを自分に許すはずがない」

「ん」


交友関係が猫の額なみに狭い奴だけど、その分、木之本佳代子という女の子はその狭い範囲の相手には真剣だ。

約束は絶対に守るし、困っている時には必ず助けてくれる。まあ、その、手段と容赦のなさに関してはお口チャックだけど。


「だから、お前が奪い返したっていう建前を作ってやればいい。お前がタカシから佳代子を奪い返すなら、それは筋が通っているからな」

「いやいやいや、アンタ、何弟の彼女を奪えなんて唆してんの!?」

「お前も私の弟みたいなものだから…、あー、今はなんだ、その、弟のような妹?」

「それはありがたいけど、言ってることがな…」


しかし、そんな行動で本当に大丈夫か? 問題あり過ぎだろう。だいたい、私はいつまでもこの世界には居られないのだから、二人の仲を修復するのが筋だろうに。


「あの二人はそもそも始まってすらもいなかったんだ。付き合うだなんて言っても、口約束みたいな、ただの契約上の関係でしかなかったんだろう」

「そう…なのかな」


確かにあの二人には恋人らしい甘やかな雰囲気が感じられなかった。付き合って半年も経ってないにも関わらずだ。

あの時の後藤の言葉が正しいのだとしたら、このまま二人を無理やりに修復してみせても、外見だけの関係になってしまわないだろうか?

そうして悩む私に咲姉が耳を寄せて呟いた。


「佳代子の事、まだ好いてるんだろ?」

「うう…」

「なら、押し倒してしまえ」

「アンタ、教師失格だな」


私は呆れかえり、そしてとりあえず大量のプリンの山の一角を何とかすべく挑戦を始めた。

このあと滅茶苦茶プリン食べた。




Phase014『エルフさんとたくさんのプリン July 18, 2012』




「はぁ」


ここの所、あまり良くない感じだ。後藤の家にいても息が詰まるような気がする。いや、プリンの食べ過ぎというだけの話ではなくだ。

まあ、別に後藤が私に何か責めるようなことを言ってくるとかそういう事はなかったのだけど。

ほら、プリン買ってくれたし。量が半端なかったから、多分、当てつけ的な感情はあるのだろうけど、それは怒っているというのには入らない。

きっと、アイツもイライラしているのかもしれない。

どうせ、私になにか言うのは筋違いだとか考えて、どうしようもない感情のぶつけ先としてプリンの爆買いに走っただけなのだ。きっと。

この所の後藤は明らかにおかしく、いつものセクハラ発言も行為もせず、録画した深夜アニメも視聴しない。

この前の街での事件の煽りで学校が休校となったため、学生は自宅待機なのだけど、アイツは昼間は友達と遊びに行くといって家を出て、夜遅くに帰ってくる。

そして私の誘いには載ってこない。異常である。あの変態である後藤が、この超絶美少女である私がテレビゲームに誘ってもホイホイついてこなかったのだから。

せっかく、必殺のエルフ耳旗振り体操を見せてやったというのに。

普段はむしろ、自ら私にエロゲをプレイさせて私の反応を楽しもうとする変態なのに。変態なのに。

おかしくなった原因というか、その引き金を私が引いた以上、どうにかする責任というものがある。

特に、カヨとアイツの事についてはちゃんとしないと向こうの世界にも帰れない。

というわけで、思い立ったが吉日。私はまずカヨを説得するために、あの女のハウスに向かう事としたのだ。


「ここも久しぶりだな…。あんまり変わってない」


カヨの家族、木之本家は街の北東の一角、集団住宅が集まった団地の、少し古びたマンションの一室に住んでいる。

まあ、アタシがかつて住んでいた、今も春奈と両親が住む部屋もこのマンションの同じ棟にある。

まるでコピー&ペーストしたように代わり映えのしない、白い外壁の集団住宅が6棟ほど並んでいて、そのマンションの形状も単純に分厚い辞書を横に立てたような。

実に単純な造りの建造物群。記憶の中にあるものより若干くすんで、ヒビが増えたような気もするけど。

こんな代わり映えのしない無個性な集団住宅で生まれ育ったためか、昔は庭付きの一戸建ての家に無性に憧れたものだった。

まあ、一戸建て庭付きというのも以外に面倒があるのだと後に知ったのだけど。

さて、この棟の2階にはカヨの住む木之本家があって、私、春奈の家は4階にある。ちなみに、昔は高いところに住んでいる方が偉いと信じていた。

なお、カヨにその事を告げて自慢したところ、可哀そうなものを見る目で撫でられた記憶がある。

階段を登るたびに足取りは重くなっていく。

行ったのはいいけど、いざ目の前にするとやる勇気が出ない事ってたくさんあるよね。私もそうだ。いつもだいたいそんな感じで後悔先に立たず。

目の前の問題から目を背けたい。現実と戦わずに逃げ出したい。先延ばしにしてもいいじゃない、にんげんだもの。

そうして、カヨの家の玄関の扉の所まで来る。金属でできた素っ気ない扉を見上げた。視線の先には扉に張り付けられた、木で出来た表札。


「懐かしいでしょ?」

「まーな」


不格好な、木材の切れ端の形をそのままにした表札。下手くそな字で『木之本』と刻まれている。

表面はニスで少しばかり光沢があるも、なんでまだこんなものが掛かっているのかと首をひねるばかりだ。

昔、私が品行方正なクソガキだった頃に作った黒歴史である。

後ろを振り返ると、買い物袋を手にしたカヨがいた。


「いらっしゃい」

「おう」

「久しぶりね。アナタが私の家に来るだなんて」

「カヨにとっての久しぶりは、アタシにとっては遠い時代の話だぜ」

「18年だものね」


カヨがドアの鍵を開け、玄関に通される。カヨの家の匂いが一瞬、泣いてしまいたくなるほどの行き場のない感情を呼び起こし、波のように引いていった。

匂いが蘇らせた記憶の中のカヨの家と、今の家の内装はそれほど変わりがない。

正直、もう何が変わったのかも分からないほど擦り切れた記憶だけれども、前川の家と似ているからか、後藤の家のそれとは違って、より強く感情を揺り動かした。少しばかり涙ぐんでしまって、私は気恥ずかしさを誤魔化すために目をこすって笑う。

と、カヨが私に手を伸ばそうとして、躊躇して再び引っ込めるなんて意味不明な行動をとった。


「どした?」

「いえ…、なんでもないわ」


カヨは俯いてそう答えた。やはり本調子じゃないのだろう。普段ならもっと皮肉とか意地悪なことを述べ立てて私をからかうのだから。


「こんな所じゃあれでしょ。中に入りましょう」

「だな」


佳代子の言葉に促され、私はそのまま家に上がる。

この集団住宅の部屋はどれもが変わり映えのしない間取りで、だからかつて私が住んでいた家もカヨの家と同じような間取りになっている。

申し訳程度の小さな玄関、右には合板製の靴箱、その上には消臭用の芳香剤と造花が活けられた洒落たデザインのガラス製の花瓶。

玄関マットは花をモチーフとしたくすんだ色の絨毯で、板張りの廊下が続いている。そうして左右にいくつかのドアや収納があり、廊下の突き当たりにリビングへのドアが見える。

リビングに続くドアはガラスの嵌まった、他とはちょっとデザインの違ったもので、私はその先のリビングへと上げられる。そして、


「どうしてこうなったし」

「あら、どうしたの?」


プリンである。目の前にはガラスの器に乗せられたプリンである。

そも日本人が想像するプリンとは基本的にはカスタードプリンのことだ。本来はプディングという多種多様な料理のひとつでしかない。

プディングは卵や小麦粉、はてはゼラチンなどを利用して《腫れ物》のような形状に固めて焼き上げるか、蒸し上げるかした料理の事だ。

ヨークシャープディングなんかはただのパンにしか見えないし、そもそも広い意味ではソーセージすら含むジャンルでもある。

まー、そんな事はどうでもいい。どうでもいいのだ。問題は目の前にある。


「なに、私のプリンが食べられないの?」

「いや、その、さっき大量にプリンを食べる機会があって」

「この前、貴方がプリンとか叫んでたから用意したのに」


やだ、佳代子さん、そんな残念そうな声で言いながら、ワザとらしく悲しい表情をしないでください。

分かってるんですよ、貴女が心の中で悪魔のように微笑んでいることを。


「残念だわ残念だわ。ああ、残念」

「おい、そう言いながら『あーん』させようとしてるんじゃねぇ」


カヨは心にもない言葉を吐きながら、スプーンですくったプリンを私の口元まで近づけてくる。やめろ、やめてくださいお願いします何でもしますから。


「私のプリン、食べてくれないの? 手作りなのに」

「ぐっ、なぜこのタイミングで…」

「気が向いたのよ。ほら、冷蔵庫にまだいっぱいあるから」


私は大人しく口を開ける。佳代子は超嬉しそうな表情でスプーンを私の口の中に投入した。あ、おいひい。

ところで、今、冷蔵庫にうんたらかんたらと不穏な発言をしなかったか? 気のせいだよね。お願いです神様。

あ、佳代子さん、なんでアイランドキッチンの向こうへ? え、冷蔵庫から何を取り出して…、ひぎぃっ、お盆にいっぱいのプリンが…。

ああっ、神様、どうして私をお見捨てになられたのですか!? やめて、そんな笑顔で運んでこないで! その笑顔、放送事故ですからぁ!!


このあと滅茶苦茶プリン食べた。





「ふう」


一仕事を終え、汗をぬぐう仕草をしつつ爽やかな表情の佳代子さん。目が死んでいる私。もう一口も入りません。


「ウップ、し…死んでしまうがな」


教訓:物量はただそれだけで恐ろしい。

テーブルの向かいに座る佳代子は、頬杖をつきながら実に楽しそうに口元を手で押さえるこちらを眺める。


「私、誰かに自分の作ったものを食べてもらう時、すごく幸せなの」

「ああ、そうだろうな」

「お腹いっぱいになってもらうと、この上なく幸せだわ」

「逆流しそうだよこんちくしょう」

「また作ってあげるわね。そして私を幸せにして」

「アタシ以外にもその幸せを分けてやってくれ」

「春奈ちゃんには闇鍋をふるまったわ」

「流石ですカヨさん、屈服します」 ※感服ではない。

「イカ墨も入れたのよ。こんど、一緒にやりましょう」

「勘弁ください」


闇鍋。それは料理の名を騙った食材への冒涜であり、古来から伝わる闇のゲームの一つである。ケーキと酸っぱくなったキムチ一緒に入れると死ねる。

それはともかく、カヨは料理が上手い。将来の夢は可愛いお嫁さんなどと嘯いて修行していた頃があったが、結婚相手は間違いなく裏から支配される。

閑話休題。

さて、本題に入ろうか。


「後藤の件だけど」

「……そう来ると思ったわ」


予想通りらしい。カヨは頬杖を解いて、椅子に座りなおした。


「単刀直入に。あの後、会ったり連絡取りあったりとかは…」

「ないわ」

「そっか」


まあ、そんな事だろうと思ったけれど。

いい加減気づいてはいるのだけど、カヨは後藤に恋愛感情を向けてはいないらしい。そして、いまだに私に感情を寄せているらしい。

それは純粋に嬉しいのだけれども、だからといって後藤とカヨの関係がこのまま拗れておかしくなるのはいやだ。


「なんて考えているんでしょう?」

「バカな、心を読まれただとっ!?」

「相変わらずね…」


カヨは優しく笑みを浮かべた。そして、携帯電話を取り出す。何をしようとしているのか分からないけれども、とりあえずカヨを見守る。

画面に映し出されたのは後藤と、見知らぬ女の子が親しげにしている写真画像だった。


「私たちの恋人ごっこはもうお終いなのかもしれないわね」

「なんだよ…これ……」

「私の《お友達》がご親切に送りつけてきたのよ」

「アイツっ」


怒りが込み上げてくる。それはつまり、カヨから他の女に乗り換えたということなのか。昨日の今日でこれはないだろう。

確かにこの前のカヨの行動は裏切りに見えただろうけれど、それは外側の原因にも由来しているし、その事はアイツも分かっている筈なのに。


「悪い。ちょっと行ってくる」

「止めておきなさい。これは私と彼の問題よ」

「断る。これはアタシの問題でもあるんだ。プリン、ごちそうさま」


私は席を立ち、後藤を問いただすためにカヨの家を出た。







「バカね」


怒りを顕にして席を立ち、家から駆け出して行った『彼女』。それが私のためであると思うだけで心がくすぐったくなる。

ああいう所が好ましい。愛しいのだ。ああ、まだ好きでいている。救いようのない話だ。

まあ、あの二人は喧嘩するだろうけれど、適当なところでまた仲直りするのだろう。昔もそれは変わらなかった。


「本当に不器用なんだから」


それは私もか。思わず笑みがこぼれてしまった。







「くそっ、電話にも出やがらねぇ」


後藤に何度も電話をかけるがつながらない。不在だなんて嘘っぱちだろう。

冷静になれば、アイツはあんな風に簡単に恋人を乗り換えるような軽い奴ではないと思い返す。

そもそも何年も想いを抱き続けて、ようやく少し前に告白したような奴だ。そんなにとっかえひっかえだなんて器用な事が出来る奴ではないはずだ。

だから真意を知りたい。

カヨの心が自分に向いてないと知って自棄になったのだろうか? 理由は分からないけれど、ちゃんと話をしなければいけない。

いや、まあ、私が話に行ってもいいのかは本当にアレなんだけれど。

私はこの周辺で一番高いビルから街を見回すと、仕方なく腰のポーチの中に手を入れる。四次元ポケット的なポーチであり、携帯型のコンテナだ。

投入した物は一つ一つ別の空間に分けられて収納され、検索機能により好きな時に欲しいものを取り出せる。しかも、入れた物の質量を外部から見てほぼゼロにしてくれる。

便利機能満載なんだけど、ディスプレイがないので、よく何を入れているか分からなくなる。入れたまま忘れ去られたものなんかあるかもしれない。

そうして取り出したのはオレンジ色の小さな妖精文書を嵌め込んだ振り子。探し物をおおよそ確実に見つけることが出来るマジックアイテム的なものだ。

妖精文書を素材に、その機能を限られたものに特化させたアイテムを文具と呼ぶ。

いちいち初期化や書き込みなんかせずに使えるので便利だけど、限定機能しか持ちえないという点では即席で構築できる文書魔術に劣る。

あと、破損すると暴走する確率が高い。


「詠え」


振り子の先端がゆっくりと旋回するように運動を始める。運動はやがて楕円えと収束し、最終的には往復運動へと収斂した。

私は振り子が往復する方向に対して垂直に移動する。すると、振り子運動の方向が少しだけ変化していった。

2地点から得られた往復運動の方向、その二つの軸の交差点にターゲットがいる。3地点でとれば高さも特定できるが、今は必要ない。


「首を洗って待ってろよ後藤。其は我が翼、我が身は鳥」


ビルから軽く飛び降りる。少しの無重力のあと、不可視の翼が背中から広がり、ふわりと私の身体は空に舞い上がった。







「ひどーい、覚えてないの? 小学校同じだったんだよ」

「すまん。しかし、えらい偶然だな」

「だよねー」

「しかし、良く覚えてるな」

「後藤君たちって有名だったし」


何がおかしいのかケラケラと笑いつつ、テーブル正面の女の子が次の曲を入力していく。

我ながらチャラいことをしているモノだと内心呆れつつ、炭酸の泡が浮かび上がる人口色の冷たい飲み物をストロー越しに口に含んで喉を潤した。

しかし、意外にどうにでもなるものである。

先日の事、近郊の都心に向かい、生まれて初めて一人でナンパなどをした。予め調べておいた方法で何度か試すと、本当に成功してしまった。

ちなみに、一人でという限定については、過去にあのヘタレと共にノリでやったことがあるからだ。

その時は俺たちがまだガキだったせいで上手くはいかなかったが。

そんな風にして、今日まで同じようなことを繰り返す。本日の戦果は女子2名、俺と小学校が同じだったらしいが、顔も名前も憶えてはいない。


「でも意外だよね。後藤君ってナンパとかするヒトだったんだ」

「そうか?」

「そーだよー」


確かに俺はそういう事には無縁だったし、今もやりたいと思ってやっているわけではない。

こんな事をする羽目になるとは思わなかったけれども、これが最善というわけでもないのだろうけど。

と、ふと外側からたったったっという騒がしい足音が。それが近づいてきて、俺たちが使っている個室の前で止まり、扉が唐突に開かれた。


「天知る地知る悪を知る!!」

「ぶっ!?」

「ええっ」


金髪エルフ耳の幼女が唐突に部屋に乱入してきた。思わず俺はジュースを吹き出しかけ、一緒にいた女の子二人も目を丸くして少女を見る。


「見つけたぜ後藤、こいつぁいったいどういう了見なんだ?」

「人を指差すなって親から言われなかったか?」

「ふもっ?」


俺に向かって人差し指で指差す少女の口に、俺はテーブルの上にある、先ほど注文したプリンをスプーンで放り込む。


「ま、またプリン…」

「お前、好きだろプリン」

「モノには限度ってのがあんだよ! 今日はなんだプリンの日なのか!? 一年に一度エルフにプリンを吐くほど食わせる記念日かなにかか!?」


なにその記念日おもしろい。エルフ限定でプリン祭りとか存在が無駄過ぎるし、そんな結論に至ったコイツのおかしな脳みその中身を覗いてみたい。

ちなみに女子二人は「何この子カワイイ」などというお決まりの反応。もうちょっと個性的な反応を期待したい。

すると、イライラしているのかルシアは俺の耳たぶをつまむと、そのまま引っ張って俺を立たせる。


「畜生め、ちょっと面かせ」

「おい、耳を引っ張るな」


そのまま俺は店の外に連行されることとなった。まあ、いつかはこう来ると覚悟はしていたが。





「さっきいた女の子、写真に写ってたのと別人だったけど」

「やだストーカー? 怖い」

「え、お前、ここで死にたいの?」


軽いジョークに対する答えは放電。どうやら相当頭にきているようだ。

連れてこられたのは都心のちょっとした広場だ。時間帯の割にそれなりにヒトがいる。

俺はベンチに座り、正面に少女が立つ。ルシアの金色の瞳が俺を覗き込む。

ルシアの瞳には俺のこの裏切り行為に何か理由があるに違いないと信じる、あるいは信じたいという想いが見て取れた。

そこに純粋な喜びを感じ、そして同時に悲しくなる。


「それで後藤、お前、何考えてるんだ? キリキリ話せ」

「話す事はない」

「お前な…。そんな答えで、はいそうですかって、帰るわけにはいかねぇんだよ」

「俺の考えは、あの日、あの場所で全て言っただろう。佳代子の想いは俺には向いていない。これからも向かないだろう」

「そんなの分からない…」

「分かるさ。ずっと見てきたからな。だから、もう俺は降りさせてもらう」


ルシアの表情が陰る。なんて卑怯な物言いだ。吐き気がする。


「でも、じゃあ、カヨの事どうすんだよっ」

「俺の知ったことじゃないな」

「お前っ!」


ルシアが俺の肩を強くつかむ。今の言葉には流石に怒ったらしい。そりゃそうだ。俺がお前の立場ならブチ切れて殴り倒しているさ。


「なんだよっ、お前、そういう奴じゃないだろっ。別れるにしたって、もっとやり方があるだろ!」

「またお友達からやり直そうって言えってか? それはお前のエゴだろうが」


泣きそうな表情で声を荒げた親友に、俺は表情を変えないように努めて、声を押さえて応える。


「そうだけどさ! そんなんでアタシ達の関係が終わるのとか絶対に嫌だ!」

「それに付き合う義理は俺にはない。少しは俺の気持ちも察してくれ」

「っ……」


心にもない卑怯な言葉が少女の表情を悲壮なものに凍らせた。

大切なものに泥を塗りこむような作業。目の前の少女の表情に、胸のあたりが悲鳴を上げるように痛む。


「なんだよ…、どうしろってんだよ……」

「お前のしたいようにすればいいさ。だけど、俺を巻き込むな」

「っ!」


少女が肩を落とす。俺は立ち上がり、少女を置いてその場を去る。

なんてザマだ。全ての負債をアイツに被せて、俺が得るのは自己満足ただ一つ。

それでも、もう二度と、あの二人を引き離したくないから。アイツが佳代子には後藤がいるから大丈夫だなんていう逃げ道を断たなければならない。


「うわ、俺、滅茶苦茶かっこわるい」


本当に、他力本願とか最悪だな。



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若かりし頃、神戸牛とか松坂牛を胃からあふれるほど食べたいと、そんな夢を語ったことがあります。

そのあと滅茶苦茶おなかこわした。





[27798] Phase015『エルフさんはおうちに帰る July 18, 2012』
Name: 矢柄◆c8fd9cb6 ID:5ba030de
Date: 2015/03/19 20:25


「まだあったのか、この公園。つーか、もうちょっと真面目に整備しろよ」


ふと目に入ったのは、昔からよく遊び場としていた公園。

小さな山に寄り添う形で作られて、入り口付近に遊具や砂場があって、奥にはちょっと広めのグラウンドがある。

公園は手入れを怠っているのか雑草が蔓延っていて、ゲートボールをするためのグラウンドのスペースだけがそれなりに綺麗に整備されているようだ。

遊具はすっかり錆びついていて、しかも子供の頃にあった4人乗りの籠型のブランコなどいくつかの遊具がなくなっていて、少しばかり殺風景になったようだ。

多少は人の気配のある住宅地とは違い、公園の中には人は一人もおらず、まるで世界から切り離されているかのよう。


「老人の散歩コースに滑り台は必要ないってか」


子供が利用しないのなら、いっそのこと割り切ってしまえばいいのだ。どうせ利用者はお年を召した世代なのだから。

散歩道とか整備して、足つぼマッサージ的な青竹とか運動補助器具なんかを並べた健康と老人をテーマにした公園。

高齢化社会、過疎化、限界集落っぽくて良いと思います。


「かったるい」


…さて、先のことも在り、後藤の家に戻りづらく、なんとなく暇を持て余して、私はフラフラと公園の敷地に入っていく。

ちょっと感傷的。黄昏たい気分なのだ。

ふと目に留まった、長い間使われていなさそうなブランコに懐かしい気分になって、私は座板から汚れを払いのけて座った。

昔、このブランコに乗って遊んでいたとき、カヨと後藤が示し合わせたように後ろから私を押して揺れをどんどん加速させていって、私は怖くなって怒鳴り散らしたのを覚えている。

あいつら容赦ねぇからな。

あそこの大きな木は、4人で登った木だ。あの上でお菓子を食べたりしたことを覚えている。

ちなみにその後、全員降りられなくなった。

あそこの水飲み場は後藤と一緒に弄り過ぎて壊した奴だ。噴き出る水を止めるためにいろいろと詰め込んだ。

そのあと滅茶苦茶おこられた。

うわっ、クソガキだったじゃねぇかアタシたち。


「どうしたもんかね…」


キーコキーコとブランコを漕いで、そんな事をぼやいた。あまり良い考えも浮かばず、溜め息だけが重なっていく。

さっきの後藤の言葉が頭の中にリフレインして、苦い気持ちが蘇る。

結局のところ、私は何もかも台無しにするだけで、何も残すことはできなかった。

ぼんやりとブランコを漕いでいると、唐突に耳になじんだ女の子の声で話しかけられた。


「ルシアちゃん?」

「んあ?」



Phase015『エルフさんはおうちに帰る July 18, 2012』



振り向けば、公園の外からこちらを見つめる春奈がいた。

警戒心のない笑みを浮かべてこちらに走ってくる。おっぱい揺らしてくる。ぽよんぽよん。これは3Dに違いない。


「なんという立体的挙動」

「何してるの一人で?」

「哲学的思索にふけってたのさ」

「どんな?」

「キノコとタケノコどちらが優れているか」

「タケノコでしょ?」

「貴様もタケノコ派か…。チョコの量、キノコの方が多いんだぜ」

「いやー、バランス的にタケノコでしょ。となり座っていい?」


何故みんなタケノコなのか。私はキノコがいいと思います。別にタケノコが嫌いなわけじゃないけれど、なんか皆に合わせるのが嫌。

確かにタケノコの神的なバランス感覚は認めるが、しかし重要なのはチョコの比率だろう。あれはチョコ菓子なのだから。


「ケツ汚れるぞ」

「大丈夫、ちゃんとお掃除してから座るもん。うわぁ、懐かしい。ブランコ乗ったのって何年ぶりだろ」


春奈が右隣のブランコに乗り、足を使って漕ぎ始める。まったく、子供っぽい奴め。私が言える事じゃないけど。

キーキーと金属が軋む音。振り子運動で変化する体感荷重。なんとなく、春奈よりも大きく動くように漕いでしまう私。


「ぷっ、あははっ。ルシアちゃん、負けず嫌いだね」

「あ…、う」


春奈がお腹を抱えて笑い出した。私は耳まで熱くなって恥ずかしくなる。いや、なに妹相手にブランコで競ってるんだ私。

一通り春奈は笑い、私は「はぁ」とため息をついて空を見上げた。こういう風にあいつらはもう話せないのだろうか。


「…ルシアちゃん、その、佳代子おねえちゃんと後藤先輩のことなんだけど」

「ん、ああ」

「どうにか出来ないかな?」

「どうにかしていいモノなのか?」


質問を質問で返す。そもそも、あの二人の仲をどうにかしたいだなんて、私のエゴに過ぎない。


「あの日、何がったんだろう。何度聞いても教えてくれないし」

「話せる事と話せない事があるだろうさ。特に男女の話だから」

「そっか」


特に、この話には前川圭介という死人が深く関わっている。そして蘇った死者が新しく前を向いて歩こうとしていた二人の前に現れたのだ。

そんな話を春奈にしていいのだろうか?


「何か知ってるの、ルシアちゃん?」

「ん」

「話してもらえないかな。私、このまま私たちがバラバラになっちゃうのヤなんだ」

「春奈…」


その瞳には涙が溜まっていて、私は少し唖然となって、そして同時に無性に嬉しくなった。

ああ、コイツもそう思ってくれていたんだと。


「聞いてるかな? 私たちね、幼馴染みなんだ」


そして、春奈は語り出す。


「私が物心ついたころには、佳代子おねえちゃんが傍にいたの。それと、3年前に死んじゃったお兄ちゃん。私とお兄ちゃんとお姉ちゃん、3人でいつも一緒にいたんだ」


ああ、そんな事は知っているさ。コイツはいつも私たちの後ろをチョコチョコと付いてきて、いつも一緒に遊んでいた。

小学校になって、周りが男女別々のグループに分かれていって、私も男子だったから男どものグループに入って遊ぶようになっても、その縁はなかなか切れなかった。

春奈はカヨに良く懐いていたし、両親共働きでご近所さんなカヨはよくウチに来ては晩御飯を一緒にしていたからでもある。

ちなみに、小学生的な気恥ずかしさで邪険にした事があったが、調教された。うん、あれは今も思い出したくない。


「小学校3年生か4年生の頃だったかな…、お兄ちゃんがタカシ君、後藤先輩を連れてきて、それからは4人になったんだ」


発端は夏休みの自由研究だった。互いのテーマがマイナーにも拘らず同じに被ったのを知って、競う内にいつの間にかつるむようになった。

ちなみに、最初は喧嘩をしていたが、カヨの制裁で黙らされた。あの頃からアイツはカヨの事が気になっていたのだろう。

春奈は懐かしむように、笑みを浮かべながらあの頃の話を語る。

アタシと後藤が冒険と称して山の中に入り、一晩経っても帰ってこなかったのでカヨと二人ですごく心配した思い出。

ちなみに、あの時、二人で見た海をキラキラと輝かせた朝焼けは今も目に焼き付いている。

迷って、暗い野山をかき分けて、岩から落ちて怪我をしたり、山を抜けた先の海岸で一晩を過ごした末の愚行だったけれど、あれはあれで良い思い出だった。

そのあと滅茶苦茶怒られたけど。


「あの時はすっごく心配してね、私ったらひどく泣いちゃったんだよ。ほんとに酷いよね」

「でも、楽しそうだな」

「うん、すごく楽しかった。いつもお兄ちゃんと後藤先輩がバカなことやって、それでお姉ちゃんに怒られるの。楽しかったな…」


春奈が遠くを見る。まるで、そんなモノはもう手に入らないと諦めるかのように。

そう、楽しかったのだ。あの頃はどうしようもなく、もう手に入らないかもしれないと思うと胸が締め付けられて苦しくなるほどに、惜しい、なくしたくない、宝物のようだった。


「ルシアちゃんが来てから、後藤先輩とおねえちゃんの雰囲気があの頃みたいに戻って、嬉しかったんだ。あの二人、結構無理してたし」

「そうなのか?」


それは初耳というか、どういうことなのだろう。私が春奈に続きを話すように目で促すと、春奈は頷いて話し始める。


「佳代子おねえちゃん、後藤先輩の告白受け入れてから、結構一生懸命彼女をやろうと努力してたの。お弁当作ったり、デートのために色々と準備したり。最初は嬉しいからやってたのかなって思ってたけど、後でわかったの。たぶん、お姉ちゃんは努力してたんだよ」

「そう…なんだ」


それはある意味においてカヨらしい行動なのかもしれない。変なところで真面目なアイツは、たまに行きつくところまで行きつくかのような徹底をすることがある。

それを私は時々完璧主義者と呼んでいたけれど。

例えば勉強でも特定分野については完全にこなすけど、他の分野についてはかなり適当に手を抜いていた。

私たち以外の友人作りにはほとんど興味を持たなかったくせに、他の生徒を管理することについては、精緻と表現してもいいような恐怖による支配体制を築いていた。


「うん。後藤先輩もそのこと分かってたみたいで、気を使ってて、なんだかお互いに遠慮していたみたいな…。おねえちゃん、ふつうに後藤先輩を殴ってたから、気づいたのは最近だったけど」


あ、恋人同士になっても普通に殴られてたんだあの馬鹿。まあ、変態だったから仕方がないけど。

おそらく、カヨはそんな偽者でも続けていけば本物になると信じていたのだろう。カヨはカヨなりに一歩を踏み出そうとしたんだ。

後藤もそれを何となく察したうえで、あいつらは恋人をやっていた。

なら、二人の少しばかり不安定な均衡を崩してしまったのは私だろう。

私がいるから、私が帰りたいなんて思ったから、私がもう少し二人と一緒にいたいなんて甘えたから、二人の今までの努力や積み重ねを水泡にしてしまったんだ。


「だから、もしかしたらって思ってたけど、やっぱり別れちゃうのかな…」


きっとそれが仕方がないのだとしても、壊れたモノや失われたモノが二度と元に戻らない。壊れたという事実をなくすことができないから。

それでも、

それでも、もう一度繋ぎ直す手伝いみたいなことは出来るだろう。あの二人がぎくしゃくしたまま疎遠になっていく未来なんて想像もしたくないから。


「責任とらなきゃな…」

「ルシアちゃん?」

「…春奈は、嫌なのか? 今のこの状況が」

「別れちゃうのは二人の問題だから…。でも、バラバラになっちゃうのは嫌だな…」

「春奈はどうしたい?」

「私?」


何を聞いているのか。私、ヘタレすぎるだろう…。ここで、春奈の判断を全てにしようだなんて、本当に主体性もクソもないな。

春奈はブランコの上で少しだけ考え込み、そして答える。


「また、3人で仲良くしたい」

「二人が嫌がっても?」

「それは多分、今だからだよ。でも、ここで完全に離れちゃったら、一生後悔することになると思う」

「うん、分かった。じゃあ、何とかしなきゃな」


春奈の言葉を最後の免罪符にする。私のエゴを春奈で正当化する。私は私の我が儘に、この3人を巻き込むのだ。

ふと、春奈のまっすぐな視線を感じた。ちょっと気恥ずかしくなって、頬を指でかくと、クスクスと唐突に笑い出す。


「ルシアちゃんは優しいね」

「んあっ? べ、別にアイツらのためにやるわけじゃねーしっ。アイツらがああだと、居心地が悪くて仕方がねぇからしょうがなくなんだぜ」

「え、さっき、責任とか…」

「あーあー、聞こえなーい」


私はわざとらしく耳を塞ぎながらブランコからおりる。春奈からまっすぐな視線を向けられたのが恥ずかしくって、茹で上がったような顔を冷やしたくなったから。

そうして公園をぶらつくことにする。後ろからニコニコ顔の春奈がついて来るのはあくまでもオマケである。

しょうがないから、後ろからついてくるのを許してやっているのだ。まあ、一応、こんな巨乳でも私の妹だし。


「じゃあ、作戦会議だ」







ちょっとした用事からの帰り道、公園で一人、ブランコに座って黄昏る金色の髪のエルフの女の子を見かけた。

エルフっていうだけでファンタジーな感じだけれど、細長い耳とか、魔法の力とか、まるで漫画かアニメの登場人物のような。

そんな彼女、ルシアちゃんは見ていて面白い。表情や感情の変化に合わせて細長い耳が上を向いたり、垂れ下がったり。


「作戦会議?」

「ああ、あいつらをどうにかするためのな」


その無意味に自信満々に胸を張る姿に、ふと、3年前に海の向こうに消えてしまった兄を幻視する。

そういえば、前々から、どこか似ていたような気がしていたのだ。

口調なんかはものすごく似ていて、押しに弱くて、なんだかんだ悪態をつきながらも相手のために行動したりするところ。

何をバカなことをと思って、一呼吸おき、口を開く。それでも、なんだか心臓が高鳴って、心が軽くなって、楽しくなってくる。


「パーティーを開くとか?」

「パーティーね…、どんな理由で?」

「ルシアちゃんの歓迎パーティ。まだ開いてないじゃない」

「あー、でも、アタシ、もうすぐ帰るかもだし」

「えっ、ルシアちゃん、帰っちゃうの!?」


私はその言葉に思わず飛び出して、ルシアちゃんに迫るように近づいた。

せっかく仲良くなったのに、こんなに面白い女の子と知り合えたのに、すぐにお別れになってしまうのはすごく嫌だ。


「あ、うーん、まあ、もしかしたら…だけどさ」

「ダメだよ! どうして!?」

「いや、アタシにもアタシの都合って奴がさ」


目を逸らし、困った表情のルシアちゃん。でも、確かにこんなに小さな女の子だから、色々と家の都合もあるのかもしれない。

無理を言うのもダメなのだけれども。


「あくまでも、もしかしたらって話だ」

「ん、そっか…」


でも、それはきっともしかしたらじゃない。

私はもっと彼女の事が知りたい、仲良くなりたい。こんな風に思ったのは、きっと初めてのことだろう。だから、


「じゃ、じゃあ、こんな所じゃなんだし、私の部屋で話そっか」

「あ、ああ。…うぇっ!?」


私は目を白黒させてうろたえるルシアちゃんの手を無理やりにとって歩き出す。押しに弱いルシアちゃんは後ろで色々と騒いでるけど、私の手を振り払う事はなかった。





「昔、おねえちゃんとお兄ちゃんと一緒に作ったんだよ」

「…そっか」


古びた、それでも木目が暖かさを醸し出す、木材の切れ端の形をそのままにした表札。

味のある雰囲気のそれには、家族の名前が彫刻刀で掘り込まれ、表面はニスで少しばかり光沢がある。

お父さん、お母さん、お兄ちゃん、そして私。家族みんなの名前が掘り込まれていて、それは私たち家族が4人だったことを明確に刻む証だ。

これを見ると、どうしてもお兄ちゃんの事を思い出してしまう。指に怪我をしながら、ムキになって木と向き合っていた姿を思い出してしまう。

だけれども、家族の誰もこれを外そうだなんて考えなかった。汚れがあったら手入れして、外れかけたらちゃんと直した。


「じゃ、入ろっか」


鍵を差し込んで錠をカチリと開ける。薄暗い、今は中には誰もいない家。ルシアちゃんは私の後ろをおそるおそるという感じでついてきて、敷居の部分で一度立ち止まる。

私が振り向いて視線を送ると、何か勇気を振り絞ったような、一念発起した感じでそれをまたいだ。


「あ…」

「どうしたの?」

「いや、その、匂いが…、いや、なんでもない」


ルシアちゃんは「ちょっと目にゴミが入った」とかなんとか言って目をゴシゴシ腕で拭うと、キョロキョロと玄関を見渡した。


「変なルシアちゃん。あ、何にも用意してないけど、ごめんね」

「気遣いいらねぇよ。それより、早く入ろうぜ」

「そだね。じゃあ、私、お茶とお菓子用意するから、先に私の部屋に行ってて」

「お、おいっ」


私はそそくさとダイニングを目指す。あ、そういえばルシアちゃん、私の部屋の場所分からないんじゃ…。





「おーい、一応、私はこの家に初めて来たって設定なんだぜー」


小走りで奥に消えていく春奈に手を伸ばして、小声でそんなことを呟く。返答は期待していないけれど。

春奈の姿が見えなくなって、私は改めて辺りを見回した。玄関の靴箱、その上の花瓶。変わったのは壁に掛けられたカレンダーの柄ぐらい。

廊下の板張りの床に、壁には親父がどこかで貰ってきたという絵画。驚くほど何も変わっていない。

ただ、他人の家独特の匂いだけが私がもはやこの家の住人でないことを証明している。住んでいる人間には分からない、その家独特の匂い。

それでも入った瞬間、家の間取りは全て頭の中で描かれた。こういうものは忘れないらしい。靴を脱いで、私はおおよそ18年ぶりの帰宅を果たした。

隣り合ったかつての自分と春奈の部屋。春奈の部屋の扉には、彼女の名前が書かれた木のプレートがかけられている。

カヨと春奈が選んで買ってきたやつだ。私が作った玄関の表札とは滑らかさが違う。

そのまま春奈の部屋に入ろうとして、ふと自分の部屋の前で足を止める。期待半分といったところ。意を決してドアノブをひねった。


「なんだよ、これ」


まるで、本当にまるで、前川圭介がこの家の住人であった頃のそのままだった。勉強机も、張られたポスターも、本棚のマンガも、ベッドまで。

唖然と一歩、中に踏み入れる。


「なんなんだよこれっ、ふざけんなよ…。こんなんじゃまるで…、まるで、待ってるみたいじゃねぇか……」


昔のとおりだったらいいななんてさっきは思っていた。でも実際は物置になってるんだろうななんて思っていた。

でも、これはなんだ? まるで昔のままじゃないか。掃除まで行き届いていて、ご丁寧にカレンダーは差し替えられていて。

まるで、本来のこの部屋の主をいつでも迎え入れられるように、部屋は時間を停止してそこにあった。

懐かしさとともにこみ上げたのは、胸をかきむしりたくなるほどの罪悪感。力が抜けて、膝から崩れ落ちる。

諦めていた。もう二度と、私はこの家には帰れないと諦めていた。

だってそうだろう?

確かにこっちから行ったんだから、理論上は帰れる可能性はあったけれど、それが人間の手で可能かどうかなんて別の話だ。

例えば船が難破して絶海の孤島に流れ着いたとして、船を造る手段も航法も分からず、それで助けが来ないとしたらどうやって帰れると思うだろう?

不可能だと思っていた。魔法とか妖精文書なんて反則があっても、一代限りの知識と富の蓄積ではとてもじゃないが辿り着けないと結論づけた。

だから、諦めて、向こうの世界で骨を埋めようなんて考えていた。諦めていい理由なんていくらでもあって、諦めない事こそ馬鹿げた事に思えた。

なのに、この家は待っていたのだ。待っていてくれた。


「なんだよ…、バカやろぉ」


痛い。頭とか目が熱くなって、肺のあたりが痛くて、せり上がるように苦しい。痛くて痛くて、両手で自分の身体を抱きしめなければやってられないほどに、痛くて嗚咽がでる。

本当に、私の人生は後悔と自己嫌悪ばかりだ。

しばらくして、少し頭も冷えて、痛みにも少しだけ慣れて、立ち上がる。中学生の頃から変わっていない部屋を少しだけ見て回る。

机に触れて、ノートを手に取ってパラリとページをめくる。本当にバカだったころの私の痕跡。授業の内容の横に幼稚な落書き。そんなものまでご丁寧に残っている。


「ばっかだな。捨てちまえばいいのに」

「ルシアちゃん?」

「おあっ!?」


ノートをめくっていると、後ろから春奈が覗き込んできた。私は驚き仰け反って、甘い香り…じゃなくて、微妙なところを見られて気まずい思い。


「それ、お兄ちゃんのなんだけど…」

「わ、悪いな。ちょっと気になって。ほら、さっき春奈が話してたし」

「うん、そっか」


春奈がガラスコップ入りの麦茶を乗せたお盆を学習机の上に置く。そして、本棚から一冊のアルバムをとりだして、開いて私に見せた。


「これがお兄ちゃん。ぶすっとしてるでしょ」

「あ、ああ。間抜けな顔してる」

「そう? んー、でも、佳代子おねえちゃんもそんな事言ってたなぁ」


クスクス笑いながら春奈がアルバムをめくる。つーか、カヨの奴、アタシが間抜け面とか、後で文句を言わないと。


「部屋…、その、そのままにしてんの?」

「あ、うん。お父さんは整理しようとしたんだけど、お母さんが嫌がって。お母さん、今もお兄ちゃんが帰ってくるって信じてて」

「そうなのか?」


いや、それは不可能と思う所だろう。大平洋のど真ん中での飛行機事故なのだ。上空1万メートルからの落下に耐えられる一般人なんているはずがない。


「うん。表向きは外に合わせて振る舞ってるけれど、家の中だとね…。それに、ちょっと前から変なところに…、って、ルシアちゃんには関係ないよね。ごめん」

「い、いや。春奈が悩んでるなら力になりたいぜ」

「うん、ありがとう。でも大丈夫だから。じゃあ、部屋にいこっか」


母さんに何かあったのだろうか。気になりつつも、私は春奈の後ろについて部屋を出る。

そして、本題の作戦会議に入ったのだけれど、


「はーなーせーっ」

「だめだよ。これは話合いをするための重要なスキンシップだよ」

「頭を撫でるな。話合いにスキンシップなんかいらねぇ!!」

「あはは、ルシアちゃんは可愛いなあ」


現在、私ことルシア様は巨乳妹の横暴のもと、膝の上に乗せられて頭を撫でられている。後頭部というか、首ごとおっぱいに埋もれる状態。

私は後藤と違って今やまっとうな美少女なので、そういうのに喜んだりしない。つーか、妹のおっぱいに狂喜乱舞したら本物の変態である。

つーか、やっぱりでかいなコイツ。ふわっふわで首の後ろが天国で…、はっ、違う、私は妹になんて劣情を!?

死にたい。

しかし、小学校の頃から結構な体積を有していたけれど、あの頃とは比較にならない暴力的なエネルギー密度である。

いまどのくらいなの? 戦闘能力53万いってるの?


「んー、89くらい?」(※中学生です)

「どれだけ暴利を貪ったらそんな資産額を達成できるのか。カヨに分けてやれよ」

「おねえちゃん、たまに怖い顔で私の胸揉んでくるよ」

「格差社会の是正を要求します」


マルクス先生、貴方の思想は間違っていなかった。このような特定資本家による一方的な搾取と富の偏在が許されてよいのだろうか、いやない。

ブルジョア死すべし。立てよ全国のプロレタリアートよ! 今こそ革命の時。乳を寡占する資本主義の狗に鉄槌を下し、平等な理想国家を建設しなければならない。


「とりあえず、富乳税の創設を考慮に入れるべき」

「別に欲しくてなったわけじゃ…」

「持つ者は持たざる者の悲しみを理解しようとしないのだ。肩が凝る? いいぜ、その乳ごと揉んでほぐしてやるぜ!!」

「いいよ」

「ほにゃ!?」

「ふふん、さあ、さあっ」


私の高尚なアジテーションに対して、堕落した資本家の反撃は悪辣の一言に尽きた。ずずいと胸を私の前に差し出し、揉んで見せろと言い放ったのだ。

なんたる傲慢か。人間性への挑戦である。私は革命精神を維持するため、必死に心を律し、説得を試みる。武力闘争ダメ絶対。


「いいい、いや、お、女の子がそそそそういうことをするのは…」

「なんてヘタレ…。これぐらい女の子同士なら基本的なスキンシップだよ」

「マジかっ!? うらやまけしからん」

「ちなみに、私は学校で何度もブラのホックを外されてるよ。女子の友達に」

「これが風紀の乱れか…。少年法の改正もやむなしなのか……」


恐ろしい。男子同士でさえパンツを引きずり下ろすような野蛮な行為などほとんどしないというのに。

これが若者のモラルブレイクという奴か。少年犯罪の凶悪化に対抗するすべは、もはや法改正しかないというのか。

ところで、大事なことを忘れているような?


「はっ、乳に埋もれて本来の作戦会議という重要な使命を忘れるところだった。恐ろしい。胸の谷間は恐ろしい」

「パーティ開くんだよね」

「ヤツなら立派なおっぱい二つあればホイホイついて来るはずだし、カヨも春奈が呼べば問題なく来るから、開くことには問題はない。問題は何処で何をするかだ」


楽しい事がいい。細かい事、細かい意地、そういったモノがどうでも良くなるような、バカらしくて楽しい事をすればいい。

人間は楽しい事が大好きだから、楽しい思い出が大好きだから、楽しい人生が好きだから、そのために生きているのだから。


「じゃあ、こういうのはどう?」


そして私たちは計画を立てていく。





[27798] Phase016『エルフさんと席替え July 23, 2012』
Name: 矢柄◆c8fd9cb6 ID:5ba030de
Date: 2015/05/15 20:50
「……」

「……おい、止めろ、その手を離せ」

「手を離せと言われて離す奴がいるとでも?」

「いまなら間に合う、止めるんだ」

「紳士は急に止まれない」

「スタァァァップ!!」


カジュアルな装いの男が紫のサマードレス姿の女の両腕の手首を取った。少女は男の手を振りほどこうと必死にあがくが、男女の腕力の差は如何ともしがたい。

そうして力の均衡は青年に傾き、女に覆いかぶさるような姿勢となった。青年と女はしばし見つめあう。

そして女は口を開く。


「……乱暴する気でしょう。エロ同人みたいに。エロ同人みたいに」

「黙れ後藤。それ以上、カヨの顔と声で卑猥な発言をしたら、その口にパセリを山ほど突っ込んでやるからな」

「なにそれこわい」


青年は苦々しい表情でそう凄んだ。対する少女は彼女が本来しないような悪人面で含み笑いを始める。青年は盛大にため息を吐いた。

さて、大問題が発生した。つーか、現在進行形で発生している。

どうしてこうなったのか。まあ、原因は一つしかないのだろうけど、こうも次々と問題が発生するのはどういうことか。


「なあなあ、お前、女になった時、自分のアソコとか観察した? 俺、今、めっちゃしたい」

「お前は一度、精神的な意味で死ねばいいと思うぜ」



Phase016『エルフさんと席替え July 23, 2012』



事の始まりは2時間ほど遡る。

私と春奈は二人を、後藤とカヨの仲違いをなんとかするために、巧妙な謀を実行に移し、そしてその工程の半分が成功しようとしていた。

夏休みとは未成年の大イベント。学生生活における学校という日常から離れ、トロピカルでサンシャインな非日常へと繰り出す大チャンスなのだ。

初心なアイツも危険な一夜のアバンチュールでイメチェン一発大変身。いつの間にかリア充に転身したり、あるいは痛々しい勘違いへと踏み出したり。

ちょっとした行き違いで疎遠になりつつあるあの二人も、そんなリゾートでフルーツな雰囲気に呑まれれば細かいことなどどうでもよくなるはずだ。

というわけで、私たちは二人を最近評判になっているテーマパーク、《スチームandスチールワールド新湖面》に誘き寄せたのである。

誘き出すのは簡単だった。

後藤などは、春奈が胸を強調してオネガイすると、「イヤッホー」と叫んでホイホイ誘き出すことができた。

カヨは上目使いにお姉ちゃんと呼んでやると、「ふひっ」とキモイ笑いを漏らしたのちに、「おねぇたん」「お姉さま」「姉上」など一通り私に呼ばせた後、ホイホイついてきた。

…あれ、私、なんでこんな連中と仲良くしてるんだろう?

などという不都合な現実に気が付きそうになるものの、私は愛と勇気を振り絞って企みを実行するために動くのであった。

と、いうことで


「……」

「……」


季節は夏。気温は上々、湿度も上々。なのに、今私の目の前では寒風が吹きすさぶかのよう。効果音はたぶん『ゴゴゴゴゴ…』。

まるで頂上決戦か何かのように、二人の男女が私と春奈の目の前で睨み合う。

男はもちろん後藤である。かっこよさげな英語のロゴの入った黒いTシャツに薄い赤みがかったシャツをひっかけ、デニムを履いたカジュアルな装い。ジャージでも着てくればいいのに。

女はお察しの通りカヨだ。紫色を基調とした、膝の少し下まで丈のあるスカートのサマードレスに、少しヒールのある黒のサンダル。

どっちも見てくれは非常に良いので、笑みでも浮かべていればカップルに見えないこともないが、


「なんでコイツがいるんだ?」

「それは私のセリフだわ」

「ロリじゃない貧乳なんて価値ないだろう常識的に考えて」

「やだわ、これだから何もかも小さい男は」

「あん?(威圧)」

「ふっ…(暗黒微笑)」


まさに宿命のライバル的状態。仲の悪いチンピラ同士がガンつけ合うみたいに、互いに敵意を剥き出し

周囲の老若男女たちもドン引きで遠巻きにこちらを一瞥しては、逃げ出すように駆け足になって走り去っていく。


「いぬサルだぜ」

「どっちが犬でどっちが猿?」

「春奈、お前さ、カヨに向かってサルって言えるのか?」

「…無理」


カヨはあれで尽くすタイプなので、犬な感じなのだろうか。毛並みの綺麗な高級犬、ただし飼い主を噛む。

後藤? あいつはエロ猿で十分。

とはいえ、ここまでは想定内。無理やり再会させただけでわだかまりが消えるなど、こちらも思ってなどいない。

まあ、こんなに露骨に犬サルするとは思わなかったが。


「はいはい、じゃー、とりあえず泳ごうぜ。アタシ、ジェットコースター乗りたい。行くぞオラァ!」

「ゴーイング・ア・上ぇ~!」


というわけで、私の策略によって入場口でバッタリ出くわした二人は、今回の趣向についておおよそ理解してもらえたようである。

私は睨み合う二人の間に割って入り、二人の腕を取って歩き出す。春奈もテンションを上げてカヨの腕をとる。


「ちょ、お前な」

「はぁ…。いいわ、付き合いましょう」


二人は文句言いたげな表情をしながらも、特に抵抗することなく引っ張られてくる。だから、まだ大丈夫のはずだ。





《スチームワールド新湖面》

スチームパンクをテーマとしたこのテーマパークは、この地で操業していた鉱山の跡地に建設された一大娯楽施設である。

鉱山自体は昭和の終わりごろに採算が合わなくなって閉山したものの、創業者一族の当主はこの場所がこのまま朽ち果て忘れられることが許せなかった。

彼の想いは、かつてこの鉱山で働いていた鉱夫たちの子孫たちをも動かした。そうしていくつかの感動的な秘話が積み重なる。

縦横無尽に張り巡らされた坑道、トロッコのレール、石炭、蒸気機関車。ヒントはそこにあった。

そうして、彼らは何を思ったのか、今時、蒸気機関をメイン動力に置く一大テーマパークを築きあげることになる


「いつ来てもコチャゴチャしてるわね」

「これがいいんだよっ。ごつい機械、吹き上げる蒸気。とがってるな、このテーマパークは」

「蒸気カタパルトで加速するジェットコースターとか訳が分からないな」

「この蒸気、触っても火傷しない?」

「それ、ただのミストだから大丈夫だぜ」


重厚な鋼の塔が建ち並ぶ、まるで巨大な工場のような様相。工廠のような鉄塊がぶつかる音が鳴り響き、配管からは蒸気が勢いよく吹き出てプシューっという音を立てる。

古今東西の蒸気機関車が実働し、産業革命の初期からの様々な蒸気機関が再現され、動いているのを見学できたりする。

蒸気仕掛けコンピューター制御の様々なアトラクション、西洋のクラシック音楽家がつけてるようなカツラがトレードマークのマッチョなマスコットキャラクター《わっと君》。

広場にはカイゼル髭の創業者の銅像が偉そうに来園者を見下ろし、中央には壮麗かつ無骨な蒸気城がそびえ、時間になると蒸気仕掛けで鐘が鳴り響く。

まさに、重い、でかい、ごついの三拍子そろった、スチームパンクな世界観。

そんな、極めてマニアックなテーマパークなのだけれど、世の男の子たちには大いに受けたようで、中年男性たちのリピーターも多いのだという。


「石炭アメ買おうぜ」

「私嫌よ。あれ、舌が真っ黒になるもの」

「《わっと君》だ! 写真とろっ」

「あんなマッシブなマスコットキャラクターの何がいいのか…」

「えー、可愛いよ?」


テーマパークに有るまじき色の乏しさに目をつむれば、ここは老若男女それなりに楽しめる。

真っ黒な石炭飴、溶鉱炉をイメージした銑鉄マーボーなどグルメもある。石炭を掘る体験もできるし、SLを運転するための講座だって開かれている。

マッシブなマスコットキャラクターの腕にぶら下がる体験など、ほかのテーマパークのユルキャラ相手に出来ることではない。

ましてや、ダイナマイトの爆破体験なんて国内じゃここぐらいしか体験できないだろう。

大丈夫なのかこの施設? 法的な意味で。


「すげぇ、さすが《わっと君》。腕に女の子3人もぶらさげてやがる」

「あれぐらいマッシブだと、頼もしいというよりもギャグの類ね」

「カヨってマッチョはダメだったっけ?」

「あまり好みじゃないわね」


筋肉達磨は好みが分かれるという事だろうか。私はイイと思います筋肉。男だったころ死ぬほど鍛えたことがあった。結局、腹筋割れなかったけれど。

でも、カヨってムキムキで黒いパンツのボールギャグ咥えさせた男を人間椅子にする絵がものすごく似合うきがするんだけれどな。


「春奈はマッシブなのはどうよ?」

「んー、ちょっといいかなって」


えへへと笑う春奈。かわいい。

ピンク好きの彼女の装いは今日もやっぱりピンクである。天使である。


「だそうだぞ後藤」

「俺はインドア派なので」

「ざけんなよ。草食系とか最近増えすぎて希少価値ねぇんだよ!」

「は? ちょっ、おまっ!?」


というわけで、後藤の背中に飛びつき首にぶら下がる。後藤は引き離そうとするが、無駄無駄無駄。

振り回されても、私はぷらんぷらん首から離れない。


「離れろロリエルフ!」

「くけけけっ、さあ、お前らもやっちまえ!!」

「ほいさーっ」


というわけで、春奈が追加。満面の笑みで後藤の右肩にぶら下がる。おっぱいおおきいので、重量もきっとそれなり。

軽かった私による負担が、春奈のせいで大増量。


「や、やめれ。死ぬ」

「あらあら、大変ね」


そして、トリは奴である。

柔らかい上品な笑みを、カヨは後藤に向けた。後藤は懸命に「冗談ですよね佳代子さん」と卑屈な笑みを浮かべて下手にでる。

だが、カヨは満面の笑みを浮かべた。もう、口元が吊り上がって三日月になった。その顔は間違いなく悪役だった。


「私、マッシブな貴方が好きよ」

「お前さっきマッチョは好きじゃないって言ったよな!?」

「女心は秋の空って言わない?」

「それは女が言うセリフじゃない!」

「男がやる前から無理だなんて情けないわよ」

「男女差別反対。男らしく女らしくなんて旧時代の因習だ」

「それでも男には男の、女には女の役割があると思うの。例えば萌えは女の子の役割でしょう?」

「待て早まるな。男の娘という選択肢もある」

「…あなた、男の娘っていうタマ? 鏡見たことある?」

「控えめに言っても違うかと…」

「なら、マッチョを目指しなさい。プロテイン食べなさい。筋肉祭り。筋肉筋肉」

「いやいや、ほら、最近は鬼畜メガネとか細マッチョとかさ、あるじゃろ?」

「最近は細くてもインドアでも戦えるのがトレンドよ。魔法(物理)とかあるでしょ?」

「そんな夢も希望もない魔法は認めない。そんな魔法、ユメもキボーもありゃしない」

「トレンドだから仕方ないわ。今は物理の時代よ。交渉(物理)、女子力(物理)とか」

「キセキもマホーもあるんだよっ」

「言いたいことはそれだけ? 他に言い残すことは?」

「くっ、殺せ」

「よろしい」


カヨはニマァと邪悪に笑った。後藤は諦観の表情で笑みを浮かべた。そして、カヨの手が後藤の左肩に。苦悶の叫びが上がった。


「あ、抜ける。肩が、腕がぁっ!?」


でも後藤、お前、今まさにハーレム状態じゃね? うはうはだろ? 嬉しいやろ? おら、喜べよ。豚のようによぉ。

でも、まあ、早い段階で悪ノリとはいえ、雰囲気は良くなったと思う。これで、このまま、変な意地とか馬鹿らしく笑い飛ばせれば。

だが、


「…佳代子、お前、太った?」


次の瞬間、世界が氷河期に切り替わった。カヨは無言で後藤の肩から手を放した。後藤がふと漏らした一言。嗚呼、それが彼の最後の言葉になるなんて。

私と春奈はすぐさま後藤から離れた。逃げ出した。仕方がなかったのだ。次にカヨの右足がブレて見えなくなった。


「ぷぎゅるあっ!?」


そして最後に、錐揉みで吹き飛ぶ後藤を見た。


「無茶しやがって…」


教訓:女の子を体重の事でからかっちゃダメだぞ♪





「みつけた」


ふわりと、白い髪の女がテーマパークのランドマークたる蒸気城の尖塔の先に着地した。

年齢は20代ぐらいだろうか? 美しい相貌は、多くの人が黄金の髪と瞳を持つあの少女に良く似ていると評するだろう。

特徴的な細長い耳も、目元も、鼻の形も。

相違点は体の成長具合か。金色の少女のそれは未熟で、まだ大人とは言えない有様だけれども、白い髪の彼女は匂い立つような女の魅力を纏っている。

まるで、黄金の少女を理想的な形で成長させたかのような。

彼女は蒸気の城の頂点から下界を見下ろし、柔らかく笑みを浮かべる。その視線の先には自分に良く似た黄金の髪の黄金の瞳の少女。

彼女の瞳には慈愛の色が浮かび、表情には喜びが現れる。その少女以外の3人の人間など視界にすら入らない。

他の人間が少女を視界から隠すたびに邪魔だなと思い、いっそ吹き飛ばしてしまおうかという欲求に従いたくなり、すぐに理性を働かせる。


「いけない、いけない」


自省する。それではダメだ。何事にも手順、順序、段取りというものがある。

人間というのは面倒くさい生き物ではあるが、そういう面倒な機能こそが人間を人間たらしめているのだし。

反省した彼女は、改めて彼女は少女の周りの人間たちを視界に入れた。

彼女にとってはどうでもいい存在ではあるが、それは自分にとってそうであるだけで、彼女が想う少女にとってはそうではない。

意識を集中する。この世界の大気は操るには適さないけれども、向こうの世界でのノウハウが何もかも使えないわけじゃない。

いくらかの情報を取得し、予め黄金の少女に付けておいた同胞も回収する。

相変わらず、危険なことに首を突っ込んでいるようだ。相変わらず、厄介ごとに巻き込まれているようだ。

だから反対したのに。危険だから、行ってはいけないと。

やはり、自分が守らなければいけない。籠の中に閉じ込めて、何もかもから隔離して。


「おっと、脱線脱線」


自省する。それではダメだ。何事にも手順、順序、段取りというものがある。

そんな風に思索していると、ちょっとした厄災(トラブル)の種を指先が見つけ出した。

話には聞いていたから、そこまで驚かないけれども、ここまで簡単に当たってしまうというのは予想外。

そして、


「あ…」


彼女の指先で、厄災(トラブル)の種は芽吹きだした。彼女は少しだけ焦り、そして気を取り直す。


「ま、まあ、そういう事もあるのかな…」


そして、その体は大気ににじんで、溶けて消える。すると鋼鉄の城の頂には、またいつものように何もなく、しかし、その城下においては俄かにざわめきが広がり始めた。





時は数分ほど遡る。


「あいつら元気だな」

「若いわね…」

「いや、俺たちも高校生なんだから若いからな?」


見上げる視線の先にはアンバランスに曲がりくねる鉄の橋。その上をトロッコに模した列車が一気に駆け抜ける。

あそこには、アイツと春奈が乗っているはずだ。好き者である。あんなものの何が楽しいのか理解しがたい。


視線を落とすと、小道を挟んだ向かい側のベンチに、正面でなく斜め向かいに佳代子が座り、コールタール・アイスコーヒーなる謎清涼飲料水にストローを突き刺しかき回す。

ちなみに俺は天然鉱泉サイダー。炭酸とは思えないピリピリとした刺激がノドにくる。ここに遊びに来るたびに思うのだが、これらは本当に安全なのだろうか?


「それで?」

「それでとは?」


佳代子の要領の得ない問いに問いで返す。夫婦でないのだから阿吽の呼吸で答えられると思ってもらったら困る。

いや、まあ、どうせ一つなのだろうけど。


「私としては、あの子たちが望むようなフリをしてもいいと思うの」

「フリか。そうすれば、万事解決というわけだな」

「ええ」

「だが断る」

「……ここで私は《何っ!?》とでも言えばいいのかしら」


この後藤隆が最も好きな事のひとつは、絶対に上手くいくとそいつが思い込んでいる《良い話》の誘いに「NO」と断ってやる事だ。(※嘘です)

佳代子はそう答える俺を見ながら、「本当にバカね」と罵ってくれる。ありがとうございます。

とかく、アイツらの気持ちを裏切るのは正直思うところがあるのだが、一度決めた事なのだから筋を通さなければならない。

アイツを佳代子に、佳代子をアイツに押し付ける。そこに俺は邪魔物だ。

そういうわけで、俺はベンチから立ち上がろうとして、


「あぇ?」


次の瞬間、唐突に視界が切り替わった事に気づき、思わず変な声を上げてしまう。

あ…ありのまま今おこった事を話すぜ!『俺は佳代子の目の前でベンチから立ち上がっていたと思ったら、いつの間にか座っていて、目の前で立ち上がろうとしている俺を見ていた』

な、何を言っているのか分からねーと思うが、俺も何をされたのか分からなかった。頭がどうにかなりそうだった。

催眠術だとか超スピードだとか、そんなチャチなもんじゃあ断じてねえもっと恐ろしいものの片鱗を味わったぜ。


「うぇ…? 佳代子?」


すると、俺の目の前にいる俺(表現しずらいので以降は俺’と呼ぶことにしよう。)は俺を唖然とした表情で見つめ、そしてそんな事を呟いた。

そしてしばらく俺と俺’は凍り付いたように見つめ合う。それから数秒ほど経つと、俺’はちゃんと立ち上がって、自らの右手の平を見つめ、そして自分の体をペタペタと探るように触れだした。

それを見つめながら。俺もまた同じように自分の手の平を見ようとする。嫌な予感がしたからだ。その予感は、まあ、当たっていた。

見つめた自身の手は、普段の自分のものとは似ても似つかない、繊細で細くて綺麗な手だった。手入れの行き届いた、それでいて見た事のある女の手。

そして、自分の体も見てみる。スレンダーな肢体はよく見知った女のもので、紫を基調としたサマードレスという服装もまた、先ほどまで俺が見ていたものだった。

ここにきて、何が起こったのか事態を理解する。


「なるほど。またか」

「まあ、そういうことだぜ。…後藤でいいんだよな?」

「ああ。そうだルシア」


つまり、俺は佳代子の体に、ルシアは俺の体に入っているらしい。

しばらくして、周囲の至る所からざわめく声が上がりだした。





「はぁ…、どうするんだよこれ……」

「まあ、そう落ち込むな」


ベンチに改めて座り、俺の体で盛大に落ち込むルシア。俺はそれを眺めながら、佳代子の手荷物から手鏡を取り出して自分の顔を確認する。

鏡に映るのは、どこからどう見ても佳代子の顔だった。

そこで、俺はおそるおそる手鏡を下の方へ。股の間に持って行き、秘密のゾーンを垣間見る。

おうふ、ミラースパーク! なかなか刺激的な布切れではございませんか。

では、次にこの胸の二つの膨らみについて…。


「お前、なにやっとんの?」

「俺は今、女の体。なら、やる事は一つだろう」


問う俺の体の中に入ったヘタレ。俺は正直に答える。目の前の俺は絶句したかのように固まった。

なんだ、お前は俺を聖人君主とでも思っていたのか。いいえ、違います。俺はどこにでもいる一人の紳士でしかないのです。


「……」

「……」


無言の空間。さて、気を取り直して神秘の追及を。俺はそのまま二つの膨らみに手を当てる。

おお、ほーん、ふーん、ほうほう、なるほどなるほど。うおォン、俺はまるで人間全自動餅つき機だ。


「おい、止めろ、その手を離せ」

「手を離せと言われて離す奴がいるとでも?」


例えば上着のボタンとかブラのホックとかな。あ、何だろうこのイケナイ気分。これが乙女のハートビートモーターズかしらん。

ヒャッハァ、もう誰も俺を止められはしないぜ!


「いまなら間に合う、止めるんだ」

「紳士は急に止まれない」

「スタァァァップ!!」


俺の顔をした男が俺の両腕の手首を取る。邪魔をするか小癪な。貴様だってかつてはこの俺と同じ感情を抱いたはずだ。

おっぱい星人である事を辞めた草食系などは、地上の蚤だということが何故分からんのだ。

いや、しかし女と男ってこんなに腕力違うのね。突き放そうとするけど、全然できん。つーか、そのまま押し切られていく。

そうして、押し倒されるような格好になり、しばし俺の顔と見つめあう。うん、俺の顔とはいえ、男に押し倒されるってすげーキモイ。

ということで、このシチュエーションに相応しい一言を。


「……乱暴する気でしょう。エロ同人みたいに。エロ同人みたいに」

「黙れ後藤。それ以上、カヨの顔と声で卑猥な発言をしたら、その口にパセリを山ほど突っ込んでやるからな」

「なにそれこわい」


不機嫌顔のコイツには悪いが笑いがこみあげる。つか、パセリとか文字通り草はえるわ。

いや、確かに洋食の付け合わせのパセリは残すけどさ。あの独特の香りが好きじゃなくて、口に入れたらもにょるけどさ。

あ、あと俺の辞書に反省という二文字はない。


「なあなあ、お前、女になった時、自分のアソコとか観察した? 俺、今、めっちゃしたい」

「お前は一度、精神的な意味で死ねばいいと思うぜ」


解せぬ。

それはともかく、状況の確認である。抵抗を止めると、ルシア(外側は俺)がベンチの俺の隣に座る。


「んで、これもまたアレか?」

「だな。とりあえず、アタシの体探さねぇと」


曰く、俺の体のままだと魔法が使えないらしい。

魔法の才覚は肉体に依存しており、魂や精神には依存しない。それは、魔法使いは魔法使いの血統にしか生まれないことと同じとのこと。

それはそうと、


「その顔でその一人称はキモイ」

「茶化すな」


呆れた表情で返される。いや、でも、自分の顔と口で一人称が《アタシ》とか、オネエみたいで嫌だ。


「ん、探すのは体なんだな?」

「おう」

「佳代子たち…その、本人というか、魂の入った方とは合流しないのか?」

「どうやって見つけるんだ?」

「……ふむ」


どの程度の範囲でこの入れ替わりが起きているのか分からないが、少なくとも周囲の状況を見る限り、このテーマパーク内の人間はすべて巻き込まれていそうだ。

少なくとも佳代子の精神は何処か誰かの体に入り込んでいると考えていい。春奈もまた巻き込まれている可能性が高いだろう。

なので、外見でその人物が誰かというのを判断することは出来ない状況にあるので、佳代子が誰に入っているのか判別できないということか。


「アタシ自身の体を取り戻せたらどうにでもなる。さっさと行くぜ」


そうして俺たちはベンチから立ち上がる。ルシアは先程までジェットコースターに乗っていた。なら、行く先は決まっている。

少しぎこちなく歩く俺の体の後ろをおとなしく、しずしずと。

しかし、ヒールってのは歩きにくいな。スカートもスースーして落ち着かない。ブラジャーも妙な感覚だ。


「つか、こいつブラジャー必要なのか」

「あると無いのとは違うもんらしいぞ」

「お前、女になったくせに…って、ロリだったか」

「無い袖は振れない。無い胸は揺れない」

「平たい胸族」

「オマエは全然まな板のスゴさを分かってない!」

「貧乳はステータスだ! 希少価値だ!」

「「いやっふーっ♪」」


なんだか楽しくなったので勢い余ってハイタッチする。

そうだ、俺たちは大切なことを忘れていた。おっぱいに重要なのは大きさじゃない。触れるか触れないかだ。


「……いや、でも、薄いな、佳代子の胸」

「揉めるだけマシだろ。アタシなんてほとんどねぇんだぜ」

「いや、でも触ってみろよ」

「ん…、んー、んむ」


神妙な顔をした俺の顔でルシアは俺の、佳代子の胸を揉む。やだ、なんだろうこの変な感覚。これがホモ・オッパイモミスト?

しかし、真面目な顔で胸を揉む俺の顔。すごく、その、変態くさいです。


「特に変なシコリはないな」

「なぜ乳がん検診なのか」

「こういうのは魔女的な意味でよくやるんだよ」

「ふーん、ほぉーう」


なるほどなるほど。コイツも一人のおっぱい星人だったということか。分かるぞ分かるぞ。触診と称して、あんなコトやこんなコトを。

なんて思っていると、唐突に駆け足の音。二人して音源に振り向くと、


「「はぁ!?」」


でっかいキグルミが突撃してきた。そしてそのまま俺の体に入ったルシアを突き飛ばす。


「あべしっ!?」


目の前でぽーんと弾き飛ばされ、ごろごろ地面を転がる俺の体。

そしてそれを追い、仰向けになった俺の体の上に乗ってマウントポジションをとったまま無言で俺の体を殴り続けるベートーベン的なカツラの男をデフォルメしたキグルミ。

なんだこれ? 意味が分からないんですけど。つーか、それ以上俺の身体をタコ殴りにしないでほしい。


「ギブっ、ギブっ」


俺の体にinしているルシアが地面を掌で叩いて降伏を訴え、ようやくキグルミの暴行は止まる。

ん? いや、待てよく考えてみれば、このシチュエーションでこういう行動に出る奴は限られているのではないだろうか。

佳代子の貧しい乳を…、あ、睨まないでくださいお願いしますマジでそのキグルミ怖いです…、その、佳代子の控え目な胸を揉むのを見て激昂して暴力を振るう者などそうはいない。

アイツ意外にやるとしたら、ルシアか俺ぐらいだろうか。もちろん、俺は今は佳代子の貧そ…、いえ、その、スレンダーなボディに入っているわけで、ルシアは俺の身体に入っている。

というわけで、


「えーっと、お前、もしかして佳代子か?」


キグルミはこちらを振り向いて無言で頷いた。





その頃。


「えっと、じゃあ、その体、わたしのなんで…」

「あ、はい。えっと、どうしましょうか…」


前川春奈は見ず知らずの男性が入り込んだ自分の肉体と会話を交わす。どうやら、男性は家族連れでここにやって来た一家の大黒柱さんらしい。

話してみれば、ちゃんとしたヒトだったので安心だが。しかし、


「どうしよう……」


ジェットコースターの乗り場の上で私は途方に暮れる。

いつもより低い視界。そして、異なる世界。人類が認識できる光の波長域を超えた視覚。普段よりも遥かに複雑で豊かに知覚できる聴覚。


「ルシアちゃんの体かぁ…」


私は、異世界からやってきたエルフの少女の肉体に入り込んでいた。

事態はまあ、この前の図書館や買い物の時と似たようなものだろう。どちらにせよ、私にできることは少ない。

思うのは、どうしてこのタイミングで起きてしまったんだろうなんていう不満。

そうして途方に暮れていると、ふと唐突に目の前に白い女の人が現れた。


「ねえねえ、携帯電話で自分の身体の持ち主に電話したらいいんじゃないかな?」

「……あ、そ、そうか! ありがとうございます」


白い女性の言葉に、私の体の中に入っているヒトと、周囲の人たちがハッとなって携帯電話をとりはじめる。

周囲の人たちが一斉に携帯電話を操作し始める中、私は白い女性に目が釘づけになっていた。

綺麗な白い、年上に見える女の人。男子たちが夢中になるようなグラビアアイドルのような豊満ながらメリハリのある肢体の持ち主。

西洋人特有の目鼻立ち。何よりも美人だ。これだけ揃えば、街中ですれ違えば女子だって振り返ってしまうだろう。

そして何よりも私の目を惹いたのは、彼女がとてもルシアちゃんに似ていたから。

顔だちが似ているだけではない。耳もまたエルフ耳と呼ばれるような尖った形で、まるでルシアちゃんの髪の色を変えて、そのまま成長させたような容姿。

異なる点と言えば、ボーイッシュなルシアちゃんに対して、彼女はどこかフェミニンな雰囲気を纏っている事だろうか。

それだけでも、まるで別人に見えるのだけれども、それでも彼女はルシアちゃんに驚くほど似ている。

そうしてぼんやり白い女性を眺めていると、女性は唐突に私に近づいてきて、私の顔を覗き込んできた。

顔を近づけられて呆気にとられる。


「ふえ?」

「あはっ、こういう偶然もあるんだね」


彼女は女の私ですら見惚れるほどの、爛漫で無邪気でお日様のような満面の笑みを浮かべてそう呟いた。




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こんなテーマパーク、あったら行ってみたいけど、数年で潰れるよな絶対。

Pixivの方で東京ジブリーランドっていうネタがあって触発されたんですけどね。

入れ替わりネタは使い古しですね。大量入れ替わりは禁書目録のパク…オマージュです。ええ、オマージュなんです。あれは偽物が紛れ込んでましたし。



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