ザア――――
「はあっ、はあっ、はあっ」
吐き気が止まらない。
胃の中のものを全て吐き出してもおさまらない。
喉から血が出ている。
痛い、内臓も痛くてしょうがない。
涙が止まらない。
……俺は人を殺した。
何の意味もなく、容赦もなくバラバラに切り刻んだ。
あの人にだって人生があったのに、
未来だってあったのに、夢だってあっただろうに、
その全てを…俺がぶち壊した。
それは絶対に許されない事だ。
ザア――――
体がひどく寒い、このままだと死んでしまうかもしれない。
いや、そのほうがいいのだろう。
早く、消えてしまいたい。
「志貴…くん?」
不意に、そんな名前を呼ばれた。
「――――――――」
そこには――――弓塚の姿が会った。
懐かしそうに思い出を語って、俺の事を信頼してくれた少女。
俺は彼女がピンチになったら助けると約束した。
それは昨日の事なのにそれはもう随分昔の事のような気がする。
「こんな所に座り込んでたら風邪ひくよ?」
優しい声、そんな気を遣ってもらう資格なんて無いのに…
「いいんだ、もうどうなっても…ほっといてくれ……」
投げ遣りに俺は答える。
「よくないよ志貴くん一体どうしたの?元気ないよ?」
「…………」
答える気力も無くなった俺は黙っていた。
だが次の弓塚の言葉には反応せざるを得なかった。
「志貴くんから随分血の匂いがするのと何か関係あるの?」
「…………!!」
どうしてそんな事がわかるんだ!?
「そうだなー例えば……」
驚きに固まっている俺に弓塚が追い打ちをかける。
「人を殺しちゃったとか?」
その瞬間、俺は心臓が止まったかと思った。
弓塚は口調こそ疑問系だが…そうだと確信している。
「…ああ、そうだよ、俺は人を殺した」
言った、言ってしまった。
今まではどこかまだ否定している自分があったような気がする。
けど、今俺ははっきりと認めてしまった。
「俺は人殺しなんだ、それも何の理由も無く殺してしまったおかしい奴なんだ。だから弓塚さんはこのまま帰るなり、警察に連絡するなりしてくれ」
これで弓塚も俺の前からいなくなるだろう、それが当然だと思った。
――――なのに
「何で人殺しがおかしいの?」
そんな事を言ってきた。本当にわからない、と言った顔で。
「な!!」
絶句した、弓塚が本気でそんな事をきいている事に。
「何でって…俺は人を殺してしまったんだぞ!!それも何の意味もなく、容赦もなく殺した。殺された人にだって人生があったのに、未来だってあったのに、夢だってあっただろうに、その全てを…俺がぶち壊した。そんなの絶対に許されない事じゃないか!!」
それを聞くと弓塚はどこか寂しそうな顔をした。
ようやく俺は弓塚の様子がおかしい事に気付いた。
弓塚は昨日から家出しているっていうのに何でこんなとこにいるんだ?
この雨の中どうして俺が血の匂いをしているとわかるんだ?
俺が人を殺した事を知ってもどうして平然としていられるんだ?
なぜそんなに眼が紅いんだ?
そして……どうしてずっと手を隠すように後ろに回しているんだ?
「そっか、そうだよね……それが普通の考えなんだよね……でも、志貴くん、そういう風に考えられるのなら志貴くんはまだ全然まともだよ。だって……私なんてね………」
弓塚が手を前に出した。
「たくさん人を殺したのに、もうほとんど何とも思わないもの」
その手は…乾いた血の跡がこびりつき、袖が真っ赤に染まっていた。
「な……!!」
目の前にあるものが信じられない、弓塚が…人を殺した?
「本当なのか弓塚?」
「嘘だって言っても信じてくれないんじゃない?」
信じられない、信じられないが間違いなく彼女は嘘をついていない。
「いったいどうしてそんな事を……」
「私もまだ状況を完全に把握してないからうまく説明できないなあ」
そういいながら弓塚は噴水に近づき手を洗う。
紅い血が噴水の水に溶けていく……
「これでいいか、ねえ志貴くん、とりあえずもういい加減帰ったほうがいいよ。
いつまでもここにいたら本当に風邪をひくよ」
「…………」
「もう、しょうがないなあ」
動こうとしない俺を弓塚は無理やり背負った。
明らかに弓塚より大きい俺を軽々と。
「弓塚!?」
「ちょっと揺れるけど我慢してね」
そういって弓塚は走り出した。
かなりのスピード。
とても人を背負った少女に出せる速さではない。
「ここでいいかな、さすがにこの格好で志貴くんの家には入れないし」
屋敷の門の少し手前で俺を降ろすと弓塚はそう言った。
「弓塚……」
「あんまり考えすぎるのはよくないよ。それじゃ…うっ!!」
急に弓塚が苦しみだした、胸を押さえてしゃがみこむ。
苦しげに喉をかきむしり、弓塚は口から血を吐いた。
「痛い…やっぱり無闇に吸うべきじゃなかったな…質のいい血じゃないと体に合わないみたい…」
もう何もかもよくわからなかった。
でも、今目の前で弓塚が苦しんでいるのははっきりとした事実だ。
「大丈夫か弓塚!?」
弓塚の手を取ろうとする。
「だめ!離れて!!志貴くん」
弓塚が鋭く叫ぶ。
「弓塚、お前……」
「離れてって言ってるのに!!」
ドン、と体に衝撃が来て俺は吹っ飛ばされた。
弓塚が俺を突き飛ばしたのだ。
「ほんとに、いつもいつも、わかってくれないん、だから」
「わかってないって、じゃあ何一つわからないよ、一体何が起こってるんだよ!!」
「あ…そっか、それでも私の相手をしてくれているんだ…」
弓塚は苦しそうでひどく体が震えている。
「……痛いよ、志貴くん」
息を震わせながら弓塚が言う。
「……痛くて、寒くて、すごく不安なの。ほんとは、今すぐにでも志貴くんに助けて欲しい…………けど、まだダメなんだよ」
弓塚が突然、立ち上がった。
「今度私が会いにいく時は元気になっていてね、その時は私も一人前の吸血鬼になっているから!!」
「あ、待て弓塚!!」
あっと言う間に弓塚は走り去っていった。
その速さは明らかに人間のものではない。
「くそっ、いったい何がどうなっているんだ!?」
わからない、何一つ俺はわからなかった。
屋敷に入り、翡翠に用意してもらった風呂にだけ入ると、夕食もろくにとらずにベッドに倒れこんだ。
秋葉が何かうるさく言っていたような気もするが今は聞く気にはとてもなれなかった。
「はあ……」
今日はとんでもない事が起こりすぎてわけがわからない。
わけもわからず人を殺してしまった。
家出していたという弓塚が俺の前に現れて弓塚も人を殺したという。
そして弓塚は明らかに様子がおかしかった。
弓塚が最後に言った言葉が気になる。
「今度私が会いにいく時は元気になっていてね、その時は私は一人前の吸血鬼になっているから!!」
吸血鬼……まさか最近起こっている猟奇殺人事件を起こしているのは………
「やめだ、もう考えるのはよそう……」
今日はもう疲れた、今はもう眠りたい……