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[8211] 魔法生徒ネギま!(改訂版)
Name: 雪化粧◆cb6314d6 ID:ad42388a
Date: 2019/05/20 01:39
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novel.syosetu.org/14401/



[8211] 魔法生徒ネギま! [序章・プロローグ] 第零話『魔法学校の卒業試験』
Name: 我武者羅◆cb6314d6 ID:a557f983
Date: 2010/06/06 23:54
魔法生徒ネギま! 第零話『魔法学校の卒業試験』


 まるで、龍に襲われているのかと思うような光景だ。紅蓮の大蛇はとぐろを巻くように蠢いて家々を焼き、人々を喰らい、闇夜を真昼の如く照らしていた。かすかに聞こえていた遠くの悲鳴ももはや聞こえない。
 煉獄の炎に焼かれた村の外れに一人の少年が居た。燃えるような紅い髪に赤銅色の瞳を持つまだ幼い少年だ。
 少年は涙を流しながら叫んでいた。必死に目の前に浮かぶ外套を頭から被った青年に手を伸ばしながら、倒れ伏した金色の長い髪の女性を背に、懇願している。
 何度も憧れて、ずっとずっと会いたいと思っていた。
『待って……、待ってよ、お父さん!』
 少年の声は嗚咽混じりで、ほとんど聞き取れないくらい弱々しい。身の丈に合わない、大き過ぎる木の杖を握り締めながら、遠ざかって行く青年を追い掛けている。
 どれだけ必死に走っても、青年は少年からどんどん離れて行く。少年は叫ぶ様に青年に向かって言った。
『お父さん。僕、強くなるよ! 大切な人を護れる様に、誰も悲しむ必要なんか無いように!』
 涙を両目から溢れさせて、少年は青年から手渡された杖を放り出して力の限り叫んだ。
 それは誓いの言葉。少年と青年だけの大切な誓い。
『立派な魔法使いになる! だから……、だからきっと!』
 顔を皺くちゃにして、炎に焼かれた街が、降頻る雪によって鎮火されていく中で、少年は叫んだ。遠くの夜空に溶けていくよう去って行く青年に届くように、声も、思いも、全てを乗せて――。
『きっとまた……、会えるよね?』
 少年の叫びは焼け落ちた山奥の小さな村に虚しく響き渡った。そして、少年の視界が真っ白に煌いた。

「父さん!」
 少年は目が覚めた途端に叫んだ。少年はベッドの上で横になっていた。少年の寝ているベッドのすぐ隣には一人の少女が呆れた表情を浮かべていた。
 少女は少年のおでこをコツンとつついた。
「父さん! じゃないわよ、この馬鹿ネギ。早く起きなさいよね!」
 馬鹿ネギと呼ばれた少年はムクッと起き上がり、寝惚けた顔で周りを見回した。ベッドの脇に立っている、ネギの髪よりも更に深い赤色の髪を高い所でツインテールにしている不思議なマントを肩から纏った、どこかおしゃまな感じの印象を受ける少女がプンスカと怒っている事に気が付いた。
「もう! 今日は大切な日だって、忘れてんじゃないでしょうね? ったく、昨日も深夜まで魔導書の創作手引きなんて眉唾な馬鹿本読んでるからよ!」
 少女のキンキンと起きたばかりで覚醒していない頭には少しキツイ声に呻きながら、ネギはベッドの傍らにある小机の上に “魔導書の創作手引き”とフランス語で題字に記されている本が開いたままになっている事に気が付いた。
「でも、古来より高名な魔法使いは自分の手で専用の“魔法書(グリモワール)”を作り上げたっていうじゃないか」
 ネギが反論すると、少女は馬鹿にしたような表情を浮かべて、ネギの頭を小突いた。
「だ・か・ら、そんなの近代魔法使いの私達の領分じゃないでしょ! 第一、歴史上のグリモワールの作成者にしたって、ソロモンとか、エノクとか、もう人外レベルの偉大な魔法使いだけじゃない。幾らサウザンドマスターの息子でも、そんなにホイホイ作れる物じゃないわよ」
「アーニャ、言っておくけど、エノクは魔法使いじゃなくて聖人だよ? 人の始祖たるアダム・カドマンとその伴侶イヴとの間に生まれた三男セトの六代目の子孫で、どっちかって言うと、教会側だからね?」
 幼馴染の少女アーニャの間違った知識をネギは懇切丁寧に親切心から正してあげると、ネギにアーニャはニッコリと、まるで花の妖精のように可憐で愛らしい笑みを浮かべて、右手をとても自然な動作で振上げて、ネギの顔面にめりこませた。
「ネギのくせにうるさい!」
 幼げな容姿に似合わない強さで幼馴染を殴り飛ばしたアーニャは床に倒れ込むネギに怒鳴りながら、肩で大きく息を吐くと壁に掛かっている時計に目を向けた。
「もう! 馬鹿ネギが余計な事言うから、もうこんな時間じゃない! ほら、さっさと行くわよ!」
 アーニャはヨロヨロと起き上がるネギに怒鳴りつけた。ネギは理不尽なアーニャの言葉に唇を尖らせた。
「僕の……せい? どっちかって言うと、アーニャのせぃふぎゃ!?」
「だ・か・ら、時間が無いからさっさとしなさい!」
 恨みがましい眼でアーニャを見ながら文句を言うネギに、アーニャは得意のアッパーをお見舞いし、素晴らしく爽やかな笑みを浮べながら怒鳴るという高等テクニックを見せた。
 ベッドに寄りかかりながら涙目になっているネギは暴力反対、と愚痴りながら起き上がり、自室の箪笥に向かった。すると、部屋を出ようとしていたアーニャが呆れた様に言った。
「全く、今日は何の日か、忘れたんじゃないでしょうね?」
「覚えてるよ! 今日は、魔法学校の卒業試験だ!」
「その通り! さっさと着替えて、早く行くわよ! 嫌よ? 朝食食べ損なうなんて!」
「分かってるから、朝から僕にそのテンションの高さを強要しないでよ……」
 ネギはウンザリした顔で部屋の外の廊下で待っているアーニャに訴えると、ネギの住んでいる学生寮を管理するメルディアナ魔法学校の指定制服をタンスから出してベッドに置き、着ていた寝間着を脱いだ。
 丁度その瞬間に、ネギの愚痴にプチンときてしまったアーニャが怒鳴り込んできた。
「なんだとコラッ! ……あら?」
「え?」
 アーニャの視線の先には、透き通る様に白い肌と、彼女と同じ血の様に真っ赤な髪を首のあたりでゴムで縛り、幼いながらも少女の様な顔立ちをした少年のあられもない姿があった。
「キャアアアアアア!!!」
「キャアアアァァ……ァァア? って、キャアアア!? 違うでしょ!? 逆じゃない!? 何で、アンタの裸を女の私が見て悲鳴上げられるのよ!? シチュエーションおかしくない!?」
「いいから出てってよ!」
「ご、ごめんなさい! ……って、だから逆でしょ!?」
 納得いかな気に部屋からアーニャが退出すると、ネギは涙目になりながら服を着替えた。
 メルディアナの制服はヴァリエーション豊富だが、共通している特徴がある。目に見えるものではなく、制服の生地に緊急用の防犯魔法や、最低レベルの魔法防御など、様々な魔法の術式が刻まれているのだ。
 制服に着替え終えると、ネギは魔法使いの正装である自分の肩から足元までと大きなマントを羽織った。時々、大き過ぎて脚に引っ掛けて転ぶ生徒も居るが、古き善き魔法使いスタイルで、頭にはマントに合わせた色のトンガリ帽子を被る。
 ネギの制服は全体的に桃色で、ネギの従姉弟の女性の趣味によるものだ。アーニャは燃える様な赤が基調だ。
 ネギの準備が終わると、二人は寮から少し離れたメルディアナの自慢の大食堂に向かった。ウェールズのクライスト・チャーチ大聖堂を模して建てられたという食堂は、素晴らしく広く、大勢の生徒達が席に着いては注文をしていた。ネギとアーニャも席に座ると、何も無いテーブルに向かって叫んだ。
「僕は、シェパーズ・パイにローストビーフとヨークシャー・ブティング!」
「じゃあ、私はコーニッシュ・ペスティーと、カスタード・タルト、後……、そうそう! 紅茶をお願いね。ネギも飲むでしょ?」
「あ、注文忘れてた、僕も紅茶をお願い! 朝はアールグレイがいいな。苺ジャムをしいてね!」
 二人がテーブルに注文を唱えると、次の瞬間には注文した料理が出現した。香ばしい食欲を誘う香りに、朝だと言うのにネギもアーニャも一つ残らず平らげた。
 ネギがシュークリームの皮の様にふんわりかろやかな口当たりのヨークシャー・ブティングを、ローストビーフを包んで食べていると、隣で未だ納得のいっていないアーニャに、自分もショートケーキを注文し、その苺をプレゼントしようとしたが、いらないわよ、とプイッと顔を背けられてしまった。
 折角仲直りしようとしているのに、とネギが不満に思っていると、背後から優しい声が聞こえてきた。
「あらあら、朝からレディーを怒らせては駄目よ? 今日は卒業試験ね、ネギ」
 フワりと咲く桜の様に美しくも可愛らしい印象を覚える微笑を浮べる、どんなにお金を出して買った花束も見劣りする様な美しい女性が立っていた。
「ネカネお姉ちゃん!」
 ネギはパァと、笑顔を浮かべ、女性をネカネと呼んだ。
「二人共、調子はどうかしら?」
 ネカネが笑顔のまま聞くと、ネギはニッと笑顔を浮べて応えた。
「任せて、準備に抜かりは無し! 朝食もバッチリ食べたから、魔力も体力も満タンだよ!」
 ネギの頼もしい言葉に、隣に座るアーニャはチラリとネギを見てニヤァと意地悪そうに笑みを浮かべた。。
「へぇ、言うじゃない。自信満々ですか、そうですか。まだまだガキンチョの癖に一人前にねぇ」
 どこか棘の在るアーニャの物言いに、ネギは未だ根に持ってるんだ。しつこいなぁ、とぼやくと、アーニャは眼を猛獣の様に光らせて、ネギの頭を掴んだ。
「あぁ、やっぱり子供の世話って大変だわぁ」
 拳を握って、頭を押さえ込むようにグリグリと拳を回すと、ネギは猫の様な悲鳴を上げて、アーニャから離れようともがいた。じゃれている二人を見ながらネカネはクスクスと笑った。
「あらあら、朝から仲がいいのね」
 アーニャは漸くネギを開放して思案する表情で言った。
「でも、どんな試験内容なのかしら、当日まで内容を明かさないとか……、あの糞爺ぃ……」
「あんまり、人のお爺ちゃんを糞爺ぃって言わないで欲しいな……。でも、今日の試験は僕の夢、“マギステル・マギ(立派な魔法使い)”になる為の第一関門なんだ!」
 ネギが決意に燃えた眼で宣言すると、アーニャはニヤニヤと笑った。
「ちょっと、マギステル・マギはただ頭が良くて、力が強いだけじゃ勤まんないのよ? それ、分かってるの?」
「勿論、傷ついた人を癒し、悪しき魔法使いと戦い、災害から人々を護り、次代へ繋げる橋となる! 僕は絶対になるんだ! マギステル・マギに!」
 ネギの宣言に、アーニャは目を細めて、少しだけ、カッコ良くなっちゃって、と心の中で呟いた。
「あらあら、お口にソースがついてるわよ?」
「ありがとうお姉ちゃん」
 感心した途端にネカネに口を拭いて貰うネギを見て、ガクッとなった。ネギの制服の袖を掴むと、やっぱ、アンタに『立派な魔法使い』は無理! と怒鳴った。
 二人が騒いでいると、試験開始五分前の鐘が鳴り響いた。
「大変、試験に遅れちゃう――っ!」
 ネカネに別れを告げると、二人は急いで試験会場である、フェニックスの間に向かった。既に並んでいた学友の列に参加すると、しばらくして再び鐘が鳴り、生徒達の前の壇上に、ネギの祖父であり、ここメルディアナ魔法学校の学園長でもあるコーネリウス・スプリングフィールドが上がった。コーネリウスはコホンと咳払いをすると、静粛に、とよく響く渋い声で言った。
「2002年度卒業生諸君、諸君等は本校メルディアナ魔法学校の全課程を修了した。これから、外の世界で活躍していく事になるじゃろう。じゃが、外の世界は学校の中とは違う。君達はまだ若い。じゃからして、厳しい世界に羽ばたけるか否か、最後の試練が与えられる。今年度、卒業試験の内容は、“二人ペアによる、モンスター退治”じゃ」
 その言葉に、フェニックスの間に集った生徒達の間でざわめきが起きた。モンスター退治、それは、魔法使いにとっては避けては通れない試練だ。魔法使いになってからの仕事には、ムンドゥス・ウェトゥス(旧世界=通常の人間世界の事)で発生した、一般人には倒せない魔物の退治もあるのだ。
 とは言っても、魔法学校の教育課程で、実際にモンスターを見た事はあっても、退治した事は無かった。ネギとアーニャも他の周りの生徒達と同様に目を丸くしてうろたえている。
「詳しくは……ほれ!」
 コーネリウスが大きな杖を振るうと、生徒達一人一人の頭上にどこからともなく巻紙が降ってきた。
「詳しくはそのプリントに書いてある。しっかりと目を通しておくんじゃぞ」
 以上じゃ、とコーネリウスは壇上から下がった。
 その後、最低限の諸注意を他の教師が伝え、ネギとアーニャは顔を青褪めさせて廊下に出た。
「あらあら、どうしたの二人共? 顔色が悪いわよ?」
 ネカネが心配そうに聞くと、黙ってアーニャがプリントを手渡した。フラァっと、ネカネは倒れそうになるのを、咄嗟にネギが支えた。
「とにかく、足を引っ張るんじゃないわよ!」
 何とか気を取り直したアーニャが言うと、ネギはハッとなり、決意を篭めた目でアーニャに顔を向けた。
「任せて、僕が必ずアーニャを護るから!」
 ネギの言葉に、アーニャは顔を赤らめてプイッと顔を逸らした。チラリと横目でネギを見ると、その脚はフルフルと震えていた。
 締まらないネギに苦笑しながらアーニャは肩から息を吐いて言った。
「とにかく、頑張るわよ?」
「勿論!」
 二人の姿を優しく見守るネカネの胸に、プリントに書かれていた“魔法使い1000人を食べた”という文字に不安が過ぎった。
「本当に気をつけてね?」
 心配になり言うと、ネギとアーニャは元気良く応え、メルディアナの裏手の演習フィールドへの門に向かった。本当は、ネギは自慢のアンティークコレクションを持って行こうと思ったのだが、杖以外の持込は不可と言われてしまった。
 仕方なく、杖だけを持って門の前に立つと、二人は顔を引き締めた。
「行くわよ、ネギ」
「う、うん」
「二人共、気をつけてね……」
 演習フィールドの森の中に入っていく二人の後姿を、ネカネは心配そうに見つめていた。
 フィールドに脚を踏む入れたネギとアーニャは遠くから蝙蝠の羽ばたきや、梟の鳴き声が聞こえ、段々と心細くなった。
「だ、大体! 何で私がネギなんかとペアを組まなきゃいけないのよ! チビでボケで頭でっかちで子供でそれで……もう、とにかく頼りないんだから!」
「そ、そこまで言わなくても……」
「また情けない声出す……。もう、男だったら言い返してみせなさいよ! 大体、私がついてなきゃ何にも出来ないんだニャ!?」
 突然、近くの茂みが揺れ、ガサガサと音を立てたのに驚き、アーニャは思わずネギに抱きついてしまった。
「な、何引っ付いてんのよ……」
 当然の様にネギのせいにした。ネギの白い眼差しを無視して更に先を進んだ。クスクスと笑うネギに、怒りたいけど恥しいと言う変な感情に挟まれ、アーニャは顔を背ける事しか出来なかった。
「それにしても、いつも先生達が一緒だったからそう思わなかったけど、演習フィールドって広いんだね」
 ネギが言うと、アーニャは小さく咳払いをすると頷いた。
「そうね、モンスターが居るってのも納得だわ。まぁ、種類とか数とかは学校が把握してるでしょうけどね……」
 アーニャの言葉が終わる前に、ネギが悲鳴を上げた。
「な、何?」
「あ、あ、あ、あ、あ、ああああああれ――ッ!」
 壊れたラジカセの様に声を震わせながらネギは足元を指差した。アーニャは恐る恐るネギの指差す先を見ると、口をポカント開け、眼を点にして顔を青褪めさせた。
「これって、足跡よね?」
「……うん」
「……3mはあるわね」
「うん……」
「てことは、本体はもっと大きいわよね」
「うん……あれ? 何か後から聞こえて……」
 アーニャの言葉に答えながら、ネギは後から聞こえる、まるで獣の唸り声の様なものに顔を向けると、眼を見開いて絶望した。ネギの真っ白な顔に驚き、ネギの視線の先に顔を向けると、アーニャはヒクヒクと顔を引き攣らせた。
 そこに居たのは、10m以上はありそうな巨大な岩石のモンスターだった。モンスターはネギとアーニャを見下ろしていた。
 咄嗟にネギがアーニャを抱いて横に跳んだ。直後にさっきまで二人の居た場所にモンスターの巨大な拳が叩きつけられ、大きなクレーターを作りだした。
 アーニャはすぐに気を取り直して立ち上がると、ネギを起しながら言った。
「相手は殺る気まんまんみたいね。行くわよネギ! 私等の獲物はコイツで決まり!」
 颯爽と言い放ち、アーニャは自分専用の魔法の杖をモンスターに向けた。
「フォルティス ラ・ティウス リリス・リリオス。炎の精霊15人! サギタ・マギカ、連弾・炎の15矢!」
 アーニャの得意とする炎の属性の魔法の矢が杖から飛び出してモンスターに襲い掛かった。サギタ・マギカは魔法学校で習う初歩の攻撃魔法だが、その攻撃力は侮っていいものではない。
 魔法の矢がモンスターに直撃し、炎が爆発した。確かな手応えを感じたアーニャは勝利を確信して拳を握った。
「やった!」
 勝利の余韻に浸っていると、突然、ネギが焦った様子でアーニャの手首を掴んだ。
「アーニャ!」
 ネギは杖に跨り、アーニャを抱えながらモンスターから距離を離した。ネギの突然の行動に動揺すると、アーニャは煙が晴れ、モンスターが無傷なのを視認した。
 全ての矢が命中していた筈なのに、モンスターが健在である事にアーニャは信じられない思いで息を呑んだ。
「相手は岩のモンスターだよ、火の魔法は力を与えるだけだよ」
 ネギが言った。アーニャはネギの言葉にハッとなった。
「あ、五行思想か、……忘れてた」
 五行思想とは、中国に於ける自然哲学の思想であり、万物は木・火・土・金・水の五種類の要素から成るという。この五種類の要素は、それぞれに干渉し合う関係がある。木は燃えて火と成り、火は燃え果て灰を生じて土に還り、土は大器に耐え金を生じ、金はその肌に水を凝結させ、水は再び木々を育てるのだ。
 岩石、つまりは土の属性のモンスターに対して、火の属性の魔法の矢は力を与えてしまう関係にある。アーニャは自分の失態に舌打ちすると、思考を巡らせた。
「ネギ、風の魔法でいくわよ!」
 即座に判断を下し、アーニャはネギに向かって叫んだ。土に勝てるのは木の属性だ。と言っても、アーニャもネギも木の属性の魔法は使えない。アーニャとネギが使える魔法の中で土の属性のモンスターに有効な魔法は風の属性だ。
 大地が水を吸収するように、水が炎を鎮めるように、炎が風を捻じ曲げるように、風は大地を風化させる。ネギも頷くと、飛行によってかなり後方に離したモンスターに向きを変えた。
「フォルティス ラ・ティウス リリス・リリオス!」
「ラス・テル マ・スキル マギステル!」
 二人の始動キーを唱える声が重なり合う。二人は歌う様に呪文を唱えた。
「風の精霊17人、集い来たりて敵を切り裂け! サギタ・マギカ、連弾・風の17矢!」
「風の精霊17人、集い来たりて敵を切り裂け! サギタ・マギカ、連弾・風の17矢!」
 二人の杖の先から、二人の姿を模った様な矢が飛び出した。魔法の矢がモンスターの体を削る様に抉った。モンスターは痛みに悶えるかのように唸り声を上げた。
 チャンスとアーニャはネギに声を掛けて杖を振上げた。
「畳み掛けるわよ、ネギ! フォルティス ラ・ティウス リリス・リリオス!」
「うん、ラス・テル マ・スキル マギステル!」
「光の精霊17柱、サギタ・マギカ、連弾・光の17矢!」
「光の精霊17柱、サギタ・マギカ、連弾・光の17矢!」
 17足す17で合計34発の光の矢がモンスターに直撃した。光の奔流に目が眩みそうになった。
 アーニャとネギは同時に拳を握った。勝利を確信した。光の属性はほぼ全ての属性に有効なダメージを与える事が出来る。たかだか大きいだけの岩石など容易く打ち砕く事が出来る……筈だった。
 グオオオオオオオオオオオ――――ッ! と凄まじい唸り声を上げながら、所々が抉れ、ボロボロな体のモンスターがネギに向かい手を伸ばして。
「危ない、ネギ!!」
 いち早く気が付いたアーニャは、突然の事に驚き対応が遅れたネギを突き飛ばした。手負いの獣程恐ろしい存在は無い。ネギに逃げろと叫ぼうとして、アーニャはモンスターの拳によって吹飛ばされてしまった。
「きゃあああああああぁぁ!」
「ア、 アーニャ! そんな、魔法が効いてないのか!?」
 アーニャの悲鳴に、倒れ伏したネギは凍り付いてしまった。勝利を確信したからこそ、倒し切れていなかった事に失望を禁じえなかった。
 その刹那にアーニャがモンスターに捕われてしまった。
「助けて、ネギ!」
 アーニャの悲鳴に我に返ったネギは己の愚かさを叱咤した。両手で頬を叩き、顔を引き締めると、ネギはキッとモンスターを睨んだ。兎にも角にも、まずはアーニャを助け出さなければいけない。
「今助ける! ラス・テル マ・スキル マギステル、サギタ・マギカ、連弾・光の29矢!」
 さっきよりも多くの光の魔弾をモンスターに放った。モンスターはわずかに動きを止めたが、決定的なダメージを与える事が出来なかった。
 モンスターに捕まったままのアーニャが悲鳴を上げた。見れば、モンスターが眼前に魔力を収束している。アーニャは絶叫した。
「避けなさい、ネギ――! 収束魔法よ!」
 大気中に存在するマナを己の魔力で力任せに収束させ、モンスターは破壊の力としてネギに向けて集めた魔力を解き放った。ネギは戦慄しながらも一瞬で判断を下し、急いで呪文を紡いだ。
 ネギの周りに風が鎧の様に取り巻いたが、モンスターの収束魔法は易々と風の護りを突破した。ネギは遥か後方に森の木々を巻き込んで薙ぎ倒しながら吹飛ばされた。
 ネギが吹飛ばされるのを見て、アーニャは涙を溢れさせながら絶叫した。もういいと、自分の事は放って逃げろと、アーニャは叫んだ。アーニャは、自分の為に傷つく少年の姿をこれ以上見ていられなかった。
 アーニャの悲痛な叫びによって、ネギは覚悟が決まった。杖を立て、しがみ付きながら、ネギは震える足で立ち上がった。口からは血を流している。さっきの収束魔法の衝撃と、地面に何度もバスケットボールをドリブルする様に叩きつけられたせいで、全身の骨や筋肉が悲鳴を上げている。恐らくは何本かの骨は折れ、どこかの筋が切れているのだろう。
 嘔吐感に任せて吐き出すと、血の塊が地面に広がった。内臓にダメージを受けたらしい。ネギは眩暈がしたが、それでも歯を噛み締めて、目の前のモンスターを睨みつけた。
 杖を固く握り締め、今朝見た夢を思い出す。夢は昔の記憶だった。生きていると信じ続けていたヒーローの姿を思い浮かべて、心に炎を灯らせる。
 千の魔法を使い、最強の名を冠する世界最強の大英雄たる魔法使い“サウザンドマスター”――、ネギの手に握られている大きな杖は彼の所有物だった。ネギの住んでいた村が無数の悪魔によって焼け落とされた日にネギを救ったサウザンドマスターがネギに譲った物だ。
「そうだ……、そうだよ」
 決意の炎が心の中で燃え上がる。あの時、自分には何も出来なかった。それが嫌で、自分を救ってくれた父に憧れて――。
「あの日、あの人から貰った杖に誓ったんだ。僕も追いつくって、あの人の様になるって、なら――」
「ネギ――!」
 アーニャの叫び声を尻目にネギはモンスターに向かって杖を構えた。アーニャはハッとした。ネギの杖の先に集中する魔力の膨大さに息を呑んだ。
「――――――――の精」
 呪文の詠唱が終わると同時に、杖の周りに雷霆と突風が取り巻き、超局地的な嵐を作り出した。異変に気が付いたモンスターがアーニャを遠くに投げ捨ててネギに向かって拳を振るった。
 迅雷を纏う巨大な竜巻が杖の先からモンスターに向かって伸びていく。これこそが、今のネギが使いこなせる最強の魔法――。
「雷の暴風――!」
 周囲の空間ごと捻じ切る様に竜巻はモンスターの上半身を吹飛ばし、上空に伸び、雲を消し飛ばした。
「アーニャ!」
 ネギは慌てて杖に跨り、全速力でアーニャが飛ばされた方角へ飛んだ。アーニャは勢い良く地面に向かって落ちていた。間一髪、地面スレスレの場所でネギはアーニャを受け止めた。
「ウギ!?」
 全身から我慢出来ないほどの痛みが走った。骨や内臓がいかれている上に落下する人間を受け止めたからだ。ネギはそのまま意識を失ってしまった。
 倒れ込むネギを慌てて抱き抱える様にして支えながら、アーニャは投げ飛ばされた衝撃で痛む体に鞭を打ちながら、ネギの杖を操作してゆっくりと地上に降り立った。荒く息を吐きながら、アーニャは気を失っているネギの顔を覗き込んで愛おしそうに目を細めた。
「ありがと、かっこ良かったわよ、ネギ」
 ネギが完全に気を失っているのを確認して、アーニャは漸く素直になれた。自分の為に命を懸けて戦ってくれた、最高のヒーローに向けての、彼女に出来る最上級の賛辞だった。
 周囲に誰も居ないのを確認して、アーニャはその頬にソッと口付けをした。



[8211] 魔法生徒ネギま! [序章・プロローグ] 第一話『魔法少女? ネギま!』
Name: 我武者羅◆cb6314d6 ID:87b1fc72
Date: 2010/06/06 23:54
魔法生徒ネギま! 第一話『魔法少女? ネギま!』


 日本の関東地方に麻帆良学園という日本最大級の学園都市がある。広大な敷地には様々な施設や学校、幼稚園、保育園が存在する。学内には、埼京線の電車のレールが伸びており、沢山の住民達が利用している。その住民の殆どが学生だ。
 駅のホームの時計が六時を指した時、駅に入って来た電車から一人の少女が降り立った。首の後ろで紐で纏められた背中まで伸びる柔らかそうな赤毛と少し垂れ気味の琥珀色の大きな瞳が特徴的な少女だ。
 麻帆良学園本校女子中等学校の冬の制服に身を包んだ彼女の名前はネギ・スプリングフィールドだ。ネギは背中に自分の背丈にも、一般的な風景にも合わない不自然な程に大きくて、奇怪な形をした杖を背負っている。

 メルディアナ魔法学校の卒業式の日、魔法学校を卒業する生徒達には一年以上に渡る外の世界での修行を命じられる。卒業式の後、アーニャと二人で岩石のモンスターを退治したネギは意識を失ったまま、魔法学校の保健室に運ばれた。
 ネギとアーニャの怪我はコーネリウスが手配した癒術師によって直ぐに治された。目を覚ましたネギの目に最初に映ったのはアーニャの笑顔だった。アーニャが無事だった事に安堵したネギは従姉弟のネカネ・スプリングフィールドに抱き締められ、コーネリウスから卒業証書の授与式の時間が言い渡された。
 フェニックスの間で他の卒業生と合格を祝い合い、コーネリウスの言葉に耳を傾けた。
「それでは、これより卒業証書授与式を始める」
 朗々とコーネリウスが生徒達の名前を呼び、卒業証書を一人一人に手渡しながら声を掛けていく。ネギの番が回ってくると、アーニャの激励を背に受けながら祖父の前まで緊張した面持ちで向かった。
「ミスター・スプリングフィールド。この七年間よくぞ頑張ってきた。だが、これからの一年間の修行こそが本番じゃ。気を抜くでないぞ」
「ハイッ!」
 ネギは元気良く返事を返すと、卒業証書を受け取った。卒業証書授与式が終わると、同時に貰った修行先の浮き出る魔法の巻紙を手に、廊下に出た。
 廊下の外にはネカネが待っていた。少し待つと、アーニャも卒業証書を手に出て来た。早速、自分達の修行先の確認を行う事になり、直ぐ近くのテラスに向かった。
 アーニャが先に巻紙を開封すると、アーニャは一瞬目を丸くした後に顔を綻ばせた。
「ネギ、なんて書いてあるの? 私はロンドンの時計塔でロンドンの“管理人”の下でのお手伝いよ」
 アーニャが誇らしげに言った。ロンドンの時計塔、即ちビッグ・ベンとは英国の国会議事堂であるウェストミンスター宮殿にある時計塔の事である。
 管理人とは英国の首都であるロンドン全域の裏側の管理者の事だ。世界には表と裏があり、魔法使いを含めた裏側を管理する事が管理人の務めである。時計塔や国の首都の管理を行う管理人は、時折、政府の政策に対して影から助言を行うなど、非常に名誉と責任のある仕事を行う。
 アーニャの修行先は見習いの魔法使いだけでなく、一人前の魔法使いが聞いても涙を流して悔しがるだろう程、皆が羨む修行地だ。何故なら、国の首都を管理する管理人に弟子入りをする事は魔法使いにとってはエリート街道を突き進むチャンスだからだ。
 アーニャの修行先を聞いて心底羨ましそうな表情を浮かべたネギは、ドキドキしながら自分の巻紙の封を開いた。最初は何も書かれていなくて、真っ白だったが、徐々に文字が浮き出てきた。アーニャとネカネもネギの修行先を見ようとネギの紙を覗き込んだ。
「なになに、『日本の女子校に潜入し、悪い組織に狙われている少女(複数)を影から護る事』……」
 ネギは聞き間違えじゃないかと思って自分でも読み返した。間違いなく、アーニャの読み上げた通りの内容だった。解釈の間違いも無い。
 アーニャは頭を抱えながらブツブツと何かを呟いていたが、突然、ダランと両手を垂らして虚空を見上げた。
「って、女子校に潜入ってどういう事よ!?」
 アーニャの叫びにネギは耳がキンキンとなった。ネギ自身、理解出来ずに混乱し、ネカネは冷や汗を流しながら何かの間違いじゃないかと紙を逆さにしたりしている。
 三人はどういう事なのか聞こうと、コーネリウスの居る校長室に押しかけた。どういう事なのかと問い掛けると、コーネリウスは意地悪そうな笑みを浮かべて言った。
「なに、日本の女子校に潜入して、護衛対象に降りかかる火の粉を払うんじゃよ。勿論、女子校に潜入するのだから、女装をしてのう」
 コーネリウスの言葉に、ネギ達三人は固まってしまった。巫山戯ているにしても性質が悪い。これは魔法学校を卒業した生徒が、外に羽ばたく前の下準備の為の期間なのだ。アーニャの様に、高名な魔法使いに弟子入りするなら分かるが、女装して日本の女子校に潜入するなど、馬鹿にしているとしか思えなかった。
 ネギ達が憤慨した表情を浮かべていると、コーネリウスは真剣な顔でネギに問い掛けた。
「――――して、ネギよ。お主はどうするのじゃ?」
「え?」
 面を喰らった様な顔をするネギにコーネリウスは再び問い掛けた。ネギは困り果てた顔をしてネカネやアーニャを見たが、二人共頭を悩ませていた。改めて、変装をして潜入護衛をする任務と考えれば、そこまでおかしい事では無いのではないか、という考えが浮かんで来た。
 勿論、女装をするのは気が進まないが、確かに、魔法使いになれば、変装して情報収集したり、身を隠して護衛をしたりする場合があると、魔法学校の授業でも聞いた事があった。
 そう考えると、これは巫山戯ているのでは無く、本当に自分の修行の為の課題なのだと確信する事が出来た。
「やります」
「本気なの、ネギ!?」
 ネギの決断にアーニャは呆気に取られた表情でネギを見た。アーニャの反応にネギは顔を顰めたが直ぐに毅然とした表情で頷いた。
「これは修行だから。外に出たら、嫌だからこんな任務は受けたくない、なんて、言え無いし、それに、変装して、身を隠しながらの護衛の任務も、魔法使いになればあるかもしれない。だから、僕はこの任務を受けます、校長先生」
 敢えて、お爺ちゃんとは呼ばずにネギは言った。覚悟を決めた眼差しで――。

 修行開始は二月からと言い渡されてから、ネギはある事に取り組まなければならなくなった。それは、女の子になる事だ。
 冗談染みているが、ネギが半年という修行までの猶予時間の殆どを費やさなければならなかった一番の難題だった。コーネリウスが性別を誤魔化す薬を用意してくれたが、万が一にも女装がバレたらそこでお仕舞いで、帰って来るという訳にはいかないのだ。
 例え、女装がバレたとしても、そのまま護衛の任務は継続しなければならない。女装趣味の変態扱いされた状態で一年間も年上の女性達に囲まれるなど、さすがのネギも御免蒙りたい。
 コーネリウスが用意した薬は青と赤の二色の飴玉の様な形をしていて、性別を誤魔化してくれるらしい。試しに飲んでみると、あっと言う間に効果が現れた。全身にゾワリとした不気味な感触が走り、服が少し大きくなった様に感じた。かと思えば、胸の辺りが僅かにきつく感じる。驚いて胸や股に手をやると、胸がプックリと膨らみ、股にあるべき物が無くなっていた。
「え、性別を誤魔化すって、周囲に誤情報を認識させるとかじゃないの!?」
 自分の体の変化に戸惑い、ネギは顔を真っ青にした。ある筈の物が無い。その喪失感は想像を絶する恐ろしい感覚だった。無い、無い、無いとネギは呆然と呟き、そのまま意識を失ってしまった。
 倒れてしまったネギを慌ててネカネが抱き抱えた。何か、恐ろしい事が起きたのではないか、ネカネは恐怖に慄いた表情でコーネリウスを見た。
「肉体の変化に混乱したんじゃろう。慣れるには時間が必要じゃな」
「お爺様、本当に大丈夫なのですか?」
 青褪めた表情で眠るネギの頬に手を当て、ネカネは不安げにコーネリウスに尋ねた。
「身体に悪影響は無い筈じゃ。もっとも、一ヶ月以上、薬を飲むのを断つと、薬が効かぬ様になってしまうがのう」
「どうして、ネギにこんな試練を?」
 純粋に疑問に思い、ネカネはコーネリウスに尋ねた。
「ネギはいい子に育ってくれた。じゃが、無垢なままでは居れぬじゃろう。父親のナギは“千の呪文の男(サウザンド・マスター)”と称えられた裏では“赤毛の悪魔”などと恐れられていた。母親の方は言うまでも無いじゃろう?」
「でも……、アリカ様は――――」
「そう、公的には何年も前に亡くなられておる事になっている。じゃが、情報というあやふやな物は掴む事が難しいと同時に捕らえて置く事もまた、難しいのじゃよ」
 コーネリウスは暫く思案した後、ネギを部屋のベッドに寝かせ、ネカネを校長室に招いた。自らが淹れた紅茶を勧め、困惑した表情のネカネに飲むように言った。
「お主にはそろそろ話してもいいじゃろう」
「お爺様……?」
「五年前の冬――。こう言えば、思い浮かぶ事があるじゃろう?」
 コーネリウスの言葉にネカネは無意識に体を震わせた。五年前の冬、彼女の村は燃えたのだ。親も友達も近所の人も魔法の力で石にされてしまい、この学校の地下に安置されている。
 ネカネにはあの日の記憶が殆ど無い。村が無数の悪魔に襲われて、気が付くと病院のベッドで眠っていた。助かったのは自分とネギの二人だけだった。自分の両親もアーニャの両親もスタンも今は物言わぬ石像として地下に安置されている。
「あの事件については未だ調査中じゃ。じゃが、間違い無くナギとアリカ様に対する怨嗟の矛先がネギに向かってしまったが故に起きたのだろうと考えられる。父王を殺し、自らの国を滅ぼした“災厄の女王”と“赤毛の悪魔”の息子であるあの子に人生は決して安寧を得る事の出来ぬ険しき道となるじゃろう」
「そんな……事って」
 ネカネの瞳から大粒の涙が零れ落ちた。何故、あの子がそんな不幸な人生を歩まねばならないのだ。理不尽な現実に対する怒りに胸が張り裂けそうだった。
「あの子は強くならねばならんのじゃ。身も心も、その為には時間が必要じゃ。そして、頼れる仲間が必要じゃ」
「その為の試練なのですか?」
 涙を拭い、ネカネは尋ねた。
「あそこにはネギと同じく、理不尽にその身を狙われる子供達が居る。その子供達と共に成長し、絆を結んで欲しいんじゃ」

 それから瞬く間に時が過ぎた。ネギがイギリスを発つ日までの半年の間、ネカネが女体での過ごし方を丁寧に説明し、ネギはそれを素直に学んでいった。さすがに、トイレやお風呂では解毒剤を飲みたかったのだが、ネカネは『そう言う時が一番危ないの!』と注意した。
 最初の数ヶ月こそ、泣きたくなるほど恥しかったが、今では慣れたものだったが、解毒剤を飲んで男に戻ると、やはりホッとした。
 髪の毛は背中まで伸びて、ネカネが編んでくれた紐で縛っていた。ネカネが言うには女性の髪には男性とは違い魔力が宿るから、髪留めでその魔力が逃げないようにするのだと言う。

 そして、二月の上旬、ネギは一人でこの日本の埼玉県麻帆良市にある麻帆良学園へとやって来たのである。朝、まだ早い時間だからか、周囲には人影は疎らだった。
 緊張していると、突然ポケットがピョコピョコと動いた。中から白い物体が飛び出ると、そのままネギの肩に乗った。柔らかい毛皮のその生き物はオコジョたった。
 ただのオコジョでは無いのが一見しただけで分かる。そのオコジョの手にはオコジョは絶対に吸わない筈の煙草が握られていた。それを、ネギは自然な動作で近くのゴミ箱に捨てた。
「あ、酷いッス姉貴!」
 すると、何とオコジョは喋った。そのオコジョはオコジョ妖精と呼ばれる種族で、人語を解し、独自の社会を持ち、彼等の生態はかなり謎に包まれている。
 独自の魔法体系を持ち、その実力はかなりのレベルで、年齢を重ねたオコジョ妖精は人間の魔法使いとも渡り合う力を持つとも言われている。ちなみに、最初はネギの事を『兄貴』と慕っていたのだが、ネギが女体化して『姉貴』に変った。
 このオコジョ妖精、実はかなりの女好きで、オコジョなのに人間の女性の下着を盗んで捕まりそうだった過去があるのだが、ネギに対しては姉貴と呼ぶ以外はパンツも盗まないし胸も揉まない。それどころか、時々一緒に寝ていたのに就寝時に別の場所に行ってしまう様になり、ネギが寂しがったが、ネカネが聞くと『俺っちはそこまで落ちぶれちゃいやせんよ』と、呆れた様に返されてちょっとムカッとしたりもした。
 そんな彼とネギとの出会いは、ネギがウェールズの山奥で暮らしていた時に、山中で罠にかかった彼を救った事が切欠だった。
 このオコジョ妖精はかなり高レベルで、攻撃魔法は無いものの、霍乱や防御、契約魔法に関しては、一般的な魔法使いよりも卓越した技能を持ち、魔法に関しての知識は、ネギが彼から学ぶ事もある程だ。時々、ネカネのパンツを盗みに行っては笑顔でギュッと握られて反省させられる彼だが、今回ネギについて来たのは、ネギの修行先が女子校だから…というのは理由のほんの一部に過ぎない。
 実際、彼は心配だったのだ。生まれた頃から魔法使いに囲まれて育ったネギが、一般人に魔法をバラさないかどうか。一般人に魔法使いであるとバレると、魔法界の法律でオコジョにされてしまうのだ。それに、一般常識が一部欠損してる時もある。例えば、電子機器の扱いが全く駄目なのだ。それらを逐一説明したりしながら、『ついて来て正解だったぜ』と冷や汗を流していた。
 そんな彼の数少ない、女関係以外の趣味である煙草を捨てられて涙目になった。哀れみを誘う彼にネギは溜息を吐いた。
「カモ君、煙草は嫌いなんだよ私。お願いだから肩とか頭の上とかで吸わないでね」
 ネギは一人称を私と言いながらカモに抗議した。ネギが日本語の勉強をする時に、カモが一人称は『私』がベストだと教えたのだ。ネカネもこれには賛成だった。
 どうせ、大人になれば男女関係無く『私』と言うが、『僕』とか『俺』は、大人になると公式の場では変だからだ。
「それにしても、学園長室はどこかな?」
 ネギは地図を探しながらトボトボと歩いた。
「ソイツは地図を探さないとどうにも……。学園側も、案内人くらい寄越してくれりゃ良かったんスけどねぇ」
 カモは肩を器用に竦めながら言った。そんな動作の度に、ネギは時々彼が本当は人間なんじゃないかな? と思ったりもする。
 地図が何処にあるのかを探している内に、時刻は七時を回り、漸く地図を見つけたと思ったら、駅の方から凄い人数の生徒達が押し寄せてきた。
「なにッ!?」
 あまりの迫力に、ネギは直ぐ近くの柱の影に隠れた。人の波が落ち着いたのは三十分も後だった。震えて眼に薄っすらと涙を溜めながら、ネギは地図を見つめた。何となしに時計を見ると、もう学園長室についていないといけない時間だった。
「ううぅ、どうしよう……、怒られちゃうよぉ」
 心細さと不安に、ネギは泣きそうになると、突然後から声がかけられた。
「ちょっと、大丈夫?」
「ふぇ?」
 その声に振り向くと、そこには何処かネカネを思わせる少女が立っていた。オレンジの髪を鈴のついたちょっと変ったリボンでアーニャの様に両側で縛っている。その瞳は右が翠で左が蒼のオッドアイだとネギはすぐに気が付いたが、聞かなかった。呆然としていると、少女は近寄って来た。
「ねえ、どうしたの?」
 再び、少女は言った。その表情は、ネギを警戒させない為か、優しい笑顔だった。
「あの…、私、道に迷ってしまいまして…」
 ネギは不安を隠そうと努力しながら言ったが、目の前の少女にはお見通しだった。今にも泣きそうな顔は、とっても不安なんです! とハッキリ主張してるかの様に見えて、それを隠そうとしているネギの姿に、少女はつい苦笑してしまった。
「な、何ですか!?」
 ネギは、突然クスクスと笑い出した少女に憤慨すると、少女は「ごめんごめん」と謝った。
「で?貴女はどうしたのよ。もうすぐ授業が始まっちゃうわよ?」
「それが、その……に……ちゃって」
「え? 何?」
 ネギがボソボソと呟く様に言うと、少女は耳をネギの口元に近づけた。
「あわ!? あの……、迷っちゃって」
 一瞬、間近に迫った少女の顔に、ネギは顔を赤くすると、小さく呟いた。だが、今度は少女は聞き取る事が出来た。そして、つい少女噴出してしまった。
「そっかそっか、迷っちゃったんだぁ。って、ごめんごめん。謝るから怒んないで」
 ネギが膨れるのを見て、少女は慌てて両手を合わせた。
「貴女、もしかして転校生? 一年?」
 聞きながら、少女は自分のクラスの一部の女子の顔を思い浮かべた。
 同じ学年だったりして……まさかね。そんな風に数人の同級生に対して失礼な事を考えながら、少女は聞いた。
「あ、えっと、たしか……」
 ネギは、コーネリウスがした修行についての詳しい説明の時の護衛対象の生徒達が居るクラスを思い出した。
「二年生です。二年A組」
 ネギの言葉に、目の前の少女は目を丸くした。
「うっそぉ!? 私と同じクラスじゃない! 朝倉も何も言ってなかったのになぁ。ふぅん、ならさ、私が教室まで連れて行ってあげるわよ。っとと、自己紹介がまだだったわね」
 そう言うと、少女は眩しいほどの笑顔を浮べて手を差し伸べた。
「私は明日菜よ。出席番号八番の神楽坂明日菜。よろしくね」
 その笑顔が、とても綺麗で、ネギはつい見惚れてしまった。
「お姉ちゃん……」
「へ?」
「あ! ご、ごめんなさい!」
 つい洩らしてしまった言葉に、明日菜は眼を点の様にして、ネギは急いで謝った。
「えっと、一応言っておくけど……、私、お姉さまとか呼ばれるのは勘弁だからね?」
「は、はい!」
 頬をポリポリと人差し指でかきながら、眼を逸らして言う明日菜に、ネギは泣きそうになりながら返事を返した。
「それじゃ、行こっか? っと、その前に貴女、名前は?」
 明日菜の言葉に、ネギは小さく深呼吸をすると言った。
「私はネギです。ネギ・スプリングフィールド、イギリスのウェールズから来ました。よろしくお願いします」
 ニコッと笑顔を浮べて言うと、明日菜は少しだけ眼を見開き、すぐにニッと笑った。
「それじゃあ、ネギって呼ばせてもらうわね。私の事は明日菜でいいわ。じゃあ、行きましょう?」
「はい!」

 明日菜に連れられて、ネギは漸く麻帆良学園女子中等部の校舎へと辿り着いた。
「それじゃあ、私は学園長先生に先に挨拶に行かないといけないので」
 ネギが言うと、明日菜は首を振った。
「何言ってんのよ?」
「え?」
「一人で心細くて泣きそうになっちゃう娘を、中途半端にほっぽったり出来ないわ。見損なわないでよね? ちゃんと、学園長室まで連れて行ってあげる」
「でも、ご迷惑じゃ……?」
「何言ってんのよ。また途中で迷子になったりしたら、余計に迷惑よ。さっ、行きましょう。こっちよ?」
 そう言うと、明日菜はネギの手を握って歩き出した。すると、階段を上がり、幾つかの角を曲がると、明日菜は前方を歩く二人の少女を発見して声を張り上げた。
「木乃香!」
 すると、明日菜はネギを引っ張ったまま目の前の二人組みの少女の左側の、絹のように柔らかな黒髪を腰まで伸ばした少女に向かって駆け出した。木乃香と呼ばれた少女は「ほえ?」と振り向くと、明日菜に気が付いて「あ、明日菜や」とほんわかした笑顔で言った。
「あ、明日菜や、じゃない! もう、どうして起してくれなかったの?」
 明日菜が頬を膨らませて言うと、木乃香は困った様な顔をして言った。
「せやかて、明日菜、何度も起したのに全然起きへんかったやん」
 木乃香の的を射た言葉に、明日菜は言葉を失くすと、悔しそうに隣に静かに立つ左側だけ紐で縛っている黒髪のサイドポニーの少女に顔を向けた。
「桜咲さぁん。木乃香が優しくないよぉ」
 明日菜が泣きつくと、桜咲と呼ばれた少女は冷たい視線を明日菜に向けた。
「何を言いますか。お嬢様は何度も貴女を起そうとなさいましたよ?」
 冷たい言葉でバッサリと明日菜の言葉を一刀両断すると、明日菜はガックリと肩を落とした。
「うう……、私の周りは鬼ばっか」
『自業自得って言葉しか出ないッスね……』
 そんな明日菜の様子を見て、何時の間にかポケットの中に隠れたカモが念話を使って呟いた。
 ネギはそれに応えず、タハハ……と苦笑した。
「それで、その子は? かぁいぃなぁ」
 ネギに気が付いた木乃香がほんわかした笑顔でネギに顔を向けると、明日菜は唇を尖らせた。
「優しくしてくれない木乃香には教えてあげないもん!」
「もんって……、明日菜、子供や無いんやから……」
 子供の様に不貞腐れて意地悪をする明日菜に、木乃香は呆れた様な困った様な微妙な顔で言った。
「うう……、木乃香に冷たくされたら、私、生きていけないわ」
 わざとらしいモーションで顔を両手で覆いながら、明日菜が言うと、木乃香は呆れた様に「大袈裟やなぁ」と言った。すると、明日菜はクワッと顔をあげて言った。
「大袈裟じゃないもん! 朝ご飯やお弁当や夕飯においしい料理を作ってくれて、毎日起してくれて、時々私の分まで洗濯をしてくれる木乃香は私のお嫁さんになるんだもん!」
「お嫁さんって……、明日菜は高畑先生が好きやったんとちゃうん?」
 冷や汗を流しながら聞くと、明日菜は「勿論!」と断言した。
「高畑先生は好きよ。でも、木乃香は私の嫁よ!」
 そうビシッと木乃香に指を指しながら明日菜は高らかに叫んだ。突然空気が静まり返った。別に、明日菜がすべったとかではない。凄まじいプレッシャーに明日菜と木乃香、ネギとカモは動けなくなった。
「明日菜さん、本気ですか?」
「ふ、ふえ?」
「本気で、お嬢様を嫁にと? 冗談か本気かで対応が変るのですが」
 刹那の氷刃の如き冷たく鋭利な視線を受けて、明日菜は「嘘ですごめんなさい」と涙を流しながら謝った。すると、アッサリと殺気を抑えて刹那はクスリと笑って一言「冗談ですよ」と言って、木乃香の後に戻った。
 その時、その場の刹那以外の全ての人間とオコジョ妖精は思った。
『どう見ても本気だったよ、桜咲さん!』
『殺る目やった……、せっちゃん』
『あ、あの人、今本気だったよね?』
『ありゃあ、マジな目だったぜ』
 三人と一匹は冷や汗を流した。
「えっと、自己紹介せなね。うちは近衛木乃香。よろしゅうなぁ」
 苦笑しながら手を差し出す木乃香に、ネギは笑顔で握り返した。
「ネギ・スプリングフィールドです」
「私は桜咲刹那です。よろしく」
 木乃香の後に控えている刹那も会釈をした。
「よろしくお願いします」
 ネギが頭を下げると、刹那は薄く微笑んだ。
「あれ?そう言えば、木乃香は何してたの?」
 明日菜は思い出した様に聞いた。もうすぐ、始業のベルがなる。それなのに、こんな場所に二人で居るのは不自然だった。
「うちは高畑先生が遅いから迎えにきたんよ」
 木乃香が言うと、刹那も頷いた。ちなみに、職員室と学園長室は目と鼻の先なのだ。
「でも、そんなの委員長の仕事じゃないの?」
 明日菜が首を傾げると、木乃香は困った様な顔をした。
「それがなぁ、昨日は委員会の仕事で寝たのが遅いらしくて、やつれとったさかい、うちらが変ったんよ」
 木乃香が言うと、明日菜は思い出した様に言った。
「そっか、もう学年末だもんね。この時期は去年も忙しくしてたっけ」
「そうなんよ。せやから、ちょっと休ませたろ思ってな」
 木乃香が言うと、明日菜は「そっか」とだけ言うと、「んじゃ、とりあえず行こっか」とネギの手を掴んだ。

 職員室に行くと、高畑先生は学園長室に行ってるとの話で、木乃香と刹那も学園長室に向かおうとしたが、ちょうど学園長室の方から白髪のオールバックで、茶色のスーツを見事に着こなす男が歩いてきた。
「タカミチ!」
 すると、ネギは感激した様に叫んだ。その事に明日菜と木乃香はビクッとして、刹那は片目だけ上げてチラリとネギを見た。
「え? 何、知り合いなの!?」
 明日菜は目を丸くして聞くと、ネギは頷いた。
「お父さんの知り合いで、昔お友達になって貰ったんです」
 ネギが言うと、明日菜は突然頭を抱え込んだ。そして、ネギの肩を掴むとドヨンとした顔で詰め寄った。
「ねえ、信じていいのね?」
「ほえ?」
「お・と・も・だ・ち・ね?」
「は、はい……え? どうしたんですか?」
 訳が分からずに目を白黒させて聞くと、明日菜は「な、何でもないわ」とプイッと顔を背けてしまった。その仕草に、どこかアーニャにも似てるなと、ネギは思った。そして、タカミチと呼ばれた男は近づくと、口を開いた。
「木乃香君、刹那君、明日菜君、おはよう。そして、ネギ君も久しぶりだね」
 爽やかな笑みを浮かべ、タカミチはネギに視線を向けて言った。薄縁の眼鏡がとても似合う、ダンディーと言う言葉がこれほど似合う男もそうはいないだろうという程の男だった。
「転校早々で済まないんだけど、時間が無くてね。先に教室に案内するよ。教科書とかはちゃんと忘れずに持ってきているかい?」
 タカミチが聞くと、ネギは背負っていた薄いリュックサックを背負いなおす様にしてニッコリと笑った。
「万事抜かりは無いよ、タカミチ」
 ネギが言うと、「そうかい」と言って、タカミチは「ついて来たまえ」と言って、ネギ達が来た道を進んで行った。慌てて、ネギ達が続くと、徐々にネギの顔色が悪くなっていった。
「だ、大丈夫? 何か、顔が青いんだけど」
 冷や汗を流しながら、明日菜はネギを気遣った。
「は、はい」
 ネギは、明日菜の優しさに感謝しながら俯いて少しずつ歩幅が短くなっていった。
「ほらほら、緊張してるの分かるけど、シャキッとしなさいシャキッと!」
 軽く背中を叩いて言う明日菜に、ネギは両手で頬を挟む様に叩き、大きくため息を吐いた。
「あ、そうだ」
 突然、前を歩いていたタカミチが戻って来た。
「明日菜君、木乃香君、刹那君、悪いけど先に行って皆を席に着かせておいてくれないかい? ちょっと、僕はネギ君に話しがあるから」
 タカミチが言うと、明日菜は目を輝かせた。
「は、はい! お任せ下さい! いくわよ、木乃香! 桜咲さん!」
「ほえええええええええええ! ネギ君またなァァァァァァ!」
「危ないですから手を離してくださいィィィィィィィィィィ!」
 木乃香と刹那の手を握ると、明日菜は凄まじい速度で走り去ってしまった。
「相変わらず元気だなぁ」
 クスクスと、どこか嬉しそうに呟くと、タカミチはネギを見つめながら数ヶ月前の事を思い出していた…。

 6ヶ月前の事だ。ネギの麻帆良行きが決定した翌日、タカミチは、学園長である近衛近右衛門の言葉に耳を疑った。
「今、何と言いました?」
 顔を引き攣らせて聞くタカミチに、近右衛門は表情を崩さずに言った。
「じゃから、言っとるじゃろ? 来年の二月から、ナギの息子を2-Aに迎えると」
 いい加減ウンザリする程繰り返された問答に、近右衛門は苦々しい顔をした。
「だから、おかしいでしょう? 何故、ネギ君を女装させて編入させる必要があるんですか?」
 タカミチが困惑した様に聞いた。
「ふぅ、タカミチよ。お主は何故あのクラスを任されているか、よもや忘れたのではあるまいな?」
 近右衛門の厳しい眼差しに、タカミチは喉を鳴らして頷いた。
「当然です。明日菜君、木乃香君、エヴァの警護と、裏の世界に関る真名君達援助をする為です」
 タカミチが当然の様に言うと、その姿はどこか誇らしげだった。だが、近右衛門は厳しい目でタカミチを見た。
「そして、超鈴音の監視もじゃ。じゃが、今はそれでもいいじゃろう」
 近右衛門の言い方に、タカミチは胸中で舌打ちしたが、表情には出さなかった。自分の生徒を監視しろと言う命令に、タカミチは本心では嫌悪感を感じていた。だが、魔法使いとしての彼は、その事を承知していた。それでも、完全に納得するのはかなり難しい事だった。
「ネギ君をこの地に迎えるのは、彼に戦いというのを経験させると同時に、彼を護る為でもあるのじゃ。彼の事は、彼の従姉妹のネカネ・スプリングフィールドの妹として戸籍を用意してある」
「――ッ! そういう事ですか」
 漸く、タカミチにも近右衛門の考えが理解出来た。
「うむ。あの子は立場が立場じゃからな。じゃから、彼が身を護れる力や、出来るならば仲間を持たせたいと思っておるんじゃ」
「仲間……? まさか、貴方は2-Aの生徒達を!」
 タカミチは、近右衛門の恐ろしい考えに嫌悪と憎悪に満ちた眼差しを向け怒鳴った。だが、近右衛門はそれを軽く流した。
「まぁ、お主の考えは遠からずじゃな」
 近右衛門の言葉に、タカミチは殺気を迸らせたが、それ以上の強烈な威圧感に言葉を無くした。
「話を聞け」
 近右衛門の凄まじい圧力を受け、タカミチは黙らされた。圧倒的過ぎる力の差を感じ、躯が動かなくなってしまったのだ。そして、近右衛門は言った。
「お主も分かるじゃろ。木乃香も、明日菜君も、エヴァンジェリンも、このまま平穏のままに人生を終えられる筈が無いと」
「そんな事は……」
 思わず反論しようとしたが、タカミチは声が出なかった。言い返す言葉が見つからなかったのだ。考えれば判る事だった。
「明日菜君……、アスナ・ウェスペリーナ・テオタナシア・エンテオフュシア。『黄昏の姫御子』が、このまま平穏に生きる事が出来ると? 極東最強の魔力を持つ木乃香が、狙われないと? 異端の最たる存在である真祖の吸血鬼のエヴァンジェリンが教会やハンターに目をつけられていないと? 本気で思っておるのならば、儂はお主を過信し過ぎていたと反省するが、そうではないじゃろ」
 近右衛門の言葉に、タカミチは歯を噛み締め、拳を血が床のふかふかの赤い絨毯に紅い染み作り出すほど出る程の強さで握り締めた。否定は……出来なかった。
「最近になり、例の組織が再び動き出しているという噂もある」
「奴等は……、間違い無く、ネギ君を狙うでしょうね。奴等だけじゃない、あの老人達もナギとアリカ様の息子である以上は……。それでも、納得は出来ませんよ。明日菜君……いや、お姫様に平穏な暮らしをさせたいと願ったガトウさんの気持ちを踏み躙る事になるかもしれない」
「感情に身を任せるのも時には正しいじゃろう。じゃが、現実をキチンと認識せい!」
 近右衛門の苛烈な怒鳴り声にタカミチは凍りついた。
「来るべき時が来たんじゃよ。新たなる翼を羽ばたかせねばならん。ネギ君だけでは無い。ガトウ殿に任せられた明日菜君。婿殿に預けられた木乃香。ナギがこの地に隠したエヴァンジェリン。彼女達の平穏もここまでが限界なのじゃ」
 近右衛門は苦渋を飲むかのように言った。
「それにじゃ。まだ若いネギ君に下手な魔法使いの師を授けて、間違った考えを植えつけられたらどうする? ラカン達、紅き翼のメンバーに預ける案もあった。じゃが、ラカンはあの通りの性格じゃし、行方も掴めん。婿殿は西を治めるのに忙しい。アルビレオは今は治療中じゃ。ゼクト殿もガトウ殿も亡くなり、もう手は無かったんじゃよ。それに、ナギに息子が居るというのは、もう世界中に広まってしまっておる。じゃからこそ、女生徒とすれば、彼は血縁関係はあれど、ナギの直接の子供では無いと言い張れるじゃろ? それに、お主もおる」
 近右衛門の言葉を聞き、タカミチは自分を恥じた。短慮が過ぎた。近右衛門は、日本の西洋魔術の魔術結社全てを取り仕切る長なのだ。その卓越した明晰な頭脳が、ただの巫山戯などで、ネギの人生を弄ぶ筈も無い。
 近右衛門は口を開いた。
「儂は、残酷な事をするじゃろう。恐ろしく身勝手なエゴを子供達に押し付ける。じゃから、儂は彼らを護る資格はないのじゃ。タカミチよ、ネギ君の事、2-Aの生徒の事、頼むぞ」
 近右衛門の言葉に、タカミチは真っ直ぐに近右衛門の目を見返した。
「はい!」

 そして、現在に至る。最初に見た時は驚いてしまった。元々小柄で、どちらかと言えばナギの様な精悍さとは程遠い可愛らしい顔立ちで、どう見ても女の子にしか見えなかったからだ。
 だが、すぐに当たり前だろ、と自嘲した。ネギは10歳であり、今は女体化の薬を飲んでいるのだから。そして、タカミチは隣を歩く少女の姿をした尊敬する最強の魔法使いの面影を残す少年、ネギ・スプリングフィールドに顔を向けた。変な顔をしていたのか、ネギは不思議そうにタカミチの顔をみつめていた。
「ネギ君。不安かい?」
「だ、だいじょうびゅ……」
 言葉を噛んだネギの様子にタカミチは苦笑しながら、ネギの頭を優しくポンポンと叩いた。
 そして、目を細めて言った。
「まずは、修行については考えなくていいよ」
「え?」
「最初の仕事は皆と慣れる事だからね。お友達を作りなさい。年上で、気後れしてしまうかもだけど、それでも、きっと、楽しくなるよ」
 ニコッと微笑みながらタカミチが言った。すると、ネギは不安そうに呟いた。
「僕、ちゃんと出来るかな?」
 不安を口にするネギにタカミチは優しく言った。
「大丈夫だよ。君はいい子だからね。それに、クラスの子達もいいこばかりだ。きっと、大丈夫。一杯友達を作りなさい」
 タカミチの言葉に、ネギは大きく息を吸うと、「うん!」と元気良く応えた。その顔は、どこか引き締まって見えた。
 教室に着くと、明日菜達がキチンと仕事をこなしたらしい。静かな教室に、先にタカミチが入り、しばらくしてタカミチがネギを呼んだ。緊張しながら中に入ると、そこには好奇心に目を輝かせる女の子達で一杯だった。
「じゃあネギ君。自己紹介を」
 タカミチが言うと、ネギは「は、はい」とドキドキと爆発する様に跳ねる心臓を押えて笑顔を作って言った。
「ネギ・スプリングフィールドと言います。イギリスから来ました。よろしくお願いします」



[8211] 魔法生徒ネギま! [序章・プロローグ] 第二話『ようこそ、麻帆良学園へ!』
Name: 我武者羅◆cb6314d6 ID:87b1fc72
Date: 2010/06/06 23:55
魔法生徒ネギま! 第二話『ようこそ、麻帆良学園へ!』


「ネギ・スプリングフィールドと言います。イギリスから来ました。よろしくお願いします」
 腰まで伸びる柔らかな赤い髪を首の後で、鮮やかな紫の紐で縛っている、瞳の大きな美少女が、緊張しているのか、少し震えた声を発しながらペコリと頭を下げて挨拶をした。
 ネギの挨拶を聞きながら、教室中の少女達は一様に目を輝かせていた。新しい友達になる転校生に、彼女達の好奇心はクライマックスなのだ。今すぐにでも、ネギの事を知りたい! そう思っている視線がネギに集まり、ネギが頭を上げると、クラスの殆どの少女達が、まるで口裏を合わせたかのようにピッタリとハモッて返事を返した。
「よろしく~~~~!!」
 返事を返して貰えたネギは、安堵の笑みを浮かべ、その笑顔があまりに可愛らしく、ネギから見て右から二番目の最後尾の席に座る、黒髪を腰まで伸ばして、触覚の様な二本のくせっ毛がある眼鏡の少女が涎を垂らしたりしていた。
 ネギの視線の先で明日菜がニッと微笑みかけ、木乃香も小さく右手をパタパタと振り、刹那も薄く笑ってくれた。刹那の笑顔だけ、ネギは少し怖かったが、それでも安心感を得る事が出来、ネギは内心で感謝した。
 タカミチが口を開いた。
「時間が押してしまってるね。だけど、君達もネギ君の事を知りたいだろ?」
 タカミチが爽やかな笑みを浮べて聞くと、少女たちはコクコクと元気に頷いた。その反応に、タカミチはフッとニヒルに笑うと、明日菜が目を潤ませ、顔を赤らめているのに気付かずに口を開いた。
 ネギは緊張が解けたからか、タカミチから僅かにコロンの香りが漂っているのに気がついた。そんなに強い臭いではなく、あくまでも薄く、申し訳程度の様だったが、それでもタカミチのダンディズムを強調するにはピッタリだった。
 ネギは、昔彼が遊びに来てくれた時に見せてくれた『滝割り』に感激し、目指すべき漢として尊敬していた。まさか、女の子になって会いに来る事になるとは、その時は微塵も思わなかったのだが……。
「では、源先生に了解は得ているから、次の英語の授業はネギ君への質問コーナーにしよう。みんな、休憩時間は必要かい?」
 タカミチが聞くと、少女達は元気一杯に「いらな~~~~い!!」と叫び返した。
 その様子にククッと笑うと、そんな何気ない仕草からも、溢れ出るダンディズムが周囲に漏れ出し、明日菜は暖房の効いた部屋に放置したアイスクリームの様に蕩けきり、隣の席の木乃香が冷や汗を流しながら懸命に扇子で冷やしていた。
「それじゃあ、このまま質問コーナーに移ろうか。それじゃあ、質問のある者は……っと、和美君に代表で聞いて貰った方が早く終わるね」
 そう言うと、タカミチはネギから見て右から二列目の最前席に座る、赤毛を後頭部で髷にして、前髪を分ける為に右側をピンで留めている、活発そうな目に危険な光を宿している少女に声を掛けた。
 ちなみに、明日菜は射殺す目付きでハンカチを噛み締めて、タカミチに指名された和美を睨み付け、和美はそんな明日菜に気が付き冷や汗を流しながら胸中で「ごめんね、明日菜」と胸中で謝罪した。
 和美に心臓に悪い視線を送る明日菜は、隣の木乃香に取り成されていた。
「ほんじゃま、取材させてもらいますよ!」
 気を取り直し、和美はネギに顔を向けた。
「私の名前は出席番号三番! 朝倉和美よ。よろしくね」
「はい! よろしくお願いします!」
 頭をペコンと下げるネギに。
 可愛いにゃ~、とちょっと萌えると、和美はコホンと可愛らしく咳払いをした。
「ちなみに、報道部に所属してるの。男の人に嫌な事された~ってな時は是非是非。私が報道的制裁を加えてあげるからね」
 邪悪な笑みを浮べてウインクする和美に、ネギは薄ら寒い物を感じて「ひゃ、ひゃい」と情けない声を出してしまった。
「ま、仲良くしてね。そんじゃ、質問するね?」
 和美はそう言うと、自慢の取材ノートを取り出した。
 それにしても迂闊だったわ~、まさかこの私が転校生なんて重大なもんを見逃してたとはね~、と和美は胸中で溜息を吐くと、ノートの何も書かれていないページを開いて、可愛らしいノック部分が熊の頭のシャーペンを顎で突いて芯を出した。
「そんじゃま、最初は基本的な事から誕生日は?」
「10月31日です。ハロウィンに生まれました」
「身長と体重と3サイズ」
「えっと、135cmの32kgです。えっと、その3サイズは……計った事なくて」
 ネギが思い出すように一生懸命応えると、和美は呆然としていた。
「え? あれ? あ、あの、私何か変な事言っちゃいました?」
 不安げな眼差しを向けるネギに、和美は燃え尽きた様な空ろな表情を浮べていた。
「ごめん、ちょっと待ってね。質問の内容考え直すから……」
「?」
 和美はそう言うと、ブツブツと頭を抱えながら一人で悩み始めた。ネギは心底不思議そうな顔で首を傾げると、他の生徒達は苦笑するしかなかった。
 ま、まさか、本当にアッサリ答えちゃう娘とは……、見た目だけでなく心もロリっ子!? うう……、変な質問出来なくなっちゃった……、と和美はドヨンとした影を背負うと、顔を上げた。
「えっと、じゃあ好きなお菓子は?」
 コホンと咳払いをして気を取り直すと、和美は聞いた。
「えっと、ファッジも好きだし、ホット・クロス・バンズもおいしいですよね。あ! でもでも、イングリッシュ・マフィンとクランペットも苺ジャム入りのアールグレイに合いますね。それに、クリスマスのクリスマス・ブティングは毎年すっごく楽しみにしてます」
 ニコニコと思い出す様に話すネギに、和美は面を喰らったが、ニコッと笑うと、全てをノートに書き込んだ。
「ファッジ、ホット・クロス・バンズ? マフィンやクランペットは分かるんだけど、ホット・クロス・バンズって?」
 和美が聞くと、ネギは親指と人差し指で丸い円を作り出した。
「このくらいの小さなパンケーキなんです。真っ白な糖蜜ヌガーが十字型に敷かれていて、ちょっと硬いんですけど、すっごくおいしいんですよ」
 ネギが言うと、和美はノートに書き込んだ。
「じゃあ、好きな食べ物は? 飲み物もオッケーよ」
「そうですねぇ、シェパーズパイも好きですし、ステーキ・アンド・キドニーパイやコーニッシュ・ペスティー、ミンス・パイやヨークシャー・ブティングで包んだローストビーフも大好きです」
 ちょっと涎を垂らしながら夢心地になりつつ答えるネギに和美は苦笑した。
 とりあえず、名前だけメモって後で調べるかな? にしても、食いしん坊キャラとは侮れん……、と和美は戦慄しながら質問を続けた。
「この時期に転校ってのも不思議だよね? 何でなの?」
「それは一身上の都合と言いますか……」
 さっきまでとは一変して答え辛そうにするネギに、和美は否応無く好奇心を刺激された。
「じゃあ、お父さんとお母さんは? やっぱり、イギリスから日本に一人で来たとかじゃないんでしょ?」
 更に質問をする和美に、タカミチは大きな咳払いをした。
「?」
 不自然な咳払いに、和美はタカミチを見ると、どこかバツの悪そうな顔をしていた。
「あの……、私の両親は……その」
 暗い顔をするネギに、和美は顔を青褪めさせた。さすがに報道部で磨き上げられた鋭い勘が訴える。自分は地雷を踏んだのだ……と。
 周りから白い視線を感じて、和美は居心地が悪くなった。
「あっと、ごめん。この質問無し! えっと、別の質問をするね」
 そう言って、和美はもう二度と両親や転校の時期とかについては触れなかった。
 それでも、和美の質問は多く、結局英語の授業はそれで終わってしまった。
「それじゃあネギ君の席はエヴァンジェリン君の隣だ。目は大丈夫かい? 黒板が見えなかったりは……」
「大丈夫です」
 タカミチの言葉に、ネギは敬語を使って返事をした。公私を一緒にしてはいけない。タカミチと個人でならばいいが、教室などの先生と生徒の立場のときは、ちゃんと弁えないと駄目だ、そうカモに注意されたのだ。
 タカミチは頷くと、教室を出て行った。そして、ネギが着席すると、隣の席が空いているのを見た。
「この席は?」
 ネギが首を傾げると、前から一人の少女が歩いてきた。金色の滑らかな髪を膝まで伸ばした少女は、優雅な仕草で歩み寄ってきたのだ。
「そちらの席はエヴァンジェリン・A・K・マクダウェル。エヴァさんの席ですわよ」
「ほえ?」
 ネギが顔を向けると、少女の金砂のような美しい髪が教室の電灯の明かりを受けて煌びやかな光を放っていた。眩しいほどに輝く少女を見上げるネギに少女はニッコリと微笑んだ。
「はじめまして。私は雪広あやかと申します。このクラスのクラス委員長をしてますの」
 右手を胸に当てながら、あやかは優雅な仕草で言った。その精錬された、まるで貴族の様な振る舞いに一瞬呆けてしまい、ネギは慌てて立ち上がった。
「こ、こちらこそ、よろしくお願いします! ネギ・スプリングフィールドです!」
 ネギが慌しく頭を下げると、あやかはクスクスと笑った。
「知っていますわ。さっき、前で申していらっしゃったではありませんか」
「あ、そうでした……」
 ネギが恥しそうに頭を掻くと、あやかはクスリと微笑んだ。
「とにかく、何か分からない事や、不安な事もあるでしょう? 困ったら是非とも頼りにして下さいな。ネギさん」
 ニッコリと、まるでバラが舞っている錯覚すら覚え、ネギはつい顔を赤らめると「あ、ありがとうございます!」と頭を下げた。
「可愛らしい方ですわね。教科書やノートは大丈夫ですか? エヴァさんは何時も授業をサボっていらっしゃるので、教科書が無いのでしたら、私のをお貸ししますわよ?」
 クスクスと微笑みながらあやかが言うと、ネギは「大丈夫です」とニッコリと自分の鞄を指差した。
「教科書もバッチリ持って来ましたから。雪広さん、ありがとうございます」
 ニッコリ笑顔で言うと、あやかはフフッと微笑んだ。
「私の事はあやか、とおよび下さいな。もしくは、そうですね、皆さんは委員長と呼びますわ。どちらか、お好きな方を」
「えっと、じゃああやかさんってお呼びしても?」
「ええ、勿論構いませんわ。私もネギさん、とお呼びさせて頂いても?」
「勿論です! 呼び捨てで大丈夫ですよ」
「ありがとうございます。ですが、性分でして、どうしてもさんを付けてしまうのです」
「そうですか、わかりました。これから、よろしくお願いします、あやかさん」
「ええ、よろしくお願いしますわね。ネギさん」
 ニッコリと優雅に微笑むあやかの、そのあまりの可憐さに、ネギは顔が火照るのを感じた。すると、あやかの後から明日菜や木乃香、他にも沢山の少女達が集まって来た。
 和美がネギを後から抱すくめた。
「やっほ~い! ネギっち、私の事も和美でいいからね~。う~ん、髪の毛柔らか~い」
 ネギの頭に頬ずりする和美を、黒髪の長いポニーテールの少女が引き剥がした。
「やめなさい」
 呆れた様に注意する少女に和美は唇を尖らせた。
「アキラの堅物」
「堅物!? わ、私は転校生にあんまり馴れ馴れしくすると疲れてしまうだろうと思ってだな……」
 あわあわしながら自分の言い分を言う大河内アキラに、和美はムフフと笑うと、アキラに抱きついた。
「もう、アキラってば可愛いんだから。萌え萌え~」
「萌ってなんだ!?」
 キャハ~ッと逃げ出すアキラを追い掛けて、和美は教室から出て行ってしまった。
『嵐の様な方方だったスね』
 念話でカモが呆れた様に言うと、ネギも胸中で同意した。
「変な奴って、思わないでやってね?」
 すると、明日菜が言った。
「え?」
 ネギが顔を向けると、明日菜は腰を屈めて言った。
「あれでも、悪いと思ってるのよ。アンタの……その、両親の事聞いた事」
「朝倉なりに、ネギちゃんに元気出して欲しかったんやろうな」
 明日菜の言葉を、後でほんわかした空気を醸し出している木乃香が言った。
 その言葉に、ネギは「そっか……」と呟いた。
「和美さんは、優しい人なんですね。明日菜さんや、木乃香さんも」
 ネギがニコッとしながら言うと、明日菜はカッと顔を赤くした。
「あ、あんた、素直過ぎてちょっと眩しいわ……」
 訳の分からない事を言う明日菜に、ネギは首を傾げると、刹那とは反対の右側でサイドポニーにしている少女がクスクス笑った。
「や~い、明日菜ってば赤くなってる~」
 少女が言うと、無言で明日菜は睨み付けた。
「冗談冗談、怒んないでよ~。っと、ネギちゃん……う~ん、何か同級生にちゃん付けるって変な感じだし、呼び捨てでいい? 私は明石裕奈。私の事も裕奈でいいからさ」
 裕奈がそう言うと、ネギは「はい、裕奈さん」と言った。すると、チッチッチと、裕奈は人差し指を揺らした。
「ゆ・う・な、だけでいいの。友達になるんだから、さんなんて他人行儀はやめてよね?」
 裕奈の言葉に、ネギは「えっと、その……ゆ、裕奈」とどもりながら恐る恐る言った。
「うん! ネギ、よろしくね」
 ニッと微笑むと、裕奈は手を差し出した。
「は、はい! こちらこそよろしく、裕奈」
 ネギも手を握り返すと、次々に他の少女たちも自分を呼び捨てにする様に言った。桃色髪のツインの少女や、水色髪のショートカットの少女、浅黒い肌色の金髪中国的小娘などだ。
 ネギの机の前で、少女達が騒いでいると、和美がアキラと共に戻って来て、その後に黒髪のオールバックで、教室内だと言うのにサングラスを掛けた、ヤクザ風の男が入って来た。
「お前達、着席しろ」
 男の言葉に、慌てて少女達は自分達の席に戻った。あやかは去り際に「あの方は、数学担当の神多羅木先生ですわ」とネギに教えてくれた。
「ふむ、転校生君は…君だな」
 そう言うと、神多羅木はニヤリと笑った。その、どこか面白がる様な笑みに、ネギは首を傾げた。
「私は、数学担当の神多羅木だ。教科書は持って来ているか?」
 神多羅木が聞くと、ネギは「あ、はい!持ってきてます!」と言って、慌ててノートと教科書、それにペンケースを取り出した。
 その様子に、満足そうに頷くと、神多羅木はプリントを前の列の六人に渡し、後に配るように言った。
「今日はそれぞれの修学状況を図る抜き打ちテストをやる。転校早々ですまないが、君の実力も知っておきたいのでね。まあ、成績に関係は無い。気楽にやってくれ。ただし!」
 全員にプリントが行き届くのを確認すると、神多羅木はサングラスを光らせた。
「このクラスは非常に残念な成績の者が複数居る」
 神多羅木の言葉に、何人かが呻き声を上げた。
「さて、そんな訳で、今回のテストで下位5名に関しては、宿題を出す事にする」
「ええええ、私バイトがあるのに!」
「殺生アル!」
「うえぇぇん、部活があるのに~~」
「横暴です……」
「参ったでござるな~」
 明日菜や、先程ネギの机に集まった桃色紙の短いツインテールの元気一杯の少女、佐々木まき絵や色黒の金髪中国的小娘の古菲、背が他のクラスメイトとよりも一際高く、胸も大きな細めの首の後で白い布で腰まで届く黒髪を縛っている長瀬楓、それに前髪が短く、おでこの広い紫髪の少女、綾瀬夕映はあからさまな不平を漏らした。
 ネギの前の席の明石裕奈が、クスクス笑いながらネギに小声で呟いた。
「あの五人ってば、バカレンジャーって呼ばれてるんだよ」
「バカ……レンジャーですか?」
「そ、いつも成績が悲惨な五人組。今日も元気だバカレッドの明日菜、油断大敵バカブラックの夕映、カワズ飛び込むバカブルーの楓、食前食後バカイエローの古菲、みんな仲良しバカピンクのまき絵でバカレンジャーってね」
 ククッと笑う裕奈に、ネギはどう反応していいか判らず、「はぁ……」と曖昧な返事を返した。
『まぁ、このクラスの場合はシャレとして言ってるんでしょうね。普通の学校だったら虐めで問題になりそうッスけど、それだけ、このクラスは結束が強いって事ッス。姉貴も頑張るんスよ?』
 カモの言葉に、『うん』と念話で返し、ネギは神多羅木のテスト開始の合図と共に、テストに取り掛かった。結局、やはりと言うか、バカレンジャーに宿題が出された。
「ふむ、ネギ君は満点だ。フフ、優秀優秀」
 フッとニヒルに笑みを浮べながら言う神多羅木の言葉にクラスのみんなは「お~~!!」と歓声を上げた。
「天才少女だ!!」
 ガビーンという効果音を鳴らしながら、まき絵がほえ~っと感心した声を出し、裕奈も「やるじゃん!」と言った。遠くでは、
 明日菜が頭を抱えて、恥しそうにしていた。その姿に苦笑しているあやかの姿もあり、そのまま授業は終わった。その後も、現代国語の新田は、教科書の音読を、一文ずつ生徒にさせて、重要な語句を晩所させた。
 その後、日本に来たばかりのネギに、簡単に読める日本語の小説を何冊かピックアップし、その内の一冊である『誕生日(※注1)』と言う、内気な少女が兄や祖父母のおかげで強くなっていくかなり感動する物語をプレゼントした。
 四時間目は瀬流彦先生の現代社会で、瀬流彦先生は途中途中に雑談を交えて、何とか生徒達に飽きない授業をしようと一生懸命で、その姿が逆に微笑ましく、皆楽しそうに授業を受けた。
 特に、左から二番目の列の後から二番目の席の少女、柿崎美砂は熱い眼差しを瀬流彦に向けていた。

 お昼になると、お弁当など持って来ていないネギは、自分の財布を取り出して、中身を確認すると、席を立ち上がった。すると、明日菜と木乃香、刹那が手を上げて近づいて来た。
「ネギ、アンタ今日は弁当?」
 明日菜が聞くと、ネギは首を振った。
「持ってないので、食堂に行こうと」
 ネギが答えると、明日菜はニッと笑った。
「なら、一緒に行きましょ。私達はお弁当だけど、食堂で食べましょうよ」
「え? いいんですか!?」
 ネギが目を丸くして聞くと、明日菜はウインクした。
「勿論よ。てか、また迷子になって泣きべそかかれちゃたまんないしね?」
 クスクス笑いながら言う明日菜に、ネギは涙目になって「明日菜さん酷いです~」と抗議した。それを華麗に無視して、「ほら行くわよ?」と、明日菜はネギの手を掴んで教室の外に歩いて行ってしまった。すると、後から和美がやって来た。
「ちょい待った! 私も一緒に行くよ」
「朝倉も?」
 明日菜が驚いた様に聞くと、和美はニッと笑った。
「折角友達になったんだもんね。一緒にご飯食べたいじゃん」
 和美が言うと、ネギは嬉しくなって「ありがとうございます」と言った。すると、和美は呆気に取られた顔をして、すぐに笑い出した。
「あっはははははは!! やっぱりネギっち最高だわ。もう、可愛いんだから。いいのいいの、一々友達にお礼なんて言わないでいいのよ。こっちが無理矢理付いて来るんだしね?」
 和美の言葉に、「はい!」とネギは笑顔で答えた。
 廊下を進み、幾つかの角を曲がって、外に出た所の大きな食堂に到着した。
「うわ、広いですね!」
 ネギが歓声を上げると、明日菜は得意気に胸を逸らした。
「なんせ、ここの食堂は並みのレストランよりも味がいいって評判なんだから!」
「ここの食券な~、外の人達も欲しがって、凄く高額で取引される事もあるんよ」
 木乃香の言葉に、驚くネギを連れて、和美は「ゴーゴー!」と最初に席を決めた。人が多かったが、何とか五人分の席を確保出来た。そして、和食コーナーの所にネギは明日菜に連れられて向かった。
 明日菜は、まるで妹を持った姉の様に楽しそうにネギの世話をして、その様子に、木乃香はニコニコと笑顔で見守った。ネギは明日菜のお薦めで焼き魚定食を頼み、大根おろしの味を知り感激しながら、お昼ご飯は終了した。
 一々目を輝かせて「おいしい!」と歓声を上げるネギに、和美は「ハイ、チーズ!」っとカメラにその姿を納めたが、そのデジカメのメモリーデータは個人用と刻印されていた。何となく、他の人に見せる気にはなれなかったのだ。

 お昼の授業は、高畑の美術の授業だった。明日菜はタカミチを描きたがったが「いやいや、ちょうど偶数だからね」とタカミチは困った様な顔で諭した。
 仕方なく、明日菜はネギを捕まえると、お互いをモデルに絵を描いた。一々鉛筆で寸法を目測しながら真剣な表情でネギの絵を描く明日菜に、ネギも懸命に巧く描こうと奮闘した。
『姉貴、魔法陣の要領で描くんでさ。幾何学模様の魔法陣に比べりゃ、人間の輪郭なんざ、わかりやすいもんですぜ』
 素人考え全開のカモのアドバイスは何の助けにもならず、結局、少し歪な造形になってしまい、ネギは落ち込んだ。だが、明日菜の絵を見た時、そんな考えも吹き飛んだ。
「す、凄いです明日菜さん!! 上手です!!」
「えへへ、可愛く描けてるでしょ。これでも美術部なのよ、私」
 照れながらも、誇らしげに言う明日菜に、ネギは尊敬の眼差しを向けた。
「お、巧いくなっているね、明日菜君。デッサンも上手だし、今度のコンクールも期待できそうだ」
 タカミチはニヒルに微笑みながら、明日菜の絵を絶賛した。明日菜の描いた絵は、真剣な眼差しでアスナの絵を描こうと奮闘する、躍動感に溢れた芸術品だった。
 影のタッチから、輪郭の細かな太さの変化など、卓越した技術が垣間見る事ができた。
「昔は落書きみたいだったのに、よく頑張っているね。明日菜君」
 明日菜の髪を優しく撫でて言うタカミチはそのまま立ち去ってしまった。そして、残されたネギは、蕩けきったお餅のように垂れ切っている明日菜の姿に何となく分かった。
『明日菜さんって、タカミチの事が好きみたいだね』
『でしょうね。しっかし、分かり易いお人ッスね~。あ、でも、人の恋路にとやかく口をだすのはNGっスよ? 姉貴』
『え、どうして? 私はタカミチの友達なんだから、プライベートで少しお話したり出来るかも……』
 ネギが言うと、カモは『やっぱり……』と困った様な声を発した。
『姉貴。恋ってのは、駆け引きなんス。好きな人に振り向いて貰う為の険しい道。だけど、それを他人が手出ししていい道じゃないんスよ。余計に険しくしてしまう場合もあるんス』
 カモの言葉に、ネギは納得いかなげに『うん……』と答えた。だが、カモの言葉も最もだと思い、とにかく明日菜の介抱をする事にした。
 木乃香が団扇で困った顔をしながら明日菜に風を送り、ネギと木乃香は顔を見合わせるとお互いにクスクスと笑い合った。
「高畑しぇんしぇ~だいしゅき~」
 完全に垂れてしまっている明日菜の寝言に、ネギと木乃香は噴出してしまったが、本人には内緒にする事にした。 そして、ちょっとだけ分かった気がした、カモの言葉の意味が。
『そうだね。明日菜さんが頑張ってるのに、私が手を出すなんて駄目だよね?』
『姉貴……』
 ネギの言葉に、カモはポケットの中で、満足そうに微笑んだ。

 放課後になると、あやかが木乃香に何事かを告げると、その脚でネギの席に近づいて来た。木乃香は刹那を率いて、教室を出て行ってしまった。そして、あやかは教科書を仕舞うネギに、話しかけた。
「ネギさん。先程、高畑先生が、貴女の部屋については、準備が必要だから夕方に寮に戻る様にとの事らしいですわ」
 あやかが言うと、ネギは「そうですか、ありがとうございますあやかさん。でも困りましたね……、どうやって時間を潰せば……」と、少し困った顔で頬を人差し指で掻いた。
「でしたら、私がこの学園を案内して差し上げますわ。ここに来たばかりですから、未だ勝手が分からないでしょう?」
 あやがの言葉に、ネギは少し考えると、言葉に甘える事にした。だが、それを後から和美が待ったを掛けた。
「な、なんですの? 朝倉さん」
 あやかが眉を顰めて聞くと、和美は言った。
「委員長ってば、最近忙しくて大変そうじゃん。今日だって、久しぶりの休みなんだから那波さんに休む様言われてたじゃん」
 和美が言うと、ネギは目を丸くして頭を下げた。
「すみません。そんな事汁知らずに……」
 そんなネギに、あやかは慌てて顔を上げるように言った。
「お、お待ちください。私はクラス委員長としての仕事も確かに大変ですが、折角お友達になったのですから、ネギさんのお手伝いをしたいと本心から思っているのでして……」
 あやかが言うと、和美は「はいはい」とあやかをネギから離した。
「でも、委員長が倒れたりしたら大変でしょ? 安心しなって、代わりに私が案内するからさ。今日のところは、ね?」
 和美が言うと、「朝倉さん……」とあやかは感銘を受けた表情で和美を見た。
「ほんじゃま、この学園をネギっちに隅々まで案内してあるよん」
 そう言って、和美はネギを一日中連れ回した。基本的に、ネギも部活に入る事になるだろうと考慮して、部活動の場所を重点的に案内している。
 明石裕奈の在籍しているバスケット部や、大河内アキラの水泳部、春日美空の水泳部、桜咲刹那の剣道部、佐々木まき絵の新体操部、今日は部活には出ていないが、雪広あやかの馬術部、古菲と超鈴音の中国武術研究会、椎名桜子、柿崎美砂、釘宮円のチアリーティング部の順に、運動部の部活動を見て回った。
 そして、太陽が傾き、空が茜色に染まる頃には、クラスの皆の入っている運動部をあらかた見て回ることが出来た。
 最後に和美が連れて来たのは高台だった。そこは、麻帆良学園の全景を見渡す事が出来る絶景スポットだった。
「わ~~」
 夕日を浴びた学園都市の美しい姿に、ネギは感激の声を上げた。そして、そのネギの様子に、和美は満足気に笑った。
「どうだった? 邪魔するわけにはいかないから、遠目から見るだけだったけど。面白そうな部とか見つかった?」
 和美が聞くと、ネギはう~んと悩む様に唸った。その様子に「そっか」と言うと、和美は高台の柵に手を掛けて後に振り向き、背中を柵に預けた。
「来たばっかだもんね。他にも文科系もいっぱいあるし、もっと見て回らなきゃ分かんないよね」
 和美がウインクしながら言うと、ネギは申し訳なさそうに「はい……」と答えた。すると、和美はクスクスと笑った。
「さて!」
 和美は自分の取材ノートを開き、シャーパンの芯を出すと、クルクル回転しながらネギに近寄った。
「ではでは、ネギ・スプリングフィールドさん。今日の、私事朝倉和美の学園案内はいかがでしたかにゃ~?」
 シャーペンをマイクに見立てて、和美は取材の様に聞いた。ネギはニッコリと笑顔になった。
「とっても楽しかったです。私、和美さんとお友達になれて良かったって思ってます」
 ネギの素直な言葉に、和美は一瞬呆気に取られるとすぐに振り向いた。夕日の光に感謝する。
 あっちゃ~、私今……多分顔真っ赤だわ、と頬をポリポリと掻くと、和美はスゥッと深呼吸をして振り向いた。
「それはそれは、感謝の至りでございます。んじゃ、最後に取って置きの場所に連れて行ってあげる」
 ウインクして言うと、和美は当惑するネギを連れて、巨大な木の下に連れてきた。
「大きい……」
 ネギは、目の前の巨大すぎる木を見上げ、呆然と呟いた。
「神木・蟠桃。でも、私達は世界樹って呼んでる。この学園が出来る前から生えてるんだってさ。色んな噂や伝説があるんだよ?」
「伝説ですか?」
「そ、例えば、この木の下で告白すると、その恋が叶うの。他にも、この木は意思を持ってて、この学園の生徒を護ってるんだって伝説もある。この木を見てるとね、何となくだけど私も思うんだ。あ~、護られてるわ~って」
 和美の言葉にネギは世界樹を改めて見上げた。大きくて優しい空気を纏う、不思議な木。ネギは、ソッと世界樹に近寄った。
「ネギ・スプリングフィールドです。今日からこの学園に来ました。よろしくお願いします……なんて」
 頭を下げながらそう言うと、小さく舌を出しながら、悪戯っぽくネギは笑った。その姿に、和美は嬉しそうに笑った。
「今のいい! もう、可愛いんだから~、おじさんが持ってかえっちゃうよ~」
 ネギに抱きついて頬ずりをしながら言う和美に、ネギは「あわわわ」と慌てるが、ポケットの中のカモは、楽しげに、それでいて優しい笑みを浮べていた。
『お友達が出来て、良かったッスね、姉貴』
『そ、そうだけど助けて~~!』
 ネギの念話は、カモの楽しげな念話の鼻歌によってスルーされた。
「と・に・か・く、ネギっち」
「ふえ?」
 髪をボサボサにされたネギは、離れた和美に首を傾げながら向けた。
 すると、夕日を背景に和美は手を差し出していた。
「ようこそ、麻帆良学園へ!」

 陽が完全に落ち、数メートル置きに配置されている街頭の光が辺りを幻想的な空間に仕立て始めた。道々に在るお店も、生徒の最終下校時刻を過ぎてシャッターを閉じ始めた。
 麻帆良学園の店舗は、二階に居住スペースのあるお店が殆どであり、時折楽しげな声が通りに響いた。麻帆良学園女子中等部の学生寮に伸びるこの道をネギと和美は歩いていた。
 ネギと和美は世界樹を観てから、直接学生寮へと向かって歩き出したのだ。歩き出した時は未だ僅かに見えていた陽光も、今はまったく見えない。空を見上げれば、そこにあるのは優しい光を放つ真ん丸のお月様と、寄り添う様に存在感をアピールしているかの様に輝く星々だった。
「思ったよりも遅くなっちゃったね。ごめんね、荷物の整理とかもあるのに引っ張りまわしちゃって」
「いいえ、今日は本当に楽しかったです」
「ヘヘ、そう言ってくれると嬉しいな。案内した甲斐があったよっとと、見えたよ。あれが私達の学生寮よ」
 二人の歩く先には、まるでビルの様に巨大な建物の影があった。建物からは所々の窓から光が灯り、屋上からは煙が出ている。ネギが立ち止まり、学生寮を見上げていると、和美が学生寮の屋上を指差した。
「あそこから湯気が出てるの分かる?」
「湯気……あれって煙じゃなかったんですか?」
 ネギが驚いた様に聞くと、和美は「そっか」と手を叩いた。
「ネギっちはイギリスの人だから、日本の銭湯みたいな風習は無いのか」
「銭湯ですか、聞いた事はあるんですけど、実際には見た事がありません。たしか、共同浴場っていうんですよね?」
「そうだよ。部屋の掃除が終わったら案内してあげるよ。気持ちいいから、ネギっちもきっと気に入ると思うよ。皆と一緒にお風呂に入るって、とっても楽しいんだから」
「え、みんなと……一緒?」
 ネギは呆然となって聞き返した。
「そう、みんなと一緒。でも一応個別の部屋にもあるんだよ。アレの日とかは、そっち入ればいいよ。って、もしかして、今来てる……?」
 恐る恐る小声で聞く和美に、ネギは困惑した顔で首を傾げた。
「アノ日……ですか?」
 すると、和美は真っ白になって固まった。
「待った、それないわ……。え、だって、14歳……だよね? え、あれ~?」
 頭を抱えて左手をネギに伸ばしてヨロヨロと危うい歩き方をする和美に、ネギが困惑していると、ポケットの中のカモが慌ててネギに伝えた。
『あ、姉貴! アノ日ってな、女の子に必ずある生理現象の事なんでさ。中学二年生なら殆ど来てるんス』
『え、生理現象……?』
 ネギが念話で問い掛けると、カモは『ウグ――ッ』と呻いた。
『あっと、どっちにしても教えないと拙いッスから、後で説明しやす。今は、分かってる振りをしてくだせい!』
 カモの言葉に、ネギは戸惑いながら頭を抱えて挙動不審になっている和美に声を掛けた。
「あ、すみません! 日本語の言い回しだったので分からなかったんです。えっと、生理現象の事……ですよね?」
 さすがに生理現象という言葉を口にするのは恥しく、ネギは少し顔を赤らめて小さな声で言った。だが、その様子に和美は納得した様で、どこか胸を撫で下ろして見えた。ポケットの中で、カモは冷や汗を流しながら、乗り切ったぜ…、と安堵の溜息を吐いた。だが、その次の瞬間に、ネギに生理現象について説明しないといけない事に気付き絶望して真っ白になってしまったが、その事にはまるで気が付かないネギは、和美に連れられて寮の玄関に入って行った。
 ネギと和美の二人が中に入ると、すぐのエントランスホールに二人の少女が立っていた。
「おっそ~~~~~~~い!! もう、何時までネギを引っ張りまわしてんのよ和美!!」
 プンプンと怒っているのは、明日菜だった。腰に手を当てて待たされた事に憤慨している明日菜に和美は察しがついた。
「あそっか、ネギっちの部屋は明日菜達の部屋に決まったんだ~。残念、一緒の部屋が良かったのにな~」
 唇を尖らせて、心底残念そうにネギを見る和美に、ネギは首を傾げた。すると、明日菜の隣に居た木乃香がネギに近寄り腰を曲げてネギに視線を合わせた。
「ネギちゃん。今日からネギちゃんの部屋はうちと明日菜と同じ部屋に決まったんよ」
「そういう事! ベッドとか机とかも学園長先生が手配してもう運んであるわ。荷物の方も運び込んであるけど、私物だから手をつけてないから、部屋に行ったら整理ね。ちゃんと手伝って上げるから、終わったら屋上の大浴場に行きましょ! もう、大体皆入り終えてるから貸切状態よ」
 明日菜の言葉に、ネギは顔を青褪めさせた。元々、お風呂自体が苦手なのもあるが、何よりも女体になっているからと言って、女性と裸の付き合いをするなど許されるはずが無い、そう、ネギは思っているのだ。
 ハッキリ言えば、未だ二次成長を終えていないネギには女性の裸を幾ら見ようが好奇心を満たす事はあっても、発情する事は無い。だが、仮にも英国の紳士であるべき自分が、女性に変身して女性の園に突入するなど恥知らずにも程がある行為である。どうするか悩んでいると、カモの言葉が念話によって届いた。
『別にいいと思うんスけど、一緒に入るのは気が引けるんスね?』
『そ、そうなんだよ~。幾ら何でも拙いよ~』
『……姉貴の歳なら男の状態でも悪戯で済む年齢なんスが、まぁ、無難に「日本のお風呂に慣れていないので、慣れるまでは部屋のお風呂に入らせて下さい」って言えばいいと思うッスよ? さすがに、無理矢理お風呂に連れ込もうとはしないと思うッスから』
 カモの助言に、ネギはさっそくカモの考えた言い訳を使った。すると、明日菜達は残念そうな顔をしたが、ネギがイギリスから来たばかりだという事もあり、渋々ながらも不満を言わずに引き下がってくれた。
「でも、慣れてきたら一緒に入ろうね?」
 明日菜と木乃香の、そして、これからはネギの部屋にもなる643号室と書かれた札の掛かっている部屋の前で和美はそう言うと自室に戻って行った。申し訳なさそうに謝ると、和美は笑って許してくれたが、ネギはチクリと胸が痛んだ。
『まぁ、日本には裸の付き合いというのもあるッスからね。でもまぁ、その内には腹を決めるしか無いッスよ。というか、姉貴は自分の体で見慣れてる筈ッスから、特に問題は無いと思うんスけど、まあ倫理面での問題はこういう状況ッスし……。それに、外の世界に出れば、倫理の外れた事もしないといけないんス。厳しい事を言ってるのは理解してるッスが、敢えて言わせて貰えば、婦女子と湯浴みを同伴する程度の倫理外行動を体験出来るのは悪く無いんスよ。別に外道に落ちろとは言わないッスが、それでもある程度許容する事も大事なんス。俺っちの言葉……分かるッスか?』
『…………カモ君の言ってる事は何時も正しいよ。お姉ちゃんも、ちょっとカモ君の趣味に不安があっても、私と一緒に来れる様に取り計らってくれたくらい、カモ君を信頼してるもん。でも、私にはカモ君の言う事はまだ難しいよ……。』
『まぁ、姉貴は未だ若くて時間も沢山あるッスからね。ゆっくりでいいんス。悩みながら成長していけばいいんスよ』
 カモは、まるで老成した大人の様に、慈愛の篭った声を念話に乗せてネギに伝えた。
『カモ君……』
 カモの温かな言葉が胸を優しく包み込む。部屋の中に入ると、すぐに居間があった。
「こっちの扉が寝室よ。ベッド三つだからちょっと狭いんだけど勘弁してね」
 明日菜はそう言うと、寝室の扉を開いてネギを招き入れた。寝室は、確かに三つのベッドがほんの少しの隙間だけで、まるでキングサイズの一つのベッドの様に横に連なっていた。フカフカの掛け布団は柄がそれぞれ違い、若草色の金の葉の刺繍が施されたのが木乃香の布団で、真っ白な上に同じく金の花の刺繍が成されている布団が明日菜のだった。
 ネギの布団は明日菜の隣の壁際の薄桃色に同じく金色の葉や花の刺繍が施された布団だった。
「荷物はコッチにあるえ」
 木乃香がそう言うと、玄関のすぐ隣に大き目のダンボール箱が二つ並んでいた。
「洋服箪笥は丁度三つあるから、木乃香が左側だから右側の使っていいわよ」
 明日菜がそう言うと、洋服箪笥には三つの扉がついており、真ん中だけ少し狭い感じがした。
「え、でも、明日菜さんの場所が狭くなってしまいますよ。私が真ん中を使います」
 ネギが言うと、明日菜は「いいのいいの」と手を軽く振って言った。
「私ってさ、あんまり服って持ってないのよ。木乃香は結構持ってるんだけどね。ネギも結構持ってそうだし、遠慮する必要は無いわよ?」
「でも……」
「いいから。私がいいって言ってるの。文句ある?」
「いいえ……」
「よろしい」
「明日菜は強引やな~」
 ネギと明日菜の様子を微笑ましげに見ながら、木乃香はエプロンを付けると台所に向かった。その間に、明日菜は台所の入口から少しだけ離れた場所にある扉を開けた。
「今、木乃香が入ったのが台所よ。ガスや水道も通ってるの。んで、ここがトイレと浴場への入口よ。トイレは洗面所の奥で、浴場は入ってすぐ右の曇りガラスの扉よ」
 明日菜に言われる通りに確認すると、確かにトイレと浴場が確認出来た。トイレには芳香剤の香りが充満しており、浴場には市販で買えるのとは違う少し高級感のある石鹸やシャンプーがあった。
「シャンプーは、備え付けのよ。高そうに見えるけど、市販のと変んないみたい。で、石鹸は何と木乃香大先生の手作りよ」
「手作り!? この綺麗な石鹸がですか!?」
 ネギが驚いた様に聞くと、今の方から木乃香の嬉しそうな声が響いた。
「褒めてくれてありがとうな~。でも、夕食が出来たから戻って来てや」
 木乃香の言葉に、二人が居間に戻って来ると、小さな折り畳み可能なテーブルの上に、鯵の塩焼き、アサリの味噌汁、白米に肉じゃがが乗っていた。そのどれからも、お昼から何も食べていないネギのお腹を刺激するには十分な素晴らしい香りだった。
 見た目も美しく盛り付けがされていて、ネギは目を輝かせて木乃香を見た。
「これって、木乃香さんが作ったんですか?」
「せやで。ネギちゃんの歓迎の意味も篭めて、ちょっと豪華にしてみたで」
 木乃香がにこやかな笑みを浮べて見せると、ネギは感謝の思いで胸が一杯になった。
「ありがとうございます!」
 ネギが誠心誠意篭めて感謝を述べると、木乃香は満足気に微笑んだ。
 食事は賑やかに進み、ネギは気になった事を聞いた。
「木乃香さん、お風呂場にあった石鹸って、本当に木乃香さんが作ったんですか?」
 ネギは心底不思議そうに聞いた。
「せやで。石鹸作りはうちの趣味なんよ。香りのいい石鹸や、泡が沢山出る石鹸とかを作るんや。あと、お風呂で使うんは、肌に合わせて作るんやよ。明日菜とうちだと、肌の強さが微妙に違うさかい、別々に使ってるんやで。そうや!今度ネギちゃんのも作ってあげるえ」
 手を叩いて提案する木乃香にネギは目を丸くした。
「いいんですか!?」
「ええんよ。ネギちゃんは肌って弱い方?」
「えっと……、あんまり気にした事なくて」
「でも、お肌白いから、少しやさしめに作ってみるで。ちょっとずつ作って、肌に合う組み合わせを決めるんよ」
 木乃香は楽しげに石鹸についての講義を始め、明日菜は聞き流しながら魚の肉を箸で器用に掴んでは醤油に浸して御飯と共に食べている。
 すると、ネギのポケットが時折奇妙に動く事に気がついた。
「あら? ネギ、携帯電話が鳴ってるみたいよ?」
 首をかしげながらネギのポケットを指差す明日菜に、ネギは慌ててポケットを抑えた。
「あ、これは……」
 誤魔化す様にポケットを抑えるネギに木乃香は石鹸の話を中断されて残念そうな顔をしながら首を傾げた。
「電話じゃないん?」
 ブルブルと震えているポケットに入っている物などそれ以外には想像がつかない。
 すると、ネギが抑えていたポケットの口から真白なけもくじゃらが顔を出した。
「カ、カモ君!」
 慌ててポケットに押し込もうとするが、カモは無言でスルリとポケットから抜け出すと、食事の乗った机に自分の毛が入らない様に注意をしつつ、床に降り立つと尻尾を揺らしながらキュ~と鳴いた。
「何々!? 何なのこの小動物!?」
「ひゃ~~可愛ええ~~!!」
 すると、木乃香と明日菜は目を輝かせてカモを見つめた。カモは普通の一般オコジョを演じて尻尾を愛らしく振いながら近くのソファーにトコトコと歩き、その上に寝そべった。
 すると、カモは念話を通じてネギに言った。
『とりあえず、俺っちの事はペットとして通してくだせい。なぁに、大丈夫ッス。この学生寮はペットOKなのは調査済みッスから。お二人の様子から察しても、アレルギーとかの心配は無さそうッス』
「えっと、私のペットのカモ君です。その、どうしても連れて来たかったもので、あの、御迷惑でなければここで飼っても……」
 ネギが途切れ途切れに言うと、明日菜がニコッと笑った。
「何言ってんのよ、いいに決まってるじゃない。私も木乃香も動物は好きよ? 結構可愛いしね」
 そう言うと、明日菜は自分の解していた鯵の塩焼きを手に乗せた。明日菜の皿にはもう殆どが残っていなかったが、残りを骨から箸で削るように取った。
 手に乗せた鯵の塩焼きをカモの口に近づけると、カモは素直に口に含んだ。
「キャ~~食べた食べた!!」
「わ~~うちもうちも!!」
 すると、木乃香も自分の鯵の塩焼きを手に乗せるとカモの口元に持っていった。すると、カモはモキュモキュと口に含んで咀嚼し、木乃香の手を嘗めて感謝の意を示した。
 すると、木乃香は感激して台所に向かうと、無地の真白な皿の上に、缶詰のシーチキンを乗せて運んできた。それをカモの前に置くと、ドキドキと心臓を高鳴らせて、目を好奇心に輝かせながら見つめた。
『お、落ち着かないッスね。うまいんスけど……。さすがは日本ッスね、缶詰もなかなか……』
 溜息交じりに呟くと、カモはシーチキンを一口ずつ口に含んで消化した。その姿に、明日菜と木乃香はメロメロになり、食事も忘れてカモの食事を見つめた。
 ネギは二人の様子に胸を撫で下ろすと、自分の分の食事を食べ終えた。日本に行くと知ってから、ネカネがネギに箸の使い方を教えたので、ネギの箸の使い方は並みの日本人よりも上手に使えている。木乃香が洋食にせずに和食にしたのも、今朝の和美の質問の中に、お箸は使えるか? というのと日本料理に興味があるというネギの言葉に起因したのだ。
 ちなみに、カモも何故かお箸を使えるが、さすがにペットの振りをしているのにお箸を使う訳にもいかず、なるべく顔に付かないように慎重に下でシーチキンを口に運ぶのだった。カモがシーチキンを食べ終えると、木乃香はお皿を台所に運んで洗い始めた。
 ネギは手伝おうと思って、台所についていこうとすると、明日菜に待ったを掛けられた。
「アンタはまず荷物の整理をしなきゃ」
 呆れた様に言われ、ネギは恥ずかしくなると、ダンボールを開いた。中には、女の子用の洋服と下着、女の子も男の子も着れる短パンとシャツも入っていた。他にも、ちょっとした小物が小箱に入っており、そのどれもがネカネによって、ちょっとした御守りとして機能する魔法が掛けられている……と、カモが教えてくれた。
 寝具や洗面用具、筆記用具の替えから電卓やホチキス、のりなども入っていた。隣で一緒に覗き込んでいた明日菜は首を捻りながら中に入っていた変な包を取り出した。
「ネギ、これは?」
「何でしょう、ちょっと貸して下さい」
 ネギは明日菜が取り上げた包を広げると、中には小さな輪が入っていた。指輪にしても小指ですら入らない程小さく、そして、明日菜には分からなかったが、ネギには魔法の力が宿っているのを見てとれた。
 カモから念話が届いた。
『姉貴、ソイツは俺っちのッス。ちょいっとばかしネカネの姉さんに用意して貰った奴でして。俺っちの腕に嵌めて貰えますか?』
「えっと、カモ君の腕輪みたいです。あ、その、カモ君はオコジョなんですけど、オコジョ用のアクセサリーなんです」
 我ながら苦しい言い訳だと思いながら、ネギは冷や汗を流しながら言った。すると、明日菜は特に不信に思う事も無く納得した。イギリスの文化について詳しくないので、別に不思議に思う事も無かったのである。
 カモの腕に輪を嵌めると、カモはソファーの上で丸くなった。眠っている振りをして、明日菜や木乃香にちょっかいを出されない為だ。
 幾つかの魔法用品に関しては、魔法で隠蔽されていて、予備の杖はペンケースに鉛筆に擬態されていて、魔法薬などに関しても外見は紅茶の缶だ。ちなみに、ネギ自身の趣味として、紅茶を嗜むのもあるので、本物も混じっているが、ネギから見れば魔法薬の入っている缶は明らかだった。
 紅茶の缶を自分の机に並べていくネギに、明日菜は「紅茶が好きなの?」と聞いた。
「はい、自分で淹れるんですけど、どうやったら美味しくなるかな? って研究したりしてるんです。良かったら御馳走しますよ?」
 すると、明日菜は瞳を輝かせた。
「マジ!? 本場イギリス人の淹れる紅茶か~~!今日から我が家もブルジョワね~~!!」
「ブルジョワ……?」
 ネギが首を捻ると、カモが呆れた様に呟いた。
『ブルジョワジーの事ッスよ。中世フランスの裕福な商工業者を皮肉った呼び方なんス。日本人は時々勘違いしてるんスよ。ああ、別に正す必要は無いッスよ? 別に、明日菜の姉さんは海外に行くわけじゃないし、態々言葉を正すのは揚げ足取りって言われて、嫌がられるもんス。まぁ、海外でブルジョワ~~なんて言わないでしょうし、問題ないッスよ。ちなみに、正しく使うならセレブの方が合ってるッスね。ブルジョワは皮肉ッスけど、セレブは羨望の意味があるッスから』
 カモの無駄に長い説明を聞きながら、ネギはナイト・ティーの準備をしに台所に向かった。
「あれ? ネギちゃん、どないしたん?」
 木乃香が首を傾げると、ネギは持ってきたファーストフラッシュの缶を掲げて見せた。
「私、紅茶に凝ってまして、是非お二人に飲んで頂きたいと……」
 少し遠慮がちに言うと、木乃香は嬉しそうに声を上げた。
「ほんまに!? うわ~、うち、本場の人の紅茶が飲めるやなんて感激やわ~。せや、確かクッキーがあった筈やから準備しとくで」
 木乃香は戸棚に手を伸ばし、その中から一枚の大きめのお皿と、ティーセットを取り出してネギにティーセットを渡すと、別の戸棚に入っていた大き目のクッキーの入った四角い缶を取り出し、その中から適当にクッキーをお皿に移した。
 居間に行き、ワクワクしながら明日菜とカモにクッキーを食べさせながら待つと、しばらくしてネギが湯気が立ち上るティーポットと、カップを持って来た。
「お~、待ってました~!」
 明日菜は両手を上げてはしゃぐと、ネギはクスリと笑って机の上にカップを置き、ティーポットで注ぎいれた。
「そう言えば、紅茶って温度計使うのよね? へへ~ん、この前テレビで観て知ってるんだ~」
 明日菜が得意気に言うと、ネギは困った顔をした。
「いえ、温度計は確かに便利なんですが……」
「あれ? 違うの?」
「はい。本とかに載っている温度を丁度測ってもいいんですけど、紅茶には茶葉の種類が多種多様にあって、それに合わせて微妙に調整しないといけないんです。だから、自分の感覚で、どのくらい温めるのがベストか? って、調節するんです。ちなみに、ナイト・ティーなのと、日本は軟水なので茶葉はファーストフラッシュにしました」
「な、なんか必殺技みたいね……」
 ドキドキしながら明日菜は『ファーストフラッシュ!! !』と叫びながら手から凄まじい光線を出す光景を想像した。
「水の種類とかでも違いがあるん?」
「ええ、英国の硬水とは違い、日本の水道に流れる軟水は抽出力が強いんです。だから、少しサッパリしたファーストフラッシュでも、自然と深みが出るんです。他の茶葉ですと、匂いやクセが強くなってしまうので、他にはダージリンなんかがいいですね」
 ポカンとしながら聞いていた明日菜はうむむ? と首を捻った。
「硬水とか軟水って何なの?」
 すると、木乃香が呆れた様に溜息を吐いた。
「明日菜~、それは中一で習ったやん」
「基本的に、硬度の高いのが硬水で、低いのが軟水なんです。ちなみに、この硬度というのは、カルシウムやマグネシウムの内包量の事です。ちなみに、日本人はよく海外の水でお腹を壊すと言う話があるそうですけど、これは、硬水に含まれるマグネシウムが日本の軟水に比べて多く、それでお腹の調子が悪くなってしまうそうです」
 ネギが淡い紅色の紅茶を明日菜に差し出しながら説明するが、明日菜はポカンと口を開けて右から左へ情報が零れていってしまっていた。
 その様子に木乃香は苦笑しながら紅茶を口に含むと、まったりした様に大きな溜息を吐いた。
「おいしぃ」
 苦味が無く、躯の芯まで温まり、心地良い香りに身を任せるとそのまま眠ってしまいそうだった。爽やかな香りが鼻腔を擽り、ホッとする紅茶だった。
 明日菜もゴキュゴキュと一気に飲むと、まるでビールを一気飲みしたオヤジの様にプハ――ッ!! と息を吐くと、「うまい!!」と満面の笑みを浮べた。
 二人の様子に満足気に笑みを浮べると、ネギも自分の紅茶を飲んだ。明日菜がお代わりをせがむので淹れ直していると、突然居間から明日菜の悲鳴が響いた。
「ど、どうしたんですか!?」
 ネギが慌てて今に顔を出すと、明日菜が涙目でネギに縋り付いた。
「あわわわ、あ、明日菜さん!?」
 ネギが慌てると、木乃香が呆れた様な口でネギに説明した。
「明日菜な~、宿題やってないんよ。神多羅木先生の」
 ネギは今朝の神多羅木の授業を思い出して、そう言えば宿題出されてたっけと思い出すと、涙目の明日菜がネギを見上げてきた。
「たしゅけて~~~~!!」
 ネギのお腹に顔を擦り付ける様に懇願する明日菜に、ネギは大慌てで「分かりました、分かりましたから止めて下さい~~~~!!」と悲鳴を上げた。
 よく分からない刺激と女の子に抱きつかれたと言う意識に、変な気分になりそうだったのだ。顔を上げると、明日菜は目を輝かせて「大好き~~!!」と叫ぶと、残像の見える様な速さで鞄から宿題を取り出すと、準備万端だぜ!と言う様にシャーペンを取り出した。
 木乃香が突然明日菜の頭にチョップした。
「明日菜のあほ~! ネギちゃん、この学校に来た初日なんやで? 疲れてるに決まってるやん! 第一、宿題は自分の力でやらなあかんで!」
 木乃香のお説教が始まり、明日菜は「ひぎゅ~~!」と悲鳴を上げると、ネギに子犬の様な眼差しを向けると、木乃香はネギに見えない位置で明日菜に顔を向けた。
 すると、「――――ッ!!」と、声にならない悲鳴を上げて、明日菜は顔を青褪めさせた。
 クルッと顔を向けると、ニッコリと笑顔で木乃香は「ネギちゃんはお風呂入ってきいや」と言った。
 ネギは言い知れぬ迫力にコクコクと頷くと、入浴の準備を整えて、最後にもう一度、木乃香に見張られながら涙目で宿題に向かう明日菜に申し訳なさそうに頭を下げるとお風呂場に入った。シャワーを出すと、気持ちの良い温かなお湯が飛び出してきた。
 この半年、『一週間もお風呂に入らない女の子はいません!!』とネカネに言われ、お風呂トレーニングをみっちりさせられたおかげで、なんとかシャンプーハットを卒業したネギだったが、やっぱり流れてくるお湯が目に入るのが怖かった。
 念話でカモが話しかけてきた。
『いや~、優しそうな人達ばっかで安心したッスね』
『うん、私、何とか頑張れそうだよ、カモ君』
『その意気ッスよ。それより、実は今朝気になった事があったんスけど……』
『気になった事?』
『エヴァンジェリン・A・K・マクダウェル……、知ってるッスか?』
 ネギは髪をシャワーで濡らすと、シャンプーのボトルから少しだけシャンプーの泡を手に乗せてゆっくりと伸ばした。
『知ってるよ? だって、私の隣の席の人だよね?』
 紐を解き、流れる様に広がる長い髪を梳く様に石鹸に優しく馴染ませる。
『エヴァンジェリンさんがどうかしたの? カモ君』
 お湯でシャンプーを流しながら首を傾げると、カモは声のトーンを落として言った。
『俺っちの記憶が正しいなら、エヴァンジェリン・A・K・マクダウェルは吸血鬼ッス。それも、真祖と呼ばれる種であり、闇の福音と恐れられている童姿の闇の魔王……』
『――――ッ!?』
 ネギは、木乃香に使っていいと言われた深い翠色のガラスの様な美しい石鹸を取り落としそうになった。
『きゅ……吸血鬼って!?』
『吸血鬼……つまり、ヴァンパイアの事ッス。しかも、真祖ッス。いいッスか? 真祖ってのは、自分から人の身を外れた外道の事ッス。しかも、数年前まで600万ドルの賞金も掛けられ、何時の間にか行方が分からなくなり、指名手配も解かれていた謎の多い人物ッス』
 カモの深刻そうな言葉に、ネギは戦慄した。
 常に余裕を持ち、ちょっとの危険ならばネギの緊張感を解そうと楽しいギャグで和ませてくれる彼が、これだけ深刻そうに、冗談も交えずに語る存在というのは、本当に危険な人物なのだろうとネギの脳裏に警鐘を鳴らした。
 だが、カモはネギの考えを察知した様に否定した。
『姉貴、別に現状は問題無いッス。何せ、ここは魔法使いの溜まり場ッス。それに、魔法使い達も当然、エヴァンジェリンの事は知ってる筈ッス。それでも放置しているのには、何か理由があると思うんスよ。それに、担任にはタカミチも居るんスから、警戒する必要は無いッスよ』
 姉貴はね、その言葉を胸に仕舞い、カモは戯けるように言った。
『ただ、万が一を想定するのは魔法使いには必要なスキルッス。一応、彼女の事は念頭に入れておいて下さい』
 ゆっくりとした動作で体を洗い終えると、ネギはシャワーで体を流し、湯船に浸かった。お湯の中に顔を沈めると、頭を振りながら湯船から飛び出した。その滑らかな一糸纏わぬネギの素肌から、湯船に向かって雫が零れ落ちた。どうやら、蒸発したお湯が天井に溜まり、重さに耐えかねて落ちてきた様だ。
 ネギは換気扇を回すのを忘れていた事に気がつき、湯船から上がると、少しだけドアを開けて換気扇を回した。シャワーで体を一回流すと、ネカネの選らんだ可愛らしい薄桃色のシルクのパジャマに着替えた。
 最初は慣れなかったが、最近では肌触りが気に入り、これ以外の寝間着だと眠れなくなってしまった。お風呂から上がると、思ったよりも長湯になってしまったのか、時刻は入ってから一時間が過ぎていた。
 部屋には誰も居なくなっており、机の上にはメモ書きが置いてあった。
『ネギ、アタシ達はちょっと屋上の大浴場に行って来るわ。留守番お願いね。先に眠っててもいいから』
 明日菜の字で、メモにはそう書かれていた。ネギは少し考えたが、猛烈な眠気に教われ、言葉に甘える事にした。歯を磨いて布団に入ると、何だか心細い気がしたが、すぐに意識は闇へと落ちていった。

 朝になると、ネギはすぐ近くから猫の様な悲鳴が轟き、驚いて目を覚ました。少し離れた場所で掛け布団に包まった明日菜が、「お姉さまは嫌……、お姉さまは嫌……、お姉さまは嫌……。わ、わた……、私はソッチの世界の人じゃないもん! うにゃ~~~~ん!!」と叫んで、部屋から飛び出して行ってしまった。
「はれ? 明日菜、どうしたんや?」
 木乃香も眼を覚まして首を傾げると、ネギも「さあ……」と心配げに、明日菜の去って行った寝室の扉の先を見つめて首を傾げながら言った。



[8211] 魔法生徒ネギま! [序章・プロローグ] 第三話『2-Aの仲間達』
Name: 我武者羅◆cb6314d6 ID:87b1fc72
Date: 2010/06/06 23:56
魔法生徒ネギま! 第三話『2-Aの仲間達』


 まだ空が暗いというのに、明日菜は外に出たまま戻って来なかった。着替えたらしく、パジャマが明日菜の机の椅子に適当に畳まれている。ひんやりとした肌寒さを感じながら、一端目を覚ましてしまうと眠れない性格のネギは明日菜が心配な事もあり、着替えて居間でオロオロとしていた。
 時折、窓の外を見ては明日菜の姿が確認出来ないか確かめるが、何時まで待っても明日菜が戻って来る事はなかった。やっぱり探しに行こう、そう思い玄関に向かうと、着替えて朝食の準備を始めようとしているらしく、エプロンを身に付けている木乃香が「あ!」と何かを言い忘れていたという様な顔でネギに顔を向けた。
「明日菜なら心配はいらんで。バイトやから」
「バイト、ですか?」
 ネギが首を傾げると、木乃香はキッチンの大型の冷蔵庫から卵とベーコンとキャベツを取り出しながら顔をネギの居る居間に向けて申し訳なさそうな顔をした。
「ごめんな~、言い忘れてたんや。新聞配達なんよ。『毎朝新聞』の配達をしてんやで」
「どうしてですか?」
 普通の中学二年生がアルバイトをしている。それがネギには違和感があった。基本的に魔法使いには就労年齢が今一ハッキリしていない。例えば、極端に言えば戦争時は若干七歳で殺し殺されの世界に身を投じる例もあるくらいだ。だが、日本に来る時に、一般人の一般常識を勉強したネギは、普通は日本の中学二年生なら、親の愛を受けながら何の不自由も無く、安全に友達と遊んで、勉強で悩んで、素敵な恋をして、時々大人に反発するものだ。
 なのに、明日菜はその歳でもう働いていると木乃香は言う。ネギの困惑した顔を見て、木乃香は少し困った顔をした。
「明日菜自身は気にしてへんのやろうけど、ちょっとプライベートな理由があるんよ。明日菜本人に聞いてみてくれへんかな? うちから言うんはな~」
 ネギは戸惑いがちに頷くと、木乃香の手伝おうとキッチンに入り、木乃香に指示されながらキャベツを木乃香と並んで刻んでいった。明日菜が出て行ったのは4時ごろで、6時ごろになると明日菜が部屋に戻って来た。
「ただいま! う~ん、いい臭い!」
 余程急いで戻ってきたのか明日菜は微かに息を乱しながら机に座った。折り畳み式の机の上には、ベーコンとキャベツのサラダと目玉焼き、それに木乃香が冷蔵庫から取り出したマッシュポテトにトーストが並べられている。
 コップにはオレンジジュースが注がれていて、明日菜は眼をキラキラと輝かせると、う~~ん! と香りを嗅ぐと幸せそうに息を吐いた。
「うにゅ~~、木乃香の料理が私の一日の活力源なのよね~~!」
 心の底から幸せそうに明日菜がお箸を両手の人差し指と中指で挟んでお祈りを捧げるように両手を掲げると「いただっきま~す!!」と言って、凄い勢いで食べ始めた。
 その姿に苦笑しながら、木乃香とネギも座り、ネギはバイトの理由について聞こうかどうか迷ったが、やめる事にした。出会ったばかりの他人の自分が、気安く聞いていい事なのかどうか、判断がつかなかったからだ。
 考え事をしていたネギは木乃香の「いただきます」という言葉に我に返った。ネギも木乃香と明日菜に習って両手を合わせると、これから食べる卵やベーコン、キャベツ、麦やみかんに感謝を篭めて「いただきます」と言ってお箸を持った。
 食器を洗うのを手伝い、支度を終えて外に出るとネギは外の光景に圧倒されてしまった。
 麻帆良学園都市はその広大な敷地の中に多数の学校を抱えている。麻帆良学園本校女子中等学校もその一つに過ぎない。麻帆良学園本校女子中等学校のすぐ傍には麻帆良学園本校男子中等学校や麻帆良学園聖ウルスラ女子高等学校なども犇いているので、朝の登校ラッシュの時間には、都市部の通勤ラッシュにも劣らない激しさがあるのだ。凄まじい数の人の波に、ネギは呆然としていると明日菜に手を引っ張られた。
「ほら、ボサッとしないの! 慣れないと転んで悲惨な目に合うから、私の手を離さないようにね!」
 明日菜は巧みにネギを引っ張りながら人の波をスイスイと進んで行った。その後ろでは、ニコニコしながらスケートで人の波を滑るように走る木乃香がいて、その更に後には木乃香に危険が及ばない様に注意を払う刹那の姿が在ったが、明日菜の脚に追いつく為にネギは必死だったので分からなかった。
 ネギは、基本的に身体能力が高い。魔法による身体強化による補助を受けた状態で鍛えられた筋力は消去される事が無いので、疲れ知らずで動き回り続けるだけで身体能力が上がる魔法使いの特権によるものだった。加えて、身体補助を現在進行形で使用しているので、ネギの現在の身体能力は普通なら中学二年生の少女に劣る筈が無いのであるが、その普通が明日菜には当て嵌まらず、ネギは散々引っ張り回されてヨロヨロになってしまった。
「とうちゃ~っく! って、アレ?」
 明日菜はヨロヨロと壁に手をつきながら肩で息をするネギを見て、あれ~? と人差し指を顎に当てながら小首を傾げた。すると、後からスイスイとスケートを滑らせながら木乃香が明日菜の頭を勢いを殺さずにベシンと叩いた。
「アイタ~~~~!!」
 頭から大きなコブを作り涙眼で木乃香を恨みがましく睨むと、木乃香は怖い笑顔で明日菜に近寄って来た。
「あすな~~?」
 顔をぶつかる程近づけて、木乃香はニコニコと首を傾げた。
「にゃ、にゃんでしょうか、木乃香様?」
 あまりの恐怖に涙目になりながら、明日菜は震えながら後退すると、木乃香もスイーッと滑りながら明日菜を追い詰めて、ついに明日菜の背中は壁に当たってこれ以上逃げられなくなってしまった。
 ヒィィィ! 自分で退路を塞いじゃった~~! 涙目で顔をヒクつかせる明日菜に木乃香は並みの女性に耐性の無い男子ならばそれだけで堕ちてしまいそうな程魅力的で可憐で、それでいて妖艶の笑みを浮べた。明日菜は咄嗟にネギに助けを求めようとしたが、まだ肩で息をしながら刹那に介抱されている。
 って事は、桜咲さんも無理!? 万事休すだった。
「な~、明日菜? 明日菜の体力に合わせたらネギちゃんどれだけ大変か分かってへんの~?」
 のんびりとした口調だが、余計に怖い。
「だ、だって……、私はネギを安全確実に校舎に連れて来ようと~」
「ぎゃ・く・に、危ない目に合わせてた気がするんやけど~?」
「こ、木乃香~、こ、怖いよ~」
 ガタガタと震える明日菜に、木乃香は小さく溜息を吐いた。
「そこまで怯える事ないやん。それよりも、ちゃんとネギちゃんに謝らなあかんで?」
「ん!」と木乃香が明日菜に顔を寄せて言うと、明日菜は「ひゃ~い」と涙声で答えた。
 その時、走って登校してきた和美が手を上げながら挨拶をしてきた。
「おっはよ~~! あれ? 何してんの? 木乃香、あす……っな!」
 和美は気さくに木乃香の背中をポンッと押した。ちなみに、木乃香はローラースケートを履いている。慣れている木乃香はブレーキを使わずに体のバランスを保って停止していた。その背中を押された場合どうなるか?
「~~~~~~~っ!?」
「~~~~~~~っ!?」
 背中を押された木乃香は、咄嗟にブレーキをする間も無く、間近にある明日菜の顔にそのまま向かってしまった。次の瞬間に唇に柔らかいナニカが触れた。それが何の感触なのか、明日菜には一瞬判らずに目を白黒させると、木乃香がゆっくりと気まずそうに滑りながら離れて行った。顔を赤らめてモジモジしている木乃香を見て、明日菜は強烈な殺気を感じて顔を青褪めさせた。
 首をギシギシと錆び付いたネジの様に回すと、顔を赤くして口元を抑えているネギが居た。その隣には――――鬼が居た。
「ちがう……。私、悪くないもん……ッ!」
「言いたい事は……、それだけですか?」
「やっば! 待った、桜咲さん!!」
 本気で抜刀しようとしている刹那に、和美は慌てて宥め様と口を割った。どう考えても自分のせいなのに、下手したら流血騒ぎになってしまうからだ。
 一方で、ファーストキスが木乃香とになってしまい、挙句に殺気を当てられた明日菜は一杯一杯だった。丁度その時に「おや?」と言う、聞きなれた渋い声が聞こえた。
「あ、タカミチ!」
 ネギは目の前の展開についていけずにオドオドしている所に煙草を咥えて颯爽と登場したタカミチに希望を見出した。「どうしたんだい、君達?」と近寄ってくるタカミチに、明日菜は駆け寄ってその腰に抱きついた。
「うえ~~~~ん!! 高畑しぇんしぇ~~~~」
 突然腰に抱きついて泣き出した明日菜に、それでもタカミチは慌てずに優しく微笑むと、その頭を優しく撫でた。
「一体どうしたんだい?」
 明日菜が抱き付いているので煙草を携帯灰皿に押し込みながらタカミチはネギに聞いた。
『さすがッスね。こんな混沌とした状況で全く慌ててないッスね』
『本当だね、さすがタカミチ』
 念話で感嘆の言葉を呟きながら、ネギはなるべく分かりやすく説明した。
 さすがのタカミチも苦笑を漏らしながら明日菜が泣き止むまで頭を撫で続けた。
「おっと、授業の時間がもうすぐだね。もう大丈夫かな、明日菜君?」
 泣き止んだ明日菜の頭をもう一度優しく撫でながら微笑むタカミチに、明日菜は小さく頷いた。
「とにかく、刹那君もあまり大袈裟に騒がないようにね? 今回は誰が悪いという事でも無いようだし」
 刹那はバツが悪そうに頷いた。
「申し訳ありません。つい、取り乱しまして。神楽坂さんも、怖がらせてしまって申し訳ありませんでした。朝倉さんも申し訳ありません」
 申し訳無さそうに頭を下げるのを見て、タカミチは「もう、大丈夫だね」と言うと、授業の準備があるからと立ち去ってしまった。その後姿は、一つの事件を見事に解決した刑事の様だった。
「木乃香、明日菜、本当にごめん!」
 両手を合わせて謝る和美に、木乃香は「ええよ」と気を取り直した木乃香が苦笑しながら許すと、明日菜はポウッとタカミチの去った方向を向きながら右手を頬に添えながら夢見心地な蕩ける様な目で顔を赤らめてドラマチックな溜息を吐いた。
「何て言うか、むしろありがとう」
 タカミチに抱き付かせて貰って、その上頭を優しく撫でて貰えた明日菜はそれだけで天にも昇る気持ちだった。その様子に、木乃香と和美と刹那は苦笑し、ネギもホッと胸を撫で下ろすと「そろそろ時間ですし、行きましょう」と言って、教室に向かった。
「そう言えば、気になってたのですけど……」
 ネギは傍らを歩く刹那の細長い竹刀袋に入った太刀を見ながら首を傾げた。
「刹那さんの持っているのって、本物のサムライソードなんですか?」
「サム……? ああ、日本刀の事ですか。ええまぁ、銘は『夕凪』。本物ですよ?」
 刹那が当然の様に言うと、ネギは冷や汗を流しながら日本に来る前に調べた日本の憲法を思い出した。
「か、かっこいいですね。さすが日本のお侍さんです」
 訳の分からない事を言いながら、ネギは念話でカモに聞いた。
『銃刀法違反って無かったっけ?』
『あるッスけど、ここの長は魔法使いらしいッスからね~。一応、麻帆良は日本政府の上部組織と繋がってるって話を聞いた事あるッス。その気になれば、姉貴を先生として放り込めるってくらい憲法なんざ無視した行動も取れる筈ッスよ?』
『せ、先生は無理だよ~。タカミチみたいに出来る訳ないもん』
 そんな取り留めの無い会話をしていると、ネギ達は教室に到着した。クラスメイトと挨拶を交わしながら席に着くと、直ぐにタカミチがホームルームの為に入って来た。
 ネギはやはり隣の席が空いているのが気になった。ホームルームで今日の確認事項をタカミチが伝え終わると、ネギは廊下でタカミチを呼び止めた。
「どうしたんだい、ネギ君?」
 タカミチは名簿を片手で抱えながら、モデル顔負けのスタイルとダンディーなスーツの着こなしに『やっぱり先生は無理だな~』と先生に何を求めているのか一寸疑問な考えを思い浮かべながら、ネギは口を開いた。
「あの、私の隣の席の人の事なんだけど……」
「エヴァンジェリンの事かい?」
 タカミチは、君を付ける事無く名を口にしたが、ネギはその事に気付かなかった。
「うん、折角隣の席になったんだから、ちゃんと挨拶をしたいなって。それに、折角クラスメイトに成れたんだし、もし辛い事があって不登校になっているなら、相談に乗ってあげたいよ」
 ネギの優しい言葉に、タカミチは目を細めて微笑んだ。
「大丈夫、別にエヴァンジェリンは不登校な訳じゃない。お昼休みにでも屋上に行ってみるといい。ただし、気をつけるんだよ?」
「え?」
 意味深な事を口にしたまま、タカミチは去り際に右手を軽く振った。取り残されたネギは、不思議そうに首を傾げていた。
 教室に戻ると、凄い勢いで明日菜ネギを尋常ではない目付きで睨み付けながらネギの両肩を掴んだ。
「今、高畑先生と何話してたの!?」
「ふえ!?」
 突然の事に驚くと、明日菜は同じ質問を繰り返した。ネギは肩を揺さ振られながらエヴァンジェリンの事を聞いていた事を話した。すると、「な~んだ」と安堵した顔で手を離した明日菜に、ネギは恨みがましい目を向けた。
「も~、何なんですか?」
 涙目で聞いてくるネギに、「うっ……」と明日菜は視線を泳がせた。
「と、とにかく! 高畑先生を好きになっちゃ駄目だからね? ライクはいいけど、ラブは駄目よ?」
 その言葉に、ようやくネギも事態を把握した。
「明日菜さん、やっぱりタカミチの事……」
 少しドキドキしながら言うと、明日菜は顔を真っ赤にして訳の分からない事を口走りながら走り去って行った。その姿に、ネギはクスクスと笑うと、金色の髪を優雅に揺らしながらあやかがククッと微笑みながら歩いてきた。
「災難でしたわね。明日菜さんは高畑先生の事となるといつもああなんですの。あまり気になさらないで下さいね?」
「ええ、でも明日菜さんはよっぽどタカミチが好きみたいですね」
「そう言えば、ネギさんは高畑先生とはお知り合いだったので? えっと、この学園に来る前からという意味で」
 あやかは親しげにタカミチと呼ぶネギに首を傾げた。
「あ、ええ。実は父の知人だったんです。昔、一緒に遊んで貰った事もありまして」
 つい、タカミチをタカミチと呼んでしまった事にネギは溜息を吐いた。
「まぁ、そうでしたの。そう言えば、先程エヴァさんの話を聞いていたとおっしゃいましたよね?」
 あやかは少し不安そうに聞いた。
「ええ、その、折角隣の席になったので、ちゃんと挨拶をしたいなって」
 ネギが気恥ずかしそうに呟くと、あやかは「そうですか……」と少し困った顔をした。
「その、エヴァさんは悪い方では無いと思うのですが……」
 何かを言いあぐねている調子で、あやかはエヴァンジェリンの席を見つめた。
「何かと気難しい方でして、私達もあまりはお話をした事が無いんですのよ」
 あやかの言葉に「え?」とネギは不思議そうにあやかを見た。意外だった。みんなとても優しく魅力的な女性達ばかりで、とても仲が良く見えたのに、そんな彼女達でさえもあまり話をした事が無いと言うのが。
 新田先生が入って来ると、ネギはあやかと分かれて席に戻った。丁度、明日菜も戻って来て、ネギを見ると顔を赤らめて恥しそうに顔を背けた。その様子にクスリと笑いながら、ネギはカモに話しかけた。
『本当は、あやかさんも仲良くなりたいんじゃないかな』
『姉貴、昨日俺っちが話した事、覚えてますかい?』
 ネギの言葉に、昨日と同じ様にポケットに忍ばせたカモが真剣な声で聞いた。
『え、昨日?』
 ネギは転校初日の疲れと、今朝の遣り取りで、昨晩のお風呂でのカモとの話を忘れていたのだ。
『あ、そう言えば……吸血鬼って』
 今でも、あまり信じられなかった。何せ、吸血鬼と言えば魔法使いの中でもあまり人生の中でそうそう巡り合う存在では無い。
『どうしてその吸血鬼が女子中に……?』
『それは――ッ』
 ネギの言葉に、カモは言葉が出なかった。確かに変な話である。伝説クラスの古血の真祖が何でまた女子中に通ってるんだ? と、カモは首を捻った。
『もしかして、こういう事かも』
『?』
『つまり、同姓同名の別人なんじゃないかな。確かに、エヴァンジェリンって名前は珍しいけど、居ない訳じゃないよね?』
『それはそうッスけど……』
『多分そうだよ。だって、吸血鬼が女子中に通ってるなんて普通じゃないもん』
 カモが返答しようとする前に、新田がネギを当てた。
「それじゃあスプリングフィールド君、最初の1行目から……うむ、7行目まで呼んで貰おうかな? 少し長いけど頑張りたまえ」
「は、はい! えっと、『なんだ、こいつ初めてらしいな。よし、ちょいとおどかしてやるか。それでほんとうにおどかしてやった…………あられのような音を立てて床に落ちた』(※注1)」
 日本語ドリルで勉強をしていたネギは、あまりつっかえる事無く読み終える事が出来た。
「うむ、結構。では次は――」

 新田の授業が終わると、ネギは裕奈と少し雑談を交わし、その後の授業も終えると、お昼休みになり、木乃香が作ってくれたお弁当を木乃香や明日菜、和美、あやか、刹那、裕奈と言った、お弁当メンバーで集まって食べると、皆に断って席を立った。
「う~ん、やっぱアタシもついてくよ」
 裕奈がそう言って、ネギの後に席を立った。
「え、裕奈?」
 ネギは驚いた様に目を丸くすると、裕奈はウインクした。
「だって、やっぱしエヴァもクラスメイトだからね~。このまま話さないで卒業ってんじゃ、ちょっと寂しいじゃん」
 裕奈がそう言うと、あやか達も決心した様に頷き合って立ち上がった。
「私たちも行きますわ」
「エヴァちゃんもクラスメイトだしね」
 あやかと明日菜の言葉に、ネギは胸が温まる気持ちだった。
「ほな、皆で行こか~」
 そう言って、席を立った木乃香に、一瞬だけ刹那が何かを言いかけたが、それに誰も気付くこと無く、刹那は警戒した様に目を細めて夕凪を握り締め、席を立った。その様子を、ポケットから顔を出したカモは鋭い眼差しで見つめた。
 やはり、俺っちの考えは間違ってなさそうッスね。カモは胸中でそっと呟くと、万が一には自分を囮にしてでもネギを逃がす算段を考えていた。
 一行が屋上の扉を開いて屋上に出ると、ネギ達の期待は外れた。
「居ないね」
 明日菜はガッカリした様な、ホッとした様な複雑そうな口調で言った。屋上はガランとしていて、所々にある貯水タンクや冷暖房の排気口などの影にも人っ子一人いなかった。
「どうやら、いない様ですね」
 刹那は無表情のままで言ったが、カモは強く夕凪を握り締めていた手の力が解かれるのを目撃した。
 どうやら、セーフだったみたいだな。それでも、カモは油断無く気配を探り続けた。
「う、ちょっと寒いね。エヴァっちもいないみたいだし、一端戻ろっか」
 冷たい風に肌を嬲られて鳥肌が立ち、和美は肩を抱く様にしながら言った。居ない以上は仕方無いので、ネギも渋々従った。

 一行が立ち去ると、一体何処に居たと言うのか、ネギ達がさっきまで居た屋上に一人の少女が立っていた。薄く唇の端を吊り上げて微笑みながら誰にとも無く呟いた。
「あの顔、あの程度の肉体変化の魔法如きで私を騙せるとでも思ったのか? なあ、どうなんだ、タカミチ?」
 すると、同じ様に眼鏡を人差し指で押えながら、ネギ達が調べた筈の貯水タンクに背を預けてエヴァンジェリンを睨むタカミチの姿が在った。
「何の事かな?」
「惚けるなよ。イギリスのメルディアナで学んだ魔法使いの卵をこんな極東の地に連れて来て、お前の庇護下に置く等、幾らスプリングフィールドの姓を持っていたとしても異常だ。まるで、護らなければいけない理由がある様じゃないか?」
「…………」
 黙ったまま、愉悦を含んだ笑みを浮べながら喋るエヴァンジェリンを見つめるタカミチに、エヴァンジェリンは不満気に鼻を鳴らした。
「何だ、反論もしないのか? それとも、認めるのか? 奴がサウザンドマスターの血縁者だと。確か、聞いた話じゃアイツには息子が居たらしいじゃないか。全く、人の呪いも解かずになぁ」
 忌々しげに言うエヴァンジェリンに、タカミチは内ポケットから煙草を取り出して咥えると、少し吸いながら火をつけた。肺の中にニコチンが充満してタカミチの心を落ち着けた。
「息子、何の話かな?」
 最早、誤魔化す気が無い様に適当な口調でタカミチは聞いたが、それでもエヴァンジェリンは楽しげに口を歪めた。
「ククク、まさか本気で知られていないとでも思ってるのか? 何せ、サウザンドマスターの息子だぞ。そんなの、少し調べれば簡単に分かったよ。知り合いに機械に強い奴が居てな。ソイツが偶然にもその情報を調べ上げた時には、私は歓喜に震えたよ。これで、ようやく開放されるのだとな」
 愉快気に笑い声を上げたエヴァンジェリンは、突然ピタリと笑い声を止めた。
「?」
 タカミチは煙草の滓を携帯灰皿に捨てると、エヴァンジェリンに顔を向けた。
「私を殺らんのか?」
「どうしてだい?」
「……私はアイツを殺すぞ?」
 エヴァンジェリンの言葉に、タカミチは目を細めた。
「私が半年前から吸血行為をしているのを知らない訳では無いだろう? 何故、私を自由にさせているんだ?」
 エヴァンジェリンは、憎々しげにタカミチを視線で貫いた。
「『すげえ敵が来る。俺は負けやしねーが、しばらく帰れねーかもしれん。 俺が帰って来るまで麻帆良学園に隠れてろ。あそこなら安全だ、結界があるからな』だっけ、ナギが君に言った言葉」
「――――ッ!」
 エヴァンジェリンは背筋の凍りつくような殺意を篭めた鋭い視線をタカミチに向けた。タカミチは小さく深呼吸してから言った。
「あの時、君はナギと一緒に戦いたかった。だけど、ナギは君を護りたかった。エヴァ、今でもナギを愛してるんだろ?」
 タカミチの首筋から一筋の血が流れた。光の剣がエヴァンジェリンの手から伸びていた。
「殺されたいのか?」
「信じてるんだよ。君やネギ君をね」
 タカミチは携帯灰皿に煙草を捨てて屋上から出て行った。取り残されたエヴァンジェリンは、上空から突如降り立った翠髪の可憐な少女を傍らに傅かせながら、忌々しげに呟いた。
「生意気に育ちおって……」

 放課後になり、ネギは木乃香と明日菜と共に歩いていた。
「それじゃあ、うちは占い研究部に顔を出すさかい、ここでな」
「オッケー。もうすぐ部長決めもあるのよね? ネギ、木乃香ってば、占い研究部の部長候補筆頭なのよ~」
「え、そうなんですか? 凄いです木乃香さん」
 明日菜は我が事の様に自慢気に話すと、ネギは木乃香に尊敬の眼差しを向けると、木乃香は照れ臭そうに人差し指でポリポリと頬を掻くと困ったように笑みを浮べた。
「まだ正式に決まったわけやないんやけどな~。夕方には帰るさかい、ほなな~」
 手を振りながら、スケートを滑らせて離れていく木乃香に、明日菜とネギは手を振り替えしながら木乃香の姿が見えなくなるまでその場で見送った。
 雑談をしながら寮に向かって歩いていると、遠くに『毎朝新聞』と書かれた看板が見えた。
 そう言えば、とネギは今朝の事を思い出した。
「明日菜さんはあそこでバイトをしてるんですか?」
「ん、木乃香に聞いたの?」
「はい。でも、どうしてですか?」
「何が?」
「明日菜さんは未だ中学二年生なのに……」
 ネギが聞こうとしている事が判ったのか、明日菜は目を細めて歩く速度を緩めた。ネギもそれに合わせて脚を緩めると、もしかして聞いちゃいけない事だったのかな? と後悔した。
「あの、すみません」
「え?」
「その、無神経な事を聞いたのかも知れないので……」
 ネギが頭を下げると、明日菜は苦笑した。
「別にそんなんじゃないって」
 片手をブランブランと振って明日菜は「んっ!」と両手を天に掲げて伸びをした。体がミシミシと音を立てるのを聞きながら、明日菜は首をネギに向けて微笑んだ。
「別に、大した理由じゃないのよ。私ね、両親がいないの」
「え……?」
 ネギは耳を疑った。ほんの短い間だけど、ネギは神楽坂明日菜という少女と触れ合って、彼女の明るさを知っていたので、その彼女に両親がいないというのを聞いて驚いたのだ。
「物心つく前だったらしくてね~。何時の間にか高畑先生のお世話になってた」
「タカミチの……?」
「そ、この鈴ね、高畑先生が私にくれたものなの。初等部の時にね」
 そう言って、明日菜は自分の髪を縛っている鈴の付いたリボンを揺らした。チリーンという澄んだ音が響き、ネギは明日菜を見つめた。その表情は、好きな男性の話をするのが照れ臭いのか、少し頬を赤らめているが、ネギには彼女が素晴らしく魅力的に見えた。
 そんな彼女にこれほど好かれているのだから、タカミチは幸運に違いない。そう、ネギは確信した。
「それでね、学園長先生は、学費は払わなくてもいいよって言ってくれたんだけど、それでも頑張って、自分の力で返したいって思ったの。だって――」
 明日菜は片方の鈴付きのリボンを外すと、両手で握り締めた。解けた髪が風に揺られて、ネギはつい明日菜に見惚れてしまった。それほど、その時の明日菜が綺麗だったのだ。
「誰かに頼ってちゃ、好きな人に振り向いてなんて貰えないでしょ?」
 ニッと笑いながら言う明日菜に、ネギは目を見開き、神楽坂明日菜という女性に尊敬の念を抱いた。両親がいなくても、自分の力で立ち上がり、自分の好きな人に振り向いて貰いたいと頑張れる。そんな姿に、ネギは見惚れた。
「私も――」
「ん?」
 明日菜が首を傾げると、ネギは首を振った。
「何でもないです。それより、明日菜さんはこれから何か用事はありますか?」
「ん~、特に無いかな~。っと、そう言えば神多羅木先生にまた宿題出されたんだった……。宿題が間違いだらけだったから」
 項垂れる明日菜に、ネギはクスリと微笑んだ。
「じゃあ、お手伝いしますよ。と言っても、解答の導き方のヒントだけですけどね」
 人差し指を上げながらネギはウインクして言った。明日菜は唇を尖らせると「ケチ~」と言ったが「また木乃香さんに怒られちゃいますよ?」と、ネギに言われて渋々頷いた。

 翌日、トントンという、包丁の音が微かに聞こえてネギは眼を覚ました。空はまだ完全には明るくなっておらず、隣を見ると明日菜も木乃香も居なかった。
 未だ二月で真冬なのだ。布団への誘惑を断ち切るのは至難の業だったが、眠い目を擦りながら、パジャマのボタンを外し、薄い桃色の下着姿になると、その上にワイシャツを着た。滑らかな肌触りのパジャマのズボンを脱ぐと、ヒンヤリした空気に少しだけネギの体は震えた。
「うう……、寒い」
 徐々に慣れてきたとは言え、少女用のパンツを見ると自分のなのに気恥ずかしくなってしまう。かと言って、少年用のパンツを履いていて、何かがあったら拙い。小さく溜息を吐きながら、ネギは制服のミニスカートを履いた。
 相変わらずスースーして、少し落ち着かない感じもするが、真っ白な靴下に脚を通すと、リボンを結んでブレザーを持って居間に向かった。ちなみに、カモは木乃香が昨夜占い研究部の後にケージを持って来てくれて、その中に入れられた。
 涙目で『出して欲しいッス~』と懇願してくるカモから顔を逸らすのは、ネギの良心をいたく傷つけたが、ペットとして扱う上に、木乃香の善意なので、ネギはどうしてやる事も出来なかったが餌はちゃんとネギと同じ物をあげられる様に木乃香に頼みこんだ。
 今朝はケージの中のハムスター用のよりも少し大きめなホイールで運動していた。
『おっ! 姉貴、おはようッス! いや~、早朝の運動は気持ち良いッスね~!』
 昨晩は泣きべそをかいていたカモだったが、一晩過ごして愛着が湧いたらしい。快適なマイホームとして優々と過ごしている。
『っと、そだ! 姉貴、今日は俺っちはちょっと別行動させていただきやすぜ』
 突然のカモの言葉に、『え?』とネギは目を丸くした。いつも一緒に居てくれるカモが別行動をするという事に不安を隠せなかったのだ。そんなネギに、カモは保護欲を掻き立てられたが、心を鬼にした。
『すいやせん。ちょいっと、調査してえ事がありやして』
『調査したい事?』
『へい、ま~大した事じゃないんですがね。それに、俺っちもプライベ~トっちゅうのを過ごしたいってのもあるんスよ。駄目ッスか?』
 ネギとしてはカモと離れるのは嫌だった。ネカネに愛情たっぷりに育てられたネギは、母性には飢えていなかったが、その分カモという、自分よりも精神的に大人なこのオコジョ妖精に父性を感じていたのだ。勿論、ナギとは別種で、ナギの事はどこまでも尊敬し敬っているが。ネギにとっては、カモは頼れるお兄さん的な存在なのだ。
 カモが一人でしたい事があると言うなら、ネギにはそれを止める権利は無かった。
『分かったよ……。でも、ちゃんと帰って来てくれるよね?』
 ネギが不安そうに尋ねると、カモはフッと優しく微笑んだ。
『当たり前ッス。俺っちが帰る場所は、姉貴の居る所なんスから』
 それから、カモのケージに屈み込んでいたネギは立ち上がった。その瞬間に、勢い良くカモは顔を背けたので首を痛くしてしまった。のた打ち回るカモに首を傾げながら、ネギは木乃香を手伝おうとキッチンに向かった。ちなみに、カモはネギが元々男の子だからパンツを見たくなかったのでは無く、可愛くなってしまったネギだからこそ、パンツを見る訳にはいかなかったのだ。
 ハァ……、姉貴もスパッツくらい履いて欲しいッス、とカモは心中で呟きながら疲れた様に溜息を吐いた。
「木乃香さん、おはようございます」
 ネギが挨拶をすると、木乃香はお味噌汁を混ぜていたお玉を上げてネギに顔を向けて微笑んだ。
「おはよ、ネギちゃん。もうすぐ朝ごはんできるからな」
「お手伝い出来る事はありませんか?」
 ネギが言うと、木乃香は首を振った。
「もう終わりやから、ネギちゃんは顔を洗ってきい。髪も整えなあかんで?」
 木乃香はそう言うと、洗面所をお玉で示した。
「分かりました。明日はもっと早く起きて、木乃香さんをお手伝いします!」
 ネギが張り切って言うと、木乃香は嬉しそうに微笑んだ。
「ありがとうな~。でも、うちの場合は明日菜のバイトの時間に起きるのに慣れてるんやけど、ネギちゃんはまだ日本に来て日が浅いんや。体調を崩さへん様に注意してや」
「はい」
 木乃香の言葉に応えながら、ネギは洗面所の扉を開いた。すると、中から篭った湯気が溢れてネギの顔に当たった。
「あ、明日菜さん! あ、ご、ごめんなさい!」
 そこには一糸纏わぬあられもない姿で、長い髪を垂らした先から床に向かって雫を垂らす明日菜の裸体があった。慌てて洗面所から出ようとするネギの腕を、明日菜は強引に掴んで中に引き入れた。
「あ、明日菜さん!?」
 驚いたネギは、振り返るとやはりそこには全裸の明日菜の姿があった。顔を真っ赤にしたネギがどうにか明日菜の手から離れようともがくと、
「ちょ、どうしたのよネギ!? って、にょわ~~!」
 その拍子にネギの足が水滴で湿った洗面所の床に滑ってしまい、そのまま明日菜を押し倒す形で倒れてしまった。制服姿のネギに、裸のまま押し倒されて、さすがに明日菜も少し恥しくなって顔を赤らめると、「と、とりあえず起きましょう?」と恐る恐る言った。
「ひゃ、ひゃい!」
 ネギも慌てて立ち上がると、顔を真っ赤にしたまま明日菜から顔を背けながら明日菜に手を伸ばした。明日菜はその手を掴むと立ち上がり、不思議そうに眉を顰めた。
「もう、ネギったらどうしたの? 女同士なのにいきなり飛び出そうとしたり……。まあいいわ。それより、髪の毛ボサボサじゃない。整えて上げるから着替えるの待っててね」
 そう言うと、ネギの後で明日菜は体を拭いて服を着替え始めた。自分の真後ろで起きている光景を想像してしまい、ネギは眩暈がしそうになった。もう何時間も経った様な気がして、頭がクラクラしていると、明日菜が後から声をかけた。
「オッケー! んじゃ、髪の毛整えて上げるから、これに座って」
 そう言うと、壁に立て掛けてあった折り畳み式の椅子を広げて、ネギに指し示した。明日菜の格好はネギと同じ制服になっていたが、リボンは未だ結んでいなかった。
「あの、でも、明日菜さんはバイトがあるんじゃ……」
 ネギが遠慮がちに言うと、明日菜は「平気平気」と笑った。
「ほんの数分で終わるわよ。今日は時間もたっぷりあるから朝風呂にも入れたんだしね」
 そう言うと、椅子に座ったネギの頭を押えながら、明日菜は戸棚から取り出した櫛でネギの髪を整え始めた。
「うっそ、枝毛が一本も無いじゃない! それにやわらか~い! うわ~~、なんか羨ましいわ」
 明日菜はそう言いながら、ネギの髪を整え終わると、ネギの紐で髪の毛をまとめた。
「うん、ちょっとだけ工夫してみよっと。いいわよね?」
「は、はい!」
 ネギは、未だに顔を赤らめながら返事をした。その様子に、明日菜は冷や汗を掻いた。
「あ~、その、前も言ったけど……。私、百合はちょっと。あ~~もう、ストレートでもいい感じがするわね~、そうだ! 三つ編みにして前に垂らしてみよっか~?」
 ほえ? と、ネギが首を傾げるのを見て、慌てて明日菜はネギの髪の三つ編みにしていった。
 そっか……、イギリス人に百合なんて言っても分かんないわよね。少しだけ、自分の貞操に不安を抱いたが、小さく咳払いをすると、明日菜は首を振って馬鹿な考えを振り切った。
 後ろ髪を軽く三つ編みにして紫の紐で縛ると、それでも結構な長さだった。それを右肩側から前に垂らすと、どこぞのお嬢様の様な感じになり、明日菜は自分の仕上げたネギの姿にガッツポーズをしていた。
「いいわ~~! 凄く可愛く出来たわ!」
 そう叫ぶと、鏡に映る自分の姿に呆然としていたネギの腕を取って、明日菜は居間に出た。
「見て見て木乃香! これ良くない? 可愛くない?」
 そう言って、ネギを木乃香に見せると、木乃香は「うわ~」と右手を口に当てて目を輝かせた。
「明日菜、グッジョブや! うわ~可愛え~。なんや、白いワンピースと麦藁帽子が似合いそうやな~」
「でしょでしょ! もう、草原とかお花畑とかに連れて行きたいわ!」
 興奮しながら言う明日菜に、ネギは恐る恐る「あの、そろそろバイトの時間は……?」と聞くと、明日菜は時計を見て慌てて机の上に置いてある味噌汁を飲み干し、トーストを咥えると、鈴付きのリボンで大急ぎで髪をツインテールに結んだ。
 その手際の良さはさすがだな~、とネギは感心した。明日菜の髪型は、見事に何時もと同じ感じにセットされていたのだ。
「いっふぇふぃま~~ふゅ!(いってきま~~す!)」
 明日菜が去っていくと、木乃香はネギを見つめた。
「でも、ほんま可愛ええな~。せや! ちょっと待っててや!」
 そう言うと、木乃香は部屋を出て行ってしまった。ネギは戸惑いながら、ケージの中で呆然としているカモに近寄って膝を曲げて正座をした。
「えっと……、どうかな、カモ君?」
 ネギがカモに自分の三つ編みを触りながら聞くと、カモは「我が生涯はここに完結~~!!」と叫びながら倒れてしまった。その顔には、何故か満足気な笑みを浮べていた。
「カ、カモ君!?」
 慌ててケージから出すと、カモは眠っているだけの様だったので、ネギはホッと胸を撫で下ろした。
 部屋の外から木乃香が和美を連れて入って来た。
「おお! ネギっち、コッチ来てこっち~!」
 入って来るなり、和美はネギに言った。首を傾げながら、カモをケージに戻すと、それから和美によるネギの撮影会が始まった。
 何度も何度もポーズを取らされてヘロヘロになると、逆に清々しい笑顔を浮べる木乃香と和美の二人は、疲れ果てているネギにアーンをさせて、朝食を口に運んだ。ちなみに、撮った写真は個人用と刻印されたメモリーカードに保存された。
「でも、木乃香さんも大変なんじゃないですか? 早起きして明日菜さんの食事まで作るなんて」
「ううん、そんな事あらへんよ~。明日菜は頑張り屋やから、自分でバイトして、学費稼いで……ウチ、そんな明日菜の為にこのぐらいしか出来へんから。まぁ、たま~に寝坊する時もあるけどな」
「木乃香さん……」
 バイトの後、そのまま学校に向かうと明日菜から連絡があったので、木乃香とネギは並んで教室に向かっていた。
「それにしても、どうしたんやろな。なんや、明日菜ってば慌ててたみたいやけど~」
 木乃香は首を傾げながら到着した教室の扉を開くと、教室の中は何故だか騒がしかった。
「どうしたんでしょう?」
 ネギが首を傾げると、入り口のすぐ傍に集まっていたクラスメイトの内の背の小さな双子姉妹、鳴滝史伽と鳴滝風香が同時に叫んだ。
「ドラキュラに襲われた~~~!?」
「ドラキュラに襲われた~~~!?」
 心臓が飛び出るかと思った。あまりの事に自分の耳を疑ってしまった。
 ドラキュラ――――元々は、十五世紀に東欧のワラキア地方を統治していた王、ヴラド・ツェペシュを示す単語だ。ツェペシュは一般的には『串刺し公』と呼ばれ、潔癖にして残忍な性格から、嘘や盗みを働いた国民や自国を侵略してきた敵を容赦無く串刺しにして処刑した事からそう呼ばれたのだ。ヴラドの父親はヴラド龍公(ドラクル)と呼ばれていた。この『ドラクル』と言う単語には、龍ともう一つ、悪魔の意味もある。ドラキュラとは、ドラクルの子を指し、即ちは『悪魔の子』を意味するのだ。
 ネギが戦慄したのは、そのドラキュラの別名だ。カモは、彼女の事を何と呼んだ……?
 ――『俺っちの記憶が正しいなら、エヴァンジェリン・A・K・マクダウェルは吸血鬼ッス。それも、真祖と呼ばれる種であり、闇の福音と恐れられている童姿の闇の魔王……』そう言っていた。
 串刺し公の暴虐からヒントを得たブラム・ストーカーは19世紀にある小説を執筆した。その名は『吸血鬼ドラキュラ』。そう、ドラキュラとは吸血鬼の事なのだ。
 顔を青褪めさせているネギの視線の先で、桃色髪を短いツインテールにしているクリクリとした大きな瞳が印象的な新体操部に所属している佐々木まき絵がスッと自分の首を手で指し示した。
「うん、夕べ遅くにジョギングしてたらさ。ほら――」
 そこには、二つの小さな傷跡が斜めに並んでいた。皮膚がくっつき始めているようで、瘡蓋の様になっている。
「ほ~、アンビリーバボーな話でござるな」
 クラス一長身でスタイル抜群の細目の少女、長瀬楓がまき絵の傷跡を見ながら感想を漏らした。
「コイツはマジっぽいね~」
「噛み跡です……」
 触覚の様に髪が跳ねている眼鏡の少女、早乙女ハルナと、おでこの少し広い腰まで伸びる髪を先で結んでいる綾瀬夕映が興味津々な様子でまき絵の傷跡を覗き込んだ。
「ドラキュラ~?」
 木乃香が首を傾げると、史伽と風香が同時に「あ、木乃香とネギちゃん!」と顔を向けた。顔を青褪めながら挨拶するネギに鳴滝姉妹のダブルシニヨンヘアで若干垂れ目の史伽が心配そうにネギを見つめた。
「大丈夫ですか? 何だか顔色が良くないですよ?」
 姉の方のツインテールで若干ツリ目の風香が意地悪そうに笑った。
「分かった~! ネギっちってば、ドラキュラが怖いんだ~!」
 ニヤニヤ笑いながら言う風香に、ネギは困った様な笑顔を返しながら首を傾げた。
「ドラキュラ、ですか……」
「そうでござる。まき絵が夕べ襲われたでござるよ」
 楓の言葉に、「これこれ~」と能天気そうな笑顔でまき絵は傷跡をネギに見せた。今すぐカモと相談をしたかったが、ポケットの中にはカモはいない。唐突に、カモが居ない事に心細さを覚えると、突然の明日菜の大声に心臓が跳ね上がりそうになった。
「違うわ! それはきっと、チュパカブラよ!」
 人差し指を高らかに上げて断言する明日菜に、木乃香は人差し指を顎に当てながら困惑した顔で首を傾げた。
「チュパ……?」
「チュパカブラ――――南米で目撃例のあるUnidentified Mysterious Animal、略してUMA……つまり未確認生物の事です。家畜の血をソレに吸われたと言う報告が相次ぎ、スペイン語で『吸う』という意味の『チュパ』とヤギという意味の『カブラ』を合わせて『ヤギの血を吸う者』という意味で『チュパカブラ』と命名されたです。ちなみに英語表記ですと『ゴートサッカー』。身長は約1メートル~1.8メートル程度。全身が毛に覆われていて、赤い大きな目をしており、牙が生えていて、背中に棘状の物があるそうです。直立する事が可能で、カンガルーのように飛び跳ねて、2~5メートルもの驚異的なジャンプ力を持つと言われているです。ヤギを初めとする家畜や人間を襲い、その血液を吸い、血を吸われたものの首周辺には、2箇所から4箇所の穴が開いているそうなのです。一説には細長い舌で穴を開けて血を吸い出したという物もあるのですが、牙による物とも考えられているのです」
 まるで念仏の様にスラスラと説明する夕映にネギは「ほえ~」と聞入っていると、「つ・ま・り!」と言って、ハルナが自分の大きな自由帳に不気味な絵を描いて見せた。
「こんな感じかな!?」
 自信満々なハルナの描いたチュパカブラは、まるで中年男性の様な手足に水掻きが付いており、両腕は体と同じ緑色で、両足の色は肌色だ。丸みのある、まるで瓢箪の様な緑色の体に仮面の様に真っ白な顔が貼り付けられており、まるで天然痘にでも掛かった様な紅い斑点が所々にある。背中には鰭の様な骨の様な、何だか分からない棘が後頭部から腰の下まであり、死んだ魚の様な赤目の顔の口から伸びる舌の様な物にはもう一つの顔が付いていた。額には花飾りが付いていて、はっきり言えば気持ち悪い事この上ない不気味な生き物だった。
「にゃ~~、気持ち悪い~~!!」
 まき絵はハルナの絵に涙目で首を振った。
「た、確かにコレは怖い……ってかキモイ!」
 明日菜はゲンナリした顔で呟いた。すると、ネギの背後で大きな溜息が聞こえた。
「まったく、くだらないですわ。ドラキュラもチュパカブラも居る分けないじゃありませんの」
 呆れた様に言うあやかに、まき絵は唇を尖らせた。
「だって、本当に居たんだもん!」
「噛まれた痕だってあるでござるからな~」
 楓はまき絵の机に顎を乗せながらあやかを見ながら言った。その後、顔色の悪いままのネギに、クラスメイトの少女達はチラチラと心配気に視線を向けた。
 そもそも、あやかが話を中断させたのはネギの為だった。恐らく、ネギはこの手の話しが苦手なのでは? と思い、顔色の悪いネギにこれ以上話を聞かせない為に、敢えてハッキリと吸血鬼やチュパカブラの存在を否定したのだが、それでも顔色の良くならないネギにあやかを含めたクラスメイト達は心配そうに顔を向けては、先生に注意されたが、ネギはそれに気付く事が出来なかった。
 新田や神多羅木、化学のガンドルフィーニといった、生徒達一人一人を注意深く観察している先生達は、ネギの様子がおかしい事に気が付き、何度か保健室に行く事を薦めたが、ネギは首を振って辞退した。ガンドルフィーニは四時限目だったのだが、授業が終わるとネギの元に歩いて来て、「無理はいけないよ? もし、体調が優れない様なら、ちゃんと保健室に行きなさい。分かったね?」そう、少し強めに言った。
 生徒を思ってるからこその言葉なので、ネギも微笑みながら頷くと、ガンドルフィーニは溜息を吐いていたが、ネギは気付かなかった。小さな娘を持つお父さんであるガンドルフィーニから見れば、ネギが保健室に行く気が全く無いなどお見通しだったのだ。
 仕方無しに、ガンドルフィーニはあやかに何かあったら無理にでも保健室に連れて行くよう伝えた。ボンヤリとしていて、お弁当を食べている間も明日菜達が話しかけても空返事ばかりなので、さすがに明日菜達は本気で心配になってきた。
 すると、木乃香が「せや! 良い事思いついたで!」と手を叩いて、明日菜や和美、あやか達に耳打ちした。
 放課後になって、ネギはカモに念話をしようかと思ったが止めた。カモにだって、プライベートでしたい事もあるかもしれない。夜になれば、どうせカモに会えるのだ。それまでくらい我慢しよう。
 ネギは溜息を吐きながら明日菜の静止も聞かずに出て行ってしまった。溜息を吐くと、明日菜は木乃香達にウインクするとネギを追い掛けた。残った木乃香達は互いにニヤリと目配りをして、準備を始めた。木乃香の良い思いつきの為に――。

 トボトボと一人で歩いていたネギは明日菜に腕を引っ張られ、訳も分からない内にショッピングエリアのゲームセンターに来ていた。
「えっと、明日菜さん?」
 傍らで「フフ~ン!」と胸を張る明日菜にネギは戸惑いながら首を傾げた。
「ここは学園都市内でも特に大きなゲーセンよ! 今日はここで夜まで遊ぶわよ~~!」
「ふ、ふええ~~!?」
 明日菜はそう宣言すると、ネギを引っ張ってゲームセンターに入って行った。
「まずはマジアカやるわよ~!」
「ま、待って下さい明日菜さ~ん!」
 それから、夕方になるまでたっぷりとゲームセンターで遊んだ二人の手には大量のぬいぐるみの入った紙袋がある。ネギが何となく見ていたカモに似てなくも無いオコジョの人形を明日菜がUFOキャッチャーで獲得し、それに気を良くして次々に他のUFOキャッチャーも荒らし尽くしたのだ。
 ネギも始めてのゲームセンターで、幾分気分が晴れた様だった。少なからず笑みが戻った事を確認すると、明日菜はネギと共に寮へと続く帰路についた。寮に到着すると、西日が窓から差し込み、フロアが茜色に染まっている。
 フとネギは遠くで騒がしい声が聞こえた気がした。エレベータに向かおうとすると、明日菜がネギの手を取って「行くのはコッチ」 と言って、エレベーターホールから更に寮の一階の奥へと進んだ。
 ネギは、未だ部屋と玄関の行き来しかした事が無かったので、奥がどうなっているのかを知る機会は無かった。明日菜に引っ張られながら進んで行くと、数回程度角を曲がった先に扉が見えた。
 扉に向かう通路の右側の壁には銀色のプレートに黒く『←ここより先、裏庭』と書かれていた。
「ネギ、行くわよ?」
 ニコッと笑みを浮べて明日菜はネギの手を引っ張った。明日菜が扉を開き、それに続いてネギが裏庭に出ると、突然、大砲の様な強烈な音が鳴り響いた。
 心臓が飛び跳ねる感覚を覚えながら、キョロキョロと周囲を見渡すと、そこには大量の料理が長いテーブルに並べられ、ネギのクラスメイト達が手にクラッカーを持ちながらニッコリと微笑んでいた。明日菜はクルリと体を回転させると、人差し指を上げてウインクした。
「ネギ、ちょっと遅くなっちゃったけど、今日はネギの歓迎会よ」
「え……?」
 ネギは目を丸くして、周りに立つクラスメイト達を見渡した。
「へへ~、みんなで買出しに行って、用意したんだぞ~!」
 鳴滝姉妹の姉、風香が誇らしげに胸を張った。
「まあ、殆ど委員長の出費なんだけどね」
 タハハと苦笑いを浮べながら和美は「ハイ、ポーズ!」と言って、キョトンとしているネギを写真に収めた。
「これね、木乃香が主催したんだよ。ネギに元気になって欲しいってね」
 ウインクしながら言う裕奈に、ネギは何だか自分の悩みが馬鹿馬鹿しく思えてきた。カモがいないから心細い? そんな事、ある訳無かったのだ。
 何故なら、こんなにも優しくて素敵なクラスメイト達が居るのだから。ネギは胸が熱くなり、涙が込み上げてきてボロボロと泣き出してしまった。
「ネ、ネギ!? どうしたの!?」
 明日菜が慌てて駆け寄ると、ネギは小さな声で、それでも静まり返った歓迎会のパーティー会場にはよく響く声で言った。
「私、寂しくて……。でも、違くて……。本当に、ありがとう……ございまず……ヒック」
 涙をボロボロ流すネギの言葉に、明日菜達は安心した様に笑みを浮べた。明日菜はニッコリと笑みを浮べると、自分のハンカチでネギの涙を拭った。
「折角の可愛い顔が台無しじゃない。ほら、泣き止みなさい。それで、皆と一緒に騒ぎましょ?」
 まるで、妹をあやす姉の様に、明日菜は優しく語り掛けた。
「ほら、鼻もかんで」
「で、でも……」
「いいから」
 明日菜はそう言って、ネギの鼻にハンカチを押し当てると、ネギに鼻をかませた。
 ネギの鼻水がついてしまったハンカチを、明日菜は嫌がりもせずに折り畳んでポケットに仕舞うと、ニカッと笑みを浮べた。
「さぁ、楽しみましょ!!」
 そうして、宴会が始まった。新しいお友達を迎える為の、子供達が自分で作り上げた宴会場でおいしい食事を食べて、語らい、コーラス部の柿崎美砂が歌を歌い、本当の意味で、ネギはこの麻帆良学園本校女子中等学校2年A組の仲間になる事が出来たのだ。そして、幸せな時間は瞬く間に過ぎていった――。

 歓迎会から少し離れた場所で、外套に身を包む人影があった。
「せいぜい楽しむがいいぞ、ナギの息子……。それが、最後の晩餐となるのだからな」
 外套から僅かにはみ出ている口元に、邪悪な笑みを浮かべ、その人影は高らかに笑い続けた。
 深夜とは言え、まだ人通りがある筈の葉が全て落ちた並木道には、誰一人人間はいなかった。ただ一人……否、二つの人影を除いては。



[8211] 魔法生徒ネギま! [第一章・吸血鬼編] 第四話『吸血鬼の夜』
Name: 我武者羅◆cb6314d6 ID:87b1fc72
Date: 2010/06/07 00:00
魔法生徒ネギま! 第四話『吸血鬼の夜』


 夜天の空に、徐々に星が煌き始めた頃、宴会は終了した。片付け自体は、テーブルを片付ける係りと、大皿を運んで洗う係り、それに紙皿や紙コップを纏めて捨てる係りに別れて、見事な連携であっと言う間に終了した。
 それぞれ、各々の部屋に戻って行き、ネギと木乃香、明日菜の三人も自分達の部屋に戻って行った。
 部屋の前でクラスメイト達に別れを告げ、部屋の中に入いり、電気を点けて扉を閉めた途端に部屋は真っ暗闇になってしまった。
「え、停電!?」
 明日菜は戸惑いながら電気のスイッチをカチカチと何度も押すが、電気が一向に点かなかった。
「も~~、何でいきなり停電なのよ~~!?」
「お、落ち着いてください明日菜さん!」
 喚く明日菜を宥め様としていると、ネギはすぐ傍にドアの取っ手がある事に気がついた。
「とりあえず、管理人さんに聞きに行きましょう――えッ?」
 ネギが扉を開くと、突然電気が復旧した。
「へ……? 点いた――ッ! もう、どなってんだか~、ねえこの……か?」
 呆然としながら明日菜は、傍らに居るはずの木乃香に話掛けようとしたが、木乃香の姿は無かった。
「あれ、木乃香!?」
「え? 明日菜さん、木乃香さんがどうかしたんですか!?」
 扉を開けた状態で固まっていたネギは、明日菜の叫びに振り向くと、木乃香の姿が何処にも無かった。
「ネギ、木乃香、部屋を出た?」
「いいえ、私は扉のすぐ傍に居ましたけど、扉が開けばさすがに判ります」
「そう、よね……? もう、木乃香~~! どこにいるの!? 出て来てよ~~!!」
 明日菜は寝室や洗面所を見ながら木乃香を呼んだが、どこにも木乃香の姿は無かった。
「どういう事? 何で、木乃香いないの!?」
 明日菜は焦燥に駆られ、目の色を変えて探し始めた。
「どこなのよ木乃香!」
 どれだけ探しても部屋の中には木乃香の姿は無かった。
「もしかしたら見落としてたのかも。私、外を見てきます!」
「お願い!」
 ネギは部屋を飛び出すと、絶句した。
 部屋の外には、ネギがさっきお別れを言ったばかりのクラスメイト達が倒れていた。
「和美さん、裕奈! 夏美さん! 風香さん! 史伽さん! どうして!?」
 倒れている少女達を見回して、ネギは体の震えが止まらなくなった。行方不明になった木乃香、倒れているクラスメイト達、どう考えてもおかしい。
 ネギの叫びを聞きつけた明日菜が飛び出して来た。
「どうしたの、ネ――ッ!?」
 出て来た明日菜は思わず絶句したがすぐ目の前の部屋の前で倒れている隣の部屋の裕奈の胸が上下している事に気がついた。咄嗟に、裕奈に駆け寄って様子を確かめると、明日菜は目を見開いた。
「眠ってる……?」
「え……?」
 明日菜の呆然とした呟きに、ネギは驚いて裕奈に駆け寄った。
「本当だ!」
 即座に、ネギは他の倒れているクラスメイト達の安否を確認した。全員がただ眠っているだけなのだと分かった。
 眠っている少女達から、僅かに魔力を感じた。心を落ち着けると、この廊下――否、この学生寮を覆っている結界を知覚した。
 結界には幾つかの種類がある。護る為であったり、隠す為であったり。そして、この学生寮を覆っているのは結界内に居る”全て”の人間を眠らせるという物だった。
 だが、どうして、自分や明日菜が眠っていないのか、それを考えると、部屋を閉めた瞬間に停電になったのは、それが起動キーだったのではないか、とネギは考えた。それが意味する事にも気がついてしまった。
 木乃香も明日菜も一般人の筈であり、狙われるとすればそれは自分だ。その事に気がつくと、ネギは部屋の中に飛び込んだ。
「え、ネギ!?」
 直ぐにネギは転入初日に背中に担いでいた大き過ぎる程の大きさの不思議な形の木製の杖を背負って駆け出した。その手には、余程慌てていたのか、歓迎会の時に一端会場の隅に置き、再び部屋に持って来ていたUFOキャッチャーのぬいぐるみの入った紙袋を持ったままだった。中身は、明日菜とネギが欲しい人に配っていたので、ネギが見つめていたオコジョの人形だけだった。
 明日菜の静止の声も聞かずにネギは一階に降りて外に向かった。明日菜はネギの尋常でない顔付きに、何かあると悟った。
 一瞬、クラスメイト達をどうするか迷ったが、自分一人では全員を部屋に運ぶのに時間が掛かり過ぎてしまう。明日菜は両手を合わせて「ごめん!」と謝ると、ネギを追い掛けた。ネギを追い掛けた先に、木乃香が居る気がしたのだ。
 エレベーターも機能を停止していて、ネギは仕方なく階段を使って一階に降りた。一階のフロアでも、知らない上級生や下級生、同級生の少女達が何人か眠っている。彼女達を見る度に、ネギは泣きそうになって顔を歪めた。
 突然、入口のカウンターから白い物体が飛び出して来た。
「ふえ!?」
 ネギは慌てて立ち止まると、白い物体をキャッチした。
 それはカモだった。
「カモ君!?」
「チッス姉貴! お待たせしやした!」
 カモはネギに両手で胴体を抱えられた状態で片腕を振った。すると、カモは頭の上に冷たい雫が落ちてくるのを感じた。
「あね……き?」
 カモがネギの顔を見上げると、ネギは泣いていた。
「どこ……行ってたの?」
 震えた声に、カモは顔を伏せながら言った。
「……どうやら、手遅れだったみたいッスけど、エヴァンジェリンについて調べてやした」
「エヴァンジェリンさん?」
「そうッス。600万ドルの賞金首、不死の魔法使いと恐れられた、この学園の学園長すら凌ぐ実力者ッス」
「え……?」
 ネギには、カモの言った言葉が理解出来なかった。麻帆良学園最強の男、近衛近右衛門よりも強い。それが、どれだけ異常な事だか分かっているのだろうか? ネギは、自分の耳を疑った。
「じゃあ、脅されてたの? この学園の魔法使い達がエヴァンジェリンさんを放っておいたのは、脅されてたからなの?」
 ネギが震えながら聞くと、カモは首を振った。
「姉貴、時間が無いから手短にお話しやすぜ? 厳密に言えば、答えはノーでさ」
「でも……」
 反論しかけるネギをカモは遮った。
「すいやせん、最後まで聞いて欲しいッス。いいッスか? エヴァンジェリン・A・K・マクダウェルがこの地で中学生なんざやってるのには、15年前のある事件が切欠なんスよ」
「ある事件?」
「……姉貴の父である、サウザンドマスター――――ナギ・スプリングフィールドがエヴァンジェリンとこの地で戦い、封印したんス」
「――――ッ!?」
「術式は“登校地獄”――。奴さんの魔力を封印し、あまつさえこの麻帆良学園が出る事を禁じたんス。中等部に通い続けさせられる呪いを、15年間受け続けた」
 そこまで言って、不意にネギが立ち上がったのを感じた。
「姉貴……?」
 ネギは顔をクシャクシャに歪めて涙を零していた。
「じゃあ、やっぱり私のせいなんだ……」
 ネギの震えた声に、カモは絶句した。
「何、言ってるんスか?」
 呆然としながら聞くと、ネギはカモを玄関ホールのカウンターの上に置いた。右腕に掛けていた紙袋も一緒にだ。
「私がこの学園に来たせいで……。エヴァンジェリンさんだって、今まで我慢してきたんでしょ? なのに、そのせいで皆を巻き込んじゃった」
 ネギは背負っていた杖を右手に持ちながら俯いたまま玄関の外に歩き出した。
「止めろ姉貴! 俺っちの調べでは、半年前からエヴァンジェリンは吸血によって魔力を蓄えていた。全開とはいかなくても、麻帆良最強――つまりは、あのタカミチよりも強い近衛近右衛門にも匹敵する力を解放出来るかもしれないんスよ!」
 カモは必死にネギを押し留めようと発した言葉だったが、それが還って仇となった。
「半年間も私のせいでこの学園の人達に迷惑を掛け続けてたんだ。私のせいで……」
 まるで呪詛の様に呟き続けながら、ネギは外へと出てしまった。
「どうすればいい……?」
 カモは絶望しかけた。どれだけ頭を巡らせても、相手の戦法が分からなければ策の練り様が無かった。何度も策を練っては頭を振って、練り直すと言う作業を僅かな時間に繰り返した。
 その時、フと、カモの視界に自分に似たオコジョのぬいぐるみを見つけた。その背後から決意を秘めた眼差しの少女がカモに話しかけてきた。
「ねえ、ネギって魔法使いなの?」
「え……?」
 そこに居たのは、ネギを追い掛けて、ネギとカモの話を聞いてしまった神楽坂明日菜だった。

 外に出たネギの頭上から、女性の声が響いた。見上げると、漆黒のボンテージドレスに身を包み、漆黒の先が裂けている外套を羽織った女性がネギを見下ろしていた。
 ネギは、声が出なかった。ただ、見上げた先に君臨する女性が余りにも綺麗過ぎて、言葉を失った。月光は尚冴え冴えと闇夜を照らし出し、風の音すらも無く静かだった。金砂の如き美しく長い髪が月光に濡れている。宝石の様な瞳で、何の感情もなく見据えた後、唇の端を吊り上げて女性は酷薄な笑みを浮べた。
「私はこの時を待っていたぞ。サウザンドマスターの“息子”よ。最初は何の冗談かと思ったが、まさか本当に女体化して身分を隠すとはな」
 まるで、道化を見る様な眼差しで、己を睨むネギを見返した。エヴァンジェリンはパチンと指を鳴らすと、突然虚空に人が現れた。
「木乃香さん!」
 虚空に横たわる木乃香の姿にネギは声を張り上げた。
「木乃香さんを……私の友達を返して下さい!」
 必死に叫ぶネギを見下し、エヴァンジェリンは唇の端を吊り上げた。
「フフッ、乙女の血を得た私の魔力に敵うとでも思っているのか?」
 エヴァンジェリンは纏っていた外套を右手で一気に脱ぎ去ると、外套を闇の魔力に“戻し”て直接ネギに向けて放った。ソレは、まるで生き物の様にネギに覆い被さった。
「たわいないな」
 凄まじい地響きと共に、闇の魔法が大地を蹂躙し、エヴァンジェリンは勝利の笑みを浮べた。
「クゥ――――ッ!」
 突然、闇の魔力が弾け跳び、その一部がエヴァンジェリンの頬を掠めて一筋の血を流させた。エヴァンジェリンが忌々しげに見下ろした先には、無傷で杖を構えるネギ・スプリングフィールドの姿があった。
「10歳にしてその力……か。成程ヤツの息子。面白いではないか!」
「僕の父さんを知ってる。それに、木乃香さんを攫って、これだけの魔法を操る……。やっぱり、貴女が――」
「そう、彼女がエヴァンジェリンだ」
 突然、ネギの背後から声がした。渋みのある、とても頼り甲斐のある頼もしい声だった。
「タカ……ミチ?」
 ネギが顔を向けると、エヴァンジェリンは苛立った視線をタカミチに向けた。
「今更、何をしに来たのだ? まさか、今になって私を殺しに来たか?」
 タカミチはエヴァンジェリンの言葉を無視してネギの頭に手を置いた。
「エヴァンジェリン・A・K・マクダウェル、僕の生徒であり、君のクラスメイト。そして――」
 チラリとタカミチがエヴァンジェリンを見上げると、エヴァンジェリンは薄く微笑んだ様に口を開いた。
「私は吸血鬼だ」
 鋭く尖った犬歯を見せ付けるようにしてエヴァンジェリンは言った。自分の言葉を無視されたからか、睨む様にタカミチを見下ろしている。
 タカミチはクスクスと笑った。
「何がおかしい!?」
 エヴァンジェリンが訝しむ表情をすると、タカミチは皮肉気に笑みを浮べた。
「ネギ君。あの姿で中学二年生に居たら浮いてしまうと思わないかい?」
「へ?」
 突然のタカミチの言葉に驚くと、改めてエヴァンジェリンを見上げたネギは「そういえば」と首を傾げた。
「エヴァは満月と乙女の血によって得た力で大人の姿になっているのさ」
「フン」
 タカミチの言葉に応える様に、再び闇の魔力で生成した外套を羽織るエヴァンジェリンを見上げながらタカミチは悪戯っぽく微笑んだ。
「まあ、あれだ。実際の姿じゃ凄みに欠けるだろ? 実際は君と同じ10歳程度の少女だし」
「え、そうなの? 成程……」
「納得するな!」
 タカミチの登場と、タカミチとエヴァンジェリンの言い合いを聞いている内にネギの緊張は徐々に解けていた。
「忌々しい。お前の父親のせいで15年間もこんな場所に閉じ込められて……。だが、それも今日で終わりだ!」
 舌打ちすると、エヴァンジェリンは右手の掌に闇の魔力を集中させた。
「気をつけろネギ君。エヴァはね、君の血が欲しいんだ」
「血を……?」
 ネギが眉を顰めると、エヴァンジェリンは闇の魔力をタカミチに向けた。
「邪魔をするなら、まずは貴様を殺すぞ? タカミチ」
 エヴァンジェリンの言葉にハッとしたネギは、タカミチを庇おうと前に出た。だが、それを押しのけてタカミチはネギの前に出てエヴァンジェリンを見上げた。
「別に、邪魔をする気はないさ」
「え?」
「ナニ?」
 タカミチの言葉に、ネギとエヴァンジェリンは同時に反応した。
「邪魔をする気はないよエヴァ。ただし、木乃香君は返してくれないかな? それに、こんな場所で戦えば、結界の維持に神経を向けないといけないんじゃないかな?」
「…………何を考えている?」
 タカミチの言葉は、まるでネギを差し出す代わりに木乃香を返せと言っている様だった。ネギは、杖を握り締めて、それでも心の中で泣きたくなるのを必死に堪えた。エヴァンジェリンは眼下の男の考えが読めずに眉を顰めている。
「別に、新しい戦闘場(バトルフィールド)は君が選択すればいい。僕達、“魔法使い”は誰も君に手出しはしないよ。僕達“は”ね」
 エヴァンジェリンはタカミチの顔を見下ろしながら、鼻を鳴らした。
「虚言ならば、ネギ・スプリングフィールドの次は、貴様の生徒達だぞ」
「僕が嘘をついてると思うかい?」
 タカミチの言葉に、エヴァンジェリンは胡散臭そうに鼻を鳴らした。
「持って行け」
 呟くと同時に、木乃香の体がタカミチの元へ下された。木乃香の体を抱きとめると、タカミチはエヴァンジェリンに「サンキュ」と言ってニッと笑って見せた。エヴァンジェリンは不快気な顔をしながらネギに顔を向けた。
「ネギ・スプリングフィールド」
「はい……」
 エヴァンジェリンの殺意の篭った視線を受けながら、真正面からエヴァンジェリンを見返した。
「ここより1km先の麻帆良湖だ。逃げれば今度はお前のお友達が眠るだけでは済まぬぞ?」
「逃げません」
「ほう、ならば、待っているぞ」
 そう呟いて、エヴァンジェリンの姿は闇に紛れて消え去った。取り残されたネギは、傍らで木乃香を抱えるタカミチに視線を向けずに駆け出そうとした。
「ネギ君」
 だが、タカミチに呼び止められて、脚が止まった。それでも、振り向く事は出来なかった。一度は覚悟した事だったが、それでも辛かったのだ。
 タカミチに顔は向けずに、弱々しい声でネギは呟く様に言った。
「大丈夫だよ……? ちゃんと、死んでくるから」
「――――ッ!? ああ、そうか……。勘違いさせちゃったね」
「え?」
 ネギは、全力を出してもエヴァンジェリンには敵わないと思った。なにせ、カモが言うにはタカミチ以上に強い学園長すら越える実力者なのだ。自分に出来るのは、エヴァンジェリンの復讐心を満足させて、これ以上被害が広まらない様に、血を吸い尽くされて殺されるだけ、そう思っていたネギに、タカミチは首を振った。
「違うんだよネギ君。そんな事をしても……君が命を捧げても駄目なんだ」
「どういう事?」
 命を捧げても無駄? それでは、自分はどうすればいいんだ、ネギは困惑した様な、泣きそうな様な複雑な顔でタカミチに振り返った。タカミチは優しく微笑んだ。
「違うんだ。僕や、学園長が期待しているのは…………君に、エヴァンジェリンを救って欲しいって事なんだよ」
「どういう意味?」
 ネギの問いに答える事無く、タカミチは振り返って寮の方へ脚を向けて行った。
「タカミチ!」
 ネギの叫びに一度だけ立ち止まると、振り返らずに言った。
「僕には無理な事なんだ。だけど、きっと君になら出来る。学園長は英雄の息子だからって、そう信じてるのかもしれないけど、僕はね、君が僕の友達のネギ・スプリングフィールドだから出来るって信じてるんだ」
 そう、ニッコリと微笑んで言うと、タカミチは寮の中へ入って行った。やがて、戸惑っていたネギは決心して振り返ると、エヴァンジェリンの指示した麻帆良湖に向けて杖に乗った。
 大地を蹴り、杖によって飛翔し、車と同じ様な速度で風を切って翔けた。その様子を、玄関のガラス扉の向こうから見ると、タカミチはフッと微笑んだ。
「行くのかい?」
 タカミチは正面に立つ、肩に真っ白なオコジョ妖精と片手に紙袋を持った少女に聞いたが、答えは分かりきっていた。
 この“お姫様”は、どんなに性格や姿が変っても、どこまでも気高い。
「当然です、高畑先生。だって、私は友達を助けたいから!」
 少女、明日菜は真っ直ぐにタカミチの目を見て断言した。タカミチは小さく溜息を吐いた。
「本当に、学園長の考え通りに話が進んでしまっている」
 そう考えるのだが、タカミチの顔には憂いは無かった。ただ、目の前の少女は止めても無駄だと悟って、疲れた様に道を譲るだけだった。
「これは独り言だ」
 そう呟いて、タカミチは顔を背けた。
「え?」
 首を傾げる明日菜にタカミチは虚空に向かって喋りだした。
「エヴァンジェリンはどうやら1km先にある麻帆良湖で決着を着けるようだな~」
「高畑先生!」
「僕は、今何も見なかった。そして、僕は明日の朝に生徒全員の出席を一人の欠席や遅刻も無しなのだと確認する。……いいね?」
「高畑先生……、はい! 行くわよ、カモ!」
「ガッテン!」
 タカミチの言葉に、胸を詰まらせながら、明日菜は大声で返事を返すと、肩に乗るカモに声を掛けて駆け出した。去り際にカモは「恩に着るぜ!」とタカミチに呟いた。
 その彼女の走り去る姿に、タカミチは複雑そうな表情を浮べた。
「きっと、大丈夫ですよ。僕はそう信じています。ね、学園長?」
 眠っている生徒達しかいない筈の玄関ホールで、タカミチは一人呟いた。すると、どこからともなくしわがれた老人の声が響いた。
「フォッフォッフォ、大丈夫じゃよ。保険はあるしのう。それに、どんな事になったとしても、アヤツにネギ君は殺せんよ。恨んでるじゃと? 全く、嘘のつけん性格のくせにのう」
 心底愉快そうな老人の声に、タカミチは苦笑した。
「ですね。彼女は間違いなく、今でもナギの事を――」
 玄関のガラス扉の先から零れる月明かりをバックに、タカミチは眠っている少女達をベッドに連れて行く作業を開始した。僅かに胸の内に切なさを抱えながら――。

 誰も居ない月明かりだけが照らす湖の上空で、一人の女性と一人の少女が対面している。結界は張られていないのか、上空は強風が吹き荒れている。そんな場所でエヴァンジェリンを見つめながら、ネギは制服のリボンを外し、それで髪の毛をポニーテイルにして縛った。
 どうすればいいのか、そんな事は今も分からなかったが、タカミチの言った『君に、エヴァンジェリンを救って欲しい』という言葉。
 ネギはしっかりと目の前のエヴァンジェリンを見つめて覚悟を決めた。
「覚悟は出来たようだな」
 見下す様な視線を向けるエヴァンジェリンに、ネギはキッと見返した。
「エヴァンジェリンさん、私と勝負して下さい」
「……勝負? クク、クハハハハハハハハ!! 面白いことを言うな~ぼうや、いや……お嬢ちゃんとでも呼んでやろうか? やる事いう事面白過ぎるぞ!」
 高笑いをしながら、心底愉快気な視線でネギを見る。
「それで、どうしようと言うのだ?」
 クスクスと笑いながら言うエヴァンジェリンに、ネギは小さく息を吸い、確りと真正面からエヴァンジェリンを見つめた。
「私が負けたら……私のこの体に流れる血を一滴残らず貴女に捧げます」
「ほう……」
「だけど、私が勝ったら、もう悪い事はしないで下さい! そして――」
「そして――、なんだ?」
 ネギは目を閉じると、決意を固めた目でエヴァンジェリンを見た。
「私とお友達になって下さい!」
「は……?」
 その言葉に、エヴァンジェリンは目を丸くした。理解が出来なかった。殺し殺される関係にある筈の自分達の間に、友達などという言葉が出て来るのが訳が分からなかった。
 だが、ネギの顔を見て、それが本気なのだと悟る。ネギは、ずっと隣の空いた席が気になっていた。クラスの皆と仲良くなる事が出来て、もしも、本当にクラスの皆とお友達になれたらどんなに素敵な事なんだろう。そう思っていた。
 例え、悪い魔法使いと呼ばれていたかもしれない。それでも、この学園に自分が来るまでは大人しくしていたのだ。それに、今朝のまき絵の様子を見れば、エヴァンジェリンは決して彼女を傷つけようと思った訳では無いと判った。
 本当の悪人なら、後遺症が残るくらい、いや、それ以上の血を吸っていた筈だ。それに、今夜も、結局は誰も傷つけてはいない。復讐をしようとしているのに、木乃香の体も傷つけない様にタカミチに降ろす時にも慎重だった。
 ネギは、本当は目の前の女性が優しい人なのではないかと思っていた。だからこそ、ネギは命を懸けて懇願する。そして、ネギの真っ直ぐな言葉を聞き、エヴァンジェリンは顔を赤くしてヒクつきながら唇の端を吊り上げた。
「な、何を言い出すかと思えば……。まぁ、いいだろう! 私が敗北するなど、万に一つも無いのだからな! その条件、聞き入れた!」
 叫ぶと同時に、エヴァンジェリンは魔力を練り始めた。同時に、空中で浮かんでいる杖を片手だけで掴み、体を支えて左手で魔力を練る。
「リク・ラク・ラ・ラック・ライラック! 氷の精霊11頭、集い来たりて敵を切り裂け!」
「ラス・テル マ・スキル マギステル! 光の精霊11頭、集い来たりて敵を射て!」
 エヴァンジェリンの掌に氷の魔力が集中し、同レベルの光の魔力がネギの杖に集中する。
「サギタ・マギカ、連弾・氷の11矢!」
「サギタ・マギカ、連弾・光の11矢!」
 エヴァンジェリンから放たれた水色の閃光とネギの杖から放たれた白き閃光がぶつかり合い、凄まじい爆発音と共に周囲を強烈な光が包み込む。衝撃から離れる為に同時に距離を置くと、エヴァンジェリンは外套を翻した。
「やるな! では私のパートナーを紹介してやろう! 来い、絡繰茶々丸!」
「はい、マスター!」
 突然、ネギの背後から出現した茶々丸に目を見開くと、ネギは咄嗟に杖を回転させた。
「誰!?」
「ハッ! お前のクラスメイトだぞ? 出席番号10番で私の従者の絡繰茶々丸だ!」
 そう叫びながら、エヴァンジェリンは闇の魔力を掌に集中し始めた。
「クラスメイト!?」
「そうだ! リク・ラク・ラ・ラック・ライラック!」
「――――ッ! ラス・テル マ・スキル マギステル!」
 ネギも咄嗟に風の魔力を集中させた。
「風の精霊17――ッ!?」
 突然、顎下から衝撃が走り、詠唱が中断されてしまった。茶々丸が真下からネギに向かってアッパーを放ったのだ。加減したのだろうか、脳が揺さ振られはしなかったが、それでも詠唱が中断させられてしまったのは致命的だった。
「連弾・闇の17矢!」
「!?」
 その隙に、エヴァンジェリンは呪文を完成させてネギに向けて17本の漆黒の矢を放った。
「加速!」
 咄嗟に、杖で真横に加速の魔法を使いながら飛ぶと、両脇から突然手が伸びて来た。
「!?」
 それは、翠色の髪を風にはためかせる、ミニスカートのメイド服を着た、耳に不思議な飾りをつけている少女、絡繰茶々丸だった。体を抱き締める様に拘束する茶々丸に、ネギはもがいて何とか脱出しようとするが、人間とは思えない程の力で拘束されているせいで、まったく体を動かせなかった。魔法で脱出しようとすると、目の前にエヴァンジェリンが現れた。
「終わりだ、ネギ・スプリングフィールド。自分にパートナーがいなかった事を後悔するんだな」
 やっぱり、どうにも出来なかった。ネギは自分の無力感を感じながら、ゆっくりと力を抜いた。そして、エヴァンジェリンが剥き出しにした鋭い犬歯がネギの首元の皮膚に当たり、突き破ろうとした、その瞬間だった。
「――――ッ!?」
 突然、エヴァンジェリンが目を見開いたのだ。小さな、何かが掠る様な音が聞こえた気がした。
「な、なんだ?」
 エヴァンジェリンが慌てて振り返ると、突然エヴァンジェリンの顔面に向かって革靴が飛来した。
「あいたあっ!?」
 ほぼ無意識に障壁を張れるエヴァンジェリンだったが、それは戦闘時の話だ。ネギを拘束した事で気が緩んだエヴァンジェリンの顔に革靴が当たり、バコーンと音が鳴った。
「か、顔はやめんかーっ!」
 コラーッと怒るエヴァンジェリンは、先程までの威厳が消し飛んでしまっていた。
「ああ、マスター。折角頑張って練習した演技が……」
「って、茶々丸! 何を言ってるんだお前は……って何ィ!?」
「あ、あれは!」
 茶々丸の言葉に、ネギは目を丸くし、エヴァンジェリンは反論しようとすると、二人の視界にとんでもないものが映った。眼下に広がる麻帆良湖、その陸から少し伸びる桟橋上に、何と桟橋に繋がれていたアヒルボートを持ち上げている女子校生の姿があったのだ。
「私の……友達に、何してんのよ~~~~!!」
「アスナさん!?」
 それは、在り得ない光景だった。全長は3.12m、全幅は1.78m、高さは2.10m、重量は160kg、定員は二、三人のおよそ、“普通の女子中学生には持ち上げられる筈のないもの(アヒルボート)”を、神楽坂明日菜は鬼神の如き顔で持ち上げていたのだ。
「お、お前は神楽坂明日菜!? よせ、や……めろ! 投げるのか? 投げる気なのか!? そんなもの普通の人間が放り投げるな――――ッ!!」
「私の友達を離せ~~~~!!」
 明日菜は必死に叫ぶエヴァンジェリンに向けて、その決して普通の女子中学生が投げていいモノでは無いアヒルボートを……凄まじい勢いを付けて投げた。
 アヒルボートは、エヴァンジェリンが咄嗟に張った障壁を歪めた。
「マスターッ!!」
 咄嗟にネギを放った茶々丸は、アヒルボートを横から殴り飛ばしたが、高度な幻術に魔力を使っていたエヴァンジェリンは砕けかける障壁に、咄嗟に幻術を解いて魔力を優先して障壁に流していた。
「な、なんて馬鹿力だ!」
 幻術の解けたエヴァンジェリンに、明日菜は目を見開いた。
「どこのナイスバディなヴァンパイアかと思ったら、やっぱりエヴァンジェリンだったのね!」
 明日菜は見上げながら叫ぶと、その隣にネギが降り立った。
「明日菜さん、どうして!?」
 ネギが叫ぶが、明日菜は無視して眉を顰めながらエヴァンジェリンを見上げた。
「何で大人の姿に……?」
 首を傾げながら言う明日菜に、ネギは「えっと……」と言いながらソッと耳打ちした。
「ああ、凄みが欠けるから……成程!!」
「だから納得するんじゃない!! グググ……おのれ! 神楽坂明日菜! 折角のシリアスな空気が台無しでは無いか!」
「折角、学校の屋上で毎日練習していたのに……おいたわしや、マスター」
「そんな事してたんだ……。ああ、だから最近毎日サボってたのね」
「エヴァンジェリンさん……」
「そ、そんな目で見るんじゃない!」
 それまでの険悪な空気が完全に消え去ってしまった。茶々丸が次々に白状してしまうせいで、エヴァンジェリンを見る明日菜とネギの目はどこか微笑ましげだった。
 幻術が解けた事で、少女の体に戻ってしまったのも原因で、最早演技の必要は無いと悟ったのか、さっきまでの大人の余裕はどこにも無かった。だが、そんなエヴァンジェリンを無視して、明日菜はネギに顔を向けた。
「怪我はない?」
「はい、大丈夫です」
 明日菜の優しい声に、ネギは再び泣きそうになった。それでも歯を食いしばり、ネギは明日菜を見た。
「明日菜さん、どうして来ちゃったんですか?」
「え?」
 明日菜は、予想外の言葉に驚いた。どうしてこの状況で驚かないんですか~!? と聞かれると思っていたのだが、ネギの口から出たのは全く違う言葉だった。

 時間は少し遡る――。
『どこ……行ってたの?』
 その、今にも折れそうな程か細い声が聞こえたのは、階段を三段飛ばして飛び降りるように駆け下りて来て、一階に到着した直後だった。
『………………………………』
 誰か一緒に居るのだろうか、明日菜は息を潜めた。
 突然駆け出したネギを追い掛けて来た明日菜は、その時の悲壮なネギの顔に危機感を覚え、殆ど何も考えずに眠っている皆に謝罪をして追い掛けて来たのだ。
『………さん?』
 上手く聞き取れない。なるべく、ネギに見えない様に身を屈めながら、ネギの近くの柱に身を隠して聞き耳を立てた。すると、女子寮だというのに軽薄そうな男の声が聞こえた。
 まさか、今皆が眠っているのはコイツのせいなのでは? そして、ネギは危険な目に合ってるのではないか? そう、考えると、咄嗟に飛び出そうとしたが『そうッス。600万ドルの賞金首、不死の魔法使いと恐れられた、この学園の学園長すら凌ぐ実力者ッス』その言葉に明日菜の動きは止まった。
 不死の魔法使い? 600万ドルの賞金首? 何の話だろう、明日菜は首を捻った。
『え……?』
 ネギからも驚いた様な声が聞こえる。
「そりゃそうよね。魔法使いだとか、賞金首だとか……一体、この男の声って何者なの?」
 小声で呟きながら更に聞いていると、信じられないネギの言葉が明日菜の耳に飛び込んできた。
『じゃあ、脅されてたの? この学園の魔法使い達がエヴァンジェリンさんを放っておいたのは、脅されてたからなの?』
「この学園の“魔法使い達”? 何を言ってるのよ……ネギ?」
 明日菜は信じられない思いで呟いた。あまりの事に理解が追いつかなかったのだ。
 それでは何か? この学園には複数の“魔法使い”が居るというのか? そんな事、ある筈が無い。そう、明日菜は頭を振った。だが、ネギと謎の男の話は終わらなかった。
『姉貴の父である、サウザンドマスター――――ナギ・スプリングフィールドがエヴァンジェリンとこの地で戦い、封印したんス』
「ネギのお父さん? それに、エヴァンジェリンって!?」
『術式は“登校地獄”――。奴さんの魔力を封印し、あまつさえこの麻帆良学園が出る事を禁じたんス。中等部に通い続けさせられる呪いを、15年間受け続けた』
「どういう事よ!? エヴァちゃんが15年間も中学生を繰り返していたって……」
 頭の中でナニカが騒いでるような感覚だった。突然の事態に、現実感が乏しくなり、頭がクラクラとしてきたのだ。
 だが、『姉貴……?』男の声が心配気になったのを感じ、明日菜は再び聞き耳を立てた。
『じゃあ、やっぱり私のせいなんだ』
 明日菜には、何を言っているのか分からなかった。
『何、言ってるんスか?』
 それは男も同じ様で、どうしてネギが悪い事になるのかが分からなかった。父親が恨みを買ったからといって、娘のネギがどうして悪くなるのか、明日菜には理解する事が出来なかったのだ。
『私がこの学園に来たせいでエヴァンジェリンさんだって、今まで我慢してきたんでしょ? なのに、そのせいで皆を巻き込んじゃった』
「何よ、ソレ。巫山戯んじゃないわよ……」
 明日菜は今にもキレそうになった。この学園に来て、皆に歓迎会をして貰って、感謝のあまり泣き出して、楽しそうに笑っていたネギの顔を思い出して、親が買った恨みなんか背負おうとしているネギに腹が立った。
 それ以上に恨みを買った父親にも恨みをネギに向けたエヴァンジェリンにも腹が立った。
『止めろ姉貴! 俺っちの調べでは、半年前からエヴァンジェリンは吸血によって魔力を蓄えていた。全開とはいかなくても、麻帆良最強……つまりは、あのタカミチよりも強い近衛近右衛門にも匹敵する力を解放出来るかもしれないんスよ!』
 男の必死な声が聞こえる。明日菜はゆっくりと立ち上がると、ネギと話しているオコジョに気がついた。
「あの男の声って……あのオコジョ?」
 怒りも忘れて、明日菜は頭が痛くなった。幾らなんでも、コレは無いだろ……と。現実感に乏しかったとは言え、魔法使いだってただ話しに出てきた単語だった。だが、目の前に居るのは完全な異能の存在だ。
 同時に理解もした。全てが真実なのだと。何せ、あのオコジョはロボットなんかじゃないと分かりきっている。何度も触らせて貰ったし、食べ物もあげた。
 何だか昨夜は情けない鳴き声をあげていたが、朝になるとホイールで元気良く運動しているのに、木乃香と共に笑った。
『半年間も私のせいでこの学園の人達に迷惑を掛け続けてたんだ。私のせいで――』
 その言葉と同時に外に向かって駆け出すネギに今すぐ追いかけたいと思うのと同時に、聞かないといけないと、明日菜は首を振りながら唸るオコジョに近寄って行った。
「ねえ、ネギって魔法使いなの?」
「え……?」
 ネギが玄関の外に向かって駆け出した後、玄関ホールの管理人室の前にあるカウンターの上で作戦を何度も練り直していたカモの背後から、明日菜は声を掛けた。カモは明日菜の存在に目を見開き、その直後に青褪めた。
「何で、起きてるんスか? 明日菜の姉貴……」
 絶望の色を見せるカモに、明日菜は戸惑った。
「え? いや、普通に起きてただけだけど。じゃない! それより答えなさいよ! アンタ何者!? ネギは本当に魔法使いなの!? そもそも、どうしてネギが泣かなきゃいけないのよ!!」
 歯を剥き出しにして怒鳴る明日菜に、カモは苦しげな表情を浮べた。
「どうして……? そんな事、俺が聞きてえッスよ! 本当は、タカミチだかに助けを求めるように説得するはずだったのに、ちくしょう!」
 カモは自分の要領の悪さに泣きたくなった。話を急ぎすぎたのだ。すぐそこにエヴァンジェリンが居ると察知していたせいで、カモはネギに焦って喋る必要の無い事まで話してしまったのだ。
「しっかりしなさいよ!!」
 自己嫌悪しているカモは明日菜の叫びにハッとした。
「いいから、アンタが何者で、どうすればいいのかを教えなさい! 私があの子を助けるから!」
 その言葉に、カモは顔を上げて改めて明日菜を見た。爛々と瞳を光らせて、真っ直ぐにカモを見つめる神楽坂明日菜という少女にカモはそれでも首を振った。
「なんでよ!?」
 明日菜が叫ぶと、カモは申し訳無さそうに呟いた。
「姉さん……アンタはいい人だ。姉貴の友達がアンタみたいな人で本当に良かった。だからこそ、死地に連れて行くわけにゃあ行かねえのよ。悪いな。な~に、安心しな、ちゃんと後から記憶消去のスペシャリストが来てくれる筈ッス! これだけ大規模な事をしたんだ。魔法使い達だって感づいてる筈ッスよ。だから……すいやせん」
「何言って――ッ」
 明日菜がカモの言葉を理解したその時、カモの足元が光ると同時に、空中から光の帯が出現した。
「本当はもしもの時の為に用意したんスけど……。どっちにしろ、コイツはエヴァンジェリンには効きっこねえ。悪いな、姉さん」
 そう呟きながら、足元にどこからともなく取り出して置いた“ナウシズニイド”のルーンが描かれたカードをカモは設置していた。ルーンの文字は光の帯と同じ色の光を灯している。
 光の帯が明日菜を拘束しようと伸びる。その時だった。突然、カードの光が消えて明日菜を拘束しようとしていた帯も掻き消えた。
「なに!?」
「え、なに!?」
 突然現れた光の帯が、再び消滅し、カモの驚愕の叫びに驚いた明日菜は目を白黒にしていた。
「姉さん、アンタどうやったんだ!?」
「へ? いや、ただ触れたと思ったら消えちゃったんだけど……」
「馬鹿な!」
 カモは目を見開くと、ネカネに用意して貰いネギに付けて貰ったマジックアイテム『オコジョ妖精の七つ道具』から、無地のカードと魔力が染みたチョークを取り出した。
「意味は欲望から展開して束縛へ『ナウシズニイド』のルーン! それに加えて、停滞のルーン『イサイス』だ!」
 チョークで一瞬でカードの上にルーンを描くと、再び空中に明日菜を拘束する為の光の帯が出現し、空間ごと固まった様に一瞬だけ明日菜の体が静止した。
「馬鹿な!?」
 カモは叫んでいた。目の前で起きた事が信じられなかった。カモの少ない魔力で発動したとはいえ、一般人が破れる様な代物ではない空間凍結と拘束魔法を、明日菜は動く事すらせずに消滅させたのだ。
「な、何なの!? 今のって、魔法!?」
 明日菜自身も、何が起きているのか理解出来なかった。
 カモは戦慄しながら、ある推測を立てた。
「まさか、なんでこんな極東に……まさか“魔力完全無効化“の能力者!?」
 カモの言葉に、明日菜は「え? え?」と混乱した様に目を丸くしたが、突然カモがひれ伏したのに目をパチクリとさせた。
「お願いしやす! アンタの……貴女の力を貸してくだせい!」
「え……?」
 カモの言葉に、明日菜は目を丸くした。さっきまで、自分が行くと言っても止めようとした目の前のオコジョの突然の心変わりの言葉に明日菜は戸惑いを隠せなかったのだ。
 カモは頭を下げ続けた。
「お願いしやす! アンタが居れば……姉貴は死なずに済む! アンタが居れば、奴に……無敵の魔法使い、エヴァンジェリン・A・K・マクダウェルにだって勝てる!」
 カモの言葉に、明日菜は目を見開いた。そして、唇の端を吊り上げた。
「馬鹿言ってんじゃないわよ」
「お願いしやす……。終わったら、俺っちを丸焼きにでも何でもしていいッス! だから――」
「だ・か・ら、馬鹿言わないの。最初から言ってるじゃない」
 明日菜の優しげな声に、カモは顔を上げた。そこには、優しく微笑む明日菜の姿があった。明日菜は、カモを手に乗せてニッと笑みを浮べた。
「勿論行くに決まってるでしょ? 私は、アイツの友達なんだから」
「姉さん……。恩に着やす」
 カモは両脇を明日菜に抱えられたまま、首を曲げてお辞儀をした。
「それで、何をすればいいの? 作戦があるんでしょ?」
「ええ、明日菜の姉さん。アンタにも危ない橋を渡って貰う事になってしまうッスけど、俺っちに、命預けちゃ頂けやせんか?」
 カモは明日菜の顔を真っ直ぐに見上げながら言った。
「……ええ、いいわよ。喋るオコジョに命令されるなんて、ちょっと変な気分だけどね」
「姉さん……」
 クスクス笑う明日菜に、カモは脱力しながら溜息を吐いた。
「んじゃ、時間も無いッス。そこの紙袋を持って貰えるッスか?」
「これ? ゲーセンで取ったUFOキャッチャーの景品じゃない? こんなのここに置いておいても誰も取んないわよ! はは~ん、もしかして、こういう人形とかにラブを感じちゃうの~?」
 ニヤニヤしながら言う明日菜に、カモは「な、何言ってるんスか!? そんな変態じゃないッスよ!!」と声を荒げて否定した。すると、明日菜はクスクス笑いながら「はいはい」と適当に返事を返した。
「本当に違うんス! コイツは、作戦に必要なんスよ。相手はあの闇の福音ッス。少しでも手数を増やして、何手も先まで読まないと勝てる相手じゃないんスよ!」
「……分かった。んじゃ、行くわよ?」
 カモの言葉に頷いて、カウンターの上に置かれた紙袋を持ち、外に出ようとすると、外からタカミチが出てきた。
 明日菜を無視する様にガラス扉の向こうに視線をやると、フッとニヒルに微笑んだ。
「行くのかい?」
 流し目で明日菜に聞くタカミチに、明日菜はつい顔を赤くしてしまった。月明かりに照らされたタカミチは、どこか幻想的な雰囲気を醸し出していた。
 そしてタカミチも魔法使いの仲間なんだと悟った。どうして外から入って来たのか分からないが、状況は分かっている様だった。
「なるほど、学園側は敢えて放置している訳だ」
「え……?」
 小声で、カモは呟いた。
「多分、何か考えがあるんスよ。とにかく、行きやしょう」
 カモが言うと、明日菜は小さく息を吸ってタカミチを見返した。タカミチの言葉に返答する為に。
「姉さん……?」
「当然です。高畑先生。だって、私は友達を助けたいから!」
 そう言って、一歩前に歩くと、タカミチは明日菜に向けて目を細め、顔を背けて呟いた。
「これは独り言だ」
「え?」
 タカミチの言葉に、明日菜は首を傾げた。
「エヴァンジェリンはどうやら1km先にある麻帆良湖で決着を着けるようだな~」
「高畑先生!」
 タカミチの言葉に、明日菜とカモは目を見開いた。
「僕は、今何も見なかった。そして…、僕は明日の朝に生徒全員の出席を、一人の欠席や遅刻も無しなのだと確認する。……いいね?」
「高畑先生……。はい! 行くわよ、カモ!」
「ガッテン!」
 どうして、ネギを貴方が助けに行かないんですか? そう質問したかったが、タカミチの言葉の裏に、ネギを助けてあげて欲しいという思いを受け取り、明日菜は答えた。きっと、何か理由があるのだ。明日菜はそう考えると、何時もネギが呼んでいたカモの名を呼び、駆け出した。肩に乗るカモは「恩に着るぜ!」とタカミチにすれ違い様に呟いた。
 明日菜はタカミチに抱き抱えられた木乃香に気がつくと、胸を撫で下ろして駆け出した。月明かりだけが照らす夜道へと。

 遠くに見える光を確認し、全速力を出しながら、カモが腕輪から出したカードにカモが不思議な『F』に似た文字を描いたカードを明日菜のブレザーのポケットに仕舞いこんだ。
 その瞬間、心の中に突然カモの声が響いた。
『姉さん』
「な、なに!?」
 驚く明日菜に、カモは再び念話で話し掛けた。
『姉さん、これは念話ッス。心の中で話しかけてみて下さいッス。最初は慣れないでしょうが、この知恵のルーン『アンサズアス』のカードがあれば、いつでも念話が出来る筈ッス』
 カモの言葉に、口を閉じて頭の仲で『えっと、これでいいのかな? 何か胡散臭いな~』と考えた。
『完璧ッス。ちょっと、本音も流れてきてるッスけど――』
『へえ、ちゃんと話せるんだ。てか、ルーンって何?』
『ルーンとはルーン魔術やルーン魔術を行う為の24の文字の事ッス。大神オーディンが自らの“百発百中の槍“グングニルで己を刺し、北欧神話で世界樹とされるトネリコの木の枝で首を吊る事で、9日9夜の後に冥界に辿り着き手に入れた神々の創造した秘密の文字の事なんス』
『全然理解出来なかったわ!』
『あ、姉さん……。とりあえず魔法の力を持った文字って考えてくだせえ』
『最初からそう言いなさい!』
 折角丁寧に教えたのに、分からないと断言され、脱力しながら言ったカモの言葉に、憤慨した様に明日菜は怒鳴った。
『作戦はどっちにしろ姉貴がいなきゃ説明が二度手間になるッス! まずは姉貴と合流するッスよ!』
『でも、どうやって!?』
『こうするッス!』
 カモは叫ぶと同時に明日菜のブレザーに今度は別のルーンを描いたカードを差し込んだ。
『ちょいっと、魔力を消費し過ぎたんで、あんまり効果は続きやせんが『ウルズウル』力のルーンでさ。発動すれば数秒間だけなら人外染みた怪力が出せやす。これで何か投げれば多分こっからでもエヴァンジェリン達に届くはずッス! それで注意を引いてくだせい!』
 カモが言うと同時に、明日菜は自分の履いていた靴を脱いだ。
「んのらああああああ!!」
 凄まじい威力で靴が見事にエヴァンジェリンの後頭部に向かい、技かにエヴァンジェリンの外套を掠めていった。エヴァンジェリンが顔を明日菜とカモに向けると同時に、今度はもう片方の靴を脱いで投擲する。
 湖までの距離は数m程度だがエヴァンジェリンまでは直進距離でも数十mはある。だというのに、そんな距離など関係無いかの様に、見事な命中率で明日菜の靴はエヴァンジェリンの顔面にヒットした。
 何かを騒いでいる気もしたが、明日菜は頓着せずに桟橋を渡り、繋いであったアヒルボートを掴んだ。
「あれ……? 姉さん? 何する気ッスか? 乗るんじゃ無いんスか!? って、さすがにそんなの……ってうえええええええ!?」
 あまりの事に、念話も忘れてカモは絶叫していた。幾らなんでも馬鹿げている。ルーンのバックアップがあるにしても、ただの女子校生がやっていい事では無い。明日菜は、アヒルボートを持ち上げていたのだ。
「私の……友達に、何してんのよ~~~~!!」
 明日菜はキレていたのだ。そもそも、最初から限界に近い程怒りに燃えていたのだ。上空を見上げた時、ネギが誰かに捕まえられ、今にも殺されそうになっているのを見た。
 その瞬間、頭が沸騰するかの様に怒りで頭の中が一杯になったのだ。もはや、誰の言葉も届いていなかった。ネギの言葉もエヴァンジェリンの言葉も茶々丸の言葉もカモの言葉も。
 ただ、全身全霊の力を篭めて投げた。
「私の友達を離せ~~~~!!」

 そうして時間は現在に至る。ネギの何故来たのか、という問い掛けに明日菜は言った。
「何でって……友達が大変なんだから当然でしょ? カモに頼み込むの大変だったんだから」
 あっけらかんと、まるで当然の事を態々聞くなんて馬鹿じゃないの? とでも言うかのように明日菜は言った。この生死を掛けた場面に登場する理由にそれ以上の理由が必要なのか? そう、逆に問い掛ける様に。
 ネギは絶句すると、明日菜の言った言葉に違和感を覚えた。
「待ってください。カモ君も居るんですか!?」
 ネギが叫ぶと、明日菜のポケットから一匹のオコジョが顔を出した。カモは「チッス」と言いながら、自然な動作で明日菜の肩に登った。
「何で……?」
「姉貴?」
「何で明日菜さんを連れて来ちゃったの!?」
 ネギの怒りの篭った叫びに、カモは小さく嘆息した。
「仕方無かったんスよ」
「仕方なかったって……」
 カモの言葉に、ネギは絶句した。そんな言葉で片付けられる問題じゃないのに……。そう、ネギは怒りを篭めた視線をカモにぶつけると、明日菜がニヤリと笑いながら言った。
「私が頼んだって言ったでしょ? それに、あの困った不良少女の素行を正す為には、私の力は必要みたいだしね!」
 明日菜の言葉に、ネギは「え?」と首を傾げた。そして、カモはニヤリと唇の端を吊り上げて、邪悪な笑みを浮べた。
「倒しやすぜ。最強の魔法使い、エヴァンジェリン・A・K・マクダウェルを! 作戦がありやす!」
 そう、カモは言い放った。



[8211] 魔法生徒ネギま! [第一章・吸血鬼編] 第五話『仮契約(パクティオー)』
Name: 我武者羅◆cb6314d6 ID:87b1fc72
Date: 2010/06/07 00:01
魔法生徒ネギま! 第五話『仮契約(パクティオー)』


「おのれ……ナメおって!」
 エヴァンジェリンは腰まで伸びる金色のたっぷりとした美しい髪を夜風に靡かせ、サファイアの様に澄んだ青色の瞳に月明りを映し顔を怒りで引き攣らせていた。
 幻術が解けた事で服装はボンテージドレスからゴシックの愛らしい漆黒を基調としたドレスに変化していた。外套も縮み、消え去った部分はコウモリとなって少女の周囲を羽ばたいている。
「まあいい。元気な乙女の血は上質なワインにも劣らぬ素晴らしい味だ。神楽坂明日菜、お前の血もその身の一滴すら残さずに吸い尽くしてやろう!」
 爛々と獰猛な輝きを瞳に宿し、エヴァンジェリンは外套を翻した。殺害宣言を受けた明日菜はあまりの事に絶叫していた。
「ええええええええっ!?」
 絶叫する明日菜の前にネギは明日菜を庇う様に躍り出て、キッと頭上のエヴァンジェリンと、その傍らに傅く茶々丸を見上げながら右手に持つ、杖を向けた。
「貴女の目的は私の血の筈です! 明日菜さんには手を出さないで下さい!」
 ネギの言葉に、一番早く反応したのは敵対する少女達では無かった。最初に反応したのは、ネギが庇おうと背中に隠していた明日菜だった。その顔には面を喰らったような戸惑いの色が出ていた。彼女がココに居る理由。命を懸けたこの魔法使いの、魔法使いによる、魔法使いの為の舞台において完全に異質な、この異質な空間にまったくもってそぐわない明日菜という少女がここに居る理由は、目の前の小さな背で懸命に自分を護ろうとしている少し泣き虫で、なんだか目の離せない日本に来たばかりの居候で、大事な友達のネギという少女を助ける為だった。
 既に、一度の危機を救ったのだ。義理もキチンと返した筈なのだが、明日菜は帰るなどという選択肢が頭には端から無かった。ただ、愛しい男性が明日の朝に、誰も欠けずに、みんな元気に朝の出席を取ると言った言葉と目の前の少女をただ助けたいという思い。その二つだけが彼女の頭にはあった。その護りに来た筈の少女は、まるで自分を逃がす様に背で自分を上空の絶対的過ぎる強者から護っている。それが、明日菜には気に入らなかった。
「アンタ……何言ってる訳?」
 苛立ちを篭めた声に、ネギはそれでも動じる事無く顔も向けなかった。
「明日菜さんは日常に帰ってください! カモ君が何を言ったか分かりません。だけど、今ならまだ間に合います! コレは……私とエヴァンジェリンさんとの問題なんです」
 ネギの言葉に、明日菜は言葉を失くした。この生死を分けた状況下で未だそんな馬鹿げた事を口にするのかコイツは! と。
 明日菜の右肩には、チョコンと乗っかっているカモが辛そうに頭を伏せていた。
 雄の四季を通して魔法の力を持つオコジョ妖精と呼ばれる種族の彼の毛皮は真っ白なまま変る事は無い。だが、どうしてかその毛皮すらも青白く見えるのは月明りのせいだけなのだろうか? 初めての出会いから数年が経ち、姉貴と慕う少女の姿をした少年の性格など分かっていた。それでも、彼は懸けたのだ。彼が乗る神楽坂明日菜という少女の力に。頼ったのである、彼女の心の強さに。
 それでも、ネギの思いは変らなかった。只、その背中は同じ事を呟き続けていた。
『ニゲロ』――と。
 そのネギの思いは、頭上に浮かぶ魔女によって打ち砕かれた。
「そうはいかないな。人間風情が、私に手を出すなど断じて許さん! 私の力を見せ付けてくれるわ!」
 目を見開いたエヴァンジェリンは、その瞬間に両手から凄まじい冷気を纏った膨大な氷の魔力を集中し始めた。
「リク・ラク・ラ・ラック・ライラック来たれ氷精、大気に満ちよ。白夜の国の凍土と氷河を――」
「!?」
「な、何!?」
 あまりにも巫山戯た魔力の量と、その圧迫感に、ネギは言葉を失い呆然としてしまった。メルディアナでは、教師にすら見た事も無い量の魔力と聞いた事も無い氷の属性というネギが使う風と光と雷の属性とは違う強力な属性の魔法の呪文。だが、その詠唱の長さにネギは戦慄を隠せなかった。
「上級魔法!?」
 震えが走った。直後に死以外の未来を想像する事以外は出来なかった。傍らに立つ明日菜も、上空で魔力を練るエヴァンジェリンの掌から伸びる青白い閃光と、その閃光が集まり球体となっていく青白い光の球に、嫌でも気付かされた。
「あれが……魔法!」
「やばいぜ、本気でやばい!」
 明日菜の肩に乗るカモはその深い知識からエヴァンジェリンの紡ぐ呪文の意味を理解した。
「氷結系上位ランクスペルの広範囲魔法! 封印されててコレかよ……姉さん!」
 カモの必死な叫びに我に返った明日菜は、咄嗟にネギの腕を掴みあげた。上空のエヴァンジェリンはニヤリとほくそ笑み、真下の湖に魔力を叩き付ける様に放った。
「『凍る大地』!!」
「――――ッ!?」
 凄まじい魔力の篭められた氷の魔法球が湖に達した瞬間、その場を離脱しようと駆け出していた明日菜は首だけを向けて絶句した。引っ張られるネギも顔を引き攣らせ、カモは全力で叫んでいた。
「逃げろ、姉さん!!」
 一瞬にして、湖が一気に凍り始めたのだ。半径だけで100mはある湖は、巨大な氷の塊になってしまった。『凍る大地』が直撃した瞬間に跳ね上げられた波はそのままの状態で凍結され、まるで珊瑚礁の様に滅茶苦茶な形の柱や棘の様な状態で凍結してしまったのだ。
「なんて力……、湖が凍結するなんて!?」
 明日菜に引っ張られながら湖の凍結する様を見たネギは驚愕した。幾らなんでも無茶苦茶である。湖の広大な面積を全て一瞬にして凍結する魔法など、ネギは知らなかった。
 明日菜の肩に乗るカモはすぐに悟っていた。どうして、直接ネギや明日菜を狙わなかったのか、それは、走る明日菜達に向けても命中させるのは難しいからだろうと。
 真下の湖を凍結させたのは、次の攻撃の為なのだと。
「姉貴、すぐに次が来るッス! 姉さんを乗せて飛翔してくれ!」
「遅いな……、『氷爆』!」
 カモの叫びと同時に、エヴァンジェリンは右手を翳してニヤリと笑みを浮べた。ネギは、カモの叫びに条件反射の様に即座に行動に移っていた。杖を明日菜よりも先に投擲し、明日菜の脚が杖に追いつくと、杖に跨って明日菜の背中と膝の裏に腕を入れて抱き抱えた。
「うにゃ!?」
 明日菜は突然の事に驚いたが、ネギは即座に上空に飛翔した。その瞬間に、ネギ達の居た場所に爆発した湖の氷が降り注ぐ様に襲い掛かった。
 一発一発が大砲の様な威力を持つ、爆発によって鋭い刃となった無数の氷の包囲網をネギは全速力でギリギリに回避しながら脱出したが、どうしてか体が重く感じて、僅かに掠めた氷の弾丸の衝撃に、ネギは明日菜を庇う為に左肩を犠牲にしてしまった。
「アグ――――ッ」
 苦しげに呻きながら、エヴァンジェリンの放った『氷爆』によって巻き上げられた真っ白な氷煙に紛れて、ネギは一気にエヴァンジェリンから距離を離すと『氷爆』から逃れる為に何時の間にか湖の中心を目指している事に気がつき、思わず舌打ちをしてしまった。
「うぐっ!?」
 目の眩む様な激しい痛みを感じて、これ以上明日菜を抱えて飛行する事が出来ないと判断したネギは徐々に高度を下げて凍結されたまるで洞窟の様になっている波の影に隠れて息を潜めた。途端に、洞窟の入口で何かをしていたカモが念話を始めた。ネギは明日菜も反応した事に驚きながらもカモの話に心の耳を傾けた。
『姉貴、姉さん、これから作戦を言うッス。よく、聞いて下せい』
 カモの言葉に、ネギは目を見開いた。
『カモ君! まさか、本気で明日菜さんを巻き込む気なの!?』
 そのネギの言葉に最初に反応したのはカモではなく明日菜だった。
『アンタ、まだそんな事言う訳? 巫山戯んじゃないわよ! ここまで来て、アンタを見捨てる様な人間だって思ってるの!? この私を!』
 器用に心の声で怒鳴る明日菜の言葉に、ネギはそれでも逆に怒鳴り返した。
『明日菜さんは分かってません! 相手は最強の魔法使いなんですよ!?』
 ネギの怒鳴り声に、余計に頭に血を上らせた明日菜は青筋を浮べた。いつ爆発するかも分からない程感情を高ぶらせる明日菜だったが、カモが話しに割り込んできた。
『姉貴、本気でエヴァンジェリンに一人で勝てると思ってるんスか?』
 カモの言葉に、ネギは答えられなかった。湖を一瞬で凍結させる魔法使い。そんなのを相手に勝てるか? と聞かれて、勝てる! と断言出来る者が何人居るんだろうか? 答えの無いネギに、カモは小さく溜息を吐いた。
『姉貴、後で俺っちを殴ってくれて構わねえ。なんせ明日菜の姉さんを巻き込んだのは俺ッス。だけど、ここでエヴァンジェリンを倒さないと、姉貴が倒れた後は今度は姉さんが一人でエヴァンジェリンに挑む事になるんスよ?』
 カモの残酷な言葉に、ネギは今度こそ完全に言葉を失った。ただでさえ、死に戦な戦いだと言うのに、そこに負けてはいけないという言葉が付与されてしまったのだ。
 負けても、最悪な場合はネギの命を捧げればまだ他の人達は助かると思っていた。だが、そこに明日菜の生死が関ってきてしまったのだ。ネギは肩の痛みも忘れてあまりの衝撃に顔を歪めて涙を零した。ネギは、本来は未だ10歳の子供なのだ。なのに、死を心の底から体感し、挙句の果てに負ければ自分に優しくしてくれた明日菜が殺されるという状況に心が壊れそうな程だった。
 カモはそんなネギの様子を見ながら、小さく息を吸った。
「姉貴、それでも――」
 敢えて、見つかるかもしれないのに、カモは普通の言葉で声を掛けた。
「勝つんス。その為の策は練りやした。それに、姉さんの力は必ず俺達に勝利を齎してくれる筈ッスよ」
 カモの言葉に、ネギは思わず顔を上げていた。さっきも言っていた。ただの一般人である筈の明日菜の力が、どうしてこの絶望的な状況で勝利に結び付くのかが理解できなかった。
『そう言えばさ、まだ私も聞いてなかったんだけど、その私の力って何なの?』
 明日菜の質問に、カモは、よくぞ聞いてくれました! と胸を張った。
『姉さん……アンタは完全魔力無効化能力者だ』
 瞬間、空気が固まった。ネギは信じられないといった表情で明日菜を見て言葉の意味を探った。明日菜は、言葉の意味が理解出来ずに首を傾げたが、その言葉のニュアンスから自分がまるで異能の力を持つ者の様に言われた気がした。
『カモ君、魔力無効化能力者って……?』
 ネギはカモに問い掛けた。
『魔力無効化能力者。とんでもなく珍しい、数ある特定の家系や一族、流派にのみ存在する固有スキルの中でも更にレア中のレアスキルなんス。あらゆる自分が拒絶した魔法の力を無効化……つまりは破壊する事が出来るとんでも能力ッスよ』
 カモの言葉に、ネギは絶句して明日菜を目を見開いて見つめた。明日菜自身も、カモの説明に衝撃を受けていた。まだ、お前さんは魔法使いだ、とか言われる方がマシだと思った。
 レアな固有スキルの中でも更にレアな能力者。まるで、最近流行りのカードゲームの絶版したパックを偶然見つけたら、その中に入っていたのはそのパックで出る中で最高のレアカードだったと言う様な感じだ。
 カモは驚愕に固まってしまった二人を無視して説明を続けた。
『姉さんの能力の凄さは、無条件な無効化では無いって事なんスよ』
『どういう事?』
 明日菜はこれ以上まだ何かあるのか!? という様に顔を歪めた。ただでさえ、ファンタジーな状況についていくのがやっとだと言うのに、まさか自分自身がファンタジーの仲間だったなんて最高に最悪な冗談だ。
『姉さん、覚えてるッスか? 俺っちが魔法を染みこませた特製のチョークで書いたルーンのカードを。それに、姉さん自身が今も使ってる念話もルーンのカードによる物だと』
『え、ええ。さすがにそこまで馬鹿じゃないわよ!』
 ほんの数分前の事だったのだから。そう、たった数分前の出来事だったのだ。この日常から外れた異能の蔓延るファンタジーに出会ったのは――。
『そのルーンもまた魔法なんスよ。神の創造した24の文字を使ったドイツ発祥の魔法。ルーン魔術ッス。なのに、姉さんは無効化せずに今も使っている。つまり――』
『つまり?』
『姉さん、アンタの能力はアンタが拒絶した魔法だけを無効化するんスよ。それに――』
 呟くと、カモは明日菜の肩から降りて転がっている氷の欠片を掴んだ。
『コイツを握ってみてくだせい』
『え、うん……』
 カモに言われた通りに氷の欠片を握るが、冷たい感触があるだけで何も変化は起きない。
『姉さん、ソイツはエヴァンジェリンの魔法ッス』
『え? ……ってあれ!?』
 カモの言葉を聞いた途端に、氷の欠片は突然水になってしまい、明日菜の制服が僅かに濡れてしまった。その姿を見て、ネギは震える様に明日菜を見た。
『そんな事って……』
 呆然としたネギの呟きに、明日菜は首を傾げた。
『そう、姉さんはエヴァンジェリンの魔法はイコールで悪い魔法だと認識している。故に無意識にエヴァンジェリンの魔法を拒絶しているんス。そして、エヴァンジェリンの魔法をエヴァンジェリンの魔法だと認識したから、エヴァンジェリンの魔法によって凍結した湖の一部が水に戻った』
『え? でも、それならもうこの湖自体も水に戻っちゃうんじゃないの? 私が乗ってるんじゃ』
 カモの言葉に、明日菜は顔を青褪めさせた。こんな場所で氷が全て水に戻ってしまったら大惨事なんてもモノでは無い。真上にも分厚い氷があるのだ。
 仮に一瞬で全ての氷が水に戻ったとしても、かなりの重量の水が上から襲い掛かって来る事になる。それに、ここは湖の中心近くだ。泳いで渡るにしても、飛んで陸に向かうにしてもエヴァンジェリンに見つかる可能性は高いし、下手をしたら溺れてしまう。
『その心配は今の所は平気でさ。姉さん、とりあえずは姉さんの肌が氷に触れなきゃ大丈夫ッス。それに、これだけの広範囲だともう徐々に魔力が抜けてる筈ッスから、ただの氷になってる筈ッスよ。さっきの欠片は、未だ魔力が残ってたのを俺っちが確かめた奴だったから水に戻りやしたけど、氷の状態で安定すれば、魔力は徐々に抜けていくんス。ただの“自然現象”なら、姉さんの能力は無効ッスから。殆ど心配は無いッスよ。この洞窟内はもう完全に魔力が抜けたようだし』
 壁や天井を見渡しながら言うカモの言葉に、明日菜はホッと胸を撫で下ろした。試しに右手で氷の壁を撫でるが水に戻る事は無かった。
『カモ君、もしかして、ここに来る時に出た護るべき人達って』
 ネギは呆然と明日菜を見つめながら呟いた。あらゆる魔法の力を打ち消す存在。それは、魔法使いにとっては剣士以上の天敵だ。魔法が効かない以上はどうあっても肉弾戦しか出来ないのだから。
 魔法使いは魔法を使う者だ。肉弾戦が得意な者も居るが、殆どの魔法使いにとって、神楽坂明日菜という少女は恐怖の対象にすらなりかねない。つまり、狙われてもおかしくない存在という事だ。ネギは、メルディアナの卒業時に出た修行内容を思い出した。
 日本の女子校に潜入し、悪い組織に狙われている少女(複数)を影から護る事――。既に、影からも何も無い状況だが、この事態になってようやく自分がここですべき事が分かった。そして、エヴァンジェリンを救えと言ったタカミチの言葉。
『そういう事なんだ。私は、明日菜さんやエヴァンジェリンさんを護る為にこの学校に送られたんだ』
 ネギの言葉に、明日菜は『どういう事……?』と眉を顰めた。
『私は、魔法使いの学校を卒業しました。そして、卒業後の修行としてある指令が下ったんです』
『指令……?』
『ええ、悪い組織に狙われている少女達を影から護る事、それが私に下された指令でした。こんな状況になって、ようやく思い出しました。明日菜さんの魔力無効化能力、それに真祖の吸血鬼のエヴァンジェリンさん。二人共、狙われる理由がある』
『狙われる?』
 明日菜にはネギの言っている言葉の意味が理解出来なかった。普通の女子校生として過ごして、バイトをしたり、木乃香達と遊んだりしていた自分が、突然舞い込んだファンタジーに狙われているなど、冗談にしても悪質過ぎる。まるで、いきなり映画の中で悪漢に狙われている女性をドキドキして見ていたら、その役割が何時の間にか自分に摩り替わっていたような気分だ。
『ショックなのは分かりやす。後で姉さんには説明するッスよ。ここまで来た以上、もう姉さんはコッチの住人だ。嫌でも知って貰う事になるッス。変だと思ってたんだ。何でタカミチの野郎があんなにアッサリ姉さんを通したのか』
『えっ?』
『はい?』
 ネギと明日菜は同時に目を見開いた。
『つまり、学園長を含めたここの学園の連中は、端から姉さんを巻き込む気全開だったんスよ。多分、近衛の姓を持ってる木乃香の姉さんもだ。だから、姉貴を姉さん達の部屋に住まわせたんだ。影から護らせる気なんざ無かったんスよ! 最悪だが……最適な手段でもあるがな。自分で危機感持たない人間を護るなんざ、プロだって難しいんだ。元々、学園って言う護ってくれる存在が無きゃ、例えば、卒業したりして学園の外に出て行ったりしたら、魔法の事も知らない能力者や魔法使いの血縁者なんて外道の魔法使いにとっては最高の研究材料ッス。だから、危機感や魔法の世界について分からせる為に、嫌でも巻き込まれる状況を用意した。多分、姉貴がサウザンドマスターの血縁者である事なんかも、学園側が意図してエヴァンジェリンに漏らしたに違いねえ。多分、何かしらの保険があるんだろうが――』
 忌々しげな表情で語るカモの言葉に、ネギと明日菜は戦慄するのを隠せなかった。まるで、大きな存在の掌で踊らされている気分になった。
『姉貴、もう四の五の言う段階は過ぎたんス。始めやしょう、姉さんは巻き込まれるべくして巻き込まれた。もう、姉貴が一人で背負い込む必要は無いんス! どっちにしても、魔力完全無効化能力なんて魔法使いにとっては最悪な天敵なんだ、外にそのまま出て行ったら、殺されたり、バラバラに解体されたりするかもしれねえんス! 姉貴! もし、姉さんを大切に思うなら決断してくだせい! 姉さんと一緒に戦うと決意してくだせい! どっちにしろ、ここで負けたら姉貴も姉さんも殺されるんだ。なら、もう始めましょうや、一世一代の大勝負って奴を!』
 カモの言葉に震えが走った。
「殺される……? バラバラに解体される……? そんなの冗談じゃないわよ!」
 明日菜はキッと未だにごちゃごちゃと悩むネギの肩を掴んで目を合わせた。
「ネギ、私は戦う。アンタの為だけじゃない。カモの言う事って嘘じゃないんでしょ?」
「それは……」
 念話も使わずに明日菜は真正面からネギを見た。ネギは目を逸らそうとしたが、明日菜の視線がそれを許さなかった。
「なら、私を止める必要なんて無い。この戦い、私は私の為に戦うわ! だから、力を貸して頂戴、魔法使いさん?」
 毅然とした態度で、胸を張り、爛々と瞳を輝かせながら明日菜は言った。
 ネギは言葉が出なかった。本当ならば、明日菜をこんな事に巻き込みたくないという気持ちが強かった。だが、全ては手遅れだった。カモの言葉通りなら、いつかは明日菜はコチラの世界に来る。護るという事は生易しいものじゃない。後回しにしていいものじゃない。今ここで、明日菜をコチラの世界に迎える事が正しいのか正しくないのか、ネギには最早分からなかった。それでも、これだけは言える。
「私が目指すのは『立派な魔法使い(マギステル・マギ)』。いつかは辿り着かないといけない人を護れる存在に、今この場で……。明日菜さん!」
 ネギは顔を真っ直ぐに明日菜に向けた。その顔に、最早迷いは無かった。ここまで来て漸く、本当の意味での覚悟が決まったのだ。巻き込んで、一緒に戦って、護ると言う覚悟を。
「私に、力を貸してください!」
 ネギの叫びが木霊する。だが、それが外でネギ達を探すエヴァンジェリン達に聞こえる事は無かった。ここに忍び込んだ時点で、カモは気配遮断と音声遮断の結界を張っていたのだ。
 ネギの真っ直ぐな目を見返して、明日菜はニッと笑みを浮べた。
「当然よ。その言葉、待ってたわ! さあ、カモ! 作戦を教えなさい!」
 明日菜の言葉に、カモはニッと笑みを浮べて「ガッテン!」と叫んだ。
「そう言えば……、さっきまで念話してたのに今は普通に喋ってるけど、いいの?」
 明日菜が心配そうにカモに聞くと、カモは無用な心配だと指を振った。
「最初は氷の壁とかに未だエヴァンジェリンの魔力が残ってたから、話し声が微妙に届いちまう可能性を考慮にいれてたんスけど、今は最初に張った結界で声が外に漏れる心配は無くなってるッスから」
「そうなんだ」
 手際の良いオコジョに、明日菜はちょっとだけ複雑な思いだった。
「にしても、あんなに可愛いと思って抱っこしてたオコジョがこんな性格だとは……」
 ガックリする明日菜に、ついネギはクスリと笑ってしまった。それを見て、明日菜は安心した様に笑みを浮べた。
「ようやく笑ったか。アンタは可愛いんだから、何時も笑顔の方が良いわ! 辛気臭い顔なんて似合わないもの」
 フッと笑いながら明日菜は目を細めてネギの頭を撫でた。
「やるわよ、ネギ?」
「はい!」
 頭に乗せられた自分よりも少し大きな優しい手に、ネギは目を薄っすらと閉じて嬉しそうに答えた。まるで、ネカネの様な優しい手に、ネギは強張っていた体の緊張が解れていくのを感じて胸の中が温かくなっていった。
「そんじゃ、作戦を言いますぜ? ……っとその前に」
 ドキドキしながら聞く体勢に入っていたネギと明日菜はズッコケてしまった。
「何なのよ一体!?」
 鼻を少し擦り剥いてしまった明日菜は涙目で怒鳴った。
 ネギも少しおでこを押えているが、カモは頓着せずにネギに体を向けた。
「姉貴、聞きたい事があるんスけど」
「聞きたい事?」
「ええ、あの翠の髪の女ッスよ。まさかとは思うんスけど、ありゃあ……」
 カモの言いたい事を即座に理解したネギは小さく頷いた。
「従者だって言ってた。確か、出席番号10番の私と同じクラスの絡繰茶々丸さんだって」
「茶々丸さん!?」
 ネギの発した言葉に、明日菜は目を見開いて驚愕した。明日菜はエヴァンジェリンばかりを見ていたので、茶々丸の存在に気付けなかったのだ。ほぼ毎日の様に顔を合わせ、何度か公園で猫の世話をしているのを木乃香や和美と見て手伝いをした事もある、明日菜の知る限りではとても心優しい少女の筈だ。その茶々丸がエヴァンジェリンの仲間だというのが信じられなかった。
「まさか、茶々丸さん、操られてるんじゃ?」
 明日菜は顔を青褪めさせた。まさか、操られているだけの人を攻撃する事など出来る筈が無い。明日菜の不安そうな表情を見て、カモは首を振った。
「それは無いッスね。従者っつうのは、魔法使いなら必ず一人は居る魔法使いを守護する役目を持つ者の事ッス。互いに同意した者同士で無ければ、例え魔法陣を使っても契約の精霊は契約を許可しないんスよ。間違いなく、その絡繰茶々丸ってのはエヴァンジェリンの仲間ッスよ」
 カモの言葉に、それでも明日菜は信じられなかった。
「でも、茶々丸さんは凄く優しい人なのよ? 公園で猫に餌をあげてたり、迷子の子を日が暮れるまで探し回ったり、風船が木に引っ掛かって泣いている女の子の為に風船を取ってあげたり、川に流されていたダンボールに入った子犬を川の中に入って助けに行ったりして……」
 聞いていると本当に心の底から並みの人間よりも善人な様だった。なんでよりにもよってエヴァンジェリンの従者なんてしてるんだ? とカモは本気で悩んだ。
「きっと、茶々丸さんにとってはエヴァンジェリンさんは大切な友達なんだよ」
 カモの思いに気がつき、そんな事は大した事じゃないとネギは言った。
「もう迷わない。全力で立ち向かって、勝って、ちゃんと話しをするんだ!」
 毅然として言い放つネギに、明日菜とカモは目を見張った。
「ネギ……」
「姉貴……」
 カモと明日菜は顔を見合わせると、お互いにニッと笑い合った。
「なら私達も!」
「負けてらんないッスね!」
 カモと明日菜の言葉に、ネギは全身に力が漲っていくのを感じた。魔力を産むのは精神の力であり、操るのも心である。心が強ければ魔法は正しく力を貸してくれる。心が弱ければ、魔法は暴走して術者自身を傷つける。
 今、心強い仲間を得たネギの心は燃え盛る炎の様に熱くなっていた。体中に魔力が浸透し、さっきまで感じていた重みが消えているのに気がついた。左肩は上がらず、左手も震えて熱を発していたが、無理矢理拳を握り締めた。
「そう言えばさ」
 突然、明日菜が口を開いた。
「なんスか、姉さん?」
 一刻も早く作戦を説明したいカモは若干苛立ちながら聞くと「うっ」と明日菜は少し呻いた。
「いや、従者って結局なんなのかなって。なんか、魔法使い用語って感じだし」
 明日菜が首を傾げながら聞くと、カモとネギの動きが止まった。
「いや、その……」
 カモは目線を逸らす様に体を背けた。
 ネギも顔を赤くして視線を泳がせている。
「え、何? その反応、何なの!?」
 予想外の反応に明日菜は戸惑った。まるで、幼子が無邪気に大人に「子供ってどうやって出来るの?」と聞いてしまった時の大人達の何とも言い辛そうな困った顔を思い出させる。
 ああ、そう言えば昔高畑先生に委員長の馬鹿と一緒に聴きに行ったわね~。あの時の恥らう高畑先生の顔は私の心のアルバムにしっかり焼きついてますよ先生! そんな、関係無い事を考えながら、顔を赤らめるネギに、明日菜はカモに顔を向けて頬を赤く染めながら聞いた。
「えっと、何? エッチな事なの?」
「ブハッ!!」
 カモは噴出してしまった。年頃の女の子にエッチと言う単語を使われ、鳥肌が立つ様な背中に氷を押し付けられた様ななんとも奇妙な感覚を覚えた。
「いや、別にその……エ、エッチって訳……いや、日本人的な感覚だとエッチなのか? でも、アッチだと挨拶でもたまに……」
 何とも言い難そうなカモの様子に、明日菜は冷や汗を掻いた。
「えっと……? 結局、どういう事なの?」
 明日菜は改めて質問すると、カモは溜息を吐いて明日菜に体を向けた。
「仕方ありやせんね。まあ、そんなに難しい事じゃないんスよ。さっきもいいやしたが、要は魔法使いを守護する者。それが従者ッス。まあ、パートナーとも呼ぶんスけど、魔法使いってのは詠唱中に隙がどうしても出来ちまうんス。そん時に、魔法使いを護るってのが、従者の役割なんスよ。従者になると、魔法使いから魔力を分けてもらって従者はパワーアップしたり、念話や召喚なんかも魔法使い側から出来る。ついでに、一人につき一個ないし複数の特別な装備が契約の精霊によって、その従者に見合ったもんを割り振るんス。基本的には仮契約つって、本契約のお試し版があって。それでもそれだけの効果があって、本契約とは違って魔法使いの容量に関係無く複数の従者と契約出来るんス」
 カモが長々と説明すると明日菜は首を捻った。
「なら、本契約より仮契約の方がいいんじゃない?」
 もっともな明日菜の意見に、まるで優秀な教え子に教える様な教師の様にカモは微笑んだ。
「実際的に能力に違いはそんなに無いッス。それに、強力な魔法使い。まあ、英雄クラスのもんでも、結局本契約は交わさない人間もいやす。姉貴の親父のサウザンドマスターとまで謳われた英雄、ナギ・スプリングフィールドも一説では異性を惹きつける一種のカリスマ性で1000人の女性と仮契約を結んだとかなんとか。ま、それは幾らなんでも嘘でしょうが、そんなに本契約自体にこだわる魔法使いは少ないッス。それでも、恋人同士で契約を交わす場合は本契約で、その相手だけを従者に選ぶって事もあるんスよ」
「ネ、ネギのお父さんってそんなに凄かったんだ」
 明日菜が視線を向けると、ネギは今度は別の意味で恥しそうにしていた。
「ええ、サウザンドマスターは姉貴が子供の頃に行方を眩ます以前は、本国の英雄とまで謳われてたんス」
「本国の……?」
「ええっと、さすがにもうあんまり話してる時間は無さそうッスね。エヴァンジェリンの野郎……」
 突然、遠くから地響きが聞こえ、カモは焦った様に舌打した。
「え、何!? どうしたの!?」
 明日菜はキョロキョロと辺りを見渡しながら叫んだ。
「どうやら、見つからないのに腹が立って湖全体を攻撃し始めたようッス。さすがに長々と話し過ぎたッスね。急いで作戦を伝えるッス!」
 カモの言葉に、ネギと明日菜は頷いてカモに近寄った。
 カモが作戦を伝え終わると、明日菜は冷や汗を流した。
「準備がいいのね……。アンタって、本当にオコジョ? 何か怪しいわね……」
 カモの作戦を聞いて明日菜は胡散臭そうにカモを見た。
「馬鹿言っちゃいけやせんぜ? 俺っちには妹も居るれっきとした由緒正しきケット・シー……ああ、猫の妖精の事ッス。ソレにも負けないくらいのオコジョ妖精なんス」
 胸を張るカモに、オコジョにはオコジョなりのプライドがあるのかな? と思いながら明日菜はネギに顔を向けた。
「ねえ、少しでも作戦を成功させる為に手札は多い方がいいのよね?」
 明日菜が少し顔を赤らめながら言うと、カモは「ええまあ」と首を傾げた。
 外からの地響きは徐々に近づいてきている。壁や天井にも亀裂が走り、いつ崩れてもおかしくない状況だった。一刻も早く作戦を実行したいカモは明日菜が何を思っているのかを分からなかった。
 明日菜は息を静かに吸うと、真っ直ぐにネギを見た。
「なら、私をアンタの従者にして」
「え……?」
 一瞬、明日菜が何を言ったのか分からなかった。理解すると同時に、ネギは頬を染め上げた。
「ええええええええ!? で、でも!」
 俯きながら上目遣いで見上げてくるネギに、明日菜は言い知れぬ感覚を覚えた。必死に自制心を働かせて心を落ち着ける明日菜に対して、ネギは助けを求めるようにカモに顔を向けた。
 カモは、少し考える様に目を瞑ると、決心した様に頷いた。
「分かりやした。姉さんがいいってんなら、姉貴! ここは、作戦の成功率を上げる為ッス」
 どこか迫力のあるカモの言葉に、ネギは戸惑いながらも頷いた。
 既に壁や天井の亀裂は大きくなっていて、迷っている時間が無かったのだ。少しでも生還率を上げられるならそれにこした事は無い。急いでカモは、殆ど作戦の準備の為に使ってしまい、残り僅かになってしまった魔力を染み込ませてあるチョークで円を描いた。
 魔法陣とは、基本的に円の事を指す。そこに、追加して五芒星や六芒星を描く事で魔法陣の方向付けをするのだ。魔法陣の円の中によく描かれる六芒星はダビデの星と呼ばれ、基本的にはユダヤ教の象徴だ。ベースとなる円に追加効果を加える物で、ソロモンやダビデの星などを重ねて描く。円の外周に力を借りたいと願う天使や悪魔、精霊や星々、星座などの名を書き、この際に使う文字は使いたい魔法に必要な力によって変る。簡単な魔法ならば英語だって構わないし、陰陽道と合わせて漢字を使う場合まであるのだ。更に、それを円で囲いその外周に借り受けた力をどう使うかを示す。そして更に円でその外周を再び囲う事で、魔法陣の力の方向を内側に向ける事が出来る。
 カモは、最初に円の中心に主と従者を象徴する大きな三日月と小さな星を描く。それを六芒星で囲い、更にもう一度六芒星で囲った。円の外周には契約の精霊に力を借り受けるために黄道十二星座の紋章を一つ一つ区切りながら書き、格子のように間に線を引く。その回りに二重に円を描く。円周にラテン語で仮契約の意思を書き記すと、魔法陣全体が輝きだした。
 丁度、カモのチョークも使い切ってしまっていた。壁は崩れ始め、天井から氷が降り始めてきた。
「それで、この後どうするの?」
 明日菜は戸惑いながら聞いた。結局、具体的にどうすればいいのかは聞いていなかったからだ。カモは崩れだした壁や天井に焦り「キスして下せえ!」と叫んだ。カモの叫びに、つい明日菜は「はい!?」と叫び返してしまった。従者とは恋人の様なもの。だから、ネギが恥しがっているんだと思っていたのだ。ネギを見れば、カモの言葉が嘘ではないと分かる。土壇場に来て一瞬迷ったが、明日菜は「ええ~~い!」と叫ぶと、魔法陣の中に入りネギの肩を掴んだ。
「い、いくわよ、ネギ!」
「は、はい」
 顔を赤くして、若干目を潤めているネギに、明日菜は若干の罪悪感を感じた。自分は既に木乃香とファーストキスを済ませているが、ネギはもしかしたらこれがファーストキスなのかもしれない。そう考えると、明日菜は少し躊躇した。
「もしかして、ファーストキス?」
「…………」
 答えずに俯くネギに、明日菜はあちゃ~っ、と頭を押えるとネギの耳元で囁いた。
「これ、カウントに入れなくていいからね」
 そう言って、自分の唇をネギの唇に合わせた。その瞬間、魔法陣は一気に光を放ち、ネギと明日菜、二人の胸の前に出現した黄道十二星座の紋章が描かれた円と円の間の部分だけの魔法陣が出現し、ネギは顔を赤くしたまま自分の魔法陣に手を差し入れた。そのまま、明日菜の魔法陣に手を伸ばすと、ナニカを掴む事が出来た。
「仮契約成立――、パートナー神楽坂明日菜! 我に示せ、秘められし力を! 契約発動!」
 瞬間、光は更に増して洞窟の外にまで漏れ出した。



[8211] 魔法生徒ネギま! [第一章・吸血鬼編] 第六話『激突する想い』
Name: 我武者羅◆cb6314d6 ID:87b1fc72
Date: 2010/06/07 00:02
魔法生徒ネギま! 第六話『激突する想い』


「あいつら、どこに隠れたのだ?」
 エヴァンジェリンは見失ったネギと明日菜を探し回り、苛立ちを堪え切れなかった。茶々丸のセンサーも結界が張られてしまうと意味を成さない。
 あの二人の性格から逃げたとは考え難かった。エヴァンジェリンは舌打ちをすると『氷爆』を放った。ただ探すよりも、氷を爆発させる『氷爆』を使えば生き埋めに出来る可能性は高いし、燻り出す事も出来るかもしれないと判断したのだ。『凍る大地』に加え、連続した『氷爆』に、さすがのエヴァンジェリンも疲れが見えて舌打ちをした。
 茶々丸も自分の特殊な兵装を使い氷原を破壊し続けている。エヴァンジェリンは、茶々丸が最初に絶対に誰もいない事を目視で確認している事に気がついたが敢えて何も言わなかった。態々茶々丸に手を汚させる事も無いだろうと無意識に考えながら作業を続ける。無意識のその想いがどういうモノなのか、エヴァンジェリンは分かっていなかった。
 氷原の殆どが破壊しつくされ、エヴァンジェリンが残る場所に目を向けると、突然凄まじい光が溢れかえった。
「契約の光か!?」
 舌打ちをすると、エヴァンジェリンは『氷爆』を放ったが、爆心地には誰も居なかった。
「どこにっ!?」
 苛立ちからか、加減を間違えて立ち上がった氷煙を無詠唱の闇の魔法で薙ぎ払う。そこに、身の丈に似合わない長過ぎる程の長さを誇る杖を構えるネギ・スプリングフィールドと、ネギを護る様に前に立ち、不思議な形の鎧を着て、白金の輝きを放つ片刃の大剣を担ぐ神楽坂明日菜の姿があった。
 白金の輝きを放つ大剣の銘は『ハマノツルギ』。神楽坂明日菜の仮契約によって契約の精霊が割り振ったアーティファクトだ。刀身は五尺余り、幅は六寸程度の片刃の、だが太刀と呼ぶにはあまりにも無骨な斬るに適さない刀身。まるで、切り裂くのではなく叩き切る為の西洋剣を半分にした様な形だ。無理矢理、剣として扱える様に引き伸ばされた包丁――――それがハマノツルギだった。
 柄の底には白銀の縁取りのある先の三角になっている装飾があり、持ち手を護る為か、刀身から僅かに手を護る様に穴の空いた刀身の一部が伸びている。柄の底から伸びた装飾品の先にはまるで短冊の様な物が繋がっていた。そこには、明日菜が見た事も無ければ、読む事も不可能な文字が描かれている。
 明日菜の鎧は、ほど良い大きさの胸元を強調する様な臍回りが剥き出しになっている中世の補正下着の様な服を基調に両腕と肩と首だけに繋がっている。背中も補正下着の様な服と少し離れていて剥き出しになっているゴシックドレスの様な肩の広い上着があり、両腕には白銀の手甲があり、左肩には手甲と同じ白銀の肩鎧が装着されている。スカートを覆う様に何故か麻帆良の校章付きの簾の様な前と両サイドが離れているオーバースカートにはウエスタンベルトの様にリボンが巻き付けられている。両足も白銀の金属では無い不思議な材質の脚鎧が装着されている。左脚の方は短いが、右脚の脚鎧は膝まで伸びている。
 最早迷い無くエヴァンジェリンを見つめるネギの姿に、エヴァンジェリンは眉を顰めた。先程とはまるで別人の様に澄んだ魔力がネギから溢れる様に立ち上り、明日菜の体もネギから供給される魔力によって覆われている。
「なんか、ちょっとくすぐったいわね」
 むず痒そうに、顔を少し赤らめて明日菜は苦笑いした。ネギはそんな明日菜にクスリと笑みを浮べると、魔力を杖に集中させながらカモの作戦を反復していた。『まずは、俺っちの用意が終わるまで、お二人にはエヴァンジェリンと茶々丸の注意を引き付けてもらいやす。なあに、倒すんじゃない。ただ引き付けるだけでいい。他に仲間なんて居ないと理解してる筈だからな、それを逆手にとるんでさ』そう言って、カモはネギのブレザーのポケットに明日菜に持たせて持って来たUFOキャッチャーで取ったオコジョのヌイグルミを押し込んだ。
 オコジョ妖精の魔力は人間や吸血鬼とは全くの異質で、例えエヴァンジェリンでも見分ける事は出来ない。カモは、ネギのポケットにオコジョが居るとだけアピールさせる為に持ってこさせていたのだ。その間、カモ自身が何をしていても気付かれない様に。
 それこそが、態々明日菜のポケットの中に隠れたりもせずに堂々と肩の上に乗って、オーバーなリアクションを取っていた理由だった。少なからず、カモという存在をアピールする為に。
 既に、カモの存在はバレている。それを利用して、今回もカモを連れて来ている。つまりは、途中からカモが乱入してくる事が無いと思わせる為の行動だったのだ。ネギと明日菜はアイコンタクトを取ると、即座に後ろを向いた。
「何!?」
 予想外の行動に、エヴァンジェリンは慌てて魔力を集中した。正面から来るだろうと思っていたから、まさかいきなり逃げ出すとは思っていなかったのだ。
「追え、茶々丸!」
「ハイ、マスター!」
 エヴァンジェリンは即座に茶々丸に指示を飛ばすと詠唱を始めた。同時に、ネギも詠唱を始め、アスナは迫る茶々丸に白金に輝く大剣“ハマノツルギ”を振るった。
 ガキンッ! という甲高い金属音が響いた。
「やりますね、素人でこの反応とは……お見事です」
 淡々とした口調で賞賛する茶々丸を、キッと睨み付けた。本当なら戦いたくなんて無かった。だけど、負ける訳にはいかない。
 明日菜は声を張り上げて心を昂らせた。
「うあああああああああ!!」
 ネギの魔力のバックアップの恩恵を受けた明日菜の速度と力は、元々並みの女子校生のレベルを遥かに越えていたというのに、更に上がっていた。ネギからは離れ、茶々丸を出来る限り引き剥がす。
 茶々丸が魔法を使える従者だった場合を考えて肉弾戦に向いていないネギから茶々丸を魔法の効かない肉弾戦の得意な明日菜が引き剥がすのが作戦の第一段階だった。
 遠くを見ると、氷と風の魔法が激突して氷が吹雪のように凄まじい勢いで舞っている。
 ネギは『サギタ・マギカ、連弾・風の17矢』を、エヴァンジェリンの『サギタ・マギカ、連弾・氷の17矢』で相殺された瞬間に、別の魔法の詠唱を始めた。
「ラス・テル マ・スキル マギステル! 風の精霊17人、集い来たりて、敵を裂け! サギタ・マギカ、雷の17矢!」
 ネギの杖から雷の属性の金色の光が17本の矢となってエヴァンジェリンに迫る。
「無駄だ、『氷爆』!」
「――――ッ!」
 その時、ネギは見た。エヴァンジェリンが呪文を放つ時にどこからか取り出した不思議な色のビーカーを投げるのを。普通、魔法薬を使うのは余程の初心者か、それとも……魔力が足りない者だ。よく考えれば当然だった。長話のおかげでエヴァンジェリンは無駄に魔力を消費し続けていたのだ。もう、魔法薬に頼らないといけない状態なのだ。
 別に倒せると思った訳では無い。ただ、時間を稼ぐだけならば、微かだった可能性が大きく膨れ上がった。魔法薬のストックの量は分からないにしても、もう『凍る大地』レベルの魔法は連発出来ない筈だと踏んだ。

 一方、遠くのネギ達の戦いを見ながら、明日菜は茶々丸の右手の甲から伸びたアームソードを凌いでいた。何度も斬り合う内に嫌でも気がつく。茶々丸に明日菜を傷つける気は無いと。
「うらあっ!」
 左から右に大きく切り払い、茶々丸から距離を取ると同時に再び近づく。少しでも攻撃を加えたら迷わず逃げろ。それが、カモからの明日菜が厳守すべき注意事項だった。『勝つ必要が無い上に、エヴァンジェリンの従者なんだから只者って事は絶対にありえねえんス。下手に押してるからって斬りかかれば、その時点で終了ッス。どんなに優勢になっても、攻め込む事だけはしないでくだせえ!』それがカモの言葉だった。
 逃げ過ぎてネギの元に向かわれては本末転倒だ。攻め過ぎず、逃げ過ぎずのギリギリの戦いを明日菜は見事に成し遂げていた。茶々丸は内心で舌を巻いていた。
 これほどの力がありながら本当に素人なのですか、明日菜さん!? 茶々丸自身も、明日菜と同様に戦いたい訳では無かった。
 どうして明日菜がココに来てしまったんだろう、と茶々丸は苦い思いだった。見逃す事は出来ないし、この女性(ヒト)は絶対に逃げないだろう。重い筈の大剣を軽々と振り回しながら、自分に襲い掛かっては直ぐに後退する明日菜の戦闘法は、自分を主の下に向かわせない為だろうと、茶々丸はすぐに気がついていた。それでも、目の前の少女の巧みなタイミングでの攻撃に離脱するのは容易い事では無かった。
 チラリと主と未だ話しすらした事の無いクラスメイトの少女の戦いに目を向けた。右手のアームソードで明日菜の怒涛の攻撃を躱しながら。
「あの公園はっ!」
 エヴァンジェリンとネギの戦う場所は、湖のすぐ傍の『麻帆良湖公園』だった。
 一瞬気が逸れた茶々丸はすぐにハッとなり明日菜を見た。茶々丸は目を見開いた。明日菜もまた、ネギとエヴァンジェリンの魔法を放とうとしている姿を見て絶句していた。
「茶々丸さん、ごめん! ちょっと、休戦させて!」
 そのまま、明日菜は走り出していた。その場所は、茶々丸がいつも猫達に餌を上げる場所であり、今も一匹の捨て猫が取り残されている筈だったのだ。明日菜も木乃香と時々茶々丸の手伝いをしていて知っていたのだ。その猫の存在を。その姿を見て、茶々丸も無意識の内に駆け出していた。明日菜を越える速度で、明日菜を……公園の入口前で横に軽く押して草叢がクッションになる様に転ばせた。

 舞台を麻帆良湖公園に移したネギとエヴァンジェリンは魔法を放ち合っていた。
「ハハハ、中々やるではないか! リク・ラク・ラ・ラック・ライラック! 闇の精霊29柱――」
「クッ! ラス・テル マ・スキル マギステル! 光の精霊29柱、集い来たりて敵を射て!」
 ほぼ同時に同じ量の魔力を練り上げる。
「サギタ・マギカ、連弾・闇の29矢!」
 一瞬先にエヴァンジェリンが詠唱を完了させて29本の漆黒の矢がネギを目掛けて降り注ぐ。ネギは杖を振り回す様に「サギタ・マギカ、連弾・光の29矢!」と唱えた。ネギの正面に光のサギタ・マギカが壁の様に発生し、エヴァンジェリンの魔法をギリギリで受け流した。
「ハハハハ! 辛うじて防いだか! いいぞ、それでこそ奴の――ッ茶々丸!?」
「え、茶々丸さん!?」
 高笑いをしていたエヴァンジェリンが突然目を見開き、ネギはその視線の先を追った。そこには、明日菜と遠くで戦っていた筈の茶々丸が蹲る様にして倒れていた。体中からはバチバチと火花が飛び出している。
 まるで工事現場で鉄を切っている様な凄まじい光だった。焦げ臭い香りに、一瞬ネギは肉の焼ける臭いかと思い顔を青褪めさせた。
「何故、何故だ……茶々丸?」
 エヴァンジェリンは戸惑いを隠し切れていなかった。突然、ボロボロの姿で出現した茶々丸に理解が追いつかなかった。ネギも同じく戸惑いながら茶々丸を見つめた。
「え?」
「何!?」
 茶々丸の腕の中から猫の鳴き声が聞こえた。
「茶々丸さん!」
 呆然としているネギとエヴァンジェリンを尻目に、走ってきた明日菜は茶々丸の元に行き息を呑んだ。
「茶々丸さん……」
 茶々丸が苦しげな表情を浮べながら起き上がると、その胸には一匹の小さな子猫が茶々丸によって抱かれていた。明日菜は心底安堵した表情を浮べた後、心配そうに茶々丸を見つめた。
「明日菜さん?」
 ネギがその背中に問い掛けると、明日菜は小さく溜息を吐いた。
「ここね、茶々丸さんがいつも猫達に餌をあげてる場所なんだ」
 淡々と、怒りも悲しみも何も感じさせない口調で明日菜は語り続けた。茶々丸が居るせいか、エヴァンジェリンも攻撃を躊躇っている。
「ネギ、茶々丸さんはやっぱり優しいや。だって、私の事突き飛ばして自分がコッチに行っちゃうんだもん。毎日、餌をあげて面倒をみてあげてるのよ。この捨て猫の……」
 明日菜は立ち上がると、茶々丸の手から子猫を預かった。そのまま、子猫を公園の外に向けて降ろすと、近寄ろうとする子猫に向けてハマノツルギを目の前に突き立てた。
「行きなさい!」
 怒鳴る様に叫ぶと、子猫は驚いた様に身を縮めて公園の外へと逃げて行ってしまった。その様子を眺めている茶々丸に気がつくと、明日菜はニッコリと笑みを浮べた。
「大丈夫、きっと戻ってくる。最初ね、木乃香が居なくなって不安だった」
「?」
 突然の言葉に、エヴァンジェリンは浮遊したまま眉を顰めた。
「ネギを虐めるエヴァンジェリンにムカついたし、私が狙われて殺されるなんて冗談じゃないって思った。でもね――」
 ジロリと、それこそ尋常ではない気迫を放ち、明日菜はエヴァンジェリンを見た。
「どうでもよくなっちゃった。何で茶々丸さんと戦わなきゃいけないんだ! って……迷いももうどうでもいい」
 明日菜は問い掛ける様な口調で言った。
「ねえ、エヴァちゃん、どうしてこうなってんだろうね? きっと、楽しかった筈だよ? エヴァちゃんも一緒にネギとお友達になって、いつも皆と馬鹿やって。こんな風に、殺し合いなんて馬鹿な事しなきゃ、茶々丸さんだって傷つかなかった。子猫だって怖い思いをさせずに済んだ。ネギのお父さんがエヴァちゃんに何したのか何て私は知らない。それでもね? これだけは言えるの。もう馬鹿げた悪夢はココでお終いにする」
 明日菜の言葉に、エヴァンジェリンは唇の端を吊り上げた。笑みを浮かべ、それでも瞳には僅かな動揺が走っていた。
「馬鹿な事を……。私に勝てるつもりなのか? この、闇の福音と謳われた、この私に!」
 忌々しげに殺意の篭った視線を向けるエヴァンジェリンに、それでも明日菜はジッと見つめるだけだった。バチンッ! と突然何かが外れる音がした。
「え、茶々丸さん!?」
 ネギは明日菜から目を逸らして茶々丸を見た。ネギの視線の先には、左腕が肩ごと落ちた茶々丸の姿があった。ネギは驚愕した。茶々丸の傷跡にあるべき物が無く、代わりに無い筈の物がある事に。血も肉も無い。そこにあるのは、暗闇に光る青白い光や赤い閃光。それに何本もの千切れたコードや金属だった。
「嘘……っ! 茶々丸さん、ロボット?」
 呆気に取られた様に明日菜は叫んだ。茶々丸の服からはみ出した顔も手も太腿も、どう見ても人間の少女にしか見えない。なのに、その少女にはある筈の無い無骨な金属パーツが見えたのだ。体中からは絶えず火花が散り、鈍い動きで立ち上がる。
「駄目です、茶々丸さん! そんな状態で動いたら!」
 ネギが慌てて叫ぶが、茶々丸はエヴァンジェリンに顔を向けた。その刹那の間に、ネギは一瞬だけ茶々丸が微笑んだ様な気がした。目を見開くネギを尻目に、茶々丸はエヴァンジェリンに頭を下げた。
「申し訳ありません、マスター。猫が危険だった物で……」
 言い訳もせずにただ事実を報告する茶々丸に、エヴァンジェリンは鼻を鳴らした。
「くだらない情に流されおって、やはり科学とは当てに出来んな。余計な感情など、私の従者には不要だというのに……」
 エヴァンジェリンのあまりの物言いに、明日菜は怒気を放った。
「何ですって?」
 大声では無かったが、ネギはその声に心臓を鷲掴みにされた様な感覚を覚えた。エヴァンジェリンはそんな明日菜の姿に目を細めると、下らなそうに鼻を鳴らした。
「何を激昂しているのだ? 茶々丸は魔法と科学で生み出されたガイノイドだ。壊れても幾らでも修理できる。第一、機械に情などあっても仕方あるまい」
 エヴァンジェリンは冷たい口調で言い放った。
「何で、何でそんな事言うんですか! 茶々丸さんは貴女の、エヴァンジェリンさんのお友達なんでしょう!?」
 顔を歪めて叫ぶネギに、エヴァンジェリンは憎悪を孕んだ顔で睨み付けた。
「友達? フンッ、笑わせるな! 私はお前の父親サウザンドマスターに囚われの魔法をかけられて以来15年間……いや、10歳の時に吸血鬼にされ、成長が止まったその時以来、ず―っと一人だよ! 友達などいるものか!!」
 まるで、感情が爆発した様だった。ハァハァと息を乱し、ゆっくりと整えるとエヴァンジェリンはニヤッと笑みを浮べた。
「言うなれば、茶々丸は私の下僕だ!」
「違うわよ! 茶々丸さんは私達や……アンタのクラスメイトよ!」
「どうして、そんな悲しい事を言うんですか!? 友達を……下僕だなんて!」
 エヴァンジェリンの言葉に、明日菜は歯をギシギシと軋ませて叫んだ。ネギは、涙をその両目に浮かべ、心に燻った思いを吐き出した。
「明日菜さん、ネギさん……」
 茶々丸は、そんな二人を少しだけ目を見開きながら見つめた。
「自由を……、自由を謳歌出来る貴様等に何が……何が分かる!! 永遠の生き地獄を宿命付けられた私の苦しみなど分かるものか!! ああそうさ! 貴様の父親も結局は私を置いて行った! 一緒に旅をして、街を救ってやったり、死に行く弱者に力を貸してやったりもした! 強大な敵が来ると言われて、共に戦おうとも思ったさ! 少しは光に生きる気にもなったのに、お前の父親は……わた、私を!!」
「エヴァンジェリンさん!?」
 両目から涙を溢れさせて、その愛らしい顔を恐ろしい鬼の様に歪め、エヴァンジェリンはネギを鋭い殺意を篭めて視線で射抜いた。
「動け、茶々丸!」
「ハイ、マスター!」
 エヴァンジェリンの命令で、左腕を失った茶々丸は右手の甲から鋭いアームソードを出して駆け出した。
「茶々丸さんとは私がヤル! アンタは……あそこで泣いてる子を闇から無理矢理にでも引きづり出してやんなさい!」
 叫ぶと同時に、明日菜も茶々丸に向かってハマノツルギを両手で構えて駆け出した。ぶつかり合うハマノツルギとアームソードが交差する。体中から火花を放ちながら、茶々丸は一切の容赦も無く神楽坂明日菜に斬りかかる。
「もし、貴女が思いを通すと言うのでしたら、私は全力で応えましょう。殺す気でいきます、貴女が貴女の思いを通すと言うなら、私を倒して下さい」
 淡々とした口調で告げられた宣戦布告。恐らくはコレが最後の攻防となる。
 既に作戦開始から時間は十分が経過した。もう、時間稼ぎのフェイズは終了したのだ。適当な作戦では無意味、さりとて凝った作戦などその場で実践出来る筈も無く、600年を生きた古血の吸血鬼に通用する筈が無い。
 カモが練った作戦はシンプルなモノだった。つまり、命をチップに時間を稼ぎながら、自分の役割を果たすカモの存在を徹底的に隠す事。そうすれば、勝利の為の鍵はカモが用意する。
「ええ、私も迷わない! 貴女を倒して、泣き虫娘(ネギ)と泣き虫娘(エヴァちゃん)の元に行く!」
 その攻防は異常だった。武芸を知らないただの女子中学生が、多種多様な武術のデータと、それを操る為のスペックを併せ持つ茶々丸(ガイノイド)という存在に互角に渡り合っているのだ。
 明日菜は、それでも足りないと前に出る。互角では意味が無いと。この先、自分はもう異能の世界から逃れることは出来ないとカモは言った。自分の能力は、魔法使いにとっては恐怖の的であり、排除するか、もしくは研究材料にされる可能性があるらしい。
 冗談じゃない! 更に前に出る。甲高い金属音が夜の公園に響き渡る。訳の分からない理由で殺されたり、解剖されたりするなんて冗談じゃない。明日菜は前に出続ける。
 ここで、絡繰茶々丸という女性を乗り越えなければ未来が無いとでも言う様に。
 ネギ一人では作戦は実行出来ない。だがそれ以上の思いで、腕や脚すら使い、一種の演舞の如き流れる動きで茶々丸を攻め続ける。一切の躊躇いも無く、一切の容赦も無く。左腕を肩から失った茶々丸の動きは、明日菜でも対応できる程に衰えていた。時間が経てば勝手に自滅するだろう相手。それでも、明日菜は攻め続ける。それが、絡繰茶々丸に対する礼儀だとでも言う様に。
 走る明日菜のハマノツルギの刃を、アームソードで流す茶々丸。最早、ハマノツルギの描く軌跡は残像を残すレベルに達している。ソレでも尚、茶々丸は衰えたスペックで対応する。
 一方的に見えて全くの互角。それでも、力の差は徐々に明日菜に軍配が上がっていく。茶々丸は火花が噴出す度に何処かの機能を失っているのだ。最初は各種の戦闘に不要なセンサー。左腕を操作する為のセンサーも死に、体中の武装までもが死んだ。メモリーは特殊なプロテクターがあるおかげで無事だが、徐々に視界もぼんやりとしてきている。
「明日菜さん、貴女は強い。それでも、私は貴女を通さない」
 攻められ続ける茶々丸は、後退する事で明日菜の剣戟と蹴りや拳を回避し続けていた。
「――――ッ!」
 茶々丸の体が止まる。回転する様に明日菜の剣の軌跡、腕や脚の動きも全てを把握し、まるで明日菜は茶々丸が実体を失ったかの様な感覚を覚えて、茶々丸を通過してしまった。
 ギィィィン! という凄まじい響きが木霊する。無意識に右手で背後に放ったハマノツルギの斬撃が、茶々丸のアームソードを防いでいた。
「これも反応しますか……。貴女の実力は、既に並みの魔法使いや武人を遥かに凌いでいます」
 茶々丸の素直な賞賛を受け、明日菜はニヤリと笑みを浮べた。
「そりゃどうもっ!」
 ハマノツルギを左手に持ち替えて、茶々丸のアームソードを防ぎながら拳を放つ。
「フッ」
 それを飛び上がって回避すると、茶々丸は身に着けていたエプロンを引き千切り、真下の明日菜に向けて放った。
「無駄!」
 そのエプロンを一刀両断にし、その更に上を見上げた明日菜の視界に、茶々丸の姿は無かった。
「どこにっ!?」
 咄嗟に、茶々丸が飛んだ場所とは反対側を向いた。前に跳んだならば着地するのはコッチの筈だった。
「後ろです」
 その常識的な考えが通用する相手では無いんだと、自分の迂闊さに明日菜は舌打ちした、茶々丸の兵装には、遠距離武装はあまり無い。外部パーツを用意していた訳でも無い茶々丸の遠距離武装は左手に集約していた。右手は防御力と強力なアームブレードのみであり、他の部位への武装発動の信号は、既に受信パーツが壊れている。そこまでの故障があって尚、異常な戦闘力を有する明日菜と互角に立ち合えているのは、茶々丸のエヴァンジェリンへの忠誠心と、明日菜の思いに応える為の“心”故だった。
 明日菜は徐々に自分の武装の特徴を掴み始めていた。大き過ぎる剣は、魔力のパックアップのおかげで羽根のように軽く振るう事が出来、おかげで無茶苦茶な斬撃でも茶々丸を押す事が出来た。
「――――ッ!」
 茶々丸は気がついた。明日菜が闇雲に振り回すだけでなく、その長大な間合いを持って己を制し始めているのを。早過ぎる斬撃を茶々丸の攻撃範囲外から繰り出し続ける。その上、剣は剣先に行くほど力を増す。連続する攻撃を受け、茶々丸のアームブレードは茶々丸自身よりも早く限界を迎えてしまったのだ。
 バキンッ! という、金属の弾ける音と共に、体が吹き飛ばされた。そこに更に追撃しようとすると、茶々丸が拳を振り上げていた。
 茶々丸は態と亀裂の走ったアームブレードを放棄して、アームブレードの固定部を意図的に破壊したのだ。右手だけのラッシュに、明日菜は戦慄した。
 一撃一撃が重過ぎるのだ。当たれば一撃で戦闘不能に追い込まれる。ハマノツルギを盾にして、攻撃を防ぎ続ける。
「――――ッ!」
「――――ッ!」
 明日菜と茶々丸は同時に目を見開いた。凄まじい大きさの水柱が突如公園に発生したのだ。
「マスターッ!」
 茶々丸は焦燥に駆られ、一気に勝負をつけようと拳を振るう。
「去れ(アベアット)」
 ハマノツルギに当たる筈だった拳は、ハマノツルギが突然消滅した事でからぶった。その勢いは殺す事が出来ず、茶々丸は絶望的な隙を作ってしまった。
「来れ(アデアット)!」
 その背後から、ハマノツルギを再び取り出した明日菜が渾身の力でハマノツルギの峰を茶々丸の背中に叩き込んだ。
「ごめん、茶々丸さん!」
 両手を叩いて頭を下げると、もう明日菜は茶々丸を振り返ることは無かった。
「申し、わけ……あり……ません、マス……ター。私……は、あの、女性(ヒト)に……は…………敵い……ませんで…………した」
 全身がボロボロになってしまった茶々丸は、そのまま空を見上げながらクスリと微笑んだ。
 不思議な気持ちですね。今、私の心は素晴らしく穏やかです。茶々丸は胸中で呟きながら走り去った明日菜に小さく言った。
「がん……ば…………て」

 遠くで、茶々丸と明日菜の戦闘を眺めながらエヴァンジェリンとネギはお互いを睨み合っていた。既に半年間溜め込み続けた魔力の殆どを消費したエヴァンジェリンと魔法使いとして未熟なネギは一度戦いの火蓋が斬って落とされれば、後はどちらが先に魔力を使い切るかの勝負になってしまう。
 魔法薬のバックアップも元の魔力が無くなれば意味は無い。睨み合ったまま動かない二人はジリジリと遠くで響く戦闘の音を聞いていた。
『姉貴!』
 唐突に、ネギの目が見開かれた。不信に思ったエヴァンジェリンは呪文の詠唱を開始して、ネギも即座に杖を構える。
『カモ君、準備は!』
『完璧ッス! 後の問題は場所ッス! 姉貴、そこから500m先にある麻帆良湖公園の中央の噴水までエヴァンジェリンを誘導してくだせえ! そしたら、俺っちが合流しやすから、そこで術式の起動を!』
『了解!』
 念話を終えると同時に、ネギの杖には風の魔力が、エヴァンジェリンの掌には氷の魔力が集中した。
「サギタ・マギカ、連弾・氷の29矢!」
「サギタ・マギカ、連弾・雷の29矢!」
 同数のサギタ・マギカでの打ち合い。互いに無駄撃ちは出来ないのだ。相手の放った魔法を相殺する魔法を放つ。これは魔力操作の緻密性の戦いだ。無駄な魔力を魔法の構成に注げば、その分だけ終わりは早くなる。このままいけば、エヴァンジェリンの勝利が確定する。
 魔弾を連続で放ち続けるエヴァンジェリンの顔には余裕の笑みが浮かぶ。ココに来て、実力の差がハッキリと現れた。一撃一撃に無駄に魔力を練り込んでしまうネギと最低限度の魔力だけを篭めて魔法を構成するエヴァンジェリンでは圧倒的にネギの魔力消費量が上なのだ。
 総量ではエヴァンジェリンを凌ぐネギだが、その優位性は実力の差という埋め難いモノによってゼロどころかマイナスにされてしまっている。
「何っ!?」
 エヴァンジェリンは目を見開いた。この土壇場でネギは逃げ出したのだ。
「貴様、あれだけ吼えた癖に逃げると言うのか!? それが、それがあの男の息子のする事か!」
 激昂したエヴァンジェリンは魔法薬を放ち、呪文を唱える。ネギが向かう公園の中央部に向けて。
「リク・ラク・ラ・ラック・ライラック! 貴様の父親の好んだ技で終わらせてやる――ッ!」
 エヴァンジェリンが掌に集中させたのは氷でも闇でも無く、雷の魔力だった。
「あれはっ!?」
 ネギは目を見開いた。雷は風属性の魔法の応用だ。闇と氷の魔力特性を持つエヴァンジェリンには使い難いはずだった。
 通常、魔法使いが自分の得意とする属性を持ち、得意属性では無い場合は発動が難しく、魔力を必要以上に練ってしまったり、構成が雑になってしまう場合が多い。また、得意としている属性から応用して別の属性を操る事は可能で、例えば、ネギの扱う”雷”という属性は、風の精霊を操り応用して発動する特殊な属性なのだ。ただでさえ、得意属性とは思えない風の属性の魔法を更に応用する雷の魔力を操りながら、エヴァンジェリンは平気な顔をしている。
「エヴァンジェリン・A・K・マクダウェル……、最強の魔法使い!」
 ネギは全身に鳥肌が立つのを感じた。自分が相手にしているのは間違いなく最強を冠するに相応しい魔法使いなのだと理解し、心の奥底で小さな炎が灯ったのだ。
「来れ、虚空の雷! 薙ぎ払え、『雷の斧』!」
 収束した雷の魔力を、エヴァンジェリンは叩き付ける様にネギを目掛けて振るった。
「加速!」
 防ぐ事は出来ないと悟ったネギは、余波を受ける事を覚悟して杖に乗って移動速度を上げた。地面に激突した『雷の斧』は爆発すると、その一部が鞭の様にしなってネギの背中を抉った。
「ギギャアアアアアアアア!!」
 杖から落ちたネギは、そのまま滑る様に転がり、左腕が動かないせいで受身も満足に取る事が出来なかった。肉が焼けた嫌な臭いがネギの鼻腔を刺激する。
「ガググアアアア!!」
 のたうちまわるネギを詰まらなそうに睨みながら、エヴァンジェリンは不信気な目付きでネギを見た。何かがおかしい――、エヴァンジェリンは目を細めて周囲を見渡した。
 どこにも何も無いし、誰もいない。だと言うのに、不自然な魔力の流れを感じたのだ。
「まさか……罠かっ!?」
 エヴァンジェリンが目を見開くと同時に、噴水から一匹のオコジョが飛び出してきた。
「馬鹿なっ!? オコジョはポケットに――ッ!?」
 それまで注意を払っていなかったネギのポケットに入っているオコジョにエヴァンジェリンはこの時初めて注目した。よく見れば明白だった。
「ぬいぐるみだとォォォォ!?」
 つまり、自分はあのオコジョを自由にさせてしまっていたのだ。エヴァンジェリンは一瞬で魔力を練り上げると、無詠唱のまま闇の魔法を放った。
「ナニッ!?」
 その攻撃は、ネギに届く事は無かった。突如地面から出現した水の壁に闇の魔法がぶつかり飲み込まれたのだ。水の壁は一気に天まで駆け上がり、その水の壁の中には欲望のルーン、拘束の意味を持つ『ナウシズニイド』が描かれたカードが無数に流れていた。
 カモの役割は、最終局面でカモが魔法陣を“魔力の篭められたカード”で描き、シングルアクションでネギの魔力を使わずにカードに宿った魔力だけで水の結界を張れる様に用意し、その中にエヴァンジェリンを一定時間封印出来る様に“湖から噴水まで伸びる水道管”の中に大量のカードを流し、結界に水道管の水を使った瞬間に封印の為の束縛の意味を持つ、明日菜には効果の無かった『ナウシズニイド』のカードを同時に巻き上げる様にしたのだ。
 ルーンはネカネが用意した特別高価な特別製で、特別な魔法薬でチョークを作り、魔力が染みこんだチョークで描いた。本当ならば、ゆっくりと手助けをする為に小出しにするつもりだったのだが、エヴァンジェリンに対抗する手段として、カモはエヴァンジェリンを束縛するという一点に絞った。信号を意味する知恵のルーン『アンスズアス』のカードで、ネギが魔法陣を発動したのだ。
 だが、ここでカモの作戦は頓挫した。ネギの怪我だ。背中は焼け爛れて、左腕は変色している。もはや生きているのすらギリギリな状態だった。
「ちくしょう、姉さんも……姉貴も頑張ったってのに……ここまでかよ!」
 最悪だった。準備している間、カモはネギや明日菜の健闘っぷりを見ていて油断していたのだ。せめて、公園の周囲の林の中を進めと言えば良かった。
 この状態では、ネギが最大魔法を発動する事など叶わぬ望みだった。エヴァンジェリンを倒すには、ネギの最大魔法である『雷の暴風』以外にはない。あの巨大な岩のモンスターすらも倒した『雷の暴風』ならば、如何に真祖の吸血鬼とはいえ無事では済まないだろう。
「あと、一歩だったんだぞ……」
 悔しげに、傷つき倒れているネギを見つめながら、たった一つの己のミスを嘆いた。その間に、水の柱の中から激しい爆音が響いた。エヴァンジェリンが結界を破壊しようと魔法をぶつけているのだ。そんな事をしなくても、総数300枚ものカードを使ったとは言え、その一枚一枚に篭められた魔力など微々たるものだ。もう数分もしないで結界が解ける。
 ネギは殺され、明日菜も殺される。自分も殺される全滅の未来。カモは諦めにも似た気持ちで、徐々に崩れていく水の柱の結界を眺めて嘆息した。
「ラス……テル…………マ・スキル……マギ…………ステル!!」
 信じられない声がした。カモが隣を見ると、口からも血を流しながら、懸命に立ち上がり、杖を構えるネギの姿があった。転がった時に切ったのだろう、額からも血を流している。
「ゴフッ! ……来れ…………雷精、風の…………精!!」
 大きな血の塊を吐き出し、背中から滴る血と共に小さな池を作り出している。左腕はダランと垂れたまま動かない。
 満身創痍、まさにソレがネギの現状だった。意識があるのか無いのかわからない目で、水の柱を見つめながら呪文を唱える。
「雷を纏いて……ゲフッ…………吹きすさべ! 南洋の……オエッ…………アグッ」
「姉貴!!」
 カモは胸が張り裂けそうになった。このまま、休ませてやりたい。どれだけそう思うか。だが、今、ネギが倒れれば全てが終わってしまう。そんな事は分かっていても、見ているだけで辛くなってしまう状態だった。
「南洋の……風!」
 雷と風の魔力が、ネギの体に宿る全ての魔力が杖に集中していく。ドバアアンッ! という凄まじい爆発音が響いた。水の柱の結界が自然消滅してしまったのだ。
 カモは見上げた途端に絶望した。そこに居るのは、ネギの魔法と同種の二属性融合魔法を発動する寸前のエヴァンジェリンの姿だった。
 空からは舞い散る雪の様にルーンを刻んだカードが降り注ぐ。その中には、魔法陣に使っていたカードもあった。恐らく、何枚かが結界の発動と同時に巻き上げられてしまったのだろう。予定よりも早い結界の消滅と共に考えて、カモはそう結論を出した。万事休すだった。
「見事だったぞ? 誇って死ぬがいい」
 エヴァンジェリンはニヤリと笑みを浮べながら掌をネギに向けた。血だらけの顔で、ネギはエヴァンジェリンを見つめる。
「その瞳……そう、その目だよ。人はみな私を憎しみと恐怖の目で見る。ならば、そう生きようと誓ったのさ」
 ネギは空ろな目でエヴァンジェリンの顔を見上げた。その瞳には、薄っすらと涙が溢れていた。
「やはり、私は永遠に一人だよ……」
 そう言って、エヴァンジェリンは魔法を放った。
「『闇の吹雪』!」
 闇の魔力と氷の魔力が同時に溢れ出し、月明かりに輝く暗黒の竜巻がネギに襲い掛かった。
「姉貴!!」
 カモの叫びに、反応し、ネギが杖を向けるが間に合わない。死んだ、そう思った。カモとネギは目を閉じて、その頼もし過ぎる声を聞いた。
「そんなのさ~、悲し過ぎると思う訳よ」
「なにっ!?」
「あ、姉さん!?」
「…………?」
 エヴァンジェリン、カモ、ネギはそれぞれ目を見張った。在り得ない光景がソコにはあった。
 暴れ狂う『闇の吹雪』を右手だけ翳して防ぐ少女の姿があったのだ。神楽坂明日菜は『闇の吹雪』を右手で抑えつけながらネギを見た。
「ねえ、もう諦めちゃう?」
 その声は、その光景に於いて在り得ない程優しいものだった。闇の魔力は明日菜の右手や体に当たる度に消滅し、氷の塊は明日菜の体に触れると同時に液化する。強力な魔法が、神楽坂明日菜という少女に屈していた。
「アンタは、あの子をどうしたいの?」
 神楽坂明日菜は問い掛ける。自分が守るボロボロに傷ついた少女に。
 ネギの制服は殆どが破けてしまっている。背中は酷い傷で血が止め処なく出ている。そんな彼女に、それでも神楽坂明日菜は問い掛ける。
「姉さん……姉貴はもう応えられる状態じゃ……」
 カモが悲痛な声で言うと、隣から弱々しい声が聞こえた。
「……たいです」
「ん?」
「すけ……いです」
「もう一回」
「助け……たいです」
 必死に振り絞る声で、ネギは言った。
「巫山戯ているのか? 貴様等は、この私を馬鹿にしているのか!?」
 更に『闇の吹雪』の威力を高めるが、神楽坂明日菜の肉体に傷一つ負わせる事は出来ない。
「馬鹿な……。何故、何故だ!? 何故、私の魔法が効かない! 貴様は何者だ、神楽坂明日菜!!」
「何者って? そんなの分かりきってんでしょ?」
 その時、頭上から明日菜に向かって一枚のカードが降ってきた。
「これ、あの時の……」
 ハマノツルギを離して、空いた左手でカードを掴むと、そこに描かれていた絵を見て明日菜は笑みを浮べた。無茶な『闇の吹雪』の連続発動で、魔力が完全に切れ始めたのか、エヴァンジェリンは浮遊する事が出来ずに地面に降り立った。
「クソッ、クソッ、クソッ!! 何なんだ、何なんだ貴様は!! 神楽坂明日菜!!」
 エヴァンジェリンの叫びに、明日菜は一歩ずつ『闇の吹雪』の暴虐の中を悠然と歩き始めた。
「何者ってさ、分かってるでしょ? 私は、アンタや……あそこにいるネギや、遠くで眠ってる茶々丸さんのクラスメイト」
 ニヤリと笑みを浮べた明日菜は、エヴァンジェリンの眼前に来ていた。
「来るな……、来るな!!」
 自分の魔法の中を悠然と歩いて来た目の前の少女に、エヴァンジェリンは恐怖を感じた。明日菜はクスッと笑うと「アベアット」と唱えた。制服姿に戻り、明日菜はブレザーのポケットを漁る。
 少しだけ、プニプニとした感触のハンカチを開くと、意地悪そうな笑みでそれに持っていたカードを貼り付けた。ハンカチにはベットリと歓迎会の時に感激したネギの涙と鼻水が未だに乾かずにいた。ベチャッと嫌な音を立ててエヴァンジェリンの硬直した体のゴシックドレスの上にハンカチをカードごと貼り付ける。
「後は、あの娘の役目。さすがに、私も……げん…………か……い」
 そう言って、明日菜はゆっくりと離れて行った。
 直後、カモが信号のルーンで明日菜がエヴァンジェリンに貼り付けた束縛のルーンを発動した。僅かに残された力だが、魔力がほぼ枯渇してしまったエヴァンジェリンを捕らえるには十分だった。
「そうです……よね。諦める、なんて……簡単です」
 息も絶え絶えに、それでもネギは魔力を杖の先に研ぎ澄ませて行く。詠唱は既に終了している。
「それでも、諦めて……いいわけじゃ、無い! 逃げれば……いいって訳、でも……無い!! だから、私は貴女を倒します!! もう、逃げない、諦めない!! ウエッ……ハァ……ハァ……」
 大きな血の塊を吐きながらも、ネギは真っ直ぐな視線で光の帯に拘束されるエヴァンジェリンを見つめる。
「全部、それから。貴女を倒して、それから……ようやくスタート地点に立てる!! 貴女と私は一度も話した事すら無かったから。まだ、何も始まってなかった。父さんが貴女にした事も知らない。だから、教えて欲しい! だから、受けて下さい、私の……私達の思い!!」
 まさに疾風迅雷。空間を雷撃と旋風が蹂躙するネギ・スプリングフィールドの操る魔力が杖から吐き出される様に大地を削り、空気を切り裂く。
「逃げられぬ……か。ならば、私の障壁を越えて見せろ……ネギ・スプリングフィールド!!」
 拘束され、頭が冷えたエヴァンジェリンは確りとした目付きで眼前に金色の光と空間を歪める旋風を睨み付けた。残る全ての魔力と残る全ての魔法薬を使い、今出来る限りの最高の障壁を作り出す。
「『雷の暴風』!!」
 ネギの杖から莫大な魔力が噴出し、森全体が騒然となった。真横に倒された竜巻、それこそが『雷の暴風』の姿だった。金色に輝く雷光を纏った巨大な竜巻はまるで巨大な龍の如く暴れ回りエヴァンジェリンの障壁に激突した。
「グッオオオオオオオオオオッ!!」
 視界を覆い尽くして尚も分厚い壁となっている『雷の暴風』はエヴァンジェリンの構築した障壁を徐々に蹂躙していく。
「まさに……この力は――ッ!!」
 歯を喰い縛りながら、エヴァンジェリンは耐え続けた。
「こんな、ものおおおおおおお!!」
 屈する訳にはいかない。屈してしまえば、そこで全てが終わってしまうから。それまで自分を保っていたナニカが崩れてしまう気がするから。
「オオオオオオオオオオ!!」
 雄叫びを上げ、障壁に亀裂が入り、ギリギリの所でエヴァンジェリンはネギの『雷の暴風』を耐え抜いた。
「これで……なんだとッ!?」
 信じられなかった。否、信じたくなかった。ようやく耐え抜いた悪夢の様な魔法をネギ・スプリングフィールドは再び放とうとしていたのだ。
「連撃……だと?」
 目を精一杯見開いてエヴァンジェリンは絶句した。どうして、あんな状態でこんな魔法を連発出来るのかが理解出来なかった。最早、魔力も殆ど残っていないエヴァンジェリンにはこの一撃を回避する余力は残されていなかった。
「これで本当の本当に最後です、エヴァンジェリンさん!!」
 それは、契約解除によって戻ってきた明日菜に与えていた魔力だった。明日菜がアーティファクトと鎧を解除した事で、ネギからの魔力供給もストップしたのだ。本来失われるはずだった魔力が雷と風に変換されていく。さっきほどの威力は出なかったが十分だ。
「これが……私の今出来る最強魔法!!」
 既に、背中の傷や左腕が発する熱によって、意識を朦朧とさせながら、ネギは精一杯の叫び声を挙げた。
「『雷の暴風』!!」
 身体能力補助の為の風の魔力も全て乗せて放った『雷の暴風』は先程の威力は出なかったが、それでも確かに『雷の暴風』はエヴァンジェリンに届いた。
「マスターッ!!」
 突然、エヴァンジェリンの前に茶々丸が飛び出してきた。脇腹を抉られ、左腕は肩から落ちて、両足も崩壊し、飛行ユニットでギリギリ浮遊している。
「茶々丸っ!? 何故来た!! そんなボロボロになって・……っ!!」
 エヴァンジェリンの叫びに、茶々丸は笑みを浮べた。
「マスターは……私が守ります」
 エヴァンジェリンは思わず息を呑んだ。遠くから『雷の暴風』を見た茶々丸は飛行ユニットを使って文字通り飛んで来たのだ。大切な主を守る為に。『雷の暴風』は既に目前まで迫り、茶々丸に気がついたネギが無理矢理魔力を霧散させようとするが間に合わない。
「馬鹿者!!」
 無意識の行動だった。エヴァンジェリンは茶々丸を光の帯に拘束されたまま横に押し退けた。
 瞬間、エヴァンジェリンの体はネギが魔力を僅かに霧散させた事で威力が落ちた『雷の暴風』の残骸である風の塊に吹き飛ばされた。
「グハ――ッ!」
「マスターッ!」
 叫ぶ茶々丸を遠目に見て、漸くエヴァンジェリンは気付く事が出来た。一緒に茶道部の活動をする茶々丸。一緒に授業をサボって昼寝をする茶々丸。毎朝自分に朝食を作り、弁当を作り、夕食を作り、時々自分で勉強をしてるのか、段々とおいしくなっていた。
 いつも一緒だった。どこに行くのも。
「どうして……こんな時になるまで忘れてたんだろうな」
 吹き飛ばされ、魔力で編んでいた外套も服も全て弾け跳んだエヴァンジェリンは、眼下に見える麻帆良湖を見ながら思った。
 あそこに落ちれば、泳げない自分は死ぬかもしれない。ただでさえ、限界なのだから。封印さえ無ければ結果は違っていたかもしれない。だが、封印さえなければ元からこんな戦いをしなくても済んだのだ。
「本当に……憎らしい封印だ」
 そう胸中で呟きながら、エヴァンジェリンは目を閉じた。
「気がつかなかった……、いつも、そこに居るのが当たり前で、返事が返ってくる事が当たり前だった」
「それが……きっと、友達なんじゃないですか?」
 耳元でそう囁く声が聞こえた。目を開くと、そこには顔中を血だらけにしながら、エヴァンジェリンの体を右手だけで支えて苦しげな顔をしている少女の顔があった。柔らかく笑みを浮べてエヴァンジェリンの瞳を見つめていた。
「友……達か?」
「ハイ!」
 ニッコリと、ネギは微笑みかけた。エヴァンジェリンはハッとなって思い出した。
「そういえば……、あいつもこんな笑顔だったな」
 昔、自分に呪いを掛けた時に見せた彼の言葉を思い出した。『すげえ敵が来る。俺は負けやしねーが、しばらく帰れねーかもしれん。 俺が帰って来るまで麻帆良学園に隠れてろ。あそこなら安全だ、結界があるからな』そう言った。自分は一緒に戦いたかったのに、護りたかったのに……。そんな自分に彼はこう言った。『光に生きろ! それが出来た時、絶対にここに戻って来て、お前の呪いを解いてやる』それなのに、奴は二度と帰って来なかった。
「違うな……。そうだったんだ……、私は未だ、生きてなかったんだな? ナギ……」
 地面に降り立つと、ネギの体は崩れ落ちた。エヴァンジェリンはその体をソッと支えると、呟く様に聞いた。
「何故……助けたんだ?」
 エヴァンジェリンの言葉に、ネギは目を瞑り、意識を手放しながら呟いた。
「当たり前じゃないですか。だって、貴女は私の……友達……だか…………ら」
 意識を完全に手放したネギの呼吸は不規則で、すぐに応急処置をする必要があった。エヴァンジェリンは小さく溜息を吐いた。自分の体もボロボロで、魔力も残っていない。従者の茶々丸も修理しないと拙い。残った手は一つだった。
 公園に戻って来たエヴァンジェリンは、スヤスヤと心地良さそうに眠っている、“全く無傷”な少女を脚で蹴っ飛ばして起した。
「フギャッ!?」
 猫の様な悲鳴を上げて起きた明日菜は、目を擦りながら「なんなの~?」と辺りを見渡した。視線が正面に来ると、そこにはネギを支えている全裸のエヴァンジェリンの姿があった。
「エ、エヴァちゃん!?」
「人の名前を勝手に略すな……」
 疲れた様に言いながら、エヴァンジェリンは明日菜にネギを押し付けた。
「あっ、ネギ!」
 全身ズタボロのネギを慌てて抱える明日菜を尻目に、エヴァンジェリンは最後の力で声を張り上げた。
「見ているだろ! そこの“小娘”を治療してやれ! 此度の戦いは私の負けだ!!」
 そう叫ぶと、エヴァンジェリンは茶々丸に近寄った。
「へ? へ? うふぇ?」
 訳が分からずに首を傾げる明日菜に、エヴァンジェリンは皮肉気に鼻を鳴らした。
「しばらく待ってろ。人が来る筈だ。お前達の様な野蛮な友達などいらんが……まあ、アレだ!」
 少しだけ首を向けながら、顔を赤らめてエヴァンジェリンは恥しそうに言った。
「学校には……顔を出すさ」
 その言葉に、明日菜はニヤァと笑みを浮べた。
「な、何だそのいやらしい笑みは!!」
「いやらしい!? 失礼ね! もう照れちゃってるんだから~」
 唇を突き出しながら明日菜はエヴァンジェリンに言うと、クスッと笑みを浮べた。
「また、明日ね」
「フンッ……」
 ソッポを向いて明日菜から離れ、エヴァンジェリンは茶々丸を連れて夜の闇に消えた。
「全く、恐るべき馬鹿者共だ……。あれだけの事があって尚、友達などと……」
 胸中で呟くエヴァンジェリンの表情は、どこか優しげだった。



[8211] 魔法生徒ネギま! [第一章・吸血鬼編] 第七話『戦いを経て』
Name: 我武者羅◆cb6314d6 ID:87b1fc72
Date: 2010/06/07 00:02
魔法生徒ネギま! 第七話『戦いを経て』


 木乃香とネギは麻帆良の冬の制服の他に暖かそうなマフラーと手袋を着けているが、それでも吐いた息が直ぐに真っ白な靄になってしまう今日の寒さにはあまり意味を為さなかった。手袋の下の手は冷たく冷え切ってしまい、足の指は感覚が麻痺している気がする。
 ネギの肩にはペットに扮している、オコジョ妖精のアルベール・カモミールがキョロキョロと首を振って居るが、時折変に首を振ったり、頷いているみたいに首を上下させる。
 傍目には、落ち着きの無いオコジョだが、実の所口を開いていないにも関らず、ここに居る三人と一匹の内の一人を除いて、しっかりと会話しているのだ。
 魔法使いのネギと、オコジョ妖精のカモ、それに昨日からファンタジーの世界に踏み込んだ少女、明日菜の三人は、念話という特殊な技術を使って心の中で会話しているのだ。
 明日菜は魔法使いの事をしったばかりの素人だ。時々ファンタジーに関っていない木乃香が話しかけると、その度に挙動不審になり、木乃香は心配そうに見ている。逆に念話と同時進行で何かをする事になれているネギは自然に木乃香とも会話を楽しんでいる。
 念話の内容は殆どが明日菜に対する魔法使いに関しての説明だ。かなり丁寧に説明しているが、明日菜は巧く理解出来ずに何度もカモが説明をしなおした。
『それでさ~、私ってやっぱり魔法って使えないの?』
 悲しそうな明日菜の言葉に、カモはさすがにウンザリしていた。最初こそ、丁寧に気遣いながら言っていたのだが、何度も言ってもこの調子なのだ。明日菜には魔法は使えない。というよりも、明日菜は“魔法”のみならず、“異能”の殆どと相性が悪いのだ。
『姉さん、何度も言ってるッス。姉さんの場合は”魔力完全無効化能力“が邪魔になっちまうんスよ』
 それが答えなのだった。それでも、明日菜は諦めきれずに居る。一般的な女子中学生の明日菜にも、一時は魔法少女に憧れた時期もあった。箒に乗って、不思議な呪文で何でも出来る魔法少女に。その可能性の扉が開いたのに、自分には魔法が使えないなんてあんまりだ! 明日菜には到底我慢出来る事ではなかった。
『でもでも、私の能力って“拒絶”しなければ、魔法を無効化しないんでしょ?』
 それだけが明日菜にとっての頼みの綱だった。自分の力を拒絶する筈が無いし、それなら自分でも魔法が使える筈だと主張しているのだ。カモはその何度も繰り返された問答にいい加減疲れてきていた。大きな溜息をする。
『いいッスか? 確かに姉さんの異能は“拒絶”をしなければ魔法は打ち消さない。コレは確かッス。でも、問題も在るんスよ。てか、もうこれっきりにして下せえ……』
 カモの説明は、簡単に言えば演算能力の足りなさだ。元々、バカレンジャーなどと呼ばれてきた明日菜の演算能力には期待出来ない。最早、何か“恒久的にナニカに演算能力を割いている”としか思えない程に余裕が無いのだ。
 勿論、日常生活に置いてそこまで問題では無いだろう。時間を掛けてゆっくりやれば勉強だって出来ない訳ではない。それでも、普通の人間よりも何倍も努力をしなければならないのだが……。
 魔法を使うには、術式を覚えたり、魔力があったりだけでは足りない。感覚で出来るという天才を除いては、自分の魔力の調整や魔法の構築、命中精度や魔法自体の操作などにも演算能力を割かなければならないのだ。
 明日菜の場合はそれに加えて“異能”にまで演算能力を割かなければならない。簡単に言えば、明日菜の“異能”である“魔力完全無効化能力”は、明日菜の無意識な“拒絶”を察知して発動する。それは無意識にアレは良い、またはアレは駄目という演算を行っているに他ならない。ギリギリに近い演算能力を魔法の構築や魔力操作などに割いてしまえば、“異能”に演算能力を割けなくなる。そうなれば、判断出来なくなった能力が強制的に魔法を無効化してしまう可能性が高いのだ。
『というわけで、姉さんは魔法を使えないんス。まあ、演算能力をあまり割く必要の無い、そうッスね~、技術的な物なら出来るかもしれないッスけど。さすがにそういうのは俺っちにも専門外なんスよ』
 カモの長い説明が終わると、明日菜は落ち込んでしまい肩を落とした。いきなり明日菜が落ち込み始めたので木乃香は本気で心配になって、本日何回目かの「保健室行く?」を言ったが、明日菜は首を振って断るだけだった。
『すみません明日菜さん……』
 ネギは傍目には木乃香とお喋りしている様に見えるが、それでも明日菜に対して引け目を感じていた。結果的には明日菜は自分の為に戦った。だが、それに巻き込んだのは自分なのだ。
 コチラの世界に入るにしても、最初があんな命の危険のある戦いだなんて冗談ではすまない。一歩間違えれば明日菜が死んでいたかもしれない上に、他のクラスメイトまで巻き込んでしまい、ネギは朝からこの調子で明日菜に謝り続けている。
 他のクラスメイト達には、直接謝ることが出来ないので、その分まで明日菜に対して自責の念を抱いている様だった。明日菜はそんなネギに困り果てていた。実際、カモに何度も魔法の話を振るのも、ネギに昨日の事を気にしていないというアピールの為でもあったのだ。
 明日菜とネギの体の傷は全て麻帆良に駐屯している“癒術師(ヒーラー)”が完全に癒してくれた。癒術師とは、回復魔法の専門家で大抵の魔法機関に最低一人はこの癒術師が駐屯しているのだ。
 明日菜に至っては、今朝もバイトに行ける程に回復していた。もうすぐ校舎が見えてくるという場所に来て、明日菜はネギがまた謝りださない様に適当な話を振った。
『じゃあさ、魔法使いって具体的にどんな職業に就くもんなの?』
 明日菜の問い掛けに、ネギは木乃香とお喋りをしながら念話で答えた。明日菜は二人の人間と同時にお喋り出来るネギに軽い感嘆の声を上げた。
『そうですね~、癒術師なんかが働く病院もありますし、魔法を研究する学者もいます。司法機関もありますけど、他にも後進に教えを授ける師匠や教師になる魔法使いも居ます。芸術関係の仕事をする人も居ますし、古代の遺跡から宝を発掘するトレジャーハンターなんかも居ますよ』
「トレジャーハンターか~、かっこいい!」
「はえ? 明日菜、いきなりどうしたんや?」
 明日菜は思わず普通に口で歓声を上げてしまい、周りから奇異な目で見られ、木乃香からは本気で心配そうな眼差しを受けた。
「あ、えっと、何でも無いの! ちょ、ちょっと、この前のテレビ思い出しててさ」
 明日菜が慌てて言い繕うと、木乃香は唇に人差し指を当てて可愛らしく小首を傾げた。
「ん~? 最近、トレジャーハンターの特集なんてあったん?」
「あったんだって! と、とにかく早く行かなきゃ、そろそろ時間がやばいわよ!」
 誤魔化すように明日菜は木乃香の手を引っ張って駆け出した。
「あ、待ってください明日菜さん、木乃香さん!」
 ネギも慌てて追い掛けると、今日も慌しい一日が始まるのだった。

 教室に入るとクラスメイトの少女達がざわついていた。
「どうしたんやろ?」
 木乃香は首を傾げながら教室に入ると、口に手を当てて驚いた様に目を丸くした。木乃香の様子に首を傾げつつ、明日菜とネギも教室に入ると、ネギと明日菜の目に金砂の様な輝く金色の髪を持つ少女とその傍らに傅く翠髪の少女に気が付いた。
 明日菜はニヤリと笑みを浮かべ、ネギは嬉しそうに喜色を浮べた。エヴァンジェリンはネギと明日菜に気が付くと顔を赤らめてソッポを向いてしまったが、茶々丸は薄く微笑んで会釈をした。その様子に、クラスメイト達は驚いて固まってしまったが、明日菜はネギの背中を叩いた。
「ほ~ら、アンタが頑張ったんだから、行ってらっしゃい」
 ネギは一瞬明日菜の顔を見上げると、その優しげな表情に心が温まる思いだった。
「明日菜さんは?」
 ネギは上目使いで聞くと、明日菜はニッと笑みを浮べた。
「私は後でよ。私が居たら、エヴァちゃんも素直になれなさそうだしね」
 ウインクして、明日菜はエヴァンジェリンを顎で指し示した。ネギはそれに頷くと、エヴァンジェリンのもとに駆け寄って行った。その様子に、固まっていた少女達は明日菜に集まった。
「ちょ、どういう事!? あのエヴァちゃんがサボらないで、なんかネギっちと仲良くなってるって」
 報道部の朝倉和美はとんでもないスクープを逃した気持ちになって明日菜を問い詰めるが、明日菜は「色々あったのよ」とはぐらかすだけだった。その明日菜の言葉に悔しげにネギの方を向いた和美は、遠くで楽しげに話すネギの姿に、肩の力が抜けた。
「ま、いっか」
 和美の溜息交じりの一言に、明日菜を問い詰めていた少女達もネギとエヴァンジェリンの姿を見て、何だかどうでもよくなってしまった。
「ま、エヴァちゃんがちゃんと授業に出てくれるんは嬉しいしな~」
 木乃香の言葉に、あやかも頷く。
「そうですわね。どういう経緯があったかは少し気になりますが……、それは詮索すべき事じゃないのでしょうね」
 それっきり、皆はそれぞれの席に戻って行った。何人かはエヴァンジェリンとお話したくてウズウズしているが、それは放課後まで待っていようと思い留まった。

「エヴァンジェリンさん!」
 ネギが駆け寄って行くと、エヴァンジェリンはビクッと肩を揺らしながらソッと顔を向けた。明日菜が居ない事にホッとしながら、エヴァンジェリンはネギに顔を向けると、目を星の用に輝かせて迫るネギにうっ、と少し冷や汗を流しながら「よお」と挨拶した。
 たったそれだけの事でも、ネギは嬉しくなって笑みを浮べた。
「おはようございます、エヴァンジェリンさん! 茶々丸さんもおはようございます!」
「うぐ……っ」
「おはようございますネギさん」
 満面の笑みで挨拶を返され、エヴァンジェリンは面を喰らい、茶々丸は笑みと共に挨拶を返した。
「と、とりあえず! あ、あれだよ。や……、約束だしな。サボらずに来てやったよ」
 頬を紅くしながら呟く様に言うエヴァンジェリンに、ネギはニッコリと笑みを浮べた。
「違いますよ?」
「うっ……」
 エヴァンジェリンは肩をビクつかせた。
「そうですマスター。昨夜の戦闘で交わされたネギさんとマスターの契約は、学校をサボらない……ではありません」
 茶々丸がネギに援護をすると、エヴァンジェリンは恨みがましく茶々丸を睨んだ。顔を真っ赤にして震えながらネギに顔を向けると、そこにはワクワクした笑顔で己を見つめる赤毛の少女の姿をした少年が居る。
「うう……っ」
 昨日の約束を思い出して、どうして自分は負けを認めてしまったんだ、と家に帰ってから何度も後悔した。せめて、あのまま『勝負は私の勝ちだ……が、見逃してやるよ。フッ!』とかやっとけば良かったと本気で後悔していた。自分は確かに『此度の戦いは私の負けだ!』と、宣言してしまったのだ。
「マスターは学校に来る時から動不審になっていました。恐らく、ネギさんとお友達になる事に緊張してるのでしょう」
 茶々丸が真顔で言うと、ネギは「エヴァンジェリンさん……」と感動した面持ちでエヴァンジェリンを見つめ、エヴァンジェリンは拳を握り締めて射殺さんばかりの目付きで茶々丸を見たが、茶々丸は時計を確認していて気が付かなかった。
 あとでネジを巻いてやる。そう心に硬く決意すると、覚悟を決めて大きく息を吸った。ネギに顔を向けると、その覚悟は一瞬で萎んでしまった。
「あ、あれだよ! 昨日は……そう! 血だ、血が足りなかったのさ! 本当なら私が勝っていたに決まっているんだ!」
「マスター……」
「うっ……」
 エヴァンジェリンに茶々丸の呆れと落胆の視線が突き刺さった。実際は、茶々丸は素直になれないエヴァンジェリンを心配しているだけなのだが、エヴァンジェリンはそう感じた。冷や汗をダラダラと流しながら、エヴァンジェリンは俯きながらブツブツと呟いた。
「え、何ですか? エヴァンジェリンさん」
 その呟きを聞こうと耳を近づけると、エヴァンジェリンは顔を真っ赤にして耳元で怒鳴った。
「分かったよ! きょ、今日から私と……その、お前は友達だ!」
 生まれて初めて、羞恥で死ねると感じたエヴァンジェリンは、「エヴァンジェリンさん……」と感激した目で見てくるネギの頬を外側に引っ張った。
「引っ張ってやる! お前の頬を引っ張ってやる!」
「いひゃふぃれふ~(いたいです~)」
 両手をブンブンと振り回しながらネギは涙目になり、お返しとばかりにエヴァンジェリンの頬を思わず引っ張った。
「ふぉわ!? ふぁ、ふぁふぃをふぉふ~~!!(うわっ!? な、なにをする~~!!)」
 二人は頬を引っ張り合い、その様子に茶々丸は嬉しそうな笑みを浮べた。
「ああ、マスターがあんなに楽しそうに……。ありがとうございます。貴女方のおかげですよ、明日菜さん」
 いつの間にか隣に来ていた明日菜に、茶々丸は礼を言った。明日菜はクスッと笑みを浮べると、首を振った。
「私よりネギのおかげよ。それよりさ、これからもよろしくね? 茶々丸さん」
「よろしくとは?」
 茶々丸は首を傾げた。
「なんとなくね、私達は前から友達だけど、今日から改めてって意味」
 ウインクしながら言う明日菜に、茶々丸は笑みを浮べて差し出された手を握った。
「はい、明日菜さん。これからもよろしくお願いしますね」
 その様子を見守る影があった。教室の扉の外で、この麻帆良学園の総括理事長をも務める学園都市全体の学園長、近衛近右衛門と二年A組の担当教員であるタカミチだ。
「エヴァンジェリンも、ナギの思いをようやく汲んでくれたようですね」
 タカミチは嬉しそうに笑みを浮べてネギとじゃれ合うエヴァンジェリンを見つめた。
「やっと……、やっと光に生き始めたのじゃよ」
 皺だらけの顔を歪めて笑みを浮べた近衛近右衛門は、大きく溜息を吐いた。
「儂は、恐らく恨まれるじゃろうな。必要な事……そうは言っても、もしかしたら、このまま平穏に生き続ける事も出来るかもしれないという未来を奪おうとしておる。のう、タカミチや……」
「何ですか?」
 タカミチは近右衛門に顔を向けた。タカミチは近右衛門を、どこか弱々しい、本当に小さな普通の老人の様に感じた。
「儂には出来ぬのじゃよ。もう、大層長く生きた。これからはネギ君達若い世代の時代じゃ。彼や彼女達を守ってやってくれ。年寄りは、最後の大仕事を終えたら、隠居して静かに余生を過ごしたいの……」
 そうボヤキながら、近右衛門はこの麻帆良学園本校女子中等学校にある学園長室に向かった。

 授業中に、先生達の殆どはエヴァンジェリンの姿に驚いていた。一時間目と二時間目のガンドルフィーニの化学実験の授業の時はみんなで少し離れた場所にある第一化学実験教室にやって来て、酸化と還元の実験の為の機材が乗っている机にそれぞれ座ったのだが、ネギとエヴァンジェリンの場所には肝心の実験器具が無かった。
 実験のグループ分け……というか席順は教室の席順と同じだ。二人一組で実験をする。理由は定かではないが、教室の席替えもしないし、教室の移動も無いので、半永久的に座席は移動しないのだ。
 チャイムが鳴って、ガンドルフィーニが入ってくると、エヴァンジェリンが居る事に驚き、次に実際はエヴァンジェリンが来ないだろうと思ってネギには別の生徒と実験を組ませようと考えていたのだが、慌てて実験器具を用意した。
 謝りながら実験器具をネギとエヴァンジェリンの机に置くと、少しだけ眉を顰めたが、ネギに実験用の薬品についてアレコレ講釈しているのを聞き、若干呆気に取られながらも苦笑して授業に入った。
「マグネシウムの酸化と銅の還元、それに加えて硫黄の還元もか……ちょっと面倒だな」
「サボっちゃ駄目ですよ?」
「分かってるよ……」
 小さく舌打ちをしながらも、渋々と実験器具にガンドルフィーニの指示通りに薬品を入れて実験をしていると、段々楽しくなってきたのか、調子に乗ったエヴァンジェリンは小さな声でネギに自分の魔法薬の精製の巧さを自慢したりもしていたが、授業中に話をするな! とガンドルフィーニに叱られ、ガンドルフィーニを睨むとネギに注意されるというちょっとおかしな光景が見れたりもした。
 当初こそ、エヴァンジェリンを危険視し、いつかまたネギを狙いだすのでは? とガンドルフィーニは考えたが、ネギとは良好な関係であると、何年も生徒達を見てきた教師としての観察眼が判断を下し、万が一の場合には全力を持って今度こそ、生徒達だけに危険な真似はさせん! と意気込みながら授業に集中する様になった。
「それじゃあ、今日の実験のレポートを木曜日の朝に化学係に渡す様に、そうそう、ネギ君とエヴァンジェリン君はコレを渡していなかったね」
 そう言って渡したのは実験レポートの書き方というプリントだった。
「宿題……」
 エヴァンジェリンは心底嫌がったが「じゃあ、今日帰ったら一緒にやりましょう!」とネギに半ば無理矢理に約束させられてウンザリ気な顔をしながらも、内心満更でもなさそうな表情を浮べた。

 三時間目は現国の新田が入ってくると、エヴァンジェリンの姿を確認した途端に目頭を押さえた。
「な、なんだ!?」
 さすがのエヴァンジェリンも面を喰らったが「ようやく……授業に出る気になったのだな」と心底嬉しそうに言い出す新田に何も言い返せなくなってしまったが、授業後にエヴァンジェリンにだけ大量の宿題を出された事で、エヴァンジェリンは喚きたてた。
「何を言っとるか! 今までサボっていた分を取り返さねばイカン!」
 新田の雷が落ち、目を白黒させて素直に受け取った。純粋に自分を思って怒られた事など無かったので、エヴァンジェリンは呆然としてしまったのだ。
 宿題は漢字の書き取りと読書感想文で、読書用に『約束の国への長い旅』という恐ろしく読んでいて疲れる本を渡されて、ウンザリした。

 四時間目は神多羅木の数学だったが、神多羅木は入った直後に「ほぅ……」と呟いただけで、後はエヴァンジェリンを気にせずに授業を行った。エヴァンジェリンにも問題に答えるように言ったが、いい加減に宿題の多さに苛立ってきていたエヴァンジェリンは無視しようとしたが「出来なければ宿題を出さねばならんな。ああ、勿論この後の小テストで最下位から5名にも宿題を出すがな」と言われ、明日菜を含めたバカレンジャーは悲鳴を上げた。
 エヴァンジェリンもこれ以上の宿題は冗談じゃないとキチンと解答しようとしたが、
「な、何だこの問題!?」
 そこには『3で割って1余る整数と、3で割って2余る整数の和は3の倍数である。このわけを文字式を用いて説明せよ』と黒板に書かれているのだ。
 普通の数式ならエヴァンジェリンにも余裕だったが、論理の問題になると、今までサボってきたツケが回ってきて、即座に回答が出てこなかった。
「どうした、エヴァンジェリン君?」
 サングラスの神多羅木は、言い知れぬプレッシャーを放ち始め、エヴァンジェリンは感じた事の無い嫌な感覚に飲み込まれ始めた。すると、小さな声でネギが囁いた。
「エヴァンジェリンさん、3の倍数で割って1余るなら3の倍数プラス1です。それに、3の倍数は3に自然数をかけた物です」
 ヒントなら構わないのか、神多羅木はネギが囁く言葉を注意しなかった。ネギのヒントを聞いて、エヴァンジェリンはハッとした。
「そ、そうか、余りを足せば3になる。ならっ!」
「よし、分かったようだな、前に出て黒板に答えを書け」
 神多羅木はニヤリと笑みを浮べると、エヴァンジェリンに指示を出した。解答の求め方を理解したエヴァンジェリンは余裕を持って前に出て解答をチョークで書いた。
 aとbという記号を使い巧みに解答を導き出したエヴァンジェリンに「よくやった、正解だ」とニヒルに笑みを浮べた神多羅木は当然、エヴァンジェリンに宿題を出すことは無かった。
「助かったぞ」
 見事に正解出来た事で機嫌が良くなったエヴァンジェリンは素直に礼を言うと、ネギはニッコリと笑みを浮べた。

 昼食は明日菜、茶々丸、ネギ、エヴァンジェリンで食べる事になった。木乃香達はどうやら何か相談しているらしく、遠くで固まって何かをしているのが見えたが、明日菜はネギがどんなに聞いても答えてくれなかった。
「ふむ、オコジョ妖精とは珍しい使い魔だな」
 エヴァンジェリンはポケットから出て、木乃香に作ってもらったネギのお弁当のミートボールを一つ手に取って食べているカモを見ながら呟いた。
「珍しいの?」
 明日菜が聞くと「どうしてコイツまで……」と嫌な顔をするエヴァンジェリンを無視して茶々丸が答えた。
「そうですね。基本的にオコジョ妖精自体が少ないのもありますが、オコジョ妖精よりも梟や烏などを使い魔にする事の方が多いのです。諜報活動には飛行能力がある方がいいので」
 オコジョ妖精が出来る事は大概の魔法使いなら簡単に出来る事ばかりだったりする。それに、未熟な魔法使いだと扱い難い種族であり、忠誠心がここまで強いオコジョ妖精は珍しいそうだ。
 明日菜は茶々丸の説明を聞きながら「うっめ、メッチャうめ!」と小さな声で感動しながらミートボールを食べているカモを見つめた。
 見ているとお腹が空いて来る食べっぷりだ。明日菜もミートボールに舌鼓を打った。
「しあわせー!」
 カモは満腹になってネギの机の上に横になりながら眠り始めた。
「自由な奴ね……」
 明日菜が呆れた様に言うと、ネギは苦笑した。
「カモ君、学校に来る時はいつもポケットの中だし、下手に喋れないからストレスが溜まってたみたいで」
 幸せそうなカモのお腹を優しく撫でながらネギは自分の分のミートボールを口に入れた。
「しかし、本当にうまそうだな。一つもらっていいか?」
「どうぞ!」
 エヴァンジェリンはネギの弁当箱に箸を伸ばすと、そのおいしさに感心した。
「なるほど、確かに美味いな」
 感心するエヴァンジェリンは自分の弁当箱に入っている卵焼きをネギの弁当箱に入れた。
「礼だ。茶々丸の卵焼きも負けてはいないぞ」
 ニヤリと笑みを浮べるエヴァンジェリンに「ありがとうございます!」とお礼を言うと、ネギは卵焼きを食べて感動した。
 溶ける様に柔らかくて甘い卵焼きはネギの好みにピッタリだったのだ。
「おいし~!!」
 ネギの様子に、明日菜も茶々丸に卵焼きを貰うと「確かに美味しい!」と歓声を上げた。基本的に食事を取らない茶々丸だったが、少し多目に作ってしまったので、最初から明日菜とネギにお裾分けするつもりだったのだ。
 実は、エヴァンジェリンが学校に行く前から挙動不審になっており、それを楽しそうですね、と言ったらネジを巻かれてしまい、分量を間違えたのだ。
「そうだ、代わりに私も茶々丸さんにミートボールあげる。はい、あ~ん!」
「!? えっと……あ、あ~ん!」
 突然の事に驚き、頭が熱を発するのを感じながら、茶々丸は味覚センサーを起動させて口を開いた。明日菜は茶々丸の口に自分のお箸でミートボールを運んだ。口の中にミートボールが入ると、茶々丸の口内に存在するセンサーが起動した。
 これは擬似的に食事が出来る様に作られた茶々丸にオプションとして作られた機能で、口の中に入った食べ物を味覚センサーで調査し、料理のスキルアップに繋げられる様になっているのだ。総合的な情報を集約し、この料理が美味しいのかどうかも品評する事も可能で、このミートボールは十分に美味しいと評価できる物だった。
「なるほど、これは美味しいですね。木乃香さんはお料理がお上手のようです」
「でしょでしょ~! でも、茶々丸さんの料理も負けて無かったわ!」
 実際、卵焼き以外にも色々と貰って、明日菜は幸せそうな笑みを浮べていた。明日菜の表情に、茶々丸は笑みを浮べると、明日菜はどんな料理が好きなのかを事細やかに聞きだしたりしていた。

 五時間目は源しずなの英語の授業で、ネギとエヴァンジェリンは以外にも難しい顔をしていた。
「なんだ……この『これはペンでしたか?』『いいえ、それは最初からパソコンです』ってのは……」
「と、時々不思議な言葉が出てきますよね」
 まるで新品の様な教科書を開くエヴァンジェリンは、最初のページのシュールな英文に首を傾げていた。

 六時間目は瀬流彦の社会で、時々エヴァンジェリンはネギにコッソリと「あれは実際は違ってな……」と教科書に書いてあったのとは違うらしい、自分の体験談を語っては一々リアクションを取るネギと楽しく過ごしていた。
 ちなみに、瀬流彦は自分の授業を楽しんでくれてるんだ、と勘違いして更に張り切り、何とも微笑ましい姿だった。

 放課後になると、エヴァンジェリンは茶々丸と帰ろうとしたのだがその前にネギ諸共に明日菜達に拉致され、昨日と同じ場所で今度は『エヴァちゃんとも仲良くなっちゃおうぜい! パーティー!』が開かれ、逃げ出そうとすると、タカミチまでやって来てニコニコしながら逃げ道を塞ぎ、その日は翌日が休みな事もあり、一晩中パーティーが続いた。
「コイツラの体力は化け物か……」
 無理矢理ダンス大会でネギと踊らされ、次から次へと食事を買ってくるせいで、エヴァンジェリンとネギはヘロヘロになってしまったが、その傍で酒も無いのに夜明けになっても少女達のテンションが留まる事は無かった。



[8211] 魔法生徒ネギま! [第一章・吸血鬼編] 第八話『闇の福音と千の呪文の男』
Name: 我武者羅◆cb6314d6 ID:87b1fc72
Date: 2010/07/30 05:49
魔法生徒ネギま! 第八話『闇の福音と千の呪文の男』


 そこは小さな廃村だった。崩れた家屋の建築様式を識る者が見ればそこがシベリアの山奥なのだと気が付くだろう。
 少し離れた場所では大勢の人々の悲鳴と爆発音が響き渡っていた。大勢の軍服に似た服を着た胸に十字架を掲げ、各々の武器を持った人間が降り積もった雪を覆う程にたった一人の女性を殺そうと殺気立っていた。
「神に反逆する異教徒よ、その中でも最たる者! 我等ロシア教会殲滅機関なり! 貴様をこの地で葬ってくれる!」
 巨大な十字架を右手に構えた一人の男が上空に浮かぶボンテージドレスを着た金砂の髪を月明りに濡らす女性に向かって吼えた。
「フハハハハハッ! その程度の兵力で私に挑むか、戯け!」
 百人を越える敵を前にして、女性――エヴァンジェリンの余裕は崩れなかった。
「クッ! なめおって、我等の力を見せてくれる! 我が術式は“神の力(エクスシアイ)”! 中位三隊の一角にして、悪魔を滅ぼす役目を担いし者也! “開放(メシャ)”!」
 男の持つロシア教会殲滅機関所属十字架型特殊聖装“神の力(エクスシアイ)”が起動する。
 “神の力”は“八端十字架”と呼ばれるロシア正教及びウクライナ正教に於いて頻繁に使われる短い“一”の字の下に長い“一”の字があり、その更に下に斜めになった“一”の字があり、その三つの“一”の字を一直線に貫いた形をしている。
「参るぞ! 主や、爾の国に来らんとき、我等を記憶ひ給へ“善智なる盗賊(ラズボイニカ)”!」
「ナニッ!?」
 男の術式が発動した瞬間、エヴァンジェリンは強烈な“重み”を感じた。
「馬鹿なっ! 重力系統の魔法か!?」
 驚愕するエヴァンジェリンに男は厭らしい笑みを浮べた。
「知っているかね? 八端十字架の一番下の線が斜めになっている理由を?」
 周りに居る男達も各々の聖装を構えだした。目の前で得意気に語っている男の程強力な力を感じる物は無いが、一つ一つが退魔に関しては強力な力を宿している聖装だ。
「神の子と共に処刑されし二人の盗賊の死後を現すと聞く……、そういう事かっ!」
 エヴァンジェリンは牙を剥き出しにして叫ぶが、男の余裕の笑みは消えなかった。
「その通り、“善智なる盗賊(ラズボイニカ)”は異端を地に堕とす。そして、我等信徒に対しては力を与える! 皆の者、構えよ! この忌まわしき醜悪なる怪物を殲滅するのだ!」
 忌々しげに舌打ちをするエヴァンジェリンに周りに居る百人以上の男達は一斉に各々の剣や斧、銃、十字架、槍、弓、ナイフ、少し変った棒などを構えた。
「断罪せよ!」
 男の掛け声と共に、男達は一斉にエヴァンジェリンに襲い掛かった。
 勝った! 男がそう確信した瞬間、男の体は崩れ落ちた。
「馬鹿……な」
 その背後には、ケタケタと笑う不気味な緑色の髪を持つ小さな人形が巨大な鉈を持って笑っていた。鉈には男の物と思われる血が付着している。
「馬鹿なっ!? アレクセイ司祭がやられただと!?」
「だが、闇の福音は葬った!」
「待て! これは!?」
 統率者がアッサリと殺された事で動揺した男達はいつの間にか聖装で串刺しにしていた筈のエヴァンジェリンの姿が無い事に気がついた。
「あそこだ!」
 男達の一人が上空を見上げて叫んだ。
「ケケケケケケ、オ前達、全員アノ世デ暮ラセ!」
 鉈から血を滴らせる人形は心底愉快気に笑い声を上げた。
 その直ぐ近くで、エヴァンジェリンがゴミを見る様な眼差しで地上の男達を見下し、右手に凄まじい魔力を集中した。
「リク・ラク・ラ・ラック・ライラック! 契約に従い、我に従え、氷の女王。来れ、とこしみのやみ、“えいえんのひょうが”!」
 掲げていた手を振るうと、一瞬にして男達を巻き込み、一体を氷原へと一変させた。
「クハハハハハハッ! 私に挑んだ事を悔やみ続けるがいい、永遠の凍える夢を見続けよ、“こおるせかい“!」
 エヴァンジェリンは高笑いをしながら右手を氷原に向けた。
 瞬間、氷原に幾つ物魔法陣が浮かび、氷原が中に居る男達を巻き込んで魔法陣へと集まっていく。
「たかが百人程度で来るとは、600年経って尚も学ばぬ奴等だ。腐れ人間共め」
 幾つもの魔法陣の上に、巨大な氷柱が出来、その中には苦しげな顔をしたまま氷の中に封印され、裸になった男達の哀れな姿があった。
「フッ、この国には少しくらい私の暇潰しの相手になる奴はいないのか! まったくつまらんよ」
 髪に手櫛を入れながら詰まらなそうにエヴァンジェリンはぼやいた。
「ケケケケケケケ、コノ十字架モ頂クゼ! コノ剣モ貰ッテイクゼ。ヒャハハハハハハ!」
 狂った様に叫びながら、エヴァンジェリンの従者である小さな人形、チャチャゼロは男達が落とした聖装を一つ残らず奪い取って行った。エヴァンジェリンはチャチャゼロが戦利品を押収している間、村の中を見て回った。
 不意に、ガサガサと遠くで音が聞こえた。
「誰だっ!?」
 エヴァンジェリンは物音が聞こえた場所に走ると、右手を物音の聞こえた場所に向けながら叫んだが、物音を立てたであろう男はまったく頓着せずに落ちているナイフの様な物を拾っていた。男達の持っていた聖装の内の一つが、何かの弾みに飛んで来たのだろう。
「い~ものあるじゃんか! も~らいっと!」
 拾ったナイフを嬉しそうに懐にしまう男に、エヴァンジェリンは眉を顰めた。
「そこで何をしている? 答えろ! お前は何者だっ!?」
 エヴァンジェリンは苛立ちながら叫ぶが、男は完全にエヴァンジェリンを無視して地面に落ちている武器や変な道具を漁り続けた。
「おっ! これもいいじゃん!」
 まるでハイエナの様な目の前の盗人に、エヴァンジェリンは苛立ちを堪えきれなくなった。
「消えろ!」
 構えた右手から無詠唱で闇の魔力を開放すると凄まじい爆発音と共に砂煙が巻き上がり、周囲一体を吹き飛ばした。
「フッ……、許せとは言わん。憎め、それが私の生きる糧となるのだからな」
 目を細めながら後ろを振り向いたエヴァンジェリンは、直後に目を見開いた。煙が晴れた場所から、快活そうな男の声が聞こえたのだ。
「あっぶねぇ奴だな! 急に何やってくれてんだよ!」
 男は黒のハイネックシャツと黒のズボンの上に真っ白なマントを着込み、背中に長い杖を持って耳をほじりながら無傷で立っていた。
「無傷だと!? 馬鹿な、貴様は何者だ!?」
 エヴァンジェリンの声に、男はめんどくさそうに欠伸をした。
「俺か? 俺の名はナギ・スプリングフィールドっつうんだ。ま、名乗る程の者じゃねえけどよ」
 ニッと笑みを浮べるナギは血の様に紅い髪が印象的な吊り目の若者だった。ナギの名乗りに、エヴァンジェリンは目を細めた。
「ナギ……ナギ・スプリングフィールド。聞いた事がある名だな。確か、サウザンドマスターだったか? 面白い……。貴様ならば私の退屈を埋められそうだな。貴様の力、どれほどのものか私に見せてみろ!」
 エヴァンジェリンは右手を前に突き出すと、無数の闇と氷の魔力の弾丸を放った。
「うわっ、あぶね!」
 最初の弾丸を避けると、ナギはニヤリと笑みを浮べて舌で上唇を舐めた。
「よっ!」
 迫り来る無数の弾丸の間を、ナギは次々に瞬動術で華麗に躱していく。
「ふざけおって……。まともに戦わぬか! ならば、リク・ラク・ラ・ラック・ライラック」
 避けてばかりのナギに苛立ったエヴァンジェリンは強力な魔法で一掃しようと呪文を唱え始めた。
「契約に従い、我に従え、氷の女王。来れ、とこしえ……」
「おいおい、なんだか凄げ~の唱えてないか?」
 余裕の笑みを浮べながら、ナギは「いくぞ!」と呪文を詠唱し終えたエヴァンジェリンの目の前に一瞬で移動した。魔力を集中していた右手の手首を左手で握ると、その方向を全く関係ない方向に向けた。
「なに!?」
 目を見開くエヴァンジェリンの顔に、ナギは自分の顔を近づけ、その頬を右手でなぞった。
「なんだ、目の前で見ると可愛いじゃね~か。“闇の福音”とか言うからてっきり怖ぇのかと……」
「なっ!?」
 ナギの真っ直ぐな視線に、エヴァンジェリンは顔を赤くした。すると、いきなり視界が網目状になってしまった。
「にゃ!?」
 ナギは心底意地悪そうに笑みを浮べながら、ニンニクを結び付けた大きな網をエヴァンジェリンに被せたのだ。ポカンとしているエヴァンジェリンを見ながら、ナギはニヤニヤと愉しそうに笑みを浮べている。
「なんだこれは? 私を魚か何かと間違えて……、って、うわあああああああああっ!?」
 顔を引き攣らせていたエヴァンジェリンは網に結び付けられていたニンニクに気がついて絶叫した。
「フフ……、お前の苦手なものくらい知ってるぜ。何しろ有名だしな」
 ナギはニヤニヤとした笑みを止めずに、涙を流しながらパニックを起しているエヴァンジェリンを嗜虐的な眼差しで眺めていた。
「やめろ卑怯者! ここから出せ~~! あうう~~」
 頭の中がこんがらがり、エヴァンジェリンは変身を解いてしまった。幼い姿に戻ってしまったエヴァンジェリンを見て、ナギは爆笑した。
「ワハハハハハハハハハハハハハハッ!! こ、これが噂の吸血鬼の正体かよ!! おチビじゃん!!」
「黙れ!!」
 腹を捩って壊れた様に笑い続けるナギに、網の中からエヴァンジェリンは涙目で怒鳴った。
「これがサウザンドマスターのする事か~っ!」
 エヴァンジェリンの文句に、ナギは突然不機嫌になって怒鳴った。
「悪かったな! 俺が覚えてる魔法なんざ5,6個しかね~し。勉強も苦手でな、魔法学校も中退だ!!」
「ふえ? へ? えええええええええっ!?」
 あまりの事にエヴァンジェリンは目を見開いて絶叫した。
「そんな……そんな奴に負けたのか? 私が、この闇の福音が……」
「へへ……じゃ~な~」
 プルプルと振るえながら打ちひしがれているエヴァンジェリンにソッポを向くと、ナギは右手を振りながら立ち去ろうとした。
「貴様、このまま行くつもりか~っ!? これ外せ!!」
「別にお前捕まえにきたんじゃね~し。たまたま通り掛かっただけだしな。これ以上悪さすんなよ~!」
「ま、待て! お前は“立派な魔法使い(マギステル・マギ)”なんだろ!? アッチで私が何をやったか知らない訳では無い筈だ!!」
 エヴァンジェリンが叫ぶと、ナギは鼻で笑った。
「何言ってんだよ? あんな封印、時間が経ちゃ解けるし、誰か、救援の魔法使いが駆けつければ簡単に開放される様な魔法を自分を殺しに来た相手に使うとはね~」
 ニヤニヤしながら、ナギはエヴァンジェリンを見た。エヴァンジェリンはムムムと唸りながらナギを上目で睨みつけていると、ナギは今度こそ「じゃあな!」と言って立ち去ってしまった。
 そのまま、ワナワナと震えながらナギは立ち去って行くのを見つめていると、エヴァンジェリンは言い知れぬ焦燥感に駆られた。そのまま、エヴァンジェリンはナギの後を一ヶ月間追い続けた。

 一ヵ月後、とある山の奥地。
「で、どうしてお前、俺についてくるわけ?」
 唇を尖らせながら後ろを歩くエヴァンジェリンに、もう何度目かの質問を投げかけた。
「私ともう一度勝負しろっ! あんな勝負で納得いかん!」
「勝負とかい~じゃん、ちっちぇえな。めんどくせ~し、俺についてきてもいい事なんか無ぇぞ。どっか行け!」
 シッシッと追い払う様に手を振るナギに、エヴァンジェリンはナギを指差して宣言した。
「ヤダッ! お前が勝負してくれるまで、どこへ逃げても地の果てまで追ってやるぞ! いいかげん勝負しろ!」
「地の果て……俺が行くのはそんな生易しい場所じゃね~っての……」
「ん? 何か言ったか?」
 ナギの呟いた言葉が、エヴァンジェリンには小声過ぎて聞こえなかった。
 突然ぐううううううううっという変な音が響いた。
「え?」
 ナギは目を点にしてエヴァンジェリンを見た。
「あ、こ……これはその……」
 顔を真っ赤にしてあわあわしているエヴァンジェリンに、ナギはプッと噴出してしまった。
「あっはははははは! そうか、そうだよな~吸血鬼でも腹は減るよな~」
「こ、こんの~~!!」
 プルプルと震えだしたエヴァンジェリンに、ナギは「仕方ね~な」と笑みを浮べながら、少し遠くに見える村に視線を向けた。
「あそこの村に寄って飯を喰おうぜ?」
「あっ! 私との勝負は……」
 村に向かって駆け出したナギに顔を真っ赤にして叫ぶが、またお腹が鳴り、更に顔を赤くしてテクテクとエヴァンジェリンはナギを追いかけた。

 到着すると、村はクリスマス一色だった。
「寒いと思ったらもうクリスマスの季節か」
 村を見渡しながらナギはエヴァンジェリンに声を掛けると、エヴァンジェリンは親子が愉しげにクリスマスツリーの前で遊んでいる姿を眺めていた。
「……どうした?」
「いや……、クリスマスなどくだらん!」
 プンプンと怒りながら早歩きで歩き出したエヴァンジェリンに、ナギは目を細めた。
「ムキになって、どうしたんだよ?」
 溜息を吐きながら、ナギはエヴァンジェリンの背中に声を投げかけた。
「ムキになんてなってない! 私は何百年も生きてるんだぞ……。こんな、イベント……見てるだけで腹が立ってくる!!」
 そのままエヴァンジェリンはツカツカと歩いていくと、またお腹が鳴りだした。
 ナギはプハッっと噴出すと顔を真っ赤にして震えているエヴァンジェリンに近寄って行って、頭を撫でた。
「お前さ、腹が立ってるんじゃなくて、腹が減ってるんだろ?」
 ニヤニヤしながらナギはエヴァンジェリンが頬を膨らませるのを見た。
「う、うるさい!!」
 そんなエヴァンジェリンに、ナギは小さく溜息を吐いた。
「俺の血……吸っていいぜ?」
「は?」
 エヴァンジェリンは一瞬、ナギの言っている言葉の意味が理解出来なかった。ナギはエヴァンジェリンに首筋が見える様に服の襟を掴んで伸ばした。
「お、おかしな奴だ……。まあ、お前がそこまで言うなら……その、吸ってやらんでもないが」
「ハイハイ、分かったから早くしなさいね? 道端でちょっと恥いんだからよ」
 顔を引き攣らせているナギに、エヴァンジェリンはチラリと顔を向けると、おずおずとナギの首筋に口を近づけて……止めた。
「ん?」
「止めた……。やっぱ止めた!」
「は?」
「お、お前の施しなんか受けん!」
 フンッと鼻を鳴らして、エヴァンジェリンは顔を背けた。その姿に、ナギはフッと微笑を漏らすと「そうかい」と言ってエヴァンジェリンの頭を撫でようとして、そのままエヴァンジェリンの体を抱き抱えると前に跳んだ、
「なっ!?」
 エヴァンジェリンはいきなりナギに抱き締められて顔を真っ赤にした。
 次の瞬間、さっきまで居た場所に大きなクリスマスツリーが降って来た。
「何? 何でいきなりツリーが……?」
 眉を顰めるエヴァンジェリンに答えるかの様に、少し離れた……丁度エヴァンジェリンが遊んでいる家族を見つめていた場所から悲鳴が聞こえた。
 視線を向けると、そこには三体の悪魔が家族を襲っていた。
「誰か助けてー!」
 母親が二人の兄妹を庇うようにしながら叫んだ。エヴァンジェリンは咄嗟に動こうとした瞬間、疾風の様に隣に居たナギが家族に巨大な手を振り下ろそうとしていた悪魔に雷の魔力をぶつけて一瞬で送還した。
「貴様……魔法使いか!?」
 残る二体の内の一体がナギの存在に驚愕すると背後からエヴァンジェリンが闇の魔力で体を切り裂いて送還した。
「ひいい!!」
 家族は怯えた悲鳴を上げた。エヴァンジェリンは睨む様に残った悪魔に右手を向けると呪文を詠唱した。
「来たれ氷精、大気に満ちよ。白夜の国の凍土と氷河を……『凍る大地』」
 地面から無数の氷の槍が生えて、一瞬で悪魔の体をバラバラにして送還した。
「フンッ、雑魚め」
 三匹全てを倒し終え、エヴァンジェリンは満足気に鼻を鳴らした。ナギも首を鳴らしながらフゥと息を整えた。
「おい、大丈夫か?」
 ナギが声を駆けると、三人の家族は“ナギとエヴァンジェリンに向けて”怯えた表情を見せて走り去ってしまった。周囲の民家や店も、扉や窓を一斉に閉じてしまった。
 無人になった広場の遠くから、僅かに開いた窓の隙間から、睨む様に村人達が怒鳴り始めた。
「失せろ!!」
「消えろ!!」
「何でこんな小さな村に魔法使いが来るんだ!!」
「とっとと村から去れ!!」
 罵声を浴びせられながら、エヴァンジェリンは詰まらなそうに鼻を鳴らし、ナギはエヴァンジェリンの手を取った。
「行こうぜ、エヴァンジェリン」
 その後は、お互いに無言で村を出て行った。

 山奥で、手頃な岩に魔法で穴を開けて、ナギとエヴァンジェリンは焚き火を焚いて野宿をしていた。
 不意に、チラチラと真っ白な雪が降り始めて、ナギの鼻に乗った。少し離れた所ではエヴァンジェリンが背中を向けて寝転がっていた。
「雪……寒いな。お前もコッチに来てあったまれよ」
 ナギが首を曲げてエヴァンジェリンに声を掛けると、エヴァンジェリンは鼻を鳴らした。
「人間なんて……皆勝手だよ」
 その声はどこか泣きそうだった。
「……お前、私のものにならないか?」
 エヴァンジェリンは頬を赤く染めながら、呟くように言った。答えが返って来る筈も無いと理解していながら。
「ックション! う、さすがに今日は冷える……」
 雪が寝転がっていたエヴァンジェリンの体の上に薄っすらと膜を作り始めると、エヴァンジェリンはくしゃみをしながら首を振って、雪を払いのけた。
 すると、背後からゴソゴソと音が聞こえて、エヴァンジェリンの体の上に暖かい物が乗せられた。
「な、何をしている!?」
 それは、ナギの着ていたマントだった。
「寒いだろ? ガキなんだから無理すんなって」
「ガキッ!? わ、私はお前よりも遥かに年上でだな……」
「なら余計に年寄りは労わらねえとな」
 ナギは頬を膨らませるエヴァンジェリンの頭をニカッと笑みを浮べながら乱暴に撫でた。
「い、いつか絶対ぶっ殺す!!」
 顔を真っ赤にしながら叫ぶと、エヴァンジェリンはナギのマントに包まれた。
「でも……温かいな」
 エヴァンジェリンはナギに聞こえないように小さな声で呟いた。

 翌日になって、エヴァンジェリンは岩のテントの中でチャチャゼロに起された。
「大変ダゾ御主人! 村ガ火事ダ!」
 切羽詰った様なチャチャゼロの声にエヴァンジェリンは頭を押えながら目を開いた。
「うるさい。私は朝が苦手なんだぞ……」
 ノロノロと起き上がると、欠伸を噛み殺しながらエヴァンジェリンは村の見える丘に脚を向けた。
「この前の奴等の仕業か……」
 エヴァンジェリンは炎に巻かれている村を睨みながら詰まらなそうに鼻を鳴らした。
「いい気味だ。あんな村……燃えてしまえ!」
 歯を噛み締めながら、エヴァンジェリンは忌々しげに叫んだ。
 すると、突然握り締めていたナギのマントが奪われた。驚いて目を向けると、ナギがニッと笑みを浮べながらマントを着て杖を握り締めていた。
「お前……まさか!」
 呆然としているエヴァンジェリンに、ナギは背中を向けた。
「別に、助けに行くんじゃね~よ。朝飯前の準備運動だ! 待ってていいぜ?」
 そう言うと、ナギは燃え盛る業火に包まれた村に向かって走り出した。
「ま、待て、ナギ!」
 エヴァンジェリンも慌ててナギを追いかけた。

 燃え盛る火炎が空を覆い、凄まじい数の悪魔が村を蹂躙していた。村中に悲鳴が木霊する。
 大人も子供も泣き叫び、この世の終わりの様に絶望しながら次々に悪魔達によって家を焼かれ、飾りつけたクリスマスツリーは薙ぎ倒される。
 命を落とした者も居た。
「魔法使い……サウザンドマスターは何処に居る!!」
「早く出て来い、サウザンドマスター!! 出て来なければ一人残らず喰らい尽くすぞ!!」
 折角のクリスマスが悪夢に成り代わっていた。おぞましい殺気を放ち、次々に人々に襲い掛かる悪魔達の内の一人があの時の家族の男の子に拳を振り上げていたが、その拳が届く事は無かった。
 凄まじい雷撃によって悪魔は一瞬にして炭化し消滅した。最早、送還も許さんとばかりに、魂ごと魔力によって強制的に消滅させる。
「やっとお出ましか、サウザンドマスター!! 昨日は随分と暴れてくれたらしいな!!」
 悪魔の内の一体が叫ぶがナギは鼻で笑い飛ばすと頭をぼりぼりと掻いた。
「はぁ? 知らね~よ。そう言えばハエが五月蝿かったが……もしかしてお前達の仲間だったか?」
 悪魔にも負けぬ恐ろしい殺気を放ち、ナギは悪魔を睨み付けた。
「クッ!」
 悪魔が怯んだ先に、男の子の母親が男の子を抱き抱えた。
「アンタ達のせいで村がこんな事に……どうしてくれるのよ!!」
 母親はナギとエヴァンジェリンに向かって罵声を浴びせた。エヴァンジェリンは舌打ちをしたが、ナギは無表情に悪魔をにらみ続けている。
「フハハハハハッ!! 随分と嫌われてるじゃないか、よう? 正義の味方さんや!」
 怖気の走る笑い声を上げる悪魔を、ナギは詰まらなそうに見ると、後ろに居るエヴァンジェリンに顔を向けた。
「おい、エヴァンジェリン。一緒に村を守るぞ?」
「なに!? どうして私があんな人間共なんかの為に力を使わねばならんのだ!」
 遠くからナギとエヴァンジェリンに向かって罵声を投げ掛ける村人達を忌々しく思いながら、エヴァンジェリンはナギの心が判らなかった。
 どうして、あんな奴等を救おうとするのかが――。
「行くぞ!!」
「って、おい!!」
 だが、ナギは答えずに悪魔達に特攻して行った。
「随分と威勢がいいじゃないか、サウザンドマスター!!」
「へっ!」
 嘲笑を含んだ悪魔の言葉に、ナギは鼻で笑うと大量に実体を持った分身を作り出す東洋魔術の一つ“忍術”の“多重影分身の術”を発動し、大量の悪魔を拳で殴りつけるだけで送還していく。
「お前達程度、拳だけで十分なんだよ!!」
「クッ、ならばこっちの小さいのから遊んでやるよ!!」
 ナギの強さに恐れをなした悪魔達は狙いをエヴァンジェリンに変えた。
 なんと愚かな事だろう。ナギとエヴァンジェリンを比べれば、未だ拳で殴るだけで送還してくれるナギの方が優しいと言うのに――。
「私と遊ぶか? 一億年経っても未だ早いぞ!!」
 エヴァンジェリンは動く事も無く、迫る悪魔達を無詠唱で作り出した無数の氷の魔弾を放った。
「この程度!」
 悪魔達は全身に氷を浴びながらも耐え切り、吼えた。
 エヴァンジェリンは憐れな道化と化した悪魔に死の言葉を与えた。
「『氷爆』」
 全ての氷の魔弾が爆発し、悪魔を魂諸共吹き飛ばす。
「なんだ……あの途轍もない力は――ッ! まさか、馬鹿な、何故貴様等が一緒に居るのだ! サウザンドマスターと闇の福音が何故一緒に居る!?」
 一体の悪魔の叫びに、未だに生存していた悪魔達一体残らずに絶望が襲い掛かった。自分達が敵対してしまった存在の巨大さに今更気が付いたのだ。
「まあ、俺は別に居たくて一緒に居るんじゃね~けどな~」
「なんだと!」
 ニヤニヤ笑みを浮べるナギに、エヴァンジェリンは顔を真っ赤にして怒鳴る。
「それは、お前が私との勝負を受けて経とうとしないからだ!」
「そーだっけ?」
「なんならこの場で決着を着けて今すぐおさらばしてやってもいいんだぞ」
 ワナワナと震えて怒るエヴァンジェリンにナギは苦笑を漏らした。
「おいおい、今はそれ所じゃ……ってあれ?」
「契約に従い、我に従え、氷の――」
 エヴァンジェリンの唱えている呪文に、ナギは顔を青褪めさせた。
「ちょっ!? 仕方ない、こうなったら俺も!!」
 ナギはエヴァンジェリンの超特大魔法に備えて杖を構えた。その顔は何処か活き活きとさえしている。
「お、おい! お前達の敵は俺達じゃ……」
「五月蝿いぞ雑魚共!!」
「五月蝿いぞ脇役共!!」
 冗談抜きで特大魔法をぶつけ合おうとしているナギとエヴァンジェリンに悪魔の一体が恐る恐る声を掛けると、とんでもない殺気が襲い掛かり、悪魔達は金縛りにあったように動けなくなってしまった。
 だが、その殺気を向けた先に居たのは悪魔達だけでは無かった。
「ヒッ!」
 小さな男の子が居た。あの時の家族の男の子だ。悪魔の一体がナギとエヴァンジェリンの恐怖に咄嗟に男の子を人質にしようと捕まえて首筋に爪を近づけた。
「おい! こいつがどうなってもいいのか!?」
 ハッとしたナギは、今まさに最強魔法を撃とうとしているエヴァンジェリンに待ったを掛けた。
「待てるか! 私がこの日をどれだけ待ったと……ん?」
 エヴァンジェリンも気が付いた。地上で男の子を殺そうとしている悪魔の存在に。
「これ以上手を出したら、こいつの首を掻っ切るぜ?」
 悪魔の手の中で、少年は泣く事すら出来ずに目を見開いて震えていた。ナギは憎悪に満ちた目で悪魔を睨み付けた。そのナギの周りに残存していた悪魔達が群がって来た。
「分かってるだろうな? サウザンドマスター!」
 悔しげに下唇を噛み締めると、ナギは杖を落として膝をついた。
「やれ」
 抵抗の意思を見せずに無防備な姿を曝すナギに、少年を人質に取った悪魔は厭らしい笑みを浮べると命令した。爪で切り裂かれ、蹴られ、殴られ、炎に燃やされ、それでもナギは抵抗をしなかった。
「貴様等!」
 エヴァンジェリンは凄まじい殺気と魔力で空間を歪ませると悪魔達は僅かに怯んだ。
「やめろ……“エヴァ”!!」
「――――ッ!? 何故だ……何故、人間の為にお前がそんなに傷つく必要があるのだ!!」
 血を吐くように叫ぶエヴァンジェリンにナギはまるで土下座をする様に両手を地面につけると、顔をエヴァンジェリンに向けた。
「手を出すな……エヴァ」
「――――ッ!?」
 エヴァンジェリンは目を背けたかった。ナギは悪魔達に嬲られ、痛めつけられた。体中からは血を流し、骨は砕け、内臓にもダメージがいっているらしく、口からは止め処なく血の塊が吐き出された。
 その姿に、村人達は顔を青褪めさせた。自分達の愚かさを理解して。そして、目の前の惨状に。
「ハハハハッ!! これが天下無敵のサウザンドマスターの姿か! 情けない奴だ! 惨めだ! クハハハハハハハハハッ!!」
 悪魔の耳障りな声が響く。エヴァンジェリンは血が出る程に両手を握り締め、瞳には涙を溢れさせた。今直ぐにでも飛び出して悪魔達を血祭りに上げたかった。
 それを、ナギは止めてくれと言った。人質の子供の為に。
「どうすればいい……」
 目の前で、悪魔に首を絞められ吊るされているナギの姿が目に映った。
「もし、お前がこの場で負けを認めて許しを乞うなら見逃してやってもいいぞ?」
 ニヤニヤと笑みを浮べる悪魔に、エヴァンジェリンは頭が沸騰しそうだった。
「ナギッ!?」
 エヴァンジェリンの叫びが木霊する。すると、ナギが弱々しく口を動かした。
「ま、参った……」
「ナギ!?」
「…………な~んて、この俺様が言う訳ねえだろ!! 男はなぁ……参ったなんて言葉は死んでも言わねぇんだよ! 特に――」
 ナギはチラリとエヴァンジェリンに視線を向けた。
「ナギ……?」
「特にな……女の前では絶対に言わねぇ!!」
「ナギッ!!」
「テメエ……舐めた口聞きやがって、死にやがれ!!」
「このままではナギがっ!」
 エヴァンジェリンは咄嗟に自分の服のコートに施している戦利品や押収品を仕舞っているゲートを開き、中に手を突っ込むと中から十字架を取り出した。
「全てを救うというのが貴様の言葉だろ! ならば、私達の事も救ってみせろ! “神の力”よ! 中位三隊の一角にして、悪魔を滅ぼす役目を担いし者也! “開放(メシャ)”!」
「ナニッ!?」
「エ……ヴァ?」
 突然の事に、悪魔とナギが同時にエヴァンジェリンに視線を向けた。
 “神の力(エクスシアイ)”が起動し、エヴァンジェリンの魔力を吸い取っていく。
「本来は信仰心によって起動させるのだろうが……私は元より全知全能の神など信じん! だが、お前の力が本物だと言うなら、私に力を貸せ! 主や、爾の国に来らんとき、我等を記憶ひ給へ“善智なる盗賊(ラズボイニカ)”!」
 一瞬呆けてしまった悪魔は咄嗟に少年の首を掻っ切ろうとしたが、凄まじい圧力によって体が地面に押し付けられてしまった。代わりに少年は光に包まれて母親の元に届けられた。
 クリスマスを祝う信仰心の強い村人達であったからこそだった。
「エヴァ! いくぞ!」
「おう!」
 ナギとエヴァンジェリン、二人の呼吸が重なり合った。
「来れ雷精 風の精 雷を纏いて 吹きすさべ 南洋の嵐。『雷の暴風』!!」
「来たれ氷精、闇の精。闇を従え吹けよ常夜の吹雪。『闇の吹雪』!!」
 ナギの杖からは雷と風の魔力が、エヴァンジェリンの手からは闇と氷の魔力が爆発した。凄まじい旋風と化した二つの竜巻は一つに重なり合い、新たな力へと姿を変えた。
「喰らえ! 『黒き雷氷の旋風』!」
「喰らえ! 『黒き雷氷の旋風』!」
 二人の掛け声と同時に、二人の魔法は悪魔達を一掃して魂諸共、塵も残さずに消滅させた。
「クッ……」
「おっと……」
 苦しげに息を吐きながらナギは倒れそうになるのをエヴァンジェリンが支えた。
「済まねえ……」
「まったく、ボロボロになってまでどうして人間など助けるのか理解出来ん……。人間なんて、助ける価値など……」
「さて……ね」
 ナギはエヴァンジェリンの頭を撫でながら杖を支えに立ち上がった。
 すると、トテトテと少年が駆け寄ってきた。
「あ、あの!」
 少年はスッとナギに小さな袋を差し出した。少年は満面の笑みを浮べた。
「メリークリスマス」
「?」
 少年の行動の意味が、エヴァンジェリンには分からなかった。エヴァンジェリンが首を傾げていると、周りから村人達が集まって来た。
「アンタ達のおかげで助かったよ」
「え?」
「あのままじゃ全滅だった……。昨日は済まなかったな」
「??」
 エヴァンジェリンはキョロキョロしながら戸惑いを隠せなかった。
「これは……?」
 エヴァンジェリンは目を丸くしていると、頭の上にナギの手が乗っかるのを感じた。その顔には、傷だらけだというのに心底嬉しそうな笑みが浮べられていた。少年が、エヴァンジェリンとナギに顔を向けた。
「僕達を助けてくれてありがとう……本当にありがとう!!」
 口々にお礼を言う村人達に、エヴァンジェリンはポカンとしていると、ナギが満足気に微笑んだ。
「……おう!」
 それから、村ではクリスマスパーティーが開催された。主役は勿論ナギとエヴァンジェリンだった。焼け残った家から持ち寄ったご馳走が村の広場に並べられ、エヴァンジェリンも料理を口に運んだ。
「うまい……」
「エヴァ、人間も捨てたもんじゃねえだろ?」
 隣に立っているナギがウインクをした。エヴァンジェリンは鼻を鳴らすとソッポを向いた。
「フンッ、ついさっきまで魔法使いを嫌っていたのに今ではこれだ。正直、私にはついていけん」
「まぁ、そう言うなって」
「だが……」
「ん?」
「気持ちは通じる……という事だな」
 エヴァンジェリンは躍ったりして賑やかにしている村人達を見て柔らかく微笑みを浮べると、ジュースを口に運んだ。ナギはそんなエヴァンジェリンを見て目を細めた。
「やっぱ……噂なんて当てになんね~よな」
「ん? 何か言ったか?」
「いんや……ちょっと待ってろ!」
 言うと、ナギは急いで何処かに走って行ってしまった。エヴァンジェリンは首を傾げると、少ししてナギは急いで戻ってきた。
「どうしたんだお前……?」
 エヴァンジェリンが眉を顰めると、ナギは小さな可愛らしい袋をエヴァンジェリンに手渡した。
「メリークリスマス、エヴァ。その、何だよ。クリスマスプレゼントだ」
 頭を掻きながら、少し照れ臭そうにしてナギはエヴァンジェリンにニッと笑い掛けた。
「え……?」
 呆然としたエヴァンジェリンに、ナギはフッと笑みを浮べると「開けてみろよ」と言った。
「あ、ああ……」
 顔を赤らめながら、エヴァンジェリンはゆっくりと震えながら袋を慎重に破かない様に開いた。
「ったく、まどろっこしいぞ! 一気に破れよな!」
 ナギが文句を言うが、エヴァンジェリンは「うるさい!」と怒鳴って、恐る恐る中身を見た。
 中には、小さな銀のロケットが入っていた。
「いいのか……?貰って」
「いいんだよ! んでよ……もし、また一緒にクリスマスを迎えたら……その時はまたプレゼントをやるよ」
「え……?」
 エヴァンジェリンは目を丸くしてナギを見ると、ナギはソッポを向いて頭を掻いていた。エヴァンジェリンは顔を真っ赤にして、慌ててワインをボトルごと飲み干した。
「プハ~ッ!」
「ちょっ!? なにしてんだいきなり!!」
「うるひゃいぞ!! いきなり……お、お前が変にゃ事言うからだにゃ!!」
「ね、猫!?」
 ワインで酔っ払った振りをしながら、エヴァンジェリンは呆れた様な笑みを浮べるナギに甘えた。生涯で一番の思い出になるくらい。長い年月が経っても忘れないくらい。
 その後、村の写真屋でエヴァンジェリンは無理矢理写真を撮らせ、ロケットの中に二人の写真を収めた。ナギは頬を掻いて微妙な表情をしていたが、エヴァンジェリンは満足気に微笑んでいた。

 村から出てから数日が経ち、時々、困っている人間が居ては手を差し伸べて、エヴァンジェリンはナギと共に人々を救った。
 そんな中、エヴァンジェリンにはナギが何かを探している事に気が付き、とある山奥の霧の濃い湖に到着した。
「ここは?」
「『造物主の掟(コード・オブ・ザ・ライフメーカー)』の『グランドマスターキー』の一つが封印されている神殿がある筈なんだ」
「『造物主の掟(コード・オブ・ザ・ライフメーカー)』?」
 エヴァンジェリンが聞き慣れない言葉に首を傾げると、ナギは答えずに湖の上を歩き始めた。エヴァンジェリンも追い掛けると、少し歩いた所でナギが立ち止まっていた。
「どうしたんだ?」
「この霧はな、無限回廊なんだ。一度入れば出られないタイプのな……」
「何だと!?」
 いきなりの爆弾発言にエヴァンジェリンは目を剥いた。
「どういう事だ!?」
 エヴァンジェリンが怒鳴り声を上げると、ナギはククッと笑みを浮べた。
「そう怒るなって。別に何も考えずに踏み込んだ訳じゃ無いんだぜ?」
 そう言うと、ナギは持っていた杖を振り上げた。いつもナギが使っている変った杖だった。
 かなりの耐久力と魔力伝導性を持っているが、それだけにしては大き過ぎて、普通の魔法使いならあまり使う気に成れなさそうなほど大きな杖だ。ナギは杖を掲げると、魔力を篭め始めた。
 呪文も詠唱していないのに、杖に巻いている白い布の表面に文字が浮かび上がり、ドクンドクンと杖がまるで鼓動しているかの様な音を放ち始めた。杖自体が震え、ナギはそのまま杖を振り下ろした。
 それまで湖を覆っていた霧が嘘の様に消し飛んでしまった。
「な……っ!?」
 唖然としていると、ナギは再び歩き出した。向かっているのは、姿を現した小さな小島だった。本当に小さく、民家が一軒建てられるかどうかという程だ。
 そこには光り輝く不思議な球体が浮遊していた。山吹色に輝くソレにナギはゆっくりと近づいて行った。
「それは何なんだ!?」
 エヴァンジェリンはつい大声を張り上げた。球体の中には恐ろしい程に美しい剣が入っていたのだ。
「エヴァ……ここで見た事、聞いた事、あまり人に話すな。コイツは、『造物主の掟(コード・オブ・ザ・ライフメーカー)』の『グランドマスターキー』の一つだ。千年以上前のだけどな……」
「鍵なのか……? だが、これは……」
 エヴァンジェリンはナギの言葉が理解出来なかった。目の前にある光の球体の中にあるのは、どう見ても“剣”だったからだ。ナギはおもむろにその球体の中に手を入れた。
 すると、球体は破裂し、凄まじい光が立ち上った。上に落ちていく光の滝が消え去った後、ナギはその手に球体に入っていた剣を持っていた。
 太陽が隠れ、月明りに照らされながら、まさしく西洋剣といった感じの剣だった。刀身の長さは五尺余りもある長い刀身から白金の光を放っている。鍔は白亜の不思議な材質で、中央に真っ赤な宝石が埋め込まれていりる。不思議な模様が描かれ、幅五寸もある刃が伸びている。
 刃は先に行くほど幅を広げて、一番広い部分で七寸を越えていそうだ。先はキチンと三角形になっている。
 刃に沿って弧を描いている鍔に血の様に紅い柄が伸び、その先には短冊の様な飾りがついている。鍔に当たる部分のモノと同じ材質の不思議な白い部位には同じ様に漆黒の模様が伸びていて、先には、同じ様に紅い宝石が埋め込まれている不思議な剣だった。
「聖剣か……?」
 思わず、エヴァンジェリンはそう呟いた。そう思わずにはいられない程美しく気品に溢れる剣だったのだ。
 ナギは首を振った。
「違う。コレは正真正銘の鍵だ……」
「どういう事なんだ?」
「済まねぇな。こればっかりは話す訳にはいかねえんだ」
 それっきり、ナギは剣を自分用の空間操作魔法を使った鞄に入れて、二人はナギが用事があると言う日本に向かった。その先で待ち受ける悲しい出来事を知らず、エヴァンジェリンはナギと共に幸せそうに笑みを浮べていた。

 そこは、麻帆良学園の学園結界の境界のすぐ外側だった。エヴァンジェリンは中に入る訳にもいかず、ジッとナギの事を待ち続けていた。中に用事があると言って、数週間が過ぎていた。
 未だ雪が降り積もる寒い時期でエヴァンジェリンはひっそりと森の中でキャンプをしながら待ち続けた。これからナギと共に行く場所を想像して、従者のチャチャゼロにからかわれて、それでもエヴァンジェリンは幸せだった。
 人を救って感謝されるのも悪くないと思った。人間も、悪くないと思った。このまま、この幸せな日々が続いて欲しいと思った。
 ナギが……欲しかった。
 雪が止む頃になって、ナギがエヴァンジェリンの下に戻って来た。エヴァンジェリンは顔を輝かせながら、それをナギに悟らせまいと顔を背けた。
「も、もう用事は済んだのか?」
 チラリと横目でナギの姿を伺うと、ナギは顔を伏せていて表情が見えなかった。
「ナギ……?」
 エヴァンジェリンが首を傾げながら声を掛けるが、ナギは返事を返してくれない。
「おいっ! 無視するんじゃないぞナギ!」
 エヴァンジェリンが怒鳴ると、ナギは漸く顔を上げた。ナギの顔には、何の表情も浮かんでいなかった。
 この数ヶ月の旅の間、いつも笑顔だったり怒り顔だったり、とにかく表情豊かだったナギの無表情に、ナギは驚いて不安になった。
「どうしたんだ……? おい、ナギ?」
 恐る恐る声を掛けると、ナギはゆっくりとエヴァンジェリンの顔を見つめた。思い詰めているように見えて、エヴァンジェリンは気遣う様に声を掛けようとして口を開いたが、ナギが先に口を開いてしまった。
「エヴァンジェリン……ここでお別れだ」
「え……?」
 エヴァンジェリンは、ナギが何を言っているのか分からなかった。頭の中が白くなり、エヴァンジェリンは震える様に首を振った。
「何……言ってるんだ?」
 ナギは表情を変えなかった。口を堅く閉ざし、ただ、その目はナギを見ていた。
「離れんぞ! そ、そうだっ! お前が戦ってくれるまでは離れんと言った筈だぞ私は!」
 エヴァンジェリンは震えた声で叫んだ。ナギは目を閉じると「分かった。なら、今ここで決着を着けよう……」と言った。
「え?」
 エヴァンジェリンはナギを見つめ返した。そこに居たのは、大きな杖を構えているナギの姿だった。心の底まで冷え込む様な感覚だった。首を振り、エヴァンジェリンはナギから後退した。
「嫌だ……。どうしてだ? どうして、そんな事言うんだよ……。また、クリスマスプレゼントをくれるって言ったじゃないかっ!? 何で、何でだっ!!」
 エヴァンジェリンは両目に涙を溢れさせて叫んだ。だが、ナギは表情を変えずに、「構えろ……“闇の福音(ダーク・エヴァンジェル)”」と言った。
 エヴァンジェリンはショックを受けた表情で固まり、歯を砕けてしまいそうな程噛み締めた。
「お前が……その名で私を呼ぶなっ!!」
 右手に闇の魔力を集中し、エヴァンジェリンは駆け出した。
「……それでいい」
 ナギは一瞬でエヴァンジェリンの背後に飛ぶと、エヴァンジェリンに拳を振り上げた。エヴァンジェリンは反応していない。だが、ナギの拳は止められた。怒りに震えたチャチャゼロによって。
「ドウイウツモリダ?」
「チャチャゼロ……」
 チャチャゼロの震えた声に、ナギは目を細めた。
「ドウイウツモリダッテ聞イテイルンダ!!」
 チャチャゼロは両手の鉈で残像すらも残らない速度で無茶苦茶な数の斬撃をナギに向けたが、ナギはそれを悉く躱し、杖をチャチャゼロに向けた。
「来たれ虚空の雷、薙ぎ払え! 『雷の斧』!」
 ナギの杖から吹き出た魔力はチャチャゼロの真上に留まると、次の瞬間にチャチャゼロに凄まじい雷撃を喰らわせた。
「チャチャゼロ!?」
 エヴァンジェリンは慌てて呪文を詠唱しナギに右手を向けた。
「連弾・氷の199矢!!」
 凄まじい数の氷の魔弾を、ナギは容易く躱したが、エヴァンジェリンは気にする事も無くチャチャゼロを見た。焼け焦げて戦闘不能になっていたが、それでも修理できるレベルだったが、エヴァンジェリンはナギに殺気を向けた。
「ナギイイイイイイイイ!!」
 闇の魔力がナギに向けて放たれる。ナギが避けた瞬間に凄まじい威力の爆発が起こり、地面に半径50mものクレーターを作り出した。
「リク・ラク・ラ・ラック・ライラック!! 契約に従い、我に従え、氷の女王。来れ、とこしみのやみ、“えいえんのひょうが”!!」
 素早く呪文を詠唱すると、エヴァンジェリンは右手を逃げるナギに向け続けた。背後に絶対零度の冷気が迫るが、ナギの表情は崩れなかった。
 それが、余計にエヴァンジェリンには忌々しかった。ナギは懐から小さな手帳を開くと、杖を背後に向けた。
「契約に従い我に従え、炎の覇王。来れ、浄化の炎、燃え盛る大剣。『燃える天空』!」
 ナギの杖から噴出した地獄の業火がエヴァンジェリンの“えいえんのひょうが”とぶつかり合い、凄まじい爆発が起こった。
「グウッ!」
 エヴァンジェリンは反動を障壁で防御しながらも、蒸気で周りが見えなくなってしまった。その蒸気の向こうから、ナギの詠唱が聞こえる。
「影の地、統ぶる者。スカサハの我が手に授けん。三十の棘もつ愛しき槍を。『雷の投擲』!」
 煙を突き抜けて、凄まじい光を放つ雷の槍がエヴァンジェリンに迫った。エヴァンジェリンは舌打ちをするとほど同時に自分の影の中に飛び込んだ。直ぐ近くの森の中に逃げ込むと、煙が晴れた先にナギの姿を確認した。
「どうしてだ……ナギ!?」
 心の中は悲しみで溢れ返り、涙が止まらなかった。
「私はこんなのを望んだんじゃない! こんな……こんな戦いを望んでなんか無かったんだっ!! リク・ラク・ラ・ラック・ライラック!! 二重の縛鎖を破り、ありえぬ六角より紡がれし神の紐に縛られし神の仔よ。ああ、叫びの岩より薄き鎖を打ち砕き、咆哮封ずる剣を引き抜け。祖は月と太陽を飲み込みし魔狼の父、憎悪を喰らいて――――」
 エヴァンジェリンの叫びを耳にしたナギはエヴァンジェリンの居る森に杖を向けた。
「過去と未来を写す紅蓮、三十六の軍団を率いて天に昇らん地獄の統率者よ。深く昏き地より我が懇願に答えよ! 我が眼前を遮る者達に等しき安息の眠りを!! 『紅蓮の咆哮』!!」
「全てを凍て付かせよ!! 『氷狼の息吹』!!」
 お互いに最強レベルの魔法を放つ。エヴァンジェリンの手からは青白い閃光がまるで狼の頭の様な形を作り出し、ナギの手から放たれた紅蓮の業火は龍の頭の様な形を作り出した。お互いの魔法がお互いを喰らい尽くそうと互いのアギトを開き、蹂躙する。
「オオオオオオオオオオオオオッ!!」
「ハアアアアアアアアアアアアッ!!」
 暴れ回る炎と氷の魔力の奥義が絡み合い、お互いを破壊せんと喰らい合う。エヴァンジェリンは涙を流し、顔を歪めながら全ての魔力を開放した。
 600年を生きた古血の吸血鬼の全ての魔力を喰らった“氷神の牙”は一気にナギの放った“紅蓮の龍砲”を消し飛ばし、そのまま一気にナギの居た場所を空間中の水分ごと氷結させてしまった。
「ハァ……ハァ……ナギの……馬鹿……。何で、何で――――ッ!?」
 膝をついたエヴァンジェリンは突然の怖気に顔を上に向けた。その先には、凄まじい雷の魔力を杖から放とうとしているナギの姿があった。
「ナ……ギ?」
 呆然として見つめるエヴァンジェリンに、ナギは杖を振り下ろした。
「『千の雷』!!」
 天空が光に溢れ、エヴァンジェリン目掛けて超広範囲殲滅魔法が降り注いだ。エヴァンジェリンはその瞬間に瞳を閉じた。
「私は……愚かだった。そうだよな……私みたいな化け物がお前と一緒に居られる訳……無かったんだよな? でも、楽しかった……ナギ……ありが……とう」
 次の瞬間に自分の体は消滅しているのだろうと覚悟し、エヴァンジェリンは溜息を吐いた。
 悪くないかもしれないと思った。幸せを感じながら、こうして死ねるのなら、と胸中で呟きながら、エヴァンジェリンはいつまで経っても来ない“死”に首を傾げた。
 すると、頭に暖かいナニカが乗った。目を開かなくても分かった。
「ああ……お前の手はやはり温かい……」
 ナギが何かを呟いている。目を開くと、頭の上に乗っていたのはやはりナギの大きな手だった。
「エヴァ……」
 エヴァンジェリンが見上げると、ナギは見た事も無い様な優しい笑顔をエヴァンジェリンに向けていた。
「ナギ……?」
「すげえ敵が来る……。俺は負けやしねーが、しばらく帰れねーかもしれん。 俺が帰って来るまで麻帆良学園に隠れてろ。あそこなら安全だ、結界があるからな」
「戦い……? それなら、私も!」
 エヴァンジェリンが涙を流しながら懇願する様に叫ぶが、ナギは首を振った。
「ここで……、俺を待っててくれ。それとな……、これからは光に生きろ。それが出来た時、必ずお前の所に帰って来て、お前の呪いを解いてやる」
「呪い?」
「『登校地獄』」
 頭の上でナギが呟くと同時に突然頭上が光りだした。その光はエヴァンジェリンの体に纏わりつき、そのままエヴァンジェリンの中に溶け込んでいった。
「ナギ……ッ!? 何をしたんだ、私に!!」
 エヴァンジェリンは自分の体に溶け込んだ光に一瞬、凄まじい吐き気を感じた。エヴァンジェリンがナギに叫ぶと、信じられない事をした。ナギがエヴァンジェリンを抱き締めたのだ。
「え……?」
「俺は……戻ってくる。必ずな。待ってろ、絶対に帰ってくるから……、今は眠れ」
 最後の方は、エヴァンジェリンには聞き取れなかった。優しい光に包まれて、エヴァンジェリンはいつしか気を失っていた。
「もう……いいのか?」
 突然、若い男の声がした。二十歳くらいの青年だった。濃色の狩衣を身に纏い、絹の様に滑らかな長い黒髪を首の後ろでくくっている。
「ああ、エヴァの事を頼む。……絶対に戻る」
 そこに現れた青年にエヴァンジェリンを預けるとナギは背を向けた。最後にチラリと眠っているエヴァンジェリンに顔を向けて、マントを頭までかぶり、もう二度と振り返らなかった。
 数年後、エヴァンジェリンの下にナギ・スプリングフィールドの死亡が伝えられた――。

「――とまぁ、お前の親父と私の話はここまでだな」
 そこまで話終えたエヴァンジェリンは少し疲れた様に、それでもどこか懐かしげに目を閉じて茶々丸の淹れたお茶に口をつけた。
「エヴァちゃん……グスン」
「ウウ、グスン……。エ、エヴァンジェリンさん……」
 話を聞いていたネギと明日菜は溢れる涙を止めることが出来なかった。二人が居るのはエヴァンジェリン邸のログハウスのリビングだった。高級感の溢れるテーブルの周りに並べられた椅子に座りながら、二人はエヴァンジェリンと宿題をしていたのだ。
 ガンドルフィーニの授業中に約束した通りに宿題を一緒にやろうとネギが明日菜と共に訪ねて来て、そのまま茶々丸とエヴァンジェリンと一緒にレポートや数学の宿題をこなしていた。
 エヴァンジェリンは当初こそ面倒臭がっていたが、宿題の量を考えて悪くないかと考えて一緒にやる事にしたのだ。そんな折に、ネギが休憩がてらにエヴァンジェリンに父との話を聞かせて貰ったのだ。出会いから別れへの短くも長い話を。
「アイツは結局約束を破った。私を待たせたまま……帰って来なかった」
 瞼を閉じて、呟く様に言うエヴァンジェリンにネギ達は何も言えなくなった。大切な人を失った悲しさはネギにも分かったが、だからと言って、慰めの言葉など思いつかなかった。
 黙りこくっていると、何だかネギは違和感を覚えた。首を傾げながら、何かを忘れている気がした。
「って、そうだ!」
「――――ッゲホゲホ。ど、どうしたんだ?」
 ネギが突然声を張り上げたのでエヴァンジェリンは飲んでいたお茶を器官に入れてしまって咽た。
「だ、大丈夫、エヴァちゃん?」
 明日菜はエヴァンジェリンの背中を優しく撫でるが、エヴァンジェリンは少し涙目でゲホゲホと咳き込んだ。
「あ、ごめんなさいエヴァンジェリンさん」
「いいから、何だ?」
 エヴァンジェリンが再び聞き返すと、ネギは恐る恐る言った。
「その……生きてる……と思うんです。お父さん……」
「は?」
「だからその……私、6年前に会ってるんです。お父さん……ナギ・スプリングフィールドに」
「…………はぁ!?」
 エヴァンジェリンは今度こそ目を見開いて固まってしまった。明日菜と茶々丸は何が何だか判らずに首を傾げて、ネギは固まってしまったエヴァンジェリンに冷や汗を流している。
「な、何を馬鹿な!! アイツは確かに死んだと……」
「でも、6年前に確かに会ったんです。雪の日でした。助けてくれたんです、大量の悪魔に村が襲われた日に。その時に、杖を貰ったんです!」
「……どういう事だ?」
 エヴァンジェリンは睨む様にネギを見ると、ネギは唾を飲み込み、エヴァンジェリン、茶々丸、明日菜を順番に見た。カモは少し離れた場所で、エヴァンジェリンの回想に出て来た小さな人形――チャチャゼロとお酒を飲みながらネギ達を見つめている。チャチャゼロも黙って視線を向けている。
 チャチャゼロは、エヴァンジェリンの作り上げた人形に魂を宿した従者だ。その動力はエヴァンジェリンの魔力であり、封印されている為に話す事は出来るが、自分で動くことは出来ない。だが、視線程度ならば動かすことが出来て、その瞳は真っ直ぐにネギを貫いていた。
「お話します。あの雪の日の事。きっと、エヴァンジェリンさんには話さないといけないから」
 真っ直ぐにエヴァンジェリンを見つめてネギは言った。すると、明日菜は気まずそうに口を開いた。
「えっと……なら、私と茶々丸さんは出て行った方がいいかな? 何だか……聞いちゃいけない感じだし……」
 明日菜は遠慮がちに言ったが、ネギは首を振った。
「明日菜さんにお任せします」
 ネギは真っ直ぐな視線で明日菜を見た。聞くのも聞かないのも明日菜に任せると告げて。明日菜はその視線を受けて少し後ずさると、やがて小さく息を吐いた。
「聞かせてくれるなら。聞くわ!」
 ネギは黙って頷くと、語り始めた。六年前に起きた、惨劇の夜の事を――。



[8211] 魔法生徒ネギま! [第一章・吸血鬼編] 第九話『雪の夜の惨劇』
Name: 我武者羅◆cb6314d6 ID:87b1fc72
Date: 2010/07/30 05:50
魔法生徒ネギま! 第九話『雪の夜の惨劇』


 その子供は呆れるほどに一途で真っ直ぐで……愚かだった。ウェールズの山奥に在る年間を通して涼しい事はあっても、暑い日は来ない、そんな小さな村だった。
 村人達は全員が魔法使いで、英雄サウザンドマスターの信奉者だったり、命を救われた者だったり、彼、ナギ・スプリングフィールドに縁のある者達ばかりが集まった集落だった。
 この村が出来た理由は分からない。まるで、そこに何か彼の大切なモノがあって、それを守っている様だった。真実、村人達はそこに住む一人の子供を守り続けていた。
 ある時は悪魔を殺し、ある時は魔法使いを殺し。それを、決して子供に知らせる事は無かった。子供が彼の事を聞くと、ある者は皮肉気に、ある者は愉快気に、ある者は親しげに、誰もが彼を賞賛した。彼の偉業ばかりを聞かされた子供は、見た事も無い彼……父親を尊敬した。
 両親が居ないのを悲しんだ事もある。村の子供達が羨ましかった事もある。子供は只管に父親を欲した。偉大なる英雄の父を自分のモノにしたかった。
 人々が危機に陥った時に現れる正義の味方。彼に会いたくて、子供は只管に自分を追い詰め続けた。ある時は猛犬を解き放ち、ある時は木から飛び降り、ある時は手首を切り、ある時は冬の湖にその身を投じた。
 従姉妹の女性を悲しませ、それでも子供は諦められなかった。関係の無い人々にも救いを与えるなら、実の子供である自分にも必ず救いをくれる筈だと。何を間違えたのだろう? 子供はただ父親に会いたかった。姉は子供を愛していた。幼馴染の少女は子供の身を案じていた。村人達は英雄の息子を守り続けていた。
 子供が村から少し離れた場所に冒険をしにたった一人で向かってしまった事が始まりだった。愚かな子供は、それが何を意味しているかしらなかった。たった一人で村の外に出てしまった子供は、見た事も無い化け物に襲われた。
 全身が真っ白な外殻に覆われた不気味な存在だった。
《見つけたぞ……漸く、見つけた》
 まるで、壊れたラジオの様に聞き取り難い声が響き、ネギは全く動けなくなってしまった。怖気の走る程の歓喜の色が見えた。涙と涎を垂れ流し、恐怖だけで死んでしまいそうな程だった。だが、目の前の化け物は子供を……ネギを襲う事は無かった。
《忌々しい結界よ……。我はそこには行けぬ。だが、我は貴様を見つけた》
 外殻に覆われ、表情など分からない筈なのに、心の底から冷たくなる様な、あまりにも綺麗で、あまりにも恐ろしい笑みを浮べている気がした。
 ネギは意識を失ってしまった。気が付いた時には、自分の家に戻っていた。目覚める前の事は靄が掛かったように思い出せなかった。目を覚ましたネギは、窓のカーテンの外から真っ赤な光が溢れているのを感じた。
「何だろう?」
 ネギが窓に近づくと、突然ネカネがネギの手を取った。
「お姉ちゃん?」
「あらあら、起きたのね。さあ、ご飯にしましょうね」
 ネカネはニコやかな笑みを浮べてネギの手を取ったまま、窓から離れてネギの家のリビングに向かった。ネカネがネギの家に居るのが不思議だった。
 いつもは長期休暇以外は魔法学校に行っている筈だからだ。ネギの幼馴染の少女、アーニャと一緒に……。
「お姉ちゃん、学校はどうしたの?」
 ネギが聞くと、一瞬だけネカネの肩が震えた。
「今日は……お休みなのよ。だから、お姉ちゃん帰って来たの」
 ネカネの声に、どうしてかネギは不安になるのを抑えられなかった。
「アーニャはどうしたの?」
 いつもなら遊びに来る筈の少女も居なかった。
「アーニャは、メルディアナに残ったわ。ネギも来年からメルディアナだもんね。一杯友達を作るんだから、元気をつけなくちゃいけないわ。さあさあ、シチューを食べましょう」
 ネカネはネギに顔も向けずにそう言うと、ネギを椅子に座らせて深皿にシチューを盛り付けた。ネギは戦慄した。
 寝惚けていた目では気が付かなかった。ネカネの顔は、まるで死人の様に真っ青で、目は空ろになり、シチューを置く時も手が震え続けていたのだ。
「どうしたのお姉ちゃん? 顔色が悪いよ? お医者さんに行く?」
 ネギが心配そうに聞くと、ネカネは微笑みながら首を振った。
「大丈夫よ。大丈夫。あなたは何も心配しなくていいの。さあ、シチューを食べなさい」
 有無を言わさぬネカネの口調にネギは怖くなった。まるで、全く知らない人がネカネに化けている様な気分だった。恐ろしくなったネギはチラリと玄関に目を向けた。
「――――ッ!?」
 絶句した。玄関の扉には、結界が張られていたのだ。それも並ではない。外からの進入は勿論、中からも到底出られそうにない程の強力な結界だった。幼いネギは未だ魔法に関する知識をあまり持ち合わせていなかったがそれでも張られている札や描かれている魔法陣の数に驚きを隠せなかった。
「お姉ちゃん、どうして玄関を封印してるの? あれじゃあ、お外に出られないよ?」
 ネギは恐る恐るネカネに聞くと、ネカネはまたニコやかに微笑んだ。
「大丈夫よネギ。大丈夫。あなたは何も心配する必要が無いの。さあ、シチューをお代わりしましょうか」
 ネカネはそう言って、未だ一口も食べていないシチューの皿を持って、その上にシチューを掛けた。当然、溢れたシチューは零れている。だというのに、ネカネはまるで気が付いていないようだった。
「お姉ちゃん……?」
「大丈夫よネギ。大丈夫。大丈夫だから、シチューを食べなさい」
 ネギは顔を引き攣らせた。怖気が走った。恐怖に体中を蝕まれ、体が震え上がった。
「ごめ……なさい……」
「ん?」
「ごめん……なさい……」
「どうして謝るの? ネギ」
 ネカネは笑顔を崩さずに小首を傾げる動作をした。
「だって……怒ってるんでしょ? お姉ちゃん……怖いよ?」
 ネギは恐々とネカネを見ながら呟くと、すぐにハッとなって慌てて頭を下げた。
「ご、ごめんなさいお姉ちゃん!!」
 頭を下げたまま謝り続けるネギの頭の上に、ネカネの優しい手が乗った。まるで、壊れ物を扱う様に、優しい手付きで頭を撫でてくる。
「大丈夫よ。不安なのね? 大丈夫。心配しなくていいの」
 全身から鳥肌が立った。
「何……これ?」
 全身に冷や水を掛けられた様な感覚だった。すると、突然家が震えた。
「何っ!?」
 ネギが慌てて部屋中を見渡すと、再び家が揺れた。地震などではない。まるで、巨大なハンマーで家を破壊しようとしている様なとんでもない衝撃が連続した。
「大丈夫よ、ネギ」
「え……?」
 ネギは目を見開いてネカネを見た。
「――――ッ!?」
「大丈夫だから……大丈夫だからシチューを飲んで。一緒に家の中で遊びましょう。外に出ないで、一日中家の中に居ましょう」
 ネギはネカネの顔を見て絶句した。涙を流し、それでも笑みを浮べようとしている。
「何があったの!? お姉ちゃんっ!!」
 ネギが叫ぶと同時に、再び家が揺れて、何かが割れる音がした。
「――――ッ!?」
 ネギは動けなかった。戦闘所か平和な日常の中で、一番の危機と言えば自分で巻き起こした危機だけだったのだから。脚は棒の様になって動かない。舌も指の一本までもが動かなかった。
 そして――、家は崩壊した。

 それは、数時間前に遡る。ネギが行方不明になり、すぐに村人総出でネギの捜索が始まった。
 見つかった時には、ネギは横たわっていた。最初、ネギが死んでいるのではないかと発見した捜索チームの面々は恐怖したが、ネギはスゥスゥと小さな寝息を立てているのを見て安堵した。ネギをつれて帰って来ると、心配していたネカネは一目散にネギの下に駆け寄った。ネカネはその日、メルディアナの校長のお使いで、偶然に村に居たのだ。
 眠っているネギは当然反応を示さない。それでも、生きている事にホッとした。村で一番の魔法使いであるスタンが回復の魔法を掛け続けた。万が一という事を考えてだった。
 やがて、瞼が動いたネギに、安堵したスタン老人が顔を覗きこむと、ネギは目を見開いて絶叫した。驚いたのはスタンの方も同じだった。
 ネギが最後に「白い……化け物……」と呟いて再び眠りに落ちていった瞬間に、スタンは声を張り上げた。
「今直ぐ、村人全員を召集せよ!!」
 村一番の魔法使いの只事では無い様子に、村人達は一も二も無く従った。スタンの命令で、最初に眠っているネギを守る為にネギの家に隠匿と防御の結界を村人総出で張った。
 ネギに眠りの魔法を掛けるべきという意見もあったが、万が一に備えてネカネが共に家の中に入る事になった。
「スタンさん……」
「ネカネよ、時が来たのじゃよ……。アイツが……ナギがしておった事は、儂も詳しくは知らん。じゃが、これだけは分かっておる。何度も言われておったからな……。 “敵”は恐らく儂達では勝てぬ相手じゃろう……。じゃが、お主達に危害は加えさせやせんよ。ネギを頼むぞい」
 そう言って、スタンは内側に貼る札や描く魔法陣の為のチョークをネカネに渡し、家を完全に封印した。全てが終わった後に、誰かが解くまで決して解けぬ様に……。
 その後、戦闘力の強い者を除いて、特に子供の居る者は子供ごと村から退去させた。それでも、残った者は多かった。元々、子供が少ない村だった事と、ナギの形見を守ろうと終結した彼らの団結力が、彼らをこの村に留めたのだ。
 そして、惨劇は始まった。襲来したのは、あの化け物ではなかった。
 無数の漆黒の肉体を持つ悪魔達が次から次へと出現する。中には、伯爵クラスと呼ばれる悪魔までもが出現し、次々に村人達は切り裂かれ、焼かれ、凍らされ、石にされ、次々に命を落としていった。
「暗黒の闇に抱かれし者よ、真実を見破る尊き光を奥底に秘めし者。二重の鏃を打ち込み、我が請いに応え給え。汝が力を今ここに顕現せよ! 邪悪を喰らいて打ち砕け。『地獄の雷』!!」
 目の前に群がる無数の悪魔の足元から、漆黒の雷が上空まで、まるで逆さまになった滝の様に迸り、一気に悪魔達を消滅させたが、それでも尚悪魔達の数は減らなかった。
 最大の奥義を放ったスタンは力尽き……逃げた。
 逃げなければならなかった。村一番の魔法使いとは、即ちは一番生き延びる可能性の高い魔法使いでもある。
 ネギを村から出す事は出来なかった。この村は、“ネギを守る為の村”であり、ネギを守る為の仕掛けが施されているが、準備も無しにネギを安易に外に出せば、ネギを狙う者にとってはかっこうの機会となってしまう。様子を見て居た者までもが敵として襲い掛かってくる可能性があるのだ。
 味方と同じくらいに敵が多過ぎる“魔法世界(ムンドゥス・マギクス)”など論外であり、一般人の里が近いメルディアナなどで匿う訳にもいかず、それ故の村だったのだ。ネギの存在を可能な限り隠し、知った者は記憶を忘れさせずに破壊し、最悪な時は殺してきた。
 決して子供達、特にネギとその世話をしているネカネには伝える事の出来ない村の秘密だった。スタンが掛けた魔法は、隠匿の魔法の中でも最上級の魔法だった。己の命が尽きるまで続く強力な魔法だ。誰かに術者が殺されなければ、永遠に続く呪いに近い魔法。解除するには、死ぬしかない。
 この術が続いている限り、ネギとネカネは外に出られない。悪魔達が居なくなるまで隠れて、居なくなったら自害する。それは、誰にも話していない。
 スタンが逃げたのは村の隠し洞窟。昔、ここに村が出来る前にナギが使っていた隠れ家だった。洞窟の奥には、不思議な台座があり、そこには変な窪みがあった。それが何なのか、誰も聞いた事が無かった。
 スタンだけが、一度だけ聞いた事があった。
『ここには鍵の一つがあったんだ』
 それ以外、どれだけ聞いても話してはくれなかった。
 溝から、まるで人の腕の様な形で太い半球の溝が延びてその先に横を向いた鬼の貌の様な窪みがある。その溝に薄っすらと文字が描かれている。『Mammon』……と。
 ここには、スタンですらも解析出来なかった強力な守護がある。ここに逃げ込めば、悪魔達は入って来れない……筈だった。
「ハッハッハ、漸く見つけましたぞ」
 そこに現れたのは、黒い外套に身を包んだ真っ白なカイゼル鬚をたっぷりと口の上に蓄えた紳士然とした男だった。
「どうしてここに!?」
 スタンはあまりの驚愕に硬直した。ここに張られている結界は強力なモノだ。元々はここにあったナニカを守る為の結界であり、それが無くなった事で結界の効力も下がってはいたが、それでもかなりの守護がある筈なのだ。
「どうして? それを聞きますか。いやはや、ここについて貴方は何もお知りにならないらしい」
 嘲るでもなく、男は肩を竦めた。
「何じゃと?」
 スタンは厳しい目付きで油断無く杖を目の前の男に向けながら眉を顰めた。
「ここは、既に何の力も残されてはいないのですよ」
 スタンは目を見張った。
「何じゃと!? 馬鹿な、ここには確かになんらかの守護がある筈じゃ!!」
「ああ、ご老人、貴殿はこの洞窟が纏う力を守護の力と勘違いしたのですな? 無理も無い。いや、ここに“あった”護りは確かに強力なモノだったと報告をうけているのですがね、今ここに残っているのはソレとは全くの別物なのですよ」
「どういう……意味じゃ?」
「ここに纏わりついているのは、怨念ですぞ。それも、人以上の者の怨念が染み付いている。だが、その怨念を放っているのが清き存在だからこそ、貴殿は勘違いされたのですな」
「怨念じゃと!?」
 スタンの目がこれ以上なく見開かれた。ここに充満しているのはどう感じても清らかな力であり、ソレが怨念などと信じる事は容易い事では無かった。
「馬鹿なっ! 戯言を弄しおって、儂はここで死ぬ訳にはいかぬ。覚悟するがいい!」
 スタンは無詠唱で雷の魔力を練り上げると、杖を左から右に薙ぎ払う様に振った。凄まじい閃光が洞窟内を照らし、その隙にスタンは瞬動術を用いて洞窟の出口に向かった。
「まずまず、ですな。いや、貴殿は人という短命な種族の枷を受けながらも中々の力を持っている。惜しいですなあ。いや実に惜しい」
 本音からそう思っている様に、無念そうな貌をしながら、老紳士然した男はスタンの視界から消えた。
「――――ッ!?」
 気が付いた時には、背後に気配があり、スタンの体は石像にされていた。
「ああ、未だ名乗ってすらいませんでしたな。私はヴィルヘルムヨーゼフ・フォンへルマン……もう、聞こえていませんな」
 そう呟くと、ヘルマンはおもむろにスタンだった石像の顔に手を当て……そのまま地面に叩き付けた。スタンだった石像は容易く粉砕し、二度と目覚める事が出来なくなってしまった。
 それは同時に、ネギとネカネの隠れる家の隠匿の魔術が解けた事をも意味していた。
「さてさて、この様な真似は……全くもって胸が痛むな」
 呟きながら、ヘルマンは姿を消した。

 さながら“地獄”という言葉がお似合いな光景だった。村は業火に包まれ、生きている人間など数える程ももう残っては居ない。石像にされた者は砕かれ、体に火を放たれた者は怨嗟の叫びを上げながら命を落とした。悪魔達は嬲る様に人を殺し、死体すらも蹂躙した。
 家は焼かれ、破壊され、ネギが友達と遊んだ広場は見る影も無く焼き尽くされていた。遊んでいた遊具も最早無い。
 大地は血に染まり、村人達の奮闘も虚しく、悪魔達の数は殆ど減っていなかった。それどころか、醜悪な姿をした悪魔達はその数を秒毎に増していく。ネギは、崩壊した家の中で、ネカネに守られながらただ立ち尽くしていた。
「大丈夫よ。貴方は心配しなくていいの。シチューを食べましょうね。大丈夫よ。貴方は心配しなくていいの。シチューを食べましょうね。大丈夫よ。貴方は心配しなくていいの。シチューを食べましょうね」
 壊れたラジカセの様に、同じ言葉を吐き続けるネカネの心は既に壊れていた。窓の外からずっと見ていたのだ。人々が焼かれ、殺されていく様を。
 ネギを怖がらせてはいけない。ネギを守らなくてはいけない。その思いだけがネカネに障壁を張らせてネギを護り続けていた。
 ネギの頭は真っ白になっていた。直ぐ近くには、半分になった男の人の顔が落ちていた。遠くを見れば、首の無い状態で抱き合ったまま絶命している男女の奇妙なオブジェがある。
 頭上には巨大な貌を持つ巨大な牙と角を持った三階建ての家よりも大きな悪魔が、自分達を殺そうとその巨大な腕を振り下ろそうとしていた。
「あ……」
 間抜けな声だったと自分でも思った。たった一つしか頭には浮かばなかった。
「ああ……死んじゃうんだ」
 諦めにも近い気持ちで、目を細めた。
「諦めてんじゃねえよ」
 その時の光景は、今でも褪せる事無く脳裏に焼き付いている。人々の聞きにどこからともなく現れる正義の味方。目の前に突然現れて、悪魔の拳を片手だけで押さえ込んだ男を見て、理解した。
「貴方が……お父さん……」
 ネギは呟く様に言った。
「待っていろ」
 大きな不思議な形の杖を握り、白いマントを羽織るネギと同じ血の様に紅い髪の男はネギに顔も向けずに呟くと、凄まじい殺気を放ち、悪魔を一瞬にして葬り去った。周囲には稲妻が走り、男が雷の魔法を使ったのだと、ネギは何となく思った。
 男は虚空に浮くと、呪文を詠唱し、天空から無数の雷撃を悪魔達に落とした。瞬く間に殲滅されていく悪魔達は、何が起きたのかすら理解出来ていないようだった。
「雷の暴風」
 無数の悪魔達が男――“千の呪文の男(サウザンド・マスター)”ナギ・スプリングフィールドに雪崩れ込む様に襲い掛かり、只の一つの呪文で消滅させられた。
 最早死都と化した村をその先の山ごと粉砕する巨大すぎる雷を纏った竜巻は、無数の悪魔の大群を一気に消し飛ばした。畏怖すら浮かぶ強さを見せるナギを、ネギはボンヤリと眺め続けた。
 いい気味だとも、怖いとも、悲しいとも思わなかった。そんな感情は生まれる前に死んでしまった。天空から呼び寄せた雷撃が悪魔達を数十ダース単位で消し飛ばしていく。
 数刻もせずに、無数に居た悪魔達の殆どが消滅し、残ったのは数えられる程度になった。残った悪魔達を悉く駆逐し、ナギは一体の悪魔の首を握り締めた。
「貴様が……成程、ヤツラが恐れる理由も分かる……。私は、お前が怖いよ……。悪魔よりも……、化け物の名が……お前には相応しい」
 ゴキンッ! という音と共に、悪魔は消滅した。ナギが悪魔の首を折ったのだ。
「なるほど、サウザンドマスター……か。いや、“赤毛の悪魔”の方が余程お似合いだな。その強さ、尊敬よりも畏怖の方が集め易いだろう?」
 そこに現れたのは、ヘルマンだった。
「残るはお前だけだな……。死ね」
 呼び動作すら無く、無数の魔弾がヘルマンに迫った。
「呼び動作無しとは……、さながら様々な武道の極意と呼ばれる“無拍子”と言った所だな」
 ヘルマンはナギが魔弾を放った直後に魔弾を知覚してナギの背後に迫った。
「だが、残念ながら伯爵クラスというのは伊達では無いのだよ」
 凄まじい漆黒の魔力を纏った裏拳を放ちながら、まるで談笑をしている様な口調でその顔には笑みすらも浮べていた。
「遅せえよ」
 対してナギは底冷えする程の冷徹な眼差しと声で答えながらヘルマンの裏拳を難なく躱して杖とは反対の右手に旅の途中にエヴァンジェリンが無理矢理教え込んだ『エクスキューショナーソード』を長刀程度の長さで作り出してヘルマンに斬り付けた。
「その程度……」
 へルマンは鼻を鳴らして回避する。
「甘いんだよ、お前」
 突然、『エクスキューショナーソード』が伸び、ヘルマンの体を切り裂いた。
「なっ!?」
 ヘルマンは驚愕に目を見開くと、即座にナギから離脱したが、そこは未だナギの射程範囲だった。ナギから逃げるとは、即ちこの街から出なければ意味が無いのだ。
「死ね――『雷の投擲』」
 一瞬にしてヘルマンの居た場所を破壊し尽くすと『雷の投擲』は天を裂き、光の帯が何処までも続いて行った。
「――――ッ!」
 ナギは目を見開き、ネギに顔を向けた。その背後に、ネギとネカネを捕まえようとヘルマンが手を伸ばしていた。
「汚ねえ手で触んじゃねえよ」
 一瞬でヘルマンの真横に移動したナギはそのままヘルマンを蹴り飛ばした。
「強い……。なんという……君は人の身でそこまでの力を得て何を欲しているのだね?」
 咄嗟に自分から跳んで威力を殺したヘルマンはナギに視線を向けて問い掛けた。
「今の所、貴様の死を欲しているな」
 ナギが右手を上げてそう呟いた瞬間に、ヘルマンの居た場所に『雷の斧』が落ちた。
「悪魔などと生易しい表現では足りないな……これでは。全く、この姿になるのは何年ぶりか……」
 呟いた瞬間、ヘルマンの姿が変貌した。それまでの老紳士の姿から、のっぺりとした龍頭の人型の悪魔へと姿を変えたのだ。
「それがどうした?」
 ナギはいつの間にかヘルマンの背後に回って雷の魔力を解き放っていた。
「精霊に愛されているな。構成がデタラメだが、それを精霊達が補っている。実に興味の尽きない男だ」
 ヘルマンはナギの頭上から大きな口を開き、収束魔法を放った。地上に当れば、それは村ごと滅ぼしてしまうだろう威力だった。
「貴様……」
 ナギはヘルマンを睨みながら杖を真上に向けた。
「『雷の暴風』」
 あっと言う間に詠唱を終わらせて『雷の暴風』によって、ヘルマンの収束魔法を打ち破り、ナギはそのままネギの下に移動した。
「面倒だ……消えろ」
 上空に手を伸ばしたナギは、拳を握り締めた。
「百重千重と重なりて走れよ稲妻。『千の雷』」
 瞬間、ネギとナギ、ネカネの三人の居る場所以外の全てが雷に飲みこまれ……、ヘルマンは唯一の安全地帯に回避して、ナギは真上に杖を向けていた。
「終わりだ」
「その様だね……」
「来れ雷精 風の精 雷を纏いて 吹きすさべ 南洋の嵐 “雷の暴風”」
 ヘルマンはナギを見下ろしながら、迫る雷を纏った竜巻に疲れた様に溜息を吐いた。
「稚拙な策とも呼べぬ策だが……こんな事が実現出来るなど……本物の化け物だな、君は」
 ヘルマンは最後にニヤリと笑みを浮べた。そうして、ヘルマンは消え去った。
 ナギの超広範囲殲滅魔法『千の雷』を何度も受けた村は、跡形も無く消え去っていた。死体も、建物の名残すらも消し飛び、辺りは静けさに満たされていた。
「大丈夫よ……ネギ……大丈夫……大丈夫……怖くないわ……シチューを温め直さないといけないわ……」
 虚空を虚ろな瞳で見上げながら同じ事を呟き続けるネカネと、彼女に抱き締められたままのネギの下にナギは歩み寄った。
「すまない、来るのが遅過ぎた……」
 血を吐く様に、ナギは悔しげに呟いた。生存者はメルディアナに非難した者を除けばたったの二名。その上、ネカネは心が壊れてしまった。
 ネギは黙ってナギを見続けた。顔を伏せると、ナギはネカネに杖を向けた。
「――――ッ!?」
 漸く、ネギの無表情が崩れた。
「……………………」
 体中が震え、凄まじい吐き気に襲われた。足腰も笑ってしまい、それでもネギはネカネから貰ったお守り代わりの先に小さな星の付いた子供用の杖を握り締めてナギの顔を見上げた。
「お姉ちゃんを……守ろうとしているのか?」
 歩みを止めずに口を開くナギに、ネギは目を瞑った。瞼の裏が明るく光る。
「……………………?」
 恐る恐る瞼を開くと、ネカネは倒れこんだ。
「お姉ちゃん!?」
 ネギが焦燥に駆られてネカネを揺すると、キチンと息をしていた。
「安心しろ。ネカネにはこの光景はキツ過ぎた……。記憶を消してある。多分、眼が覚めたら元通りになっている筈だ」
「――――ッ!」
 ネギは頭の上に大きなナニカが乗るのを感じた。それがナギの掌だと理解するのに少し時間が掛かった。
「大きく……なったな……」
 万感の思いが篭った声が降り注いだ。愛おしそうに、ネギの頭を撫でながら呟くナギの声は震えていて、今にも泣きそうな気がした。ただそれは、ネギの勘違いだったのかもしれない。実際には、ナギは泣く事は無く、ネギの頭を撫で続けた。
「これを持っていろ」
 ナギはそう言ってネギの手に自分の持っていた杖を握らせた。
「――――ッ!」
 ナギはそのままネギを抱きしめた。
「すまない、もう時間が無い。お前に……何もしてやれない……」
 歯を食い縛るギリギリという音が聞こえた。ナギはネギの手を離して空中に浮かんだ。ネギは首を振り、涙を溢れさせた。
「待って……」
「こんな事……言う資格なんて無いんだろうけどよ。強く生きろ、元気に育て、幸せになれ!」
「待って、お父さん!」
 ナギの姿が、まるで霞のようにぼやけていく。ネギは倒れ伏したネカネを背に、杖をその場に落として走り出した。¥
「あばよ……」
 まるで、壁の向こうから聞こえる様な声でナギが言った。別れの言葉を。
「お父さん。僕、強くなるよ! 大切な人を護れる様に。誰も悲しむ必要なんか無いように! 立派な魔法使いになる! だから……、だからきっと!」
 ぼやけて、殆ど微かにしか見えなくなったナギは、笑った気がした。
「きっとまた……会えるよね?」
 虚しく響く最後の言葉を胸に秘め、ネギは泣き崩れた。それまで凍っていた感情を全て爆発させて。涙が枯れ果てても……ずっと泣き叫び続けた。
 誰も居ない。ネカネは眠り続けている。村のあった場所で、只管にネギは泣き続けた。

「――――それから三日後に、私とネカネお姉ちゃんはメルディアナのあるウェールズの魔法使いに村からの救援部隊に助け出されました。三日間、眠り続けているお姉ちゃんと二人っきりで凄く不安だったけど、あれだけの悪魔が居たのに、その三日間はまるで平和でした。まるで……この杖が守ってくれたみたいに……」
「それから……お前はどうしたんだ?」
 ネギの過去を聞き、明日菜は蒼白な顔をして言葉を失っていた。カモも、震えながら歯を食いしばっている。
 カモはその当時既にネギと出会っていた。オコジョ妖精の里から長期間出るには特別な許可が必要であり、カモはその許可が下りるまで、その惨劇の日はオコジョ妖精の里に居たのだ。
 それが、カモがネギに忠誠を誓う理由でもあった。助けて貰った恩義があるのに、彼には何も出来なかったから。ネギとはこの話を殆どしない。お互いになるべく触れず、カモはネギに忠誠を誓った。あの、壊れる一歩手前だったネギを二度と見たくなくて。
 アーニャと記憶を失ったネカネは、ネギに当時の事を聞かなかった。思い出せば、それだけ辛いだろうと思い、只管にネカネはネギに愛情を注ぎ、アーニャはそれまで以上にネギに寄り添った。時に叱咤し、時に慰め。カモは只管にネギのサポートをした。
 エヴァンジェリンは僅かに震えながらネギに問い掛けた。
「それからの五年間、私はメルディアナで魔法を学びました。アーニャと一緒に……。どうして村が襲われたのかは、誰に聞いても教えてくれませんでした。あれから、ずっと勉強に熱中して……カモ君が沢山の本を集めてくれて、色々と教えてくれて」
「中途半端な力じゃ……姉貴には意味が無いッスから……」
 カモの呟きに、エヴァンジェリンは「そうだな……」と呟いた。
「時々……思います。私がお父さんに会いたいなんて思ったからなんじゃないかって……。あの出来事は……『危機になったらお父さんが助けに来てくれる』なんて思った……僕への天罰なんじゃないかって……」
 そう呟いた途端、ネギの頬に衝撃が走った。バチンッ! という音と共に、エヴァンジェリンがネギの頬を叩いたのだ。
「なっ!? エヴァちゃん!?」
 明日菜は突然の事にエヴァンジェリンに顔を向けたが、エヴァンジェリンは真剣な表情でネギに視線を向けていた。
「巫山戯るな。お前のせいかどうかは知らん。だがな、ソレを引き摺るな」
 エヴァンジェリンの言葉に、ネギは目を見開いた。
「いいか? お前は守られたのだろ? 命を懸けて、心を壊して、それでもお前を守った者達の思いを無駄にするな。過去を忘れろとは言わない。だがな、過去を引き摺り未来を闇に閉ざすな。お前は未だ、闇に染まるには早過ぎる。責任がお前にあると言うなら、それは幸せになる事だ。お前を守った者達の分まで。でなければ……お前を守った者達の死が無駄になる」
「私には……未だ難しいです……」
「だろうな……。だが、考えるのを放棄するなよ? 悩め。もし、お前が望むなら、お前に力をやる。お前にもな……神楽坂明日菜」
「え……?」
「エヴァちゃん?」
 ネギと明日菜はエヴァンジェリンの言葉の意味が分からなかった。
「分からんか? 鍛えてやると言っているんだ。お前はナギに言ったんだろ? 大切な人を護れる様に。誰も悲しむ必要なんか無いように! 立派な魔法使いになる! って。誰も悲しまない……。それがどれほどの茨の道か……お前には分からないだろうな。待っているのは身の破滅だ。その勘違いも……全部叩き直してやるさ」
「勘違い……?」
「ナギはな……全てを救う正義の味方じゃないんだよ。アイツは、近くで泣いている奴が居るのが許せない。ただの我侭な人間なのさ」
 エヴァンジェリンの言葉に、明日菜は不満気に口を開いた。
「我侭って……そんな言い方……」
「事実だよ。だけど、その我侭がどういう訳か、人間達にとっては正義の味方になってしまうのさ。ただ……あいつにとっての近くってのが、凡人には広過ぎるくらいなだけでな」
「目指してなるんじゃない。結果としてなるのが英雄なんスね……」
 カモはしみじみと呟いた。
「どうする? お前達が決めろ。私の教えを請うか。それとも、自分の道を進むのか」
「少し……考えさせて下さい……」
 ネギは俯きながら言った。エヴァンジェリンは気を悪くした風も無く「分かった」とだけ呟いた。
「神楽坂明日菜、お前はどうする?」
「私も少しだけ考えたい。何か、頭の中が一杯一杯でさ……。少し、日常に戻って休みたいわ……」
 顔色の悪い明日菜に、茶々丸がお茶を出した。礼を言ってお茶を啜る明日菜は、頭の中がゴチャゴチャになって、訳が分からない状態だった。
「そうだな。信じたくないが、お前は一般人だったしな……」
 仮にも自分に恐怖を覚えさせた目の前の少女が一般人なのが、エヴァンジェリンにはどうしても納得がいかなかったが、肩を竦めて溜息を吐いて了承した。
「てか、もう6時過ぎてるじゃん。帰らないと木乃香が待ってるわ」
 明日菜の言葉に、その日の勉強会は終了した。宿題は未だ少し残っていたが、ネギ達にはどうにもヤル気が起きなかった。エヴァンジェリンのログハウスからの帰りは、二人とも無言だった。



[8211] 魔法生徒ネギま! [第二章・麻帆良事件簿編] 第十話『大切な幼馴染』
Name: 我武者羅◆cb6314d6 ID:87b1fc72
Date: 2010/06/08 12:44
魔法生徒ネギま! 第十話『大切な幼馴染』


『まる たけ えびす に おし おいけ』

 桜咲家は代々近衛家に仕えてきた神鳴流の旧家だった。彼女の人生は初めから決まっていた。それでいいと思っていた。母に父の事を聞いても教えてはくれなかった。ただ、白い髪と白い眼が疎まれた。白い翼が疎まれた。

『あね さん ろっかく たこ にしき』

 母につれて来られたのは、桜舞い散る京都関西呪術協会の総本山。そこには、未だ髪が肩に掛かる程度で、左目の目尻の少し上辺りにリボンを結んでいる両手に美しい柄の鞠を抱えた桜色の着物を着た近衛木乃香が居た。
 不安と、母親から離される寂しさを抱えていた桜咲刹那は恐る恐る彼女を見た。その時に、直感した。運命の出会いなんて信じてる訳じゃなかった。それでも、木乃香の笑顔は刹那の心を捉えた。自分にあまりにも綺麗な笑みを向けてくれた少女に、刹那は微笑み返した。

『し あや ぶっ たか まつ まん ごじょう』

 綾取りをしていた時の話。
「次はお嬢様の番ですよ」
 良識のある者達はその姿を微笑ましく思った。
「このちゃんでええよ~」
 話せば話すだけ、一緒に居れば居るだけ、刹那にとって木乃香の存在は大きくなった。
「この……ちゃん」
「うんっ!」
 顔を赤くしてもじもじしながら愛称を呼ぶ刹那に、木乃香は満面の笑みを浮べた。その笑顔が余計に好きになった。

『せきだ ちゃらちゃら うおのたな』

 危ない事があったりもした。それでも、それはとても穏やかで楽しい日々だった。

『ろくじょう しちちょう とおりすぎ』

 ある時、二人は映画村で映画の撮影を見学していた。
「寅之助はん!」
「お雪、怪我は無かったか?」
「大丈夫でした……貴方が守ってくれたから」
「お雪……」
「寅之助はん……」
「はーい、カットーッ!」
 時代劇のラストシーン、守った男と守られた女のキスシーンを見ていた二人は顔を赤くしていた。
「はうぅ」
 刹那はあわあわしながら、心臓が破裂しそうな程ドキドキしてしまっていた。けれど、木乃香は顔を輝かせていた。
「大人って仲良いとチューするんやな~♪」
「ええっ!?」
 予想外の木乃香の反応に刹那は目を丸くした。
「せや! 約束しよ」
 すると、木乃香は刹那の瞳をジッと見つめて微笑んだ。
「うちとせっちゃんが大人になっても仲よぉおれたらここでチューすんの」
「大人になっても……?」
「そうや、大事な大事な約束やで~」

『はちじょう こえれば とうじみち』

 ある日の事だった。河原で鞠をついていた時に、木乃香が誤って川に溺れてしまった。鞠が転がって、それを追いかけた木乃香が石に躓いてしまったのだ。刹那は助ける事が出来なかった。
「お前がついていながらなんて事ですか!」
 母親に叱られ、結局は大人に助けられた。その時に刹那は木乃香に誓った。
「このちゃんごめんね……ごめんね……。ウチ、ウチもっと……もっと修行する! このちゃんを何事からも守れるくらいにウチは絶対強うなる!」

『くじょうおおじでとどめさす』

 その時から、刹那は木乃香を“お嬢様”と呼ぶ様になった。あらゆる困難と苦境を切り開ける様に修行をして。だから、目の前が真っ白になったのだ。
「せっちゃんが大事にしてるもの……、それに危険が迫ってるわ。そして……決別……」
 その日、元気や覇気が無く、様子のおかしい明日菜とネギの気を紛らわそうと、得意の占いを披露していた。易占いと呼ばれる占術の一つであり、算木と呼ばれる中国数学などで使われる細長い菜箸程度の長さと細さの板をジャラジャラと両手で握って占うものだ。
「そ、そんな……」
 わなわなと震えながら首を振り、刹那は椅子から崩れ落ちた。
「け、決別……?」
 真っ白になって床に倒れ込む刹那に、木乃香は慌てた。
「ご、ごめんなせっちゃん。でもこれ占いやから……」
「そ、そうですよ、元気を出して下さい」
 ネギが膝をついて刹那を助け起そうとするが、体格が違い過ぎてどれだけ頑張っても起す事が出来なかった。
「大事なもの……そんなっ、私にとって大事なものとは木乃香お嬢様以外考えられません……」
 刹那の脳裏に、何故か少しエッチなポーズを取ったり、水に濡れて服が透けていたり、フリフリの可愛らしい服を着てブリっ子ポーズを取っている木乃香の姿が大量に渦巻いた。
「その木乃香お嬢様が危険!? 決別ううううぅぅぅぅううう!?」
 頭を抱えて叫んでいる刹那に若干引きながら、明日菜は敢えて刹那を視線から逸らした。
「そ、そうだ~、ネギも占って貰えば?」
「え、私もですか?」
 ネギはチラリとブツブツ呟きながら何か危険なオーラを放っている刹那を見ながら顔を引き攣らせた。
「そ、そう言えば、木乃香さんの占術は珍しいですね。タロットや水晶とは大分違いますし」
 何とか話を逸らそうと、ネギは慌てて木乃香の手にある算木を指差した。
「易学とは、中国四千年の歴史があり、自然科学と様々な学問が組み合わさった易経に基づく占いの学問です。その理論に乗っ取り、算木と筮竹などを使い、吉凶を占うのが易占いというものです」
「ゆ、ゆえ吉。ウチよりも詳しい……」
 説明しようと口を開いた木乃香よりも先に、一緒に木乃香の席の回りに集まっていた図書館探検部の三人組の一人、綾瀬夕映がスラスラと易占いの解説をして、木乃香は無念そうに肩を落とした。
「そ、そうなんですか。アーニャに見せて上げたいな……」
「アーニャさん?」
「おっ! ネギっちのお友達~?」
 ネギは苦笑いを浮べながら、ロンドンで占いの修行をしている筈のアーニャを思いだした。図書館探検部の宮崎のどかが首を傾げると、同じく図書館探検部の早乙女ハルナが興味深そうに耳を傾けた。
「ハイ、私の幼馴染の女の子なんですけど。いっつもツンツンツンツンしてる元気な子です」
「イギリスのご友人なのですか?」
「ええ、向こうの学校のクラスメイトで」
 夕映が問い掛けると、ネギはアーニャを思い出して少しだけイギリスが恋しくなった。
「それはそうとさ」
 不意に、ハルナがネギの肩を抑えて木乃香の席の前の椅子に座らせた。
「とりあえず占って貰いなよ。ネギっちの場合はどんな結果が出るのか興味あるし」
「えっと……」
 ハルナの言葉に、ネギは未だにブツブツと何かを呟いている刹那を見て顔を引き攣らせた。
「だ、大丈夫やって。所詮は占いやもん」
 冷や汗を流しながら弁解する木乃香の後ろから明日菜はむむむと唸った。
「でもさ、木乃香の占いって実際当るわよ? この前も明日は快晴って天気予報で言ってたのに雨だって占いの結果が出て、本当に雨になっちゃったし。他にも色々……」
「や、やっぱり私は……」
 そろ~っと椅子から立ち上がろうとするネギの肩をムフフとハルナは抑えつけた。
「いやいや、占いなんだから、悪い事が出たら回避する様に心掛ければいいのよ」
 そのハルナの言葉に、刹那の体がビクリと震えた。
「わ、分かりました。ど、どんと来いです木乃香さん!」
 精一杯の気合を入れて、まるで真剣勝負の様にムムムと木乃香を見つめるネギに、木乃香は困った様な笑みを浮べながら占いを始めた。
「当るも八卦! 当らぬも八卦~!」
 ジャラジャラと算木を振る木乃香に、明日菜は「この掛け声聞くとなんか不安になるのよね……」と苦笑いをしていた。
「むむっ! ネギちゃんの未来は!!」
「未来は!?」
 周りを取り囲む少女達が声を揃える。
「お……」
「おっ!?」
「男の子が見えるで!」
 ビシッ! という音を立てて空気が凍った。ネギは額からダラダラと嫌な汗を流した。
『ど、どうしようカモ君。もしかして私が男ってバレちゃったり……』
『いや、易占いに関してそこまで詳しい訳じゃ無いッスけど、あそこまでてきとうな方法じゃ占える訳が……』
 焦っているネギにカモはうむむと首を傾げている。元々、易占いは50本の筮竹を用いて、専用の占具も必要なのだが、木乃香の場合は本数もてきとうで占具も使っていない。挙句にあの呪文では占いなど出来る筈が無い。
 仮にネギの正体を言い当てているとすると、それはそれで疑問が残る。カモはネギのポケットから顔を出しながら難しい表情をした。明日菜達は男の子が見えるという言葉に、即座に『彼氏っ!?』と心の中で叫んでいた。
 ここに居る少女達は誰一人浮いた話の一つも無い乙女ばかりだ。ネギに男の子の影が見えたという事に好奇心を抑えきる事など不可能に近い。目を輝かせて明日菜が木乃香に詰め寄った。
「なになになに? ネギに男の子が見えるってどんな子よ?」
 目を爛々と輝かせている明日菜に木乃香は冷たい汗を流しながら意識を集中させた。
「あかん、イメージが崩れてしもうた……。黒髪のネギちゃんより少し高いくらいの背やったで?」
「ありゃりゃ。もしかして私のせい?」
「明日菜のアホーッ! 折角未来のネギっちの彼氏候補がどんな子か分かる所だったのに~~!!」
「惜しかったです……」
「う~ん、特ダネっぽかったんだけどな~」
 木乃香の言っていたのが自分の事では無かった事に安堵したネギは、明日菜達の言葉に顔を引き攣らせた。正体がバレなかったのはいいが、さすがに彼氏なんて冗談じゃない。
 それでふと、黒髪の少年というワードに首を傾げた。
「黒髪の少年?」
 ネギにも友達は少なからず居る。だが、メルディアナの生徒達は金髪が多かったし、黒髪の生徒も居たがそこまで接点は無かった。日本からの留学生も居たが、彼は染めていて傷んだ金髪にしていた。なんでも、疎外感を感じて無理矢理染めたらしく、ネギやアーニャは同情を隠せなかった。そんな訳で、黒髪の少年と言われてもピンと来なかったのである。
「ネギっち、黒髪の少年って心当たりとかある?」
 和美はそれとなくネギに問い掛けるが、ネギも不思議そうな顔で首を振った。
「前の学校にも黒髪の人は居ましたけど、あまり接点は無かったんです。日本人で、ここに来る前に日本語を教わった留学生の友人も金髪でしたし」
「え? 日本人なのに金髪なの?」
「ええ、何でも疎外感を感じるからって、無理矢理染めたらしくて」
「そ、そうなんだ……」
 和美は苦笑いを浮べた。
「木乃香、他に何か見えなかったの?」
 明日菜が聞くが、木乃香は首を振った。
「なんや、ネギちゃんの周りに霧が掛かってるみたいでうまく見えないんよ。微かに見えたんが、黒髪の男の子だけやったんや」
「むむむ、その男の子が気になるわね」
 ハルナは触覚の様に跳ねた髪をピクピク動かしながら言った。
「ですが、ネギさんに心当たりが無い以上調べようが無いのですよ」
 夕映が至極当たり前の事を言いながら“味噌汁ソーダ”という、どう考えてもおいしくなさそうなジュースを飲んでいると、和美達も「そりゃそうだ」と呆気なく引き下がった。
 ハルナだけは未だ気になっているようだが、好奇心旺盛な筈の和美も、意外なほど気にしている素振りがなかった。基本的にジャーナリストとして現実主義の和美は占いをノリで楽しむ事はあっても、そこまで信じていないというのが真実なのだが。
「ってあれ? 桜咲さんは?」
 明日菜はさっきまで刹那がブツブツ独り言を言っていた場所に刹那の姿が無いので首を傾げていると、のどかがボソボソと答えた。
「その……さっき『私がお嬢様を必ずやお守りしてみせます~~!!』って叫びながら飛び出して行きました」
「せっちゃん……」
「桜咲さんって時々ハジけるよね」
「銃刀法を気にしないあたり、元からハジけてると思うです」
「あれは一応許可貰ってるらしいよ?」
「和美が言うならそうなんだろうね~って、中学生が貰えるもんなの? それ……」
「桜咲さん、不思議な人です……」
 思い思いに勝手な事を言う少女達に、ネギは何と言っていいか分からずに苦笑いを浮べながら木乃香の片付けの手伝いをした。

『覚悟を決める時が来たッスね』
 今は部屋のケージの中でペット用の運動器具で運動をしているカモから冷酷な言葉が浴びせられる。
『カ、カモ君。だって私男……』
 焦って声が震えているネギは、今現在、明日菜達に連れられて大浴場に向かっていた。ちなみに、屋上にある大浴場とは違う一階奥にある『麻帆良COOP涼風』という大浴場だ。
 結局占いでネギと明日菜の気を晴らそう作戦があまり上手くいかなかったので、強硬手段を和美達がとったのだ。さすがに涙目で和美に懇願されては堪らず、演劇部にスカウトされても問題無いような演技力に騙されたネギは、頷いてしまったのだ。
『ヨッホッと、俺っちにゃさすがに出来る事はありやせん。開き直るが吉ッスよ』
『見捨てないで~!』
『見捨て!? いやいや、オコジョ聞き悪い事言わないで欲しいッスよ……』
『ごめん……じゃなくて! 助けてよ!』
『んな事言われても……。頷いちまったのは姉貴なんスよ? 自分の責任は自分で果たしてくだせえ』
『にゃっ!? カ、カモ君……?』
 いきなりバッサリと冷たく斬り捨てられ、ネギはビクッと肩を揺らしてのどかに「大丈夫ですか?」と心配されて「大丈夫です……」と声が震えない様に頑張らないといけなかった。
『いいッスか? 姉貴も魔法世界的にはもう完全に子供扱いって訳にゃいかねえんス。自己責任って言葉をこの機会に胸に刻んでくだせえ』
 あまりにも冷たい言葉に、ネギは納得がいかなかった。
『ど、どうしてそんな……酷いよ!』
『俺っちは姉貴をこの修行期間中甘やかす為に来た訳じゃ無いんスよ? そこんとこ勘違いして貰っちゃ困るッス。今、姉貴や明日菜の姉さんの修行プランを考えてるんスから、そのくらいは自分でどうにかしてくだせえ』
 そう言い放つと、カモは強制的に念話のラインを遮断してしまった。カモに冷たく突き放され、ネギはショックを受けて呆然としていると、一行は大浴場に到着した。

 その頃、突き放したカモは胸を押えながら震えていた。
「ざ、罪悪感がヒシヒシと……」
 ネギに言ったのは真実ではあるが、それでもネギに冷たい事を言ってしまった事に自己嫌悪しながらカモは溜息を吐いた。実際、カモがネギについて来たのは別に甘やかす為ではない。戦闘や修行などに関してのアドバイザーとしてネカネに任されたのである。日常生活に於いては最低限のアドバイスはするが、それ以上何でもかんでも助け舟を出しているとネギが成長出来ないので、自分の責任は自分で取らせるという方針をとったのだが、胸がチクチク痛んでしまうのはどうにかならないか? とカモは再び溜息を吐いた。
「大体、明日は体育があって同じ部屋で着替えるんスから……」
 自分のやった事に間違いは無いのだ! そう、何度も何度も自分に言い聞かせながら、カモは用意しておいた濡れたハンカチで運動して火照った体を冷やすと、近くに敷いておいた紙に考えた修行プランを書き込んでいた。
「姉貴に加えて姉さんの分も考えないといけないってのが辛いぜ。エヴァンジェリンに全般的に任せても問題は無さそうだが……。とんでもない無茶させられて廃人にされたら堪んないしな。木乃香の姉さんも、今の内から修行プランを練っておいた方が……」
 独りでブツブツ呟きながら、カモは熱心にネギや明日菜の修行プランの作成に精を出した。
「今度、タカミチの野郎とエヴァンジェリンと席を設ける必要がありそうだな。エヴァンジェリンの野郎はタカミチに頼むか……」

 カモが頭を悩ませている間、ネギは精神的に悩んでいた。目の前では次々に少女達が服を脱いでいく。別に欲情する事も無く、顔を赤くする様な事も無いのだが、倫理的な面で悩んでいると、ネギは段々気が滅入る思いだった。
 基本的に、ネギの体は意外と肉付きが良かった。元々、ネギを女体化させている薬は“使用者が女性として生まれた場合”の肉体に変化させるのだ。年齢詐称薬の様な幻術では無く、体の仕組みそのものを変化させるので、最初は違和感が酷く、何度か気分が悪くなって吐いた事もあった。胸の大きさも意外に掴もうと思ったら掴めてしまう程あり、加えてネカネがお風呂に一緒に入る事が昔から多かったので、女性の体には別に感慨も何も無いのだ。
 ただ、見てはいけないモノであるから、それを見てしまう事が良心を酷く苛ませるのだ。やがて、諦めた様にネギはノロノロと制服のブレザーのボタンを外し始めた。ワイシャツのリボンを外してスカートのホックを外して脱ぐと、ワイシャツのボタンを外している時に不意に視線を感じて振り向くと、史伽と風香が突然泣き出した。
「うえええええん!!」
「あんまりです~~~~!!」
「へ?」
 いきなり史伽と風香が泣きながら脱衣場を出て行くと、ネギは目を白黒させた。
「ひゃぅっ!?」
「この感触……B?」
「うそ!?」
 いきなり和美はネギの背中に回り込むと胸を揉むと、その感触から戦慄の表情を浮べながら呟いた。トップバストとアンダーバストとの間の差を和美のゴッドハンドが測定した結果10.6cm。実の所、ネギの背が低いというのはつまり一般的な日本の中学二年生の明日菜達から見ればであり、英国生まれで食事も毎日豪勢だったネギの身長は実は夕映や史伽、風香よりも高く、大体日本の小学六年生の男子と同じ程度の身長がある。
 数えて10歳でおかしいとも思えるが、大きさもほどよく、日本人には少ないネギの円錐型のバストは、胸の大きくない少女達に敗北感を与えたが、そこで明日菜は愕然とした表情を浮べた。それは、ネギがブラジャーでは無く、普通の子供用のランニングを着ている事だった。
「ちょっ! アンタ、ブラジャーしてないの!?」
「んっ……はぁ。ふぇ?」
 和美にムニムニと胸を揉まれて言い知れぬ感覚に目を丸くしていたネギは明日菜の驚愕の叫びに、我に返った。
「って、か、和美さん! やめてくだ……うひゃん!」
「うへへ、いいではないかいいではないか~」
「やめなさいって!」
 ネギの反応が楽しくて悪ノリしだして、左手で胸を揉み、右手をソロッと下腹部に移動させようとした時に、明日菜が和美の頭を叩いてネギから離した。
「にゃはは、ごめんねネギっち」
 すぐさま明日菜の影に隠れて子犬の様に目を潤ませて和美を警戒するネギに、和美は言い知れぬ快感を覚えたが、嫌われたくはないので素直に謝った。
「でさ、アンタってブラジャー着けないの?」
「ブ、ブラジャーですか……」
 ネギはあまりブラジャーというのが好きではなかった。ネカネがサイズを測って買って来た事があるのだが、恥しさよりも胸の圧迫感が不快だったのだ。嫌がるネギに、胸の形が崩れたら問題だとネカネは何度も説得したが、すぐに外して放り出してしまうネギに諦めてしまったのだ。
「その……あんまり好きじゃなくて……」
「いや、好きじゃないから着けないってもんじゃないでしょ」
 基本的にブラジャーが無ければ動き難いし、形も崩れたりと問題だらけだ。明日菜はネギの頬を抓った。
「いいから、アンタの大きさだと着けないと拙いのよ! アンタ持ってないの?」
「えっと、お姉ちゃんは荷物に入れてたんですけど、重たくなるし着けないしと思って出して持って来なかったので……」
「アホかあああ!!」
「うにゃん!?」
 明日菜は両手を振り上げて怒鳴った。
「何でブラジャーで荷物が重くなるのよ!? 明日買いに行くわよ! んで、命令! ちゃんと着けなさい! わ・か・た・わ・ね?」
 明日菜は凄い形相でネギに一言ずつ区切って言った。
 裸の明日菜が下着姿のネギを脅しているのはかなり珍妙な姿だったがさすがに明日菜の言い分が正しいので敢えて誰も突っ込まなかった。
「で、でも……」
「でもじゃない! そうね、アンタこの前私を裏の世界に巻き込んだわよね? その謝罪として受け入れなさい。それとも、巻き込んでおいて何にも責任無いとか言わないわよね?」
 小声で他の人に聞こえない様に呟くと、ネギは顔を青褪めさせながらも、言い返すことが出来ずに「ひゃい……」と頷いた。かなり悪質な手段だったが、事が事なので明日菜は心を鬼にした。心の中で良心がチクチク痛んだが、ネギの為と思って拳を握り締めて顔に出さない様に頑張るのはかなりの苦行だった。
「んじゃ、お風呂入るわよ! さっさと下着脱ぎなさい!」
 そう叫ぶと、明日菜はネギのランニングとパンツを無理矢理脱がした。
「キャ~~ッ!」
 普通の女の子の様に叫ぶネギを無視して、良心の痛みを誤魔化す様に、ちょっとネギに仕返しする様に、明日菜は右手でネギを抱えると脱衣場をでて大浴場に入って行った。

 三分程度体温と同じ程度の温度に設定したシャワーで湯洗をして、長い髪の毛を纏めると体を洗ってネギ達は湯船に入った。湯船に浸かると血行が良くなって毛穴が開いてシャンプー時に汚れが落ちやすくなるのだ。
 いつの間にかクラスメイトの半数以上が入って来て、思い思いに髪の毛を纏めて湯船で汚れと一緒に疲れも落としていた。
「それにしても広いお風呂ですね」
 キョロキョロしながら広すぎる浴場内を眺めるネギに「せやろ~」と木乃香が得意気に口を開いた。
「うちの学校自慢の大浴場なんやで」
「いい湯でござる~」
 ネギのすぐ隣では楓が細い目を更に細めて頭にタオルを置いてゆったりしている。遠くでは史伽や風香が湯船に飛び込み、あやかに怒られているのが見える。ネギは少し離れた場所で夏美と一緒にお喋りをしている那波千鶴の大きな胸を見て、自分の胸と比べて何となく感心していると、明日菜に叩かれた。
「な、なんですか!?」
「アンタはその大きさでいいんだから、那波さんと比べるな! 変に胸の大きくなる体操なんかすると折角の形が崩れちゃうんだからね?」
「く、比べてなんかないですよ!」
 さすがに胸の大きさで張り合おうとしたなんて思われるのは色々な意味で嫌なのでネギは頬を膨らませて文句を言ったが、明日菜はクスクス笑うだけだった。
「んじゃ、そろそろ髪の毛洗いましょ」
 薄っすらと汗が出て来たタイミングで明日菜が提案してきたので、ネギは頷くと湯船から出た。丁度その時、大浴場の扉が開いて刹那が入って来た。その手には何故か夕凪が握られた状態だった。
「せっちゃん、なして刀持ってるんや?」
「お嬢様はお気になさらずに」
 さすがに木乃香がツッコミを入れると、刹那は木乃香に近づく全てに目を光らせながら夕凪をいつでも抜刀出来る状態にした。
「刹那さん、相変わらずのハジケっぷりね」
 生え際からツムジに掛けて、頭皮ごと小刻みに振動させてシャンプーを髪に馴染ませながら、明日菜はチラリと薄目を開けて警戒心全開の刹那を見ながら横で長い髪の毛にシャンプーを馴染ませているネギに言った。
「うう、私シャンプー中は目が開けられないんですぅ」
「眼を離せないわ……」
「ふえ?」
 明日菜は木乃香の占いに出て来た黒髪の少年の事を思い出して頭を悩ませた。マッサージをしながらシャワーでシャンプーをゆっくり時間を掛けながら濯いでいると、ネギはタオルを取ろうと鏡の前で段差になっているシャンプーや石鹸などが置いてある場所に手を伸ばした。
 カタンと音を立てて石鹸が金属製の石鹸置きごと落ちてしまった。目を瞑ったままタオルを手探りで探していて誤って落としてしまったのだ。キュルキュルと落ちた石鹸が滑り、何とかタオルを掴んだネギが顔を拭くと、背後からスパンッ! という音が聞こえた。
「ほえ?」
 振り向くと、凄い勢いで真っ二つになった石鹸がネギの顔面目掛けて飛んできていた。
「ヒィ!?」
 咄嗟に目を閉じると、目の前でパシンという音が聞こえた。恐る恐る目を開けると、明日菜が右手のタオルで顔を拭きながら左手でネギの目の前で石鹸を掴み取っていた。
「あ、ありがとうございます」
 顔も向けずに飛んできた石鹸をキャッチした明日菜にネギは驚きながら礼を言った。
「別に、それより! 桜咲さん、危ないから斬るにしても方向考えてよね? てか、どうしたのそんなに殺気立って……」
「お見事です。ですが、お嬢様に危害を加える者は須らくを排除します」
「いや、別にネギが木乃香に危害加えようとした訳じゃ無いでしょ」
 呆れた様に夕凪を納める刹那に髪を優しく拭きながら言った。
「せやでせっちゃん。今日はなんか厳重やね? ウチは大丈夫やて」
「……お嬢様、お背中をお流しします」
「う、うん」
 どこか思い詰めた様に木乃香を鏡の前に座らせる刹那に木乃香は心配そうに見つめた。
「桜咲さん、なんだかいつも以上にピッタリですね」
「占いのせいでしょうか?」
「あ、本屋ちゃん」
 ネギが木乃香の背中を洗っている刹那を見ながら呟くと、いつの間にか隣で髪を洗っていたのどかが髪を拭きながら呟いた。
「占い? あ、そっか! 刹那さんの占い結果って大事なものが無くなるだっけ? なるほどね~」
 ニヤニヤしながら視線を向ける明日菜に、刹那はビクッとすると、夕凪を抜刀しようとして木乃香に止められた。
「あ、明日菜さん……」
「ごめんごめん」
 ネギが嗜めると明日菜は刹那に片手を上げて謝った。

 それからの数日、刹那の奇行は更に増えた。ある時、あやかが実家から届けられた最高級のメロンをお裾分けに来た時には、包丁をメロンと一緒にお盆に乗せていたからと部屋から叩き出し、木乃香に借りていた『ゾンビライダー(婿養子編)』全20巻を夏美が返しに来た時に転んでしまい、木乃香に分厚い本が降り注いだ時はその全てを切り裂いた。
「ウ、ウチの婿養子が……」
 バラバラに引き裂かれた『ゾンビライダー(婿養子編)』全20巻が降り注ぐ中、夏美は恐怖のあまり涙目になり、一緒に居た千鶴が慰め、明日菜とネギは唖然とし、木乃香は自分の本がバラバラになって顔を引き攣らせた。
 そして、極めつけはある夜の事だった。
「ウチ、ちょっとお手洗い~」
 ここ最近ずっと付き纏う刹那に若干ウンザリしていた木乃香はトイレに入ってスカートを下ろし、便座に座ると溜息を吐いた。
「さすがにせっちゃんもココまでは追って来ないやろ……」
 刹那の事は嫌いではなく、むしろ大好きな部類に入るのだが、さすがにキツかった。大きく溜息を吐いた木乃香は、不意に視線を感じて顔を上げた。そこには、小さな袴胴着姿の刹那がニコニコ笑みを浮べながら浮いていた。
「私は式神でお嬢様との連絡係をさせていただきます“ちびせつな”とお呼び下さい。お嬢様の安全の為に参りました」
 ちびせつなは少し頭悪いですが~、と言いながらニッコリと微笑んだ。
「ですからお嬢様、私の事はお気になさらずに……ふえ?」
 その言いながら、ちびせつなは鼻に痛みを感じた。立ち上がった木乃香がプルプルと震えながらちびせつなの鼻を抓んでいたのだ。
「せっちゃん!!」
 木乃香は怒りに震えながらドカドカとトイレから出て来た。
「もー、せっちゃん! なんでいつも以上にぴったりなん?」
「木乃香さん?」
「ちょっと、どうしたの?」
 普段見た事も無い程怒っている木乃香にジュースを飲みながらネギのランジェリーをカタログで探していたネギと明日菜は驚いた。ちなみに、大浴場での一件以降、刹那がぴったりと“夕凪を持ったまま”木乃香に付き纏うので、下手に商店街を歩けず、ネギはそれ幸いに下着を買いに行くのを先延ばしにしているのだ。
 それでも、部屋にあったランジェリーの雑誌でどんなのがいいか明日菜が執拗に聞いてくるので仕方なく見ているのだが子供っぽいのからアダルトな物まで何でも載っていて、さすがにネギも直視しずらく中々決まらずにいた。
「いえ、私はお嬢様をお守りするのが役目……」
 刹那は木乃香の怒鳴り声に動揺しながら言うと、ハッとなった。木乃香が更に強く震えだしたのだ。
「せっちゃん、なんでいつもそうなん? お嬢様とか、家とか、もう沢山や! もう、ウチの事はほっといて!」
 刹那は目を見開いた。心の底まで木乃香の声が響き、カタカタと歯を鳴らした。
「そ、そんな、私は……すみません、お嬢様!」
 木乃香の拒絶の言葉に耐えられず、刹那は部屋から飛び出してしまった。
「ネギ、ちょっと追い掛けて。木乃香は私が話すから」
 咄嗟に、明日菜はネギに声を掛けると、ネギはすぐに頷いて刹那を追いかけた。
「刹那さん!」
 ネギが出て行くと、明日菜は小さく息を吐いた。
「木乃香、桜咲さんもやりすぎだけど、らしくないよ?」
「………………」
 反応しない木乃香に、ヤレヤレといった感じに明日菜は苦笑を漏らした。
「ちょっと、歩こうか」
 言って明日菜は木乃香を連れ出した。

 ネギは寮から少し離れた場所で木に向かって項垂れている刹那を発見した。
「刹那さん……。気にしなくても大丈夫ですよ。木乃香さんが本気で言ったんじゃないって、分かってるんですよね?」
 いつも冷静沈着な刹那のあまりの取り乱しように、ネギは少し驚いていたが、眼を細めて諭すように言った。
「分かってます、そんな事。お嬢様とは……幼少の頃から一緒だったんですから……」
 震える声で、刹那は口を開いた。
「幼馴染だったんですね」
「桜咲家は近衛家に仕えてきた神鳴流の旧家だったのです」
「神鳴流……ですか?」
「ええ、ネギさんが魔法使いなのは知っていますのでお話しますね。神鳴流は言ってみれば日本の刀を握る魔術師の一派なんです」
「日本の魔術師ですか!?」
 自分が魔法使いだとバレている事に驚いたが、それ以上に日本の魔術師についての興味が勝った。
「ええ、古来より伝わる神道や陰陽道と言った東洋魔術と剣術が合わさった流派の一つです」
「刹那さんは木乃香さんを護ってきたんですね。その、神鳴流で」
 刹那とネギは歩き出しながら話した。刹那の昔話をネギが只管聞くという感じだったが、ネギは刹那の話を聞く内に心が温かくなった。刹那は本当に木乃香の事を大切に思い、護って来たのだと分かったから。
「川から他の神鳴流に助けられた時、私は心に誓ったんです。絶対にこのちゃんを守り抜くと」
「刹那さんは、木乃香さんの“騎士(ナイト)”みたいですね」
「そんなかっこいいものでは……」
「でも、それだけ強く思いを貫けるなんて……、刹那さんはとても強い人ですよ」
 ニッコリと笑みを浮べながら言うネギに、刹那は柔らかな笑みを浮べた。
「ありがとうございますネギさん」

 その頃、明日菜と木乃香は寮の近くの公園のベンチでジュースを飲みながら話していた。
「大丈夫?」
 俯いている木乃香に、明日菜が声を掛けた。
「ウチ、言い過ぎてしもうたかもしれへんな……」
「木乃香……。アンタ、本当は桜咲さんにお嬢様って呼ばれるのが嫌だったんでしょ?」
 クスッと笑いながら明日菜は片目を閉じながら木乃香に言った。
「ちゃんと名前で呼んで欲しいわよね。だって、親友なんだもんね。心配しなくても、桜咲さんなら大丈夫よ。きっと……でしょ?」
「明日菜には敵わへんなぁ、――ウチ謝らんとあかんね」
「ん! じゃあ探しに行こうか」
「うん……あっ! でも、その前に」
「?」
 ベンチから立ち上がると、木乃香は近くの木に向かって声を掛けた。
「ちびせつなちゃん! もう怒ってへんから出てきーっ!」
 すると、木の影から三体のちびせつながひょっこり出て来た。
「何この可愛い生き物……」
「ちびせつなちゃんや。よう分からへんけど……三体も居たんやね……」
「どうもすみません」
「すみません」
「すみません……」
 三体のちびせつなは口々に頭を下げると、明日菜は呆れた様に頬を掻いた。
「そりゃ木乃香も怒るわよね……。まさかここまでついて来てたとは……」
「もうええから気にせんでええよ」
 苦笑混じりにちびせつな達を撫でる木乃香にちびせつな達は顔を輝かせた。瞬間、突然背後から唐突にナニカが飛び出した。
「な、何!?」

「刹那さんはそれで腕が立つんですね」
 刹那とネギも木乃香達の居るベンチからは離れた同じ公園内の大きなオブジェの前に座りながら話していた。
「神鳴流は極めれば完全無欠最強無敵の流派です。神鳴流最強と謳われる青山姉妹の妹は“ひな”という神鳴流全体を滅ぼしかけた妖刀を調伏して従えたそうです。姉の鶴子はそれこそ伝説クラスの英雄とさえ比肩する腕だとか……。このちゃ……お嬢様のお父上、関西呪術協会の長、近衛詠春様などは彼の英雄サウザンドマスターと同じパーティーだったとも聞いています」
「え……?」
「でも、私などまだまだ。もっと強くならなければ……大切な人を守れるほどに!」
「!」
 ネギは目を見開いた。刹那の話には今直ぐ問い質したい内容がかなり含まれていたが、それ以上に、刹那の決意にネギは心を動かされる何かが宿っていた。
「っと、すみません。先程から私事ばかりで……」
「いいえ、全然です」
「ネギさんは、どうですか?」
「え?」
「何か、目指しているモノや、護りたい人はいますか?」
 刹那の問い掛けに、ネギはネカネやアーニャ、メルディアナの友達を思い出した。そして、父の事を……。
「護りたい人はいっぱい居ます。それに、目指しているモノもあります」
「どんな?」
「私のお父さんも、とても強い人だったそうです。世の中の困った人を助ける仕事をしていて……。だから、私もそんなお父さんの様になりたいんです。大切な人を護れる人に……。きっと、私はお父さんみたいに皆を助ける事は出来ないかもしれません。それでも、目に見える……特に大事な人達を護れるように強くなりたいです」
 そう語るネギの横顔を見て、刹那はクスリと微笑んだ。
「私達は案外似た者同士かもしれませんね」
「ハハッ、そうかもですね」
 ネギが笑みを浮べる刹那につられて笑みを浮かた途端、突然遠くから大きな音がした。
「抜刀!」
「メア・ウィルガ!」
 同時に、ネギと刹那は立ち上がった。刹那は夕凪を抜刀し、ネギは部屋に置いてある杖を呼んだ。カモが開いた窓から飛び出す杖を待たずに走り出すと、視線の先に巨大な物体を捉えた。
「あれは!」
「木!?」
 遠くに見えるのは巨大な木だった。刹那に“ちびせつな”から、ネギには明日菜から念話が届いた。
「木乃香さんが!?」
「お嬢様が!?」
 届けられた念話の内容は、“木乃香が巨大な木に囚われた”というものだった。走るのさえもどかしい。お嬢様の下まで飛んでいければ……。そう、刹那は歯軋りをした。
「私はまた、またお嬢様を危険に! あの時も、吸血鬼の時だって……後から高畑先生に聞いた。護ると誓ったのに!」
 必死の形相で走る刹那は不意にハッとなった。
「まさか……あの占いはっ!?」
 今朝、木乃香が占った言葉が脳裏に甦った。『せっちゃんが大事にしてるもの……、それに危険が迫ってるわ。そして……』という占いを。
「けつ……べつ……?」
「まだです!」
「――――ッ!?」
 立ち止まりかけた刹那に、ネギが叫んだ。
「まだ、間に合います! きっと、だから諦めないで下さい! こんな所で立ち止まっても何も意味は無いです。未来は決まってません。嫌な未来なんてぶち壊して、もっと良い未来を掴みましょう! だって、刹那さんの思いはこんな事に絶対負けないくらい強いから!」
「――――ッ! 馬鹿でしたね……私は。決別するとしても、あんな訳の分からない木なんかにこのちゃんはやらない!」
「来たっ!」
 ネギは後ろから飛来した杖を確認して跳び上がった。杖の上に立ち、杖の速度を上げる。刹那はその姿を見て、雄叫びを上げた。
「例え、このちゃんに嫌われても構わない! ウチは、このちゃんを護る!」
 刹那は瞳を閉じた。瞬間、刹那の背中から真っ白な光を放つ翼が生えた。右手に握る夕凪を左手に握る鞘に納め、大きく目を開いた。
「このちゃん!」
 強く大地を蹴り、一気に夜天に飛び上がると、先を行くネギに追いついた。
「刹那さん!? その羽……」
「気味が悪いでしょうが、今は一刻を争います。今だけは一緒に……」
「気味が悪い? どうしてですか? 凄く綺麗ですよ!」
「――――ッ!? 全く、貴女は不思議な人ですね。こんな物が生えた私が綺麗ですか?」
「そうですよ、刹那さん。きっと、明日菜さんや木乃香さんだって同じ事を思いますよ!」
 ネギの言葉に目を丸くすると、苦笑した。何て事は無い、木乃香にすら隠していた一族や神鳴流の中でさえ疎まれた自分をこうも呆気無く受け入れるネギも、そして、同じくらい呆気無く受け入れるだろうと想像出来てしまった木乃香や明日菜……そして自分自身に苦笑した。
「ああ……なんて馬鹿らしい。力を貸してください。私は、このちゃんと決別なんてしたくありません!」
「勿論です。一緒に助けましょう。私だけじゃない、あそこには明日菜さんも居ます。みんなで助けましょう!」
「そう言えば、高畑先生に聞きました。明日菜さんはエヴァンジェリンの従者の茶々丸さんと互角だったそうですね。ああ、なんて心強い」
 小さな事に拘っていたのが本当に馬鹿らしく思えてくる。刹那は自嘲しながら鞘に納まったままの夕凪に気を纏わせた。視界の先で、ちびせつなが消え去り、明日菜が木乃香を助けようと仮契約のカードを構えていたが、木は枝を明日菜に振り落とそうとしていた。
「ネギさん!」
「ハイッ! 刹那さんは木乃香さんを!」
 お互いにタイムラグ無しに分かれた。お互いが助けるべき相手の下へ。
「ラス・テル マ・スキル マギステル! 吹け、一陣の風……」
「神鳴流・飛燕抜刀霞……」
 刹那は木乃香に向かいながら夕凪に手を掛け、ネギは杖に魔力を集中させた。右手だけで杖にぶらさがり、明日菜の下へ。
「『風花・風塵乱舞』!」
「斬り!」
 刹那は木乃香に纏わり付く木の蔦を切り裂き、ネギは明日菜に振り落とされる枝を風の魔法で吹き飛ばした。
「遅いじゃないの」
「お待たせしました」
 ニヤリと笑みを浮べながら言う明日菜に、ネギは振り返らずに微笑んだ。



[8211] 魔法生徒ネギま! [第二章・麻帆良事件簿編] 第十一話『癒しなす姫君』
Name: 我武者羅◆cb6314d6 ID:87b1fc72
Date: 2010/06/08 23:02
魔法生徒ネギま! 第十一話『癒しなす姫君』


 現在、空は真っ暗だが深夜と言うにはまだ早い。麻帆良学園には多種多様な学校があり、それぞれに校長や副校長が居る。麻帆良学園学園長という肩書きはその名の通り、麻帆良学園全体の長であり、別に麻帆良学園本校女子中等学校の校長な訳では無い。
 それぞれの校舎には校長室の他に学園長室があり、麻帆良学園本校女子中等学校にある学園長室は一際大きくてなんと二階建てだったりする。現在、近衛近右衛門と麻帆良学園本校女子中等学校二年A組の担当教員である高畑.T.タカミチは麻帆良学園本校女子中等学校の学園長室の二階に居た。
「天ヶ崎千草――ですか?」
 タカミチは怪訝な顔をしながら近右衛門に尋ねた。タカミチは一時間前までエヴァンジェリンに捕まって酌をさせられていた。エヴァンジェリンとはよく飲みに行く仲なので別に珍しい事は無かったし、タカミチ自身も仕事を終えて後は自宅に帰るだけだったので問題は無かった。
 それが、突然エヴァンジェリンが侵入者を感知し、同時に携帯電話にメールが届いた。そこには『侵入者に対して一切の手出しを禁ずる』というものだった。意味が分からずにエヴァンジェリンも怪訝な顔をしたが、別に仕事に情熱を持っている訳でも無いエヴァンジェリンはすぐに飲みを再開したが、タカミチは納得がいかずに学園長の下に向かったのだ。
 背後で『タカミチにツケだ。どんどん持って来い!』という不吉な声が聞こえたが、少女の体であるエヴァンジェリンなら破算する事は無いだろうと諦めた。基本的にタカミチは教師の仕事や魔法使いとしての仕事をこなしながらも別に贅沢をする事も無いのでちょっとしたお金持ちだったりするので、エヴァンジェリンと飲む時は割りと奢る事が多い。
 逆に、食事代や魔法設備代、人形の材料費にお金を掛けるエヴァンジェリンは意外とお金を持っていないので飲みの時はタカミチにたかる事が多いのだ。エヴァンジェリンの収入は時々警備を手伝う程度なのでそこまで多くない。
 タカミチがここに来た時、ガンドルフィーニ達も来ているだろうと予測していたが、予想に反して誰も居なかった。どうやらあのメールはエヴァンジェリンとその近くに居た魔法関係者……つまりはタカミチだけに送られた物らしい。
 他の魔法関係者には内密にする気らしい。タカミチがメールの内容を問い詰めると、アッサリと近右衛門は口を開いた。「天ヶ崎千草じゃよ」と。
「無論、侵入者の事じゃよ」
「なっ!?」
 タカミチは思わず絶句してしまった。まさか個人名まで調べ上げているとは思わなかったのだ。
「どうして名前まで判明している侵入者を野放しに?」
「逆じゃよ。そこまで分かっているから敢えて放置しとるんじゃ。彼の者の目的、戦力、過去から個人情報全て把握しておる」
「――――は?」
 タカミチは意味が分からなかった。どうして侵入者が侵入してまだ一時間程度しか経っていないのにそこまで掴めているのかがまず分からないし、野放しにしている理由にもなっていない。
「えっと……、つまり無害だから手を出さなくてもいいって事ですか?」
「いいや有害じゃよ。下手をすれば関東と関西でとんでもない戦いに発展しかねん程にのう」
「えっと、じゃあ何故野放しに?」
 タカミチは頭が痛くなって頭を押えながら尋ねた。まさかボケたなんて事ないよな? と、ちょっと失礼な事を考えながら。
「なに、目的も戦力も確かに有害じゃが、所詮は道化じゃよ。丁度良い悪意を持っておるし、その気になれば楽に潰せる。わざわざせっついた甲斐があったというもんじゃわい」
 フォッフォッフォと笑う近右衛門に、タカミチは背筋に薄ら寒いものを感じた。何を考えているのか全く読む事の出来ない目の前の老人の考えにタカミチは声の出し方を忘れた様にパクパクと口を開いた。その様子に、近右衛門は薄く笑みを浮べた。
「そうじゃのう、天ヶ崎千草について少し話してやろうかのう――」
 そう言って、近右衛門は口を開いた。

 麻帆良学園本校女子中等学校の学生寮から少し離れた公園で木乃香と明日菜がベンチから立ち上がろうとした瞬間だった。突然地面が揺れ、背後のコンクリートが捲れ上がり、ベンチを押し上げて木が天に向かって伸びた。
「木乃香!」
 咄嗟に木乃香に顔を向けた明日菜は地面に影を見つけて上を見上げた。
「ベンチ!?」
 木に吹き飛ばされたベンチが明日菜目掛けて落ちてきていた。
「クッ!」
 咄嗟に後ろに跳んで回避すると、木乃香の体に木から伸びた無数の蔦が絡みついた。
「明日菜――っ!」
「木乃香!」
 明日菜は木乃香に跳び付こうとしたが間に合わなかった。凄まじい勢いで成長する木はあっと言う間に六階建ての建物並みの大きさになってしまった。
「なんなのよコイツ……ッ。まさか、これって魔法!?」
 咄嗟に明日菜は思い出した。自分と木乃香、両方に狙われるだけの可能性があるというカモの言葉を。舌打ちすると、飛び出そうとした瞬間に真横から三つの影が飛び出した。
「離せえ!」
「お嬢様を離せ!」
「離せえ!」
 三体のちびせつなだった。
「この――っ! 私達で成敗してくれる! ちびせつな隊! 攻撃――っ!!」
「攻撃ぃ!」
「攻撃!」
「ちょっ! 待った、ちびせつなちゃん!」
 それぞれデフォルメされた“ちびゆうなぎ”を抜刀して巨大化した謎の木に突撃するが、突然出現した花の蕾の様な物に食べられた。
「ちびせつなちゃんが花に食べられた!?」
 明日菜は目の前の衝撃的な光景に固まってしまった。ちびせつな達はジタバタしながら何とか蕾から抜け出すと、ネバネバした液体塗れになっていた。
「な、なんですかこれは~~」
「ドロドロです~~~」
「気持ち悪いです~~」
 そう言い残して三体のちびせつなはポンッ! と音を立てて煙になり、人型の紙がその場に落ちた。紙には“桜咲刹那”と書かれていた。ちびせつな達が消えて正気に戻った明日菜は咄嗟にポケットに手を伸ばして仮契約カードを取り出した。
「アデ――――ッ?」
 アーティファクトを出している時間は無かった。真上に巨大な木の枝が迫っていたのだ。一瞬、明日菜は瞳孔が開き、生を諦めかけた。だが、次の瞬間に凄まじい風が明日菜の恐怖を吹き飛ばした。
「『風花・風塵乱舞』!!」
 目の前に、よく知る自分よりも小さな真っ赤な髪が印象的な少女が降り立った。少女の手には大き過ぎる杖。その先から、凄まじい勢いの“風”が少女と明日菜の頭上の木の枝を粉砕しながら木の追撃から二人を護る壁となっている。
 明日菜は笑みを浮べた。いきなりの事に動揺していた心は落ち着きを取り戻し、頭はやけに冷静になった。まるで、あの夜の茶々丸と戦っていた時の様に。
「遅いじゃないの」
「お待たせしました」
「アデアット!」
 右手に持ったカードが閃光を放ち、“神楽坂明日菜”を“ネギ・スプリングフィールドの従者”に変えた。白金の輝きを放つ“ハマノツルギ”が顕現し、その体は独特な西洋甲冑が覆った。
 顔を上げると、大きな白い光を放つ翼を羽ばたかせている刹那が夕凪を振るい次々に伸びる蔦を斬り続けていた。
「刹那さん……綺麗」
 明日菜は呟いた。明日菜の眼には、夜闇に煌く翼を持った刹那がまるで天使の様に見えた。
「って、惚けてる場合じゃないわね」
 明日菜は『風花・風塵乱舞』が破られてネギに襲い掛かる木の枝をハマノツルギで斬り裂いた。瞬間、斬られた断面からまるで解ける様に木の枝が光の粒子となって消えて言った。だが、途中で木は枝を別の枝で落とし、本体の消滅を防いだ。
「ぐああああああああっ!」
「刹那さん!」
 同時に、無数の蔦によって刹那はネギ達の真後ろに打ち落とされてしまった。ネギは思わず後ろを振り向くが、舌打ちすると明日菜がその背後に迫った枝を切り裂く。
「馬鹿っ! 背中見せていい相手じゃないでしょ!」
「――――ッ! すみません!」
 再び、光の粒子となってまるでコンピュータに侵入したウイルスの様に枝を破壊していく力を木は枝を斬り落とす事で本体まで届くのを防いだ。
「やっぱり……」
「ああ、あの木は異能だ。姉さんの能力でならどんな攻撃も無意味だ!」
 いつの間にかカモがネギの肩に駆け上って木を睨みつけていた。
「カモッ!? いつの間に来てたのよ?」
「さっき、姉貴が杖を呼んだ時に便乗したんスよ。それより、あの木は姉さんの能力で消し飛ばせる。だが、問題はそこじゃねえ……恐らくは」
「ええ、まず間違いなく術者が何処かにいる筈です」
 カモの言葉に、刹那はカモの存在に僅かに驚いてはいたが、表情に出さずに続いた。
「術者!? じゃあやっぱりこの木って……」
「当然だ。龍穴にあっても、木は魔力でこんな不自然な成長はしねえ。姉さんの力を枝を切り落として防いだのを見ても、知恵があるか術者が居るかのどちらかだ。とくれば……」
「可能性が高いのは術者ですね。ネギさん、探査魔法は?」
 カモの言葉に頷きながら刹那がネギに問い掛けたが、ネギは首を振りながら杖から風の刃を放って蔦を斬り続けている明日菜の援護をした。
「このままじゃキリが無いし、木乃香が何時まで無事でいられるか分からないわよ!?」
 ネギの魔力ブーストがあって、明日菜の動きは残影すら残す速さになっているが、それでも次々に出現する蔦は明日菜に前進を許してくれなかった。明日菜の斬撃を受けた瞬間に、その蔦は本体から切り離されて新たな蔦が出現する。それも、続々と数が増えているのだ。最早蔦の壁とも言える程の量の蔦が明日菜達に迫るが、それでも明日菜の体やハマノツルギに当った瞬間に消し飛ぶのでそれ以上蔦の方も進行が出来ないでいた。
「このちゃん……。せめて術者の居場所か、この魔法の術式でも分かれば」
「カモ。あんた、ルーン魔術とかって出来るんじゃないの? それで何とかならない訳?」
 明日菜は凄まじい威力の斬撃を放ちながらエヴァンジェリン戦を思い出して、あの時にカモが使っていた便利そうな魔法を思い出した。だが、カモは無理だと首を振った。
「ルーン魔術っつうのは準備が面倒なんだ。刻印、解読、染色、試行、祈願、供儀、送葬、破壊の8つの工程がある。破壊はともかく、ネカネの姉さんから貰ったチョークが無けりゃ染色、祈願、供儀、送葬をスキップ出来ねえ」
「使えないわね――――っ!!」
「クッ」
 無数の蔦を神速の斬撃で迎え撃つ明日菜のあまりにも辛辣な言葉に、カモは言い返すことは出来なかった。この状態で、木乃香を救う条件は術者の発見か、もしくは目の前の木の術式を看破する事だ。そのどちらも出来ない上に戦闘にも参加出来ないカモは、役立たずと呼ばれても仕方ないと理解していたが「カモ君、知恵を貸して! 私は何をすればいいの?」というネギの言葉に顔を上げた。
「え?」
 カモは目を見開いた。
「カモ君、明日菜さんが蔦を防いでくれている。刹那さんは木乃香さんを助ける役目がある。だけど私は自由に動ける! 私にはどうすればいいか分からないの。だから、知恵を貸して、カモ君!」
 ネギの言葉にハッとした。自分が何のためにここに居るのかを見失っていた。自分に出来るのはアドバイザー。戦闘経験が絶望的に足りないネギと明日菜に代わって戦況を見据え、知恵を絞る。いつかはその役目も失い、自分がココに居る価値は無くなるだろう。それでも、ソレは現在(いま)ではない。カモは長いオコジョとして過ごして来た歳月の間に脳に詰め込んできたあらゆる魔法の知識を総動員した。
「そうだ、こんな大質量の攻撃を消される度に直ぐに復活させる。木を操るにも、魔力を流すにもそこまで距離は離れていない筈……」
 千里眼や、遠見の魔法はあるが、ゼロコンマ数秒でも木への指示が遅れれば、それだけで明日菜の能力が本体に届いてしまう。遠見にしても千里眼にしても、そんな魔法を使いながら精密な指示を飛ばせる筈が無い。そして「これだけの魔力を遠くに居て断続的に流せる訳がねえ。なら、敵さんは俺達が見える場所に居る……」周囲を見渡した。
 戦場は寮から少し離れた公園であり、障害物は殆ど無い。だが発見は困難だった。何故なら、今は既に太陽が完全に沈み、暗闇が公園中を支配しているからだ。それでも、アルベール・カモミールはニヤリと笑みを浮べた。
「そう、肉眼で見ている筈だ。なら姉貴、ちょっと疲れると思うッスけど、『風花旋風、風障壁』だ」
「どうするつもりですか?」
 刹那が眉を顰めるが、ネギは既に詠唱を開始していた。疑う必要などない。カモの知恵は必ず自分達に勝利を導いてくれると信じているから。
「敵は間違いなく肉眼でコッチを見ている。なら、姉貴の『風花旋風、風障壁』で完全に視界をシャットアウトしちまえば、もう明日菜の姉さんの能力に合わせて指示を飛ばすなんざ出来ねえし、他に俺達が何をやっても分からない筈だ」
「なるほど! つまり、私がこのちゃんを……」
 カモは首を振った。
「違う、刹那の姉さん、アンタは明日菜の姉さんを持って木乃香の姉さんに纏わり付いてる蔦を明日菜の姉さんに解除してもらうんだ。その間、邪魔する全ての蔦は姉貴が防ぐんスよ」
 そう言って、カモは呪文の詠唱が完了したネギに言った。
「了解だよカモ君。任せてっ!」
「んじゃ、さっさと作戦実行よ! ちょっと、きつくなってきたわ……」
 休み無しで蔦を斬り続けている明日菜はさすがに疲労を感じていた。それでも、蔦は全く神楽坂明日菜という壁を越える事が出来ずにいた。
「しかし、なんという方ですか明日菜さん。神鳴流に誘いたいですよ……」
 真の剣士を相手にしたなら神楽坂明日菜は間違いなく負けるだろうが、それは剣術を知らないからだ。もし、明日菜が剣術を学べば、間違い無く極みに到達出来るだろう。それほどのポテンシャルを有していると刹那は素直に思った。
「しかし、あの術式は一体……。気ではなく魔力で身体強化をするとは……」
「ありゃ、姉貴との仮契約の力だ。姉貴の魔力が姉さんに力を与えてるんスよ」
「なるほど、聞いた事があるます。西洋の契約魔術の一種ですか……。強力ですね」
「いきます、『風花旋風、風障壁』!」
 魔力を十分に篭め終わったネギは、刹那とカモの会話を遮り杖を振るった。とんでもない魔力が周囲を蹂躙する。それは、正しく竜巻だった。天まで届く暴風は外界を完全に遮断している。
 凄まじい風の音に耳が痛くなるが、竜巻が木を中心に半径30mを包み込み終わった瞬間に作戦が開始した。
「行きます、明日菜さん!」
「後は任せるわ、ネギ!」
「ハイッ!」
「来るぞ、姉貴!」
 ネギは神楽坂明日菜という絶対防壁が無くなった瞬間に、まるで神話に出てくる八岐大蛇の如く何本もの蔦が絡まりあった幾つ物太い木の龍を見た。
「私は私の役目を全うします! ラス・テル マ・スキル マギステル!」
 ネギは杖の先から無数の雷が放たれた。だが、雷の属性は木の属性と相似であり、一気に殲滅する事が出来なかった。
「雷は木の属性の派生。やっぱり、それと相剋する金の属性じゃないと……」
 杖から魔力を放ちながら、ネギは苦しげに呻いた。自分の使える属性は光と風、そして風から連なる雷。木の属性に対して劣勢も無いが優性も無かった。
「それでも、明日菜さんと刹那さんが木乃香さんを助ける邪魔はさせない!」
 眼を見開き、上空で伸びる蔦に苦戦している刹那と明日菜の姿を見て決意が固まった。右手に夕凪を持ちながら抱え込む様に明日菜を運ぶ刹那も、抱えられている明日菜も伸びてくる蔦を上手く凌ぐ事が出来ずに居る。最初に練り上げた魔力が風の大結界を維持出来るのは残り数秒も無い。
「その前に――ッ! ラス・テル マ・スキル マギステル……」
 勝手に使わせてもらいます――っ! ネギが頭に浮かべる呪文はまさしく最強の名を冠するに相応しい魔法使いの魔法。
「姉貴!?」
 カモは驚愕の声を上げた。ネギが練り始めた魔力の種類に目を丸くした。辺りの空気がひんやりとしだした。
「クッ! ハァァァアアアア!!」
 得意属性では無く、使った事も無かった魔力を操作するのは体に負担をかけた。それでも、この状況を打破する最適な手段をネギは選んだ。
「来れ氷精……爆ぜよ風精!」
 氷の魔力に風の魔力を練り込み安定させる。
「『氷爆』!」
 エヴァンジェリンのとは比べる事すらおこがましいレベルの冷気の爆風……いや、爆風にすらなっていない突風は、それでも金の属性から派生する“冷気”は木の属性の魔力の塊に効果を示して動きを鈍らせた。
「残り僅か数秒……でも間に合う! 木乃香さんへの道を開きます! ラス・テル マ・スキル マギステル! 影の地、統ぶる者。スカサハの我が手に授けん。三十の棘もつ愛しき槍を。『雷の投擲』!!」
 その場で左に回転しながら杖から凄まじい雷の魔力を発生させ、まるで巨大な槌を振るう様に、巨大な槍と化した雷の魔力を放った。凄まじい風の音すらも掻き消す轟音を鳴り響かせ、『雷の投擲』は一気に大地を滑り、刹那と明日菜を狙う蔦を消滅させながら木乃香のすぐ手前まで伸びて霧散した。それで十分だった。
「刹那さん、投げて!」
 明日菜の声に応え、刹那は全身に気を纏い、空中で明日菜の体を木乃香の下に投擲した。
「木乃香!」
「あす……な?」
 微かに、木乃香は瞳を開き剣を振るう明日菜の姿を捉えた。
「木乃香を……離しなさいよ!」
 明日菜がハマノツルギで木を撫でる様に振るった瞬間、木乃香に巻きついていた木の蔦は発光し、光の粒子となって消え去った。明日菜は木の側面を思いっきり蹴って跳ぶと、グラリと落ちる木乃香に刹那が向かうのを見た。
「このちゃん!」
「せ……ちゃん。せっちゃん!!」
 後ほんの数センチ、指が触れそうになった瞬間だった。
『あんさんら中々やるどすな~』
 その声が響いた瞬間、僅かに残っていた木から蔦が伸び、木乃香を引っ張った。突然響いた声にも構わず、刹那は木乃香に手を伸ばしたが届く事は無かった。凄まじい速さで木乃香の体は“地面”に飲み込まれてしまったのだ。
「このちゃん――っ!!」
 刹那の叫びも虚しく、木乃香の姿は消え去った。全ての木が消滅した後、最初に捲れ上がった筈の地面は何事も無かったかの様に綺麗だった。只一つ、高所から叩き落されて壊れたベンチを除いて、この場でさっきまで起きていた事を証明するものは何も無かった。
「そんな……嘘だっ!!」
 地面に降り立った刹那は夕凪を地面に気を纏わせて叩きつけた。地面は容易に抉られたが、木乃香が通った筈の穴はどこにも無かった。
「嘘だ……嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ!!」
 いつの間にか『風花旋風、風障壁』は解けていた。だが、木乃香が刹那に触れる瞬間までは確かに持続していた。それなのに、木乃香はギリギリで地面に引き擦り込まれた。
「カモ……どういう事?」
 明日菜は訳が分からなかった。確かに、自分達は木乃香を助けられる筈だったのだ。木乃香を拘束していた木の蔦は全て明日菜が破壊した。なのに、木乃香は今ココに居ない。ネギは目の前で起きた事が信じられずに固まっていたが、明日菜の声で正気に戻ってカモに顔を向けた。刹那もカモに顔を向けているが、その顔には殺意すら浮かんでいる。カモは少し離れた場所に立ち竦んでいたが、考えは纏っていた。
「やられた……。敵はあの木の“核”に居やがったんだ」
 カモの言葉に、三人は目を見開いた。
「どういう事!?」
 ネギが聞くと、カモは悔しげに顔を歪めた。
「バレてたんだ。最初から俺っちの作戦は……。それでも、作戦に付き合ったのは恐らく逃走の為の準備の時間稼ぎか……。それとも別のナニカの意図か、もしくは――」
「弄ばれたか?」
 明日菜は目元をヒクつかせながら呟いた。
「後は戦力分析って所ッスかね」
「んん~ん、そっちのオコジョ君。君が正解や」
 突然響いた声に刹那、明日菜、ネギ、カモは顔を向けた。三人と一匹から少し離れた公園の噴水の前に、木乃香を木で出来た十字架に磔にして、その脇でネギ達に向けて嘲笑している着物姿の女が居た。
「貴様っ!」
「動くな――っ! お嬢様を殺されたいんか?」
 咄嗟に飛び出そうとした刹那を、木乃香の首筋に細長い紙を当てながら女は叫んだ。
「この術符はウチが気を通せばすぐに発動する! お嬢様の首が跳ねるのを見たなかったら、その場を一歩も歩くんやない! そこのオコジョもや、指一本動かす事は許さへんで」
 刹那は舌打ちすると、その場で立ち止まった。たとえ威力が低くても、あれだけの至近距離で発動すればサギタ・マギカの一本だけでも障壁を作れない一般人の首なら刎ねる事が出来る。木乃香は拘束されながらもなんとか抜け出そうと体を震わせているが全く自由が効かなかった。そして、動けなくなったネギ達だが、カモは挑戦的な目を女に向けた。
「下手な芝居だな」
「芝居?」
 カモの言葉に、女は目元をピクリと動かした。
「ああそうだ。元々、お前の狙いは木乃香の姉さんじゃねえのかい?」
 カモの言葉に、木乃香は驚いた様に眼を見開き、刹那達は女を見た。
「なら、木乃香の姉さんをそう簡単に傷つけられる訳が……」
「フンッ」
「――――ッ!?」
 カモの言葉に鼻を鳴らすと、女は木で出来た十字架から伸びた木乃香を拘束している蔦を一本だけ外し木乃香の顔の真横に勢い良く突っ込んだ。木乃香は眼を見開き、全身から汗が噴出し、心臓は爆発する様に鼓動した。
「このちゃん!」
 刹那は思わず叫ぶが動くことは出来なかった。
「勘違いして貰っちゃ困りますなぁ。ウチは別にお嬢様を殺しても構わんのどすえ?」
「な――っ!? なら……ならどうして木乃香の姉さんをお嬢様と呼ぶ!」
「ん? あ~あ~あ~! 分かった分かった。あんさん、ウチが関西呪術協会の人間で、木乃香の姉さんを呪術協会に持ち帰るんが目的と思ってるんでっしゃろ?」
「違うのか!?」
「いんや、半分以上正解や」
「貴様、このちゃんをどうする気だ!」
 全身から殺意を漲らせる刹那の怒鳴り声に女は揺らぐ事すらせずに受け流し、口には薄っすらと笑みすら浮べている。
「どうして……、どうしてこんな事するんですか!?」
 ネギは思わず叫んでいた。
「どうして? せやなぁ、話たっても構へんで、聞きたいん?」
「――――ッ!? 聞かせて貰いましょうか」
「桜咲さん!?」
 刹那の判断に明日菜は戸惑った。敵の話を聞いてどうなるのだ? そう思っていると、ネギから念話が届いた。
『明日菜さん、カモ君も話を聞いた方がいいって言ってます』
『どういう事?』
『時間稼ぎだそうです。あの人、何を考えているのか判らないけど、あの人が話している間に思考する時間を得られれば、活路が得られる筈だそうです』
『なるほど……』
「昔々のお話どす。京都の町のある名家に仕える家族が居りましたんどす――」

「大戦で両親を……?」
「そうじゃ。天ヶ崎千草の一家は先の大戦に巻き込まれ――死んだのじゃ」
 近右衛門は机から取り出した資料をタカミチに見せた。
「関西呪術協会。儂が昔取り仕切っておった日本の魔術師の一派『日本呪術協会』は、本来はムンドゥス・マギクスには関係無い組織じゃった。本来ならば、巻き込まれる筈もないマイナーな一勢力でしかなかったんじゃ」
「え、関西呪術協会といえば麻帆良……関東魔術協会と日本を二分する組織では?」
「それは最近の事じゃよ。と言っても大戦中の事でもう何年も経っておるが」
「どういう事です?」
「儂がこの学園に就任したのも大戦の最中じゃ。儂は大戦中の詠春殿の働きや神鳴流が西洋魔法使いに加勢した実績、それに加えて西洋魔法使いに儂自身がコネを持っておったおかげでこの職についたんじゃ」
 一息入れて、近右衛門は話を続けた。
「儂は呪術協会を大きくする事に熱を上げておった。その為に西洋魔法使いと手を組むのも辞さなかった。そして――あの大戦を儂は愚かにも好機と思ってしまったんじゃ」
「――――ッ!?」
 タカミチは戦慄した。尊敬に値する方だと信じていた。偉大な力を持つ、ナギですらもある程度の敬意を払っていた人物が語るあまりにも醜悪な言葉に。
「あの大戦では手柄は立て放題じゃったからのう。それに、西洋魔法使い達がこの学園まで手が回らなかったというのも儂には幸運じゃった。ここには図書館島があるしのう。陰陽道を極め、西洋魔法も使いこなせる上に、コネもあり西洋魔法使いへの忠誠も確かなものだと確信させる事に成功した儂は楽にこの学園の学園長になる事が出来たんじゃ。儂は呪術協会を西洋魔法使いの加護を得て一気に日本全土に展開する魔術結社を差し置いてトップに押し上げた」
「だが犠牲は大きかった――」
 タカミチは睨む様に近右衛門を見た。
「さよう、儂は躍起になっておったんじゃ。神鳴流や陰陽寮などの組織と連携に成功してはおったが、確かな結果が無ければ瓦解してしまう不安定な組織じゃった。じゃが、儂の愚かな野望に巻き込まれ、関西呪術協会の……嘗ての日本呪術協会の人間は沢山犠牲になった。おかげで、長が詠春殿になった途端に西洋魔法使いと手を組んだ儂や西洋魔法使いが多く居るこの麻帆良の地は関西呪術協会の人間にとって憎悪の対象となってしまったんじゃ」
「な――――っ!?」
 もう言葉が出なかった。西の呪術師との仲は悪いとは思っていたが、その原因を作ったのは学園長自身だと言ったのだ。あまりの事に呆然とする他なかった。
「まあ、もう頭は冷えておるがな。今はこの学園の平穏を願っておるよ」
「信じると……本気で思ってるんですか?」
 タカミチは殺気を篭めた視線を向けた。
「現に今も侵入者の侵入を許している。今の話を聞いたら誰だってこう思いますよ。戦乱を巻き起こしたいのか? って」
 だが、近右衛門は柳に風といった感じにタカミチの殺気を受け流した。
「未だ、嘗ての大戦の火種は未だ消えておらん。その事はお主もよく知っておるじゃろう?」
「――――“完全なる世界(コズモエンテレケテイア)”ですか」
 タカミチは苦虫を噛み潰した様な渋い顔をしながら呟いた。『完全なる世界』とは、嘗ての大戦の黒幕的存在であり、サウザンドマスター率いる“紅き翼”が帝国・連合アリアドネー混戦部隊や、メガロメセンブリア国際戦略艦隊、帝国軍北方艦隊などの力を借り、世界最古の都、王都オスティア空中王宮最奥部にある『墓守り人の宮殿』でやっとの思いで倒した恐るべき存在だ。
 タカミチ自身はテオドラ・バシレイア・ヘラス・デ・ヴェスペリスジミアと言うヘラス帝国の第三皇女と行動を共にしていて実際に立ち会った訳では無いがナギ達を満身創痍にまで追い詰めた存在だ。
「まだ情報収集の段階じゃが、再び戦乱が巻き起こる可能性がある。それを避けるにはどうしても“ネギ・スプリングフィールドに成長してもらう”必要があるのじゃ」
「その為に貴方は自分の配下だった者でも利用すると言うんですか……? その上、ネギ君や明日菜君達を危険に晒すと!? 冗談じゃない、冗談じゃないですよ! 貴方は言ったじゃないですか! 護る為だと……、それは嘘だったんですか!?」
「嘘では無い。ネギ君や明日菜君は大事なキーじゃ。それは同時に狙われる立場でもあるという事。二人と、そして二人と共に歩むと決意する者に試練を与え成長を促さねばならん。強くなる以外に、あの子達に逃げ場など無いのじゃよ。例えどれほど残酷な事じゃろうと、儂に出来るのはそれだけじゃ」
「馬鹿な! 何故戦うという選択をしないんですか!? 子供達に戦わせて大人の僕達が傍観しているなど!」
 タカミチは我慢の限界だった。近右衛門の言っている事はただネギ達に責任を丸投げしているだけだ。そんな事を許しておける筈が無かったのだ。
「種子は既に撒かれておるんじゃよ。杖には3つ。残り4つはそれぞれの主を探しておるはずじゃ」
「種子……?」
「今は分からんでよい。時が来ればお主にも分かろう。さて、話を戻そうかのう。天ヶ崎千草の事じゃ。先も言ったように両親を大戦で亡くした彼女は西洋魔法使いを恨んだ。じゃが、その恨みも時と共に消えていったらしい」
「なら何故……まさかっ!?」
 タカミチはさっきの近右衛門の言葉を思い出した。『わざわざせっついた甲斐があったというもんじゃわい』という近右衛門の言葉を――。
「儂は関西呪術協会の長を務める婿殿に手を結ぼうと言った。予想通り、動き出す者はおった。それが偶然天ヶ崎千草だった」
「わざわざ……忘れていた恨みを再燃させたのですか!? 貴方という人はなんと残忍な真似を!」
 激昂したタカミチに、近右衛門は首を振った。
「その程度の者ならば、ただの恨みのみに身を任せて襲い掛かる愚者ならば、子供達の成長を促す事など出来ん」
「どういう意味ですか……?」
「彼女の目的はのう――――火種じゃよ」

「巫山戯るな!!貴様のそんな恨み言にこのちゃんを巻き込むな!」
 両親が大戦で殺され、絶望した彼女の人生について語り終えた千草に刹那は怒鳴り声を上げた。少し同情しかけていたネギと明日菜は刹那の怒鳴り声に固まってしまった。千草は薄く笑い肩を竦めている。
「つれないどすなぁ。少しは同情してくれてもええんやない?」
 どうでも良さ気な口調で神経を逆撫でする事を千草は言った。
「知るかっ! このちゃんを巻き込む理由になどなっていない! 殺すぞ」
 夕凪に気を纏わせる刹那に、千草は余裕を見せ続けた。
「ええで、別に?」
「なに?」
 夕凪の柄に手を掛けかけていた刹那は怪訝な顔をして止まった。
「どういうつもりよ、アンタ?」
 明日菜も戸惑いを隠せずにいた。
「ウチがどうしてこんなベラベラ話してたか分からへん? もうウチの目的は7割以上成功してるんやで?」
「どういう……事ですか?」
 ネギは慎重に問い掛けた。
「ウチは別に極東最強の魔力を持ったお嬢様を奪うのが目的とちゃうんや。まあ、持って帰って、薬に漬け込むなり? 拷問するなりしてウチの言う事何でも頷く良い子ちゃんに仕上げるんはおまけなんよ」
 木乃香は眼を見開き、ネギ達は絶句して声が出なかった。今コイツはナニを言った? 三人と一匹は次の瞬間に殺意が爆発した。目的のついでに木乃香を拷問すると言う千草にネギ達はキレかけていた。それを抑えたのは、捕まっている木乃香の存在だった。
「おまけ……なら、お前の本当の目的はなんだ?」
 殺意を押し殺しながら、刹那は問い掛けた。千草はよくぞ聞いたと口元に笑みを浮べた。
「火種が欲しいんよ。戦の火種がなぁ」
「火種……?」
 ネギは困惑した。
「せや。ウチは大事なもん、皆亡くしてもうた。それがどうしてか分かるかいな? 西洋魔法使いと関西呪術協会の長が手を結んで一緒に歩もうとしたからや! 分かるかいな? 住み分けするべきやったんよ。このムンドゥス・ウェトゥスに昔から居た魔術師とムンドゥス・マギクスに住む魔法使いは一緒に居るべきやなかったんや! 一緒に居たから、巻き込まれて、何人死んだ? ムンドゥス・マギクスなんて関係無かった筈の人間が! ウチラ魔術師や陰陽師、神鳴流だけやないで? 一般人も裏で大量に巻き込まれて死んだんや!」
 千草は徐々に声に熱を帯びて叫ぶ様に言った。
「ウチだって、それでも長い時間掛けて西洋魔法使いへの恨みを無くしていったんやで? 関西呪術協会はココと確執の壁を作って、お互いに干渉を極力せんように務めてた。それやのにまた! 長は、ココと……、西洋魔法使いと手を組もうとしなはってる! あの時と一緒なんよ! それぞれの領分を護らな……。また、あの時の悲劇が繰り返されてまうんや!」
「だから……、戦争を起すって言うんですか?」
 ネギは頭が痛くなった。目の前の千草の気持ちは判らない訳じゃない。だが、その為に更に悲劇を作り出してどうする気なんだ……と。
「いいや、違うぜ姉貴。別に実際に戦争が起きる必要は無い。コイツの目的は関西呪術協会と麻帆良が手を組むのを阻止出来ればいいんだ。その為には“戦争が起こりそうになった”それだけでいいんだ」
 だが、とカモは怪訝な顔で千草を睨んだ。
「解せねえ。例えこの場で木乃香の姉さんを殺そうが、拷問しようが。ぶっちゃけ、木乃香の姉さんはソッチの人間だろ? なんせ、ソッチの長の娘なんだ。むしろ手前えの立場が悪くなるだけでソッチの奴等が俺達がここで手を引いても救出してくれる可能性だってある。どう転んでも、戦争なんざ起こり掛ける事すらねえ筈だ……」
 カモの言葉に、ネギ達は困惑した様に千草を見た。カモの言葉に間違いは無い。最悪な事態が起きても千草の目的はどうあっても達成されない筈だ。だが、千草は余裕の笑みを浮べたままカモに感心した表情を向けた。
「聡いオコジョやな。まあ、お嬢様を拷問する気なんか最初からあらへん」
「へ?」
 間抜けな声を発したのは明日菜だった。拘束されている木乃香も明日菜と同じ様な表情をしている。
「どういう事だ?」
 刹那が問い掛けると、千草は唇の端を吊り上げた。
「言いましたやろ? 作戦は既にほぼ成功している……と。後は、二つに一つなんどす」
「二つに……一つ?」
 ネギが杖を握り締めながら聞くと、千草は言った。
「ネギ・スプリングフィールドか木乃香お嬢様の命。どちらかを選んで貰いますえ」
「!?」
「――――え?」
「何……?」
「アンタ……、何言ってるわけ?」
「何だと!?」
 木乃香、ネギ、刹那、明日菜、カモはそれぞれ反応した。
「簡単な理屈やねん。ここに居る人間で死ぬ価値があるんはウチとそっちの西洋魔法使いのお嬢ちゃんだけなんや。せやけど、ウチが自殺しただけじゃアカンねん。その為に態々あんさんらの戦力を分析したんやからなあ」
「はぁ? あんた何言って……」
「いや、段々読めてきたッスよ。コイツの考えが……」
 明日菜が怪訝な顔をして問い返すと、カモが口を挟んだ。
「どういう事ですか?」
 刹那が聞いた。
「まず、明日菜の姉さんが死んだ場合。表向きには一般人が巻き込まれて勝手に死んだって事になって大事には至らない」
「なっ!?」
 明日菜はカモのあまりの暴言に言葉を失ったが、カモは無視して話を続けた。
「刹那の姉さんに至っては、呪術協会の人間が呪術協会の人間を殺したって何にもならねえ。だが、ここで姉貴の存在が状況を左右するんス」
「私の存在が……?」
「ああ、姉貴は西洋魔法使いであり、サウザンドマスターと同じ姓だ。つまり、姉貴が死ねばどうあっても関西呪術協会は西洋魔法使いから非難される。最悪戦争になる可能性が極めて高い。それは、あの女の思惑通りな訳だ。そして、この“西洋魔法使いと敵対している状況で、尚且つコッチの戦力がバレてる”事で、もう一つの道がある」
「もう一つの……道?」
 カモの言葉に、ネギは絶句し、明日菜は問い返した。
「即ち、俺達の攻撃手段で可能な“死”で木乃香の姉さんごと自分を殺す事。そうすりゃ、“西洋魔法使いは関西呪術協会の人間を、長の娘ごと殺害した”という事にされかねない」
「そんな馬鹿な!?」
 明日菜は思わず叫んだが、刹那は歯を噛み締めながら肯定した。
「そうなるでしょうね。最悪なのは、此方の攻撃手段がバレているという事。特に、ネギさんの魔法と同じ属性の魔法で死を演出されたら、確実に西洋魔法使いに不満を持つ者達が決起するでしょう」
「正解や。感電死、圧殺死、凍死、斬首他にもあるけど、雷の属性の符を持ってきとって正解やったわ」
 そう言うと、千草は懐から一枚の術符を取り出した。
「ク――ッ!」
 ネギ達は動けなかった。一歩でも動けば、即座に千草は木乃香を巻き込んで自殺してしまうだろうから。
「それじゃあ、選んで貰いましょうか? ネギ・スプリングフィールドが死ぬか、木乃香お嬢様が死ぬか。ああ、安心してええで。ネギ・スプリングフィールドが死んだらもうウチの目的は終了や。お嬢様は開放したる」
「信用すると思うか?」
 射殺さんとばかりに睨みつける刹那に対し、千草は肩を竦めるだけだった。
「別に信用せんでもええよ? せやけど、直ぐに決めてくれへんと……お嬢様は死ぬ事になんで?」
「貴様っ!」
 刹那が吼えるが、自体は好転する筈も無く。木乃香は何とか抜け出そうと体を捩ったが全く無駄だった。せめて口だけでもと猿轡になっている蔦を噛み切ろうとするが、幾ら歯を立ててもまるで効果が無かった。
 明日菜はネギを守る様にネギの前に立ってハマノツルギを構えた。木乃香も大事だが、ネギも大事なのだ。どちらかを選べばどちらかが死ぬ。そんな巫山戯た事、許せる訳が無かった。
 ただ、力が無いのが口惜しい。明日菜は唇を噛み切り、薄っすらと血を流しながら怒りに我を忘れそうになるのを必死に耐えた。
「本当に、私が死ねば木乃香さんは助けてくれるんですか?」
 その言葉に刹那と明日菜、カモ、そして拘束されている木乃香はギョッとした。目の前の女性には同情もするが、全く関係の無いネギに死ねとはどういう事か? 木乃香は怒りを感じながらも動けない自分の体が恨めしかった。
 ウチさえ捕まっていなければ……。木乃香は魔法なんて物を信じている訳では無かった。だが、目の前で異能をこれでもかと見せ付けられ、それでも頑として否定するほど頭の固い人間ではなかった。それ故に、話の内容も理解出来てしまった。必死にネギを静止する様叫ぼうとするが、蔦のせいで空気が漏れる音しか出せない。
「ほう、お嬢様はいいお友達をお持ちになりましたなあ。自分から命を捧げようとするとは」
 口元には笑みを浮べているが、その瞳にはどこか苛立ちが篭められていた。
「なっ!?」
「アンタ……、何言ってるわけ?」
 カモは目を見開くとやがて諦めた様に顔を伏せた。明日菜は恐ろしい声色で凄まじい怒気を孕んだ視線をネギに向けたが、ネギはそれを受けて尚も一歩前に出た。
「私は……お父さんの様になりたい」
「ネギ……?」
 突然のネギの言葉に明日菜は怪訝な顔をした。
「お父さんは人質を取られて無抵抗に嬲られても泣き言は言わなかった。例え、自分が殺されても信念だけは守り抜く。私も、大事な人を護りたい。木乃香さんとはあってまだ数日です。でも、それでも……死なせたくない人なんです!!」
 エヴァンジェリンが見せてくれたナギの過去を思い出しながら、ネギは更に前に進んだ。明日菜は頭が割れそうに痛んだ。こんな状況にした千草が許せない。人の為に自分の命を投げ出そうとするネギが許せない。
 それ以上に、無力な自分が許せなかった。
『……んで』
「え?」
 唐突に、何かが聞こえた気がした。瞬間、ハッとなりネギに顔を向けると、ネギの前に刹那が立ちはだかっていた。
「なるほど、あんさんはお嬢様ではなくソッチの小娘を選ぶんやね?」
 蔑む様に、千草は鼻を鳴らして言った。
「違う……。私は誰と比べてもお嬢様以上の存在は居ない……。だが! ネギさんは私の友達だ! そして、お嬢様の為に命を諦めると言ってくれた」
 刹那はそう叫んで右手に持っていた夕凪を放り投げた。
「――――ッ!?」
 千草は思わず目を丸くすると、刹那はネギの前で両手を広げて立ちはだかった。
「だからこそ、この命はネギさんと共にあろう! ネギさんを殺す前に私を殺せ! 我が魂は例えあの世に行こうと我が主であるこのちゃんを救おうと命を懸けてくれたネギさんに忠義を尽くす! それだけが私に出来る唯一の恩返しだ」
 刹那はそう叫ぶと千草を睨みつけたまま微動すらしなくなった。
「待ってください! そんな事望んでません! 恩なんか売った覚えは無いです! 私は私の我侭を通してるだけです! どいて下さい刹那さん!!」
 ネギは目を見開いて叫ぶが、刹那は無理矢理刹那を押しのけて前に進もうとするネギを抱き止めた。
「貴女のソレが我侭だというなら、私のコレはただの自己満足です。貴女一人に死を押し付ける事など出来る筈もありません」
「でも!」
 ネギが叫ぶと、その眼は更に見開かれた。刹那も、気づいて目を見開いた。明日菜が、ネギを護ろうとしている刹那をも護らんと前に立ち塞がっているのだ。武装を解除した状態で。
「二人が死ぬなら私も死んでやる!」
「明日菜さん!?」
「何を考えてるんですか!? どいて下さい!!」
 ネギは絶句し、刹那は明日菜を押し退け様とするが、明日菜は頑として動かなかった。
「友達を助ける事も出来ずに目の前で死ぬのを見てるなんて冗談じゃないわよ! 何にも出来ずに友達を死なせる様なら、こんな私の命なんていらない!」
 その叫びと同時に、突然千草のすぐ横で拘束されている木乃香から光が溢れ出した。

『やめて』
 木乃香は心が壊れそうだった。
『やめて』
 目の前で自分の為に死ぬというネギ。
『やめて!』
 自分のせいで大事な友達が死のうとしている。
『嫌や……やめて……嫌や……嫌や……嫌や嫌や嫌や嫌や嫌や嫌や!!』
「友達を助ける事も出来ずに目の前で死ぬのを見てるなんて冗談じゃないわよ! 何にも出来ずに友達を死なせる様なら、こんな私の命なんていらない!」
 その声が心の底まで響いた。何かが切れる音がした気がする。気が付くと、木乃香は躯から光を放っていた。
「なんや!?」
 千草は思わず飛び退くと、拘束していた筈の木乃香が十字架も拘束していた蔦も全て弾き飛ばして球状の光を身に纏っていた。
「なんなんやこの途轍もない魔力は!? まさか、ただの純粋な魔力を放出しただけで解いた言うんか? ウチの最高レベルの拘束術を」
 千草は呆然とした様に呟いていると、木乃香は大きく息を吸った。そして「このアホタレ~~~~ッ!!」と叫んだ。
 あらん限りの思いを篭めて。突然の事に驚き硬直していたネギ、明日菜、刹那の三人は思わず身を竦めた。カモは無言のままネギの肩に乗っていた。
 打つ手無しでさすがに状況を打開する策が無く、ギリギリまで知恵を絞っていたが、木乃香の叫びに安堵の表情を浮べた。木乃香は思いの丈を吐き出す様に喋り続けた。
「ウチが死んででも助けて欲しいだなんて思うと思ったん!? 三人に死なれて、ウチだけ助かって喜ぶとでも思ったん!? せっちゃんや明日菜やネギちゃんに死なれたら、ウチは……」
 そのまま、木乃香は泣き崩れてしまった。刹那は泣きそうな笑みを浮べながら木乃香を抱きしめた。
「ごめんね、このちゃん……。怖い思いさせて」
「ちゃう、ちゃうんや。ウチは……」
「そんな馬鹿な。お嬢様は術者としての教育なんて受けてない筈。ならどうして!?」
 千草は顔を青褪めさせながら後退していた。木乃香を人質にしているというアドバンテージが無くなった今、ネギ達を相手にするのは分が悪過ぎた。
「逃がすと思ってんの?」
 米神に青筋を立てている明日菜はハマノツルギを殊更輝かせながら千草に向けた。
「貴女の過去には同情しましょう。ですが、“そんな事”にこのちゃんとネギさんを巻き込んだ罪、贖ってもらいます」
 刹那も夕凪を拾い上げ、殺意を漲らせた鋭い眼差しを千草に向けている。既に状況は逆転していた。それでも尚、千草の顔に戦意は喪失していなかった。
「フッ、なら実力行使するまでや!」
 そう叫ぶと同時に、懐に手を伸ばした。
「ウチの修めた呪術の力、受けてみい!」
 千草は懐から二枚の符を取り出して投げた。光を放つと、ソレは成人男性の1.5倍程の大きさの巨大な魔獣に変身した。
「ゴーレム!?」
 ネギは見た事の無い術式に眼を見開いたが、カモが首を振った。
「違うな。カバラの術式であるゴーレムは土人形で、体のどこかに“真理(emeth)”が刻まれてる筈だ。ありゃ前に“金髪”に聞いた事がある。陰陽道に於ける式神だ」
「正解や。ウチの前鬼と後鬼は一筋縄じゃいかへんで! 陰陽権博士の力、見せたるわ!」
 千草が手をネギ達に向けると、二体の魔獣は凄まじい速度で四人と一匹に襲い掛かった。
「遅い!」
「しゃらくさい!」
 だが、刹那の夕凪と明日菜のハマノツルギのたったの一撃でアッサリと切り裂かれて光の粒子となってしまった。
「覚悟しろ」
 刹那はそう言うと駆け出そうとして、千草は笑みを浮べた。瞬間、刹那の体がガクンと倒れ伏した。
「ほんまにマジックキャンセラーらしいどすな。ウチの呪術を受け付けてへんらしいわ」
 忌々しげな千草の言葉に、明日菜はギョッとした。
「アンタ、刹那さんに何したの!?」
 明日菜が怒鳴ると、千草はニヤリと笑みを浮べた。
「アニミズム。有霊観や精霊崇拝とも言うんやけどな。クロマニヨン人が最古の魔法であるネアンデルタール人の“狩猟成就の儀式”から発展させた“物神崇拝(フェティシズム)”が数万年を経て更なる発展を遂げた術式や。ウチの式神が破壊された瞬間、人間に宿る霊的存在を追い出す様組んだ術式を編みこんでおいたんやけど、白子の小娘にしか効果はあらへんかったようやな」
「刹那さん!」
「せっちゃん!」
 ネギと木乃香が刹那に近寄ると、刹那は全身から熱を発して苦しげに呻いていた。
「せっちゃん!」
 木乃香が刹那に呼びかけるが、刹那は苦しげに呻くだけだった。
「このおおお!!」
 明日菜はハマノツルギを構えて千草に向かって駆け出した。一瞬で距離を詰める。
「臨める兵、闘う者、皆 陣烈れて、前に在り!!」
 九字と呼ばれる呪文に合わせて凄まじい速さで千草は両手で印を結ぶ。すると、明日菜のハマノツルギを一瞬だけナニカが阻んだが「九字も一撃かいな!?」顔に恐怖を貼り付けながら千草は叫んだ。
「未だや! 魂兮帰来入修門些、工祝招君背行先些、秦箒斉僂鄭錦絡些、招具該備永嘯呼些、魂兮帰来反故居些!!」
「なに!?」
 突然の千草の訳の分からない言葉にギョッとした明日菜は一瞬動きを止めてしまった。それを好機と見た千草は術を発動した。
「ウチはイタコの術は使えへん。せやけど、中国魔術の中で近似した術式があるのをしって勉強したんや! そして、コレがウチの切り札や。どうせ、ウチは死ぬつもりやった。あんさんらも道連れにさせてもらうで!」
 そう叫んだ瞬間、千草の体が白い光に包まれた。

 明日菜が千草と戦っている頃、ネギは刹那に苦手な回復魔法を必死にかけていた。だが、効果は全く無かった。
「どうしよう……、このままじゃ」
 ネギは必死に魔力を刹那に送っているが、刹那の顔色は悪くなる一方だった。どれだけ頑張っても、ネギは回復魔法は不得意で効果は上がらない。泣き出しそうになるのを堪えながら必死になるが、明日菜の方にも魔力を持っていかれ続け、段々疲れがピークに近づいてきていた。
「止む終えねえ。姉貴、刹那の姉さんと仮契約しやしょう」
「え?」
 カモは苦しむ刹那を見て、溜息を吐くと普通のチョークで魔法陣を描き始めた。
「仮契約で刹那の姉さんの生命力を底上げするんス。木乃香の姉さんをマスターにしてもいいんスけど、魔力供給は純粋な魔法使いである姉貴がやった方が効果がある」
「でも……」
 ネギは躊躇した。仮契約といえばキスしなければならない。眠っている女性に許可も無くそんな真似をするのは躊躇いが生じた。
「姉貴、このままじゃ拙いんスよ。体力が奪われ続けている。敵も未だ倒してない状況じゃここから連れ出すことも難しい」
 カモの言っている事はネギにも分かっていた。だからといって、そう簡単にキスなど出来る筈も無い。だが、眼に見えて刹那の顔色は悪くなっていく。迷っている時間はもう無かった。木乃香は何がどうなっているのか分からずに首を傾げながらも刹那の手を握り締めている。
「描き終りやした。姉貴、木乃香の姉さん。刹那の姉さんをこの魔法陣の上に」
 カモは描き終った魔法陣の上に刹那を移動する様指示を出した。
「せっちゃん、助かるん?」
 木乃香が不安そうに聞くと、カモは頷いた。
「少なくとも、体力は回復する筈ッス。後は、天ヶ崎千草さえ倒せば全て上手くいく筈ッス」
 カモの言葉を聞いて、木乃香はネギの両手を握った。
「ネギちゃん、お願い。せっちゃんを……せっちゃんを助けて!」
「木乃香さん。分かりました……。ごめんなさい、刹那さん」
 木乃香の真摯な気持ちを受けて、唇を噛み締めて、ネギは謝った。光を放ち始めた魔法陣の上に横たわる刹那に顔を向け、ネギはゆっくりと刹那の顔に顔を近づけていった。
 木乃香は驚いたが、声を出さずに見守り続けた。刹那の唇にネギの唇が軽く触れた瞬間、ネギと刹那の間に対面する様に二つの魔法陣が出現した。
「仮契約成功――、パートナー桜咲刹那。我に示せ、秘められし力を……契約発動!」
 ネギは自分の手前に出現した魔法陣に手を入れて、そのまま刹那の前に出現した魔法陣の中に手を差し込んだ。瞬間、光がネギの手に集まり、一枚のカードへと変化した。そのまま、カードは光に変り、刹那の体を包み込んだ。
 刹那の体を覆った光はやがて刹那の体の中に溶け込むように消え、刹那の服が変化していた。真っ白な肩の部分が露出している胴着に明るい蒼色の袴、両手には黒い布の籠手が装着され、靴も真っ赤な紐の草履に変っていた。傍には夕凪に似た唾の無い柄に紅い紐が付いている長刀が出現した。紐のすぐ下の部分には不可思議な文字が薄っすらと刻印されている。
「あっ! せっちゃんの呼吸が!」
「安定してきた……」
 刹那の苦悶の表情が和らいだ気がした。徐々に肌も血色がよくなり始めている。
「良かった……」
 ネギは心底安堵した様に息を吐いた。
「後は、天ヶ崎千草を倒すだけだな」
 カモも安堵の笑みを浮べながら言った瞬間だった。
「キャアアアアアアアア!!」
 ネギ達の直ぐ目の前の地面にナニカが激突し、そこには頭から血を流して倒れ伏す明日菜の姿があった。
「明日菜さん!?」
 ネギは慌てて立ち上がると明日菜に駆け寄った。
「ごめん……アイツ、強すぎ」
 息絶え絶えに右手を上げたその指の先をネギは見た。そこには、眼を真っ黒に染め上げ、右手にハマノツルギを握る天ヶ崎千草の姿があった。
「なっ!?」
 ネギは目を見開き絶句した。千草はあまりにも禍々しい力を放っているのだ。
「魔力じゃない……?」
 ネギが杖を向けた瞬間、千草は凄惨な笑みを浮べてハマノツルギを振るった。
「――――ッ!?」
 何も起こらなかった。
「今のは……?」
 ネギが怪訝な顔をしていると、背後から刹那が起き上がって隣に立った。
「恐らく、気を明日菜さんの剣に纏わせようとしたのでしょう。けど、明日菜さんの剣には魔力も気も纏わせる事が出来ずに不発に終わった……」
「刹那さん!? 駄目ですよ、起き上がっちゃ」
 ネギは慌てて言うと、刹那はネギを突き飛ばした。
「え?」
 困惑したネギの目の前に、突如千草の姿が現れ、ハマノツルギをネギの居た場所に振り落としていた。
「まさか、神鳴流まで修めていたと言うのか!?」
 刹那は驚愕に眼を見開きながら夕凪を千草の脇腹に向けて振るった。甲高い金属音が鳴り響き、刹那の斬撃は千草の持つハマノツルギによって防がれていた。
「チッ!」
 舌打ちしながら千草から距離を取ると、千草は懐から術符を取り出した。狙いは、呆然としている木乃香に向けられていた。
「貴様っ!」
 刹那は夕凪に気を通そうとしたが、ナニカに邪魔されて気を練り上げる事が出来なかった。
「しまった、ネギさんの魔力で気が!」
 相反する二つの力は同時には使えない。仮契約状態の刹那の体にはネギの強大な魔力が巡り、刹那が気を練るのを阻害していた。だが、仮契約を解けばその瞬間に再び刹那は戦闘不能になってしまう。刹那はそのまま千草が放った符と木乃香の間に自分の体を割り込ませた。
「ぐわっ!」
「せっちゃん!?」
「石化!?」
 ネギは目を見開いた。刹那の体は徐々に背中から石化し始めたのだ。ネギは千草に杖を向けた。
「早く助けないと拙い、ラス・テル マ・スキル マギステル! 光の精霊53柱、集い来たりて敵を射て! サギタ・マギカ、連弾・光の53矢!!」
 一刻も早く千草を倒さねばならない。ネギは杖から53本の光の矢を放ち、一気に勝負に出た。だが、千草は笑みを浮べるとハマノツルギで全ての矢を消し去ってしまった。
「そんな!?」
「なんなんだアイツ!?」
 カモは術と剣を巧みに操る千草に驚きを隠せなかった。
「ぐ……、恐らくあれはシャーマニズムの憑依術式……」
「せっちゃん!」
 刹那は半分以上石化した体で苦しげに口を開いた。
「シャーマニズム?」
 カモが聞き返すと、刹那は頷いた。
「アニミズムに於ける霊的存在が、物に宿るだけではない事を知った事によって生まれた魔法です。祖霊崇拝、憑依型と脱魂型があり、憑依型は、呼び出した霊に肉体を明け渡す事で巨大な力を発揮するという。天ヶ崎千草に纏わり付いている白い湯気の様なオーラは、二つの魂が一つの肉体に無理矢理押し込まれている事で、魂の一部が外に漏れ出してしまっているんです」
「正気かよ……。そんな事すりゃ、肉体を取り戻せない可能性だってあるだろうに……」
 カモは気味の悪い目つきでネギ達を睨み付ける千草に怖気が走るのを感じた。
「とにかく、奴を倒さないと……アグッ!」
 石化している体で無理矢理立とうとした刹那は全身に途轍もない痛みを感じた。
「せっちゃん!!」
「ぐはっ!」
 苦悶の表情を浮べる刹那に声をかけた木乃香のすぐ隣にネギの小さな体が吹き飛ばされてきた。所々から血を流している。
「三人は逃げてください……」
 刹那は突然そう言い出した。
「え?」
 木乃香は困惑した声を上げた。
「そんな事出来るわけないでしょ!?」
 全身が痛みながらも、明日菜は何とか立ち上がって怒鳴った。
「そうです! あの人は強すぎます。石化し掛けている刹那さんを置いてくなんて、出来るわけ無いじゃないですか!」
 ネギの言葉に、刹那は優しい笑みを浮べた。
「私は、お嬢様の事をお守りできて……役目を果たせて満足です。貴女方はまだ走れる。私は無理なんです。それでも、何とか足止めをして見せます。貴女達は誰か魔法先生を呼んで来て下さい」
 そう言い放つと、刹那は無理矢理立ち上がった。瞬間、刹那は背中が石になっているにも関らず、暖かいナニカを感じた。
「ウチ……昔から……」
「このちゃん……?」
「昔から護られてばかりや」
「木乃香……?」
 刹那を抱き締めながら話し出した木乃香に、明日菜は困惑した。千草は何故か動かず、突然、口から血の塊を吐き出した。
「!?」
 刹那は目を見開くと、カモはやはりと目を細めた。体の崩壊が始まっていたのだ。二つの魂を一つの肉体に押し込む。専門の術師でも無いのにそんな真似をすればそうなるのが必然だった。苦悶の表情を浮べる千草を刹那を抱き締めた状態で見ながら木乃香は言葉を続けた。
「せっちゃん、ウチな、ほっといてって言ったやろ? ウチの事でせっちゃんが傷つくとこを見るの嫌やったんや。知ってたんや、ウチが危険な目に合うといつもせっちゃんが怒られてた事……。ウチがいつだって悪いのに。ウチな、もうそんなせっちゃん見たくないんや。家柄とか役目とかそんなんもう沢山なんや」
 そう言うと、木乃香は刹那から離れてネギの前に歩み寄った。
「アスナやせっちゃんの変身。ネギちゃんの力なんやろ?」
「はい……」
「ウチにも……お願い。ウチも力が欲しい。大切な人を護れる力が!」
「でも、木乃香さん……」
「だって!」
 躊躇うネギの言葉を遮って、木乃香は叫んだ。
「護られてるばっかりじゃイヤやわ! ウチも護りたい!」
 木乃香の叫びに、ネギは目を見開いた。
「…………わかりました。お願い、カモ君!」
 ネギには木乃香の気持ちを否定する事なんて出来なかった。同じなのだ。誰かを護りたいと思って力をつけた自分と。
 刹那は自分を似た者同士だと言った。それは、木乃香も同じだったのだ。カモは何も言わずに魔法陣を描いた。魔法陣の上に立ち、木乃香はネギに笑みを向けた。
「ありがとう、ネギちゃん」
「木乃香さん……」
 ネギが何かを言う前に、木乃香の方からネギの唇を塞いだ。柔らかい唇の感触に、ネギと木乃香は二人揃って顔を赤くし、目の前に魔法陣が出現した。
「いきます、木乃香さん!」
「うん!」
「仮契約成功――、パートナー近衛木乃香。我に示せ、秘められし力を……契約発動!」
 瞬間、木乃香の体を光が覆い、真っ白な狩衣と呼ばれる着物の一種が木乃香の体を包み込んだ。両手には、真っ白の光を放つシンプルな対の扇が出現した。
 右手に持つ木製で絹糸で束ねられている方が“東風の檜扇(コチノヒオウギ)”であり、左手に持つ紙製の扇面と扇骨を組んでいる方が“南風の末広(ハエノスエヒロ)”と呼ばれ、その双方に不思議な文字が刻まれていた。
 鈴の音の様な音が響き渡り、木乃香が扇を振るうと、刹那の体は凄まじい発熱を起しながら石化が解除されていった。
「凄げえ、回復系のアーティファクトか!」
 カモはその様子に目を見張った。木乃香が更に扇を振るうと、今度は刹那、ネギ、明日菜の体の傷や疲れが吹き飛んでしまった。
「これが……、木乃香さんの力」
「あったかい……」
「お嬢様の温かい気持ち……、力を感じる……」
 全身に力が漲り、刹那は両目から涙を流した。
「我が命、例え失おうとも、どんな敵であろうと貴女をお守りします!」
 刹那は仮契約を解除し、全身の気を集中させた。
「神鳴流奥義・百花繚乱!」
 まるで、桜の花びらが舞い散る様に、無数の光の斬撃が苦悶の表情を浮べる千草に降り注いだ。
「ぐああああああああああああっ!!」
 壮絶な叫びを上げながら、千草の中に居た霊魂は抜け出し、千草の体は地面に倒れ伏した。戦いは――――終結した。

「どうやら、終わったようじゃな」
 近右衛門は唐突に呟いた。
「――――ッ!」
 タカミチは近右衛門を見た。近右衛門は頷いて笑みを浮べた。
「ネギ君達の勝利じゃ。また、一つ成長したようじゃわい」
 自身の孫ですら危険な道を歩ませようとする近右衛門に、タカミチは不信感を持ったが、今だけは安堵の表情を浮べていた。
「そうですか……」
 タカミチは学園長室の窓から、遠くを見つめた。別に、ネギ達が見えるわけでも無いのだが、眼を細め、ネギ達の勝利を胸の内で祝した。

 全員がぼろぼろになりながらも、体の傷は全て癒え、涼やかな風が頬を撫でるのを心地良く感じながら、ネギ達は公園の地面に座り込んだ。肉体的には疲れはなかったが、精神的には満身創痍だったのだ。
「そういえばさ、刹那さんって天使かなんかなの?」
「は?」
 唐突な明日菜の言葉に刹那は目を丸くした。
「せやせや! ウチが木に捕まっとった時に見えたで! すっごい綺麗な翼がせっちゃんの背中から生えてたで!」
 眼を輝かせる明日菜と木乃香に、刹那は目を丸くしながらもクスッと笑みを浮べた。
「本当に、貴女の言うとおりのようですね」
 ネギに顔を向けながら笑みを浮べると、刹那はシャランと大きな翼を広げて見せた。
「私は烏族とのハーフなんです。この翼は本来は黒い翼を持つ烏族の中でも疎まれました……」
「うっそ~~! こんなに綺麗なのに~~?」
 俯きながら言う刹那の翼に、木乃香と明日菜は抱きついた。
「フカフカやわ~~」
 悦な笑みを浮べながら刹那の翼に頬ずりをする木乃香を見て、ネギはソワソワしながらチラチラと視線を向けた。はは~んと笑みを浮べると、明日菜はこいこいと手を振ってネギを呼んだ。
「刹那さんの翼気持ちいいわよ~」
「ア、アア……」
 ネギはフラフラと刹那の翼に近寄って手を伸ばした。
「フワフワ~~」
「ちょ! 三人共離れてください! あっ! そこは……駄目……ひゃん」
 じゃれ合う四人の少女を見ながら、カモは苦笑いを浮かべ、千草の下に歩み寄って行った。
「起きてるか?」
「オコジョ君かいな?」
「おう」
「ウチ、負けたんやな……」
「それがお前さんの望みだろ?」
「…………バレとったんか」
 千草は大きく溜息を吐いた。チラリと木乃香達に視線を向け、眼を細めた。
「自分じゃ自分の狂気を止められなかった。だから、誰かに止めて欲しかったんだろ?」
「――――賢いオコジョやな」
 溜息を吐きながら、千草はゆったりした動作で起き上がった。
「溜息を吐いてばっかだと幸せが脱げるぜ?」
「逃げるぜやろ……」
「行くのか?」
「止めへんの?」
「どうせ、逃げられないぞ……」
「どうやろな、それじゃあね、オコジョ君」
 ニヤリと笑みを浮べると、千草の姿は霞の様に消えてしまった。しばらくして、千草の姿が消えているのに気がついたネギ達が慌ててやってきた。
「カモ君、あの人は?」
 ネギが聞くと、カモは何処からか煙草を取り出して吸い込みながら火をつけた。ぷはっと煙を吐き出して、カモは夜の空を見上げた。
「あの女はもう大丈夫ッスよ」
 それだけ言うと、カモは煙草を吸いながら眼を細めた。あのまま近くに千草が居れば、刹那が千草を殺してしまうだろうと思い、カモは逃がした。ネギや明日菜、木乃香が“殺人”を見るのは未だ早い。それに、恐らく彼女は逃げられないだろう。逃がした所で問題は無い。それに、万が一逃げ延びても、彼女はもう敵になる事は無いだろう。カモはそう確信していた。
「さあ、帰りやしょう」
 未だ納得いかな気なネギと明日菜や、カモを見つめる刹那を無視して、カモは寮へと歩き出した。渋々といった感じに、ネギ達も後に続き、四人は寮へと戻って行くのだった。



[8211] 魔法生徒ネギま! [第二章・麻帆良事件簿編] 第十二話『不思議の図書館島』
Name: 我武者羅◆cb6314d6 ID:87b1fc72
Date: 2010/06/08 20:43
魔法生徒ネギま! 第十二話『不思議の図書館島』


 二年生の三学期が終わり、数日前から麻帆良学園は春休みに入った。空はスッキリと晴れ渡っていたが、冷たい強風が少し少女には意地悪だった。
「うう……、どうして皆さんはスカートを押えないで大丈夫なんですか?」
 ネギは強風に煽られてスカートが翻るのを必死に押えながら悠々と前を歩く明日菜と木乃香、刹那に羨ましげな視線を送っていた。別に周りに男子は居ないし、少しくらい見えた所で問題は無いのだろうが、女体化していて下着も女性物を着けているネギだったが、それでも一応は異性の前なので下着を披露するのはさすがに嫌過ぎた。
 スカートが捲れない様に必死になりすぎて肩に掛けていた鞄が肘の所までずり下がってしまっていた。ネギがこれほど悲痛な状況に陥っているにも関らず、前を歩く少女達は不可解なほど強風を受けてもまったく捲れないでいる。それが全くもって謎だった。
「どうしてって言われてもねえ? 歩き方じゃない? ネギってミニスカートとか向こうであんまり履いてなかったの?」
 明日菜は必死にスカートを押えるネギの姿に少しだけ可愛いなぁとか考えながら言った。
「向こうではその……はい。あんまり履いてなかったもので」
「でもミニスカートって長いスカートより捲れ難いで?」
 実際は当たり前だがズボンばかりだったので、誤魔化すように頷くと、木乃香が人差し指を顎に当てながら言った。
「そうですね。一応麻帆良の制服はスカートが捲れないように先を少し重くしている筈なので、普通はそんなに捲れない筈……ああそうか。ネギさんは風の魔力で身体補助をしているのでしたね?」
 刹那は思い出した様に言うとネギは頷いた。
「だからじゃないですか? 身体強化の魔法と強風が合わさって人より取り巻く風が強いからスカートが捲れ易いのでは?」
「え!? 解除してみます」
 ほとんどいつも無意識にしている身体補助の魔法の解除は体に気怠るさを残した。その代わりにネギのスカートはまだ僅かにはためくものの、微妙に下着が見えない程度まで収まった。
「よかった……。ありがとうございます刹那さん」
「ネギさんのお役に立てたのなら喜ばしい限りです」
 ニコッと笑みを浮べる刹那に、ネギも笑みを返した。千草との戦いの後、刹那が大事にしていた木乃香とお揃いのストラップが戦いの最中でどこかに無くなってしまったりもして、色々と騒動があったのだが、あれから一週間。
 刹那は木乃香を昔の様に“このちゃん”と呼ぶ様になり、戦いの最中に木乃香の為に命を懸けたネギに対して恩義を感じているのか、木乃香程では無いにしても若干過保護なお姉さんの様になってしまった。
 一番困ったのはお風呂だった。ネギは段々慣れてきた皆とのお風呂で、頭を洗おうとすると、刹那が近づいてくるのだ。
『ネギさん、私が洗って差し上げます』
 バスト71という微妙な大きさの胸は背中に当るなどという事は無かったが、それでも刹那の鼓動が聞こえてくる様で、ネギは何度か逃げ出す事があったが、頭を洗うというのは未だ軟化された結果なのだ。
 あの戦いの翌日など、ネギの体を洗うと言って聞かずに最初は背中を優しく洗っていたのだが――。
『それでは、万歳をして下さい』
『ふえ!? まだやるんですか……?』
『ええ、ほら……バンザ~イ』
『えっと……、バ、バンザ~イ』
 ネギは刹那に言われて両手を上げると、その両脇から刹那のボディーソープ(高級品)のついた柔らかいタオルを持った手が伸びて、空いている左手でネギの腰を押え、右手のタオルで胸を優しく撫で上げた。
『ひゃう……、くすぐった……刹那さん……あう……』
 その二人を見ながら木乃香だけは羨ましげに見ていたがハルナはハァハァと怪しい息を吐き、のどかは顔を真っ赤にし、明日菜は見なかった事にして、和美は防水カメラを持ってくれば良かったと涙を流した。
 散々体中を揉まれたネギはそれ以降刹那を避け続け、それでもしつこく体を洗おうとする刹那に妥協案として木乃香が頭を洗うだけに留めるという案を出したのだが、若干恐怖心が残ったネギは逃げ出すことがしばしばあったのだ。
 放課後になってネギ、明日菜、木乃香、刹那の四人は漸くネギの下着を買いに来る事になった。散々ごねるネギにキレた明日菜が『これ以上ゴチャゴチャ抜かすと刹那さんに体全体洗ってもらうわよ?』と、素晴らしい笑みを浮べながら言ったのだ。効果は覿面で、ようやくこの日になって買いに行く事になった訳だ。
「あ、見えてきたわ」
 明日菜は遠くに見えるランジェリーショップを見て指を指した。ネギはゲンナリしながら視線を向けると、首と腕と脚の無い胴体と腰だけの黒光りしているマネキンにピンクの小花刺繍のブラジャーとショーツが着けられているのが入口のすぐの場所に見えた。
 店外の壁には下着姿の女性のポスターが貼られ、広い入口から見た中の内装は意外と落ち着いたアンティーク調だった。入口から伸びる外の光や、天井に取り付けられた円形のヘコミに埋め込まれたライトで中はかなり明るかった。店内に入ると、ブラジャーやショーツの他にも、ベビードールやビスチェ、ボディストッキングという少しハジけた物もあった。
「い、色々ありますね」
 ネギは顔を引き攣らせながら店内を見渡した。
「そう言えばこの前那波さんが黒くて可愛いベビードール着てたわね。ネギも似合うんじゃない?」
 明日菜は前に見た首下にリボンが付いているフリフリが沢山着いたロングスカートのベビードールを見事に着こなした千鶴を思い出した。
「結構です!」
 ネギはベビードールコーナーにあるエッチなベビードールの数々に断固として首を振った。あんなのを着せられては堪ったものではないからだ。
「見て見て、ネギちゃん! ガーター付やで!」
 今度は木乃香が黒の花柄のTバックショーツというとんでもない物体を持って来た。ネギは思わず噴出すと明日菜の背中に隠れてしまった。
「木乃香……それはエロ過ぎよ……」
「そっか~、ネギちゃんが着たら可愛いと思ったんやけどな~」
 残念そうに肩を落としながらショーツを戻しに行く木乃香に刹那は苦笑いを浮べながらブラジャーコーナーの中からネギに似合いそうな下着を吟味した。ブラジャーコーナーにはブラジャーだけのと、ブラジャーとショーツが二つで一式のがあった。そこで、刹那は肝心な事を忘れていた事に気がついた。
「そう言えば、ネギさんのバストのサイズは何センチですか?」
「えっと、いつもお姉ちゃんが買って来てくれるので自分で把握してないんです……」
「呆れた。自分のサイズも把握してないってどうなのよ……。新学期の身体測定で測るだろうけど……。しゃーない! お店の人に計ってもらいましょ」
 明日菜はネギの手を取ると、少し離れた場所で棚卸しをしている店員に声を掛けた。
「すいませーん! この娘のサイズ計って欲しいんですけど」
「あ、明日菜さん……」
 バストのサイズの測り方など知らないネギは少しだけ不安になった。ネカネはいつも何故かネギの胸囲を把握していたので、わざわざ計る事は無かったのだ。
「ハイ、かしこまりました。アチラのカーテンの中でお待ち下さい」
 店員の女性に言われて、ネギは明日菜に連れられてカーテンで仕切られた試着場所の中に入った。
「そんじゃ、私はアンタに似合いそうな柄見とくから店員さんが着たらちゃんと計って貰いなさいね」
「ええ!? 明日菜さん、一人にしないで下さい~~」
 ネギが情けない声を出すが、明日菜はさっさとブラを見ている刹那や木乃香の下に戻ってしまった。試着場所は意外に広く、ハンガーが三つあり、荷物や脱いだスカートを置ける台がある。手持ち無沙汰に鏡の前でモジモジしていると、しばらくして店員の女性がやって来た。
 上半身を脱がされて、メジャーのヒンヤリした感触につい変な声を上げてしまったが、何とか計り終えて顔を赤くしながら店員さんと一緒に試着場所から出てくると、明日菜がネギではなく店員にサイズを聞いていた。
「ん~、身長が低いから大きく見えるけど……これならスポーツブラとかでもいい感じするわね」
「でも、可愛ええのがええよ。これなんてどうや?」
「白の小花刺繍ですか。ネギさんに似合いそうですね。サイズも丁度いい様ですし――」
 刹那は木乃香の持っている純白の小花刺繍のブラに感想を言いながら、ショーツとセットになっている桃色の子供っぽい下着を手に取った。
「これもいいんじゃないですか?」
「ちょっと中学生には子供っぽ過ぎる気がするわよ? コッチの方がいいんじゃない?」
 そう言うと明日菜は水色の可愛らしいブラを見せた。柄は最低限でシンプルなデザインだった。刹那の持って来たリボンがアクセントとしてついているのより幾分か大人っぽい。
 完全に蚊帳の外に追い出された状態のネギは小さく溜息を吐いた。カモも連れてこようとしたのだが『俺っちはこれからTとA.Kとの話し合いがありやすんで。しからばサラバ!』と訳の分からない事を言って逃げられた。
 ネカネの下着を盗むくせに何を今更紳士ぶってるんだろう、とたった一人で女の園の中でも女湯より精神的にキツいランジェリーショップに取り残されてストレスの溜まったネギはつい恨み言を胸中で呟いてしまった。
「ていうかTとA.Kって誰だろ……」
「恐らく高畑先生とマスターの事では?」
「そっか、タカミチは高畑.T.タカミチだっけ。あれ? マスターって誰……って茶々丸さん!?」
「コホン、それよりもそう言った下着はネギさんには早いかと……」
「ふえ? ――――ッ!?」
 独り言を呟いていたネギは後ろから掛けられた声に吃驚すると、そこには茶々丸が立っていた。注意されたネギがさっきまで自分が顔を向けていた場所にとんでもなく布の面積が小さな紐パンツと紐ブラが掛けられていた。
「ちちちち違うんです~~! ちょっと考え事してて! べ、べつにこの下着を見てたとかではなく!」
 顔を真っ赤にしながらテンパッているネギに、茶々丸はクスリと笑みを浮べた。
「ええ、分かっていますよ。少しからかいました」
「にゃ!? ひ、酷いですよ茶々丸さん」
 剥れるネギに、茶々丸はクスクス笑いながら頭を下げた。
「すみませんネギさん。それよりも、下着を買いに着たのですか?」
 全く謝られた気がしなかったが、ネギは気を取り直して頷いた。
「私はいいって言ったんですけど、明日菜さんが私の……その、ブラを」
「ブラですか。ふむ……」
 そう呟くと、茶々丸はいきなりネギの胸を軽く撫でた。
「ひゃんっ! な、何するんですか!」
 いきなり胸を撫でられたネギは茶々丸を睨むが、茶々丸はどこか遠い目をしていた。
「どうしたんですか……?」
「いえ、何でもありません」
 コホンと咳払いをすると茶々丸は気を取り直した様に言った。
「あれ? 茶々丸さんじゃない。茶々丸さんも下着買いに来たの?」
「こんにちは、明日菜さん」
「茶々丸さん、こんにちは」
「こんにちは」
「木乃香さん、桜咲さん、こんにちは」
 茶々丸が明日菜に挨拶すると、明日菜の後ろから顔を出した刹那と木乃香も挨拶をして、茶々丸も挨拶を返した。明日菜と木乃香、刹那の手には沢山の下着が乗っていて、ネギは顔をヒクつかせて逃げ出そうかどうしようか迷っていた。

 その後、茶々丸も参加して殆ど四人が勝手に選んではネギに試着させるというスタンスでネギのブラ選びはその日の夕方まで続いた。途中までは羞恥心があったが、さすがに疲労に塗りつぶされて、早くお家に帰りたいという思いで一杯になった。
 結局、明日菜は水色の最初に選んだショーツとセットのとオレンジ色のデザインが似通っているショーツセットのブラを、刹那も最初に選んだピンク色の可愛らしいリボンのアクセントが付いているのと、白地にピンクのラインの入った子供っぽいデザインの同じくショーツとセットのブラを、木乃香は純白のデザインの鮮やかなのをショーツとセットのを選んでなんと6点も選び、茶々丸は一着くらいアダルトな物があってもいいだろうと木乃香と一緒にベビードールを一着と金の刺繍の入ったエッチな下着を選んだ。
 はっきり言って欲しくも無いものにお財布の紐を緩めるのは抵抗感があり過ぎたが、なんと木乃香が代表して買う事になった。ネギが慌てて自分のお財布からお金を出そうとすると、木乃香は一枚の綺麗なカードを取り出した。
「ふふ~ん、お爺ちゃんに前以て言っておいたんや~。ネギちゃんの下着を買うからお小遣い欲しい言うたらこのカード貸してくれたんよ~」
「プ、プラチナカードって正気ですか学園長……」
「プラチナカードって何?」
 木乃香が取り出したカードを見て刹那は唖然とし、明日菜は首を傾げながら茶々丸に聞いた。
「クレジットカードの国際ブランドの一つ、アメリカンエキスプレスが始めて発行したゴールドカードの上位に当るカードです。更に上にはセンチュリオンカードなどがありますがそれが現在の最上位のカードです。俗に言うブラックカードですが。プラチナカードはブラックカードとは違い、招待性である場合と違う場合がありますが、それでも年会費が十万を越えるのが普通です」
「げっ!? そんなにお金掛かるの!?」
 明日菜は驚いた様に声を上げた。
「代わりに一部のホテル、航空機などで空席がある場合は無償のアップグレードがあったり、プラチナカード所有者のみのファッションショーに招待されたり、提携しているデパートの駐車場無料などの特典があり、社会人にとっての一種のステータスになっています」
「そ、そうなんだ」
 明日菜は茶々丸の話に冷や汗をかきながら木乃香が店員に渡しているカードを見ている。ネギはそれでも自分で払おうとしたが、木乃香が頑として受け付けずに笑顔で受け流し、結局木乃香が会計を済ませてしまうと申し訳無さそうに頭を下げながら木乃香に何度もお礼を言った。
 ちなみに、あのランジェリーショップはかなり高級な部類に入り、桁数はかなりの大きさになっていたので、刹那は冷や汗を流しながらネギに会計の値段が分からない様に背中で隠し、店員も察したのか値段を言わなかった。レシートもさっさと木乃香が財布にしまってしまって、結局ネギが値段を知る事は無かった。

 翌朝、明日菜がいつもの様にバイトに行く為にアラームが鳴り、一回目でネギと木乃香も明日菜と一緒に目を覚ました。
「おはよう」
「おはようございます」
「おはよ~」
 布団から上半身だけ起き上がらせると三人は朝の挨拶をしていつもの様に居間に向かった。明日菜がシャワーを浴びている間に木乃香が朝食を作り、ネギがその手伝いをする。段々とネギも手馴れてきて、今では食卓に並べる一品を任せられる程だった。
 今日のメニューはブリ大根に味噌汁と白米で、ネギは味噌汁を作ることになり、煮干で出汁を取る事から始まり、和布や豆腐、長葱を刻んで入れ、味を木乃香に見て貰いながら中々に美味しく作る事が出来た。
 お風呂場から出て来た明日菜と朝食を食べると、明日菜はバイトに行ってしまい、二人で後片付けをすると、木乃香は朝の連続ドラマを見るので先にネギが朝風呂に入る。髪を洗うのにさえ慣れてしまえば、ネギはお風呂に入るのが好きになっていた。暖かい湯船に入りながらのんびりしている時間が楽しく、髪を洗ったり乾かしたりするのが少し面倒だったりもするが。
「さてと、そろそろ飲まなくちゃね」
 そう呟くと、ネギはお風呂場の鍵が確りと閉まっているのを確認するとタオルに包んだ二つのビーダマ程の大きさの球体を取り出した。
「えっと、紅いのが女体化で、蒼いのが解除薬っと」
 湯船の縁に腰掛ながら、ネギは蒼い球体を口に含んだ。体が一瞬熱を帯びると、ネギは一瞬視界が真っ白になったと感じた直後に下半身に異物感を感じた。
「うう……、最近元の姿で違和感持つ様になっちゃった……」
 もう半年以上を少女の体で過ごしていた為に何となく胸が無いのが頼りなく感じ、下半身の異物に落ち着かなくなってしまっていた。
「うう……、やっぱりさっさと紅いの飲んじゃお……」
 溜息交じりに紅い球を飲み込むと、ネギの姿はすぐに元の可愛らしい女の子の姿に戻った。
「こんなんで後一年間大丈夫かな~」
 ネギは基本的に一年間の修行期間よりも更に二ヶ月程修行期間が長い。学校に生徒として暮らすので、魔法使いの中で過ごすのとは違うから一般人の中に溶け込む期間を設けられたのだ。
 つまり、新学期になれば魔法学校の卒業式の時に言い渡された指令が正式に始まる。恐らくその時に学園長に会う事になるのだろう。実は今までネギは学園長に会った事が無かった。会いに行こうと思うといつも別の学校に居たりするので自分から会いに行くのは諦めていた。湯船に顔を沈めてブクブクと泡を作り、ネギは湯船の縁に腕を乗せてその上に顎を乗せて大きな溜息を吐いた。
「でも、明日菜さん達との毎日も楽しいんだよね……」
 小さく、ネギは笑みを浮べて湯船から上がった。体を軽く叩くように水滴を拭うと、刹那が選んだピンク色のブラジャーを胸に当てながら腰を曲げてワイヤーの部分を胸の下に当てて胸を押し上げた。そのままアンダーに指を沿わせながら背中のホックをとめて、肩紐の根元を引っ張りながら起き上がらせる。アンダーベルトをしっかりと下げて位置を完璧にしてセットになっていたショーツに脚を通すと、少しだけ鏡を見て「似合ってるかな……?」と呟いてしまって自己嫌悪しながらスカートとワイシャツをワタワタと少し慌てながら着て、ランジェリーショップでおまけしてもらった桃色のシュシュで髪を纏めると洗面所を出た。

 お昼になって、ネギは新学期に部活に入るかどうか迷っていると明日菜が紹介してあげると言うので二人で学園内を歩いていた。ちなみに、木乃香は占い研究部の次期部長として部室に顔を出しに行っている。最初に顔を出したのは麻帆良学園本校女子中等学校の第一体育館だった。バレーにバスケ、新体操、器械体操などを同時に行える程のとんでもない広さの体育館で、両脇には観客席がズラリと並んでいる。入口から見た奥には舞台があり、何かの大会の時にはここで校長や学園長などが演説を行ったりする。
 舞台のすぐ手前には新体操部が活動していた。
「きれい……」
 ネギが顔を向けると、クラスメイトの佐々木まき絵が華麗なリボン捌きで、まるで蝶が舞う様だった。
「ネギ、アッチには裕奈が居るわよ」
 明日菜がポンポンとネギの肩を叩いて指差すと、裕奈がスリーポイントを決めていた。
「す、すごーい!」
 ネギが明日菜と一緒に体育館に入ると、休憩に入ろうとしていたまき絵が気が付いて寄って来た。
「あっネギちゃん! なになに? 新体操見に来てくれたの~? 一緒にやってみる~?」
「え? いや……私は……」
 ネギは首を振るがまき絵はネギを強引に引っ張って行ってしまった。
「あらら……」
 置いていかれた明日菜は頬を搔きながら苦笑いを浮べていた。そこに、裕奈とチアの練習をしていた柿崎美砂と椎名桜子、釘宮円の三人が明日菜のところにやってきた。
「あれれ? 明日菜どうしたの?」と裕奈。
「明日菜だ! とうとう運動部にも入る気になったの?」と美砂。
「明日菜は運動神経抜群だし美術部だけじゃ勿体無いよ! 今から入っても全然オーケーだよ」と桜子が言った。
「違う違う。私じゃなくてネギの部活見学よ」
「ネギの? でもどこにも居ないけど?」
 裕奈がキョロキョロと視線を泳がせるが、当然の様にネギの姿は無い。
「今はまき絵に拉致されてどっか行っちゃったわよ」
「あっ! 来た来た!」
 明日菜が肩を竦めると、円が指を指した。そこには、胸の上で紐がクロスしているドレスレオタードを着て顔を赤くしているネギの姿があった。
「うう……やっぱり恥しいですよ~」
「そんな事ないよ! これはれっきとした新体操の制服なの! 恥しがる事なんてないんだよ!」
 もじもじしているネギにまき絵は自身たっぷりの言った。そう言われては、恥しがっているのが失礼に当ると、ネギは意を決して胸を張った。
「おっ! ネギ、可愛いじゃない」
「いいねえ、持って帰りたくなっちゃうわ」
「それは犯罪だ……」
 明日菜が腰に手を当ててウインクすると、裕奈がいやらしく目を細めてジワジワとネギに近づくと円がチョップを喰らわして止めた。
「それじゃあ、ハイッ! 私の真似をしてみてね~」
 まき絵はそう言うとクルクルとリボンを回して、右脚を顔のすぐ横まで上げたりした。
「や、やってみます」
 ネギは上手くリボンを回せるか不安になりながらリボンを振ると、意外とキチンと回り、まき絵を真似をして色々と試してみた。
「へへ、ネギちゃん上手だよ~」
「ありがとうございます、まき絵さん」
 褒められて嬉しくなったネギは笑みを浮べると、今度は裕奈に引っ張られた。
「今度はバスケ部よ~!」
「ええ!? すぐですか~!?」
 その後、バスケ部でフリースローを体験し、チア部でバトンをやったりして、ヘトヘトになってしまったネギを、苦笑いを浮べながら明日菜が連れ出し、そのままジュースを飲んで休憩すると、今度は射撃競技場に向かった。
「私、向こうで少し射撃をかじった事があるんですよ~」
 ネギが少しだけ自慢げに明日菜に話すと、突然隣にクラスメイトの龍宮真名が現れてニヤリと笑みを浮べた。そのまま両手で銃を握ると目にも留まらぬ速さで的に全弾命中させてしまった。
「すみませんでした~」
「すみませんでした~」
 明日菜とネギはそそくさと立ち去った。

「た……龍宮さん、凄かったですね」
「そうね……」
 二人はそのまま図書館島に向かった。
「実際に体験した方がいいと思ったんだけどさ。ちょっとハードだったわね」
「これからどこに行くんですか?」
「図書館島よ」
「図書館島?」
「そ、世界でも有数の蔵書量を誇るとんでも図書館よ。ぶっちゃけ、麻帆良学園って部活が多過ぎるからね~。図書館島で学園内の部活動を映像で見れるはずだから、それで一回観てから考えましょ」
 明日菜に先導されてネギは大きな湖が見えてきて目を丸くした。
「凄い広さですね……」
「しかも増改築を今では続けてるらしくてね。全貌が全く分からないらしいわよ」
「何だかウインチェスター館みたいッスね~」
「ウインチェスター銃の? って……カモ君いつの間に?」
 まるで最初から居たかの様に、昨晩にタカミチと飲み会に行って帰って来なかったカモがいつの間にかネギのすぐ近くの木に居た。ネギの肩にストンと降りると、スカートが捲れるのを防止する為に身体強化を解除していたネギは肩が外れるかと思い恨みがましい目でカモを見た。
「す、すいやせん……」
「でさ、ウインチェスター館って何なのよ?」
 明日菜が聞くと、カモはああ、言って説明した。
「ウインチェスター銃で成功を収めた男の妻の個人的な住宅でな。ウインチェスター銃で死んでいった者達の亡霊に呪われるのを防ぐ為に、かれこれ数十年も増改築を続けているって館でさ」
「尤も、実際に呪いなんてあるか分からないけどね」
「た、高畑先生!?」
 カモの話に続く様に、渋い男の声が背後から聞こえた。明日菜が振り返ると、そこに居たのはタカミチだった。
「や、二人共図書館島に行くのかい?」
「は、はい! ネギに部活動の紹介をしてたです、はい!」
「姉さん、テンパリ過ぎだ……」
 カモが呆れた様に言うと、明日菜が物凄い目つきでカモを睨みつけた。カモを乗せているネギも明日菜の目を見て涙目になってしまった。
「そ、そう言えば、もうすぐコンクールだけど作品の方は大丈夫なのかい?」
 話を変えようとタカミチが言うと、面白い様に明日菜の顔を蒼くなっていった。
「しまった~~~~! 未だ仕上げ部分が終わってなかったんだった~~~~!!」
 明日菜は頭を抱えるとネギの肩を掴んだ。
「本当にごめん! 多分、図書館探検部も活動してると思うから、電話しとくから本屋ちゃん達に紹介してもらって! 今度埋め合わせするわ! じゃあね!!」
 まるで突風の様に明日菜は駆けて行ってしまった。
「相変わらず凄い速さッスね~」
 カモが一瞬で見えなくなってしまった明日菜に感心した様に口笛を吹く。ふと、カモは上目遣いでタカミチを睨んでいるのを観た。
「どうしたんスか? 姉貴」
「見た?」
「……………………見てないよ」
 タカミチはダラダラと汗を搔きながら顔を背けた。明日菜が余りにも駆け出す時に、ネギのスカートが少し捲れてしまったのだ。プルプルと震えながら顔を真っ赤にしているネギにタカミチは溜息を吐いた。
「本当に見てないんだ。ちゃんと首を曲げたからね」
「うう……」
「ほ、ほら姉貴。見てないって言ってんスから。さっさと図書館島に行きやしょう?」
「うん……。じゃあね、タカミチ」
「ああ、春休みの宿題を忘れないようにね」
 そう言うと、タカミチは去って行った。
「はう……」
「どうしたんスか? 別にタカミチの野郎に見られても……」
「分かってるんだけどさ。何だか、タカミチに見られたかもって思ったら嫌な気分になっちゃって……」
「まあ、今は女体ッスからね。感じ方も違うんスよ。あんまり気にしない方がいいッスよ?」
「うん……」
 カモは頷くネギの肩で溜息を吐いた。
 少し拙いかもしれないと思いながらも、こういう場合に下手に何かすると精神的に何らかの支障が起こる可能性がある。カモはこの問題を先延ばしにして、後々考える事にした。
 図書館島はまるでどこぞの宮殿の様な入口だった。遠くにはビッグベンの様に巨大な時計塔が見え、ネギとカモは唖然として固まっていた。
「ネギさん!」
 呆然としながら見事な彫刻の彫られた入口を見上げていると声を掛けられた。
「宮崎さん!」
 声を掛けられた方に顔を向けると、腰に臍の前で交差したベルトを着けて、白い縦の薄いラインの入ったシャツの上に胸から首までを覆い、腕を覆っている袖の大きな上着を着て、下のほうに太いラインの入ったミニスカートを履いている宮崎のどかが立っていた。
「可愛い服ですね」
 ネギが素直な感想を漏らすと、のどかはハニカム様に笑みを浮べた。
「ありがとうございます。明日菜さんから連絡があって、私が案内をする事になりました。夕映とハルナは今ちょっと奥の方に行ってて来れなかったんですけど」
「奥ですか?」
「最近地下の方に新しいフロアが発見されたんです。そういう場所を調査するのが私達“図書館探検部”の仕事なんです」
 あれ? とネギは首を傾げた。
「それじゃあのどかさんも仕事だったんじゃ……。もしかして私の案内の為に……」
 ネギが申し訳なさそうな顔をすると、のどかはブンブンと首を振った。
「いいえ、私は夕映やハルナより運動神経が鈍いから留守番なんです。本の整理くらいしかする事が無かったので助かったくらいなんですよ」
 ニコッと笑みを浮べながら言うのどかに、ネギも笑みを浮べた。
「ありがとうございます……のどかさん」
「それじゃあ行きましょう」
 気遣ってくれたのだろうと判断してネギは礼を言うとそれ以上何も言わなかった。カモはネギのポケットにいつの間にか潜り込んで息を潜めた。図書館は動物厳禁が基本なのだ。
 だが、中に入ると司書の人にアッサリとばれてしまい、エントランスホールでケージに入れられて涙を流すカモを置いて行くのは心が痛んだ。
「何だかオコジョちゃんが泣いてるような……」
 冷たい汗を流しながらのどかはケージをパンパンと叩いているカモを見ながら呟くと、ネギは苦笑いを浮べながら「行きましょう……」と言って、のどかの手を取って歩いた。
 しばらくのどかに案内されながら歩いていると、階段が沢山あり、途中階が一階から見上げると沢山あった。
「わぁ……本が一杯ですね。凄い量……」
「蔵書に関しては世界一だそうです」
「これなんかとっても古そうです……」
「あ、駄目ですネギさん!!」
「え?」
 ネギが近くの本棚から一冊の本を取ろうとすると、のどかがタックルをしてネギを床に押し倒した。すると、のどかの背後を凄い速さで巨大な鉄球が通り過ぎた。
「――――――――ッ!?」
 声にならない悲鳴を上げると、のどかが体を起した。
「すみません、ここはかなり貴重な本もあるので動かす前に防犯装置を解除しないといけないんです……」
「ぁ……」
 ネギはのどかの話をあまり聞いていなかった。いつも前髪で隠れていたのどかの顔が、下から見上げると確りと見る事が出来た。瞳が大きく、ネギは思わず頬を赤くした。
 可愛い、と素直にそう思った。立ち上がると、のどかと一緒にネギは再び歩き始めた。
「ネギさん、こっちです」
 のどかはネギを連れて時に本棚の上を歩き、
「な、なんで本棚の上を歩く状況が……」
 時に狭い道を通り、
「裏道……?」
 時に水浸しの場所を石の足場を飛び移るように渡る。
「本が水に濡れてそうなんですけど……」
 漸く、部活関係コーナーに到着した。
「ここが部活関係の本のあるコーナーなんです」
「凄いですね、のどかさん。こんな所まで知ってるなんて」
 ネギが感心した様に言うと、のどかはあたふたしながら顔を赤くした。
「そ、そんな事無いです。えっと、ネギさんはどんな部活について観て見たいですか?」
「えっと、あんまり考えて無かったです。その、すみません」
「い、いえ。あ、そうだ。面白い本があるんです」
 肩を落とすネギに元気になって貰おうと、のどかは部活動コーナーのすぐ近くの本棚にある本を持って来た。
「この本は?」
「開いてみて下さい」
 のどかに言われてネギは“GENJI物語”という青い表紙の分厚い本を開いてみた。
「え?」
 本を開いた途端、魔力が噴出してきた。気が付いた時には体が光に包まれ、ネギの服が豪奢な十二単に変わっていた。
「コレ……魔導書!?」
 ネギは恐怖に固まった。
 “魔導書(グリモワール)”とは、原典と写本が存在し、魔術・呪術・神秘学、果ては悪魔や天使、精霊の術式まで書かれている場合もあり、殆どの場合に於いて、無断で閲覧する者に対しては迎撃術式が起動する場合が多いのだ。魔導書はそれ自体が一種の“魔術回路(マジックサーキット)”としての機能があり、解読すれば魔力さえあれば詠唱無しに上位呪文を連発する事すら可能な危険な代物だ。
 有名な迎撃術式としては、読んだ者の心を破壊し廃人にするというものだ。例え、その迎撃術式を解除出来ても、複雑な暗号を更に暗号化し、それを二重三重四重五重と暗号化しているので、世紀単位で研究しても一部でも解読できれば素晴らしい成果であるとされている。
 特に、偉大な力を持った魔導書として挙げられるのは“ソロモンの大きな鍵(レメゲトン)”で、それ単体でも魔術の奥義書と呼ばれ世界を滅ぼす力すら得られると言われているが、それに加えて“ソロモンの指輪”というアーティファクトの鍵にもなっているのだ。指輪はソロモンが従えた72の悪魔を使役する権利を使用者に与え、封印する力もある。更には、猛獣を従え、持ち主を透明化する『万能の魔法具』とも呼ばれている。
 ネギは前に読んだ“魔導書の創作手引き”という本を読んでいて知っていたのだが、同時に思い出した。この魔導書は表紙が青い。
「“青本”だっけ……?」
 原典を写した写本を更に大衆向けにした物で、表紙が青いという特徴を持っている。殆どは力など無い筈なのだが、少し心を落ち着ければこの図書館は魔力の濃度が濃い事に気が付き、芳醇な魔力のせいで魔法が発動してしまえる様になったのだろうかとネギは結論付けた。
 特に迎撃術式が発動していないのを確認すると、ニコニコしているのどかを見て首を傾げた。本を開いただけで服が変わるというのを自然と受け入れているのが妙だと感じながらも、ネギは問題が無いようなので気にしない事にした。
「わ、わ~、綺麗ですね」
「とっても似合ってますよ」
 のどかはそう言うと自分の持っていた本を開いた。
「うわ~、のどかさんとっても可愛いです!」
 光に包まれたのどかは椅子に座った状態でフリフリの沢山ついたエプロンドレスを着ていた。頭にはフリルの付いたカチューシャがある。
「えへへ、この“安楽椅子探偵兼メイド兼実は街角のカフェの店長の事件簿”、私が最近ハマってる本なんです」
 嬉しそうに自分の好きな小説を紹介するのどかの話を聞きながら、ネギはジュースを飲みながら近くのベンチに座っていた。ちなみに、魔力が切れたか数分後に着物やエプロンドレスは本に戻った。しばらくの間のどかの話を聞いていると、のどかはハッとなって恥しそうに俯いてしまった。
「す、すみません。つい本の事になると……。ネギさんは部活動の映像資料を観に来たのに……」
 申し訳無さそうに言うのどかに、ネギはブンブンと首を振った。
「いえ! のどかさんのお話とっても面白かったです!」
「そ、そうですか……?」
「はい! 私も本が好きなので、日本の面白い小説なんかを紹介してもらえて嬉しかったです。本当に!」
 ネギはのどかの手を両手で包みこみながら言うと、のどかは小さく息を呑んで笑みを浮べた。
「じゃあ、今度もっと面白い小説を紹介しますね?」
「是非お願いします」
 それから、ネギとのどかは本題である“部活動の映像資料”を観ながらネギにのどかが詳しく説明しながら瞬く間に時間が過ぎた。
「そろそろ帰らないと外が暗くなっちゃいますね」
「今日は本当にありがとうございました」
 入口に向かって歩きながら話していると、のどかはあれ? と首を傾げた。
「どうしたんですか?」
 ネギが聞くと、のどかは不安そうに辺りを見渡した。
「ココ……知らない場所なんです」
「え!?」
 ネギは慌てて周囲を見渡すと、さっきまで本棚に囲まれていた筈なのに真っ黒な壁に覆われた空間に居た。さっきまで歩いていた裏道を抜けたら本棚の上を歩く道? に繋がるはずだったのに……。
「のどかさん……あの扉って……?」
 ネギは黒い壁が続く遠くの方に巨大な神殿の扉の様な物があるのを発見した。
「分からないです……。こんな場所、あったら多分図書館探検部で話題になる筈ですし……。未発見エリア? でも、この辺は探索しつくした筈だし、さっきの裏道は横道なんか無い筈なのに……」
 不安気にのどかはネギの手を握ると僅かに震えながら言った。
「戻りましょう。図書館島はトラップが多いんです。だから、新しいエリアには高等部の人が居なきゃ行っちゃいけないんです」
 そう言って来た道を戻ろうと振り向いたのどかは絶句した。
「うそ……」
「どうしたんですか? のどかさ……えっ!?」
 ネギものどかの様子に首を傾げながら振り向くと、ネギとのどかが来た筈の道が真っ黒な壁に塞がれてどこにも道が無かった。
「ど、どういう事ですか!?」
 のどかが泣きそうな声で叫ぶと、ネギはそのおかげでパニックになりそうな頭が冷えた。
 ネギは心を落ち着けると、小さく呪文を唱えた。
「メア・ウィルガ」
 どれだけ時間が掛かるか分からないが、杖が来ない事にはネギには何も出来ない。万が一の場合は魔法の使用も辞さない覚悟を決めた。この状況で、優先すべきはのどかの安全である。
 魔法がばれれば厳罰が待っているが、それを恐れてのどかが怪我でもすればソッチの方が問題だ。ネギは決意を篭めてのどかの手を確りと握った。杖がいつ来るか。来れるかどうかも不明だ。呼びはしたが、間には壁や天井がある。さすがに分厚い天井や壁をぶち抜いて参上してくれるとは期待していない。どこかしらの隙間を縫って来てくれる事を祈るしかないのだ。そもそもココに隙間があるのかどうかすら不明だし、杖がちゃんと隙間を探してくれるかどうかも分からなかったが、父さんの杖を信じてネギは歩き出した。
「行きましょう。ココに居ても戻れそうにありません。せめて、向こうに見える扉の向こうに何かしらの出る為の糸口があるかもしれません」
「でも、図書館島には罠が沢山あって……」
「絶対!」
「――――ッ!?」
 ネギの大声に、言い掛けたのどかは息を飲んだ。
「絶対に私がのどかさんを護って見せます。信じて下さい。のどかさんは絶対に私が護ります!」
「ネギさん……」
 ネギは真っ直ぐにのどかを見て宣言した。のどかは顔が火照るのを感じた。それが、自分よりも背の低い少女がこんなにも頑張っているのに自分はどうだと恥じている……というのとは別種のモノだった。のどかは頷くと、顔を引き締めた。
「私も……図書館探検部です。ネギさんが私を護ってくれると言うのなら、私もネギさんを護ります!」
「のどかさん……ハイ。行きましょう」
 二人は慎重に歩き出した。四面を真っ暗な壁に覆われ、只一つの光源は遠くに見える扉から発せられていて、それが薄っすらとネギとのどか、お互いの顔を確認させた。罠が無いか慎重に気を張りながら二人は――――何事も無く扉に到着した。
 二人は肩をガックリと落とした。
「何もありませんでしたね……」
「何だか疲れちゃいました……」
 お互いに溜息を吐くと、ネギとのどかは休憩する事にした。
 二百メートルちょっととはいえ、罠を警戒しながら慎重に歩いていたのでここまで来るだけで一時間程度掛かってしまった。その間、杖は未だ到着していなかった。扉のすぐ脇で肩を寄せ合いながら次第にウツラウツラしていたネギとのどかはいつの間にか眠ってしまっていた。
「ふあ……あう……あれ?」
 目を開くと、ネギは体の節々が痛くなっていた。
「ここは……そうだ! 私達、寝ちゃったんだ……」
 慌てて起き上がると、背後で「きゃん!」と可愛らしい悲鳴が聞こえた。
「あれ、ここはどこですか? 私なんでこんな所に? あれれ? ネギさんとパフェを食べてたのに……」
 キョロキョロと視線を泳がせているが、寝起きで寝惚けているのか現状を思い出すのに少し時間が掛かった。
「そっか……私達扉の前で寝ちゃったんですね……」
「そろそろ行きましょう……」
 ネギは胸中で溜息を吐いた。眠っていたのがどのくらいか分からないが、その間杖は来ていなかった。もう杖は来ないものと考えた方がいいのだろう。
 身体強化は既にしている。杖が無くても最低限、この程度は可能だ。ネギはのどかの手を握り、扉の前に立った。
「行きましょう……」
「はい……」
 大きく息を吸って、ネギは扉に手を当てた。
「え!?」
「え!?」
 ネギとのどかは同時に声を上げた。手が扉に触れた途端に、扉から光が溢れ出し、ネギとのどか、二人の体が扉の中に吸い込まれてしまったのだ。光の波に飲み込まれ、必死に手を離さないようにだけ意識を集中させ、どれほどの時間が経ったのか、それこそ何時間も経った気がしたが、その実数秒だった気もした。光が途切れ、ネギとのどかは光の溢れる場所に尻餅をついていた。
「ここは?」
「綺麗……」
 ネギは唖然とし、のどかはその空間に心を奪われた。あまりにも現実感に乏しい空間だった。光が溢れ、何本もの塔が立ち並び、辺り一面の空間にクリスタルが浮かんでいる。光がクリスタルに反射して、幻想的な空間を演出していた。特にネギ達の正面の塔は途轍もない大きさで、ネギは周りの塔がピサの斜塔程なら、目の前の塔はパリのエッフェル塔並みだと思った。天井はビスケットの真ん中が砕けた様に大きな穴が空いていて、目の前の塔はその穴から更に上に伸びている。
『勇気を示せ。さすれば大いなる力と渡り合う術を授けよう』
「え、何ですかこの声!?」
「これは……っ!?」
 のどかとネギは心に響いた声に動揺した。
「ネギさん、あれを見て下さい!」
 のどかが指を指すと、塔の天辺に紅蓮の炎に包まれた塔の太さから比較しても分かる程大きな馬が二人を見下ろしていた。ネギは目を丸くした。
「まさか……“アイトーン”!?」
「アイトーン……?」
 ネギの言葉にのどかは首を傾げた。
「“燃え盛る”という意味で、ギリシア神話に登場する炎を纏う神域の獣です。かのトロイア戦争の折には指揮官ヘクトールの愛馬として戦い、太陽神ヘリオスの馬としも知られ『アイネイス』にも登場し、アイネイアスを助けトゥルヌスと戦ったパラスの馬でもあったと言います。知性も高く、炎を操るまさに怪物です」
「し、神話の獣ですか。うわ~、凄いです感激です! 本の中だけだと思ってたのにあんなの本当に居たんですね!」
「はえ?」
 ネギは大喜びでハシャグのどかに呆気に取られた。普通は怖がるものなのに、のどかの神経は意外と図太いんだなと、ネギは少し失礼な感想を胸中で呟きながら、それでものどかのおかげで心が大分落ち着いた。
「勇気を示せって……どういう事なんでしょう?」
 ネギが呟くと「とりあえず登ってみましょう! もっと近くで見たいです!」とのどかは瞳を輝かせて言った。
「え!?」
「さあ、行きましょう!」
 興奮したのどかはネギの手を取って走り出した。
「ふえええええ!?」
 情け無い悲鳴を上げながらのどかに引っ張られて塔に辿り着いたネギは見上げるとウンザリしそうな程高い階段を見て、のどかに顔を向けた。
「本当に登るんですか……?」
 顔を引き攣らせながら尋ねると、のどかは目をこれ以上無く輝かせながら「え?」と顔を向けてきた。
「行きましょう……」
 ネギは早々に諦めると階段を登り始めた。
「のどかさん……好きな事には凄い大胆になる人なんだな……」
 ネギは大人し目なのどかの新しい魅力を発見した気がした。惚ける様にのどかを見ていると、のどかはトントンとどんどん先を行ってしまい、ネギは慌てて追い掛けた。なんだかんだで普通の女子中学生なのどかに身体強化の魔法を使っているネギはすぐに追いつく事が出来た。次第にのどかの顔に疲労の色が見え始めた。
「少し休憩しましょう。先はかなり長いですから」
「そう……ですね」
 肩で息をするのどかは段々頭が冷えた様だったが、それでも天辺に居るアイトーンに興味津々だった。
「そう言えば、ネギさんは神話に詳しいんですね」
「え?」
「だって、アイトーンなんて私全然知らなかったです。ネギさんはスラスラと説明してたのは神話に詳しいのかなって」
「――そうですね。色々と神話系の本はよく読みます。それに旧約の方ですけど聖書も割と読みますね」
「旧約聖書はカトリック、プロテスタントだけでなくてイスラム教や日本の仏教にも影響を及ぼしているらしいですよね? 私も読んだ事があるんですけど、翻訳者によって捉え方が違うので本当はどういう意味なのかな? って時々思うんです」
「どうしても、翻訳者の思いや考えが出ちゃうものですからね」
「教義の違いで同じ神様を崇拝するのにいがみ合って戦争を起しちゃう話が歴史の中で沢山あるのは悲しい話ですよね……」
「人はそれぞれ違った正義や思いがある」
「え?」
 ネギの突然の言葉にのどかは目を丸くした。
「私のお兄さん的な人? がよく私に言うんです。自分の思いや正義を押し付けるよりも、ちゃんと相手の思いを聞いてあげるのが一番大切なんだよって」
「人それぞれの思い……ですか。そうなんでしょうね……」
 しばらく休んだ二人は再び歩き出した。最初に異変を感じたのは息をするのも辛い暑さが襲い掛かって来た時だった。かと思えば突然豪雨が襲い、砂の階段が現れ、雪まで降り出す始末だった。まるで地獄巡りそのものの階段登りだったが、途中に通常状態に戻った時に必ず休む様にして、上り始めてから半日以上が経過した時に漸く頂上が見えて来た。紅蓮の炎が揺れるのが見える。
「もうすぐですね」
 ネギが言うと、のどかは頷いて足を進めた。二人共服はかなりボロボロだった。
 ネギの服装はワイシャツにチェックのスカートで、制服に似ている。それもスカートとワイシャツは所々が切れてしまっているし、水浸しになった直後に砂が全身に張り付いてしまったりしてドロだらけの状態だった。それでも終わりが見えれば元気が出た。
 最後の一段を飛ばして天辺に到着すると、見上げるほど巨大な炎を纏った馬は強烈な暑さを放っていた。
『よくぞここまでの試練を乗り越えた。勇気在る者よ。汝に最後の試練を授けよう。選ぶが良い、巨大な力と苦難を共に乗り越えた友。汝はどちらを選ぶ?』
 心の中にそう声が響いた途端に、ネギの体が光に包まれ、頂上の端に転移させられた。
「え?」
 ネギが目を丸くすると、今度はのどかから見て反対側に大きな槍が出現した。
『あの槍を持つ者はあらゆる望みを叶える事が出来る』
「あらゆる……望み?」
『左様、永遠に苦痛から切り離され、悩みも無く、誰にも囚われる事は無くなるだろう』
 心の声がそう言った瞬間に、アイトーンの炎が鞭の様に槍とネギに向かって振るわれた。炎の鞭は槍とネギの足場を崩した。
「ネギさん!」
 のどかが叫ぶと、心の声が響いた。
『選ぶがよい』
 既にのどかは迷う事無く走り出していた。ネギの方へ。一切の躊躇いも無く。
『汝は友を選ぶのか?』
「決まってます! あらゆる望みが叶うって素敵な事かもしれませんけど、友達と比べたら全然くすんで見えます!」
 そう言い切ると、のどかは落下していくネギに向かって跳んだ。
「駄目ですのどかさん!」
 落ちながら、自分に向かってくるのどかにネギは懸命に叫んでいた。それでのどかは確信する。自分は間違って無かったのだと。その途端に声が響いた。
『見事』
 突然、ネギとのどかの視界が光に包まれた。光が消えると、そこは塔の頂上で、どこも崩れた場所は無く、何よりも驚いたのは巨大なアイトーンの姿が消え、そこには一頭の白銀の捩れた角を持つ普通の馬と大きさの変わらない漆黒の馬が立っていた。
『汝の強さを認めよう。コレを受け取るがいい』
 声が響くと同時に、のどかの前に一冊の本が現れた。
「これは……?」
 のどかは困惑して首を傾げると、ネギも訳が分からないという顔だった。
『それでは、汝らを元の世界に返そう』
 再び声が響くと、ネギとのどかはいつの間にか図書館島の外に居た。
「え?」
「ここは……図書館島の外?」
 ネギとのどかが呆然としていると、突然大きな鐘の音が鳴り響いた。驚いて時計台に顔を向けるが、時計台は影に隠れていて見えなかった。代わりに、空を飛んでいる飛行船を見てネギは驚愕の叫びを上げた。
「どうしたんですか!?」
 のどかが驚いてネギに顔を向けると、そのままネギの視線の先を見て絶句した。そこには、図書館島で部活の映像資料を観終えて帰路についてから少しの時間しか経っていなかったのだ。日付も変わっていない。
「夢……だったんでしょうか?」
「さ、さあ……」
 服も全く汚れていない上に、あの塔の頂上でのどかが貰った本もどこにも無かった。まるで狐に化かされた様な感じで、ネギとのどかは首を傾げながら帰路についた。
 結局、その日の事はよく分からず、ネギとのどかだけの秘密になった。
 その後、寮に帰って来てからそのまま疲れていたネギは眠ってしまい、翌日になって図書館島に向かうと、カモがケージの中でいじけてしまっていて、ご機嫌を取る為に必死になるネギの姿があった。



[8211] 魔法生徒ネギま! [第二章・麻帆良事件簿編] 第十三話『麗しの人魚』
Name: 我武者羅◆cb6314d6 ID:87b1fc72
Date: 2010/06/08 21:58
魔法生徒ネギま! 第十三話『麗しの人魚』


 青い空、どこまでも続く紺碧の大海原の中に、ぽつぽつと飛び石の様に存在する島々の一つに、ネギは居た。周りにはクラスメイトの少女達が海で泳いだり、ビーチボールで遊んだり、ビーチフラッグを競い合ったりしている。
 春休みを楽しく過ごそうとあやかの家が私有する島にクラスの皆と遊びに来たのだ。本島よりずっと南にある島で、未だ三月だというのに、太陽が燦々と輝いてかなり熱い。海から吹き寄せる潮風はベトつく感じがするが、遊ぶ事に夢中な少女達は気にも留めない。
 あやかが用意してくれた桃色のワンピース型の水着を着たネギは、紺色のスクール水着を着ているのどかと一緒にイルカのビニール人形に捕まりながらゆったりと海を漂っていた。
「気持ちいいですね~」
「そうですね~」
 二人でまったりしていると、陸の方から明日菜の声が響いた。
「ネギ~~~!! 本屋ちゃ~~~~ん!! スイカ割りするわよ~~~~!!」
「は~~い!」
「は~~い!」
 返事を返しながら二人でバタ足をしながら陸に戻る。波が少なかったおかげですぐに戻ってくる事が出来た。砂を海の中で落として陸に上がると、古菲がスイカを見事に粉砕した直後だった。
「アイヤー、失敗失敗。これじゃあ食べられないアルよ~」
 粉々になったスイカを見下ろしながら無念そうに呟く古菲にハチマキとスイカ割りの棒を受け取ると、ネギは明日菜にハチマキで目隠しをしてもらった。見当違いの場所を叩いては少女達の声に従ってフラフラしながらもネギはスイカに棒を叩き付けた。
 少し中心からずれた場所を叩いてしまったが、古菲の様にスイカを粉砕する事はなく、歪な形だがスイカを食べれる状態に割る事が出来た。

 水着の中に砂がかなり入ってしまっていて、髪もベッタリし、肌もベタベタするので割ったスイカを皆で食べた後、ネギは明日菜、木乃香、刹那と一緒にお風呂に入る事になった。
「わ――っ! 海の見えるお風呂ってさいこ~!」
 いち早く体を洗い終え、髪を確りと水洗いして纏め上げた明日菜が開放感溢れる大きな湯船にダイブした。男子禁制な訳では無いが、この島に居る従業員は皆女性だ。島に滞在しているのも女性だけだからこそ、このお風呂に入れる訳だ。
 このお風呂には壁や窓など無く、三角屋根を支える柱だけが視界を邪魔する程度なのだ。柱と柱の間は広く、そこから遠くに夕日が眺められる。
「お風呂でダイブはマナー違反やで~。せやけど、ほんまやな。いいんちょには感謝せんとあかんなぁ」
「まったくですね。ここは本当に素晴らしい所です」
 木乃香と刹那も湯船に浸かりながら、遠目に見える夕日の反射した赤く幻想的な海を眺めて嘆息を漏らした。
「あやかさんってお金持ちだったんですね」
 ネギが遅れて湯船に入って来た。
「なんせ、世界でも有数の財閥グループらしいしね~。詳しくは知らないけど」
 明日菜は右手を振りながら言うと湯船から出た。髪を洗い、刹那が木乃香の髪を手際良く洗っている間にネギも丁寧に、それでいて手際良く洗い終えてさっさと外に出た。
「クッ……」
 後ろから悔しげな刹那の声が聞こえたが、ネギは体をタオルで拭いながら聞かなかった事にした。明日菜達もすぐに出て来て、用意しておいた私服を着て外に出た。
 水着はいつの間にか無くなっていたが、従業員が持って行ったらしい。しばらく歩いていると、フローリングの床の廊下の向こうから和美がネギ達に向かって歩み寄ってきた。
「いたいた。探したよ」
「ん? どうしたの、朝倉?」
 明日菜が尋ねると、和美は肘を曲げて指を自分の背後に向けた。
「向こうの部屋で皆で集まって怖い話大会やってんのよ。トイレついでにアンタ達探して誘いに来たのよ」
「怖い話ねぇ。うん! 面白そうだわ。どこでやってんの?」
「向こうの部屋」
 明日菜が尋ねると、和美は振り返って歩き出した。和美に連れられて少し歩いた場所にあった部屋に入ると、部屋は真っ暗で、部屋の中央の蝋燭だけが部屋を照らしていた。部屋の中にはネギのクラスメイト達が蝋燭を囲んで座り、蝋燭に一番近い場所に座っている大河内アキラが雰囲気たっぷりの表情でミステリアスな口調で話していた。静かにネギと明日菜、木乃香、刹那、和美は入口のすぐ近くに座ってアキラの怪談に耳を傾けた。
「私の友達がある振るい家に引っ越した時の話。その家、お風呂はあったんだけど、壊れてて使えないって言われてたらしいの」
「な、なんか本格的な怖い話みたいですね」
 アキラの怪談話を聞きながら、ネギは少しだけ怯えながら明日菜に話しかけた。
「ネギって怪談苦手?」
「少し……」
「んじゃ、もうちょっとコッチ来なさいよ」
 明日菜は不安そうにしているネギに苦笑しながら近くに寄るように言った。
「すみません……」
 アキラの話を聞きながら怖がるネギに、明日菜はクスリと笑みを浮べると、安心させる為に頭を撫でてあげると、なんだか自分がお姉さんみたいだなと、同い年の少女相手に思ってしまい、胸中で謝罪した。
「お風呂のドアが釘と板で頑丈に入れなくしてあって、まぁ、家賃も安いし我慢するかって」
 アキラの話に、ネギや明日菜の斜め前でお互いに手を握り合っている鳴滝姉妹はゴクリと息を呑んだ。
「そのドアの片隅にひよこの玩具が置いてあったの……。前の住人の物かなと思って気にせずに寝床につくとね……」
 雰囲気たっぷりのアキラの話し方が、余計にネギ達に恐怖を与えた。
「の、ノってるわね……アキラちゃん」
 自分も少し背筋がゾクゾクしてくるのを感じながら呟くと、隣のネギは目を閉じてプルプルと震えていた。
「目を閉じてると逆に怖いわよ?」
 明日菜がよしよしと頭を撫でながら言うと、ネギは頑張って目を開けた。その途端に、話していたアキラはその様子を見て悪戯心が芽生えて、更に雰囲気たっぷりな話し方でニヤリと不気味に笑った。
「なぜか……お風呂場からジャブジャブと音が聞こえるんだって」
「ひい――っ!!」
「ゆえゆえ~~~~!!」
 裕奈は鳴滝姉妹に抱きつきながら絶叫し、のどかは“EEL SOUL うなぎ味”という謎の飲み物を必死に飲みながら恐怖に耐えている夕映に抱きつきながら涙目になり、ネギも涙目になって思わず明日菜に抱きついてしまったが、恐怖で女の子に抱きついているという事を理解出来ず、明日菜に慰められた。クラスメイト達の反応に悦びながら、アキラは話を進めた。
「気のせいだって言い聞かせて、その晩は寝る事が出来たんだけど……。その音は次の晩もその次の晩も聞こえてきた……。それを両親に伝えたら、両親もその音を聞いてるの」
「え~~っなんで~~?」
 思わず声を出してしまったまき絵に裕奈は人差し指を唇に当ててシ―っと黙らせた。
「おかしいと思った父親はそのドアを開けてみた。そこにはね……」
 そこで一息入れ、アキラはミステリアスな声で言った。
「壁一面に、『やめて 苦しいよ お母さん モウヤメテ』って血文字で書いてあったんだって」
 部屋中に悲鳴が響き渡った。鳴滝姉妹、ネギ、のどかは恐怖のあまり気絶してしまい、裕奈とまき絵が慌てて鳴滝姉妹を、明日菜はネギを、夕映はのどかを床に頭を打たない様に抱き抱えた。
「せっちゃん」
「お嬢様!?」
 木乃香も震えながら刹那に抱きつき、刹那は真っ赤になりながらもその唇の端を悦びに吊り上げていた。
「そ、それってまさかお母さんが子供をお湯の中に~~っ!?」
 夏美が千鶴に抱きつきながら涙目で叫ぶと、アキラは真剣な表情で厳かに頷いた。
「たぶんそうじゃないかと……。それとね、さっきのひよこの玩具。誰も触って無い筈なのに濡れてたらしいわよ」
「ゆえゆえ~~~~っ!!」
 気絶していたのどかは目を覚ました瞬間にアキラの話が耳に入り、絶叫しながら夕映に抱きつき、夕映も飲んでいた飲み物が空になっているのにも気がつかずにズゴゴゴと紙のパックを吸い込んでへこませていた。鳴滝姉妹やネギも目覚めてそのままネギは明日菜に抱きつき、史伽は裕奈、風香はまき絵に抱きついたまま震え続けた。
「ほらほら、大丈夫だから。怖くないから確りしなさいって」
 苦笑いを浮べながら言う明日菜にネギは頭を振って動かなかった。アキラは自分の話で皆がこれほど怖がってくれるとはと満足気に笑みを浮べていた。
「ア、アキラちゃんの新たな一面を見た気がするわ……」
 明日菜の呟きは誰にも聞こえなかった。

 旅行から数日後、ネギと明日菜、木乃香、刹那の四人が寮の近くを散歩していると、落ち着かない様子でキョロキョロと視線を泳がすアキラの姿があった。
「あれ? アキラちゃんだ」
 明日菜はアキラの姿を確認すると声を掛けた。
「どうしたの?」
「神楽坂さん。その、動物を拾って……」
「動物?」
 木乃香が首を傾げると、アキラは頷いた。
「少し怪我をしているようでね。私一人ではどうにもならなくて……」
「助けが欲しいんですね?」
 刹那が尋ねると、アキラは頷いた。ネギ達は頷き合うとニッコリと笑みを浮べた。
「それなら、私達も何か出来る事があればお手伝いしますよ」
「ありがとう。じゃあ、ついて来てくれる?」
 アキラに連れられて、ネギ達は歩き出した。ネギ達はすぐ近くだろうと思っていると、何故か学園の外に出て、バスに乗り……。
「どこに……?」
 ネギが首を傾げていると、バスが到着したのは……「え!? ここって……」木乃香は目の前に広がるソレに目を見開いた。
「海だ――っ!」
 両手を広げながら明日菜は、訳がわからずとりあえずノリで叫んでみた。
「ず、随分遠くまで来ましたね」
 唖然とするネギに、苦笑いを浮べる刹那が言った。
「遠くどころじゃないと思いますよ……?」
「こんな所に動物って……」
 ネギが首を傾げていると、浜辺を少し歩いた場所で不意に、どこからかキューキューという鳴き声が聞こえた。
「この鳴き声は?」
 ネギが辺りを見渡すと、殊更大きな鳴き声が聞こえた。岩場から下を見下ろすと、そこには摩訶不思議な生き物が居た。弱々しく泳いでいるソレは、一見すれば魚に見えるが、よく見るとヒレが魚のソレでは無く、どちらかと言えば鳥の翼の様だった。真っ青な光沢のある鱗に、透き通るような薄水色の羽、その上、ネギ達はソレが動いたことで、真上から見える場所だけしか視界に入っていなかったのが、斜めからの視界を得て、ソレの形状が実は鯨に近い事を確認した。背ビレも無く、平べったい顔。
「な、何アレ?」
 それが何なのか分からず、それ以前にこんな妙な生き物は見た事が無いと明日菜は怪訝な顔をしながらアキラに尋ねた。大きさは明日菜達と同じくらいだ。
「鯨……なんですかね?」
 刹那が自身無さ気に言うと、アキラは分からないと首を振った。
「でも、怪我をしている様だし。もしかしたら仲間が居たのに、その群れから逸れてしまったみたいで……。どうしたらいいか……」
 岩場にしゃがみこむアキラの背後からソレを見下ろしながらう~んと木乃香は人差し指を顎に当てて唸った。
「よく、台風とかで海が荒れて流されたり、船の音に吃驚して浅瀬に迷い込むとか言うなぁ……」
 木乃香の言葉に、心配そうにソレを眺めたアキラはネギ達に振り返った。
「なんとかならないかな?」
「なんとかって言われてもねぇ……」
 明日菜はさすがにこんな生き物を自分達が何とか出来るとは思えなかった。
「とりあえず、元気の無いままこんな場所に居たら危険です。外敵に襲われたら……。でも、運ぶにも大きすぎるし……」
 ネギは困ったように唸った。
「そうやね……。皆でおぶっていくわけにもいかへんし……」
 明日菜はむむむと唸った。そこで、ピンと閃いた明日菜はネギに顔を向けた。
「ネギ、アンタ魔法使いなんでしょ、何とかならないの?」
「ま、魔法使いでも出来る事と出来ない事がありまして……。私、回復系は苦手ですし……」
「…………ネギちゃんは魔法使いなの?」
「そうなんですよ。私、魔法使いなんです――――?」
 明日菜に話を降られたネギは困った様に首を振ると、後ろから掛けられた声につい答えてしまい、恐る恐る後ろを振り向いた。そこには、アキラが立っていた。
「って……ああああああっ! バレちゃった……どうしよ~~!」
 余りに間抜けなバレ方をしてしまい、ネギはアタフタとした。
「…………あっちゃ~」
 後ろに居た木乃香はやっちゃった~という感じの顔をしながら二人を見ている。
「か、神楽坂さん……。何やってるんですか……」
 呆れた様に、アキラの前でネギの正体をバラした明日菜に声を掛けると、明日菜は涙目になっているネギに罪悪感を感じて胸がチクチク痛み、頭を抱えていた。
「ごめんなさい……つい……」
「でも、あんまり驚いてないみたいやで……?」
 アキラの前で手をサッサッと振りながら木乃香が言った。
「え?」
 ネギ達は驚いた顔をしてアキラを見た。
「とてもびっくりしてるよ」
 実は固まっていたらしく、キョトンとしながらアキラは言った。どうやら、あまり顔に出ないタイプらしい。
「えっと……その、内緒にして貰えませんか?」
 涙目で懇願するネギに、アキラは苦笑いを浮べながら頷いた。
「あ、アッサリしてるわね。アキラちゃん……」
 冷や汗を流しながら言う明日菜に、刹那も「そうですね……肝が据わっていると言うか……」と同意した。
「でも、私の魔法じゃ……」
「せめて体を小さく出来たらええんやけど……」
 ネギが申し訳なさそうに言うと、木乃香が言った。
「小さくですか……。難しいですね。幻術ならば可能ですが、質量は代わりませんし……」
 刹那は木乃香の考えに難色を示した。
「私のハマノツルギじゃどうしようも無さそうだしな~」
「ま、まぁ、アーティファクトは契約時の状況、契約者自身の思い、契約相手の思い、その他の要因によって決まると聞きます。私達の場合は状況が状況でしたし……」
 明日菜は自分の仮契約カードを取り出しながらぼやくと、刹那は苦笑いを浮べた。明日菜の“ハマノツルギ”は見ての通り武器である。まさか、切り刻む訳にもいかないので、ネギ達は途方に暮れていた。
「……その、アーティファクトっていうのは、私でもナニカもらえたりするのかい?」
 唐突に、アキラがネギに尋ねた。
「え? あ……いや、それは……」
 アキラに尋ねられたネギは困り果てた。この魚の様な謎の生物をどうにかしないといけないが、アキラと仮契約など論外である。そもそも、都合の良いアーティファクトが出る訳が無いし、仮契約してアキラに危険が及ぶなど論外だ。
「すみません。その……魔法に係わると危険な目に合ったりもあるので……」
 本当に申し訳無さそうに頭を下げるネギに、アキラはそれ以上は言わなかった。
「でも、本当にどうしよっか……。そうだ! こんな時こそエヴァちゃんを呼ぶってのは?」
「エヴァンジェリンさんは学内から出れませんよ……」
「そっか……」
 明日菜はナイスアイディアだと思った提案を斬り捨てられてショボンとした。
「なら、タカミチを呼ぶっていうのは……?」
 ネギが提案すると、ショボンとしたままの明日菜が首を振った。
「高畑先生は出張中よ……」
「よ、よく知ってますね」
 春休み中の教職員の予定など普通は一般生徒が知る筈も無く、知る必要もないだろうに、明日菜が知っている事に刹那は何とも言えない表情を浮べた。
「そ、そうです! カモさんなら何か案を下さるのでは? 最近、会いませんが……」
 刹那が閃いて言うと、ネギが首を振った。
「春休み中は一時帰省してるんです。カモ君は帰らなくていいって言ってくれたんですけど、カモ君にも家族は居るので……。旅行の準備を整えて一度帰って貰ったんです」
「カモって家族居たんだ……」
「妹さんが故郷に居るらしいです」
 カモに妹が居た事に衝撃を受けている明日菜を無視して、刹那が提案した。
「でしたら、電話で相談するというのはどうですか?」
「電話ですか?」
「高畑先生は忙しいでしょうし、カモさんの故郷に電話は無いでしょうけど、エヴァンジェリンさんの家なら連絡がつく筈ですから」
 刹那の提案でエヴァンジェリンに連絡する事が決まった。ここで問題になったのは誰が連絡をするかだった。この中で一番エヴァンジェリンと仲が良いのはネギなのだが……。
「私、携帯電話って持って無いんです」
「なら、ウチの貸して上げるえ」
 ネギが携帯電話を持っていなかったので、木乃香が貸す事になったが、ネギは携帯電話がうまく操作出来ず、何度も間違えてしまい、木乃香が番号を押して何もしないでいい状態でネギに手渡した。
「すみません」
 ネギは頭を下げると、携帯電話を耳に当てたが、一向に電話の電子音が聞こえなかった。
「逆だって……」
 明日菜は呆れた様に、聞く所と話す所を逆にしているネギにちゃんと電話を構えさせた。しばらく電子音が鳴り、何度目かで少女の声が聞こえた。
『もしもし』
「あ、茶々丸さんですか?」
『――――声紋がネギさんと一致。ネギさんで間違いありませんか?』
 よく分からない事を言う茶々丸にそうですと言うと、ネギは魚の様なよく分からない生物をどうすればいいか聞いてみた。
「――という訳なんです。どうしたらいいでしょうか……」
 ネギの話を聞いた茶々丸は、しばらくお待ちを、と言って、電話から離れてしまった。しばらく待つと、受話器をエヴァンジェリンが取った。
『ネギ・スプリングフィールド、聞こえるか?』
「エヴァンジェリンさん! 聞こえますよ。いきなり電話してすみませんでした」
『構わん。今、茶々丸に向かわせている。到着したら、茶々丸の指示を聞け。それよりも、そろそろ答えは出たか?』
 電話の向こうのエヴァンジェリンの口調が固くなった。
「――――」
 ネギは答えられなかった。まだ、迷いがあったのだ。エヴァンジェリンに教えを請うのは、キチンと自分の答えを見つけてからでないといけない……ネギはそう思ったのだ。滅ぼされた村。その村の事を忘れて幸せに生きる……簡単な事が難しい。
 結局、答えなど無いのかもしれない。それでも、もう少し時間が欲しかった。
『まぁ、私は別に構わん。答えを得るのは自分自身でなければ意味が無いからな……』
「すみません、エヴァンジェリンさん」
『謝る必要は無い。結局の所、お前自身の事なのだからな。では切るぞ?』
「あ、はい! ありがとうございました、エヴァンジェリンさん!」
『うむ、ではな』
 通話が切れると、ネギは明日菜達と適当に話しながら茶々丸を待った。
「それにしても意外ですね」
「何が?」
 刹那の唐突な言葉に明日菜は首を傾げた。
「いや、エヴァンジェリンさんがこうもアッサリと助けてくれるとは思っていなかったもので」
「提案したの刹那さんじゃん……」
 呆れた様に言う明日菜の横で、ネギは首を傾げた。
「そんなに不思議な事ですか?」
「私自身、エヴァンジェリンさんとそこまで接点はありませんが、個人的な事にこうも快く手を貸して頂けるとは思っていなかったもので……」
「エヴァンジェリンさんは確かにとっつき難い所はあるけど、そこまで不思議な事なのかい?」
 アキラが不思議そうな顔をすると、刹那はどう答えていいか判らなかった。
「固定概念……と言いますか。エヴァンジェリンさんに頼むというのは、提案しておいてなんですが、非常に勇気がいるというか……。昔エヴァンジェリンさんは600万ドルの賞金首だったそうですし」
「600万ドルって……どのくらい?」
「えっと、日本円だと少なくても6億越えかと……」
 刹那の言葉に明日菜はネギに尋ねると、ネギは答えた。
「エ、エヴァンジェリンさんは何か悪い事でもしたのかい……?」
 冷や汗を流しながら聞くアキラに、ネギ達はハッとなった。一般人の居る場所で何を話してるんだと正気に戻ったのだ。
「あ、いや……その…………」
 何とか誤魔化そうとするネギ達にアキラが不思議そうな顔をしていると、遠くに茶々丸の姿が見えた。
「あ、茶々丸さん来たわよ!」
 明日菜は話を切り上げようと叫ぶと、茶々丸さんが駆け寄って来た。
「お待たせしました」
「わざわざすみません、茶々丸さん」
 小さなポシェットを肩に掛けた茶々丸が頭を下げると、ネギ達も頭を下げた。魚に似た変な生き物の所に茶々丸を連れて行くと、茶々丸はポシェットから小さな瓶を取り出した。中には紅い小さな玉と蒼い小さな玉が入っている。
「それは?」
 アキラがビンを覗き込みながら聞くと、茶々丸は答えた。
「比率変動薬です。赤を飲ませれば大きく、青を飲ませれば小さくする事が出来る魔法薬です。年齢詐称薬に近い薬ですが、マスターが改良して実際に質量なども変化する様になっています。体などには悪影響はありません」
「なんか凄そう……。エヴァちゃんがこんな物くれるなんて、ちょっと驚いちゃった」
「後で何か代価が取られそうですね……」
 茶々丸の説明を聞きながら明日菜と刹那が呟くと、茶々丸は少し悲しそうな顔をした。
「少し……誤解があります」
「え?」
 茶々丸の言葉に、明日菜は首を傾げた。
「確かに、マスターは……えっと……」
 何かを言いかけた茶々丸はアキラの事に気がついて言葉を切った。実は既に比率変動薬などで手遅れ感もあったのだが、茶々丸はそれに気がついてなかった。
「あ、魔法に関しては大丈夫ですよ? 大丈夫じゃないんですけど、さっきバレてしまいまして……」
 俯きながら言うネギに、曖昧な返事を返すと、茶々丸は話を続けた。
「マスターは確かに魔法界では過去に指名手配にされたり、教会のハンターなどに命を狙われたりもしています。ですが、別にマスターが好きでそういう扱いを受けるに至ったのでは無い……それを理解して下さい」
 茶々丸の懇願にも似た言葉に、ネギ達だけでなく、事情をあまりしらないアキラまでもが頷いた。
「マスターは悪を掲げていますが、それは周りに強要されたからなんです。姉さんに……私が作られる前にマスターを護っていた絡繰人形なのですが……姉さんに聞いているのです。沢山の人が、マスターを悪として扱った。それ以外に道なんてあると思いますか? 悪を強要され続けて、それでも数百年間、命を狙ってくる者を相手に善意だけを向けるなど……。マスターは決して悪人では無いんです」
 呟く様に言う茶々丸に、明日菜は思わず唇を噛んだ。
「ネギさんがマスターをお友達だと言って下さった日の夜、マスターは嬉しそうでした。表面上ではそうは見えないかもしれませんが、マスターにも友達に親切にしたいと思う事はあるんです。深い考えなどなく、ただネギさんに助けを求められたから手を貸した。それだけなんです……」
 明日菜と刹那は聞きながら、恥しくなった。ああ、何て自分は馬鹿な事言ったんだろう。明日菜は大きく息を吸うと、頭を下げた。
「ごめん、馬鹿な事言ったわ……」
「私も、短慮でした。申し訳ありません」
 明日菜の謝罪に、そこまで語っていた茶々丸はハッとなった。
「す、すみません。つい……」
 恥しそうに瓶から小さくする蒼い薬を取り出す茶々丸に、ネギ達はどれだけ茶々丸がエヴァンジェリンを愛しているのかが実感出来た。別に変な意味は無い。ただ、エヴァンジェリンを愛おしく思う茶々丸の姿が、ネギ達には愛おしく見えた。
 アキラも、話の殆どは理解出来なかったが、茶々丸の人を思う気持ちに触れて、暖かい思いが心を満たし、自然に笑みを浮べていた。刹那は、エヴァンジェリンと個人的にはあまり話した事が無かった。それでも、茶々丸にここまで思われる存在に、悪性を感じる事は到底出来なかった。
 その後、茶々丸と刹那が岩場を降りて魚に薬を飲ませると、魚は掌サイズになってしまった。
「わ~、かわええなぁ。でも、入れ物どないしよ」
 木乃香は小さくなった魚にメロメロになった。
「これなんかどうかな?」
 アキラが少し離れた場所で少し上の方が欠けたバケツを発見し持って来た。中に小さくなった魚を入れた。
「ピッタリですね」
 ネギはバケツを持ちながら言うと、アキラはバケツの下から水が零れていない事を確認して安堵した。それから、ネギが幻術でバケツを壺に見せかけた。バスに乗るので、そのままだと拙いと茶々丸が言ったからだ。
 学園内に戻ると、寮の前に意外な人物が待っていた。
「マスターッ!?」
 茶々丸が目を見開くと、エヴァンジェリンはネギが抱えているバケツに視線を落とした。
「これか……。少し興味が沸いてな。本当に翼が生えてるな……」
 バケツの中で泳ぐ魚を見ながらエヴァンジェリンは呟いた。そして、そのまま「じゃあな」と言ってそのまま行ってしまいそうになった。
「待った! 折角なんだし上がってってよ。エヴァちゃんのおかげで連れて来られたんだし、お礼にこの前買ったお菓子だすわよ?」
 明日菜が呼び止めるが、エヴァンジェリンは困った顔をした。
「私は寮の中には入れないよ。生徒の中には“囮”も居るからな」
「囮……?」
 エヴァンジェリンの言葉に明日菜が首を傾げると、茶々丸が答えた。
「マスターが寮に入いる事で、魔法先生の居ない場所に真祖の吸血鬼が侵入したという状況が作り出されてしまうんです」
「どういう事なん?」
 木乃香が訳がわからないと首を傾げると、茶々丸は答えた。
「マスターを討伐する口実を与えてしまうんですよ。最近、教会の方も痺れを切らしていまして……。何しろ、魔法使い達が大勢潜んでいるこの地にマスターが匿われているというのは、教会にとっては異端が更なる異端を匿っているという事になるんです。だから、魔法先生の居ない寮に囮を忍ばせて、マスターが寮に入ったら直ぐにソレを利用して麻帆良内に教会の者が入ってくる筈です」
「な、何言ってるんですか!? そんな馬鹿な事……」
 ネギは驚いて目を丸くすると、エヴァンジェリンは肩を竦めた。
「中々に綱渡りなのさ。私がココに居るってのはな。爺ぃが抑えつけているが、口実を与えてしまうと、麻帆良は教会に手出しが出来なくなるのさ。何せ、囮ってのは、ようは教会が麻帆良に忍ばせた教会の人間の事だからな」
「??」
 エヴァンジェリンの言っている意味が分からずに首を傾げるネギ達に、エヴァンジェリンは苦笑すると、手を振った。
「ま、お前達が気にする事じゃない。それよりも、オコジョが帰ってきたら連絡しろ。チャチャゼロの奴が淋しがってるとな」
 そう言って、エヴァンジェリンが去って行ってしまった。
「それでは私も……」
 お辞儀をすると、茶々丸もエヴァンジェリンの後を追った。
「魔法の事はよく分からないけど……」
 アキラの声に、ネギ達はギョッとした。
「何だか淋しいね……」
 アキラの言葉に、ネギ達はエヴァンジェリンの去って行った方向を、しばらく見続けた。

 部屋に戻ると、アキラと木乃香、刹那が麻帆良大学の水産学部に相談に行った。その間、ネギと明日菜は紅茶を飲みながら魚を見ていた。やる事も無く、弱っている魚を心配そうに見ながら、ネギと明日菜はお互いに別々の事を考えていた。
 ネギは、エヴァンジェリンへの弟子入りの事。明日菜は、エヴァンジェリンの事。
 明日菜は不思議だった。初めて魔法を知った日に、明日菜は茶々丸やエヴァンジェリンと命を懸けた戦いを繰り広げた。だからと言って、エヴァンジェリンに対して憎いとかそういう気持ちは全く無い。自分が異常なのかとも思うが、エヴァンジェリンの過去に同情もするし、エヴァンジェリン自身が悪い人間などとは到底思えなかった。どちらかと言えば、ネギと似ている気がした。強がっているけど、実はとても弱い。何百年も生きているというけど、それがどれだけの長さなのか実感出来ない。自分などより遥かに長く生きている彼女にこんな思いを抱くのは馬鹿みたいなのは自覚しているが、それでも、もしもエヴァンジェリンを泣かせる奴が居たら、全力で護りたいと思う。だって、理不尽だ。茶々丸の話を聞いたら、周りが悪であると望んだらしい。そんな馬鹿な事があっていい筈ない。偽善でも何でも構わない。もしも、ネギや木乃香や刹那やアキラやあやかやエヴァンジェリンや茶々丸や……大切な友達が涙を流さなきゃいけない事になったら、泣かせた相手は絶対に許さない。
 どうしてこんな事を考えてしまうのかと言えば、何の事は無い。ただ、茶々丸の言葉に感情的になっているだけなのだ。それがどれだけ傲慢で高慢な思いか自覚し、それでもこの決意は揺れる事は無い。それが神楽坂明日菜という少女だから。しばらくすると、アキラ達が戻ってきた。
「帰ったで~」
「おかえり~」
「おかえりなさい」
 木乃香が一番最初に入ってきて、その後にアキラと刹那も部屋に入って来た。
「麻帆良大学の水産学部の人に相談したんだけど、鯨やイルカも人間と同じで、風邪とかひくことがあるんだって」
「鯨……なのかな?」
 明日菜は木乃香が持って来た水槽に移された謎の魚を見ながら疑問の声を上げた。
「でも、もしも風邪ならどうすれば……」
 ネギが心配そうに謎の魚を見つめると、アキラが持っていたビニールから紙袋を取り出した。
「それは?」
 ネギが尋ねた。
「風邪だったら、この風邪薬を餌に混ぜて食べさせれば大丈夫だろうって。鯨もイルカも同じ哺乳類だからコレで大丈夫だろうって」
 そこには“海生哺乳類用風邪薬”とマジックで書かれていた。
「じゃあさっそく!」
「だね!」
 木乃香とアキラはキッチンに行って、餌を作り始めた。中に風邪薬を混ぜる。餌が出来ると、アキラと木乃香は水槽の前に戻ってきた。
「ほら、ご飯だよ。お食べ……。おいしいよ」
 細長いパフェの時に使うスプーンに餌を乗せて魚の口に運ぶが、魚は怯えているのか口をつけようとはしなかった。
「食べませんね……」
「この子、私達に怯えているんだ」
 アキラはネギに顔を向けた。
「ネギちゃん、さっき茶々丸さんから貰った比率変動薬の小さくする方を一つ貰えるかな?」
「ちょっと待ってて下さい」
 魚を元の大きさに戻す時に必要だからと、茶々丸はネギに瓶をそのまま渡していた。ネギは瓶の蓋を開けて青い薬を取り出すと、アキラに渡した。
「そっか、このままやと魚さんが小さ過ぎて食べさせづらいもんなぁ」
 アキラは木乃香の言葉に頷きながら薬を飲んだ。薬の効果は直ぐに現れて、アキラの姿が消えて服だけがその場に落ちた。しばらくすると、服の山からモソモソとアキラが飛び出し、ハンカチを体に巻いて現れた。
「手乗りアキラちゃんね」
 アキラを手に乗せて、明日菜は水槽に手を近づけた。アキラが落ちない様にするのは結構大変だった。魚のすぐ上に明日菜がアキラを持っていくと、アキラは手に餌を乗せて魚の前に出した。
「ほら、食べないと治らないんだから。また、大きな海で泳ぎたいでしょ?」
 何とか食べさせようとするアキラだったが、魚は餌の臭いを嗅ぐとプイッと顔を背けてしまった。困ったアキラは餌を自分の口に含んだ。
「ほらこれ……。うん、美味しい。凄く美味しいよ」
 本当は魚用の餌に魚用の薬を混ぜてあり、ベチャベチャして食感も味も最悪に近いのだが、その事を少しも表情に出さずに笑みを浮べながら餌を魚の前に再び出した。魚はアキラの食べる姿を見て警戒を解いたのか、キチンと餌を食べた。その様子に、ネギ達は素直に凄いと思った。魚の餌を食べるというのはかなり勇気がいる行動だ。だけど、アキラは魚の為に自分で食べて見せた。その優しさに、感動したのだ。

 数日後、ネギ達の部屋で世話をされ、アキラはネギ達の部屋に布団を運び込んで懸命に世話をしていた。魚にはアキラが“メロウ”と名付けた。ネギが理由を聞くと、メロウは人魚の意味があるからだと言う。明日菜はふてぶてしそうな顔のメロウに人魚のイメージは合わない気がしたが、木乃香やネギが絶賛しているのを見て、その思いは胸中にしまった。刹那が、分かりますと言いながら肩を叩いてきたのが印象的だった。
「ネギちゃん、見てよ。なんだかメロウが昨日よりも元気になったみたい」
 水槽の中を飛び跳ねるメロウに、アキラは頬を綻ばせながら喜んだ。
「でも、元気になってきたらちょっとこの水槽じゃ狭いかもしれませんね」
 ネギの言葉に、アキラや明日菜も頷き、木乃香がせや!と口を開いた。
「いい事思いついたで!」
 木乃香が考えたのは、昼の間は誰も使っていないから大浴場にメロウを連れて行こうというものだった。明日菜達の住んでいる階より一階下の階は広くなっていて、その余った部分が露天風呂になっている。途轍もない広さがあり、湯船は空になっていた。
 その中の一番小さな……それでも数十人が一斉に入っても余裕のある程大きな湯船に水を張り、メロウに紅い薬を飲ませて大きくして放った。
「なかなかいい事考えたじゃない」
 木乃香の案に感嘆する明日菜は水着を着ていた。ネギ達もそれぞれあやかの別荘に行った時と同じ水着を着ていて、メロウと遊ぼうとボールを持ってきていた。
「お昼やったら誰もけ~へんしなぁ」
 メロウの額を撫でながら木乃香は言った。
「じゃあメロウ、沢山泳ごう!」
 アキラが水の中に入ると、メロウはキュウ! と喜んでいる様に鳴いた。アキラはメロウと競争をしたりして、メロウが実はとても賢い事に気がついた。まるで人語を解している様にアキラ達の言葉に反応した。
「なんだか、メロウと泳いでるアキラちゃん、人魚みたいね」
 華麗に水の中を泳ぎ回るアキラに明日菜はそんな感想を呟いた。
「アキラは水泳部やしなぁ」
 何度目かの競争をして、アキラに勝ったメロウに木乃香がメロウの好物のホッケを与えた。大喜びして、メロウは水面から飛び上がってネギ達を楽しませた。皆でボール遊びをしていると、瞬く間に時間が過ぎていった。
「見た目は鯨、中身はイルカって感じね」
 まるで水族館で芸をこなすイルカの様なメロウに明日菜はそう言った。アキラはクスリと笑うと、メロウの頭を撫でた。
「メロウ……私が水泳始めたのってテレビでイルカを見た時からなんだよ。あんなにスイスイ泳げたら気持ち良さそうだな~って。初めて泳げるようになった時は、嬉しかったなぁ……」
 懐かしむ様に話すアキラに、メロウは水面から顔を出した。そのまま、アキラの頬にチュウをすると、バシャバシャとはしゃぎながらキューキュー鳴いた。
「メロウ……。私の事、仲間にしてくれるの?」
 嬉しそうにはにかむアキラに、ネギは「まるで恋人同士ですね」と言った。
「ほんとね」
 明日菜は頷くと、メロウにホッケを投げた。見事に飛び上がって口でキャッチするメロウに、ネギ達は歓声を上げた。

 それから更に数日が過ぎた。春休みのおかげで殆どの住人が家に帰っているので、上手い事誰にも見つからずにメロウを遊ばせる事が出来た。魚を食べさせて、一緒に泳いで、アキラは大切にメロウの世話をし続けていた。

 それから一週間。もうすぐ春休みが終わろうとしていたある日の事だった。
 その日はネギとアキラの二人だけでメロウと遊んでいた。
「メロウもすっかり元気になりましたね」
 ネギは元気に泳ぎ回るメロウに嬉しそうに笑みを浮べながら言うと、フとメロウがしばしばどこかを見ている事に気がついた。アキラも気がつき、メロウの見つめる先に顔を向けると嫌でも気がついた。
「外……」
「もう、アキラさんとメロウは友達なんですね……」
「はい……」
「でも……」
 ネギは言い難かった。こんなにも仲が良くなったアキラとメロウにこんな事は言いたくなかった。だが、アキラはネギの言おうとしている事が分かっていた。
「…………そうだね」
 アキラは寂しそうに頷くと、メロウを抱くように擦り寄った。
「もうそろそろ……海に返してあげたほうがいいかもしれない」
 アキラの言った言葉が理解出来たのか、メロウは寂しそうに鳴いた。アキラは悲しくなりながらもメロウを強く抱きしめると、窓の外を眺めた。
「でも、この辺の海に返したらまた流れ着いてしまうんじゃ……」
 心配気に言うアキラに、ネギはニッコリと笑みを浮べた。
「それは私に任せてください」
 ネギの言葉にアキラは柔らかく笑みを浮べるとコクンと頷いた。

 翌日、杖の定員の都合でアキラとメロウだけを乗せてネギは杖を飛ばした。
「改めてネギちゃんは魔法使いなんだね」
 水槽を抱えながらネギの後ろに座るアキラが言うと、ネギはあははと苦笑いを浮べた。
「でも……大丈夫なの? 魔法使いってバレちゃいけないんだよね? 飛んでる姿を見られたら……」
 アキラが心配そうに言うと、ネギは大丈夫と言った。
「特別な認識阻害が掛かっているんです。下からだと見えないんですよ」
「そうなんだ。ネギちゃん……ありがとう」
「…………いいえ」
 それから、ネギとアキラ、メロウを乗せた杖は山を越えて川を越えて、そのまま海の上を飛び続けた。
 午前中に出発したが、もうお昼を過ぎてしまった。
「どこかで休みましょうか?」
「そうだね……。あそこに島がみえるよ」
 アキラは少し遠くに見える島郡を指差した。ネギは頷いて人の居ない場所に降り立つと、そこは伊豆半島の八丈島だと分かった。
 ネギが幻術でメロウの水槽を壺に変えると、二人と一匹はお刺身に下包みを打ち、少しだけ八丈島を観光した。ネギは少しでもアキラとメロウを一緒に居させてあげたいと思ったのだ。
 ネギの好意に感謝して、アキラはメロウを連れて八丈島を探索した。メロウも別れが惜しいのか、少しでも思い出を焼き付けようとしているかの様に水槽の中ではしゃいでいた。

 日が傾き始めてから、再びネギの杖で飛び立ち、目的地にあるらしい南の島に向かった。茶々丸があの日あの場所にメロウが迷い込んでしまった時の周囲の海流から計算して、メロウが現在居るべき場所を推測したのだ。
 夕日が海を染め上げて、アキラとネギは感傷に浸った。寂しさが込み上げてきた。
 春休みの間、ずっと一緒だった友達とのお別れ。恐らくは二度と会えないだろうと理解しているから、それが余計に胸を締め付けた。出発の時、明日菜達も泣きそうになっていたのを思い出した。杖がもう少し大きければ、皆で一緒にこれたのに……。そう思うのも仕方の無い事だった。
 比率変動薬も、残りは大きくする紅い薬一つしか残っていなかった。ネギはじきに目的地に到着するとアキラに伝えた。すると、ネギの背中でアキラが歌を歌い始めた。子守唄の様に、心が休まる歌だった。
 メロウは、それがお別れが近い事を示しているのに気がついたのか、キューキューと悲しそうに鳴き、やがてアキラの歌声に合わせるように鳴き声を上げた。ネギは、涙が流れてしまいそうになり、服の袖で眼を拭うと、遠くに目的の島を確認した。
 高度を下げ始めた時にアキラの歌も終わり、人気の無い砂浜に降り立った。水平線の向こうに太陽が既に半分以上沈んでいた。アキラは水槽の中で泳ぐメロウの口に紅い薬を運び、次の瞬間にメロウは元の大きさに戻った。
「どう、メロウ。君が育った海だよ。広くて気持ちいいね」
 ネギは水辺に居るアキラとメロウからそっと離れた。一番長く接していたのはアキラだった。邪魔をしてはいけない。ネギは自分も寂しかったが、二人の別れをじっと見守った。
「ふふ、嬉しいね。メロウ、あなたに会えて……よかったよ」
 アキラはワンピースを脱いだ。その下には水着を着ていて、そのままワンピースを砂浜に投げた。それを、ネギは風の魔法で吹き上げさせると、自分の手元に運んだ。アキラは水の中に体を沈めるとメロウを抱き締めた。
「でも、今日でお別れだ……。メロウ、本当の家族。仲間がココに居る筈だから、帰るんだ……」
 じゃあ、そう手を振りながら去ろうとすると、メロウはアキラについてきてしまった。
「はは、なんだよ。ほら……」
 ついて来てしまうメロウに、アキラは走って追いつけない様にしようとするが、メロウの泳ぎはそれよりも速かった。それでも、楽しい時間は終わらせないといけなかった。
 遊んで遊んでとせがむ様に鳴くメロウに、アキラは涙が零れない様に耐えた。
「メロウ……早く行って。早く……」
 その姿を見ていて、ネギは頬に冷たいナニカが垂れるのを感じた。雨? そう思ったら違った。涙だった。ネギは自分が泣いている事に気がついていなかった。
 ネギはまだ10歳なのだ。お友達との別れが寂しい筈も無かった。それでも、行かなかった。寂しいと思うから、それ以上に寂しいだろうアキラの気持ちを考えてジッとしていた。
 不意に、メロウの姿が消えた。行ってしまったのかな? そう思っていると、メロウが再び現れてアキラに何かを渡していた。そして、キュー! と鳴くと、驚いた事にネギの居る方に泳いできた。
「え?」
 ネギが目を丸くすると、アキラは笑みを浮べた。
「来て、ネギちゃん」
 ハッとなり、ネギは笑みを浮べると、自分も着ていたワンピースを脱いだ。杖に、アキラと自分のワンピースを掛けると、海の中に入って、メロウに抱きついた。
「メロウ……」
 しばらく抱き締め続けると、ネギはメロウから体を離した。すると、メロウはネギに口を寄せた。
「手を出してみて」
 アキラに言われて手を出すと、ネギの手にメロウは綺麗な貝殻を落とした。
「私に……?」
 キュー! と鳴くメロウに、ネギは震えると、もう一度抱き締めた。
「ありがとう……そして、さようなら」
 そう言うと、ネギはメロウから離れた。
「アキラさん、私は満足です。だから……後は」
 そう言うと、バイバイと言って、笑みを浮べながらネギは陸に上がった。アキラはネギに頷くと、メロウの頭を撫でた。
「そうだ、メロウ」
 アキラは少し遠くに見える島を指差した。
「向こうの島まで競争しよう。メロウが勝ったら好物のホッケをあげる。私が勝ったら……」
 アキラは言葉を切った。
「うん……。それはあとでいいや」
 不思議そうにしているメロウに苦笑すると、アキラは「よーい!」と叫んだ。慌ててメロウは島に体を向けると、アキラは「ドン!!」と叫んだ。
 メロウは勢い良く泳ぎだし……しばらくしてアキラの姿が無い事に気がついた。辺りを見渡しても、島を見ても、どこにもアキラの姿も、ネギの姿も無かった。
 メロウは悲しげに鳴くと、そのまま、海の中に潜って姿を消した……。
「きっと、仲間に会えるよね?」
「大丈夫ですよ、きっと」
 メロウの居なくなった海面を見下ろしながら、ネギとアキラは杖に乗って空に浮かんでいた。
「ネギちゃん、ありがとう」
「アキラさん……」
 満天の星空の下、二人は飛び続けた。
「子供の頃、描いた夢……思い出せた」
 それがどんなものか、ネギは聞かなかった。
「そうですか……」
 ただ、それだけ言うと、ネギは笑みを浮べて麻帆良学園に向かって飛び続けた。

 春休みの終わる少し前、地区競泳大会があった。ネギ達が応援に行き、アキラは見事に優勝。
 その手には、ネギが貰った桜色の貝殻とは違う、青い綺麗な貝殻があった。紐が通され、それを握るアキラの心の中には、メロウと泳いだ春休みの想い出があった。



[8211] 魔法生徒ネギま! [幕間・Ⅰ] 第十四話『とある少女の魔術的苦悩①』
Name: 我武者羅◆cb6314d6 ID:2d108988
Date: 2010/06/09 21:49
魔法生徒ネギま! 第十四話『とある少女の魔術的苦悩①』


 プラハの時代は去り、魔術の中心がロンドンに移ったのはもう何年も前の話だ。ロンドンの街で、アネットと名乗る少女は少し気味の悪い屋敷の屋根裏に居た。そこは、アネットが修行しにやって来て取った宿だ。宿と言っても、マンションやアパートでは無いし、ましてやホテルなどといったオシャレなものでもない。
 ロンドン市内には日本と変わらない真っ直ぐに建った滑らかなビル郡も当然あるが、それでも古い様式の建物は絶対的に多い。その中でも、少し中心部から離れた小汚い場所には、まるで中世にタイムスリップしたかの様な建物が幾つも見受けられる。狭苦しい道が網の様に広がるその中に、アネットの宿が在る。汚くボロい建物だったが、アネット一人には広すぎる建物だった。なのにアネットが屋根裏などという汚らしい事この上なく、蜘蛛の巣まで張ってあって、ゴキブリや鼠が子作りに励む場所を数日掛けて掃除したのは、そこに師の教えに従って自分だけの工房を作る為だった。
 床や壁には血や魔法薬で描いた魔法陣によって、幾つ物術式が張られている。凝り性な所があるアネットは、師匠も呆れるほどの量のトラップを仕掛けていた。未熟な魔法使いならば一歩足を踏み入れただけで髪の毛一本残らないだろう。最初に見た時、師匠やアネットが“金髪”と呼ぶ少年は呆れて言葉が出ず、二人ともせがまれたからと魔道書や奥義書など安易に渡すべきではなかったと後悔した。
 魔道書は魔導書とは全くの別物だ。これを勘違いする魔法使いは多く。後者を前者だと勘違いした魔法使いが、過去に数え切れないほど間抜けな事に命を落としている。魔導書が本の形をした“魔法陣兼魔力自動収集器兼半自動魔法発動体”であるのに対して、魔道書は教科書の様な物だ。魔法学校の教科書も魔道書に当る。中には魔法の使い方だけを書かれていて、それに魔力を通しても、中に描かれた魔法陣も当然発動しない。使うには、実際に手順に従って書くしかないのだ。
 師匠は魔法や魔術の書を、金髪は陰陽道や中国魔術などの書を与えた。勿論、どちらも初歩の初歩の魔術書だ。占術を極め、五大要素全てを操りグレート・ブリテンを陰から補佐する師匠(北アイルランド連合王国は別の魔法使い)と陰陽道を初めとする東洋魔術を操る金髪。二人から譲り受けたそれぞれの魔術書を解読し、アネットは実践したのだ。
 自分で解除出来ない魔法トラップを仕掛けるのは半人前以下と言われるが、アネットは当然全てを解除出来る。そもそも、解除出来る様に仕掛けたのだ。半人前以下の魔法使いは解除出来る様に仕掛けの段階で細工しない者を指しているのだ。準備の段階でキチンと解除方法を考えておくのは一人前に魔法使いにとって当たり前の事なのだ。その点で言えば、アネットは一人前と言えた。事実、実力も半年を過ぎた辺りになって素晴らしい速度でメキメキと上がっている。
 “アイリーン・ヒルデガード・モンゴメリー・チャリントン”という長い名前を持つ年齢不詳の女性がアネットの師匠だ。会った日に名乗られたのだが『ちなみに偽名だから間違えて覚えても問題ないぞ』と言われてどう答えればいいか判らなかったが、今では逆に分からなかった事が赤面ものだと理解している。
 名前、それは魔術的に考えればとんでもなく重要な意味合いを持つ。今ではアネットも、師匠に言われて偽名を幾つか持っている。名前だけで呪いを掛けられる上位の魔法使いも居るのだと知った時は、古い友人にもセカンドネームはあまり教えていない事に気がついた時に思わず安堵の溜息を吐いてしまった程だ。実際には、そこまで呪術を極める魔法使いなど近年では至極稀であったりする。
 金髪も実は名乗っている名前が偽名だと教えられた時には少し怒りが沸いたが、今では当然の様に受け入れられている。有名な紅き翼のメンバーも偽名であったり、愛称しか名乗らない者が殆どで、近衛家やスプリングフィールド家などの様に姓そのものがとんでもない魔術的価値を持つ者でも無い限り、大っぴらには自分の名前を宣言したりしないらしい。
「さてと、後はこれだけ……」
 貧血になりかけながらも、アネットが床に巨大な魔法陣を二つ描いていた。インクは自身の血だ。自分の血は一番自分の魔力を通しやすい“液体”であり、こういった魔法陣を描く際には血を用いる事が一番なのだ。と言っても、強力な術式でも無い限りはチョークなどでも構わないのだが、アネットは強力な術式の為に注射器を用いて何度も血抜きをしてはレバニラ炒めを作ってモリモリ食べた。
 体に悪い事この上ないこの生活も、これで一週間目になる。血が蒸発したり、削れたりする度に補修を繰り返し、綴りに間違いは無いか? 記号の方角は合っているか? 位置は大丈夫か? 歪みは無いか? などを何度も何度も何度も何度も繰り返し繰り返し確認しながら作業をし続けたのだ。
 魔法学校で習った華やかな魔法とは全然違う魔法使いの技術に、時々嫌気が差すが、師匠の教えは厳しく、泣き言を言っている暇が殆ど無い。むしろ、忙し過ぎる程忙しい師匠がそこまで自分に力を与えてくれる事に感謝しなければならないのだが、それこそ、どうして? と聞きたくなるほど、アネットに師匠のアイリーンは普通の魔法使いが習わない事まで教え込んだ。
 炎系統の魔法を重点的に、多くの国の固有魔術なども教えられ、アネットの魔力も飛躍的に上がった。とは言っても、スプリングフィールド家などに比べればゴミの様な量ではあるが、戦闘においてすぐに魔力切れは殆ど起きない。それは、アイリーンがアネットに最も重点的に仕込んだのが、魔力操作だったからだ。
 紙で出来た指輪を燃やさずに火を潜らせろと言われた時は『出来るか!』と叫んだが、その後に成功させた後、小さな火の玉から細長い火の塊に帰られて再び同じ修行をさせられ、最近では二十センチの縄の様な炎を潜らせる修行をしている。その修行をやるだけで死ぬほど集中力を使い、何度か気絶してしまう事が当たり前の日々だった。
 魔法陣を描き終わったアネットは大きく息を吐くと、完成した陣に満足気に笑みを浮べた。アネットはそれを見ながら今まで教えられて来た事を振り返った。魔法を操る上で大切なのは操る精霊を知ることだ。アネットの優位性の高い魔法属性は火だ。火に属する精霊、例えば二番目に強力な妖霊アフリートはアゼルバイジャンの山々でとても強く、ゾロアスター教の信仰の始まりともされているなどを学ばされたりもした。他にも、魔法使いとしての誇りを無くしてはいけないと教えられた。別に、魔法使い以外を蔑めと言われた訳では無い。魔法というのは、心に左右される。自分が魔法使いである事を誇りに思えば、それは力となるのだ。
 魔法学校では意外にも化学や物理を習う。他には宗教史などだが、中でも多かったのが言語に関する授業だ。ラテン語、アラム語、ヘブライ語、ギリシャ語などだ。呪文の詠唱や音系の魔法の為に音楽の授業などもあった。音系というのは、楽器などを利用する魔法の事だ。これが意外と多い。例えば魔笛と言われる種類のアーティファクトは魔法世界なら露天でも売っている。殆どは祭りなどの為の気分高揚魔法などが備わっているが、時々狂化や強化などの魔法が備わっているのもある。他にもギターやバイオリン、太鼓などの魔法具もあるから音楽の授業は必修になっている。
 杖術や剣術、射撃などの授業も選択で在る。必修の中で一番ダブりが多いのがデッサンの授業だ。円は魔法陣の中で一番重要で、フリーハンドで歪み無く描けないと次のステップに上がれないのだ。少しの歪みが魔法陣にとんでもない欠陥を作ってしまうのだ。アネットは特にこの授業が苦手だった。フリーハンドで完璧な魔法陣を描くのはかなり難しい。アネットはこの授業の為に卒業が一年延びてしまったのだ。何せ、最終的には目隠しをして魔法陣を描かされるのだから、仕方ない事だろう。
 今まで学んできたもの、全てを使って描いた魔法陣は感慨深いものだ。と言っても、使ってないものもあるが……。
 アネットは休憩とばかりに部屋を出た。二階のフロアはアネット自身の寝室や勉強部屋、修行部屋の他に魔術道具の部屋もある。“ペンタクルの秘儀”、“ルーンの秘密”、“陰陽大全”などの魔道書の仕舞われた本棚や、乳鉢と乳棒、注射器などと一緒に様々な薬品や香料、一般人が見たらなんでこんな物が? と思うかもしれない物やチョコレートなどのお菓子まで入った棚もある。
 チョコレートは別にお菓子として入れているのでは無い。お菓子は別にちゃんとある。チョコレートにも魔術的価値があるから仕舞っているのだ。時々遊びに来る金髪に陰陽道や風水魔術で、日用品を魔術品として扱う方法などを教えられた事があり、興味を覚えて勉強し、チョコレートなどのお菓子に魔術的意味を持たせられるようになったのだ。と言っても、理解が簡単だったからであり、例えば、金髪の様に靴の紐から魔術的意味を取り出して魔法を使う……などという馬鹿みたいなとんでも技は使えない。
 チョコレートなどの食品に含まれている成分から、魔法薬の成分を理解して、魔法に流用するのが精々なのだ。それでも、それを出来るのは天才的な閃きを持つ者だけで、アネットはその閃きを持つ類稀な才気を持つ魔法使いなのだ。ブーストや詠唱破棄などの為に用いられるのだが、いきなりチョコレートを投げられてそれを理解出来る者など魔法使いでなくても居ないだろう。アネットはこれはかなりの切り札(エース)になると考えている。
 魔法とは即ちは理解から始まる。詠唱に関してもそうだ。どんな精霊の力をどういう風に使うか。それを理解しなければ魔法は発動しない。嘗て、サウザンドマスターと呼ばれた男は天才的な閃きから始めての魔法でさえも魔法の詠唱の意味を巧みに読み取り魔法を使ったという。
 部屋の中には他にも蝋燭やチョーク、不思議な光沢を放つ石や宝石などもある。部屋の中でも特に重要な物の棚に置いてある精霊眼鏡という魔術道具は師匠からの贈り物だ。霊視という能力を擬似的に使える様にする者で、かなり高級な物だ。霊視能力は、低いものだと霊などを見えたりするが、上位のものだと関連性というものまで見えたりする。特に、占いにおいて重要なのがこの関連性を見るというものだ。物事は全て干渉しあっている。それこそ、太陽の黒点が隣に住んでいるおじさんの鼻毛の数と関係があるなどという超理論さえ無くは無いのだ。
 師匠ですらもさすがにそこまでは見えないが、それでも師匠は道端の石ころからも先の未来を知る事が出来るのだ。過去の最も偉大な占術師と言われる者などは、石ころで地球の成り立ちまで見えたと言う。さすがにそれは真実かどうか師匠も半信半疑だったが、霊視能力とはそれだけ素晴らしい力なのだ。魔法の力を高めるにも、操る精霊を知る事が大切で、暇があればその眼鏡を使いながら精霊を目視して、その姿を理解し、霊視能力も上げる努力をしている。
 精霊を知る為に力を借りる精霊の力だけでなく、精霊自体の召喚などもアネットは師匠同伴で何度も行った。炎だけでなく、それこそあらゆる属性、あらゆる種類の精霊だ。精霊以外にも、悪魔なども召喚して貰った事もある。悪魔は召喚されると、支配力が弱ければ様々な方法で術者を誘惑しようとする。アネットが悪魔を召喚すると、円らな瞳のハムスターになったり、捕まえたくなる程綺麗な鳥になったり、恐ろしい姿の龍になったりと、つい魔法陣から出たくなってしまうようにアネットの心を責めるのだ。
 召喚の時、魔法陣は基本的に二つ描かれる。一つは召喚用、一つは術者の防御用だ。防御用無しで召喚すれば、悪魔は術者を殺そうとする。そうさせない為に、召喚する時は、悪魔が出たりしないように決して魔法陣に綻びなど作ってはいけない。それがあれば、悪魔は術者を攻撃したり、勝手な行動を取るからだ。そうさせない様に、召喚したら何度も魔法を掛けて、裏切る事が絶対無い様にするのだ。

 アネットは優雅に紅茶を飲み、ビスケットを食べる。アイリーンは、国の不穏分子の存在を感知し、その討伐に奔走しており、アネットに時間を割く事がしばらく出来なくなった。その間の宿題として、アネットに一人で使い魔の召喚を命じた。普通は師匠が一緒に行うものだが、一人でやらせても問題無いとアイリーンがアネットの実力を認めたのだ。
 魔法使いにはその月の中で最も力が強まる日と時間がある。最高と最低の差はそんなに大きくはないが、それでも念には念を入れて最高の日と時間に召喚を行う予定だ。今から5時間後。即ちはこの日の夕方8時丁度がアネットにとって最高に力が上がる時だ。この日の為に準備は全て終えている。魔法陣もついさっき完成し、後は時を待つばかりだった。
 不意に、部屋に備え付けられていた電話の着信音が鳴り響いた。アネットはこの電話が鳴る度に苛立ちを覚えた。一番電話をして欲しい相手が一度も電話を掛けてくれないからだ。手紙は来るのだが……。
 面倒そうに溜息を吐きながらアネットは電話を取った。
「ハイ、ウォーロック」
 アネット・ウォーロック、それがアネットがこの部屋を借りる時に使い、修行中殆ど名乗っている一番使っている偽名だ。
『ハロハロゥ!』
 それだけで、アネットのテンションはガクッと落ちた。すぐさま電話を叩き切ると、再び電話が鳴り響く。
「――――チッ」
 舌打ちすると、苛立ちながらアネットは電話を取った。
「ハイ……、ウォーロック」
『いきなり切るなんて酷すぎるぜ?』
 再び電話を叩き切りたい衝動に駆られながら、アネットは必死に耐えて顔を引き攣らせながら口を開いた。
「で、何の用よ」
『怒っちゃ嫌ぁぜぇ』
「切るわよ?」
 アネットの冷たい声に電話の主は慌てた用に謝った。
『ごめんなさい! 謝るから切らないでぇぇ!!』
 アネットは溜息を吐いた。
「いいから……、用件は?」
『今度遊びに行っていいかい?』
 ガチャンッ! と音を立ててアネットは電話を切った。ハァハァと肩で息をしながら電話を叩き切ったままの体勢でいると、再び電話が鳴り響いた。無視しようとしたが、電話線を切っても、魔法で連絡を取ってくるだろうから意味が無い。寧ろ脳裏に直接不快な声が響くなど耐えられない。已む無く、アネットは電話を取った。
「で、本当の用件は?」
 苛立ちを隠さない声で言うと、電話の主は不満気に返した。
『なんでそんなツンツンしてるんだ?』
 電話の主の声に猛烈な不快感が湧き上がる。
「五月蝿い! 嘘の塊となんか話してるだけで不快なの!」
『嘘の塊は暴言だぜ』
「名前も嘘! 年齢も嘘! 喋る事も嘘ばっかじゃないのよ!」
『そんな事ないぜ! それは間違いだぜ!』
「どこがよ! 偽名使ってた癖に! 大体、アンタの使ってる東洋魔術が私達と同い年で使える訳無いって楽勝に分かるわよ!」
『――――それでさ、今度遊びに行くから』
「誤魔化すな!」
 アネットの怒鳴り声にも何処吹く風で、電話の主――“金髪”は話を続けた。
『今週中に会っておきたいんだぜ。来週にはイギリスを出るんでな』
「何処に行くのよ?」
『その件も合わせて話すから、空いてる日を教えて欲しいぜ』
「――なら、明後日ならいいわ。明日はちょっと無理だろうし。ついでに使い魔を見せてあげるわ」
『お、使い魔召喚か? ウッカリしない様に気をつけるんだぜ?』
「分かってるわよ!」
『どうだかなあ。時計とかちゃんと正確に合わせて置くんだぜ? お前はどっか抜け――』
 金髪の言葉が終わらない内に、アネットは頭にきて電話を切った。
「ったく、一々ムカつくわ……」
 そう言いながら、アネットは壁に備え付けている時計を見た。テレビをつけてテレビの時計と見比べると、部屋の時計は十分だけずれていた。
「こ、この程度ならずれても問題無いわよ!」
 そう言いながらもアネットは時計を直した。
「一応、もう一回魔法陣を確認しておこうかしら」
 紅茶を飲み干して、アネットは天井裏に一度戻った。

 8時になり、アネットは天井裏の二つの魔法陣の内、小さい方の魔法陣の中に入った。息を吸い、小さく吐く。脚で床を叩き、リズムを取る。
 使い魔は前々から決めている。欲しいのは炎の属性。翼を持ち、諜報に長け、知性の高い誉れ高い妖霊。“ゴイーシア”の写本にも登場するその名も“フェニックス”。アネットレベルの魔法使いが手を出していいレベルの妖霊では無い事はアネットにも分かっている。ギリギリまで、同じくゴイーシアに登場する“ラウム”にするか迷っていた。どちらも結局は伯爵以上の高位の妖霊だが、アネットは何としても従えたいと望んでいた。
 勘の様なモノだが、どうしても力を求められる時が来ると何度も脳裏を過ぎったからだ。修行の間、何度も何度も。それ故に、アネットは修行を投げ出さなかったのだ。
 ゴクリと唾を飲み込むと、その音が辺りに響き渡っているように感じる。額から汗が流れ、手足は震えていた。アネットは深呼吸をすると、毅然と大きな魔法陣に向かった。
 ペンタクルに描かれた模様に歪みは無い。綴りの間違いも無い。文章の欠落も何度も確認して無い事を確信している。なのに肌寒い筈の部屋で、アネットは汗だくになっていた。カーテンは引かれ、蝋燭の明かりだけが部屋を照らしている。アネットの顔には血の気が無い。まるで死人の様に真っ青になっている。それでも、瞳には力が宿っている。
 力の足りない所はルーンで補い、何重もの防御で魔法陣を固めているのに1メートルも開いている魔法陣同士の距離が頼りなく感じてしまう。
 まだ力の弱い霊視の眼を開き、更に精霊眼鏡を掛けて補強する。フェニックスを眼で捉えなければ、従える事など不可能だからだ。呪文を呟き始める。口の中がカラカラに渇くのを感じながら召喚の呪文を唱え、フェニックスの名を口にする。
 アレイスター・クロウリーの降霊術式とは違い“黄金夜明け”が確立したヘルメス的カバラの階層宇宙論に基づいた召喚魔術と言うよりも、喚起魔術と言う方が正しい。自身を大宇宙とし、呼び出す妖霊を小宇宙として見下す。
 アネットの胸にはユダヤ・キリスト教の威光を受けやすくする為に十字架を見につけ、召喚陣の周囲には香が焚かれている。現代ではあまり必要とされていないが、万全を期する為に、アネットは敢えて高級な香を用意していた。
 異変は唐突に始まった。部屋の空気が凍りつく。否、部屋全体が燃えている。否、部屋の水分が全て消え去る。否、部屋がジメジメと湿気を強める。否、部屋が歪む。アネットは一瞬で変り続ける部屋の変化に精神的苦痛を受けながら懸命に前を向き続けた。
 不意に、部屋全体が燃え盛り、次の瞬間には知らない場所にアネットは建っていた。この世の地獄の様な場所だった。燃え盛る業火が家々を燃やし、苦しむ人、助けを求める人の苦痛が響き渡る。すぐ真横には助けを求めて手を伸ばすあどけなさを残す子供が居る。アネットはその手を掴まない。何故なら、それは妖霊のフェネクス(フェニックスの妖霊での正式名称)の見せる幻覚だと理解しているから。それでも、良心が疼く。包丁で刺され、杭を打ち込まれ、眼球を摘出され、舌を引き抜かれ、神経を撫でられ、内臓を抉り出され、処女を破られ、耳を貫かれ、燃やされ、溺れさせられ、電撃を浴びせられる。
 この世の物とは思えない恐ろしい悲鳴が耳に届く。それが自分のモノだと理解するのに時間が掛かった。気が狂いそうになる程の苦しみを与えられ、それでもアネットは正気を保ち、眼を開き続けた。
 数時間、数日にも感じる数秒間が終わり、元の部屋に戻った。香の煙が立ち上り、煙の帯は魔法陣の上を漂い、噴火した火山の如く、天井に向かって昇っていく。その動きが止まった瞬間、アネットの呼吸は停止した。炎の目がアネットを見据えている。

 怖い怖い怖い怖い助けて殺される殺される焼き殺される串刺しにされる切られる溶かされる蝕まれるやめてやめてやめてやめて殺さないで助けてお願いしますお願いします殺さないで下さい何でもしますから殺さないで下さい全てを捧げますから命を捧げますから殺さないで下さい助けて下さい命だけは助けて助けて助けて殺さないで怖い怖い怖い怖い怖い殺される犯される内蔵を摘出される骨を砕かれる背骨を抜かれる生きたまま埋められるやだやだやだやだ何でも差し上げます殺さないで殺して早く殺してこんなの嫌だこんなの間違ってる嫌いやイヤ助けて下さい私を殺さないで殺さないで怖い怖い殺さないで声が怖い聞こえない何も無い助けて私を助けて怖い怖い怖い怖いィィィィィィィィ!!

 ハッとなった。正気を失っていた。慌てて足元を見ると、何とか魔法陣の中に踏み止まっていた事に安堵した。
 目の前には、一人の少女が建っている。浅黒い肌で、こげ茶色の背中まで伸びる長い髪を真っ赤な紐で首の後ろで結んでいる。頭には赤い羽根飾り。燈色のワンピースを見に着け、紐で足首を固定しているサンダルを履き、太い眉毛と小さなアネットと変らない身長にも関らず尊大な態度の少女。違うと感じる。深い所で。あれは違うと、自分の中の何かが警鐘を鳴らしている。
 そんなのとっくに分かっている。アレは最上の妖霊なのだ。国を護ったという伝承すらある天使にも匹敵する力を持つ魔神。人間が相手にしていい存在では無かった。
 否、そんな事は端から理解している。アネットはフェニックスを睨む様に見た。フェニックスは凄惨な笑みを浮べた。口を開いた瞬間、少女の口から発せられたとは思えないおぞましい声が響いた。まるで、黒板を引っかく様な深いな音に似た声。それは最早聞き取る事など不可能な悪音だった。
 やがて、その声が徐々に理解出来る言葉に変り始めた。そこで気がついた。音は、早過ぎる言葉だったのだ。早過ぎて、並んだ言葉が一つの音になってしまっていたのだ。漸く理解出来る様になると、今度は途轍もない美しい声に息を呑んだ。聞いた者を堕落させる甘さがあり、聞いた者を酔わせる美しさがあり、聞いた者を奮い立たせる熱さがあり、聞いた者を眠らせる優しさがあり、聞いた者の頭を冷やす冷たさがある。
 在り得ない矛盾を孕んだ声。それがフェニックスの声だった。その中でアネットが特に強く感じたのは、熱さだった。元気を取り戻すアネットに、フェニックスは目を細める。
『お前が妾を呼び出したのか、人の子よ?』
 アネットは拳を握った。
「そうよ。円の枷、ペンタクルの五つの点と鎖状のルーン文字、七十六の結界と四十四の罰、合わさり百二十の戒めにより、お前を我が使い魔とする!」
 怒鳴るように叫ぶと、フェニックスは何も返答をしなかった。しばらく待ち、段々とアネットの心に不安が溢れた。身にそぐわぬ上位の妖霊を従える時、殆どの場合は失敗して殺される。アネットの場合はそぐわない云々の前に無謀としか言いようのない試みだった。それでも、表情には出さずに毅然としてフェニックスに挑むアネットに、唐突に、フェニックスは笑い出した。
『クハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ!!』
 まるで歌声の様にすら聞こえてしまう笑い声が部屋中に響いた。何が楽しいのか判らない。いつまでも続く笑い声に、だと言うのにアネットは怖いとも不快とも思わず、むしろ心が熱く燃えるのを感じた。
『我が声を聞き心を燃やす者は数世紀ぶりだろうか。お前が我と汝らヒトが生み出した“言葉”を交わす事を許そう。汝、我を使い魔とすると口にしたな?』
 フェニックスの言葉に、アネットは大きく頷き口を開いた。
「その通りよ! ソロモンがレメゲトンに記せし72の内の1柱。37番目の偉大なる炎の妖霊にして古代フェニキアを守護した炎の中で再生し続ける神の使いと並ぶ者よ、私に忠誠を誓いなさい!」
 アネットの高慢で傲慢な物言いに、フェニックスは大層可笑しそうに笑った。
『愚かなる種族の礼儀知らずよ。我を従えたいのならば力を示すが良い。我は炎の――』
「五月蝿い! いいから黙って従いなさい!」
『…………』
 フェニックスの言葉を遮り、アネットは命令した。
「私は示せる力なんて無い! だから、アンタに数多の拘束を着ける!」
 どこまでも身勝手な命令を下し、己の未熟を曝す恥知らずなアネットに、フェニックスは目を細めた。
『歳の頃は11か。早熟な者よ、我を呼び出すだけでも並の者ならばこうして話す前に死ぬのが常。彼の王以来、我を従える力を持った者は一人も居ない。弱き力を誇示する者に我を従える事は叶わぬ。汝、己が器を知る者よ。我を従えると言うならば我が問答に答えよ。所詮はか弱き者、我が力を振るえば炭も残らぬ弱き者よ、最初の問いは我が問答に受けるか否か』
 アネットの心に迷いが生じた。機会を得られた幸運に。フェニックス程の大物を従えられるチャンスを得られるのは、それだけでこの世の全ての魔法使いから見ても一握りに満たないに違いない。
 大罪の悪魔にも匹敵し、天の使いにも劣らぬ妖霊を使役出来るなど、チャンスを得るだけでも途轍もない成功だが、問答を間違えれば、それは自身の死を意味している。唾を飲み込む音がやけに大きく聞こえる。大きく深呼吸をして、頭を冷やす。そうして漸く気がついた。
 どうするべきなのか。
「受けるわ。その問答」
 そう答えた。相手の土俵に上がるのは愚考。そう理解した後にアネットは乗った。フェニックスは笑みを浮べると、厳かに口を開いた。
 瞬間、空間が変貌した。まるで、陽炎の様に揺らめく炎の壁に包まれる。炎に包まれている筈なのに、熱さは全く感じない。
 フェニックスの声が響き渡る。
『我、お前に問う……。一つは安全だが長い道。一つは険しいが短い道。お前はどちらの道を往く』
 アネットは唖然とした。わけが分からない。なんだこの問いは? アネットはどう答えればいいのか分からなかった。
 否、元々考えるべきものでは無い。アネットは自然に口を開いていた。
「真っ直ぐに行くわ……」
『真っ直ぐ……』
「そうよ! 道なんていらない。私は私の思うままに進むの!」
『…………』
 アネットの答えを聞いたフェニックスは少し間を置くと、再び口を開いた。
『進む為にお前は危機に立ち会う。道無き道はどの様な道よりも険しい。それでも進むか、それとも諦めるか』
 自然に、アネットは答えた。
「進めるわ。私はその道を一人では進まない。だって、つまらないし、一人じゃ無理だもの。仲間と一緒に突き進む。止められるモノなんて居ないわ」
『…………お前は巨大な敵に立ち会う。お前の手には最強の剣がある。お前は剣で敵を倒すか。それとも逃げるか』
「まだあるの?」
『答えよ』
 変な問い掛けに、アネットは不満を覚えたが、口を開いた。
「きっと、剣を持つわ」
『では、戦うのか?』
 フェニックスの問いにアネットは首を振った。
「剣を握って、どうするかはその時になって決めるわ。逃げるにしても、戦うにしても、力を使うのは私。力を得て、それで何をするかはその時に私が決めるから……。少なくとも後悔しない選択を選ぶわ」
『…………』
 フェニックスはアネットの答えを聞き、目を閉じると、口を開いた。
『――――最後の問いだ。お前は何者かに自分の大切な宝を奪われる。お前は略奪者を追い掛けるか。それとも他のもので満足して諦めるか』
「諦めないわ。諦めたら、それは本当に大切なモノなんかじゃない! でも、きっと得られるモノがある。成長出来る。大切なモノは更に輝いて、大切なモノが沢山得られる」
『面白い……』
「え?」
 アネットは目を丸くした。
『人の子よ、お前は実に面白い答えを持っている』
「じゃあ!」
 フェニックスは笑みを浮べた。瞬間、空間は元に戻り、元の屋根裏部屋に戻った。
『契約しよう。我は永遠に棲む炎の化身。汝を主とし、力となり、汝が行く道を見届けよう。我は汝の名を知っている――だが、問う、お前の名を』
 一瞬、息を呑んだ後、アネットは不適な笑みを浮べた。
「アンナ――。アンナ・ユーリエウナ・ココロウァよ。でも、真名でも偽名でも使えるからアーニャって呼んで頂戴」
 アネット――、アーニャの名乗りに、フェニックスは笑みを浮べた。
『了承した。最後の儀だ。理解っているな?』
「ええ、貴女に名前を授ける。貴女の新たな名は――」
 スゥーッと息を吸い、アーニャは言った。
「“ベアトリス”よ」
『……フフ、いい名だ。ありがたく頂戴しよう』
 フェニックスがそう呟いた瞬間、部屋の中を明るく暖かい光が包み込んだ。そして、フェニックスが確かな実体として現れた。自然な足取りで魔法陣の円の縁に歩き、そのまま外に出た。
 それは、全ての拘束を受け入れた証であり、術者に忠誠を誓った証であった。
「これからよろしくね、アーニャ」
 そう言って、先程までとは打って変わり、人懐っこそうな笑みを浮かべ、フェニックス――ベアトリスはアーニャに言った。面を喰らったアーニャはすぐに気を取り直して手を差し出した。
「うん! よろしくね、ベアトリス」
 手を握り合い、その瞬間に、アーニャとベアトリスの契約は成立した。力を貸すモノと借りるモノ。アーニャは最強レベルの妖霊との契約を見事に果たしたのだ。

 翌日、アーニャは目を覚まさなかった。極度の緊張と疲労で、死んでいるかの様に眠り、その傍らでベアトリスは笑みを浮べていた。
「今世はなかなかに楽しめそうだな」
 その呟きは、誰にも聞こえる事は無かった。

 その次の日、アーニャの屋敷に一人の男がやって来た。痛んだ金髪のツンツン頭に黒い死んだ魚の様な目をした胡散臭さ大爆発の変質者だ。カラフルな色の趣味の悪いシャツに、かっこいいつもりなのか所々わざと破いている似非ダメージジーンズ。むしろダメジーンズを履いている。オシャレのつもりなら完全に失敗している趣味の悪い色取り取りのガラスや宝石の動物の形をした飾りを幾つも銀の鎖で纏めた変なアクセサリーをつけている。
 屋敷のチャイムを鳴らし、応対に出たのはベアトリスだった。扉を開けた瞬間「変態!」と叫んで扉を閉めた。
 締め出された金髪は涙が出た。見知らぬ少女にいきなり変態扱い。泣きたくもなる。
「てか、今の誰!?」
 金髪が騒ぐと、再び扉が開いた。
「何外で騒いでんのよ? てか、やっぱ歳嘘ついてたんじゃない。この嘘つき変質金髪」
「何それ!? 意味分からない上に侮辱にしか聞こえないんですけどぉぉ!?」
「煩い! さっさと入りなさいよ愚図!」
「酷っ!?」
 友人の家を訪ねただけなのに入る前から精神ダメージで死にそうになった金髪だった。
 中に入り、アーニャが紅茶を淹れると、席に座って紅茶を飲みながらアーニャがベアトリスを紹介した。
「この娘が私の使い魔よ」
「フェニックスとは無茶苦茶というか何というか……」
「――――ッ!?」
 金髪の何気ない言葉に、お菓子を持って来たベアトリスは目を見開いた。ベアトリスは人の少女の姿をしている。力も抑えているから正体がバレる筈が無いと思っていたのに、金髪はアッサリと看破してしまったのだ。警戒心を高めるベアトリスに、金髪は両手を上げた。
「警戒しないで欲しいぜ。俺はちょっと他人より鼻が効く程度なんだぜぃ」
「鼻が効く? それだけで私の正体を暴けるとでも? お前は何者だ? この私の目をも眩ますとは……」
 ベアトリスの警戒心全開の視線に冷や汗を流しながら、金髪はコホンと咳払いをした。
「俺は安倍家から連なる陰陽師の名家土御門の長男だ。よろしくな、ベアトリス」
「――――」
 手を差し出す土御門を無視し、ベアトリスは土御門を睨み付けた。
「人の核たる頭に五行思想の中央たる金。加えて着ているのは五行相生による強化の術式。他にも多数の術式を組み込んでいる。貴様、まさかそれ程の重武装をしておきながらただ遊びに来たなどとは言わぬだろうな?」
 ベアトリスの言葉に、アーニャは目を丸くした。
「あの金髪って友達作りの為じゃなくて魔術的な意味があったの!?」
 改めて土御門の新たな嘘を発見し落ち込むアーニャを尻目に、土御門は必死にベアトリスを説得した。結局、その日のお昼になるまで説得は続き、漸く落ち着いたのはお昼を食べた後だった。
「でさ、結局何処に行くのよ?」
「古い友人に会いに行くんだぜ」
「だ・か・ら、それじゃわかんないって言ってるの、分かんないわけ?」
 アーニャに襟を掴まれながらグエッという声を出す土御門にベアトリスは未だ胡散臭そうな視線を向けている。ベアトリスの目から見て、この男は油断してはならないと思わせる。腹に何を飼っているか分かったものではない。それに、金髪の持っているモノが気に掛かった。
 ポケットに仕舞っているナニカから自分と似た波動を感じるのだ。それも、禍々しくも神々しいという矛盾した波動を。アーニャと土御門は夕方近くまで話をして土御門が帰ろうとすると、アーニャが別れの餞別に占いをする事になった。
「ベアトリスの力で霊視能力が上がってる筈だから、割と的中率が上がる筈よ」
 アーニャの言葉に従って占って貰うと、
「アンタが悪そうに高笑いして銀髪の子供と一緒に東洋の家屋を観光してるのが見えるんだけど……アンタって男色だったの?」
「違うニャアアアアアアアアアア!!」
 涙を流しながら否定すると、そのまま泣きながら土御門は去って行った。
「…………意地悪し過ぎたかな」
 去って行った土御門に罪悪感を感じながら、アーニャは溜息を吐いた。



[8211] 魔法生徒ネギま! [第三章・悪魔襲来編] 第十五話『西からやって来た少年』
Name: 我武者羅◆cb6314d6 ID:2d108988
Date: 2010/06/09 21:50
魔法生徒ネギま! 第十五話『西からやって来た少年』


 アーニャがベアトリスと修行を開始する頃、ネギ達は始業式に出席していた。始業式が終わると、ネギは学園長に呼び出された。その肩には、帰って来て“オコジョ煎餅”という謎のお土産を持って来たカモが乗っている。学園長室の扉をノックすると、中から老人の声が響いた。
「失礼します」
 中に入ると、そこには目を見張る存在が座っていた。頭が常人よりかなり長く、ネギは驚いて一瞬目を見開くと、傍に居たタカミチが咳払いをしてネギは正気に戻った。
「まずは、はじめましてじゃネギ・スプリングフィールド君。儂がこの麻帆良学園の学園長、近衛近右衛門じゃ」
「は、はい! えっと、ご挨拶が遅れて申し訳ありませんでした。ネギ・スプリングフィールドです」
 ネギは緊張して舌が痺れている様な感覚を覚えた。近右衛門の労いの言葉が耳に届く度に変な声にならない様に気をつけねばならなかった。
「さて、色々と大変じゃろうが本題に入ろうかの」
 近右衛門の言葉にネギは背筋を正した。近右衛門は緊張しているネギに微笑みかける。
「そう緊張せんでよい」
 そうは言われても困るとネギは思った。目の前に居るのは、全盛期のエヴァンジェリンとすら比肩する魔法使いであり、否が応にも緊張を強いられてしまう。
「――ふむ。さて、君がこの学園に派遣された理由は分かっておるな?」
「ハ、ハイ!」
 近右衛門はネギの返事に近右衛門は満足気に笑みを浮べた。
「一応確認するぞ?」
 そう言いながら、近右衛門は学園長室の立派な木製のデスクの引き出しから一枚の紙を取り出した。紙に目を通しながら、近右衛門は口を開いた。
「『日本の女子校に潜入し、悪い組織に狙われている少女(複数)を影から護る事』。これで相違無いな?」
「はい」
「よろしい。では、詳細に移ろうか。もう理解しているじゃろうが、この学園は少し特殊じゃ」
 ネギは理解していた。そもそも、知っていれば魔法使いが教職に就き、真祖の吸血鬼が棲むこの学園が普通の学校などとは誰も思わないだろう。
「よろしい。まず、君がどうして麻帆良学園本校女子中等学校の二年A組に配属されたか。君の任務にある護るべき対象がA組に集まっておるからじゃ」
 それも理解っていた。明日菜と木乃香、エヴァンジェリン、茶々丸、刹那、既に魔法使いだとバレた面々は皆一様に狙われる理由が存在した。明日菜は異能を打ち消す異能を持ち、木乃香は極東最強の魔力を保有し、エヴァンジェリンは真祖であり、茶々丸は真祖の従者、刹那も半妖だ。アキラだけは特に狙われそうな要因は無いが、少なくとも六人中五人が異端の中でも更に異端なのだ。これをおかしいと思わない程、ネギも子供ではない。
「理解っているようじゃな―――結構。さて、君が護るべき対象は神楽坂明日菜君、近衛木乃香君、そしてエヴァンジェリン・A・K・マクダウェル君じゃ。既に君達が接触し情報を共有しておるのは知っておる」
 どこまで? そう聞きそうになった。カモは無言で何を考えているのか判らないが、気になる事があった。
「学園長先生、少し聞いてもいいですか?」
 ネギが恐る恐る声を発すると、近右衛門は目を細めた。
「なんじゃね?」
 小さく深呼吸をする。
「学園長先生、情報を共有していると仰いましたが、もしかして……貴方は前に木乃香さんが天ヶ崎千草という女性が木乃香さんを攫おうとした事を知っているんですか?」
 ネギは睨む様に近右衛門を見ていた。もし、自分が考えている通りだとしたらそれはどういう事なのかを問い詰めるつもりだった。
「知っておった」
「へ?」
 あまりにもアッサリと返され、ネギは一瞬ポカンと口を開けて放心してしまった。壁際に立つタカミチを見ると、険しい顔をしている。カモは表情が読み取れない。
「当然じゃが、この麻帆良学園には特別な防護策が打たれておる。例えば、学園結界がその最たるモノじゃ」
「学園結界?」
 聞いた事のない言葉に首を傾げると、タカミチが口を開いた。
「君は生徒達が世界樹と呼んでいる樹を知っているかい?」
 知っている。初日に和美が案内してくれた最後の場所、それが世界樹だ。
「真名は“神木・蟠桃”。麻帆良学園は龍脈の上に建造されている。龍脈に流れる魔力を溜め込んでいる魔法の樹。それが世界樹の正体だ。学園結界とは――この世界樹が龍脈から汲み上げた魔力によって編まれた学園全体を覆う結界術式の事なんだよ」
「納得だな。前から妙だとは思ってたんだ――」
「カモ君?」
 突然喋り始めたカモにネギは驚いた。
「最初に違和感があったのはエヴァンジェリンだったッスが、天ヶ崎千草の時に思い当たったんスよ。天ヶ崎千草の実力に出力や防御力が噛み合っていないって――」
「どういう事?」
「姉貴、天ヶ崎千草の実力は間違いなく上位のレベルだ。あれだけ多彩な術式を使いこなす術師が作り出した術式が、幾ら膨大な力を持つからって木乃香の姉さんの魔力放出だけで破壊される筈が無いんスよ」
 ネギは思い出した。あの時の戦い、勝てた最大の要因は木乃香が自分の魔力を放出して天ヶ崎千草の魔法を使った拘束を打ち破ったからだ。よく考えてみればおかしい話だ。魔法のマの字すら知らない素人が、初めて感じた魔力を使って方向性を示せる筈が無い。むしろ、下手をすれば天ヶ崎千草の術式を強化するだけの結果に陥る可能性すらあったのだ。
「そんで、エヴァンジェリンに感じた違和感が強まった」
「どういう事?」
「どうして“登校地獄”っつう学校に登校しないといけない呪いが魔力を封じる事が出来るかって事でさ」
「――――ッ!」
 言われてみればその通りだった。“登校”地獄なのだ。魔力があっても別に登校は出来る。なら何故? そう考えて話の繋がりが見えた。
「世界樹?」
 ネギが恐る恐る言うと、カモは頷いた。どうやら正解のようで、学園長とタカミチも頷いている。
「正解じゃよ。とはいえ、術式を作り出したのはナギじゃ。彼奴め、魔法など手で数えられる程しか覚えていないというのに、全く新しい魔法を数日で完成させおったんじゃよ。世界樹の魔力や学園結界と組み合わせてのう」
 どこか愉快そうに近右衛門は嗤った。
「解除は出来ないんですか?」
 ネギが躊躇いがちに言うと、近右衛門は目を細め、タカミチは険しい表情を浮べた。
「出来るか出来ないか……そう聞くならば前者じゃ」
「え?」
 予想外の回答にネギは目を丸くした。
「確かに、エヴァンジェリンの呪いは解除出来る。じゃが、それは事実上可能というだけじゃ。可能か不可能でならば不可能と答える他ない」
 近右衛門の言葉の意味がよく分からなかった。すると、カモが口を開いた。
「姉貴、少し考えれば解除法は三つありやす」
 カモの言葉に、近右衛門やタカミチが目を丸くした。少しだけネギは得意になった。カモの優秀さを見せ付けられるのが嬉しかったのだ。だが、今はそれよりもカモの話を聞かなければいけない。
「まず、一つ目はナギ・スプリングフィールドによる解除。術者なら当然解除法を知ってる筈なんス。でも、ナギ・スプリングフィールドは現在行方不明。だからこの案は最終的にナギを見つけ出す事が出来るか否かであり、現状ではまず無理ッス」
 カモの言葉に、ネギはシュンとなった。父親の事を話すと、ネギはしばしばこうなってしまう。だが、それが分かっていてもカモは口にした。実はこれは一種のカードだった。今の発言で、一瞬だがタカミチが反応したのを確認した。逆に、近右衛門は眉一つ動かさなかった。だが、それで満足だった。
「二つ目、術式を解析する事。つまりは天才魔法使いであるナギ・スプリングフィールド考案の術式を逆算して解除術式を構築する。とはいえ、こんな事は最強の魔法使いであるエヴァンジェリンがやろうとしない筈が無い。エヴァンジェリンレベルの魔法使いで解析が出来ないなら、これも無理って事でさ」
「そっか……。最後は?」
 落胆するネギに苦笑しながらカモは言った。
「最後の手段は、学園結界の解除ッス。まあ、無理な理由は言わなくても分かりやすね?」
 それは簡単に理解出来る。天ヶ崎千草という敵が来た。つまり、敵が来る場所なのだ。それを護るのが学園結界。なら、それを解除など出来る筈も無い。
「そういえば、エヴァンジェリンさんは私の血を吸って解除しようとしてたけど……」
 思い出すように言うと、カモは首を振った。
「確かに、普通、他人の魔力は特別な事が無い限りは自分の魔力と上手く混ざらないんスけど、吸血鬼ならまぁ、術師の血を身に取り込めば、術師の魔力を血から抽出し、術師の魔法に対してワクチンを作る事が出来やす」
 カモはどこからか煙草を取り出して一本口に咥えて火をつけた。煙を吐き出しながら言った。
「だけど、恐らくはエヴァンジェリンの野郎も分かってる筈ッスよ。魔法に対するワクチンを作るのは並じゃありやせん。少なくとも、実際は10歳の姉貴の血じゃ、死ぬまで吸い尽くしたとしてもワクチンを生成する事は不可能だ。量が足りない」
 ネギは肩を落とした。カモは内心でネギに謝罪していた。本当はもう一つ、解除する方法がある事を教えない事を。
「まあ、もう一つ解除出来ない理由があるんだろうけどな」
「解除出来ない理由……?」
 カモは近右衛門を見た。近右衛門は頷き口を開いた。
「エヴァンジェリンは過去に賞金を懸けられておった」
 知っている。それがどうして解除できない理由になるのだろうか……。
「つまりのう、エヴァンジェリンが今は無力な少女じゃから、賞金を取り下げられておるんじゃ」
 ネギはそれだけで理解した。何とも不愉快な話だが、600万ドルもの賞金が取り下げられるにはそれだけの理由があるのだろう。ネギは近右衛門の言葉を待った。
「魔法協会も教会も、どちらもがエヴァンジェリンを疎んでおる。少しの切欠で今の状況が壊れるか分からぬ。少なくとも、ナギの居ない現状でエヴァンジェリンを開放すれば、間違い無く両者が爆発し、エヴァンジェリン討伐に力を注ぐじろう。教会と魔法協会、両方が一斉に襲い掛かり、加えて賞金稼ぎや個人的な復讐者までもが参戦する最中に儂達魔法使いは協会の定めで助太刀も出来ぬ。さすがに、一人でその様な渦中に放り込むなど出来ぬよ……」
 真に思うなら、協会の決め事など無視してエヴァンジェリンを助ければいい。そう思っても、ネギは口にしなかった。出来る筈も無い。それが、枠におさまる魔法使いという種族なのだから。枠(ルール)が無ければ、世界は混乱する。護らないといけないモノがある。吸血鬼一体と、世界など、秤にも乗せる事が出来ないのは理解している。それでも、気分が重くなった。
「ともかく、指令を遂行するのは結局はお主自身じゃ。じゃから、お主の思うままに進むが良い」
 幾らなんでもいい加減じゃないか、ネギはそんな風に視線を送っていると、近右衛門はふむと視線を泳がせた。
「不服そうじゃな。まあ、当然じゃろうて」
 小さく息を吐く近右衛門にネギは慌ててしまった。
「あっ! いえ、そんなんじゃ……」
 頭を下げるネギに近右衛門は目を細めた。
「よいよい。それくらいの気構えがある方がいいんじゃよ」
 さて、と言って近右衛門は居住まいを正した。
「本日、2003年4月8日午後3時54分をもって正式に、ネギ・スプリングフィールド君の修行を開始とする」
「は、はい!」
 近右衛門の引き締まった表情と声に、ネギは再び緊張を取り戻し、背筋を伸ばして言った。

 未だ空が茜色に染まり始めたばかりの頃、麻帆良学園の外と内の境界で一人の少年が走っていた。
「ったく、なんなんやこの学校は!?」
 黒い瞳に黒い眼、黒い学ランに黒いズボンという全身真っ黒の少年は、シャツだけが白かった。一際目を引くのは少年の頭部にある二つの少し大きめの犬の耳。黒い毛皮の耳が少年を只のヒトでは無いと証明している。少年の背後からは殺気を撒き散らし怒声を上げる麻帆良学園の魔法使い達が少年を追っていた。さっきから背後で色とりどりの魔法の光が爆発しているのを感じる。追っ手は二人。一人はかなりの実力者であり、もう一人の実力も並ではない。
「クソッ!」
 何度も撒こうとしているのだが、追っ手の二人は見事な連携で少年は撒く事が出来なかった。怖気が走った。少年は走る事に専念すべきこの場面であるにも関らず、チラリと背後に視線を送ってしまった。
 絶句する。有能な方、金髪の少女の手には物騒極まりない大剣が顕現している。その大きさは10歳前後の少女の身長の約三倍。向こうが透けて見える巨大な大剣は少年に不吉さを感じさせた。
「ちょっ!? エヴァンジェリンさん、それはやり過ぎではぁ!?」
「ハッ! 安心しろ瀬流彦。両手両足をもぐだけだ!」
「安心出来ませんよ!」
 瀬流彦は顔を引き攣らせながら叫ぶがエヴァンジェリンは鼻で笑い飛ばすと、その両手を掲げた先に顕現している“断罪の剣(エクスキューショナーソード)”を振り上げた。後ろで不吉すぎる言葉を発する自分よりも年下にしか見えない少女に少年は頭を抱えたくなった。
 里が滅ぼされてから世話してくれていた女性がこの学園で行方不明になったと聞き、その原因らしい、彼女が狙っていたという英雄の息子に会いに来たというのに、全く関係無い魔法使いに襲われ、下手を打てば殺されかねない状況だ。
 そもそも、自分より年下なのにあの実力は不釣合い過ぎる。超がつくほどの大天才が超のつくほどの英才教育を受けて超がつくほど努力しまくってもあそこまであの歳で強くなれるとは到底思えなかった。振り下ろされた断罪の剣は木々や地面の土、草、石を粉砕する。
「んな物騒なもん振り回すなや!」
 少年が思わず叫ぶ。
「当ったら死ぬで!?」
 横ギリギリの場所を断罪の剣が通過し、その地面が抉られるのを見ながら絶叫すると、エヴァンジェリンは悦の入った笑みを浮べた。
「ああ、悪く無いぞ化生。その顔、その声! だが、興もこの辺にしておこう。潔く倒れろ、侵入者!」
「誰が化生や!!」
 叫び返すが、少年はどうすればいいか迷った。
「こうなったら……一か八かやな!」
 少年の瞳が光る。断罪の剣を振り落とそうとするエヴァンジェリンに向けて、右手に気を篭めて放った。
「犬上流・狗音噛鹿尖!」
「そんなもの毛ほども感じんぞ!」
 そのまま一瞬すらも停止せずに振り落とされる断罪の剣。少年は舌打ちしながら笑みを浮かべ、大きく横に転がった。すぐに立ち上がりながら、気を篭めた拳をエヴァンジェリンと瀬流彦の方向の地面に向けて放った。土煙が上がり、エヴァンジェリンは忌々しげに魔法で土煙を吹き飛ばした。その先に駆けている少年の姿がある。
「おい、瀬流彦! 貴様、整備中の茶々丸の代わりに私と組んでいるのだからもう少し役に立て!」
「すみません!」
 エヴァンジェリンの怒鳴り声に恐縮しながら、瀬流彦は視界に捉えた少年に杖を向けた。風の魔力を集中する。
「サギタ・マギカ、戒めの風矢!」
 瀬流彦の杖から噴出した風の魔力を纏った矢が少年に激突した。
「やった!」
 思わず歓喜すると、エヴァンジェリンはその姿に若干呆れながら捕らえられた少年の下に行き、瞬間――。
「痛っ!?」
 瀬流彦を叩いた。
「な、何するんですかエヴァンジェリンさん!?」
 いきなり叩かれて理不尽を感じた瀬流彦は思わず抗議の声を上げるが、エヴァンジェリンが拳で木を殴り、そのまま成人男性よりも太いくらいの木を薙ぎ倒したのを見て黙った。
「あの小僧、やってくれる」
「え?」
 瀬流彦はエヴァンジェリンの言葉の意味が分からずに少年を見た。
「あっ!」
 瞬間、少年の姿が煙になり、その場に一枚の人型の紙が舞い落ちた。
「東洋魔術か……」
 舌打ちし、忌々しげに呟くと、脳裏に声が響いた。硬直したエヴァンジェリンに首を傾げつつ瀬流彦は少年を追いかけようとすると、エヴァンジェリンが呼び止めた。
「何ですかエヴァンジェリンさん! 早く追いかけないと!」
「必要ない」
「え?」
「タカミチが向かった」
 遠くの場所で巨大な爆音が鳴り響いた。エヴァンジェリンに念話を送ったのはタカミチだった。タカミチの念話の内容は、少年を捕捉したという事だった。
「なら応援に!」
「いらん! それより飲みに行くぞ! あんな小僧にコケにされるとは、ああムシャクシャする! 奢れ瀬流彦!!」
「ええ!? 僕そんなにお金無いですよ!?」
「知らん!」
「酷い!?」
 そのまま、エヴァンジェリンと瀬流彦は戦線を離脱した。自分達の仕事は終了だと判断したエヴァンジェリンに連れられていく瀬流彦は自分の財布を見ながら震えていた。

 エヴァンジェリンと瀬流彦が居た場所から数百メートル離れた場所に巨大なクレーターが幾つも出来上がっていた。クレーター郡の中で、少年は学ランがボロボロに破れ、所々から血を流している状態で立っていた。右腕を左手で押えている。
 タカミチは本心から驚嘆していた。“居合い拳”――魔法の詠唱が行えないタカミチが師匠から伝授されて極めたとまで自負する奥技。捕獲しようと加減した事は認めるが、間違いなく動けなくするつもりで放った。少年が立ち上がるとは思わなかったタカミチは思わず笑みを浮かべた。無駄な戦闘を避ける為に死角から不意打ちした。躱したとは思えない。
「なかなかの防御力だ」
 タカミチの心からの称賛を受け、少年は唇の端を吊り上げた。
「効いたで……」
 爛々と瞳に戦意の炎を灯らせながらタカミチを睨む少年を見ながら、タカミチは冷静に少年を分析していた。
「君の名前は?」
「犬上や……、犬上小太郎。アンタは?」
 答えた。タカミチは眼を細めた。
「僕は高畑.T.タカミチ。質問してもいいかい?」
「質問?」
「どうしてここに侵入したのか、その目的を知りたいな」
 普通なら答えが返って来る筈の無い質問。タカミチは敢えて質問した。
「ワイの目的、知りたいんか?」
 タカミチは内心で冷笑しながらも表面は穏やかな笑みを浮かべた。
「ああ、君の目的を教えてくれないかい?」
「ええで。ただし……」
 その瞬間、犬上はニヤリと笑みを浮かべた。タカミチはすぐさま両手をズボンのポケットに入れた。タカミチは確信した。
「戦闘に悦びを覚えるタイプか、一途で、愚かな性質。やはり子供だな」
 犬上が右手に気を集中しているのを理解し、タカミチは威力を抑えた居合い拳を放った。その一撃で体勢を崩し、一気に決めるつもりだった。
 タカミチは眼を見開いた。
「馬鹿な……」
 タカミチの居合い拳は不可視の攻撃だ。一直線な攻撃とはいえ、未だ直接目の前で居合い拳を放った事は無い。加えて犬上は既にボロボロの筈であり、その証拠に服はズタズタだ。血も流している。速度も威力を抑えたとはいえ、この距離なら一ミリ秒以下の速度で犬上に命中する筈だった。
 犬上は居合い拳が放たれた瞬間に身を捻っていた。それだけで、居合い拳を躱した。まるで、見切っているかのように。そのまま、犬上は右手に集中していた気を地面に叩きつけた。
「なに!?」
 一瞬、予想外の犬上の行動に戸惑ったタカミチは、逃走した犬上を見失ってしまった。読み間違えていた。相手が少年だからと侮った。少年が熱くなっていると踏んだ。戦闘狂の気があると思い込んだ。少年の言動や在り方。つまりは“第一印象”で犬上の像を自分の中で縛り過ぎてしまった。犬上は熱くなっていないし、冷静に戦況を見つめる事が出来る戦闘者だったのだ。
「まだまだ未熟だな……僕は」
 自省しながら、タカミチは犬上の走り去った方へ駈け出した。

 タカミチが去った後、数十メートル離れた(タカミチが駈け出した方向とは反対の)場所で、木が動いた。
「巧く……いったみたいやな」
 犬上は安堵の息を吐くと、木から飛び降りた。
「ともかく、もうすぐ夜になってまうな……」
 茜色に染まり始めた空を見上げながら、犬上は呟いた。人ごみに紛れて侵入しようと思っていたのだが、生徒や学園内の“住人”でない者は神木・蟠桃によって力を封じられてしまうという情報を得ている。つまり、少なくとも神木・蟠桃は犬上を学園にとっての異端であると判別出来てしまうという事に他ならない。
 麻帆良への入口には例外なく魔法使いが配備されている。仕方なく、一番警戒が薄いと思われた場所から入り込んだが予想外に強い魔法使いの少女が居て、その上に見た瞬間に否応無く負けると確信させる実力を持つ男が居た。
「さすがは、麻帆良学園ってとこかいな……」
 自分は運が良かった。犬上はそう感じていた。最初の死角からの怒涛の攻撃が来た瞬間に、犬上は攻撃が来ている方向を確認した。それ自体は簡単だった。攻撃の着弾地点の抉れ方を見れば一目瞭然だ。敵の方向がわかった瞬間に、攻撃を受けてヘロヘロになりながら敵の方向からは見えないだろう木の陰で式紙を用いて自分の写し身を作り出して入れ替わった。そのまま、木の上に登ると木の上から式紙を操作してタカミチを騙したのだ。
 運が良かったのは、タカミチが一人だった事。犬上が式紙を使う事をタカミチが知らなかった事。タカミチが子供だと侮った事。タカミチがポケットに手を入れた瞬間に、咄嗟に式紙に回避行動を取らせるという判断を下せた事。そのどれもが幸運だった。式紙は逃がす途中で元の紙に戻した。犬上は隠密の修行も受けた事があり、気配を隠す技能は高い。それでも、ここでモタモタしていればタカミチが戻ってきたり、他の魔法使いに発見される可能性もある。犬上はボロボロの体を引き摺りながら人の臭いのする方へ歩き出した。森の中よりも、学園都市内に入ってしまった方がいいと判断したからだ。
 元々、学園都市に潜入する為に学園都市内の学生服を着ていたのだが、ボロボロになってしまっているのが頂けなかった。舌打ちするが、それだけで全身に激痛が走り、苦悶の声が漏れるが、必死に我慢して犬上は歩き出した。ゆっくりと……。

 ネギは学園長室からタカミチと一緒に出ると、タカミチが突然急用が出来たと言って駆け出してしまったから一人で寮に向かって歩いていた。カモは未だ学園長室で用があると残ってしまった。
 途中でパフェ・バーがあり、思わず衝動買いをしてしまった。明日菜と木乃香、刹那の分も買い、早く帰って一緒に食べようとウキウキしながら歩いていると、突然、道の脇にある森の中から一人の少年が現れた。
「――――ッ!?」
 驚いたネギは目を見張った。少年は全身から血を流し、瀕死の重傷だったのだ。
「だ、大丈夫!?」
 思わず駆け寄ると、少年の姿にネギは絶句した。頭部の犬耳は間違いなく本物で、少年の発する気配は間違いなく人の物とは異質だった。
「妖怪……?」
「グゥッ」
 一瞬呆けてしまったネギは、少年の苦悶の声に我に返った。
「き、君大丈夫!? どうしたの、その怪我!」
 ネギの声に、少年は苦悶の表情を浮べたまま、薄っすらと開いた瞳で睨む様にネギを見た。
「別に……」
 それだけ言うと、少年はフラフラと歩き出した。
「ちょ、ちょっと!」
 慌てて追いかけるが、少年はネギを無視した。
「待ってよ! すぐに救急車を……」
 ポケットから、さっき任務の為に必要になるだろうと近右衛門に渡されたシンプルなデザインのピンクの折り畳み式携帯電話を取り出すネギに、少年は目を見開き、ネギの持っている携帯電話を殴った。
「ニャ!? なにするの!」
 粉々に粉砕した携帯電話に呆然としながらネギが抗議すると、少年は苦しげに息をしながら頭を下げた。
「すまん……。せやけど、救急車……呼ばんといてや」
 ゴフッと少年は血の塊を吐き出した。ネギは目を見開き、少年を見た。
「で、でも!」
 今にも死にそうな少年の姿に、ネギは心配気に声を掛けるが、少年は首を振った。
「携帯、壊してすまん……。てか、見ての通りや。ちょっと、俺かなりやばい事してんのや。一緒に居るとお前まで巻き込まれる……。だからほっといてや」
 ネギは戸惑いながら、去ろうとする少年を見つめた。自分と同い年くらいか少し年上。ネギは少年が魔法関係者なのだろうと悟っていた。キュッと唇を一文字に閉めると、ネギは決断した。
「大気よ、水よ、白霧となれ、彼の者等に一時の安息を。『眠りの霧』」
「なにっ!?」
 ネギの詠唱に、少年は目を見開き警戒するが、直後に少年の意識は闇に落ちた。
「ごめんね――でも、放ってはおけないよ……」
 ネギはそう呟きながら、気を失った少年が倒れる前に体を支えた。
「ん、ちょっと重いな。――どこか寝かせて上げられる場所に行かないと。寮は、駄目だよね」
 一人呟きながら、夕闇から漆黒の闇に変ろうとしている空を見上げ、周りに人が居ない事を確認してからネギは少年を抱えて少し離れた場所に見える公園に向かった。公園内は人気が無かった。公園の時計で確認すると、時刻は5時を少し過ぎていた。一番星が光り、公園内の電灯が灯った。
 広大な高い木が多く並ぶ森林公園の一角にあるベンチにネギは少年を寝かせた。肩で息をしながら自分もベンチに座り込む。
「血、出てる……」
 少年の頭の先に座っているネギは、ソッと少年の体を見渡した。学生服は所々が破れていて、シャルの先の皮膚が破けているのまで見て取れた。ネギは立ち上がると、ポケットからハンカチを取り出してベンチから少し離れた場所にある水飲み場に向かった。蛇口を捻ると、もう春だというのに冷たい水が流れてきた。手が痛くなるが、気にせずにハンカチに水を含ませると、きつく絞って少年の下に戻った。額から流れている血を拭うと、傷は殆ど塞がりかかっていた。血がまだ固まりきっていないのに傷が治りかけていた。
「そう言えば、刹那さんが言ってたっけ――」
 妖怪の血が流れている者は怪我の治りが早い。
「やっぱり、妖怪なのかな?」
 顔に付いていた血をあらかた拭き終わると、ネギは少しだけ躊躇った。
「こ、この分なら体の方も治ってそうだけど――」
 体力が低下しているのに体中が血で湿っていては風邪を引くかもしれない。
「っていうか、血の流しすぎで死んじゃうっていう映画があったっけ……」
 少し前に木乃香と明日菜と一緒にポテトチップスとコーラを飲みながらテレビで鑑賞した映画を思い出してネギは顔を青褪めさせた。
「か、回復魔法は苦手なんだけどな……って、杖……」
 今、手元には杖を持っていなかった。
「今度から持ち歩こうかな?」
 カモに目立つからあまり外では持ち歩かない方がいいと言われたが、緊急時に一々杖を呼ぶのもどうかと思う。
「今、杖を呼んだら寮に木乃香さんや明日菜さんも帰ってるだろうし……」
 杖が飛び出したら、きっと二人はネギに何かが起きたと思うだろう。自分の勝手で拒否した手を取って助けてしまったのだ。他人は頼れない。そもそも、こんな大怪我をするような事態に巻き込むわけにもいかない。
「護衛対象に護衛されたら本末転倒だしね……」
 エヴァンジェリン戦では明日菜に助けられてしまった。千草戦でも力不足から木乃香を危険に曝し、刹那や明日菜まで戦わせて仕舞った挙句に千草が襲ってきた理由が自分が居るからだったのだ。これ以上迷惑を掛けるなど出来る筈も無い。確かに、彼女達には狙われる理由があるが、態々関係無い危険にまで巻き込む事など在り得ない。
「うう……。どうすればいいんだろう」
 ネギは頭を抱えた。段々と息は整ってきているが、このまままだ風の冷たい中にベンチで寝たらどうなるかは明白だった。失血死の他にも凍死の危険もある。
「うう……、ぐす……、どうすれば……」
 段々堪らなくなり、ネギは涙が溢れてきた。誰に頼る訳にもいかない。そもそも、連絡しようにも携帯電話は少年に破壊されてしまった。
 八方塞だ。ネギがベソをかいていると、突然女性の声が響いた。
「ふえ!?」
 驚いて視線を泳がせると、ネギが入って来た入口とは違う方向の少し離れた場所に一人の少女が歩いてきていた。
「千鶴……さん」
 人通りが少ないと思って少年を抱えてきた場所に、思い掛けない人物が出現し、ネギは呆然とした。千鶴は心配そうにしながらネギの下にやって来た。
「大丈夫? 何だか泣いていた様だけど」
「あ、その……」
 千鶴は買い物帰りだったのか、手には大きなビニール袋がある。腰まで伸びるカジュアルフェザーウェーブの茶髪が風に揺れている。ネギが何かを言いよどんでいると、千鶴は少年を見つけた。
「ッ!? どうしたの、この子?」
 一瞬目を見開いたが、千鶴は冷静にネギに問い掛けた。
「あえっと、あの……」
 未だに言い淀むネギに、千鶴は少し眼差しを強くした。
「いい? 何か言い淀む理由があるのかもしれないけど。この子をよく見て」
 千鶴に言われ、ネギはハッとなって少年を見た。
「息が!?」
 少年の息がかなり細くなっていた。
「分かるわね? このままだと、この子は死んでしまうわ」
 千鶴は敢えて言葉をオブラートに包まずにそのまま告げた。ネギがどうしてこの少年と居るのか、他にも聞きたい事は山ほどあるが、今は緊急事態なので全てを却下してネギの瞳をジッと見つめた。
「どうしたのか教えて。知ってる限りでいいわ。もしも、あまり人に言えない事なら誰にも言わない。約束するわ。信じて」
 少年が血だらけで、服の破れ方など見ても、普通の怪我とは思えなかった。何かある。そう確信して、ネギに告げた。千鶴の瞳に見つめられ、ネギは怯えるが視線をずらす事も逃げる事も出来なかった。
 ネカネはネギ自身があの村での惨劇以降、ネカネに迷惑を掛けない様に良い子であろうとし続けた事もあって、ネギを怒る事は殆ど無かった。だからこそ、千鶴の不思議な威圧感に逆らう気力を奪われた。
 ネギはぼそりと呟いた。
「私も……詳しくは分かりません。ただ……」
「教えて、決して誰にも言わないわ。勿論、貴女が望むなら今後絶対に蒸し返したりしない」
 本当は、こんな話をせずに怪我の治療をすべきだろう。だが、何か事情があるなら対応を変えねばならない。治療をしても、その為に少年やネギの立場が悪くなるならば、それは避けるべきだからだ。
「この子……襲われたんだと思います。誰か……ナニカからは分かりません」
「襲われた……?」
「ココは、そういう事が起こる可能性があるんです。その、この子は多分――この学園の裏の部分に関ってると思うんです」
「裏の……部分?」
 千鶴の言葉に、ネギは首を振った。
「すみません。言えるのはココまでで……」
「そう……」
 ネギの話は短かったが、情報は十分に得られた。千鶴はネギの言葉を少しも疑わなかった。別に、この学園に疑問を抱いていたりした訳ではない。ただ、ネギが自分を信じて話してくれたなら、自分も信じるべきだと思ったからだ。ありのままに話を受け入れて、千鶴はビニール袋をベンチに置いて、少年の体の下に手を入れた。
「千鶴さん!?」
「まずは治療が先決。寮は……、ちょっと拙いかもしれないわ。反対方向だけど、ここからなら寮までとあまり変らない。学校の方に行きましょう。まだ部活動をやっている生徒も居るだろうし、開いてる筈。保健室に行けば、治療が行えるわ」
「――――ッ!」
 ネギは千鶴の素早い判断に目を丸くしながらも、頷いて立ち上がった。
「ありがとうございます……千鶴さん」
「どういたしまして」
 クスッと笑うと、千鶴はネギと協力して少年を背負った。ネギが千鶴の荷物を持ち、二人は人に見つからない様にしながら学園へと戻って行った。校舎には人気は殆ど無かったが、校庭などには部活動をこなしている少女達の姿がある。
 薄暗い道を通りながら校舎の中に入ると、見回りをしている新田先生に危うく見つかりそうになったが、なんとか保健室に入ることが出来た。保健室には不思議な香りが漂っていた。
「先生は……もう帰ってるみたいね」
 千鶴は入口の扉に貼り付けられたボードの“帰宅”の場所に磁石が張られているのを見て言った。他にも、職員会議や見回りなどの項目がある。先生の居場所を示す物だ。
 ネギは初めて来た保健室にドキドキしながら、千鶴が保健室の中に入ってベッドに少年を下すのを見ていた。
「鍵を閉めて」
「あ、はい!」
 千鶴の指示を受けてネギは鍵を閉めた。
「あれ?」
「どうしたの?」
「いえ……鍵、開いてたなって……」
 先生が帰宅している筈なのに鍵が開いていたのが不思議だった。
「確か、部活動が終わるまでは鍵は開いてる筈なの。完全下校時間の7時に見回りの先生が鍵を閉めに来るから、それまでに治療しないといけないわね」
 ネギさん、と千鶴はネギに声をかけた。
「私は包帯と傷薬を探すから、あの子の服を脱がしておいて貰えるかしら?」
「わかりました!」
 テキパキと動く千鶴に気圧されながら、ネギは慌てて少年の眠るベッドに行くと、少年の血がベットリとついた学生服に手を掛けた。ふと、千鶴は傷薬を出しながら不信に思った。
 自分も血だらけの少年を前にしてそこまでうろたえる事は無かった。見慣れているから。真っ赤な鮮血も、鉄錆の様な臭いも――。
 だからといって、全く嫌悪感を感じない訳ではない。なのに、ネギは躊躇いもせずに少年の血がベットリと付着した服に手を伸ばした。自分で指示を出しておいてなんだが、異性の……それも体格的に近い者の体に触れるのは意外と勇気がいる。自分なら、あれだけ背丈に差があれば問題無く脱がす事も出来るが、ネギは少年に異性を感じていないかの様に、手に血が付くのも気にせずに服を脱がしている。
 慣れてる? 何に? 血に? 異性に? ――両方に? 千鶴は目を細めた。蒸し返さないと宣言したが、ネギの話は気になった。学園の裏。あんな幼い少年が怪我をしても、ネギは在り得ない事じゃない……ココではと言った。信じたからこそ、邪推してしまう。
「違う……、それはないわね」
「何か言いましたか?」
 包帯と傷薬を運びながらつい呟いてしまった千鶴にネギは首を傾げた。その姿に、千鶴は確信して笑みを浮べた。
「何でもないわ。さぁ、手当てしなくちゃいけないわね」
 少年の体は驚いた事に血を拭うと殆どが塞がりかけていたが、塞がった場所はどこも皮膚が薄く、元の傷がどれほど大きなモノだったのかが容易に想定できてしまった。
「酷い……」
 呟いて、ネギに視線を送ると、ネギはキュッと唇を結んでいた。千鶴は、ネギの様子を静かに観察していた。
 本当に心配そうにしている。だからこそ、千鶴は自分の考えを破却できた。
 彼女は犯された事は無い。異性の裸体に動じず、血を見ても恐れない。それでも、少年を……男性を心配出来るならば、そういう“男性”の恐怖を知らないのだろう。勿論、自分も知らないが。
 なら、どうしてこの娘は血に動じないんだろう? 異性の裸体を見ても動じないのは、精神的に幼さがあるからだろう。それは在り得ない事では無い。それでも、どうしてこれだけの血に動じずにいられる? 少年の体から流れた血はかなりのものだ。独特な匂いが保健室に充満し、気を抜けば気分が悪くなりそうだ。
 別に大人ぶっている訳では無いが、自分はどちらかと言えば大人びている方だと思う。少なくともクラスの中では。これは別に奢っている訳でも、周りを見下している訳でもない。その自分ですらこうなのだ。悪く言うつもりはないが、見かけ同様に精神的に幼いと思える少女が、どうしてこれほどに動じずに居られるのか――。
 学園の裏。千鶴は前言を撤回して聞き出したいという欲求に駆られるのを抑えるのに多大な労力を割いた。考えながらも、千鶴は丁寧に傷薬を塗って包帯を巻いていった。血流を圧迫させないように巧みに包帯を巻いていく千鶴に、ネギは感嘆の声を上げる。
「凄いですね、千鶴さん」
「練習すれば何でもない事よ? それよりも、体力を回復させないといけないわ……」
 手当てが終わっても尚、苦しげな声を上げる少年に、千鶴とネギは心配気な視線を送った。
「私は家庭科室に行って簡単なスープを作ってくるから、ネギさんはここでこの子を見ててもらえるかしら? 見回りの先生が来たら――」
 千鶴は四つのベッドのカーテンを全て閉めた。
「こうして全部のベッドのカーテンを閉めておけば、後は声を漏らさなければ大丈夫だと思うわ」
「木を隠すなら……という奴ですね」
「ええ、それじゃあその子の事、お願いね」
「はい!」
 千鶴が去った後、ネギは少年の寝顔を見つめていた。穏やかとは言えない苦しそうな表情に苦悶の声。
「そうだ……」
 ネギは立ち上がると、戸棚を開いた。中にはタオルが入っていて、保険室内にある水道から水を出して、タオルに水を含ませる。きつく絞り、少年の汗を拭った。
「やっぱり……、本物だ」
 少年の頭部にヒョッコリと出ている二つのネギの掌程もある耳にネギは唾を飲み込んだ。
「って、駄目駄目」
 触りたくなる欲求を抑え込んで、ネギは近くの花瓶に一輪の花が差してある事に気がついた。
「これ……」
 ネギは目を見開いた。花――といっても、美しいと表現するのは難しい。シダ植物に真っ赤な花がささくれの様に咲いている。
「もしかして……“クパーラの火の花”?」
 クパーラの火の花――、スラブ圏で自然の生命力の象徴とされているシダの花の事だ。年に一度のクパーラの夜。つまり、聖ヨハネ祭の夜である7月7日にのみ咲くと謳われ、悪魔に護られていると言われている。
「確か、クパーラの夜が始まる前に花の咲くシダの周りに魔法円を描いて一晩中悪魔と戦い続ける事で得られる魔法花(マジックフラワー)だっけ。少しなら使っても大丈夫かな……」
 ネギは魔法使いの居る学校だからかな? と思いながら、どうしてこんなレアな魔法花があるのかをあまり深く考えなかった。ネギは花瓶ごとクパーラの火の花を持ち上げると、ソッと少年の所に戻り、鼻元に花を近づけた。
 クパーラの火の花の香りには回復魔法と似た効果があると聞いた事があったのだ。本来は7月7日にしか咲かず、すぐに枯れてしまう筈なのだが、花瓶の中に特殊な魔法薬が入っているらしい事にネギは気がついた。
「最初に嗅いだ香りはこの花の香りだったんだ」
 ネギは保健室に入った時に嗅いだ保健室に充満していた不思議な香りを思い出した。
「血の匂いで薄れちゃったんだ……」
 血の匂いを嗅ぐと思い出すのは惨劇の夜だった。あの日以来、ネギは血に慣れてしまっていた。怪我を見れば慌てるが、血自体には嫌悪感は沸かない。むしろ、あの日の事を忘れていない事を実感させてくれるのが、逆に愛しく感じる。
 おかしいと思われるから、アーニャやネカネ、カモには絶対に言わないネギだけの秘密だった。少年の瞼が動き、ネギは花瓶をそばの机に置いた。少年の体はもう殆ど治っていた。
「ん、ここ……どこや?」
 薄っすらと目を開いた少年はそう呟いた。
「ここは麻帆良学園の保健室だよ」
「は?」
 少年は目を見開いて変な声を発した。
「って、どわあああああ!?」
 少年は上半身を起すと、ネギの姿に慌ててベッドから落ちてしまった。
「だ、大丈夫!? 怪我が治ったばかりなんだから無理しちゃ駄目だよ!」
 歳が離れていないからか、ネギは少年に自然と声を掛けられた。
「だ、誰やアンタ!?」
 少年は目を丸くしながら叫んだ。起き抜けで頭が混乱しているのか、立ち上がろうとしては力が足に入らずに転んでしまう。
「と、とにかくベッドで寝ててよ。もう直ぐ千鶴さんがスープを持ってきてくれるから」
「誰やねん!?」
「…………そうだったね、殆ど誘拐だったもんね」
 ネギは自分の行動を思い出して溜息を吐いた。
「誘拐!? 誘拐されたんかワイ!?」
「ワイ? ううん、別に誘拐したんじゃなくて……」
「じゃあ何やねん! 何でワイこんな所おんねん!?」
 ネギはだんだんイライラし始めた。
「あのねぇ! 君がいきなり森の中から血塗れで現れるから放っておく訳にもいかず……」
「血塗れ? どこが血塗れやねん?」
 少年は自分の体を眺めてから胡散臭い通信販売を見るような目でネギを見た。
「治療したからでしょ! まあ、私がしたんじゃないけど……」
 少年の視線が辛くてネギは怒鳴った。
「治療っても、そもそもアンタ誰やねん」
「私は――」
 ネギが名乗ろうとした時、保健室の扉が開いた。
「どう? さっきの子は起きたかしら?」
 入って来た千鶴の手には大きなカップがあった。
「千鶴さん」
「千鶴……えっと、アンタが治療してくれたんか?」
 少年は立ち上がって千鶴を見た。
「あらあら、もう起き上がって大丈夫なの? 大きな怪我だったみたいだから無理はしちゃ駄目よ?」
 心配そうに見つめる千鶴に少年は戸惑った。
「こ、こんくらい平気や!」
「あらあら、元気一杯ね。でも、折角作って来たからこれを飲んで。きっと、もっと元気が出るわ」
「さ、サンキュな。えっと……」
「千鶴よ。那波千鶴、よろしくね」
 ニッコリと微笑えむ千鶴に少年は照れた様な仕草をした。
「俺は犬上小太郎や。よろしくな、えっと……千鶴さん」
「ええ」
 千鶴に手渡されたカップに入ったスープに口をつけると、犬上は顔を綻ばせた。
「うまっ! めっちゃうまいわ!」
「あらあら、そんなに慌てなくても大丈夫よ?」
 穏やかな空気が流れる。
「えっと……犬上君?」
「ん? なんや……」
 ネギが話しかけると、犬上はおいしいスープを飲むのを中断させられて不機嫌そうな顔をした。
「な、なんで私の時ばっかりそんな態度悪いの!?」
 千鶴に対しての態度と違い過ぎる犬上の態度にムッとしたネギが叫ぶと、犬上は露骨に嫌そうな顔をした。
「うっさいわボケ。大体、治療してくれたんは千鶴さんやろ? お前に恩義感じる理由もない。大体、お前結局誰やねん」
「さ、さっき言おうとしたら……」
「言おうとしたら?」
 ネギは黙ってしまった。まさか、犬上の治療をしてくれて迷惑を掛けた千鶴が居る前で千鶴が入って来たせいで自己紹介出来なかったなど言えなかった。
「なんやねんお前……」
 突然黙ってしまったネギに不審気な視線を送りながらスープを飲み始めた犬上に、ネギは口をパクパクさせながら何を言えばいいのか分からなくなった。
「しっかし美味いなぁ。千鶴さんは料理上手いんやな」
「あらそう? 未だ家庭科室の鍋の中にお代わりが残っているわよ?」
「欲しい!」
「はいはい」
 余程お腹が空いていたのか、犬上は目を輝かせながら言った。苦笑いを浮べながら千鶴はカップを受け取ると、ジッと犬上の頭上でピコピコ動いている犬耳を見た。
「な、なんや?」
「ちょっと……触ってみてもいいかしら? 実はずっと気になってて……」
 頬に手を当てながら恐る恐るといった調子で言うと、犬上はなんだそんな事かと頷いた。
「ええで、助けてもろうた上に美味いスープも飲ませてもらったんや。こんな耳で良かったらいくらでも触ってええで」
「本当!? 柔らかい……」
 ウットリした様子で犬上の耳を触ると、犬上は擽ったそうにしていた。
「フフ、ありがとう。それじゃあお代わりを持って来るわね」
 そう言うと、千鶴はどこか満足そうに保健室を出て行った。ちなみに、家庭科室は保健室から二教室離れた場所にある。ネギはドキドキしながら犬上に尋ねた。
「あ、あの……」
「ん? なんや?」
「わ、私も……その……触っていいかな? 耳を……」
 ワクワクしながら言うと、犬上は、鼻で笑った。
「は? ざけんな。何で触らせなあかんねん」
 ネギは絶句してしまった。別にお礼が欲しかった訳では勿論無かった。無かったが、傷ついた犬上を公園のベンチに寝かせて顔を拭ったり、クパーラの火の花の香りを嗅がせたり、汗を拭いたりしてあげた。
 寝ていて知らなかったとはいえ、寝起きに一番最初に会ったのだから、看護していた事くらいは察してくれてもいいのではないか? 幾らなんでも扱いが酷くはないか? ネギは不満が募ったが、病み上がりという事もあり、大きく深呼吸をして気を静めた。
「い、いきなり失礼だったよね……。ご、ごめんね。あ、それより私の名前は……」
「どうでもええ」
「名前……名前は……」
 耳をほじりながら心底どうでもいいといった感じの顔をして、ほじった耳粕をフッと吹き飛ばしながら言う犬上に、ネギは震えた。
「私の名前はね……ネ――」
「だからええって言ってんやないか! しつこいでほんまに。大体、千鶴姉ちゃんには礼せなあかんけど、俺はすぐ出てかなあかんねん。どうせ、お前とは二度と会わへんのやから、名前なんか聞いたってしゃぁないって――」
 そこで、犬上は何かが切れる音を聞いた。
「ん?」
「ウ……」
「ウ?」
 犬上は段々様子がおかしい事に気がつき、恐る恐るネギに顔を向けた。
「うえええええええええん!」
「何や!?」
 いきなり泣き始めてしまったネギに、犬上はえ? え? え? と戸惑いを隠せなかった。
「な、なんで泣くんや!? え? ワイのせいなんか!?」
 犬上は自分の行動を思い返した。
「あ、ちょっと酷かったかな?」
「うえっ……ひぐ……なんで……私……だって……うぐっ……色々頑張った……のに……うぐっ……うええええん」
「な、なにも泣く事ないやん!? ちょ、ちょっと酷かったかもとは思わん事も無かったけど……。せやけどな、ワイかてその……戸惑ったりしとったから」
「色々……ひぐっ……私だって……してあげたのに……うぐっ……千鶴さんには……触らせてあげた……くせに……ひぐっ……このスケベ!」
「そっち!? え? お前、何で泣いてん? 俺が耳触らせんからなん!? てか、スケベってなんやねん!」
「最初に……私が……ひぐっ……名乗ろうとしたのに……私の名前……うぐっ……どうでもいいみたいに……うええええええん!!」
「ワイかて泣きたいわ!」
 犬上は頭を掻き毟っていると、保健室の扉が開いた。
「ちづ……ッ!?」
 千鶴かと思い振り向いた犬上は、慌ててネギの口を押えて抱き締めるように拘束した。窓を開き、花瓶を窓の外に放ると、気配を消してベッドの影に潜んだ。
 窓の外でカシャンと音が響く。放り投げた花瓶が割れた音だ。
「クッ、逃がしたか……」
 渋い男の声が聞こえ、足音が保健室から去っていく。胸の中でもがこうとするネギに犬上は舌打ちした。
 まだだ。戻って来る可能性を考慮し、そのまましばらく息を潜めた。しばらく待ち、戻って来ない事を確認すると、漸く犬上は安堵の息を吐いた。
「行ったみたいやな……」
 ネギから手を離すと、犬上は眉を顰めた。ネギは全く動こうとしなかったのだ。それどころか、拳を握り締めてプルプルと震えている。
「あ、やばい……」
 さすがに今年から中学に上がる犬上にも理解出来た。
「すまん!」
 犬上は覚悟を決めて目を瞑り謝った。殴られると、ほぼ確信を持って予測していた。男が来た事で急激に頭が冷えたのだ。幾らなんでも女の子に言い過ぎだろうという言葉の数々、挙句に口を塞いで抱き締めるように拘束してしまった。他にやりようも無かったが、男として……というよりも人として間違った行動をしてしまったと理解したのだ。
 そもそも、何であんな言い方をしてしまったんだろう……。犬上は涙が出そうだった。何だか逆上せている様な感覚だった。
 実は、クパーラの火の花は、その名を冠する様に“クパーラ(歓喜の神)”の伝承に似通った部分がある。回復の力の副作用として、使用者を高揚な気分に、つまり使った者は酒に酔ったのに似た症状が出る事があるのだが、犬上は知らない。顔を青褪めさせながら待つが、何時まで経っても衝撃は来なかった。恐る恐る薄目を開けると、犬上は声が出なかった。
「うう……」
 ネギは唇を一文字に結んでポロポロと涙を流していた。
「えっと、せや! な、名前聞いてもええかな?」
 犬上はつとめて優しく声を掛けたが、ネギは首を振るだけで動かなかった。
「と、とにかくベッド座ろうや。な?」
 なんで自分はこんな事してるんだろう。冷静になってくると凄く馬鹿みたいだった。目的も達せずにいつ追っ手が来るかも分からない状況で何やってんだろうと、犬上は倦怠感にも似た感覚を覚えた。何とかベッドに座らせると、犬上もネギの隣に座って溜息を吐いた。
「ったく、千草の姉ちゃんの行方を調べに来たってのに……」
「え?」
「ん?」
 犬上の言葉に、ネギは目を見開いて犬上を見た。犬上が怪訝な顔をしていると、再び保健室の扉が開いた。咄嗟に、視線を向けると、今度は千鶴だった。
「あらあら、すっかり仲良くなったみたいね」
 クスクスと笑いながら手にカップを持った千鶴が入って来た。
「なんでやねん!?」
 犬上は思わず怒鳴るように叫んだが、千鶴は楽しそうに笑うだけだった。
「えっと、千鶴さん遅かったみたいですけど……」
 ネギは特に気にした風も無く、千鶴に話しかけた。
「実は……」
「実は……?」
「鍋の中にその、アレが入ってて……」
 千鶴は思い出すのも嫌なのか、若干顔を青褪めさせながら言った。
「アレってなんや?」
 犬上が聞くと、千鶴は苦い表情で言った。
「ゴキブリが……」
 思わずネギと犬上は噴出してしまった。
「え? まさか、そのカップの中身……」
 ネギが顔を真っ青にしながら言うと、千鶴は慌てて訂正した。
「ち、違うのよ。その……ゴキブリが入って……溺れてたのは捨てて、新しいお鍋で新しく作ったの。お鍋を何度も何度も何度も何度も洗ってから火に掛けて滅菌してたりしたから、それで遅くなったのよ」
 余程嫌だったのか、いつも余裕たっぷりの千鶴が珍しく早口でさっさと言い終えたいかの様に喋った。
「とにかく、これには何も変な物は侵入していないわ。その……またナニカ入ったら嫌だからそれだけしか作らなかったからお代わりはないんだけど……」
「構へんよ。俺もすぐ出なあかんから」
「え? でも、その怪我じゃ……」
 千鶴の言葉に、犬上は片目を閉じて「平気や」と言って、包帯を取った。傷は一つも残っていなかった。
「俺の体は特別製やからな。んな事より、あんまり礼になるようなもんが無えんやけど……」
 頭を搔きながら申し訳なさそうに言う犬上に、千鶴はクスッと笑った。
「いいのよ。それにね、確かに貴方に包帯を巻いたのは私だけど、貴方を見つけて最初に看病をしていたのも、血を拭ったり、汗を拭って看病したのもネギさんなのよ? だから、お礼を言うならネギさんに言って頂戴」
「え?」
 犬上は目を丸くした。漸く思い出した。気を失う前に、この少女に会っている事を――そして。
「あれ? そういえばあの時」
「ほらほら、冷めてしまうわ。熱い方が美味しいから」
「あ、すまへん」
 千鶴に言われて慌ててスープを飲むと、スープはとても美味しかった。色は白っぽくてコーンポタージュかと思ったのだが、どちらか言えばジャガイモの味に近かった。元気の沸くスープを飲みながら、あの時の事を思い出そうとすると、ネギが口を開いた。
「あの……」
「ん?」
 犬上が視線をネギに向けると、ネギは真剣な表情を浮べていた。
「さっき……千草って言ってたよね? それって――天ヶ崎千草の事?」
 思わず、犬上はスープを噴出してしまった。
「何でお前が知って――ッ!? お前……」
 犬上はさっきまでとは違い、見る見る内に殺気を纏い始めた。
「そう言えば……未だ聞いてへんかったな。お前、名前何て言うんや?」
 千鶴が何度か名前を呼んでいたが、犬上はあまり気にしていなかった為に聞き逃していた。ネギは表情を堅くして言った。
「私はネギ。――――ネギ・スプリングフィールド」
「ネギ・スプリングフィールド……。そうか、お前が……そっか」
 犬上はベッドから立ち上がると、カップを千鶴に手渡した。
「すまへんけど、ちょいコイツと二人にさせてもろうてええかな?」
 様子の変った犬上に、千鶴は目を細めた。
「私が一緒では駄目?」
 千鶴は犬上の殺気にも動じずに尋ねた。
「私も一緒にお話しては駄目かしら?」
 優しい笑みを浮べながら千鶴は言った。
「それは……」
 犬上は千鶴の言い知れぬナニカに気圧される様に言葉を濁した。
「ごめんなさい千鶴さん……」
「え?」
「あ?」
 ネギが割り込んだ。
「私も、犬上君と話がしたいんです。でも、多分ソレを千鶴さんに聞かせてしまうと、千鶴さんが危ない目にあってしまうかもしれないんです。だから……」
 ネギは、正直に言った。言葉を言い換えても良かったのだが、千鶴に対しては本当の事を言わなければいけないと思ったのだ。そうでなければ、引いてくれないと思ったのだ。
「――分かったわ。でもね」
 小さく溜息を吐くと、千鶴はネギと犬上の頭に手を置いた。ネギと犬上は目を丸くした。千鶴は優しい笑みを浮べていた。
「話が終わったら、また私に会いに来て」
 そう言うと、千鶴は後ろを向いた。直後に、風が吹き抜けた様な音がして、振り返ると、そこに二人の姿は無かった。同い年の友人や、中学生の制服を着ていた。恐らくはそんなに歳は変らないだろう少年にどうしてあんな事をしたんだろう? 時々、可愛いルームメイトの反応が面白くてする事はあっても、無意識にあんな真似はしないのに。
 その理由は分かっていた。あの公園で泣いていたのに直ぐに自分を頼ってくれなかったネギ。ほんの少しの優しさを喜んでいた犬上。気がついた。
「二人共、甘えられる人が居ないのかしら……」
 エヴァンジェリンや鳴滝姉妹とは違う。本当に自分よりも年下なんじゃないかと思える少女。幼い容姿の少女がクラスに数人居る為にあまり気にしたりしないが、それでも時々感じるのだ。勘と言ってもいいかもしれない。
 ネギ・スプリングフィールドという少女に、時々違和感を感じてしまうのだ。だからなのかもしれない。兄弟も姉妹も居ないのに、子供だって居る筈も無いのに、思ってしまったのだ。
 甘えて欲しい――と。自分でなくとも、誰かに。

 犬上とネギは学校の屋上に立っていた。犬上は厳しい目付きでネギを睨んでいる。
「お前が英雄の息子……。いや、娘かいな?」
 ネギは頷いた。犬上の視線を受けながら、眼を逸らさずに口を開いた。
「どうして、天ヶ崎千草を知ってるの?」
「千草さんはワイの故郷の里が裏切りもんのせいで滅ぼされて、その後ずっと俺に戦術を教えてくれとった先生や!」
「――――ッ!?」
「しゃぁけど、やっぱり千草さんはお前に会いに来たんやな……。千草さんはどこや!」
「知らない……」
「何やと?」
 犬上の声が苛立ちの篭った不機嫌なモノになる。
「知らない!」
「嘘つくなや!」
「嘘じゃないよ! いきなり木乃香さんを襲って、戦争を仕掛けるって言って私が死ぬか、木乃香さんを道連れにして自殺するかなんて言い出して……。それでも頑張って倒したら、気がついたら居なくなってたの!」
「嘘や! 千草さんは並みの術師やない。お前みたいなチビに負ける筈が無いんや! どうせ卑怯な真似しやがったんやろ! 西洋魔法使いは卑怯者の集まりやからな!!」
「なッ!?」
 ネギはあまりの暴言に絶句した。人数的には卑怯だったのかもしれない。だが、先に卑怯な真似をしたのは千草であり、自分達は必死の思いで戦ったのだ。それを侮辱され、挙句に西洋魔法使いを卑怯者呼ばわりされて、ネギは怒りを覚えた。
「いきなり不意打ちで木乃香さんを捕まえて、その上木乃香さんを人質にしたのは天ヶ崎千草の方じゃない!」
「と、とにかく! 千草さんはどこや!?」
「知らないっていってるじゃない!!」
「ほ、ほんまに知らねえんか?」
「う、うん。だって、戦いが終わったらカモ君が逃がしちゃってて……」
「カモ……君?」
「私の……友達。人を殺すのは早いって。逃がしても逃げられないだろうからって……。でも、その後の事は知らないの……」
 ネギが言うと、犬上は膝をついた。盛大な溜息を吐き、地面に手をついた。
「えっと、犬上君……?」
「すまん」
「え?」
「ほんまは……分かってるんや。コッチが悪いってな。でも、俺を育ててくれた人やったから、どうしても無事を確かめたかったんや……。行方不明になってもうて、最後に目撃されたんがココで、標的であるネギ・スプリングフィールドに会えれば、なんや分かるかと思って……。でも、なんや血が上ってもうて」
 途中からは独り言になっていた。ゆっくりと立ち上がり、鼻を鳴らして服の袖で眼を拭った。
「えっと、ネギ……だったよな?」
「う、うん」
「すまんかったな。なんや酷い事ばっか言ってもうて……。なんや、気が昂ぶってまった言うか……」
「気が昂ぶる……? あっ!」
「ん? どないしたん?」
 口元を押えて叫ぶネギに犬上は首を傾げた。
「えっと……」
 ネギは前に読んだ魔法薬の本を思い出していた。クパーラの火の花の項目を思い出した。
「もしかしたら……」
「ん?」
「その、犬上君の怪我が早く治るようにって……保健室に飾ってあった“クパーラの火の花”を……」
「クパーラ?」
「あ、えっとね――」
 ネギがクパーラの火の花の話をすると、犬上は疲れた様に溜息を吐いた。
「せやったんか……」
「その……ごめんね?」
「あ、いや、花のせいで気分が盛り上がっとっても、お前に酷い事言ったんは事実やし……その……ごめんな」
「ネギだよ」
「は?」
 犬上は目を丸くした。
「お前って言われるのあんまり好きじゃないから……」
「あ、ああ! なら……ネギ、すまへんかったな」
「ううん、それより犬上君が怪我したのって……」
「ストップ! ワイの事は小太郎でええ」
「あ、えっと……小太郎君」
「小太郎だけでええって」
「――小太郎」
「せやせや。小太郎や。やっぱ、ダチ同士は呼び捨てが基本や」
「ダチ?」
 聞き慣れない単語に首を傾げるネギに、小太郎は噴出しそうになった。
「つまり友達や」
 頭の後ろで両手を組んで言う小太郎に、ネギは戸惑った。
「と、友達?」
「えっと……やっぱり嫌か?」
「え? あ、ううん。嫌な訳じゃなくて……。ちょっと驚いただけ」
 ネギと小太郎は屋上から校舎内に戻って階段を降り始めた。
「せやけど、最初はまぁうっとしい奴やと思うたけど、意外と面白い奴やなネギは」
「――それさ、友達だとしても普通に失礼だよね?」
「ちっちゃい事気にすんなや。んなこったから、ちっこいんやで?」
「もうちょっと優しい事言ってくれてもいいんじゃないかな……」
 溜息混じりに言いながらネギは保健室の扉を開いた。
「おやおや、まさか――標的から御出座し願えるとは行幸ですな」
「――――ッ!? 千鶴さん!」
 入った途端に目に入ったのは、黒い外套に唾の広い黒い帽子を被った白髪の老人だった。丁寧に整えられたカストロ鬚に覆われた口に笑みを浮かべ、その腕には気を失っている千鶴の姿があった。
「千鶴さん! お前、その人に何したんや!?」
 小太郎の怒鳴り声にも老人は口元の笑みを絶やさなかった。

 時刻は少し遡る。保健室を施錠する為に先生が来る時間が迫り、待つ場所を少し変えようと千鶴が立ち上がった時だった。
「おや、ふむ、強い魔力の残滓を追跡し、血の香りと魔法の香りに誘われたのだが……ネギ・スプリングフィールドはここには居なかったか」
 千鶴が振り向くと、そこには紳士然とした老人の姿が在った。
「お嬢さん、少しお話を聞かせて貰えませんか? いや、時間は取らせません。人を探しておりまして」
「はぁ、どちらさまでしょうか?」
「いや、失礼しましたレディー。私、名をヴィルヘルムヨーゼフ・フォンへルマンと申します。以後お見知りおき下さい」
 帽子を取り、人の良さそうな笑みを浮べながら挨拶をするヘルマンに千鶴は戸惑いがちにヘルマンの顔を見た。カストロ鬚に高い鷲鼻、白髪ではなく銀髪で、瞳の色は透き通るような黄金色だった。微かに香るコロンの香りは主張しすぎずに老人の魅力を一層引き立てている。
「えっと、ヴァルヘルムさんは……」
「おっと、私の事はヘルマンで構いませんよ」
「でも……いえ、ではヘルマンさん。貴方の探し人というのは……?」
 千鶴が努めて冷静に尋ねると、ヘルマンは穏やかな笑みを浮べて答えた。
「ネギ・スプリングフィールドという名の子供ですよ」
 その単語は引き金だった。千鶴はおや? と思った。どうして、この男は扉が一度も開いていない状況でこの部屋に居るのだろうか――と。
 今更だが、扉が開くとき、どんなに慎重に開いても音が鳴る。レールを擦る以上はそれは避けようも無い事実であり、窓は自分が自分の目でずっと見ていた。
 なら、どうして、この男性(ヒト)はここに立っている? 最初から居た? そんな馬鹿な話は無い。そもそもネギがここに居たのだから居場所を尋ねる必要は無い。
 なら、いつココに現れたのか。分からない。このヒトは……一体? 千鶴は目を細めて改めてヘルマンの様子を観察し始めると、ヘルマンは笑みを浮べていた。
「どうしましたかな、お嬢さん?」
「ヘルマンさん、ネギさんに一体どういったご用件ですか?」
「これは参りましたな。至極個人的な用件でして、貴女にお教えする事は……」
「でしたら、お教えする事は出来ません。そもそも、もう夜ですよ? 寮に行けばそう待たずにネギさんを尋ねる事が出来る筈ですが?」
 千鶴の言葉に、ヘルマンは目を見開くと、楽しそうな笑みを浮べた。
「なんでしょうか?」
 千鶴は警戒心を露わにしながら強い眼差しをヘルマンにぶつけた。
「いえねぇ、貴女は実に強い女性だと感心してしまったのですよ。私を不信に思ったなら、普通の女性なら逃げようとする。貴女は裏の人間では無いのでしょうに……。ああ、貴女の魂に興味が湧いてしまう……。いけませんな、私のいけない所なのですよ。つい、気高い魂というモノに惹かれてしまう」
「なにを……?」
 千鶴は突然豹変したヘルマンに目を丸くした。ヘルマンは穏やかな笑みを浮べたまま話を続けた。
「寮に行けばいい――ですか。そうですね、普通ならそうなのでしょうが、今宵は拙い。我が主の目的は二つ。それ以外の命は主も刈り取るつもりは無いのですよ」
「何を言って……」
「簡単ですよ。私や主が寮を尋ねれば、間違い無く寮が戦場になる。今宵は特にココの魔法使い達の警戒も凄まじいモノですしね。どこかの――外法使いの少年が暴れまわったおかげでね……」
 今度こそ、千鶴はヘルマンを本気で睨みつけた。魔法使いという単語や、外法使いという単語に疑問を抱いたが、それ以上に、戦場になるという言葉と、少年が暴れまわったという言葉で分かった事がある。目の前の男はネギと戦う事が目的であり、暴れまわった少年とは、間違い無く小太郎の事だろうと。
「そう、ですか。一つ質問をよろしいですか?」
「ええ――構いませんよ、誉れ高き人」
「二つの目的……一つはネギさんなら、もう一つは何なのですか?」
 千鶴が尋ねると、ヘルマンは笑みを深めた。
「この状況で尚も単語一つ一つを吟味するとは、ますます素晴らしい。いいでしょう。お教えいたしましょう。もう一つの目的、それは――エヴァンジェリン・A・K・マクダウェルですよ」
「――――ッ!?」
 予想外だった。ここでエヴァンジェリン……クラスメイトのネギと同じくらい小さな背の少女の名前が出るとは予想出来る筈も無かった。
「さてさて、私がどうしてこんな事を教えて差し上げるか……疑問に思いませんでしたかな?」
「え?」
 千鶴はヘルマンを見て言葉を失った。ヘルマンは猛獣の様なギラついた目を千鶴に向けていた。
「やはり欲しい」
 唾を飲み込む音がどちらのモノだったのかは分からなかった。膨れ上がる存在感に千鶴は指の一本に至るまでの己の体の全ての自由を奪い去られていた。
「我が主は高潔が過ぎる御仁でしてね。私を召喚してからというもの、一度も食事を与えてはくれないのですよ。私クラスの者を使役しておきながら生贄を用意していないのは実に珍しいのですが――。生贄なしで私を御するあの方の実力は尋常では無いのかもしれませんがね」
「何を……言ってるんですか?」
「これは失礼。長々と自分の事を女性に……それもとびっきり魅力的な女性にお話するのは何とも言えぬ快楽でしてな」
「――――」
「おや、どうやら人が来たようだ」
「駄目……来ちゃッ!」
 千鶴が外に向かって叫ぼうとした瞬間、ヘルマンは千鶴の意識を落とした。千鶴を抱き抱えながら、その顔に深い凄惨ともいえる笑みを刻んでいた。保健室の扉が開き、中に入って来た人物を見て視線を向ける。
「おやおや、まさか――標的から御出座し願えるとは行幸ですな」
「――――ッ!? 千鶴さん!」
 赤毛の少女と黒髪の少年を視界に収め、ヘルマンは満足気に笑みを浮べた。



[8211] 魔法生徒ネギま! [第三章・悪魔襲来編] 第十六話『暴かれた罪』
Name: 我武者羅◆cb6314d6 ID:2d108988
Date: 2010/06/09 21:51
魔法生徒ネギま! 第十六話『暴かれた罪』


「千鶴さん! お前、その人に何したんや!?」
 小太郎の怒鳴り声にも笑みを絶やさず、ヘルマンは背筋を伸ばすと小太郎とネギは警戒心を露わに、それでも千鶴を気にかけているのが見て取れた。
「ネギ・スプリングフィールド君だね?」
 ネギはビクッとしてヘルマンの顔を見た。何が嬉しいのか、その顔には偽りのない笑みが刻まれている。
「貴方は……?」
「私の名はヴィルヘルムヨーゼフ・フォンへルマン。なるほど、随分と成長したようだ」
「え?」
 ヘルマンの言葉に、ネギは目を見開いた。
「さて、場所を移さんかね? ここでは色々と面倒だ」
「って、待てやおっさん!」
 ネギと小太郎の脇を通り過ぎるヘルマンに、小太郎が噛み付いた。
「何かね? 君には用は無いのだが……」
「そっちに無くてもコッチにはある! 千鶴さん離せや!」
 ヘルマンの腕の中には、未だに気を失っている千鶴の姿があった。
「お断りさせてもらおう。彼女を助けたいのならば尚の事私に付いて来る事だ。ネギ・スプリングフィールド君」
 ヘルマンは鋭い眼差しを向けるネギに微笑を漏らしながら言った。
「分かりました」
「ネギ!?」
 ヘルマンの言う事を聞くネギに小太郎は目を丸くした。
「駄目だよ、小太郎君。相手がどんな人か分からない……。下手に刺激して千鶴さんに何かあったら……」
 小太郎は俯いた。ネギが歯を食いしばり、皮膚が千切れて血が出る程強く拳を握っている事に気がついたのだ。
「……悪い」
 フッと笑みを浮べて歩き出すヘルマンの後を、ネギと小太郎は続いた。意図しているのか、全く歩みを止めず、速度も落とさずに自然な動作で進みながら、違和感を感じる程に誰にも会わなかった。教師や生徒に全く気付かれる事なく、ヘルマンは広い公園に入った。人は誰も居ない。
「――――ッ!?」
「おや、気がついたようだね」
 ネギはハッとなって遠くの空を見上げた。ヘルマンは振り返らずに言った。
「どうし……ッ! なんや!?」
 小太郎も気がついた。ネギの視線の向こうで、強大な魔力が蠢いているのを。
「どうやら、我が主も標的を見つけたようだ」
「標的?」
 ネギはヘルマンを見た。
「さよう、我が主は復讐者。先達の勤めとして……、一つ教授して進ぜようか」
「教授……?」
「やったらやり返される。当然の事でありながら、人はいつも忘れてしまう」
「やったら、やり返される……?」
 ヘルマンの言葉に、ネギは怪訝な顔をした。
「昔々のお話だよネギ君。ある少し大きな村に一人の子供が居りました。子供は親に捨てられ、掃き溜めの様な人生を送り、この世の地獄を垣間見たのです。ある日、真っ暗闇の中で枯れた涙を流す子供に一筋の光が現れました」
「い、いきなりなんやねん」
 唐突に始まったヘルマンの話に小太郎は戸惑った。ネギは怪訝な顔をしながらも好機と見て小声で杖を呼んだ。ヘルマンは無視して話を進めた。
「その男は敬虔な神の教えを請う信徒の一人でした。常に身を清らかにし、貞操を護り、神に祈りを捧げ、あらゆる者に救いの手を差し伸べ、慈悲を与える聖職者でした」
「――――」
 ネギは、耳に心地良さを感じた。あらゆる人に救いの手を差し伸べる者。それは、神に祈りを捧げる一辺を除けば、自分の理想その物だった。
「子供は男に救われ、食事の喜びを知り、睡眠の快楽を知り、人の温かさを知り、神の教えを知りました。自分を闇から光に引き摺りあげてくれた男を、子供が愛するのに時間は要りませんでした。ですが、男は子供に慈愛は与えても、性愛を向ける事は決してありませんでした」
 ヘルマンの話にネギと小太郎は聞き惚れていた事に気付き、同時に話の内容に顔を赤くした。
「男は“神の為に生き、神の為に死ぬ”。そう誓いを立てていたのでした。それでも、子供は只管に男を愛しました。それを男も知っていました。自分の残酷な行いを理解し、それでも神への誓いを裏切る事の出来ない男は、徐々に心を痛め精神を病んでいきました」
 ネギと小太郎は圧倒されてしまっていた。人から受ける愛と天秤に掛ける事の出来るほどの神への信仰心に。
「男はやがて自分の中で子供に惹かれている事に気がついてしまいました。子供はあまりにも美しく成長し、男に一途な愛を与え続けた事で、男の神への誓いに綻びが生じ始めたのです。男は自分の中に生まれてしまった感情は悪と断じました」
「どうして!?」
 ネギは思わず叫んでいた。人への愛が悪などと断じた男の心が分からなかったのだ。
「神への誓いに綻びを生じさせたモノであり、その感情そのモノが“神に対する冒涜”だったからだよ」
「神への……冒涜?」
 小太郎は意味が分からずに怪訝な顔をした。
「まあ、そこは話の筋にはあまり関係の無いので割愛させて頂こう。彼は悪と断じた感情を殺す術を探した。そうして彼が辿り着いたのは神の命を受け悪魔を断罪し滅する“神の力(エクスシアイ)”だった。彼は得た力と共に教会の深部に存在するある機関に入った」
「ある機関?」
 小太郎が聞くと、ヘルマンは言った。
「彼の所属するロシア教会の“殲滅機関”と呼ばれる部署だよ」
「――――ッ!?」
 ネギは目を見開いた。最近になって聞いた事のある名前だったからだ。“ロシア教会殲滅機関”、それは――。
 ネギは悪寒に襲われた。
「殲滅機関……?」
 小太郎が尋ねた。
「教会によって違うけど、魔法使いを異端として断罪する機関の事……って前に聞いた事があるよ」
 ネギが思い出す様に言うと、小太郎は目を細めた。
「さよう、男は異端……つまりは魔法使いや異端な生き物を滅する事で自身の内に生まれた“悪”をも殺そうとしたのだよ」
「そんな!?」
 幾らなんでも馬鹿げている。ネギはそう思わずにはいられなかった。
「馬鹿げていると思うかね?」
「え? それは……」
 まるで心を見透かしたかの様な言葉に、ネギは何も言えなかった。
「私はむしろ美しいとすら思うよ。それほどまでに神を妄信し、いつしか自身を悪に堕としてしまう。まさに彼はヒトだったのだよ。己が葛藤や欲望、信念によって容易く善にも悪にもなる。だが、報いはいつかやってくる」
「報い?」
 小太郎が尋ねると、ヘルマンは頷いた。
「殺されたのだよ。ある異端を狩る為に向かった北欧のある廃村でね」
 ドクンと心臓が跳ねた。ネギは目を見開き、段々と理解し始めた。
「その異端って……」
 ヘルマンはニヤリと笑みを浮べた。
「知っているようだね。異端の名は――エヴァンジェリン・A・K・マクダウェル」
 そして、とヘルマンは指を鳴らしながら言った。
「男の名はアレクセイ・ヘス司祭。エヴァンジェリン討伐任務の末に殺害された男の名だよ」
 ヘルマンの背後に巨大な水球が発生した。警戒する小太郎とネギにヘルマンは苦笑を漏らした。
「安心なさい。彼女は私自身のお気に入りなのでね。人質にするつもりも何も無いのだよ」
「おっさん、何者なんや?」
 詠唱無しで巨大な水球を作り出したヘルマンに小太郎は警戒心を強めた。
「少し待っていたまえ」
「何する気や!?」
 ヘルマンは小太郎の叫びに答えず、千鶴の体を水球の中に入れて閉じ込めた。
「これで、心置きなく戦えるだろう? 安心したまえ、中で溺れるなどという事はない」
「安心なんて出来るか! 大体、お前の話意味分からんわ! 誰やねんエヴァンジェリンって。それに、ネギはその話に全く関係ないやんか!」
「あるのだよ。アレクセイ司祭の死の報せが届いた時、我が主はエヴァンジェリンへの復讐を決意した。すると、どうだろう? アレクセイ司祭の死後、同時期にエヴァンジェリンがある男と行動を共にしているではないか」
「それがなんやねん!?」
「ナギ・スプリングフィールド――それが、エヴァンジェリンと共に行動していた男の名前だ」
「なッ!?」
 小太郎は思わず隣に居るネギに顔を向けた。
「それがどうしたの?」
 ネギは睨む様にヘルマンを見た。
「ふむ。分からんかね?」
「つまり、お前の主はそのエヴァンジェリンとかいうのと一緒に行動しとったナギ・スプリングフィールドをも復讐の標的に定めたって事やな?」
「え?」
 ネギが目を丸くしていると、ヘルマンは心底嬉しそうに笑った。
「正解だよ、少年」
「そんな! お父さんは殺しても、エヴァンジェリンさんの手伝いをした訳でも無いのに!」
「そうなのかね? ああ、そうか……、君はエヴァンジェリンと親交を持っているらしいね。全く物好きなものだよ、君達親子は」
「な!?」
 ネギは怒りで声が出なくなってしまった。パクパクと口を開くネギにヘルマンは微笑を漏らした。
「さて、これで私が君を訪ねた理由は分かってもらえたかね?」
「要は、ナギ・スプリングフィールドが死んでるさかい、代わりにネギを標的にしたっちゅうこっちゃろ? アンタ、ほんまに何がしたいんや? 自分の主の馬鹿自慢してどないすんねん」
 小太郎の呆れたような言葉にヘルマンは苦笑した。
「馬鹿自慢と言われるとは心外だ。私は紳士なのでね。戦う相手に礼儀を払っているだけなのだよ。いきなり理由も分からず襲われては混乱するだろう? 戦うからにはお互いにパーフェクトなコンディションであらねばならないと常々思っているのだよ。それに、そろそろ君が呼んだ杖が上空で呼ばれるのを今か今かと待っているのではないのかね? ネギ・スプリングフィールド君」
「グッ」
 気付かれていた。ネギは忌々しげにヘルマンを睨みながら、上空に待機させていた杖を呼んだ。
「さて、では一手手合わせ願おうか」
 右手で帽子を押えながら、獰猛な獣の如き眼差しをネギに向けながらヘルマンは左手を掲げた。
「クッ、ラス・テル マ・スキル――」
「遅いな」
 杖を掲げて詠唱を始めるネギに、ヘルマンは掲げた左手に一瞬で膨大な魔力を集中すると虚空を殴りつけるようにして魔力をネギに向けて放った。
「犬上流・空牙!」
 呆然としているネギを抱えながら、小太郎が右手で気の斬撃を放ち僅かに魔弾の軌道をずらして回避した。
「小太郎君!?」
「少年、君を殺す理由は無いのだがね……。引いてはくれまいか?」
 ヘルマンは帽子から手を離すと肩を竦めながら言った。
「女に手ぇ出すなんざ、三流以下やでアンタ! 引く必要が無い。アンタにゃ俺は殺せへんよ」
 片目を閉じながら挑発するように言う小太郎に、ヘルマンは目を細めた。
「小太郎君、君は関係無いから下がって! 怪我だって完全に治ってる訳じゃないんでしょ?」
 ネギは小太郎を押し退ける様に前に出ると、小太郎に小突かれた。
「痛っ! 何するの!?」
「阿呆、お前じゃ相手にならへん。んな事、初撃で分かったやろ。お前こそさがっとれ。あんなんワイが片付けたる。んで、千鶴さんを助け出してやるで」
 小太郎はニヤリと笑みを浮べると、右手に気を集中させた。
「ふふ、血気盛んな事だな少年。いいだろう、相手をして進ぜよう」
 ヘルマンは左手を腰に、右手を前に出す構えを取った。
「待ってよ小太郎君! これは私の問題なんだから小太郎君を巻き込む訳には――」
 ネギが杖を構えようとすると、小太郎は左腕でネギを制した。
「小太郎だけでええって言ったんやけどな。女は後ろに下がっとき! こういう時は、男にかっこつけさせるもんや!」
 そう叫ぶと、小太郎は学生服のポケットから数枚の符を取り出した。
「『呪幻界』!」
 小太郎が符を放っると、符は光を発して、ネギの目の前に壁を作り出した。
「そこに入っとれ、いくでおっさん!」
「なッ!? 小太郎君!」
 ネギは突然閉じ込められて小太郎の名を叫んだが、小太郎は右手に漆黒の力を集中させると、ヘルマンに向かって駆け出してしまった。
「こんなの、ラス・テル マ・スキル マギステル! サギタ・マギカ、光の十三矢!」
 杖に魔力を集中して光の魔弾を見えない壁に放ったが、壁は微かに軋むだけで破壊する事は出来なかった。その間に、小太郎は右手に集中した漆黒の力をヘルマン目掛けて放った。
「狗神喰らえ! 疾空黒狼牙!」
 漆黒の力は狗の姿に形を変え、ヘルマンに襲い掛かった。
「面白い術だ。魔力とも気とも違う――これが東洋の外法か!」
 五体の狗の姿になった漆黒の力を、ヘルマンは右手を軽く払うだけで吹き飛ばした。
「狗神が!」
「ほう、狗神というのかね? 見た所、憑依術式かね?」
「ご名答ッ!」
 小太郎はヘルマンの背後に回りこんで狗神を纏った拳をヘルマンに振るった。
「遅過ぎるぞ、少年!」
「なにっ!?」
 拳が当る瞬間に、ヘルマンは小太郎の背後に移動して小太郎の肩を軽く叩きながら言った。
「さらばだ少年」
 ヘルマンは拳を小太郎に振り下ろした。
「狗音爆砕拳!」
「――――ッ!?」
 ヘルマンの拳は空を切り、そのまま地面を大きく抉った。瞬間、ヘルマンの背後から小太郎の声が聞こえた。ヘルマンは小太郎の狗音爆砕拳が当る瞬間に小太郎から遠く離れた場所に一瞬で移動した。小太郎は舌打ちしながら右手には既に気を集中していた。
「犬上流・狗音噛鹿尖乱撃!」
 無数の狗の形を模した気の弾丸がヘルマンに降り注ぐ。
「見事!」
 目を見開き、ヘルマンは迫り来る気弾を一瞬で全て弾き、直後に小太郎を地面に叩き落した。が、そこには小太郎の姿は無かった。
「経験が足りんな」
 ヘルマンの姿は掻き消え、直後にヘルマンの体を殴りつけようとして空を切った“二人の”小太郎の姿があった。
「東洋の神秘という奴か」
 二人の小太郎の背中をヘルマンは容赦無く殴りつけた。小太郎の姿は掻き消え、巻き上がった土煙の向こうから狗神が飛来した。
「面白い――」
 ヘルマンの姿は消え、狗神が放たれた方向に居る足に気を集中して瞬動を使おうとしている小太郎の前にヘルマンは拳を振り上げて出現した。
「――――ッ!?」
「だが、だからこそ残念でもある。前途有望なる若者よ……、私は才能のある少年が好きでね。幼さの割りに君は非常に筋がいい」
「何?」
 ヘルマンは小太郎の目の前で拳を制止させた。
「大人しく、引いてはくれれば……君をこれ以上傷つけずに済むのだがね」
「へっ、傷つけるやて? やれるもんなら……やってみい!」
「ぬっ!?」
 小太郎は叫ぶと同時に影分身を発動し、ヘルマンを六方向から同時に攻撃した。
「二人以上にもなれるとは……。それも幻影ではない、これが、影分身というやつか!」
 ヘルマンは凄惨な笑みを浮べると、目の前で拳を振り上げる小太郎を右手で殴り飛ばし、左手で薙ぎ払う様に回転しながら背後と右方向から攻撃を仕掛ける小太郎を一気に四人吹き飛ばした。
「チッ!」
 小太郎は後退しようと地面を蹴った。
「ガッ!」
 背中に凄まじい衝撃を受け、小太郎は一気に吹き飛ばされた。ヘルマンが後退して小太郎が地面に着地する前に背後に回りこんで小太郎の背中を蹴り飛ばしたのだ。
「中々に楽しかったぞ少年。だが、チャンスを棒に振ったのは君自身だ。恨まんでくれたまえ。ナン・レシュ・ヴァウ・ナン・コフ・サメク・レシュ、合わせて666の数字よりネロの名において――」
 ヘルマンの詠唱に応じるかの様に、空気が凍りつく。大地に叩きつけられた小太郎は内臓が傷つき、吐き気と共に血の塊を吐き出しながら恐怖に固まった。
 逃ゲロ――本能が警鐘を鳴らすが、躯が言う事を聞いてくれない。ピシッ! 何かに亀裂が走ったかのような乾いた音が響いた。ヘルマンの掲げた右手の先の虚空が奇妙に歪んでいる。
「――赤龍の力をここに顕現する」
 瞬間、ヘルマンの手の先から真紅の魔力が真っ直ぐに立ち上り、湯気の様に広がると、丸い円を描いた。
「水の竜にして赤き鱗を持つ我等が王にして遥かなる未来に復活するモノよ」
 ヘルマンの頭上に展開する魔法陣が緩やかに回転を始めた。逃げないと死ぬ――そう、分かっているのに体が動かない。喉がカラカラに渇いている。背後で何かが聞こえるが知覚出来ない。耳からの情報も肌からの情報もなにも理解出来ない。圧倒的な“死”。
「手向けとして受け取るといい、少年。幼き身に大器を秘める君に敬意を示し、我が最強の一撃で君を葬ろう」
 ヘルマンの頭上の魔法陣が回転を止め、バシンッ! という音と共に、まるで強化ガラスをガラス割り様のハンマーで殴ったかの様に魔法円に罅が広がった。
「悪魔王の一撃を受けるがよい!」
 内側から、罅が膨らみ小太郎は呼吸が停止した。自分の体が肉片一つ残らず消滅する未来を幻視した。直後、背後でナニカが割れる音がした。
「“復讐の槍(ロンゴミニアド)”!」
 瞬間、公園が光の爆発によって昼間の様に明るくなった。
「姉貴!」
「加速!」
 気が付いた時、小太郎は遥か上空から公園から上空へ打ち上げられる様に凄まじい光の柱が伸びているのを見下ろしていた。公園は巨大な溝が出来上がり、上空を見上げれば、空を覆う雲が真っ二つに切り裂かれ、満天の星空が広がっていた。
「うっ……」
 小太郎は愕然としながらネギに抱き抱えられた状態で小太郎は胃の中の物を吐き出した。内臓を痛め、吐瀉物には血の塊が混ざっていた。
「大丈夫、小太郎君?」
 震えたネギの声が小太郎の耳に届く。
「ネギ……か?」
 未だに治らない吐き気に耐えながら、小太郎は自分を抱き抱えるネギの顔を見上げた。顔を真っ青にしながら、自分を心配そうに見つめるネギに、小太郎は情け無い気持ちで一杯になった。

 ネギとタカミチが退出した後、麻帆良学園本校女子中等学校の学園長室で、学園長の近衛近右衛門は机に肘を乗せ、両手を組んで椅子に座り、デスクの上に立っている真っ白な毛皮のオコジョ妖精に向かって口を開いた。
「して、話とは?」
 近右衛門は鋭い眼差しを向けた。カモは苦々しい表情を浮べている。
「アンタには色々言いたい事があるんだが――」
「かしこいお主は勿論その問答が意味の無い事を知っておる」
 近右衛門は机に置いてあるビスケットを一つ摘み、カモにビスケットの皿を差し出した。
「その通り。ああ、その通りさ。全くな! なんでだ? 姉貴はまだ10歳……数え年でだぞ!? なんで命懸けの試練を課す必要があるんだ!?」
 カモはビスケットに目もくれずに目の端を吊り上げて叫ぶ。
「お主は知っておるんじゃないのかね? 用とはそれに関するものなんじゃろ?」
 カモの言葉を柳に風という風に受け流すと、近右衛門はクランベリーソースをビスケットの上に塗りたくった。立ち上がると、少し離れた場所にあるティーポットからその隣にあるティーカップに熱々の紅茶を注いで、中にタップリと苺ジャムを落として掻き混ぜる。
 甘ったるいビスケットを甘ったるい紅茶で流し込み、近右衛門は満足気に笑みを浮べる。
「ああ、ああそうだよ。分かってるよ! だからって納得してる訳じゃねえんだよ!」
 カモは真っ白な毛皮を逆立てて怒鳴る。
「……全てが終われば、この首だろうが何だろうが持っていって構わん。じゃが、しばし耐えてはくれんか?」
 紅茶を置き、椅子に座ると近右衛門は目を細めて呟くように言った。
「本題に入ろう。最終的に誰も死なずにハッピーエンドだったらいいよな? 絶対在り得ないけどよ」
 ネギ達と対面している時からは想像も出来ない程に礼儀を欠いた柄の悪い態度でカモは鼻を鳴らした。
「はっ、さっさと本題に入れ」
 憐れな老人の姿を演出しても無意味だと理解し、近右衛門は話を進めさせた。カモは汚くわざと唾を飛ばしながら舌打ちをすると口を開いた。
「春休みに姉貴に帰郷させてもらったんだが……」
「おお、会ったか。して、内容は聞いておるか?」
「聞いてるさ。聞いてる……。やる事も分かってる。やるよ。なあ、どうしても姉貴じゃないと駄目なのか? なあ、考えてみようぜ? 世界平和の為に命を空き缶をポイ捨てするくらいの気持ちで捨てる奴がどれだけ居る?」
「問題は質じゃ」
 分かっておるのじゃろう? そう問い掛けるように近右衛門は苦々しい眼差しでカモを射抜いた。
「他にもあったんじゃねえのか?」
「そもそも明日菜君でなければあの剣は使えん。この問答は無意味じゃ。ほれ、用件がこれだけならばとっととネギ君の下に戻れ」
 厳しい口調で近右衛門が言った瞬間、近右衛門の目が大きく開かれた。
「どうしたんだ?」
 カモが不審気に尋ねると、近右衛門は険しい顔でカモを掴むと学園長室を出た。
「侵入者じゃ。それも凄まじい数じゃ――」
「姉貴は!?」
「待て、情報が錯綜しておる。一分黙れ」
 カモが黙ると、近右衛門は脳裏に次々と響く声による情報を凄まじい速度で処理し始めた。
「最初に少年の侵入者がネギ君と接触したらしい」
「何だと!?」
 カモは目の色を変えて近右衛門の手を振り切ろうとするが、近右衛門は離さなかった。
「待たんか」
「何してやがる! 急いで向かわねえと!」
「落ち着け! 情報を全て把握してからにせんか! 現状を分からぬままでは意味が無い。よいか? 少年は問題では無い。経緯は分からぬがネギ君と共闘しておる」
「は?」
 カモは一瞬呆けた様に固まってしまった。
「とにかくじゃ、現状分かっておる事を手短に言う。一回で覚えて走れ」
「――分かった」
 カモは渋々といった感じに暴れるのを止めると、二階建ての学園長室から出て外に出ながら近右衛門は口を開いた。
「現状、麻帆良全体で戦いが起こっておる。始まりはさっき言った少年じゃ。少年の侵入により警備が強化された。そこまでは良かったんじゃが、ここで別の侵入者が侵入した。現在、侵入者の召喚した悪魔と思われる者がネギ君と侵入者の少年と戦っておる。次に残りの侵入者本人じゃが、現在エヴァンジェリンと明日菜君、それに刹那君が戦っておる」
「なッ!? それじゃあ……」
「敵はかなりのやり手の様じゃ。しかも、その侵入者が侵入に成功した事で麻帆良の周囲で今まで時機を待っておった者達が同時に攻め込んでおる。くれぐれもネギ君を頼むぞ」
「こっちに何人か回せないか!? 千草の時と違って今回はアンタの思惑とは違うんだろ!?」
「――回せたら回す。じゃがあまり期待するな。敵の数が多過ぎる。儂も何人か引退しておった者達も引っ張り出す必要があるじゃろう。手が空けば直ぐに向かわせる」
 校舎の玄関に辿り着くと近右衛門はカモを放り投げた。
「なるべく早く救援を頼むぞ!」
 そう叫びながら、カモは見事に前足で地面に着地すると全速力で駆け出した。
「ネギ君と少年はここからそう離れておらん公園じゃ!」
 分かった、そう叫んでいるのが聞こえたが、カモの姿はもう視覚から外れていた。
「さて、儂の方も動かねばな……」
 そう呟くと、近右衛門は念話を飛ばした。

 時間を少し遡り、小太郎を取り逃がした事で腹を立てたエヴァンジェリンは瀬流彦を連れて飲み屋で飲んだ後に瀬流彦と分かれてから風に当っていた。適当に歩いていると、麻帆良学園本校女子中等学校の校舎へと続く道で明日菜と刹那に会った。
「あ、やっほー、エヴァちゃん」
「今晩は、エヴァンジェリンさん」
「神楽坂明日菜、そのエヴァちゃんというのは止めろ……。お前達、こんな所で何をしているんだ?」
 エヴァンジェリンが尋ねると、明日菜が口を開いた。
「私達、ネギを探してるのよ。今日は学園長先生に呼ばれてるからって言われて先に帰ったんだけど、全然帰って来ないから心配になっちゃって」
 明日菜の本当に心配そうな口調に、エヴァンジェリンはふむと腕を組んだ。
「恐らくは修行の件だろうが、こんな時間まで帰っていないのは妙だな」
「でしょ? だから、こうやって探してるわけ。一応学園長室に行ってみようと思って」
「何か、妙なトラブルに巻き込まれて居なければいいのですが……」
「妙なトラブルねぇ」
 刹那の呟きに、エヴァンジェリンは何となく小太郎の事を思い出した。
「――――ッ!?」
 その時、エヴァンジェリンは麻帆良内に新たな侵入者が現れたのを感じた。学園結界と繋がっているエヴァンジェリンは侵入者の存在を感じ取れる。
「二人か……、なにッ!?」
「どうしたの、エヴァちゃん?」
 突然叫んだエヴァンジェリンに明日菜が首を傾げると、エヴァンジェリンは僅かに焦った様に言った。
「侵入者だ。しかも、かなりの数だな。少し待っていろ――」
 目を瞑り、何事かをブツブツと呟くエヴァンジェリンに明日菜は首を傾げて刹那に尋ねた。
「何かあったの?」
「侵入者の様ですね。恐らくは麻帆良が襲撃されているのでしょう」
「ちょ、それどういう事!?」
 刹那は明日菜に麻帆良が襲撃を受ける地である事を説明した。狙われる理由がある事も。刹那が説明を終えると同時にエヴァンジェリンも目を開いた。
「念話で状況を伝えたが、後はタカミチ任せだな。私もッ!?」
 瞬間、上空から光の矢が明日菜達に迫った。
「リク・ラク・ラ・ラック・ライラック! 『氷楯』!」
 エヴァンジェリンが咄嗟に展開した氷の障壁に光の矢が激突するが、最初の衝撃で全体に亀裂が走ってしまった。舌打ちをするエヴァンジェリンの脇で、刹那は制服から符を取り出した。真上に符を放ると、符は煙を上げて吹き飛び、代わりに四本の独鈷杵が明日菜、刹那、エヴァンジェリンを囲むように地面に突き刺さった。
「四天結界独鈷錬殻!」
 エヴァンジェリンの氷の障壁が粉砕した瞬間、明日菜達を護るように三角錐の結界が展開した。
「対魔戦術絶待防御の結界です。敵は……」
 視界が結界を破壊しようと暴れる光の矢のせいで完全に遮断されてしまっていた。明日菜はうっかり結界を消してしまわない様に必死に身を屈めている。
「あれ、もしかして私、隠れる必要無くない?」
 不意に自分の能力を思い出し、更にポケットの中身を思い出した明日菜はポケットに手を入れたが――。
「待て、この結界は簡単には壊れん。お前の能力は強力だが、相手に情報をやる事は無い」
 エヴァンジェリンは明日菜の行動を諌めて鋭い眼差しを結界の向こうに向けた。光の壁が消え、視界が復活して刹那は四天結界独鈷錬殻を解除した。薄っすらと輝く壁が消失すると、並木道の向こうに人影が見えた。
「やっと見つけた――」
 鈴の音の様にゾッとするほど美しい声が響く。明日菜は仮契約カードに手を伸ばし、刹那は竹刀袋から夕凪を取り出して抜刀した。夜闇の中で外套がチカチカと明滅して顔が良く見えない。
「女?」
 吸血鬼であるエヴァンジェリンは遠くに立つ人影をハッキリと視界に捉えた。背はあまり高くない。金砂の髪を月明りに濡らし、背中まで伸びる髪を風に靡かせている。紺色の修道服に身を包み、その瞳だけが禍々しい鮮血色に輝いている。
 エヴァンジェリンの脳裏に警鐘が響く。アレハマズイ――と。
「桜咲刹那、神楽坂明日菜を護って寮に戻れ……」
 小声で唇を動かさない様にエヴァンジェリンは言った。
「え?」
 明日菜がポカンとした表情を浮べる。
「エヴァンジェリンさん、ここは三人で戦った方が……。明日菜さんは一般人とは思えない程に強いですし……」
 刹那が提案したが、エヴァンジェリンは首を振った。
「桜咲刹那、神楽坂明日菜、アレは……人間じゃない」
 忌々しげに女……、というには未だ幼さを残している少女を睨みながらエヴァンジェリンは言った。
「私が戦う。お前たちは――ッ!?」
 エヴァンジェリンが何かを言い切る前に、突然視界が真紅に染まった。
「――――ッ!?」
 倒れ込む様に回避すると、真紅の光を称えた少女の右手を見てエヴァンジェリンは戦慄した。鋭利な殺気と共に、少女の右手をどす黒い魔力が包み込んでいる。
「斬光閃!」
 少女の背後から刹那の声が響き、気の塊が少女の背中にぶつかった。
「まずい!」
 エヴァンジェリンは無理矢理魔力を集中して詠唱を省略し氷の魔弾を少女に放った。氷の魔弾を受けた少女は何事も無かった様にそのまま背後に向けて右手の魔力を開放した。漆黒の魔力の爪撃は地面を大きく抉りながら道の先まで一気に駆け抜けた。
「すみません、エヴァンジェリンさん」
 エヴァンジェリンに押し倒される様に少女の爪撃から庇われた刹那は謝罪と感謝の念を同時に篭めて言うと気を篭めた斬撃を放った。
「百花繚乱!」
 一直線に気の斬撃が少女に向かう。
「どこを狙ってるの?」
 歌う様な声が――背後から響いた。
「アデアット!」
 明日菜の声が響くと同時に鋭い金属音が鳴り響いた。背後に顔を向けた刹那とエヴァンジェリンは明日菜のハマノツルギと少女の漆黒の魔力が覆う右手が鬩ぎ合っているのを見た。
「なんで、私のハマノツルギに当ってるのに魔力が消えないの!?」
 明日菜の驚愕の叫びが響く。エヴァンジェリンが舌打ちして魔力を集中すると刹那が右手に篭めた気を弾丸の様に少女の右手にぶつけ、一瞬の隙に明日菜の体を引き寄せた。
「『氷爆』!」
 少女の至近距離で氷の爆発が起こる。エヴァンジェリンは忌々しげに顔を歪める。少女の姿は一瞬で遥か遠方にあった。
「なっ!? さっきまでここに居たのに!? それにどうして私の能力が効かないの!?」
 明日菜の叫びに刹那が答えた。
「いいえ、明日菜さんの能力は効いていたと思います。ですが――」
「ならなんで!?」
「――消えた瞬間に魔力が復活したんですよ。前の天ヶ崎千草の時の蔦の壁の様に」
 明日菜は千草戦を思い出して悔しげに口を閉ざした。エヴァンジェリンの呪文が聞こえて明日菜はハマノツルギを握り締めた。
「リク・ラク・ラ・ラック・ライラック! 連弾・氷の27矢!」
 氷の魔弾が少女に降り注ぐが、その姿は一瞬でエヴァンジェリンの目の前に現れた。
「『氷神の戦鎚』、解放!」
 瞬間、氷の塊が少女に迫る。少女は小さく笑みを浮べながらその自分に猛スピードで迫る氷の塊を指で突いた。
「『氷爆』!」
 たったそれだけで粉砕してしまった氷を利用してエヴァンジェリンが呪文を唱える。氷の爆風に合わせる様に、刹那が気を纏わせた夕凪で少女に斬りかかる。
「斬魔剣!」
 その対魔物用の術式が施された斬撃を、少女は冷たい視線を向けながら人差し指と中指で受け止めるとそのまま刹那を投げ飛ばそうとして、背後に迫る刃の無い方で斬りかかる明日菜のハマノツルギを反対の右手で掴み、二人を同時に反対方向に投げ飛ばす。地面のコンクリートを叩き割りながら跳ね回るように地面を滑る。
 明日菜はアーティファクトのアーマーが身を護ったが、体を襲ったあまりの衝撃に息が出来なくなった。刹那は何とか受身を取ろうとしたが、衝撃が強すぎて頭を庇った腕がズタズタになり、右腕は圧し折れてしまっていた。
「クソッ!」
 エヴァンジェリンはポケットから魔法薬を取り出そうとして、次の瞬間に少女に殴り飛ばされて遥か遠くにある建物の壁にめり込んでしまった。
「ガハッ!」
 背中に受けた衝撃に全身がバラバラになった様な錯覚を覚え、エヴァンジェリンは猛烈な吐き気と共に血の塊を吐き出した。
「クッ――」
 エヴァンジェリンは忌々しげに少女を睨み付けた。
「ねえ、貴女は本当にエヴァンジェリン・A・K・マクダウェル?」
 その声が耳元に響いた。目を見開いたエヴァンジェリンの体は一気に遠く離れた場所で漸く呼吸が整い立ち上がろうとしていた明日菜の下に蹴り飛ばされた。咄嗟に障壁を張ったが、エヴァンジェリンの体は地面を抉りながら地面に当ってから数十メートルも滑った。
「エヴァ……ちゃん!」
 苦しげに呻きながら明日菜は立ち上がるとハマノツルギを杖代わりにエヴァンジェリンの下に歩き出した。
「エヴァちゃん!」
 砂煙が上がっている場所に明日菜が声を上げた瞬間、背後で刹那の声が響いた。
「雷鳴剣!」
 強大な雷光を纏った夕凪を血だらけの右手だけで握りながら刹那は明日菜の背後で魔力弾を至近距離から放とうとしていた少女に振り落とした。
「刹那さん!」
 明日菜は背後を向くと、左腕をブランとさせながら険しい表情で前方に居る少女を睨みつける刹那の姿があった。
「刹那さん……腕が!」
 ひしゃげている刹那の左腕を見て明日菜は絶句した。
「大丈夫です。痛覚は絶っていますから……。それよりも、油断しないで下さい。恐らくアレは憑依術式です。それも、かなりの上級霊との憑依術式……」
「恐らく、魔力の質を見るに……悪魔だな」
「エヴァちゃん!」
 背後に聞こえた声に振り向いた明日菜は全身傷だらけで頭部からも滝の様に血を流しているエヴァンジェリンに絶句した。
「操られているという線は?」
 刹那がエヴァンジェリンに尋ねるが、エヴァンジェリンは首を振った。
「あれは悪魔憑きじゃない。恐らくは黄金夜明けの召喚魔術。クロウリーの定義した召喚と喚起の内、召喚の方だろう。それに、ヤツは私を知っているようだ」
「エヴァンジェリンさんを!? あの修道服、まさか!?」
「え? 何? どういう事!?」
 一人話しについていけない明日菜は疑問の声を上げるが、一々説明している時間は無いとばかりに二人は完全に明日菜の言葉を無視した。
「貴様、教会の者か? 私を討伐にでも来たのか?」
 全身ボロボロでありながら、それをものともせずにエヴァンジェリンは真っ直ぐに少女を睨みつける。
「懲りん事だな。何度返り討ちにしても何度も何度も何度も……、ほとほと貴様達は私の平穏がお気に召さんらしいな」
 凄まじい殺気を迸らせながら少女を睨むエヴァンジェリンに刹那と明日菜でさえも身が凍る思いだった。
「そう、貴女はそうやって異端である貴女を討伐しに来た者を殺した。16年前の雪の日も、そうやってあの人を殺した……」
 エヴァンジェリンの殺気を受け流しながら、少女もまた憎悪と殺気の篭った視線をエヴァンジェリンに向けて言い放った。エヴァンジェリンは目を丸くした。
「雪の日だと?」
「私は、教会の命令で来たんじゃない……。私は愛しのあの人を殺した貴女に復讐する為に来たの」
 エヴァンジェリンは目を見開いた。呼吸が出来なくなった。久しく忘れていた感覚だった。あまりにも温い湯船に浸かっていた事を思い知らされた。
 これは――初めてでは無い。エヴァンジェリン・A・K・マクダウェルが悪を背負う理由。それは、自分を襲撃した者の肉親や恋人、友人からの復讐の為だ。自分を一方的に悪と決め付けて襲ってくる者は別に構わない。返り討ちにした所で何の感慨も沸かない。それでも、返り討ちにした者にもその者を愛する者は居る。
 明日菜と刹那は声が出なかった。復讐。それがどういうモノか、知識でならば小学生でも知っている。
「お前の……名は?」
 エヴァンジェリンは震える声で呟くように少女に尋ねた。少女は目を細めると、答えた。
「フィオナ、フィオナ・アンダースン。貴女に殺されたアレクセイの仇を討ち、貴女に奪われたあの人の“神の力(エクスシアイ)”を取り戻す」
 少女――フィオナの言葉がエヴァンジェリンの脳裏に反芻される。
「あの時の……」
「覚えてるんだ……。ちょっと驚きかな」
 エヴァンジェリンの呟きに、フィオナは微かに笑みを浮べた。
「じゃあ、死になさい」
 瞬間、フィオナの手に漆黒の魔力が集まり、フィオナが軽く腕を振るうと巨大な漆黒の爪がエヴァンジェリンに迫った。
「エヴァちゃん!」
 咄嗟にハマノツルギを構えて飛び出そうとした明日菜を、エヴァンジェリンは手で制し、右手を漆黒の爪に向けた。
「お前達は手を出すな……あれは、私の罪だ」

 小太郎とネギが戦う麻帆良学園本校女子中等学校近くの公園。
 小太郎が傷つく度に、何度魔法をぶつけても破壊できない呪幻界にネギは焦燥に駆られた。耐え切れず泣きそうになった時、声が脳裏に響いた。
『姉貴、大丈夫ッスか!?』
『カモ君!』
 脳裏に届いたカモの念話にネギは僅かに顔に喜色を浮べた。瞬間、結界の向こうでヘルマンの詠唱が始まり、ネギは体の震えが止まらなくなった。
「なに、これ……?」
 結界のおかげなのか、完全には体が麻痺する事は無かったが、尋常でない圧迫感に体の震えが止まらなかった。
『姉貴、結界が邪魔で入れねえ! この結界を解除してくだせえ!』
『で、でも……この結界は小太郎君が張ったから私、何度も魔法をぶつけたんだけど解除出来ないし……どうすればいいの!? カモくん!』
『落ち着いてくだせえ! 時間が無い。あの野郎の使おうとしてんのは拙い……』
 カモの切羽詰った声に、ネギは焦りを高めた。
『どうすればいいのカモ君!?』
 ネギの悲鳴にも近い叫びにカモは一瞬結界を見渡してから念話を返した。
『姉貴、コイツは内側の符を破壊すれば壊せるタイプッス。強度を高める為か狭くなっている。『風花・風塵乱舞』で結界内全体を攻撃してくだせえ! それでどこかに隠れてる符を破壊して外に出られる筈ッス!』
 カモの言葉が終わる前に、ネギは呪文の詠唱を無意識的に開始していた。
「ラス・テル マ・スキル マギステル! 吹け、一陣の風。『風花・風塵乱舞』!」
 ネギの杖から凄まじい旋風が発生し、結界内を暴れ回る。
「きゃうッ!」
 身を屈めて結界の崩壊を待つと、一瞬結界の壁に衝撃が走ったかと思うと、次の瞬間に結界は崩壊していた。
「姉貴!」
 カモがネギの肩に飛び乗ったのを感じた瞬間、ヘルマンの魔法が展開しようとしているのを悟り、ネギは立ち上がらずにそのまま杖を飛ばした。
「加速!」
 小太郎を抱き締めるようにしながら杖を上昇させると、光の閃光が真下を駆け抜けた。恐怖に心臓が破裂しそうだった。
「うっ……」
 腕の中で小太郎が吐いたのを感じて正気に戻った。
「大丈夫、小太郎君?」
「ネギか?」
 辛そうな表情でネギを見上げる小太郎の体は怪我だらけだった。
「かっこ悪いな自分……」
 自嘲する様に呟くと、ネギは思わず首を振った。
「そんな事無いよ! あんな強い人にあんな風に戦えて凄いって思ったよ!」
 ネギの叫びに、小太郎はポカンとした表情を浮べると、笑みを浮べた。
「なら、もっと頑張らなアカンな……」
 小太郎が呟くと、ネギは首を振った。
「もういいよ、小太郎君」
「あん?」
 小太郎が胡乱気な表情でネギを見た。
「小太郎君は関係無いから……、これ以上戦って傷つく必要は……」
「なら勝てんのか?」
 小太郎の鋭い一言に、ネギは何も言えなかった。正直、勝てる気がしない。そもそも生物としての規格が違い過ぎる。
「なら、黙って手ぇ借りとけや。ええか? どっかで聞いた言葉なんやけど……」
「え?」
「いい女っちゅうのは、男を巧く使える奴を言うらしいで?」
「いや、私は……。って、それより小太郎君はもう怪我だらけじゃない! そんな体で無理したら……」
 ネギは自分の性別について少し反論したかったが、それ以上に小太郎の怪我が心配だった。元々大怪我を負っていたのだ。それなのに、関係無い自分の戦いのせいで更に怪我を負わせてしまい、ネギは涙が溢れそうになった。
「そんな顔すんなや。ワイは大丈夫や。せやから、泣くな。ワイは狗神使いの犬上小太郎や。奥の手もまだある。それにな、男ってのは――」
 小太郎はネギの頭に手を乗せてニヤリと笑みを浮べた。
「一度始めた喧嘩は絶対に逃げたらアカンねん。これはもうお前だけの戦いやない。ワイの喧嘩でもあるんや。せやから、頼むで……。さっきは一人で戦おうとして負けちまった。だから、今度は一緒に戦ってくれ。大丈夫や、お前はワイが傷一つ付けさせへん。男は女を護るもんやさかいな」
 ドクンと、心臓が弾んだ。それが何なのか分からない。ただ、体がポカポカと温かくなってくる。それまでの恐怖とか、そういう感情が霞が晴れる様に消えていた。ネギは小太郎に言い知れぬ頼もしさを感じ、呟くように言った。
「お願い……一緒に戦って、小太郎君」
 その言葉に、一番驚いたのはネギの肩で事の成り行きを戸惑いながら見ていたカモだった。ネギが誰かを自分から頼ったからだ。明日菜の時は、緊急事態であり、明日菜も逃げる事が出来なかった。刹那との時は、木乃香というお互いに戦う理由があった。
 今回は違う。逃がす事が出来る人間を頼ったのだ。それが、ネギ・スプリングフィールドにとってどれだけの異常事態か、ネギを長く知るカモにはよく分かった。呆然としているカモに、ネギが声を掛けた。
「カモ君、どうすればいいかな?」
 ネギの声に、カモは我に返った。
「なんや? この鼬」
 小太郎がカモを見て首を傾げた。
「鼬じゃねえ、オコジョ妖精だ。って、まあいい。犬上小太郎つったか?」
「お、おう……」
 可愛らしい外見の小動物から予想外に柄の悪い声が出て小太郎は目を丸くした。
「まずは……、ヤツの情報が足り無すぎる。姉貴、それに犬ッコロ!」
「誰が犬ッコロやねん!?」
 小太郎が噛み付くがカモは華麗に無視して話を進めた。
「犬ッコロ、お前は近距離が得意みたいだが……」
「遠距離も大丈夫やけど、近距離もいけるで」
 話の腰を折る訳にもいかず、小太郎はそうそうに犬ッコロを諦めた。
「そうか、なら基本的に魔法使いと戦士の王道パターンでいくぞ」
「俺が前衛でネギが後衛やな?」
「そうだ」
 カモはジックリと小太郎を観察していた。瞳に曇りが無く、ネギが信頼を置いている事から悪い奴では無いと判断し、わざと挑発する様な事を言って様子を見たが、一回激昂したが、すぐに冷静になってそれ以上は反応しなかった。その事から、小太郎が戦闘者としてかなり使えると判断した。
 状況を的確に判断し、如何なる時も冷静になれる。そして、直感に近いが、小太郎が言った必ず護るは文字通りの意味なのだろう。コイツは自分の言葉を曲げずに、ネギを護ると直感した。何故か危険な香りもしたがそんな馬鹿なと否定して小太郎を信じる事に決めた。
「まずは力を温存し、回避に全力を尽くせ。俺がヤツの力を解析する。まずは降りてくれ、姉貴」
「う、うん……」
 突然話を振られ、それまで小太郎とカモの話を聞いていたネギは慌てて頷くと杖を降下させ始めた。地面に到達し、ヘルマンが面白そうに笑みを浮べて待っていたのを見て、カモは目の前の存在がどういう性格かを理解した。
 自分に挑む者を歓迎するタイプだ。カモはヘルマンを見ると口を開いた。
「さっきの魔法……“赤い竜(ペンドラゴン)”の力……。それに、“神の御子殺し(聖ロンギヌスの槍)”から派生した円卓に聖杯と共に現れた血を滴らせる白い槍だな? 随分なもんを持って来るじゃねえか……。業が深すぎると思うが?」
 カモが挑発する様に言うと、ヘルマンは愉快そうに微笑んだ。
「なに、単なる伝承に基づいた魔法で構成された贋作に過ぎんよ」
「そりゃそうだ。本物の神の御子殺しはただの槍で、ただ神の御子が人々の罪を一身に受けて懺悔する為に完全無欠の肉体でありながら、自分を殺す事を許可したってだけのもんだ。神の御子やそれに連なる者を殺傷出来るってだけで、あんなビーム兵器な訳ねえよ」
「どちらかと言えば、赤龍の力の解放の為に赤龍に纏わるモノの名を使っただけの事だよ。“龍の毒息(ドラゴン・ブレス)”だと周囲一体が溶けてしまうしね」
「聖人であるゲオルギウスの討伐したラシアの悪竜のドラゴン・ブレスの事か? アレは赤龍とは違うだろ」
「なに、私が使える最上位がソレだというだけだ。それに、悪竜は聖ジョージに討伐された。アノ伝承は悪竜を異教徒に例えているのだ。赤龍の頭が何を意味するかを知ればおのずと分かるだろう?」
「神の御子を殺したのは聖ロンギヌスだが、実際はローマ政府だ。成程な……」
 カモとヘルマンの言葉の応酬に、小太郎とネギはポカンとしていた。小太郎に至ってはコイツら何言ってんだ? という感じである。戦おうと身構えていたのに暢気にお喋りをしだした二人?に小太郎とネギはどうしていいか分からなかった。逆に、カモは内心でほくそ笑んでいた。
 説明好きって訳だ。わざわざ自分の質問に律儀に答える所を見て、カモはそう確信した。引き出せるだけの情報を引き出してやるぜ。カモは自分に出来る戦いに身を置いていたのだ。
 だが、カモの目論見はヘルマンの笑いによって消え去った。
「ハッハッハッハ、しかし君は只のオコジョ妖精にしておくには勿体無いな。それほどの知識を持つとは。では、私の正体は掴めたかね? 少しは塩を送らねばあまりにも一方的だから答えて進ぜたのだが?」
 ヘルマンの嘲笑にも似た笑いに、カモは歯軋りをした。つまり、ネギと小太郎が相手にならないから少しは自分の力を解析させて勝負を楽しめる様にしようと――そういう訳だ。
「もう一つ大サービスで教えてあげよう。ドラゴン・ブレスほどでは無いが、ロンゴミニアドも魔力を大幅に削る魔法だ。もう今夜中に再びは撃てないだろう」
 その言葉を真に受けるわけにはいかなかった。真実と虚像を見極めなければならない。
「さて、もういい頃合では無いかね? 君達の力を私に見せてくれたまえ」
 左手を腰に、右手を前に構え、挑発する様にヘルマンは笑みを浮べていた。
「ヘッ! なら、行くで!」
 瞬間、小太郎が飛び出した。五人に影分身してヘルマンを囲う様に襲い掛かる。
「影分身!? 東洋魔術かよ……」
 カモの驚愕の声が響く。
「足りんな。経験も、速さも!」
 ヘルマンは小太郎の攻撃が当る瞬間に、不可視の速度で飛び上がった。
「――――ッ!?」
 ヘルマン目掛けてネギの雷の矢が降り注ぐ。ヘルマンはフッと笑みを浮べると右手を軽く振るだけで全てを消し飛ばした。
「おおおおおおおお!!」
 背後から小太郎の拳が迫った。
「甘い!」
 ヘルマンは反対の手で魔弾を小太郎に放つ。直後、小太郎の背後から大量の狗神がヘルマンに襲い掛かった。
「フッ、やるな少年!」
 ヘルマンは笑みを浮べると空中で瞬動を発動した。
「虚空瞬動も使えんのか……」
 カモの言葉が響く。ネギはヘルマンが移動した先に杖を構えていた。
「雷の投擲!」
 凄まじい雷光を放つ槍が一直線にヘルマンに迫った。
「いい連携だ、ネギ・スプリングフィールド君!」
 ヘルマンは賞賛の言葉と同時に右手でネギの雷の投擲を叩き落した。その背後からさっき回避した狗神と、反対側からも小太郎の気弾が降り注いでいた。
「息もつかせぬ連続攻撃……正解だよ、少年少女よ!」
 両腕を左右に広げ、ヘルマンは強力な衝撃はを放った。それだけで狗神と気弾両方を消滅させる。その間にネギは詠唱を唱え続けている。
「吹け、一陣の風。『風花・風塵乱舞』!」
「狗神喰らえ! 黒狼爪牙・一閃!」
 ネギが範囲攻撃でヘルマンの動きを封じ、小太郎がヘルマンの命を狙う。即席とは思えぬ完璧な呼吸だった。
「だが弱い!」
 ヘルマンは地面を強く蹴ると――瞬間、地面が捲れ上がり、壁となってネギの魔法と小太郎の狗神を防いだ。それでも、二人は攻撃を止めない。
「連弾・雷の102矢!」
「狼月剣舞!」
 ネギの杖からは102本の雷の矢が放たれ、両腕を左右に広げて気を両手の爪に集中させた小太郎が腕を交差させる様に振り下ろすと、三日月型の気弾が無数に展開しネギの矢と共にヘルマンに迫った。それらをすべて右手だけで叩き落すヘルマンに小太郎が距離を詰める。
「破軍狼影!」
 両手を何かを持っているかの様に近づけ、両手の掌の間に狗神を集中させ、小太郎はヘルマンに向けて放った。巨大な狗の顔を象る狗神がヘルマンを喰らおうと口を開いた。
「なんと面妖な……。だが、面白い!」
 それを手刀で一刀両断にすると、ヘルマンは拳を小太郎に向けて振り上げた。
「合掌爆殺!」
 小太郎は一瞬で距離を詰めるヘルマンの拳が当る前に両手に気を集中させて両手を叩いた。瞬間、爆風が起こり、小太郎の体は遥か後方に吹飛ばされた。ヘルマンの拳は空を切り、小太郎は見事に着地して見せた。
「来れ雷精 風の精 雷を纏いて 吹きすさべ 南洋の嵐 ”雷の暴風”!」
 すかさずネギの魔法がヘルマンに襲いかかる。雷を纏った竜巻は大地を蹂躙しながらヘルマンに襲い掛かる。
「これは避けた方が良さそうだな」
「避けさせへんわ! 大怨驚!」
 小太郎は両腕に気を集中させ連続で気弾を放った。
「この程度!」
 防ぐまでも無いとヘルマンは右手を縦にしたが一瞬動きが鈍った。その直後、ヘルマンに雷の暴風が襲いかかった。
「グオオオオオオオオオオッ!!」
「やった!」
 思わずネギが叫ぶと、次の瞬間に、小太郎がネギを抱く様に抱えて真横に跳んだ。直後、さっきまでネギが居た場所を直線状に地面が抉れた。雷の暴風が切り裂かれ消滅し、そこには服だけがボロボロになったヘルマンの姿があった。
「嘘だろ……」
 それが、小太郎のものなのか、カモのものなのかは分からなかったが、自分も同じ気持ちだった。ヘルマンの眼光は些かの衰えも無く、体についた埃を落とすかのような調子で服を叩いた。すると、破けていた服までもが修復されていく。
「化け物かよ……」
 カモの呟きに、ヘルマンは凄惨な笑みを浮べた。
「ああ、そう。私は化け物だ。人間では無い。嬉しいよ、ネギ・スプリングフィールド君。あの時は何も出来なかった無力な子供だったのが、ここまで力を付けるとは! ああ、見たい……もっとだ、君の力の全てが見たい。さあ、見せてくれ、君の実力を!」
 瞳に狂気を宿らせたヘルマンの叫びに、ネギは疑問を抱いた。
「あの……時?」
 ネギの呟きに、小太郎は眉を顰め、カモはハッとなった。
「そう、あの時だ! 覚えているだろう? この顔を……」
 瞬間、ヘルマンの姿が変った。老紳士の姿から、のっぺりした龍頭の人型の悪魔へと――。
「あ、ああ……」
 ネギはわなわなと震えた。眼を見開き、声が出なくなった。
「悪魔――しかも、アイツは!」
 カモはその存在をしっていた。ネギの記憶の中で最も色濃く巣食う炎の惨劇。その最終幕でネギの父、ナギ・スプリングフィールドによって最後に倒された、あの龍頭の悪魔だった。
「知っとるんか!?」
 小太郎が目を見開いてカモに声を掛けるが、カモはネギに声を掛けていた。
「姉貴! 落ち着いてくだせえ! 奴は仇かもしれねえけど、冷静さを欠いたら――!」
 カモの叫びに、ネギは全く反応を示さなかった。小太郎は眉を顰めた。反応が無さ過ぎた。さっきまでの震えも止まり、顔は俯いていて表情が見えない。
「オイ、アイツ誰なんや!? 何を知ってるんや!?」
 小太郎の叫びに、カモが答えた。
「数年前に姉貴の故郷は滅ぼされた。奴は、その滅ぼした奴達の一人だ」
 苦々しげに言うカモの言葉に、小太郎は目を見開いた。
「故郷を……滅ぼされた!?」
 耳障りな高笑いが響き渡る。一瞬、小太郎とカモはそれがヘルマンのモノだと考えた。だが、ヘルマンにしては声が近過ぎるし、何よりも声のトーンが高すぎた。
 笑っていたのは――ネギだった。瞬間、ネギの姿が掻き消えた。
「――――ッ!?」
 三者が驚愕した。ネギは一瞬でヘルマンの頭上に現れると、凄惨な笑みを浮べて雷の魔力をヘルマンに叩き付けた。一瞬硬直したヘルマンはギリギリで回避すると、その背後にネギが一瞬で回りこんでその背中に直接雷の魔力を叩き込んだ。
「見つけた……見つけた見つけた見つけた見つけた見つけた見つけた見つけた見つけた見つけた見つけた見つけた見つけた見つけた見つけた見つけた見つけた見つけた見つけた見つけた見つけた見つけた見つけた見つけた見つけた見つけた見つけた見つけた見つけた見つけた!!」
 あまりに異常なネギの姿にヘルマンまでもが目を見開き、ネギの姿を見失った。
「やっと見つけた――」
 背後からゾッとする程甘ったるい声が聞こえ、ヘルマンは背後に魔力を篭めた腕を振るった。その腕は空を切りネギの杖がヘルマンの腹部に当った。
「雷の暴風」
 ヘルマンは遠くはなれた場所に一瞬で移動したが、その表情は驚愕に染まっていた。
「正気か君は!? あれでは自分も消し飛ぶぞ!?」
 ヘルマンの声は、ネギの笑い声に掻き消された。
「アハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ!! 貴方に会いたかった。父さんが倒した貴方に。だって、貴方を倒せれば私は父さんに近づけたって事でしょ?」
「なに!?」
 ネギの言葉にヘルマンはおろか小太郎とカモも絶句した。まるで、村を襲った事などどうでもいいという風にすら聞こえたからだ。
 次の瞬間、それが間違いだと理解した。ネギの瞳に正気など無かった。その瞳は狂気に支配され、怪しい光が爛々と煌いていた。
「まさかアイツ……」
 小太郎は目を見開き、呻くように叫んだ。
「怒りと憎悪に精神が支配されて……“魔力暴走(オーバー・ドライブ)”を起している。精神が錯乱してるんだ……」
 ネギは杖を横に薙いで背後に一瞬で移動したヘルマンに顔も向けずに魔法の矢を放つ。ヘルマンは人間の姿に戻っていた。躍る様にネギのサギタ・マギカを避ける。拳で魔弾を叩き落しながら笑みを深める。
「まだまだ足りんな。それでは私に届かぬよ?」
「アハハハハハハハハハハハハハハ!!」
 ネギは心底愉快そうに笑い声を上げると、詠唱を始めた。
「暴走していても詠唱はするか、とんでもないな」
 楽しそうに笑みを浮べながらヘルマンは呟いた。
「雷の投擲!」
 ヘルマンは手刀で雷の槍を真っ二つに両断した。瞬間、四方八方から光の魔弾がヘルマン目掛けて豪雨の如く降り注いだ。
「こんなものかな? これは少々買いかぶり過ぎたか……ッ!?」
 雷の豪雨を回避し、ネギの背後に現れたヘルマンはそう呟いた瞬間にネギの姿が崩れ、光の魔弾が爆発するように広がった。
「幻影!? 芸達者なモノだな!」
 一発被弾したが、傷一つ付かずにヘルマンはネギを賞賛したが、ネギは魔弾による攻撃を止めなかった。
「休む事無き連続攻撃――」
 雨の様に降り注ぐ雷の魔弾を避けながらヘルマンはニヤリと笑みを浮べるとネギに向かって一気に距離を詰めた。
「我が術式の特徴は“竜”。嵐と雨の敵対者にして、女神イナラシュに疎まれし、海の支配者よ『洪水の象徴(イルルヤンカシュ)』!」
 瞬間、ネギの体を巨大な水の檻が束縛した。呼吸が出来ずに苦しげにもがいている。
 ヘルマンは呆然として見ていた小太郎達も水の牢に閉じ込めた。ヘルマンは視線をネギに向ける。
「これほどの狂気を隠していたとはね――壊してみるのも一興か」
 笑みを浮べたヘルマンの声が響く。
「あの村で、私は多くの者の命を奪った。そう言えば、ナギ・スプリングフィールドと戦う前に一人の老人を殺したな――」
 その言葉に、ネギの体が一瞬震えた。
「中々に勇敢だったが、私の敵では無かった。虫けらの様に殺してしまったよ」
 ヘルマンの言葉に、ネギの目が見開かれた。
「君はあの惨劇の原因を知っているのかね?」
 水中の中でネギの動きが止まった。ヘルマンは愉悦の笑みを称え、口を開いた。
「君はあの日見た筈だ。根源を――」
 嫌だ、聞きたくない。そんなネギの心を読んだかのようにヘルマンの笑みは深まる。
「そう、君は理解しているのだ。あの事件が誰のせいか。君は私を憎んでいるのではない。――違う、憎む事が出来ない」
 止めて……聞かせないで……。ネギの心がギシリと軋む。
 今迄押し隠していたモノのメッキが少しずつ剥がれていく。ヘルマンの言葉は止まらない。
「さぁ、君の中にある闇を引き摺り出そう。懺悔の時だ、ネギ・スプリングフィールド君」
 ヘルマンの言葉が、ネギの傷を切開する。
「君は狂気に身を置いているが正気は失っていない。私と戦う事で父に手が伸びる。君は今、本心からそう思っているのだろうね。私を憎しみで対面できないで居るのだ。その理由は簡単だ。君が私を憎む――それ即ち自身の罪を認める事に他ならない」
 止めて止めて止めて止めて止めて止めて。心が拒絶する。けれども聴覚はより一層敏感になり、ヘルマンの言葉のメスを容易に心へ招き入れる。
「あの夜、多くの者が死んだな。老人や大人だけだったと思うか? あの夜にメルディアナに非難する筈だった子供達が全員キチンと脱出したと信じるかね?」
 呼吸が完全に停止する。“死”という名の逃げ道に誘われるが、ヘルマンは水牢を操りネギの呼吸を強制的に再開させる。
「死なせはしない。君の心の内を曝け出すがいい、ネギ・スプリングフィールド君。あの夜、ある数人の子供が居た。彼らはかくれんぼをしていたのだよ。だが、鬼役の子供は大人達に連れて行かれ、隠れていた子供達は鬼に見つかるのを恐れて出て来なかった。結果――、沢山の子供を同時に急いで逃がそうとした大人達はその子供達を見落とした」
 ――聞きたくない。止めて。それ以上話さないで。ネギの心のメッキが徐々に剥がれ落ちていく。分厚く張られた心の護りが壊れていく。
「子供達は殺された。ただ殺されただけではないぞ? 悪魔の中には嗜虐心の強い者も居る。拷問し、陵辱し、殺した。君に分かるかね? 生きながらに眼球を摘出され、爪を剥がされ、内臓を喰われるのを見せ付けられ、悪魔の種子を身に植えつけられながら絶望の内に死んでいく者達の嘆きが――」
 気付いていた。あの村で生き残った子供達の内、何人かが居ない事に――。
「あの日、男も女も老人も関係無く次々に無残な死を遂げた。それは一体誰のせいだったかね?」
 知っている。知らない筈が無い。あの夜、自分は会っているのだから。あの夜に惨劇を起した元凶に。あの日出会った、全てを狂わせた存在――。
「そうだ、あの日、君があの者を招いてしまったのだ。全て君のせいだったのだよ――。君があの日あの者に出会わなければ、あの村の者達は死なずに済んだ。そう、君の従姉妹の女性も死なずに済んだ――記憶を消して正気を取り戻した? いいや違う。殺したのだよ、あの日、惨劇に立ち会った君のお姉さんは死んだのだ。心を壊し尚も君を護り続けたお姉さんを君の父親は無残に殺したのだよ。記憶を消すという方法でね」
 ヘルマンが指を鳴らすと、ネギを捕らえていた水牢だけが崩れ落ちた。ネギの体が地面に叩きつけられるが、反応が無い。
「壊れたか、ならば――死ぬがいい。絶望を抱えて」
 そう呟きながら深い笑みを浮べたヘルマンが腕を掲げた瞬間、ヘルマンの体が遥か彼方に吹飛ばされた。
「ええ加減にしときや自分。こっからは、ワイが相手になるで」
 そこにはネギを護る様に、白い光を放ち、瞳が縦に伸び獰猛な金色の輝きを称え、牙を生やし、袖を捲くった腕に真っ白な長い体毛が見え、腰まで髪を伸ばした小太郎の姿があった。



[8211] 魔法生徒ネギま! [第三章・悪魔襲来編] 第十七話『麻帆良防衛戦線』
Name: 我武者羅◆cb6314d6 ID:2d108988
Date: 2010/06/09 21:51
魔法生徒ネギま! 第十七話『麻帆良防衛戦線』


 月明りの下、麻帆良と外の狭間にある森のアチラコチラで巨大な爆風が起こり、竜巻が生じ、氷の柱ができ、雷が大地を蹂躙している。麻帆良は一つの街であり、その広さは埼玉県の約十分の一を占める。その広大な敷地の外周で、麻帆良全体の魔法使い、術師、剣士が戦闘を行っていた。
 人手不足の為に伝令以外は戦闘魔法使い以外の魔法使いまでも駆り出されている状況だった。麻帆良学園本校女子中等学校から一番近い境界の森でも、凄まじい戦闘が行われていた。
「クソッ、なんという数だ!」
 魔弾を眼前に犇めき合う様に蠢く魔物の群れに放ちながらガンドルフィーニは呻いた。
「黙って動け! 一体でも取りこぼせば生徒達に被害が及ぶんだぞ!」
 神多羅木の叱咤の叫びに、侘びを入れながらも、ガンドルフィーニの顔には苦渋が混じる。
「殲滅か……」
 それは、数分前に発せられた近右衛門による全魔法使いへの命令だった。
『今宵の敵は数が多く、実力も並では無い。現在全ての戦闘可能な者達を引退しておった者も含めて16歳以下の未熟な魔法生徒以外は全員出撃させておる。つまり、一体でも取りこぼせばそれが大惨事へ繋がる! よいか、今宵は殲滅戦じゃ。魔物も魔法使いも捕らえたり保護をするという考えを捨てよ! 今宵は殺害を許可する。16歳以下の魔法生徒に関しては拒否の権利を与えるが、その場合は戦闘に出る事を禁ずる。今宵は殲滅戦じゃ! 逃げる者は追わんでよいが、それ以外の者は生かすな! 隙を衝かれて学園内に進入されれば生徒達に危険が迫る! 繰り返す、今宵は殲滅戦じゃ!』
 それは、敵を人間も魔物も関係無く殺せという命令だった。その命令に拒否は許されない。何故なら、そうしなければ一般の生徒達に危険が迫るからだ。
 ガンドルフィーニと神多羅木の戦場から離れた場所で、一人の女性が雷光を纏った太刀を振るっていた。
「どうなってるのよ、今迄黙っていた連中まで……」
 一人口を言っていると、視界の隅で巨大な鬼が炎の塊を吐こうとしているのが見えた。
「雷光剣!」
 黄金の光が爆風の様に広がり、次の瞬間に女性、葛葉刀子の周囲には焼け焦げた木々と地面しか残っていなかった。
「折角今夜は彼とディナーの約束だったのに……、許さん!」
 刀子は凄まじい速度で森の中を駆け抜けながら容赦無く麻帆良に攻め込む敵の軍勢を駆逐していった。
 麻帆良学園全体の戦いは熾烈を極めていた。
「ディグ・ディル・ディリック・ヴォルホール! 渦巻け疾風『風爆』!」
 神多羅木の翳した掌の先に風の球体が発生し、神多羅木は風の球を目の前の悪魔の軍勢の中心に向けて放った。風の球体は一瞬ボーリングの玉程だったのをビー玉並みに小さくなり、次の瞬間に爆発した。風の爆発を至近距離で受けた悪魔は体を吹飛ばされ、木に叩き付けられたり、木の枝に串刺しにされた悪魔が元の世界へ還って行く。そのまま怒り狂い襲い掛かってくる悪魔や鬼、違う術者に召喚された者同士が一斉に神多羅木に襲い掛かるが、手首のスナップに気を乗せて次々と悪魔達の首を刎ねて元の世界へと還して行く。
「今の所強くて騎士クラスか……。だが――」
「ああ、恐らくは上位クラスの悪魔や鬼も現れるだろう……」
 神多羅木の呟きにすぐ傍で魔法を放っているガンドルフィーニが答えた。
「しかし、こう数が多くてはいずれ疲弊して、必ず見落としが出てくるぞ――」
 ガンドルフィーニが吐き捨てる様に言った。
「コッチが殺す気で戦ってるのに相手さんも気付いたのさ。それで尚逃げないのはつまり――」
「相手も殺陣の構え――という訳か」
「奥さんと子供も麻帆良市内だろ? 無理はするなよ?」
 神多羅木の言葉に一瞬ポカンとすると、ガンドルフィーニは苦笑いを浮べた。
「だからこそ、一体たりとも中には入れられんのだから……、多少は無理しないとね」
「フッ――」
 神多羅木の風の魔弾が悪魔達の首を刈り取り、ガンドルフィーニが燃やす。悪魔も鬼も魔物も魔法使いも術師も関係無い。既に全力での戦闘をかなりの時間続けている。
 先の見えない状況で、ガンドルフィーニと神多羅木はさすがに疲労を禁じえなかった。悪魔達の攻撃が一斉に発射される。炎や雷、吹雪、岩石塊、礫、風あらゆる属性の攻撃が同時に放たれている。
「風よ、我等を!」
 神多羅木の手の先に旋風の障壁が顕現する。
「拙いな、避けた方が懸命だったか……」
 神多羅木は猛烈な魔力消費に舌打ちをしながら風の障壁の風の流れを読み、手首のスナップに乗せた気弾を空いている手で放った。
「一気に消し飛ばしたい気持ちで一杯だが………」
 ガンドルフィーニは風の障壁から抜け出して悪魔達に炎の魔弾を浴びせかけた。
「敵はまだまだ増える。馬鹿な真似は出来――――ッ!?」
 悪魔達の砲撃が止み、風の障壁を解除すると神多羅木は突然目の前に降り立った巨大な悪魔に一瞬体が固まってしまった。
「しまッ!?」
「神多羅木先生!」
 ガンドルフィーニが思わず振り返ると、その背後に一体の鬼が現れた。
「クッ!」
 ガンドルフィーニの脳裏に、一瞬麻帆良市内に居る妻と子の顔が過ぎった。
「終わりか……」
 魔法の発動が間に合わない。発動しようとしている間に自分は肉塊になってしまうだろう。それを悟ったガンドルフィーニは目を瞑った。
「すまん、二人共……」
 その時、どこからか少女の声が響いた。
「敵を喰らえ、『紅き焔』!」
 瞬間、自分の前方で途轍もない熱さを感じて目を開いた。ガンドルフィーニの眼前で、悪魔達が焔に焼かれながらのた打ち回り元の世界へ還っていく。神多羅木の方に視線を送ると、神多羅木の目の前には巨大な仮面をつけた漆黒のマントを身に着けたナニカが神多羅木を護るように君臨していた。
「あれはッ!?」
 ガンドルフィーニが視線を彷徨わせると、少し離れた場所で二人の少女が呪文の詠唱をしていた。助かったという安堵と同時に、寒気がした。
「何をしに来た!」
 悪魔達に焔の魔弾を浴びせながらガンドルフィーニが叫んだ。今夜の戦闘では16歳以下の魔法生徒は例外を除いて戦闘に参加させない意向だった。
 殲滅戦であり、下手をすれば未熟な精神が汚染されてしまう可能性があり、殺されてしまう可能性も高いからだ。二人の少女、麻帆良学園の聖ウルスラ女子高等学校に通う二年生の高音・D・グッドマンと麻帆良学園本校女子中等学校に通う今日から二年生に上がったばかりの佐倉愛衣だった。
 二人共正義感が強く、恐らくは今宵の戦いを放っておく事が出来なかったのだろう。高音は複数の陰を出現させ、数対を自分と愛衣を守る為に残し、残りを魔物の軍勢へ走らせた。愛衣は爆炎を巻き起こし、敵を駆逐していく。
「申し訳ありません。ですが、どうしてもジッとしている事が出来なくて……」
 高音の謝罪に視線を向けずに愛衣も謝罪する。正直言えば、二人が来なければ自分も神多羅木も生きては居ない。その事には感謝しても仕切れないほどだ。だが、このまま一緒に戦うという選択肢を取る事は大人として出来なかった。
「君達は帰りなさい。さっきは助かった。本当だ。感謝している。だが、今夜は殺人も已む無しの状況だ。相手もそう考えている。分かるね?」
 ガンドルフィーニは極力優しく諭す様に言うが、高音も愛衣も首を振るだけだった。
「私達は“立派な魔法使い”を目指しています……。自分の身近で戦いが起こっているのに、黙って安全な場所で眠っているなど出来ません!」
「お姉さまの言うとおりです。私達だって戦えます。先生達と一緒に戦えます!」
 高音と愛衣の言葉に、ガンドルフィーニは涙腺が緩みそうになってしまった。自棄になっている訳でも無い。判断力が無い訳でも無い。状況が分かっていない訳でも無い。それでも、二人は戦うと言うのだ。麻帆良学園の為に――。
 立派だと感じた。尊重させてあげたいとも思った。だが――。
「駄目だ!」
「先生!」
「私たちは……」
 ガンドルフィーニに反論しようとする二人の少女に、ガンドルフィーニは優しく微笑みかけた。
「明日も学校があるんだ。今日は残業が長引く。君達は明日の為に寝なさい。今日は始業式で疲れているだろう? ここは――大人に任せなさい」
 ガンドルフィーニは敢えてそう言った。帰る理由と、大人に任せなさいという大人への遠慮を強要させ、二人を戻す為に。だが、二人は首を振った。
「私達は逃げません!」
「先生達と一緒に戦います!」
「しかし!」
「ガンドルフィーニ!」
 ガンドルフィーニが言う事を聞かない二人に声を上げると、神多羅木が叫んだ。やんわりとした笑みを浮べている。
「お前の負けだ」
「だが、今夜の戦いは!」
「俺達はなんだ?」
「は?」
 ポカンとするガンドルフィーニに、神多羅木はガンドルフィーニの背後に迫った鬼の首を落としながらニヒルに笑みを浮べた。
「大人だ。大人ってのは、子供を導き、子供を護り、子供の為に道を開くもんだ。そうだろ? 死なせなければいい、それだけだ。二人共、魔法使いを殺さなくていい。俺達がお前達をサポートする。やってみろ」
 神多羅木の言葉に、ガンドルフィーニは盛大な溜息を吐き、高音と愛衣は顔を輝かせた。
「はい!」
 二人の声が重なった。
「全く、これでますます、今夜は忙しくなるな」
 諦めた様に言いながら、ガンドルフィーニの顔には笑みが浮かんでいた。瞬間、周囲に凄まじい光の波が襲った。
「これは!?」
 ガンドルフィーニが驚愕の叫びを上げ、高音と愛衣が悲鳴を上げた。
「千の雷――学園長か!?」
 神多羅木の言葉に、ガンドルフィーニ達は天高く巻き上がった土煙が竜の形を象るのを見ながら寒気を覚えた。
「あれが学園長先生の魔法?」
 愛衣が呆然としながら呟くと、その背後に迫った鬼を神多羅木が還した。
「さあ、俺達は俺達の戦いに専念するんだ」
 神多羅木は最後にもう一度だけチラリと土煙の竜が暴れる遠方を見て、再び呪文を詠唱し始めた。手首のスナップに乗せた気弾を放ちながら。

 時刻を少し遡る。麻帆良学園と外を繋ぐ境界の森の一角で、木々が薙ぎ倒され、地面に幾つものクレーターが出来上がっていた。その中央に、一人の男が君臨している。その場を支配する王が如く。その口には余裕の現われか煙草が咥えられ、独特な香りが周囲を満たしている。
「さあ、実力の違いは分かっただろう――帰れ、これ以上戦うと言うならその命を奪わなければならなくなる」
 銀髪のオールバックに銀の薄縁の細眼鏡を掛けたブラウンのスーツを着て両手をポケットに入れている男――高畑.T.タカミチが最終通告を行っていた。それは懇願にも近い。命を刈り取る事を良しとしないタカミチのせめてもの慈悲だった。
「巫山戯るな! 今宵こそは麻帆良を落としてくれる!」
「西洋魔法使いの狗共が! 貴様等に臆する道理は無い!」
 魔法使い達の叫びにタカミチは歯軋りをした。
「馬鹿な……。近衛近右衛門学園長が戦線に立っているんだぞ!」
「なに!?」
 タカミチの叫びに、何人かの呪術師が反応した。近衛近右衛門――その名は日本の魔術師達にとっては畏怖と嫌悪と憧憬の象徴だった。西洋魔法使いに組した裏切り者でありながら、関西呪術協会の長の義父であり、日本最強の魔法使いでもある。
「今ならば間に合う、逃げるなら追いはしない! だが、二度と戻るな!」
 タカミチの叫びに、何人かの呪術師が逃走を開始し、直後に天空から凄まじい雷が降り注いだ。
「――――ッ!?」
 一瞬にして悪魔も鬼も魔術師達も周囲の木々や草花や地面と共に一瞬にして蒸発してしまった。深く抉れた先に真っ赤に溶解している地面が見える。タカミチが絶句していると、その背後から声が響いた。
「逃げる者は追わんでいいと言ったが、逃がせとは言っておらんぞ?」
 声の主は誰あろう近衛近右衛門その人だった。凄まじいプレッシャーにタカミチの身が竦んだ。全くの無表情に冷水の如き冷たい口調が恐怖を誘う。
「だからお主は師に追いつけぬのじゃ」
 その言葉が重く圧し掛かった。歯を食い縛りながら、タカミチは別の戦地へと駆け出した。
「若いのう」
 しみじみと呟きながら、己の放った『千の雷』の余波で舞い上がった土煙に向けて掌を掲げる。
「契約により我に従え、砂漠の覇王……『砂塵の大蛇(ナーガ・ラジャ)』」
 近右衛門が手をグルグルと回すと、砂煙が集まりだし、やがて巨大な中国の伝承にある龍神の様な姿を象った。近右衛門は大地を蹴ると、遥か上空の砂塵の龍の頭に飛び乗り、下界を見下ろした。
「呪術師と魔法使いに何処か連携の様なものがみられる……。何者かが裏で操っておるのか――」
 一人呟くと、砂塵の龍を操りながら防衛線の穴を攻める敵達に近右衛門は右手を掲げた。
「来れ深淵の闇、燃え盛る大剣。闇と影と憎悪と破壊。復讐の大焔! 我を焼け、彼を焼け、そはただ焼き尽くす者……『奈落の業火』!」
 瞬間、大地が炎の海に沈んだ。あまりにも壮絶な光景だった。夜闇が炎の明かりによって紅蓮に染まる。やがて敵を蒸発させ尽くした炎は火種一つ残さずに消え去った。
 直後、近右衛門の砂塵の龍を囲う様に巨大な鬼が出現した。見上げるような、それでも近右衛門からは見下ろす形になるが、それでも巨大なビルの様な大きさの鬼が出現した。
「鬼神か……。全く、嫌われたもんじゃわい。じゃが、その程度じゃ麻帆良は落ちんよ」
 近右衛門は砂塵の龍を維持したまま呪文を詠唱し始めた。
「百重千重と重なりて走れよ稲妻。『千の雷』!」
 天空から稲妻の柱が伸び、鬼神を貫いていく。囲んでいた鬼神を数秒で滅ぼし尽くすと、小さく息を吐いた。
「さすがに衰えておるな……」
 連続した大魔術の連発の為に魔力を一気に放出した近右衛門は強い倦怠感を感じながらもそれを表情に出さずに砂塵の龍を操り境界の森を見回り続けた。どんな小さな人影も見逃さず、死体も残さずに焼却しながら――。

 その光景を遠目に見ながら、肌の黒い銀髪のシスターが小さく溜息を吐いた。
「どうしたんスか、シスターシャークティ?」
 傍で周囲を見渡しながらネギのクラスメイトである春日美空が不思議そうに首を傾げた。
「アレですよ」
「んん~?」
 シャークティの視線の先を見ると、そこに巨大な炎が巻き起こり、かと思えば凄まじい雷の柱が何本も出現し、その合間を縫う様に巨大な龍が宙を飛んでいる。
「何だあれ~~~~ッ!?」
 美空の叫びが周囲に木霊した。
「学園長ですよ。さて、貴女が騒いだおかげでどうやらお客様ですわ」
 シャークティが振り向くと、そこには視界を埋め尽くす程の大量の魔物の軍勢が犇いていた。
「って、いつの間に~~~!?」
「貴女は下がっていなさい」
 言うと、シャークティは大量の十字架を取り出して虚空に放り投げた。
「全く、魔法使いとの仲を取り持とうとしている私達の苦労も知らずに――。私達の苦労を水の泡にする事は断じて許しませんわ」
 放られた十字架が次々に増殖し、襲い掛かる悪魔達に対して壁になる。
「わたくしの術式は“十字架挙栄祭(ラ・クルシフィキション)”。さあ懺悔の時間です」
 両手を広げたシスター・シャークティに悪魔達が牙を剥き炎を吐き出す。
「天にまします我らの父よ」
 悪魔の吐き出した炎は十字架の壁によって防がれる。
「願わくは御名を崇めさせたまえ」
 シスター・シャークティは小さな小瓶を取り出し、その栓を抜いて中に入っている聖水を横に散らし、縦に振り撒いた。聖水の十字架が虚空に浮かぶ。
「御心の天になるごとく地にもなさしめたまえ」
 魔物達から苦悶の声が響く。体が溶けていくかのような苦しみに、魔物達はのた打ち回っている。
「始めに言があった、言は神と共にあった。言は神であった。この言は初めてに神と共にあった。万物は神によって成った。成ったもので言によらずに成ったものはなに一つなかった。言の内に命があった。命は人間を照らす光であった。――“無二還レ(イン・プリンシピオ)”」
 瞬間、暖かく柔らかく、どこか怖気の走る程に清らかな浄化の光が周囲を覆った。直後、視界を埋め尽くすように蠢いていた魔物達が一体残らず消滅していた。
「やった! さっすがシスター・シャークティ!」
 美空が大はしゃぎで隠れていた木から飛び降りてくると、シスター・シャークティは首を振った。
「未だ終わっていませんわ――」
「へ?」
 美空がシスター・シャークティの指し示した方向に顔を向けると、そこにはさっきと同じくらいの大量の魔物の軍勢が犇いていた。
「うぎゃ~~~~~ッ!!」
 耳を劈く様な悲鳴を上げる美空にシスター・シャークティは溜息を吐くとさっきと同じ様に十字架を壁にした。
「下がっていなさい美空」
 シスター・シャークティの言葉にコクコクと頷いて美空が隠れると、シスター・シャークティは右手を掲げて五本の十字架を十字架の壁から更に高い位置に浮かせ、十字架の形を取らせた。
「我はキリストの御名において厳命いたす。いかなる箇所に身を潜めていようとその姿をあらわし、汝が在るべき場所に還るがよい。消え去るべし、いずこに潜みおろうと消え去り、二度と神の創りし今世を求める無かれ。父と子と聖霊の御名により、今世から離れよ。さもなくば汝らの魂は彼の世ですらも拒絶される。それでも我は汝らの為に祈りを尽くそう。――“主よ、憐れめよ(キリエ・エレイソン)”!」
 シスター・シャークティの詠唱が終わると、いつの間にか魔物の軍勢の頭上に移動していた五本の十字架から光が溢れた。魔物達の顔に安らかな表情が浮かび、やがてその姿が陽炎の様に薄れていき――消え去った。
「かっけ~、てかこれって魔法なの!?」
 美空が目を輝かせながら騒ぐと、シスター・シャークティは小さく溜息を吐いた。
「これこそが信仰の力なのですよ。相手が何者であろうと許す。これこそが神の教えなのです。異端と言い、誰かを罰するというならば、只の一度も己が罪を犯さなかったのかを一度見つめ直さなければならないのです。悪魔や魔法使いもまた神の被造物なのです。ならば、全ての被造物には神の痕跡が見出されるのです。それに例外などなく――」
 シスター・シャークティは慈愛に満ちた表情を浮べた。
「――“汝らのうち、罪を犯した事のない者が最初に石を投げよ”。ヨハネ福音書八章七節の石打ち刑に処せられようとしていた女を主イエスが救った時の言葉です。神の教えを正しく理解せず、異端を狩るなどと――それこそが神に対する冒涜に違いないのです」
 キラキラと後光すら差して見えるシスター・シャークティに、美空はどこか遠い距離を感じた。
「何言ってるか分かんねえ……」
 遠い目で美空はシスター・シャークティを見ていた。

 同時刻、暗い森の中に絶え間なく銃声が鳴り響く。重なる悲鳴によって恐怖が伝染し、魔法使い達は躍起になって狙撃手を配下の悪魔達に探させている。
「私の居場所が分かるかな?」
 ニヒルな笑みを浮かべ、ネギのクラスメイトの一人、龍宮真名が改造の施された魔銃のスコープを覗き込みながら呟いた。スコープから覗いた先には怒声を上げながら周囲を見渡し続ける魔法使いや魔物の姿がある。
「しかし、多過ぎるな。術者を狙っては居るが、さすがに全員は表に出てきていないのも居るか――」
 舌打ちしながら、魔銃の弾丸を新たに装填し直す。
「どんな調子ネ、龍宮さん?」
「超か? ああ、中々に使い勝手がいいな。だが、広範囲に影響を及ぼす弾丸が欲しい。術者だけを狙うにも限界があるのでね」
 背後に突然現れた団子髪の少女、超鈴音に真名は疲れた様に言った。
「いったんラボに戻ればあると思うネ」
「持ち場はいいのか?」
「“機体番号:T-ANK-α・試作型”達はハカセに任せてるヨ」
「そうか、なら頼むよ。代金は学園長に請求してくれ。今回は大仕事だからな、がっぽり報酬を貰わなければならんな」
「目玉飛び出る額を請求するといいネ。じゃあ、取ってくるネ」
「ああ、頼むぞ。さて、私は狙撃に戻るとするよ」
「がんばるよろし」
 超がラボに戻るのを見送ると、真名は小さく息を吸った。
 長時間の狙撃は骨が折れるのである。

 ――麻帆良学園内にある笠円山の『笠円寺』。
「まったく、近右衛門もいい加減に引退すればいいというのに――」
 遠目に見える砂塵の龍を見ながら呆れた様な口調で呟くのは一人の老僧だった。
「てか爺さん、アンタも歳なんだぜ? いい加減俺に任せて御山に戻ってろよ」
 黒の法衣に金色の袈裟を着けた老僧に、アロハシャツを着た長髪を首の後ろで縛っている金髪の青年が面倒そうに言った。
「馬鹿もん! 今夜は敵が大挙して攻めて来ておる。お前のようなうっかりした小童に任せてられんわ! 任せろというならまずはせめてその馬鹿みたいな髪を剃らんか!」
 老僧の喝が飛ぶが、青年は口笛を吹きながら聞き流す。
「へぇへぇ……ッと! 式が帰って来た。アッチに敵さんが集まってるらしい。爺さんはココで待ってな。俺が片付けてくるぜ」
「待たんか法生!」
 老僧の言葉に顔だけ振り向き法生はウインクするとジーンズのポケットから独鈷杵を取り出した。
「任せとけって、爺さん!」
 森の中を駆け抜け、式から得た情報にあた場所に辿り着くと、そこは既に戦場になっていた。
「臨める兵、闘う者、皆陣をはり列をつくって、前に在り!」
 九字を切り、刀印で中央を切り鬼達を相手にしているのは法生と同い年くらいの巫女服の女性だった。法生はその姿を見てやる気が一気に上がり口笛を吹いた。同時に、法生の式が素早い速度で女性を背後から襲おうとした悪魔を一瞬で切り裂いた。
「――――オンキリキリバザラバジリホラマンダマンダウンハッタ! オンサラサラバザラハラキャラウンハッタ!」
 法生の呪文を聞いた途端に、鬼や悪魔は苦しみだした。
「なに!?」
 女性が驚いて振り返ると、苦しみながら一体の鬼が女性に襲い掛かった。
「きゃあ!?」
「オンアミリトドハンバウンハッタ!」
 女性を庇う様に鬼と女性の間に体を押し込み、法生は呪文を唱えて独鈷杵を振るった。直後、鬼は火傷を負ったかのように煙を体から発して呻いた。
「オンビソホラダラキシャバザラハンジャラウンハッタ! オンアサンマギニウンハッタ! オンシャウギャレイマカサンマエンソワカ!!」
 呪文を詠唱し終え、法生が独鈷杵を地面に突きつけると、空間を赤い光が包み込んだ。
「浄化の光……不覚、寺の不良息子に助けられた」
「惚れると火傷すんぜ? 龍宮神社のバイトの梅ちゃん」
「梅って呼ぶな! 苗字で呼べ!」
「やなこった……っと、楽しいお喋りは今夜は無しかな?」
「楽しくないけど……今夜は忙しいわ」
「んじゃ、一緒に頑張ろうぜ?」
「一人で頑張ってなさい!」
 そう言うと、梅は一気に鬼達に向かって走り出した。口笛を吹き、式に援護させながら法生はその姿をニヤニヤ笑みを浮べながら見ていた。



[8211] 魔法生徒ネギま! [第三章・悪魔襲来編] 第十八話『復讐者』
Name: 我武者羅◆cb6314d6 ID:2d108988
Date: 2010/06/09 21:52
魔法生徒ネギま! 第十八話『復讐者』


 白銀の閃光が暴れ狂う。獰猛な獣の唸り声と殺気が迸り、空間を支配していた。黄金に輝く縦に切れた眼光が真っ直ぐに漆黒の老紳士を貫く。
「“人狼(ウェアウルフ)”――。狗神との憑依率を最大まで上げたか。同種の――犬は犬の、馬は馬の、そして……人間はヒトの霊魂を憑依させるがシャーマニズムの常道。その常道を破り、畜生の霊魂を憑依させた者は肉体をも変化させると聞く。なるほど――」
 ヘルマンは興味深げに小太郎の白銀に輝く肢体を見つめた。小太郎の殺気も視線もまるで意に介さず、ヘルマンは口の端を吊り上げた。
「しかし不可解だな。君はネギ・スプリングフィールドと出会ったのは今夜が初めての筈だろう? 何故、そうまでして護ろうとする? 惚れたのかね?」
 不愉快な笑みを浮べるヘルマンに、小太郎は鼻で笑って返した。
「アホ抜かすなや。ワイはワイの信念で動いとるだけや。それに――ワイの故郷も昔滅ぼされた」
 その言葉に、蹲ったままのネギの体が僅かに震えた。カモが駆け寄り、必死に結界を展開するが、あまり効果があるようには見えない。それでも、カモに出来るのはそれだけだった。
「それで同情したのかね? 浅はかだな少年、君のソレは自己満足に他ならないぞ」
 見下すように宣言するヘルマンに、小太郎は不適な笑みで返した。
「ワイの村を滅ぼしたんは、俺の師匠や。裏切って、けったいな連中とつるみよった。ワイの里で生き残ったんはワイだけやった……せやけどな、ワイは自分を責めへん」
「自分一人が生き残った事に罪悪感は無いのかね?」
「んなもんあらへん。ただ、ワイは誓った。必ずあの裏切り者をこの手でぶちのめす。そんで、死んでいった奴等の分まで生きる。それが、ワイの責任の取り方や――」
 小太郎はヘルマンに顔を向けたままで叫んだ。
「ネギッ! お前はどうなんや?」
 小太郎の怒声にも近い叫びに、ネギの体が震えた。顔を上げたネギの顔は水牢の水が滴っているが、その瞳からは水では無いナニカが止め処なく溢れている。
 グシャグシャな表情で、口を開くが、言葉が何も出なかった。空気の抜ける様な音がするばかりだった。
「姉貴……」
 カモはその姿を辛そうに見つめたが、顔を逸らさなかった。一番近いモノとして、ネギが大いなる一歩を踏み出すのを見届ける責務があると悟ったからだ。カモは、ネギが過去の事を悲しく思っているだろうと思っていた。それでも、ここまで狂気に落ちてしまう程辛い思いをしていたとは分からなかった。何かを言いたい。その願いを、胸の奥底に押さえ込む。
「立ち止まるのは簡単や。忘れるのも、顔を背けるのも、責任を転嫁させんのも――せやけどな、自分の責任からは目を逸らすな!」
 小太郎の言葉が、ネギの胸に深く突き刺さった。逃れようとした“責任(罪)”を目の前に突きつけられた様な気持ちだった。僅かに震える様に、ネギは懸命に唇を動かすが、喉から声の元となるモノが上ってこない。
 ヘルマンはその様子を興味深げに見つめていた。
「お前は生き残ったんか? ちゃうやろ、お前は生かされたんやろ?」
 その言葉にネギの目が見開かれた。
「ワイはな、お前の事情なんか知らん!」
「自信を持って断言する事かね?」
 半ば呆れた様な口調でヘルマンが言うが、小太郎は無視した。
「せやけど、ワイにも分かる事があるんや。自分を責めて自己満足に浸ってんのはただの逃げと同じなんや!」
 なんつう言い草だ。ヘルマンとカモの心が僅かに通じ合った。仮にも女の子と思っている相手に対して言う言葉としては遠慮とか優しさとかが決定的に欠けていた。
 それでも、ネギは顔を上げて小太郎の背中をジッと見続けた。自分と同じ故郷を失ったという少年の背中を――。
「生かされたなら、生かしてくれた奴等に感謝しろ! そんで、前を向いて自分のやらなあかん事をしっかり自分で見つけろ!」
 小太郎は目を細め、右手をゴキゴキと鳴らし細く息を吸う。
「結局お前は何も始まってなかったんや。せやから、いい加減、始めたらどうや? お前の、お前自身の物語って奴を! ワイも千草の姉ちゃんに導いてもらった。せやから、お前が前に踏み出す障害があるなら――ワイが取り除いたる!!」
「やれやれ、古き良き物語の一節の様だ。だが少年、君の立ち向かうべき障害は途方も無く高い壁だぞ?」
 ヘルマンは先程のサディスティックな表情から一変し、穏やかな、それでいて愉快そうな笑みを浮べながら小太郎を真っ直ぐに見つめていた。
「ハッ! 壁は壊すもんや。それにな、最初に言ったやろ? 女に手ぇ出して、その上泣かせる様な奴にワイは負けへん。それにな、千鶴の姉ちゃんも返してもらわなあかんねん。この右手の拳でテメエを倒す!」
「好き勝手言ってくれるね……。私の事全然知らないで――」
 小太郎は一瞬目を見開くと、ヘッと笑みを浮べた。袖で顔を拭い、肌に張り付いた髪を右手で抓む様に丁寧に剥がし、ネギが杖を持って立ち上がった。
「会ったばっかなんや。最初からなんもかんも知っとったらそっちの方が不気味や」
「そうだね……」
 アハハと微かに笑い声を上げながらネギが答えた。
「聞いてもいいかな?」
「なんや?」
「小太郎君は見つけたの? 自分の道を――」
 小太郎は頷いた。
「俺はあの裏切り者をぶっ倒す!」
「あれだけ言った後に結論が復讐なのかね?」とヘルマン。
「矛盾してんぞおい……」とカモ。
「全然後ろ向きじゃない……」とネギがそれぞれ呆れた様に言った。
「うっさいわ。最後まで聞かんかい! そんで、ぶっ倒したら狗神を後世に伝えるんや!」
「でも結局復讐はするんだな……」
 カモの言葉に、小太郎は視線を泳がせる。
「こういう時は相手を許すという結論に至るのが常道というモノでは無いのかね?」
「んなもんはどっかの聖人君主にでも任せたらええねん! やったらやり返す! それの何が悪いんや!」
「酷でぇ!? ちょっと良い事言うなと思った俺が馬鹿みたいじゃねえか!」
 小太郎のあまりの言い草にカモは頭を抱えて怒鳴り散らした。
「ワイが言いたいんは、只立ち止まってウジウジすんなって事やねん! 何でもええ、前に進む! それだけでええねん!」
「常道で言うならば、復讐等という事はきっと死んでいった人達は望んでいないと思うが?」
 完全な棒読みでヘルマンが尤もらしい事を言った。
「んなもん関係あらへん! これはワイの我侭や、それでも押し通す。一度決めたんや。例えそれが馬鹿な事だとしても、ワイは止めへん!」
「…………………」
 さっきまでの説教は何だったんだ? そう突っ込みたくなるが、突っ込んでも疲れるだけな気がしてカモは溜息を吐いた。すると、突然辺りに笑い声が響いた。楽しげな、暖かい笑い声だった。
「姉貴?」
 カモはお腹を抱えて笑っているネギに心配そうに声を掛けた。おかしくなってしまったのか? 一瞬そんな考えが過ぎったが首を振ってその馬鹿な考えをかなぐり捨てた。
「もう何だよ。あんなに私に好き勝手言う癖に自分は我侭ばっかり……」
 不満そうな言葉使いだが、ネギは僅かに潤んだ瞳を右手の人差し指で拭いながら晴れやかな笑みを浮べていた。
「何だか、ウジウジ考えてた私が馬鹿みたいじゃん」
「へ、我侭上等! ウジウジ悩むのはもう止めたんか?」
 可愛らしく頬を膨らませて不満を言うネギに、小太郎は片目を閉じて唇の端を吊り上げながら尋ねた。
「分かってて聞いてるなら意地悪だよ?」
「なら、下がっときや。お前の大事な一歩はワイが踏み出させたる」
 小太郎の言葉に、ネギは首を振った。口に笑みを浮べたまま――杖を構えて、ネギは小太郎の横に立った。
「私は自分の足で踏み出すよ。でも、やっぱり、一人だと自信が無いかな」
 その言葉に、小太郎はニヤリと笑みを浮べる。
「なら、ワイが手助けしたる。戦うで、ネギ!」
「うん、一緒に戦おう、“小太郎”!」
「漸く、呼び捨てにしたな。なら、締めて掛かんねえとあかんな!」
 二人の姿を見ながら、ヘルマンは黒いハットを顔を隠すように押えた。
「少年――。いや、犬上小太郎。ネギ・スプリングフィールドの戦意を復活させた。ここまでの事を考えての言葉だったのか? そうだとすれば……実に興味深い!」
 ヘルマンは唇の端を歪めた。心底楽しそうな笑みを浮かべ、右手で帽子を押えたまま左腕を大きく広げた。
「悪魔としどうかとは思うが、ネギ君、君を壊そうとした時よりも……、こうして君が過去を乗り越え再び私に牙を向けた。この状況が、先程の数段も楽しいと感じているよ。さあ、来たまえ。乗り越えて見せるがいい、だがここからは私も全開だ。油断無く、躊躇いも無く、君達を殺しに掛かる。だからこそ、決死を賭して挑むが良い!」
「言われるまでもねえ。こっからが、本当に最後の戦いや……ってあれ?」
 瞬間、先程まで空間を埋め尽くしていた白銀の輝きが消え去った。小太郎は目をパチクリとさせている。ネギとヘルマンは硬直し、カモは「は?」と間抜けな声を発した。
 小太郎の獣化が解けてしまっていた。
「えっと……小太郎?」
 ネギが恐る恐るといった様子で声を掛けると、小太郎はダラダラと汗を流した。
「タ……」
「た?」
 ネギが小首を傾げる。
「タイムオーバーや。憑依術式に使える魔力……、使い切ってもうた」
「はい!?」
 ネギだけでなく、カモやヘルマンまでもが硬直した。
「ま、待ちたまえ! 今、私か~な~り、かっこいい台詞を言ったんだぞ? これからクライマックスの戦いが始まるのだぞ!? どういうつもりだ少年!」
 ヘルマンはやり場の無い憤りを感じて柄にも無く叫んだ。
「じゃかあしいわヴォケ! 大体、お前らがいらん事ゴチャゴチャ抜かすさかい、余計な時間喰っちまったんやないかい!」
「って、どうすんだよ!? 何か切り札出したから勝てるかな? とか思ったのに!?」
 カモの悲痛な叫びが木霊する。
「知るか! 大体、本当ならもう少し獣化し続けられる筈やったんやで!? それやのになんや力は制限されるし魔力の消費は激しいし……」
 その瞬間、小太郎とヘルマンとカモの一人と一体と一匹は気が付いた。学園結界だ~~~~!! と心の中で叫んだ。
 犬上小太郎は侵入者であり、幾らネギと共闘していても結局は侵入者なのだ。力が制限されているのだ。その上、獣化というパワーアップによって世界樹が小太郎を危険視し、魔力の消費量を増加させたのだ。
 悪魔であるヘルマンならばそんなに変らないだろうが、人間の子供である小太郎の魔力は勢い良く消失してしまったのだ。
「何でお前は侵入者なんだ!?」
「侵入したからや!」
 カモの悲鳴にも近い叫びに、小太郎もギャーギャーと喚き返した。万事休す――そう思った時、ネギが口を開いた。
 瞬間、ネギの表情に小太郎は顔が熱くなるのを感じた。カモは直後にネギの口から出る言葉に途方も無く嫌な予感がした。顔を赤らめ、若干俯きながら僅かに潤んだ瞳で上目遣いに少しモジモジした動作でネギが小太郎に顔を向けた。
 な、何やこの気持ち!? 未だ嘗て感じた事の無い胸の鼓動に、小太郎は戸惑いが隠せなかった。水牢の水でシットリ塗れた真紅の髪がどこか艶やかさを演出している。睫にも雫が付着していて、それが余計に蠱惑的であった。更に最悪だったのは――水に塗れた制服が僅かに透けてしまっていたのだ。
 幸いだったのかは分からないが、その日はキチンとブラジャーをしていたので最悪に最悪を重ねる事は無かった。薄っすらと透けた制服に映ったのは、あの日に刹那が選んだ少し子供っぽいピンク色のリボンが付いたブラジャーだった。
 小太郎は中学一年生に上がったばかりだ。アダルトな下着を見ても、エロを感じる事は無い。どちらかと言えば、育ててくれた千草がよく関西呪術協会の呪術師達が寝泊りする寮で暮らしていた時、平気で下着姿で闊歩し、その時に大体黒や赤という小太郎にとっては趣味が悪いとも思える下着を身に付けており、むしろネギがそういうのを身に着けていたなら冷静さを取り戻せたかもしれないが、ネギの身に着けていた子供っぽい下着が、逆に小太郎の中のナニカに触れた。頭の中が沸騰したかの様に熱くなる。ネギはそれに気が付いていないらしく、モジモジしながらも全く下着を隠していなかった。
「その、私と小太郎が仮契約すれば、小太郎も学園の人間として認められるんじゃないかな? それに、魔力も私から回せば……」
 段々小さくなっていくネギの言葉に、カモは真っ白になった。元から白い毛皮が青白くさえ見える。茫然自失し、カモの瞳にナニカが溢れた。
 俺っちを罠から外してくれた兄貴、俺っちと一緒にお風呂に入って一緒に遊んだ兄貴、俺っちにご飯を食べさせてくれた兄貴、ネカネの姉さんの下着を掻っ攫った時に鬼神の様に怒り狂ったネカネの姉さんを静めてくれた兄貴…………ああ、ネカネの姉さんやアーニャに何て言えば…………。いやいや、未だだ。諦めたらそこで終わりなんだ――。そうだ、ちょっと仮契約するだけじゃないか。落ち着け、落ち着くんだ俺! そうだ、相手はほんのガキじゃないか! そうだぜ、何考えてるんだ俺は。大体、姉貴は今は姉貴だけど本当は兄貴なんだ。そうだ、そんな馬鹿な事ある筈が無い。そうだ! そうだとも! 将来黒髪の女の子や赤髪で犬耳な男の子と一緒に野原を駆け回る想像なんてする必要無いんだ!  と僅か一秒の間にそれだけの思考を巡らせると、カモは一言呟いた。
「――――信じやすからね?」
 その言葉が、どうしてかネギに転校初日のアスナの顔を思い出させた。
「う、うん……?」
 カモがチラリとヘルマンに視線を向けると、どこか遠い目をしながら、
「思春期……、いや敢えて濁して言うならば青春の煌きというものか、些か眩しいものがあるな」
 訳の分からない事を言っていた。
「てか、いいのかよ? さっき全開で行くとか言ってたのに」
 カモが何ともなしに聞くが、直ぐに馬鹿な事を聞いたと頭を抱えた。気紛れで待ってくれているのだとしたら、態々自分からそのチャンスを棒に振るなど愚かにも程がある。
「別に構わぬよ。私の勝利は揺るがぬし――」
 それは、紛れもない事実を述べている口調だった。
「私としてはネギ君と小太郎君の実力の全てを見てみたいと願っているのでね。都合良く、我が主殿はコチラへの監視を出来ぬ状況のようだしね」
「何?」
 カモはヘルマンの言葉に怪訝な表情を浮べた。
「エヴァンジェリン・A・K・マクダウェルが思いの他抵抗しているようだな。封印されてはいても、さすがは闇の福音と謳われるだけはある」
「随分な余裕じゃねえか、自分の主が危機に陥ってるってのによ?」
 地面にチョークで魔法陣を描きながらカモは不審げにヘルマンを睨んだ。
「なに、我が主が負ける事は有り得ぬさ」
「エヴァンジェリンさんは負けません!」
 それまで黙っていたネギが叫んだ。エヴァンジェリンの強さを身を持って知っているネギは、キッとヘルマンを睨みつけた。
「って、小太郎何してるの?」
 何故かネギの前でネギの体を隠す様に両手を広げている小太郎を不審げに見た。
「気にすんな」
「そ、そう……」
 小太郎の謎の行動に空気が弛緩し、カモはさっさと魔法陣を描き終えた。
「えっと、綴りの間違いは無しと。マスターを姉貴に、犬ッコロは従者と……よし! 準備出来やしたぜ姉貴!」
 カモの言葉に、心臓が大きく跳ねた。
「ってか、仮契約って何やねん?」
「……………………」
 今更過ぎる質問にネギはガックリと肩を落とした。瞬間、ネギはハッとなった。
「えっと、これから仮契約する訳で……」
 チラリと小太郎に視線を向けると頬が熱くなり、頭が沸騰したように茹った。
「えっと……、あれ? 何するんだっけ? あれ? 私何してるんだっけ……?」
 世界が歪んで見える。足元がフラつき、体がよろめいた。
「危ね!? 何してんねん自分?」
「な、何でもないよ」
 抱き抱えられる様に小太郎に助けられ、ネギは訳の分からない感情に困惑した。その二人の姿に、ヘルマンは一人「これもまた常道というモノだな。正解だ、少年。しかし……緊張感が続かないものだな。未だ若い、状況判断が甘いな。摘み取るのは惜しい気もするが――さて……」と小さな声で呟きながら、目を細めた。
「しかし……敢えて未来の光を闇に塗り潰すのもまた面白い――」
 ヘルマンは愉悦を含んだ笑みを漏らしながら、未来を背負う二人の“子供”を見つめた。
「あの者が傍に居る限り心配は無いが、長いな……」
 ヘルマンは遠くを見据えながら、帽子を深くかぶり直した。
「三度目の恋か。ランの少女に恋し、少女ビヨンデッタとなりファウストへ愛を捧げた人を愛する悪魔よ」
 ヘルマンはチラリと顔を赤くしながら魔法陣に入るネギと、仮契約の説明を受けながら困惑している小太郎を見た。
「うむ、恋とは素晴らしいモノだ。その強き思いを退けられるかね? 闇の福音よ」
 ヘルマンは自嘲を漏らした。
「それは、私にも言えた事か。どれだけの力の差があろうとも、覆すのは常に思いの強さ。悪意であれ、好意であれ、その思いの強さこそが運命を分ける。少し、昔を思い出すな」
 夜闇を見上げながら、ヘルマンは光り輝く閃光を視界の隅に感じた。
「さて、漸くだ、ネギ・スプリングフィールド君。犬上小太郎君。今度こそ死合おうではないか。改めて名乗ろう、我が名はヴィルヘルムヨーゼフ・フォンへルマン。伯爵クラスの悪魔也!」
 漆黒のハットを押えながら、ヘルマンは高らかに宣言した。今宵、最後の戦いの幕開けを――。

 同時刻、麻帆良学園本校女子中等学校の学生寮から校舎までを繋ぐ道に衝撃が走った。フィオナと名乗った少女の放った漆黒の魔弾をエヴァンジェリンは受け止めていたが、その表情は優れない。ただでさえ、既に夜の警備で魔力を消費していたのだ。既にフィオナの攻撃をまともに喰らい、額から血を流している。満月のおかげで若干魔力が回復しているが、封印のおかげで力が出し切れずにエヴァンジェリンの体はよろめいた。
「エヴァちゃん!」
 明日菜が思わず駆け寄るが、エヴァンジェリンは片手で明日菜を制した。
「来るな――。お前達は寮に戻れ。今夜は殲滅戦の令が出された。刹那、お前は16歳以下だ、拒否できる。万が一の事を考えて木乃香の下へ帰っておけ」
「しかし――ッ!」
 刹那は殲滅戦の命令を念話で聞いていた。その理由――現在、麻帆良全域で戦闘が起きている事も知っていた。本当ならば木乃香の下に一も二も無く駆けつけるべきだと理解しているしそうしたいと思っている。それでも、この状況でエヴァンジェリンを一人残す事――それがどういう事かを考えた時、刹那の足が止まった。
「行って、刹那さん」
「明日菜……さん?」
 口を開いたのは明日菜だった。
「私は残る。けど、刹那さんは木乃香を護って!」
 明日菜の言葉に、エヴァンジェリンが舌打ちをした。
「お前もだ神楽坂明日菜。どちらにせよ足手纏いになる。残った所で邪魔になるだけだ――」
「――申し訳ありません。エヴァンジェリンさんの事は貴女に――。ですが、決して無理はしないよう」
 そう言って刹那は走り去って行った。本当は残すべきでは無いだろう。理性では分かっていたが、一方で、アスナを説得など出来ないと深い所で理解していた。
 それに、明日菜の実力は並では無い。明日菜の意思を尊重すべきだろう――刹那は即座に判断を下したのだ。例えここで自分と共に一端引いたとしても、必ず彼女は戦場に戻ってしまうだろうから。神楽坂明日菜という少女はそういう人だから。
「任されたっ!」
 ニッと笑みを浮べながら、明日菜は体に異常が無いかを確かめた。腕が捩れ、血だらけになっていた刹那程では無いが、明日菜も地面に何度も叩きつけられ、常人ならば数度は死んでいただろうダメージを受けていたのだ。
 殆どのダメージはアーティファクトの甲冑が軽減したが、それでも体中がズキズキしている。それでも、それをおくびにも出さずに神楽坂明日菜はハマノツルギを片手にエヴァンジェリンを護る様に前に足を踏み出す。
「って、話を聞かんか!」
 明日菜の甲冑の布部分を掴んで引っ張りながらエヴァンジェリンが怒鳴る。
「痛った~~~~~!?」
「ほれ見ろ言わん事ではない。貴様は素人なのだから引っ込んでいろ! 立ち上がるのもやっとなんだろ実は!」
 エヴァンジェリンが髪を逆立てながら怒鳴るが、明日菜はニャハハ~と笑みを浮かべる。
「でも、エヴァちゃん一人で戦わせられないでしょ? やっぱ――」
「何故だ、貴様には関係無い! むしろ邪魔だ、どっか行け!」
「酷ッ!?」
「五月蝿い、さっさと失せろ! 邪魔だしうざいし目障りだ」
「ちょっ!? 友達にその言い草は無いでしょ!?」
「誰が友達だ、誰が!? 貴様とは友達になった覚えは無い!」
「貴様とはって事はやっぱネギの事友達だって思ってるんだ~」
「なっ!? 五月蝿いぞ貴様! 大体状況が分かっているのか!? 下手したら死ぬんだぞ!? 幾ら万年ドベの馬鹿レンジャーを率いるリーダー、バカレッドだとしてもそのくらい理解出来る知性はあるだろ、無いのか? そこまで馬鹿なのか!?」
 徐々にエヴァンジェリンの怒鳴り声と内容に明日菜の目が涙目になっていく。
「うにゃ~~~! そこまで言わなくてもいいでしょ!? 馬鹿って言った方が馬鹿だもん!エヴァちゃんの馬鹿~~~~!!」
「小学生(ガキ)か貴様、頭だけでなく精神年齢も小学生並なのか? ならばそれこそサッサと帰れ! 子供は寝る時間だぞ!」
「未だ八時だし、私小学生じゃないし!」
「一緒だ馬鹿者! さっさと帰れ、馬鹿!」
「うっ…………」
「う?」
 エヴァンジェリンはその時になって漸く明日菜の様子がおかしい事に気がついた。肩が振るえ、唇が震えている。
「ど、どうした?」
 恐る恐るエヴァンジェリンは声をかけて我に返った。
「って、何してるんだ私は! 敵との交戦中だぞ!」
 そこで気が付いた。何故か敵の攻撃が来ない事に――。不信に思い顔をフィオナに向けようとすると。
「うえ~~~~~~~~ん!! そんなに馬鹿馬鹿言わなくてもいいじゃない!! 私だって好きで馬鹿な訳じゃないもん!! エヴァちゃんの馬鹿~~~~~!!」
 明日菜が泣き出した。盛大に声を張り上げて――。
「…………え? マジ泣きか!? え、私のせいなのか? だって、お前いつも学校で馬鹿馬鹿言われてたじゃ……実は気にしてましたとかそういうオチなのか!?」
 気を引き締めようとした矢先に明日菜が本気で泣き始め、エヴァンジェリンは目を見開いてアタフタし始めた。すると、辺りに笑い声が響き渡った。
「は?」
 エヴァンジェリンが笑い声の主を探すと、驚いた事にその声はフィオナのモノだった。清らかな川のせせらぎの様に美しい声色で――。
「何がおかしい!?」
 段々恥しくなり、エヴァンジェリンが怒鳴ると、フィオナは笑い声を止めてエヴァンジェリンに顔を向けた。
 直後、エヴァンジェリンの視界からフィオナの姿が消えた。凍るほど冷たく、細い鋭利な感触が喉を滑る。僅かな痛みと、僅かな液体の流れる感触に、今漸く何をされているのかを理解した。背後から蕩ける様な甘い声が響く――。
「――おかしいもん。だって、私から大切な人を奪った貴女が大切な人と戯れている姿を見れるなんて、ちゃんちゃらおかしいもの」
 心臓が破裂するかと思った。喉がカラカラに渇く。そんな感情は既に無くした筈だ。違う、隠していただけだ。長い平穏な時間と、自分を友達と――、一人の人間として扱ってくれた者と出会った事で、忘れていた。
「ヤメロ」
「何を?」
 吐き出す様に――懇願する様に呟く。それを、フィオナは楽しそうに首を傾げてみせる。
「ソイツは関係無い、帰してやれ……」
 呼吸の仕方を忘れたかの様に、肺に酸素が届かず、脳が酸欠を起して視界がチカチカと明滅する。
「だって、これで貴女にも分かって貰えるでしょ? 大切な人が殺される気持ちが――」
 その言葉で、エヴァンジェリンの思考が再開された。今更偽善を気取るつもりも無いが、だからと言って神楽坂明日菜(自分を友達と言って護ろうとしてくれた者)を殺させていい通りは無い。
 自分は間違い無く“悪”であり、それを否定するつもりは無い。殺されようが仕方ない。それだけの事をしてきた。だが、黙って殺されるつもりは無い。向かってくるならば構わない――歓迎してやる。只、返り討ちにしてやる。
 自分は“悪”だ。否定のしようも無い程に。だからどうした、悪が誰かを護ってはいけないなんてルールは存在しない。エヴァンジェリンは魔力を掌に集中させた。
「ソイツに手を出すな!」
 直後に、エヴァンジェリンの視界に鮮血の花が舞った。エヴァンジェリンの瞳がこれ以上なく見開かれる。
「あ、ああ……」
 真っ赤な視界。
「嘘だ……」
 彼女の笑顔が過ぎった。そんな事があっていいのか? 肉片がエヴァンジェリンの頬に付着した。飛び散った血潮がエヴァンジェリンの服にこびり付いた。
 フィオナの姿は無い。視界の中で一つのオブジェがゆっくりと大地に倒れ伏した。呼吸が止まる。心臓が痛い程に弾み、なのに体中の体温が低下した。
「私は……何をしているんだ?」
 “神楽坂明日菜”の体から血が噴出している。呆然としながら、エヴァンジェリンは明日菜に歩み寄った。
「おい、神楽坂明日菜……?」
 震えながら声を掛けるが、明日菜は返事を返さない。当然だ。肩から腰に掛けて斜めに三つの溝が体に刻まれているのだから。生きている筈が無い。魔法使いならば或いは生き延びる事が出来たかもしれないが、素人である神楽坂明日菜が、これほどの怪我を負い生き延びる事など出来る筈も無い。内臓が破壊されているかもしれない。ショック死かもしれない。分かるのは――神楽坂明日菜が呼吸を停止させているという事実のみ。
「貴様アアアアアアアアアアアアアア!!」
 エヴァンジェリンは怒りのままに吼え、集中していた魔力を怒りに任せてフィオナ・アンダースンに向けて放った。闇の魔力が篭められたソレは、されどフィオナ・アンダースンには届かなかった。
「アハッ! 泣いてるの? 散々皆にそういう思いをさせてたのに泣けるんだぁ。そんな感情無いと思ってたよ」
 愉快そうに笑みを浮べながら言うフィオナの言葉に、エヴァンジェリンは歯が砕けんばかりに歯を噛み締めた。
「黙れ……」
「アハハハハハ! その娘が本当に大切だったんだね。おっかしい、六百年も生きたのに一人が嫌だったの? でも、その娘が死んだの誰のせい? 私のせい? でもさあ――」
「黙れエエエエエエエエエ!!」
「貴女がその娘と関りなんて持たなければ、その娘は死ななくて済んだんじゃないかな?」
 笑みを浮べながら言うフィオナの言葉がエヴァンジェリンに重く圧し掛かった。理解している。そもそも、神楽坂明日菜がコチラ側を知ってしまった原因を作ったのも自分だ。
 限界だった――。瞬間、エヴァンジェリンの居た場所が爆発した。
「絶望を抱えて――死んじゃえ」
 笑みを絶やさずにフィオナは呟いた。その掌には魔力の残滓が残っている。
「お前がな――」
「え?」
 フィオナが振り向いた瞬間、エヴァンジェリンの右手から鋭く伸びた真紅の爪がフィオナの修道服を僅かに切り裂いた。
「驚いた。未だそんな力が残ってたんだ~。でも――」
 瞬間、フィオナの姿は消え、エヴァンジェリンの背後に漆黒の爪が伸びた。
「見えているぞ――」
 フィオナの漆黒の爪撃は空を切った。直後、上空から氷の魔弾が降り注ぐ。苦悶の表情を浮べながら、氷の魔弾を放ったエヴァンジェリンの背後に、フィオナが回りこみその右手には漆黒の魔力が宿っている。
 舌打ちしながらエヴァンジェリンは虚空瞬動で地面に墜落する様に急ぎ、地面に着いた瞬間に三回地面を蹴りフィオナから距離を取った。
「驚いちゃったぁ。意外と頑張るね。封印されてるのに、そんなにその娘が大事だった?」
 その言葉に、エヴァンジェリンは視線だけで並の者ならば殺せる程の殺意を篭めた眼差しをフィオナに向けた。
「さあな、私は悪の魔法使いだ。そんな感情など無いさ」
「どうかなぁ。今の貴女、きっと私と同じ思いなんじゃないかな? なら、私の思いを分かってくれるよね? それなら、黙って私に殺されるのが筋じゃない?」
 フィオナの言葉を鼻で笑い飛ばし、エヴァンジェリンは残る全ての魔力を集中し、持っているだけの魔法薬を取り出した。
「寝言は寝て言え。見せてやる――、闇の福音と謳われた私の真の力をな!」
「真の力? 封印されてるのにまだ何か出来るの?」
 嘲笑うかの様なフィオナの視線を受けながら、エヴァンジェリンは目を細めた。
「見るがいい。リク・ラク・ラ・ラック・ライラック……」
 エヴァンジェリンは魔法薬を全て虚空に放った。
「我が魔力の全てを掛けて……、貴様を殺す。来たれ氷精、闇の精。闇を従え吹けよ常夜の吹雪。『闇の吹雪』。術式固定――掌握」
「自分の魔法を……自分に向けてる?」
 フィオナはエヴァンジェリンの行動を呆然としながら見た。エヴァンジェリンは自分の体を抱き締める様にしながら魔法の力を自分に向けて放っているのだ。
「魔力充填――これが、私が作り上げた秘技だ。『術式兵装・闇雪暗氷』」
「へぇ、面白そう――」
 そう言った瞬間に、フィオナの漆黒の爪撃がエヴァンジェリンを切り裂き、エヴァンジェリンの体は陽炎の様に揺らめいた。
「え?」
「“闇の魔法(マギアエレベア)”。自身の体に取り込んだ魔法の属性の特性を得る。闇は捕らえられんぞ?」
 フィオナは目を見開いた。漆黒の魔力を集中し、エヴァンジェリンに放つがエヴァンジェリンの姿は再び陽炎の様になり空気に溶ける様に消え去った。
「全開状態なら使っても意味は無い。封印状態で使えば命を危険に曝す――。だから久しく使っていなかったが……」
 エヴァンジェリンは歯噛みした。
「やはり今の状態ではキツイか……」
 コフッと血の塊が口の中まで込み上げてきた。エヴァンジェリンはペッと吐き出すと、風邪の時の様な体の痛みを感じた。骨がガチガチに固まっている様な鈍い変な痛みだ。頭がガンガンと痛む。体の中に取り込まれた“『闇の吹雪』”の凶暴な魔法の力がエヴァンジェリンの体の中で暴れ狂っている。
「封印云々以前に衰えている……。力を使わな過ぎたな――」
 別荘でならば力を振るえるが、態々毎日の鍛錬などしていない。生死を掛けた戦いを繰り返していた数百年の経験が、わずか十数年でこうまで衰えるものなのか、エヴァンジェリンは自嘲する様に俯き気に笑みを浮べた。
「アハ……アハハハハハハハハハハハハハハハハハ!!」
 フィオナの狂った様な笑い声が響き渡る。
「凄いね。そんなに大事だったの、あの女の子が?」
「さてな――。別に、深い繋がりがあった訳じゃないさ。ただ、戦って……妙に馴れ馴れしくして来て、私の事を友達なんぞとほざいて……貴様が殺した」
「――――ッ!?」
 瞬間、フィオナの立っていた場所に巨大な氷柱が現れていた。
「氷の属性の特性は捕獲だ。これで――」
「これで何?」
「――――ッ!?」
 フィオナの声は地面から遠く離れた上空から響いた。漆黒の一対二枚の翼をはためかせている。爛々と真紅の瞳を輝かせ、エヴァンジェリンを冷たく見下ろしている。その唇に笑みを浮べながら――。
「うん、やっぱり貴女は私の手で殺したい」
 そう呟くと、フィオナはゆっくりと高度を下げて地面に降り立った。
「悪いが――」
 瞬間、エヴァンジェリンの姿が掻き消えた。
「あまり時間が無いのでな。これで終わりにする――」
 エヴァンジェリンの氷の凶刃がフィオナの首を掠めた。
「うん、このくらいやってくれなきゃね。これはあの人の仇討ちだから――、簡単に殺しちゃったらつまらないもん」
 ゾッとする。フィオナの首筋には一筋に真っ赤な鮮血が零れている。首に氷刃が当ってから一瞬で背後に回った。その移動を知覚出来なかったのだ。
「変だとは思っていたが……“空間転移”か?」
 早過ぎる移動速度に、エヴァンジェリンはそう見当をつけた。よく、目にも留まらぬ速度と呼ばれるモノがあるが、それでも限度がある。どう考えても一瞬――、一秒以下で数百mの移動など在り得ない。
 万が一出来たとしても、人間一人分の質量がそんな移動をしたら体そのモノが粉砕するし、魔法で強化されていたとしても、周囲の状態が何とも無いなど在り得ない。魔法の話に物理法則を持ち出すのは無粋の極みだが、それでも地球上で行動する限り、世界の法則は付いて回る。
 それを覆すのが魔法だが、一々地面を破壊させない術式や、一瞬で爆発的な速度を出す術式、急停止する術式など、一々発動していては魔力の無駄遣いでしかない。
 ある一定以上の速度は出せても出さないのが常識だ。思考速度が追いつかずに行動も単調になるし、そういった一々術式を発動するという手間も掛かる。
 いくら悪魔の力が使えても、細かい術式を連続で発動させる必要性も見当たらない。そこから導き出したのは、空間転移だ。一瞬で遠くの場所に移動しても、周囲の状況に変化は起きないし、細かな術式も特に必要ない。
「だが、媒介はなんだ?」
 そう尋ねずにはいられなかった。“空間転移(テレポーテーション)”は通常媒介が必要だ。エヴァンジェリンも影を媒介に使う事が出来る。他にも水や炎や光や血――最近では、“互聯網(インターネット)”などでも可能らしいが。
 必ずしも媒介が無いと出来ない……という訳では無いが、媒介無しに転移をするには基本的に精神的余裕が必要だ。空間を三次元的に捉え、且つ自身の身体的特徴を完全に頭に入れてなければ、少しでも転移先がずれれば、謝って地面の中に転移してしまい少し表現し難いとんでも無い死体が一つ完成するだろう。
 戦闘中にそんな真似をするなど完全に自殺行為だ。“媒介を出口に指定し、そこから出てくる”事が通常の転移魔法なのだ。その為に遠見の魔法などと一緒に利用するのが多いが、フィオナが転移したとして、この場にあるのは夜の闇だけだ。影で転移すれば判る。だというのに、その痕跡は無く――、他に媒介に出来そうなモノは無い。
「判らない? んん~、勉強不足だよぉ? 昼も夜も場所も関係無く、殆どの場所に存在する媒介がある」
 その言葉に、エヴァンジェリンは目を見開き理解した。
「空気か!」
「正解だよ」
 瞬間、フィオナの瞳の色が変った。
「――――ッ!?」
「憑依術式を解除――ごめんね“ベル”。ここからは私が一人で戦う。え、大丈夫だよ。きっと負けない。ん、ありがとう」
 憑依術式を解除したフィオナは虚空に話しかけていた。エヴァンジェリンは目を見開いた。圧倒的に優位に立っていたのに、その優位の要因である悪魔との憑依を解く理由が分からなかった。
「余程自信があるのか? それとも――」
 エヴァンジェリンは痛む体に耐えながら、警戒心を強めた。
「安心してね?」
「は?」
「ちゃんと殺してあげるから」
 その口調は、まるで邪気が読み取れないものだった。それが余計に警戒心を強め、エヴァンジェリンは一瞬でフィオナの首に狙いを定めた。
「“吸血鬼殺しの呪術医(バタク)”」
「――――ッ!?」
 フィオナが白い粉を撒き散らし、呟いた瞬間に、エヴァンジェリンは本能的に後退した。
「グッ!?」
 僅かにかかった白い粉に、エヴァンジェリンはまるで体の血肉が外に飛び出そうとしているかの様な痛みを感じた。
「なんだ、これは!?」
「ねえ、吸血鬼ならどうして吸血鬼がニンニクが苦手なんて伝承が出来たか知ってるよね?」
「なに?」
「知らないんだ。なら教えてあげる。元々は月の女神との繋がりから、吸血鬼殺しの呪術医であるスマトラのバタク医師が反魂の術に転用したのが始まりなの」
「反魂? 魂を呼び戻す術式だと聞くが――」
「うんそう。分からない? 既に一度死んでいる“生きた死体(リビングデッド)”である吸血鬼に反魂の術なんて何よりも猛毒でしょ?」
「――――ッ!?」
 対吸血鬼用の術式――嘗て、ドラキュラを討伐したヴァン・ヘルジング大博士を始め、多くの吸血鬼ハンター達が長い年月を掛けて積み重ねて来た吸血鬼を殺す為の業だ。その恐ろしさはよく理解している。時代と共に常に変化し強力になっていく術式であり、一度は捕らえられて魔女狩りの火刑に掛けられた事もある。
「貴女を殺す為に勉強したの。真祖、始祖やオリジナルとも呼ばれる創世記にカインに起源を求めると謳われる感染では無く、呪いや魔術によって成った始めの吸血鬼。日光に強く、暗示の魔眼を持ち、強力な魔法や魔術の類を操る事が出来、吸血によって仲間を作る事の出来る魔物」
 エヴァンジェリンは視界がぼやけてきたのを感じながらも、その事をおくびにも出さず卓越した精神力で鼻で笑って見せた。
「はっ! よく調べてるじゃないか」
 皮肉を口にするが、エヴァンジェリンの表情に余裕は無かった。“闇の魔法(マギアエレベア)”も解け掛かっている。頭も石が詰まっているかの様に重く、激しい痛みが断続して襲い掛かってくる。骨が軋み、神経が剥がされる様な痛みに常人ならばそれだけで死に至れそうな程だ。
 それでも、エヴァンジェリンはフィオナから眼を離さなかった。
「それじゃあ、楽しいお喋りはお仕舞い。――これが私が貴女を殺す為に得た力」
 フィオナの唇が歪むのを、エヴァンジェリンは視界が滲み見る事が叶わなかった。
「赤き羊膜に包まれし“生まれながらの吸血鬼(クドラク)”の対立者にして、白き羊膜に包まれし災厄の魔狼――“生まれながらの吸血鬼殺し(クルースニク)”起動!」
 あまりの威圧感にエヴァンジェリンの視界が回復した。体中のあらゆる細胞が警鐘を打ち鳴らしている。ソレは真紅の十字架だった。
 まるで機械のギアの様な形の小さな円の中に十字が伸び、その先に尖端の尖った、まるで刀剣の様なモノが四方に伸びた歪な十字架だった。中央には禍々しい狼の紋章が刻まれている。
「異端を狩っていた男が今のお前を見たらどう思うかな?」
 皮肉気に唇の端を吊り上げてエヴァンジェリンは言った。フィオナは笑みを顰めた。
「きっと、怒ると思う」
「なに?」
 その余りにも呆気無い言い方にエヴァンジェリンは面を喰らった。
「あの人はいつも私を叱ったもの。だけど、それは私を思っての言葉だった。だから、私はあの人を愛したの。叱られる度に、あの人に惹かれたの。自分を救い出そうとする懸命な姿が愛おしかった。抱いては下さらなかったけど、この体の至る所に印を与えてくれた」
「異常な奴だとは思っていたが……元から気が狂っていたのか?」
 エヴァンジェリンは苦しげに息を吐きながら、異常な言葉を吐くフィオナに額から脂汗が垂れた。
「気違いめ……」
「人の愛は人それぞれよ? 喰らいなさい、クルースニク」
 フィオナは奇怪な十字架の中央のギアの様な場所を掴み、まるで巨大な手裏剣の様にエヴァンジェリンに向けて放り投げた。本当に軽く、まるで味方にドッジボールやバスケットでパスをするかの様に――。
 やがて、下降し始めようとした途端に、クルースニクは回転を始めた。真紅の糸を引く様な不気味な光が回転する十字架から溢れている。
「吸血鬼を殺すには狼という事か――」
 エヴァンジェリンは忌々しげに真紅の輝きが徐々に狼の頭部を象っていくのをにらみつけた。咄嗟に動くことが出来ない。まるで体が岩になった様な気分だった。手首を動かしながら駆け出す――。
「遅いね、もう限界かな?」
 フィオナが僅かに手首を動かすと、その動きに合わせてクルースニクがエヴァンジェリンに向かった。クルースニクに具現化した紅の狼は巨大な上半身まで出現し、凶悪な紅の光の爪を振りかぶった。
「戯言を抜かすな狂人がッ!」
 気勢を張るが、エヴァンジェリンは闇の魔法を維持しているだけでも奇跡的な状況だった。闇の魔法の特性でクルースニクの猛攻を避ける。一撃一撃が必殺の威力を持ち、四本の真紅の閃光が左から来た瞬間、右から再び四本の閃光が空間を切り裂く。だというのに、閃光が大地に触れても埃一つ立たなかった。
「かと言って、吸血鬼用の術式なんだ……油断は出来んな」
 闇の幻影で何とか回避しているが、それももってあと少し。
 まだだ。エヴァンジェリンは目を細めながら、最早視界と呼べなくなったぼやけた世界を見つめた。直感頼りの回避の連続。いつ攻撃がヒットするかもわからなかった。
 滲む視界は真紅一色に染まって、エヴァンジェリンは最早自分が何処に居るかさえ判らない状態に陥っていた。
「このままでは……巧くいっても――」
 歯噛みしながらも、意識を集中させる度に頭が耐え難い熱を放つ。
「囚われる事無き闇と全てを封じ込める氷。相反する二つの属性の特性を生かしきる……」
 エヴァンジェリンは全ての意識を集中した。直後、エヴァンジェリンの右脚が吹き飛んだ……。
「――――」
 声すらも出なかった。否、その声無き絶叫は悲鳴では無い。それは「アハ、足が吹き飛んじゃったね」場にそぐわぬほど楽しげな笑い声が溢れた。
「これで終わりにしてあげる。骨の一片も残さずに殺し尽くしてあげる」
 フィオナが右手を掲げた瞬間、クルースニクは狼の姿を消し、回転を止めて空中で静止した。
「さようなら、エヴァンジェリン・A・K・マクダウェル」
 フィオナは小さく息を吸った。
「ケンタウルスとハエに囲まれし聖なる紅の十字架よ。α-β-γ-δの四つの天を結び現在(いま)ここに顕現せよ!」
 フィオナが右手を振りかぶった。
「“南十字星の……(サザン……」
 クルースニクの姿が変貌した。紅の閃光が全く別の十字架を形作っていく。まるで、中心から十字架を“十の字”で生やした様な姿だった。フィオナが勢い良く腕を振り下ろそうとした瞬間――。
「え――?」
 フィオナの呆然とした様な声が響いた。次の瞬間、フィオナの背筋に戦慄が走った。
「術式解放、漸く捕まえたぞ――フィオナ・アンダースン!」
「嘘ッ……、いつの間に!?」
 フィオナの体には、よく見ないと分からない透明な細いナニカで拘束させられていた。幾重にも全身を縛られたフィオナは身動き一つ出来なかった。
「囚われる事無き闇の属性、あらゆるモノを封じ込める氷の属性」
 フィオナの目が見開かれた。エヴァンジェリンは闇の属性で隠した、極限まで細くした氷の糸を周囲一体に張り巡らせていたのだ。クルースニクから避ける間中指を動かしながら――。
 氷の糸と言っても、魔法の氷だ。容易くは溶けないし、それ所か圧縮された魔力によって、強度はワイヤー以上だ。
「そんな……」
 エヴァンジェリンの両手の魔法の輝きを見ながら、フィオナは絶望の声を漏らした。囚われた事で術式が解除されてしまった。再びクルースニクを起動するまでに掛かる時間と、エヴァンジェリンが既に発動準備が完了している魔法を放つのとどちらが早いか。そんな事は考えるまでも無かった――。
 エヴァンジェリンは真っ直ぐにフィオナを見た。
「安心しろ、私も既に限界を超えている。もう後数分もせずに死ぬ。“闇の魔法(マギアエレベア)”の代償に耐えられる状態じゃないし、時間が経ち過ぎた……。だが、勘違いするなよ? 私は自滅だ。お前が殺したんじゃない」
 その言葉に、フィオナは目を見開いた。その表情に怒りの色が溢れている。
「だから!」
 殊更大きな声で、エヴァンジェリンが叫んだ。
「お前はちゃんとあの世に逝け。神楽坂明日菜を死なせた罪も私が持って行く。こんな私でも、殺せば罪となってしまう。なら、出来る事をしよう。すまなかった」
 その言葉に、フィオナの目がこれ以上ない程に驚愕に見開かれた。
「エ、ヴァンジェリン……」
「さらばだ。神楽坂明日菜、私のせいで済まなかった。こんな事では償えんかもしれんが……、願わくば……いや、さらばだ」
 瞬間、エヴァンジェリンの解放した“闇の吹雪”が発動した。
「悪いが、俺のマスターは殺させねえよ」
「エヴァちゃん、勝手に私を殺さないでくれるかな?」
 直後、在り得ない声が響いた。一つは知らない男の声。もう一つは、もうこの世に居ない筈の人間の声だった――。
「なに……?」
 エヴァンジェリンの体を暖かいナニカが包み込んだ。聞こえるのは不思議な歌。エヴァンジェリンが振り向いた先に居たのは、折れ曲がった筈の腕が真っ直ぐに伸び、夕凪を構える刹那と、刹那に守られる様に、対となった二つの扇を持つ、真っ白な狩衣に身を包んだ絹糸の様な黒髪を靡かせる少女の姿があった。
「お前は……近衛木乃香!?」
 エヴァンジェリンは驚愕に目を見開くと、木乃香はニコッと笑みを浮べた。
「助けに来たえ、エヴァちゃん!」
 その声は、いつもおっとりとした感じを受ける少女のモノとは思えない程に確りとした響きがあった――。



[8211] 魔法生徒ネギま! [第三章・悪魔襲来編] 第十九話『決着』
Name: 我武者羅◆cb6314d6 ID:2d108988
Date: 2010/06/09 21:54
 ――嘗て、聖ジョージと呼ばれた一人の聖人がいた。
 キリストの七勇士にその名を轟かせる。彼の名は“土”と“耕作”に由来し、サン・ジョルジュ、サン・ジョルディ、聖ゲオルギウス、いずれも彼の事を示している。
 カッパドキアに生まれた彼は、ローマ帝国の騎士となり、皇帝ディオクレティアヌスのキリスト教迫害に反対し、キリスト教の棄教を迫られそれを拒絶して処刑された。
 彼の尤も有名な逸話がラシアの悪竜退治の逸話だ。“騎手を無敵にする馬(ベイヤード)”に跨り、いかな攻撃も通じぬ“騎士の盛装(カバリソン)”を身に着け、“赤子殺しの魔女(カリブ)”から与えられし名剣“祝福の剣(アスカロン)”によって“生贄の姫君(サブラ)”を救い出した。肩から尾にかけて50フィート、その銀色の鱗は黄銅より硬く、繰り出した槍は千の破片に砕け散った。竜は尾をしならせて反撃し、聖ジョージはベイヤード諸共地に伏した。
 肋骨二本が砕け、打撲傷を負う聖ジョージはオレンジの樹の木陰に隠れる。すると悪竜は枝の伸びた先より7フィート以内に近寄る事が出来なかった。苛立つ悪竜は、その口から毒を纏いし炎を吐き出す。あらゆる魔法・暴力・裏切りから持ち主を護るアスカロンが輝き、悪竜の吐き出した毒を纏いし炎の息は聖ジョージを護った。
 なんという事だろう。悪竜は悪知恵が働き、今度は息を上空に放ち雨の如く降り注がせた。あらゆるモノから身を護る鎧はたちどころに溶けてしまう。あわやその時、何と潜んでいたオレンジの樹の実は“それを味わいさえすれば、その者は、いかなる病みも衰えもたちどころに直る”という特性があった。ジョージは、戦闘を再開し、竜の翼下あたりの、鱗も覆わない柔らかな部位に一撃を命中させた。そして名剣アスカロンで、生命をつかさどる臓腑も血も骨も貫くと、紫色をした血糊がどっとあふれ出た。ジョージは竜を斬首し、その雁首を槍の柄に突き立てた。
 こうして、ラシアの繁栄に黄昏を届けし竜は打ち倒され、聖ジョージはラシアの民をキリスト教に改宗させると、救い出した姫君を妻として、最後の処刑の日まで、神への祈りを欠かさなかった――。


魔法生徒ネギま! 第十九話『決着』


 カモの描く三重の魔法円と、その狭間に書き込まれている魔法文字、星座の紋章、二つのダビデの紋章に月と星の絵が光り輝いた。
「準備完了ですぜ? 姉貴」
 カモが真っ直ぐに見上げる。自分で言い出しておきながら、ネギはガチガチになっていた。小太郎は訳が分からないという表情を浮べている。
「なぁ、結局何するんや? アイツに勝てる策でもあるんか?」
 小太郎の言葉に少しだけカチンと来た。全くもって理不尽な思いを感じながら、ネギは鼻を鳴らして小太郎を無視した。
「っておい! 何で無視するんや!?」
 小太郎は不満気に叫ぶ。
「落ち着けって、それより作戦ならある。その準備の為に必要なのが仮契約だ」
 カモの言葉に、小太郎は目を細めた。
「勝てると思うんか?」
「勝つんだろ?」
 カモは何でもない様な調子で言った。
「ああ」
 苦笑しながら小太郎が答えた。
「なら、馬鹿な質問はするなよ?」
 ニヤリと、邪悪な笑みを称えながら皮肉気にカモは言った。
「ああ」
 小太郎はカモに笑みを浮べながら答えた。ネギも作戦を聞こうと、小太郎から少し離れた場所でカモの言葉に耳を傾けた。
「まず、仮契約の説明からだ。時間が無いから簡潔にするが、要は姉貴からお前に魔力を供給出来る様にするんだ。ついでに、専用の強力な魔法具が手に入る。他にも念話だとか召喚とかも出来る」
「強力やな。要は、ワイはネギの使い魔みたいになる言う事か?」
「似た様なもんだ。どっちかっつぅとパートナーに近いが、今夜限りでいい、姉貴の従者になってくれ。そうしないと、作戦が成り立たない」
 カモの頼むに、小太郎は頷いた。
「構へんで。勝てる道があるなら迷う必要は無い。作戦を教えてくれ」
 小太郎の言葉に頷くと、カモは小太郎とネギに視線を向けた。
「この作戦の肝は姉貴の魔力と小太郎の戦闘力を信じる事にある」
「どういう事?」
 ネギが尋ねる。
「姉貴、魔力は今どのくらい残ってやスか? 一回、オーバードライブして、かなり消費してやすよね?」
 カモの質問に、ネギは頷いた。
「うん、でも未だ大丈夫」
「それはどの程度の大丈夫ッスか? 姉貴には、小太郎に魔力を供給しながら、アレを姉貴に撃ってもらいたいんス」
「アレ?」
 小太郎が首を傾げた。ネギは目を見開く。
「でもアレは……」
「それ以外にヤツに勝つ方法は無いんス。雷の暴風でも無理だ。アレじゃないと」
「でも、詠唱が長過ぎるよ。戦闘中に唱える事なんて……」
「その為の小太郎だ」
「ワイか?」
 カモに話を振られ、小太郎が自分を指差しながら首を傾げた。
「そうだ。姉貴の魔力をなるべく消費させたくないし、詠唱にも時間が掛かる。タイミングを計る必要があるんだ。どういう事か分かるか?」
 カモの言葉に、小太郎はニヤリと笑った。
「ワイが一人で相手しろって事やな?」
 その言葉に、ネギが目を見開いた。
「無茶だよ!?」
「無茶でもこれしか無いんス。小太郎、お前は勝たなくてもいい、足止めして姉貴の詠唱までの時間を稼いでくれ」
 カモは真っ直ぐに小太郎を見つめた。
「出来るか?」
 カモの目を見返し、小太郎はヘッと勇敢な笑みを浮べた。
「出来るか……? やれの間違いやろ! 出来なきゃここで終わりなんや」
 膝を折って聞いていた小太郎は立ち上がる。魔法円の中に入り、小太郎はネギを見つめた。何も言わずに――。
「姉貴」
 カモの言葉に我に返った。ぼうっとしていた。ノロノロと立ち上がると、躊躇いながらも魔法円の中に入る。光の奔流に髪が靡く。
 改めて目の前に立つと、小太郎の背はネギよりも僅かに高かった。魔力が完全に無くなり、憑依率が極限まで下がっているからか、犬耳は無くなっている。黙って自分を見つめる小太郎の顔が見ていられなかった。
「で、どうすればいいんや?」
 小太郎が尋ねるが、ネギは俯いたまま答えない。その姿に複雑な表情を浮べながら溜息を吐くと、カモは言った。
「契約の誓いを契約の精霊に立てるんだ」
「何をすればいいんや?」
「キスしろ。それで完了する」
「何やて!?」
 小太郎は目が飛び出そうになった。予想外過ぎた。ネギが俯いている理由が分かった。
「って、んな事出来るか! 止めや、他の作戦にするで!」
 小太郎は慌てて魔法円から出ようとするが、カモが魔法円の周囲に結界を張った。ガンッと音を立てて小太郎は結界の壁に頭を打ち据えた。
「痛っつ……」
 恨みがましくカモを睨むと、カモが小太郎に鋭い視線を向けた。
「おれっちはな、姉貴とお前がキスするなんて嫌だ。でもな、この状況で唯一残された希望がこれだけなんだ。姉貴が決心してくれたんだ。頼む」
 カモの言葉に、小太郎はネギを見た。ネギは俯いていて表情が見えない。不意に、ネギが口を開いた。
「……いいから」
「あん?」
 よく聞こえず、眉を顰めるとネギが顔を上げた。
「――――ッ!?」
 目を見開いた。ネギは瞳を潤ませて悲しそうな表情を浮べていた。
「事故だと思って忘れていいから。そんなにちゃんとしなくても大丈夫だから。だから……嫌だろうけど、お願い」
 ネギの言葉に、小太郎は怒りを感じた。自分に対して――。
 無神経過ぎた。恥しがって、この状況で他に道が無いのに女の子の前で態々嫌がって見せて、どれだけ傷つけたか、自省しながらも小太郎は謝る事が出来なかった。謝ってはいけないと感じたから。言葉で言い繕う意味は無いから。
「もう、キスすれば完了するんか?」
 小太郎はカモに尋ねた。
「ああ、準備は完了している」
「そっか……」
 小太郎は、ネギが何かを言いかける前にネギの唇を塞いだ。優しく、出来るだけ丁寧に――。壊れ物を扱うかの様な調子で。誓いを立てる様に――。“全てを掛けて守り抜く”と。
 もう、この戦いが終われば二度と会う事は無いかもしれない。それでも誓う。背中に手を回し、小さく華奢な少女の体を包み込む。ネギの柔らかな髪を撫で、瞳を薄く開ける。ネギが崩れ落ちそうになっているのを支えながら、ゆっくりと唇を離した。柔らかく、どんな茶菓子にも負けない甘いキスの感触が僅かに惜しく思った。真っ赤な顔をして、あわあわ言っている自分よりも背の低い真っ赤な髪の少女。その時に始めて小太郎はネギの顔を確りと見た。
 やばい、頬が熱を帯びる。少しだけ、かっこつけたくなった。ネギに背中を向けた。
「抑えるだけって言ったけどな……別に、倒してもええんやろ? アイツを」
 背中を向けた小太郎の顔にきっとニヤリという感じが似合う笑みがあるだろうとネギは思った。膝が崩れてしまった。ペタンと地面にへたり込み、脳が沸騰した。明日菜の時、刹那の時、木乃香の時……いつも、軽く触れる程度だった。
 あれもキスなの? 優しくて、力強い。知らないキスだった。震えながら、仮契約を発動させる。背中を向けたまま、小太郎の体を光が包み込み、光はやがて小太郎の右腕に集中した。
「なんや……?」
「それが、お前のアーティファクトだ。お前だけの専用の“魔法具(マジックアイテム)”。名は――」
 カモの声に応える様に光が溶ける様に消滅し、小太郎の右腕全体を覆う、龍の頭部を模した肩当と鋭い鉤爪を持つ装甲が出現した。
「――“朧の森に潜む龍(インヴィジブル)”だ」
「インヴィジブル……?」
 小太郎が首を傾げると、インヴィジブルの龍の顎門が開き、黒い煙が吹き出した。
 ヘルマンが待ち詫びた様に笑みを浮べる。小太郎は睨みを返しながら、自分の中の奥底に存在する狗神に意識を集中した。
「憑依術式――憑依全開“狼人獣化(ウェアウルフ)”!」
 獣の如き唸り声を上げ、小太郎は狗神を全身に纏い、その姿を変貌させた。巻き起こる烈風とその荒々しい姿に、誰もが息を呑んだ。小太郎の纏うオーラは今までの比では無かった。決意を固め、芳醇な魔力を得た小太郎の力は嵐の如く狗神の力を解放していた。ヘルマンは凄惨な笑みを浮べた。
「漸くだ、ネギ・スプリングフィールド君。犬上小太郎君。今度こそ死合おうではないか。改めて名乗ろう、我が名はヴィルヘルムヨーゼフ・フォンへルマン。伯爵クラスの悪魔也!」
 戦いは幕を開けた。盛大なる拳と拳の打ち合いによる衝撃波によって――。ただ、拳を打ち合っただけで、地面は捲れ、砂塵が舞い、空気が弾けた。
 ヘルマンの姿が消える。否、早過ぎて視界に映らないのだ。ネギは驚愕に目を見開いた。小太郎の視線が忙しなく動き、インヴィジブルを振るった。
 ただの爪撃では無い。今や、光の固まりと変化した狗神を纏った斬撃だ。
「通る――ッ!」
 狗神が予想以上に楽に魔爪を覆った。ヘルマンの拳が狗神を纏った爪撃を迎え撃つ。
「何だとッ!?」
 血飛沫が飛んだ。ヘルマンの拳を爪撃は薄く切り裂いていた。
「なるほど、さっきまでとは別人の様だな」
 ニヤリと笑みを浮べると、ヘルマンは一瞬で小太郎の背中に回りこもうとし――「見えてるで、おっさん!」瞬動の直線状にインヴィジブルの爪を振るう。
「新技や、魔爪・狼牙!」
 斜めに振り上げる様に、ヘルマンの体を狗神を纏った爪撃によって切り裂いた。
「ガッ!?」
 ヘルマンは堪らずに距離を取る。速さによるアドバンテージが消えた。見えない程の速さならば使えるが、見られているのに早過ぎる速度は意味が無い。動きが読まれ易くなり、逆に不利になってしまう。ヘルマンは笑みを浮べた。
「速さが意味を為さないならば、魔法ならばどうかね?」
 そう言うと、ヘルマンは両手を交差させた。
「まずは、受けるがいい! “雄龍ノ毒炎(ジランダ)”!」
 それは、伝説上に存在するズメイと呼ばれるドラゴンの雄が支配する毒性を纏った炎の力だった。燃やすだけではなく、腐食させる恐ろしい力を持った漆黒の炎が小太郎に迫る。
「遅いで?」
 小太郎の声はヘルマンの背後から聞こえた。目を見開いた瞬間に、ヘルマンの体は切り裂かれていた。
「馬鹿なッ!?」
 魔法の発動は一瞬だった。
「それすらも隙となってしまうのか!?」
 ヘルマンは歓喜とも恐怖とも憎悪ともつかない表情で笑みを浮べた。
「“雌龍の水衝(チュバシ)”!!」
 ズメイという龍には人間と同じく性別が存在する。人を愛し護ると言われる雄の龍とは違い、雌龍は人を憎み水の力を支配するという。ヘルマンは水の爆発を巻き起こし、その勢いに乗って距離を取った。
「“九頭竜陣(ハラーハラ)”!」
 距離を取ったヘルマンが手を前に出すと、巨大な九つの魔法陣が刻まれた魔法陣が出現し、それぞれの魔法陣から強力な光の矢が放たれた。
 “和修吉(ヴァースキ)”と呼ばれる龍の王が居る。天地創造の折、マンダラ山を回す綱の役割をし、その際に苦しみから吐いた力の固まりが世界を滅ぼしかけたとすら謳われる恐るべき龍だ。九つの首を持ち、シヴァ神の喉を焼いた八大龍王の一体。ハラーハラはそのヴァースキの放った力の名だ。小太郎は絡まりあう様に迫るハラーハラの砲撃に真正面から突っ込んだ。悉く回避しながらヘルマンに迫る。
「グッ!」
 ヘルマンは忌々しげに再び距離を取るとヘルマンの腕から漆黒の触手が伸びた。
「“毒持つ龍王の舌(タクシャカ)”!」
 一本一本が猛毒を持つ大量の触手が小太郎を捕らえようと伸びた。地面に当った瞬間に腐食させ、地面は黒とも紫ともつかない不気味な色に変化する。
「きしょう悪いで全く!」
 狗神を纏った爪撃を放つが、すぐに再生する上に切り裂いた瞬間に破裂して毒が雨の様に降り注ぐ。辛うじて瞬動によって後退する事で回避するが、距離が離れるばかりだった。
「距離を詰めんと……」
 焦燥に駆られた小太郎はインヴィジブルに狗神の力を集中しようとした。瞬間、インヴィジブルの龍の仮面の下から出ている煙の量が増えた。
「狗神の力に反応した……? いや、魔力に反応したんか!」
 怪訝な顔をしながら、小太郎は迫り来る触手を回避した。
「――――ッ!?」
 一瞬、目を疑った。避けた時に、龍の顎門から漏れ出していた煙が小太郎の体に降りかかると、その部分が透けたのだ。
「どういう事や!?」
 目を見開きながらも、迫る触手を回避していく。
「よく分からんけど、一か八かや!」
 小太郎は狗神では無く、ネギから受け取った魔力をインヴィジブルに集中した。すると「何だと!?」叫んだのはヘルマンだった。
 漆黒の煙がまるで絡み付く様に小太郎の体を覆ったかと思うと、何と小太郎の姿が消失したのだ。
「どこにッ!?」
 辺りを見渡しながら、触手を滅茶苦茶に振るうが、小太郎の姿は見えない。姿を消した小太郎は、反対に回り込んでいた。
「成程、インヴィジブルか。欠点は、姿を消すと狗神の力が使えない言う点やな」
 インヴィジブルの能力を発動させた途端、小太郎は爪に狗神を纏わせられなくなった。やろうと思えば出来るが、魔力と狗神を分けて扱うなどという器用な真似は出来ず、狗神を纏わせればその瞬間に姿が見えてしまうのだ。
 消える能力と、纏わせる能力。それが“インヴィジブル”の能力だった。どういう訳か、魔力を爪に纏わせても消える能力に持っていかれる。
「いや、元々は消える能力だけやったんや。爪は狗神を纏わせるもんやない。元々、消えた状態での攻撃手段なんや。せやけど、狗神は魔力と違うて能力に分配出来へんかった。せやから纏わせられたんや!」
 恐ろしい程自分にあった武装だった。隠密の修行をして、狗神を使える小太郎にとって、これほど自分に合う武装など考えられない。
「ワイ専用の武器か、ネギ、サンキューな」
 小太郎の瞳が爛々と燃え上がった。背後からヘルマンに近づくと、消える能力を消し、狗神を爪に纏わせる。
「何!?」
 突如背後に姿を現した小太郎に、ヘルマンは完全に虚を突かれた。
「犬上流・狼装龍爪!」
 小太郎の爪撃がヘルマンの右腕を切り落とし、そのままヘルマンの体を八つ裂きにした。ヘルマンは瞬動によって逃走するが、小太郎は姿を消して後を追った。
「また姿がッ!」
 ヘルマンは困惑していた。完全に姿が消えている。気配も魔力も気も何も感じられない。それが、“インヴィジブル”の能力。漆黒の煙に覆われた者を完全に隠してしまう能力。
 一瞬、小太郎の姿を確認すると、そこから凄まじい威力の爪撃がヘルマンを襲った。形勢は完全に傾いていた。早さも魔法も姿無き相手には通用しない。
 ここに至り、ヘルマンに後悔の波が襲い掛かった。舐めていた。ここまで一方的な展開になるなど誰が想像出来る? 殲滅魔法は使わないのではなく使えない。殲滅魔法の発動に使える魔力など残っていない。速度で勝り、シングルアクションで圧倒的な魔法を発動できるアドバンテージが意味を為さなくなった瞬間、ヘルマンに勝機は消え去った。
「少年に憑依した狗神の力も強力。その上アーティファクトもあそこまでの能力とは、ならば――ッ!」
 ヘルマンは狙いを変更した。視線を巡らせネギ・スプリングフィールドを探す。マスターが居なければ、アーティファクトは消滅する。魔力が無くなれば憑依も解ける。ネギ・スプリングフィールドを倒す事がイコールで勝利に結ばれている。
「最早加減はしない」
 見つけた瞬間に殺す。その思いでネギ・スプリングフィールドを探すが……。
「居ない!?」

 その頃、ネギはカモと共にとうの昔に戦場を離脱していた。準備する魔法の威力は強大で、かなり離れる必要があったのだ。ネギは右手に杖を、左手に小太郎のカードを持っている。
「魔法を発動した瞬間に召喚するんスよ。タイミングを確り!」
 カモの言葉に、ネギが確りと頷く。発動に必要な魔力を集中する。カモが遠見の魔法で戦地の状況を確認し、タイミングを計っている。
「やはり、あのアーティファクトは……」
「どうしたの? カモ君」
 首を傾げるネギに、カモは応えた。
「嘗て、ブリテンを治めた騎士の王がバルズセイ島という場所で賢者マーリンに護らせた宝があるんス。その一つに“透明マント(インヴィジブル)”ってのがあるんスよ」
 その言葉に、ネギは目を見開いた。
「じゃあ、あのアーティファクトって!」
 カモは頷いた。
「あの、龍の仮面の下から出たマフラーみたいな煙が透明マントの本体なんだと思うッス。朧に潜む龍か、かの騎士王は龍の化身と謳われた。朧に潜む、つまりは姿を消す。あれだけ完全に姿を消すアーティファクトなんざ、間違い無い」
 カモは小太郎の奮闘に目を細めた。小太郎の戦闘のセンスは間違いなく一流だった。毎回タイミングやリズムが分からない様にデタラメなタイミングで遠距離と近距離の攻撃を様々な方向から放った。ヘルマンは徐々にギリギリで回避する様になっていたが、それでも確実に追い詰められていた。
「後少しだな……」
 カモはタイミングを見誤らないように集中した。

 ヘルマンはネギを見つける事が出来なかった。小太郎の連続攻撃を受けるだけの状態からなんとか回避出来る状態になったが、それは只一つの勝機であるネギ・スプリングフィールドの発見を諦めたが故だった。小太郎の攻撃だけに集中している。
「見事だ」
 完全な敗北だった。慢心が過ぎたのだ。
「だが、一糸くらいは報いさせてもらうぞ!」
 ヘルマンは轟く様に叫んだ。瞬間、遠見の魔法で様子を見ていたカモは叫んだ。
「今だ、詠唱を始めてくれ、姉貴!」
 ヘルマンの強力な魔法の発動。それこそがカモの待ち望んでいた瞬間だった。間違いなく隙が大きくなり、動きが静止する。
 命中させるにはこのタイミングしかない。
「小太郎、死ぬなよ」
 それだけが唯一の心配だった。何せ、召喚は魔法を放った後だ。その前に、ヘルマンの魔法が発動する。小太郎は自力で生還するしかないのだ。ネギがカモに言われて詠唱を開始する。
「頑張って、小太郎! ラス・テル マ・スキル マギステル、契約により、我に従え高殿の王! 来れ巨神を滅ぼす燃ゆる立つ雷霆――」
 雲が渦巻くようにとぐろを巻いた。強大な魔力が天を覆う。ヘルマンは天空を見上げながら笑った。
「私の敗北は動かんな。だが、最後に我が最強の一撃を見せて上げよう。さて、覚悟はいいかね?」
 ヘルマンは天に右手を掲げた。小太郎は怖気が走り、透明になる能力を消し、狗神を集中させた。
 ヘルマンが口を開く。聞こえるのはまるで歌だった。あまりにも美しい歌声に応える様に、世界が鳴動し始めた。歌声が周囲に響き渡る。空気が破裂し、ヴィルヘルムヨーゼフ・フォンへルマンの存在を構築する全ての魔力が集中する。
「聖人であるゲオルギウスの討ち取ったドラゴンの一撃。人の身で受け切れるかね?」
 全身が警鐘を鳴らす。今直ぐ逃げろと叫ぶ。逃げても無駄だと絶望する。絶対的な死を宣告される。
「諦められるかアホッ!!」
 尚、小太郎の心は折れない。ヘルマンが右腕を左手の爪で切り裂くと、ヘルマンの体の全ての血を絞り出したかの様な量の血飛沫が上空に巨大な魔法陣を描き出した。
「魔法円の数は六つ。間に挟むは聖ゲオルギウスの祈りに339,628,554の魔法文字。番となる対の龍の姿を描き出し、二匹の羊を生贄に捧げる祈りを篭める。羊亡き後は人を捧げる事を誓う。カッパドキアのセルビオス王の娘の名を刻み、今ここに召喚する!!」
 真紅の魔法陣が光を発した。魔法陣は恐ろしい程に震え、突如バシンッ! という音と共に、まるでガラスに金槌を振り下ろした様に真っ白な罅が全体に広がった。徐々に崩れ落ちる魔法陣の向こう側に、犬上小太郎は想像を絶する死を感じた。
 在り得ない程に理不尽な圧倒的過ぎる力。ヘルマンは狂った様に笑っている。
「まさかコレを使う事になるとは。私自身、呼び出しても制御など出来ない。だが、私は死んでも元の世界に還るだけだ。絶望に膝を抱えて死ぬがいい少年!」
 ヘルマンの高笑いが耳を劈く。
「うるせえ」
「ハハハハハ……何?」
 小太郎の小さな声は驚くべき事にヘルマンの耳に届いた。
「うるせえ! 負けるか、あんな訳分からん奴に!」
「ならば精々足掻くがいい。私は先に逝くとしよう」
 存在全てを賭けたヘルマンの姿は少しずつぼやけた蜃気楼の様に薄れていった。
「生き残れるかね? “竜の毒息(ドラゴン・ブレス)”の一撃から」
 愉悦を含んだ笑みを浮かべ、高笑いをしながら今度こそヘルマンは消滅した。“とんでもない置き土産(ドラゴン・ブレス)”を放置したまま――。
 “竜の毒息(ドラゴン・ブレス)”は、聖ジョージの無敵の鎧すらも溶かす毒を纏いし炎の事だ。一度発動すれば町をも滅ぼす悪竜の一撃。人を超えた聖人でなければ一瞬たりとも耐えるなど不可能。発動すれば終わり。対処など出来る筈が無い。そもそも対人で使う魔法では無いのだから、生身で立ち向かうなど愚の骨頂と言える。
 犬上小太郎は理解出来ていた。人間の身で受けたらどうなるかを。相手になどならない、触れられもしない脅威に対処するなど不可能だ。
「って、何も出来んわ、ド阿呆~~!!」
 上空を見上げれば、競技場並みの広さの魔法陣が今にも発動しようとしている。
「でか過ぎるで! 誰か助けてくれ~~~!!」
 恥も外聞も捨てて小太郎は叫んでいた。カッコつけたくても、真上に生じた異常事態は只事では無い。
「アカン……、死んだ」
 ルルル~と涙を流しながら小太郎はガックリと肩を落とし、次の瞬間に体がどこかに引っ張られた。

 小太郎が恥も外聞も捨て去った丁度その時、カモはフリーズしていた。
「いやいやいやいや、待てって! あれは無いだろ、何だアレ!? アレがドラゴン・ブレスなのか!? 文献で読んだよりやばそうなんですけど!?」
 人は(オコジョだけど)理解の限界を超えたモノに対しては夢か幻だと思ってしまう事がままある。例えばの話、怪獣が本当に東京湾を襲っているニュースが放映されても人々は興味をあまり持たないだろう。テレビが血迷ったくらいの認識しか起きない。
 カモの場合は正にソレだった。現実感が無く、判断力を見失ってしまったのだ。正気に戻したのはネギの切羽詰った声だった。
「カ、カモ君、まだ? ちょっと……そろそろ制御が」
 千の雷を発動準備完了して、そのまま待機させられていたネギは汗を滝の様に流しながらプルプルと震えながら上空に杖を向けていた。上空では、凄まじい雷のエネルギーが爆発するのを無理矢理抑え込まれていた。
「ヤベ……、撃て姉貴!!」
 慌てて指示を飛ばす。気の抜けたネギは操作する事も無く、千の雷は小太郎達の戦場に落ちた。同時に、小太郎を召喚しネギはそのまま気を失ってしまった。
「うきゅ~~~~」
 眼を回している――。
「もう駄目や~~~~~!!」
 この世の終わりの様な悲鳴を上げながら小太郎は光の中から現れた。
「お前……もちょっとかっこよく戻って来いよ」
 瞬間、鼓膜が破けそうになる程の大音響が目を焼きかねないとんでもない閃光と共に鳴り響いた。意識が消し飛びそうになる。
 落雷は家の中に居て、遥か遠くであっても心臓がドキッとする程の音を響かせ、天空を真っ白に染め上げる。通常の雷を千集めたモノが超至近距離で落ちたのだ、その衝撃は爆発と変らなかった。
「耳がァァァァァァ!! って、千鶴姉ちゃん大丈夫か今の!?」
「千鶴? 姉貴のクラスメイトか? 何でお前が知って……」
 頭を抑えながら起き上がるカモが尋ねると、小太郎はネギを抱き上げていた。
「保健室の近くでヘルマンの水の牢獄に入れられたまんまだったんや。無事やろうな!?」
「なに!? どういう事だ!?」
 カモが問い質すが、小太郎はさっきまで自分の居た戦場に視線を向けた。
「てか、ドラゴン・ブレスはどうなったんや!?」
「発動寸前だったからな――、魔法陣で発動する魔法は魔法陣の一部が歪むだけで変化するか発動しなくなるもんだ。恐らくはもう魔法陣自体が壊れた筈だが……」
「確認しとる場合やないな。どっちにしろ何も出来ひん。一刻も早く離れんで!」
「それしかないな――」
 カモは躊躇無く頷いた。ネギが眠ってくれて助かったと思った。切れるカードがもう無い以上、後は逃走以外に道は無い。
「姉貴にゃこの判断はまだ無理だからな……」
 戦いの熱も引き、肌寒さを感じながら小太郎は肩にカモ、腕にネギを抱えて千鶴の倒れている場所まで戻って来ていた。汗が冷え、気持ち悪い。びしょ濡れになった千鶴が地面に横たわっていた。
「どうやら……ドラゴン・ブレスは不発に終わった様だな」
 カモは緊張した面持ちで遠くの地を見ながら呟いた。
「せやな……、発動しとったら、ここまで効果範囲内やろうし」
 小太郎はネギを何とか背中に背負うと、猫背の状態で千鶴を抱き抱えた。獣化はとっくに解け、仮契約も解除している。
「しんど……」
「しっかりな」
「あいよ……」
 ゆっくりと地面を踏み締めながら、小太郎は二人を保健室に運び込んだ。ベッドにそれぞれを降ろすと近くにあった椅子に倒れこんだ。
「だあぁぁぁ、もうここで眠ってええなら全財産支払ってもええ」
「お前はこっから逃走劇を開幕だろうが――」
 カモは呆れた様に言った。
「仮契約の解除はカモがすんのか?」
「しなきゃ、後でお前を召喚させられちまう。さすがに、そいつは姉貴も嫌だろうからな」
「せやな……」
 小太郎は立ち上がるとネギのベッドに近づいた。
「もう、一生会わんかもしれへんな」
「その方がいいだろ。侵入者にゃ甘い処置は期待出来ねえ。子供だからって容赦無えぞ? 二度と会おうとは思わないこったな」
「せやな……。契約破棄の方法は?」
「魔法陣を描くから、そん中でカードを破け。それで終わりだ。餞別代わりに教えてやるが……」
 カモは息を大きく吸う。
「西の森は……、言っちゃ何だが考えの甘い奴が固まってる。慎重に行けば麻帆良から出られる筈だ。いいか、未だ境界は戦場だろうが、お前は戦う力はもう残って無いだろ? 今日は殲滅戦の命令が出てる。女の死体もあるかもしれないが止まるなよ? コッチのにしろ敵さんのにしろお前には関係無いからな」
「了解や。さすがに、もう他人にゃ構ってられへん。あんま……見たないな」
「嫌でも見るだろうさ。出来れば……生徒は死んでねえといいが」
「生徒も出てんのか?」
 魔法陣を描いているカモに椅子に再び座りながら聞いた。
「何人かは出てるな。強い魔法使いと一緒なら生き残ってる可能性は高いが……外れを引いたら、明日には家族からも存在を抹消されてるだろ」
「ネギにゃ聞かせられへん内容やな」
「ガキの癖に……コレ聞いて平気な顔してるお前もどうなんだ?」
「これでも色々見てっからな」
「そっか……っと、描き終わったぜ」
 カモが円を閉じると、円は光を放ち始めた。小太郎はゆっくりと中に入った。大きく息を吐き、ポケットからカードを取り出して破いた。光の粒子となってカードは呆気無く消えてしまった。どこかでナニカが途切れた気がした。
「こんな……もんなんか」
 脱力した様に言うと、もう一度ネギの顔を見た後、千鶴に近寄った。直ぐ隣のロッカーを開けると、何枚か着替え様の白衣があった。吐いてしまったりで服を汚した生徒の為のものだ。
 白衣を取り出すと、びしょ濡れの千鶴の服を脱がす。
「お前、ちょっとは照れろよな?」
「このままにしとったら不味いやろ……」
「まあな、手伝えなくて悪いな」
「オコジョなんやからしゃあないやろ」
 そう言いながら、小太郎は下着だけ残してタオルで千鶴の体を軽く拭うと白衣を着せた。
「嫌になるねえ、ガキが普通にそんな事してる姿」
「これは別に関係あらへん。千草の姉ちゃんが酔っ払って帰ってきた時にたまにやっとっただけや」
「なるほど――」
 着替えが終わると、小太郎は窓から外に出た。
「じゃあな、カモ。ネギの奴によろしく頼むで」
「生きて出ろよ? ま、姉貴が立派な魔法使いにでもなったらどっかで会えるかもしれねえ。あばよ」
「ああ、巧く逃げ切ってみるわ」
 そう言うと、小太郎は振り返らずに夜の闇の中に姿を消した。
「やっちまった……。ま、学園長にゃカードがある。姉貴になんか出来る訳もねえ。何とかなんだろ」
 カモはどこからか煙草を取り出すと火をつけて大きく吸い込んだ。
「長かった……、明日菜姉さんの方は大丈夫か? チッ、エヴァンジェリン、真祖の吸血鬼なら頼むぜ?」

 ――――時刻を少し遡る。桜咲刹那は夕凪を構えて木乃香を護る様に木乃香の前を駆けていた。明日菜とエヴァンジェリンに背を向けて寮に戻ろうとした刹那は思いがけず寮から少し離れた地点で木乃香の姿を発見した。木乃香は何時まで待っても帰って来ない刹那達を心配して出て来ていたのだ。
 背後から魔力が爆発し、遠くの地では雷が鳴り響き砂塵の龍が舞っている。他の場所でも爆発がいくつも起き、非常識な事態が展開しているのを隠す事など不可能だった。
 出会い頭に質問攻めを受け、木乃香に対し隠す事など不可能であった。迷わずに戦場に駆け出す木乃香を追い、止める事はしなかった。止めて聞くような相手では無いなど、昔から理解している。木乃香に話した時点で、こうなる事は分かっていた。
 それでも、桜咲刹那は近衛木乃香に話した。適当にはぐらかしても、嘘をついても良かった筈なのに、木乃香の隣を走る。
「お嬢様、私から決して離れないで下さい。必ず護りますから――」
 それが答えだ。自分の翼の事を知っても、自分を受け入れてくれた木乃香に対し、その信頼を裏切る真似は刹那には到底不可能だ。何よりも、無視出来ない要因もある。
 もしも、エヴァンジェリンや明日菜が敗北すれば、次に奴が狙うのは誰だ? それが一番の答えだ。あの二人が万が一にも突破されれば、間違いなく木乃香は危険に曝される。それならば、自分も戦場に立ち、木乃香の事を護り切る。そも、桜咲刹那にとって、最早一方的に護るだけの存在ではない。互いに支え合う事で強くなれる。
 “この剣は彼女の為に”という京都の関西呪術協会の総本山で初めて出会った時に誓った思いを新たに――。“風の黄昏”を意味する、木乃香の父から桜咲刹那に送られた信頼の証である“夕凪”を抜刀する。
 長過ぎる刀身は、嘗ての“天下無双の侍(宮本武蔵)”の敵役として知られる侍の持つ“物干し竿”と呼ばれた剣と並ぶ程だ。身に秘めるのは“完全無欠・最強無敵”と信じる“京都神鳴流”。戦場が見えると、二人の瞳が見開かれた。
 エヴァンジェリンの慟哭が聞こえた。憎悪と悲哀の感情の爆発に、木乃香の足が止まり、刹那は叫んだ。
「お嬢様はここでお待ちを――ッ! 状況を確認して来ます!」
 木乃香が頷くのを確認すると、刹那は前方で倒れる明日菜を発見した。
「まさかッ!?」
 刹那は息を潜めながら明日菜に近づいた。明日菜の体から流れている夥しい量の血液に血の気が引いた。
「嘘だ……」
 ヨロヨロとしながら歩み寄る。ソッと口元に手をやる。刹那は首を振り、歯をカチカチと鳴らした。
「息が……」
 明日菜の体が光に包まれ、アーティファクトが消滅した。カードに戻り、明日菜の動く気配の無い胸の上にパサリと落ちる。
「アティファクト――ッ!?」
 刹那は目を見開いた。直後に明日菜の体を抱き抱えて木乃香の待つ場所まで移動した。木乃香は明日菜の姿に息を呑んだ。
「明日菜!?」
 焦燥に駆られ明日菜に駆け寄り動かない胸や青褪めた肌に手を当てて木乃香は声も出せずに慟哭した。紛れも無い死体だった。
「未だです。未だ間に合います! お嬢様、早く明日菜さんの傷を癒して下さい。心肺停止後も、完全に死亡に至るまでには時間が掛かります」
 刹那に言われ、木乃香は涙を流しながらアーティファクトを取り出した。刹那に促されるように東風の檜扇に魔力を乱暴に流す。魔力の操作の修行も受けていない木乃香には難し過ぎる作業だったが、木乃香は必死に刹那が添えてくれた手から感じるナニカが東風の檜扇に流れる流れに意識を向け続けた。
「明日菜、死なんで。死んじゃ嫌や……。お願いや、目ぇ開けてや」
 悲痛な叫びが木霊する。刹那は必死に木乃香の魔力の流れを感じ、木乃香の魔力を東風の檜扇へと必死に誘導し続けた。気の操りには自信があるが、魔力の流れをそれも他人のを操るのは刹那にとっても至難の業だった。徐々に木乃香が感覚を理解し始め、刹那に引っ張られるのではなく、刹那に合わせて魔力を流せるようになると、刹那は手を離した。
「心臓を動かさないと……」
 人間の心肺が停止すると15秒後に意識が消失し、四分が経過すると不可逆的の変化が起こって、回復が見込めなくなる。回復に二分を費やし、エヴァンジェリンの慟哭を聞いて明日菜の治療を始めたのは三十秒後。残り一分半。死線気呼吸は起きてない。CPRはここから二百メートルも先だからとってくる時間も無いし……。
 四分経った途端に生存確率は半分以下になる。木乃香の東風の檜扇から供給される癒しの力を受けて輝いている明日菜の体を動かす。仰向けの明日菜の顎を丁寧に持ち上げ、口の中を覗いて僅かに見える血の塊を取り除いた。
「気道の確保は完了……」
 “自動体外式除細動器(AED)”が無い状況では、自分の手で胸部圧迫をする他無い。明日菜のバストの間に手の付け根を置き、五センチ程度沈ませ、それを三十回繰り返すと刹那は明日菜の鼻を抓み、唇を合わせて人工呼吸を行った。二秒待ってもう一度人工呼吸をすると、再び胸部圧迫を繰り返した。焦る気持ちを落ち着かせる。繰り返し状態を確認しながら繰り返す。体の傷が完全に消えた。
「クソッ!」
 時間だけが無情に過ぎていく。時間は既に一分が経過した。
「明日菜!」
 木乃香は傷が完全に治った後も東風の檜扇を使い続けていた。
「もっと丁寧に――」
 心臓マッサージと人工呼吸を繰り返し続ける。一つの壁となる四分というチェッカーフラッグが振られる前に、何としても蘇生させる。そう決意しながら、刹那は繰り返した。
 木乃香はその姿を祈るように見守った。
「目覚めて下さい――明日菜さんッ!」
 ドクンッ! 研ぎ澄まされた聴覚に僅かな鼓動の音が聞こえた。素早く耳を明日菜の胸に押し当てる。
「動いた……、動いた!」
「明日菜ッ!」
 刹那の歓喜の叫びに、木乃香は顔を輝かせた。蘇生行動を更に繰り替えす。すると、明日菜の口元が僅かに動いた。
「たそ…………みこ、……いがせいこ…しました。か……じょうた………終了。かくせ……ます」
 同時に起きたエヴァンジェリンの居る戦場で起きた爆発に声が聞き取れなかったが、刹那の顔に光明が差した。明日菜の体に熱が宿っていく。呼吸も再開され、神楽坂明日菜が復活した。
 思わず涙が溢れた。喜びの涙だ。木乃香は刹那の背中に抱きついて肩を振るわせた。刹那も涙をポロポロと流しながら、へたり込んだ。
「良かった、明日菜さん」
「ありがと、せっちゃん、ありがと……」
 刹那の瞳から零れた雫の一滴が明日菜の額に落ちた。
「ん、んん……」
 瞼をゆっくりと開いた明日菜はキョトンとした顔をした。
「どうしたの? 刹那さん、それに、木乃香もどうしたのよ? あれ、ここって……」
 ゆっくりと体を起こすが、明日菜の体は後ろに倒れこんでしまった。慌てて背中を支えると、刹那は困った顔をした。
「無茶ですよ、明日菜さん。貴女は心肺停止していたんですよ? 今直ぐ病院で治療しなくては――」
 瞬間、背後から再び爆音が鳴り響いた。
「何!? そうだ、エヴァちゃん!」
 立ち上がろうとするが力が入らない。
「何で……」
 呆然とする明日菜に、刹那はさっきまでの状況を明日菜に話した。絶句する。
 自分が死んでいたという事実に――。それでも、尚立ち上がろうとする。
「本当にありがとう。それと……ごめん。私馬鹿だからさ。死んでも治らないみたい。蘇生して貰ったのに、立ち止まれないっぽい。アデアット!」
 ネギからの魔力の助けによって、神楽坂明日菜は立ち上がった。さっきまで心臓が停止し、呼吸も停止していた青褪めた死体とは思えない程に瞳を爛々と輝かせ、ハマノツルギを振り上げ、神楽坂明日菜は歩き出す。
「木乃香、本当にありがとう。刹那さんも何をしても返しきれないくらい感謝してる。二人共、本当にありがとう」
「貴女は今直ぐ病院で精密検査しなくてはいけない状態なんですよ?」
 震えた声で刹那が呟く。
「うん、今もフラフラ。さっきまで死体だったんだなって分かる。体中カッサカサだし、頭も痛いし喉もヒリヒリ、躯中で痛くないとこ探す方が無理だわ」
「それでも行くんやね?」
 木乃香の声に明日菜は頷く。
「なら、ウチも行く。明日菜をもう二度と死なせない為に」
 木乃香の言葉に、明日菜は一瞬目を見開き、笑みを浮べた。
「ありがと、木乃香。本当に大好き!」
 木乃香に満面の笑みを浮べてお礼を言うと、明日菜は言った。刹那は大きな溜息を吐くと、夕凪を手に取った。
「仕方無いですね。私も行きます。一刻も早く敵を倒し、貴女には病院へ向かってもらいますからね?」
「刹那さん……、うん!!」
 三人が走り出す。明日菜は体のバランスに違和感があるのか、転びそうになりながらも走った。
 戦場が見えた途端――「ハアアアアアアアアアアアア!!」明日菜は飛び出していた。
 エヴァンジェリンの言葉が聞こえた。ナニカがエヴァンジェリンの放った魔法とフィオナとの間に入り、エヴァンジェリンに魔法を放つのが見えた。明日菜はエヴァンジェリンの前に飛び出し、闇を纏った吹雪を打ち消す漆黒の魔弾をハマノツルギで切り裂き、エヴァンジェリンに向かって最高の笑みを浮べた。
「エヴァちゃん、勝手に私を殺さないでくれるかな?」
 エヴァンジェリンの驚いた声が聞こえる。視界がぼやけた。
「あっちゃ、今のでもう限界来ちゃった……」
「貴女は無茶が過ぎる。後はお任せあれ。私が貴女の思いを担います。我が剣に懸けて」
 刹那が自分を抱き締めてくれたのが分かる。
「という訳だ。貴様の相手は私がしよう。なんなら、二人で来い。今宵の私は誰にも負けんぞ」
 刹那の轟く様な叫びを受け、知らない男の声が耳に届いた。
「いやいや、こっちの御主人ももう無理だわ」
「未だ出来る。手を退けてベル!」
 フィオナの声が聞こえた。
「寝てな。後は俺がやるよ。第一、もう分かっただろ? お前のやってる事は何なのか、眠って……起きたら、また俺が教えてやるよ。いろんな事。もう、休め」
 優しい声だった。驚きだ、あの気違いに思ってくれる人が居るなんて……。
「嫌ッ! あの人の敵をとるの! 邪魔しないでベル!」
「エヴァンジェリンはもう眠っちまってるぜ? お前は起きてる。お前の勝ちだ。それでいいだろ? お前の戦いは終わりだ」
 トンッという音が響いた。
「だが、このまま帰るなんて虫の良い話は無ぇ。まさか、復活して帰ってくるとはな。心臓停止してた筈なんだが……。それ程、その吸血鬼を思っているって事か。剣士、俺が相手になる。全力でお前や、お前の仲間全員の怒りをぶつけろ。受け止めてやるよ」
 男の声が夜闇に驚くほどハッキリと響いた。
「その姿、悪魔か……。受け止める? そちらが仕掛け、明日菜さんを殺し、エヴァンジェリンさんをこうまで痛めつけておきながら、言ってくれるじゃないか」
 刹那の怒りの滲む声が轟いた。
「悪いな、口が悪いのは性分だ。責任はコッチにある。それでも、御主人を殺させる訳にはいかない。分かってやって欲しいとは言わないし、思わない。この戦いに懸けた御主人の思いは御主人だけのものだ。それでも、こんな事しちまうくらい辛い事なんだよ、大事な人が殺されるってのは」
「ああ、よく分かる。だが、同情する気は無い。貴様達の事情は知らんが、報いを受けてもらうぞ」
「来な、全力で応えてやる」
 刹那が木乃香の所にまで明日菜の体を運び、シャキンという音が明日菜の耳に届いた。
「お嬢様、明日菜さんは恐らく大丈夫でしょう。治療はエヴァンジェリンさんを重点的にお願いします」
 明日菜の仮契約が解け、刹那は崩れ落ちそうになる明日菜の体をゆっくりと横たえさせた。
「京都神鳴流、桜咲刹那……参る!」
「神鳴流――、天下無双と名高い流派か。なら、俺もそれ相応の力でお相手しないとな」
 男――否、男性型の悪魔はニヤリと笑みを浮べた。仮面の様な漆黒の双眸に浮かぶ三つの真紅の眼。ボサボサの金髪が後ろに流れ、襟の部分にフサフサの毛皮の付いた漆黒のライダージャケットを身に纏い、腕には指の先まで鈍色に輝く手甲が装着され、漆黒のズボンにベルトが何重にも巻き付いている。幾重ものベルトで固定された鉄の靴の先には鋭い銀色の鋭い刃が伸び、腰のすぐ下から太い先の鋭く尖ったの長くて太い尾が生えている。両手には漆黒の双銃が握られ、片方の魔銃の照準を刹那に合わせる。
「いくぜ?」
「ああ、覚悟しろ。神鳴流は完全無欠最強無敵だ!」
 瞬間、二人は一斉に動き出した――。
「ハアアアアアアアアアアアッ!!」
 銀色の閃光が夜の闇の中で月明りを反射して煌く。刹那の夕凪の斬撃が、フィオナにベルと呼ばれた悪魔が両手に握る双銃に激突し火花を飛ばす。
「早いな、早いぜ、面白れえ!」
 地面を蹴り、一気にベルは後退した。
「逃がすかッ!」
 刹那も足元に気を集中し、瞬動を発動してベルに続き夕凪に気を纏わせる。斬魔剣――、その名の通り魔を斬る必殺の奥義。刹那の斬撃がベルの魔銃に激突して削る。
 ベルは面白そうに笑みを浮べると双銃を手放し、地面を蹴った。
「ナニッ!?」
「コイツは俺の体の一部だ。何度でも出せるぜッ!」
 ベルは両腕から魔力を吐き出して両手の掌に篭める。すると、手放した筈の双銃が現れた。
 ベルは双銃のトリガーを引き絞る。
「ならばその首を斬り落とす!」
 駆け出しながら迫り来る魔弾の壁を紙一重で回避していく。
「目がいいな。これならどうだ?」
 ベルの持つ双銃から同時に弾丸が放たれる。絡み合う二つの魔弾が螺旋を描き、一つの巨大な魔弾となった。
 舌を打つと、刹那は一気に飛び上がった。直後、地面に激突した魔弾が破裂し、強大なエネルギーが膨れ上がった。
「グッ!」
 爆風に曝され、刹那の体が浮き上がる。
「空中で動けるか?」
 背中に二枚の翼を生やし、双銃を手放して、爛々と輝く真紅の爪で刹那の体を切り裂かんと腕を振上げた。
「ヘッ!」
 ベルの魔爪は空を泳いだ。顔を上げると、ベルの頭上に白亜の翼を広げた刹那の姿があり、ベルはニヤリと笑みを浮べた。
「憑依術式じゃないな――、半妖か、お前?」
「応える義理は無い、斬魔剣!」
 気を迸らせる夕凪の斬撃をベルは再度具現化させた双銃をクロスさせて受け止める。斬撃を受け流しながら刹那の脇腹に回し蹴りを狙う。
 刹那は受け流された方向に向かって加速し回避した。距離が離れた状態で刹那は気を夕凪に纏わせて斬撃を放った。曲線を描きベルに向かう。
「遠距離にも対応するってかッ!」
 斬撃の軌跡を見つめ、魔銃によって斬撃を逸らす。瞬間、今度は螺旋回転する斬鉄閃が迫った。
「クッ」
 魔銃を放つが、斬鉄閃は止まらずに魔弾を貫いた。
「強いな。天下無双の神鳴流。噂に違わぬ強さだ。だがッ!」
 ベルは翼をはためかせて上方に回避した。
「斬光閃!」
 光が弾けた。闇に慣れた目が一瞬眩み、ベルの視界から刹那の姿が消失した。
「どこにッ!?」
 辺りを見回すが刹那の姿は無い。風を切る音が聞こえた。
 ハッとなり、満月を見上げると、小さな黒点が次第に大きくなっていく。
「そこかッ!」
 ベルの魔銃から魔弾が放たれ、刹那の体を貫いた。直後、刹那は煙となり紙になった。
「なんだとッ!?」
 脳に電流が駆け抜けた。一瞬何が起きたのか判らなかった。落下しながら、自分の翼を斬られたのだと理解した。落下した先に、刹那が先回りしている。
「五月雨斬り!」
 シャシャシャシャッ! という、まるで幻想的な楽器の音色の様な美しい音を奏でながら刹那は夕凪を凄まじい速度で振るった。
 障壁はバターを斬る様に裂かれていく。魔銃を真横に放ち、翼を消して真横に吹っ飛ぶ様に刹那から距離を取った。
「百花繚乱!」
 一直線に何重にも気を纏った斬撃が倒れたベルに襲い掛かる。
「しゃらくせぇ!」
 魔銃を地面に撃ち、その反動で立ち上がるとベルは一気に後退してフィオナの下に戻った。フィオナの体を抱き抱えると、背後の木や建物に次々に瞬動で移動し、一気に見えないほど遠くに後退して行った。
「おのれ、逃げる気か!?」
 刹那の怒声が響く。直後、刹那の目の前に魔弾が突如現れた。
「何だとッ!?」
 慌てて倒れ込む様に体を反らせて間一髪で回避した。魔弾は突如出現すると、再び刹那を襲い掛かる。次々に目の前に現れる魔弾の雨に混乱しながら刹那は走り続けた。
「どうなっている!? とにかく、動き続けないと――」
「転移魔法だ!」
 エヴァンジェリンの声が響いた。全身を弱々しく震わせながら、今にも目を閉じてしまいそうな顔色の悪いエヴァンジェリンが叫んだ。
「奴は風の転移を使う! 魔弾を転移させてお前を狙っているんだ!」
 エヴァンジェリンの言葉に、刹那は絶句した。
「そんなモノどうすれば!?」
 自分の射程外から射程距離関係無しの転移での魔弾の連射など冗談ではない。
「焦るな、動き続ければまず当らない。チャンスを待て、桜咲刹那!」
「チャンスと言われましても……クッ!」
 エヴァンジェリンの叫びに、魔弾を躱しながら応えるが、その表情は芳しくない。地面は抉れ、タイミングの計れない無差別方向からの攻撃に刹那は霍乱させられてしまっていた。エヴァンジェリンは木乃香に治療されながらその戦闘を見続けていた。
 魔弾の雨を桜咲刹那は回避し続けて既に半刻が経過していた。脳がショートしそうになる。休み無く神経を過敏に反応させ、威力が威力故に最小限の動きでは回避しきれない。忌々しい思いにストレスが溜まる。
「あの魔弾、数発なら切り裂けるだろうが……」
 それで終わりだ。敵に到達するまでに夕凪が折れてしまう。
 舌を打つが状況は変らない。頭もクラクラする。痛覚を遮断していたが、右腕は折れたままだった。止血はして、腕の向きだけを直して木乃香を誤魔化したが、左腕だけで夕凪を握るのは正直辛かった。
「というか、利き腕封印して戦う相手じゃないんだがな……」
 冷や汗を額から流しながら自嘲する。右腕から徐々に体全体に熱が伝わる。
 視界がブレる。タイムリミットが近づいていた。
「動くなら直ぐに……。奥義を撃って、もう左腕も引き攣ってる――」
 一瞬で良かった、一瞬でも敵がナニカに気を取られてくれれば動く事が出来る。
 絶え間無い魔弾の豪雨に、翼を広げる事も出来ず、瞬動の為に気を操作する事も出来ない。
「チャンスと言われても……」
 そんなの何時来るか分からない。苛立ちが強くなる。
「クソッ!」
 絶え間ない魔弾の豪雨は足場を崩し、刹那の体力を奪っていく。
「しかし、お嬢様達を狙わないな」
 魔弾は一度も木乃香達に向かってはいかなかった。
「だが、何時までもそうとは限らない。何かないか?」
 刹那が回避し続けていると、刹那のポケットからナニカが落ちた。
「――――ッ!?」
 咄嗟に拾い上げ、回避を続けながら拾ったモノを見た瞬間に目を見開いた。
「これは――ッ! アデアット!」
 光が刹那の体を包み込んだ。光は刹那の体に纏わりつき、紺色の袴と白い胴着に変った。光の粒子が刹那の上方に集まりだし、十六の小刀を形作った。
「七首十六串呂! アアアアアアアアアアアア!!」
 使い方が頭の中に流れ込んで来る。念じるままに七首十六串呂は飛翔する。
「四天結界独鈷錬殻!」
 刹那は夕凪を口に咥えると、エヴァンジェリン達の居る場所に向けてポケットから独鈷杵を四つ取り出して投げ、夕凪を左手で握ると叫んだ。三つの独鈷杵が地面に刺さり、木乃香達の上空で制止した独鈷杵から伸びる光の紐を結んだ。
 木乃香、明日菜、エヴァンジェリンの三人が結界に押し込められる――。直後、遠くの地で凄まじい閃光と音が鳴り響いた。
「この魔力、ネギさんか!」
 瞬間、魔弾の雨が一瞬だけ止んだ。
「オオオオオオオオオオオオ!!」
 すぐに再開する魔弾の雨の合間を七首十六串呂を盾に使って抜ける――。砕け散る七首十六串呂。
「アベアット!」
 袴や胴着、砕けた七首十六串呂が光の粒子に変る。
「アデアット!」
 光の粒子が消える前に再び袴と胴着、七首十六串呂を再構成した。
「イ・一刀!」
 七首十六串呂の“イ”と刻まれた房飾りが柄頭に付いた七首だけが刹那の動かない右手に接着する様にくっ付いた。
 瞬動を連続で地面を蹴りながら直ぐ近くの建物に向かい、壁を蹴り一気に屋上に上がるとそのまま速度を殺さずに翼を広げた。
「見つけたぞッ!」
 感心した様に口笛を吹くベルの姿を視覚に捉えた。
 双銃の銃口が向けられている。魔弾が絶え間なく撃ち出され、刹那は夕凪に気を纏わせながら空中で回避しながら迫る。近づくに連れ、回避が難しくなっていく。
「関係無い」
 既にベルとフィオナの上空百メートルの場所に居る。
「七首十六串呂・全刀展開!」
 七首十六串呂を魔弾にわざと当てる事で一瞬だけ魔弾の雨に隙間を作り出す。
 稲妻が夕凪に宿る。
「雷鳴剣!!」
 稲妻を纏った斬撃が落ちる。魔弾が雷鳴剣を貫かんと走る。
 それでいい、とニヤリと笑みを浮かべ、刹那は懐から符を取り出した。視界が閃光に包まれ、刹那は地上へ一気に降り立った。魔弾が間髪入れずに掃射される。
「奥義、斬鉄閃!!」
 地上を斬撃が駆け抜ける。
「くあっ!」
 ベルが気絶したままのフィオナを連れて跳びあがる。
「斬空閃!」
 螺旋を描く斬撃がベルを包む様に迫る。舌を打つと、ベルは障壁を展開した。
「決まりだ――」
 直後、目の前に刹那が居るというのにベルの背後から刹那の声が轟いた。
「馬鹿なッ」
 驚愕に目を見開き、反転して魔弾を放ったベルは更に驚愕した。背後に居たのは小さなデフォルメされた刹那だった。
「チビせつなでした~~」
 ポンッという音を立てて消えるチビせつな。戦慄が走った。背後に夕凪を振るう刹那の姿を捉えた。
「死ね――――奥義・斬魔剣!」
「ガッ」
 刹那の夕凪がベルの背中を斜めに切り裂いた。ほぼ体の厚さの半分以上を切り裂かれ、ベルは白目を剥き、フィオナの体を抱き締めたまま落下した。
「――奥義・雷鳴剣!」
 稲妻を夕凪に迸らせ、更に追撃を加える。直後、ベルの体が動いた。
「ここまでか……」
 ベルは肩を竦めて見せ、フィオナを地面に降ろし、雷撃をその身に受けた。刹那は油断無く夕凪を構え、煙が晴れるのを待った。
「さすが、神鳴流の剣士だな。噂以上だぜ」
 そこには口元から青い血を流すベルの姿があった。
「負けを認めるのか?」
 刹那が問う。
「ああ、俺達の完全敗北ってやつだな。もう一人のターゲットに向かった奴もやられちまったみたいだしな」
「もう一人の? ネギさんか……」
「そうそう、そんな名前のだ」
 ベルは双銃を消し去り、地面に横たえさせたフィオナの背中と膝下に手を入れて、横抱きにフィオナを抱えた。
「逃げる気か、貴様!」
 刹那は怒気を孕んだ声で叫んだ。ベルは柳に風と言った調子で肩を竦めると言った。
「ここに居ると、面倒なのが来そうなんでな」
「なに?」
 ベルは言った瞬間に地面を蹴り、後ろに跳んだ。一瞬後、そこに一本の石の槍が地面に突き刺さった。
「何者だ!」
 刹那は周囲を警戒しながら叫んだ。返事は無い。
「フィナを扇動しやがった馬鹿野郎共の仲間だ。ま、義理も果たした。フィナもいい加減、満足しただろ。おい! 聞いてるんだろ? 俺とフィナは抜けさせてもらう。追って来るなら好きにしな。だが、その時は決死の覚悟を決めて来い!」
 ベルはどこかに潜む影に向かって言い放った。
「逃げ切れると思っているのかい?」
 どこからか男の声が聞こえた。刹那は全神経を集中させたが、どこに潜んでいるのか掴めなかった。
「言っただろ、追って来るなら好きにしろってよ。テメエも、とっとと自分の目的済ませて、そんなとこ抜けちまえよ?」
 街路樹が一瞬ざわついた。ベルは刹那に顔を向けた。
「んじゃ、悪いが逃げさせてもらうぜ。ま、もう会う事もねぇだろうけどよ、機会があったら詫び入れに行くぜ。アバヨ!」
 言って、刹那が止める間も無く、ベルはフィオナを抱えて姿を消してしまった。納得の出来ない終わりだった。ベルは負けを認めると言ったが、まだまだ戦う力があった。そもそも、完全に手を抜いていた。
 屈辱的な気持ちでいっぱいだったが、腕の怪我の熱が限界を越え、刹那は気絶した。明日菜も再び眠りにつき、木乃香も魔力の消費が限界を超えて気絶し、エヴァンジェリンも闇の魔法の反動で気が緩んだ隙に気絶してしまった。

 翌日、全員がそれぞれのベッドで目を覚ました。ネギは明日菜達から聞かされた話に愕然となり、明日菜達もネギの話に驚愕した。
 その日、何百人もの人間の存在が抹消された。死亡数は百を越え、その中には麻帆良学園の人間も数人存在していた。魔法生徒、魔法先生の死者は居なかったが、その手を血に染めた生徒が数人精神崩壊を起し、記憶の消去という治療が施された。
 療養では直せない所までいってしまったのだ。その戦いの記憶を失い、再び立派な魔法使いを目指す様になる。それでも、記憶を消されなかった生徒もまた立派な魔法使いを目指す気持ちを強めた。こんな戦いを止めたいという願いから――。

 それからの数日間、新しい年度が始まりウキウキしているべき時に、何時も元気な姿を見せる明日菜や木乃香が笑わずに落ち込んでいる姿に、あやかを始め、クラスの皆が心配した。
 そんなとある日の事だった。エヴァンジェリンがネギ、明日菜、木乃香、刹那をログハウスに呼んだのは――。



[8211] 魔法生徒ネギま! [第四章・麻帆良の日常編] 第二十話『日常の一コマ』
Name: 我武者羅◆cb6314d6 ID:87b1fc72
Date: 2010/06/29 15:32
魔法生徒ネギま! 第二十話『日常の一コマ』


 雨が降頻る中、エヴァンジェリンの住むログハウスは少し賑やかになっていた。リビングには数人の少女達が集まっている。
 ログハウスの主であるエヴァンジェリンとその従者である茶々丸、そして客である明日菜、木乃香、刹那、そしてネギだ。彼女達は緊張した面持ちでエヴァンジェリンの言葉を待っていた。
 その日、エヴァンジェリンから唐突に呼び出しを受けたのだ。夜の戦いの後、どこか空虚な気持ちで日々を過ごしていた彼女達は当初こそこの日常に変化を起せるかもしれないと喜んだが、目の前で真剣な表情を浮べるエヴァンジェリンにそんな気持ちは吹き飛んでしまった。
 茶々丸はエヴァンジェリンの後ろで控えている。明日菜達の前には茶々丸が淹れたばかりでまだ湯気が漂っている真っ赤な紅茶があり、その匂いが部屋に充満している。甘ったるい匂いに少しポウッとなる。明日菜達を一人一人睨んでいるかの様に鋭い眼差しで見た後、エヴァンジェリンは小さく息を吸い――止めた。
「今夜お前達を呼んだのは他でもない」
 エヴァンジェリンが話し出した事に体を強張らせる。巫山戯た様な様子は微塵も存在しない。次に何を言うのか――、明日菜達は唾を飲み込んで待った。
「お前達、私の弟子となれ。ハッキリ言うが選択肢は無いぞ」
 その言葉は、前に一度、明日菜とネギが言われた言葉だった。あの時は先送りにしていた事。
 エヴァンジェリンが改めて自分達を呼び出して言った原因は間違いなく数日前のアノ夜の戦いだろう。エヴァンジェリンの瞳が鋭く光る。
「少なくとも、全員本当の殺し合いを肌で感じた筈だ。神楽坂明日菜に至っては実際に一度心臓が停止している。これで理解していないのならば救い様が無いが?」
 エヴァンジェリンの言葉に、明日菜の心臓が一際跳ねた。神楽坂明日菜は一度絶命しかけた。桜咲刹那と近衛木乃香の対応が数秒遅れたら絶命していたのだ。
「ネギ・スプリングフィールド、お前も偶々侵入者の犬上小太郎がお前と共同戦線を張ったから生きているのだと自覚しているな? もしも、犬上小太郎がお前と共同戦線を組まなかったら? そもそも奴が居なかったら? 少なくとも貴様一人では間違いなく殺されていたのを理解しているだろうな?」
 一歩間違えれば死んでいた。事実だ――、ネギが単騎で挑めば数秒も保たずに殺されていただろう。遠距離から支援し、小太郎がたまたま近接戦闘に優れていたからこその勝利だったのだ。
 要因が一つでもずれれば殺されていた。その事実を改めて認識して歯を噛み締める。
「お前達は一人残らず狙われる要因が存在する。お前達も死にたくないだろう?」
 エヴァンジェリンはどこか苦虫を噛み潰したような顔を浮べながら言った。紅茶を口に含んで僅かに乾いた喉を潤す。
「言っておくが神楽坂明日菜、ネギ・スプリングフィールド。前回お前達を弟子にすると言った時とは違う。私の正式な弟子にするのだ。甘い考えは捨てろ。死んだ方がマシな修行を課すぞ。それでも、ここで自分の意思を示して見せろ。死に物狂いで生きる道を探るか否か」
 選択肢の無い状況で選択しろとエヴァンジェリンは迫った。これは一つの儀式だった。エヴァンジェリンが考えているのは情け容赦の無い本当に地獄を垣間見るモノだ。それを乗り越えられるかどうかはここで自分の意思で道を決められるかどうかに限られている。
 一度死線を潜り抜けた事で戦いを恐れるか、日常への未練はないか、あらゆる思いが掛け巡るだろうと予想して、それでも自分の弟子になる道を選べるかどうか。エヴァンジェリンが彼女達を弟子にする意思を固めたのは、実を言うと近右衛門からの要請だった。
 結果を示せば、それなりの褒章を用意していると言う。もしかすれば、それはナギの情報かもしれない。もしかしたら、それはここから解き放たれる方法かもしれない。だが、それも理由の一部でしかないのだと何処かで理解していた。だが、それを認めるのは気恥ずかしさがある。
 エヴァンジェリンはジッと明日菜達の決断を待った。
「エヴァンジェリンさん、私を弟子にして下さい」
 最初に口を開いたのはネギだった。幼い顔立ちにも関らず、その表情は引き締まり、決意に満ちた瞳を爛々と輝かせていた。
「エヴァちゃん、私を弟子にして。もう覚悟を決めたわ。何が何でも強くなる!」
 キッと睨む様な目付きをしながら、まっすぐに明日菜はエヴァンジェリンを射抜いた。決意の固まった表情だった。
 敵として戦った時に感じた言い知れぬ存在感が一気に膨れ上がったような気がした。エヴァンジェリンは知らず口元が緩んだ。
「エヴァちゃん、ウチを弟子にしたって下さい。ウチは、護ってもらってる。せやけど、対等な立場で居たいんや!」
 誰と――そんな事は愚問だった。真っ直ぐな深い漆黒の眼は底の見えないナニカがあった。『癒しなす姫君』という称号に飾られた姫君という単語。ただ、関西呪術協会の長の娘というだけではなく、まるで本当の姫君の如き気高さを感じ取れた。
「私も是非。私はどんな障害も切り払う力が欲しい。立ち止まらせる事の無い程の力が欲しいんです」
 お嬢様の為、お嬢様の行く末に立ちはだかるあらゆる障害を切り払う。それが彼女が心に誓った『この剣は彼女の為に』に秘められた思いだった。木乃香の望むまま、どんな危険地帯でも絶対的なまでに安全な場所に作りかえる。木乃香が望むなら地獄であろうと道を切り開く。
 未だ、自分は未熟だ、あの夜、ベルと戦った事で痛感していた。四人の言葉とその内に秘められた思いを聞き、エヴァンジェリンは目を閉じた。
「覚悟は出来ているか――。なら、最初にお前達に課題を与える。これをこなせなければ先には進めないぞ」
 エヴァンジェリンの言葉に、知らず喉を鳴らした。緊張に身構える少女達に、エヴァンジェリンは思わず微笑を零すと言った。
「お前達、次の実力テストで満点を取れ。全科目でだ」
 エヴァンジェリンの言葉に、時間が凍結した。ネギと木乃香はいきなりの言葉に面を喰らったが、刹那と明日菜はその言葉の恐ろしさに絶句していた。
「な、なんでよ、エヴァちゃん!? 私達、強くなる為に弟子になるんでしょ? 何で、実力テストで満点とらなきゃいけないのよ!」
 明日菜が思わず怒鳴ると、エヴァンジェリンはテーブルを強く叩いた。紅茶の入ったカップが揺れて倒れそうになる。立ち上がったエヴァンジェリンは大きく息を吸い込んだ。
「いいか、お前達は魔法使いに幻想を抱き過ぎなのだ! 言っておくがな、魔法使いに学歴は要らんが学は必要になるのだ! お前達が魔術サイドの人間になったとして、まさか学も無しに就職出来るとは思ってないだろうな?」
 エヴァンジェリンの言葉に、明日菜と刹那が呻いた。まさか就職なんて言葉が出てくるとは思わなかったのだ。
「いいか、魔法使いは基本的に隠匿されるべき存在だ。ならば当然だが、コチラの世界で魔法使いとして活動するには隠れ蓑が必要になる。教師になったり、警備員になったり、警察になったりと、その為には当然資格なども必要だ。ハッキリ言うぞ! 魔法使いは一般人よりも勉強が出来なければならんのだ! どんな職種でも途中でクビにされない程の技術が無ければいかんからな! 任務中にクビになっちゃいました――なんて言い訳は通用せんぞ!」
 エヴァンジェリンの言葉に明日菜と刹那の顔が引き攣った。考えた事も無かった。魔法使いは戦えればいいと思っていたからだ。
「戦闘技術はあって当たり前。第二外国語、つまりは英語もペラペラが当然だ! 更に、魔法の詠唱を理解する為にラテン語やギリシャ語、ヘブライ語も習わなければならん」
 それからエヴァンジェリンは如何に勉強が大事かを長々と説明した。ネギと木乃香は真剣な表情で聞いていたが、刹那と明日菜は絶望感が漂い始めた。
「いいか、特にそこの脳味噌筋肉娘達!」
「誰が脳味噌筋肉娘よ!」
「失礼ですよ!」
 エヴァンジェリンの言葉に刹那と明日菜がギャーギャーと喚くが、エヴァンジェリンは相手にしなかった。
「もしも満点を取れなかった場合は――」
「場合は?」
 木乃香がゴクリと喉を鳴らした。
「塾に通わせるぞ!」
 その瞬間、あまりの衝撃に明日菜と刹那は悲鳴を上げた。あまりにも酷い仕打ちだ。塾なんて通った事など無い。態々お金を払って勉強をしに行くなど意味不明だ。
「安心しろ、塾のお金は学園長が出す事になっている」
 マジだった。本気と書いてマジでエヴァンジェリンは満点取れなかったら塾に通わせる気だ。今だ嘗て感じた事の無い緊張が走った。更にエヴァンジェリンは追撃した。
「言っておくがこれは第一の課題だ。毎回定期試験は満点をキープしてもらうぞ。それから更に高校レベルの勉強に入り、大学の勉強も確りさせる。外国語に関してもミッチリとこなすからな。既にタカミチに話して準備は出来ている」
 なんという残酷な仕打ちだろうか――。毎回定期試験で満点など不可能だ。その上高校レベルの勉強だと、馬鹿げている。
 一方、ネギは余裕な顔だった。既に大学レベルの勉強は済ましている。エヴァンジェリンは話していないが、魔法使いは勉強用の魔法で早期に基本的な学習を終えるのだ。それから魔法の勉強に入っていく。ソレを使えばそこまで悲観的な課題でもない。
 だがそれを知らない明日菜達は頭を抱え込んでいた。
「とにかく、私の弟子になるからには中途半端は許さん。将来の事も考えて修行プランを作成する。今日の話はこれで終わりだ。ネギ・スプリングフィールド、お前は神楽坂明日菜達に魔法学校で教わる勉強用の魔法を授けておけ」
「わかりました」
 ネギが頷くのを確認すると、エヴァンジェリンは茶々丸に目を向けて頷いた。茶々丸も頷き返すと、何処かへ消えた。しばらく待って、茶々丸は白い翼の形をしたピンバッジを持って来た。
「つけろ。これから、私達は一つのパーティーだ。このバッジはその証だ」
「パーティー?」
 明日菜が首を傾げた。
「え? お祝いか何かなの?」
「違う……。つまり、チームとして活動するという事だ!」
 エヴァンジェリンは呆れた様に言った。
「放課後に集まっても不信に思われないように部活動という事にした。名前は未定だが、一応『白き翼(アラアルバ)』という事でタカミチに顧問を頼み手続きをしている」
「白き翼……それって」
 ネギは目を丸くしながら呟いた。エヴァンジェリンは満足気な笑みを浮かべて頷いた。
「お前の父、ナギ・スプリングフィールドの『紅き翼(アラルブラ)』に倣った。それに……」
 ニヤリと笑みを浮かべ、エヴァンジェリンは刹那を見た。その意図にネギ達は即座に気が付き、思わず笑みを浮かべた。
「それってッ!」
 一斉に刹那を見る。
「ええやん、その名前!」
「エヴァちゃん、粋な事思いつくわね!」
 刹那は恐縮した表情で顔を赤らめた。白き翼のもう一つの意味、それは刹那の背に生える白く輝く二枚の翼だ。
「さあ、白き翼の最初の活動を始めるぞ。勉強だ!」
 エヴァンジェリンがそう言った途端、明日菜と刹那から悲痛な悲鳴が上がった。

 数日後、実力テストが三日後に迫りネギ達は小テストを受けていた。
「これは酷い……」
 事情を知るタカミチが放課後に毎日勉強を教えることになったのが間違いだった。
 ネギと木乃香は元々問題が無く、刹那の学力は飛躍的に上がったのだが、タカミチとほぼマンツーマンの勉強会で、明日菜はいつも脳味噌が蕩けてしまい、全く勉強が捗らなかったのだ。
 数学、化学、物理、現国、古文、現代社会、地理、英語、美術に家庭科。美術だけは問題が無かったが、その他の科目は定期試験には全く間に合う気がしなかった。
「どどど、どうしよう~~」
 塾に通うなんて嫌だ。基本的に勉強など嫌いだ。だが、今日やった実力試しの小テストの点数は満点から遠く離れた三十二点だ。それでも神楽坂明日菜にとっては十分過ぎる点数なのだが――。
「これだと実力テストは……」
 満点は無理だ。そう断言してしまうと可哀想だが、それが事実だった。
 タカミチは明日菜に何とかしてあげたいと思いながらも、さすがに本人の頑張り次第であり、まさかテストの問題の答えを教えるなど出来る訳も無く、悩んでいたが答えは出なかった。
 刹那の方も、成績が良くなったのは事実だが、満点には到底届いていなかった。
 木乃香とネギは僅かな勉強でも確りと知識を身に付け、刹那と明日菜の手伝いをしているが中々思うように勉強は進まなかった――。

 日曜日になり、ネギは木乃香と共に買い物に来ていた。
「明日菜さんと刹那さん大丈夫でしょうか……」
 ネギが呟くと、木乃香は「せやねぇ」と困った様に小首を傾げた。
「二人共頑張ってるんやけどなぁ」
「エヴァンジェリンさんに相談して、ハードルを下げて貰えないでしょうか……」
「でも、エヴァちゃんも無茶言うなぁ。麻帆良は進学校やないけど、それなりに難しい問題もあるさかい、満点は難しいのに」
「私達も気をつけないとつまんないミスをして満点を逃したら塾通いですよ……」
「塾はちょっとなぁ……」
「帰ってスタミナの付く料理を食べて私達も頑張りましょう、木乃香さん!」
「せやね、ネギちゃん!」
 二人は話しながら商店街で夕食の買い物を済ませると、夕焼けに染まる帰り道を歩いて行った。帰ると明日菜と刹那はテーブルに突っ伏していた。
「もう駄目、いっそ殺して~~」
「頭がパンクしてしまう~~」
 教科書に顔を埋める二人に木乃香は呆れた様に微笑んだ。
「二人共頑張りや~。今日はシャブシャブにするさかい」
「シャブシャブ!?」
 明日菜は瞳を輝かせた。シャブシャブなどここ最近していなかった。そもそも二人部屋だったから鍋自体珍しいのだ。
「勉強をよう頑張ってるさかいなぁ。今日は奮発して高いお肉買ってきたで~」
「こ、木乃香ぁぁぁぁぁ」
 聖母の如き慈悲深い微笑を浮べる木乃香に、明日菜は感涙の涙を流した。その光景に、ネギと刹那は苦笑いを浮べると、木乃香は夕食の準備を始め、ネギは二人の勉強を見た。
「明日菜さん、ミスが目立つのでもう少しゆっくり時間を掛けた方がいいと思いますよ。見直しが大事です。大方の公式はバッチリなので、ミスさえしなければきっと大丈夫ですよ」
「ほ、本当?」
 明日菜の実力試しのテストの採点を終えると、ネギは言った。明日菜はおっちょこちょいなミスさえしなければ、計算方法などはちゃんと頭に入っていたのだ。
 問題なのはミスの多さで、そこさえ大丈夫なら、あとは現国や古文、英語の読解などに比重を置いた方がいいだろうとネギは判断した。
「漢字とかも大丈夫そうですし、古文の読解を重点的にやってみましょう。源氏物語を題材に問題を作っておきましたから。これを解いてみて下さい」
 読解などは先生によって微妙に変る場合もあり、とにかく問題を解く事しかない。新田は勉強を頑張っている明日菜と刹那に感動してお薦めの問題集を買い与えてくれたが、既に全て解き終えている。ネギは勉強の合間に刹那と明日菜のために木乃香と一緒に作ったプリントを渡して明日菜に解かせた。
「う~~、頭の中がコークスクリュ~~」
「何言ってるんですか明日菜さん……。ほら、頑張って下さい」
「お鍋準備出来たえ~」
 丁度、明日菜が頭から煙を出し始めた頃になって木乃香が土鍋を持ってきた。
「あ、お手伝いしますお嬢様」
 慌てて立ち上がると、刹那はテーブルの上を片付け、土鍋のスペースを空けた。それから勉強を一時中止して四人のシャブシャブパーティーが始まった。
 明日菜はお肉ばかり食べるのを木乃香に窘められ、刹那は木乃香に入れられてしまった長葱と奮闘し、ネギはキリタンポを珍しそうにしながら食べていた。
 翌日、試験が始まって明日菜と刹那は健闘した。

 数日後、答案が戻って来た。ネギ・スプリングフィールド、全科目満点。近衛木乃香、全科目満点。神楽坂明日菜、細かなミスが目立ちつが平均点91点。桜咲刹那、ギリギリの所で惜しい間違いをして平均点98点となった。
 クラスメイト達はバカレンジャーのリーダーが突然取った高得点に驚愕して、先生達も喜んだのだが、とうの本人は悲壮感を漂わせていた。桜咲刹那も同様に絶望感を露わにしている。
「う、いや~~塾行きたくないよ~~」
「こ、この数ヶ月の努力は一体……」
 明日菜達が悲鳴を上げている最中、ネギはエヴァンジェリンが答案を受け取っているのを見た。
「そういえば、エヴァンジェリンさんはテストどうだったんですか?」
「……え?」
 エヴァンジェリンは咄嗟に自分の答案用紙を隠した。その瞬間、刹那の脳裏に雷鳴が轟いた。
「エヴァンジェリンさん、当然エヴァンジェリンさんは満点なんですよね?」
「な、なにを……」
 刹那は周囲がドン引きする程凄惨な笑みを浮べて後退するエヴァンジェリンににじり寄った。
「そ、そうよエヴァンジェリンちゃん! エヴァちゃんはどうだったの? 当然満点だよね? 満点じゃなかったらエヴァちゃんも当然塾通いだよね?」
「何だと!?」
 エヴァンジェリンは目を剥いた。ダラダラと滝の様に汗が流れる。
「エヴァちゃん、満点だったんだよねぇ?」
 明日菜は刹那に負けず劣らずの世にも恐ろしい笑みを浮べながらエヴァンジェリンににじり寄る。
「ま、待て! と、当然じゃないか。ま、満点に決まっている! おっと、答案が!」
 すると、いきなりエヴァンジェリンの答案が木っ端微塵になってしまった。
「あ、ああああああああああ!!」
 明日菜と刹那は愕然となった。エヴァンジェリンの答案が消えてなくなってしまったのだ。エヴァンジェリンは勝者の笑みを浮べている。
「フ、フハハハ、さてと。約束どおり満点でなかったお前達は塾通いだ。色々と資料を集めてきたぞ」
「ちょッ!? ずるいよエヴァちゃん! 絶対満点じゃなかったでしょ!? 人にばっか勉強させておいてそれでも師匠を名乗る気!?」
「うるさいうるさいうるさ~~い! 最早真実は闇の中だ! お前達は大人しく塾に通え! 勿論、その間修行もキッチリ受けさせるがな!」
 顔を真っ赤にして怒鳴り声を上げるエヴァンジェリンに、明日菜は理不尽だと怒鳴り返し、教室は騒然となった。二人共本気で怒鳴りあっていた。すると、騒ぎを聞きつけたタカミチが教室に入って来た。
「どうしたんだい? もうすぐ授業が始まるから静かにしなさい」
 入って来たタカミチに、刹那の瞳がピカリと光った。
「高畑先生!」
「な、なんだい刹那君?」
 嘗ての英雄と勝らずとも劣らないオーラを放つ刹那にタカミチは若干引いた。
「エヴァンジェリンさんの成績を教えてください」
「へ?」
「ちょっと待て貴様! この卑怯者め! ええい、教えるんじゃないぞタカミチ~~~~!!」
「エヴァ!?」
「私の高畑先生に近すぎよ二人共~~!!」
「明日菜君!?」
 爛々と瞳を輝かせて迫る刹那と、真っ赤になりながらガーッ! と怒るエヴァンジェリンと、エヴァンジェリンと刹那をタカミチから離そうとする明日菜に囲まれて困った顔をした。
「しょ、小学校の先生になった気分だ」
 下手にエヴァンジェリンと三人を宥め様とするネギのせいで余計にそう思えた。タカミチはついクスリと笑ってしまった。
「な、何を笑ってるんだ貴様!」
「エヴァちゃん、高畑先生に近い!」
「離せバカレッド~~」
 高過ぎて見上げる事しか出来ない師匠や嘗ての英雄達。そんな彼らと肩を並べ、同じく見上げる事しか出来ない存在の筈のエヴァンジェリンの子供の様な姿に、タカミチは緩む頬を引き締められなかった。
 エヴァンジェリンを引き剥がそうとする明日菜の姿もそれを加速させ、タカミチは堪らずに口元を押さえて肩を振るわせ始めた。
「た、タカミチ! いきなり笑うなんて失礼だよ!」
 ネギが突然笑い出したタカミチにハッとなって顔を赤くして俯いてしまった明日菜とエヴァンジェリンを見て頬を膨らませてタカミチに抗議した。
「いや、ごめんごめん。ププ……すまない君達。それとエヴァ、師匠になるならちゃんと見本を見せなきゃね。新田先生がカンカンだったよ?」
「だああああ、貴様ぁ!」
「ほらやっぱり~~! 私達に塾行かせるならエヴァちゃんもだからね~~!」
 タカミチがバラしてしまった事にカンカンになるエヴァンジェリンに明日菜は勝ち誇った顔で言った。
「きゃ、却下だ却下! 塾など行きたくないぞ!」
「私達だってそうだよ! エヴァちゃんが私達より点数高くなきゃ塾行きは無しなんだからね!」
「ぐっ、わ、私はこれでもお前達を思ってだな!」
「ならエヴァ、こんなのはどうだい?」
「ん?」
 喚くエヴァンジェリンに明日菜が怒鳴るが、エヴァンジェリンは頬を膨らませて怒鳴り返す。すると、タカミチが突然二人の間に割って入った。
「つまり、エヴァがもっと頑張って勉強して、ちゃんと明日菜君達に示しをつけるんだよ。師匠なら、弟子に見本を見せないと。大丈夫、エヴァは“やれば出来る娘”だよ」
 タカミチがエヴァンジェリンの頭を撫でながらダンディーでニヒルな笑みを浮べながら言うと、明日菜はその衝撃にフラつき、エヴァンジェリンはやれば出来る娘という言葉にむむむとヤル気を出した。
「まるっきり小学生への対応じゃねぇか……」
 その光景を見ていた長谷川千雨は呆れかえった風に呟いた。結局、明日菜と刹那の塾通いは白紙になったが、それ以後のテストの時からエヴァンジェリンに成績で負けた人間は塾通いというルールに変更された。

 その日、ネギは明日菜、木乃香、刹那、エヴァンジェリン、茶々丸と集まってお弁当を広げていた。
「そういえばさ、聞いてなかったんだけど」
 明日菜がネギが一人で見事に焼き上げた黄金色の卵焼き(超甘口)を頬張りながらネギに顔を向けた。
 梅干を口に入れて「酸っぱいッ!」と言ってご飯を掻き込む刹那にお茶を勧めながら木乃香は首を傾げ、木乃香の作ったミートボールを口に放って「なかなかイケるな」と感心しながらエヴァンジェリンは気にも掛けず、茶々丸は小首を傾げた。
「何ですか?」
 モグモグとミートボールをリスの様に頬を膨らませながら幸せそうに食べていたネギは飲み込むと小首を傾げた。
「聞いちゃうんだけどさ、ネギって小太郎ってのとその――」
 小太郎の名前が出てエヴァンジェリンも興味が出たのか顔を向けた。明日菜は瞳をダイヤの如く煌びやかに輝かせた。
「チューしたんだよね? どうだった?」
 ネギは思わず噴出してしまった。目の前に座っていた茶々丸は見事に回避して見せた。
「え、何々!? ネギちゃんがチュー!?」
「何ですと~~~~!?」
 同時に、明日菜の丁度後ろで食べていたまき絵の耳に入り、裕奈も両手を机に叩きつけて立ち上がって驚愕の声を発した。
「本当なのネギ!?」
「本当なのネギちゃん!?」
 二人は凄まじい形相でネギに迫る。
「嘘だ!! ネギちゃんがチューなんてどこの変態外道ロリコン男爵に奪われたのさ~~!?」
「ちょッ、アンタ今凄い事言ったわよ?」
「というか普通に失礼ですよそれは……」
 頭を抱えながらまき絵が絶叫すると明日菜が慌てて口を押さえ、刹那が呆れた様に言った。
「若いなコイツ等」
 水筒から蓋部分のカップにお茶を注いで飲んだ。
「いきなり老けないで下さい、マスター」
 呆れた様に茶々丸が言う。
「ネギ!」
 裕奈がネギの肩を抑え付けてジトッとした目でネギの目を覗き込んだ。
「チューしたの?」
「ちゅ、ちゅう?」
 ネギは顔を真っ赤にしながらダラダラと汗を垂れ流した。
「チュー。キッス。接吻。したの?」
「あ……いや、したにはしましたけど。仕方なかったというか……、もう二度と会わないというか……」
 モジモジしながら言うネギの言葉に、裕奈とまき絵の表情が見る見る青褪めていった。
「おい……、アイツ等何か勘違いしてないか?」
 エヴァンジェリンがボソリと明日菜に言うと、明日菜は意味が分からずに「え?」と首を傾げた。
「聞く相手を間違えた……」
「またエヴァちゃんが私を馬鹿にした!?」
 明日菜とエヴァンジェリンがそんなやり取りをしていると、裕奈とまき絵の声が爆発した。
「おのれ、誰だ!? ネギを傷物にした挙句逃げた最低野郎は~~!!」
「ネギちゃんの仇は私達が獲る!!」
「傷物!?」
「おい、何か盛大な勘違いが出来上がってるぞ」
 立ち上がってとんでもない事を宣言している二人に刹那は驚愕し、エヴァンジェリンは木乃香に話し掛けた。
「エヴァちゃんが私を無視して木乃香に~~」
 明日菜の馬鹿な叫びを耳からシャットアウトしてエヴァンジェリンは木乃香と話ながらいつの間にか料理の話になっていた。
「なかなか美味いな。料理が好きなのか?」
「せやね~、どっちか言うと食べてる人の笑顔が好きなんやで」
「ふむ、今度ウチにある料理本をやろう。私は和食が好味だ」
「了解や~」
 暗に自分の好きな具材で弁当を作って来いと言うエヴァンジェリンに木乃香は笑顔で頷いていた。
「うう……、無視された~」
 明日菜はエヴァンジェリンに無視されて落ち込み、茶々丸に慰められていた。
「明日菜さん、お気を確かに。どうぞ、わたしのミートボールを差し上げますから」
「ありがど~ぢゃぢゃまるしゃ~ん!」
 茶々丸に貰ったミートボールを頬張ると、明日菜は茶々丸に泣きついてあやされていた――。
 一方その頃、刹那が何とかネギの言葉を色々と暈しながら翻訳して誤解を解いていた。
「ですから、ちょっとした事故だった訳です。連絡先も聞いていませんので、再会出来る可能性も低いという訳でして――」
 裕奈とまき絵は嘘九十%の翻訳を信じ込み、ネギは頭を振って悶えていた。
 昼休みが終わり、皆が戻って来るまで賑やかな時間が過ぎていった。授業は至って平穏なまま過ぎていった。神多羅木はバカレンジャーに何時も通り宿題を課し、エヴァンジェリンがタカミチと少し話している姿をハンカチを噛みながら明日菜が羨ましがった。その日はタカミチとあまり話せなかったのだ。

 数日後の放課後になって、ネギは明日菜達と一緒に帰ろうとしていた所を裕奈とまき絵に拉致されて行った。麻帆良学園という学園都市はとにかく広い。暇を潰すには持って来いの施設が星の数ほど存在する。
 ネギが連れて来られたのはカフェテリアだった。カフェオレを飲みながら、裕奈とまき絵の話を聞いていた。裕奈とまき絵は今朝の騒動と、自分達の部活の仲間が彼氏を作っていた事もあって恋愛に興味を持ったらしい。
 何人かに聞いてみたが、誰も彼もが当てにならなかったという。最初に聞いた雪広あやかは特に気にしなくても家柄良し、顔良し、スタイル良し、頭良し、器量良し、性格良しのパーフェクト男が毎日愛の詩を手紙に綴り、お茶の誘いをメールに記す。雪広財閥の令嬢であり、性格、気品、顔立ち、スタイル、性格、教養全て良しの才色兼備なあやかは恋愛について深く考えなくてもモテているので参考にならなかった。
 次に聞いた千鶴の下着に注目し、千鶴に教えて貰ったランジェリーショップに行って綺麗なランジェリーを買ったのだが、町を歩いてもナンパをされず、それ所か子供塾のチラシを貰ってしまった。悩んだ末に二人はネギに目を付けたのだ。
 英国から来た少女なら恋愛について詳しいかもと思ったそうだ。ネギは申し訳なさそうに首を振った。女の体に慣れて来たとはいえ、乙女心など分からないし、ましてや恋愛についての知識など殆ど無い。
 女性の扱いについての教養はあっても、男性の扱いなど習う筈も無い。周りに居た男の友達も金髪だけで、元々他の男の事をあまり知らないのだ。恋愛相談などされても困る――。
 裕奈とまき絵はガックリとしながらカフェオレを飲み干すと、ネギもカフェオレを空にした。
「焦り過ぎなのかな……」
 裕奈がぼやく様に言った。
「でも、恋をしてみたいよ~」
 まき絵が悔しそうに言った。周りの皆に恋人が出来ていくのが羨ましいのだ。
 休みの日には一緒に映画をみたりショッピングをしたり遊園地に行ったり、自分の作ったお弁当を食べさせてみたいと思ったり、夢が膨らむ一方で、恋人の居ない現実に悲しくなってくる。ネギはそんな二人に元気になって欲しくなった。
「気晴らしに遊びに行きませんか?」
 そう尋ねていた。裕奈とまき絵は一瞬目を見開いたが、すぐに元気一杯の笑みを浮べて頷いた。
 やって来たのは麻帆良学園の中心部にある広いショッピングエリアだった。人通りも多く、沢山の店舗が立ち並んでいる。
 三人はレストランに入ってスイーツを食べてエネルギーを充填すると、小物店を見て周り、洋服店へと入っていった。
 夕暮れになるまで遊んでいると、裕奈とまき絵も気落ちしていたのが今は晴れ晴れとしていた。寮の近くの噴水公園のベンチに荷物を置き、ネギと裕奈は座り込んだ。まき絵は噴水の縁でバランスをとっている。
「どうすれば恋って出来るのかなぁ」
 噴水の縁を歩きながらまき絵が言った。吹っ切れた様子だったが、それでも気になったのだろう。裕奈も溜息を吐いた。
「本当だよねー。まぁ私達は彼氏どころか告られた事もないからねぇ」
「もうっ! 世の男の目は節穴じゃ~~ッてキャアッ!」
 まき絵は叫んだ拍子にバランスを崩してしまった。慌てて手を伸ばした裕奈もそのまま転んでしまい、二人は揃って公園の噴水の中にダイブしてしまった。
 服が濡れて透けてしまっている。ビショビショな二人はネギの目にとても綺麗に写った。
「まき絵のドジー」
 ビショビショになりながら、責める様子も無く裕奈が面白がるように言った。
「ごめんゆーな。もう、おニューの下着がずぶぬれだよーっ!」
 台無し~と項垂れるまき絵に、裕奈はニヤリと笑みを浮べると両手で水を掬って飛ばした。
「はぅぅ、何するのよ~~!!」
 まき絵も負けずに水を投げ返す。段々楽しくなって来た二人はどんどんエキサイトしていき、その水が思いっきりネギに降り注いでしまった。
「冷たッ!」
「アハハ、ごめ~んネギ」
「ごめんね~。はは……あはは!」
 噴水の水の中で座り込んで笑い合う二人を見ながら、ネギは思った。
 二人の本当の魅力はきっと――。
「どうしたら大人になれるか分かりませんが――」
「?」
 ネギの言葉に二人が首を傾げる。
「今みたいに何時もと同じく元気な二人が一番だと思います!」
 ネギが笑顔で言うと、裕奈とまき絵は顔を見合わせて、お互いに笑い合った。
「でも、やっぱ焦っちゃうなぁ」
 唇を尖らせるまき絵に、ネギはそっと二人から見えない様に魔力を練った。柔らかい光がそっと噴水の水の中へ溶け込んでいった。光が反射して二人が水の中を覗き込むと、そこには幻術によって未来の二人の姿が映りこんでいた。
 わずかにお化粧をした美人なOLになったまき絵の姿と、胸元にリボンをあしらった真っ白なブラウスを着た若奥様になった裕奈の姿。
「どうしたんですか?」
 ネギのニッコリ微笑みながら尋ねた。
「い、今、水の中に私達の未来の姿は見えた様な……」
「うん! 見えた見えた!」
 二人が満面の笑みを浮べながら喜ぶ姿に笑みを深めながら、ネギは口を開いた。
「そうですか、きっと、裕奈さんとまき絵さんならとっても素敵な女性になっているんでしょうね」
 一瞬ポカンとした表情を浮べた後、二人はまるで太陽の様に輝く素敵な笑顔を浮べて頷いた。
「当然!」
「自分で言うかぁ?」
「あはははは」
 二人は恥しそうに笑い合い、それを見ながらネギは微笑みながら言った。
「日も暮れてきた事ですし寮に戻ってご飯でも食べますか? このままじゃ風邪ひいちゃいますから」
「あ、それ賛成――ッ!」
「わ~い、ネギちゃんと一緒にご飯だーっ!」
「鍋なんかいいですよね」
 ネギが裕奈に携帯電話を借りて木乃香にまき絵と裕奈が来る事を知らせると、直ぐに了承の旨が返ってきた。
 すると、突然まき絵が叫び声を上げた。
「ど、どうしたんですか、まき絵さん!?」
「ゆーな! 私の未来、胸大きくなってた?」
「そんなの覚えてなーいっ!」
「そんなぁーっ!」
「待って下さい二人共~」
 逃げる裕奈を追うまき絵を追いながらネギは走り出した。
 その日、ネギは少しだけ恋愛というモノがどんなものなのか分かった気がした。女の子が夢見るとっても素敵な事。



[8211] 魔法生徒ネギま! [第四章・麻帆良の日常編] 第二十一話『寂しがり屋の幽霊少女』
Name: 我武者羅◆cb6314d6 ID:87b1fc72
Date: 2010/06/29 15:33
 1940年といえば、第二次世界大戦が激化する一方であった時代だった。当時、五摂家の当主であった“近衛文麿”は内閣総理大臣だった。この年の九月二十七日に日独伊三国同盟が締結され、正式に“日本”はこの世界を舞台にした大戦に参加したのである。
 この年、後に近衛家の当主となり、麻帆良学園の学園長となる近衛近右衛門が大切な存在を失った年でもあった。“相坂さよ”という一人の少女が居た。当時の連続殺人犯によって殺害され、現在の三年A組の教室で血塗れの状態で発見されたのだった――。


魔法生徒ネギま! 第二十一話『寂しがり屋の幽霊少女』


 この学校には幽霊が居る――、そんな噂は大体の学校に存在する。学校の七不思議の一つであったり、教室の隅や、体育館の倉庫にひっそりと潜んでいたり。だけど間違いなく、麻帆良学園本校女子中等学校の3-Aの教室には幽霊が居る。誰にも気付かれる事なく、数十年もの間この地に縛られる。そんな幽霊が――。

 実力テストから数日、エヴァンジェリンは教科書としていたドミニコ会異端審問官、ヤーコプ・シュプレンゲルとハインリヒ・クラーメルの共同著書である『魔女の槌』の内容を噛み砕きながら説明していた。魔法使いの歴史を知る事は精神的な意味や教養的な意味で意義がある事だ、と考えたからだ。
 だが、書物から目を離し、肝心の生徒に目を向けると、エヴァンジェリンの視線の先にはログハウスの一室の机の上に頭を乗せてグースカピーと鼾を掻く明日菜が居た。
 ピキピキと青筋を立てるエヴァンジェリンに慌てて刹那と木乃香、ネギが明日菜を起そうとするが、幸せそうな寝顔でベタな寝言を呟いている明日菜は全く目を覚まさず、いつもの様にエヴァンジェリンの拳骨が落ちる。涙声で抗議する明日菜にエヴァンジェリンが説教をするのは最早日常となっていた。基本的にエヴァンジェリンは戦闘訓練と勉強を平日は日にちで分け、土日は午前と午後に分けていた。
 肝心の修行内容はというと、明日菜はとにかく剣術を学ぶ事だった。神鳴流他、二天一流、伊藤派一刀流、巌流などの著名な剣術家のデータを持つ茶々丸が明日菜に合った剣術を新たに選別、創作して伝授している。毎日毎日同じ動作を数千単位で繰り返させ、最後の一時間で実戦練習をさせる。日曜日の午後は完全に模擬戦オンリーだ。明日菜の身体能力は常人の範疇に無く、ネギの魔力によるバックアップがあれば茶々丸と手加減していたとはいえ真剣勝負で互角に戦えるレベルなのだ。剣術をキチンと修めれば間違いなく化けるだろうというエヴァンジェリンとカモ、双方一致の意見だった。
 刹那の修行は基本的に三つで、それを時間を三等分して行っている。一つ目の修行は飛行訓練だ。翼を使って本格的に戦う業を身に付ける。修行の方法は至って簡単で、林の中を翔け巡るのだ。徐々に速度を上げていくのだが、全速力で翔け回るにはまだまだ先になりそうだというのが刹那のこの修行に対する感想だった。二つ目の修行は七首十六串呂と夕凪による変則多刀流の修行だ。基本的に本体である小太刀のイを使う二刀流の修行をして、更にロ・ハ・ニと数を増やした場合の戦術を研究するというものだ。飛行訓練の後の休憩という感じで考える作業だった。三つ目の修行は何故か座禅だった。刹那自身何をしてるのか分からないが、エヴァンジェリンは『心を無にしろ』としか言わなかった。何の為の修行なのか聞いても『試験的なものだから確証は無い』と言って答えてくれず、何となく疑わしく感じていたが素直に従っていた。
 木乃香とネギは一緒に魔法の勉強中だ。木乃香は回復系統や結界系統などの後方支援型魔法使いを目指し、ネギは雷と風と光の攻撃魔法に加えてエヴァンジェリンの氷の魔法も教わりながら固定砲台型魔法使いを目指して勉強をしている。エヴァンジェリン直々に魔法を実演し、詠唱の意味を解説しながら二人にやらせる。
「いいかネギ・スプリングフィールド、私の後に唱えろ! サギタ・マギカ、連弾・氷の37矢!」
 エヴァンジェリンが氷の魔弾を放つのを見ると、ネギも杖を構えた。
「サギタ・マギカ、氷の37矢!」
 ネギの杖から氷の魔弾が放たれ、エヴァンジェリンの魔弾が軌跡を変えてネギの魔弾に迫る。
「『氷楯』!」
 エヴァンジェリンが障壁を張ると、ネギの魔弾を越えたエヴァンジェリンの魔弾が激突した。
「なんだそのチンケな魔法は!」
 エヴァンジェリンの言葉にネギはムッとなった。
「でも私は風の魔法が得意で氷の魔法は……」
「ばっくぁもぉ~~~~~んッ!!」
 言い訳をしようとするネギにエヴァンジェリンの雷が落ちた。心臓がバクバクし、涙目になってオロオロするネギに再び雷が落ちる。
「一々メソメソするんじゃない!!」
「ご、ごめんなさい!」
「お前の師匠は誰だ? この闇と氷の魔法を得意とするエヴァンジェリン・A・K・マクダウェルだな。もちろん、炎も風も貴様より使えるが」
「は、はい!」
「なのに弟子の貴様がそんなものでは師匠の私の恥じではないかーっ!」
「わ、わかりました頑張ります~~」
 ネギに魔法の練習を再開させてから、エヴァンジェリンは木乃香の方に顔を向けた。
「プラクテ ピギ・ナル 『火よ、灯れ』」
 木乃香は初心者用の玩具の様な杖を振り下ろした。杖先に小さな火が灯る。
「魔力のコントロールがかなり雑だな」
 エヴァンジェリンの言葉に木乃香がガックリと肩を落とした。
「僅かにだが魔力の流れを掴んでいるんだ。もっと、その流れを意識しながらやってみろ。今みたいに力任せじゃなくてな」
 木乃香はフィオナが襲撃して来た夜に明日菜を治癒する為に東風の檜扇に必死に魔力を流し続けた。そのおかげで、魔力の流れをなんとなくだが掴めていた。
「うん、わかったえ、エヴァちゃん」
 木乃香は素直に頷いて目を閉じながら自分の中の魔力の流れを感じる。
 エヴァンジェリンは二人に修行を続けているように言うと、刹那の下に向かった。
 刹那は座禅をしていた。心を無にする修行だ。
「巧く掴めよ桜咲刹那。一度タカミチの修行を見てやったからな。効率の良い修行方法は構築済みだ。第一段階を越せば、或いは手に入れられるかもしれん。究極技法……気と魔法の合一“咸卦法”が――」
 ニヤリと笑みを浮べると、遠くで爆音の鳴り響く明日菜と茶々丸の修行の場に目を向けた。
「後は神楽坂明日菜か。そもそも、アイツは何者なんだ? どう考えなくてもおかしい。あそこまでイレギュラーな能力を持った存在が自然発生するなど――。色々調べてみるか」

 それからしばらく経ったある日の出来事だった。
 ネギが明日菜、木乃香、刹那の三人と学校に来ると教室に入った途端にいつも通っている教室の筈なのに違和感を感じた。隣を見ると、木乃香も怪訝な顔をしている。
「どうしたの、木乃香、ネギ?」
 突然立ち止まった二人に、明日菜は首を傾げて尋ねた。刹那も眉を顰めた。
「いえ、何となく違和感があって」
「上手く言えへんねんけど……あれ?」
 ネギと木乃香の言葉に、刹那と明日菜は顔を見合わせながら首を傾げた。
「ほぅ、気が付いたか。元々、近衛木乃香はESP能力がかなり発達していたが、私の下での修行でそれが強化されたのだな。良い傾向だ。ネギ・スプリングフィールドも近衛木乃香の能力に引き摺られて強化されたんだろう。ずっと一緒に修行させて来たが、思わぬ副産物だ」
 後ろから入って来たエヴァンジェリンの言葉にネギを除く三人が首を傾げた。
『ESP……、つまり超感覚知覚は認知型の魔法能力の事なんです』
 席に向かいながら、念話でネギはESPについて三人に説明した。
 “ESP(extrasensoria perception)”は多くの魔法使いが備えている能力であり、他人の心を読んだり、特定の魔力を感知したり、観察されている事を逆に感じ取ったり、近辺の人間の気配を感じ取ったり、霊的な存在を感じ取ったり、幻術を見破ったり、術者の存在とその位置を特定したりと、実に様々な超感覚知覚の事を言うのである。
 ESPと称される認知型の魔法能力は様々な事物を生成させたり、変動させたり、消滅させたりする作用型の魔法能力に比べずっと地味だが、とても重要且つ基本的な魔法能力なのである。
『今、こうして念話をしていますけど、通常、念話はESPでしか感知出来ない霊的な媒体を相互に発し、また捉える事で成立するんです。今こうして出来ているのはパクティオーカードが本来はESPでしか感知出来ない霊的な媒体を知覚させてくれているから出来るんです』
「おい、そろそろ授業が始まるぞ」
 タカミチが入って来て、エヴァンジェリンがネギに言った。説明は粗方終わっていたので、ネギは念話を切った。明日菜はまだ上手く理解出来ないらしく、首をしきりに傾げているのが見える。
 エヴァンジェリンはネギに悪戯っぽい笑みを浮かべながら小声で囁いた。
「お前達二人が存在を感じた事で、奴の感知難易度が大幅に下がった筈だ。このクラスは素質のあるのが多いからな、面白い事になるぞ」
「え? それって、どういう……」
 ネギがエヴァンジェリンの言葉について詳しく聞こうとすると、タカミチが大きく咳払いをした。私語を慎みなさい、という無言の圧力を感じて、ネギは已む無くエヴァンジェリンに聞くのを諦めたが、エヴァンジェリンは尚も可笑しそうに笑みを浮かべていた。その笑みはどこか嬉しそうだった。
 明日菜を無視してエヴァンジェリンはさっさと机に座ってしまった。

 その日の放課後、朝倉和美は一日中付き纏った違和感が拭いきれなかった。
「何なのよ、この違和感」
 イライラと机を叩きながら髪を掻き毟り、和美は舌を打った。気になる事は追求せずに入られない性分である和美は、付き纏う違和感に苛立ちが隠せなかった。
「何なの……?」
 いつも持ち歩いている自慢のカメラを片手に、夕闇に染まる教室に和美は戻ってきていた。
「何か、何が、何処に?」
 教室中にシャッターを切る。隅々まで撮影し、眼を細めて嘗め回すように教室中を眺め回す。
「何処かに違和感がある筈。何処に――」
 次々にフィルムに部屋の様子を納めていく。
 寮に急いで帰ると、すぐさま同室の桜子に適当にただいまを言って黒いカーテンで暗室を作り、写真を現像した。和美はデジタルカメラも常に持ち歩いているが、基本的にはフィルムカメラを使っている。デジタルの写真は合成が可能であり、紛れもない真実を写せるのはフィルムカメラだけだと信じているからだ。
 慎重に液に浸し、徐々に写真の現像が完了する。現像が終了すると、和美は暗室を出て居間に戻った。
「ねぇ、どうしたの和美ぃ?」
「ちょっと待って……」
 首を傾げる桜子に頭を下げながら、和美は現像した写真を次々に確かめていく。そして――。
「これっ!」
 一枚の写真にソレは写っていた。
「って、何コレ!?」
 和美は素っ頓狂な声を発した。驚いた桜子が横から覗き込むと、あまりの衝撃に声も出せずに固まってしまった。
「し、心霊写真だ~~!!」
 そこに写っていたのは――火の玉を漂わせ、恐ろしげな表情を浮べる学生服を着た幽霊だった。

 翌日、その写真を使って和美は新聞を作り上げた。恐ろし気な写真の掲載された新聞の一面に麻帆良学園本校女子中等学校の生徒達は大はしゃぎだった。
 常に胸躍るイベントを渇望している中学生達にとって、幽霊の存在は素晴らしく魅力的な若い力の発散の矛先となった。怖がる鳴滝姉妹を柿崎美砂と椎名桜子が面白がって心霊写真を見せつけ、綾瀬夕映は黒酢トマトという怪しい飲み物飲みながら真剣な表情でマジマジと写真を見ていた。
「あれは本物だと思うのです。何と言いますか――リアリティがあるです」
「わ~ん、私幽霊とが苦手なのに~。あんなの写さないでよ和美!」
 裕奈が涙目で抗議するが、和美は瞳を輝かせながらニヤリと笑った。
「このスクープはマジ! 本気と書いてね。幽霊は居た。調べはついてるの! 出席番号1番相坂さよちゃん!!」
「相坂さん……ですか?」
 後ろに居たネギが尋ねると、和美はクルリと一回転してポケットからノートを取り出した。
「そっの通り~! 1940年に15歳の若さで死んだ女の子」
「それが、この幽霊写真なん?」
 ネギの隣の木乃香が驚いて目を見開きながら尋ねた。
「間違いないよ。調査した限り、この幽霊の目撃談は少ないけど確かにあったわ」
 そう言うと、和美はポケットから一枚の写真を取り出した。
「学年の名簿にあったのを拝借したんだけどさ。こんな娘」
 どれどれ? と明日菜達が写真を除きこむと、そこには少し青っぽい長い銀髪の穏やかな表情を浮べる可愛らしい少女の写真だった。制服が今のとは違い、少し古いデザインだった。
「わぁ、可愛い娘ねぇ」
 明日菜が言うと、あやかも横から覗き込んだ。
「あらまぁ、何て可愛らしい。先程出席番号一番と言われましたわよね、朝倉さん?」
 よくぞ聞いてくれました!と和美は大袈裟に頷いた。
「その通り! この娘の席は私達の教室に未だあるのよ!」
 教室に行くと、和美は自分の隣の席で一番前の列の一番左の行の机を指差した。
「今迄なんでか誰も触れてこなかったけど、あたしの隣が何で空席なのかって不思議に思わない?」
「そう言えば、確かにこの席って今迄触れてこなかったというか……。不思議と気にならなかったと言いますか――」
「なんでなんやろ?」
 あやかは戸惑う様に和美の隣の席を見つめながら言うと、木乃香も不思議そうな顔をしながら首を傾げた。
 その瞬間だった。突如、教室が揺れ始めたのだ。地響きが轟き、教室中の机や椅子が浮き上がり始めたのだ。空気が張り詰めた直後に弾け、少女達はパニックを起した。
 悲鳴が響き渡る。“騒がしい霊(ポルターガイスト)”の発生に、少女達は恐怖した。直前の朝倉和美の発行した相坂さよの心霊写真と、今現在進行形で発生している有名過ぎる霊障を結びつけるのは容易かった。全速力で教室から出ようとする少女達は押し合いになってしまっている。
「本当に、幽霊。アハッ、とんでもない特ダネだわ!」
 カメラを構えながら、獰猛な獣の如き鋭い目をしながら撮影していく。
「クク……、力の制御が出来ていないらしいな」
 教室の後ろの扉の僅かな隙間から中を覗き、エヴァンジェリンは愉快そうに笑みを浮べた。
「もしかしたら、こんなチャンスは二度と訪れないかもしれんぞ? 頑張れ」
 そう、呟いたエヴァンジェリンの顔はどこまでも真摯だった。ネギと刹那、木乃香、明日菜の四人は外に逃げ出そうとする少女達を掻き分けてなんとか中に残る事が出来た。暴れ狂う机と椅子の嵐は教室を破壊し続けている。
 黒板には椅子がめり込み、窓ガラスには『お友達になって下さい』という文字が何故か真っ赤なナニカで所狭しと書き込まれていた。
「ネギ、アレはやばくない?」
 あまりにも危険な香りが芳醇過ぎる教室の惨状に、明日菜は涙目で震えながら尋ねた。
「お友達――、殺して私達を幽霊にする気か!?」
「そういう意味のお友達なの!? いや~~~~!!」
 刹那の戦慄の表情を浮べての言葉に、明日菜は頭を抱えて悲鳴を上げた。さすがの明日菜もそんなお友達はお断りだ。
 朝倉和美はカメラのシャッターを切り続けていた。何度も写真を撮って画像を確認すると、徐々に和美は確信を持ち始めた。
「やっぱりこの娘――」
 そこには、泣きべそをかきながら両手を振り回したり、頭を下げたりしている相坂さよの姿が映しだされていた。
「さよちゃん!」
 和美は大きく息を吸うと、幽霊の名を叫んだ。明日菜、刹那はギョッとして和美を見た。和美はカメラのシャッターを何回か切ると、ある誰も居ない方向に緊張気味に口を開いた。
「そこに……、居るの?」
 和美の声に反応した様に、和美の視線の先の更に先のカーテンが僅かに揺れた。
「居るんだね。ねぇ、お友達が欲しいの?」
 和美の問い掛けに答えるように、真っ赤な文字が窓ガラスに浮かび上がった。
『お友達が欲しいです』
 かなり恐ろしげなオーラを放つ文字だったが、和美は特に気にする事も無かった。
「なら、私が友達にねってあげる! だから、姿を見せて!」
 和美の言葉に、それまで黙っていた明日菜達が目を剥いたが、和美は譲らなかった。
「姿を見せて、相坂さよちゃん」
「朝倉! ヤバイって、連れて行かれちゃうって!」
 明日菜がギャーギャーと騒ぐが、和美は完全に無視を決め込んだ。ショックを受ける明日菜を尻目に、和美は再び姿の見えないさよに声を掛け続けた。
「姿を見せてよ。さよちゃん!」
 ジャーナリストとしての知りたいという欲もあるが、和美が抱いているそれよりも大きな思いは別の気持ちだった。
「ずっと……隣の席だったのにね」
 知らなかった。気付いてすら居なかった。デジタルカメラの画像に視線を落とす。涙を流しながら必死に自分をアピールする少女の姿があった。
 話がしたかった。ずっと、教室で一人で誰にも気付かれずに居た少女。
「お願い、姿を見せて!」
 和美の悲痛な叫びに、木乃香はネギの耳元に囁いた。
「ネギちゃん、魔法でなんとかならへん?」
 木乃香は視線を真っ直ぐに和美の少し前の空間に向けていた。
「何とかしてあげたいです。でも、そういう魔法は詳しくなくて……」
 ネギは焦れた表情を浮かべながら言った。ネギも何とかしたかった。ネギと木乃香には見えているのだ。涙を流しながら、和美に自分の姿をアピールしている少女の姿が――。
 そこでネギはハッと思い出した。それは、魔法学校の魔法学の授業だった。大抵の生徒がぼーっとしていたり、内職をしていたり、居眠りをしているようなつまらない授業だったが、ネギはちゃんと聞いていた。
 ある日の授業の内容は精霊などの霊的存在についてだった。
 霊的存在は、その存在を人が感じればそれだけ力を増す。例えばの話、精霊にとって“名”は特別な意味を持つ。精霊は本来、この世のあらゆるモノの守護たる存在。だが、本来、姿形を持たぬ故に名も無き存在なのである。人間は姿無き精霊の存在を感じ、信じ、その想いが絆となり精霊に力を与えるのだ。名を授かるという事、それ即ち存在を認められるという事。精霊が成長する為の第一歩とされている。
「存在を人が感じる事――それが、精霊……、霊的存在と人との絆となるって聞いた事があります」
「存在を感じる……」
 呟くと、ネギと木乃香は和美の隣に立った。
「ウチも話がしたい、さよちゃん!」
「私も一緒にお話がしたいです、さよさん!」
 名前を呼ぶたび、相坂さよの姿がネギの目にハッキリとしだした。和美の眼にもおぼろげな存在を感じ取る事ができた。
 和美はニッと笑みを浮べると、さよの名前を叫んだ。その姿に、刹那と明日菜も頷き合ってさよの名前を呼んだ。
「さよちゃん!」
「さよさん!」
 中の様子を伺っていた少女達も、恐る恐る中に入って来た。勇気を振り絞り、あやかが大きく息を吸ってさよの名を呼んだ。名前を呼ぶ度にさよの姿が実体化していく、その事に気が付くと誰も彼もがさよの名前を呼んだ。
 名前は個の存在を肯定するモノだ。名前を呼ばれる、それは、存在を認められている事に他ならない。現れたのは、泣きじゃくる一人の少女だった。
「違うんです~~。ちょっと気付いてもらおうと思って頑張ったら机とか椅子が飛び上がっちゃったんです~~」
 手をブンブンと振り回しながら叫ぶさよに、教室中で息を飲む音がした。和美はニッコリと笑みを浮べた。
「ごめんね、気付くの遅くなっちゃって」
「ふえ?」
 さよが両手で眼を擦りながら顔を上げると、和美はさよの目の前で膝を折った。
「私の名前は朝倉和美。ねぇ、友達が欲しいんだよね?」
 和美が尋ねると、さよは驚いた様に眼を見開いた。
「私が見えるんですか?」
「うん!」
 和美が肯定すると、信じられないとさよは瞳を潤ませた。
「わ、わわわ私……えーと、あのっ! 他の人とお話しするの……幽霊になってから初めてで! だって今迄どんなに霊感の強い人でも私の事気が付いてくれないし、地縛霊だからここから動けないし、えっと、えっと!」
「落ち着きなって。さよちゃんがここに居るって、私は今感じてるからさ」
 カメラを下げて、和美は確りとさよの瞳を捉えた。
「さよちゃん、相坂さよちゃんはここに居る! 私の目の前にちゃんと居るって分かってるよ」
 ニッと笑みを浮べながら和美はさよに触れようと手を伸ばしたが、手はさよの体をすり抜けてしまった。
「あ……」
 手を戻して俯く和美に、さよはニッコリと笑みを浮べた。
「あの、つまり私が言いたいのは――気が付いてくれて、とっても嬉しいです!!」
 フワッとした、柔らかな優しい笑みだった。
「私もさよちゃんに会えてとっても嬉しいよ」
 ニッコリと笑みを浮べて言う和美に、さよは俯いた。
「その……ほ、本当ですか? こんなに暗くて存在感の無い私なんかに?」
 白い天冠を着けて火の玉を漂わせながら自信無さ気に涙目で尋ねるさよに和美は苦笑した。
「あはは……」
「す、すいません私なんかもう死んだ方が……」
「いや、もうさよちゃん死んでるし……。意外とテンション高いね」
 呆れた様な口調で言うが、声の調子や和美の表情は心底面白がっている様子が誰の眼にも見て取れた。落ち着いたさよと和美が話している様子を三年A組の生徒達は固唾を呑んで見守っていた。
「じゃあ、皆に気付いて欲しくて頑張ったらポルターガイストが発生しちゃったと……」
「はい……ごめんなさい」
「いやいや、さよちゃんが謝る事じゃないよ。むしろ、私は面白いモノ見せてもらえてラッキーって感じだったし」
「私、もう誰かに気付いてもらえるのなんて諦めてたんですが、最近このまま成仏しちゃったら淋しいなって考える様になったんです」
「じょ、成仏ね……」
「はい、せめてこの世の思い出……作ってから成仏したいって。昨日の夜に和美さんが写真を沢山撮ってて、今日の朝になったら私の写真が新聞に載ってたから、それで……」
「それで頑張ったらこうなったと……」
 タハハと笑いながら和美が辺りを見渡すと、壁や天井に机や椅子がめり込み、窓ガラスはほぼ全壊していた。
「あれ?、でも、生きてる時の記憶とかもあるんでしょ?」
 和美が尋ねると、さよはどよ~んとした空気を発しだした。
「それが、あまりにも長く地縛霊してるんで忘れちゃいました。何で死んだかも……」
「そうなんだ……」
「そんな私なので、この世での思い出って何も無いんです。友達作ったり、部活したり、恋をしたり……。だから楽しい思いで一杯作ってあの世に行けたらなぁって」
「さよちゃん……」
 和美はさよの言葉の節々から感じる淋しさを感じ取って胸が痛くなった。無性に抱き締めてあげたくなった。出来ない事に対する苛立ちが湧き上がる。
「友達になろうよ」
「え……?」
「私だけじゃないよ。立って、さぁ」
 触れないと分かっていながら、和美は手を差し伸べた。恐る恐る立ち上がったさよは、ニッコリと笑みを浮べるクラスメイト達に眼を見開いた。
 緊張で声が震えてしまいながら、確りと一言一言噛み締めるように口を開いた。
「わたし、みなさんと……楽しい思い出が欲しいです! 私と……と、友達になってください!!」
 さよの声が教室中に響いた。
「もちろんOKだよ」
 和美が片目を閉じながらニカッと笑みを浮べて言うと、ネギも明日菜も木乃香も刹那もあやかやのどか、夕映達、三年A組の生徒達は頷いていた。
「私達だって、友達一人でも多い方が楽しい思いで作れるとおもうしね」
「み、みなさん。ありがとうございます。ありがとうございます……和美さん」
「良かったね」
 頭を下げるさよに笑いかける。
「でも、どうしよっかこの教室の惨状……」
 誰かの呟きに、少女達は呻いた。片付けるのは並の労力では無いだろう。
 その後、教室の片付けに追われる少女達にさよが謝る姿を羨ましげに見ていたら明日菜にサボるな! と言われて箒を持たされるエヴァンジェリンの姿があった。



[8211] 魔法生徒ネギま! [第四章・麻帆良の日常編] 第二十二話『例えばこんな日常』
Name: 我武者羅◆cb6314d6 ID:87b1fc72
Date: 2010/06/13 05:07
魔法生徒ネギま! 第二十二話『例えばこんな日常』


 沢山の店舗が立ち並ぶ若者の街、そこが原宿だ。ネギはこの日、木乃香と二人っきりで買い物に来ていた。明日菜はコンクール用の絵を仕上げなければならず、刹那は剣道部に顔を出している。
 最近、二人共エヴァンジェリンのログハウスでの修行に時間を割き過ぎていて、各々の部活動に支障が出てしまったのだ。木乃香とネギが買い物に出掛けたのも、エヴァンジェリンがこの日の修行を休みにしたからだ。
「エヴァちゃん、やっぱ一緒に行けへんのかなぁ」
 人混みの多い竹下通りの脇道に一角で、木乃香は呟いた。木乃香はエヴァンジェリンが封印によって学業の一環である筈の後数日に迫る修学旅行に一緒に行けない事に不満を感じていた。それはネギも一緒で、この時ばかりは融通の効かない呪いを掛けた父親に不満を持った。
「そうは言っても、封印云々無しでもエヴァンジェリンを外に出すのは危険なんスよ?」
 ネギの背負っているリュックサックの中からカモが顔を出して肩を竦めながら言った。
「いいッスか? 姉貴も姉さんもエヴァンジェリンと親しい関係だからこそ言える事なんスよ? 例えばの話――」
 カモは手を上げた。
「刑務所から脱獄した連続殺人鬼がいきなり自分の街に現れたら……、姉貴ならどう思いやスか?」
「それは……」
 怖いと思う。だが、それを口に出すことは憚られた。木乃香も俯いた。
「恐怖を感じた人間の行動は二つ。逃げるか……、恐怖の対象を抹消するかのどっちかだ」
 カモの言葉は理解出来る。嫌な例えだが、ゴキブリや鼠が民家に出たら、悲鳴を上げるかその場で殺すかのどちらかしかない。誰も好き好んでゴキブリや鼠を放って置いたりはしないだろう。逃げた者も逃げた後に、ゴキブリや鼠を退治する為に罠を仕掛ける。
 エヴァンジェリンが麻帆良という檻から出れば、恐怖を感じた人間が襲い掛かり、逃げた者も罠を張る。その上、フィオナの様に恨みを持つ者が襲い掛かる可能性も高い。冷静に考えれば、エヴァンジェリンを外に出すのは尋常ならざる愚かな行為であると言う外無い――。
 親しいから一緒に旅行に行きたい。その願いはとても強いが、その為にエヴァンジェリンをみすみす危険な場所に連れて行くなど冗談では済まない。
「麻帆良が匿っているんだ。匿っていながら外に出したとなれば、麻帆良にも責任を問われる。最低でも、二度とエヴァンジェリンを匿う事は出来なくなるんスよ。そしたら、二度と会えなくなる可能性だってあるんス。確かに、俺ッチだって、エヴァンジェリンとはもう結構親しくなったつもりッス。ま、自惚れってのもあるかもッスけど。エヴァンジェリンの事をちゃんと考えるなら、ここは我慢するんス。まあ――」
 カモはしょんぼりしてしまった二人を元気付ける為にニッと笑みを浮べた。
「お二人がもっと修行して、誰もエヴァンジェリンの事に口出し出来ないくらい強くなったら、それから、エヴァンジェリンの汚名をそそげば、ちゃんと一緒に自由に出掛ける様になるッスよ。その為にも、魔法使いになる道を選んだなら毎日一歩一歩確実に頑張るんスよ?」
 穏やかに、諭す様に語り掛けるカモに、ネギと木乃香は決意に満ちた目で頷いた。そんな二人に満足気に笑みを浮べると、カモは前方に人影が現れたのでリュックサックの中に隠れた。
 この日の二人の格好は、木乃香は白の長袖のTシャツに黒のプルオーバーと木乃香の長く絹のようなで美しい黒髪によく似合うキュートな格好で、黒のニーソックスに黒のウエッジサンダルを履いている。
 ネギは黒のキャミソールに明るいピンク色のヘンリーパーカーを着て、紺色のぴったりしたジーンズを履いている。
 ネギが実際はどうあれ、見た目には二人は間違いなく美少女だ。金髪に肌を焼いた高校生の少年達が目を付けるのは仕方の無い事だった。
「ねぇねぇ、君達何してんの?」
 三人組の少年の一人がネギと木乃香に声を掛けた。突然見知らぬ年上の男性に声を掛けられた二人は戸惑いを隠せずに声が出せなかった。
「へぇ、珍しい色だね。うん、君の髪凄い綺麗だね、顔も凄く可愛いよ」
 少年の一人が腰を屈めながらネギの顔を真っ直ぐに見ながら言った。
「わっ! 君の髪凄いキレーッ! ねぇねぇ、君達彼氏とか居るの?」
 最後の一人がそんな事を言い出した。二人は慌てて首を振ると、少年達は微かに笑みを浮べた。
「ホントに? 意外だなぁ、ねぇねぇ、君達は何を買いに来たの?」
 少年達の言葉は、木乃香とネギから退却しようという行動を制限していた。乱暴な態度でくるならば問題では無い。ネギは杖を使わなくても、この日はスカートではないから風の強化魔法を発動して少年三人程度瞬殺出来る。だが、少年達は決して木乃香とネギに乱暴な態度はとっていない。馴れ馴れしい感じもするが、僅かに一歩引いた感じで優しく木乃香とネギを褒めながら二人の買い物の目的を聞きだすと、自分達のお薦めの店に案内した。
 実はこの日は間近に迫る明日菜の誕生日のプレゼントと修学旅行用の洋服や雑貨を買うのが目的だったのだ。さすがに、下着に関しては黙秘したが、少年達は言葉巧みに二人を洋服店に連れて行き、自分達で選んだり、木乃香とネギ自身が選んだ服を褒め称えた。
 二人の警戒心は何時の間にかすっかりと解けてしまい、少年達は二人と一緒にクレープを食べたり、最近の有名な俳優やアイドルの事を、そういう知識の乏しい二人に説明して感心させた。沢山買い物をして、少年達が遠慮する二人に構わずに袋を持つと、空が赤く染まる頃に何ともなしに少年の一人が口を開いた。
「今日は楽しかったね。二人共疲れてない?」
「少しだけ……」
「結構歩いたからなぁ。雄二さんも猛さんも、翔太さんも今日はほんまにありがとうございました」
「ありがとうございました」
 ネギと木乃香がお礼を言うと、少年達の瞳がまるで獲物を狙う猛獣の様にギラついたのを、ネギと木乃香は気が付かなかった。カモは、このまま何事もなけりゃいっか、と最初こそ警戒したが、いざとなれば一般人相手に遅れをとることはないし、ごみごみした街だから地理に明るい人間の案内は悪く無いと特にネギに注意する事は無かったが、少年達は悪意を巧みに隠して木乃香とネギを家に誘いだし、さすがに焦った。
 ネギも木乃香も人を簡単に信じ過ぎてしまう。美徳でもあるが、将来の事を考えると矯正する必要がある。本当はゆっくりと殺意や人の剥き出しの感情慣らしていくつもりだったが、さすがに男のそういう方向の“悪意”は未だ早いと思い木乃香に念話を送ろうとした。
 少なくとも、ネギは未だ十歳なのだ。年上の彼氏でも出来ない限りは未だ言うつもりは無い。というよりも言いたくない。もうかれこれネギが女体化の薬を飲み始めて早半年が経過している。少女のネギもまぁ可愛らしいが、元々少年であるネギには少年として幸せになって欲しいというのが願いだ。
 明日菜にしろ木乃香にしろ刹那にしろ、素晴らしい女性が揃っている。ここまで魅力的な少女達に囲まれ、且つ幼馴染の少女に好かれているのだ。これで男に走ったら血を吐く自信があるとカモは乾いた笑みを浮べた。
 微妙に危険な奴も居たが、奴とは二度と会うまいさ、などと馬鹿な事を考えたと頭を振り、木乃香に念話を送ろうとした時だった。
「あれぇ? ネギっちに木乃香じゃん。どったの?」
 何故か胸にどこかで見た事のある気のする人形を抱えた朝倉和美が男三人に囲まれた二人に手を振りながら口には振って居る右手で持っているチョコレートバナナのクリームたっぷりクレープのクリームが付いている。
「和美さん!」
「和美も買い物なん?」
「そだよ―。じゃーん、見てみてさよちゃん人形!」
 和美はクレープを一気に食べきると、少年達を無視して胸に抱えた言われてみれば確かにそうだと確信出来る白い髪にさよと同じ制服を着せられたさよによく似た可愛らしい人形だった。
「これがどないしたん?」
 木乃香がキョトンと首を傾げると、少年達が和美に声を掛けた。
「や、やぁ、君はこの娘達のお友達?」
 男の一人、特に背が高く、耳にシルバーのピアスを着けている雄二という男の言葉を、和美は全く耳に入れなかった。
「実はさっき――」
 自分達の話を聞かない和美の態度に少年達は焦れ始めた。
 カモは僅かに笑みを浮べた。少年達の狙いは読めている。恐らくは和美も読めているのだろう。だからこそ、少年達の化けの皮を剥がして逃走しようとしているのだろうと推測出来た。
 和美は少年達を石ころ程の感心も寄せずにネギにさよ人形を見せていた。ネギもさよ人形に興味を惹かれたらしく、眼を輝かせている。
「人の話無視するってのはどうかな」
 苛立ちが限界に達した少年の一人が、先程までとは違う低い声で言った。和美はそれを聞き流して全く反応しない。
 ネギはネギでさよ人形を渡されてさよ人形の両手を動かすのに夢中だった。
「ネギっち人形とか好き?」
「いえその……テディベアが昔あったんですが、今は失くしちゃいまして……」
「そうなんだ――」
 和美とそんな感じに会話を交わし、少年達の事をスッカリ忘れてしまっていた。木乃香もさよ人形に興味津々で少年達の事は完全に頭の中から消えていた。
 やがて、一番背の小さな少年がついにキレてしまった。
「おい、人の話聞いてんのかよ! コッチが下手に出てるからっていい加減に――」
「んじゃ、私達は帰るんで、さよならー」
「は……? え? って、おい!」
 和美は突然振り返ると少年が目を丸くしながら何かを言おうとする前にさっさと木乃香とネギの手を引っ張って歩き出した。木乃香とネギは戸惑いながらも少年達に別れを告げた。
 しばらく呆然としていた少年達は和美達が離れて行くのを見て、漸く正気を取り戻した。
「ちょっと待てよ! こっちは朝から付き合ってやってたんだぞ!?」
 一番背の小さな少年が苛立ちを篭めた声で怒鳴った。
「お前等も何か言えよ!」
 しつこく食い下がる少年が怒鳴るが、他の少年達は肩を竦めた。
「これはもう失敗だろ。諦めようぜ?」
 これ以上食い下がっても仕方ないだろ? と言外に告げる真ん中の背の少年に、食い下がる少年はムッとなった。
「うるせえな! な、木乃香ちゃん。ちょっとでいいんだよ。そだ、メルアドだけでも……」
「しつこい男ね!」
 和美の言葉に、食い下がる少年は固まった。
「後ろの二人見習いなさいよね! ガツガツし過ぎ、モテないわよ?」
 和美の言葉は少年の胸に鋭い槍となって突き刺さった。三人のメンバーの中で、何故か自分一人だけが悉くナンパに失敗するからだ。
 今日はに限っては、憐れんだ二人が一緒に三人で一緒にナンパをしてくれたのだ。和美の言葉の槍が少年のガラスのハートを易々と打ち砕いた。
「か、和美さすがに言い過ぎやと……」
 木乃香はさすがに心配になって振り向くが、少年は真っ白になって二人の友人に慰められていた。ネギは強化せずに早歩きを続けたせいか、若干息切れしていて、息を整えようと深呼吸をしていたので話を聞いていなかった為、何が起きてるのか理解出来ていなかった。
 真っ白になってしまった少年を抱えながら、二人の少年は木乃香とネギに頭を下げた。
「ごめんね、二人共すっげえ可愛いからちょっとマジになり過ぎたわ」
「えっと、ネギちゃん。も、もし良かったら俺とメールアドレスを……」
「ごめんなさい。私、今携帯電話持ってなくて……」
 頭を掻きながら木乃香に頭を下げる少年の隣でネギにメルアドを聞こうとした少年は、ネギの一言に崩れ落ちた。ネギは前に貰った携帯を貰った数時間後に壊してしまい、その後別にいいやと思い買っていなかったのだ。崩れ落ちた少年にネギが手を差し伸べると、少年は顔を綻ばせた。
「またさ、今度会えたら一緒に買い物しようぜ? あ、俺のメールアドレスと電話番号コレなんだけど、良かったら……」
「ありがとうございます。今日は本当に助かりました。猛さん、ありがとうございます」
 ネギが真ん中の背の少年、猛の渡した名刺の様な紙を受け取ると、ニッコリと笑みを浮べた。
 猛は真っ赤になりながらデレデレと笑みを浮かべ、真っ白なままの少年に肩を貸すと、木乃香に手を振る少年と一緒に去って行った。
「ネギっちやるわね。あそこまで完全に落とすとは……侮り難し」
 戦慄の表情を浮かべながら言う和美の言葉に、カモは顔を引き攣らせていた。

「明日菜へのプレゼント?」
 三人は山手線に乗って新宿に来た。本日の最大の目的である間近に迫った明日菜への誕生日プレゼントを買う為だ。
 明日菜への誕生日プレゼントは自分達だけで選びたいと思い、猛達には黙っていたのだ。和美はそれを聞くとノリノリで二人に付いてきた。今は財布の中身を確認している。
「うん、お札もあるし大丈夫」
 三人は西口から駅を出てヨドバシカメラに向かって歩いていた。
「そう言えば、このさよさん人形は一体……?」
 ネギは抱き抱えているさよ人形の事で疑問を和美に投げ掛けた。
「んっとね、さっき原宿で歩いてた時なんだけど――」

 和美はその日、さよの事で悩んでいた。折角友達になったのだから、色々な所に連れて行ってあげたいと思うのだが、さよは地縛霊であり、麻帆良を離れる事が出来ないのだ。
 間近には修学旅行が迫っているし、是非ともさよにも参加させてあげたい。そう強く思い悩んでいた。
 とにかく修学旅行の準備はしないといけないと、考え事をしたいからという事もあって一人で原宿にやって来たのだ。洋服や雑貨をあらかた揃えると、宅急便で部屋に送って貰えるようにしてからブラブラと歩いていた。
 すると、唐突に裏道を歩いている時に声を掛けられたのだ。何とも怪しい少年だった。
 和美よりも僅かに背が高く、金髪のツンツン頭のイケてない少年だった。
「君、悩んでるな?」
 ヤベェ、和美の脳裏に浮かんだ言葉はソレだった。無視して歩き去ろうとすると、一瞬で少年は和美の正面に回りこんだ。
「え!?」
 目を丸くしていると、少年はさよ人形をどこからか取り出した。
「俺はさすらいの占い師だぜ。君は幽霊の友達がいるな?」
 心臓が跳ねた。何故そんな事を知っているんだ、その思いに和美は口をパクパクとさせながら麻痺した様に動けなくなった。
「何故知ってるか、占い師だからだぜ。それより、その娘を君は助けたいと思ってるな?」
 あまりにも怪しい少年だったが、和美は無視する気になれなくなっていた。恐る恐る頷くと、少年は満足気に頷いた。
「友達思いでいい娘だぜ。そんな君にコイツをプレゼント!!」
 そう叫びながら、少年はさよ人形を和美に大袈裟な動作で手渡した。
「これは……?」
 戸惑いながら和美が聞くと、少年はサングラスを得意気に光らせた。
「さっちゃ……、君のお友達をその中に憑依させるんだぜ。そうすれば、色んな所に連れて行ける。優しい君とそのお友達の為にプレゼントだぜ」
 そう言った後に、金髪の謎の怪しい少年は一枚の不思議な模様の描かれたカードを和美に渡した。
「これが君と君のお友達との絆になってくれる筈だぜ。それではさらばだぜ!」

「――てな具合に訳分からん内にコレを手渡されてた訳よ」
 そう言って和美はさよ人形を指差し、ポケットから少年に渡されたカードを取り出した。
「一応調べたんだけどね。盗聴器とかは付いてなかったからさ。帰ったら試してみようと思ってるの。さよちゃんと修学旅行行きたいしね」
 そう語る和美を前に、木乃香とネギ、カモは息を飲んでいた。
「ネギちゃん、あのカードからなんや……変な感じがするんやけど」
「ええ、魔力を持っています。それに、さよさんの事を知っているって……、どういう事でしょう」
 ネギは和美の手にあるカードを注意深く観察した。もしも危ない術式ならば、無理矢理にでも奪わないといけない。
『あのカードは、恐らく契約のカードッスね』
『契約の……?』
 カモが念話で言った。ネギが戸惑い気に尋ねると、カモは語り始めた。
『あのカードに記された術式を見るに、“守護霊契約(ガーディアン・スピリット)”の術式が刻まれてるッスね』
『ガーディアン・スピリット?』
 木乃香が念話で尋ねた。
『簡単に言えば霊体を守護霊、つまり使い魔にする為の術式ッス。しかし、何者ッスかね。術式に変な部分も見られねぇし。成程、あれなら相坂さよを麻帆良学園から連れ出せる。それに、人型の人形ってのは昔から呪い等の身代わりに使われる程、真に迫るんスよ。でも、憑依術式の、それも“憑依兵装(オートマティスム)”を素人に使えるものか? いや、あれだけ精密な憑依術式用に設計されている人形なら……面白いな』
 後半は独り言の様にブツブツと呟きだしたカモに、木乃香とネギは顔を見合わせた。
『で、でも、危険じゃないかな? 魔法関係に和美さんが関るのは……』
『て、言いやしても……。相坂さよを滅殺する訳にも……』
『当たり前だよ!』
『当たり前や!』
『……………………』
 怒られた事にカモは微妙に理不尽だと思いながらも言葉を続けた。
『相坂さよをどうにかしない以上、この件に関してはどうなろうが同じなんスよ。まぁ、心霊魔術に関しては民間にも結構広まってるんスよ。だから、それに関しちゃそこまで問題は無いッスよ』
『え? 心霊魔術ってそんな一般的なの?』
 さすがに魔法は隠匿するモノだと教えられてきたネギは驚いた。
『丑の刻参りとかにしろ、キチンとした方式が普通にネットとか書物で流れてやスしね。ちょっとしたマニアなら結構使い方なら知ってるッスよ』
『え、それって結構不味いんやないの?』
 木乃香が恐る恐る言うと、カモは首を振った。
『全く問題無いッスよ。使い方は分かっても、気や魔力の使い方は専門的に学ばなければ修得はほぼ不可能ッス。それに、あの人形みたいに、道具も特別な製法とかが必要なんス。だから、一般人には使えないのが普通なんスよ。まぁ、何にしても相坂さよという幽霊が身近に居る以上、ある程度は許容するしか……』
 カモの言葉は諦めに近い響きがあった。相坂さよをどうにか出来ない以上、幽霊の存在を認めるレベルの神秘の露出は容認する他無い。
『てか、幽霊の席そのままにしてるくらいッスから、学園側が色々手を回してくれると思うッスよ。ま、何の力も無い人間霊を守護霊にしてるからって、そうそう問題事は起きやせんよ。元々心霊は魔法使いでも感知が難しいッスしね。憑依術式に関しちゃ……そう言わなきゃそうそう分かんねぇし、それに、一般人相手ならロボで通せばいいッスよ』
 カモの語りを聞いていると、和美が首を傾げていた。
「どうしたの二人共? いきなり黙り込んじゃって」
 木乃香とネギは慌てて誤魔化すと、ヨドバシカメラの店内に入って行った。和美はカメラを興味深そうに見ていたが、木乃香とネギはMDプレイヤーを見ていた。
「これなんか明日菜さんにピッタリじゃないですか?」
 ネギはオレンジ色の光沢のある真四角のMDプレイヤーを手に取って木乃香に見せた。シンプルなデザインで、濃いオレンジ色の線が幾つか中心よりやや上に走っている。
「ええねぇ。値段は……一万八千円」
 木乃香は自分の財布を除いて俯いてしまった。明日菜への誕生日プレゼントは自分が貯めたお小遣いを使うつもりだった。
 さすがに親友の誕生日プレゼントに祖父のブラックカードを使う気にはなれなかったのだが、さすがに値段が高過ぎた。
「べ、別のを見ましょうか……」
 ネギもさすがに値段に驚いてMDプレイヤーを元の場所に戻した。買えない事も無いが、修学旅行のお金が無くなってしまう。
 結局、その後ルミネや丸井も見て周り、木乃香とネギ、和美の三人でお金を出し合って細工の見事なオルゴールを買い求めた。蓋を開けると美しい旋律が奏でられる。前に木乃香が見ていたクラシック音楽の番組を退屈そうに「変えていいでしょ~、アニメ観たいよ~!」と駄々を捏ねていたが、一曲だけ興味深そうに聴いていたのがあったのだ。
 “魔王”――有名なシューベルトの作曲したその曲の詩は、詩人のゲーテの『魔王』から採られている。ハンノキの王の娘の物語であり、ハンノキとは精霊王を意味する。オーケストラの奏でる旋律は、迫力があり、どこか恐ろしげな響きがあった。
 男性の歌手の歌声に、その時の明日菜は聞入っていた。それが、渋いおじ様の歌声だったからなのかは定かでは無いが、とにかく明日菜がクラシックに興味を持つのはいい事だと木乃香は思い、ネギと和美に相談した結果これに決定したのだ。
 値段は少し張ったが、三人で出し合ったので無茶な値段では無かった。
 空が茜色に染まり、すっかり遅くなってしまって麻帆良学園に帰って来ると、木乃香が携帯電話で連絡した明日菜と刹那が迎えに来てくれた。
「もう、お腹空いたわよ!」
「お嬢様、あまり遅くなられないよう。昼間は大丈夫でしょうが、夜は麻帆良の外は危険です」
 明日菜がお腹を鳴らし、刹那がグチグチと小声を言う。寮に到着すると、和美はさっさと四人に手を振ると自室に帰ってしまった。さっそく、人形にさよを入れてみようと考えているらしい。
 木乃香とネギは既に運び込まれていた荷物の整理を二人に手伝って貰った。二人は明日買い物に行く。その間に、誕生日の準備を行う予定だ。

 翌日、夕方に帰ってきた明日菜は眼を見開いていた。豪華な食事に大きなチョコレートケーキ、それにネギと木乃香、和美の買ったプレゼントを貰った時は涙ぐんでいた。
 あやかやエヴァンジェリン、クラスの面々も入って来てはプレゼントを渡していき、部屋の中は明日菜の誕生日プレゼントで溢れてしまった。
「誕生日おめでとー、明日菜!」
 上手く人形に憑依させる事に成功させたらしい和美が人形のさよと一緒に入って来ると、人形に入ったさよは一躍人気者となった。あまりにも可愛らしく、主役の明日菜を差し置いて人気を独占し、若干拗ねてしまった明日菜に気が付いた面々は慌てて慰め、さよは明日菜に抱き抱えられ、パーティーは賑やかに楽しげに終わった。



[8211] 魔法生徒ネギま! [第五章・修学旅行編] 第二十三話『戦場の再会?』
Name: 我武者羅◆cb6314d6 ID:87b1fc72
Date: 2010/06/13 05:08
魔法生徒ネギま! 第二十三話『戦場の再会?』


 深夜遅く、森の木々がざわめく一角に三人の少年と少女が木の上の太い枝の上に立っていた。一人は眼鏡を掛けた真っ白なゴシックロリータを着た少女。一人は月明りにその美しい銀髪を濡らす少年。最後の一人は、薄汚い灰色のローブの合間から、血の様な真紅に濡れた髪と緋色の眼が僅かに覗く。
「理解出来ないね。何故、この様な回りくどい手段を取るんだい?」
 まるで、どこぞの王に仕える騎士の様な服装をしている白髪の少年はジロリとローブを被った、赤眼の少年を睨みつけた。
「おいおい、俺は確実に勝てる戦法を取っているだけだぜ?」
 赤眼の少年がニヤつく様に言うと、白髪の少年は睨みを強めた。
「コチラには鍵の一つがあるんだ。力で押せば勝利は容易い筈だが?」
「馬鹿言え。アッチには、例の剣があるんだぞ? 未だに使いこなせてはいない様だが、警戒するに越した事は無い。だろう?」
「やれやれ、心配のし過ぎだと思うのだがね」
 白髪の少年が肩を竦めると、赤眼の少年は鼻で笑った。
「無思慮な者が、怠惰の言い訳にする台詞だな。戦略だけでは、確実に勝利を呼び込む事は出来無い事も分からないのか?」
「戦術を戦略でカバーは出来るが、戦略を戦術でカバーをする事は出来ないという言葉もあるよ? 君は、戦術が戦略を越えられると言うのかい?」
「違うな、間違っているぞ。戦略と戦術は両方を巧みに操る事が重要なのだ。最終の目標に向けての戦力の配分、そして、目標に至る標ごとの策を練る。勝利を引き寄せる網の目は細かく強い方が良い」
「策士、策に溺れなければいいがね」
「その言葉の語源を知っているか? 曹操の知を巧みに利用した諸葛孔明の言葉だ。要は読み合いに負けた者が敗北する。向こうに優秀な軍師が居るならば、敗北も在り得るだろうが、居るのは十代の小娘と、策を使えぬ出来損ないだ」
「成る程、溺れる事は無いという訳か」
「その通りだ」
 赤眼の少年は、森の先に見える光の灯る神社の様な場所に目を向けた。関西呪術協会の総本山である。
「関西呪術協会をまず落とす。四神結界と京都の魔法陣の権限を奪い取り、奴等を京都に閉じ込め、最初に“警告”し、奴等に心を休める暇を与えずに疲弊させる。奴等の修学旅行の日程は既に調べている。恐らくは、警戒し友人を守る為に戦力を分散させるだろう。厄介なのは神鳴流とマジックガンナー、それにあの……黄昏の姫御子だ」
 白髪の少年から殺気が噴出した。歯を噛み締めながら、その瞳に狂気の色を称えて唸った。
「先輩はウチに下さいますぅ?」
「ああ、神鳴流は任せるぞ。アレの術式は厄介だからな」
 眼鏡の少女がホワホワした様子で言葉を発すると、赤眼の少年はニヤリと笑みを浮かべて言った。
「俺は高畑.T.タカミチをやる」
「勝てるのかい?」
「俺を誰だと思っている? 元・ウェスペルタティア王国の聖騎士殿」
 赤眼の少年は瞳をギラリと輝かせた。右手で前髪をかき上げ、見下す様に白髪の少年に視線を向けた。白髪の少年はフッと笑みを浮べた。
「500年を生きる古血の吸血鬼――君が負ける姿は到底想像出来ないな、アイゼン・アスラ」
 白髪の少年にアイゼンと呼ばれた赤眼の少年はニヤッと笑みを深めた。
「お前はネギ・スプリングフィールドと近衛木乃香だ。魔力タンクを奪えば、お前の目的の女の戦力も激減する。それなら、傷つける事なく捕らえられるだろう?」
「確かに――。必ず、解放してみせる……、姫様」
 決意を篭めた表情で関西呪術協会を睨みつける。
「まずは、最初の条件をクリアするぞ。関西呪術協会を落とす」
「やるからには、短時間で決めないとね」
「仮にも、サムライマスターと謳われた男だ。近衛詠春が動く前に決めるぞ」
 アイゼンの言葉に、白髪の少年は黙って頷く。
「月詠、お前は残っていろ。魔術による掃討戦だ。お前の出る幕は無い」
 アイゼンの言葉に、眼鏡の少女――月詠は不満気な顔をした。
「つまらへんなぁ」
「そうむくれるな。お前には、後々に活躍してもらうさ」
 月詠から眼を離すと、アイゼンは口元を歪めた。瞬間、アイゼンの眼前に小さな炎の球が発生する。
「初撃は任せろ。結界を破壊すると同時に呪術協会に混乱を巻き起こす。その間に侵入、一人残らず石化させろ。近衛詠春が現れた場合は殺すな。石化も却下だ。四神結界や京都魔法陣の権限を移譲させるからな」
「二つの権限は君が所有するのかい?」
 白髪の少年は怪訝な顔をした。
「不服か? お前は鍵の制御だけで限界であろう? ならば、俺が所有するのが自然な流れ。まさか、魔術師でもない月詠に渡す気か? それこそ、正気では無いぞ」
 アイゼンの言葉に、白髪の少年は肩を竦めた。
「まさか、不服など無いさ。確認をしたまでの事。では、行こうか」
「ああ――フッ」
 アイゼンは右手を掲げた。炎の球が一気に収縮し、ビー玉並みの大きさになると、まるで銃弾の如き速度で関西呪術協会に向けて放たれた。
 空間を歪め、空気が捩れ曲がっている。唐突に、炎の弾丸は動きを止めた。目に見えない壁に阻まれた炎の弾丸は、壁を突破しようともがく。不可視の壁は衝撃によって歪み、まるでガラスをハンマーで殴ったかの様に真っ白な無数の罅が広がった。螺旋回転をしながら、まるでドリルの様に関西呪術協会の教会に張られた結界が削られていく。
 関西呪術協会の、いち早く気がついた者も、呆然とその様子を眺めていた。不可視の結界に広がる大きな真っ白の皹を――。
「砕け散れ――」
 アイゼンがニヤリと笑うと、一気に結界が破られた。バキンッ! というガラスの割れた様な音が、関西呪術協会のある御山の全域に響き渡った。
 関西呪術協会の結界は崩壊し、瞬間、関西呪術協会にパニックが巻き起こった。関西呪術協会の総本山の結界が破られるなど、誰にも想像する事すら出来なかったのだ。関西呪術協会の奥にある、長の部屋で、慌てながら報告をした巫女に礼を述べると、詠春は小さく溜息を吐いた。
「いよいよここにも来たか。ゼクト、ガトウの仇を討たせてもらうよ!」
 独り呟くと、詠春は立ち上がった。大きく息を吸い込み、感情を殺す。
 自身の太刀を握り、詠春は歩き出した。周囲に響き渡る悲鳴。歩く先々で、石化した仲間達の姿を発見し、詠春は怒りを爆発させた。
 外に出ると、そこには二人の少年が立っていた。詠春は殺意を漲らせる。
「ここを関西呪術協会と知っての狼藉か!!」
 詠春の怒声に篭められた憎悪と殺意に、アイゼンは笑みを浮べた。
「さて、役者が違うぞ、無理はするな。俺達の目的は二つだ。京都を守護する“四神結界”と“京都魔法陣”、二つの使用権限を寄越せ。さもなければ――」
 アイゼンは指を鳴らした。
「これだけで、石化した者達の肉体を滅ぼすぞ」
「巫山戯るな。ここに居る者は、とうに死など覚悟している。その程度の脅しに屈すると思うか!? 例え、皆が殺され様とも、私が貴様等――」
 瞬間、詠春の姿が消えた。甲高い金属のぶつかり合う音が響く。詠春の何時の間にか抜刀した剣と、何時の間にか現れた月詠の二振りの剣が激突していた。
「裏切りますか、月詠!」
「ご覧の通りどすぅ」
 頭上に迫る炎を回避し、詠春は距離を取った。
「ならば、町の人間ならどうだ?」
「何……?」
 アイゼンが口を開くと、詠春は眉を顰めた。
「俺達ならば、京都の町を滅ぼす事も可能だ。京都魔法陣や四神結界を残ったお前一人で操れるなら別だが?」
 アイゼンの言葉に、詠春は歯を噛み締めた。
「不可能だよなぁ? お前は魔術師では無い。ただの剣士に過ぎない。お前一人では、京都の民は護れない。どうする? 京都を見殺しにするのか? 正気か? 関西呪術協会の長、近衛詠春よぉぉ!」
「君は……、何者だ?」
 詠春は屈辱に歪んだ表情を浮べながら尋ねた。
「名乗る必要は無い。寄越せ、結界と魔法陣の使用権限!」
 詠春の敗北だった。非の打ち所の無い、完全無欠の敗北だった。仲間は全員石化され、自分一人では叶わない。京都の民を護る選択肢は一つだった――。
「無理だ。どちらも、権限の移譲には膨大な時間が掛かってしまう。それに、京都の魔法陣を全て、関西呪術協会が保有している訳ではないんだ」
「何だって?」
 白髪の少年は、詠春の言葉の真偽を探ろうと眼を細めた。
「だろうな。ま、予想は出来ていた」
「……どういう事だい?」
 赤眼の少年の言葉に、白髪の少年は怪訝な顔をした。
「簡単な事だ。近衛詠春が関西呪術協会の長の座に着いたのは、ここ数年の事だ。元より、コイツは魔術師では無く剣士だ。そんなのに、京都を護る魔術の全権を預ける事を良しとはしないだろう」
「なっ!? では、この襲撃の意味は――」
「いいや、ある」
 アイゼンの言葉に、白髪の少年が食って掛かろうとするが、アイゼンはその切っ先を制して言葉を続けた。
「まず、これで関西呪術協会の機能は停止した。救援の要請をするにも、これで近衛詠春を石化させてしまえば、かなり遅れる事になる。最早、関西呪術協会という、最も現実となりうる第三者による強襲の可能性は消え去った。四神結界や、京都魔法陣も恐れる必要は無くなった。だが、これだけでは態々ココを襲撃した意味は無い。これより、俺達はココを拠点とする」
「ココを……関西呪術協会を拠点にすると言うのかい!?」
 白髪の少年は、あまりの事に驚愕した。
「その通りだ。この場所を拠点とする。フェイト、まずは近衛詠春を石化させろ」
「あ、ああ……」
 アイゼンに言われるがままに、詠春にフェイトと言われた少年は石化の魔法を発動した。
「ヴィシュ・タル リ・シュタル ヴァンゲイト。小さき王、八つ足の蜥蜴、邪眼の主よ。その光、我が手に宿し、災いなる眼差しで射よ。『石化の邪眼』」
 瞬時に、詠春の体が灰色の岩へと変化していく。石像となった詠春は憤怒の表情を浮かべていた。
「後は、使えそうなのを何人か選び出して洗脳するぞ」
「そこまでする必要があるのかい?」
「何、コイツ等を使って疲弊させる程度の事だ。それに、誘導や罠を仕掛ける等、使い道は無限にある。爆弾を腹に巻かせて、奴等に特攻させるという手もあるな」
「……君は恐ろしい男だね」
 フェイトはアイゼンから顔を背ける様に、待たせていた月詠の居る方へと跳んだ。
「冷徹に成り切れていないな。だが、ここまではミスは無い。初期の条件は全てクリアされた!」
 フェイトが立ち去った後に、アイゼンは一人呟くと、近衛詠春の石像の前に立った。
「壊しちまうのもいいが、元・英雄様の石像を部屋に飾るってのも悪くねぇ」
 そう言うと、アイゼンは炎の転移魔法を発動し、周囲の石像を呪術協会内へ転送した。
「後は、イレギュラーが無ければ問題は無い」
 ネギ達の修学旅行の前日、関西呪術協会は落ちた――。

 早朝、まだ日は昇りきっていない時間にも関らず、ネギと明日菜と木乃香の三人は起きて朝食を食べていた。ピザトーストにコーンスープだけという簡単なものだった。
 今日から四泊五日の京都への修学旅行なのだ。あやかの提案で外国人の多い3年A組は日本の古都である京都にしようという事になったのだ。
 麻帆良学園の修学旅行は生徒の自主性を重んじられている。目的地は沖縄や北海道、京都などの国内以外にも、イタリア、ドイツ、合衆国、ハワイなどの海外も選択が可能だ。引率は担任のタカミチと国語の担当教師であり生活指導の新田だ。
 大宮駅に九時に集合で、時間はたっぷりあるのだが、自然と三人は目を覚ましてしまっていた。朝食を食べ終えた後、木乃香とネギが手早く洗い物を済ますと、ガスや電気、水道のチェックを済ませ、忘れ物が無いかを入念にチェックすると、戸締りを確りと確認して駅に向かう前にエヴァンジェリンの宅へ向かった。
 エヴァンジェリンのログハウスに到着すると、茶々丸とエヴァンジェリンが三人を出迎えてくれた。カモはタカミチと用事があると言って昨夜から居ない。刹那は龍宮真名と用事があるからと既に発っていた。
「そんな顔をするな。精々、楽しんで来い。一生は永いが、子供の頃の友との一時々々というのは存外に大切な至宝となる。こうしたイベントを心に刻んで来い」
 改めて、エヴァンジェリンと一緒に行けないのだと再確認し、ネギ達は涙が出そうになった。友達との一時を大事にしろと言うのなら、エヴァンジェリンが一緒でなければ駄目だ。
 その三人の思いが分かるからこそ、エヴァンジェリンはニヤリと笑みを浮べた。
「お前達は幸か不幸か分からぬが、私とは長い付き合いになるんだ。私がココから出られるようになったら、幾らでも付き合って貰うぞ?」
「マスターは京都に行ってみたくて仕方なく、昨晩も枕を涙で濡らし――」
「黙ってろ!」
「あ、うん……、あう……いけません、マスター……はぁん……そんなに巻かれては……ああ……」
 余計な事を口走る茶々丸を黙らせる為に、エヴァンジェリンは茶々丸の後頭部にネジを巻いた。
「と、とにかくだ。ネギ、京都にはお前の父親の使っていた別荘がある筈だ。お前が相続している筈だからな、行ってみろ。詠春には連絡をしておいてやる。ナギの使っていた机や椅子、もしかしたら日記やポエムなんかがあったりしてな」
 クスクスと笑うと、エヴァンジェリンはネギの頭に手を乗せた。
「お前の親父の名残がある筈だ。時間を見つけて行って来い。それで、ちょっとは泣いて来い。お前がちょっとでも成長して帰ってくる事を願っているぞ」
 フッと笑みを浮べて言うエヴァンジェリンに、ネギは涙腺が耐え切れずに涙を溢れさせた。
「エ、エヴァンジェリンさん……。一杯……、一杯お土産買ってきます!!」
「もう、何でエヴァちゃん一緒に行けないのよ~~!」
「いっぱい写真撮って見せてあげるから……せやから、うう……」
 共に命を懸けて戦い、ほぼ毎日の様に魔法や剣を教え、勉強を一緒にして、この一ヶ月間で、エヴァンジェリンとの関係は密接になっていた。本当ならば一緒に行きたい。そう思っても、エヴァンジェリンを連れ出すことは出来ない。
「……はぁ。何も、泣く事はないだろう? 師匠として、エヴァンジェリン・A・K・マクダウェルが命じる、楽しんで来い。一杯、思い出を作って来い。沢山、学んで来い。ただし、勉強は怠るなよ?」
 エヴァンジェリンは、前日にネギ達に宿題を与えていた。数学と英語の宿題であり、毎日一時間分のプリントを教師に頼んで作って貰ったのだ。
 思い出した明日菜は呻いた。
「うう……、修学旅行なのに~」
「“修学”旅行だからだろうが……。まあ、そんなに難しいのじゃないさ。今までの復習問題ばかりだ。後は、向こうで回る寺や神社を頭に刻め。歴史を肌で感じろ。魔法使いなら、“歴史の価値”という存在(モノ)を知って来るんだ。それはとても大切な事だからな」
 エヴァンジェリンはログハウスの時計に視線を送った。
「もう、そろそろ行かないとな。もしも、問題が起きたらカモとタカミチの指示を絶対に守れ。いいな? それとネギ、お前にコレを渡しておこう」
 エヴァンジェリンの差し出した手には一個の見事な細工の指輪があった。
「魔法発動体だ。お前の指に合わせてある。杖を常時持ち歩いている訳にもいかんからな。前々から作っていたんだが、昨夜、完成した」
「エヴァンジェリンさん……」
 受け取ったネギは涙を止める事が出来なかった。自分の為に作ってくれた指輪をギュッと握り締める。嬉しさに体全体で喜びを示したかった。一緒に行けない悲しさで胸が張り裂けそうだった。
「ごめんなさい。ごめんなさい……、エヴァンジェリンさん」
 謝りだしたネギに、エヴァンジェリンは小さく息を吐いた。封印されている理由が自分の父だから、それが理由だろうと察して、エヴァンジェリンは右手でネギのオデコにデコピンをした。手加減をしたデコピンだったが、ネギは呆然とした。
「恨みはある。だがな、お前は関係無いんだ。お前が私の友を名乗るなら、そんな下らない事で謝るな、馬鹿弟子が」
 こうまで泣かれるとは思っていなかった。たかだか、修学旅行に一緒に行けない程度で――。エヴァンジェリンは余裕を取り繕う為に必死だった。
 自分と一緒に思い出を作りたい。そう思ってくれる少女達と、自分も思い出を作りたかった。この先、少女達は大人になる。今は、エヴァンジェリンと友達であっても、魔法使いの社会に出れば、この温かい時間が続くとは限らない。むしろ、終わってしまう可能性が高い。もしも、自分と一緒に居てくれるのだとしても、自分は時の流れから外れた存在である。少女達が年を取り、老衰していく姿を見るのは自分なのだ。若いまま、友の死を見取る。だからこそ、一つでも思い出を作りたかった。
 一生、抱いていられる思い出を――。自分のためにこんな風に泣いてくれる存在など、もう二度と現れないかもしれないから。ギュッと、エヴァンジェリンの体を明日菜が抱き締めた。
「絶対、いつかエヴァちゃんと旅行に行く。文句を言う奴は正義だろうと悪だろうとぶっ倒す。それが出来るくらい強くなるから……待っててね」
 エヴァンジェリンの顔が歪みそうになった。声が震えない様に慎重に口を開き、出てきたのはたったの一言だった。
「ああ、期待している……」
「ネギさん、木乃香さん、そして、明日菜さん。行ってらっしゃいませ。どうか、楽しんで来てください」
 茶々丸が深く頭を下げると、今度は明日菜は茶々丸の体を抱き締めた。
「茶々丸さん。行って来ます」
 茶々丸と一番接点の多い明日菜は、茶々丸とも一緒に修学旅行に行きたかった。だが、茶々丸がエヴァンジェリンと共に居る事を選んだのなら、何も言えなかった。
 ただ、抱き締めた。
「お土産、いっぱい買って来る。写真、いっぱい撮ってくる、行って来ます……、師匠」
「明日菜さん、行ってらっしゃいませ」
 ネギは右手の人差し指にエヴァンジェリンから貰った指輪を装着した。三人はエヴァンジェリンと茶々丸に手を振りながらログハウスを離れた。三人の姿が見えなくなった後、エヴァンジェリンは小さく呟いた。
「行きたかったな……。アイツ等となら、多分、楽しかった」
「多分では、無いと思います。間違いなく、楽しいでしょうね。マスター、大丈夫です。明日菜さんも、ネギさんも、木乃香さんも、刹那さんも強くなります。才に恵まれ、精神がとてもお強い方々です。いつか、あの方達がマスターを解放してくれます。そうすれば……」
「ああ、期待してしまうな。ナギが実際に生きているか分からないが……。いい女と結婚したようだ。息子……いや、今は娘かな? 娘はアイツとは比べ物にならないほど素直だ。きっと、母親の遺伝だぞ、アレは」
「マスター」
「母親……か。私には、一生縁の無いモノだな」
 淋しそうなエヴァンジェリンに、茶々丸は声を掛けられなかった。ネギにも母親が居る。それはつまり、ナギは一人の女を選び、結婚し、子を産んだという事だ。
 もし、生きていたとしても、もう、自分の居場所はナギの下には無いのだ。それを理解しているからこそ、エヴァンジェリンの気持ちを茶々丸は知ることが出来なかった。
 自分が機械である事をこれほど恨めしく思う事はありませんね。茶々丸は、エヴァンジェリンの為に今夜はご馳走を作ろうと決意した。

 麻帆良学園の学園内を通る電車に揺られる事一時間ちょっと。ネギと明日菜、木乃香の三人は大宮駅に到着した。既に、タカミチと新田、それに生徒達の殆どが集合していた。
「おはようございま~~す!」
「おはよ~~~!」
「おっは~~~!」
 ネギ達が手を振りながら近づくと、少女達も手を振り返した。
「おはよう、ネギ君、明日菜君、木乃香君。向こうに荷物を置いて集まっていてくれ。後、一時間あるから、朝食が未だなら、そこの食堂で食べてきてもいいし、売店でジュースやサンドイッチを買って来てもいいけど、あまり離れないようにね」
 タカミチは出席ボードの三人の名前の欄にチェックを入れながら言うと、ニコッと笑みを浮べた。ちなみに、大きな荷物は既に旅館に郵送されている。
「そう言えば、今更だけど、私達って関西地方に行って問題とかないの?」
 明日菜はフと思い出して言った。天ヶ崎千草の来襲した時に語った、東西の確執をおぼろげに覚えていたのだ。
「カモ君が言うには、大丈夫だそうです。西の木乃香さんのお父さんであるサムライマスター、近衛詠春さんが抑えてくださっているからって」
「お父様……」
 木乃香は複雑な表情をした。自分の父親の本当の仕事を知り、まだ、心の整理が出来ていなかったのだ。
 ネギは前日にカモが話した事を思い出した。
『前に、ちょっとした機会がありやして、近衛詠春が上手く配下の手綱を握れる様になったと聞きやした。だから、修学旅行は大丈夫ッスよ』
 “ちょっとした機会”というのが気になったが、ネギは特に気にしなかった。
「ネギさんは、乗り物酔いはするのですか?」
 クラスメイトの少女達の中に入って談笑に興じていると、あやかがネギに尋ねた。
「あまりしません。日本に来る時に飛行機や電車に長時間乗りましたけど、体調は崩しませんでしたから」
「迷って泣きべそはかいてたけどね~」
「あ、明日菜さん!」
 意地悪を言う明日菜に、ネギが頬を膨らませると、明日菜は「ごめんごめん」とニハハと笑いながら頭を下げた。
 全く、謝られた気がしなかったが、ネギは溜息交じりに許すと、超と五月、古菲、葉加瀬が売っていた肉まんをお詫びにと明日菜が買い一緒に食べた。頬が落ちるほどにおいしかった。
 時間が来て、タカミチの号令に従って新幹線に乗り込むと、刹那がギリギリでやって来た。
「あ、危なかった……」
 かなり時間ギリギリに、龍宮真名と共に到着した刹那は木乃香の隣に座り、木乃香からポカリと肉まんを受け取った。
「ありがとうございます、お嬢様」
 木乃香は瞳を輝かせて喜ぶ刹那に、慈愛に満ちた笑みを浮べる。肉まんをあっと言う間に食べ終えると、ペットボトルいっぱいに入っていたポカリを一気に飲み干して、ようやく一息を入れた。
「刹那さん、どうして遅くなったの?」
 明日菜が尋ねる。
「それが、真名と一緒に特別な装備を受け取りに行っていたのですが、発注していた業者と少し口論になりまして……」
「特別な装備って?ていうか、受注した業者と口論ってどういう事?」
 明日菜が怪訝な顔をすると、刹那は律儀に答えた。
「カモさんの話では、長が配下を完全に抑え切ったとの事ですが、何しろ、関西呪術協会の呪術師や剣士は数が多く、周辺の“魔術結社(マジックキャバル)”からも干渉が無いとは言い切れませんので、念には念を……と。業者というのは、魔術製品を取り扱う専門の業者が存在するんです。私の場合は、あまり関西地区の魔術製品の業者は頼れないので、この学園の魔法使いが発注しているのと同じ、英国に拠点を持つ魔法製品の業者である“OMC”という業者です。最近、ロンドンに吸血鬼の被害が出ているらしく、エヴァンジェリンさんの事で余計な事を言われ、ついカッとなりまして…………」
 思い出したのか、刹那は傍目に分かる程イラついた顔をした。
「ロンドンで吸血鬼!?」
 ネギが眼を見開くと、刹那は頷いた。
「なんでも、かなり猟奇的な殺人を行っているそうです。ロンドンの魔法使い達が討伐に乗り出したそうなのですが、詳しい事は分からないそうでした。だから、ここに居る吸血鬼も暴れるかもしれないから監視は確りと、問題が起きたら躾をしましょう。躾道具は取り揃えております……躾だ? 巫山戯た事を……」
 目に見えて殺意を漲らせる刹那を木乃香が必死に宥めるが、刹那の怒りは分かった。
「ちょっと待ってよ! 躾って何!?」
 明日菜も眼に怒りを湛えて不満を露わにしている。
「あの業者とは、付き合い方を考えた方がいいかもしれませんね」
 刹那は眼を鋭く尖らせながら言った。
「……………………」
 ネギは黙り込んだ。エヴァンジェリンを侮辱された事に怒りを感じているが、それ以上に気に掛かる事があった。
「あの……、ロンドンでの吸血鬼騒動というのは、事実なんですか?」
 ネギが尋ねると、刹那は頷いた。
「ええ、一般人も巻き込まれているそうです。ロンドン駐留の魔法使いが動いているらしいのですが詳しい情報は入っていないようでした」
「アーニャ……」
 ネギが心配しているのは、アーニャの事だった。ロンドンといえば、アーニャの修行の地である。そこで事件が起きている。
 吸血鬼を悪とは言わない。エヴァンジェリンを知っているから。だが、もしもアーニャも、件の吸血鬼の件に関っていたらと思うと、心配で仕方がなかった。
 アーニャは炎を操る戦闘に特化した魔術師だ。自分よりも半年早く修行に旅立った彼女は、後二ヶ月程度で修行が終わる筈だ。実力を身に付けていたとしたら、実戦に投入される可能性も少なくは無い。
「アーニャ? ネギさんのご友人ですか?」
 刹那が尋ねると、ネギは頷いた。
「アーニャは、ロンドンに修行に行った……私の親友なんです。私よりも半年早く修行に旅立っているので、実戦投入される可能性も少なくなくて……」
「それは……」
 刹那は言葉を選んだ。
「恐らくは大丈夫でしょう。ロンドンは優秀な魔法使いが特に多い。さすがに、修行中の見習いまで投入させなければならない程の事態にはなりませんよ。吸血鬼は単体だそうですし、専門機関が動かなくとも、対吸血鬼用術式は魔法使いの間でも構築されていますから」
「そう……、ですよね」
 ネギは窓の外を流れる景色を見ながら呟いた。

 東京駅で一度乗り換え、アナウンスが『次の名古屋には――』と流れている頃、明日菜はタカミチと自由行動の日に一緒に回る約束を取り付ける事に成功していた。
「おめでとうございます、明日菜さん」
 明日菜の頑張りに感動しながら祝福するネギに、幸せの絶頂と言う感じに蕩け切っている明日菜はわけの分からない事を言いながら頷いた。
 ネギはその後、裕奈に誘われてカードゲームに興じた。
「“クリムゾンVS”ですか?」
「そ、最近流行してるネットワークゲームをモデルに作られたカードゲームで今社会現象にも発展してるカードゲームよ。ふふ~ん、ネギっちとやる為に、ネギっち用に初心者デッキを組んであるんだぁ。プレゼント!」
「え、いいんですか? ありがとうございます!」
 “黄昏の仲間達デッキ”というのを渡されたネギは、裕奈に教えられながら、綾瀬夕映と対戦した。隣ではまき絵と風香が後ろの亜子と史伽にそれぞれ茶々を入れられながら対戦していた。
「それ出しちゃえば?」
「黙って亜子。真剣勝負なんだから、お菓子懸けてるから言っちゃだめー!」
「お姉ちゃん、ソコにはソレ! ソレですよソレ!」
「え~~!? ココだったらコレだよ~~!!」
 賑やかな状態で、カードゲームに興じていると瞬く間に時間は過ぎていった。
「いきます、1st“微笑の洗礼”、2nd“焼き尽くす蒼炎”、3rd“なんですと!”! GENERAL“志乃恐怖”!」
「なんですそれは!?」
 盾中心の夕映のデッキは、ネギの“志乃恐怖コンボ”によって、為すすべなく撃沈された。

 京都駅に到着すると、タカミチが点呼を取っていた。
「タカミチ、どうしたの?」
「え、何がだい?」
 ネギはどこか青い顔をしているタカミチを心配して声を掛けた。
「何だか顔色が悪いよ?」
 心配そうに見つめるネギにタカミチはどこか無理のある笑みを浮べると「大丈夫だよ」と言って、新田と話すためにネギから離れてしまった。
 カモの姿も見当たらず、ネギは漠然とした不安を抱いた。タカミチと新田の引率で駅構内からバスターミナルに出て、バスに全員が乗り込み、カラオケやクイズ大会をしながら、最初の目的地である清水寺に向かう途中で事は起きた。
 空間が凍結したかのようだった。青白い光が一瞬煌いたと思った瞬間にバスは停止していた。運が良かったのか、車の通りが少なく、車線も多い道だった。
 ネギと木乃香、タカミチ、明日菜、刹那、真名、和美、さよ、のどか、美空、ザジ以外の全員の動きが完全に静止しているのだ。突然の事に戸惑うのどかや和美に、突然タカミチと真名、刹那が立ち上がり、一瞬でネギ、木乃香、明日菜、美空以外を眠らせた。
「私も出来れば寝ちゃいたいんですけど……」
 美空が何かを言っているが、彼女がポケットから取り出した一枚のカードによってネギ達は美空が魔法生徒である事を理解した。驚いたが何かを口にする前に事態は動いた。
「貴様……、何者だ?」
 真名が鋭い視線を送りながら、どこからか取り出した銃を添乗員のお姉さんに向けていた。
「ちょっと、龍宮さん!?」
 明日菜が眼を見張るが、タカミチが首を振った。
「違うな、操られている……」
 タカミチは警戒心を露わにしながら、どこか壊れた表情を浮べる添乗員のお姉さんに視線を向けた。
『警告だ。我々は常にお前達を狙っている。お前達は警戒を緩める事を許されない。東京には帰ろうとしない事だ。さすれば、そうだな、新幹線諸共に吹飛ばしてやろう。さて、どれほどの死体の山が出来るかな?』
 添乗員のお姉さんの口から、僅かに掠れた高い声が響き、一方的に喋ると凍結していた時間が動き出し、添乗員のお姉さんは僅かに戸惑った様子だったが、何事も無かった様にバスは清水寺に向かった。ネギと木乃香、明日菜の三人は顔を真っ青にしていたが、刹那が首を振った。
「今は、何も出来ません。警戒を緩めない様に。清水寺についたら、高畑先生と相談しましょう。ああは言いましたが、いきなり襲い掛かる事は無い筈です。私達が警戒を怠らなければですが――」
 そう言うと、刹那は僅かに窓を開き、一枚の符を放った。
「オン」
 呪文を唱えると、バスの上にちび刹那が現れ、吹飛ばされない様に頑張りながら周囲の警戒を行った。

 清水寺に到着すると、長い階段を登り見晴台で楓が弁慶の錫杖を持ち上げて観光客から脚光を浴びているのを尻目に、ネギ、明日菜、木乃香、刹那、真名、美空はタカミチの下に集まっていた。タカミチの肩から飛び出したカモがネギの肩に飛び移った。
「カモ君!」
「おや、オコジョ妖精かい?」
 真名は興味深そうに尋ねた。
「私の親友なんです」
 ネギが僅かに得意気に言うと、カモはフッと笑みを浮べた。
「それにしても驚いたわね。龍宮さんと美空が魔術サイドだったなんて」
「うぅん、私はどっちかって言えば宗教サイドなんだけどね」
「え、でも、仮契約は魔法でしょ?」
 明日菜が美空に尋ねると、美空は答えに窮した。
 実際、師匠が宗教サイドの人間であるというだけで、神に対する信仰心など欠片も持ち合わせていない自分は魔術サイドの人間とも言えるからだ。
「今は、その話は後にしよう。済まないが、事は緊急だ。カモ君、さっき話した事を」
 タカミチが明日菜と美空の話を遮ると、カモに話を促した。
「ああ、全員、よく聞いてくだせぇ。真名の姉さんも、学園に帰ったら、給金弾んで貰えるように手配しやすから……」
「ああ、さすがにこの事態では仕方ない。力は貸すさ。元々、予想出来た事だしな。装備は揃えている」
 真名の言葉に、カモは満足気に頷いた。真名の戦闘能力は刹那と同レベルかそれ以上だと聞いていた。現時点では、タカミチの次に強い。
「とりあえず、現状の把握から……。既に最悪な状況だと理解して下せぇ。後手に回っちまった。現状、何時襲撃があってもおかしくない。それと、恐らく、関西呪術協会が落ちている可能性が高いッス」
「なっ!?」
「え!?」
 木乃香と刹那は絶句した。
「言葉遊びをする気は無いッスから、聞いて下せぇ。ここは京都だ。京都の町は四方を司る精獣による結界が張られているんス。東西南北と中央に存在する神社に基点が置かれる“四神結界”ッス。南方の城南宮に“朱雀”、西方の松尾大社に“白虎”、東方の八坂神社に“蒼竜”、北方の賀茂別雷神社に“玄武”、そして、中央の平安神宮に“黄龍”の術式が基点として刻まれているんス。それを管理しているのが――」
「関西呪術協会……。だが、詠春さんがそうそう後れをとるとは考え難いが……」
 タカミチは難しい顔をして言った。
「だが、結界を管理している関西呪術協会の長が俺達を攻撃する襲撃者に気付かない筈が無い。清水寺に到着しても、関西呪術協会から何のリアクションも無いとなると、そう考えた方がいいッス。だが、だとしたら事態はいよいよ深刻ッス……」
「どういう事?」
 ネギが尋ねると、カモは顔を引き攣らせた。
「京都の町は、その町並み自体が一種の魔法陣になってるんスよ。その他にも、過去に刻まれた大魔術の魔法陣が至る所に存在する。もしも、これらの魔法陣の使用権が敵に渡っていたとしたら――」
「どうなんのよ……」
 明日菜は唾を飲み込みながら尋ねた。
「はっきり言って、勝率0%の戦いを強いられるんス。出来る事と言えば、とにかく自分の命を最優先に、逃走だけに全力を尽くす。それでも、逃げ切る事の出来る可能性は0.1%以下ッス。結界の術式も相手に奪われていた場合は、更に下がる……」
「京都の結界は、侵入する事を拒むよりも、外に逃がさない事に特化していると聞きますからね」
 刹那は苦虫を噛んだ様な顔をしながら呟いた。
「とにかく、まずは確認が先だ」
「では、私の式を飛ばしましょう」
「頼むぜ、刹那の姉さん」
 刹那は頷くと懐から呪符を取り出して呪文を唱えた。呪符が煙を出し始め、煙の中から紙の燕が飛び出した。
「あれ? ちびせつなちゃんじゃないの?」
 明日菜が首を傾げると、刹那は苦笑いを浮かべた。
「今回は偵察なので、速度重視の式にしました。ちびせつなでは時間が掛かってしまうので」
「そうなんだ」
「とりあえず、刹那の姉さんの式からの報告が来るまでは解散だな。結界を解きやスから、それぞれ待って下さい。強襲に関しては、警戒は怠らない様に、最悪、サムライマスターと渡り合えるレベルの人間だと覚悟し、敵わないと感じたら直ぐに逃げる事。これを忘れない様に」
 そう言うと、カモは何時の間にか張っていた結界を解除した。スゥーッと何かが四散する気配を感じた途端に、あやか達がネギ達に近寄って来た。
 カモはネギのリュックサックの中に忍び込んだ。ネギ達は互いにアイコンタクトを取ると、適当に友人達と談笑し始めた。その顔に浮かんだ緊張が解かれる事は無かった。
「これが噂の飛び降りるアレ!」
「誰か飛び降りれっ!」
「では、拙者が!」
「おやめなさい!」
 裕奈が見晴台に出て叫ぶと、風香が叫び、楓が飛び降りようとするのをあやかが体を張って止めた。
「ここが、清水寺の本堂。いわゆる『清水の舞台』ですね。これは本来、本尊の観音様に能や踊りを楽しんでもらうための装置であり、国宝に指定されています。有名な『清水の舞台から飛び降りたつもりで……』の言葉どおり江戸時代実際に234件もの飛び降り事件が記録されていますが、生存率は85%と意外に高く……」
「うわっ! 変な人が居るよ!?」
 夕映が自身の知識を披露すると、裕奈が割りと失礼な事を言った。
「夕映は神社仏閣仏像マニアだからねぇ。興味持った事への探究心は、図書館探検部でも随一だよ」
 ハルナがニシシと笑いながら説明すると、周囲の皆は同じ事を考えた。このくらい勉強も頑張ればいいのに、と。
 全員で集合写真を撮ると、ネギは明日菜達や裕奈、あやか、のどか達と一緒に写真を沢山撮った。どこか硬い表情のネギ達に、裕奈やハルナは怪訝な顔をした。
「どうしたの、ネギっち? 何か表情硬いよ~?」
「分かった! 修学旅行楽しみで寝れなかったんでしょ~」
 裕奈が心配そうに言うと、ハルナがニャハ~とネギの頬を突っついた。ネギは曖昧に笑みを浮べながら頷いて見せると、気を取り直した。
 危険な状況ではあっても、裕奈達は関係が無く、むしろこの状況は自分達にこそあるのだと思い出した。
 いつも自分が原因だな、と俯きそうになるのを必死に我慢して、ネギは傍目には分からない上手な作り笑いを作った。
 命を懸けてもチップとして足りない。この数ヶ月間、既に命を懸けた戦いは何度も繰り返した。迷うなんて許されない。そんな余裕があるなら、皆を守る為に全力を尽くさないといけない。心が冷えていく。責任を感じるのを後回しにする。迷いを捨てる。何度も繰り返し、殆ど間も置かずに命を狙われ。自分のせいで他人がその度に巻き込まれて、ネギはどこか壊れ始めていた。
 迷いを唯一打ち明けられる存在であるカモが最近、ネギの傍を離れがちになった事が原因だった。明日菜やエヴァンジェリンにも心の深い場所は打ち明けられない。ネギの心は追い詰められていた。徐々に……。

「どうやら、カモさんの推測は当たってしまった様ですね……」
 刹那は式を通して森の木の枝の上から関西呪術協会を眺めていた。視線の向こうでは、最低人数の見張りが居るだけで様子におかしな点は見られない。
 だからこそ、おかしい。今日は、京都に関西呪術協会の長の娘である木乃香が帰って来ているのだ。なのに、何も特別な様子が見られないのは明らかに妙だ。
「――――ッ!?」
 突然、式との繋がりが切れた。どうやら、式が破壊されたらしい。

 同時刻、関西呪術協会の森の木の枝の上にフェイトが千切れた呪符を手に取りながらアイゼンに念話を送っていた。
『どうして、わざわざ異変を教えたんだい?』
 フェイトの念話を受け取ったアイゼンは、関西呪術協会の大広間で横向きに寝転がっていた。フェイトが尋ねると、アイゼンは満足気に笑みを浮べた。
「これで、奴等はここを俺達が拠点にしていると理解出来た筈だ。そして、力の差を見せ付けた。空間凍結とバスガイドを操っての警告だけじゃ、奴等の警戒心を最大まで上げる事は出来ないだろう?」
「態々警戒を促す為に?」
「そうだ。これで、最大まで警戒心を強めた奴等は、常に緊張状態を強いられる。小娘共の精神力で何時まで保つかな」
 ククッと笑みを浮べると、アイゼンは起き上がった。
「一人、適当な術者を夜の宿に走らせるぞ。深夜に襲撃があれば、奴等は眠る事も出来なくなる筈だ。睡眠を取れない場合、人間の集中力や思考力は激減する。体力や反応速度も大幅に下がる。明日は団体行動だった筈だ。明日の夜も同様に一人送る。そして……、後日の自由行動日、攻めるぞ。分担は先に言った通りだ。だが、勝とうとするな。奴等を引き込むのだ。関西呪術協会の総本山へ」
「簡単に言うが、そう都合良く誘いに乗るかい? 敵の拠点だと教えていながら……」
「来る。そういう精神状態に陥らせるのだ。敵の全員が一箇所に集まろうとしている。そこが敵の本拠地だ。自分達も集合出来る。ここで終わりにする。そういう心理が働く筈だ。だからこそ、分散している明後日に行動を起すんだ。二日間の徹夜に、常時緊張状態を強いられれば、一刻も早い解決を望む筈だからな」
「関西呪術協会の者に深夜襲わせるのは、謎の敵ではなく、呪術協会が襲撃している可能性を示唆する訳だね。そうすれば、近衛木乃香の存在がある。近衛詠春と接触出来ればなんとかなる。そういう考えを持たせるのも狙いの一つだね」
 フェイトの言葉に、アイゼンは満足気に頷いた。
「ここに誘い込む事で、呪術協会の人間を人質にし、尚且つ戦力とする事が出来る。お前や月詠、そして俺の戦力もある。これで、チェックメイトだ」

 音羽の滝でクラス全員が縁結びの水を飲もうと押し合いをして、一般の観光客の人達に迷惑を掛けた事で新田先生に怒られたネギ達一行は、そのままバスで北上して南禅寺へと向かった。
「……………………」
 ネギは無言で睨んでいた。
「えっと……、お、お久しぶりやな!」
 目の前で湯豆腐を取り皿に取って食べる寸前だった犬上小太郎は、冷や汗をダラダラと流していた。
「久しぶりだね、小太郎」
 南禅寺を見学し、昼になって高畑と新田の引率の下、ネギ達一同は南禅寺の直ぐ傍にある湯豆腐の老舗に入った。テーブルに案内されている途中、発見したのだ。湯豆腐をおいしそうに食べている犬上小太郎を――。
 ネギは、別れも告げずに一方的に去った癖に、こんな所で幸せそうな顔をして湯豆腐を食べている小太郎に無性に理不尽な怒りを感じた。スッと、列を離れて小太郎の下に行くと、他の少女達は何事かと言う調子で様子を眺めていた。
 名前を呼ぶと、不思議そうに顔を向けた小太郎は、冷たい表情で自分を見下ろしている少女の存在に驚愕のあまり口元に運んでいた湯豆腐をポロリと落としてしまった。ネギの聞いた事もない様な冷たい声の響きに、少女達は戸惑いながら、それでも好奇心に満ちた表情で眺めていた。
 新田の怒声も、色恋沙汰に敏感な少女達の前にはなすすべなく、二人の引率教師は困った顔をした。数十人の少女達が通路で固まっているのは、普通に迷惑だが、店員の女性達は咎める視線というよりも、好奇心に満ちた表情を浮べている。
「えっと、どうしてここに居る……のですか?」
 あんまりにも吃驚したので、小太郎はつい敬語になってしまい、それがネギの神経を逆撫でした。
「ど・う・し・て? 修学旅行だからだよ。それより、私、君に言いたい事があるんだぁ」
 目元がピクピクと動いている。カモはリュックサックの中で怯えていた。
 小太郎の背筋に冷たい汗が流れる。
「いや……、あの……、あの時は……」
 声が裏返ってしまった。ギロッと、ネギは小太郎を睨みつけた。
「ヒッ!?」
 小太郎は折角、ご馳走を食べに来たのに、いきなり追い詰められた状況に陥り泣きそうになった。
「あれまぁ、久しぶりやないの」
 すると、ネギの背後から何処かで聞いた事のある声が聞こえた。
「あ、貴女は!」
「お久しぶりやね。ネギ・スプリングフィールドちゃん?」
 そこに立っていたのは、天ヶ崎千草だった。



[8211] 魔法生徒ネギま! [第五章・修学旅行編] 第二十四話『作戦会議』
Name: 我武者羅◆cb6314d6 ID:87b1fc72
Date: 2010/06/13 05:09
魔法生徒ネギま! 第二十四話『作戦会議』


「天ヶ崎……千草」
 ネギが呆然とその名を呼ぶと、千草はニッコリと頷いた。
「さいですぅ。お久しぶりどすなぁ。京都にようお越やしたなぁ。にしても……」
 ニョホッと千草は口元に広がる止まらぬニヤケ顔を右手で隠した。
「小太郎も何時の間にか……。大人になったんやなぁ」
「ハァ!?」
 小太郎は素っ頓狂な声を上げた。
「いやぁ、何時までも子供や思うとったのに、意外と早かったなぁ。ちょっと、意外な相手やったけど……頑張りや」
「ちょっと待てや! 何をキモイ勘違いしとるねん!?」
 千草の言っている言葉の意味がいまいち理解出来ずに、キョトンとした顔をしているネギとは対象的に、小太郎は顔を真っ赤にして立ち上がった。
「第一、ワイは別にコイツの事なんて今の今迄一度も思い出してへんかったんや! 忘れとったのにいきなり現れて、ワイの湯豆腐冷めるやないか。訳分からんで、ほんまに」
「忘れてた? へぇ、忘れてたんだ」
「え? あ、あの……」
 背後から忍び寄る殺意の波動に、小太郎の全身の皮膚が逆立った。呼吸が出来なくなり、躯全体に麻酔を掛けられた様に痺れて指一本すら動かせない。肌寒い様な錯覚を受けるネギの無表情に、小太郎は後退りした。
「いや、これは何と言うか……」
「コッチは、誰かさんが何も言わずに去って行って、すっごく心配してたのに……。手紙くらい送れた筈じゃないのかな? 学園の寮なら調べれば住所なんて簡単に判るんだし。なのに、ちっとも連絡しないでさ……」
 俯いて、ブツブツと呟きながら一歩一歩近づいてくるネギに、小太郎はダラダラと滝の様に汗を流した。
「お、落ち着け! い、今のは言葉の綾というかやな……。連絡せんかったんは、悪かった。せやから、な? ちょっと、落ち着こうや」
「落ち着け? 落ち着いてるよ、私」
「どこがやねん!? 眼が据わってるで自分!?」
 小太郎が思わず突っ込みを入れると、ギロリとネギは小太郎を睨み付けた。
「はいはい、ストップだ。とりあえず、ここまで」
 そこでタカミチが止めに入った。さすがに、これ以上は今日の予定に関るし、食事が取れず、店側にも迷惑が掛かるからだ。
「せやせや。痴話喧嘩はそのへんにしときやぁ。そうや、ええ事思いつきましたわぁ」
 コンコンと軽く小太郎の頭を叩くと、千草はタカミチに何事かを耳打ちした。
「いや、しかしそれは……」
「せやけど、二人共言いたい事があるやろうし。お願いしますわ」
「ううん、新田先生、どうしましょうか」
 千草の提案に難色を示すタカミチは、新田に顔を向けた。
「不純異性交遊は認められない。なんて言うほど、私はヤボではないよ。どうやら、久しぶりに会えた様子だしね。未だ、四泊五日の修学旅行の初日だ。節度を持ってくれさえすれば、彼が同席する事に異論は無いよ」
「話が分かるお人やわぁ。あんさん、お名前は?」
「新田と申します。こちらは、高畑.T.タカミチ先生。貴女のお名前を尋ねてもよろしいですかな?」
「勿論ですわ。ウチは、天ヶ崎千草言います。よろしゅうお頼み申しますぅ」
 新田の手を握りながら頭を下げる千草に、新田は一瞬だけ見惚れてしまい、咳払いをした。
「ああ、新田先生が赤くなってる~!」
「可愛い~~!!」
「新田先生真っ赤か~~!」
 桜子や裕奈、史伽が囃し立てると、新田は再び咳払いをした。
「いや、美しい女性に見惚れてしまうのは仕方の無い事だ」
「お上手どすなぁ」
 新田が素直に失態を認めると、千草は優雅な仕草でオホホと口元に手を当てながら微笑んだ。タカミチは、ネギと小太郎をとても複雑な表情で見た後に、眉間に皺を寄せて溜息を吐くと、手を叩いた。
「それじゃあ、皆、席に着こうか。時間がおしているからね」
 未だ、少女達は好奇心に満ちた表情で眺めているが、タカミチに言われ、自分のお腹が背中とくっつきそうなほどお腹が空いている事を思い出して、素直に従った。
 千草が新田と一緒に、店員の女性に何かを話すと、店員の女性は笑みを浮べながら頷いていた。しばらくすると、自分の食べていた席のお鍋が持ち上げられて小太郎は目を剥いた。
「ワイの湯豆腐!?」
 小太郎が叫ぶと、千草がやんわりと微笑みを浮べて言った。
「大丈夫やで。ウチ等、皆さんと一緒に食べる事になったさかい。ほな、行こか」
「へ……?」
 一瞬、千草が何を言ったのかが理解出来なかった。千草に促されるがままに、少女達と共に歩き、何時の間にか戸惑った顔をしているネギと他の席と若干離れた場所で相席していた。
「ね、姉ちゃん?」
 小太郎が戸惑い気に、新田と談笑をしている千草に話し掛けようとすると、千草は耳元で囁いた。
「頑張りや」
「は!?」
 千草はそのまま、空いた明日菜と木乃香、刹那の座っている四人席のネギの座るべき椅子に座った。
「お久しぶりどすな、御三方」
「天ヶ崎……千草」
 刹那は、仮契約のカードを取り出し、殺気を周囲には洩らさずに、千草にのみ向けて放った。
「かなんわれてしもたんえな。その節は、ほんまに申し訳おまへなんだ。お詫びのしよけもおまへん。ほんまに、申し訳おまへん」
 刹那は眉を顰め、明日菜は千草の京都弁の意味が分からないのと、年上の女性に頭を下げられた状態に当惑していたが、木乃香は真っ直ぐに謝罪を受け止めた。
「天ヶ崎千草はん。うちは、三人の親友をあんはん傷つけた事は許せまへん。どすけど、感謝もしていますわ。うちは、あんさんと出会う事で、わての進むべき道が見えたんどすさかい。その謝罪、受け入れまひょ」
 木乃香は、東京に出てかなり薄まった普段の京都弁の混じった言葉では無く、完全に京都弁の自身の言葉で謝罪を受け入れた。
「しかし、お嬢様……」
 刹那が言葉を発しようとすると、木乃香は首を振った。そして、やんごとなき存在のみの放てる気を纏い、逆らう事の出来ない天上から響くかの様な響きの声で口を開いた。
「天ヶ崎千草はん。あんさんは、よう二度とわいらを傷つけへんと誓いまっしゃろか?」
 木乃香が真っ直ぐに千草の瞳を見て尋ねると、千草は頷いた。腰を曲げ、深く。
「誓います」
「その言葉、信じまんねん。決して、齟齬にせいでおくれやす」
「おおきにどした。近衛木乃香お嬢様」
 再び、千草が頭を下げると、木乃香は笑みを浮べた。明日菜を含め、周囲に居た少女達や小太郎とネギ、新田やタカミチまでもが唖然とした表情を浮べていた。
「木乃香……、極道みたい……」
 明日菜がボソリと呟くと、木乃香はビシッと石化した。
「あ・す・なぁ?」
 ギギギギと音を立てながら木乃香が顔を向けると、明日菜は震えながら刹那に縋り慰められた。内心頷いてしまった面々も慌てて顔を背けた。ほぼ全員だった……。
 何の話かは気になったが、聞くのがかなり怖いから聞きたくないという結論に達したのだ。
「にしても、あの後どうしてたの?」
 しばらくして立ち直った明日菜が尋ねた。
「えっとやね――」
 千草は口を開いた。

「ごめんね……」
「あん?」
 クラスメイト達から少し離れた場所に座ったネギと小太郎は、お互いに気まずそうにしていたが、唐突にネギが頭を下げた。小太郎が怪訝な顔をして眉を顰めると、ネギは深く息を吸った。
「何だか、頭の中が滅茶苦茶で、どうしたらいいか分からなくて……。もし会ったら、お礼を言うつもりだったのに……あんな態度とって、その……ごめんなさい」
 ネギが再び頭を下げると、小太郎は眼を見開いた。
「や、やめや! そ、その、ワイも悪かった。ほ、ほんまは忘れたなんて、嘘や。その、聞いてくれや」
 立ち上がって、テーブルに手をつけながら乗り出す様に、小太郎はネギに顔を向けた。周囲の女子達が「おお――ッ!!」と歓声を上げているが無視した。
「あの後な……、実は、そのまま京都に帰って来てたんや。千草の姉ちゃんと住んどる、協会の寮にな。したらその……千草の姉ちゃんが帰って来てたんや」

「ウチなぁ、あの後色々と駆けずり回ったんよ。ウチ、小太郎の保護者なんよ。ウチが勝手して、勝手に死ぬだけで済むなら簡単やったんねんけど」
 千草は、麻帆良学園を脱出した後に、真っ直ぐに関西呪術協会に戻った。長に謁見すると、頭の冷えた千草は自分がこの先どうなるかを想像した。死刑をされようが、魔術の実験の披見体にされようが、自分の事ならどうでも良かった。
 問題は、小太郎の存在だった。問題をややこしくしたのは小太郎自身だった。友人や世話になった者達に頼み込み、小太郎の事を頼んで回ると、驚いた事に誰も彼もが了承してくれた。
 千草は、子供の頃から関西呪術協会に所属していて、旧友達は殆どの面々が同じ様に大戦で両親や兄弟を失った人間ばかりであり、近衛近右衛門に対しての怒りは在ったのだ。たまたま、今回は千草だったが、自分達だったかもしれないと、千草の旧友の何人かが呟いた。
 西洋魔法使いへの不満というよりも、原因たる惨劇の引き金を引いた近衛近右衛門に対しての不満の方が大きく、彼らは千草への処遇の恩赦を申し立てたのだ。詠春はその嘆願を聞き入れた。
 否、聞き入れざる得なかった。関西呪術協会の長として、配下の者達の不満は無視出来ないレベルだったのだ。組織は、上だけでは成り立たない。下の者が不満を爆発させ四散すれば、関西呪術協会という長き歴史を持つ魔術結社といえど、一瞬で没落する。
 京都を任せられ、京都周辺のみを守護していた時代から、関東魔術協会という存在を手にした近右衛門によって、日本全国を治めるまでに至った組織である。
 あるが故に、没落させるわけにはいかないのだ。日本の魔術結社の殆どを配下に置いてしまった時点で、関西呪術協会は最強を誇り続けなければならないのだ。さもなければ、関西呪術協会が崩壊した後、燻っていた魔術結社は一斉に蜂起し、自分達の組織を頂点に据えようと、戦が起こる。間違いなく一般人も巻き込まれ、日本は魔界と化すだろう。
 木乃香を襲った罪を軽くしなければならない、それは、木乃香の命を軽んじかねない危険性も存在した。かと言って、このまま千草を罰した場合、恐らく関西呪術協会は崩壊するだろう。
 詠春は、苦渋の選択の末に、組織の未来を選んだのだ。そこに、小太郎の独断行動が起きた。千草は、小太郎には何も報せないつもりで、全てが終わるまで小太郎に会わなかった。それが問題だった。小太郎は千草の消息を探りに関西呪術協会を飛び出してしまった。
 そして……、事もあろうに、“西洋魔法使い(ネギ)と共に戦ってしまった”のだ。事態は、まさしく混沌(カオス)だった。
 西洋魔法使いへの恨みを晴らした千草の保護児童である小太郎が、麻帆良に不法侵入して麻帆良の魔法使いと共に戦ったのだ。千草の気持ちを思って、恩赦を申し立ててくれた者達も戸惑い、恩赦の成立が一時的に宙に浮いたのだ。
 ここで、更に近衛詠春に何者かの干渉があった。金髪の少年がやって来たのは、数週間前の事だった。詠春は少年と部屋に篭ると、千草を呼び出した。
「――そしたら、いきなり恩赦を受け付けてもらえる様になったんよ。まあ、ちょっと条件付きやけど。小太郎も含めてな」
 千草は肩を竦めながら、大まかに事実を若干オブラートに包んで語った。特に、木乃香の目の前で先代の批判など口に出来ず、その部分を厳重に覆った。
「その金髪ってさ、なんか気にならない?」
 明日菜は運ばれて来た湯豆腐鍋から自分の分をよそいながら言った。
「確かに。長がそう簡単に、意見を聞き入れるというのは……妙ですね」
 刹那も湯豆腐をよそい、木乃香の分もよそいながら呟いた。
「そいつは、多分金髪ッスね」
「あ、カモ。って、何、人の湯豆腐食べてるのよ!!」
 突然、自分の直ぐ近くで聞こえたカモの声に顔を向けると、カモは当然の様にお箸を持って、明日菜の湯豆腐を突っついていた。
「大丈夫ッスよ~、ちゃんと石鹸で手洗って、地面触らない様にしながら来やしたから」
 そう言うと、カモは洗面所を指差した。
「器用な……、というか、そういう問題じゃな~~~~~い!!」
「いいから、ちょっと黙っていて下さい。それより、その金髪の少年について、何かご存知なのですか?」
 刹那は事の重要性に、明日菜を押し退けてカモに尋ねた。椅子ごと引っくり返された明日菜は木乃香に慰められた。
「私、最近こんなんばっか~~」
「ほらほら、ウチの湯豆腐あげるさかい、ほれ、あ~~ん」
「あ~~ん」
「何やってるんですか、明日菜さん!!」
 木乃香が明日菜に湯豆腐を食べさせてあげようとすると、刹那が何時の間にか抜刀した七首十六串呂・イを頬にペタペタと叩きつけた。
「いや……刹那さん。これはシャレにならねぇって言いますか」
「黙れ。お嬢様にあ~んして貰うなんぞ、例え相手が誰であろうと許さん」
 ギランッと瞳を光らせながら、殺気を漲らせた刹那はドスの効いた声を発した。あまりにも恐ろしく、クラスの面々は顔を背け、アデアットのコスチュームが見られなかったのが不幸中の幸いだった――。

「おい、向こうの姉ちゃん。あれ、やばくないんか?」
 湯豆腐に箸をつけながら、殺気を漲らせる刹那に呆れた視線を送る小太郎の言葉に、ネギは苦笑いを浮べた。
「一応、魔力カットしてるんだけど……、刹那さんの魔力で持続しちゃってる」
 ネギはガックリと肩を落とした。
「大変やな。にしても、お前の方はどうしてたんや?」
「別に……」
 ネギはプイッと顔を背けた。
「って、おい! 機嫌未だ治ってへんのかい!?」
「機嫌悪いんじゃないもん」
「悪いやろ!? ってか、人の湯豆腐さりげに持ってくな!」
 ネギの小皿には、小太郎の分の湯豆腐まで入っていた。
「ん」
「あん?」
 ネギは、小太郎の分の湯豆腐を器用にお箸で抓むと、小太郎に向けた。
「なんや?」
「あ~ん」
「へ!?」
 周囲がどよめいた。小太郎は思考回路が停止した。
 何時の間にか、口の中に柔らかくて美味しい豆腐の味が充満していた。
「って、あれ!? ワイ、今何した!?」
 自分のした事が分からなかった。混乱している自分を、ネギはキョトンとした顔をして見ている。
「キョトンとするな! 何してん自分!?」
「え? いや、お詫びにって。木乃香さんが教えてくれたの。日本では、お詫びの時にあ~んってするんだって。さっき、木乃香さんが明日菜さんにしてるの見て思い出したの」
 得意気に言うネギに、小太郎は頭をテーブルにぶつけた。
「何やソレ!? てか、間違っとるで!! ソレはお詫びやない、ご褒美や!! って、ワイ何言い出してんねん!?」

「おお、アレこそノリつっこみ。成長したなぁ、小太郎」
「ノリつっこみ違うからアレ……」
 嘘っぽい涙をハンカチで拭いながら寝惚けた事を言う千草に呆れながら、明日菜は自分の湯豆腐を我が物顔で喰っている馬鹿野郎(カモ)をポカンと殴った。
「痛っ!? 何するんスか、姉さん!!」
「何するんスか、姉さん!! じゃないわよ! 人の湯豆腐勝手にパクパクと~~!! 大体、何でここに居るのよ!? 御主人様は向こう!」
「アンタ鬼ッスか!?」
 既に異相空間の様な場所を指差す明日菜に、カモは血を吐きかねない勢いで怒鳴った。
「うっ……、確かに、あそこに介入はしたくない。てか、小太郎っての、ちょっとちっこいけど、ネギとはお似合いな感じよね」
「ああ、二度と会わないだろうと思っていたのに……」
 カモはガックリと項垂れた。
「ええやないの~。若い二人が甘酸っぱい青春を送る。これ、自然の摂理なり。まぁ、ちょっと禁断な香りもするんやけどなぁ」
「お前は知ってて息子にそんな残酷な運命背負わせんのか!?」
 カモは絶叫した。慌てて明日菜がカモを被さるように隠す。
 周りで、何人かの少女がカモの声に反応してしまった。
「アンタ、あほ!? それとも、馬鹿!?」
「うう……、面目無ぇ」
 自分の存在が異端であると忘れた行動を取るカモに、明日菜が小声で自分の腕の中に隠したカモに怒鳴ると、カモは項垂れていた。
「そ、そこまで落ち込まなくても……」
「せやせや、恋愛に年の差も国の違いも宗派の違いも、性別も関係あらへんがな」
 オールヒットは不味いだろうが……。ホームランじゃねえか、馬鹿野郎。言葉無き突っ込みをしながら、真っ白になってカモは倒れ伏した。
「え? ちょっと、カモ!? ヤバッ!? ほ、ほうら、私の湯豆腐上げるよ~」
「ちょっと、いいかい?」
 沈んでしまったカモに、自分の湯豆腐を抓んで上げようとする明日菜の横に、タカミチが椅子を持ってやってきた。
「た、たた……タカ、ミチ? 先生!?」
 明日菜は突然、真横に現れた“どんな舞台・映画・ドラマ(海外含む)に出ている俳優よりも渋くかっこいい(明日菜視点)”タカミチの登場に、カモの事を忘れて、カモの体を押し潰し、蕩け切った表情でフラフラ揺れ始めた。
「ん?」
 タカミチは、明日菜のおかしな様子に冷や汗を流した。
「フィルター掛かっとるなぁ、明日菜アイ」
 木乃香は明日菜の姿を微笑ましげに見守った。
「何ですか明日菜アイって……。しかし、本当に、どうしたらアソコまで年の差がある人相手にああなれるのでしょうか。確かに、高畑先生は素敵だと思いますが……」
 刹那は、心底不思議そうに首を傾げた。
「フッ、それはお前が木乃香の姉さんに対して感じている思いと一緒さ」
 ギュギュギュっと明日菜の腕と胸の狭間からカモが抜け出しながら言った。
「な、何の事を!? って……、生きてたんですね、カモさん」
 カモの言葉に慌てた刹那は、ヨレヨレのカモに水を飲ませた。
「何とかな……」
 水を飲んで落ち着いたカモは溜息を吐いた。
「さすがに、還るかと思ったぜ……」
「は?」
「いや、何でもねぇ。いいか? 人ってのは、禁忌が好きなのさ。やっちゃいけないって事は進んでやりたがる。恋愛なんざ、まさにソレが色濃く出るもんさ」
「何を知った顔で語ってるんだ、四足小動物が……」
 人間の恋愛について語るオコジョに刹那は苦虫を噛み潰した表情になった。
「人生経験は豊富なんだぜ?」
「オコジョ生経験だろ」
「……酷いッスよ、刹那の姉さん」
 刹那の無情な言葉に、カモは落ち込んでしまった。
「それよりも、さっきの話」
「金髪の事か? アイツは姉貴の学友だ。ま、同時に凄腕の陰陽師でもあるんだ」
「ネギさんの学友と言うと、かなり若いのでは無いのですか?」
「見た目はな、それよりも今後の事について、今の内に話しちまおう」
 刹那が訝しげに首を捻るのを尻目にカモは話を切り替えた。
「問題は、敵が誰か……って事だな。関西呪術協会の者なのか、それとも、別の何者か。状況が状況だ。どんなに低い可能性も吟味して、在り得ない、そういう考えは捨てるべきだろうな」
「まさかッ!」
 刹那は咄嗟に千草に視線を向けた。
「ちゃうちゃう。ウチと小太郎は、今日が謹慎明けやねん」
「は?」
 千草が手を振りながら否定すると、刹那はキョトンとした。
「どうやら本当らしい。いや、済みませんね、疑ってしまって」
 タカミチは、この件で千草に話し掛けたらしく、素直に謝罪し頭を下げた。
「ええんどすぅ。過去の事もありますし。疑われても仕方おまへん。せやけどなぁ、ウチも小太郎もその件に関しては分からへんのどす。これから、本山に挨拶に行く予定どすから、その時に様子を見て連絡しますよって」
 千草がやんわりと笑みを浮べながら言うと、カモは声を張り上げた。今度は何時の間にか結界を張っている。
「待った。お前はともかく、小太郎があんな真似に操られてでもなけりゃ、加担する筈がない。そのくらいは、一緒に戦った仲だから分かる。黙って調査魔法を使わせてもらったが、洗脳の形跡は無かった。だから、小太郎の保護者であるお前も信じる。だから、協力してくれ!」
 カモは、小太郎を嫌いな訳ではない。むしろ、打算抜きで他人の為に戦える人間は稀であり、小太郎を大いに評価していた。その戦闘の才能、稀有な能力。ネギと怪しくさえなければ、むしろ仲良くなりたいとさえ思う程だ。
「協力……どすか?」
「ああ」
 カモはニヤリと笑った。

「おいしいね、湯豆腐」
「せ、せやな! 美味いで! さすが老舗や!」
 ニコニコしながらパクパク食べていくネギを前に、小太郎はガチガチに緊張していた。
 小太郎はソロッと、湯豆腐が運ばれるネギの口元に目を向けた。
 ネギが冷静になってくると、小太郎の頭も冷えてきた。あの夜の事を思い出し、さっきのあ~んを思い出し、ネギの顔がまともに見れなくなっていた。ネギの小皿が空になるのを見た。
「えっと、小皿貸せや。取ったる」
「え? うん、ありがとう」
 ネギから小皿を受け取り、鍋に入った湯豆腐をお玉で小皿に移す。
「量、多いね」
 ネギが鍋の中の湯豆腐を見ながら言った。
「そ、そっか?」
「そうだよ。これって二人分なのかな? 他のテーブルとあまり変わらない気がするけど」
「あれ? ワイの座っとった場所のをそのまんま運んで来たんとちゃうんかな?」
「多いよ。食べきれるかな?」
「任せろや。こんくらい、ヘッチャラやで」
 そこで、店員のお姉さんが田楽を運んで来た。
「お、田楽や! って、四つあるな。こりゃ、ほんまに四人前みたいやで」
「でん……がく?」
「せや、田楽や。こら、美味いで~。炙って塗って、炙って外はカリカリ中身は甘いんやで~」
 小太郎が絶賛すると、ネギは思いっきりパクッと田楽を口に入れた。ネギの瞳がこれ以上ない程輝いた。
「美味しい! 凄く美味しいよ!」
 ネギと幸せそうな顔に、小太郎は顔を真っ赤にしながら誤魔化す様に自分も田楽を手に取った。
「せやろ~。味噌がええ仕事してくれますねんって」
 一口齧ると、カリカリな表面と中の味噌の甘味に頬が緩む。
「甘くていい臭い!」
「眼で楽しんで、鼻で楽しんで、口の中で楽しむ三段固め! まさに無敵のコンボやで!」
 腕を交差させたガッツポーズを取りながら叫んだ。
「な、なぁ、お前ってその……か、彼氏とかって」
「え、何?」
 カモが何かを叫んでいるのに注意が逸れ、小太郎の言葉はネギに届いていなかった。
「いや……、何でもあらへん」
 何言い出そうとしてるんやワイは~~!! と悶絶しながら小太郎は水をがぶ飲みした。その様子を、あやかと和美、さよ、裕奈の四人がジッと見守っていた。
「むむ、あれは少年の方の片思いって線が強そうだね」
 裕奈は両手を双眼鏡に見立てて構えながら言った。
「あら、そうですの? ネギさんも、何だか何時もとは違う様子ですし……」
「いやいや委員長。あれは恋する乙女の目じゃないぜ~。あ~あ、少年、慌ててるねぇ」
 和美があやかの言葉に首を振りながら様子を観察して言った。
「でもいいですねぇ。ああいう甘酸っぱい感じ! 成仏する前に一回くらい経験したいですねぇ」
「いやいや、そういうシャレにならない事言わないでさっちゃん……」
 ポテポテとテーブルの上を歩きながら田楽を口に運んで言うさよに、和美はゲンナリしながら懇願した。
「と言いますか、この人形はどうなっているんですの? さよさんが憑依してるから動く……というのは、百歩譲っていいとして、何故、食事が出来るのですか?」
 あやかはさよ人形に憑依したままのさよの両脇に手を差し入れて持ち上げた。
「うひゃひゃい!? 止めて下さい~~」
「委員長! さっちゃん虐めないでよ! ほぅら、怖くないよ~」
「かじゅみしゃ~~ん!」
 助け出されたさよが和美に抱きつく。
「い、虐めてるつもりは……。しかし、申し訳ありませんわ。無礼が過ぎました」
 ギロッとあやかを睨む和美に、あやかは頭を下げた。
「ほら、さよさん。私の田楽を差し上げます。これで、許しては頂けませんか?」
「え、いいんですか? わ~い!」
「時々、さよちゃんが私達の数十倍年上だって忘れそうになるわ~」
 実際は六十歳越えているんだよな~、と思いながらも、裕奈はネギと小太郎を見た。
「でも、なんかむかつくな~」
「何がですの?」
「ポッと出て来た奴が、ネギっちと仲良くしてんの、なんかヤダ。むかつく、ぶっ飛ばしたい」
「裕奈?」
 和美は怪訝な顔をしながら物騒な事を言う裕奈に声を掛けた。
「何あれ。私の友達なのに」
「そう言えば、部活動のお友達が皆彼氏を作っちゃったんだっけ」
「ブッ!!」
 和美が思い出した様に言うと、裕奈は水を噴出した。
「なるほど。お友達が次々と男に取られちゃって寂しいんだよ~! っていう訳ですわね」
 苦笑いを浮べながら言うあやかに、裕奈はプイッと顔を背けた。
「ええい、私は男が嫌いじゃ~~!!」
「嫌な意味に捉えられかねないから、そういう事を叫ぶな、ファザコン!!」
 和美が怒鳴ると、裕奈が泣き叫びながらネギと小太郎に特攻を掛けようとするのを、あやかと和美が全力で止めた。
「そういうのは無し~~!」
 和美が裕奈の腰に抱きついた。
「落ち着いてください裕奈さん!」
 あやかが裕奈を羽交い絞めにする。
「だって~、男に取られるくらいなら~」
「変な方向に目覚めるな!」
「そっちの道は修羅道ですわ、裕奈さん!」
「子供好き過ぎて3K(綺麗・金持ち・カッコイイ)プラス優しいの最強男振りまくってる委員長には言われたくない~~!」
「それとこれとは関係ありません」
「静粛に!」
 騒いでいると、新田の怒鳴り声が響いた。

「ええ、そろそろ移動の時間が迫っている。大体、全員食べ終わっているようだし、後十分で出るから用意をしなさい。これより、午後の予定を話します。ええ、この後は――」
 新田の声を聞きながら、小太郎は溜息を吐きそうになった。
「後十分か……」
 呟いたのはネギだった。
「あん?」
 小太郎が顔を上げると、ネギが小太郎を真っ直ぐに見つめていた。
「折角会えたのに、もう少しお話したかったなって思って……」
 小太郎は嬉しさに鼻の穴が僅かに膨らんでしまい顔を背けた。
「ま、未だ京都居るんやろ?」
 小太郎が尋ねると、ネギは頷いた。
「うん。四泊五日の旅行だからね。今日この後、両足院で座禅体験するの」
「座禅体験って、物好きやな……」
 予約をしてお金を払ってまで座禅をする意味が分からないと小太郎は呆れた様な顔をした。
「うぅん、日本文化は面白いのが多いよね。キュウリに蜂蜜をつけてメロン味って言ったり」
「それは文化やない……。それより、お前、携帯持ってるんか?」
「持ってないよ」
「さ、さよか……」
 小太郎はガックリしてしまった。ネギは、荷物を纏めて「ごめん」と一言入れると、席を立った。どこに行くのかと見届けようとすると、ネギが嫌な顔をするので慌てて視線を外すと、視界の隅でネギがトイレに入るのが見えた。
 その後、何人かの少女達がトイレに消えては出て、しばらくしてからネギが戻って来た。
「それじゃあ、そろそろ時間だから」
 ネギが少し淋しそうに言うと、小太郎は恐る恐る口を開いた。
「ああ……。その、ま、またな?」
「うん。またね、小太郎」
 小太郎の言葉に、ネギは笑顔で返した。
「お、おう!」
 若干、舞い上がりそうになるのを必死に抑え、小太郎は明日菜達に混じりながら手を振るのに振り替えしながらボゥっとしていた。
「あれまぁ、顔真っ赤やねぇ」
「ッ!?」
 ニョホホと笑みを浮べながら背後に立つ千草に、小太郎はビクッとして振り向いた。
「そんな、小太郎にハッピーニュースや!」
「なんや?」
「未だ、ネギちゃんとお別れやないって事や。一旦、謹慎中の仮住まいに戻るで」
「は? 本山に挨拶は?」
「その前に、やる事が出来たんや」
「やる事?」
 小太郎が尋ねるが、千草はニッコリと笑みを浮べるだけだった――。

「――以上です」
 現在、ネギ、木乃香、明日菜、刹那、真名、美空、カモの六人と一匹は、彼女達の宿泊する“ホテル嵐山”のネギと明日菜、木乃香、刹那の四人部屋に集まっていた。畳の座敷の上でお茶を飲み、備え付けのお菓子の八橋を食べながら、カモが口を開いた。
「刹那の姉さんの式からの情報によれば、総本山は何者かに落とされたという可能性が極めて高いッス」
 カモの言葉に全員に緊張が走った。
「式が消える瞬間に微かにですが詠唱が聞こえました。確か『ヴィシュ・タル リ・シュタル ヴァンゲイト』と。恐らく、西洋魔法使いでしょう」
「間違いないな。そいつは恐らく始動キーだ。それと、天ヶ崎千草からちょいっと気になる情報が入った」
「気になる情報?」
 明日菜が尋ねた。
「どうも若い神鳴流剣士が街中を西洋人と一緒に歩いている姿を目撃したらしい」
「西洋魔法使いと神鳴流剣士が手を組んでいるというのですか!?」
 刹那は愕然としながら呟いた。
「その可能性が高い。その剣士の名前は月詠というらしい。実力は若手の中でも抜きん出ているらしいが、性格に難があると問題視されているらしい」
 刹那は呆然としていた。在り得ない。それが気持ちだ。神鳴流は、関西呪術協会の創設当初から存在した、陰陽寮の陰陽師と侍が共に手を携えて生み出した至高の剣技であり、最も、日本という国に誇りを持っている流派だ。
 西洋の“叩き切る”では、生み出されない。日本の“斬り裂く”によって、生まれた技。西洋魔術の“特化型魔術様式”では、生み出されない。東洋魔術の“応用型魔術様式”によって、生み出された術。日本独自の“技”と“術”が一つとなった“技術”。
 日本でしか生み出される事の無い、完全無欠最強無敵の“京都神鳴流”。
 ただ、主への忠誠心から近衛木乃香と共に西洋魔法使いの巣窟とも呼べる麻帆良学園で、西洋魔法使いと共に手を取り合っている刹那の言える事では無いのかもしれないが、日本に誇りを持つ神鳴流の剣士が、西洋魔法使いと手を組んで、関西呪術協会の長の娘である近衛木乃香を襲撃するなど尋常ではない。関西呪術協会の者が、関西呪術協会の者達だけで組んで襲い掛かるなら、まだ分かるが、西洋魔法使いと手を組むなど本末転倒だ。
「組織としては、西洋魔法使いと手を組む事は、在り得ない。なら、考え方を変えやしょう。個人として考えた場合なら、本当に在り得ない事か?」
「そういう事ですか! つまり、月詠という者は――」
「裏切ったんだね、仲間を」
 真名が言うと、刹那は激怒した。同じ神鳴流を担う者が、木乃香を襲う者と手を組む等、許しておける所業ではない。
「とりあえず、話を戻すよ? 刹那の式から得られた情報から考えるに、西洋魔法使いが個人、もしくは複数の集団で、関西呪術協会を占拠したと。だとすれば、関西呪術協会の者は洗脳されていると考えるのが自然だね」
 真名が言うと、刹那とカモ、ネギと木乃香も深刻そうに頷いた。困惑しているのは、明日菜と美空だった。
「なんで? もしかしたら、身動き取れなくなってるとかじゃ――」
 明日菜が首を傾げながら言うと、木乃香が首を振った。
「さっき、せっちゃんが見張りが立っていた言うてたやん」
「確かに、見張りは敵のメンバーの擬態……という可能性もありますが、バスでの添乗員さんへの洗脳の件と照らした場合、敵に精神作用系の魔法を使える存在が居るのは確かです。なら、態々手札を切ってまで、そんな事をする必要は無い。だって、洗脳をした人間を使えばいいんですから」
 刹那の言葉に、明日菜は顔を青褪めさせた。
「まぁ、珍しい事じゃない。麻帆良だってやってる事なんだよ。洗脳や記憶の消去は」
「え?」
 真名が事も無げにぼやくと、明日菜は目を剥いた。
「真名!」
 刹那が怒鳴ると、真名はフッと微笑を洩らした。
「余計な事を言うなって? そうでもないだろ。神楽坂明日菜はもう、コッチの側の人間だ。こういう事も教えて置いた方がいい」
 真名と刹那の会話に、明日菜は真名の言葉が真実なのだと悟った。明日菜は、自分達がどれだけ恐ろしい事を言っているのか分かっているのかと、疑問に思った。記憶を操作する。それがどれ程恐ろしい事か、何となく分かった。不思議な程に恐怖を感じる。どうして、これほど心の底から恐怖が沸き上がるのか不思議だった。
「そんな事……」
「魔法使いは、自分達の神秘を隠匿する。別におかしな話じゃないんス」
 ショックを受けている明日菜に、カモは呻く様に言った。
「カモ……?」
 明日菜は戸惑い気にカモを見た。
「隠すには理由があるんス」
「人の心を弄る理由って何よ」
 明日菜の口調には、とげとげしい調子が隠し切れなかった。
「明日菜さん。異能を知る事は、即ち、異能を惹き寄せる事でもあるんです」
 ネギが気まずそうに言った。
「あ……」
 ネギに言われ、明日菜はこれまでの戦いを思い出した。今迄の何も知らなかった頃の生活が、魔を知った瞬間から激変した。僅かな間に、何度命を懸けた戦いが起きただろう。
「一般人が、我々の存在を知った場合、特例を除いて記憶の消去を行う。そうしなければ、人々の平穏を護るのは難しい。理由は他にもあるが、それが一番大きいッスね」
 カモの言葉に、明日菜は押し黙った。
「とにかくだ! 関西呪術協会が落ちた。こっからは、それを前提に作戦を練る。最初のバスガイドによる警告。あれは、間違い無く俺達の余裕を失くす策だ。多分、今夜も動きがあるが、本格的に動くとすれば、三日目だ」
 カモは話を変える為に、あえて強い口調で断言した。真名と刹那が頷いた。木乃香はハッとなり、俯いてしまい、ネギと明日菜が寄り添うように肩を抱いた。
「え? 何で、そんな断言出来ちゃうんスか?」
 美空だけが驚いて眼を見開くと、ネギが顔を向けた。
「あの警告。わざわざ、警告を促して、私達に警戒心を抱かせる理由は、考えられるのは、コチラを疲弊させるという策です。それ以外に、あんな真似をする必要は無い。不意打ちをすればいい話なのですから」
 不意打ちは、確実に先手を取れ、尚且つ万全な状態で襲撃する事が出来る有効な戦術だ。それを、態々“警告”という形で台無しにした以上、それ意外に考えられる策は無い。僅かに、先に不意打ちをして、ソレを警告にすれば良かったのではないか? そう、ネギは言ってから考えた――。
 ネギの説明に、刹那が続く。
「そして、警戒心を抱かせ疲弊させる策だとすれば、夜中も寝かせないと見るのが正しいでしょうね。三日目は、自由行動日です。私達はバラけざる得ません。その時を狙うのは必然というもの」
 警戒させて疲弊させるならば、疲弊した頃合を見計らい襲い掛かる。当たり前だが、その為には、一瞬たりとも休息を与えては意味がなくなる。
「恐らく、使うのは関西呪術協会の者だろうな。かと言って、その策だと断定し、夜に見張りだけを交代でして、他は眠る……というのも拙いだろうな」
 真名の言葉に、カモが首を振った。
「こっちにはタカミチが居る。例え敵が来ても、全員が起きて、戦闘準備する為の時間は稼げる筈だ。出来る限り、体力を温存したい、姉貴達は休んでくだせぇ」
「ちょっと待って! 高畑先生にそんな危険な事……」
 明日菜が不安げな声を発する。気持ちを察したネギが首を振った。
「タカミチは、プロです。こういう任務もある筈ですから、そこまで負担にはならない筈です」
 明日菜はわずかに逡巡しながらも頷いた。
「そんじゃ、今夜は各々方、疲れを取って下せぇ」
 そう言って、カモは解散を促した。美空は肩を回しながら疲れた様に部屋を出て、真名は武器の手入れをすると言って部屋に戻っていった。
 刹那も考え事があると、部屋を出て行ってしまい、残されたネギと明日菜、木乃香の三人は、お風呂の準備をすると、温泉に向かっていた。
「はぁ、折角の修学旅行が台無しよね……」
 明日菜がションボリしながら言うと、木乃香が俯いてしまった。
「あ……、ごめん」
 明日菜は申し訳無さそうに謝った。木乃香は、実家や父親が襲われて、無事かどうかも分からないのだ。無事だとしても、洗脳されている。最早、修学旅行どころではないのだろう。
 ネギの方も気分が落ち込んでいた。お昼に小太郎と再会し、和美や裕奈達に小太郎の事を聞かれ、困りながらも、少し浮かれていたのは確かだった。
 浮かれてなんて居られる状況ではないのに、と落ち込んでいると、明日菜が突然「そうだっ!」と声を張り上げた。
「どうしたんですか!?」
 驚いて顔を上げると、何時の間にか明日菜に手を取られ、真名の部屋と美空の部屋を叩いて二人を呼ぶと、明日菜は自分達の部屋に戻って来た。
「ネギ、カードで刹那さんを呼んで」
 明日菜の突然の指示に戸惑いながら、ネギはカードを使って念話を刹那に送った。刹那は何事かと慌てた様子だったが、直ぐに部屋に戻って来た。どうやら、屋上に居たらしい。
「それで、どうしたんだい?」
 真名が武器の手入れ中に呼び出され、幾分か不機嫌そうにしながら尋ねると、明日菜は毅然とした表情で言った。
「明日、関西呪術協会の総本山を攻めましょう」
 空気が固まった。真名ですらも眼を見張り、信じられない者を見る眼で明日菜を見た。自分が何を言ったのか理解出来ているのか? そう思いながらも、誰も口に出せなかった。
 周りの反応が芳しくないと感じたのか、明日菜は慌てて言葉を続けた。
「だ、だってさ! 相手の本拠地が分かってて、疲弊させる作戦だってのも分かってるんでしょ? なら、疲弊する前に、態々襲撃されるの待ってるなんて意味分からないじゃん!」
 明日菜の言葉は、恐ろしく的を射ていた。むしろ、どうして自分達は敵の襲撃を態々待とうとしていたんだろうかと不思議に思った程だ。
「確かに……。だが、クラスの皆はどうするんだい?」
「それは……」
 そこまでは考えていなかったらしい。ただ、単純に待ってるより攻めた方がいいんじゃないかと思っただけなのだ。明日菜が困った顔をしていると小さな舌を打つ音が聞こえた。
「?」
 明日菜がキョトンとした顔をしていると、真名と刹那が口を開いた。
「確かに、襲撃を態々待つのは下策だね。むしろ、明日は皆が固まって動く。なら、守りは分散しなくていい。動くなら、明日か」
「一番の実力者である高畑先生に残ってもらいましょう」
「タカミチだけで大丈夫かな?」
 ネギが不安そうな顔で呟いた。実力ではこの中の誰よりも上なのは確かだ。だが、一人では限界がある。
「楓や古菲さんに力を借りましょう」
 刹那が言った。
「な!?」
 ネギや、明日菜、美空も目を見開いた。
「ちょっと待って! くーふぇ達まで魔法関係者なの!?」
 明日菜が堪らず叫ぶと、刹那は首を振った。
「違います。ですが、古菲さんは一般人の中では間違いなく最強。並みの魔術師や剣士では、到底太刀打ちできない力を持っています。楓は甲賀の中忍。守りを任せる人間は多い方がいい」
「ならば、超にも協力を要請しよう。あいつなら、最適な防衛手段を講じてくれる筈だ。都合のいい事に、アイツは楓や古菲とは違ってコチラの側だ」
「そうなの!?」
 真名の何気なく口にした言葉に、明日菜は驚愕した。
 ネギは、迷っていた。関係者だというなら、超にならば救援要請をする事も仕方ない。だが、関係者で無い楓や古菲にコチラの事を話すのには抵抗があった。だが、同時に悟ってもいた。そんな迷いを持っている場合では無く、取れるならあらゆる手段を講じなければならないと。
「どうしよう、カモ君」
 ネギは助けを求める様に、カモに声を掛けた。ネギは助けを求める様に、カモに声を掛けると、カモはブツブツと何かを喋っていた。
「カモ君……?」
 ネギが恐る恐る声を掛けると、カモは目を見開き、驚いた様に姿勢を正した。
「ど、どうしたんスか? 姉貴」
「え? あのさ、楓さんや古菲さん。それに、超さんに強力を頼もうと思っているんだけど」
 ネギが答えると、カモは苦虫を噛んだ表情になった。しばらく、カモは考え込むように顔を俯かせた。
「それが、最善なら」
 カモが顔を上げて、それだけを言った。
「なら、とりあえず三人に強力を要請しよう。それと、高畑先生には襲撃する方に入ってもらおう」
 真名の言葉に刹那が首を傾げた。
「高畑先生には残ってもらって皆を護ってもらう方がいいんじゃないか?」
「いや、今回の作戦の肝は襲撃をどれだけ迅速に成功させるかに掛かっている。幾ら防衛に戦力を傾けても、時間が経つにつれて疲弊してしまう。ならば、いっその事最強戦力である高畑先生には襲撃に向かってもらった方がいい。その為にも高畑先生には体力を温存してもらおう。今夜の見張りは私がする」
「真名さん!?」
 ネギが眼を見張ると、真名はフッと笑みを浮べた。
「明日、私は防衛にまわるよ。なに、これでも戦場で戦った経験もある。みんなを必ず守ってみせるさ」
 真名の言葉に、ネギは真っ直ぐに真名を見た。
「お願い……出来ますか?」
「出来ますか? じゃないだろう、こういう時は、お願いします、だ」
 クールな笑みを浮かべ、真名は武器を取ってくると部屋を出た。
「頼りになるわね、龍宮さん」
「真名は、経験、実力共に私よりも上です。今晩の護りは彼女だけでも大丈夫でしょう」
「刹那さんよりも!?」
 明日菜は刹那の言葉に目を丸くした。刹那の実力を知っているからこそ、それ以上の実力者という事に安心感を覚えた。
「それなら、私達は明日に備えなきゃね。まずは、楓ちゃんやくーふぇ、超さんに協力を要請しに行きましょう!」
 明日菜が宣言すると、ネギや木乃香、刹那、美空は頷いた。話すなら同じタイミングがいいだろうと、まずは先にお風呂に入る事になった。

 お風呂場に着くと、都合良く三人が他のルームメイトと共に入っていた。刹那が三人にそれぞれ密かに声を掛けて、風呂上りに部屋に来る様に頼むと、古菲は首を傾げていたが、楓は僅かに目を開き、超は僅かに眼を細めて頷いた。
 二人共、只事では無いのだろうと悟ったのだった。その様子を、のどかが不思議そうな顔で見ていた事には、誰も気付いては居なかった。ネギは、バスの中での続きとばかりにあやかに窘められながらも、小太郎の事を聞いてくる裕奈や和美に苦笑いを浮べつつ、明日の事を考えていた。敵の本陣を襲撃する。作戦として、襲撃を待つよりも有効であるのは理解している。だが、同時に間違いなくただではすまない事も分かってしまっていた。
 間違いなく、罠が何重にも張り巡らされているだろう。もしかしたら、父親と肩を並べる程の実力者である、サムライマスターとも戦う事になるかもしれない。不安に押し潰されそうになった。
「どうしたのネギっち。もしかして……私達しつこかった?」
 和美がヤッベーという顔で頭を下げた事で我に返った。
「ち、違いますよ。ちょっと、考え事があって……」
「あ、それって小太郎の事~?」
「違いますよ~」
 和美の好奇心に満ちた瞳に乾いた笑みを浮べつつ、ネギは決意を固めた。
 何があっても、明日は負けられない。勝たなければならないのだ。敵のボスを倒さなければ、防衛戦も何時まで続くか分からない。長引かせる事も出来ないのだ。勝利の為なら、何でもする覚悟を決めた。
 例え、相手をこの手で殺す事になったとしても、この腕がもがれようとも、負ける事だけは許されないのだ。目の前の、大切な友達の命を守る為に――。
 防水仕様でもあるらしく、人形なのに浮き輪で湯船をプカプカ浮いてまき絵と一緒にお喋りをしているさよに眼を向けて何となく心が癒えた気がした。

 部屋に戻ると、楓、古菲、超の三人がやって来た。刹那が代表して説明を行った。楓と古菲には、まず魔法使いの事から始まり、麻帆良の事、現在の状況についての原因から経緯に至るまで、全てを包み隠さずに。
「解せぬでござるな」
 話を聞いた楓は薄っすらと眼を開いて睨む様に刹那の顔を見た。
「というと?」
 刹那が尋ねた。
「魔法云々はいいとするでござる。問題は、この様な事態が一生徒である刹那や真名に想定可能であったという事実でござる。なれば、学園側が想定出来ないのは道理ではないと考えられるでござるが?」
 楓の考えている事は、何人かを除いて全員が思っていた事だった。実は、あれから学園側に連絡を入れてあった。だが、反応は芳しくなかった。タカミチが居るのだから問題無いだろう。そんな世迷言を聞かされたのだ。
 サムライマスターと激突する恐れのある状況で、タカミチが居る事はそこまで救いにはならない。
「学園側の考えは分からない。とにかく、まずは戦略から考えましょう」
「私はあまり活躍出来ないと思うネ。今回はあまり特別なの持ってきてないヨ」
 刹那が自分を戦力と考えているのを理解し、超は困り顔で言った。
「そうですか……。では、有事の際にそれとなく皆の誘導をお願いします」
「了解ネ。京都の地理にはちょっと疎いから、後で色々と聞くと思うがいいか?」
 超が真剣な表情で刹那を見ると、刹那は頷いた。
「とにかく、真名と楓、古菲には皆の警護を。超には、有事の際に誘導を頼む」
 刹那が言うと、真名、楓、古菲、超の四人は頷いて答えた。
「本山へは、私、春日さん、明日菜さん、ネギさん、高畑先生で襲撃します。その際は――」
「待って!」
 刹那が戦術の話に移行しようとすると、木乃香が待ったを掛けた。
「お嬢様!?」
「せっちゃん、まさかウチを置いてく言うんやないよね?」
 木乃香は厳しい眼差しで刹那を睨んだ。
「それは……」
「確かに、ウチは戦闘は出来へん。せやけど、回復は出来る。それに、最低限の防御の術はエヴァちゃんが教えてくれたんや。足手纏いにはならへん」
 刹那は歯噛みした。木乃香を連れて行くには、場所が危険過ぎた。確かに、木乃香を連れて行けば勝率は上がるが、もしも木乃香に何かがあれば、例え勝っても意味がなくなる。
 木乃香在っての自分なのだ。その木乃香を戦場に連れて行くなど、正気を失いかねない程辛い選択だ。だが、木乃香の決意は決して揺らがないとも理解出来てしまった。
「わかりました。ですが、決して単独にならない様に。必ず誰かと……後方支援になるネギさんと一緒に居て下さい。ネギさん」
 木乃香が頷くのを見ると、刹那はネギに顔を向けた。
「お願いします」
 ネギが頷くのを確認すると、大きく息を吸い吐いた。心を落ち着かせ、戦術の話に移行した。
「神鳴流の相手は私がします。何人居るか判りませんが、長……サムライマスターも私が相対します。恐らく、この中でサムライマスターとまともに立ち会えるとすれば、私だけでしょう」
 それは驕りでも何でもない、事実だった。刹那だけが神鳴流を知っている。つまり、他の者よりはまだ戦えるという事なのだ。決して、勝てない。ただ、僅かに時間を稼ぐ事は可能だと言うだけなのだ。
「そして、明日菜さんは西洋魔法使いをお願いします。明日菜さんの能力なら、ただ真っ直ぐ走って近づいて斬って下さい。簡単に言いましたが、それはある意味奥義でもあります。無茶な様ですが、明日菜さんだから頼める事です。お願いできますか?」
 刹那は、無謀な事を頼んでいると理解していた。関西呪術協会の総本山を落とす程の魔法使いだ、もし勝利するとすれば、それは戦闘開始直後に真正面から突撃し、一切速度を緩めずに敵を斬るしかない。
 一瞬の迷いも許されないこの行為を、明日菜だからこそ刹那は頼むのだ。明日菜の能力は少し考えるだけで、簡単に対策を練る事が出来てしまう。だが、対策を練る間も与えずに、最初に敵が攻撃した瞬間の隙を狙えば、勝利の可能性を掴み取れる。
 それが、明日菜には出来ると、刹那は信じたのだ。明日菜は、刹那の説明を聞き、全て理解した上で頷いた。
「出来る。やるわ。茶々丸さんとの修行は無駄じゃないって証明してあげる」
 ニヤリと勇敢な笑みを浮べながら、明日菜は言った。刹那は頷くと、ネギと美空に顔を向けた。
「春日さん、どのくらい戦えますか?」
「うう……、やっぱ私も戦わなきゃ駄目?」
 この期に及んで、そんな事を言い出す美空に、全員から冷たい視線が集中した。
「じょ、冗談さ~。やだなぁもう! あ、私の戦力ね。って……ぶっちゃけ、私って逃げ足だけなんだよね。アデアット」
 慌てて頭を掻きながら、美空はポケットからカードを取り出して呪文を唱えた。
「“千里靴(セブンリーグブーツ)”さ。てか、まさかこんなとこで正体がバレるとはなぁ」
 溜息混じりに、美空は千里靴を見せた。
「靴?」
 明日菜が不思議そうに見つめると、ネギとカモが眼を見開いた。真名も、信じられないという表情だ。
「セ、セブンリーグブーツ!?」
 ネギとカモが同時に叫んでいた。セブンリーグブーツといえば、一説では七リーグ(35キロメートル)を一足で移動し、一説では次元を横断するという。アーサー王伝説や、ファウスト、眠れる森の美女、フランス童話などにも度々登場する、“靴”のアーティファクトとしては、天を翔ける“ヘルメスの黄金靴(タラリア)”と並ぶ。
「どうしたのネギ!?」
 いきなり叫びだしたネギに、明日菜は吃驚しながら尋ねた。
「だ、だって、セブンリーグブーツって言えば……」
 パクパクと口を開きながら、少しずつネギが説明をすると、明日菜達も目を見開いた。
「そ、そんな凄いのなの!?」
「凄いなんてもんじゃないですよ! 神話クラスの宝具ですよ!?」
 ネギが興奮しながら言うと、美空は困った顔をした。
「そんなに凄くは無いんだけどね。確かに、七リーグを一瞬で移動出来るんだけどさ。それやると、私が潰れたトマトになっちゃうんだよね……」
「それで、戦闘の方はどうなんだい?」
 真名は僅かに美空の靴に興味を残しながらも、冷静に尋ねた。
「んとね、魔法はあんまし。でも、十字教の術式はちょっとは習ってるよ」
「十字教の?」
 木乃香がキョトンとした顔をすると、美空は頷くと「ちょい待ってて」と言って部屋を出た。
 戻ってくると、幾つ物大きさの違う十字架の入った袋を持ってきた。
「私はカトリックの宗派でさ。シスターシャークティから習った術式なんだけどね。基本的に退魔の術式だから、対人で使えるのは“劣化・十字架挙栄祭(ラ・クルシフィキションeasy)”の中でも“磔術式”だけ。だから、そんなに期待しないでね」
「磔か。一瞬でも動きを止められるなら、使い様はあるな」
 真名は聞いた美空の戦力を分析しながら呟いた。刹那は少し考えると、ネギに顔を向けた。
「ネギさん。ネギさんの最大魔法は“千の雷”でしたね?」
 確認する様に、刹那がネギに尋ねた。ネギは頷くが、表情は芳しくなかった。
「使えますが――」
「いえ、効果範囲の広さを考慮して、恐らく使う可能性は低いですが、一応という事で」
 刹那が言うと、ネギは安堵の表情を浮べて頷いた。それから、ずっと黙り込んでいるカモに刹那は顔を向けた。
「そう言う事でどうでしょうか? カモさん」
 刹那が尋ねると、カモは頷いた。
「それでいいと思うが、もう一つだけ。そこに、小太郎と千草を襲撃の班に加えてくれ」
「え?」
 カモの言葉に、ネギが思わず呟いた。
「そう言えば、協力を要請していましたね。あの二人が襲撃の際に加わってくれるなら――」
「待ってください!!」
 刹那が何かを言おうとする前に、血相を変えたネギが待ったを掛けた。刹那が怪訝な表情を浮べると、ネギはキッとカモを睨んだ。
「どういう事、カモ君?」
「姉貴?」
 様子のおかしいネギに、カモは恐る恐る声を掛けると、ネギは怒りを顕にしていた。
「どうして……、どうして小太郎に協力なんて頼んだの!?」
「どうしてって……。それは単純に戦力になるだろうと――」
 ネギは歯を噛み締めながらギンッと視線を鋭くしてカモに歩み寄り、その体を握り上げた。
「痛ッつ」
 カモの苦悶の声に、ネギは我に返った。
「あ、ごめん。そう……だよね。今、小太郎の力が借りられるならその方がいいんだよね。関西呪術協会の危機なんだし、小太郎達と協力するのは間違いじゃなくて……」
 ブツブツ呟きながら、ネギはへたり込んでしまった。そのまま俯いてしまったネギに、明日菜と木乃香が心配そうに近寄ると、刹那がネギが落として呆然としているカモを拾い上げた。
「俺っちは……。姉貴、すまねぇ。本当に……何してんだ俺」
「カモさん?」
 様子のおかしいカモに、刹那が不審げに見ると、カモはハッとなった。
「あ、ああ。大丈夫ッスよ刹那の姉さん。あとちょいの辛抱なんだ。とにかく、小太郎の方は俺っちが連絡しておきやす」
 そう言うと、カモは刹那の手から飛び降りて、そのまま部屋を出て行ってしまった。意気消沈した様子に刹那は心配になった。
 その後、真名はタカミチと見張りを変わる為に屋上に向かった。ついでに作戦について説明をしておくと言った。古菲は現状を掴みきれていない様子だったが、戦う心構えだけはしておくと言うと、そのまま部屋に戻った。
 楓と超は、刹那から明日の見学地の詳細な地形を聞き、部屋に戻ってそれぞれシュミレートをすると言って、部屋に戻っていった。美空は、溜息を吐きながら、トボトボと部屋を出て行った。
 残ったネギ達四人は、明日に備えてもう眠る事にした。時々、部屋の外が五月蝿くなると新田の怒鳴り声が聞こえたが、それでなくとも眼が冴えてしまい、ネギが眠りの魔法を唱えて、四人は眠りについた。

『そうか、ならば作戦を練り直す必要があるな。やはり、イレギュラーは発生したか。だが、問題無い。奴も準備を終えて既に京都に入っている。あん? ああ、問題無い。それよりも、天ヶ崎千草は確かに使えるんだろうな? そうか。ならば、手筈通りにな』
「未だ、休まないのかい?」
 部屋に入って来たフェイトに、アイゼンは念話を終了させた。
「ああ、そろそろ休むさ。それよりも、放った刺客はどうだった?」
 アイゼンが尋ねると、フェイトが険しい表情になった。
「遠距離からの狙撃で誰一人到達出来ていない。三十人は送ったんだけどね」
「まぁ、警戒心を持続させるだけならば問題無いだろうが……。もう五十程送れ。それで、迎撃手段が狙撃だけなら……奴等はココに明日攻め込んでくると考えた方がいいな」
「何故だい?」
 フェイトが尋ねると、アイゼンは答えた。
「簡単だ。迎撃手段が数を増やしても一通りしか無いならば、可能性として、一人が見張りをし、他は戦闘の準備の為に休んでいると考えるのが必然。ならば、何故備えているか。襲撃を待っているのでは無く、コチラの動きを読んで逆にここを襲撃しようと考えているからだろうよ。ならば、コチラは相応の出迎えをしてやらねばな」
 ククッと笑いながら、右手で顔を半分隠し、アイゼンは鋭く笑みを浮べた。
「掛かって来るなら構わない。歓迎してやるぞ」
 そのアイゼンの様子に、フェイトはクスリと笑みを浮かべ、部屋を出た。
「さて、多少のイレギュラーは入ったが、このままでも問題は無い。後、クリアすべきは位置とアレの召喚だな」
 アイゼンはとある人物に念話を送った。
『おい、アレはちゃんと喚べるんだろうな? そうか、やはり本山内でなければ難しいようだな。ならば、確りとやれ』
 念話で短いやり取りをすると、アイゼンは念話を切り、笑みを浮べた。
「さて、若干早まったが、ゲームの始まりだ」
 夜はゆっくりと過ぎて行く。



[8211] 魔法生徒ネギま! [第五章・修学旅行編] 第二十五話『運命の胎動』
Name: 我武者羅◆cb6314d6 ID:87b1fc72
Date: 2010/06/13 05:10
魔法生徒ネギま! 第二十五話『運命の胎動』


 眼が覚めると、ネギは体がやけに重く感じた。不安に心が揺らいでいた。今日、襲撃するのは敵の本陣なのだ。コンコンという音を聞き、顔を向ける。窓の向こうに、一本の杖が定期的に窓を叩いていた。
 杖は昨夜の内に呼んであった。埼玉県から京都府への遠距離飛行をこなしながらも、杖は確りとネギの元に辿り着き、一晩中窓をコンコンと叩いていたのだ。呪文によって眠ったネギ達は全く気がつかず、慌てて窓に駆け寄ると、窓を開き、冷たい風を感じながら杖を部屋に向かい入れた。杖はネギの目の前で静止した。杖の中心部を掴むと、ネギはやわらかく笑みを浮べた。
「長旅、ご苦労様」
 抱く様にしながら、杖に頬を当て、ネギは深呼吸をした。僅かに、ネギの体は震えていた。
「お父さん……」
 どこに居るのかも判らない父親を思いながら、ネギは大き過ぎる杖を畳の上に置き、鞄の中を探った。小ポケットに入れておいた指輪を身に着け、三枚のカードを取り出した。
 神楽坂明日菜、桜咲刹那、近衛木乃香。三人の仮契約の証であるカード。
「私って、何しに麻帆良に来たんだろう。平和に暮らしていたエヴァンジェリンさんを怒らせて、千草さんを挑発して、明日菜さんを巻き込んで、木乃香さんを巻き込んで、小太郎を巻き込んで……。卒業試験の指令に応える所か、逆に危険に曝して……」
 自分を嘲笑する様に呟きながら、溜息を零した。自分の体を見て気分が悪くなった。こんな事は初めてだった。馬鹿らしくなったのだ。女の体になってまで、ここに来て自分がやった事は何だったのかと自問して――。
 寂しい、そう感じた。誰でもいいから縋りたいと…………。

 午前七時半に、ネギは起きた明日菜、木乃香、刹那の三人と共にホテル嵐山の食堂に他のクラスメイト達と集まり正座をしながら号令を待っていた。新田とタカミチが今日の日程を話している。タカミチは僅かに顔つきが堅い事を、ネギ達は見抜いていた。真名の方は僅かに疲れが見えていたが、それでも超と談笑する余裕はあった。
 古菲は緊張した面持ちをして、楓にからかわれていた。楓にしても、古菲の緊張を解しながら、体内の気を整えている。
 明日菜はボーッとしている様子だが、頭の中では何度も茶々丸に教えてもらった事を反芻していた。今までの突発的な戦いと違い、自分達から仕掛けるのだ。少女達はそれぞれ緊張しながらも心を戦いに向けていた。
 豪勢な食事を味気なく感じながら、ごちそうさまをすると、奈良へ向かうバスにクラスメイト達が乗るのを見ながら“自分達が居ない事を当然と思う”ようにカモが魔法を掛けた。認識阻害の応用だ。
 タカミチは、騒がしい少女達を新田一人に任せる事に心苦しさを感じたが、残った少女達に顔を向けた。
「それじゃあ、行こうか」
 覚悟の有無を問う必要は無かった。タカミチが手配したもう一つのバスが来ると、そのバスの運転手にカモが幻術を掛けた。
「これで、半日後まで適当に時間を潰して戻って来る筈ッス」
 カモの言葉に頷くと、タカミチが最初に入り運転席に収まった。ネギが大き過ぎる杖を抱えながら入り、刹那は夕凪と七首十六串呂・イを手に袴姿でバスに乗り込んだ。その次に明日菜がハマノツルギを右手に入り、東風の檜扇と南風の末広を持った狩衣姿の木乃香が乗り込んだ後に、セブンリーグブーツを履いたまるで隠密の様に修道服で全身を隠した美空が乗り込んだ。
 バスは、後ろがパーティースペースで中央に机があり、その周りに最後部席と窓枠より僅かに低い背の椅子が横に並んでいる。明日菜達は窓を開くと、カーテンを結んだ。バスを襲撃される可能性が高い事を考慮し、即座に外に飛び出す為だ。
 カモが視覚防御の結界を張ると、それぞれ椅子に座り、何時でも戦闘出来る状態にした。バスは真っ直ぐに西に向かって走った。
「改めて、総本山の地形について話しておきます」
 刹那はそう言うと、総本山の周辺の地図を見せた。ネットで落とした衛星写真は総本山を写さないが、刹那が手書きで足りない部分を描き足したのだ。嵐山の山中に位置し、左右を丘に挟まれ、北に烏ヶ岳を眺め、南には地図の上に封印の湖と描き込まれていた。それぞれの丘、山、湖の上には色の違うサインペンでそれぞれに大きな文字が書き込まれていた。北の烏ヶ岳に黒で玄武。東の丘に緑で青龍砂、西の丘に白で白虎砂、そして南の封印の湖には赤で朱雀と書かれていた。
「関西呪術協会の総本山は、風水魔術の“背山臨水を左右から砂で守る”というのを汲んでいます。京都の四神結界と同じ物を関西呪術協会に張る為にこの地に総本山は置かれているんです。京都全体の場合は、北の丹波高地を玄武、東の大文字山を青龍砂、西の嵐山を白虎砂、南にあった巨椋池を朱雀とされています。更に、総本山のそれぞれの地点に祠が置かれているのですが、犬上小太郎にはコレの破壊をお願いしてあります」
 刹那の言葉に、アスナがキョトンとした顔で尋ねた。
「すると……どうなるの?」
「結界が崩れます。ただ、祠は結界内にあるので、結界に反応してしまう可能性のある我々には出来ない事であり、関西呪術協会の犬上小太郎と天ヶ崎千草にしか出来ない事なんです」
 刹那は若干、視線をネギに送りながら応えた。ネギが僅かに俯くのを見て、胸を痛めながらも、刹那は最善の手を打ったのだと自分を励ました。
「結界が崩れるタイミングは私が分かります。崩れた瞬間に結界内に突入します。犬上小太郎には、東の丘の祠を破壊してもらう手筈になっていますので、そのまま合流してもらい、総本山の正面玄関から一気に襲撃します」
 地図の総本山の東側を指差しながら刹那が言った。
「正面玄関って……、大胆不敵と言うか何と言うか……」
 美空は刹那の大胆な作戦に呆れた様な、感心した様な顔で頬を苦笑しながら掻いた。
「突入の際に、春日さんには敵の状況を探って来て頂きたいのですが……」
 刹那が遠慮がちに言うと、美空は肩を竦めながら了承した。
「分かってるって。戦闘開始になったら、私が出来るのは敵の翻弄だけだしね。本当は逃げたいけど、さすがにクラスメイト全員の命が懸かってる状況で逃走出来る程神経太くないから信用してちょ」
 美空の戯けた調子の応えにフッと微笑を洩らしながら、刹那は頷いた。
「天ヶ崎千草は?」
「彼女には、突入時の援護をしてもらう事になっています。結界内に入る時に森の中に潜んでもらい、そのまま突入と同時に激突した時に、道を切り開き易くする為に――」
 刹那がそう言った、丁度その時、タカミチがバスに備え付けられていたマイクで総本山の結界外周に到着した事を報せた。
「襲撃は無かったね」
 明日菜が言うと、ネギが頷いた。
「このバス自体にも刹那さんとカモ君が色々と細工をしていますから、遠見では発見されなかったのでしょう。間違いなく、結界が崩れたら洗脳された神鳴流剣士や呪術師、サムライマスターが来ます。警戒して下さい」
「うん」
 ネギの言葉に、明日菜はハマノツルギを強く握り締めた。所有者の心に応える様に、ハマノツルギの眩しい輝きが更に強まった。爛々と輝き、明日菜の頭にチクリと痛みが走った。
「痛ッ――」
「どうしたん?」
 木乃香が心配そうに尋ねると、明日菜は「なんでもない」と応えた。
『呼んで……』
 まるで、ノイズの酷いラジオから聞こえる様に、遠い場所から叫んでいる様な声が一瞬だけ響いた。
 またあの声だ。明日菜は、ハマノツルギを握っていると時折聞こえる不思議な声を頭を振って掻き消した。今は、それどころではないと。
 刹那は七首十六串呂を全刀展開し、空中に待機させた。それぞれの太刀が、刹那の気に呼応して僅かに震えると、まるで時間が静止したかの様にピタリと固まった。
 裏切り者の神鳴流。見つけ出して必ず殺す。冷徹な表情の内に苛烈な炎を宿した刹那は、神鳴流を裏切り、木乃香に刃を向ける二刀流の神鳴流使いの剣士に対し憎悪と殺意を爛々と燃え上がらせていた。
 木乃香は両手に東風の檜扇と南風の末広を持ちながら、父と子供の頃からよくしてくれた皆の事を思い、一刻も早く救い出したいと願っていた。そして、それとは別に心のどこかで激しい何かが渦巻いているのを理解していた。ハッキリとソレを怒りと断言する事は出来なかった。ただ、漠然と心の中に何かが渦巻いているのだ。
 一瞬だけ、木乃香の眼差しが強くなり、そのまま小さく息を吸い吐いた。
「お父様……」
 顔を上げて、結界が消滅するのを待った。
 タカミチは、神経を集中していた。
「左手に魔力を、右手に気を集中させる……」
 相反する二つの力を集中させる。左手に魔力を、右手に気を集め、結界が破れるのを待った。
 美空は、肩を落としていた。本当ならば、こんな命を懸けた戦場になんぞ立ちたくないというのが本音だ。だが、さすがにクラスメイト全員の命が懸かってしまっては逃げられない。
 数名程度なら逃げ出そうとも思うのだが……。それでも、完全に敗北すると確信すれば逃げるつもりだった。自分の命が第一であるし、刹那もそれは了承している。それにしてもと、美空は刹那を見た。
「刹那も中々やるなぁ」
 素直に感心していたのだ。ここまでの戦略と戦術を組み立てたのは、殆ど刹那だ。タカミチは手回しなどに奔走していて、策を練るのに口を出す余裕は無かったし、出す機会があっても出さなかった。
「何か変だねぇ」
 カモの様子もおかしいと感じていた。そもそも、最初の作戦の襲撃を待つというのも、カモの言葉を真っ直ぐに受け入れ過ぎたからだ。その後、コチラから攻める策について、カモは何も口出しをしなかった。
「なぁんか、落とし穴がある気がするなぁ」
 美空は逃走ルートなども総本山の偵察ついでに確認しようと決意した。
 ネギは、一刻も早く結界の崩れるのを願っていた。それはつまり、小太郎が無事に任務を遂行した事を示すからだ。ネギは、小太郎がこの戦いに参加するのが嫌だった。仮契約を解除されたと聞いた時、最初に感じたのは寂しさだったが、不思議と怒りは感じなかった。
 小太郎を、自分の戦いに巻き込みたくなかったからだ。それなのに、今再び同じ戦場に立とうとしている。それが、途轍もなく辛かった。だが、そう思いながらも、ネギの追い詰められた心のどこかが望んでいた。小太郎に会いたいと――。
 同い年の男の子の友達は本国にも確かに居た。だが、自分をサウザンドマスターの息子として何処か特別扱いをしていた。本当の意味で、自分を一人のネギ・スプリングフィールドとして扱ってくれたのは、アーニャや金髪くらいのものだった。ネギは心のどこかで、小太郎を特別視していた。

 一方その頃、真名達が奈良に到着し、皆が大仏見学をしている途中、警戒していた真名の目の前に男は現れた。冷たい汗を流しながら、目の前の男が放つ冷徹な殺意を受けながらも勇敢に笑って見せた。
「神鳴流かい?」
 真名が問い掛けると、答えも言わずに男は持っていた長い太刀を真名の首を刈り取らんと振るった。徹夜と、一晩中止む事無く攻撃してきた敵の相手に疲れていた真名は反応が遅れてしまった。
「――――ッ!」
 死を直感した直後、男と真名の間に一人の少年が割って入った。真名よりも少し背の低い、痛んだ金髪の少年だった。
「ぼーっとしてちゃ駄目だぜ、ガングロ姉ちゃん?」
 ニヒッと笑みを浮かべる少年に真名は跳躍して距離を取った。
「警戒しないで欲しいぜー。俺はお前等の味方だぜ?」
 怪しい、真名はそう思わずには居られなかった。目の虚ろな剣士から救ってくれた事には感謝する。だが、この状況で無条件に信じられる程能天気では無い。
「さっきは助かった。素直に感謝しよう。だが、お前を無条件に信じるのは難しいな」
「ま、そりゃそうだわな」
 少年は呆気無い程簡単に認めた。
「けどなー、そこの野郎はお前にゃ荷が重いぜ?」
「なんだと?」
 真名は視線を鋭くして少年を睨んだ。確かに迂闊にも初手は後れを取ったが、こんな虚ろな目をしている傀儡程度に負ける程弱いつもりは無い。だが、少年の言葉に真名は凍りついた。
「その男は関西呪術協会の長、サムライマスター・近衛詠春だぜ?」
「なんだと!?」
 真名は眼を見開いて驚きを隠せなかった。言われてみれば、昔、紅き翼の写真が載っている雑誌を読んだ時に見た近衛詠春の姿に目の前の男は若干老けてはいるものの、かなり似ている事に気が付いた。
 全く想像していなかった展開だ。想像出来る筈も無い。これは下策だと断言出来るからだ。敵の目的は、ほぼ全員が総本山に向かっている。ここに居る生徒達の存在意義など、ハッキリ言って人質程度だ。確かに、雪広財閥の令嬢も居るが、それで近衛詠春を差し向けるなど意味が分からない。人質にするならば、有効な策は数だ。こんな、一騎当千の単騎を向けるなど、意味が無い。それも、人質として使うには、タイミングが大切なのだ。こんな風に警護をしている人間の前に姿を現す理由は無い。
 真名が戸惑っていると、その隙に、詠春が動いた。詠春の太刀が三日月の如き軌跡を描いて真名の首を刎ねようと迫る。
「サムライマスターの相手は俺がするぜ。信じる信じないは勝手だがな、こいつの相手が出来るのは俺だけだ。現状な……」
「――――ッ!?」
 真名の首に迫った太刀が止められていた。少年の持つ鉄の扇によって――。
「お前は何者だ?」
 真名が尋ねると、少年は悪戯っぽく笑みを浮かべて言った。
「お前のクラスメイトの友達だ。お前は他の仲間と連絡を取って警戒しろ!」
 言うが早く、少年は再び振り被った詠春の斬撃を回避すると、背後に回ってそのまま、詠春の脇腹を蹴り飛ばした。
 真名は即座に反転すると、携帯電話で全員にメールを送った。合流し、サムライマスターの襲撃を伝えると、全員が表情を凍らせた。
「敵は何を考えているでござる!? サムライマスターをコッチに寄越すなど……」
 楓は、風の噂で聞いたサムライマスターの伝説を思い出し蒼白になった。魔法については知らないが、それでも世界の裏側に僅かに触れている楓は、コチラの世界の神鳴流については知っていた。そして、その現・長である近衛詠春、旧姓青山詠春の実力も伝え聞いていた。
 曰く、雷鳴を纏う剣は山を両断し、曰く、豪風を纏う剣は海を分断させると言う。疾風迅雷、抜山倒海。風の如く疾く、雷の如く迅い。力は山を抜き、技は海を倒す。
「サムライマスターが襲来したのはいいとして、今、サムライマスターはどこネ?」
 超は訝しげに周囲を見渡しながら尋ねた。真名が正体不明の少年の話をすると、楓と古菲は怪訝な顔をしたが、超だけは納得したような顔をした。
「なるほど、その金髪頭は味方ヨ」
「なに? どういう事だ!? あの金髪頭について、何か知っているのか、超?」
 真名が問い詰めるように聞くと、超は首を振った。
「直接は知らないヨ。でも、心当たりはあるネ。昨日、刹那達が京美人と食事をしてた時、実は盗み聞きしていたネ」
「盗み聞き……」
 真名達は悪戯っぽく笑みを浮かべる超に呆れた視線を向けた。
「それで?」
「その時、あのオコジョ君が言ってたネ。金髪のネギの学友の日本人の話を。その日本人は凄腕の陰陽師で天ヶ崎千草曰く、総本山で近衛詠春に何かを進言し、意見を通したと」
「つまり……、あの少年は占拠された関西呪術協会の陰陽師であり、それなりに長に影響力を持つ者……という事でござるな?」
 楓の言葉に超は頷いた。
「なるほどな、となると、サムライマスターがここに来た理由はあの金髪頭が目的の可能性があるな」
「どういう事でアルか?」
 話に付いていけないでいる古菲がしきりに首を傾げながら尋ねた。
「サムライマスターにも影響力を持つ程の凄腕の陰陽師。それを足止めする為に送り込まれたと考えられる。だが……」
「その金髪頭の少年は何故ここに居るのか、カ?」
 超の言葉に真名は頷いた。
「それにあの金髪頭がオコジョ君の言っていた金髪や天ヶ崎千草の言っていた金髪と同一人物だという確証も無い」
「とりあえず、今は味方という事にしておいた方が良さそうでござるな」
「そのようだな……」
 楓の言葉に真名達は周囲を見渡しながら頷いた。
「アイヤー、何だかやばい気配がそこらじゅうからするアルよ」
 ムムム、と難しい顔をしている古菲に楓は肩をそっと叩いて、穏かに笑みを浮かべながら言った。
「古菲殿。拙者達の役目はそう難しい事では無いでござるよ。只、クラスの皆を護る。それだけでござる」
 楓の言葉に、真名はニヒルに笑みを浮かべ、超もニャハ~ンと笑みを浮かべ、古菲は「分かり易いアル!」と笑みを浮べた。
「単純明快だ。私達はそうはいかないだろうが、皆には修学旅行を最後まで何も知らずに楽しんで貰おう」
 真名の言葉に、楓、古菲、超は確りと頷いた。

 宮崎のどかは戸惑っていた。明日菜や木乃香、刹那、美空、タカミチ、そしてネギの六人がバスに乗っていない事に気がつき、夕映にその事を話してもそれが当然の様な返事しか返って来なかったのだ。ハルナや他の友人達に尋ねても同じだった。
 いち早く外に抜け出して、不安になった心を落ち着かせようとベンチに座っていると、胸の奥が熱くなった。
「なんだろう……」
 直後、突然目の前に一冊の本が現れた。
「え!?」
 のどかは目を見開いた。見覚えのある本だった。それは、以前に見た夢の中に出てきた本だったのだ。
「違う……アレは夢じゃなかった……?」
 目の前に、確かに本は存在していた。分厚く、水面の様に揺らめく青銀の輝きを持つ四つ角に銀の細工をあしらった表紙の本だ。本は鎖で閉じられていて、中央の禍々しい髑髏のアクセサリーによって封印されていた。のどかは恐る恐るその髑髏に指を近づけると、声が響いた。
「宮崎!」
「本屋さん!」
 声の主は朝倉和美と相坂さよの二人だった。さよの人形を抱えながら駆け寄ってくる和美に驚いたのどかはそのまま髑髏のアクセサリーに触れてしまった。
『Έχει εγκριθεί η έναρξη ακολουθίας. Ο σύζυγός μου και η μητρική γλώσσα θα μεταφραστεί σε γλώσσα σας.』
 アクセサリーがバチンと音を立てて粉々になり、鎖が弾け飛んで、光の粒子へ変ると、ページが一枚だけ開き、機械の音声の様な声が響いた。同時に、本のページに文字が刻まれた。
「何語……? っていうか、大丈夫、宮崎!?」
 和美が心配そうに声を掛けると、のどかはゆっくりと頷いた。
「これって何なの?」
 和美が尋ねると、のどかは戸惑い気に本に顔を向けた。
「よく……分かりません。前に、ネギさんと一緒に図書館島を歩いていた時に迷い込んだ場所で貰った本だと思うんですが……、夢だと思ってたのに」
 のどかの説明がいまいちよく理解出来なかったが、次の瞬間、本のページが再び開いた、と同時に、再び機械の様な女性の声が響き渡った。言葉は本のページにも現れた。
『日本語への言語の変更を完了しました。マスター登録はこれで終了になります。続けて、現在の時刻を世界標準時間から東経135度49分16秒、北緯34度28分23秒の現地点における時刻を算出……完了。AM11時46分35秒より1分15秒後に敵勢力による攻撃を確認しました。マスターへの危険レベルが一定ラインを超えた事により、自動防衛機能により強制起動しました。これより、敵勢力による攻撃性魔術の防御術式を生成します……完了。術式系統“陰陽術”の術式名“焔―飛燕”に対し、水の属性障壁“水盾”を作成します。……申し訳ありません。マスターの魔力が足りずに作成に失敗しました。残り20秒ですが、退避して下さい。効果範囲は30mですのでお急ぎを』
 長々と説明する声に合わせて、本のページに文字が並び、幾重もの記号や不可思議な文字が並んだ。和美とのどかは疑問符を浮べながら、この本は何を言っているんだろうと悩んでいると、ふと和美が顔を上げた先に、炎の塊が近づいてきているのを見た。
 本のページを見た。
「――――ッ!?」
 和美はのどかを右手に、さよを左手に抱えると全力で走り出した。文屋として、毎日走り回っているおかげで、明日菜、美空に次ぐスピードを誇る和美だったが、人間一人を抱えて走るのは辛かった。だが、何とか炎が地面に着弾する前に効果範囲の外に出る事が出来た。
「って、この馬鹿本! 普通に逃げられるんなら最初に逃げろって言いなさいよ!」
 あの炎は何なのか、そもそもお前は何だ。沢山聞きたい事はあったが、それ以上に、走れば逃げられるのに長々訳の分からない事を言った挙句に失敗したとか言い出した謎の本に、和美は怒りをぶちまけた。
『謝罪方法を検索……2,590,000件がヒットしました。この内、最も効果的と思われる謝罪方法を実行します。……テヘッ』
「……舐めてるの? ねぇ、舐めてるの? てか、謝る気ないでしょ!」
 和美は、バスを降りた時から様子のおかしかったのどかが心配になり、のどかが何かを聞いている様子だったので、夕映やのどかが何かを尋ねていたクラスメイト達に何を尋ねられたのかを聞いた。すると、明日菜達がどうして居ないのかと問われたらしい事が分かった。
 何を当たり前の事をと思うと、さよが不思議そうに言ったのだ。
『そういえば、どうして明日菜さん達いらっしゃらないんでしょう?』
 当たり前でしょ? と言うと、さよが『どうして当たり前なんですか? 居ない理由が分かりません』と言われ、和美も当たり前だと思うのに説明できないという矛盾を覚えた。すると、当たり前では無い事にも気がつき、さよと同じく、そんな事を聞いていたのどかに話を聞きたくなってのどかの行き先を聞いて外に出たのだ。
 すると、のどかの目の前に突然本が現れて、それをのどかが触ろうとしていた。咄嗟に、直感で触るなと叫ぼうとしたが、遅かった。開いた本は、訳の分からない事を言うと、逃げろと言い、逃げた後には炎の塊が地面に直撃し、爆発したのだった。
 頭の中は混乱していた。訳の分からない本と謎の炎。すると、巫山戯た謝罪のつもりらしいむかつく『テヘッ』をやらかした本が再び声を響かせた。
『再び、敵性魔術師による魔術の発動を確認しました。マスターは魔術師としての適正が低いので、防御術式を発動できません。逃げて下さい。効果範囲は先程の倍の――、迎撃が行われました』
 再び、和美とのどかに逃げる様に言う本は、唐突に発言を取り下げた。それと同時に、拳銃の音が響いた。爆発の音と、今の拳銃の音に驚いた人々が徐々に集まりだした。
「こりゃぁ、ちょいっと不味いっぽいねぇ」
 両手にのどかとさよを抱えたままの和美が呟くと、唐突に誰かに抱えられて凄まじい重力に襲われた。しばらく呼吸が停止していると、目を開けた瞬間に和美は息を呑んだ。
 そこは東大寺の天井だったのだ。
「ここって……。って、楓!?」
 自分を抱えている人物の顔を見て、和美は驚愕した。
「いやぁ、まさかのどか殿と和美殿まで魔術サイドとは思わなかったでござるよ」
「魔術サイド?」
 楓の洩らした単語に、和美は咄嗟に食いついた。楓は「これは失言でござったか……」と困り顔をしたが、和美は鋭い眼差しで楓に迫った。
「ねぇ、あの炎は何だった訳? それに、さっきのって銃声? そもそも、魔術サイドってどういう事?」
 和美はのどかを抱えたまま楓を問い詰めた。抱えられているのどかは「はにゅ~~」とか「助けて~~」とか騒いでいるが、和美は全く気付かなかった。
「それは……」
 楓が言い辛そうにしていると、楓の携帯が鳴った。
「ちょっと済まないでござる」
 楓は和美に頭を下げると、携帯を受けた。
「ああ、真名でござるか。あい分かった」
 携帯を切ると、楓は和美に向き直った。
「失礼!」
 再び、和美が何かを言う前に和美の手からのどかを掠め取ると、右腕にのどかを、左腕にさよを抱いた和美を抱えて楓は跳んだ。その間に、何発かの銃声が響いた。
「ど、どうなってるの~~~~!?」
 和美は思わず叫んでいた。のどかはあまりの事態に目を丸くして固まっている。さよは「はわわ~~、ジェットコースターみたいです~~」と乗った事も無いだろうに大はしゃぎだった。
 楓がスタッと着地したのは、奈良公園の中心部だった。
「ちょっと、楓説明しなさいよ!」
 解放された和美が不満全開で怒鳴るが、楓は和美を尻目に、どこからか飛来した千本をキャッチした。
「隠密も居るでござるか。しからば、『影分身の術』!」
 右手で印を切ると、楓の姿がぼやけ、一瞬にして数十人の楓が現れた。
「え、ええ~~~~!?」
 和美とのどか、さよはあまりの事態に仰天して叫び声を上げた。
「ちょっと待ってるでござるよ。掃除するでござるから」
 そう言うと、数十人の楓は一瞬で跳び去り、木々の合間に消えてしまった。
「ど、どうなってるんですか~~?」
 のどかが怯えた様に和美を見上げた。
「和美さん、怖いです~~」
「あぁ、よしよし二人共。大丈夫よ~、怖くない怖くない。私が護ってあげるからねぇ」
 和美は怖がる二人の不安を取り除こうと、そう言ったが、現状を全く把握しきれていないのが歯痒かった。
「ってそうだ! ちょっと、馬鹿本!」
 和美はのどかの隣でフヨフヨ浮いている本を怒鳴りつけた。
『馬鹿本ではありません。私は、あらゆる魔術、呪術、神秘の解釈や教理を統合、整合化させ、天使や悪魔の術式すらも考察可能な超高性能魔導書“光輝の書(ゾーハル)”です』
「変な名前」
 和美は素直に思った事を口にした。
『……でしたら、この機会に是非とも覚えて下さい』
 人間なら青筋を立てているのだろうという口調で光輝の書は言った。
「安心して、もう覚えたから」
『……そう言えば、何かをお聞きになりたいのでしたね。あ~っと……?』
「朝倉和美よ」
『ああ、何とも地味で面白みの無い名前ですね。印象の薄い根暗そうな貴女にピッタリです』
「……ああ、そう。なら、是非ともこの機会に覚えて下さいませ」
『ご安心を、もう覚えました』
 のどかとさよは、バチバチと、光輝の書と和美の間に火花が飛び散っている様な幻覚が見えた気がした。お互いに、「燃やしてやろうか? このバカぼんが」『私を青い着物を着た少年と間違えないで下さい。全くこれだから漫画脳のお子ちゃまは』等と嫌味を言い合っている。
「け、喧嘩は駄目ですよ~!」
 さよがトテトテと止めに入る。
「そ、そうです。えっと、今何が起きてるのか分かりませんけど、いがみ合ってる場合じゃないです」
 のどかも二人の間に入って止めようとした。すると、光輝の書は掌を返した様な態度になった。
『申し訳ありません、マスター』
 のどかは、素直に謝る光輝の書に戸惑った。
「い、いえそんな。というか……貴女はえっと?」
 誰ですか? というのもおかしく感じるし、何ですか? というのは失礼な気がして、のどかはどう聞くか迷った。とにかく、本が宙に浮いていて、尚且つ喋るなど常軌を逸しているとしか言いようが無い。
「もしかして……、麻帆良の新しい技術とかですか?」
 のどかが首を傾げながら苦笑いを浮べて尋ねると、光輝の書は青銀の輝きを強めた。
『いいえ、私は科学技術による存在ではありません。あらゆる宗派の原典とも呼ばれる“モーゼのトーラー(旧約聖書の五書)”の註解書にして、善悪、両性具有理論、セフィロト、天使、悪魔、魔術、呪術、あらゆる神秘を内包した魔導書です』
「魔導書……? それって、魔法使いとかそういう話ですか?」
 のどかは僅かに疑いの眼差しを向けながら尋ねた。以前、図書館島で謎の部屋に入った時は、好奇心に頭がいっぱいになったが、さすがに突然私は魔導書ですなどと、本に言われても信じられない。
 既に、本が宙に浮いて話しかけてるという状況も十分に信じられないが――。
「のどか~~~~!!」
 すると、遠くから綾瀬夕映の声が響いた。
「夕映!?」
 必死に駆け寄って来る親友にのどかは目を見開いた。汗だくになり、前髪が広いおでこにくっついてしまっている。夕映は、和美の様子がおかしい事が気になり、和美の後に外に出ていたのだ。
 すると、外に出た瞬間に爆発が起こり、次の瞬間には銃声が響き、楓が東大寺の屋上に上がるのが見えたのだ。そして、そのまま跳び去った方角に向かって我武者羅に走り続けていたのだ。
「だい……丈夫、なのですか、のどか!?」
 ゼェーゼェーと息を吐きながらも、親友に大事は無いかを尋ねる夕映に、のどかは涙腺が緩みそうになった。
「というか……なんで本が浮いてるですか!?」
『私は光輝の書(ゾーハル)です。以後、お見知りおきを』
「しかも喋ったです~~!?」
 そのまま、再び状況は混沌(カオス)と化した。

「全く、このままでは麻酔弾が無くなってしまうな」
 既に、何百発も迫り来る呪術師や剣士にヒットさせている。幸いなのは、操られている呪術師や剣士は、判断力が鈍いらしいという事だ。ただ、真っ直ぐにコチラに向かってくるので、真名にとって対処は楽だった。
 だが、それも数が多ければ疲弊する。そもそも、徹夜明けで既に疲労困憊の真名は集中力が途切れかけていた。麻酔弾も、持ってきた二千発を既に大方使ってしまっている。
 深夜中攻めてくる者達に使い続けていたのだから当然だ。現在、超がそれとなく誘導し、クラスの皆を楓と古菲が守り易いように一箇所に固めさせている。
 大仏などの説明を聞かせているのだ。撃ち洩らしを楓と古菲が迎撃している。スコープの先、遥か遠方の奈良の町では、あの金髪の少年がサムライマスターと戦闘している様子が見えた。
 あまり、魔術の隠匿に力を注いでいるとは思えない敵の仕業にしては、近衛詠春には姿が見えない様に魔術が掛けられていた。そのせいで、真名はサムライマスターに接近を許してしまったのだから、それが理由だったのかもしれない。
 金髪の少年も自分の姿を一般人には見えない様にしているらしい。一般人が見れば、突然突風が吹き、地面が抉れ、壁に亀裂が走るという異様な光景に映った事だろう。
 既に、総本山の方の作戦は始まってかなり経つ筈だ。
「なるべく、早めに終わらせてもらいたいな」
 そう呟くと、再び真名はスコープを覗き込んで呪術師や神鳴流を狙撃し続けた。

「あん? どうして、サムライマスターを向こうに差し向けたか?」
 現在、奈良に居る生徒達に向けた神鳴流、及び呪術師達以外の四分の一を侵入者の迎撃に向けている。アイゼンは、炎の遠見の魔法でその様子を眺めていた。フェイトは、そんなアイゼンの考えが読めずに尋ねた。
「そうだよ。サムライマスターを向こうにやる必要は無かった」
「向こうに厄介なのが居るんだ。その証拠にサムライマスターは互角の戦いをさせられているだろう? それに、現に奴をサムライマスターと戦わせていても、数で押している呪術師や神鳴流共は残った数人に防ぎ切られている。奴をコッチに寄越させるのは上策ではない」
「あの少年は何者なんだい?」
 フェイトは金髪頭の少年とサムライマスターが戦っている光景を見て訝しんだ。
「油断のならない奴さ」
 アイゼンは口元にニヤついた笑みが浮かべた。アイゼンは以前纏っていたローブを脱いでいた。美しく整った顔立ちに長い濡れた様に艶めく睫。切れ長の眼に浮かぶ紅蓮の炎を思わせる真紅の瞳。死人を想わせるかの様な白磁の如き肌は、見る者をゾッとさせる。線の細い体つきだというのに、アイゼンには弱々しいという言葉が似合わなかった。真紅の血を思わせる赤髪は僅かにウェーブがかかった長髪だ。
 煙の出ない炎の先を見つめながら、アイゼンはフェイトに顔を向けずに口を開いた。
「これは、ゲームだ。敵を完全無欠の敗北に陥れる為のな。実際、俺かお前のどちらかが出れば、戦いは終了するだろうさ。だが、それでは面白くないだろう?」
「な!?」
 フェイトは絶句した。これまで、散々策を練る必要があると言いながら、普通にやれば勝利が揺るがないから遊んでいるなどと言っているのだ。それこそ、逆に敗北の可能性を作っているのではないかという疑いを隠すことは出来なくなった。
「勘違いするな。ゲームと言ったが、所詮はワンサイドだ。勝利は決定している。ならば、その勝利までの過程で遊んでいるまでだ。奴等を疲弊させ、最大戦力を抑え込み、最後の最後で全軍を投入して囲む。俺とお前が戦う事になったらゲームは負け。戦わずに勝利すれば勝ち。つまり、そういう事だ」
 フェイトは、アイゼンの言葉に溜息を洩らした。人の命をゲームの駒にして遊んでいるのだ、この男は。洗脳した兵士に戦わせ、自分は高みの見物。まるで、テレビゲームだと、フェイトは思った。人形を操り、迫り来る者達を迎撃させる。自分は一切手を汚さず、一切労力を消費せず。
「それに、これならばお前がお姫様を傷つける事も無くなるだろう?」
 その言葉に、つい自然と笑みを浮べている事にフェイトは気がついた。自分が、姫様と戦いたくないと思っている事をお見通しなのだ。そして、その為にも、こんな回りくどい作戦を講じてくれたのだ。
 内心、密かに感謝の意を零しながら、フェイトは部屋を出て行った。出て行ったフェイトの閉じた襖を眺めながら、アイゼンは嘲笑の笑みを浮べていた。
「さて、ここまでは完璧だ。後は、あの女だな。総本山でならば、召喚が可能な手筈だ。面白くなってきたな」
 起き上がり、拳を握り締めながら、アイゼンは凄惨な笑みを浮べた。アイゼンは瞳を閉じると、念話を送った。返ってきた返事に、舌を打つ。
「手間取っているのか。少し、時間を稼ぐ必要があるな。――月詠、来い」
 アイゼンは、目の前に炎を爆発させた。炎は部屋のあちらこちらに飛び散るが、どこにも焦げ跡一つ付かなかった。そして、爆発した炎の跡に、月詠の姿があった。
「はわ~、お呼びどすか~?」
 のんびりした口調の月詠に、アイゼンは鼻を鳴らした。
「出番だ。道を開く。全力で奴等と交戦しろ」
 命令を下すと、アイゼンは腕を掲げ、人差し指と中指を真っ直ぐに伸ばした。その先に、炎のゲートが構築され、襲撃者の姿が映し出されていた。月詠は、ようやくの戦いに狂気的な笑みを浮べた。
「行って来ます~」
 振り返りもせずに、月詠は二刀を持って炎のゲートを駆け抜けた。その瞳は、興奮のあまりに白目と瞳の白と黒が逆転していた。
 気を爆発させ、畳を吹飛ばした月詠を鼻で笑いながら、アイゼンは四散した畳や舞った埃を炎で焼き尽くし、炎球を浮べて戦場を眺めた。
「手筈は整った。炎と樹、風と氷、そして、大地の力。その五つの力が揃わねばならん。月詠が上手く時間を稼げは良いが……さて」
 残りのクリアすべき条件は、たったの三つ。
「それまで、お前はせいぜい遊んでいろ」
 炎の球が映し出す光景は、近衛詠春と金髪の少年の激突の様子だった。

 奈良の町を眼にも留まらぬ速度で疾走する二つの影。まるで、DNAの螺旋構造の如き動きで交差する度にけたたましい激突音を響かせ、空気を破裂させ、大地を抉り、壁を粉砕し、窓ガラスを割り、それでも尚、人々にその存在を気付かせない。
 “サムライマスター・近衛詠春”の握る退魔に特化した特殊銀製の刃を持つ太刀と金髪の少年の扇が金属音を響かせながら互いを斬り裂かんと互いを攻め立てる。両者は無言のまま刃と扇を振るっている。高層ビルの壁を蹴り、一気に駆け上がりながらも何度も激突しながら屋上へ上がり、そのまま落下しながら斬り付け合い、互いの刃が激突した衝撃で距離を離す。
「縛!」
 少年は右手で刀印を結び呪文を唱える。詠春の周りを風が取り巻き、まるで水飴の中に落とされたように詠春の動きは鈍った。
「必神火帝! 萬魔拱伏!」
 呪文を唱えた少年の刀印を結んだ右手に炎の刃が生まれた。少年が右手を振り下ろすと、炎の刃が詠春に向かって飛んた。詠春は気を爆発させ、自身を捕らえていた風の縛りを弾き飛ばし、太刀を振上げて炎の刃を切り裂いた。そのまま神速をもって迫り来る。神速の太刀を振るう。その一撃一撃が奥義や秘剣、技となっている。
 曰く、達人は動きの全てがこれ技となり得る。あらゆる武術に共通する極意であり、無駄な動きを一切排除し、全ての動きが必殺への導となる。気を乗せた必殺の技、命を仕留めんとする必殺の業。急所を的確に狙い、首を刎ねようと攻め立てる。
 金髪の少年はそれを時に閉じた扇で防ぎ、時に開いた扇で流し、時に術を持って迎撃した。
「更に腕をあげたようだな」
 少年は満足気に笑みを浮かべると、虚空を蹴り、一気に距離を離した。
 詠春の太刀に気が集中するのが見える。
「斬岩剣・弐の太刀――!」
 少年は今度は受けずに回避した。少年は知っていた。弐の太刀と呼ばれる神鳴流の奥技は防御を超えて敵を切り裂く必殺の剣である事を――。
「弐の太刀」
 避けた瞬間に再び聞こえる悪魔の声。次々に振るわれる弐の太刀による神鳴流の技を少年は只管回避に徹した。
「実際に戦うのは初めてだが……」
 少年は額から冷たい汗を流した。人間の枠を遥かに越えた存在。人は、それを怪物という。だが、近衛詠春は、既に怪物の枠にすら当て嵌まらない。
 通常攻撃が防御不可能な斬撃など悪夢のようだ。斬空閃・弐の太刀を回避し、少年は詠春の背後を取った。背後からの至近距離での一撃、それを詠春は事も無げに切り裂いた。
 白目と瞳の色が反転した眼光を詠春は少年に向けていた。
「これは……焚き付け過ぎたか?」
 更に動きにキレを増す詠春に少年は顔を引き攣らせた。

「つまり、以前にネギさんと共に図書館島で見つけた不思議な空間で手に入れた本が実は魔法の力を秘めた本だった……と?」
 夕映がいつもは半分くらい閉じている目をパッチリと開き、好奇心に満ちた瞳をキラキラとさせながらのどかに尋ねた。のどかは、親友の可愛らしい反応につい苦笑しながら頷いた。
「そうみたい」
「うう……、どうしてその事を今迄黙って居たのですか~」
 瞳を潤ませて尋ねる夕映に、のどかは困った顔をした。
「私も夢だと思ってたの。だって、あの時は泥だらけだった服が綺麗になってたり、あの空間から出たら、入った時間と殆ど変化無かったりで、現実感が無かったから……」
 のどかの言葉に、夕映は興奮した顔で光輝の書(ゾーハル)を見つめた。
「でも、感動です! この様な、非日常的な存在がこの世に存在するなんて! 私は、今猛烈に感動しているです~!」
「夕映っち、大興奮だね」
 顔を火照らせながら大はしゃぎしている夕映の様子を微笑ましげに眺めながら、和美はクスクスと笑った。
「でも、私も魔法の本なんて感動です~~!」
 お人形のさよが両手を上げて感動をアピールしている。
「いやいや~、そもそもさよちゃんの存在自体が結構非日常的だからね? そこんとこ自覚してる?」
 幽霊で、しかも人形に憑依しているさよの存在が非日常的でなくて、何が非日常的なんだと和美は苦笑いを浮べた。
「それにしても光輝の書(ゾーハル)ですか、聞いた事はあったのです。確か、バヒルの書という、カバラ神秘思想の道を切り開いた書物をモデルに記された書だとか。それにしても、実際の魔法の本は喋るのですね! 凄いです! 感動です!」
 夕映があらん限りの言葉で褒めちぎると、光輝の書(ゾーハル)は喜んでいるかの様に青銀の輝きを強めた。
『ムフフ~、魔法の本ではなく魔導書なのですが、そこはいいでしょう。夕映さん、綾瀬夕映さん。マスターのお友達にこんなにも理知的な方が居て安心しました。どこぞの地味な赤毛猿とは大違いですね』
 盛大な毒をナチュラルに吐く光輝の書(ゾーハル)に、和美は目元をピクピクとヒクつかせた。何が悲しくて本に馬鹿にされなければならないんだ、と。いい加減、燃やしてやろうかと思った瞬間、光輝の書(ゾーハル)の声が響いた。
『現地点より西に300m先、敵性魔術師の存在を感知しました。現状、味方と思われる隠密、狙撃手、拳法家、陰陽師は各々の戦闘に従事している為、コチラへの救援が不可能であると思われます。――敵性魔術師の数が増加、逃走は不可能であると判断しました』
「な!? じゃあ、どうすんのよ!」
 逃げられない。光輝の書(ゾーハル)のその言葉に、和美は眼を見開いて激昂した。人形のさよも、非肉体労働派ののどかと夕映も喧嘩ですら無理だ。それも、魔術などという得体の知れない力を振るう者相手に戦えなどと冗談じゃない。舌を打つと、和美はのどか達に顔を向けた。
「のどか、夕映、さよちゃん。三人は逃げて。何とか、私が囮になるから」
 和美は限られた選択肢の中から即座に最善の手を選び、決断を下した。並みの精神力ではない――。
 そう、全滅するか、一人が囮になって、残りの三人が生き残るかだ。囮になった者が生きられる保証は無い。囮になれるのは、自分しか居ない。迷いなどなく、朝倉和美は決意した。敵陣のど真ん中に駆け出そうとする和美の手を、誰かが握った。
「――――ッ!?」
 和美が顔を向けると、必死な顔でしがみ付くのどかと夕映、さよの三人だった。
「何考えてるですか!」
「囮なんて、死んじゃうじゃないですか!」
「馬鹿な事言わないで下さい、和美さん!」
 夕映とのどか、さよは怒りに顔を歪ませていた。
「だ、だって、このままだと皆危険なんだよ!? 囮になって、一人が敵の注意を引かなきゃ」
「なら、私がやります!」
「なら、私がやります!」
「なら、私がやります!」
 三人が同時に叫び、和美は肩をガックリと落としながら溜息を吐いた。
「あのねぇ、三人じゃ直ぐに殺されて終わっちゃうわよ。徒競走クラス三位の私しか出来ないの。分かって!」
「分かりません!」
 三人の言葉が再び重なった。
「殺されるってなんですか! そんなの、和美にさせる訳にはいかないです!」
 夕映が涙目になりながら必死に和美に抱きついて止めようとしたが、和美は苦笑し、次の瞬間に夕映の体を蹴っ飛ばした。
「ひゃんっ!」
「夕映!?」
「夕映さん!」
「ごめんね。ちゃんと逃げてよ? じゃなきゃ、私、無駄死になっちゃうし」
 地面に転がる夕映を助けようと和美からのどかとさよが手を離した隙に、和美は走り出した。到底、夕映達では追いつけない速度で。
「待って、待ってください、和美さん!」
 さよが必死に叫ぶが、既に和美の姿は木々の合間に消え、ゾッとする様な殺意が爆発した。夕映とのどか、さよは戦慄した。
 死ぬ、このままでは間違いなく和美が死んでしまう。そう本能が直感し、和美の死に様を幾通りも幻視させた。
『一つだけ手段があります。時間は残されていないでしょう。現在、和美さんは何とか逃げていますが、保って数分。マスター、夕映さん。この場で決断して下さい。日常を捨て、友を救出するか、友を捨て、日常を続けるか』
 光輝の書(ゾーハル)の言葉に、ハッとなった。そんな事、考える必要も無かった。二人の声が重なる。
「助ける!」
 光輝の書(ゾーハル)は微笑んだ気がした。
『了解しました。綾瀬夕映さんの魔術師適正が一定ラインを超えています。現状を覆す為に、マスターは綾瀬夕映さんと仮契約を施行して下さい。それにより、綾瀬夕映さんの魔力を使い、魔導書の力を発動します。この場で最も適切な魔術を発動し、朝倉和美さんを救出します。それでは、仮契約の術式を展開します。魔法陣の上に立って下さい』
 光輝の書(ゾーハル)の言葉が終わると同時に、地面に仮契約の魔法陣が光の帯によって構築された。のどかの僅かな魔力を使い、光輝の書(ゾーハル)が発動したのだ。
「どうすればいいのですか?」
『契約は数秒で終了しますが、仮契約の際に干渉を行いますので、キスをしたら、しばらく離れないで下さい』
「はっ!?」
 今、コイツ何言いやがりました? 二人はとても他人に見せられない表情で硬直した。
『時間がありません。仮契約には、契約の精霊に誓いを立てなければなりません。キスをして下さい』
 反論を聞く暇も無いのだと言外に告げる光輝の書(ゾーハル)に、夕映とのどかは真っ赤になりながらも魔法陣の上に立った。お互いにお互いの顔をまともに見れなかった。
 まさか、親友とキスする事態になるなど、数分前まで想像もしてなかったのだ。親友とキス。それも、女同士でだ。だが、迷っている時間は無い。質問をしている時間すら惜しいのだ。一秒毎に朝倉和美が死ぬ可能性が高まる。そんな未来は断固として拒否する。二人は迷いを破棄した。自分達を護ろうと、即座に囮を買って出た和美を放って、自分達の倫理などに構ってはいられない。
「のどか……いきます」
「うん」
 二人はゆっくりと口を合わせた。柔らかい感触に身震いする。感じた事の無い感触だった。相手の唇が熱を持っている様な感覚だった。数秒――キスをしながら、お互いの間に確かな絆が生まれるのを確かめ合った。
『仮契約の術式に干渉開始。これより、“光輝の書(ゾーハル)”を宮崎のどかのアーティファクトに割り込み登録します。……完了。ご苦労様でした』
 光輝の書(ゾーハル)が終わりを告げると、寂しさを感じながら二人は離れた。さよは二人の口付けに淫靡さを感じなかった。生まれる筈もない、二人は自分が最も親しくしているいつも自分を護ってくれる一番大きな存在を助ける為に唇を合わせたのだ。
 胸の中には、感謝の念が広がった。光輝の書(ゾーハル)のページが開かれる。
『マスター・宮崎のどかとその主、綾瀬夕映との間のラインを確認。これより光輝の書(ゾーハル)の設定を変更します。尚、安全装置(セーフティー)の解除は現在不可能となっており、条件が成立しない限り、二度と設定を変更できません。それでは、魔導書の魔力の供給源を綾瀬夕映に、魔導書の所有権並びに使用権を宮崎のどかに、魔導書の魔術発現対象を朝倉和美にセットしますがよろしいですか?』
 光輝の書(ゾーハル)の言っている意味は殆ど理解出来ていなかった。それでも、一刻も早く友を救いたい。その思いが、一瞬の迷いも許さなかった。
「よろしいです。だから、はやく和美さんを助けて下さい!!」
『All right.』
 その瞬間、夕映が身悶え始めた。
「夕映!?」
「夕映さん!?」
 のどかとさよが夕映に駆け寄ると、光輝の書(ゾーハル)が輝き始めた。
『現在、綾瀬夕映さんから魔力を供給されています。魔力の流れは性感に似た感覚なので、慣れない方はしばしばそうなりますが、問題はありません』
「せいかッ!?」
 のどかとさよは絶句してしまった。

 森の中に突入した朝倉和美は舌を打った。命を代価にしても、三人が逃げるまでに相当な時間を稼ぐ必要がある。それに、和美はみすみす殺されてやる気は無かった。十分に時間を稼げば即座に逃げ出す気だった。だが、森の中に入った瞬間にその思考は脆くもやぶれさった。炎、氷、雷、光、水、闇、雷、風、あらゆる属性の魔法が和美に絶え間なく襲い掛かる。
 森の中で、木々が壁になってくれなければ、即座に醜い死体を曝す事になるのは必定だった。
「これが……魔法。興味はあるけど……」
 取材をしている暇は無かった。只管に木々の合間を抜けながら、それでも敵に諦めさせない様に気をつける。撒いてしまって、三人の下に向かわれては本末転倒だ。
 どのくらい走っただろうか。時折石を投げては注意を向けて走り続け、和美は汗だくになり息が切れていた。僅か三分。それだけでも、全速疾走しながら、常に緊張感を持ち、集中を切らせずにいれば、並みの女子中学生としては破格の能力といえる。
 強靭な精神力による支えであった。友を護る、その為だけに命を投げ出す。自分の命を軽んじたのではない。ただ、信念に従っただけだ。人の命は軽くは無い。人の命は数では無いが、例え九を助ける為に一を犠牲にしたとしても、助かった九には犠牲になった一の命と同等の重さがそれぞれにあるのだ。
 その一の犠牲を自分に当て嵌める。斬り捨てられる側に回る事は、普通の精神では出来ない。それを為す事が出来るから、朝倉和美はさよを守護霊に出来て、あまつさえ、常時人形に憑依させていられるのだ。元より破格の器を持つ少女。それが、朝倉和美という人間だった。

『念話の応答が可能でしたら、心で話して下さい』
 唐突に響いた不思議な声は、あの腹の立つ魔導書だった。だが、何故かそれが自分の気持ちを鼓舞してくれた。
『念話って……これでいいの? よく、アニメで見るけど出来てるかな?』
『完璧です。これより、貴女に力を与えます。敵を解析した結果、敵性魔術師は洗脳されている可能性があります。そして、貴女の秘めている可能性。それを前提に、魔力供給源である綾瀬夕映の魔力の生命維持に必要な限界までの魔力を利用した場合における最適な術式を選定しました。マスター・宮崎のどかと、その主、綾瀬夕映は貴女を助けると決断しました。ですから、貴女も決断して下さい。彼女達を護り続けると。既に、貴女達は元の日常には帰れません。ですが、それを知った上で、彼女達は決断しました。貴女はどうしますか?』
 言っている内容は何となく理解出来た。
「馬鹿……」
 小さく呟いた。恐らく聞こえてるだろうに、光輝の書(ゾーハル)は何も言わなかった。迷う理由は無い。心にあるのは感謝の気持ちだった。
 何となく理解出来る。日常から切り離されたのだと。だって魔法だ。そんな物、この科学社会において完全に異端だ。そんな世界に足を踏み入れたのだからしょうがない。
 何よりも、そんな世界に引き返すチャンスを棒に振って自分を助けようとしている二人の期待に答えずに、何が朝倉和美かッ! 心は燃え盛る業火の如く熱せられた。
『力を頂戴! 日常? 非日常にこそ、面白いスクープはあるってもんよ! 二人を護れ? 護ってやるわよ!』
『All right.術式発動――身体強化・速度増強。走ってください。もう、貴女は誰にも追いつかれません』
 フワリと、体が軽くなるのを感じた。不思議な気持ち良さに、こんな状況だと言うのに腰が抜けそうになる。必死に全身を愛撫するナニカに耐え、和美は気付いた。
「息が整ってる。それに……力が漲ってる!」
 走り出した。それはまさに疾風の如き速さだった。和美の姿が霞んで見える程の、通り抜けた跡に突風が巻き起こる程の超スピード。明日菜や強化したネギすらも追い越してしまえる程の誰にも負けない速さだった。だが、体は傷だらけになった。あまりの速度に、体を制御出来ていないのだ。視界も風の強さに目を開けられない。謝って転ぶと、すさまじい土煙を上げて大地を抉った。
「痛ッ!」
 和美は涙眼になるが、起きた現象に比べてダメージは驚くほど少ない。
『術式を追加します。動体視力、反応速度を強化。風の障壁を展開します。これで、速度を出しながら制御し視界を確保出来る様になると思います』
『最初からやってよッ!』
『……テヘッ』
 和美はプルプルと肩を震わせながら心を落ち着かせた。覚悟を決め、再び駆け出すと世界は一変した――。
 眼を開くことが出来た。空気の壁を感じない。体が自由に動く。一瞬にして100mを行って戻って来ると、和美はその力を自分のモノにしていた。
「凄い……。これが、あの馬鹿本の力ッ!?」
『馬鹿本ではありません……。これより、残りの綾瀬夕映の魔力から貴女に飛翔能力と魔術をダウンロードします。ただし、この作業には脳にかなりの負荷がある為、戦闘終了後は丸一日覚醒出来ないでしょう。ダウンロード直後も、脳は混乱しているでしょうから、術の発動だけを意識していて下さい。残りのサポートは私が行います』
 和美は溜息交じりに首を鳴らした。片目を閉じながら大きく息を吸う。
『んじゃ、夕映とのどかとさよちゃんに伝言よろしく。ありがとね』
『All right.術式のダウンロードを開始します』
 直後、凄まじい耳鳴りが起きた。視界が二重三重四重五重にぶれていく。世界が反転し、色彩が狂った。
 耳が痛い、眼が痛い、喉が痛い、頭が痛い、骨が痛い、鼻が痛い、腕が痛い、肩が痛い、足が痛い、股が痛い、足が痛い、指先が痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い。
 どれだけの時間が経ったのか分からない。『――終了です』という言葉だけが聞こえ、その瞬間に脳裏にあったのは、術式の発動。ただそれだけだった。他は一切考えられない。何で発動するのか。何を発動するのか。自分は誰なのか、ここはどこなのか、自分とは何なのか、この言葉はなんなのか、言葉とはなんなのか、この思考は誰の思考なのか、誰とは誰?誰って何?分からない分からない分からない分からない分からない分からない分からない分からない分からない分からない分からない分からない分からない分からない分からない分からない分からない分からない分からない分からない分からない分からない分からない分からない分からない分からない分からない分からない分からない分からない分からない分からない分からない分からない分からない分からない分からない分からない分からない分からない――。
 和美はただ、何かに導かれるままに手を伸ばし、何かに導かれるままに何かを喋り、何かを使い、意識を失った――。夕映とのどかの泣き声が聞こえた気がした。
 無事だった。それだけで、心は温まった。その様子を、遠くから見守る影があった。
「さすがだな。さよを任せるに値すると踏んだが、あれは破格だな。助けるまでもなかったか……」
 詠春と戦っている最中の筈の金髪の少年だった。少年は遠見の魔法を消すと、念話を送った。
『悪いな、遅くなって。準備は完了だ。ああ、奴さんの召喚の手筈は整ってるぜ』
 次の瞬間、金髪の少年は詠春共々その姿を跡形も無く消し去った――



[8211] 魔法生徒ネギま! [第五章・修学旅行編] 第二十六話『新たなる絆、覚醒の時』
Name: 我武者羅◆cb6314d6 ID:87b1fc72
Date: 2010/06/13 05:11
魔法生徒ネギま! 第二十六話『新たなる絆、覚醒の時』


 2003年4月23日水曜日の午前九時頃。麻帆良学園の並木道を真っ直ぐに歩く二人の少女の姿があった。
「忘れ物は無いな?」
 600年を生きた古血の吸血鬼の少女は、期待に満ちた瞳を隠し切れず、まるで容姿相応の少女の様に愛らしい笑みを零していた。本人は気が付いていないらしく、自分のカリスマ性は一切失われていないと考えている辺りに、茶々丸は自分の知らない回路が熱を放っている事に気が付いていなかった。
 ただ、只管にウキウキしている愛しい愛しい我が主、闇の眷属であり、血族の居ないただ一人の血統の始祖でありながら、漆黒のゴシックロリータが反則的なまでに似合う不死の魔法使い、童姿の闇の魔王、闇の福音、禍音の使途……その仕草一つ一つを残さずに備え付けられた機能の一つである超高性能カメラと超高性能ビデオによって記録し続けている。その一挙一動にムズムズとしながら、茶々丸は平静を取り繕ってエヴァンジェリンと談笑しながら歩いていた。
「条件付きとはいえ、良かったですね、マスター」
 茶々丸は笑みを零した。主の幸せそうな笑顔に、機械で在る筈なのに心が温まる気分だった。素晴らしい我が主。愛おしい我が主。可愛らしい我が主。貴女の幸せこそが我が幸せなのです、と茶々丸は胸の内で呟いていた。
「フンッ! 私を利用しようなどと百年早い! 早いが、奴とは長い付き合いだしな。少しは手を貸してやるのもやぶさかではない。それに、アイツ等と共に初の修学旅行を楽しむのも悪く無いしな」
 間違いなく、それが全てなのだろう。それを理解しながら、口に出す愚考を完全無欠のメイドである絡繰茶々丸が犯す筈も無かった。
「ええ、その通りです。この機会に恩を売る事も出来ますしね」
「その通りだ! 分かっているじゃないか、さすがは我が従者!」
 茶々丸の答えに満足気に頷くと、茶々丸の背負った鞄に眼を向けた。そこには、寝間着やタオル、シャンプー、石鹸、歯磨きセットにゲームに枕まで入っている。巨大な荷物を持つ事も、主の喜びを思えば全く感じない。
 武装もこの事を言い渡された昨日の昼頃から大学部に赴き、葉加瀬の秘密の研究室からありったけの機材を強奪して装備している。ついでに、超の研究室にあった、標的を原子レベルで分解する、超がノリで作ってしまい、処分しようとしていた“機体番号T-ANK-α3用試作モデル・ハイメガブラスターNK2W”も拝借している。下手をすると、そのまま某国に単身で戦争を仕掛けて勝利出来てしまい兼ねない物騒すぎる武装を身に着けながら、茶々丸は笑みを絶やさなかった。
「それにしても、まさか修学旅行先でも厄介事に巻き込まれるとは……。どうなのだ、お前の弟子の仕上がり具合は?」
 脈絡の無い質問だが、茶々丸は滑らかに答えた。
「明日菜さんはハッキリ言えば異常です。あの方の潜在能力は全くの未知数。未だ、戦闘経験の不足や技術面の不足がありますが、それを補ってあまりある才覚と反応速度、力、速度、動体視力などの異常なまでな身体能力。いずれ、彼女はそう遠くない内に最初にマスターやサウザンドマスターのクラスに上がるでしょう」
「だろうな……。魔力や気を打ち消し、召喚された存在は無機物だろうと問答無用で送還する。その上、あの異常過ぎる身体能力だ。加えて、あれの精神は凄まじい。一度死を経験して尚も立ち上がるまでにノータイムだった。あの類稀な真っ直ぐな人格を歪ませる事だけは許すな。分かっているな?」
 エヴァンジェリンは鋭く茶々丸に視線を送った。茶々丸は厳粛に頷き返した。
「承知しております。あの方の在り方は貴重です。このまま、真っ直ぐに大人になれば、彼女は“立派な魔法使い”に至れるでしょう」
「私としては、平和な職業に就かせたいのだがな」
 困ったものだ、とエヴァンジェリンは苦笑した。
「ネギさんの方はどうなのですか?」
 茶々丸が逆に尋ねると、エヴァンジェリンは鼻で笑った。
「アイツは、今は才能だけだ。過去を引き摺り、周りを巻き込んでいる事への負い目で心を責め続けている。あれでは、そう遠くない内に潰れるだろうさ」
「マスター……?」
 エヴァンジェリンの不穏な言葉に、茶々丸は怪訝な顔をした。
「だから、父親の別荘の事を話したのだ。そこで、何も掴めないなら、アイツはそこまでだ。仮に……アイツが心を本当の意味で明かせる奴が居れば話は別だがな。カモの奴は忠告してやったのに未だに本当に眼を向けるべき事を理解していない」
 エヴァンジェリンは忌々しげな表情を浮かべながら呟いた。そのまま、エヴァンジェリンと茶々丸は指定された場所にやって来た。そこは、麻帆良の郊外にある幾つかある魔術の練習場だった。ここで、魔法先生や魔法生徒は己の鍛錬をこなす。練習場に入ると、そこには見知らぬ男が立っていた。青いラインの白い狩衣を着た、腰まで伸びる黒い髪を首の後ろで白い紐で結んでいる。端麗な顔立ちの二十台半ばあたりだろう青年だった。
「ああ、来たか。待っていたぞ、エヴァンジェリンよ」
 穏やかな響きの声だった。漆黒の眼が真っ直ぐにエヴァンジェリンを射抜く。
「お前は……? 見ない顔だが」
 エヴァンジェリンは怪訝な顔をした。当然だろう、十五年もこの地に縛り付けられているのだ。魔法先生ならば、大概は顔見知りだ。いい意味でも、悪い意味でも。そのエヴァンジェリンが見た事も無いのだ。警戒をするなという方が無理な話だ。
「そう警戒しなくてよい。さて、これからお前さんを関西呪術協会に送るのだが、色々と儀式が必要でな。何しろ、お前さんがこの地に留まっているという事にして学園結界と共に他の魔法教師や魔法生徒並びに教会や魔術関係者を騙す訳だからな」
「お前が、それらを全て誤魔化せるというのか?」
 エヴァンジェリンは眼を細めた。正直に言えば、エヴァンジェリンにはどうしたらそんな真似が出来るのか想像も出来なかった。そもそも、目の前の男は怪し過ぎる。このまま信用するなど出来る筈も無い。
「警戒は当然。だが、時間は無いぞ」
 男は目を閉じながら言った。
「先に、説明をしよう。最初に、お前にはエヴァンジェリン・A・K・マクダウェルであると他人に気付かれないよう認識阻害を掛ける。我が特別製の術式だ。見破られる事は無いだろう。お前さんをエヴァンジェリン・A・K・マクダウェルだと理解した上でないと、お前さんをエヴァンジェリン・A・K・マクダウェルと認識出来ない様にする。そして、学園結界の方は、もう既に誤魔化す準備は出来ている。儀式魔法を発動させた瞬間に、お前さんを転移させる。それで仕舞いだ」
「貴様……本当に何者なんだ?」
「その質問に意味はあるかな?」
 エヴァンジェリンは男の返しに舌を打った。巫山戯ている。言うのは簡単だが、そんな強力な認識阻害などそう簡単には出来ないし、自分が十五年掛けても解読出来なかった術式を誤魔化すなど、並大抵の事ではない。
「そうムッツリするな。とにかく、時間は無い。始めるぞ」
「……わかった。茶々丸、少し下がっていろ」
「了解しました」
 茶々丸は、男を睨みながら下がった。少しでも不穏な動きを見せれば、その瞬間に殺すという意思を持って。

 世界が波紋を広げる様に揺らいだ。瞬間、それまで目に見えぬ壁として周囲一体に偏在していた結界の力が、統制を解かれて乱れながら空気へ溶け込んだ。同時に、それまで結界によって均衡を保たれていた関西呪術協会の総本山の陰陽のバランスが崩れ、中に充満していた濃密な魔力が一気に解放され、眼には見えず、触れることも出来ない力の波動が京都全土に広がった。
 木々は活性化し、ある所では道端に突如花畑が誕生し、ある自動車車線には突如大木が発生した。吹き荒ぶ神秘的なエネルギーを肌で感じながら、一同は互いに頷き合うと、一歩その足を総本山の境界線へと足を踏み入れた。
「いいですか、目的は、総本山。恐らくは大将が居る筈です。目的は、その大将の打倒。その際に現れるだろう存在は、手筈通りに可能な限り無視して下さい。戦闘に陥る場合は、作戦通りに――。私が裏切り者の神鳴流を倒しますから、西洋魔法使いが現れた場合は明日菜さん、それに高畑先生、お願いしますね」
「任せといて!」
「ああ、任せてくれ」
 刹那は、言葉少なめに、それでも確りした返答に満足し、顔を前方に向けた。
「前方に敵影を確認しました。可能な限り、戦闘はせずに体力の温存を心掛けて下さい。それでは、行きます!」
 総本山への道のりは舗装されたコンクリートの道路だった。色取り取りの魔弾や気弾が無数に矢の如く上空から降り注いだ。
「気と魔法の合一……『咸卦法』ッ!」
 直後、タカミチは凄まじいオーラを放ちながら前方に飛び出し、ポケットに手を突っ込んだままという独特のスタイルで凄まじい衝撃波を魔弾の豪雨に向けて放った。驚愕する明日菜達に眼もくれず、タカミチは第二波を目視し再び衝撃波を放った。
「居合い拳か、紅き翼のガトウ・カグラ・ヴァンデンバーグの得意とした技。それに、究極技法の咸卦法まで……。やるじゃねぇか、タカミチ」
 ネギの肩に乗りながら感心した様に呟くカモ。ネギはその魔弾の弾幕の向こう側に無数の神鳴流の軍勢を確認した。杖を回転させ、前方に投げると、その杖に跳び乗り、横を向く感じに座ると、「加速」と唱え、タカミチの前に躍り出た。
「ラス・テル マ・スキル マギステル。風の精霊199人、縛鎖となりて敵を捕まえろ。サギタ・マギカ・戒めの風矢!!」
 ネギの乗る杖から、無数の風の矢が飛び出し、前方に展開する神鳴流剣士達を次々に捕縛していく。美空は「加速装置――ッ!!」と叫びながら敵兵を跳び越すと、そのまま先を行った。
 刹那は翼を広げて明日菜と木乃香の手を取り、ネギがタカミチを杖に乗せると、そのまま敵の神鳴流の上空を跳び越した。風の戒めを受けながら、それでも魔弾や気弾を放ってくるが、ネギと刹那は重量に耐えるのに必死で迎撃に移れない。
「二重結界!」
 すると、木乃香が二枚の結界符を放ち発動した。エヴァンジェリンとの修行が生かされているのだ。二つの長方形で紅い枠線の複雑な文字や記号の刻まれたエヴァンジェリン特製結界符は光を放ち、拡大化して重なり合いながら回転し、ネギと刹那を守る巨大な防壁となった。
「不味いな……」
 タカミチが呟くと、前方に浮かんでいる黒髪短髪の虚ろな眼をした呪術師の女性の姿があった。女性の右手には長大な紫紺の弓が握られ、左手は弦を引いていた。だが、その左手に矢は添えられていなかった。だが、尋常でない気配と、焦燥に駆られた表情の刹那を見て、ネギは緊急事態である事を感じていた。
 女性が弦を放した直後、金色の矢が出現し、雷の槍となってネギと刹那に襲い掛かった。間一髪の所で落下する様に矢を回避した二人は、そのまま地上に降り立つとそれぞれを降ろして走り出した。
 駆け出すネギ達の上空から、再び何も持たずに弦を持ち、ネギ達に向けて弦を放つ。今度は、蒼と紅の無数の光球が螺旋状に並んだ矢が凄まじい回転をしながら降り注いだ。
「何なのあの人!?」
 明日菜が思わず走りながら悲鳴を上げた。まさか、あんなのまで居るとは想定外だったからだ。
「しまった。洗脳されている以上、どんな者も雑兵に変ると考えましたが、あの方を見る限り、そこまで甘くは無いようですね。さすがに、気配察知等の能力は低下してるでしょうが、技能の低下は無いと見るべきでしょう……」
「せっちゃん、あん人って……」
「ええ、お嬢様が京都に居られた際に華道の稽古を指南されていた方です。あの方は矢を媒介に、詠唱無しに高威力の魔術を扱える。関西呪術協会でも有数の実力者です」
「って、今度は凄いの来た――ッ!!」
 走りながら解説している刹那の言葉を遮る様に、明日菜が悲鳴を上げた。上空を見上げると、弓に掛けている右手の伸ばした人差し指の先から巨大な金色の陰陽様式の魔法陣が展開していた。八卦盤に似た魔法陣は、回転しながらネギ達を向いている。
「まさか……“天狗流星(テング・メテオ)”!? やばい、集まって下さい!!」
 独鈷杵を取り出しながら、ネギ達に血相を変えて叫ぶ刹那に、見た目のやばさも相まって慌てて集まった。
「四天結界独鈷錬殻!!」
 三角錐状の結界が展開すると同時に、女性が弦を放した瞬間、魔法陣が一瞬でビー玉程度の大きさに収縮すると、殆ど対城クラスの魔法砲撃が発動した。金色の破壊が大地を蹂躙する。結界の内側から眺めた破壊の奔流は、世界の終焉すら予感させる恐ろしい力だった。
「何なの……これ?」
 明日菜が呆然と呟くと、刹那が額から汗を流しながら応えた。
「あの方の奥義です。さすがと言いますか……。決戦奥義を使ってくるとは――」
 漸く、破壊の光が消え去った後、周囲は破壊の限りを尽くされ、美麗な景色は見るも無残なまでに崩壊していた。木々は裂け、草木は焼き払われ、大地は抉られ、虫も獣もすべてが死に絶えていた。頭上を見上げれば、今度は銀色の閃光が人差し指の先に集まっている。
「ここで時間を取られるのは不味いですね……」
 刹那が呟くと、ネギが意を決した表情で口を開いた。
「刹那さん、ここは私に任せてください」
 刹那は眼を見開いた。
「しかし…………」
「あの人の相手は飛行能力のある人間でないと……。ここで足止めを喰らう余裕はありませんから――」
 ネギの言いたい事は理解出来る。先に進むには、自分が居なければならない。だが、ネギを一人で置いていくには、相手が悪すぎる。
「大丈夫です。必ず追いつきますから」
 ネギが刹那を真正面に捕らえて告げると、刹那は一瞬眼を閉じて「分かりました」と一言搾り出すように呟いた。
「必ず追い掛けて来て下さい。貴女が居なければ、勝率は大幅に下がってしまうのですから」
 ネギは確りと頷いて見せた。直後、女性の放った銀色の閃光が弾け、無数の銀の光球となって虚空に浮かんだ。そして、爆発するように互いを銀色の閃光で結びつけ合い、ネギ達を完全に捕縛した。
「囲まれたッ!?」
「なら、私が――ッ!!」
 刹那が眼を見開くと、明日菜がハマノツルギを握って駆け出そうとする。
「いいえ、私が道を開きます」
 その明日菜を制して、ネギが杖を振るった。
「ラス・テル マ・スキル マギステル! 来れ雷精 風の精 雷を纏いて 吹きすさべ 南洋の嵐 “雷の暴風”!」
 銀の捕縛結界を蹴散らし、雷を纏った真横に倒れた様に伸びる竜巻が道を切り開いた。
「行って下さい!」
 ネギが叫ぶと、明日菜がネギを見た。
「信じてるからね」
 その言葉に、ネギは笑みを浮べた。
「はい。待ってて下さいね」
 それだけで、明日菜は満足して走り出した。もう振り返らない。後方はネギに任せたのだ。敵の攻撃を心配する必要も、ネギの身を案じる必要も無い。
 “あの程度の魔術師”にネギは負けないと信じているから。その信頼を見て、刹那はクッと笑みを浮べた。ネギを残す事を心配した自分は、結局ネギを信じていないだけなのだと理解したから。
「お願いします、ネギさん!」
 それだけで、明日菜の後を追った。
「頑張るんだよ、ネギ君」
「ネギちゃん、待ってるで?」
「カモ君も」
「姉貴……」
 タカミチと木乃香はそれだけを言うと、笑みを浮べてそのまま走り出した。ネギに促され、タカミチの肩に乗ったカモは僅かに心配そうに顔を向けたが、去って行った四人に背を向け、ネギは上空に浮かぶ魔弾の射手に顔を向ける。
 虚空に君臨する女王が如く、女性はネギを感情の無い瞳で見下ろしている。
「謝罪は後でします。罰も必ず受けます。だから、今は……貴女を倒します」
 ネギはそう言うと、杖に乗り女性に向かって翔け出した。女性はすかさず、ネギではなく逃げ去った明日菜達に向けて水色の輝く鋭い槍を指先に発生させた。
「ラス・テル マ・スキル マギステル! 影の地、統ぶる者。スカサハの我が手に授けん。三十の棘もつ愛しき槍を。『雷の投擲』!」
 放たれた氷結の矢は、ネギの雷の槍によって相殺された。そのまま、エヴァンジェリンとの修行で鍛えた魔力の操作によって、無数の雷弾を操り、四方八方から女性に襲い掛からせる。
 すると、女性は懐から符を取り出して迫り来る雷弾に向けて回転する様に投げた。それぞれの符が金色に煌き、まるで膜の様に女性を覆って雷弾を防いだ。
「凄い……」
 ネギは思わず感心してしまった。弓による遠距離だけでなく、近距離の防御も凄まじい。エヴァンジェリンが言っていた言葉を思い出した。
『いいか? 魔法使いの基本は固定砲台だ。前面を従者に護らせ、後方から支援する。その為に、遠距離の攻撃に重きを置きたくなるが、むしろ防御力を高める事が最も重要なのだ。何せ、後方支援というのは、味方の前衛からも距離が離れるからな。自分の身を護るくらいは自分でしなければならんのだ』
 目の前の女性は、その後方支援タイプの魔術師の極みと言えた。圧倒的な火力と、自己防衛。ネギは知らず唾を飲み込んでいた。気を引き締め直す。標的をネギに絞った女性の指先に蒼と紅の光球が螺旋構造を描いて出現した。
 まるで、それはテレビや教科書でよく見るDNAの様だと思った。放たれた光球は螺旋回転しながらネギに凄まじい速度で向かう。すかさず真横に回避するネギは目を見開いた。螺旋回転していた光球が弾け、放物線を描きながらネギに迫ってきているのだ。
「追尾型!? ラス・テル マ・スキル マギステル! 風花・風障壁!!」
 風がネギを護る様に渦巻く。風の障壁に着弾した光球が弾けて障壁を貫通して熱を感じさせる。ネギは反撃を試みようと顔を向けた瞬間、既に女性は次の攻撃に移っていた。
 瞬間、ネギを取り囲むように緑色の光球が出現し、弾けた瞬間にまるで膜の様にネギの居る空間を覆った。そして、今度は左手に光の矢を構えている。
「不味い!」
 ネギは焦燥に駆られたまま呪文を詠唱した。
「ラス・テル マ・スキル マギステル! 風の精霊17人、集い来りて敵を射て! サギタ・マギカ、収束・雷の17矢!!」
 矢を緑色の光の壁にぶつけた瞬間、消えたかどうかを確認する暇も惜しんで当てた場所に飛び込んだ。
「え?」
 弾き返された。翠の壁は健在だった。直後、女性の放った光の細く長い矢がネギの右腕を貫通した。そして――、悲鳴を上げる暇も無い。光の矢は翠の壁に激突すると、反射して再びネギに襲い掛かったのだ。
「!?」
 それは、“死へと迷い込む竹林”という術だった。その中に閉じ込められたが最後、狂った様に跳ね回る光の矢に徐々に切り裂かれ、突き刺され死んで行く。
 ネギは翠の球体状の空間で凄まじい速度の銀の閃光を殆ど勘だけで避けていたが、全身が血塗れになり、激痛に顔を歪めていた。ネギはこの術式の唯一の突破口を理解していた。それは、最初に矢が中に入って来た時の事を考えれば一目瞭然だった。
「外からの攻撃なら。でも……」
 外から破壊しようにも、自分は中に居るのだ。その上、外には味方は居ない。ネギは一対一で相手をするべきでは無かったのだと理解した。そして、苦悶を浮かべながら倒れ込み、銀の閃光が襲い掛かる瞬間に、無意識に呟いていた――。
「たす……けて」
 その、掠れた弱々しい声を、たった一人が聞きつけていた。ガラスの割れた様な音が響き、ぼやけた視界の緑が消え去り、自分の体を誰かが抱えていた。
「ったく、後方支援の魔法使いが一人で戦おうとか無茶苦茶やで?」
 あまり優しいとは言えない言葉だったが、その声の響きに、ネギは安堵の笑みを浮かべ……おでこに衝撃を受けた。
「痛ッ!?」
「何ニヤけてんねん、きしょいで?」
「……………………」
 痛みを訴えると、返ってきたのは冷たい声だった。薄っすらと眼を開くと、痛みで苦悶の声を上げた。ギシリと微かな音が聞こえた。それは、小太郎の歯を噛み締める音だった。
「血、流し過ぎや。アホたれ」
 口元を指で拭われ、優しく抱き締められた。
「ちょっとだけ我慢しとれ。すぐ、木乃香の姉ちゃんとこ連れてったるからな」
「うん……」
 痛みに頭がポゥっとなりながら、ネギはそれだけを言うと意識を手放した。
 小太郎は、ネギ達が女性と出会う少し前に千草と合流しようとしていた。千草の方も、小太郎の気配を察して向かって来ていた。そして、刹那からの念話を受けた千草はそのまま刹那達を援護する為に追いかけ、小太郎がネギの援護をする為に走って来たのだ。ギリギリで間に合ったとはいえ、ネギの体はアチコチに穴が空いてしまっていた。
 頭に血が昇り、沸騰した様に熱を持ち、ガンガンと痛くなった。怒りのあまりに視界が揺らいだ。上空に浮かぶ女性は、再び銀色の光の矢を弦に番えて二人を狙っていた。
 ドガッという打撃音が響いた――。
「後ろがお留守やで?」
 崩れ落ちる様に意識を失い落下する女性を抱き止めた小太郎が呟いた。洗脳されているが故に、気配を察知するなどの感覚的な行動は取れなかったのだ。視界に映らない完全な死角からの不意打ちだった。女性を抱き抱えているもう一人の影分身である小太郎の視線の先、森の中にはもう一人の小太郎が狗神を放った状態のまま右手を掲げて立っていた。女性を抱き止めた影分身と狗神を放った影分身を消し、ネギを抱えたまま駆けだした。

 流れ往く景色を尻目に、明日菜達は走り続けていた。既に何十、何百の呪術師や神鳴流を空を跳び、千草の木属性の拘束でやり過ごしている。明日菜達が敢えて舗装された道を走っているのは、千草のバックアップを最大限に活用する為だ。森の木々の合間を縫って行くと、時間が掛かる上に直ぐに疲弊してしまう。更に、明日菜達が目立つ事で、森の中の千草の存在が気付かれる事無く、援護を容易くしているのだ。総本山が目視出来る地点に到達した時、炎の塊が飛来した。明日菜がすかさず斬りかかろうとした瞬間、炎の球は弾け、巨大な“大”文字を描き出した。
「これは、“京都大文字焼き”!?」
 刹那が叫ぶと同時に、タカミチが居合い拳によって大文字を吹き消した。土煙が舞い上がった先に、スラリとした人影があった。真紅の袴に白の着物、濡れた様に艶やかな黒髪は腰まで伸びているのを白い紐で首の後ろにて結わいている。その右手には一振りの太刀が握られ、光の灯らない瞳がジッと明日菜達を見つめていた。
 刹那の眼が見開かれる。声も出ないほどの驚愕に、精神がおいついてこないのだ。
「せっちゃんの……お母様」
 木乃香が呆然とした様に呟くと、明日菜達はギョッとした。
「あれが……刹那さんのお母さん?」
 鋭い眼差しだが、その美貌は類稀だった。柔和という言葉が似合わない、その気品は洗脳されている状態で尚も揺らぐ事が無く、その存在は、圧倒的なまでに場を支配していた。
 桜咲は、その白き柄の太刀を振り上げた。刹那は反応が一瞬遅れてしまう。その前面にタカミチが飛び出した。だが、桜咲の放った斬撃を防ぐ術をタカミチは持っていなかった。舌を打つと、視界に新たな影が現れた。
 バキンッというガラスの割れた様な音が響き渡る。ハマノツルギによって、桜咲の斬撃が破壊された音だ。
「行って、皆。この人は、私がやる」
 明日菜は、両手でハマノツルギを構えながら宣言した。
「待ってください! 母上は長の警護担当をしている程の実力者なのです。ここは、私が!」
「駄目。お母さんと刃を交えるのは論外よ。大丈夫、負けないし、怪我もさせない。時間を稼いだら全力で逃げるから」
 刹那の声を遮り、明日菜は威風堂々の構えで言った。
「明日菜君。なら、ここは僕が引き受ける。彼女の実力は君よりも……」
 タカミチが全てを言い切る前に、明日菜は頷いていた。
「分かってます。でも、ここから先、まだ現れていない西洋魔法使いや、裏切り者の神鳴流が待ってます。高畑先生抜きじゃ……勝てないと思います」
 明日菜の考えに、タカミチは「それでも……」と明日菜に声を掛けようとした。だが、明日菜は薄っすらと優雅に微笑んだ。
「それに、こういう瞬間はこれから何度も来ると思います。その時に、何時でも誰かを頼れる状況とは限らないんです。だから、今は少しでも経験を積みたい……って、茶々丸さんの教えそのまんまですけど」
 にゃははと笑みを浮かべながらも桜咲に対敵する明日菜を、タカミチは呆然と、眩しい者を見るかの様に眺めた。ゾクゾクする、神楽坂明日菜という少女の強さに。圧倒的と分かっていながら、それに立ち向かおうとするその姿に、嘗ての英雄達の姿を幻視させた。
 ああ、やっぱり僕とは格が違う。溜飲を下げる。神楽坂明日菜の心の高揚に反応して輝きを増すハマノツルギ。
 オレンジ色の髪の少女は、まさしく今、嘗て自分の憧れた英雄に助けられていた少女ではなく、一人の戦士として存在しているのだ。英雄と呼ばれる存在になれるだろう器がある。自分ではどうあっても到達不可能な領域に、彼女は僅か数ヶ月に足を踏み入れたのだ。
 “新しい時代で活躍する者(ケンデバイオス)”……なんて眩しい。近右衛門の嘗て言っていた言葉が理解出来た。時代は、動いているのだと。
 最早、サウザンドマスター率いる“紅き翼”さえも過去の存在なのだ。新たな時代は、新たな世代が切り開く。自分は、そこから漏れてしまっているのだ。胸がギシリと痛んだ。羨ましい、そんな感情が恥しい。羨望の眼差しで見るなど間違っている。それが分かっていても、タカミチにはその情動を抑えるしかなかった。
「分かった。必ず、無理はしない事を約束してくれ。危険を感じたら即座に逃げる。分かったね?」
 タカミチは、心の内を必死に覆い隠しながら言った。明日菜は、そんなタカミチの内心も知らずに、愛しい人からの言葉を笑顔で受け取った。
「明日菜さん、構いません。母上を倒して下さい。母上とて、こういう事態は常に覚悟している筈ですから」
 刹那が言うと、明日菜は首を振った。
「違う、間違ってるわよ、刹那さん。覚悟がどうとか関係無いの。私が怪我を負わせないって言ったのは、むざむざ洗脳されて私の前に現れたこの人の為で言ってるんじゃない。私は、お母さんを傷つけられて、刹那さんが悲しむのが嫌なの。それだけよ。私の我侭。覚えといて、私の行動原理は何時だって、私の我侭なんだから!」
 明日菜がニヤリと笑みを浮かべた瞬間、ハマノツルギの光は閃光の如く輝きを強めた。まるで、それは地上の太陽の様だった。
「明日菜、せっちゃんのお母様を頼んだで?」
「まっかせなさ~い! 木乃香も、お父さんやお母さんを助ける為に走りなさい。必ず追いついて、木乃香を助けに行くから」
 お互いに満面の笑みを交わし合う。それは、親友同士だからこそ通じ合うモノ。言葉の裏に、お互いの複雑な心を全て認め合い、互いを信じ、互いにエールを送り合う。
 刹那達が先を行こうとした瞬間、太刀を振るおうとした桜咲の太刀を明日菜が凄まじい威力の斬撃で押えた。否、吹飛ばした。茶々丸の選択した、明日菜に最も適した剣技とは、日本の“技で切る”ではなく、“力で斬る”というものだった。その圧倒的な常識外れの馬鹿力と、常識外れのスピードと、常識外れの動体視力と、常識外れの反応速度。そして、神楽坂明日菜の剣技の特徴は剣と蹴り、拳を操る特異なものだった。
 吹飛ばした桜咲を、そのまま体を一回転させて遠心力の加わった恐ろしい威力の斬撃によって追撃する。卓越した剣技を持つ桜咲はそれを受け流すが、あまりの威力に衝撃を殺しきれず、耐え切れずに距離を離した。螺旋回転する斬撃が放たれる。
「無駄ッ!」
 バキンッ! という音と共に斬撃が破壊され、明日菜はただ真っ直ぐに桜咲に迫った。軸足である右脚で桜咲の手前の地面を蹴りつける。ガクンと明日菜の体が沈みこみ、桜咲の迎撃の斬撃が逸れる。そのまま明日菜は逆立ちになって桜咲の顎を蹴り上げる。それでも怯みもせずに桜咲は隙を作った明日菜の胴を真横に凪ごうと太刀を振るった。だが、太刀は虚空を切り裂く。
 明日菜は逆立ちの状態で跳び上がっていた。重たそうな甲冑を着ながら、まるで軽業師の如く。そのまま背後を取った明日菜は、振り返り様に百花繚乱を放つのを真正面から受け止めた。
 つい、顎蹴っちゃったけど、後で、謝ろう……。気の斬撃が、明日菜に当った瞬間にそよ風に変ってしまう。明日菜は暢気な事を考えながら、桜咲の太刀にハマノツルギを叩き込む。そのまま、息もつかせずにハマノツルギを連続で叩きつける。閃光の軌跡が無数に残影を残しながら明日菜は桜咲を押していく。
「ハアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!」
 疾風怒濤の連続攻撃、その一つ一つの斬撃がシャレにならない威力を誇る。
 巧みに太刀が折れないように立ち回れる桜咲の技術が凄まじいと理解出来る程に、神楽坂明日菜の怒涛の斬撃は怖気の走る程だった。ハマノツルギが振るわれる度に、その衝撃波が大地を蹂躙し、木々を抉り、空気を破裂させる。ドラムを叩いているかの様な空気の破裂音が絶え間なく続いている。
 瞬動を用いて距離を離す桜咲に、尚も明日菜は追撃する。洗脳されていなければ、明日菜の能力の弱点を突き、攻略も出来ただろうが、技能だけで知力や気配察知などの能力がなくなってしまった桜咲は、神楽坂明日菜にとって敵では無かった。放たれる奥義級の技も意味を成さず、決戦奥義すらも明日菜に傷一つ負わせられない。魔術や気を直接使っている限り、神楽坂明日菜に勝利する事は出来ない。魔術や気を、現実に存在する魔法と関係の無いものでコーティングする程度ですら現在の明日菜を相手ならば攻略は可能だが、知性の働かない桜咲はその考えに至れなかった。
「これが、茶々丸さんと一緒に作った……私の必殺技!」
 叫びながら、光の奔流と化しているハマノツルギを後ろで振り被った。あまりにも眩しい光は、森の木々の合間を縫い、漆黒の闇を照らし尽くした。ネギから供給される魔力。そして、神楽坂明日菜の所有する魔力、それらをただ感覚的に、理論も何も無く、ただ茶々丸に言われるままに何度も練習して作り上げた現在、神楽坂明日菜が仕えるたった一つの“型”。
 右脚を前に踏み込み、両手で振り被ったハマノツルギに魔力を流し、全力で振り切った。収束されている訳でもなく、ただ暴れ回る凶暴な光の斬撃が地面を抉りながら眼にも留まらぬ速さで一気に桜咲に迫る。制御が一切利かず、周りに味方が居た場合、巻き込む可能性が高くて絶対に使えない諸刃の剣。
 ただ適当に篭められた魔力は量もランダムで、威力の強弱にも落差の激しいとんでもなく未完成な、だが明日菜の放てる最強必殺奥義だった。桜咲は、ランダムな動きの光の斬撃を回避するが、ソニックムーブが発生し、体は切り裂かれ、体勢は完全に崩れていた。
「ごめんな……さいッ!」
 そして、跳び上がった明日菜の拳が深々と桜咲の腹部に埋め込まれ、桜咲は意識を失った。何せ、障壁が全く意味を成さず、水の膜を割った程度の抵抗すら出来なかったからだ。
「うん、強くなってる」
 拳を握り締め、しみじみと自分の勝利を心に刻んだ。
「さて、行かなくちゃ」
「お~いッ!!」
 走り出そうとした明日菜の背中に、僅かに高い少年の声が掛けられた。明日菜が振り向くと、そこにはネギを抱き抱えて走る犬上小太郎の姿があった。犬上小太郎が近づいて来て、ネギの姿を確認すると、明日菜は小太郎を殺意を篭めた眼で睨んだ。
「違う。ワイやない」
「アンタ……、そっか。思い出したわ。ごめん」
 明日菜は小太郎の顔を見て、湯豆腐屋で会った少年だと思い出した。
「ネギ……」
 体中から夥しい量の血を流すネギの姿に、明日菜は唇を噛んだ。小太郎に抱き抱えられながら、苦悶を浮かべるネギに明日菜は険しい顔をするとその頬に手を当てた。
「頑張ったんだね、ネギ。なら、私ももっと頑張らなきゃね」
 明日菜は先行した刹那達の向かった方向を向いた。
「小太郎……だったわね?」
「ああ」
「私は明日菜。神楽坂明日菜よ。ネギをちゃんと抱えてなさい。落としたら……承知しないわ」
 感情を高ぶらせ、ハマノツルギの輝きを強める。その姿に、犬上小太郎は眼を見開きながら頷いた。
「ああ」
 小太郎の返事に明日菜は頷くと、駆け出した。慌てて、小太郎も後を追う。走りながら、途中で現れた敵を、明日菜は一人残らずハマノツルギの峰で殴り飛ばした。ネギを抱き抱える小太郎に敵が行かない様に。
 ネギの体の傷を見て、苛立ちを覚えた。信頼して残したのは自分の判断だ。そして、その判断を間違っているとは思っていない。思っていないが……怒りを覚えた。自分に対して、敵に対して、そして……ネギに対しても。
 ネギが負けるなんて思っては居なかった。だが、負けた。それが許せなかった。勝てないなら、自分を頼って欲しかった。だって、ネギは自分を召喚出来たのだから。こんな風になる前に、自分の迷惑なんて考えずに、召喚して欲しかった。だから、これは八つ当たりだ。敵の生死も確認せずに、凶暴な破壊力の斬撃を振るい続ける。
 あの夜に、一人で戦おうとしていた少女に無理矢理加勢したのは自分だ。ネギは巻き込んだと思っているのだろうが、実際はカモの言葉を聞いて、受け入れて、助けようとしたのは自分の意思なのだ。あの日の決意が、ネギに届いていなかった。それが、明日菜の心を傷つけた。
「ふざけんな……」
「?」
 明日菜の呟きに、小太郎が首を傾げた。
「フザケルナアアアアアアッ!!」
 明日菜は耐え切れずに絶叫しながら、更に勢いの増した斬撃を振るった。明日菜の怒りの形相に、小太郎は眼を見開いた。何を怒っているのか分からない。ひょっとすると、ネギが傷つけられたからかもしれない。多分そうなのだろうと、小太郎は適当に考えて追求しなかった。
 怒りのままに敵を蹴散らしながら全速力で道を駆け抜けた明日菜と小太郎は、総本山のすぐ手前で、固まっている刹那達に追いついた。そこには、刹那と対敵する二刀流の神鳴流、月詠の姿があった――。

 闇夜に浮かぶ満月の様な二つの眼。白いフリフリの沢山ついたゴシックロリータを着た、二振りの太刀を握る眼鏡の少女はこれから始まる、待ち焦がれていた先輩である桜咲刹那との戦闘に、頬を上気させ、狂気を瞳に宿し、全身を電流が走るかの様な快感に酔い痴れていた。
 月詠は総本山の眼前で刹那達を待ち受けていた。総本山は薄っすらとオレンジ色の壁に覆われていた。やって来た刹那達は、月詠の二刀流と、狂気に満ちた瞳を見た瞬間に理解した。
 裏切り者の神鳴流――。刹那が一歩前に足を踏み出した。表情の消えた顔で、冷徹に月詠を睨みつける。
「お前が裏切り者か――?」
 底冷えする程冷たい響きの声が響く。それが、刹那の口から発せられたものだと木乃香達が理解するのに間が在った。月詠は怖気の走る様な気味の悪い口を半月状に開いた笑みを浮かべた。ダランと腕を垂らした様な状態で右手に夕凪を握り、月詠を睨む。
「先輩。刹那先輩」
 熱に浮かされた様な蕩ける様に甘い響きの声。全身に鳥肌が立ちそうなほど気色の悪い声だった。夕凪に似た僅かに夕凪より短い太刀を右手に、七首十六串呂の一刀と同じ程度の長さの短刀を左手に握り、眼が普通の状態に戻った。
「うふふふ。この時が来るのを心待ちにしていましたわ。セ・ン・パ・イ」
「先輩?」
 木乃香が首を傾げると、月詠は詰まらなそうな視線を木乃香に向けた。その瞳はどす黒く濁り、得体の知れない感情が灯っていた。すると、木乃香達の後方から凄まじい速度で迫る金色のナニカが視界の内に現れた。ハマノツルギを振るう神楽坂明日菜と、その後方に続く犬上小太郎と抱えられたネギ・スプリングフィールドだ。明日菜は立ち止まっている木乃香達に合流した。
「どうしたの? アイツは……」
 明日菜は月詠の握る太刀と短刀を見て眼を見開いた。小太郎も鋭い眼差しを向けるが、すぐに顔を逸らし、聞いていた特徴と一致する木乃香に顔を向けた。
「アンタが木乃香の姉ちゃんか?」
「ネギちゃん!」
 小太郎が尋ねると、木乃香は目を見開いた。ネギの血塗れの体に血相を変えて東風の檜扇を開いた。ネギと分かれてから十分以上経過している。ネギが何時頃怪我をしたのかは分からない。木乃香のアーティファクト、“南風の末広”は三十分以内ならば怪我以外の状態異常を回復させる。そして、“東風の檜扇”は“三分以内”に負った即死以外の傷を完全に修復する。そう、肝心の怪我を治す方の東風の檜扇の制限時間はたったの三分なのだ。
「小太郎君……やね? ネギちゃんが怪我してからここまで来るのにどんくらい掛かった?」
 木乃香が尋ねると、小太郎は意味が分からなかったが、必要がある事なのだろうと悟り直ぐに応えた。
「即効で倒してからここまで一直線に走り続けたさかい、まだ三分経ったくらいやないかな……」
「それなら、完全治癒は無理でも……」
 木乃香はすぐさま東風の檜扇に魔力を流した。数分程度の後れならば、効果は薄まるが発動は出来る。小太郎がネギを地面に寝かせると、深く息を吸って呪文を唱えた。詠唱する呪文は、エヴァンジェリンがカモと共に考え出した木乃香専用の呪文だ。
「氣吹戸大祓 高天原爾神留坐 神漏伎神漏彌命以 皇神等前爾白久 苦患吾友乎 護惠比幸給閉止 藤原朝臣近衛木乃香能 生魂乎宇豆乃幣帛爾 備奉事乎諸聞食 」
 “氣吹戸”の神は、生命の力を……即ちは氣を吹き込む神であり、再誕の意味を持たせている。更に、大祓詞の出だしをアレンジし、五摂家の一つであり、近衛家の先々代……つまりは近衛近右衛門の先代がこの国の長を務めた事もある事を取り入れ、天照大神を始めとする皇室の祖先神を取り入れている。
 そして、呪文の意味は――《ああ、偉大なる神々よ、我が盟友に施しを頂きたい。代償と致しましては、近衛木乃香の生命の力(氣)を貴品として、捧げます事をお誓い申し上げます。どうか、お受け取りになって下さい》――というものだ。
 平安時代末期の公卿にして、関白である藤原忠通の子である正二位・摂政・関白・左大臣・贈正一位太政大臣の藤原基実が、久安6年に、8歳で正五位下左近衛少将に叙任された事によって、『近衛家』という呼び名が始まった事を考え、本姓は『藤原』であるという名乗りを取り入れ“藤原朝臣近衛木乃香能”と呪文に取り入れられた。この、本姓と苗字は別のものであり、本姓が藤原、苗字が近衛であり、“藤原朝臣近衛木乃香”というのは、近衛木乃香の“真名”なのだ。
 金色の光が木乃香の体を包み込み、その光はやがて木乃香の手にある東風の檜扇へと萃まりだし、その光がネギを包み込んだ。傷跡に光が集中し、眩しいほどに輝くと、僅かに傷跡を残しながらも、大方の傷が塞がった、ネギの表情からも苦悶が若干薄れた感じだ。
 大規模な回復魔術に、木乃香は肩で息をしながらもハンカチを取り出してネギの顔を拭った。ネギの瞼が僅かに動いた。
「あ……っ」
 薄っすらと目を開いたネギの目に、木乃香と小太郎の安堵の笑顔が映った。
「木乃香さん……。それに、小太郎も。木乃香さんが治療してくれたんですね? ありがとうございます」
「いいえ。せやけど、まだ傷跡残ってるんや。このまま残すは良くないさかい、全部終わったらちゃんと直そうなぁ?」
「はい」
 木乃香が優しい手つきでネギの頭を撫でると、ネギは気持ち良さそうに目を細めた。
「小太郎もありがとう」
 ネギが笑みを浮かべてお礼を言うと、小太郎は「オウ」とだけ言うと、肩で明日菜を指した。
「あっちの姉ちゃんにもお礼言っとけよ? ワイがお前運んどる最中、来る奴一人残らず叩きのめしてくれたんやからな」
 ネギは目を見開いた。明日菜との修行は殆ど別々で、それほど明日菜が強くなっているとは思っていなかったからだ。
「ありがとうございます明日菜さん。それとごめんなさい、信じていただいたのに、負けてしまいました」
 俯くネギに、明日菜は思いっきり拳骨を落とした。
「アグッ!?」
「ちょっ!?」
「何しとんの明日菜!?」
 いきなりの明日菜の暴挙に、小太郎と木乃香は驚いて声を上げた。ネギは全身の痛みと相まって気絶してしまった。が、明日菜は気付いていなかった。
「あのね! ありがとう……じゃないわよ全く! アンタ、私の事なんだと思ってるわけ!? 最初の時だって巻き込む云々言ってさ! そんなん、ネギだってお父さんの皺寄せが来ちゃっただけじゃん! なのに、こっちが自分の意思で助けるって決めたのに人の気持ち華麗にスルーしてくれちゃってさ! 今回だってそうよ! そんな怪我する前に私の事呼べばいいじゃん! 何の為の仮契約よ! 私の身を護る為の装備と魔力供給じゃないでしょ!? そんなんじゃどっちが従者か分かんないじゃない! きぃ~~~~~~っ!!」
 明日菜が一気に捲くし立てると、恐る恐る小太郎が手を上げた。
「あ、あの……」
「何よ!」
 ギンッと睨みつける明日菜に、若干引きながら小太郎は遠慮がちに言った。
「ネギの奴……気絶しとるで?」
「え……?」
 騒いでいる明日菜達を背に、刹那とタカミチは彼女たちを護る様に立っていた。
「五月蝿いお人達どすなぁ」
 ネギの無事を確認し安堵していた刹那は、月詠の言葉に再び心を冷やした。
「高畑先生、下がってください」
「しかし……」
「これは、神鳴流の問題です。この裏切り者だけは、私の手で……」
 タカミチは息を呑んだ。その少女から発せられたとは到底思えない濃厚な殺意に――。肌がびりびりと斬りつけられるかの様に空気が緊張し、気温が急激に下がったかの様な錯覚を受けた。ネットリとした憎悪が、舌を乾かせる。
「名を名乗れ――」
 刹那が口火を切ると、月詠は悦に浮かされた笑みを浮かべた。その瞳には、刹那に名を尋ねられた事に対する底知れぬ喜びを讃えていた。
「――二刀流剣士、月詠」
 心の底から喜びを表現する様に、月詠は自分の名を名乗り上げた。
「そう名乗るか、ならば……、覚悟は出来ているな!」
 刹那の怒声が響き渡る。そのあまりの殺気に、眠っていたネギも目を覚まし、全員が声も出せずに押し黙った。ただ、刹那の一挙一動を見守るだけとなった。
「皆さんは後ろに。こいつを倒せば、もう最後の戦いになりますから、一斉に突入しましょう。しばしお待ちを。まぁ、結界が張られています。どちらにしても、こいつを倒さないと先には進めないでしょうから、少々お待ちを――」
 刹那は振り返らず言った。そして、七首十六串呂を上空に展開し、瞳孔の開いた眼差しを月詠に向けた。
「京都神鳴流・桜咲刹那の名に於いて、月詠ッ! 貴様をこの場で処刑する!」
 直後、空気が弾けとんだ。動いたのはほぼ同時、ギィィィィィンという金属のぶつかり合う甲高い音が鳴り響き耳が痛くなる。
「この数日の間がどれほど長く感じられた事か……。目の前に旨そうなお肉をぶらさげられてずっと“待て”ですもん」
 鍔迫り合いをしながら、熱に浮かされた瞳を潤ませて月詠は舐める様に刹那を見つめながら言った。刹那は舌を打ち、月詠を弾き飛ばす。弾き飛ばされた月詠は頬を火照らせながら長い方の太刀の刃を舐め上げる。
「もう……ずぅっとお預けくろてて……ウチ……ウチもう……我慢できひん」
 ハァハァと荒く息を吐きながら、怖気の走る妖気を放ち、月詠は刹那を見つめた。
「センパイ。刹那センパイ。ウチを満足させて下さい。センパイが満足させてくれへんかったら。ウチ……周りにおる木偶まで斬ってまいそうですぅ――」
 刹那は月詠の醜悪な感情を受け流し、再び白目と瞳の色の反転した月詠の目を睨みつけた。
「参るッ!」
 刹那が弾ける様に月詠に攻め込む。月詠はゾクゾクする体中に走る快感に身を振るわせながら刹那の夕凪を受け止めた。刹那は真っ白に輝く翼を展開し、凄まじい速度で月詠を攻め立てた。刹那の飛行速度は修行によって格段に飛躍し、走るよりも何倍も速くなっていた。
 月詠は狂気の笑い声を上げながら、刹那の怒涛の攻撃を防ぎ続けた。夕凪と同時に、七首十六串呂の十六本の七首が緩急をつけて月詠に襲い掛かるが、月詠は太刀と短刀を巧みに操り防ぎきる。
 月詠……これほどとは! 月詠の技量は凄まじく、並みの才覚ではないと刹那は理解した。故に惜しい、それだけの才覚を持っていれば、必ずや大成していただろう。だが、近衛木乃香を裏切った時点で、月詠の運命は決まっているのだ。
「さすがセンパイ。師が良かったんですな~。正道の神鳴流の剣捌きに、実戦に裏打ちされた見事な技量。センパイに勝てる人など、この世界にもそうはおらんでしょう?」
 月詠の言葉に、刹那はつい笑ってしまった。
「いいや、私より強い者など幾らでも居る。世界が狭いな、月詠!」
 刹那の鋭い斬撃が刹那の言葉に戸惑う月詠の懐に侵入する。間一髪で背後に回避した月詠に向け、上空から七首十六串呂の六本が波状攻撃を仕掛け、それを更に後方に移動しながら躱していく。直後、全身に鳥肌が立った。本能のままに転ぶように真横に避ける。すると、後方から七首十六串呂のイが凄まじい速度で月詠の居た空間を貫いた。
 月詠は立ち上がろうと地面に手を突くと、突然影に覆われ上空を見上げた。
「雷光剣!」
 炸裂する雷の斬撃。月詠の体を破壊の光が蹂躙していく。必死に効果範囲から離脱した月詠に七首十六串呂が四方八方から飛来する。十分な加速距離を持って最高速度に達した十六本の七首が月詠を串刺しにしようとする。
「クッ――!」
 月詠は太刀と短刀を巧みに振るい全てを叩き落とすが、その表情には苦悶の色が走った。そこに、休む暇も与えずに刹那が夕凪を振るった。
 それは剣士としての極致。右に振るえば斬岩剣。左に振るえば、斬空閃が跳び、曲線を描いて月詠を攻め立てる。すべての動きが技となる。距離を離した瞬間に、斬鉄閃の螺旋を描く斬撃が追撃し、その瞬間に刹那は距離を縮める。凄まじい手数と、凄まじい力と、凄まじい技。防御から他への行動を一切許さぬ怒涛の攻め。明日菜の力押しの攻めではなく、技術による隙の無い攻めだった。
「こんな――ッ!?」
 月詠はあまりの事態に焦燥に駆られた。翼によって底上げされた速度、更に、刹那が麻帆良に行く前に見た時の技量を遥かに越えた技量。刹那の実力は、月詠の想像を遥かに凌駕していた。
「センパイッ!」
 それでも、月詠は攻めに転じようと短剣を突き出し――。刹那は七首十六串呂のイを左手に引き寄せた。そのまま、神速の斬撃を振るった。
「――秘剣・飛燕抜刀霞斬り」
 一瞬で左右の夕凪と七首十六串呂・イによって生じた凄まじい数の攻撃回数に、月詠の左手は切り裂かれ、凄まじい量の血が噴出した。明日菜達は何も口に出来なかった。あまりにも壮絶な戦いに――。
「あは……アハハハハハハハハハハハ!! 楽しいッ!! ウチ、とっても楽しいですわぁセンパイッ!!」
 月詠はまるで気が触れたかの様に笑い出した。月詠は瞳の狂気の光を強めた。
「二刀連続斬鉄閃――ッ!」
 月詠は笑みを深め、直後、振るう太刀と短刀から連続で螺旋回転する斬鉄閃を刹那に対して放った。大地を抉り、空気を巻き込んだ螺旋回転の大量の斬撃刹那は上空に飛翔して回避する。
「空中に逃げても無駄ですぅ。斬光閃!」
 月詠の太刀から、上空の刹那に向けて光の属性を纏った斬撃が放たれる。あまりの弾速に刹那は避ける事が出来ずに受け止めた。その一瞬の隙を突いて、月詠は太刀を刹那の翼に振り落とそうとしていた。
「――――ッ!」
 刹那は咄嗟に翼を消し、回転しながら月詠の太刀を夕凪で受けた。そのまま、月詠の斬撃の衝撃を利用して一気に地上に降り立つと、七首十六串呂を落下してくる月詠に射出した。矢の如く打ち出される七首十六串呂は、半分をカクカクと複雑な動きをさせ、半分を月詠まで一直線に最短距離を向かわせた。月詠は虚空を蹴り、一気に遠くの場所に降り立つ。
「ここからですぅ。ウチの本気、見たって下さい」
 言うと、月詠の姿がブレた。直後、月詠は四人になり、それぞれが刹那を見つめていた。
「影分身まで修めているのか――ッ!?」
 刹那は驚愕に目を見開いた。
「行きますえ?」
 直後、四人の月詠は散開した。
「ウチの技は神鳴流だけやないんです」
 そう言うと、一番左の月詠が符を取り出した。
「符術か!」
「『輝く金閣寺の壁面』」
 金色の光が爆発し、刹那と四人の月詠を黄金の光の壁が包囲した。
「なんだと!?」
 光は強さを増し、光の奔流によって、自分の手元すら見えなくなってしまった。
「斬岩剣」
 声のする方向に夕凪を振るい何とか凌ぐ。四方向からランダムに攻め立てる月詠に、刹那は為す術を持たなかった。だが、月詠は攻撃の手を休めない。
「『百鬼夜行』」
 今度は、四方八方に気配が現れ、斬撃ではない力の弱い攻撃が一気に増加した。
 斬っても斬っても気配は消えない。
「『三十三間堂の通し矢』」
「まだあるのか!?」
 薄っすらと光の奔流の中に、風を斬る音が聞こえた。勘のままに七首十六串呂を円盤状に展開すると、光の弓矢が七首十六串呂に激突した。
「こんな……」
 刹那の表情に苦悶の色が走る。あまりにも分が悪い。視界の無い状況下で、四方八方から攻め立てられる。想像を絶する苦境だった。不意に、木乃香の笑顔が浮かんだ。光の弓矢が突き刺さり、激痛に視界が歪む。
 ――お嬢様、お嬢様……お嬢様お嬢様お嬢様お嬢様お嬢様お嬢様お嬢様お嬢様お嬢様――このちゃんッ!!
 厳しく接する親は護ってくれず、疎まれ続けた自分を認めてくれた近衛木乃香という少女。自分の白い翼を認めてくれた、明日菜とネギと木乃香。
 刹那は自分が嫌いだった。だけど、近衛木乃香は好きだと言ってくれた。明日菜とネギも自分の翼を嫌悪する事なく、認めてくれた。
 刹那の目が見開かれた。月詠だけではなく、正体不明の大量の気配と弓矢による狙撃を同時に視界零の状態で防ぎ続ける。全身の感覚を研ぎ澄ませ、無心に太刀を振るい続ける。
 只管に心を静める。エヴァンジェリンとの修行。その中で培ってきたモノは飛行速度の向上や技の精度だけではない。心の修行。何の為にやるのかはよく分かっていない。それでも、その修行は活かされている。
 怒りに惑わされるな。心を鎮めろ――。視界の見えない中で、刹那は七首十六串呂を操り、謎の気配を消し去っていく。
 なんだろう。時間の経過も分からなくなっていた。不意に、自分の中に流れる二つの流れを感じ取った。一方は、自分の使う気の流れだと理解していた。もう一方はどこか知らない所から流れ込んできていた。僅かな量だ。
 剣を無心に振るう事で辿り着いた“無想”。そうして漸く理解出来た。
「ああ、これはネギさんの魔力だ。仮契約の絆から流れ込んできているんだ」
 二つの流れを汲み上げる。ネギから流れてくる魔力を呼び水にして、半妖の血が……眠っていた刹那の強大な妖怪としての魔力が呼び覚まされた。バチバチと、電流が走った様に体が痛み、動きが鈍る。そこに、月詠は容赦なく攻め立てた。正体不明の気配や、光の弓矢の攻撃を受けながら、刹那は二つの相反する力を両手に掬い上げた。
 左手には魔力を。右手には氣を――。
「感謝してやるぞ、月詠」
 刹那の呟きに、月詠が動揺しているのが何となく分かった。両手の相反する力を祈るように合わせる。
「私は、今更なる一歩を踏み出した!」
 凄まじい力の奔流に、囲っていた黄金の結界が滅びた。デフォルトされた可愛らしい百鬼夜行の妖怪達も刹那の咸卦の力に吹飛ばされ、消滅した。
「マジか……、咸卦法だと!?」
 遠くでカモの言葉が聞こえた。タカミチの使っていた力と同じ名前。恐らく、エヴァンジェリンの修行の意味はコレだったのだろう。
 元々、氣を操る事に長けていた神鳴流である刹那。加えて、妖怪の血は人間以上に魔力を操る力が強い。人間としての刹那と、妖怪としての刹那。半人半妖の二つの相反する面を持つ存在。だが、そこに居たのは間違いなく一人の桜咲刹那だった。
「そうだった。私はここまで到達出来たんだ。足りなかったのは、自分。自分が自分を認めていなかったんだ。だけど、私は私を認める。だって、このちゃんや、明日菜さんやネギさんが認めてくれたから」
 小さく呟きながら、刹那は両目に指を押し当て、着けていたカラーコンタクトレンズを外した。翼を広げ、息を吸い込む。白い瞳に白い翼。本来ならばその黒髪も雪の様な白である筈だったが、コチラは染めてしまっている為に仕方ない。
「このちゃんの前で、私は決して負けんッ!」
 夕凪に雷が迸る。固まっていた月詠はキッと刹那を睨みつけて、歯を鳴らしながらも何とか笑みを浮かべて刹那に切り掛かった。だが、飛び掛った三人の月詠は、一瞬の間に刹那によってバラバラに解体され、霧の様に消えてしまった。
「アハ……さすがセンパイやわぁ。こんな……こんな楽しい決闘が出来て、ウチは幸せですぅ」
 口調を平静を保っている様にしているようだが、その表情や掠れてどもった口調は、月詠の恐怖を隠しきれなかった。「決闘?」と刹那は一歩前に足を踏み出しながら嘲笑する様に首を傾げた。
「勘違いするな。これは、決闘じゃない。ただの……処刑だ」
 そう呟くと、上空から咸卦の力によって更に加速した七首十六串呂が月詠の頭上に飛来した。咄嗟に回避しようとした月詠の体が動きを止める。絶句し、目を見開いた月詠は口を振るわせた。
「影……縫い」
 ガチガチと歯を鳴らして全身を震わせている月詠の影に、七首十六串呂の内のハとニが突き刺さっていた。そして、上空には残りの十四本が浮遊している。
 刹那は左手を掲げると、七首十六串呂は稲妻を帯電させた。
「稲交尾籠(イナツルビノカマタ)」
 月詠の周囲を七首十六串呂は旋回し、網の様に月詠の体を覆った。そして、影を捉えていた七首も浮上し、上空にすべての七首が飛び上がり、一気に月詠の足元に突き刺さった。
 軌跡が雷を纏い月詠を縛る籠となっている。“稲交尾”とは稲妻の異名である。稲妻の捕縛結界。七首十六串呂を得た桜咲刹那の新たなオリジナルの技だった。
 夕凪をカチャリと鳴らし、刹那は一歩一歩身動きの取れない月詠に近づいて行く。白い瞳は冷徹な雪結晶を思わせた。恐怖に声が出なくなり、月詠は首を振る事で命乞いをするしかなかった。
「だめ……、駄目やせっちゃん!!」
 木乃香の叫び声が響く。刹那のしようとしている事を止め様と走り出した。だが、桜咲刹那は止まらない。神鳴流を裏切り、よりにもよって木乃香を狙う輩についた愚か者を、許す事など不可能だった。気も何も覆わせていない夕凪を振り上げる。
「見苦しいぞ。貴様も神鳴流ならば、この期に及んで命乞いなどするな」
 冷徹な声には、一切の感情が見えなかった。ただ、身内の恥を叱っているだけだった。稲妻の籠に高速され、全身を雷撃に曝されながら、刹那の剣がギラリと輝く様を見て、月詠の瞳に絶望が広がった。
 これから自分は殺されるのだと、月詠は理解した。冗談じゃない。そう思った。ただ、自分は刹那と戦いたかっただけなのだ。戦いなど殆ど無く、ただ鍛えるだけの毎日。そんな生活に飽きて、彼らについただけなのだ。偶々、近衛木乃香を狙う立場になったが、そんな事で自分が殺されるなど冗談じゃない。月詠は必死に稲妻の高速を破ろうと身もだえた。
「――――死ね」
 刹那が夕凪を振り下ろした。銀色の軌跡が、月詠の白い肌へと向かい、ピタリと止まった。刹那と月詠の間に、一人の少女が割って入ったのだ。
「お嬢……様?」
 木乃香が、両手を広げて月詠を護る様に立っていた。月詠も、呆然と木乃香を見つめている。
「駄目や……せっちゃん」
「退いて下さい、お嬢様」
 刹那はキッと木乃香を見つめながら言った。
「駄目と言ったんや。ウチの言葉が聞こえなかったん?」
 刹那は驚いた様に目を見開いた。木乃香に、こんな風な口を利かれた事がなかったからだ。支配者が支配する者に告げる様な言い方だった。木乃香は真っ直ぐに刹那を睨んでいた。漆黒の瞳はどこまで深く、吸い込まれそうな程美しい。息が出来なくなる。自分の存在がやけに小さく感じられた。
「せっちゃん。ウチの言葉が聞こえなかったん?」
 木乃香の言葉に、刹那は口を一文字にキュッと結び、首を振った。
「退いて下さい。この愚か者はこの場で――」
「殺す……そう言うつもりなら、ウチは退かない」
 刹那は歯を噛み締めた。どうして邪魔をするんだと涙が溢れた。神鳴流を裏切り、近衛木乃香に刃を向けた。桜咲刹那が、全てを懸けて木乃香を護る為に鍛え続けた神鳴流を裏切って、桜咲刹那を認めてくれた、永遠に守り通したいと願った、どんな災厄も障害も取り除いてみせると誓った木乃香を狙う輩と手を組んだ。自分の全てである神鳴流の者が自分の全てよりも大事な木乃香を狙った。
 許しておける筈が無い――。
「退いて……下さいッ!」
「退かない!」
 震える声で叫んだ刹那に、木乃香は負けじと声を張り上げた。刹那は目を見開き、近衛木乃香を見た。
 刹那は夕凪を落としてしまった。歯をカチカチと鳴らし、首を左右に振った。
「泣かないで……」
 震えた声で、幼児の様に馬鹿みたいに首を振って言った。
「泣かないで……、このちゃん……」
 刹那を睨みながら、木乃香は涙を滴らせていた。
「どうして分かってくれへんの?」
 木乃香も震えた声で尋ねた。
「そんな事して欲しいなんて、そんな事願うと思ってるん?」
 刹那は首を振った。違う! と、叫びながら。
「ウチがどうして止めたか……、せっちゃんは分かってくれへんの?」
 木乃香の声に、刹那はただ呆然と立ち尽くしていた。掴んだものが、手から離れていくような、喪失感を覚えた。
「ヤダ……。ヤダヤダヤダヤダヤダヤダヤダヤダヤダ……」
 駄々っ子の様に刹那は首を振りながら嫌だ嫌だと泣き叫んだ。木乃香は、ネギに顔を向ける。木乃香の言いたい事が、何となく理解出来て、ネギは一枚のカードを取り出した。
 ネギは瞳を閉じて、息をスゥ―ッと吸い込んだ。
「契約の精霊よ、ここに我が従者との契約を満了させ、従者には新たなる主を与える――。契約の光よ、二人の間に新たな絆を刻む魔法陣を描け――」
 刹那の姿が映し出された仮契約のカードが光を放ち始めた。やがて、まるで縫い物が解けていくように、光の糸が木乃香と刹那の足元へ向かう。刹那の纏っていた衣装も、七首十六串呂も光の粒子になり、そのまま光の糸へ吸い込まれて溶け消えた。
 木乃香と当惑する刹那の足元に、通常の仮契約とは僅かに違う紋章が描かれていた。“契約継承”の魔法陣だ。木乃香は目を細めると、戸惑っている刹那の頬を両手で優しく覆い、そのまま――刹那の唇に自分の唇を重ねた。
 目を見開いた刹那は、そのままゆっくりと瞳を閉じて、唇に感じる近衛木乃香を確りと刻みこんだ。光が二人を殊更強く照らし、やがて、一枚のカードが二人の間に舞い降りた。
 絵柄に変化が起きていた。七首十六串呂は姿を消し、変わりに一本の大剣を握る刹那の姿が描かれている。その刹那の瞳も髪もが美しい雪のような白銀で、称号が“翼ある剣士”から“姫君の守護者”へと変化していた。
「嫌いになるって思った?」
 木乃香が小首を僅かに傾けながら、刹那に尋ねた。顔を真っ赤にした刹那は、あうあうと言葉にならない事を言っている。
「馬鹿やね。本当に……せっちゃんは馬鹿や。ウチはせっちゃんの事大好きや。ホンマに大好きや。覚えてる?」
「え……?」
 刹那は戸惑ったように首を傾げた。
「ずっと昔。ウチが未だ麻帆良に行く前や。一緒に映画村で撮影を観て、そん時に約束した」
「覚えてるよ。覚えてる……大事な約束。大人になっても仲よぉなれたらここでチューすんのって」
 刹那はグシャグシャに顔を歪ませながら言った。
「せや。場所は違うけど、約束護ったね。せっちゃん、ウチはせっちゃんが大好きや。せやから、一緒に遊んで、一緒に笑ってっていう生活が大好きや。こんな風に戦う事になっても、一緒に力を合わせたい。でも……でもや。ウチはせっちゃんに傷ついて欲しくない。他の誰が怪我をするより、せっちゃんが傷つくんが、ウチは一番嫌や。せやから……人を殺さんで。人を殺したら、せっちゃんの心が傷ついてまう。そんなん……嫌やから――」
 そう言うと、木乃香は刹那を抱き締めた。刹那は、その弱々しくも強い力を感じて腕を回し、自分も抱き締め返した。
「ウチもこのちゃんが傷つくんは嫌や。護りたいんや。護らせて。このちゃん……大好きなんや!!」
 泣きながら、刹那は叫んだ。
「ん。ウチも、大好きやで。せっちゃん」
 それから、長い間二人は抱き合っていた。明日菜も、タカミチも、ネギも小太郎も、笑みを浮かべながらその幕間の光景を眺めた。しばらくして、離れた二人は、不意に月詠の姿が無くなっている事に気がついた。
 契約の継承の際に、七首十六串呂が一旦消え去った事で捕縛結界が解け、月詠は逃走したのだ。だが、どうでもよく感じた。たとえ、逃げたとしても月詠の行く場所など最早無い。いずれ、関西呪術協会が始末をつけるだろう。
 自分達のすべき事は、ここからなのだ。刹那はオレンジ色の結界が張られた総本山を見つめた。不意に、その結界が消失した。
「入って来い――。という事らしいね」
 タカミチが言うと、刹那とネギが頷いた。
「一応、自己紹介しとくで。犬上小太郎や。よろしくな」
 小太郎が、自己紹介すると、タカミチはニッコリと笑みを浮かべた。
「久しぶりだね、改めて、高畑.T.タカミチだ。よろしく頼むよ」
 以前は追う者と追われる者だった。なのに今は共に肩を並べて戦おうとしている。そんな状況に小太郎とタカミチは互いに苦笑いを浮かべた。
「近衛木乃香や。よろしくなぁ」
 木乃香もニッコリと笑みを浮かべて自己紹介した。
「桜咲刹那。よろしく頼む」
 フッと刹那も笑い掛けた。戦いの前に、互いを認識し合う。二回目とは言え、前回も名前すら交換していなかった間柄で、これからいよいよ決戦に挑むのだ。
 無事に帰って来れるか分からない。それでも、連携を取り、必ず無事に帰るために、心を合わせる。
「行きましょう……」
 ネギが言うと、明日菜達は頷き、総本山の入口へと歩き出した。



[8211] 魔法生徒ネギま! [第五章・修学旅行編] 第二十七話『過去との出会い、黄昏の姫御子と紅き翼』
Name: 我武者羅◆cb6314d6 ID:87b1fc72
Date: 2010/06/13 05:12
魔法生徒ネギま! 第二十七話『過去との出会い、黄昏の姫御子と紅き翼』


「ついに来たか。これで、条件は全てクリアした。後は、コマの配置とタイミング……そして、演出だ!」
 アイゼンは指を高らかと鳴らした。瞬間、上空に凄まじい熱量を放つ小規模な太陽が発生した。紅蓮の炎の球体から蛇の様に炎の鞭が幾重も飛び出し、虚空を打つ。
「フェイト・アーウェルンクス。お前は上空から奴等の退路を絶て! 更に、左右からは呪術師による弾幕を張れ。残りの者は全員でこの儀式場を取り囲め!」
 アイゼンの指示に、フェイトは頷くと本殿に跳び上がった。数百人の呪術師が石畳の左右に展開した。その他の神鳴流、呪術師は全員が儀式場を取り囲む。
 アイゼンの背後に炎が吹き上がり、その中から近衛詠春が現れた。顔を俯かせ、ただ静かに立ち尽くしていた。アイゼンが再び指をバチンと鳴らすと、総本山を覆っていたオレンジ色の炎の膜が消え去り、内側に閉じ込められて困り果てていた美空が半泣きで明日菜達と合流するのをアイゼンは感じ取っていた。
 少し離れた場所に、アイゼンは炎で魔法陣を描き出した。フッとほくそ笑むと、アイゼンはそのままズボンのポケットに手を入れて上空を見上げた。アイゼンの赤眼が光を帯びて輝くと、上空に存在した巨大な炎球が移動を開始した。本殿を越えた石畳の上空へ――。

 総本山へ突入した明日菜達が長い階段を駆け上る途中で、千草と涙目の美空が合流した。美空は、逃げ出そうとした途端に炎の膜が現れて逃げられなくなり、戻って来れなかったのだ。
「怖かったよ~」
 美空がえぐえぐと明日菜に泣きついているのを「確かにそりゃ怖いな」と全員が納得した。何せ、敵の本拠地から出られずに味方と合流も出来ず、何時見つかるか分からないのだ。その恐怖たるや、軽くトラウマになりそうなものだ。
 逃げ腰になりながらも、一人で逃げ出すのも怖く、明日菜にしがみ付きながらも付いて来る。長い階段を登りきると、凄まじく広大な敷地に出た。木乃香と刹那は久しぶりの我が家に複雑な思いだった。何時もならば、関西呪術協会の面々が頭を下げて歓迎する。だというのに、誰も居ない。静か過ぎる広場に違和感すら覚える。直後、上空に炎の球体がゆっくりと姿を本殿の向こうから現した。
「――――ッ!?」
 全員が目を見開くと、上空から巨大な石柱が降り注いだ。
「皆さん、走って!」
 ネギが叫ぶと同時に、全員が駆け出した。背後に凄まじい衝撃を感じながら何とか直撃だけを免れた。だが、背後に巨大な石の柱が何本も立ち、明日菜達の退路は絶たれてしまった。直後、左右に気配を感じた小太郎が叫んだ。
「囲まれとる!」
「――――ッ!?」
 左右から数百人もの呪術師の集団に囲まれていた。更に、上空には小規模な太陽を思わせる炎の球体が動きを止め、明日菜達を見下ろしている。
「ク――、本殿に向かって走ってください!」
 刹那が本殿を指して叫ぶと、ネギ達は揃って頷いて走り出した。瞬間、左右から色取り取りの魔弾が弾幕となって襲い掛かった。それは、最早壁であった。
 魔弾の壁は容赦なく走るネギ達に襲い掛かった。それぞれが剣で、符で、魔術で、狗神で、居合い拳で弾き返すが、その量が半端ではなかった。更に、上空の炎球から触手の様に伸びた炎の鞭がネギ達に襲い掛かる。左右上空の三方向からの同時攻撃。あまりの弾幕の厚さに、ネギ達は動けなくなってしまった。
「クソ――、四天結界独鈷錬殻!!」
 刹那は四つの独鈷杵を放り投げ、全員を囲む三角錐の結界を発動した。
「何て数や……」
 小太郎はあまりの弾幕の厚さに呆然と呟いた。結界の壁が絶えず衝撃を防ぎ続けている。最低でも、左右と上空のどれか一つをどうにかしなければ動くことすらままならない。
 タカミチの背広のポケットに入っていたカモはその様子をジッと眺めると、タカミチを見上げた。「ああ」とタカミチは頷き、口を開いた。
「僕が左側の呪術師達を抑える。君達はそのまま真っ直ぐに本殿へ向かってくれ」
「恐らく、それが狙いだろうが、姉貴や姉さん達なら大丈夫だろうからな」
 そう、この状況で考えられる敵の策は一つだけだった。こんな場所で直接的に叩こうともせずに足止めをする理由――。それは、戦力の分散に他ならない。どれか一つを潰さなければ前進は望めない。その為に戦力は分散する。それが狙いだ。
 そして、たった一つだけ攻撃もなく、道も遮断されていない場所がある。それが、前方であり、本殿。おそらくは、本殿を越えた先に親玉が居る。
「なら、上空の炎球を落としていくから。幾らタカミチでも、あれがあったら危ないもん」
 そう言うと、ネギは刹那に顔を向けた。
「刹那さん、私が詠唱を完了させたら結界を解いてもらえますか?」
「んじゃ、左側は任せんで? 右側はワイが潰す」
「は?」
 小太郎の言葉に、明日菜は当惑の声を上げた。と、同時に小太郎は雄叫びを上げた。
 漆黒の毛皮の耳が白くなっていく。髪も白に染まり、腰まで伸びていく。真っ白な尾が延び、牙が伸び、爪が伸び、小太郎は獣化した。
「うん、そうだね。態々相手の望み通りにする必要無いし。小太郎、右側を全員眠らせるのにどのくらい掛かる?」
「一分寄越せ。それで、十分や」
 ネギが杖に魔力を集中しながら尋ねると、小太郎はニヤリと笑みを浮かべて言った。
「やれやれ、大見得を切るね。僕は力技ばかりだから、眠らせるのには時間が掛かるんだが……何とか一分で終わらせよう。そうしたら、全員で先に進もう」
「なら、私も!」
 明日菜が咄嗟に言葉を放つが、刹那が首を振った。
「ああまで密集している場所に突入した場合、視界が悪く同士討ちの危険があります。ですが……小太郎、あれを本当に一分で全員昏倒させられると? 殺さずに?」
「やる言うてんねん。こっから共同戦線なんや、疑うな」
 自分と同じ、真っ白な髪を靡かせる狼人間に、刹那は疑わしげな表情を浮かべた。だが、小太郎はニヤリと笑みを浮かべて軽く返した。
 明日菜は納得がいかなかった。どうして、小太郎にはあんな危険な場所に行かせるのか、と自分には絶対にそんな事を言わないだろうネギに、明日菜は唇を噛み締めた。納得がいかない。
「ラス・テル マ・スキル マギステル。来れ雷精 風の精 雷を纏いて 吹きすさべ 南洋の嵐 ――」
 螺旋回転しながら杖の先に魔力が収束していく。雷と風。二つの属性はある意味では同じ属性だ。風の精霊によって生み出される雷。故に、エヴァンジェリンの闇と氷の融合魔法よりも扱い易い。ネギはエヴァンジェリンとの修行で鍛えた魔力操作の技術を活かし、収束を更に強めていく。
 ネギは刹那に顔を向け、頷いた。刹那がコクンと頷くと同時に、結界が解除された。タカミチと小太郎、明日菜、刹那、木乃香、美空がネギを守る様に弾幕を打ち落とす。
「雷の暴風!」
 雷と風の二属性の螺旋の力。上空へ放たれたソレは、凄まじい力によって一気に炎の球体を飲み込み、消滅させた。荒れ狂う雷を纏った螺旋の旋風。思わず息を呑む。それだけの魔法を発動しながら、ネギは息一つ乱していない。
「凄げぇ……」
 天を翔ける龍の如く“雷の暴風”が雲を切り裂く光景に思わず美空が呟いた。その言葉は、全員の感想を代弁していた。明日菜は、嘗ての夜に見た時以上の力を放つ雷の暴風に目を見開き、刹那は決戦奥義クラスのその魔法に感嘆の息を洩らし、木乃香は雷の暴風の輝く螺旋に瞳を輝かせた。タカミチは嘗て見た英雄のソレの姿を幻視した。ただ一人、更に凄まじい対軍勢用の決戦奥義クラスの魔法を見た小太郎だけが真っ直ぐに右側の敵を睨みつける。
「じゃあ、行くで!」
「あ……、ああ!」
 小太郎が飛び出し、一瞬遅れてタカミチも駆け出した。無数に降り注ぐ弾幕の壁に向かって。突入した小太郎は、影分身を発動し、獣化により強化された凄まじい速度によって一気に敵の中に入り込んだ。そして、狗神を無数に解き放ち、次々に意識を落とさせていく。
 タカミチは、猛烈な速度で移動しながら次々に後頭部を手刀で叩き、次々に眠らせて行く。弾幕を張れという命令しか下されて居ない洗脳された呪術師達は、なんの防御も回避もせずに易々と闇に沈んで行った。
 二人が戻ってくるまでに、一分も掛からなかった。ただ、回避も防御もしない木偶を相手には、一秒に数人ずつ倒していくのは楽な作業だった。小太郎はその事に不信を持った。明らかにおかしい。こんな、高畑.T.タカミチを足止めするための策なのに、一切の抵抗をさせないなど在り得ない。足止めになっていない――。
 戻って来た二人の僅かな怪我を木乃香が癒すと、刹那が口を開いた。
「突撃します。皆さん、御武運を――」
 本殿の中に突入した瞬間、ネギ達は炎に包まれた。驚愕する暇すら与えられない一瞬の事だった。熱いと感じる事も無く、次の瞬間にネギ達は広大な広場に立っていた。
「…………え?」
 誰からともなく戸惑う声が聞こえた。そして、僅かに掠れた様な男の声が響いた。
「待っていたぞ」
 そこに立っていたのは、十五、六の外見をした赤髪の少年だった。女性ならば十人が十人呼吸を忘れて見入るだろう美貌を持つ赤い目の少年だ。引き締まった顔つきは鋭さと憂いを同時に秘め、気怠い表情は、次の瞬間には冷酷な殺意に変りそうな危うさを漂わせている。優雅な仕草で笑みを浮かべる少年の真っ白な肌に浮かぶほっそりとした顎から首筋へのラインに、目を逸らしそうになる。
 その時、明日菜は不思議な視線を感じて顔を向けた。赤髪の少年のすぐ隣に、もう一人の銀髪碧眼の見目麗しい少年がジッと視線を送っていた。見た目は赤髪の少年と同じ十五、六程度だろう。線の細い体つきだが、しなやかな身のこなしがその外見に騙されてはいけないといっている。冷ややかな印象を与える少年の瞳は、確かな感情を称えていた。あまりにも美しい二人の少年に、ネギ達は戸惑いを見せた。まさか、こんなにも綺麗な少年達があんな恐ろしい事をしてきたというのだろうか、と信じられなかった。
「フェイト、話したい事があるのだろう? 魔物の召喚までには時間が少しある。少し、話してみるといい」
 アイゼンは優雅な仕草で首を向けながら言うと、そのままフェイトの傍を離れた。そして、木乃香が目を見開いた。
「お父様……」
 フェイトの後ろには近衛詠春の姿があったのだ。俯いたまま、濃色の狩衣を纏い、漆黒の髪を短く刈上げた年配の男。木乃香の声にも応じなかった。
「お嬢様……」
 刹那が気遣わしげに声を掛けるが、木乃香は首を振った。
「絶対に助けるんや」
 木乃香は毅然と前向きながら言い放った。ネギは木乃香を心配そうに見上げていたが、大丈夫そうなのを見て前を向くと、フェイトの直ぐ近くに炎の魔法陣が描かれているのを見た。
「アイゼン。全く、君の徹底ぷりには呆れるね。ここまでやって未だ戦力を増強するなんて」
 アイゼンはほくそ笑んだ。そして、フェイトは真っ直ぐに明日菜を見た。
「この指輪を……覚えてますか?」
 フェイトは、どこか縋る様に明日菜に一つの小さな指輪を見せた。それは、おもちゃの指輪だった。稚拙な作りのそれを、明日菜には見覚えが無かった。
「何よ……何なのよソレ。そんなもの知る訳ないじゃない!」
 突然、敵に見せられたおもちゃの指輪など、知る訳が無い。明日菜がそう断ずると、フェイトは顔を歪ませた。
「やっぱり……違うんだ。姫様は……。偽者め……偽者め偽者め偽者め!! 姫様を返せ!!」
 涙を流しながら、フェイトは激昂した。そのあまりの感情の爆発に、ネギ達は息を呑んだ。
「姫様って誰の事よ……?」
 明日菜が当惑しながら尋ねると、フェイトは歯をギシギシと噛み締めてギッと明日菜を睨み、叫んだ。
「アスナ・ウェスペリーナ・テオタナシア・エンテオフュシア。ムンドゥス・マギクスのウェスペルタティア王国の王女だ!!」
 フェイトが憎悪と共にその名を叫んだ瞬間、明日菜はドクンと心臓が跳ねた。そして、今まで以上に強い声が響いた。
『私は……ここに居る。私を……呼んで』
 その瞬間、神楽坂明日菜の意識は途絶えた。真っ暗な闇の中に落ちていく。どこまでも暗い、闇の世界の底へと――。

 まるで、ノイズの混じったテレビを見ている気分だった。自分の知らない自分の体験を追体験している。
 あるお城に住んでいた。何不自由無く、自由も無く。ただ、籠の中で飼い殺しにされていた。お父様は自分を護る為だと言うが、それが真実かどうかを、当時の自分は気づいていた。だって、お父様はお姉様ばかりを愛していて、自分をお父様の住まう王都オスティアから離れた小さな町の城に幽閉しているのだから。
 会いに来る事も滅多に無かった。侍女達はとても優しくしてくれた。給金のためだったり、お父様やお姉様への忠誠の為だったりする事もあるけれど。何人かは自分の事を思ってくれているのだと理解していた。だけど、寂しかった。ずっと、外の世界に憧れていた。初めて出会った時、彼の緊張しきった顔がおかしかった。だって、わざとらしい程ビクビクして、声も震えていて、なのに、自分がちょっと顔を近づけただけで真っ赤になって慌てだして、とっても可愛いと思った。
 ウェスペルタティア王国の皇女は十四歳で自分の専属騎士を選択する。ただ、幾つかの写真の中で、歳が近そうだからと思って選んだ彼は、大当たりだった。なにせ、信じられるだろうか? ちゃんと、金属のプレートに書いてあるし、色も明らかに違うのに、よりにもよって紅茶に塩を入れちゃうのだ。
 自分を姫様と呼ぶ少年。本当は呼ばせているのだけど、そんな細かい事はどうでもいい。綺麗な庭園で一緒に侍女のナターシャがコックのギルバートの作ってくれたサンドイッチを持って来てくれて、フェイトが一々毒見してから渡してくるそれを、小説の中の間接キスってやつなのかな? なんて思いながら食べて、お花を摘んで冠を作ったりした。
 ある日、フェイトは城下町で流行っているおもちゃを買ってきた。外に出られない自分にとって、お父様の用意したおもちゃはどれもつまらなかった。だって、もう何百回以上も遊んだものなのだから。だけど、城下町のおもちゃは素晴らしくドキドキする輝いた宝物だった。
 おもちゃの指輪を使って結婚式ごっこをした時のフェイトの顔ったらなかった。真っ赤になって、小さく縮んで、変な事を口にしながら頭を下げて。多分、その頃だったと思う。フェイトという、閉鎖された世界に舞い降りた白馬の王子様。本当は逆で、自分は王族で彼は騎士なのだけど、フェイトが自分を連れて明るい世界へ連れて行ってくれるんじゃないかと毎日夢見るようになっていた。
 幸せな毎日を過ごしていた。フェイトやナターシャや、アリシア、コーネリア、ナタリー、皆と一緒に遊ぶ毎日が。自分の能力を見て、大人達は怖がったりするのが多かった。なにせ、魔法が効かないなんて、魔法使いにとっては最悪だ。だけど、フェイトはただ感心しながら姫様凄い! ばっかりだ。ちょっとは怖がれ、萎縮しろ! と思ったが、何となく嬉しかった。
 だけど、その頃からフェイトの様子が変わったと思う。剣と魔法に打ち込み始めた。白い翼のアリシアとコーネリアとナタリーが死んでしまったのはその頃だった。大切に育てていた美しい音色の歌を奏でる三羽が同じ日に死んでしまったのだ。原因は老衰だった。それも、普通ならとっくに死んでいた筈の大往生。
 三羽は鳥だ。そんな事ある筈ないだろうと理解していた。だけど、貴女達は私の為に頑張って生きててくれたの? と尋ねていた。答えは返ってこない。返ってくる筈も無い。失って、ポッカリと心に穴が空いて、恐怖を感じた。もしも、フェイトを失ったら私はどうなってしまうのだろう……と。
 だから、ある日のテラスでフェイトに告白した。それが、ちゃんと伝わってるのかは今一分からなかった。だって、砂糖と塩を間違えるような天然だ。でも、彼は誓いを立ててくれた。とうの昔に、自分はこの騎士に恋をしていたのだと理解した。
 だから、あの日。戦争が始まると聞いた日にアスナはナターシャやギルバード、他の従者達やお父様達にまで懇願して回った。まあ、殆どナターシャが駆けずり回ってくれたんだけど――。
『フェイトには絶対に戦争の事を耳に入れさせないで欲しい。代わりに逃げも隠れもせず、最後まで使命を全うしてみせます』
 それが、最後の願いだと誰もが理解していた。逃げたいと思う者は逃げろと言った。何せ、もう滅びのカウントダウンの始まった国だ。居残る必要など無い。だが、殆どの者は逃げてくれなかった。何時もの様に、フェイトに勘付かせない様に振る舞い、あの日を迎えてくれた。突然城の者が居なくなったら気付かれてしまいますよ、と何時も無表情だった侍女長が言った。
 運命の日、フェイトに別れを告げ、城の近衛兵の一人の青年がフェイトを連れ出した。特殊な魔法、アスナの身に余程の事が無い限り眠り続けるだろう魔法を掛けた。それは、もう自分がこの世に居ない。フェイトが自分を助けになんて来れない時になって目覚めるように。

「あ……ぐ、ああああああああああああああああああああああっ!!」
 戦場に送り込まれた自分は戦場を一望できる神殿に刻まれた魔方陣の上に座らされた。両足を鎖で繋がれ、力を無理矢理引き出される苦しみに何度も悲鳴を上げた。どれだけの時間が経過しただろう。終わらない苦しみに心が磨耗し、心が何も感じなくなってきた頃だった。
 再びヘラス帝国が“オスティア回復作戦”とやらで進軍して来た。
「くっ……、来たぞ! 仕方あるまい、また役立ってもらうしかないようだ」
「このような幼子が不憫な……」
「愚か者が、惑わされるな。コレは人ではない、兵器(モノ)と思え。黄昏の姫御子――、オスティアの歴史の中で生まれる度に戦で何千何万の命を吸ってきている……化け物の名前だ」
 人間としてすら扱われず、ただ戦の道具として扱われる日々に自分というものが失われていった。自分には何も無く、何者でも無い。いつしか、そんな思考を繰り返していた。
 ただ奪い、奪われるだけの日々……、そんなある時、現れたのが、あの男だった。巨大な鬼神兵を吹飛ばしてやって来た赤毛の魔王。
「そんなガキまでかつぎ出すこたねぇ。後は俺に任せときな」
 周りの神官はその姿に驚愕していた。
「お、お前は!?」
「紅き翼、千の呪文の……そう!!」
 男は全力でポーズを取ると、大声で名乗りを上げた。
「ナギ・スプリングフィールド!! またの名を、“千の呪文の男(サウザンド・マスター)”!!」
「自分で言ったよコイツ……」
「フフフ、ノリノリですね」
 呆れた様な口調の男と穏やかな口調のナギの仲間らしき男もやって来た。ナギはおもむろに手帳を取り出すと、何とアンチョコを読みながら呪文を詠唱し始めた。アスナは何だコイツ……と疑惑の眼差しを向けた――その瞬間だった。
「行くぜオラァ!! 千の雷!!」
 男の掛け声と共に、天空から稲妻が降り注ぎ、大量の鬼神兵を一瞬にして飲み込み消滅させた。そして、呆れた口調の夕凪と刻印された太刀を持つ男と、重力を操るローブに身を包んだ魔術師が鬼神兵を一気に屠っていく。神官達の歓声が響いた。
「安心しな。俺達が全て終わらせてやる」
 ナギはニヤリと笑みを浮かべて宣言した。
「な……、しかし……」
 神官達はその言葉に戸惑いを見せた。
「敵の数を見たのか!? お前たちに何が……」
「俺を誰だと思ってる、ジジィ!」
 神官の声に、ナギは嘲笑の笑みを浮かべながら言った。
「俺は最強の魔法使いだ」
 魔法学校は中卒だがな、と男は青筋を立てながら神官を睨み言った。
「な――ッ」
 神官が絶句する。
「あんちょこ見ながら呪文を唱えてるあなたが言っても、今一つ説得力がありませんね」
 ふわりとした動きで近寄るローブの男に、ナギは「あーあーうるせーよ」と視線を逸らしながら言った。
「それに、アナタ個人の力がいかに強力であろうと、世界を変える事など到底……」
「るせーっつってんだろアル。俺は俺のやりたいよーにやってるだけだバーカ。覚えとけよ? 俺の行動原理は何時だって俺の我侭なんだ。他人がどうこういう筋合いは無えんだよ」
 そう言うと、ナギはアスナの大結界の維持によって乱された体の調和によって吐血した口元の血を拭った。
「よう、嬢ちゃん名前は?」
「ナ、マエ……?」
 アスナは突然現れた男に困惑していた。それと同時に、辛かった。ああ、この男はまるでピンチのお姫様を救う王子様だと思って、どうしてそれがフェイトじゃないんだろうと、理不尽な不満を覚えた。
 アスナの繋がれていた術式の刻まれた鎖をアルが解き放った。
「アスナ……アスナ・ウェスペリーナ・テオタナシア・エンテオフュシア」
「なげーなオイ。けど……アスナか。いい名前だ。よし、アスナ待ってな」
 バサッとローブを翻し、ナギは立ち上がって背中を見せた。
「いくぞアル! 詠春! 敵は雑魚ばかりだ。行動不能で十分だぜ!!」
「はいはい」
「やれやれ」
 ナギが敵に向かって突き進むと、アルはクスクスと笑みを浮かべ、詠春は疲れた様に後を追った。ナギは本当に相手を全滅させた。それこそ、どちらが鬼神なのかと問いたくなる程の圧倒的な火力で――。
 そうして、帝国の二度に渡るとオスティア侵攻は紅き翼の健闘によって失敗に終わり、戦争は終結したかの様に思えた。そんな筈も無いと分かり切っていながら、そう思いたかったのだ。
 アスナは、ナギに連れられて行った。自分のお城へ。酷かった。町は死体に溢れ、ナターシャの苦悶の表情が眼に焼きついた。何度も蹂躙され、丸裸の状態で全身に杭が刺さり、鞭の後や焼印を押し付けた後があり、美しかった黒い髪が滅茶苦茶に乱され、犯され尽くしていた。
 それでも、アスナは膝を折らなかった。
「なんという……」
 詠春の吐き捨てる様な声に、ナギは静かに怒鳴った。
「止めろ! 姫子ちゃんが耐えてんだ。糞の足しにもならねえ事を態々口にすんな」
「……すまない」
 ナギ達を引き連れたアスナは滅茶苦茶にされていた自分の部屋を見た。
「何も残って無い……。フェイト……っ」
 初めて涙が流れた。そして、自分の指に通していた。お守り代わりのフェイトが初めて買って来た城下町で流行しているお飯事のおもちゃの指輪をそっと外した。
「こうなったのは、私のせい。認めなきゃ。私は、責任を果たさなくちゃいけない」
「な!? 皇女殿下!?」
 詠春が眼を剥くと、ナギは恐ろしい形相で詠春を睨み、それからアスナを見下ろした。
「テメエ、それがどういう事か分かって言ってんのか?」
 ナギの恐ろしく低い声にも動じずに、アスナはナギを見返した。
「私はアスナ・ウェスペリーナ・テオタナシア・エンテオフュシア。お父様が帝国に逆らった事で始まったこの戦の責は私達にある。私は、お父様の……オスティア王の娘として責任を果たさないといけない」
 そう言うと、アスナは指輪を損壊した机の中で唯一無事だった宝石箱に入れて床下にしまった。
「何だそれ?」
「私の一番大切な人への私の形見。酷いでしょ? 今ね、フェイトは眠ってるの。遠い土地で私の魔法で。これを発見するのは、私が死んだ後。私が死んだ後も、私の事を忘れて欲しくないって我侭。残酷だよね。分かってるけど、でも、フェイトには忘れて欲しくないんだ」
 ナギは舌を打った。凄まじい形相を浮かべ、自分の額を殴りつけた。
「頭がどうにかなりそうなほどムカついてるぜ。せっかく助けた奴をむざむざ死なせに行かせるのかよ!?」
「うんそう。だから、私の代わりにお姉様を助けてあげてくれない?」
「お姉様?」
「そう、アリカ・アナルキア・エンテオフュシア。今、連合と帝国に挟まれているこの国を救う為に調停役となって走り回ってるんだけど、お姉様一人じゃ難しいと思うから。私が、黄昏の姫御子が帝国に引き渡されれば、それで少しは時間が稼げると思う。多分、実験台とかにされるだろうし、戦闘兵器にされるだろうから、向こうで私は自殺する。だから、私が自殺して、帝国と連合が動き出す前にお姉様と協力してこの国を救って。その代わりに、今出来る貴方の望みを何でも叶えてあげるから」
 アスナの言葉に、ナギと詠春はその殺気を抑えきるのに必死だった。なんだこれは……と。どうして、こんなガキが自殺してくるから姉と国を任すなんて平気な顔で言ってんだよ! と怒鳴り散らしたかった。アルですらも、そのアスナの決断にいつもは穏やかな笑みを絶やさない表情に険しい顔を作った。
 自分の大切な人達を殺され、愛してる奴には形見を残して残酷でしょ? と言い、自分の命を踏み台にしろと言う。その決断を否定など出来なかった。
 帝国の進軍、それを停める唯一の機会を得る為に最適な手段だ。紅き翼がアリカ姫と手を取り合い調停の役割を果たせば、もしかしたら――と。そんな縋る様な思いを受けて、こんな残酷な決断を自分の手で下した少女の思いを受けて、ナギは何も言えなかった。
「自殺すんのは、ギリギリまで待ってろ」
 ナギは言った。
「絶対に……絶対にだ。お前を助け出してやる」
 ナギはそれだけを言うと、部屋を出て行った。詠春は、何かを言いたいのを飲み込み、部屋を乱暴に出て行った。最後に残ったアルはアスナに一言だけ言った。
「彼は一度言った事は必ず守ります。だから、命を諦めないで下さいね。明日を、諦めないで下さいね」
 アルはそれだけを言って部屋を出た。
 アスナの身柄は帝国へ移される事になった。元々、帝国の狙いはアスナだったのだ。アスナの身柄を確保した帝国は一時的に休戦表明を出した。そして、アスナは幽閉された。ただ、死を待つだけの監獄へ。
 そこに一人の男が現れた。黒いローブを纏った怪しげな男だった。
「あなたは……誰?」
「私の名か? デュナミスという。小娘、一緒に来てもらうぞ」
 デュナミスが何者なのかは分からない。また、戦争に利用されるのだろう事だけは理解(わ)かった。残っていても、一緒に行っても同じ事。アスナは舌を噛み切ろうとした。その時、ナギの言葉が脳裏に過ぎった。
『絶対に……絶対にだ。お前を助け出してやる』
 アルの言葉が甦った。
『彼は一度言った事は必ず守ります。だから、命を諦めないで下さいね。明日を、諦めないで下さいね』
 僅かな希望。ありえない事だと分かっていながら、アスナはその希望に縋り付いてしまった。ナギが助けてくれるかもしれない、という希望に、もしかすると、またフェイトに会えるかもしれない、という希望に――。
「わかった……」
「素直だな。賢明だ」
 デュナミスは闇の魔素を操りゲートを作り出した。アスナはふらつく足でゲートを通った。そこに居たのは、始まりの魔法使い……恐ろしくも、悲しい人だった。
「黄昏の姫御子……、我が末裔よ。その本来の役割を果たしてもらおう」
 アスナは巨大な祭壇の上に連れて行かれた。そして、巨大なクリスタルの中に閉じ込められた。そして、理解した。自分が縋り付いてしまったのは、希望ではなく、絶望なのだと。
 クリスタルの中に閉じ込められながらも、アスナは世界を見ていた……。アスナの瞼の裏に恐ろしい光景が見えた。先端に魔法世界を象った球体の付いた鍵の様な物を持つ造物主がその力を用いて多くの人々を消し去る光景だった。
 辛く苦しかった。止めて欲しいと何度も心の中で懇願した。そして、あの日がやって来た――。

 悪夢の光景がそこにあった。何故、どうして? 頭の中が混乱した。アスナの捕らえられているウェスペルタティア王国の最も神聖な『墓守人の宮殿』に絶対に居てはいけない人物が居た。それも、最悪な形でだ。
 フェイト・フィディウス・アーウェルンクスがアスナを捕らえ、その力を利用し、多くの人々を消し去った始まりの魔法使いの側として、サウザンドマスターが率いる紅き翼と対面していたのだ。
「やあ“千の呪文の男”また会ったね。これで何度目だい? 僕達もこの半年で君に随分と数を減らされてしまったよ。この辺りでケリにしよう」
 何度心の中で泣き叫んでも、戦いを止める事は出来なかった。褐色の肌の大男は炎を操る赤髪の大男と、詠春は雷を操る拳闘士の少年と、フェイトにどこか似た面影のある少年は水を操る魔術師と、アルは魔素を編んで魔物を生み出すアスナをここに連れて来たデュミナスと、それぞれぶつかり合った。
 そして、フェイトはナギと戦っている。自分の騎士と、自分を助けに来たヒーローが戦っている。フェイトは今迄使っている所を見た事が無かった岩系の魔法を操り、ナギと互角に渡り合っていた。
 僅かな差だった。フェイトは破れ、ナギに首を掴まれて持ち上げられている。
「見事……、理不尽なまでの強さだ……」
 フェイトは全身から血を流し、虫の息だった。
「黄昏の姫御子は……どこだ? 消える前に吐け」
 ナギが言うと、フェイトは狂った様に笑い出した。
「まさか、君は未だに僕が全ての黒幕だと思っているのかい?」
「なんだと……?」
 その時だった。信じられない事が起きた。始まりの魔法使いがフェイトごと、ナギを撃ったのだ。驚愕と絶望に心が塗り潰された。フェイトの体が羽根を撒き散らすように消え去った。
 ナギもナギも胸を撃ち抜かれて重症を負い、始まりの魔法使いは更に“あの鍵”の力を解放して追い討ちを掛けた。
 水を操る魔術師にフィリウスと呼ばれた少年が咄嗟に最高クラスの障壁を展開するが“フィリウスでは”あの力は防げない。案の定、決戦クラスの魔法すら防げる筈の“最強防護(クラティスケー・アイギス)”がガラス同然だった。
 褐色の大男は両腕を失い、紅き翼はフィリウス以外は満身創痍だった。始まりの魔法使いを見て、誰もが絶望に陥る。なのに、ナギは立ち上がった。
「い、いけませんナギ! その身体では!」
「アル、お前の残りの魔力全部で俺の傷を治せ」
「しかし、そんな無茶な治癒ではッ!」
「30分もてば十分だ」
「ですがッ!」
 ナギの無茶を諌めようとアルが声を荒げるが、ナギは耳を貸さなかった。すると、フィリウスがフフと微笑みながら立ち上がった。
「よかろう。ワシもいくぞ、ナギ。ワシが一番、傷が浅い」
「お師匠……」
「ゼクト! たった二人では無理です!」
「ここで奴を止められなければ世界が無に帰すのじゃ。無理でもいくしかなかろう」
 ゼクトは魔力を練りながら言った。
「ナギ、待て! 奴は不味い。奴は別格だ! 死ぬぞッ! 体勢を立て直してだな……」
「バーカ、んなコトしてたら間にあわねーよ。らしくねーな、ジャック」
 ジャックの言葉に軽く返しながらナギはニッと笑みを浮かべた。
「俺は無敵のサウザンドマスターだぜ? 俺は勝つ!! 任せとけ!!」
「ナギッ!!」
 ジャックの制止を振り切り、ナギとフィリウスは始まりの魔法使いに向かって飛び出した。
 ナギとフィリウスは次々に魔法を繰り出した。だが、フィリウスの魔法は悉く打ち消された。
「やはり、ワシでは――ッ!」
「お師匠!!」
 最大の魔法を簡単に掻き消され、フィリウスは一瞬怯んでしまった。その瞬間、フィリウスの身体を無数の魔法が打ち抜いた。
「テメエ――ッ!」
 ナギは全身を魔力で最大まで強化した。人間の限界を遥かに越える速度と力で始まりの魔法使いを殴った。そして、超至近距離で千の雷を放った。
 それでも、始まりの魔法使いは倒れなかった。背後に超巨大な魔方陣を作り出し、狂った様に笑い始めた。この世に存在するありとあらゆる攻撃魔法が放たれる。
「私を倒すか、人間! それもよかろうッ! 全てを満たす解は無い。いずれ、彼等にも絶望の帳が下りる。私を倒して英雄となれ! 羊達の慰めともなろう。だが、夢忘れるな! 貴様も例外では無い!」
「ケッ! しぶてぇ奴だぜ! グダグダ、うるせえええええ!!」
「グオッ!?」
 無数の魔法の豪雨を突破し、ナギの拳が始まりの魔法使いを捉えた。始まりの魔法使いは苦悶の声を上げた。始まりの魔法使いを打ち抜いたナギの拳に篭った強大な魔力は墓守の宮殿の壁を次々に打ち抜き、そのまま遥か下方の大地に激突すると、凄まじい爆発を巻き起こした。
「たとえ、明日世界が滅ぼうと知ろうとも!! あきらめねぇのが、人間ってもんだろうがッ!!」
 ナギは最強の一撃を放つ為、先の曲りくねった自身の杖に魔力を篭め始めた。杖は雷霆を迸らせ、巨大な槍に変化した。
「くっくく……、貴様もいずれ、私の語る”永遠”こそが“全て”の“魂”を救い得る唯一の次善解だと知るだろう」
 全身をナギの放った無数の雷の投擲に撃ち抜かれながら、尚も始まりの魔法使いは笑い続けた。
「人間を――」
 ナギは己の全身全霊を掛け、必殺の一撃を始まりの魔法使いに向けて投げ放った。
「――なめんじゃねえぇぇええええええッ!!」
 墓守の宮殿の天井を一気に最上部まで貫き、始まりの魔法使いを一気に消滅させてしまった。
 アスナが気を保っていられたのはそこまでだった。既にフェイトを失った悲しみと絶望に心は壊れ、景色は白黒にしか映っていなかったが、突然全身を襲った凄まじい苦しみに視界にノイズが走った。僅かに見えるのは、殺された筈のフィリウスが渦巻く光の中に立ち、ナギがボロボロの状態で何かを叫んでいる光景だった。

「悪い……遅くなっちまった。全く、いつもいつもヒーロー失格だな」
「ナ……ギ……?」
 気が付くと、アスナはナギに助け出されていた。周りには砕け散ったクリスタルが転がっている。アスナは紅き翼と共に行動する様になった。
 悲しみと絶望に心を壊されたアスナは感情を失ってしまっていた。嬉しいも怒りも哀しみも楽しさも何も感じなくなってしまった。
 それでも、姉であるアリカ、そしてアリカと婚約したナギ、紅き翼のメンバーの皆と日々を過ごす内、不思議なあたたかさを感じるようになった。ゆっくりと、壊れたパズルを少しずつ嵌め直す様に感情を思い出し始めたある日の事だった。アスナはガトウとタカミチと共に旅をしていた。
 ジャックは傭兵家業に戻り、詠春は京都に皆と一緒に行った時にそのまま式をあげて関西呪術協会の長の娘と結婚した。元々、話があったらしく、今迄は断って来ていたらしいが、戦争も終わりを迎え、改めて受ける事にしたらしい。花嫁の女性はとても美しかった。
 アルは何かを調べると一人去り、ナギはアリカとウェールズの山奥にある故郷に戻った。中退した魔法学校の旧友達や幼馴染達が住む村で、アリカを匿ってもらえるように頼むのだそうだ。
 ある日の事だった。突然、アルから連絡が入った。その内容は驚くべきものだった。倒した筈の、あの大戦の真の黒幕であった始まりの魔法使いが率いた“完全なる世界(コズモエンテレケテイア)”の残党が再び息を吹き返し、活動を再開し始めたらしいのだ。
 数ヵ月後、完全なる世界について調査を行っていたガトウの下にアルが大怪我をしたという情報が入り、ナギが消息不明になった。ガトウは詠春に連絡を入れた。アスナを連れたまま、完全なる世界の情報を追うのは危険だと、詠春の下で匿えないか相談したのだ。結果、アスナは詠春の義父である近衛近右衛門が長を務める関東魔術協会の本部がある埼玉県麻帆良市にある麻帆良学園という学園都市で匿う事になった。
 アスナを連れ、隠れ家を出たガトウ達の前に完全なる世界の刺客が現れた。デュナミスだった。次々に闇の魔素を編み、強力な魔物を生み出すデュナミスを相手にガトウはアスナをタカミチに預け、一人戦った。デュナミスを見事に撃退したガトウだったが、自身も致命傷を負ってしまった。
「よぉタカミチ、火ぃくれねぇか? 最後の一服……って奴だぜ」
 岩に背中をもたれながら、口と腹部から夥しい量の血を流すガトウが咥えたタバコにタカミチに火を点けさせ、大きく吸った。
「あーうめぇ。さあ、行けや。ここは俺が何とかしとく」
 デュナミスは撃退したが、未だに完全なる世界の残党が周辺をうろついていた。
 アスナは首を振った。ここで残して行ったら、間違い無くガトウが死んでしまうから。
「……何だよ、嬢ちゃん。泣いてんのかい? 初めてだな」
 ガトウに言われ、漸くアスナは自分が泣いている事に気が付いた。自覚した途端に哀しみの感情が溢れ出した。溢れ出す涙を止める事が出来なかった。
「へへ……、嬉しいねぇ」
「師匠……」
 タカミチが震えた声で言った。
「タカミチ、前に言った事頼むぜ? んで、俺のトコだけ念入りに消しといてくれねぇか?」
「な、何言ってんスか、師匠!?」
「これからの嬢ちゃんには必要ないモンだ」
「ヤダ……」
 アスナの震えた声にタカミチとガトウが顔を向けた。
「ナギも居なくなって……、おじさんまで……」
 ヤダ、とガトウの手を小さな手で包み込み、アスナは涙を流し続けた。
 アスナの頭にガトウは手を伸ばし、優しく撫でた。
「幸せになりな、嬢ちゃん。あんたにはその権利がある」
「ヤダ……」
 幸せになんてなれなくてもいい。だから――。
「ダメ、ガトーさん! いなくなっちゃやだッ!!」
 アスナはタカミチに抱き抱えられながらも必死にガトウに向かって叫び続けた。愛したフェイトが死んでしまった。自分を助けてくれたヒーロー(ナギ)は行方不明、その上、ガトウまで居なくなったら、今度こそ自分は耐えられない。必死に泣き叫びながらガトウに一緒に来て、と叫び続けた。
 ガトウは腹部から血を溢れさせながら立ち上がると、最後にニッと笑みを見せ、そのままアスナとタカミチから離れ、戦場に向かって行ってしまった。タカミチは涙を流しながらアスナを抱えて逃げ出した。
 逃げて、逃げて、逃げ続けて、タカミチは英国のナギの父の居るウェールズのメルディアナ魔法学院へと逃げ込んだ。アスナもタカミチもガトウの死を嘆き哀しみ、数ヶ月が経過した。
 季節は冬になり、漸く落ち着く事が出来たタカミチはアスナを外に連れ出した。アスナは未だに哀しみを引き摺っていた。それでも、タカミチを元気付けようと、空から降ってきた雪を手に取りながら笑いかけた。
 同じ気持ちを共有するタカミチを慰める事で心の安定をギリギリの所で保っていた。
「ねぇ……、雪だよ」
「ええ、降ってきましたね……」
「……これから、どうするの?」
「日本へ行きます」
「日本……? それで……どうするの?」
 タカミチはアスナの手を握りながら微笑みかけた。
「幸せに暮らすのです。お姫様。全てを忘れて……ね」
 二人は手を繋ぎながら歩いた。雪化粧の景色の中を――。
 タカミチに連れられて、アスナは麻帆良学園にやって来た。そこで、近衛近右衛門という老人に出会い、アスナの記憶は封じられた――。

「ああ……、そうだったんだ。ガトウさんは私を狙った奴に――」
 ノイズの入り混じった光景が徐々に晴れていく。
「タカミチは私の心を護る為に記憶を封じて――」
 真っ暗な空間に、明日菜はアスナと対面していた。
『そう、そしてアスナ・ウェスペリーナ・テオタナシア・エンテオフュシアは神楽坂明日菜になった。ガトウさんのミドルネームのカグラに因んで』
「私は誰なの? 私はアスナだけど明日菜。分かんないよ。わかんない……」
『貴女と私は同じ。貴女も私で私も貴女よ。だって、ちょっとお馬鹿さんになっちゃったけど、貴女は私の理想そのもの。自分の願うままに行動し、助けたい人は助けたいだけ全力で助ける。誰かの泣いてる姿を見たくない。自分の我侭を突き通す。貴女は私と何も違わない。ただ、貴女はアスナとしての時間を忘れて、明日菜として過ごして来ただけ。だから、一つになりましょう。私と貴女は一つだから』
「私と、アスナが一つ……」
『そうだよさあ、行きましょう』
 アスナが明日菜の手を取った瞬間、明日菜の視界は反転した。そして、元の世界へ戻ってきていた。



[8211] 魔法生徒ネギま! [第五章・修学旅行編] 第二十八話『アスナの思い、明日菜の思い』
Name: 我武者羅◆cb6314d6 ID:87b1fc72
Date: 2010/06/21 16:32
魔法生徒ネギま! 第二十八話『アスナの思い、明日菜の思い』


「よぉタカミチ。火ぃくれねぇか。最後の一服…………って奴だぜ」
 目の前で、大切な人が死のうとしている。腹部に大き過ぎる傷を負った男は、自分のお気に入りの銘柄のタバコを一本咥えると、まだ皺も無かった頃のタカミチのライターで火をつけて、心の底からおいしそうに煙を吸い込んだ。この煙草の臭いは嫌いだった。
「あ――うめえ」
 男はニヤリと笑みを浮かべ、少女と青年に顔を向けた。口からも血が流れ出している。内臓もボロボロだった。もう、どんな名医も魔法も彼の命を救ってくれないだろうと、理解してしまった。
「さあ、行けや。ここは、俺が何とかしとく」
 男はアスナの顔を見ると、血を吐きながらも優しげな笑みを浮べてくれた。
「何だよ、嬢ちゃん。泣いてんのかい? 涙見せるのは……初めてだったな。へへ……、嬉しいねえ」
「師匠……」
 男の様子に、タカミチは震えが止まらなかった。ずっと、詠唱の出来ない自分を育ててくれた師匠。その死に際に、涙を堪えるのに精一杯だった。自分が居たから、泣けなかったのだろう。
「タカミチ、記憶のコトだけどよ。俺のトコは、二度と思い出さない様に念入りに消してくれねぇか?」
「な、何言ってんスか師匠!」
 タカミチは、男のあまりの言葉に叫んだ。
「これからの嬢ちゃんには必要ないモンだ」
 男はそれでも、頼むとタカミチに視線を送った。
「やだ……。フェイトが消えて……、ナギも居なくなって……。おじさんまで――ッ」
 アスナはキュッと男の手を握り締めた。震える手で、涙を流しながら。ふわりと、頭の上に重さを感じた。男の手が、アスナの頭を優しく撫でた。
「幸せになりな、嬢ちゃん。あんたには、その権利がある」
 ガトウの言葉に、アスナは力の限り叫んでいた。
「ヤダッ!! ダメ、ガトウさん!! いなくなっちゃやだ!!」
 アスナの願いをガトウは聞き入れてくれなかった。だから、自分も最後の願いを聞かなかった。この人の事を絶対に忘れない――そう誓った。

 意識を失い、糸の切れた操り人形の様に倒れ込む明日菜の体をネギが支えた。
「明日菜さん!?」
 ネギが血相を変えて呼び掛けるが、明日菜の視線は虚空に彷徨い焦点があっていない。口から涎が一筋流れ、微動だにしない。
 刹那が咸卦法を発動し、夕凪を右手に、上空に七首十六串呂を展開し、更に木乃香との仮契約によって得られた新たなるアーティファクトを左手に握り締めた。
【剣の神・建御雷】――――木乃香と刹那の実家であるここ、関西呪術協会の総本山である【炫毘古社(かがびこのやしろ)】で奉られている【火之炫毘古神(カグツチ)】と呼ばれる火神の血より産み出されし武神である。
 剣の神の名を有するそのアーティファクトは唾の部分に無色の球体が浮かび、柄と刀身が離れている不思議な形状の大剣だった。
「貴様、何をしたッ!!」
 刹那の怒声を受けながらも、フェイト当人すらも困惑していた。
「な、何で? 姫様!」
「稲交尾籠!」
 思わず叫んで駆け寄ろうとしたフェイトに、刹那の七首十六串呂が降り注いだ。瞬時に展開した岩の花弁が防ぎ切る。膠着状態が続いた。唐突にクッという笑い声が響いた。
「暴れるのはいいが、周りにも眼を向けてみたらどうだ?」
 愉快そうに微笑みながら、アイゼンが顎を向けた先には、ネギ達を囲む無数の神鳴流剣士と呪術師の姿があった。正面を突破した時の比ではない。この状況で一斉に攻撃されれば、待っているのは全滅だけだ。
「刹那君……」
 タカミチが静かに諭し、刹那は舌を打ち、七首十六串呂を消した。キッとフェイトとアイゼンを睨みながら、刹那はソッと明日菜を抱き抱えるネギを護る様に後退した。
 木乃香は明日菜を心配そうに見つめながらも、不安そうに周囲を見渡している。
 美空は殆ど諦めかけて現実逃避を始め、小太郎は刹那の隣にネギと美空を護る様に構えた。千草とタカミチがその後ろを護る様に立つ。
「さて、ご苦労だったな。天ヶ崎千草」
 アイゼンの言葉に、ネギ達はギョッとした。何を言っているのかが理解出来ない。思わず、全員が千草に振り返った。千草は肩を竦めながら軽やかにフェイトの前に歩いた。
「どういう事だ、千草!?」
 カッと眼を剥きながら刹那が怒声を上げた。
「姉ちゃん!?」
 小太郎も何が何だか分からないという顔をしている。
「演技やった……ちゅうだけの話や」
「!?」
 愕然とするネギ達を尻目に、千草は一枚の符を取り出してニヤリと笑みを浮かべた。
 アイゼンはその赤眼を輝かせ、詠春は右手を掲げた。フェイトは勝利を確信した笑みを浮かべた。
「長かった。漸く、僕は姫様を――ッ!」
 フェイトの愉悦に満ちた声に、アイゼンがクッと笑い右手を高らかと優雅に掲げた。
「今、この瞬間に条件は全てクリアした!!」
 身構えるネギ達を尻目に、フェイトは愛情に溢れた眼差しで眠っている明日菜を見た。
「これで――ッ!」
「お前を――」
 すると、アイゼンは身構えるネギ達ではなく、フェイトを見ながら呟いた。
「――捕まえたぞ、小僧」
 そして、この場において最も在り得ない声が響いた。フェイトも、ネギ達も眼を見開いた。炎の魔法陣の中から、大きな二つの影が現れたのだ。そして、その影とアイゼン、詠春、千草がフェイトの四方向から各々の目の前に魔法陣を展開し取り囲んだ。
 真紅に輝く陰陽道の魔法陣がアイゼンの目の前の虚空に浮かんでいる。詠春の前には黄金に輝く魔法陣、千草の前には緑色に輝く魔法陣、そして…………紅蓮の炎の魔法陣から足を踏み出したその女性の目の前には青銀に輝く魔法陣が浮かんでいる。サラサラと流れる金砂の美しく長い髪が風に靡き、彼女の目の前に展開する魔法陣と同じ美しい蒼の瞳。漆黒のドレスに身を包んだ妙齢の女性の名は――エヴァンジェリン・A・K・マクダウェル。
 四色の魔法光が混ざり合い、ドーム状にフェイトを覆っている結界の名は――【四神結界】
 関西呪術協会の地下に刻まれた総本山を護る四神結界の為の黄龍術式を利用し、四神を四人の魔法使いと陰陽師が担当する事で発動させた。
「エヴァンジェリンさん!?」
 驚愕したネギは思わずその名を叫んでいた。居る筈の無い、居て欲しい存在。一緒に来て、一緒に修学旅行を楽しみたいと願ったその女性が、だけど彼女に優しくない世界の為に一緒に来る事の出来なかった女性が、そこに優雅に立っていたのだ。
「ああ、大変だったようだな、お前達」
 優しく、エヴァンジェリンはネギ達に視線を向け笑みを浮かべた。
「久しいな、アイゼン・アスラ」
 そして、戸惑うネギ達を可笑しそうに見た後、エヴァンジェリンは対面に居るアイゼンに冷ややかな視線を送った。
「ああ、南海の孤島で一戦交えた時以来だからな」
「強さに執着していた小童が、随分と丸くなってるじゃないか」
 アイゼンはその視線を受け流しながら思い出す様に言った。エヴァンジェリンの言葉に、アイゼンは鼻で笑って見せた。
「世の中全部が敵だとか言ってた奴に言われたくはないな」
 肩を竦めながら言うアイゼンの言葉に、エヴァンジェリンは鼻を鳴らした。そんな二人の様子に、ネギ達は呆気に取られた。
「エヴァンジェリンさん、一体、どういう事なんですか!?」
 ネギが説明を求めると、それまで洗脳されていると思われていた詠春がゆっくりと顔を上げ、少し困ったような、それでいて優し気な笑みを浮かべながら口を開いた。
「私もさっき聞かされたばかりなのだがね。どうやら、最初からこの結末に至る為にお義父さんとアイゼン・アスラが考えた策だったんだよ」
「全ては、造物主が創り出した世界を滅ぼす程の力を秘めた鍵、その脅威を封じる為だ!」
 不意に、背後の呪術師達の合間から一人の少年が現れた。アイゼンやフェイトと同じく十五、六程度であろう、痛んだ金のツンツン頭に趣味の悪い服装の怪しげな少年だった。
「誰!?」
 美空は突然の展開の速さに混乱しながらも、全く知らない男の登場に思わず叫んだ。
「俺は土御門家の長男坊だ。よろしくな、お嬢ちゃん」
 土御門は、その掲げた右手に球体型の複雑に入り組んだ魔法陣を浮かべながらネギに顔を向けた。
「久しぶりだな、ネギ」
「え……と?」
 土御門に声を掛けられたネギは驚いて明日菜を落としそうになった。ネギは慌てて明日菜を抱え直すと、改めて土御門の顔を見た。確かに見覚えはある。だが、彼は自分とそう年は変わらない筈だ。
「いやいや、お前の頭に浮かんだのは正解だ。山田太郎だぜ!」
「山田君!? でも……ッ!? あれ? 成長期!?」
 ネギは、己の知っている少年と、目の前の少年の容姿の落差に戸惑いを隠せなかった。
「ハッハッハ! 可愛い反応だな。アーニャとは大違いだ。何、簡単な話だ。山田太郎は偽名。ついでに魔法で歳も誤魔化していた。更に付け加えれば、俺は魔術師というより陰陽師だ」
「え? え? え、ええ~~~~!?」
 ネギは、土御門の告白に目を白くした。だってそうだろう。同級生が実は偽名でした……それだけでも混乱してしまうのに、加えて歳も偽りだったというのだ。最早、何を言っているのか理解出来なかった。
「まあ、色々説明は長くなるから後でじっくり説明してやる。俺はお前の父親、ナギ・スプリングフィールドとは旧知でな、頼まれていたんだ。お前の事をな――」
「それってどういう――――ッ!?」
 ネギが更に詳しく聞こうとした時、拘束されたフェイトが怒りの篭った声が聞こえた。
「どういうつもりだい、アイゼン・アスラ……。まさか、僕達を裏切る気なのかい?」
 フェイトはアイゼンに殺気を放ちながら顔を向けていた。
「ああ、その通りだ。もう、やる事が無くなったからな」
「無くなった? 君は吸血鬼というだけで悪と断じ、迫害する人間に怒りを覚え、僕達の造る永遠の園……あらゆる理不尽、アンフェアな不幸のない“楽園”に吸血鬼達を移民させるという願いがあったのではなかったのか!?」
 フェイトの言葉にエヴァンジェリンが噴出した。
「アホか、貴様! この戦闘凶が、そんな殊勝な事を考えるわけが無いだろ! そんなのに騙されたのか!?」
 嘲笑を交えたエヴァンジェリンの言葉にフェイトは不快気に顔を歪めた。
「彼は十年前に僕達の仲間となったその日から今日まで共に願いのために動いてきたんだぞ!」
「お前の願いは黄昏の姫御子が二度と戦争に利用されず、永久(とわ)に幸せに生きられる事だったな」
「そうだ……。なのに、何故このようなまねをするんだい? 君の願いは――」
「アレはその女の言うとおり、ただの嘘だ」
「なんだって……?」
 アイゼンの不遜な態度にフェイトは凍りついた。
「500年も生きるとどうにも暇を持余すのでな。旧き友人に力を貸す事にしたんだよ。ま、その仕事も終わって、一つだけ最後にやっとくべき事があってな」
「馬鹿な……。じゃあ、今回の作戦は初めから罠だったというわけかい? とんだ間抜けだな、僕は……」
 自嘲の笑みを浮かべながらフェイトは涙を流した。
「そんじゃ、グランドマスターキーを渡してもらおうか」
 土御門が結界に拘束されているフェイトに言った。フェイトは顔を俯かせ、土御門の言葉を無視した。
「あんまり手荒な真似はしたくないんだ。大人しく渡してくれれば、お前の身柄は――ッ」
 土御門は突然後退した。何事かとネギ達がフェイトに顔を向けると、フェイトの手に杖が握られていた。先端に地球儀のような物が取り付けられているフェイト自身の身長と同じくらいの巨大な鍵の形をしていた。
「そいつを大人しく渡してくれないか?」
 土御門が丁寧に頭を下げながら頼むと、フェイトは睨むような視線を土御門に向けた。
「愚かだね。この程度の結界で“造物主の掟(コード・オブ・ザ・ライフメーカー)”の力を封じられると本気で思っているのかい?」
「強がるのはやめておけ。お前を拘束しているその結界は四神と呼ばれる強大な力を持つ精霊の力を借りた強力なものだ。抜き身のままではこの世界ではグレートマスターキーといえど、その力は大きく制限される筈だろう?」
 フェイトと土御門の言葉の端々にネギ達には理解出来ない単語が含まれていた。
 土御門の言葉にフェイトは嘲笑の笑みを浮かべた。
「愚かだね。この鍵は造物主の創り出した鍵なんだよ? 常識に囚われた時点で君の敗北さ」
 フェイトの言葉と同時にフェイトの持つ鍵杖から光が溢れ出した。
「馬鹿な、月の姫君の力を借り、大陰陽師・安倍晴明が張った結界だぞ。如何に造物主の力といっても神の力には逆らえまい」
 土御門の言葉を尻目に鍵杖から迸った光が結界の壁に何度も衝撃を与える。
「あ、あきまへん……。ウチはもう――ッ」
 限界が来たのは結界では無く、結界を維持している人間の方だった。エヴァンジェリン、アイゼン、詠春は余裕を保っていたが、元々、気を主体に使う陰陽師である千草の魔力では耐えられなかったのだ。
「なにっ!? 地下の“宝具”からのバックアップを受けている筈だろ!?」
 土御門が愕然とした表情を浮かべると、千草の顔色がどんどん青褪めていった。
「まずいぞ、土御門。衝撃が来る度にかなり削られている。バックアップで魔力は十分だが、人間の身で支え続けるのは不可能だ」
 赤眼を爛々と輝かせながらアイゼンが言った。計算違いだった。藤原の血を引く近衛家に伝えられ、現在は総本山の基点として使われている宝具からのバックアップを受ければ鍵を封じる為に必要な魔力は十分に龍脈から引き出せると踏んでいたのだが、一つ重大な見落としがあった。
 人間の身体を通せる魔力の量の限界値だ。詠春はナギと共に旅をしていた時代に魔力と触れ合う機会があり、魔力を通す容量は十分だった。だが、千草は魔力を扱う専門的な訓練は受けていない。独自にある程度操れるように修練を積んだだけだ。このままでは、千草の肉体が耐え切れず、死んでしまう可能性が高い。
「作戦は……失敗だ」
 土御門の苦悶に満ちた声と共に千草の魔方陣が壊れた。土御門が意図的に破壊したのだ。
「あぐっ……」
 千草がフラつき、倒れそうになるのを慌てて小太郎が支えに走った。
「よかったのか?」
 アイゼンが土御門に尋ねる。
「無駄死にさせるわけにもいかん。それより、こうなっては最後の策を取るしかない」
「最後の策?」
 フェイトを警戒しながらエヴァンジェリンが尋ねた。
「つまり、魔力無し、詠唱無しで強力な魔法をバンバン使う奴を相手に実力で勝利するって作戦だ」
「それは策じゃないだろッ!」
 エヴァンジェリンが怒鳴った瞬間、光の奔流が収まり、空気が螺旋状に渦巻き、暗雲が天空を包む始めた。
「なに……?」
 それまで話しの急展開についていけずにいたネギ達が呆然と周囲を見渡すと、大地が振動し、石粒や葉が宙に浮かび上がった。
「山田君!!」
 ネギが思わず叫ぶと、土御門は脂汗を流しながらニヒヒと笑みを浮かべた。
「土御門だぜ、ネギ」
 フェイトの立つ場所から一段と凄まじい波動が放たれ、既に身体がボロボロになっていた千草は気を失い、ネギ達は凄まじい圧迫感に包まれた。
 フェイトは地面を蹴り虚空に浮かんだ。憎悪に満ちた目でアイゼンを睨み右手を掲げた。詠唱も無くフェイトの背後の空間が歪み始めた。まるで、水面から顔を出す様に、波紋を空間に広げながら、幾つモノ巨大な石柱が出現し降り注いだ。
「まずい!?」
 カモは、周囲に展開している洗脳された呪術師達を見て叫んだ。
「クッ、この人数を一気に転移など出来んぞ!?」
 焦燥に駆られたエヴァンジェリンの叫びに、ネギ達は戦慄した。
「なら、あの石柱を破壊します。ラス・テル マ・スキル マギステ――」
 呪文を唱え始めたネギの頭を誰かがポンポンと叩いた。
「え?」
 そして、その人物はそのままフェイトを見上げるとその手に握る剣を振るった。
「――無極而太極斬」
 オレンジ色の髪を靡かせた、碧と翠の瞳を持った勇猛果敢な少女が振るった斬撃は、冥府の石柱を一瞬にして消滅させた。剣自体が当っていないにも関らず――。
「あ、明日菜……さん?」
 ネギが呆然とその名を呼ぶと、明日菜はどこか儚げな笑みを浮かべながら口を開いた。
「ネギに言いたい事があるの」
「明日菜さん?」
 ネギに背を向けながら言う明日菜にネギは戸惑った。緊迫した状況だというのに、明日菜は凄く自然体で、それでいて酷く虚ろだった。
「私はネギに巻き込まれてコッチの世界に入ったわけじゃない」
「え?」
 明日菜の言葉に、ネギは戸惑いを見せた。
「私は自分の意思でネギを助けたの。助けたいと思ったから。だからさ、もっと私を頼って欲しいの」
「明日菜……さん?」
 恐る恐る名を呼ぶと、ハァッと拳に息を吹きかけて、ツカツカとネギの前にやって来ると、明日菜はネギの頭に拳骨を落とした。
「あの弓の呪術師と戦ってる時、ピンチなら私を呼んで欲しかったって言ってるの! だって、私はパートナーである前にネギの友達なんだから!」
「明日菜さん――ッ」
 ネギが見上げながら名前を呼ぶと、明日菜は優しい表情を浮かべた。
「それだけ言いたかったの。それじゃあ、気分もすっきりした所で、後はあのバカの目を覚まさせてあげないとね」
 明日菜はそう言うと、ハマノツルギを掲げた。そのまま、ハマノツルギをグルグルと振り回すと、ハマノツルギを地面に突き刺した。
「ガトウさん、貴方に教えてもらった力で、大事なモノを今度こそ溢さないで守り抜きます」
 毅然とした表情でフェイトを見つめるアスナに、ネギ達は眼を見開いた。
「神楽坂明日菜、お前……」
 エヴァンジェリンは、それまで以上に強いナニカを纏うアスナに戸惑った。
「待っててね。早くあのバカの目を覚まさせて、一緒に京都見物しようね、エヴァちゃん」
 思わず見惚れてしまいそうになった。あまりにも美しい笑みを浮かべたアスナは、両手を上げた。

『いいか? 左腕に魔力――、右腕に気……』
 早朝のイスタンブールの港町、そこで幼い頃のアスナはすぐ近くでタカミチに自分の技を教えているガトウの声を聞いていた。
『左腕に魔力……、右腕に……うわっ!』
 タカミチはガトウがやって見せた技を真似たが、相反する力を中々一つに出来ず、魔力と気を暴発させた。
『ダメだダメだ。いいか、タカミチ? 自分を無にしろ。そんな調子じゃ、五年は掛かるぞ』
『ハ、ハイ!』
 自分を無にしろ。自分の全てを失い、何も無い自分になら出来るかもしれない。そう思って、幼いアスナはガトウの言葉通りに左腕に魔力を、右腕に気を集中して混ぜ合わせた――。

「左腕に魔力、右腕に気を――――ッ! 咸卦法、発動ッ!」
 魔力と気の混ざり合った咸卦の力の波動が周囲の空気を弾き飛ばした。ネギ達は愕然としながらアスナを見つめた。咸卦の光が溢れ出すのをアスナは自然体のまま呼吸を落ち着かせて宥めた。咸卦の光がアスナの体を薄っすらと覆う程度にまで落ち着くと、アスナはフェイトに顔を向けた。
「フェイト、わたし、思い出したよ。フェイトの事」
 アスナの言葉に、フェイトは目を見開いた。
「姫様、本当に……?」
 呆然と呟くフェイトに、アスナは笑みを浮かべた。
「フェイト、聞きたい事があるの」
「なん……ですか?」
 喉がカラカラに渇き、フェイトは掠れた声で尋ねた。
「フェイトは“始まりの魔法使い”の仲間なの?」
 アスナの言葉にフェイトは肩を震わせた。アスナの真っ直ぐな視線を受けて、フェイトは後退りした。
「そう……なんだ。じゃあ――」
 アスナは顔を俯かせ、深く深呼吸をした。フェイトは恐ろしい思いを抱いていた。アスナが始まりの魔法使いについて知っているとは思っていなかった。
「ひめ……さ――」
「じゃあ、仕方ないわね。わたしがフェイトを始まりの魔法使いから奪い返す」
「…………へ?」
 フェイトは思わず口をポカンと開けてしまった。土御門、アイゼン、エヴァンジェリンは面白がる様な表情を浮かべ、詠春とタカミチはフェイトに負けず劣らずの唖然とした顔をしている。ネギ達は事情が理解出来ずに混乱している。
「フェイト……、フェイト・フィディウス・アーウェルンクス!!」
 アスナはニカッと笑みを浮かべてフェイトの名前を呼んだ。
「は、はい!!」
 フェイトは反射的に返事をしていた。アスナは笑顔で「よろしい!」と言って、地面に突き刺したハマノツルギを引き抜いた。
「我が真名、アスナ・ウェスペリーナ・テオタナシア・エンテオフュシアの名に於いて命ず!! その真の姿を解き放て!!」
 アスナがハマノツルギの刀身に手を置きながら呪文を唱えると、ハマノツルギの刀身の光が弾けた。一気に視界全てが真っ白になり、唐突に光の奔流が止んだ。
 アスナの手にハマノツルギは姿を消し、代わりに黄昏の如く黄金に輝く西洋剣を握り締めていた。アスナは黄金の剣を軽やかに振り回し、地面に突き刺した。
「これが、破魔之剣の真の姿――【決着をつける女王の剣(エクスカリバー)】よ」
「エクス……カリバー?」
 刹那の呆然としたような声が異様なほどに響いた。全員が無言でエクスカリバーを見つめている。
【エクスカリバー】――その名を知らぬ者は居ない程のこの世で最も有名なアーサー王の振るった聖剣。あたかも松明を三十本集めた程の明るさを放ち、その光は仲間達の心を奮い立たせ、敵の眼を射た。あらゆる魔法、あらゆる護りを切り裂き、王に勝利に導き続けた最強の剣。最後の刻に王の忠臣がその剣を王に聖剣を贈った湖の貴婦人に返還したとされる至高の聖剣が、真の姿を取り戻し鼓動していた。
「えっと……、エクスカリバーって、マジ?」
 アスナの握るあまりにも神々しい輝きを放ち、まるで鼓動しているかのように光を波立たせている黄金の剣に魅せられたような表情を浮かべながら美空が恐る恐る尋ねた。
「だって、湖の貴婦人が持ってる筈でしょ? エクスカリバーは……」
「それは数ある伝承の一説だ」
 美空の言葉を土御門が否定した。美空がギョッとした表情を浮かべるが、土御門は構わずに続けた。
「エクスカリバーには幾つも諸説が存在する。最も有名なのが、王が決闘で選定の剣を折ってしまい、代わりに【湖の貴婦人(ヴィヴィアン)】の望みを叶える事を誓い、エクスカリバーを頂くというものだが、他にも【妖精の国(アヴァロン)】で鍛えられた、一振りで500人の軍勢を打ち倒したとされる【王者の煌剣(カリバーン)】がエクスカリバーと呼ばれるようになったという説もある。そして、こういう説もある。【魔術師・マーリン】がアーサーを民衆に王と認めさせる為に用意した真の王以外に引き抜く事の出来ない異界(アヴァロン)で鍛えられた選定の剣、それこそがエクスカリバーであり、王の最後の刻にエクスカリバーは蜃気楼の湖に落とされたという説だ」
「まあ、よく分からないけど、これがエクスカリバーなのは間違いないわ」
 アスナが言うと、エヴァンジェリンが目を見開きながら呟いた。
「あの剣は……、あの湖でナギが手に入れた剣じゃないかッ!?」
「え!?」
 エヴァンジェリンの言葉にネギが驚きの声をあげた。エヴァンジェリンに父の話を聞いた時にエヴァンジェリンとナギが麻帆良を訪れる前に最後に向かった謎の湖、そこで手に入れた謎の剣の事を聞いていた。それがアスナの握るエクスカリバーであると聞いて困惑した。
「どうして、ナギが手に入れた剣がアスナのアーティファクトとして――――ッ! もしかして、ネギの従者に渡るように?」
「たぶん、ナギからのメッセージなのかもしれない」
 アスナが言った。ネギとエヴァンジェリンは親しげにナギの事を語るアスナに目を丸くした。
「昔、わたしはナギに助けてもらった事があるの。この剣はきっと、今度はわたしにネギを助けてくれっていうナギからのメッセージなんだと思う」
「アスナさんが……父さんに?」
「だけど、その前にわたしがやりたい事を済ませちゃうね」
 そう言うと、アスナはエクスカリバーの剣先を戸惑いと困惑の表情を浮かべるフェイトに向けた。フェイトはショックを受けた表情を浮かべた。
「フェイト、これは命令よ! このわたしと全身全霊、フェイトの全てを掛けて戦いなさい!」
「ひ、姫様!?」
 フェイトは愕然とした表情になった。
「フェイトが勝ったら、わたしの事を好きにしていいわよ?」
「へ?」
 アスナの発言にその場の全員が凍りついた。
「そうねー、フェイトがしたいならエロい事だっていいわよ?」
「ブハッ!」
 アスナの大胆過ぎる発言にフェイトは思わず噎せ返ってしまった。刹那は反射的に木乃香の耳を塞いで顔を真っ赤にしている。タカミチはネギの耳を塞ぎながら白くなっている。
 美空は面白くなってきたーッ! と興奮し、エヴァンジェリンと詠春は凍りついたままだ。
「その代わり、わたしが勝ったらフェイト! フェイトはわたしのものよ! 始まりの魔法使いなんかに返さない。一生、死ぬまで、わたしに仕えなさい!」
「姫様……」
 アスナの真っ直ぐな目に見つめられて、フェイトは拳を握り締めた。
「僕は――」
 フェイトは嬉しかった。心の底から。目の前に立つアスナは間違いなく自分の知るお姫様だった。そして、お姫様は自分を欲しいと言ってくれた。だからこそ、フェイトは哀しかった。
 ただ、記憶を弄られ、偽者の人生を歩まされているお姫様を救いたいと我武者羅に願っていた時は何も考えずにいられた。だけど、正真正銘のお姫様を前にして、フェイトは現実と言う壁を幻視してしまった。
 自分はお姫様と一緒に居られる存在ではない事を思い出したのだ。フェイトは何度も口を開こうとして、その度に心が痛んだ。言えば、お姫様は二度と自分を欲しいなどとは思わなくなるだろうと理解して――。
「――ぼく……は、造物主(ライフメーカー)が姫様を監視する為に創った……人形なのです」
 フェイトは震えた声で言った。アスナは目を白黒させている。ネギ達も困惑した表情を浮かべている。
「【地】のアーウェルンクス。それが、僕の本当の名前です。僕は造物主が計画を完遂する為に創られた駒。お姫様に警戒されない為にウェスペルタティア王国ペガサス騎士団が第一師団の騎士団長、フィディウスの息子という偽の記憶と偽の心を持たされただけの傀儡なんです……」
 血を吐くような独白を続けるフェイトにアスナは顔を俯かせた。フェイトは哀しみと絶望を感じながら涙を流した。
「その涙も……偽者?」
 アスナが顔を俯かせたまま、フェイトに尋ねた。フェイトは一瞬、何の事だか分からなかった。目元に手を当てて驚いた。自分では、自分が涙を流している事に気が付いていなかったのだ。
「偽者です……。人形に感情などない」
「やっぱり、フェイトだね」
 アスナは肩を震わせながら言った。
「姫様……?」
 顔を上げたアスナは顔を綻ばせていた。フェイトは理解出来ずに戸惑いの表情を浮かべた。
「覚えてる? フェイト、わたしと一緒に会った時、紅茶に砂糖じゃなくて塩を入れたの」
「あ、あれは、姫様が塩と砂糖を一緒に置くから!」
 フェイトは思わず叫んでいた。すると、アスナは嬉しそうに笑った。
「偽者の記憶? 偽者の感情? そんなのどうでもいいわよ。監視してた? それもいいわ、許してあげる。だって、王宮でわたしと一緒に遊んでくれたのも、わたしの為に城下まで花や玩具を買って来てくれたのも、わたしが初めて好きになったのも、フェイトだもん。最初は確かに偽者の記憶と偽者の感情だったのかもしれないね。だけど、わたしと一緒に過ごした日々の記憶は偽者? 今、泣いているのは偽者の感情? フェイトは人形なんかじゃないよ」
「ち、違います! 僕は……造物主に創られた……」
 止めてくれと泣き叫びそうになった。どうして、自分の正体を明かしたのに自分にそんな言葉を掛けてくれるんだ、と。もしかしたら、またお姫様の騎士になれるかもしれない、なんて希望を抱いてしまいそうになる。
 自分は人形なのだ。だから、突き放して欲しい。そう願ったのに、お姫様は逆に抱き寄せようとする。フェイトはアスナから少しでも離れようと後退りした。
「フェイトは人形なんかじゃない。確かに、造物主に創られた存在かもしれないわ。だけど、今は心を持った人間よ。フェイトはフェイト。わたしが言うんだから間違いないわ!」
「やめ……くれ」
「フェイト?」
「止めて……下さい。僕は人形で……、姫様を監視してて……、僕は……」
 フェイトが肩を震わせながら言うと、アスナが大きく溜息を吐いた。
「御託はもういいわ! フェイト、さっさと戦う準備をしなさい」
「え……? ひめ……さま?」
「言ったでしょ? フェイトが勝ったらいくらでも自由にしていいわよ。わたしもフェイトは人形なんだって、諦めてあげるし、自分は人形だなんだって好きなだけ泣き喚いてればいいわ! だけどね、わたしが勝ったら麻帆良に連れて帰る! それで、その腐った根性叩きなおしてやるわ!」
 アスナの怒声にフェイトはアスナの顔を見た。アスナは燐とした表情でフェイトにエクスカリバーの剣先を向けていた。
「僕は……」
「フェイト、久しぶりにアンタの実力を見てあげるわ!」
 アスナはそれ以上の問答を許さず、一気に地面を蹴った。
「クッ!」
 フェイトは咄嗟に飛び上がった。フェイトの立っていた場所にアスナが拳を振るっていた。咸卦の力の篭った拳の勢いで突風が巻き起こった。
「僕を……」
 アスナは再び地面を蹴ると、一気に上空に浮かぶフェイトの目前まで距離を詰めた。フェイトは咄嗟に鍵剣を起動させた。
「リ、リロケート!」
 フェイトの姿が掻き消え、アスナの蹴りが虚空を薙いだ。
「もう――」
 フェイトはアスナの頭上に転移した。泣きじゃくった顔でアスナに向かって叫んだ。
「僕を突き放してくれ――――ッ!」
 フェイトの悲痛な叫びと共にフェイトの握る杖から魔力が溢れ出した。カッとフェイトの瞳が開き、虚空に出現した巨大な岩石の拳がアスナに迫った。アスナはエクスカリバーを振るって消滅させる。
「ウアアァァァアアアアアア!!」
 フェイトの背後の空間が波立ち、凄まじい数の石の槍が出現出現した。
「これは――ッ」
 あまりにも多過ぎる。アスナは地上のネギ達を見て焦燥に駆られた。すると、真っ白なブリザードが吹き上がり、落下しようとしていた石の槍を全て一纏めにすると、凄まじい熱量を持った炎の龍が出現し凍結された石の槍を全て飲み込み消し炭に変えた。驚いて地上を見下ろすと、右手を掲げ、青銀の瞳を輝かせるエヴァンジェリンと、ポケットに手を入れたまま赤眼を輝かせるアイゼン・アスラの姿があった。
「明日菜君!」
 タカミチの声が響いた。不思議だった。明日菜がずっとどうしようもないほど好きだったタカミチの声が、どこか遠く聞こえた。眼を見開き、胸が痛んだ。
「僕達の事に構う必要は無い! 君は、君の戦いに集中するんだ!!」
「私は――」
 神楽坂明日菜は高畑.T.タカミチを愛していた。心の底から好きだった。鈴のリボンを貰った時の事も、タカミチの煙草を吸う横に立っていた時の事も、全て思い出せる。木乃香に付き合って貰って、タカミチにチョコレートを渡した事も覚えている。だけど、今はタカミチを思う度にあの人の姿が脳裏に再生される。タカミチは、ガトウ・カグラ・ヴァンデンバーグに似ている。本人が自分から似せているのだから当たり前だ。彼の戦闘方法も、煙草を吸うのも、着ている背広のブランドや眼鏡のフレームの形から髪型まで、全てが彼の模倣だ。
 だから、自分はタカミチにガトウを被せて見ていたのか? 違う――。
 アスナ・ウェスペリーナ・テオタナシア・エンテオフュシアはフェイト・フィディウス・アーウェルンクスが好きだった。
 だけど、神楽坂明日菜は――高畑.T.タカミチが好きなのだ。
「私はわたし。わたしは私……」
 上空では、錯乱したフェイトが次々に石の槍や剣を雨の様に降らせているが、エヴァンジェリンが冷気でそれらを一箇所に集め、アイゼンが焼却していく。
 アスナは不意に涙が溢れた。アスナは地面に降り立った。
「だって、わたしは私だもん。明日菜として生きてきたのは本当だもん……」
 明日菜の瞳が揺れた。心が掻き乱され、突然、どうしていいか分からなくなった。記憶が甦り、昔の人格と今の人格が融合したのが今のアスナだった。アスナと明日菜、二つの人格が一つになった事で混乱が起きてしまったのだ。
 フェイトの事が好きなアスナとタカミチの事が好きな明日菜。二つの心に揺さぶられたアスナを見て、エヴァンジェリンがタカミチに顔も向けずに告げた。
「タカミチ、お前の口から言え。お前の思いを。ちゃんと、本音で――」
 タカミチはエヴァンジェリンの言葉に、頷いた。
 タカミチはスゥッと息を吸い込み、真っ直ぐに明日菜を見た。愛おしそう、慈しむように。
「明日菜君」
 タカミチは明日菜の名を呼んだ。彼女が、この数年間を生きた名前を。
「僕は、君があやか君や木乃香君達に囲まれながら元気になっていく姿が嬉しかった。君が僕に向けてくれる感情も嬉しかった」
 タカミチの声に、明日菜は顔を上げた。
「僕は……、僕にとって、君は――」
 タカミチは息を更に吸い込んだ。記憶の中の明日菜の姿が甦った。

『え……、プレゼント?』
 小学校に入学するその日、タカミチは鈴の付いたリボンをプレゼントした。髪の毛をそのリボンで結んであげても、アスナは詰まらなそうな顔をしたままだった。
『別に……、嬉しくない。こんなの』
『ハイハイ……』
 アスナの髪を結ぶのはタカミチの役目になった。いつも同じ椅子に座らせて髪を結ってあげていた。
 時が経つにつれて、アスナは感情を表すようになった。特に、あやかと喧嘩してよくボロボロになって帰って来た。
『なんだい、最近ボロボロだね』
『いいんちょってバカがいて、つっかかってくるの、ホントにバカ』
 一緒に過ごす内にアスナは色々な感情を見せるようになった。
『タカミチ、タバコ吸ってよ。落ち着く……』
『アスナ君……、タバコは副流煙って言ってねー、体に悪いよ。僕の身体にも悪い……』
 覚えていない筈なのに、アスナはタバコを吸ってとせがんできた。タカミチは仕方なく吸い始めた。おいしくない。だけど、止められなくなった。アスナの落ち着いた表情とガトウの事を思い出して――。
 アスナがタカミチの家を出て、寮に住む事になった。久しぶりに会った時、アスナはタカミチと呼ばなくなっていた。
『あ……、久しぶり、タカミ……た、高畑さん』
 同室になった木乃香と一緒に挨拶に来て、初めてタカミチを高畑さんと呼んだ。その他人行儀な言葉に少しだけ寂しく思った。
 中学にあがって、いつも笑顔を振り撒くアスナの姿が嬉しかった。
『おー、制服似合ってるねー、アスナ君、木乃香君』
『あ、こんにちはー高畑さん! きょ、今日から私達の担任ですね。今日から、高畑先生って呼ばせてもらいます!』
 初めて会った時とは比べ物にならない程、元気な笑みを見せてくれた。
 今でも一緒に旅をした時間、一緒に住んだ時間、一緒に過ごして来た時間を隅から隅まで思い出せる。
 てっきりすぐに自分の好きな物に替えてしまうと思っていたのに初等部から中等部に上がる時も……彼女はずっと自分のプレゼントしたリボンを付け続けてくれた。

 アスナの頭を優しく撫でながら、タカミチは穏かな笑みを浮かべながら言った。
「本当の……“娘の様に”愛しているよ」
 アスナは体から力が抜ける気分だった。もう、明日菜の思いは叶わない。そう、告げられたのだから。だからこそ、明日菜とアスナが一つになる為に、明日菜は叫んだ。
「高畑先生……。私は、神楽坂明日菜は! 高畑先生が……大好きです!」
 大声で、全身全霊を掛けて叫んでいた。瞳から止め処なく涙を溢れさせて、明日菜は叫んだ。
「鈴のリボンをくれた時の事も、煙草を吸う姿も、高畑先生の全てが大好きです!」
「明日菜さん……」
 ネギは、瞳から溢れ出す涙を止められなかった。
「明日菜……」
 木乃香は、親友の姿を眼に焼き付けた。
「明日菜さん……」
 刹那は、俯きそうになるのを必死に堪えて明日菜を見上げた。
「明日菜……」
 美空は、戸惑いと心配と眼差しを向けた。
「神楽坂明日菜……」
 エヴァンジェリンは、ギュッと拳を握り締めた。そして、タカミチは大きく息を吸い込んだ。
「ありがとう、明日菜君」
 ギッと歯を噛み締めて、タカミチは告げた。
「そして……、すまない」
 明日菜の瞳が見開かれた。涙が止まらない。分かり切っていた事だったのに、心が壊れそうな程辛い。虚空に出現した巨大な岩石の刀剣にも反応しない。炎の龍が、その刀剣に噛み付き、そのまま遠い場所で噛み砕いた。赤眼を輝かせながら、アイゼンは明日菜の姿を見た。
「ありがどごじゃいまじだ!!」
 呂律も回っていない。ただ、エクスカリバーだけが輝きを増していく。まるで、主人を元気付けているかのように。涙を拭い、アスナは何度も深呼吸をした。本当は泣き崩れてしまいたかった。
 それでも、懸命に心を震わせてフェイトを見つめた。上空に現れた石柱を切り払う。そして、一瞬だけタカミチの顔を見つめて、フェイトの下へと飛び立った。

 飛び去るアスナを見つめながら、タカミチはポケットから煙草を取り出した。すると、突然現れた炎が煙草に火を点けた。一瞬眼を見開くと、タカミチは穏やかな顔になった。
「ありがとうございます」
「勿体無い奴だな」
 赤眼を輝かせながら、上空に待機させた炎の龍を消してアイゼンは呟いた。
「分かっていますよ。でも、あの娘の成長が嬉しいと感じる僕のこの気持ちは……これがきっと親心ってやつなんだと思うんです」
「嫉妬していた奴の言う事か?」
 炎の遠見で覗いていたアイゼンの言葉にも、タカミチは笑みを称えたままだった。
「僕は……」
 タカミチはネギの頭に手を乗せた。
「この子達とは並び立てない。それが……悔しいと思ったのは本当ですよ」
「タカミチ?」
「これからの時代は、君達の世代が導くんだ」
 タカミチの言葉に、ネギはよく理解出来なかった。それは、勉強が足りないとか、そういう事じゃないと分かった。
「うん……」
 ただ、そう答えた。その時、まるで大人から渡された様だった。
 時代という名のバトンを――。

 アスナは、カッと眼を見開いた。
「もう、迷わない!」
 アスナはフェイトに斬りかかった。フェイトは眼前に幾つもの頑強な盾や剣を召喚するが、悉くアスナの剣によって消滅していく。そのまま、総本山の壁の向こうの森に向かうアスナとフェイトを見ながら、詠春はクスクスと笑った。
「いやぁ、お姫様も活発になったね」
 微笑を称えながら、詠春は木乃香達も元にやってきた。
「お父様!?」
 木乃香が詠春に抱きついた。
「木乃香、久しぶりだというのに、色々と済まなかったね」
 詠春は優しく木乃香を抱き締めると、その頭を愛おしそうに撫でた。
「刹那君。君もご苦労でしたね」
 詠春が刹那に労わりの言葉を掛けると、刹那は恐縮し跪いた。
「い、いえ! 勿体無き御言葉、恐れ入ります」
「そうかしこまらないでください。この二年間、木乃香の護衛をありがとうございます。私の個人的な頼みに応え、よく頑張ってくれました。苦労をかけましたね」
 詠春の労いの言葉に、刹那は顔を上げた。
「いえっ! お嬢様の護衛は元より私の望みなれば……。勿体無いお言葉です。しかし、申し訳在りません。私は……、末席の身でありながら……」
「仮契約の事ならば……それを問う気は無いよ」
 詠春の言葉に、刹那は驚愕に眼を見開いた。
「君の忠義、本当に感謝しているんだ。組織への忠誠ではなく、木乃香に忠誠を誓ってくれている君だからこそ、木乃香の護衛を頼んだ。君に任せて、本当に良かったと思っているんだ。これからも、よろしくお願いします」
 そう言うと、詠春は頭を下げた。組織の長である者が頭を下げる、それは途轍もない事だ。
 刹那は眼を白黒させ、慌てて頭を上げる様に懇願した。そして、刹那は誓いを立てた。
「長、長に頂いた夕凪とお嬢様に頂いた建御雷に誓い、必ずお嬢様をお守りいたします」
「ええ、よろしくお願いします」
「む~、せっちゃんてば、お嬢様やなくてこのちゃんって呼んでや」
 頬を膨らませながら言う木乃香に「し、しかし!?」と詠春の顔を恐々と見ると、クスリと笑みを浮かべて詠春は言った。
「五月蝿い事を言う者も居るでしょうが、構いませんよ。少なくとも、私の前では普段の二人を見せてください」
 ニッコリと笑みを浮かべながら言う、詠春に、刹那は顔を真っ赤にしながら木乃香に顔をあわせて「このちゃん……」と小さく呟いた。
「うん、せっちゃん」
 木乃香が返事を返す。
「おい、それよりもいい加減にコイツ等に事の真相を話してやれ」
 そこに、エヴァンジェリンが一喝した。何がどうなっているのか聞きたいが、邪魔をする訳にもいかないし、という表情を浮かべているネギ達に詠春は咳払いをした。
「そうですね。キチンとお話しなければなりませんね」
 そう、詠春が呟いた瞬間だった。アスナとフェイトが向かった先で巨大な魔力が爆発し、巨大な人型が起き上がった。

「ハアアァァァアアアアアッ!!」
 アスナの剣が振り下ろされる。黄金の光を放つ両刃の剣が障害となるあらゆるモノを切り裂き、アスナの拳がフェイトに迫る。正気を失った眼で、狂った様に雄叫びを上げるフェイトに、アスナは眼を細めた。
 明日菜としての自分の気持ちに区切りをつけた。明日菜もアスナも一人のアスナ。今度こそ、ぶれずに一直線に歩み寄る。
「フェイトッ!!」
 上空に飛び上がるフェイトを追い、アスナは森の木の天辺に躍り出た。フェイトは魔獣の如き唸り声を上げると、上空に手を翳した。波紋を広げながら、まるで水中から顔を出す様に、無数の武器が上空を覆い尽くした。刀・槍・斧・鎌・杭・槌ありとあらゆる武装が降り注ぐ。
「武具の豪雨ってとこ?」
 無数の武器がアスナに向かって降り注ぐ。それは、まさしく豪雨だった。銀色の刃が、金の矛先が、その一撃一撃が人を殺す為の武器としての機能をもっている。
「ただ武器を降らすだけじゃ、私には勝てないわよ! 無極而太極斬ッ!!」
 エクスカリバーから放たれる光の波紋が次々に武具の豪雨を消し去って行く。
「本気で来なさい!! アンタの本気を、私にぶつけなさい!!」
 その声が通じたのかは分からない。だが、フェイトはそれまで以上に大きく、力強く吼えた。凄まじい魔力の嵐が爆発する。
 フェイト・フィディウス・アーウェルンクスの本気が来る。それを理解したアスナは笑みを浮かべた。
「それでいいんだよ。本気のアンタを倒さなきゃ、アンタを取り戻せないもん。じゃあ、いこうか、エクスカリバー。私も全力、フェイトの思いの全てを受け止めてみせる」
 黄金の剣の輝きが増す。それは、最早光の塊だった。あまりにも眩い煌きは、上空に浮かぶのとは別の、もう一つの太陽だった。
「来なさい、フェイト!」
 フェイトの魔力がうねる様に広がった。大地が揺れ始めた。地面が割れ、裂け目から二つの巨大な岩石の腕が出現した。そして、徐々に巨大な人型が姿を現した。 土人形(ゴーレム)と呼ぶには大き過ぎる岩石の巨神。そう、まさしく巨神だった。フェイトはその巨神の頭部に降り立つと、鍵杖を巨神の頭部に突き立てた。
 地の魔素で編まれた巨神は腕を剣に変えてアスナに襲い掛かった。アスナはエクスカリバーで巨神の剣を切り裂こうとするが――。
「エクスカリバーを受けて消滅しない――ッ!?」
 巨神の剣はエクスカリバーと衝突していながら、その存在を消す事無く、アスナを吹き飛ばした。あまりにも強烈な力にアスナは凄まじい勢いで総本山の上空を越え、山の斜面に叩きつけられた。
 咸卦法を使っていなかったら木っ端微塵になっていたところだった。全身がバラバラになりそうなほど痛い。それでも、アスナはエクスカリバーを構えて、巨神の下へ飛んだ。
「その巨神には私とエクスカリバーの能力は効かないわけね……。でも、わたしもエクスカリバーも破魔の力だけじゃないのよ!」
 頭から血を流し、息絶え絶えになりながら、アスナは咸卦の光をエクスカリバーに集め始めた。



[8211] 魔法生徒ネギま! [第五章・修学旅行編] 第二十九話『破魔の斬撃、戦いの終幕』
Name: 我武者羅◆cb6314d6 ID:87b1fc72
Date: 2010/06/21 16:42
魔法生徒ネギま! 第二十九話『破魔の斬撃、戦いの終幕』


 総本山の外の森に現れた巨神と戦うアスナの姿を見て、ネギは思わず飛び出そうとしたが、エヴァンジェリンが制止した。
「どうしてですか、エヴァンジェリンさん!?」
「手を出すな……。アレは神楽坂明日菜(アイツ)の戦いだ。無粋な真似は師として許さん」
「でも――ッ!」
 アスナが巨神の剣によって吹き飛ばされ、真上を通過して巨神と反対側の山の斜面に激突し、巨大なクレーターを作り出した。
 ネギだけでなく、刹那も夕凪と建御雷を構えて飛び出そうとした。
「言った筈だぞ。無粋な真似をするなと」
 底冷えするような声と共に、エヴァンジェリンの手から光の剣が刹那の目の前に伸びた。
「それに見てみろ」
 エヴァンジェリンはアスナがぶつかった山の斜面に視線を向けた。
「あの程度でくたばるような甘い鍛え方を茶々丸がする訳なかろう」
 クレーターからアスナが飛び出した。その手に握る聖剣に眩い光を発しながら。
「お前は神楽坂明日菜が信じられんのか?」
「明日菜さんを……信じる……」
 エヴァンジェリンの言葉に明日菜の言葉が甦った。
『私は自分の意思でネギを助けたの。助けたいと思ったから。だからさ、もっと私を頼って欲しいの』
 ネギは今まで自分が明日菜を巻き込んでしまった引け目を感じていた。だから、自分から明日菜を頼ろうとしなかった。
「神楽坂明日菜(アイツ)はお前にとって何だ? 護らなければいけないか弱い存在か?」
「明日菜さんは……私にとって……」
 もう何度も一緒に苦難を乗り越えて来た。その時間の中で彼女をどういう存在だと自分は思って来たのか……。
 エヴァンジェリンは言った。答えは明日菜の言葉の中にあったと。
「ああ、そうか……」
 ネギはポケットの中から一枚のカードを手に取った。初めて麻帆良学園に来た時に泣いていた自分を助けてくれた存在。危険を承知で一緒にエヴァンジェリンに立ち向かってくれた存在。
 刹那の時は刹那の命を助ける為だった。木乃香の時は木乃香が刹那と共に戦う為に力を欲した為だった。
 なら、明日菜の時はどうだった? 明日菜の時だけは“一緒に戦う為”だったではないか。
「明日菜さんは私の――」
『ピンチなら私を呼んで欲しかったって言ってるの! だって、私はパートナーである前にネギの友達なんだから!』
「――大切な友達で……パートナーなんだ」
 明日菜のカードの上にネギの涙が零れ落ちた。今迄一緒に戦って来たパートナー。今、そのパートナーが懸命に戦っている。自分の思いをぶつけ、フェイトの思いを受け止める為に。
 そんなパートナーに自分のすべき事は助けに行こうとする事じゃない。
「がんばって、明日菜さん!!」
 心の底から応援した。ただ、明日菜の勝利を信じて。
「大丈夫だよ。明日菜君は絶対に勝つ。あの娘が強い事はよく知っているだろう?」
 タカミチがネギの頭に手を置いて優しく言った。ネギは頷いた。ネギだけではない。刹那と木乃香も頷いた。知っているから。神楽坂明日菜は誰よりも強い事を。
「そういえば、茶々丸はどうしたんスか?」
 空気を打ち破るように美空がエヴァンジェリンに尋ねた。
「ん? ああ、茶々丸はクラスの護衛の方に向かわせたよ。あとでこっちに来させるさ。それより、詠春」
「ええ、皆さん、今回の件についてお話しますね」
 詠春の言葉にネギ達は顔を向けた。詠春は今回の事についての説明を始めた。
「まず、何から説明しましょうか……。そうですね、まずは彼女……神楽坂明日菜という少女について話しましょう」
 詠春の言葉にネギ達は固唾を飲んだ。知りたい事はたくさんある。フェイトが言った、アスナ・ウェスペリーナ・テオタナシア・エンテオフュシアという名前。それに姫様という言葉。ナギに助けられたという話。疑問はいくらでもあった。
「既にお気づきかと思いますが、彼女はとある国のお姫様でした。彼女は彼女の持つ特別な力……【完全魔法無効化能力】を戦争の道具として扱われていました」
「戦争の……道具?」
 想像もしなかった言葉にネギ達は呆然とした。
「こことは違うもう一つの世界……【魔法世界(ムンドゥス・マギクス)】と呼ばれる世界では昔、大きな戦いがあったのです。彼女の国である【ウェスペルタティア王国】も闘争の渦中にあり、彼女の力は戦争に利用されていたのです。当時、ネギ君の父君であるナギ・スプリングフィールドはその事に憤りを感じていました」
「父さんが……」
「私を含め、ナギが率いたパーティー【紅き翼(アラルブラ)】は当時ウェスペルタティア王国の王都であった【オスティア】を侵攻するヘラス帝国を圧倒的な力で撃退しました。そして、彼女を救い出しました。私達は彼女を彼女の住んでいたお城に送り届けました。ですが、そこに広がっていたのは地獄絵図でした」
「どういう……事なん、お父様?」
 木乃香が恐々と尋ねると、詠春は険しい表情を浮かべた。
「戦争の被害を受け、彼女の住んでいた城も城下町も壊滅していたのです。幼い当時の彼女はそんな惨状を見ても心を折らず……ウェスペルタティア王国を救う為、そして、戦争の切欠を作ってしまった父王の責任を取る為にヘラス帝国に自分を引き渡しました。それで、戦争を一時的に止め、その間に私達に当時、戦争の調停をしようと動いていた彼女の姉であるアリカ・アナルキア・エンテオフュシアを任せ、共に戦争を終わらせてウェスペルタティア王国を救ってくれと頼み……」
「そんな……」
 あまりの事にネギ達は言葉を失ってしまった。明日菜がその当時どんな思いだったのかを想像する事すら出来なかった。
「既にたとえ彼女の力を使ってもウェスペルタティア王国は敗戦に向かっていましたので、已む無く、彼女の引渡しは忌々しい程にすんなりと通りました。ですが、彼女はヘラス帝国の監獄の中から何者かに攫われ、姿を消してしまいました。ヘラス帝国はメセンブリーナ連合が取り返しに来たのだと考え、再び戦争は再開されました。戦争は長きに渡り、私達は彼女の意思を護ろうと新たに仲間になったメンバーとアリカ姫と共に戦争を止めようと動きました。そして、ある組織に行き着きました」
「ある組織……?」
 ネギが尋ねると、答えはタカミチから返って来た。
「【完全なる世界(コズモエンテレケテイア)】という組織だよ。戦争を裏から煽っていたんだ。そして、明日菜君を攫ったのもこの組織だった」
「完全なる……世界」
 ネギが呟くと、詠春が頷き、再び口を開いた。
「そして、ある日、協力者だったメセンブリーナ連合の元老院の下に完全なる世界について報告に向かった時、彼に出会った」
「彼?」
 木乃香が首を傾げた。
「今、明日菜君が戦っている少年だよ」
 タカミチが巨神を操りながらアスナと戦っているフェイトを見ながら言った。
「フェイト……さんですか?」
 ネギが言うと、詠春が頷いた。
「私達は彼に罠に嵌められてしまい、メセンブリーナ連合の反逆者として扱われ、帝国と連合の両方から追われる身となり、その後、捕まってしまったアリカ姫を救出しに【夜の迷宮(ノクティス・ラビリントゥス)】という場所に向かいました。そこには帝国の第三皇女も捕まっており、共に救出して私達の味方になっていただきました。そして、長き戦いの果てに私達は汚名を雪ぎ完全なる世界を追い詰めました。激しい戦いの果て、私達は勝利しました。戦争は終わり、黒幕も倒し、彼女を救いハッピーエンドに終わる……筈でした」
「完全なる世界は滅びていなかったのだな……」
 エヴァンジェリンがどこか哀しげな表情を浮かべながら言った。
「ええ……。私は妻と結婚し、木乃香が産まれていた上、関西呪術協会の長となりナギ達に協力する事が出来ませんでしたが、ナギ達は今度こそ完全なる世界を完全に倒そうと動いていました。ですが、仲間の一人が大怪我を負い、当時、アスナ姫を引き取っていたガトウは殺されてしまいました」
 殺されたという言葉にネギ達は戦慄した。タカミチは拳を強く握り締め過ぎて手から血を流している。
「当時、ガトウの弟子だったタカミチ君はアスナ姫を連れて逃げ、ナギの父君の居るメルディアナ魔法学校に身を潜めました。そして、麻帆良に向かい、心が壊れかけていたアスナ姫の記憶を私の義父である近衛近右衛門が封印し、ただの少女としてアスナ姫は今日まで生きていたのです」
「初めて会った頃、アスナ……いっつも無表情やった。そんな事があったやなんて……」
 木乃香はあまりにも酷い話に涙を流した。刹那もやりきれない思いに顔を俯かせ、美空はまさかクラスメイトにそんな過去があったとは思っておらずショックを受けた表情で固まっていた。
「わたしは……明日菜さんが全てを捨てて得られた平穏を……」
「言うな。さっきの思いはどうした? アイツは過去を思い出して、それでも前を向いているんだ。お前が気にするのは神楽坂明日菜への冒涜になるぞ」
「……そう……ですね。ごめんなさい」
 エヴァンジェリンの言葉を受け、ネギは涙を拭った。
「話を続けましょう。十年前、ナギが行方不明になる寸前の話です」
 詠春の言葉にネギとエヴァンジェリンが肩を揺らした。
「イスタンブールで行方不明になる寸前にナギは――」
「俺の下を訪れた」
 詠春の言葉を遮り、アイゼンが言った。
「アイゼン……さんの下に?」
「ああ、俺は奴とは旧い知り合いだった――」

 アイゼン・アスラがナギ・スプリングフィールドと出会ったのは、ナギがまだ魔法学校を中退したばかりの頃だった。気に入らない教師をボコボコにして退学させられたナギはとにかく強い者を探して旅をしていた。その時に出会ったのがアイゼンだった。
 嘗ては闘将とも戦神とも名を馳せたアイゼン・アスラだったが、当時は既に隠居の身となり、コツコツと趣味を作りながら生活していた。その頃は、芸術品の収集に力を入れていた。それを、事もあろうに屋敷ごとナギは雷の魔法で消し炭に変えてしまったのだ。呆然としていたアイゼンに、ナギは挑みかかった。
 ここ百数十年掛けて集めていた芸術品の数々が一瞬にして消し飛び、茫然自失となっていたアイゼンは、怒りも湧かずにナギを追い払った。軽く欝になったアイゼンは、その後も嫉くやって来るナギに嫌気が差した。
 女子供であろうと、殺す気で掛かってくるからには殺す。それこそが、アイゼン・アスラが最凶の吸血鬼として恐れられ、五百年を生き永らえてきた理由であった。当時七歳になったばかりだったナギにアイゼンは告げた『挑むのは構わんが、今日は殺すぞ』と。すると、在ろう事かナギは笑顔で返した。
『なら、死ななかったら俺を弟子にしろ。俺は強くなりたいんだ』
 そうのたまった。唖然となった。人の屋敷を人の苦労して集めた収集品ごと破壊しておきながら、何とも自己中心的な事を言う餓鬼だと、アイゼンは苛立った。殺す気で放った紅蓮の龍は宙に浮かんだアイゼンの眼下で地上をマグマに変えた。つまらなそうに鼻を鳴らしたアイゼンは、その背後に気配を感じて振り返った。
 そこには、杖で空を飛び自分に笑いかける少年の姿があった。アイゼンは言った。
『ローブが燃えているぞ』
 と。ナギは慌てて火を消そうとして……杖から手を離してしまった。アイゼンは思わず噴出してしまった。落下する少年を自分の手元に転移させ、足首を握り喚く少年を落とすぞと脅して話を聞いた。
 傑作だった。教師をボコボコにして魔法学校を中退した七歳児がよりにもよって一人旅を始め、吸血鬼の根城と知って雷を落として宣戦布告をしたのだ。新しい暇潰しを見つけたと思った。新しい趣味は、弟子を取り育てる事になった。
 そんな感じの出会いだったが、三年後にアイゼンは飽きてナギを放り出した。旧き友の伝で、麻帆良へ向かわせてそのままだった。それから数年が経ち、ナギは再びアイゼンの下に現れた。一方的な頼み事をされ、スッパリと断ると、ナギは言った。
『多分、アンタの人生の中で一番刺激の強い十数年になるぜ。俺が保証する。暇潰しにはもってこいだ』
 アイゼンは鼻で笑いながら言った。
『気が向いたらな』
 と。そして、一年後にアイゼンはナギの訃報を聞いた。
 どうせどこかで生きているだろうとは思ったが、旧き友にも頼まれ、ナギの願いを聞き入れる事にした。完全なる世界を潰す為に力を貸した。
 旧き友の指示を受け、アイゼンは完全なる世界に入り込んだ。旧き友が考えた設定通りに演じると、面白いほど簡単に事は進んだ。そんな時にアイゼンはフェイトと出会った。
 最初はつまらん人形だと思っていたのだが、一つだけ人形のくせに面白い顔をする話題があった。それがアスナの事だった。
 イギリスのロンドンで完全なる世界のメンバーとして活動している時、ちょっとした出会いがあり、アイゼン自身、飽きて来た事もあり、完全なる世界の内部調査を止めると旧き友に言うと、最後に一つだけと頼み事をされた。

「――それが今回の件だ。フェイトのアスナへの執着心を利用し、フェイトを捕まえ、フェイトの持つ鍵と情報を手に入れる為に今回の作戦を立案する事になったわけだ」
「話の最中に出た旧き友ってもしかして……」
 木乃香が言うと、アイゼンは言った。
「近右衛門だ。奴とは付き合いが長くてな。ま、最初に会ったのは奴がガキの頃だったがな。今でもガキだが……」
 一見すると自分達とそう変わらない年齢に見えるアイゼンが近右衛門をガキ扱いするのはとても奇妙に見えた。
「じゃあ、今回のはやっぱりお爺ちゃんが……」
「ま、まあ、じーさんも不本意な事だったんだぜ? 他に手段も考え付かずに仕方な~く」
 低い声で呟く木乃香に何故か土御門が冷や汗を流しながら言った。
 それから土御門が説明する役を変わった。

 警戒心の強いフェイトに取り入る為に、近右衛門とアイゼンは“フェイトをお姫様を救出する騎士”というフェイトの理想の姿を具現化させる事にした。それが、今回の事件の始まりだった。
 アスナが偽の記憶を植えつけられ、籠の鳥にされているという情報をアイゼンに流させた。これによって、偽の記憶と偽の感情を持たされたフェイトは憤りを感じ、籠の鳥だったアスナが外の世界を見たいという願いを自分に話した事を思い出した。
 既に鍵があるからアスナの存在は完全なる世界にとってそれほど重要でも無かった。だが、アイゼンは言葉巧みにフェイトを煽った。フェイトの信用も勝ち得て、フェイトにアイゼンに作戦を任せるように誘導しつつ行動を起させた。
 計画に用いられる四神結界は、風水魔術の応用によって構築された京都を守護する大結界だ。そして、その結界と同じ条件を満たした立地条件と五つの基点、即ちは白虎、青龍、朱雀、玄武、黄龍の基点を置き、平安神宮に存在する黄龍術式をその下を通る龍脈を通して関西呪術協会の儀式場に同じ黄龍術式を刻み込み、京都を護る四神結界を関西呪術協会の総本山に張っているのだ。それを利用した。外に出さない事に特化した四神結界は、まさしくうってつけだった。土御門が龍脈を操作し、黄龍術式の術式を変更し、四人の魔術師が四つの基点を担当する事で、関西呪術協会の総本山を囲う四神結界をフェイトのみを囲う様にしたのだ。
 ただし、強力な鍵の力を拘束する為の出力を出す為には総本山を囲う四神結界を消し去る必要があった。龍脈から流れる力、つまりは日本そのものの力ともいえるが、それに加えて四聖獣の力を持ってしても、京都と総本山、どちらか一方を解除しなければ力が足りなかった。だが、そんな事をすれば関西呪術協会の人間が反対するのは当然だ。何せ、総本山を護る要ともいえるのは四神結界なのだ。それを解除すれば、侵入者が襲い掛かって来る。かといって、京都の結界を解除するなど言語道断だ。それこそ、風水的に優れ、無数の魔術が組み合わさっているこの街が魔都になってしまう。故に、選んだ手段は関西呪術協会を“敵として手中に収める”という手段だ。面倒な手続きも説得も不要、後々、都合のいい様に記憶を修正する事も出来るからだ。
 朱雀の術式をアイゼンが、白虎の術式を詠春が担当する事が決定していた。そして、残りの玄武の術式を担う者として、エヴァンジェリンが、青龍の術式を担う者として千草が選ばれた。
 エヴァンジェリンが水の属性の担当に選ばれたのはただ水の属性である氷を操れるからだけではない。【麻帆良学園都市】の【西洋魔法使い】の【闇の福音】である【エヴァンジェリン・A・K・マクダウェル】がこの役を担う事に意味があるのだ。
 関西呪術協会を救う為に、麻帆良が力を貸し、西洋魔法使いが重要な役割を担う。これによって、この機会に現在関西呪術協会と関東魔術協会の間にある溝を埋めようという考えなのだ。それだけで埋まる程浅い溝ではないが、ここで【麻帆良】に【単身で攻め込もうとする程、西洋魔法使いを恨んでいる関西呪術協会の者】である【天ヶ崎千草】が【協力したという事実】が重要になってくる。
 これは、分かり易い構図だ。恨んでいた関西呪術協会の人間が西洋魔法使いを許し、西洋魔法使いが関西呪術協会の人間に力を貸す。つまり、現在の関西呪術協会と関東魔術協会の関係の未来図として分かり易く描かれたモノなのだ。関東魔術協会と関西呪術協会の溝を埋める足掛かりを作ったのだ。
 更に、闇の福音が関西呪術協会を救う為に、麻帆良学園の魔法使いとして協力したという事実は、後にエヴァンジェリンが外の世界へ旅立つ為の最初の一歩となるのだ。悪評を、こうした【正義を行った】という実績を積ませる事で消し去ろうという考えなのだ。
 アイゼンは巧みにフェイトに怪しまれない様に演技をして洗脳した術師達を使う事でフェイトが動く必要を無くし、フェイトの力によってネギ達を一気に潰されるという恐れを牽制した。龍脈の調整には、関西呪術協会を手中に収めてからでなければ取り掛かれず、その為の時間稼ぎが必要であり、更に、ネギ達の成長を促す為に、それぞれに洗脳した戦力を分配した。そして、全ての条件がクリアされた時、四人がフェイトの四方向に自然と配置される様に演出を行った。

「――ってのが今回の件のあらましだ」
 土御門が話を終えるとネギ達はどこかぼんやりとした気持ちになっていた。全てが誰かの掌で弄ばれたかのような気分の悪さを感じた。
「で、結局アンタ誰なのさ?」
 美空が土御門を指差して訪ねた。
「俺はナギが学生時代の時からの友人だ。ま、色々あって協力したんだ」
「えっ? ヤマ……じゃなかった。土御門君って何歳なの!?」
 父親の学生時代からの友と聞いて、ネギは驚きながら尋ねた。
「秘密だぜ。男ってな、ちょっとミステリアスな方がかっこいいんだぜ?」
「服装のセンスで台無しだけどね」
 美空の鋭い突っ込みに土御門は固まった。
「これは風水的な防御結界でだな……」
「そんな事より終わったみたいだぞ」
 自分の服装について説明しようとした土御門の言葉をアイゼンが遮った。その言葉にネギ達がアスナとフェイトの戦場を見ると、巨神の身体が崩れ始めていた。
 巨神の体が完全に消滅して少しして、突然、凄まじい光が弾けた。光の塊が空へと翔け上り、上空に巨大な魔方陣を描いた。
「あれは――ッ!?」
 その魔方陣を見た瞬間、土御門が声を上げた。瞬間、魔方陣から途轍もなく凶悪な魔力が吹き荒れ始めた――。

 咸卦の光を帯びて更に輝きを増したエクスカリバーを手にアスナは巨神に向かった。茶々丸との修行の中に巨人との戦いなんてものは想定した事が無かったがこれからは取り入れるよう提案する事を頭の片隅で考えながら巨神の振り下ろす拳を避ける。
「巨体の割りに速いわね」
 驚く程滑らかかつ素早い動きにアスナは苦戦を強いられていた。拳が地面に激突すると、地面に巨大な穴が空き、吹き飛んだ地面の土が無数の武具に変化してアスナに襲い掛かる。
「巨神から離れれば消せるけど――ッ」
 無極而太極斬で武具の弾幕を消しながら虚空瞬動で巨神の肉弾攻撃を避ける。弾幕に使われている武具の素材は魔素ではなく土だ。
 アスナの【無極而太極斬(トメー・アルケース・カイ・アナルキアース)】はエクスカリバーの周囲に展開している【完全魔法無効化場(マジック・キャンセル・フィールド)】を刀身に集中し、斬撃に乗せて飛ばす必殺技だ。
 だが、武具に変化させている魔法の構成を破壊しても土に還るだけなために直ぐにまた弾幕の弾丸に再構成されてしまう。弾幕のせいで視界がかなり悪く、巨神の攻撃に何度も直撃を受けそうになった。一撃一撃が必殺の威力を持っている。
「このままだとジリ貧か……」
 一瞬弱気になってしまった。その隙を突いて、巨神の拳がアスナを捉えた。
「――――ッ!?」
 咄嗟に回避するが、僅かに掠り、その衝撃でアスナは地面に叩きつけられてしまった。そこに無数の石の武具が降り注ぐ。アスナの身体に触れたものは元の土に変わるが、そのまま大量の土に覆われたアスナの上に尚も大量の武具が降り注ぎ、エクスカリバーの結界によって更に武具が土に変わりアスナの上に降り積もる。
「まず――ッ、このままじゃ……」
 大量の土に押し潰されそうになり、呼吸も出来ず、アスナの脳裏に諦めの文字が浮かんだ。その時だった――。
『がんばって、明日菜さん!!』
 頭の中に響く念話とは違う、心に響くネギの声が聞こえた。その瞬間、アスナは目を見開き、咸卦の力を爆発させた。 大量の土を吹き飛ばし、頭上に迫る巨神の拳に向かってエクスカリバーに咸卦の力を篭めて振るった。
 エクスカリバーには幾つかの能力がある。一つは術者を包み込む程度の大きさの完全魔法無効化場を常に展開する能力だ。エクスカリバーの完全魔法無効化能力はアスナの能力とは違い、善意、悪意関係無く、あらゆる魔法を打ち消す強力なものだ。そして、もう一つは優秀な媒介としての能力で、魔法や咸卦の力の出力を大幅に高めてくれる。
 エクスカリバーの能力によって増幅された咸卦の斬撃が巨神の腕を両断した。
「がんばって……か。信じて待っててくれるんだ、あのネギが私を信じて……」
 いつもアスナを巻き込んでしまったと自分を卑下していたネギ。そのネギがアスナの勝利を応援し、待っていてくれている。
「パートナーの信頼に応えなくちゃね!」
 心の中に熱い思いが溢れた。アスナは咸卦法の錬度が低い。当然だ、専門的な訓練をしたわけでもなく、ただ出来るかもしれないと思ったら出来たから使っているだけなのだ。
 咸卦法の使い方にムラが多く、魔力と気の消費も早い。
「時間を掛けてられない。一気にいくわよ、フェイト!」
 片腕を失った巨神がバランスを崩し倒れ込んだ。そこにアスナは咸卦の斬撃を放った。
「エクスカリバー(コレ)の持ち主だった王の姓は竜を意味するんだったわね。うん、決めた。エクスカリバーの力で増幅した咸卦の力を飛ばす斬撃――【竜王斬(カリバーン)】よ!」
 竜王斬を受け、巨神の体は斜めに切り裂かれた。
「僕は……、僕は――ウガアアアアアアアアァァァアアアアアア!!」
 フェイトの雄叫びと共に鍵杖から光が溢れる。巨神の肩から光のロープが何本も伸びて切り落とされた腕の断面を引き寄せ始めた。
「再生――ッ!?」
 アスナは再生される前に倒そうと竜王斬を振るった。突然、地面が捲れ上がり、巨大な壁となった。壁は硬い鉱石に変わり、竜王斬を受け止めた。竜王斬は分厚い高硬度の壁を切り裂いたが、かなり威力を削がれてしまった。巨神は弱まった竜王斬を受け止め、体の再生を終了させた。
「クッ、もう一度――竜王斬!」
 再び斬撃に咸卦の力を篭めて振るうが地面から伸びる壁に防がれてしまう。
 無極而太極斬は巨神には効果が無く、竜王斬は魔法を無効化する力が無い。
「なら、両方を同時に使えばいいじゃん!」
 アスナはエクスカリバーの破魔の結界を刀身に纏わせた。
「これに咸卦の力を更に纏わせ――ッ」
 咸卦の力を刀身に纏わせようとすると、最初に纏わせていた破魔の結界が元の状態に戻ってしまった。
「あっ、この! もう一回!」
 再び結界を刀身に纏わせ、咸卦の力を更に纏わせようとすると、やはり結界が元に戻ってしまった。諦めずにもう一度やろうとすると、巨神の拳が間近まで迫っていた。
 慌てて瞬動で回避するが、衝撃で遠くに跳ね飛ばされてしまった。
「いたたた……。落ち着いて……もう一回!」
 跳ね飛ばされたおかげで距離は取れている。呼吸を整え、神経を集中させる。エクスカリバーが張っている結界をエクスカリバーに集中する。
「この状態を保ちながら……、咸卦の力を刀身に――ッ!」
 巨神がアスナを目指して駆けて来る。今だけは意識から外す。目を閉じて、感覚を研ぎ澄ませる。
 無極而太極斬と竜王斬はエクスカリバーの別々の能力を使う。二つの能力を同時に使うという事は右手と左手で全く異なる絵を描くようなものだ。
 対極の力を慎重に絡み合わせる。破魔の力と破壊の力は別々に分離しようとする。無理だ、どうしても二つを融合させる事が出来ない。そう思った時、不意に閃いた。
「混ぜ合わせる事が出来ないなら……」
 巨神が目の前に迫り、アスナはエクスカリバーを握り締めた。いい加減、咸卦法を維持するための魔力と気が無くなってきた。逃げるという選択肢を破却した。
 大きく息を吐き、最初に咸卦法を刀身に纏わせた。嘗て、主の魔力を喰らい、軍勢をたったの一振りで壊滅させたとされる聖剣は元々の輝きに加え、咸卦の光を帯びて、殊更に輝きを増した。
 迫り来る巨神の拳から逃げる事を止め、迎え撃つ。跳び上がり、巨神の腕に乗った。そのままフェイトの立つ巨神の頭部に向かい、駆け出した。
 巨神の拳が地面に激突した。まるで隕石の落下の如き破壊の音と共に大地が抉れた。足場にしている巨神の腕が盛り上がり、鋭い刃となって真下から襲い掛かってくる。ギリギリの所で跳び上がり、迫り来る巨神の反対の腕の拳を虚空を蹴る事で躱す。
 巨神から離れた場所に着地すると、巨神が右腕を巨大な剣に変えた。
 全身の血が滾る。ここが正念場だ。失敗すれば、自分は巨神の剣に己の剣ごと両断されるだろう。精神を限界まで引き絞る。
 残りの魔力と気を全てエクスカリバーの刀身に纏わせた。収束する光の純度は果てしなく、直視する事は太陽を肉眼で見つめるのと変わらないほどだ。
 巨神は――フェイトはエクスカリバーの輝きに竜王斬が来る事を理解し、巨神の足を止め、目の前に幾重もの壁を作り出した。
 助かる。一度放てば、二度目は無い。魔力も気も底を尽き、自分は死に、愛した少年(フェイト)は取り戻せない。あのまま巨神が剣を振るっていれば、迎撃し、その腕と胴体をも切り裂き、消滅させる事も出来たかもしれない。だが、再び再生する事だろう。
 一撃で巨神を完全の消滅させなければならない。その為に万全の体勢で放つ必要がある。
 臨界点に達した原子炉のような凄まじいエネルギーを放つエクスカリバーにアスナの躯を包み込んでいたエクスカリバーの結界空間を収束させていく。森も空もありとあらゆる景色が白色に変わる。
「“破魔(エクス)――――”」
 刀身も鍔も柄も何もかもが目を焼く光の奔流によって見えなくなっていた。あらゆる魔を無効化させる結界で咸卦の力を乗せた刀身をコーティングした。
 大きく後ろに光の塊を引き絞る。あらゆる防御を無効化させる正しく必殺の一撃。フェイトはその脅威を悟ったのか、巨神の目の前に更なる壁や盾を用意する。その選択は誤りだった。
 この一撃の前では、無敵の盾も絶対の城壁も意味を為さない。アスナは残る体力を全て使い、剣を振るった――。
「――――竜王斬(カリバー)“!!」
 光が爆発した。視界など存在しない。世界が白く塗り潰された。絶待防御を掲げた壁も最強防護を名乗る盾もガラスのように砕け散った。
 正に一振りで470人の軍勢を薙ぎ倒したと云われる “最強の聖剣(エクスカリバー)”の名に相応しい一撃だった。
「う――――あっ?」
 光が収まり、アスナは全身の力が抜けて地面に座り込んでしまった。見上げると、巨神は尚も君臨している。だが、勝負は既についていた。鍵の力によって強化された巨神の躯に一気に皹が広がった。最初に腕が落ち、脚が粉砕し、巨神は大地に還った。
「わたしの……勝ちよ、フェイト」
 声に張りも無くなっていた。フェイトに聞こえているかどうかも自信が無い。
「っていうか、今のでフェイトまで消し飛んだ……なんて事ないわよね?」
 アスナの頭から一気に血の気が引いた。力の入らない躯に鞭を打ち、なんとか立ち上がる。脚が生まれたての小鹿のように震えてしまう。木を支えに巨神の崩れた場所まで歩いて行くと、そこにはフェイトが立っていた。
「フェイト! 良かった……」
 フェイトは間違いなく生きていた。安堵の溜息を吐きながら、アスナは一歩一歩フェイトに近づく。
「さ、フェイト。フェイトの本気を私は打ち破ったわよ? その鍵を渡して、負けを認めなさい」
 エクスカリバーを杖にしながらアスナはフェイトに言った。フェイトは鍵の力で再び魔法を使えるだろう。だが、アレだけの力を持った巨神を倒された直後だ。今の内に自分のペースに持ち込み、フェイトに負けを認めさせなければさすがにもう一回戦は無理だ。
「僕は……負けたんですね」
 フェイトは頭から血を流して、弱々しく微笑みながら負けを認めた。
「これでフェイトは一生私の物よ。文句ある?」
「……僕なんかが……本当に……」
 顔を俯かせるフェイトにアスナは拳を握った。
「目を瞑りなさい」
 ハーッと拳に息を吹きかけるアスナにフェイトは肩を震わせながら言われた通りに目を閉じた。殴られる事を覚悟して待っていると、いつまで経っても痛みは来なかった。
 代わりに、唇に柔らかい感触を感じた。目を丸くするフェイトにアスナは顔を赤らめながら言った。
「フェイトじゃなきゃ……駄目なのよ」
 アスナはフェイトの手を取った。
「ひ、姫様!?」
 アスナはそのまま自分の胸元にフェイトの手を押し当てた。
「分かる? わたしの心臓が高鳴ってるの」
 アスナは柔らかい笑みを浮かべながら言った。フェイトは掌にアスナの鼓動を感じた。
「……分かります。姫様……僕を姫様の……その……、また騎士にしていただけますか?」
「当然よ。フェイトは一生私に付き添いなさい」
「…………Yes, Your Majesty」
「それじゃあ、みんなの所に戻りましょ。さすがに疲れちゃったわ」
 アスナは疲労の限界が来て、フェイトの胸に倒れこんでしまった。フェイトはアスナを横抱きに抱き抱えた。
「僕がお連れしますよ。姫様」
「お願いね、フェイト」
「はい」
 アスナはアーティファクトをカードに戻した。フェイトも鍵杖を回収しようと巨神の残骸の方を見た。
「君は――――ッ」
 そこに予想外の人物が居た。白目と瞳の色を反転させ、巨神の残骸の上に倒れていた鍵杖を握り締めた一人の少女が立っていた。
「月詠、それを返してくれないかい?」
 フェイトは穏かな口調で言った。月詠はニタリと笑みを浮かべた。
「腑抜けましたなぁ、フェイトはん。そんなら、この力はもう要りまへんでっしゃろ? せやからウチが貰ってあげますえ」
「な――っ、それを渡すわけにはいかないよ」
 フェイトは石の釘剣を召喚して月詠に向ける。
「リロケート・月詠」
「なっ!?」
 月詠は深い笑みを浮かべながらさっきと反対の場所に居た。
「ずっとあんさん等の戦い見させてもらいました。鍵杖(コレ)の使い方も粗方分かりましたわ。ほな、ウチは退散させていただきます」
「逃げられる思ってるのかい?」
「フェイトはん等はコレの相手をしといてください」
 そう言うと、月詠は鍵杖から光を上空に飛ばした。すると、上空に途轍もなく巨大な魔方陣が出現した。上空に浮かぶ黄金の魔法陣は、複雑な見た事も無い記号や文字が並んでいる。
「コレは――――ッ」
「ほな、ウチはこれで。さいなら、フェイトはん。リロケート・月詠」
「待て――ッ!」
 フェイトが叫ぶが月詠は何処かへと姿を消してしまった。
「フェ……イト? どう……したの?」
 いつの間にか気を失っていたらしいアスナが目を覚まし、掠れた声でフェイトに尋ねた。
「少し……問題が起きました。姫様の仲間の下に参ります」
 フェイトはアスナを抱えたまま、森を駆け抜け、総本山へと戻った。アスナを抱えたフェイトの姿を見たネギ達は警戒心を顕にしたが、フェイトは構わずにアスナのパートナーであるネギの下に歩み寄った。
「貴様ッ!」
 刹那が建御雷と夕凪を構えてネギの前に出る。だが、ネギは刹那を静止した。
「待ってください。フェイト……さん。ここにアスナさんを連れて来てくれたという事は、アスナさんが勝ったんですね?」
 ネギが尋ねると、フェイトは穏かな表情でネギを見つめながら頷いた。
「僕は姫様に再び忠誠を誓う機会を頂きました。皆様へのご無礼、謝罪致します」
 フェイトが頭を下げると、ネギは恐縮したが何かを言う前にアイゼンが口を挟んだ。
「フェイト、鍵はどうした?」
 アイゼンが言うと、フェイトは険しい表情を浮かべた。その様子にネギ達は警戒心を抱いた。
「一瞬の隙を突かれ……、月詠に奪われた」
「月詠にだと!?」
 刹那は月詠の名前に殺気を放った。
「では、あれは月詠が?」
 刹那は上空に浮かぶ巨大な魔方陣を見ながら言った。
「そうです。ただ、何の術式かは……うぐっ」
 フェイトが上空の魔方陣を見ながら言うと、突然苦悶の声を上げて、仰向けに倒れた。
「フェイトさん!?」
 ネギが突然倒れたフェイトに駆け寄ると、土御門がフェイトの額に手を当てた。
「……大丈夫だ。処置をすれば目を覚ます。それよりだ……」
 土御門が上空を見上げながら顔を引き攣らせて言った。
「月詠……、あの馬鹿野郎、土地神の召喚陣を置き逃げしていきやがった……」
「土御門、あの術式が分かるのか?」
 アイゼンが上空を見上げながら土御門に尋ねた。
「あれは本当なら千人の術師があの陣を取り囲んで行う儀式用の術式だ。本来は飢饉の時や災害が起きた時、土地を守護する神に呼び掛けを行い、救ってもらおうって術式なんだが……」
「なんだが……? 普通に出て来たら丁重にお帰り願えばいいんじゃないのか?」
 エヴァンジェリンが言うと、土御門は泣き笑いを浮かべた。
「普通は神と対話する為に神の意識の表層だけを呼ぶんだ。そもそも、千人の術師が力を合わせてもその程度しか出来ないからな」
「それで、お前はなんでそんなに泣きそうになってるんだ?」
 エヴァンジェリンが絶望の表情を浮かべている土御門に恐る恐るといった感じで尋ねた。
「普通の儀式では眠っている神のご機嫌を伺いながら慎重に起すんだ。だが、アレは鍵の力で神を叩き起こすようなもんだ。しかも、表層どころか本体を完全に召喚しちまう程の魔力が篭められてやがる……」
「ちょっと待て……」
 エヴァンジェリンが恐怖に慄くように体を震わせた。エヴァンジェリン以外にも、詠春、アイゼン、刹那、ネギ、フェイトといった漸く土御門の恐怖している理由を理解した者達は愕然としている。
「じゃあ……なんだ? このままだと、叩き起こされた神が暴れ回るっていうのか? この地で!?」
「まあ、ぶっちゃけるとな」
「えっと……今、どんな状況?」
 アスナがフェイトの腕の中で目を覚ました。
「大丈夫ですか、アスナさん?」
 ぼんやりとした顔のアスナにネギが心配そうに声を掛けた。アスナは笑みを浮かべながらそのおでこに人差し指を突き立てた。
「当然! だけど……」
 そう言って、アスナは上空を見上げた。
「あれって……」
「土地神の召喚の陣だ。しかも……、数多存在する京都の土地神の中でもとびっきり危険な貴船の龍神を召喚する気だ」
「高淤加美神か!?」
 土御門の言葉に、エヴァンジェリンは目を見開いた。
「エヴァンジェリンさん、タカオカミノカミって一体……?」
 ネギが尋ねると、エヴァンジェリンは顔を顰めた。
「日本の三大龍穴の一つが存在する貴船神社に奉られている水神だ。元は総本山(ココ)で奉られている迦具土神(カグヅチ)の血から生み出たとされる神の一柱でな。祈雨の神であり、同時に丑の刻参りの呪詛神でもある」
「丑の刻参りってアレか!? 丑の刻にカーンカーンって藁人形に釘を打つ……」
 小太郎は恐々と尋ねた。
「まさにそれだ」
 エヴァンジェリンの言葉に、全員が戦慄した。よりにもよって呪詛の神など冗談じゃない。
「アスナさん、あの魔法陣を破壊出来ませんか!?」
 刹那がハッとなってアスナに尋ねるが、アスナも上空の魔法陣を見ながら悔しげに首を振った。
「高過ぎるわよ。あんなとこまで虚空瞬動で移動してたら何時間掛かると思う?」
「なら、私の翼で――ッ!!」
 刹那が提案するが、アスナは尚も首を振った。
「無理、時間が無さ過ぎる……」
 アスナの言葉に、刹那は俯いた。
「召喚されたら終わりだ。アレは祈雨の神だ。あれを倒す訳にもいかない……」
 土御門が言った。
「倒せるかどうかは別にして、アレは水神ですからね。アレに手を出せば、この地域は干上がってしまう」
 詠春の言葉に、ネギ達は愕然とした。
「じゃ、じゃあ、召喚されたらもう手を出せないって事ですか?」
 ネギが恐怖の色に染まった声で尋ねると、詠春は頷いた。その時、小太郎が思い出した様に叫んだ。
「せや、ネギ! 『千の雷』や!!」
「ふえ?」
 突然の小太郎の言葉に、ネギだけでなく、アスナや土御門達も顔を向けた。
「前に、ヘルマンのおっさんの“龍の毒息(ドラゴン・ブレス)”の魔法陣に『千の雷』を喰らわして発動を止めたやないか! アレなら、あの魔法陣も破壊出来るんとちゃうか!?」
「魔法で魔法陣の構成を破綻させる気か!? だが、あの魔法陣はかなり複雑だ。破綻させて、もっと恐ろしい魔術が発動する可能性も――ッ」
 土御門が小太郎のとんでもない意見に眼を剥きながら呟いた。
「ですが、高淤加美神が召喚されれば、私達は手が出せない。無抵抗のまま、召喚された高淤加美神が暴走したら、被害は恐ろしい事になります」
 刹那の言葉に、詠春冷たい汗を流した。
「確かに、召喚者が居ない状態で召喚されれば、高淤加美神は怒り暴れるでしょうね。そうなったら――」
「だが、時間も無い。可能性がコンマ1%でもあるならば懸けるまでだ。全員の最大魔法を一点集中し魔法陣を破綻させる。後は……運任せだな」
 アイゼンが赤眼を輝かせ、虚空に炎の球を出現させながら言った。
「…………だな。それしか道が無いなら、グダグダ言っていても始まらない。謹此奉請! 來吧! 劈開黑暗的光之刃! 將四方映染成銀白色的雷之劍! 雷焔光華! 急急如律令!」
 土御門は肩を竦めながら詠唱を始めた。すると、バチバチと虚空に火花が飛び散り、雷の剣が姿を現した。
「あの高度まで向かわせるなら――リク・ラク・ラ・ラック・ライラック、小柄なる者が打ち鍛えし貫くものよ、我が血を喰らいて我に従え! 万象を穿つ一条の赤の煌きよ、最果てに至る全てを真紅に染め上げ、終幕を告げよ! 其は大神の右腕にして万里を越える滅びの矢とならん!!」
 上空を見上げたエヴァンジェリンは、右手を掲げ、恐ろしく長い詠唱を唱えた。漆黒の闇が収束し、真紅の輝きを灯す。やがて、エヴァンジェリンの魔力によって輝きは増していき、紅く染まった螺旋状の穂先の魔槍が顕現する。邪悪な魔力と巨大すぎる圧力を発するソレは神が振るいし百発百中の槍の模倣。
「”戦神の必中槍(グングニル)”――――ッ!!」
 呪文を唱え切った途端に空間に亀裂が走った。凄まじい真紅の魔力が、今正に爆発せんと溢れ出している。
「あの高度……残念ですが、私達の術では到達出来ません。ネギ君、頑張って下さい」
 詠春がネギに声を掛けた。ネギは頷くと杖を構えた。瞳を閉じ、全身の魔力を練り上げる。
「頑張れや、ネギ」
 小太郎の声援に笑みを浮かべて頷くと、ネギはキッと頭上の魔法陣を見上げた。
「ラス・テル マ・スキル マギステル! 契約により、我に従え高殿の王! 来れ巨神を滅ぼす燃ゆる立つ雷霆! 百重千重と重なりて走れよ稲妻。『千の雷』!!」
 ネギの詠唱に応える様に、天空を覆う雲が蠢き、雷雲を集め、雷を呼び寄せる。凄まじい威力の雷のエネルギーが上空に顕現した。
「刹那さん、ちょっとお願いがあるんだけど……」
 アスナは刹那に声を掛けた。アスナの言葉に刹那は目を見開くと頷いた。
「分かりました。後ほど――」
 刹那の返事に「ありがとう」と返すと、アスナは上空を見上げた。既に、魔法陣は発動間近だった。
 そして――。
「放て――――ッ!!」
 アイゼンの轟く様な叫びと同時に、アイゼンの真っ直ぐに伸びるビームの様な紅蓮の炎と土御門の雷の槍とエヴァンジェリンの必中の槍とが同時に放たれた。
 上空から三人の魔法の着弾地点に向けて、魔法陣の反対側からネギが千の雷を落とした。ほぼ同時に、四つの魔法が魔法陣に激突した。あまりにも巨大な衝撃音に大気が弾け跳び、凄まじい爆発が巻き起こった。目も開けられない程の凄まじい魔力の閃光。誰もが成功を確信した。それ程の凄まじい破壊力だった。
 あまりの衝撃に、地上にまで突風が吹き荒れ、立つ事すらままならなかった。ほぼ全ての魔力を出し切ったのかアイゼンが洗脳していた関西呪術協会の面々の洗脳が解け、各々が戸惑った様に上空を見上げ始めた。世界を分断するかの様な光の爆発はやがて収束した。
「馬鹿な……」
 それは、誰の呟きだったのだろう。魔法陣は健在だった。だが、僅かに歪の様なモノが出来ている。
「あと、一撃足りない――」
 土御門の切羽詰った声が響く。だが――。
「もう……魔力が」
「今の一発にすべてを叩き込んだんだぞ……」
 ネギもエヴァンジェリンも、アイゼンと土御門すら魔力が一気に底をついてしまっていた。
「後一発、あの歪に中てれば術式の構成に破綻が起こる筈なんだ!! クソッ!!」
 後一歩、あまりにも歯痒い。本当に、手を伸ばした先にあるのにほんの僅かに届かない。
「嘘……、これで終わり?」
 ネギは、仮契約に持っていかれ続けた魔力と今の一発で立つ事すらままならなくなり、その場に座り込んでしまった。
「クソッ! こうなったら……木乃香、私と仮契約しろ!! お前の魔力でもう一度グングニルを発動すれば!!」
「駄目だ、もう間に合わん!!」
 エヴァンジェリンの最後の手段も、土御門の声に遮られた。今から仮契約をして詠唱をしていては間に合わない。その時だった――。
 突如、男の声が響いた。
『契約により、我に従え高殿の王よ。影の地、統ぶる者、スカサハよ。我が手の三十の棘を持つ槍に来れ、巨神を滅ぼす千重の雷。雷神槍“巨神ころし”』
 遥か上空に現れたその真っ白なローブに身を包んだ顔の見えない男は、右手を高らかに魔法陣に掲げると、途轍もなく巨大な雷の槍を作り出した。
「何者だ、アレは!?」
 エヴァンジェリンはその凄まじい力を放つ魔法に眼を見開いた。
「あの呪文……、まさか、『千の雷』と『雷の投擲』の合成魔法!?」
 ネギはあまりの事に呆然とした。ただでさえ、最強レベルの千の雷に更に魔法を合成するなど常識では考えられない。その常識外れな魔法が、発動しようとしている。
 ネギはジッとその魔法を見続けた。男の手から放たれた魔法は、一直線に魔法陣に発生した歪に向かった。
 “巨神ころし”が激突した瞬間、魔法陣全体が波打った。巨大な雷の槍は弾ける事もなく、魔法陣を侵食していく。徐々に、魔法陣を抉っていき、やがて魔法陣を貫通した。
「魔法陣の構成が……破綻した」
 土御門の言葉に、全員が緊張した。
「上手くこのまま崩壊してくれれば……」
 詠春は額から汗を垂らしながら木乃香を抱き寄せながら唾を飲み込んだ。全員が祈る中、土御門が地面を踏みつけた。
「ちくしょう!」
「土御門……、どうなったんだ?」
 アイゼンが尋ねると、土御門は悔しげに言った。
「よりによって最悪だ……」
 上空を見上げる土御門につられて、ネギ達も上空を見上げた。すると、謎の男はいつのまにか消え、魔法陣にはまるでガラスをトンカチで叩いた様に無数の細かい皹の様なモノが広がっていた。その皹の奥から凄まじい殺気が降り注いだ。
「嘘……やろ?」
 小太郎は、その存在を知っていた。
「“龍の毒息(ドラゴン・ブレス)”――――ッ」
 カモの絶望の呟きに、ネギはゾッとした。
「嘘……でしょ?」
「ドラゴンブレスって……?」
 木乃香はエヴァンジェリンに尋ねた。
「聖ジョージという聖人が滅ぼしたラシアの悪竜のブレスだ。その毒を纏った滅びの光は街一つを易々と飲み込み消滅させる――」
 エヴァンジェリンはガチガチと歯を鳴らしながら上空の魔法陣を見上げた。
「高淤加美神の脅威が無くなったら、今度はラシアの悪竜か……。余計に被害を拡大させたかもしれんな」
 アイゼンは舌を打ちながら魔力を掻き集め始めた。
「ここに居る人間を全員は無理だな……」
「何を考えているんですか?」
 詠春はアイゼンの呟きに眉を顰めた。
「転移させられるだけの人間を効果範囲外に逃がす。それしかもう手立ては無い。京都は捨てるぞ」
「そんな!?」
 アイゼンの言葉に、ネギと木乃香、美空は愕然とした。
「ワイのせいか……。ワイが余計な事言ったから……」
 小太郎は眼を見開き、カタカタと震えた。
「違う! それは違うよ、小太郎は可能性を見つけてくれたんじゃないか! ソレを活かせなかった……」
「その通りだ。運が悪かった。元々、分の悪い賭けだったんだ。何もしなければ、どちらにせよ京都は滅びていた。それに、責任があるとすれば、この計画を立案した俺達にある……」
 ネギの言葉に土御門は悔しげに言った。
「女子供が優先だ! アイゼン、どれだけ逃がせる!?」
 土御門が尋ねると、アイゼンは苦い表情で呟いた。
「魔力がギリギリだ。転移は二人が限度だな……」
「私は一人転移させられるかどうかという所だ……」
 アイゼンに続いてエヴァンジェリンが拳を握り締めながら言った。
「…………俺も逃がせて二人だ。なら、子供達だけでも逃がすぞ――ッ」
「待て、神楽坂明日菜と桜咲刹那はどこだ!?」
 土御門の言葉を遮り、エヴァンジェリンが叫んだ。アスナと刹那の姿が何処にもないのだ。
「え、明日菜さん!? 刹那さん!?」
 ネギが眼を見開いて周囲を見渡すが、二人の姿が何処にも見当たらない。すると、木乃香が突然小さく悲鳴を上げた。
「どうした、木乃香!?」
 エヴァンジェリンが顔を向けて叫ぶと、木乃香が上空を見上げた。そして、ふるえながら指を指した。
 木乃香の指差す先に、小さな影がどんどん高度を上げて魔法陣に迫っていた。
「まさか――ッ!?」
 タカミチは絶句した。
「“龍の毒息(ドラゴン・ブレス)”を無効化する気か!?」

 ネギ達が魔法を放ったと同時に、アスナは刹那に頼んで上空へ飛翔していた。万が一の場合に、少なくとも関西呪術協会の総本山だけでも護れるように――。
 そして――。
「アスナさん、お嬢様に連絡を取りました!! あの術式は“龍の毒息(ドラゴン・ブレス)”だそうです!!」
 アスナを抱き抱えながら凄まじい速度で高度を上げていく刹那は叫ぶ様に言った。
 アスナは引き攣る顔で無理矢理笑みを浮かべた。
「上等じゃない!! 絶対にぶち壊してやるわ!! 刹那さん!!私を全力で魔法陣に向けて投げて!! そしたら直ぐに、地上に向かって!! 全速力で!!」
「分かりました!! 御武運を!!」
 アスナと刹那は同時に咸卦法を発動させた。既に体力も魔力も欠片程度にしか残っていないが、それでも身体を護る分だけ搾り出す。
 アスナは解除した仮契約のカードを右手に握り締めると、左手を刹那の両手に握らせた。グルグルと咸卦の力で増幅された刹那の力によって凄まじい回転が巻き起こる。
「行きますよ――――ッ!!」
「お願い!!」
「でああああああああああああ!!」
 刹那は腕が引き千切れる程の勢いでアスナを魔法陣に向けて投げ飛ばした。そのまま、一気に地上に向かって急降下していく。放り投げられたアスナは、勢いが落ち始めると、カードを上に掲げて叫んだ。
「アデアットッ!!」
 アスナの服が光の粒子となって再構成されていく。麻帆良の指定制服が左右非対称の甲冑鎧に姿を変わっていく。魔力によって編まれた鋼鉄の靴の底に力場を作り、アスナは更に上空へと駆け上っていく。
 右手にエクスカリバーを握り締め、対流圏を駆け上り、徐々に冷たくなっていく空気を咸卦の力で防ぎ、一直線に既に半分近く発動し、魔法陣の向こう側から現れようとしている真紅の瞳を持つナニカに向かって顔を上げる。まだ地上と魔法陣との間の半分程度しか来ていない。
「それでも――――ッ!!」
 フェイトとの戦闘で、咸卦法に回せる魔力も気も殆ど無い。ネギも限界ギリギリまで魔力を搾り出し、もう供給は望めない。
「それでも、やるっきゃない!!」
 幸いな事に“龍の毒息(ドラゴン・ブレス)”は着弾すれば効果範囲は尋常でない広さを誇るが、着弾する寸前は巨大なレーザー光線だ。僅かでも、エクスカリバーで触れさえ出来れば消す事が出来る。
 ドラゴンが真下にブレスを放ってくれれば問題無い。もしも違う方向に放たれたら――――その時は、本当にお終いだ。
 そして、魔法陣は発動した。巨大なドラゴンの顎門が開かれる。それは、世界の黄昏を告げる龍の咆哮だった。あまりにも凄まじいその咆哮は、既に音ではなく衝撃だった。
 魔力が口の中に収束していく――そして。
「そんな――――ッ」
 アスナは愕然とした。ドラゴンは真下ではなく、斜めの方向にある京都に顎門を向けているのだ。

 アスナが諦め掛けた、その時だった。地上のアイゼンが、儀式場にあった巨大な布を掴むと、赤眼を輝かせ、炎を生み出すと、その中に布を放り込んだ。すると、上空のアスナの真上に炎が現れ、アスナに布が被さった。
「え? ちょ、何!?」
 アスナがもがくと、再び炎が上空に現れた。アイゼンの声が脳裏に響く。
『その布に包まって跳べ!!』
 その声に、咄嗟にアスナは布を体に巻きつけると、次の瞬間にアスナはラシアの悪竜の狙う先に居た。転移するなら魔法陣まで一気にやってくれと言おうとすると――、
『ドラゴンの放つ魔力で場が安定していないんだ。下手に間近に転移させようとすれば、バラけるぞ?』
 アスナは自分の体がバラバラになる様子を想像して顔を青褪めさせた。
 次の瞬間、ドラゴンの口から光が放たれた。
「謹奉歸命于諸佛! 除災的星宿! 清陽為天! 濁陰為地! 奉請守護諸神! 加護慈悲!」
 歯を食い縛りながら、土御門が気を搾り出して結界を生じさせる。アスナがドラゴンブレスを消滅させるまで、ドラゴンブレスの纏う毒から関西呪術協会の総本山を護る為に。
 同時に、アイゼンの赤眼が輝く。地面に膝をつきながら、紅蓮の壁を京都の町を護る様に発生させる。光が放たれた瞬間、結界は一瞬だけ毒を遮ると呆気なく粉砕した。
 だが、その一瞬ですべてが終わった。エクスカリバーに激突した瞬間、ドラゴンブレスはガラスが割れる様な音を響かせると、魔法陣とドラゴンごと消滅した。毒も消滅し、周囲に沈黙が降り立った。すると、遠目にアスナが落下しているのが見えた。
「――――ッ! 召喚、神楽坂明日菜!!」
 ネギが咄嗟に仮契約カードの能力の一つである召喚を発動すると、アスナが目の前に召喚された。
「アスナさん!!」
 ネギが声を掛けると、アスナは弱々しく笑みを浮かべた。
「私、凄いでしょ?」
 アスナの言葉に、ネギは一瞬キョトンとすると、すぐに「はい、とっても凄かったです!!」と叫んだ。すると、アスナは震える手でネギの額を指差した。
「私は凄いんだから……もっと頼る事。分かった……わね?」
 それっきり、アスナは意識を失ってしまった。だが、アスナが眠っているだけだと確認すると、ネギも視界がグラついた。そして、アスナを抱えたまま眠ってしまった。
「さすがに……私も疲れました」
「ウチもや……」
 全てが終わり、安堵した瞬間に刹那と木乃香も崩れ落ちた。背中を寄せ合い、そのまま疲労に任せて意識を手放した。
「さて、子供達が頑張ったのですから、ここからは大人が頑張りましょう」
 詠春は眠ってしまった少女達に微笑み掛けるとパニックに陥っている呪術師達を見た。
「フェイトの方は俺が処置をしておこう。専門的な処置が必要なんでな。悪いが身柄は麻帆良に移すぞ」
 土御門は額から滝の様に汗を流しながらも言った。
「敵をあの魔法陣のドラゴンにしておけ。俺とフェイトについては記憶を消してある」
 アイゼンも疲労を隠せない様子でありながら言った。
「分かりました。それから、エヴァンジェリンさんには“今回の巨大な魔法陣の発動から京都を護るのに尽力して頂いた事に感謝を示したい”のですが」
「ああ、“感謝されてやる”よ」
 詠春の言葉に、苦笑しながら、エヴァンジェリンは言った。
「さて、もう一踏ん張りですね」
「僕も出来る限りお手伝いしますよ」
 タカミチがニッコリと笑みを浮かべながら言った。
「助かるよ。タカミチ君の手伝いがあれば、色々とスムーズに行くだろうからね」
 詠春は、これからの仕事に苦笑いを浮かべて言った。呪術師達の事や、総本山の修繕、結界の修繕、京都の市民への措置、他にもやる事は無数にある。ここからが大変なのだ。
 詠春は最初の仕事をする為に、混乱する呪術師達の下へ歩いていく。最後に、詠春はチラリと振り返って言った。
「皆さん、お疲れ様でした」





・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
後書き
・エクスカリバーについては形状はネギま!?neoの14教科目のVSアーニャでアスナが出したULTIMATE QUEENS SWORDです。
・エクスカリバーの能力とハマノツルギの能力は、ハマノツルギは原作のハリセンモードの時の能力と同程度で、エクスカリバーは原作のハマノツルギの覚醒状態?の時の能力と同程度です。
・完全魔法無効化場は原作のハマノツルギの能力をこう称しています。
ハリセン状態では武装解除などを軽減していましたが、覚醒状態?では141時間目に完全に防ぎきっていて、その際に円形?のフィールドが展開されているので・・・。まあ、こじつけです><
・竜王斬は夕映が【ほどけよ偽りの世界】をハマノツルギに手を添えながら使ったのを、魔法効果の増大という風に捏造しました。実際は多分、ハマノツルギの能力の一部を引き出しただけ?




[8211] 魔法生徒ネギま! [第五章・修学旅行編] 第三十話『修学旅行最後の日』
Name: 我武者羅◆cb6314d6 ID:87b1fc72
Date: 2010/06/21 16:36
魔法生徒ネギま! 第三十話『修学旅行最後の日』


「俺は責任を負わなきゃならない」
 夕暮れのとある白銀を茜色に染める崖の上で、漆黒のタートルネックとピッタリとしたボトムスに真っ白なローブを羽織った赤髪の青年が山の向こうに沈んでいく太陽を見つめながら顔も向けずに告げた。表情は見えず、彼がどういう気持ちだったのかは分からなかった。
「やはり、私がやろう。お前は……未だ世界に必要な人間だ」
 赤髪の青年の後ろに立っている、線の細い青年が眼をきつく縛りながら言った。歳の頃は二十歳前後といったところか、濃色の狩衣をその身に纏い、長く美しい黒髪を首の後ろで括っている。狩衣を纏う青年の言葉に、赤髪の青年はニハッと笑みを浮かべた。
「アンタの方こそ必要だろ。俺は、アンタみたいに政治的な事とかは出来ない。だから、アンタに頼むんだ。放り出すんじゃない、アンタだから託せるんだ」
 赤髪の青年の言葉に、狩衣を纏う青年は僅かに虚をつかれた顔をすると、辛そうに顔を歪めた。
「託す……か。何と、重たい宿命を背負わせる男よ」
 狩衣の青年の言葉に、赤髪の青年は笑みをスッと引っ込めると、視線を僅かにずらして「すまない……」と呟いた。
「――謝るな。引き受けよう、お主の依頼を。私は……もう老い先短い身だ。次代を担う者達に光を与えてやる事が、先人の努めなのだろうからな」
 狩衣の青年はフッと穏やかな笑みを浮かべると、赤髪の青年に顔を向けた。
「ああ、残りの短き時間の全てをお前の願いに費やそう。だが、その代価を頂くぞ」
 狩衣の青年の言葉に、赤髪の青年はギクッと体を強張らせた。ギギギと音を立てる様に、まるでブリキの玩具の様な動作で汗を滝の様に流しながら、狩衣の青年に向き直った。
「普通、こういう時は無償で引き受けてくれるモノじゃないのか?」
 赤髪の青年の言葉に、狩衣の青年はハッハッハッハと腹の底から笑い声を上げた。
「私がそんなに善人に見えるか?」
「よっぽど度の合ってない眼鏡を三重くらいに重ねれば、見えない事も無い……かな」
 赤髪の青年の言葉に、狩衣の青年はフッと笑みを浮かべた。穏やかな笑みを浮かべ、ゆっくりと口を開いた。
「――必ず生きて帰って来い」
 狩衣の青年の口から放たれた言葉に、赤髪の青年は身を強張らせた。
「それが、代価だ」
「それは、…………確かに重いな」
「お前は、自分の中で最も犠牲にしてはいけない者を犠牲にしようとしている。お前が私に重たい運命を背負わせるならば、私はお前にも重たい運命を背負わせよう。必ず、戻って来い。そして……責務を果たせ」
 狩衣の青年の言葉が、赤髪の青年の肩に重く圧し掛かった。あまりにも惨い事を言う――。
 赤髪の青年は、今直ぐにでも目の前の男を殴り倒したくなる衝動に駆られた。そんな事は不可能だと分かっている筈だ、と怒鳴り散らしたい。
 夕日が沈み、月が常闇に染まった雲の無い天空に姿を現した。その真ん丸なお月様を見て、赤髪の青年は顔を歪めた。空に向かって、力の限り大声で吼える。まるで、傷ついた獣の如く、何度も……何度も吼える。
「いいぜ。必ずだ。俺は約束を反故にしたりしない。必ず戻って来る。だから、後の事は任せるぞ」
 赤髪の青年の言葉に、狩衣の青年は薄く笑った。
「ああ、任せろ。…………そうそう、それならばこれから私は幾つかの顔を作らねばならないな。さて、…………うむ。そうだな、これからは私の事はこう呼べ、――――」
「――――か、分かった。じゃあ、俺は行くぜ。アイツの事、それに…………子供達の事を頼む」
「ああ、承ったぞ。サウザンドマスターよ」
「頼むぜ、狸爺ぃ」
 お互いに、意地悪そうな笑みを交わし合うと、ナギは姿を消した。
「全く、年寄りに無茶をさせる男よ…………」
 立ち去った男の残影から視線を逸らすと、銀色に輝く満月を見上げた。
 それは、冬の日の出来事だった。チラチラと降り続いていた雪が止み、遠くの大地で、魔力がぶつかり合うのを感じた。
 その時に、全ては始まったのだ。一人の男の、友人との口上だけでの……それでも、何よりも大切な約束を護る為に――。

 関西呪術協会の総本山は、それから連日慌しい毎日を送る事になった。
 総本山の修復と結界の張り直し、総本山の警護の見直しや、目撃者への対処。周辺魔術結社への対応などにも追われ、ネギ達は半ば追い出される形で修学旅行の宿に戻って来ていた。
 ただ一人、エヴァンジェリンは宿には来ていない。彼女は、麻帆良の代表として“関西呪術協会に迫り来た脅威に立ち向かった”という事になり、現在は関西呪術協会の総本山で関西呪術協会の長である近衛詠春と共に、今後の関西呪術協会と関東魔術協会の溝を薄める為の会談を行っている…………という事になっている。

 朝倉和美が意識を取り戻したのは、翌日の日が明け切らない時間だった。瞼を開くと、木目の天井が見える。
「ここは……」
 ぼやけた視界を拭いながら、目覚め切っていない頭で起き上がった。キョロキョロと辺りを見渡す。
『おはようございます。身体に異常は御座いませんか?』
 唐突に聞きなれない女の声が響いた。声のする方向に顔を向ける。一冊の本がフヨフヨと宙に浮かんでいた。
「――――うわぁ」
 そのあまりにも現実味の乏しい光景に、和美は漸く色々と思い出し始めた。
「そっか……。夢じゃないんだ――。アレ……私がやったんだっけ?」
 和美は瞼に浮かぶ光景を指して宙に浮かぶ魔導書――【光輝の書(ゾーハル)】に尋ねた。
『貴女はもう引き返せません。既に、貴女は単独でも“アレ”を使う事が出来ます』
「私、…………人間止めちゃった?」
『いいえ、アレは魔術です。魔術師を人でないというのであれば、貴女は人ではないでしょうが――』
「分かんない。だって、いきなりだし……。でも、後悔はしてないよ」
『そうですか』
「他の皆は?」
『マスターと綾瀬夕映さんは部屋でお休みしています。貴女の肉体に回復魔術を使用しました。その為、御二方とも魔力と精神力が限界まで削られ、そのまま眠られました。長瀬楓さんと龍宮真名さん、古菲さん、超鈴音さんも部屋でお休みです』
「そっか……。結局、今回のコレって何だったの?」
『不明です。ただ、貴女が意識を失っている時に数回上空に巨大な異能が発生しました。位置的に考えて、恐らくは関西呪術協会が関係していると推測されます』
「巨大な……異能?」
 和美が尚も尋ねようとした時に、部屋の扉を誰かがノックした。
 一瞬躊躇ったものの、和美は光輝の書(ゾーハル)に一瞬眼を向けると、返事を返して扉を開いた。
 そこに立っていたのはタカミチだった。
「高畑先生……?」
 和美が戸惑いながら名を呼ぶと、タカミチはフッと頷くと口を開いた。
「体調に異常は無いかい?」
「え? は、はい。って、どうしてそれをッ!?」
 タカミチの言葉に、和美は虚をつかれた顔をした。
「体調が大丈夫なら、ついて来てくれ。もう、夕映君達も集まっている」
「夕映っち達も!?」
「今回の件……それから、これからの君達の事を話す必要があるからね」
 和美は、息を呑んだ。そして理解した。高畑.T.タカミチは魔術サイドの人間だと。
 そして、連れて来られた部屋に居る面々は一人残らず同じ境遇なんだと。
「ネギっち達も……?」
 和美は、タカミチの部屋で居住まいを正して正座しているネギやアスナ達に目を丸くした。
「それじゃあ、今回の件についての説明をしよう」
 和美が夕映とネギの間に座ると、タカミチが説明を始めた。
 今回の始まりから、上空に現れた魔法陣、高淤加美神、それにネギ達の事も包み隠さずに全てを語った。
「――これが、今回の件の全貌だよ」
 タカミチの説明が終わると、誰も声を発する事は出来なかった。和美は眩暈を感じた。あまりにも馬鹿げた話じゃないか。
 王女様に魔法使いに陰陽師に魔法陣にドラゴンに吸血鬼に生きるか死ぬかの戦い。そのどれもが現実感に乏しく、そのどれもが魔導書によって魔法の存在を知ってしまった和美には受け入れられてしまった。
「じゃあなに、そのフェイトって奴のせいで皆が危険な目に合ったって事?」
「か、和美さん」
 和美の遠慮の無い言葉に、アスナを見ながらのどかが恐々と和美の服の裾を掴んだ。
「下手したら友達が死んでたかもしれないんだよ? アスナの正体がどんな身分だろうと、ネギちゃんが魔法使いだろうと、そんな事友達なんだから別に構わないわよ。だけど、ソレは駄目でしょ! 友達が死にそうになったんだよ!? それを高畑先生は知ってたんだよね? そこのオコジョも、学園長も! 大事な事だったかもしれないけど、私の友達巻き込まないでよ!」
 怒りに満ちた和美の言葉に、タカミチは懸命に表情を殺した。そんな事は分かっていると叫びたかった。誰が自分の生徒をこんな危険な作戦に参加させたいと思うのだろうか。それでも、魔法使いであり、麻帆良の魔法先生であるタカミチには逆らう事など出来ないのだ。
 所詮は言い訳だった。結局、自分はその作戦を止めたりは出来なかったのだから。何度止めるように言っても聞き入れてもらえなかった。だから…………諦めてしまったのだ。
 カモも和美の糾弾に俯きそうになるのを必死に堪えた。
「すまない…………」
 押し殺す様な声で、タカミチが頭を下げた。深く、畳の床に頭を擦り付ける様に。
「それ……卑怯だよ、高畑先生」
「だけど、僕にはこれしか出来ない」
「情け無いね」
「朝倉ッ!!」
 幾らなんでも言い過ぎだ。アスナがキッと和美を睨みつける。
 タカミチがこんな作戦に望んで協力する様な人間か、そんな事は二年以上も担任と生徒として接している自分達なら分かるだろうと。だが、事件の発端が自分の身内だという事が、それ以上の言葉を紡ぐ事を許さなかった。
「うん、分かってる。ごめん、高畑先生。ちょっと、…………ムカつき過ぎた」
 和美は感情の見えない表情で頭を下げた。ネギ達は何も言えなかった。友達が死ぬかもしれない。本当の意味で、クラスメイトの死の危険を感じ取ったのは、クラスメイトと一緒に過ごし、実際に死の恐怖に立ち会った和美達の方なのだと理解して――。
「そ、それにしても、アスナさんが王女様だったなんて驚きですね!」
「そ、そうです! 驚きです!!」
 のどかが必死に話題を変えようと無理矢理な笑顔で言うと、親友の夕映は気持ちを察して笑顔を作って話に乗った。
「昔だけどね。国も無くなったし、今は本当にただの神楽坂明日菜」
 ニシシと笑みを浮かべ言うアスナに、のどかと夕映はいけない事をしたという表情になった。
「それから、君達はこれからどうする?」
 タカミチは和美と夕映、のどかに顔を向けて尋ねた。
「どうする……とは?」
 夕映が代表して尋ね返すと、タカミチは告げた。
「君達には未だ二つの道がある。一方は、恐ろしい運命が待ち受けているかもしれない魔術の道。もう一方は、全てを忘れ、再び平穏な日々を取り戻す道」
 夕映達は魔術の道を即座に選ぼうとして、楓が待ったを掛けた。
「夕映殿、のどか殿、和美殿。御三方とも、気持ちは分かるでござる。しかし、これは本当に最後の選択なのでござるよ。ここから先、魔術の道に進めば、二度と普通の人間としての暮らしは不可能になるでござる」
 そして、真名が続いた。
「これは、魔術サイドでも一般人サイドでも無い人間としての忠告。魔術の世界を絵本なんかの夢に溢れた世界だとは思わない事だよ。例えば、ある程度の才能はあっても魔術をその歳から修得するのは難しい。教会に口実を与えて何かの拍子に攫われれば、二度と表に出られない体にされる。最悪殺される事もある。血生臭い戦場に駆り出される事もあるし、若手の魔法使いはそういう時に限って日本の特攻兵みたいに捨て駒にされる事もある。よく考えるんだ。どちらにしても、麻帆良に帰るまでは記憶は消せないんだ。時間がある限り悩んだ方がいい」
 真名の言葉に、夕映達は表情を凍らせて息を呑んだ。
「私の場合は、コッチよりソッチの世界で生きたいってのに、親やシスターのせいでコッチを強制されてる。だから、ソッチで生きられる可能性があるのは羨ましい事だよ。引き返せる場所で、その時の感情だけで突き進んじゃうのはちょっとアレだよ?」
 美空も、苦々しい表情を浮かべながら忠告した。
「よく考えてくれ。家族の事や、自分の夢の事、そして描いてきた未来の絵に魔術の力は本当に必要なのか……と」
 タカミチの言葉に、夕映達は押し黙った。
 引き返せる最後のチャンス。だが、それは同時に進む事の出来る最後のチャンスでもある。
 だが、今の感情のままに答えを出すのは危険だとも理解した。
「少し……考えてみるです」
「私も」
「私も考えてみます」
 三人の答えに、タカミチは頷いた。
「それじゃあ、済まないけど僕はこれからまた総本山に行かないといけない。もう、事件は起きないだろうから残りの修学旅行を楽しんでいきたまえ。エヴァは今日は未だ無理だけど明日の朝になれば開放される筈だから、一緒に見物が出来る筈だよ。それと……、ネギ君」
「何、タカミチ?」
 突然声を掛けられたネギはキョトンとした顔をした。
「実はね、今度犬上小太郎が麻帆良に行く事になったんだ」
 さりげなく言ったタカミチの言葉が頭の中に染込むまでに数秒掛かった。
 その言葉の意味を理解すると、ネギは眼を見開いた。
「え……ええ!? 何で!?」
「実はね、今回の件と以前のネギ君との共闘の実績を踏まえて、関西呪術協会と関東魔術協会の橋渡し的な意味で小太郎君に関西呪術協会の者として麻帆良に来て貰う事になったんだよ。小太郎君は元々修行や任務なんかがあってキチンと学校に通った事が無いらしくてね。それも踏まえた上での措置だよ」
「小太郎が……麻帆良に」
 ネギは噛み締める様に呟いた。それまでの雰囲気が一新。アスナ達はニヤニヤと顔を隠しながら笑みを浮かべた。どんな状況でも、他人の色恋沙汰は蜜の味だ。
「それでね、この修学旅行が終わったら君達と一緒に新幹線で麻帆良に向かう手筈になってるんだ。それともう一つ。今日の昼頃に総本山にもう一度来て欲しいんだ。君の相続したナギ・スプリングフィールドの別荘に土御門さんが案内してくれる事になっている。それにはエヴァもついて行く事になっている」
「ねえタカミチ。それって私達もついて行っていい訳?」
 アスナが尋ねると、タカミチは目を丸くした。そして、懐かしそうに笑みを浮かべた。
「お姫様にそう呼ばれるのは久しぶりですね」
 タカミチの言葉に、アスナも目を丸くし、口元に手を当て頬を赤らめながら顔を逸らした。
「嫌だった?」
 横目でタカミチの顔を伺いながら聞いた。
「いいえ」
 タカミチは笑みを浮かべて首を振った。
「敬語は禁止。それと、何時もどおり明日菜君でいいよ」
 安堵の息を洩らすと、アスナは笑みを浮かべて言った。
「分かった。明日菜君達も勿論ネギ君が許可すれば構わないよ」
 タカミチの言葉に、木乃香や刹那もついて行く事になった。
「私も行っていい? ネギっちのお父さんって興味あるし」
「いいですよ。一緒に行きましょう」
 和美が尋ねると、ネギはニッコリと頷いた。
 のどかと夕映もついてくる事になり、真名と楓、古菲、美空、超は既に予定を組んであって抜けられないからと言い遠慮した。

 太陽が丁度真上に来た頃、ネギ達は早めの昼食を摂った後に総本山近くで土御門と合流した。涼しげな青いクールビズのワイシャツを着た青いサングラスの金髪男に、のどかと夕映、さよは和美の背中に隠れてしまった。
「おいおい、取って喰ったりしないぜ?」
 肩を竦めながら言う土御門の隣には、呆れた様な顔をしているエヴァンジェリンが居る。
 ちなみに、小太郎も興味本位でついて来た。さりげなくネギの隣で一緒に歩いている。
 総本山から歩く事二時間。嵐山の奥地にヒッソリと隠れた建造物が見えた。
「なんか秘密の隠れ家みたいねー」
「天文台がありますよ!」
 和美とのどかが称した様に、その建造物の屋上には大きな天文台があり、谷間に埋まっているかの様に地下が深く、森の木々に隠されたその建造物はまさに秘密の隠れ家の様だった。
「京都だからもっと和風かと思ったけど」
 アスナは建造物を見ながら呟いた。
「十年前にナギが失踪する直前に来た時以来だが……。木々が生い茂ってしまっているな」
「ん、どういう事だ?」
 エヴァンジェリンは土御門の言葉に首を傾げた。
「元々、ここはナギの日本に於ける重要な拠点だった。だから、強力な結界が張ってある。ナギが消息を絶って以降は誰も近づけなくなっていた。ただ、所有権は間違いなくネギ・スプリングフィールドに相続されているから、ネギが居れば入れる筈だ」
 土御門はそう言うと、桟橋を渡ってナギ・スプリングフィールドの別荘の入口へと一同を導いた。
「さて、ネギ。ここが、お前の親父さんの過ごした別荘だ」
 土御門のサングラスの向こうの瞳が優しく微笑んだ。
「ここが……お父さんの過ごした別荘」
 別荘を見上げながら、ネギは搾り出す様な声で呟いた。そっと壁に手を触れる。ざらついた肌触りの壁を愛おしそうに撫でながら、ネギは息を大きく吸い込んだ。
 扉のノブを掴み、押し開いた。扉を潜ると、そこには不思議な空間が広がっていた。見上げるほどの高さを誇る本棚には、分厚く色鮮やかな本が幾つも並んでいる。そのどれもがラテン語やギリシャ語などの外国語で書かれている。階段や梯子が所々にあり、まるで迷路の様に入り組んでいた。
 まるで、導かれる様にネギは別荘の中に入って行った。後ろからアスナ達が続こうとするが、土御門によって止められた。
「もう少しだけ待ってやれ……」
 その言葉に、好奇心が爆発しそうだった和美達の心が冷えた。自分達にとっては胸の躍る魔法使いの根城でも、ネギにとっては全く違う。行方不明のお父さんの住んでいた別荘なのだ。
 好奇心で荒らしていい場所では決して無いのだと、反省した。だが、一人だけがさっさと中に入ってしまった。エヴァンジェリンだ。エヴァンジェリンは、ネギの隣まで来ると、頭に優しく手を載せた。
「どうだ? 自分の父親の過ごした空間だぞ。そして、ここはお前の空間だ。だから…………我慢する必要は無い」
 その言葉は、最後の一押しだった。エヴァンジェリンは青銀の瞳を輝かせると、冷たい風によって別荘の扉を閉めた。呪文を紡ぎ、一瞬だけ光に包まれると、エヴァンジェリンの体は大人の姿へと変貌した。
「この姿なら、ちょっとは甘え易いだろう?」
 困惑した表情を浮かべるネギに、エヴァンジェリンはニヤリと笑みを浮かべた。
 そして、ソッとネギの頭を抱き締めると、ソファーに移動し、まるで赤子をあやす様な仕草でネギを抱きかかえた。
「エ、エヴァンジェリンさん……」
 顔を真っ赤にして身を捩るネギを、エヴァンジェリンは離さなかった。
「ネギ・スプリングフィールド。今日だけはとっ……特別だ。……ここに居るのは今は私だけだ。今だけは私に甘えろ」
 ネギの瞳が大きく見開かれた。そして、我慢の限界を超えた。
 エヴァンジェリンに抱きつき、肩を震わせてエヴァンジェリンの黒のワンピースに染みを作り出した。
 エヴァンジェリンはその事を気にも掛けずに、ネギの背中をポンポンと優しく叩いた。
「ネギ、お前はもっと他人を頼れ」
 エヴァンジェリンは、高く聳える本棚の本の背表紙を眺めながら呟いた。
 ネギの肩が一瞬震えたのを感じ取った。
「今回の件もそうだが、お前に責任の一端が無いとは言えない。だがな、その責任を必要以上に背負い込む必要は無いぞ」
 エヴァンジェリンはネギの震えた肩に視線を落として言った。
「それとも、それは誤魔化しているのか? 本当は、あの夜の再現を見たくないだけだから」
 ネギの体が面白いくらいに反応した。ビクッと体が震えた。
「心が壊れて、それでも涙を流しながら笑みを浮かべてお前を護り続けた姉の姿が重なるか?」
 エヴァンジェリンの言葉は岩を削る杭の様だった。
「アスナに助けを求めなかったのも、アスナに対してどこまでも負い目を持っているのも、神楽坂明日菜がネカネ・スプリングフィールドに似ていたからか?」
 ネギは息を吸う事が出来なくなった。心臓が大きく跳ね上がり、震えが止まらなくなる。
 違うと否定する事すらままならない。
「お前が必要以上に負い目を持っているのは、本当はアスナに目の前で死なれたくないからじゃないのか? ――あの夜の再現を見たくないから」
 心臓が早鐘を鳴らす。グルグルと頭の中がシェイクされているかの様に眩暈がしてくる。
「今のまま、誤魔化しを続けていれば、いずれはお前の気持ちがアスナにもバレルぞ。それに…………このままなら、お前の成長はここで止まってしまう。魔法使いは精神の強さによって成長する。自分の心を誤魔化している者に成長は望めない」
 エヴァンジェリンの言葉が毒の様にネギの心に染み渡り、苛んだ。
「いい加減、誤魔化すのは止めるんだな。一人でそのトラウマを克服出来ないなら、誰かに頼ってもいいんだ。私でも、木乃香や刹那でも、タカミチでも、……あの黒髪の坊やだってな」
 エヴァンジェリンは強くネギの体を抱き寄せた。
「お前は十歳の子供なんだぞ。少しは大人や周りの年上に甘えろ。子供の甘えは義務みたいなものだ。甘える事を知るからこそ、出来る事や分かる事がある。強くもなれる。甘えない事は強さじゃない。ただの停滞だ」
「エヴァン……ジェリンさん。私は…………」
 ネギの掠れた様な声が聞こえる。
 ネギの呟くような小さな声に耳を傾けながら、エヴァンジェリンはネギの髪を撫で続けた。
「甘える側から甘えられる側に変るまで、誰かに縋ってもいいんだ。わかった……な?」
 クッと笑みを浮かべながら、エヴァンジェリンはツンッとネギのオデコを突っついた。
「さて、そろそろ外で待ちくたびれてるだろう奴等を入れてやろう」
 ネギを離してフッと笑みを浮かべて言うエヴァンジェリンに、ネギは慌てて眼を擦ると、頷いた。
「…………はい!」

 扉を開くと、アスナ達はすぐにネギの泣き腫らして赤くなってしまった目元に気がついたが、誰も何も言わなかった。
 中に入ると、その不思議な空間に和美達は息を呑んだ。別荘の部屋を順番に見て回ると、様々な魔術用品や高級そうな調度品が幾つも置かれていた。
「ネギ!」
 小太郎が適当に開いた部屋の中を覗くとネギを呼んだ。
「どうしたの?」
 ネギが来ると、小太郎は部屋の中をチョイチョイと指差した。
「あ……」
 ネギが部屋を覗くと、そこには沢山の写真が並べられていた。
 アスナ達も部屋に入ると、並べられている写真を見た。
「うわっ、懐かしい写真があるわね……」
 アスナはその内の一枚を手に取った。そこには、幼少期の未だ神楽坂明日菜ではなかった頃のアスナの無表情とその頭に手を乗せるナギとガトウの写真があった。
「ナギ……、ガトウさん…………」
 その写真を手に取って、アスナは噛み締めるように名前を呼んだ。
「これは…………」
 エヴァンジェリンも写真の一つを手に取った。
 それは、エヴァンジェリンとナギが唯一、一緒に並んで写真を撮ったあの雪の村での写真だった。一枚はエヴァンジェリンのロケットの中に入っている。
「お前も…………持っていたのか」
 震えそうになりながら、エヴァンジェリンは微妙な笑みを浮かべ、満面の笑みを浮かべているエヴァンジェリンの頭に手を乗せているナギの写真を愛おしそうに抱き締めた。
「ネギ、これ見てみい」
「え?」
 ナギの写真を見ていたネギに、小太郎が一枚の写真を見せた。
「これって……アイゼンさんと……お父さん!?」
 そこには、今と全く変らないアイゼンと、満面の笑みを浮かべてVサインをしているネギと同い年くらいのナギの写真があった。
「そう言えば……アイゼンさんの弟子だった時期があるんだっけ」
「その頃の写真なんやな」
 自分とは全く違う活発そうな写真の中の少年は、無邪気な笑みを浮かべていた。
「アレ……この写真って土御門さん?」
 和美は目元をヒクつかせながら土御門に尋ねた。そこには、アロハシャツを着た土御門とナギが並んで立っている写真があった。
 問題なのは、この写真が少なくとも十年前の写真の筈なのに、土御門の姿が全く変っていない事だった。
「おう、そうだぜい」
 懐かしいぜと言いながら、土御門は写真を眺め続けた。
 他にも若い頃の詠春の写真を見て刹那と木乃香が語り合い、のどかと夕映、和美も適当な写真を眺めた。
「この人がネギさんのお父様ですか」
「かっこいい人ですね」
 夕映とのどかの言葉に、ネギは照れた。その後も、しばらくは写真の鑑賞会をした。
「この写真は……」
 ネギが一枚の写真を手に取った。
 そこには、十五歳の頃のナギ・スプリングフィールドとその仲間達の姿が映っていた。
「紅き翼の集合写真だな。ナギの隣に立っている女みたいなのはアルビレオ・イマ。反対側に立っているのが若い頃の詠春とその隣がガトウ・カグラ・ヴァンデンバーグ。そして、後ろの大男はジャック・ラカン。ナギのすぐ手前に居るのはフィリウス・ゼクトだ。まあ、このお方はナギの師匠で、奴が本当の意味で敬意を示したのはこの人くらいなものだな」
「お父さんの師匠ですか!?」
 ネギは自分とそう歳の変らない様に見える少年の姿を見て目を丸くした。
「私は会った事ないぞ」
 ネギに顔を向けられてエヴァンジェリンは顔を逸らした。
「あれ? 土御門さんは紅き翼じゃなかったんですか?」
 刹那がふと思いついたことを尋ねた。
「俺はパーティーとかには参加してなかったからな。大戦にも参加してないし」
「まあ、大戦と言っても魔法世界の話だからな。紅き翼も大戦後には解散していたし」
 土御門が肩を竦めると、エヴァンジェリンも補足した。
「あの……土御門……さんは」
「土御門だけでいいぜい。同級生だしよ」
 ニッと笑みを浮かべながら言う土御門に、ネギは笑みを浮かべて頷いた。
「土御門君はお父さんの事をどのくらい知ってるの?」
「自分に正直な奴だった。それくらいだな。とにかく、…………困った奴だったよ」
 土御門は窓の外を眺めながら呟く様にそう言った。その姿がどこか寂しそうに見えて、ネギは土御門の名を呼ぼうとした。すると、その前に土御門はニカッと笑みを浮かべて言った。
「とにかく、ここにあるモノは皆ネギ、お前のものだ。写真なりアルバムなりを適当に持ってて構わないぜ。魔道書の類もそれなりのがあるしな」
「あ、はい!」
 土御門の変わり身にキョトンとしながらネギは頷いた。
 それから、しばらくは各々で別荘内を散策した。夕映とのどかは本棚の本を読もうとして、日本語の本が殆ど無い事に気がついてガッカリした。
「そう言えば、茶々丸さんはどうしたの?」
 アスナはソファーに座りながら目の前の本棚からラテン語の魔道書を手に取っているエヴァンジェリンに尋ねた。
「茶々丸は今は総本山で情報操作を行っている。実を言うと、あの時は茶々丸を呼んでも下手をすると無駄死にさせる事になるから上空に陣が敷かれた時にあの場に呼ばなかったが、昨夜はどうして呼ばなかったのかって怒られてしまったよ」
 クスクスと笑みを浮かべながら言うエヴァンジェリンは、どこか嬉しそうだった。
「本当に、最初の頃に比べると人間らしくなったよ」
「そっか」
 アスナは笑みを浮かべながら立ち上がると、近場の本を一冊手に取った。
「へえ、『古代魔術の理論第四版』なんて読んでたんだ」
「ん? お前…………読めるのか?」
 アスナの手に取っている本はギリシャ語で書かれていた。
 スラスラと読み進めるアスナにエヴァンジェリンは目を丸くした。
「未だ読めるみたい。あ~でも、幾つか忘れてる単語あるなぁ」
 アスナは頭を掻きながらイライラとした様子で言う。
「読めない字は私が教えてやろう。どれだ?」
「ここなんだけどさ……」
「ああ、これは――」
 アスナとエヴァンジェリンが本を読んでいる間、ネギは小太郎と木乃香、刹那、と一緒に写真を整理していた。
 その中には、鍋を囲んで詠春が仕切っている写真などもあった。
「あはは、ネギちゃんのお父さん叱られとるなぁ」
「その隙をついてラカンさんがお肉を食べてますね」
「てか、コッチのあんちゃんは何気に皿に肉がたんまり入っとるで」
「わぁ、タカミチが何だか幼いです」
「あ、ほんまや! 高畑先生可愛ええな~」
「この頃からガトウさんの真似をしていたのですね。髪型もお揃いにして」
「あのおっちゃん強そうやな。一回戦ってみたいで」
「さすがに小太郎でもタカミチには勝てないよ」
「何言ってんねん! 勝負はやってみなけりゃ分からへん!」
「せやけど、高畑先生は凄く強いんやで?」
「咸卦法に居合い拳、つまりは無音拳を巧みに操る魔法世界でも“立派な魔法使い”に今最も近い男と毎週雑誌のグラビアページを飾っている方ですしね」
「え?そうなんですか!?」
「高畑先生がグラビア…………」
「えっと……、お嬢様? 別に水着とか裸とかにはなってませんからね?」
「ほえ!? そ……そんなの当たり前やない。あはは…………」
「笑みが引き攣っとるで?」
「そ……そう言えば、ネギちゃんは高畑先生と昔からのお友達なんよね?」
「え、ええ。昔、素手で滝を割って見せてくれた事もあるんですよ」
「た……滝を素手でか…………。さすがに無理やな……」
「私も素手ではさすがに……。さすが高畑先生ですね」
 そんな感じに喋りながら大量の写真を見つけたダンボールに丁寧にしまっていく。
 ちなみに、エヴァンジェリンとアスナにはそれぞれ数枚写真を渡す事になっていて、その分は別にしてある。
「せや、ネギは明日も京都見学するんだよな?」
 写真をあらかた仕舞い終ると、小太郎が尋ねた。
「うん。ていうか、色々あってちゃんと遊ぶのって明日だけなんだよね」
 ネギが言うと木乃香と刹那もたははと乾いた笑みを浮かべた。
「せ……せやったらその……案内とかあったらちゃんと名所とか行けるやろ?」
「そうだね。だけど、ガイドさんをわざわざ雇うっていうのは…………」
 小太郎の言葉に、ネギが見当はずれな事を言うと、木乃香がクスリと笑みを浮かべた。
「ちゃうで、ネギちゃん。コタ君はネギちゃんに明日自分が案内してあげるって言いたいんや」
 木乃香の言葉に、ネギは体がカッと熱くなるのを感じた。
 小太郎も顔を真っ赤にして「お、おう」と言った。
「じゃ、じゃあ、お願いしていいかな? エヴァンジェリンさんも次は何時外に出られるか分からんないから楽しんで欲しいし」
「え!? ……あ、うん。…………任せとき」
 微妙にガッカリした様子の小太郎に、ネギはキョトンとした顔をした。
 刹那と木乃香は微笑ましげに苦笑いを浮かべた。
「代わりに麻帆良に戻ったら私が小太郎を案内してあげるからね」
「へ? …………お…………おう!!」
 ネギがニッコリしながら言うと、途端に小太郎は大喜びで頷いた。
「分かり易いですね」
「可愛ええなぁ」
 刹那と木乃香の言葉に、ネギは首を傾げているが、小太郎は顔を真っ赤にして木乃香と刹那を睨んだ。
 その頃、土御門は夕映とのどか、和美に魔法について講義を行っていた。
「つまり、魔法を操るにはラテン語やギリシャ語は必須だと……」
 夕映は可愛らしいウサギの絵が描かれている手帳に熱心にメモを取りながら聞いていた。
「その通りだ。基本的に今一番ポピュラーな魔法は始動キーを使って操る魔法が主流だ。それに、殆どの魔道書はその二つの言語が標準だ。他にもヘブライ語や古代中国語、日本の古代文字なんかもある。象形文字やルーン文字で書かれたのもあるから、覚える事はかなり多いぞ」
「うへぇ、そんなに勉強すんのやだなぁ」
「しかし、魔法という常識の外側にある存在を手にするには、それだけの努力が必要という事なのですよ!!」
 和美がダルそうにしていると、夕映は眼から星が飛び出しそうな勢いで言った。
 その姿につい可愛いと思ってしまった和美は、さよを抱き締めてソファーに寝転がった。
「光輝の書(ゾーハル)にはかなりの情報が登録されている筈だ。今は仮契約のカードの中に入っているなら“アデアット”でいつでも呼び出せる。魔道書を読むよりも勉強になる筈だ」
 土御門の抗議を夕映とのどかは真剣に聞き、和美はさよを抱き枕に眠ってしまった。
 さよも和美に抱きついている内に眠ってしまった。

 夕方頃になり、帰る事になり、小太郎と土御門がネギの持ち帰る魔道書とアルバムを総本山に持ち帰って、郵送する事になった。
 別荘の中で記念写真を撮ると、エヴァンジェリンと小太郎、土御門の三人と別れ、ネギ、アスナ、木乃香、刹那、のどか、夕映、和美、さよは宿への帰路についた。

 翌日、涼しい木々の合間を吹き抜けて髪を攫う風を感じながら、ネギとエヴァンジェリン、茶々丸、アスナ、木乃香、刹那は小太郎と一緒に鞍馬山に来ていた。
 雀の鳴き声に耳を澄ませながら、エヴァンジェリンは講釈を垂れていた。
「ここが彼の有名な源九朗義経が遮那王を名乗っていた時期に預けられた鞍馬寺だな。ここで、遮那王は天狗から八艘飛びを初めとした数多の妖術を学んだとされている」
 小太郎に義経縁の土地を案内させ、観光を堪能しているエヴァンジェリンはご機嫌だった。
 今まで観光ガイドなどで仕入れ続け、何時の日か見に来てやると闘志に燃えた夢が遂に叶い、自分の蓄えてきた知識を披露している。
「でも、実際在り得そうな話よね。天狗だって居たみたいな伝承が幾つもあるしね」
 アスナはご機嫌オーラを放ち続けるエヴァンジェリンを微笑ましそうに見ながら言った。
「八艘飛びなら、ワイもちょっとは出来るで」
 小太郎が不意に言うと、エヴァンジェリンは眼を見開いた。
「何!? 本当か、犬上小太郎!!」
「お、おう」
 ズズイッと押し迫るエヴァンジェリンに若干引きながら小太郎は頷いた。
「前にその…………師匠から習ったんや。昔、師から習ったんだって」
 そう言うと、小太郎は体を僅かに曲げた。息を小さく吐くと、小太郎は鞍馬寺の境内を縦横無尽に跳ね回った。まるで、黒い影が跳び跳ねているかの様に、木の上を駆け上ったり、凄まじい速度で移動している。
「これって、瞬動とは違うんですか?」
 ネギが不思議そうに小太郎の八艘飛びを見ながら首を傾げた。見た事も無い移動方法に戸惑っているのだ。扇の軌跡を描いて移動する影。その動きは全く未知の技術だった。
「あれは体術ですね。気や狗神、魔力を使わずに己が身体能力だけを使っている様です。なるほど、あれは隠密向きの技術ですね。気も魔力も感知されずに高速で移動できるのですから」
「たしか、牛若丸は八艘飛びを使って弁慶に勝ったんやで」
 刹那が八艘飛びの有利性を考察する傍らで、木乃香はネギに牛若丸の八艘飛びについて話した。
「壇ノ浦の戦いでも、義経は船から船へと八艘飛びで渡りながら次々に武勲を立てていったんや」
 木乃香の話を聞きながら、ネギは自動販売機で買ったコーラを口に含んだ。
「ま、あんま使う機会は無い技やけどな」
 戻って来た小太郎は肩を竦めながら言った。
「何せ平安時代の技だからな。さすがに千年の間に人の技術は比較にならない程進歩した。それは、科学という形だったり、魔法という形だったりな。魔力や気を使わなくても、今は高速で移動できる物は数多く存在している。科学技術の進歩は、嘗ては数歩先を行っていた魔法を後少しで追い抜きそうな所まで来ている。転移や天候操作、幻影魔術なども、そう遠くない未来に科学技術によってより、正確に、より安易に、より安全に使える様になるだろうさ」
「ワープに天候操作、ソリッドビジョン、嘗ては眉唾のSF小説の中の世界の話が、科学の力で実現している世の中ですから、そういったのも、もうそう遠くない未来には実現するでしょうね」
 エヴァンジェリンの言葉に、刹那は楽しげに笑みを浮かべながら言った。
「時々、そういった魔法の衰退に繋がる科学の発展を疎む者も居てな。そういった馬鹿の掃除も魔法使いの仕事の一つだ」
 困ったもんだとエヴァンジェリンは肩を竦めた。
「メンドイ奴がおるんやな。せやけど、影分身とか、昔の技も捨てたもんやないで。今でも現役バリバリや」
「そう言えば、小太郎の影分身って不思議だよね。どうやってるの?」
 ネギが尋ねた。
「ん、こう気を練ってやな」
 小太郎は自然体になると、まるでぶれた様に小太郎の体が二人に分裂した。
「こんな感じや」
「こんな感じや」
「うわ…………、小太郎の声がブレて聞こえる」
「うわってなんやねん」
「うわってなんやねん」
「う…………」
 二人の小太郎に睨まれてネギは後退した。
「小太郎…………ちょっと同じ顔で来ないで、不気味だよ」
「…………言うようになったやないか」
 目元をヒクつかせながら一人に戻った小太郎はネギを睨んだ。
「前に散々言ってくれたお返しだよ」
 ふふんとネギは悪戯っぽく笑みを浮かべた。すると、小太郎は面白くなく、ジト目でネギを睨んだ。
「ねちねち根暗な奴やなホンマに! 未だ根に持っとったんかい!?」
「な!? ね……ねちねちって……ひ、人にあれだけ言っておいて……」
「その後助けてやったやろ! それでイーブンや! やり返される謂れは無いで! この、根暗!」
「ま……また言った。また言ったね!! 根暗ってまた!!」
 小太郎の暴言に、ネギはガーッと両手を振り上げて叫んだ。小太郎は勝ち誇った顔で更に続けた。
「おうおう! 何度でも言ったるわ! 根暗! 根暗!」
「やめんか!!」
 さすがに、ネギが涙目になってプルプルと震え始めると、エヴァンジェリンが小太郎の頭に拳骨を落とした。
「痛ッテエエエ!!」
「ネギも、見せて貰って気味悪いとか言うんじゃないわよ」
「あうう……、ごめんなさい」
 ネギの頭をグリグリとしながらアスナが叱りつけた。ガミガミと叱りつけるアスナとエヴァンジェリンに、小太郎とネギはシュンとなってしまった。
 その様子を、茶々丸達は微笑ましげに見ていた。
「それにしても驚きましたね。ネギさんがあんな風に喧嘩するとは」
「歳が近いせいでしょう。ネギさんは十歳ですから」
「せやねぇ。十歳やから…………、え?」
 木乃香は茶々丸の言葉にキョトンとした顔をした。
「あの……茶々丸さん? 何か今……聞き捨てならない事を聞いた様な……」
 刹那が恐る恐る尋ねると、茶々丸は呆気無く言った。
「ネギさんは十歳ですよ。ですから、十三歳の小太郎さんの方が、お二人よりも歳が近いのです。それ故、気安くもあるのでしょう」
 茶々丸の言葉に、木乃香と刹那は目を丸くした。
「って、ほんまにネギちゃんって十歳なん!? 聞いてへんで!?」
「というか、じゃあ何で中等部に!?」
 茶々丸は木乃香と刹那の質問に答えた。基本的にネギが何の目的でそもそも麻帆良に来たのかなどを。
「そ……そうだったんですか。今更ですが、理解しました」
「そっかぁ、ネギちゃん十歳やったんか。なんや、色々と納得がいった気がするで」
 その頃、こってり絞られたネギと小太郎はお互いに謝って頭を押えていた。
「うう……頭が痛い……」
「の……脳天に雷が落ちたかと思ったで……」
 涙目になる二人に、エヴァンジェリンとアスナがギロリと睨みつけた。
「というか、エヴァンジェリンさんとアスナさんのお説教が妙に板に付いているというか……」
 刹那が言うと、茶々丸は事も無げに言った。
「まあ、マスターは600歳超えてますし、アスナさんは実質みそ――ッ!?」
 茶々丸が言い切る前に、茶々丸の目の前にエクスカリバーが真っ直ぐに地面に突き刺さった。
 あまりの事に絶句し固まる三人に向けて、アスナが凄惨な笑みを浮かべて言った。
「それ以上言ったら……ね?」
 ビキビキと拳を握りながら言うアスナに、木乃香と刹那、茶々丸はコクコクと頷いた。
 言った瞬間に殺されると本能が悲鳴を上げている。
「小太郎!」
「へ、へい!!」
 ガクガクと震えている小太郎に、アスナは顔を向けた。
「そろそろお昼だからおいしいお店案内しなさい」
「りょ……了解!!」
「あ、待ってよコタロ~」
 小太郎はアスナに命じられるままに走り出した。ネギは慌てて小太郎を追う。
「年齢の話はタブーですね……」
 刹那が微妙に顔を引き攣らせながら言うと、茶々丸と木乃香はカクカクと頷いた。

 エヴァンジェリンが京会席を所望し、ネギ達は鴨川を下って先斗町にやって来た。
 鴨川を見下ろすかたちでベランダのような場所で豪華な京会席に舌鼓をうつ。
「下に流れる禊川の川のせせらぎが心を落ち着かせるな」
 エヴァンジェリンは新鮮な刺身に口に含む。
「せやけど、良かったんか? その……ワイまでご馳走して貰って……」
 小太郎はわずかに緊張した様に言った。
「構わん。案内の駄賃だ。詰まらん事を言わずにこの美しい景観と料理を堪能しろ」
 優雅な仕草で天ぷらを食べながら言うエヴァンジェリンに、小太郎はお礼を言った。
 とはいえ、さすがに一万円以上も奢られては緊張してしまうというものだった。
 刹那と木乃香は慣れている様で、アスナも珍しそうにしてはいても、気後れはしていなかった。
 ネギだけは、やはり少し気後れしてしまっていた。それに気がついて、エヴァンジェリンは苦笑した。
「気にする必要は無い。どうせ、使う事など殆ど無いんだ。こういう機会にお前達に美味い飯を食べさせるのも悪く無い。私の弟子たるもの、味オンチは頂けないからな。ちゃんと味わって味を学べ」
「は……はい!」
 ネギと小太郎は同時に返事を返すと、漸くスムーズに食べ始めた。
「これなんだろ?」
 ネギは白い不思議な食べ物を箸で取りながら首を傾げた。
「エビか……何やろ?」
 小太郎も試しに口に入れてみた。だが、カリカリとしているが、味わった事の無い味だった。
 不思議そうな顔をする二人に、茶々丸は微笑をもらしながら、味を解析していた。こういう機会に、データベースに京都の料理を登録しておこうと思ったのだ。今度は何時になるか分からない以上、家でくらいは京都を感じてもらう為に。
「せっちゃん、ご飯粒ついとるで?」
「え、本当ですか!? ……不覚です」
 落ち込みながらご飯粒を取ろうと箸を置く刹那を制して、木乃香が刹那の頬についたご飯粒を取ってそのまま口に入れた。
「こ、このちゃん!?」
 顔を真っ赤にして慌てる刹那にクスクス笑みを浮かべながら木乃香は何事もないように食事を続けた。
「順調に進展しているな」
「挙式も近いかしら」
「式には呼んで下さいね」
 その様子を眺めながら、エヴァンジェリンとアスナと茶々丸は口々に言った。
「ちょっと――ッ!!」
 刹那は顔を真っ赤にして騒ぐが、誰も気にも留めなかった。
「あの二人付き合っとるんか」
 小太郎は刺身を食べながら言うと、ネギが顔を寄せてきた。
「うん、とっても仲が良いんだよ」
 微笑みながら言うネギに、小太郎は顔を真っ赤にして「さ、さよか!」と言った。
「付き合ってないですよ!!」
 刹那が何かを叫んでいるが、皆食事を続けた。

 再び、観光を再開して、ネギはエヴァンジェリンらと共に小太郎に京都市内を案内されている。
 ネギ達が今居るのは映画村だ。行き交う人達の殆どが仮装を楽しんでいる。ネギ達も思い思いの仮装を楽しんでいた。
 小太郎はすぐに黒い着流しを着て、腰に脇差を差して出てきたのだが、ネギ達が中々出てこないせいで待ち惚けをくらってしまった。
 衣装屋の近くの茶店で団子を食べながら待っていると、エヴァンジェリンと茶々丸とアスナが出て来た。
「ヤッホー、お待たー」
「お待たせしました」
「よーやっと、出て来おった……」
 三十分以上も待たされて団子の串が積み重なって山になっている。お茶を啜りながらエヴァンジェリンとアスナにも団子を勧める。
 茶々丸は食べないのでそのまま茶店の椅子に腰を下ろした。茶々丸は昔の日本の使用人の様な着物に前掛けを着けた格好をしている。
「お、すまんな。……ん、うまい!」
 エヴァンジェリンは団子を一気に平らげると頬を綻ばせた。
「やっぱ、団子は醤油よね~」
 オレンジ色の村娘衣装のアスナが満面の笑みを浮かべて頬張った。
「いやいや、蓬と餡子の巧みなバランスは中々のものだぞ」
 チッチッチと舌を鳴らして、白いゴシックドレスにレースの傘をさしたエヴァンジェリンが緑の蓬の団子を新たに小太郎の皿から取って食べた。外国人二人の団子批評を聞きながら、小太郎は衣装屋に視線を送った。
 丁度、刹那と木乃香も出て来た。刹那は新撰組の衣装を身に纏い、木乃香は豪奢な着物を着ている。まさしく、姫と姫を護る騎士といった様子だ。
 その後ろから、桃色の桜の絵柄の着物を着て、髪を櫛で結い上げたネギが出て来た。
 ちなみに、カモはタカミチと行動しているので今日は一緒に居ない。
 小太郎はついポカンとした表情で眺めていて団子を落としてしまった。その様子を目敏く見つけたアスナとエヴァンジェリンがニヤニヤと笑みを浮かべた。
「どうした、可愛いの一言でも言ってやれ」
「そうよ~。ネギには積極的なモーションが必要よ」
「うっさいわ、おばはん共!!」
 辺りに鈍い音が響いた。
「痛ッ――――」
 頭に大きなタンコブを二つ乗せて小太郎はあまりの痛みに言葉も出なかった。
「ピチピチの“女子中学生”に何言ってんのよ、まったく」
「全くだ。私達は“中学生”だぞ」
「実年齢は三十路と600歳で十分おばはッ――!!」
 最後まで言い切る事無く、修羅の如きの表情を浮かべる二人の鉄拳が真っ直ぐに振り落とされた。
「うおおおおおおっ!!」
 頭を触ると痛いから抑える事も出来ず、小太郎はプルプルと震えながら頭のタンコブに風を送った。
「だ……大丈夫?」
 ネギが心配そうに声を掛けるが、痛すぎて返事を返す事も出来なかった。
「何故、地雷と分かってて足を踏み入れるんでしょう……」
 呆れた様に言う刹那に、木乃香はキランと瞳を輝かせた。
「せっちゃん。押しちゃ駄目って書いてあるボタンが目の前にあったらどないする? 押すやろ?」
「え? 押しませんけど……」
「せやから、せっちゃんには分からないんよ!」
「ええっ!?」
 いきなり突き放す様な事を言われてアタフタする刹那の様子に満足気に笑みを浮かべながら、木乃香はネギ達の近くに行った。
「ウチもお団子食べてええ?」
「え……ええで~」
 まだ痛むのか、頭を押えながら涙目で皿を寄せる小太郎に「おおきに」と言って木乃香は団子を頬張った。
「小太郎、お店の人に氷嚢作って貰ったから、頭に乗せるといいよ」
「おう、サンキューな」
 氷水の入った袋を頭に乗せて一息吐く小太郎の横に座って、ネギもお団子を食べた。
 そのネギの姿をチラチラ盗み見ながら小太郎は何かを言おうとしてはネギが首を向けると凄い勢いで反対側を向いた。
 怪訝な顔をするネギに、小太郎はあ~~~~とかう~~~~~とか唸りながら頭を抱えた。
「だ、大丈夫……?」
 頭が痛くて唸っていると思ったネギが心配そうに声を掛けるが、小太郎は頭を抱えたまま唸り続けた。

 扮装写真館で記念写真を撮影して、映画の撮影を見物した。
「お~~!! あれは有名な時代劇俳優じゃないか!! 後で、サイン貰えないかな……」
「後で聞きに行ってみよ」
 目を輝かせながらチャッカリサインを書いて貰うための色紙を用意しているエヴァンジェリンに、木乃香が言った。その後、何とかサインを貰えてホクホクと笑みを浮かべた
「良かったですね、マスター」
「ああ、このサインは汚れがつくと不味いな、ちょっと待ってろ」
 エヴァンジェリンはそう言うと、一瞬だけ路地の暗い影に隠れた。直ぐに戻ってくると、その手には色紙は無かった。
「転移でログハウスに戻した」
「転移って便利よね、私も覚えたいな」
 アスナが呟くと、エヴァンジェリンは肩を竦めた。
「私のは能力に近いんでな。教えられんぞ」
「う~ん、消すのは得意だけど、使うのはからっきしだったしな~」
 アスナはしょぼんとすると、視線の先にある看板を見つけた。
「お! お化け屋敷だ!! あれ行こうよ!」
 駆け出すアスナを追い掛けると、エヴァンジェリンは説明書きを読んだ。
「何々、東映の俳優が演じているリアルな怨霊達があなたを待ってます……。むむ、この俳優は!! 行かねばなるまい!!」
「エヴァンジェリンさんって俳優とかに興味あったんですね」
 刹那はエヴァンジェリンの意外な一面を垣間見た気がして呟いた。
「マスターは時代劇が大好きですから。特に水戸黄門や暴れん坊将軍などの名作はシリーズ全てのビデオやDVDを所有しています」
「エヴァンジェリンさんって、時代劇が好きだったんですか」
 ネギも驚いた様に言った。
「まあ、暇を潰すのにテレビというものは最適ですからね。最近では衛星第二でやっている韓国の冬のソナタというドラマにもハマッっていて、よく夜更かしをなさって少し困っています……」
「そういや、おばはん世代に大人気やもんな。アスナの姉ちゃんもハマるんちゃうか?」
「ねえ小太郎……。君って懲りない人だよね……」
 ネギは背後に忍び寄る阿修羅と小太郎から顔を背けて言った。その直後、この世のものとは思えない断末魔の叫びが轟いた――。
 フラフラしている小太郎に手を貸しながらお化け屋敷に入り、迫真の演技の怨霊達につい肝を冷やした。小太郎がう~う~唸っているせいで微妙に台無しだったが……。

 それから、一行は手裏剣道場に向かった。
 ネギは手裏剣を力いっぱい投げるが、的に届きもしなかった。エヴァンジェリンとアスナは面白がって投げていて、的を手裏剣で粉砕し、店の人に怒られた。
 ナチュラルに他人の振りをしながら、刹那は木乃香に手裏剣の手解きをしている。制服が同じだからあまり意味は無いが……。
 小太郎はネギの隣で手裏剣を構えた。
「へへ、見てろ」
 シュッと手裏剣をブーメランの様に投げると、放物線を描いて見事に的の真ん中に突き刺さった。
「凄い!」
 感激するネギに、小太郎は嬉しくなった。
「よっし、今度はこうや!」
 今度は三枚の手裏剣を一瞬の内に投げる。三枚すべてが違う放物線を描いて的の真ん中に見事に命中し、前から見ると上向きの矢印の様に見えた。
「よ~し、私も!」
 ネギも小太郎の真似をするが、全く掠りもしなかった。
「ほれ、こうするんや」
 ネギの後ろに立つと、小太郎は緊張しながらネギの手裏剣を持つ手に自分の手を添えた。
「ふえ!?」
 驚いて小さく悲鳴を上げるネギに、小太郎は「悪ぃ」と言って離れようとするが、ネギが首を振って留めた。
「ううん。教えて?」
「お、おう!」
 二人して顔を赤くしながら、小太郎はネギの身体を抱き締める様な格好でネギに手裏剣を投げさせた。
 真ん中では無いが、手裏剣は放物線を描いて的の右端ギリギリに命中した。
「やったな。こんな感じや。力むんやのうて、軽く投げればええんや」
「うん」
 ちなみに、茶々丸は的に見事な十字を手裏剣で描いて周囲から喝采を浴びていた――。
 怒られて肩を落としているアスナとエヴァンジェリンと共に、ネギ達は射的や矢場を楽しみ、手相を見てもらった。
 最後に清水焼の体験をする頃には、アスナとエヴァンジェリンも元気を取り戻していた。

 夜――。
 赤い髪の少女と黒い髪の少年が二人並んで歩いている。ネギと小太郎だ。
 空は宵闇に染まり、街灯が光を灯し始めた。二人が歩いているのは宿を少し離れた場所にある渡月橋。夜空には満天の星空が広がり、満月が銀色に輝いていた。
「水面に移る月を見下ろすのも趣きがあるね」
 立ち止まって、橋の下の川に映り込んだ銀色の盆を見下ろしながらネギが呟いた。
 静かに流れる川のせせらぎを聴きながら、微妙に形を変える月の姿を陶然と眺めている。
 小太郎は橋の柵に背中を預けて月を見上げた。
「偽者より、ワイは本物の方が好きや」
 ぶっきらぼうな小太郎の物言いに、ネギはクスリと笑みを洩らした。
 流し目で小太郎を見つめながら、ネギははにかんだ笑みを浮かべた。
「本物の月よりも心に描いた月の方が綺麗なんだよ」
 ネギの言いたい事が、小太郎には分からなかった。小太郎の表情に当惑の色が浮かんでいるのを見ながら、ネギはクスリと微笑を零す。
「今日は楽しかったね」
「…………せやな」
 ネギの言葉に小太郎は小さく息を吐きながら応えた。
 昼間はずっとネギと彼女の友人達に京都中を案内して回った。沢山の寺院や神社を見て回り、映画村で仮装を楽しんで写真を撮影した。
 だが、実際のところ、楽しかったのは確かだけど、小太郎は不満だった。二人で話す時間が殆ど無かったからだ。
 夜になって、ネギ達の泊まっている宿屋に帰ってくると、小太郎は溜息交じりに帰ろうとした。すると、後ろから声を掛けられた。赤い髪の自分より小さな少女が自分を呼び止めた。つい、嬉しくて笑みが零れそうになって顔を背けて、この場所まで歩いて来た。
「ありがとね。小太郎のおかげだよ」
 つい見惚れてしまいそうになる笑みを浮かべる少女に、小太郎は慌てて顔を背けた。
「お、おう。気にすんな」
 素っ気無く返す小太郎に、ネギは小さく頷いた。それからしばらくの間、二人は互いに何も口に出さずに押し黙った。
 実際の所、小太郎は何でもいいから話をしたかったが、何を言えばいいのか分からなかったのだ。ネギは、僅かに顔を俯かせながら物思いに耽っている様だった。
 大きく息を吸い込んで、声を掛け様とした矢先に、ネギが唐突に口を開いた。
「小太郎……」
「ん?」
 ネギは小太郎の名前を呼んだ。小太郎は横目にネギを見た。
「小太郎は、誰かを憎んだ事ってある?」
 ネギの口から、およそ不似合いな言葉が飛び出てきた。
 小太郎は僅かに驚いてネギの顔を見る。それから、思い出す様に呟いた。
「ある…………で」
 小太郎は、過去の痛みに目を細めた。
「俺の師匠で、俺の兄貴で、俺の親父や」
「師匠で、お兄さんで、お父さん?」
 キョトンとするネギに、小太郎は肩を竦めた。
「ワイな、両親の事は知らないんや。ただ、気がついたらアイツとおった。狗神の操る術を教えてもらった。忍術や気の使い方も習った。アイツは、親父で、兄貴やった。いつか、アイツを追い越して、ワイの事を一人前や認めさせるんが夢やったんや」
「……………………」
 小太郎の呟くような言葉に、ネギはジッと黙り込んだまま聞いた。
「冬の日やった…………。アイツはいきなり里を滅ぼした」
「え?」
 小太郎の言葉に、ネギは言葉を失った。
「全滅やった……。ワイだけ生き残って、千草の姉ちゃんに拾われたんや」
「お兄さんは……?」
 ネギが怯えたようなかぼそい口調で尋ねた。小太郎は冷ややかな口調で答えた。
「変な連中と一緒にどこかへ行った。今、何処で何してるんか分からへん。せやけど、ワイは必ずあの野郎をこの手で殺す。そんで、狗神を後世に伝えるんや」
「そっか…………」
 小太郎の言葉に、ネギはただそれだけを呟くと下を向いた。足の先を見つめている。
「お前はどうなんや?」
 小太郎が尋ねると、ネギは少し間を置くと、顔をゆっくりと上げて小太郎を見つめた。ただ、ジッと見つめた。
 小太郎は居心地が悪くなった。動悸が高まり、ゴクリと唾を飲み込んだ。
「私はね、…………皆が憎いの」
「…………は?」
 ネギの言葉に、小太郎は耳を疑った。
「何言って…………」
「やっぱり、小太郎と私は違うんだね」
 ネギは視線を小太郎から外した。ボンヤリと虚空を彷徨わせ、溜息を吐いた。
「エヴァンジェリンさんに言われてね、気が付いたんだ。私は、私が原因の癖に、あの日に私を護って死んでいった人達が憎かったんだって…………」
 ネギのそれは、独白だった。小太郎は黙って耳を傾けた。
「自分が許せないとか、そういうんじゃないんだなって、分かった。どうして、私なんかを護って死んじゃったの? っていうのも違う。ただね、私に背負わせないでって思ってたの。私は小さいから…………」
 小太郎が何かを言おうとすると、ネギは首を振って制した。
「年齢や、背の話じゃないの。器の話……。私は自分の事で精一杯なんだよ。誰かの命なんて背負えない」
「…………阿呆やな、自分」
 え? とネギが声を上げる。小太郎は呆れた様に溜息を吐いた。
 何を言い出すかと思えば、そんなのは当然の話なのに――。
「当たり前やろ、そんなの。ワイかてそうや。ワイとお前が違う? んな訳あるかい! 人間一人が背負えるんはな、自分だけなんや。そんなの、器の大きさなんて関係無い。護られて、生かされて……。そんな事より、あの日、あの場所で一緒に死なせてくれた方が良かった。そんなの、ワイかて同じや」
「……………………」
 ネギは言葉を紡げなかった。小太郎はネギの瞳を見つめる。
「せやから、責任を果たすんや。誰かの為じゃない。ワイ自身の為に、敵を討って、死んでいった奴等が確かに存在したんやって証を残す。それで、漸く解放されるから。生かしてくれた奴等から受けた呪縛から、解放されるから」
 小太郎は鼻で笑って見せた。
「綺麗事を並べて安心するのも、汚い言葉で罵って嫌悪するのも、同じ事なんや。だけどな、助ける事は出来るんや」
 小太郎の笑みに、ネギはトクンと胸の内で熱いなにかが込み上げてくるのを感じた。
「お前が倒れそうになったら、ワイが助けたる。そんで、余裕が出来たら感謝してみい。今度こそちゃんと、生かしてくれた奴等に心からな。前に言ったやろ?」
「…………え?」
 小太郎は真っ直ぐにネギの瞳を射抜いた。
「お前が前に踏み出す障害は、ワイが取り除いたるって」
 小太郎の言葉が染み渡る。暖かく、優しく心に安らぎを与える。心臓が高鳴り、夜の冷たい風が心地良く感じる。
 ネギは自然と笑みを零した。
「それって、誰かの受け売り?」
 ネギの言葉に、小太郎は呻いた。どうやら図星らしい。
「結局前を見てなかったんや。自分を残して死んだ奴等の事や、アイツを恨んで。そん時にな、知らないおっさんに言われたんや。『背負ってしまったなら、責務を果たして降ろしてしまえばいい』ってな。何時までも背負ってるんは、背負わせた方にとっても馬鹿らしい事なんやって」
 小太郎は恥しそうに頬を赤く染めながら言った。そんな姿がおかしくて、ネギはクスクスと笑った。
 小太郎が怒るが、そんな事お構い無しに。
「過去は忘れない。それでも、前に向かって歩かないといけない。ねえ、小太郎」
「なんや?」
 笑われた事に憤慨している小太郎にネギはクスリと笑みを浮かべた。
「ううん。何でもない」
「何やそれ……」
 クスクス笑うネギに、小太郎は憤慨する。小太郎が怒る度に、ネギは更に笑う。
 そうしている内に、小太郎も自然と笑い始めた。
 二人して笑い合う。
「小太郎、これから改めてよろしくね」
 小さく拳を握り、ネギは前に突き出した。小太郎も笑みを浮かべて軽く拳を握り、ネギの拳に軽くぶつける。
「よろしく頼むで、ネギ」
「そろそろ宿に戻らなきゃ」
「せやな……。また、明日な」
「うん、また明日」
 二人は今更になって照れながら手を振って別れた。
 部屋に戻ると、何故か真っ青になり力尽きているオコジョと「若いっていいなぁ」と言いながらお茶を飲んでいるアスナとエヴァンジェリンと、そのお茶を淹れている茶々丸と、顔を火照らせながら手を握り合っている木乃香と刹那が居た。
 困惑するネギに、誰も理由は教えてくれなかった。

 翌日の朝、宿で最後の朝食を食べて、3年A組とタカミチ、新田はバスに乗り込んだ。
 タカミチと話す機会を得て、話を聞くと、順調との事だった。フェイトに関しては、麻帆良に帰ってからとはぐらかされ、アスナの表情が僅かに翳ったのをネギは見た。
 京都駅に到着し、京都タワーに登って最後の記念撮影を行う。ネギはアスナとエヴァンジェリンの間だった。そして、一同は麻帆良学園へと戻って来た。

 修学旅行翌日の深夜、学園都市に存在する巨大な樹――『神木・蟠桃』と呼ばれる、通称世界樹の最深部に存在する遺跡の中央の魔法陣にフェイトは寝かせられていた。
 その隣には濃色の狩衣を身に纏った黒髪の二十歳前後の青年が立っていた。さらにその後ろには真っ白なローブで身を包んでいる黒に近い紺色の髪の青年が立っている。
「どうですか?」
 ローブの青年が狩衣の青年に問い掛ける。
「予想通りの様だ」
「【創られた人】である彼がこの世界(ムンドゥス・ウェトゥス)で過ごすには造物主の掟(コード・オブ・ザ・ライフメーカー)が必要でした。それが無くなった今、彼はこちらに長く留まれば……」
「それを何とかするのが我等の仕事だ」
「造物主(ライフメーカー)……。まったく、アレと同類かと思うと嫌気が差しますね」
 狩衣の青年の言葉に、ローブの青年は吐き気を堪える様な表情を浮かべる。
「貴殿は貴殿であろう。くだらぬ事を何時までも引き摺るな」
「そうですね。…………今度こそ、彼の者の輪廻の輪は今世でもって断ち切らねば」
「それを、未来を託すべき子供達に背負わせる事になるとはな…………」
 ローブの青年の苦悶に満ちた表情に、狩衣の青年も顔を背ける。
「我等は罪人よ。贖う事など出来はしない。それでも、為すべき事を為すしかないのだ」
 狩衣の青年はそう告げると、朗々と呪文を唱え始めた。
「今年は大発光の周期が早まる程に潤沢な魔力が世界樹に宿っていますし、彼の姫君の宝具を使えば……」
 ローブの青年は横たわるフェイトの胸元に大きな子安貝を乗せた。子安貝は安産祈願のお守りにされる程、その形が女性器に類似している。この子安貝は大きさも成人した女性の陰部の大きさと同じくらいだ。
「燕から産まれたという【誕生】の宝具。魔素によって編まれた人型とはいえ、心を持つならばそこには既に魂が存在する」
「魂が存在するならば、後は女性から産まれた肉体があれば、それは一個の人間と成り得る」
 呪文を詠唱し終え、濃色の狩衣の男は魔方陣に膝をつき、掌を魔方陣に添えた。途端、地面に刻まれた魔方陣全体が輝き始めた。
「ここには魔法世界と旧世界を繋ぐゲートがあった。未だ、ソレはココにある。一時のみ、コレを解放する」
 遺跡全体が光の海に包まれた。地上では一般人の目にも世界樹が発光しているのが目撃されている事だろう。それこそ、世界中の意識を変革させる程の強大な魔力が空間を埋め尽くした。
「これだけの魔力を全て使っても一人分か……」
 徐々に光が収まっていく。子安貝に光が吸い込まれていく。口の部分がゆっくりと何かに押し広げられていく。艶やかな金色のネットリとしたものが零れ落ちた。それはフェイトの躯を徐々に覆い始めた。卵子(からだ)が精子(いのち)を覆う様に――。
「安定してくれればいいのだが……」
「魔素を実体に変換していくのは幻想を現実に変えようとするのと同じ事。かなり危険な賭けですよ」
「分かっている……が、これ以外に救う手が無い。彼女の宝具の力を信じよう」
「優曇華の秘薬を使わずに済めばよいのですが……、貴重ですし」
「笑えんぞ?」
「それは失礼を……」
 二人の男は軽口を叩き合いながら琥珀のように黄金の繭に包まれたフェイトの様子を見守り続けた――。



[8211] 魔法生徒ネギま! [第六章・麻帆良の日常編・partⅡ] 第三十一話『修行の始まり』
Name: 我武者羅◆cb6314d6 ID:87b1fc72
Date: 2010/06/21 16:37
魔法生徒ネギま! 第三十一話『修行の始まり』


 修学旅行から帰って来た日の夜、エヴァンジェリンは茶々丸に紅茶を淹れて貰いながら今後のネギ達の修行計画について考えていた。
 正直に言って、和美達がこちらの世界に踏み込んで来るのは気が進まない。万が一にも和美達まで弟子にする事になったらさすがに手が回らなくなる。それに、和美達は元の普通の生活に戻った方が良いと考えている。その方が幸せになれるだろうし、こちらとしても都合が良い。
 問題はあの魔導書だ。光輝の書(ゾーハル)、その名前は、コチラの世界ではかなり有名な魔導書だ。13世紀に突如発見された複数の小冊子の断章をラビ・モーゼス・デ・レオンが、2世紀の賢者であるシモン・バル=ヨハーイの名を借りて纏めたとされるカバラや原初人間、その他あらゆる神秘の記された最高峰の魔導書だ。
 貴重かつ危険過ぎる程に強大な力を持った魔導書。エヴァンジェリンも全てを知るわけではない。それ所か、知らない事の方が多過ぎる。
「そもそも、何故アイツ等はあんな物を持っているんだ?」
 それが一番分からない。アレは魔術サイド、教会サイドだけでなく、一般サイドとしても重要な書物だ。本来なら厳重な警護と強力な結界によって護られるべき物だ。だというのに、土御門を始め、アイゼンも詠春も誰もそれを取り上げようとしなかった。それも妙な話だ。あれだけ強力なマジックアイテムに関心を寄せない魔術師などありえない。エヴァンジェリン自身、和美達が手放せば自分の物としたいと考えている。
「訳が分からん。第一、魔導書に意思があるなど聞いた事がないぞ……。恐らく二次的なものだろうが…………」
 頭を抱えるエヴァンジェリンに、茶々丸がソッと紅茶のおかわりを差し出した。
「考え事も結構ですが、深みに嵌っては先に進めませんよ」
 クスリと笑みを浮かべる茶々丸に、エヴァンジェリンは溜息を吐いた。
「それはそうだが…………」
「心配ですね。もしかしたら、皆さんに災厄が降りかかるかもしれませんし」
「私は別にッ!!」
 恥しくなって怒鳴るが、茶々丸はクスクス笑いながら台所へ行ってしまった。
「ったく、アイツは変な所で…………」
 不貞腐れる様に頭を抱えながら机に頭を乗せる。だって仕方ないじゃないか、アイツに与えられた平穏を実感してしまった。自分がそこに居て当たり前だと思ってくれる奴等が居る。エヴァンジェリンが居るから笑顔を作る奴等が居る。
 アスナ達を弟子にして、テストの勉強をさせる様になってから、魔法先生との付き合いも広くなった。テストの成績が上がるのを喜び、最近ではちょくちょく飲み会に呼ばれている。周りに居る者も、自分を畏怖の目でなど見ない。ただ、通行人や、お客さんや、可愛いお嬢さん扱いが精々で、自分を鬼や悪魔と蔑む者は居ない。
 そんな平穏を壊したくないと思って何が悪い。分かってる。誰も悪いなんて言わない。茶々丸だって、自分のこの生活を祝福してくれているのが分かる。だから、照れ臭くなったのだ。
 生きているというナギ。もう、自分との雪の日の約束なんて覚えてないだろう。でも、今でもアイツを思うと胸が締め付けられる。それも仕方ない。だって、恋をしているから。この思いは、忘れたくない。
 アイツの隣には、もう見知らぬ誰かが居て、自分は眺めている事しか出来ないのだから、せめてアイツへの思いを残したい。だから、アイツの息子は幸せになれる様手助けしよう。そう決めた。友達と呼んでくれた皆が幸せになれる様に手助けしよう。そう決めた。
「だって、その方が楽しいじゃないか」
 皆が幸せそうに笑っているなら、自分もきっと幸せに違いない。なら、その幸せを満喫してやろう。
「とりあえず、アイツが戻って来た時にアッと言わせてやりたいな。うむ、あの小僧は中々見所がありそうだし…………」
 クククと不気味に笑みを浮かべるエヴァンジェリンに「私は何も見ていませんよ、マスター」と完璧なメイドである茶々丸は視線を逸らした。高笑いを続けるエヴァンジェリンの姿は、どう見ても危ない人だった――。

 それから一週間が瞬く間に過ぎ去った。その間、修学旅行の間に起きた事件が嘘だったみたいに平和な日々が続いていた。あまりにも色々な事が起き過ぎたから頭を冷やす時間が必要だとエヴァンジェリンが考えたからだ。
 和美、夕映、のどかの三人は自分達の将来の事について考えていた。突然知った、この世の裏に隠された真実について。魔法、陰陽術、異世界、お姫様、造物主、他にも沢山の事を一度に知り過ぎてしまった。
 京都から麻帆良に帰って来るまでの間に必死に考えを纏めようとした。命の危険がある世界なのだと分かっている。それでも憧れは捨てられない。男でも女でも一度は夢想する未知と怪奇に彩られた魔法という名の世界。箒に跨り、杖を振るって何でも出来る。目の前にはその力を得られる機会(チャンス)がある。
 麻帆良に到着した時は焦った。考えは纏っている筈も無く、安易に答えを出すわけにもいかないからだ。エヴァンジェリンは一週間だけ猶予を三人に与えた。直ぐに答えを強要すれば京都で起きた事件が心にどう作用するか分からなかったからだ。
 恐怖を覚えて逃げるのならば問題無い。だが、三人はただ命の危機に瀕したのではない。戦う力を得て、戦ってしまったのだ。そして、自分達の命を自分達の力だけで護ってしまった。
 ただでさえ、夕映とのどかは本が大好きな夢見がちの女子中学生なのだ。自分達の力で危機を切り抜けた高揚感を持ったまま選択を迫れば、人生を左右すると分かっていても安易に踏み込む選択をしてしまうだろう。
 一週間、和美は考え続けた。魔法は興味深い。世界の裏の真実を知りたい。貪欲な知識欲は踏み込む事を強く求めている。自分一人だったら、迷い無く踏み込むという決断を下しただろう。
 決意を固めてから何度も溜息を零した。一週間、考えて、考えて、考え抜いて…………引き返そうと決めた。夕映とのどかに自分の決断と理由を告げると、二人はかなり渋った。当然だと思う。何と言っても、魔法である。幻想的な非現実の世界の夢物語が今、目の前にあるのだ。
 誰もが一度ならず思い描くだろう、夢の様な世界に手が届くのだ。現実に退屈していた夕映も小説が好きで小説の中の世界を夢見続けているのどかもジャーナリストとして謎に挑戦したいと思う和美もこの生涯に二度と来ないだろうチャンスを逃したくなかった。
 それでも、と和美はその伸ばした手を引っ込めた。自分だけならいい。それなら、例え危険だろうと飛び込んで、特ダネをモノにする。だけど、今飛び込めば、もれなく夕映とのどかを巻き込んでしまう。それは駄目だ。
 あの日、あの時、あの場所で、紛れもない死を感じた。一歩間違えれば自分だけではなく、のどかや夕映まで死んでしまうかもしれない状況だった。
 そんな世界に、本が好きな優しい性格ののどかと夕映は踏み入れさせてはいけない。所詮、夢は夢なのだ。手が届かないからこそ美しい。だけど、指一つでも触れれば、それは現実となって押し寄せてくる。危険という名の現実が。それを、身を持って理解させられた。
 だから、和美は少し卑怯だったけど、自分の命が失われそうになって、光輝の書から力を受け取った時にどれほど苦しかったか、辛かったかを少し大袈裟に語って、無理矢理納得させた。また、自分にあんな痛くて嫌な思いをさせる気なのか? と――。そう言われれば、夕映ものどかも反論は出来なかった。自分が傷つくのは怖くないと断言出来ても、自分の為に誰かが辛い思いをするのは無理だった。浮かれていた熱が一気に冷めて、夕映は無口になったまま、俯き続けている。のどかは残念そうにしながらも、どこか安堵した表情を浮かべていた。
 実際、のどかは夕映程に執着は無かった。それほど現実に退屈をしているわけではないし、好奇心と同じくらいに恐怖心を抱いていたのだ。
 約束の日、エヴァンジェリンのログハウスに到着すると茶々丸が招き入れた。中ではエヴァンジェリンがソファーに座って待っていた。
「待っていたぞ。答えを聞こうか」
 対面のソファーに座ると、茶々丸が紅茶を運んで来た。
「どうぞ」
「ありがと、茶々丸さん」
「ありがとうございます」
「…………ありがとうです」
 三人がお礼を言うと、茶々丸はニッコリと微笑んで奥へ消えた。
 ちなみに、さよは人形なので飲めないから和美に抱っこされたまま羨ましそうにしている。
「それで、どうするんだ? このまま、魔術の世界へ入るのか、それとも――」
「引き返すよ、エヴァちゃん」
「ほぅ?」
 エヴァンジェリンは意外そうな顔をした。てっきり、特に考えずに魔術の世界へ入ると言うと思っていた。だから、説教の一つも考えていたのだ。
「私ね、魔術っていうのには興味あるよ。夕映とのどかだってね。魔法なんて、夢みたいだもん。だけど、夢は夢だから…………。魔術の世界は危ないって龍宮さん達も言ってたよね? それ、少しだけど分かってるつもり。だって、死ぬかもしれなかったんだもんね」
「そうか…………。懸命だし、偉いぞ」
「え……?」
 エヴァンジェリンに褒められて、和美は驚きながら頬を紅く染めた。なんだか、凄く気恥ずかしかった。
「好奇心に身を任せて、危険と分かっている場所に踏み込む。それを、殆どの人間は勇気ある行動だと勘違いする。本当は、引き返す事こそ勇気が必要なのにな」
 安堵と賞賛の笑みを浮かべるエヴァンジェリンに、のどかはどこか胸が痛んだ。
「エヴァンジェリンさん、ごめんなさい」
「ん? 何を謝るんだ?」
 のどかが頭を下げた事に眼を見開きながらエヴァンジェリンは尋ねた。
「私達は、戻ります。だけど、エヴァンジェリンさん達は戻れないんですよね?」
「ああ」
「だから、もしも私達に出来る事があったら何時でも言ってください!! 記憶を消してもらっても、エヴァンジェリンさんやネギちゃんに困った事があって、私達に何か出来るなら……私達絶対助けます!!」
 声が段々小さくなりながらも、言いたい事を言えたのどかは、顔を紅くして俯いた。なんだか恥しくなったのだ。だけど、言葉にした思いに間違いはなかった。うそはなかった。
 エヴァンジェリンは眼を見開いた。そして、溜息を吐いた。少しだけ、惜しいと思ってしまった。その考えを振り払いながら、エヴァンジェリンは笑みを浮かべた。
「ああ、ありがとうな。みや…………、いや、今だけはのどかと呼ばせてもらおう」
「ずっと、のどかでいいです」
 恥しそうにモジモジしながら言うのどかに、エヴァンジェリンはフッと笑みを漏らした。
「光輝の書(ゾーハル)を出してくれ。契約を解除する」
「はい。…………アデアット」
 のどかはカードをポケットから出して呪文を唱えた。
 すると、カードは光を放ち、虚空に一冊の輝く書物が浮かんだ。
『起動――完了。おはようございます、皆さん』
 光輝の書から女性の声が響いた。
「光輝の書。お前とのどかの契約を解除する。彼女達は引き返す道を選んだ」
 エヴァンジェリンは光輝の書に告げた。彼女達の決意を。
 だが――。
『不可能です』
「なに――ッ?」
 エヴァンジェリンは光輝の書の言葉に眼差しを鋭くした。
『契約の解除は不可能です。契約時にお話した通りです。光輝の書の安全装置の解除は現時点において不可能であり、条件が揃わない限り、設定の変更は出来ません。魔力の供給源に綾瀬夕映、光輝の書の所有権並びに使用権を宮崎のどかに、魔導書の魔術発現対象に朝倉和美がセットされています。この設定を変更するには、安全装置の解除が必要となります』
「なんだと……? ならば、その安全装置の解除の方法を教えろ!!」
 エヴァンジェリンは怒りを感じていた。和美達の決意を台無しにされるかもしれないのだ。
 そもそも、契約の解除が不可能だと知りながら契約を結ばせたのだとしたら冗談ではない。
『詳細不明。安全装置の解除の方法については、防御(プロテクト)が掛けられており、確認出来ません』
「なら、アスナのエクスカリバーで貴様を破壊するぞ。アレならば異能である限り、何であろうが破壊出来る筈――」
『不可能です』
「なんだ、命乞いか?」
『光輝の書の防衛プログラムの中にエクスカリバーの能力を防御する術式が存在します。また、無理に破壊を行おうとした場合、選別者が現れる可能性があります』
「エクスカリバーに対する防御術式があるだと!? 馬鹿を言うな、あんな反則技に対して――ッ!」
『存在します。ただし、術式の詳細を参照するには安全装置の解除が必要になります』
「…………忌々しい」
 恐らくは嘘ではないのだろう。試せば直ぐに分かるような嘘を吐くとは思えない。エヴァンジェリンは怒り心頭の声で言った。
「巫山戯るな!! 貴様、それが分かっていて契約させたのかッ!?」
 エヴァンジェリンの切羽詰った様な怒声に、さよとのどかが身を縮ませた。
『あの状況下に於いて、マスター達の命を護る為には他に方法がありませんでした』
「だからといってッ!?」
 エヴァンジェリンは歯噛みした。光輝の書との契約が切れない以上、和美達には危険が降りかかる。なにせ、貴重な魔導書だ。光輝の書を狙って、悪者に狙われる可能性は非常に高い。
『申し訳ありません』
 謝られてエヴァンジェリンは二の句を告げなかった。元々、悪いのは光輝の書では無い。
 最悪の事態に陥らなかっただけよしとするしかないのだ。
「エヴァちゃん…………」
「エヴァンジェリンさん…………」
「エヴァンジェリンさん…………」
 和美とのどか、さよが不安気な表情を浮かべ、夕映は俯いている。
 エヴァンジェリンは肩を落とした。
「すまんな。お前達はどうやら、戻れないらしい」
「…………そっか」
 和美は溜息を吐いた。なんだか肩透かしを喰らった気分だった。
「なら、仕方ないね」
「仕方ないって…………お前」
「覆らない事をとやかく言っても始まんないよ。なら、頑張らないとね。私が、二人を護るんだから」
「わ、私も和美さんと一緒にお二人を護ります!!」
 和美が肩を竦めながら言うと、さよがファイティングポーズをとりながら鼻息を荒くして言った。
「私も頑張ります!!」
「…………私も頑張るですよ。和美一人が背負い込む必要は無いのですよ」
 のどかも顔を赤くしながら叫んだ。すると、それまで俯いていた夕映が顔を上げて笑みを浮かべながら言った。どこか、唇の端が吊り上がり、愉悦を含んでいる笑みだったが、それに誰も気付く事は無かった。
 エヴァンジェリンは溜息を吐いた。切り替えの早さに呆れた様に笑みを浮かべる。
「実はお前達、コッチの世界に来たくて堪んなかったんだろ」
 エヴァンジェリンが言うと、分かり易く四人は肩をビクつかせた。
 エヴァンジェリンは大きく笑うと、言った。
「ああ、そうだな。仕方ない。グチグチ言っても始まらない。なら、お前達が自分で降りかかる火の粉を振り払える様に鍛えてやるさ。厳しいが、覚悟しろ」
 若干サディスティックな笑みを浮かべるエヴァンジェリンに、和美達は背筋をゾクッとさせながらも恐々と頷いた。

 翌日、エヴァンジェリンはネギ、アスナ、木乃香、刹那、夕映、のどか、和美、和美の肩に乗っているさよ、小太郎の九人を自宅に招いた。
「集まったな」
 テーブルを囲むように座っている客人達を一瞥してエヴァンジェリンは言った。
「まずは犬上小太郎」
「ん、なんですか?」
 突然声を掛けられて、小太郎はキョトンとした。
「これからお前はどうする。私の弟子になるか、それとも自己で鍛錬を積むか? 正直な話、お前の技は希少技能(レアスキル)だから専門外でな。操影術や影を使った魔術程度なら教えられるが…………」
 歯切れの悪いエヴァンジェリンの言葉に、小太郎は少し考えた。エヴァンジェリンについては聞いていた。最強の魔法使い。彼女を師事すれば、例え僅かでも自分の実力は確実に上がるだろう。
 狗神についても、組手の相手が居れば更に扱いが上手くなる筈だ。
「エヴァンジェリンさん。ワイはエヴァンジェリンさんの弟子になりたい。ワイは強くなりたいんや。お願いします!!」
 小太郎に頭を下げられながら、エヴァンジェリンは意外な顔をした。
「敬語は期待してなかったんだが…………。礼節は弁えている様だな。私もお前の能力には興味がある。まあ、殆どは組手や術の指南だけになるだろうが、それでもいいなら弟子になる事を許す」
「ありがとうございます!!」
「次、それぞれの修行のプランについて話すぞ。最初はアスナと刹那」
「はい!」
「ハイッ!」
「アスナはしばらくは過去の技能の引き出しに専念しろ。無極而太極斬は茶々丸が教えた技では無い。アレはお前が元々識っていた技だろう? 恐らくはお前専用の剣技が記憶の中にある筈だ。茶々丸と模擬戦をしながらそれを引き出せ。刹那は以前と同じ修行だ。ただし、無心になる修行は終了だ。代わりに、咸卦法の錬度を上げる修行をしろ。タカミチにコーチを頼んである。アスナもある程度の技術の引き出しが出来たら咸卦法の錬度を上げる修行を刹那と一緒にやれ」
 刹那はやはり無心になる修行は咸卦法を取得するものだったのか、と考えながら頷いた。
 アスナは少し物思いに耽っている様子だったが頷いた。
「木乃香と宮崎のどか、綾瀬夕映、朝倉和美の四人は座学がメインだ。講師が来る事になっている」
「講師?」
 木乃香が尋ねた。
「京都で会っただろ。土御門だ。しばらくはフェイト・フィディウス・アーウェルンクスの件で麻帆良に居るからその間、お前達に座学を教授してくれる事になった。正直、私一人ではお前達全員を教えるのは難しいのでな」
「土御門――ッ! エヴァちゃん、フェイトの事は……」
 アスナはフェイトとフェイトを連れて行った土御門の名前に顔を上げた。
「すまん……。奴の事に関しては聞いていない。今度、ここに来るから、その時に聞いてみろ」
「……うん」
 気落ちした様子のアスナにエヴァンジェリンは胸を痛めた。
 昨日、学園長に和美達の事を相談した時に学園長から土御門に話をつけてもらったのだ。だから実際にはエヴァンジェリンも会って話したわけではなかった。だが、学園長経由で聞いておけばよかったと後悔した。
「それと相坂さよ」
「ひゃ、ひゃい!」
 突然指名されて心臓をドキッとさせたさよは素っ頓狂な声を上げた。
「お前は土御門が霊能力について講義をしてくれるそうだ。お前にその気があれば、だそうだがな」
「霊能力……ですぅ?」
「ま、その辺の説明も明日土御門がしてくれるだろう。その時に決めればいい」
 さて、とエヴァンジェリンは小太郎とネギを見た。
「お前達は基本的には私と模擬戦をしてもらうぞ。厳しくするから覚悟しておけ」
「ウッス!」
「はい!」

 翌日、外は太陽の光が燦々と降り注いでいる。雲一つ無い青空が広がる。木乃香と和美、夕映、のどかはそんな日だというのに、エヴァンジェリンのログハウスの一室で延々と墨をすっていた。
「うう…………、これって魔法の修行なの~~?」
 和美が泣き言を言う。
「腕がパンパンやわ~」
 木乃香も腕がパンパンになってしまって眉を歪ませている。
「こ、これは本当に魔法使いの修行なんですか~~!?」
 のどかは早くも筋肉痛を起し始めていた。
「うう、我慢です。これも異能の力を得る代償と思えば……」
 夕映は只管自分自身を鼓舞しながら墨をすり続ける。
「麦茶持って来ましたよ」
 そこに、人形に入ったさよがトテトテと四人にキンキンに冷えた麦茶を運んで来た。その後ろには、現在四人にかれこれ二時間も墨を磨らせ続けている張本人、痛んだ金髪と青いサングラスがトレードマークの怪しい男が欠伸を噛み殺していた。
「文句言わずにやれ。何事も基礎を固めなけりゃ」
「基礎って言っても、これって何の為にやってるのよ~~っ!!」
 土御門の言葉に和美が頬を膨らませて抗議する。土御門は呆れた様に溜息を吐いた。
「何度も教えた筈だぜ? 俺が教えるのは陰陽術だ。陰陽術の基礎は符術だ。符を自分で作れる様になるのが最初の課題なんだ」
「だからって、こんな墨から磨らなくてもいいじゃん!!」
「墨汁を使ったらあかんの?」
「あかんのです。いいか? 墨を磨る作業は符を作る上で大切な事なんだ。墨を磨る時に。水の中に墨だけではなく、己の霊力をも溶かし込んでいるんだ。自分で作った符は他人の作った符よりも扱い易く強力になる」
 ちなみに、水は貴船神社から取り寄せた物で、墨は土御門が特別に用意した特注品だ。
「陰陽道はまず手を動かす事から始まる。終わったら、経文の複写だぞ」
 四人が悲鳴を上げる。文字の書き取りなんて聞いてない。魔法の修行だからワクワクしてたのに詐欺だ~~!! と和美は涙目だ。
「ネギっちやエヴァちゃんみたいに私も西洋魔法がいいよ~~!!」
 和美が文句を言うと、チッチッチと土御門は指を振った。
「そもそもだが、日本人に西洋魔法は向かない」
 土御門の言葉に、四人は不思議そうな顔をする。すると、土御門は少し待ってろ、と言って部屋を出た。すぐに戻ってくると、その手には一枚の写真があった。ジャングルの前に立つ虎の写真だ。
「分かり易く解説してやる。この写真は何だ?」
「…………森の前に虎が立ってるけど?」
 和美が首を傾げながら答えると、土御門は満足気に頷いた。
「一方、西洋人は虎の写真と答える。この違いはなんだか分かるか?」
「え、何か違うん?」
「大違いだ。おっと、さよちゃんは退屈だったら下に行っててもいいぜ?」
「いえ、ここで一緒に聞いてます」
「そうか」
 ちなみに、初めて土御門を見た時に和美は驚愕した。何せ、原宿でさよの人形をくれた男が目の前に現れたからだ。エヴァンジェリンが眼を見開いて問い詰めるが軽やかに交わして、四人を掻っ攫って行ってしまった。
「ミシガン大学のリチャード教授によれば、東洋の文化では調和が鍵になるのに対し、西洋の文化では物事を遂行する方法を見つける事にこそ重点が置かれ、他人にはあまり注意を払わないという」
「でも、ネギさんは皆の事をいつもちゃんと考えて――」
 のどかが思わず反論しようとすると、土御門が手で制した。
「これは根本的な考え方の違いだ。個人レベルになれば、西洋人だってちゃんと他人を思いやれるし、東洋人だって、人を蔑ろにしてしまえたりもする。そうだな、会社が良い例だ。日本の会社は年功序列。会社に貢献した時間の分だけ給料が貰える。逆に、アメリカなんかでは個人の能力に重点を置かれて給料は大きく変わる。まあ、今は日本でも年功序列は減ってるがな」
 肩を竦めて土御門は話を続けた。
「リチャード教授によれば、古代中国では農民が灌漑農業という方式を考え出したという。稲作農家では、互いに助け合って水を分け合い、誰も不正を働かないよう気を配る必要があったんだ。その一方で、西洋では古代ギリシャの時代に個人農園でブドウやオリーブを育てて、自分で売りさばく自営農家がたくさんあった。つまり、認識における違いは2000年以上前から存在していたという訳だ。これだけ根深い文化の違いはそう簡単には覆らないんだ」
 土御門はさよの持ってきた麦茶を口に含んだ。
「他にもこんな例がある。同じ水の中の写真を見た時に、西洋人は水の中で泳いでいた魚を最初に答えた。東洋人は最初に魚ではなく、水の色や流れの速さ、底の石について答えた。つまりな、個体を見るか、背景を見るかという違いだ。これを、魔法に置き換えてみると、西洋魔法は広がっている力を萃めて集中させるのに対して、陰陽術などの東洋魔術は内から外へ広げる様に働きかけるんだ」
 そう言うと、土御門は右手の人差し指を上げた。
「つまりだ。西洋魔法と東洋魔術は根本の考え方から違うという事なのさ。だから、お前達は東洋魔術を頑張った方がいいって事なんだぜぃ」
 土御門の話を聞いて、四人はへこんだ。根本的な文化の違いじゃどうしょうもない。大人しく墨を磨り続けた。はっきり言って面白くも何ともない地味な作業だ。腕は痛いし正座させられて足が痺れる。
 土御門はさよになにやら折り紙やお手玉の腕前を披露している。キャッキャと喜んでいるさよの姿も今は恨めしい。あ~~~とか、う~~~とか唸りながら、四人の貴重な休日は過ぎていくのだった――。

 それからも、毎日毎日やる事は大して変らなかった。ただ、墨を磨る時間は毎回一時間になり、経文や符を書く為に必要な文字の書き方の練習に時間を費やされた。殆ど、習字の勉強だった。
 洋服も、墨がつくからと翌日からはジャージになり、只管文字を書き続ける日々が過ぎていく。ちなみに、書き取りの時間が終わっても解放されない。終わったら今度は陰陽道についてや、魔法使いについて、その他魔法使いに関る歴史の勉強などだ。
 当初こそ、和美は食いついたが、歴史の勉強は常識として知っているのと大差無かった。精々、魔女狩りは異端狩りが発端だとか、実はあの有名人物は魔術師だったとか、あの事件の原因は魔法の事故だったとかだ。そんなの、新聞に書いても頭のおかしいオカルトマニア扱いされるのが精々だ。夕映だけは熱心に話を聞いて、一々メモを取っているが和美は早くも魔法使いの道から逃げたくなった。
「つまり、九字にも宗派によって微妙に変わる。真言宗なら臨、兵、闘、者、皆、陣、烈、在、前の順。意味は、『臨める兵、闘う者、皆 陣烈れて、前に在り』。天台宗ならこれが微妙に変化して臨、兵、闘、者、皆、陣、列、前、行となり、意味も『臨める兵、闘う者、皆陣列ねて、前を行く』と変わる……という事ですね?」
「正解だ、綾瀬。臨、兵、闘、者、皆、陣、烈、在、前を順に縦横に刀印で切れば、それだけで強力な障壁となる。通常、魔法使いの障壁は魔力を周囲に充満させて壁にするが、それよりも強力だ」
 右手で刀印を作って縦横に切りながら説明をする土御門。
「起源は道家にあるとされている。道教と言えば分かるか?」
 分からないと言えば、その説明も増えて、その上土御門は薀蓄好きな様でどこまでも派生し、酷い時は日付が変るまで帰してくれない。普賢三マ耶、大金剛輪、外獅子、内獅子、外縛、内縛、智拳、日輪、隠形の順に印を結び、木乃香達に繰り返し練習させる。何時間も何時間も、高速で印を結べるまで何度でも繰り返させる。指が痛くなっても、回復魔術を掛けられて再び繰り返させられる。そんな日々が続いていくのだった――。
 ちなみに、新田は四人の字がメキメキと上達した事に感激し、書道部に入らないか、と熱烈に勧誘してくる様になった。一度だけ書道のコンクールに応募した時、見事に四人は入賞して表彰された。賞状はそれぞれの部屋に飾られている――。

 和美達の事を殆ど土御門に任せているが、時折土御門に外せない用事があるとエヴァンジェリンが教鞭を取る事もある。その日、エヴァンジェリンは伊達眼鏡を掛けて黒板に幾つも板書していた。それらを木乃香とのどか、夕映、和美は熱心にノートに書き写している。
「魔法の属性には、陰と陽……つまり、闇と光がある。これを更に細分化すると五大要素や重力、影など多種多様な種類がある。これらの中で自分にあった属性を選び、それを極めていくのが常だ。自分にあった属性。即ち、優性属性は、本人の性格、環境、生い立ちなどが関係してくる」
 エヴァンジェリンは一呼吸空けて続けた。
「例えば、私の場合は基本は闇だ。女は基本的に闇の属性が多いな。更に私は氷の属性を得意としている。これは私の生い立ちと深く関っている。闇の眷属である女の吸血鬼だから闇、イングランドでも北の小国で生まれたから氷。安直だが、大方の魔術師はそうやって優性属性を持っているんだ。ネギの場合は父親が使っていたから風の属性」
「その優性属性はどうやって調べるのですか?」
 夕映が質問をする。
「基本的にはフィーリングで掴むものだ。使い易いと思う属性でいい」
 エヴァンジェリンは陰陽術に詳しくない。だからこうして当たり障りの無い範囲で教えている。

 一方、エヴァンジェリン邸から離れた森の中では絶え間無く二つの刃が激突していた。響き渡る金属音が周囲の森に響き渡って、枝で休んでいた鳥や獣を脅かしている。
 時刻は夕暮れを過ぎて、空は闇夜に沈む。静かな風の無い月明りの下で、二人の蹂躙者がぶつかり合っている。駆け抜ける景色。二人は凄まじい速度で森の中を移動しながら相手を屈服させんと動き続けている。
 アスナと刹那は互いに咸卦法によって自身を強化し、己の持つ技量の全てを用いて戦っている。エヴァンジェリンを除けば、互いに対敵している相手こそが仲間の内で最強だ。そして、互いに剣士であり、互いに究極技法を修めている。己の技量を更に高めるには、これ以上の相手は居ないのだ。
 アスナと刹那は各々の修行の後、タカミチに咸卦法のコーチをしてもらい、最後に咸卦法の錬度を上げ、同時に修行の成果を試す為に模擬戦を行うようにしていた。
 森の木々はざわざわと轟きだす。矢の様に駆ける二人のぶつかり合いはその衝撃だけで木々を薙ぎ倒し、大地を蹂躙する。邪魔になる障害は全てを蹴散らし、その王の剣を持って力で押そうとするアスナ。地形を把握し、あらゆる状況や物を利用し、その脈々と受け継がれてきた侍の至高の技術によって受け流す刹那。
 二人は全くの対称。剛の剣と柔の刀。西洋の剣と東洋の太刀。王の剣技と武士の剣術。全てが真逆の二人の剣は拮抗していた。と――、動きが止まった。
 アスナは力で押す自分の剣を全て受け流されながら、唇の端を吊り上げている。刹那もまた、悦びに嗤っている。獰猛な感情が激突する。だが、二人の心はどこまでも冷静だった。
 躯は熱く、心は冷たく。アスナは刹那の太刀の厄介さを改めて思い知っていた。夕凪。日本刀にしては長過ぎる為に、間合いを取るのが酷く難しい。それでも、アスナは再び刹那に向かい駆け出した。あまりにも違う剣士の戦いは、その刀身を輝かせながら再び舞い上がった。切っ先が交差し、幾度も振るわれる剣線、幾重もの太刀筋。弾ける様に火花を散らす二つの刃。
 踏み込もうとするアスナを、容易く防ぎ切る刹那。稲妻の如く疾く重い山吹色に輝くアスナの剣を、疾風の如き月の光を反射して銀に輝く刹那の太刀は、しなやかな軌跡を描き悉くを受け流す。
 アスナが隙をわずかにでも作れば、逃す事無く首を刎ね、心臓を突き、足を絶ち、腕を飛ばそうと刹那の刃が走る。直感と反射神経によって、一撃一撃を紙一重で躱しながら刹那へ踏む込もうとするアスナの直線的な剣線を曲線を描く様に薙ぎ払う。刹那の太刀が迫る度に、アスナは後退をさせられる。
 幾度も打ち合って分かった事は、刹那には構えが無いという事だ。否、あらゆる状態が必殺の構えなのだ。どんな体勢であっても必殺の剣に変貌する。神鳴流の技のヴァリエーションの多さに、アスナは呆れてしまう。
 アスナと刹那が本気でぶつかり合えば、勝利するのは百回やっても刹那が百回勝利する。魔法や陰陽術を使わなくても、奥義を封じても、空を自身の能力で飛ぶ事が出来る上に、剣士としての実力が上な刹那には、どうあっても勝つ事は出来ない。翼も封じてもらって漸く拮抗出来ている。
「ハッ――――!!」
 黄昏の如く黄金に輝く両刃の剣を振り下ろす。咸卦の力を持って振るわれるそれは正に雷。だが、音すらも置き去りにする刹那の太刀は風の如く正体を掴めずに逆にアスナに襲い掛かる。
「クゥ――っ」
 その、見る者全てに呼吸を忘れさせ、魅入らせる二人の剣戟は、ほぼ毎日の光景となっていた――。



[8211] 魔法生徒ネギま! [第六章・麻帆良の日常編・partⅡ] 第三十二話『ボーイ・ミーツ・ガール(Ⅰ)』
Name: 我武者羅◆cb6314d6 ID:87b1fc72
Date: 2010/07/30 05:50
魔法生徒ネギま! 第三十二話『ボーイ・ミーツ・ガール(Ⅰ)』


 学園都市の中には、いくつもの保育園、幼稚園、小学校、中学校、高等学校、大学に至るまでありとあらゆる子供の教育の場が集結している。洋服店や飲食店なども充実していて、大抵の物は揃うから、生徒達は殆どこの学園都市から出る事は無い。
 エヴァンジェリンが各々の修行について話した日の翌日、ネギは小太郎にそんな麻帆良学園内を案内していた。
「小太郎が正式に転入するのって、明日なんだよね?」
「せやで。一応、大方の準備は終わってんねんけど、今は学園都市内のビジネスホテル泊まりや」
「お友達、出来るといいね」
「あん? 別にええって。だちなんざ作らんでも――」
「そういうの、良くないよ。折角、学校に通うんだからさ」
「はいはい。分かりましたぁ」
「適当な返事だね」
「適当やからな」
「もぅ……」
「へへ」
 他愛の無い話をしながら、ネギと小太郎は学園都市を見て回った。広々とした商店街を見て回ったり、基本的に中等部のエリアを散策した。
「にしても、広い学校やなぁ」
 小太郎が半ば呆れた様に呟いた。二人が居るのは見晴台だ。ここは学園都市の中等部エリア全景を見る事が出来る。
「右手の方に住宅街と私やアスナさん達の住んでる寮があるの。小太郎の男子寮はそのずっと向こう」
 ネギは指を指しながら説明する。
「こっから丘の向こうまでが大学の施設や研究所があって、あそこが中等部と高等部の校舎だよ。商店街がヨーロッパみたいなのは、学園都市をつくる時に校舎に合わせたらしいよ。遠くに見えるのが図書館島と世界樹」
「とても回りきれへんなぁ」
 眼下に広がる入り組んだ複雑な町を見て、小太郎は苦笑いを浮かべた。
「私も未だこの中等部近辺しかよく分かってないんだよね……。前に和美さんに教えてもらった後に一度色々と見て回ったんだけど、美術館や音楽ホールに映画館なんかもあるんだよ」
 苦笑いを浮かべるネギ。
「無理ないで、こんだけ広いとな」
「次は――」
「あれぇ? ネギちゃんだ!!」
「え?」
 唐突に名を呼ばれて振り向くと、そこには手を振る鳴滝姉妹の姿があった。
「あ、鳴滝さん達だ。こんにちはー」
「こんにちはー」
「ちあ――っ!」
 ネギが挨拶をすると史伽と風香は元気良く返した。
「なんや? このちっこいの」
「なっ――!? いきなり初対面でちっこい言われたですよ、お姉ちゃん!?」
「なんと言う非常識なっ!?」
「あ……、悪い。つい、ポロッと」
 ガ――ッと怒る二人に小太郎は頭を下げて謝った。
「もうっ! この失礼な男の子は誰ですか!?」
 史伽がプンプンと怒る。
「ごめんなさい、風香さん、史伽さん。もうっ! 小太郎は口が悪過ぎるよ!!」
「あ、謝ったやんか!? ったく、ネチッこいやっちゃな」
「無法者だ!! 逆切れ民族だ!!」
 フンッと顔を背ける小太郎に風香がブスッとした表情で怒鳴った。
「もしかして、ネギちゃんのお友達ですか? お友達は考えた方がいいですよ?」
 サラリと毒を吐きながら言う史伽に、ネギはどう返そうか迷った。
「えっと、こちらは犬上小太郎君です。明日この学園に転入する事になって、今案内中なんです」
 ネギが小太郎を照会すると、風香が大声を上げた。
「思い出したよ!! この無法者は京都でネギちゃんとなんかいい雰囲気だった人だ!!」
「そうですよ!! うわっ…………麻帆良まで追い掛けてきたですか? ネギちゃん、ストーカーには気をつけた方が…………」
「誰がストーカーやねん!? お前の方が無法者やろ!!」
「でも、学園の案内ですか。ネギちゃんも学園に来て日は短いですし、よければお手伝いするですよ?」
「無視か!? スルーなんですか!?」
 変な標準語になりながら喚く小太郎を、史伽は完全に無視した。
「ネギちゃんも未だ詳しく分からないでしょ? 学園の案内ならボクら散歩部にお任せあれ!」
「散歩部…………ですか?」
「散歩する部やろ。意味不明な事しくさって、お前らに用は無いで。とっととどっか行けや」
 キョトンとするネギに、肩を竦めながら言うと、小太郎はシッシと追い払う様に史伽と風香に手を振った。折角二人っきりなのに邪魔をされて微妙にご機嫌斜めだった。
 すると、風香はチッチッチと舌を打ち、嘲る様に小太郎を見た。
「散歩競技は世界大会もある知る人ぞ知る超・ハードスポーツなんだよ!! プロの散歩選手は世界一を目指してしのぎを削って、散歩技術を競い合い…………、《|死の行進(デス・ハイク)》と呼ばれるサハラ横断耐久散歩では毎年死傷者が――ッ!!」
 ガーンとショックを受けるネギと小太郎。
「ス、スミマセン。散歩がそんなに恐ろしい事になってたなんて私も知りませんでした…………。何しろ田舎から来たもので…………」
「ば、馬鹿にしてすまんかった。デ…………デス・ハイクか。そんなに恐ろしいもんとは…………」
『な~んて、こんなバカ話をしながらまったりとブラブラするのが主な活動内容だけどね』
 心の中で舌を出しながら呟く風香に、史伽はあわあわと首を振った。
「駄目ですお姉ちゃん。信じてるです。純粋ですよ、この二人。ちょっと、自分の心の穢れが浮き彫りになっちゃうくらい、その嘘話信じてるですよ~~」
「嘘かいな!?」
「な、なんだ…………」
 安堵するネギと小太郎に、不満そうな顔をする風香の手を取りながら、史伽が二人を案内し始めた。最初に向かったのは中等部専用の総合体育館だ。広大な広さの体育館では、21もある様々な体育会系の部が青春の汗を流している。
「お、ヤッホーネギッ!! 史伽と風香も珍しいじゃん!!」
 四人が入ると、バスケットボールを片手に裕奈が近づいて来た。
「あ、裕奈!!」
 ネギが駆け寄ると、裕奈は抱きついて来た。
「ついに我がバスケ部に入る気になったー? 私はいつでも歓迎だよ~~!」
「ち、違うんです。今日は案内で――」
「案内~~?」
 んん~? と残念そうにしながら首を小太郎に向けた裕奈の表情は一変した。
「貴様はッ!!」
「貴様!?」
 いきなり貴様呼ばわりされた小太郎は驚いて眼を見開いた。
「覚えているぞ~~~!! このストーカーめ!! まさか、ここまで追い掛けて来るとは!? ええい、渡さない!! 絶対にお前みたいな男にネギは渡さないぞ!!」
 号泣しながらネギを抱きしめて小太郎から離そうとする裕奈に、小太郎はハァッ!? と切れた。
「いきなり何やねん!? 第一、ワイはアンタと初対面やで!?」
「違う!! 京都の豆腐屋で会ってるわ!! ええい、ネギを攫っていく魔の手め!! この場で退散させてくれるわ!!」
「わわっ!! ゆ、裕奈どうしたんですか!?」
「気を確り持つです裕奈!!」
「殿中でゴザルよ、裕奈殿」
 飛び掛ろうとする裕奈を必死に押し留めるネギと史伽。すると、別の声が上から降りてきて、裕奈の体をヒョイッと持ち上げた。
「離して楓!! この男はここでッ!!」
「楓さん!?」
 そこに立っていたのは、背の高い細めの少女だった。楓はコチョコチョと裕奈を擽らせると、ゼェゼェと息を荒くする裕奈を尻目にこっちでゴザル、と四人を引き連れて外に出た。戸惑いながら前を歩く楓を見つめているネギに、小太郎は息を呑んだ表情で呟いた。
「ネギ、あの姉ちゃん――」
「楓さんの事?」
「楓言うんか……。かなり強いな」
「ほう、分かるでゴザルか?」
 すると、何時の間にか背後に回っていた楓が後ろから声を掛けて来た。
「え? さっきまであそこにッ!?」
「ニンニン、そっちの貴殿は見えてた様でゴザルな」
「隠密か…………?」
「ニンニン、何の事でゴザルか?」
 表情の読めない笑みを浮かべる楓は小太郎に軽く自己紹介をすると、自分も案内すると申し出た。
「史伽と風香がサッパリ帰って来ないでゴザルから、心配になったのでゴザルよ」
「ごめんね楓」
「ごめんなさいです」
「いやいや、友の為ならば文句はゴザらん!! 拙者も是非にご同行をお許し願いたい」
 そんなこんなで五人になった一行は再び歩き出した。今度は屋内プールへとやって来た。
 ちょうど、水の中から見知った人物が出て来た。
「アキラさん!!」
「あ、ネギちゃん。こんにちは。どうしたんだい?」
 アキラは後輩からタオルを受け取って髪を拭きながら近づいて来た。シットリとした肌とへばりつく髪が何ともいえない色気を発していて、史伽と風香はムムムと警戒した。
「…………あ、その子は」
 史伽と風香の様子に首を傾げると、アキラは小太郎に気がついた。ネギが簡単に説明すると、アキラは自己紹介をして小太郎に握手を求めた。
「犬上小太郎や。よろしく頼むで」
「うん。よろしく」
「つまんないのー。小太郎の奴、アキラの水着に動じないとは」
 唇を尖らせながら呟く風香に、楓は快活に笑った。それから、屋外の運動エリアを見て回った。
「屋外の運動エリアは人が多過ぎて、いっつもコートの争奪戦で大変なのでゴザルよ」
 楓が説明すると、チア部の三人が練習していた。邪魔をしてもなんだからと、遠目に眺めていると、チラチラと真っ白な下着がチラついた。
「エロガキー」
「エロエロですーっ!」
 小太郎にいやらしい笑みを浮かべながら大喜びで言うと、小太郎は真顔だった。
「は?」
「え? いや、女の子の下着見てるです…………?」
「エ、エロエロなのだぁ?」
「何言ってるんや? あんなん見たくらいで…………」
 小太郎が怪訝な顔で返すと、史伽と風香はコソコソと相談した。
「も、もしかして女の人に興奮出来ない人ですか!?」
「そ、その説濃厚だよ!! アレに興奮しない男は居ないって!!」
「でも、それだとネギちゃん可哀想です!!」
「よぉし、ちょっと確認してみよう!!」
「何してるんですか?」
 ネギが二人でコソコソする二人に心配そうに声を掛けると、次の瞬間に風が舞った。ヒラリと翻るチェックのスカート。風香がネギのスカートを捲った。
「ブッ!?」
 見えてしまった可愛らしい白の下着に、小太郎は鼻血を出してそのまま倒れてしまった。
「傷は浅いでゴザルよ、小太郎」
 どこかの映画のワンシーンみたいな台詞を言う楓の傍らで、ネギの真っ赤な顔になって硬直していた。ただ、スカートを押えながらプルプルと振るえて俯いている。
「お、お姉ちゃん。何て事を…………」
 顔を背ける史伽。
「へへ、良かったねネギ!! ちゃんと小太郎は女の子に興味あッ――」
 顔を背けた史伽は、どうして風香の言葉が途中で消えたのか分からなかった。ただ、ネギがギロリとした眼つきで風香の隣に立っていて、風香はガタガタと震えていた。
 それから、気を取り直して楓がスイーツを食べに行こうと提案した。気絶したショックで記憶が消えてしまった小太郎は、どうしてか真っ赤な顔で自分を見ようとしないネギに当惑していた。
「食堂棟は、地下から屋上まで全部飲食店なのです」
「小太郎の奢りだよー」
「何やと!?」
 ちょっと待てい!! と叫ぶ小太郎を置いて、史伽と風香はネギをカフェテリアに連れ込み、楓が後を追った。慌てて追い掛ける小太郎は財布を確認しながら項垂れた。
「あ――、このマンゴープリンおいしー!!」
「今月の新作です――」
「おいしい。このチョコレートパフェ凄く美味しいですよ」
「良かったでゴザルな、ネギ殿」
「そうだ!」
「?」
 チョコレートパフェを食べる手を休めて、ネギは楓に向き直った。
「改めて、先日はありがとうございました。それと…………ご迷惑をおかけして――」
 そこまで言うと、ネギの口を楓が人差し指で押えた。
「それ以上は無しでゴザル。拙者は当然の事をしたまで。迷惑なんて感じてないでゴザル。お礼は受け取るでゴザルが、ネギ殿が謝る事では無いでゴザルよ。もし困った事があれば何時でも言って欲しいでゴザル。困った時はお互い様。助け合うが友でゴザル故な」
「…………はい!!」
 ネギは楓の言葉に目から鱗が落ちる気分だった。自分もこういう人になりたいと思った。
 まさしく、大人の雰囲気という感じのものが楓にはあった。微妙に何人かに対して失礼ではあったが――。
「それじゃあ、これでお開きでゴザルな」
「え~~、もっと回りたいよ!!」
「未だ早いですよ!!」
 史伽と風香が不満を言うが、楓は散歩部の活動が残ってるでゴザルよ~、と言って二人を引き摺って行ってしまった。残されたネギと小太郎は微妙に気まずい雰囲気が流れていた。
 小太郎は、何故か視線を合わそうとしないネギに戸惑い、ネギは自分がどうして小太郎と顔を合わせられないのか不思議だった。ただ、顔が熱くなって、小太郎の顔を見ると、涙が滲んでしまうのだ。
 同姓に見られただけなのに…………。ネギは何かを紛らわせるかの様にプリンやケーキを注文して食べた。
「ちょっ!? 加減してくれ!! ワイの財布は有限なんやで!?」
 だが、小太郎の願いは虚しい結果に終わった。財布の中身はすっからかんになってしまった――。

 お店から出ると、陽は完全に傾いてしまっていた。
「あ~~、ワイの今月の小遣いが一瞬で~~」
 魂の抜け掛けている小太郎はよろよろとネギに引き摺られる様に歩かされていた。空は茜色に染まり始めている。
「どこに行くんや?」
 中等部の裏山を只管登りながら小太郎は尋ねた。
「とっておきの場所だよ」
 ネギは顔を向けずに言った。
「とっておき…………?」
 小太郎が首を傾げると、唐突に広い場所に出た。
「あ…………」
 小太郎は眼を見開いた。そこに立っているのは、巨大な樹木だった。
「これは…………、どっからでも見えるあの樹か?」
「そうだよ。私達は世界樹って呼んでるの」
 ネギは周囲に誰も居ない事を確認して、小太郎を連れて世界樹の枝に登った。
「観て」
「――――ッ!!」
 言葉も出なかった。夕陽に染まる麻帆良の英国調の町並みが、恐ろしい程に幻想的で、芸術などに疎い小太郎でもその美しさに見惚れてしまった。
「小太郎」
 ネギは小さく息を吸うと、勇気を振り絞って小太郎を見つめた。ニッコリと笑みを浮かべると、嘗て、同じ場所で自分が言われた言葉を口にする。
「ようこそ、麻帆良学園へ!」
 小太郎は見惚れてしまった。夕陽に照らされるネギの姿に。
 喉を鳴らして、麻痺した様に動かない体を少しずつ動かしていく。
「ああ――。来たで、麻帆良学園」
 茜色の空の下で、二人は陽が完全に暮れるまでそこで街の景色を眺めていた――。

 小太郎が麻帆良学園に入学して数日が経過した。ネギは小太郎と修行場で一緒に修行をしていた。
「いくよ――ッ!」
「来い、ネギ!!」
「ラス・テル マ・スキル マギステル!! 風精召喚、剣を執る戦友!! 捕まえて!!」
 ネギが呪文を唱えると、ネギの杖から十数人のネギの姿を象った風の精霊が飛び出した。小太郎はヘッと笑みを浮かべ、捕縛しようと迫る風の精霊を避ける。
「そんなんじゃ、ワイは捕まらへんで!!」
「この~~~!!」
 ネギは風の精霊を操って、小太郎を何とか捕まえようとするが、小太郎はすばしっこく攻撃を回避する。ネギと小太郎のやっている修行は、ネギが魔法を放って小太郎にヒットさせる事が出来ればネギの勝ち。
 時間が来るまで、ネギの魔法を避け切る事が出来れば小太郎の勝ちというルールの修行だ。小太郎があまりにも素早いので、ネギの魔法は中々あたらない。
「それならッ!! ラス・テル マ・スキル マギステル!! 氷の精霊七十七頭、集い来たりて敵を切り裂け!! サギタ・マギカ、連弾・氷の七十七矢!!」
「氷かッ! 厄介やけど――、んなもんッ!!」
 降り注ぐ氷の魔弾を悉く避けながら余裕の笑みを見せる小太郎に、ネギはニヤッと笑みを浮かべて詠唱を続けた。
「ラス・テル マ・スキル マギステル!! 光の精霊百九十九柱、集い来たりて敵を敵を射て!! サギタ・マギカ、光の百九十九矢!!」
 今度はスピードの速い光の魔弾がさっきよりも多く縦横無尽に降り注ぐ。挑戦的な笑みを浮かべて避けようとした小太郎は、ツルッと滑ってしまった。
「しまっ――!! さっきの氷の魔弾はこのためか!?」
 小太郎の足元はさっきの氷の魔弾で薄っすらと氷結して滑りやすくなっていた。小太郎に降り注ぐ光の魔弾は威力が抑えてあったが、それでも小太郎の顔は腫れあがった。
「痛っつ――――ッ」
 煙が晴れて、小太郎の顔が腫れ上がってるのを見て、ネギは勝利の喜びが一気に冷めてしまった。小太郎に駆け寄ると、エヴァンジェリンに貰った魔法発動体のエヴァンジェリン特製指輪を小太郎の顔に近づけた。
「ラス・テル マ・スキル マギステル、汝が為に、ユピテル王の恩寵あれ “治癒”」
 温かい光が小太郎を包み込んだ。まだ、軽度の負傷しか治せないが、今の小太郎の状態なら十分だった。
「ごめんね、小太郎。つい調子に乗っちゃって…………」
「あほか、こういう修行なんやから、一々謝んな。それより、今回は負けたけど、今度はそうは行かへんで」
 ニッと笑みを浮かべてサムズアップする小太郎に、ネギはうん! と頷いた。
「っしゃ、もう一回やろうぜ」
「うん!」
 再び、ネギが小太郎から離れると、パンパンという乾いた音が響いた。エヴァンジェリンだ。
「エヴァンジェリンさん、どうしたんですか?」
「何や? エヴァンジェリンさん」
 小太郎とネギがエヴァンジェリンに近寄ると、エヴァンジェリンが言った。
「ネギ、お前の詠唱は遅過ぎる。それと、前に教えた無詠唱呪文を織り交ぜろ。小太郎は、もっと状況判断力をつけろ。地形を把握するのは基本だぞ」
「はい!!」
 二人が元気良く返事を返すと、エヴァンジェリンは満足気に頷いた。
「後、もう2セットやれ。それで、今日の分は終わりにしろ。ネギ、お前は詠唱を練習して、詠唱時間の短縮をしろ。宿題だ。それと、小太郎は来週に土御門が連れて行きたい場所があるとか言っていた。詳しい話は奴に聞いておけ」
「はい!!」
「よろしい。それと、ネギにだけ少し話がある。小太郎は少し離れていろ」
「…………了解や」
 小太郎が離れて狗神を出しているのを確認すると、エヴァンジェリンはネギに一枚のカードを手渡した。不思議な模様が刻まれたカードだった。
「それは、簡易的な仮契約用の魔法陣を起動させる事が出来る」
「か、仮契約ですか…………?」
「お前と、小太郎のためのな」
「なっ――!?」
 ネギは思わず赤面して固まってしまった。
「私は、別に強制はしないぞ。仮契約をすれば、小太郎の戦闘の幅が広がるし、お前が必要な時に呼び出す事も出来る。だが、肝心なのはお前の気持ちだ」
「私の…………気持ち?」
「そうだ。お前が、小太郎を必要だと思うなら、お前が切り出せ。護って貰いたいと思うなら。アイツの事を特別だと思うなら――な」
「特別…………ですか?」
「今は別に分からなくてもいい。だが、私はあの小僧をかっている。お前が何であれ、お前がアイツを特別だと思ったなら、私は祝福し、応援してやる」
「エヴァンジェリンさん…………?」
 キョトンとするネギを置いて、エヴァンジェリンはからからと笑いながら去ってしまった。
「命短し恋せよ乙女。ま、アイツが帰って来た時にアイツらがくっ付いてたら、アイツはどんな顔をするのやら」
 クスクスと微笑を洩らしながら、エヴァンジェリンはログハウスへと消えた。残されたネギは、カードを見つめると、ボッと顔を赤くし、慌ててポケットに仕舞い込んだ。小太郎に駆け寄り、修行を始めた――。
「そういや、今ちょい部活探してんやけど、明日暇か?」
「ふえ?」
 若干、気が逸れていたネギは小太郎に声を駆けられてビクッとした。
「…………だから、部活や」
「部活…………。私は部活に入ってないから――」
「なら、明日一緒に回らへんか?」
「いいけど…………。小太郎は、何か見てみたい部活ってあるの?」
「せやな~。とりあえず、強い奴がおる格闘技系がええな」
「格闘技系?」
「せや。アスナの姉ちゃんや刹那の姉ちゃんも強いんやけど、剣士やからな」
 小太郎は肩を竦めた。
「うん、わかった。幾つか心辺りがあるから、一緒に回ろう」
「おう!」
 二人は身支度を整えると、一緒に途中まで帰宅した。

 翌日、約束どおりにネギと小太郎は二人で部活巡りをしていた。
「ところでさ、どうして友達と回らないの?」
 ネギが尋ねると、小太郎はあわてて誤魔化す様に先を急いだ。到着したのは武術系の部活が集まっている体育館だ。ここには、剣道場や柔道場、他にも合気道や中武研、他にも何故かダンス部などまである。かなり大きな場所で、ビルの様に高い。
「いろんな部活があるね。最初は何処行く?」
「片っ端から見てこうぜ!!」
 小太郎はそう言うと、さっさと手近な扉の中に飛び込んだ。そこは剣道場だった。
 中では、部活動中の刹那が後輩に指導を行っていた。
「次、斜め素振り五十!!」
「はい!!」
 道場に刹那の声が轟き、後輩達が大声で返事をして天井が吹き飛びそうだった。三年生は後輩達から離れて型を練習しているらしい。刹那は剣道着を着て、後輩達の練習を見て回っている。と、刹那の視界にネギと小太郎が映った。
「狭山さん、ちょっとお願いします」
 刹那はすぐ近くに居た少女に練習の監督を任せると、ネギと小太郎の所に駆け寄った。
「ネギさんに小太郎。どうしたんですか?」
「その……、練習中にすみません。小太郎が色々と部活見学したいと言うので」
「せや。結構な部員の数やな」
 キョロキョロ剣道場を眺める小太郎に、刹那は少し思案した。
「なら、少し練習に参加してみるか? 剣は使える?」
「ん? ちょっとは習ったけど、殆ど使った事あらへんで?」
「うん、少しお前の実力を見ておきたいと思っていたんだ。どうだ?」
「構へんで?」
「よし、なら――。ちょっと待っててくれ。ネギさんは休んでて下さいね」
 ネギに微笑むと、刹那は剣道場の控え室へ消えてしまった。周りの剣道部の少女や少年達が物珍しそうにネギと小太郎を見ている。
 普段無表情で冷たい雰囲気の刹那が微笑みを見せた事に驚いているのだ。しばらくすると、刹那が小さなバッグとコップを持ってきた。
「ネギさん、ジュースをどうぞ。それと、小太郎はコレに着替えろ。私のだが、お前なら丁度いいんじゃないか?」
 そう言って、刹那は自分の胴着の替えを小太郎に渡した。
「洗って、一回しか使っていないのだから我慢してくれ」
「ええけど……。てか、ええんか?」
 さすがに、刹那が着ていた胴着を着るのは気が引けた。
「別に構わない。それより、さっさと着替えろ」
「ここでか!?」
「恥しがるな。男だろ?」
「せやけど…………」
 チラリと小太郎はネギを見る。キョトンとするネギに向こう向いてろ、と言って、小太郎はさっさと着替えた。
 周りで、刹那の胴着に袖を通す小太郎を射殺さんばかりの眼力が向けられるが、素人の殺気だったから無視した。
「よっし、準備完了。どや? ネギ」
「うん、とっても似合ってるよ」
「さよか」
 ニシシと笑う小太郎に、刹那が竹刀を手渡す。
「型は気にしなくていい。お前の好きな方法で掛かって来い」
「おうよ!」
 刹那と小太郎がネギの座るベンチの前の試合場で構えると、剣道場中の剣道部員達が集まりだした。刹那は剣道部の部長であり、高等部や大学の剣道部の人にも引けを取らない。というより、負けなしで、刹那がこういう部活動の時間に誰かと稽古ではなく試合をするのは本当に稀なのだ。
 小太郎を睨んでいた男達も、刹那の剣捌きを見学しようと試合場の周りに正座している。
「よし、何時でも掛かって来い!」
「おう!! であっ!!」
 瞬間、小太郎は一瞬で刹那の目の前に移動すると、竹刀を横薙ぎに振るった。乾いた音が響き渡る。刹那が小太郎の竹刀を捌いたのだ。そして、背中を向けている小太郎に竹刀を振るう。
「っとお!!」
 が、小太郎も負けずに回転しつつ竹刀でガードする。
「ほぅ――ッ」
 刹那は感嘆し、流れる動作で次々に打ち込んで行く。小太郎はそれらを殆ど直感にも近い感覚で防御する。
「面――――ッ!」
「ウオッ!?」
 と、凄まじい速度の竹刀が眼前に迫り、堪らずに小太郎は全身のバネを使って回避した。刹那に顔を向けると、刹那は直ぐ目の前に迫っていた。
「な…………めんなっ!!」
 小太郎は右手だけで竹刀を振るうと、刹那の“逆胴”を一瞬だけ止め、回避した。
「痛――ッ! クソッ!! やるやないか!!」
「さすがだな。剣の腕は未熟もいい所だが、“心眼”は中々のものだ」
「あん? なんやそれ?」
「経験と推論による、攻撃の予測の事だ。加減しているとはいえ、お前の眼で追えない死角に追えない速度で打ち込んでいるんだがな」
「ヘッ!! 舐めてっと、痛い目にあうで!!」
「クッ、舐めているつもりは無いんだがな」
 苦笑を洩らしながら、刹那は小太郎の乱雑な竹刀を捌く。小太郎の“心眼”と刹那の“心眼”では、刹那が圧倒的だ。だが、剣道の型に限定して動き、動きを制限している刹那は乱雑な小太郎の剣を捌くのは少し難しい筈だ。それを、見事に躱し切る刹那の技量はまさしく達人級だ。
 周囲の部員達も息を呑んでいる。嵐の如く責め続ける小太郎の猛攻撃を、刹那は巧みに捌く。
 両者の実力の違いは歴然だった。それでも、小太郎の身体能力とそれを維持し続けるスタミナに、殆どの者が驚嘆している。そして、決着は呆気なく着いた。
 刹那がフッと息を吐いた瞬間、小太郎は額に竹刀の尖端を当てられていた。
「参った。やっぱ、敵へんな」
「いや、中々やるじゃないか。どうする? 剣道部に入るなら、剣の道をミッチリと仕込んでやるが?」
「やめとく。ワイには合わんわ」
「そうか。お前なら、四階の中武研と六階のダンス部に行ってみるといい。中武研は古菲が部長をやっているんだが、お前には拳法が合うだろう」
「サンキュー。っと、胴着はどうすればええんや?」
「ベンチに置いといてくれ。後で片付ける。中々、楽しかった。今度、またやろう」
「アンタとまともに打ち合えるんはアスナの姉ちゃんくらいやで」
「あの方は別格だ。剣に限って、私が前を行くだけでな」
「せやな」
 肩を竦める刹那に、小太郎は苦笑いを浮かべるとさっさと制服に着替えた。
「ほなな~」
「刹那さん、また後で! 今日は木乃香さんとイタリア料理に挑戦する予定ですから」
「おお、それは楽しみです。では、ネギさん。また」
「はい!」
 ネギと小太郎が手を振って剣道場から出ると、刹那は元通りの無表情になって練習を再開させた。部員達は戸惑いながらも、刹那の剣技を見る事が出来て気合を入れ直した。
 目標を見つめ直す機会となり、部員達の眼の色が変わって、刹那はニヤリと誰にも気付かれない様に笑みを浮かべた。
『最近、弛んでいたからな。小太郎には感謝しないと』

 刹那に言われて、ネギと小太郎はエレベーターで四階に上がった。エレベーターを降りると、すぐ前に中国武術研究会と書かれた看板の掲げられた扉があった。
 ネギがゆっくりと押し開くと、中は道場のようだった。広い空間の中には人がまばらにしか居ない。練習をしている人達は不思議そうにチラチラとネギと小太郎を見るが、直ぐに練習を再開する。
 ネギはキョロキョロと道場を眺め回す。と、少し離れた所で背中を向けて練習をしている古菲を見つけた。ネギが声を掛けようか迷っていると、ネギが視線を向けた僅かな気の流れを感じて、古菲は振り向いた。
「アイヤー、どうしたアルか、ネギがこんな所に来るなんて」
 ネギに手を振りながら近寄ってくる。すると、スッと小太郎が前に出た。古菲も立ち止まった。
 ネギは古菲に挨拶しようとして、身動きが取れなくなった。柔和な雰囲気が、既に一欠けらも残っていなかった。全身が警戒している。視線を厳しくし、鋭く小太郎が古菲を睨みながら口を開いた。
「ネギ、誰や? あの姉ちゃん」
 視線を外さずに小太郎が尋ねる。
「古菲さんだよ。中武研の部長なの」
 小太郎に話しかけられて、ようやく金縛りから解放されたネギが答える。すると、古菲がニヤリと笑みを浮かべて近寄って来た。
「ネギがここに来るなんて初めてアルな。部に入るアルか? ネギなら大歓迎アル」
 何時も通りの普通の言葉の筈なのに、周囲の空気がコルタールの様に重く圧し掛かる気がして息が苦しくなる。あまりの苦しさに返事が出来ず、何時の間にかジリジリと後ろにさがっていた。
「ちゃうちゃう。ワイが部活入りたいから、見学に付き合ってもらってるんや」
 代わりに小太郎が答える。小太郎から放たれる気配も尋常ではなかった。小太郎と古菲がジッと見つめ合っている。まるで、これから決闘でもするかの様に、お互いに間合いを計り、タイミングを待っている様だった。
「そうアルか。名前は?」
「犬上小太郎や」
 何が切欠になって、この均衡が崩れるか分からない気がした。時間の経過が酷くゆるやかに感じられる。と、唐突にその重苦しさが消えて無くなった。
「ネギ、決めたで。ワイはここに入る!! って、何へたってるんや?」
「ほえ?」
 ネギはいつのまにかその場でへたりこんでいた。不思議そうな顔をして覗き込む小太郎を恨みがまし気にムゥッと睨んでネギは何とか立ち上がる。
「一体何なのさ」
 二人の行動の意味が分からずにネギが不満そうに尋ねる。
「戦いは勝つ以上に重要な事があるネ」
 すると、後ろの扉から超が入って来た。超も中武研の部員なのだ。胴着に着替えている超がネギに解説する。
「それは……?」
「生き残る事ネ。その為に重要なのは、相手の力量を見極める事ヨ。二人は今、お互いの実力を測り合っていたネ」
「でも、さっき刹那さんと試合をしたんですけど、その時はこんな風には――」
「そりゃ、刹那の姉ちゃんの力量はとっくに知っとるからな。せやけど、この姉ちゃんはマジで強いで」
「少し照れるアルよ。しかし、小太郎と言ったアルな? お前も中々やるアルな。入部するなら歓迎するアルよ」
 互いを賞賛し合う古菲と小太郎にネギは少し居心地が悪くなった。
「じゃ、じゃあ、小太郎。私は戻るね。頑張って」
「え? おい、ちょっと待っ――!」
 小太郎が呼び止めるのを無視してネギは出て行ってしまった。
「なんやアイツ…………」
「乙女心は複雑ネ。それより、入部届けを持ってくるヨ。それまで、古菲に稽古をつけてもらうといいネ。後で、部員が集まったら紹介するからネ」
 そう言うと、超は準備室に消えて、小太郎は小さく溜息を吐くと古菲と稽古を始めた。

 その頃、部室から出たネギは、自分でもよく分からないモヤモヤを抱えながら、何となく刹那の言っていたもう一つの部活を見てみる事にした。小太郎は、中武研だけを見て決めてしまったが、刹那が勧めるのだから、それなりの部活なのだろうと考えて。
 六階に上がると、中武研の時と同じ様に直ぐ近くに部室への扉があった。ゆっくり中を覗き込んでみる。
「あれれ~? 貴女、部員じゃないよね? どうしたの? 誰かに用事?」
 威勢の良い、軽快な音楽が流れるステージの上で踊っていたネギと同じくらいの背の少女が舞台から飛び降りてネギの下に駆け寄って来た。
 しゃらんしゃらんという音が響くのは、彼女のシューズに大きな鈴が付いているからだ。彼女がステップを踏む度に綺麗な音色を奏でている。
 部室の中には大きなステージが真ん中にある。その周りで、一握りの少女達が練習を行いつつ、ネギの方を見ている。
「えっと、その…………部活の……見学に」
 注目されて、しどろもどろになりながら言うと、褐色の肌の少女は、左右に縛った白銀の髪を揺らしながら、んん~? と首を傾げた。
「部活見学~? こんな時期に~?」
 少女がキョトンとしながら首を傾げる。
「その、私は転校生で…………」
「ああ、思い出した!! 去年度の三学期に転校してきた子だよね? 名前は…………なんだっけ」
「ネギです。ネギ・スプリングフィールド」
「そっか~、ネギちゃんか~。ネギちゃんは未だ部活に入ってなかったんだね。なら、ダンス部に入るつもりなの?」
「それは…………、未だ決めてないというか…………」
「ふんふん。大丈夫だよ。ちゃんと説明してあげるから」
「あの……、やっぱり私――」
 本当は小太郎に内容を教えてあげるつもりで見学に来たのだが、このままだと自分が入部させられそうだと感じ、帰ると切り出そうとすると、その切っ先を制して、少女はネギを引っ張って準備室へと連れ込んだ。
「へへぇ、去年度に全体の九割占めてた三年生が高等部に上がっちゃってさ。一年生は一人も入ってくれないし、三年生と二年生だけで十人しか居ないんだよ。こんなに広い部室なのにね。だから、ネギちゃんが入ってくれるなら大歓迎だよ!」
「あの、でも、私は三年生ですし――」
 ネギが何とか断る糸口を見つけようと言うが、少女は首を振った。
「問題無い無い!! もうすぐ文化祭でしょ? それまでに少しでも踊りを覚えてくれればいいよ。私がちゃんと教えてあげるからさ!」
「あ、ありがとう……ございます」
 いよいよ弱ってしまった。既に目の前の少女はネギを入れる気満々になってしまっている。無理に断るのは悪いだろうし、そもそも見学に来ておいて問答無用に断ったら完全にただの冷やかしになってしまう。かといって、上手い断り方など分からない。
 ネギは頭を抱えたくなった。とりあえず、最初の目的だけでも果たそうと口を開く。
「その…………、えっと?」
「ああ、私? 私はね~、キャロライン・マクラウド。キャロって呼んでよ」
「あ、はい」
「んん~、ネギちゃんは同い年なんだよ? なら、その硬い口調どうにかならない? なんだか、肩こっちゃうよ~」
「ごめんなさい。えっと、じゃあキャロちゃん」
「な~に? ネギちゃん」
 何だかネギは気恥さを感じた。少し頬を赤く染め、ネギはキャロに尋ねた。
「その、どうしてダンス部は武術系の体育館にある……の?」
「う~ん。この部がダンス部になる前はね、日本舞踊研究会って名前だったの。だけど、あんまり人が集まらないから、色々な踊りを取り入れる事にしたの。それで、何時の間にか日本舞踊じゃないからって、ダンス部に改めたらしいんだけど…………。でね、最初に部が作られた目的が、踊りの中にある武術を見出すっていうコンセプトだったの」
「踊りの中に…………武術ですか?」
「そ、例えば『棒の手』。棒術や薙刀術、剣術なんかを起源にしているの。他にも、格闘技なんかの動きを取り入れてるダンスもあるしね。今でも、ダンスは魅せる武術っていうコンセプトが残ってて、文化祭で格闘技の大会に出場する事もあるんだよ~。相手を幻惑させて勝利するの」
「相手を幻惑させて――」
「うん。そういうダンスもあるの。私が練習してるのもソレの一種だよ。他にも、普通の魅せる目的のダンスも練習してるけどね。ネギちゃんは、どういうのを習いたい?」
「えっと、私は……」
「うんうん」
 キャロの眼を見ると、ネギは更に断れなくなってしまった。瞳をキラキラと輝かせるキャロに、ネギは渋々答えた。
「じゃ、じゃあ、キャロちゃんと同じので……」
「オッケー!! なら、ミッチリ教えてあげるよ! 待ってて!」

「――で、入部しちゃった訳ね」
 アスナが台所で準備しているお皿から勝手に真鯛のカルパッチョを摘み食いしながら呆れた様に言った。
「アスナさん、摘み食い止めて下さい。すぐ出来るんですから」
「うっ……。なんかネギが冷たいよ木乃香~」
 手についたカルパッチョのソースを舐め取りながら、アスナはショボンとしながら木乃香に擦り寄った。
「ア・ス・ナ~? もう直ぐ夕食出来るんやから、大人しくリビングで待ってよ~な~」
「木乃香まで~~!? うう、グレちゃうぞ~~」
 泣きべそをかきながらアスナが出て行くと、木乃香は小さく息を吐いた。
「せやけど、ネギちゃんも断る時はちゃんと言わなアカンで? 部活は賛成やけど――」
 木乃香がパスタを茹でながら言うと、ネギは真鯛を捌きながら項垂れた。
「なんだか断れなくて…………」
「まぁ、入部したんやったら、ちゃんと続けなアカンで?」
「それはまぁ。キャロちゃんも良い人みたいですし、面白そうではあるので」
「さよか。でも、ネギちゃんの踊りか~。ちょっと、文化祭が楽しみやな」
「六月でしたよね?」
「せやで。クラスでももうすぐ出し物決めとかがある筈や。日程はちゃんと確認するんやで?」
「はい!」

 翌日――、エヴァンジェリンにダンス部への入部の事を話すと、エヴァンジェリンは心底呆れた様な眼でネギを見た。
「お前…………、流されて入部ってのはむしろ失礼だぞ。まあ、部活動をするのは構わんが、文化祭まで日も少ないし練習が大変だろう。そうだな、ダンス部なら部の練習を優先しろ」
「え? でも…………」
 エヴァンジェリンの言葉に眼を見開くネギ。
「いや、ダンス部というのは中々悪く無いぞ。ダンスってのは、戦いにも応用出来るし、舞踊魔術なんてのもあるしな。ふむ、ちょっと資料を漁ってみるか」
 顎に手を置いて首をわずかに上に向けて唸るエヴァンジェリン。
「お前は魔力は十分だしな。制御も出来てきている。問題は詠唱時間なんだが…………、これは日常でも練習可能だ。早口言葉とかで練習しとけ。後は部活に集中していいぞ」
「わかりました」
「うむ。だが、やるからには確りな! 文化祭でお前の晴れ姿を期待しているぞ。ふむ、茶々丸にビデオとか用意させないとな――」
「エヴァンジェリンさん……?」
「デジカメも買って、それから…………」
 ネギは話を聞いてくれないエヴァンジェリンに溜息を吐いた。
 人前で踊るのなんて恥しいから、何としても断るつもりなのに、と。



[8211] 魔法生徒ネギま! [第六章・麻帆良の日常編・partⅡ] 第三十三話『暗闇パニック』
Name: 我武者羅◆cb6314d6 ID:87b1fc72
Date: 2010/06/21 19:11
魔法生徒ネギま! 第三十三話『暗闇パニック』


 その日、ネギは始めての部活の練習をする為に体育館にやって来た。念の為に体育着を持って来たのだが――今、ネギは桃色の浴衣の様なコスチュームを着ている。シャランと先の尖がっている桃色のシューズに付いた鈴が綺麗な音色を響かせる。腰に巻いた真紅の帯はとても長くて地面にくっつきそうだ。
 髪が乱れない様に左右をピンで留められた。最近は腰まで伸びた真紅の髪の首から下に伸びている部分を幾つもの三つ編みにした。
「うん! 可愛いよ、ネギちゃん!」
「そ、そうかな?」
 ネギを着替えさせたキャロは自分の仕立てにご満悦だった。ネギが入部して僅か一晩でコスチュームを仕立ててしまったのだ。
『ていっても、私のコスチュームの一つをちょっと改造しただけだけどね~』
 ネギが自分の格好に戸惑っていると、キャロが姿身を運んで来た。
「じゃじゃ~ん!! 踊り娘ネギちゃん完成だよ!! って言っても、コレから先、衣装も自分で作れる様になって貰うからね。最低、衣装を五つは着こなしてもらうからそのつもりで!」
「い、五つも!?」
「そう! 舞台に上がったら一着そのままで躍るなんてナンセンス! 汗だって掻いちゃうから気持ち悪いし、一回の音楽の度に衣装はその音楽に合ったのに変えるんだからね?」
「は、はい……」
「元気が無いよ! 返事ははい……じゃなくて、はい!」
「は、はい!」
「結構!」
 それから、ネギの初めての部活の練習が始まった。基本的にキャロがステップを見せて、その動きをネギがなぞるというものだった。練習が始まって二時間程度経つと、最初はネギが動きをすぐに覚える事に喜色を浮かべていたキャロだったが、今は難しい顔をしている。
「ねえ、ネギちゃん」
「は、はい!」
 キャロの硬い声に体を強張らせる。キャロは腰に手を当てて、厳しい眼差しで言った。
「ダンスっていうのはね、魅せるものなの。私の動きをそのまま真似するだけじゃ駄目なんだよ。ただ、私の動きをなぞるだけじゃなくて、ちゃんと、自分がどう動いたら、お客さんに良く見てもらえるかな? って考えながら動かなきゃ」
「ごめんなさい……」
 ネギがシュンとなると、キャロは首を振った。
「謝らなくていいの。ただね、私はダンスに誇りを持ってる。だから、教えるからには厳しくなっちゃう」
 と、キャロはニッコリと魅力的な笑みを浮かべた。
「けどね。それ以上に、ネギちゃんと一緒に舞台の上に上がるのが楽しみなの。だから、ね? 楽しもう」
「楽しむ……?」
「そ、ダンスは見ている方も躍っている方も楽しまなきゃ。そうだね、良く見られる様にっていうのは難しいよね。なら、まずはネギちゃん自身が躍る事を楽しめる様にしよ。私の動きはただのお手本だから、その後は、ネギちゃんが音楽に合わせて自由に動いていいんだよ」
「自由に……。はい!」
 基本的なステップだけを念頭に入れて、ネギはキャロが持ってきたCDコンポから流れる軽快な音楽を聴きながら何とか動こうとした…………が。
「全然駄目~~」
 音楽に合わせようとすると頭の中がグチャグチャになって、ステップが完全に頭から消えてしまった。キャロに駄目だしを受けてネギは少しへこんだ。と、唐突に誰かに肩を叩かれた。
 誰だろうと首を向けると、そこにはフェイスペイントをした金髪に褐色の肌の少女が立っていた。
「あ、ザジちゃん!」
「ザジさん!? どうして、ここに?」
「え? ネギちゃん、ザジちゃんのお友達なの?」
 そこに立っていたのは同じクラスのザジ・レイニーディだった。
「ネギ、クラスメイト。始め、皆、素人。頑張って」
 初めて聞いたザジの声はとても優しかった。そのままザジはよく分からない黒い変な生き物を連れて部屋の奥に居る黒いマントを着て何かを歌いながら躍っていた金髪の女性と何かを話し始めた。お礼を言いそびれてウジウジしているネギにキャロが肩をポンポンと叩いた。
「後で皆がそろったら紹介するから、その時にでもお礼を言えばいいよ。大事なのは気持ちなんだし」
「はい!」
「そういう時は、うん! だよ?」
「あ、うん!」
 不器用なネギに苦笑しながら言うキャロの言葉に、ネギは確りと頷いた。
「ザジさんって、ダンス部だったんだね」
「え? 違うよ~。ザジちゃんは~、麻帆良曲芸部なの。けど~、最近ウチも曲芸部も部員が急に少なくなっちゃったから、一緒に活動する事が多いの。学際でもね、ナイトメア・サーカスっていう催し物をやるんだ~」
「ナイトメア……サーカス?」
「うん。私とあそこに居るレンゲちゃんも参加するんだよ~」
 キャロはザジと話している金髪の黒いマントを羽織った女性を指差して言った。キャロとネギが見ているのに気がついたのか、レンゲは微笑みながら手を振り替えした。吃驚するくらい綺麗な女性で、思わずネギは見蕩れてしまった。
「レンゲちゃんはお歌がすっごく上手なの。歌いながら優雅に躍るレンゲちゃんを見てるとね、ちょっと自信喪失しちゃうんだよね~」
 ニャハハと笑いながらキャロは言った。ネギは改めてレンゲを見つめる。遠目にも分かるほど綺麗な金髪だった。
「ちなみにレンゲちゃんはハーフなの。お母さんは舞台女優で結構有名なんだよ~」
 キャロが何故か自慢気に言う。
「んじゃ、他の子は後で改めて紹介するから、練習再開だよ」
「う、うん!」
 それから、部室に人が集まりだすまでネギはキャロのステップを真似ながら自己流というものを考えた。結果は無残なものだったが、キャロはむしろ最初の物真似よりも全然良いと褒めた。
 だが、腰に伸びる紅い帯が地面を擦らない様にしなくてはならず、動きの邪魔になっても拙い。見栄えを悪くしてもいけない、と言われてネギは困り果てた。どうしても、帯を上手く操れないのだ。
「だからね、帯をフワフワっとさせるの! こうだよ~!」
 キャロが何度もお手本を見せるのだが、どうしてもフワフワと帯が浮かんでくれない。そうしている内に練習時間は終了した。部員達が各々の練習を終えて集まりだす。
「それじゃ~、皆! 今日から入部したニューフェイスを紹介するよ~!」
 昨日は女性だけだったが、今日は数人の男性が混じっていた。
「名前はネギちゃん! 去年度の三学期に転入してきたばっかりなの。皆、仲良くしてあげてね!」
 キャロが言うと、最初にレンゲがニッコリと微笑みながらネギに手を差し伸べた。ネギが慌てて握り返すと、レンゲは更に笑みを深めた。
「よろしくお願いしますね。私はレンゲ・ジル・アメンドーラです。キャロラインと同じ3年C組に在籍してます」
「よ、よろしくお願いします! ネギ・スプリングフィールドです。3年A組に在籍してます!」
 まるで鈴の音の様に美しい声だった。緊張しながら自己紹介を返すと、レンゲは魅力的な微笑を見せてネギから離れた。彼女は薄っすらと化粧をしていて、甘い香りが漂っていた。
 それから、紫の髪をアフロにしている枯れ木の様に細長い一昔前のバンドミュージシャンの様な少年が続き、部員の少年少女達とネギは次々に挨拶を交わした。最後の一人に挨拶を済ませると、その日は体育館近くにあるガーデン・レストランでネギの歓迎会が行われた。
 歓迎会の事を聞いていなかったネギはひたすら恐縮してしまい、アスナ達に連絡を忘れて帰った後にこっ酷く叱られた。

 数日後、翌日からゴールデンウィークに入ろうとしている日、基本的に土日以外はそれぞれの任意で練習を行うダンス部も部員達がそれぞれ帰省したり、旅行に行くので休みとなった。
 キャロも国に一時帰国するという事で、ネギはゴールデンウィーク中は自主訓練をする様言われた。アスナと刹那の部活も休みになっていて、二人で修行を行っているし、木乃香と和美、のどか、夕映は土御門の陰陽術教室でグッタリしている。誰かに練習を付き合って貰おうと思っていたのだが、修行の邪魔は出来ない。
 困り果てたネギは、小太郎の部活動の様子はどうかな? と様子を見に行く事にした。ついでに部活が終わったら練習に付き合ってもらうつもりだった。何時も通りに授業後に体育館に向かって、四階でエレベーターを降りると、中武研の部活の扉を潜った。
 中には人が疎らにしか居なかったが、各々で準備運動をしていた。ネギが入って来ると、古菲と小太郎が目を丸くした。
「どうしたアルか?」
「何か用か?」
 腕のストレッチをしながら尋ねる二人に、ネギは何だか後悔しながら頷いた。よく考えてみれば、修行の邪魔をするのもいただけないが、部活の邪魔をするのも完全にアウトだろう。
「ちょっと、小太郎が部活でどうかなって、気になって…………」
 それで謝って帰ろうとすると、古菲が面白がる様に許可を出した。
「部活の見学程度なら構わないアルよ」
「ありがとうございます。古菲さん」
 ネギがお礼を言うと、古菲はニッコリと笑みを浮かべた。小太郎は微妙に顔を赤くしながら不満そうな表情を浮かべたが、ネギから顔を背けて準備運動を再開させた。小太郎の様子に怒らせてしまったかと重い、ネギは微妙に落ち込んだ。
 中武研の練習は、最初に一通りの型を古菲が見せ、それを部員達が真似をしていた。古菲はそのまま部員の人と組み手をし始めた。小太郎の方を見てみると、最初は一つ一つの型の手応えを確かめるようにゆっくりと正確になぞる。全ての型を真似し終えると、今度は少し速度を速めて同じ動きをした。その後も、どんどん速度を早くしていく。
 滑らかな動きで速度を上げていくと、今度は型の順番を変えて試している。最終的には、毎回違う順番に滑らかに、そして早く、手を休めずに技を繋いだ。汗を流しながら、真剣な表情で稽古をしている小太郎の姿を、ネギはただボゥッと見つめた。
「凄い体力だね……」
「そっか?」
 稽古が終わると、ネギの座っているベンチにやって来ると、ネギはタオルを手渡しながら言った。かなり汗を掻いているが、小太郎はケロリとした表情で笑った。
 魔力を使えばどうにかなるかもしれないが、小太郎は気を使ってない。同じ条件なら、自分ならとてもじゃないが無理だとネギは感嘆した。
「ま、戦いの中で体力切れなんざ笑えないしな」
 手渡されたタオルで汗を拭いながら言う。けど、小太郎と同じメニューをこなしている部員で最後までついてこれていたのは古菲と一部の屈強な部員だけだった。と、突然小太郎が上着を脱いだ。
「にゃ!?」
「っと、どしたんや?」
 突然、変な声を出すネギに小太郎は怪訝な顔をした。
「べ、別に…………」
「しっかし、道着がこもるさかい、汗ダラダラや」
 脇や背中の汗も拭うと、小太郎は再び上着を身に着けた。見慣れている筈の男の子の裸だというのに、ネギには全く別の生き物の様に思えた。自分が男の子の時と比べて、幼い肢体ながらもわずかに筋肉があるのが分かるし、汗のほのかな匂いが胸を熱くさせた。と、古菲が二人の近くに歩いて来た。
「小太郎、今日も最後の私との仕合アル」
「最後の仕合?」
 ネギが尋ねる。
「ああ、ワイと古菲の姉ちゃんで一日の最後に真剣勝負をするんや。ま、今んとこは全敗やけどな」
「いつか勝てる気アルか?」
「当然!」
 挑戦的な小太郎の瞳に、古菲はホゥッと感嘆の息を吐いた。そして、フッと笑みを浮かべた。
「強い男は好きアルよ。もし、私に勝てたら婿にしてやるアル」
「は、言って――」
「…………え?」
「ろ! ……って、ん?」
「はれ?」
 二人が睨み合い、牽制し合いながら軽口を叩いていると、誰かの悲しそうな声が耳に響いた。
 顔を向けると、ネギがハッとなって縮こまった。
「ご、ごめんなさい……」
 顔を赤くして小さくなるネギに、小太郎は顔を青褪めさせた。
「ちょまッ!! ちゃ、ちゃうで!? 今のはほんの軽口で――ッ!!」
「私は本気アルよ~」
 ニヤニヤしながら言う古菲に小太郎はわなわな震えながら言い返そうと振り向く。
「く、古菲さんは優しいし良い人だよ! この前も、皆の為に頑張ってくれたし!! だから……その……、古菲さんが本気なら、ちゃんと……応えてあげなきゃ…………」
 最後の方はもはや呟いているかの様に声が小さくなってしまったが、小太郎の耳にははっきりと入り、頭の中が真っ白になった。ギギギと錆びた人形の様に首を回し、拳を握り締める。
「ワイに恨みでもあんのかッ!?」
 ガーッと怒鳴ると、古菲は小さく溜息を吐いた。
「強い男が好きなのは本当アルよ。小太郎、お前なら私を越えられるかもしれないアル。私は、私を超える猛者を求めているアルよ! いくアル!」
「チッ――!尊敬はすっけど、そういうのは違うやろうが!」
 お互いに睨み合いながら礼をする。が、礼をしている最中すらも肌が痺れる様な緊張感が漂う。一瞬の隙がそのまま勝敗を結する。礼の最中すらもそれは例外でない気がした。
 周囲で二人の仕合いを真剣な表情で部員達が見ている。二人の戦いは、まるで流れる演舞の様だった。技の移行にすら隙が無い。それは、刹那の剣技と同じ様だった。だが、やはり小太郎は未熟な様で、しまった! と思った瞬間に打ち込まれて敗北した。
「さすがに……強いな」
「私を超える日を楽しみにしてるアル。私は女だから、ある程度以上にはなれないアルよ。私を超えた男に、私自身と私の夢を託したいのアル。小太郎、もっと頑張って欲しいアルよ」
「だからッ!!」
「未だ、未来は分からないアルよ」
 ニッと笑みを浮かべる古菲は、先に準備室の更衣室へと消えていった。
「なんやねん…………」
 小太郎がポツリと呟くと、後ろから超がククッと笑いながら歩いて来た。
「そう、未来は不変では無いネ。人生とは、選択肢の連続であり、その選択の一つ一つが未来を無数に分岐させていく」
「あん?」
「超さん……?」
 突然、意味の分からない事を言い出した超に小太郎とネギは目を白黒させた。
「古は達人ヨ。あの若さであそこまで武を修められる人間はそう居ないネ。でも、古は女の子ヨ。成長期が終われば、頂が見えてしまうネ。中国拳法を極めた古だからこそ、自分の限界が来る事に恐怖を感じてるネ。それ以上、先へ行けない恐怖を」
「んなもんッ!!」
「未だ中学三年生。だけど、女の子の成長期は平均で十六歳で終わってしまうネ。今の古の身長では、これ以上身長が伸びる事を期待するのは難しいネ」
「せ、せやかて…………。何も、諦めるみたいな事言わんでも……」
 超の言葉は残酷だった。気を修得すればそれでも高みにいけるんじゃないか? そうも思ったが、実際は変わらない。気で身体能力を向上しても、それは同程度の気を扱える者と戦う時でしか意味が無い。気が自分の方が弱ければ、技術は意味を為さないし、自分が強ければ、技術は不要だ。武術は力ではなく技術なのだ。体の柔軟性やリーチにこそ意味がある。気でリーチを伸ばす事など出来ないし、気で剣を作ったり、放出系の技を放ったりするのは、もはや別の技術だ。柔軟性は強化出来るだろうが、既に必要なだけの柔軟性がある以上、意味が無い。だからこそ、“武術”の高みを目指すなら、身長は壁となってしまうのだ。
「女性である以上、筋肉もつき難くなってしまう。女性は、子を産み、育て、愛を注ぐネ。だから、夢を託せる男を探しているヨ。自分の夢である、武術の極みへ到達する夢を」
「…………わかんねぇよ。んなもん……。男だから、女だからって……。大体、ワイは未だ全然古菲の姉ちゃんに勝てへんのに……」
「でも、古は遠く無い日に小太郎が自分を打ち負かすと確信してるヨ。それは、小太郎にはあって、古には無いものがあるからネ」
「んだよ……それ――」
「戦闘経験ネ。命を懸けた戦い。その経験値は古が持てない特別なものヨ。当たり前ネ。普通の日本の中学生が、命懸けの戦いなんて、経験するのは本当に稀ヨ」
 超の言葉に、小太郎は舌を打った。
「古菲の姉ちゃんと戦うのは試合や。殺し合いと試合は完全に別物や。試合って土俵で技を磨いとる姉ちゃんとワイじゃ、姉ちゃんの方が強いやろ」
「違わないネ。要は、密度の問題ヨ。相手が自分を殺そうとする相手と戦うのと、自分を殺そうとはしない相手と戦うのでは、圧倒的に前者の方が密度が濃いネ」
「けど…………」
 納得出来ないでいる小太郎に、超はクスッと笑った。
「未だ、小太郎には早かったネ。そろそろ着替えた方がいいヨ」
「あ、ああ……」
 難しい顔をしながら更衣室へ向かう小太郎。小太郎の背中を見つめながら複雑そうな顔をするネギに、超は言った。
「私が言いたいのは、古は本気ってことヨ」
「え……?」
 ネギは目を丸くした。どうして、そんな事を自分に言うのか。
 小太郎に話していた筈なのに、超の瞳はネギを真っ直ぐに捉えていた。首を動かした気配は無かった。最初から、超はネギに話していたのだ。
「ネギ、人生は選択肢の連続ネ。自分の思いを貫くのに、一番大きな障害となるのはいつも自分自身ヨ。自分の心こそが、常に一番の敵ネ。この言葉を、よく覚えておいて欲しいネ」
 真剣な表情の超に、ネギはただ素直に頷く事しか出来なかった。超はニコリと笑い、ネギに再び声を掛けると更衣室へ去って行った。当惑したまま、ネギは小太郎が戻って来ると、一緒に体育館を出た。
「ったく、意味分からんわ。あれでワイが勝った時に女だから負けた……とか言い出したらマジで軽蔑するで」
 忌々しそうに小太郎は顔を歪めた。超の言葉が頭に残って苛立ちを解消出来ないでいるのだ。
「一番の敵は自分自身……。どういう事なんだろ…………」
 ネギも、超の言葉が頭に引っ掛かって離れなかった。不意に、図書館島を囲む湖の先から夕陽が伸びて、小太郎の顔が照らし出された。赤く染まったその顔に、ネギは思わず息を呑んだ。
 胸の奥がムズムズとして、ネギはその感覚に戸惑い、小太郎の顔から眼を離して先を歩いた。
「そういや、明日からゴールデンウィークか」
「そ、そうだね……」
「そういや、土御門に明日、呼び出されとるんやった……。マジ、めんどいで」
「朝、早いの?」
「夜明け前に起きろとか言われとる……。マジ勘弁や……」
 項垂れる小太郎に、ネギは苦笑いを浮かべた。
「その……、頑張って!」
「……おう!」
 ネギが声を掛けると、小太郎はニカッと笑った。力強く頷き、分かれ道に着いて別れた。
 ダンスの練習を見てもらおうとしていた事を忘れていたのを思い出したのは寮に着いてからだった――。

 翌日、ゴールデンウィークに入った最初の日、まだ陽も昇っていない時間に、小太郎は和美とさよと共に土御門に連れられて、麻帆良学園にある山の奥地へとやって来た。三人ともどうしてここに連れて来られたのかは聞いていない。
 そもそも、小太郎と和美はあまり接点が無い。三人が戸惑いながら、眠い眼を擦り土御門の後ろを歩いていると、険しい山道を抜けて、やがて広い敷地に出た。巨大な洞窟があるのが見える以外は特に何も無い。洞窟の手前まで来て土御門は立ち止まった。
「犬上小太郎、朝倉和美。お前達には、これから試練を受けてもらう」
「試練……?」
 折角の連休なのにと不満に思いながら和美が首を傾げると、土御門は険しい顔で頷いた。
「見ていろ。オン ハンドマダラ アボキャジャヤニ ソロ ソロ ソワカ!!」
 土御門が胸元で印を結び呪文を唱えると、突然土御門の目の前の空間に光の靄が発生し、そこから一匹の細長い獣が現れた。漆黒の毛皮を纏う気味の悪い生き物だった。和美は思わずあまりの気持ちの悪さに後ずさった。
「これは俺の式だ。一応、コイツも霊体だからな。見ていろ――」
 不意に、土御門の雰囲気が変貌した。土御門が右手を掲げると、土御門の式が光を放ち始めた。やがて、青白い光球となって、土御門の掲げた右手の上にフヨフヨと浮かんだ。
 土御門は左手に小さな白い石粒の様なモノを持って、右手の上に持っていき、光球の中に入れた。すると、光球は急激に膨らみ徐々に巨大な獣の形を形成した。
「な、何コレ~~~~!?」
「あ、ああ…………」
 和美は目の前に現れた見上げる程巨大な獣に目を丸くした。小太郎は言葉も出ない。
「狐の骨を媒介とした、憑依術式の高等術式【憑依兵装(オートマティスム)】だ」
「んな馬鹿な!? こんな憑依兵装なんざ聞いた事あらへんでッ!?」
「憑依兵装を極めれば、この様に霊の力を限界以上に引き出す事が可能という事だ。小太郎、和美。小太郎は狗神で、和美はさよでこれが出来る様になってもらう」
「んなッ!?」
「はいッ!?」
「ほえッ!?」
 小太郎と和美、さよが三者三様なリアクションをする。
「何も、いきなり出来る様になれとは言わない。これから、じっくり時間を掛けて完成させる。ここまで来る事が出来れば、お前達は憑依術式だけではなく、陰陽師や狗神使いとしても大幅にレベルアップする筈だ」
「強くなれる――?」
 小太郎は目の色を変えた。
「ああ、お前達がここまで出来る様になった暁には、素敵なプレゼントをやる。どうだ?」
「やる!! ワイはやるで!! 強くなれるなら――ッ!!」
 小太郎が血気盛んに叫ぶが、和美は眉を顰めていた。
「強くなれるのは嬉しいけど――、さよちゃんを戦いに巻き込むのは…………」
 和美の言葉に、さよは首を振った。
「いいえ!! 和美さん、私は和美さんを助けられるなら何でもします!! 私は、和美さんに返しきれない程の恩があるんです!! ずっと、ずっと孤独だった私をこうして人形とはいえ、皆さんと一緒に居られる様にしてくれたのは和美さんです!! 私でお役に立てるなら、お願いします!!」
 さよの必死な言葉に、和美は目を丸くした。
「さよちゃん。でも……」
「お願いします、和美さん!!」
 さよは和美の腕から降りて、地面に降り立つと地面に頭を擦り付けて懇願した。和美は、京都で自分やのどか達を救う為に命を投げ出そうとした。さよは、もう和美にそんな事をさせたくなかった。だけど、自分の力の無さを知っていた。歯痒く感じていたのだ。
 薄っすらとした希望とはいえ、もしも自分が和美の力になれるなら、何としても力になりたい。さよは万感の思いを篭めて頭を下げ続けた。
「や、やめてよ、さよちゃん!! 分かってよ!! 私はさよちゃんに危ない事なんてさせたくないんだよ!?」
「そんなの私だって同じです!! でも、それでも和美さんは危険でも頑張ってるんでしょ!? なのに、何も出来ないなんて嫌なんです!!」
 それがどういった仕組みなのかは分からない。さよの人形の瞳から止め処ない涙が溢れ出した。和美も泣きたくなった。戦いになんて巻き込ませたくない。それなのに分かってくれない。そんな涙を見せられても困ってしまう。止めてよ、と和美は心の中で叫んだ。
 そして、さよに戦いで役に立てると希望を見出させてしまった土御門を射殺さんばかりに睨みつけた。だが、土御門は柳に風といった感じに受け流し、肩を竦めた。
「勘違いしてるぞ」
「勘違い……?」
 和美が戸惑い気に聞き返す。
「別に、さよちゃんに戦わせろなんて言ってない。俺がお前にこの修行をさせる目的は二つ。一つは、お前の実力を上げる事。もう一つはな、さよちゃんを人形を媒介に人間の姿で具現化させてやれる様にする事なんだ。はっきり言って、さよちゃんじゃ、戦闘で憑依兵装にしても…………あー、脅威にはならない」
 土御門は最後の方だけ言葉を濁したが、さよはショックを受けたようにへたり込んでしまった。
「かといって――ッ!!」
 その様子を見て、土御門は堪らずに大声で言った。
「役に立たない訳じゃない。例えば、和美が足を怪我した時、何らかの原因で動けなくなった時、傍に居るさよちゃんを具現化させれば、和美を助ける事も出来る。それに、憑依術式は心の在り方や強さが重要なんだ。魔力や気力も重要だが、霊を従えたり、力を引き出すのは心だ。そして、霊にとっても同じ事が言える」
「霊にとっても――ですか?」
「そうだ。霊もまた成長出来るんだ。心を強くすれば、霊格が上がって、もしかしたら、戦いの中でも和美を助ける事が出来るかもしれない。それらを決めるのは、心だ」
「心を強く――。そうすれば…………」
「さよちゃん――」
 和美は思わず瞳が潤んでしまった。さよの気持ちが嬉しかったのだ。
「ごめん。さよちゃんの気持ちを無視して。でもね、さよちゃんを危ない目に合わせたくない。だから、一緒に強くなろう! どんな相手を前にしても、一緒に笑っていられるくらいに!!」
「はい!!」
 和美がさよを抱き締める。その光景を見て、小太郎はポツリと言った。
「敵を前に笑ってるって、そうとう酷い絵面な気がするけどな――」
「それは言わないでおいた方がいいぜ」
 それから、土御門は三人を洞窟のすぐ近くを流れる川の上流へと連れ出した。しばらく歩くと、大きな滝が姿を現した。凄まじい音が轟き、真っ白な靄が漂っている。
「まさか――」
 和美と小太郎は心底嫌な予感がした。
「まずは禊だ。白い袴に着替えて一時間滝に打たれろ」
 二人は予想通りの展開にガックリした。白い袴を着て、二人は水辺で立ち尽くした。
「なんでこんな事――ッ、私女の子なのに~~」
「ワイもさすがにコレは……」
 凄まじい勢いで落下する滝水に、小太郎と和美は気が挫けそうになっている。
「とっとと行け」
 動けないでいる二人に土御門は式を飛ばして滝壺に放り込んだ。水飛沫が上がる。
 がぼがぼと滝壺の中でもがく二人を土御門の二匹の式が袖を掴んで引き上げる。
「コラー!! 殺す気か~~~~!?」
 和美が涙目になりながら怒鳴る。
「今のはシャレにならへんで!?」
 小太郎もガーッと怒鳴るが、土御門は容赦無く二人を滝壺の露出した岩場に乗せた。上から降り注ぐ水を式が防御する。
「ほら、さっさと座禅をしろ」
 土御門の理不尽な行いに怒りに充ちた眼差しを向けながら、二人は渋々と座禅を組んだ。途端に、式が離れて滝の水が二人に降り注ぐ。
 全身を強打する冷水に、和美と小太郎は思わず悲鳴を上げる。冗談ではなく痛い。
「し――死ぬ!! 死んじゃうよこんなの!?」
「グバッ!! てめっ!! 土御門~~~!!」
 二人が上から降り注ぐ滝水に呼吸もままならない様子を見て、土御門は溜息を吐いた。
「お前達。小太郎は気で、和美は風の魔力で全身を強化しろ」
 言われて、小太郎は必死に気を練り上げる。一方、和美は言われた所で出来る筈もなかった。
「ざけんな~!! 魔力の使い方なんて教えられて無い~~~!!」
「忘れているだけだ!! お前は修学旅行のあの日に使った筈だ!! あの時の感覚を思い出せ!! 光輝の書(ゾーハル)によって、お前の頭には術式がインストールされている筈だ!!」
「そんな事ッ――、言われても無理~~!!」
「苦しみから逃れたかったら思い出せ!!」
「殺してやる~~~!!」
 和美は呼吸の出来ない苦しさと、全身を苛み続ける滝水に苦しみ喘ぎ、こんな理不尽な真似をさせる土御門に憎悪の炎を燃やした。だが、いよいよ苦しくなると、何も考える事が出来なくなった。
『このままじゃ死ぬッ!! どうにかしないと――ッ!!』
「和美さん!! 土御門さん、もう止めてください!! 本当に死んじゃうです!! 和美さんは普通の女の子なんですよ!?」
 さよの悲鳴にも近い声が響き、和美は正気を取り戻す。
『何かしないと。あの時の感覚!? そんなの覚えてない。覚えてない? 違う。思い出せないだけ――。思い出せ。思い出せ。思い出せ。思い出せ。思い出せ』
 目を硬く瞑り、全身の感覚を鋭くする。酸欠に全身が針を刺されたかの様に痛む。叩きつけられる滝水が苦しい。死が間近に迫っている。それは、あの時と同じだった。
『このままでは死ぬッ!!』
 そう心が感じ取った瞬間だった。不意に呼吸が再開された。全身を襲う痛みが一気に軽くなる。
『何……?』
 眼を薄っすらと開けると、全身を薄っすらと何かが包んでいた。まるで、とても薄くて軽い何かを着ている様な感覚だ。
「これが、――魔力?」
 呆然としながら、自分を覆う魔力を感じる和美の様子に、土御門は笑みを浮かべた。
「思い出したか。まずは、今回の目的の一つは達成された。後は、本番に向けてみっちり禊を終えれば、いよいよ今回の試練だ」
「和美さん……」
 さよの不安そうな声が響く。心配そうな表情を浮かべるさよに、土御門はクスッと笑みを浮かべた。
「…………さよちゃん。幸せか?」
「え? …………えっと、今は幸せですけど? 和美さん達と一緒に居られて」
「そうか。ならいい」
「…………?」
 さよの戸惑う様な表情にククッと笑い、土御門はサングラスをキラリと光らせた。
「さよちゃんが幸せなら、それでいいんだよ」
「土御門……さん?」
 さよが不思議そうな顔をしていると、土御門はニッと笑みを浮かべた。
「子供は幸せじゃないとな」
 ニシシッと笑う土御門に、さよは首を傾げた。何となく、言葉の意味が違う気がして――。
 それから、一時間が経過して滝に打たれていた小太郎と和美は何処となく落ち着いた表情をしていた。
「なんか、頭の中がスッキリしてる感じがする」
 髪の毛をさよに手渡された手拭で拭いながら和美が言う。
「んじゃ、洞窟前に戻るぞ」
 土御門はそう言うと、さっさと来た道を戻り始めた。和美と小太郎は何となくスッキリした感じで土御門の後を追った。洞窟前に戻ると、土御門が真剣な表情を浮かべて言った。
「小太郎、和美。お前達にはこれからこの洞窟を通り抜けてもらう。それが試練だ」
 土御門の言葉に、小太郎と和美は怪訝な顔をする。
「通り抜けるだけ?」
 小太郎が尋ねると、土御門は頷いた。
「それだけ!? じゃあ、何の為に禊なんかやったの!?」
 和美が不満を露わにして叫んだ。
「この洞窟は一本道だ。迷う事は無いだろう。俺から言う事は一つ。自分が自分である事を忘れるな」
 土御門はそう言うと、印を結んだ。
「我が真名を解き放ち、秘めたる扉を開け。我が名は――――」
「…………え?」
「?」
 土御門の呪文が不自然に途切れた。だが、土御門の口は動き続けている。
「人間の聞こえない音域で呪文を唱えている…………?」
 小太郎は息を呑んだ。そんな真似が出来る魔術師など滅多に居ない。改めて、土御門という男の異常さが分かる。
 しばらくして、土御門は刀印を洞窟に向けて放った。すると、ガシャンという甲高いガラスの割れる様な音が響き渡った。
「通常、ここに迷い込んだ人間が入ってしまわない様にする為の結界を解いた。ここに入るという事は、命懸けだからな」
「どういう事や?」
「なんか、化け物でも居るんじゃないよね……?」
 小太郎と和美の言葉に、土御門は首を振る。
「そんなものは居ない。だが、入れば嫌でも分かる。本当に、何も無い世界というのがどんなものか。いいか、二人共。自分を見失うな。分かったな?」
 土御門は念を押すように言った。二人は戸惑いながら頷くと、洞窟に足を踏み入れた。すると、光の届くギリギリの場所で二手に分かれていた。
「それが最初で最後の分かれ道だ。どちらも同じ一本道で、同じ場所に続いている。小太郎は右、和美は左を行け」
 二人は息を呑んでそれぞれの道を進んだ。
「和美さん、小太郎君、頑張ってください!!」
 さよが叫ぶと、小太郎と和美が一度だけ振り返って手を振った。そのまま、二人の姿が消えると、土御門は大きく息を吐いた。
「もうすぐ始まるんだ。全てが――」
 そのまま、心配そうにしているさよを連れて、土御門はその場を立ち去った。その立ち去り際に、土御門は口笛を吹くと、二匹の式が洞窟へと飛んでいった。
「これで、万が一の場合は式が二人を助ける。だが、頑張れよ、二人共」
 そうして、山道を歩いていると不意に声を掛けられた。
「歴史にその名を轟かせる事となる大陰陽師。生で見られる幸運に感謝しなければいかないネ」
「え? 誰で……あれ……ふみゅ……」
 突然襲い掛かる眠気の波に、さよは深い眠りに落ちてしまった。土御門が呪文で眠らせたのだ。
「未来では、私はそんな風に呼ばれているのかい?」
 すると、そこには土御門の姿は無かった。濃い色の狩衣を着た黒髪の青年が樹に背を預ける少女、超鈴音に視線を向けている。
「全てお見通し――。なら、いい加減に見張りを解いて欲しいヨ。私がこの時代に来た理由は――」
「君のやろうとしている事が何か? その理由は? 私にも分かっておらぬ」
「世界を救いたいから。これでは駄目カ?」
「いや、本心だと分かる。さすがに、子孫という事か」
「ネギ・スプリングフィールド。我が先祖ながら、とっても可愛らしいヨ」
「だが、その歴史がこの時間の進む道とは限らない。この時間が君の時間の過去であっても、君の時間がこの時間の未来とは限らない」
「分かっているヨ。でも、それでも、私が居る未来の為に成ると信じているネ。過去(いま)が在るから未来(いま)があるネ。出来る事があるならやる」
「そうか……」

 何も見えない。何も聞こえない。何も匂わない。何も無い。洞窟の中に足を踏み入れた小太郎は、想像を絶する恐怖を感じていた。暗黒の世界が広がっていた。周りの風景どころの話ではない。自分の体も視認する事が出来ない。息が荒くなり、汗が噴出した。
「どうなって…………、ワイは、眼をちゃんと開けとるんか? それと――ッ!?」
 突然、自分の声まで聞こえなくなった。口を懸命に動かしている筈なのに、声が聞こえない。わずかに感じていた肌寒さまで感じなくなっている。
『なんやこれ……。なんなんやこれ!?』
 小太郎はパニックを起した。五感の全てが消失し、自分が立っているのか座っているのか、生きているのか死んでいるのかすら分からなくなった。恐怖が精神を侵食する。
 ここは何処なのか。自分は何故ここに居るのか。今は何時なのか。自分が何をしているのか。何も分からない。何も感じない。頭の中がキリキリと痛む。
『ここは、嫌だ。出してくれ!! ワイをここから出してくれ!!』
 心の中で絶叫する。その絶叫すらも声にならない。
『助けてくれ!! ここに居たくない!! ワイは死にたくない。未だ、やりたい事が山ほどあるんや!! 出してくれ。ここから、出してくれ!!』
 だが、そんな小太郎の叫びは誰にも聞こえない――。

 息を飲み込む音さえ死んだ。自分が今眼を開けているのかどうかさえ分からない。そもそも、自分は生きているのか? そんな疑問が頭の中を埋め尽くす。
 洞窟の中に入ってどれだけの時間が経過しただろうか――。一センチ先すら見えない漆黒の闇。最初は聞こえていた自分の息をする音も、不意に途切れた。足を動かしてる筈なのに、地面を踏み締める感覚が無い。何も無い世界。完全なる無。感覚も無い。何も無い。自分すら見失ってしまった。
 目を開けているのか、閉じているのかも分からない。自分はちゃんと呼吸を続けているのかも分からない。全身を闇に押し潰されそうになる。
 何度も心の中で助けを呼び、命乞いをした。形振り構わずに何でもするから助けてくれと懇願した。例え、どんな場所だろうとここよりはマシな筈だと思った。こんな、誰も居ない虚無の空間。自分すら居ない空間。
 昔、ある本で読んだ事がある。無間地獄。ここは、まさに無間地獄だ。何も無い世界を、ただ、只管に生き続ける。痛みですら、恋しい。何も考えたくない。いっそ、気が狂ってしまった方が楽だ。それなのに、自分の思考だけはリアルに存在し続けていた。
『私は居ないのに、居る……。分かんない。分かんない。分かんない。分かんない』
 延々と同じ思考を繰り返す。殺して欲しいとすら願う。どれだけの時間が経過したのか分からない。一週間? 一日? 一時間? それとも、まだ一分? 恐怖のあまり、頭の中が真っ白になった――。

 暗闇の支配する洞窟の中、小太郎と和美は死の中を彷徨い続けた――。



[8211] 魔法生徒ネギま! [第六章・麻帆良の日常編・partⅡ] 第三十四話『ゴールデンウィーク』
Name: 我武者羅◆cb6314d6 ID:87b1fc72
Date: 2010/07/30 15:43
魔法生徒ネギま! 第三十四話『ゴールデンウィーク』


 深夜零時を過ぎた麻帆良学園。数多くの人が神木・蟠桃の前に集められていた。ただ一人、エヴァンジェリン・A・K・マクダウェルを除いて全員が魔法先生だ。
 エヴァンジェリンは瀬流彦、タカミチ、ガンドルフィーニ等と呼び出された理由に付いてアレコレと考えていた。
「やはり、侵入者の討伐任務を魔法先生だけに絞る事になったんだよ! 前々から進言していたんだ! 大学生ならまだしも、中学生や高校生に危険な任務をさせるのはどうなのかと!」
 熱く語るガンドルフィーニに、瀬流彦は肩を竦めた。
「そんな訳ないですって。今集まってるのは麻帆良の魔法先生全員ですよ? たったこれだけ。麻帆良全体のカバーが可能な人数かなんて、考えるまでも無いじゃないですか」
「それに、中学生、高校生と侮れませんよ、ガンドルフィーニ先生。刹那君や真名君、高音君、愛衣君他。皆、優秀な魔法生徒です」
 タカミチも瀬流彦の意見に続く。すると、ガンドルフィーニは険しい表情になった。
「しかし! 西との溝が埋まり始めている今、関西呪術協会の手を借りるという手もッ!」
「無理だろ、それは……。埋まったといっても薄っぺらい紙一枚分程度だぞ」
 エヴァンジェリンも肩を竦めながら言う。
「エヴァンジェリン君!!」
「な、なんだ!? というか、顔近いぞ!?」
 ガンドルフィーニは鼻息を荒くしながらエヴァンジェリンに迫った。
「君がアスナ君達を弟子にしたのは、最初こそ反対だったが、成績も上がり、キチンとした教育方針に乗っ取っている事を知った! なればこそ、君があの子達を可愛がっているのも分かる! なればこそ、学生である内は学業に勤しみ、友と語らい、人生を謳歌してから巣立って欲しいと思うだろう!? 思うだろうね!? 思っているだろうな!!」
「思う!! 思うからそれ以上来るな~~!!」
 眼を血走らせて両肩を掴んで鼻息荒く言うガンドルフィーニに、エヴァンジェリンは半泣きになっていた。正直怖かった……。
 ガンドルフィーニは冷静になってコホンと咳払いをすると謝罪した。
「いや、少し興奮し過ぎたね。すまなかった」
「いや……、教育者としての熱意が文字通り怖いほどに伝わりました……」
「教育者として……っていうか、人としてどうよって感じの絵面でしたけどね……今」
 タカミチの背中に隠れながら言うエヴァンジェリンを見て、瀬流彦は微妙に軽蔑の眼差しをガンドルフィーニにぶつけた。
 一方、タカミチは何だかプルプル震えながら自分にしがみ付いているエヴァンジェリンや辛辣な瀬流彦、異様に熱いガンドルフィーニに戸惑っていた。
「いや、三人共酔いが抜けきってないみたいだね~」
「あ、弐集院先生」
 コンビニの肉まんを食べながら歩いてくる小太りな男性にタカミチは挨拶をした。
「酔っ払っている……とは?」
「いやね、今日は一緒に焼肉店で飲み会をしてたんだけどね。その時に召集の話聞いてさ。そのまま忘れてついさっきまで飲んでたんだよ。いや~、召集の話思い出したのギリギリでさ。慌てた慌てた」
「またですか!? 最近多いですね……」
「いや~、飲み会の時はエヴァンジェリン君も大人の姿でしょう? 大人の時のエヴァンジェリン君って、かなりの美人だからね。その上、聞けばサウザンドマスターを一途に思い続けていると。一途に思い続ける女性というのはポイント高いよ」
「…………貴方の口から出て欲しくない言葉ですね……。貴方も酔ってます? っていうか、エヴァって人気あったんだ」
 腰にしがみ付いて、向こうでまた瀬流彦相手に持論を展開するガンドルフィーニをガルルルと獣の様に唸りながら睨むエヴァンジェリンを見ながらタカミチは心底意外そうに呟いた。
「おい、今失礼な事考えなかったか?」
 エヴァンジェリンがムッとなって睨んでくる。
「まさか。それより、そろそろみたいだよ。さっさと酔い覚ましなよ」
「まったく。昔はもっと素直だったのに……」
 グチグチ言うエヴァンジェリンを無視して、タカミチはやって来た近右衛門に視線を向けた。近右衛門が大きく咳払いをすると、それまでわずかにざわついていたのが一気に治まった。やがて、近右衛門が話を始め、皆が耳を傾けた。
「皆の者、よぉ集まった。さて、今宵皆を呼び出したのは“神木・蟠桃”の事じゃ」
 近右衛門の言葉にどよめきが起こった。神木・蟠桃、龍脈の力を汲み取り、麻帆良全体を覆う大結界の基点となっている不思議な樹木。もしも、この樹に何かあれば、麻帆良の結界が解かれ、麻帆良は危機に瀕する。緊張が走った。
「単刀直入に言おう。神木・蟠桃が龍脈の力を蓄えておるのは知っておろうな?」
 それは魔法先生達にとっては常識だった。一同が頷くのを見て、近右衛門は続けた。
「その力が、今年、極大に達し、樹の外へと溢れ出してしまう事が分かったんじゃ。世界樹の大発光というのを聞いた事があるじゃろう?」
「【世界樹をこよなく愛する会】とやらの“世界樹発光量観察記録”とやらが麻帆良スポーツに載ってたな」
 エヴァンジェリンが言うと、刀子が手持ちの資料を開いて口を開いた。
「資料によりますと、22年に一度の周期で世界樹を中心に、【世界樹広場(ここ)】と【麻帆良大学工学部キャンパス中央公園】、【麻帆良国際大学附属高等学校】、【フィアテル・アム・ゼー広場】、【女子普通科付属礼拝堂】、【龍宮神社神門】の六つの地点で魔力溜まりが出来上がり、麻帆良全体の魔力濃度は通常時の数十倍に跳ね上がり、大変危険な状態になる模様です」
 刀子の報告に魔法先生達はざわついた。
「本来ならば来年がその周期だったんじゃが、今年は一年早まったらしくてのう」
「危険とは具体的には……?」
 魔法先生の一人が尋ねた。少しやつれた様子の黒髪の男だ。
「膨大な魔力は人の心に作用する。例えば、億万長者になりたい、世界征服がしたい、などの即物的な願いは無理じゃが……」
「じゃが……、なんだ?」
 エヴァンジェリンがもったいぶる近右衛門にイラついた声で先を促した。
「……ほれ、世界樹の下で告白すると叶うという噂があるじゃろ?」
「それがどうし……嘘だろ?」
 エヴァンジェリンは顔を引き攣らせた。見れば、他の魔法先生達も凍り付いている。
「元々、この噂には根拠があってのう……。21年前や43年前の大発光の時に実際に告白を世界樹の力で成就させてしまったケースがあってのう……。もはや呪い級の威力なんじゃよ」
「……マジか?」
「…………うむ、人の心を永久に操ってしまうなどとは魔法使いの本義に反する事じゃ」
「確かに色々な意味で危険ですね……」
 瀬流彦の言葉に誰もが頷いた。好きでもない相手を好きにさせられるとしたらゾッとする話だ。
「刀子君」
 近右衛門が刀子に説明を促した。
「ハイ。【学園七不思議研究会】並びに【学園史編纂室】の研究及び【オカルト研究会】と【世界樹をこよなく愛する会】の世界樹発光現象の観測により、一般生徒の間でもかなり真実に近づかれています。ネットの書き込み等により調査を行った結果、生徒達の噂の浸透率は男子34%、女子79%です。本気で信じている人は少ないと思いますが……」
「なるほど……、占いや迷信好きの女生徒を中心に実行したがる生徒は多いでしょうね」
 やつれ気味の魔法先生が言った。
「更に問題なのが大発光が起こるのが麻帆良祭の最終日なんじゃ。その一週間前後も危険でのう。諸君には先程刀子君の言った六ヶ所の魔力溜まりで生徒達が告白をするのを阻止して欲しいんじゃ」
 気が進まない。全員が思った。告白するには勇気が居る。せっかく勇気を出して好きな相手に思いを告げようとしたのにそれを阻止するなどいい気分の筈が無い。
「学園長、一つよろしいですか?」
「なんじゃ?」
 手を上げて発言したのはシスターシャークティだった。
「何故、魔法生徒達を呼ばなかったのですか?」
 シスターシャークティの言葉に、多くの魔法先生が近右衛門を見る。皆、この事についてはとくに気になっていたのだ。聞いた情報では、別に魔法生徒に隠す必要性は見られなかった。
 近右衛門は小さく息を吐くと口を開いた。
「この学園の文化祭は生徒の自主性を重んじておる。魔法生徒もまた生徒じゃ。文化祭に集中してほしいんじゃよ。特に一年に一度の事じゃしのう。それに、告白を阻止するなど普段の魔物退治などとはかってが違うしのう」
 言われて見れば尤もた。今回のは相手が異形では無い。多くは同じ学び舎の仲間だろう。仲間が思いを遂げようとするのを邪魔するのは自分達以上に気が進まない事だろう。
 魔法先生達は近右衛門の言葉に頷いた。
「私も魔法生徒の筈なんだがな」
 エヴァンジェリンは恨みがましい目で近右衛門を睨みつけた。学園祭中、ネギ達と一緒に回ろうと楽しみにしていたのだ。
「別に三日間ずっと拘束したりはせんよ。さすがに麻帆良祭中は人が多く、対処にかなりの人員を割く事になるじゃろうがシフト制にするわい。お主は麻帆良祭の準備期間の間手伝ってくれ」
「むぅ……」
「そう言えば、お主はタカミチ君や瀬流彦君にたかっておるそうじゃのう?」
「うっ……。な、何が言いたい?」
 近右衛門の意地悪そうな笑みにエヴァンジェリンは忌々しげな目付きで睨んだ。
「なに、お主、麻帆良祭中のお小遣いがそんなにないのではないかのう?」
「うぅ……」
 図星だった。弟子の為に張り切って教材を取り揃えたばかりで今現在、エヴァンジェリンは金欠だった。
「今回の仕事を受けてくれるのであれば、給料を弾ませてもらうぞい?」
「ぐぬぬ……。人の弱みに付け込むとは……この狸爺ぃ!!」
 エヴァンジェリンが喚き立てるのを好々爺のように笑って近右衛門は無視した。
「ふむ、では今宵の件は以上じゃ。各々、シフト表を後日配るでな、それに合わせてパトロールするように。では、解散!」
 近右衛門が去り、魔法先生も散り散りになる中で、険しい表情をしたエヴァンジェリンがタカミチを捕まえた。人気の無い場所を探してエヴァンジェリンがタカミチを連れ込んだ。
「何なんだい? エヴァ……」
 訝しむタカミチに、エヴァンジェリンは周囲に人の居ない事を確認した。
「あの話をどう考えた?」
「あの話って、さっきの学園長の話かい? なんというか、気が進まないね」
 タカミチが返すと、エヴァンジェリンは盛大な溜息を吐いた。
「な、何だいその溜息は!!」
 タカミチはムッとして怒鳴る。二人っきりの時、エヴァンジェリンの前でどうしてか子供っぽい所を見せてしまう。それは、タカミチが少年時代からエヴァンジェリンを知っており、一時期は師弟の関係でもあった事に所以している。
 咸卦法を修得する為に手伝いをしてくれたのがエヴァンジェリンだったのだ。エヴァンジェリンにとっても、タカミチは最初の弟子であり、特に眼を掛けているのだ。タカミチのガッカリな反応にエヴァンジェリンは失望感を漂わせた。
「どうしてこんな麻帆良祭間近の今になっていきなりあんな話をし出したのかって事だ」
「え? そりゃ、最近になって分かったからじゃ……」
「22年周期と言ってただろう! ある程度予測は出来た筈だ。こんな直前じゃなくな」
「……確かに少し妙だね。何か事情があったのかな?」
「それもあるだろうが……。もしかしたら、あの爺ぃ、また何か企んでるのかもしれんぞ……。警戒が必要だな……」
「企み……ね。反論出来ないけど……」
「少なくとも、あの爺ぃは何かを隠してる感じだった」
「よく分かるね……」
「付き合いが長いし、経験上な」
 エヴァンジェリンは溜息を吐いた。
「あの狸爺ぃが何考えているのか気味が悪くて仕方が無いぞ!」
 エヴァンジェリンがガーッと怒鳴ると、タカミチはやれやれと肩を竦めた。
「エヴァは子供達が心配で仕方無い様子だね」
「な!?」
 タカミチがニヤニヤしながら言うと、エヴァンジェリンは口をパクパクさせた。
「だって、学園長の企みを心配するっていうのはそういう事だろう? 京都の時の事なんかを考えたらね……」
「お、お前なんかもう知らん!! 何だ、最近のお前は!! 昔は素直に私の言葉に何でもはいはい答えてた癖に!!」
 エヴァンジェリンは顔を真っ赤にして憤慨すると、タカミチから顔を逸らした。タカミチは煙草をポケットから取り出すと火をつけた。
「子供はやがて大人になるんだ。あの子達だってそうさ……」
「――――ッ!? そ、それは…………」
 タカミチの言葉がエヴァンジェリンの胸を締め付けた。眼を逸らしてきた訳じゃない。何度も向き直って、何度も納得して、何度も溜息を吐いた。
 それでも、昔は自分を慕っていたタカミチから吐き出された言葉はエヴァンジェリンに焦燥感と悲しみと怒りを同時に膨らませた。
「けど、成長しても変わらないモノだってあるよ」
「……………………」
 肩を震わせるエヴァンジェリンに、タカミチはニコッと笑みを浮かべた。
「僕は、エヴァが好きだよ」
「…………は?」
 あまりの事に、それまで胸の中を渦巻いていた感情が抜け落ちた。目を丸くし、一気に顔が熱を発した。
「なななななな、にゃにを言ってるんだお前は!?」
 顔を真っ赤にしながら顔だけタカミチに向けるエヴァンジェリンに、タカミチは愉快そうに笑った。
「ああ、違うよ。そうじゃない。僕が言ったのは、エヴァは僕にとって偉大な師匠で、大切な……そう、大切な人だって意味だよ」
「大切な……?」
 キョトンとするエヴァンジェリンに、タカミチはクスリと笑った。
「僕がこうして立っていられるのも、師匠に少しでも近づけているのも、エヴァが居るからさ」
 すると、タカミチはエヴァンジェリンの脇に両手を差し入れて、高い高いをする様にエヴァンジェリンの華奢な体を持ち上げた。エヴァンジェリンを見上げる様にしながら、タカミチは満面の笑みで言った。
「僕は、いつだって貴女を尊敬してますよ。僕にとっての憧れです。偉大な英雄達と肩を並べる僕の自慢の師匠。僕は貴女を愛してる。それに、ネギ君やアスナ君、木乃香君や刹那君だって、エヴァを愛してるんだ。分かってるだろ? 君は色んな人に愛されてる。なら、心配しても恥しがる必要なんて無いんだよ。だって、皆もエヴァを心配してるんだから。エヴァに何かあったらどうしよう。エヴァに幸せになって欲しい。一方通行なんかじゃないんだからさ。あんまり不安にならないでくれよ」
 冷たい雫が頬を撫でた。頬を流れ落ちる綺麗な雫に意を解さずに、タカミチはそっとエヴァンジェリンを降ろすと、ポケットからハンカチを取り出して、ソッとエヴァンジェリンの目元を撫でた。
「不覚だ。…………弟子に泣かされた」
「弟子として、師匠から一本取れて誇らしいよ」
「馬鹿…………」
 そのまま、エヴァンジェリンが落ち着くまで待ってからタカミチは口を開いた。
「折角だし、一緒に飲みに行かないかい?何時もどおり、僕の奢りだからさ」
「……当たり前だ。高いの奢らせてやる」
「お手柔らかに」
 ニッコリ笑みを浮かべるタカミチと、目元をハンカチで隠しながら、口元に小さく笑みを称えてエヴァンジェリンは夜の街へと歩き出した。心に温かいナニカが溢れ出して、頭の中から近右衛門への不信感が抜け落ちてしまった。
 ただ、最初の教え子との親睦を、二人揃って潰れて茶々丸に介護されるまで飲み続けて深めるのだった――。

 ゴールデンウィーク中のある日の早朝、紅蓮の如き赤髪、ルビーを思わせる真紅の瞳、彫刻の様な横顔。他とは異質な空気を纏う、百人の通行人が老若男女を問わずに振り返らずにはいられない程の絶世とも言える美貌を持つ少年が麻帆良市内を歩いていた。
「おや」
 視線の先に此方を歩く二人の少女を見掛けて唇の端を吊り上げた。甘く微笑むと、何時の間にか少年は二人の少女の背後に立って、魅惑的な声を響かせた。
「お忙しいかな? お嬢さん方」
 唐突に声を掛けられた二人は目に見えてギクリと体を震わせた。金髪の少女と少年のよりも薄い赤髪の少女だ。恐る恐る二人が振り返ると、少年は悪戯心を芽生えさせて一瞬で二人の少女の前に現れた。周りに居る人はそれが“自然な事”だと認識している様で、誰も気にも留めない。振り向いても誰も居ない事で不審気な顔をしながら二人の少女が顔を前に向けると、少年は魅力的な笑みを浮かべて挨拶した。
「お久しぶりだな」
「お前――ッ!?」
 エヴァンジェリンは少年の顔を見て絶句した。
「アイゼン…………さん?」
 ネギも目を丸くして現れたアイゼンを見た。五百年を生きた古血。戦神として名を馳せた吸血鬼が目の前に現れたのだ。ネギは知らず息を呑んでいた。
「そう警戒するな。別に、とって喰ったりはせん」
「お前はとことん信用の置けん奴だからな。そのくらい、自覚はあるだろう?」
「無礼な奴だな。まあ、年長者という事で許してやろう」
「クッ…………、相変わらずだな」
 不遜な態度を取って、無礼な発言をするアイゼンにエヴァンジェリンは苦虫を噛み潰した様な顔をした。ネギの方は、以前会った時と若干イメージの異なるアイゼンの態度に違和感を覚えたが、エヴァンジェリンの言葉を聞いて、此方が素なのだろうと納得した。
「で? …………お前は何をしに来たんだ?」
 エヴァンジェリンがぶっきらぼうに尋ねる。一刻も早く会話を切り上げて退散したいという思いと、警戒すべき相手の目的を聞かなければならないという考えに揺れている様だ。
「別に、ここの者に危害を加えるつもりはない」
「戦闘凶のお前の言葉を信じろと?」
「ああ、信じろ。信じる者は救われるぞ? ここに来たのは用事があったからだ」
「用事? なんだそれは?」
「ま、お前に話す程の事じゃない」
「お前……」
 アイゼンの物言いに機嫌を悪くするエヴァンジェリンにネギは慌てて宥めた。
「エヴァンジェリンさん、喧嘩は駄目ですよ。それに、そろそろガンドルフィーニ先生達との約束の時間じゃないですか?」
 怒った様に言うエヴァンジェリンにネギは腕時計を指し示した。時計は三時を指していた。
「おっといかん。今日は弐集院の奴が上手い中華料理店を見つけたらしくてな。そこで飲む事になっているのだ」
「ほう、中華か。いいじゃないか」
「ああ、中華はあまり食べないからな。少し楽しみだ」
 鼻歌を歌いだしそうなエヴァンジェリンに苦笑すると、アイゼンはそれじゃあ、と言ってネギの手を取った。
「借りるぞ。ここの地理は分からんからな。案内しろ」
 ズルズルとネギを引き摺りながら片手を振ってアイゼンは勝手に歩き出した。
「え? え? え? え~~~!?」
 ネギが訳が分からずに悲鳴を上げている。
「おい待てコラッ!!」
 慌ててエヴァンジェリンが静止を呼びかけるが、アイゼンは余裕な態度で自分の腕時計を見せた。
「時間はいいのか?」
 ニヤリと何とも腹の立つ笑みを浮かべながら訪ねる。エヴァンジェリンはキレそうになったが、飲み会に遅れるのは拙い。何が拙いか、遅刻した者は必ずその日のターゲットなのだ。何度も何度も連続する一気コール。その末路は悲惨なものだ。前に瀬流彦が書類整理の為に遅刻した時、トイレに閉店時刻まで篭る事になり、帰る途中も何度も吐いて惨めな姿を曝した。訳の分からない歌を歌いながら。
 嫌過ぎる!! 奴等は加減をしらない。吸血鬼だから大丈夫だろうと、女である自分にも容赦しない気がする。帰る途中に道端に自分の吐瀉物を撒き散らすなど、冗談じゃない。そんな醜態を晒したら生きていけない…………。
「ネ、ネギに手を出してみろ。全力を持って貴様の息の根を止めてやるからな」
「ほれほれ、さっさと行ったらどうだ?」
「しかし…………」
「あ、あの……エヴァンジェリンさん。私なら大丈夫ですから行って下さい! やっぱり、遅刻とかはいけないと思いますし。アイゼンさんは悪い人じゃないと思うので」
 ネギの言葉に、エヴァンジェリンどころかアイゼンまでも目を丸くした。不意にアイゼンは噴出した。
「クク……ハハハハハハ!!」
 唐突に笑い出したアイゼンに、エヴァンジェリンとネギは顔を見合わせた。
「ああ、何もしない。我が祖・火神(アグニ)の名に掛けて誓おう」
「始祖に誓う事がどういう事か分かってるな?」
 エヴァンジェリンがジロリとアイゼンを睨みながら尋ねた。
「当然だ。血族は始祖への誓いを違えん」
 エヴァンジェリンは鼻を鳴らす。
「妙な真似はするなよ?」
「さっさと行け。時間が迫っているんじゃなかったのか?」
 エヴァンジェリンは舌を打つと、ネギに耳打ちした。
「いいか、何かあったら悲鳴をあげるんだぞ」
「俺は痴漢か…………。さっさと行け」
 呆れた様にシッシと手を振ってアイゼンはエヴァンジェリンをまるで羽虫の様に追い払った。そのまま、ネギはアイゼンに引き摺られる様に麻帆良市内を案内させられた。すると、困った事が起きた。
「す…………、凄いですね」
 ネギは半ば呆れた様に呟いた。歩く先々でアイゼンが通るとその非常識とも言える様な絶世の美貌のおかげで男も女も関係なく振り向き、何時の間にか人だかりが出来てしまったのだ。
 アイゼンは自然な動作で周囲の人々を蔑むと、近くにあった眼鏡屋に目を付けた。
「眼鏡を買うんですか?」
「うん? それ以外にこの店には何かあるのか? それならそれで興味深いな」
「い、いえ! 無いです…………」
 アイゼンはニヤリと俯くネギを面白がる様に見ると、さっさと店の中に入ってしまった。ネギも慌てて後を追う。アイゼンを見ていた人だかりは残念そうにしながらもそれぞれの目的の為に散らばった。何人かの一瞬で魅せられてしまった熱烈なファンと、一部の少女を除いて――。
 店の中には高級ブランドから安物までありとあらゆる眼鏡のフレームが並んでいた。入って来た二人に即座に店員がお薦めや新製品の売込みをしようと近づくが、アイゼンは「邪魔だ」と言って店員を転ばせてしまった。
 まるで、道端に落ちている石ころを偶然にも蹴ってしまった様な感覚で。ネギは慌てて店員に手を貸して謝罪をすると、店員は許してくれたが、ネギは腰に手を当ててアイゼンに注意をした。
「アイゼンさん! 人を転ばせて謝らないのはよくないですよ!」
「転ばせた? …………ああ、さっきのか。邪魔だったからどかしただけだが?」
「!?」
 ネギは思わず目を見張った。アイゼンはたったいま転ばせた相手の事を既に綺麗サッパリと忘れていたのだ。まだ店員が何とか製品を勧めようとしているのだが、完全に無視している。やがて、店員も諦めた様子でレジに戻ってしまった。
「何を怒ってるんだ?」
 険しい表情を見せるネギにアイゼンは肩を竦めながら尋ねた。
「分からないんですか?」
 ムッとなって尋ね返すと、アイゼンは面白がる様にニヤリと笑った。ただの人の分際で自分にこういう“イケナイ”話し方をする人間はもう滅多に居ない。寧ろ新鮮に感じたのだ。
「分かった分かった。すまなかった。これでいいか?」
「私に謝っても仕方ないです!」
 悪びれた様子も見せずに茶化した様に謝るアイゼンにネギは余計に腹が立った。初対面とはいえ、幾らなんでも非常識過ぎると憤慨しているのだ。
「そう腹を立てるな。そもそも、俺は睨んだだけだ。それで勝手に転んだのは奴の方だぞ」
「え…………? で、でも!」
「第一、買い物をしてやればそれで奴は満足する。それでいいだろう?」
「でも…………」
 納得のいかないネギにアイゼンはクッと笑みを浮かべた。
「機嫌を直せ。もうしないと誓ってやる」
 アイゼンは言いながらネギの頭をポンポンと軽く叩いた。ネギはアイゼンの手を振り解いて溜息をついた。どうにも常識が自分とは違うらしい。
 アイゼンはしばらく沢山の眼鏡を眺めていた。黒縁の太いフレームの眼鏡や、赤い縁の眼鏡、小さい丸眼鏡。不思議な事に、誰が掛けてもおかしな事になりそうな眼鏡であっても、アイゼンの双貌に重なると全く別の物に変化してしまったかの様に違和感が無くなった。とにかく、どれもこれもがとても良く似合うのだ。
「おいネギ、これはどうだ?」
 アイゼンは何時の間にかネギを呼び捨てにしながら、細い銀色のフレームの眼鏡を掛けて見せた。ネギは思わず見惚れてしまった。眼鏡が、アイゼンの恐ろしい程に整った美貌の別の側面の魅力を引き出したのだ。当て嵌められる言葉はすぐには見つからなかった。ただ、そう…………あまりにもセクシーだった。
 ネギはさすがに口に出すのを躊躇った。だが、ネギが何を思ったのかがアイゼンにはお見通しの様だった。ネギが黙ったままでいると、勝手に満足した様に会計に持って行ったのだ。店を出て、ネギが何故眼鏡を買ったのかを尋ねると――「変装の為だ」と言った。
 逆効果だ。そう、ネギは確信していた。何せ、魅力のオーラが色や形を変えただけで、その強さは全く変わっていない。男性すら見蕩れているのだから、アイゼンが人の注目を浴びないようにする為には顔全体を覆い隠す必要があると、ネギは思った。と、またしてもネギの心を読んだかの様に、アイゼンは眼鏡を外し、さっきの店で一緒に買ったらしい同じフレームの赤い色眼鏡を掛けた。
 最初からそうしろと言いたかった。それでも、美しさが滲んだが、瞳が隠れたおかげでどうにか道行く人々の注目は少しだけ薄れた。様々な場所を巡る内に、ネギの中でアイゼンの人となりが少しずつ分かってきた気がした。とにかく高慢で鼻持ちなら無い筈の態度をとる。それなのにそれがとても自然な事の様に思える。善人とはいえないものの、悪者とも思えなかった。
 日が暮れ始めると、ネギは空腹を感じた。すると、またしてもアイゼンは心を読んだかの様に見事なタイミングでネギを食事に誘った。
「もしかして、アイゼンさんは心が読めるんですか?」
 恐る恐る尋ねると、アイゼンはニヤリと笑みを浮かべた。
「そうだ、と言ったらどうする?」
「やっぱり!?」
 ネギは慌てて何も考えない様に無駄な努力をした。すると、次から次へと人には知られたくない思いや記憶、考えが止め処なくあふれ出した。知られたくない考えを必死に隠そうとしているのに、逆にあふれ出してしまい、ネギは涙目になった。アイゼンはそんなネギの姿に満足した様に鼻を鳴らした。
「冗談だ。顔を見て、後は動作で考えを推測しているに過ぎん」
 心底面白がる様に笑みを浮かべるアイゼンに、ネギはうう~、と睨んだ。
「まあ、やろうと思えば出来るがな」
「どっちなんですか!?」
「さてな。人間の心なんぞ、覗いてもつまらんがな」
 肩を竦めると、アイゼンはさっさと歩き出してしまった。
「あ、待って下さい!」
 慌ててネギが追いかける。到着したのは小さなレストランだった。内装は落ち着いた雰囲気で、若干薄暗いが清潔感のある店だった。アイゼンは扉を開くと、押えたままネギを招き入れた。ネギは流されるままに店内に入る。どうにも落ち着かなかった。アイゼンがどこの国の人なのか分からないが、何時の間にか自分がエスコートされている様な状態だった。今だって、ドアを開けて、自分を先に入らせた。まるで、エスコートされるべき女性の様に扱われて気分が悪かった。更に気分が落ち込んだのは、一瞬、それが自然な事の様に思ってしまったからだ。
 そういえば、そろそろ薬を飲まないといけないな、と思いながら背後にアイゼンが立つのを意識した。何故だか動悸が早まる。
 店は未だ早い時間だからかそう混んではいなかった。案内係は女性で、アイゼンを値踏みする様な目つきをしていた。それがどういった理由なのかは今日一日の経験でネギにも簡単に察しがついた。わざとらしいくらい愛想良くアイゼンを迎え入れる。ネギにも愛想を良く接するが、もしかして兄妹と思ってるんじゃないだろうか? と自分の赤髪とアイゼンの赤髪を比べながら思った。
「二人だ」
 魅惑的なアイゼンの声は、まるで言霊の様に魅惑の魔力が宿っているらしい。案内係の女性を“クラクラ”させた。女性は、フロアの一番混雑した場所に案内した。場所を集中させれば、運んだりするのに楽だからだろう。
 ネギが席に座ろうとするが、アイゼンは嫌そうな顔をして女性に顔を近づけた。まるで、何をしても許されそうな魅力的なスマイルと共に甘い声色で女性に静かな席に案内するよう命じた。案内された席を拒否するなんて何様だ、とも思ったが、煙草の煙が近くまで漂ってきたので、場所の移動はネギにとっても行幸だった。
「かしこまりました」
 またしても“クラクラ”させられた女性店員は操られるマリオネットの如く忠実にアイゼンの望んだ席に案内させられた。ついたてを回り込んだボックス席の並ぶ方に向かう。どれもからっぽで、他の席から死角になっている場所を案内された。
「パーフェクト」
 輝くような笑みを浮かべ、密やかな発音で呟くと、ネギに座る様顎で席を指し示した。思わずぼうっとさせられた女性は「えっと」と、目をしばたたかせて頭を振った。
「すぐにお冷とメニューをお持ちします」
 よろよろした足取りで去って行った。
「そういうの…………やめた方がいいと思います」
「そういうの? 何の事だ?」
 思わず呆れてしまった。自分の行動がどういう結果を導いているか理解していないのだ。
「今みたいな…………。その……、相手をクラクラさせる事ですよ」
 ネギが自分で言いながら恥しくなっていると、アイゼンは面白そうに口を開いた。
「俺が相手をクラクラさせてる? 面白い表現だな。だが、自分の魅力を武器にするのは基本だ。しかし……、そういう表現をするからには、お前も俺にクラクラさせられたのか?」
 掌に顎を乗せながら目を蛇の様に細めて尋ねるアイゼンに、ネギは答えなかった。丁度、お冷を女性がメニューと共に持ってきた事を口実に話を切り上げた。女性は自分で理解しているのだろう。一番自分が魅力的に見える角度をアイゼンに向けながら、黒髪を耳に掛けながらメニューを開いてアイゼンに寄越した。
「お飲み物はどうなさいますか?」
 女性はネギに見向きもしていなかった。完全にアイゼンの虜になってしまっている。アイゼンはといえば、女性のそんな仕草に見向きもせずにネギに自分のを決めろと催促する。
「オレンジジュースで…………」
「俺はコーラを頼む。コーラとオレンジジュースだ」
 アイゼンが注文をすると、時間を置かずに女性が飲み物と共に籠に入ったプロシュットを巻いたグリッシーニを運んで来た。
「注文はお決まりですか?」
 女性はあくまでもアイゼンに聞いた。
「先に頼め」
 アイゼンに促されてメニューに目を落とす。
「えっと……、じゃあ、マッシュルームのラビオリと、シーザーサラダ、それに真鯛のカルパッチョと田舎風ミートソーススパゲティを」
「意外と食べるんだな」
 面白がる様に言うアイゼンの言葉にネギは何故だか恥しくなった。
「俺は仔牛の香草焼き、鴨のソテーに、エスカルゴ。それと、キノコと八種類のチーズのリゾットを頼む」
 店員が熱っぽい視線を向けながら去って行くと、アイゼンは水を口に含んだ。
「今日は中々に愉快だった。感謝するぞ」
「え? あ、いえ……そんな…………」
 唐突のアイゼンの礼にネギは戸惑ってしまった。結局、訳も分からずつれまわされただけで、案内の役に立ったとも思えないし。アイゼンはからからと笑った。
「あの馬鹿も傑作だったが、お前も見所があるぞ。この俺を相手に怯まずに付き合える人間なんぞ、そうそう居ないからな」
「馬鹿…………?」
「ああ、ナギ・スプリングフィールドの事だ」
「!!」
 ネギが目を見開くと、アイゼンは水を再び口に含んだ。
「前も話したと思うが……聞きたいか?」
 アイゼンが足を組んでネギを観察する様に見つめながら尋ねた。
「聞きたいです!!」
 ネギが反射的に答えると、アイゼンはニヤリと笑った。
「ま、今日は付き合わせたからな。駄賃代わりに聞かせてやろう」
 丁度、店員の女性がシーザーサラダを運んで来た。取り皿を二人分二人の前にそれぞれ置くと、女性は去って行った。アイゼンは何故か気に入らなかったらしく鼻を鳴らし、ハサミで二人分に分けた。ネギは礼を言うとシーザーサラダに手をつけずにアイゼンの口が開くのを待った。
「喰え。そんなに緊張する必要は無い」
 アイゼンに促されてネギはサラダに手をつけた。アイゼンもサラダを口に入れた。
「奴と最初に会ったのは奴がガキの頃だ。お前と同じくらいだったか」
 アイゼンが語りだすと、ネギは黙って話しを聞入った。
「奴は当時、気に入らないからという理由で、魔法学校の教師を殴って、退学になったらしくてな」
「え!?」
 ネギは思わず声を上げてしまった。尊敬する父が教師に手を振るって退学になったなど信じられなかったのだ。
「これは、奴自身が自慢気に語った事だぞ」
「じ、自慢気に…………ですか」
 ネギは少しだけガックリとしてしまった。教師を殴った事を自慢するなんて、恥しい事だろうに、と。
「奴は、魔法学校を中退した頃から放浪の旅に出ていた」
「ちょっと待ってください!! その頃って、私と同じくらいだったんですよね!?」
「そうだ。その当時、既にかなりの力を持っていたからな。お前も、その歳で決戦クラスを使うのだから、人の事は言えんだろう?」
 ニヤニヤしながら聞いてくるアイゼンに、ネギは返す言葉が見つからなかった。確かに、信じられない思いだったが、よく考えてみれば、魔法学校の卒業後の修行でそういう事をする事もあると聞いた事がある。
「奴は強い奴を求めていた。俺にも覚えがある。とにかく、自分の力を試したい。自分の力を高めたいと望んだ」
「アイゼンさんも…………ですか?」
 ネギは信じられないという目でアイゼンを見た。スマートでクールな雰囲気のアイゼンと、強い奴を求めて修行の度に出るなんていう、一昔前の漫画の主人公の様な暑苦しいイメージと重ねるのは難しかった。
「吸血鬼というのは、転化したてはとても弱い。己の固有能力と魔法を鍛える事が必須なのさ。エヴァンジェリンだってそうだぞ。奴は、転化後僅か十年で【闇の魔法(マギアエレベア)】という、自分だけの固有能力(スキル)を作り上げた。そうでもしなければ、転化したての吸血鬼は容易く人間に狩り殺されるからだ」
「あ…………」
 ネギは思わず俯いてしまった。何となく、後ろめたい気持ちになったのだ。落ち込んでしまったネギに構わず、アイゼンは話を続けようとしたが、丁度サラダを食べ終わり、ネギにはラビオリを、アイゼンには香草焼きを店員がそれぞれ運んで来た。
「昔、俺はエヴァンジェリンに挑んだ事がある」
「エヴァンジェリンさんにですか!?」
 ネギは顔を上げて驚いた。
「奴は転々と住居を変えていた。暗黒大陸を住処にしていたが、当時の吸血鬼ハンターが奴を追い詰め、堪らずに南海の孤島にレーベンスシュルト城を築いて住処を移動させたらしい」
「南海の孤島に…………ですか」
 ネギはエヴァンジェリンの辛い過去を聞いて哀しくなってきた。間違いなく、辛かったに決まっているだろう人生を送ってきたエヴァンジェリン。その過去は想像以上に壮絶なものだ。
「現在は、南海大帝が棲み処にしていると聞くがな」
「南海……大帝?」
 聞きなれない単語だった。
「そういうのが居るのさ。で、奴がその南海の孤島に拠点を移してしばらくした頃に、俺が奴に挑んだ。ま、結局勝負はつかなかったがな」
 ネギはラビオリを食べつくすとオレンジジュースを啜った。直ぐに店員が来て、別の料理を運んで来た。アイゼンの前にはエスカルゴが置かれ、周りにはガーリックトーストが並べられている。見た事も無い料理で、興味を引かれた。
「食べるか?」
 アイゼンはそんなネギの考えを読んだ様に、ガーリックトーストにエスカルゴを乗せて、たっぷりとオリーブオイルを塗りたくって渡してくれた。
「あ、ありがとうございます!」
 口に入れると、何となく貝に似ている気がした。香ばしくてとても美味しかった。
「おいしい…………」
 思わず呟くと、アイゼンはクッと笑った。
「話を続けよう。ナギが俺の拠点に挑んで来たのは、旅立ってからそう時間を置かない頃だった。傑作だったぞ。ガキがたった一人で俺に挑んで来た時はさすがに愚かだと思った。だが、奴は面白かった」
 アイゼンは懐かしむようにナギとの初対面の時の様子をネギに語り聞かせた。ナギの間抜けな一面を聞くとネギは苦笑いを浮かべた。それから、ネギとアイゼンは他愛無い話をしながら残りの食事を片付けた。どれも驚くほど美味しく、ネギはまた来ようと心に決めて、支払いをしようと立ち上がった。アイゼンが伝票を取ろうとする前に掠め取った。怪訝な顔をするアイゼンに、ネギは頭を下げた。
「お父さんの事、教えてくれてありがとうございました」
「別に構わん。話の肴にしただけだ」
「でも、お父さんの話が聞けて良かったです」
 そう言って、ネギは支払いを済ませた。店を出ると、アイゼンは何とも苦々しい表情を浮かべていた。店を出るときにネギに支払わせているのを変な目で見られたからだ。質が悪いのは、ネギが完全に善意で行った事だからだ。
「フェアじゃないぞ、まったく」
 ネギは電話が掛かってきたらしく、アイゼンに断って電話をしている。キャロからだった。電話を終えたネギに、アイゼンはネギのおでこをトンッと人差し指で叩いた。目を白黒させるネギに、アイゼンは言った。
「一つだけアドバイスだ。親父の影を追い過ぎるなよ」
「…………え?」
 そう言うと、手を振りながらアイゼンは去ってしまった。ネギは困惑しながら呼び止めようとすると、不意に後ろから抱きつかれた。心臓が爆発するかと思う程驚くと、そこに居たのはチア部の三人組だった。ネギは三人の“何としても避けたい誤解”を避ける為に満腹だと言うのにカフェテリアでパフェを食べながら一時間を費やさなければならなかった――。

 ゴールデンウィーク最後の日、
 真っ暗な闇の中で、一筋の光が視界に映った。
「ひ……かり? ――ッ!? 声が、声が戻ってる!!」
 あれから何日歩いたのか分からない。心が壊れそうになった。だけど、それも一時だけだった。狂うというのは、簡単な事じゃないらしい。それとも、自分は既に異常なのかもしれない。只管に死を望んだりもしたが、本心は違った。だからこそ、生きている。五感が閉じられた状態。その時に、思い出したのは自分を忘れるなという言葉だった。
『ワイは、ワイ…………』
『私は、私…………』
 結局の所、どうやら自分は自分でも知らなかった事実だが…………生き汚いらしい。足で確りと地面を蹴り、外に出た。ほぼ同時だったらしい、真横には、入った時と同じ様に一緒に修行をしていた相手が居た。
「修行、完了だな。気付いてるか? お前達、見違えたぞ」
 目の前に現れたのは土御門だった。小太郎は、一発殴ってやろうかな、と思ったが、それ以上に自分の事に驚いた。掌を上にして、魔力を集中させると、驚くほど簡単に練る事が出来た。狗神の存在も、それまで以上に強く知覚出来る。それどころか、全身の感覚が強まった気がした。風の気配や、水のせせらぎ、光の香り、土の強さ。それらが、まるで手に取る様に分かった。
 和美も、自分の中に在る“力”をハッキリと感じる事が出来た。漠然とではない。ハッキリと、力の鼓動が分かるのだ。両手を広げてみると、自分を取り巻く“風”を感じ取る事が出来た。
「なに…………コレ!?」
 和美が思わず目を見開くと、土御門は満足そうに頷いた。
「これが、死を体感した者だけが得られる“超感覚”だ」
「超…………感覚?」
「何や、それ?」
「お前達は、洞窟の中で確かに感じた筈だ。完全なる無を――死、そのモノを」
 和美と小太郎は頷いた。音も光も触感すらも無い状態。それは、想像を絶するほど辛いものだった。
「擬似的な死を体感したお前達は、それでも自分を失わなかった。それこそが、その超感覚を得る手段だ」
「だから、何なの? その……超感覚って」
 土御門のもったいぶった言い方にイラつきながら和美が尋ねた。
「要は、“研ぎ澄まされた感覚”だ。五感と魔力や気を感じる第六感が強まっているのを感じるだろ?」
 二人が頷くのを見て土御門は満足そうに笑みを浮かべた。
「小太郎、和美、コレに狗神とさよちゃんを憑依させてみろ」
 そう言うと、土御門はナニカを小太郎と和美、二人に向かって放り投げた。慌てて掴むと、小太郎の手には、材質の分からない白い球体が連なった数珠が握られ、和美の手には小さなブローチが握られていた。
「なんやコレ…………ッ!?」
 小太郎は思わず目を見開いた。
「骨!?」
「そうだ。小太郎のは魔狼の骨で作った数珠だ」
「魔狼の…………骨?」
「正確には少し違うが間違い無く最強の名を冠する存在の骨だ」
 小太郎は自分の掌に視線を落としながら魔狼の骨を見つめた。
「ねえ、私のはなんなの?」
 和美が尋ねると、土御門は手で制した。
「その前にだ。ほれっ!」
 土御門はどこからか真っ黒なモノを取り出した。
「って、位牌!?」
 和美がその位牌を見て素っ頓狂な声を上げた。そこには、『奪等院武資粛卯童女』と書かれている。裏には、『昭和十五年十二月二十四日 歿』、『俗称 相坂さよ』、『享年 十五才』と並べて書かれている。そこから、突然真っ白な光と共にさよが現れた。
「和美さん!!」
 幽霊の状態のさよが和美に抱きつこうとして和美を通過してしまった。
「うひゃん!?」
 すると、和美はまるで冷水を浴びせられた様な寒気を感じた。
「あ、ごめんなさい!!」
 慌ててさよが謝ると、和美は大丈夫、と言って何とか笑みを作った。
「これはさよちゃんの位牌だ。位牌は、元々は古来の習俗と仏教の卒塔婆が合わさったモノで、霊の寄り代とされている」
「グッスリ眠れました!! 私、もうずっと“眠る”なんてした事なかったので、すっごく嬉しかったです~!」
「ね、眠ったの!?」
 和美はもう何に驚けばいいのか分からなかった。というか、位牌の中でグッスリ眠るというのはどういう感じなのだろうかと疑問に思った。同時に、やはりさよは幽霊なんだなと理解して切なくなった。
「はい! もう、グッスリです~」
 ふよふよと浮かびながら両手を枕に寝る様な仕草をするさよに、和美はそっか、とだけ言った。
「で、これは何なの?」
 和美が聞くと、土御門は呟く様に言った。
「さよちゃんの遺留品だ。当時のな…………」
「当時の!? って、遺留品ってどういう事!?」
 形見ではなく、遺留品という言葉に和美は引っ掛かりを覚えた。だが、強く追及する事が出来なかった。どうしてだか、土御門が泣きそうになっている気がしたのだ。それが女の勘なのか、超直感なのかは分からない。ただ、土御門にとって、何か触れられたくない傷の様な気がした。
「当時のさよちゃんを俺は知っていた。それだけだぜぃ」
 弱々しそうに感じた。ただ、その言葉の意味は何となく分かった。さよは不思議そうに首を傾げているだけだった。生前のことに興味が無いのだろうかと疑問に思ったが、何も言わなかった。
「ま、いつか話してやるさ。それより、早速憑依してみろ」
 土御門に促され、小太郎と和美はそれぞれに渡された品に狗神とさよを憑依すさせる事にした。研ぎ澄まされた超直感によって、狗神を強く感じながら、右腕に嵌めた魔狼の骨の腕輪に狗神の力を流し込んでいく。途端に、小太郎は恐怖に駆られて術式を解いた。
「な、何や!? 今のは!?」
 小太郎はゼェゼェと息をしながら腕輪に目を落とした。まるで、得体の知れない何かが現れる様な気がしたのだ。その横で、和美もさよに掌を向けながら、前に人形に憑依させた時と同じ様にブローチにさよを招き入れた。すると、一瞬の間に不思議な映像が見えた。
「え――――ッ?」
 それは、古い家の光景だった。それは、古い校舎の光景だった。全く知らない場所の風景が一瞬の間に過ぎ去って行った。そして、一瞬だけ恐ろしい光景が見えた。
 真っ赤な世界。死体が並んでいる。泣き崩れる少年の姿があった。泣き崩れる女性の姿があった。泣き崩れる男性の姿があった。泣き崩れる少年少女の姿があった。
 それが、さよの死に纏わるブローチの記憶だったのかもしれない。ただ、あまりにも場面の切り替わりが早すぎた。元の世界に戻ると、そこにはさよが立っていた。薄くて向こうが見える幽霊ではない。色白の薄い空色の髪の少女。相坂さよが確りと自分の足で立って、目の前に居た。
「さよちゃん…………?」
「ハイッ! 相坂さよです」
 さよはニッコリと眩しい笑顔を和美に向けた。土御門が息を呑んだ音が聞こえた。
 もしかして、と和美は思った。一瞬映った光景の中で、特に印象に残った少年。何処か、土御門に似ていると思った。もしそうなら、もしかしたら自分に試練を与えたり、さよ人形を与えたりしたのは、それが理由なのかもしれない、と思った。
『ああ、別にそれでもいいや』
 和美はニッカリと笑みを浮かべた。こうして、友達に触れる事が出来る。それなら、利用されたくらい、どうだっていい。それに、間違い無く自分は強くなれたのだから――。



[8211] 魔法生徒ネギま! [第七章・二人の絆編] 第三十五話『ボーイ・ミーツ・ガール(Ⅱ)』
Name: 我武者羅◆cb6314d6 ID:87b1fc72
Date: 2010/06/24 08:14
魔法生徒ネギま! 第三十五話『ボーイ・ミーツ・ガール(Ⅱ)』


 ゴールデンウィークの最終日、ネギはアスナとあやかと一緒にあやかの家のリムジンで麻帆良にある大型デパートに買い物にやって来ていた。昨日、故郷の合衆国に帰っていたキャロが電話をしてきたのだ。
『そうそう、言い忘れてた事があったんだ~。今月の末に高等部でダンスパーティーがあるの。ウルスラの人達とかも来て、格式の高いダンスパーティーなんだけど、私達も中等部だけど例外的に参加出来るんだよ~。いい経験になるから、ネギちゃんも参加する様に! それで、ドレスを一着用意しておいて欲しいんだ。どうしても用意出来なかったら、私のを貸してあげるけど、いい機会だから少なくともお店でどういうドレスがあるのかくらいは確認しておいてね』
 という事で、今日はドレスを買いに来たのだ。
 今後も必要になるだろうし、キャロに借りてばかりというのも難だと思ったからだ。最初は一人で来ようと思っていたのだが、ドレスの事などサッパリなネギは、知識のありそうなあやかにドレスについて尋ねた。すると、あやかは是非にと買い物に同行を申し出たのだ。それを偶然聞いていたアスナも自分も一緒に行くと言って、現在に至る。
「私も幾つかのダンスパーティーに招待された事があるのですが、聞いた限りではネギさんがダンス部で参加するというダンスパーティーは社交ダンスで間違いありませんわ」
「私、社交ダンスとかはちょっと…………」
 イギリスに居た頃、魔法学院でも当たり前の教養としてある程度は習っていたが、毎回アーニャの足を踏んでしまい怒られた記憶しかない。
「社交ダンスは男女で踊るのが基本なのですが、その辺はどうなっているのですか?」
「えっと、キャロはダンス部の男子は人数が少ないから、出来れば友達の男子を連れてきて欲しいって」
「なら、小太郎でいいじゃない」
 アスナが言うと、ネギはうっと呻いた。
「あの黒髪の少年ですか? …………確かに、ダンスでは互いの関係が重要ですけど」
「何よ、ショタコンのいんちょが珍しい」
 あやかにとってはピンポイントっぽい年下の男の子である小太郎に渋面する姿にアスナは驚いた。
「し、失礼ですわね。私はショタコンではありません! まぁ、あのくらいの年頃の少年を見るとつい……。いえ、今はいいのです!」
 ネギは一瞬だけあやかが泣きそうになった気がした。アスナも余計な事を言ったと苦い表情になった。
「ダンスの中でも格式の高い部類なので……」
 あやかの言わんとしている事に察しがついてアスナは苦笑した。
「確かに、小太郎に社交ダンスって、あんまりイメージつかないわよね」
「で、でも……。小太郎はその……決める時は決めてくれるというか…………」
 何とか小太郎の弁護をしようとネギが言うと、アスナとあやかが一緒になって口元を押さえ噴出した。クスクス笑う二人にネギは顔を真っ赤にして俯いてしまった。
「あ、ごめんごめん!」
「ついその……甘酸っぱくて」
 何とかネギのご機嫌を取り戻そうと謝罪する二人に、ネギは何となく複雑な気持ちになりながら気を取り直した。
「でも、その様子ならちゃんと小太郎を誘えるかしらね」
「ふえ!?」
 アスナはシテヤッタリという顔をしながら言った。ネギは目を丸くした。
「ですから、ダンスパーティーに誘うのですよ。日本では男性から女性に申し込むのが殆どですが、海外では女性側から申し込む事の方が寧ろ多いですわ。特に、ハイスクールのダンスパーティーでは」
「え、あの……。小太郎も忙しいかもしれないですし…………」
「とりあえず、聞いてみたらいいじゃない」
「でも…………」
 尻込みしているネギの姿にアスナとあやかはニヤケナイ様にするのに必死だった。他人の恋愛ほど愉快な事は早々無い。
「小太郎を誘わなきゃ、ダンス部の人とかが相手になるんでしょ? もしかしたら、高等部の人かも。知らない人相手にちゃんと踊れる?」
「う…………」
 アスナの言葉はネギの痛い所を突っついた。見知らぬ男性に手を取られて振り回されている姿を想像してネギは首を振った。
「無理でしょ? 大丈夫だって、アイツなら断ったりしないから」
「でも…………」
 それでも尻込みしているネギにあやかは手をパチンと叩いた。ネギは音に驚いてビクリとした。
「とにかく、社交ダンスは踊りと同じか、それ以上にマナーが大切なのです! マナーに関してはわたくし、僭越ながらお力添えが出来ますわ! で・す・か・ら!」
「ひゃ、ひゃい……」
 あやかはネギの両肩を掴んでグイッと顔を近づけた。あまりのあやかの迫力にネギは涙目になった。
「ちゃんと、小太郎さんを誘っておいてください。一朝一夕では身に付きませんからね」
「は、はい…………」
 ネギは力無く返事をした。

 ドレスの売り場は十三階建てのデパートの十階にあった。品揃えは豊富とは言えなかったが、ネギが自分のお金で買うと言うので、本当はオーダーメイドでもしようかと考えたあやかは仕方なくここに案内したのだ。質は中々で、値段も手頃なのだ。お店に入ると、アスナとあやかはそれぞれ二、三着ずつ見つけてきた。あやかはアスナがあまりにも“まとも”なドレスを持ってきた事に驚いた。
「私だって、このくらいは朝飯前なのよ!」
 あやかが何かを言う前にアスナは得意になって言った。あやかは一瞬怪訝な顔をしたが、直ぐに感心した様な表情をした。
「少し、スポーティーな感じがしますが、アスナさんらしいですわね」
「そう言ういんちょだって、ちょっと豪奢なんじゃない?」
「このくらいは普通ですわ。ネギさんの可愛らしい顔立ちを引き立てるにはこういうのがよろしいのです」
「私のだって! ネギは線が細いから、こういうので見せかけだけでも活発そうにした方がいいのよ」
 アスナが持ってきたのは、鮮やかなブルーの膝丈のスリップドレス。ネギは髪の毛と瞳が両方とも赤いから逆に映えると思ったのだ。あやかが持ってきたのは、一つは薄いピンクのドレス。もう一つは、ストラップレスのシンプルな黒いロングドレスだった。二人共値段もキチンとネギの予算に合う様に選んでいた。試着室で二人に選んでもらったドレスを交互に着て、二人に感想を求めると、アスナの選んだドレスは失敗だった。
「う~ん、映えると思ったんだけど……」
「やはり、正反対の色ですから。ですが、スリップドレスは悪くありませんわ。色の違うのを試してみましょう」
 そう言うと、あやかはサッとドレスを戻しに行き、直ぐに色の違う同じ形のドレスを持ってきた。今度は白いドレスだ。
「うん。やっぱ、白は清楚さが引き立つわね」
「まあ、アスナさん本当にお分かりになっているのですね」
 アスナの感想にあやかは意外そうに呟いた。それから、あやかが持ってきたドレスもネギが試着すると、薄いピンクのドレスはネギの髪と瞳によく似合った。
「さっきのもいいけど、コッチも中々ね」
「そうですわね。ネギさん、何とも愛らしいお姿ですわ」
「そ、そうですか?」
 ネギは鏡に映ったドレス姿の自分の姿に今一ピンと来なかった。
『あやかさんやアスナさんが褒めてくれてるし…………、小太郎も褒めてくれるかな?』
 背中を鏡で映しながらネギは何となくそんな事を考えていた。アスナとあやかはネギを褒めちぎり、ネギは薄いピンク色のドレスに決めた。それから却下されたドレスをラックに戻した。
 以前、こういう場所でネカネと買い物に来ると恐ろしい程時間が掛かったが、それに比べるとずっと短時間で楽だった。恐らくは選択肢が限られているからだろう。ネカネは直ぐに目移りをして、無駄なモノまで買ってしまうから。
 それから、靴と小物の売り場に向かった。パーティー用なのだから、ドレスだけ買っても仕方ないのだ。ネギは帰るつもりだったので、アスナとあやかに連れられて驚いていると呆れられてしまった。アスナとあやかは二人で相談しながらネギのドレスに合う靴と小物を見繕い始めた。ネギは手持ち無沙汰に二人を眺めながら適当に小物を手で抓んだ。ついでに新しい靴も買おうかなとも思ったが、さすがにそこまでの予算は無いかと諦めた。
「あのぅ、アスナさん」
 アスナとあやかが見繕って来たピンクのストラップシューズを試しながらネギは恐る恐るアスナに切り出した。
「なに?」
 アスナが幾つかのサイズの靴をネギに合わせている。
「アスナさんは、その…………」
 中々言い出し難かった。言うと、何だか自分の中で何かのラインを乗り越えてしまいそうで怖かった。だけど、自分では中々難しい問題だった。
「そのホワイトのブーツいいですね」
 アスナは自分用にも普段用のブーツを見つけていたのだ。
「ん~、そう思う? ネギがそういうなら~、買っちゃおうかな」
 可愛らしい、活発なアスナが普段使うにはあまりにも脆そうだ。それ故に、ネギにもその靴の用途に察しがついた。
「もしかして……、高畑先生にデートを申し込んだのですか?」
 同じく察しがついたらしく、僅かに動揺しながらあやかが尋ねた。祝福したいが、もし本当なら生徒と教師の間で不純な香りが漂う。
「違うの……。そうだったね。いんちょには一番に教えるべきだった……。明日さ、ちょっと時間頂戴」
「え? …………いいですけど」
 違うと言われて、あやかは動揺した。てっきり、デート用の靴を選んだのだと思ったのだが、自分の見当違いだった様だ。だが、自分に一番に教えるべきだったとはどういう事だろう? あやかは戸惑いを隠せなかった。
「少し…………、小物を見繕って来ますわ」
 そう言うと、フラフラとあやかは去ってしまった。
「で?」
「…………え?」
「私に聞きたい事があるんでしょ? なあに?」
 アスナはネギの足のサイズに見事に合う一品を見つけて満足そうに呟いた。ネギは息を呑んだ。自分の考えは、アスナには何でもお見通しな気がしたのだ。どうして、自分が聞きたい事がある事を分かるんだろうか、ネギは戸惑った。
「顔に出てる。それに、もう、付き合い短くないのよ? 私達。そのくらい、分かるわよ。で、何が聞きたいの?」
 クスクス笑いながら、アスナはネギが座っている店内のベンチに座りながら遠くで小物を探しているあやかを見つめながら尋ねた。ネギは敵わないな、と実感しながら諦めた様にポツリと呟いた。
「その……、アスナさんならフェイトさんにどうやって切り出しますか?」
 アスナは予想をしていたかの様に平然と答えた。
「簡単よ。命令するわ。私と踊りなさい! ってね」
「命令ですか!?」
 思わず顔を上げる。
「当然。アスナでも、明日菜でも、私は命令するわ。だって、じゃなきゃフェイトはうじうじ言うし。ま~だ、引き摺ってるからね~」
 アスナは呆れた様な、だけどどこか面白がる様に言った。
「男の子を誘うのは自分の言葉の方がいいわよ? だって、その方が特別だし。何よりもそれが礼儀よ」
 アスナの言葉に、ネギは俯いた。
「自信が……無いんです」
 ネギは零す様に呟いた。
「不思議なんですけど……、もしも断られたらどうしようって……。それが、どうしてか怖くて。断られても、それは仕方ないって思うのが普通の筈なのに…………」
 瞳を僅かに揺らしながら呟くネギに、アスナは大きく溜息を吐いた。それから、意を決した様に言った。
「仕方なく無いって、そう思ったんでしょ? それ、自然な事だよ? 神楽坂明日菜(わたし)は何度も経験してる。息が出来なくなるくらい苦しい気持ちになったりね。どうやったら、あの人の気が惹けるかな? どうしたら、もっと私を見てくれるかな? そんな事年中考えて……」
「そ、そういうんじゃなくて!!」
 ネギは思わず顔を逸らした。現実から眼を逸らす様に。アスナは思案しながら呟いた。
「前に一歩踏み出す勇気。きっとね、それは何よりも難しくて、強いよ。魔法なんかよりずっとね」
「踏み出す勇気…………ですか?」
「そ、どうしても躊躇っちゃう一歩はどんな時だってある。その時に一歩踏み出せる人間は、きっと輝くわ。男でも、女でもね」
「そう言えば、お爺ちゃんが言ってました」
「なんて?」
「『Our magic is not almighty. Slight courage is true magic.』って」
「僅かな勇気が本当の魔法……か。いい言葉じゃない。なら、頑張ってみなさいよ」
「うっ…………」
「かっこいい事言ったくせに、しょうがないわね。ま、ダンスパーティーまで時間もあるんだから、ゆっくり考えなさいよ」
「はい…………」
 そうこう話していると、あやかが戻って来た。あやかが持ってきた小物も一緒に会計を済ませてしまうと、時間は未だかなり早かった。夕食には未だ早過ぎる。夕食はあやかのお薦めの穴場なイタリア料理店でとる予定だったのだが、時間を潰さないといけなくなった。服屋で適当に見て周り、それぞれ外行きの服を買って着替えてみたりもしたが、時間は有り余った。ちなみに、ネギの服はアスナがコーディネイトした。三人共目を引く可愛らしい格好となった。
 あやかとアスナがそれぞれ見に行きたい店があるという事で、店の場所だけ確認すると一時間後に集合という事で、あやかの家のリムジンに荷物だけ乗せると一旦分かれる事になった。
 ネギは別に見たいお店など無かったが、アスナとあやかの買い物の邪魔をするのもなんだと思い、適当に本屋で時間を潰す事にした。大手の本屋の店舗が幾つも並んでいて、どれもこれも同じ様な品揃えだった。どうしてこんなに密集させる必要があるんだろう? そう考えながら、適当にお店に入った。
 料理の雑誌を見つけると、適当に手に取って開いてみる。何気なく取ったつもりなのに、何故か京都料理の紹介が載っていた。深く考えない様にして、ネギは料理の作り方に目を通した。
 最近は木乃香と自然に分担し合って、お互いを助け合える様になっていた。最初は木乃香の手伝いが目的だったのだが、最近では趣味になりつつある。
 雑誌の中に京都料理のお弁当レシピがあった。
『今度、小太郎に持って行ってみようかな……』
 そんな事を考えながら、ネギは雑誌を会計に持って行った。時間は殆ど経っていなかった。
 店の場所は少し離れた地区の外れにある。ネギは地区の外れに向かって、夕方のラッシュで混雑する通りをふらふらと歩いていく。お弁当を渡す姿などを妄想しては自己嫌悪に陥ったり悶々したりして、何時の間にか人通りが少なくなって居る事に気がつかずに居た。本当はゴールデンウィークに一緒にどこかに行きたいな、と考えていた。なのに、ゴールデンウィークに入るとどこを探しても居ない。エヴァンジェリンに尋ねると、どうにも土御門に連れて行かれたらしいのだが……。何だか考えている内にイライラとし始めた。
 会いたいと思うのは、数少ない男友達だからで、と言い訳をしながら、会いたくなった時に会えない小太郎に何とも理不尽な怒りを覚えたのだ。本人が聞いたら、自分のどこに落ち度があるんだ!? と怒鳴り散らしそうな程理不尽な事を考えていると自分でも分かっていて、それが余計にイラつかせた。自分はどうしてしまったんだろうか、と。まるで、小太郎に自分が振り回されている様な気分だった。
 何とか、アスナ達と合流する前にこの何とも言えない感情を整理しないと、と考えて、ネギは耳に掛かった髪の毛を手櫛で払って深呼吸をした。しばらく歩いていると、おかしいと感じた。周りは何だか倉庫だらけだし、歩行者も殆ど居ない。数少ない歩行者も自分と反対の方向を歩いている。そろそろ合流しなければいけない時間だ。焦りを覚えながら道を駆けていく。と、前から男性が数人並んで角を曲がって来た。
 カジュアルな格好からして、恐らくは生徒だろう。この辺は少し不良の多い高等部があると前に聞いた事があった。大声で厭らしい冗談を飛ばし合って、けたたましく下品に笑いあって、小突き合っている。聞いているだけで嫌気が差す様な言葉が飛び交い、ネギは出来るだけサッサと速やかに通り過ぎようと壁際に身を寄せて、少年達が通れるスペースを作った。目を合わせないでスタスタと歩く。
「やぁ!」
 擦れ違い様に少年の一人が声を掛けてきた。周りには誰も居ないのだから、当然、少年の声を掛けた相手は自分しか居ない。ネギはつい目を向けてしまった。数人が立ち止まって、他の少年達も歩調を緩めた。ガッチリした感じの少年達は嘗め回す様にネギを観察した。
 全身が粟立つ様な感覚を覚えた。あまりにも気持ちの悪いその視線から逃れようと、さっと視線を逸らして急いで角に向かった。少年達がゲラゲラと笑い声を上げる。ネギにはどうして笑うのか分からなかった。ただ、無性に怖くなった。今迄感じた事の無い種類の感覚だった。
 脳が警鐘を鳴らしている。とにかく、逃げないと駄目だと思った。今は杖を持っていないし、外行きの服にお店で着替えた時に指輪も置いて来てしまったのだ。
 それに、セシルマクビーのパーカーにミニのジーンズスカートというアスナのコーディネイトした服装はあまり激しく動きたくない格好だった。何せ、少し動いただけで見えてしまうのだ…………。見えない様に歩くのも慣れたものだが、それでもこうまで短いと勝手が違う。ネギは少しだけアスナを恨んだ。
「おい、待てよ!」
 少年の一人がまた呼び掛けて来た。返事をするべきなのだろうと思うのだが、本能的に俯いたまま返事をせず角を曲がった。安堵の溜息をつくと、背後からまだ少年達の大きな笑い声が聞こえて耳が痛くなりそうだった。
 そのまま、逃げるように歩くと、そこは麻帆良にある倉庫街なのだと理解出来た。広大な敷地面積を持つ麻帆良には、所々にこういった施設が存在するのだ。エリア毎に業者の荷物の保管などに使われている。尤も、大手の店舗は自分の倉庫を店舗内に持っているのが殆どだが――。
 トラックの荷降ろし用の大きな出入り口があって、すでにどれも南京錠が掛けられている。厳重な管理がされている様子だ。天井には金網まで張ってある。どう考えても、学生が生活する区域を大幅に逸脱した空間に迷い込んでしまったらしい。
 空は茜色から漆黒の闇に変わっている。肌寒さを感じたが、上着もリムジンに置いて来てしまっている。胸の前でしっかりと腕を組んだ。空はどんどん暗くなっていく。心なしか、どんよりと雲も分厚く天を覆っている感じがする。
 小さな擦れる音が聞こえた気がして、肩越しに後ろを向くと、ギョッとした。さっきの少年達の内の何人かが数メートル後方に立っていたのだ。怖くなって直ぐにその場を後にして歩き出した。辛うじて身体強化は使えるのだ。いざとなれば逃げられる――。そう考えながらも、震えが治まらなかった。
 天気と関係の無い寒気に身震いする。と、唐突に足音が消えた。
 不意に、馬鹿馬鹿しくなった。つけられているなんて、そんなのは自分の馬鹿な妄想で、ただの被害妄想なんじゃないかと。それでも、次の角に向かって、殆ど走るようなペースで歩いた。微かに後方で足音がしたが、首を振って誤魔化した。心臓がドクドクと鼓動を早めている。喉がからからに渇き、自分が今何を感じているのか分からなかった。そもそも、自分は何を恐れているのだろう。何も分からなかった。
 ちらりと振り返ると、少年達はかなり遠くに居る。未だ、視線を此方に向けている気がするが、少し安堵した。永遠にも思える時間が駆け抜け、漸く角に辿り着くと、少年達も歩みを緩めていた。きっと、からかわれていたに違いない。そう考えて安堵した直後に息が止まった。
 角を曲がると、そこには何も無かった。店も、倉庫も、それどころか道そのモノが無かったのだ。
『行き止まり!?』
 凍りつくネギの耳に、カサリと音が聞こえた。我に返ると慌ててその行き止まりの路地から逃げ出そうと振り返った。すると、路地の入口には既にさっきまで自分を追っていた少年とさっき通り縋った少年達が物欲しげな目つきで塞いでいた。理解してしまった。
『からかうのを止めたんじゃなくて…………追い込まれたの?』
 カチカチと耳障りな音が聞こえる。それが、自分が震えて歯を鳴らしている音なのだと気付くのに僅かに遅れた。
 深まる夕闇は電灯の少ない路地を闇に染め、少年達を覆い隠す。ソレが一層恐怖を煽り立てた。
『知らない。何コレ!? 何で、だって…………』
 向けられる気色の悪い視線に鳥肌が立った。こんなのは知らない。未だ、雄も雌も知らないネギは、その正体が分からなかった。
「来ないで…………」
 搾り出す様に、それだけが言葉になった。一際ガタイのいい少年がニヤけながら近づいてくる。
「知ってるか? 学園都市ってのは、閉鎖された空間なんだぜ。“こういうお遊び”の事を、人に中々話せないんだ。なんせ、簡単に広まっちまうからな。逆に言うとだ、女の方も中々人に喋れないんだよコレが」
 そう言うと、少年は近くの壁を思いっきり蹴った。ズドンという思い響きが轟き、ネギはギクッとなった。
「こうやって脅してやるんだよ。んで、こう言うんだ。『俺達にゃ、他にも仲間が沢山居るんだ。だから、誰かに言って俺達が捕まったら、お前は俺達の仲間に報復されるぞ』ってな!」
 少年の言葉に、下卑た笑い声が路地に響き渡る。
「広域指導員たって、こんな場所までは中々目が届かないんだぜ。見回りの時間も把握してるしな」
 ニタニタと気持ちの悪い笑みを見せる少年に、ネギは足元がグラついた。まるで、足元の地面が揺れている様だった。
 何を言ってるのか分からない。ただ、恐怖が全身を支配した。
 少年が合図をすると、何人かの別の少年がネギに近寄って来た。
「こ…………ないで……」
 躯に力が入らない。こんな事は始めてだった。ヘルマンや、千草や、他の敵と戦う時にだって、こんな風にはならなかったのに――。
 少年達がネギを路地の行き止まりの壁に追い詰めて腕を押さえて磔にした。
「前のは結構良かったんだけどな~、ヤり過ぎて頭がおかしくなっちまったんでな。新しいの調達しようって事になってたんだよ。いや~、都合良くいいのが手に入ったわ」
 少年達の手が、ネギのアスナに選んでもらった服を脱がそうとしてくる。
『どうして!?』
 何故、自分の服を脱がそうとするのかが分からなかった。ただ、絶対に脱がされてはいけないとだけは直感して抵抗した。だが、力は殆ど入らなかった。
「ったく、そもそもこんな場所にそんな格好で来るってのは、そういうの期待してたんじゃないのか? なら、さっさと抵抗止めろよ!」
 と、ネギの頬を強い衝撃が襲った。叩かれたのだ。
 ネギは頭の中が真っ白になった。どうして、自分が叩かれたのかが分からなかった。ただ、一気に絶望感に満たされていった。
 焦れた少年達が、ネギのパーカーを無理矢理破こうとした、その時だった――。
「ナニシトルンヤ?」
 あまりにも恐ろしい殺気の篭った声が路地に響いた。路地を塞いでいた少年達から悲鳴が響き渡る。何かが折れる音や、何かが飛び散る音が聞こえる。そして、死神が絶望を運んで来た――少年達へと。
「なんだテメエ!!」
 ガタイのいい少年が怒声を上げながら殴りかかる。何人かの少年が制止を呼びかけるが、無駄だった。少年の骨は、暗闇から現れた小太郎の手によってあらぬ方向に折り曲げられた。少年の絶叫に少年達が凍りつく。尚も、小太郎は少年に攻撃を加えた。
 腹を蹴り飛ばし、両手の骨を踏み砕いた。他の少年もあっという間に地面にキスをさせると、小太郎はネギに自分の上着を掛けた。パーカーは所々破れてしまっていて、下着が露出していたのだ。
「もう、大丈夫やで」
 と、小太郎はそれまでの恐ろしい雰囲気を一変させてネギの頭を優しく撫でた。それから、力強く抱き締めた。緊張が解け、途端にネギは小太郎に縋りついた。上手く立っていられなくなっていたのだ。
 不意に込み上げてきた感情を抑え切れず、ネギは泣き喚いた。ずっと、小太郎はネギの頭をポンポンと優しく叩きながら、泣き止むのを待った。
「ほんに、遅うなってごめんな」
 稚児をあやす様に優しく、小太郎は泣きじゃくるネギを抱きしめ続けた。と、後ろから気配が現れた。
「コイツ等、常習犯だな。警備が万全じゃなかったか……クソッ!」
 背後に現れた土御門は恐ろしい形相で倒れている少年達を睨んでいた。
「土御門の修行のおかげやな……。ギリギリで間に合った……」
「こた……ろう?」
 小太郎が言うと、ネギが愚図りながら顔を上げた。
「ああ、ワイが修行を終えた後に土御門が迎えに来たんやけど、そん時に頭ん中にお前の声が聞こえた気がしたんや。そんで、土御門に術でネギの居場所探ってもろうてな」
「そう……だったんだ…………」
「さ、ここは俺が片付けておく。ここに居るのは…………よくない」
「ああ」
 土御門に促され、小太郎がネギを連れ出した。その時の小太郎がネギの手を握る手は僅かに震えていた。小太郎は影を掬い上げるように目の前にゲートを開いた。
「転移……!?」
 驚いてネギが聞くと、小太郎は頷いた。
「影を使った奴や。前に、エヴァンジェリンさんに見せてもらった奴やけど、修行を終えたら使える様になってた。これで、ショートカットしまくって来たんや。まだ、短距離しか転移出来なくてな」
「凄い…………」
 転移はかなり難しい高等術式だ。どちらかといえば、感覚的な部分の多い術式で、才能が強く求められる。転移で人の多い場所まで見つからない様に慎重に移動すると、ネギは小太郎のジャケットを着たまま近くのお店に入って既にコーディネイトされている…………少し可愛い感じの服を購入した。お財布だけは食事に行くので持っていたのだ。
 破れてしまったパーカーは一緒に購入した手提げ鞄に仕舞った。雑誌を失くしている事に気がついたが、どうでも良くなってしまった。店から出て、人どおりの少なくなってきた小太郎の座っている通りのベンチに近づくと、胸が高鳴った。
 まともに小太郎の顔を見る事が出来なかった。
『な、なんで!? …………そ、そういえば、さっき思いっきり泣いちゃったし…………。どうしよう、嫌われてないよね!? でも、泣き喚いて情け無いし……』
 頭の中がゴッチャになってしまっていると、突然立ち止まったネギに小太郎は怪訝な顔をした。そして、立ち上がるとすぐ隣の自販機からコーラを二つ買った。
「ひゃっ!?」
 突然冷やりとした感触が頬に当り、ネギは思わず変な声を上げた。
「ちょっと、落ち着こうや。怖かったやろうけど、もう大丈夫なんやで?」
 ニッと笑みを浮かべる小太郎に、また目尻に涙が浮かんできて、慌てて拭った。ベンチに腰を下ろすと、コーラをグイッと飲んだ。
「って、一気飲み!?」
 小太郎が驚くと、ネギは缶から口を離してゲホゲホと堰をした。小太郎は苦笑しながらハンカチをくれた。
「慌てて飲むからやで?」
「ご、ごめん……なさい」
 顔が真っ赤に染まった。
『な、何やってるの私!?』
 あわあわとしているネギに、小太郎は困った様な顔をした。
「ほんまに大丈夫か? なんやったら、ちょっと病院にでも…………」
「大丈夫!!」
「さ、さよか…………」
 慌てて叫ぶ様に言ってしまい、また赤面した。自分がどうにかなってしまった様な気分だった。まったく自制が効かない。
 小太郎に呆れられている気がしてまた泣きそうになった。すると、小太郎は困った様にしながら慰めようとしているのか、恥しそうに頭を撫でてくれた。
 その少し離れた場所で――。
「そこよ!! なんかよく分かんないけどチャンスよ、ネギ!!」
 物陰からアスナとあやかが興奮した面持ちで静かに声援を送っていた。
 実は、何時まで経ってもネギが来ないので心配になり、二人で探していたのだ。すると、ネギがお店から出てくるのが見えたのだ。ちょっと、心配を掛けた事に叱ってやろうとアスナが近寄ろうとすると、あやかが慌てて押し留めた。小太郎が居たのだ。
 どうして小太郎がここに!? と思ったが、あまりにも面白い展開に完全に観戦モードになってしまったのだ。ジュースとお菓子まで持って、双眼鏡を傾けている。
「一体何があったんでしょうか、とてつもない勢いでいい雰囲気になっていきますわね!!」
 ドキドキワクワクと二人の様子を眺めている。
 アスナとあやかの存在に気付かないまま、小太郎は只管ネギの頭を撫でながら何を言うべきか考えていた。アスナは気配を見事に消しているし、あやかも何故か巧みに隠している。その上、あやかの事を小太郎はよく知らないので全く気付かれる事は無かった。
「その……なんだ。今はその…………ワイがついとるんや。怖い事なんてなんもあらへんで? その…………誓ったるから!」
「…………?」
 ネギが顔を上げると、小太郎は顔を真っ赤にしながら言った。
「ワイが、お前を護ったる。ネギが危ない目にあったら、辛い目にあったら、ワイが助けに行く! せやから…………」
 そこまで言って限界だった。顔が熱くて仕方が無い。自分の言葉に身悶えしそうだ。恥しくてたまらない。これじゃあプロポーズじゃねえか! とその場で転がりたくなるほど恥しかった。
 ネギはぼーっとしながら小太郎の言葉を噛み締めた。思わず笑みが零れた。つい、衝動に駆られて口を開いた。
「小太郎!」
「な、なんや?」
 小太郎が突然のネギの大声に驚くと、ネギは潤んだ瞳で小太郎の顔を見上げていた。泣きじゃくったせいで、瞼は赤く腫れてしまっている。
 それでも、ネギの姿が可愛くて仕方が無かった。お互いにゴクリと息を呑む。
「今月の末にね、ダンスパーティーがあるの。高等部で…………」
「へ?」
 意味が分からなかった。微妙に何かを期待していたのだが、予想外の言葉に肩の力が抜けてしまった。
「それでね、ダンス部で参加する事になって、誰か男の子を誘わないといけないの……」
 再び、小太郎の体に緊張が走った。鼓動が早まる。心臓がバクバクしてうるさい。
「一緒に…………躍ってもらえないかな? …………あ、その……迷惑ならいいんだよ? ただ…………、一緒にその…………」
「行く!! 踊る!!」
 小太郎はネギが言葉を最後まで紡ぐ前にネギの両肩を掴んで鼻息を荒くしながら言った。小太郎の迫力に若干怯えながら「あ、ありがとう……」とお礼を言った。
「ナイスよ、ネギ!!」
「お見事ですわ!! わたくし、不覚にも手に汗握ってしまいましたわ~~!!」
 と、突然アスナとあやかが現れた。二人共鼻息が荒い。
「あ、アスナさん!? あやかさん!?」
「い、何時からそこに…………」
 ハイテンションな二人に若干引きながら尋ねると、アスナとあやかはピタリと止まって明後日の方向を向いた。
「さ~て、ご飯食べに行きましょ~」
「小太郎さんもどうぞ。奢ってさしあげますわ~!」
「おい待てッ! 最初からか!? ずっと居たんか!?」
「ええっ!?」
 その後、真っ赤な二人を心底楽しそうに弄るアスナとあやかの姿があった。



[8211] 魔法生徒ネギま! [第七章・二人の絆編] 第三十六話『ライバル? 友達? 親友!』
Name: 我武者羅◆cb6314d6 ID:87b1fc72
Date: 2010/06/24 08:15
魔法生徒ネギま! 第三十六話『ライバル? 友達? 親友!』


 それは、少し昔のお話――。
「えーっと、転校生を紹介します」
 それは、小学校に上がってしばらくしてからの事だった。先生に紹介されてやって来たのは、とんでもなく目つきの悪い鈴の付いたリボンで髪を両脇で縛っている少女だった。
「海外から転校してきた神楽坂明日菜ちゃんです。みんな、仲良くしてあげてね」
 先生に紹介されたというのに、明日菜はムッツリとした表情を変えなかった。それがどうしても気に障って、あやかは立ち上がって文句を言った。
「ちょっとアナタ。その態度と目つき、転校生のくせにちょっと生意気じゃないですこと?」
 自分の立場ってものを教えてやろうと思ったあやかは胸を僅かに逸らしながら言うと、明日菜は小さな声でボソボソと何かを言っている。耳を近づけて聞いてみると…………。
「ガキ…………」
「――――ッ!?」
 言うに事欠いてガキ呼ばわりされて、あやかは明日菜の唇の端を引っ張った。明日菜も反撃してきて、二人の喧嘩で一時教室は騒然となった。初対面でお互いにお互いを永遠のライバルと決めた瞬間だった。とにかく、あやかにとって明日菜の第一印象は最悪だった…………。

 青々とした草原の向こうから、一頭の真っ白な毛並みの美しい馬がやって来た。その上には、乗馬用の服を着た雪広あやかが手を振っていた。
「お待ちしておりましたわ」
 白馬から降りると、あやかはニッコリと笑みを浮かべた。この日は、ネギと小太郎はあやかに社交ダンスのマナーを教わる事になってやって来たのだ。ガチガチに緊張している二人の隣には付き添いでアスナが居る。
 一同はあやかの自宅へと招かれた。あやかの自宅のあまりの広さに、ネギと小太郎は呆気に取られてしまった。広大な敷地には池や噴水、プールに花畑。見事に整頓された美しい庭が広がっていた。その奥にはとても大きな本宅や別宅、様々な施設が見える。
 あやかの部屋に通されると、見事な調度品が並べられていて、落ち着いた雰囲気の広い部屋だった。明日菜は勝手知ったる他人の家という風に、勝手に窓を開けて外を眺めている。
「へー、小学校の頃から眺めは変わってないわねぇ」
「勝手にベランダに出ないでくださる、アスナさん?」
 勝手気ままなアスナに呆れながら言うと、あやかは鈴を鳴らした。すると、すぐに執事とメイドが部屋にやって来た。
「ネギさんは紅茶が趣味でしたわよね? 沢山の銘柄を用意しましたので、ゆっくり寛いで下さいね」
 言いながら、あやかは視線をアスナに向けた。
 アスナは少し考えてから口を開いた。
「先に私の用事を済ませちゃうね」
 あやかはアスナの申し出に頷いた。
「お客様を放って申し訳ありません。不自由はさせない様に言い渡しておきますので」
 あやかはそう言うと、アスナを連れて部屋を出て行ってしまった。

 アスナはあやかと向かい合っていた。アスナはフェイトの事を語った。魔法使いの事を話す訳にもいかず、まして、魔法世界の話をぼかさなければならなくて、アスナは説明に苦労した。
 不味い部分をぼかしながら説明するが、バレやしないかと不安になった。ずっと喧嘩ばかりしてきたライバルで、もしかしたら木乃香と同じくらい、気を許せる存在。そんなあやかだから、自分の心を見透かされそうで少し怖かった。だが、あやかはそんなアスナの心配を余所に溜息を吐いた。
「そうですか…………。ご両親が健在だった頃の許婚…………。今では殆ど聞きませんが、成程」
 アスナは、フェイトを自分の幼少の頃の許婚と説明していた。あやかは戸惑いながらも説明をよく吟味した。
「それで?」
「それでって?」
「それだけじゃないのでしょう? そもそも、貴女の好きだったのは高畑先生の筈です。…………アスナさん。わたくしはそう鈍い方ではありませんわ」
「いんちょ?」
 何時もと雰囲気の違うあやかに、アスナは戸惑いを覚えた。
「修学旅行の日からでしょうか…………。何か、雰囲気が変わったというか」
 あやかの言葉に、アスナは目を見開いた。どうして分かってしまうのだろうか、不思議でしょうがなかった。
 明日菜はアスナと一つになった。価値観や、精神的な面が変化しているが、それでも明日菜として自然に振舞っていたつもりだ。なのに、どうして? アスナが言葉に詰まっていると、あやかは俯いてしまった。
「何も…………言ってはくれないのですね」
 あやかの言葉に、アスナは思わず「違う!」と叫んでいた。
「何が違うというのですか? 貴女に何かあったのだろうくらい、長い付き合いなのですから、分かります!! 何か、困ってるなら言ってくれてもいいじゃないですか!!」
 あやかの慟哭した。涙をポロポロと流して、悔しげに顔を歪めている。
「い…………、違うの!! そうじゃないんだよ、あやか!!」
 アスナが叫ぶと、あやかはキッとアスナを睨みつけた。
「貴女は…………誰ですの?」
「…………え?」
 アスナは、自分が何を言われたのか分からなかった。まるで、金槌で頭を殴られた様な衝撃だけが残った。
「やっぱり、違う……。違う違う違う!! アスナさんはもっと粗暴で…………。おサルで負けず嫌いで!! 私がこんな事を言ったら『気持ち悪いわよ馬鹿いんちょ!!』くらい言う筈です!! なのに、貴女は私を気遣ってる……。気遣われる様な関係じゃない筈なのに!!」
「な…………ッ!? 何言ってんのよ!! 友達なんだから気くらい――」
「言いましたわね!!」
「!?」
 あやかの憤怒の形相にアスナは息を呑んだ。
「何が、友達ですか!! アスナさんと私はライバルなのですよ? 心でどう思っていても、言葉にする事など決してない!! 悲しんでいる時は殴ってでも立ち直らせる!! 気を使う必要なんて、私達の間には無い筈です!! なのに……なのに!!」
 あやかはアスナの服の襟を掴んだ。
「貴女は誰ですの?」
 その言葉が最後の一押しだった。アスナと明日菜は元々一人。だが、始まりは別なのだ。
 赤ん坊の頃から王女として過ごしたアスナと記憶を消され、0からスタートした普通の女子校生の明日菜。
 確かに、二人は同じ存在だ。同じ気質で、同じ魂を持つ。それでも、結局は別なのだ。どこかで綻びが生じる。あやかが見たのはその綻びだったのだ。
 涙がボロボロとこぼれる。フェイトが好きなアスナ。だけど、明日菜は確かにタカミチを愛していた。王女としての誇りを持つアスナ。だけど、明日菜には無い。亀裂は広がっていく。どこまでも、どこまでも。
 それでも、一つとなった心は一つのまま。それが、アスナの心を侵食し始めた。前後不覚となって、立っている事も難しくなり、転びそうになると、あやかが支えた。
「話してください。つい、感情に呑まれてしまいました。だけど、やはり違和感が付き纏うのです。何があったんですの? 修学旅行の日に……。フェイトさんという方が原因ですの?」
 あやかが問い掛けると、アスナは首を振った。
「違うの。私の問題なの!! 私……私!! あ、ああ……」
 頭を掻き毟るアスナの腕を掴み、あやかは右手を振上げた。乾いた音が響いた。二人が居るのはあやかの寝室で、ここには二人しか居ない。頬を叩かれたアスナは呆然とあやかを見た。
「甘い言葉を期待しましたの?」
 アスナは呆然としたまま首を振った。一瞬で、何もかも吹き飛んでしまった気がした。ただ、こんな感じだったと思い出した。明日菜とあやかの関係はこういう感じだった。
 迷っているなら殴って正す。泣いているなら蹴って立ち直らせる。他の人から見たら、なんて暴力的なんだと思われるかもしれない。でも、認め合ってるから。泣いてても、迷ってても、立ち直れる人間なんだと理解してるから。だから、さっさと起きろと叩き起こす。
「ねえ、委員長。私が昔は王女様だった…………なんて言ったらどうする?」
 アスナの言葉に、あやかは一瞬だけ目を見開いた。ただ、本当に一瞬だけだった。
「それで?」
「この世界にはね、もう一つあるのよ。世界が――」
 アスナは語った。あやかが危険に曝されるかもしれない。そんな考えも浮かばず、魔法の事、魔法世界の事、昔の事、今の事、フェイトの事、アスナと明日菜の事、全て話していた。
 馬鹿みたいな話を、延々とあやかは聞いていた。普通なら、病院に行かせて、脳を検査しようかと真剣に悩むものだろう。だが、あやかはアスナの言葉をありのままに受け入れた。
「――これが、今の私。アスナと明日菜が一つになったのが私。どっちでもあって、どっちでもないんだよね、だからアンタに悟られちゃった」
 アスナが語り尽くすと、あやかは右手を振上げた。振り下ろされるあやかの手をアスナは躱そうとしたが、何故か当ってしまった。キョトンとしているアスナに、あやかは笑みを浮かべていた。
「これで許してさしあげますわ」
 ふふんと鼻を鳴らして言うあやかに、アスナはムカッとなってあやかの唇の端を抓んだ。
「何すんのよ馬鹿いんちょ!!」
「ひゃひひゅるんでひゅのこのおひゃる!!」
 空気が抜ける様な声を出しながら、あやかもアスナの両耳を引っ張った。あやかのベッドに転がって、暴れ回る二人に、ベッドはギシギシと軋んだ。やがて、ふたりが疲れ果てると、アスナの上にあやかが重なる形でベッドの上で二人は寝そべった。
「何か困った事があったら仰りなさいね」
「サンキュー、いんちょ」
 それっきり、二人は大きな声で笑い合った。何もかもを吹飛ばす様に。すべてを語り尽くすと、なんだかすっきりした気分になった。
 アスナは、フェイトという存在と、タカミチに振られた事で、明日菜よりもアスナに引っ張られ過ぎていたのだ。だけど、あやかに話した事で区切りがついた。丁度、半分ずつという感じだ。
「貸し一つ…………ね」
「高いですわよ?」
「でも、貸しとして受け取っとく」
「ご自由にどうぞ」
 二人はしばらくの間、ベッドの上で重なりあったままで居た後、一度お風呂に入った。ネギ達を待たせているが、乱闘したせいで何となく汗臭くなってしまった気がして、戻る前に流したかったのだ。
 香料の入った湯船への誘惑を振り切り、シャワーだけを浴びると、メイドが持ってきた服に着替えた。
「でもさ、いんちょ」
 戻りながら、アスナはあやかに言った。
「なんですの?」
「あの言葉は嘘じゃないからね」
「わかっていますわ。私も同じですから」
「ま、知ってるけどね」
「ええ、私も知ってましたから」
 木乃香のとも違う。ネギのとも違う。フェイトのとも、タカミチのとも違う。あやかとアスナの間にだけ存在する絆。それが、確かに存在していた――。

 ネギとアスナ、小太郎が招待された日から数日後、小太郎は雪広邸に宿泊させられていた。
 マナーに関して、ネギはほぼ完璧だった。多少、社交ダンスだけのマナーなどの手解きをするだけで済んだのだ。元々、魔法学校での基礎教育と、ネカネの指導の賜物と言えた。
 若干、紳士と淑女のマナーの食い違いを怪しまれたが、ネギは何とかあやかのテストにクリア出来た。問題は小太郎だった。社交ダンスのマナー云々以前の問題だった。
「ですから、何度も申したでしょう? 常に姿勢は真っ直ぐに。膝が曲がってますわ」
 あやかが懇切丁寧に指導しているのだが、小太郎は全くと言っていい程に上達していなかった。部活帰りに毎日あやかにスパルタな指導を受けて、小太郎はいい加減ウンザリしていた。
「せやから! ワイには合わないんや、こんなん!!」
 小太郎が癇癪を起すと、何時もと同じお決まりの宥め台詞を言う。つまり、ネギと一緒にダンスしたくないの? だ。効果は覿面で、渋々ながらも小太郎はやる気を取り戻した。
 立ち方から歩き方。食の仕方に至るまで。あやかは手の掛かる小太郎の世話を不思議と苦とは思わなかった。それ所か、最近、寮の同室である千鶴や夏美に楽しそうだと言われた。
 事実、自分は楽しいのだろうと感じていた。小太郎が、まるで手の掛かる弟の様で、マナーのレッスンは有意義な時間となっていた。
「いいですか? ダンスは基本的に男性が主導権を握るのです。女性をエスコートしなければなりません」
「って、言われてもやな~。そもそも、ワイ、お高く留まったシャッコウダンス~なんざ、見た事も無いんやで?」
「そのお高く留まった社交ダンスをするのですから、相応しいマナーを覚えなければ、恥しい思いをするのは貴方だけではないのですよ?」
 うぅと呻く小太郎に、あやかは小さく息を吐いた。なかなか上手く理解させる事が出来ずに困ってしまった。
 小太郎は食事は音を立てないし、眠っている時など鼾一つかかない。それどころか、寝返りすらもうたずに居る。だが、歩き方などを矯正しようとしても中々うまくいかないのだ。
 ダンスパーティーは学生の主催しているアマチュアなので、そこまで厳しくする必要は無いのだが、教え始めると、あやかはどうにも凝り性で、小太郎に完璧なマナーを修めさせずにはいられなくなった。

 数日が経過して、やはり小太郎はあまり上達してはいなかった。物覚えが悪いというより、肌に合わない感じで、ダンスの方もほとほと無惨な出来だ。あやかを相手にしながらの練習では、身長はあやかが圧倒的に高いというのに、持ち前の力で振り回しっぱなしで、完全で無欠なメイドが相手にしても、足を踏んだり一緒に転んだりで二人そろってボロボロになってしまう始末だった。
 ダンスの練習なのに、まるで決闘をした後の様な状態になっているメイドと小太郎に溜息をついた。一番の問題は小太郎の背だった。小太郎は、その歳の中では、高くもないし、低くもない。だけど、あやかやメイドよりは圧倒的に低いし、ネギとは殆ど同じくらいだ。身長は少しでも男性が高い方がやりやすいし、見映えも良い。どうにかならないだろうか、そう考えていると、あやかはふと思いついた。
「そうですわ。小太郎さん」
 あやかは風呂で汗を流した後にフルーツ牛乳を飲んでいる小太郎に話しかけた。
「なんや、姉ちゃん?」
 あやかは呼ばれる度に口元が吊り上がってしまうのを抑えるのに苦労する。最初はあやか姉ちゃんだったが、呼び難いでしょう? と尋ねると、姉ちゃんと、小太郎は呼び始めたのだ。
 実のお姉さん、という感じではなく、近所のお姉さん的な意味だと分かっているのだが、どうしてもその呼ばれ方にやみつきになってしまった。
「小太郎さんも魔法使いなのですよね?」
 あやかがそう言うと、小太郎は飲んでいたフルーツ牛乳を思わず噴出してしまった。
「な、何アホ言ってるんや? 今時、魔法使い? 頭の中が花畑かいな? 病院行った方がええで?」
 慌てて冷静な顔を取り繕うが、焦り過ぎて言葉が変になっていると自分でも理解し余計に焦る。あやかはそんな小太郎を呆れた様に見つめた。
「そんなに慌てなくても平気ですわ。魔法使いについてなどは、アスナさんからお聞きしておりますから」
「何やて!?」
 小太郎はアスナの暴挙に唖然としてしまった。実の所、一般人に魔法を知られたのはあやかの前にも大河内アキラという前例が居るのだが、小太郎はそれを知らないし、そもそも簡単に一般人に話してはいけない事を常識として捉えている。
 理由があるからだ。一般人に教える事の危険性。話さざる得ない時は、話を聞く人間が善良であるかどうかも、黙っていられる人間かも第三者が検証しなければいけないし、話したからには最低限の知識をキチンと与える必要があるのだ。さもなければ、好奇心で動いた結果で、自分から危険に飛び込むかもしれない。
 過去に実際にあった事だ。下手に魔法をしってしまった一般人が、公表しようとして大騒ぎになったり、魔法を更に知りたいと、裏の世界に入ろうとして消されてしまったり。魔法学校の教科書や、裏で伝わっている歴史書を見れば、稚児でも理解出来る程馬鹿な真似をしたのだ。聞かれたらエヴァンジェリンやネギも微妙な顔をしそうだが、それが常識だった。
「ご安心を、誰にも話したりしませんわ。それくらいの良識はあるつもりです」
「って、言われてもな…………。別に、記憶消せとは言わへんけど…………」
 小太郎は呆れてモノも言えないという表情だった。
「とにかく、貴方も魔法使いなら、身長を伸ばすくらいは出来ませんの?」
「はぁ?」
 小太郎は言われて一瞬ぼうっとなった。
「んなもん、そう簡単に出来る訳ないやろ。そもそも、ワイは魔法使いやのうて、狗神使いや」
「狗神? 魔法使いでは無かったのですか? アスナさんは、似たようなものだと仰っていましたのに」
「ちゃうちゃう。別もんや。裏の世界って意味じゃ、一緒やけどな」
「そうなのですか? それはともかく、出来ませんの?」
「そういう術があるのは知っとるけど、ワイには無理やで」
 肩を竦める小太郎に、あやかは残念そうな表情で「そうなのですか……」と呟いた。小太郎はなんだか気まずさを感じた。
「せや! もしかしたら、エヴァンジェリンさんかカモの奴がなんか知ってるかもしれへん」
「エヴァンジェリンさんが? それに、カモ……とは?」
 あやかが首を傾げるが、小太郎はさっさと携帯電話を使うと、カモが最近何時も一緒に居るタカミチに電話を掛けた。数コール待つと、タカミチは直ぐに出た。
『もしもし』
「お、タカミチさんか?」
『小太郎君、どうしたんだい?』
 恐らくは着信の時に名前を確認したのだろう。タカミチは小太郎の名前を言い当てながら用事は何かと訪ねた。小太郎が手短に話すと、タカミチは受話器の向こうで疲れた溜息を吐いた。
『さすがお姫様だな、アスナ君……。まあ、あやか君ならいいだろう。雪広財閥の者なら、いずれは知る事になるし』
 ボソボソと言うタカミチに、小太郎はカモを出すように促した。カモはやはりタカミチと一緒だったらしく直ぐに出た。
『おう! 久しぶりだな、犬ッコロ!』
「犬ッコロ言うな、オコジョ!!」
『おう、俺様はオコジョだ! で、身長を高くする方法だったか?』
「チッ。おう」
 カモの悪びれる風も無い口調に舌を打ちながら肯定する。
『方法はあるぞ。年齢詐称薬とかがな。明日でいいなら取り寄せてやるぜ? っかし、何に使うんだよ?』
 尋ねてくるカモに、ダンスパーティーの事を話すと、電話の向こうでカモが放心してしまったらしく、タカミチが起そうとしている声が聞こえた。
『そ、そんな事になって……。あ、あれ? なんか目から汗が止まらないぞ? どうしたんだろ俺ッチ。う……うわああああああああ』
 電話の向こうで泣き崩れてしまったカモをタカミチが必死に慰めようとしているのが聞こえた。
 小太郎は電話を構えてるのと反対側の耳をほじりながらカモが落ち着くのを待った。
『うぷっ……おええええええ』
 電話の向こうでどうやらカモは吐いたようだ。そんなにショックだったのか? と小太郎はさすがに心配になってきた。
『えっと、カモがなんだか青褪めてきちゃったから、一端切るよ。年齢詐称薬の方は僕が手配しておいてあげるよ。明日にでも、アスナ君達の部屋に届くようにしておくから。さすがに、あやか君の家には難しいからね』
 そう言うとタカミチは電話を切った。
 ツー、ツー、という音の鳴る携帯をたたみ、あやかに詐称薬の話をした。
「なんだか、犯罪の香りのする名前ですわね……」
 微妙な顔をしながら言うあやかに、小太郎も否定しなかった。

 翌日、あやかと小太郎はアスナ達に事情を説明してアスナ達の部屋に上がった。小太郎は認識阻害を使いながらだ。見つかったら、さすがに只では済まない――。
「で、これが年齢詐称薬ッス。他にも、何か色々試供品が入ってるッスね」
 何とか立ち直ったらしいカモが薬の説明をしている。ネギはあやかにアスナが軽はずみに話してしまった事に動揺していたが、カモと会うとカモの方に気を取られた。
 なにしろ久しぶりの再会だ。だが、カモがゲッソリとしている姿が痛ましく、どうして傍に居てくれないのか聞き出せなかった。
「何だか、色々入ってますね」
「このお薬は何やの?」
 刹那も木乃香の隣に座っている。箱の中身を眺めながら、幾つかの薬の試供品の一つを木乃香が手に取った。そこには、『魔女の軟膏』とラテン語で書かれていた。
「そいつは『魔女の軟膏』でさ。そいつを体に塗ると、わずかな間だけ、魔術師のランクが上がるんス」
「魔術師のランクですか?」
 あやかが尋ねると、カモは頷いた。ちなみに、あやかはカモが話すと一瞬目を見開いたが、直ぐに慣れてしまった。魔法があるなら、動物も話すでしょうね、と器の大きさを見せた。
「ま、ものの例えッスよ。簡単に言うと、コイツを塗れば、多少は上位の魔法も使える様になったり、一般人でも魔法が使えたりするんス」
 カモはゴソゴソと幾つもの薬品を並べて見た。
「にしても、沢山あんな。これ、全部試供品なんか? とても、そうは見えへんけど」
 瓶に入ってるモノなど、普通に売り物の様に思えるモノがかなりある。
「タカミチ名義で買ったからな。お得意様だし、タカミチ自身の名声なんかもあるから、使った感想を言って欲しいんだろ。タカミチの言葉を載せれば、間違い無く売れ行きが上がるだろうからな」
 箱の中から何枚かアンケート用紙が出てきた。
「そんなに高畑先生は凄いのですか? いえ、尊敬してはいるのですが、教育者としてですし…………」
 どうにも聞いていると、まるでアイドルか何かの様なカモの言い方に、思わずあやかが尋ねた。
「そりゃそうッスよ。元・紅き翼ってだけでも凄まじいネームバリューッス。それに、タカミチ自身が“立派な魔法使い”として活動し、名声を築いてるからな」
「そう言えば、高畑先生って、どんな仕事をしとるんや?」
 木乃香が素朴な疑問を口にした。カモは持っていた薬を置いて語った。
「基本的に、タカミチは詠唱ってのが出来ないんス。変わりに、咸卦法や無音拳、他にも多彩な武術を修めてるッス。それを活用して、タカミチは活動してるんス。最近の雑誌があるッスけど――」
 そう言いながら、カモはネギの机の一番下の引き出しにあるカモの部屋を開いた。実は、ここにはカモの物やカモの寝室があって、魔法で少し空間が広げられている。鍵も確りと閉められる様になっている。
 カモは中から魔法世界で出版されている雑誌を持って来た。そこには、ウェーブのブロンドヘアの美しい女性が表紙を飾っていた。
「あ、この人!!」
 雑誌の表紙を見て、思わずネギが素っ頓狂な声を上げた。
「知ってるの、ネギ?」
 アスナが尋ねると、ネギが頷いた。
「何度も魔法使い専用のテレビチャンネルで見た事があります。ドラマとかには出ませんけど、CMとかには何度も出てて、お姉ちゃんが言うには、女の子の憧れ魔法使いNo.1なんです。人気魔法使いランキングでも上位に入る事がしばしばで」
「ちなみに、本職は、悠久の風と並ぶ二大ギルド『始まりの鐘』のパーティー『碧き隼』のリーダーッス」
 ネギの説明にカモが捕捉する。
「魔法世界の中立的な立場にあるアリアドネーに本拠地を置くギルド連合に登録されてるギルドで、簡単に言えば、魔法使いの警察組織って感じッスよ」
「アリアドネー? 何ですの、それは?」
「魔法世界は大きく三つの国家に分かれているんス。北のメセンブリーナ連合。南のヘラス帝国。そして、中立国であるアリアドネー。メセンブリーナ連合とヘラス帝国は嘗ては大分裂戦争という大きな戦いを繰り広げたんスけど、今は互いに手を取り合ってる状態ッス。両国はボレアリス海峡を挟んで丁度北と南に分かれてるんスよ」
 カモの説明に数人を除いてついていけなかった。専門的な言葉が多すぎたのだ。カモもそれを察して謝ると、地図を持ってきて説明しなおした。
「魔法世界って、どこにあるん?」
 木乃香が尋ねた。こんな巨大な世界が一体どこにあるというのだろうか、と。
「火星の異次元空間に置かれてるッス」
「火星!?」
 カモが呆気無く言ったその言葉に、あやかや木乃香達だけでなく、魔法世界に居た筈のアスナやネギまでもが驚いた。突然、魔法世界は火星にある……などと言われても信じられない気持ちでいっぱいだった。
 魔法学校の教科書には、そんな話は載っていないし、アスナもそんな知識は無かった。
「コイツは、基礎教育科目じゃなくて、専門分野に入ってから学ぶモノなんスよ。昔の話ッス――」
 そう口火を切って、カモは語り始めた。ネギ達もカモの話に興味津々で真面目に聞いていた。
「元々、この地球に魔法世界はあったんス。けど、問題があった」
「問題? なんですか、それは?」
 刹那が尋ねる。
「それはな。時空の歪が出来て、一般人が魔法世界に来る事件が多発したんだ」
「次元の歪……ですの?」
 あやかが訪ねた。
「そうッス。隣り合う次元の壁は、普通なら越えたり出来ないッス。だけど、魔力溜りや、不思議な運命、偶然の事故。そういったナニカによって、次元の歪が生まれ、現実世界の住民が魔法世界へと足を踏み入れたんス。どうして、魔法使いは普通の人間に自分の存在を隠そうとするかを知っているッスか?」
 カモは一同の顔を見ながら尋ねた。
「それは、魔法が危険だから…………」
 ネギが恐る恐る答える。すると、カモは頷いた。
「それも答えの一つッス。けど、それだけじゃない。一番大きな理由は、人の本質にあるッス」
「本質? 何ですか?」
 刹那が尋ねる。
「人は、得体の知れない存在を嫌悪する。これは、別に“人”だけじゃない。動物達や植物達も、イレギュラーは排除しようとする。普通、異次元の世界なんてものに足を踏み入れた人間は、余程の能天気でもパニックを起す。そして、辛うじて戻って来た人間は公表しようとする。そして、滅ぼそうとする。自分達の持たない力を持つ存在を」
 カモの話はよく聞く虐めの原因みたいな話だった。聞きながら、さすがに言い過ぎじゃないか? そう、誰もが思ったが、口を挟まずに聞いていた。
「魔法世界がどうして火星に置かれたのか? これには、幾つモノ諸説があるッス。偉大なる魔術師による“異次元創造”。アスナの姉さんの住んでいたウェスペルタティア王国の初代女王である【アマテル】は創物主の娘と呼ばれていて、アマテルの親が魔法世界を火星に創造したという説が一番濃厚ッス」
 創物主という単語を聞いた途端、あやかを除くほぼ全員が造物主の事を考えた。だが、カモの様子から関係が無いのだろうとそれ以上考えないようにした。
「後は偉大なる魔術師による“惑星転移魔法”。地球に重なっていた異次元空間をそのまま火星の異次元空間に転移させたという説。これは、あまり支持されてないッスね。惑星の大きさが違うし、環境の面なんかもあって。後は、説っつうと語弊がありやすが、“神との対話”ッス」
「神との対話!?」
 いきなり何を言い出すんだ!? あまりにも突拍子の無い言葉に、アスナが素っ頓狂な声を上げた。
「これは、誰にも支持されない一つの御伽噺ッス」
「御伽噺……?」
 ネギがキョトンとしながら尋ねた。
「そう、御伽噺ッス。『むか~し、むか~し、世界に異世界の侵略者達が襲ってきました。世界の人々は異世界の人々を容易く葬る力がありました。けれども、人々は戦争などしたくないのです。すると、一人の煌びやかな衣を纏った少女が月から降りてきました。少女は“七の力”を人々に与えました。少女は人々の中から“力”を持つに相応しい者を選び、選ばれた人々は力を使い新天地へと旅立ちました。人々は少女こそが、神様だったのだと考え、崇めました』っていう感じの話ッスよ。多少は端折ったッスけど」
「へぇ、そんな御伽噺があるんだ」
 カモの話を聞いて、アスナは興味深げに呟いた。
「そういえば、昔、話してくれたっけ」
「そうなの?」
 ネギが懐かしがる様に言うと、アスナが聞いた。
「ネカネの姉さんが忙しい時は、俺ッチが姉貴に本を読んだり、話を聞かせたりしてやしたからね。いや~、懐かしいッスね。俺ッチの話に興奮しちゃって、余計に眠れなくなって、夜更かしさせたって、ネカネの姉さんに怒られたもんスよ」
 カモがしみじみと言うと、ネギが真っ赤な顔をして「それは言わないで!」と怒った。カモはそんなネギの反応に慣れている様で、二言、三言で機嫌を直させてしまった。
「な~んか、カモ君って、ほんまにネギちゃんのお兄ちゃんみたいやね」
 木乃香がカモを抱き上げながら言うと、カモは嬉しそうに笑った。
「そうッスか。お兄ちゃんか…………」
 噛み締める様に呟くカモの姿を見て、本当にネギを大切にしてるんだな、と木乃香達は思った。それから、カモは魔法世界について話して聞かせた。
「基本的に、立派な魔法使いってのは、アリアドネー、もしくはメセンブリーナ連合、そして、この世界の魔法使いに与えられる称号ッス。基本的に中立国のアリアドネーは、ヘラス帝国とメセンブリーナ連合との関係を取り持ち、ヘラス帝国とメセンブリーナ連合は“外見”は平和を装っているッス」
「外見は…………ですか」
 あやかが呟いた。
「中身は未だ緊張状態ッスね。お互い、腹の探り合いをしてるッス。けど、武力的というより、政治的な駆け引きの面が強いんで、国民の間では国交もあるし、互いの国の者同士が結婚したりもしているッス」
 その後の魔法世界の話はどれもワクワクする事ばかりだった。ドラゴンの住まう龍山山脈や、様々な魔法生物の存在。亜人達の営む生活。どれをとっても胸の躍る話だった。
「うち、魔法世界に行ってみたい!」
 木乃香が目を輝かせて言うと、少女達はうんうんと頷いた。
「ま、その内行く事にもなると思うッスよ。そろそろ、将来的な話もしようと思ってたんス」
「将来的な話……ですか?」
 刹那が尋ねる。
「姉さん方も、そろそろ本格的に魔法界の職業について考える時期が来たって事ッスよ」
「職業……魔法界のですか。そう言った話でしたら、わたくしは退席した方がよろしいですね」
 あくまでも知っているだけのあやかは、自分の立場を弁えて立ち上がろうとした。
「別に聞いていってもいいッスよ。こういうのもあるってだけの話ッスから」
 カモは何気ない調子で言った。あやかは驚いた様にカモを見るが「では、お言葉に甘えますわ」と言って座りなおした。
「魔法使いは基本的にチームを組むんス。個人で動くのも居やスが、それは限られた小数ッスね。基本的に、ギルドに登録して、志を同じくする仲間とパーティーを組むんス。分かり易く言えば、企業と子会社って感じッスね。ギルドから常に配信されている仕事をパーティーが受注する。信用の高いパーティーほど、重要な仕事が貰えるッス。ギルドも種類がかなりあって、商業ギルド、傭兵ギルド、医療ギルド、開発ギルド、建築ギルドってな感じで」
「“悠久の風”とか、“始まりの鐘”ってのはどんな感じなんや?」
 小太郎が尋ねた。
「どっちも同じ総合ギルドだ。簡単に言えば、迷子探しから戦場まで、あらゆる仕事をパーティーに配信する何でも屋って感じだな。紅き翼のサウザンドマスターなんかの活躍で一気に知名度を上げた“悠久の風”と、古き時代からの老舗のギルドである“始まりの鐘”。自分にあった職業ギルドに就くまでは、大概の魔術師は総合ギルドで働いて、自分の適性職業を確かめるんス。様々な経験をしながら成長し、やがて飛び立っていく。“始まりの鐘”の指針でもあるんスよ。“ここが始まりなのだ。君達の旅立ちに祝福の鐘を鳴らそう”。そういう意味が篭められているんスよ」
「なんか、“始まりの鐘”の方がいい気がするけど、“悠久の風”はどうなの?」
 アスナが尋ねる。
「“悠久の風”は、どちらかと言えば英雄を目指す人間。即ち、“立派な魔法使い”を目指す人間が多く在籍しているんスよ。悠久に吹き続ける風の如く、世界に安寧を齎す者よ。悠久の風のエンブレムには、そう古代の文字で刻まれてるッス」
「カモ君はどっちのギルドがええと思うん?」
 尤もな質問を木乃香がする。カモは少し考えて言った。
「俺ッチは、“始まりの鐘”を勧めるッスね。悠久の風はサウザンドマスターの知名度に頼る面があるんで、地盤の固まっている“始まりの鐘”と比べると、未熟な感じが否めないッス。古い魔法使いは、子供を“始まりの鐘”に入れるのが常ッス。けど、若い親は悠久の風に入れたがるッス。子供に英雄的存在になって欲しいって感じで」
 分からない話じゃない。本当の英雄が在籍していたギルドがあるのに、古臭い感じのギルドになんて、若い親は入れたがらないだろう。
 安定した職業よりも、夢に向かって駆け上がって欲しい。夢を見るよりも地に足を付けて地道に頑張って欲しい。二つの対になる思いの結果が二大ギルドの存在する理由なのだ。
「ま、将来的には姉さん達にパーティーを組んで貰って、“始まりの鐘”に登録して、経験を積んだ後にそれぞれの世界に飛び立っていくってのが、俺やエヴァンジェリン、タカミチの共通の願いでさ。ま、少なくとも、中学までは義務教育ッスし、高校までは学生生活をエンジョイして欲しいってのもまた、共通意見ッスよ。大学に上がったら自由が利くから、ギルドに登録しながら大学にも通うってのも手ッスけどね」
 それで話は終わりとばかりにカモは薬の仕分け作業に戻った。恐ろしく不気味な色のモノから、恐ろしく美しい金色の液体まで、多種多様な薬品の数々が並び、カモは仕分けを手際よく行っていく。
 飲むと魔力と体力の回復する“バジリスクの血”。鳥の言葉が分かる“ドラゴンの脳髄の血”。老化を停滞させる“シーブ・イッサヒル・アメル”。愛を増幅させる“愛の花の雫”と憎しみを増幅させる“憎しみの花の雫”。燃える水“アルカヘスト”。年齢を上昇、下降させる“年齢詐称薬”。
 カモは年齢詐称薬以外を全てネギの机の引き出しにある自室に仕舞い込んだ。アスナが興味深げに媚薬の“愛の花の雫”を手に取ろうとするとカモは怒った様に唸った。
「コイツは処分するもんッス。効力は弱いが、精神操作系の薬物は危険が付き纏うんスから」
 厳重に忠告し、カモはすべての薬品をキチンと保管すると年齢詐称薬の蓋を開けた。中には赤と青の小さな球が大量に入っていた。
「これが?」
 あやかが尋ねる。カモは頷いて説明を始めた。
「正式名称は、『変齢薬』。一般的には『赤いあめ玉・青いあめ玉年齢詐称薬』って呼ばれているッス」
「変齢薬か、どういう原理なんですか?」
 刹那がカモの手から変齢薬を受け取って手の中で転がしながら尋ねた。
「簡単に言えば、昔はこうだっただろ~な~、将来こうなるだろ~な~って感じの姿に変化させる薬ッス。詳しい術式は月の不死信仰に属する霊薬である年齢後退の変若水と年齢推進の死水を様々な魔法薬と調合して、肉体の細胞一つ一つにまで干渉していき――」
 カモが長々と説明している隣で、早々に理解するのを諦めた木乃香が赤いあめ玉を勝手に食べてしまった。
「あ、まだ説明中!!」
 カモが叫ぶが、木乃香の体が煙に包まれた。
「お嬢様!?」
 刹那が心配して叫んだ。煙が晴れると、そこには木乃香の姿は無く、変わりに黒髪の美しい女性が立っていた。
「この……ちゃん?」
「木乃香……なの?」
 刹那とアスナが呆然と名前を呼んだ。他の面々も言葉を無くしてしまった。切れ長の瞳は、引きずり込まれそうな程深い漆黒。艶やかな黒髪が地面にまで届きそうで、背もずっと高くなっている。服のサイズが合わないらしく、ジーンズは脱ぎかけになり、白いシャツは豊満な乳房の形をハッキリと象り、息を吸うのも忘れそうになる程美しかった。
 大人の姿になった木乃香は、パチパチと眼を瞬かせると、周囲を見渡した。鏡を見ると驚愕の表情を浮かべ、すぐに喜色を浮かべた。
「見て見てせっちゃん! セクシーダイナマイトや!」
 ポーズを取って姿に合わない口調で戯ける木乃香に漸く少女達が息を吹き返した。まるでお姫様の様な気高さすら纏う木乃香に、刹那は顔を真っ赤にしながら馬鹿みたいに頷いた。
「綺麗や。このちゃん……ほんまに、綺麗や……」
 呆然と呟き続ける刹那に、木乃香もさすがに照れ臭くなったのか赤くなってしまった。
「こ、こうゆう魔法って、ウチ好きやな。せっちゃんも!」
 木乃香は赤いあめ玉をもう一つ取って、刹那の口に入れた。煙に包まれて、直ぐに煙の先にサイドポニーテイルが解け、木乃香とは違った美しさを放つ刹那の姿があった。大人になった木乃香が華なら、刹那は花という言葉が相応しかった。
 まるで正反対になってしまった木乃香と刹那は、並んで座っているとゾッとするほどに美しい一つの絵画のようだった。特に、木乃香は異常だった。温和な木乃香とは似ても似つかない厳しい眼差しの女性。変齢薬が将来の木乃香の姿を想定して見せた姿だとしたら、とんでもない的外れに思えた。
「す、凄いわね…………」
 アスナは呆然と言った。息を呑む程の美人。よく聞くが、実際に見るのは初めてだった。木乃香と刹那の将来は間違いなく男が引く手数多だろう。再び二人に視線を移す。そこには、女同士でお互いを蕩けた様に見つめ合う美女達が居た。
「惜しい…………」
 つい呟いてしまいながら、アスナは青いあめ玉を取り出して、手の中で転がした。
「こっちは若返りね……。よ~し!」
 アスナは口の中に青いあめ玉を放り込んだ。煙が晴れると、目つきの鋭い少女が立っていた。
「うわっ…………」
「うわって何よ!?」
 あやかが思わず呻くと、アスナは更に目つきを鋭くして怒鳴った。
「いえ、貴女に始めて会った時の事を思い出してしまいまして……」
 苦虫を噛んだ様な顔をするあやかに、アスナは剥れた。
「あんたも食べなさいよ!!」
 アスナは小さな体に見合わないスピードであやかの口にあめ玉を放り込んだ。煙に包まれて子供になったあやかを見つめ、アスナはニヤリと嗤った。
「うわっ!」
「…………貴女の思考回路を一度調べる必要があるようですね」
 ピクピクと米神をヒクつかせながら怒るあやかにアスナは馬鹿にした様な笑みを浮かべた。
「チビガキ!」
「貴女のせいじゃないですか!? 第一、今の貴女も変わらないじゃありませんの!!」
 アスナとあやかがお互いの唇を引っ張り合うのを尻目に、ネギも赤のあめ玉を取り出した。
「未来の姿か…………」
「ワイも興味あんな」
 小太郎も赤いあめ玉を取り出す。同時に飲み込む。煙に包まれた後、二人はお互いに向かい合わせになりながら互いを見た。
 二人揃ってポカンとした表情を浮かべている。ネギの髪は腰まで伸びている。柔らかな丸みを帯びた大きな瞳と潤ったピンクの唇。何よりも小太郎が無意識に眼を向けてしまったのは、女性としてのネギの体だった。
 大き過ぎる訳じゃない。それでも、自己を主張しているソレはネギの着ていた小さなキャミを持ち上げている。柔らかな白い肌色のソレについ視線が釘付けになってしまう。
 ネギも大きな姿に変わって鋭くなった小太郎の眼差しの先を追った。自分の胸元と小太郎の顔を交互に見返して一気に頭に血が上った。慌てて胸を隠して小太郎から距離をとり、何かを叫ぼうと口をパクパクと動かそうとするが、うまく言葉にならなかった。
「ち、違う!」
 慌てて顔を逸らして否定するが、後ろめたさで声が震え、説得力が無かった。ネギも自分の行動が理解出来ずに落ち込み俯いてしまった。
 チラリと小太郎の方を見ると、小太郎の履いていたゆるいカーキーブラウンのカーゴパンツは半ズボンの様になってしまっていて、シャツもとても“小さく”なってしまっていた。白いシャツは長袖だったが、小太郎は不快な長さになってしまったシャツをひじまで捲くっていた。
 腕に眼を落とす。大人というより、高校生くらいになった感じの小太郎の腕は驚く程ひきしまっていた。筋肉質という訳じゃないけど、シャツの上から引き締まった肉体が浮かんでいる。そのまま、ぼうっと視線を徐々に上げていく。
 長めの黒髪は、思わず触れたくなる程美しく、鋭い目つきの奥に潜んでいる闇色の瞳は吸い込まれそうな錯覚を覚えた。精悍な顔立ちの小太郎の顔をジッと見つめていると、小太郎は気まずそうに顔を背けてしまった。ネギはジレッたく思って、一歩ずつ小太郎ににじり寄った。
「お、おい!?」
 小太郎が驚きの声を上げるが、もっとよく見たいと思い、ネギは更に近づいて小太郎の頬に指先を伸ばした。周りで息を呑む様な音が聞こえたが止まらなかった。
 まるで発作の様に、小太郎の肌を触ってみたくて堪らなくなった。驚愕に見開いている眼のすぐ横に右手を包み込むように運ぶ。小太郎の瞳を覗き込むと、角度のせいか、漆黒の瞳が僅かに明るい茶色に見えた。左手も小太郎の顔に近づける。
 小太郎の息が顔に当った。
「ネ……ギ…………?」
 呆然とした様な小太郎の声。ネギは不意に我に返ると、自分の仕出かした事に驚いた。自分じゃない誰かに操られてしまったんじゃないかと思ったが、違った。
 小太郎の将来の姿の顔を見つめているだけで。口の中がうるおってきた。心臓が五月蝿いくらい鼓動している。自分の状態を自覚した瞬間、ネギは真っ青になってしまった。頭の中は真っ白になり、硬直してしまった。
「ちょ、ちょっと待て!」
 と、小太郎が突然ネギを突き飛ばすように後ろにさがった。
「あ…………」
 尻餅をつく感じで倒れるネギを尻目に、小太郎は頭の中が沸騰しそうだった。ネギの愛らしい顔が徐々に近づいてくる様子が頭に焼き付いて離れない。そのまま、ネギを抱き締めたいという衝動に駆られて、つい突き飛ばす様に離れてしまった。あのまま行くと、自分が何か恐ろしい事をしてしまう気がしたのだ。
 今の将来の姿になった小太郎よりも若干小さい将来の姿のネギの体の隅から隅まで頭から離れない。頭を振って、気を落ち着かせようとするが、頭の中からネギの顔が離れない。と、自分が突き飛ばしてしまった“本物の”ネギの事を思い出して顔を上げた。
「あ、すまん…………」
 尻餅をついて、どうしてか泣きそうになっている気がして頭を下げた。搾り出すような声しか出なかった。ひょっとすると、数瞬前の自分の中で湧き上がったおぞましい欲望を知られたのかもしれない。そう思うと、小太郎は背筋が冷たくなった。
 嫌われたのかもしれない。そう考えると、思わず今直ぐにでも崖から飛び降りてしまいたいという衝動に駆られた。小太郎も年頃だ。そういう本やビデオを観た事が無い訳じゃない。だから、自分の中で生まれた“ソレ”がなんなのか、正しく理解していた。それを知られたかと思うと、頭の中が真っ白になっていった。
「大丈夫だよ…………。私こそ……ごめんなさい」
 ネギは傷ついた表情を浮かべていた。自分が仕出かした事への後ろめたさや困惑以上に、小太郎に突き飛ばされ、拒絶された事実が頭の中で渦巻いていた。
 それほど強く突き飛ばされた訳ではないのに、小太郎の手が当った左肩がジンジンと痛む。アドレナイリンがドクドクと血管の中を駆け巡っている。
「カモ君……。どうやったら戻れるの?」
 ネギが上ずった声で尋ねると、カモはビクッとしたが、直ぐに青いあめ玉を持ってきた。なるべく、ネギを刺激しない様に穏やかな声で口を開く。
「逆の変齢薬を飲めば、魔法が中和されて元に戻れるッスよ」
 頷きながら青いあめ玉を口に入れて元に戻ると、ネギはヨロヨロと外に出て行ってしまった。心配になって、アスナと木乃香が追いかけようとするが、木乃香は刹那が、アスナはあやかが止めた。
「一人になって落ち着くのを待った方がいいです」
 刹那も青いあめ玉を口に入れると元に戻り、小太郎にも差し出した。
「お前も、今日は帰れ」
 小太郎がビクッとすると、刹那は首を振った。
「お前に非は無い。が、少し頭を冷やすべきだ。酷い顔になっているぞ」
 刹那の言葉に、小太郎は弱々しく頷いて青いあめ玉を口に入れると、そのまま立ち上がって出て行った。
「ああいうのは、本人同士で解決する方がよろしいでしょう。他者の介入は、こじらせてしまう可能性が高いですから」
 あやかも赤いあめ玉で元に戻りながら、アスナの口にも赤いあめ玉を放り込んだ。
「これは、お借りしますわね」
「ああ。足りなくなったら言ってくれ」
 カモはしょげた表情で言った。
「カモ君…………」
 木乃香は元気の無いカモに声を掛けた。
「俺ッチが口を出す事じゃないッスからね…………。でも、少し安心したッス。これで…………」
 カモはブツブツと呟きながら窓から外に飛び出していった。思わずあやかが眼を見開いて窓に駆け寄るが、カモの姿はもう無かった。
「そ、それにしてもネギったら……、結構大胆な所もあるのね」
 ニャハハと苦笑いを浮かべながらアスナが言うと、木乃香もそれに合わせる様に苦しい笑みを浮かべた。
「せやね。外人さんは大胆やな~」
 何とか場の空気を払拭しようとしている様だったが、あやかが変齢薬を手にして出て行くと、言葉は続かなかった。
「恋愛の難しさってやつよね……」
「そうですね。歯痒いですが、あれも一つの試練みたいなものでしょう。あまり触れない様にしましょう」
 刹那の言葉に、後に残された木乃香とアスナは黙って頷いた。



[8211] 魔法生徒ネギま! [第七章・二人の絆編] 第三十七話『愛しい弟、進化の兆し』
Name: 我武者羅◆cb6314d6 ID:87b1fc72
Date: 2010/06/24 08:16
魔法生徒ネギま! 第三十七話『愛しい弟、進化の兆し』


 埼玉県麻帆良市に存在する学園都市、ここに入学して早二週間。修行も終えて、いきなりダンスパーティーなどというものに参加する事になってもっか練習中な身である小太郎は、思春期特有の悩みを抱えていた。
「だ~~~~、う~~~~、お~~~~~」
「五月蝿いぞ、小太郎」
 久しぶりに寮に戻ってベッドで寝転んでいると、隣で雑誌を読んでいるルームメイトの茶髪の少年から文句を言われた。
「さ、これでも飲んで落ち着いてよ」
 キッチンからコーヒーを淹れて来たもう一人のルームメイトの黒髪の少年が小太郎と茶髪の少年にコーヒーを手渡しながら言った。
「ん、サンキュー」
「お、おう。ありがとな」
 各々自分のカップを手に取って一気に飲み干す。
「落ち着いたか?」
 呆れ顔の茶髪の少年が雑誌から眼を逸らして小太郎を見た。
「だ~~~~、今直ぐ俺を殺せ~~~~!!」
「重症だな……」
「重症だね……」
 茶髪の少年と黒髪の少年が顔を見合わせて溜息をついた。帰って来たかと思えば、ずっとこうなのだ。こっちまで気分が悪くなってくると、二人はウンザリした顔をした。
「別に裸を見てしまった訳ではないのでしょう?」
 黒髪の少年は尋ねた。小太郎は首をブンブンと振った。
「だけどよ~~~!! うが~~~!!」
 思いっきりネギに欲情してしまい、あまつさえそれが本人にバレたかと思うと今直ぐ富士の樹海に丸裸で特攻したい気分だった。
「んなもんただのお前の被害妄想だろうが」
 茶髪の少年の言葉が痛く胸に突き刺さった。
「うるせぇ!! お前に分かるかこの今直ぐにでも首を吊りたい気持ちが!!」
「分かるぞ」
「分かるよ」
 二人はコーヒーのお代わりを飲みながら言った。
「へ?」
「んなもん、思春期入いりゃ、誰だって一度は経験するさ。喫茶店で一日中会話も無く過ごしてしまう初めてのデートとか、女の子の見え見えのモーションに全く気付かずに話題を変えてしまう愚かしさ。思い出しただけでちょっと崖から飛び降りたくなるな」
「昔の自分を無かった事にしたい思い出なんて、誰にでもあるものだよ」
 茶髪の少年のえらく具体的な内容と黒髪の少年の薄ら寒い笑顔の前に、小太郎は何を言うべきか悩んだ。
「いいかい? 君の今のソレは仕方ない事なんだよ。それもまた試練。日々修行だよ?」
 黒髪の少年はクスクスと胡散臭い笑みを浮かべながらよく分からないアドバイスをくれる。
「悠里は彼女にこんな感じなんか?」
 黒髪の少年、悠里(ユウリ)は思わずコーヒを噴出した。器官に入ってしまったらしく、ゴホゴホと堰をしている。
「あ~、大丈夫か? お前……」
 茶髪の少年がポンポンと悠里の背中を叩いてあげた。
「す、すみません……ゴホッ」
 薄ら笑いを浮かべながら咳き込む姿は不気味だったが、あえて小太郎は無視した。
「とりあえず、僕は決して……決して!! 彼女にそんな唾棄すべきおぞましき欲望の眼差しを向けた事など一切ありませんから!!」
「笑顔で迫んな、気持ち悪いッ!!」
 小太郎はササッとベッドの奥に後退すると、溜息をついた。
「落ち込んでても始まんないぜ?」
 茶髪の少年はそう言うとポイッと小太郎にナニカを投げ渡した。見事にキャッチして見ると…………。
「って、エロ本やないか、茂!!」
 全力で投げ返すと茶髪の少年、茂(シゲル)は首を僅かに動かして避けると反対側の手でキャッチした。
「予行練習に知識だけでも仕入れとけば――――」
「子供になんてモノ読ませようとしてるんですか!!」
 茂が言い切る前に、茂の頭を右手で掴みながら悠里がジトッとした眼で睨みつけた。茂の手から良くない雑誌を取り上げると、そのままゴミ箱に放り投げた。
「あ~~~~、俺のレア本!?」
 悲鳴を上げる茂を無視して、悠里は咳払いをすると小太郎に向き直った。
「ああいう知識は未だ早いから、とりあえずレッスン1だね」
「レッスン1?」
「そう。ちゃんと話す事だよ。それが第一歩なんだ。それからお花なんかを贈るのもいいね。毎晩愛のメッセージを飾ったバラを持っていったり――」
「止めとけ、下手するとひかれるぞ」
 呆れた様に茂が悠里の意見を却下した。
「なッ!? なら……、ディナーに招待して愛を囁くのはどうかな? 一回では駄目でも、何回も何回も一途に愛を囁き続ければきっとッ!!」
「日本でやったらストーカー扱いされるぞ」
「確か、ネギちゃんは英国からの留学生だったよね? だったら、日本人の感覚と一緒にしないでくれないかい?」
 茂の言葉を鼻で嗤って悠里は小太郎にアドバイスをした。
「まずはリサーチから始めるのがいいと思う。相手の好みなんかを調べて、贈り物をしたり、ディナーに誘って愛を囁くんだよ」
「もしかして、彼女に、んな事してんのか?」
 小太郎は冷や汗を流しながら尋ねた。正直、そんな恥しい真似したくない。世にも恐ろしい求愛行為に全身に鳥肌が立っていた。そもそも、愛を囁くって何を囁けばいいのか全く分からない。
「勿論。彼女と時間が合えば何回かディナーを一緒に食べているよ」
「やってんのか!?」
 小太郎と茂の言葉がシンクロした。
「……で、その彼女はどないなんや?」
「勿論、花束を快く受け取って下さるよ。いいかい? 愛する人に気持ちを伝えるのは確かに大変さ。だけどね、気持ちをキチンと伝える事はとても大切な事なんだよ」
 悠里の言葉に、小太郎は唸った。言ってる事がかなり胡散臭いが、茂よりも恋愛方面では詳しく思える。この胡散臭いながらも甘いマスクと耳に心地良い声で愛を囁くんだろう姿を容易に想像出来た。
「いいかい? 前に君と歩いているところを見た感じだが、彼女はロマンティックな雰囲気を好む気がする。ダンスパーティーを見事に成功させたら、どこか素敵な場所に彼女を案内するんだ。夜景の綺麗な場所がいいな。世界樹の近くに素敵なレストランがあるんだ。よければそこを紹介しよう。パーティーの後、お互いに美しい服装で着飾ったまま、予約を取ったレストランの窓際の静かな席に座るんだ。そこで、君は彼女の頬を優しく撫でる。勿論、予約の時点で注文は済ませておくんだ。その為にも、彼女の好みを把握するのが大切だよ? おいしいディナーに酔いしれながら、お水で唇を潤して、彼女に君の気持ちを素直に伝えるんだ。直球で良い。愛しているよ、とね」
 小太郎と茂は全身の鳥肌を抑え付けるのが大変だった。
「出来るかッ!!」
 戯言を言う悠里に小太郎が怒鳴ると、悠里は小太郎の両肩に重く手を乗せた。
「ネギちゃんと付き合いたいんだよね?」
「そ、そりゃまあ……その……」
 あまりにも直球で言われてしどろもどろになる。
「弱腰じゃ駄目だよ。彼女の様なタイプはどんどん押していかないと。途中で強引な男に攫われてしまうかもしれないよ?」
「そ、それは…………嫌やけど……」
 ネギが誰かのものになる。そんな事は考えたくなかった。あの顔も、髪も、声も、全てを自分のモノにしたいとさえ思った。だからこそ、あの時ネギを囲んでいた奴等を一般人だというのに叩きのめした。骨を砕き、恐らくは二度と立てない者も居ただろう。
 土御門が処理をしたし、彼等には重大な問題があった。だが、裏の者が表の者をあそこまでするのは問題となる。それでも、全く後悔が無かった。それどころか、生かしたままでいれた自分の自制心に驚きすらしたものだ。
「なら、ちゃんと捕まえないとね」
 相変わらず、信用の出来ない笑みを浮かべる。
「まずはダンスパーティーを成功させる事だよ」
「はぁ、やっぱそこに集約するんやな…………」
「ま、頑張れ小太郎。応援してるぞ」
「僕も相談くらいは乗れるからね」
 まだ出会いから一週間も経ってないのにこうして自分の恋愛を応援してくれる同居人達に励まされ、小太郎はいっちょやるかという気になった。

 翌日、小太郎があやかの家を訪ねると、あやかは一瞬面をくらった顔をしたが、すぐに笑顔で出迎えてくれた。
「で、なんでワイがこんなん着てるんや?」
 ミラーの向こうにタキシードを着た小太郎の姿が映っている。
「着替えは終わりましたの?」
「終わったで」
 カーテンが開かれると、満面の笑みを浮かべたあやかが立っていた。今は変齢薬を用いて子供の姿をしてドレスを着ている。タキシード姿の小太郎を満足気に眺めると、あやかはメイドに裾上げを命じた。
「てか、この人達の前で変齢薬使ってええんか?」
 何事も無いかの様に作業をするメイドに疑問を投げ掛けずには居られなかった。
 メイド服が恐ろしく似合う黒髪の女性はテキパキと小太郎のタキシードを裾上げした。タキシードを一端脱いで、メイドに渡し、あやかの持ってきた大量の服の中から適当に動き易いのを選んで着替えた。
「幸子さんはわたくしの専属メイドですから」
「……理由になっとるんか、それ?」
 呆れた様にあやかを見ながらあやかの用意した服の山に視線を向けた。
「にしても、何でこんなに服があるんや?」
 小太郎が何気なく聞くと、あやかはギクリとして曖昧に微笑んだ。
「そんな事よりも、練習ですわ」
 訝しむ小太郎を余所に、あやかは上機嫌でダンスのレッスンを始めた。

 ダンスの練習を再開してから数日、小太郎はあやかの様子がおかしい事に気がついた。ダンスの練習をしている時はそうでも無いのだが、変齢薬を解除するとやたら付き纏ってくるのだ。
「ほらほら、お口にタレがついてますわよ」
「や、やめてや姉ちゃん!!」
 ハンカチでまるで小さな子供を相手するみたいに口を拭ってくるあやかに、小太郎は顔を真っ赤にして叫んだ。幾らなんでも恥し過ぎる。
 様子がおかしいといえばこれだ。こんな感じに、あやかはやたらと世話を焼きたがるのだ。
「何を言ってますの? この程度はスキンシップですわ」
「スキンシップって…………はぁ」
 思わず溜息が出る。何度言っても止めてくれないのだ。
 ほとほとウンザリしながらも、自分の都合に時間を取ってくれている手前、強く言う事も出来ずにいた。
「そうですわ。最近は練習ばかりでしたから、明日は少し遊びに行きませんこと?」
「遊びに? 別にええけど…………」
 練習も段々と様になって来た感じがして、異論は無かった。だが、最近のあやかの態度が引っ掛かった。どうして自分にこんなに良くしてくれるんだろうか、と疑問が積もる。
 この家に男の子供は居ない事は分かっている。あやかにはお姉さんが一人居て、たまに食事を一緒に取る事もあるが、どう考えても男用の服があんなに用意されていた理由が分からなかった。まさか、自分の為に買った訳ではないだろうと思うが、あまり自信は持てなかった。

 約束の通り、翌日の土曜日は部活を古菲に言って休み、あやかと二人で遊ぶ事になった。やたらおめかしして、寮に迎えに来たあやかに、小太郎は思わず面食らった。しかも、リムジンでお出迎えだ。後ろに居た悠里と茂まで何事だという顔をしている。
「おいおい、小太郎。お前はネギってのに惚れてたんじゃなかったか?」
「おまっ!? 外でそういう事言うなや!!」
 茂の口を塞ぎながら小太郎は曖昧に笑って、あやかを押すようにリムジンに乗り込んだ。
「んで? 今日はどこ行くんや?」
 リムジンが走り出してから、小太郎はあやかに行き先を尋ねた。
「とりあえず、わたくしの趣味に付き合っていただけますこと?」
「別にええけど。姉ちゃんの趣味ってなんや?」
「到着すれば分かりますわ」
 意味ありげに微笑みながら窓の外を指差した。あやかの指の先を辿ると、リムジンの走っている道路の先に自然エリアの看板があった。
 リムジンは道路を道なりに進んで、麻帆良でも建物の少ないエリアに入った。若干高台にあるエリアで、牧場や果樹園やら田畑まである。エリアに入ってすぐの駐車場にリムジンは停車し、小太郎はあやかに連れられて、戸惑いながらもエリアの一角にやって来た。
「すげぇ…………」
 思わず感嘆の息がもれた。そこは乗馬場で、あざやかな毛並みの馬達が駆け回っていた。
「馬術部ですわ。わたくしの入部している部ですの。乗馬の経験は?」
「まったくや。馬…………乗れるんか?」
 小太郎が好奇心を隠せずに尋ねると、あやかは得意な笑顔で頷いた。
「当然ですわ。その為に招待したのですから」
 それから、午前の時間をいっぱいに使って、小太郎はあやかに手綱を引いてもらいながら乗馬体験をした。

 お昼ご飯を乗馬場近くのレストランで食べていると、さすがに外でお口を拭ってもらうなどという恥しい真似は断固としても避けなければならず、食事を丁寧に行った。あやかは自分の教育の成果だと思い込んだらしく、終始ご満悦だった。
 午後は自分一人で乗ってみる事になり、ワクワクしながら一番大人しいオーディスという黒毛の馬に乗った。
 オーディスは初めての一人での乗馬としては最適な相方といえた。突然暴れたり走り出したりしないし、あやかに教えられた通りに命じると、その命令に忠実に従った。
 風を切る感覚は、自分で走ったりするよりもずっと気持ちが良かった。開放されたかの様な気持ちよさを感じて、たっぷりと乗馬を楽しんだ。
 三時になると、乗馬場を跡にして、二人は静かな草原にやって来た。レジャーシートの上であやかが手作りしたというクッキーの入ったバスケットが広がっている。小太郎は紅茶をグビグビと飲みながら、クッキーをバクバクと平らげた。
 そうしている内に、陽が落ち始めると、二人はリムジンに戻ってフィアテル・アム・ゼー広場の近くにあるデパートへとやって来た。洋服店であやかが小太郎でも知っている有名なブランドの服を何着も見繕った。
「ね、姉ちゃん。ワイ、こんなん買えへんって…………」
 まるで着せ替え人形の様に次々に服を着せられていい加減ウンザリしながら言うと、あやかは問題無いとばかりに新しい服を差し出した。
「全部、わたくしのポケットマネーで買いますから、心配ございませんわ」
 ニッコリと微笑むあやかに、小太郎は溜息をつくと、元の服に戻って着替え室から出た。戸惑うあやかを連れて、店の外のベンチに座り、自分のお金で二つコーラを買って、一方をあやかに手渡した。
「あ、ありがとうございます」
 受け取りながら、何か小太郎の気に障った事をしたのだろうかとあやかは不安になった。小太郎は、そんなあやかを見て、また溜息をついた。
「なあ、姉ちゃん。なんで、そんなにワイに良くしてくれるんや?」
「え…………?」
 小太郎の言葉に、あやかは眼を白黒させた。
「ダンスの練習だって……。ワイは、うまく出来へん。それに、マナーだって覚えが良くないってな、自分で分かってる。せやのに、どうして姉ちゃんはとことん付き合ってくれるんや?」
 小太郎がジッとあやかの瞳を覗き込んだ。その瞳は、大方の予想がついているようだった。
「それは…………」
 あやかが口を開こうとした、その瞬間だった――。
「……………………え?」
 あやかは、まるで恐ろしいナニカを見たかのような表情をした。小太郎が首を傾げると、突然、あやかは立ち上がって走り出した。
 不意をつかれた小太郎は、ハッと我に返って後を追った。と、突然、酷い耳鳴りが襲った。立ち止まり、辺りを見渡せば、周囲から人気が無くなっていた。
「魔法の臭い――ッ」
 修行によって鍛えられた第六感が最近では嗅ぎ慣れた魔法の香りを感じ取り、小太郎は眼を見開いた。恐らく結界魔術。それも、かなり高レベルだと察しがついた。眼を凝らせば、薄っすらと人の影が見える。
 聞いた事があった。特定の人物だけを結界に隔離する“異相空間結界”という種類の結界だ。自分がその特定の人物だとすれば、攻撃か、もしくは何らかのアクションがある筈だと悟り、身構えた――。

 一方、フラフラと歩いていたあやかはデパートの玩具売り場に居た。目の前には、美しい金髪の凛々しい表情を浮かべる少年が立っていた。
 小太郎よりも、若干背の低い少年はあやかに満面の笑みを見せる。あやかは、その笑顔を“当然の様に”受け入れ、笑みを返した。
「可愛い、私の弟さん。何か欲しい物がありますの?」
 茶目っ気たっぷりにあやかは尋ねた。どこか輪郭がボンヤリとした美しい少年はニッコリと笑みを浮かべた。少年は指を指した。そこにあるのは、あやかが――弟が出来たら一緒に遊びたいと願っていた――プラレールのセットがあった。
 “弟の部屋”には、プラレールのセットが、それこそ汲み上げるだけでたっぷり一ヶ月は掛かるだろう程あったが、あやかはそんな事に気を留めずに、“弟”の願った玩具を買い与えた。
「勇輝君。今度はどこに行きたい?」
 あやかはこれ以上ない程に愛情を孕んだ声で優しく、甘く少年の――自分が一生懸命考えた――名前を呼んだ。
『僕、ハンバーグが食べたいです。お姉ちゃん』
 勇輝の輝く様な笑顔に酔いしれながら、彼の――どこか波長の合わない――声に従って、レストランを目指した。そこは――弟と一緒に来る事を何度も望んだ――ファミリーレストランだった。
 店内には誰も居ない。ガラガラだったが、あやかはそんな事を気にしなかった。勇輝の食べたい物を何でも注文し、勇輝が口を汚すと、丁寧に拭き取ってあげた。
 あ~ん、とご飯を食べさせてあげて、何度も何度も頭を撫でて、何度も何度も…………涙を流した。
「もう、その辺でええやろ?」
 店に小太郎が入って来た。小太郎は、身構えたまま何時まで待っても現れない犯人に痺れを切らして周囲を探索した。そして、発見したのだ。この空間で本当に招かれた人物を――。
「お前は一体何者なんや?」
 小太郎は厳しい目付きで勇輝を睨んだ。
『僕は雪広勇輝ですよ? お兄さんは誰ですか?』
 空虚な瞳と不自然な声に小太郎は額から冷たい汗を流した。その時だった。突然、頭の中
に土御門の念話が響いた。
『おい、聞こえるか小太郎!』
『土御門か!?』
 念話に応えると土御門は焦った口調で言った。
『今、フィアテル・アム・ゼー広場の魔力溜まりから一気に魔力が消費されたという報告が入ったんだ』
『フィアテル……なんやって?』
『フィアテル・アム・ゼー広場だ。詳しい話は後にするが、実は今、麻帆良の幾つかの地点に途轍もない量の魔力が溜まっている魔力溜まりが出来ているんだ。さっき言った広場もその一つなんだが、突然、その魔力溜まりに溜まっていた魔力が消費されたんだ。加えて、近くのデパートで特殊な異相空間が形成された。お前が近くに居るらしいから念話したんだが、状況は何か分からないか?』
 小太郎は目の前の少年と周囲の結界空間を見渡しながら言った。
『絶賛巻き込まれ中や!! なんや、変な結界空間に閉じ込められて、あやか姉ちゃんの弟が居る』
『あやか……雪広あやかか! ……そうか』
 土御門は一瞬黙り込み、少しして言った。
『雪広あやかには昔、産まれる筈だった弟が居た。恐らく、雪広あやかは強く願い続けていたんだろう。弟との生活を……。何かの拍子でその願いが爆発し、魔力溜まりの魔力が願いを叶えてしまったんだろう……』
 小太郎は愕然とした。なにかの拍子、それは間違いなく、自分があやかに何故自分に良くしてくれるのか? そう聞いた事だろう。
『純粋な魔力は心に影響し易い。そして、同時に心に影響され易い。恐らく、目の前の雪広あやかの弟は彼女の心を魔力溜まりの魔力が投影したんだろう。その空間は彼女の弟を存在させる為の結界なんだと思う』
『……そうか。悪い、念話切る』
『なんとかなりそうなのか?』
『する……』
『わかった』
 土御門は小太郎の意を汲んで念話を切った。小太郎は土御門の気遣いに感謝しつつ勇輝を見た。
「弟との生活……、それが姉ちゃんの願いなんやな?」
 可愛い可愛い弟。大切で、愛しくて、一度もその手で抱く事も、撫でる事も叶わなかった弟との時間。
「嫌…………ですわ」
「姉ちゃん…………」
 あやかの泣きそうな声に、小太郎は顔を歪めた。油断したら、自分まで泣いてしまいそうになる。あやかがずっと、自分に優しくしてくれたのはこれが理由だと分かったのだ。それでも、これは現実じゃない。
 魔力溜まりの魔力があやかの願いによってあやかの心を投影した幻想だ。この優しくも残酷な世界はあやかの夢なのだ。だから、目を覚まさせないといけない。それがどれだけ酷い事か分かっていても――。

 愛らしく、ちょっぴり我侭で、それでも自分を愛してくれる弟。あやかはそれを失いたくなかった。
 最初に見た瞬間に、少年を弟と認識し、その瞬間に理解もしていた。これは夢なのだと。なら、夢ならもう少し見ていてもいいじゃないか。あやかは必死に――偽りの弟である――勇輝を抱き締めて護った。
 その姿があまりにも愛おしくて、小太郎は頭が沸騰した様に感じた。あまりにも、抑え切れない怒りを感じて……。
「なんでや。なんで……、なんで姉ちゃんがこんな残酷な目に会わなあかんのや!?」
 小太郎が怒鳴り散らす。失った愛する者との出会い。それが、どれほど残酷な事かなど、小太郎にも理解出来た。もし、村の人達が自分に笑いかけてくれたら? 本当の母親や父親が自分の頭を撫でてくれたら?失った村も、顔も知らない両親も、まるで、それは麻薬の様に小太郎を誘惑するだろう。
 二度と、失いたくないと心から思わせる程に。それでも、目の前のあやかの弟は偽りだった。失いたくないと思っても、確実に消え去ってしまう、うたかたの夢。そんなものを見せる目の前の存在が気に入らなかった。
「姉ちゃんから離れろや!!」
 獣の様に唸り声を上げる小太郎に、勇輝はスッと眼を細めた。
『どうして? お姉ちゃんは、とても幸せなのに』
 波長の合わない声が耳に障る。勇輝は心底不思議そうに小太郎を見た。その表情が気に入らなかった。
 本当の、雪広勇輝がどんな風に育つのかは分からない。知る術も…………もうない。
 それでも、こんな風に姉を悲しませると分かっていて、こんな真似をする事だけは絶対に無い筈だ。
「お前は…………、お前は勇輝じゃない!! 偽者野郎!!」
 声を荒げて叫ぶ小太郎の怒鳴り声に、あやかの肩が震えた。現実を拒絶する様に、あやかは勇輝を抱き締める。すると、勇輝の体から光が迸った――。

 その頃、麻帆良学園本校女子中等学校の女子寮では、古菲が小太郎があやかと遊びに行って、部活をサボった事の愚痴をアスナとネギ、木乃香、刹那にこぼしていた。
 その日、ネギ達はそれぞれの部活の返りに偶然バッタリと遭遇し、語り合ううちに話題が流れたのだ。ネギは、小太郎に拒絶されたと思い込み、あやかとばかりベッタリしている小太郎に複雑な思いを抱いていた。その事を察したアスナが、アスナ達の部屋で古菲も一緒に食事を取りながら昔話を聞かせた。
「昔ね、私とアイツが未だ小学校の低学年だった頃の事よ――」
 その日、アスナは校庭を歩いていた。クラスメイトがボールを大きく外して、アスナの足元まで転がせて、アスナに取ってくれと頼んだ。
 アスナは溜息交じりにボールを蹴って返そうとすると、ボールは誤って――決してわざと狙った訳じゃ無い――あやかの顔にぶつけてしまったのだ。
『なっ……、また凶暴おサルの仕業ですのね!私に何の恨みが…………』
 何時も通りだと思った。その時はどういう訳か、それ以上あやかが怒る事は無かった。
 その理由は直ぐに判明した。
『私もう、貴女のくだらない誘いに乗っかるつもりはありませんの! だって……』
 その時のあやかの表情はとても優しくて、その時ばかりは素直に祝福できた。彼女は言った。
『もうすぐ、お姉さんになるんですの』
 良いお姉さんになると心に誓って、期待に胸を膨らませていた。
『もうすぐね! 弟が生まれるんですの! いつ生まれてもいい様に、お部屋は用意してあるんですの!』
 あんまりにも嬉しそうだったから、アスナは憎まれ口を叩くのも忘れて、ただ、祝福の言葉を伝えた。
『おめでと……。がんばりなよ』
『ええ!』
 その時の笑顔を、アスナは未だにハッキリと覚えていた。だって、忘れようが無い。
 あんなに笑顔だったのに、その直ぐ後に、あやかは地獄へ叩き落されたのだから――。

 勇輝の体から発せられた光の中で、小太郎はあやかの過去へと足を踏み入れていた。お友達に――アスナや、他のたくさんの友達に――自慢していた。お姉さんになるのだと、鼻を高くしていた。
 場面が変わるまで、小太郎はあやかの笑顔にそれまでの怒りを忘れていた。場面が変わった瞬間、すべてが崩れ去ってしまった……。
『――え?』
 夜の病院で、あやかの絶望の声が悲しく響いた。
『会えないって、どうゆーこと?』
 小太郎が一度も会った事の無い、あやかに見せてもらった写真の中で見たあやかの父親が、あやかを抱き締めて涙を流していた。
『残念だけど…………、あやか』
 お姉さんだろうか、今の小太郎くらいの年齢の少女が泣きそうになるのを必死に耐えて、あやかの頭を撫でながら首を振った。
『うえっ…………』
 涙が枯れるまで泣き続けたあやか。場面が変わると、そこはまるでオモチャのパラダイスの様だった。無数のオモチャやヌイグルミに囲まれたそこで、あやかは一人で泣いていた。
 ここの主になる筈だった、必死に漢字を勉強して考えた名前をつける筈だった弟は、一度もその部屋を使う事無くこの世を去った。
『おもちゃも全部無駄になっちゃった…………。お部屋も作ったのに…………。嫌だよ~。皆を守る勇気があって、輝ける人間になってって、一生懸命考えたんだよ? 一緒に…………一緒に遊ぼうと思って沢山買ったのに…………』
 あまりにも寂しい空間の中で泣き続けるあやかの姿が小太郎の心に焼きついた。
『これでも、君は僕をお姉ちゃんから引き離すの?』
 目の前に現れた勇輝に、小太郎はギンッと睨んだ。
「ああ、せや! お前は違う。勇輝は、皆を守れる勇気がある子になって欲しいって、姉ちゃんが考えたんや。お前は、姉ちゃんの心を弄んだだけや!! そんな奴が…………勇輝を穢してんじゃねええ!!」
 小太郎の怒鳴り声が轟き、あやかは涙に濡れた瞳を開いた。
「ワイは、未だ姉ちゃんと知り合ってそんなに経つ訳やない!! せやけどな、絶対に泣かしたくないねん!! 姉ちゃんは笑顔が似合うんや!! ワイとお前は違う!! 何でか分かるか?」
 小太郎の叫びに、勇輝は困惑した表情を見せた。
「お前は結局紛い物や。でも、ワイは違う。ワイは、姉ちゃんが大好きなんやからな!!」
 小太郎の言葉に、あやかの瞳が見開かれた。そして、優しく笑みを浮かべた。温かい笑顔だった。その笑顔を見ているだけで、力がどんどん湧いてくる気がした。
 そして、あやかが立ち上がると同時に、勇輝の体が弾け跳んだ。あやかは目を丸くしながら虚空を見上げた。そこには、まるで泡の様な黒いナニカが浮遊していた。
 小太郎は狗神の力を最大まで引き出した。躯の底から引き出す様に。
 それは、初めての感覚だった。獣化しようとすると、更にその奥まで進める気がしたのだ。雄叫びを上げ、奥へと到達した。気がつくと、全身を漆黒の毛皮が覆っていた。全身の感覚は鋭く尖り、全身の肉体に力が漲った。そして、鋭くなった爪で一瞬にして黒い泡に近づいて切り裂いた。
 泡が消えると、小太郎は元の姿に戻り、結界が解かれたらしく、周囲の喧騒が元に戻り始めた。と、小太郎の顔に突然柔らかいモノがおしつけられた。
「ありがとうございますわ、小太郎。わたくしも、あなたの事を勇輝と同じくらい…………とはいかないかもしれませんが、愛してますわ」
「姉ちゃん…………、へへ」
 その後、過去を勝手に見てしまった事を謝ると、あやかは大した事じゃないと笑って許してくれた。そして、その話の続きを聞かせてくれた。
「そもそも、わたくしはとうに立ち直っていたんです。つい、誘惑に負けてしまいましたけどね」
 悪戯っぽく舌を出しながら、あやかは語り始めた。学校に来て、ずっと暗くなっていたあやかに、アスナがドロップキックをかまして立ち直らせた経緯を――。

「そんな事があったんですか…………」
 話を聞いて、ネギは自分の馬鹿げた考えを恥しく思った。あやかにとって、小太郎はあくまでも弟なのだ。大切な弟を無くしてしまったあやか。
 小太郎は知ってるのかな? と、ネギは考えた。多分、知ってもあやかを嫌いになんかならないと思う。そういう人だから…………。
「そっ! んでね、今日は勇輝君の誕生日なの。あやかにとっては特別な日なのよ。だからさ、大目に見てあげてよ」
 アスナがネギと古菲の頭を下げた。ネギと古菲は慌てて頭を上げさせた。
「いんちょうが小さい男の子が好きだったのはそう言う事だったアルか……」
「弟さん…………勇輝君と重なっちゃうんやね」
 古菲は立ち上がって伸びをしながら呟いた。木乃香は机に腕枕で蹲った。
「でも、あやかさんとアスナさんはやっぱり親友なんですね」
 ネギがしみじみとした様子で言うと、アスナは思わず噴出した。
「私とアイツはライバルよ。一生変わらないわ」
「親友と書いて、ライバルと読む場合もありますから、間違いではないでしょうね」
 クスクス笑う刹那の言葉に、ネギも顔を綻ばせた。



[8211] 魔法生徒ネギま! [第七章・二人の絆編] 第三十八話『絆の力』
Name: 我武者羅◆cb6314d6 ID:87b1fc72
Date: 2010/07/10 04:26
魔法生徒ネギま! 第三十八話『絆の力』


 真っ白な、まるで聖域を思わせる様な広々とした空間。そこに一人の濃色の狩衣を纏った男が一人。土御門は、術を解き、本来の姿となって眼前に道を塞ぐ存在を見つめた。
 見上げる程に巨大な躯、背には二つの大きな翼。はためく度に地下だというのにどこからか漏れる光を反射して幻想的な光景を作り出している。白銀の鱗が覆う長く鋭い角を持った巨大な獣。ドラゴン、古より伝わる最強の存在。古今東西、あらゆる地で語られるその種は、常に超常の存在として語られている。悪魔とも、神とも同一視される事のあるモノ。
 土御門の前に立ち塞がっているドラゴンは前足が翼と一体化しているワイバーンと呼ばれる種族だ。
「通してくれ」
 土御門が耳に心地の良い声で声を掛けると、ドラゴンはゆっくりと頷いて、道をあけた。ゆっくりとドラゴンの前を通り過ぎると、そこには巨大な門が構えていた。
 土御門が小さく呟くと、門は勝手に動きだして土御門を通した。門を潜ると、そこは驚くほど広い空間だった。底の見えない空間にポッカリと浮かぶ様に存在する巨大な建造物。岩肌が露出している壁には、アチコチに巨大な木の根が露出している。一つ一つが巨大なビルを思わせるほどに太い。そして、木の根から強大な魔力が絶えず空間に放出されている。
 門から続く細い道を歩き、建造物の玄関を潜って頂上へ向かう。そこには、朝日の上る寸前の藍色の空を思わせる深い色の髪を肩の所で纏めて、肩の前に無造作に流している女性の様に美しい青年が居た。
「ご苦労だな、アルビレオ・イマ」
「彼の躯は安定しています。あと一月程度も掛からないでしょう」
 アルビレオ・イマと呼ばれた青年は指を高らかに鳴らした。すると、彼の座っているテーブルの上にティーポットとティーカップが現れ、土御門の目の前の椅子が引かれた。
「どうぞ」
「すまんな」
 椅子に座り、カップの底にタップリと苺ジャムを塗って紅茶を注ぐ。
「相変わらずの甘党ですね」
「英国で長く“半身”が過ごしたからな。その時にネギ君に教わった飲み方だよ」
「ネギ・スプリングフィールド…………。彼はどうなのですか? 最悪の場合は…………」
 アルビレオが剣呑な空気を纏いながら尋ねると、土御門は鋭く睨み返した。
「アレとネギ君は別の存在だ。君とアレが別であるように。アスナ君がアスナ・ウェスペリーナ・テオタナシア・エンテオフュシアであり、神楽坂明日菜であるようにな」
 土御門の言葉に、アルビレオは笑みを浮かべた。
「ああ、貴方の言葉はいつも優しい。まるで、夢見る乙女の様な気分にさせてくれますよ」
「茶化すな。私は、真実を口にしているに過ぎん」
 土御門は気分を落ち着けようと紅茶を一気に飲み干した。躯が火照り、身も心もゆったりとする。
「そう言えば、奇妙な事件が起きたらしいですね。遠見の魔法で拝見しましたが…………」
「元々、雪広あやかには魔力を操る才があった。加えて、彼女の思いの強さ。不運な事故だった」
「思いの力の強さは恐ろしいですね」
 アルビレオは口元を隠しながらクスクスと笑った。
「それにしても、間接的とはいえ、少し責任を感じますね」
「あの時、僅かに魔法世界とのゲートを開いたせいで、まさか一気に世界樹の魔力が極限に達するとはな……」
「開いた時間は僅かだったとはいえ、さすがに魔法世界の魔力ですね」
「うむ……」
 土御門が難しい顔をしていると、不意にアルビレオが何も無い空間を見た。
「漸くですか」
 アルビレオは自然体のままで新たなカップを出現させ、もう一つ椅子を出現させて引いた。
 そこに、アイゼンは悠々と座った。不遜な態度で掌に炎を生じさせて弄ぶ。
「して、首尾の方はどうだったのだ?」
 土御門が尋ねると、アイゼンは鼻を鳴らした。紅茶を無造作にカップに注いで一口飲む。
「芳しくないな。月詠の奴がアチラ側についた。フェイトの事や俺の事もバレたな。メッセージだけ残して俺の識っている拠点は全てもぬけの殻になっていた」
「それは残念ですね」
 アルビレオは予想通りといった感じだ。
 忌々しそうに鼻を鳴らし、アイゼンは席を立った。不機嫌そのものといったオーラを発するアイゼンを見送りながら、土御門も立ち上がった。
「仕方あるまい。月詠を見誤ったのは私の落ち度でもある。ただの戦闘凶であれば御し易かったのだが……」
「お忘れ物ですよ」
 土御門が帰ろうとすると、アルビレオがナニカを土御門に向けて浮かばせた。それは、一冊の本と紙の束だった。
「占事略決か……。ああ、すまない。肝心の今日の目的の物を忘れるとは」
「さすがは名高き大陰陽師の記した書ですね。陰陽道の術式は彼の魂を新たな肉体に適合させるのにとても役に立ちましたよ」
 土御門は安倍晴明の記した最古の日本最古の陰陽書を手に取ると、手を振ってくるアルビレオに手を振り替えし、土御門はそのまま地上へと戻って行った――。

 レースのカーテンの間から朝陽が差し込んで目が覚めた。疲れが抜けきらない躯に鞭を打ち、起き上がる。白い肌の上には赤い刻印が幾つも浮かんでいる。その一つ一つを愛おしく思いながら、血の様に紅い髪の大人になりきれていない少女は隣に眠っている少年を起さない様に起き上がると、ベッドのすぐ脇に置いてある小机の上に用意しておいた洋服を着て、お風呂に向かった。
 歩く途中で不意にデジタルの時計が眼に入った。そういえば、と少女は時計の日付の部分に眼を留めた。そのまま、お風呂に入り、日本に居た頃に大切な親友に教わった料理の腕を存分に振るって朝食を作る。テーブルに料理が並べられると、少年が眼を覚まして服を着て用意しておいた牛乳を飲みほした。
「おはよう、小太郎」
「はよ、ネギ」
 二人で朝食を摂りながらネギは小太郎に風船を渡した。
「そっか、今日は大晦日やったな」
「今年も、もうお仕舞いなんだね。外に貼っておいてね。今日はパーティーだから」
「りょーかい」
 風船を受け取ると、小太郎は朝食を一気にかきこむ様に食べた。お皿の上が綺麗に何も無くなると、小太郎は風船を膨らませて、二人の住んでいるウェールズの家の玄関扉の外に結び付けた。今日は昼に親しい面々を呼んでパーティーなのだ。
 小太郎が戻って来ると、ネギは眼を閉じて待っていた。小太郎は小さく諦めた様に溜息を吐く。腰を低く屈めて、椅子に座るネギの顎に手をやると、少し持ち上げて口付けを交わした。触れるだけの軽いキス。
 小太郎の唇が離れると、ネギは切なげに溜息を吐く。その動作が、表情がとても愛おしい。小太郎はネギの頬を軽く撫で上げると、慣れた手付きで紅茶を淹れた。最初の頃は駄目だしを喰らっていたが、今ではネギがお代わりをする程に上手に淹れられる様になっていた。
「小太郎…………」
「ん?」
「おいしいよ」
「さよか」
 ゆったりとした時間が過ぎていく。
「ネギ…………」
「なぁに?」
「もうすぐ、ワイの誕生日やな」
「ちゃんと覚えてるよ。プレゼントのリクエストはある?」
「あるで」
「なぁに?」
「ワイが欲しいんはな――」
 小太郎はネギの耳元で囁いた。その言葉に心臓が跳ねて…………ネギは目を覚ました。

 霧雨が麻帆良学園を覆っていた。傘を差しているのに、肌は水気を帯び、髪の毛は肌に張り付いて気持ちが悪い。
 最近、少し変だと自覚していた。少し重たい教科書とノートの詰まった鞄を背負いながら並木道を歩いている。何時も一緒の少女達はそれぞれの部活に行っていて、ネギは一人だった。
 様々な出来事が起きた修学旅行からもう数週間が過ぎていた。その数週間の間にも様々な出来事があった。足取りがどうしても重くなり、嫌な考えばかりが浮かんでは消えた。
「そろそろ、一度戻らないとね…………」
 ネギは少し考えて寄り道して帰る事にした。寮に戻ると、少し大き目の荷物を自分のベッドの上に並べた。桃色のフカフカな掛け布団の上に、男の子用の服がワンセットと、変装用の眼鏡、黒のウィッグ、それに白いキャスケットだ。荷物を纏めると、ネギは机の中に隠した。
 それから数日経った日曜日、ネギは一人で森林公園にやって来た。朝早くに荷物をまとめて出発したので、あたりは未だ朝靄が掛かっていた。
 周囲を気にしながら男子トイレに入ると、そそくさと着替えを済ませた。荷物を鞄に仕舞い、小瓶から解除薬を一粒取り出すと口に放り込んだ。躯が火照ったと思った直後に、全身のバランスがずれた。
「あぅ…………」
 全身がけだるくなり、ネギはそっとトイレから出た。キャスケットと眼鏡とウィッグによって完璧に変装したネギは、久しぶりに男の子に戻った。久しぶりに男の子に戻ると、どうしても違和感が付き纏った。
 キャスケットを目深に被り、荷物を近くのコインロッカーに仕舞うと、深呼吸をして麻帆良市内を歩き始めた。歩いていると、なんだか何時もと世界が違って見えた。
 長い髪を上手にウィッグとキャスケットで隠して、ネギは深呼吸をした。
「……小太郎の所に行ってみよう」
 自分は変になってしまったのか、それを確認してみよう。そう思って、ネギは男子中等部のエリアに足を向けた。男子中等部に到着すると、校舎や周囲の雰囲気が女子中等部エリアとは少し違っていた。女子中等部はどこか歴史を感じさせる雰囲気を持っているが、それは外見だけで、校舎自体は真新しい。それに比べると、男子中等部は見たとおりだった。本当に古い建物が多く、所々に工事中を示す青い布が覆っていた。どうやら、改装中らしい。よく見れば、新しい校舎も幾つか発見出来た。
 小太郎と同じ制服の少年達が日曜日だというのに多く見かけられた。と、視線の先に現れた人物によって、ネギの心臓は大きく鼓動した。 慌てて身を隠すと、コッソリと様子を伺った。
 視線の先には、知らない茶髪の少年と黒髪の少年と一緒に話しながら歩いている小太郎の姿があった。何を話しているのか聞こえない、やけに楽しそうにお喋りをしている。何のお喋りをしてるのかな? と思いながら見ていると、不意に小太郎が視線を向けた。
「!?」
 驚いて声が出なくなっていると、小太郎が友人らしき少年と別れて、コチラにツカツカと歩いて来た。
「ここで何しとるんや? ネ…………って、あれ?」
 小太郎は隠れているネギを見つけると、肩透かしを喰らった様な顔をした。
「えっと…………」
 変装をしているから大丈夫だろうとは思ったが、ネギは恐る恐る小太郎を見上げた。
「えっと、すまん! 知り合いかと思ったんやけど、勘違いだったみたいや。こんなとこで何してんや? 自分」
 小太郎は謝りながら訝しむ様にネギを見た。こんな所でコソコソしているネギを怪しく思ったのだ。
「えっと……。その…………」
 なるべくバレない様に俯きながら声を若干低くして誤魔化す様に式典を濁した。
「ま、ええわ。じゃあな」
「あ…………、はい。じゃあ…………」
 立ち去ろうとする小太郎に、思わず声を掛けそうになるのを堪えて手を振った。
 つい、先日の夢を思い出してしまいながら、その場を後にした。
「違うよ…………、違う」
 ずっと、胸の中で渦巻いている疑問に首を振り続けながら、思い立って世界樹に向かった。麻帆良全体を見渡す事の出来る世界樹の枝に登り、腰を下ろした。世界樹広場には人の気配が無かった。
 ずっと、同じ事ばかりを考えている。あの夢がどういう夢だったのかを――。
「やっぱり、小太郎の事を好きになっちゃったのかな…………」
 呟きながら、ネギは溜息を零した。そんなのは変だ。その程度は理解している。男が男を好きになるなんて、歪だし、気味が悪い。
 女の子の体に慣れ過ぎたんだと思った。きっと、女の子の体のせいで、友情を愛情と錯覚しているんだと思った。だから、男の子に戻って、男の子の格好をして、小太郎の事を見て、それで確認するつもりだった。自分はまともだと――。
「駄目だ……。変態なのかな…………」
 欝な気分になってしまう。小太郎の顔を思い浮かべるだけで胸が苦しくなる。こんな気持ち、普通同性に抱いたりしない。その程度の事は理解出来ていた。理解出来てしまったから、余計に辛くなる。
 自分は結局の所、男だ。こんな感情を抱いても、意味は無い。深く溜息を吐いて、眼下を見下ろした。人は誰も居ない。飛び降りて、諦めた様に近くのトイレに入り、着替えを済ませた。
 薬を飲んで元の姿に戻ると、大きく背伸びをした。
「ん…………、っと。はぁ……」
 嫌な気分だ。こんな事なら確認するんじゃなかった。トボトボと歩きながら、肩を落とした。
 小太郎を裏切っている様な気がした。小太郎は友達と思ってくれている…………筈だと思う。
 なのに、自分の気持ちは全く違うのだ。自分で自分が嫌になってくる。
 何か飲もうと思って近くの自動販売機に近づくと、突然光の壁が通り過ぎた。
「…………え?」
 周囲の景色の色が反転してしまった。人の気配も、生き物の気配がそもそも存在していない。
「結界――――ッ!?」
 どう考えても結界の発動だ。気を落ち着かせ、周囲の状況を確認すべく走り出した。もしも一般人が居た場合、避難させる必要があるし、どうして結界が張られたのかを調査する必要もある。
 それに、この異変を察知した魔法使いや小太郎達が来るかもしれない。一刻も早く合流した方がいいだろう。空は茜色に染まり、世界樹広場を抜けようとした瞬間、上空から無数の光が降り注いだ。
「!?」
 目視した瞬間に障壁を構築した。
「――――ッ!!」
 声も無く絶叫しながら凄まじい光の豪雨が止むのを待つ。全力で障壁を張っているにも関らず、肌は焼け焦げて肉の焼ける嫌な臭いが鼻をついた。
「痛っ――――」
 あまりの痛みに目尻に涙が浮かび、更に魔力を障壁に集中する。直撃だけは避けられているが、真上に展開した風の障壁は光の雨の軌跡をずらす程度しか出来ていない。
 躯を僅かにも動かす事が出来なかった。少しでも動けば当る。躯を出来る限り小さくして耐えるしか無かった。
 光の嵐が不意に止み、ネギは障壁を解除せずに顔を上げた。遠くの空、高い建物の上にポツンと佇む影が見えた。なんだろう、目を凝らして見つめると、唐突に影は消え、背後から声がした。
「なるほど、新入りの証言は真だったか……」
 いかつい声の主は、ネギが咄嗟に逃げようと地面を蹴った瞬間にネギの右手を捕らえた。瞬動の移動の力が急激に止められ、右腕がバキンッと音を立てて砕けた。
「アアアァァァアアアアアッ!!」
 あまりの痛みに気が狂いそうになった。腕が焼けた様に熱い。
「喧しいな。少し口を閉じろ」
 脇腹に衝撃が走った。乾いた音が響き、そのままネギの体は地面を何度もバウンドしながら飛び跳ねた。ゼェゼェと息を吐きながら、堪えられない吐き気を感じ、そのまま吐き出した。
 真っ赤な血の塊が地面に広がり、脇腹から痛みがジンジンと響いた。脇腹の骨が折れたらしい。口から血を吐いたのは、内臓に突き刺さった脇腹の骨のせいだろう。視界が真紅に染まり、空間が歪んだ。
 あまりの激痛に脳が警鐘を鳴らしている。
「おっと、殺すのはまずいか、色々と利用出来るからな」
 吐き出した血で真紅に染まったプルオーバーを掴まれて起される。
「――――ッ!!」
 あまりの痛みに絶叫した。全身が火で焼かれた様に熱を発している。
「うるせえつってんだろ」
 下腹に衝撃が走る。蹴られた。再び血の塊を吐き出し、意識が朦朧とした。全身の痛みのせいで、もはや叫び声すら出なくなってしまった。
「あの女はどれほど痛めつけても泣き言一つ言わなかったものだが、情け無いものだな」
 視界が暗転して、声の主の顔が見えない。声の主は、そのままネギの体を壁に叩き付けた。と、壁はガシャンッと音を立てて、脆くも崩れ去った。
 どこかの店の窓ガラスだったらしい。上手く腕で頭を庇う事が出来たが、全身にガラスの刃が突き刺さった。生温い液体が流れ落ちていくのが分かった。
『とにかく立たないと』
 ネギは最後の力を振り絞って全身から血と共にどんどん力が抜け落ちるのを無視して転がる様に店を出た。ぼやけた視界の中を、折れた右腕とガラスの突き刺さった左腕をダランと垂らしながら、痛みで縺れる足を引き摺って逃げ出した。
 ヒュゥヒュゥと、声を出そうとしても、声にならずに空気が抜ける音だけが耳に届く。無限にも近い時間、只管に痛みに耐えながら歩き続けたが、躓いて地面に倒れ伏した。その直後、足から乾いた音が再び響いた。
 恐ろしい痛みが脳へと一気に駆け上り、ネギは辛うじて掴んでいた最後の意識を手放した――。

「はぁ? 侵入者?」
 突然現れた土御門の言葉に、小太郎はポカンとした顔をしながら飲んでいたジュースから唇を離した。
「そうだ。侵入者はネギを狙っている。探査をしても場所が特定出来なくてな」
 忌々しそうに言う土御門の表情を見て、小太郎は只事では無いと悟った。
「どういう事や?」
「数時間前の事だ。何者かが麻帆良学園内に侵入した。どうやら、高畑とカモに調べさせていた連中の仲間らしくてな」
「調べさせていた連中の仲間……?」
 土御門は苦虫を噛み潰した表情で地面を蹴りつけた。
「その可能性が極めて高いんだ。目撃証言から推測するとな。とにかく、今はネギを見つけ出す事が重要だ。今、俺と高畑、カモが捜索している」
「なら、ワイも!!」
「駄目だ。お前は直ぐにエヴァンジェリンのログハウスに行け。そこで、今話した事情を説明してエヴァンジェリンに警戒を促せ。敵の力は強大だ。和美達もログハウスに集めておけ。木乃香とアスナ、刹那、夕映、のどかはログハウスに既に居る。和美とさよちゃんは報道部だ。ネギの関係者として知られている修学旅行の時に総本山に居たメンバーも狙われる可能性がある。春日美空に関しては、シスター・シャークティに任せてある」
「けど!!」
 狙われているのがネギなら、黙ってなど居られない。今直ぐ走り出して探しに行きたい。だが、土御門は厳しい表情で首を振った。
「探査の魔術に反応があった。なのに、発見が出来ない。恐らく、探査を妨害されている可能性がある。今は、別々に行動するのは避けるべきだ」
 小太郎は舌を打った。納得などいかない。だが、ここでウダウダ言っていても始まらない。
「なら、全員を集めて、事情を説明したらワイも探す。責任は果たす! せやから!!」
 小太郎の真っ直ぐの瞳を正面から受け、土御門は言っても時間を無駄にするだけだと悟った。
「だがな、必ず報せろ。敵はお前一人で敵う程生易しくは無い」
「おう!」
 返事を返し、小太郎は即座に行動を開始した。影で作り出したゲートを潜り、エヴァンジェリンのログハウスに一瞬で移動すると、中に居るエヴァンジェリンに事情を説明した。エヴァンジェリンは侵入者に関して、既に承知していた。だが、狙いがネギだとはさすがに気付かず、険しい表情を浮かべた。
「茶々丸。直ぐにアスナと刹那を呼べ」
 エヴァンジェリンは即座に傍に控えていた茶々丸に指示を飛ばした。茶々丸は即座に動き、凄まじい速度で森の方へと疾走して行った。
 どうやら二人で修行をしているらしい。エヴァンジェリンは小太郎を呼び掛けた。
「和美とさよの事は任せろ。お前はネギの方を見つけ出せ。何かが起きてからでは遅い。私も後で捜索に加わる」
「分かった!」
 エヴァンジェリンの心遣いに感謝し、小太郎は即座に影のゲートを潜って、土御門と別れたばかりの場所に戻った。
「ネギ…………」
 険しい表情を浮かべ、一目散に駆け出した。どこに居るのかも分からない。それでも、ジッとなんてしていられなかった。ネギの行きそうな場所を回ろうと思ったが、そこで漸く気がついた。どれだけ自分がネギの事を知らないか、という事に。どこに行けばいいのか分からなかったのだ――。
「クソッ!!」
 周りを歩いている人達が怪訝な顔をして小太郎を見たが、そんな事を意にも介さずに小太郎は走り出した。広大な麻帆良学園で、ネギを見つけるために――。

 空が段々と茜色に染まり始めた頃、未だに小太郎はネギを探し出す事が出来ずに居た。女子中等部エリアを駆け回り、ショッピングエリアも隅から隅まで見回ったが、どこにも居なかった。
「クソッ!! どこに――ッ!?」
 壁を殴りつけ、顔を上げると、遠くに世界樹が見えた。ちょうど、こんな感じに空が茜色に染まっていた。確証なんて無かった。ただ、ネギが居るとしたらそこだと直感した。
 世界樹広場に向かって走っていると、不意にすぐ傍で光の鏡が現れ、中から土御門が飛び出してきた。周りの人達は土御門の出現に違和感を持たない様子だった。土御門は小太郎に声を掛けた。
「小太郎、見つかったのか!?」
 小太郎は視線を向けずに首を振った。
「違う。けど、居る気がするんや」
 土御門は虚をつかれた表情を浮かべたが、そうか、とだけ言うと、小太郎に並走しだした。
「居るって決まった訳やないで?」
「それでも、可能性があるなら懸ける。正直、探査が正常に効かない現状に困り果ててた所なんだ」
 二人が世界樹広場を目指していると、前触れも無くナニカが通り過ぎた。
「なんや? 今の――――」
 立ち止まって辺りを見渡すが、どこにも以上は見当たらなかった。
「対象を限定する捕縛結界だ!!」
「なんやて!?」
 土御門が血相を変えて走り出した。小太郎も慌てて後を追う。
「今のが侵入者の仕業なら、ネギが捕らえられた可能性が高い」
 言いながら、土御門は口笛を吹いた。周囲の人間から、土御門と小太郎の気配が薄れていく。
 土御門が近くのビルの屋上へ一気に駆け上がると、小太郎も後に続いた。土御門は携帯電話を取り出して耳に当てた。
「エヴァンジェリンか。今すぐ、世界樹広場南の第三商業地区のハイライトビル屋上に来い」
 返事も待たずに、土御門はその後タカミチにも連絡をした。殆ど、間を置かずに闇が立ち上って、中からエヴァンジェリンと、エヴァンジェリンに連れられて和美とさよも姿を現した。
 遠くの方からは、タカミチがビルや住宅の天井を飛び跳ねながら凄まじい速度で近づいてきているのが見えた。タカミチと同行していたカモが到着すると、土御門は冷や汗を流しながらサングラスを光らせた。
「一体、何事だ?」
「何かあったのかい?」
 エヴァンジェリンとタカミチが同時に尋ねた。和美とさよは困惑の表情を浮かべて、カモが事情を説明した。
「そんな事が!?」
 カモが説明すると、和美は眼を見開き、今にも飛び出していきそうな雰囲気で土御門を睨んだ。
「全員、よく聞け。敵はフェイトの元のお仲間だ。奴等は造物主を倒したナギの子であるネギを狙っている」
 全員が険しい表情を浮かべた。
「ただの結界とは思えない。恐らくはアーティファクトだな」
「心当たりでもあるのか?」
 エヴァンジェリンが尋ねた。
「アイゼンが持って来た情報だ。【無限抱擁(エンコンパンデンティア・インフィニータ)】という強力な結界生成アーティファクトを持つ者が居ると聞いた」
「どうやったらネギを助けに行けるんや!?」
 小太郎が切羽詰った様子で土御門に詰め寄った。敵に捕らえられたと分かった以上、のんびりしている時間などない。
「辛うじて、結界を感知出来るが――」
「なら――ッ!!」
 和美が叫ぶが、土御門は渋い表情を浮かべた。
「手段は一つだけある。俺の術で、歪を作る。そこに、エヴァンジェリンが道を作るんだ。そこに、飛び込めば…………」
「なら、さっさとやろうよ!」
「せや! 時間がもったいないで!!」
 和美と小太郎が急かすが、エヴァンジェリンは土御門の渋る理由を悟り、苦い表情を浮かべた。
「空間に人為的に歪を操るのは難しい。私でも安定した道を開く事は一瞬がせいぜいだ。恐らく、向こう側に行けるのは一人だけだ」
「ああ。一度歪が崩れれば、空間が安定するまで、道を作る事は出来なくなる。向こう側に行った奴は、一人でネギを救出して強力な力を持つ敵と一騎打ちしなけりゃならなくなる」
 誰もが息を飲んだ。下手をすれば死ぬかも知れない場所にたった一人で乗り込まなければならないのだから。だが、逡巡は一瞬だった。
「僕が…………」
「ワイが行く!!」
「私が行く!!」
 タカミチが口を開こうとした瞬間、二人は同時に叫んでいた。土御門とエヴァンジェリンはそんな二人の顔を見つめた。土御門は、薄く笑った。
「なら、小太郎。お前が行け」
「おう!!」
「何でよ!? 私が行くってば!!」
 土御門の選択に、和美が反発する。
「これは賭けだ」
「賭け?」
 土御門の言葉に、和美はキョトンとした。
「小太郎、お前はネギ・スプリングフィールドが好きか?」
 突然の事に、小太郎は目を丸くした。
「お前は、ネギ・スプリングフィールドを愛しているか?」
 土御門は再び問い掛けた。小太郎は小さく頷いた。
「…………ああ」
 小太郎が答えると、和美は眼を見開き、小さく溜息を吐いた。
「なら、何としてもネギを救出しろよ、男の子?」
 ニヤリと笑みを浮かべ、エヴァンジェリンが言った。
「常に状況を引っくり返せるのは思いの強さだ。この中で誰よりもネギの事を大切に思っているのは小太郎だ。だからこそ、懸ける価値がある」
 土御門の視線を受け、小太郎は腹を括った。
「任せとけ、絶対にネギを助けて戻って来る!! 道を開けてくれ。一刻も早く、行かないと!!」
「小太郎、無事に帰って来なさいよ。ネギっちとね」
「痛っつ」
 和美は力いっぱい小太郎の背中を平手で叩いた。小太郎はよろけながら、和美にニヤリと笑いかけた。
「当然!」
 土御門は口笛を吹いた。と、温かい空気が一変して涼しくなった。清涼な空気が周囲を取り囲み、土御門は懐から数枚の符を取り出した。
「歪を作り出すには、並みの魔術では意味が無い。全員、離れていろ!!」
 土御門は符を周囲にばら撒き始めた。エヴァンジェリンが和美を、タカミチが小太郎をさがらせた。
「さあさあ、舞台を整えようか(アラ バティ チリティチリタハティ)」
 符が空気に溶ける様に消えて行き、光の珠が土御門の周りを浮かび始めた。一つ一つに膨大な力を感じる。
「狙うは次元の境界、歪ませるのは世界の壁(オン アビラウンキャン シャラク タン)」
 土御門は素早く印を結びながら呪文を唱えた。その声は、不思議な響きを纏っていた。山彦の様に、そこかしこから土御門の呪文が反響している。
「穿つモノ、祖は水を司る龍王(ナウマク サンマンダ ボダナン ナンド ハ ナンド ソワカ)」
 周囲に霧が発生した。霧は土御門の頭上へと集まっていく。
「祖は、破滅を司る神(ナウマク サンマンダ センダマカロシャダ タラタ カン)」
 浮かんでいた光が、不意に真紅の光を放ち始めた。
「さあ、歪ませろ。世界の壁を(ギャラン ケイシン バリヤ ハラ ハタ ジュチラマヤ ソワカ)」
 紅い光が、土御門の頭上に生まれた巨大な水の塊に吸い込まれた。真紅の光を放ち、水の塊は龍の姿を象った。
「エヴァンジェリン、用意はいいか?」
 土御門が頬を汗で濡らしながら問い掛けた。エヴァンジェリンは小さく頷いた。
「問題無い」
 土御門は満足気に頷くと、ポケットに手を入れながらニヤリと笑った。そして、土御門が最後の呪文を唱えると、紅き水龍は目が眩むほどの光を迸らせた。
 再び眼を開くと、頭上に色の反転した光景が広がっていた。不気味な青紫色の空を見上げながら、エヴァンジェリンが瞳を青銀に輝かせた。小太郎と和美は寒気を感じて肌を擦った。息が白くなり、地面に広がった水龍の残骸が氷に変換されていく。
「いくぞ、小太郎。道は一瞬しか開けない。タイミングを逃すな」
 小太郎は小さく頷いた。エヴァンジェリンが空間の裂け目に両手を掲げ、魔力を極限まで集中させた。
 まるで、ガラスに皹が入ったかの様に、白い光が裂け目に広がり始めた。凄まじい轟音が響き渡り、徐々に皹が小さくなり始めた。
「いくぞ、お前が裂け目に到達した瞬間に、道を開く。行け!!」
 小太郎はエヴァンジェリンに頷いて見せると、足に気を集中させ、跳び上がった。真っ白な皹が眼前まで迫った瞬間、皹が円を描き広がった。その中心に飛び込むと、靴が通り抜けた瞬間に凄まじい衝撃と音と共に、空間の裂け目は消滅した。
 吹飛ばされた小太郎は、何とか受身を取って着地すると、周囲の異様な光景に息を呑んだ。
「なんや…………ここ?」
 建物や木々の形は同じだった。だが、人や獣の気配は一切無く。建物の壁は赤紫や緑色の不気味な光を放っていた。居るだけで気分が悪くなっていく。
「ここに…………ネギが居るんか?」
 誰からも答えは返って来ない事は分かっていた。小太郎はこの広い空間のどこを探せばいいか考えた。
 不意に、視線の先にあやかと行ったデパートが遠目に見えた。
「せや。あの時の力」
 デパートで、あやかの弟の影を切り裂いた時の力を思い出した。
 一瞬だったが、感覚が鋭くなり、あの状態なら、探査能力が飛躍的に上がるのでは? 小太郎はそう考えて、狗神を集中し始めた。
「あの時は、獣化しようとして、そのまま――」
 獣化の要領で狗神を全身に広げていく。違う、こうじゃない。あの時の感覚とは違っていた。
 あの時は、自然と更に先までいけた。だというのに、今は獣化の先に大きな壁が立ちはだかっているかの様に先に進めなかった。
「なんでや、なんで出来ないんや!?」
 魔力だけを無駄に消費していく。
「くそっ…………。何が違うんや? 何が…………」
 あの瞬間を思い出しながら、身長に狗神を纏う。また駄目だった。
「あの時は…………、せや、あの時は集中しとった。アイツを倒すって。集中が足りないんか…………」
 それでも、どうしても焦ってしまう。今直ぐネギの下に駆けつけたい。だが、ネギの居場所が分からない以上、下手に動けなかった。
「頼む、狗神。頼むさかい、ワイに…………ワイにあの時の力を――ッ!!」
 すると、突然あの時の感覚の波が小太郎を襲った。
「キタ、来い!! せや。ここや…………来い!!」
 直後、小太郎の立っていた場所には漆黒の毛皮を纏った巨大な犬が立っていた。
「出来…………た?」
 自分の姿を見ながら、小太郎は呆然と呟いた。鋭い爪と、強靭な犬の肉体。
 五感は研ぎ澄まされて、遠くで微かに音が聞こえた。血の匂いを感じ、小太郎は咄嗟に走り出した。四足で走る事など、あまり経験は無いのだが、驚くほど自然に、凄まじい速度で走る事が出来た。
 流れる様に去っていく景色に眼もくれず、小太郎は血の匂いを辿って走り続けた。市街地と商業地区を駆け抜け、山道を駆け上がり世界樹エリアに到達する。そこに辿り着いた瞬間、愕然となった。
 凄まじい量の血の後と、割れた店の窓。割れたガラスに付着していた肉片を見た瞬間、小太郎はよろけそうになった。あまりにも血の量が多過ぎる。最悪の状況を頭に描いて、小太郎は頭の中がグチャグチャになりそうだった。
 すると、耳にわずかな音が聞こえた。遠くで、移動している存在を感知して、小太郎は迷わずに走り出した。音が聞こえるのは、ここからそう離れた場所では無かった。移動速度はかなり遅い。小太郎は道無き道を一直線に進んだ。
 初等部エリアらしい場所に、点々と血痕が落ちていた。心臓が高鳴る。最悪の場面を象徴し、涙が漆黒の毛皮を伝って地面に垂れた。
 人間が死に達する出血量を大きく超えている。魔術師は魔力で生命力を補えるし、ネギは強大な魔力を持っているから、確実ではないが、この出血量では、望みはかなり薄かった。やがて、境界近くの森の傍で、漸く小太郎は追いついた。
 血塗れのネギを抱えているのは、ブロンドの長髪の男だった。黒のジャケットに黒のパンツの柄の悪そうな人相の男だった。男は、小太郎を見ると怪訝な顔をした。
「犬…………?」
 小太郎は轟く様に唸り声を上げた。突然、他には生き物が存在しない筈の空間に現れた巨大な狼に、男は硬直した。その一瞬のスキを突いて、小太郎は一気に距離を詰めてネギを口に咥えると、そのまま逃走した。
 すぐにでも八つ裂きにしたかったが、ネギを取り戻す事を優先した。
「うぅ…………」
 ネギが小さく呻いたのが、研ぎ澄まされた聴覚に届いた。生きていた。小太郎は眼を見開き、今度は喜びに涙を流した。男が追いかけて来る前に、影を使った転移で一気に距離を開く。
 一番先に思いついたのは、最初と出会った場所の近くの森林公園だった。ベンチにネギを寝かせると、改めてネギの躯を見て絶句した。辛うじて生きてはいる。だが、完全に虫の息だった。
 どうすればいい!? 小太郎は困り果てていた。小太郎は治癒系の魔術は使えない。獣化を解き、上着やズボンを使って止血を試みるが、傷が大きく、そして多過ぎる。
 傷口を覆った服は赤黒く変色していく。このままでは、ネギが死んでしまう。小太郎はガチガチと歯を慣らした。どうすればいいか分からなかった。心音が徐々に小さくなっていく。
「嫌や…………。こんなんで、終わらせてたまるか……」
 涙が頬を伝って地面に落ちた。ネギの手を握り締め、懇願した。死なないでくれ、と。
「まだ……お前に言いたい事があるんや! だから……起きてくれ、ネギッ! …………ちくしょう、ワイは……好きな女の一人も護れへんのか」
 唇を強く噛み締め過ぎて、血が滴った。ネギの体を抱き起こして、ネギの顔に掛かっている前髪を退けた。
「好きや……ネギ。……頼むから、起きてくれ。そんで、言わせてくれや、お前を愛してるって」
 その時だった。ネギの服のポケットから一枚のカードが零れ落ちた。小太郎はネギの体を優しく寝かせると、カードを手に取り、目を丸くした。
「これは……?」
 カードには見覚えのある絵柄が描かれていた。
「仮契約の魔方陣か?」
 小太郎は咄嗟にカードに魔力を流し込んだ。もしも、仮契約の力がこのカードに封じられているのだとすれば、そう考えたのだ。
 前に聞いた事がある。ネギが刹那と仮契約を行った時、刹那は大怪我を負っていて、仮契約によって生命力の底上げを行い助ける事が出来たのだと。
 カードから光が溢れ、地面に仮契約の為の魔方陣が描かれた。小太郎はソッとネギの体を抱き抱え、魔方陣の上に寝かせた。
「ネギ、死んだらあかん……」
 小太郎は血で染め上がった、ネギの紅い唇を自分の唇で覆った。地面の魔方陣から放たれる光が一層強くなって、二人の間に仮契約のカードが生まれた。
 カードには財布の様な物を持つネギの姿が描かれていた。カードは直ぐに光の粒子となってネギの体を覆った。光が消え去ると、破れてボロボロだった服が消え去り、代わりに太腿が露出する程のスリットのあるロングスカートのドレスの上に胸元で結んだ大きな外套を羽織った姿になった。
 ネギの胸元に財布の様な物が現れた。
「これがネギのアーティファクトなんかな?」
 ふと見ると、地面に一枚の紙が落ちていた。拾い上げると、そこには英語の文章が記されていた。
 そこには『アーティファクト名――【千の絆(ミッレ・ヴィンクラ)】。カードフォルダーの中に従者のカードを納め、“アデアット”を唱える事で従者の仮契約カードのアーティファクトを自分で使えるようになります』と記されていた。
「えっと……説明書か?」
 小太郎は必死に頭を回転させて読み上げた。
「従者のアーティファクトを使える――ッ!」
 小太郎はハッとなった。従者のアーティファクトが使える。今、ネギの従者はアスナと木乃香の二人だ。そして、木乃香のアーティファクトは回復の力を秘めている。
 小太郎は慌てて“千の絆”を開き、その中に納められている二枚のカードの内、木乃香の姿が描かれているカードを千の絆の挿入口にセットした。
「ネギ、起きてくれ!!」
 小太郎はネギに目を覚ますように必死に訴えかけた。ネギは若干顔色が良くなったがそれでも虫の息だ。一刻も早く傷を癒さなければならない。
 ネギのアーティファクトはネギにしか使えない。本当は無理をさせたくないが、ネギを救う為にはこれしかない。
「頼む!! 起きてくれ、ネギ!!」
「テメエ、どうやってこん中に入って来た?」
 背後から突然低い声が聞こえた。振り返ると、ネギに瀕死の重傷を負わせたブロンドの髪の男が居た。
「呪幻界」
 小太郎はポケットから符を取り出すと、ネギを覆う様に、青白い光の結界が出現させた。
 小太郎は男からネギを護る様に体に力を篭めた。何時でも、獣化する事が出来る様に。
「ああ、なるほどな。さっきの犬はお前か。獣臭さがここまで臭ってくるぜ」
「テメエ――ッ」
「で、どうやって入ってきやがったんだ? この空間は数ある結界宝具の中でもかなり強力なヤツなんだぜ?」
 小太郎は横目でネギを見た。目覚める気配は無い。一刻も早くこの空間から出して病院に連れて行かなければ手遅れになる。
「教える義理は無い。テメエをぶちのめして、さっさとこの空間から出てやらァ!!」
 凶暴な唸り声と共に小太郎は狗神を全身に纏った。馬程もある黒い毛皮の巨体を持つ狗の姿になり、縦に裂けた瞳が殺意を漲らせてブロンドの男を睨み付けた。
「ハッ、吼えるな駄犬!! 姿を変えたところでこの俺には勝てん!!」
 男が叫んだ瞬間、血走った眼を向けていた男に小太郎は鋭い爪を振るった。人間ではあり得ない俊敏さを見せ、男は巧みに捌き続けた。
 完全に全身を獣化させた小太郎は疾風怒濤の勢いで攻め続けた。少しでも早く男を倒し、この空間から抜け出す為に。全身に粟立つ程に力が漲り、振るう爪撃の一撃一撃に気で強化した時とは比べ物にならない程の強大な力が宿っている。
「まさか、これ程とは――ッ!」
 繰り出される爪撃に男は後退を余儀無くされた。
「嘗めるな糞餓鬼!!」
 男はどこからか一振りの剣を取り出した。飾りの無い無骨な西洋剣だ。男は豪腕によって力任せに小太郎目掛けて剣を振り下ろした。小太郎は咄嗟に後退した。男の振り下ろした剣は地面を大きく抉った。
「チィ――――!」
 忌々しげに舌打ちをこぼし、男は地面から剣を引き抜いた。猛然と襲い掛かる小太郎の爪撃を剣で受け止める。
「畜生がよく動く!」
 小太郎の猛攻を剣で捌き、男は呪いを篭めた悪態をついた。小太郎の繰り出す一撃一撃に男は反撃も叶わずに後退する。小太郎は一気に勝負をつけようとより深く男へと踏み込み、叩き下すように渾身の一撃を喰らわせる――。
「調子に乗るな、餓鬼が――ッ!!」
 小太郎の大振りな攻撃は男にとって好機だった。消えるように一気に後ろに跳ぶ。小太郎の爪撃は空振りに終わり、地面を砕いて、土塊を巻き上げた。
「ハッ――――」
 数メートルを跳び退いた男は着地と同時に一息の内に小太郎に迫った。必殺の一撃は必殺の一撃を打たせる大き過ぎる隙になってしまった。
 この隙はもはや取り返しのつかない失態だ。小太郎は爪撃を放った衝撃による体の硬直が未だに解けずに居る。小太郎の眼に絶望が浮かんだ。
「ぐっ――――!!」
 必殺の好機だというのに、男は小太郎に剣を振り下ろす事無く跳び退った。一泊遅れて、男の立っていた場所を一振りの片刃の剣が通り過ぎた。地面に突き刺さるソレは――。
「ハマノツルギ……アスナの姉ちゃんのアーティファクト!?」
 一瞬、アスナが来たのかと考えた。だが、振り返った瞬間、その考えが間違いだと理解した。この場に居るのは三人のみ。襲撃者たる男と小太郎、そして――――ネギだけだ。
「ネギ、お前……」
 ネギは虚ろな表情で立ち上がり、ハマノツルギを投擲した格好のまま立っていた。ネギはその場で崩れ落ちた。
「ネギ!?」
「大……丈夫……だよ、小太郎」
 ネギは倒れたまま、駆け寄ろうとした小太郎に言った。
「私は……だいじょ……ぶ……だから」
 どう見ても大丈夫には見えない。ネギの体からは未だに夥しい血が流れ続けている。木乃香のアーティファクトを出して治療していれば、完治は無理でもある程度の傷は癒えている筈だ。
「馬鹿……やろう。ネギ、アイツをぶっ倒して、さっさとこの空間から出してやるさかい、待ってろ!!」
「こた……う。…………うん」
 ネギが確かに頷いたのを見て、小太郎はブロンドの髪の男に注意を集中した。間合いは大きく離れている。男はぎらり、と小太郎の心を射抜く視線を向けている。
「嘗めるな……と、言っただろうが、小僧――――ッ!!」
 男が吼えた瞬間、小太郎の目の前に雷の槍が現れた。一本や二本ではない。巨大な雷の槍が小太郎を取り囲むように全方向に展開していた。展開した“雷の投擲”のドームを見上げ、小太郎は絶望を感じた。回避不能、防御不可。あれだけの物量が一気に降り注げば、どれだけの強力な結界を張っても、紙の様に意味が無い。
 何故、小太郎の注意がネギに逸れた時に男が動かなかったのか、その理由が分かった。男はその間に詠唱を完了させていたのだ。己の間抜けさに腹が立った。あまりにも圧倒的過ぎる力に、小太郎は全身から力が抜けていく感じがした。
 男は狂った様に嗤った。
「分かっただろ、これが格の違いというものだ」
 その言葉が合図となり、空中に待機していた無数の雷の槍が小太郎に降り注いだ。

 その光景を、ネギはスローモーションの様に見ていた。気がついたのは、小太郎と仮契約をした直後だった。直ぐには指一つ動かす事が出来なかったが、仮契約によって活力を与えられ、意識だけは戻っていたのだ。
『嫌だ…………』
 本当の事を話せば、間違い無く嫌われてしまう。どれだけ望んでも、結ばれる事は決して無い。それでも、小太郎の告白が嬉しかった。
 全身を貫き続ける痛みも忘れて。出血のし過ぎで遠退きそうになる意識がクリアになった。
『私も、好きだよ。だから…………』
「死な…………な……ぃ……で」
 掠れた小さな声。口元に耳を近づけていても、果たして聞こえたかどうか分からない声。だというのに――。
「あいよ」
 ネギはその声に瞠目した。ありえない、あの雷の槍の豪雨の中、生きていられる筈が無い。ブロンドの男にしてもそうだった。自身の全魔力を使った“雷の投擲”の一斉掃射。跡には、肉片一つ落ちていない筈なのだ。
 小太郎は立っていた。獣化は解け、その肩に一本の剣を担ぎ、笑みを浮かべていた。
「馬鹿な――ッ!?」
 愕然としながら呟く男の右腕が肩口から吹き飛んだ。反応するよりも早く、目の前に漆黒の影が降り立った。
「あっ――――」
 傷口から血潮が噴出した。同時にガラスの割れた様な音が不可思議な空間の一体に響き渡った。
「ネギ、小太郎!!」
 エヴァンジェリンの声が響いた。
 【破魔之剣(ハマノツルギ)】には、エクスカリバー程では無いが常に完全魔法無効化場を展開している。結界内に破魔之剣が現れた瞬間、結界内に歪が出来ていたのだ。エヴァンジェリン達はその歪を利用して、外部から結界を破壊したのだ。
 男は片腕を失い、更に援軍が来た事に己の不利を悟り、撤退しようと距離を取ろうと大地を蹴ろうとすると、次の瞬間に小太郎が男の喉笛に破魔之剣を沿わせた。
 小太郎が雷の投擲の豪雨から生還出来たのは、この破魔之剣のおかげだった。ネギが小太郎を助けようと、自分の治癒よりも優先して “千の絆”によって喚び出し投擲した破魔之剣を盾にする事で防ぎ切ったのだ。
「ワイの……勝ちや」
「…………クッ」
 男は観念したように俯き、やって来たタカミチに捕らえられた。
「ネギ!!」
 エヴァンジェリンはネギの方に走って行った。ネギの酷い有様を見た瞬間、エヴァンジェリンは憎悪を宿した眼で男を睨み付けた。
「駄目だよ、エヴァ」
「タカミチ!!」
 今にも八つ裂きにしかねないエヴァンジェリンをタカミチが制した。エヴァンジェリンは男に向けているのと同じくらいの恐ろしい殺気をタカミチに向けた。だが、タカミチの顔を見た瞬間にエヴァンジェリンは眼を見開き、殺気を散らせた。
「この男からは情報を持っているだけ搾り取らないと」
 声はどこまでも冷静だったが、その貌は隠しきれない憤怒を称えていた。タカミチも怒っているのだ。大切な生徒であり、大切な友人でもあるネギに重傷を負わせた男を今直ぐ殺してやりたいという欲望を抑えるのに内心必死だった。
「エヴァはネギ君を頼むよ」
 タカミチは処理班に連絡を入れた。学園長にも連絡を入れると、魔法使い用の設備が揃っている一番近い病院に連絡を入れると、しばらくして大通りに救急車がやって来た。
 ブロンドの髪の男は黒いローブを纏った魔法使い達に連れ去られた。情報を絞り取る為の場所に連行されたのだ。
 タカミチとエヴァンジェリンは小太郎とネギに付き添い救急車に乗り込んだ。医療系の魔術師が即座にネギの腕からガラスの破片の摘出を行った。専門の術師は的確にネギを治療した。
 小太郎はいつの間にか気を失っていた。二度の完全獣化とネギとの仮契約によって、魔力が底をついてしまったのだ。
「それにしても、【千の絆】か……」
 エヴァンジェリンはネギの仮契約のカードを見ながら呟いた。まさか、小太郎が主でネギが従者という契約が結ばれるとは思っていなかったが、ネギのアーティファクトはエヴァンジェリンの興味をそそった。従者のアーティファクトを使える様にするアーティファクト。かなり珍しいアーティファクトだ。
「まさに二人の絆の勝利……と言ったところだな」
 救急車の中で眠っている二人を見守りながら、エヴァンジェリンは微笑を浮かべた。タカミチは「そうだね」とだけ言って頷いた。
 小太郎の容態を確かめていた癒術師の男がエヴァンジェリンに声を掛けた。
「ミス、貴女も瞳の色が悪い。血液パックは規定量送られている筈ですが?」
 癒術師の男は、感情の見えない声で尋ねた。
「少しな」
 エヴァンジェリンは一月に一度は学園側から血液パックを受け取っていた。だが、それは魔力の封印状態でなら満足出来る程度の量だ。魔力が開放されている状態では、血液が足りないのだ。
「必要量は再申請をお願いします。人を襲いたいのでしたら話は別ですが?」
 タカミチが鋭い視線を向けた。魔術師の男は怯んだが、エヴァンジェリンが首を振って制した。
「よせ。申請はする。後日、学園長にな」
「え、ええ。お願いします」
 それっきり、魔術師の男も黙したままネギの容態を確かめ、一行は病院に到着した――。



[8211] 魔法生徒ネギま! [第七章・二人の絆編] 第三十九話『ダンスパーティー』
Name: 我武者羅◆cb6314d6 ID:87b1fc72
Date: 2010/06/25 05:11
魔法生徒ネギま! 第三十九話『ダンスパーティー』


 日曜日が近づくにつれて、ネギはどんどん落ち着きが無くなってきた。クラスの騒々しい喧騒も耳に届かない。友人達が心配してくれるが、適当な返事しか出来なかった。
「どうしよう…………」
 ウジウジ悩んでいても仕方の無い事なのは分かっている。それでも、悩まずには居られなかった。知ってしまったのだから。
「こ、小太郎が私の事…………す、す、す…………」
「どうしたの?」
「ほにゃ!?」
 部室にやって来て着替えをしながら顔を真っ赤にしてブツブツと呟いているネギを心配に思ったキャロが声を掛けた。
「大丈夫~? なんだか顔が面白い事になってるよ~?」
 唇に人差し指を当てながらキャロは首を傾げた。
「え、いや、その…………」
「はは~ん」
 キャロは妖艶な笑みを浮かべた。
「な、なにかな?」
 妙な気配にネギは警戒した。
「そう言えば、ネギちゃんは日曜日のダンスパーティーに男の子をつれてくるんだよね~」
「ど、どうして今言うのかな?」
 キャロはしたり顔でネギを見た。
「そうだよね~。うんうん」
「えっと?」
「分かってる。そりゃ~仕方ないってものよね」
「キャ、キャロ? キャロライン?」
「それじゃ~、失敗出来ないよね~。うん、本当は自分でやって経験してもらおうと思ってたんだけど、お化粧は私がやってあげよう」
 一人でどんどん盛り上がっていくキャロに危機感を覚えてネギは何とか止めようと声を掛けるが、キャロは全く聞いていなかった。
「それで~? 小太郎君だったよね? どんな子なの? どこまで進んでるの~?」
 キャロは好奇心に瞳をこれ以上ない程に輝かせながら問い詰めた。
「え!? えっと、あの…………」
 ネギは小太郎の事を思い浮かべて再び顔を真っ赤にした。キャロは心の底から面白そうにネギを見ている。
「その、小太郎はね、いっつも私の事を助けてくれて…………」
 話し始めたら止まらなかった。それこそ、キャロが聞いた事を後悔するまで長々と小太郎の事を話し続けた。
「ごめん。もう許して…………」
「それでそれで、この前も…………。ふえ?」
 夢中になって話していたねぎは我に返って今にも燃え上がりそうなほど顔を真っ赤にした。
「凄いね。紙一重で欠点になりそうな所まで華麗にいい所にしてしまう辺りが特に…………」
 キャロはグッタリしながら言った。
「恋する乙女を舐めてたわ…………」
「こ、恋してなんか…………」
 顔を真っ赤にして否定しようとするネギに、キャロは冷たい視線を送った。
「これ以上無い程に説得力ないよ、ネギちゃん。もう、一周回っても笑えないくらい本気なんだって、耳がたこになるくらい分かったよ」
 酔っ払ったみたいに真っ赤な顔してふらつくネギにキャロは顔を引き攣らせた。
『面白過ぎる。こんな娘だっけ、ネギちゃんって』
「それで、どの辺りまでいってるの? なんだか、聞くのが怖くなってきたけど…………」
 もしかしたら、未成年が聞いてはいけないレベルかもしれないと身構えた。聞いた話では、犬上小太郎という少年は中学二年生。丁度、性に対して興味津々になる年頃だろう。
 そんな時期に、こんなに自分にベタ惚れで素直で犬属性っぽい女の子が居たらどうなるだろうか? 本気で聞くのが怖くなってきた。
「あ、無理に言わなくてもいいからね?」
「えっとね。そ、そんなに進んでたりは――」
「駄目だ。私の声届いてない…………」
 どうしたらいいんだろうか、変なスイッチが入ってしまっている。中三で友人に避妊を勧める立場になどなりたくないが、この天然娘はその辺流されてそうで怖い。いざとなったら、覚悟を決めよう。
「つまり、キスまでなのね?」
「う、うん」
 キャロは念入りに問い詰めた。どうやら危険なラインでギリギリ踏み止まっているらしい。
「よ、良かった~」
 脱力してしまい床にペタンとお尻をつけた。安堵の溜息をこぼすキャロにネギが不思議そうな顔をする。だが、キャロはここで安堵してる場合じゃないと悟った。
 キスまで進んでいるなら、この先にいつ進んでもおかしくない。ぶっとんだ思考だと思うが、好奇心でそんな事になって、ドラマみたいに中学生で子持ちになどなったらシャレにならない。
 自分もそうとうなチビだが、ネギも負けないくらいチビだ。もしも子供など出来てしまったら、母体が耐えられるとは到底思えない。恐ろしい想像はどこまでも広がり、キャロは褐色の肌にも関らず、顔面蒼白になってしまった。
「ネギちゃん!!」
「ひゃ、ひゃい!?」
「その…………、せ…………せせ…………」
 言おうとして顔が真っ赤になった。
「言えるかァァァアア!!」
 キャロは涙目になりながら叫んだ。
「ど、どうしたの!?」
 突然叫んだキャロに目を丸くしているネギの両肩をキャロは砕かんばかりの力で掴んだ。
「とにかく!!」
「ふにゃ!?」
 キャロは恐ろしい形相でネギの瞳を真っ直ぐに見ながら言った。
「どんなに求められても、キス以上しないように!! どんな事があってもね!!」
「キス以上って?」
「ほえ!?」
 心底不思議そうな顔で聞き返され、キャロは真っ赤になった。純粋な瞳に見つめられて、なんだか自分が酷く汚く思えて来た。
「え、えっと、ネギちゃん。子供はどうして出来るか知ってる?」
 キャロは恐る恐る尋ねた。この程度は知っている筈だ。むしろ、この歳の女の子で知らないのはとても危険な事なのだ。
 親が必ず教えている筈だ。そうでなくとも、保健体育とかで習う。だが、返って来た答えはその常識を覆す物だった。
「キャロちゃん、知ってるの!? お姉ちゃんに聞くといっつもコウオトリが運んでくるとか言ってはぐらかされちゃって。カモ君も教えてくれないし…………」
 キャロは絶句した。
「えっと、お母さんとかは?」
 キャロが恐る恐る聞くと、ネギは悲しそうに俯いた。
「その…………、お母さんの事は知らないの。お父さんはどこかで生きてる筈なんだけど」
「…………ごめんなさい」
 キャロは頭を抱えた。
「え? あ、ううん。お姉ちゃんとカモ君が居るから全然平気なの。ごめんね、気をつかわせちゃったみたいで…………」
 キャロは心に冷たい刃を突きつけられた様な感覚だった。
「本当にごめんなさい…………」
「ほ、ほんとに気にしないで!」
 ネギが困り顔になっているのを見て、キャロは大きく息を吸って気を落ち着かせた。
 ネギが気にしないで欲しいと言っている以上、あまり自分が気にし過ぎるのは逆に失礼だと思った。
「そ、それで、子供の作り方…………本当に知らないの?」
「う、うん…………」
 ネギが弱々しく頷いた。どうしよう、とキャロは困り果てた。
 そもそも、ネギの姉は何をしているんだろうと思った。中学三年生にもなる女の子にキチンとした知識も与えずにコウノトリの話をするなんて考えが足りないと思う。
 そもそも、月のが来たら嫌でも教える事になる筈なのに…………。そこで嫌な予感がした。
「ね、ねえ」
「な、なに?」
 さっきとは反対に顔が面白い事になっているキャロに若干怯えながらネギが首を傾げた。
「ネギちゃんって、その…………」
 キャロはネギの耳元に口を近づけてボソボソと呟いた。
「あ、それ聞いた事あるよ! カモ君が今度教えてくれるって言ったきり、全然教えてくれないの!」
 不満気に頬を膨らませるネギに、キャロはカモという人物がどういう人なのか気になった。話を聞いているとどうも慕っている保護者的な人物らしい。
「まぁ、男の人が女の子にそんな事話したくないだろうしね~」
 女同士でも相当嫌なのに、男性が年頃の女の子にそんな話をするなんて、殆ど拷問に近いと思う。キャロはカモに同情した。
「仕方無い…………」
 キャロは観念した。
「ネギちゃん、今日は部活中止。私の部屋来て」
「え? どうして?」
「大事な話があるの…………」
 その日、キャロはネギに懇切丁寧に女の子の体について説明した。話の内容が内容の為、ネギが自分の部屋に帰る時、お互いにお互いの顔を見る事が出来なかった。
 その後、時々小太郎の姿を見ると、キャロの話が頭に浮かんで来て、どうしても顔を合わす事が出来なかった。

 土曜日の昼下がり、ダンスパーティーを翌日に控えたネギは麻帆良のショッピングエリアのすぐ隣にあるエリアに来ていた。このエリアには、様々な美容に関する店舗が立ち並んでいる。エステ、ヘアサロン、ネイルサロン、脱毛サロン、リフレクソロジー。他にも、睫や眉毛の専門店まで存在する。
 多くの店舗は麻帆良内の専門学校の生徒達の修行の場としても機能している。麻帆良はあらゆる技術が外の世界の三倍以上先を行く。それは、美容に関しても同様だった。
 学生であっても、技術はお墨付きだ。ネギはエリア内をウロウロしていると、不意に声を掛けられた。
「やっほーッ! ネギっちじゃん」
 そこに居たのは、柿崎美砂だった。
「柿崎さん!」
 美砂は日曜日のデートに備えてパーマを掛けにきた。
「ネギっちもデート?」
 美砂が何気なく尋ねると、ネギは面白いくらいに顔を真っ赤にした。
「ち、違いますよ!」
 ネギの慌て様に、美砂は唇の端を吊り上げた。のんびりした一日を過ごすのも悪くないが、こんなに面白い玩具を見逃す程、柿崎美砂は甘い女ではない。言葉巧みに近くのカフェテリアにネギを連れ込むと、あれよあれよという間にダンスパーティーの事、小太郎と踊る事を白状させてしまった。顔を真っ赤にして縮こまっているネギに、美砂は悪魔の如き笑みを浮かべた。
「よーし! そういう事なら、不肖ながら、この柿崎美砂! ネギっちの恋の為に協力しちゃうよん!」
「こ、恋じゃないです!」
 涙目になりながら否定するが、説得力は皆無だった。美砂はいいからいいからと言って、ネギを自分の行きつけのヘアサロンに連れ込んだ。ヘアサロンに入ると、ネギは会員証を作る為にカルテを書かされた。美砂に教わりながら書いていくが、お気に入りのファッション雑誌など無い。
 どうにかカルテを書き終えると、ネギが何かを言う暇もなく、美砂がカルテを受け取った女性にアレコレと注文した。女性はそのままネギを鏡の前の椅子に座らせると、透けている白衣の様な服をネギに着せた。サロンを出ると、ネギは解放された心地良さに伸びをした。
 美砂は先に外に出ていて、ネギが出て来ると満足気に笑みを浮かべた。
「最初は甘めにちょい巻きハーフアップにでもしようかと思ったけど、ネギっちはちっこいからね。顎のラインに沿ってレイヤーを入れてもらったけど」
 美砂はネギの髪を見て何度も頷いた。ネギのストレートだった赤毛は、顎のラインに沿ってカールし、様々な方向に飛び跳ねている。
「フェミニン系にして正解だったね。こりゃー、二人っきりになったら男の子は即座に狼になっちゃうね」
 キョトンとした顔をするネギに、美砂はジュルリと唾を飲み込みながら言った。愛らしい姿に、思わず持ち帰りたくなってしまう。
「よーし! じゃあ、服買いに行くよ!」
「洋服もですか?」
「あったりまえじゃん!」
 ネギが不思議そうにしていると、美砂はカッと目を見開いて言った。
「いい? 髪型を変えたら洋服も変える。これって基本だよ!」
「は、はい…………」
 ネギは美砂の迫力に流されるまま、ショッピングエリアに向かった。美砂は最初から決めていたらしく、まっすぐに可愛らしい外装のお店に入った。
「ふふーん。フェミニン系で決める時はコレッて、前に目を付けといたんだー。モテ度NO.1の白のボトム」
 美砂はネギにヒラヒラの膝が見えるかどうかというギリギリの丈のスカートを着させた。
「上はアンサンブルがいいかなー。でも、可愛らしさをアピールするなら…………」
 美砂は散々迷った挙句、最初に選んだアンサンブルに決めた。
「ちょっと胸元が寂しいかな?」
 店から出ると、美砂は今度はアクセサリーの専門店に連れて行った。目立たないリングのついた細い鎖のシルバーを購入すると、一緒に白いシュシュを購入した。ダンスの時は髪を纏めたほうがいいだろうと考えたからだ。

 オープントゥのパンプスとハンドバッグを購入して、美容エリアに戻って来た。洋服類は既にクリーニングに出してあって、明日の朝には届く筈だ。ハンドバッグと靴も部屋に郵送してある。
「さーって、買い物も終わったし、後は明日のデートに向けて自分を磨くわよ!」
「はいぃ」
 ネギは美砂に引っ張り回されてグッタリしていた。もはやどうにでもなれという感じで、美砂に連れ回されるままにネイルサロンや脱毛サロンに向かった。
 ネイルサロンは眠気との戦いだった。爪がツヤツヤになり、脱毛サロンで無駄毛を徹底的に無くした。その後、エステで無駄な脂肪を取り去ると、空は茜色に染まっていた。
「そんじゃ、お互いに頑張ろうね」
 寮のエレベーターフロアの前で美砂は別れ際に言った。ネギは一日一緒に居て、美砂が恋愛を真剣に考えているんだと理解した。だからこそ、自分が恋やデートを否定しているのは美砂に失礼な気がした。
「…………はい。美砂さんも、頑張って下さいね」
 ネギが言うと、美砂は一瞬だけ目を丸くして、直ぐに笑顔になった。
「うん!」

 小太郎はこの世界の理不尽さを嘆いていた。数日前、土御門が現れたと思ったら、自分が片思いしてる女の子がピンチに陥ており、仲間の力を借りて助けに行った。そこまでは良かった。新たな力で颯爽と救出して、現れた敵と戦い、馬鹿げた数の雷の投擲に覆われ、それでもネギのアーティファクトによって現れた破魔之剣で勝つ事が出来た。
 小太郎は地面に転がっている小石を蹴り上げながら舌を打った。面白くない。何が? と問われれば、それはネギだった。
 あの日から、どうも自分は避けられている気がした。命懸けで助けに行ったのに、どうしてこうなるんだろうか? 小太郎はイラついた。命懸けで助けに行ったのだ。ちょっとくらい、自分に眼を向けてくれてもいいんじゃないだろうか。そんなに関係も悪く無い筈だ。キスだって二度もした。二回目は寝ている間に無理矢理だったが……。
 お互いに昔の事を話したりもした。ネギに特定の男が居る気配も無い。
 小太郎は部屋に戻ると鞄を置いた。あやかが家の事で忙しくなってしまい、ダンスの練習は休みになっていた。ダンスパーティーはもう一週間を切っている。洗面所に行くと、鏡を見た。鏡の向こうには、目付きの悪いガキが自分を睨みつけていた。眉毛なんて整えた事も無いし、髪もぼさぼさだ。
 小太郎は気がついた。もしかしたら、ネギが振り向いてくれないのは容姿の問題なんじゃないかと。自分の周りに居る男を思い出した。悠里や茂、タカミチもファッションに気を使っている節がある。
 小太郎は大急ぎで制服を着替えると、近くの本屋へ走った。一つの区切られたエリアには、所狭しとファッション雑誌の表紙を飾る俳優やモデルの甘い笑みが並んでいた。スマートな服装の外人の男がポーズを決めている雑誌を手に取り、適当にパラパラと捲る。
 今迄、こんな雑誌を手に取ったことは無かったし、服に気を使うのは女々しい事だと信じていた。だが、それは自分の思い違いだったのだと理解した。
 ファッション雑誌に載る男達は誰も彼もがクールだった。自分に似合う服をバッチリと着こなしている。
 小太郎は自分の格好を確かめた。擦り切れたジーンズに、白のわけの分からない言葉が印字されたTシャツ。惨めな気分になった。これでは、嫌われても仕方ない気がする。
 小太郎は決意を固め、手当たり次第にファッション雑誌とヘアスタイル雑誌を買い込んだ。小太郎はあまり趣味も無く、ファッションにも気を使った事が無かった為に、千草が入れてくれる仕送りが全く減っていなかった。小太郎は一大決心と共に、千草からの仕送りを全額引き出した。
 最初に、流行の髪型を探した。髪の毛を染めるのは癪に障るから却下。そもそも、そんな事したら千草に殺される。
 一気に短髪にしようかとも思ったが、それが似合わなかった時、後戻り出来なくなるから却下。それは最後の手段だ。自分の髪型に似ている髪形もあったが、ホストみたいな男の髪ばかりで嫌気がさした。
 ファッション雑誌を捲っても、何をどうしたらいいか分からない。誰かに相談しようと決めた。
 行く先は決まっている。アスナや刹那は論外だ。エヴァンジェリンはもっと論外。絶対に面白がって余計な事までしそうだ。のどかや夕映とは面識がないし、和美はパパラッチだ。青少年のファッションへの意識調査なんて特集組んで、面白がる可能性が高い。木乃香か妥当だなと思った。
 あやかは子供服を着せたがって、かっこいい服を選んでくれない気がする。前に熊の刺繍が描かれたトレーナーを着せられた時、屈辱に胃が痛くなった。その点、木乃香ならセンスも良さそうだし、笑ったりしないで真剣に教えてくれる気がする。ファッション雑誌なんて当てにならない。お金を入れた財布だけを手に、小太郎は木乃香に電話した。

 小太郎は項垂れながらショッピングエリアをぶらついていた。木乃香に電話したところ、どうも部活が忙しいらしい。謝る木乃香に礼を言うと、小太郎は困り果ててしまった。やはり自分を信じなければ。そう思って、ショッピングエリアに来たのはいいのだけど…………。
「なんでこんなに店があるんや!?」
 ショッピングエリアの端から端まで数百軒もの洋服店が存在し、そのどれもが広くて品揃え豊富だった。正直、どこに入って、どこに行けばいいのか見当もつかない。
 適当に入って、周りの女の子に笑われて、自分が女物のフリースを見ていた事に気付いた時は死にたくなった。
「だいたい、なんで、男物と女物を同じフロアに置いてんだよ!?」
 忌々しいショッピングエリアに背を向けて、小太郎はどうしたものかと考えた。馬鹿馬鹿しいと首を振る。
「だいたい、ワイにおしゃれーなんざ、合わへんねん!!」
 ムシャクシャしながら歩いていると、何かに躓いた。
「痛ってえ」
 膝が擦り剥けていた。やる事なす事裏目に出てばかりで小太郎は嫌になってきた。
「大丈夫?」
 すると、誰かが自分に声を掛けてきた。顔を上げると、そこに立っていたのは千鶴だった。
「あ、千鶴の姉ちゃん」
「あら、小太郎君」
 千鶴は小太郎に手を貸して公園に向かった。ハンカチを水で濡らして傷口を拭ってやる。
「サンキュー、姉ちゃん」
「どういたしまして。久しぶりね」
「おう!」
「こんな所でどうしたのかしら?」
 小太郎はどう答えるべきか迷った。正直に言うのは少し恥しかった。だが、もうダンスパーティーまで時間も無い。小太郎は思い切って相談してみる事にした。
 千鶴は小太郎の話を笑う事も無く真剣に聞いてくれた。
「小太郎君、ネギちゃんは多分だけど、小太郎君の格好をダサいなんて思ってはいないと思うわ」
「で、でも!」
 反論しようとする小太郎を千鶴はやんわりと宥めた。
「小太郎君はネギちゃんが人を外見で区別するような子に見える?」
「そ、そんな事は……」
「でしょ? きっと、何か理由があるのよ。気にするな……とは言わないけど、気にし過ぎるのはよくないわ」
 千鶴の話を聞いて、小太郎はなんだかスッキリした気分になった。千鶴の言うとおり、自分は気にし過ぎていたのだろう。
「……サンキューな、千鶴姉ちゃん」
「いいえ」
 千鶴と別れ、小太郎は自分の寮へと駆け足で戻って行った。

 麻帆良学園男子中等部の寮の四階に小太郎の部屋はある。部屋の主は一人を除いて外出している。千鶴と別れ、部屋に戻って来た小太郎は洗面所に居た。
「お前が好きや!!」
 鏡の前で、小太郎は叫んだ。
「いやいや、これやと伝わらん可能性があるで。友達として好きとか取られたら嫌やし…………」
 小太郎は表情を引き締めた。
「俺と、付き合ってくれ!! …………どこに? とか言われそうな気がする」
 相手は天然(ネギ)だ。遠回しな告白は失敗に終わる可能性が高い。
「もっと、ダイレクトにやな…………。お前を愛してるんや!! …………ダイレクト過ぎるか」
 小太郎はかれこれ二時間以上悩んでいた。明日はいよいよダンスパーティーが控えている。
 最近、少し避けられている気がするが、千鶴の言うとおり、気にし過ぎてはいけない。ウジウジしていても仕方ない。小太郎は一つの決断を下した。
 告白するのだ。そして、告白するのなら、この機会を逃す手は無かった。それにもうすぐ文化祭も始まる。折角なら、彼女と一緒に回りたい。
 ダンスパーティーの時間は夕方の六時から夜の八時までだ。高等部は十時までなのだが、中等部は八時に帰らなければならない決まりになっている。
「とにかく、ダンスパーティー中は無理や。周りに人が居る中で告白なんか出来へんし…………」
 決めるならダンスパーティーが終わった後だ。どこか、静かな場所に連れて行こう。小太郎は野望に燃えていた。ルームメイトの友人である悠里の言葉を思い出す。
『いいかい? 僕が見た感じだが、彼女はロマンティックな雰囲気を好む気がする。ダンスパーティーを見事に成功させたら、どこか素敵な場所に彼女を案内するんだ。夜景の綺麗な場所がいいな。世界樹の近くに素敵なレストランがあるんだ。よければそこを紹介しよう。パーティーの後、お互いに美しい服装で着飾ったまま、予約を取ったレストランの窓際の静かな席に座るんだ。そこで、君は彼女の頬を優しく撫でる。勿論、予約の時点で注文は済ませておくんだ。その為にも、彼女の好みを把握するのが大切だよ? おいしいディナーに酔いしれながら、お水で唇を潤して、彼女に君の気持ちを素直に伝えるんだ。直球で良い。愛しているよ、とね』
 ここは、悠里の案を通すのがベストなのではないか、小太郎は本気でそう考え始めていた。
 ダンスパーティーでいい雰囲気に持っていければいい。だが、自分はダンスの事で手一杯になってしまうだろう。そうなったら、雰囲気作りなど到底出来ないだろう。
 そこで、レストランだ。美味しい料理で盛り上がる。それに、ダンスの後でお腹も空くだろうから不自然さが全くないじゃないか。
 悠里にレストランの予約を頼まなければならない。問題はその後だ。静かな所といえば、世界樹広場から行ける高台などどうだろう。ネギのお気に入りの場所だというし、夜景はそれは素晴らしいだろう。雰囲気もばっちりな筈だ。
 後は、どう告白するかだ。
「やっぱり、ちゃんと伝わらな意味ないし…………」
「愛してる。それだけでいいと思うけどね?」
 小太郎はギクリとしながらギシギシと首を回して洗面所の入口を見た。そこには、壁に背を預け、腕を組み、澄ませた表情に甘い笑みを浮かべて自分を見る悠里が居た。
「そして、唇を奪うんだ。大丈夫さ。自信を持つんだ。僕が見た限りでは、君達はとてもお似合いだよ」
 ミステリアスな雰囲気を醸し出しながら、どこか妖艶な声で言う悠里に、小太郎はパニックを起した。一体、いつからそこに居たのだろうか。まさか、自分の告白の練習を聞かれたのではないか。小太郎が口をパクパクとさせていると、悠里はクスリと優雅に微笑んだ。
「大丈夫、明日のレストランの予約は任せておいて。当然だけど、君が払うんだよ? 女の子に出させるなんて、ナンセンスだからね」
「お、おう」
 悠里の言い知れぬ雰囲気に呑まれ、小太郎は馬鹿みたいに頷いた。
「いいかい? 基本はレディーファーストだ」
「レ、レディーファースト?」
「そう。例えば君は女の子と写真を撮る時にどうする?」
 悠里の問いに、小太郎は考えた。
「多分、ピースをしながら一番目立とうとするんじゃないかい?」
 小太郎はギクリとした。どうして分かるんだろう。
「他にも、お店とかに入る時は我先に入ろうとする」
「な、なんで分かるんや!?」
 悠里は大袈裟に肩を竦めた。
「君を見てたら分かるよ。いいかい? 女の子をエスコートする時は、とにかく自分より女の子を優先するんだ。そして、さりげなく褒めるんだ。髪型がいつもと違う時や、爪を念入りに綺麗にして来た時なんかはね」
「ど、どう褒めたらええんや?」
 小太郎は何時の間にか悠里の言葉を一字一句聞き逃さない体勢に入っていた。経験の無い自分が唯一頼れるのは、目の前の男だけだ。
「まずは禁止語句が幾つかある。褒める時は面白いや渋いとかは無し。それに、女の子の性格なんかも考慮に入れるんだ――」
 場所を居間に移して、悠里による女の子の褒め方講座は日が暮れるまで続いた。
「細かい所に気付くのが重要なんだ。そして、いつも以上に優しくしてあげる事が重要なんだよ」
「優しく…………。とにかく褒める…………。レディーファースト…………」
 小太郎の頭の中で、悠里の言葉がグルグルと渦巻いていた。
「明日……」
「大丈夫。自信を持って」
 悠里に勇気付けられ、小太郎は大きく息を吸い込んだ。
「せやな。悩んでても、しゃーない。当って砕けろや!!」
「ああ、その意気だよ」

 麻帆良学園聖ウルスラ女子高等学校の広大な敷地の一角。世界樹を仰ぎ見る場所に巨大な円形の建物が建っていた。
「でかっ!?」
 小太郎は悠里に言われて、お昼に下見に世界樹広場に来ていた。レストランはこの広場のすぐ傍で、小太郎の立っている場所からはパーティー会場を見下ろす事が出来た。
「我が麻帆良学園聖ウルスラ女子高等学校の誇るダンスホールはいかがですか?」
「って、誰やアンタ!?」
 突然話しかけられた小太郎は目を丸くした。小太郎の背後に、真っ黒な制服を着た金髪の少女と、赤い髪をツインテールにした少女が立っていた。
「これは失礼しました。貴方が我が校を見下ろしていたので気になってしまいまして」
「我が校…………って事は、アンタはウルスラの人?」
「ご名答。麻帆良学園聖ウルスラ女子高等学校二年生の高音・D・グッドマンと申します。こちらは、麻帆良学園本校女子中等学校の二年生、佐倉愛衣」
 丁寧に挨拶され、小太郎は慌てて姿勢を正した。
「え、えっと……。ワイ…………じゃなかった。俺……でもない。ぼ、僕は!!」
 礼儀正しく挨拶を返そうとして返って慌ててしまった。高音はそんな小太郎の様子にクスリと笑ってしまった。
 小太郎は顔を赤くした。
「あ、これは失礼しました」
 すぐに申し訳無さそうに頭を下げる高音に、小太郎は慌てて顔を上げるように言った。
「えっと、僕は犬上小太郎と申します。えっと…………」
「そんなに硬くならずに。話しかけたのはこちらなのですから」
「さ、さよか? んじゃ、改めて。ワイは犬上小太郎や。男子中等部の二年」
「小太郎さんですか。お初にお目にかかります」
 高音の言葉遣いや綺麗な金髪を見て、どこかあやかに似ていると小太郎は思った。
「あの、佐倉愛衣です。よろしくお願いします!」
 愛衣が頭を下げると、小太郎もつられて頭を下げた。
「んで、ワイになんや、用でもあるんか?」
 小太郎が本題に入ると、高音は厳しい表情になった。
「申し訳ありません。あなたを観察させて頂いておりました」
「か、観察!?」
 小太郎は不穏な言葉に目を丸くした。
「ですが、貴方の正体が掴めず…………。確かに、麻帆良学園男子中等部二年に在籍しているのを確認しました」
 高音は携帯電話をそろそろと掲げる愛衣に視線を向けながら言った。どうやら、高音が小太郎に話しかけている間に照会を行ったらしい。
「一体…………」
「貴方は裏の人間ですわよね? ウルスラの結界に引っ掛かりましたから」
「結界!? えっと、裏ってのはどういう意味での?」
 結界という言葉に目を丸くしながら、小太郎は探る様に高音を見た。
「魔法、気、陰陽道、魔術、それらに類するモノの意味での裏です。結界とは、ウルスラを護る為に張られたモノです」
「って事は、アンタも魔術師なんか?」
「という事は、貴方もですね? 身元は確認出来ましたが、念の為に何故ウルスラを見ていたのかを教えて頂けますか?」
「えっと、今夜ここでダンスパーティーがあるやろ?」
「ええ。ですが、それは高等部主催の高等部の為のものです。男子中等部の者が参加するのは稀ですが?」
 小太郎は答えるのが気恥ずかしかった。だが、ここで言葉を濁すのはいい選択ではないと判断した。
 高音はあまり警戒していないようだが、自分が怪しいと思われてるからこその問い掛けなのだ。真実を話す事にした。
「今日のダンスパーティーに、女子中等部のダンス部が参加するやろ? それで…………」
「ああ、なるほど」
「え?」
 最後まで言い切る前に、高音はクスリと微笑んだ。その笑顔があまりにも綺麗で、思わず見惚れてしまう程だった。
「お姉様?」
 愛衣が不思議そうに高音を見ている。なにがなるほどなのか、愛衣には分からなかった。
「簡単ですわ。つまり、そのダンス部の女性に誘われたのですね? それで、下見の為に見に来ていた…………と。違いますか?」
「せ、正解やけど…………」
 なんで分かったんだろう。小太郎は高音の鋭い洞察力に戦慄した。
「貴方が疑わしいかどうか。その程度は、貴方の態度をよく観察すれば分かりますわ。貴方は怪しい人物ではない。ならば、嘘をつく可能性は低い。ならば、話の流れで推測出来る事は一つ……という事です」
「さ、さよか」
「もう一つ、お尋ねしても?」
「構へんよ?」
「では――」
 高音は愛衣と小太郎を引き連れて近くのベンチに移動した。二人にジュースを奢り、自分のオレンジジュースに口をつけてから口を開いた。
「この学園の魔法生徒は各エリアで登録を行っている筈です。広い学園都市ですから、知らない魔法生徒も大勢存在します」
 ですが、と置いて、高音は小太郎を見つめた。
「男子中等部に在籍しているなら、私達は会っていなければおかしい。月のミーティングや勉強会で、貴方の顔を見ていないのは妙ですわ。貴方はキチンと登録を行っていますの?」
 高音に問われて、小太郎は目を丸くしていた。そんな話は聞いた事が無い。麻帆良に来てから、ネギもそんなものに参加しているという話は聞いた事がないし。すると、高音は溜息をついた。
「どうやら、登録の事自体を知らないようですわね。いえ、あり得ない事ではありません。元々、魔法の才能があるだけで、知識を持たない生徒も大勢居ます。そして、知識も持っていても、魔法生徒として働かない方も居ますから。ああ、責めているのではありませんよ? むしろ、魔法生徒として働くのは経験値稼ぎが大きいですから」
「経験値?」
「そうです。麻帆良学園というのは、優秀な魔法先生や魔法使いによって守護された地です。そこで、魔法使いとしての手解きを受けたり、仕事を補佐しながら、魔法使いの仕事を体験する事が出来るわけです。それに、図書館島には一般人の立ち入り禁止区域に貴重な魔術書などがあり。許可を取れれば閲覧も可能ですから。とても勉強になるのです」
「つまり、魔法生徒というのは希望制の職業体験みたいなものなんです」
 高音の説明に愛衣が注釈を入れた。
「そういうものなんか。エヴァンジェリンさんとかも登録しとるんかな?」
 小太郎が何気なく言った言葉に、高音はギクリとした。
「小太郎さんは、闇の福音と縁がおありで?」
「ん? ああ。エヴァンジェリンさんはワイの師匠や。他にも何人か居るで」
 小太郎が言うと、高音は目を丸くした。
「聞いてはいましたが、貴方が…………。私達にとっては、彼女は畏敬と共に畏怖の対象ですから、正直言って、想像がつきませんわ」
「そうなんか? 怖いとこあるけど、尊敬しとるで? ワイは」
 小太郎が言うと、高音は顔を赤くした。
「も、勿論! 私も昔は懸賞金が掛けられていたと聞きますが、最近の先生方の評判を耳にして、さぞ素晴らしい方なのでしょうと思っておりましたとも」
 目の前で師と仰いでいる人物を貶める様な事を言うとは、高音は自分の軽はずみな言動を恥じた。
「確か、闇の福音も登録されていますわ。緊急時は麻帆良の警護の任に当たっておられますし」
「そうやったんか…………」
 小太郎は自分が麻帆良について全然知らなかったのだと改めて思い知った。
「先程、会っていないのはおかしいと申しましたのは、貴方が相当な実力をお持ちだからです。それだけの実力があるなら、魔法生徒として登録して、色々と経験を積むのはマイナスにはなりませんから。基本的にバイトみたいなもので、バイト代も頂けますし、仕事は断る事も出来ますから」
 高音の言葉に、小太郎は首を傾げた。
「どうして、ワイに実力があるって?」
「結界にはレベルがあるのです。貴方が引っ掛かった結界のレベルはかなり高かった。それでですわ。ある程度のレベルの魔法使いは登録を行っていて、登録している生徒は結界に引っ掛からない様になっているんです。時々、貴方の様に引っ掛かる生徒が居て、その時はこうして私達の様な魔法生徒が接触するんです。ただし、危険度が高い場合は魔法先生が接触しますが」
「そうやったんか。ん? でも、ワイは今迄結構この辺り来てたで?」
 どうして、今まで結界に引っ掛からなかったんだろう。小太郎は不思議に思った。
「それは、貴方がウルスラに注意を傾けなかったからです。ここはウルスラから少し離れていますから、視線を向けたり、魔術を発動したりなどのアクションを取らなければ、基本的に結界には引っ掛かりませんわ」
「そっか。ワイが引っ掛かったんは、会場を見てたからか」
「その通りです」
 小太郎は立ち上がると、空になった缶をゴミ箱に捨てた。
「我が校のダンスホールはイギリスのさる寺院をモデルにしているのです。それに、直ぐ傍には我が校の自慢の庭園がございます。ダンス中に抜け出してご覧になってはいかがでしょう? 女性には喜ばれるかと思いますわ」
「さ、さよか…………」
 小太郎はすぐさまメモ帳を取り出して書き記した。その様子に愛衣が思わずクスッと笑ってしまった。
「うっ…………」
 小太郎が顔を赤くすると、愛衣は慌てて謝った。
「デート、成功するといいですね」
 別れ際に、愛衣が言った。
「がんばってくださいね」
 高音の言葉に、小太郎は苦笑いを浮かべながらお礼を言って別れた。

 ダンスパーティー当日、ネギは、白のブラウスに黒のリボンを着けて、黒のラインが入ったスカートを履いて寮の部屋を出た。ダンスパーティーは、麻帆良学園聖ウルスラ女子高等学校で行われる。ドレスや靴は向こうに預けてあって、向こうに到着してから着替えるのだ。
 ウルスラは麻帆良学園本校女子中等学校と世界樹広場の丁度中間に位置している。埼京線を麻帆良学園中央駅で降りると、いつもは真っ直ぐに進む所を右に曲がって、坂道を登った。周りの建物が中等部エリアよりも一層古めかしくなって来ると、遠くにウルスラの校舎が見えてきた。
「聖ウルスラに因んだ高校か。麻帆良って、意外と教会に対してオープンだよね」
「どうして居るんですか、和美さん」
 ネギは隣を歩いている和美に尋ねた。和美の隣にはいつもの様にさよが連れ添っている。
「こんにちはですぅ」
「さよさん、こんにちは」
 柔らかな笑みを浮かべて挨拶をするさよにネギも笑顔を返す。突然、和美が不敵に笑みを浮かべた。
「不気味ですよ?」
 和美はネギの辛辣な言葉に硬直した。カメラを持ち上げて、自分が今まさにネギと同じ目的地に向かおうとしている事を告げようとしたのだが、ネギの表情が冷たい事に気がついた。
「ネ、ネギっち?」
 ネギの視線は和美の二の腕に注がれていた。『報道部』と書かれた腕章がある。
「和美さんはどこに行くんですか?」
「どこって、その……」
 カチカチと耳障りな音が聞こえる。それが、自分の歯が自分の震えでぶつかり合っている音だと気付いた。
「和美さんは報道部のお仕事でダンスパーティーの取材をするんですよ」
「さよちゃん!?」
 和美は思わず悲鳴を上げてしまった。空気が読めないのかこの娘は、と涙目になりながら恐る恐るネギを見た。すると、感情の一切浮かばない能面の如き表情に戦慄を覚えた。
「どうしたんですか?」
「ヒィ――ッ」
 背筋の凍る様な冷たい声に和美は悲鳴をあげた。
「お、怒ってるの!? 別に私は邪魔しようとか、そんな事これっぽっちも考えてないよ!?」
 涙目になりながらネギに言う和美に、さよは首を傾げた。
「どうしたんですぅ? ネギさんは別に怒ってないですよ?」
「…………ふぇ?」
 空気が抜けた様な声を出してしまって、和美は真っ赤になりながらキョロキョロと周りを見渡した。
「怒ってないの?」
 キョトンとしながらネギに尋ねる。
「さっきから何を言ってるんですか?」
 ジロリと睨むように視線を向けられた。和美はギシギシと首を錆付いた螺子の様に回してさよに顔を向けた。怒ってるじゃない、と声に出さずに言うと、さよは首を振った。
「怒ってるっていうより、鬱陶しい感じだと思うんですよ」
「うっとう…………」
 和美は唖然としながらネギに顔を向けた。ネギは一切こちらを見ていない。まるで、和美の存在をシャットアウトしているかの様に。
「何故!? 私って、結構ネギっちと仲良い子ランキング上位だよね!?」
「仲良い子ランキング?」
 さよが首を傾げた。
「だってだって!! ネギっちが最初に麻帆良に来た時に案内してあげたり、色々イベントこなして後は世界樹の下で告白イベントって感じなのに!!」
「和美さん何言ってるんですぅ?」
 さよは可哀想なモノを見る目付きだった。
「止めて!! そんな眼で私を見ないで!!」
「ネギさん、もう行っちゃいましたよ?」
 さよは遠くを歩いているネギを指差しながら言った。
「ええ!? ま、待ってよネギっち!!」
 慌てて追い掛ける。何とか、ウルスラの校舎の手前で追いつくと、ネギの手を掴んだ。
 すると、ネギの手が震えている事に気がついた。
「あ、いや、これはその…………」
 慌てて手を離したが、ネギは微動だにしなくなった。
「ネギっち?」
 どうにも様子がおかしい。和美はソッとネギの肩を掴んで顔を覗きこんだ。
「どうしたのネギっち!?」
 ネギは泣きそうな顔をしていた。慌ててネギを引っ張って、すぐ近くの噴水公園に連れ込み、和美はジュースを買って手渡した。
「ネギっち、何があったの?」
 あまりにも様子がおかし過ぎる。心配になって尋ねると、ネギは首を振るだけで俯いたまま頭を上げなかった。
「ネギちゃん」
 和美はソッとネギの頭に手を乗せた。軽く叩いて下から顔を覗き込む。
「どうしたの?」
 ボソリと、殆ど聞き取れない程に小さな声でネギは言った。
「どうしたらいいのかわかんなくて……」
「何がどうしたらいいのかわかんない?」
 和美は優しく尋ねた。話しやすい雰囲気を作ろうと、ネギの手をソッと握った。
「何だか、雁字搦めって言うか……」
「雁字搦め?」
「ううん、違う。訳分かんないっていうか……。平気だと思ってたのに、昨日、美砂さんと一緒に色んな事をしてたら……、現実を感じちゃった」
「現実って?」
「男の子を好きになっちゃうって……変ですよね」
「はい?」
 和美は言っている意味が分からなかった。
「どうして? 別におかしい事じゃないよ」
 和美は言った。
「女の子が男の子を好きになって、それがおかしいなんて言う人間はあんまり居ないと思うよ?」
 ネギは顔を赤らめながら体を小さくした。
「でも、変なんです。私はその……、とにかく変なんです」
 和美は余計に混乱した。
「わかんないなぁ。ネギちゃん、何に拘ってるの?」
 小太郎を好きになった事を言っているのだとしたらネギらしくないし、小太郎は和美から見ても悪い人間ではない。ネギは外国人だから文化的なモノなのかとも思ったが、しっくりこない。 答えないネギに、和美は腕時計を見て溜息を吐いた。
「とにかく、もう時間だから行こうよ。私とさよちゃんはダンスパーティー中の写真を撮るんだよ。報道部のお仕事でね」
「写真をですか?」
「報道部は学園都市内でのイベント時にカメラマンとして活動するのよ。そんで、ついでに記事を書くわけ。ウルスラは報道部に所属してる人間が居ないから、他の学校の報道部が仕事を斡旋されるの」
「そうだったんですか。お二人だけで?」
「違うよ。私とさよちゃんの他にも、もう一人だけ居るよ」
「もう一人?」
「意外な奴だよ。そいつの名前は――――」
「よう、そんな所で何をしてるんだ?」
 不意に、少し低い感じの声が響いた。顔を向けると、そこにはサングラスで目元を隠した少年が立っていた。
「土御門君?」
 土御門は、ネギに向かって軽く手を振ると近づいて来た。
「土御門君が、もう一人の報道部員なの?」
 ネギが尋ねると、土御門は制服の右腕に針で縫い漬けられた腕章を見せた。
「手が足りないらしくてな、善意のお手伝いってヤツだ」
「そんな事言って、本当はさよちゃん目当ての癖に」
 和美が言うと、土御門は狼狽した様に和美の口を両手で塞いだ。
「な、何言ってるんだ!? 俺は別にそんな事を考えちゃいないぞ!!」
 あからさま過ぎて、からかう気にもなれなかった。
「分かったから、行こッ! そろそろ時間だし。ネギっちはダンス部の人達と待ち合わせでしょ?小太郎とはいつ合流するの?」
「ダンス部の皆さんとは、ダンスパーティーが始まる前に顔合わせだけする予定です。小太郎とは、その前に。着替えてから、ホール前の噴水の所で合流する予定なんです」
「ネギさん」
 さよがネギを元気付ける様に言った。
「ネギさんが何を迷っているのかは、私には分からないです。でも、生きている時間は有限です。大事に、後悔しない様に使って下さい」
 ネギはハッとなった。相坂さよは、既に死んでいる。こうして、目の前に生きている様に存在しているのは、和美が彼女が生前に身に付けていた遺物に彼女の霊を憑依させて維持させているからに過ぎない。若くして死んださよの言葉は、とても重かった。
「さよちゃん……」
 土御門は苦い表情を浮かべて、さよから眼を背けた。
「さあ、行った方がいいな。俺はちょっと電話をするから後で行くぜい」
 土御門が言った。和美は頷くと、さよとネギを連れて中に入った。中に入る時に、門の所で学生証の提示を求められた。認可が降りている生徒の学生証と分かると、門の警備員の人がダンスホールの場所を教えてくれた。

 中に入って行く三人を見ながら、土御門は小さく息を吐いた。
「生きてる時間を大切に、か」
 土御門は幼い日の事を思い出していた。埋もれた記憶の中で、そこだけはハッキリと思い出す事が出来る。
 恋をした相手が死んだ日、その少年は世界樹の頂きに居た。魔力や気で体を覆う事もせず、受身を取ろうともせず、少年は世界樹の頂きで跳び上がった。やがて、地面に引き寄せられる感覚が襲い掛かり、少年は地面に真っ逆さまに落ちた。
「手を伸ばしたから、俺の願いは叶えられてしまった。本当なら、もうこの世を去っていた筈なのに」
 土御門は、自分の手元に視線を落とした。そこに、いつのまにか透明な半球体が在った。半球体の水晶の中心には、真紅の半球体の珊瑚珠が浮かんでいる。
「世界を救うんだ。少しくらい、俺自身の願いを叶えてもいいよな」
 半球体は、土御門の掌に吸い込まれる様に消えてしまった。
 時間となり、土御門は遥か遠い記憶の中で、黄金に輝く女性から受け取った宝珠の半身を躯の中に感じながらダンスパーティーの会場に足を向けた――。

 麻帆良学園聖ウルスラ女子高等学校の敷地に一歩踏み込んだ瞬間に、ネギは思わず感動的な溜息を吐いた。和美も感嘆の声を発しているし、さよも眼を大きく見開いている。まるで教会の様な清純な空気が溢れ、厳かな佇まいの学舎は地上からの光で幻想的にライトアップされていた。
 ネギもよく知っている有名な作曲家のクラシックの調べが微かに耳に届いた。音楽に誘われて三人が歩くと、大きなキラキラと光輝く水飛沫を上空に噴き上げている噴水を中心に大勢の人達が談笑している場所に辿り着いた。目の前には巨大なダンスホールや庭園へ続く道がある。
「それじゃあ、ここでお別れだね。私とさよちゃんはさっそく写真撮ったり、取材したりしないといけないからさ」
「折角のダンスパーティーですから、楽しまないと損ですよ」
 和美とさよがニッコリと微笑み掛けて人混みに消えて行くのを見つめながら、ネギは小さく溜息を吐いた。
「でも、本当の私を知られたら、小太郎は絶対に私の事、嫌いになる…………。だって、普通じゃないから」
 ネギは泣きそうになるのを必死に堪えて、ドレスに着替える為にホールの中へ入って行った。ホールの案内に従って、紅い絨毯の廊下を歩くと、目的の扉を発見した。
 扉の中はとても長くて細い通路に繋がっていた。左右に沢山の小さな小部屋があり、それぞれの扉には名札が貼られている。ここは招待された外部の団体の為に用意された着替えスペースだ。個人で招待された人の着替え部屋は隣にある。
 入って三つ目の扉にダンス部の名前があった。向かい側にも同じ名前があるが、男性用と付け加えられている。中に入ると、一人、ダンス部のメンバーが着替えていた。優雅な白いドレスを着た美しい金髪の女性がネギが入って来ると魅力的な笑みを見せた。
「こんにちは、ネギ」
 息を呑む程美しい声で、ダンス部の歌姫であるレンゲ・ジル・アメンドーラはネギに挨拶した。
「こんにちは、レンゲさん」
 ネギが挨拶を返すと、またしてもウットリする様な笑みを浮かべてレンゲが立ち上がった。
「ネギさんのドレスはこれですね」
 レンゲは『Negi=SpringField』と名札が貼られている黒いビニールが被せられているハンガーを手に取った。ビニールを外すと、前にアスナと雪広あやかに一緒に選んでもらった、薄い桃色のドレスが現れた。
「着替える前にお化粧をしておいた方がいいでしょう」
 レンゲはネギを座らせると、手際良くネギに化粧を施した。
「なるべく自然に。でも、少し大人に見えるようにしてみたわ」
 レンゲは手鏡をネギに手渡した。
「眉も整えてあったし、本当に軽めだけどね」
 ネギは、鏡を覗き込むと表情を作って確認した。髪は白のシュシュで纏めて右肩から前に垂らしている。
 髪型を維持する魔術を使っているから、シュシュを取れば簡単に元の髪型に戻る。学園に来る前に、身嗜みを整える為の魔術が掲載されている本をネカネ・スプリングフィールドに渡されていたのだが、興味が無くて、今まで開いた事が無かった。
 髪型を維持する魔術以外にも、【髪の毛サラサラ呪文】、【肌荒れバイバイ薬の調合法】、【爪整い呪文】、【脱毛呪文(どんなところもツルツルに)】、【毛生え呪文(※分量注意)】、【その日の気分で髪色チェンジ(髪が痛みます)】、【お風呂に入る時間の取れない人に、全身洗浄呪文(取り扱い注意)】などなど。
 どれも扱いが難しいらしい。髪の毛サラサラ呪文は、ドライヤーを使ってもワックスやスプレーを使っても呪文が切れるまでサラサラを維持してしまうし、毛生え呪文は少し間違えると毛で小山が出来てしまう。
「さあさ、着替えて。私もパートナーと合流しないといけないから」
「そうなんですか!? ごめんなさい、手間取らせてしまって」
「いいわ。まだ時間に余裕があるしね。ドレス、一人で着れる?」
「はい。試着しましたから」
 ネギがドレスに着替えると、レンゲと共に部屋を出た。
 ダンスホールを出ると、空は完全に真っ暗になっていて、美しい装飾の電灯が灯り始めていた。
「ああ、私のパートナーが居ました。それじゃあ、ここで」
 レンゲは、少し離れた場所で手を振っている緊張した面持ちの青年に手を振り返しながら言った。
「はい。また後で」
「うん」
 レンゲは青年の下に駆け寄って行った。ネギも覚悟を決めて小太郎を探し始めた。
 噴水広場は広くは無いのだが、人が多過ぎて眩暈がしてしまいそうだった。
「小太郎どこだろう……」
 キョロキョロしていると、不意にフラッシュが焚かれた。
「え、なに?」
 キョトンとしていると、カメラを持った和美とさよがやって来た。
「ネギっち、めっちゃ可愛いよ」
 和美はネギを上から下まで眺めて眼を輝かせた。
「ありがとうございます。和美さんは取材中ですか?」
「そだよ。ま、エヴァちゃんにネギっちの写真を何枚か頼まれてるからさ。ちょっと、ポーズ取ってよ」
「エヴァンジェリンさんにですか?」
 ネギがキョトンとしていると、さよが背後からせっせとネギにポーズを取らせた。和美は次々にシャッターを切りながら言った。
「エヴァちゃんってば、最近、授業以外でネギっちに会わないから寂しがってるんだよ。なんていうか、孫が成長してあんまり遊びに来てくれなくなって寂しい想いをしているお婆ちゃん的に」
「え、エヴァンジェリンさんがですか?」
「そうだよ。ネギっちがダンス部に入部したからって、この前デジカメ買いに行くの付き合わされたんだから。なのにネギっちってば、ダンス一度も見せないもんだから、修行終わった後に寂しそうにカメラのレンズ磨いてる所なんて見てらんないよ?」
「エヴァンジェリンさんがですか?」
 ネギが胡散臭そうな眼で和美を見ると、さよが言った。
「ダンス部に入部してから一ヶ月ですよね? 一回くらい、エヴァンジェリンさんにダンスを披露してあげた方がいいと思いますよ? ネギさんのダンスを見るの楽しみにしているみたいでしたから」
「さよちゃんって、意外とエヴァちゃんと仲良いんだよねぇ」
「ある意味で一番長い付き合いですから。エヴァンジェリンさんとお話出来る様になったのは最近ですけど、昔の同級生の事とかで盛り上がるんですよ。特に、エヴァンジェリンさん、最初に麻帆良に来た時の同級生の皆さんとは、それなりに仲が良かったですからね」
 私は見てるだけだったんですけど、とさよが肩を落としながら言った。
「タカミチさんとも同級生だったんですよ。特にエヴァンジェリンさんとタカミチさんはその頃仲が良くて、結構噂になってました」
「え!? タカミチとエヴァンジェリンさんが!?」
 さよのとんでもない発言に、ネギと和美は眼を見開いた。
「あの頃、タカミチさんはエヴァンジェリンさんの下で修行をしてたらしくて、毎日一緒に登下校したり、お弁当もタカミチさんが作って持って来てましたから。そうそう、源先生も同級生でしたね」
「むむむ、源先生も同級生だったと。匂うねぇ。それにしても、高畑先生とエヴァちゃんがそんなに親密な関係だったなんて。これは、調べなければいけませんなぁ」
 邪悪な笑みを浮かべる和美に苦笑いをしながら、ネギもエヴァンジェリンとタカミチの事を思い浮かべていた。もしかしたら、とネギは思った。
「タカミチはエヴァンジェリンさんが好きだったんでしょうか」
「そこは調査しないとね。でも、エヴァちゃんはネギっちのお父さんが好きだったんでしょ? もしも高畑先生がエヴァちゃんを好きだとしたら…………。いやいや、今はエヴァちゃんもナギさんを諦めてるっぽいし。これは、同級生として、生徒として、お力添えをしなければいけませんなぁ」
 怪しく笑う和美を尻目に、さよがネギに顔を向けた。
「そう言えば、ネギさんは何をしてたんですぅ?」
 言われて思い出した。
「そうだ! 私、小太郎と合流しようと思って、小太郎を探してたんです」
 チッチッチと、和美が人差し指を振った。
「ネギっちはまだまだだねぇ。こういう時は、男の方が探しに来るもんなのよ? ネギっちがどこかで待ってなきゃ、擦れ違いになっちゃうじゃん」
「そうなんですか?」
「そうなんです。噴水の前で待ってなよ。濡れないようにね」
 もうすぐダンスパーティーが始まる時間だ。ネギは慌てて和美とさよに別れを告げると駆けて行った。すると、直ぐに和美に聞き知った声が聞こえた。
「おう、姉ちゃん。こんなとこで何してんのや?」
「って、コタ!? 何て、タイミングの悪い…………」
「は?」
 小太郎は和美に呆れた視線を向けながら立っていた。
「小太郎さん、こんにちは」
「あ、こんちわ」
 さよが礼儀正しく挨拶をすると、小太郎も慌てて頭を下げた。
「で、何しとるん? 自分ら」
「取材よ。しゅ・ざ・い! 報道部のお仕事でね」
「おーい!」
 和美が小太郎に腕章を見せていると、土御門がやって来た。
「あ、土御門。遅いわよ!」
「悪い。お、小太郎、気合は十分みたいだな」
 土御門は和美に軽く謝ると、タキシードを着た小太郎を見て感心した様に言った。
「ネギ見てへんか?」
「ネギっちなら噴水の方に居る筈よ」
 和美は噴水の方を指差して言った。
「さよか、おおきに」
 小太郎は三人に手を振って別れを告げると噴水の方に向かって行った。
「さて、俺達もお仕事しますか」
 土御門が言った。
「五時三十五分だ。っと…………」
 不意に、土御門の体がよろめいた。
「土御門!?」
「土御門さん!?」
 慌てて和美とさよが体を支えると土御門は片手を上げて謝った。
「すまん。ちょっと、待っててくれ」
 そう言うと、土御門は懐から小さな小瓶を取り出した。蓋を開けて、一気に中の金色の液体を飲み込んだ。すると、たちまち土御門の顔色は良くなった。
「それ、何なの?」
 和美が興味深げに尋ねた。
「気力を回復させる魔法薬だ。最近、疲労が溜まっていてな。さ、そろそろ時間だぜぃ」
「うん、じゃあ、行こっか!」
 和美はさよと土御門の腕を引っ張りダンスホールへ足を向けた。
「初めての取材、緊張するですぅ」
 さよは呟いた。時刻は五時五十五分。ダンスホールのメインホールの扉が今、開かれようとしていた。

 周りには、煌びやかなドレスを着た少女達が、各々のパートナーの男性と仲睦まじく談笑していたり、何人かで集まって戯れていた。小太郎は、腕時計で時間を確認しながら必死にネギの姿を探していた。西洋風の外灯が薄っすらと恋人達を照らしている。
「噴水の近くだって言ってたんやけどな」
 小太郎はあやかに用意してもらったタキシードを乱しながら巨大なプールの様な高い水飛沫を上げる噴水の周辺に視線を巡らせた。チラリと、紅い髪の少女の後姿が見えた。
 小太郎は喉がカラカラになってしまった様に感じた。唾を飲み込むと覚悟を決めた。深く息を吸って声を掛けた。
「おい」
 小太郎はネギの肩を掴んで呼び掛けた。
「もう少し、ロマンチックには出来なかったのかな」
 ネギは振り返ると、不満そうに頬を可愛く膨らませた。薄い桃色のヒラヒラの沢山ついたドレスを着たネギは、反則的な程に魅力的だった。思わず、息を呑んでしまった。
「悪い」
 小太郎は申し分けなさそうに謝った。すると、ネギは思わず噴出した。
「本当に謝るんだ。もしかして、緊張してる?」
 薄っすらと笑みを浮かべて言うネギに、小太郎は溜息混じりにおでこを小突いた。
「お前は緊張してへんのか?」
 顔を赤く染めながら不満そうに言う小太郎に、ネギは溜息を吐いた。
「どうだろうね。どっちだと思う?」
 ネギは鈴を転がす様な、耳に心地の良い声で尋ねた。小太郎は心臓が早鐘を打つ様に鼓動するのを感じた。近くでよく見ると、ネギの身長は小太郎よりも低かった。
 不思議に思った。出会った時は、そんなに身長に差は無かった筈だ。
「そっか」
 小太郎は、出会ってからの時間の流れを感じた。たったの一、二ヶ月。それでも、成長期の少年の身長はグンと伸びてしまう。
 この身長の差は、二人が出会ってからの時間を現していた。
「何が『そっか』なの?」
 一人で勝手に何かを納得する小太郎に、ネギは不満そうに尋ねた。
「何でもない。よう、似合っとるで、そのドレス」
 小太郎は嬉しそうに笑みを浮かべながら言った。ネギは信じられない思いで眼を見開いた。
 顔が火照って、胸の辺りが熱くなった。嬉しい、そう感じてしまった。
 僅かに顔を上げて小太郎の顔を見た途端に、ネギは愕然としてしまった。小太郎の笑顔に、例え様の無い愛おしさを感じてしまった。
「か…………」
「か?」
 ネギはスッと右肩に垂らしている髪に手を伸ばして、髪を纏めているシュシュを取り去った。
「髪も、昨日カットしたんだけど…………」
 どうかな、そうネギが言う前に、小太郎は呆然と呟いた。
「やべぇ、綺麗や」
 小太郎は自分の口から出た言葉に頭をトンカチで殴られた様な衝撃を受けた。こんなに自然に、こんなキザな言葉を吐くなんてどうかしてる。
 悠里の生霊が乗り移ってしまったのではないかと疑った。恥しさのあまり、小太郎は慌てて周りに眼を走らせた。だが、誰も二人に注目していない。周りも殆どがカップルなのだ。
 耳を澄ませば、愛の囁きがそこらじゅうから聞こえる。
 ネギは、小太郎の言葉に頭の中が真っ白になっていた。可愛いと言われる事は沢山あった。アスナや木乃香達に何度も言われてきた。自分が小さいからそう言われているのだと理解していたし、慣れたというのもあるのだろう。誰かに可愛いと言われても、そんなに意識してしまう事は無い筈だった。
 なのに、小太郎の一言は、ネギの心の奥底まで浸透し、一瞬にしてネギの心を掻き乱した。
「き、綺麗なんかじゃ…………」
 顔を真っ赤にしながら言うと、小太郎は信じられないモノを見る様な眼でネギを見た。
「今のネギを見て、綺麗じゃないなんて言う奴は居ないで。ほんまに、ほんまにッ!!」
 小太郎は言葉を続ける事が出来なかった。だが、真っ赤な小太郎の表情は、何を言いたいのかを雄弁に語っていた。
 ネギは顔の熱さで化粧が崩れてしまうのではないかと恐ろしくなった。血潮が激しく全身を駆け巡っているのが分かる。
 イギリスに居た頃、ほんの僅かに飲んだ事のあるワインを思い出した。数口飲んだだけで、顔が赤くなり、頭の血管に血が流れているのを体感した。
「小太郎のタキシードの方が、何倍もかっこいいよ」
 ネギはクラクラする頭で、小太郎のタキシード姿を見て思わず呟いた。何時の間にか、自分よりも背が高くなっていた少年は、糊のきいたシャツに黒のタキシードを巧みに着こなしていた。
 ネギの呟いた言葉は心からの本心だった。小太郎の髪の毛は何時もの様なボサボサな髪型とは違い、キチンと櫛と整髪料が使われていてビシッと決まっていた。
 小太郎は、ネギの放った言葉のあまりの衝撃に現実を見失っていた。息をするのが途方もなく難しい。全身が喜びのあまりに弛緩してしまって、倒れない様にするのがやっとだった。
 今日、自分は目の前の少女と躍るんだ。そう思うと、小太郎の心は熱く燃え上がった。そして、確信した。他の女だったら、これほど心が動かされるだろうか。他の女だったら、こんなにも狂おしい欲望を抱くだろうか。
 目の前の少女が欲しくて堪らない。小太郎は喉がカラカラに渇くのを感じた。
「噴水、綺麗だね」
 不意に、ネギは小太郎から顔を背け、水底のライトによって宝石のように輝く背後の噴水の水飛沫を見上げた。
「せ、せやな」
 小太郎はホッと胸を撫で下ろしながら言った。これ以上、ネギと顔を合わせていたら何を言い出してしまうのか自分でも分からなかったのだ。
「小太郎」
 ネギが顔も向けずに小太郎に声を掛けた。
「なんや?」
「ありがとうね」
「ん?」
 ネギの突然の礼に小太郎は首を傾げた。
「ダンスパーティーに一緒に出席してくれて。練習とか、大変だったでしょ?」
 ネギが申し分けなさそうに言うと、小太郎は噴出してしまった。
「どうして笑うの?」
 ネギが不満そうに尋ねると、小太郎はすまんすまんと謝った。なんて的外れな事を言うんだろう。小太郎は腹を抱えて笑いたくなるのを必死に堪えた。
 練習の大変さなんて、ネギに会った瞬間に消し飛んでしまった。こんなに可愛くて、愛おしい少女と一緒に躍れるのに、そんな些細な苦労など苦労の内に入らなかった。
 不意に、悪戯心に火が灯った。
「レディー」
「へ?」
 小太郎がネギの手を取ってネギの顔に自分の顔を近づけると、ネギは目を丸くした。
「本日は俺と躍ってくれますか?」
 ネギは訳が分からず、口をパクパクとさせた。
「日本の主流だと、ダンスってのは男から誘うもんらしいで」
 ニッと笑い掛ける小太郎に、ネギは思わず癇癪を起しそうになった。
 何だと言うのか。今夜の小太郎は変だと思った。こんなに自分の心を掻き乱す言葉をスラスラ言う人じゃなかった筈なのに。
 その時、広場にけたたましいブザーが鳴り響いた。
『お待たせ致しました。これより、メインホールへの入場が可能となります』
 周りの男女がダンスホールの中へ入り始めた。
「行こっか」
「せやな」
 小太郎とネギも、人の流れに沿って歩き始めた。ネギの肩に誰かの腕がぶつかって、ネギの体がよろめいた。
 咄嗟に、小太郎はネギを抱く様に受け止めた。お互いに顔を真っ赤にしながら慌てて離れると、またネギは背の高い男にぶつかりそうになった。
「危ねぇから」
 小太郎は手を差し伸べた。ネギは若干躊躇しながら小太郎の手を握った。
 手を繋いで歩いていると、緊張しているのか小太郎の手が冷たかった。
「メインホールの前に、キャロ達が居る筈なの」
「ダンス部の仲間か?」
 ネギは頷いた。
「居た!!」
 ネギはダンスホールの入口を潜った先にある巨大な柱の下に居るダンス部のメンバーを見つけた。
 キャロライン・マクラウドは彼女の髪色に似た白いシンプルなドレスを着て、知らない少年と一緒に居た。
「あ、手塚」
 小太郎は薄い銀縁の細い眼鏡を掛けている少年に向かって呟いた。
「犬上か?」
 手塚は眼鏡の奥で眼を見開いた。
「ネギちゃん!!」
 キャロがネギに気が付いて手を振った。
「こんばんは、ネギちゃん」
 キャロは満面の笑みを浮かべた。
「こんばんは、キャロ」
 ネギもキャロに笑みを返した。
「その子がネギちゃんのパートナー?」
 キャロは眼を細めて、観察する様に小太郎を眺めた。
「犬上小太郎。俺の同級生だよ」
「防人の?」
 キャロはまじまじとした目付きで再び小太郎を見た。
「小太郎、知ってる人?」
 ネギが尋ねると、小太郎は頷いた。
「手塚防人。ワイの同級生で、ワイのクラスの委員長や」
「よろしく、手塚防人です」
 手塚がネギに手を差し伸べてきた。ネギは慌てて手を取った。
「よ、よろしくお願いします。ネギ・スプリングフィールドです」
 小太郎もキャロと握手した。
「よろしくな、犬上小太郎や」
「キャロライン・マクラウドだよ。よろしくね、小太郎ちゃん」
「こ、小太郎ちゃん!?」
 キャロの言葉に、小太郎は寒気を感じた。
「ちゃんは止めてくれへんか?」
 ゲンナリしながら言うと、手塚はクスクスと笑った。
「なんや」
 ギロリと小太郎が睨むと、手塚は言った。
「キャロは大抵、相手の名前にちゃんを付けるんだ。男女関係無くな」
 肩を竦める手塚に、小太郎は肩を落とした。
「せやかてなぁ」
 ネギは思わず噴出した。
「小太郎ちゃんかぁ。なんだか可愛いね」
 クスクス笑うネギに、小太郎は渋い顔をした。
「勘弁してくれ」
「ごめんごめん」
 ネギがガックリとした小太郎に謝ると、後ろから声がした。
「キャロライン、ネギ」
「あ、レンゲちゃん」
 レンゲが来た後、続々とダンス部のメンバーがやって来た。レンゲは、同じダンス部で、ドイツ人のオールバックにしている銀髪ときつい目付きが印象的な少年と一緒だった。
 アーダルベルト・ラインヴァルトは、無口な性格でネギもあまり話した事の無い少年だった。レンゲは、蕩ける様な眼差しをアーダルベルトに向けていた。
 キャロやネギの様に、ダンス部以外のパートナーを連れてきた者を居た。例えば、少しボウッとしている利賀紫呉は、穏やかな表情の大きな体の大学生を連れて来た。
「それじゃあ、今日は楽しもうね、みんな」
 キャロはそう言うと、手塚の手を握ってメインホールに向かって歩き始めた。ネギと小太郎も自然と手を握ってホールの中悠里入って行った。
 ホールの中は驚くほど広く、天井から吊り下げられている豪奢なシャンデリアによって穏やかな光に照らされていた。既に陽気な音楽がスピーカーから流れていた。
 ダンス部のメンバーとそのパートナーは自然と離れて行き、ネギと小太郎は奥の方に歩いた。しばらくすると、不意に音楽が変わった。テンポの良い音楽に合わせて、ホールの中心で一組の男女が躍り始めた。すると、その一組の周りに居た人達も躍り始め、踊りの波紋がホール全体に広がっていった。
 小太郎が、ネギの空いている手にも自分の手を重ねて来た。
「お手を拝借ってな」
 ニッと笑う小太郎に、ネギは顔を赤く染めて頷いた。音楽に合わせて自然と躯が動いていた。
 小太郎は巧みに人とぶつからない様にネギをリードしていた。長い練習の成果が現れていた。学生の楽しむ為のダンスパーティーで、学生達は各々自由なダンスを躍っていた。
 テンポの良い曲が終わると、入口の反対側の面にある階段の上のバルコニーに突然、人が現れた。それぞれの手に楽器を持ち、優雅な曲を響かせ始めた。
 ネギと小太郎はダンスのペースを落として緩やかに躍った。途中、キャロと手塚のペアとバッタリ出会った。ネギとキャロは言葉は交わさずに、満面の笑みを浮べ合い、小太郎と手塚は恥しそうに照れながら肩を竦め合った。
「ちょっと、疲れちゃったかな」
 ネギが言うと、小太郎は何時の間にかダンスをしている組と談笑をしたり食事をしたりしている組に分かれている事に気が付いた。ネギ達は何時の間にか躍りながら中心部に来ていたのだ。
 ダンスエリアの外側では、躍り疲れたり、喉が渇いたり、お腹が空いたりした人達がテーブルの上に用意された食事を食べながら談笑している。給仕服を着た人達が忙しなく料理や飲み物を運んでいるのも見えた。
「んじゃ、ちょっと休憩すっか」
 丁度、音楽が終わった所だったので、ネギと小太郎はそそくさとダンスエリアから出た。色取り取りのスイーツが並べられているテーブルの前にやって来ると、二人の所に一人の給仕服を着た女性がやって来た。
「お飲み物をどうぞ」
「あ、ども…………って!?」
 小太郎はオレンジジュースの注がれたグラスを二つ受け取ると、運んで来た女性を見て噴出した。
「楽しんでます?」
 金髪の背の高い女性が尋ねた。
「な、なんで……」
 小太郎が眼を丸くしていると、ネギが首を傾げた。
「お知り合いの人?」
 ネギは小太郎と知り合いらしい目の前の美しい女性を見て、胸がざわつくのを感じた。女性はネギの顔を覗きこんだ。
 不満に感じているのが顔に出てしまったのかと心配になった。すると、女性はニッコリと笑みを浮かべた。
「高音・D・グッドマン、この学園の生徒ですわ。今夜のダンスパーティーのスタッフとして働いているのです」
「それって、アレの仕事でか?」
 小太郎は気になって尋ねた。
「アレって?」
 ネギは自分の知らない事を知らない女性と小太郎が話している事に不安を抱いた。ネギがおずおずと尋ねると、小太郎はネギの耳元に口を運んだ。
「ヒゥ!?」
 ネギは突然の事に妙な声を出してしまった。
「へ、変な声出すな。こん人は学園の魔術関係の事件を解決する仕事をしとるんや」
「あ、そういう事」
 小太郎がわざと言葉を濁した理由が分かってネギは胸を撫で下ろした。
「んで、ちょっと裏関係の事で話した事があるんや」
「そうだったんだ」
 ネギは改めて高音に目を向けた。
「失礼な態度を取ってすみませんでした。ネギ・スプリングフィールドです」
 ネギが頭を下げると、一瞬高音は驚いた様に眼を見開いた。
「え、ええ、よろしくお願いしますわ」
 動揺している高音にネギは首を傾げた。
「すみませんが、もしやナギ・スプリングフィールドの…………」
 おずおずと高音が尋ねた。
「えっと、父です」
「なんと!!」
 高音は慄くように叫んで周りの視線を集めてしまった。高音は慌てて頭を下げると、ネギに小声で話しかけた。
「写真で拝見した事はございましたが、確かにお父上によく似ていらっしゃいますわね」
 高音はネギの紅い髪を見つめて呟いた。すると、黒髪の女性が現れた。
「高音さん、お仕事」
 小声で高音に耳打ちすると、女性はどこかへ消えてしまった。
「あ、すみません。私は仕事に戻りますわ。楽しんでくださいませ」
 高音は最後にネギと握手してから去って行った。
「どうしたんだろ」
 ネギは父親の話をした途端に眼を輝かせた高音に首を傾げた。
「そりゃ、こっちじゃ有名人だしな。サウザンドマスターっていや」
「あ、そっか」
「それより、なんか喰おうや。色々あんで」
「そだね。あ、ミンス・パイだ!」
「なんや、それ?」
「おいしいよ」
 ネギは小太郎にタルト生地を丸めた様な、一見すると大き過ぎるクッキーの様なお菓子を小太郎に一枚渡した。小太郎は一口噛むと、顔を綻ばせた。
「うまいな。中に入っとんのよく分からへんな」
「ドライフルーツのジャムだよ。イギリスだと、クリスマスには教会や商店なんかの人の集まる場所で振舞われるの。私の従姉のネカネお姉ちゃんがよく作ってくれたんだ。とってもおいしかった」
 懐かしむ様に言うネギに、小太郎は相槌を打ちながらもう一つミンス・パイを口に放り込んだ。
「イギリスの料理は不味いって聞いたんやけど、これは上手いな」
 小太郎が何気なく言うと、ネギは怒って頬を膨らませた。
「自由なだけだよ。人によって、好きな味付けってあるでしょ?」
「そりゃな」
「イギリスの料理は味付けをしない事が多いの。自由に味付けが出来る様にね。でも、美味しい料理だって沢山あるんだよ」
 小太郎は噴出しそうになるのを必死に堪えていた。不覚にも、怒っている姿も可愛いなどと思ってしまったのだ。
「これもイギリスの料理だよ」
 ネギはローストビーフのお皿を小皿に取って言った。
「ローストビーフがか?」
「そうだよ。さすがにヨークシャー・ブティングは無いみたいだけどね」
 それからしばらくの間、ネギと小太郎はゆっくりと食事を楽しんだ。すると、和美がやって来た。
「やっほー、お二人さん」
「あ、和美さん! あれ、さよさんは?」
 ネギが尋ねると、和美は悪戯っぽく笑った。
「土御門と一緒。土御門の奴、さよちゃんにホの字だからさ」
「え、そうなんですか!?」
「そうなのよ、ハイ、ポーズ!」
 言いながら和美はネギと小太郎の写真を撮った。
「んじゃ、邪魔すんのも悪いし、行くね」
 和美が去ると、丁度、音楽が変わった。穏やかな旋律の曲だった。
「躍るか?」
「うん」
 二人は再び手を取り合った。まるで夢の様な時間が過ぎ去って行った――。



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
※あとがき

これにて、二人の絆編は終了です。
旧作では、ここで戦闘があったのですが、次回から麻帆良祭編がスタートします!!
一応、改訂作業はこれで終了になり、ここからは完全に新たな魔法生徒ネギま!がスタートします。



[8211] 魔法生徒ネギま! [第八章・祭りの始まり編] 第四十話『真実を告げて』(R-15)
Name: 我武者羅◆cb6314d6 ID:87b1fc72
Date: 2010/06/27 20:22
※BL描写に注意してください。

魔法生徒ネギま! 第四十話『真実を告げて』


 麻帆良学園聖ウルスラ女子高等学校ダンスホール――。
 ネギは、その頬を彼女の柔らかな髪と等しいくらいに紅く染め上げていた。額を薄っすらと流れる汗を拭いながら麦茶を飲んで荒くなった息遣いを整えた。
「もうクタクタ」
 笑みを零しながら壁に背を預けると、すぐ隣に犬上小太郎も同じ様に背を壁に預けた。
「ちょっと、外歩かんか?」
「いいね。ちょっと暑いし」
「それは躍ったからやな」
 小太郎が苦笑すると、ネギもつられて笑った。
「それじゃあ、ちょっと歩こっか」
 二人は静かに人混みを抜けて外に出た。外には二人の他にも沢山の人々がパーティーを抜け出して談笑したり散歩したりしていた。中にはキスをしたり抱きあっている男女も居た。
 気まずい空気が二人の間に流れた。
「そ、そういや、ここには庭園があるらしいで」
 小太郎は誤魔化す様に言った。
「庭園?」
「せや、ホールからそんなに離れとらんし」
 小太郎は少し離れた場所に建てられている道案内の看板を見ながら言った。
「行ってみよっか」
 ネギは悪戯っぽく微笑みながら言った。小太郎は狙い通りのネギの答えに笑みを零した。
 二人はダンスホールから離れた場所にある庭園に向かった。
「世界樹が見えるね」
 庭園に着くと、ネギは真正面を見上げた丘の少し遠くにライトアップされた世界樹があるのに気が付いた。
「ほんまやな」
 小太郎はネギと繋いだ手の感触にドギマギしながら庭園の中へ入って行った。美しい花が月明りに照らされ、小さな滝がある池は少し欠けた月を鏡面の様に映し出している。人の気配はあるものの、不思議な程に静かだった。二人は手を握り合って庭園の真ん中にある休憩所らしき場所に向かって茨のトンネルを潜った。握り合った手からお互いの体温や鼓動を感じ合い、トンネルの出口に向かうに連れ、緊張が高まり、自然と口数も少なくなった。
 ネギは歩きながら、時々小太郎が自分を見ている事に気がついていた。どうかしたのだろうか、ネギには小太郎の心が分からなかった。夢中になって躍っていたせいで、背中は汗でびっしょりで疲労困憊だった。だから、小太郎が外に出ようと言ったから外に出た。外に出ると、イチャイチャしているカップルがいっぱい居て、なんだかとても気まずかった。小太郎も同じ事を思ったのだろう、休む場所を庭園に変えようと提案して来た。
 提案に乗ってやって来た庭園はとても見事だった。月明りと僅かな屋外灯だけが照らす幻想的な場所だった。真正面にはライトアップされた世界樹を仰ぎ、涼しい風が気持ち良かった。
 庭園に入ると、なんだか小太郎の様子がおかしくなった。息が荒くなって、落ち着き無く視線をキョロキョロと動かしている。茨の暗いトンネルの中を潜ると、それが更に顕著になった。
 茨のトンネルを抜け出して、大きな池の中心にある休憩所に出た。ネギは小太郎の顔を見てギョッとした。小太郎が真っ直ぐに自分を見つめていたのだ。小太郎はネギの視線に気付き、慌てて顔を背けた。
「どうかしたの、小太郎……?」
 息が荒く、落ち着きの無い小太郎の様子に心配になり、ネギは尋ねた。小太郎は体をビクつかせた。
 どうしてだろう。小太郎にそんな事を思う必要など無いと頭で分かっているのに、ネギは心の中に小太郎に恐怖心を抱いていた。いつか、感じた事のある恐怖と似ている。どこで感じたのか、それは思い出せない。
「ネギ……」
 小太郎の切羽詰ったような声にネギは目を見開いた。小太郎はネギの両肩を掴んだ。恐怖心が一気に膨れ上がり、ネギは声も出せずに凍りついた。
「ネギ、ワイ……」
 小太郎は何を思ったのか、そんなネギを熱に浮かされたような表情で見つめた。
「――――ッ」
 全身に鳥肌が立った。魔法使いとしてのではない、別の第六感が告げている。小太郎がなにかとてもイケナイ事を言おうとしていると――――それがなにか分からないが。
「ワイは――」
「や……っ」
「……え?」
 小太郎はネギの搾り出すような声に首を傾げた。そして、信じられないという表情で首を横に振るネギを見た。
「どうして……ネギ?」
 困惑した表情で小太郎はネギの両肩を強い力で掴んだ。その瞬間、ネギの頭の中に数日前の光景がフラッシュバックした。
 血走った少年達の眼。逃げて、逃げて、逃げ続けた結果、追い詰められ、脅された。歯をカチカチと鳴らし、ネギは震えた。
「ネギ!?」
「ヒィ――ッ」
「――――ッ!」
 小太郎の驚く声にネギの中の恐怖心が爆発し、ネギは悲鳴を上げてしまった。小太郎は愕然とした表情で凍り付いている。
 小太郎はこの休憩所に来た時、覚悟を決めていた。告白しようと決心した。ネギの両肩に手を置いた時、ネギが何も言わずに居るのを自分の都合の良い事に勘違いした。恐怖で竦んでいるのを自分の告白を待ってくれていると錯覚したのだ。
 だから、ネギが悲鳴を上げた事に思考が追いつかなかった。脳の処理が追いつかず、頭の中は真っ白だ。ネギが走って去って行くのを呆然としていて気付かないほどに――。

 ネギは思わず逃げ出してしまった。周囲の視線も顧みず、ぶつかってしまった相手に謝りもせず、走って自分の服のある着替えスペースに逃げ込んだ。誰も居ない狭い空間の中でネギは声も出さずに泣きじゃくった。心の中も頭の中もぐちゃぐちゃで最低だった。
 心の底から沸き上がる恐怖も嫌悪感も小太郎の愕然とした顔も小太郎から逃げ出してしまった事も何もかも最悪だった。自分はいったいどうしてしまったのだろうか、しゃがみ込んでいると、背後でコンコンという音が聞こえた。
 振り返ると、そこに居たのは心配そうな顔をしたキャロと和美とさよだった。ネギがここに来るまでにぶつかった人達の中に和美も居たのだ。声を掛けたのに無視するネギの様子と一緒に居る筈の小太郎が居ない事を不審に思い、土御門に小太郎を探させ、和美自身はさよを連れてネギの後を追ったのだ。
 会場内に入り、ネギを見失ってしまった和美は休憩中の人達に赤髪の女の子を見なかったか? と尋ねて回った。キャロは近くで和美がネギの特徴を口にしたのを聞き、和美に話し掛けた。そして、三人でネギを探し、着替えスペースで泣いているネギを見つけたのだ。
「どうしたの、ネギ?」
 キャロが優しい声で尋ねた。ネギは掠れた声でキャロの名前を呟いた。
「……小太郎がなにかした?」
 和美が尋ねると、キャロがハッとした顔でネギを見た。ネギは何も喋らず、ただ首を横に振った。
「なら、どうしたの? 話してくれないと、何もわからないよ?」
「か、和美さん!」
 和美のキツイ物言いにさよが慌てて遮った。
「だって、言ってもらわなきゃコッチも何も言えないでしょ?」
 和美はつっぱねるように言うと、さよは不満気に唸った。何も泣いている時に問い質す必要は無いのではないか、今は優しい言葉を掛けてあげるべきだよいうさよの考えを見抜き、和美は肩を竦めた。
「分かった。分かりました。自嘲しますー」
 和美はやれやれといった様子で近くの椅子に座って足を組んだ。
「大丈夫ですか?」
 面白く無さそうな顔をする和美を尻目にさよがネギを安心させるために優しく声をかけた。
「ごめ……なさい」
 ネギは瞼をドレスの袖でゴシゴシと拭った。キャロが慌てて止めさせる。
「だ、駄目だよネギ! ドレスが駄目になっちゃうし、肌を傷めちゃう。顔向けて」
 キャロは自分の荷物の中から化粧ポーチを取り出してネギに顔を向けさせた。ネギの顔は化粧が涙で流れ、ドレスで拭ったせいで酷い有様だった。キャロは溜息を吐いて、ネギの顔の化粧を丁寧に取り除いた。
「ネギ、女は自分に不利になる涙は見せちゃ駄目なんだよ?」
 顔をウェットティッシュで拭ってキャロは言った。
「ドレスも脱いじゃおっか。もうそろそろ中等部は終了の時間だし。一足早いけど、着替えちゃお?」
 キャロに促されてネギはうなずくとノロノロと着替え始めた。さよはネギの着替えを手伝った。ネギが着替えるのを見ながら和美は携帯を耳に当てていた――。

 小太郎が正気に戻ったのはネギが走り去ってしばらくしてからだった。呆然としながら庭園の外に出ると、土御門と手塚が立っていた。
「こりゃ、駄目だな……」
 真っ白になっている小太郎を見て手塚は溜息を吐いた。
「おーい、しっかりしろー」
 土御門が恐る恐る声を掛けると、小太郎は崩れ落ちた。
「お、おい? どーしたんだ、小太郎?」
 土御門は顔を引き攣らせながら小太郎に声を掛けた。
「…………振られた」
 顔も上げずに小太郎は呟いた。土御門と手塚は同情の眼差しを向けた。
「あえて……何があったかは聞かないけどさ」
 手塚は呆れたような、同情したような声で言いながら小太郎の肩に手を置いた。
「ったく、物事には順序があるだろ。いきなり押し倒そうとすっから――」
「だ、誰が押し倒すかボケェ!!」
 土御門のとんでもない発言に小太郎は顔を真っ赤にしながら怒鳴った。
「……違うのか? なら、暗い公園に連れ込んでナニやってたんだよ?」
「告白しようとしたんだよ! 人の居ないとこ探して、肩に手を置いて……、そしたら……悲鳴上げられて逃げられた」
 小太郎が言うと、土御門と手塚は今世紀最大の馬鹿を見る目で小太郎を見た。
「アホか! それは振られた云々以前の問題だ!!」
 手塚の言葉に小太郎はキョトンとした顔をした。手塚はそんな小太郎に大袈裟な溜息を吐いた。土御門は「この馬鹿は……」と呆れ果てた様子だ。
「な、なんやねん自分ら!?」
 土御門がしゃがみ込んで小太郎に目線を合わせ、呆れた様に言った。
「よく考えろ。暗い公園のそれも人気の無い場所に連れ込まれて……お前の事だから緊張して鼻息荒くしてたろ? そんな野郎に肩を掴まれてどう思うか分からんのか?」
「…………」
 小太郎は土御門の言葉に顔を青褪めさせた。なんという事だろう、確かに振られる以前の問題だ。自分は婦女暴行犯と思われたのだ。
「中学生が暗がりとか庭園とかそんな舞台装置は要らねーんだよ。最低限、綺麗な景観の場所っての押さえておけばな。女慣れしてないヤツが暗闇に女連れ込んで告白なんざ成功するわけねーんだよ。わかったか?」
「…………うぅ」
 土御門の小言を聞きながら小太郎はガックリと肩を落とした。そんな小太郎の背中を手塚が思いっきり蹴っ飛ばした。
「グェ――ッ」
 小太郎が困惑した表情で手塚を見ると、手塚は小太郎の首を掴んで無理矢理立たせた。
「お前のアホのせいでこっちはキャロとのダンスおじゃんになったんだぞ。ヘタレてる暇があったら謝って来い! 今直ぐ行動しなけりゃ、お前の恋愛はここで終わっちゃうぞ?」
 手塚の言葉に小太郎は息を呑んだ。
『せや、こんな所で燻ってる場合やないッ!』
 小太郎は慌てて走り出そうとして――手塚に襟を掴まれて止められた。
「とりあえず、入口で待とう。今はキャロ達が落ち着かせてるだろうから」
「だな。焦って着替え中に乱入なんてしたらそれこそ終わりだ」
「……わかった」
 手塚と土御門に宥められ、小太郎は渋々頷いた。本当は今直ぐにでも土下座して違うんだ! と叫びたかったが、二人の言う通り、着替え中なんかに乱入してしまったら本当にそこで終わりだ。小太郎は二人と一緒に麻帆良学園聖ウルスラ女子高等学校の門に向かってトボトボと歩き出した――。

 和美は土御門から小太郎の馬鹿な行動と結果について携帯で聞き、あんまりな話に顔を手で覆った。今直ぐ、小太郎の脳天に拳骨を喰らわせてやりたい。焦り過ぎだと怒鳴ってやりたい。
「大体の状況は分かったわ」
 着替えを終えたネギ達に和美は言った。
「ネギ、門で小太郎が待ってるわよ」
 小太郎の名前を言うと、ネギはビクリと肩を震わせた。その反応にキャロとさよが和美に説明を求めた。
「不幸な擦れ違いってヤツよ。ま、これは当人同士の問題だから、門まで送り届けて、後は二人っきりにしましょ」
 不安そうに和美の顔を見上げるネギの頭を和美は優しく撫でた。
「大丈夫。落ち着いて話せば、ちゃんと分かり合えるって保証するからさ。ま、私の言葉が信じられないって言うなら、仕方ないけど」
「そ、そんな事は……」
「なら、信じて小太郎と話なさい」
 和美はネギのおでこに人差し指の先を当てながら意地悪そうな笑みを浮かべて言った。キャロとさよは顔を見合わせて苦笑いを浮かべた。
「それじゃあ、行こっか、ネギ」
 キャロに促され、ネギは小さく頷くと荷物を抱えて外に出た。和美とさよは前を歩いている。
 廊下に出て、玄関ホールを出て、門に近づくにつれて、ネギは足取りが重くなった。頭はとっくに冷えていた。ずっと考え続けているのは小太郎から逃げ出してしまった事だ。
 小太郎を“あの時の少年達”と重ねるなんてどうかしている。きっと、小太郎を傷つけてしまった。そう思うと顔を合わせるのが怖かった。どんな顔で会えばいいのだろうか、何を話せばいいのだろうか、何も分からない。ただ、一つだけは必ず最初に言おうと、それだけを決めた。
 ノロノロと歩いていたネギは和美達よりかなり遅れてしまい、それに気が付いたキャロが引き摺るようにネギを門に連れて来た。門には土御門と手塚に挟まれているバツの悪そうな顔をした小太郎が居た。小太郎の顔を見た途端、心臓が破裂しそうになった。思わずキャロの背中に隠れてしまった。
「ほら、隠れてないで」
 キャロは後ろに隠れたネギの手を掴んで小太郎の前に差し出した。ネギと小太郎はお互いに何かを言おうとするが口の中でもごもごするだけだ。
「とりあえず、ここだと迷惑になるし少し離れましょうよ」
 二人の様子に焦れたように和美が提案した。七人が居るのは門の直ぐ近くで周囲に人は居ないが、直に帰宅する中等部の生徒達で溢れ返るはずだ。
 和美の提案に従い、七人はとりあえず世界樹の方の歩き始めた。しばらく全員が黙ったまま歩き続けると、不意に和美が言った。
「私達はここまで。先に帰るね」
「え?」
 戸惑うネギを尻目に「お仕事がまだ残ってるの!」と言いながら和美はさよと土御門を連れて去って行ってしまった。
「それじゃあ、私達もここらでお別れしよっか」
 キャロが言った。
「だな。じゃあな、小太郎」
「またね、ネギ」
 そう言って、手塚とキャロはネギと小太郎が静止する前にサッサと二人で去って行ってしまった。七人だったのが突然二人っきりになってしまい、ネギと小太郎は互いの顔を見れずに黙り込んだ。
 ネギは深く深呼吸した。そもそも、自分が小太郎から逃げ出してしまったのがいけなかったのだから自分から切り出すのが筋というものだろう。
「ごめんなさい」
 ネギは頭を下げた。
「え……、なんで……」
 小太郎は頭を下げたネギに戸惑っていた。悪いのは全面的に自分だと考えていたから、謝られるなんて思ってなかった。中々切り出すタイミングが掴めずに居た中でこの展開は完全に予想外だった。
「ちょ、頭上げてくれ」
「うん……本当に、ごめんなさい」
 小太郎は何がなんだか分からず混乱したままだった。
「な、なんでネギが謝るねん?」
 小太郎は思わず尋ねてしまった。本当ならこんな質問をしている暇があったら謝るべきなのに、そう理解している筈なのに、小太郎は質問をしてしまった。
「私……、小太郎から逃げちゃって……。悲鳴上げたり……ごめん」
「ワ、ワイは――ッ」
 小太郎は違うと言おうとした。悪いのは自分でネギは悪く無いと言おうとした。だが、口から出た言葉は違った。
「――ワイは気にしてない」
 何を言ってるんだ。小太郎は自分の言葉に愕然となった。
「ほ、本当?」
 ネギが瞳を潤ませながら顔を上げた。胸が痛んだ。自分が悪いくせにネギの謝罪を受け入れるふりをしている自分に吐き気がした。だけど、心の底では考えていた。これはチャンスなのではないかと。
 心の広さをアピール出来るし、ネギに罪があると感じさせればそれだけ小太郎に都合の良い展開に持っていけるのではないか、そこまで自分の考えを自覚して、急に頭が冷えた。
「違う!」
「――――ッ!?」
 小太郎の突然の大声にネギは凍りついた。
「ワイが悪かったんや! ネギは悪くない。ワイは……クソッ!」
 小太郎は自分の中のどす黒い感情を実感し、寒気がした。こんな事を考えるなんてどうかしている。最低だ。ネギの顔を見る事が出来なくなっていた。
 ネギは小太郎の言葉に困惑していた。なぜか、小太郎が自分を責めているように感じた。悪いのはどう考えても自分なのに、どうして? 頭の中で疑問が渦を巻き、何を言えばいいのか分からなかった。とにかく、何かを言わなければいけない。そう自分の中の何かが告げていた。
「待って。どうして? どうして、小太郎が悪いの? だって、私が小太郎から逃げちゃったんだよ?」
「逃げ出すような事したワイが悪いに決まってるやろ! ワイは……そんなつもりやなかった。でも、ネギが怖がる事をしてしもうたんや!」
「わ、私は……分からなかったの。なんだか、小太郎が別人になっちゃったみたいに感じて……。どうかしてた。小太郎は何もしてなかったのに、一人で勝手に勘違いして馬鹿な考えに囚われて……小太郎が倉庫街で会った男の人達と重ねちゃったの……本当にごめんなさい」
 ネギは正直に白状した。隠してはいけないと思った。ちゃんと話すべきだと。小太郎は苦悶の表情を浮かべている。今度こそ嫌われてしまったかもしれない。最低だ。あの少年達と同じ扱いをされて愉快な筈が無い。目尻に涙が浮かぶが、必死に堪えた。泣いたら、小太郎は許すだろう。優しい人だから。それは駄目だ。そんなのは卑怯だ。ネギは小太郎が何か言うのを待った。何を言われても受け入れなければならないと覚悟して。
「全然……謝る事とちゃう。ネギ、ワイはアイツ等となんも変わらへん」
「そんなこと――ッ!」
「変わらへんのや!!」
 ネギが否定しようとすると、小太郎は強い口調で言った。何故、小太郎がそのような事を言うのかネギには分からなかった。小太郎があの少年達と同じ筈が無いのに。
「ネギ、ワイはそんなつもりやなかったって言った。せやけど、ほんの少しも考えなかったか、言われたら頷けへん」
「小太郎……」
 そこまで言われて、漸くネギは数日前の事を思い出した。キャロが自分に教えてくれた事だ。心の中で小太郎は違うと思っていた。自分だって中身は男だ。だけど、女性にエッチな事をしたいか、と聞かれたら頷けない。
 ネカネやアーニャ、クラスメイトの女の子達を見てもそんな気持ちは少しも起きなかった。確かにお風呂に一緒に入って裸を見たら自己嫌悪に陥るが、別に見たからと言って情欲を掻き立てられた事も一度も無い。だから、小太郎も同じだと思ったのだ。
 自分が馬鹿だったのだ。よく考えれば分かる事だ。自分が女性に欲情しないのは当たり前だ。なにせ、自分はまだ十歳なのだ。それに、女の子になってもうかなりの時間を過ごした。女の子の体なんて、それこそ奥の奥まで分かっている。
 小太郎は中学二年生で十三歳だ。それに正真正銘の男の子だ。自分と同じ筈が無いのだ。
「小太郎、やっぱり小太郎はあの人達とは違うよ」
「ワイは――ッ」
「うん、小太郎もエッチな事考えたりするかもしれないけど」
「――――ッ!!」
 ネギの言葉に小太郎は口をパクパクとさせながら顔を真っ赤にした。その様子が可愛いとネギは思った。
 ネギは漸くキャロから教わった事やあの時の少年達の考えと恐怖の正体を理解出来た。かなり複雑な気分だったが今はいい。
「だから、小太郎に嘘を吐くのはもう止めるね」
「うそ……?」
 きっと、とても後悔する事になるだろう。小太郎が他のみんなにも話してしまうかもしれない。そうなったら、きっと自分は居場所を失うだろう。軽蔑されて、嫌悪されて、もしかしたら逮捕されたりするかもしれない。だけど、小太郎を騙したくなかった。
「ずっと、騙してた。ついて来てくれるかな? 私の本当、知って欲しいから」
「あ、ああ……」
 ネギは戸惑う小太郎を連れて、最初に寮に向かった。寮の外で小太郎を待たせて、一直線に自分の部屋に向かった。途中でクラスメイトに会ったが、軽く挨拶を交わして部屋に入った。
 部屋の中には誰も居なかった。この時間だ。きっと、アスナと木乃香はお風呂に行っているのだろう。ネギは少し迷って、内心で小太郎に謝りながら大急ぎでシャワーを浴びた。待たされて怒っているかもしれないが、どうしても泣き腫らした顔のままで居たくなかった。肌を癒す魔法と髪の毛をセットする魔法を使って急いで服を着替えた。僅か十分で身支度を整えたネギは薬を持って部屋を出た。
「ごめんね、待たせちゃって」
 外に出ると小太郎が近くのベンチでジュースを飲んでいた。
「いや、別に……。それより――」
「ここだとなんだから、エヴァンジェリンさんの所に行こう」
 ネギは小太郎が尋ねるのを遮って言った。小太郎に話す時、余計な手間はしたくない。エヴァンジェリンはネギの隠すべき事情を知っているし、エヴァンジェリンの家の近くは結界で一般人は誰も入って来れない。ある意味、学園内で一番隠し事をしやすい治外法権区域なのだ。
 戸惑う小太郎を連れて、一直線にエヴァンジェリンのログハウスのある場所まで向かう。エヴァンジェリンの家が近づくにつれ、ネギは覚悟が揺らぎそうになるのを必死に堪えた。嫌われるだろうし、身の破滅を呼ぶ事になるかもしれない。それでも、これ以上小太郎を騙すわけにはいかない。
 小太郎の気持ちは分かっている。自分を愛してくれている事も自分を“そういう対象“として見てくれている事も理解している。だから、告げなければいけない。手遅れになる前に――。
 池の真ん中の休憩所で本当は小太郎が何をしようとしていたのか、分かってしまった。きっと、小太郎に面と向かって告白されたら、その悦びに自分は屈してしまうだろう。悪魔の囁きと分かっていても容易く耳を貸してしまうだろう。一生、小太郎を騙し続けて、自分の幸福に酔い痴れてしまうだろう。
 その前にキチンと告げよう。自分が何者なのか、全てを告げよう。
 エヴァンジェリンの家の前に立つとエヴァンジェリンが目を丸くしていた。
「どうしたんだ、こんな夜更けに?」
「エヴァンジェリンさん、少しいいですか?」
 ネギは困惑するエヴァンジェリンにソッと耳打ちした。エヴァンジェリンは一瞬眼を見開くと、ネギを心配そうに見つめた。
「いいのか? 下手をすると……」
 エヴァンジェリンが小太郎に聞こえないように小声で言った。
「私は……甘え過ぎちゃったんです。このままだと、きっと取り返しがつかなくなる気がして……。だから、誰も来ない場所を貸して欲しいんです。その……二人でちゃんと話が出来る場所を」
 お願いします、とネギは深く頭を下げた。エヴァンジェリンはどうしたものかと考えた。ネギが自分の正体を明かす事には反対も賛成もしない。これは明かす方(ネギ)と明かされる方(コタロウ)の問題だ。自分が口を挟む事ではない。だが、問題は後の事だ。小太郎がネギを拒絶しようが、それでも愛し続けようが、それは当人同士の問題だ。だが、ネギが本当は男なのだと小太郎が誰かに言おうとすればそれはかなりの問題になる。ネギが周囲から拒絶されるだけでは済まない。ネギが男だと判明すれば、さすがにアスナ達と一緒には居られなくなるだろう。何せ、女子校に男子が居るのだから。最悪、ネギはウェールズに強制送還される可能性も皆無では無い。
 アスナ達も辛い思いをするだろうし、エヴァンジェリン自身、ネギが居なくなるのは我慢ならない。あの始まりの夜に吸血鬼だと知り、自らの命を脅かしたエヴァンジェリンに友達になろうと言ったネギ。失いたくは無い。
「……少し、居間で待っていろ。丁度いい物がある」
 エヴァンジェリンはネギと小太郎を居間に通し、自分は地下の物置部屋に向かった。しばらく整理をしていなかったせいで、とんでもなくゴチャゴチャしている。
 目当ての物が見つかると、エヴァンジェリンは居間に戻り、二人を呼んだ。
「エヴァンジェリンさん、これは?」
 ネギはエヴァンジェリンの用意した物を見て不思議そうな顔をしながら尋ねた。エヴァンジェリンが用意したのは中に建物の模型の入っている不思議なガラスの球体だった。側面には“EVANGELINE'S RESORT”と書いてある。
「これは私の別荘さ」
「別荘?」
 小太郎が困惑した様子で尋ねた。
「ま、直ぐに分かるさ。もうちょっとコイツに近づけ」
 エヴァンジェリンに言われた通りに近づくと、突然、景色が様変わりした。直ぐ隣に小太郎も呆然とした様子で立っている。
『そこは私が造った別荘だ。しばらく使ってなかったんだがな。この別荘は一日単位でしか利用出来ないようになっているから、お前達は丸一日、そこから出る事は出来ん』
 突然、頭上からエヴァンジェリンの声を降って来た。
「なっ!?」
「ええっ!?」
 エヴァンジェリンの言葉に小太郎とネギは驚いた声をあげた。
『ちなみにこのメッセージはお前達が中に入ったら自動的に流れるように設定してあるだけだから、受け答えは出来ん。説明を続ける。そこは時間が圧縮されていてな、その中で一日過ごしても、外では一時間しか時が流れないのだ。存分に話し合うといい。では、説明を終わる』
 エヴァンジェリンの声が止み、ネギと小太郎は顔を見合わせた。
 別荘の中はとても暑く、避暑地のような環境だった。ネギと小太郎の立っている場所は高い塔の上で、足元には巨大な五芒星が刻まれた転送ポートだった。
 目の前には細く手摺りも無い橋が遠くの足元の塔よりも大きな塔に繋がっている。眼下には海が広がっていて、遠くに水平線が見える。これをエヴァンジェリンが造ったというのだからあまりの凄さにネギと小太郎は言葉を失っていた。二人は恐々と橋を渡り、大きな塔に渡った。
 大きな塔の屋上に到着すると、そこには大きな柵に囲まれた広場があった。中央にはオベリスクが聳え、奥にテラスがある。テラスには地下に続く階段があり、下に降りるとホールに出た。直ぐ外にはヤシの木に囲まれたプールがあり、二人は本当に別荘なんだなと思った。
「凄っげーな、こんなの造ったんか、エヴァンジェリンさん」
 小太郎が感心したように言った。
「そうだね……」
 小太郎はソッとネギの顔を伺った。ネギの考えがサッパリ分からなかった。こんな場所で何を話すつもりなのか。
「それで、話ってなんなんや?」
 小太郎が思い切って切り出した。ネギは肩を震わせ、瞳を揺らした。
 ネギは少しの間黙ったまま逡巡し、やがて顔を小太郎に向けた。
「小太郎……」
 躊躇いがちにネギは口を開いた。何度も何度も深呼吸してから言った。
「私は去年の夏に魔法学校を卒業したの」
 話し始めると、胸が軋んだ。話終えた時、小太郎に軽蔑されるのが怖い。
「魔法学校を卒業すると、生徒は学校が決めた修行先に修行に行く事になっているの。私の友達のアーニャはロンドンで修行。私の場合は……」
「……この学校やったんやな?」
 小太郎が言うと、ネギは頷いた。
「『日本の女子校に潜入し、悪い組織に狙われている少女(複数)を影から護る事』だった。少女達っていうのは、完全魔法無効化能力者のアスナさんや極東最強の魔力を持つ木乃香さん、力を封じられたエヴァンジェリンさんの事。って言っても、アスナさんやエヴァンジェリンさんの方が私よりずっと強いんだけどね」
 あはは、と苦笑いを浮かべるネギに小太郎は「せやな」と苦笑した。
「でも、ここに入学するには二つ問題があったの」
「問題……?」
「一つは年齢。私……実は去年十歳になったばっかりなの」
「なにィ!?」
 ネギの言葉に小太郎は仰天した。今まで、自分より背は小さいけれど、それでも中学三年生で年上だと思っていた。まさか、この事だったのだろうか、小太郎は愕然とした。確かに、これはとんでもない事だ。自分よりも三つも年下の女の子相手に自分は好意を抱いてしまったのだから。
 それにさっき、十歳の女の子に話す事では到底無いような事を言ってしまった。小太郎の頭の中にロリコンやペドフィリアといった単語が渦巻いた。
 顔を青褪めさせている小太郎にネギは落ち着くのを待った。しばらくして、漸く気を落ち着けた小太郎はそれでも頭を抱えていた。その様子にネギはやっぱり駄目だよね、と内心で呟いた。
 年齢だけでここまで苦悩しているのだ。これで性別の事まで話して、受け入れて貰える筈が無い。そう確信すると、少しだけ目元に涙が滲んだ。必死に我慢して、小太郎に話しかけた。
「もう一つの問題……。小太郎に聞いて貰いたいのはこっちなの」
「へっ?」
 小太郎は間の抜けた顔をした。年齢の話で頭がいっぱいいっぱいだったのだ。
「きっとね、この話をしたら小太郎は私の事許せないと思う。だけど……話し終えたら、一つだけ聞いて欲しい事があるの。一生のお願い……話し終えたら、一言だけ言わせて」
 ネギは「お願いします」と頭を下げた。小太郎は困惑した。どうしてそんな事を言うのか分からなかった。何を言われたって、自分がネギを許せないなんて事、ある筈が無いと確信している。だから、頭なんて下げなくても、話なら幾らでも聞くというのに。
「あ、頭上げろって。んな事しなくても、ワイは話くらい、幾らでも聞いたるさかい」
 小太郎が言うと、ネギは哀しげに「ありがとう」と微笑んだ。その笑みがあまりにも哀しそうだったから、小太郎は胸が締め付けられるような気持ちになった。どうして、そんな顔をするんだと問い詰めたかった。
「小太郎……」
 ネギはポケットから小瓶を取り出した。中には性別を帰る青と赤の飴玉が入っている。
「この薬はね、私のお爺ちゃんが用意してくれた物なの。私がここに来る為に一番大きな問題を解決する為に」
「一番大きな問題……?」
 小太郎が尋ねると、ネギは深く息を吸った。
「私は……私は、男の子だったの」
「…………は?」
 小太郎は眼を見開いた状態で凍り付いてしまった。ネギの言葉がまるで未知の言語で言われたかの様に脳が処理出来ずに居た。
「この薬は性別を変えるの。青い薬は男の子に、赤い薬は女の子に。一ヶ月以上飲まないと、もう元の性別には戻れないの。この薬で私は女の子になったの……」
「…………嘘……やろ?」
 小太郎は首を横に振りながら掠れた声で言った。今のネギの言葉は冗談だ、そうに決まっている。ネギに今直ぐ冗談だったと言ってくれと心の中で懇願した。だが、ネギは黙ったまま、青い薬を口の中に放り込んだ。
「…………んくっ」
 ネギが色気のある声を上げながら自分の肩を抱いた。しばらくすると、ネギの胸の膨らみが突然消え去った。小太郎はカラカラに乾いた口をパクパクさせながら信じられないという顔でネギを見た。
「これが……本当の私」
「嘘……やろ? 嘘や! な、何を冗談抜かしてんねん!?」
 小太郎は堪え切れなかった。気が付くと、ネギを怒鳴りつけていた。直ぐにハッとなり謝ろうとするが、ネギは諦めたように笑みを浮かべていた。
 ネギはゆっくりと胸元の黒いリボンを解いた。
「な、何しとるんや!?」
 突然のネギの行動に仰天して小太郎は止めようとしたが、ネギは首を横に振り、そのままブラウスのボタンを一つ一つ外し始めた。見てはいけない。そう思いながら、目を離せずに居た。
 最後のボタンが外されて、ネギは白いブラウスを脱いで直ぐ傍の机に畳んだ。そして、ピンクのブラジャーを脱いでその上に乗せた。
 小太郎はネギの胸を見て息を呑んだ。そこには少女特有の胸の膨らみが全く無かった。小太郎の心は揺れていた。もしかしたら、本当にネギは本当は男だったのかもしれないという気持ちと同時にネギの何も覆われていない胸を見て動悸が激しくなった。
 小太郎が戸惑っていると、ネギはそのまま黒のラインの入ったスカートのホックに手を掛けた。小太郎は怖くなった。もしも、本当にネギが男の子だったとしたら、自分はどうなるのかが――。
「待っ――」
 静止の声を上げる前にネギはスカートを下してしまった。小太郎は震えていた。自分で自分の気持ちが分からなくなってしまった。ネギはショーツとソックスと靴しか身に付けていない状態だというのに、顔には哀しげな感情しか浮かばせていなかった。
 ネギがショーツに手を掛けた時、小太郎は必死に心の中で叫んでいた。止めろ、止めてくれ、と。その小太郎の願いも虚しく、ネギはショーツを下してしまった。そこには少女には無い筈の小さな男の子の象徴があった。小太郎も毎日似た様な物を見ているからそれが何かは言われなくても分かっている。
「…………これが、私なの」
 ネギが掠れた様に言った。小太郎は呆然と立ち尽くしていた。小太郎の様子にネギは涙をそれ以上堪える事が出来なかった。
「ごめん……なさい。騙して……。さっきのお願い、聞いてくれますか?」
 ネギは震えた声で頭を下げて懇願した。自分で自分がどれほど情け無いか分かっていた。あまりにも醜い姿を曝している。それでも、一つだけ言いたかった。
「あ、ああ……」
 小太郎が空気の抜けたような微かな声で了承したのを聞くと、ネギは涙を拭って必死に勇気を振り絞った。
「私は……本当は男なのに……小太郎の事……好きになっちゃったの」
 ネギは言った瞬間に殴られるかもしれないと身を縮ませた。男にこんな事を言われても気持ち悪いだけだろう。それでも、最後に伝えたかった。自分の抱いている気持ちを……。
「ごめんなさい……。好きになって、ごめんなさい」
 泣いては駄目だ。それだけを心の中で繰り返し続けた。それは卑怯だからだ。ネギは待ち続けた。殴られるのを、罵倒されるのを、軽蔑されるのを、気持ち悪がられるのを、ソレすらなく、無視されて小太郎がどこかへ行ってしまうのを待ち続けた。惨めな思いを抱いたまま、ずっと待ち続けた。
 小太郎は頭をハンマーでガツンと殴られたような感覚だった。ネギの膨らみの無い胸と股の間にあるモノを交互に見ながら、自分の気持ちに猜疑心を抱いていた。正気じゃないと。
 気が付くと、ネギは眼を見開いていた。小太郎の心の中で自分の中の冷静な部分が叫び続けている。
『やばいって……。駄目だって! 正気を取り戻せって』
 無理だ。もうとっくに手遅れだ。自分の今の行動で自分の気持ちが分かってしまったから、もう引き返せない。もしかしたら、知らない誰かに後ろ指を差されるかもしれない。周りの皆が軽蔑するかもしれない。
 小太郎は自分の心の底から込み上がってきた感情に抗えなかった。小太郎は少年(ネギ)の腰と背中に手を回して、ネギの柔らかな唇に自分の唇を押し付けていた。頭の中で死んだ両親や故郷で世話をしてくれた人達、ずっと自分を育ててくれた千草、村を滅ぼした憎い兄にすらも謝り続けた。
 もしかしたら、自分は一族の再興を出来ないかもしれないと謝り続けた。だって、元々男だというのなら、女体化しても子供を産めるか微妙だ。ああ、自分は何を考えているのだろう。
 小太郎はネギの口の中を舌で蹂躙し続けながらそんな事を考えていた。唇を離すと、ネギはその場にへたり込んでしまった。小太郎の事を信じられないという顔で見ている。
『そんな顔で見ないでくれ』
 小太郎は溜息を吐きそうになった。気持ち悪いとか、そんな感情は最初から驚くほど浮かばなかった。ただ、男の体だというのに、そんな見慣れた体を見て、動悸が激しくなって、ああ、なんだかヤバイと思っていたら、ネギが自分を好きだと言った。
 それが決定打だった。頭の中の混乱も何もかも弾け飛んでいた。ただ、愛おしさだけが込み上げていた。自分の単純さに呆れてしまう。
「ネギ、もう直ぐ文化祭やろ?」
「……え? あ、うん」
 ネギは小太郎の言葉に目をパチクリさせながら間の抜けた声で頷いた。
「ワイとデートしてくれ!」
「…………へ?」
 小太郎の言葉がネギは理解出来なかった。本当なら、自分は今頃は嫌われて、汚物を見るような眼で見られている筈なのに、小太郎の口からは予想もしなかった言葉が出て、唇には小太郎の唇の感触が残っていて、小太郎の眼はどこまでも真っ直ぐに自分を見ていた。
「ど、どうして……」
 困惑した表情で尋ねるネギに小太郎は足を曲げてネギと視線を合わせてニッカリと笑った。
「三日目、丸々一日空けといてくれ」
「こ、小太郎! どうして!? だって、私は――ッ」
 小太郎はネギの質問に答えなかった。堪らなくなって、ネギは小太郎の肩に手を置いて叫んだ。
「関係あらへんねん。ワイは……いや、これはデートのトリに取っとかせてくれへんか? 今言うんは……なんや、つまらへんやろ?」
「で、でも!」
「ええから。それより、ええ加減に服着いや」
 小太郎に言われて思い出した。ネギは下着すら着けず、ソックスと靴だけを履いているというとんでもない格好だった。
「――――ッ!?」
 声も無く絶叫して、ネギは慌てて近くに放り出した下着とスカートを手に取った。
「着せたろうか?」
「だ、駄目!」
 小太郎が意地悪な顔をして言うと、ネギは顔を真っ赤に染め上げて叫んだ。小太郎は冗談のつもりだったが、断られると凄くガッカリした。
「その……き、着替え終わるまでちょっと向こう向いて貰ってもいいかな?」
 ネギが顔を真っ赤にさせて眼を潤ませながら言うと小太郎は更にガッカリした。見てるくらいなら“男同士”なんだしいいじゃないかと唇を尖らせながら後ろを向いた。
 しばらくして、ネギは着替えを終えると赤い飴玉を飲んで女の子に戻った。
「ハッハッハ、素晴らしいぞ犬上小太郎」
 すると、突然エヴァンジェリンの声が聞こえて来た。ネギと小太郎は階段を降りて来るエヴァンジェリンに言葉を失った。
 いつから見ていたんだろう、ネギと小太郎の顔は茹蛸のように真っ赤になった。そんな二人にエヴァンジェリンはクックと笑った。
「いや、最悪も想定していたんだがな。ま、その時は血をミイラになるくらいまで吸うつもりだったが……」
「ちょっ!?」
「エ、エヴァンジェリンさん!?」
 物騒な事を言うエヴァンジェリンにネギと小太郎は顔を引き攣らせた。瞳が縦に裂け、鋭い牙を見せて笑うエヴァンジェリンの顔はどう見ても本気だった。
「いや、中々に見物だったぞ。どうせなら着せ替えくらいさせてやればよかったろうに」
 ニヤニヤと厭らしく笑うエヴァンジェリンにネギは口をパクパクとさせながら俯いた。
「しかし、まさか証明する為に脱ぐとはな。そのまま押し倒されても文句は言えなかったぞ」
 呆れた様に言うエヴァンジェリンに小太郎は「もう勘弁して下さい」と肩を落としながら懇願した。
「まったく、この私に気苦労を掛けたんだぞ? このくらい遊ばせろ」
「たち悪いで!?」
「いいじゃないか、他人の恋愛なんぞ、ぶっちゃけ周りにとってはただの娯楽だ。迷惑掛けなければ破滅しようがハッピーエンドを迎えようが勝手にしろというものだ」
「うぅ……」
 項垂れる二人にエヴァンジェリンは満足気に笑みを浮かべて言った。
「さて、まだまだ後二十二時間もあるんだ。時間を無駄にする事も無いだろう。折角だ、修行をつけてやる。上の闘技場に来い」
 その日……といっても外では一時間程度だが、エヴァンジェリンの魔弾の絨毯爆撃を避けさせられ続けた。それなりに今後の事などを心配していたらしく、アッサリと良い雰囲気になってしまった二人に腹が立ったらしい。
 別荘から出た時、ネギと小太郎は二人揃ってエヴァンジェリンに血を吸われてグッタリしていたが小太郎は悠里にレストランの予約をしてもらった事を思い出し、予約した時間までほんの少ししかなく、キャンセルするわけにもいかず、どうしようかと考えていると、エヴァンジェリンが「代わりに行ってきてやるよ」と言ってどこかに電話をして行ってしまった。
 フラフラしながら二人は一緒に帰路に着くと、小太郎はネギを寮に送り届ける途中に言った。
「ネギ、ちゃんと三日目は空けとけよ?」
「……うん」
 ネギが小さく頷くと小太郎は思わず顔を綻ばせながら夜の道を寮を目指して歩き続けた。手を繋ぎ合いながら――。



[8211] 魔法生徒ネギま! [第八章・祭りの始まり編] 第四十一話『天才少女と天才剣士』
Name: 我武者羅◆cb6314d6 ID:87b1fc72
Date: 2010/06/28 17:27
魔法生徒ネギま! 第四十一話『天才少女と天才剣士』


 麻帆良学園の科学技術は外の世界の数十歩程先を行っている。外の世界の最先端ロボットが出来る事と言えば、二足歩行をして、決められた行動をする程度だ。麻帆良のロボットは人工知能によって、自身で考え、行動し、空を飛び、武器を扱える。後の世の人は、麻帆良の科学技術を【時代錯誤遺物(オーパーツ)】と呼ぶだろう。この時代にありえてはいけないクラスの技術だからだ。
 そもそも、麻帆良という地は魔法使いによる、魔法使いの為の学び舎だ。科学技術が発展するには、どう考えても相応しくない場所だ。何故これ程までに、異常な技術の発達が起きたかと問われれば、麻帆良の技術者は口を揃えて、とある一人の少女の名前を口にするだろう。
 天才という単語がこれ程までにピッタリと当て嵌まる人間が他に居るだろうか、と誰もが言う。本来ならば、複雑に入り組んだ迷宮を、少しずつ攻略する事で、科学は発展を見せる。だが、彼女はその行程をアッサリと跳び越えてしまうのだ。その発想に至る為に必要な過程を無視しているのだ。今世のレオナルド・ダ・ヴィンチの名は――――超鈴音。
 彼女は今、麻帆良中の最先端技術が集まる地に来ていた。大学部の直ぐ隣にあるこの場所は、ある種の異次元空間の様だった。百発百中の天気予報に、立体映像の案内板。他にも、このエリアを動かす為に必要な膨大な電力を賄う為の風力発電システムや太陽光発電システムなどなど。見えない所にも多くの発電システムがある。道端には、道路を清掃するロボットが徘徊し、店舗には最先端の技術が詰め込まれた商品が売られている。
 エリアには、幾つも巨大な建物が建っていて、その内の一つに超は入って行った。このエリアを統括している理事会の面々が待つ会議室へ、超は足を運んだ。会議室には、既に老若男女入り乱れた総勢十人の理事達が揃っていた。
「それじゃあ、報告を聞くネ」
 会議が終わり、ビルを出ると、超は疲れた表情のままフラフラと歩いていた。週に一度の報告を聞くのは、このエリアの生みの親とも言える超の重要な仕事だ。僅か三年で、数百年分の技術をこの地に提供した稀代の天才は、五時間にも及ぶお客様からの不平不満に対しての対処法に関する会議にグッタリしていた。
「こういうのは向いてないヨ……」
 自分は技術屋なのだ。好き勝手に研究をしている方が性に合っているのだ。超は内心で愚痴を零したが、仕方の無い事なのだと理解もしていた。超の持ち込んだ技術は、この時代の人間には完全に使いこなせないのだ。だからこそ、問題を解決できるのも自分だけなのだ。
「お疲れのようですね」
 自分の研究室に戻ると、クラスメイトであり、大事な研究仲間である葉加瀬聡美がコーヒーを片手に小さな機械を弄っていた。
「ハカセ……“カシオペア”を弄る時は慎重になってほしいヨ」
 通り際に葉加瀬の手から見事な細工の時計を奪い取りながら超は唇を尖らせた。
「ごめん。ちょっと見てただけ」
 超は小さな時計を丁寧に机の上に置くと、研究室内にある小さな小部屋に向かった。
「マイスター、戻られたのですか?」
 そこには、手術室の様な光景が広がっていた。中央の手術台の様な物には、珍しい緑の髪の背の高い少女が寝そべっていた。耳や関節に、人工的な物が見える。彼女は、超と葉加瀬がエヴァンジェリンの協力を得て作り出した人工知能によって、自分で考え行動するガイノイドと呼ばれる存在だ。
「茶々丸、具合はどうネ?」
「問題ありません。各機能、正常通りに稼動します」
 茶々丸の返答に、超は満足そうに笑みを浮かべた。
「マイスター、メンテナンス中にダウンロードされたデータの内にパスの掛かったファイルがあるのですが……」
 不快そうな表情をする茶々丸に、内心で表情が豊かになってきた己の娘とも呼べる茶々丸に喜びを覚えつつ頭を下げた。
「すまないネ。そのファイルは現在開発中の新武装の為のファイルだヨ」
「どういった武装なのですか?」
「まだ、説明出来ないネ。けど、かなり特殊な武装とだけは言えるヨ。同時に、恐ろしい力を秘めてるネ」
 説明されないまま、得体の知れない情報が己のメモリーに存在する事が不愉快だったが、茶々丸は超に何か考えがあるのだろうと思い、仕方なく我慢する事にした。
「分かりました。では、マスターの下に戻ってもよろしいでしょうか?」
 茶々丸が尋ねると、超は頷いた。
「戻っていいヨ。…………茶々丸、エヴァンジェリンはよくしてくれるカ?」
 超の言葉に、思わず茶々丸は目を丸くした。茶々丸の眼に映ったのは、紛れもなく娘を心配する親の顔だった。
「アレは我侭だからネ。愚痴があったら聞くヨ?」
 茶々丸はフッと笑みを零した。
「不満などありません。マスターは、よくしてくれますよ。だから、安心して下さい――“お母さん”」
 お母さんと呼ばれ、狼狽する超に、茶々丸は意地悪な笑みを浮かべた。それを見た超は、本当に安心していいのか迷った。超は溜息を吐くと、茶々丸の頭を撫でた。
 茶々丸が研究室を去ると、葉加瀬がクスクスと笑っていた。
「超さんがお母さんなら、私はお父さんって所ですかね?」
 葉加瀬が愉しげに言うと、超は微妙な顔をした。コーヒーを淹れて自分の椅子に座ると、超は突然、ガタンと音を立てて立ち上がると、ツカツカと窓辺に向かった。
「どうしたんですか?」
 葉加瀬が尋ねると、超は険しい表情を浮かべてカーテンを一気に開いた。
「カシオペアの始動実験には丁度いいかもネ」
 超は窓の外を眺めながら意地の悪そうな笑みを浮かべた。
 葉加瀬はカシオペアを握って、外に出ようとする超に一言だけ言った。
「いってらっしゃい」
「いってくるネ」
 超が研究室を出て行って、しばらくしてから研究室の電話が鳴った。
『ハカセですか?』
 受話器を取ると、電話の主はさっきまで居た茶々丸だった。
「はい、お父さんですよ」
 ちょっと巫山戯てみたら、茶々丸は底冷えする様な声で葉加瀬の名前を呼んだ。
「ちょっとしたジョークだよ。それより、どうしたの?」
『問題が起きました。対吸血鬼用の装備をお願いします』
 その瞬間、葉加瀬は冷水を浴びせられた様な気がした。受話器を取り落としてしまった。対吸血鬼用の装備は存在する。当然だろう。茶々丸は、葉加瀬や超を含め、殆どの人間はそうは思っていないが、事実として学園都市内で魔法使いを除けば最強戦力である“兵器”なのだ。
 そんな危険物を真祖の吸血鬼という恐るべき怪物の傍に仕えさせる理由はエヴァンジェリンの護衛だけではない。確かに、匿っている以上は護らなければならない。内にも外にも敵の多過ぎる彼女を――。
 絡繰茶々丸という機械仕掛けの人形は実に都合の良い存在だ。吸血鬼の護衛など、何時命を落とす事になるか分からない。だけど、人間で無いなら、危険な事をさせる事に躊躇いを感じる必要も無い。
 彼女をエヴァンジェリンの傍に仕えさせるもう一つの目的は、エヴァンジェリンを始末しなければならなくなった時に始末させる為だ。匿っているからと言っても、彼女がそれに対して恩を感じるか? と問われれば、断言は出来ないだろう。元々、サウザンドマスターが強引にこの地に縛り付けたのだから――。
 茶々丸なら、エヴァンジェリンを最も巧みに殺す事が出来るだろう。長い間、一緒に暮らしていればエヴァンジェリンに茶々丸に対する情を抱かせる事が出来るかもしれない。そうなれば、彼女は茶々丸に簡単に手を出す事が出来なくなるかもしれない。逆に、茶々丸は機械だ。いざとなれば、感情を第三者がコントロールする事も可能なのだ。
 茶々丸に対し、冷酷で居られるとしても、エヴァンジェリンに対して茶々丸は圧倒的に有利に戦闘が行える筈だ。その時の為に、茶々丸は常にエヴァンジェリンのデータを収集しているのだから――。
 そして、その時の為に用意されているのが対吸血鬼用の装備だ。つまり、“対エヴァンジェリン用”の装備なのだ。その装備を用意しろという事は、何らかの理由で茶々丸がエヴァンジェリンを殺害しなければならなくなった場合だ。
 葉加瀬の頭は真っ白になった。エヴァンジェリンの事は嫌いではないし、何よりも、娘同然の茶々丸に、三年も連れ添った大切な主を殺させるなど、自分を“科学に魂を売った研究者(マッドサイエンティスト)”であると自負する葉加瀬であっても出来なかった。
 受話器の向こうから茶々丸が何か言っているのが聞こえたが、葉加瀬は聞かなかった事にした。茶々丸を開発した責任のある葉加瀬は、この事態に最善の行動が何であるかを理解しながら、責任を放棄した。その事に対して、どんな罪に問われたとしても、行動に出る事が出来なかった――。

 研究所を出た超はその手に不思議な物体を持っていた。科学の天才・超鈴音が持つには相応しくないオカルト的な六壬式盤という名のアイテムだった。
「玉帝有勅、神針霊々、居所雲霧、上列九星、神墨軽磨霹靂叫粉、急々如律」
 超鈴音には、過去であり現在であり未来の偉大な魔法使いの血が流れている。その血は幾度も代を重ねる毎に薄まっていったが、それでも多少の魔法を行使する事は出来た。今、超が使っている魔法は陰陽道に属する術だ。
「うむ、ここより西カ」
 六壬式盤を見つめながら呟くと、超の姿は忽然とその場から掻き消えた――。

 時間を少し遡り、時刻は十時を少し回ったところ。学園都市である麻帆良には珍しい居酒屋などがあつまるエリアにエヴァンジェリンとタカミチは居た。エヴァンジェリンは大人の姿に化け、タカミチとお互いに酌をしながらお酒を楽しんでいた。小太郎の代わりにタカミチを誘って小太郎の友人である悠里が予約したレストランで食事を楽しんだ後、そのまま縺れ込んだのだ。
 二人はエヴァンジェリンの弟子である少女達の話で盛り上がっていたが、次第に話す事も無くなってきて、タカミチは話題を変えた。
「そう言えば、つい最近になって昔の知人から手紙が来たんだ」
「手紙?」
「うん」
 エヴァンジェリンはタカミチが取り出した手紙の差出人の欄を覗き込んだ。
「メガロメセンブリア信託統治領オスティア総督クルト・ゲーデル・メガロメセンブリア元老院議員……。随分な身分の人間じゃないか」
 エヴァンジェリンは差出人の仰々しい肩書きに目を丸くした。
「昔の仲間なんだ」
「昔と言うと…………、『紅き翼』のか? だが、私は会った事が無いぞ」
「エヴァと僕等が会う前に、彼は『紅き翼』を抜けたからね」
「昔話か――。そう言えば、あんまり聞いた事が無かったな」
 長い付き合いの中で、エヴァンジェリンは驚くほどタカミチや『紅き翼』の過去を知らない事に気がついた。麻帆良に閉じ込めるまでは、何時でも聞ける事だから、と聞き損ねてしまい、麻帆良に閉じ込められてからは、恨みや悲しみで聞こうともしなかったのだ。
「僕も、あんまりエヴァの過去を知らないからね。いい機会だし、お互いに昔話でもしないかい?」
「って言われてもな…………。私の過去なんぞ、あんまり聞いて楽しい思い出は無いぞ?」
「それでも、僕は聞きたいな」
 お猪口を傾けながら、タカミチは屈託の無い笑みを浮かべながら言った。渋みを帯びた、昔少年だった青年の笑みに、エヴァンジェリンはほんのりと頬を染めた。
 子供の頃から知っている彼の笑みに動揺するなどどうかしている。エヴァンジェリンは誤魔化す様にお酒を口に運んだ。
「先にお前が話せ。面白い話なら、少しは私の話も聞かせてやってもいいぞ」
 顔を背けながら言うエヴァンジェリンに、タカミチは素直じゃないな、と思い苦笑した。
「そうだなぁ、じゃあ大戦の頃の話を――」
 そう、タカミチが口を開き掛けた時だった。突然、エヴァンジェリンが立ち上がった。
「馬鹿な――ッ!? どうして、今まで気付かなかった!?」
「どうしたんだい!?」
 血相を変えるエヴァンジェリンに、タカミチは面を喰らった表情で尋ねた。エヴァンジェリンはタカミチと裏の話をする為に張っていた認識阻害の結界を一気に広げた。結界内に入った人々が酒に酔ったかの酔うなトロンとした虚ろ眼になった。
「一直線に向かって来ている――ッ!! タカミチ、咸卦法を発動しておけ」
 次々に転移魔法で周囲の人達を離れた場所に転送しながらエヴァンジェリンが言った。エヴァンジェリンの真剣な瞳に、タカミチは疑う事無く咸卦法を発動し、全身の感覚を研ぎ澄ませた。
「エヴァ、どこからだい?」
「あそこだ――ッ!!」
 月をバックに小さな影がエヴァンジェリンとタカミチの居る屋台に向かって飛んで来た。エヴァンジェリンは何も無い目の前の空間に一瞬で呪文を唱えると、無数のボーリングの球程の大きさの魔弾を放った。周囲の居酒屋や建物を巻き込みながら“ナニカ”を魔弾は阻んだ。
「ここは狭すぎる。タカミチ、移動するぞ」
 タカミチが返事を返す暇も与えず、エヴァンジェリンはタカミチと自身を自分の影から立ち上がった闇に喰らい付かせた。一瞬の暗闇を通り抜けると、そこは世界樹広場だった。
「世界樹広場を選んだ理由は?」
「特に無い。それより、来るぞ!」
 エヴァンジェリンの声に反応するかの様に、黒い霧の様な物が周囲の建造物を薙ぎ倒しながら迫って来た。大砲が叩き込まれたかの如く、黒い霧が大地に落下して凄まじい衝撃を走らせた。世界樹広場にあるスペイン階段をモデルに作られた広い階段が見る影も無く無残に崩壊した。
「何者だろう……」
「何者だろうと関係無い! 先手を取るぞ!」
 エヴァンジェリンは素早く呪文を唱えて氷の魔弾を放った。豪雨の如く、未だに土煙の蔓延する巨大階段に降り注ぐ氷の魔弾はそのまま空気を凍結させていく。
 タカミチも咸卦法で強化された劣化版の無音拳、『居合い拳』の強化版である『豪殺・居合い拳』を敵と思しき存在の立つ場所に放った。
「問答無用とはこの事ですね」
 エヴァンジェリンとタカミチは思わず凍り付いてしまった。手加減しているつもりは無かった。勿論、殺すつもりは無かったが、確実に戦闘不能にするつもりで技を放ったのだ。だというのに、愉快気な声の主は煙が晴れると、何事も無かったかの様に無傷でそこに君臨していた。僅かに欠けた月が、男の顔を闇夜に照らし出した。月明りに濡れた長い黒髪に切れ長の黒い瞳――日本人だった。
 背中には桜咲刹那の愛刀・夕凪以上に異様な程の長さを持つ黒い柄の刀が背負われている。腰にも小太刀が差してあり、着物姿の男は優雅な足取りでエヴァンジェリンとタカミチの居る方へと足を向けた。
「何者だ?」
 エヴァンジェリンの問いには答えず、男が腰の脇差に手を添えると、脇差は溶ける様に消えてしまった。そして、背に担ぐ長刀の柄に手を掛けた。
「我が秘剣の披露と共に名乗らせて頂こう」
 唇の端を吊り上げ、男はタカミチに距離を詰めた。タカミチは瞬時に男の握る長刀の長さを目算し、ギリギリの間合いを取ろうと背後に跳んだ。
 それが間違い――。間合いとは、より長い武器を持つ方を中心に据えられる。確かに、徒手空拳のタカミチと三尺余りの長刀を持つ目の前の男では一見すると長刀を持つ男の方が間合いが広い様に見える。だが、タカミチの場合はそれが当て嵌まらない。居合い拳という遠距離からの攻撃方法があるのならば、長刀の届く間合いのギリギリに留まる必要は無いのだ。
 一瞬にして、長刀の届く間合いを見極めたのは見事。武器を持っていたとしても、並の者ならばタカミチが勝利するだろう。振り下ろされる銀の刃――。月明りを鏡の如く反射させる刃は、男の踏み込みと共にタカミチの体に到達した。
「甘いね」
 タカミチはソレを半歩退がる事で回避した。そして、躊躇う事無く反撃に転じる。大上段からの斬撃は、剣術に於いて基本とされ、単純であるが、人間は目線よりも上が見え難く、受けに回れば体勢を崩してしまい防御の難しいモノなのである。だが、振り下ろした斬撃を回避すれば、一瞬だけ隙が出来る。そして、タカミチはその一瞬に反撃に転じたのだ。
「秘剣――――」
 それも間違い。最初の魔弾と豪殺・居合い拳を防いだ時に理解するべきだったのだ。三尺余りもある長刀を振り下ろせば、確実に生じるであろう硬直時間は無く、あろうことか、次の瞬間には長刀は振上げられていた。
 直感にも近い感覚で咄嗟に後ろに退がったタカミチだったが斜めに一直線に切り裂かれていた。辛うじて、即死を免れたものの、バックリと切り裂かれた場所から夥しい血潮が噴出し、タカミチは意識を失った。
「――――燕返し」
 気を失い、倒れるタカミチに男はありえない秘剣の名を紡ぎながら長刀を振り下ろした。だが、長刀はタカミチに止めを差す事無く、虚空を切り裂いた。
「タカミチ、しっかりしろ! タカミチ、死ぬな!」
 取り乱しながら必死に叫ぶエヴァンジェリンが慣れない回復魔術を男から遠く離れた場所で掛けていた。
「い、嫌だ! 死ぬな、タカミチ!」
 不死の吸血鬼であり自分を癒す必要など無く、同時に、誰かを癒す経験など一度も無かった上に取り乱してしまったエヴァンジェリンの魔法は殆ど力が無かった。必要以上に魔力を練り込み、タカミチの大き過ぎる傷を必死に塞ごうとするが、僅かに血の吹き出る量が少なくなった程度でしかなかった。
 あの瞬間――タカミチが切り裂かれるあの瞬間まで、エヴァンジェリンは動かなかった。動く必要など無いと思ったのだ。タカミチが未だ少年だった頃から知っていたエヴァンジェリンは、タカミチの勝利を信じ切っていたのだ。ギリギリの所で、タカミチを救い出したが、タカミチの体はどんどん血を失い青褪めていく。
 涙が溢れ、悲鳴にも近い叫び声を上げ続けるエヴァンジェリンに、男は笑みを浮かべて長刀を鞘に納めると、一歩一歩エヴァンジェリンに近づいて来る。だが、耳元に微かに人の声が届いた。エヴァンジェリンはタカミチの傷を癒そうと必死で気付いていないらしい。
 自分は気配を断ち切っている。恐らく、自分に気付いているのはエヴァンジェリンだけだろう。男はそう考えると悪辣な笑みを零した。もしも、ここで自分が姿を消して、彼等がこの状況を見たらどうなるだろう? そう考えると、男は闇に溶ける様に姿を消した。
 男の姿が無い事にも気付かず、エヴァンジェリンは声を震わせながら癒しの呪文を唱え続ける。エヴァンジェリンの頭の中からは長刀を握る男の存在が完全に消え去ってしまっていた。
「エヴァン……ジェリン…………」
 そして、この場所に向かっていた者達が到着した。浅黒い肌のガンドルフィーニに線の細い瀬流彦、太り気味でメタボリックが心配な弐集院。エヴァンジェリンはその姿を見たと同時に、タカミチを斬った男が居ない事に気が付いた。そして、彼等にこの状況がどう見えるかを考え、絶望した。
 血に飢えた吸血鬼が同僚であり、魔法世界では有名な“英雄(タカミチ)”を手に掛けた。そう映っている筈だ。否定しようとした。違う、私じゃない、と言おうとした。だが、彼等に拒絶される事への恐怖によって喉がカラカラに渇き、エヴァンジェリンは声を出せずに力無く首を振る事しか出来なかった。ガンドルフィーニが近寄って来る。唇を一文字に噛み締め、硬い表情をしている。ガンドルフィーニの手が頭上に伸びた時、思わず体を震わせてしまった。
「遅くなってしまって申し訳ない」
 だから、そんなガンドルフィーニの言葉に目を丸くした。ガンドルフィーニの大きな手は気遣う様に優しくエヴァンジェリンの頭を撫でていた。
「弐集院先生、ガンドルフィーニ先生、僕が治療しますから警戒をお願いします」
 キョトンとしているエヴァンジェリンの近くに瀬流彦がやって来て言った。エヴァンジェリンの頭から手を離し、ガンドルフィーニは小さく頷くと懐から銃とナイフを取り出した。右手に銃を握り、左手にナイフを握る。接近戦、中距離戦、遠距離戦のあらゆる場面に対応出来る様にガンドルフィーニが導き出した答えがその戦闘スタイルだ。
「なんで…………」
 エヴァンジェリンは頭が追いつかなかった。
「なんで、私を疑わないんだ?」
 普通、この状況を見れば自分が凶行に走り、それを止め様としたタカミチが返り討ちにあったと考えるのが普通ではないだろうか? エヴァンジェリンは三人の男達の顔を見た。するとどうだろう、三人の顔に浮かんでいたのは苦笑だった。
「な、何がおかしいんだ!?」
 エヴァンジェリンが激昂すると、瀬流彦がタカミチの傷口に向けて回復魔法を発動させながら言った。
「あんまり、見損なわないでほしいな」
 瀬流彦の言葉に、エヴァンジェリンは困惑した。
「大丈夫だよ、エヴァンジェリン君。瀬流彦君は優秀だ。きっと、タカミチ君を助けてくれる」
 弐集院の柔らかい笑みに、エヴァンジェリンは瞳を揺らした。
「どうしてだ? 自分で言うのも何だが、こんな状況じゃ疑われて当然だと思うんだが…………」
 エヴァンジェリンの不安そうな顔を一掃するかの様に三人は破顔した。
「君、エヴァンジェリン君、君は今どんな顔をしているつもりなんだい?」
 油断無く周囲を警戒しながら、ガンドルフィーニが尋ねた。
「私達が君と一緒に過ごした時間が無駄な事だと思うのかい?」
 思わず噴出しそうになる始動キーと共に弐集院が問い掛けた。
「僕達は、君を大事な友達だと思ってるんだ。その友達が泣きながら慣れない筈の治癒呪文を必死に唱えてるんだよ? どうして疑えると思うんだい?」
 瀬流彦はどこか憤慨した様に言った。
「お前達――」
 エヴァンジェリンは感極まった様に声を無くした。何と嬉しい言葉だろうか。彼らは、本当にこれっぽっちも疑っていないのだ。友情を利用する者も居るだろう、それでも、エヴァンジェリンにとって彼らの“友達”という言葉はとても単純で、そして最高に信頼の置ける崇高な言葉に聞こえた。
「敵は、正体不明だ。だが、タカミチを斬った時に放った技の名前は聞いた事がある」
 立ち上がると、一瞬だけタカミチを見た。瀬流彦は優秀な魔法使いだ。性格は温厚で、教師としても半人前。だが、魔法使いとしてならば多彩な術を知り、無詠唱で高威力の魔法を扱える、この中ではエヴァンジェリンに次ぐ実力の持ち主だ。
 その証拠に、タカミチの傷口は徐々に閉じていっている。顔色は悪いが、希望が見え始めた。それで覚悟は決まった。得体の知れない相手だが、敗北する気は無い。このメンバーならば、例えどれほどの脅威であろうと問題にならないだろう、そう確信を持った。
「奴が放ったのは、秘剣・燕返しだ」
 エヴァンジェリンの言葉に、三人は面白い様に凍りついた。当然だろう、日本人だけでなく、世界中の人々がその名を耳にした事がある。秘剣・燕返しと言えば、歴史上最強の剣聖・宮本武蔵に唯一匹敵したと謳われる天才剣士のみが使える必殺の剣技の名だ。
 だが、それはありえない事だ。元々、秘剣・燕返しの使い手たる佐々木小次郎に関しての文献すら曖昧な物が多いのだ。そんな彼の秘剣を扱える人間など存在する筈が無い。
 ならば、あの技は彼の天才剣士の秘技の名を騙った偽者か? それとも、彼は本当に佐々木小次郎本人なのか?
「可能性として、零じゃない」
「どういう事だい?」
 エヴァンジェリンの言葉に取り乱しそうになる自分を必死に抑え、ガンドルフィーニが尋ねた。
「少なくとも、アイツは見た目より年寄りだぞ」
 頭が冷えてくると、男の正体が分かった。丹念に気配を消していたのだろうに、エヴァンジェリンにだけはバレた。それは、エヴァンジェリンが卓越した魔法使いだから、だけではない。
 エヴァンジェリンの言葉に呼応する様に、夜闇の中から男は姿を現した。心底詰まらないものを見る眼を向けながら。
「ああ、友情というものですか…………。美しいですね」
 心にも無いとはこの事だろう。男は硬い表情のまま、冷たい視線をエヴァンジェリン達に向けていた。
「君が、タカミチ君をあんな風にしたのかい?」
 ガンドルフィーニは平淡な口調で尋ねた。内心で爆発しそうな程の怒りを感じているのだろうが、それを面に出していない。あるいは、怒りが強すぎて感覚が麻痺しているのかもしれない。
「まったく、変わり者というのは居るものですね。少し羨ましいですよ、闇の福音」
 ガンドルフィーニと弐集院は咄嗟に瀬流彦とタカミチを庇う様に動いた。凄まじい殺気が物理的な力と共に襲い掛かる。目に見えない空気の塊が二人を吹飛ばした。二人共、軽やかに着地したが、その顔は驚愕に彩られていた。
「今のは…………?」
 弐集院は信じられない目付きで男を見た。
「そんなに驚く事は無いでしょう? ただの念力ですよ」
 念力とは超能力の一種だ。珍しくも無い。魔法使いでもない一般の思春期の少年少女ですら時折無意識に使う事もある。
「これが、超能力――」
 ガンドルフィーニは忌々しげに舌を打った。魔力も気も感じない力は厄介だった。
「だが、その程度で勝てると思わないでもらおう」
 銃を構えるガンドルフィーニに、男は一気に距離を縮めた。
「ガンドルフィーニ! 全力で後ろに跳べ!」
 エヴァンジェリンの怒号にガンドルフィーニは咄嗟に後ろに跳んだ。振り下ろされる太刀は虚空を斬り、男は小さく息を吐いた。
「秘剣とは即ち秘する剣の事――。やはり、一度見られてしまえば二度は通用しませんね」
 己が必殺の剣技を破られたというのに、男は涼しげな表情を浮かべて言った。
「さっきのは?」
 ガンドルフィーニは直ぐ近くに立つエヴァンジェリンに小声で尋ねた。言われるがままに後退したが、目の前の男の技を見る事が出来なかった。
「タカミチを斬った技だ。上から下に振り下ろす一段目を囮に、通常ならば出来るであろう一瞬の隙を突こうとする敵を雷光の如き二段目の振上げで斬り裂き、三段目の斬撃にて止めを差す――。こんな所だろう?」
 エヴァンジェリンは挑む様に男を睨んだ。男は応えずに肩を竦めた。
「たった、それだけ…………?」
 治療を続けていた瀬流彦が呆気に取られた様に呟いた。タカミチを下したという剣技、瀬流彦はどれほど凄まじい奥義なのかと考えていた。だが、エヴァンジェリンの言葉を聞くと、あまりにも単純な攻撃に聞こえた。
 振り下ろして、振上げる。たった、それだけの動作でタカミチを瀕死に出来るものだろうか? 瀬流彦は信じられない気持ちだった。
「秘剣・燕返しとやら、その真髄は二撃目の振上げだろう。振り下ろした、と思った瞬間には既に振上げられていた。まさに、雷光の如きスピードだ。貴様が何者であれ、なるほど、アレならば燕を斬る事も出来るだろうさ」
「剣士でもないのに、一度見ただけでよくそこまで――」
 男の称賛を含んだ声を疎ましげに思いながら、エヴァンジェリンは再びタカミチに顔を向けた。瀬流彦の実力を侮っていたつもりは無かったが、それでも舌を巻いた。複雑な回復呪文を幾つも重ねて、タカミチの傷は殆ど塞がっていた。
「お前は佐々木小次郎なのか?」
 エヴァンジェリンは拳を握り締めながら言った。ガンドルフィーニや弐集院、瀬流彦は気まずそうな表情を浮かべた。幾らなんでも、存在自体が不確かな数百年前の剣士が目の前に居るなど、在り得ないからだ。
「ええ、その名を名乗っていました。ですが、今は犬上を名乗っています。犬上小次郎――とね」
「なんだと――ッ!?」
 目の前の男がアッサリと己を佐々木小次郎だと認めた事以上に、小次郎の名乗った姓にエヴァンジェリンは声を失った。
「私の名は犬上小次郎ですよ。我が“息子”がお世話になっていますね、闇の福音」
「息子だと…………?」
「お分かりなのでしょう? 小太郎は、私の実の息子ですよ。まあ、彼は私を父とは思っていないでしょうがね」
「そんな話――ッ!」
 戯言と共に小次郎を斬り捨てようと小次郎が現れた時に破壊した階段の瓦礫を瞬時に気体に変換させ“断罪の剣(エクスキューショナーソード)”を振上げたエヴァンジェリンの耳に、タカミチの苦悶の声が響いた。
「タカミ――ッ」
「危ない、エヴァンジェリン君!」
 思わず振り向いてしまったエヴァンジェリンに小次郎が太刀を振るった。ガンドルフィーニが慌てて間に割って入り、エヴァンジェリンを突き飛ばした。
「ガンドルフィーニッ!?」
 エヴァンジェリンが顔を上げると、顔に生暖かい液体が降り注いだ。ガンドルフィーニの持っていたナイフは真ん中で真っ二つに折れ、ガンドルフィーニの頬には鋭い切り傷が出来ていた。
「エヴァンジェリン君、奴の事は私と弐集院先生に任せるんだ。高畑先生を護ってくれ」
「でも――ッ!」
 ジワリと地面を赤く染め上げながら、ガンドルフィーニは困った様な顔をした。
「君は冷静じゃない」
「私は冷静だ!」
「無理をするな!!」
 ガンドルフィーニの怒声に、エヴァンジェリンは愕然とした。
「君は――、君、君は分かってないんだ」
「な、何を分かってないと言うんだ!?」
 訴え掛ける様なガンドルフィーニの言葉にエヴァンジェリンはイラついた声で尋ねた。
「君自身の心だよ。誰かを護りたいと、そう思いながら戦うのは初めてなんじゃないかい?」
 ガンドルフィーニの言葉に、弐集院が続いた。
「護る戦いっていうのはね、案外難しいんだよ。それも、傷ついた仲間を護る時は尚更ね。慣れないと、どうしても気になってしまう。気にすれば気にする程に足枷になってしまうと頭で理解しても、心が理解してくれないから――」
「君は確かに強い。けど、今の君はタカミチ君が心配で力が出し切れない。だから、ここは私達に任せるんだ」
 そう言うと、ガンドルフィーニは右手で銃を握り、その引き金を引いた。甲高い音と共に銃弾が小次郎の胸を目掛けて放たれる。
「“障壁貫通”を付与した特殊弾ですか」
「な――ッ!?」
 ガンドルフィーニは愕然として眼を見開いた。悠然と佇む小次郎の目の前で、ガンドルフィーニの放った銃弾が空中にピタリと静止したのだ。虚空に縫い止められる様に静止した弾丸を小次郎はゆっくりと右手で抓んだ。そして、その弾丸を掌で弄ぶと、眼に見えない力にとって空中に浮かせた。
「お返ししますね」
 ニコリと人の良さそうな笑みを浮かべた小次郎の掌の上で浮遊していた弾丸は突然姿を消した。ガンドルフィーニは不意に左腕に感じた鋭い痛みで銃弾が左腕を貫いた事に気が付いた。
「ガンドルフィーニ君!」
 弐集院がガンドルフィーニの前に立ち、曲がりくねった杖を小次郎に向けた。
「ニクマン・ピザマン・フカヒレマン!」
「遅過ぎますよ、それでは――」
「危ない、弐集院先生!」
 始動キーを唱える弐集院に、小次郎は瞬く間に距離を詰め、太刀を振るった。ガンドルフィーニが間一髪で銃を手放し、弐集院のスーツを右手で掴んで引っ張った。
「ありがとう、ガンドルフィーニ君」
「礼には及びませんよ」
 ガンドルフィーニは銃弾が効かない事を知ると、瞬時に戦法を変えた。
「近距離戦をする相手じゃない。弐集院先生!」
 本人が認めたとはいえ、本当に佐々木小次郎だと信じたわけでは無かった。だが、剣の腕は確かなものだ。ならば、わざわざ接近戦という相手の舞台に上がる必要は無い。
 ガンドルフィーニは指輪型の魔法発動体に魔力を篭めながら弐集院に声を掛けた。弐集院は、その声の意味を瞬時に悟ると、己の最も得意とする呪文を唱えた。
 小次郎は呪文を詠唱し、隙だらけとなった弐集院に太刀を振るった。ガンドルフィーニは距離を離してしまい、助けに入るのは間に合わない。まずは、一人目。小次郎は笑みを浮かべながら己の仕事の邪魔者を切り裂いた。
「これは――ッ!」
 切り裂かれた弐集院の体は、まるで煙の様に虚空に溶ける様にして消えてしまった。
「転移では無い。霧化でも無い。ならば、幻術ですか?」
 消え去った弐集院の幻の居た場所から眼を離し、辺りを見渡すと、そこには無数の弐集院とガンドルフィーニが立っていた。
「これほどの量の分身を…………。どれも、実体と見紛うばかりの完成度。なるほど、さすがは麻帆良というべきですね。ならば、私も本気になりましょう」
 その瞬間、小次郎の目の前に立っていたガンドルフィーニと弐集院の分身が消滅し、地面が陥没した。小次郎が視線を動かすと、その眼の動きに合わせて見えない力が分身ごと地面を押し潰していく。
 エヴァンジェリンはタカミチと瀬流彦を護る様に結界を張った。小次郎が眼を向けた瞬間に、エヴァンジェリンの張った結界は大きく軋んだ。
「たかだか念力でこの力だと――ッ」
 歯を軋ませながら結界を維持するエヴァンジェリンに、小次郎は更なる力を篭めた。まるで、重力が数倍に跳ね上がったかの様な重圧に、エヴァンジェリンは舌を打った。
 炎の塊が小次郎に襲い掛かった。小次郎はエヴァンジェリンから目を離し、炎の固まりを念力で押し潰すと、炎を放った弐集院の立つ場所を押し潰した。だが、その弐集院は霞の様に消えてしまった。目を離すと、次の瞬間には新しい分身が現れ、きりが無かった。
 ガンドルフィーニと弐集院は、分身に潜みながら小次郎に魔法を放ち、小次郎を押していた。
「まずいな…………」
 ガンドルフィーニと弐集院の戦いに集中していたエヴァンジェリンは、瀬流彦の声で振り向いた。タカミチの体の傷は殆ど残っていなかったが、瀬流彦の表情は青褪めていた。
「どうしたんだ?」
 エヴァンジェリンが不安に駆られて尋ねると、瀬流彦は悔しそうに言った。
「傷は殆ど治したよ。けど、血を流し過ぎたんだ。このままじゃ、出血多量で死んでしまう」
「なんだと…………?」
 エヴァンジェリンはその場で崩れ落ちる様に膝を折った。タカミチの顔色は血の色を全く感じさせない程真っ白だった。恐る恐る触ると、恐ろしい程に冷たくなっていた。
「今は、何とか治癒の魔法を掛け続けて高畑先生の体力を回復させてるけど、僕の魔力ももう限界だ…………」
 瀬流彦は悔しさのあまり涙を流しながら地面を殴った。瀬流彦の魔力が切れれば、その瞬間にタカミチは死んでしまう。ガンドルフィーニや弐集院は小次郎の相手で精一杯だ。
 僅かに逡巡していると、タカミチを覆う瀬流彦の魔法の光が消え始めた。
「まずい――ッ、もう魔力が……」
 瀕死の重傷だったタカミチの傷を癒す為に、瀬流彦は魔力を使い切っていた。それでも、無理に搾り出した魔力で回復呪文を唱えていたが、限界だった。意識を失いかけながら魔法を掛け続けるが、魔法の力はどんどん弱くなっていく。必死な瀬流彦の姿を見て、エヴァンジェリンは迷いを振り切った。
「瀬流彦、もう少しだけ保たせろ」
「エヴァン……ジェリン君?」
 エヴァンジェリンの言葉に戸惑う瀬流彦を尻目に、エヴァンジェリンは地面に魔法の光で何かを描き始めた。急ぎながら、それでも慎重に描いて行く。エヴァンジェリンの描く魔法陣が完成に近づくと、瀬流彦は思わず驚きの声を洩らしてしまった。
「仮契約の魔法陣――ッ」
 エヴァンジェリンは他に方法が思いつかなかった。自分の下手な回復呪文では今の状態のタカミチを回復させる事は出来ないし、出来たとしても時間が掛かり過ぎる。小次郎を相手にガンドルフィーニと弐集院は健闘しているが、小次郎がエヴァンジェリンの予想通りの存在なら、勝つのは難しい。一刻も早く援護しなければ、いずれは疲弊して、力尽きてしまう。仮契約をすれば、自動的にエヴァンジェリンの魔力がタカミチに流れ、生命力を回復させてくれる。それに懸けるしかなかった。
 キス以外でも、エヴァンジェリンならば血を媒介にして契約出来るが、今のタカミチの状態では止めになってしまう可能性がある。他の方法では時間が掛かる。迷っている暇は無かった。横たわるタカミチの体が全て入る様に大きめに描いた魔法陣が完成すると、エヴァンジェリンは瀬流彦に顔を向けた。
「タカミチをここに連れて来てくれ」
 エヴァンジェリンの言葉に、瀬流彦は頷いてゆっくりと回復呪文を掛けながら動かした。いつ死んでしまうか分からない状況だから慎重にならざるえなかった。
「仮契約が済むまでは魔法を掛け続けるよ。最後の力を振り絞るから、急いで!」
 そう言うと、瀬流彦は目を瞑って最後の力を振り絞った。魔力の枯渇で意識を失いそうになり、地面に倒れ伏しながら、右手でタカミチに魔力を送り続ける。
「ありがとう、瀬流彦」
 エヴァンジェリンはゴクリと唾を飲み込むと覚悟を決めた。魔法陣が光を放ち、三人の体を覆った。ガンドルフィーニと弐集院がその光に気が付き目を見開いたが、小次郎の攻撃が及ばない様に連携しながら小次郎を攻めた。
 光の中で、エヴァンジェリンは意識の無いタカミチの頬を両手で覆った。
「すまんな、タカミチ――」
 タカミチの唇に、自分の唇を合わせた瞬間、エヴァンジェリンとタカミチの間に二つの魔法陣が出現した。エヴァンジェリンはその魔法陣に右手を挿し込んだ。
「パートナー、高畑.T.タカミチ。我に示せ、秘められし力を! 契約発動!」
 その瞬間、タカミチの体から光が噴出し、エヴァンジェリンの前に一枚のカードが浮かび上がった。光がタカミチの体を覆いながら落ち着くと、そこにはカードの中のタカミチと同じ血に汚れたスーツとワイシャツが消えて綺麗な白いワイシャツに不思議な模様が描かれたネクタイを締めたタカミチが眠っていた。
 仮契約が、タカミチの体を癒そうとしているらしく、エヴァンジェリンの体から遠慮無く魔力を奪って行くが、タカミチの顔色は僅かに良くなっていった。
「よし、これで――」
「おや、治りましたか?」
 安堵したエヴァンジェリンのすぐ近くで、小次郎の声が聞こえた。背筋が凍り付き、振り返る間も無くエヴァンジェリンの体はサッカーボールの様に蹴り飛ばされ、地面を何度もバウンドした。
「エヴァンジェリン君!」
 ガンドルフィーニが慌ててエヴァンジェリンに駆け寄り、弐集院が小次郎に向かって呪文を唱えるが、小次郎は瀬流彦とタカミチに太刀を突きつけた。
「動けば、彼等が死にますよ?」
 冷徹な瞳で弐集院を睨みながら言う小次郎に対し、弐集院は動けなかった。動けば、目の前の男は迷い無く二人を殺す。今迄、小次郎はガンドルフィーニと弐集院の二人を同時に相手にして拮抗していた。人質を殺す事に躊躇いなどある筈が無い。
「エヴァンジェリン・A・K・マクダウェルを置いて、貴方達は退いてくれませんか?」
 小次郎の言葉に、弐集院は目を丸くした。
「何を言って…………」
「言葉の通りです。私の目的はエヴァンジェリン・A・K・マクダウェルだけなのですよ。退いてくれるのでしたら追いません」
「どういうつもりだ?」
 ガンドルフィーニが尋ねると、小次郎は誰も居ない崩れた階段に右手を向けた。すると、信じられない事が起きた。階段が一瞬にして消滅してしまったのだ。跡には、深く陥没した地面だけが残った。
「私が本気を出さなかったのは、その方の治療が済むのを待っていたからです」
 ガンドルフィーニと弐集院はあまりの事に膝を折り呆然としてしまった。今迄、小次郎は手加減していたというのだ。小次郎の念力によって陥没した地面を見れば、力の差は歴然だった。
「私の名は犬上小次郎――。始祖渾沌より直接血を受けた吸血鬼です」
「吸血鬼だって――ッ!?」
「やはりそうか……」
 ガンドルフィーニは愕然とした表情を浮かべて呻いた。その隣でエヴァンジェリンが立ち上がりながら言った。
「私がお前の存在を気付けたのはお前が吸血鬼だからだったんだな」
 エヴァンジェリンはガンドルフィーニと弐集院を交互に見た。
「お前達はタカミチと瀬流彦を連れて逃げろ」
「何を言ってるんだ!」
 思わず反論するガンドルフィーニにエヴァンジェリンは首を振った。
「さっきまではタカミチを動かせる状況じゃなかったが、今なら連れて逃げられるくらいには回復した筈だ。このままでは、二人が殺されてしまう。お前達には護るべき家族も居るんだ。だから、逃げろ」
「しかし――ッ」
 尚も食い下がるガンドルフィーニに、エヴァンジェリンは笑顔を向けた。
「ありがとう。お前達の気持ちが正直嬉しい。だからこそ、ここは私に任せろ。タカミチと瀬流彦を頼む」
 立ち上がり、前に踏み出すエヴァンジェリンに、ガンドルフィーニは頭を下げた。
「すまない――」
 どちらにせよ、自分達がこの場に残ればタカミチと瀬流彦が殺される。それに、エヴァンジェリンの邪魔になってしまう。ガンドルフィーニは悔しさに顔を歪めながら弐集院に顔を向けた。弐集院も顔を俯かせて震えていた。
「良い判断です。吸血鬼に対し、貴方達の振る舞いには感銘を受けました。そんな、貴方達を殺したくはない」
 小次郎はタカミチと瀬流彦を念力で丁寧に持ち上げると、そのまま瀬流彦を弐集院へ、タカミチをガンドルフィーニへ飛ばした。
「真っ直ぐにお逃げなさい、決して振り向かず」
 お行きなさい、と小次郎はガンドルフィーニと弐集院に向けて言った。二人は悔しげに唇を噛みながらエヴァンジェリンに謝ると、その場を立ち去った。
「さあ、殺し合いましょう――」
「貴様の目的は知らんが、死ぬのは貴様の方だ」
 先に動いたのはエヴァンジェリンだった。鋭利な牙を剥き出しにして、縦に裂けた瞳に殺意を宿し、鋭く伸びた爪を振上げた。小次郎は鞘に納めた長刀を抜刀した。
 二つの殺意が激突する度に地面は粉砕し、砂煙が巻き上がった。刀で斬り裂かれる度、爪で切り裂かれる度、互いの傷は瞬く間に治り、再度ぶつかり合う。互いに不死の存在であり、どれほど命を削り合い、どれほど魂を貪り合い、どれほど肉体を傷つけ合っても終わりが見えない。
「やはり、封印は解けていたようですね、闇の福音」
 小次郎の言葉にエヴァンジェリンは無言のまま細く伸びた断罪の剣(エクスキューショナーソード)を振るった。小次郎は薄く笑みを浮かべ、断罪の剣を人差し指だけで受け止めた。
「一つ聞きたい。何故、アイツらを見逃した?」
 エヴァンジェリンは尋ねた。タカミチ達を見逃した理由がどうにも解せなかった。小次郎はエヴァンジェリンが狙いだと言った。その理由も分からない。同属殺しなど、互いの領域(テリトリー)を侵さない限り、余程の戦闘凶でも無い限り吸血鬼はわざわざしない。互いに不死であり、殺し合っても不毛なだけだからだ。転化したての吸血鬼ならば、己を吸血鬼にした吸血鬼を憎み、同属殺しに手を染める者も居るだろう。人間としての正義を貫こうとする者も居るかもしれない。だが、佐々木小次郎の生きた時代から現代まで生きて来た古血ならばそんな青臭い事を考えるとは思えない。
「私がここに来た理由は二つ。どちらもある組織の依頼ですよ。一方の依頼は未だその時では無いので、先にもう一方の依頼を遂行する事にしました。まあ、もう依頼は達成しているのですがね」
「どういう事だ!?」
「不用意に外に出るべきではありませんでしたね。貴女の監視は一つ二つでは無いのですよ?」
 エヴァンジェリンは小次郎の狙いを悟り舌を打った。
「なるほど、私の封印が解けている事を確認しに来たという事か。人間に尻尾を振ったかッ」
 忌々しげに言うエヴァンジェリンに小次郎は嗤った。
「最近の近衛老の動きに不信感を抱く上層部が居るのですよ。特に四月の殲滅戦と貴女の封印からの解放の件でね」
「馬鹿な。殲滅戦は敵の数が多過ぎたからで仕方無いだろ」
 あの日、敵の数は尋常では無かった。一々捕縛していては手数が足りなくなり、結果、護るべき麻帆良学園の生徒達に危害が加えられたかもしれなかったのだ。
「十の命の内、九を救う為に一を切り捨てる。ですが、本当にそんな必要があったのでしょうか?」
「なんだと?」
「この地には女神に請われ、魔導士・シャントトが執筆した最初のマスターピースでもある封印されし伝説の魔導書【いどのえにっき(ディアーリウム・エーユス)】やレベルAの検索が可能である【世界図絵(オルビス・センスアリウム・ピクトゥス)】などが安置されている図書館島があるのですよ? その護りを任せられている程の魔術師(メイガス)が数だけの雑魚を相手に遅れを取るとでも?」
「……貴様の戯言には付き合いきれんな」
 エヴァンジェリンは鼻を鳴らし、その掌に暗い闇を纏った冷気の渦を球体状に乱回転させた。
「貴様の存在そのモノを喰らい尽くしてやろう。掌握……魔力、装填!! 見るがいい」
 エヴァンジェリンは掌の闇と冷気の渦を握り潰した。その瞬間、両腕に奇妙な模様が浮かび上がり、エヴァンジェリンの白磁の如き肌がみるみる闇が侵食する様に黒く染め上がっていく。エヴァンジェリンは闇の魔法(マギアエレベア)によって闇の吹雪を自分の魂に取り込んだのだ。
「もっとも、そんな事はどうでもいいのです」
 エヴァンジェリンは思わず首を傾げてしまった。小次郎はエヴァンジェリンが闇の魔法を使った事になんの関心も示さず、マイペースに語り続けた。
「私の依頼主が問題にしているのは、殲滅戦自体では無いのですよ」
「何が言いたいのだ、貴様?」
「そもそも、殲滅戦は何が原因だったのでしょうか? 答えは貴女自身が一番良く分かっているのではありませんか?」
 いい加減、苛立ちもピークに差し掛かろうとしていたエヴァンジェリンは小次郎の言葉に思考を停止させた。
「あの事件は貴女がそもそもの始まりの引き金を引いた。一人の男を殺した事で、一人の復讐者を生み出し、結果、大勢の死者が出た。だというのに、近衛老は貴女を処罰するでもなく、挙句の果てに貴女を外に出した。これでは、近衛老に疑問を抱かずには居られませんよ」
 心底愉しげに言う小次郎にエヴァンジェリンは怒りのまま爪を振るった。
「おやおや、私としては目的も達成しましたし、ここらで分けにしたかったのですがね。互いに不死ですし……おや?」
 右腕に僅かに切り傷を負いながら冗談めかして言う小次郎はエヴァンジェリンに付けられた小さな傷が癒え切っていない事に気が付いた。
「……なるほど、これが噂に聞く闇の魔法(マギアエレベア)ですか」
 小次郎は傷口に魔力を集中した。傷は簡単に癒えたが、小次郎の顔からは感情が抜け落ちていた。本来ならばあの程度の傷は負った途端に癒えている筈だった。それが直ぐに癒えずに何かに回復を阻害されているようだったのだ。
 小次郎の顔が引き締まった。エヴァンジェリンが襲い掛かると、その腕を一息の内に数度も切り裂いた。だが、エヴァンジェリンは四散した腕を即座に修復させ、そのまま小次郎の胸元を切り裂いた。
「肉を切らせて骨を断つ……ですか。蘇生能力が有るとはいえ、痛みはあるでしょうに……」
「ハッ、この程度の“かすり傷”で怯むと思うか、戯けッ!」
 小次郎は舌を打ち、怒涛の勢いで攻め続けるエヴァンジェリンを後退しながら捌き続けた。
 頸を刎ねても、腕を切り飛ばしても、胴を両断してもエヴァンジェリンは躊躇う事無く小次郎に攻撃を仕掛けた。その度に小次郎の魔力がエヴァンジェリンに奪われる。
「さすが……と言った所ですか。仕方ありませんね」
 そう言うと、小次郎は瞼を閉じた。瞬間、エヴァンジェリンの背筋に怖気が走った。咄嗟に距離を取ると、小次郎は低い唸り声を上げた。ドクン、ドクンと小次郎の体が脈打つ音がエヴァンジェリンの耳にまで届いた。
「な、なんだ――ッ!?」
 全身に鳥肌が立つほどの異質な気配が広がった。閉じられていた瞼が開くと、切れ長の瞳に強い意思の光が宿っていた。その意思は質量を持って広がった。
 エヴァンジェリンは額を流れる汗を拭う事すら出来なかった。
「吸血鬼……」
 エヴァンジェリン自身も吸血鬼だが、目の前の吸血鬼とは決定的に違いがある。血を飲む事を極力避けて来た者と血を好んで飲む者の違いだ。
 エヴァンジェリンは真祖であるが故に日の光を浴びる事が出来るし、泳げないが手段を問わなければ流水を越える事は出来る。体の一部をコウモリに変身させるなど吸血鬼として基本的な能力も備わっている。だが、そこまでだ。全身をコウモリにする事や完全に霧になる事は出来ない。エヴァンジェリンは吸血鬼としての能力はとても弱いのだ。その代わりに魔法を極めて来たのだ。
 犬上小次郎は真祖では無いが直系だ。そして、彼が表舞台で活躍していた時代はエヴァンジェリンが生まれるより200年も後の事だが、それでも400年を生きる古血だ。その間、多くの血を吸い、己の吸血鬼としての能力を高め続けたのだ。
 ジリジリと無意識の内に後退していたエヴァンジェリンの頭に突然、己の従者からの念話が届いた。
『マスター、検査が終了しました。これより帰宅致します』
『待て、茶々丸!』
 エヴァンジェリンは慌てて念話を返した。
『どうしました、マスター?』
『現在、始祖渾沌の直系の吸血鬼と交戦中なのだが状況が不利だ。確か、私用に用意されていた対吸血鬼用の装備があっただろう? それを装備して援護を頼む』
『――――ッ! 了解、マスター』
「おや、念話は終わりですか?」
「――――ッ!?」
 エヴァンジェリンは一瞬呼吸が止まった。小次郎が足も動かさずに突然目の前に現れたのだ。
 蹴り飛ばされた衝撃で漸く我に返ると、エヴァンジェリンは小次郎の握る刀の刀身に皹が入っているのを見た。一か八か、エヴァンジェリンはその罅割れに向かって氷弾を打ち込んだ。
「愚かな――」
 次の瞬間、エヴァンジェリンは己の迂闊さを呪った。刀身に皹が入っていたのでは無い。ただ、刀身のコーティングが剥がれていただけだったのだ。エヴァンジェリンの攻撃によって、コーティングは一気に剥がれ落ちた。
 鈍色のコーティングが剥がれ落ち、銀の軌跡がエヴァンジェリンの胴を切り裂いた。あまりの疾さに避け切れず、斜めに切り裂かれた傷口から大量の血が噴出した。
「備前長船長光と同じ長さ、重さ、そして切れ味を“銀”によって再現した対吸血鬼用の太刀ですよ」
 銀は吸血鬼を傷つけられる唯一の物質だ。傷口が再生されず、エヴァンジェリンは喘ぎながら足元に大きな血溜まりを作った。
「吸血鬼(アナタ)と戦うのに吸血鬼用の装備を持って来ないと思いますか?}
 嘲笑うように言う小次郎にエヴァンジェリンは舌を打った。迂闊だった。過去、自分を襲って来た者達は己の武器を銀でコーティングして来るのが当然だった。自分を狙ったのだから、そういう事を念頭に入れておくべきだったというのに、完全に失念していた。
「安心なさい、両腕両足を捥ぐだけです。“封印された状態では如何に吸血鬼といえど再生不可能な重傷”を負わさせて頂きますよ」
 いつの間にか、体を見えない拘束衣が覆っていた。念力(サイコキネシス)だ。エヴァンジェリンは必死に念力の拘束衣を弾き飛ばそうと必死に魔力を練った。だが、小次郎が銀の太刀を振り下ろした時、思わず諦めて瞼を閉じてしまった。
 いつまで経っても、両腕と両足を切断される痛みは来なかった。代わりに聞き覚えのある声が直ぐ近くで聞こえた。
「やらせるわけにはいかないヨ」
 瞼を開くと、小次郎の刀を中国風の剣で防ぐ超鈴音が居た。
「貴様……超鈴音っ!? 何故――ッ」
「貴女に戦闘不能になられては困るヨ。それに、実験に丁度良いネ」
「超鈴音……、この麻帆良にあり得ないレベルの技術を持ち込んだという謎の天才少女か」
 小次郎は言いながら、超の体もエヴァンジェリン同様に念力によって拘束した。
「佐々木小次郎に名を知られるとは光栄ネ」
「なにッ!?」
 超はアッサリと念力の拘束から抜け出し、いつの間にか小次郎の背後で小次郎の頸に剣を突き付けていた。小次郎とエヴァンジェリンは驚愕に眼を見開いた。見えなかったのだ。人よりも何倍も優れた動体視力を持つ吸血鬼の眼で視認出来なかったのだ。
「クッ――」
 小次郎は神速の刃を振るった。だが、次の瞬間に超は小次郎の腹部に剣を突き刺していた。
「馬鹿な――ッ」
 更に次の瞬間、右の肩に銀の棒が突き刺さっていた。何が起きているのか小次郎は理解出来なかった。速度では無い。かと言って、魔力も感じず、転移でも無い。
 エヴァンジェリンも同様に困惑していた。超のあり得ない動きが理解出来なかった。魔力も使わずに吸血鬼の眼で終えない動きなど人間に出来る筈が無いというのに。
「これは……今の状態では私の敗北は揺るぎませんね。退かせて頂きます」
 小次郎はそう言うと、一瞬の内にどこかへ消え去ってしまった。
「逃げられたカ……」
「おい、貴様、今のは――ッ」
 小次郎が去り、念力の拘束衣から解放されたエヴァンジェリンは超に説明を求めた。
「これは未だ調整中ヨ。完成したらのお楽しみにとっておくネ」
 超はエヴァンジェリンの質問をはぐらかし、エヴァンジェリンの体を抱き抱えた。
「お、おい!?」
「とにかく、その傷は不味いネ。病院に運ぶヨ」
「じ、自分で歩ける!」
「救急車は呼んであるから直ぐ近くの道路までヨ。我慢するネ」
 エヴァンジェリンは忌々しげに超を睨んだ。その時、突然頭上から茶々丸が降り立った。
「マスター、ご無事ですか!?」
「茶々丸か……無事だが……ちょっと遅いぞ」
「申し訳ありません。ハカセが勘違いをしまして……。それで、吸血鬼は?」
「この女が追い払った。方法は……分からん」
 不思議そうな顔をする茶々丸に超は「乙女の秘密ネ」と冗談めかして誤魔化し、エヴァンジェリンを茶々丸に預けると、救急車の誘導をしに行った。
「超鈴音……何者なのだ?」
「マイスターについては私もあまり詳しくは知りません」
 二人揃って、超の謎に首を傾げながら茶々丸がエヴァンジェリンを抱き抱えて救急車に乗せ、病院に向かった。銀で付けられた傷は再生するのに時間が掛かり、エヴァンジェリンはタカミチと同じ病室で二日間を過ごした。傷口自体は病院に超の要請でやって来た木乃香がアーティファクトで最低限繋ぎ合わせたので、翌朝には治っていたのだが、一日だけ大事を取ったのだ。その間、ネギ達や他のクラスメイト、それにガンドルフィーニや瀬流彦、弐集院といった教師の面々が見舞いに来たり、見舞い品の果物を茶々丸に剥かせて食べたりとそれなりに快適な入院生活をエヴァンジェリンは送った。
 小次郎については結界を越えたらしい事だけは分かったが、その後の足取りや、どうやって麻帆良に侵入したのかは分からず仕舞いだった。といっても、エヴァンジェリンやタカミチ、近右衛門などはある程度の想像がついていた。恐らく、内部の者が招き入れたのだろうと――。



[8211] 魔法生徒ネギま! [第八章・祭りの始まり編] 第四十二話『産まれながらの宿命』
Name: 我武者羅◆cb6314d6 ID:76577b36
Date: 2010/10/22 06:26
魔法生徒ネギま! 第四十二話『産まれながらの宿命』


 エヴァンジェリンは病院のベッドで茶々丸に剥いてもらったリンゴをシャリシャリと食べながら考えていた。犬上小次郎の事を。一夜が明け、頭が冷えてくると小次郎の行動には奇妙な点が幾つもあった。小次郎は敢えてエヴァンジェリンと一対一になるように仕向けたように思える。終始本気を出さず、エヴァンジェリン以外を追い払った。
「しかし、タカミチに燕返しを繰り出した時、確かに殺そうとしていた……」
 小次郎はガンドルフィーニ達の事は最初から殺そうとしていなかった。だが、タカミチの時は違った。確かに、息の根を止めようとしていた。
「小次郎の言っていた組織というのは、間違い無くメガロメセンブリア元老院だろうね」
 エヴァンジェリンの隣のベッドで横になっているタカミチが友人の手紙を再生しながら言った。タカミチの手の中でタカミチの友人であるメガロメセンブリア信託統治領オスティア総督クルト・ゲーデルメガロメセンブリア元老院議員の姿が手紙の上に立体映像でその姿を映し出し、タカミチに宛てた言葉を再生している。内容は挨拶と昔を懐かしむような言葉ばかりだった。問題なのはタイミングだ。手紙が来て、直ぐに小次郎の襲撃。
「今の立場上、直接的に警告をする事が出来なかったんだと思う。クルトがいきなり手紙を寄越した事にもう少しクルトの考えを汲むべきだったよ……」
 タカミチは悔しげに呟いた。
「麻帆良に容易く侵入して来た事を考えても間違い無いだろうな」
 エヴァンジェリンが言った。
「メガロメセンブリア元老院は|麻帆良学園(ここ)の上部組織だ。距離があって、殆ど独立しているが……。学園側に隠れてヤツを招き入れる事も不可能じゃない」
「遠からず、アチラからなんらかのアクションがあるだろうね。エヴァの封印が解けているとバレている以上は……」
 濃い色の狩衣を着た青年に京都に送り出された時、エヴァンジェリンは麻帆良に帰って来るまでの間だけの措置だと考えていた。だが、エヴァンジェリンの封印は修学旅行から帰って来ても解けたままだった。
「極力魔力を抑えていたが……。やはり、京都の件と血液パックの量を増やしてもらったのが決定的だったかな」
 エヴァンジェリンは極力血を吸わないようにしているが、それでもある程度は摂取する必要がある。封印状態の時はそれこそ滅多に必要になる事は無かったのだが、封印が解かれ、どうしても摂取量が増えてしまったのだ。
「今は考えても始まらん。いきなり武力行使なんぞはさすがにせんだろう。それより、気になる事があるのだ」
「気になる事?」
「ああ、奴の言葉の中に幾つか引っ掛かりがあってな。お前は“いどのえにっき”や“世界図絵”について知っているか?」
「伝説のいどの絵日記の事は聞いた事があるよ。確か、1469年に元・東ローマ帝国の宮廷魔術師であった魔導士・シャントトが魔女狩りから逃れる為に魔法世界に渡ってから執筆したという相手の表層意識を読み取る魔導書……だったよね?」
「く、詳しいな……」
 タカミチの予想に反する博識っぷりにエヴァンジェリンは思わず目を丸くした。エヴァンジェリン自身、“いどのえにっき”の噂は聞いた事があったが、こうまで詳しくは知らなかった。
「実はナギに聞いた事があったんだ。イスタンブールでね」
「ナギにッ!?」
 ナギの名前が出て、エヴァンジェリンは驚きの声を上げた。
「……アスナ君をナギが“エクスカリバー”を使い、救出した後、魔法世界から旧世界に連れて来た時に僕達はイスタンブールのゲートを通ったんだ。その時に――」
「ちょっと待て、エクスカリバーでアスナを救出したとはどういう事だ!?」
「あれ、言ってなかったかな? アスナ君を閉じ込めていた墓守の宮殿の地下の祭壇のクリスタルは特別な力があって、ナギはそのクリスタルを破壊する為にエクスカリバーの力を使ったんだ。あらゆる護りを無効化させるからね、あの剣は」
「あの時のアスナの言葉はそういう意味だったのか……」
 エヴァンジェリンは破魔之剣がエクスカリバーに変化した時にアスナが言った言葉を思い出した。
『たぶん、ナギからのメッセージなのかもしれない。昔、わたしはナギに助けてもらった事があるの。この剣はきっと、今度はわたしにネギを助けてくれっていうナギからのメッセージなんだと思う』
 あの時はただナギがネギの従者にネギを護ってくれというメッセージを伝説の聖剣を授けるという行為に篭めているのだとアスナが考えただけだと思った。だが、元々アスナはアレがエクスカリバーだと知っていたのだ。
「アスナは|あの剣(エクスカリバー)によってナギに救われた。故に、アレは正しくナギからアスナへのメッセージだったというわけだ」
「ナギの真意は分からないけど、あの剣がアスナ君の手に渡ったのは、きっと必然だったと思う」
「そうかもしれんな……。っと、話がずれたな。それで、ナギは“いどのえにっき”について何を語ったんだ?」
「さっきので殆どだよ。ただ、ナギはイスタンブールで魔導士・シャントトについて調べていたみたいなんだ。伝説のいどの絵日記についての情報はそれなりに出回っていたんだけど、執筆者であるシャントトの情報はまるで無かったからね。どうして、ソレを調べていたのか、詳しい事は僕も知らないんだ」
「|造物主の掟(コード・オブ・ザ・ライフメーカー)……」
「え?」
 エヴァンジェリンの呟きにタカミチは疑問の声を上げた。
「いや、ナギはエクスカリバーを|造物主の掟(コード・オブ・ザ・ライフメーカー)と呼んでいたのを思い出してな。そのグランドマスターキーと。|造物主(ライフメーカー)という単語も気になるが、それよりも小次郎は“いどのえにっき”を『最初のマスターピース』と呼んだ。普通に考えれば、シャントトの執筆した|傑作(マスターピース)と考えればいいのだろうが、ピースを断片だと考えると……」
「つまり、エヴァはいどの絵日記がエクスカリバーと同種の物だって思っているのかい? さすがに暴論だと思うよ」
「分かっている。鍵と断片では全く意味が違うし、ただ、ナギが探していたという共通点に何かしらの関係性を探りたかっただけだ」
 考えは煮詰まってしまった。エヴァンジェリンは病室の窓の外を眺めながら物思いに耽った。ナギは一体、何をしていたのだろうか、恐らく自分と旅をしていた時はずっとアスナを救う為にエクスカリバーを探していたのだろう。その後は“いどのえにっき”について調べていたという。
「ナギは何を求めていたんだろうな……」
「さあね。アルが居れば、何か教えてくれるかもしれないけど……」
「お前は何も聞いていないのか?」
「断片的な情報しかね……。ナギが活発に動き出したのは君をこの学園に預けてからだったしね。その頃、僕は君と一緒に共学だった|麻帆良学園本校中等学校(ココ)で学生生活を送ってたし」
「お前が中学生をしていた時期に何かがあった……という事なのか?」
「もっと前かもしれない。だけど、僕はちょっと……ね。エヴァがナギと旅をしてた頃、僕らは別々に行動してたからさ」
 エヴァンジェリンは体を倒してベッドに横になりながら考えを巡らせた。修学旅行の時、ナギが戦っていた組織について知った。“|完全なる世界(コズモエンテレケテイア)”という組織。
 アスナの事、造物主の事、造物主の掟の事、ナギの行動の事、繋がりそうで、まだわずかにピースが足りていない気がする。
「いや、繋がってはいるんだ。フェイト・フィディウス・アーウェルンクスの持っていた鍵もまた、|造物主の掟(コード・オブ・ザ・ライフメーカー)なんだからな。問題は、その根源に至るピースが欠けている事だ」
 そこまで呟いて、不意にエヴァンジェリンの脳裏に光明が差した。
「…………つまり、そういう事なのか?」
「どうしたんだい?」
「つまり、ナギはそのピースを探して、シャントトを探っていたのではないか?」
「どういう事なんだい?」
 いまいちエヴァンジェリンの考えが分からず、タカミチは焦れたように尋ねた。
「フェイト・フィディウス・アーウェルンクスの持っていた造物主の掟はアスナの黄昏の姫御子の力から作り出した物らしいじゃないか。だが、エクスカリバーはアスナが生まれるよりもずっと昔に造られた物だ。つまり、その根源が居た筈だ」
 タカミチは自分の顎に手を置きながら少し考えて、“アスナ”の根源に思い至った。
「初代女王アマテルかい?」
 オスティアの初代女王アマテル。魔法世界最古の王家の初代であり――。
「アマテルは創造神の娘という説がある。創造神と造物主か……」
「つまり、ナギは創造神……即ち、根源を追っていたというのかい?」
「完全なる世界とやらについても情報が足りない。今分かるのはここまでだろう。創造神……、魔法世界は火星に創られた人造世界だったな。ああ、一つ面白い推論が立ったぞ」
 エヴァンジェリンは自分の考えたあまりにも馬鹿げた推論に思わず笑ってしまった。突然笑い出したエヴァンジェリンに驚いたタカミチはエヴァンジェリンの考えた推論について尋ねた。それは、驚くべき事だった。
「つまりな、創造神は魔法世界を文字通り創造した神な訳だ。そして、『人造異界の存在限界・崩壊の不可避性について』という1908年に執筆された論文がある。アスナの話のナギと造物主の対決の最終局面について思い出してみろ」
 タカミチはアスナから聞かされた大戦の最後、ナギと造物主の戦いの顛末について記憶を遡った。アスナがアスナ・ウェスペリーナ・テオタナシア・エンテオフュシアとしての記憶を取り戻した後、関西呪術協会から旅館に帰る前に聞いた話だ。
『私を倒すか、人間! それもよかろうッ! 全てを満たす解は無い。いずれ、彼等にも絶望の帳が下りる。私を倒して英雄となれ! 羊達の慰めともなろう。だが、夢忘れるな! 貴様も例外では無い!』
「思い出したか?」
「造物主はナギにまるで世界に絶望が待っているような事を話してた。そして――『貴様もいずれ、私の語る”永遠”こそが“全て”の“魂”を救い得る唯一の次善解だと知るだろう』と言った」
「負け惜しみのようにも聞こえるが、造物主の言葉を今一度吟味してみよう。ヤツは何と言った? 魂を救うと言ったのだ。そう、“救う”だ。創造神と造物主がイコールで結ばれるなら、奴は魔法世界を造ったという事になる。そして、自分で造った世界に黒幕として、戦争という最上級の災厄を意図的に巻き起こした理由はなんだ?」
 タカミチの背筋にゾッとするような悪寒が走った。確かに、笑い飛ばしたくなるほど馬鹿な話だ。だが、ありえないと言い切れるだろうか、その馬鹿な話は微かにではあるが、今分かっているピースの全てと繋がっているのだ。
「君は……魔法世界が滅びると言ってるのかい?」
「人造世界が滅ぶのは必然だ。そして、そのタイムリミットが近づいていたのだとすれば、どうだ? 創造した者として、責任を取ろうとしていたと考えられないか?」
「責任……だって?」
「つまりな、世界の崩壊という絶望の帳が落ちる前に、死を与えようとしていたんじゃないかって事さ。でなきゃ、魔法世界だけではなく、こっちの世界にまで冗談にならない被害が及ぶぞ」
「どういう事だい?」
「世界が滅ぶ。なら、よほどの間抜けじゃない限り、手段は一つしかないと分かるだろ?」
 エヴァンジェリンに言われて直ぐにタカミチはエヴァンジェリンの考えを悟った。
「そうか、旧世界に魔法世界の住民が一気に流れ込んで来る!」
「移民を受け入れるのがどれほど大変な事か分かるか?」
 タカミチは息を飲んだ。分かる。その縮図を見た事があるのだから。そう、それは遠い昔の話だ。
「最終決戦の後、滅んだオスティアの住民が一斉に周辺の地域に流れ込んだ。移民の受け入れは酷く難しく、生き残ったオスティアの住民を受け入れてもらう為にオスティアの女王となられたアリカ様は一つの手段を取った。――――奴隷制度」
「ああ、あの制度は何の冗談かと思ったが、そういう事だったのか……」
 奴隷制度。それは、魔法世界にある悪しき制度だ。魔法使い達は“|立派な魔法使い(マギステル・マギ)”を目指し、世の為、人の為に活動している。なのに、その魔法使い達の拠点である世界に奴隷制度なんて代物がある事実は酷く矛盾している。だが、その制度は現在も在り続けている。奴隷公認法(通称=死の首輪法)という忌むべき名として……。
「だけど、魔法世界住民全員を旧世界に引き入れる事になったら……」
「問題山積みだな。亜人は一般人から見れば化け物に見えるだろうし、そもそも、そんな容量は無いだろう。食料、住居、その他諸々の件だけ見ても不可能だ」
「そうなったら、起こるのは……」
「戦争だな。お互いに生きなければならない。だが、生き残るには世界が小さく、物資が不足している。一つの世界分の人口なら賄えても、二つの世界分の人口に対しては全く足りない。そもそも、そうでなくても貧困に喘いでいる国があるんだぞ」
「魔砲や魔法具を使う魔法世界住民と様々な兵器を使う旧世界住民。下手をすれば、お互いに全滅してしまう可能性もある。今は、核やそれに匹敵する兵器を人間は簡単に量産出来るからね。魔法使いに至っては、魔法でそれらに匹敵する現象を起せる」
「ま、こんなのは馬鹿な妄想だから、気にする事も無いけどな」
「へっ?」
 エヴァンジェリンの突然の明るい声にタカミチは思わず間の抜けた声を出してしまった。
「おいおい、何て顔をしているんだ? 言っただろう、馬鹿げた推論だと。この推論は造物主の行為に正当性を持たせようと思った場合の考えだ。人々に殺し合いをさせるなんて行為だぞ? 意図的に人口を減らし、旧世界に受け入れられる数まで調整し、無駄な争いや絶望を味あわせ無い様にする為だったという以外、どう正当性を見つけろと言うんだ?」
「それは……確かに」
 エヴァンジェリンの語った事は造物主を“悪”ではなく、“正当性”を持った“正義”として扱った場合に導き出せる推論の一つに過ぎないのだ。なるほど、エヴァンジェリンの語った通りであれば、造物主の行いは否定し切れないだろう。魔法世界だけでなく、旧世界までも滅びる可能性、それを回避するには最も残酷で最も簡単な策だ。
「むしろ、人間を使った蠱毒だったという方がまだ分かり易い。その場合、まさにナギはその成功例だったとも言える」
「蠱毒……だって?」
 あまりにも物騒な単語にタカミチは顔を引き攣らせた。蠱毒とは、中国の濁……現在の四川省で発展した、壺に様々な蟲を入れて共食いをさせ、生き残った蟲を使う呪法だ。
「人間同士を意図的に殺し合わせ、優秀な魔法使いを生み出す為だった。そう考えれば、赤き翼を含め、大戦の英傑達はまさに成功例だろう?」
「エヴァ!」
 面白がっている調子で話すエヴァンジェリンに我慢出来ず、タカミチは声を荒げた。
「そう怒るなよ。何にしても、情報が足りないんだ。ナギの目的も、完全なる世界も、造物主の掟も、全ての根源も何もかも分からずじまいだ」
 エヴァンジェリンは頭を振って、頭を切り替えた。
「どうも一度考え出すとな……。それより、小太郎に話すかどうかだな」
 エヴァンジェリンは迷っていた。犬上小次郎は犬上小太郎の父親らしい。小次郎の言葉が真実だという保証は無い。むしろ、嘘という可能性が高い。何故なら、小次郎は吸血鬼だ。そして、その正体は小次郎の言葉が真実ならば佐々木小次郎。これも嘘の可能性が高いが、長く生きているのは間違いない。
「吸血鬼が子供を産んだというのか?」
 あり得ないと言い捨てる事は出来ない。前例があるからだ。
「だが、吸血鬼の子供は|吸血殺し(ダンピール)になる。小太郎は|吸血殺し(ヴァムピール)ではない」
 もしも、小太郎が吸血殺しならば、お互いに相容れない筈だ。だが、エヴァンジェリンは小太郎を認めているし、小太郎はエヴァンジェリンを尊敬している。
「いや……、クドラクの例もあるか」
「クドラク……、確か、死ぬ度に強大な力を得て復活したというクルースニクに退治された吸血鬼だっけ」
「そうだ。クルースニクはクドラクを殺す為だけに産まれた吸血殺しだった。そういう、専門の吸血殺しが産まれる可能性も無くはない。京都でネギと話していた時、アイツは自分の親であり兄弟である存在を自分の手で殺すと言っていた。故郷を滅ぼされた恨みからの言葉だとは思うが……もしかすると」
「小次郎を殺す事を運命付けられた吸血殺しだから、と言うのかい?」
「……駄目だな。どうも、推測止まりばっかりだ」
 エヴァンジェリンはウンザリした様子で言った。小太郎の事も含め、何一つ証拠が無いのだ。推測ばかりを並べていても意味が無い。
「なんにしても、小太郎に話すかどうかが悩み所だな……」
「小次郎が小太郎君の父親だという確証は無いし、秘密にした方がいいんじゃないかな」
「だが、小次郎は再び現れると言ったんだぞ? 小太郎に接触して来ないとも限らない。わざわざ、自分が小太郎の父親であると自分から明かしたんだ。無いとは限らない。心構えも無く出会って、何が起こるか予想も出来ん」
「そう……だね」
 小太郎の父親である確証は無い。だが、違うと断じて話さなかった場合も、真実だと断じて話してもどちらも危険だ。
「話すなら早い方がいいだろう。いつ、小次郎が小太郎に接触して来るか分からないからな」
「だけど、話すかどうかは慎重に決めるべきだよ」
「私は話した方がいいと思います」
 それまで黙っていた茶々丸が唐突に口を開いた。
「茶々丸?」
「犬上小太郎の心にどう影響するかは計算不可能です。ですが、どちらにしろ危険なのですから、ここは、犬上小太郎を信じ、話してみる方が良いと判断しました」
 エヴァンジェリンは深呼吸をして頭を冷やした。
「お前は本当に“人間”だな」

 犬上小太郎は病院を出た後、学園内を当ても無く彷徨っていた。エヴァンジェリンは茶々丸の意見に同意し、小太郎に昨日の晩に起きた事を話したのだ。
「アイツが……居る」
 暗い路地の壁に背を預けながら、荒い息をなんとか整えようとするが、心臓の鼓動は早くなる一方で、感情が上手く制御出来なくなっていた。
「情けねーのな、小太郎」
 突然、声を掛けられた。いつからそこに居たのか分からなかった。土御門が目の前に立っていた。
「仇がいきなり現れて、頭の中が混乱しているのか?」
 ニヤリと神経を逆撫でするような言葉を吐いた。小太郎は背後の壁に拳の甲をぶつけた。
「黙ってろ」
 ガラガラと音を立て、小太郎の背後の壁が粉々に崩れた。
「おいおい、学園の施設を壊すんじゃない。まったく」
 土御門はわざとらしく溜息をもらすと、口笛を吹いた。すると、まるでビデオの逆再生を見ているかの様に、砕け散った壁の破片が合わさり、元に戻ってしまった。その異様な光景に小太郎は目を丸くし、苛立ちを忘れてしまった。
「犬上小次郎。エヴァンジェリンとタカミチが遭遇したのは本物だ」
「――――ッ!?」
 土御門の言葉に小太郎は肩を震わせた。
「犬上小次郎とは接触するな」
「なにッ!?」
 振り返り、土御門の胸倉を掴むと、土御門はサングラス越しに小太郎を睨みつけた。
「旧姓・佐々木小次郎は吸血鬼だ。そして、お前はその実の息子だ。それがどういう意味か分かるか?」
 小太郎は口を開けなかった。エヴァンジェリンの口から語られた中には驚くべき事実が幾つもあった。佐々木小次郎、吸血鬼、そんな馬鹿なと頭の中から必死に追い出そうとした。
「吸血鬼が子供を産めるんか?」
「そもそも、お前は吸血鬼がどういう存在か知っているか?」
 問い返され、小太郎は言葉に詰まった。エヴァンジェリンという、あまりにも身近に吸血鬼が居るが、吸血鬼について詳しいかと問われれば、首を振らざるえない。
「吸血鬼は停止した存在だ」
「停止した存在?」
「そうだ。エヴァンジェリンを見れば分かるだろう? 長い年月を生きながら、あの容姿のまま……。アレは不老とは少し違う。肉体の変化が完全に停止しているんだ。心臓の動く回数、速さ、血の巡り方、毛の数まで全て変化しない。エヴァンジェリンは子供を産めない。というより、女の吸血鬼は子供を産めないんだ。子供を産むには肉体を変化させなければならないからな」
「つまり……、男なら子供を産めるってのか?」
「正確に言えば、二次性徴が終わっている男なら、人間の女を孕ませる事が出来る。何せ、精子の数も変化しないからな」
「ワイは……吸血鬼なのか?」
 小太郎はわずかに震えた声で尋ねた。吸血鬼の子供。本当に自分がそうならば、自分は何者なのだろうか、小太郎の心を最も揺さぶったのはその事だった。
「違う。吸血鬼の子供は成長し、吸血鬼になる事があると聞くが、それは一つの儀式を終えてからだ」
「儀式?」
「“親殺し”だ」
 小太郎は目を剥いた。自分がまさにやろうとしている事だからだ。
「吸血鬼の子供は親である吸血鬼を殺す存在として産まれる。“|吸血殺し(ダンピール)”と呼ばれている。お前の故郷の村がどういう村だったか、お前は知っているか?」
 故郷の村について、問われた小太郎は咄嗟に返す事が出来なかった。もう随分と時が経った。惨劇の後に千草に関西呪術協会に連れて来られた。小太郎は狗神の力を伝える一族の住む村程度にしか考えていなかった。
「お前の故郷は吸血鬼ハンターの村だったんだ」
「吸血鬼ハンターの村やと!?」
 そんな話は聞いた事が無かったし、小太郎はとても信じられなかった。
「関西呪術協会の傘下の組織の一つだった。小太郎、吸血鬼の天敵は何だと思う? 吸血殺しを除いてだ」
「吸血鬼の天敵やと? 神鳴流みたいな退魔師とかやないんか?」
「“|人狼(ウェアウルフ)”だ」
 小太郎は心臓を鷲掴みにされたような錯覚を覚えた。
「人狼は狼に変身する能力を持つ。狼の血を受け継いでいる者が時折、その血に覚醒する事によってであったり、狼の霊を己に憑依させる事によってな」
 狗神を憑依させ、小太郎は何度も黒い狗に変身した。その事に気付き、小太郎は息を呑んだ。
「お前の一族。狗族はな、元々、狼の血を引き継ぐ一族だった。そして、狗神とはその血を覚醒した祖霊を己の血を媒介に自らの身に憑依させ、その力を行使する術の事だ。また、狗神を使う事で体を慣らしているんだ。狼の血を覚醒させる為にな」
 小太郎は頭を抱えながら蹲った。乾いた笑いが零れた。頭の処理が追いつかないのだ。兄であり父親で仇と思っていた自分の師匠は実の父親で、しかも佐々木小次郎なんて英雄で、挙句に吸血鬼。自分の故郷はその吸血鬼を討伐する吸血鬼ハンターの村だった。
「んなアホな……。ってか、もうどっから突っ込んでええんか分からへんで!」
 小太郎はあまりの話に土御門の冗談なのではないかと思った。突っ込みを入れる小太郎に土御門は冷たい声で言った。
「全て事実だ。いいか、絶対に犬上小次郎と接触するな。接触したとしても、必ず逃げろ。一度でも戦いが始まれば、お前の血は犬上小次郎を殺そうとする。自分の意思では止められない」
「んなもん、望む所や! ワ、ワイは逃げへん!」
 反射的にそう言った小太郎の顔面を土御門は殴りつけた。
「テメッ! 何しやがる!」
「お前、自分の親を殺して、ネギと向き合えるのか?」
 土御門は穏かな口調で言った。小太郎は思わず俯いてしまった。
「それは……」
「お前はネギの事を愛していると言っただろ。なら、それでいいんじゃないか? 大人のくだらないイザコザで、子供が本当に選ぶべき幸せを棒に振るうなんざ、馬鹿げてるだろ」
「だけど!」
 小太郎は立ち上がり、血が地面に滴り落ちる程に強く拳を握り締めながら言った。
「アイツは皆を殺したんや。なら――ッ!」
 言い切る前に、土御門の拳によって小太郎は壁に叩きつけられた。
「いいか、もう一度言うぞ。奴と出会っても戦うな。ネギを悲しませたくないのならな」
 土御門はそれだけを言うと、小太郎に背を向けた。小太郎は待て、と叫んだが、土御門は姿を眩ませた。後に残された小太郎はやり場のない憤りを篭めて吼えた。
「ざけんなよ……、やっと見つけたんだぞ」




[8211] 魔法生徒ネギま! [第八章・祭りの始まり編] 第四十三話『終わりの始まり』
Name: 我武者羅◆cb6314d6 ID:76577b36
Date: 2010/10/22 06:27
 その瞬間、私は確かに死んだ。肉を破かれた痛みも感じ無い。突如、激しい閃光を受けた様に視界は真っ白だ。全身を不思議な波が何度も何度も揺らぐのを感じる。そして、その波が強まると、白い光は更に強くなる。
 衝撃が走った。痛みは無い。ただ、その衝撃のおかげで真っ白だった視界が少しずつ緩やかに晴れていった。波が緩やかになるにつれ、じんわりと汗の浮かんだ背中がひんやりとした硬い地面に押し付けられているのがわかった。
 揺れる視界が定まるにつれ、目の前に誰かが自分を覗き込んでいるのが分かった。
「……ぁぅ?」
 喉を上手く震わせる事が出来なかった。全身が脱力しきっている。寝起きで血が巡っていない時だって、もっとシャッキリしている筈だ。
「……か、……ギ」
 耳はちゃんと機能している。ただ、言葉として認識出来ず、ただの音としてしか脳に伝わっていない。ただ、その音の響きはとてもよく知っていた。まだ声変わりを終えていない僅かに高い少年の声。耳にしただけで胸の奥がやんわりと暖かくなる。愛しい……とても愛しい。
――――殺してしまいたいくらいに。


魔法生徒ネギま! 第四十三話『終わりの始まり』


 ネギは朝、目を覚ましても中々ベッドの中から出る事が出来なかった。頭の中で何度も昨日の自分を罵倒している。あの時はあの行動が確実に正しい事だと確信していた。だと言うのに、朝起きて、頭が冷えた状態で思い返すと後悔の波がドッと押し寄せて来た。自分が男である事をよりにもよって小太郎にバラしてしまうなんて、昨日の自分は頭がどうにかなってしまっていたのではないだろうか。
 ベッドの中で頭を抱えているネギにアスナと木乃香は様々な想像を楽しんでいたが、さすがに学校に行くまでに時間が無くなり、アスナがネギを叩き起こした。布団を無理矢理引き剥がされたネギは恨みがましい目でアスナを見た。今日は外に出たくなかった。外に出れば、きっと小太郎に会う事になるだろう。今は小太郎に会いたくなかった。一晩明けて、頭が冷えてやっぱり男なんて好きになれないと言われるのが怖かった。それが当然の事なのだと理解していても、一度受け入れられたからこそ、聞いたら自分の中の何かが壊れてしまいそうだった。
 アスナに怒られて渋々といった様子で起き上がると、ネギはノロノロと洗面所に向かった。何度目か分からない溜息を吐きながら支度をして居間に行くと、美味しそうな朝食が並んでいた。それを見た途端に申し訳なさが込み上げて来た。自分の事で頭の中がいっぱいになっていて、木乃香が朝食を作るのを手伝いもしなかった事に深い罪悪感を覚えた。
「ごめんなさい、お手伝いもしないで……」
 小太郎の事を頭の隅に置いて――それでもザワつく気持ちを抑えきれずに居たが――木乃香に謝りながら腰を下した。木乃香は思った通り、笑顔で許してくれたが、余計に罪悪感が膨らんだ。そもそも、朝食の手伝いは自分から言い出した事だった。なのに、それを自分で放棄するなど無責任にも程がある。
 アスナはそんなネギを見て大きな溜息をもらして自分の場所に腰を下して、新聞を広げた。普段、新聞など読まないアスナが一体どうしたのだろうか、ネギは不思議に思った。
「アスナ、食事中に新聞を読むんはアカンで」
 木乃香は不機嫌な顔になってアスナに注意した。
「ごめん、ちょっとだけ」
 アスナは顔を上げずにご飯を口に運びながら新聞を読み勧めた。ますます不機嫌な顔になる木乃香にネギは居た堪れなくなり、アスナに新聞を置くように言ったが、夢中になって読み続けるアスナに木乃香がついに耐え切れなくなり、アスナから新聞を取り上げてしまった。
「あ、何するのよ、木乃香!?」
 アスナが頬を膨らませながら木乃香に対して不満を口にすると、木乃香は冷ややかな笑みを浮かべて言った。
「食事中に新聞はアカンで、アスナ?」
「……ひゃ、ひゃい」
 木乃香の笑みのあまりの恐ろしさにアスナは瞳を潤ませながらコクコクと頷いた。アスナと木乃香のやりとりに思わずクスリとネギは笑みを浮かべてしまい、慌てて謝った。
「ご、ごめんなさい」
「やっと、笑顔になったわね」
「暗い顔なんて、ネギちゃんには似合わへんからな~」
 木乃香とアスナはさっきまでとは打って変わって、ニッコリと明るい笑みを浮かべて言った。眼を丸くしたネギは直ぐに二人のやりとりが自分を元気付けるための演技だと気が付いた。
「……ありがとうございます」
 少しだけ気分が落ち着いた気がした。焼き魚を頬張りながら、麦茶をゴクゴクと飲んで、食器を洗うのを手伝っていると気が紛れて木乃香と冗談を言い合えるくらいには回復した。それでも、エレベーターに乗って、一階に降りて、玄関に向かうに連れて、気分が重くなる。後悔や焦燥が入り混じった妙な気持ちになって、溜息が何度も零れた。
 ところが、寮の玄関口を出ると、奇跡が起きた。その顔を見た途端に鬱々とした気持ちが吹き飛んでしまった。まるで魔法のようにネギは小太郎の顔に惹き付けられた。
「え、あれ? どうして小太郎がここに……?」
 隣でアスナと木乃香も不思議そうな顔をしている。すると、小太郎は照れた表情を浮かべながら言った。
「……えっと、その」
 小太郎は言い辛そうな顔をしながらアスナと木乃香をチラチラと見た。心がザワついた。浮上した心が一気に沈み込んだ。どうして、自分が居るのにアスナや木乃香ばかりを見るのか、そんな事を自分が考えている事にネギは驚いた。
 違うだろう、気にするべきなのはそうじゃないだろう。自分の馬鹿な思考を振り払うようにネギは小太郎に声を掛けた。
「えっと、おはよう、小太郎。それで、どうしてここに?」

 小太郎は深く後悔していた。昨夜、ネギにいろいろと衝撃的な告白をされてから一晩が経ち、それでもあの時の気持ちが揺らぐ事は無かった。その事に酷く安堵した。
 ネギは自分の事を好きだと言った。思い出しても、その場で踊り出したくなる程に舞い上がった気分になる。好かれているなら、少しくらいそういう関係の気分を味わってみたいと思うのが自然というものだ。だからこうしてネギを迎えに来るなんて行動に出てしまったのだ。付き合っているガールフレンドと一緒に学校に行く、そんな気分を味わう為に。
 小太郎は大事な事を忘れていた。ネギは学校に行く時、いつもルームメイトと一緒だという事だ。その事に気が付いたのが、ネギがアスナと木乃香を引き連れて寮から出て来てからだというのだから間抜けな話だ。
「どうしたの、小太郎?」
 ネギの声は言葉とは裏腹に何故か底冷えするような妙な棘があった。ネギの背後ではアスナはニヤニヤと、木乃香はほんわかと笑みを浮かべている。忌々しい思いに駆られながら、溜息をもらした。
「一緒に学校に行こうと思ったんや」
 諦めた。自分の考えはアスナや木乃香にはすっかりお見通しなのだと悟り、小太郎は正直に白状した。すると、それまで翳っていたネギの表情が劇的に変化した。思わず抱き締めたくなるほど可愛く笑みを浮かべるネギに小太郎は頬を緩ませた。
「な~に、鼻の下伸ばしてるのよ、小太郎?」
 ニヤニヤしながら小太郎の肩を小突くアスナを小太郎は苛々した調子で振り払った。
「ったく、おばはんくさいで?」
 小太郎が毒づくと、突然、脳天に衝撃が走った。
「誰がおばはんよッ!」
「痛ッテェェエエエエ!!」
 アスナの拳骨で頭に大きなタンコブを作った小太郎はあまりの痛みにその場で蹲った。
「何すんだ、ババ――――ッ!?」
 小太郎が最後まで言う前に再びアスナの拳骨が小太郎の脳天目掛けて振り下ろされた。火花が飛び散ったような感覚に小太郎は声も出なかった。障壁も何もかも貫通してくるから、アスナの拳は本気で痛いのだ。
「えっと、大丈夫?」
 呆れた様にネギが小太郎に声を掛けると、小太郎は「な、なんとかな」とヨロヨロと立ち上がった。そんな姿に苦笑しながらネギは小太郎に手を貸した。
「でも、あんまり失礼な事言っちゃ駄目だよ、小太郎」
「言葉より先に手が出るんはどうなんや」
「小太郎……」
 ネギは街路樹に突っ込んだ小太郎に溜息をもらした。どうして余計な事を口にするんだろう、ネギは小太郎に手を貸しながら呆れていた。
 そう言えば、最初に会った時も口が悪かったな、とまだそんなに時間は経っていないというのに妙な懐かしさを覚えながら、時計を見てもうあまりゆっくりはしていられないと三人を促して歩き始めた。

 この日の麻帆良学園はいつもとどこか違った。いつも以上に活気が溢れ、燦々と降り注ぐ太陽の光をその身に浴びながら、老若男女を問わず、誰も彼もが浮かれた気分になっていた。
 ネギと小太郎はあまりの光景に眼を瞠った。見上げるほど大きな恐竜が、妙な飛行機に乗った男が、宇宙服に身を包んだ者が、新撰組の袴を纏った少年が、周りを見渡すとそこかしこに奇妙奇天烈な格好をした人々が駆けずり回っていた。
「なな、なんやコレは?」
「ヘンなのがゴロゴロ登校風景の中に……」
 小太郎は女子寮に向かう時は見なかった奇妙な集団に頭を抱えた。ネギもいつもと違う学園の風景に戸惑った。
「さすが大学部の人達は気合が入ってるわね」
 すると、後ろからおっとりとした女性の声がした。振り返ると、そこには千鶴とそばかすがコンプレックスの村上夏美が居た。
「あ、千鶴姉ちゃん。おはよーさん」
「おはようございます、那波さん、村上さん」
「あ、おっはー、二人共」
「おはよーさん」
 小太郎、ネギ、アスナ、木乃香がやって来た千鶴と夏美に挨拶をすると、二人も挨拶を返した。夏美は小太郎が居る事に首を傾げていたが、しばらくすると、素っ頓狂な声を上げた。
「あーっ、ネギちゃんの彼氏だー」
 夏美の言葉に思わずネギと小太郎は咳き込んでしまった。小太郎はアスナがあの忌々しいニヤニヤ笑いを浮かべている事に顔を引き攣らせた。木乃香と千鶴はあらあらと穏かに微笑んでいる。
「誰やねん、アンタ」
 アスナのニヤニヤ笑いにイラついた小太郎はギロリと鋭い目付きで夏美を睨み付けた。睨まれた夏美は蛇に睨まれた蛙のように縮こまった。
「小太郎、夏美さんを怖がらせないで!」
「なっ!? わ、わいは別に……」
 ネギにジロリと凄まれて、小太郎はたじろぎながら言い訳染みた事を言った。ブツブツと言う小太郎を尻目にネギは突然目の前に降り立った少女に目を丸くした。
「ザ、ザジさんっ!」
 空から降ってきたとしか思えない登場の仕方で現れたのは褐色の肌の顔にフェイスペイントのある金髪の少女だった。クラスメイトのザジ・レイニーデイだ。
 ザジは露出の多いピエロの様な衣装に身を包んでいた。ネギ達はザジにチラシを渡された。何だろうとチラシに目を向けると、上空を浮かぶ巨大な飛行船から放送が聞こえた。
『麻帆良曲芸部【ナイトメア・サーカス】、開催は全日程全日午後六時半より!! チケットは大人千五百円! 学生割引千円です! よろしくお願いしまーす!』
 チラシに記されているのと同じ内容だった。
「皆さんも……よろしければ……我がサーカスへどうぞ……」
 ザジはニコリと微笑むとネギ達にチケットを渡して飛行船から垂れ下がっている空中ブランコに向かって飛び上がって去って行ってしまった。
「あ、ありがとうございます!」
 ザジの動きにどよめきが起こる中、ネギ達は大声でザジにお礼を叫んだが、聞こえたかどうかいまいち不安だった。
「そっか、いよいよ始まるんやな」
 小太郎は目の前に立ちはだかる昨日までは無かった巨大な木造の建築物を見上げながら呟いた。パリのエトワール凱旋門をモデルにしているらしい大学の土木建築研究会が建築した学祭門だ。巨大な垂れ幕には『麻帆良祭まであと15日』と書かれている。
「麻帆良祭、楽しみだね」
 いよいよ準備の始まった年に一度の麻帆良祭にネギは胸を躍らせながら小太郎に言った。小太郎は「おう!」と言うと、学祭門を再び見上げた。
「にしても、門でこれか。実際に始まったらどんな規模なんやろうな……」
 学祭門を通ると、その向こうには様々な部活や同好会の本番前の宣伝やデモンストレーションがあちこちで行われていた。いつもとは全く異なる風景にネギと小太郎は完全に圧倒されてしまった。
「十五日も前からえらい活気やなー」
 小太郎が辺りを見回しながら言うと、千鶴がクスリと微笑んだ。
「全学園合同の学園祭よ。大学の人達は部費の殆どを学園祭で稼ぐサークルばかりだから気合が入ってるわー。開催期間中は色んな出店やイベントが目白押しの大騒ぎという訳」
「凄く楽しそうですね」
 瞳を輝かせて言うネギと同じく胸を躍らせている小太郎に千鶴は悪戯心に火をつけてしまった。
「そうでもないのよー。学園の人達、人数多い上にお祭り好きでしょう? 歯止めが効かないから去年のクライマックスに行われた『学園全体鬼ごっこ』では何と一万人の死傷者が……」
「一万人!?」
 フフフと笑みを浮かべながら怪しく言う千鶴の言葉にネギと小太郎はショックを受けて呆然としてしまった。
「コラコラ、嘘を教えない」
 呆れた様に言うアスナの言葉に千鶴の言葉が嘘だと分かり、二人はホッと胸を撫で下ろした。
「おっ、格闘大会もあるんやな。出てみっかなー」
「それなら応援に行くよ?」
「ホンマか!? 絶対に優勝するで!」
 ネギと小太郎はお祭りの雰囲気にすっかりと呑まれてしまい、男子中等部と女子中等部に道が別れるまで大はしゃぎだった。アスナと木乃香はネギの楽しそうな姿に顔を綻ばせながら、自分達も麻帆良祭に向けて気持ちを盛り上げた。

 教室で担任であるタカミチが来るのを待っている間、ネギはしきりに隣の席に視線を向けて首を傾げた。もう直ぐホームルームが始まるというのに、エヴァンジェリンと茶々丸がいつまで経っても来ないのだ。エヴァンジェリンや茶々丸に限って、何かあったとは思えないが、それでもネギは不安になった。
 チャイムが鳴って、ホームルームの時間になったというのに、タカミチが現れず、教室中がざわついた。エヴァンジェリンや茶々丸が来ていない事と合わせて、ネギは一層心配になった。
 しばらくして、教室の扉が開くと、現れたのはタカミチではなく、源しずなだった。
「しずな先生、高畑先生はどうしたのですか?」
 あやかが尋ねると、しずなは顔を翳らせた。
「落ち着いて聞いてね、みんな。実は、昨夜、高畑先生とみんなのクラスメイトのエヴァンジェリンさんが事故に遭ったの」
「事故!?」
 教室が一気に静まり返った。当然、ネギやアスナ、木乃香といった、タカミチやエヴァンジェリンの実力を知っている者は誰一人信じていなかった。だが、何かが二人に起きた事は疑う余地が無かった。
 ショックを受けた表情を浮かべる少女達を元気付けるように、しずなは微笑みながら言った。
「事故といっても、命に別状は無いそうなの。ただ、今日は検査入院で学校に来れないそうだから、代わりに私が来たのよ。明日には、二人共退院出来るそうよ」
 クラス中に安堵の空気が流れた。
「茶々丸さんはどうしたんですか?」
 裕奈が尋ねた。
「絡繰さんはエヴァンジェリンさんの付き添いで今日は学校を休んで病院に居るわ」
「あの、お見舞いに行きたいんですけど、病院はどこに?」
 和美が尋ねた。
「麻帆良総合病院よ。場所は分かるかしら?」
「えっと、中央区にある病院ですよね?」
「ええ、あまり大人数で押しかけるのは迷惑になってしまうから、行く人は四人程度代表を決めて行くようにしてね」
 ホームルームが終わり、しずなが教室を出た後、一気に教室は騒がしくなった。騒ぎはあやかが教卓に立って手を叩くまで続いた。
「とにかく、お二人のお見舞いに誰が行くかを決めましょう」
 行きたい人の希望を募ると、ほぼ全員が手を挙げた。皆、担任であり、いつも頼りにしているタカミチやクラスメイトのエヴァンジェリンが心配なのだ。
「部活などがある方はそちらを優先して下さい。四人程度の代表を決めて行くよう言われたのですから」
 あやかが言うと、渋々といった感じで殆どの手が下がった。ネギは幸い、ダンスパーティーの翌日という事で休みだ。
 最終的にクラス委員としてあやか、エヴァンジェリンと特に仲が良く部活も休みという事でネギ、顧問がタカミチである美術部員の代表も兼ねてアスナ、報道部で身の軽い和美の四人が代表としてタカミチとエヴァンジェリンのお見舞いに行く事になった。
 帰りのホームルームの後、ネギはアスナ、あやか、和美の三人と共に麻帆良中央区にある麻帆良総合病院に向かった。空を見上げると、少し雲行きが怪しくなって来ている。
「うーん、傘持って来た方が良かったかな?」
 アスナが空を見上げながら呻く様に言った。
「いざとなれば迎えを呼びますわ。さすがに、今から寮に傘を取りに戻っていたら遅くなってしまいますし」
 あやかは高級そうな腕時計に目を落としながら言った。
「あ、病院見えて来たよ」
「大きいですぅー」
 麻帆良中央区は様々な企業のビルやホテルなどが密集している地区だ。麻帆良学園内には幾つかの病院があるが、麻帆良中央区の麻帆良総合病院は特に巨大で、ありとあらゆる治療を受ける事が出来る。
 真っ白な巨大建造物を視界に捉え、和美はネギ達に言った。和美の腕の中で抱き抱えられているさよはそのあまりの大きさに仰天している。
 病院のエントランスホールに入ると、中はいかにもな病院的なイメージとは少し違った。淡い色の壁紙と美しい風景の写真や絵が飾られている事で落ち着いた雰囲気を漂わせている。
 受付はまるでホテルのようで、後ろの壁の大きな液晶モニターには催し物や治療法などの最新情報が絶え間なく流れている。あやかが受付を済ませて戻って来ると、ネギ達はあやかが持って来たお見舞い用のバッチを胸に着けてエレベーターに乗った。
「なんか、大きなエレベーターだね」
 和美が言うと、あやかは当然ですわ、と言った。
「このエレベーターは移動式ベッドに乗せられた患者さんを移動させる目的もありますから」
「あやかさんは物知りですね」
 あやかの博識に感心したようにネギが言うと、あやかは少し寂しそうな顔をした。
「昔、聞いた話ですわ」
 あやかは少しだけ昔を思い出した。前にもこの病院に通った事があった。弟が産まれる事を夢見て、何度も通ったのだ。そんなある日にこの話を聞いたのだ。
 チン、と音がして、エヴァンジェリンとタカミチが入院している部屋の階層に到着した。ナースステーションの前を通り、角部屋の名札を確認して中に入ると、そこには四人の人間が居た。ベッドの横の椅子に座っているタカミチとベッドに上半身だけ起して座っているエヴァンジェリン、エヴァンジェリンのベッドの隣で立っている茶々丸、そして、入口の前で立ち尽くしている小太郎だった。
「あれ、小太郎? 小太郎もお見舞いに来てたの?」
 ネギは小太郎が居た事に驚きながら尋ねた。だが、小太郎はネギに応えず、フラリとネギ達の横を通り過ぎて出て行ってしまった。
「小太郎?」
 ネギは去って行った小太郎の後姿を呆然と見ていると、エヴァンジェリンが咳払いをした。
「アイツは見舞いに来たわけじゃない。ちょっと話があってな。私が呼んだんだ」
「話……ですか?」
「彼の父親がこの地に現れたんだよ」
「小太郎のお父さんが!?」
 ネギはタカミチの言葉を聞いた瞬間に病室を飛び出そうとした。小太郎の父親、それは同時に小太郎にとって、村を滅ぼした仇でもある。病室を出て行く時の小太郎の様子は尋常では無かった。小太郎を愛おしく思っているネギが放っておくなど出来る筈もなかった。
 もしも、頭を大きな手で掴まれて押し留められなければ、迷わずに小太郎の下に駆けつけていただろう。
「待て」
 いつもの軽薄そうな雰囲気を微塵も感じさせず、突然現れた土御門は病室の扉を閉めると、エヴァンジェリンのベッドに近寄った。
「エヴァンジェリン、お前を襲った男はこの男で間違いないか?」
 土御門はシャツの胸ポケットから一枚の写真を取り出してエヴァンジェリンに見せた。写真には、長い黒髪の男が写っていた。
「ああ、間違いない。この男だ」
「どういう事?」
 襲ったという言葉にアスナが口を挟んだ。
「昨夜、エヴァンジェリンとタカミチはこの男に襲われた」
 見た瞬間に分かった。この男が小太郎の父親だという事を。前に年齢詐称薬を飲んだ時の小太郎ととても似通っていたからだ。
「この人、もしかして小太郎の?」
 和美が写真を覗き込みながら聞くと、土御門は頷いた。
「アイツの父親だ」
 土御門は写真をポケットに仕舞い、廊下に出た。
「ネギ、小太郎に会うのは明日にしろ。事情が少し複雑だからな」
「え、土御門君!?」
 次の瞬間に土御門の姿は廊下のどこにも無かった。
「今の方は?」
 まるで、初めから居なかったように瞬く間に姿を晦ませてしまった土御門にあやかは目を丸くした。
「どうして、会うなって……」
 本当なら、今すぐにでも小太郎を追いかけたい。追いかけて、声を掛けてあげたい。そう、強く思った。なのに、明日まで待てと言われ、ネギは不満を零した。
 小太郎は今まで、何度も自分の力になってくれた。初めて会った時も、修学旅行の時も、その後も何度も何度も小太郎に助けられた。きっと、小太郎は今、とても苦しんでいるに違いない。故郷を滅ぼした元凶である父親が直ぐ近くに居るのだ。助けになってあげたかった。
「……ギさん、ネギさん」
「え?」
 思考の海に埋没していたせいで、茶々丸が声を掛けていた事に気付かなかった。慌てて顔を上げると、エヴァンジェリンが大袈裟な溜息を洩らした。
「ったく、お前は私のお見舞いに来たんじゃなかったのか?」
 エヴァンジェリンはつまらなそうな表情で言った。
「マスター、ネギさんが構ってくれないからと言って駄々を捏ねるのは……」
「捏ねてないだろ!」
「はえ?」
 いつの間にか、あやかと和美は姿を消し、アスナはタカミチと話していた。
「あれ? あやかさんと和美さんは……」
「お二人はお見舞いに持って来てくださった花束を花瓶に移してくると先程」
「そうだったんですか、何時の間に……」
「お前がボケッとしてるからだ。ったく、最近のお前と来たら、小太郎の事ばっかりじゃないか……」
「マスター、嫉妬は見苦しいですよ?」
「誰が嫉妬しとるか、この馬鹿ロボ!」
「どう見ても嫉妬じゃないの」
 呆れた様にアスナが言った。
「べ、別に小太郎の事ばっか考えてるわけじゃ……」
「嘘吐け! じゃあ、私が最終日にお前を誘ったら私と麻帆良祭を周るか?」
 ネギはエヴァンジェリンと目を合わせる事が出来なかった。視線を泳がすネギをエヴァンジェリンはジトッとした目で見た。
「おい、何故に即答しない?」
「あ、あはは……。それより、さっきの土御門君の言ってた事ですけど」
「おい、流して誤魔化す気か?」
「小太郎のお父さんがエヴァンジェリンさんを襲ったっていうのは……」
 本気で流して誤魔化す気だ、エヴァンジェリンや見ていた茶々丸、アスナ、タカミチは顔を引き攣らせた。
「……たく、まあいい。昨夜の事だ――」
 エヴァンジェリンは昨夜起きた出来事を掻い摘んで語った。
 佐々木小次郎、吸血鬼、話し手がエヴァンジェリンとタカミチでなければ、あり得ないと一笑に付すのが普通な荒唐無稽な話だった。
「佐々木小次郎が史実上の宮本武蔵の好敵手と同一人物かは分からん。だが、吸血鬼であるのは事実だ。そして、小太郎の父親である事もな」
 何を口にすればいいのか分からなかった。逃げ道を探す様に、ネギはタカミチを見た。難しい顔をしている。その顔がこの話が真実なのだと語っていた。
「エヴァちゃんは大丈夫なの?」
 アスナが言った。ハッとなった。小太郎の事にばかり意識が向いてしまった。エヴァンジェリンも危機的状況に陥っているというのに――。
「問題は無い。いざとなれば、この地を去ればいいだけの話だ」
 淡々と言ったエヴァンジェリンの言葉にアスナとネギは絶句した。
「そんなの駄目ッ!!」
 ネギは叫んでいた。エヴァンジェリンがこの地を去る。それは別れを意味している。
 エヴァンジェリンの手配を取り下げられたのはこの地で力を封印されているからだ。封印が解かれている事が知られ、この地を去れば、その時点で再び手配されてしまう。そうなれば、エヴァンジェリンは姿を晦ますだろう。生きている間に再び会えるかどうか分からなくなってしまう。恐怖のあまり、体が震えた。
 ネギの様子にエヴァンジェリンは愉快そうに笑みを浮かべた。
「まあ、最悪の場合はという事だ。封印が解けている事はバレても、付け込む隙を与えなければどうとでもなる」
 エヴァンジェリンの言葉にネギは足がくだけてしまった。安堵のあまり大きな溜息を吐いた。
「ネギ、ちょっと飲み物買って来てくんない? コップあるみたいだし、ペットボトルのお茶かジュース適当にお願い」
 ネギに手を貸して起したアスナはポケットから財布を取り出して中から小銭を出しながら言った。
「あ、はい!」
 ポカンとした顔で小銭を受け取ったネギはコクリと頷いた。
「あ、大丈夫だよ。さっき茶々丸君が……」
「ああ、出来ればお茶で頼む。一階の自販機に大きいのがあった筈だ」
 タカミチの言葉を遮り、エヴァンジェリンは言った。
「分かりました。じゃあ、行って来ますね!」
「マスター?」
 それまで黙っていた茶々丸はネギが出て行った後に訝しげにエヴァンジェリンを見た。
「で、状況はどこまで緊迫してるわけ?」
 アスナはネギが廊下の角を曲がったのを確認してから何気ない調子で尋ねた。
「何の事だ?」
「ネギを追い払うの手伝っといて、それは無いでしょ?」
「まったく、タカミチといい、昔はもっと素直だったのにな」
 忌々しいといった顔で肩を落としながらエヴァンジェリンは言った。
「正直、この地に長々と留まれなくなったのは確実だ」
 エヴァンジェリンは言った。そのあまりの淡々とした調子にアスナは一瞬理解が遅れてしまった。
「……どうにも、ならないの? エヴァちゃん……」
「時間の問題だ。遠からず、上から私の排除命令が爺ぃに下されるだろうさ。ま、その前に逃げるよ。そうさな……、夏まで居られれば上等か」
 アスナは息を呑んだ。予想以上に時間が無かった。危機的状況だろうとは察する事が出来たが、そこまで事態が困窮しているとは思って居なかった。
「夏っていつまで……?」
「夏休みまで居られたら上等。ま、麻帆良祭までは少なくとも居られるだろうさ」
 アスナはさっきのエヴァンジェリンの言葉を思い出した。
『私が最終日にお前を誘ったら私と麻帆良祭を周るか?』
 ネギと小太郎は好き合っている。今の二人の間に割り込むのは誰であっても無理だろう。男女の恋愛というのはそういうものだ。そんな事、分かっている筈なのに、自分を優先させてみろとエヴァンジェリンは言った。
 冗談だと思った。ただ、嫉妬して言った軽口だと思った。エヴァンジェリンは最後にネギと思い出を作りたかったのだ。小太郎と一緒の思い出を邪魔してでも、作りたかったのだ。大切な友達との楽しい思い出を最後に――だけど、ネギにエヴァンジェリンが居なくなる事は言えない。そんな事を言えば、ネギは笑顔を作れないだろう。エヴァンジェリンと居るだけで涙を流すだろう。そんなネギと楽しい思い出など作れる筈が無い。ネギが笑顔で無ければ、意味が無いのだ。
「どうしたの、アスナ?」
 背後の扉が開き、あやかと和美とさよが入って来た。和美は地面に座り込んでいるアスナに怪訝な視線を向けながら首を傾げた。
「ちょっと病院に纏わる怪談を話してやったら腰を抜かしたんだよ」
 エヴァンジェリンは呆れと嘲笑の入り混じった表情を巧みに作り出して言った。アスナは哀しみを必死に押さえ、怒りの感情だけを僅かに顔に滲ませた。
「エヴァちゃんのはリアリティーがありすぎるのよ!」
 憤慨するアスナにあやかと和美は呆れた顔で肩を竦めた。
「うう、この病院に怪談なんてあるですかぁ? お化け、怖いですぅ」
「本物が何を言ってるんだか……。にしても、ちょっと興味あるかも! ねね、どんな話だったわけ?」
 和美は興味深そうにメモ帳を開いた。

「ねえ、ネギっちはどこ行ったの?」
 窓を雨粒が打ち始めた頃、和美は戻って来ないネギの事に首を傾げた。
「そう言えば、お茶に買いに行かせてもう一時間……。もしかして、病院内で迷子?」
「お茶を買いに? ですが……」
 アスナの言葉にあやかはタカミチのベッドのサイドテーブルの上の茶葉の缶を見て首を傾げた。
「ちょっと込み入った事情があるのよ! それより、迷子になってるなら探しに行かないと」
 アスナは足早に廊下に飛び出した。和美とあやかが出て来る前に顔をピシャリと叩き、気持ちを切り替えた。
 アスナ、和美、さよ、あやか、茶々丸の五人は病院内を探す事にした。エヴァンジェリンとタカミチも探すのを手伝おうとしたが、あやかが断固として受け付けなかった。ネギの事も心配だが、怪我人に無理をさせる事は出来ないと。
 麻帆良市中央区麻帆良総合病院は複雑な構造の上、とても広い。ネギを捜しながら、迷子になっているのだとしたらかなり不安になっているに違いないとアスナは初めてネギと出会った時の事を思い出していた。
「泣きべそかいてないといいけど……」
 誰かに道を聞こうともせず、一人で泣きべそを掻いていたネギ――実際にはカモが一緒だったのだが――ああいう姿は見たくない。
「やっぱり、ネギに何とかエヴァちゃんと心に残る思い出を作らせないと……」
 二人に悔いの残る真似はさせたくなかった。その為にはネギにエヴァンジェリンが去る事を伝えずに麻帆良祭で最高の思い出が残るように楽しませないといけない。

 病院内にネギの姿が無い。その事を理解したのは病院中をくまなく探し回り、五人が玄関口に集合した時だった。あやかが受付で院内放送で呼び出してもらえないか尋ねると、あやかの語る容姿に酷似した少女が血相を変えて院内から外へ飛び出すのを見たというのだ。
 留学生の多い麻帆良といえど、外国人はそれだけで目を引く上に、ネギの鮮やかな赤い髪と可愛らしい容姿はどうしても人の視線を惹き付ける。院内を走って出て行ったというのだから尚更だろう。
「血相を変えて、というのが気になりますわね」
 あやかは窓から雨の降頻る外を見つめて言った。傘を持っていない筈だから今頃困っている筈だ。あやかはエントランスホールの隣の部屋にある売店でビニール傘を四人分買った。
「とにかく、この激しい雨ではどこかで立ち往生しているでしょう」
「んじゃ、ネギっち捜索と行きますか」
 和美はあやかから傘を受け取ると、さよを肩に乗せたまま玄関口に向かった。その和美を止める声があった。茶々丸だ。止められた和美は怪訝そうな顔で茶々丸を見る。外は大雨だ。傘を持っていない筈のネギはどこかで立ち往生しているだろう事は簡単に想像出来た。血相を変えて走って出て行ったというのも気になる。何かあったのではないだろうか。そう考えると、すぐにも探しに出るべきだと、つい批判的な視線を向けてしまった。
 茶々丸は和美のそんな視線を無視してアスナに顔を向けた。
「アスナさん、|仮契約(パクティオー)のカードを出して下さい」
「仮契約の? あ、そっか!」
 茶々丸の言おうとしている事がアスナには直ぐに理解出来た。むしろ、ネギが迷子になっていると考えた時点でそれをするべきだったのだと、アスナは自分の愚かさに嫌気が差した。
「え、どういう事?」
 仮契約について詳しく知らない和美とさよ、あやかの三人は一様に首を傾けた。
「仮契約カードとは、アスナさんとネギさんが交わされている契約の印です。魔力のラインを結んだり、アーティファクトの召喚を可能にするなど、様々な能力があるのですが、その中に|念話(テレパティア)という機能が存在するのです」
「テレパティアとは?」
 聞きなれない単語にあやかが尋ねた。
「念話という意味です。簡潔に言えば、契約を結んだ互いの思考をリンクさせて離れた場所でも会話する事を可能にするのです」
 和美は既に念話というものを知っていたが、魔法に触れたばかりのあやかにとっては驚きだった。
 あやかがその利便性について考えている間にアスナは手早くポケットから仮契約カードを取り出して、周囲に人が居ない事を確認し、受付に見えないようにこっそりとカードを額に当てた。
『ネギ、聞こえる?』
 心の中でネギに呼び掛けた。しばらく待ったが、反応が無い。念話が通じていないのかと焦燥に駆られ、アスナは何度も繰り返し心の中で叫んだ。
『アスナさん……?』
「ネギ!」
 思わず声に出てしまった。受付の人が訝しげな眼を向けているのが分かる。和美とあやかが気を利かせて適当に会話を始めた。受付の人の視線が逸れたのを確認してからアスナは改めて念話を送った。
『ネギ、大丈夫なの? 今、どこに居るの?』
『え!? その、ちょっと……』
 歯切れの悪いネギにアスナは焦れた。
『何かあったのね!? 敵なの!? それならさっさと私を召喚しなさい!』
 しばらく間があった。嫌な予感がする。まさか、ネギは自分を召喚しないで再び自分だけで危機に立ち向かおうとしているのではないか。怒りが湧き起こった。何度目だろう、ネギがパートナーである自分に助けを求めなかったのは……。
 思わずカードを握りつぶしてしまわないようにしながらネギの返答を待つのは並大抵の忍耐力では無かった。返答次第ではすぐ横の壁に大穴が空いてしまうかもしれない。
『えっと、戦いとかじゃなくて……その、探してて……』
『探し物? 何か失くしたの? それなら手伝うわよ』
『あ、いえ……。手伝ってもらうほどの事じゃなくて……え?』
『どうしたの?』
『あれ……小太郎? じゃ、ない……あれ……え?』
 それっきり、ネギの声が聞こえなくなってしまった。
『ネギ!? ちょっと、返事をして! どうしたの!?』
 アスナは只事では無い気配を感じ、何度も何度も怒鳴るように念話を送った。だが、一向に返事は返って来なかった。
「ちょっと、どうしたの!?」
 アスナの様子がおかしい事に気が付いた和美が声を掛けた。
「ネギが……たぶん、誰かに襲われたんだと思う」
「なんですって!?」
 あやかは険しい顔でアスナに事情を説明させた。アスナは語っていく内に頭の中で何かが引っ掛かった。ネギの発した言葉の中にヒントがあった気がする。
「アスナさん、もしかするとネギさんはさっきの病室での会話を聞いてしまったのではないですか?」
 茶々丸が言った。
「どういう事? 会話って何の事?」
 和美が聞いた。
「……この件は出来るだけ内密にして頂きたいのですが――」
 茶々丸は病室での会話をあやかと和美とさよに話して聞かせた。話を聞く内に感の良いあやかと和美には茶々丸の考えが理解出来てしまった。
 あやかは直ぐに行動に出た。携帯電話を使い、伝手を頼りネギの捜索隊を出してもらった。
「え、どうしたの!?」
 ネギへの怒りとネギが襲われたことに対する恐怖と不安で頭の中が混乱し、戸惑った顔をしているアスナに和美は言った。
「もし、アスナ達の会話をネギっちが聞いてたなら、エヴァっちが居なくなるって聞いて黙っていられる性格だと思う?」
 思わない。思わないが、アスナにはそれが今のネギの行動とどうにも結び付かなかった。
「わかんない? エヴァっちを学園に居させるには方法は一つしかないじゃん。ネギっちは多分……」
「小太郎のお父様を探しに行った。そして、念話の途切れ方から推測しますと……」
 和美とあやかの言葉にアスナは漸く事態を理解した。アスナとエヴァンジェリンの話をネギは聞いてしまった。そして、エヴァンジェリンが麻帆良を出て行かずに済む方法を考えたのだろう。犬上小次郎がエヴァンジェリンの封印の件について報告してしまう前に見つけ出し、口封じをするという方法を……。
 アスナは思わず噴出してしまった。なんて馬鹿げた発想をするのだろうと。ネギが口封じの為なんて理由で誰かを殺めようとするなんて、そんな事ある筈が無い。だが、どうしても気になる事があった。念話の先で、ネギは誰かを小太郎と見間違えたような事を言っていた。以前、小太郎のダンスパーティーの練習の為にカモが取り寄せた年齢詐称薬によって、ネギは小太郎の大人になった姿を見ている。小次郎の容姿がその小太郎の大人になった姿に似ていたとしたら……。
「さすがに口封じとかは無いと思うわ。けど、小次郎に遭遇した可能性は否定出来ない。いいんちょ、アンタは小太郎と刹那さんに連絡して。和美はエヴァちゃんとタカミチに知らせて来て。茶々丸さんは私と一緒に来てくれる?」
 アスナは手早く指示を出した。相手はエヴァンジェリンやタカミチをも倒した強力な力を持つ吸血鬼だ。時間は無駄に出来ないし、人でが少しでも欲しい。
 あやかと和美はアスナの指示にすぐに従った。あやかは小太郎と刹那に携帯電話で連絡し、和美は走りはしないものの、大急ぎでエヴァンジェリンの病室に戻った。二人共裏の異常事態に関しては自分達よりもアスナの方が的確な指示が出せる事を理解していた。
「アスナさん、恐らくネギさんを発見すればそのまま戦闘になります。私は一度対吸血鬼用の装備を用意しに行きます」
「待って下さい」
 茶々丸が玄関口に急ごうとした時、あやかが待ったをかけた。一刻も早く行動すべき時になんだ、とアスナは思ったが茶々丸は既に安心したような笑みを浮かべていた。
「なるほど、犬上小太郎はネギさんのマスターになっていましたね。ですが、万が一に備えます。犬上小太郎は……ここより北西の商業地区にある倉庫街に居るようですね。アスナさんは先に行っていて下さい」
 段々と落ち着きを取り戻してきたアスナは漸く理解する事が出来た。数日前、ネギが襲撃された時、小太郎とネギは仮契約を交わした。その時にネギの延命の為に小太郎がマスターになったのだ。
「そっか、小太郎ならネギを召喚出来るんだ……。了解、先に行って合流する。いいんちょ、小太郎に可能ならネギに私を召喚させるように言っておいて。なるべく人を避けて行くからタイミングは気にするなって」
「わかりましたわ」
 アスナは茶々丸と頷き合い、あやかにバッジを渡して外に出た。タクシーを拾おうとも思ったが、咸卦法を使えば走った方が速い。傘を差して人気の無い場所まで来ると、アスナと茶々丸は高層ビルの屋上に跳んだ。茶々丸は背中のブースターがあるがアスナは何度か壁を蹴ってどうにか屋上に辿り着いた。
「傘は……差してたらさすがに壊れちゃうよね。それじゃ、先に行ってるね」
「はい。ただし、万が一にも犬上小次郎と遭遇した場合には無理はしないで下さい。直ぐに撤退、出来なければ足止めのみで、可能な限り早く駆けつけますから」
「了解……」
 エヴァンジェリンとタカミチが同時に掛かって敵わなかった相手。勝とうとは思ってはいけない。それを肝に銘じながら茶々丸と別れ、アスナはビルの屋上を飛び移りながら商業地区を目指した。雨の中、傘も差さずに空を見上げる人間はそうは居ない。おかげでビルの上を飛び跳ねるアスナの姿が目撃される事は無かった。そうでなくとも、余程目の良い人間でも今のアスナの速度を眼で追う事は不可能だっただろう。
 商業地区にはものの数分で到着した。地面を蹴る度にビルの屋上に大きなヘコミを作ってしまったが、そこは後でタカミチに相談する事にしようと考えながらアスナは小太郎がどこにいるのかを探した。雨で視界が悪く、目で探すのは早々に諦め、アスナは小太郎とネギの魔力を探った。二人の魔力は直ぐに察知出来た。二人の居る場所に向かって跳び、地上に降り立つと、アスナは我が目を疑った。
「ネ……ギ?」
 瞳を赤く輝かせ、蕩ける様な笑みを浮かべ、ネギはその華奢な両手を小太郎の首に沿わせていた。小太郎が驚きと苦悶の表情を浮かべていなければ、小太郎の体が僅かに浮いていなければ、それは官能的な場面に見えたかもしれない。
――――ネギは小太郎の首を絞めていた。



[8211] 魔法生徒ネギま! [第八章・祭りの始まり編] 第四十四話『アスナとネギ』
Name: 我武者羅◆72324423 ID:76577b36
Date: 2011/08/02 00:09
 雨をいつの間にやら止んでいた。
 自分の首筋に細く冷たい指を沿わせている少女の幼い身体は雨水に濡れ、着ている服が透けて色白の肌が露わになっている。
 ネギは悪戯っぽい笑みを浮かべると首筋から手を離した。そのまま、小太郎の胸に凭れ掛かった。
 細いうなじが目前に晒され、小太郎は生唾を飲み込んだ。
「小太郎」
 小太郎の名前をネギはため息混じりに呼んだ。
 甘く悩ましい声が湿った空気を満たした。まるで果てたばかりのような頭のクラクラする感覚を覚えた。
 ネギは痺れたように動けないでいる小太郎の学生服のボタンをゆっくりと外した。
 ワイシャツのボタンも外して服の前をはだけさせるとネギは手を擡げて、掌を小太郎の胸にソッと沿わせた。
 触れている場所から伝わってくる熱が、まるで焼印のように胸を焦がした。
「ねえ、私がどれほど貴方を愛しているか知ってる? ――ねえ、小太郎」
 小太郎の胸に置いた手をゆっくりと下へと滑らせて、ネギは小太郎の胸から腹へと灼熱の道筋を残した。
 小太郎は喉下に何かが詰まってしまったかのように息が出来なくなった。
 ネギは妖艶な眼差しで小太郎の顔を見上げ、鮮血の如く赤い舌の先端で唇を濡らした。
「ネギ――」
 小太郎はなんとか声を押し出して、ネギの名を呼んだ。自分でも驚く程切羽詰っていたらしい、酷く掠れた声だった。
 ネギは小太郎が自分の名を呼んだ事に悦び、今度は首を抱き締める様に腕を回した。
 ネギの顔がその甘い吐息を唇に感じる程に近づく。その唇を貪りたい。それは甘美な誘惑だった。
 意図しての事なのか、ネギの服は僅かに肌蹴、可愛らしい彼女の髪色に似たピンク色のブラジャーが見えた。下腹部から広がる情欲を抑えるのは極めて困難な試練だった。
「って、人に心配掛けといて、何やってるのよ!」
 小太郎を押し留めたのはいつの間にか眼と鼻の先に立っていたアスナの声だった。
 アスナは顔を真っ赤に染め上げながらわなわなと怒りと羞恥に身体を震わせていた。
 ネギはお構いなしらしい。瑞々しい唇を小太郎の唇に押し当てた。
 小太郎は抗おうとしたが、己の内なる獣は鋭い爪をもって胸を内側から引き裂いて出て来ようとする。
 辛うじて正気を保ち、自らに唇を押し付けている小柄な少女を押し倒さないで居られるのはアスナの存在があるからだった。
 アスナの視線が厳しくなるのを感じて、小太郎は慌てた様子でネギの双肩を掴んで引き離した。
 小太郎の唇に夢中になっていたネギは引き剥がされたショックで瞳を潤ませた。ネギの哀しげな表情に深い罪悪感を感じた小太郎は咄嗟に謝ろうとした。それをアスナが遮った。
「ネギ、アンタ、人に心配掛けといて何してんのよ!」
 苛々した口調だった。アスナは自分でも抑えきれない怒りに身体を支配されていた。
 幾度と無く抑えてきたネギに対する苛立ちが不意に爆発したのだ。
 本当ならば、ネギの無事に安堵し、小太郎との逢瀬を存分に楽しませてあげる為に気を使うべきだと理性が告げているのに、アスナはその選択が出来なかった。
「みんな、心配してたのよ? アンタに何かあったんじゃないかって!」
 アスナはネギに対していつもいくつかの我慢をしていた。
 事件が起こる度に自分を責める事、なにより、真のパートナーである筈の自分の存在を軽んじている事だ。
 ネギがアスナを軽んじるつもりなど無いだろう事は分かっている。アスナを大切に思うからこそなのだろうと十分分かっている。
 アスナが言いたいのはそれでも自分を頼って欲しいという事だ。
 ネギを護りたい、そう思ってエヴァンジェリンがネギに挑戦して来たあの夜にアスナはネギと契約を交わしたのだ。
 どんな危機的な状況だろうと、ならばこそ、自分をネギ自身の剣として使って欲しかったのだ。
 悪魔使いがエヴァンジェリンを狙った日、ネギもまた悪魔使いの放った伯爵クラスの悪魔と遭遇した。確かに、アスナ自身も只ならぬ状況に身を置いていたが、ネギから助けを求める声は終始掛けられなかった。
 修学旅行の日、ネギは敵の強者を相手に一人囮となった。余裕があると思って任せたというのに絶体絶命の危機に陥った。自分を呼べば状況を打開出来るとネギは分かっていた筈だ。結局、ネギはアスナを召喚ばなかった。
 少し前のネギを襲った襲撃者の襲来の際もネギは一度としてアスナに助けを求めようと行動をしなかった。あの時、ネギが仮契約のカードを使ってくれていたら事態は変わっていたかもしれないのにだ。
 今回の事もそうだった。今のネギの様子がおかしい事は気付いている。
 小太郎にあんな風に大胆な態度を取れる子ではないとこの学園の誰よりも一緒に居る自分が一番よく知っている。
 つまり、敵に遭遇したのだ。そして、何らかの呪いを受けたに違い無い。それが自分(アスナ)を召喚していれば、もしかしたら回避出来たかもしれないじゃないかとアスナの怒りに油を注いだ。
「エヴァちゃんなんて、麻帆良から去らないといけないかもしれないって泣いてたんだよ? それなのに、こんな風に心配させて――何してるのよ、アンタは!」
 俯きながら、感情を吐き出す様に言った。
 直ぐに激しい後悔の波がアスナを襲った。こんな事を言うつもりは無かった。ネギにこんなにも酷い言葉を浴びせかける自分自身が信じられなかった。
「え……?」
 謝ろうと顔を上げたアスナはポカンとした表情を浮かべた。
 ネギはアスナを見ていなかった。小太郎の腰に手を回して顔を小太郎の胸に押し付けてまどろむような表情を浮かべている。
 一瞬、何が起きているのか理解出来ず、立ち尽くしていたアスナは自分がネギに無視された事に気付いた。
 カッと頭の中が怒りで真っ白に染まった。
 アスナは我を忘れて走り寄り、ネギの――小太郎の腰に回している――手首を掴み上げると、乱暴に小太郎から引き剥がした。
「私を無視するなんて――どういうつもりよ、ネギ!」
 アスナはネギを厳しい目で睨みつけ、歯を食い縛るように怒鳴りつけた。
 ネギは驚いた表情を僅かに浮かべたが、すぐにその表情は溶けて消え、変わりに憎しみに満ちた表情に変わった。
 ネギにそのような顔を向けられるとは思っていなかったアスナは更に怒りを強めた。
「私の邪魔をしないで」
 ネギは怒りを露わにして唸るように言った。
 睨み合い、怒りをぶつけ合う二人に小太郎は慌てて声を荒げた。
「ちょっと落ち着けや、二人とも!」
 今にも杖と剣を抜き放ちそうな空気を発する二人の間に小太郎は割って入った。
「そこどきなさい、小太郎!」
「小太郎に怒鳴らないで!」
「いい加減にやめや、二人とも!」
 二人を落ち着かせようと、小太郎は両腕を二人の間に広げて威圧的な声色で怒鳴った。
 アスナは興奮で頬を上気させ、瞳は憤怒を映した光を放っていた。
「どないしたんや、アス――」
「駄目!」
 アスナに声を掛けようとすると、ネギが小太郎の伸ばした腕を掴んで自分の所に引き摺り込んだ。
 不意の事に意識が混乱してバランスを崩した。小太郎はネギの胸に倒れこみ、ネギは小太郎の重さを支えきれずに一緒に倒れこんでしまった。
 小太郎が何事か言おうと口を開く前にネギは小太郎の顔を自分の胸に埋めた。
 顔面に押し当てられたネギの胸は特有の柔らかさがあり、素晴らしく気持ちが良かった。鼻腔をくすぐるネギの発する甘い臭いに頭の中が蕩けてしまいそうだった。
「私以外を見ないで」
 小太郎はネギの言葉に思わず頬を緩ませたが、直後にアスナが憤然と地面を踏みつけるのを視界の隅で捉えて慌ててネギの胸から顔を引き剥がした。
 動揺しきった心を落ち着かせるために目を瞑り、大きく息を吸い込んで再び目を開けた。仄かに頬を染めるネギの可愛らしさに、折角鎮めた心が再び大きく揺れ動いた。耳を駆け巡る血流の音が煩いくらいに激しくなった。
 この肌に舌を滑らせたい。アスナが直ぐ近くに居るというのに、今この場で組み敷いて情欲のままに服を脱がせてしまいたいと小太郎は本気で思った。
 ネギの全てを味わいたい。女の身体だけではなく、男の身体も愛すれば、自分がどれだけネギを愛しているかを分かって貰えるのではないか、そんな危険な方向に思考がずれ始めた時、アスナが低く唸り、一歩一歩近づいて来た。
 アスナが地面を踏み締める度に石畳の地面が砕けて皹が広がった。
「なんでよ」
 アスナは吐き捨てる様に言った。
「なんで、小太郎(ソイツ)ばっかり」
 怒りの矛先がどういうわけか自分に向いているのを感じて小太郎は困惑した顔でアスナを見るとギョッとした表情になった。
 アスナは両目から涙を流していた。悔しさや哀しさや怒りや羨望、様々な感情の入り混じった表情を浮かべ、アスナはポケットに手を突っ込むと、仮契約のカードを取り出した。
「お、おい!?」
「アデアット」
 小太郎が静止する暇も無く、アスナはカードからアーティファクトを出現させた。
 アスナの心が乱れている為か、顕現したのは両刃の決着をつける女王の剣(エクスカリバー)では無く、片刃の破魔之剣(ハマノツルギ)だった。
 破魔之剣はアスナの怒りに呼応するかの様に刺々しい光を放っていた。
「私の事を――――」

 アスナは顔を歪めて破魔之剣を振り被った。あまりの驚きに口が利けなくなった。
「本気か……」

 小太郎は恐怖に顔を引き攣らせて、喉の奥から声をなんとか絞り出した。
「――――無視するな!」

 小太郎は阿呆のように口を開け放して振り下ろされる破魔之剣の刀身を見ていた。どうしてこんな事になったんだろう、小太郎は迫り来る刀身を前に目を瞑った。
「アデアット」
 本気で死を覚悟していた小太郎はいつまでも痛みが来ない事に疑問を抱いた。もしかすると、痛みのあまりに脳が咄嗟に痛覚を遮断してしまったのかもしれない。
 恐る恐る目を開けた。小太郎は呆気に取られた表情になった。アスナの手に握られていた破魔之剣が霞のように消えていた。
 剣を振り下ろした体勢のままアスナ自身も信じられないという目付きをしながらネギを見ていた。アスナの破魔之剣がネギの手に収まっていたのだ。
「そうか、千の絆(ミッレ・ヴィンクラ)……」
 従者の使うアーティファクトを召喚可能なネギのアーティファクト。
 従者の召喚中のアーティファクトまで自分の手元に召喚出来るとは思っていなかった。
「どうして邪魔をするの?」
 ネギは彼女に似合わない刺々しい声色で言った。
「邪魔って何よ」
 アスナは歯を軋らせながら言った。
「どうして――、どうして、私の気持ちを分かってくれないのよ!」
 アスナの身体から黄金の光が湯気のように噴出した。
 耳鳴りのような音が響き、ネギの手に握られていた破魔之剣の形が奇妙に歪み始めた。
 ネギの目が見開かれた。破魔之剣がまるで空気に溶けるように消滅した。
 送還呪文(アベアット)を唱えたわけではない。アスナがネギの手から破魔之剣を奪い返したのだ。
 アスナの手の中で破魔之剣に生じた歪みが徐々に収まっていく。完全に破魔之剣が元の形を取り戻した瞬間、アスナはネギを睨みつけた。
 アスナは感情を発露するように雄叫びを上げ、破魔之剣を振上げ、ネギに向かって振り下ろした。振り下ろされる中、破魔之剣は強烈な光を放った。その姿は片刃から両刃に変貌した。
 ネギは一直線に迫るエクスカリバーを真横に避けた。その瞳はアスナと同様に怒りに満ちていた。
 広げた掌をアスナに向けると、強烈な光を伴う魔弾が飛び出した。
「お、おい、二人共!」
 互いに本気で戦っている事を悟ると、小太郎は慌てて二人の間に割って入ろうとした。
 その瞬間、ネギの放った光はアスナの――正確にはエクスカリバーの――完全魔法無効化場の範囲に入る寸前で破裂した。眼に突き刺さる様な閃光にアスナと小太郎は咄嗟に目を瞑った。
 目を瞑ったまま、小太郎は連続する破壊音を聞いた。
 ゆっくりと回復した視界に入ったのはネギがサギタ・マギカをアスナに向けて放つ光景だった。
 無論、アスナには一撃たりとも魔弾は当っていない。よく見ると、アスナが無効化しているわけでは無かった。全ての魔弾がアスナの周囲の地面に向かっているのだ。
 何をしているのかという疑問は直ぐに晴れた。
 破壊された地面に向かってネギは風を操った。地面の欠片が浮き上がり、そこに風の魔弾が衝突した。
 浮き上がらせる時に同時に欠片一つ一つに強化の呪文を掛けたらしい、魔弾のぶつかった欠片は破砕する事無く、アスナに向かって一直線に飛んでいく。
 ネギはアスナとの戦い方を熟知した戦い方をしている。
 アスナの完全魔法無効化能力は強力だ。あらゆる攻撃魔法が無効化されてしまい、召喚魔法は強制送還され、操作魔法も解除される。
 ネギの放った風の魔弾によって吹き飛ばされる地面の欠片は強化は無効化されるが操作しているわけでもない為に勢いは止まらずアスナに向かって飛んで行く。
 アスナは飛来する地面の欠片を咸卦の力で受け止めて勢いを殺し、殺しきれなかった欠片は僅かな動きで躱した。


 小太郎は早々に止めなければまずいと思った。ネギとアスナではアスナの方が圧倒的に強い。
 完全魔法無効化能力だけでなく、前衛と後衛という面でも相性が悪い。身体能力(スペック)も比べる以前の問題だ。更にアスナは咸卦法という究極技法を身に付けている。戦い方が分かっていてもネギがアスナに勝つのは絶対に無理だ。
 とはいえ、ネギが弱いわけでは断じて無い。完全魔法無効化能力などという反則が無ければネギの圧倒的な火力を前にアスナは満足に動く事も出来ずに敗北するだろう。
 その二人の間に割ってはいるのがどれだけ自殺行為なのか、小太郎は一瞬顔を青褪めさせた。
「って、怖がっとる場合やない」
 息を深く吸った。戦況は大きく様変わりしていた。ネギはいつの間にか呼んでいたらしい『杖』に乗り、弾幕を張りながら高度を上げている。
「そうか、アスナの姉ちゃんは空を飛べない」
 飛行能力の有無は持つ方に圧倒的なアドバンテージを与える。距離感が掴み辛く、死角が大きくなる。なによりも近接武装や接近技が意味をなさなくなる。
 アスナは修学旅行の時に編み出した、咸卦の力を刀身に集中させ、斬撃に乗せて放つ『竜王斬(カリバーン)』を上空で縦横無尽に飛び回るネギに向けて放つが全て躱されている。
 アスナはまだ咸卦の力を完全にコントロールする事が出来ず、竜王斬は一直線にしか飛ばないのだ。
 夜空に向かって黄金の光が幾筋も伸びるがネギには一撃も当らない。四度目に斬撃を放ったアスナは竜王斬でネギを撃ち落とす事を諦めたらしく、咸卦の力を刀身に集中させずに上空から冷気の魔弾を放つネギを見上げた。


 今がチャンスだ、小太郎は二人を止める為に動こうと構えた。
 冷気の魔弾が地面を氷結させ、周囲の温度を急激に低下させていく。吐く息が白くなった。エヴァンジェリン直伝のネギの氷の魔法は強力だ。直撃すれば凍傷では済まないだろう。
「獣化すれば……」
「まあ、待て」
 突然、背後から細く白い手が小太郎の肩に伸びた。ギョッとしたが、直ぐにその声の主が誰だかを思い出した。
「なんで止めるんや?」
 振り返るとエヴァンジェリンが立っていた。その隣には茶々丸の姿もある。
「私が本気を出せば一瞬で二人を止められる――――今はまだな。だから、今の内にあいつらをぶつかり合わせておきたい。互いを殺そうとするくらい本気でな」
 小太郎はエヴァンジェリンの言葉が理解出来なかった。
 エヴァンジェリンは間違いなくアスナとネギを大切に思っている筈だ。互いを殺し合わせる事になんの意味があるというのか。
「小太郎、お前がネギと出会う前、私はネギを殺そうとしたんだ」
 自分でも驚く程の手際で片腕だけを真っ黒な毛皮の獣の前脚に変化させてエヴァンジェリンの心臓に向けて振るった。
 茶々丸が咄嗟に抑えようと小太郎の変化した腕をエヴァンジェリンの首に到達する寸前に捕らえたが、茶々丸の腕は何の抵抗にもならなかった。
 直後、甲高い金属がぶつかり合うような音が響いた。鋼鉄をも容易く切り裂くように変化した小太郎の獣の爪をエヴァンジェリンの細い指が止めていた。
 小太郎が眼を細めると、エヴァンジェリンは空いた方の手で小太郎のおでこを目にも止まらぬ速さで――小太郎の眼や茶々丸のセンサーすら捉えきれぬ速度で――小太郎のおでこにデコピンをした。
「いつっ!」
「土御門の言うとおりだな」
 おでこを抑えて悶えている小太郎を見てエヴァンジェリンは言った。小太郎もエヴァンジェリンの言葉の意味が分かっているらしく、気まずそうな顔をした。
「多分、小次郎が近くに居ると自覚したからだろうな。探そうと思えば探せるだろう――探すなよ?」
 エヴァンジェリンは念を押すように言った。小太郎は青褪めた顔をしていた。
 エヴァンジェリンがネギを殺そうとした。その言葉を聞いた瞬間、驚くより先に勝手に身体が動いていた。
 ゾッとするのは途中で自分が止めようと欠片も思わなかった事だ。
「さっきの続きだが」
 エヴァンジェリンはそんな小太郎の様子を無視して話を続けた。
「あの時は未だ、ただの――と言っても常識外の身体能力(スペック)と完全魔法無効化能力を持っていたが――女子中学生だった神楽坂明日菜はネギと仮契約を交わした。ただ、あの馬鹿娘を護りたいと何の損得勘定もせずに命懸けの戦いだと理解した上で戦場に立った」
 小太郎はアスナや木乃香、刹那と仮契約をしているのは知っていたが、自分がネギと出会う前に彼女達とどのような経験をして来たのかを聞いた事が無かった事を今更思い出した。
「お前や刹那は元々心構えは出来ていただろう。木乃香は刹那に対する愛情があったから。和美だって、長い間一緒のクラスでそれなりに仲が良かったから、修学旅行の日、友の為に命を投げ出すような真似をした。アスナだけは違うんだよ。出会ってからほんとに僅かな時間を過ごしただけの、本当に赤の他人と言っていい間柄だったネギの為に命を懸けたんだ」
 確かにそれは賞賛すべき事だし、少し異常じゃないかとも思った。
 だが、小太郎にはそれが今二人の戦いを止めない事と何の関係があるのかが分からなかった。
「私が言いたいのはな、戦場に立つ為の覚悟の度合いさ。初めての命を懸けた戦場。それも、前準備も無し、それまで平凡な日々を送っていた人間が突然そんな中に叩き込まれて、出会ったばかりの他人の為に戦う決意をする。それがどれくらい凄い覚悟か分かるか? ただの馬鹿と片付けて良い事だと思うか?」
 小太郎は段々とエヴァンジェリンの言いたい事が分かってきた気がする。
「で、何でネギに喧嘩なんか売ったんや?」
 小太郎は視線をネギとアスナの戦いに戻しながら問い掛けた。
「ネギにでも聞いてみろ。それより、動くぞ。見逃すには惜しい戦いだ、よく見ておけ」
「一つ聞かせてくれへんか?」
 二人の対決から視線を微塵も動かさずに小太郎が口を開いた。
「なんだ?」
「アンタの口臭、それどういう事や?」
「人の口が臭いみたいに言うな! タカミチに吸血させてもらったんだ」


 それまで冷気の魔弾を両足に咸卦の力を集中させ、アスナは跳んだ。迫り来るアスナから逃れようとネギが移動するとアスナは虚空瞬動を使い追って来る。
「マークシマ・アクケレラティオー」
 杖に最大加速の呪文を使う。一気に加速する杖の進行方向にアスナは竜王斬を放つ。
「ラピデー・スプシスタット!」
 間一髪で停止の呪文を唱え、目の前を過ぎる竜王斬の黄金の軌跡を回避した。だが、アスナが目の前まで迫って来ていた。
「マークシマ・アクケレラティオー」
 エクスカリバーが振り下される寸前にネギは地面に向かって最大加速した。
「ウエンテ!」
 地面に激突する寸前に風を操り、風をクッションにして地面に降り立つとネギは杖を振り被った。
「コンフィルマーティオー・フルミナーンス!」
 ネギの呪文によって雷霆を迸らせた杖が一直線にアスナに向かって飛んだ。
「な、何しとんねん!」
 いつの間にか二人の戦いに見入っていた小太郎はネギの突然の愚行に声を荒げた。アスナの魔法無効化能力の前ではあんな攻撃は意味をなさない。
 アスナもそう考えたのか杖を弾き返そうとエクスカリバーで薙ぎ払おうとした、その瞬間だった。杖に篭められた雷が突如破裂し、轟くような音と凄まじい光がアスナを襲った。
 意識を乱されたアスナは虚空瞬動で体勢を整える間も無く地面に落下した。
 咸卦の護りのおかげでかなり高い場所から落下したにも関らず無傷で立ち上がったアスナは直ぐに立ち上がり杖を呼び戻しているネギの姿を視界に捉えた。
 間一髪で杖を最大加速させてアスナの剣から逃れたネギはニヤリと笑みを浮かべ、直ぐに距離を詰めるべくアスナに向かって最大加速した。
「くあっ!?」
 アスナは剣が空を切った事でよろめいた。体勢を整え直そうと前に足を踏み出すと、突然足場が消滅してしまった。
 その場所は最初にネギが魔弾で破壊した地面を氷の魔弾で埋めた場所だった。アスナが無意識に無効化させてしまい、氷が一瞬にして空気に戻り足場があると思っていたアスナの身体は完全にバランスを失い倒れそうになった。
 ネギがアスナの腹部に拳を叩き込んだ瞬間、ガラスの割れる様な音が響いた。
「あ、ああ……」
 アスナはネギの顔を見た途端にそれまで抱いていた怒りが吹き飛んでしまった。よろよろと首を振りながら後ずさるネギのその顔はまるで悪い事をしてしまったのを親に見つかった子供の様だった。
「私の負けか……」
 アスナは吐き出す様に呟いた。
「アスナ……さん?」
 ネギが瞳を揺らしながらアスナの顔を見上げるとアスナはつかつかとネギに歩み寄った。
 ネギは怒られると思って身を竦ませ、目を瞑った。だが、打たれる痛みも怒鳴られる衝撃も訪れなかった。ただ、柔らかい何かが自分を包み込むのを感じた。
 恐る恐る眼を開くと、アスナがネギを抱き締めていた。
「ごめん、酷い事して」
 ネギは咄嗟に違うと叫んだ。謝るべきはアスナでは無いと。何故か記憶が曖昧だったが、アスナの目の前で非常識な行動をしたり、アスナを無視してしまった事は覚えていた。
「アスナさんは悪くないです。わた、私が……私の方こそアスナさんに酷い事――」
「そんな事はいいの!」
 アスナの悲痛な叫びにネギは言葉を飲み込んだ。アスナはギュッときつくネギを抱き締めた。その身体は弱々しく震えていた。
「ねえ、聞いて。私は……、私はね、心配なのよ。ネギの事が」
 頭の上から冷たい雫が流れ落ちて来た。ネギはアスナが泣いている事に気が付いた。何かを言わないと、そう思うのに、声が全く出ない。
「私、不安なのよ。ネギ……あんたが、私の見てないところで大ケガしてるんじゃないか、死んじゃうんじゃないかって」
 ネギはアスナの言いたい事が分かった。どうして怒ったのかも。今まで何度も言われてきたではないか、アスナ自身にも、エヴァンジェリンにも。
「――あんたの事、守らせてよ。私を……あんたのちゃんとしたパートナーとして見てよ」
 そう、何度も言われてきた。自分でも分かっているつもりだった。自分がアスナをちゃんと見ていない事を――――。



[8211] 魔法生徒ネギま! [第九章・そして祭りは始まる] 第四十五話『別れる前に』
Name: 我武者羅◆72324423 ID:76577b36
Date: 2011/08/02 01:18
 夢を見ていた。見知らぬ男が自分を抱き上げる夢。褐色の肌に白髪の目立つボサボサの髪と髭は伸ばし放題で浮浪者のような装いの男はその瞳に驚く程知性に富んだ輝きを秘め、穏かな微笑みを浮かべている。
 男の隣では同じく褐色の肌の女性が男に寄り添い、幸せそうな笑みを浮かべて自分を見つめている。見た事の無い場所で、見た事の無い人達から向けられるあまりにも激烈な親愛の情を受けて、自然と口が開いていた。
「おとーさま」
 そう呟いた瞬間、目の前が真っ白になった。次の瞬間、目に映ったのは恐ろしい光景だった。
 父が巨大な十字架を背負い、人々から罵声を投げ掛けられている。石を投げつける人、水を掛ける人、汚物をぶつける人まで居る。
 やめて、そう叫ぼうとした途端、褐色の肌の手が自分の口を塞いだ。母の手だと直ぐに気が付いた。何故、そう叫ぼうとするが、声は母の手に遮られ、こもった音が洩れるばかりだった。
 その合間にも、父は進んで行く。その先に進んではいけない。恐怖が全身を駆け巡った。このまま、彼を進ませてはいけないと思った。
 母の腕から抜け出そうと必死に暴れるが、母は自分を解放してくれない。どうして、そう尋ねようと母の顔を伺おうとすると――――母は泣いていた。
 声も漏らさずに、顔を覆いつくすニカブの中で母は確かに泣いていた。
 父は困っている人を見たら助けずには居られない優しい男だった。病に苦しむ者が居れば病を癒し、傷を負う者が居れば傷を癒し、飢餓に喘ぐ者が居れば食べ物を作り出した。
 父は妻を愛し、子供を愛し、人を愛する事を知る普通の男だった。ただ、一つ他の人と違う事があるとすれば、それは彼が魔法使いだという事だ。
 邪悪な物として使う事を禁じられている精霊崇拝に属する魔術を人々の為に躊躇う事無く使い続けた。
 父は人々に敬われた。そして、同時に恐れられた。
 父は見返りを求めずに人々を救い続けた。その為に行使した魔法を見た人々は口々に『神の奇跡』だと言った。見返りを求めずに『神の奇跡』を行使する父を人々は『救世主(メシア)』と言った。
 同時に父の優しさを理解出来ず、魔法を悪魔の力と言う人が居た。
――――彼は精霊の力を操る神への冒涜者だ。
 その言葉は疫病のように広がった。禁じられた精霊崇拝による奇跡の行使。それは父を破滅へと進ませた。
――――奴は何かを企んでいるに違いない。
 見返りを求めない救済。それは人々に疑心暗鬼の感情を芽生えさせてしまった。無垢な善意を信じる事が出来ず、存在しない悪意を感じ取った。
 そして、父を信望し、弟子となった男の一人が言った言葉が引き金となった。
――――彼は神と同等の存在である。
 父は一度もそんな事を自称した事は無かった。ただ、古代より伝わる魔法を識る者として、弟子達に術を伝授していただけだ。
 だが、弟子達は父の思いに応えなかった。父を神の子、救世主、ダビデの子、全能者と称え、父の起した奇跡を伝え広めた。
 そして、父は救ってきた人々に精霊崇拝を行う反逆者として蔑まれ、同郷の指導者達によって、父の弟子達の広めた父の名声を疎んだローマ帝国に渡され、死刑の判決を受けた。
 父はそれでも誰の事も恨まなかった。自分に死刑の宣告をしたローマ総督の事も自分を売ったユダヤの指導者達の事も自分を蔑んだ――自分が救ってきた人々の事も自分を破滅へ追いやった愚かな弟子達の事も誰一人として恨まなかった。
『私は人を愛おしく思う。この身の死を人が願い、それで人が救われるならば、私は喜んでこの命を差し出すよ。だから、人を憎んではいけないよ?』
 心を通じて語りかける父はその言葉を最後に死刑台への13階段の前に立った。
 人々が歓声を上げた。ああ、ついにこの時が来てしまった。父は死刑台へと上がった。自分で背負って来た巨大な十字架に手足を杭で打ち付けられ、苦痛に顔を歪めている。
 なんて残酷な人だろう。どうして憎まずに居られるだろう。愛する父を奪う者達をどうして許す事が出来ると言うのだろう。どうして、父を蔑む人々ではなく、父を愛する妻と娘を選んでくれなかったのだろう。
 とても長い時間だった。父は一思いに首を切り落とされる事も無く、人々の嘲笑の中、政敵への見せしめの為に苦しまされた。苦しんで、苦しんで、最後に父は穏かな笑みを浮かべて息を引き取った。
 父の死を確認する為に一本の槍が父を貫くのを見つめながら、再び目の前が真っ白になった――――。

 目を覚ました時、彼女は同室の二人の少女に気付かれない様に涙を流した。夢の内容は覚えていない。ただ、とても哀しい夢だった事だけを覚えていた。
「どうしたの?」
 どうやら、隣で眠っていた少女を起してしまったらしい。少女は慌てて涙を拭うと自然な笑みを浮かべて言った。
「おはよ、アスナ」

 エヴァンジェリンとタカミチが犬上小次郎に襲撃され入院した日の翌日、エヴァンジェリンのログハウスにネギは招待されていた。
 エヴァンジェリンのログハウスのリビングにはネギの他にも大勢の人が思い思いの場所に座っている。ネギはテーブルの長椅子に小太郎とアスナに挟まれて座り、招待主であるエヴァンジェリンが話し始めるのを待った。
「今日、お前達を呼んだのは他でもない。もう、知ってる者も居ると思うが私は麻帆良に夏までしか居られない」
 開口一番にエヴァンジェリンは言った。既に知っていたネギ、アスナ、小太郎、和美、さよ、あやかの六人は改めて聞かされた動かしようの無い事実に口を閉ざし、顔を俯かせた。じわりと涙を溢れさせるネギの肩に小太郎は手を回し、そっと抱き寄せた。
 知らされていなかった木乃香、刹那、のどか、夕映はエヴァンジェリンの言葉を飲み込むまでにかなりの時間が掛かった。その言葉の意味を頭が理解し、それが事実であると、ネギの頬を伝う涙を己の眼で捉え、確認し、脳裏に浮かび上がったのはたった二文字の言葉だった。
「何故?」
 夕映がその言葉を洩らすと、のどかが思わず立ち上がった。
「エヴァンジェリンさん、転校しちゃうんですか?」
 エヴァンジェリンの言葉を自分なりに噛み砕き、何とか理解しようとしたのどかはエヴァンジェリンが転校してしまうのかもしれないという考えに至った。
 エヴァンジェリンはのどかの言葉に思わず噴出しそうになるのを必死に抑えた。何とか衝動を抑え、深く息を吸い、溜息を吐く様に笑みを浮かべると、エヴァンジェリンは頷いて答えた。
「まあ、そんなところだ。そこで、今日、集まってもらった理由はこれからの事を色々と話して置こうと思ったからなんだ」
「これからの事……ですか?」
 力無く椅子に座り込むのどかを一瞥し、夕映が尋ねた。
「色々あるが、一つ一つ順番にいこう。まず、現在の麻帆良の状況についてだ」
「親父の事か?」
 エヴァンジェリンの言葉にいち早く反応したのは小太郎だった。小太郎は険しい表情をエヴァンジェリンに向けた。
 ネギは肩に鋭い痛みを感じ、机の上に置かれた小太郎の手があまりに強く握り締めた為に真っ白になり、何かが机の上に滴り落ちた。真っ赤な血が小太郎の拳から滴り落ちた。
「こ、小太郎、手から血がッ!」
 ネギは慌てた声を上げながら小太郎の手に触ろうとすると肩から手が外され、両手の拳をまるでネギを撥ね退けるように自分の膝に乗せた。小太郎の態度に戸惑ったネギは行き場を失った手を慌てて引っ込めると小さな声で「ごめんなさい」と謝った。
 ネギの怯えるような声に小太郎はハッと我に返り、困った顔をしながら拳を開いて空中を彷徨わせた。ネギはその手に恐る恐る手を伸ばすと治癒(クーラ)を唱えた。治癒呪文で癒えた手を小太郎は軽く動かして「サンキュ」と言って笑みを浮かべてエヴァンジェリンに視線を戻した。
 二人の様子を愉しげに見ていたエヴァンジェリンは二人の視線が自分に向くのを確認すると再び話し始めた。
「現在の麻帆良は通常通りとは言い難い。あやかとネギは実際に体験しているから分かっていると思うが、麻帆良の六つの地点――麻帆良大学工学部キャンパス中央公園、麻帆良国際大学附属高等学校、フィアテル・アム・ゼー広場、女子普通科付属礼拝堂、龍宮神社神門、世界樹前広場に魔力溜まりが発生している」
「魔力溜まり?」
 聞き覚えの無い単語に和美が聞いた。
「魔力溜まりは言葉通り、世界樹が放出する魔力が集中して溜まる場所の事だ」
「世界樹って、あの世界樹の事ですか?」
 麻帆良学園で一際目を引く巨大な木を脳裏に浮かべながらのどかが聞くと、エヴァンジェリンは頷いた。
「考えている通りだ。世界樹――正式名称は神木・蟠桃と言う。蟠桃は龍穴という龍脈を流れる“氣”が集中する場所に生えている。蟠桃はその氣を吸い取り、貯蔵しているんだ。その氣が二十二年に一度の周期で満杯となり周囲に放出される」
「気? 魔力じゃないの? それに龍脈や龍穴って?」
 聞き慣れない単語の羅列に和美は戸惑ったように尋ねた。和美の疑問に答えたのはエヴァンジェリンではなく隣に座る夕映だった。夕映は少し呆れた顔をしながら言った。
「恐らく和美さんが想像している“気”では無く、“氣”ですよ。土御門さんの授業をちゃんと聞いてなかったですね?」
 夕映が言うと和美は気まずそうに頬を掻きながら乾いた笑い声を上げた。
「まったく……。いいですか? まず、“氣”というのは魔力や気の総称です。【魔力】とは“地球の氣”、即ち“天の氣”であり、“地の氣”なのです。そして、【気】とは“人の氣”。人の氣たる【気】が人の経絡――血管や神経とは違う気の流れ道を通るように、地球の氣たる【魔力】もまた地球の経絡――即ち、『龍脈』を通り、地球全土に流れているのです」
「なるほどね。つまり、この場合の氣は気じゃなくて魔力って解釈でいいわけね?」
 和美は納得した様に言った。
「正解だ。良い解説だったぞ、夕映。土御門の話をちゃんと聞いてたみたいだな」
 エヴァンジェリンは心の底から感心しているらしく、優秀な教え子を褒め称えた。エヴァンジェリンに褒められた夕映は頬が緩むのを必死に隠そうとしているが、唇の端が僅かに吊り上がってしまっていて隠し切れていなかった。
 エヴァンジェリンはそんな夕映に苦笑しながら話を続けた。
「世界樹から放出される魔力は膨大だ。麻帆良全体が通常とは比べ物にならない程魔素の濃度が高くなっている。特に魔力溜まりには膨大な魔力が集中している。どんな事が起こるか……想像出来るか?」
 エヴァンジェリンが試すようにネギ達に視線を投げ掛けた。ネギは少し考えてから口を開いた。
「魔力は精神に影響を及ぼします。嬉しさ、寂しさ、哀しさ、色々な感情を増幅してしまいます。魔力の量が多ければ多い程影響は強くなっていきます。それこそ、感情を暴走させる程に……。そして、魔力が精神に影響を及ぼすように、精神も魔力に影響を及ぼし、それは魔法や呪い、現象として現実を改変してしまう……」
 ネギは昨夜の自分の痴態と凶行を思い出して表情を曇らせながら言った。情欲に呑まれ、小太郎に迫り、アスナに杖を向けてしまった。
 あの夜、ネギは犬上小次郎とは出会っていなかった。アスナがネギに念話をした直後、ネギは確かに小太郎らしき人物を目撃した。だが、それは本物ではなかった。
 あの時、ネギは和美達の想像通りに小次郎を探していた。だがそれは別に口封じなどという物騒な事を考えての事ではなかった。ただ、話をしたかっただけだった。エヴァンジェリンの事を秘密にして欲しいと願う為だった。小太郎の故郷をどうして滅ぼしたのかを聞く為だった。
 小太郎の力になりたいという思いとエヴァンジェリンと別れたくないという二つの強い思い。その思いが小次郎(ひとつ)に集中した結果、偶然にも魔力溜まりに足を踏み入れてしまったネギは自身が想像した――成長した小太郎の姿である――犬上小次郎を幻影として現実に投影した。
 その瞬間に魔力溜まりに溜まっていた魔力が一気にネギの中に流れ込み、その心に影響を及ぼした。ネギの小太郎に対する恋心は大量の魔力によって一気に膨れ上がり、ひたすらに小太郎を欲するようになってしまった。それこそ、小太郎との逢瀬を満喫するために邪魔者としてアスナを排除しようとしてしまった程に――。
「振り切ったつもりだったのに……やはり、心のどこかで願っていたという事でしょうね」
 アスナを挟んでネギの反対側に座るあやかが小さく囁くような声で呟くのが聞こえた。あやかも魔力溜まりによって感情を暴走させられた事がある。
 生まれてくる事の出来なかった弟への愛情。長い時間の中で振り切ったと思っていたその思いに魔力溜まりは反応した。愛おしい弟の幻影に囚われ、感情を暴走させた。
「ほんまにたち悪いで」
 小太郎は苛立たしげに鼻を鳴らした。
「まあ、おかげでネギとアスナを本気に近い状態で戦わせる事が出来た」
 エヴァンジェリンは「怪我の功名だな」と苦笑した。
「ったく、気付いてたんなら初めから言えや」
 忌々しげに悪態を吐く小太郎をエヴァンジェリンは涼しい顔で無視した。
 昨夜、ネギとアスナが戦っていた時、エヴァンジェリンが小太郎を止めたのはネギが犬上小次郎と接触したわけでは無いと分かっていたからだった。
 事前に土御門から魔力溜まりの一つである世界樹広場から魔力が消失したという話を聞いていた。そして、ネギは犬上小次郎を探していた。エヴァンジェリンはあやかの事件についても既に承知していて、三つの事柄からエヴァンジェリンは一つの推論を立てた。
 ネギは犬上小次郎を探しに行き、エヴァンジェリンとタカミチが遭遇した世界樹広場に向かった。そして、エヴァンジェリンと小太郎の話を聞いた直後で犬上小次郎の事で頭の中がいっぱいになっていただろうネギに世界樹広場の魔力が反応したのだろうと。
 推論はネギの状態を見て、直ぐに確信に変わった。吸血鬼に噛まれ、操り人形にされているわけではないと。だからこそ、エヴァンジェリンは二人の戦いを止めなかったのだ。
「恐らく、影響はそれだけではないだろう。魔素の濃度が高いという事は下手をすると素人が魔力に目覚める可能性がある。人だけじゃない、虫や動物が魔力に目覚め、魔物になる可能性もある」
「それってかなりヤバイ状態って奴じゃない?」
 ネギやエヴァンジェリンの話を聞き、額から冷たい汗を流しながら和美は顔を引き攣らせて言った。一般人が魔力に目覚める、その危険性は土御門やエヴァンジェリンの授業で嫌という程理解していた。
 何の知識も理解も覚悟も無い一般人が魔法なんて異能の力を持ってしまったらどうなるか、それは三通り考えられると教えられた。力をきちんと理解し、力に対して責任を持つ者。力に怯え、自分以外にも同じ力を持っているのではないかと怯え、恐怖に心が支配される者。力に溺れ、自分の欲望を満たす為に魔法を使う者。
 力に怯える者は記憶を消したり、きちんとした教育をする事で心を癒す事も出来る。
 だけど、力に溺れ、力を欲望を満たす為に使う者を救うのは難しい。大抵の者は犯罪に走るからだ。
 顕示欲による他者への暴行。金欲や物欲による窃盗、強盗、恐喝。他にも過去に実際に一般人が魔力を持ち起した事件の例は数多くあった。偶然の手に入れたとしても、その力で犯罪を行えば、その者は紛れも無く犯罪者だ。当然、法の裁きを受ける。一般人による魔法事件の為の裁判所がある聞いた時、和美は驚く程魔法が身近な場所にある事を知り仰天した事を思い出した。
「人は欲望に弱い生き物だからな。それにさっきネギが言ったように、魔力は精神に影響を及ぼし、欲望を増幅させてしまう。それが物欲であれ、破壊衝動であれ、愛であれ関係無くな。欲望を増幅された素人が力を持ったらかなり危険だ」
「どうにか防げないんですか!?」
「麻帆良がそんな危険な状態にあるのなら、その事を知る私達が動かなければ――」
 エヴァンジェリンの話にのどかが血相を変えて言うと、隣に座る夕映は使命感に燃えた瞳でエヴァンジェリンに顔を向けた。
「まあ、そこまで深刻に考えんでもいいがな」
 すると、エヴァンジェリンはそれまでの深刻そうな表情から一変、悪戯が成功した子供のように茶目っ気たっぷりの笑みを浮かべた。
「どういう事ですの?」
 あやかが訝しげに聞くと、エヴァンジェリンは言った。
「爺ぃ……学園長がもう色々と動いてるんだよ」
「お爺ちゃんが!?」
 木乃香は祖父の事が話題に上がり目を瞬かせた。
「この学園には色々な種類の魔法使いが居る。病院に癒術師、学園の境界や要所に結界師、他にも儀式魔法に特化した魔法使いや教師や生徒に紛れている魔法使いも数多く居る」
「そういや、高音の姉ちゃんと愛衣が魔法生徒に登録してるって言ってたな。ワイらはそういうのに登録せんでええんか?」
 小太郎はダンスパーティーの日に出会った麻帆良学園聖ウルスラ女子高等学校の二年生、高音・D・グッドマンと麻帆良学園本校女子中等学校の二年生、佐倉愛衣を思い出しながら言った。
「魔法生徒……ですか?」
 聞きなれない言葉に夕映が首を傾げながら尋ねた。
「ああ、高音の姉ちゃんは将来の為の魔法使いの職業体験みたいなもんやって言うとったで。エヴァンジェリンさんも登録してるんやろ?」
 小太郎が話の矛先をエヴァンジェリンに向けるとエヴァンジェリンは肩を竦めた。
「まあな。登録したいなら別にいいぞ。バイトみたいなもんだからな。基本的には魔法先生はタカミチみたいに学園の警備をしたり、才能が有り過ぎる生徒に魔法使いとしての進路を勧めたりする。魔法生徒はその補佐が主な任務だな」
「才能が有り過ぎるというと?」
 夕映が聞いた。
「この中だと木乃香やアスナ、ネギ、小太郎が該当するな。普通の魔法使いを遥かに凌駕する魔力や特殊なスキル持ちは色々と危険も多いからな。知識を与えて、選択させるのさ。普通に生活出来るように能力や魔力を封印するか、魔法使いとして生きるかをな」
「魔法生徒になればどんな特典があるのですか?」
 夕映が更に質問を続ける。
「基本的にはさっき小太郎が言ったように、職業体験が出来るというのが利点だな。魔法使いの仕事について学べる。それに給料も普通のバイトより高い額が貰えるし、図書館島の一般人が立ち入り禁止になっているエリアの探索も出来る」
「ほんま!?」
「ほんとですか!?」
「立ち入り禁止エリアに!?」
 エヴァンジェリンの言葉に夕映とのどか、木乃香の三人が一斉に立ち上がった。
「まあ、お前達は魔法生徒にならなくても入れるがな」
 ところが、瞳を輝かせる三人にエヴァンジェリンは言った。
「へ?」
「どういう事です?」
「えっと……?」
 エヴァンジェリンの言葉に目を丸くする三人にエヴァンジェリンは更に続けて言った。
「私が許可を出せば、図書館島の探索くらい、いくらでも出来るぞ」
「ええ!?」
「本当ですか!?」
「なんで、今迄教えてくれなかったんですか!?」
 三人が口々に捲くし立てるとエヴァンジェリンは愉快そうに笑った。
「まあ、あんまり無知な状態で入るには危険な場所があるからな。だが、そろそろ大丈夫だろうし、今度一度行ってみるか? 立ち入り禁止区域に」
「いいんですか!?」
「ほんま!?」
「是非お願いします!」
 三者三様の反応に満足したような笑みを浮かべ、エヴァンジェリンは言った。
「ついでに少し探し物したいしな」
「探し物ですか?」
 のどかが首を傾げた。
「ああ、実はのどか、お前のアーティファクトにアクセス出来る魔導書が図書館島にあるらしくてな。それを発見したいんだ。協力してくれないか?」
 エヴァンジェリンが言うと、のどかは無意識の内にポケットからパクティオーカードを取り出した。そこには己のアーティファクト――“光輝の書(ゾーハル)”が描かれている。
 未だに謎の多いのどかのアーティファクト。どこか人間味のある人格を宿しており、のどかはその謎に迫れるという言葉に反射的に頷いていた。
「します! いえ、させてください!」
「私も協力するです!」
「うちもや!」
「私も!」
 のどかが決意に燃えた眼差しをエヴァンジェリンに向けると、夕映、木乃香、そして和美が次々に手を上げた。
「なら、今度の休日にでも図書館島に行こう」
「はい!」
 四人が声を揃えて返事をするとエヴァンジェリンはクツクツと愉しげに笑った。
「さて、次は小太郎の父の話だ」
 それまでの空気が一変した。小太郎の父、犬上小次郎。嘗て、小太郎の故郷を滅ぼし、エヴァンジェリンを麻帆良に入られなくした張本人。否応にもネギを含め全員が緊張した面持ちになった。エヴァンジェリンはあの夜の戦いや小次郎の正体について語った。
 犬上小次郎が昔話に出て来る剣豪、佐々木小次郎である事。渾沌と呼ばれる吸血鬼の血族である事。話が続くにつれ、それぞれ異なる反応を見せた。顔を青褪める者、警戒心を露わにする者、好奇心を刺激されている者、怒りを感じている者。
「こと吸血鬼としての性能は私以上だ」
「エヴァンジェリンさん以上!?」
 刹那が思わず声を張り上げた。ネギも口を押さえ、目を見開いている。
 エヴァンジェリンは強い。それこそ、世界全体で見ても指折りの実力者だ。そのエヴァンジェリンよりも上をいく実力者に戦慄を隠せずに居た。
「あくまで、吸血鬼としての性能の話だぞ? 周りに人や建造物が存在しなければ私が勝ってたさ。今回は小回りの利く技を持っていた奴の運が良かっただけだ。次に戦えば私が勝つさ」
 鼻を鳴らしながら言うエヴァンジェリンにネギは少し安堵した。強がりにも聞こえるが、実際に戦場であった世界樹広場に行ったネギはそれが真実なのだと理解していた。
 世界樹広場は周囲に民家は少ないが商店街が直ぐ近くにある。それに、少ないだけで民家が幾つか存在する。
 エヴァンジェリンは広域殲滅を得意とする後衛型の魔法使いだ。近接でも並外れた力を持っているが、相手は佐々木小次郎という歴史上に名を残す天才剣士だ。佐々木小次郎が歴史上に姿を現すのは1600年前後、エヴァンジェリンの産まれた年とは200年の差があると言っても、恐らくは前衛としてのスキルを長い年月の中で磨き上げてきたに違いない。
 あの場では近接戦闘を余儀なくさせられたからこそ、エヴァンジェリンは敗北という屈辱の結果に終わってしまった。だが、距離を取り、本来の戦法に戻れば、エヴァンジェリンが負ける筈が無い。ネギはエヴァンジェリンの魔法使いとしての強さを心の底から信頼していた。
「ただ、私から言う事は一つだ。奴と会ったらとにかく逃げろ。何が何でもだ。そして、可能ならば必ず私に連絡しろ。アレとまともに戦えるとしたら、私か土御門、タカミチ、学園長くらいなものだ」
 エヴァンジェリンはそう言うと、茶々丸に目配せをした。茶々丸はエヴァンジェリンのアイコンタクトの意味を正確に読み取り部屋を出た。直ぐに戻って来ると大きなワゴンを曳いて来た。
 ワゴンには奇妙な物が数多く載せられていた。茶々丸はワゴンをソッと曳きながらネギ達にワゴンの上に載っている物をそれぞれ配り始めた。渡されたのは綺麗な白い翼の形のブローチと古めかしい羊皮紙の巻物だった。
「そのブローチは持っている者同士で連絡を取り合う事が出来る魔法具だ。ついでに、白き翼のメンバーの証としても使えるようにデザインしてみた。どうだ?」
「これってエヴァちゃんが作ったの!?」
「素敵なデザインですわね」
「すごっ、エヴァちゃんってこんなの作れるんだ!」
「綺麗ですぅ」
「ありがとうです、エヴァンジェリンさん!」
「ありがとうございます。とっても綺麗です」
 口々に絶賛の声が上がるとエヴァンジェリンは思わず頬を緩ませた。前々から白き翼のシンボルを作ろうと密かに考えていた中でとあるアニメを見て考案したのだ。
 デザインを考えるのに少し苦労した為、喜ぶ少女達の笑顔に思わず笑みが浮べてガッツポーズをした。それぞれが思い思いの場所にブローチをつけ終わるのを確認してからエヴァンジェリンは使い方の説明をした。
 使い方は至ってシンプルで、ブローチに触れながら連絡を取りたい白き翼のメンバーの名前を言えばいいのだ。
「わたくしも頂いてよろしかったのでしょうか?」
 説明が終わると、あやかがおずおずと言った。あやかは白き翼には入部して居らず、部の証を自分まで貰っていいものだろうかと悩んでいた。
「構わんさ。入部するかしないかは自由だが、お前も魔法や小次郎の事、麻帆良の事なんかをかなり知ってしまっているからな。面倒事があったら直ぐに私を呼べ」
「……ありがとうございます。エヴァンジェリンさんもわたくしに出来る事があれば、いつでも、なんでも頼ってくださいね」
「ああ、その時は頼むとするよ」
 エヴァンジェリンとあやかは互いに微笑み合った。
「こっちの羊皮紙は何なの?」
 アスナが配られたもう一つの羊皮紙を手に取って尋ねた。
「それは幻想世界幽閉型巻物だ」
「幻想世界?」
 のどかが首を傾げた。
「ああ、夢や精神の世界と言った方がわかりやすいかもしれんな。要は仮想世界の事だ。内容はかなり自由に設定出来る上、主観時間を大幅に伸ばす事が出来る。最大で七十二倍だ」
「主観時間って?」
 和美が聞くと、夕映が答えた。
「例えば、人の夢は起きる寸前の二十分の間に見ると言われているです。でも、夢の中ではその何倍もの時間を過ごしている気がする。そんな経験はありませんか?」
「あるある。っていうか、夢って二十分しか見てないの!?」
「まあ、絶対そうだというわけではないですが……。その現実の時間とは違う夢の中で認識している時間を主観時間と言うのです」
「それぞれの巻物の中身はもう設定済みだ。それぞれ、時間がある時に『夢へといざなえ(アド・セー・ノース・アリキアット)』と唱えろ。中に入る事が出来る。外の時間で一時間経過したら強制的に外に出るように設定してある」
「中身って?」
 アスナが自分の巻物を手の中で弄びながら尋ねた。
「それは見てのお楽しみだな。夜、寝る前にでも使ってみろ」
 そう言って、エヴァンジェリンは悪戯っぽく笑みを浮かべた。
「まあ、簡単な内容では無いとだけ言っておこう」
「滅茶苦茶不安なんだけど……」
 エヴァンジェリンが簡単じゃないというのだから、並大抵の内容では無いのだろうな、とネギは自分の巻物を見ながら思った。
「以上だ。麻帆良祭の準備で疲れてる所、わざわざすまなかったな」
 そう言って、エヴァンジェリンは話を締めくくった。
「エヴァちゃん、正直に答えて欲しいんだけどさ……」
「なんだ?」
 アスナが思い詰めた表情を浮かべてエヴァンジェリンに声を掛けると、エヴァンジェリンはアスナに視線を向けた。その顔に浮かべている表情は既にアスナの言いたい事が分かっているようだった。
「また、会えるよね?」
 不安を隠しきれない様子でアスナは尋ねた。それは、ネギが聞きたかった事だった。だけど、怖くて出来なかった。否定されてしまったらと思うと、聞けなかった。
 エヴァンジェリンはすぐには答えなかった。誰かが喉を鳴らす音が聞こえるくらい、部屋の中は静まり返っていた。
 やがて、エヴァンジェリンはスーッと息を吸い、ゆっくりと吐き出してから口を開いた。
「分からない」
 それは否定では無かった。だけど、肯定でも無かった。
「正直に言えば、お前達が生きている内に会える可能性は限りなく低い。会えても、それはお前達が老い、私の事を忘れてしまっているかもしれないくらい遠い未来の話になると思う」
 言葉が出なかった。心の何処かで期待していたのだ。例え、エヴァンジェリンが麻帆良を去っても、きっと会える筈だと。
 エヴァンジェリンの返答は否定も同然だった。会えたとしても、自分達が老いた後。老いた自分と今の姿のままのエヴァンジェリンを想像して、不意に理解してしまった。エヴァンジェリンは一人だけ若いまま、自分達に取り残されてしまう事を。
 今迄、その事をキチンと考えた事が無かったのだと実感した。成長では無く、いずれ来る老いを実際に想像して、その時にエヴァンジェリンがどんな気持ちになるのかを今になって考える事が出来た。あまりにも寂しくて、涙が溢れ出した。
「そ、そんなの嫌です!」
 ネギは思わず叫んでいた。顔を歪ませ、エヴァンジェリンに今直ぐさっきの言葉を取り消して欲しかった。のどかや夕映、木乃香、さよもネギと同じ気持ちなのだろう、涙を零しながらエヴァンジェリンを見つめている。和美やアスナ、あやか、小太郎も必死に涙を堪えながらエヴァンジェリンを見つめている。
「吸血鬼ハンターや教会だけじゃない」
 エヴァンジェリンは言った。
「恐らく、私の指名手配が復活してしまう。そうなったら、麻帆良を含め、日本――いや、全国の“魔術結社(マジックキャバル)”が敵に回る」
「そ、そんな事――ッ」
 ネギは必死に否定しようとしたが……出来なかった。否応にも理解出来てしまったから。エヴァンジェリンの指名手配が復活する。それは彼女が犯罪者として追われる立場になる事を意味する。
 麻帆良が彼女を庇おうとすれば、犯罪者を匿う事になる。そうなった時、麻帆良の立場は窮地に立たされる。麻帆良の魔法関係者はそろって共犯者扱いを受けるかもしれない。何も知らない魔法生徒を含めて。
 少なくとも、エヴァンジェリンを実際に庇おうと動いた者は処罰を避けられないだろう。そうなれば、もう彼女を庇おうとする者は居なくなる。庇おうとすれば、自分も処罰を受けるから。
 それに、エヴァンジェリンの人となりを知る麻帆良ならば庇おうとする者も居るかもしれないが、彼女をただの吸血鬼と見ている他の組織は彼女に対して慈悲を掛けてはくれないだろう。
 世界中から追われる。そんな立場の中で彼女との接点のある自分達に接触しようとすればどうなるか、そんな事は想像したくもなかった。
「私がここを去った後、次に会えるのは私とお前達に繋がりがあると誰も思わなくなるくらいの時間が経った後だ。まあ、その可能性は限りなく低いがな。特に吸血鬼ハンターという人種は吸血鬼を殺すためにどんな些細な事も真剣に取り組むキチガイばかりだしな」
 もう、何も言えなかった。我侭を言えば、それはただエヴァンジェリンを困らせるだけだ。彼女自身、とても辛く感じているのがその表情から容易に見て取れる。これ以上、彼女を追い詰めるような事は出来なかった。
 部屋の中が静まりかえり、誰かのすすり泣く声だけが聞こえる中、あやかが唐突に立ち上がった。
「麻帆良祭を成功させましょう」
 その言葉にネギはポカンとした表情を浮かべた。どうして、こんな時に麻帆良祭の話なんて、と思ったが、次の瞬間にあやかの考えが分かった。
「最高の……最高の思い出を……」
 涙が止め処なく溢れる。だけど、ただ黙って残り少ない時間を過ごすなんて出来ない。ネギが立ち上がりながら言うと、のどかがつられるように立ち上がった。
「せ、成功させるです。ま、麻帆良祭を!」
 すると、アスナが立ち上がって言った。
「私達、『白き翼』でも何かやろうよ!」
 アスナの言葉はネギも考えていた事だった。このメンバーでも何かをしたい。この、エヴァンジェリンの下に集った仲間達で。
「具体的にはどんな事をするつもりなんです?」
 夕映が冷静な態度で尋ねた。
「演劇や音楽会をするなら会場の予約が必要です。行動は迅速に行うべきです」
 夕映の言葉にアスナは困った様な顔をした。
「ううん、具体的な内容まではまだ……」
「なら、せっかく集まってるのですから、何をするか決めませんか?」
 口篭るアスナにあやかが助け舟を出した。その様はさすが幼馴染だとネギは思った。
「いいね。私は賛成だよ」
「私も賛成ですぅ!」
 和美が言うと、さよも右手を大きく振りながら言った。
「うちもや。アスナ、ナイスアイディアや!」
「私も異論ありません。私に出来る事ならばなんなりと」
 木乃香と刹那も賛同の声を上げ、アスナはネギと小太郎に顔を向けた。
「私も賛成です」
「ワイもや」
 ネギと小太郎が賛成すると、アスナは最後にエヴァンジェリンと茶々丸を見た。
 茶々丸は穏かに微笑むと、部屋から出て行ってしまった。アスナが戸惑っていると、茶々丸は直ぐに戻って来た。茶々丸は大きなホワイトボードを引っ張って来た。
「皆さんが出された案は私がホワイトボードに書いていきます」
 茶々丸の言葉にアスナは頬を綻ばせた。そして、最後にエヴァンジェリンを見た。エヴァンジェリンはわざとらしく大きな溜息を吐くと、苦笑しながら言った。
「ああ、私も賛成だ。最後にお前達と羽目を外して楽しむのも悪く無い」
「なら、決まりね! 早速、案を出し合いましょう!」
 アスナの号令に皆一斉に頷いた。会議は長くは続かなかった。なんと、皆の意見が一致していたのだ。
「歌か」
 エヴァンジェリンはホワイトボードに唯一つ躍る文字を読み上げた。歌を歌おう。アスナが最初に出した案に皆賛成した。まだ、具体的に何の歌を歌うかは決めていないけれど、出会いの歌、別れの歌、そして、再会を誓う歌を歌おうという事になった。

 それから一週間が経った日。深夜0時を過ぎた頃、月明りに照らされた薄闇の教室にネギ・スプリングフィールドは居た。ネギだけではない。ネギのクラスメイト達は皆一様に教室の中で物陰に隠れ、息を潜めていた。
 ただ一人、教室の扉から外を覗き見ていた釘宮円がソッと扉を閉めた。そして、小さな声で言った。
「新田先生が来たよ」
 教室の中はシンと静まり返っていて、円の声は小声であったにも関らず教室の隅にまで響き渡った。円は音も立てずにそそくさと友人の隠れ場所に急ぎ身を隠した。
 しばらくすると、教室の扉が開かれた。ゆっくりと眩しい光が教室の中を照らし出した。
 緊張が走り、ネギは自分の心臓の鼓動が聞こえてしまうのではないかと恐れた。光に見つからない様に必死に体を小さくして息を完全に止める。
 見回りにやって来た新田が教室中を見回し、やがて満足した様に扉を閉めて去って行き、それから更に五分ほどして漸く隠れていた場所から這い出す事が出来た。周りのクラスメイト達も開放感に満ちた表情で隠れ場所からぞろぞろと出て来る。
「も、もう大丈夫かな?」
「行ったみたいだよ」
 佐々木まき絵の言葉に早乙女ハルナが扉を僅かに開け、外を確認して言った。
 もう大丈夫だと分かると途端に肩から力が抜けた。周りも一斉にざわつき始めた。
「ドキドキしたー」
「ねー」
「忍び込んでお泊りってワクワクしちゃうね」
「このワクワク感は麻帆良祭始まるなーって気がするねー」
 クラスメイト達は皆興奮した様子で口々に喋り始めた。ネギも不思議な高揚感に包まれながら自分の持ち場に戻った。
 教室の床は様々な色の布が散らばっていた。他にも文字やイラストが描かれた紙が無数に散らばり、足の踏み場も無い状態だった。ネギはそれでもなんとか踏みつけないように慎重に進んだ。
 持ち場に戻ると雪広あやかが項垂れていた。
「うう、泊り込みは前日以外禁止ですのに……。3年A組の委員長ともあろう私がこんな規則破りを……」
「仕方ないじゃん。こうでもしないと間に合わないんだからさ」
 あやかは禁止されている『泊まり込み』に自分が加担してしまっている事が許せないらしい。生真面目な性分のあやかを神楽坂明日菜が呆れながら慰めてた。
 二人は初等部時代からの幼馴染であり、普段は喧嘩ばかりしていて、一見すると仲が悪いようにみえるが、実際にはとても仲の良い親友同士であり、互いの事を誰よりも良く理解している。
 あやかを慰めるのはアスナが適任だと理解しているネギは余計な事は言わずに近くで作業をしているエヴァンジェリンの隣に座った。エヴァンジェリンと軽く談笑しながらネギも自分の作業を始めるが、中々上手くいかなかった。
 ネギの手元には綺麗な布地と裁縫道具がある。初めての縫い物にネギは中々コツを掴めずにいた。隣で作業をしているエヴァンジェリンが時折自分の作業を止めてまで指導をするがどうしても上手に縫う事が出来なかった。
「何でもそつなくこなす奴と思ってたが、意外と不器用だな」
 エヴァンジェリンは悪戦苦闘するネギに苦笑した。ネギが奮闘している作業は麻帆良祭で3年A組がやる『メイド喫茶』の衣装作りだ。
 お化け屋敷や演劇などの案も出たのだが最終的に3年A組の出し物は『メイド喫茶』に決まった。最初、あやかが実費で衣装を用意すると言っていたのだが、担任の高畑.T.タカミチに一人の生徒にお金を出させる事は麻帆良祭の理念に反すると却下され、それならばと自分達で作る事になった。
 デザインはそれぞれの希望を聞いた漫画研究会の早乙女ハルナや美術部のアスナがそれぞれイラストにして、演劇部で衣装作りの経験のある村上夏美やよく人形の服を作っているエヴァンジェリンを初めとした裁縫の心得のあるクラスメイト達が指導にあたり衣装作りが開始された。
 麻帆良祭まで残り一ヶ月を切っていた。このままの調子で間に合うのだろうかとネギは不安を感じていた。ただでさえ、自分達はクラスと部活に加え、白き翼として歌の練習をしなければならないのだ。
「ボケッとするな、また間違えてるぞ」
 エヴァンジェリンに呆れ混じりに指摘され、ネギは余計な考えを振り払う為に頭を振り手元に集中した。
 間に合う間に合わないじゃない。間に合わせなければならないのだ。だけど、ミスをするわけにはいかない。焦って失敗して、ボロボロのメイド服を着た惨めな姿を小太郎に見せる事だけはしたくない。
 ネギの着る予定のメイド服は素人には難易度の高い代物だった。だが、ネギはエヴァンジェリンとの麻帆良祭を成功させたい、そして、小太郎にメイド服を着た自分を褒めてもらいたいという思いを起爆剤に頑張っているのだった。





[8211] 魔法生徒ネギま! [第九章・そして祭りは始まる] 第四十六話『古本』
Name: 我武者羅◆cb6314d6 ID:76577b36
Date: 2011/08/15 07:49
「じゃあ、もう一回練習するわよ!」
 アスナの掛け声に再び練習が始まった。
 ネギ達が居るのは麻帆良学園本校女子中等学校の多目的ホールだ。ここでは、始業式や終業式などの学校行事の他に演劇部や合唱部の練習や発表などでも使われる事が多く、白き翼も麻帆良祭での出し物――『合唱』の練習の為にこの日、タカミチを通してこの多目的ホールを借りて練習をしていた。
 時刻は夜の八時。クラスのメイド喫茶の準備やそれぞれの部活の出し物の準備や練習の合間を縫って練習を重ねているが、中々時間が取れず、練習は難航していた。
 ネギとアスナ、木乃香、あやか、エヴァンジェリンは問題無く歌えていた。
 呪文の詠唱は発音や音程、声の大きさは勿論の事、長く複雑な呪文を噛まずに言い切らなければならない。その為の訓練を幼少の頃より続けて来たネギとエヴァンジェリンは一度音程などを確認すれば、歌詞も持ち前の優れた頭脳で直ぐに覚え、まるでプロの様な歌声を披露してみせた。
 アスナと木乃香、あやかは幼少の頃から教養として歌唱力を鍛えられてきた為に人並み以上に歌えた。もっとも、アスナは記憶を消されていた間はたまに行くカラオケや音楽の授業程度でしか歌の練習はしておらず、木乃香も中学に上がってからはカラオケや音楽の授業の他に時折プロから指導を受けている程度だが。その点、あやかは日頃から華道や茶道などと共に歌の指導を受け続けているため、メンバーの中で抜群の歌唱力を披露していた。
 問題なのは夕映、のどか、和美、さよ、刹那、小太郎の六人だった。夕映と和美は人並みには歌えるが、かなり練習が必要だった。のどかとさよはカラオケなどでも声が小さくなってしまい、ホールでの練習となると囁くほどにしか声が出なかった。
 刹那と小太郎はそれ以前の問題だった。二人共、裏の世界で生きて来た時間が長く、今のように友達と談笑しながら遊びに行くようになったのはここ最近の話だ。刹那は木乃香やアスナに誘われてカラオケに行った事はあるが、片手の指があまる程度しか無く、音楽の授業もあまり積極的に受けてこなかった。小太郎に至ってはカラオケに一度も行った事が無い上、音楽の授業は友人と喋っているか、のんびり睡眠を取っているかのどちらかだ。歌の基本がまったく出来ておらず、音程が外れているにも関らず声だけは大きいから聞いていると悪い意味で酷く目立つ。
 本人達は大真面目なのだが、やる気が空回りしている刹那と小太郎につられてしまい、のどか達も音程が外れてしまうなど、練習は毎回無惨なものだった。
「ストップ! 刹那さん、小太郎君、二人共音程が外れ過ぎ! それに、夕映とのどかとさよちゃんは二人につられない!」
 厳しい叱責が飛んだ。ホールの客席に唯一座る少女はコーラス部に所属する柿崎美砂だった。
 最初は自分達だけで頑張ろうとしていたネギ達だったが直ぐに無理が生じた。個人レベルでは一部を除いて人並み以上に歌えるのだが、やはり合唱となると自分の力が発揮出来なかったり、足を引っ張ったり、引っ張られたり、誰かに指導をしてもらう必要があった。
 音楽教師の誰かに指導を頼もうかと教室で相談している時にアスナ達の話を聞いた美砂が歌唱指導を引き受けてくれたのだ。
 最初は美砂も自分の部活の練習などもあるだろうからとネギ達も遠慮したのだが、美砂の『教えるのも練習になるから』という言葉に甘える事にした。
「刹那さん、小太郎君、また音程が外れてる!」
 麻帆良祭まで残り二週間を切り、美砂の指導は驚く程厳しかったが、ネギ達は弱音を吐かずに練習を重ねた。
「ほら! 休んでる暇があるなら練習よ!」
「ハイ!」
 美砂が言うと、元気な声が返って来る。休み無く練習を続ける中で不平も洩らさずに練習に打ち込む白き翼のメンバーに美砂は内心でとても驚いていた。
 元気が取り得のアスナはともかく、体力の少ないのどかや夕映達まで賢明に練習に打ち込む姿は美砂の指導を更に加熱させた。
 美砂はアスナ達が放課後に集まって何かをしていると聞いた事はあったが、実際に何をしているのかは知らなかった。初めアスナ達が何をしているのか知りたいという好奇心から指導を買って出た。何せ、白き翼は基本3-Aの女子で構成されているが、その中で唯一人、男子が入部していると聞いていたからだ。
 もしかすると、大変面白い事をしているのではないかと噂好きの美砂としては好奇心を抑え切れなかったのだ。
 元々、白き翼は表向きには放課後に集まって勉強会やお茶会などをする部活となっている。普通の学校ならば部活として認めてもらえないような活動内容だが、麻帆良にはこの様な活動内容が曖昧だったり、あって無いようなものであったりする部活が少なくない。
 麻帆良学園は広大な敷地に数多くの生徒用個室サロンが点在する。その中に部室として使用可能な個室サロンも数多くあり、仲間内でサロンを独占するために部活を作る者まで居る。特に仲の良いメンバーが集まって作るソレを学生達は『コミュニティー』と呼んでいる。
 白き翼もそういったコミュニティーの一つだと認識されている。
 美砂も白き翼をコミュニティーだと考えていた。コミュニティーの中には友達同士の交流や合コンサークル、中にはいかがわしい事を目的としたものもあって、新田先生などの広域指導員が日々頑張って取り締まっているが中々減らない。
 女の子に囲まれる中、男子は一人。実は密かに噂の種の一つになっていた。もっとも、その唯一の男子がネギの彼氏であるという話もあって、ただ仲良しグループにネギが彼氏を参加させているだけではないかと皆考えている。
 美砂は最初こそその噂の真相を探ろうとしていたのだが、直ぐに無駄だと結論付けた。唯一の男子こと犬上小太郎はネギにゾッコンだった。ネギを見つめる視線が他の人と違い過ぎて笑いそうになったほどだ。ネギの方も小太郎に完全にお熱なようで、見ていて微笑ましかった。
 そして、いざ合唱の練習が始まると、いよいよ美砂は白き翼に対する認識を改める事になった。皆、真剣だった。ただの仲良しグループの思い出作りにしては真剣過ぎた。鬼気迫るような練習への打ち込みように美砂もまた真剣にならざるを得なかった程に。
「さて、じゃあ最後にもう一回!」
「ハイッ!」
 返って来る元気の良い返事に満足しながら、美砂は一人一人に欠点をどう直していくかを考えていた。

第四十六話『古本』

 クラスのメイド喫茶の準備、サークルの練習や準備、白き翼での合唱の練習に追われる日々が続く中、エヴァンジェリンはのどかと夕映、和美、さよの四人を図書館島の前に呼び出した。
 エヴァンジェリンと和美、さよの三人は私服姿だが、のどかと夕映は普段とは一風変わった装いだった。
 トップスは黒のタートルネックの上に白いゆったりとした膝上まであるパーカー。パーカーには黒のラインのアクセントや麻帆良の校章などが刺繍されていて、腰元のオーバーベルトには小物ケースが引っ掛かっている。ボトムスはパーカーと同じく白地のクロップドカーゴパンツだ。
「二人共気合入ってんねー」
 ウサギのバッグを担ぎ、燃えるような輝きを瞳に宿す二人に和美は驚いた様に言った。
「当然です。これから謎に包まれた図書館島の立ち入り禁止区域へと潜入するのですよ? 否応にもテンションが上がるですよ!」
「楽しみで昨日は眠れませんでしたー」
「楽しみなのはいいが、睡眠不足は感心出来んぞ。『レフェクティオー』」
 至福の笑みを浮かべる二人に苦笑しつつエヴァンジェリンは二人に初歩的な回復呪文を唱えた。二人はほのかに花の香りを感じ、わずかに感じていた気だるさが消えるのを感じて目を瞬かせた。
「その呪文は……」
「花の香りで気分をリフレッシュさせる呪文だ。この辺は色んな花があるからな。風を操って、花の香りを運び、そこにレフェクティオーを掛けたわけだ。お前達の“巻物(スクロール)”内の図書室にある『回復呪文の初歩』の疲労回復呪文の項の最初の方に記載されているから興味があるなら夜に巻物内に入って確かめてみろ」
「え? のどか達の巻物の中って図書館があるの!?」
 和美は目を丸くした。エヴァンジェリンが和美達に一人一つずつ渡した幻想世界幽閉型巻物は一つずつ中身が違う。和美の巻物の中には図書館は無かった。
「和美の巻物にも資料室はある筈だぞ」
「え、そうなの? 私の巻物って樹海じゃん」
「樹海?」
 和美の言葉に夕映が首を傾げた。
「私の巻物の中身って樹海なのよ。それもとんでもなく広いの。中のエヴァちゃん曰く『自然を感じる感覚を研ぎ澄ませる修行』らしいんだけど――」
 和美が渡された巻物の中に広がる“幻想世界(ファンタズマゴリア)”は樹海だった。どれだけ走っても森が続く。生き物も存在し、その種類は多種多様だ。
「巻物内のエヴァちゃんは資料室の事なんて教えてくれなかったよ?」
 各巻物の中にはエヴァンジェリンを模した人工精霊が居る。姿形や言葉遣いは彼女そのものだが、感情は無く、修行内容の伝達や巻物内でのオペレーター的な役割を担っている。
「尋ねれば答える筈だ。あれはプログラムしてある範囲で単純な受け答えしか出来ないからな。自分から知りたい情報なんかをどんどん聞いていかないと駄目だ」
「先に言ってよー。帰ったら聞いてみよっと」
 和美が唇を尖らせながら言うと、エヴァンジェリンは肩を竦めて一同に「さて」と声を掛けた。
「そろそろ中に入るぞ。探し物がいつまで掛かるか分からんからな。さっさと始めなければ……」
「そう言えば、その探し物って何なの?」
 エヴァンジェリンのログハウスに集められた日に休日に“光輝の書(ゾーハル)”に関する探し物を手伝って欲しいと言われ、それから一週間後の土曜日である今日、和美達は図書館島に集められたわけだが、その肝心の探し物についての説明がまだだった。
「おお、そうだったな。探すのは“世界図絵 (オルビス・センスアリウム・ビクトゥス)”という魔導書だ」
「オルビス……えっと?」
「それは近代教育の父、コメニウスの著作『世界図絵』の事ですか?」
 和美が首を捻ると、夕映が不思議そうな顔で尋ねた。
「なにそれ?」
「世界図絵。『目に見える世界図絵』とも呼び、キリスト教の神父にして、教育者であったコメニウスが執筆した世界で最初の絵本です。世界に始まり、人、職、宗教などに至るまで、高水準の知識が絵と共に説明されているです」
「なんか、聞いてるとそれって子供向けの百科事典みたいな感じだね」
 和美が言うと、夕映は瞳をキラリと光らせ人差し指を上に向けた。
「まさにそうです。宗教差別、人種差別など、戦争の理由は数多あります。そこで、コメニウスは人類が普遍的な知識を持たないから考え方に違いが生まれ、戦争が起きると考え、人類に共通の普遍的な知識を共有すれば、戦争は起こらないと考え、全ての――子供を含めた――人類全てに共通する普遍的な知識を与える為に絵と共に分かり易い解説を入れた絵本、いえ、絵入りの百科事典『世界図絵』を執筆したのです」
「く、詳しいな」
 熱弁する夕映に驚きながら、感嘆の混じった声でエヴァンジェリンは呟いた。
「昔、お爺様がお話下さったのです。コメニウスは現在の教育に多大な影響を及ぼし、その考え方は驚く程近代的であり、歴史上を振り返り、最も尊敬すべき偉人の一人であると。私も心から尊敬してるです」
「なるほどな。世界図絵に関しての説明は夕映の語った通りだ。私でもこれほど見事な解説は出来なかったと思う。夕映はもしかすると教育者に向いているかもしれんな。いつか、もしもその意志があるなら、魔法世界のアリアドネーを訪ねてみるといいかもしれんな。爺ぃに頼めば留学の手続きについて説明を受けられるだろう」
「アリアドネーですか?」
「大戦時も常に中立を保ち、学びたいと望むあらゆる種族、民族に対し『門』を開く魔法世界にある独立学術都市国家だ」
「アリアドネー……」
 エヴァンジェリンの言葉を反芻する様に夕映は呟いた。
「まあ、アリアドネーに留学するとなると、本格的に一般人としての日常には戻れなくなる。じっくり考えてみろ。アリアドネーは年齢を問わないからな。高校や大学を卒業してからでも十分に間に合う」
「今度、詳しくお話を聞いてもいいですか?」
「ああ、今度、爺ぃに資料を用意させておこう」
「夕映……」
 のどかは夕映の瞳に決意の炎が灯るのを感じ、複雑そうに呟いた。エヴァンジェリンが言うからには夕映にとって、魔法世界への留学は将来を見据えた上で悪く無い選択肢なのだろう。
 夕映の魔法に対するこれまで見た事が無い程の熱中ぶり、真剣さを見て、夕映の生きる道は“魔法界”にこそあるのだろうとかすかに感じていた。
 それがいざ現実のものとなると思うと、のどかは急に寂しくなった。夕映に置いて行かれてしまうような感覚だ。初等部の頃からの親友であり、今迄何度も助けられ、そして、自分自身も彼女を助けて来た。これは自惚れなどではない。
 急に、彼女が未来に向かって一歩を踏み出し、手の届かない先に行ってしまいそうになるのを感じると、のどかは無意識の内に口を開いていた。
「わ、私もアリアドネーの話を聞きたいです!」
 急に大声を上げたのどかにエヴァンジェリンと夕映は目を丸くした。だが、のどかの瞳の真剣さと真摯さを見て、エヴァンジェリンはしばらく瞼を閉じ、やがて開くと言った。
「いいだろう。だが、後悔するかもしれん。もし、留学しようと考えているなら、じっくり考えろ。海外留学などとは比べ物にならないからな」
 エヴァンジェリンの言葉に僅かに腰が引けたが、それでものどかは確りと頷いて見せた。
 その様子に夕映は嬉しそうな笑みを浮かべた。のどかの考えは長年親友として接して来た夕映にはお見通しだった。自分の事でのどかに人生の選択を誤らせたくないのだが、それ以上にのどかが自分と離れたくないと思ってくれた事に驚く程胸を打たれ、喜びが込み上げて来た。
 無論、のどかが留学を決めるなら、その時は真剣に尋ねるつもりだ。本当に自分の意思で魔法世界の行きたいのか? と。自分について行きたいから、なんていう理由で魔法世界に足を踏み入れようとしているなら、諦めさせるつもりだ。例え、自分の決意を歪めても。憧れと親友の幸福のどちらか一方なら、自分は迷わずに親友を――のどかを選んで見せる。夕映は瞳に先程以上の強い決意の炎を燃え上がらせた。
「えっと、それでさ、私達が探すのはその百科事典でいいわけ? なんか、聞いてると魔導書ってイメージじゃないんだけど」
 のどかと夕映、二人が決意に燃えているのを尻目に和美が尋ねた。和美と夕映、二人がもしも魔法世界に行くのなら、自分もついて行こう。密かに決意を固めながら。
 のどかの持っている光輝の書がある限り、二人は狙われる可能性があるのだとエヴァンジェリンは語った。ならば、二人を守るのは自分だ。あの修学旅行の日にそう決めて、光輝の書から力を受け取った。今でもその決意は変わらない。
 あの日まで、和美はそこまでのどかと夕映と仲が良かったわけじゃない。普通に話すし、普通に遊ぶ友達ではあっても、親友と呼べる関係ではなかった。今でもそれは変わっていないと思う。だけど、自分は守ると決めたのだ。ならば、例え迷惑に思われてもその決意を貫き通す。
 それに、魔法世界、そして、アリアドネーに好奇心を刺激されたのは二人だけではない。和美もまたその魅力に強く惹き付けられていた。
「正確にはその“原典(オリジナル)”だ。コメニウスはあらゆる知識を内包する魔導書を作り上げた。常に新しい情報をアップデートし続ける魔導書をな。一般に知られる『世界図絵』はその青本だ」
「コメニウスは魔法使いだったという事ですか!?」
 夕映が驚きに声を張り上げると、エヴァンジェリンは頷いた。
「コメニウスの生まれた地、チェコは当時は神聖ローマ帝国の一部だった。更に言うと、チェコの首都『プラハ』は帝国の首都だった。当時の皇帝ルドルフ2世は魔法使いに対してとても寛容な人物でな。プラハは錬金術師を中心に魔術の中心都市として発展し、ヘルメス学やカバラ学などの魔術の研究なども盛んに行われた。もっとも、一般人の視点からは芸術などの文化の中心都市として栄華を極めたが、同時に奇怪な趣味の愚劣な王が国を胡散臭い連中で溢れさせ、その後、三十年戦争が始まり、暗黒の時代と呼ばれたがな。コメニウスは魔術に囲まれて過ごし、戦争の嵐を生き抜き、宗教改革、教育改革を掲げたが、権力者に国外追放を受けた。半生を亡命生活を強いられる中でそれでもコメニウスは負けずに様々な著書を執筆し、そして、一冊の魔導書を書き上げる。それが『世界図絵』の原典だ」
 夕映は開いた口が塞がらなかった。自分の敬愛する人物が魔法使いだった。そして、尊敬する祖父の語った彼の著書は魔導書の青本だった。それは夕映に多大な衝撃を与えるのに十分な内容だった。
 エヴァンジェリンの語る祖父に聞いた以上の壮絶な、そして、不思議な彼の人生。その彼の執筆した魔導書を是非とも手に取り、開いてみたい。その思いが夕映の胸に壊れた蛇口から溢れ出す水の如く溢れ出した。
「エヴァンジェリンさん。絶対に世界図絵の原典を見つけるです! コメニウスの執筆した魔導書をこの目で見たいです!」
「そうだな。いつまでももたもたしてると夜になってしまう。っと、その前に注意事項だ。立ち入り禁止区域に入ったら私の言う事を絶対に聞く事。私の傍を離れない事。勝手な行動を取らない事。わかったな?」
「はい!」
 四人が返事を返すと、エヴァンジェリンは頷いて図書館の中へと入って行った。その後を夕映、のどか、和美、さよの四人が続く。
 広々としたホールを抜け、階段を降り、本棚の上を通り、水面に浮かぶ飛び石を飛び移り、エヴァンジェリン達は只管地下を降り続けた。
「うわっ、図書館島の地下ってこんなんなってるんだ……」
 一般生徒が立ち入り出来る1階や二階と違い、図書館探検部の中等部や一般の先生が降りられる地下一階から下はまさしくゲームに出て来るダンジョンのようだった。地下三階まで来ると、本棚と本棚の間がまるで谷間のようになっていて、底は目を凝らしも殆ど見えない。トラップの仕掛けられた本棚も増える。
 更に図書館探検部の高等部が降りられる地下四階から地下八階まで来ると地底湖があったり、巨大な穴が広がっていたりと既に道では無い場所を通らなければならず、大学部が降りられる地下九階以降となると、激流の川を渡り、巨大な樹木の根を渡り、人一人が這いずって漸く進める狭い道が迷路のように入り組んで広がっており、下手をすると行方不明や死傷者が出そうな場所ばかりだった。
 エヴァンジェリンが罠を悉く解除し、湖や地底湖を氷結させ、時には全員に浮遊呪文を掛け、それでも苦労しながら図書館探索メンバーは図書館島の地下十二階層へと辿り着いた。
「し、神殿……。完璧にゲームのダンジョンだね」
 全身に泥だらけになり、所々に傷を作りへとへとになりながら和美は目の前に広がる空間に顔を引き攣らせた。
 そこはまさに神殿だった。歴史を感じさせる石造りの空間には壁の至る所に見事な細工が施され、エヴァンジェリン達が入って来た扉の反対の壁には巨大な扉があった。
 その扉を護る様に十メートルはありそうな二体の巨大な石像がそれぞれ巨大な槌と巨大な剣を持って向かい合わせに立ちはだかっている。
「こ、ここはまさか――」
 夕映は恐れ戦くように呟いた。
「で、伝説の地底図書室への入口!?」
 瞳を見た事無い程輝かせ、のどかが言った。
「地底図書室ですぅ?」
 さよが首を傾げた。
「昔、唯一図書館島を制覇した伝説の図書館探検部員が見たという麻帆良最下層にある伝説の図書室ですよー。地底なのに暖かい光に満ちて、数々の貴重な蔵書が溢れる本好きにとっての理想郷。それが幻の地底図書室なんですー」
 蕩けきった表情で語るのどかにさよは「ほえー、凄いですぅ」と言いながらよく分かっていない様子で漠然と凄い場所なのだと感じた。
「ちなみに、その部員は一週間も地底図書室で過ごしたらしいです」
「一週間!? 食事とかどうしたの!?」
 夕映の言葉に和美が目を丸くする。
「何故か、お腹が空くと美味しい料理がテーブルに並べられているそうです。そして、気がつくと片付けられていて、とても快適だったらしいです。ただ、一週間が経って、いよいよ帰ろうかと思うと帰り道が分からなくなってしまったそうです」
「え? じゃあ、その人はどうなったの? そんな伝説が残ってるくらいだから、死んではいないと思うけど……」
「何でも、幻の図書館島司書長に助けられたそうです」
「幻の図書館島司書長?」
 のどかの言葉に和美が首を傾げた。
「存在している筈なのに、先生や図書館島の係員の人に聞いても誰も分からないという幻の司書長です。何でも、光の中から現れて、司書長が『もう、家にお帰りなさい』と言うと、一瞬立ち眩みがして、気がついたら図書館島の外に居たそうです。しかも、図書館島で確かに一週間過ごした筈なのに、寮に帰ると、皆が普段通りの反応をしたそうです。心配するでもなく。そして、日付けを確認して心底仰天したそうです。なんと、日付けがその部員が旅立った日のままだったのです」
「ただのホラ話……って、笑い飛ばせないよね」
「ええ、私達は既に魔法が実在する事、麻帆良に魔法使いが居る事を知っています。だからこそ、幻の司書長もただのホラ話と笑い飛ばす事は出来ないと思うのです」
 和美達が喋っているのを尻目にエヴァンジェリンは巨大な石像に護られた扉を見つめていた。ここは図書館島で一般人が命を賭ければあるいは到達出来る可能性がある最終地点だ。ここから先は例えどれほどの幸運に恵まれ、どれほどの偶然に助けられても先に進む事は出来ない。
「お前達、話すのは構わんが、もっと入口の方にさがっていろ」
 興奮のあまり騒いでいる和美達に声を掛けると、エヴァンジェリンはスーッと息を吸い、ゆっくりと吐き出して前に――巨大な二つの石像に護られるの前に立った。
 その瞬間、両脇に立ちはだかる巨大な石像が動き出した。ギョッとする和美達の前でエヴァンジェリンは声を上げた。
「通行許可証がある。ココを通せ」
 エヴァンジェリンはその手に名刺サイズの紙を持っていた。高々と石像に向けて掲げると、石像は元の状態に戻り、扉がゆっくりと開いた。
「この空間には無数の護りの術式が刻み込まれている。その強度は城や神殿に匹敵する。つまり、決戦クラスの魔法でも傷一つつかないわけだ。だが、それでもここを力ずくで突破可能な者がここに足を踏み入れると防衛機能が作動する」
 エヴァンジェリンは二つの巨像を見ながら言った。
「『鬼神』。かつて、魔法世界での大戦の折にも大暴れした生物兵器だ。その力は並の魔法使いならただ軽く腕を振るうだけで障壁を破られ消し飛ぶだろう。ここの壁を突破出来るだけの力があっても、鬼神兵を二体同時に相手するのは厳しいだろう。加えて、ここには侵入者の力を奪う術式、捕縛する術式、攻撃する術式、呪詛の術式なんかが無数に散りばめられている」
 エヴァンジェリンの語る一言一言に和美達は戦慄を覚えていた。生物兵器、どう考えても侵入者の命を奪う事を目的とした空間。こんなものが自分達の生活している場所の近くに存在している事に恐怖を感じた。
「中に入ったら、絶対に私から離れるなよ? ここから先は魔法使いでも危険な場所だ」
「危険って、どのくらい?」
 和美が聞いた。
「ここから先は麻帆良が建設され、図書館島がここに建てられた時から今に至るまでに集められた貴重な魔導書や魔道書がある。その為、様々な対策が講じられている。100年も前から少しずつ改良が重ねられ続けてな。勝手な行動は死に繋がる可能性が高い。いいな、絶対に勝手な行動を取るな」
 厳しい表情で重ねるように注意を促し、エヴァンジェリンは扉に向かって歩き出した。後ろに和美達は二体の向かい合う鬼神兵がいきなり動き出さないかと不安で挙動不審になりながら続いた。
 扉を潜ると、そこには不思議な世界が広がっていた。地下とは思えない広々とした薄暗い空間だった。四方の白亜の壁が僅かに淡い光を放ち、神聖な空気を漂わせている。
「なんか凄いね。空気が綺麗って言うか……」
「不思議な感じがするですぅ」
「お前達、入口に戻れ!」0
 キョロキョロと辺りを見渡す和美達にエヴァンジェリンは焦ったように叫んだ。何事かと思い和美がエヴァンジェリンを見ると、エヴァンジェリンは焦燥に駆られた表情で辺りを警戒していた。
「こんな場所は知らない。何かがおかしい。はやく戻るぞ!」
 エヴァンジェリンに促され、入口に戻ろうと和美が振り返ると、のどかと夕映の悲鳴が響いた。
「大変です! い、入口が無くなってしまったです!」
 夕映の言葉に和美は愕然となり、慌てて入口に視線を向けた。夕映の言葉通り、そこにはさっき通って来た入口が消失し、変わりに真っ白な壁があるだけだった。
「どうなって――ッ!?」
 和美がエヴァンジェリンに声を掛けた瞬間、エヴァンジェリンが真上に巨大な障壁を張った。和美は眩く輝く魔方陣に一瞬眼を奪われた。そして、瞬いた瞬間、障壁が紅蓮に染め上がった。
 膨大な熱量を含む炎が周囲の地面を真っ赤に燃え上がらせた。悲鳴が上がり、エヴァンジェリンが真上の障壁を維持したまま、自分達を覆うように更に幾重もの障壁を展開すると、障壁を通して、炎の向こうに巨大な鳥のような影が見えた。
「鳥……いや、あれは!」
 炎が散り、障壁が消え去ると全員が声を失った。初めに宝石の如く眩い光を放つ二つの眼が浮かび上がり、やがてその全貌を露わにした。紅蓮の大地の上に、ソレは存在していた。
 人を超えた知性と力と魔力を誇るあらゆる生命の頂点に君臨する神にも匹敵する存在――。
 ドラゴンは蝙蝠に似た、それにしては巨大過ぎる翼を広げ、エヴァンジェリン達を威嚇した。ただそれだけでのどかと夕映、さよ、和美は意識を失った。ただの威嚇がそれだけで屈強な精神を崩壊させる程の恐怖を叩きつける。人間が相対してはいけない種類の存在。
 出遭った瞬間にはもう手遅れだ。戦ったり、逃げたりなんて選択肢があるなんてのは贅沢な事だ。事この瞬間に於いてそんな選択肢は存在しない。目の前の脅威の機嫌次第で生きるか死ぬかが決定する。生き残れたとしても、保存食にされる可能性の方が無事に帰れる可能性より圧倒的に高い。
「馬鹿な……龍種だと? 学校の地下になんでこんなのが!?」
 さしものエヴァンジェリンも愕然とせずには居られなかった。
 龍種はもうこの世界には存在しない筈だ。膨大な労力と長い時間を掛け、魔法使い達が魔法世界の龍山山脈に移住させた筈だ。こんな場所に存在するなどあり得ない。だが、どれほど否定しても、目の前の事実は変わらなかった。
「ワイバーン種か……。さっきの“翼竜の吐息(ブレス・オブ・ワイバーン)”を見た限り、火の眷属。相性は悪く無いが……」
 チラリと気を失い、倒れこんだ四人を見て、エヴァンジェリンは下唇を噛み締めた。如何に相手がドラゴンとはいえ、自身も真祖の吸血鬼たる身だ。龍種といえども遅れを取るとは思っていない。思っていないが……夕映達を護りながら、となると話が変わってくる。
『護る戦いっていうのはね、案外難しいんだよ。慣れないと、どうしても気になってしまう。気にすれば気にする程に足枷になってしまうと頭で理解しても、心が理解してくれないから――』
 犬上小次郎の襲撃の日、心を乱した自分に弐集院が言った言葉が甦った。
 誰かを護る戦い。そんな経験は長い人生の中を振り返っても殆ど経験が無かった。数少ない経験と言えば、どちらも友を危うく死なせる所だった。アスナとタカミチが生きているのはほんの僅かな偶然とアスナとタカミチを思う者達のおかげだ。
 エヴァンジェリンは後悔していた。こんな事になるのなら、茶々丸を連れて来るべきだったと。茶々丸は今日はクラスメイトの葉加瀬聡美と超鈴音の研究室でメンテナンスを受けている。最近はその頻度が多くなり、何か問題が起きたのでは無いかと不安に思ったが、今はそれでも連れて来るべきだった、そうでなくとも日を改めるべきだったと後悔に駆られた。
 決めるならば一撃。一撃で決めなければ夕映達を――友達を危険に曝してしまう。それだけは嫌だった。それは生まれてからこの地に来るまで感じた事の無い強い思い。自分を護る為じゃなく、復讐の為じゃなく、純粋に護りたいという気持ち。
 エヴァンジェリンは掌に魔力を集中し、ドラゴンを睨み付けた。

 目を覚ました時、最初に見えたのは大きな背中だった。着古した背広の顔に歳に似合わぬ深い皺を刻んだ男。
「タカ……ミチ……なんで?」
 エヴァンジェリンはボロボロの体を引き摺りながらタカミチの背中を見つめた。
 エヴァンジェリンは敗北した。状況が違えば勝敗は変わっていただろうが現実は変わらない。背後に気を失った和美達が居る中でエヴァンジェリンの動きは著しく封じられた。回避を許されず、攻撃範囲の広い呪文を使えず、結果として護りに徹さざるをえなくなった。
 一撃で決めるつもりだった心臓を狙う氷結の矢はドラゴンの翼を一枚砕くだけに終わった。呪文の余波で和美達を傷つけてしまう事を恐れたために慎重になり過ぎた。
 龍種は体全体が余す事無く最上級の武具や防具に加工出来る程戦闘に特化した存在だ。その鱗は生半可な呪文を弾き返し、その爪や牙は魔法使いの障壁や結界を易々と貫く。怒り狂ったワイバーンの爪はエヴァンジェリンの張った強力な障壁をいとも容易く切り裂き、エヴァンジェリンを血の海に沈めた。必死に和美達を庇いながら戦ったが、最後にはワイバーンの爪撃に倒れ伏した。
 どのくらいの間、気を失っていたのだろうか――。体を縦に切り裂かれ、意識を刈り取られてから復活するまでにかなり時間が掛かった筈だ。
「酷いな。これでも、僕は君のパートナーなんだよ? 君のピンチには駆けつけるさ」
 そんな似合わないキザな台詞を口にして、タカミチは未だ健在なワイバーンに視線を固定したまま背広を脱ぎ、エヴァンジェリンに手渡した。
「あんまり、レディーが肌を晒すものじゃないよ」
 視線を下に向けると、自分は服を着ていなかった。意識を失った状態での復活だった為に服にまで意識がいかなかったのだろう。生まれたままの姿を男に晒すのは別に初めてでは無かったが、頬が赤く染め上がった。
 渡された背広で体を包み、エヴァンジェリンは睨むようにタカミチを見た。
「……今度奢れよ? 高い酒飲んでやる……」
「はいはい」
 苦笑を洩らすタカミチにエヴァンジェリンは頬を膨らませた。
「どうして、ここが分かったんだ?」
「学園長に言われたんだよ。エヴァが図書館島の下層区域に入るから手伝いに行けって。麻帆良祭や世界樹の魔力の高まりに乗じて侵入してくる賊が居るかもしれないから、重要な区域の警戒レベルを一時的に上げてあるんだってさ」
「だからと言って、ドラゴンを解放するなんて常軌を逸しているぞ……」
「いや、あのドラゴンはそこまで危険じゃないよ。少なくとも一般人や並みの魔法使い相手なら手加減してくれる筈だよ。エヴァは強過ぎるから彼も本気にならざるをえなかったんだ」
「その口ぶり……奴を知ってるのか?」
「知ってるよ。昔、一緒に旅をした仲間の一員だからね」
「紅き翼のペットだったのか!?」
 タカミチの言葉にエヴァンジェリンが驚いて声を上げると、それまで黙ってエヴァンジェリン達の様子を伺っていたワイバーンは低く唸り声を上げた。
「ペットなんて言い方はしないで欲しいな。彼はナギの古い友人だよ。同時に学園長の友人でもある。大戦が激化する中、まだ子供だった彼をナギが学園長に預けたんだ。最近まではここの最下層を護っていたらしいよ」
「あの爺ぃ、私に隠してたな……」
「まあ、最下層なんてよほどの事が無い限り誰も立ち入らないからね。敢えて言う必要も無いと判断したんじゃないかな? それよりも、久しぶりだね」
 タカミチが声を掛けると、ワイバーンは目を僅かに細めて低く唸った。
「うーん、忘れられちゃったのかな。まあ、僕が彼と旅をしていたのは本当にちょっとの間だけだったしね。彼と一緒に居たのは子供の頃だったし」
 タカミチが頬を掻きながら言うと、エヴァンジェリンは苛立たしげに舌を打った。
「なら、お前は和美達を護っていろ。あの程度のトカゲ、本気を出せば一捻りだ!」
 勇みワイバーンに向かおうとするエヴァンジェリンをタカミチは片手で制止した。
 どういうつもりだとエヴァンジェリンがタカミチを睨むと、タカミチは片目を瞑り、唇の端を吊り上げた。
「いや、昔、彼に修行の相手をしてもらっていてね。今の僕の力がどこまで通用するか、ちょっと試してみたいんだ。それに――」
 タカミチは悪戯っぽく微笑むとエヴァンジェリンに言った。
「折角だし、パートナーにかっこいい所を見せたいしね」
 タカミチの言葉の意味を理解して、エヴァンジェリンは顔が火照るのを感じた。どうしたというのだろうか、エヴァンジェリンは自分の体の反応に戸惑った。
 肌を晒す事を恥じるなど、とうの昔に忘れた感覚だった筈だ。もっと酷い辱めを受けた事もある。それに、普段タカミチがこんな台詞を言えば、調子に乗るなと説教の一つでもしてやる筈だ。
 動悸が荒くなり、頬が赤くなり、これではまるで恋する乙女のようではないかと愕然となった。慌てて頭を振りかぶり否定する。確かにタカミチとキスをして仮契約を交わした。だが、あれは緊急事態で他に手立てが無かったからだ。それに最近タカミチがかっこよくなったと感じる事はあったが、それは弟子が立派に成長した事が嬉しかったからで……。
「ま、負けたら修行のやり直しだからな……」
 背広をギュッと体に巻きつけ、エヴァンジェリンは睨むように言った。
「怖いな。じゃあ、最初から本気を出すとしますか……『咸卦法』」
 タカミチは天に祈りを捧げるように両手を合わせると、眩い光に包まれた。
「鍛錬をサボってはいないらしいな」
 アスナや刹那とは比べ物にならない研ぎ澄まされたタカミチの咸卦の光にエヴァンジェリンは感心したように言った。
 魔力と気という相反する力を一つにして操る事は容易い事ではない。傍目には使いこなしているように見えるアスナと刹那も実際にはむらがあり、持続時間が短く、本来発揮出来る力の半分程度しか扱えていない。
「師匠に教わった技……最近になって漸く使えるようになったよ」
 ズボンのポケットに手を入れたままという独特のスタイルのままタカミチは咸卦の力を両の手に集中していく。
 エヴァンジェリンはタカミチの咸卦の力の動きに呼応するようにワイバーンが口に魔力を集中しているのを感じ取った。
「タカミチ、ブレスが来るぞ!」
 叫びながら、エヴァンジェリンは和美達を護る為に頑強な障壁を幾重にも張った。ワイバーンの口の中が真紅に煌き、凄まじい魔力の波動を感じ取り、エヴァンジェリンは額から冷たい汗を流した。
 タカミチに手を貸すべきか、タカミチを障壁の内側に転移させるべきか、タカミチを信じるか、エヴァンジェリンは迷った。防御に徹すれば、和美達を護る事は出来る。だが、タカミチは障壁の向こう側に居る。ワイバーンの口に集中する魔力は下手をすると決戦クラスに届きかねない程の量だ。呪文の詠唱が出来ないタカミチでは決戦クラスの魔法に対抗出来る障壁は張れない。
「タカミ――ッ!」
 エヴァンジェリンは無意識にタカミチに手を伸ばしかけたがタカミチはチラリとエヴァンジェリンを見て、口元を動かした。
 咸卦の力が集中し、耳鳴りの様な音が鳴り響く中でタカミチの声を聴き取る事は出来なかった。だが、その口元の動きからエヴァンジェリンはタカミチの言葉の意味を図り取った。
――大丈夫だよ。
 エヴァンジェリンは不意に込み上げて来た衝動に動揺した。それは懐古の思いだった。それは寂しさだった。それは誇らしさだった。それは歓喜だった。
『大丈夫だよ。きっと、ナギは帰ってくる』
 未だ、タカミチが小さかった頃の事だ。当時、麻帆良の同じ教室で勉学に励んでいたタカミチはエヴァンジェリンに修行をつけてくれと頼み込んできた。
 学園長から依頼された事もあり、エヴァンジェリンは半ば渋々といった感じでタカミチの師匠となった。別荘という内と外で異なる時間を持つ魔法具を使い、タカミチは青春を捨てて修行に打ち込んだ。
 後悔していないと言えば嘘になる。どうして、自分はタカミチの時間を奪ってしまったのだろうかと。
 タカミチは“英雄(ヒーロー)”に強い憧れを抱いていた。当然だと思う。間近に人々から賞賛され、困難に立ち向かい、何度傷ついても立ち上がり、遂には世界を救った英雄達が居て、幼く純粋な心を持つ少年が憧れを抱かない方が不思議だ。
 その純粋な憧れが少年を焦らせた。本当なら恋をしたり、友と語り合い、競い合い、人生で最も輝く時間を過ごす筈だった時間を捨て去った。その原因と手段を与えてしまったのは紛れも無くエヴァンジェリンだった。
 だけど、その時間は決して無駄な時間だったわけではなかった。ナギが一年経っても迎えに来なくて、荒れていたエヴァンジェリンに少年だった頃のタカミチが言った大丈夫という言葉。それはとても軽く、信じるに値しなかった。
 その少年が青年となり、語った短い言葉は驚く程心に染み渡った。信じるに値しなかった言葉は信じるに値する言葉となった。未熟な心は逞しい精神となり、ひ弱な体は強靭な肉体となった。
 障壁の向こうが眩しい輝きに満たされ、光が消えるとワイバーンは地に伏していた。タカミチの師匠――ガトウ・カグラ・ヴァンデンバーグが彼に遺した技。無音拳の奥技の一つ。呪文の唱えられない身で龍種を倒すほどに力を得たタカミチにエヴァンジェリンは感動すら覚えていた。
「僕は……強くなったんだよ」
「ああ、よく頑張ったな。よく、ここまで強くなったな」
 無邪気な子供のように笑みを浮かべるタカミチにエヴァンジェリンは自分でも驚く程素直になれた。タカミチはエヴァンジェリンに褒められた事に驚き目を見開いた。
「タカミチ……」
 エヴァンジェリンは呪文を唱え、姿を大人に変え、タカミチの頭を優しく撫でた。
「偉いぞ。ちゃんと、師匠に負けない戦士になれたな」
 エヴァンジェリンは心の底から喜びを噛み締めながら言った。その嬉しそうな顔を見て、タカミチは堪えきれなくなった。涙が頬を伝い、顔をくしゃくしゃにしながら口元に笑みを浮かべた。
「私が認めるよ。お前はナギ達に負けない良い男になった」
「僕……」
 エヴァンジェリンはタカミチの頭をそっと抱き締めた。背は変化した今でもタカミチの方が高いため、タカミチは半ば倒れ込む様にエヴァンジェリンの胸に顔を埋めた。耳まで真っ赤になりながら離れようとするタカミチにエヴァンジェリンは愉快そうに笑いながら離さなかった。
 背後でいつの間にか起きていたらしい夕映達に悪戯っぽい笑みを向けた。眼が覚めたばかりで戸惑っている和美達にエヴァンジェリンは言った。
「さあ、奥へ行くぞ!」
「ちょっ、エヴァ!? う、腕離して! 胸、胸!」
 エヴァンジェリンはタカミチの腕に自分の腕を絡ませ、胸をタカミチの腕に押し付けながら奥へと進んでいく。タカミチは必死にエヴァンジェリンは引き剥がそうとするが、エヴァンジェリンは愉しそうに笑い、ますますタカミチの腕に強く抱きついた。
 和美達が目を覚ましたのは丁度タカミチがワイバーンを仕留めた直後だった。ワイバーンが壁に激突した時の衝撃と音で目が醒めた。意識を失っている間に何が起きたのだろう。タカミチにまるで恋人のように接するエヴァンジェリンの姿に夕映と和美は呆然となりながら後に続き、のどかと夕映はキャーキャーと頬を赤らめながら歓声をあげた。
「どうなってんの?」
「じょ、状況を見る限り、高畑先生が救助に来てくださったようですが……」
「どうやら、新たな恋を自覚したようですね」
「や、やっぱりそうなの!?」
「エ、エヴァンジェリンさんが……って、誰ですか!?」
 いつの間に居たのだろうか、和美と夕映の後ろに一人の男が佇んでいた。真っ白なローブに身を包んだその男にタカミチとエヴァンジェリンは驚いた顔でその人物の名前を呟いた。
「…………アルビレオ・イマ」
「久しぶりですね、二人共」
 紅き翼のメンバーの一人、アルビレオ・イマは悪戯が上手くいって喜ぶ子供の様な笑みを浮かべながら立っていた。その背後にはいつの間にか巨大な扉が佇んでいた。
「貴方方の探している本が用意してあります。どうぞ、お入りなさい」
 そう言って、アルビレオは扉を開き、エヴァンジェリン達を中へ誘った。その部屋はとても広く、中央の広場には一冊の本が浮んでいる。その表紙にはこう刻まれていた。
『世界図絵』と――。



[8211] 魔法生徒ネギま! [第九章・そして祭りは始まる] 第四十七話『知恵』
Name: 我武者羅◆cb6314d6 ID:76577b36
Date: 2011/08/30 22:31
 アルビレオ・イマに案内され、一番初めに目に付いたのは広々とした空間の中にぽつんと佇む円柱型の巨大な建造物だった。辺りを見回すと、四方を滝に囲まれ、頭上に視線を向ければ、天井からは無数の樹木の根が垂れ下がっている。
 和美、さよ、のどか、夕映の四人は学校の地下とは思えない不可思議な光景にしばし目を奪われた。滝壺からの水煙と天井から降り注ぐやわらかな光が幻想的な雰囲気を醸し出し、まるで夢の世界に迷い込んでしまったかのような錯覚に陥った。
 タカミチはまるで魔法世界の遺跡のようだと感じて天井から垂れ下がる樹木の根を興味深げに見つめていたが、時折腕に感じるエヴァンジェリンの胸の感触にどうしても意識が向いてしまう。
「エヴァ、どうしたんだい?」
「何がだ?」
「いや、何がだ? じゃなくてさ」
 エヴァンジェリンは元々綺麗な顔立ちをしている上に今は魔法で大人の女性の姿に変身している。腕に当る豊かな胸の柔らかさにいけないと思いながらも意識が向いてしまう。
 タカミチがエヴァンジェリンと初めて出会ったのはこの麻帆良学園だった。師匠であるガトウ・カグラ・ヴァンデンバーグに学校に通えと勧められて入学したら、同じクラスに彼女が居た。
 当時、エヴァンジェリンは酷く荒んでいた。ナギに置いて行かれ、その上厄介な呪いまで掛けられたのだから仕方の無い事だ。特に初めの三ヶ月は酷かった。外国人の少女が転入して来たという事で皆が浮き足立ち、ただでさえ苛立っていたエヴァンジェリンはたまに言い寄ってくる男子には暴力を振るい、話しかけられると辛辣な返事を返した。
 エヴァンジェリンはあっと言う間に孤立してしまった。そんな時、学園長である近衛近右衛門がタカミチに一つの提案をして来た。
『エヴァンジェリンに教えを請うてみんかね?』
 初めは極東最強の魔法使いと謳われる近右衛門に教えを請おうと考えていたタカミチは最初は渋ったが、エヴァンジェリンが孤立している事を知っていた為に近右衛門の提案を渋々承諾する事にした。
 結果的にはその判断は大正解だったとタカミチは思っている。エヴァンジェリンは師匠としての才能があり、彼女の持つ魔法具――ダイオラマの魔法球のおかげもあり、才能が人並み以下の自分でも師匠の咸卦法を修得する事が出来た。
 今思うと、あんなに長い時間を一緒に過ごした女性はエヴァンジェリンが初めてだったと思う。あの頃はとにかく皆に追いつきたくて必死だったから色恋事に感心が向かなかった事もあって、彼女を作ろうとも思わなかったし、そもそも一般人とあまり仲良くなるべきじゃないと思い壁を作っていた。
 厳しい修行の日々だったけれど、充実していたと思う。エヴァンジェリンは嫌々な様子だったけれど、決して手は抜かなかった。長く一緒に過ごす中で凝り性な一面がある事を知った。背はあの当時も自分の方が高かったけれど、時折見せる年上の雰囲気に翻弄された事が何度もある。
 あれから本当に長い付き合いになった。ダイオラマの魔法球――エヴァンジェリンは別荘と呼んでいる――の中は内と外とで時間の流れが違い、何度も使っている内に自分はすっかり老けてしまった。
 エヴァンジェリンの態度が冗談の類で無い事はなんとなく分かる。お互いの気持ちをそれとなく感じ取れるくらいには一緒に過ごして来たからだ。だからこそ分からない。どうして、こんな事を自分にするのかが。エヴァンジェリンはナギ・スプリングフィールドが好きな筈だ。長い月日を生きて芽生えた恋心がそう簡単に枯れる筈が無い。
「そ、そういうのは恋人とするべき事だよ」
「そういうの?」
 ニヤニヤと意地悪そうに笑みを浮かべながら言うエヴァンジェリンにタカミチは腹立たしさを感じた。
「とにかく、ちょっと離れてくれ。仮にもレディーなんだからさ」
「仮にもとはなんだ!」
「仮って付けられたくないなら、もっとお淑やかにね」
 タカミチはなんとかエヴァンジェリンの腕から抜け出してアルビレオに声を掛けた。
「どうしました? お話なら中に入ってからゆっくりと――」
「どうしても、聞きたいんです。アル、貴方なら知っているのでしょう?」
「何の事ですか?」
「ナギの居場所です」

第四十七話『知恵』

 タカミチの言葉に空気が凍りついた。ナギ・スプリングフィールドの名前は全員が知っている。エヴァンジェリンの過去の思い人であり、大切な友人であるネギ・スプリングフィールドの実の父親。現在は行方不明となっていて、既に亡くなっているという噂もある嘗ての大戦の英雄。
「……まずは中に入りましょう。長くなると思いますので……」
 アルビレオは中央の建物の中へとタカミチ達を招きいれた。中は本棚が所狭しと並べられていて、奥の方に階段が見えた。
「本がたくさんあるですね」
「この本、表紙が綺麗ですー」
「ああ、あまり弄らないで下さいね? 全て一級品の魔導書なので、全てに並みの魔法使いを即死させる呪が掛けられていますから」
 綺麗に並べられた上等な皮の表紙の分厚い書物に瞳を輝かせながら触れようとする夕映とのどかにアルビレオは慌てた素振りも見せずに言った。
「即死っ!?」
 和美が慌てて本棚から夕映とのどかを遠ざけた。さよは恐怖に引き攣った顔で和美に抱きついている。
「お、おい! もっと早く言え!」
 エヴァンジェリンが怒鳴りつけるとアルビレオはにこやかに微笑みながら言った。
「人様の家の物を勝手に物色するのならば、それなりの覚悟を持ってしかるべきですよ」
「お前……」
 危うく夕映とのどかが命を落としそうになったというのに態度を変えないアルビレオにエヴァンジェリンは怒気を篭めた視線を向けた。
 アルビレオはそんなエヴァンジェリンの視線を意に返さず、逆に失望したような視線を向けた。
「昔の貴女なら、私が言う前に気付いたと思いますがね。ここの魔導書がどういうモノであるかが……。あの仔に負けた事といい、弱くなりましたね、キティ」
「アル――ッ!」
 アルビレオの言葉にタカミチは眉間に皺を寄せて言い返そうとしたが、エヴァンジェリンに止められた。
「実際、魔導書の危険度が判らなかった私の落ち度だ。前も思ったが、やはり衰えているらしいな……いろいろと」
「キティ」
 部屋の奥の階段を登りながらアルビレオはエヴァンジェリンの名を呼んだ。
「このまま、麻帆良を出れば貴女は死ぬ事になりますよ?」
 アルビレオの言葉にエヴァンジェリンは黙り込んだ。タカミチは反論しようとしたが、現実的な考えが頭に浮かび、反論する事が出来なかった。
 エヴァンジェリンは弱くなった。その事をタカミチはもう随分前から思っていた事だった。嘗てのエヴァンジェリンならば魔力無しでもそれこそ一騎当千の力を有していた。600年に及ぶ戦闘経験はそれだけで力だった。
 だが、この十数年の間の平和な時間がエヴァンジェリンから牙を抜き去った。人に対する情けや油断を覚え、戦闘者としての勘を鈍らせた。だからこそ、タカミチはエヴァンジェリンがネギを襲った時に止めに入らなかったのだが……。
 タカミチはそれでもと思った。この十数年……タカミチの修行期間、エヴァンジェリンもダイオラマの魔法球に入って指導をしてくれたからそれも加えれば二十数年がただエヴァンジェリンを弱くしたとは思えなかったし、思いたくなかった。
 エヴァンジェリンは優しくなったのだ。それがタカミチの考えだった。人を教え導く楽しさを知り、人を護る難しさと尊さを知り、人を慈しみ、愛する大切さを知り、人として大切な“心”を育てたのだ。それは強さになる筈だった。誰にも負けない最強最悪の吸血鬼は誰にも負けない最強無敵の人になる筈だった。あと少し、時間があれば……。
「ちょっと、貴方が誰か知らないですけど、エヴァちゃん、馬鹿にしてんなら怒るよ?」
「エヴァンジェリンさんを馬鹿にしないで欲しいですぅ!」
「エ、エヴァンジェリンさんは弱くないです!」
「エヴァンジェリンさんはとっても強いんですー!」
 ぷんぷんと怒る少女達にアルビレオは笑いを噛み殺しながら言った。
「馬鹿にしているわけではありませんよ。ただ、これは事実です。このままでは、貴女達の大好きなエヴァンジェリンさんは敵に情けを掛けて殺されてしまうでしょう。彼女の敵はそういうい存在ばかりなのですよ。なにせ、大抵が根が善なる者である場合が多いですから」
「どういう事?」
 和美が尋ねた。
「キティと敵対する者は幾つかのタイプに別れます。賞金稼ぎ、復讐者、退魔師、吸血殺し、吸血鬼ハンター。今のキティは賞金を外されていますが、復活する可能性はありますし、賞金を取り消された事を知らない賞金稼ぎが狙う可能性もあるでしょう。そう言った者達にならばキティも情けを掛ける事は無いでしょう。しかし、復讐者が相手ではその限りでは無いでしょう。それに退魔師や吸血殺し、吸血鬼ハンターというのは基本的に善人です。己が胸に正義を抱き、世に災いを起す元凶を退滅せんとする者達に今のキティが容赦無く排除出来るかと言えば、頷く事は出来ませんね」
 階段を登り終え、扉を開き中に入りながらアルビレオは言った。
「でも、エヴァンジェリンさんは災いなんて!」
 のどかはキッとアルビレオを睨みながら声を荒げた。
「のどか……」
「のどかさん……」
 和美とさよは滅多に見ないのどかの怒っている姿に戸惑った。
「申し訳ありません。ですが、誰もが貴女のような視点で彼女を見る事が出来るわけではない事も覚えておいて下さい。一つの視点に縛られる事は無用な争いを招く事もありますから」
「はい……」
 アルビレオに諭す様に言われ、のどかは暗い表情で頷いた。夕映達は何度言葉を掛ければいいか分からず、そっとのどかに寄り添った。
 しばらく歩いていると建物の屋上に出た。屋上は広場になっていて、大きなドームがある。その手前、広場の丁度中央に位置する場所に一冊の本が浮んでいた。
「これは……」
「あなた達の探し物ですよ。元々ここはこの本の保管場所だったのですが、私が住むにあたって私が保管する事になったのです」
「『世界図絵』か、こんなにアッサリ見つかるとはな」
 エヴァンジェリンが浮遊する世界図絵を手に取ろうとすると、ビリッと痺れが走った。
「――ツッ、なんだ!?」
「世界図絵もまた、持ち主を選ぶ魔法具の一つなのですよ」
「人を選ぶ……?」
「ええ、まあ正確には番人に選ばれると言った方が正しいでしょうね。のどかさんには覚えがあるのではありませんか?」
「あの、それってもしかして……」
 アルビレオの言葉にのどかは三ヶ月前の事を思い出した。初めは夢だと思っていた不思議な体験。ネギに麻帆良学園の部活について教えるために一緒に図書館島を歩き、不思議な空間に迷い込んだ。あれが全ての始まりだったのだと思う。
 不思議な空間。巨大な塔。宙に浮くクリスタル。そして、紅蓮の炎を纏うアイトーン。
「確か、アイトーンって、ネギさんは言ってました」
「そう、彼女もまた番人です。彼女が認めたからこそ、貴女は魔導書――光輝の書(ゾーハル)の主となった。それが幸いであるかは分かりませんが……」
「どういう事?」
 アルビレオの意味深な言葉に和美が問い掛けた。
「魔導書というのは大抵が危険物ですから」
「危険物ですぅ?」
 実体化を解き、和美のポシェットに入った人形に憑依し和美の頭の上にちょこんと乗っかったさよが尋ねた。
「持ったら死んだ。開いたら本の中に引き込まれた。読んだら気が狂った。そんな事例が数多く存在します」
「た、確かに危険ですね……」
 アルビレオの物騒な言葉に夕映は眉を顰めた。ゾーハルは大丈夫なのだろうかと疑問を持った。本なのに言葉を口にし、そのどこか人間味がある話し方に今迄警戒心をあまり抱かなかった。
 ゾーハルがとても稀少でとても強力な魔導書であるとエヴァンジェリンや土御門から聞き、ただ凄いんだなと思っていただけだった。だが、今のアルビレオの言葉を聞いて、そんな凄い魔導書が本当に危険を孕んでいないとはとても信じられなかった。
「ゾーハルは大丈夫ですよ。番人がのどかさんを認めていますから」
 夕映のそんな思いを表情から読み取り、アルビレオは安心させるように言った。
「あのお馬さんですか?」
「ええ、彼女が常に貴女を護ってくれていた筈ですよ?」
「それってどういう……」
 アルビレオの言葉の意味をのどかが尋ねようとした時、アルビレオの言葉に呼応するようにのどかのポケットから光が溢れ出した。驚いてのどかがポケットに手を入れると、仮契約のカードが輝いていた。
「出してごらんなさい」
「は、はい。……アデアット」
 アルビレオに導かれるようにのどかは呪文を唱えた。カードから光が更に強まり、のどかの目の前に分厚く高級感の溢れる装飾の施された本――ゾーハルが現れた。
「夕映さん、こちらに来て頂けますか?」
「私ですか?」
 いつもと様子の違うゾーハルに驚き戸惑っていた夕映にアルビレオが声を掛けた。首を傾げながら夕映がアルビレオの下に行くと、アルビレオはおもむろに浮遊する世界図絵を手に取ると、世界図絵を夕映に差し出した。
「アルビレオさん……?」
「これを貴女に差し上げます」
「え、でも!」
 突然の申し出に夕映は困惑の表情をアルビレオに向けた。
「大丈夫ですよ。この本の番人として、貴女をこの本の主と認めましたから、先程のエヴァンジェリンのようにはなりません」
「どうして、私に?」
「貴女がのどかさんに一番近しく、私やキティを除いて最も魔法の才に恵まれているからです」
「私が魔法の才に……?」
「ええ、貴女の才は大したモノです。それに貴女ならばこの書を悪用する事は無いでしょう」
「悪用ですか?」
「この世界図絵という魔導書は膨大な情報量を持っています。秘密や暗部、極めて危険な力を秘める魔法、人の業。それらを冷静に感じ取り、操る事が出来ると貴女の“人生”が教えてくれました」
「人生?」
「お前、何時の間に……」
 アルビレオの言葉に夕映が首を傾げると、エヴァンジェリンが呆れた様に口を挟んだ。
「どういう事ですか?」
 夕映がエヴァンジェリンに聞くと、エヴァンジェリンは肩を竦めた。
「こいつの悪趣味なアーティファクトだ。“イノチノシヘン”と言ってな。他人の半生を詩篇形式で記す魔導書だ。だが、あれは本人の目の前で真名を聞き出すという手順があった筈だろ? いつの間に……」
「貴女がタカミチ君とイチャイチャしている間に自己紹介をしてもらったんですよ。儀式は一瞬で完了しますからね」
「イチャイチャとか言うな!」
「いやいや、年甲斐も無くタカミチ君に甘える姿は実年齢はともかく、見た目相応で実に可愛らしかったですよ」
「喧嘩売ってるのか!?」
「まさか。それよりも! さあ、夕映さん」
 夕映はアルビレオから差し出された世界図絵を触って大丈夫なのかとエヴァンジェリンに視線を向けた。
 エヴァンジェリンはアルビレオを鋭く睨むと溜息を吐いた小さく頷いた。
「大丈夫だろう。性格はこの通りだが、無闇に女子供を傷つける趣味は無い……と思う」
「ふ、不安になるからそこは断言して欲しいです……」
 恐る恐るアルビレオの手から夕映は世界図絵を受け取った。ビリビリするのではないかとおっかなびっくりだったが、触っても問題無いと分かり安堵の溜息を吐いた。
「早速開いてごらんなさい」
「は、はいです」
 梟の絵が描かれている分厚い書物――世界図絵を夕映はゆっくりと開いた。ところが……。
「真っ白?」
「どういう事だ?」
 中は真っ白だった。更にページを捲ってみるがどこにも何も書かれていない。横から覗き込んだエヴァンジェリンが首を傾げながらアルビレオに尋ねるとアルビレオは言った。
「世界図絵はあらゆる疑問に答えます。そうですね……例えば、何か知りたい事を頭に浮かべてごらんなさい。出来るだけ荒唐無稽の疑問がいいですね。その方がその書の力が分かり易いでしょう」
「荒唐無稽ですか……。で、では、そうですね……」
 夕映はコホンと咳払いをすると、僅かに頬を赤らめながら口を開いた。
「アメリカ合衆国ネバダ州リンカーン郡に存在するエリア51について教えて欲しいです」
「エリア51ですぅ?」
 夕映の言葉にさよが首を傾げた。
「確か、UFOが墜落したとかいう場所だっけ?」
「それはロズウェル事件じゃ――」
 和美とのどかが話していると世界図絵のページが次々に勝手に捲れた。開かれたページはやはり何も書かれていなかったが、突然光を発したかと思うとまるでSF映画に出てくるような立体画像が飛び出した。同時に白紙のページにびっしりと絵や文字が浮かび上がった。
『エリア51はアメリカ合衆国に存在する“魔法世界(ムンドゥス・マギクス)”への入口である(図A,B,C)。現在、アメリカ合衆国に存在する“門(ゲート)”はエリア51を除き全て封印状態になっているがエリア51の門は厳しい監視体勢にあり、一般人や一般の魔法使いの立ち入りは厳しく制限されている為、アメリカ合衆国在住の魔法使いはカナダ、もしくはメキシコの門を使う事が一般的である』
 序文の下にはエリア51に纏わる情報が大量に記載されていた。その一つ一つを指でなぞると次々に空中にパネルが表示され、なぞった情報の詳細なデータが表示されていた。
 情報は事細やかで掘り下げても掘り下げても終わりが無く、様々な一般には知られていない情報が次々に飛び出した。
 アルビレオの言葉の意味を夕映は理解した。この本は恐ろしい力を秘めている。国家の最重要機密を意図も容易く手に入る。下手をすれば国家がゆらぐ程の恐ろしい情報まで存在している。こんな物を本当に自分が持っていていいのか夕映は不安に駆られた。
「その本の力が理解出来たようですね」
「……はい。エリア51の情報は一般には公開されていないです。だからこそ、憶測が飛び交い、映画などのネタとしても使われているです。なのに、こうも容易く……。いえ、内容は驚くべきものですが、魔法関係という事ならば……」
「エリア51の門は魔法使いでも知っている者は限られていますよ。他の門とは違い、魔法世界側から干渉が一切起せない唯一の旧世界側からの一方通行……普通の人間達によって管理される唯一の門なのですから」
「つまり、魔法使いが管理していないという事ですか?」
「そうです。かの地の門が出来たのはある種事故のようなものなのですよ。通常、門は儀式を行うか、一定の条件下でのみ開くように設定されています。ですが、エリア51の門は違います。常に解放状態にある。故に他のどの門よりも厳しい警戒態勢が引かれています。その戦力は魔法使いであっても辿り着く前に確実に息の根が止まるほどです。何故なら、本来はあってはならないものだからです」
「あってはならないもの?」
「ええ、合衆国は魔法使いを認めていないのですよ。表向きにはそうでもありませんがね。故に合衆国に入国する際、魔法使い及び魔道に属する者は皆魔力や気の封印処理を施され、厳しい検査を受けなければなりません。もしも、合衆国内で魔法を犯罪に用いた事が判明した時は問答無用で投獄され、数年は決して出て来れなくなりますから、注意してくださいね?」
「は、犯罪などに使ったりしません! ですが、理解しました。確かにこの世界図絵はとてつもない力を秘めているようです」
 ほんの僅かな好奇心でアメリカ合衆国という大国が秘匿している情報を意図も容易く手に入れてしまった事に夕映は恐怖を覚えていた。これは本当に恐ろしい本だ。下手に使えば世界の暗部を見てしまい心が壊れるかもしれない。知ってはならない事を知ってしまうかもしれない。
「この本を使うのは注意が必要ですね……。あまりに恐ろしい……」
「それが理解出来る貴女だからこそ、この魔導書は貴女に相応しい」
「この本は本当にコメニウスが執筆したのですか?」
 夕映は疑問を抱いていた。コメニウスは戦争に反対する平和主義者の筈だ。このような下手をすれば存在するだけで戦端を開くような危険な魔導書を作るなど考えられない。
「執筆者は紛れも無くコメニウスですよ。コメニウスは確かに教育者であり、宗教家であり、魔法使いであり、平和主義者でしたが同時研究者でもありました。ただ一冊のみ作り上げた彼の者の人生の集大成たるマスターピース」
 アルビレオの言葉に夕映は納得出来なかった。この本の力はただの好奇心で作っていいレベルを遥かに越えている。少し使っただけで下手をすれば歴史上の偉人の異形を犯罪者の蛮行として塗り替えられる情報まで出て来た。
 使い方次第では人を破滅させ、国家を揺るがし、歴史を破壊する力を持っている。
「確かにこの本は使い手次第では世界を混沌の闇に堕とす事も出来るでしょう。ですが、逆を言えば使い手次第では人を……世界を救う事が出来る力も秘めています。故にこそ、この本は番人が認めなければ決して触る事が出来ない古代の強力な呪が掛けられていたのです」
 さて、とアルビレオは間を置いてから未だ光り輝くゾーハルに目を向けた。
「世界図絵を使い、ゾーハルを本来の姿に戻してあげてください」
「本来の姿ですか?」
「どういう意味ですか?」
 夕映だけでなくのどかも戸惑った顔で尋ねた。
「ゾーハルという魔導書がどういうモノかは知っていますか?」
 アルビレオの問いに夕映が答えた。
「1280年頃に突如スペインのカタロニア地方に現れた謎の多い魔導書だと聞いてるです。幾つ物小冊子として発見され、それらを纏めたのがゾーハルだとか。内容はとにかく膨大で寓意や暗喩に満ち読み解く事が非常に困難だとか……」
「その通り。それが世間一般で知られるゾーハルです。一般人でも少し調べれば分かるほど有名な一冊です」
「確か、カバラの秘奥について記されているとか……。正直、実際に見るとイメージと大分掛け離れている気が……」
「大正解ですよ。さすがですね」
「え?」
 戸惑う夕映にアルビレオは言った。
「そう、そのゾーハルは本物であって本物ではありません」
「ど、どういう事!?」
 和美が聞いた。
「そのままの意味ですよ。夕映さん、世界図絵でゾーハルにアクセスして下さい」
「え、で、でも」
「説明するよりも早いですから、さあ」
「わ、わかったです……」
 アルビレオに促されながら夕映は気を落ち着けて世界図絵をゾーハルに向けた。どうすればいいのか分からなかったが、とりあえずさっきエリア51を調べた時のように言葉にしてみる事にした。
「ゾーハルに接続」
 その瞬間、再び世界図絵のページが捲れた。そこには既に文字が浮んでおり、次々にパネルが空中に飛び出した。次々にパネルが現れては消えていく。何か拙い事をしてしまったのではないかという不安に駆られながら、夕映は世界図絵が静止するのを只管に待ち続けた。
 しばらくすると、世界図絵の動きが止まった。空中にはパネルが一つだけ浮び、そこには接続完了の文字が浮んでいた。その瞬間、ゾーハルが更に眩しい輝きを発した。
『Aランクのアクセス権により全てのロックが解除されました。ご用件をどうぞ』
 ゾーハルからいつも以上に機械的な女性の声が響いた。
「えっと、この後どうすれば……」
「簡単ですよ。“憑依兵装(オートマティスム)”を解除するだけです」
「オートマティスム?」
「簡単に言うと、霊魂や精霊を己、もしくはその魂と同調可能な物質に憑依させ、その力を発揮させる古代より伝わる術法です」
「ゾーハルに幽霊が憑りついているという事ですか?」
 夕映が恐る恐る言うと幽霊が苦手なのどかは悲鳴を上げた。
「どちらかと言えば精霊ですね。のどかさんは一度既に会っています。さあ、夕映さん」
「……わかったです。ゾーハルを対象に憑依術式・“憑依兵装(オートマティスム)”の解除を申請」
 夕映が呟くと世界図絵から眩い光と共に無数の光の文字が飛び出した。光の文字はゾーハルを覆い隠すように光球を形成し、一際眩く光り輝いた。
 光が収まると、ゾーハルは一変していた。揺らめく青銀の表紙は桜色に染まり、銀の装飾は金色に変わり、表題は『סֵפֶר־הַזֹּהַר』から『DIARIUM EJUS』と変化していた。
 表題を見た瞬間、エヴァンジェリンとタカミチは目を見開いた。
「馬鹿な……『いどのえにっき』だと!?」
「ゾーハルがどうして……」
「なに、これってやばいの?」
 顔を引き攣らせる二人に和美は不安そうに尋ねた。
「やばいな。伝説クラスの宝具だ。これと並ぶアーティファクトと言ったら、アスナのエクスカリバーやラカン――紅き翼のメンバーの一人の『千の顔を持つ英雄(ホ・ヘーロース・メタ・キーリオーン・プロソーポーン)』くらいなもんだ」
「アスナさんのエクスカリバーと同等!?」
 夕映は驚き声を上げた。のどかや和美、さよも目を丸くしている。
 アスナのエクスカリバーは文字通り、嘗てブリテンの王であった英雄・アーサー王が握っていたという聖剣中の聖剣だ。アスナの放つあらゆる魔法防御、物理防御を突破する斬撃は恐怖すら抱く。
「ちなみに、そのホ・ヘローなんたらってのはどんなのなの?」
 和美が聞いた。
「ホ・ヘーロース・メタ・キーリオーン・プロソーポーンだ。無敵無類の宝具と名高き魔法具でな、この世に存在するあらゆる武器、防具を複製する事が出来る反則的なものだ。それこそ、一人で戦争出来る程の火力がある」
 のどかは顔を引き攣らせながら“いどのえにっき”を見つめた。すると、いどのえにっきから赤い炎が燃え上がった。驚きふためくのどかをエヴァンジェリンが咄嗟に引き寄せていどのえにっきから遠ざけた。
 炎の中から何かが飛び出した。エヴァンジェリンとタカミチがのどか達を庇う様に立ちはだかった。炎の中から現れたのは巨大な馬だった。普通の馬の二倍以上もある真紅の巨体に炎の鬣が靡いているのを見て、のどかは大きな声を上げた。
 吃驚したエヴァンジェリンとタカミチをすり抜けて、のどかは馬の前に立った。エヴァンジェリンとタカミチが慌てて引き戻そうとするが、のどかはゆっくりと馬に近づいた。
 馬が低く嘶くと鬣が炎から普通の黒い毛に変わり、肌の色が真紅から白に変化した。
『この姿で会うのは三ヶ月ぶりですね、のどかさん』
 その不思議な響きを伴う女性の声はゾーハルの声と同じものだった。
「ゾーハル……?」
 戸惑いを隠せない様子でのどかが恐々と問い掛けるようにゾーハルの名を呼ぶと、白馬はゆっくりと首を振った。
『私は“光輝(ジハラ)”の断片。“光り輝く者(バルベーロ)”より分れしアイオーンの一つ。知恵のソフィア。“いどのえにっき”の番人です。Aランクのアクセス権により偽装モードが解除されました』
「あ、あの、ゾーハルじゃないんですか?」
『正確には“光輝の書(ゾーハル)”という魔導書は存在しません』
 のどかはわけが分からないという顔でエヴァンジェリンに助けを求めた。エヴァンジェリンは思案顔で顎に手をやりながら視線を横に流し、口を開いた。
「存在しない……、それは実在しないという意味か? それとも、元々お前はゾーハルではなかったという意味か?」
『両方の意味です。一般的に“光輝の書(ゾーハル)”と呼ばれる魔道書は存在します。ですが、それはあくまでも様々な情報が記されているだけの魔道書であり、発動体としての力を持つ魔導書ではありません』
「なら、お前は何だ?」
 エヴァンジェリンは険しい視線を白馬――ソフィアに向けた。それまで信じていた考えが覆されたのだ、途端に目の前の存在が得体の知れないものに変わった。
『私はバルベーロ――魔術師が滅びの際に彼の所有していた魔道書に封印した魔術師自身の力や記憶、知識、考えといったものの断片です』
「バルベーロだと……」
 バルベーロ。その言葉の意味を理解出来たのはエヴァンジェリン一人だけだった。辛うじて、話の流れからそれが魔術師の名前である事だけは理解したが、タカミチをはじめ、エヴァンジェリンとアルビレオを除く五人は首を捻った。
「バルベーロ……、神が霊の泉に写った鏡身から作り出した存在。そんなものが実在するだと?」
 あり得ないと吐き捨てるエヴァンジェリンにソフィアは言った。
『正確には“造物主(ライフメーカー)”の生み出した最初の人です』
「ライフ……メーカーだと?」
 その名前を聞いた瞬間、全員に緊張が走った。
 “造物主(ライフメーカー)”―― 嘗て、魔法世界での大戦を裏で操り、ナギ・スプリングフィールド率いる紅き翼によって滅ぼされた筈の組織、“完全なる世界(コズモエンテレケテイア)”のトップ。
 どうして、ここでその名前が出るんだ。誰もが言葉を失っていた。
『創造神により生み出された造物主は創造神が作り出した惑星結界内に当時迫害を受けていた魔法使いを受け入れる為の環境を作る為、魔素を編み、七人の強靭な肉体を持つ“王”を造り出しました。同時に自身の鏡身から“人(アントローボス)”を生み出し、自身の娘として七人の王の上に君臨させました』
 創造神、造物主、惑星結界、七人の王、次々に飛び出す単語に周りが言葉を失くす中でエヴァンジェリンは冷静に考えをまとめていた。
 壮大な話ではあるが、その中で分かる内容が幾つかある。造物主の存在。惑星結界は恐らくは魔法世界の事だろう。そして、七人の王とアントローボス。この二つがどうしても気に掛かった。眉間に皺を寄せながら記憶を手繰り寄せ、エヴァンジェリンは「そうか」と顔を上げた。
「ボイマンドレースか……」
「ボイマンドレース?」
 聞き慣れない言葉に和美が首を捻った。
「遥か古の時代、ヘルメス・トリスメギストスという錬金術師が居た。ボイマンドレースというのは彼の錬金術師が記した“ヘルメス文書”の第二巻の事だ。そこには様々な知識と共に造物主(デーミウルゴス)が世界を造り、人を造り出す内容が記されている。初めに造られた七人の支配者、一人の鏡身――アントローボス。そこの馬が言った内容と合致する」
『“造物主(ライフメーカー)”は彼の偉大なる賢者を崇拝していました。創造神により生み出され、現代で云う所の“魔法世界(ムンドゥス・マギクス)”の創造を命じられた際、彼はヘルメスの著書をモデルにしました』
 エヴァンジェリンは「なるほど」と一人納得した。突拍子も無い話だったが、モデルとしたのならばその類似性は納得がいく。ただ、疑問は数多く残っている。
 創造神の存在や惑星結界といった超常の内容以上にエヴァンジェリンの脳裏を満たしているのは白馬――“知恵(ソフィア)”の存在だ。聞いている内容を整理すると、ソフィアは“造物主(ライフメーカー)”の生み出した鏡身が分化した存在という事になる。
 そんな存在が何故“いどのえにっき”の番人をしていたのか、何故、のどかを選んだのか、何故、アルビレオ・イマはこの事を知っていたのか……。
 一番の疑問はそこだった。何故、アルビレオ・イマはこの事を知っているのか。アルビレオは夕映が“いどのえにっき”の封印を解き放つ方法を知っていた。それに先程からソフィアの話を聞いても驚いた様子を一切見せない。ソフィアの語る内容を初めから知っていたかのようだ。
「えっと、そもそもヘルメスってどういう人なの?」
 思考の海に沈むエヴァンジェリンに和美が尋ねた。急激な状況の変化や内容の壮大さに呆気に取られていた和美は漸く頭が冷えてきた所だった。
 少しでも話の内容を理解しようとするが、理解出来ない内容があまりにも多過ぎた。見れば夕映やのどか、さよもチンプンカンプンとはいかなくても、内容を上手く呑み込めずに戸惑った表情を浮かべている。仕方なく、代表して尋ねる事にしたのだ。
「歴史上で最も偉大な魔術師の一人だ」
 エヴァンジェリンは思考の海から一端浮上して語り始めた。語る事で自身も頭の中を整理しようと考えたのだ。
「ヘルメスは“三重に偉大な”という意味のトリスメギストスと呼ばれた。これには様々な意味がある。三度転生した偉大な賢者であったから、偉大な預言者にして王であり賢人であったという三つの顔からなどな」
 エヴァンジェリンはいつもの魔法の授業の時のように左手に右腕の肘を乗せ、人差し指をピンと立てて語り聞かせるように語り続けた。
「錬金術の礎を築き、36525冊という膨大な書籍を執筆した。それらをまとめた全四十二巻が俗に言うヘルメス文書だ。その中には“エメラルド・タブレット”や“ボイマンドレース”と云ったものがある。他にもピラミッドの建設や様々な予言を行ったと言われている」
 ヘルメスの説明を続けながらエヴァンジェリンは頭の中を整理していた。
 疑問は無数にあるが、一度素直に全てを受け入れて考えてみる事にした。すると、気になる事があった。
 嘗て魔法世界で栄えていた王国があった――――ウェスペルタティア王国。その国の最初の女王『アマテル』には様々な逸話が存在する。その中でエヴァンジェリンが気になったのはアマテルが創造神の娘であるという逸話だ。
 創造神の娘。ソフィアの話の中に創造神の単語があった。偶然とは思えなかった。
「なんか、突拍子も無い話だね……」
 和美は頭を抱えた。魔術の世界に足を踏み入れ広がった常識の概念を遥かに越えた話に理解が追いついていなかった。
「えっと、ゾー……ソフィア……さん?」
『さんは要りませんよ、のどかさん』
 ソフィアは穏かな声で言った。のどかは掠れた悲鳴をあげ、おどおどとした様子でソフィアを見つめた。白馬の澄み渡った漆黒の瞳に吸い込まれそうになりながら顔を引き締めてのどかは口を開いた。
「どうして……私を選んだんですか?」
 不思議で仕方がなかった。のどかは今でこそ魔法の世界に足を踏み入れているが、元々はただの一般人だった。人より特別何かが秀でているわけでもない。魔法の才能があるわけでもない。
 本当にただの一般人であるのどかが選ばれた理由がまったく思いつかなかった。
『運命です』
「うん……めい?」
 ソフィアの言葉にのどかは目を丸くした。
『運命です。貴女があの日、あの空間に迷い込んだ事も、貴女が条件に該当した事も、貴女が最後の問いに正解した事も、全ては必然でした』
「どういう……事ですか?」
『あの空間はある一定の条件を満たした者のみが招かれます。貴女はその条件を満たし、あの空間に招かれました。そして、“いどのえにっき”を持つに相応しい条件を持っていました。だからこそ、貴女は私の最後の問いを受けるに値したのです』
「相応しい……条件?」
『“いどのえにっき”の誘惑に打ち勝てる清純かつ強い心を持っている事です』
「つ、強い……、私が……ですか?」
『貴女はあの塔を魔力の助け無しに登った。あの塔は貴女の心の強さや清純さを試す試練だったのです。貴女は見事に乗り切った』
「でも、あの時はネギさんも一緒でした」
『あの者は“いどのえにっき”を持つに相応しくない』
 ソフィアの口調が変わった。重く険しい声色にのどかは戸惑った。
「ソフィ……ア?」
『あの者は――』
「そこまでです」
 ソフィアが何かを言おうとすると、アルビレオが口を挟んだ。ソフィアは口を動かそうともがいているがまるで見えないロープで縛られているかのように口が開かなかった。
 ソフィアはアルビレオを険しい目付きで睨みつけたがしばらくすると諦めたように目を伏せた。
「この馬は私が預かりましょう。魔法生物の飼育には特別な免許が必要ですから」
 そう言うアルビレオにのどかは鳥肌が立った。穏かな笑みを浮かべているのに得も知れぬ恐怖が沸き起こった。
 アルビレオは懐から一枚の細長いカードのような物を取り出すと、小さく何かを呟いた。すると、ソフィアは突然暴れだした。アルビレオはのどかをソフィアから引き離すとカードをソフィアの額に当てた。ソフィアはカードの中に吸い込まれる様に消えてしまった。
「ソフィア!?」
「大丈夫ですよ。このカードに一時的に封じ込めただけですから」
 アルビレオはカードをのどかに見せた。そこにはまるでパクティオーカードの様な装飾の施された絵の中にソフィアが居た。
「さあ、中に入るましょう。色々と質問をしたい人も居るようですからね」
 アルビレオはチラリとエヴァンジェリンに視線を走らせながら言った。
「その前に答えろ」
「何をです?」
「どうして、ソフィアの言葉を遮ったんだ?」
 エヴァンジェリンの問いにアルビレオはクスリと微笑みながら言った。
「人の悪口は聞くだけ毒だからですよ。ネギ君には過去に色々とありましたから、“いどのえにっき”の所有者の条件に該当しなかったのでしょうね」
「……そうか」
 エヴァンジェリンは眉間に皺を寄せた。
「その馬にはまだ聞きたい事がある。後で貸せ」
「お断りします」
「なんだと……?」
 即答するアルビレオにエヴァンジェリンは目を細めた。
「貴女は魔法生物の飼育の為の免許を持っていないでしょう? それ以前にソフィアクラスの魔法生物となると一般人の生活区域の近くでは飼育は禁止されています」
「別に地上に連れて行くとは言っていない。帰る前に貸せと言っているんだ」
「……いいでしょう。まあ、貴女ならば」
「どういう意味だ?」
「一つありがたい忠告を差し上げましょう」
 アルビレオは困惑した表情のエヴァンジェリンの耳元に口を寄せ、囁くように言った。
「知りたいという欲望は使いどころを間違えれば絶望が降りかかりますよ?」
「どういう……」
 エヴァンジェリンが問い質そうとするとアルビレオはエヴァンジェリンに背を向けた。
「さあ、中に入りましょう。自慢の紅茶をご馳走しますよ」
 その様子にエヴァンジェリンはこれ以上は問い質しても無駄かと舌を打った。ソフィアの事に関しては後でソフィアと話せばいい。それよりも、今は他にも聞きたい事が山ほどある。
 エヴァンジェリンは問い詰めるのを諦め、巨大なドーム状の部屋へ足を踏み入れるアルビレオの後を黙って追いかけた。



[8211] 魔法生徒ネギま! [第九章・そして祭りは始まる] 第四十八話『造物主の真実』
Name: 我武者羅◆cb6314d6 ID:76577b36
Date: 2011/09/13 01:20
第四十八話『造物主の真実』


 アルビレオ・イマの後に続き、エヴァンジェリンが屋上のドームの中に足を踏み入れると、そこは外観から想像したイメージとは掛け離れていた。薄暗い室内は壁に掛けられた燭台に照らされ不気味な空気を醸し出している。床には真紅の柔らかい絨毯が敷かれ、アンティークの家具がセンス良く配置されている。壁際には巨大な本棚がいくつもあり、そこには個人名らしきタイトルの書物が並べられている。
 部屋の内装を注意深く観察すると、陰陽道の術式が取り入れられた無数の結界や呪詛が仕掛けられている事が分かった。害意のある者に対して、この空間は城砦の如く堅牢に内部の者や物を護るだろう。エヴァンジェリンは密かに警戒心を強めた。
「お掛け下さい」
 部屋の中央にある大きなテーブルの周りに並べられたクッションの柔らかい見事な装飾の施された椅子にエヴァンジェリン達はそれぞれ座った。すると、レースのテーブルクロスが敷かれたテーブルの上に人数分のティーカップが現れた。
「私のお気に入りの茶葉――中国の浙江省の『九曲紅梅』です」
 アルビレオはどこからかティーポットを取り出すとエヴァンジェリン達のティーカップに向けて放り投げた。慌てるのどか達を尻目にティーポットは落下する事無く、空中を滑る様に移動すると、エヴァンジェリン達のティーカップに中身の紅茶を並々と注いだ。漂う香ばしい茶の香りに目を丸くしていたのどか達は思わず歓声を上げた。
 エヴァンジェリンが瞬きをすると、次の瞬間にはテーブルの上に大量の茶菓子やフルーツが並べられていた。
「どうぞ、好きな物を食べてください」
 人の良さそうな顔でお菓子を勧めるアルビレオをエヴァンジェリンは不審気に睨みながら紅茶を一口飲み、口を開いた。
「まず、ナギの事から聞こうか」
 エヴァンジェリンの開口一番の言葉にお菓子を取ろうとしていたのどか達の手が止まった。
「……いいでしょう」
 飲もうとしていた紅茶をテーブルに置き、アルビレオは深く息をすると語り始めた。
「単刀直入に言いましょう。ナギ・スプリングフィールドは生きています」
 息を飲む音が部屋の中に響いた。エヴァンジェリンとタカミチは大きく目を見開いた。
 ナギ・スプリングフィールドが生きている。ネギから六年前の雪の夜にネギがナギによって救われたという話を聞いてはいたが、どこか半信半疑であったのだと思う。
 アルビレオはナギと最も付き合いの古い仲間の一人だ。その口から発せられた言葉は確かな重みがあった。
 アルビレオは凍りつくエヴァンジェリン達の前に一枚のカードを見せた。その絵柄はエヴァンジェリン達もよく知る物だった。仮契約のカードだ。
「パクティオーカード?」
 螺旋を描く無数の本に囲まれるアルビレオの姿が描かれた仮契約のカードを和美は不思議そうに眺めながら呟いた。
「それが彼――ナギ・スプリングフィールドの生きている事の何よりの証です」
「どういう事ですか?」
 何故、仮契約のカードを見せる事がナギの生存の証となるのか、夕映は困惑した表情を浮かべながら尋ねた。
「これはお前とナギの仮契約のカードか」
「正解です」
「なるほどな……」
「え、どういう事!?」
 エヴァンジェリンが納得したように呟くのを聞き、和美は慌てて尋ねた。
「仮契約のカードをよく見てみろ。アルの周りに螺旋を描いている本。これはアルのアーティファクトだ」
「えっと、仮契約のカードにアーティファクトが写っているのが証拠なの……?」
 未だによく飲み込めないという表情を浮かべている和美達にアルビレオは無言で数枚のカードをテーブルの上に並べた。
「これが契約者が死者となった仮契約のカードです」
 和美達の背中に氷を押し付けられたかのようなゾクリとした感覚が走った。テーブルに並べられた仮契約のカードの数は十二枚。ナギとの仮契約のカードとは異なり、アーティファクトの図柄が無く、全体的な色調も薄暗くなっているように見える。
 契約者が死んでいるという証拠……。
「カードが生きている。それはつまり、ナギ・スプリングフィールドは間違いなく生存しているという事です」
「居場所は知っているのか?」
「……居場所は分かりません。ただ、生きている事だけは断言する事が出来ます」
「そうか……。生きているのか、ナギは……」
 エヴァンジェリンは安堵の溜息を吐いた。確証が得られた。
 エヴァンジェリンにとって、ナギは大切な存在だ。ナギに対して抱いた恋慕の情は紛れも無く本物であったし、友に囲まれている今があるのはナギのおかげだ。
 同時に恨んでもいた。長年、この地に縛り付けられてきた中で溜め込んだ怒りは簡単には消え去らなかった。生きて会う事があれば、殺さぬまでも仕返しの一つもしなければ気が済まない。
 だが、エヴァンジェリンが今、この瞬間に感じている安堵は恋慕の情からでも、怒りの念からでも無かった。
「…………ネギ」
 愛おし気にエヴァンジェリンの口から漏れたのはネギの名だった。ネギの父親が生きている。その事が堪らなく嬉しかった。
 ネギ・スプリングフィールドはどこか壊れている。彼女――――彼と敵として対面した時から気付いていた。病的なまでの自己犠牲。
 あの日、ネギは初め、自分の命を出会って間も無い少女達の為に捧げようとした。アスナの時とも違う。アスナもあの頃はただの普通の女子中学生だったが、会って間もない少女(ネギ)の為に命を掛けた戦いに臨んだ。しかし、あの時、ネギがしようとした事は違う。
 アスナのソレは勇気と正義感から来た行動だった。だが、ネギのソレは自己犠牲から来るものだった。なにしろ、ネギはあの時、戦おうとすらしていなかった。自分を理不尽な理由で殺そうとしたエヴァンジェリンに対してさえ、罪悪感を感じ、自分の命を捧げようとした。
 タカミチの後押しが無ければ、ネギはあの場でエヴァンジェリンの手で殺されていただろう。
 その原因は六年前の雪の夜の惨劇にあるのだろうが、それだけでは無いだろうとエヴァンジェリンは考えていた。
 自我が芽生えた時から両親が居ない。子供にとって、それがどれほど辛い事か想像する事も出来なかった。エヴァンジェリンも少なくとも十歳の誕生日までは両親の愛に囲まれていた。
 祖父である魔法学校の校長や従姉弟の女性、幼馴染、友人は居ただろうが、最後の最後で頼れる存在がネギには居ないのだ。
 ネギは六年前の雪の夜の惨劇の事で大きな後ろめたさを感じていた。従姉弟の女性は発狂し、記憶を消され、幼馴染の少女は両親を失い、祖父は故郷を奪われ、友人達も大切な者を失った。その原因はネギの存在にあった。それは疑いようも無く、ネギ自身も嫌という程理解していた。
 誰に対しても後ろめたさという壁が立ちはだかる中で家族という心の拠り所の無い幼い子供が多くの人の死を背負いながらどうして心を強く保ち続けられるというのか……。
 親になれるなんて思い上がっていた訳では無い。それでも、少しでも頼れる存在であろうとしてきた。ネギもエヴァンジェリンに対しては少しだけ頼ろうとし始めている。だけど、やはり心の壁が立ちはだかる。ネギの敬語を聞く度にその事を強く実感させられる。
 もし、ナギが本当は死んでいたとしたら……。あの雪の夜、ナギがネギを助けたという話がネギの夢物語であったとしたら……。その事をエヴァンジェリンはずっと考え続けていた。
 だから、小太郎と接する時のネギを見た時、エヴァンジェリンは歓喜していた。インモラルではあるものの、ネギが犬上小太郎という一人の男を愛し、頼る姿が羨ましく、そして、嬉しかった。
「……生きてるなら、早くネギに会わせてやらないとな」
 エヴァンジェリンの言葉にアルビレオは虚をつかれたような表情を浮かべた。
 アルビレオはエヴァンジェリンにナギの生存の話をすれば歓喜し、子供の様に飛び回り、何故、自分を迎えに来ないのかと怒り、表情を千変万化させる事だろうと内心では悪戯っぽい笑みを浮かべていた。
 エヴァンジェリンの穏かな微笑みはあまりにも優しく、初めて見る表情だった。
「驚きましたね」
「何がだ?」
「貴女がその様に微笑むとは……」
 真顔で呟くアルビレオにエヴァンジェリンはムッとした表情で返した。
「うるさいぞ。それより、手掛かりも無いのか?」
 アルビレオは黙って首を横に振った。エヴァンジェリンは舌を打つと紅茶を一気に飲み干した。苦味の少ない香ばしい香りが漂う紅茶も今は味気無く感じた。
「ただ……」
 アルビレオは口元に僅かに笑みを称えると言った。
「彼は失踪する直前、とある目的がありました」
「とある目的……?」
「完全なる世界――――そのトップ、造物主を倒す事です」
「ちょっと待て」
 エヴァンジェリンは眉を顰めた。
「造物主はナギが倒した筈だろう」
 エヴァンジェリンの言葉にアルビレオは静かに首を振った。
「確かに、大戦の終わり、“墓守人の宮殿”で確かにナギは造物主の当時の肉体は滅ぼしました」
「当時の……?」
 アルビレオの意味深な言葉にエヴァンジェリンは眉を顰めた。言葉の意味を口の中で転がし、不意に恐ろしい推論が頭の中に閃いた。
「まさか、造物主は――――ッ!?」
「ヘルメス・トリスメギストスの如く、造物主もまた、転生する力を有しているのです」
「て、転生!?」
 あまりにも突拍子の無い言葉にそれまで黙って話しの流れに耳を傾けていた和美は仰天した。
 転生。本や昔話でしか聞いた事の無い言葉だ。死後、輪廻を巡り、人は転生する。だけど、悪い人間は転生しても人間にはなれず、畜生に堕ちるとされている。だから、悪い事をしてはいけないと和美は子供の頃に祖母から聞いた事があった。
「造物主は決して吸血鬼のように不死の存在ではありません。ですが、彼は不滅の存在なのです」
「なら、造物主は生きているのか!?」
 エヴァンジェリンは背筋がゾクリとした。一つの世界を滅ぼしかけた魔王。英雄によって滅ぼされた筈の存在が実は生きている。その上、例え、肉体を殺しても、その魂は死する事無く、新たな肉体に転生する。そんな自分以上の怪物が存在する事に本能的に恐怖を感じた。
 だが、同時に納得出来た事もあった。修学旅行の時やネギを襲った襲撃者の事だ。エヴァンジェリンはこれまであの二つの事件――一つは狂言だったわけだが――は完全なる世界の残党が引き起こしたものだとばかり考えていた。
 だが、考えてみればおかしな話だ。絶対的な権力を持ったトップを突然失われれば、組織というものは簡単に瓦解する。それが十年以上も存続し、明確な意思を持って動いているとなれば、そこに強大な権力を握る存在を感じずには居られない。それが元々のトップであったのならば納得のいく話だ。
「生きています。ですが、無事では無いでしょう」
「どういう事だ?」
「ナギが最後に消息を断った地がどこだかご存知ですか?」
「確か、イスタンブールだったな?」
 エヴァンジェリンは確認するようにタカミチに視線を流した。タカミチが頷くのを見ると、エヴァンジェリンは視線をアルビレオに戻した。
「イスタンブールはこの“旧世界(ムンドゥス・ウェトゥス)”における完全なる世界の活動拠点です」
「イスタンブールが!? つまり、ナギは……」
「完全なる世界が旧世界にも活動の範囲を広げているのは分かっていました。私達も襲われましたしね」
 アルビレオの言葉にエヴァンジェリンはハッとした顔でタカミチの顔を見た。タカミチは暗い表情で肩を落としていた。
 タカミチの師匠――ガトウ・カグラ・ヴァンデンバーグはアスナを護り、完全なる世界の構成員と戦い、その命を落とした。
「情報を集める内にイスタンブールの魔法協会が乗っ取られていると知り、ナギは単身で乗り込んだのです」
「ナギが単身で……?」
「イスタンブールの魔法協会が敵の手に落ちていると分かった時には私はもう戦う力が残っていませんでした。今も、この魔素に満ち溢れた空間に居るおかげでこうして動き回れる事が出来るのです」
「怪我か病か?」
「……そうですね、病気といえば病気なのでしょう。今ならば麻帆良全体の魔素の濃度が上昇していますから、外を出歩く事も出来るでしょうが、平時であれば少し歩くだけで体中の魔素が足りなくなり、この身は原型を留めて居られなくなります」
「呪いか!?」
「いえ、元々、私は旧世界ではまともに生きられない体なんですよ。ナギと契約していたからこそ、彼の魔力で私はこの旧世界にありながら動き回り、魔法を行使する事も出来ましたが……」
「つまり、ナギの奴に置いていかれたわけか……お前も」
 エヴァンジェリンは深い溜息を吐いた。嫌な奴と嫌な共通点を見つけてしまった。
 アルビレオはどこか嬉しそうに微笑むと「お揃いですね」と言った。エヴァンジェリンは心底嫌な顔をしながらペッと唾を飛ばした。
「まったく、下品ですね。そんな事ではタカミチ君に嫌われてしまいますよ?」
「うるさい!」
 エヴァンジェリンが顔を赤くして怒鳴ると、タカミチは苦笑いを浮かべながら「からかわないでくださいよ」と言った。
「さて、他に聞きたい事はありますか?」
「完全なる世界の事。造物主の事。ネギの村を襲った者の事。聞きたい事は山程ある。全部答えてもらうからな」
「おやおや、盛り沢山ですね。では、一つずつお答えしていきましょう」
 アルビレオは紅茶を一口だけ口に含むと語り始めた。
 完全なる世界。魔法世界の大戦を裏から操った犯罪組織。メンバーは殆どが造物主によって生み出された人ならざる人。その組織力は強大であり、各国の上層部にも手を伸ばし、ある時は弱味を握り、ある時は洗脳し、ある時は甘い言葉で誘惑し、国を操った。
 幾つかの自衛ギルドが討伐に乗り出したがその数は増える一方。旧世界においてもその組織としての力は健在であり、イスタンブールを初め、各国の名のある組織に既に潜り込んでいる可能性が高い。
「とんでも無いな……」
 エヴァンジェリンは完全なる世界について話を聞く内に薄ら寒いものを感じていた。まるで寄生虫のように忍び寄り、国の頭を操る。この旧世界にまでその魔の手を伸ばしているのだとすれば、下手をすれば第三次世界大戦などという事態も有り得るのではないだろうか。
 和美達も顔を青褪めさせながら聞いていた。
「奴等の目的は分かっているのか?」
「魔法世界人の救済。それが彼らの目的です」
「……は?」
 エヴァンジェリンは呆気に取られた表情で凍りついた。
 恐ろしい悪の組織としてのイメージと救済という言葉にどうしても繋がりを感じられなかった。
「魔法世界は一つの大きな問題を抱えているのですよ」
「問題?」
「魔法世界というものがどういうものなのか、そこが鍵です」
「……ああ、そうか。なるほどな。そういう事なら、抱えているという問題も分かるし、造ったのが造物主とやらならば、大量殺戮を行う理由も推論が立つ」
 エヴァンジェリンの言葉に和美達は驚き、タカミチは数日前に入院していた時の事を思い出していた。
「お聞かせ願えますか?」
 エヴァンジェリンは深く溜息を吐いた。前に自分が少ない情報の中で推察した説が真実味を帯び始めていたからだ。
 ただの戯言のつもりで口にした悪夢のような仮説が真実なのだとしたら、これほどの悪夢もそうはないだろうとエヴァンジェリンは自嘲した。
「魔法世界は火星にある人造世界。1908年代に発表された『人造異界の存在限界・崩壊の不可避性について』。創造神の創造した造物主。修学旅行の最後にアスナが語った造物主の言葉――『貴様もいずれ、私の語る”永遠”こそが“全て”の“魂”を救い得る唯一の次善解だと知るだろう』。それにあの馬の語った事。それらを全て集約すれば答えは簡単に導く事が出来る」
 エヴァンジェリンはさきほど以上に深い溜息を吐いた。
「魔法世界は滅ぶんだろう? そう遠くない未来に」
「さすがですね」
 アルビレオが認めると、エヴァンジェリンは頭が痛くなった。
「そうなれば、魔法世界から旧世界へと魔法世界の人々が逃げ出すだろう。それは戦争の幕開けと同義だ。世界大戦なんてレベルじゃない。魔法の力を行使する火星人と近代兵器の力を行使する地球人の宇宙大戦だ」
 エヴァンジェリンは思わず笑ってしまった。チープなSF小説のような展開だ。住処が無くなった宇宙人が新天地を目指し、地球へやって来る。移住を拒む地球人を宇宙人は武力によって従えようとする。
「ど、どうして!? な、なんか話の展開についていけてないけどさ……。その、魔法世界が無くなるって言うなら、普通にこっちに移住させてあげればいいだけじゃん。なんで、戦争なんて……」
 和美の言葉に夕映が首を振った。
「和美。百人や二百人なら和美の言う事も尤もです。様々な国が協力し合えば、そのくらいの人数ならば何とか受け入れる事も出来るかもしれないです。でも、魔法世界に人はどれ程居ると思いますか? 少なくとも一億は下らないでしょう」
「正確に言うと12億人以上だな」
 エヴァンジェリンが捕捉すると夕映は溜息を吐いた。
「ただでさえ、移民の受け入れには問題が数多く存在するです。それが十二億人以上ともなれば……」
「そ、そりゃあ、十二億人なんて凄い数だけどさ、それでも……」
「移民にはメリットも確かにありますが、デメリットも大きいです。あまりに多くの移民を受け入れれば下手をすれば受け入れた国が滅びてしまう可能性もあるです」
「ほ、滅びるって……いくらなんでも大袈裟じゃない?」
「大袈裟じゃないです。いいですか、和美。移民にはそれほどの危険性があるんです。少子化の進む国ならば労働力を確保出来ますし、異国の文化を取り入れる事で国を発展させる事も出来ます」
 ですが、と夕映は言葉を切り、表情を引き攣らせた。
「デメリットはとても大きいです。まず、あまりに多くの移民を受け入れれば、権利問題や就職問題が起こるです。移民にも参政権を与えるべきだという意見は必ず出るでしょうし、企業が安い賃金で働かせる事が出来る移民を受け入れ、就職出来ない国民、失業する国民が増加する可能性は十分にあります。移住して来た移民が犯罪を起し、治安が悪化する可能性もあるですし、移民による内政干渉は十分に有り得る可能性です」
 夕映は紅茶で喉を潤して言った。
「それにですね、今もこの世界の中だけでさえ移民に関する問題は常に発生していて、これ以上移民が増える事に殆どの国が難色を示しているです。この上、異世界から十二億もの移民がやって来るなど、どこの国も受け入れようとはしないと思うです。なにせ、受け入れようと考える国は少ないでしょうし、下手に少数受け入れようとすれば無理にでも受け入れ容量以上の移民が流れ込む可能性もあるからです。それに異世界人というのも問題です。異世界人……そんなSF染みた存在が身近な存在になる。それを容易く受け入れられる人がどれほど居るでしょう? 恐らくは差別が横行するでしょうし、問題も次々に持ち上がるでしょうね」
 夕映が並べ立てる移民の難しさに和美は何も言えなくなった。無責任に受け入れればいいじゃないかと言った数分前の自分が恥しくてたまらなかった。
「そのデメリットを無視して、無理に移民をしようものなら、一般人だけではない。この世界の魔法使い達も反発するだろう。同情する者も出るだろうが、無理な移民は侵略と同義だ。戦争に発展する可能性はかなり高い」
 エヴァンジェリンの言葉に和美達は顔を青褪めさせた。
 戦争。現代の日本の子供にはあまりにも馴染みの無い言葉だ。終戦から半年以上。戦争など、遠い国の話だと考えていた。
 もしも、魔法世界の住人がこの世界にやって来る事で戦争の火蓋が落ちたなら、この日本は無関係で居られるのだろうか? そんな僅かな希望も抱く事は出来なかった。この世界のどこに居ても、その戦争から逃れる事は出来ないだろう・
「だから、造物主は魔法世界の住民を皆殺しにしようとしたんだろう?」
 エヴァンジェリンの口から発せられた言葉にのどかとさよは悲鳴を上げた。二人に抱きつかれた和美と夕映も恐怖に引き攣った表情を浮かべている。
「み、皆殺しって……」
「つまりは、遠くない未来に避けられない悲劇を回避する為に自身が造り出した世界を終わりにしようと考えたわけだ。それなら、戦争を引き起こし、数々の悲劇を起した理由にもなる。戦争というのは確実に人が死ぬからな。一人や二人じゃない。千人、一万人、一億人……。だけど、紅き翼の活躍で完全なる世界のトップが倒され、魔法世界は紅き翼を中心に一つになってしまった。戦争が終結してしまい、死すべき人々が互いに憎しみ合い、殺し合うという効率的な未来図は白紙となった。だから、今度はこの旧世界に拠点を移したんじゃないのか?」
「どういう事……?」
「つまり、この世界で犯罪組織として有名になろうと考えているわけだ。強大な力を振るう悪の組織。それに対抗するにはどうすればいい?」
「対抗する為の力が必要……という事ですね?」
「そういう事さ。魔法世界の人口を旧世界に移民させる事がギリギリ可能な数まで減らせないのなら、今度は旧世界が移民を受け入れざる得ない状況に追い込むしかない。つまり、魔法世界人を戦闘兵器として無理矢理受け入れさせようというものだな」
 エヴァンジェリンが話し終えると、パチパチと拍手の音が聞こえた。音の方に顔を向けると、アルビレオは穏かな笑みを称えたままエヴァンジェリンに拍手を送っていた。
「見事ですね」
 アルビレオが言った瞬間、ガタンと大きな音がした。和美が椅子を蹴り立ち上がっていた。
「ほ、本当なの!? そ、そんなのヤバ過ぎるじゃん! こ、こんなとこで話してる場合じゃないよ! は、早く警察とか自衛隊に電話しなきゃ!」
 あまりの話に恐慌状態に陥った和美にエヴァンジェリンは冷静に「落ち着け」と言って、椅子から立ち上がると和美に近寄り、そのオデコにデコピンをした。
 キャンと可愛い悲鳴を上げながらよろめく和美にエヴァンジェリンは言った。
「落ち着け。あいつはまだ『見事ですね』としか言ってないだろう」
「でも……」
「まずは紅茶を飲め。不安に思うなという方が無理かもしれんが……」
「ううん。ごめんなさい……」
 しょんぼりした顔で肩を落とし、椅子に座る和美にエヴァンジェリンは小さく息を吐きながら頭を優しく撫でた。
「それで?」
「……申し上げ難いですが、おおまかな概要としては貴女の言った通りです」
 アルビレオの言葉に和美が肩をビクつかせた。和美だけではない。のどかや夕映、さよも皆怯えた顔をしている。
「現在、既に幾つかの信頼の置けるギルドとこの情報を共有し、事に当たっています。肝心なのは情報を限られた者だけが握った上で完全なる世界が表舞台に現れる前に全てを終わらせる事です」
「そのギルドについては教えてくれるのか?」
「残念ながら、ここでは無理ですね」
 エヴァンジェリンが舌を打つと、アルビレオは空になったティーカップに紅茶を注いだ。
「次に造物主についてですね」
 場に緊張が走った。造物主、全ての元凶、悪の組織の親玉。
「造物主とは神の子です」
「……まさか、キリストの事じゃないだろうな?」
「違いますよ。文字通りの意味です。ソフィアが言っていたでしょう? 造物主は創造神より生み出された者だと」
「創造神の娘……アマテルか?」
「惜しいですね。正確にはアマテルの父。つまり、云われにある創造神がイコール造物主なのです」
「神の子が神を名乗っているわけか?」
「自分から名乗ったわけではないようですが、恐らくはウェスペルタティア王国の歴史家が箔を付けるためにそのようにしたのでしょう。大して間違っているわけではありませんし」
 アルビレオは紅茶を一口飲んだ。
「創造神……サラは彼の者に名を与えましたが、その名が何であったのかはさすがに分かりません」
「サラ? ちょっと待て、造物主を生み出した創造神には名があるのか!? そもそも、創造神とは何なんだ!? よく考えたら、造物主以上にわけがわからんぞ! 惑星一つを人の住める地に帰る魔術なんぞ、人間の限界を遥かに超越している!」
「それが出来るだけの力を有していた古の魔術師。それが創造神の正体ですよ」
 エヴァンジェリンは少しの間言葉を発する事が出来なかった。一つの惑星を塗り替える程の力を有した魔術師。長い時を生きる絶大な力を持つ存在、造物主を創造した存在。
「どんな化け物だ、そいつは……」
「ただの女の子だったそうですよ」
「ただのって、そんなわけないだろ。化け物なんて表現も生温いぞ」
「本当にただの女の子だったそうです。優しく、穏やかで、とても美しい、だけど強大な力と類稀な知恵を持っていた……。彼女はソロモンの末裔なのです」
「……ソロモンと来たか」
「ソロモンの叡智を受け継いだサラは魔法使いを廃絶しようとする教会の手から魔法使いを救おうと考え、魔法世界を作り、世界の管理者として造物主を生み出したのです」
「とんでもない魔女だな……。ところで、もう一つ聞きたい事が出来た」
「何でしょう?」
「ソフィアが言っていた七人の王と鏡身。造物主はそれ以外には造らなかったのか?」
「さすがですね。ええ、造りましたとも。王が従えるべき民を」
「あ、あのぉ」
 和美が恐る恐る手を挙げた。
「どうしました?」
「えっと、あんまりよく分かってないんだけどさ。えっと、創造神? が魔法世界を造ったのは地球の魔法使いを移住させる為なんだよね?」
「ええ、その通りです」
「ならさ、どうして民を作る必要があったの?」
 和美の質問にエヴァンジェリンが答えた。
「簡単な話だ。民というのを奴隷と置き換えるといい」
「ど、奴隷!?」
「奴隷が嫌なら、命令に従順な労働力とでも考えればいい。ただ、呼吸が出来て、歩き回れるだけの場所。娯楽も無い。食べ物も無い。水も無い。そんな場所に来たがるのはよっぽど切羽詰った奴等だけだ。それこそ、常に命を狙われ、ギリギリまで追い詰められ、もう逃げられるならどこでも良いって具合にまでなって初めてな」
「つまり、旧世界から人が移住出来る環境を作る為の労働力を造ったのですね……」
 夕映が言うと、アルビレオが頷いた。
「七人の王――パラティオ、アヴェンティネ、カエリア、エスクリネ、ヴィミナル、クイリナル、カピトリネ。そして、アマテル。八人の王に従うように造物主は民を造り出しました。今では亜人と呼ばれる動物や幻想種の特徴を持つ人々を」
 それを聞いたエヴァンジェリンは今迄以上に深い溜息を吐いた。
「つまり、下手をすると魔法世界の亜人が全てこの世界の敵に回る可能性があるって事か?」
 エヴァンジェリンが言うと、アルビレオはクスリと微笑むと首を振った。
「それは無いでしょう。そんな事が出来るなら、造物主はとっくに命じていますよ。魔法世界の亜人に対して――――『自害せよ』と」
 和美達が息を飲む音が聞こえた。エヴァンジェリンは小さく安堵の息を吐いた。
「最初は造物主に造られたただの人形だった。確かにそうです。ですが、ただの人形ではなくなった。魔法世界に移住した魔法使い達の数は初めはそう多くなく、魔法使い達は亜人達と共に生きました。そして、中には愛を育む者も居ました。人形と人のハーフが生まれ、更にその子供が生まれ……。やがて、人の血は濃くなり薄くなりを繰り返し、造物主の操り糸が解き放たれた。まあ、だからこそ、造物主は次善の策に頼らざる得なかったようですが……」
「最善なのは自害を命じ、亜人を悉く抹殺し、純血の人間を旧世界に戻す事……か?」
「それは次善の最善といったところですね。そうではありません。造物主にとっての最善は一時的に亜人を封印状態にし、純血の人間を旧世界に戻し、火星を再び人の住める土地に変え、亜人達を解き放つ事でした。犠牲になる者も無く、まさに最善と言えたでしょう。ですが、それが不可能であると分かり、造物主は苦しんだのでしょうね。救えば自分の手で大量の犠牲者を生み出す事になり、救わなければそれ以上の犠牲が生まれる。まさに悪夢の二択ですよ」
 エヴァンジェリンは鳥肌が立つのを抑え切れなかった。怖気が走る。大量の犠牲者。言葉にするととても安易に聞こえるが、実際には十億人以上の命。
「造物主は選択したのか……? ただ、何もせずに滅び行く世界から目を逸らさずに……。自分の手で自分の生み出した者達の子孫を殺し尽くす事を……」
「ええ、選びました。選び、実行して、その計画も頓挫した」
「ナギが造物主を滅ぼしたからか……」
 それは何て皮肉な事だろう。世界を救った英雄の行為が世界を救おうとした邪神の希望を打ち砕いた。
「その事をナギは知っているのか?」
「知っていますよ。それを裏付ける証拠もありますし」
「なら、ナギはどうして造物主を再び滅ぼそうとしたんだ?」
「単純ですよ。純血では無い人々を救う為です。その為に既に動いている者も居ます」
「さっき言っていたギルドの者達とかがか?」
「ええ、それだけではありませんが――。さて、次はネギ君の村を襲ったのは誰か? これはもう察しがついているのではありませんか?」
「その口ぶりからすると、知ってるんだな?」
「ええ、造物主によるものでは無いとだけ言っておきましょう。完全なる世界がネギ君に危害を加えるという事は殆ど有り得ませんし」
 アルビレオの言い方にエヴァンジェリンは不審を覚えた。
「……どうしてそう言えるんだ?」
「幾つか理由はありますが、まあ、それは今度にしましょう」
「お、おい!」
「そろそろ、外は夜になっています。貴女はともかく、寮住まいの彼女達は家に帰さなければ」
 エヴァンジェリンは咄嗟に時間を確認した。時刻はいつの間にか夜の七時を回っていた。そんなに長い時間を過ごした感覚は無かったのだが、どうやら話に集中し過ぎていたらしい。
 それに、エヴァンジェリンはアルビレオが和美達を返したがっているように思えた。
「最後に一つ答えろ」
「何でしょう?」
「どうして、このタイミングで私達にこれらの話を聞かせたんだ?」
 それはずっと抱いていた疑問だった。唐突に現れ、一握りの人間しか知らず、知ってはならない情報を伝えた理由。
「一つは貴女がこの地を去る前に話しておくべきだと考えたからです。このままでは、貴女は完全に行方を晦ますでしょう? そうなると、色々と不都合がありまして……」
「不都合?」
「まあ、それは追々お話しますよ。それと、彼女達にお聞かせした理由は……」
 アルビレオは和美達に顔を向けた。和美達はビクリと肩を震わせながら不安そうな顔でアルビレオを見た。
「最後の選択肢を与えるためです」
「最後の選択肢?」
 和美が首を傾げた。
「これが本当に最後の分岐です。魔法の存在など知らず、日常の生活へ戻るか、これ以後、起こるであろう大きな戦いに巻き込まれるか」
「どういう意味ですか?」
 夕映は無意識に身構えながら尋ねた。
「貴女達は一般人です。ただ、少し魔法の存在を知り、非日常に足を踏み入れたばかりの。今ならばまだ引き返せます。ですが、ここからは完全に後戻りの出来ない非日常の世界となります。何故なら、恐らく、近い内に大きな戦いが起こる。ネギ・スプリングフィールド、アスナ・ウェスペリーナ・テオタナシア・エンテオフュシア、近衛木乃香。彼女達は争いの中心に引きずり込まれるでしょう。彼女達の意思に関らず」
「ネギちゃんやアスナと木乃香が……? な、なんで!?」
 大切な仲間が大きな戦いの渦中に巻き込まれる。和美は椅子を蹴って立ち上がり血相を変えて叫んだ。
「彼女達は特異な存在ですからね。例え逃げても運命は彼女達を決して逃さない。これが本当に最後の選択です。今ならばいどのえにっき……光輝の書との契約を断つ事が出来ますし、逃げる事も可能です。どうしますか? 戦いの道を選びますか? 日常の中で幸せに生きていきますか?」
 アルビレオの問い掛けに和美達は直ぐには答える事が出来なかった。簡単に答えの出る問い掛けでは無い。和美と夕映、のどかの三人はつい最近まで普通の女子中学生だった。
 アスナや木乃香のように生まれが特別なわけでも無く、この非日常にしがみ付かなければいけない理由も無い。本来であればさっさと逃げる選択肢を選ぶべきだ。
 答えを濁す理由は単純だった。友達が危ない目に合うと分かっていながら、本当に自分達だけが逃げてもいいのだろうか、そんな後ろめたさだった。
「後ろめたさでこの非日常に残ろうなどとは思わないで下さいね。それは、彼女達にとっても迷惑な事です」
 和美達の心を読んだかのように、アルビレオは言った。エヴァンジェリンとタカミチも同意見なのか、口を挟む事は無かった。
 残るべきではない。ただの好奇心で踏み込んでいいレベルを遥かに越えている。安い同情心で踏み込んでいいレベルを遥かに越えている。
「私は残ります」
 言ったのは、のどかだった。
 この中で一番臆病で、一番心優しく、一番かよわい存在。その彼女が残ると言った。タカミチは驚いた。アルビレオはほうと感嘆の声を発した。エヴァンジェリンはやはりな、と思った。
 宮崎のどかはこういう少女なのだとエヴァンジェリンは既に理解していた。
「残ります。残って、ネギさん達の力になります。力が足りないなら力を付けます! 同情や後ろめたさが無いなんて言えません。でも、それでもネギさんやアスナさん、木乃香を助けたいんです。こ、これが私の意志です!」
「意志……と来たか。説得するなら任せるぞ。のどかは案外頑固だ」
 エヴァンジェリンは心底愉しげに笑いながらタカミチとアルビレオに言った。
「エヴァ、君は説得するつもりがないのかい?」
 タカミチが尋ねると、エヴァンジェリンは鼻で笑った。
「無茶言うなよ。結局、のどかは一度決めたら覆さないし、のどかが決めた時点で和美達の意志も決定してるよ。だからこそ、あの馬はあの子を認めたんだろ」
 宮崎のどかは普通の少女だ。臆病で優しいただのか弱い少女だ。
 だが、図書館島でネギと共に光輝の書の試練を受けた時、躊躇い無くネギを救おうとしたように、本の話をすると止まらなくなってしまうように、のどかは一度決めた事や自分のしたいという欲望に誰よりも忠実だ。その意志は驚く程強固で、そんな彼女を周囲は助けずには居られない。
 ある種のカリスマのようなものなのかもしれない。健気でか弱い少女が決めた事を為そうと頑張る姿は周囲を動かす力がある。
「しょーじき、即効で決められなかったのが我ながらむかつくわ」
「最初はただの好奇心だったです。でも、今はそれだけじゃない。それに、世界の危機なんでしょう? さすがに、他人事で居られる程、神経図太くないですよ」
 和美と夕映の言葉にタカミチは小さく溜息を吐いた。担任である自分以上にエヴァンジェリンは彼女達を理解していた。
「さよさん、貴女はどうです?」
 アルビレオはさよに顔を向けた。人形から抜け出し、さよは人の身となってニッコリと微笑んだ。
「勿論、皆さんと同意見ですよ」
「さすがですね……」
 アルビレオはそう言って微笑むと右手を軽く振るった。すると、和美達のそれぞれの背後の空間に水面がゆらぐように波紋が広がり、豪奢な扉が現れた。
「皆さんの寮の部屋に繋げてあります。長々と申し訳ありませんでした」

 アルビレオは和美と夕映、のどかの三人にお土産を渡すと、それぞれを寮に返した。後に残ったのは、アルビレオ、エヴァンジェリン、タカミチ、そして、相坂さよの四人だった。
 アルビレオは和美と共に寮に帰ろうとするさよを呼び止めた。呼び止められたさよは不安そうな顔をしてエヴァンジェリンに助けを求めるように顔を向けている。
「どういうつもりだ? さよを呼び止めたのは……」
「あまり手間は取らせませんよ。一言だけ」
 アルビレオは悪辣な笑みを浮かべるとさよに向かって言い放った。
「そろそろ思い出してあげてくださいね。でないと、彼は……。おっと、これでは二言になってしまいますね。私からの用件は以上です」
「あの、それってどういう……」
「その続きは、貴女が忘れている事を思い出した時にお話しますよ。今、語っても貴女を混乱させるだけでしょうから」
「で、でも!」
「では、そろそろお引取り下さい」
 そう言って、アルビレオは指を鳴らすと、さよの体は淡い光に包まれ、空中に浮いた。
「え、え、え!?」
 戸惑い驚くさよの体は和美の通った扉へ滑る様に移動した。扉は自動的に開き、その向こうへとさよの姿は消えていった。
「お、おい!」
 エヴァンジェリンは慌ててアルビレオを止めようとしたが、さよの通った扉は勢い良く閉まってしまった。
「お前、何考えてるんだ?」
「私は彼女とも知らない仲では無いもので、後悔をさせたくないだけですよ」
「なんだ、生前のさよと知り合いだったのか?」
「ええ、生前にお会いしたのは友人繋がりで一度だけですがね」
「その友人と言うのは?」
「才気に溢れた少年でした」
 タカミチの問いにアルビレオはどこか懐かしむような口調で答えた。
「そんな事よりも本題に移りましょうか、キティ」
「キティって呼ぶな! で、本題?」
「用件は二つあります。一つ目はキティ、私達の計画に協力して下さい」
「計画って言うのは、さっきの話の絡みか?」
「ええ、色々と動いてもらいたいのですよ。なにせ、もう時間があまりありませんから、信頼が置け、かつ、強い力を持つ仲間が必要なのです」
「はっきり言っていいか?」
 エヴァンジェリンは欠伸を噛み殺しながらアルビレオを睨みつけて言った。
「胡散臭い」
「どこがですか?」
「全部だ。そもそも、さっきの話を本気で信じてるなんて思ってないだろうな?」
「おやおや、信じてくれているものだろうと思っていたのですが?」
「嘘付け……。そもそも、惑星結界の話からして論外だろ」
「何故ですか?」
「お前な、幾ら何でも、惑星サイズの結界を人間一人が張れるわけないだろ!」
「と、言いますと?」
「魔力の問題だ。私が見てきた中で最高クラスの魔力を持っている木乃香でさえ、全ての力を使い果たしても精々、麻帆良一体を包み込むのがやっとだ。それも、一日持てば僥倖って所だな。少なくとも、人造世界の限界を迎える以前に、篭められた魔力が尽きる」
 エヴァンジェリンの言葉にアルビレオは愉しげに微笑んだ。
「確かに、一人分の魔力では不可能でしょうね」
「なら、さっきの話はやっぱり――」
「一人の魔力ならば――ですが、一人分の魔力だけで惑星結界は張られたわけではありません」
「協力者でも居たというのか?」
「人ではありませんがね」
「なんだ、ソロモンの末裔と言ってたが、七十二柱の悪魔の力でも借りたと言うのか? それじゃあ、創造神というよりも魔王じゃないか」
「違いますよ。確かに、いくらか悪魔の力も借りましたが、それよりも更に強大な者の力を借りたのです」
「更に強大な者……?」
「地球ですよ」
 アルビレオの言葉にエヴァンジェリンは直ぐに反応する事が出来なかった。
 地球。自分達が今生きている惑星の名前。エヴァンジェリンは足元に視線を落とした。
「馬鹿を言うな! 地球の力を借りるだと!?」
「そうおかしな話ではありませんよ。陰陽師や魔法使いも使うでしょう、龍脈に流れる地球の力を――」
「あっ――」
 エヴァンジェリンは思わず間の抜けた声を発してしまった。地球の力というあまりにも突拍子も無い言い方をされ、簡単に導けるはずの答えが見えていなかった。
「魔法世界にはいくつものゲートが存在します。ですが、それは本来の用途とは異なる使い方なのです。キティ、何故、この地球が“魔法世界(ムンドゥス・マギクス)”に対し、“旧世界(ムンドゥス・ウェトゥス)”と呼ばれているか、その理由は知っていますか?」
「そもそも、魔法世界と旧世界は百年ちょっと前まで互いの存在を認識していなかったからな。そんで、魔法中心に成長した分化を持つ魔法世界は旧世界の魔法使い達にとってはまさに新世界であり、魔法世界の魔法使い達にとっては御伽噺の中でのみ伝えられる旧世界であったから……だったな?」
 魔法世界との交流が始まった一世紀前――――1890年前後はまさに魔法使いにとっての激動の時代であったと言える。
 エヴァンジェリンの持つダイオラマの魔法球や幻想世界幽閉型巻物に始まり、様々な魔法具が旧世界に流れ込み、仮契約の制度が旧世界に根付いたのもこの時代が始まりだったとされている。
 麻帆良学園が建設されたのもこの年の前後であり、様々な国に魔法使いの施設が建造された。それまでは迫害される一方だった魔法使い達が組織を作り、秩序が生まれた。
 エヴァンジェリンが指名手配されたのもこの年だ。危険な思想の魔術師や吸血鬼などの危険生物に指定された魔物の討伐が始まり、数少ない龍種や魔族も悉く捕獲、もしくは殺害された。
 アイゼン・アスラの同属――火神・アグニの血族を始め、殆んどのは吸血鬼の血族がこの時代に魔法使い達と大きな戦を行い、滅んでいった。エヴァンジェリンやアイゼンを始め、今の時代に生き残っている吸血鬼や魔物達は運が良かったとも言える。
 エヴァンジェリンは苦い記憶を思い出しながらアルビレオの言う、ゲートの本来の用途について考え、一つの結論に至った。
「ゲートは本当は地球の魔力を火星――即ち、魔法世界に送る為の経路だったという事か?」
「その通りです」
 エヴァンジェリンの答えにアルビレオは満足そうに微笑んだ。
「創造神――サラは地球の龍穴……その中でも極めて強い力を持つ地に火星へと続く経路を築きました。そして、火星に地球の魔力を組み上げる術式を施しつつ、惑星全体を覆う巨大な結界を構築しました。それが、魔法世界の始まりです」
「……そうか」
 エヴァンジェリンは嘆息した。一見、突っ込み所が満載なように見えて、その実、アルビレオの話には隙が無い。否定しようとしても、直ぐに返されてしまう。
 アルビレオが言っている事は事実なのだろうか、エヴァンジェリンは舌を打った。
「最後にこれだけ聞かせろ」
「なんでしょう」
「仮に、仮にだぞ? お前の言う事が全て正しいのなら、お前……いや、お前達は本当に魔法世界と旧世界、両方を救えるのか? その保証は?」
 エヴァンジェリンは聞いた。それが最大にして、もっとも根本的な疑問だった。
 もし、アルビレオ達の計画が確実なもので無いのなら、造物主を倒す事は必ずしも正しいとは思えない。
 旧世界と魔法世界が戦争となり、両方に多大な死者が発生する事は最悪の結末だ。音速を超える速度で飛行する戦闘機、地球の裏側からでも正確に飛来し、強大な威力を発揮するミサイル。今の時代、魔法が科学の力に対して圧倒的だとは思えない。
 魔法と科学がぶつかり合えば、この世界は地獄に変わるだろう。互いの生きる場所を賭け、最後の最後まで戦い続ける事になるだろう。逃げ場など無く、平和に生きる者達の多くが理不尽に殺される事になるだろう。
 造物主はそれを防ごうとしている。確かに、やり方は凶悪だ。エヴァンジェリンでさえ、怖気が走る程に冷酷だ。だが、それが間違っていると誰が断言出来る? 今、誰かが動かなければ、未来は地獄なのだ。
 確実に魔法世界と旧世界を救える方法があるのならばともかく、僅かな希望に縋り、確実に最悪の結末を防げる方法を実行する必要悪たる存在を打倒する事が本当に正しいと言えるのだろうか?
 エヴァンジェリンは鋭い視線を向けながらアルビレオの答えを待った。
「救えます」
 アルビレオは言った。
「その根拠は何だ? 確実性も無く、曖昧なものなら、私はどう動くか分からんぞ? お前が話さなければ良かったと思う選択をするかもしれない」
 エヴァンジェリンの言葉にタカミチがギクリとした表情を浮かべたが、エヴァンジェリンは無視した。
 アルビレオは小さく笑みを浮かべると言った。
「簡単な話なんですよ。まず、何故、造物主が戦争などという大規模な事件を起す必要があったのか、分かりますか?」
「早々に数を減らすためじゃないのか?」
 エヴァンジェリンが言うと、アルビレオは首を振った。
「いいですか? 造物主は魔法世界がいつの日か滅びる事を知っていました。なら、手段など幾らでもあった筈です。例えば、出生率を下げさせるとかですね。そのくらいであれば、造物主の力があれば不可能では無かった筈ですし、殺人などという手段に訴えずとも、時間の流れの中で魔法世界の人々を減らす事は可能な筈です」
「だが、それだと時間が掛かるだろ」
「そうです。ですが、彼にはその時間が十分にあった。ならば、何故、この方法を取らなかったのか? 簡単ですよ。本当ならばもっと時間があったからです」
「どういう事だ?」
「ゲートですよ」
「ゲート?」
「本来、地球から魔法世界へ魔力を供給する経路であったゲート。それが本来の使い方では無い誤った使用法により、歪みが生じた。その為に魔法世界の崩壊に向かうリミットが早まってしまった」
「待て、じゃあ何か? 魔法世界が滅ぶのは……」
「ええ、人造異界の存在限界による崩壊。その原因とされている空間維持結界の術式の劣化具合――――即ち、惑星結界の劣化具合は調査の結果、まだかなりの余裕があると分かりました。現在直面している崩壊の危機の原因は魔力の不足によるものです。もって、あと十年あまり」
「ゲートが原因だとすると、異変が起きたのはこの百年以内というわけか……」
 つまり、時間が無かったのだ。造物主には。
「“経路(ライン)”を“門(ゲート)”に使用する事でこのような事態になるとは造物主にも予想外の事だったのでしょう。故に対処が後手に回ってしまった」
「なら、さっさとゲートを本来の用途に変えれば良かったじゃないか!」
 エヴァンジェリンが言うと、アルビレオは首を振った。
「そう簡単にはいきません。当時、魔法世界の在り方そのものに対する認識が魔法世界、旧世界双方に殆ど浸透していませんでした。つまり、魔法世界はこの状態が当たり前だと考えられていたのです。魔法世界と旧世界の交流により、ゲートの重要性は瞬く間に大きなモノになり、ゲートを閉じるという一番容易く、一番確実な方法を造物主は取る事が出来なかったのです」
「何故だ!? 無理矢理にでも閉じてしまえば!」
「造物主は常に世界に不干渉を貫いていました」
 激昂するエヴァンジェリンにアルビレオは冷静に告げた。
「つまり、造物主はその存在を既に造物主の手から解き放たれた魔法世界の人々に全く認知されていなかったのです。故に、彼の言葉に耳を貸す者など一人も居ませんでした」
 エヴァンジェリンは反論した。口で駄目なら拳で分からせれば良かったじゃないかと。
「彼の一番の失態はソレですよ。彼はその選択をする事が出来なかったのです。長い時の中で只管に世界に対して不干渉を貫いて来た事で咄嗟に人々に対して暴力を振るう事が出来なかったのです。それが更に事態を深刻化させた。時間が徐々に無くなっていき、造物主は追い詰められました。その結果……彼はあの大戦を引き起こしました」
「そ、そんなの本末転倒じゃないか!?」
 エヴァンジェリンは思わず呆れてしまった。
「ええ、まったくです。だが、彼には他に道が無かった。人々は時を追うごとにゲートの重要性を噛み締め、あらゆる手段を用いてゲートを放棄するように仕向ける造物主の意向を無視しました。武力も財もゲートの重要性の前には敵わなかった。そして、造物主の思惑とは裏腹にゲートを放棄させようと目論む造物主の存在を知り、他国がゲートを放棄していく可能性を恐れた大国の王達は互いを牽制し合い、まとまり始めました」
「それがメセンブリーナ連合とヘラス帝国か……」
「そうです。造物主の世界を救おうという策は悉く裏目に出たわけです。そして、いよいよ時間が無くなり、彼は魔法世界人の大量虐殺という最悪にして唯一の救済案に縋ったのです。皮肉な事に大国にゲートを放棄させようと策を弄した経験が彼に戦争の黒幕に相応しい力を齎した」
「まるで道化だな……」
 エヴァンジェリンはアルビレオの話に気が滅入っていた。世界を救おうと奔走する神は救おうとした世界に拒絶され、拒絶された時に学んだ事が救おうとした世界を滅ぼす力になった。
「まったくです。経路を護る為、経路の上に始まりの王達の国を築いた事。それからして裏目に出ているわけですから……」
「それで、お前達の策ってのは? 大体の推測はついているが……」
「ええ、造物主に出来なかったゲートの放棄による経路の修復。並びに魔法世界のある火星のテラフォーミングです。まあ、テラフォーミングの実現性に対する確証が得られたのはつい最近ですが……」
「テラフォーミング?」
「人為的に惑星の環境を変化させて、人類の住める星に改造する事だよ」
 タカミチが教えるとエヴァンジェリンは首を傾げた。
「そんな事が可能なのか?」
「可能だそうですよ。未来からの客人によると」
「……は?」
 エヴァンジェリンはアルビレオを可哀想なものを見る目で見た。
「本当アルよ、エヴァンジェリンさん」
 すると、背後から聞き覚えのある声が聞こえて来た。振り向くと、そこにはクラスメイトの少女の姿があった。
 中国からの留学生――超鈴音はニヤリと笑みを浮かべながらそこに立っていた。




[8211] 魔法生徒ネギま! [第九章・そして祭りは始まる] 第四十九話『目覚め』
Name: 我武者羅◆cb6314d6 ID:76577b36
Date: 2011/09/20 01:32
 薄暗い部屋の中に四人の男女が座っていた。一人は幼い顔立ちの金髪の少女、一人は眼鏡を掛けた短髪の男、一人は女のように整った顔立ちの黒髪の青年、そして、最後の一人は中国風の装束に身を包んだツインシニヨンの少女。
 四人は時折紅茶で喉を潤しながら言葉を交わしていた。
「これが私のお話出来る全てです」
 アルビレオ・イマがそう言うと、エヴァンジェリン・A・K・マクダウェルは椅子を蹴って立ち上がった。その顔には見る者を竦ませる憤怒と悲哀に満ちた涙があった。
 聞かなければ良かった。全ての話を聞き終えたエヴァンジェリンが思った事はそれだった。頭の中では幾千幾万の呪いの言葉が駆け巡り、エヴァンジェリンはそれを口にする事が出来なかった。
 歯を食い縛り、血が滲むほどに強く拳を握るエヴァンジェリンに高畑.T.タカミチは何も言わなかった。否、何も言えなかった。タカミチは何も知らなかった。造物主の真実も完全なる世界の目的もナギ・スプリングフィールドをはじめとした紅き翼が何をしようとしていたのかも、何もかも知らなかった。
 タカミチは涙を堪えていた。何故、という疑問が頭の中に溢れていた。何故、誰も教えてくれなかったのだろう。何故、自分はこんなにも無力なのだろう。
 タカミチが右手に顔を埋めると、超鈴音は顔を背けた。それが礼儀だと思ったからだ。
 二人の気持ちが分かるとは言えない。しかし、全てを知っていて尚、自分は怒りを感じている。それは、小説のキャラクター達の不遇に怒りを感じるようなものなのかもしれない。それでも、この怒りは超の決意を後押ししてくれた。
「本当に良いのですね?」
 アルビレオは確認するように超に問い掛けた。これで何十回目だろうか、顔を合わせる度に問い掛けてくるこの男はやはり善人なのだろうと超は思った。
 歴史書に記された歴史上最悪の犯罪者の一人、アルビレオ・イマと言う隠者は他の“犯罪者”と同様にやはり大きく脚色されていたのだと超は実感した。
「先祖の汚名を晴らす為なら何でもするネ。例え、元の時代に帰れなくなろうとも」
 今の歴史の針は絶望の未来へと繋がっている。それを変える事が出来るのは自分だけなのだと、超は理解している。針を動かせば、自分が元の時代に変える事が出来なくなるという事も。
 カタカタと耳障りな音が聞こえた。視線を落とすと、アルビレオに出された紅茶の入ったティーポットを持つ手が震えていた。
「大丈夫。大丈夫ヨ……大丈夫」
 何度も自分に言い聞かせるように言った。怖い。呼吸が荒くなり、額から止め処なく冷たい汗が流れ落ちる。視界がグラつき、吐き気が込み上げて来た。
 脳裏には未来に残した友人や家族の顔がチラついた。今ここで背を向けて未来に帰ればまだ間に合う。まだ、肝心の情報を伝えていないから、針は超の未来を指したままだ。
「貴方達の計画の穴を埋めるには私の力が必要な筈ヨ? あまり、くだらない事は聞かないで欲しいネ」
 超は選択した。針が徐々に超の居た未来からその先端を遠ざけ始めるのを感じながら。
 アルビレオ小さく礼を述べると紅茶で喉を潤し、タカミチに視線を向けた。タカミチは大きく息を吸い、乱れる心を落ち着かせようとしていた。
「タカミチ君」
 アルビレオが声を掛けると、タカミチはビクリと体を震わせ、ゆっくりとした動作で体を起すと、アルビレオに顔を向けた。眼は真っ赤になり、複雑な胸中を隠しきれない様子だった。
「先に謝っておきましょう。君に黙ってて申し訳ありませんでした」
 アルビレオが頭を下げると、タカミチは目を見開き凍りついた。アルビレオが誰かに頭を下げるなどこれまで見た事が無かった上、その相手が自分である事が信じられなかった。
 頭の中が真っ白になり、咄嗟にどう答えればいいのか分からなくなった。
 アルビレオはそんなタカミチの胸中を察しながら、敢えて無視して言葉を重ねた。
「君に話さなかった理由は君が頼りにならないからではありません」
「なら、どうして……?」
「一つは君の師の死が君を復讐者に駆り立てるのではないかと危惧したからです。だから、なるべく君に完全なる世界や造物主の話題から離れて欲しかった。それに――――」
 アルビレオは紅茶を一口飲み、穏かな笑みを浮かべて言った。
「君には大切な仕事があった。アスナさんが普通の女の子として生きられるように護るというとても大切な仕事が」
 タカミチは黙したまま顔を俯けた。アルビレオの言いたい事は分かる。あの頃、深い哀しみとアスナを護らなければならないという使命感が無ければ、アルビレオの言うとおり、自分は復讐者になっていただろう。
 アスナとエヴァンジェリンが居たから高畑.T.タカミチの今がある。アスナの保護者をしていた間、タカミチはガトウの弟子でも、一人の戦士でも無く、神楽坂明日菜の父親として心を平静に保てた。そして、平和で穏かな時間の中で怒りや憎しみ、哀しみといった感情と折り合いをつける事が出来た。
「ええ、分かっています」
 不意に憎悪や悲哀の衝動に駆られる事もあった。それを解消する事が出来たのはエヴァンジェリンとの修行のおかげだった。やり場の無い感情をぶつけるように、一心不乱に修行した。
 タカミチは漸く感情を沈める事が出来た。何も知らず、麻帆良で生活していた時間。若い頃ならば無駄な時間を過ごしたと憤慨し、不貞腐れていただろう。
 今は違う。ここでの長い平穏の時間の価値を今のタカミチは理解している。決して、無駄な時間などではないと。
「タカミチ君。勝手な願いだとは分かっています。ですが、これから私達に力を貸して頂けませんか?」
 タカミチにとって、その問いは考えるまでも無く答えが出ていた。これから起こるであろう戦いは大切な生徒達が否応にも巻き込まれる。
 殺されたガトウの仇を討とうなどと言う考えは浮かばなかった。そんな事はガトウも望んでいないだろうと思った。彼は最後にタカミチに敵討ちでは無く、アスナの事を託したのだから。
「僕の力がお役に立てるのなら」
 タカミチの答えにアルビレオは満足そうに微笑んだ。タカミチの瞳に曇りは無く、強い意志の光が宿っていた。
 アルビレオは最後の一人に視線を向けた。エヴァンジェリンは未だに激しい怒気を発し続けていた。やり場の無い怒りはただ蓄積していくだけだった。
「エヴァ……」
 タカミチはそっとエヴァンジェリンに手を伸ばした。エヴァンジェリンの腕を掴むとエヴァンジェリンは振り解く事も無く、自分の腕を掴むタカミチに視線を向けた。
 エヴァンジェリンの瞳を見た瞬間、タカミチは衝動に突き動かされた。気がつくと立ち上がり、エヴァンジェリンを抱きしめていた。
 エヴァンジェリンの瞳に宿る憎悪以上の哀しみにタカミチは気付いた。このままでは潰れてしまう。そう思った。
 最強の吸血鬼である筈なのに、腕の中で肩を震わせ、自分の腰に抱きついているのはただの少女だった。
「エヴァ……」
 エヴァンジェリンの名を口の中で転がすように呟いた。エヴァンジェリンはますます強い力でタカミチに抱きついた。
 タカミチはエヴァンジェリンの好きにさせながらそっと頭を撫でた。
「エヴァ……」
 エヴァンジェリンは泣き続けた。タカミチはエヴァンジェリンの頭をただ優しく撫で続けた。
 アルビレオが語ったのは全てだった。振り切った筈の過去は過去では無かった。終わった筈の絶望は未だ終わっていなかった。
「どう……して……」
 エヴァンジェリンは掠れた声で呟いた。エヴァンジェリンの頭の中では様々な光景が次々と映し出されていた。それは彼女の過去の記憶だった。忘れた筈の記憶も忘れたい記憶も脳裏に浮んでは消える。
 恐慌状態に陥っているエヴァンジェリンの背中を優しく擦りながらタカミチは唇を噛み締めた。エヴァンジェリンの苦しみを紛らわせる事も出来ない自分が苛立たしかった。
「今日はここまでにしておくべきですね。タカミチ君。キティをお願いします。頃合を見て……そうですね、麻帆良祭が始まる頃には私も外へ出る事が出来るでしょうから、その時にお話しましょう」
「わかりました」
 頷き返すタカミチにアルビレオはニッコリと微笑んで言った。
「キティをよろしくお願いしますね。私の語った事が原因とはいえ、古き友が苦しむ姿は胸が痛みますので」
 嘘くさいとは言わず、タカミチは黙して頷くとエヴァンジェリンに「帰るよ」と小声で声を掛け、アルビレオが用意したゲートに向かった。
 最後にタカミチは超に顔を向けて真剣な表情で口を開いた。
「超君。どうか――」
 超は気付くと目の前に立ち、目を細めながらタカミチの口元に人差し指を立て、タカミチの言葉を遮った。
「それ以上は無しヨ。優先順位というものを知るべきネ。先生の優しさを向けるべきは私じゃないヨ」
「しかし――」
 タカミチは言葉を続ける事が出来なかった。タカミチの口を超は唇で塞いでいた。
 目を白黒させるタカミチに超は悪戯っぽい笑顔を浮べながらチッチッチと指を振った。
「私の決意は何を言われようと変わらないネ」
 タカミチは言葉が出なかった。超の決意があまりにも哀しく、あまりにも気高く、どうにもならないのだと自覚させられた。
「先生、また明日ネ」
 そう言って、超はタカミチの背後のゲートを指差した。タカミチは小さく息を吐くと頷いた。
「ああ、また明日、教室でね」

 タカミチが去ると、残ったのはアルビレオと超の二人だけになった。
「それじゃあ、私は衛星軌道上に建造する超長距離間転送ゲートポートとゲートポートへ続く軌道エレベータの建造計画についてもう少し練る事にするヨ。茶々シリーズもまだ改良の余地があるしネ」
「頼りにしていますよ」
「魔法(ソッチ)で手の届かない部分は科学(コッチ)が助ける。それだけヨ」
 ニッコリと微笑む超にアルビレオはそれ以上は何も言わずに頭を下げると、超の研究室に続くゲートを作り出した。
 超がゲートを潜り抜けた後、ゲートを閉じ、部屋にはアルビレオだけが残った。
「さて、そろそろ彼が目を覚ます頃でしょうか……」
 そう呟くと、アルビレオもまた、部屋から姿を消した。


第四十九話『目覚め』


 朝、朝倉和美は悩んでいた。昨夜、突如聞かされた話の内容の恐ろしさや危険性に。
 造物主、完全なる世界、英雄、滅び行く世界、戦争、戦い。数ヶ月前まで平凡な女子中学生であった彼女にとって、その内容はあまりにも突飛で馬鹿馬鹿しい話だった。
 それが真実だと理解してしまっているが故に彼女は苦しんでいた。いっそ、あの男――アルビレオ・イマが言うように忘れて、平凡な世界に戻れば良かったと目が醒めてから彼女は何度も思った。
 新聞部に在籍し、好奇心が人一倍強い彼女でさえそうなのだ。彼女と共に話を聞いた自分よりも臆病な少女達は大丈夫なのだろうかと和美は心配になった。
 ベッドから降りると、目覚まし時計の針は未だ六時を指したばかりだった。登校時間までまだたっぷりと余裕がある。同じベッドを共有している少女――相坂さよのプニプニと柔らかい頬を軽く突きながら深呼吸した。
「話すべきなのかな……」
 和美は仲間の事を考えていた。彼女が在籍する白き翼という名の部活。それはただの部活じゃない。魔法使いや吸血鬼といった、非日常的な存在が集まる隠れ蓑的な部活だ。
 彼女達、あるいは彼等に昨夜聞いた話を話すべきか否か。和美は困っていた。
「とにかく、エヴァちゃんに相談するべきかな。夕映達とも話さなきゃ……」
 和美は一先ず結論を先延ばしにすると、眠るさよの可愛い寝顔に頬を緩ませた。どうして、この娘は肉体的には同い年なのにこんなに可愛いんだか、和美は苦笑した。

 その日の午後、和美は休日返上でクラスのメイド喫茶の準備を進めながら、のどかと夕映とさよと一緒に作業をしながら昨夜の話について相談した。
 やはりと言うべきか、のどかと夕映もまずこの四人で相談しようと考えていたらしく、特に和美が誘う事も無く準備が始まると同時に集まった。
「私は話すべきだと思うです」
 夕映が一番に言った。
「もし、あのアルビレオという人の言う通り、木乃香やネギさんやアスナさんが巻き込まれると言うのなら、早々に伝えて警戒を促すべきです。実際に事が起きた時に突然知らされても混乱するでしょうから」
 夕映の言葉はもっともな事だった。和美も最初はそうするべきだと考えた。だが、
「でもさ……。私達が聞いたのって、造物主だとか、魔法世界の崩壊についてじゃん。具体的にあの三人がどういう形で巻き込まれるのかとか聞いてないのに話すって、なんか無責任じゃない? 何て言うか、下手に怖がらせるだけって言うか……」
 和美が引っ掛かっている事を言うと、夕映は首を振った。
「一晩考えて、推測は出来てるです」
「マジ!?」
 夕映の言葉に和美は目を丸くした。
「簡単な話です。あの三人の共通点を考えれば」
「共通点?」
 和美が首を傾げると、のどかが言った。
「ネギさん達は三人共、例の大戦の関係者、あるいは関係者と血縁関係にあるです。夕映が言ってるのはそういう事なんでしょ?」
 のどかの言葉に夕映は頷いた。和美は脳裏に雷鳴が轟いたような錯覚に陥った。
 何故、今の今まで気付かなかったのだろうかと心中で自分を罵った。
 そう、あの三人には共通点がある。ネギは大戦の英雄であるナギ・スプリングフィールドの娘。木乃香は同じく大戦の英雄である青山詠春の娘。アスナに至っては造物主に捕えられ、力を利用された当事者ですらある。むしろ、完全なる世界を相手に戦うにあたり、巻き込まれない筈が無いではないか。
 戦いに参加せずとも、人質にされたり、再び力を利用される可能性は大いに有り得る。
 和美は歯を噛み締め、恐ろしい形相になりながら拳を握り締めた。納得がいかない。世界の崩壊が大事なのは分かる。大勢の人の命が懸かっている事も、この日本が戦争という恐ろしい非日常に国ごと巻き込まれる可能性がある事も重々承知している。
 その上で和美は言いたかった。そんなのに友達を巻き込まないで、と。彼女達は誰一人何も悪い事をしていない。アスナは確かに嘗ての戦争で力を利用され、その結果、多くの人の命を奪う事に間接的に手を貸してしまったかもしれない。だけど、それはアスナを利用した大人が悪い筈だ。アスナに罪があるというならそんな事を言う奴を絶対に許さないと和美は考えている。
 それなのに、あの三人を無理矢理命の危険のある戦いに巻き込むというのなら、どっちに正義があろうと関係無い。どっちも自分にとって敵だと和美は確信した。
「納得がいかないのは分かるですよ、和美。私も納得いかないです。正直、極論を言えば魔法世界なんてどうでもいい。結局は他人事ですから。それが悪だと罵られても平然としていられる自信があるです。でも、それでも既に事態は動いています。なら、私達は私達に出来る事をするだけですよ」
 夕映の言葉に和美は大きく息を吐き心を落ち着けた。
 そうだ。怒る事に意味なんて無い。どんなに理不尽を嘆いても、もう世界はそういう風に動いてしまっている。なら、自分達に出来る事をするしかない。あの三人が巻き込まれるというなら、自分達は彼女達を護る為に動けば良い。
 和美は夕映とのどかとさよの三人を見た。さよは昨夜、アルビレオに呼び止められ、帰りが和美より遅くなり、それからずっと元気が無かったが今は瞳に燃え盛るような炎が宿っていた。
 三人共、既に覚悟は決まっていると瞳に灯る炎が語っていた。そう、数ヶ月前まで純粋な一般人だった自分達だけど、それでもやらなきゃいけない事が出来たなら、それをやる為に全力を尽くすだけだ。
 もしも、世界が大切な友達を危険に曝すと言うなら、その危険と対峙してみせる。例え、彼女達を護る力が持てなくても、少なくとも、彼女達の横に立って、共に戦える力を持つ。
「頑張ろう、みんな」
 和美の言葉に三人は力強く頷いた。
「頑張るのはいいが、あいつ等に話すなよ」
 和美達は声にならない叫び声を上げた。

 エヴァンジェリン・A・K・マクダウェルは和美達の直ぐ近くで茶々丸と共に作業していた。段々と作業に慣れて来たクラスメイト達は時々しか手伝いを必要としなくなり、漸く自分達の準備に本格的に取り掛かれるようになったのだ。
 手伝いに集中していて他より準備が遅れているエヴァンジェリンと茶々丸は集中する為に二人だけで組んでせっせとメイド喫茶の自分用のコスチュームを編んでいた。麻帆良祭期間中、毎回コスチュームを変えたいという意見が通り、麻帆良祭の続く三日分、つまり三着のメイド服を容易しなければならず、エヴァンジェリンはせっせと手を動かしていた。
 そんな時、和美達の話が聞こえてきて、話の内容が内容だけに即座に防音の術を掛け、四人の話に耳を傾けていた。
 和美達の決意は分かる。あの三人の為に力を尽くそうと言う四人に嬉しさすら感じる。だが、同時に危うさも感じた。
 怒りや正義感などで動く事は暴走の危険があるからだ。自分の身や自分を心配する者、果ては護ろうとする者まで傷つけてしまう危険があるのだ。
 エヴァンジェリンは小さく息を吐きながら、彼女達を諌めなければならないと思った。アルビレオ達の行動は確かに全面的に支持出来るものではない。造物主を止めるにしても、大切な弟子達を巻き込むのは腹立たしさを感じたし、失敗すれば超曰く未来の歴史に残る犯罪集団だ。
 つまり、世界にとってそれだけ憎悪を向けるに相応しい事をするという事だ。超の存在による確実性が無ければあの三人を巻き込もうとしている全てを皆殺しにしようとさえ考えた。例え、個人的に憎悪を向けるべき相手だとしても、今のエヴァンジェリンにとってはそれを凌駕する存在が居る。それが白き翼の――否、この学園の友達だった。
 だが、それを押し留めてでも今は軽率に行動するべきではない。それがアルビレオと超、両方の話を聞き、タカミチと一晩相談し合った末に出した結論だった。これからの行動は常に最善を心掛けなければならない。その為にはまだネギ達にこれからの戦いを始めとしたアルビレオから聞いた情報を話してはならない。
 今は彼女達がこの日常の幸せを逃したくないと心から思えるような日々を送らせる事が最善だ。それ以外に手が無い現状が腹立たしく感じても……。

 エヴァンジェリンに突然声を掛けられて硬直した四人が再起動を果たすと、エヴァンジェリンは再び言った。
「あいつらには未だ話すな」
「どうして……?」
 エヴァンジェリンの言葉に和美は思わず立ち上がっていた。止める理由が分からなかった。早くに話して、出来る限りの防衛策を講じるべきじゃないのかと和美はエヴァンジェリンに瞳で訴えかけた。
 エヴァンジェリンはそんな和美に静かに首を横に振り落ち着けとばかりに和美の豊満な胸を突いた。
「ひゃっ!?」
 思わず変な声を上げてしまった和美は慌てて周囲を見渡した。
「安心しろ。大分前から消音結界を張っている。っていうか、結界無しに魔法の話をするんじゃない……」
 エヴァンジェリンが呆れた様に注意すると和美達は素直に謝った。
 エヴァンジェリンはコホンと咳払いをすると和美に座る様に促がした。納得いかなげな表情を浮かべながら和美が座り込むと、その正面にエヴァンジェリンも腰掛けた。そして、自分の作業を続けながら口を開いた。
「お前達の覚悟は聞いた。お前達の気持ちも分からないではない。だけどな、未だ早いんだよ」
「だから、どうして!?」
 和美が聞くとエヴァンジェリンは言った。
「あいつ等は今の生活が幸せなんだって事を骨の髄まで分からせてやらないといけないんだ。じゃないと、私はあいつ等を殺さないといけなくなる……」
「冗談……じゃないみたいだね」
 エヴァンジェリンの深刻そうな顔に和美は顔色を蒼くしながら囁くような声で言った。
「まあ、本当にそんな事態になったら私はどういう行動を取るか分からんがな」
「理由を聞いたら、教えてもらえますか?」
 苦笑を洩らすエヴァンジェリンにのどかがおずおずと尋ねた。
「すまんな。今は未だ無理だ。話せば、お前達はもうまともにあいつ等を見れなくなる……。時が来れば私があいつ等に話す。お前達にもな。それまでは昨夜の話はお前達の胸の中に仕舞っておいて欲しい。頼む」
 エヴァンジェリンが頭を下げると和美達は躊躇いながら頷いた。エヴァンジェリンの存在が和美達に頭を冷やさせた。魔法関係において、自分達は初心者である事を思い出す事が出来た。
 専門家であるエヴァンジェリンが言う以上、自分達は軽率に動いてはいけない。エヴァンジェリンがネギやアスナ、木乃香の三人を大切に思っていると確信しているからこそ、四人は素直にそう考える事が出来た。
「その時ってのが来たら、絶対に話してくれるの?」
 和美が聞くと、エヴァンジェリンは確りと頷いた。
「夏になればここを去るが、その時が来たらまたここに戻って来るつもりだ。その時に全てを話すよ。というか、話さないわけにはいかないだろうな……」
「そっか……」
 和美は大きく溜息を吐いた。頬をパンッと叩いて何とか気を落ち着けてエヴァンジェリンを見た。
「分かったよ、エヴァちゃん」
 和美が言うと、夕映とさよも渋々頷いた。
 一人、のどかだけがエヴァンジェリンに詰め寄った。
「でも、でも! 私達に出来る事って何にも無いんですか?」
 瞼に涙を為ながら言うのどかにエヴァンジェリンは首を振った。
「いや、出来る事ならある」
 エヴァンジェリンの言葉に和美達は眼を見開き、エヴァンジェリンに詰め寄った。
「あいつ等の友達で居続けろ。それがあいつ等にとって一番の助けになる筈だ」
「どういう意味なの……?」
「あいつ等がどこに行っても、何があっても、絶対に帰って来たい場所を作るんだよ。この平凡な日常の中にな」
 エヴァンジェリンはそれだけ告げると自分の作業に没頭し始めた。和美達もそれぞれ自分の作業に意識を集中させながらエヴァンジェリンの言葉の意味を考えた。
 考えた末に出した結論は四人共一緒の答えだった。エヴァンジェリンが言うように常に彼女達の友であろうと和美達は決意した。例え、世界が彼女達の敵に回っても、いつまでも友人であろうと。

 その日の深夜、時計の針が零時を回る寸前、世界樹の地下深くにある巨大な空間の中心部で一人の少年の心臓の鼓動が動き出していた。
 瞼の中で眼球が蠢きだし、胸部が上下し始める。
「順調に目覚めようとしていますね」
 少年の直ぐ近くで少年を見守る二人の男が居た。一人は真っ白なローブに身を包んだアルビレオ・イマ。
 彼が話しかけている相手は彼には珍しくジーンズにワイシャツというラフな格好をしている青年体の土御門泰誠であった。
「ああ、これなら間に合いそうだ。超鈴音曰く、残る時間も僅かしかない。ギリギリだったな」
「彼女が来てくれた事は私達にとってこの上ない幸運でしたね」
 アルビレオが言うと土御門は眉間に皺を寄せ、険しい表情を浮かべながら唸った。
「中々、思い通りにはいかぬらしいからな。万全を期してきたつもりであったが、最後に立ちはだかるは造物主でも魔王やドラゴンなどのモンスターでもなく、人の欲望とは」
 深く溜息を吐く土御門にアルビレオは苦笑いを浮かべた。
「虚しさを感じるのは仕方無いとは思いますが、彼女の気持ちを無碍にするわけにはいきませんよ?」
「分かっている。元より、別に名も知らぬ人々の為にやろうとしている訳では無い」
「相変わらず、想いは変わりませんか」
「無論だ。その為にこれまで生きて来たのだからな」
 目元を伏せながら言う土御門にアルビレオはそうですか、と微笑しながら言った。
「過去にばかり縛り付けられるのもどうかと思いますがね」
 アルビレオの言葉に土御門は耳を貸さず、ソッと膝を折り、横たわる銀髪の少年の胸元に手を置いた。胸元に置いた土御門の掌から清廉な神気が湯気のように立ち上がった。
 土御門の放つ神気は真昼の砂漠に垂らした一滴の雫の如く、あっと言う間に少年の身の内へと入り込んだ。
「用心深いんだな」
 当然、声が響いた。土御門のものでも、アルビレオのものでも、横たわる少年のものでも無い。
 広々とした空間へ入口の一つから一人の青年が向かって歩いていた。白い髪に獣の如き獰猛な光が宿る闇が縦に裂けたかのような金色の瞳。長身の逞しい体つきをした精悍な顔立ちの青年だった。
 青年が銀髪の少年の下まで歩み寄ると青年は土御門に一通の手紙を手渡した。土御門は受け取った手紙を読むと小さく頷いた。
「ご苦労だったな」
 土御門が青年に労いの言葉を掛けると、青年は短く返事を返すと体を反転させ、来た道を戻り始めた。
「じゃあ、俺は戻る。久しぶりに顔を見に行きたいしな」
「ああ、すまなかったな。今は他の式を全て使いに出しておって、お前に頼むしかなかったのだ」
「ったく、今が一番危険な時期なんだろ?」
「ああ、可能であれば麻帆良祭の最終日の夜。超鈴音曰く、完全なる世界が襲撃を仕掛けて来る日に逆に奴等を捕らえる事が出来れば……、ネギを頼むぞ、白虎よ」
「言われなくても分かってるよ」
 そう言うと、白虎は白い光に包まれた。瞬く間にその姿は変貌し、真っ白な毛皮に覆われた像ほどもある巨大な獣に姿を変えた。
 様々な獣の特徴を持つ相貌の獣は深く息を吐き出しながら体を振るわせた。すると、獣の体は徐々に小さくなり始めた。
 狼のような、あるいは虎のような、あるいは鼠のような、あるいは獅子のような相貌も徐々に変化を始め、変化が終わると、そこには一匹の小さなオコジョが居た。
「お土産もちゃんと買ってきたし、待っててくだせい、姉貴――ッ!」
 小さな体躯で駆けていくアルベール・カモミールの背を見ながらアルビレオは事も無げに呟いた。
「上に戻ってから戻れば良かったのでは……。それにしても、完全にネギ君のペットとして順応してますね、彼」
 アルビレオが言うと土御門は深い溜息を吐いた。
「彼奴め……」
「おやおや、嫉妬ですか? 初めて契約した式がネギ君にベッタリで」
 アルビレオが満面の笑みを浮かべながら言うと土御門は黙ってアルビレオの後頭部を強打し、未だ横たわる銀髪の少年に向かって囁いた。
「もし、あの者が我等の計画に害為す可能性あらば、殺せ――――天空よ」
 土御門の言葉に呼応するように少年の体に染込んだ神気が少年の体から僅かに噴出し、小躯な老人の姿を象った。
 着物を着た後頭部が異様に長い白髪の老人は麻帆良学園の学園長、近衛近右衛門だった。
「承知しておりますよ、近右衛門。しかし、良いのですかな? 貴殿の変わりにこの学園の長として学園を取り仕切る事が出来なくなりますが」
「構わん。恐らくは夏の間に全てが始まり、全てが終わる。その間程度ならば――」
 土御門――――否、近衛近右衛門は小さく息を吐いた。すると、彼のジーンズのポケットから影が飛び出した。それは一匹の狐だった。
「こやつで十分だ。頼むぞ」
「お任せを」
 まるでフェレットのように細長い体躯をした狐は頷くと宙高く飛び上がり、クルリと一回転した。すると、その姿は瞬く間に天空の姿に変化した。
「相変わらず優秀な管狐ですね」
「近衛家に代々受け継がれてきた妖狐だからな」
 近右衛門は言いながら妖狐の化けた老人に言った。
「私が死ぬまでは学園の長として動け。私の死後は適当な理由を付けて引退し、麻帆良学園聖ウルスラ女子高等学校の校長を学園長に据え、しばらくしたら近衛近右衛門という老人を殺せ。いいな?」
「承知。その後は詠春殿に?」
「ああ、彼奴に力を貸してやって欲しい。まあ、彼奴が望めば関西呪術協会の長の座から降りる事も許可せよ」
「委細承知致しました。では、私はこれで」
 妖狐はドロンと煙と共に消えた。天空も妖狐が消えるのを見届けると銀髪の少年の中へと消えた。
「有能な式をお持ちですね」
「十二天将は先祖の遺産だがな」
「操っているのは貴方でしょう? 謙遜は必要ありませんよ」
 クスクスと微笑むアルビレオに近右衛門は鼻を鳴らすと銀髪の少年の瞼がゆっくりと動き出すのに気が付いた。
「目覚めたか……」
「――――――」
 少年は僅かに瞳を開き、直ぐに閉じた。そして、何かを喋ろうとするが全く声が出ない様子だった。
「慌てるな。ゆっくり息を整えながら一言ずつ喋ってみろ」
 近右衛門が言うと、少年は言われた通りにゆっくりと口を開いた。最初はシュッという空気の抜ける音がするだけだったが、徐々に少年は声を取り戻し始めた。
「こ……こは?」
「麻帆良学園の地下だ」
「だ……れ?」
「私はこの学園の長だ。名は近衛近右衛門と言う。まあ、通常は土御門と名乗っているがな」
「こ……の……? 僕……どうし……て、こ……あれ?」
 少年はゆっくりと瞼を開き、自分の手に視線を落とした。そして、慌てた様子で自身の胸に手を置いた。
 少年は目を見開くと喉を震わせた。
「僕に……し……んぞうが!?」
「お前は人間に成った。不便はあるだろうが、お前を待つ者が居る。すまぬが我慢してくれ」
「待つ者……?」
「アスナ・ウェスペリーナ・テオタナシア・エンテオフュシア。ここでは神楽坂明日菜と呼ばれているが、彼女はお前を待ち続けている」
 近右衛門の言葉に少年は慌てて立ち上がろうとしてバランスを崩した。瞬時にアルビレオが重力を操作し、フェイトをゆっくりと横たわらせる。
「無理をしてはいけませんよ。まだ、体が馴染んではいないでしょうし」
「姫さまが……僕を待っている!?」
 少年にアルビレオの言葉は聞こえていなかった。ただ、アスナの名だけが頭の中で反芻し、動かない我が身をもどかしく思った。
「ああ、お前を待っている。だが、今のままでは会えまい。一週間だけ我慢しろ。その体に魂を完全に馴染ませなければならん。それに、お前には頼みがある」
「頼み……?」
「ああ、色々とな」
 近右衛門は唇の端を吊り上げながら言った。
「まあ、とりあえずはおはようの挨拶からだな。フェイト・フィディウス・アーウェルンクスよ」
 少年――フェイト・フィディウス・アーウェルンクスはその時始めてまともに近右衛門の顔を見た。
 フェイトは目覚めたばかりの頭でアスナと直ぐに再会出来ない事を嘆き、同時に漠然と思った。近衛近右衛門は弱い七十八歳を越える老齢である筈なのに、どうしてこんなにも若い身なりをしているのだろうか、と。

 フェイトが目覚めてから一週間後の月曜日。麻帆良学園本校男子中等学校の寮の一室にある洗面所で鏡を前に犬上小太郎が鼻歌を歌いながら髪を梳かしていた。そんな彼を同級生であり、ルームメイトの天城悠里、結城茂の二人は不気味そうな目で眺めていた。
 帰って来てから浮かれっぱなしの小太郎は数時間前の事を思い出していた。
 ここ連日の白き翼が麻帆良祭で疲労する事になっている合唱の練習の後、小太郎はネギに夕方、屋台を見て回らないかと誘われたのだ。
 既に麻帆良祭まで一週間を切り、麻帆良祭準備期間に突入した麻帆良学園ではたくさんの屋台が立ち並び、既に祭りの様相を呈していた。合唱の練習や中武研の出し物の準備、クラスの焼きそば屋の準備も大体が終わり、ネギの方もある程度目処が立ったらしく、白き翼の練習中に屋台の話が出て、小太郎はネギに誘われたのだ。
 出来れば自分の方から誘いたかったのだが、小太郎は夕方からのデートが待ち遠しく顔がニヤけるのを抑える事が出来なかった。数日前にネギが本当は男である事を知ったにも関らずこれほどネギとのデートに乗り気な自分が最初は不思議だったが今ではむしろそれを誇らしくすら思えてきた。
 髪型のセットを念入りにしながら夕方からのデートのプランを念入りに考えつつ、小太郎は浮かれきっていた。
「アイツ、大丈夫か?」
「ま、まあ、彼女からデートに誘われて嬉しいんでしょうね……。さすがに、デートに出発する前にちょっと注意してあげないと……」
 ルームメイトの二人は心配半分、微笑ましさ半分の表情を浮かべながら肩を竦めあった。

 時刻が夕方になると、麻帆良は騒がしさを増した。普段から元気いっぱいの生徒達が祭りという非日常的な空気によって更にテンションを上げていた。
 友達と一緒に回ったり、彼女、あるいは彼氏と一緒に屋台を回る少年少女達。彼らの顔には一様に楽しげな笑みが称えられていた。
 その中でネギ・スプリングフィールドは友人である神楽坂明日菜と近衛木乃香、桜咲刹那と共に居た。その表情は周りの少女達が思わず噴出しそうになる程に目まぐるしく七変化していた。
 自分から小太郎をデートに誘ってしまった。ネギが所属している白き翼で準備期間中の屋台の話が出た時、周りで和美は夕映やのどかを、木乃香は刹那を、アスナは茶々丸とエヴァンジェリンをそれぞれ誘っていて、ネギも周りの雰囲気に後押しされる様に一番近くに居た小太郎に気軽に誘いの言葉を掛けていた。
 自分の軽率な行動に頭を抱えたくなりながらも、ネギは楽しみで仕方がなかった。小太郎とのデート。今まで、二人っきりな時は何度かあったが、本格的なデートはこれが初めてだった。小太郎の顔を思い出すだけで頬が赤く火照り、小太郎の声を思い出すだけで胸が苦しくなり、頬が緩むのを抑える事が至難の業となっていた。それほど、ネギにとって、小太郎が愛おしい存在になって居た。
 今の時刻は約束の時間の三時間前。クラスの出し物の準備や部活動、白き翼の方は休みになっていた。屋台が並び始める今日は大抵の部活が休みになって、皆が屋台を回る。
 今日は最後の準備のラストスパートを掛ける為の充電日なのだ。
「まったく、顔がニヤけっぱなしよ?」
「ご、ごめんなさい。でも、楽しみで……」
 アスナは注意しながらもネギの幸せそうな顔に喜びの笑みを浮かべていた。ただでさえ、いつも人を気遣ってばかりで、エヴァンジェリンの事もあり、塞ぎ込みがちでここ数日全く笑顔を見せなかったネギが今日はこれからの小太郎とのデートにウキウキした笑みを浮かべている。それが只管嬉しかった。同時にこんな笑顔をネギにさせられる小太郎が羨ましくもあった。
「しっかり、楽しんできいや、ネギちゃん」
 木乃香も自分の事の様に嬉しそうにネギに声を掛けた。見ているだけで思わず笑みが零れてしまいそうになるほど、ネギは幸せそうだった。
「はい!」
 ネギが元気いっぱいに頷くと木乃香は思わず噴出しそうになるのを刹那の腕に顔を埋めながら必死に耐えた。
 木乃香に腕を抱き締められた刹那はネギに負けず劣らず幸せいっぱいの表情を浮かべていた。
「とりあえず、とっとと寮に戻って準備しなきゃね。精一杯おめかしして、小太郎の奴をメロメロにしちゃいなさい!」
「は、はい! 頑張ります!」
 真顔でそんな事を言うネギにアスナは自分の体を抱き締める様にしながら噴出すのを必死に堪えた。木乃香と刹那も必死に堪えた。
「よーっし、ネギちゃん。ウチが最高のメイクをしたるで!」
「お願いします!」
「任せときー!」
 木乃香は右腕を真上に伸ばしながら気合を入れた。

 アスナは嬉しそうに笑みを浮かべるネギに嬉しさを感じながら、同時に少しだけ羨ましさも感じていた。茶々丸やエヴァンジェリンと一緒に屋台を回るのも楽しくていいと思うのだが、どうしても思ってしまう。
 フェイトと一緒に二人で回れたら最高だったろうな、と。茶々丸やエヴァンジェリンが嫌いなわけではない。むしろ、大好きの部類に入る。特にエヴァンジェリンとはもう直ぐ会えなくなるから今の内に思い出をたっぷり作りたいという気持ちは強くある。
 だけど、とアスナは胸の中にモヤモヤを感じていた。アスナにとっての一番はやはりフェイトだった。幼い頃、孤独だった自分と一緒に居てくれたアスナの騎士。
 少し天然な彼の事を思うとアスナはいつでも胸がしめつけられるような気持ちになった。早く会いたい。今はどこに居るのだろう。無事なのだろうか。幸せなイメージ、最悪なイメージ。色々なイメージが脳裏を駆け巡る。
 修学旅行の日に運命的な再会を果たした後、土御門に連れて行かれたフェイトの事がアスナは心配で堪らなかった。土御門に聞いても、大丈夫だと言うばかりで詳しい話ははぐらかされてしまう。一度、力ずくで聞こうとした時はあっと言う間に動きを封じられてしまった。
「どうしました?」
 刹那の声にアスナはハッとなった。いつの間にか足が止まっていたらしい。少し離れた場所でネギや木乃香も足を止めて不思議そうにアスナを見ていた。
 アスナは慌てて頭を振りかぶり三人を追いかけた。
「なんでもないよ」
 ニッコリと笑みを浮べ、アスナは三人と一緒に再び歩き始めた。
 そんな彼女の後姿を見つめる影があった。和気藹々と話す四人に近づいて行く影は口元に嬉しげな笑みを浮かべながら口を開いた。
「姫さま」
 その声にアスナ達は動きを止めた。アスナが目を見開きながらゆっくりと後ろを振り向くと、そこには愛しい少年が居た。
 アスナは無意識の内に走り出していた。周りの目も気にせず、目から止め処なく涙を溢れさせ、少年に抱きついた。
 少年の体の体温を感じ、アスナは何度も少年の名を呼び続けた。少年は再会した少女の名を呼び返した。
 アスナは少年の頬を両手で包み込み、満面の笑みを浮かべて言った。
「おかえりなさい」
 アスナは少年の唇にそっと自分の唇を重ねた。周りを歩く人々が思わず立ち止まってしまうほどに熱烈なキス。それは少女の喜びと少年の喜びの万分の一程は現せていた。
 アスナは唇を離すと、少年の口と繋がる細い糸に顔を赤く染めながら心の底から嬉しそうな笑みを浮かべると言った。
「おかえりなさい、フェイト」
「ただいま戻りました。姫さま」
 二人は再び抱き合った。周りの目を気にする事も無く、お互いの存在を実感するために。


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