<このWebサイトはアフィリエイト広告を使用しています。> SS投稿掲示板

その他SS投稿掲示板


[広告]


感想掲示板 作者メニュー サイトTOP 掲示板TOP 捜索掲示板 メイン掲示板

[6597] とある神秘の幸運少女(とある魔術の禁書目録・オリ主再構成)
Name: ヒゲ緑◆ccab3415 ID:894f6c72
Date: 2009/03/19 21:47
これはとある魔術の禁書目録の女オリ主本編再構成モノです。
注意事項として、

・オリ主が受け付けられない
・上条さんにこれ以上原作にないフラグを立てられたくない
・佐天さんは俺の嫁
・黒子は美琴の嫁

という方は見ない方がいいかもしれません。



[6597] 一章 一話
Name: ヒゲ緑◆ccab3415 ID:894f6c72
Date: 2009/10/11 20:58
「新城ちゃーん、だめだめなので補習でーす♪」
 七月二十日、夏休み初日。
 ベッドの中で至福の時間を過ごしていた新城(しんじょう)結奈(ゆいな)は、担任の月読(つくよみ)小萌(こもえ)から悪夢のような言葉を突き付けられていた。
「うわーん、補習ってなにー? 昨日はそんなこと言ってなかったのにー」
 切れた電話に向かって思わず叫ぶ結奈。昨日の終業式では特に何も言われなかったため、回避できたと思っていたのだ。
 いくらなんでも当日連絡はないだろう、と思う結奈だが、出ないわけにもいかない。
(サボった場合、泣いた小萌ちゃんを見た男どもにどんな事をされるか分かんないしね……)
 クラスメイトの上条(かみじょう)当麻(とうま)なんかはノリノリで参加するだろう。「補習をさぼる口実ができた」とか言いながら。
 この歳でお嫁に行けなくなるのは避けたい結奈としては、おとなしく従う他なかった。
「現実逃避もこれぐらいにしよう……早く支度しないと遅刻しちゃうよ」
 うだうだとしている間に結構な時間が経っていたようで、時計は危ない時間を指している。
 この炎天下の中を全力疾走なんて冗談じゃない。
 すぐさまベッドから起き上がり、急いで準備を済ませると、買い置きのパンをひとつ掴んで部屋を出る。
「さーて、今日も良い事あるといいなー」
 今しがた訪れた不幸(ほしゅう)からは目を逸らし、そんな事を言いながら学校へと向かうのだった。



「おっはよー」
 結奈が教室に入ると、すでに来ていた何人かのクラスメイトが集まって話をしていた。
「おはよ」と口々に挨拶を返してくる彼らの中から、青髪ピアスの学級委員が私に近寄ってくる。
「ヤッホー! 新城ちゃんは今日も可愛い顔してんなー! おっきなリボンもぷりちーやで!!」
「あんたはいつも通りの変態顔よね」
「うわ。開口一番その台詞とかボクの扱いひどくない?」
「あんたはこの方が嬉しいんでしょ? Mなんだから」
「そういう新城ちゃんは絶対Sやね。それもドS。つまりボクらの相性はバッチリってことや!」
「はいはい。寝言は寝て言いなさい」
 いつも通りの軽口を交わしながら席に向かう。鞄を置いた後にちらりと前の席に目を向けるが、その机の主はまだ来ていないようだった。
「あれ? 上条くんはまだ来てないの?」
「カミやんやったらまだ来てへんで。ちゅーかカミやんが補習って何でわかったん?」
 青髪ピアスが当然の疑問を返す。
「だって上条くんの成績って全教科私より悪かったもの。私が補習なんだから向こうもそうだと考えるのが当然でしょ?」
「なんていうか、ちょっとカミやんがかわいそうに思えてきたわ」
 結奈が当たり前のように答えると、青髪ピアスは窓の下を走ってくる友人に同情の視線を送っていた。



「はーい。それじゃ先生プリント作ってきたのでまずは配るですー。それを見ながら今日は補習の授業を進めますよー?」
 教卓の上に立つ、見た目十二歳の担任教師はそう言ってプリントを配り始めた。
 結奈のクラスの担任である月読小萌はありえない位に幼い容姿をしており、学園七不思議にまで認定されるほどの幼女先生である。
 とはいえ教師としては優秀であり生徒からも慕われているため、あまり問題になることもなかった。
「おしゃべりは止めないですけど先生の話は聞いてもらわないと困るですー。先生、気合いを入れて小テストも作ってきたので点が悪かったら罰ゲームはすけすけ見る見るですー」
「ってかそれ目隠しでポーカーしろってあれでしょう先生! ありゃ透視能力(クレアボイアンス)専攻の時間割(カリキュラム)だし! 手元のカードも見えないのに十回連続で勝てるまで帰っちゃダメとか言われたらそのまま朝までナマ居残りだとわたくし上条当麻は思うのでせうが!」
「はいー。けれど上条ちゃんは記録術(かいはつ)の単位足りないのでどの道すけすけ見る見るですよ?」
 小萌先生の言葉にささやかな抵抗を試みた上条だったが、リーマン教師の営業スマイルによってあっさりと撃沈。トレードマークのツンツン頭にも力がないように見える。
 結奈はそんな上条を見ながらくすくすと笑っていた。
 そのまま灰になろうとする上条に青髪ピアスが話しかける。
「……むぅ。あれやね。小萌ちゃんはカミやんが可愛くて仕方がないんやね」
「……おまいはあの楽しそうに黒板に背伸びしてる先生の背中に悪意は感じられんのか?」
「……なに? ええやん可愛い先生にテストの赤点なじられんのも。あんなお子様に言葉で責められるなんてカミやん経験値高いでー?」
「……ロリコンの上にMかテメェ! まったく救いようがねーな!!」
「あっはーッ! ロリ『が』好きとちゃうでーっ! ロリ『も』好きなんやでー!!」
(これはそろそろ止めるべきかな?)と結奈が考え始めた所で、教卓から怒った声が聞こえてきた。
「はーいそこっ! それ以上一言でもしゃべりやがったらコロンブスの卵ですよー?」
 コロンブスの卵とは文字通り、逆さにした生卵を何の支えもなく机の上に立てるという念動力(テレキネシス)専攻の時間割だ。
 念動力が強すぎても弱すぎても卵が割れてしまうため、かなり難しい課題である。
「おーけーですかー?」
 顔はにっこりと笑っているが、目が全く笑っていない。
 上条と青髪ピアスは恐怖に顔を引きつらせると、真面目に話を聞き始めた。
(ほんとに何してるのかしらあの二人は……)
 少しの間静かになった二人だが、それも長続きせず、しばらくするとまた小声で話し始める。
 タコヤキがどうのと話しているようだが、相手をすると小萌先生の説教に巻き込まれそうなので結奈は放っておくことにした。
 話し声が聞こえなくなったのでプリントから顔をあげると、上条が窓の外を見ながら真剣な表情で考え込んでいる。
「……あーくそ」
 舌打ちしながら上条が呟いた。
 何かあったのかな、と思い結奈は声をかけようとする。
「上「センセー? 上条クンが窓の外の女子テニス部のひらひらに夢中になってまース」」
 しかしそんな結奈の声は横から飛んできた間抜けな声に遮られる。
 結奈が慌てて教卓を見ると、そこでは小萌先生がサンタさんの正体を知ってしまった十二歳の冬のような顔でショックを受けていた。



「おつかれさまー。上条くん」
「ああ、新城か。おつかれさん」
 完全下校時刻まで続いた補習が終わり、やっと解放された結奈は、上条との帰宅中に先ほどから気になっていたことを聞くことにした。
「ねぇ、上条くん?」
「ん? なんだよ」
「あのね、さっきの授業中に真剣な顔して窓の外を見てたでしょ? 何かあったのかなって思って」
「授業中……ってあの時のことか?」
 先程の騒動を思い出したのか、上条は少し疲れた顔をして答えた。
「うん。あれって女子テニス部を見てたわけじゃないんでしょ?」
「あ、当り前だろうが! この上条さんがあんなミニスカートにつられるとお思いですか!?」
 よほど誤解をされたくないのか、ものすごく慌てた様子で返してくる。
(その慌てようだと逆に怪しまれるよ……)
 などと思った結奈だったが、このままだと話が逸れていきそうなので流れを戻すことにする。
「それで? だったら何を悩んでいたのかな?」
「別に大した事じゃねーよ。朝ちょっと変な奴に会ったってだけだ」
「変な奴って……もしかして女の子? だったら一目惚れとか? きゃー!」
「おまっ……なんでいきなりそんな話になんだよ! 一目惚れなんてあるわけねーだろ!」
「ふーん。女の子ってのは否定しないんだ? またいつもの病気って事だねーこれは」
 からかうように言う結奈だが、その顔には少し不機嫌そうな色が見える。
「ほんとに女の子とみたらフラグを立てに行っちゃうんだから。あんまりやってるといつか刺されるよ……私に」
「おまえにかよ! ってかそんな優良フラグ立てたことねーよ! それ以前にフラグを立てになんて行ってねーっつの!!」
 大声で叫んで疲れたのか、はぁはぁと肩で息をする上条。
 結奈はその鈍感さに呆れつつも、少しだけ安心していた。
「話を戻すけど、それで結局どういう事なの?」
「脱線させたのはお前だろうに。まあ、ちょっと会って話をしたって程度だよ。落し物をしていったから気になってただけ」
 この話はこれで終わりだ、とばかりに上条は歩く速度を上げる。
 結奈はおいて行かれまいと駆け足で隣に並び、なおも上条に話しかける。
「上条くん。その子の落とし物届けるつもりなんでしょ? 私も手伝うよ」
「いいって。もうこんな時間だし。あんまり遅くまで外出てる訳にもいかねーだろ」
 乗り掛かった船だとばかりに提案するが、上条はあまり乗り気ではなさそうだ。
 結奈はこれ以上は無理かなと判断し、黙って上条の隣を歩くことにする。
 隣からは、一言「不幸だ……」という呟きが聞こえてきた。



「あっ、いたいた。この野郎! ちょっと待ちなさ……ちょっと! アンタよアンタ! 止まりなさいってば!!」
 聞こえてきた声に結奈と上条が振り返ると、肩まである茶色い髪の少女が追いかけてきていた。
 身にまとっているのは灰色のプリーツスカートに半袖のサマーセーター―――学園都市でも有数の名門である常盤台中学の制服だ。
(誰だろこの子。私は見覚えないし、上条くんの知り合いかな?)
 突然現れた少女に戸惑っていると、上条が彼女に対応する。
「……あー、またかビリビリ中学生」
「ビリビリ言うな! 私には御坂(みさか)美琴(みこと)ってちゃんとした名前があんのよ! いい加減に覚えなさいよ、アンタ初めて会った時からビリビリ言ってるでしょ!」
 上条の知り合いで間違いないようだ。
 いったいどんな経緯で常盤台のお嬢様と知り合いになったのだろうか? と結奈が思っていると、突然上条が説明口調でしゃべりだした。
「何やら呆れ顔で上条の顔を眺めている女は、昨日の超電磁砲(レールガン)女だ。たった一度ケンカに負けたのが相当悔しいらしく、それから上条の元を何度も訪れては返り討ちに遭っているのだ」
「……。誰に対して説明してんのよ?」
 美琴が可哀想な人を見る目で上条を見ていると、すぐ横からフォローが入った。
「えーと、多分私だと思う」
 結奈がおずおずと手を挙げて言う。
「えぇ! この人アンタの知り合いだったの!?」
 まったく予想していなかったのか、美琴はあり得ないものを見た様な表情をしていた。
「ちょっと待てビリビリ。それはいったいどういう意味だ?」
「だってあんたにこんな美人の知り合いがいるなんて思えないもの。いったいどんな犯罪に手を染めたのよ」
 どうやら本気で疑っているようである。目が本気だ。
「まてコラ。それはあれか? 俺はそんなに女の子と縁がないように見えるってのか!? 犯罪に手を染めないと知り合うことも出来ないくらいに!!」
「だってアンタそんな顔してるじゃない。ものすごく幸薄そうな顔」
「それは私も同感だね。上条くんって幸薄そうだもんねー……ていうか実際に幸薄いよね」
「断言された! しかも味方だったはずの奴からも!!」
 がっくりとうなだれる上条。女性二人は何かシンパシーでも感じたのか、ハイタッチをしながら笑い合っている。
「でー、何なんだよビリビリ? ってか夏休みなのになんで制服着てんの? 補習?」
 しばらく落ち込んでいた上条だったが、どうやら復活したようで美琴に話し掛けていた。
 上条が美琴をからかっているのだが、自己紹介もしていない結奈としてはさすがにこの雰囲気に乱入するのははばかられる。
 そうやって二人を観察していると美琴が徐々にヒートアップしてきたようで、揺れる髪の毛がバチバチと音を立て始めていた。
 なんかそろそろ危ないかなー、と結奈が考えた矢先。
 ドン! という音がして、突然周囲人達の携帯電話や有線放送、警備ロボットまでが嫌な音をたてて壊れた。
「ふん。どうよ。これでようやく腑抜けた頭のスイッチ切り換えられ―むぐっ!」
 周囲に気付かず得意そうな顔で続けようとした美琴の口を、慌てて上条がふさぐ。
 途中で止められた言葉からすると、どうやら彼女がこの惨事を引き起こしたらしいが、はっきりいってこれはかなり危ない状態だ。
 いち早くその事に気づいた上条によって犯行宣言は止められたようだが、このままここにいたら結奈たちが犯人とバレてしまいかねない。
「(上条くん。その子連れて早く逃げるよ!)」
「(わかってる。バレたら俺の生活費が終わりを告げちまう!)」
 小声で話しあい、早足で動歩き出す結奈。上条も口をふさいだままの美琴を引き摺るように路地へと向かっていく。
「(むがー!?)」
 最初は抵抗していた美琴だったが、周囲の騒ぎにようやく気付き、事態の重さを理解したらしい。
 歩き始めてからはほとんど抵抗もなかったため、三人はつつがなくこの場を離れることに成功した。



「なんとか逃げられたみたいだね」
 路地裏に入った後はしばらく走り続け、路地裏の裏の裏にまでたどり着いた所で結奈は安心したように言う。
「えと、それじゃ自己紹「うう、ぐすっ。ふ、不幸だ。……こんなのと関わったばっかりに」」
「えーと、私は「こんなのって言うな! 私には御坂美琴って名前があんのよ!」」
 落ち着いたところで自己紹介でもしようかと思った結奈だったが、どうやら二人は喧嘩に夢中で結奈のことは目に入っていないらしい。
(いいもん、今度上条くんにたかってやるもん)
 完全に無視されてショックだったのか、結奈は地面にのの字をかいて不穏なことを考えていた。
 そうこうしているうちに喧嘩も終わっていたようで、いつの間にか二人は無言で向き合っている。
 ただ、結奈がよく見ると、美琴の顔が引きつっているのが分かった。
 いったい何をしたんだろうかと思っていると、上条がため息をついて美琴から目を逸らす。
「……、なんていうか、不幸だ。部屋の電化製品はボロボロだし、朝は自称魔術師に夕方はビリビリ超能力者ときたもんだ」
 そう呟く上条に、美琴は震える声で尋ねる。
「ま、まじゅつしって……なに?」
「……えっと、何なんだろう?」
 上条はそれだけ言うと、子犬みたいにびくびくしている美琴を放ってその場を離れていく。
「御坂さん、またねー……あ、上条くん。ちょっと待ってよ! 」
 先ほどの魔術師という言葉に疑問を覚えながら、結奈も上条の後を追ってその場を離れた。



[6597] 一章 二話
Name: ヒゲ緑◆ccab3415 ID:894f6c72
Date: 2009/10/11 20:59
 路地裏を出たところで上条に追いついた結奈は、さっきから気になっていた事を聞いてみることにした。
「ねぇ、上条くん。さっき私が目を離した時にあの子に何したの? すごく脅えてたみたいだけど」
「ん? ちょっと脅かしただけだって。手は出してねーよ」
「それならいいんだけど……あ! それとさっき言ってた魔術師って何の事なの?」
 話している最中に思い出した疑問を上条にぶつけてみる。
「さっき話してた落し物をしてった奴のことだよ。自称魔術師。それだけ」
「へえー。自称魔術師の女の子ねー」
 結奈は興味津々だったが、上条はあまり話したくない様子だ。なぜか顔が真っ赤になっている。
「ま、追及はこれ位にしておいて……上条くん、これからどうするの?」
 上条にこの後の予定を尋ねる結奈。
 何かを思い出して真っ赤な顔でうろたえていた上条だが、その言葉で我に返る。
 どうするか少し考え、
「……やることもねーし、牛丼でも食べて帰ることにする」
 どこか寂しさを漂わせる笑みで、そう答えた。
「そっか。それじゃ、また明日だね」
 私はもう寮に帰るから、そう言って上条に手を振る。
 寂しげな笑顔を浮かべた上条を少しだけ気にしながら、結奈は寮に向かって歩き出した。



 寮の自室に戻った結奈はいつも通りに夕食の準備をし、その後はベッドの上でゴロゴロとだらけきっていた。
 帰り際の上条の様子は気になっていたが、どうせ女の子の事だろうと考えて気にしないことに決めていた。
 あんまり気にしすぎるとイライラしてくるからだ。
(上条くんはいつもああなんだから……)
 上条当麻は困っている女の子を見ると放っておけないらしく、事あるごとに人助けをしていた。
 そのせいか、上条に好意をもつ女の子というのは実はかなりの数に上っている。
 ただ、人助けが当たり前になってるためか、本人はそのことにまったく気づいていないようだが。
 かくいう結奈も上条には何度も助けられており、それなりに好意を持っている自覚もある。
 だからほかの女の子の気持ちも分かるのだが、それとこれとは話が別。ムカつくものはムカつくのである。
 ひと通り激情が過ぎると今度は補習のことを思い出し、結奈は肩を落とす。
「……はあ、明日も補習か。なんで私は何の能力も使えないのかな……」
 新城結奈という少女は、この街では非常に特異な存在だった。
 結奈が暮らすこの学園都市では、科学的な処置に基づく超能力開発が行われている。
 『記録術』とか『暗記術』とか、そんな名前でごまかして頭の開発をしており、一定の時間割(カリキュラム)をこなせば才能がなくともスプーンぐらいは曲げられるようになる。
 結奈は能力者の中でもほんの弱い能力しか発現しない、無能力者(レベル0)に分類されていた。
 ただ、無能力者というだけなら学園都市の学生百八十万人の六割は同じ無能力者であり、結奈がその中に入るのは別におかしなことではない。
 結奈が特異とされるのは、本当の意味で何の能力も発現していない『無』能力だからだ。
 どんな人間でも持てるはずの能力が、結奈には欠片も存在しない。
 それも学園都市に来て十年もたつにもかかわらず、だ。
「私は運だけはいいはずなのにね……」
 制服のポケットから取り出した携帯電話をいじりながらつぶやく。
 夕方、美琴の電撃によって周囲の電子機器がすべてダメになっていたにもかかわらず、すぐ近くにいたはずの結奈の携帯電話はなんの機能障害も起こしていなかった。
 それどころか、充電を忘れて切れかかっていたはずのバッテリーが回復までしている。
「普段はこんなに幸運に恵まれてるのに、なんで能力に関しては発揮されないのかな……」
 はぁ、とため息をつく。
 そんなことをいっても仕方がない。それぐらいは分かっていても、どうしても落ち込んでしまうことはあった。
「よし、ちょっと散歩でもしてこよう」
 落ち込んだ気分をなおすには夜風にでも当たってくるべきだろう。エアコンが壊れて蒸し暑い部屋にいるよりは気分も落ち着くに違いない。
 そんなことを考えながら、結奈は夜の散歩に出かけることにした。



 結奈は表通りをのんびりと歩いていた。
 しばらく風に当たったおかげか気分は十分に落ち着いており、そろそろ寮に帰ろうかと思っていたところだ。
 そんな結奈の後ろから、消防車と救急車のサイレンが近付いてくる。
 どこかで火事でもあったのかと行く先を見ていた結奈だったが、それらの車両が止まった場所を見てぞっとした。
 そこは結奈にも見おぼえのある、上条が住んでいる学生寮だったからだ。
 慌てて向かおうとするが、野次馬が多くなかなか近付けない。
 仕方なしに近くの人から状況を聞いてみると、どうやら寮は完全に無人であり、被害者はいなかったらしい。
「よかった……」
 安堵のため息が漏れる、上条はすぐに帰ると言っていたから、火事に巻き込まれたんじゃないかと思っていたのだ。
 特に被害がないのならもうここにいる必要もないかな、と考えて結奈は踵を返す。
 すると、その先の路地裏に人影があることに気づいた。
 なんとなしに近づいた結奈の目に映ったのは、血まみれのシスターを抱きかかえる上条の姿。
「上条くん!?」
 結奈の声に気づき、上条は驚きの表情を浮かべる。
「新城!? なんでここに?」
「わ、わたしは散歩してたら上条くんの寮に消防車が向かって行くのが見えたから……上条くんこそどうして? その子どうしたの?」
「落ち着け新城。後でちゃんと説明するから。今は手伝ってくれ」
 あまりの事態にパニックを起こしかけた結奈だったが、上条の言葉で冷静さを取り戻す。
 何があったのかは分からないが、急がないとまずいという事だけは結奈にも理解できた。
「新城、小萌先生の住所って知ってるか?」
「う、うん。知ってるけど……病院とか行かなくていいの?」
「ちょっと事情があってな、病院はまずいんだ。それで、案内してもらえるか?」
「わかった」と一言伝えると、結奈は小萌先生のアパートに向かって歩き出す。
 上条もぐったりとしているシスターを背負いなおし、その後を追った。



「ここだよ」
 路地裏から歩いて十五分という所に、そのアパートはあった。
「小萌先生の部屋は二階の一番奥だよ」
 結奈の言葉を聞き、上条は急いでそこに向かう。
 チャイムを鳴らし、ドアを蹴破ろうとする上条を抑えながら小萌先生が出てくるのを待つ。
「はいはーい、今開けますよー?」
 中からのんきな声が聞こえ、かちゃりとドアが開かれた。
 小萌先生はドアの前に立っている上条を見て見当違いなことを口にする。
「うわ! 上条ちゃん! 新聞屋さんのアルバイトでも始めたんですか?」
「シスター背負って勧誘する新聞屋がどこにいる! ……ちょっといろいろ困ってるんで入りますね先生。はいごめんよー」
 上条はそのまま部屋に入ろうとするが、小萌先生は部屋がすごいことになっているので困ると抵抗している。
 どうやら背中のシスターの怪我が分かってないようだと気づいた結奈は、簡単に状況を説明することにした。
「先生、この子怪我してるんです。治療したいから中に入れてもらってもいいですか?」
「新城ちゃんもいたんですか。……って、ぎゃああ!?」
 血まみれの修道服を見てようやく事態の深刻さに気付いたのか、小萌先生はあわあわ言ってパニックを起こしている。
 このままでは埒が明かないので、二人は強引に部屋の中へと入ることにした。
 床に転がるビールの空き缶や灰皿に山盛り積まれた煙草の吸殻をかき分け、背中の傷に触れないよう畳の上に少女をうつぶせに寝かせる。
 破れた服の布で傷口は見えないが、真っ赤に染まった修道服からかなりひどい傷なのだろうことがうかがえた。
「それで、上条くん。これからどうするの?」
「き、救急車を呼ばなくって良いんですか!? で、電話そこにあるですよ?」
 結奈が尋ね、小萌先生がブルブルと震えながら部屋の隅を指差すのと同時、
「――出血に伴い、血液中にある生命力(マナ)が流出しつつあります」
 血まみれの少女から無感情な声が聞こえてきた。
「――警告、第二章第六節。出血による生命力の流出が一定量を超えたため、強制的に『自動書記(ヨハネのペン)』で覚醒めます。……現状を維持すれば、ロンドンの時計塔が示す国際標準時間に換算して、およそ十五分後に私の身体は必要最低限の生命力を失い、絶命します。これから私の行う指示に従って、適切な処置を施していただければ幸いです」
 結奈と小萌先生はぎょっとしたように少女の顔を見る。
 その顔には表情はなく、ぞっとするほどの冷たい眼差しだけがあった。自らの命の危機にさえ、何の感慨もないというかのように。
「先生、緊急事態なんで手短に言いますね。今から救急車、呼んできます。先生はその間、この子の話を聞いて、お願いを聞いて……とにかく絶対、意識が飛ばないように。この子、服装通り宗教やってるんで、よろしくです。……新城は一緒にこっち来てくれ」
 上条の言葉に小萌先生は顔面蒼白のままこくこくと頷く。
 それを確認した上条は、
「じゃ、先生。俺たち、ちょっとそこの公衆電話まで走ってきます」
「え? ちょっと上条くん。どういう……」
 説明を求めていた結奈の手を掴み、部屋を出て行こうとする。
「あーもー! ちゃんと説明してもらうからね!!」
 抵抗を諦めた結奈は、仕方なく上条についていくのだった。



 小萌先生のアパートを出てすぐのところ、結奈は立ち止まった上条に聞いた。
「それで? どういうことか教えてくれる?」
 今度こそ答えてもらう、と結奈は意気込んで尋問を開始する。
「えっと、だな。ちょっと複雑な事情があってな?」
「複雑でも何でもいいから分かるように説明して。いまさら部外者だなんて言わせないからね」
 言葉を濁した上条に念を押して言う。このまま説明もなしにはぐらかされたら気になって眠れない。
 睡眠不足は乙女の天敵だ。健康のためにもちゃんと聞きだす必要があるだろう。
「わかった。説明するからそう睨むなって」
 上条の方は観念したのか、一応話す気にはなったみたいだ。
「まず、さっきのシスターは夕方に話した落とし物をしてった変な奴だ」
「それって、自称魔術師とかいう?」
 結奈が夕方の話を思い出しながら確認する。
「そ。それで、俺が寮に帰ったらあいつが部屋の前で血まみれで倒れてて。慌ててここへ運んできたってわけだ」
 これで終わりだ、とばかりに話を切ろうとする上条。
 前言撤回。どうやらまだちゃんと説明する気はなかったようだと判断する。
「上条くん? 私はちゃんと説明してって言ったよね?」
 笑顔のまま上条にプレッシャーを与える結奈。
「だから説明しただろ?」
 上条はあくまでしらばっくれるつもりのようだ。
 しかたがない、と結奈は笑顔を崩さず致命的な一言を紡ぎだした。
「上条くん。ここで私が「助けてー」とか大声で言ったらどうなると思う?」
「すみませんほんと勘弁してください新城さん」
 人通りの無い夜道に二人きり、そんな言葉が聞こえれば上条の言葉にはだれも耳を貸すことは無い。
 こうして冤罪は生まれていくのだろう。
「だったらどうすればいいか分かるよね?」
 結奈はにっこりと、本当にすばらしい笑顔で最後通牒を突きつけた。



「と、まあこんなところだ」
「つまり、あの子はインデックスっていう名前の本物の魔術師で、それを狙う敵に襲われていたから上条くんが不思議な右手の力で助けた。いまはあの子の魔術で傷を治してるけど、超能力者の私たちには魔術が使えず邪魔になるだけだから席を外してる。と、これでいいの?」
 これまでの経緯を話し終えた上条に確認を取る。
「そんなところだ。それにしても魔術だのなんだのって相当胡散臭いと思うんだけど、信じるのか?」
 上条が不思議そうに聞く。
「そりゃ、私だってあの子にそう言われただけなら信じられないけよ。けど、上条くんが実際に体験してるってことなら信じるしかないでしょ」
「そんなもんか」と呟く上条を見てため息をつく結奈。
「それで、上条くんはこれからどうするの?」
 結奈にとっては答えが分かり切った質問だが、一応聞いておく。
「さすがに放ってはおけないし、何とかなるまで付き合うつもりだ」
 思った通りの答えが返ってくる。
(またいつもの病気だね……)
 そんな風に結奈は思うが、こうなってしまうと何を言っても聞かないだろう。
 だったら少しくらいは手伝おう、と考えた結奈に向かって上条は言う。
「新城も、危ないからこれ以上は関わらない方がいい」
 これも予想通りだった。どうせ言ってくるとは思っていた。
 実際、上条くんが言うような戦闘になったら、無能力の自分は完全に役立たずだ。
 一応護身術程度なら習ってはいるが、魔術相手にはあまり意味はないだろう。
 かといって、怪我をした女の子を放っておけるほど情の薄い女になるつもりもない。
「わかった。魔術とかそういうのには関わらないようにするよ」
 そう言った結奈を見て、上条がほっとした様に息をつく。
「ただ、あの子のお見舞いに来るくらいはいいでしょ?」
 これだけは譲れない、と結奈は上条を見る。
 上条もここで折れないとさっきのように脅されると気づいたようで、しぶしぶ頷いた。
「じゃ、交渉も成立したことだし、そろそろ戻ろうか」
「そうだな。結構時間もたってるし、もう大丈夫だろ」
 二人は今来た道を引き返していく。
 その途中、結奈が思い出したように言った。
「上条くん。さっきはつい流してたんだけど、その右手の『幻想殺し(イマジンブレイカー)』ってなに? 上条くんは私と同じ生粋の無能力者じゃなかったの?」
 このうらぎりものー、とばかりに上条を睨みつける。
 結奈としては、上条は自分の同類だと思っていただけにショックは大きい。
「つっても身体検査(システムスキャン)じゃ出てこないんだから、能力的には無能力扱いだぞ?」
「それでも何かあるのと何もないのじゃ全然違うじゃない」
 私の仲間はどこにもいないのね、とうなだれる結奈。
 そんな結奈に上条も苦笑いを浮かべていた。
「新城の場合、運の良さがある意味能力みたいなもんだろ。くじ引き一等三連続とか他で見たことねーぞ」
「うう、本来それがすごいってのは分かるんだけど。生まれつきの事だからあんまりそんな風に思えない……」
 話しているうちに小萌先生のアパートへ到着する。
 部屋に入ると治療は終わっており、インデックスはすでに眠りについていた。
「うまくいったんですか?」
「はい。もう大丈夫みたいですよ」
「よかった……これで安心して眠れます。睡眠不足は乙女の敵ですから」
 小萌先生の報告を聞いてほっとする結奈と上条。
 危機を乗り切った安心感からか、三人は笑顔を浮かべていた。



[6597] 一章 三話
Name: ヒゲ緑◆ccab3415 ID:894f6c72
Date: 2009/10/11 21:01
 翌日の朝、結奈はあまりの暑さに目を覚ました。このまま寝続けていたらゆでダコになりそうな気温である。
「……暑い」
 それもこれもエアコンが壊れているせいだろう。一昨日の落雷を恨めしく思う。
 目覚まし時計を見ると、時刻は午前六時半。補習まではまだまだ時間があった。
「ふぁ……どうしよう?」
 この暑さだ、寝なおす気にはなれない。かといって早く学校へ行っても意味もなく、逆に待ち時間で疲れるだけだ。
 結奈が寝ぼけ眼で考えていると、ふと妙案が浮かんだ。
「よし! あの子のお見舞いに行こう」
 昨日助けたインデックスという少女は、上条とともに小萌先生の部屋に泊まっていた。
 結局あのまま目を覚まさなかったので、結奈だけ寮へ帰ってきたのだ。
(あの時は意識も朦朧としていたみたいだし、ちゃんと自己紹介しておこう)
 やることが決まるとあとは早い。結奈はすぐに制服に着替えて補習の準備を終えると、小萌先生のアパートに向かった。



「おはようございまーす!」
 到着した結奈が言いながらチャイムを鳴らそうとすると、タイミング良く小萌先生が出て来た。
「おはようですよ新城ちゃん。もしかしてお見舞いですかー?」
 結奈の目的はすぐに分かったようで小萌先生は嬉しそう顔を綻ばせるが、それはすぐに真剣な表情に変わる。
「あ、でも今はだめですよー。二人でお話ししてますから。新城ちゃんは先生のお買い物に付き合ってほしいのですよー?」
 小萌先生の言葉に事情を察した結奈は、二つ返事でその申し出を受ける。
「そう言えば、先生はあの子のことどうするつもりなんですか?」
 買い物に向かう道すがら、結奈は小萌先生に聞いてみる。
「んー……しばらくはうちで預かるですよ? 怪我が治った後どうするかはまだ聞いてないですけど」
 小萌先生は楽しそうに答える。部屋に他に人がいるのが嬉しいらしい。
(そういえば家なき子を拾ってくるのが好きだったもんねー先生)
 最近は誰もいなかったので忘れかけていたが、それが小萌先生の趣味をだった事を思い出す。
「久しぶりの同居人ゲットですか? 先生」
 結奈が少し茶化すように聞くが、小萌先生はさみしそうに笑い、
「たぶんそうはならないと思うのですよ?」
「え、どうしてですか?」
「先生の勘なのです」
 とだけ答えた。



 結局買い物が終わる頃にはお見舞いなんてできるような時間ではなくなっており、小萌先生からすぐに学校に行くように言われてしまった 。
 どうやらこのちびっこ教師は補修をサボらせてくれる気はないらしい。
 看病をしている上条は黙認されたようだが、結奈にはちゃんと出るように釘を刺していた。
 夕方頃、仕方なく受けた補修からやっと解放された結奈は、インデックスへのお見舞いをどうしようか悩みながら歩いていた。
(やっぱりここは定番の桃缶かな?いや、みかんの方がいいかもしれない。でも果物持って行ってアレルギーとかあったらどうしよう……これは難問だわ!)
 他人が聞けばどうでもいいと思うようなことを真剣に考えながら道を歩いていた結奈だったが、考え事に集中しすぎていたのかいつの間にか人通りの少ない建設現場の近くまで来ていた。
(あれ? お見舞い買いに来たはずなのになんでこんな所にいるんだろう?)
 とっくに商店街を通り過ぎていたことに気づいた結奈はあわてて引き返そうとするが、そこに鉄骨を叩いたような大きな音がすぐ近くから聞こえてくる。
 建材が落ちたのかと思い様子を見に行くと、そこでは三人の柄の悪そうな男たちが二人の男女を取り囲んでいた。
 花の髪飾りを付けた黒髪ストレートロングの女の子は頭を抱える様な恰好で、目の前にいる男に恐怖のまなざしを向けている。近くにいる小太りの男は他の男たちに暴行を加えられていた。
(これは……たち悪いのに絡まれちゃったのかな?)
 結奈はすぐに事態を把握し、迷わずに二人を助けるために行動を開始する。
 とはいっても相手は三人。不意打ちで一人倒せたとしても二対一では不利だ。
 いざという時の応援を呼んでおくべきだろう。
(とりあえず警備員(アンチスキル)に電話してと……これでよし!)
 警備員への連絡を終えると、すぐに結奈は物陰から飛び出した。そのまま女の子の近くにいる男に向かって一直線に走る。
 男たちはまだ結奈の存在には気づいていない。一気に男に近寄った結奈は、ようやく乱入者に気づいて振り返った男の股間を力いっぱい蹴り上げた。
「うぎぁー!!」
 急所を思い切り蹴り上げられ、あまりの痛みに泡を吹いて倒れる男。ほかの二人もその男の姿を見て股間を抑えながら呆然としている。この隙を逃す手はない!
「ほら、二人とも逃げるよ!」
 同じように呆然としていた少女と小太りの男の手を掴み、一気に駆け出す。
 少し遅れて我に返った男二人が結奈たちを追いかけるが、すでに十分な距離は稼いでいた。
(後は人通りの多いところまで行ければ……)と結奈が考えた時。
「きゃ!」
 隣を走っていた少女が足をもつれさせて転んでしまう。とっさに手を離して逆側にいた小太りの男が巻き込まれないようにしたが、結奈自身は一緒に転んでしまった。
 驚く小太りの男に先に行くように促し少女と共に立ち上がるが、その頃には男たちが追いついてきていた。
「やってくれるじゃねーかこのアマ!」
「ただで済むと思うんじゃねーぞ!」
 怒りもあらわに結奈たちに迫ってくる男たち。少女はその怒気にあてられたのか、体を竦ませて震えていた。
「(こいつらは私が何とかするから、あなたはこのまま逃げて)」
 結奈はそんな少女を自分の後ろに回らせ、小声で逃げるよう促す。
「(で、でも……それじゃあ……)」
 不安そうな少女に向かい結奈は笑顔で言う。
「(大丈夫。警備員はもう呼んでるし、これでも護身術の心得くらいはあるのよ)」
 そう告げると、ようやく納得したのか少女が頷いた。
「ほら! 早く!!」
「は、はい……」
 少女が走り出すと同時、怒り狂った男たちが結奈に襲い掛かる。
「もう逃げねーのか?いい度胸だな!」
「今からたーっぷりかわいがってやるからな! ひゃはははは!!」
 男たちが顔を真っ赤にしながら殴りかかってくる。
 もともと無能力なのか、怒りに我を忘れているからなのかは分からないが、能力を使って来ないのは好都合だった。
 正面から殴りかかってくる二人の男を見ながら、結奈は冷静に考える。
(怒ってくれてるおかげで動きは読みやすい。これならなんとかなるかも)
 結奈は左に跳び、まっすぐ突っ込んできた男たちの最初の一撃をかわす。思ったより俊敏な結奈の動きに戸惑ったのか、その動きが一瞬止まった。
(ここ!)
 無防備になった男の顔に回し蹴りを叩きこむ。
「がぁ……!」
 振り向きかけたところに顎を蹴り上げられた男は、脳を揺さぶられる衝撃に耐えられず膝をついた。あれだけ綺麗に入ればしばらくは動けないだろう。
「さて、これであなただけみたいだけど?」
 余裕たっぷりにもう一人の男に言う。実際にはそれほど余裕があるわけでもないが、これに騙されて相手が諦めてくれれば儲けものだ。
 先の二人を倒せたのは不意打ちの急所攻撃が成功したからであり、結奈の実力では普通の状態の男と真正面からやりあうと一対一でも危なかったりする。
「へ、へへ。無能力者(レベル0)のくせにやるじゃねーか」
 仲間がやられたことで逆に頭が冷えたのか、少々落ち着いた様子で答える男。全く能力を使わない事から結奈が無能力者だと気づいたようだ。
 結奈は警戒したままその男をじっと見つめる。
「そうだな。だったらお前で試してやるよ!」
 そう言うと同時、男の後ろにあった数本の鉄柱が浮かび上がる。
「ふぅん……念動使い(テレキネシス)ね……」
 どうでもよさそうに言う結奈。男はそれを強がりだと思ったのか、
「さっきの威勢はどうした? まあ、これを見た後じゃ仕方ないことだけどな!」
 などと言っている。どうやらすでに勝った気になっているようだった。
 結奈自身は特に恐れているわけではない。むしろわざわざ自分の能力を教えたこの男に呆れているだけだった。
 男は得意そうにしているが、結奈にとっては念力使いなら何の問題もない。むしろ無能力者相手よりやりやすいくらいだ。
「はいはい……どうでもいいからさっさと終わらせるわよ。私も暇じゃないんだから」
 結奈はそう言うと男に向かって一直線に駆け出す。
「やけになっちまったか? ひゃはは!」
 そう言って、男は念動力によって浮かべた鉄柱を結奈へと放つ。その直後、勝利を確信していた男の顔が驚愕に染まった。
 一直線に結奈へと向かっていはずの鉄柱の軌道が、男の計算から僅かにずれていたのだ。
 その結果、結奈を貫くはずだった鉄柱は、全てが紙一重で当たらず通過していく。
 通り過ぎた鉄柱に見向きもせず結奈は一直線に進む。完全にパニックに陥った男はろくに対応もできない。
 そんな男の股間を蹴り上げながら、結奈は笑顔で言った。
「いいこと教えてあげる。私ね、なぜか飛んできた物が当たったことって無いの」
 そう、結奈はその幸運ゆえか飛来物が当たらない。投げられた小石や落ちてきた植木鉢、果ては電撃使い(エレクトロマスター)の電撃まで。
 それは結奈にとって当たり前のことであり、彼女を知る者にとってもそうであった。ちょうど彼女のクラスメイトである上条当麻の不幸のように。
 だからこそ結奈は余裕を持つことができた。当たらないことが分かっている攻撃なんて恐くもなんともない。
 股間を蹴り上げられた男は結奈のそんな言葉に返事を返す余裕もなく、そのまま泡を吹いて気を失った。



「ふぅ。なんとかなったー」
 ホッと胸をなでおろし、深呼吸をする結奈。倒れた男たちに目をやると、完全に意識がなくなっているようでほっといても問題はなさそうな様子だった。
 息を整えている結奈の後ろから、ぱちぱちぱち、と手をたたく音が聞こえてくる。
「すばらしいお手並みですわね」
 突然の声に驚いて振り返った結奈の前には、茶髪を赤色のリボンで結んだツインテールの少女が立っていた。
 少女は常盤台女学院の制服を身に纏っており、右腕には風紀委員(ジャッジメント)の腕章をつけている。
「風紀委員です。到着が遅れてしまい申し訳ありませんでした……ただ、わたくしが手を出す必要も無かったみたいですが」
 風紀委員だという少女は微笑みながらそれだけ言うと、倒れている男たちに手錠をかけていく。
「あ! あと一人向こうの建設現場の所に倒れてるはずだから。そっちも拘束してもらっていいかな?」
 もう一人いたことを思い出した結奈がそのことを告げると、風紀委員の少女は 「わかりましたわ」と言ってそちらへ向かう。
 それと入れ替わりになるようにして、先ほど逃げたはずの黒髪の少女が戻ってきた。
「あの……大丈夫ですか?」
 どうやらずっと見ていたらしく、今にも泣き出しそうなそうな表情で尋ねる黒髪の少女。
「大丈夫、怪我ひとつないよ。あなたは?」
 笑顔を向けながら優しい声で聞くと、黒髪の少女は大丈夫ですと何度も首を縦に振った。
「そっか。よかった」
 安心したように言う結奈。これで一件落着だと嬉しそうだ。
 黒髪の少女はそんな結奈に対し、
「ありがとうございます……」
 と大きく頭を下げた。
 そこに、先程の風紀委員の少女が戻ってくる。風紀委員の少女は黒髪の少女を見ると驚きの表情を浮かべた。
「佐天さん? 襲われている女の子というのはあなたのことでしたの?」
 どうやら二人は知り合いのようだ。佐天と呼ばれた黒髪の少女のほうはさっきから見ていたからか特に驚いた様子もなく答える。
「はい、白井さん……それで、この人が助けてくれたんです! すごかったんですよ! 襲ってくる男の人をみんな一発で倒しちゃって!!」
 安堵感から気持ちが高ぶっているのか、少し興奮して言う黒髪の少女。どことなく結奈を見る目が熱っぽいのは気のせいだろうか?
 白井は少し引いたような顔をし、いまだに結奈の武勇伝を熱く語っている佐天を横目に見ながら言う。
「御協力感謝いたします。ですがあまり無茶はなさらないでください。一般人に怪我をさせたとあっては風紀委員の名折れですもの」
 やはり最後のアレは釘を刺しておいた方がいいと考えたようだ。
 結奈にしてみれば絶対に当たらない確信のもとで行った戦法だが、何も知らない白井にとっては無茶な特攻に見えたのだろう。
「分かってるよ。えーと……白井さん、だっけ?」
 その言葉にお互いの名前も知らないことに気付いた結奈と白井は、暴走している佐天を止め、自己紹介をすることにした。
「私は新城結奈。結奈でいいよ」
「わたくしは白井黒子と申します。黒子で構いませんわ」
「わ、私は佐天涙子です! 涙子って呼んでくださいお姉さま!!」
 ついさっき落ち着かせたはずの佐天が、おかしなテンションで耳を疑うようなことを言っていた。
「あ、あの……佐天さん? 今のお姉さまって誰の事かな?」
 当然結奈も聞き間違えたのかと思い、佐天に聞き返す。しかし、
「もちろん結奈さんのことです! 私が目標とする人だからお姉さまです!!」
 一瞬でその希望は否定された。表情をよく見てみるが、どうやら本気のようだ。
(なにこれ!? なんか変なフラグが立ったの? これじゃ上条くんを笑えないよー) 
 白井は何か思うところでもあるのか、遠い目で空を見上げている。結奈は即座に援軍の期待を捨てた。
「ま、まって佐天さ「涙子です!」……涙子ちゃん」
 反論しようと佐天を呼ぶ結奈だが、名字で呼ぼうとしたところをすかさず名前で呼ぶように訂正される。
「あのね涙子ちゃん? 私は別にあなたのお姉さんでもないし、姉代わりの幼馴染ってわけでもないんだよ?」
 なんとか説得を試みるが、佐天はまったく聞く気がない様子で、
「大丈夫です。妹として恥ずかしいことはしません! お姉さまの傍にいられるだけでいいんです!!」
 と返してくる。どうしたものかと結奈が悩んでいると、隣の白井からまさかの台詞が飛び出した。
「佐天さんが呼びたいのならば、呼ばせて差しあげてはいかがでしょう? 特に害もないでしょうから」
「ちょっと待って黒子ちゃん? なんであなたまで敵に回ってるの!?」
 援軍どころか敵の増援が現れ、逃げ道がなくなっていく結奈。結奈は知らないことだが、白井にもお姉様と呼ぶ人物がいる。そのことが佐天を支持する決定打となったのだ。
 この後十分ほど問答を繰り返し、結奈が折れる形でようやく騒動に決着がついた。
 後に残るは満面の笑みを浮かべる佐天と、げっそりとやつれた結奈の屍だけだ



[6597] 一章 四話
Name: ヒゲ緑◆ccab3415 ID:894f6c72
Date: 2009/10/11 21:01
 お姉さまお姉さま、とまとわりついてくる佐天をやっとのことで宥めて二人と別れると、結奈はインデックスのお見舞いに向かった。
 すでに考える気力は全く残っていなかったため、お見舞品は途中のスーパーで見つけた桃缶である。
(つ、疲れた……。邪気がないだけに対応に困るわねあれは……)
 結奈は先程までのことを思い出しながら考える。
(確かに危ない所を助けた形になったけど、それだけでお姉さまってのはさすがに……)
 結奈の考えていることは至極もっともだったが、佐天にしても何の理由もなくあんな態度をとったわけでも無かった。
 佐天は無能力者(レベル0)であり、そのことにコンプレックスを抱いていた。
 これはたいていの無能力者が大なり小なり持っているものではあるのだが、元々能力への憧れが大きかった佐天は特にそれが強い傾向にあったのである。
 最近では大能力者(レベル4)の空間移動能力者(テレポーター)である白井黒子や『超電磁法(レールガン)』の異名を持つ超能力者(レベル5)の電撃使い(エレクトロマスター)、御坂美琴などと知り合い、その力を間近で見ることになったこともコンプレックスを悪化させる原因になっていた。
 そうやって無能力者には何もできない、という諦めを感じていた佐天にとって、無能力者でありながら強能力者(レベル3)はあるであろう相手に恐れもせず立ち向かい、勝利した結奈は希望となったのだった。
 無能力者にだって何もできない訳じゃない。佐天にとっての結奈はそのことを教えてくれ、コンプレックスを払拭するきっかけを与えてくれた人なのである。
 そういう訳で結奈が思っているほど単純な理由ではなかったのだが、佐天について何も知らない結奈にそのことは分からない。
 結局、結奈はこれからの佐天との付き合いに頭を悩ませながら、小萌先生の部屋に向かうのだった。



「上条くーん。いるー?」
 玄関のチャイムを鳴らし、呼びかける。すぐにバタバタと足音が聞こえ、ドアが開かれた。
「お、新城か。どうした?」
「どうした? ってシスターちゃんのお見舞いに決まってるでしょ」
 そう言いながらずかずかと上がりこんでいく結奈。どうやらここが小萌先生の部屋であるということは頭にないらしい。
 上条を押しのけて部屋に入った結奈は修道服を着た少女が布団に入ってるのを見つける。
 少女の方も結奈に気付いたようで、上条に説明を求めるような視線を送っていた。
 どうやら昨日会った時のことは覚えていないようだ、と結奈は判断する。
「それでこの女の人は誰なの?」
 上条がインデックスと呼んでいた少女が少し不機嫌そうに上条に聞く。
「お前をここに連れてくるときに手伝ってくれたんだ。覚えてないのか?」
「んー……昨日のことは途中から記憶があやふやだから……でもそれならお礼をしなくちゃいけないね」
 布団に入ったまま結奈の方に向き直り、深々と頭を下げるインデックス。
「ありがとう。それと、私の名前はインデックスって言うんだよ」
 つられて結奈も頭を下げ、自己紹介をする。
「どういたしまして。私は新城結奈。結奈って呼んでくれればいいよ」
「わかったよ。それじゃゆいなって呼ぶね?」
 笑いながら答えたインデックスだったが、そこでふと何かを思い出した様に手をたたくと、上条に向かって言った。
「そういえば私、君の名前知らない」
 とっくに自己紹介くらい済ましていると思っていた結奈は上条に驚きの視線を向ける。
 上条自身も教えた気でいたのか、目を見開いて驚いていた。
「当麻だ。上条当麻。好きに呼べばいいよ」
「わかったよとうま! とうまとうま!」
 インデックスは満面の笑みを浮かべて上条の名前を呼ぶ。何が嬉しいのか意味もなく連呼していた。
 結奈はその様子を眺めながら、これ以上二人の邪魔するのはよしておこうかな、などと考えていた。
 本来なら見過ごせないシチュエーションのはずなのだが、あまりにも純粋なインデックスに毒気を抜かれてしまったのだ。
「それじゃ、私はもう帰るね。お見舞いここに置いておくから」
 桃缶を床に置き、上条にそう告げて結奈は立ち上がる。
「インデックスちゃんもお大事にね。また明日」
「ありがとうゆいな。また明日だね」
「ありがとな新城。気をつけて帰れよ」
 二人の声に見送られ、結奈は寮への帰路についた。



 その二日後。結奈の前には新たな問題が浮上していた。
 いつもどおりに補習が終わり、インデックスのお見舞いに行こうと下駄箱を出たところ、校門の所に一人の少女が立っていたのだ。
 黒髪のストレートロングに花の髪飾りをアクセントに付けた私服の少女は、結奈の姿を見るなり勢いよく走り出し、「お姉さまー!」などと叫びながら跳び付いてきた。
 今は補習が終わった直後。当然青髪ピアスをはじめとした補習組が周りにいる状況だった。
 結奈がどこか諦めを浮かべた表情で周りを見渡すと、補習仲間たちは一人を除いて石像のように固まっている。
 唯一固まっていなかった青髪ピアスは何かに納得したような顔で頷いていた。
「そっか……新城ちゃんはそういう方向やったんやね。どおりでボクがどれだけアピールしてもなじられるわけや! そっかそっか、新城ちゃんは妹属「なーにとち狂ってるのよこの変態ピアスー!!」」
 看過できない一言を放とうとした青髪ピアスを股間への一撃で黙らせる。
「他の人たちは何か言いたいことある?」
 すさまじい気迫で尋ねる結奈に、ほかの男達は無言で首を横に振り続ける。
 その目の前で青髪ピアスが泡を吹いて痙攣しているが、誰も助けに入りはしなかった。
 下手をすると次は自分がああなる番なのが分かっているからだ。
 いまだに抱きついたままの佐天はその様子を見てさらに瞳を輝かせていた……



「えっと、佐天さん? どうしたのこんな所で?」
 とりあえず佐天を連れてその場を離れ、人がいなくなったところで結奈は最初の疑問を訪ねてみることにした。
「もちろんお姉さまに会いに来ました! 学校を探すの苦労したんですよ? それで、これから一緒にお買い物に行きませんか?」
 どうやら結奈の制服から学校を割り出し、校門で待ち伏せをしていたようだ。
 補習に参加している事は聞き込みで知ったらしい。何とも行動力溢れる少女である。
 しかし、インデックスのお見舞いに行くつもりの結奈としては付き合ってあげられる時間はあまり無かったりする。
「ごめんなさい。これから用事があるの」
 結奈の答えに目に見えて落ち込む佐天。見ている方が気が滅入ってくる雰囲気だ。
 結奈は苦笑しながらそんな佐天に言う。
「だから、帰り道だけになるけど……それでもいい?」
 その言葉に佐天はぱぁ……と顔を綻ばせる。そしてちぎれそうな勢いで首を縦に振り、満面の笑みで答えた。
「はい! もちろんです!!」



 佐天とのドタバタな帰り道を終え、改めてインデックスのお見舞いへと向かう結奈。
 一応明日以降もしばらく用事があることは伝え、学校には来ないように言っておいたが、あまり効果は期待できないだろう。
 とはいえあそこまで邪気がないと無碍にもしづらい。中学一年生の純真さは結奈の想像以上だった。
「はぁー……これっていつまで続くんだろう……」
 慣れない事はするものじゃないね、などと考えながら小萌先生の部屋のチャイムを押す。
 しかし、いつまでたっても返事が返ってこないので、そのままお邪魔することにした。
「あ、ゆいな」
 布団で寝ていたインデックスが結奈に気づいたようで、起き上がりながら言う。
 結奈は部屋を見渡してみるが、上条も小萌先生も今はいないらしく、そこにいるのはインデックス一人だった。
「あれ? 上条くんはいないんだ?」
 結奈の疑問の声にインデックスが答える。
「とうまはこもえと一緒に買い物に行ってるよ」
 そう答えるインデックスは少しつまらなそうだ。
「そうなんだ」
 結奈は一言だけ返すとインデックスの隣に腰を下ろす。
 持ってきていたみかんの缶詰を渡すと、インデックスは踊りだしそうにそれを抱えあげていた。
 しばらくしてやっと落ち着いたのか、結奈の開けた缶詰のみかんを頬張りながらインデックスが尋ねる。
「あのね、ゆいなはどうして何も聞かないの? とうまも最低限のことしか話してないって言ってたのに」
 あの日から一度もインデックスの事情に触れてこない結奈に疑問を持っていたようだ。
 ちょうどいい機会だからここで聞いておこうということだろう。
 そんなインデックスの疑問に結奈は笑いながら答える。
「うーん……魔術とかに関わらないように上条くんに釘を刺されちゃったしね? 気にならないわけじゃないけど、私を心配してくれてるんだからそれくらいは大目に見ようかな、と思って」
 そこにあるのは上条への強い信頼。
「ゆいなはとうまのこと信じてるんだね……」
 インデックスは少しだけ羨ましそうな表情を浮かべて呟いた。
「なんだかんだで小学校からの付き合いだからね……上条くん絡みのことであんまり気にしすぎるとやっていけないよ本当」
 幼馴染ってやつだね、と結奈は笑う。その笑顔から、インデックスも結奈が上条のことをどう思っているかが分かったようだった。
「ごめんね結奈。私のせいでとうまが巻き込まれちゃって」
 沈んだ声のインデックスに、結奈は励ますように言う。
「どうせ上条くんが話を聞かずにどんどん関わってきたんでしょ? いつもの事だから、インデックスちゃんが気にする必要なんてないよ」
 私に遠慮する必要もね? と結奈は続ける。なんだかんだで結奈も人のことは言えないお人好しなのだ。
 しばらく黙っていたインデックスだったが、何かを決意したように顔をあげた。
「インデックス」
 何の事かと結奈が首を傾げていると、もう一度はっきりとした声で言った。
「インデックス、だよ。ゆいな」
 その言葉に、インデックスが呼び捨てで呼ぶように言っているのだと気づいた結奈は、顔を綻ばせながら返す。
「うん。インデックス」
 お互いの顔を見つめながら名前を呼び合う二人。その顔に浮かぶのは、互いを認め合った好敵手に向ける笑みだった。



[6597] 一章 五話
Name: ヒゲ緑◆ccab3415 ID:894f6c72
Date: 2009/10/11 21:02
 結奈がインデックスを呼び捨てで呼ぶようになった翌日。
 いつも通りの補習を受け、前日同様の佐天の襲撃を乗り越えてインデックスのお見舞いを終えた結奈は、寮のベッドで悶えている最中だった。
「あーもー! 何でこの寮はまだエアコンが直ってないの!?」
 エアコンが壊れた夜からすでに五日が経過していたが、結奈の寮はいまだ灼熱地獄のままだ。
 どうやらあまりにも被害範囲が広すぎたため、学生寮にまで手が回っていないらしい。
「こんな部屋にはもういられないー!」
 今日はここ数日でも特に気温が高く、さすがの結奈も我慢の限界が来たようだった。
 結奈はパジャマから私服に着替えると、そのまま部屋を出ていく。
 門限なんて知ったこっちゃない、とばかりに堂々と寮を出ると、夜風に当たるためにあてもなくふらふらと歩きだした。
(上条くんはどうしてるかな……? そういえば昨日は勢いでインデックスとすごい恥ずかしいやり取りをした気がする……)
 昨日のことを思い出して再び悶える結奈。そうやって歩く結奈の目に、道の真ん中に倒れている人影が写った。
「え……?」
 思わずつぶやいた結奈の声に返事はない。
 全身を傷だらけにし、右腕が血に塗れた上条がそこにいた。



「上条くん!!」
 慌てて上条に近寄る結奈。声をかけてみるが、意識はないようだ。
(救急車? ううん……それはだめなんだよね。だったら小萌先生の家まで……!)
 結奈がそう考えていると、すぐ傍からよく知る声が飛んできた。
「新城ちゃん? こんな時間にどうしたですか?」
「小萌先生! ナイスタイミング!!」
 のんきに言う小萌先生に上条の様子を見せ、二人がかりで急いで部屋へと運ぶ。
 小萌先生からどういうことか聞かれたが、見つけたばかりの結奈にもそんな事は全然わからなかった。
 やっとのことで小萌先生の部屋につき、上条を運び込む。
 中にいたインデックスは最初嬉しそうな顔をしていた。しかし、ぼろぼろの上条を見るととたんに取り乱す。
「とうま!? どうしたの!」
 パニックに陥るインデックスを結奈が抑え、小萌先生が上条に応急処置を施す。
 何とか治療を終え、命に別状はなさそうだと分かると、三人はほっと息をついた。
「それで、これはどういうことなのゆいな!?」
「そうですよ新城ちゃん。どういうことなのです?」
 インデックスと小萌が結奈に詰め寄るが、そもそも結奈も倒れている上条を見つけただけである。
 その事を二人に告げると、
「じゃあ、他の魔術師が……?」
 インデックスがそんな言葉を呟いていた。



 結局上条はそのまま目を覚まさず、時間も遅かったので結奈は寮へと帰ることになった。
 落ち込んでいるインデックスの様子が気になった結奈だったが、本人が何も言おうとしないためにどうしようもなく、小萌先生に後を任せることにした。
 寮への帰り道。結奈は先程のことを考えていた。
(多分、魔術師にやられたんだよね。上条くんは傷だらけだったけど、致命傷はなかった。その状態で放置されていたって事は、少なくとも殺す気は無かった……って事なのかな?)
 それでもそれが分ったところで何かができる訳でもない。また、インデックスが一度殺されかけている以上、いつまでも方針が変わらないとも限らない。
(私に出来る事は上条くんの看病だけか……昨日はインデックスにあんなこと言ったけど、ちょっと堪えるかな……)
 そんな事を思いながら、結奈は寮へと戻って行った。



 それから三日。インデックスと結奈は交代で意識の戻らない上条の看病を続けていた。
 結奈は補習と佐天への対応を行いながらだったので主に夕方だけだったが、インデックスもその事は承知している。
 今日も同じように小萌先生の部屋へやってきた結奈は、インデックスと一緒に上条の看病をしていた。
 濡れタオルで体を拭き、新しいシャツへと着換えさせていると、これまで眠り続けていた上条がようやく目を覚ました。
「とうま?」
 結奈の横でじっと上条を見つめていたインデックスが不安そうに聞く。
 上条は自分がどんな状態か理解できていないようで、インデックスの言葉には答えず、ゆっくりと周囲を見回している。
「ったく、まるで……病人みてえだな」
「ちょ、ダメだよ無茶しちゃ!」
 そう言いながら体を動かそうとする上条を結奈が止める。上条は全身の痛みにうまく体を動かせないようで、結局はそのまま元の体勢に戻った。
「痛てて、何だこりゃ。陽が昇ってるって事は、一晩明けたんだろ。今何時なんだよ?」
「一晩じゃないよ」
 インデックスが泣きそうな顔で答える。それを見て不思議そうな表情をする上条に、
「三日」
 インデックスはそれだけを告げる。
「みっか……って、え? 三日!? なんでそんなに眠ってたんだ俺!?」
 あまりの事実に動揺する上条に対し、インデックスが突然叫ぶ。
「知らないよ、そんなの! 知らない、知らない。知らない! 私ホントに何も知らなかった! とうまの家の前にいた、あの炎の魔術師を撒くのに夢中で、とうまが他の魔術師と闘ってる事なんかこれっぽっちも考えてなかった!」
 自分を責めるようなインデックスの声に結奈と上条は言葉を失う。
「とうま、道路の真ん中に倒れてたってゆいなが言ってた。ボロボロになったとうまを担いでアパートまで連れてきたのもゆいなだった。その頃、私は一人で喜んでた。当麻が死にそうだっていうのも知らないで、あの馬鹿な魔術師を上手く撒いたって一人で喜んでた!」
 インデックスの言葉がピタリと止まり、ゆっくりと次の言葉が紡がれる。
「……私は、とうまを助けられなかった」
 インデックスはそう言って肩を震わせる。
 そんなインデックスを言葉もなく見つめる上条だったが、突然焦ったような表情を浮かべた。
「どうしたの? 上条くん」
 結奈が聞くが、上条はインデックスの様子を見て何か安心したらしく、ほっとした様子に戻る。
 それを見て、結奈は上条を拭いていたタオルを片づける事にした。そんな事までされていたと気づかれると気まずくなりそうだったからだ。
 手早くタオルをかたずけて結奈が戻ってくると、いったい何があったのか上条は頭からお粥をかぶって気絶している。
「また洗い直しか……」
 そう無表情に呟く結奈を見て、インデックスが青い顔をして高速で頭を上下させていた。



 お粥の処理がようやく終わり、少し落ち着いたころ、玄関のドアをノックする音が響いた。
「小萌先生かな?」
 という結奈の声と同時、
「あれー、うちの前で何やってるんですー?」
 という小萌先生の声が聞こえてきた。どうやら来客だったらしい。
「上条ちゃーん、何だか知らないけどお客さんみたいですー」
 小萌先生が開いたドアの先には、予想外の人物が二人、立っていた。
 一人は神父服を着た二メートル近い長身の白人男性。顔つきからは十四、五歳くらいに見える。
 もう一人はTシャツに片足だけ切ったジーンズ姿の黒髪の日本人女性。長い髪を後ろで一つにまとめており、腰には長さ二メートル以上の日本刀をぶら下げている
 その二人を見た上条の表情が変わる。
「上条くん。もしかして、この人達……」
「ああ……インデックスを追い駆けてた奴らだ」
 入ってきた男は上条を見て、楽しそうに笑いながら言う。
「ふうん。その体じゃ、簡単に逃げ出す事もできないみたいだね」
 その言葉に何か言い返そうと口を開く上条だが、その口から声が出る直前、男と上条の間にインデックスが立ちはだかる。
「帰って、魔術師」
 そのインデックスの言葉に、結奈には二人の魔術師が小さく震えたように見えた。
「……や、めろ。インデックス、そいつらは、敵じゃ…「帰って!!」」
 上条の言葉を遮るようにインデックスは繰り返す。
「おね、がいだから……私ならどこへでも行くから、私なら何でもするから、もう何でも良いから、本当に、お願いだから……」
 泣き出しそうな声で、インデックスは続ける。
「お願いだから、もうとうまを傷つけないで」
 その言葉を聞いて、魔術師達の表情が変わる。感情を映さない、人形の表情に。
「リミットまで、残り十二時間と三十八分。『その時』まで逃げ出さないかどうか、ちょっと『足枷』の効果を見てみたかったのさ。予想以上だったけどね。そのオモチャを取り上げられたくなかったら、もう逃亡の可能性は捨てた方が良い。いいね?」
 男がそれだけを言うと、二人の魔術師は踵を返し、そのまま部屋を出て行った。
「大丈夫、だよ?」
 静寂に包まれた部屋の中に、インデックスの声が響く。
「私が、『取り引き』すれば大丈夫。とうまの日常は、これ以上壊させない。これ以上は、絶対に踏み込ませないから、へいき」
 結奈たちは、そう呟くインデックスを呆然と見ている事しかできなかった。



 しばらくして、疲れが出たのかインデックスは眠ってしまった。上条の布団の横で突っ伏したような格好だ。
 上条も本調子ではないせいか、ぐっすりと眠ってしまっている。
 小萌先生は銭湯に行くと言って出て行ったので、今起きているのは結奈一人だった。
 する事が無いのでさっきの魔術師達の言葉について考えていた結奈の耳に、部屋にあるダイヤル式の黒電話の鳴る音が聞こえてくる。
 どうするか迷ったが、二人を起こすといけないのでこのまま電話に出ることにした。
「はい、月詠です」
『私です、と言って伝わりますか?』
 そこから聞こえてきたのは、先程の女性魔術師の声。
「さっきの……ポニーテールの人?」
『え? ああ。はい、そうです。あなたは先程部屋の中に居た方でしょうか?』
「そうだよ。それで、なにか用があるんだよね?」
 いつも通りの声で話す結奈。ここまで普通に話しかけられると思っていなかったのか、相手の女性の方が驚いているようだ。
『え、ええ……そこにあの少年はいますか?』
「いるけど、今は二人とも寝てるよ」
 特に隠そうともせず話す結奈。
『それなら、伝言をお願いします。彼にこう伝えください「あの子のリミットは今夜午前零時。その時刻に合わせて私たちは準備をしています。それまでは自由に別れの時間に使ってください」と』
 魔術師の女性はそれだけ言うと、用は済んだとばかりに電話を切ろうとするが、結奈がそれを押しとどめる。
「伝言を伝えるのは良いですけど、上条くんが言うだろう答えも今あなたに伝えておく事にします。よーっく聞いて下さいね『なめんじゃねーよ! 俺は絶対に諦めねぇ! そんな無駄な時間に使うはずねーだろが!!』ですね絶対。私は事情はよく分かってませんけど、これには自信があります」
 その言葉に受話器の向こうで息をのむ音が聞こえてくる。
『分かりました。それでは伝言をお願いします』
 それでも、動揺は声に出さずに答えた。



「上条くん、起きて」
 電話から数分、いつまで待っても上条が起きそうに無いので、結奈は強引に起こすことにした。
 ゆさゆさと体を揺すっていると、ようやく目が覚めたようで、上条が体を起こす。
「ふぁ、どうした新城……って寝ちまってたのか!?」
 慌てて時刻を確認しようとする上条。しかし、小萌先生の部屋には時計がないので、意味のない行動になりそうだ。
「落ち着いて、上条くん。さっき、あの女の人から電話があったの」
「女の人? 神裂ってやつのことか?」
 結奈が知らない名前を呟く。どうやらあの女魔術師の名前らしい。
「そう。それで上条くんに伝言『あの子のリミットは今夜午前零時。その時刻に合わせて私たちは準備をしています。それまでは自由に別れの時間に使ってください』だって」
 上条はその言葉がよほど頭に来たのか、今にも叫びだしそうな雰囲気になっている。
「一応、上条くんが言いそうな答えは伝えておいたけど?」
「へ?」
 その結奈の言葉に間抜けな顔で振り返る上条。
「あのー新城さん? いったいどんな事を伝えたのか上条さん非常に気になって仕方ないんですが?」
「大丈夫大丈夫。絶対上条くんが言うことだから」
 しかし、結奈は内容については全く教える気がないらしい。
「ノー! いったいなんて言ったんですか! 上条さんの世間体は大丈夫なのですか!?」
 なぜか悶えている上条に対し、結奈は本題に戻すことにする。
「上条くん。詳しい説明をしてもらってもいい?」
 その言葉を聞いて、上条がピタリと動きを止めた。
「ちょっとまて! 関わらないって約束しただろ確か!?」
 数日前、インデックスの治療中に二人で約束したことである。しかし結奈はあっけらかんと言い放つ。
「あれ、上条くんは危ないから関わるなって言ってたよね? さっきの伝言を聞く限りじゃ、逃げたりしなければあまり危険な目に合わせる気はなさそうだったよ?」
 実際に神裂が余計な被害を出したがっていない事を知っている上条は、とっさに反論ができない。
 結奈はそのまま強引に押し切り、上条に事情を話させることに成功した。
「つまり、インデックスは一度見たものを忘れない完全記憶能力者で、10万3000冊の魔道書を記憶しているせいで脳の記憶領域の八十五%が埋められてしまい、一年毎に記憶を消さないと脳がパンクしてしまう。あの二人はインデックスの元同僚で泣く泣く記憶を消している……って事でいいのね?」
 話し終えた上条に結奈は確認を取る。
「ああ、大体そんなもんだ」
 疲れたように上条が答える。
「だけど、それが分かってもどうしようもないだろ?」
 上条はそう聞いているが、結奈は上条の話を聞かずに唸っている。
 しばらく唸り続けたあと、何か思いついたように手をたたいた。
「上条くん、今の話ちょっと気になるところがあったんだけど」
「気になるところ?」
「うん。神裂さんは、完全記憶能力者だから残りの十五%分がパンクするって言ってたんだよね?」
「ああ……そう言ってた」
 どこか嬉しそうに結奈が続ける。
「この前に見たテレビの話なんだけどね? 『忘れる』って、記憶を取り出せなくなるだけで記憶自体は無くなる訳じゃないって言ってたの。普通の人でも生まれてから全部の記憶は脳に残ってるって。私も聞いただけだけど」
 その言葉に上条の顔色が変わる
「ちょっとまて、それじゃ……」
「うん、本当に脳がパンクなんかするのかな? って思って」
 結奈の根本的な疑問にもう一度考え直してみる上条。そして、致命的な矛盾へと行き着いた。
「たしかにそれが本当なら……ってちょっと待てよ! 残りの容量が十五%で生きられるのが一年? よく考えると、それじゃ普通に生活しても十年持たないじゃねーか!」
「あ、そうだよ! いくらなんでもおかしいよソレ!!」
 二人の声が自然と大きくなる。しかし、これだけではまだ断定できない。自分たちが知らないだけということもあるからだ。
「新城、小萌先生の携帯の電話番号知ってるか?」
「知ってる! 今かけてるよ!」
 二人はじっと携帯電話に寄り添って小萌先生を待つ。何度かコールした後、ついに電話が繋がった。
「「先生!!」」
 二人が同時に叫ぶと、
『あーいー。その声は新城ちゃんと上条ちゃんですねー。どうしたですかー?』
 と、どこか緊張感のない声が返ってきた。携帯を投げ飛ばしたい衝動に駆られるが、ここは必死に我慢して話を進める。
「先生、黙ってそのまま聞いて下さい。実は……」
 結奈は完全記憶能力について聞いてみる。
 小萌先生から帰ってきた答えは、二人にとって願ってもないものだった。



[6597] 一章 六話
Name: ヒゲ緑◆ccab3415 ID:894f6c72
Date: 2009/10/11 21:02
 先程の小萌先生の言葉が、結奈の頭を巡る。
「いいですか新城ちゃん。人間の脳とはもともと一四〇年分の記憶が可能で、完全記憶能力者であってもそれだけで脳がパンクするなんて事はないのです。それに、記憶にも種類があって、それぞれが別々の場所へと記憶されているのですよ? 意味記憶である『知識』をどれだけ増やしたところで、思い出を司るエピソード記憶や動作の経験を司る手続き記憶が圧迫されるなんて事は、脳医学上絶対にありえませんー」
 決定的だった。インデックスの脳がパンクするという情報は間違いなく嘘であり、あの魔術師達すらも彼らが所属するという必要悪の教会(ネセサリウス)に騙され、踊らされていたのだ。
 しかし、インデックスの危機はこれまで実際に起きてきていた。本来なら何も起こらないはずなのに。
 つまりはそれが答えだった。インデックスの不調は教会がそうなるように仕向けた、自作自演の首輪だったのだ。
「ほんと、最低!」
 人の情すらも計算に組み込んだ悪魔の仕組みに、結奈は憤りを隠せない。
 だが、その横で上条は静かに笑みを浮かべている。
「助けて、やれるんだ」
 その顔は、押えきれない歓喜に彩られていた。
 ついに見つけ出した最高のハッピーエンドへの道が、上条の怒りすらも塗りつぶしていた。
 結奈はそれを見て、呆れたような嬉しそうな顔をする。
 何よりも助けられる事を喜ぶ、上条のこのまっすぐさ、優しさ。それこそが結奈が上条と共にいる最も大きな理由だったからだ。
「それで、この事はあの人達に話すの?」
 結奈はそう問いかける。魔術師達との接触が少なかった結奈にはどうするべきかが判断できないからだ。
「いや……たぶん言っても信じないだろ」
 上条はそう答える。一度心を決めてしまった人間は、それ以外の答えをそう簡単に受け入れたりすることはできないからだ。
「じゃ、私たちだけで……ってあれ? インデックス!?」
 話が終わり、改めてインデックスを見た結奈は、彼女がただ寝ているのでは無い事に気づく。
 インデックスはピクリとも動かず、ただ手足を投げ出したまま倒れている。
 その様子が尋常では無いことを理解した結奈は、まさかと思いすぐに携帯電話の時刻を確認した。
 そこに表示されていた時刻は『11:58』。タイムリミットまで、あと二分を切っていた。



「上条くん、もう時間がない! すぐにインデックスを調べて!」
 慌てて上条にまくしたてる結奈。
「わ、わかった」
 それを聞いた上条も急いでインデックスの頭を調べ始める。記憶に関する魔術なら脳に近い場所に細工しているのでは、と考えたのだろう。
 上条が右手の幻想殺し(イマジンブレイカー)でインデックスの顔中を触るが、何の反応もない。
「もっと別の場所か?」
 そう呟いた後、何故か悶えだした上条に向かって結奈が言う。
「上条くん、口の中は!?」
 言われて気づいたらしい上条は、インデックスの口を大きく開け、喉の奥を覗き込む。
「……あった!」
 インデックスの喉の奥、そこにはテレビに星占いで見かけるような不気味な紋章がただ一文字、真っ黒に刻まれていた。
「よし! いっちゃって上条くん!」
 結奈の声に背中を押されながら上条は喉の奥へと右手を進め、ついにその文字へと触れる。
 その瞬間、バギン、という何かが壊れるような音がして、上条の右手が勢い良く後ろへ吹き飛ばされた。
 上条の手から血の珠が滴り落ちる。
「上条くん!」
 その様子を見ていた結奈が上条に駆け寄る。神裂につけられた傷が開いたようだが、折れたりはしていない事を確認して安堵の息をつく。
 そして振り返った結奈の目に、ぐったりと倒れていたはずのインデックスが静かに立ち上がり、その瞳に血のように真っ赤な魔法陣が輝くのが見えた。
 そのことに気付いた上条が結奈へと覆いかぶさると同時、インデックスの目前で何かが爆発した。
 すさまじい衝撃が二人を襲い、なすすべもなく向かいの本棚へと激突する。
 かばわれた結奈にはほとんど怪我はなかったが、上条は背中から叩きつけられたらしく足もとがおぼつかない様子だった。
「……警告、第三章第二節。Index-Librum-Prohibitorum――禁書目録(インデックス)の『首輪』、第一から第三まで全結界の貫通を確認。再生準備……失敗。『首輪』の自己再生は不可能、現状、一〇万三〇〇〇冊の『書庫』の保護のため、侵入者の迎撃を優先します」
 結奈が振り返る。
 そこでは、インデックスがあの時と同じ感情の無い瞳でこちらを見つめていた。
「……そういやぁ、一つだけ聞いてなかったっけか」
 ボロボロの右手を握りしめながら、上条が小さく呟く。
「超能力者でもないテメェが、一体どうして魔力がないのかって理由」
 その言葉の意味に、結奈も気づく。この、目の前にある存在こそがその理由であることに。
 この、インデックスという存在を操るための悪魔の仕組みに、彼女の持つ全ての魔力が注ぎ込まれているのだと。
「――『書庫』内の一〇万三〇〇〇冊により、防壁に傷をつけた魔術の術式を逆算……失敗。該当する魔術は発見できず。術式の構成を暴き、対侵入者用の特定術式(ローカルウエポン)を組み上げます」
 インデックスは、糸で操られる死体の様に小さく首を曲げ、
「――侵入者個人に対して最も有効な魔術の組み込みに成功しました。これより特定魔術『聖(セント)ジョージの聖域』を発動、侵入者を破壊します」
 その言葉と同時、インデックスの両目にあった二つの魔法陣が直径二メートルほどにまで一気に拡大する。
 そのインデックスがもはや人の頭ではまったく理解できない『何か』を歌いだした。
 それに伴って光り輝きだした魔法陣から、真っ黒な雷のようなものが空間を引き裂くように、部屋の隅々まで走り抜けていく。
 それを見て、二人は直感した。あれこそが、インデックスを苦しめるモノだと。
 あれさえ何とかすれば、インデックスは助かるのだと。
 そう考えた瞬間、インデックスの展開する魔法陣から、レーザー兵器のような直径一メートルほどの光の柱が襲いかかってきた。
 驚きで一瞬動きを止めた結奈の前、庇うように立った上条がボロボロの右手を突き出す。
 上条の右手に激突した光の柱は四方八方へと飛び散っていくが、それでも『光の柱』そのものは完全には消え去らない。
 そして、徐々に上条の足が後ろへと下がってきた。
(どうしよう! このままじゃ……)
 結奈が考えるうちにも、上条の顔は苦痛にゆがんでいき、左手で必死に右手を抑えている。
 その時、急に玄関が騒がしくなった。異変に気づいた魔術師たちが、この部屋に飛び込んできたらしい。
「くそ、何をやっている!! この期に及んでまだ悪あがきを――!!」
 叫びかけた赤髪の魔術師は、結奈たちの状況を見て声を詰まらせる。
「……ど、『竜王の殺息(ドラゴン・ブレス)』って、そんな。そもそも何であの子が魔術なんて使えるんですか!」
 その後ろから入ってきた神裂も、あまりの事態に呆然としながら叫んでいる。
 それを聞いた結奈は神裂の方へ振り返り、その言葉の意味を問いただす。
「この光の柱が何か知ってるの?」
 結奈の言葉に続けるように上条が振り返らずに聞く。
「コイツの名前は? 正体は? 弱点は? 俺はどうすれば良い、一つ残らず全部まとめて片っ端から説明しやがれ!!」
 その上条の言葉に、しかしいまだ自失している神裂は答えられない。
「……けど。だって、何が……」
「じれってぇ野郎だな、んなの見りゃ分かんだろ! インデックスはこうして魔術を使ってる。それなら『インデックスは魔術を使えない』なんて言ってた教会が嘘ぶっこいてたってだけだろうが!」
 上条は光の柱を吹き飛ばしながら叫ぶ。
「ああそうだよ、『インデックスは一年置きに記憶を消さなきゃ助からない』ってのも大嘘だ! コイツの頭は教会の魔術の圧迫されてただけなんだ! つまりソイツを打ち消しちまえばもうインデックスの記憶を消す必要なんかどこにも無くなっちまうんだよ!!」
 そう話す間も上条の足はじりじりと押され、光の柱はさらにその輝きを増していく。
「冷静になれよ、冷静に考えてみろ! 禁書目録なんて残酷なシステムつくりやがった連中が、テメェら下っ端に心優しく真実を全部話すとか思ってんのか! 目の前にある現実を見ろ、何ならインデックス本人に聞いてみりゃ良いだろうが!!」
 その言葉に、ゆっくりとインデックスに視線を向ける魔術師達。
「――『聖ジョージの聖域』は侵入者に対して効果が見られません。ほかの術式へ切り替え、引き続き『首輪』保護のため侵入者の破壊を継続します」
 上条の言葉が正しいことを証明するかのように、インデックスの姿をした『モノ』は『首輪』の存在を語った。
「……」
 赤髪の魔術師は一瞬だけ浮かべた迷いを断ち切って呟く。
「――Fortis931」
 その言葉に呼応して、漆黒の修道服から何万枚というカードが飛び出し、部屋中に張り付けられていった。
 その一枚を手に、赤髪の魔術師は結奈を押しのけ上条の背後に立つ。
「曖昧な可能性なんて、いらない。あの子の記憶を消せば、とりあえず命を助けることができる。僕はそのためなら誰でも殺す。いくらでも壊す! そう決めたんだ、ずっと前に」
 その直後。そう言った赤髪の魔術師の頬から、バチン、という大きな音が響いた。
「『とりあえず命を助ける』? 何馬鹿なこと言ってるの! 記憶が消されるってことが、その本人にとってどういう意味を持つか本気で分かってないの!?」
 呆然とする赤髪の魔術師の前には、右手を振りぬいた結奈の姿。
「これまでは仕方なかったのかもしれない。それ以外に方法がなかったんだから。だけど今は違う、インデックスを助けられる可能性がある! それでもあの子の記憶を消すって言うのなら、それは見殺しにする事と何が違うの!!」
 その叫びに、赤髪の魔術師の顔がわずかに歪む。それでもすぐに表情を戻そうとした魔術師に、上条が問いかける。
「なぁ魔術師、一つだけ答えろ!」
 上条が聞きたい事は、ただ一つ。
「テメェは、インデックスを助けたくないのかよ?」
 その言葉に赤髪の魔術師の息が止まる。
「テメェら、ずっと待ってたんだろ? インデックスの記憶を奪わなくて済む、インデックスの敵に回らなくても済む、そんな誰もが望む最っ高に最っ高なハッピーエンドってヤツを!」
 そう叫ぶ上条の右手が嫌な音を立て、あり得ない角度まで曲がる。
「ずっと待ち焦がれてたんだろ、こんな展開を! 英雄がやってくるまでの時間稼ぎじゃねぇ! 他の何者でもなく他の何物でもなく! テメェのその手で、たった一人の女の子を助けてみせるって誓ったんじゃねぇのかよ!?」
 それでも上条は叫び続ける。
「ずっとずっと主人公になりたかったんだろ! 絵本見てえに映画みてえに、命をかけてたった一人の女の子を守る、そんな魔術師になりたかったんだろ! だったらそれは全然終わってねぇ!! 始まってすらいねぇ!! ちっとぐらい長いプロローグで絶望してんじゃねえよ!!」
 結奈と上条は、諦めてはいなかった。今がたとえどれだけ危うい状況だとしても。
「手を伸ばせば届くんだ。いい加減に始めようぜ、魔術師!」
 その姿に、言葉に、魔術師たちの表情が変わった。それと同時、ついに上条の右手が大きく後ろへと弾かれる。
「――Salvare000!!」
 光の柱が結奈たちにぶつかる直前、神裂の叫び声が聞こえた。
 その瞬間、インデックスの足元の畳が切り裂かれ、足場を失った彼女は後ろへと倒れこむ。
 それに合わせ、インデックスの眼球の魔法陣から放たれていた光の柱が、引き裂くように壁から天井を破壊していった。
 天井には大きく穴があき、壁に至っては隣の部屋と丸々繋がってしまっていた。
 さらに真上へと駆け上る光の奔流は、漆黒の夜空さえも引き裂いていく。
 引き裂かれた壁や天井からは、光の柱と同じ純白の光の羽が生まれていた。
「それは『竜王の殺息』――伝説にある聖ジョージのドラゴンの一撃と同義です! いかな力があるとはいえ、人の身でまともに取り合おうと考えないでください!」
 神裂の言葉を聞きながら、結奈と上条は一直線に倒れこんだインデックスへと走る。
 しかし、二人がたどり着く前に、体勢を立て直したインデックスの光の柱が襲いかかった。
「――魔女狩りの王(イノケンティウス)!」
 その二人の前に、人のカタチをとる巨大な火炎が現れた。それは両手を広げ、二人をかばうようにして立っている。
「行け、能力者! もうあの子の制限時間は過ぎてるんだ! 何かを成し遂げたいなら、一秒でも時間を稼ごうとするな!!」
 その様子を無表情で見つめていたインデックスがゆっくりと呟く。
「――警告、第六章第十三節。新たな敵兵を確認。戦闘思考を変更、戦場の検索を開始……完了。現状、最も難度の高い敵兵『上条当麻』と『新城結奈』の破壊を優先します」
(え!?)
 その小さな呟きを、結奈は聞き逃さなかった。
(私を、狙ってる? どうして?)
 結奈はここまで自分が何もしていないのを自覚していた。だからこそインデックスの言葉に驚く。
 しかし、結奈の頭にある可能性が思い浮かんだ。
(もしかして、私には当たらないの?)
 結奈は考える。いままで一度も飛来物に当たった事の無い幸運。それがこの光の柱にも作用しているのだとしたら、と。
(だったら、私にも出来る事がある!)
 そう思い至った結奈は、火炎の盾から一気に飛び出す。
 同時に上条が飛び出したのとは、逆の方向から。
 それを見て慌てる上条を無視し、結奈は引き裂かれた壁の向こう、空き部屋であろうその広いスペースを迂回するようにインデックスへと近づく。
 二手に分かれたことに気づいたインデックスは魔女狩りの王が受け止める光の柱の光を弱め、もう一本の光の柱を結奈へと放った。
「新城!!」
 結奈は自分のもとへ向かおうとする上条に向かって言う。
「上条くん、大丈夫。私には当たらないから」
 その言葉の意味を正確に理解した上条はただ頷き、再びインデックスの元へと走る。
 光の柱を構成する無数の魔術が結奈を包み込み、それでも紙一重で当たらない。
(やっぱりそうだ! これなら!!)
 上条からかなり離れ、インデックスが攻撃を分散させた事を確認した結奈は、今度は一直線にインデックスに向かって走る。
(私がインデックスを抑えてしまえば光の柱は向けられない)
 そう思い結奈はインデックスへと向かっていく。光の柱の中をまっすぐに。
 しかし、結奈が近づくたびに光の密度は増していき、あと二メートルまで迫ったそこで、ついに魔術が結奈をとらえ始める。
 それまで紙一重で外れていた魔術が頬を掠め、血の滴が滴り落ちた。頬だけではない、魔術は結奈の全身を徐々に切り裂き、制服の至る所に血の染みが生まれ始めている。
 上条の方も魔女狩りの王を盾に近づいてはいるが、もう少し手が届かない。
「――警告、第二二章第一節。炎の魔術の逆算に成功しました。曲解した十字教の教義(モチーフ)をルーンにより記述したものと判明。対十字教用の術式を組み込み中……第一式、第二式、第三式。命名、『神よ、何故私を見捨てたのですか(エリ・エリ・レマ・サバクタニ)』完全発動まで後十二秒」
 さらに、インデックスは魔女狩りの王に対応し始めているようで、上条へと向かう光の柱が真紅に染まっていき、炎の勢いが弱まっていく。
(だったら、私がやるしかない!)
 決意を固め、結奈は最後の二メートルを一気に駆け抜ける。全身の傷から流れ出す血の量が一気に倍増し、痛みが全身を貫く。
 それでも必死に意識を保ち、ついにインデックスへと到達する。
 インデックスの後ろへと回りこんだ結奈は、血塗れの体で彼女を抱きしめ、そのまま後ろへと倒れこんだ。
 攻撃が止んだのはほんの数秒。しかし、それだけあれば十分だった。
 一直線に距離を詰めた上条がインデックスへと右手を振り下ろし、魔法陣はあっさりと引き裂かれた。
「――警、こく。最終……章。第、零――……。『 首輪、』致命的な、破壊……再生、不可……消」
 結奈の腕の中で、インデックスの口から全ての声が消える。
 光の柱も消え、魔法陣も無くなり、部屋中に走った黒い雷が消しゴムで消すように消えていく。
「ダメです――上!!」
 聞こえて来た神裂の声に、結奈と上条が頭上を仰ぐ。
 そこに見えたのは、降り注ぐ無数の光の羽。
 意識のないインデックスを抱えて倒れこむ結奈は、動くことができない。
 光の羽を見つめながら、結奈はとっさにインデックスとの位置を入れ替えようとする。
 その二人の頭上を上条の右手が通り過ぎ、振りかかろうとしていた光の羽が掻き消えた。
 それを見て上条へと目を向ける結奈。
 その目の前、静かに笑う上条の頭へと、光の羽が舞い降りていった。



[6597] 一章 エピローグ
Name: ヒゲ緑◆ccab3415 ID:894f6c72
Date: 2009/10/11 21:03
 大学病院の一室。結奈は自分にあてがわれた個室のベッドに腰かけていた。
 先程まで一緒にいたインデックスは、今はカエル顔の医者に呼ばれて出て行ってしまっている。
 あのあと上条と結奈はこの病院に運び込まれ治療を受けた。結奈は比較的軽傷だったが、上条の方はまだ意識が戻っていないらしい。
 ただ、命に別状はないとの事で、そこは安心している。
「これで、全部終わったのかな?」
 ぽつりと呟く。あまりにも現実離れした出来事だったせいで、いまだに実感が湧いていないのだ。
 それでも、あの魔術師二人が残した手紙によると、インデックスは救われ上条が保護するという形で決着がついたらしい。
 そう、終わったはず。全部がハッピーエンドで。
 そう思っているはずなのに、結奈の心はざわめき続けていた。
「上条くんの顔でも見てこようかな……」
 きっとこれは病院に運ばれたあと上条の顔を見ていないからだ、と結論付けた結奈はゆっくりと立ち上がり上条の病室へと向かう。
 たどりついた上条の病室の前には、すでにインデックスが立っていた。
 ちょうどいい、と話しかけようとした結奈は、インデックスの真剣な表情に声を呑みこむ。
 インデックスは結奈には気づかず、ゆっくりと二回ドアをノックした後、返事に合わせて病室の中に入って行った。
 タイミングを外した結奈は仕方なく病室の外で待つことにする。そうやって壁に背中を預けた結奈の耳に話し声が聞こえてきた。
 どうやらインデックスがちゃんとドアを閉めていなかったらしい。病室の二人の会話が漏れてきているようだった。
「(あの、大丈夫ですか? なんか君、ものすごく辛そうだ」」
「(ううん、大丈夫だよ? 大丈夫に、決まってるよ)」
 その会話はどこかおかしかった。まるで、上条がインデックスのことを知らないかのように応対している。
 そんなはずはない、そう自分に言い聞かせる結奈に致命的な一言が聞こえてくる。
「(……あの、ひょっとして。俺達って、知り合いなのか?)」
 もう、結奈は否定することが出来なかった。これがあのざわめきの答えであることを。
「(うん……)」
 病室からは、インデックスの悲しげな声が聞こえてきた。
 呆然とする結奈をよそに、二人は会話を続けていく。
「(とうま、覚えてない? 私達、学生寮のベランダで出会ったんだよ?)」
「(――俺、学生寮なんかに住んでたの?)」
「(……とうま、覚えてない? とうまの右手で私の『歩く教会』が壊れちゃったんだよ?)」
「(――あるくきょうかいって、なに? 『歩く協会』……散歩クラブ?)」
「(…………とうま、覚えてない? とうまは私のために魔術師と戦ってくれたんだよ?)」
「(――とうまって、誰の名前?)」
 少しずつ、インデックスの声から力が失われていく。
「(とうま、覚えてない?)」
 それでも、声を振り絞るようにしてインデックスは問いかけた。

「(インデックスは、とうまの事が大好きだったんだよ?)」

「(ごめん。インデックスって、何? 人の名前じゃないだろうから、俺、犬か猫でも飼ってるの?)」
 もう結奈には耐えられなかった。必死に感情を押し殺し、その場を離れようとする。
 その直前、それまでとは全く違う上条の声が聞こえた。
「(なんつってな、引―っかかったぁ! あっはっはーのはー!! 犬猫言われてナニ感極まってんだマゾ。お前はあれですか、首輪趣味ですか。ヲイヲイ俺ぁこの年で幼女監禁逮捕女の子に興味があったんですエンドを迎えるつもりはサラサラねーぞ)」
 それまでの透明な雰囲気とは全く違う、色のついた声。インデックスにとっては聞きたかった声。
 けれど、その声は結奈の求めていたものではなかった。
「(あれ? え? とうま? あれ? 脳細胞が吹っ飛んで全部忘れたって言ってたのに)」
「(……なんか忘れてた方が良かったみてーな言い方だなオイ。お前も鈍チンだね。確かに俺は最後の最後、自分で選んで光の羽を浴びちまった。それにどんな効果があったかなんて魔術師でもねえ俺には分からねーけど、医者の話じゃ脳細胞が傷ついてんだってな。だったら記憶喪失になっちまうはずだってってか?)」
「(はず、だった?)」
「(おうよ。だってさ、その『ダメージ』ってのも魔術の力なんだろ?)」
 インデックスの驚きの声がどこか遠くから聞こえてくる。気づいてしまった真実が結奈の心を抉っていく。
「(そういう事さ。そういう事です、そういう事なの三段活用。だったら話は簡単だ、自分の頭に右手を当てて、自分に向かって幻想殺し(イマジンブレイカー)をブチ当てちまえば問題ねぇ)」
 少年が何をしようとしているのか、結奈にはそれがはっきりと分かった。この優しさこそが、きっと上条の本質だったのだろう。
「(ぷっぷくぷー。それにしたってお前の顔ったらねーよなー。普段さんざん自己犠牲で人を振り回してたお前の事だ、今回のことでちったぁ自分見直すことで来たんじゃねーの?)」
 なおも聞こえてくる会話は、しかし結奈の耳には入らない。
 ただ呆然としている結奈の前を、病室から出てきたインデックスが怒りの表情で通り過ぎていった。
 一分ほどそうして壁に体を預けていた結奈は、一つの決意を固めて少年の病室へと入っていく。
 ベッドから上半身だけずり落ちていた少年は突然入ってきた結奈を見て驚きの表情を浮かべていた。
 結奈はそんな少年に、

「本当に、あれでよかったの?」

 ただ一言、そう尋ねた。
「あれってどういうことだ?」
 少年は結奈が知り合いであることに気付いたようで、インデックスの時と同じ調子で返してくる。
「あの時、わたしはあなたのすぐ傍にいた。だから、あなたがそこで何をしたのかも知ってる」
 結奈はそんな少年に対し事実を告げ、もう一度同じ質問をする。
「あれで……よかったの?」
 少年は少しだけ黙り込んだあと、言った。
「あれで良かったんじゃないかな。俺。なんだか、あの子にだけは泣いて欲しくないなって思ったんだ。そう思えたんだよ。これがどういう感情か分からないし、きっともう思い出すこともできないだろうけど、確かにそう思う事が出来たんだ」
 透明な少年は、本当に何の色もなく笑っている。
「案外、俺はまだ覚えているのかもしれない」
 少年の言葉に、震える声を抑えながら結奈は問いかける。
「脳細胞ごと記憶が壊れたのに。どこに?」
 少年は答える。

「心に、じゃないかな?」




「そっか」
 質問に答えた少年の言葉を聞き、もうこれ以上は誤魔化せないと悟った結奈はゆっくりと病室を後にする。
 零れ落ちそうになる涙をこらえ、結奈は走る。先ほどの自分の病室ではなく、寮の自室へと。
 目に浮かぶ涙で前が見えず、何度も転びそうになりながら、ただひたすら走り続けた。
 バタン、とドアを閉め、誰もいない自分だけの場所へとようやくたどり着く。
 それが、限界だった。
 今まで抑えていた涙が溢れ出す。零れ落ちたしずくがフローリングの床にしみをつくっていく。
(ダメ、ダメだよ。泣いちゃダメ。あの人がそう選んだんだから。私が台無しにしちゃダメ!)
 次から次へと流れ出すしずくは、結奈の心をさらに締め付けていく。どれだけ抑えようとしても、止まってはくれない。
「上条くん。かみじょうくん! かみじょうくんっ……」

『俺に取られるような運なんてないっつーの!』

 涙を流し続ける結奈の脳裏をよぎるのは、幼いあの日の言葉……

『二人で一緒にいたらプラマイゼロでちょうどいいんじゃないか?』

 今はもう結奈の心の中にしか存在しない、遠い日の記憶……

『じゃ、これで俺たちは友達だ』

 誰からも避けられ、一人ぼっちでふさぎこんでいた結奈に手を差し伸べてくれた男の子。

『新城って、案外ぬけてるよな』

 結奈以上に辛い目にあったはずなのに、笑い続けていた男の子。

『不幸だー!!』

 それは、結奈にとっての太陽だった。
 そして、

『あれで良かったんじゃないかな』

 それは、今でも変わってはいなかった。
(たとえ記憶が無くなっても、あの人は上条くんだった。私の知っている、本当に優しい人だった)
 だから泣いちゃいけない、と結奈は思う。少年は偽善を貫くと決めた。ならば、その邪魔をしてはいけない、と。
 それでも、
(今日だけ、今日だけだから……当麻くん)
 零れ落ちるしずくは止まず、引き裂かれた心は痛み続ける……



[6597] 二章 一話
Name: ヒゲ緑◆ccab3415 ID:894f6c72
Date: 2009/10/11 21:04
 八月一日、早朝。
 病院での上条との会話から、すでに四日が経過していた。
 あの日、夜まで泣きに泣いた結奈は、インデックスから脱走を報告された病院の看護師達に引きずられて病室へと戻る事となった。
 その後病室で一晩考えた結果、結奈は一つの決意を固めている。
『自分達が幼馴染である事を上条に教えない』というものだ。
 その事を知れば、上条はそれすらも自分の重荷として背負ってしまうだろう。
(何でもかんでも背負いすぎちゃう人だからね……負担は少しでも減らしてあげたい、かな)
 幸いにも、クラスメイトには結奈と上条が幼馴染だと知る者はいない。
 三月十四日に上条が放った不用意な一言が原因で、結奈が入学当初に彼を避けていたからである。
 五月に入る頃には二人にとってのいつも通りに戻っていたが、他のクラスメイトには四月中に何度も見せた天然フラグ体質(別名カミジョー属性)の結果だと思われていた。
 わざわざ訂正する事でも無かったので放置していたのだが、今の結奈にとっては好都合だった。
 唯一の懸念材料はインデックスだったが、ここ数日の彼女の言動(主に食い気中心)を見て、そんな話題になることもないだろうと考えていた。
(私がするべき事はクラスメイトとして自然に振る舞うこと!)
 洗面所の鏡を見ながら気合いを入れるために軽く両頬を叩く。
 これは結奈にとってあの日からの日課となっていた。
「よし、今日こそ上条くんとちゃんと話をする!」
 そう宣言して自室から飛び出した結奈は、真っ赤なリボンを揺らしながら病院へと駆けて行った。



 すでに寮へと返されている結奈とは違い、いまだ上条は入院を余儀なくされている。
 記憶を失う様な重症なのだ。それも仕方ないのだが。
 その関係上、上条が退院するまでは結奈がインデックスを預かることになっていた。
 そのインデックスはいまだベッドで夢の中だ。彼女用の朝食と昼食も用意しているため、昼まではお腹を空かして病院に来るということも無い。
 この数日、記憶喪失のことで上条と話をしようと思っていた結奈だったが、インデックスが常に上条か結奈のどちらかと一緒だったためにそれができなかった。
 かといってインデックスが席を外した短い時間にそれをするのは、いくらなんでも危なすぎる。
 結果、上条とは世間話程度しかできず、これからどうするかの相談ははかどっていなかった。
 そこで結奈は一計を案じる。昨晩の夕食時、食欲に溺れるインデックスに対して、
「あんまり朝早くからいても病院の人に迷惑だから、お見舞いはお昼から。守れないなら食事抜きだからね? その代わり、ここにいる間はインデックスの好きなもの作るから」
 と告げたのである。
 上条へのお見舞いと食欲の板挟みにあい、苦悶の表情を浮かべたインデックスだったが、その数秒後には笑顔で了承していた。
 すでに安全が確認された上条のお見舞いは、食欲に軽く淘汰されたらしい。
(むしろ迷った事を評価するべきなのかな?)
 その後のインデックスの食べっぷりは、そんな事を考えてしまうほどだった。
 そこまでしてようやく二人きりの時間を手に入れた結奈は、病室で上条と今後について話し合っていた。
「これで私の知ってることは大体全部かな」
 まずは周りの人間関係についての情報が欲しい、との上条の言葉により、クラスメイトやインデックスについて自分の知る限りの情報を伝えていた。
「とりあえず隣の部屋に住んでる金髪グラサンを土御門、青髪でピアスをしたアホっぽい奴を青髪ピアスって呼べばいいんだな……なんで名前じゃねーんだ?」
「私も知らないよ? 上条くんがそう呼んでたんだから」
 あいつが名前で呼ばれてるとこ見たことないけどね、と笑いながら結奈が言う。
「まぁ、これならばれないように何とかできるだろ。ありがとな、新城……だったか?」
 その言葉に一瞬表情を歪ませる結奈だったが、上条が気づく前にそれを隠して返事をする。
「どーいたしまして。だけど、それだけじゃ街の事とかまだよく分からないでしょ? 良かったら案内しようか?」
「そこまで世話になるのもな……予定だってあるだろ?」
 渋る上条だったが、
「大丈夫だいじょーぶ! 結構暇してたから、むしろ大歓迎かな。」
 と、結奈は強引に約束を取り付ける。
 結奈にしてみれば、今はできるだけ一人になりたくなかったのだ。
「それじゃ、退院したら街の案内だね。私の知る限りの上条くん御用達の店を案内してあげるよ」
「お、お手柔らかに頼みます……」
 こうして、なし崩し的にデートの約束が決まったのだった。



 それから四日後。ようやく上条が退院し、インデックスは上条の部屋へと移っていった。
 上条が退院したということで街の案内に出ることになったのだが、ここでもインデックスが問題となった。
 インデックスには記憶喪失の事は知られる訳にはいかないため、何とかして留守番をしてもらう必要があったわけだ。
 しかし、この前と同じ手は使えない。あれは結奈だったから成立したのであって、上条が同じことを言えば頭を丸かじりされるだけだろう。
  そこで今回はシチュー大作戦(仮)が行われる事となった。
 具体的には、煮込むほどおいしくなる特性シチューの番をインデックスに頼むというものである。
 本当に夕食までシチューが無事なのかは分からないが、まぁ食べられても結奈の寮に別に夕食は用意してあるので問題は無い。
 開始直後の尾行さえ出来なくすればこの広い学園都市だ、そう会うこともないだろうという考えである。
 作戦は驚くほどに順調に進行し、インデックスは料理を手伝える事が嬉しいのか笑顔で鍋を掻き回していた。
 現在時刻は午後一時。十分に案内の時間はとれそうだった。



「いい天気だね」
「ああ」
 言葉通りの快晴の下、二人は繁華街を歩いていた。
「さて、それじゃあどこから行く? 上条くんは何かリクエストあるかな」
「つっても、よくわかんねぇしな……俺がよく行ってた店とか回ってもらえるか?」
 その言葉に合わせ、結奈はルートを組み立てる。
 上条にとってはただの案内という認識だろうが、結奈はデートのつもりでここにいる。
 過去が無くなってしまったのなら、せめて今の思い出を作っていこうと決めたからだ。
「それじゃ、まずは昼食かな。インデックスに全部食べられちゃったから何も食べてないでしょ」
 その言葉に答えるように上条のお腹が鳴る。
「そういやそうだったな。あいつが付いて来てないかと緊張してて気付かなかった……」
 そう言ってうなだれる上条を笑いながら結奈は見つめ、手を引っ張って歩く。
 二人が向かった先は、牛丼屋のチェーン店だった。



「ああいうところって結構おいしいんだね」
「安い、早い、うまい。貧乏学生の上条さんには心の底から感謝の言葉が出てきてしまいますよ!」
 昼食を終え、街を歩く二人。あまり外食をしない結奈もそうだが、記憶がない上条も外食初体験気分だったらしい。
 それから、結奈が最初に連れてきたのは地下街のゲームセンターだった。
 しかもレトロゲームコーナーにあった麻雀ゲームの台に座っている。
 無理やり対戦台に座らされた上条は、その不幸っぷりに目も当てられない状態となっていた。
「上条くんそれロン。九蓮宝燈、役満だね」
「ぐはっ! ちょっと待て、なんで三巡目でもうそんな役ができてんだ!!」
「いつもの事だよ。あ、負けたら罰ゲームの約束はちゃんと守ってもらうからね?」
「まだだ、この配牌ならまだ上条さんには最後の大逆転が……」
「あ、あがり。地和、大四喜」
「ありえねえぇぇ!! なんですかその役満ラッシュは!? 上条さんの不幸への挑戦だとでも言うのでせうかお嬢様!?」
 最初の方は結奈が気を使ってわざと振り込んだりしていたため、見た目互角の勝負となっていた。
 そうしている内に、記憶喪失によって結奈の幸運をすっかり忘れていた上条は調子にのって罰ゲームをかけた勝負を仕掛けたのである。
 罰ゲームの内容は敗者が勝者の言う事を一日聞く、というものだった。
 それを聴いて結奈の目の色が変わり、一切の手加減が無くなった。
 その結果、勝負はすでにただの虐殺と化している。
 周りでその様子を見ていたギャラリーからは結奈に拍手が送られ、すでに持ち点がマイナス突破を果たしていた上条には同情の視線が送られていた。
「まだやる? もう勝負は見えてるけど」
「あ、当り前ですよ!? 上条さんは逃げたりはしません!」
 そうして結奈の四勝〇敗で迎えた最終戦、上条の提案で勝った方が五勝分という事になった勝負が始まった……
「あがり。天和、大三元、四暗刻、字一色。これってなに役満って言えばいいのかな?」
「のおぉぉぉぉぉ!!」
 その瞬間から、すでに勝負は決していたようだった。



 真っ白に燃え尽きた上条を引き連れ、案内の続きに戻った結奈。
 上条はまったく気づいていないが、ここまでの様子は誰がどう見ても立派なデートである。
 ゲームセンターの後はそのまま地下街を回り、地上に戻ってくる頃には既に夕日が落ちかかっていた。
 もうそろそろ帰らないとインデックスが暴れだすかな、という共通認識の下、最後は商店街へとやってきた。
 近所の学生がよく使っているスーパーで買い物をし、夕焼けの道を二人で歩く。
「悪いな、買い物まで付き合わせちまって」
「いいよ。インデックスのご飯だもんね、私にも付き合わせてよ」
 青髪ピアスがここにいれば、「もうどこの若夫婦ですかこの二人は!」などと言いながら突撃しきていただろう。
 そんなまったりとした空間に、突然大声が響き渡る。
「お姉さまー!!」
 結奈にとって聞き覚えのある声。振り返るとここ数日は見かけなかった佐天の姿があった。
 その後ろには花瓶のように頭に大量の花を乗せた少女が走ってきている。
 一直線に結奈に向かって走ってくる佐天は、なぜか目を潤ませていた。
 首を傾げる結奈に、佐天は走ってきたその勢いのまま飛びつく。
「お姉さまー! 会いたかったです!!」
「涙子ちゃん? なんでそんなに感動してるの?」
 いつものことではあるが、この少女のテンションにはついていけない、と思いながら結奈が尋ねる。
「だって、学校いったら補習は終わったって言うし、お姉さまの住んでる寮に行ってもいないから……心配だったんです!」
 その佐天の言葉に納得する結奈。どうやら入院していた事を知らずに間に色々と行動を起こしていたらしい。
「ごめんね。ちょっと怪我で入院してたの、もう「にゅ、入院!!」」
 事情を説明しようとする結奈の言葉を佐天が遮る。
「お姉さま、どこか体が悪いんですか!? 大変……初春、救急車、救急車呼んで!!」
「佐天さん、ちょっと落ち着いて下さい」
 慌てた佐天がようやく追い付いてきた花瓶少女に言うが、いつもの事なのか少女も苦笑を浮かべながら普通に対応している。
「涙子ちゃん、大丈夫だから。もう退院してるし、ね?」
「ぼんどでずがー……」
 泣き出した佐天をなだめる結奈。
 くしゃくしゃになった顔をハンカチで拭き、横で何か言いたそうにしている上条には見ないように促す。
 しばらくしてようやく落ち着いた佐天だが、がっしりと結奈の腕を掴んで離さない。
「お姉さま、お姉さまー」
 その腕にすりすりと頬を寄せている。
「……えーと、涙子ちゃん。この子は友達?」
 このままでは話が進みそうにないので、結奈から聞いてみることにする。
「はい! この子はあたしの親友で、初春です!」
 誇らしげな表情で佐天が言う。自慢の親友という奴らしい。
「初春飾利です。新城さんの事は佐天さんからよく聞いています」
 こちらはのんびりとした様子で答える。どうやらそういう部分がうまくかみ合っているようだ。
「私のことは結奈でいいよ。それと、飾利ちゃんって呼んでいいかな?」
「はい、構いません」
 ここまで話を進めたところで、結奈は説明を求める上条の視線に気づく。
 佐天もその視線に気づいたようで、訝しげな視線を上条に送っていた。
「上条くん、この子は佐天涙子ちゃん。この前不良能力者に襲われてる所を助けたの。それで、こっちの子が初春飾利ちゃん」
 慌てて上条に二人を紹介する。
「この人は私のクラスメイトの上条当麻くん。今は買い物の帰りにばったり会って話してたの」
 同じように二人に上条を紹介すると、初春が何かを思い出したように手を叩いた。
「あの、確か夏休みに入る少し前に、洋服店での避難誘導を手伝って下った方ですよね?」
 その言葉に上条が固まる。今の上条には夏休み前の記憶がないからだ。
「へー、そんなことあったんだ」
 完全に固まっている上条に結奈が助け船を出す。
「あ、ああ。なんかそんな事があった気もするな」
 少々どもりながらだったが、なんとか答える上条。
「あの後御坂さんから聞いたんですけど、あの時私達を助けてくれたのはあなただったんですよね?」
 その言葉に今度は結奈が固まる。
(まーたそんなことやってたんだね上条くんは。まぁ、今の上条くんに言っても仕方ないけど……)
 そう思いながらもイライラは収まらない。初春は結奈のそんな様子には気付かず、
「ありがとうございます。一度お礼を言っておきたいと思ってたんです」
 と頭を下げていた。記憶がない上条は愛想笑いで乗り切ることにしたようだ。
「そうなんだ。それはそれは初春がお世話になりました」
 いつの間にか結奈から離れていた佐天までが、なぜか初春の隣で頭を下げている。
「お礼と言ってはなんですが、こんなものはどうですか?」
 そう言いながら頭を上げた佐天は、にやりと笑いながら素早く初春のスカートをまくりあげた。
 スカートが舞い上がり、淡いピンクの水玉が衆目にさらされる。
 あまりのことに硬直する三人だったが、いち早く再起動した初春が顔を真っ赤にしながら佐天に詰め寄った。
「ななな、何すんですか佐天さんっ!!」
「やっぱり親睦を深めるにはこれが一番じゃない?」
 悪びれもせずに言う佐天。初春はなおも抗議を続けているが、あまり効果は無さそうだ。
 そんな様子を横目に見ながら、結奈はゆっくりと上条に視線を向けた。
 上条は顔を赤くして呆然としていたが、結奈の視線に気づくと慌てて弁解を始める。
「今のは事故! 事故ですよ!? 上条さんは何の関与もいたしておりません!!」
 その上条の言葉には答えず、結奈は黒い笑顔で尋ねた。
「上条くん、上と下どっちがいい?」
 おもわず「う、上?」と答えた上条の鳩尾に、強烈なボディーブローが食い込んだのだった。



[6597] 二章 二話
Name: ヒゲ緑◆ccab3415 ID:50950d0a
Date: 2009/10/11 21:04
 上条が回復したところで佐天達と別れ、男子寮へと戻った結奈達を待っていたのは空腹に目をぎらつかせたインデックスだった。
「おなか……減ったんだよとうま!」
 玄関にてその姿を確認した結奈は、迷うことなく上条の肩を押す。インデックスには噛み癖があり、感情が昂ると噛みついてくるのだ。
「ま、まて新城! 何のつもり……ぎゃあぁぁー!!」
 すさまじい勢いで頭に噛みつかれている上条を放置し、女子寮の自室から持ってきた夕食を並べ始める。
 シチューの鍋を見てみると、ほとんど減っていなかった。インデックスは最後まで耐え抜いたらしい。
 その代償は、現在上条が体感する事になっているようだが。
「インデックスー、準備できたよー」
 その言葉に噛みつきを中断し、素早くテーブルへと姿を現すインデックス。どこか仔猫を見ているようだった。
「ゆいな! ごはんごはんごはん!!」
 いつの間にか箸とスプーンを持って待機している。小柄な体でこの食欲はいったい何処から湧いてくるのだろうか、と結奈は思う。
「いてて……酷い目にあった」
 ようやく復活した上条も食卓に着く。こちらはすでにボロボロだ。
「それじゃ、いただきます」
「「いただきます!」」
 インデックスが結奈の料理を気に入った事もあり、三日に一度はこのように三人で夕食をとることになっていた。
 食事が始まると、インデックスが一直線にシチューに手を伸ばす。自分が手伝った料理の味が気になって仕方なかったらしい。
「すっごくおいしいよゆいな!」
 味の方はお気に召したようで、ものすごい勢いでがっついている。
「あいかわらずいい食べっぷりだねー」
 結奈ものんきに言う。最初は驚いていたが、何度も見ていれば慣れてくるものだ。
「ちょっと待て、お前どんだけ食う気だよ! それもう三杯目じゃねーか!」
「いいとうま? シチューは弱肉強食なんだよ!」
「意味わかんねーよ!? まて、それは俺の皿だー!!」
 なんとも微笑ましい光景だった。



 翌日の買い物帰り、結奈は寮までの近道である裏路地を歩いていた。
(最近インデックスの食欲が増してる気がするけど、あれは成長期なのかな……)
 インデックス本人が聞いたら怒り出しそうな事を考えながら歩く結奈の目に、一枚の封筒が落ちているのが映った。
 いったいなんだろう、と結奈が思い拾い上げると、封がされていなかったのか封筒からカードのような物が零れ落ちた。
(マネーカード?)
 落ちたものをよく見ると、それはマネーカードだった。
 どうしてこんな物が落ちているんだろうと思い周りを見渡した結奈は、ほかにもいくつか同じ封筒が散らばっていることに気づく。
 道の真ん中、エアコンの室外機の下、壁の隙間に入り込んでいるものもある。
 その裏路地を少し探しただけで、合計十枚もの封筒が落ちていた。カードの金額を合計すると、軽く十万円を超えている。
(いくらなんでも、落とし物って感じじゃないよね……)
 道の真ん中にあったものはともかく、それ以外は落としただけで入り込むのは考えにくい場所だった。
 一枚くらいならあり得るかもしれないが、路地裏全体に何枚も落ちていた以上、わざと置いて行ったと考えるべきだろう。
 しかし、そこまで考えても結奈には理由がまったく分からない。こんなことをしていったい何の得があるのだろうか。
(全然分かんないし、とりあえずこの封筒を届けておこうかな)
 分からないなら考えても仕方ない、と思考を放り投げた結奈は警備員(アンチスキル)に封筒を預ける事にし、近くの詰所へと向かう。
 その途中、通りがかった喫茶店の中に結奈の見知った顔が並んで座って居るのが見えた。
 常盤台女学院の制服に身を包み、赤いリボンで結んだツインテールの風紀委員(ジャッジメント)の少女と昨日会った花瓶少女、白井と初春だ。
 向かいの席にはもう一人、常盤台の制服を着た短髪の少女が座っている。
(これは、ナイスタイミング!)
 結奈は封筒を白井たちに預けることにする。これで詰所まで行く手間が省ける、と少し喜びながら喫茶店へ入っていった。



「こんにちはー、黒子ちゃん、飾利ちゃん」
 相席をする二人に声をかける結奈。
「あら、あなたは確か新城さん、でよろしかったでしょうか?」
 その声に振り向いた白井が少し考え込んだ後に言う。
「うん。それから結奈でいいってば」
「そこはご遠慮させていただきますわ」
 即座に答える白井。結奈は大げさにがっくりと肩を落とすポーズをとっている。
「新城さん。どうかしたんですか?」
 その結奈を見かねて初春が聞く。こちらも名前では呼ばないらしい。
 このまま続けてもツッコミは来ないだろうと思い直した結奈は素に戻って続ける。
「ちょっと白井さんに用があってね。それはそうとして、そっちの子は二人のお友「あー! あの時の!!」」
 そう聞く声に被さるように、結奈の登場以降考え込んでいた短髪の少女が叫ぶ。
「あなた、あの時あの馬鹿と一緒にいた人ですよね?」
「あの時?」
 短髪の少女の言葉に脳内を検索する。
 あの馬鹿というのが誰かは分からないが、クラスの三馬鹿である上条・青髪ピアス・土御門(つちみかど)の誰かだろうと推測して結奈が記憶を探ると、すぐに目の前の少女についての記憶に行き当たった。
 二週間ほど前、補習の帰りに上条に絡んできた女の子である。
「あ! 御坂さん、だったっけ?」
 名前を覚えているとは思っていなかったのか、短髪の少女は驚いた表情をしている。
(そういえば、あの時はちゃんと自己紹介してなかったね……)
 その事を思い出した結奈は、改めて自己紹介を行う。
「私は新城結奈。呼ぶ時は結奈でいいよ」
「あ、はい……私は御坂美琴です」
 結奈の言葉に応える美琴。
「じゃあ美琴ちゃんって呼んでいいかな?」
「は、はい。いいですけど……」
 戸惑う美琴に構わずマイペースに話を進める結奈。そこに白井が割り込んでくる。
「お姉様、この方とお知り合いなんですの?」
 その白井の言葉に、結奈をお姉さまと呼び出した時の佐天に対する援護の理由に気づく。
 つまり、彼女は自分にそう呼ぶ相手がいるから佐天の味方をしたのだろう、という事に。
 実のところ、佐天がお姉さまなどと言い出したのは白井が原因だったりするのだが、今の結奈がその事実に気づくことは無かった。
「え? 一度会ったことがあるだけだけど……って黒子、あんたはなんで隣に瞬間移動(テレポート)してきてるのよ! 離れなさいもう!」
 気がつくと白井が美琴の隣に移動し、抱きついていた。
「嫌ですわお姉様。ここは四人席、わたくし達は四人。ならば一人がお姉様の隣に座る必要がありますでしょう? ですからわたくしがお姉様の隣の席をと……」
「いいから元の席に戻りなさい!」
 そう言われ、しぶしぶ元の席へと戻る白井。その様子が他人事には思えない結奈は、暖かい視線を美琴に送っていた。
 立ち話もなんだから、と美琴に促され、結奈は彼女の隣に座る。
 注文を取りにきたウェイターに紅茶を頼むと、話を本題に戻すことにした。
「それで、黒子ちゃんへの用事なんだけど……これ、さっき路地裏で拾ったの。風紀委員で預かってもらえるかな?」
 結奈は先ほど路地裏で拾った封筒を全て白井に渡す。
「封筒……ですわね」
「封が開いてますけど、中身は何なんですか?」
 初春がその封筒を見ながら聞いてくる。
「マネーカード。あ、封が開いてるのは最初からだからね。私が開けたんじゃないよ?」
「そこは別に疑ってませんけど……でもなんでこんなものが大量に落ちてたのかしら?」
「分かりませんわ……初春、何か情報は?」
 そう聞く白井に対し、初春が手元の携帯端末を操作しながら答える。
「今調べてますけど……風紀委員の方にそんな報告は届いてないですね」
 風紀委員でもマネーカードの事は初耳らしい。ということは昨日今日ばらまかれたものだということだろう。
「あ、ちょっと待ってください! ちょうど今、同じような届け物があったみたいです……拾った場所は第七学区の裏道。こっちも人通りの少ない道ですね」
「他の場所でも見つかったという事は、偶然落としたというセンは薄いですわね。誰かが意図的に置いて行った……ということでしょうか」
「それにしたって理由が分からないけど……その辺は置いてった本人に聞いてみないとダメか」
 そんな会話をしている三人を見て、結奈が先ほどから疑問に思っていた事を尋ねる。
「あの……もしかして三人とも風紀委員だったの?」
 その言葉に美琴が大きく反応する。
「ちがいます! 風紀委員はこの二人だけ。私は無関係です!」
 なぜか必死に否定している。
「お姉様も風紀委員に入って下さればよろしいのに。わたくしは大歓迎ですわよ?」
「超能力者(レベル5)の御坂さんが入ってくれれば私の仕事も減って楽が出来そうです。考えてみませんか?」
 現役風紀委員の二人としては入って欲しいらしい。
「い・や・よ! 風紀委員に入るなんてごめんだわ」
 しかし、当の美琴は全く乗り気ではないようだ。しばらくそのまま話が脱線していたのだが、結局どうするのか気になった結奈が話を元に戻す。
「それで、結局それはどうするの?」
 その結奈の疑問に初春が答える。
「しばらくは様子見という事になると思います。貨幣ならともかく、マネーカードを意図的に遺棄する事は禁止されていませんから」
「ふーん、そっか」
 そう納得した時、後ろから突然伸びてきた腕が結奈の頭を抱いた。
 誰の仕業かなんとなく理解した結奈は、振り向かずに言う。
「涙子ちゃん? そういうのは心臓に悪いからあんまりしないでくれると嬉しいんだけど……」
 結奈はそう言うが、後ろの少女は全く聞いていなかった。
「やっぱりお姉さま! 二日続けて会えるなんて嬉しいです!」
 その言葉に、隣に座っていた美琴が固まる。そして、先ほどの結奈のような暖かい視線が美琴から送られてきた。
 この瞬間、二人は視線で会話をしていた。
「(あなたもそうだったんですか?)」
「(うん。大変だねお互い……)」
 見つめあう二人を見て、不機嫌そうに白井が呟く。
「初春、あれは一体どういう事だと思いますの?」
「何か通じるものがあったんじゃないでしょうか。お二人とも苦労なさっているみたいですし」
 含みを持たせた言葉で初春が返す。
「なにが言いたいんですの?」
「いえ、白井さんが元凶だとかは全く思っていませんよ?」
 非常に正直に答えた初春に、白井が怒りの表情で詰め寄った。
「うーいーはーるぅー!」
 こちらも違う意味で視線を交差させている。
「お・ね・え・さ・まー♪」
 その四人の動向を気にも留めず、結奈の背中では佐天が幸せを満喫していた。



 満足した佐天が結奈から離れた頃、ようやく注文していた紅茶が届いた。
 例のごとくぐったりとした結奈がその紅茶を飲んでいると、佐天から質問があった。
「それで、お姉さまはどうして初春たちと一緒に?」
 当然の疑問である。
「怪しげな落し物を拾ってね。風紀委員の知り合いを見つけたから預かってもらおうと思ったの」
 簡単に佐天に経緯を話す。その途中、拾ったものがマネーカードだという事を聞くと、佐天の表情が変わった。
「それ、どこに落ちてたんですか!?」
 いつになく真剣な表情で聞く佐天に、人通りのない道に置かれているらしい事を教える。
「人通りのない道……。そっか、ふふふ……」
 怪しい笑顔で呟く佐天に、初春が尋ねる。
「佐天さん、もしかして探すつもりですか?」
「そんなまさかー♪ そんな事しないって♪」
 にっこりと笑いながら佐天が答える。本人は隠しているつもりらしいが、全て表情に出ていた。
 そんな佐天に、ため息をつきながら初春が釘をさす。
「探すのはいいですけど、見つけたらちゃんと届けてくださいね?」
「もちろん届けるって!」
 そう断言する佐天だったが、その言葉は周りの四人には全く信じられない。
「ほどほどにね……涙子ちゃん」
 四人全員が同時にため息をついた。



[6597] 二章 三話
Name: ヒゲ緑◆ccab3415 ID:50950d0a
Date: 2009/10/11 21:05
 喫茶店で白井たちに会った二日後の朝、結奈は第六学区にある遊園地の前で人を待っていた。
(どうしてこんな事になったんだろう……)
 ため息をつく結奈の耳に、待ち合わせの相手の声が聞こえてくる。
「お姉さまー! ごめんなさい、待ちましたか?」
「ううん。今来たところだから」
 結奈も憧れるお約束のセリフが展開される。相手が同姓でなければ、だが。
(これが上条くんとならよかったのに……)
 そんなことを考えながら、佐天とのデートが始まった。



 事の始まりは二日前の喫茶店だった。
 さっそくマネーカード探しに向かおうとする佐天の気を逸らすため、ひたすら話しかけていた結奈が不用意な一言を零してしまう。
「それじゃあ、今度どっか行こうか?」
「じゃあお姉さま、明後日遊園地に行きましょう!」
 その言葉に佐天の目の色が変わる。話の流れ的には買い物にでも付き合う、という意味で言った言葉だったのだが、佐天の中では『買い物に』という部分は完全に無かった事にされたようだった。
「「「は?」」」
 結奈たち三人はどこから遊園地が出てきたのか分からず疑問符を浮かべる。
 ただ一人、白井だけが、
「やりますわね佐天さん。あの強引さはわたくしも見習う必要がありますわね……」
 などと感心していた。
 結局、結奈の言葉を盾に泣きそうな顔で遊園地を主張し続ける佐天に根負けし、約束をしてしまった結奈が机に突っ伏して燃え尽きていた。
「(がんばってください結奈さん)」
「(ありがとう美琴ちゃん……あなたも頑張ってね)」
 結奈と美琴は再び目と目で通じ合い、互いを励ましあっている。そんな二人に初春が同情の視線を送っていた。



 原因となった出来事を思い出して再びため息をつく結奈とは裏腹に、佐天は楽しそうに園内マップを眺めていた。
 そんな様子を見て、こんな態度で接するのは可哀想だと思い直した結奈は、目一杯楽しませてあげようと決意する。
「それじゃ涙子ちゃん。どこからいこっか?」
「やっぱり遊園地といえばジェットコースターからですよ! 人がいないうちに早く行きましょうお姉さま!」
 思った通りのチョイスだなー、と思いながら二人でジェットコースターへと向かう。
 まだ開園直後ということもあり、人気のジェットコースターにも列は出来ていなかった。
「やったー! 貸し切りですよ!」
「う、うん。よかったね」
(ちょっとテンション高すぎだよ涙子ちゃん……)
 その理由が自分と一緒にいる事だと分かっているため、結奈は嬉しいやら悲しいやらよく分からない気分だった。
「それじゃ早速乗りましょう!」
 佐天に促されてジェットコースターに乗りこむ。
 安全装置をおろし、準備完了となったところで、結奈は入り口の看板に書かれた文句を見て青ざめた。
「る、涙子ちゃん? あそこの看板に『新開発のジェットエンジンで世界最速』とか書いてあるんだけど……」
「今日からスタートの注目アトラクションなんですよ。あたし達が初めてのお客さんらしいです!」
 ハイテンションでこともなげに言う佐天。どうやら生粋の絶叫マシーン好きのようだ
 正直今すぐ降りたい気分の結奈だったが、安全装置は一度おろしたら帰ってくるまでは上がらないらしい。
 ここまで来たらもう覚悟を決めるしかなかった。
 そして、ジェットコースターはゆっくりと動きだ……さなかった。
「ちょっとまって! 何この急加速ー!!」
「すごーい! 風が気持ちいいですよー!」
 一瞬でトップスピードまで加速したジェットコースターは、すさまじい勢いで右に左に上に下にと動いている。
 口を開くと舌を噛みそうな状態で、周りを見ている余裕すらなかった。
「……! ……!?」
 結奈の絶叫はすでに声にならない。
「あははは! すっごいなーこれ!!」
 隣からは、佐天の笑い声が聞こえていた。



「大丈夫ですか? お姉さま」
 ぐったりとした様子でベンチに寝そべる結奈に佐天が心配そうな声をかける。
 なぜか結奈の頭は佐天の膝に乗せられていた。俗に言う膝枕である。
「ジェットコースターが苦手なら、言ってくれれば乗らなかったのに……」
 あれは苦手じゃなくても危ないんじゃないか、と思いながらも結奈には声を出す気力が残っていない。
 小一時間ほど休憩してようやく動けるようになった結奈は、佐天の膝枕から起き上がる。
「ありがと。もう大丈夫だから」
「ほんとですか? 無理しないでくださいね」
 ジェットコースターの件で責任を感じているのか、佐天が涙目で言う。
「無理なんてしてないよ。ただ、さっきみたいなのはさすがに勘弁してね?」
「はい……」
 沈んでしまった佐天を慰めながら、次のアトラクションへと向かう。
 まだ本調子ではない結奈を気づかったのか、佐天が選んだのはティーカップだった。
「ティーカップか……こんなのに乗るのって久しぶり」
「行きましょうお姉さま。今度は大丈夫ですよ」
 そう言って前を歩く佐天に続き乗り込んだ結奈だったが、数十秒後にはその事を後悔していた。
「あはは! まわれーまわれー」
 ティーカップの中心にある速度を調節するハンドルを、佐天がものすごい勢いで回していた。
 二人が乗るティーカップはすでに周りの景色が見えないくらいの高速回転をしており、結奈の気分は再びレッドゾーンに入りかけている。
「る、涙子ちゃん、もう少しゆっくり……」
「えー? なんですかお姉さまー!」
 高速回転の影響で上手く言葉が伝わってないらしい。
 説得を諦めた結奈は、せめて吐く事だけは無いように、と祈りながら耐え続けた。



「お姉さまー……」
 ティーカップから降りた後、お約束のように結奈はベンチで寝かされていた。やはり佐天の膝枕である。
(もしかして、これがやりたくてわざとやってるって事は……さすがに無いか)
 涙目で心配そうに自分を覗き込む佐天の顔を見て、結奈はすぐさま妙な疑念を捨てる。
 これが演技で出来るなら佐天は立派な女優になれるだろう。
「涙子ちゃん、もう少しゆっくり回して欲しかったかな……」
「ごめんなさい! ごめんなさい……」
「ああもう。そんな顔しないでよ、楽しかったのは本当だから」
 佐天の頭を優しく撫でながら結奈が言う。
「ほんとですか……?」
「ほんとほんと。涙子ちゃんといるのは楽しいよ?」
 泣きそうな佐天に笑顔を向けながら言う。
「よかった……」
 その言葉に安心したのか、ようやく佐天に笑顔が戻った。
「そうそう。涙子ちゃんは笑ってたほうが可愛いよ」
「はい! お姉さま!」
 その言葉に応えるように立ち上がる結奈。
「それじゃ、次はどこに行こっか」
「任せてください! 今度こそお姉さまも楽しめるアトラクションを選びます!」
 先の二回で懲りたのか、次に佐天が選んだのはお化け屋敷だった。
「こ、ここならお姉さまも大丈夫ですよね……」
 佐天がどこか緊張した顔で言う。
「自分で歩くタイプみたいだから大丈夫だろうけど……涙子ちゃん、顔色悪いよ?」
「そ、そんなことはないです。さあお姉さま、早速行きましょう!」
 結奈の手を引っ張ってお化け屋敷へと入っていく佐天。仕方なく、結奈も後に続いた。



「きゃあああー!!」
 入って数メートル程歩いたところで、天井から人魂が降りてくる。
 結奈はベタだなー、などと考えながら眺めていたが、その隣りから絶叫が響きわたった。
「こ、こっちこないでー」
 服を引っ張られる感触に視線を移すと、佐天が人魂から逃げるように結奈の後ろに隠れている。
 その体はブルブルと震え、顔は恐怖に青ざめていた。
「大丈夫だよ涙子ちゃん。ただの立体映像だから」
「ほ、ほんとですか……」
 結奈の手が人魂をすり抜けるのを見て、安心した様に呟く佐天。
 それを結奈が見ていることに気づき、慌てて弁解する。
「こ、怖くなんてないですよ!? ただちょっとびっくりしただけです!」
 その様子から、佐天がお化けなんかを苦手としていることに気づいた結奈が、
「涙子ちゃん。怖いんだったら無理しなくていいよ? 入ったばっかりだし、今から引き返せばすぐ出られるから」
 そう提案するが、佐天は頑なに引き返そうとしない。
「怖くなんてないです! 先に行きましょう」
 そこまで言うなら、と結奈も歩き始める。
 そのまま奥へと進んでいくが、佐天は何かが出てくるたびに青ざめながら結奈に抱きつき、震えていた。
 その様子にさすがに放っておけなくなった結奈が佐天に聞く。
「涙子ちゃん、お化け屋敷苦手なんでしょ? さっきも言ったけど、無理しなくていいんだよ?」
「無理なんてしてません、こんなの怖くないです!」
 そう言う佐天の体は小刻みに震え、顔色は真っ青だ。どう見ても怖がっているのに、佐天はそれを認めようとしない。
 どんどん先へ進んでいく佐天の目の前に、大きな人影が現れる。
「きゃああぁぁぁー!!」
 少し離れた結奈からは古典的な三角巾をした幽霊の映像だと分かったが、ただでさえ恐怖で冷静さを無くしていた佐天には致命的だったようで、地面にへたり込んでしまっていた。
「大丈夫?」
 駆け寄った結奈が優しく言う。
「う、うわああぁぁん!!」
 恐怖に耐え切れなくなったのか、のばされた結奈の腕を掴んだまま、佐天が泣きじゃくり始めた。



「落ち着いた?」
 佐天の頭を撫でながら、結奈が聞く。
「はい。ごめんなさいお姉さま……」
 暗い顔で佐天が答える。
「そんなに苦手なのに、なんでお化け屋敷なんか選んだの?」
 瞳に涙を浮かべ、佐天がぽつりぽつりと話し始める。
「だって、あたしが楽しいと思ってた乗り物はお姉さま全部辛そうで、だったらあたしが楽しくないのだったらお姉さまは楽しめるんじゃ……って思って」
 それを聞いて、結奈は笑みを浮かべて言う。
「そんなこと気にしなくてもよかったのに」
「そんなことじゃないです!」
 その言葉を聞いて、佐天が叫ぶ。しかし、結奈はその声を遮って続ける。
「さっきも言ったでしょ? 私は涙子ちゃんといるだけで楽しいの。笑ってる涙子ちゃんを見てるだけで幸せな気分になれるの。だから、涙子ちゃんが楽しめなきゃ意味がないんだよ?」
 ゆっくりと言い聞かせるように言う結奈の言葉に、佐天の泣き声が止まった。
 驚きの表情で結奈を見上げる佐天の手を掴み、ゆっくりと立ち上がらせる。
「それじゃ、このままいこっか」
 その手を握り締めたまま、結奈は歩き出す。涙に濡れる佐天の顔に笑顔が浮かび、繋いだ手を強く握り返してきた。
「はい! お姉さま!!」
 その声に、先ほどまでの悲しみは残っていなかった。



 それから先は、二人ともが楽しめるようにお互いの好きなアトラクションを交互に回り、笑顔のままその日のデートは終了した。
 佐天はお化け屋敷以降、結奈の手を握ったまま回り続け、心から楽しそうにしていた。
 最後に乗った観覧車では、配電盤の故障でゴンドラに閉じ込められるというハプニングもあったが、それもめったに会えない珍しい出来事であり、むしろ楽しい思い出の一つになっていた。
「お姉さまー! 今日はありがとうございます!!」
 手を振りながら別れを告げる佐天。その顔には満面の笑顔が咲いている。
「私も楽しかったよ。気をつけて帰ってね、涙子ちゃん」
「はい!」
 その言葉と共に、佐天は寮へと走っていった。
(元気な子だなー)
 そんないつもの感想を抱きながら、結奈も寮へと足を進める。
(今日はいい日だったなー)
 今まで知らなかった佐天の優しさを知ることができた結奈は、上機嫌で家路を歩く。
 その途中、夕飯の買い物をする必要があった事を思い出した。
 踵を返し、商店街の方へと向かう結奈。
 その視線の先に、街を走るインデックスの姿を見つけた。
 その表情は真剣で、どこか焦っているようだった。気になった結奈は、インデックスが向かった方向へと足を進めることにする。
(どこに行くつもりなんだろう)
 上条の姿は見えなかった。
 インデックスが一人で街を出歩いていることはまったくないわけでもないが、それにしても様子がおかしかったように結奈には思えた。
 しばらく走ってようやく見つけ出したインデックスは、不規則なカタチをしたビルを真剣な表情で見上げていた。
 そこは三沢塾と呼ばれる進学予備校であり、どう考えてもインデックスとは無縁の場所だ。
 そんな事を考えている結奈を残し、インデックスはぶつぶつと何かを呟きながらビルの自動ドアをくぐっていく。
 一体どういう事なのか結奈には分からない。しかし、どこか落ち着かない気持ちが胸を包んでいく。
 数分ほど迷っていた結奈だったが、結局はその胸騒ぎに後を押されるようにしてそのビルへと向かう。
 言い知れない不安を感じながら、結奈はゆっくりと自動ドアをくぐっていった。



[6597] 二章 四話
Name: ヒゲ緑◆ccab3415 ID:d844114c
Date: 2009/09/03 10:16
 三沢塾のビルに入った瞬間、結奈は何か違和感のようなものを感じて辺りを見回した。
 そして、ロビーに並ぶ四基のエレベーターの前におかしなものを見つける。
 何か壊れた金属の塊のようなものが、赤黒い染みを床に広げて転がっていた。
 結奈はゆっくりとそれに近づいていき、その距離が残り数メートル程になったところで正体に気づく。
 それは、潰れた鎧を身に纏った死体だった。
「うっ……」
 床に広がる赤黒い染みが流れ出た血液だという事を理解した結奈は、こみあげる嘔吐感を必死に抑えながら呟く。
「なんで、こんな……」
 目の前に広がる光景が現実に思えない、初めて見る人間の死体は、結奈から急速に現実感を奪っていった。
 しばらく呆然としていた結奈だったが、ふと気づく。
(どうして、誰も気にしてないの?)
 人通りの多いロビーという場所でこれほど分かりやすく置かれた死体に、しかし周りの生徒たちは意にも介さず通り過ぎて行く。
 まるでそこにあるモノに気づいていないかのように。
 そこまで考えて、結奈は人払いの魔術というものを思い出す。
 興味本位でインデックスに聞いた話では、人払いの魔術は基本的に『他人の意識をその場所に向けさせないことで訪れないようにする』というものらしかった。
 これも同じような原理なのだろう。改めて観察すると、周りの生徒達は結奈の存在にも気付いていないようだった。
(インデックスはどこに行ったんだろう)
 自分よりも先にここに入ったインデックスもこの死体を見つけたはずだ。
 なのに彼女は戻ってくることもなく、この場に残ってもいない。
(もしかして奥に?)
 結奈には何が起こっているのかは分からないが、ここが危険だという事はこの死体を見れば理解できる。
 インデックスはその危険な場所に何をしに来たのだろう、と考えた結奈は、すぐにその答えが一つしかないことに気づいた。
(上条くんがここにいるってこと!?)
 危険だと判っていてなおも彼女が退かない理由など、それしか考えられなかった。
 すぐにインデックスを追いかけようと思った結奈だったが、肝心のインデックスがどこに向かったのかがわからない。
(よし、ここは勘で!)
 それ以外に判断基準がなかった結奈は自分の勘に従い、四つあるビルの内、案内板に東棟と書かれたビルへと走っていった。



「この階にもいない……か」
 そう呟き、東棟の階段を昇っていく結奈。
 各階ごとにインデックスの姿を探しながら東棟を上がっていくが、最上階を調べ終わっても見つかる気配は無かった。
(私の勘は当てにならないって事だね……次からは気をつけよう)
 がっくりと肩を落としながら屋上へとたどり着く。
 広い空間を見渡してみるが、インデックスの姿は無かった。
「最初から探し直しか……インデックス、無事だといいけど」
 そう言いながら空を見上げた結奈の目に、赤い雷が映る。
 空高くに現れたその雷は、一直線に結奈のいるビルに向かって降り注いだ。
「な、なにあれ!!」
 そう結奈が叫んだ瞬間、赤い雷がビルを貫く。
 自身は無傷だったが、すさまじい轟音とともにビルが崩れ、足場を失った結奈は空中へと放り出された。



「いたたたた」
 瓦礫の山の上でゆっくりと立ち上がる結奈。
 ビルの倒壊に巻き込まれたはずなのにかすり傷程度で済んでいるのは、さすがの幸運といえるだろう。
 辺りを見回すと、結奈のいた東棟だけでなく西棟や南棟も倒壊していたが、北棟だけは何事も無かったかのようにそびえ立っていた。
 状況を確認した後、ふと足元を見た結奈は、そこにある光景に絶句する。
 結奈の足元にある瓦礫の隙間からは、数えきれない程の人間が血を流して埋まっているのが見えた。
 その中には見覚えがある顔もあった。結奈がこのビルを昇っている途中に見かけた生徒達だ。
 しかし、その光景に困惑する暇もなく、さらに信じられないような出来事が起こる。
「どうなってるの……」
 結奈の目の前で、ビルの瓦礫がひとりでに動き出す。
 そして、テープを巻き戻すかのように瞬く間にビルは元の形を取り戻し、結奈は東棟のビルの一階に立っていた。
 倒壊する前と全く同じ姿のビルの中に。
 それに合わせ、瓦礫に潰されていた生徒達までもが元の姿に戻っていった。
 血まみれで倒れていた生徒の血が体の中に戻っていき、千切れていた腕が繋がっていく。
 そして、どう見ても死んでいた全身バラバラの死体が元の姿を取り戻し、何事もなかったように歩きだす。
 結奈はその様子を呆然と見つめていることしかできない。
 いったい何が起こっていいるのだろうか、とただその思いだけが結奈のなかを巡り続ける。
 どれほどそうしていただろうか、元通りになったビルの中で立ち尽くしていた結奈は、ようやく大切なことを思い出す。
「そうだ、インデックス!」
 あれほどの大惨事だ、彼女も巻き込まれているかもしれない。
 周りの生徒達は元通りに治ったようだが、ここの主からしてみればインデックスは侵入者のはず。同じように無事とは限らない。
 急いで探しに行こうとする結奈だが、根本的な問題が解決していないことを思い出した。
 元々、結奈は彼女の居場所が分からないから探していたのだ。
 しらみつぶしに探すか、と考える結奈だったが、先程の光景を思い返し一つのビルへと向かった。
 赤い雷が落ちたその時、唯一つ無傷だった北棟へと。



 結奈は北棟の各階を調べながら昇っていく。
 慎重に急いでインデックスを探していくが、いつまでたっても見つからない。
 すでに北棟も残り三階。ここで見つからなければまた振り出しに戻ることになる。
「この階にもいない、か」
 そう呟きながら階段を駆け上がる。残りは最上階だけだ。
 北棟の最上階へと辿り着くと、その階唯一の部屋である校長室の巨大な扉が開かれていた。
 その扉の先、校長室の中に立つ上条の姿を見つけた結奈は、少しだけ安心して扉へと向かっていく。
 その途中、部屋の中から知らない男の声が響いた。
「ふむ。貴様の過ぎた自信の源は、その得体の知れない右手だったな……ならば、まずはその右腕を切断。その刀身を旋回射出せよ」
 その直後、速すぎて見えない何かが視界を通過し、上条の右腕が宙を舞った。
「え……?」
 結奈の視界に映るのは、肩口から右腕が切り落とされ肉の断面が覗いている上条と、回転しながら地面へと落ちていく上条の右腕だった。
「上条くん!!」
 その意味を理解する前に結奈の体が動き、無意識に上条へと駆け出す。
 結奈の声が聞こえたのか、上条が振り返り驚きの表情を浮かべた。
 その上条に駆け寄った結奈は、ピンク色の筋肉が覗き、血が勢い良く噴き出すその傷口を呆然と見つめる。
 助かる訳がない、一目見ただけでそう思えるような傷だった。
 上条の傍で立つ結奈の全身が、断面から噴き出した鮮血で紅く染まっていく。
 そして、ゆっくりと結奈は室内を見回した。
 そこには、机の上で動かないインデックスと、床に倒れる長い黒髪の巫女服を着た少女。そして、バラバラに砕け散った人間の体があった。
 飛び散った内臓の傍に、あの赤髪の魔術師が使っていたカードが散らばっている。
 結奈がさらに視線をめぐらせる。十五メートルほど先に、その室内でたった一人、何事もなかったように立っている白いスーツの男がいた。
「あなたが、やったの……?」
 結奈がそのスーツの男に向かって呟く。
「ふむ、その通りだ。『これ』は私の手による。それがどうかしたか?」
 それが当たり前のことであるかのように答える男。その言葉に、結奈の中で何かが壊れる音がした。
「そう」
 静かに、結奈が言う。その声には一切の感情が含まれておらず、男を見るその顔はどんな表情も浮かべていなかった。
 男はその結奈の様子を気にも留めず続ける。
「運が悪かったな、女。今の私は相手が誰であろうと自分を抑えられん」
 そう言った後、ただ一言を告げる。
「倒れ伏せ、侵入者」
 その言葉に、結奈の周りの重力が急激に大きくなっていく。
 結奈が先ほど見た、ビルを復元させ、死んだ人間さえも蘇らせた絶対の魔術。
 全てを地に伏せさせるはずのその命令は、しかし、
「……うるさい」
 結奈の放ったその一言と同時に消え去った。
「な、に……」
 それを見た男が、驚愕の表情を浮かべる。
 その様子を無表情に眺めながら、結奈が男へと向かってゆっくりと歩き出した。
 それを認識した男は、驚愕を収め、細い鍼を己の首筋に突き立てながら再び魔術を行使する。
「暗器銃をこの手に。弾丸は魔弾。数は一〇」
 それに呼応して、空中にフリントフロック銃が埋め込まれた西洋剣(レイピア)が十本姿を現す。
「用途は粉砕。単発銃本来の目的に従い、獲物の頭蓋を砕くために射出せよ」
 男は自らが掴んだ一本の銃の引き金を引く。それと同時に全ての銃から人間の反応できない速度で魔弾が飛び出した。
 しかし、男の絶対の確信の下に放たれた魔弾は、その全てが見当違いの方向へと飛んでいく。
 結奈はその魔弾に見向きもせず、ただ足を進める。
 男は浮かびかける焦りを押し殺した表情で、三度魔術を行使する。
「先の手順を複製せよ。用途は乱射。三〇の暗器銃を一斉射撃せよ」
 それでも、発射された魔弾は結奈に傷ひとつ付ける事無く壁へとめり込んでいく。
「なにを……した、女!」
 もはや隠しようも無い焦りを顔に浮かべ、男が言う。
 結奈はその言葉に一切答えず、ただ男へと歩み寄っていく。その距離はすでに最初の半分にまで縮まっていた。
「直接死ね、女!」
 その重圧に耐え切れなくなった男が叫ぶ。絶対の死を与える命令を。
 それでも、結奈には何も起こらない。ただゆっくりと、紅く染まった体を進めていく。
 その姿に、男はわずかに後ずさる。その手が震え、持っていた鍼が床へと落ちた。
 そうして男のすぐ傍まで到達した結奈が、初めて口を開いた。
「みんなを治しなさい。今すぐに」
 結奈が感情の無い声でそう告げる。ぐちゃぐちゃに潰れた塾生を治したように、倒壊したビルを直したように、この部屋にいる人達を元に戻せと。
 その言葉に何か答えようとして、
「わかっ、た」
 そう声が紡ぎ出される。男はその自分の言葉が信じられないかのように、驚愕の表情を浮かべていた。
 男が言うと同時、部屋中にバラバラに飛び散っていた内臓が、ばら撒かれていた血管が、元の形に戻っていく。
 床に転がっていた上条の右腕もその持ち主の元へと帰っていき、数秒後には彼らの全ての怪我が無くなっていた。
「しん……じょう」
 失血が無くなった事で意識を取り戻したのか、小さな声で上条が結奈に呼びかける。
 結奈はその声には答えず、全員が無事なことを確認する。
 元通りになった四人を見た結奈は、無感情な目を男に向け静かに宣告した。
「それじゃあ、さようなら」
 その言葉が紡がれた直後、結奈の前に透明なモノが現れた。
 それは徐々にカタチを変えていく。生まれたのは二メートルを越す巨大な竜王の顎(ドラゴンストライク)だった。
 その透明な顎は、ノコギリのような牙が並ぶ口をゆっくりと広げる。
 竜王の瞳に睨まれた男の顔は、すでに恐怖で染まっていた。
「や、めろ……新城!」
 その上条の声が結奈に届く直前、荒れ狂う竜王は恐怖に震える男を飲み込み、その姿を虚空へと消した。
 後に残ったのは、床に倒れる無傷の男と、血塗れで佇む結奈だけだった。



[6597] 二章 エピローグ
Name: ヒゲ緑◆ccab3415 ID:894f6c72
Date: 2009/10/11 21:06
 結奈が目を覚ますと、白い天井が見えた。周りを確認したところ、どうやらここは病室らしいことが分かる。
「私、なんでこんな所に……?」
 どうして自分が病院にいるのかを思い出そうとするが、全く心当たりが無い。
(確か、インデックスを探して北棟を昇って行って、最上階で上条くんを見つけて……それからどうしたんだっけ?)
 そのあとの記憶が曖昧になっている事に結奈は気づく。必死に思い出そうとするが、記憶は戻ってこなかった。
(ただ……なにか不思議な気配を感じたような気がする。ずっと昔、あの事故の時に感じた気配を……)
 結奈が何かを思い出しかけた時、病室のドアが開かれ上条とインデックスが入って来た。
 その後ろには赤髪の魔術師がついてきている。
「よっす。元気か新城」
「ゆいな! 起きたんだね!」
 上条とインデックスがベットに近づきながら言う。
 一瞬嬉しそうに笑ったインデックスだったが、次に瞬間にはどこか怒ったような表情で言葉を続けた。
「なんであんな所にいたのゆいなは! 今回は無事だったから良かったけど、戦場に迷い込むなんて死んじゃってたかもしれないんだよ!!」
「それは俺も気になってたんだけど、新城はなんであそこにいたんだ?」
 顔を真っ赤にして怒るインデックスを「無事だったんなら別にいいだろ?」となだめていた上条も会話に加わってくる。
「え? 私は真剣な表情で走ってくインデックスを見かけたから追いかけたんだけど……」
 結奈のその言葉に、インデックスの表情が変わる。
「あ、ゆいな。さっき売店にマスクメロン味のポテチが売ってたんだよ」
「オイ。結局お前が原因じゃねーか」
 自分に不利だと悟ったインデックスが話題を変えようとするが、横で聞いていた上条の指摘によりみごとに失敗する。
「そ、そんなことないよ! そもそもあれはとうまが私を置いていったのが悪いんだよ!」
 慌てるインデックス。その胸元から、突然三毛の子猫が飛び出してくる。
「みー」
 三毛猫はのんびりと床を歩き、ぴょんと結奈のベッドに飛び乗った。
 シーツの感触が気に入ったのか、そのまま丸まって昼寝を始めてしまう。
 その姿を見た結奈が小さく呟く。
「かわいい……」
「あ、その子はスフィンクスっていうんだよ。今日からうちで飼う事になったの」
 話題を変えるならこのタイミングしかないと思ったのか、ここぞとばかりにインデックスが食いついてくる。
「えっと、スフィンクス?」
 聞きなれない名前に戸惑う結奈に上条が答える。
「その猫の名前らしい。見つけて十数秒でついてたな」
 突っ込まないでくれ、と目で語りながら答える上条に苦笑を浮かべる結奈。
 話題転換に成功して満足そうなインデックスだったが、何かを思い出したように言う。
「それでね、あそこにいたひめがみあいさなんだけど、行くところが無いらしいの」
 そう話すインデックスだが、結奈には『ひめがみあいさ』というのが誰なのか分からない。
「それって、誰?」
 きょとんとした顔でそう言った結奈に上条が答える。
「いや、おまえが校長室に入って来た時にもう一人いただろ? そいつのことだよ」
 しかし、最上階に行ってからの記憶があやふやな結奈には分からない。
「私、北棟の最上階で上条くんを見つけた後の記憶が曖昧なの。だからちょっと分かんないんだけど……」
 結奈のその言葉に、なぜか上条がほっとしたような顔をした。
「ま、覚えてないんじゃしょうがねーか。この病院にいるから後で紹介する。それで、その姫神なんだけど、学生寮を追い出されそうなんだ」
 上条の説明によると、姫神秋沙は吸血鬼をおびき寄せて殺す『吸血殺し(ディープブラッド)』という能力を持っているらしい。
 その能力を快く思わない姫神本人のために『歩く教会』という結界魔術で能力を封印する事になったのだが、そうすると彼女が通う霧ヶ丘女学院から退学させられる可能性が高いのだそうだ。
 そこで、結奈に何か当てはないかと聞きたかったらしい。
 少し考え込んでいた結奈だったが、何か思いついたように手を叩いた。
「それなら小萌先生のところに連れて行けばいいと思うよ。この前新しい同居人が欲しいって言ってたから」
 それを聞いて上条も小萌先生のライフワークを思い出したのか、納得した表情になる。
「言われてみればその手があった」
「こもえの所なら安心かも」
 インデックスも特に反対意見は無いようで、姫神が退院したら小萌先生の所へ行くという事で話はまとまった。
 そこまで話したところで、今まで黙っていた赤髪の魔術師が口を開いた。
「ふう。僕は次の仕事が詰まっているし、そろそろ帰らせてもらうよ」
 どこか満足げな表情でそう言い、病室から出て行こうとする魔術師を、結奈が呼び止める。
「あ、ちょっと待って。名前、聞いてなかったよね?」
 前の事件の際に残した手紙も名前を見る前に燃えてしまったので、結奈はいまだにこの魔術師の名前を知らなかった。
「私は新城結奈。結奈って呼んでくれていいよ。あなたは?」
 少しだけ驚いたような顔をして、魔術師は答える。
「ステイル=マグヌスだ」
 それだけを言い、病室を出て行くステイル。しかし、ステイルが病室のドアをくぐろうとしたところで、もう一度呼び止める声が聞こえた。
「あの、」 
 そのインデックスの声にステイルは振り返る。
「一応言っとく。ありがとうね。どうせあのビルの中があんな状態だって分かればとうまは一人だって突撃するに決まってるもん。だったらあなたがいて良かったと思う。だから―――って、どうしたの?」
 その言葉に一瞬驚きの表情を見せたステイル。しかし、何でもないよ、と言って笑い、そのまま病室を出て行った。



 インデックスが売店へ行き、二人きりになったところで結奈が尋ねる。
「それで、あれってどういう事件だったの?」
 その疑問に上条が詳しい事情を話し始める。
 あの男、『アウレオルス=イザード』は三年前のインデックスのパートナーであり、彼女を救う方法を求めて吸血鬼を呼び寄せる姫神秋沙に接触したこと。
 そのために三沢塾を乗っ取り、生徒たちを使って黄金練成(アルス=マグナ)という世界を自在に操る魔術を完成させたこと。
 インデックスが上条に救われていたことを知り、暴走したこと。
「その人はこれからどうなるの?」
 上条は少し複雑そうな顔で、
「整形した後、記憶を消して完全に別人として生きて行くことになるらしい。このままだと世界中から命を狙われるからって言ってた」
 と答えた。
「そうなんだ」
 校長室でアウレオルスと向かい合った時とは全く違う、花のような笑顔で言った。
 結奈は知らない。アウレオルスは必要悪の教会(ネセサリウス)によって記憶を消されたのではなく、竜王の顎(ドラゴンストライク)の一撃によって記憶を奪われたことを。
 上条も、そのことを教えはしなかった。覚えていないのならそれでいいと考えたのだろう。
「結局、すれ違っちまっただけなんだよ。記憶がないから分かんねーけど、俺だってもう少しであいつと同じになってたかもしれないんだしな」
 そう言った上条の言葉を、結奈がきっぱりと否定する。
「それは、無いよ」
 確信に満ちた声でそう呟いた。
「たとえ同じ状況になったとしても、上条くんは暴走したりしない。きっと、インデックスが救われたことを誰よりも喜ぶよ」
 結奈は、昔聞いた言葉を思い出しながら言う。
『無事だったんなら、誰が助けたかなんてどうでもいい事だろ』
 いつだっただろうか、不良に襲われていた女生徒を助け、気絶していた少女を結奈に預けていった時のこと。
 結奈に助けられたと少女が勘違いしていた事を伝えられた時、上条が言った言葉だった。
(今だって、同じ事を言うだろうけどね)
 結奈は笑いながらそう考える。
 監禁されていると聞いたからといって、見ず知らずの他人を助けに行く人なんて普通はいないのだから。
 結奈はその答えに照れる上条を見つめる。
 病室へと近づいてくるインデックスの声を聞きながら、穏やかに時間は流れて行った。



[6597] 三章 一話
Name: ヒゲ緑◆ccab3415 ID:894f6c72
Date: 2009/10/21 09:28
 三沢塾での事件から数日。特に怪我もなかった結奈はすでに退院しており、いつものように上条の部屋で夕食を作っていた。
「私の私のカレーは……バナナ入ーり♪」
 謎の替え歌を歌いながらエプロン姿でカレーをかき混ぜる結奈。その後ろでは匂いに惹かれたインデックスがちょこちょこと動き回っていた。
 その結奈の耳に馬鹿な会話が聞こえてくる。
「よーく考えるんやカミやん! 今のこの状況が駄フラグなんてどの口から言うてんのや!」
 青髪ピアスが興奮して叫ぶ。
「そーだぜい。台所にはおしかけ女房、その隣には同棲相手の幼女。貴様どこの鬼畜だこの野郎!」
 それに続くように金髪グラサンの隣人、クラスメイトでもある土御門元春(もとはる)が言う。それに対し上条は、
「ちょっと待て! お前らが考えてるような色気のあるイベントなんて起きるわけねーだろ! 特に片方は食欲魔神だぞあれ!!」
 その言葉にインデックスの顔が引きつる。
「インデックス。やっちゃっていいよ」
 そう指示を出す結奈。
 インデックスは無言で頷くと、上条へ向かって突貫。遠慮なく頭を丸齧りし始めた。
「ぎゃああぁー!!」
 上条の絶叫が響き渡る。
 しかし、その場にいる誰も止めようとはしなかった。自業自得とはこの事である。
「くっ! 幼女に噛みつかれるやなんて、なんというレアイベント! カミやん僕に代わってやー!!」
 再び馬鹿な事を言い出した青髪ピアスに向かい、結奈は手元にあったミキサーの蓋を投げる。
「ぐげ!」
 その蓋は真っ直ぐに青髪ピアスの頭に飛んでいき、カエルの潰れるような声と共に馬鹿が気絶した。
「やれやれだぜ」
 その様子を横目で見ながら、土御門が変なポーズをとって呟いていた。



 今日は上条の追加補習の開始日だった。七月の終わりの補習をインデックスの件でサボリ続けたため、たった一人で追加の補習を受けることとなったのだ。
 土御門と青髪ピアスはその上条に同情して家まで励ましに来たらしい。
 しかし、結奈とインデックスの姿を見た事で励ましは尋問へと変わり、気づけば先ほどのような混沌とした状態になっていた。
 とりあえず関わりたくなかったので二人は台所に避難していたのだが、先ほどの上条の台詞は放っておく訳にはいかなかったようだ。
 結局、二人の攻撃によって事態は一応の鎮静化を見せていた。
「で、あんたたちはいつまでいるつもりなのよ? これは三人分しか作ってないからね」
 再びカレーをかき混ぜる作業に戻った結奈が招かれざる客二人に言う。
「いやいや、カレーなら少しくらい人数増えたって大丈夫だと思うにゃー」
「カレーが足りてもご飯が足りないわよ。ここに残っても一切食べさせたりはしないからね。そもそもあんたの部屋はすぐ隣でしょ」
 土御門の言葉を切って捨てる結奈。
「僕はカレーだけでもオッケーやで! むしろ女の子の手料理なら何でもアリやよ!」
「あんたは今すぐ帰れ! 二度と顔を出すんじゃないわよこのロリコン!」
 インデックスに噛みつかれたがったのを危険視している結奈。
「わ、私は幼女じゃないんだよ!?」
 当のインデックスはまったく違うところに反論している。
「なんか、もう……不幸だ」
 騒がしい部屋の中、上条は齧られた痛みに悶えながら呟いた。



 馬鹿二人が去り、夕食を終えた三人はテーブルに突っ伏してだらけていた。
 まったりとした時間が過ぎる中、ふと結奈が思い出したように言う。
「あ、そういえばインデックス。私こんなの持ってるんだけど欲しい?」
 そう言いながら財布からチケットのようなものを取り出す。
 そこには『第四学区全店 三名様一日食べ放題券』と書かれていた。
 第四学区とは、そこだけで世界中の料理が食べられるといわれる程の大規模飲食街だ。
 それを見たインデックスの目の色が変わる。
「一日食べ放題! ゆいな! それってなんでも食べられるってこと!?」
 興奮した様子でまくしたてるインデックス。
「うん。福引で当てたの。ちなみにこれ、明日までだから」
「とうま! 明日は食べ放題だよ!」
「わかったわかった。嬉しいのは分かったからその涎を抑えろ……ってこれは食べ物じゃありませんお願いします勘弁してくださいインデックスさん!」
 テンションが急上昇したインデックスが上条の腕を齧っている。
 もしかしたら明日の予行演習なのかもしれない、などと考えながら結奈は二人に言った。
「それじゃ、明日は三人で世界の料理食べ歩きだね」
「おー!」
 上条の腕から口を離し、両手をあげてインデックスが元気良く答えた。



「ごーはーんー!!」
 翌日の朝、上条の部屋にやってきた結奈は猛り狂うインデックスの姿を見つけた。
「上条くん……あれどうしたの?」
 結奈はぐったりとしている上条に聞く。
「思いっきり食べるためだって言って朝食ってないんだよ」
 すでに準備万端を通り越して限界突破しているらしい。
 とりあえず早く行かないと暴れ出しそうな様子だったので、急いでバス停に向かい第四学区行きのバスへと乗り込んだ。



 到着した第四学区を、食欲魔神と化したインデックスを連れて三人で歩いて行く。
 結奈はインデックスを落ち着かせるため、まずは手近な店に入ることにした。
「お寿司! 私一度食べてみたかったんだよ!!」
 というインデックスのリクエストに従い、目の前にある寿司屋に入る。
 中に入った途端、インデックスの眼は水槽の魚に釘付けになっていた。
 放っておくとそのまま齧り出しそうだったので、適当な席について盛り合わせで注文する。
 しばらくして、目の前に並べられたお寿司にインデックスは目を輝かせていた。
「おいしそうだよゆいな!」
 それだけ言うと、すぐさま食べ始めるインデックス。食べながら追加注文までしていた。
「そんなに慌てなくても取ったりしないから……上条くん、自分のがあるのになんでインデックスのところから持っていこうとしてるのかな?」
「これはあれですよ新城さん? わたくしの食べたかったネタがインデックスの分にしか無かったからであって、決して悪戯しようとしたわけじゃ……ぐぇ!」
 インデックスをからかおうとしていた上条を撃沈した後、結奈は自分の分を食べ始める。
「あ、おいしい」
「すっごくおいしいよ! ありがとうゆいな」
 美味しそうに食べる二人の横で、胃を強打された上条は食べることもできずにのたうち回っていた。



 結局、のたうち回っている間に上条の分は全てインデックスが平らげてしまっていた。
 何も食べられなかったと悲しみに暮れている上条だったが、食べ放題なのだから追加注文をすればよかったのだという事には全く気付いていない。
 生粋の貧乏性という事だろう。
 その後は学区中の店を回っていったのだが、まさにインデックスの独壇場だった。
 入った店の料理をすさまじい勢いで片っ端から食べ続けるインデックスに、その姿を見た上条は恐怖に震えていた。
 おそらくは、今後の食費が頭をよぎっているのだろう。
 一度贅沢を知ってしまったインデックスがこれまでと同じ量で満足するとは限らないからだ。
 そんな恐怖におののく上条は放置して、結奈はお土産用のテイクアウトができる店を探していた。
(土御門はともかく、舞夏ちゃんにはお世話になってるからね)
 舞夏とは土御門の妹の名前だ。馬鹿な兄と違って常識人なため、インデックスのことでいろいろ良くしてもらっていた。
 そうしてお店を探していた結奈は、視線の先に知り合いがいるのを見つける。
 その少女は周りを窺うようにきょろきょろと首を振りながら、一軒の屋台の前に立っていた。
 茶髪のツインテールを赤いリボンで結び、常盤台の制服を着た少女、白井である。
 今日は風紀委員(ジャッジメント)の仕事はないのか、いつも着けている腕章はしていない。
 上条達が別の屋台に並んでいるのを確認した結奈は、白井に声をかけてみることにした。
「やっほー。黒子ちゃん」
 その声に白井は体をビクッと震わせ、恐る恐る後ろを振り返る。
「し、新城さん? こんなところでどうなさいましたの?」
 焦った声で返す白井、どう見ても挙動不審だった。
「ちょっと食べ歩きの途中で黒子ちゃんを見つけたから、挨拶でもと思ってね」
 とりあえず追及はせずに普通に接する結奈。
「そ、そうでしたの。それではわたくしはこれで……」
 結奈の言葉に答えながら、急いでその場を離れようとする白井。
「あれ? 注文したのまだ出来てないみたいだよ黒子ちゃん」
「そ、それは別に構いませ「お待たせしました、ご注文のヘルシー増胸クレープです」」
 逃げようとする白井の声を遮って、店員が注文の品を復唱した。
 それを聞いた白井の顔が真っ赤に染まり、握りしめた両手がプルプルと震えだす。
 その様子にタイミングの悪さを悟ったのか、店員はばつの悪そうな顔をしていた。
 いつまでたっても動かない白井に代わりそのクレープを受け取った結奈が、慎重にそれを渡し、そのまま真剣な表情で告げる。
「はい、黒子ちゃん……あんまり思いつめないほうが良いよ?」
「いっそ殺して下さいですのー!!」
 秘密を知られた白井の、心からの絶叫が辺りに響き渡った。



 その後、宥めすかしてようやく落ち着いた白井を連れ、二人の元に戻る。
「あ、新城。と……そっちは?」
 結奈の隣にいる白井に、上条が頭に疑問符を浮かべる。
「私の友達。黒子ちゃんて言うんだよ」
「白井黒子と申しますわ」
 結奈の言葉に続いて自己紹介をする白井。
「私はインデックスっていうんだよ」
「上条当麻だ」
 返した二人の名前を聞いて、白井が訝しげに眉をひそめる。
「インデックス……ですか?」
 偽名感たっぷりのインデックスの名前に反応したらしい。職業病というやつだろう。
「あんまりそこの部分は触れないであげて。いろいろ事情があるの」
 その結奈の説明にとりあえず納得することにしたのか、白井が表情を戻す。
 話を続けようと白井が口を開いたその時、遠くから大きな悲鳴が聞こえてきた。
「「悲鳴!?」」
 結奈と上条は叫ぶと同時に声が聞こえた方向へと走り出す。
 それを見たインデックスも二人の後を追いかけ始めた。
 その途中で白井のことを思い出したインデックスが後ろを振り返ると、そこにはすでに誰もいなかった。



 幸い、目的の現場はすぐそこにあった。
 路地裏に入ってすぐのところにある建築現場の近くに五人の男が集まっており、二人の少女を取り囲んでいる。
 いつの間に追い抜いたのか、結奈と上条が到着した時にはすでに白井が男たちの前に立っていた。
「風紀委員ですの。暴行傷害の現行犯で拘束します。抵抗しないなら危害は加えませんわよ?」
 風紀委員の腕章をつけて、男たちに勧告する白井。
「へっ! お前みたいなガキに何ができるってんだ」
 しかし、白井の容姿を見て勝てると思ったのか、男たちには降伏する気はないようだった。
「仕方ありませんわね」
 呆れ顔でそういった瞬間、白井が突然その場から消える。現われたのは男たちの輪の中心。
 そして、そこにいる二人の少女の手を掴むと、間をおかずに今度は三人の姿が消える。
 白井達が再び現れたのは、結奈の目の前だった。
「新城さん、この方たちをお願いしますわ」
 そう言って少女たちを預け、再び男たちと対峙する白井。
「空間移動能力者(テレポーター)か!」
 男たちの中の一人が叫ぶ。その間にすでに白井は空間移動(テレポート)によって背後に回っており、二人の男が同時に引き倒された。
 白井はスカートの中に手を入れると、そこに用意してある鉄矢を空間移動によって飛ばし、倒れた男たちの服を地面に磔にする。
「まず二人……ですわね」
 男たちは全員が白井のほうを向いていた。その隙をついて、上条が男の一人に殴りかかる。
「おらっ!」
 完全に白井に気を取られていた男は、顔面を殴られてあっさりと気絶する。
「この野郎!!」
 その事に逆上したのか、残った内の一人が上条に殴りかかった。
 しかし、その後ろに空間移動で現れた白井が男の腕を掴み、バランスを崩す。
 そのまま倒れた男を鉄矢で磔にしたところで、
「黒子ちゃん! 後ろ!」
 という結奈の声が響く。
 白井が後ろを振り返ると、最後の一人が放ったらしい炎が向かってきていた。
 しかしその速度は遅く、十分に空間移動で避けられる、と白井が考えた瞬間。
 突然、トラックが全速力で壁にぶつかったような大きな音が周囲に響き渡った。
 それによって集中を乱され、白井は空間移動に失敗する。思わず顔を向けたそこには、巨大な鉄骨が突き刺さっていた。
「しまっ!!」
 白井が意識を奪われたのはほんの一瞬。しかし、この状況でそれは致命的だった。
 気が付いた時にはすでに炎は白井の目の前にまで迫っており、空間移動は間に合いそうもない。
 思わず目を閉じかけた白井の前に、誰かの腕が突き出された。
 その腕は、白井に襲い来る炎を一瞬でかき消していく。
 その光景に呆然とする白井。その横を通り過ぎるように、上条が炎を放った男に向かって駆けて行った。
 続けて放たれる炎をすべて右手で打ち消し男に迫った上条は、その顔面に殴り飛ばす。
 男は数メートルも転がった後、地面に倒れたまま意識もなく痙攣していた。
 そして、上条がゆっくりと白井に近づき、手を差し出す。
「大丈夫か?」
「は、はい。大丈夫ですわ」
 ようやく我を取り戻した白井が、差し出された手を掴む。
 そのまま引っ張り上げられるようにして立ち上がった白井に、結奈が駆け寄った。
「黒子ちゃん、怪我は無い?」
「特にありませんわ。ご心配をおかけしましたわね」
 そうやって答える白井だが、その視線は相変わらず上条を向いたままだ。
(何か……嫌な予感が……)
 隣にいた結奈からは、その頬がわずかに紅く染まっているように見えたのだった。



[6597] 三章 二話
Name: ヒゲ緑◆ccab3415 ID:894f6c72
Date: 2009/10/11 21:07
 気絶した不良を警備員に引き渡した後、結奈達は再び四人で飲食街を歩いていた。
「そういえば、あれってなんで落ちてきたの?」
 結奈が言うあれとは先程の鉄骨のことだ。
「ワイヤーが切れていたらしいのですけれど、今のところ詳しい原因は不明ですわね」
 そんな話をしながら歩く結奈と白井の横では、インデックスが上条に説教をしている。
「とうまはなんで女の子が絡むと自分から危ない所へ行こうとするのかな? それにまた手を出すなんて何考えてるの!」
「なんだ手を出すって! 上条さんは女の子に手なんて出してませんよ!?」
 そう反論する上条だったが、その言葉には全く説得力がない。
「手を出してない、ねぇ……」
 隣を見ながら結奈が呟く。
 そこにいる白井は、時折ちらちらと上条を見つめては首をぶんぶんと振ったりしていた。
(これは……立ったかな)
 何が、とは考えるまでもない。フラグ男上条のいつもの病気だ。
(はぁ……また一人……)
 深々と溜息をつきながら、結奈は遠い眼をして空を見ていた。



 それから数日、突然上条の部屋に来た白井にインデックスとの同居がバレてひと悶着があったりしたが、それ以外は何事もない平和な夏休みを結奈は満喫していた。
(やっぱり夏休みはエアコンの効いた部屋でごろごろしてるのが一番だよね……)
 そんなことを考えながらベッドに寝転がっている結奈の隣では、スフィンクスが丸まって眠っている。
 そう、こんな自堕落な様子を見せているが、ここは結奈の部屋というわけではなかった。
(上条くんは補習だからちょうどいいし)
 結奈が寝ころんでいるのは上条のベッドだ。結構な猫好きである彼女は、上条の補習中に部屋にあがりこみ、連日スフィンクスと遊んでいるのだった。
 先ほどまで一緒に遊んでいたインデックスも、今は逆隣で眠っている。
 口をもごもごと動かしているのを見るに、何かを食べている夢でも見ているのだろう。
 そうやって猫コンビに挟まれて至福の時を過ごす結奈の耳に、玄関のチャイムが鳴るのが聞こえた。
 結奈は一人と一匹を起こさないように慎重に立ち上がり、玄関へと向かう。
「こんにちは。今日もおじゃまします」
 玄関の扉を開けると、そこには長い黒髪に巫女服を着た少女が立っていた。
 先の三沢塾事件で上条が助けた少女、姫神秋沙だ。
 結奈達の紹介で小萌先生と知り合い、一緒に住むことになった姫神だが、昼の間は部屋に一人でやることもないらしく、よく上条の家に出没していた。
「姫神さん。あがってあがって」
 まるで自分の部屋であるかのように振る舞う結奈。
 インデックスが来てからこの部屋に来る頻度が上がったため、すでに家主気分になっている。
「ありがとう新城さん。それじゃあ遠慮なくあがらせてもらう。上条君は今日も補習?」
「うん。あと二、三日で終わるよ。そうなったら、こんなに集まれなくはなると思うけどね」
 二人がそんな話をしていると、部屋の奥からインデックスの絶叫が聞こえてきた。
「わたしのごはんー!!」
 何事かと二人がベッドへ向かうと、インデックスが寝ぼけた目で起き上がっていた。
 どうやら夢の中で食事でも奪われたらしい。
 呆れてため息をつく二人だったが、その足元をなにかが通り過ぎていく。
 よく見ると、それはスフィンクスだった。
 突然響いたインデックスの声に驚いたのか、スフィンクスは一目散に走っていく。
 もしかしたらこっちも寝ぼけているのかもしれない、などと考えていた結奈だったが、スフィンクスが開けっ放しの玄関から飛び出していったの見て慌てて追いかける。
「スフィンクス! そっちいっちゃダメ……って、もういなくなってる」
 玄関のドアから出たところで結奈が周りを探すが、すでに階段を下りてしまったのかスフィンクスの姿は見当たらなかった。
「猫さん。大丈夫?」
「スフィンクスはどこ行ったの!」
 結奈を追って部屋から出てきた姫神がのんびり尋ねる。目が覚めたのか、その後ろにはインデックスの姿もあった。
「あの様子だと寮からも出ていっちゃったかも。インデックスは寮の中を捜して。私と姫神さんは外を捜すから」
 その言葉に元気よく答えるインデックス。
「わかったよ。こっちは任せて!」
 姫神と二人で寮の外へ出る。
「私はこっちの道から捜すから、姫神さんはそっちから捜していって。見つからなくても一時間後には部屋に集合。今度はインデックスが飛び出しかねないからね」
「わかった。任せて」
 姫神は頷いて歩いて行く。
「ちゃんと見つかるといいんだけど……」
 そう呟きながら、結奈も姫神とは別の道へと向かった。



「スフィンクスー」
 捜し始めてからすでに三〇分ほどたったが、スフィンクスはまだ見つかっていなかった。
「やっぱり、一度見失っちゃうと辛いね……」
 そう言いながら歩いて行く結奈。その耳に、遠くから猫の鳴き声が聞こえてきた。
 急いでその声のほうに向かうと、ビルの脇に置かれた段ボールの中に三毛猫が入っているのが見えた。
「スフィンクス?」
 そう呼びかけると、三毛猫は結奈を振り向き一声鳴いた。間違いなさそうだ。
(えーと、セルフ捨て猫ごっこ?)
 どうやら寮への帰り道が分からなくなったスフィンクスは、少しでも居心地のいい場所へと逃げ込んでいたらしい。
(あれじゃどう見ても捨て猫じゃないの……現に今も段ボールの横で見ている女の子が……って!)
 結奈からは最初は見えていなかったが、近づくとスフィンクスをじっと見ている少女がいることに気づいた。
 その少女は目の前の三毛猫に夢中なようで、結奈の声にも気づいていない。
(あれ下手すると拾っていっちゃうよ。その前に誤解を解かないと!)
 さすがに飼うことを決意した相手に飼い猫だと伝えるのは、非常に気まずい事になる。
 そうなる前に回収しようと少女に近づいた結奈は、その顔に見覚えがある事に気づいた。
「美琴ちゃん?」
 その声でようやく少女が結奈の存在に気づく。
「……美琴、ですか、とミサカは問い返します。ああ、お姉様の事ですか」
 自分で言った疑問に自分で納得する少女。その言葉に結奈が反応する。
「お姉様?」
 思わず声に出た結奈の疑問に少女が答える。
「ミサカはお姉様の妹ですが、とミサカはお姉様の知り合いらしき女性に説明します」
 少女の特徴的な言い回しを不思議に思いながらも、その言葉に納得する結奈。
 目の前の少女は美琴に瓜二つだったからだ。
 茶色の短髪に常盤台の制服、唯一の違いは頭に掛けた暗視ゴーグルらしきものと、その無表情だけだった。
(ここまで似てるって事は、双子かな?)
 そう考えながら、結奈は自己紹介をする。
「えーと、私は新城結奈っていうの。美琴ちゃんとはお友達だよ」
「そうですか。ミサカの名前はミサカです、とミサカは丁寧に名乗り返します」
 相変わらず特徴的な口調で返してくるミサカだが、結奈はとりあえずそこには触れないことにして、ミサカの言葉に浮かんだ疑問をぶつけてみる。
「ミサカって名前なの? 苗字も御坂なのに」
「そうですが、とミサカは即答します」
 苗字と同じ読みの名前なんて紛らわしいんじゃないかと思う結奈だが、声には出さかった。
 もしかしたら何か複雑な事情があるのかもしれない。
「それで、あなたに質問があるのですが、とミサカは告げます。」
 何を聞きたいのかはよく分からないが、とりあえず頷く結奈。
 それを見たミサカが言葉を続ける。
「現在の状況から考えるに、この三毛猫を捨てた人でなしはあなたでしょうか、とミサカは疑わしげな視線を送りながら尋ねます」
 やはりその誤解をされていた事に肩を落としながら結奈は反論する。
「捨ててない! 外に出たこの子が勝手に落ちてた段ボールに入ってるだけ!」
 結奈と三毛猫の様子からその言葉を信じたのか、ミサカの無表情がわずかに和らいだように見える。
「それなら構いません。疑ってすみませんでした、とミサカは謝罪をします」
 そう言いながら深々と頭を下げるミサカを見て、結奈が慌てて返す。
「べ、別に怒ってないから。あの状況じゃ誰だって誤解するだろうし」
 それを聞いて納得したのか、頭をあげるミサカ。
 そのミサカに結奈が話しかける。
「それで、妹ちゃんは猫好きなの?」
 スフィンクスを抱き上げながら聞く結奈。
「いえ、……そういう、訳では」
 珍しく口ごもりながらミサカが答える。
 無表情な上に動作が落ち着いているせいで分かりづらいが、照れているのかもしれない。
「どの道、ミサカはその猫に近づくのは無理でしょう、とミサカは結論づけます。ミサカには一つ、致命的な欠陥がありますから、と補足説明します」
 ミサカが言うには、『電撃使い(エレクトロマスター)』の能力を持つ彼女の体は常に微弱な磁場を形成しており、小動物などはそれを嫌がって逃げてしまうらしい。
 そう話すミサカの表情が寂しそうに見えた結奈は、抱いているスフィンクスをミサカに押し付ける。
(同じ猫好きとして、放って置けないもんね)
 突然の結奈の行動に何か言おうとするミサカだったが、自分の腕の中にいるスフィンクスが全く嫌がっていないことに気づき、首を傾げた。
「どういう事でしょうか、とミサカは驚愕をあらわにします」
 本人の言葉によると怯えないスフィンクスに驚いているらしいのだが、結奈からは相変わらずの無表情に見える。
「きっと、そういうのが気にならない子もいるんだよ」
 結奈はそうミサカに言いながらも、
「(スフィンクス、今日の夕飯は高級猫缶にしてあげるよ)」
『(まじですか! ありがとうございます姐さん!!)』
 と、スフィンクスと目で会話をしていた。



 しばらくスフィンクスと戯れていたミサカだったが、用事があるといって帰って行った。
 結奈も約束の一時間を過ぎていることに気づき、急いで寮へと帰る。
(心配してるかな、インデックス)
 先月末から上条の無茶が続いたせいで、最近のインデックスはかなりの心配性になっていた。
 約束の時間を過ぎたりすると必要以上に心配するのだ。特に結奈に対して発揮されることが多い。
 過ぎたのは一〇分ほどだったが、小言が待っているんだろうな、と考えながら結奈は寮の上条の部屋に入った。
 入ったすぐそこ、玄関にはインデックスと姫神が待っていた。
「遅いよゆいな! 何かあったのかと思ったんだよ!」
「時間はちゃんと守ったほうがいい」
 開口一番、説教が始まる。どうやら姫神も約束の時間を守らなかった事にご立腹らしい。
「ごめん」
 遅れたのは自分が悪いので、結奈は何も言わずに二人に謝った。
 その結奈を見て怒りが収まったのか、二人はいつもの様子に戻る。
「あんまり心配はせないでねゆいな」
「携帯があるんだから。連絡ぐらいはする」
 それだけを言い残して部屋に戻っていった。
 結奈とスフィンクスはそのあとに続いて部屋に入る。
 いつものベッドにスフィンクスを降ろした結奈は、再び玄関へと向かった。
「ゆいな。どうしたの?」
「ちょっと夕食の買い物にいってくるよ」
 部屋から顔をのぞかせるインデックスにそう答える結奈。もちろん目的はスフィンクス用の高級猫缶の買い出しである。
 猫好きの少女に夢と希望を与えた功績を称え、スフィンクスには高級猫缶三食分が授与される事が結奈の中では決まっていた。
「私。手伝おうか?」
 姫神がそう提案するが、
「大丈夫、そんなに荷物は多くならないから。姫神さんはインデックスの相手をしてて」
 そう言って断る。完全に個人的な買い物なので、わざわざ付き合わせる事も無いだろう。
「それじゃ、行ってきまーす」
 部屋の中にいる二人と一匹にそう告げて、結奈は商店街へと向かった。



[6597] 三章 三話
Name: ヒゲ緑◆ccab3415 ID:894f6c72
Date: 2009/10/11 21:08
 高級猫缶を求めて訪れた商店街で、結奈はばったりと佐天に遭遇した。
 結奈の顔を見た佐天はいつものように笑顔を浮かべ、駆け寄ってくる。
「お姉さま、お買い物ですか?」
 隣に並んだ佐天が結奈に聞く。
「そうだよ。夕食の買い出し。涙子ちゃんは?」
「あたしは散歩です。あの……一緒に行ってもいいですか?」
 期待を込めた目で結奈を見ながら佐天が尋ねる。
「もちろん。いいよ」
「ありがとうございます!」
 二つ返事で了承した結奈に、感極まった佐天が抱きついてきた。
 その様子を見て、周りにいた人達が何事かと振り返る。
「涙子ちゃん。周りに人がいるから、それくらいに……」
「やっぱりお姉さまは優しいです!」
 何とか佐天を宥めようとする結奈だったが、自分の世界に入った佐天はやはり人の話を聞いていなかった。
(これが無ければいい子なんだけどね……)
 心の中でため息をつきながら思う結奈。
 事あるごとに抱きついてくる佐天に頭を悩ませながら、いつものスーパーへと入って行った。



 目当ての高級猫缶といくつかの食材を買い、スーパーを出た二人。
 代わりに荷物を持とうとする佐天をどうにか説得した結奈は、疲れた顔をして帰路を辿っている。
 その途中、結奈が猫缶を買ったことが気になっていた佐天が尋ねた。
「お姉さまって、猫飼ってるんですか?」
 不思議そうな声色で聞く。学生寮にはペット禁止のところが多いからだ。
「私が飼ってるわけじゃないけど……こっそり飼ってる人がいてね。ご飯あげたりしてるの」
 結奈も当たり障りのないように答える。
 さすがにそれが男子生徒で、その部屋に一日中入り浸っているなんて事は言う訳にはいかない。
「そうなんですか。どんな猫なんです?」
「三毛の子猫だよ。ちっちゃくて可愛いの!」
 佐天の疑問に即座に答える結奈。
 目を輝かせる結奈の様子が珍しいのか、佐天は少し驚いた表情をしている。
「涙子ちゃんにも今度見せてあげるよ」
 そのことには気づかず、結奈はうっとりとした表情で続けていた。
 そのまま結奈の飼い猫自慢が始まる。
 普段とは違う結奈のハイテンションに、二人の寮の分かれ道まで来た時には珍しく佐天がぐったりとしていた。
「それじゃ、またね。涙子ちゃん」
 そう言って別れようとすると、佐天が何かを思い出したように結奈を呼び止めた。
「お姉さま! あたしと携帯電話を見に行きませんか?」
 予想外の言葉に驚く結奈。
「あの、涙子ちゃん。私、携帯なら持ってるよ? この前番号教えたよね?」
 そう返すが、佐天は興奮した様子で続ける。心なしか目も潤んできていた。
「あたしとお姉さまだけで繋がる携帯が欲しいんです! ダメですか?」
「そ、それはちょっとやりすぎなんじゃ……」
「そんなことありません!!」
 なんとか断ろうと抵抗する結奈だったが、佐天はやはり折れそうにない。
 一時間近くその問答が続いた結果、例によって結奈が諦め、気づけば明日一緒に新しい携帯を買いに行くことになっていた。
(私ってきっと子供を叱れず甘やかしちゃうタイプだ……)
 満面の笑みで別れの挨拶をしている佐天を見送りながら、結奈は自分の将来について悩み続けていた。



 次の日、結奈は約束通り佐天と携帯電話を見に来ていた。
「お姉さまー、これとかどうですか? 機能は少ないですけど安いですし、丁度いいと思います」
「私は別に値段は気にしてないけど……念のためにGPS機能のあるやつにした方が良いと思うよ? 確か今持ってるのは無いんだったよね」
 佐天の様子を見て、失くした時の対策を考えておく結奈。
 下手をすると帰りにでも失くしていそうな程の浮かれっぷりだった。
「お姉さまが気にしなくてもあたしは気になるんです! あ、GPS機能付きだったらこっちのコーナーがそうみたいですよ」
 楽しそうな佐天と一緒に店を回る。
 あれこれ見ていった結果、結局二人が選んだのは通話とメールがメインのシンプルな機種だった。
 もちろんGPS機能だけは結奈が譲らなかった。
「私がお金だそっか?」
 そう佐天に提案する結奈だったが、佐天の方は、
「あたしが無理言ってお願いしたんですから全部出します」
 と譲らない。このままでは平行線なので、それぞれ自分の分だけを払う事で手を打つことにした。
 結奈はどこまでいっても身内に甘い、ということだろう。
 新しい携帯の契約を終えた二人は、結奈に用事があるという事でそのまま帰ることになった。
「お姉さまー、ありがとうございまーす!」
 そう手を振る佐天と別れ、結奈は寮の自室へと入って行った。



 しばらく自室のベッドの上で二つ目の携帯を眺めていた結奈だったが、約束の時間が迫っていることに気づき、慌てて準備をする。
(あ、この携帯どうしよう)
 手に持った新しい携帯をどうしようか考える結奈だが、時間がないのでとりあえずいつも使っている鞄に放り込んでおく。
「普段から持ち歩いて下さい」と言われたのでちょうど良いだろう。
 自室を出た結奈は、急いで上条の部屋に向かった。
そこでインデックスの隣に眠るスフィンクスを確保すると、そのまま寮を出て行く。
 スフィンクスを抱いた結奈がしばらく走って到着したのは、昨日ミサカと出会った場所だった。
「妹ちゃーん。遅れちゃってごめんね」
 結奈がすでにそこに立っていたミサカに声をかけた。
「いえ、ミサカも数分前に来たところです、とミサカは端的に事実を述べます」
 無表情に答えるミサカだが、その目はスフィンクスに釘付けになっている。
「はい、約束通り今日も連れてきたよ。思いっきり遊んであげて」
 そう言ってスフィンクスをミサカに渡す。
 その結奈の言葉に、ミサカの目がキラリと光った。
「それでは、今日はこのような道具を用意しました、とミサカは誇らしげに取り出します」
 ミサカが鞄から取り出したのは、猫じゃらしだった。
(あれって学園都市じゃあんまり見かけないんだけど、どこで取ってきたんだろ?)
 そんなことを考える結奈の前でスフィンクスを降ろし、ミサカは猫じゃらしを振り始める。
 スフィンクスも猫としての本能で追いかけずにはいられないのか、てちてちと猫パンチを繰り出していた。
 道具を使って戯れる一人と一匹を見ながら、結奈も至福の時を過ごす。
(なんていうか、両方可愛い! ああもう抱きしめたいなぁ!)
 無表情の中に楽しさをにじませるミサカの様子が、結奈の琴線に触れたらしい。
 どこかのツインテール娘のような事を考えながら、結奈は緩んだ顔で目の前の光景を眺め続けていた。



 鞄から色々な道具を取り出し、一時間ほどスフィンクスと遊んでいたミサカだが、日が暮れ始めてきた事に気づいて道具を片づける。
「楽しかった? 妹ちゃん」
 そんなミサカに笑顔で話しかける結奈。
「はい、とミサカは正直な感想を伝えます」
 ミサカもどこか満足げな表情で答えた。
「そっか、スフィンクスはどうだった?」
 その結奈の問いにスフィンクスが一声鳴く。
「にゃー」
「『俺も楽しかったぜお嬢ちゃん。また遊んでくれよな』だって」
 それを適当に翻訳する結奈。
「あなたは猫の言葉が分かるのですか、とミサカは羨望の視線を送ってみます。しかし、三毛猫はほぼ雌のはずですが、この猫は雄なのでしょうか、とミサカは新たに湧き上がった疑問をぶつけます」
 その言葉に結奈は笑いながら答える。
「私も知らないや。どっちなんだろ? どっちにしてもスフィンクスが楽しかったのは間違いないと思うよ」
 そう言いながら結奈はスフィンクスを抱き上げる。
 おとなしいもので、スフィンクスは結奈の腕の中でじっとしていた。
「明日はどうしようか。今日と同じ時間で良い?」
 結奈の言葉に、ミサカの表情がわずかに固まる。
「明日は用事があるので来る事はできません、とミサカは簡潔に答えます」
 それを聞いて残念そうに表情を曇らせる結奈。
 しかし、すぐに笑顔に戻ると、
「じゃあ明後日は大丈夫? 私も妹ちゃん見てるのが楽しいから、いつでも良いよ」
「……」
 ミサカがその言葉に黙り込む。
「妹ちゃん?」
 急に様子が変わったミサカを心配そうに見つめる結奈。
 その視線に気づいたミサカは再び元の無表情に戻り、結奈に答えた。
「いえ。これからしばらくは忙しいため、ここには来れません、とミサカはその魅力的な提案を断ります」
「そっか、それじゃあ仕方ないね。あ、これ私の携帯の番号だから、来れるようになったら連絡してね?」
 事前に準備していた紙をミサカに渡す。
「わかりました、とミサカは約束します」
 そう答えるミサカの表情は、どこか曇っているように見えた。



 翌日の夜、結奈は第七学区の路地裏を走っていた。
 陽は先ほど落ちたばかりだったが、元々人通りの少ない道なためすれ違う人も全くいない。
(わーん! 早くしないと始まっちゃうー!!)
 今日は一日一人で遊びまわっていた結奈だったが、七時三〇分から見たいテレビがあったのを先ほど思い出したのだ。
 ここの路地裏は不良に絡まれなければ普通の道を通るよりかなり帰宅時間を短縮できるため、このままでは間に合わないと悟った結奈は迷わず飛び込んでいた。
 一心不乱に走り続ける結奈だったが、その途中でおかしな音が聞こえてくる。
 それが銃声のようだと気づいた結奈は、いやな予感がして、その音が聞こえてきた方へと進路を変えた。
(銃声って事は、スキルアウトかな?)
 スキルアウトとは武装した無能力者集団の事で、これ以外に学園都市で銃を持っているのは警備員(アンチスキル)か風紀委員(ジャッジメント)くらいである。
 とりあえず様子が分からないと通報もできないため、結奈はまず危ない状況かどうかを確かめることにした。
 路地裏を奥へ奥へと進んでいくと、再び銃声が響いた。
(さっきより近い! 多分、もうすぐそこ)
 そう考えながら足を進める結奈の耳に、銃声以外の音が聞こえてくる。
 それは、人の声のようだった。近付くにつれ、その中性的な話し声が少しづつ大きくなっていく。
「(さっきのアレでもう分かってンのに、何で同じ事繰り返してンだオマエはよォ)」
(あの先!)
 あと曲がり角一つ曲がったところから声は聞こえてきていた。
 そこまで来て、中世的な声の他に、もう一つの声があることに結奈は気づく。
「(それがミサカの役割ですから、とミサカは質問に答えます)」
 その声と口調は、結奈にも聞き覚えがあった。あの特徴的な言い回しを聞き間違える訳が無い。
(妹ちゃん!?)
 そこにミサカがいることに気づいた結奈は、さらに走るスピードを上げる。
 全速力で曲がり角に出た結奈の目の前。
 そこにいたのは右手に銃を持ち左手から血を流すミサカと、それを冷たい笑みを浮かべて見つめる、白髪で中世的な容姿の少年だった。



[6597] 三章 四話
Name: ヒゲ緑◆ccab3415 ID:894f6c72
Date: 2009/10/11 21:08
 突然現れた結奈の姿を見てミサカと少年が驚きの表情を浮かべ、二人の動きが止まる。
(状況はいまいち分かんないけど……まずは妹ちゃんの手当てが先!)
 結奈はそう考えると、すぐそこにいたミサカの右手を掴み、もと来た道へ全速力で駈け出した。
 ミサカは未だ事態についていけてないのか、固まったまま結奈に手を引かれていく。
 呆然と結奈を見ていた少年だが、そこまで来てようやく我を取り戻す。
「ちっ! なンだよオマエはよォ」
 そう言いながら少年は足元の砂利を踏みつけた。
 すると、それはまるで銃弾のよう速度で飛び出し、逃げる結奈へと向かっていく。
 結奈は一瞬だけそちらに視線を送ったが、すぐに前に向き直り、全く後ろを気にもせずに走り続けた。
 放たれた散弾銃(ショットガン)の弾のように襲いかかる砂利は、しかし、全てがギリギリのところで二人には当たらない。
「な!?」
 二人の進行速度も方向も、全て少年の計算通りだった。周囲の環境も同様だ。
 しかし、放った砂利の軌道だけがその計算から外れていた。
 その事実は少年を混乱させる。逃げる結奈にとってはその数秒で十分だった。
 再び呆然としだした少年には構わず、結奈はミサカを連れて一気に路地裏を駆け抜ける。
「何を……「妹ちゃん。喋ると舌噛むよ!」」
 少年が見えなくなり、ようやく自失状態から復活したらしいミサカが話しかけてくるのを止めながら結奈は走る。
 結奈の言葉に従い無言でついてくるミサカを連れ、ようやく路地裏を出たところで走るスピードを緩めた。
「ここまで、来れば……大丈夫だよね」
 少し乱れた息を整えながら結奈が呟く。
「妹ちゃん、とりあえず私の部屋に行こっか。話はそれからね」
 ミサカは戸惑った顔をしていたが、やがてゆっくりと頷いた。


 ミサカの持つ銃を見られないように注意しながら寮へと帰った結奈は、救急箱を取り出して怪我の手当てを始めた。
 流れていた血を拭き取り、傷口の確認をする。
「妹ちゃん、ちょっと腕上げて……うわ! 結構酷いよ?」
 結奈の言葉に素直に上げられたミサカの左腕は、銃か何かで撃たれたように脇の部分の肉が抉れていた。
 血はすでに止まっているようなので、傷口を消毒して上条用に用意していた傷薬を塗った後、ガーゼを当てて包帯を巻いておく。
 それ以外にも全身には打撲の跡があり、そちらの方にも処置を施していった。
「これでよし、と」
 応急処置も終わり、改めて結奈がミサカに尋ねる。
「それで妹ちゃん、さっきのは何だったの?」
 その結奈の言葉に、ここまで無言だったミサカが初めて口を開く。
「今の言動から考えるに、あなたは本実験の関係者という訳ではなさそうですね、とミサカは冷静に状況を分析します」
「実験?」
 ミサカの言葉に含まれた不穏な単語に結奈が眉をひそめた。
「念のために符丁(パス)の確認を取ります、とミサカは有言実行します。ZXC741ASD852QWE963、とミサカはあなたを試します」
「妹ちゃん?」
「今の符丁を解読(デコード)できない時点であなたは実験の関係者ではないようですね、とミサカは事実の確認を終えます」
 よく分かっていない結奈を置いて、ミサカは一人で納得していた。
「結局どういうことなの?」
 その結奈の疑問に、ようやくミサカが答える。
「そうですね、どうやら本実験で無用な心配をかけてしまったようですので、機密事項に触れない範囲で良ければ説明します、とミサカは譲歩します」
 その言葉を皮切りに、ミサカが説明を始めた。
「ミサカは学園都市で七人しか存在しない超能力者(レベル5)、お姉様(オリジナル)の量産軍用モデルとして作られた体細胞クローン―――妹達(シスターズ)です、とミサカは説明します」
「クローン……?」
 突然の話に呆然としながら結奈が呟く。
「はい。『ミサカ』は複数個体が作られ、電気を操る能力を応用して記憶を共有していますが、今日まであなたに接してきたのは検体番号(シリアルナンバー)一〇〇三一号、つまりこのミサカです、とミサカは追加説明します」
 そう言うミサカの顔には、何の表情もない。淡々と、その事実を告げていく。
「先ほど行っていたのはただの実験です、とミサカは説明を続けます。これはミサカも承知している事なので心配は必要ありませんが、本実験にあなたを巻き込んでしまった事は謝罪します、とミサカは頭を下げます」
 頭を下げるミサカを見ながら、結奈はそこまで聞いて浮かんだ疑問を聞いてみることにする。
「美琴ちゃんは、この事を知ってるの?」
 ミサカは下げていた頭を元に戻すと、その疑問に答えた。
「知っています、とミサカは答えます。しかし、お姉様の行動を見る限り、快くは思っていないようです、とミサカは補足します」
 その返答に結奈はほっと息をつく。
「少なくとも、美琴ちゃんは了承してないんだね?」
「そのようです、とミサカは答えます」
 そこまで話し終えたところで二人の間に沈黙が下りる。
 それを打ち破ったのは結奈だった。
「あーもう! どんな実験をしてるのかは知らないけど、その怪我じゃ続けるのは無理でしょ? 今日はうちに泊めるから、話の続きは明日!!」
 そう叫んで結奈が立ち上がる。
「私はシャワー浴びてくるから、妹ちゃんはここで休んでて。上がったらご飯作るから」
「いえ、ミサカは別に……「それと、そこにある鞄あげるから、銃はその中にしまっておくこと! いい?」」
 テーブルの下に置いてあった愛用の鞄を指さしながら言う結奈。
「……わかりました、とミサカは指示に従います」
 ミサカは少し考え込んでいたが、諦めたようにそう呟いた。
 それを見て満足そうな表情を浮かべた結奈は、着替えを用意して浴室へと向かう。
 上機嫌でシャワーを浴びている途中、玄関の方から扉が閉まるような音がしたのだが、水音に遮られて結奈がそれに気づく事は無かった。



「妹ちゃーん。すぐにご飯作るから……って、あれ?」
 超特急でシャワーを済ませた結奈が部屋に戻ると、そこには誰もいなかった。
 ミサカの姿は何処にも無く、テーブルの下の鞄が無くなっている。
「妹ちゃん?」
 結奈は寝室にでも行ったのかと思い部屋を覗くが、そこにも人の気配はなかった。
 まさかと思った結奈が玄関に向かうと、先ほどまであったミサカの靴が無くなっている。
(まさか……あの怪我で実験に戻ったの!?)
 よく考えると、ミサカは心配しないようにとだけ言い、安全だとは一言も言っていない事に気づいた。
(妹ちゃんは、最初からああなる事を知っててやってた……って事?)
 そこまで考えたところで、結奈は昨日のミサカの様子がおかしかった事を思い出す。
(妹ちゃんの様子がおかしくなったのは……たしか、私が明日はどうするのか聞いてから……)
 その時ミサカは結奈の言葉に驚いたような態度をとった。そして、
『しばらくは忙しい』
 と言って誘いを断ったのだ。
(あれは、もう来れない事が分かっていたから?)
 あの時、ミサカが約束したのは『都合が良くなったら連絡する』という事だけだった。
 結奈は思う。別れ際に感じた悲しげな雰囲気は、その約束が果たされない事を知っていたからではないのかと。
(ただの勘違いかもしれない。でも……もし、本当にそうだとしたら!)
 その考えが正しければ、ミサカはこの実験によって命を落とすのだろう。
 そして、彼女はそれを分かっていて受け入れている。
 ミサカは全ての妹達で記憶を共有していると言った。だから、彼女にとってそれは死ではないのかもしれない。
(でも……!)
 それでも、結奈にとってはあの日あの場所で遊んだミサカこそが『自分と過ごしたミサカ』なのだ。
(だったら、あの子を放っておくわけにはいかない!!)
 一体何が行われているのか、結奈には分からない。
 だけど、それがミサカの命を奪うというのなら、結奈はそれを止めたいと思った。
 決意を固め、すぐにミサカを追おうとする結奈だが、肝心の目的地が分からない。
(妹ちゃんは私を巻き込まないようにしてたから、さっきと同じ場所って事はないよね……)
 結奈は考える。ここに来てからのミサカの台詞に、そのヒントはなかったかと。
(妹達のことを聞いて……私がシャワーを浴びるために浴室にいったんだよね)
 少しでも何かがなかったかと、先ほどの会話を思いだす。
(それで、私は銃を鞄に入れておくように言って……鞄!)
 結奈が浴室から出てきた時、テーブルの下にあった鞄が無くなっていた。
 おそらくは結奈の言葉に従い、ミサカが銃を入れて持っていったのだろう。
(確か、あの鞄には……!)
 そう考えながら、結奈は携帯を取り出し操作し始める。
 目的のページを開きIDとパスワードを入力すると、画面に学園都市の地図が表示され、その一か所に印が付けられた。
 結奈が調べたのは、紛失したGPS携帯の捜索ページ。
 佐天と一緒に購入し、鞄に入れたままだったもう一台の携帯電話の位置情報だった。



 携帯の画面に表示される位置情報を確認しながら、結奈はミサカを追いかけていた。
 すでに表示は第七学区を出て、北西方向へ向かっている。
(この方向だと……第十七学区かな。たしかにあそこなら人通りもほとんど無いし、あまり知られたくない実験の場所には適任かも)
 走りながらそう考える結奈の掌には、汗が滲んでいた。
 これから行く場所は、今までの不良相手の路地裏のような所ではない。
 銃を持って応戦するミサカがあれだけの怪我をする、戦場だ。
 その恐怖が、決意を蝕んでいく。
 それでも、結奈は思う。
(あの子を守ってあげたい!!)
 ただ、その思いが結奈の体を突き動かしていた。



 結奈の予想通り、ミサカの位置を示す印は第十七学区の操車場に入ったところで動かなくなった。
 画面の印だけでは細かい場所は分からないので、近くまで来た結奈はミサカを捜して操車場を回る。
 そして、走る結奈の耳に一時間ほど前と同じ銃声が聞こえてきた。
 それでおおよその方向を掴んだ結奈は、そちらに向かっていく。
 角を回り、その先の少し開けた場所。そこで、あの中性的な少年と、二人のミサカが闘っていた。
 そのミサカの片方は素手で、もう片方は銃を持っており、少年は二十メートルほど離れた所から銃を持ったミサカを見ていた。
 三人はまだ結奈には気づいていない。
 これ幸いと結奈が距離を詰めていく途中、銃を持ったミサカの右腿が少年の足もとから放たれた弾丸のようなモノに貫かれ、彼女は地面に膝をついた。
 少年はミサカ達にしか気を配っていないのか、ここまで近づいても結奈に気づいた様子は無い。
 ミサカ達も周りに気を配る余裕がなかったらしく、膝をついたミサカからほんの数メートルのところまで来たところで、ようやく素手のミサカが結奈の存在に気づいた。
 彼女が何か声を上げようとしたその時、少年の足元が爆発し、散弾銃の弾のような勢いで放たれた砂利が膝をつくミサカに襲いかかる。
「妹ちゃん!!」
 結奈は何も考えず、ただミサカを守りたいという思いに従って彼女に覆いかぶさるように押し倒し……襲い来る無数の砂利の弾丸が、結奈の全身を貫いた。
「あ、ぐ……」
 全身に走った痛みに、意識が一瞬飛びかける。
 それをギリギリで耐えきった結奈だったが、一撃食らっただけですでに手足に力が入らないようになっていた。
「なっ!!」
 結奈が自分を庇った事に気づいた銃を持ったミサカが、驚愕の表情を浮かべる。
「何を……!」
 そのミサカの声は、横から割り込んできた少年の言葉で遮られる。
「なンだァ、またオマエかよ。逃げられてもイイってなァ連絡があったから、さっきは見逃してやったってのに、そンなに死にてェってンならお望み通り殺してやンよォ!」
 そう言って再び砂利を踏みつけようとする少年の周囲で、バチバチと放電が発生する。
 それを見た少年が、思い直したように素手のミサカの方に向き直った
「そォいやオマエもいたンだったなァ。あっちはもう動けそうにねェし、先にオマエから片づけてやンよォ!」
 言葉を放つと同時、少年が弾丸のような速度で素手のミサカに迫った。
 素手のミサカが慌てて後ろに飛び退こうとするが、あまりのスピードに回避が間に合わない。
 彼女の懐に飛び込んだ少年が、頬に撫でる様に触れる。
 その瞬間、素手のミサカの首がゴキリという嫌な音を立て、その体が吹き飛ばされた。
 砂利へと擦りつけられた手足に無数の擦り傷が生まれる。
 倒れこんだ素手のミサカを少年は殴りつけ、蹴り飛ばし、その体を痛めつけていく。
(やめて……)
 そう思いながらも、結奈の体は痛みで動かすこともできなかった。
 目の前で傷つけられていく少女を、ただ見ていることしかできない。
(これ以上、この子達を傷つけないで!)
 動くことすら出来ない結奈に許されるのは、ただ祈ることだけ。
(お願い……誰か! この子達を助けて!!)
 その祈りは、届く。

「……離れろよ、テメェ」

 声が、聞こえた。

「今すぐ、御坂妹から、離れろっつってんだ。聞こえねえのか」

 聞き間違えるはずのない、結奈がよく知る声。

「ぐちゃぐちゃ言ってねぇで離れろっつってんだろ、三下!!」

 上条当麻の、声だった。



[6597] 三章 五話
Name: ヒゲ緑◆ccab3415 ID:894f6c72
Date: 2009/03/08 00:43
「ぐちゃぐちゃ言ってねぇで離れろっつってんだろ、三下!!」
 落雷のような上条の怒号が、あたりに響き渡った。
 倒れている結奈からは、その姿はコンテナの影になって見えない。
 それでも、聞こえてきたその声だけで結奈には今の上条がどんな顔をして、どんな想いでそこに立っているかを鮮明に想像できた。
(上条、くん……)
『今すぐ、御坂妹から、離れろっつってんだ』
 一体何があって上条がこの事を知ったのか、それは分からない。
 だが、結奈と同じ想いを上条が抱き、この場所へと来てくれた事。
 それが、何よりも嬉しかった。
「オマエ、ナニサマ? 誰に牙剥いてっか分かって口開いてンだろうなァ、オイ。学園都市でも七人しかいねェ超能力者(レベル5)、さらにその中でも唯一無二の突き抜けた頂点って呼ばれてるこの俺に向かって、三下? オマエ、何なンだよ。カミサマ気取りですか、笑えねェ」
 少年が、信じられないものを見るかのような表情で言う。
(超能力者の第一位……そっか、あれが『一方通行(アクセラレータ)』だったんだ)
 上条からの返答はない、それでも、
「……へェ。オマエ、面白ェな……あァ、本当に面白ぇわ」
 殺気に満ちた一方通行の声が、その答えを結奈へと伝えていた。
 その会話の最中、一方通行の足元で倒れている、御坂妹と呼ばれたミサカが震える声で呟いた。
「な、にを、……やっているんですか、とミサカは問いかけます」
 そう、二人に問いかける。
「何をやっているんですか、とミサカは再度問いかけます。いくらでも替えを作る事の出来る模造品のために、替えの利かないあなた達は一体何をしようとしているのですか、とミサカは再三にわたって問いかけます」
 結奈達の考えが理解できない御坂妹は、必死に二人を止めようとする。
「ミサカは必要な機材と薬品があればボタン一つでいくらでも自動生産できるんです、とミサカは説明します。作り物の体に、借り物の心。単価にして十八万円、在庫にして九九六八も余りあるモノのために、『実験』全体を中断するなど―――」
 結奈は、これが全ての『ミサカ』の共通の考えであるのだろうと気づいた。
 だから、結奈は同じように思っているのであろうミサカに、痛みを堪えて途切れ途切れに言う。
「惜しい……なぁ。体が動いてたら、妹ちゃんを……思いっきり、ひっぱたいてあげたのに……」
 その言葉の意味が分からず、ミサカは呆けた表情で問い返す。
「な、何を……」
「そのままの……意味だよ。言って分からない子には、それぐらい、しないとね……」
 すぐに教えてくれるよ、という結奈の言葉に重なるように、上条が呟く。
「……うるせぇよ」
 その上条の声に宿るのは、確かな怒り。
「うるせぇんだよ、お前は。そんなもん、関係ねぇんだよ。作り物の体とか、借り物の心とか。必要な機材と薬品があればボタン一つでいくらでも自動生産できるとか、単価一八万円とか。そんなもん、知った事じゃねぇ! そんな言葉はどうだって良いんだよ!」
 その怒りをすべて乗せて、上条は夜空に向かって吼えるように叫んだ。
「俺は、お前を助けるためにここに立ってんだよ! 他の誰でもない、お前を助けるために戦うって言ってんだ! だから作り物の体とか借り物の心とか必要な機材と薬品があればとかボタン一つでいくらでも自動生産できるとか単価一八万円とか、そんな小っせぇ事情なんかどうでも良い!」
 たった一つ、大切な想いを届けるために。
「お前は、世界でたった一人しかいねぇだろうが! 何だってそんな簡単な事も分っかんねぇんだよ!」
 それこそが、上条が、結奈が、伝えたかった事だった。
「勝手に死ぬんじゃねぇぞ。お前にはまだまだ文句が山ほど残ってんだ」
 上条は一方通行に向かって歩く。
「今からお前を助けてやる。お前は黙ってそこで見てろ」
 ただ、そう言い放って。
(ホントに、カッコつけすぎだよ)
 痛みに歪む結奈の顔に、わずかに笑みが浮かんだ。



 一方通行と対峙する上条を見つめながら、結奈はミサカに言う。
「妹、ちゃん。お願い、聞いて貰っても……いいかな?」
「それは構いませんが、とミサカは答えます」
 ミサカの了承の返事に、結奈は言葉を続ける。
「私を……そこの、コンテナの陰に……連れて行って欲しいの」
 それを聞き、ミサカが訝しげな表情を浮かべた。
「一体何をするつもりですか、とミサカは困惑しながら問い返します」
 結奈はゆっくりと答える。
「私を見たら……上条くんが、驚いちゃうかも、しれないからね。出来れば、足を怪我してる妹ちゃんには……頼みたくはないんだけど。自分じゃ、動けないから……」
 途切れ途切れに言う結奈の言葉に、ミサカが頷く。
「わかりました、とミサカは要望に応えます」
 結奈を引きずるようにしてゆっくりと歩き始めるミサカ。
 コンテナの影まで来た時には、二人とも息を切らしていた。
「ありがとう、妹ちゃん」
 結奈はそう言って、再び上条に視線を戻す。
 闘いは、すでに始まっていた。



 一直線に駈け出した上条に対し、一方通行はその場を動かない。
 ただ、笑みを浮かべて足元の砂利を踏む。
 その瞬間、その無数の砂利が弾丸のように飛び出し、上条を襲った。
 それに気づいた上条がとっさに両腕で顔を庇うが、砂利は上条の全身に襲い掛かり、その体を吹き飛ばす。
「全っ然、足りてねェ。オマエ、そんな速度じゃ一〇〇年遅ェっつってンだよォ!」
 そう言いながら、一方通行が再び地面を踏みつけた。
 それによって一方通行の足元にあった鋼鉄のレールが持ち上がる。
 そして、軽く当てた手に反応して、そのレールが上条に向かって砲弾のような勢いで飛んでいった。
 地面を転がることでレールを避けた上条だったが、舞い上がった砂利が体に叩きつけられる。
 さらに、追い打ちをかけるように一方通行は次々とレールを飛ばしていった。
 上条はギリギリでレールを回避していくが、飛び散る砂利は防ぎきれない。
「アッハァ! ほら、遅ェ、遅ェ、全然遅ェ! 狩人を楽しませるならキツネになれよ、食われるためのブタで止まってんじゃねェぞ三下ァ!!」
 そう言いながら一方通行は足元の砂利を爆発させ、一瞬で上条との距離を詰める。
 そのまま一方通行が地面を踏むと、跳ね上がったレールが上条の顎を突き上げた。
「がっ、ご……ッ!」
 下から勢いよく突き上げられ、空中に浮いた上条に向って一方通行が右手を伸ばす。
 上条はそれを右手で払い落とした。
 一方通行は自分の右手を払い落とした上条に一瞬だけ驚愕の表情を向け、しかしすぐに表情を戻すと、地面に踏みつけた。
 一方通行の足元から巻き上げられた砂利が、空中にいる上条の全身に叩きこまれる。
 吹き飛ばされた上条の体は、結奈のいる場所とは反対側にあるコンテナの山にぶつかって動きを止めた。
 そのコンテナに気を取られた上条に、一方通行が襲いかかる。
「おら、余所見たァ余裕だなオイ! ンなに死にたきゃギネスに載っちまうぐれェ愉快な死体(オブジェ)に変えちまおうかァ!!」
 そう叫びながら放たれた一方通行の飛び蹴りを、上条は紙一重でかわす。
 一方通行の勢いは止まらず、そのままコンテナの壁に突っ込み、甲高い金属音とともに積み上げられたコンテナの山が崩れ落ちた。
 それに気づいた上条はその場から離れようとするが、一方通行は逃がすまいと上条へと飛びかかる。
 それを見て、上条はとっさに足元の砂利を一方通行に向かって蹴り飛ばした。
 その砂利は一方通行の体に触れたとたん反転して加速し、両手を交差することでそれを防御した上条を大きく後ろへと吹き飛ばす。
 次の瞬間、先ほどまで上条がいた場所に、コンテナの雨が降り注いだ。
 コンテナには小麦粉か何かが入っていたらしく、白い粉末が周囲に巻き上げられる。
 粉のカーテンが二人を包みこみ、結奈からは全く様子が分からなくなってしまった。
(頑張って、上条くん)
 結奈がそう考えた直後、二人のいた場所から爆音が響き渡った。
 その爆発によって吹き飛ばされたらしい上条が、地面へと叩きつけられる。
 すでにその体はボロボロで、動けるのが不思議なほどの傷を負っていた。
 それでも立ち上がった上条に、爆発によって生まれた炎の中を平然と歩きながら一方通行が向かっていく。
 一方通行が笑いながら何かを言っているようだったが、距離が遠すぎてその言葉は結奈には届かない。
 そして、一方通行はパチパチと拍手をした後、砲弾のように上条へと襲いかかった。
 両手を合わせて接近する一方通行。それに反射的に上条は右手を突き出し、それは、初めて一方通行を捉えた。
 上条の右手は一方通行の顔面を殴り飛ばし、その体は吹っ飛んで砂利へと倒れる。
 上条は、それを呆然と眺めていた。
 そして、何かに気づいたように上条の表情が変わる。
 追い詰められた獲物の目から、追い詰める狩人の目へと。
 そこから、これまでの攻防が信じられないくらいに一気に形勢が逆転した。
 一方通行が繰り出す攻撃はことごとくかわされ、逆に上条の攻撃はその全てが一方通行を捉えていく。
 結奈も、ミサカも、呆然とそれを見つめている。
 上条が一体何に気づいたのか、それは結奈には分からない。
 それでも、今の状況を見れば、もう大丈夫だろうと思えた。
(よかった、これなら……)
 結奈の視線の先には、上条の前で地面に尻をつき、手だけを使ってずるずると後ろへ逃げようとする一方通行の姿。
「妹ちゃん。これで……」
 もう大丈夫、そう言おうとした結奈の言葉は、突如響き渡った大声に遮られた。
「くかきけこかかきくけききこかかきくここくけけけこきくかくけけこかくけきかこけききくくくききかきくこくくけくかきくこけくけくきくきこきかかか―――ッ!!」
 追い詰められた一方通行が突然奇声を張り上げ、頭上へと手を伸ばす。
 次の瞬間、一方通行を中心にすさまじい暴風が吹き荒れた。
 上条の体はその暴風に容易く吹き飛ばされ、背後にあった風力発電のプロペラに激突する。
(上条くん!!)
 そう思う間も無く、結奈とミサカの体が空中へと舞い上がった。
 二人の体は木の葉のように暴風の中を舞い、上条のすぐそばの地面に叩きつけられる。
「ぐ……」
 その衝撃に、視界が暗転していく。
「結奈さん!?」
 その時、誰かの声が聞こえた気がして、
(ダメ……)
 そのまま、結奈は意識を失った。



 視界に強い光を感じ、結奈の意識は闇から浮上した。
 ぼんやりとする頭で、もう朝なのかと考えながら目を開いた結奈は、目の前の光景に絶句する。
 結奈から少し離れた場所に立つ一方通行の頭上、一〇〇メートルほどの位置に、純白の光の塊が浮かんでいた。
「な、に……あれ」
 思わずつぶやいた一言に、すぐそばから答えが返ってくる。
「一方通行の能力はあらゆる力のベクトル操作です、とミサカは説明します。恐らく、風の向きを操る事で空気を圧縮し、高電離体(プラズマ)を作り出したのでしょう、とミサカは自分の考えを述べます」
 少しだけ視線を巡らせると、結奈のすぐ隣にミサカが倒れていた。
 その姿は結奈同様ボロボロで、喋るだけで痛みに顔を歪めている。
「妹、ちゃん? 私、どれくらい……意識を、失ってたの?」
 あれからどれだけ経ったのか、振り絞るように声を出し結奈はミサカに尋ねる。
「あなたが意識を失っていたのは一分ほどです、とミサカは答えます」
 どうやら暴風に吹き飛ばされてからほとんど時間は経っていないらしい。
(上条くんは!?)
 結奈が同じように風に吹き飛ばされた上条の姿を探そうとした時、ふいに声が聞こえた。
「お願い、起きて。無理を言ってるのは分かってる、自分がどれだけひどい事を言ってるのかも分かってる。だけど、一度で良いから起きて!」
 結奈が声の方向を見ると、美琴が倒れたままの御坂妹に向かって叫んでいる。
(美琴ちゃん!?)
 どうしてここに、という結奈の疑問は、美琴の言葉によって氷解する。
「アンタにやって欲しい事があるの。ううん、アンタにしか出来ない事があるの!」
 それだけで結奈にも分かった。それは、美琴の心からの叫び。
「たった一つで良い、私の願いを聞いて! 私にはきっと、みんなを守れない。どれだけもがいてもどれだけあがいても、絶対に守れない! だから、お願いだから!」
 誰一人欠ける事無く、みんなで幸せになりたいという少女の願い。
「お願いだから、アンタの力でアイツの夢を守ってあげて!」
 その言葉は、自分には価値がないと信じ続けていた『ミサカ』達の心に、確かに届いた。
 ゆっくりと、ミサカ達が立ち上がる。傷だらけの体に鞭を打ち、ふらつく体を支えながら。
 そして、二人のミサカは同時に何かを呟く。
 結奈には、その言葉がはっきりと聞こえた。
「その言葉の意味は分りかねますが……何故だか、その言葉はとても響きました、とミサカは率直な感想を述べます」
 その声が届くと同時、一方通行の頭上に輝く純白の光が霧散した。



 突然光が消えた事で、一方通行の顔に焦りが現れた。
 そして次の瞬間、事態を理解したように御坂妹とミサカを交互に見つめる。
 その一方通行の赤い瞳に、殺意が浮かんだ。
 まずは御坂妹からだとでも言うように一歩体を進めた一方通行の前に、美琴が立ち塞がる。
「……させると思う?」
 そう呟く美琴に、一方通行は嘲笑を浮かべて言う。
「ハッ、図に乗ってンじゃねェぞ格下が。オマエじゃ俺に届きゃしねェよ、足止めすら出来やしねェ。視力検査ってなァ、二・〇までしか測れねェだろ? それと一緒さ、学園都市にゃ最高位のレベルが5までしかねェから、仕方なく俺はここに甘ンじてるだけなンだっつの」
 それを聞きながら、結奈は思う。
(妹ちゃんも、美琴ちゃんも、みんな頑張ってるのに、どうして私は何も出来ないの!)
 しかし、どれだけ力を込めようとも、立ち上がる事すら出来ない。
 結奈に出来るのは、ただ大切な人達が足掻く姿を見ている事だけだった。
 その間にも、無言で立ちはだかる美琴に一方通行が近づいていく。
 美琴まであと数歩まで迫ったその時、一方通行の背後、結奈のすぐそばで、がさりと何かが動く音が聞こえた。
 結奈が音の方向に視線を向ける。そこでは、血塗れの上条がゆっくりと立ち上がっていた。
 がくがくと足は震え、両腕はぶらりと垂れ下り、体のあちこちから血が噴き出している。
 そんな状況で、それでも上条は一方通行へと歩みだす。
 その姿を見た一方通行が、恐怖の表情を浮かべながら叫ぶ。
「面白ェよ、オマエ……最っ高に面白ェぞ、オマエ!」
 絶叫と同時に、一方通行の体が砲弾のような速度で上条に迫った。
 それを見た上条が右手を握り、視線を上げる。
 その目が真っ直ぐに捉えるのは、両手を握って襲いかかる一方通行の姿。
 顔面に迫り来る一方通行の右手を、上条は身を低くする事でかわす。
 その上条に、一方通行が左手で追い打ちをかけた。
 上条はそれを右手で払いのけようとするが、一瞬体がふらつき、目測を見誤る。
 一方通行の左手が、上条の右手をすり抜けるようにして顔面に向かう。
 その光景を、結奈はただ見ている事しか出来ない。
 結奈に残されたのは、祈ることだけ。
 だから、結奈はただ一つだけの事を祈る。
(お願い! 私に、幸運なんて力があるのなら……今だけで良い、あの人を守って!!)
 そう祈り続ける結奈が、ふと不思議な気配を感じた。
 それが何なのか、今の結奈には分からない。
 ただ、上条を救うためにどうすれば良いかは、直感的に理解できた。
 その感覚に従い、結奈は気配を動かす。
 それが最善だと信じて。



 一方通行の左手が、上条の顔面へと触れた。
 勝利を確信して笑みを浮かべた一方通行の表情が、その直後に驚愕へと変化する。
 触れただけで獲物を仕留める、絶対のはずの一方通行の左手は、上条の顔に触れた瞬間、まるで反射されるように弾き飛ばされた。
 理解を超えた事態に、一方通行の動きが止まる。
 その一方通行に、上条が言う。獣のように獰猛な笑みを浮かべて。
「歯を食いしばれよ、最強(さいじゃく)……俺の最弱(さいきょう)は、ちっとばっか響くぞ」
 瞬間、上条の右手の拳が一方通行の顔面へと突き刺さる。
 一方通行の体は勢いよく吹き飛んで地面に叩きつけられ、そのまま立ち上がることは無かった。
(よかった……)
 それだけを思いながら、結奈の意識は闇に飲み込まれていった。



[6597] 三章 エピローグ
Name: ヒゲ緑◆ccab3415 ID:894f6c72
Date: 2009/10/11 21:09
 目が覚めた結奈の視界に映ったのは、白い天井だった。
(なんか、最近ここに来てばっかりな気がする……)
 部屋の中を見てみると、思ったとおりいつもの病院のようだった。
 すでに太陽は昇っており、明るい日差しが差し込んできている。
「よい、しょ……痛っ!」
 結奈が起き上がろうとすると、全身に痛みが走った。
 それでもそれを気合いで抑え込み、ゆっくりと上半身を起こす。
「いたた……やっぱり無理はするもんじゃないね……」
 腰を痛めたお年寄りのような台詞を呟きながら結奈が起き上った時、病室のドアがスライドしてミサカが中へ入ってきた。
「目が覚めたのですか、とミサカは状況を確認します」
 そう言いながらベッドに近づいてくるミサカに、結奈は笑顔を浮かべて答える。
「ついさっきね。上条くんと……実験の方は大丈夫なの?」
 結奈が先ほどから気になっていた事を尋ねる。
 その時、壁の向こうから叫び声が聞こえた。
「(な、なな……人の目の前で何やってんだあんたはー!!)」
「(ちょ、待て……病院でそれはマズイ! 落ち着け美琴ー!!)」
「どちらも問題ありません、とミサカは答えます。実験は中止となりましたし、あの人は今、隣の病室でお姉様と一〇〇三二号が見ているところです、とミサカは聞こえてくる声を無視して説明します」
 淡々と話を続けるミサカだが、微妙に顔が引きつっているように見えた。
「あ、あははは……」
 結奈も乾いた笑みを浮かべる事しか出来ない。
 とりあえずそれは忘れることにして、結奈は話を戻す。
「まあ、元気そうで安心したよ。上条くんも妹ちゃんも」
「そのことですが、ミサカはまだしばらく普通の生活に戻ることは出来ません、とミサカは現状を説明します」
 その言葉に、結奈が聞き返す。
「どうして?」
 その疑問にミサカが答える。
「元々ミサカの体はお姉様の体細胞から作られたクローンであり、様々な薬品を投与する事で急速に成長を促進しています、とミサカは丁寧に説明します。それによって、ただでさえ寿命の短い体細胞クローンがさらに短命になっているため、一度調整をし直す必要があるのです、とミサカは説明を続けます」
 結奈はミサカの説明を聞きながら、一番気になる事を質問する。
「どれくらいかかるの?」
「わかりません、とミサカは正直に答えます」
 その返答を聞いた結奈がミサカに言う。
「そっか。それじゃあ、お見舞いに行けるようになったら連絡して。携帯の番号は知ってるよね?」
 結奈の言葉に少し驚いたような顔をしていたミサカだったが、すぐに表情を戻し答える。
「わかりました、とミサカは約束します」
 それを聞いて嬉しそうに表情を綻ばせた結奈だったが、次の瞬間には落ち込んだように暗い顔になる。
「結局、私って何の役にも立たなかったよね……ただ怪我人を増やしただけで……」
 自嘲しながらそう呟く結奈に、ミサカから声が掛けられる。
「確かにあなたの行動は、実験中止に関して何の影響も及ぼしていません、とミサカははっきりと事実を告げます」
「やっぱりそうだよね……私って役立たず……」
 ミサカの言葉にさらに落ち込む結奈。その周りには瘴気のようなものが渦巻いているように見える。
「ですが……」
 結奈の重い雰囲気を理解しているのかいないのか、変わらぬ口調でミサカが続ける。
「今ここにいるミサカは、あなたがいなければ生きてはいませんでした、とミサカは事実を述べます」
 その言葉に結奈が顔を上げ、呆然とミサカを見詰めた。
「ですので、ミサカはあなたに言っておきたいことがあります、とミサカは少し緊張しながら宣言します」
 いまだ呆然とした視線を送っている結奈に、ミサカが言う。
「ミサカを助けてくれて、ありがとうございます、とミサカは感謝の言葉を伝えます」
 自分が生きる事を肯定してくれたミサカの言葉に、結奈の顔が笑顔に染まった。
「妹ちゃーん!!」
 感極まった結奈がミサカに抱きつく。
 ミサカは少し苦しそうな顔をしながらも、振りほどくような事はしなかった。
 お互いのぬくもりを感じながら、不意に結奈が言う。
「妹ちゃん、私のことお姉ちゃんって呼んでみない?」
 もっとこの少女に近しい存在になりたいと感じた結奈が、思わず口にした一言だった。
 ミサカは最初驚いていたが、やがてゆっくりとソレを口に出す。
「……お姉様」
 少しだけ不満そうな顔をした結奈だったが、すぐに笑顔に戻って言った。
「なぁに? みーちゃん」
 結奈の口から出た聞きなれない名前に、ミサカが困惑しながら返す。
「お姉様。そのみーちゃんというのは何でしょうか、とミサカは当然の疑問を返します」
 結奈は優しい笑顔で答える。
「みーちゃんはみーちゃんだよ。今ここにいる、あなたのこと。私の妹なんだから、いつまでも妹ちゃんじゃおかしいでしょ?」
 やっぱりダメ? と不安そうに聞く結奈。
「……みーちゃん」
 ミサカはそう一言呟くと、
「いえ、かまいません、とミサカはお姉様の提案を受け入れます」
 と返す。その頬は、少しだけ紅く染まっていた。
「それと、私がみーちゃんって呼ぶのも、妹として認めたのも、ここにいるあなただけだからね? 他の子がなりたい場合は個別に認定試験だ、って伝えておいて」
 その言葉にミサカはゆっくりと頷く。
 そのまま、結奈はミサカを抱きしめ続けていた。



 午後三時過ぎ。ミサカもすでに研究所に向かい、暇を持て余していた結奈の耳に、隣の病室から上条の悲鳴が聞こえてきた。
 何があったのかと思っていると、上条の病室を出た誰かが大きな足音を立てて結奈の病室に入ってくる。
 驚いた結奈がドアのほうを見ると、そこには修羅がいた。
 修羅のごとき表情をした、空腹に飢えたインデックスが立っていた。
「イ、インデックス? どうしたの?」
 何か身の危険を感じながらインデックスに聞く結奈。
 インデックスは怒りの表情で結奈のベッドに駆け寄り、
「なんでとうまだけじゃなくゆいなもこんな事になってるの!!」
 そう叫んだ。
「大体ゆいなは何してたの? とうまは知らないって言ってるし全然別のところでまた危ない事に首を突っ込んでたのそこのところどうなのゆいな!!」
 すさまじい勢いでインデックスがまくしたてる。
「昨日はとうまがいつまでたっても帰って来ないからゆいなのところで食べさせてもらおうと思ったのにでもゆいなまでいないししばらく待っても帰って来ないし仕方ないからこもえのところまで行ってようやく食べさせてもらえたんだよそこのところ分かってるのゆいな!!」
 夕食の担当日ではないので、どう考えても結奈に落ち度はないように思えるが、インデックスの食欲に常識は通用しなかった。
「インデックス、落ち着い……「朝になっても二人とも帰ってこないし朝ごはんもお昼ごはんも食べられないし飢えて死ぬかと思ったんだよどう責任とってくれるのゆいな!!」」
 結奈の制止の言葉もインデックスには届かない。
 しかし、そこまで叫んだところでふとインデックスが言葉を止め、ポツリと呟いた。
「すっごく心配したんだからね……」
 それを見て、インデックスの気持ちを理解した結奈は、素直に謝る。
「ごめんね、インデックス」
 それを聞いて一応は納得したのか、インデックスはいつもの様子に戻った。
「それで、ゆいなは何でこんな事になったの?」
 その質問には答えず、誤魔化すように結奈は言う。
「そういえば、さっき上条くんが知らないって言ってたらしいけど、私も上条くんと同じ場所にいたんだよ?」
 それを聞いたインデックスの目に怒りが宿り、結奈の病室を飛び出していく。
 その直後、壁の向こうから上条の悲鳴が響き渡った。



[6597] 四章 一話
Name: ヒゲ緑◆ccab3415 ID:894f6c72
Date: 2009/03/09 23:02
 入院してから数日。ようやく退院許可が出た結奈は、上機嫌で病院の中を散歩していた。
(これで明日からはいつもの部屋で寝られるよー!)
 そんな事を考えていた結奈だったが、浮かれすぎていたせいか、気がつくと全く知らない場所を歩いていた。
(あれ? ここどこだろ?)
 壁に掛けられていた案内図を見ると、結奈がいるのは臨床研究エリアらしい。
 病室からはかなり離れた場所で、普通ならまず立ち寄ることは無いだろう。
(どれだけ浮かれてたの私ー!)
 頭を抱えながら悶える結奈。
 そんな結奈が立っている廊下の向こうから、話し声が聞こえてきた。
「(ミサカの製造年月日を、ギリシア系一二宮の分類に当てはめてみると……転職のチャンスが一体ミサカに何の関係があるのでしょうか、とミサカ一〇〇三二号は困惑を露わにします)」
「(本当にこのような不確定情報でミサカ達が利益を得るのですか? とミサカ一〇〇三九号は疑問を口にします)」
「(このラッキーアイテムというヤツは、具体的にどのような形でミサカに幸運を運んでくるのでしょう、とミサカ一三五七七号はとりあえず猫のキーホルダーを探してみます)」
「(こ、今月の恋愛運がマイナス五というのが納得いきません、とミサカ一九〇九〇号はやり直しを要求します)」
「(異性運ばかりが載っていますが、同性に関するものは無いのでしょうか、とミサカ一〇〇三一号は気になる点を挙げてみます)」
 何か、結奈がよく知る声とよく知る口調同士での会話が繰り広げられていた。
 会話の内容からすると、どうやら占いでも見ているらしい。
 気になった結奈はそちらへと足を向けてみる。
 歩いて行くうちに、聞こえてくる話は占いの内容から、なぜか誕生日の定義の話に変わっていた。
 誕生日の定義を話し合うなどおかしな話だ。
 結奈が誰もいない廊下を進んでいくと、突き当りにあった小さな待合室のような場所で、五人の少女が寄りかたまって一冊の雑誌を回し読みしているのが見えた。
「あるいは、ミサカ達の発生を記念するべき日時は、ミサカ達のDNAマップを元に立案された製造計画に許可が下りた日かもしれません、とミサカ一〇〇三二号は別案を出してみます」
「それは人間で言うと、お父さんとお母さんが性交した日に相当するのでは? とミサカ一〇〇三九号は反論してみます」
「というか、性交以前にお父さんの体の中で精子が作られた日に相当するのでは? とミサカ一三五七七号はさらに時をさかのぼってみます」
「それなら、お母さんの体の中で卵子が作られた日に相当するという考え方もあります、とミサカ一〇〇三一号は女性優位的な意見を出してみます」
「ぶふぃー、とミサカ一九〇九〇号は一連の会話に対してとりあえず驚愕を露わにしてみます」
 少女たちは、いまだ激論を交わしている。なぜか一人は顔を真っ赤にしていたが。
 あまりに見覚えのあるその顔に、結奈が思わず叫ぶ。
「み、みーちゃんに妹ちゃん達!? なんでこんなところにいるの!!」
 その声に、議論に夢中になっていたミサカ達が結奈に視線を向け、驚いたように言う。
「お姉様、とミサカは突然の再会に心を躍らせます」
「お姉様、とミサカは気になる呼び方をしてみます」
「お姉様、とミサカも一緒になって呼んでみます」
「お姉様、とミサカもノッてみる事にします」
「お姉様は恋愛運は気にするタイプですか? とミサカは混乱に乗じて聞いてみます」
 最初のミサカの言葉に続けて、残りの四人が一気に呼びかけてくる。
「はいはーい。最初に言ったみーちゃん以外はまだ認定してないからそう呼んじゃダメだよー。それと一九〇九〇号ちゃん、私は良い部分だけ気にする方かな」
 とりあえず呼び方に関して釘を刺し、一応質問にも答える結奈。
 個体判別は先ほどの会話からおこなったようだ。
「それは良いから、さっきの質問に答えなさい! 研究所で調整するんじゃなかったの?」
 放っておくとまた脱線しそうな気がしたので、強引に話を戻す。
「それに関してですが、ミサカ達はこの病院で調整を受ける事になりました、とミサカ一〇〇三一号は頬を緩ませながらお姉様の質問に答えます。お姉様に電話をかけたのですが、電源が切られていたので伝えるのが遅れてしまいました、とミサカ一〇〇三一号は謝罪します」
「そのためしばらくはこの病院で調整に専念する事になります、とミサカ一〇〇三二号は見破られた事に驚きながら補足します」
「ほとんどのミサカは学園都市外の施設に預けられ、ここにいるのは十人ほどです、とミサカ一〇〇三九号は少し残念そうな表情を作って説明を続けます」
「……ミサカから伝えられる情報が無くなってしまいました、とミサカ一三五七七号は肩を落として呟きます」
「そのような考え方もあるのですか、とミサカ一九〇九〇号は新たな視点に関心します」
 ミサカ一〇〇三一号の言葉に、病院暮らしで携帯の電源が切りっぱなしになっていた事に結奈は気づく。
「ごめん、みーちゃん。私から連絡してって言ったのに……」
「いえ。決まったのは昨日ですので、特に問題はありません、とミサカはすかさずお姉様をフォローします」
 結奈がミサカ一〇〇三一号と話していると、いつの間にか騒がしかった周りが静かになっている。
 どうしたのかと思い結奈が視線を移すと、御坂妹が何か雑誌を手に持ち、ほかの三人がそれに注目していた。
「……ミサカはこんなものを発見してしまいました、とミサカ一〇〇三二号はさらなる火種を提示してみます」
 どうやらこの四人はさっきの話に戻っていたらしい。
 一体なんの雑誌なのか気になった結奈が覗き込むと、四人のミサカ達は血液型占いのコーナーをじっと見ていた。
 それを見て、結奈の隣にいたミサカ一〇〇三一号も急いで輪の中に戻り、同じページを凝視する。
 しばらくそれを見ていたミサカ達だったが、突然叫びだした。
「むっ! AB型の恋愛運がハンパではありません! とミサカ一〇〇三二号は報告します!!」
「そんな事を言ったらミサカだってAB型でハンパではありません! とミサカ一〇〇三九号も報告します!!」
「いいえ! あらゆるミサカの中でも超AB型であるこのミサカが超ハンパではないのです! とミサカ超一三五七七号が全てをかっさらいます!!」
「いえいえ、最後に笑うのはこのミサカです、とミサカ一九〇九〇号はAB界の覇者となる事を宣言します!!」
「先ほどから恋愛運ばかりで、姉妹運が存在しないのは何故なのでしょうか! とミサカ一〇〇三一号は憤りを隠しきれずに雑誌を床に叩きつけます!!」
 どんどんヒートアップしてきたらしく、ミサカ達の口調が荒くなってくる。
(みーちゃん……姉妹運はさすがに無いと思うよ……)
 結奈は引きつった笑顔を浮かべていた。
 そんな事を結奈が考えているうちに、ミサカ達はなぜか取っ組み合いの喧嘩を始めている。
 そんなミサカ達を放置して、結奈は床に落ちた雑誌の血液型占いのページを見た。
『O型の人はラッキー! 探しものがふとした拍子に見つかりそう。ただし、怪我と忘れ物には要注意! 思わぬところからトラブルに巻き込まれるかも。 金運 ☆☆☆☆☆  恋愛運 ☆☆☆  健康運 ☆』
(これ、当り過ぎてて逆に怖いよ……)
 はぁ、とため息をつき、雑誌を閉じる。
 結奈の目の前では、同じ顔をした五人の少女がAB型の恋愛運を巡って争っていた。



 病室へと帰ってきた結奈が疲れたようにベッドに座る。
(あの子達は結構おとなしい子達だと思ってたんだけどね……)
 上条や美琴の言葉が効き過ぎたのか、すっかり騒がしくなったミサカ達に振り回された結奈がしみじみと思う。
(なんだかんだ言っても、美琴ちゃんの妹って事かな)
 本人が聞いたら怒り出しそうな事を考える結奈。
 そうやってのんびりとしていた結奈だったが、ミサカ一〇〇三一号が言っていた事を思い出す。
(携帯、メールとか溜まってるかもしれないし……一度確認しておこうかな)
 結奈は再び立ち上がり、病院の中庭に向かう。
 中庭についた結奈は、携帯が使用OKである事を確認して電源を入れた。
(あ、メールが届いてる。件数は……二〇件!?)
 いったい何事かと思い慌ててメールを確認する。
『こんばんは、お姉さま。突然ですけど明後日一緒に買い物に行きませんか? 電話が繋がらなかったのでメールで送ります。お返事待ってますね♪』
『お姉さま~(涙)。メール、見てないんですか? 明日までにお返事ください……』
『お姉さま……私の事嫌いになっちゃったんですか?』
『お姉さま~(涙)』
『(涙)』
 以下、同じようなメールが続いていく。
(これ、よく見たら涙子ちゃん用の携帯だ……)
 ミサカの実験だなんだで佐天の事をすっかり忘れていた結奈が焦る。
(ど、どうしよう……)
 慌てる結奈がメールを確認していくと、
『ごめんなさいお姉さま。私なんかがいても迷惑ですよね……』
 というメールが先ほど送られて来たところだった。
(まずいよこれー! また前みたいなことになってるー!)
 とはいえこのまま放置するわけにもいかない。事情を説明しなかった結奈が完全に悪いのだから。
 結奈は意を決して佐天に電話をかける。
『おね゛えざま゛ー』
 着信はワンコールで取られ、佐天の鼻声が聞こえてきた。
 もしかしたら泣いていたのかもしれない。
『おね゛えざま゛ー。わ゛だじのごと、めいわ゛くだっだんでずが……?』
「そんな事無い、絶対にないから。落ち着いて涙子ちゃん」
 できるだけ優しく結奈が伝える。
『ぼんどでずが……?』
「うん。ごめんね、連絡できなくて。また入院しててね? ずっと携帯の電源が切りっぱなしになってたの」
『入院! 大丈夫なんですかお姉さま!!』
 入院という言葉を聞いた途端、佐天の声が急に大きくなる。
「大丈夫、もう明日には退院だから。ごめんね、涙子ちゃん……明日一緒にお買い物にいこっか?」
『良いんですか!!』
 結奈の言葉に、佐天の声にようやく歓喜が浮かぶ。
「もちろん! じゃあ、明日どこで待ち合わせしよっか?」
 佐天は少し沈黙した後、
『あたしが病院までお姉さまを迎えに行きます!』
 と宣言した。
「え? でも……」
 それは悪い、と続けようとする結奈の声は、佐天の声に遮られた。
『お姉さまは病み上がりなんですから、少しでも負担は少ない方が良いんです! だから、あたしが行きます!!』
 そこまで言うのなら、と結奈が了承すると、佐天は晴れやかな声で言った。
『まかせてください!!』
 この約束が新たな頭痛の種になろうとは、結奈には欠片も想像出来なかった。



[6597] 四章 二話
Name: ヒゲ緑◆ccab3415 ID:894f6c72
Date: 2009/09/03 10:21
 翌日、結奈は病室で暇を持て余していた。
(涙子ちゃんとの約束の時間までは二時間くらいあるし、みーちゃんのところにでも行こうかな)
 そう思い立ち、ミサカ達のいる臨床研究エリアに向かう事にする。
 あまり人通りのない廊下を進んで目的の場所に行くと、昨日と同じ待合室に二人のミサカがいるのが見えた。
「しかし、それでは体を壊す恐れがあるのでは? とミサカ一〇〇三一号はリスクの分析をおこないます」
「ミサカの調べによると、ここに載せられている数字を超えなければ問題は無いようです、とミサカ一九〇九〇号は具体的な値を示しながら説明します」
 二人は身を寄せ合って雑誌を読んでいる。
 結奈は足音を殺して近づき、すぐ後ろまで行ってから声をかけた。
「みーちゃん、妹ちゃん、何見てるのー?」 
 その声に、ミサカ達の肩がビクッと跳ねた。
 慌てて後ろを振り向き、いつもより少しだけ早口で話し始める。
「お姉様、どうかしましたか、とミサカ一〇〇三一号はいつも通り冷静に答えます」
「ミサカは抜け駆けなどはしていませんよ、とミサカ一九〇九〇号はとっさに雑誌を隠しながら答えます」
 口調こそ冷静に聞こえるが、言っている内容から動揺しているのがバレバレだった。
 もちろんその事に気づいた結奈が、からかうように言う。
「抜け駆けって何の事かなー?」
 それを聞いたミサカ達は、顔を見合わせ小声で話し始めた。
「(あなたが不用意な事を言ったせいで露見の危機に陥っています、とミサカ一〇〇三一号は責任の追及を行います)」
「(しかし、そちらも顔が引きつっていたではないですか、とミサカ一九〇九〇号は責任の分散を主張します)」
 何か互いに責任をなすりつけ合っているようだ。
 声自体は小さいのだが、他に人がいないために結奈には全部聞こえていた。
(案外、隠し事とか向いてないタイプなのかも……)
 笑いを噛み殺しながら考える結奈。
 目の前で喧嘩を始めたミサカ達を無視し、床に落ちた雑誌をパラパラとめくっていく。
 しばらく探していくと、ご丁寧にも付箋が付けられたページがあった。
 結奈はそのページの記事に目を通していく。
 最初に目に入ってきたのは、『暑さに負けない! 夏の簡単ダイエット特集!』というタイトル。
(だから、『抜け駆け』って言ってたんだね)
 それだけで納得する結奈。
 事情は分かったので、喧嘩している二人に結奈は話しかける。
「二人とも、頑張るのは良いけど無理はしちゃダメだよ?」
 ミサカ達はそこでようやく雑誌を見られている事に気づき、顔を青くしていた。
「大丈夫だって、私は別にそういうのは気にしないから」
 笑いながら結奈が言う。
「本当でしょうか、とミサカ一〇〇三一号は安堵の息をつきます」
「できれば秘密にして頂けると助かります、とミサカ一九〇九〇号は事態の隠蔽交渉を行います」
 それぞれが安心したように息をついていた。
「別に言わないよ。ただ、さっきも言ったけど健康第一って事は忘れないようにね」
 それだけ釘を刺し、結奈は話を打ち切る。
「それで、お姉様はどうしてここに……「お、お姉様ー!?」」
 改めて結奈が来た理由を尋ねようとするミサカ一〇〇三一号の声に重なるように、結奈の後ろから叫び声が聞こえてきた。
 嫌な予感に恐る恐る結奈が振り返ると、そこには一直線に走って来る佐天の姿がある。
 その顔には鬼気迫るものを感じた。
「なんですかあなた! お姉さまはあたしのお姉さまなんですから、あなたにお姉様な、ん、て……?」
 まくし立てるように叫んでいた佐天だったが、ミサカ一〇〇三一号の顔を見てその勢いが萎んでいく。
「……嘘。御坂さんがお姉さまをお姉様って呼んでるなんて……」
 呆然と立ち尽くす佐天。
 混乱しているのか、小声で
「(じゃあ白井さんもお姉さまの妹って事に!?)」
 などと言っている。
 その言葉で佐天の誤解に気づいたのか、
「誤解をされているようですが、ミサカは美琴お姉様の妹です、と結奈お姉様の妹でもあるミサカ一〇〇三一号は訂正します」
 と『結奈お姉様の妹』を強調してミサカ一〇〇三一号が言う。
(みーちゃん、もしかして煽ってる!?)
 ミサカの言葉に何か対抗心のようなものを感じた結奈が心の中で思う。
 その対抗心は佐天にも伝わったようで、
「お姉さまの、妹? 御坂さんの妹さんが?」
 と呟いた後、突然叫ぶ。
「お、お姉さまはあたしのお姉さまです! あなたになんて渡しません!!」
「しかし、お姉様がミサカのお姉様である事は覆しようの無い事実です、とミサカ一〇〇三一号ははっきりと現実を突きつけます」
 一見冷静そうに見えるミサカ一〇〇三一号だが、雰囲気が完全に臨戦態勢だった。
「あたしだってお姉さまの妹です! 一ヶ月以上前から妹です!!」
「たしかにミサカはお姉様の妹になってまだ数日です、とミサカ一〇〇三一号は唇を噛み締めながら認めます。しかし、お姉様からそう呼ぶように請われた以上は時間の長さは関係ありません、とミサカ一〇〇三一号は反論します」
「お、お姉さまから!? あたしは粘ってやっとそう呼ばせて貰えるようになったのに……」
(それは涙子ちゃんに呼ばれ慣れたからなんだけど……)
 そんな結奈の心の声は届かず、がっくりと両手を床に着く佐天。
 しかし、すぐに立ち上がって言葉を続ける。
「あ、あたしはお姉さまとの二人だけの携帯を持ってるんだから!」
 その反撃に、あくまでも表情は冷静な様子で返すミサカ一〇〇三一号。
「ミサカはお姉様から愛用の鞄を頂きました、とミサカ一〇〇三一号は横に置いてあった鞄を掲げながら言います」
(みーちゃん!? なんで病院の中で鞄を持ち歩いてるのー!!)
 再び響く結奈の心の声は、やはりミサカ一〇〇三一号には届かない。
「そ、それはお姉さまが使ってた鞄!? で、でも。あたしはお姉さまと遊園地で一緒に遊んだんだから!!」
「ミサカはお姉様と一緒に猫と遊びました、とミサカ一〇〇三一号はすかさず返します」
(もう何を競ってるのか分かんないよ二人とも……)
 そろそろ諦めが混じり始めた結奈の心の声も、当然のように二人には届かない。
「お姉さまは不良能力者からあたしを守ってくれたんだから!!」
「ミサカは一方通行(アクセラレータ)から命を救ってもらいました、とミサカ一〇〇三一号はあの日のお姉様を思い出しながら答えます」
(みーちゃんその名前は出しちゃダメー!)
 二人の攻防はさらにヒートアップしていく。
 一言も喋っていないはずなのに肩で息をしている結奈は、隣にいるミサカ一九〇九〇号に助けを求めた。
「い、妹ちゃん! あの二人をなんとかできない?」
 微妙に涙目で言う結奈に対し、ミサカ一九〇九〇号が答える。
「ミサカはあなたの妹には認定されていませんので、話に加わる義務も義理もありません、とミサカ一九〇九〇号は目の前の二人への羨望と嫉妬を隠さずに言い放ちます」
 返ってきたのは無情な言葉だった。
「妹ちゃん!?」
 唯一頼れそうな相手に見放され、がっくりと地面に両手と膝をつく結奈。
 その前では、佐天とミサカ一〇〇三一号がいまだ言い争っていた。



 結局、結奈の「二人とも大事な妹!」という言葉によって、ようやく場は収まった。
 結奈はひどく疲れた顔をしていたが、件の二人はなぜか友情にでも目覚めたらしく、がっしりと握手をしている。
 一体どこの少年漫画なのだろうか。
 一息ついた結奈が携帯の時刻表示を見ると、もうすぐ日が暮れ始める時間になっていた。
 もちろんミサカ一九〇九〇号はとっくにいない。
(五時間もあんな事してたの……)
 元々の約束の時間は午後三時、今は既に午後六時を過ぎている。
(これじゃ、遊びに行くのは無理だよね……)
 そう思いながら佐天に声をかけた。
「涙子ちゃん」
 ミサカ一〇〇三一号と話していた佐天が振り向く。
「なんですか? お姉さま」
 どうやら時間には全く気づいていないようだ。
「時間、もう遅くなっちゃってるよ?」
 言われて時計を見る佐天。
「……って、ええー!!」
 直後、絶叫が木霊した。
 すさまじい声量に、キンキンする耳を押さえながら結奈が言う。
「だから、出かけるのは明日にしよっか?」
「え?」
「せっかくのお姉さまとのお出かけがー」と頭を抱えていた佐天が、驚いたように結奈を見る。
「いいんですか?」
 恐々と聞いてくる佐天に、笑顔で答える。
「もちろんいいよ。それと、みーちゃんも退院したら連れてってあげるから、そんな恨めしそうな目をしないの」
 目の前で交わされる約束に羨望の眼差しを送っていたミサカ一〇〇三一号にフォローをする結奈。
「それじゃあ、みーさんに何か買ってきてあげましょうお姉さま!」
 ミサカ一〇〇三一号の様子を不憫に思ったのか、佐天がそんな提案をしてくる。
 ちなみに『みーさん』というのはミサカ一〇〇三一号のことだ。
 結奈が『みーちゃん』と呼んでいるのを聞いて『みー』が名前だと思ったらしい。
 さらに、最初から最後までミサカ一〇〇三一号しか見えていなかった佐天はミサカ一九〇九〇号の存在には全く気付いていなかったので、ミサカ一〇〇三一号は美琴の双子の妹という事になっている。
「そこまでしてもらう必要は……「いいからいいから。私達がやりたくてやるんだからみーちゃんは遠慮しない!」」
 遠慮しようとするミサカ一〇〇三一号の言葉を遮り、結奈が言う。
 その隣では佐天もうんうんと笑顔で頷いていた。
「わかりました、とミサカ一〇〇三一号はその提案を受け入れます」
 今度はミサカ一〇〇三一号も素直に頷く。
「じゃあ、みーちゃんは何が欲しい? 探してきてあげるよ」
 そう言った結奈の言葉にミサカ一〇〇三一号は顔を赤くして俯き、ぼそりと呟いた。
「……ロザリオ」
「え? もう一回言ってもらってもいい?」
 聞きなれない名前に聞き間違えたのかと思った結奈が聞き返す。
「ロザリオが欲しいです、とミサカ一〇〇三一号は期待に胸を高鳴らせながら答えます」
 その言葉を聞いた途端、佐天が慌てたようにミサカ一〇〇三一号に詰め寄った。
「ち、ちょっと待って下さいみーさん! それはあれですか、あの儀式がしたいって事ですか!? それはさすがのあたしも見過ごす訳にはいきません!!」
 結奈は普通に了承しようと思っていたのだが、佐天の様子を見て何か意味のある事なのかなと思い始める。
(儀式ってなんだろ……魔術的な何か、とか? でも二人ともそういうのには関わって無いはずだし……)
 そんな見当違いな事を考えながら、とりあえず結奈は佐天を止めた。
「涙子ちゃんもそれぐらいにして……みーちゃん、涙子ちゃんが嫌がってるから他の案は無い?」
 そう言われ、少し肩を落としながらミサカ一〇〇三一号は答える。
「それならアクセサリー類を何かお願いします、とミサカ一〇〇三一号は肩を落としながら再考します。美琴お姉様との区別に良いでしょうから、とミサカ一〇〇三一号は理由を説明します。」
 無難な選択である。わざわざ欲しがる理由を付け加えるあたりもミサカ一〇〇三一号らしいと言えるだろう。
「それじゃ、明日何か探してくるよ」
 そう伝えて、結奈は家路へとついたのだった。



[6597] 四章 三話
Name: ヒゲ緑◆ccab3415 ID:894f6c72
Date: 2009/09/03 10:22
 待ち合わせの時間に約束の場所に行くと、そこにいたのは佐天だけではなかった。
「あ、お久しぶりです新城さん」
「お姉さまー……」
 相変わらず頭上がお花畑の花瓶少女初春が、なぜか佐天と一緒に立っている。
 隣にいる佐天は涙目になっていた。
「こんにちは、涙子ちゃん、飾利ちゃん。それで、なんで飾利ちゃんがここに?」
 二人で出かけるつもりだった結奈にしてみれば当然の疑問だ。
 それに初春が答える。
「それはですねー。佐天さんと新城さんが二人っきりで出かけると聞いたので、新城さんの貞操を守ろうと……「初春!」」
 赤くなって口を塞ごうとする佐天に対して「冗談です」と言い、初春は説明を続ける。
「本当はですね、買い物をご一緒させてもらおうと思いまして」
 それでもまだ疑問が残る。わざわざこの日を選ぶ必要もないだろう。
「実は、九月三日から広域社会見学が一週間ほどあるんですけど、その準備の買い物なんです。風紀委員(ジャッジメント)の仕事の関係で、私のお休みが今日しか残っていなくて……この前一緒に買い物に行った時は、佐天さんが『お姉さまが電話に出てくれない……』とか言い続けて一日経ってしまいましたから」
「う、初春! それは言っちゃダメだって!!」
 どうやら半分くらいが自分のせいだと分かった結奈も、快く初春の同伴を認めた。
「ま、それなら仕方ないね」
「うぅ……ごめんなさいお姉さま……」
 佐天は肩を落とし、がっくりとうなだれる。
 それを見る初春の顔は、いつもよりも五割増しの笑顔だった。



 並んで繁華街を歩く三人。主に佐天と初春が店頭を見てはしゃぎ、結奈がそれに応えるという保護者のようなポジションになっていた。
「このパジャマどうですかお姉さま?」
「涙子ちゃんによく似合ってるし、可愛いと思うよ」
 現在、三人は洋服店でパジャマを探していた。
「これはどうですか新城さん」
「さ、さすがにそれは飾利ちゃんには大胆過ぎると思うんだけど……」
 そう言われてがっくりと肩を落とす初春。
「うぅ、やっぱり私には大人の魅力が足りないんですね……」
 そんな初春に佐天が茶々を入れる。
「ほら、だからもうちょっと子供っぽい方が似合うって言ったのに」
 それに対し初春はどこか決意が感じられる表情で、
「私だって……たまには冒険したくなる時だってあるんです!」
 などと叫んでいた。
 結奈が理由を聞いたところ、白井の下着が凄かったから、という答えだった。
(黒子ちゃん、さすがに黒下着はあなたにはまだ早いよ……それ以前に、穿くのはいいけど他人に見せちゃダメだって……)
 遠い眼をして結奈は考える。主に白井の将来について。
 どこからか『余計なお世話ですわー!』という声が聞こえた気がした。



「それで、次はどこに行きますかお姉さま?」
 洋服店を出たところで佐天が聞いてくる。
 二人の買い物はこれで全部終わったらしいので、今度は結奈の買い物に付き合ってもらう事になった。
「そうだね、アクセサリーショップに行こっか」
「あ、そうでした! 昨日の約束うっかり忘れてた」
 結奈の言葉に佐天も思い出したのか、大きく頷いている。
「約束ですか?」
 それを聞いた初春が佐天に尋ねた。
「うん! あたしとお姉さまの妹の座を争うみーさんに、お土産を買っていくって」
「ええ!? 新城さんにはもう一人佐天さんみたいな人がいるんですか? それはご愁傷様です……」
 佐天の説明を聞き、同情の視線を結奈に向ける初春。
「初春? なんか馬鹿にされてる気がするんだけど?」
 佐天もその態度に微妙に頬を引きつらせて言う。
「いえいえ、そんな事はありませんよ佐天さん。ただ新城さんも大変だなー、と思っただけですから」
「全然フォローになってなーい!!」
 そう叫び、佐天が初春を追いかけ回し始める。
(なんか、会うたびに飾利ちゃんが逞しくなっていってる気がする……)
 乾いた笑いを浮かべ、結奈はじゃれあう二人を見守っていた。



 二人をなだめてようやくたどり着いたアクセサリーショップで、結奈は頭を悩ませていた。
(みーちゃんの言う通り区別のためってのを優先させるなら、ネックレスにペンダント、ブローチとかあたりが分かり易いよね。そういう意味ではロザリオでもよかった気がするんだけどなぁ……なんで涙子ちゃんはあんなに嫌がってたんだろ)
 理由は分からないが嫌がっているならしょうがない、と考え直し、アクセサリー探しを再開する結奈。
 他の二人にも別々に探してもらっている。
 ミサカと会ったことがない初春には、美琴に合いそうなアクセサリーを選ぶように言っていた。
(これなんていいかも)
 良さそうな物を見つけた結奈は、一度集合場所へと戻る。
 そこには既に初春と佐天も戻ってきており、結奈に手を振っている。
「お姉さま、見つかりましたか?」
「うん。二人は?」
「あたしはばっちりですよ!」
「私はあんまり自信がないです……」
 得意そうに答える佐天と、自信無さげに答える初春。
「じゃあ、まずは初春からね」
「わ、私からなんですか!? それじゃ……」
 初春が後ろ手に持っていたものを見せる。
 それを見て、二人は目を丸くして呟く。
「あの、飾利ちゃん?」
「う、初春? いくらなんでも……」
 初春が持ってきたのは、まごうことなき金のティアラだった。
 金色自体はメッキのようだが、結構な量の宝石が散りばめられている。
「なんか、御坂さんは『リーダー』ってイメージがあったので、一番『リーダー』っぽいものを持ってきたんですけど……」
 どうやら彼女にとっての美琴はそんなイメージらしい。
「しまった! いつも花畑な初春に期待したのが間違いだったか!」
「そそそれはどういう意味ですか佐天さーん!!」
 漫才を始める二人を無視してついていた値札を返してみると、そこにはすさまじい値段が書かれていた。
 具体的には六桁突入している。買えなくもないが、これはむしろ送られた方が困るだろう。
「はいはーい、これは高すぎるから却下。とりあえず元の場所に戻してきて」
 その言葉に従い、初春がうなだれながら金のティアラを返しに行った。
 しばらくして初春が戻ってくると、今度は佐天が後ろ手に隠していたものを見せる。
「ふっふーん。あたしは初春みたいなおかしなものは選びません」
 佐天の手に乗っているのは、五枚の花弁からなる花形のヘアピンだ。
 佐天が付けている物と比べると花弁の一つ一つがかなり大きく、そこに取り付けられた宝石がキラキラと輝いている。
(確かにみーちゃんに似合うと思うけど……)
 デザインの選択自体には結奈も文句は無いが、一つ問題があった。
「でも、美琴ちゃんもヘアピン使ってなかった? 似たようなの持ってるかも」
「あ……」
 言われて気づいたのか、口を開いたまま唖然とする佐天。
「さ、佐天さんだって役立たずじゃないですかー」
「って、ティアラなんて選んできた初春にだけは言われたくない!」
 ここぞとばかりに初春が攻撃するが、さすがに佐天の言う通りだと結奈も思う。
「はいはい。喧嘩はそれくらいにして、次は私の番だよね」
 結奈がそう言うと二人は口論をピタリと止め、期待の眼差しを向けた。
(あれは、失敗を期待してる目だ……)
 なんというか正直な二人に苦笑いをしつつ、持ってきた物を見せる。
 結奈が選んだのは、五センチほどの大きさのシルバーブローチだった。
 二匹の猫が寄り添うなデザインで、その猫達の胸元にパールが一粒取り付けられている。
「みーちゃん猫好きだからちょうどいいかなと思って。どうかな?」
「(佐天さん、最初から私達はいらなかったんじゃ無いでしょうか?)」
「(うぅ……悔しいけど反論できない……)」
 何故か落ち込んでいる二人に聞くが、返事は返ってこない。
「(私達ってダメな子なんでしょうか?)」
「(そんなことない初春! きっと……)」
 どうやら友情を深め合っているらしい。
「あのー……二人とも?」
「は、はい! それでいいと思います」
「あ、あたしもお姉さまのでいいと思います!」
 結奈の声にようやく我に返った二人が答える。
 結局、ミサカへのお土産は結奈の選んだブローチに決まった。



 買い物を終えた帰り道、三人が横断歩道を渡っている時。
 話しながら結奈の前を歩く佐天と初春を微笑ましそうに見ていた結奈の耳に、ガリガリと何かを削るような音が聞こえてきた。
 不思議に思い視線を横にそらした結奈が見たのは、道路と歩道の間の柵に車体を擦りつけながら、すさまじいスピードで走ってくるバス。
 しかも、前を歩く二人はまだそれに気づいていなかった。
「危ない!!」
 結奈はそう叫びながら二人の元へと駆け出す。
 その声にようやく異変に気づいた二人だったが、迫ってくるバスに混乱して呆然と立ち尽くしてしまっていた。
(間に合えっ!!)
 追いついた結奈が二人を抱えるように掴み、一気に歩道へと飛び込む。
 その直後、暴走するバスが結奈の足をかすめるようにして通り過ぎて行った。
「た、助かったみたい……だね。二人とも怪我は無い?」
 肩で息をしながら言う結奈。
 呆然としていた二人が、その言葉でようやく我に返る。
「だ、大丈夫ですかお姉さま! ごめんなさい、あたしがぼうっとしてたから!!」
 慌てて結奈に謝りだす佐天。
「あ、ありがとうございます新城さん。佐天さん、それを言うなら私もです。これじゃ風紀委員(ジャッジメント)失格ですね」
 初春の方は、とっさに何も出来なかった事に落ち込んでいる。
「みんな無事だったんだから気にしないで。それと飾利ちゃん、今の一体何だったのか風紀委員の方で分かる?」
 そう言われ、慌てて携帯端末を調べ始める初春。
「あ、もう解決したみたいです。無人バスがいきなり暴走したらしくて……さすがにまだ原因は特定できてないみたいですね。夏休み終了間際で人通りが少なかった事もあって、怪我人も出ていません」
 その報告に安堵の息をつく結奈。
「一安心、だね。事情聴取とか行った方がいいのかな?」
「あ、それは私が話しておきますから、お二人は先に帰ってくれて構いません」
 風紀委員の腕章をつけた初春が言った。
「それなら、お言葉に甘えて私達は先に帰るね。飾利ちゃんもお仕事がんばって」
 はい! と元気よく答える初春に事後処理を任せ、結奈は寮へと帰って行く。
 佐天は、ありがとうございますお姉さまー、と涙目で結奈にすがりついていた。



 翌日、結奈は念のために病院へ診察を受けに来ていた。
「それで? 学園都市外の海に家族旅行に行ったはずの上条くんは、なんでまたここにとんぼ返りしてるのかな?」
 そこで見つけた上条に、こめかみを引きつらせた笑顔で結奈が聞く。
「い、いやこれはですね新城サン? 不可抗力と言うかなんというか……」
 それをなんとかなだめようとする上条。
「じゃ、土御門さんはこれでオサラバしますにゃー」
 その上条を見ながら、土御門はそそくさと病室を出て行こうとする。
「あ、待ちやがれテメェ! そもそもお前がやったんだろうがこれは!」
 上条の言葉を聞き、結奈が即座に反応した。
「へぇー。あんたが犯人だったんだ」
 気がつけば、ドアに向かう土御門の前に結奈が立っている。
「い、いつの間に前に!?」
 驚く土御門には構わず、結奈が続ける。
「覚悟はできてる?」
 静かに最後通牒をつきつける結奈。
「それはいくらなんでも横暴……ぐぎゃ!」
 直後、言い訳を返そうとした土御門の鳩尾に結奈の肘打ちが食い込んだ。
 しかし、それだけでは終わらない。
 急所をやられて体がくの字の曲がったところで、今度は下がってきた顎を右手で下から打ち上げる。
 さらに、一瞬浮き上がった土御門の体が落ちてくるのに合わせて股間を蹴り上げた。
「ちょ、それはさすがに! 大丈夫かおい!!」
 青ざめた顔で股間に手を伸ばしながら上条がそう叫ぶが、
「……」
 床に倒れ伏した土御門からの返事はない。
 それを見下ろしながら、結奈は普段の調子に戻って言った。
「まぁ、反省してるみたいだからこれくらいにしておくけど」
「え? 今の流れのどこから反省が伝わったのですかと上条さんは問いたいのですが」
 分かっていない上条に、結奈が土御門を指差しながら説明する。
「だって、さっきの話からするとコレは必要悪の教会(ネセサリウス)や学園都市、その他色々な組織と繋がってる多角スパイなんでしょ? 格闘術の訓練とかも受けてるみたいだし、罪悪感も何も感じて無いなら避けてるよ」
「……そういやそうだな」
 その言葉に上条も納得したようだ。
「……いや、さすがの土御門さんも、ここまでされたのは予想外だったぜい」
 息も絶え絶えに呟いた土御門の言葉は、当然のように無視される。
 その時、開いたままになっていた病室のドアから、幽霊みたいな足取りでインデックスが入ってきた。
 そのおかしな様子にギョッとした上条が、インデックスに話しかける。
「な、何だインデックス。日射病にでもなったのか? ったく、このクソ暑いのにそんな長袖の修道服なんか着てるからだぞ。お前日本の夏をナメてんじゃ「……ぶたれた」」
 上条の声に割り込むように、小さく、しかしはっきりと通る声でインデックスが呟いた。
 その一言がきっかけになったのか、インデックスは半泣き状態の顔で上条に向かって叫ぶ。
「とうまにぶたれた!」
「ナニィっ!」
 突如放たれた不穏な言葉に、上条が困惑の表情を浮かべる。
 それに構わず、インデックスは言葉を続けた。
「せっかくせっかく海に行くっていうから楽しみにしてたのに行ったら行ったでとうまは全然私の方見てくれないしちょっかい出すたびに本気でぶってくるし挙げ句の果てには背中に向かって声かけただけで砂浜に首だけ残して埋められたっ! これは一体どういう事!?」
 インデックスの言葉に最初怪訝そうな表情をしていた上条だったが、何かに気づいたのか一気に顔色を青く変える。
「へー、私もどういう事か興味あるなー」
 続く結奈の言葉にさらに顔色を青くした上条が、必死に弁解を行う。
「あ、いや、ちょっと待って。チョットマッテクーダサーイインデックスサントーシンジョウサン! これには深い訳がというかアナタ達の知らない内に起こった『御使堕し(エンゼルフォール)』という世界規模の大魔術でインデックスが青髪ピアスになっていたというか……ってか新城はさっき話聞いてたはず―――」
「うるさいっ! このマザコン! まったく自分のお母さんばっかりジロジロジロジロ気にしちゃってさ、この扱いの差は何なんだよう!?」
「さすがの私も上条くんがマザコンだとは知らなかったなー」
「だからそれには深い事情がある訳で―――って何でこうなんだよ? 俺頑張ったじゃん、俺インデックスのために頑張ったじゃんホントにもうさぁ!!」
 言い訳を続ける上条だったが、頑張ったさまを見ていない二人には通じない。
「ゼッタイ、許さない! とうまの頭骨をカミクダク!」
「女の子を泣かすような人には、お仕置きをしておかないとね?」
 無情の宣告が結奈達の口から伝えられる。
「いやだー! 神様仏様ミーシャ様! 誰でもいいから助けてー!!」
 その上条の絶叫は、当然誰にも届く事は無かった。
 床に倒れていたはずの土御門の姿も、どこにも無かった。












 原作既読者のための補足

 今回の前半部における各キャラクターの外見は
・初春さん→ロリコンリーダー駒場さん
・佐天さん→ロリコンマスター一方さん
・新城さん→マッドドクター木原くゥゥゥン
 の男祭りでお送りしました。



[6597] 四章 四話
Name: ヒゲ緑◆ccab3415 ID:50950d0a
Date: 2009/10/11 21:09
(ある~ひ~♪ まちのなか~♪ アクセラレータに~♪ であった~♪)

 とあるファミリーレストラン。結奈は謎の替え歌を頭の中で流しながら、絶賛現実逃避中だった。
「ミサカはこれ食べてみたい! ってミサカはミサカは目についたものを適当に頼んでみる」
「うっせェ。注文したンなら黙ってろ」
 その結奈の目の前には数日前に自分が殺されかけた相手―――一方通行(アクセラレータ)が、隣には一方通行が殺し続けていた少女をそのまま小さくしたような幼女―――打ち止め(ラストオーダー)が座っていた。
「それで、あなたは何頼むの? ってミサカはミサカは聞いてみたり」
 その打ち止めの言葉にも、どこか遠くを見ている結奈は答えない。
「む! またミサカを無視するなんてひどい! ってミサカはミサカは頬を膨らませて言ってみる」
 その声にようやく我に帰った結奈が答える。
「あ、ごめんね。私はこれ……」
 それだけ言うと、結奈は再び思考に戻った。
(何でこんな事になってるんだろう……)
 ため息をつきながら考える。
 始まりは、数十分前の事だった。



 夏休み最終日。病院でミサカにお土産を渡し、喜ぶ顔が見れた結奈は上機嫌に街を歩いていた。
(みーちゃんもあのブローチを気に入ってくれたみたいだし、良かった良かった)
 ちなみに、すでにブローチの二匹の猫には『ゆい』と『みー』という名前がつけられており、それを見ながらミサカが怪しく笑っている事を結奈は知らない。
 そんな浮かれ気分で角を曲がった結奈は、ちょうどその先から歩いてきた人と勢いよくぶつかってしまう。
「きゃ!」
「なっ!」
 結構な勢いだったため、お互いに転んで尻餅をついてしまった。
「いたた……ご、ごめんなさ、い……?」
 慌てて謝罪をする結奈だったが、相手の顔を見て口を開いたまま呆然とする。
 そこにいたのは、結奈が十日ほど前に初めて会った白髪の少年―――一方通行だった。
 一方通行も結奈と同様に何が起こったのか分からない、といった表情を浮かべている。
 呆然と相手の顔を見つめていた二人だったが、その横から幼い声が話しかけてきた。
「すごいすごい! 今の一体どうやったの? ってミサカはミサカは今後のために聞いてみる」
 結奈がその声に振り向くと、そこには十歳くらいの少女が立っていた。
 その少女は短い茶髪でどこか見覚えのある顔をしており、なぜか青色の毛布を身に纏っている。
「さっきの、この人の反射を無視して突き飛ばしたのってどうやったの? ってミサカはミサカはもう一回同じ事を聞いてみる」
 反応しない結奈に自分の声が聞こえていないと思ったのか、少女はもう一度話しかけてきた。
 その少女の言葉に含まれた単語に結奈が反応する。
「ミサカ? それにその顔と口調……もしかしてみーちゃん関係?」
 よく見ると、その少女の顔は御坂美琴をそのまま小さくしたような感じだった。
 自分の質問を無視された少女は少し不機嫌そうな顔で答える。
「そうだけど、ミサカは妹達(シスターズ)の検体番号(シリアルナンバー)二〇〇〇一号で、『打ち止め(ラストオーダー)』っていうんだけど、ってミサカはミサカは答えてくれない事に不機嫌になりながらも説明するけど。今日は無視されっぱなしなのでさっきの質問にも答えてくれると嬉しい、ってミサカはミサカは上目遣いでお願いしてみる」
 その説明に納得した結奈だったが、お願いには応えずに質問を続ける。
「それは分かったけど、何でその打ち止めちゃんがこいつと一緒にいるの?」
 結奈の言葉に反応したのは一方通行だった。
「オマエ、そりゃ喧嘩売ってやがンのかァ? そンなにあの時みてェに地面にはいつくばりてェンだったら、お望み通りやってやンぞ」
 一方通行の冷たい声が聞こえてくるが、それを無視して打ち止めが話し始める。
「ミサカは研究所から放り出されて路上生活をしてたところを昨日この人に拾われて、研究所の人に連絡を取ってもらおうとしてたの、ってミサカはミサカはまるで既定事項のように伝えてみる。あとさっきの質問はすごく気になってるから教えて欲しい、ってミサカはミサカはちょっと涙目で再三頼み込んでみたり」
 その言葉に毒気を抜かれたのか、一方通行は全てがどうでも良さそうな表情に変わり、すたすたと歩き出した。
 打ち止めもその後を小走りで追い掛けていったため、自然と結奈も後を追うことになる。
 路上生活をしていたところを拾われた、という打ち止めの言葉に少しだけ一方通行への警戒を解いた結奈は、思い切って一方通行に話しかけてみることにした。
「……あなたがこの子を助けてくれたの? だったらありがとう」
 それを聞いた一方通行が不審そうな顔を結奈に向ける。
「あン? なンでオマエがンな事言ってやがンだ」
「この子は妹達の末っ子だからね。みーちゃんの姉を自認する私としても妹のようなものだから」
 その返答に目を丸くしている一方通行の代わりに、打ち止めが会話を繋いだ。
「それってミサカを妹認定したって事? ってミサカはミサカはワクワクしながら聞いてみる」
 先ほどまで質問を無視され続けたことで落ち込んでいた打ち止めが、急にテンションを上げて結奈に聞いてくる。
「い、今のはそういう意味じゃなくてね!? 妹ではないけど妹的な感じって事で……打ち止めちゃん? みーちゃんが拗ねちゃうからできれば伝えないで欲しいんだけど……」
 しどろもどろに答える結奈。
 前を見ると、興味がなくなったのか一方通行はすでに結奈達を見ていなかった。
「ミサカもミサカネットワークで繋がってるからそれは無理かも、ってミサカはミサカはさっきの復讐をしてみたり」
「きゃー! お願いだからやめて打ち止めちゃーん!!」
 そこで、一方通行が振り返らずに結奈に聞く。
「ってか、なンでオマエはさっきからついて来てやがンだ」
「そりゃもちろん、あんたが打ち止めちゃんに悪さしないか見張ってるのよこのロリコン」
 すっかり警戒心が無くなり、砕けた口調になった結奈の言葉に、周囲の空気が凍りつく。
「そンなに死にてェなら、今すぐ肉塊に変えてやンぞ」
 振り返り、引きつった笑みを浮かべる一方通行。
「幼女を拾ってきて自分の部屋に連れ込む奴のどこがロリコンじゃないって言うの? しかも服も着せずに毛布一枚で外に出して……もしかして自覚なかったとか?」
 それを聞いてさらに一方通行の顔が険しくなる。
 周囲には禍々しい気配が満ちているが、結奈は特に気にしていない。
 その雰囲気に耐えかねたのか、打ち止めがわざとらしく大声を上げた。
「あ! あそこに目的のお店があるよ、ってミサカはミサカはさりげなく話題をそらしてみたり」
 打ち止めが指差す先には、大手外食店系列のファミレスがある。
 一方通行はそのバレバレな話題逸らしにやる気を奪われたのか、そのままファミレスへと向かっていった。
 結奈も特に掘り返したりはせず、打ち止めに話しかける。
「もしかして、お昼食べに出て来たの?」
「そうなの、ってミサカはミサカはきたるご飯タイムに期待を募らせながら答えてみる」
 答える打ち止めの瞳は、キラキラと輝いていた。



 そんなこんなで三人でファミレスへと入った結奈だったが、出会った直後の変なテンションが過ぎ去ると、なんで殺されかけた相手と食事なんてしてるんだろう、という猛烈な後悔が襲ってきて、冒頭のような現実逃避に陥っていた。
 十分ほどの現実逃避を経てようやく落ち着いた結奈は、今では開き直って普通に接する事に決めたようだ。
「それで、あんたはこの子をどうするつもりなの?」
 とりあえず一番気になっていた事を一方通行に聞く結奈。
「あァン? 昼飯食い終わったらその時の気分で捨てるか研究所に連れてくか決めてやンよ」
 面倒臭そうに一方通行が答える。
「そこは気分で決めないで欲しい、ってミサカはミサカは捨てるのが優先候補になってる事に戦慄しながら抗議してみる」
 打ち止めはそう言っているが、それほど深刻そうな表情はしていない。
(ま、なんだかんだ言って面倒みてたみたいだし。大丈夫かな)
 結奈がそう考えていたところで、打ち止めの料理が運ばれてきた。
「あっ、きたきたやっときた、ってミサカはミサカはウェイトレスさんを指差してみたり。わーい、ミサカがミサカが一番乗り」
 ウェイトレスが打ち止めの前に料理を並べていく。
 結奈がそのウェイトレスに聞いてみると、残りの料理はもう少し時間がかかるらしい。
「おお、あったかいご飯ってこれが初めてだったり、ってミサカはミサカははしゃいでみたり。すごいお皿からほこほこ湯気とか出てる、ってミサカはミサカは凝視してみる」
 そんな打ち止めを結奈は微笑みながら見ている。
「……くっだらねェ」
 それを見て何を思ったのか、一方通行はそう呟き窓の外に視線を移した。
 結奈はにこにこと打ち止めを見ていたのだが、いつまでたっても料理に手をつけようとしない。
 対面に座る一方通行もそれを疑問に思ったのか、訝しげな表情で打ち止めに聞いた。
「? ナニやってンだオマエ。湯気でてるメシはこれが初めてなンだろォが」
「でも、誰かとご飯を食べるのも初めてだったり、ってミサカはミサカは答えてみる。いただきまーす、っていうの聞いた事ある、ってミサカはミサカは思い出してみる。あれやってみたい、ってミサカはミサカはにこにこ希望を言ってみたり」
「あーもう! 可愛いなぁ!」
 その健気さに耐え切れなくなったのか、結奈が隣にいる打ち止めに抱きつく。
 打ち止めは結奈に抱きかかえられながら、嬉しそうに笑っていた。



「「いただきまーす」」
 ようやく料理が出揃い、三人は食事を始める。
「むっ! なんでいただきますって言わないの、ってミサカはミサカは行儀の悪さを指摘してみる」
「あン? オマエが勝手に言いたかったンだろォが。俺には関係ねェ」
 打ち止めは微妙に納得していない表情だったが、目の前の料理の方が重要だと考え直したらしく、そのまま食べ始めた。
 結奈もその隣で一緒に食べ始めるが、打ち止めは箸やフォークの使い方が良く分かっていないようで、白いご飯の上にフォークを突き刺して首をひねっている。
「ほら、これはこうするの」
 見かねた結奈が食べ方を教えていると、その正面では一方通行が素手で焼けた鉄板を抑えて肉を切り分けていた。
「あんたねぇ、子供の見てる前でそんな食べ方なんてしないでよ。この子が真似しちゃうでしょ……っていうかソレ熱くないの?」
 それを見た結奈が、まるで子連れの夫婦のような事を言っている。
「む! いくらなんでもあれを真似なんかしない、ってミサカはミサカは名誉のために反論してみる。あとこの人の能力って熱量も反射できるから全然熱くないんだと思う、ってミサカはミサカは説明してみたり」
 それを聞いた打ち止めがそんなことを結奈に説明していた。
 打ち止めの話に頷いていた結奈に、珍しく一方通行が話しかける。
「能力、か。それで思い出したンだけどなァ、オマエあの時いったいナニやりやがった」
「あの時?」
 突然振られた話についていけず、結奈は首を傾げる。
「オマエが実験に乱入して逃げた時の事に決まってンだろうがよォ」
 それで一方通行の言うあの時が分かった結奈が、逆に聞き返す。
「あの時って、ただみーちゃん連れて逃げただけじゃない。それ以外は別に何もしてないけど?」
「はン。ナニもしてない、ねェ。ナニもしねェで俺の攻撃が外れるわけねェだろうが」
 その言葉に、結奈は一方通行の言いたい事を理解する。
「ああ! あれの事か。うーん何て言ったらいいのか……私って昔から運が良くて、なんか飛んできたものが全然当たらないのよ」
 その説明を鼻で笑って一方通行が返す。
「運が良い? ンなだけでアレが外れる訳がねェだろォが。あの時の俺の計算は完璧だった。周囲の全てについて問題がなかった事もオマエがいなくなった後で確認済みだ。つまり、俺の計算が終わってから打ち出されるまでの間に、外部からの干渉があったっつー事だろうがよォ……さァて問題だ、あそこにいた中でそンな事ができそォな奴の候補は誰だ?」
 それは、結奈が一度も考えたことの無い推測だった。
「それに、さっきオマエがぶつかって来た時、なンで俺が弾き飛ばされてたンだァ? どう考えてもオマエが原因だろうがよォ」
「で、でも。これって学園都市に来る前からの話なんだけど?」
 結奈のその疑問に、一方通行は即座に答える。
「確かに能力ってなァ開発で発現するもンだけどなァ。偶然それと同じ環境が出来る事で自然に能力が発現する事だってあンだよ。『原石』とか呼んでるらしィけどなァ」
 その言葉に結奈は考え込んでしまう。
 その様子を見て結奈自身が理解できていない事が分かったらしく、一方通行もそれ以上は何も言わずに食事に戻る。
「美味しい美味しい、ってミサカはミサカは評価してみたり」
 そんな打ち止めの明るい声も聞こえないほどに、結奈は自分の『幸運』について考え続けていた。



[6597] 四章 五話
Name: ヒゲ緑◆ccab3415 ID:894f6c72
Date: 2009/09/03 10:23
 能力について考え込む結奈の横では、一方通行(アクセラレータ)が打ち止め(ラストオーダー)に話しかけていた。
「……あのなァ。ホントなら昨日の時点で訊いておくべきだったと思うけどよォ、オマエどォいう神経してンだよ。俺がオマエ達にナニやったか覚えてねェのか? 痛かったし苦しかったし辛かったし悔しかったンじゃねェのかよ」
 打ち止めはその言葉に食事の手を止め、話し始める。
「うーん、ミサカはミサカは九九七〇人全てのミサカと脳波リンクで精神的に接続した状態なんだけど」
「あァ? それが何だってンだ」
「その脳波リンクが作る精神ネットワークってものがあるの、ってミサカはミサカは説明してみる」
「人間でいう集合的無意識とかってェヤツか?」
「うーむちょっと違う、ってミサカはミサカは否定してみたり。脳波リンクと個体『ミサカ』の関係はシナプスと脳細胞みたいなものなの、ってミサカはミサカは例を述べてみる。『ミサカネットワーク』という一つの巨大な脳があるというのが正解で、それが全『ミサカ』を操っているというのが正しい見方、ってミサカはミサカは言ってみる」
 黙って話を聞く一方通行を見ながら、打ち止めは説明を続けた。
「『ミサカ』単体が死亡したところでミサカネットワークそのものが消滅する事はない、ってミサカはミサカは説明してみる。人間の脳に例えるなら『ミサカ』は脳細胞で、脳波リンクは各脳細胞の情報を伝達するシナプスのようなもの。脳細胞が消滅すると経験値としての『思い出』が消えるのでもちろん痛い、けどミサカネットワークそのものが完全に消滅する事はありえない、『ミサカ』が、最後の一人まで消滅するまでは……ってミサカはミサカは考えていたんだけど、気が変わったみたい」
「あン?」
 そして、打ち止めは真っ直ぐに一方通行を見据えて言う。
「ミサカは教えてもらった、ミサカはミサカの価値を教えてもらったって断言してみる。『ミサカ』全体だけではなく、『ミサカ』単体の命にも価値があるんだって、この『ミサカ』が、他の誰でもないこの『ミサカ』が死ぬ事で涙を流す人もいるんだって事を教えてもらったから、ってミサカはミサカは胸を張って宣言する。だからもうミサカは死ねない、これ以上は一人だって死んでやる事はできない、ってミサカはミサカは考えてる」
「打ち止めちゃん……!」
 その言葉に、考え込んでいた結奈が反応した。嬉しそうに打ち止めを見つめる。
「はっ……」
 言葉をぶつけられた一方通行は、天井を見上げてゆっくりと息を吐いた。
 その顔には苦渋が浮かんでいる。
「でも、ミサカはアナタに感謝してる、ってミサカはミサカは言ってみたり。アナタがいなければ絶対能力進化(レベル6シフト)計画は立案されず、傾きかけていた量産型能力者(レディオノイズ)計画が再び拾い上げられる事もなかったはずだから、ってミサカはミサカは説明してみる。アナタは救い手にして殺し手、エロスにしてタナトス、生にして死―――命なきミサカに魂を注ぎ込んだのは間違いなくアナタのおかげだったんだから、ってミサカはミサカは感謝してみる」
 柔らかい声で、打ち止めは言う。一方通行を受け入れるような優しさを乗せて。
「何だよそりゃァ? 全っ然、論理的じゃねェだろ。人を産んで人を殺して、ってそれじゃあ良くてプラスマイナスゼロじゃねェか。どォいいう神経したらそれで納得できンだよ、どっちにしたって俺がオマエ達を楽しんで喜んで望み願って殺しまくった事に変わりねェだろォが」
 不機嫌そうな、それでいて戸惑ったような一方通行の表情を見て、結奈はふと気づく。
 許され、受け入れられる事を必死で否定しようとするその言葉。それは罪を感じ、罰を受けたいと願う一方通行に残った良心なのだと。
(そっか……後悔してるんだ、こいつも)
 そして、それは打ち止めも感じていた。
「それは嘘、ってミサカはミサカは断じてみたり。アナタは本当は実験なんてしたくなかったと思う、ってミサカはミサカは推測してみる」
 まるでかばおうとしているような打ち止めの言葉に、一方通行が訳が分からないといった様子で反論する。
「ちょっと待てよ。オマエ自分の記憶を都合が良いよォに改ざンしてンのか。一体どこをどう美化すりゃあそンな台詞が出てくンだよ? っつか俺がアレを嫌々やらされてる風に見えたのか。俺が実験を続けていた以上、俺はオマエ達の命なンて何とも思ってなかった。たったそれだけの事だろォが」
 その口調は、どこか諭すようなものだった。
 それでも、打ち止めは当然のように返す。
「そんな事はない、ってミサカはミサカは反論してみたり。だったら、何で実験の中でミサカに話しかけてきたの? ってミサカはミサカは尋ねてみる」
 それを聞いて、結奈はあの実験の際に一方通行が放った言葉を思い出した。
『なンだァ、またオマエかよ。逃げられてもイイってなァ連絡があったから、さっきは見逃してやったってのに、そンなに死にてェってンならお望み通り殺してやンよォ!』
 逃げられても良いと言われたから見逃した、一方通行はそう言った。
『逃げられても良い』は『殺してはいけない』ではない。
 むしろ、あそこで殺しておく方が問題を起こさないためには確実な手段だったはずだ。
 だから、結奈は思う。そこで選んだ答えこそが、一方通行の本心だったのだろうと。
「あの時の事を思い出して、あの時の事を回想して、ってミサカはミサカはお願いしてみる。アナタはミサカに何度か話しかけている、ではその目的は何? ってミサカはミサカは分かりきった質問をしてみる」
 黙り込む一方通行に構わず、打ち止めは続ける。
「『人に話しかけたい』というコミュニケーションの原理は、『人を理解したい』『人に理解して欲しい』―――つまり、『人と結びつきたい』という理由のためで、ただ殺すため実験を成功させるためっていうなら会話をしたいとは思わないはず、ってミサカはミサカは論じてみる」
 その言葉に一方通行が呆れたような視線を打ち止めに送った。
「……あァ? あの汚ェ言葉のどこが『人と結びつきたい』に繋がンだよ」
 返された疑問にも、打ち止めは迷うことなく答える。
「そう、そこがおかしな所の二つ目、ってミサカはミサカは指を二本立ててみる。アナタの言葉はどれもこれもが徹底してミサカを罵倒する言葉ばかり、それだと『人と結びつきたい』という理由から遠く離れてしまう、ってミサカはミサカは先を続けてみる。……でも、もしも仮に、それらが否定して欲しくて言っていた言葉だとしたら?」
 一方通行の動きが止まった。
「アナタも言葉はいつだって、実験……戦闘の前に告げられていた、ってミサカはミサカは思い出してみる。まるでミサカを脅えさせるように、ミサカにもう戦うのは嫌だって言わせたいように、ってミサカはミサカは述べてみる」
 打ち止めは、ゆっくりと言い聞かせるように語っていく。
「ミサカ達はアナタのサインに気づけなかった、たったの一度も気づいてあげる事ができなかった、ってミサカはミサカは後悔してみる。でも、もし、仮に。あの日、あの時、ミサカが戦いたくないって言ったら? ってミサカはミサカは終わった選択肢について語ってみる」
 それを聞いた一方通行は、ただ目を閉じて天井を見上げ、一言だけ呟いた。
「……ちくしょうが」
 結奈はただその様子を見つめ、ふと視線を打ち止めに向けた時、ようやく異変に気づく。
「打ち止めちゃん!?」
 結奈の隣にいた打ち止めは、顔中から大量の汗をかき、熱に浮かされるようにぼうっとしていた。
 打ち止めの体から力が抜け、そのままテーブルに倒れこみそうになるのを慌てて支える。
「あ、はは。まあ、こうなる前に研究者さんとコンタクトを取りたかったんだけど、ってミサカはミサカはくらくらしながら苦笑してみたり」
「打ち止めちゃん、大丈夫なの?」
 力無く話す打ち止めに、結奈が尋ねる。
「ミサカの検体番号(シリアルナンバー)は二〇〇〇一、一番最後でね、ってミサカはミサカは説明してみたり。ミサカはまだ肉体的には未完成な状態だから、本来なら培養器の中から出ちゃいけないはずだったんだけど、ってミサカはミサカはため息をついてみる」
 その説明を聞く一方通行は無言だった。
「それでも、なんだかんだで今まで騙し騙しやっていけたんだから大丈夫かなってミサカはミサカは考えていたんだけど。なんでかなぁ」
 やけにゆったりとした口調で打ち止めが言う。
 ぐったりとする打ち止めと、それを心配そうに支える結奈をちらりと見た後、一方通行は一言だけ呼びかけた。
「おい」
「……ん、なになになんなの、ってミサカはミサカは尋ねてみたり」
 三秒ほどかかってようやく反応した笑顔の打ち止めを見て、一方通行から表情が抜け落ちていく。
 そのまま一方通行は無言で席を立つ。打ち止めは視線だけをそちらに向けて言った。
「あれ、どっか行っちゃうの、ってミサカはミサカは尋ねてみる。まだご飯余っているのに」
「あァ、食欲なくなっちまったわ」
「そっか……ごちそうさまっていうのも言ってみたかった、ってミサカはミサカはため息をついてみる」
「そォかよ。そりゃ残念だったな」
 伝票を持ち、そう言って店を出ていく一方通行。
その瞳に決意の色を見てとった結奈は、何も言わずに一方通行を見送り、打ち止めに話しかける。
「ごちそうさまは私が一緒に言ってあげるよ。というかあいつがいても絶対言わないと思うけど」
 その言葉に、打ち止めは嬉しそうに顔を綻ばせた。



 一方通行が出て行ってから二十分ほど。打ち止めは完全に意識を失ってしまい、一方通行が帰ってくる気配も無い。
(いつまでもここにいる訳にもいかないよね。この子をちゃんとした所で休ませてあげたいし……)
 これ以上はお店にも迷惑だろうと思い、結奈はここを出る事に決めた。
 ウェイトレスさんに打ち止めの具合が悪いことを話し、急用で席を立った連れへの伝言メモを渡して欲しいと伝える。
 『素手で鉄板を押さえ付けていた白髪の少年』という事でそのウェイトレスさんも良く覚えていたらしく、「戻ってきたら渡しておきます」と快く了承してくれた。
(あとは、部屋に戻ってあいつが来るのを待っていよう)
 寮の場所はメモに残してきたからよほどの方向音痴でもなければ大丈夫だろう、と考えながら、結奈は打ち止めを背負いファミレスを出る。
 店の前の通りに出て、寮へと向かおうとした時、突然後ろから結奈に声がかけられた。
「君、ちょっといいかな?」
 振り返ると、そこにいたのは白衣の男。
「なんですか? 今急いでるんで勧誘とかは出来れば後にしてください」
 それだけ言って歩き出そうとする結奈に、男が更に話しかけてきた。
「ちょ、ちょっと待ちたまえ。君が背負っているのは打ち止めだろう? 一体どうしたんだい?」
 その言葉に結奈が再び振り返る。
 それに気を良くしたのか、男は聞かれてもいないのに自分の素姓を喋り出した。
「私はその子の製作グループの一人なんだ」
 そのまま男は言葉を続ける。
「研究所にいるはずの打ち止めがどうしてこんな所にいるのかと思ってね。それで君に声をかけたんだよ」
 喋り続ける男に、結奈はこともなげに答えた。
「研究所とか何の事ですか? 私は具合の悪くなった妹を家に連れて帰ってるだけなんですけど……」
 その返答に、男が固まったように動かなくなる。
「人違いみたいですし、私はこれで失礼します」
 それだけ言ってその場を立ち去ろうとする結奈。
 男に背を向けて歩き出すと、舌打ちのような音がした後、後ろからささやくような声がかけられた。
「(動くな!)」
 それと同時に結奈の腰の辺り、薄いシャツ越しに何か冷たいものが触れる。
 結奈が目を向けたそこには、拳銃が突き付けられていた。
「(いいか、騒ぐんじゃないぞ。そこにあるスポーツカーに乗れ)」
 男が小声で結奈に話しかける。
(どうしよう……助けを呼ぶ? でも……)
 結奈は視線を巡らせるが、周りに歩いている人はいない。さらに、先ほど出た店からは拳銃は見えない角度になっているため、誰かが気付く事は期待できなかった。
(逃げる……ダメ。そんな事してもし打ち止めちゃんが撃たれたら……)
 打ち止めを背負っている状態では逃げきる事は難しい。
 それに、下手に動けば打ち止めが撃たれるかもしれないと考えた結奈は、ゆっくり頷き男の指示に従った。
 車の助手席に座り、打ち止めを膝の上に降ろす。
 それを見届けた男は、白衣のポケットから取り出したスタンガンを素早く結奈の首筋に当て、スイッチを押した。
(ごめん……打ち止めちゃん、一方通行)
 直後。バチッという音と共に全身が跳ね、結奈は意識を失った。



[6597] 四章 六話
Name: ヒゲ緑◆ccab3415 ID:894f6c72
Date: 2009/10/11 21:10
 (ん……ここは?)
 ゆっくりと結奈の意識が浮上していく。
 結奈は周りを確認しようとするが、暗くて何も見えない。
 さらに、両手を縛られて猿轡をされており、ろくに身動きもとれなかった。
 何とか手を使わずに起き上がろうとした結奈だったが、わずかに体が上がった所で天井に頭をぶつけてしまう。
「んむー!?」
 勢いよく頭をぶつけた痛みに悶える結奈。
 痛みが引く頃には目が暗闇に慣れてきたらしく、少しは周囲の状況が分かるようになっていた。
(ここ、車のトランクの中……かな?)
 ほとんどスペースのない空間と意識を失う前に乗った車から、結奈はそう判断する。
(打ち止めちゃんは!?)
 自分が背負っていたはずの打ち止めの姿が無い事に気づき、もう一度周囲を見回す結奈。
 しかし、このトランクの中には自分しか入れられていないようだった。
(最初にわざわざ確認してきたって事は、きっと目的は打ち止めちゃんだよね)
 そこまでは結奈にも予想ができたが、具体的になぜ打ち止めが必要なのか分からないため、彼女が安全なのかどうかの判断は出来なかった。
(今は考えても仕方ない、か)
 答えが出ない問題は考えるだけ無駄だと切り捨て、脱出方法を探る事にする。
(とりあえず、腕の方を何とかしたいけど……)
 そう考えながら、結奈は縛られた腕を何度も動かした。
 色々と腕の角度を変えていくと、少しずつロープの隙間が広がってきている。
(よし! 縛り慣れてない素人がやると案外簡単に解けたりするって昨日のテレビでやってたけど、ホントなんだねー)
 そのまま十分ほど続けて、ようやく隙間から右手を抜くことに成功した。
 残った左手からロープを外し、口に付けられていた猿轡も外す。
「(はー、空気がおいしい! ってすごい埃っぽいよ!)」
 途端に息苦しさが無くなり思いっきり空気を吸い込む結奈だったが、トランク内の埃も吸い込んでむせこんでしまった。
(まずっ!)
 今のが聞こえてしまったのではないかと結奈は焦るが、外の様子は先ほどと特に変化はなく、安堵の息をつく。
(聞こえなかったのかな? 良かった……)
 改めて、自由になった手でトランクが開けられるかを調べる。
 しかし、やはり中からではどうしようもなさそうだった。
(はぁ……結局助けを待つしかないのかな……)
 と結奈が考えた瞬間、周囲から金属を潰すような轟音が鳴り響いた。
(な、なにー!?)
 一瞬体が浮いたような感覚がして、そのすぐ後に全身がトランクの蓋に叩きつけられる。
 全身に走る痛みに耐えながら、結奈は状況を把握しようと周囲を見た。
「いたた……。なにこれ、車が歪んでる?」
 見上げたトランクの蓋は歪み、所々から月明かりが差し込んできている。
 平らだったはずの床や壁も、あちこちに凹凸ができていた。
(でも、これなら開けられるかも)
 そう考えて両手でトランクの蓋を押す結奈。
 鍵は壊れているようで、腕一本分ぐらいの隙間が開いたが、歪んでいるせいかそこからがなかなか開かない。
 結奈が四苦八苦していると、思いっきりドアを閉めたようなバタンという音が響いた。
(また!? なんなのこれー?)
 混乱する結奈の耳に、知った声が聞こえてくる。
「芳川(よしかわ)か? ああ、ガキなら確保したぜ」
 それは、一方通行(アクセラレータ)の声だった。
 おそらく電話で連絡でもしているのだろうその言葉から、打ち止め(ラストオーダー)の無事を知った結奈は、気が抜けたように両手を下ろして話しかける。
「一方通行ー、いるんでしょー! あんたの能力でトランクの蓋開けてー。歪んで開かないのよ」
「うっせェンだよ。ンなもン自分で開けろ。こっちはコイツの状態を確認してンだ!」
 その結奈の声に対する一方通行の返答は無情だった。
 どう考えても一方通行が原因であろうこの状況、結奈としては思いっきり反論したいのだが、打ち止めを引き合いに出されると黙るしかない。
(うぅ……この前に続いて役立たず。しかも今度は一方通行に助けられるなんて……)
トランクの蓋にのの字を書いて落ち込む結奈。外からは一方通行の声が聞こえてくる。
「オイ、クソガキの顔に電極みてェなもンがついてンだけどよ。これって剥がさねェ方が良いのか?」
 顔に電極という言葉にギョッとなる結奈だったが、一方通行の声を拾っていくと、ただの身体検査(システムスキャン)キットだと分かり安堵の息をつく。
(なんで私があいつの言葉に一喜一憂しなきゃいけないのよ! 絶対後で復讐してやるー!)
 向こうからすればはた迷惑なことを考えつつ話を聞く結奈。
「なァ。この機械を使ってこのガキのウイルスを駆除できねェのか? ここからガキを連れて帰るにしても結構時間がかかるしよォ」
 一方通行の言葉に含まれた不穏な言葉に再び結奈が固まる。
「ちょ、ちょっと! ウイルスってどういう事よ!!」
 そう叫ぶ結奈の声に、さすがに電話に支障が出ると判断したのか一方通行が答えた。
「ここでのびてるコイツが、学習装置(テスタメント)を使ってこのガキの頭にウイルスデータをブチ込みやがったンだよ」
「それって大丈夫なの!?」
「ほンとにうぜェな。大丈夫じゃねェからこの俺がこンな事やるはめになってンだろォが! ちったァ無い頭使って考えやがれ!」
 それを聞いて、結奈も邪魔をしないようにおとなしく待つ事にする。
「で、オマエの方はウイルスコードの解析は終わってンのか? ならさっさときやがれ」
 一方通行のその言葉を境に声が聞こえなくなった。おそらくは電話の相手を待っているのだろう。
 そして、音の無くなったその空間。そこに突然打ち止めの声が響いた。
「み、さか、は……。みさ、ミサカ、は――――――」
 最初はうめくような小さな声だったものが、いつしか叫び声へと変わっていく。
「み、サ―――…カ、ミサ。カはミサ、カはミサ!カはミサカはミサカはミサカミサカミサカミサカミサミサミサミサミサミサミサミサミサミサミサミサミサミサミサミサミサミサミサミサm<iju0058@Misagrミサqw0014codeLLGミサかミサカieuvbeydla9((jkeryup@[iiG‥**uui%%ebvauqansicdaiasbna‥――――――ッ!!」
「ちょっと! 一体どうしたの!!
 明らかに異常な絶叫に、結奈がたまらず一方通行に問いかける。
「くそ! オイ芳川、これはどォなってる!? これも何かの症状の一つなのかよ!」
 その問いに重なるように、一方通行の方からも焦った声が聞こえてきていた。
「オイどォしたンだよ! これって何か応急処置とかできねェのか!?」
 どうやらこれは完全に予想外の事態らしい。
「何だよ? 何が起こってる!?」
 叫ぶような一方通行の声。
(打ち止めちゃんは大丈夫なの!?)
 ここにきて結奈ももう一度トランクを開けようとするが、どうしても途中で引っかかってしまう。
「……手? まだ手があンのか?」
 聞こえてくる一方通行の声がそこで止まり、打ち止めの絶叫以外の音が消える。
「クソったれが……くそったれがあああああああああああああああああああああああああああああああ!!」
 数十秒の後、一方通行はぼそりと呟き、それは絶叫へと変わっていった。
(何? 何が起こってるの!?)
 トランクから出られない結奈には、外の状況が全く分からない。
 訳が分からず混乱する結奈に、落ち着きを取り戻した一方通行の声が聞こえてきた。
「オイ。脳内の電気信号さえ制御できりゃあ、学習装置がなくてもあのガキの中の人格データをいじくる事ができンだよな?」
 落ち着いた、決意を感じる声。
「できねェ事はねェだろ。現に実験中にゃ皮膚に触れただけで全身の血液や生体電気を逆流させて人を殺した事だってあるンだ。『反射』ができた以上、その先の『操作』ができたって不思議じゃねェ」
 状況が分からない結奈には、一方通行が何をするつもりなのかは分からない。
「クソったれが……できるに決まってンだろォが。俺を誰だと思ってやがる」
 それでも、全力をかけて打ち止めを救おうとする意志はハッキリと感じた。
「……だから、何だってンだ。忘れちまった方が、このガキのためじゃねェか」
 『忘れる』というその言葉が、一方通行が何を賭けて打ち止めを救おうとしているのかを結奈に理解させる。
 あの日に結奈が知った痛みを、一方通行が自らの意思で背負おうとしている事を。
「ただ、オマエの分も巻き添えだ。悪ィ「いいよ」」
 ここに来て初めて自分から話しかけてきた一方通行の言葉に、割り込むように結奈が答える。
「それがその子を救うための最善なら、あんたがそれで後悔しないのなら……私の事なんて気にする必要はないよ。きっとその子もそれを望んでるから」
 少しだけ沈黙した一方通行は、一言、
「そォか」
 と、それだけを返した。



「ったく、このクソガキが。人がここまでやってンだ、今さら助かりませンでしたじゃ済まさねェぞ」
 その言葉をきっかけに、再び一方通行の声が無くなる。
 変化は、すぐに現れた。
「89aeqd,das・・・,-qwdnmaiosdgt98qhe99xsxw9dja8hderfba8waopコード9jpnasidjレジスト9w・・aeaルートAからw,コード08からコード72までの波形レッドをルートC経由でポイントA8へ代入エリアD封鎖コード56をルートSへ迂回波形ブルーをイエローへ変換」
 意味不明だった打ち止めの言葉が日本語へと変換されていく。
 同時に、少しずつ打ち止めの叫びが小さくなっていった。
(上手くいってるの?)
 どうなれば成功なのかは分からないが、結奈はこの変化が打ち止めにとって良いものだと信じてただ待つ。
 そうして、徐々に静寂を取り戻しつつあった空間に、新しい声が響いた。
「邪魔を……す、るな」
 結奈にとってもごく最近聞いた男の声。
(まさか……さっきの男、もう気がついたの!?)
 そう考える間にも、もう一度男の声が響く。
「邪魔を、するな」
 その声に、結奈は胸騒ぎが止まらない。
 一方通行なら、何をされてもやられたりはしないと、それは結奈も理解しているはずなのに、先ほど聞いた決意の言葉が、その絶対に影を落としている。
(いつものあいつなら、きっと何ともならない。でも、今は? 全てをあの子を救う事に向けている今のあいつに、自分を守る余裕なんてあるの?)
 そして、銃声が鳴り響き、打ち止めの声が聞こえた。
「Error.Break_code_No000001_to_No357081.不正な処理により上位命令文は中断されました。通常記述に従い検体番号二〇〇〇一号は再覚醒します」
 結奈はただ、叫ぶ。
「アクセラレータ!!」
 答えは、返ってこなかった。



「……やった? どうして、ハハ。どうして……私は生きているのだ?」
 男の声が聞こえてくる。その内容は、結奈が想像していた通りだった。
(あの、馬鹿……! あの子が助かっても、あんたが死んだら意味が無いじゃない!!)
 そう考えながら、トランクの蓋を殴りつけて開けようとする結奈。
「死んだ、な。……ハッ! 最終信号(ラストオーダー)は、ウイルスコードは!?」
 何度打ちつけてもトランクは開かず、血の滲み始めた拳を握り締めながら男の声を聞く事しか出来ない。
「コード000001からコード357081までは不正な処理により中断されました。現在通常記述に従い再覚醒中です。繰り返します、コード000001から―――」
 それでも、聞こえてきた打ち止めの言葉に少しだけ安心する。しかし、
「は、はは。ぅ、あ、が、うォォアああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ」
 男の絶叫が、まだ終わっていない事を結奈に理解させる。
「打ち止めちゃん! 逃げて!!」
 そう叫ぶが、打ち止めは同じ言葉を繰り返すだけだ。
 そして、先ほどと同じ銃声が再び響き渡る。
「打ち止めちゃん!!」
「……させるかよォ。くそったれがァ!!」
 結奈の声に、もう一つの叫びが重なった。
「う、ぐ……ァああああああああ!?」
 同時に男の絶叫が木霊する。
(一方通行!)
 そして訪れる数秒の静寂。それを破ったのは、男の声だった。
「ハッ。それは何をしているつもりなのだ? 今さら、お前のような者が」
 それに、一方通行が答える。
「……分かってンだよ。こンな人間のクズが、今さら誰かを助けようなンて思うのは馬鹿馬鹿しいってコトぐらいよォ。まったく甘すぎだよな、自分でも虫酸が走る」
 一言一言をゆっくりと紡ぎながら。
「けどよォ……このガキは、関係ねェだろ。たとえ、俺達がどンなに腐っていてもよォ。誰かを助けようと言い出す事すら馬鹿馬鹿しく思われるほどの、どうしよォもねェ人間のクズだったとしてもさァ」
 息を吸い、一方通行が心の奥から叫んだ。
「このガキが、見殺しにされて良いって理由にはなンねェだろうが。俺達がクズだって事が、このガキが抱えてるモンを踏みにじっても良い理由になるはずがねェだろうが!」
 そして、ぽつりと呟く。まるで、自らに言い聞かせるような声で。
「クソったれが。当たり、前の……事じゃねェか」
 そして、一方通行は再び叫ぶ。向き合った過去(こうかい)と、見つけ出した未来(きぼう)を。
「確かに俺は一万人もの妹達(シスターズ)をぶっ殺した。だからってな、残り一万人を見殺しにして良いはずがねェンだ。ああ綺麗事だってのは分かってる、今さらどの口がそンな事言うンだってのは自分でも分かってる! でも違うンだよ! たとえ俺達がどれほどのクズでも、どンな理由を並べても、それでこのガキが殺されて良い事になンかならねェだろォがよ!!」
 その直後、一方通行の苦悶の声が聞こえ、
「……つ、がァあああ!!」
 それは咆哮へと変わった。
 その咆哮に紛れ、トランクの蓋からミシミシと音が聞こえてくる。
(わかった……後は任せて)
 その音に込められたメッセージを受け取った結奈は、そっとトランクを開けて車の助手席側へと降りた。
 静かにドアを開け、横たわる打ち止めを抱き上げる。その先に見えるのは、頭から血を流して地面に倒れる一方通行と、呆然と一方通行を見ている男の姿。
 それでも、一方通行は笑っていた。打ち止めを抱く結奈を見て。
 結奈はそのまま、すぐそこに止まっていたステーションワゴンへと走る。
 ワゴンのドアから出てきた女性に促され、結奈は後部ドアから打ち止めを運び込んだ。
 そこにあったのは、液体で満たされたガラス製の円筒状の培養器。
 言われた通りに打ち止めをその中に入れ、渡された手書きのマニュアル通りに操作を行う。
 書かれた全ての操作を終えた直後、車の外から二発の銃声が鳴り響いた。
 慌ててワゴンから出ると、そこでは男が腹から血を流して倒れており、先ほどの女性が銃を懐にしまっている。
 男の横に倒れている一方通行は、先ほど見た時とは違い左腕からも血を流していた。
「どうしたんですか!?」
「一方通行に止めを刺そうとしていたから持ってきた銃で撃ったのよ。ただ、少し遅かったみたいで向こうにも撃たれちゃってね。わたしの弾が先に当たったから狙いは外れたみたいだけど」
 その結奈の言葉に女性が答える。おそらくはこの女性が、先ほど一方通行と電話で話していた芳川なのだろう。
「だ、大丈夫!?」
 それを聞いて一方通行に駆け寄る結奈。
 腕だから大丈夫だと思ったのだが、思った以上に一方通行の出血は酷かった。
 それでも、芳川の話ではすでに救急車は呼んであるらしいので、普通なら失血死の心配は無かっただろう。
 しかし、一方通行は頭からも出血している。下手をすると病院までもたないかもしれない状態だった。
「そうだ、止血を……」
 そう言って結奈が一方通行のシャツを脱がせようとした時、芳川が叫んだ。
「伏せなさい!!」
 瞬間、再び二つの銃声が木霊する。
 声に従ってとっさに身を伏せた結奈の上を、二発の銃弾が通り過ぎた。
 それは二人の研究者たちの、それぞれの胸に向かってとんでいく。
 その凶弾は、銃を向けあう二人の胸を貫いていった。
「芳川さん!!」
 結奈の目の前で、胸から血を噴き出しながら芳川の体が崩れ落ちていく。
 倒れ伏す一方通行と、それに折り重なるように倒れた芳川との血によって、地面が赤く染まっていった。
 それを見る結奈の体は震えていた。恐怖や混乱などではなく、ただ、怒りで。
 ゆっくりと、結奈は呟く。

「そんなの、許さない」

 そして、一方通行の右手を掴み、叫んだ。

「勝手に死ぬなんて、許さない!」

 それを、静かに芳川の胸の傷口へと当てる。

「あんた達には、妹達を産み出した責任がある。だから、それを投げ出して死ぬなんて許さない!」

 結奈は不思議な気配を感じていた。これまでは希薄にしかわからなかったソレを、今はハッキリと感じる事が出来る。

「私はあんた達があの子達の一人一人、全員に直接謝るまでは、勝手に死ぬことなんか絶対に許さない!!」

 その叫びと共に、結奈は感じられる気配を操っていった。

「だから! 絶対に! 救ってみせるから!!」

 決意を込めたその声に呼応するかのように、流れ落ちる血が減っていく。
 傷口から溢れ出そうとするそれが、再び血管の中へと還っていく。
 結奈の意思に従うように、命を巡らせていく。
 倒れ伏す二人は何も答えない。
 ただ、近づいてくるサイレンの音だけが響いていた。



[6597] 四章 エピローグ
Name: ヒゲ緑◆ccab3415 ID:894f6c72
Date: 2009/09/03 10:26
 九月一日、午前一時。
 真夜中の病院で、結奈は廊下に設置された椅子に座っていた。
 視線の先にあるのは、赤く光る手術中を示すランプ。
 その中では、一方通行(アクセラレータ)の手術が行われていた。
 芳川の方は一足先に手術が終わり、すでに問題ない状態となっている。
(あとは、あの先生を信じるしかないね……)
 そう思いながら、結奈はじっと待ち続けた。ただ、祈りながら。
 そして、四時間に及ぶ手術が終わり、輝いていた赤いランプが消える。
 閉じられていた手術室の扉が開き、カエル顔の医者を筆頭に何人もの医者がそこから出てきた。
 結奈は勢い良く立ちあがり、顔見知りでもあるカエル顔の医者に聞く。
「一方通行は大丈夫なんですか?」
「僕を誰だと思っているんだい? 君だって何度も治療を受けているだろう?」
 カエル顔の医者は飄々と言う。
「まあ左腕は問題ない。ただ、頭の方は前頭葉に傷がついているからね。言語能力と計算能力、この二つには影響が出るね?」
「ぜ、全然大丈夫じゃないじゃないですか!」
 続いた言葉を聞いて慌てて叫ぶ結奈だったが、カエル顔の医者は変わらない様子で返してくる。
「それについては補助機構の案があるからね。問題はないよ?」
 それを聞いてほっと息をつく結奈。
 カエル顔の医者はさらに続ける。
「その補助機構なんだけどね、君もよく知る彼女たちの脳波リンクに、彼を繋げられるようにして言語や演算の補助を行うつもりなんだね。それで、君はそれを了承してくれるかな? 僕が思うに、君の答え次第では彼女達の協力が得られなくなるだろうからね?」
 ミサカネットワークを使う、と言っているカエル顔の医者に、結奈も何を今さらといった表情で答える。
「断るくらいなら、最初から助けたりしません」
「確かに。あの二人が生きたまま僕のところまで来れたのも、君が血流操作で出血を止めてくれたからだったね。流石の僕も死人までは治せないから、それは僕からも礼を言っておくよ?」
 カエル顔の医者からの感謝の言葉を聞きながら、結奈はもう一つの懸念事項を確認する。
「それで、打ち止め(ラストオーダー)ちゃんの方はどうだったんですか?」
「あの女の子なら、特に問題は無かったみたいだね。ウイルスの影響も残っていないし、体も健康そのものみたいだね?」
 全てが上手くいった事を知り、力が抜けた結奈はそのまま床へとへたり込む。
「よかった……」
 少しの間その結奈を見ていたカエル顔の医者だったが、最後に、
「君のその手も治療するから、話が終わったら診察室に来るんだよ?」
 と言って歩いて行った。
 話? と疑問に思っていた結奈に、後ろから声が掛けられる。
「お姉様、とミサカは小声で呼びかけます」
 結奈が振り向くと、そこにはミサカがいた。
 いつも着ている常盤台中学の制服、その胸の辺りには結奈が贈った猫のブローチがつけられている。
「みーちゃん、どうしてこんなところに? 出来るだけあそこから出ない方が良いんでしょ?」
 あそこ、とは特別臨床エリアの事だ。
 いくら隠していないとはいえ、同じ顔の少女が五人もいれば変な騒ぎになってしまう。
「今は深夜なのでそれほど問題にはなりません、とミサカは根拠を述べます。それに、一人で出歩くなら体調以外は気にする必要はありません、とミサカは補足します」
 納得した結奈をよそに、ミサカは話を進める。
「今日の事についてです、とミサカは話を続けます。具体的には二〇〇〇一号の事です、とミサカは本題に入ります」
 それで、何を話しに来たのかを理解した結奈は自分から質問する。
「みーちゃん……打ち止めちゃんの記憶は、どこまで戻せるの?」
 一方通行は打ち止めの記憶が消えるとそれで終わりだと思っていたようだが、ミサカネットワークが記憶の共有も行っている事を知っていた結奈は、その復元が出来るのでは無いかと考えていた。
「記憶だけなら、ウイルスコードの起動中以外は問題なく全てが存在します、とミサカは答えます」
「だったら、問題は打ち止めちゃんが『それ』を自分の記憶として受け入れられるかどうか……って事かな?」
 記憶喪失直後の上条を見ている結奈には、それがかなりの負担になる事はすぐに予想できる。
「それもおそらくは問題ないでしょう、とミサカは自論を述べます。ミサカネットワーク上の記憶はデータだけで残っている訳ではありませんから、とミサカは楽観視してみます」
 結奈には分からないが、そういうものなのだろう。
「それじゃ、これで全部問題なしだね」
 今度こそ終わりだー! と言いながら結奈は伸びをする。
 しかし、話はまだ終わっていなかった。
「いえ、まだミサカにはお姉様に聞いておきたい事があります、とミサカは引き留めながら告げます」
 無感情に言うミサカの様子に、何か嫌な予感を感じる結奈。
 まずい事でもしたのだろうか、と考えを巡らせていると、ふと先ほどのミサカの言葉が頭をよぎった。
『記憶だけなら、ウイルスコードの起動中以外は問題なく全てが存在します、とミサカは答えます』
(ま、まさか……)
 顔をひきつらせて黙り込んだ結奈に、ミサカが言う。
「そんなにも小さい方が良いのですか、とミサカは怒りに肩を震わせながら詰問します。妹はミサカだけではなかったのですか、とミサカはさらに続けます」
(やっぱりあの時の事ー!?)
 どうやらミサカは、結奈が打ち止めを妹みたいなものだと言った事にご立腹のようだった。
「あ、あのねみーちゃん。だからそれは……」
 しどろもどろに答える結奈を見て、ミサカはため息をつきながら言う。
「まあ、それに関してはこれ以上はやめておきましょう、とミサカは物分かりの良さをアピールしてみます」
 意外にあっさりと引き下がったミサカに、顔中に疑問符を浮かべる結奈。
 それを見ながらミサカはゆっくりと口を開くと、結奈の声を真似るようにして言った。
「『そんなの、許さない』」
 それを聞いた結奈が呆気に取られた表情をする。
「『勝手に死ぬなんて、許さない!』」
 続く言葉にもまだ結奈は呆然としていた。
「『あんた達には、妹達を産み出した責任がある。だから、それを投げ出して死ぬなんて許さない!』」
 さらに続けられた言葉に、ようやく事態が呑み込めてきたのか、どんどん顔が紅くなっていく結奈。
「『私はあんた達があの子達の一人一人、全員に直接謝るまでは、勝手に死ぬことなんか絶対に許さない!!』……お姉様の想いを感じることができました、とミサカは浮かび上がるような心地であの時の言葉を反芻してみます」
 それは、血塗れで倒れる二人を前にして結奈が言った言葉だった。
「そ、それ……。なんで、みーちゃんが……?」
 真っ赤になった顔でミサカに尋ねる結奈。
「あれだけの声量でしたので、培養液中の二〇〇〇一号にもその声ははっきりと聞こえていました、とミサカは詳しい状況を説明します。さらに、これは二〇〇〇一号によって最上位優先記憶とするように上位命令文が出されているため、全てのミサカはお姉様のこの言葉を忘れることはできません、とミサカは熱に浮かされたような気分で説明を続けます」
 言葉通りミサカの頬は紅く染まっており、目線は微妙に泳いでいた。
 何も言えずに立ち尽くしている結奈の前で、再びミサカがその台詞を言おうとする。
「『私はあんた達があの子達の一人一人、全員に直接謝るまで……』」
「や、やめてー! みーちゃーん!!」
 深夜の病院に、結奈の悲鳴が響き渡った。



[6597] 五章 一話
Name: ヒゲ緑◆ccab3415 ID:894f6c72
Date: 2009/10/11 21:11
 九月一日、早朝。
 疲れていたはずなのに逆に朝早く目覚めてしまった結奈は、登校の準備をした後、暇つぶしに朝食を作りに上条の部屋に来ていた。
(インデックスは今日からどうするんだろ? 自分で食事を作れるタイプじゃないからね……)
 とりとめのない事を考えながら、合鍵を使ってドアを開く。
「と・う・まーッ!!」
 すると、中から怒りを含んだインデックスの声が聞こえてきた。
「ちがうよーインデックス。あれ、上条くんこんな朝早くから出かけてるの?」
 とばっちりを受けたくはないのでとりあえず誤解を解いておく結奈。
 このあたりの処世術はこの一ヶ月ほどで嫌というほど学んであった。
「ゆいな? どうしたの?」
 訝しげなインデックスの声が聞こえてくる。しかし、本人は姿を現さない。
「朝ご飯作りに来たんだけど、迷惑、だっ、た……?」
 そう言いながら部屋に入って行った結奈は、目の前の現れた光景に呆然と立ち尽くす。
「それが迷惑なんて神様に誓ってありえないよゆいな! だから早くご飯!」
 そう叫ぶインデックスは体中を細いロープで雁字搦めに縛られており、尺取虫みたいに床を這っていた。
 その頭の上には三毛猫が乗ってのんびりとしている。
 怒りも何もかもすべて吹き飛んだようなインデックスの声にも、呆然としている結奈は答えない。
 しばらくそうしていた結奈だったが、ようやく再起動してインデックスに声をかけた。
「二人とも、そういう趣味があったんだね。しかも放置プレイとか……」
 そう言って踵を返そうとする結奈。
「ちょ、ちょっと待ってゆいな! それはすさまじい誤解であって、私に縛られたり放置されて喜ぶ趣味はないんだよ! むしろ私は放置されると怒るかも!!」
 そのインデックスの言葉にキョトンとした顔で結奈が返す。
「え? 最近放置される事が多いって言ってたから、てっきりそれでインデックスが目覚めちゃったんだとばかり……」
「目覚めないよ! ゆいなは私の事なんだと思ってるの!?」
 問われた結奈は少し考えたあと、ぼそりと言った。
「飼い猫と妹の中間?」
「人間ですら無かったの!? しかも中間って訳がわかんないよ!!」
 恋敵は一体どうなったの! と呟いているインデックスを見て、堪え切れずに結奈が笑い出す。
「ぷっ、あははははは」
 それでようやくからかわれていた事に気づいたインデックスが、烈火の如く怒りだす。
「か、からかってたんだねゆいな!」
 しかし、全身を縛られたインデックスに出来るのは、床の上で蠢く事だけだった。
「ごめんごめんインデックス。それ解いてあげるから許して?」
 そう言いながら、結奈はインデックスのロープを解こうとするが、どうやっても解けない。
「あれ? これってどうなってるの?」
「これは注連縄を使った小型結界だから、普通にやっても多分無理だと思う」
 結奈の疑問に、インデックスが即座に答えた。
「小型結界……ってまた何かあったの?」
「昨日ね、大切な人の呪いを解く方法を知りたいって私を誘拐した魔術師がいたの。それで事情を聞いたとうまが、呪いを解いてくるってその魔術師と一緒に出て行って……その時に私がついていけないように縛っていったんだよ! 専門家を置いて行くなんて本当にとうまは何考えてるのかな!!」
 言っていくうちに怒りがぶり返してきたのか、インデックスがヒートアップしていく。
 どうやら向こうは向こうで色々あったらしい、と結奈が考えていると、玄関のドアを開く音が聞こえてきた。
 その音にインデックスが素早く反応する。
「と・う・まーッ!!」
 結奈が入って来た時と全く同じ台詞を言い、這うようにして玄関へと向かっていくインデックス。
「うわっ、すっかり忘れてた! お前ずっとそのままだったのか!?」
「とうま! 人を置き去りにしておいて最初に出てくる台詞がそれなの!?」
 あんまりといえばあんまりな上条の言葉に、インデックスの堪忍袋の緒はすでに消滅しているようだ。
「また今回も今回も今回も一人で突っ走って……。とうま、とにかくこのロープを解きなさい! とうまの右手なら触っただけでこわせるはずだもん!」
 しかし、上条はそのインデックスの言葉に難色を示す。
「けど、なぁ。このロープ、解いたら解いたでお前ものすごく暴れそうだし」
 そうやって拒否しようとしている上条に、結奈は足音を殺して忍び寄る。
 怒る怒らないとインデックスと口論をしている上条の背後に立った結奈は、その右手を掴んで強引にインデックスに触らせた。
 そこまできてようやく結奈の存在に気づいた上条が、絶望の眼差しを向ける。
「し、新城さん? 何をしていらっしゃるのでしょうかと上条さんは切に問いたいです」
 結奈は人差し指の腹を唇に当てながら、満面の笑顔で答えた。
「なにって……お仕置き?」
 それに反論する間もなく、上条の頭にインデックスがかじりついた。
「ぎゃああ!?」
「とうまのばかばかばか!! 何かあったらどうするつもりだったの!?」
 かじりながら喋るという器用な事をしながら、インデックスが泣きそうな目で上条を問い詰める。
 インデックスの怒りはゆっくりと収まっていき、最後にぽつりと呟いた。
「……本当に、どうするつもりだったの?」
「ごめん」
 震えるインデックスに、上条はそれだけを伝えた。
 そのまま無言でいる二人に、結奈が手を叩きながら声をかける。
「はいはい、そろそろラブコメは終了! 朝ご飯の支度するけど、何が良い?」
「私はいつものでいいんだよ!」
 インデックスは超特急で上条から離れ、結奈の元へと走って行った。
「えーと、このやるせなさは一体……」
 背中に哀愁を漂わせながら、上条はそう呟いていた。



 朝食を済ますと、電車で行くという上条と別れ、結奈は一人スクールバスに乗って登校していた。
(せっかくここまで皆勤なんだし、巻き添えで遅刻したくは無いからね)
 非常に失礼な事を考えながら学校へ到着した結奈は、走って来る上条を窓から見おろしている。
 やっぱり何かあったんだ、と思いながら苦笑いを浮かべる結奈。
 しばらく待っていると、息も絶え絶えに上条が教室へと駆け込んでくる。
 少し教室内を見回していた上条だったが、結奈の姿を見つけるとそちらに向かってきた。
 結奈の前が上条の机だと事前に教えられていたからだ。
 上条がその席に鞄を置くと、それを見計らったように青髪ピアスが話しかけてくる。
「カミやーん。宿題はやってきるかーい?」
 その言葉に鞄を開いた上条は、その中身を見て顔を青くする。
「あたりまえ……あれ? なんで何も入ってないんだ? ちょっと待て俺の今朝の苦労の結晶は一体どこにー!」
 宿題が鞄に入っていない事に頭を抱える上条を見て、教室中の男女の視線が集中する。
「あ、なに? 上条宿題忘れたの?」
「えっと、上条君。本当に宿題忘れちゃったの?」
「うおおやったー! 仲間は他にもいたー!」
「いよっしゃー! これで注目は全部不幸な上条のもんだー!」
「だめだよ上条くん、宿題はちゃんとやらなきゃ」
「って新城さん? あなたはさっき私が宿題をやっていたのを確認していらっしゃいませんでしたか?」
 どさくさに紛れて放った結奈の一言に、しっかりと上条がツッコミを入れてきた。
「私のを写してただけだけどねー」
「それを言われると返す言葉もございません……」
 そのやりとりを見ていた青髪ピアスが、平伏する上条に向かって叫び声をあげる。
「カミやーん、新学期早々夫婦漫才とはイイ度胸やん! 新城ちゃんのぷりちーなリボンは渡さんでー!!」
「お前が欲しいのはリボンかよ! すでに生物ですらねーじゃねーか!? しかも話の前後が全く繋がってねーよ!!」
 今日も絶好調な上条のツッコミが青髪ピアスに打ち込まれる。
 それを笑顔で見ている結奈に、一人の女子が話しかけてきた。
「新城さんもよくやるわね、あの馬鹿ども相手に。疲れない?」
 長い黒髪を耳にひっかけるように分けた、おでこ属性の巨乳少女、吹寄(ふきよせ)制理(せいり)だ。
「慣れれば楽しいよ。吹寄さんもやってみたらどうかな? 新しい世界が開けるかも」
 からからと笑いながら答える結奈。
 その向こうでは、上条と青髪ピアスがヘッドアクセサリーについて激論を交わしていた。
「遠慮するわ。あんなのに付き合うなんて時間の無駄よ」
 そっけなく言う吹寄。結奈もその気持ちは分かるので、さすがに強要はしない。
「そろそろホームルームの時間だし、吹寄さんも席に戻ったほうがいいよ。こっちは私が片づけておくから」
「そう? なら後は任せるわ」
 結奈の言葉にそう返すと、吹寄は自分の席へと戻っていった。
 それを見送った結奈は椅子から立ち上がり、口論をしている二人の所へと歩いて行く。
「さて、お掃除っお掃除ー♪」
 数十秒後、再び席に着いた結奈の前には、両手をだらりと下げて椅子に背中を預ける上条と青髪ピアスの姿があった。



「はいはーい、それじゃさっさとホームルーム始めますよー。始業式まで時間が押しちゃってるのでテキパキ進めちゃいますからねー」
 そう言いながら小萌先生が教室に入ってくる。
 教室の席はほぼすべて埋まっているが、土御門の席だけが空席のままだった。
 小萌先生にも連絡が行ってないようなので、どうやらサボリのようだ。
「えー、出席を取る前にクラスのみんなにビッグニュースですー。なんと今日から転入生追加ですー」
 転入生、という言葉になんとなく誰の事なのかは想像がついた。
(姫神さんだよね、きっと。涙子ちゃんやみーちゃんが出てくるなんて事は……無いよね、さすがに)
 自分で考えて微妙に不安になってくる結奈。あの二人ならもしかするかもしれないと思えてきたらしい。
「ちなみにその子は女の子ですー。おめでとう野郎どもー、残念でした子猫ちゃん達ー」
 その言葉にクラスの男達が色めき立つ。
 上条はなぜか頭を抱えてぶつぶつ言っていた。
「とりあえず顔見せだけですー。詳しい自己紹介とかは始業式が終わった後にしますからねー。さあ転入生ちゃん、どーぞー」
 それに合わせて教室の引き戸がガラガラと音を立てて開かれる。
 結奈がそちらを見て、直後に顔をひきつらせた。
「あ、とうまとゆいなだ。うん、という事はやっぱりここがとうま達の通うガッコーなんだね。ここまで案内してくれたまいかには後でお礼を言っておいた方がいいかも」
 開いたドアの先にいたインデックスの言葉に、教室中の視線が結奈達の座る一角に向けられる。
「……………………………………………………………………あ、あれ? なのですよー」
 何故か紹介した小萌先生までもが混乱して凍りついていた。
「ちょ、待って。小萌先生、これは一体どういう……?」
 問い質した上条の言葉にようやく我に返ったらしい小萌先生が、インデックスに向かって叫ぶ。
「シスターちゃん! まったくどこから入ってきたんですか! 転入生はあなたじゃないでしょう!? ほら出てった出てったですーっ!」
 そう言いながらインデックスの背中を押して追い出そうとする小萌先生。
「あっ、でも、私はとうまにお昼ご飯の事を……」
 なおも食い下がろうとするインデックスだったが、泣き出しそうな小萌先生の表情を見て抵抗を諦めたようだった。
 そして、それと入れ替わりに入ってきた長い黒髪の少女が挨拶をする。
「ちなみに。本物の転入生は私。姫神秋沙」
「姫神さん、よろしくねー。制服似合ってるよー」
「こちらこそ。よろしく新城さん」
 とりあえず頭の中で全てを無かった事にした結奈が、真っ先に反応してのんきに挨拶を交わしていた。
「よ、良かった。地味に姫神で本当に良かった。しかも巫女装束じゃなくて何のひねりもない地味な制服に身を包んでくれて本当に良かった……」
「君の台詞には。そこはかとない悪意を感じるのだけど」
 続く上条の言葉には、姫神が不満そうに呟いている。
 吹寄を含む他のクラスメイト達は、未だ開けっ放しのドアを呆然と見つめていた。



[6597] 五章 二話
Name: ヒゲ緑◆ccab3415 ID:894f6c72
Date: 2009/11/17 18:33
(ふぁー、ねむ……)
 始業式の最中、結奈は襲い来る眠気と闘っていた。
(昨日はあんまり寝てないもんね……)
 なんとか耐えようとするが、徐々に結奈のまぶたが落ちていく。
(小萌先生は上条くんを探しに行ってるし、大丈夫かな……)
 そこまで考えたところで、結奈の意識は夢の中へ落ちていった。



「わー! すごいねあのおやまー!」
 バスの窓から見える山並みに、幼い結奈が瞳を輝かせた。
「ゆいなちゃん。おそとばっかりみてないで、いっしょにおかしたべようよー」
 隣に座っていた幼い少女が、結奈の服を引っ張りながら言う。
「だってすごいおおきんだよ! みなちゃんもみてみてー」
 それでも外の山並みが気になるのか、結奈は窓に張り付いたまま逆に誘っていた。
「わたしはいいよ。もう、ゆいなちゃんももうすこしおんなのこらしくしなきゃだめだよ?」
 少女が呆れたように答える。
「みなちゃんおかあさんみたい」
 結奈はそう返しながらも、視線は窓の外に釘付けだった。
「ゆいなちゃんはいっつもこうなんだから」
 それで少女も諦めたのか、通路越しに他の女の子と話し始める。
「えへへー」
 楽しそうに笑う結奈だったが、しばらく進むとバスは崖沿いの道に入ってしまい、景色が見えなくなってしまった。
 それでも何か見えないかと、結奈はきょろきょろと窓の外を見回す。
 その時、何かが転がるような大きな音がバスの外から聞こえてきた。
「なんだろ?」
 その音につられて、結奈の視線が上に向かう。
「え?」
 その目に映ったのは、崖の上から転がり落ちてきた大きな岩だった。
 直後、巨大な衝突音が響き、結奈の視界が一八〇度反転する。
「きゃあぁぁぁ!!」
 その結奈の声と同時に、バス全体から悲鳴が上がった。
 落ち着く間も無く、何かがバスにぶつかる音が何度も響き、その度に結奈の視界が反転する。
 どれくらいそれを繰り返していたのか、すでに結奈には上下の感覚が残っていなかった。
 そんな状況で、結奈は不思議な気配を感じていた。いままでまったく知らなかった、『ナニカ』の気配を。
 無意識に結奈はそれに手を伸ばし、掴もうとする。
 結奈がようやくそれを握りしめたと思ったその瞬間、これまでとは比べ物にならない轟音が響き、バスが止まった。
 先ほどまで木霊していた悲鳴は、もうどこからも聞こえない。
 結奈は、いつの間にか瞑っていた目を、ゆっくりと開いた。
「え……?」
 目に映ったのは、頭から血を流してぐったりとする少女の姿。
 視線を巡らせると、バスはあちこちが潰れており、座席も滅茶苦茶になっている。
 そして、その少女と同じように体のあちこちから血を流す友達の姿。
 そこにある光景が、結奈には信じられない。
 だから、ただ呆然とそれを見つめていた。
 傷一つ無い、その姿で。



「(新城ちゃん!)」
 聞こえてくる声に、結奈の意識が覚醒していく。
「新城ちゃん! 始業式早々居眠りなんて、いい度胸なのですよー」
「ふぁい……おはようございます。……ぐー」
 返事もそこそこに、再び寝息を立て始める結奈。
「こらー! 寝ちゃだめですよー。聞いてますか新城ちゃーん!」
 パチパチと頬を叩かれ、ようやく結奈が目を覚ます。
「……あれ? ここどこですか?」
「ここは体育館で、新城ちゃんは始業式の最中から今までホームルームぶっちぎって爆睡してやがったんですよ!!」
 目の前でご立腹の小萌先生の言葉にあたりを見回すと、そこは無人の体育館だった。
 片付けはホームルームが終わってから行われるのか、まだ大量の椅子が並んでいる。
 どうやら昨日の疲れと睡眠不足が、校長の長話によって表面化したらしい。
「上条ちゃんといいシスターちゃんといい新城ちゃんといい、どうしてこの忙しい時に変な問題を増やしてくるのですか!」
 小萌先生の説教は止まらない。
「新城ちゃんは上条ちゃんと一緒に今から別室でお説教です!」
 しかし、結奈はそれを聞き流しながら、先ほどの夢の事を考えていた。
(そっか……。私が初めてあの気配を感じたのって、あの時だったんだ……)
 昨日、一方通行を助けたあの時から、結奈は頻繁にあの不思議な気配を感じている。
(あれは、きっと何かの力。でも、いったい何の?)
 結奈にも少しずつそれが何か理解でき始めていた。それでも、まだ確信が持てない。
(もしかしたら……)
 答えは、もうすぐそこまで近づいてきていた。



 説教が終わって帰る頃には、すでにほとんどの生徒は下校した後だった。
「……帰ろっか」
「……ああ」
 時刻は昼過ぎ。空腹と睡眠不足による気だるさの相乗効果が、二人を包み込んでいた。
 昇降口で結奈が靴を履き換えようとしていると、隣から上条の「不幸だー!」という声が聞こえてくる。
 結奈が視線をそちらに向けると、上条の靴の底にガムが付いていた。
 どうやら靴を置いた所に落ちてあったらしい。
「前から気になってたんだけど、上条くんの不幸って幻想殺し(イマジンブレイカー)と関係とかあるの?」
 それを見て思い出した素朴な疑問を、結奈は上条に投げかけてみる。
「ん? 俺にはよく分かんねーけど、インデックスはこの右手が『神様の加護』まで消しちまってるのが原因なんじゃないか、って言ってたな」
 ガムを剥がしながら上条が答えた。
「ふーん」
 言うほど興味があった訳でもないらしく、それだけ言うと結奈も靴を履き替える。
 そのまま二人で校門まで向かうと、二人の少女がそこで誰かを待っていた。
(インデックスと……誰だろあの子?)
 片方は結奈にも見なれたインデックスの姿だったが、もう片方には見覚えがない。
 落ち込んだ様子のインデックスの隣にいるのは、わずかに茶色の混じった長い黒髪に、眼鏡をかけた巨乳少女だった。
 髪は一房だけゴムで束ねて横に流し、他は太股くらいまで伸びたストレートになっている。
 その表情はどこか自信なさげで、おどおどと周りを見回していた。
(……なんか、庇護欲がかきたてられるというかなんというか)
 微妙におかしな感想を抱きながら結奈がその少女を見ていると、上条が二人に声をかけた。
「おーい」
 そう言いながら走りだした上条に結奈もついていく。
「待っててくれたの? ありがとうインデックス」
 最初はなぜか暗い顔をしていたインデックスだったが、結奈のこの言葉と上条の昼食の後は遊びに行くという話を聞くと、顔を紅くして嬉しそうに微笑んだ。
 そして、それを見てくすくすと笑っている眼鏡の少女にインデックスが声をかける。
「そうだ、ひょうかも一緒に行こう?」
 それを聞いて、驚いたように眼鏡の少女が聞き返す。
「え……いいの?」
「断る理由なんかないよ。ねえ、とうまもゆいなもいいよね」
「だな」
 どんどん話が進んでいるが、結奈にはこの眼鏡の少女が誰なのかが分かっていない。
「あの……ゆいな、さん?」
 眼鏡の少女のほうも結奈と同じ思いだったらしく、インデックスに疑問の声をぶつける。
 インデックスが答える前に、結奈自身がそれに答えた。
「私のこと。新城結奈だよ。結奈って呼んで?」
 その声に少しビクビクしながら、眼鏡の少女も自己紹介をする。
「あ、はい。わ、私は……風斬(かざきり)氷華(ひょうか)って、いいます」
「うん。それじゃ、行こうか風斬さん」
「えっと……ありが、とう」
 結奈の言葉に再び驚いたような顔をした風斬だったが、小さな声でそう言った。
「ん? 一日遊ぶんならちょっと金がいるか。悪い、ちょっとコンビニで金下ろしてくるから、ここで待ってろ」
「あ、私も下ろしておくよ」
 そう言って二人でコンビニに向かう。
 先にお金を下ろした上条に続いて結奈がATMに向かっていると、コンビニから出た上条が緑色のジャージを着た女性に話しかけられていた。
 肩についている腕章を見る限り、どうやら警備員(アンチスキル)らしい。
(って、あれ黄泉川(よみかわ)先生だ)
 よく見ると、その警備員は結奈達の学校の教師である黄泉川愛穂(あいほ)先生だった。
 コンビニから出て話を聞いていると、特に上条が何かしたという訳ではなく、ATMの前で無防備に財布を見せていた事を注意しているだけらしい。
「は、はい。気をつけます」
「うんうん。次からは気をつけるんだぞ少年」
 にこにこ顔で去っていく黄泉川先生。
 そこで上条に話しかけようとした結奈だったが、その前に上条の服を引っ張る少女がいた。
「ありゃ? 何やってんだ姫神。お前まだ帰ってなかったのか?」
「……。人が転校してきたというのに。その淡白な反応は何? 新城さんは喜んでくれたのに」
 どうやらこの酷く自然体な上条の反応が、姫神は気に入らないらしい。
「あー……」
 上条がそうやって言い淀んでいると、
「そうか。私はやっぱり。影が薄い女なのね」
 そう呟いて落ち込んでしまう。
 狼狽する上条だったが、しばらくするとけろっとした顔で姫神が話を続けた。
「そんな事より。ちょっと話が耳に入ったのだけど。あの眼鏡の女の名前って。風斬氷華でいいの?」
「うん、そう言ってたよ。知り合い?」
 いつ入り込もうかとタイミングを計っていた結奈が、さりげなく会話に加わる。
 上条達も、結奈がいるのには気づいていたようで、そのまま話が続けられていた。
「二人は。私が前に通っていた高校。知ってるよね?」
「確か……霧ヶ丘女学院、だったか」
 上条が自信なさげに答える。
「そう。単純に能力開発分野だけなら常盤台に肩を並べる名門校。常盤台が汎用性に優れたレギュラー的な能力者の育成に特化しているのなら。霧ヶ丘は奇妙で。異常で。でも再現するのが難しいイレギュラー的な能力者開発のエキスパート」
 そう説明する姫神の言葉に、上条は相槌を打っていた。
 頷くタイミングがおかしいので、結奈からも適当である事が良く分かる。
「風斬氷華の名前は。霧ヶ丘でも見た事がある」
「って事は、お前達って一緒に転校してきたのか?」
「……」
 姫神はそこで一度黙りこんだ後、上条の質問には答えず一気に話を進めた。
「風斬氷華は先生たちの間で『正体不明(カウンターストップ)』と呼ばれていた。どんな能力なのかは分からない。けど。能力の希少価値で順位が決まる霧ヶ丘のテストで。彼女はいつもトップだった」
 だけど、とそこで話を切って一呼吸し、再び説明に戻る。
「そもそも。風斬が何年何組に在籍していたのか。それすらも誰も知らなかった。名前だけは誰もが知っているのに。姿を見たものは誰もいない」
「……何だよ、それ」
「だから。分からないの。だけど。先生に聞いた話では。一番重要なのはそんな所じゃなかった」
 無言で聞き入る二人に、ゆっくりと姫神は告げる。
「いわく。風斬氷華は。虚数学区・五行機関(プライマリー=ノーリッジ)の正体を知るための鍵だと」
 虚数学区・五行機関。今はどこにあるのかさえ分からない学園都市最初の研究機関の事だ。
 そこは現在の技術でも再現できない『架空技術』を有していると言われている。
「先生の話では。風斬氷華には彼女個人の能力を調べるための研究室(とくべつクラス)があるという話だった。個人のために研究室を用意するなんて滅多にないから。実はそれは『正体不明』ではなく。虚数学区・五行機関の正体を探るための研究室だって。でも。先生もやっぱり風斬氷華の姿は見たことがないって言っていた。その正体は先生の間でも一部の人しか分からないって」
「けど……そんなの」
「うん。私もどこまでが本当かは分からないから。念のための忠告。だから気をつけてね」
 それだけ言って立ち去ろうとする姫神に、上条が声をかける。
「あっ、ちょっと待てよ。俺達これから遊びに行くんだけど、お前もどうだ?」
 姫神はびっくりしたように振り返り、ぽつりと呟いた。
「……。小萌の……バカ」
 その言葉の意味を尋ねようとする上条に、用事があるから、とだけ言って姫神は歩いて行く。
 その途中、何かを思い出したように姫神はもう一度だけ振り返り、
「あと。記録では。転入生は私一人しかいないはずなのよ」
 それだけを言い、去って行った。
「どういう事なのかな?」
「さあ? さっぱりわかんねーよ」
 顔中に疑問符を浮かべながら、二人は校門で待つインデックスと風斬のもとへと歩いて行った。



[6597] 五章 三話
Name: ヒゲ緑◆ccab3415 ID:894f6c72
Date: 2009/03/15 19:03
「おー。とうま、これがウワサの地下世界なんだね」
「地下街な、地下街」
 四人がやってきたのは、八月の始めに上条とのデートで結奈が来た地下街だった。
「とりあえずお昼ご飯だよね。みんなは何か食べたいものでもある?」
 結奈が話を振るが、インデックスも上条も、安くて美味しくて量が多くてあまり人に知られていないお店、という無茶なリクエストだった。
「風斬さんは? なにか食べたい物とかある」
 そう言いながら結奈が風斬に近づくと、彼女は逃げるようにインデックスの陰に隠れてしまう。
「えっと……」
 そのあんまりな対応に結奈が落ち込んでいると、風斬の方から声をかけてくる。
「……あ、いえ……ごめん、なさい。怖い、とかじゃないんですけど。何か、あなたの傍にいると、頭が、ぼーっと、するというか……自分が、自分でなくなるような、そんな、感じがして……」
 インデックスの陰から出てしどろもどろに説明する風斬だったが、いまいち要領を得ない。
 そんな風斬に助け船を出そうと上条が近寄ると、またもや彼女はインデックスの陰へと隠れてしまった。
 それを見て結奈と上条は同時にため息をつく。
「それじゃ、私が決めるから。それでいいかな?」
 結奈の意見に反対は無かったので、近くにあった学食レストランへと入った。
 学食レストランはその名の通り、学園都市中の学食の良いとこ取りなメニューが並ぶ店である。
 学校に行った記憶がないインデックスの事を考えての選択だが、風斬も給食を食べた事が無かったらしく、一石二鳥だった。
 四人掛けのテーブルに、結奈と上条、インデックスと風斬がそれぞれ並ぶように座る。
 先ほどの風斬の態度に配慮した席なのだが、それでも結奈と上条が喋るたびに微妙に怯えられ、それが二人を落ち込ませていた。
 その後は、四〇〇〇〇円の常盤台中学給食セットを頼もうとするインデックスが上条に鉄拳制裁を受けたり、昔ながらといった感じの給食を選んだ風斬がインデックスに地味だと言われて本気で落ち込んだり、結奈がやけ食いと称して常盤台セットを注文し三人に唖然とされたりしていたが、全体的には昼食を進める事ができた。。
「さて、次はゲームセンターでも行こうか?」
 店から出たところで結奈が提案する。
 上条と風斬は特にこの案に反対意見はないらしく、インデックスはそもそもゲームセンターが何かを分かっていなかった。
 そういう訳で、満場一致で決まったゲームセンターに足を運ぶ。
 四人がやってきたのは、夏休みに結奈と上条が来たレトロゲームコーナーだった。
「とうま、それロンかも。 清一色、対々和。一二〇〇〇点だよ」
「それ俺のどの牌捨てても当たりじゃねーか! ちくしょー、次こそは!」
「え……っと、ロン、です。混一色、一気通貫、ドラ三。一六〇〇〇点、です」
「うぎゃー! 調子に乗ってカンなんかするんじゃ無かったー! まだだ、まだ上条さんは戦える!!」
「あ、上条くんそれロン。中のみ、ドラ十二。珍しいね数え役満って」
「ドラ爆がこんなところにー!? どこの玄人ですかあなたは!! し、しかしこの手牌なら希望は……」
「「「ロン」」」
「緑一色、役満だよとうま。緑ばっかりできれいかも」
「あの、国士無双……です。役満……」
「それで私は四槓子、っと。もちろんダブル役満ルールだから」
「オール役満のトリプルロンって、そんなのありえないだろ!? か、上条さん初めての役満チャンスが……」
 なぜかあの時同様に麻雀ゲームが行われている。今度は四人対戦だ。
 もちろんカモにされているのは上条だった。夏休みにあれだけやられておいて、まったく懲りてなかったらしい。
 存分に勝ち続けた後、結奈がインデックスと風斬に言う。
「さて、上条くんで遊んですっきりした事だし、次いこっか?」
「ゆいな! あのインベーダーっていうのはなに?」
「……渋いチョイスだね、インデックス」
「これ……結構、得意だから」
 二人はそのまま結奈に連れられてゲーム台を巡っていく。
 一致団結して上条を蹴散らした事で三人の連帯感は上昇したようだったが、その代わりに上条は真っ白に燃え尽きていた。



 レトロゲームコーナーをまわり終えると、今度は学園都市の最新ゲームコーナーへとやってくる。
 ここでは瞳を輝かせたインデックスが店内の全てを回ると言い出し、上条が必死でそれを止めようとしていたのだが、結奈は大笑いで、風斬は苦笑いでそれを放置していた。
 結局。店内を大雑把に一周し、ようやくインデックスが満足する。
「ふー。あー面白かった。とうま、私はもう満足満足かも」
「……、あい。上条さんももういっぱいいっぱいですよ? ねえ三毛猫。今日から俺達のご飯は三食残らず食パンの耳になるかもしんないけどオッケーかい?」
「ふぎゃあ! しゃああ!!『良い訳ねぇ! そんなの耐えられねぇよ!!』」
 それとは裏腹に、上条とスフィンクスはこれからの食事について絶望していた。
「私が三食用意してあげよっか?」
 そのタイミングを見計らって、結奈が優しい声で提案する。
「本当ですか!? 私上条さんは一生新城さんについていきますー!!」
「にゃおーん!『いやっほー! 姐さん最高!!』」
 見事なまでに分かりやすい反応だった。
 それに機嫌を悪くしたインデックスが、上条に冷たい声で言う。
「とうま、とうま。もう一周してみる?」
「やめてください! それやったら間違いなく破産しますから!!」
 インデックスの言葉に、上条は絶叫しながらジャンピング土下座を行っていた。
 それを見た風斬の表情は軽くひきつっており、結奈は相変わらず楽しそうに笑っている。
 その時、上条の携帯が急に鳴り出した。
 上条は慌てて携帯を取り出すと、結奈達に背を向けて操作し始める。
「……ちょっと、ジュース……飲みに行かない?」
 それに何かを察したのか、風斬がそう提案した。
「え? だったらとうまも一緒に――――」
「上条くんの分も買ってきてあげればいいでしょ? 私が奢ってあげるから」
 結奈と風斬はそれぞれインデックスの右手と左手を掴んで、上条から離れるように歩き出す。
 そのままゲームセンターの中に入り、奥にある自販機コーナーに向かっている途中。今度は結奈の携帯が鳴り出した。
「ごめん、ちょっと外出てくるね。はい、お金はこれ使って」
 風斬に千円札を渡し、再びゲームセンターの外へ出る結奈。
「あれ、姫神さんからだ……なにか言い忘れた事でもあったのかな?」
 そう言いながら電話を取る。
『……ザ……もしも、し……聞、こえて……ひ、めがみ……だけど―――』
 しかし、地下街ということもあって雑音がひどく、ほとんど聞き取れない。
「姫神さん? もしもーし」
『―――……そ、こに……ザ―――風斬、氷華…いる? ……ザ、大へん、な事……分かった―――』
 そこで通話は切れてしまった。
「新城、今の電話は?」
 先ほどまで電話をしていたはずの上条が結奈に話しかけてくる。
「姫神さんから。雑音だらけでほとんど聞こえなかったんだけど、風斬さんの名前とか、大変な事が分かった、とか言ってた気がする」
「大変な事?」
 考え込んでしまった上条に結奈が質問する。
「上条くんの方は、さっきの電話って誰からだったの?」
「俺の方は知らない番号からだ。こっちも雑音ばっかで全然聞き取れなかった」
 そう言いながら携帯の着信履歴を見せてくる上条。
「あれ? これ姫神さんの番号だよ」
「そうなのか? という事は同じ用事だったのか……?」
 二人して考え込んでしまうが、『大変な事が分かった』というだけでは何が大変なのかが分かるはずもない。
 とりあえずその事は忘れ、結奈と上条は二人と合流するためにゲームセンターの中へと入っていく。
 そのまま一直線にジュースの自販機がある休憩所まで来たのだが、そこに二人の姿は無かった。
「ありゃ? 行き違いになっちまったか?」
 そう呟く上条の声に重なるように、目的の二人の声が結奈の耳に入ってきた。
「……えっと、あの……もう一度尋ねるけど、本当に、やるの……?」
「やるってやるやる・うわすごい! 超機動少女(マジカルパワード)カナミンのドレススーツがある!」
「あの……それ、着るの……?」
 結奈が耳を澄ませると、それは自販機の裏側から聞こえてきている事が分かる。
「あ、上条くん。この自販機の裏から二人の声が聞こえる」
 二人がそちらに回ってみると、そこにはカーテンで仕切られた試着室のようなものがあった。
「インデックス、そこか?」
「風斬さんもいるー?」
 上条がカーテン越しに声をかける。
「とっ、ととととうま! なに? そこにいるの!?」
「えっと、あの……今、開けてもらうと困ります。……その、すごく!」
 その答えに二人が着替え中であることが分かったらしく、上条が慎重に返事を返す。
「おーけー、上条さんは保健室の二の轍は踏みませんの事よ。今カーテン開けるのはヤバイ、うっかり転んでカーテンの向こうとかに突撃するとさらにヤバイ。りょーかいりょーかい、上条さんは一度こっから撤退する」
「あ、うん。分かった、とうま、ゆいな。また後でね」
「……えっと、私は……着替えた姿も、見ないでいてくれた方が……」
 それだけ言って二人は黙り込んだ。そして、なぜか後ろ歩きでゆっくりと下がっていく上条に向けて、結奈の冷たい声が突き刺さる。
「あと上条くん、さっきの台詞がすでにセクハラぎりぎりだって事を理解しておいた方が良いよ? それと、今言ってた保健室の件については、帰ってからじっくりと聞かせてもらおうかな?」
 結奈の言葉に口を滑らせた事に気づいた上条だったが、時すでに遅し。
 上条の不幸はすでに既定事項となった。
 帰宅後の詰問を想像して上条が悶えた瞬間、何の前触れもなくいきなり試着室のカーテンが真下に落ちる。
 いまだに試着室の方を向いたままだった上条の眼前に、半裸のインデックスと風斬の姿が晒された。
 二人の顔が真っ赤に染まっていく。
「いや、待て。待って。何か理不尽だ。よし、一度冷静に検証してみよう。俺と試着室までの距離は三メートルもある。絶対手は届かないし、手を使わないでカーテンを落とすような能力もない。ほら、だからこれは俺の、せいじゃない、と思うん、だけど、なー……」
 上条のその言い訳は、結奈によって一瞬で切り捨てられた。
「そもそもなんで上条くんは後ろ歩きで距離をとってたの? もしかして最初から期待してた?」
 それを聞いたインデックスはキラリと犬歯を光らせる。
 風斬は真っ赤になって涙を浮かべていた。
「えっと、つまり、あれですか。インデックスさん」
 上条は諦めたような表情で呟く。
「問答無用だね、とうま」
 その上条の頭に、インデックスが齧り付いた。
 結奈は上条が倒れるのを見届けた後、二人に言う。
「じゃあ、着替えたら三人であれ撮ろっか?」
 結奈が指差したのは、写真シールの機械だった。



 元の服に着替えたインデックスと風斬に、出来上がった写真シールを分割して渡す。
「はい、これで三等分。やっぱり私も着替えた方が良かったかな?」
 その結奈の言葉に風斬がぶんぶんと首を横に振っていた。
 風斬が着ていたのはかなり露出の多い衣装だったため、少しでもあの格好を長引かせたくなかったのだろう。
「なんか、一日があっという間に過ぎていく感じがするね。これがガッコー生活かぁ。うーん、いいなぁ」
 インデックスが羨ましそうな顔で言う。
「いやいや、現実には退屈な授業とか地獄見たいなテストとかあって、それどころじゃねーけどな」
 上条の反論にも、インデックスが楽しそうな顔で返す。
「それを退屈だと言えるのが、きっとすでに幸せなんだと思うよ」
「……、かもな」
 その言葉に、その場にいた全員が頷いた。



 その後は、四人で道路の壁際に立って話をしていた。
 風斬もかなり慣れてきたのか、結奈や上条に話しかけられてもあまりおびえた様子は見せなくなっている。
 そうして話をしていると、風紀委員(ジャッジメント)の腕章をつけた高校生ぐらいの少女が駆け寄ってきた。
「こら、そこのあなた達! 人がこんだけ注意しているのにどうしてこんなところでのんびりしているの! 早く逃げなさい、早く!!」
 いきなり怒鳴りつけられ、四人は一様に驚きの表情を浮かべる。
「だから、念話能力(テレパス)よ念話能力。聞こえているんでしょう、ほら!」
 風紀委員の少女が言うと同時に、結奈の頭に直接声が響き、インデックスと風斬から叫び声が上がる。
(今の、叫ぶような大きさだったかな?)
 結奈はのんきにそんな事を考えていたが、どうやら念話能力初体験らしい二人にはかなりの衝撃だったらしい。
「あ、あれ……。今、どこから、声が……?」
「む、何か頭の中から直接声が聞こえたような気がするかも」
 しかし、上条にはその声は届いていないようだ。
「あー、テレパスってあれか。離れた人間と会話ができる力とかいうの。うーん……こりゃ糸電話系か?」
 そう言いながらインデックスの目の前で右手を振ると、再びインデックスが驚く。
 おそらく幻想殺し(イマジンブレイカー)によって念話が遮断され、声が聞こえなくなったからだろうと結奈は推測する。
 風紀委員の少女は上条に声が伝わらないことを不思議がっていたが、本来の職務を思い出したのか、口頭で直接指示を伝えてきた。
「現在、この地下街にテロリストが紛れ込んでいるんです。特別警戒宣言(コードレッド)も発令されてますよ。今から……えっと、九〇二秒後に捕獲作戦を始めるために、隔壁を下ろして地下街は閉鎖します。これから銃撃戦になるからさっさと逃げてくださいねって指示を出している所。分かりました?」
 特別警戒宣言という言葉に、結奈と上条がギョッっとする。
 その様子を特に気にする事もなく、風紀委員の少女は説明を続けた。
「当のテロリストに捕獲準備の情報を知られると逃げられるかもしれないから、こうして音に頼らないあたしの念話能力が入り用になったんです。だからあなた達も騒ぎを起こさないで、できる限り自然に退避してくださいね」
 それだけを言い残して、風紀委員の少女はそこから立ち去った。
「それじゃ、早く出ようか。上条くん」
「そうだな。インデックス、風斬、とにかくここを出るぞ」
 特別警戒態勢の話を聞いても全く緊張感を感じられない二人に、上条が呼びかける。
「よく分からないけど、ここは危ないって事なんだよね?」
「……えっと、わかり、ました……」
 そう言いながら、二人は結奈と上条を追って歩き出した。
 その直後、何もないはずの壁から、何者かの声が響く。
『―――見ぃつっけた』
 聞こえてくるのは女の声。
『うふ。うふふ。うふうふうふふ。禁書目録に虚数学区の鍵、幻想殺しに人形使い(パペットマスター)。どれがいいかしら。どれでもいいのかしら。くふふ、迷っちゃう。よりどりみどりで困っちゃうわぁ』
 日常が、非日常へと変わった瞬間だった。



[6597] 五章 四話
Name: ヒゲ緑◆ccab3415 ID:894f6c72
Date: 2009/03/17 19:14
『うふ。うふふ。うふうふうふふ。禁書目録に虚数学区の鍵、幻想殺し(イマジンブレイカー)に人形使い(パペットマスター)。どれがいいかしら。どれでもいいのかしら。くふふ、迷っちゃう。よりどりみどりで困っちゃうわぁ』
 その台詞に含まれた聞き慣れない名前に、結奈が考え込む。
(人形使い……? 禁書目録はインデックス、虚数学区の鍵は風斬さん、幻想殺しは上条くん……。だったら、人形使いっていうのは私の事?)
 その間にも、壁から聞こえてきた退廃的な声は言葉を続けていた。
『―――ま、全部ぶっ殺しちまえば手っ取り早えか』
 その声を発していたのは、壁にへばりつく茶色い泥。その中心には人間の眼球のようなものが沈んでいた。
「土より出でる人の虚像―――そのカバラの術式、アレンジの仕方がウチと良く似てるね。ユダヤの守護者たるゴーレムを無理矢理に英国の守護天使に置き換えてる辺りなんか、特に」
 それを見て、インデックスが冷静に分析を行う。
 結奈は先ほどの疑問について考えながら、その声を聞いていた。
「ゴーレムって、この目玉が?」
 壁にへばりついた目玉を指差しながら、上条がインデックスに聞く。
「神は土から人を創り出した、っていう伝承があるの。ゴーレムはそれの亜種で、この魔術師は探索・監視用に眼球部分のみを特化させた泥人形を作り上げたんだと思う。本来は一体のゴーレムを作るのが精一杯だけど、これなら一体あたりのコストを下げて大量に使えるからね」
「って事は……この魔術師がテロリストさんって訳か」
 上条が言うと、再び目玉から響く声。
『テロリスト? テロリスト! うふふ。テロリストっていうのは、こういう真似をする人達を指すのかしら?』
 瞬間、地下街全体が大きく揺れた。それも一度ではなく、二度三度と。
「え……!?」
 突然の振動に転びそうになった結奈を、とっさに上条が抱き止める。
 結奈の視界の端では、インデックスも同じように風斬に支えられていた。
「大丈夫か新城?」
「う、うん……。ありがとう、上条くん」
 少し頬を染めながら答える結奈。
 それに気づいたインデックスが何かを言おうとするが、その声は低く重たい音に掻き消される。
 辺りを見回すと、あちこちで隔壁が下り始めていた。
 まだ避難が終わる前だったために一部の学生達が隔壁に押し潰されそうになり、そこかしこでパニックが起こっている。
『さあ、パーティーを始めましょう……。土の被った泥臭え墓穴の中で、存分に鳴きやがれ』
 もう一度、一際大きな振動が地下街を揺らした。



「くそ、ここも駄目か」
 近くにあった階段やエレベーターを調べつくして出口がない事がわかり、上条が忌々しげに呟いた。
「やっぱり完全封鎖されてるね……中にいる人達はどうするつもりなんだろ」
 他に人が通れそうな所がないか探していた結奈も、諦めて合流する。
 封鎖によって空調が切られたせいか、その額には汗が滲んでいた。
「そっちも駄目か……、向こうはこっちの顔を確かめてから襲ってきたみたいだし、迎え撃つしかなさそうだ。新城、インデックスと風斬を連れてどこかに隠れててくれ」
 上条はそう言うが、それに納得するような結奈ではない。
「何言ってるの。上条くんの悪い癖だよ、何でも一人で抱え込もうとするの」
 それに呼応して頬を膨らませるインデックス。
「そうだよ。とうまこそ、ひょうかやゆいなと一緒に隠れてて。敵が魔術師なら、これは私の仕事なんだから」
 そのインデックスの言葉にも、結奈は釘を刺す。
「インデックス、私の話聞いてた?」
 しかし、ヒートアップしてきた二人は結奈の話を聞いていない。
「アホか、お前の細腕でケンカなんかできるかよ。そんな拳で人殴ってみろ、お前の手首の方が傷んじまうんじゃねーのか。いいからお前は二人と一緒に隠れてろって」
「む。とうま、ひょっとして今までのラッキーが自分の実力だと思ってない? どれだけ不思議な力があっても、所詮とうまは素人なんだから。だから素人は素人らしく、ひょうかやゆいな達と一緒に隠れててって言ってるの」
「はっ、何を仰ますやら。この不幸の擬人化・ジェントル上条にラッキーなんかあるはずねーだろ!」
「……それ、言ってて悲しくならない?」
 結奈の鋭いツッコミに心を抉られ、上条が地面に両手をついて落ち込む。
 なぜかインデックスがその上条を勝ち誇った目で見ていた。
 そこに、おずおずと風斬が会話に入ってくる。
「……あ、あの……何だか良く分からないんだけど……私が、何かを手伝うって方向は……ない、の?」
「「ない!」」
 即座に自分の提案を否定された風斬は、しょんぼりとうな垂れた。
 それを放って口論を続ける二人の肩に、手が置かれる。
 不穏な気配に二人が恐る恐る振り返ると、
「二人とも? ちょーっと反省しようね」
 そこにはさわやかな笑顔を浮かべる結奈の姿。
 直後、地下街に悲鳴が響き渡った。



「「ごめんなさい」」
 深々と頭を下げて謝る上条とインデックスを前にして、風斬はどういていいか分からずにオロオロとしていた。
「あ、あの……私は、別に……」
「風斬さんが気にしてなくても、こういうのはちゃんとしておいた方がいいから」
 返答に困る風斬にそれだけ言うと、結奈は二人を開放する。
「生きてるって、すばらしいな……」
「今回だけは同感かも……」
 二人がぐったりとしていると、すぐ傍の曲がり角から足音が聞こえた。
 その瞬間、二人はお互いを庇おうとしたのか盛大にもつれ合い、勢い良く地面に倒れこむ。
 上条を押し倒した形で床に転がるインデックスを見ながら、結奈と風斬は唖然としていた。
 インデックスに押しつぶされた三毛猫がにゃーにゃーと鳴いていると、曲がり角の向こうから女の子の声が聞こえてくる。
「あら? 猫の鳴き声が聞こえますわね」
「黒子。アンタ動物に興味ないんじゃなかったっけ?」
「最近、猫については少し。かくいうお姉様はかなり興味がおありでしたよね」
「べ、別に私は……」
「あらぁ。わたくし、知っていますのよ。お姉様には寮の裏手にたむろっている猫達にご飯をあげる日課がある事を。しかし体から発せられる微弱な電磁波のせいでいつもいつも一匹残らず逃げられて、猫缶片手に一人ポツンと佇む羽目になっている事も!」
「何故それを……!? ってか黒子! アンタまたストーキングして……っ!」
 曲がり角から現れた二人の少女―――白井黒子と御坂美琴は転がっている上条とインデックスの姿を見て足を止めた。
「アンタ、こんなトコで女の子に押し倒されて、何やってる訳?」
「……あらあら。こんな時間から大胆ですこと、インデックスさん」
 美琴は髪の毛をバチバチと鳴らし、白井は何故かスカートの中に左手を突っ込んだ状態でそんな事を言った。
「とうま、くろこは知ってるけど、この品のない短髪は一体誰なの。知り合い? どんな関係? そっちの短髪、この前のクールビューティーに似ているけど、違う人だよね」
 そのインデックスの対応に、美琴が危険な笑顔を浮かべ始める。
「それで、あなたはやっぱりとうまの知り合いなの?」
「やっぱりって……。ちょっと待ちなさい。じゃあアンタも?」
「……えっと。命の恩人だったりする?」
「あー……もしかして、そっちも頼んでないのに駆けつけてきてくれたクチ?」
「「……はぁ」」
 同時にため息をついた二人の矛先は、呑気に見つめていた上条へと移された。
「「とうま(アンタ)!私の見ていない所で何やってたか説明して欲しいかもっ(もらうわよ)!!」」
 それを遠目で眺めながら、白井がブツブツと何かを呟いている。
「(……まったくそうですか命の恩人ときましたかやっぱりわたくしとお姉様の部屋にやってきた日に何かあったんですのねそれにしてもあの方はいつもあのような事をなさっているのかといっそここで問い詰めておいた方がいえよく考えればこれは三人でという意味では逆に好都合なのではでも失敗すればわたくしが一人はぶられる事にそれでも目指す価値はある魅力的な提案ですわね……うふふ。うふふふふふ)」
「黒子ちゃん……。そこまで自分に正直なのは、さすがにどうかと思うよ……」
 苦笑いを浮かべる結奈の横では、あまりの展開に風斬の眼鏡がずり落ちていた。



 三人が落ち着いたところで、ようやく事情の説明を行う事が出来た。
「テロリスト、ねえ。黒子、やっぱさっきのキレたゴスロリと繋がりがあると思う?」
「そうですわね。この方達が聞いたとされる声の特徴からしても、さきほどの能力者だと考えるのが妥当ですわ」
 どうやらこの二人、すでに件の魔術師と一戦やらかしていたらしい。
「そういえば、二人は何でここにいるの?」
 話がひと段落したので、先ほどから気になっていた事を結奈が尋ねる。
「わたくしは風紀委員(ジャッジメント)ですので、閉じ込められた方達の脱出用にやってきた、という所ですの。これでも一応『空間移動(テレポート)』の使い手ですので」
「美琴ちゃんは?」
「え、いや、別に私は……」
 珍しく口ごもる美琴。
「どうしたんだお前?」
「な、何よ! 別に何でも良いでしょうが、何でも!!」
 仲の良さそうな二人を羨ましそうに白井が見つめる。
「(……まあ、わたくしの仕事に付き添ったお姉様が警備室で特別警戒宣言下の防犯カメラにあなたの姿が映っていたのを発見したから心配になって駆けつけた、とは言えませんわね。普通なら。わたくしにもいい口実になりましたけれど)」
 ボソボソと呟いているのが気になったのか、上条が白井の方を見た。
 それに気づいた白井は、はにかんで頬をわずかに紅く染める。
 図らずしてその姿を目にし、何度も目をこすっている美琴の耳元で結奈は、
「あんまり素直じゃないと、黒子ちゃんや妹ちゃん達に取られちゃうかもね」
「な、ななななな何言ってるんですか新城さん! わわ私は別にそんな……! あいつの事なんぎゃ!!」
 狼狽し、反論の最中に舌を噛んで悶える美琴を放置して、それに私だっているよー、と結奈は呑気に言っていた。
 その間にも、上条と白井の会話は進んでいたようだ。
「わたくし、これでも風紀委員の一員ですので、そのテロリストとやらを見過ごす事はできませんけれども――――――それ以上に、人命の方が重要ですわね。予定を切り上げて隔壁を下ろしたというのが正しいなら、もう時間はありませんわ。ここで大規模な戦闘が起きるにしても、先に避難を済ませませんと」
「分かった、白井。お前が閉じ込められた人達を脱出させている間は、俺が時間を稼ぐから、お前はあいつらを外に出してやってくれ」
 隔壁の前に群がる人波を指差しながら上条が言った瞬間、五方向からその場にいた女性陣全員の手で同時にどつかれた。
「か、風斬まで……」
「ち、ちがいます……あの、その……」
 言われた風斬はブンブンと首を横に振っている。
 よく見ると、結奈が左手で風斬の右手を掴み、殴らせていた事に上条も気づいた。
「お、鬼だ……」
 そこに美琴の声が割り込む。
「アンタは真っ先に逃げるの。っつかアンタ達がピンポイントで狙われてんでしょうが。一番危険な人間を戦場に残すと思ってんのかアンタは」
「……っつってもなぁ、俺の右手はあらゆる能力を無効化させちまう。白井の力だって例外じゃねーぞ」
「そういえば……あなたが女子寮に来た時、一度失敗していましたわね」
 白井が何か思い出したように呟くと、何故か美琴が上条を睨みつけた。
「と、とにかくだな。俺は白井の力じゃ外に出られない。だからここに残ってヤツの相手をするしかねーんだよ」
 それを聞いたインデックスは、上条の腕を掴みながら、
「じゃあ私も残る!」
 などと叫んだ。
 再び五方向から手が伸び、インデックスをどつき回す。
 今度は風斬も自分で手を出していた。おっかなびっくりといった表情だったが。
 それを横目に結奈は小声で伝える。
「黒子ちゃん、とりあえずインデックスと美琴ちゃんお願い。多分あの二人が一番揉めるから」
「はぁ……。分かりましたわ」
 白井はそれだけ言うと、強引に二人の手を掴んでそのまま虚空へと消えていった。
「悪りぃな、新城。正直助かった」
「別に良いよ、これくらい」
 その時、再び地下街全体が大きく揺れる。
 上条は少し考え込むような仕草をした後、
「悪い、二人とも。ここで白井が来るのを待っててくれ」
「え……あなたは……」
 さらに地下街に振動が走り、風斬の声は掻き消された。
「俺は、あれを止めてくる」
 それだけ言い、走り出す上条。
「ちょ、上条くん! だからひとりで突っ走ら……だめだね、全然聞こえてないよあれは」
 そのまま走り去ってしまった上条を、呆れ顔で結奈は見送った。
「あの……いいの?」
「今回は警備員(アンチスキル)もいるはずだし、大丈夫だと思うけど……。私が行っても、また足手まといになりそうだしね……最近ずっとそうだし」
 突然どんよりと落ち込む結奈に、風斬はオロオロと首を振っている。
 意を決して風斬が話しかけようとすると、ちょうど携帯の着メロが聞こえてきた。
 声をかけるタイミングを失って逆に落ち込む風斬には気づかず、結奈は携帯を取り出す。
「あれ? また姫神さんだ」
 ディスプレイに表示されているのは先ほどと同じ名前。
 電話に出ようとするが、ここも電波状態が悪いのか話をする前に切れてしまう。
(そういえば、さっき『大変な事がわかった』って言ってたよね……。風斬さんの名前も出てたし、今の状態に何か関係あったりするのかな?)
 そう思い立った結奈は、走り出しながら風斬に言う。
「風斬さん。私はちょっと電波の入る所を探してくるから、あなたはここで黒子ちゃんを待ってて」
「え? あの……」
 返事も待たず、結奈は上条とは違う道へと入って行った。



[6597] 五章 五話
Name: ヒゲ緑◆ccab3415 ID:894f6c72
Date: 2009/03/18 05:32
 結奈がしばらく地下街を走ると、携帯電話用の設置アンテナは簡単に見つける事ができた。
 その下まで行き、電波が入っている事を確認した結奈は姫神に電話をかける。
 鳴り響く三度のコール音の後、姫神は電話に出た。
「姫神さん? 新城だけど、さっきの電話って何だったの?」
 確認も取らずに焦った様に言う結奈。
『落ち着いて。新城さん。その話の前に。上条君はそこにいる?』
 そんな結奈にも、姫神はいつも通りのマイペースで話す。
「上条くん? 今はいないけど……」
『そう……。それじゃあ説明するから。後で上条君にも伝えておいて欲しい』
 結奈の返答に姫神が少しガッカリしたような声をもらすが、すぐに元の様子に戻って続けた。
『話って言うのは。風斬氷華の事』
「風斬さんの?」
『うん。彼女の正体について』
 姫神の言葉に、結奈は訝しげな表情で聞き返す。
「正体?」
『そう。正体。さっき。転入生は私一人だって教えたけど。あの後。小萌先生が彼女の身元を調べたの。それで分かった事がある』 
 結奈は息をのんで姫神の言葉を待った。
『風斬氷華は。学校の中にまで入ってきていたのに。防犯カメラにも衛星写真にも影も形も写っていなかったの』
「え? でも『空間移動(テレポート)』能力者ならそれぐらいできるんじゃ……」
 当然のごとく浮かんだ疑問は、姫神の次の言葉によって否定される。
『それはない。もし彼女の能力がそれなら。霧ヶ丘女学院であれほど重宝されたりはしない』
 それは、もっともな答えだった。
『ここから先は。小萌先生が言っていた推論だけど―――』
 そこで一度区切った後、姫神は一気に結論を告げる。
『―――風斬氷華は。AIM拡散力場によって産み出された存在だろう……って』
「AIM拡散力場によって産み出された? それってどういう事!?」
 AIM拡散力場とは、能力者が常に無意識の内に発している微弱な力の事だ。
 それは機械で計測しなければ分からないほどの弱さで、基本的に人体には影響が無いとされている。
『例えば。体温は発火能力者(パイロキネシスト)が。生体電気は発電能力者(エレクトロマスター)が。肌の感触は念動能力者(テレキネシスト)が。それ以外の部分も。それぞれ対応する能力者が偶然に無意識に担当して。人間が発するものと同じデータが全て揃ったとしたら。そこに「人間」がいる事になる―――小萌先生はそう言ってた』
 伝えられた言葉に絶句する結奈。
 姫神からの声もなく、辺りが静寂に包まれる。
 その、無限にも思えた沈黙は、ポツリと呟いた結奈の問いかけによって破られた。
「……風斬さんは、その事を知ってるの?」
『ちょっと待って…………小萌先生は「上条ちゃんの話から考えると、きっと知らないと思いますー」って言ってる。それに。「元の構成要素が何だったとしても、そこから生まれたパーソナリティは風斬さんだけのものなのですよ!」とも』
 小萌先生の台詞がうつむく結奈の胸に染み渡る。
(風斬さんは、私達を騙そうとしていた訳じゃない。だったら、私は……)
 結奈の頭に浮かぶのは、オロオロとインデックス達を見つめ、時には必死に話しかけ、失敗して肩を落とす風斬の姿。
 それは、確かに人間だった。自分達と何も変わらない。
(だったら、答えは一つしかない!)
 顔を上げその表情に、すでに迷いは無かった。
「ありがとう、姫神さん。小萌先生にもお礼を言っておいて」
 結奈は駆け戻る。風斬と別れたあの場所へと。



 急いで元の場所に帰ってきた結奈だったが、風斬の姿が見当たらない。
 結奈は胸騒ぎに焦りながら、白井の存在によって落ち着いたらしい学生達に風斬がどこに行ったか聞いて回った。
「その子なら、さっきふらふらとあっちの方に歩いていったけど……」
 一人の少年が指差したのは、先ほど上条が走って行った方向。
(まさか、上条くんを追いかけていったの!?)
 上条が向かったのは、おそらく魔術師がいるその場所だ。
(あのぽやーとした風斬さんじゃ、絶対に巻き込まれる!)
 そう思い至った結奈は、慌ててその道を走っていく。
 しばらく進むと、戦闘があったのだろう場所にたどり着いた。
 通路には崩れた建材が積み重なり、壁中には弾痕のようなものが付いている。
(どこ、どこにいったの!?)
 周囲を見回す結奈の耳に、通路の奥から声が聞こえてきた。
(あっちだ!!)
 そのまま一直線に声が聞こえた方へと駆け出す。
 デパートの地下同士を複雑に繋げた迷路のような通路を声を頼りに駆け抜けると、そこには十人ほどの警備員(アンチスキル)の姿が見えた。
 彼らのかなり先では、先導するように上条が走っている。
 そして、その向こうの十字路には、四メートルはあるだろう巨大な石像。
(あれがゴーレム? でも、なんであんな所に……)
 そう思った直後、警備員達の隙間から見えた光景に、結奈の顔が青ざめる。
 石像の目の前には、ようやく見つけ出した風斬の姿があった。
 彼女の目の前で持ち上げられた腕は、今にも振り下ろされそうになっている。
 次の瞬間、その腕が勢い良く、無慈悲に打ちおろされた。
(風斬さん!!)
 確実に風斬を叩き潰すだろうその一撃は、それでも、風斬には傷一つ付けられない。
 瞳に涙を浮かべる風斬の前では、間一髪飛び込んだ上条の右手が、その巨大な腕を受け止めていた。
 上条は石像には見向きもせず、まっすぐに風斬の顔を見て優しく告げる。
「待たせちまったみたいだな。だけど、もう大丈夫だ。ったく、みっともねぇな。こんなつまんねぇ事でいちいち泣いてんじゃねぇよ」
 同時に、石像の全身に亀裂が走り、ガラガラと崩れ落ちていった。
 その陰にいたのは、荒れた金髪に漆黒のドレスを着た黒い肌の女。
(あれが、魔術師)
 それを見て、結奈はさらに足へと力を込める。
「エリス……。呆けるな、エリス!!」
 魔術師は怒りを隠す事なく絶叫し、白いオイルパステルを振り回した。
 壁に何かが描かれ、続く魔術師の言葉によってわずか数秒で石像が再生する。
 上条は振り向き、その石像に立ちふさがる。風斬を守るように。
「くっ、はは。うふあはは! 何だぁこの笑い話は。おい、一体何を食べたらそんな気持悪い育ち方するんだよ! ははっ、喜べ化け物。この世界も捨てたものじゃないわね、こういう馬鹿がひとりぐらいいるんだから!」
「一人じゃねぇぞ」
 そう言って笑う魔術師の顔が、返ってきた上条の言葉と、同時に襲いかかった閃光によって歪んだ。
 それは、警備員が持つ銃に取り付けられたフラッシュライトの光。
 結奈の目の前だけではない、魔術師がいる通路以外の三方全てから向けられていた。
 走り続ける結奈に、上条の叫びが聞こえる。
「ばっかばかしい。理由なんていらねぇだろうが!」
 それはきっと、風斬への言葉。
「別に特別な事なんざ何もしてねーよ。俺はたった一言、あいつらに言っただけだ……俺の友達を、助けて欲しいって」
 その言葉に風斬が呆然と上条を見て、結奈は満面の笑みを浮かべた。
 先ほど魔術師が放った化け物という言葉が、結奈の脳裏をよぎる。あれは、警備員達も聞いていたはずだ。
(この人達は、きっと全部知ってて、それでもこうして来てくれた)
 彼らの元へと向かう結奈に、再び上条の言葉が届いた。
「涙を拭って前を見ろ。胸を張って誇りに思え。ここにいる全員が、お前に死なれちゃ困ると思ってんだ―――だから、今からお前に見せてやる。お前の住んでるこの世界には、まだまだ救いがあるって事を!」
 その宣言を、結奈も受け止める。
「そして教えてやる! お前の居場所(げんそう)は、これくらいじゃ簡単に壊れはしないって事を!!」
 上条の叫びが、地下街に木霊した。



「エリス、ぶち殺せ、一人残らず! こいつらの肉片を集めてお前の体を作ってやる!!」
 怒りに震えた声で叫ぶと同時、魔術師のオイルパステルが宙を引き裂く。
 その動きに従うように石像が動き始め、
「させん!! 配置B! 民間人の保護を最優先!!」
 一人の警備員の怒号を合図に、すべての銃口が一斉に火を噴く。
(ま、まずっ!!)
 身の危険を感じた結奈は、ヘッドスライディングで最後尾にいた二人一組の警備員の後ろに滑り込んだ。
「な! こんな所で何をしている!!」
 それによって、ようやく警備員が結奈に気づく。
 しかし、その声は銃声の嵐のせいで結奈の前にいる二人以外には聞こえていないらしい。
「あの子を探してたんです」
 それだけで納得してくれたのか、無言で銃撃を再開する警備員。
 もう一人の警備員は、盾を使って石像からの跳弾から二人を守っている。
 その先、透明な盾(ポリカーボネイド)の向こうでは、エリスと呼ばれたゴーレムが銃撃の暴風よって足を止めていた。
 しかし、銃撃によって剥がれ落ちたエリスの体の一部は、すぐさま近くの破片を取り込んで再生してしまう。
「チィッ!! 『神の如き者(ミカエル)』『神の薬(ラファエル)』『神の力(ガブリエル)』『神の火(ウリエル)』! 四界を示す四天の象徴、正しき力を正しき方向へ正しく配置し正しく導け!!」
 銃声の向こうから聞こえる魔術師の怒号。
 それによって、再びエリスがゆっくりと歩みを進めだした。
 その時、結奈の隣にいる警備員がつけた無線機から女の声が聞こえてくる。
『予定通り、少年の突撃に合わせて銃撃を停止するよ。準備せよ(プリパレーション)。―――カウント3』
 その声に結奈はギョッとした。
(少年? まさか、上条くんが!?)
 そんな事になったら、上条がただで済むとは思えない。
 しかし、今の状況では幻想殺し(イマジンブレイカー)に頼るしかない事は、結奈にも分かっていた。
(でも、だからって!)
 唇を噛みしめ、襲い来る無力感に結奈は耐える。
『―――カウント2』
 それでも、悔しさは収まらない。
(また、私は何も出来ないの? みーちゃんの時も、打ち止め(ラストオーダー)ちゃんの時も、私はただ助けられていただけだった!)
 自分にできる何かを。そう考え続ける結奈の頭に、風斬の言葉がよぎった。
『自分が、自分でなくなるような、そんな、感じがして……』
 それをきっかけにして、結奈の思考が一気に回り始める。
(上条くんを避けていたのが幻想殺しのせいだって事は分かる……。でも、私を避けていたのはどうして?)
 それに連想されるように、今度は一方通行(アクセラレータ)の言葉が甦った。
『俺の計算が終わってから打ち出されるまでの間に、外部からの干渉があったっつー事だろうがよォ』
 そして、ついに結奈は辿り着く。その、答えに。
『―――カウント1』
(人形使い(パペットマスター)……。そっか、そういう事だったんだ)
 結奈の顔からは、先ほどの無力感は消え去っていた。
 そこには、花のような笑顔が戻っている。
(だったら、私はきっとみんなを守れる!)
 瞳には、決意の色。
『―――カウント0』
 銃撃が止まり、上条が盾から飛び出すのと同時。
 立ち上がった結奈は、制止の声を振り切ってエリスへと駆け出した。



「新城!?」
 上条が飛び出してきた結奈を見て、驚きの表情を浮かべた。
 それでも、足だけは止めずに上条は一直線にエリスへ向かっていく。
 その上条の前には、急に銃撃が無くなった事で一瞬バランスを崩したエリスの姿。
 しかし、そのエリスは地面を殴りつけ、その反動を利用してバランスを取り戻していた。
「上条くん! 何も気にしないで魔術師だけを狙って!!」
「な? 一体どういう……」
 困惑する上条に、結奈はただ叫ぶ。エリスへと向かって駆けながら。
「お願い、私を信じて!!」
 説明している時間は無い。だから、それだけを伝えた。
 上条はその言葉で向き直ると、エリスを完全に無視して魔術師の元へと走っていく。
 エリスは、すでに上条の目の前で腕を振り下ろそうとしていた。
 それでも、上条はそちらに目を向けもしない。その瞳は、魔術師だけを映している。
「い、いやあぁぁ!!――――――え……?」
 響き渡る風斬の悲鳴は、次の瞬間には疑問の声へと変わった。それは、周囲にいる警備員も同様だ。
 エリスの右腕は、まるで金縛りにあったように空中に固定され、振り下ろされない。
「え、エリス!?」
 自らの命令に従わないエリスに、魔術師が驚愕の声を上げた。
 それを見て、ゆっくりと結奈は呟く。
「何をそんなに驚いてるの? 知ってたんでしょ、私の能力」
 そして、エリスが動き出す。魔術師へと向かって。
 それによって、ようやく魔術師の瞳に理解の色が浮かんだ。
「よ、くも……っくそ」
 湧き上がりかけた怒りの声は、しかし、目の前に迫った上条を見て萎んでいく。
 焦った魔術師がどれだけオイルパステルを彷徨わせても、エリスはその指示に答えない。
「さって、と」
 その目の前には、調子を確かめるように肩を回す上条。
「は、はは。何だ、そりゃ。これじゃ、どこにも逃げられないじゃない」
 呆然と呟く魔術師に、上条が言う。
「逃げる必要なんかねぇよ。テメェは黙って眠ってろ」
 上条の手加減なしの右拳が、魔術師を殴り飛ばした。



[6597] 五章 六話
Name: ヒゲ緑◆ccab3415 ID:894f6c72
Date: 2009/10/11 21:11
 魔術師は上条の一撃によって数メートルも吹き飛ばされ、地面に転がっていた。
 それで終わったと思ったらしい上条が魔術師に背を向け、結奈の方へと向き直る。
「なぁ新城。それって―――」
 何をしたのかを尋ねようとする上条の向こう、倒れている魔術師がゆっくりと左手を動かした。
「ダメ、上条くん! まだ意識が残ってる!」
 慌てて振り返る上条の視線の先。
「ふ。うふふ」
 魔術師が小さく笑い、素早くオイルパステルを地面に走らせた。
「な……ちくしょう! 二体目を作る気か!?」
 その声に警備員(アンチスキル)達も銃を構えるが、上条と結奈がいるため下手に発砲する事ができない。
(私が……ダメ! あれだけ距離があると、今度はこのゴーレムの制御を取り戻しちゃう)
 そうなれば、危ないのは警備員達だ。結奈はエリスを留めておくために動くことができない。
「うふふ。うふうふ。うふうふうふふ。できないわよ。ああしてエリスが存在する以上、二体同時に作って操る事などできはしない。大体、複数同時に作れるのなら始めからエリスの軍団を作っているもの。無理に二体目を作ろうとした所で、どうやっても形を維持できない。ぼろぼろどろどろ、腐った泥みてーに崩れちまう。そもそも、数を増やしても人形使い(パペットマスター)が相手じゃ意味がない」
 上条が慌てて駆け寄るが、辿り着く前に魔術師の手が止まる。
「それでも、そいつも上手く活用すりゃあ、こういう事もできんのさ!!」
 瞬間、描かれた文字を中心にして、半径二メートルほどの地面が丸ごと崩れ落ちた。
 魔術師は、その穴へと落ちていく。
「くそっ!!」
 空洞の縁から穴の下を覗き込む上条。
「やられた。下に地下鉄の線路が走ってやがる……」
 その呟きに合わせるように、エリスの体がボロボロと崩れていった。
 それを見た結奈が、上条の元へと駆け寄ってくる。
「降りられそう?」
 しかし、上条は何かを考え込んだまま答えない。
 結奈がもう一度声をかけようとすると、その直前に上条が叫んだ。
「くそ! 狙いはインデックスか!!」
 上条の声に結奈も思い出す。あの魔術師の狙いが自分達だけではなかった事を。
 戦いは、まだ終わらない。



「だから! もうさっきのヤツは地下街にいないんだろ! だったら何で地下街の封鎖が解かれないんだよ!?」
 掴みかかりそうな勢いで、上条が一人の警備員に対して怒鳴りかかっている。
「何度も言うように、地下街の管理とウチらとは管轄が異なるじゃん」
 感情的になる上条に、その警備員―――黄泉川は先ほどと同じ言葉を繰り返すだけだ。
 彼女はそれだけ言うと、他の警備員の所へと行ってしまう。
「くそ!」
 そう毒づいて壁を蹴る上条。その様子を見て、風斬はビクッと肩を震わせる。
「落ち着いて上条くん。風斬さんが怖がってるよ」
「え? わ、わりぃ風斬」
 結奈にそう言われて少し冷静さを取り戻したのか、ビクビクしていた風斬に謝る上条。
 それを聞いて、おずおずと風斬が切り出す。
「い、いえ……。あ、あの……さっきは、ありがとう、ございました」
「ん? 別にお礼を言われる事でもねーと思うけど。それよりお前、体は大丈夫なのか?」
「あ、はい。……平気、だと思います、けど。えっと……それで。何が、あったん……ですか?」
 上条は少し黙りこんだ後、意を決したように話し始めた。
「シェリー=クロムウェル……あのすすけたゴスロリ女は逃げたんじゃない。次のターゲットとして、インデックスを追い始めただけだ」
「え……?」
「あいつはどうやら俺や風斬を殺すためにここに来たんじゃなくて、特定の条件が合えば誰でも良かったみたいなんだ。で、その一人がインデックスって訳」
「聞く限りでは私もそうだったみたいだけどね。……今の状態だと、護衛のないインデックスが一番狙いやすいから」
 その言葉に風斬が息を呑む。
「……で、でも。地上にも、警備員の人達はいっぱいいるんじゃ……」
 もっともらしい意見だったが、ことインデックスに関してはそれを当てにする事はできなかった。
「それはできない。インデックスはこの街の住人じゃない。警備員に見つかれば保護どころか、最悪逮捕されるかもしれない」
 上条は声をひそめて言う。
「一応、アイツにも臨時発行(ゲスト)扱いのIDはあるんだけど、特別警戒宣言下なんて非常時じゃ役に立つか分からない。アイツには『書類上の身分(パーソナルデータ)』がないから、身分証を出せって言われたらはっきりいってアウトだ」
「で、でも……私だって、実は住人じゃなかったんだし……あ!」
 そこまで言って、風斬は結奈がいる事を思い出したようで、慌てて自分の口を両手で塞いだ。
 それを見ながら結奈が言う。笑顔を浮かべて。
「大丈夫。私も全部知ってるから」
「え……? でも、それじゃあ、どうして……」
 知られているとは思いもしなかったのだろう。風斬は、ポカンとした顔で結奈を見つめて呟いた。
「友達、でしょ」
 その一言に、風斬は再び泣きそうになっている。
「……えーと、話を続けていいか?」
 右手で頭を掻きながら、困ったように言う上条。
「上条くん、もう少し空気を読んだ方が良いよ」
 ジト目でそう答えつつも、結奈は先を促す。
「でだ、風斬とインデックスでは、ちょっと事情が違うんだ。インデックスは、学園都市とは系統が違う組織に属している。そして、それだけで完全に危ないと判断されちまうかもしれないんだ」
 そこまで言うと、上条は二人に背を向け大穴に向かって歩き出した。
 結奈達もその後を追う。
「地下街の封鎖はまだ解かれないし、行くならここしかねぇか。くそ、すぐそこの隔壁を開けてくれりゃ簡単に先回りができるってのに、何で追走なんて後手に回らなくっちゃならないんだ!」
 三人は大穴を覗き込みながら話していた。
「ま、待って……。本当に、……あなた一人で行くんですか?」
「ちょっと風斬さん。私も行くに決まってるよ」
 風斬の台詞に、心外だとばかりに結奈が答える。
「待て、新城はここで待ってれば良いだろ? 後は俺が何とかするから」
 上条が止めようとするが、
「上条くんもさっきの見てたでしょ? 私がいた方が良いと思うよ」
 結奈も引き下がる気はないようだ。
「……大丈夫、です。あなた達が、行かなくても……助ける方法は、あります」
 その会話をじっと見ていた風斬が、ポツリと呟いた。
「化け物の、相手は……同じ、化け物がすれば良いんです」
 結奈達の顔が驚愕に染まる。そんな二人に風斬はそっと笑いかけ、
「私は……あの化け物に、勝てるかどうかは分からないけど、少なくとも、囮ぐらいはできます……。私が殴られている間に、あの子を逃がす事が……できます。私は、化け物だから。それぐらいしか、できないけど……」
 その言葉に二人は絶句する。そして、すぐさま怒りの表情を浮かべた上条が怒鳴りつけた。
「おまえ、まだそんな事言ってんのか! 良いか、お前がはっきり口にしねぇと分かんねぇなら、一から一〇まで全部教えてやる。お前は化け物なんかじゃねぇんだよ! 俺達が何のために、誰のためにここまで駆けつけたと思ってんだ! それくらい分かれよ、何で分かろうとしねぇんだよ!」
 上条のその言葉に、風斬は静かに笑って答える。
 呆然と立ち尽くす結奈と憤る上条を、まっすぐに見つめて。
「……それで、良いんです。私は、化け物で良い……。私は、化け物だったから……あの石像に何度殴られても、死にませんでした。私が……化け物だからこそ、私はあの石像に立ち向かえます……」
 ゆっくりと足を動かし、
「だから……。私は……私の力で、大切な人を守ります。だから、私は……化け物で、幸せでした」
 そして、風斬はシェリーの空けた大穴へと飛び込んでいった。
「だめ! 上条くん!!」
 上条はとっさに手を伸ばそうとするが、それが右手だと気づいた結奈によって止められる。
 そのまま、風斬の姿が暗闇へと溶けていく。ただ、そっと微笑みながら。
 後に残されたのは、呆然とする二人の姿。
「……ごめん。上条くん」
 風斬が飛び降りた大穴の縁で、ポツリと結奈が呟いた。
「新城? 何の事だよ」
 謝られた理由が分からないらしい上条に、結奈が続ける。
「私がもう少し早く風斬さんのやろうとしている事に気づけてたら、無理矢理にでも止められたのに……」
 結奈の能力なら、風斬の体の自由を奪って動けなくする事は簡単だった。
 しかし、風斬の言葉に動揺していた結奈はその事に気づけず、結果として風斬を一人行かせてしまったのだ。
 罪悪感を感じて俯く結奈の頭に、そっと上条の手が乗せられる。
「謝るのは俺の方だろ。新城が止めてくれなかったら、風斬を殺しちまってたかもしれなかったんだ」
 その言葉に、ようやく結奈が顔を上げた。
 そして、驚きの表情を浮かべる結奈に、上条が言う。
「新城、風斬を追うぞ。手伝ってくれ」
「……うん!」
 泣き笑いの顔で、結奈はしっかりと頷いた。



 結奈は地下街を探し回って見つけた太い消火ホースを縄代わりに使い、大穴から地下鉄の構内へと降りていた。
「上条くん、どこ?」
 先に降りたはずの上条の姿を探すが、返事は返ってこない。
 しばらく周辺を調べていた結奈だったが、ふと気づく。
(まーさーかー! 上条くんの『手伝ってくれ』はロープを探す事だけだったって言うのー!!)
 この手際の良さを考えると、どうやら上条は最初からそのつもりだったらしい。
(あの流れで! あんな事言って! 置いて行くなんて上条くんも良い度胸してるじゃない!!)
 後で上条に行うお仕置きを考えながら、結奈も急いでエリスの足跡を追っていく。
 しばらく走り続けると、遠くから話し声が響いてくる。
「戦争を、『火種』を起こさなくっちゃならねぇんだよ。止めるな! 今のこの状況が一番危険なんだって事にどうして気づかないの!? 学園都市はどうもガードが緩くなっている。イギリス清教だってあの禁書目録を他所に預けるだなんて甘えを見せている。まるでエリスの時と状況と同じなのよ。私たちの時でさえ、あれだけの悲劇が起きた。これが学園都市とイギリス清教全体なんて規模になったら! 不用意に互いの領域に踏み込めば、何が起きるかなんて考えるまでもないのに!」
 反響で結奈にはよく分からないが、おそらくはシェリーという魔術師のものであろう声。
「くっだらねぇ。そんな言い分で正当化できると思うな! 風斬が何をした? インデックスがお前に何かやったのか!? 新城がお前を傷つけたって言うのかよ!! 争いたくないなんてご大層な演説してる割に、お前は一体誰を殺そうとしてんだよ!!」
 そして、上条の叫び声。
「怒るのは良い、哀しむのだって止めはしない。けどな、向ける矛先が間違ってんだろうが! そもそも誰に向けるもんでもねぇんだよ、その矛先は! もちろんそれは辛いに決まってる。俺なんかに理解できるはずもねぇってのは分かってる! それでもテメェがその矛先を誰かに向けちまったら、それこそテメェが嫌う争いが起きちまうだろうが!!」
「……分かんねぇよ。ちくしょう、確かに憎いんだよ! エリスを殺した人間なんてみんな死んでしまえば良いと思ってるわよ! 魔術師も科学者もみんな八つ当たりでぶっ殺したくもなるわよ! けどそれだけじゃねぇんだよ! 本当に魔術師と超能力者を争わせたくないとも思ってんのよ! 頭の中なんて始めっからぐちゃぐちゃなんだよ!」
 再びシェリーの絶叫が暗闇に響き渡る。
「信念なんて一つじゃねぇよ! いろんな考えが納得できるから苦しんでいるのよ! 一つ二つ消えた所で胸も痛まないわよ!!」
 矛盾したその叫びに、上条は答える。
「結局、お前は大切な友達を失いたくなかっただけなんじゃねぇのか!?」
 『後悔』。それこそがきっと、シェリーの声から滲み出る共通の感情。
「そこを踏まえて考えろ。もう一度でも何度でも考えろ! テメェは泥の『目』を使って俺達を監視していたよな。テメェの目にはあれがどう映った? 俺とインデックスは、互いの領域を決めて住み分けをしなくちゃ争いを起こすような人間に見えたのか! その星の数ほどある信念の共通部分で考えろよ! 俺やインデックスがお前に何かしたのか!? テメェの目には俺が嫌々インデックスに付き合わされているように見えたのかよ。そんなはずねぇだろうが! 住み分けなんかしなくても良いんだよ! そんな風にしなくたって俺達はずっと一緒にやっていけるんだ!!」
 最後に上条が願ったのは、きっとシェリーにも分かり過ぎてしまう望み。
「お前の手なんか借りたくない! だから、俺から大切な人を奪わないでくれ!」
 一瞬の静寂が過ぎ、シェリーの絶叫が絞り出された。
「―――Intimus115(我が身の全ては亡き友のために)!!」
 明らかな敵意を含んだその声に、結奈が走る速度を上げる。
「死んでしまえ、超能力者!!」
 その叫びを最後に、静寂が舞い降りた。
 結奈に聞こえてきたのは、走り去る足音だけ。



 地下鉄の線路を進んでいった結奈は、柱に寄りかかるようにして倒れているシェリーを見つける。
(この人がここにいるって事は、上条くんはもう行ったんだね)
 そう考えながら通り過ぎようとした時、結奈に声がかけられた。
「待ちな」
 その声に足を止め、シェリーの方に向き直る。
「なに? これでも忙しいんだけど」
 言いながら近寄る結奈に、シェリーが呟く。
「そもそもあなたが行った所で何もできないわよ。今のエリスは自動制御だから、人形使い(パペットマスター)の力は受けつけない」
 それを聞いて焦る意味が無くなった結奈は、そのままシェリーと話をする事にした。
「それで、どうして私を呼びとめたの?」
 一番の疑問をぶつける結奈。
「言っておきたい事があったから」
 予想外の答えに結奈は不思議そうな顔をする。
「言っておきたい事?」
 そして、シェリーが言った言葉は、結奈の全てを否定するものだった。
「他の三人はともかく、私はあなただけは何があっても受け入れるつもりはない。化け物以上にたちの悪い、他人に害をなす事しかできない、テメェみたいな存在は」
「え……?」
 自分に向けられる悪意の理由が、結奈には分からない。
 あっけにとられる結奈を見て、シェリーは嘲笑を浮かべて先を続ける。
「なんだ、自分に都合のいい所しか見ていなかったの? ほんとにたちが悪わね」
 困惑する結奈を尻目に、シェリーは告げる。
「あなたが持つ幸運とは何なのか、考えた事はなかったの? その幸運と、あらゆる異能を操るその力に、何の関係もないとでも思っていたのかしら」
 その言葉に、結奈の動きが止まる。
 そして、思い至った。その答えに、思い至ってしまった。
「ま、さか……」
 結奈の顔がどんどんと青ざめていく。
 辿り着いたのは、結奈を形作る全てを壊すのに十分な答えだった。
「ようやく気づいたみたいね。そう……テメェは無意識の内に、他人の『神様の加護』を奪って自分のものにしてるんだよ! テメェはな、そこにいるだけで他人を不幸にしていくんだ。人の幸せを喰らって糧としていく。これ以上の化け物があるか?」
「そんな、はず……」
 そう言おうとした結奈の脳裏に、幼い日の光景が浮かび上がる。
 ぐちゃぐちゃに潰れたバス。血塗れで叫ぶ友達。そして、それを眺める無傷の自分。
(あれは、私のせい? 私が、みんなをあんな目に合わせたの?)
 一度そう思ってしまった結奈の頭には、次々に別の光景が溢れ出す。

『そういえば、あれってなんで落ちてきたの?』
『ワイヤーが切れていたらしいのですけれど、今のところ詳しい原因は不明ですわね』

 危うく白井が大けがをする所だった、あの日の会話。

『無人バスがいきなり暴走したらしくて……さすがにまだ原因は特定できてないみたいですね』

 佐天と初春が暴走バスに轢かれかけた、その光景。
(全部……私が、いたから?)
 そして、心の奥底へと眠らせていた記憶が、鮮明に蘇る。

『うちの子に近寄るんじゃないよこの厄病神!』

 世界から拒絶された、一人ぼっちの日々。

『お前のせいでこの子が怪我をしたんだ』

 向けられる悪意に、俯くしかなかった日々。

『おかあさんがゆいなちゃんとはいっしょにあそんじゃだめだって』

 それでも、手を差し伸べてくれた人がいた。

『何言ってんだ。他人の運を吸い取ってるなんて、あるわけないだろ』

 その手を、その言葉を支えにしたからこそ、もう一度立ち上がれた。
 しかし、シェリーが語った事実は、その全てを粉々に打ち砕く。
 後に残ったのは、あの日と同じ幼い心。
 世界に拒絶され、世界を拒絶する事で守り続けた、ボロボロの心。
(正しかったのは、周りの人達で……間違っていたのは、私)
 だから、その心はあの日と同じ決断をする。
(私はきっと、信じちゃいけなかったんだ)
「ようやくわかったか、化け物」
 剥き出しになったその心に、シェリーの言葉が突き刺さる。

「や、めて……」
「なにが止めて、だ。全部テメェが自分でやった事だろうが」

 ボロボロの心を、抉っていく。

「いや……」

 痛みは、結奈に残る希望の全てを壊していった。

「いやあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」

 響き渡る絶叫は、闇へと消えていく。
 その声は、誰にも届かない。



[6597] 五章 エピローグ
Name: ヒゲ緑◆ccab3415 ID:894f6c72
Date: 2009/09/03 10:29
 地下から出た結奈は、廃墟のビルが立ち並ぶ路地を歩いていた。
 俯きながらゆっくりと進む結奈に、前方から声がかけられる。
「お、新城」
「ゆいなー、こっちこっち」
「だ……大丈夫、ですか……?」
 顔を上げると、そこにいたのは笑顔を浮かべる上条、インデックス風斬の三人。
「ごめんねー、遅くなっちゃって。そっちこそ、大丈夫だった?」
 結奈も笑顔を浮かべ、三人に答える。
「もちろんだよ! ひょうかもちゃんとここにいるよ」
 隣にいる風斬の腕をぐいぐいと引っ張っりながら、インデックスが嬉しそうに言う。
 風斬もそうされるのは嫌ではないのか、にこにこと笑っていた。
「それで、みんなはこれからどうするの?」
 結奈の疑問には、上条がうんざりとした顔で答える。
「とりあえずは病院だな。一応診てもらっとかないと」
「たしかにそうだね。それじゃあ私も一緒に行こうかな」
 そう言って頷き、回れ右をして三人の横に並ぶ結奈。
 その姿が自然すぎて、上条は気づかなかった。
 置いて行かれたはずの結奈が、怒る事さえしなかったという不自然に。



「ほら見てくださいよ。今回俺って入院とかしてないじゃないですか。うわすげーな俺、これって一つの成長進化ですよね? そうですよね? っていてぇぇぇ!!」
 はしゃいだ声でカエル顔の医者に話しかける上条が、両サイドから小萌先生と姫神に頭を引っ叩かれて絶叫した。
「上条ちゃん! あなたという人は本当に本当に本当に人様に迷惑をかけたのはノー眼中なのですか!? まったく警備員(アンチスキル)さんのお世話になるだなんて……ぶつぶつ。もう! 後できっちりお話聞かせてもらってお説教ですからねーっ!」
「だから『風斬氷華』には警戒せよと。あれほど注意しておいたのに。女と知ると見境がなくなるその人格は。一度徹底的に矯正した方が良いのかもしれない」
 その怒りの声を聞いて、見る見るうちに上条のテンションが下がっていく。
「……、あの。なんか後ろの二人が怖いのでやっぱり入院とかダメですか? もう絶対安静面会謝絶とかで、とにかくこの凸凹コンビの温度が下がるまでのシェルターが欲しいのですが」
 目の前でそんな事を言われ、二人は高速で上条の頭を叩き始めた。
「やめっ、これ以上叩かれたら上条さんは馬鹿になってしまいます!」
「あれ? それ以上馬鹿になんてなるの?」
「ひどっ! 新城さんそれは酷いのではないかと不肖上条、思ったりも……すみません新城さんの言う通りでございます」
 結奈の突っ込みに反論しようとした上条だったが、一睨みで自虐的に頭を下げ始める。
「へたれなのです……」
「すごく。へたれ」
「やめて! 事実だけに反論できないから!!」
 その姿に、小萌先生と姫神からは憐れみの視線を送られていた。
 それを見ながら、結奈は診察室を出ていく。向かったのは待合室。
 そこにはインデックスと風斬が並んでソファに座っていた。スフィンクスは学生寮でお留守番だ。
「やっほー。二人は怪我とかないの?」
 声を聞いた二人が結奈に顔を向ける。
「うん。私は別に問題ないかな」
「私も……もう、治ったから。大丈夫」
「そっか。風斬さんもありがとう、インデックスを助けてくれて」
 結奈がそう言うと、風斬は恥ずかしそうに顔を伏せた。
 逆に、インデックスは嬉しそうに目を輝かせる。
「当り前だよ、ひょうかは私の自慢の友達だもん!」
 インデックスは親に褒められた子供のような表情をして、無邪気な声で言った。
 それを聞いてますます俯いてしまう風斬。
 恥ずかしいのか嬉しいのか、その顔は耳まで真っ赤に染まっている
「ふふっ。じゃあ親友同士の語らいを邪魔するのはこれくらいにして、と。ちょっと寄って行くところがあるから、私は先に行くね」
 それだけを伝え、その場を離れる。しばらく歩いてから振り返ると、二人は楽しそうに話をしていた。
「…………んね」
 結奈の口から小さな声が発せられ、すぐに踵を返して歩き出す。次に向かった先は臨床研究エリアだった。
 いつもの待合室を見ると、珍しい人物がそこにいた。
 そこにいた二人からも結奈が見えたらしく、声をかけてくる。
「お姉さまー、こんな時間にどうしたんですかー?」
「お姉様、すでに面会時間は過ぎていますが、とミサカは心にもない正論を一応言っておきます」
 なぜかいる佐天が、ミサカと一緒に話をしていた。
「私は上条くんの付き添いで病院に来たんだけど。……涙子ちゃんはどうしてこんな時間にいるのかな?」
 先ほどミサカが言ったように、すでに面会時間は過ぎている。本来ならば病院からは出ていかなければいけないはずだ。
「それはですね、今日はこっそりとここに泊めてもらうつもりなんです!」
 その答えに結奈は目を丸くする。
「それではあまりにも説明が足りないため、お姉様が困惑しています、とミサカは問題点を指摘します」
 それで端折りすぎた事にようやく気づいたらしい佐天が、最初から説明を始める。
「あのですね、あたし、明後日から広域社会見学で一週間くらいここに来れませんから。その前にみーさんとじーっくり話し合っておこうと思って」
「会議の内容はお姉様といえども教える訳にはいきません、とミサカは心苦しく思いながらも釘を刺します」
「そ、そうなんだ……」
 一体どんな話題があるのだろうとは思う結奈だったが、下手に聞いてそれが自分の話題だったりすると反応に困るので、突っ込まずに流す事にする。
「それで、お姉様はどうしてここに? とミサカは問いかけます」
 結奈からの質問に答え終わったからか、今度はミサカの方から聞いてきた。
「私は付き添いでここに来たから、ついでにみーちゃんの顔でも見ておこうかなー、って思って」
 それを聞いてミサカは何故か頬を染め、佐天は不機嫌そうに頬を膨らませている。
「ずるいですお姉さま! あたしには会いに来てくれなかったのに、みーさんには会いに来るなんて!」
 少し興奮してきたのか、佐天の声が大きくなってきていた。
 そこに、ミサカがまるで挑発するように言う。
「それはお姉様がミサカの事をより妹と思っているという事でしょう、とミサカは勝利宣言をします」
「そ、そんな事ありません! より妹らしいのはあたしです!」
「はぁ……。二人とも、ほどほどにね……」
 口論を始めた二人に、それだけを告げて逃げるようにその場を離れる結奈。
 後ろから何か聞こえたような気がしたが、結奈は気にせず逃げ出し、そのまま病院の入口に向かって行く。
 夜間用の非常口を開いて外に出ると、先ほどまで診察室にいたはずの上条がそこにいた。
「上条くん?」
 その結奈の声に上条が振り返る。
「あれ、新城。先に帰ったんじゃなかったのか? インデックスはもう行っちまったぞ」
 インデックスに『先に行く』と言っておいたせいか、上条はすでに結奈が帰ったものと思っていたらしい。
「ちょっとね、ついでだからみーちゃんのお見舞いに行ってたの」
「みーちゃん?」
 結奈の返答に首を傾げる上条。
 それを見て、結奈は上条にはミサカ達がこの病院にいる事を教えていなかったのを思い出した。
「みーちゃんはミサカ一〇〇三一号ちゃんのこと。他にも十人くらいここで治療してるよ」
「なにぃ! そんなのは初耳だぞ!!」
 その驚きようからすると、上条は本当に誰にも教えられていなかったようだ。
「それで、どうするの? 今度会いに行ってみる?」
 何となくその返答を予測しながら、からかうように結奈が言う。
「……いかねぇよ。次に会うのは、もっと日常の中でだ」
 思った通りの答えに笑う結奈を見て、上条も照れくさそうに頭を掻く。
 しばしの沈黙の後、結奈が切り出した。
「それじゃ、そろそろ私も行くね」
 それを聞いた上条はいつものように返す。
「ん? 帰るんなら寮まで送るぞ」
「ううん。まだ用事があるから、寮には帰らないの」
 その申し出を、結奈は丁重に断った。その声は、少しだけ震えている。
「それならいいけど。気をつけろよ」
「うん、心配してくれてありがとね」
 結奈の顔に浮かぶ曇りのない笑顔。それに、わずかに影が差した。
「じゃあな、新城」
「うん、じゃあね」
 もしも上条に記憶があれば、気づけただろう。その笑顔の意味に。
 それは、出会ってすぐの頃に、結奈がいつも浮かべていた笑顔だったのだから。
 けれど上条は気づけなかった。その意味を、知らなかったから。

「……さよなら、上条くん」

 小さな呟きが、誰もいなくなった道に響く。
 その夜、学園都市から新城結奈の姿が消えた。



[6597] 六章 一話
Name: ヒゲ緑◆ccab3415 ID:9fc9afb4
Date: 2009/08/30 17:36
(ここ、一体どこなんだろ……)
 学園都市を出てから二日。結奈は山の中を一人歩いていた。
 辺りにはまったく人影はない。それどころか、足元の道すらいつの間にかなくなっていた。
 一体どの方角を向いて進んでいるのかすら、結奈自身分かっていない。
(山道でぼーっとして道を踏み外すなんて、我ながら信じられないくらいの間抜けっぷりだよ……)
 そう考えながら自嘲の笑みを浮かべる結奈。
 その姿は泥に塗れ、体中に擦り傷を負っている。
 顔には生気が無く、疲労の色も濃い。それを示すかのように足元はおぼつかず、限界が近い事が見てとれた。
 それでも、結奈は取り憑かれたように足を進め続ける。まるで何かから逃げているかのように。
 しかし、二日間ほとんど不眠不休で酷使し続けた体はついに限界を迎え、結奈の体は地面へと崩れ落ちた。
(あれ? 足、動かないや……)
 ひんやりとした土の温度を感じながら、結奈は学園都市を出た日の事を思い出す。
(そういえば……あの空間移動能力者(テレポーター)の女の子、どうして外壁近くになんかいたんだろ……?)
 あの日、何とか学園都市の外に出られないかと外壁を回っていた結奈は、その途中で一人の少女を見つけた。
 その少女は、前を開いた霧ヶ丘女学院のブレザーの下にさらしを巻いただけという危ない格好で、なぜか外壁付近をうろうろしていたのだ。
(なんていうかすごい格好だったし、こっそりそういう趣味を披露してたのかな。だとしたら悪い事しちゃったかも……)
 少女が空間移動能力者だとすぐに気づいた結奈は、学園都市から出るのにその能力を利用する事にしたのだった。
 その時の少女の慌てふためく顔を思い出し、わずかに顔を綻ばせながら結奈の意識は霞んでいく。
「た、大変です! こんな所で女の子が倒れてますよ!!」
「おいおい、いくらなんでもこんな山ん中に美少女がホイホイと倒れてたりする訳が……ぬぉ! 本当にいやがるのな!!」
「あの……私は美少女とは一言も言ってませんけど……」
「そんなのはどうでも良い事なのよ。大事なのは今ここに美少女が倒れているこの事実! 訳ありっぽいニオイもして、血が騒ぐってもんよなぁ!!」
「はぁ……そこの馬鹿は放っておいて、その子を運んでしまいましょう。私も手伝うわ」
「あ、はい。ありがとうございます」
 薄れゆく意識の中で届いた声を聞きながら、結奈は夢へと沈んでいった。



 バス事故から数日、結奈は久しぶりに通学路を歩いている。
 しかし、その表情は沈み、重い雰囲気を背負っていた。
(みんな、はやくよくなるといいなぁ……)
 結局、あの事故では結奈以外の全員が重傷を負い、未だ入院している。
 死者こそ出なかったものの、入院期間の関係上、結奈は次の学年まで隣のクラスに混ざって授業を受ける事になっていた。
 他のクラスに友達がいなかった結奈の学校へ向かう足取りは自然と重くなり、口からはため息がこぼれてしまう。
 そうしてとぼとぼと歩いていた結奈だったが、ふと周囲からの線を感じて立ち止まった。
 疑問に思って振り返った先にいたのは、輪を作って話をする近所のおばさん達。
 彼女達は結奈の視線から目を逸らすようにしながら、ヒソヒソと何かを話し込んでいた。
(なんだろ?)
 不思議そうに首を傾げてみても、声は聞こえてこない。
 気を取り直して学校へと向かっていくが、その先々でも同じような視線を感じ続けた。
 その視線の意味が分からず、困惑する結奈。
 ようやく学校へとたどり着いた頃には、気疲れから少しぐったりとしていた。
(みんな、なんのおはなしをしてたのかな?)
 そんな事を考えながら職員室のドアをくぐる。すると、ここでも教師達の視線が一斉に結奈に向かってきた。
 なんとなく居心地の悪さを感じながら、結奈は隣のクラスの担任の所へと行って挨拶をする。
「せんせい、おはようございます」
「おはよう、新城さん。……えっと、もうすぐ朝の会が始まるから、行きましょうか?」
 しかし、その教師は結奈と目を合わせもせずにそれだけを言うと、さっさと席を立って教室へと歩き始めた。
 不思議に思いながらもその後を追う結奈。
 教師の後に続いて教室に入り、自己紹介をする。おかしな視線は、この教室でも続いていた。
 何か言いたげなその様子に気圧されながら、結奈は用意された席に着く。
 新しいクラスメイト達は、遠巻きに結奈を見詰めていた。



 その日の昼休み。結奈は自分の席に座り、一人でお弁当を食べていた。
 相変わらず周りの子供達は遠巻きに結奈を見て、何かを話している。
 その雰囲気に声をかけることも出来ず、結奈は黙々と食事を続けていた。
(うぅ……みんなどうしたのかな?)
 今の状況に至った理由を考えてみるが、結奈には全く心当たりがない。
 そんな風に考え込んでいると、いつの間にか結奈の席は数人の男の子に取り囲まれていた。
 あまり男の子と話した事のない結奈は、縮こまってビクビクしながら集まって来た男の子達を眺めている。
 しかし、いつまで経っても男の子達は何も言ってこない。
 痺れを切らした結奈が思い切って話しかけようとしたその時、まるでそれを遮るかのように一人の男の子が口を開いた。
「なあ、あれっておまえのせいなんだってな」
「あ、あの……あれって、なに?」
 突然振られた話題についていけず、そのまま聞き返す。
「そんなの、じこのことにきまってるだろ」
「え……?」
 理解できないその台詞に結奈の頭が一瞬真っ白になり、呆然としてしまう。
 そして、男の子達はその沈黙を肯定として受け取ってしまったようだった。
 男の子達が騒ぎ出し、それにつられるように教室中がにわかに騒がしくなる。
「ち、ちがうよ! そんなことない!!」
 慌てて否定する結奈だったが、すでに結論を出してしまった男の子達は聞く耳を持たなかった。
「うそつけよ。みんなそういってるよ。おとうさんやおかあさんもいってたし、せんせいだってそういってたぞ。しんじょうは、ちかくにいるひとをふこうにして、じぶんだけうんがいいんだって」
 それは幸運だったのか、それとも不幸だったのか。普段は幼い性格に隠れて目立たなかったが、結奈は同年代の子供に比べて理性の発達が早く、頭の回転も速かった。
 だからこそ、結奈は気づいてしまった。朝から感じ続けていた視線の意味を。
 そして、青ざめた結奈に対し、子供達の無邪気な糾弾が始まる。
 それが、緩やかな地獄の日々の始まりを告げる合図となった。



 あの日から、結奈の周りに近寄ってくる子供はいなくなった。
 町を歩けば大人子供問わずに心ない言葉を浴びせられ、教師ですら罵声を向ける。
 仲の良かったはずの友達も、退院してくる頃には既に他人となっていた。
『幸運を吸い取られる』という俗話を信じて、両親以外の全ての人間が結奈を蔑んだ。
 結奈の持つ幸運によって、直接的に危害が加えられる事こそなかったが、その代わりに向けられる言葉は容赦を無くしていく。
 そんな現実に、幼い結奈が耐えられるはずもなかった。
 そして、いつしか『自分が他人を不幸にする』という話を、結奈自身が信じるようになっていく。
 それは、『他人を不幸にしないため、自分は望んで一人でいる』と、孤独を自分の意志だと思い込まなければ、心の均衡を保つ事ができなかったからだった。
 限界が近づいている事を悟った両親は、知り合いの勧めに従い、オカルトが一切信じられていない学園都市へと結奈を転校させる。
 そこならば、今のような状況にはならないと考えたのだろう。
 実際、外であった『不幸になる』などの話は、学園都市では全く信じられていなかった。
 そして、転入直後の身体検査(システムスキャン)では、結奈に無能力者(レベル0)が下される。
 それを聞いた両親はひどく喜んでいた。
 これで結奈が学園都市で目立つ事もないと考えたのだろう。
 しかし、娘に平穏に過ごして欲しいという、その願いは叶わない。
 身体検査では無能力者判定が下された結奈だったが、『不幸』は信じられなくとも『幸運』だけははっきりと結果として存在していた。
 そして、その『幸運』によって、結奈は同じ無能力者からは妬まれ、日常生活にすら役に立つかどうかという程度の弱能力者(レベル1)や異能力者(レベル2)からは疎まれる事になる。
 結局、子供達の結奈への対応は外と変わりはしなかった。
 大人達の対応は優しくなっていたが、既に心を閉ざしていた結奈からすれば変化はないも同然。
 むしろ、家族という唯一の安らげる場所がなくなった分、悪化していると言っても過言ではなかった。
 家族すら失った結奈の心は、ゆっくりと本当の孤独へと埋まっていく。
 そうして一年が経つ頃には、結奈は世界の全てを拒絶するようになっていた。
 誰とも関わらず、誰にも関わらせないとばかりに、ただ黙々と授業(カリキュラム)をこなす。
 能力実技以外の成績は飛び抜けており、問題の実技に関しても普通以上の努力が認められるために教師達も下手に口が出せない。
 それでも、結奈の心には確実に限界が近づいていた。
 そんなふうに、心を擦り減らしながら暮らしていた時間。
 結奈が上条に出会ったのは、そんな時に訪れたクラス替えの結果だった。



[6597] 六章 二話
Name: ヒゲ緑◆ccab3415 ID:d844114c
Date: 2009/10/21 09:27
「よーす、俺は上条当麻。そっちは新城(しんじょう)……でいいんだよな? 読み方」
 黒板に書かれた自分の席に着き、ホームルームが始まるまでの短い読書に勤しんでいた結奈に話しかけてくる声。
 ちらりと隣に視線を移すと、そこには笑顔を浮かべた黒髪の男の子がいた。
「あってる」
 それだけを返し、再び結奈は本へと視線を戻す。
「……ってそれだけかよ! 他に何かあるだろ、『はじめまして』とか、『これからよろしく』とか!」
「別にない」
 そう言って声を荒げる少年に対し、結奈はにべもなく答えた。
 その視線は少年には欠片も向かわず、未だに本の文字を追い続けている。
 その態度に少年はため息をつき、両手で頭を抱えた。
「なんつー無愛想……」
 そう呟き、疲れたように肩を落とす少年。
 その様子を見て、少年が自分の噂を知らないのだと判断した結奈は、本を読みながら警告をする。
「私には近づかない方が良いよ。不幸になりたくないんなら」
 目を丸くする少年には構わず、結奈はただ無言で読書を続けていた。



 おそらくは、その『不幸になる』という言葉がきっかけだったのだろう。
 初会話以降、上条は事あるごとに結奈へと話しかけてくるようになった。
 休憩時間に本を読んでいると内容について尋ね、昼休みに一人パンを食べているといつの間にか机をくっつけている。
 体育の男女合同授業中にはいつもペアを組みに来て、放課後には図書室の隅に篭っている結奈の隣に座って外で遊びたいと愚痴っていた。
 もちろん上条も四六時中結奈の傍にいたわけではない。
 他の子供達とも普通に遊んでいたし、むしろクラスの中でも中心的な存在と言っても良かった。
 そんな上条がどうしてここまでするのかが分からず、結奈はただ困惑するばかり。
 何度近づかないように言っても聞かない上条から結奈は何とか離れようとしていたが、一月も経った頃にはそれも諦めて完全無視を貫く事で対処するようになっていた。
 それでも、そんな日々の中で結奈自身が気づかぬ内に笑みを浮かべている事も多くなっていく。
 上条が眺めるその笑みはどこか影の差すものではあったが、ただ無表情に対応していた頃と比べれば雲泥の差だった。
 そして、上条の存在が日常となったある日の出来事。
 それが、結奈を変える最後のきっかけとなった。



 いつものように、結奈は下校時刻ギリギリの人のいない時間帯に校舎を出る。
 その隣には、これもいつも通り上条が並んで歩いていた。
 上条はしきりに何かを話しかけているが、結奈からの返答はない。
 それでも、飽きる事なく上条は喋り続ける。休み時間の遊びの話、好きな食べ物の話、そして……結奈の事。
 いつもなら黙ってそれを聞いているだけの結奈だったが、自身についての話題が出た事で、気がつけば上条へと言葉を返してしまっていた。
「ねぇ、どうしてそんなに私に関わろうとするの? 知ってるんでしょ、あの話」
 そう尋ねる結奈の瞳は僅かに揺れ動き、その表情からは隠し切れない不安が滲み出ている。
「ん? なんか、『周りを不幸にするー』とかってやつの事か?」
 だから、そう答えられた時、結奈の顔は確かに凍り付いていた。
「だ、だったら……」
 それを見られないよう、顔を背けながら会話を続ける。
 しかし、その顔に僅かに浮かんだ不安と恐怖は、返って来た上条の言葉によって生まれた怒りに塗り潰された。
「何言ってんだ。他人の運を吸い取ってるだなんて、あるわけないだろ」
 それは、今の結奈が支えとするモノを否定する言葉。
 結奈はその言葉に憤りを感じた。彼女がここまで孤独に耐えられたのは、その『理由』があったからこそなのだから。
 闇に沈む結奈は気づけない。それこそが、彼女を孤独にした『理由』そのものだったという事に。
「ふざけ―――」
「それに、だ。万が一それが本当だとしても、俺には関係ないだろうし」
 怒りに任せて怒鳴り付けようとした声は、続く上条の台詞によって音を失う。
「なに、言ってるの……?」
 代わりに、開いたままのその口からは、疑問が声となって零れ落ちた。
「何って、決まってんだろ? 俺は―――」 上条が笑って返そうとしたその瞬間だった。
 呆然と上条を見つめていた結奈の耳に、ガタガタと何かが揺れるような音が聞こえてくる。
 思わず視線を上へと移した結奈が見たものは、校舎のベランダから落ちてくる植木鉢。
 それは、真っ直ぐに上条へと向かっていた。
「危ない!!」
 結奈はとっさに上条の右手を掴み、引き寄せる。
 それによって振り向いた上条の、わずか数センチメートル後ろを植木鉢は通り過ぎていき、地面へとぶつかって砕け散った。
「はぁ……またか」
 事態を理解したらしい上条は、そう言ってうんざりといった顔をしている。
 一歩間違えれば死の危険さえあったにも関わらず、特に慌てる様子もない。
 しかし、その隣にいた結奈は上条の様子には全く気づかず、顔面を蒼白にして何かを呟いていた。
「わ、私のせいだ……きっと、また……」
 上条の手を握ったまま、結奈はただただそう繰り返す。真っ青な顔に浮かぶのは、『恐怖』だった。
「おい、新城!?」
 ガタガタと肩を震わせ始めた結奈を見て、上条が異変に気づく。
 先程とは違い慌てた様子で結奈の肩を揺する上条。
 しかし、繰り返される言葉を聞いて結奈の考えを理解したとたん、その顔はどこか呆れたようなものに変わった。
 そして、上条は諭すように優しく結奈に声をかける。
「あのなぁ、新城……なんでそこまで自分のせいにしたがるんだ?」
 かけられた言葉にも結奈は何も答えず、ただ俯いていた。
 それを見て、ため息をつきながら上条は続ける。
「お前だって、聞いた事くらいあるだろ? 俺が不幸だって話」
 確かに、その話は結奈も聞いた事があり、何度かそれらしい様子も見てはいた。だが、
「だって! 不幸って言っても、スプリンクラーの誤作動で水浸しとか、給食の牛乳パックにストローの差し込み口がなかったとか、そんなのじゃない!!」
 そう、結奈が遭遇した上条の不幸なんてものは、その程度のものだった。今回のような危険な場面は一度も見たことがない。
 だから、結奈はこれが自分のせいだと判断したのだ。
「あれ? 新城ってそんなのしか見た事なかったのか」
 しかし、それは他でもない上条本人によって否定される。
「植木鉢が落ちてくるくらいよくある事だぞ? この前なんかトラックが空から降ってきたし……なんか空間移動能力者(テレポーター)の暴走だったらしいけど」
 あっけらかんと告げられたのは、信じられないような話。
「そ、そんなこと……」
 それを否定しようと口を開き、しかし、その言葉は声にはならなかった。
 この一ヶ月余りの間に、結奈は知っていたから。上条がそんな風に嘘がつけるほど器用ではない事を。
「ほらな? 元々不幸なんだから、一緒にいても何も変わらないだろ」
 そう言いながら、上条はいつの間にか離れていた右手を差し出した。
 結奈は、ただじっとその手を見つめる。
 思い出すのは、先ほど感じたその暖かさ。
 それは、結奈が学園都市へと来た事で失ったもの。この一年、心のどこかで求め続けていたぬくもりだった。
 それでも、結奈はその手を掴めない。戸惑うその瞳に映るのは、未来への恐怖。
「で、でも……私と一緒だと、きっと今よりもっと不幸になっちゃうよ……」
 結奈が恐れていたのはただひとつ。その不幸によって、再び手にしたぬくもりが失われてしまう事。
 しかし、上条の答えは予想外のものだった。
「あーもう!! そもそもだな、俺に取られるような運なんてないっつーの!」
「……え?」
 その言葉を理解できず、結奈は呆然と佇む。
「だから! 元々取られるものなんて無いんだから、新城が一緒にいても変わらないって言ってんだよ!!」
 それは、結奈が思いつきもしなかった考え。
「でも……そうとは限ら「そうなんだよ!!」」
 反論しようとする結奈の声は、上条の怒声によって掻き消される。
「大体、一ヶ月も経ってるのに、新城と一緒にいる時に不幸な目にあったのは今回が初めてなんだぞ!? 不幸になるどころか、いつもより明らかに少なくなってるじゃねーか!!」
 結奈の持つ不安を、恐怖を、全て吹き飛ばすような勢いで上条は叫ぶ。その右手を伸ばしたまま。
「……ほんと?」
 その気持ちが、凍りついていた結奈の心を溶かしていった。
 思い出したぬくもりへの渇望は、ゆっくりと諦めを塗り潰していく。
 そして、結奈は差し出されたその手へと、恐る恐る左手を重ねた。
(やっぱり、あったかい……)
 伝わるぬくもりは、最後に残った臆病な気持ちさえも消し去っていく。
「じゃ、これで俺達は友達だ」
 そう言って、上条は笑う。向かい合う結奈もまた、笑顔を浮かべていた。



 手を繋ぎながら歩く帰り道。ふと思いついたように上条が言う。
「そういや、俺が不幸で新城が幸運だってんだろ? なら、二人で一緒にいたらプラマイゼロでちょうど良いんじゃないか?」
 その言葉に驚いた結奈が、恐る恐る言葉を紡ぐ。
 その瞳に浮かぶのは、大きな期待とわずかな不安。
「じゃあ……上条くんは、私が一緒にいたほうが嬉しい?」
 ようやく掴んだ手を離したくないという一心で、結奈は上条へと問いかける。
「当たり前だろ? そんなの」
 何を言ってるんだとばかりに、軽くデコピンをする上条。
「痛いよ、上条くん……」
 額を右手で押さえながら、結奈は再び笑った。一点の曇りもない、向日葵のような笑顔で。

「だったら……ずっと、ずーっと、一緒だからね!!」

 それは少女の無垢な願い。
 少年は何も答えない。ただ、繋いだ手を強く強く握り返した。



 それは、幼い日の大切な記憶。
 その風景を知る者は、今はもう結奈だけだった。



 おぼろげだった意識が、ゆっくりと覚醒していく。
 目が覚めた結奈の視界に映ったのは、見知らぬ天井だった。
「夢、かぁ……」
 ついさっきまで見ていた、幼い頃の夢を反芻する。
 その中で上条は言った。『運を奪っていたとしても自分には関係ない』と。
 幼い結奈はその言葉を信じた事で、再び他人と関わるようになっていった。
 それは、もしも他の人を不幸にしてしまったとしても、上条だけは結奈自身のせいでは不幸にならないと信じたからだ。
 何があったとしても、上条は味方でいてくれると信じていられたからだった。
 しかし、結奈は気づいてしまった。
(私は……きっと、上条くんの大切な人達を傷つける)
 それは、上条にとって、何よりも耐え難い不幸だろう。
 ずっと一緒にいたからこそ、結奈は誰よりもそれを理解していた。
 だが、結奈の行動の理由はそれだけではない。
 結奈はただ、恐かったのだ。その存在が自分に害をもたらす事を知った上条が、自身を拒絶する事が。
 上条を良く知る人間なら、そんな事は有り得ないと笑い飛ばすだろう。
 結奈自身も、そんなはずはないと頭では理解していた。
 それでも、恐かった。あの時上条が結奈を受け入れたのは、自分に害が及ばない事を前提としていたから。
 シェリーの言葉によって支えの全てを失った結奈には、その有り得ないような可能性ですら否定できる自信がなくなっていた。
 だから、結奈は学園都市から逃げ出した。上条のためだという言い訳に縋って。
 それは周りを不幸にする事を言い訳にして他人から逃げた、夢の中の幼い結奈そのものだった。
(これからどうしよう……)
 何の準備もせずに学園都市を飛び出した結奈には、人のいない所でサバイバルをするような知識も道具もない。
 お金なら十分に持ってはいるが、紙幣にはICチップが組み込まれている以上、財布の中身を使ってもATMを使っても簡単に捕捉されてしまうだろう。
 そうなれば、すぐに連れ戻されてしまうのは目に見えている。
 そこまで考えたところで、結奈は根本的な疑問に気づいた。
(ここ、どこ? 山の中にいたはずなのに……)
 考え事に集中しすぎていたために気にもしていなかったのだが、今の結奈はパジャマのようなものに着替えさせられ、和室に敷かれた布団の上に寝かされている。
 不思議に思った結奈が部屋の中を見渡そうとした時、ちょうど良いタイミングで足元にあった襖が開いた。
 そこから入ってきたのは、結奈と同じくらいの年頃に見える、肩までのばした黒髪の少女。
「良かった。目が覚めたんですね」
 その少女は起き上がろうとする結奈を見て、安心したように微笑んだ。



[6597] 六章 三話
Name: ヒゲ緑◆14fcd417 ID:d844114c
Date: 2009/10/11 21:12
「良かった。目が覚めたんですね」
 そう言いながら部屋へと入って来たのは、黒髪を肩ほどまでに伸ばした少女だった。
 二重まぶたが特徴的で、美人というよりは可愛いという方がしっくりくる顔立ちだ。歳の頃は結奈と同じくらいだろうか。
(え、なに? どういう事? この人だれ? それになんか良い匂いが……)
 突然現れた見知らぬ少女を前にして、混乱した様子で考える結奈。
 アタフタと慌てて周囲を見渡すその様子は、どこか微笑ましくも感じられる。
 どうやら先程まで自分の世界に入り込んでいたせいでいまいち頭が回っておらず、上手く状況を把握できていないらしい。
「体のほうは大丈夫ですか?」
 困惑する結奈をよそに、少女は気づかう様な声音で話しかけてくる。
 顔には柔らかい笑みを浮かべているが、どこかホッとしたような雰囲気も感じられた。
「あ、はい」
 結奈は未だ混乱したままだった思考を無理矢理に切り替え、少女の言葉に答える。
「あの、それで……」

―――ぐーきゅるるるるぅぅぅ―――

 続けて今の状況を少女へと尋ねようとする結奈だったが、口に出そうとした疑問の言葉は彼女自身のお腹から発せられた怒号によって遮られた。
 音の正体を理解した結奈の顔が瞬時に真っ赤に染まっていくが、すでに出てしまったものは取り消せはしない。
 少女は僅かな間呆気にとられたような顔をしていたが、すぐに表情を戻して、
「少し待ってて下さい。すぐに用意しますから」
 とだけ言って部屋を出ていく。立ち去る少女の肩が小刻みに震えているように見えるのは、結奈の目の錯覚というわけではなさそうだ。
(お、おな、おなk……うああああああぁぁぁ)
 両手で真っ赤な顔を隠すように頭を抱え、ひたすら悶える結奈。
 先程とは別の意味で頭は働かず、恥ずかしさのあまり布団の上を転げ回っていた。
「あの……お食事の用意、できましたけど……」
 そうこうしている内に食事が出来上がったらしく、少女がお盆を持って戻って来る。
「あ、ありがとうございます」
 その声を聞いて我に返った結奈は、何事も無かったかのようにそのお盆を受け取った。
 全てを忘れてしまおうと、結奈はお盆の上に目を向ける。
 そこには小さな土鍋に入った雑炊が置かれていた。先程から感じていた良い匂いの正体はこれだったらしい。
 見た感じと用意にかかった時間からすると、ちょうど結奈が目覚める直前に作ったもののようだ。
 立て続けに起こった出来事で疲れ切っていた事もあり、特に警戒もせずにそれを口に運ぶ。
(おいしい……)
 三日近く食事をしていなかった結奈は、夢中になってレンゲを動かし続ける。
「おいしいですか?」
 先程の事をまるで無かったかの様な態度で接してくれる少女に感謝しつつ、結奈は無言でこくこくと頭を縦に振って答えた。



「それで、聞かせてもらってもいいですか? どうしてあんな所にいたのかを」
 食事を終え、ようやく落ち着いた所で少女―――五和(いつわ)という名前らしい―――が切り出す。
「……はい」
 対する結奈は少しだけ迷ったようなそぶりを見せたが、結局は素直に頷いた。その格好はすでにパジャマ姿ではなく、元の制服に戻っている。
 すでに食事の間に結奈自身の状況―――山奥で生き倒れていた結奈を見つけた五和達が家へと連れて帰って介抱した事、家出か何かだろうと考えて警察への連絡は事情を聞いてからにしようとしていた事、丸一日眠り続けていた事―――は聞かせてもらっている。
 その際、食欲が満たされて冷静になった事で結奈は一つの事実に気づいていた。
 それは五和から感じる魔術の気配。つまり、彼女が魔術師だという事。
 無意識レベルでの発動なのだろうそれは、ほんの僅かなものだったが、能力を自覚した結奈にははっきりと感じ取れる。
 そのこともあり、最初は警戒心を抱いていた結奈だったが、ふと目に入って来た台所の状態によって考えを改めた。
(同じような土鍋がいくつも洗ってあったって事は、多分毎食作ってくれてたんだよね)
 おそらくは、起きた時にできるだけ良い状態のものを食べられるようにとの配慮だろう。
(きっと、根っからの『いいひと』なんだろうな)
 その事に気づいた結奈は、五和の行為を純粋に善意から出たものだろうと判断した。
(だったら、巻き込んじゃいけないよね)
 だから、結奈は五和の話に合わせ、『学園都市から抜けだしてきた家出少女』という設定で経緯を伝える。
 自らの能力については伏せ、家出の適当な理由をでっち上げた以外はほぼ事実そのままに。
「……こんな感じです」
 話し終えて一息ついた所で、五和が結奈に尋ねる。
「これからどうするつもりなんですか?」
「しばらく親戚の所にでも隠れていようかなって思ってます。また遭難なんてしたくないですから」
 苦笑いを浮かべながら、それらしい事を話していく。
 五和は少し納得のいかないような表情だったが、特に追求してはこなかった。
 どう対応すべきか図りかねているのかもしれない。
(最近、隠し事ばかりしてるね……)
 表情には出さず、心の中でそう自嘲する。
 何か考えている五和を見ながら、結奈は座布団から立ち上がった。
「助けて下さってありがとうございました。これ以上お世話になるわけにもいきませんから」
 そう言って、お礼もそこそこに出発しようとする結奈。
「ちょーとまつのよ」
 五和の返答も聞かずに部屋を出ようと歩きだした結奈だったが、襖を抜けたところで後ろから声をかけられた。
 明らかに少女とは違う、低い声。声の出所に居たのは、二十代中盤ほどに見える黒髪の男だった。
 特徴的なのはその髪で、わざわざ黒く染め直したのだろう圧倒的な黒色の髪が、ツンツンと全体的に尖っている。
 おそらくは、ジェルか何かで毛先を固めているのだろう
「あの……なんでしょうか」
 振り返りながら結奈はそう答える。特に驚いた様子が見られないのは、その場所から魔術の気配を感じていたからだ。
「お前さん、そんな体でどこ行こうってんのよ。そんな青い顔して外歩いてたら、またぶっ倒れるのがオチなのよな」
 どちらかというと悪人面の男だったが、その声には結奈を心配する色が混じっている。
 男の言う通り、今の結奈は酷く青白い顔色をしていた。
 態度こそ何でも無いように振舞っているが、足元も少しふらついている。
「それにだ。居なくなってもう三日も経ってるんなら、捜索願なんかも出されてるだろうよの。現金もカードも、使えばすぐに見つかっちまうってもんよ。そんな状況で、お前さんはどうやってその知り合いのところへ行くつもりだ?」
「……大丈夫です。ここからならそんなにかかりませんから」
 実際には行くあてなど無い結奈だったが、そう答える。
 ただ、誰もいない場所へ、誰も不幸にしない場所へ行きたいという感情に従って。
「なら、俺と五和でそこまで送ってやるのよ。一人で行かせて明日のニュースで顔を見る羽目にゃなりたくないのよな」
 おそらく、結奈が嘘を言っている事に気づいているのだろう。
 どこまで見抜いているのかは分からないが、少なくとも親戚の話については確信しているようだ。
「でも、これ以上迷惑をかけるわけには……」
「こっちからすれば、このまま行かれた方が余計な心配をする羽目になって迷惑なのよな。送られるのが嫌なら、体調が戻るまではここで世話になれと言ってんのよ。どっちも嫌なら仕方ない。力ずくで病院に連れて行くまでよな」
「き、教皇代理!? そんな脅すみたいな言い方をしなくても……」
 そのあんまりな言い草を聞いて、五和が驚いたように男をなだめる。
 結奈も唖然とした表情でその男を見ていたが、男が善意で言っている事は分ったため、やがて諦めたように言った。
「……分かりました。少しの間、お世話になります」
 渋々と部屋へと戻っていく結奈。その途中で足が縺れて倒れそうになるが、間一髪の所で五和がその体を支える。
 本人が思っているよりも体調は悪かったらしく、すでに限界が近かったようだ。
 途切れそうになる意識をつなぎながら、結奈は考える。
(なんとかしてこの人達から離れなくちゃ……何かが起こる前に)
 その思考を最後に、ゆっくりと意識は沈んでいった。



「どーして駄目なんですか!!」
 翌日。朝早くに目覚めた結奈は、鏡で自分の顔色がずいぶん良くなっているのを確認し、「もう大丈夫だから出発させてほしい」と男―――建宮(たてみや)斎字(さいじ)―――に持ちかけた。
 しかし、建宮は、
「どうしたもこうしたもないのよ。昨日青白い顔して一日中眠っていたような奴をだ、今日放りだして安心できるわけ無いだろうってことなのよな」
 と言って取り合わない。
 仕方なく隣にいる五和の方を見るが、そちらも同意見なのか気まずそうに結奈から眼を逸らしていた。
 味方はいないと悟った結奈は、それでも一人で建宮に食い下がっていく。
 しかし、飄々とした態度で相手にされず、疲れるだけの結果に終わっていた。
 ならばと結奈は隙を突いて強引に部屋から脱出しようとするが、玄関のドアを出たところで見知らぬふわふわ金髪の女性に捕まってしまい、そのまま連れ戻されてしまう。
 この金髪の女性も結奈を見つけた時にいたということで、様子を見に来たところだったらしい。
 対馬(つしま)と名乗った女性に、結奈は感謝の言葉と共に恨みがましい視線を送るが、やはりまったく気にもされていなかった。
 それでも諦めずに脱出しようとする結奈だったが、玄関や窓から出るそのたびに違う人物に捕まりとんぼ返りをする結果となっていた。
 毎回知らない相手に捕まる事を疑問に思った結奈に対し、五和が詳しい事を教えてくれる。
 それによると、「みなさんは『天草式十字凄教』という小規模な宗教団体の一員で、そこの教皇代理を建宮さんが務めているんです。最初の脱走の件もあって、この周辺にいた方達が交代で結奈さんの様子を見るようにしているんですよ」という事らしい。
(完全に信用されてないなぁ……仕方ないけど)
 どうやら、結奈を一人で放り出すとまた野垂れ死に状態になると思われているようだ。
 ただ、実際にその可能性が高い事を本人も理解しているため、結奈自身その事について文句を言う気はないらしい。
(それでも、なにかある前にここを離れないと)
 そう思いながら、再び抜け出す手を考え始める。
 結奈自身は気づいていない。
 建宮達がこれほどまでに彼女を心配している理由は、なにも行くあてがない事を看過したからだけではない事を。
 昨夜に見せた、全てを諦めているような、ほんの少し触れるだけで壊れてしまいそうなその雰囲気。
 それでも、その奥に、誰かを守りたいという思いが感じ取れたからこそ、それが見ず知らずの自分達にも向けられている事に気づき、その姿が彼らの目指す者の在り方と重なったからこそ、助けたいと思ったのだという事を。
 そして、悩み続けるその姿から感じられる張りつめた雰囲気が、ほんの少しだけ和らいでいた事も。



[6597] 六章 四話
Name: ヒゲ緑◆14fcd417 ID:d844114c
Date: 2009/10/11 21:13
「はーなーしーてー」
 プロレスラーか何かかと思えるような大男の肩に担ぎ上げられた状態で、結奈が叫んでいる。
 バタバタと手足を動かして抵抗しているが、男も見た目通り鍛えているらしく、何事も無かったかのように歩き続けていた。
「ほんと嬢ちゃんもめげないよな。そろそろ諦めないのか?」
 大男が苦笑しながらそう言うが、結奈は聞く耳を持たない。
「いーやー」
 そう言ってなおも暴れ続ける結奈だったが、どれだけ暴れても男の体はビクともせず、気がつくといつもの部屋の目の前まで戻って来ていた。
 男がドアを開けようと結奈を片手で担ぎ直したとき、ちょうど内側からそのドアが開けられる。
「あ、おかえりなさい。結奈さん、牛深(うしぶか)さん」
「ああ、五和か。嬢ちゃんは中に置いとけばいいんだよな」
 そこから出てきたのは五和だった。夕食の買い出しにでも行くところらしい。
 五和はいつも通りの素朴な微笑みを浮かべながら二人と挨拶を交わす。
 その前に立っているのは暴れる少女を担いだ大男。
 何も知らない人間から見れば、まるっきり誘拐現場にしか見えないだろう。
 とはいえ、五和にとってはすでにこの三日間で数十回と見た光景である。
 最初こそ顔をひきつらせていた五和だったが、三十分に一回のペースで繰り返される脱走によって今更思うところも無くなっているようだ。
「ご飯はいつもより遅くなると思います。もうこんな時間ですから」
 申し訳なさそうな表情でそう言うと、そのまま五和は足早に出かけていく。
 なんとなく、少し焦っているように結奈には見えた。
「それじゃな。程々にしとけよ」
 部屋の中で結奈を下ろすと、五和に続くようにして男もどこかへ歩いて行く。
 ようやく解放された結奈が部屋の時計を確認すると、時刻はすでに午後六時半。もうすぐ日も暮れ出す時間だった。
「また失敗かぁ……」
 ため息をつきながら、結奈は敷きっ放しの布団へと倒れこむ。
 ここで目覚めてからすでに三日、結奈は幾度となく脱走を繰り返し、そのたびに連れ戻される事を未だに続けていた。
 真夜中を狙って逃げようとしてもすぐに捕まってしまう辺り、どうやら二十四時間体制で監視が付いているらしい。
 それでも、最初の方は人数こそかけているが監視自体はそれほどキツイわけでもなかったので、それなりに遠くまで逃げられた事もあった。
 ところが、今日に入ってからは監視の精度が明らかに今までと違っている。
 その理由については、結奈自身にも心当たりがあった。
「全部話せば納得してくれると思ったのに……完全に逆効果だったし」
 そう、何度逃げても連れ戻されてしまった結奈は、自分の能力についてを建宮達に話すことにしたのだった。
 傍にいるだけで自分達が不幸になると知れば、ここまでして引き留めようとは思わないだろうと考えて。
 そして、その結果が現在の状況だった。彼らは結奈を行かせるどころか、むしろ張り切って監視を強めてしまったのだ。
 彼らが張り切るその理由も、結奈は聞かされている。そこに嘘が含まれていないだろう事も、理解していた。
「みんな、お人好しすぎるよ」
 結奈は思い出していた。全てを語った自分に返された、彼らの言葉を。



「……だから、私の傍にはいない方がいいんです」
 どこか諦めの混じった笑みを浮かべ、結奈は話していた。自身の力と、それがもたらすモノを。
 その前に座っているのは建宮と五和。二人は最初難しい顔で何かを考え込んでいたが、とつぜん表情を変えると、
「それなら、なおさらお前さんを行かせるわけにはいかないのよな。なぁ、五和」
「はい、もちろんです教皇代理」
 そう、どこか嬉しそうな声色で言った。
「え?」
 予想外の返答に、結奈がぽかんとした表情で二人を見詰める。
「不幸になる? そんな事は我らにとってどうでもいいのよ……いいか、お前さんに天草式十字凄教の最大教義ってもんを教えてやるのよな。我らの指標となる言葉はただ一つ」
「『救われぬ者に救いの手を』……女教皇(プリエステス)様が、その身を、その行動を持って私達に教えてくれた事です」
 自らの意思を、譲れないものを二人は宣言する。本当に誇らしげな表情で。
「お前さんが自分を救われぬべき存在だというのなら、全力をもってそれを覆す。それが我らの目指すべき道なのよな」
「結奈さん。誰かのために傷付く事が出来る。そんな優しい人を見捨てるなんて事、私達には出来ませんよ」
 そう言って笑う二人をみて、結奈はどこか嬉しさと苦しさの混ざったような複雑な表情を浮かべていた。



 自分を心配してくれる彼らだからこそ、結奈も巻き込みたくないと考えて全てを話そうと決めた。
 誤算だったのは、肝心の天草式の面々は結奈が思っていた以上のお人好しだったということだろう。
 結奈の告白は建宮達に火をつけてしまったようで、その保護はますます過剰になってしまっている。
 とはいえ結奈も譲るわけにはいかない。
 彼らがそんな人達だからこそ、もしも『取り返しがつかない事』が起こってしまえば耐えられないだろうと、それを結奈自身が自覚しているから。
(私は、自分が傷付きたくないだけ。五和達が思っているような優しい人間なんかじゃないのに……)
 ここに上条がいれば、「それを優しいって言うんだろ」とでも言って笑い飛ばすだろう。
 もしかしたらそんな事を考える結奈を怒るのかもしれない。
 しかし、その加害妄想とでもいえるような、あまりにも偏った考えを正せる人間はここにはいなかった。



 思考の底から戻って来た結奈が、ゆっくりと起き上がる。
 連れ戻されてからすでに二十分。そろそろ次の手を考えようかと思った結奈は、部屋の中を回りながら周囲の魔術的気配を探っていく。
 魔術師というものは大なり小なり何かしらの魔術的意味を持つ道具を持っている。
 そのため、人形使い(パペットマスター)の能力を自覚した今の結奈には、その気配を感じることで―――十m程の狭い範囲ではあるが―――魔術師の位置を簡単に把握することが出来た。
 これは魔術師に限った事ではなく、能力者が相手でもAIM拡散力場を感知することで同じ事が出来る。
 この三日間で結奈が何度も外に逃げることに成功しているのは、この情報を利用していたことが大きかった。
 周囲の人払いの魔術の規模を調べ、さらに魔術師たちの待機場所を出来る限り確認していく。
 そうやって部屋を一周し終わったところで、結奈は外の様子がおかしい事に気づいた。
(あれ? 二人しかいない……)
 いつもなら能力圏内だけでも最低四人、やけに張り切っている今日に至ってはその倍がすぐ近くにいたのだ。
 さらに、たいていはそれと同数以上が部屋からは分からない場所で待機していた。
 そのことを考えると、明らかに人数が少なすぎる。
(離れた所にいっぱいいるとか? でも近くの人数がこれじゃ逆に効率が悪いよね)
 実際、部屋から離れれば離れるほどカバーしなければならない範囲は加速度的に広がっていく。
 そして、おかしなことはそれだけではなかった。
(いつもなら周りの部屋にいるはずの人達もほとんどいなくなってる……)
 天草式の中で監視もそれ以外の仕事も割り当てられていない暇な人達は、大体周りの部屋で過ごしている。
 それが見事に誰もいなくなっていた。
 もしかすると、先程の五和の様子がおかしかったのも何か関係があるのかもしれない。
(なにかあったのかな? ……でも、これはチャンスだよね)
 何があったのかは結奈には分からない。それでも、監視の目が緩んでいるというのなら、それを利用しない手はないだろう。
 玄関で靴を履き、そっとドアを開ける。
 同時に人払いの魔術へと干渉し、認識疎外の方向性を変化させる。結奈の存在が気にならなくなるように。
 とはいえ、相手は魔術師。いくら結奈の制御によって通常より効果が増しているといっても、騙せるのはせいぜい十数秒程度だろう。
 それまでに二人の目が届かない所へいけるかが勝負となる。
(よし!)
 一気にドアを開けて玄関から出た飛び出した結奈は、足音を鳴らさないように気をつけながら、監視をしている男の横を駆け抜けていく。
 男は呑気に欠伸をしており、すぐそばを通り抜けた結奈にも気づいた様子は無い。
 そのまま近くの路地裏へと滑り込み、同時に周囲の気配を探る結奈。
(やっぱり、ほとんど人がいない)
 最初の二人以外に感じられるのは四人程。逆方向にも同じくらいの人数がいるとしても、三十分前に逃げた時の半分もいない。
 その上、新しい四人は全員が人払いの魔術の範囲内に待機していた。
(これなら!)
 状況を把握した結奈は、そのまま路地裏を走り抜ける。
 先程と同じように出口付近にいた女性の意識を逸らし、その横を通っていった。
 女性が気付く前に再び路地裏へと入り、人払いの範囲を抜ける手前で息を整える。
(ここからは慎重に、だね)
 結奈は感覚を研ぎ澄ましながら、魔術の気配が無い方へと進んでいった。



(もう、そろそろ……大丈夫、かな……)
 街外れの公園の片隅で、結奈は荒くなった息を整えていた。
 脱走からすでに三十分。これだけの時間だれも追いついてこなかったという事は、天草式は完全に結奈を見失っているらしい。
 これだけの広い街だ、一度見失ってしまえばそう簡単には見つからないだろうと考えた結奈は、ひとまず休憩をとっていた。
 さすがにベンチに座っているのは危険なので、ドーム状になっている遊具の中に隠れてだが。
(問題は、この後どこに行くかだね)
 財布の中のお札は五和達のものと交換してもらったため、お金に関しての問題は解決している。
 地下街へ行く前に引き出していた事もあり、手元にある額は相当なものだった。
(それでも無駄使いは出来ないよね……よし、とりあえず南の方に行こうかな。暖かい場所なら最悪野宿もできるだろうし)
 そんな事を考えていた時、結奈の能力が不意に魔術の気配を捉えた。
 その気配は、隠れている遊具へゆっくりと近づいてきている。
(……っ! 見つかった!?)
 そう思った結奈だったが、そこで何かがおかしい事に気づく。
 確かにその気配は近づいては来ていたが、まるで酔っぱらいの様にふらふらとうごいていたのだ。
 結奈がその事に疑問を持ったのと同時、遊具の外から何かが倒れるような音が聞こえた。
(何!?)
 ぎょっとした結奈は思わず遊具から顔を出す。
 その視線の先では、真っ黒な修道服を身に纏ったシスターが地面に横たわっていた。



[6597] 六章 五話
Name: ヒゲ緑◆14fcd417 ID:d844114c
Date: 2009/09/19 19:50
 驚く結奈の目の前には、うつぶせになって倒れているシスターの姿があった。
 まだ夏も終わりきっていない時期だというのに真っ黒な修道服を纏っており、長袖長スカートである事と相まってものすごく暑そうだ。
 袖やスカートの途中にファスナーが付いているため、どうやら着脱式らしいが、このシスターはご丁寧に全て装着している。
「だ、大丈夫ですか!?」
 結奈はその様子を見て、もしかして熱射病か、と考えながらシスターへと駆け寄った。
 そのままシスターの体を反転させ、仰向けの状態にして額に手をつける。
(熱くは……無いね)
 ホッと息をつく結奈。ちょうどそのタイミングで、そのシスターから声をかけられた。
「あのー……」
 どうやら意識はあったらしく、彼女は不思議そうな目で結奈を見つめている。
 うつぶせになっている時には判らなかったが、顔つきからすると外国人のようだった。
「す、すみません。いきなり倒れたから、熱射病かと思って……」
 意識が無いだろうと思っていた結奈は、そう言いながら慌てて手をどける。
「そうでございましたか。それはご迷惑をおかけしてしまって」
 にこにこと笑いながらシスターが答える。先程のフラフラした様子は何だったのかと言いたくなるような笑顔だ。
 とはいえ、よく見ると顔色が少し悪い事に気づく。言葉にも少し力が無い。
 どう話しかけようと結奈が迷っていると、再びシスターが声をかけてきた。
「あのー……恐れ入りますが、天草式十字凄教という方々をご存知でございましょうか?」
「え?」
 最近よく聞く名前が突然出てきた事に驚き、結奈は思わず声を上げてしまう。
「どうかなさいましたのですか?」
 未だに倒れたままのシスターが、再び不思議そうな顔をしながら上目づかいで言う。
「う、ううん。なんでもありません……それで、その天草式十字凄教って人達にどんな用事なんですか?」
 驚きを押し殺してそう尋ねる結奈。シスターはそんな様子を特に気にする風も無く、
「実は私、追われているのでございます」
 と言った。
 再度体を強張らせた結奈を尻目に、シスターは言葉を続ける。
「はい。ちょっとしたいざこざがありまして、ただいま絶賛逃亡中なのでございます。日本は教会諸勢力の影響が小さい国でありますので、上手くスケジュールを合わせて逃げこみ、現地の方々に保護してもらう予定だったのでございますが……」
「どうしたんですか?」
「思ったより早く私の足取りが見つかってしまったようで、合流場所に先回りされていたのでございます」
 それを聞いて結奈が少し考え込む。
(もしかして、さっきの監視があんなに薄かったのって、この人を探してたから?)
「ですから―――」
 結奈がそんな事を考えている間にも、シスターは言葉を続けていた。
「私が倒れたのは熱射病ではなくただの疲労ですので、水分補給などは必要ないのでございますよ?」
「全部それの前振りだったんですか!? その話はとっく終わってます!! そもそも水分補給とか一言も話題に出てませんよ!?」
 おもわず叫んでしまった結奈だったが、自分も逃亡中の身だという事を思い出して焦りながら周囲を見渡す。
 どうやら近辺には誰もいないらしく、人が近づいてくる気配はない。
(あ、危ない……)
 冷や汗をかく結奈の下で、シスターはまだ言葉を続けていた。
 先程の結奈の叫びにも、特に動じた様子は感じられない。
(なんていうか……すごいマイペースな人だよ……)
「それで―――」
 喋り続けていたシスターの言葉が突然途切れる。
 何事かと思った結奈が下を向くと、
「すぅ、すぅ……」
 今度こそシスターは意識を失っていた。碌に眠る暇も無しに準備をしていたと言っていたので、おそらくはそのせいなのだろう。
(放っておくわけには、いかない……よね。やっと成功したのになぁ……)
 はぁ、とため息をつきながら諦めの混じった表情でシスターを抱き起こす。
 そのまま背負うような体勢をとると、眠っているシスターが自分から結奈の首へ抱きついてきた。
 ちょうど良かったので、結奈はそのままシスターをおぶり、のそのそと歩きだす。
 結奈より身長が大きいために足を引きずる形となっているが、それは仕方がないと割り切ったらしい。
(さすがに……自分より大きい人をおんぶするのは、キツイ……かな)
 かといってここに置いて行くわけにもいかない。
 結奈は転ばないようにゆっくりと歩いていき、ようやく公園の出口まで辿り着いた。
 そのまま公園を出ようとした時、どこからか見られているような気配を感じた結奈は、公園を振り返る。
 その視線の先にあるのは、林の小道。結奈の視線はその中の一本の木に向けられていた。
(今、あそこに誰かいたような……)
 そこに人影があったような気がして、じっとその木を見つめていた結奈だったが、いくら見ていてもそこには誰もいない。
(気のせい……だったのかな)
 いつまでもそうしているわけにもいかないため、結奈は気のせいだったと結論づける。
 ほんの少し腑に落ちないものを感じながら、結奈は来た道を逆に辿っていった。



「それで、詳しい話を聞かせてもらえるか? あまり時間も無いだろうから、出来るだけ簡潔に頼むのよな」
 ようやく目が覚めた黒衣のシスター―――オルソラ=アクィナス―――に対し、建宮が事の次第を説明するように促す。
 オルソラはその言葉に頷くと、自分が追われている理由を語り出した。
「結論から言ってしまいますと、私が『法の書』の解読法を編み出したことが原因でございます」
 それだけで建宮達には理解できたのだろう。彼らの表情が一気に険しくなる。
 しかし、魔術側についてあまり詳しくない結奈にはどういう事かよく分からないため、隣にいた五和に小声で尋ねた。
「(ねぇ、五和さん。『法の書』って何の事ですか?)」
「(えっと……結奈さんは、魔道書の原典(オリジン)というものはご存じですか?)」
「(確か……オリジナルの魔道書の事でしたっけ? オリジナルだと魔道書自体が自動制御の魔方陣みたいになってるせいで、読み手の選別や自動防衛まで何でもして、燃やしたりする事すらできない厄介なもの……って前に聞いた事があります)」
「(そうです。そして、『法の書』の原典というのは魔道書の中でも最高クラスの術式が記されていて……それが使われれば十字教が支配する今の世界が終わりを告げる、とまで言われている魔道書なんです)」
「(じゃあ、オルソラさんはその力を狙った勢力に狙われてるってことですか?)」
「(いえ、違います。彼女を捕まえようとしているのは、彼女自身が所属していたローマ正教です)」
「(それって……?)」
「(先程も言った通り、『法の書』というのは使えば十字教の支配が終わると言われるほどのものです……それが解読されれば、『十字教の時代の終わり』が来るかもしれない。全世界に20億人以上の信徒を抱えるローマ正教にとって、それはとても都合の悪い事なんですよ)」
 そこまで聞いて、ようやく結奈にも事情が呑み込める。
 ローマ正教は、自分達に都合の悪い事を知ってしまったオルソラの口を封じるつもりなのだろう。
 自己防衛機能によって魔道書自体の処分が不可能である以上、情報の拡散を防ぐためにはそれ以外に手が無いのだから。
 同時に、結奈の中で一つの疑問が浮かび上がった。
 五和と話している内に細かい話も終わっていたので、結奈はその事について聞いてみることにする。
「オルソラさん。一つだけ、聞いてもいいですか?」
 結奈の言葉に、オルソラに加えて建宮達天草式の面々も結奈の方を向いた。
「なんでございますか?」
 変わらぬにこにこ顔でオルソラが返す。
「オルソラさんは、どうして『法の書』を解読しようと思ったんですか?」
 自身が所属するローマ正教にとって害をなしかねない魔術書を、どうして調べようと思ったのか。
 その理由を、結奈は問いかけた。
「そのことでございますか」
 オルソラは、少し真剣な表情になって言う。
「魔道書の力なんて、誰も幸せにしない。私はそう思うのでございますよ。ですから、魔道書の仕組みを調べることで、それを壊すための手段が見つけられるのではないかと考えたのでございます」
 オルソラの言葉を聞いた結奈の顔に、おもわず笑みが浮かぶ。
(助けて、あげたいな)
 純粋に他所の幸せを願うその姿を見て、結奈はそう思った。
 それは結奈だけではないのだろう。周囲にいる天草式の面々も同じような表情をしていた。
 それを見ながら、建宮が宣言する。
「我ら天草式十字凄教はこれよりオルソラ嬢の保護を行うのよな。それに伴いこの拠点は放棄、明日の夜までは身を隠しつつ『渦』の近くへ移動する。出発は一時間後だ!」
 集まっていた天草式の面々は、一斉に準備へと取り掛かったのだった。



「お前さん、これからどうするのよ?」
 オルソラを五和に任せ、てもちぶさたになっていた結奈に建宮が話しかけてくる。
「どうする……って、なんのことです?」
 建宮の真意が分からず、そのまま聞き返す結奈。
「なに、さすがの我らもお前さんを抑えながらローマ正教とやりあう余裕はないのよ。お前さんがここから離れたいってんなら、せめて安全な所まで五和に送らせようと思うのよな」
 予想外の提案に結奈がぽかんとした表情になる。今までの態度からは信じられないが、建宮は結奈を自由にすると言っているのだ。
 しばらくそのままで建宮を見つめていた結奈だったが、ようやく我に返り、
「離れないって言ったらどうなるんですか?」
 と、疑問に思った事を聞く。
 すると、建宮はにやりと顔を歪ませて答えた。
「オルソラ嬢と一緒に我らの本拠地へと来てもらうのよ。そこに着いたら、お前さんが納得するまでここ数日と同じ事を繰り返すだけよな」
 つまりは半軟禁状態に戻るという事だ。
 結奈としては、無条件で解放してくれるというのは都合の良い提案だった……つい、さっきまでなら。
「私の答えが分かってて言う辺り、ほんとに性格悪いですね」
 不機嫌そうな顔をして建宮を睨みつける結奈。
「そんな事はないのよな。それで、お前さんはどうする?」
 対する建宮は、まさしく悪役といった笑みを浮かべて楽しそうに尋ねた。
 結奈は悔しそうに、それでいてどこか嬉しそうな表情で答える。
「ついていきます。オルソラさんを連れてきたのは私ですから、最後まで責任を持ちます……これでいいんですよね!」
 建宮に当てつけるかのような言葉とは裏腹に、その声はどこか弾んでいた。



[6597] 六章 六話
Name: ヒゲ緑◆14fcd417 ID:d844114c
Date: 2009/09/19 19:51
「うぇ……またすごい匂いが……」
「すみません。もう少しの辛抱ですから」
 すさまじい臭いの中だというのに、にこやかに笑いながら五和が言う。
 こつこつと足音を響かせながら二人が歩いているのは、とある下水道の中だった。
 現在時刻は午前零時。こんな深夜に、五十人近い天草式のメンバーが同時に動けば目立ちすぎるだろう。
 それを避けるため、二~四人のグループで別々に合流地点まで進むことになっていた。
 いざとなれば無関係な被害者とする事も可能なため、結奈には五和だけがつき、他のメンバーはオルソラ側の偽装に重点を置いている。
 もともと天草式十字凄教は隠れキリシタンから生まれた宗教だ。偽装や隠密行動は最も得意とする所だった。
「さっきは聞きそびれちゃったんだですけど、具体的にはこれからどうするんですか?」
 顔をしかめた結奈が、隣を歩く五和に問いかける。
「先程教皇代理がおっしゃったように、まずはこの近くの『渦』に向かいます」
 そんな答えが返ってくるが、結奈にはそもそも『渦』が何の事かが分からない。
「五和さん。その『渦』っていうのは?」
「天草式に伝わる、特殊な移動術式が使える場所のことです。日本中に四十七ヶ所あるその『渦』の間を自由に行き来する事が出来る―――そんな『地図の魔術』があるんですよ」
 それを聞いて納得の表情を浮かべた結奈だったが、何か疑問に思ったらしく、再び五和へと質問をする。
「それじゃあ、そこに着いたらすぐに安全な所に?」
 しかし、五和はゆっくりと首を横に振って言った。
「いえ、そうもいかないんです。その移動術式は『星の動き』が大きく影響してくるもので……使用できるのは、日付が変わった直後の五分ほど。今日はもう間に合いませんから、明日の午前零時までは逃げ切る必要があります」
 申し訳なさそうな表情で説明する五和。
 それっきり会話も途切れ、二人は黙々と歩き続ける。
 それから三十分ほど進んだ先。壁に設けられた梯子の前で、ようやく五和が口を開いた。
「ここから地上に戻って、一度他の人たちと合流します。とりあえずオルソラさんを休ませないといけませんから、ここでしばらく休憩ですね」
 オルソラは天草式と合流する前に一度倒れているため、移動は出来る限りゆっくりと行うことになっていた。
 そもそも今回は目的の時間に目的の場所にいることが重要であるため、早く着きすぎて一か所に留まり続けるのも逆に危険なのだ。
「やっとここから出られる……」
 すんすんと鼻を鳴らし、服に臭いが移っていないかを確かめながら呟いた結奈に対し、五和が無情な宣告をする。
「あの、移動する時はまた下水道を通る予定なんですけど……」
「え゛……」
 先程までの道のりを思い出し、結奈は頬を引きつらせていた。



 それから何度か休憩を挿んで移動し、結奈達はようやく目的地の近くまで到着する。
 時刻は午後五時。奇しくもそこは、結奈が逃げ出してきた学園都市から僅か五キロメートル程の場所だった。
「結局戻ってきちゃったな……」
 使われていないビルの屋上。出入り口横の段差に腰掛けて空を見上げながら、結奈は思わずため息をつく。
 学園都市にいる人達から離れたくて逃げたのに、それを為すために再び学園都市に近づいていく、というのはどういう事だろうか。
「中に入るわけじゃないから、大丈夫だよね……」
 一抹の不安を感じるが、自分が連れてきたオルソラを放って逃げる気にはなれず……後はもう、流れに身を任せるしかない。
 そんな事を一人で考えていると、後ろから結奈に声が掛けられた。
「よろしいでございますか?」
 振り向いた先にいたのはにこにこと微笑むオルソラだった。ずっとついていた建宮達の姿は見えない。
 おそらくは、五和と同じ様にこれからの準備でもしているのだろう。
「大丈夫ですよ。私には特にする事もありませんから」
 少しだけ笑みを浮かべて答える結奈。
 それを聞いたオルソラが、結奈の隣へとそっと腰掛ける。
 そして、少しだけ引き締めた表情で言葉を紡いだ。
「ここに来るまでに、天草式の方からあなた様の事を少しお聞きしたのでございますよ。それで……お尋ねしたい事があるのでございます」
 オルソラの変化を見て、結奈も真剣な表情をつくる。
「あなた様は、あの方達をどう思っていらっしゃるのでございますか?」
 その言葉を聞いて、結奈は何となくオルソラが言いたい事を理解した。
 ここ数日に天草式が結奈に行っていた事は、何も知らない第三者からすれば軟禁そのものだ。
 結奈自身はそうは思ってはいないし、彼らに感謝もしている。
 しかし、話を聞いたオルソラには、それがただの善意では無く、結奈の能力を得るために行っていたのではないかと、そう考えてしまったのだろう。
「私は、あの人達は純粋に助けようとしてくれてると思ってる……オルソラさんは、天草式の人達を信じられなくなった?」
 その問い掛けに、オルソラがハッとした顔をする。
「そんなことは……いえ、そうでございますね。あなた様の言う通りでございます。私は、あの方達が『法の書』の力を求めて私を保護したのではないかと……心のどこかで、そう、思ってしまっているのでございます」
 紡ぎだす自らの言葉に傷つけられたように顔を歪め、オルソラが顔を俯かせる。
 信じたいのに、信じられない。それはきっと、結奈が上条達に抱いている思いと同じだったのだろう。
「差しのべられたその手さえ疑ってしまう……なんて浅ましい考えでございましょうか」
 ぽつりと呟いたその色には、色濃い苦悩が滲み出ていた。
 訪れる沈黙。数分の間続いたそれを破るようにして、結奈がオルソラへと尋ねる。
「オルソラさんは、どうしてその事を私に話してくれたの?」
 オルソラは、ゆっくりと顔を上げ、結奈に向き合うようにして答えた。
「……私と会ったあの時、あなた様はあの方達から逃げていたのでございましょう? それも、完全に追跡をかわす事に成功して……後はあの場所を離れるだけだった」
 オルソラは、じっと結奈の目を見つめながら続ける。
「あなた様は何も知らず、何の関係も無かった私を助けるために、自分が逃げる機会を棒に振ってくださったのでございます。そんな方までを疑ってしまっては、私はいったい誰を信じられるというのでございましょう」
 信じる事に怯え、それでも、たったひとつでも信じ続けると決めたオルソラの言葉が、結奈の胸に突き刺さる。
(……少しだけ、羨ましいかな)
 大切な人を信じられなかった、信じられていない自分。そんな自分が、情けなく思えた。
「そっか……ありがとう、オルソラさん」
 それでも、向けられた好意は心地よかった。結奈は嬉しそうに頬を綻ばし、そう答える。
 そして、自分を見るオルソラの瞳を見つめ返しながら、結奈は言った。
「オルソラさんは、どうしたいの? 多分、それが一番大事なんだと思う」
 このまま無理にでもオルソラを連れていくのが、彼女の安全を考えるなら一番なのだろう。
 それでも、結奈はそうする気にはなれなかった。
 そんな事をすれば、オルソラは必ず後悔する。そして、今度は疑う事に怯えてしまうだろう。
 そんな気がしたから、結奈はそう問い掛けた。どんな結果になったとしても、後悔はしないように。
(私の取り越し苦労かもしれないけどね)
 結奈の言葉を聞いて一瞬驚いた顔をしてオルソラだったが、その思いが伝わったのか、すぐにいつもの微笑みを浮かべて返してくる。
「……私はまだ、どうしてもあの方達を信じ切れていないのでございます。ですから、なんとかここを離れて学園都市に逃げ込もうと思っているのでございますよ。それが駄目なら、イギリス清教にも連絡する手段を考えてみるのでございますよ?」
 先程までとは違う、緊張感の無いぽわぽわした表情。その中にも、決意が見えた。
「だったら、あっちの非常階段の方から降りていけばいいと思うよ。今はそっちに誰もいないから」
 そう伝えながら、スカートのポケットに手を入れる。取り出したのはペンとメモ帳。
 メモの一枚を破り、地面に置いて何かを書き込んでいく。
「学園都市に着いて、それでも駄目だったら、ここに書いてある人に会いに行けばいいよ。イギリス清教の知り合いもいるし、きっと力になってくれるから」
 そう話しながら、書き終えたメモをオルソラへと手渡す。
「ありがとうございます」
 メモを受け取ったオルソラは大きく頭を下げた後、非常階段へ向かって歩いていった。
 非常階段を降りていくオルソラを見送った結奈は、唐突に後ろへと声をかける。
「それで、どうするんですか? 建宮さん」
「お前さんは気づいてたか。まあ当たり前っちゃ当たり前なのよな」
 その声に従うように、屋上への出入り口から苦笑を浮かべた建宮が姿を現した。
「立ち聞きなんて趣味が悪いですね」
 秘密の話を盗み聞きしていたのだ、結奈の態度も少々刺々しいものになっている。
「我らがお前さん達からそう離れるわけにはいないのよ。それ位は大目に見て欲しいわな」
 おどけた様に返してくる建宮だったが、突然声音が真剣なものに変わった。
「お前さんの言う通り、責任感の強いオルソラ嬢を今のまま連れて行くと潰れかねないのよな。我らとしてもそれは望むところではないのよ。それをどうにかする考えがあるなら、協力は惜しむつもりもない……一応聞いておくが、勝算はどのくらいある?」
「そんなの分かりませんよ。ただ、あの人なら何とかしてくれる。そう思ってます」
 信頼を感じさせるその声に納得したのか、建宮もそれ以上は特に聞いてはこなかった。
 少しして、建宮が今後の方針を結奈に伝える。
「とりあえず、オルソラ嬢には何人か陰から護衛をさせておくのよな。残りはローマ正教の陽動を行う。お前さんには引き続き五和と一緒に逃げ回ってもらうのよ」
「……私が戦闘に巻き込まれた時は、出来るだけ近づかないように戦って下さい。何かあってからじゃ遅いんですから」
 少しだけ暗い雰囲気をかもしながら結奈が言う。
「わかってるのよな。我らとしては特に気にする事も無いが、お前さんにとって重要なら、無理にとは言わんのよ」
 結奈とは逆に笑いながら応じる建宮。
「ただ、オルソラ嬢の方もそうだが、命に関わる事態なら遠慮する気は無いのよ。それは理解しておいて欲しいのよな」
「……分かってます」
 そう答えながら、屋上の端へと歩いていく。
 張り巡らされたフェンス越しに見下ろすと、ちょうどオルソラが路地裏を駆けていくのが見えた。
(また、迷惑かけちゃったかな……)
 学園都市へと向かうオルソラを見るその表情からは、僅かな苦悩と、羨望が覗いていた。



[6597] 六章 七話
Name: ヒゲ緑◆14fcd417 ID:d844114c
Date: 2009/10/11 21:13
 オルソラが学園都市へと向かうのを見送った後、天草式も行動を開始する。
 目的が陽動である以上、やる事はいたってシンプルだ。
 これまでに掴んでいたローマ正教の本隊の位置を考慮に入れ、そこからの救援が間に合わないギリギリの位置へとメンバーの大部分を配置。
 そこでわざと姿を見せることで敵の目を引き付け、学園都市に向かうオルソラに気付かないように誘導する。
 自分達の現在地を教える危険な手ではあるが、周辺二〇キロまでに斥候が散らばっているこの状況では背に腹は代えられなかった。
 放っておけば、オルソラは確実にその索敵網にかかってしまうだろうから。



「なのに、私は離れた所で隠れてるだけ……」
「す、すみません……ただ、本来無関係な結奈さんにそこまでさせるのは、私達としても本意じゃないんです」
 下水道の中、結奈は俯いて壁にのの字を書いていた。隣では五和が何とかフォローしようと話しかけている。
 結奈がいるのは、天草式本隊から五キロほど離れた場所だ。
 オルソラを連れてきた義務感もあり、手伝いたいと言った結奈だったが、逃げる際に足手まといになると言われて置いていかれてしまったのだった。
「それに、いくら能力があるといっても普通の武器を使われたら対処できませんから」
「それは分かってますけど……」
 五和の言う通り、問題は捕獲部隊のシスター達が武装している事にある。
 魔術に関しては『人形使い(パペットマスター)』の能力で対処出来たとしても、直接武器で襲われれば何の意味も無いからだ。
(はぁ……。結局、何も出来ないんだよね……)
 ため息とともに考える。素人がどうこう出来るものでは無いと分かっていても、無力感が無くなるわけではない。
 ちょうどその時、苦笑いを浮かべていた五和へと魔術が届いたのを結奈は感じた。
 通信用の術式だったので、おそらくは建宮達からの連絡だろうと推測する。
 案の定、誰かと会話するようにぼそぼそと呟きだした五和だったが、その顔が徐々に強張っていく。
(何かあったのかな)
 五和の変化を見てそう考える。彼女の表情を見るに、良い知らせではなさそうだが。
 二、三分程して、話が終わったらしい五和が結奈へと声を掛ける。
「結奈さん、少し状況が変わりました」
 そう前置きして、説明を始める五和。
「イギリス清教から派遣された魔術師がローマ正教側に協力をしているそうです。それだけなら予想はしていましたし、大きな問題でも無かったんですが……その魔術師がローマ正教の部隊長と会談をしている現場に、イギリス清教の人間がいると聞いて来たオルソラさんが鉢合わせてしまったらしくて―――」
「そ、それって大丈夫なんですか!?」
 思った以上の悪い事態に、青ざめた顔で結奈が問いただす。
「あの、落ち着いてください結奈さん。捕まる前に保護したそうですから、最悪の事態にはなっていません」
 その言葉にほっと息をつく結奈。それを見ながら、五和が続ける。
「ただ、これでオルソラさんの位置がかなり絞られてしまって、一気に包囲網が狭められると思います。そうなるとこの辺りは逆に危険になりますから、私達は先に包囲網の中にある唯一の渦の近くまで行って待機します」
 そこまで言うと、五和は先導するように歩き出した。
 結奈としても特に異論はないため、そのまま後を追っていく。
 そうしてしばらく歩いた所で、結奈がふと思い出したように五和へと声をかけた。
「そういえば、イギリス清教の魔術師ってどんな人だったんですか?」
 とりあえず相手の容姿位は知っておいたほうが良いだろうと思い、そう聞いた結奈だったが、返ってきた答えは予想外のものだった。
「私も聞いただけですけど……確か、肩くらいの赤髪に黒い神父服を着た大柄な男と長い銀髪に白い修道服を着た小柄な少女。それと教皇代理のような髪形をした黒髪で学生服の少年、らしいですよ」
「え……?」
 ドクン、と結奈の胸が強く波打つ。
 五和から教えられたのは、何処かで聞いたような特徴の人物達。
(学園都市の近くでイギリス清教の魔術師。もしかしたら……)
 その考えを打ち消そうと、結奈は強く首を横に振る。
(そんなはず、ないよね。ここは学園都市の外なんだから)
 学園都市に入る前にオルソラが見つかった以上、上条との接点は何もないはず。
 そう思ってはいても、上条のトラブル体質にそんな常識が通じない事も理解していた。
 実際、つい一〇日程前にも『一方通行(アクセラレータ)が倒された混乱を治めるため』などというありえないような理由で学園都市からの外出許可が出されている。
 だから結奈は、今回も同じ様に外に出てきていたら、と考えてしまう。
 そのたびに、結奈の心臓の鼓動は速まっていった。
 同時に押し寄せてくるのは、心の片隅へと追いやっていた恐怖。
(土御門がいるんだから、全部聞いてるよね……きっと)
 土御門はシェリーと同じイギリス清教の一員で、その上情報を扱う仕事をしているのだ。
 あの事件から一週間たった今なら、間違いなく結奈の能力について掴んでいる。
 そして、それがよほどの機密扱いにでもなっていない限りは上条へと伝えるだろう。
 目的のためならいくらでも嘘をつくが、それに反しない限りは友情に厚い性格なのだ。あの義妹好きの変態は。
(上条くんは、なんて思ったかな……)
 そこにいるだけで周囲の幸せを喰らってゆく自分。それを知って、一体何を思ったのか。
 その答えを知るのが怖い。取り越し苦労だと分かってはいても、それを確かめる勇気は持てなかった。
「どうしたんですか? 結奈さん」
 急に首を振り、俯き黙り込んでしまった結奈に心配そうな声が掛けられる。
「な、なんでもありません。早く行きましょう」
 我に返った結奈が慌ててそう返すと、五和は苦笑を浮かべたまま、それ以上何も聞いてはこなかった。
(もし、上条くんがいたら……)
 再会によって向けられる言葉への、大きな恐怖とわずかな期待を胸に抱いて、結奈は無言で五和の後を追っていった。



 それから数時間後、結奈と天草式は特殊移動魔術『縮図巡礼』の『渦』へと集結していた。
 そこは『パラレルスウィーツパーク』という大規模な菓子専門のテーマパーク。
 本来なら多数の菓子店を訪れる客やイベントで賑わっているその場所も、もうすぐ日付が変わる時刻では照明も落とされ、辺りは闇と静寂に包まれていた。
 その中で動き回っているのは、『縮図巡礼』の準備をしている天草式の面々だ。
 魔術の準備といっても、行っているのはごくごく普通の動きである。
 食事をしていたり、本を読んでいたり、世間話をしていたり……その服装も目立つようなものではなく、これが日中なら違和感なく周りに溶け込んでいるだろう。
 これらの普通の行動の中に魔術的な意味を含ませ、多数の行動を組み合わせて一つの魔術とするのが天草式十字凄教の魔術様式だった。
 結奈の目の前でも、対馬や牛深などの知った顔が世間話をしている。
 建宮はここに来てから一度も見かけていなかったが、五和に聞いてみると、オルソラの方で何かする事があるらしい。
 そうして準備が終わり、人払いと刷り込みの魔術のかかった園内で残り三〇分ほどを待つだけとなったその時。
 世間話の小さな声だけが響いていたそこに、突如として爆音が鳴り響いた。
「なに!?」
 慌てて結奈が音の方向に目を向けると、そこには轟々と燃え上がる巨大な火柱。
 方向からすると、一般出入り口の辺りだろう。
「来ました! やっぱりそう簡単には行かせてくれませんね」
 そう言いながら、五和はバッグから何かを取り出し素早く組み立て始める。
 五本の短い棒を接続部(アタッチメント)で固定し、その先に刃の部分を装着……出来上がったのは、一本の海軍用船上槍(フリウリスピア)。
 周囲を見渡すと、いつの間にか他のメンバーもそれぞれの武器を手にしていた。
「五和、あなたはその娘を連れて職員用出口の方へ行きなさい。分かってるわね? どんな状況でも、あなたたちは自分の安全確保が最優先よ」
 対馬の指示を残し、彼らはそのまま爆発の起こった方向へと走っていく。
「行きましょう、結奈さん」
 走り始めた五和の声に従い、結奈も後を追っていった。



 互いに周囲を警戒しながら、二人は慎重に職員用出口へと向かっていた。
 聞こえてくる怒号や爆発音はほど遠く、こちら側では特に戦闘は起こっていないようだ。
 五和に届いた連絡によると、ローマ正教側が包囲を維持したままで動かせるであろうギリギリの数があちらで確認されているらしい。
 そのため、こちら側に残っているのは結奈達を除いてわずか六人。その六人も、基本的に二人とは別行動だった。
「実は包囲網を薄くしてて、あっちが陽動の可能性とかはないんですか?」
「それは無いと思います。直前まで特におかしな動きも見られませんでしたし。それに、これだけ捕捉に手間取ったんですから、『渦』を使わずに逃げようとする場合を考えて保険は残しておくでしょうね」
「え? でも、向こうが『渦』の事を知ってるとは限らないんじゃ……」
「いえ、ローマ正教側は『渦』の事を考慮に入れて行動を起こしています。もし知らないのなら、全体の四分の一ほどしか動かせないこの状況で無理に襲撃する理由がありません。もっと包囲網を縮めて、人員の密度を上げた方が突破もされにくいですから」
 五和の説明に納得して首を縦に振る結奈。その頭にはいつもつけているリボンは無い。
 さすがにあれは目立ちすぎるので、今はポケットの中で折り畳まれていた。
「こちらに回されていたとしても、多くて一〇人……おそらくは、片手で足りる位の数だと思います。術式を阻止するのが目的の部隊でしょうから」
 最後にそう付け足した所で、五和の様子が変わる。建宮からの連絡用の魔術が届いたようだ。
「建宮さんからはなんて?」
 結奈が聞くと、五和は非常に申し訳なさそうな表情で答えた。
「あの、言いにくいんですが……襲撃の混乱に紛れて、オルソラさんが逃げ出したそうです。それで、私達もこちら側の捜索をして欲しい、と」
「……うわぁ」
 それを聞いて結奈も頭を抱える。
 どうやら最初の襲撃が、運悪く建宮達の隠れていた場所の近くに行われたらしい。
 その時の魔術の影響で足を縛っていた縄が解け、そのまま逃げられてしまった……ということだった。
「そもそも縛ってたのも初耳だよ……」
「す、すみません。拘束を解こうとするだろうから、結奈さんには伝えないように教皇代理から言われていたんです」
 思わず零した結奈の一言に、ますます萎縮してしまう五和。
 建宮が姿を現さなかったのも、それが理由だったのだろう。
「いえ、五和さんが悪いわけじゃないですから。気にしないで下さい」
 オルソラの信頼度は右肩下がりだろうが、それが一番安全だったのも分かっているので何も言えない。
 本日何度目かもわからないため息をつきながら、五和と並んで歩き出す。
 そのまま角を曲がった直後、向かおうとしていたその先から小さな爆音が鳴り響いた。
 音はその一度だけで途切れ、今度は結奈の耳に聞きなれた声が飛び込んでくる。
「とうま!!」
 思わず、その声の方向へと視線を向けた。
「あ……」
 その視線の先、五〇メートルほど離れた場所に居たのは、結奈に背を向けて走っていく白い修道服を着た小柄なシスター―――インデックス―――と、それを追おうとする赤髪黒服の大柄な神父―――ステイル=マグヌス―――だった。



[6597] 六章 八話
Name: ヒゲ緑◆14fcd417 ID:d844114c
Date: 2009/10/21 09:26
。 結奈が呆然と見つめるその先には、走り去ろうとするインデックスの後ろ姿があった。
 彼女は結奈達には気づいていない様子で、一直線に駆けていく。
 呼び止める声は出ない。そうしようとも思っていない。
 それなのに、結奈は離れていくその背中に幼い頃の友達の陰を重ねて、『寂しい』と感じてしまっていた。
 インデックスはそのまま結奈に気づくこと無く、店同士の隙間へと消えていく。
「あ……」
 僅かに、ほんの僅かに声が漏れた。
 その小さな声が聞こえたのか、それとも足元に倒れる天草式の少女達に止めを刺そうと思い直したのか―――インデックスを追って隙間へと入ろうとしていたステイルが足を止め、振り返る。
 その視線が、結奈を捉えた。
 ステイルの顔に驚きが浮かび―――すぐにそれまでと同じ、険しい表情へと戻る。
 その変化を怪訝に思い、周囲に視線を巡らせた所でようやく気付いた。隣にいたはずの五和がいつの間にかいなくなっていることに。
(五和さんは!?)
 結奈が慌ててステイルの方へと視線を戻すと、五和はすでにそこにいた。
 インデックスに気を取られていた結奈は気づかなかったが、おそらくは移動の魔術を使ったのだろう。
「はっ!」
 移動の勢いを乗せ、五和が海軍用船上槍(フリウリスピア)を突き出し―――
「だめっ!! 五和さん!!」
 しかし、直前で放たれた結奈の叫びがそれを制止する。
 五和の槍はステイルに当たる寸前でその動きを止め……同時に、彼女を焼き尽くそうと振るわれた炎剣も動きを止めた。
 一瞬の硬直の後、五和が槍を下ろす。それを見てこれ以上の戦意は無いと判断したのか、ステイルも炎剣を掻き消した。
「ステイルさん、私達はあなたと戦う気はないの。だから、インデックスの所に行ってあげて」
 数秒の睨みあいの後、ようやく追いついた結奈が五和の後方へと向かって声を掛ける。
 直後、五和の前にいるステイルの姿がゆらりと虚空に消え、結奈の声の先にその姿が再び現れた。
「蜃気楼……!?」
「言われなくてもそのつもりだよ。元々邪魔をしたのは君達だしね」
 驚く五和には構わずそれだけを言うと、ステイルはすぐにインデックスが向かった道へと走り出す。
「そうそう、一つだけ言い忘れた事があったよ」
 途中、一度だけステイルが振り返り、告げた。
「このまま逃げ続けてあの子に負担を掛けるつもりなら、次に会った時には僕が殺す。結果が出てしまえば諦めもつくだろうしね」
 その声に込められた殺意に、結奈の背筋が震え、隣にいた五和が思わず槍を構え直した。
 二人の様子を気にも留めず、ステイルはその場を離れていく。
 後に残ったのは、無言で佇む結奈と、地面に倒れ伏す意識の無い少女達。
 ようやく警戒を解いた五和は、倒れる仲間達へと駆け寄っていった。



 意識を取り戻した少女達と別れ、改めて結奈はオルソラの捜索を始めた。
 先程のような不意の遭遇を避けるため、これまで以上に警戒して園内を回っていく。
 ステイルの事については、五和は特に追求してはこなかった。
 気にはなっているようだったが、あまり立ち入るべきではないと判断してくれたらしい。
 その気遣いに感謝しながら、慎重に捜索を続ける結奈。
 しかし、いくら回っても一向にオルソラが見つかる気配は無かった。
「いませんね、オルソラさん」
 パラレルスウィーツパークの外れにある小道を歩きながら、結奈が焦ったように呟く。
 他の捜索メンバーからも吉報は無く、時間だけが過ぎ去っていた。
 日付が変わるまではもう一〇分も無い。このままオルソラが見つからなければ、最悪の事態にもなり得るだろう。
「これだけ広い場所ですから、仕方ないでしょうね」
 答える五和の表情にも、若干の焦りが伺えた。
 もしもオルソラを発見できなければ、天草式は『渦』を使えない……いや、使わないだろう。
 彼女をここに残していけば、間違いなくローマ正教の部隊に捕縛されてしまう。
 天草式だけで一度逃げて体勢を立て直そうにも、次に『渦』が使えるのは二四時間後。
 それだけの時間があれば、オルソラを日本国外まで連れ出すのは容易だろう。
 かといって、一度逃げた後に『渦』を使わずここに戻ってくる、というのも無理があった。
 特殊移動術式では、どの『渦』へと繋げるかは準備の段階で決まってしまうからだ。
 かなり離れた場所に繋いだこの『渦』を使ってしまえば、通常の交通手段でも戻ってこれるのは明日の夜以降。
 どちらにしろ、間に合わない事に変わりはない。
 オルソラを助けるためには、退く事すら出来ない。そんなギリギリの状況だった。
 じりじりとした焦燥感に焙られながら、静かな小道を歩いていく。聞こえるのは葉の擦れる音だけ。
 会話が無くなったことで生まれた静寂に、五和がハッと何かに気づいた様子で周囲を探る。
「……まさか」
 一言呟いて通信用の魔術を展開する五和。
 その様子を見て、結奈もようやく周囲の不自然さに気づく。
(なんで、こんなに静かなの?)
 そう、ほんの数分前までは、遠くから小さな爆音や怒号が聞こえていたはず。なのに、今ではその全てが途切れていた。
 結奈がその疑問を尋ねる前に、通信が終わった五和が口を開く。
「すみません……周辺にばかり意識が向いて、全体の把握を疎かにしていました」
 右手でぎゅっとを槍を握りしめながら、悔しそうに言う。
 その様子から、少なくとも好ましい状況ではない事が結奈にも理解出来た。
「……先程会ったイギリス清教の魔術師達によって教皇代理が捕縛され、均衡が一気に崩れてしまったそうです。捜索に当たっていた部隊も、大部分がその魔術師達に各個撃破されてしまっていたらしくて……オルソラさんも、すでに捕まっている、と」
「な、なんでその連絡が無かったんですか!?」
 ほぼ最悪といってもいい状況に、結奈が血相を変えて五和の言葉に喰らいつく。
 放っておけば、今すぐにでもオルソラを助けに走り出しそうな剣幕だった。
 五和は俯き右手を震わせながら、感情を押し殺した声で淡々と説明を続ける。
「多分……結奈さんの安全を優先したんだと思います。ローマ正教側はオルソラさんを捕まえた時点で撤退準備を始め、正面出入り口に集合をかけたそうですから……私達に任された捜索範囲なら、助けに行こうとしない限りはまず捕捉されません」
 その姿を見て、頭に昇りかけた血が鎮められていった。
(落ち着きなさい私。助けに行きたいのは五和さんだって同じはずなんだから)
 そう思い直し、一つ深呼吸。ゆっくりと吐き出される息と共に、焦りを頭から追い出していく。
 最後に両手を頬へと持っていき、パチン、と軽く叩いた。
「五和さん、どうやってみんなを助けるんですか」
 幾分か落ち着いた様子で、そう問いかける結奈。
 突然自分の頬を叩き出した結奈に呆気にとられていた五和だったが、その言葉を聞いてすぐに我に返る。
「それは―――」
 五和が何かを言いかけたその時。
 どこか遠くで、絶叫がこだました。
「なにっ!?」
 人間が出すモノとはあまりにもかけ離れた、おそらくは女のモノであろう声。
 その声に乗せられているのは、恐怖、絶望、苦痛、拒絶。強烈な、生々しい負の感情。
 それは、二度三度と広い園内に響きわたった。
「ま……さか」
 悲鳴を上げる、女。それが意味することは明白だった。
(駄目! 今飛び出していったって、捕まって余計に手間をかけるだけ……)
 歯を喰いしばり、駆け出しそうな体を必死に押し留める。
 強く握りこんだ両手の爪は掌へと喰い込み、小さな痛みを伝えていた。
 隣では、五和が左手で右手首を掴み、抑えつける様にして俯いている。
 響き続ける絶叫の中で、二人はただそうして耐え続けていた。



 何度も繰り返された絶叫が、ようやく終わりを迎える。
 無限にも感じたその僅かな時間は、結奈に一つの決意を生み出していた。
「五和さん」
 それを、隣に佇む少女へと伝える。
「私も、戦います。みんなを助けるために」
 オルソラを連れてきた責任をとると言いながら、結局守られていただけだった自分が嫌になったから。
「……いいんですか?」
 五和も気づいているのだろう、イギリス清教の魔術師達が結奈の知り合いで……彼らからこそ離れたかったのだという事に。
「はい」
 上条達に会うのは、怖かった。今だって、絶対に見つからない場所に逃げてしまいたいと思っている。
 けれど、それを理由にして天草式の人達やオルソラを見捨てる事だけはしたくなかった。
 そんな想いが通じたのか、五和が微笑みを浮かべる。
「わかりました。結奈さんには私のフォローをお願いします」
 そう言って、右手を差し出す五和。
 結奈は、その手をぎゅっと握りしめた。



 ローマ正教部隊がいなくなった後、結奈達はパラレルスウィーツパークから離れ、連行されたオルソラ達を追った。
 その途中で他に逃げ延びた天草式のメンバー数人と合流し、現在はオルソラ達が捕まっている建築中の教会に潜んでいた。
 教会の中と言っても、同じ建物の中にいるわけではない。
 この教会は並みの学校の体育館を四つも五つも並べられる程の広い敷地を持ち、七つの聖堂が配置されている。
 工事は半ばではあるが、それぞれの聖堂もある程度は形になっているために隠れる所はいくつもあり、その内の一つに結奈達は身を隠していた。
 工事中であったことが幸いして、侵入者対策の結界はオルソラが捕まっている『婚姻聖堂』と天草式の面々が捕まっている『堅信聖堂』にしか張られていなかったため、ここまでは特に問題なく侵入出来ている。
 オルソラや天草式の面々の処刑も行われてはいないようで、一安心といったところだった。
 五和によると、ローマ正教の教えとして『神の教えを信じる者を殺めてはならない』というものがあるらしい。
 そのため、オルソラの処刑を行うためにはいくつかの手順を踏んで彼女を『神の敵』として認定する必要があり、その準備に少なくとも数日はかかるそうだ。
 捕縛した天草式の面々も、それのリアリティを増すための小道具として利用する腹積もりなようで、少なくとも命の心配はしなくてもいいとの事だった。
 ただし、『死ななければなにをしても良い』という状況である事に変わりは無い。パラレルスウィーツパークでの悲鳴がいい例だろう。
 だからこそ、行動は出来るだけ早く行うべきだった。心情的な意味でも、天草式の戦力的な意味でも。



 時刻は午前一時過ぎ。
 すでに天草式の解放準備は整っている。あとは機会を待つだけだ。
 つい先程合流した建宮からはイギリス清教側の説得に成功した事も聞いており、そちらのタイミングに合わせて行動を起こす事になっていた。
 そうして結奈が行動開始を待っていた時。
 突然、ぞくり、と背筋が震えるような感覚に襲われた。
 どこからかじっとこちらを見られているような、そんな感覚。
(なに……これ)
 オルソラを背負って帰った時にも、同じ様な視線を感じた事を思い出す。
 あの時と違うのは、ステイルから感じたものと同じ、殺意のようなものを孕んでいる事だった。
 思わず辺りを見回す結奈。
 しかし、周りにいるのは天草式の面々だけだ。それ以外には誰もいない。
 そうするうちに、その視線も感じられなくなった。
(気のせい、だったの……?)
 いくら考えても、答えは出ない。
 そして、考える時間も、もう残ってはいなかった。
 バン、と何かの砕ける音が『婚姻聖堂』の方向から聞こえる。
 おそらくは、強引に結界が破られた音だろう。
 それは、戦いの始まりの合図であると同時に、
(そんな事を出来るのは、上条くんしかいないよね……)
 誰よりも会いたくて、会いたくないその人が、そこにいる証だった。



[6597] 六章 九話
Name: ヒゲ緑◆14fcd417 ID:d844114c
Date: 2009/10/11 20:55
『婚姻聖堂』の結界が破壊される音を合図に、結奈と天草式も行動を開始する。
 方法はいたって単純なもので、正面からの力押しだ。
 元々この教会を拠点とする気は無かったのだろう。『堅信聖堂』に張られた結界は中の天草式を逃がさないためのものであり、外からの攻撃に耐えるものではなかった。
 周囲を見張るシスターも十人程度しかいない。彼女らにとって天草式はあくまでもおまけであり、オルソラの確保が最優先ということらしい。
 おそらく、万が一襲撃があってもその十人程で耐え、その間に援軍を呼ぶ算段だったのだろう。
 すぐ近くに居る本隊が強力な結界によって奇襲を受ける心配が無い以上、よほど圧倒的な戦力を持ってこない限りは時間を稼ぐことはできるはずだから。
 本来ならばその通りだったのだろう。しかし、ここにはローマ正教側が考えもしないイレギュラーが存在した。
 それが魔術であるならば、どんな強固な結界であろうと一瞬で破壊する『幻想殺し(イマジンブレイカー)』という掟破りの力が。
 破られるはずの無い結界が破られたというその事実は、『堅信聖堂』を監視していたシスター達に大きな動揺をもたらす。
 シスター全員の意識は『婚姻聖堂』へと集中し、周囲への警戒が完全に疎かになっていた。
 人数ではほぼ互角、個々の戦闘能力では天草式に軍配が上がるこの状況でそれだけの隙を晒せば、勝負がつくのはあっという間だった。
 僅か一分ほどで監視のシスターを気絶させた結奈達は『堅信聖堂』の結界を強引に破り、拘束された天草式のメンバーの解放に成功する。
 全員の無事を確認すると、結奈達はすぐに『婚姻聖堂』へと移動した。
 向かうのは正面の扉では無く、側面にある壁の外。
 奇襲によって少しでも敵本隊の動揺を誘うために、壁の破壊という手段を選んだのだった。



「何をすべきか、だと? なめやがって、助けるに決まってんだろうが!!」
 真っ先に外壁に辿り着いた結奈が聞いたのは、『婚姻聖堂』の中から響いた上条の怒号だった。
(上条くん……)
 一週間ぶりに聞いた上条の声が、結奈の心を揺さぶっていく。固めたはずの決意がぐらついていくように感じられた。
(余計な事は考えるな新城結奈! 今考えるのはオルソラさんを助ける事だけ!!)
 その弱気を心の中で一喝し、結奈は突入のタイミングをじっと待つ。
「おも、しろい、ですよ。あなた」
 怒りを押し殺したような震える少女の声が聞こえてくる。おそらくは、この声の主がシスター達のリーダーなのだろう。
「二〇〇人以上を相手に、この状況で、あなた一人に何がどこまでできんのか! 見せてもらうとしましょうか! ははっ、この数の差なら六〇秒で挽肉になっちまうと思いますがね!」
 その声に合わせる様に、シスター達が武器を構える無数の金属音が壁の向こうで響く。
 息をのむ結奈。まだなのかと建宮に目配せをしようとしたその時、教会の中からステイルの声が聞こえた。
「まったく、勝手に始めないで欲しいね。せっかく結界の穴からうまく侵入できたというのに。せめて十分にルーンを配置する時間ぐらいは用意させておいてもらいたかったんだけど」
「は……?」
 それに続いて生まれた爆音が少女の疑問の声を吹き飛ばし、周囲の暗闇がオレンジ色の閃光に薙ぎ払われる。
「……す、ている?」
「後の始末は僕ら魔術師が着ける気でいたから素人には引っ込んでいてもらう予定だったんだけどね。あれだけのウソ説明ウソ説得が全部台無しだ」
 呆然とした上条の声に答えるように、ステイルが言葉を紡いでいく。
 それを、狼狽した声が遮った。
「イギ、リス清教? 馬鹿な……これはローマ正教内だけの問題なんですよ! あなたが関わるというなら、それは内政干渉とみなされちまうのが分かんないんですか!?」
「ああ、残念ながらそれは適応されない。オルソラ=アクィナスの胸を見ろ。そこにイギリス清教の十字架が掛けられているのが分かるな? そう、そこの素人が不用意に預けてしまった十字架さ」
 どこか楽しそうな声で、ステイルは話し続ける。
「それを誰かに掛けてもらう行為は、そのままイギリス清教の庇護を得る―――つまり洗礼を受けて僕達の一員になる事を意味している。その十字はウチの最大教主(アークビショップ)が直々に用意した一品さ。僕の手でオルソラの首に掛けろとの命も下っている。……僕の中では優先順位の低い指示だったから途中からは後回しにして、そっちの男に渡してしまったがね。そこの素人が君達に捕まった際、『イギリス清教という巨大な組織の下にいる人間』だと思わせておけば少しは何らかの保険になるんじゃないかなと考えた訳だが……何がどう転がったのか、今ではちゃんとオルソラの首にある。つまり、今のオルソラ=アクィナスはローマ正教ではなく、僕達イギリス清教のメンバーであるという訳さ……分かったかい? アニェーゼ=サンクティス」
 くっくっく、と含み笑いをしながら、屁理屈と言っても良い強引な理論を繰り出すステイル。
「そ、そんな詭弁が通じるとでも思ってんですか!?」
「思っちゃいないね。きちんとイギリス清教の教会の中で、イギリス清教の神父の手で、イギリス清教の様式に則って行われたものでもないし。……だが、今のオルソラがとてもデリケートな位置に立っているのは間違いないだろう? ローマ正教徒のくせにイギリス清教の十字架を受け、しかもそれをやったのは科学サイドの学園都市の人間なんだ。彼女が今、どこの勢力に所属していると判断すべきか、ここは時間をかけて審議すべきだと僕は思う。君達ローマ正教の一存のみで審問にかけるというなら、イギリス清教はこれを黙って見過ごすわけにはいかないんだよ」
 すとん、と着地する音が聞こえ、上から聞こえていたステイルの声が一気に近くなる。
「それに何より、よくもあの子に刃を向けてくれたものだ。この僕が、それを見過ごすほど甘く優しい人格をしているとでも思ったのか?」
「チィッ! 一人が二人に増えた所で、何が……!?」
 怒りを滲ませるステイルの言葉に、憎々しげな声を上げるアニェーゼ。
 しかし、ようやく動いた建宮の声によって、その声は遮られた。
「二人で済むとか思ってんじゃねえのよ」
「!?」
 叫びながら振るわれた真っ白いフランベルジュが建宮の横にあった壁を吹き飛ばし、数メートルにも及ぶ大きな穴をあける。
 天草式は建宮を先頭にして次々にその穴を通り、教会の中へとなだれ込んだ。
 結奈と五和もそれに続き、教会の中へと歩を進める。
 もうもうと立ち込める砂煙の先には、一二、三歳くらいに見える赤毛の少女と向かい合う上条の姿があった。
 少女は鉛筆ぐらいの太さの三つ編みをいくつも並べた髪形で、スカート部分の短い漆黒の修道服に身を包んでいる。
 おそらくはリーダーなのであろうその少女、アニェーゼの右手には自身の身長よりも大きな銀の杖が握られ、後ろには二〇〇人以上のシスター達が各々の武器を構えて待機していた。
 上条からシスター達を挟んだ反対側には、説教壇の前で床にへたり込むぼろぼろのオルソラと、炎の剣を構えたステイルが並んでいる。
 結奈達が突入したのは上条達のちょうど中間地点。シスター達の横っ腹に当たる場所だった。
「建宮……」
 五〇人近くいる天草式の中にいるせいか、上条が結奈に気づいた様子は無い。
 いつものリボンをつけておらず、服装も天草式の物を借りている事もその原因となっているのだろう。
 そもそも上条にはここに結奈がいる事は伝えられていないはずなので、気づかなくても仕方の無い事なのだが。
 少しだけ寂しさを感じながらも、それ以上にホッとした気持ちになる結奈。
 覚悟を決めたといっても、できることなら顔を合わせたくは無いのだから。
「俺が戦わなきゃいかん理由は、わざわざ問うまでもねえよなぁ?」
「お、前。だって、奇襲をかけるのは移動中が最適だって……」
「そういう風に言っときゃ納得して帰ってくれると思ってたんだがよぉ。せっかくイギリス清教の連中と話し合って、お前さんが動く前に決着をつける手はずを整えようとしていたのに。お前さん、想像以上の馬鹿だよな。ま、馬鹿はお前さんに限った事じゃねえし、見ていて楽しい馬鹿は嫌いじゃねえが」
 ちらりと結奈に視線を向け、呆れたように建宮が言った。
 さらに、カツンと足音を鳴らして、上条の背後から聞き慣れた声が飛んでくる。
「まったく、だから決着は誰かが着けるから、とうまは気にしなくて良いよって言ったんだよ。……ここに来る暇があったら、ゆいなを捜してれば良かったのに」
「いん、でっくす……」
 呆然と呟く上条の肩に、インデックスの小さな手が置かれた。
「でも、こうなっちゃったら仕方がないよね。―――助けよう、とうま。オルソラ=アクィナスを、私達の手で」
「……ああ」
 ゆっくりと、上条が頷いた。
 そして、その一連の会話を聞いたアニェーゼが、怒りに任せて命令を叫ぶ。
 殺せ、というその一言をきっかけに、二〇〇人を超えるシスター達が一斉に動き出した。
 与えられた命令を遂行するために。



 天草式の五〇人とローマ正教のシスター二四〇人が激突すると、その場は一気に混戦となった。
『婚姻聖堂』はこの教会の七つの聖堂の中で最も大きく、完成時には数百人もの信徒を迎えられるだろう程のものだ。
 しかし、三〇〇人近い人間が動き回るにはやはり手狭であり、どうしても自由な行動が制限されてしまう。
 そして、動きを止められてしまえば人数で劣る天草式が不利になる事は明白だった。
 機動力を奪われて人の洪水に押し流され、周りに敵しかいない状況になってしまえば、個人の戦闘力の差はたいした意味を持たない。
 もちろん建宮もそれを熟知しているため、このままここで戦い続ける気は無いのだが―――上条やオルソラが脱出するための時間と隙だけは生み出す必要があった。
 だからこそ、不利を承知で混戦に持ち込んだのだ。
 天草式の面々は二、三人ずつに別れて部隊を分散させ、一つの部隊を攻撃しようとして出来た相手の隙を他の部隊が突き、牽制を行う。
 少しでもタイミングを間違えば総崩れとなる状況で、彼らは抜群の連携によって戦線の膠着を成功させていた。
 とはいえ、これもそう長くはもたないだろう。長く続ければ、必ずどこかで綻びが生まれる事になる。
 そう考えながら、結奈は前方にいる建宮へと向かってきた光球の軌道を僅かに逸らす。
 それは建宮を掠める様に飛んで行き、結奈達の後ろへ回り込もうとしていたシスターを捉えた。
 光球の直撃を受けたシスターは近くにいた数人を巻き込んで吹き飛び、壁へと叩きつけられて気絶する。
 魔術を放ったシスターは味方誤射にしか思えないであろうその結果に目に見えて動揺し、その隙をついて建宮が攻め立てていた。
 さらに、右側で海軍用船上槍(フリウリスピア)を振るう五和の身体強化魔術の制御を肩代わりし、魔術制御の負担を減らしていく。
 結奈に与えられた役割は『人形使い(パペットマスター)』の能力を使った戦闘の補助だ。
 周囲の味方の魔術制御の負担を軽減し、敵の魔術を利用して同士討ちを演出。時には教会の敷地全体に張り巡らされた人払いの魔術さえも利用し、相手の意識を逸らしていく。
 もちろん、複数の魔術を同時に操る以上、それだけの負担が結奈へとかかる事になる。
 並の魔術師なら暴走させてしまうようなその制御は、しかし、無意識の能力行使と脳開発によって高められた結奈の演算能力によって完全に掌握されていた。
 他人の能力の存在に依存する能力だからこそ、誰も、結奈自身でさえ自覚していなかったその演算能力は―――インデックスの放った『竜王の殺息(ドラゴン・ブレス)』を構成する数百、数千、数万もの魔術にさえも同時に干渉が可能なほどの―――学園都市に七人しかいない超能力者(レベル5)にも匹敵するものだった。
 能力を自覚する事で、完全では無いにしろその演算能力を意識的に使えるようになった結奈にとっては、周囲を飛び交う一〇や二〇程度の魔術操作は大した負担にもならない。
 これくらいならば、学園都市を抜け出す際に使った空間移動(テレポート)の方がよほど複雑な演算を必要としていただろう。
 そうして周囲の敵を牽制し続けていると、ようやく建宮からの指示が入る。
「よし、オルソラ嬢達は行ったな。こっちはもういい。お前さんは五和と一緒に先に中庭に向かえ」
 結奈がちらりと視線を巡らせると、上条が入ってきた正面扉とは正反対の位置にある裏口から二人が飛び出していくのが見えた。
 オルソラは自力で歩く事が出来ないのか、上条に抱きあげられた格好だ。
「分かりました、教皇代理。……結奈さん、行きましょう」
「うん。建宮さんも気をつけて」
 それだけを伝え、『婚姻聖堂』から脱出する結奈達。
 後になればなるほど敵味方の比率が一方的になって距離をとれなくなるため、近接格闘に劣る結奈は真っ先に離れる必要があるからだ。
 最初に空けた壁の穴を通り、ぐるりと『婚姻聖堂』を迂回する形で裏へと向かう。
 角を曲がると、上条達が出てきたであろう裏口が見えた。
 そこでは結奈達と同時に脱出した天草式のメンバーと黒いシスター達がすでに交戦を始めている。
 しかし、上条達の姿はそこには無い。
(上条くんは?)
 結奈が急いで辺りを確認すると、裏口の真向かいにある細長い『叙品聖堂』を取り囲む建設用の鉄パイプの足場を駆け上がる上条の姿が見えた。
 上条の背後には黒いシスターが迫っており、彼女が掲げる松明からはソフトボール大の溶岩の塊が飛ばされていた。
 上条はオルソラを抱いたまま器用にそれを避け、そのまま屋根へと向かっていく。
 それを見ていた地上のシスターたちが、一斉に上条に向けて武器の切っ先を構えた。
 それぞれの構える切っ先が、赤や緑、青、金色など、色とりどりの光を放ち出す。
「あれは……足場ごと打ち抜くつもりです!」
 五和が言ったのと同時、結奈が数十人の黒いシスター達へ向かって駆け出した。
 隣にいた五和もすぐにそれに気づき、慌てて結奈の後を追っていく。
(全部は無理でも、出来るだけ止めなきゃ!)
 必死に駆けていく結奈だったが、能力の効果範囲に入る直前、色とりどりの光の羽が端から順に打ち出されてしまう。
 光の羽は上条の後を追うように足場や外壁を破壊していき、半分ほど打ち出された所で鉄パイプの足場はついに崩壊を始めた。
 足場が大きく傾いた事で上条の移動速度が一気に落ち、そこを狙って残りの光の羽が打ち出され、
(させない!!)
 それらは全て、無防備なシスター達の背後をギリギリで駆け抜けた結奈によって逸らされた。
 その隙に上条達は屋根へと飛び移ったようで、二人の姿はもう見えない。
 そこでようやく背後の気配に気づいたシスター達が急いで振り返ろうとするが、結奈達は立ち止まらずに走り抜け、そのまま中庭へと出る。
『婚姻聖堂』『叙品聖堂』『終油聖堂』『洗礼聖堂』の四つの聖堂の間にある大きな三角形の中庭では、ステイルが二〇人近いシスターに追われていた。
 ステイルは炎剣を爆発させて近くのシスターを吹き飛ばしながら、追手を連れて『洗礼聖堂』へと入っていく。
 それだけの数に追われているステイルも気になったが、結奈達も先程のシスター達の半分ほど、三〇人はいるであろう集団に追われており、助けに行く余裕は全くなかった。
 背後から撃ちこまれる溶岩の塊や光球を、能力に気づかれないよう避ける演技をしながら逸らしていく。
「結奈さん、こっちです」
 いつの間にか結奈を追い抜いていた五和に先導され、『終油聖堂』と『洗礼聖堂』の間を抜ける形で中庭を通り過ぎた。
 そのまま終油聖堂をぐるりと回り込み、シスター達が角を曲がる前に裏口から中へと入る。
 同時に五和の魔術で幻影を作り、それを中庭から離れていくように移動させた。
 結奈達は裏口の近くで息を潜め、外の動向を探る。
 人払いの魔術を利用した心理誘導が功を奏したのか、一度近づいてきた足音は狙い通りに中庭とは逆方向に走って行った。
「これで少しは時間が稼げるかな」
 ホッと一息をつく。戦闘が始まってから緊張状態が続いていたため、この十分ほどでかなりの疲労が結奈を襲っていたのだ。
「とはいえ、これはただの時間稼ぎにしかなりません。彼女達が戻ってくる前に、少しでも戦況を有利にしておかないと」
 五和の言う通り、これはあくまでも一時的に相手の戦力が減っただけだ。
 しばらくすればあのシスター達も異変に気づき、こちらへ引き返してくるだろう。
 重要なのは、その間にどれだけ相手の数を減らせるか、ということだった。
 そのために中庭の状況を確認しようと二人が『終油聖堂』の二階へ上がった時、何かが爆発するような音が中庭から聞こえてくる。
 急いで窓のそばへ行き、中庭を見下ろす結奈達。
 爆音の起こった場所を確認すると、そこにいたのは百人近い漆黒のシスター達に包囲された純白のシスター。
「インデックス!?」
 どう考えても逃げられそうにないその状況に結奈が声を上げた瞬間、再びそこから爆音が響く。
 光も何も無く、ただあるのはすさまじい音だけの、不可思議な爆発。
 しかし、吹き飛んだのは純白ではなく、漆黒のシスター達だった。
「え……?」
 一体何が起こったのか結奈には全く分からない。
 隣の五和に尋ねようとするが、彼女も同じ様に呆然としていた。
 そうして二人が呆けている間にも同じ様な見えない爆発が次々と起こり、インデックスの包囲網がズタズタに切り裂かれていく。
 距離があるため結奈からはハッキリとは判別出来無かったが、五和にはシスター達自身が自ら飛び退いているように見えたらしい。
 それも、体のリミッターを外して、足が壊れるのにも構わずに行ったのだと。
「……インデックスがやったのかな?」
 なんとなく、そんな気がした。
 彼女は魔術の専門家だ。魔力が無くとも、結奈のように他人の力を利用する事だってできてもおかしくは無い。
「だったら、あっちはだい……「Dia priorita di cima ad un attacco.(攻撃を重視、防御を軽視!) Il nemico di Dio e ucciso comunque.(玉砕覚悟で我らが主の敵を殲滅せよ!!)」」
 大丈夫、と言おうとしたその時。中庭の方から、一人のシスターの叫び声が聞こえてきた。
 瞬間、インデックスを取り囲む漆黒のシスター達の動きがピタリと止まる。
 そして、全てのシスターが衣服の中から何かを取り出し、それを自らの耳へと突き刺した。
「鼓膜を……破った!?」
 五和から驚愕の声が零れ落ちた。
 それによって結奈もシスター達が何をしたのかを理解する。
 そして、その理由も推察できた。
(きっと、あれはインデックスの攻撃を防ぐため。声か何かを使った攻撃を防ぐために、自分の鼓膜を破った。だったら……まずい!!)
 結奈の考えがまとまる前に、漆黒のシスター達は純白のシスターへと襲いかかろうとする。
 ステイルと建宮は彼女の近くにいるが、二〇人近いシスター達に足止めされ、救援には向かえそうになかった。
 他の天草式は彼らよりも遠い場所であり、こちらもそれぞれが相当数のシスターを相手にしている以上間に合いそうにない。
 思わず結奈がインデックスの名を叫び出しそうになった時、
「こっちだ!!」
『終油聖堂』一階の両開きのドアが開かれ、そこから上条が叫んだ。
 あまりの光景に固まっていたインデックスが、その声を聞いて弾かれる様に上条の下へと走り出す。
 それを確認したステイルと建宮もシスター達の隙をついて終油聖堂へと滑り込み、間一髪で扉の錠を閉める事に成功した。
 それでも、これで形勢が一気にローマ正教側に傾いてしまった事は結奈にも理解できる。
 呆然と窓の外を見つめる結奈に、五和が声をかけた。
「行きましょう、結奈さん。このままここにいると、外から狙われる可能性があります」
 そう促す五和に続き、結奈は『終油聖堂』の奥へと向かっていく。
 その瞳に押し潰されそうな不安を抱えながら、それでも、しっかりと前を見続けていた。



[6597] 六章 十話
Name: ヒゲ緑◆14fcd417 ID:d844114c
Date: 2009/10/21 09:25
 窓際を離れた結奈と五和は階段を降り、再び裏口へと戻ってきていた。
 相手は自分達の数倍もの人数だ。そのほとんどは正面入口のある中庭に集まっているが、裏口に回って挟み撃ちにしようとする事は十分に考えられる。
 それが無くとも、誘導して戦線離脱させた部隊がここに戻ってくる可能性もあるだろう。
 上条達が脱出した後ならいいが、入り口を破られて逃げる際に鉢合わせる事になれば下手をすると完全に詰んでしまう。
 この聖堂の一階部分には窓がほとんどなく、正面からシスター達に追われれば必然的にこちらへと向かう事になるため、結奈は上条達に合流せずに脱出経路の確認に向かったのだった。
 最悪、壁を破壊しての脱出も可能ではあるが、相手の配置が分からない所に突撃するのは非常に危険だ。
 結奈は駆け足で壁を辿り、慎重に外の気配を探った。
 裏口前を端から端まで調べ、周りに誰もいない事を結奈の能力で確認すると、二人はドアの横にある窓から外へ向かう。
 これは裏口の鍵を掛けたままにしておくためだ。上条達が逃げる時には不便だろうが、万が一シスター達が来た際の時間稼ぎは有った方が良いだろうから。
 外に出た二人は周囲の確認だけ行うと、それ以外は特に何もせずにその場に佇んでいた。
「来るかな?」
「分かりません。ただ、おそらくは……」
 結奈達が待っているのは来るかもしれない別働隊だ。上条達との鉢合わせを避けるため、少数ならここから引き離してから倒し、二人では手に負えないような人数ならそのまま囮となって連れていく。
 そして、誰も来ないのならば、その時は結奈も覚悟を決めて上条達と合流するつもりだった。
 鍵を掛けているとはいえ、正面入口のドアはもって後数分といった所だろう。
 このまま何も起こらず上条達と顔を合わせる事になるのを考えて、抑え込んでいた恐怖が再び鎌首をもたげ始め―――結奈は両手を強く握りしめ、少しだけ体を震わせた。
 しかし、やはりその未来は訪れない。
 裏口を背にする結奈達の左手方向。最初にここに来る際に曲がった角から、いくつものバタバタとした足音が聞こえてきた。
 それに気づき、二人は即座に警戒態勢に入った。五和がそちらを向いて海軍用船上槍(フリウリスピア)を構え、結奈はその後ろへと回る。
 そして、臨戦態勢の二人が見つめるその角を曲がって一〇人のシスターが姿を現した。
 アニェーゼと同じくらいの歳に見える、長い金髪を二房の三つ編みにして前に垂らした小さなシスターを中心に、九人のシスター達が周りを固めている。
「結奈さん」
「うん」
 一言だけかわすと、結奈達は彼女らに背を向けてその場から逃げ始めた。
「い、いました! みなさん、追ってください」
 中心の小さなシスターが集団のリーダーなのか、逃げる結奈達を見た彼女が慌てたように周りへと指示を出す。
 どうやら裏口の外にいる結奈達を見たことで、すでに終油聖堂内の全員が脱出してしまったと勘違いしてくれたらしい。
 指示を聞いたシスター達の内、五人が全力で結奈達へと駆け出した。残りの四人は奇襲を警戒しているのか、小さなシスターに合わせた速度で結奈達へと向かって来る。 
 打ち出される光球を逸らしながら、二人は裏口から一〇〇メートルほど離れた場所まで進んだ。
 シスター全員が十分に裏口から離れたのを確認すると、二人は足を止めて振り返る。
 そして、いつでも発動できるようにしてあった五和の幻影の魔術を用い、先行するシスター達の横から襲いかかるような形でいくつかの人影を生み出した。
「ほ、ほかにもいたんですか!?」
 リーダーの小さいシスターの声につられたシスター達が結奈によって操られるそれらの影へと視線を向け、奇襲に対処しようと意識を分散させる。
 その瞬間、五和が強く地面を蹴り、五人の中央にいるシスターへと一気に迫った。
「な!?」
 驚きの声が漏れる間もなく五和の槍がそのシスターへと振るわれ、その意識を刈り取る。
 さらに、仲間がやられた事によって生まれた動揺の隙に、その左にいたシスターを打ち倒した。
 なおも槍を振るおうとする五和だったが、残りの三人のシスター達が動揺から立ち直ったのを確認するや否や、すぐさまバックステップでその場を離れる。
 直後、一瞬前まで五和がいたその場所を、振り下ろされた剣や杖が通り過ぎていった。
 さらに、小さいシスターに速度を合わせて遅れていた四人のシスター達の武器が光り、そこから魔術が撃ち出される。
 先行したシスター達の間から五和を狙ったその光球は、しかし、彼女を捉える事は無かった。
「いっけぇ!」
 その結奈の声と共に、四つの光球の軌道が僅かに逸れる。それは武器を振りおろし、完全に死に態となっていた三人のシスター達を背中から強襲した。
 光球の直撃を受けたシスター達は結奈達の横を通り過ぎる形で数メートルは吹き飛ばされ、そのままぐったりと倒れ込む。
 シスター達の意識がない事を横目で確認した結奈は、すぐに視線を前方へと戻した。
 その先では、怒りをたたえた表情で結奈達を睨みつけるシスター達の姿。
 動揺しっぱなしで碌に行動できていなかった小さいシスターも、さすがに落ち着いたのか、先程より鋭い視線を送ってきていた。
 これで、残っているのは五人だ。この数なら二人でなんとかする事も出来るだろう。
 ハッキリ言えば、これは予想以上の戦果だ。結奈としては幻影に気を取られた隙に二~三人を倒せればいい所だろうと考えて、引っかからなければ逃げの一手を取るつもりだったのだから。
 だが、足の遅い小さいシスターに合わせる事で前衛と後衛が分断され、距離が開いた事が幸いした。
 それによって相手が遠距離の魔術攻撃を選択し、また、光球の軌道を逸らして当てるために必要な距離が生まれたからだ。
『人形使い(パペットマスター)』の能力はあくまでも制御に干渉しているだけであり、行使される異能の質を変化させるものではない。
 そのため、射出するタイプの異能の場合は元々の誘導性能がそのまま操る自由度となってしまう。
 そして、シスター達が使っている光球は命中率を少し向上させる程度の僅かな誘導性能しか付加されていないため、ある程度の距離がなければ同士討ちをさせる事が出来なかったのだ。
 動揺から立ち直ったシスター達と視線を交差させる。
 数秒ほど睨み合いを続けた後、四人のシスター達が一斉に結奈達に向かって走り出した。
 同時に、小さいシスターが腰のベルトに装着されていた四つの硬貨袋を頭上へと投げる。
 ギッシリとコインの詰め込まれた硬貨袋の口からはそれぞれ、ツバメのように鋭い六枚ずつの翼が飛び出した。翼は袋ごとに赤、青、黄、緑の四色の光に輝き、
「Viene. Una persona dodici apostli. Lo schiavo basso che rovina un mago mentre e quelli che raccolgono.(きたれ。一二使徒のひとつ、徴税吏にして魔術師を打ち滅ぼす卑賤なるしもべよ)」
 両手を夜空へと差し出した小さなシスターの声に呼応して、銃弾のような速度でバラバラの方向へ撃ち出された。
 四つの硬貨袋は彼女の前を走るシスター達の上や左右を通り過ぎ、一瞬で結奈達に迫っていく。
 その内の一つは正面にいる五和へと斜めに落ちていくように、残りの三つは迂回して、それぞれ右、左、上から結奈へと襲いかかった。
 五和は自身に向かってきた硬貨袋を槍で払い落すが、残りの三つまでは対応しきれない。それでも、彼女に焦りは無かった。
 おそらく、あの小さいシスターは先程のおかしな光球の動きに気づき、その原因が結奈にあると当たりをつけたのだろう。
 わざわざ迂回をさせて硬貨袋を撃ち出したのも、万が一軌道が逸れても味方に当たる事が無いようにするためだと推測できる。
 実際、それは小さいシスターの考える通りではあった。光球を逸らしたのは結奈であるし、下手に真っ直ぐ撃ち出せば再びシスター達が背後から強襲される事になっていただろう。
 結奈は武器も持っていないため、後方支援を専門とする役割だと判断して、まずそちらから倒そうと考えるのはおかしな事ではない。
 小さいシスターにとって不運だったのは、結奈の能力が認識阻害や魔術を逸らすだけのものでは無かった、という事だった。
 結奈の顔に笑みが浮かぶ。それに気づいて訝しげな表情を浮かべようとした小さなシスターの顔は、それを為す前に驚愕に包まれる事となった。
 結奈に向かっていた三つの硬貨袋が、彼女に命中する直前で一斉に軌道を変えたからだ。
 三つの硬貨袋は進行方向を九〇度変化させ、正面からシスター達に襲いかかった。
 さらに、五和の前に落ちた硬貨袋が地面から浮きあがり、これも同様にシスター達へと撃ち出される。
 四つの硬貨袋はそれぞれ四人のシスターに向かっていき、全力で駆けていた彼女達の鳩尾へとカウンター気味に突き刺さった。
 声にならない声を上げながら、シスター達が地面へと倒れていく。手加減はしているとはいえ、これでしばらくは動けないだろう。
 それを予測していた五和は、すでに前衛のシスター達を無視して駆け出していた。
「これで終わりです」
 移動術式によって小さなシスターとの距離を一気に詰め、手にした槍を振るう。
 小さいシスターは、いきなり自分が狙われるとは思っていなかったらしい。反応が遅れ、対処をする前に意識を刈り取られた。
「……ふぅ。なんとかなったね」
 地面に倒れ伏す一〇人のシスター達を見ながら、結奈が安堵の息をつく。
「そうですね。あとは……!? 結奈さん、気をつけてください」
 結奈の呟きに答えようとした五和の言葉が不自然に途切れ、そのまま警戒を促すものに変わった。
 五和はそのまま結奈の手を掴んで走り出す。その後ろから、色とりどりの光球や溶岩の塊が二人を目掛けて飛んできていた。
 その事に気づいた結奈はそれらを能力で逸らし、五和に手を引かれて走りながら後ろを確認する。
 そこには、終油聖堂に入る前に撒いた三〇人のシスター達が戻ってきていた。
 いくらなんでもあの数を相手にするのは無謀だ。この一〇人にしても、ちょっとした偶然と、小さいシスターが使う魔術との相性の良さとが重なったからこそなんとか出来たのだから。
 結奈と五和は走りながら顔を見合わせて頷き合うと、一気に足を速めた。
 小さいシスター達が来たのとは逆側の角を曲がり、中庭には出ずに叙品聖堂の裏側を回っていく。
 そのままそこも通り過ぎ、さらに堅信聖堂の裏も回るように迂回していくと、ようやく後ろから追ってくるシスター達の姿が見えなくなった。
 逃げる途中、後ろから爆発音のようなものが聞こえたので、おそらくは他の天草式がフォローしてくれたのだろう。
「はぁ、はぁ……はぁ。これで向こうは大丈夫だよね」
 体力的にはそれほどでもないはずだが、緊張感による精神的な疲労で息を荒げながら結奈が言う。
「そうですね。後から来た人達もほとんどがこちらに向かってきていましたから、問題は無いと思います」
 その言葉に答える五和。こちらは結奈とは違い、ほとんど息を乱してはいなかった。
 五和の様子に感心しながら息を整える結奈。しばらくしてようやく落ち着いてきた頃、建宮から通信の魔術が届く。
 伝えられたのは、これから行う作戦の指示だった。



 行う事はいたって単純なものだった。上条の行動が速過ぎたために事前にルーン配置の準備を終えられなかった、ステイルのもつ教皇クラスの魔術―――『魔女狩りの王(イノケンティウス)』―――をもって、戦況を反転させる。ただそれだけだ。
 ルーンのカードが配置された範囲内でなら、いくら消化されても再生する炎の巨人。拠点防衛にこそ真価を発揮するそれならば、並の魔術師二〇〇人程度の数の差など何の意味も為さない。
 とはいえ、問題もあった。
『魔女狩りの王』は配置されたルーンのカードの枚数によってその力を変化させる。戦闘前にステイルが準備を始めていたとはいえ、今必要な枚数には大きく足りないのだ。
 天草式の知識によって効率的な配置を行う事でルーンのカードの使用枚数を抑え、設置時間は短縮できるが、それでもある程度の時間はかかる。
 いくら守勢に回っているとはいえ、ルーンのカード配置のために逃げ回っていればシスター達も不自然に思うだろう。
 発動前のルーンのカードに気づかれれば、対処されて配置による効率化が崩されてしまう。そうなれば、必要な枚数が揃う前に押し切られてしまう可能性が高い。
 それを防ぐため、天草式やイギリス清教のメンバーの総力を以ってシスター達を引きつけ、現在護衛の付いていない敵のリーダー―――アニェーゼに、『幻想殺し(イマジンブレイカー)』によってルーンのカード配置を行えない上条をぶつける事になっていた。
『時間を稼いでいる間に司令塔の撃破を狙っている』のだと相手に思わせ、天草式が逃げ続ける事に疑問を抱かせないために。
 間違いなく、最も危険なのは上条の役割だろう。『幻想殺し』によって通信系の魔術も効かない上条では、『婚姻聖堂』の外で予想外の事が起こった場合に逃げることもできないだろうから。



(上条くん……大丈夫かな)
 周囲の敵味方の魔術制御を行いながら、結奈はそんな事を考えていた。
 そんな彼女の周りでは、五和と対馬がシスター達に対処しながら最後のルーンのカード配置を行っている。
 知識の無い結奈にはルーンのカード配置の手伝いは出来ない。かといって、上条がいる『婚姻聖堂』へ向かう事も出来なかった。
 上条と顔を合わせたくない、という心情もあったが、それだけではない。
 集団戦の得意な天草式の一員として認識され、常に五和と共に行動していた結奈が単独で動けば、それを不自然に感じる可能性があったからだ。
 かといって五和までそちらに回す事も出来なかった。ルーンのカード配置が時間との戦いであり、人員を減らす余裕が無い以上は。
 必然的に、結奈はこれまでと同様に五和のサポートとして行動することになっていた。
 そのため、彼女には上条の方がどうなっているのかは分からない。
 インデックスやシェリーの時は協力する事が出来た。一方通行(アクセラレータ)との闘いでも、少なくとも見ている事は出来た。路地裏の喧嘩なども、結奈が気づくのは基本的に終わった後だった。
 上条が確実に危険な目に遭っているのが分かっているのに、それを手助けする事も、見ている事さえ出来ない。そんな状況は、結奈にとって初めてで―――だからこそ、不安が募っていく。
 それを押し殺しながら二人をサポートし、結奈は準備が終わるのを待ち続けていた。



 ルーンのカード配置が完了し、全員が『婚姻聖堂』の正面へ辿り着くと、後はあまりにもあっけなく攻守が入れ替わった。
 ステイルによって呼び出された炎の巨人は、襲いかかるシスター達を爆発の衝撃波によって次々と薙ぎ払っていく。
 あっという間に五〇人近いシスターが戦闘不能に追い込まれ、残ったシスター達もその圧倒的な力の前に不用意に動く事が出来なくなった。
 互いの立場は完全に逆転し、『婚姻聖堂』の正面扉の前に集まったインデックスやステイル、天草式の面々を包囲しながら、シスター達は歯軋りをするしかない。
 すぐそばの扉の前にインデックスやステイルがいるそこに、結奈の姿もあった。
 しかし、インデックスは未だその事に気づいていない。上条を気にして扉の方に意識が向いている上に、背が低いことで少し離れた場所にいる結奈の顔が見えないのだ。
 さらに、やけになったシスター達の特攻に備えて、結奈の周りが天草式の男達で固められていた事も原因の一つだろう。
 二メートルを超える身長のステイルは気づいているのかもしれないが、そちらからも特に何も言ってくる事は無かった。
 そして、シスター達が動かなくなった事を確認したステイルが、バン、と音を立てて『婚姻聖堂』の扉を開け放つ。
 開かれた扉の向こうには、こちらに背を向けて立つ上条と、驚愕の表情を浮かべるアニェーゼの姿。
(っ! 上条くん!?)
 結奈の視界に入ったその背中は斜めに切り裂かれ、シャツが真っ赤に染まっている。左腕は関節が外れたようにぶらりと垂れ下がり、頭からも血を流していた。
 駆け寄りたい衝動に駆られながら、それでもそれを抑え込んで『婚姻聖堂』の中へと入っていく。
 インデックスはすでに上条しか見ていなかった。これなら気づかれる事は無いだろう。
「使用枚数は四三〇〇枚」
 真っ先に中へと入ったステイルが、歌うように言葉を紡いだ。その隣にはインデックスが立っている。
「数の上では大したことは無いが……いや、天草式ってのは馬鹿にできないね。ルーンのカードの配置を使ってさらに大きな図形を描き、その図形をもって敷地全体の魔術的意味を変質させ、このオルソラ教会そのものを一個の巨大な魔法陣に組み替えるなんて。一応、そいつの右手に干渉されないよう、この建物だけは効果圏内から除外してあるけどね。……そこにある物を全て利用した多重構成魔法陣―――こういった小細工は、僕には学びきれなさそうだ」
 入り口に佇む炎の巨人を自慢げに眺めながら、ステイルは続けた。
「皆にはカードの配置を手伝ってもらった。ま、と言っても元々完成寸前だったジグソーパズルに残りのピースをはめ込むようなものだ。ああ、そう言えば紹介するのが遅れたね。元々、僕は次々と場所を変えて攻め込むより、一ヶ所に拠点を作って守る方が得意なんだ。とある事情でそういう魔術を欲していたからね」
 その言葉と、扉の隙間から見える外の光景に、アニェーゼは呆然と立ち尽くす。
「言ったろ、作戦があるって。……こいつらは囮になるために逃げ回ってたんじゃない。単にステイルの秘密兵器を使うための準備として、カードを敷地内に配置して立ってだけの話さ。……魔術師じゃねぇ俺にはあんまり良く分からない理屈だけどな」
 獰猛に笑いながら上条が言った。
 その言葉にようやくアニェーゼが我を取り戻し、油断なく杖を構えたまま叫ぶ。
「何をやっちまってんですか!数の上ならまだ私達の方が断然多いんです! まとめて潰しにかかりゃあこんなヤツら、取るに足らねぇ相手なんですよ!!」
 アニェーゼの言葉に間違いはない。いくら『魔女狩りの王』が強力であっても、一度に広範囲には対処できないのだ。
 逃げ道を作れない様に包囲して一斉に襲いかかれば、シスター達が全滅する前に天草式は飲み込まれるだろう。
 ステイルが直接炎を使ってシスター達を殺さなかったのも、パニックを起こして特攻される危険があったからなのだから。
 それでも、数の上で圧倒的なはずのシスター達は、動かない。
「何を……!?」
 シスター達の顔に浮かぶのは、迷い。
 アニェーゼの言葉が理論的には正しいと理解していながらも、『魔女狩りの王』の圧倒的な力を目の当たりにしたシスター達にはそれを信じ続ける事が出来なかったのだ。
 恐怖と理性がせめぎ合い、結果として何も行動を起こせない。迷いを湛えたその視線は、真っ直ぐにアニェーゼへと向けられていた。
 シスター達は、この戦いの趨勢をアニェーゼと上条のそれに見出そうとしているのだろう。
 言葉を信じきれないからこそ、その姿で判断しようとしているのだ。
「……面白い、じゃないですか」
 その事に気づいたアニェーゼが、俯きながら呟いた。
 こうなってしまえば、もう互いの人数は関係ない。上条が勝てばシスター達の心は折れ、アニェーゼが勝てば奮い立つ。ただそれだけの単純な図式。
 どちらの勢力も介入する事は出来ない、完全な一対一。この勝敗が全てを決めることになる。
 彼らの距離は僅か五メートル。結奈は祈るような気持ちで上条を見つめ続けた。
「終わりだ、アニェーゼ。テメェももう自分で分かってんだろ。テメェの幻想(じしん)は、とっくの昔に殺されてんだよ」
 迷いのない上条の言葉が、『婚姻聖堂』に響く。それを受け取るアニェーゼの顔には、シスター達と同じ『迷い』が浮かんでいた。
 二人に最も近い位置にいたステイルが咥えていた煙草を指で摘み、投げ捨てる。
 その先端にあるオレンジ色の光が床へと落ちた瞬間、上条が動いた。
 迷いも、手加減も無く床を踏みきり、一直線にアニェーゼへと跳び込んでいく。
 アニェーゼは、まるで迷子の子供のように泣き出しそうな顔で危うげに杖を振るい―――それは、虚しく空を切った。
 アニェーゼの懐に入り込んだ上条が、強く握りしめた右拳を真っ直ぐに振り抜く。
 それは、壮絶な激突音と共にアニェーゼへと吸い込まれ、その小さな体を数メートルにわたって跳ね転がした。
 気を失ったアニェーゼを見て、一人のシスターが武器を落とす。
 その音がきっかけとなり、次々とシスター達がその手に持つ武器を床に落としていった。
 彼女達の表情にはすでに戦意は残っていない。ただ、諦めだけが広がっていた。



 決着がついたその時。そこにいた全ての人間が上条に意識を奪われていた。
 いつも結奈を気にかけていた五和さえもそれは例外でなく―――それは、結奈にとっては好都合だった。
 上条の勝利を確認した結奈は、いまだ残る人払いの魔術を利用して、誰にも気づかれずに『婚姻聖堂』を後にする。
 もしかしたら、インデックスやステイルに気づいたそぶりが無かったのも無意識に同じ事をしていたからなのかもしれない。
 そんな事を考えながら『婚姻聖堂』の裏手に回った結奈の耳に、この場にありえない人物の声が届いた。
「何処へ行くつもりなのかにゃー」
 ぎょっとして振り返る結奈。そこには、短い金髪をツンツンに尖らせて、青いサングラスをつけた、アロハシャツにハーフパンツの少年―――クラスメイトであり、上条の隣人でもある土御門―――が立っていた。
「な、なん……」
 どうしてここに土御門がいるのか結奈には分からない。混乱して思わず逃げ出そうとするが、
「おーっと、そうはいかんぜよ」
 そう言った土御門にあっさりと捕まってしまう。
 所詮は帰宅部の女子高校生。訓練を受けた男に足で敵う訳がなかった。
「オレがここにいる理由は大体予想は付くよにゃー?」
 その言葉で結奈は思い出す。土御門がどういう存在なのかを。
「……必要悪の教会(ネセサリウス)」
 インデックスやステイルが所属する必要悪の教会が学園都市に送りこんだスパイ。学園都市側のスパイもやっているらしいので、多重スパイというやつだ。
「大正解だにゃー。オレにはねーちんが暴走しない様に監視と制止の命令がきてたんだなこれが」
 いやにあっさりと仕事の内容を話す土御門に、不審に思った結奈が疑問を投げかける。
「……そんなの話していいの? あと、『ねーちん』って誰の事よ」
「もう終わった事だしにゃー。あとねーちんは神裂ねーちんのことだぜい? 禁書目録の件で会った、でかい日本刀を持った方な」
 神裂という名前には結奈も聞き覚えがあった。ステイルと一緒にインデックスを追っていた魔術師の事だろう。
 土御門がそれについて知っていた事に驚きは無い。スパイという立場なら知っていて当たり前だろうとは思っていたから。
「その神裂ねーちんが天草式の元女教皇(プリエステス)ってわけだ。情に篤いねーちんが元仲間を助けようとしてローマ正教に喧嘩売らないように、見張っておけって命令ですたい。魔術界隈では人間核兵器扱いされてるねーちんをオレ一人で止めろとか、上も無茶言ってくるもんだにゃー」
 相変わらずよく分からない口調で話す土御門。その言葉に含まれた元女教皇という言葉に結奈が驚愕を顕にした。
「あの人が!?」
 そう言いながらも、結奈はどこかで納得していた。インデックスを守るために自分の思いすら押し殺した電話越しのあの声は、建宮達から聞いた元女教皇のイメージと重なると思えたから。
 その驚愕が過ぎた頃、ようやく結奈は最も聞くべき事を思い出した。
「それで、あんたは私を連れ戻しに来たの?」
 土御門は学園都市のスパイでもある。可能性はゼロでは無いだろう。
 そう、怯えるような目で言った結奈の言葉は、あっさりと否定された。
「いーや、むしろ逆だにゃー。新城ちゃんについては手を出すなって通達がきてるぜい。(……それに、そいつはオレの役割じゃないからにゃー)」
 行方不明者に対して手を出すな、なんて。わざわざそんな命令を出す意味が結奈には分からない。
「……え、最後何て言ったの?」
 しかし、なぜだかそれ以上に、土御門が最後にぼそりと呟いた、聞き取れなかった言葉が気になった。
「なんでもないぜよ。備えあれば憂いなしだ、って言っただけだにゃー」
 土御門はそんな風にはぐらかすと、何事も無かったかのように話を戻す。
「という訳で、今の状況はけっこーギリギリだったりするんだなこれが。……ま、一応、新城ちゃんの事について、かみやんにどこまで話したかぐらいは教えておこうと思っただけだぜい。一方的に知られるってのも気分が悪いもんだろうしにゃー」
 その言葉に、再び結奈の心がざわつく。それを知ってか知らずか、土御門はそれまでと雰囲気を変えて話しだした。
「話したのは二つだけ。オレが知る限りの『人形使い』についての情報と……新城が学園都市に来た理由だ。禁書目録も一緒に聞いてるな」
 土御門が急にまじめな口調になり、結奈が思っていた通りの事を語る。
 当たり前だ。結奈が逃げ出した理由を説明するためには、学園都市に来た経緯から話す必要があるのだから。
「オレから伝えられるのはこんなもんだにゃー」
 俯き、黙り込んだ結奈に対し、土御門は再び元の雰囲気に戻って言う。そして、それ以上は何も語らず、ただ黙って去っていった。
(……ありがと)
 ただそれだけの事を伝えるために危険を冒して会いに来てくれた友人に、心の中で感謝の言葉を伝えながら、結奈もその場を後にした。



 決着から一時間ほどが経った頃。結奈は『婚姻聖堂』の中にいた。
 上条とインデックスは学園都市へ、天草式とオルソラは今回の事件の報告と今後についてをイギリス清教と話し合うために急遽イギリスへ、ローマ正教のシスター達は目立たずに帰国するために近くにあるいくつかの教会へそれぞれ向かったため、すでにここには誰もいない。
 結奈がいない事で五和は最後まで残ろうとしていたが、これからイギリス清教の保護下になる以上、天草式の全員で向かって誠意を見せる必要があると説得されて頷いていた。
 あまりにも簡単に納得したのが気になったが、さすがにそれは結奈の考え過ぎだろう。
(……上条くん)
 結局、このオルソラ救出において、結奈が上条やインデックスと会う事は無かった。
 全ての状況において結奈からの一方通行でしかなく、向こうから気づかれなかったのは幸運だったのか、それとも不幸だったのか。
 それでも、上条の姿を見た事で、会って話がしたいという思いは強くなってしまった。
 その感情は少しずつ恐怖を塗りつぶしつつある。それでも、恐怖を押し殺すための目的が無くなった今、結奈にはまだ決心がつかない。
「どうすればいいのかな……」
『婚姻聖堂』の正面扉に右手をつけ、そこに頭を乗せた格好で呟く。
 一体、どのくらいそうしていただろうか。どちらにしてもそろそろ場所を移った方が良いと結奈が考え出した時。
 ぞくり、と背筋が震えた。感じられたのは、強烈な、殺意を孕んだ視線。
 今度はハッキリと分かる。それは、結奈の背後から向けられていた。
「誰!」
 その事に気づいた結奈が、勢いよく振り返る。その体は、小刻みに震えていた。
 振り返った先、結奈から三〇メートルほど離れた場所にある建宮が空けた穴の横に―――その視線の主がいた。
「おや、気づきましたか。この距離だと『人形使い』の効力は無いはずですから、純粋に気配に敏感だという事ですかねー」
 そこにいたのは頭の先から足の裏まで緑色の礼服に身を包んだ、結奈と同じくらいの身長の白人の男。顔つきからすると、三〇前後といった歳の頃だろうか。
 体は痩せぎすで、礼服の中は随分とゆったりしているように見える。頬のこけた顔には妙な活力が感じられた。
 結奈が見た覚えも、会った覚えも無い、『人形使い』を知る男。そのことに警戒心を顕にする結奈に対し、男は言う。
「相手が『人形使い』とはいえ、聞かれた以上は名乗るのが礼儀ですかねー。今回はまだ個人的な行動ですので、組織内の立場は省かせていただきますが」
 何も答えられない結奈。男はそれを見ながらにっこりと笑い、宣告した。
「私の名前はテッラ。神の敵たる『人形使い』を殺しに来た者です」



[6597] 六章 十一話
Name: ヒゲ緑◆14fcd417 ID:d844114c
Date: 2009/11/17 18:32
「私の名前はテッラ。神の敵たる『人形使い(パペットマスター)』を殺しに来た者です」
 結奈がその言葉の意味を理解する前に、テッラと名乗った男が纏う司祭服から大量の白い粉が噴き出す。
 それはテッラの手の中へ集まり、『白い刃』を形成した。
 七〇センチ四方の正方形の下端を強引に斜めに断ち切ったような、板状の刃。その形はギロチンを思い起こさせる。
 テッラは『白いギロチン』にある、本来ならロープを結ぶ輪っかを無造作に片手で掴み、
「それでは、死んでもらいましょうかねー」
 そう、楽しそうに笑った。



 なぜ自分が狙われているのかは結奈には分からない。しかし、テッラの言葉は混乱した思考を立ち直らせるのには十分なものだった。
 寄せられる殺気によって本能的に意識を切り替える。結奈が見据えるその先で、テッラの右手が横に薙ぐように振るわれた。
 その動きに合わせて『白いギロチン』が動いた。刃の形に集まっていた粉が広がり、数メートルの白い津波を形成する。
 それを見ても結奈の表情に焦りは無い。どれだけ威力があろうと、それが魔術であるなら『人形使い』の能力で対処が出来からだ。
 そしてもう一つ、結奈が余裕を持っていられる理由があった。
(あれは、魔術であの白い粉を操ってるのかな?)
 テッラの手の動きと白い粉の動きが連動しているらしい様子から、結奈はそう考える。
 直線的なものならともかく、自由に操れるのならば結奈にとってはむしろ好都合だ。シスター達との戦闘のように、制御を奪ってしまえば何とでも出来るだろう。
 結奈がそんな思考を巡らせるその前で、白い津波が一斉に動いた。自分へと向かってくると思い身構える結奈。
 しかし、その予測は当たらなかった。放たれた怒涛は真横では無く、斜め下へと向かっていく。
(……まさか!!)
 その攻撃の意図に気づいた結奈の表情から、先程までの余裕が消え失せた。
 慌てる結奈を嘲笑うかのように、白い津波は轟音と共に『婚姻聖堂』の床を薙ぎ払う。
 抉り取られた無数の破片は、少しでも距離を取ろうと後ろへと跳んだ結奈へと弾丸のような速度で襲いかかった。
(ダメ! 避けられない!!)
 壁のように飛来する礫に結奈は直撃を覚悟する。
 痛みに備えて歯を喰いしばる結奈。しかし、全ての破片は紙一重で当たらなかった。
 その結果に一瞬呆然としていた結奈だったが、すぐにその理由を思い出す。
 結奈にとっては今すぐにでも捨ててしまいたいその力。それは『神の加護』を用いて行われた確率操作だ。
 普通の人間には扱う事の出来ない『神の加護』を自らの意思で行使し、『奇跡』と呼ばれる程の低確率な事象さえ任意に引き起こす事が出来る―――そんな力。
 それは、名前も知らない誰かから、大切に思う人達から、奪い取った『幸運』だった。
 そんな考えが頭をよぎり、知らず結奈の顔が歪む。
「『神の加護』ですか。神の敵たる『人形使い』がその恩恵を受けるなどと言うのは、我々にとっては酷い侮辱でもあるんですが」
 無傷で佇む結奈を見たテッラが、笑みに乗せる殺意を強めた。しかし、その直後には何かを思い出したように呟く。
「いえ、そういえば逆でしたか。『神の加護』を利用するからこその神の敵なのでしたねー」
 それを聞いて、ようやく結奈にも自身が狙われた理由を把握できた。とはいえ、理由が分かった所で事態が好転するわけでもない。
「確かにそれは万能の楯ですが……さて、いつまでもちますか?」
 そう言ってテッラは右手を振るう。それに合わせ、白い津波が再び床へと押し寄せた。
 先程とは違う部分が砕かれ、大小様々な欠片となったそれらが結奈へと向かっていく。
 自分の力では、壁のように迫りくる破片を避けきることは出来ない。その事は結奈自身が一番良く理解していた。
 それでも、破片は一つたりとも結奈には当たらない。まったく動いてもいないにも関わらずだ。
 テッラの言葉通り、まるで『見えない楯』が結奈の前にあるかのように。
 しかし、自らの攻撃を完全に防がれているはずのテッラの顔に見えるのは、変わらない余裕の笑み。
 逆に、絶対の楯に守られているはずの結奈の表情に浮かぶのは、強い焦りと迷いだった。
 優勢に見えるはずの結奈が感じる焦り。その理由はテッラが放った言葉の中にあった。
 そこにある現実を捻じ曲げ、確率を無視して望む現実を選び取るという―――ある意味では能力者の『自分だけの現実(パーソナルリアリティ)』に類似する―――絶対的な楯が持つ唯一の綻び。
 それはあまりにも単純なものだ。『神の加護』は行使するたびに消費され、無限に使えるものではないという、ただそれだけの事。
 当たり前だ。もしもそれが出来るのなら、結奈が他人の『神の加護』を奪う必要など無いのだから。
 テッラの狙いがそこにある事に気づいたからこそ、結奈は迷っていた。次にどう動くべきなのかを。
(どうしよう……)
 間違いなく、テッラは『人形使い』の能力を理解している。何が出来て、何が出来ないのかを、もしかしたら結奈自身よりも詳しく。
 今、結奈が採れる選択肢は二つだ。テッラへと近づいて闘うか、ここから逃げ出すか。
 ハッキリ言えば、結奈にとってはどちらも無謀な選択に思えた。
 テッラが結奈の能力を知っている以上、飛び交う破片を潜り抜けて魔術の制御を奪ってもすぐに術式を解除するだけだろう。
 そうなれば、後は純粋な格闘能力で勝敗が決まる事になる。
 いくら痩せぎすでもテッラは男だ。もしも正式な訓練を積んでいるのなら、護身術をかじった程度の結奈が勝てる見込みは薄い。
 逃げるにしてもそれは同じ。身体強化の術式を使われれば、ただの高校生である結奈では逃げ切る術は無いだろう。
 どうしても上手くいく可能性を見出せずに結奈は迷う。その数秒の間にテッラは白い津波を操り、今度は天井へと向かわせた。
 それは天井の一部を抉り取り、飛び散った破片が結奈の傍を通り過ぎていく。飛び散らなかった大きな瓦礫は二人の間へと落ちていった。
『婚姻聖堂』の天井には数メートルにわたって大きな穴が空き、漆黒の夜空がのぞいている。
 その暗闇になぜか不安を覚え、ぞくりと背中を震わせる結奈。同時に感じられた『神の加護』の気配から、考える時間がもう残されていない事を理解した。
 学園都市を出た日から、出来るだけ意識して他人の『神の加護』を奪わない様にしていた結奈には、すでに幸運の力はほとんど残っていなかったのだ。
 逃げるにしても、闘うにしても、残されたチャンスは一度だけだろう。
 そして、どちらを選んでも成功の可能性は変わらない。
(だったら……!)
 震え出しそうになる身体を抑えつけ、結奈は選んだ一歩を踏み出した―――テッラへと向かって。
 どちらを選んでも同じなら、万が一にも誰かを巻き込んで不幸にしたくない。選んだ理由はたったそれだけだった。
 そのまま、飛び交う破片を無視して結奈は一気に走り出した。距離はたった三〇メートル。一度目を凌げば十分に能力範囲まで近づけるだろう。
 それを見たテッラはどこか意外そうな表情を浮かべ、すっと右手を動かした。
 その右手に合わせる様に、空中を漂う白い粉が動き出す。しかし、その動きは結奈の予想とは全く違っていた。
(え?)
 結奈の決意を嘲笑うかのように、白い粉はテッラを取り囲むように半球状に拡がっていき、みるみるうちにその姿を覆い隠していく。
 そして、内部が全く見えなくなった白いカーテンの中心から、ぽつりとテッラの呟きが聞こえた。
「優先する。―――爆熱を下位に、人体を上位に」
 周囲に浮かぶ白い粉と、テッラの言葉に含まれた『爆熱』という単語が、結奈にひとつの光景を思い起こさせる。
 ほんの半月ほど前、第十七学区の操車場で見たあの光景を。
(粉塵……爆発!?)
 考える暇も無く、結奈は反射的に近くにあった大きな瓦礫の陰へと身体を滑り込ませた。ぎゅっと瞼を閉じ、両手で耳を塞ぐ。
 その直後。真っ黒な視界が白く染まった。
 手で押さえてもなお鼓膜を揺さぶる爆音が『婚姻聖堂』内に轟き、瓦礫を回り込んだ熱波が皮膚を焼いていく。
 さらに、跳ね返って渦を巻くように吹き荒れた風は軽々と結奈の体を宙に持ち上げ、そのまま壁へと叩きつけた。
「っ!!」
 全身に走った衝撃に息が詰まり、次いで激痛が訪れる。
 その痛みが手放しそうだった意識を繋ぎとめる結果となった事は、運が良かったと言っても良いのかもしれない。
 痛みで鮮明になった意識で、結奈は自分の状態を確認する。
(……ダメ、か。手も足も、全然動かせないね)
 最後に残った全ての『神の加護』を使いきったおかげだろう。服は所々焼け焦げているが、致命傷は負っていない。
 しかし、壁に叩きつけられた衝撃だけで、すでに結奈は全身に力が入らなくなっていた。
 もたれかかっている瓦礫が無ければ、そのまま後ろに倒れ込んでしまっていただろう。
 そして、結奈が今いるのは『婚姻聖堂』の正面扉があった場所。テッラとの距離は最初の状態へと戻ってしまっている。
 扉自体は先程の爆発で吹き飛び、背後には広大な空間が広がっていた。しかし、結奈にはすでに逃げる力は残されていない。
 ゆっくりと、結奈は俯いていた顔を前へと向ける。
 『婚姻聖堂』内は爆発の影響でボロボロの状態になっていた。ただし、それは爆心地よりもこちら側だけだ。
 逆に、向こう側では爆発の影響はほとんど現れていなかった。
 白い粉の量の割には爆風が強かったのは、魔術なり粉の濃度調整なりを利用する事で爆風に指向性を持たせたからだったらしい。
 そして、対照的な二つのエリアの境目。そこには、爆発の中心点にいたにも関わらず、無傷で佇むテッラの姿があった。
「こんなものですか。私としてはもう少し楽しませてもらいたかったのですが」
 瓦礫へと力無くもたれかかる結奈を見て、笑いながら言う。
「まぁ、『人形使い』の力はすでに直接見て確認していますし、術式の調整も進みましたから問題は無いですかねー」
 テッラが右腕を軽く振ると、燃え尽きたはずの白い粉が瓦礫の中から浮かび上がり、再びその手へと集っていった。
 爆発による自滅の可能性も消え、碌に身体も動かせない結奈にはすでに抵抗する術は無い。
 どうしようもないという諦めが、結奈の心を支配していった。そんな中で、結奈は一つだけ残っていた疑問を言葉にする。
「な、んで……わたし、だったの……?」
 テッラの言葉から、自分が狙われた理由は理解できた。しかし、それは同時にもう一つの疑問を生み出していた。
『どうしてテッラは自分だけを狙ったのか』という疑問を。
 テッラの言葉通り『神の加護』を奪う事が理由なのだとしたら、もう一人狙われる人間がいるように思える。
 与えられた『神の加護』を消し、その恩恵をはねのける能力。もしかしたら、他人の『神の加護』さえも消してしまうかもしれない右手―――『幻想殺し(イマジンブレイカー)』―――を持つ上条当麻も、彼らにとっては『神の敵』足りえるのだから。
『人形使い』の事を知っていた以上、結奈よりも多くの魔術関連の事件に関わっている上条の『幻想殺し』を知らないはずがない。
 そして、最初に視線を感じた公園でオルソラを拾ってからは、常に五和を中心とした天草式の誰かと行動を共にしていた結奈と違い―――上条には、教会襲撃の直前に単独で行動していた時間があった。
 しかし、その時にはテッラは動いていない。
 そこにどういう意味があったのか。なんとなく、その事が気になった。
「なぜ自分が、ですか? ……ふむ。それはつまり、『幻想殺し』の事を言っているのですかねー?」
 テッラは少しだけ考えたそぶりを見せ、そう返す。そして、何かに納得したように軽く首を縦に振った。
「ああ、そういう事ですか。『人形使い』について、まだそこまでは理解出来ていなかった、と。……それなら、これが最後になるでしょうし、自らの罪深さぐらいは教えて差し上げましょうかねー」
 テッラは続ける。
「簡単な事です。その能力が一体『何』を操っているのか、ただそれだけの話ですから」
「操って、いる……もの?」
「『人形使い』は異能を直接操っているというわけでは無い、という事です。それが出来るのならば、自動制御の魔術も操る事が出来るはずですからねー」
 今まで結奈が考えもしなかった事だったが、確かに言う通りだった。
「答えはそう難しいものではありません」
 そこで一呼吸置き、テッラは核心へと話を進める。
「『人形使い』が干渉するのは、異能と使い手を結ぶ意思。それを乗っ取り、自らの意思を割り込ませる事で異能を操る……なればこその『人形使い』なのですよ」
 テッラの言葉に、結奈は何も答えられない。ただ、黙ってその話を聞いていた。
「それならば、『神の加護』を行使する意思とは一体どんな存在なのか、という事です」
 ここまでくれば、結奈にもテッラの主張が理解できる。
「自らのために、神の意思すら捻じ曲げようとする……これほど明確な『神の敵』はいないと思いませんかねえ?」
 全てを聞き終わった結奈が感じたのは、深い安堵感。
(そっか……だったら、上条くんは大丈夫なんだ)
 狙われていたのは最初から結奈だけだった。それが分かったから。
「さて、これで自らの罪も理解できたでしょうし、煉獄で罪を洗い流す事も出来るでしょう。そろそろ終わりにしましょうか」
 そう言ってテッラは再び笑みを浮かべた。凄絶な、殺気の籠った笑みを。
 安堵感で少しだけ気が抜けていた結奈の体が、その殺気を受けてゾクリと震える。それは、これから自分がどうなるかを結奈に想像させた。
 どこか遠くに感じていた命の危機が、それによって急速に現実味を帯びていく。
(いや……)
 ほんの僅かに身体を動かす事しか出来ない事実に、結奈の全身が震えだす。
(怖い……)
 暴走したインデックスと相対した時も、一方通行(アクセラレータ)からミサカ一〇〇三一号を守ろうとした時にも感じなかった恐怖が、結奈を支配していく。
(怖いよ……)
 虚勢を張る相手も、守りたい人も、守ってくれると信じられる人もここにはいない。
(死にたくない)
 誰もいない、ひとりぼっち。それが結奈の心を蝕んでいった。
(助けて……)
 虚勢も、建前も、全部が剥がれ落ちて―――ぎゅっと目を閉じた暗闇の中で最後に想ったのは、
(……上条くん!!)
 来るはずのない、大切な人の名前。
 ゆっくりと、テッラは右手を横に薙ぐように動かす。生まれた白い津波によって再び砕かれた無数の床の破片は結奈へと襲いかかり―――ジャリ、という瓦礫を踏んだような音が聞こえた。
 直後、いくつもの破片がぶつかる音が結奈の耳に届く。
 しかし、いつまで経っても想像していた痛みは訪れなかった。
 そのことを不審に思った結奈がおそるおそる瞼を開き、
「……え?」
 飛び込んできた光景に、呆然と声を漏らした。
 結奈の目の前。僅か数十センチほどの距離に誰かが立っている。
 身に纏っているのは、どこの学校でも変わり映えのしない学生服の黒ズボンと白いシャツ。
 違うのは、背中の部分が大きく斜めに裂けて真っ赤になっている事と、その上にある尖った黒髪。
 ほんの一時間ほど前、今と同じ場所で見つめていた背中が―――そこにあった。

「どういう状況なのかはよく分かんねぇけど、なんとか間に合ったみたいだな。―――大丈夫か?」

 もう自分に向けられる事は無いと思っていた声が、結奈に届く。
 しかし、その問いかけに結奈は答えられなかった。
 予期せぬ事態に対する混乱。どうしてここにいるのかという疑問。そして、それ以上の助けに来てくれた嬉しさ。
 それらが混じり合い、結奈の頭の中を真っ白にしていたからだ。
 何も返さない結奈に対して不吉な想像をしたのか、慌てて振り返る上条。
 しかし、結奈が無事である事を確認すると、安心したようにはにかんだ。
 結奈はそれを見て僅かに笑みを浮かべ―――そこでようやく、今の状況を思い出す。
(テッラは!?)
 そう考えて視線を巡らした結奈が見たのは、ボロボロの天井へと向かっていく白い津波。
「上条くん!」
 上、と結奈が叫ぼうとした瞬間。バチバチ、という電気の火花を飛ばすような音と共に、結奈の後ろから強烈な雷光が放たれた。
 それは一瞬辺りを白く染め上げた後、薙ぎ払うように白い津波へと襲いかかっていく。
 荒れ狂う雷撃は白い津波を引き裂き、焼き尽くしていった。
 しかし、その雷撃をもってしても全てを止めることは出来ず、潜り抜けた僅かな白い粉が天井の一部を削り取る。
 それは頭二つ分ほどの大きさの瓦礫となり、結奈達へと一直線に飛来した。
 結奈はとっさに上条へと警告をしようとするが、この状況ではどう考えても間に合いそうにない。
 それでも何とか声を絞り出そうとした結奈の耳に、パァン、という安っぽい爆竹のような炸裂音が届いた。
 同時に、結奈達に向かっていた瓦礫の端が砕け散り、軌道が不自然に変化する。
 その結果、瓦礫は結奈達には当たらず、横を通り過ぎていった。

「お姉さま!! 大丈夫ですか!?」
「大丈夫ですか、お姉様!!」

 立て続けに起こった出来事に混乱し、目を見開いて呆然とする結奈が聞いたのは、考えもしなかった人物達の声。
 全身に走る痛みを堪え、ゆっくりと結奈は首を動かす。
 振り返った先に見えたのは、いつものセーラー服とスカートを着て両手でアサルトライフルを抱えた佐天と、常盤台の制服に身を包み前髪から放電しているミサカ一〇〇三一号―――結奈を姉と慕う、少女達の姿だった。


感想掲示板 作者メニュー サイトTOP 掲示板TOP 捜索掲示板 メイン掲示板

SS-BBS SCRIPT for CONTRIBUTION --- Scratched by MAI
0.20469284057617