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[5644] 気が付いたら三国志。と思ったら……(真・恋姫無双憑依)
Name: タンプク◆2cb962ac ID:3c5cd96a
Date: 2011/01/01 23:52
>3月中の更新を目標に頑張りたいと思っていますのでもうしばらくお待ちください。

何と言いますか、色々と申し訳ありません。
とりあえず再開したいと思います。


<更新履歴(2009年2月以降)>
2011/01/01 外伝8・呉その4(蓮華・亞莎・元直)前編 追加

2009/12/26 その16追加

2009/12/15 その15追加

2009/11/23 その14追加

2009/09/04 外伝7・私塾その4(元直その2)追加

2009/08/22 外伝6・呉その3(蓮華その2)追加

2009/08/13 その13追加

2009/08/11 外伝5・呉その2(蓮華)追加・その他板へ移動

2009/06/20 感想数200突破記念、その12追加

2009/06/17 外伝4・呉その1(亞莎)追加

2009/05/19 外伝3・私塾その3(元直)追加

2009/04/11 その11追加

2009/04/06 その10追加

2009/02/25 その9追加

2009/02/11 感想数100突破記念、外伝2・私塾その2(雛里編)追加

2009/02/10 その8追加



*大幅改定以外の誤字修正などは無視








外伝が本編の間にあると読むのに不便な気がしましたので全て下へ移動させました。
それに伴い最新更新を一目で分かるように、更新履歴を追加。

あと二次作品ですので嫌悪感をもたれる方はすぐさま戻るボタンを押すなり、右クリック押しながらマウスを左に動かすなりする事をお勧めします。

それではよろしくお願いします。



[5644] その1・改訂版
Name: タンプク◆2cb962ac ID:3c5cd96a
Date: 2009/01/17 01:02
 ふと気付いた時、俺は知らない天井を見上げていた。今思えばそれが最初に覚えた違和感だったのかもしれない。
 とはいえその時俺は生後ンヶ月。何かおかしい、と曖昧に思っただけですぐに忘れた。
 その後喋れるようになり歩けるようになり、そう、人は成長する。成長とは当然ながら身体だけではなく頭の方も賢くなってくるわけで。
 "自分"というものを確立した時俺は改めて事の異常さに気づいたのだ。それは違和感の正体、"俺"が数年前まで21世紀の日本で大学生をしていたという事、正確に言えばその記憶をようやく歩けるようになった俺が持っているという事だ。

「…………」

 少し間を取った後辺りを見渡す。
 うん、どう見ても21世紀の日本じゃない。ガスも電気も水道も無いってどこの未開の地だよ!

 さらに言うと今の俺、姓は諸葛、名を瑾。
 あれ? 三国志?
 しかも諸葛瑾! 後に呉の孫権に仕えることになる。そして何より、あの何でもかんでも自分の所為にされる孔明の兄ですよ! 
 俺もつい先ほど叫びましたよ「孔明の罠か!」


 …………。


 落ち着け俺。俺が本物の諸葛瑾ならば奴はまだ生まれていない。ならばいくらなんでも罠を作る事は出来ないだろう。
 それに大事な事はこれからどうするかだ。
 何故こうなったのかは知らないが異世界迷い込みではなく憑依モノであることを考慮すると、もとの時代には帰れない、のか?
 もしかしたら魂(?)だけ帰れるのかもしれないが、その場合この諸葛瑾はどうなるのか……いやまぁそれはいいか、帰れるに越した事はないのだから。
 問題は帰れない場合で、そうなると当然諸葛瑾としてこの時代を生きなくてはいけない。
 その時は史実どおり呉に仕官した方がいいのだろうか? そすうると江東に引っ越さないといけないなぁ。

 そもそも諸葛瑾って……どうせなら諸葛亮にしてくれればいいものを。簡単な経歴と地味に使える内政型武将って位しか知らないぞ。

 その超有名人の諸葛亮は三顧の礼とか言うストーカー行為に根負けして劉備に仕えるだろうし、俺が呉に仕えると立場的にどこぞのチート一族・兄みたいになるんだろうなぁ。ちょうど兄弟間の知名度の差も似た感じ。
 とはいってもどこぞの兄が逆境の中、家を守りぬいた様に諸葛瑾は大将軍、左都督を兼任したんだよな確か。それ考えるとかなりすごくね?

 だけどなぁ……。

 すごいことはすごいのだが、それら全て史実の諸葛瑾がやったこと。いくら歴史の知識があろうと二流大学生だった俺にそれをなぞれるとは思えない。転生主人公と言う事で何かステータスブーストがあればいけそうな気もするが、今のところそういった兆しはない。

 浮いたり沈んだりする気持ちを落ち着けて今の俺に出来る事を考えてみる。
 あるか分からないものを期待するほど楽観的ではないので今のところ歴史の知識が俺に残された唯一にして最大の武器だ……武器、なのだが。
 残念な事に俺が知っているのは大まかな流れであって細かな人の動きなど分かるわけがない。そんなんで歴史どおりに事が上手く運ぶのだろうか? 世の中そんなに甘くなさそうだぞ。
 こうして考えると歴史を再現するか否かの前に例え再現すると決めても果たしてそれが出来るのか? と言う問題に直面するわけだ。


 無理なんじゃないかなぁ、と言う気持ちといやいや流れに乗れば後は何とかなるっしょ、と言う気持ちが半々で押し合いを演じている。


 かつてこれほど深刻に何かを考えた事があっただろうか(反語)。
 次第に思考は何故こんなに深刻に悩んでいるのかという方向へと舵をきった。…………あぁ、命がかかってるからか。
 うん、答えは得た。大丈夫だよ――じゃない。ちっとも大丈夫じゃない。俺がこれからどうするか、全く決まってないだろ。 

 それでどうする?

 俺は自分に問いかけてみるが、そう簡単に答えが出るならこれほど苦労はしていない。

 あ…………。

 そーだ、よくよく考えてみたら諸葛瑾の幼少時代とか俺知らないぞ。つまり、知らないのだからさし当たってすることはない、いや出来る事が無い。
 それに諸葛瑾もこの年から明確なビジョンを持っていたわけじゃないだろう、むしろ下手に何かする方がまずいかも知れん。とりあえず俺を見てひそひそ話しをしている両親を何とかしよう。その後は7年後、だったか? に生まれてくる弟のサインをもらう。
 こんな流れでいいだろう、少なくとも今の俺に出来るのはそこらが限界だ。
 ていうか両親よ、俺の頭は正常だ。


 ………………。
 …………。
 ……。




 そして7年後、お腹の大きくなった母親を見るたびに孔明キターと心の中で叫ぶ俺がいた。時たま声帯を使って叫ぶ俺がいた。

 諸葛亮。字を孔明。
 簡単に説明すると。

 知略100。
 天下三分の計。
 幾億の配管工を奈落の底へと叩き落した。
 クリムゾンフレア最強。魔力だけじゃなくて隠しパラも最強。

 後ろ半分違う気はするが、誰もがその名を知っているほどに活躍した俺の弟、へへ……オラわくわくしてきたぞ。
 周囲が引き気味に精神的にも物理的にも距離をとる中、歴史上の偉人に会える。その事に俺は普段信じない神仏へ感謝の踊りを捧げる。
 更なる誤解を360度くまなく撒き散らしながらも俺は弟の誕生を今か今かと待つ。待ち続ける。正直眠たくなってきた。


 そして……。
 おぎゃーおぎゃー、と甲高い声。

 キター!

 とばかりに飛び出す俺。それは弟の誕生を心待ちにする兄そのものだった。今までの奇行を考えなければとても良い兄だ。
 一仕事終えたお産婆さんは汗を拭いながら微笑ましげに俺を見ると。

「元気な女の子ですよ」

 …………あるぇ~?



[5644] その2・改訂版
Name: タンプク◆2cb962ac ID:3c5cd96a
Date: 2009/11/23 02:58
 コレってなんてバタフライ? どこをどう間違えたか弟が妹に変わってしまった。
 いやそれだけならいいんだけどね。諸葛量亮って諸葛瑾より7つ下だった、といううろ覚えの知識しかなかったから。この妹は諸葛亮の姉で来年か再来年諸葛亮が生まれる、こういう流れなら問題は無かった。
 しかし……。

「何で女なのに諸葛亮」

 止めようとはした。おかしいだろ、と。
 そしたらおかしな物を見る目で見られた、実の親に。
 俺は頑張った。しかし頑張るだけではダメ、世の中結果が全てだと早7歳にして一つの真理に到達した今日この頃。
 結局、妹は亮と名づけられました。
 うん、諸葛亮。いづれは孔明と名乗る稀代の大軍師だ。今はすやすやと眠っているが将来そのあふれんばかりの知略を持って劉備を蜀漢皇帝へと押し上げる……のかなぁ。

 天使の微笑みを浮かべる妹に、当然ながらそんな影は全く見られなかった。


 ………………。
 …………。
 ……。



 早いもので亮が生まれて10年程過ぎた。年を正確に考えようとすると頭痛がする。何故だろう?
 今俺は妹と共に水鏡先生の私塾に通っている。
 おかしいおかしいと思っていたこの世界。しかしここ最近はおかしいのは俺の頭だったんじゃね? と深刻に悩むようになった。

「あ、あああ、あの」

 原因は、額を押さえ主に精神から来る頭痛に耐える俺に、あわわと何事かを必死に伝えようとする幼女。

「何だ士元?」

 士元、つまり鳳統。妹、諸葛亮の親友であり幼女。大切な事だから二度言いました。出会った瞬間「お前のどのあたりが鳳統だぁ!」と叫んでしまったのも今や懐かしい思い出である。
 そしてその後普通に会話できるようになるまで半年を要し。その間妹からは白い視線を受け続ける事になったのは苦い記憶だ。

 あと字を持っているのに幼女とかは気にしてはいけない。この物語の登場人物は18歳以上なんだ。10年"程"しか経っていない今も18歳以上なんだ。
 ……メタ発言はこのくらいにして。

 正直頭がおかしくなりそうだ。果たして曹操はこいつの言で船を鎖でつなぐだろうか? 俺なら笑いながら言う。「村に帰れ」

「えええと、雛里でいいです」

 そうそうこの世界では姓、名、字の他に真名というものがあった。最近信じられなくなり始めているが、俺の知る歴史では無かった筈だ。
 真名とは特に親しい者のみ呼ぶ事を許される名らしい。
 だったら字いらなくね? と疑問に思うのだが、おそらくは官職名<字<名<真名という順なのだろう。そうだと勝手に納得した。後にこの世界では名<<(越えられない壁)<<真名だということが分かった。
 ちなみに孔明を呼ぶときは真名である朱里を使わないといけない。孔明と呼ぶとすごく悲しそうな顔をする。孔明、若しくは諸葛亮で慣れ親しんできた俺にとっては苦行……かと思いきやそうでもなかった。このときばかりは妹が妹で会ったことに感謝したね。

 で、名前の事は良いとして。
 このあわあわ言ってる幼女が鳳雛……妹で慣れているはずだったが、いやだからこそせめて鳳統には知将っぽい人であってほしかった。個人的イメージとしては諸葛亮が竹中重治、鳳統は黒田孝高いや山本勘助か。
 きっと俺のイメージをハンマーで殴りつけ、チャッカマンで燃やして(放火は重罪です。ダメ絶対)、粒子分解機にかけ再結合させるとこうなるのかな。そして人はそれを別物と言う。




 以下妄想。

「――じゃないか?」

「兄上それはおかしい」

「いやまて孔明。子瑜殿の言う事も一理ある」

 俺と静かだが重みのある言葉を交わす二人の知将。


 ………………。
 …………。
 ……。


 妄想終了。
 現実に目を向けてみるよ。

「はわわわ」

「あわわわ」

「…………」
 
 儚い夢だった。
 こいつと妹が並んでいる姿は微笑ましくはあってもそれだけで、こいつらなら天下ではなく1食のラーメンを3つに分けて喜びそうだ。
 ていうか今俺の目の前で水鏡先生からもらった肉まんをどのような計算を行ったのか、正確に3等分して一切れ俺に渡してきた。涙があふれて止まりませんでした。何故かその後二人の好感度がアップした気がするが、気のせいだろう。

 しかし、腐っても、じゃ無くて女でも諸葛亮に鳳統。頭の方はすごく良い。本当に、一緒に勉強していて俺がへこむ位に。

 愚兄賢弟、いや賢妹か。
 何故か青い狸の顔が浮かんだ。
 ちなみに今の俺はともかく史実の諸葛瑾も信州にいたチート一族の兄も愚兄じゃないぞ。ここ、テストにでます。

「え、えと。それで」

 必死に何かを伝えようとしている士元とその横で心底楽しそうに本を読んでいる孔明。こいつらを見ていると、俺は愚兄と呼ばれても文句を言えない。諸葛亮の兄とは言え中身はただの大学生。しかも才気に満ち溢れていたりとかいう補正はなかった。
 最近は幼女に教えられながら勉強に打ち込む日々にも慣れたしな。プライド? 何それおいしいの?
 そもそもこの世界に碌な娯楽は無いし遊んでる余裕も無い。イコールで勉強以外にする事がない。目の前の幼女二人がかもち出すほんわかした雰囲気とは裏腹に現状は割と切実だった。

「そ、それで、ここ間違ってます」

「…………サンクス」

「??」

 でもたまに泣きたくなる。だって男の子だから。
 最近切実に思うのだが。まだ見ぬ劉備、曹操、孫権よ……多くは望まん。ただ、男であってくれ。



[5644] その3・改訂版
Name: タンプク◆2cb962ac ID:3c5cd96a
Date: 2009/01/17 01:02
「わ、わたしはここで学んだ知識で苦しんでいる人たちを助けたいんでしゅ!」

「オーケー、とりあえず落ち着け」

 かまない程度にな。

 額を手で押さえつつ、興奮して顔を赤くしている妹を押しとどめる。
 で、何だって?

 あぁ、黄巾の乱。張角さんね。…………黄巾の乱?
 いやいや待て妹よ。少し早まっていないか?

 お前が世に出るのはまだ後だろ……おとなしく書生しとこうよしょせー、出来れば一生。

「落ち着け、まだあわてるような時間じゃない」

 手のひらを大地に向け首を振る。

「たまにお兄さんの言う事が分かりません!」

 おかしい、この一言には皆に冷静さを取り戻させる不思議な説得力があるはずなんだが。
 あぁそうか、ネタが通じないのか。俺の年代ではほぼ全員が知っていたから失念していた。

 ヒートアップしていく妹。何とかなだめようと、肩に手を置こうとした瞬間。

「お兄さんの……バカァ!」

「ぐはぁあ!」

 朱里の右がカウンター気味に俺の左ボディを貫く。

 クリティカルな効果音が俺の頭に響き、続いてギシ、と嫌な音が。
 ……6番と7番持ってかれた!?

 わき腹に走る激痛に、俺はたまらずその場に崩れ落ちる。
 痛っ、ちょっとこれ……すごく痛いぞ。

 割としゃれにならない攻撃を食らい悶絶している俺の視界の端に走り去っていく朱里の背中が映った。その手には大きな袋が。衝動的な行動に見えるがちゃっかり準備をしているあたり朱里らしい。
 俺は走り去る妹の背に頼もしげな視線を向けたりしていた、のだが。

「ま、待って朱里ちゃん、私も!」

 ブルー、じゃない雛里、お前もか!

「ま、待て……お前はまずい…………」

 痛むわき腹を押さえつつ必死に雛里を止めようと手を伸ばす。
 朱里と一緒に行動してたら劉備に仕えてしまうじゃないか。連環どーすんだよ。

「ごめんなさい!」

 そう言って雛里は俺を突き飛ばす。詳しく言うとわき腹を押す感じ。
 頭はともかくとして力は見た目相応なので普段ならばものともしない攻撃も肋骨にヒビの入っている今は致命的だった。

「――っ!?」

 完全に折れたか……。
 さすがは軍略に定評のある鳳統。確実に急所を突いてくるぜぃ。

「ちょ――」

 よろけた俺は足元に転がっていた椅子に足を取られ。

「がっ……」

 あ、頭。
 机に頭を強打した。

 何と言う罠。
 孔明と士元の罠! これは誰も体験した事の無い合わせ技だ。
 俺は霞む視界の中、雛里の背中に手を伸ばすが折れた肋骨のおかげで大声が出ない。前しか見ていないロリ帽子につぶれた蛙の様な俺の声など届くわけがなく……。
 軋む蝶番の音、続いて大きな音を立てて扉が閉まった。

「…………」

 頭を強打した影響か視界が回る。
 そして外の光が閉ざされると同時に俺は意識を手放した。


 ………………。
 …………。
 ……。


 どの位寝ていたのか。目を覚ますと暗い部屋に部屋に俺一人。
 何故か怪我の手当されてるんですが……水鏡先生か?

 しかし、だとすると何故俺は一人でここにいるのだろうか。わざわざ手当てした後俺を放置した? 何故?
 疑問は次々に沸いてくるが答えてくれる人はいない。

 途方にくれて周りを見渡すと、そこは見た事もない……ではなく。間違いなく見慣れた私塾だ。

「水鏡先生? 元直?」

 嫌な予感に駆られ痛むわき腹と頭を庇いつつ起き上がろうとした時、カサリ、と手に何かが……。
 感触から、紙?

 見るとそれは一通の封筒で、表にでかでかと。


『破門状』


 とても分かりやすく書いてあった。
 開いてみる。

『二人にもしものことがあったら……』

 なんて続きがとても気になる内容。もう読めないであろうどの漫画の続きよりも気になる。それはきっと続きが俺の中にあるからで、どうなるか知っているからで。

「…………」

 絶え間なく流れる汗はわき腹の痛みだけではない。いや、俺の考えどおりならば痛みを感じる事が出来なくなる。

「死ぬ、冗談なくコロサレル」

 私塾で経験した数々の臨死体験が頭をよぎった。そう言えばお父さんとお母さんが慌てた様子で「こっち来んな」とか言ってたなぁ。
 何故私塾でそんな体験をするのか、そう問われても俺には何も言えない。ただ、普段はおっとりしている水鏡先生。しかしその内に般若の顔を持っているとだけ言っておこう。
 カタカタカタと歯が音を立てる。よくみると震えてるのは体全身だった。

 あれ? 巻かれた包帯に何か書いてある。



 …………『殺』…………。


「!?」

 ガバ、と立ち上がると破門状を握り締めわき目も降らずに私塾を飛び出した。こんな事をしている場合ではない、一刻も早く二人を見つけなければ!
 外に出るとあたりは既に暗く、当然二人の姿は影も形もない。

 どこに行った!?

 落ち着け落ち着け俺、こういう時こそKOOLにならなければいけない。そう、俺はやれば出来る子だと言われ続けてきた。
 小学校の先生に言われた時は褒め言葉だと思い、高校で言われた時には微妙だと分かっていた。
 しかし、すべては布石。今この瞬間のための!

「あいつらは人を助けに行った! ならばとりあえずは人里、どれほどの天才であろうと、人がいなければ人を助けられまい!」

 叫ぶと同時に走り出す、わき腹の痛みなどもはや忘却の彼方だ。
 今の俺はきっと、精神が肉体を凌駕しているのだろう。人はそれを脳内麻薬という。


 ………………。
 …………。
 ……。


 走る~走る~しょかぁつぅき~ん。ながれ~る……♪
 頭に流れるBGMが俺を励ます。良い感じにトンでる精神が俺の脚を動かしている。

「げ、はぁ、ぜ、ぐは」

 止まりたいけど止まれない。いやすでに俺は自分が止まりたいと思っているのかも分からなくなってきた。むしろ死ぬまで走り続けられそうだ。

「げ、ほ、がはっ、げふ」

 走っている間に事態を整理しておこう。

 妹が私塾を飛び出していきました。ついでにその親友も出て行きました。そして俺は先生から破門状をいただきました。
 まとめて見ると短いな。もっと大変な事があった気がするんだが。

 そう思い首をかしげた俺の目に飛び込む『殺』の一字。

 あぁ、そうだったか……。
 追わなければいけない、命を賭して。今や二人と俺は運命共同体、彼女達の身に何かあったら俺は水鏡先生に…………。

 大げさと言う事なかれ。
 私塾では色々あったんだよ……。特筆すべきは何故か被害は俺に収束する事。おかげで諸々の知識以上に危機察知能力の方が身に付いた、気がする。

 俺は走る。軋むわき腹に鞭打ってひたすら走る。今の俺ならばセリヌンティウスも疑念を抱かないだろう。

「ぐ、はぁ、ぜ、は」

 そしてようやく足を止める事が出来た。前方に見える特徴のある帽子を被った二つの小さな後姿。

 よかった。

 所詮はロリ足。身ふぇ



 ………………。
 …………。
 ……。


「ぐへへへ」

 あ?
 息を整え終わった頃、唐突に沸いた嫌悪感を覚える声。
 見るとそこには見知らぬ男が一人、しまりの無い顔で笑っていた。

 何だ変態か。
 困ったもんだ。
 ふっと、俺は首を横に振った。が、はたと気が付く。その変態の見つめる先にいるのは……朱里と雛里。
 しかもその変態が二人に向けて歩き出しやがった。

 ちぃ、しまったそっち方向の変態か!

「ちょっと待ったぁ!」

 顔面を殴りつけたくなる衝動を押さえて口を開く。
 とりあえずは話し合いだ。
 話し合う事で妥協点を見つけお互いに満足する結果に持っていく。いやそんな小難しい理屈は置いといて、とにかく今はこいつを朱里たちから引き離さなくてはいけない。俺は悲壮な決意で男の前に立ち塞がった。
 そのかいあってか男は俺を見て足を止めた。そして……。

「何だ嬢ちゃん」

 なに? ……制服のままだった。成るほど、この服装では女に見えても仕方が無い。この服だ・か・ら、女に見えても仕方ない。
 後で着替えよう、と心に誓っている俺の身体を舐めるように見た後。男はニヤリと笑った。

「どうした? 何か用か?」

 いや、用は無い。どっかに言って欲しいだけ。…………てかおま、こっちくんな。

「あの二人よりこっちの方が上玉だなぁ」

 んな事は聞いてない。
 そして色々な意味で間違ってるぞお前。
 顔が引きつるのをこらえつつ、俺は目の前の男を観察する。
 クマのような巨体にむさくるしいまでの男らしさ。

 自分に目を向ける。
 女物の服に女と間違われる細く白い身体。

 う、羨ましくなんてないし、僻んでもいない。
 ただ個人的な怒りがこみ上げてくるだけだ。

 話し合い、そんな事を考えていた時期が俺にもありました。
 話し合うためには双方にその意思が無くてはいけない。そして確実に、今の俺たちにそんなモノは無い。

 大股で近づいてくる男。顔に笑顔を貼り付け観察する。
 小さな頃の境遇の所為か俺は相手の顔を見れば何をしようとしているのか大体分かってしまう。もって生まれた才能ではなく生きるうえで身につけた技術だ。
 相手を見て思考を読み、可能な限り自分に都合の良い状況に持っていく。私塾に来たばかりの俺は、それはもう嫌なガキだっただろうな。妹二人以外は全て敵と認識していたのだから。
 しかし、冗談無くあの時の俺は精神的にやばかった。
 水鏡先生は善意で俺たちを引き取ってくれた事はすぐに理解したものの、お人よしの馬鹿とか思っていたしなぁ。消し去りたい若気の至りと言う奴だ。
 俺が精神的にはすでに30を超えていたから良かったものの、見た目そのままだったら絶対に社会不適合者になってたね。10代半ばで見るにしては、大人たちは汚すぎたよ。

 なんて過去に思いをはせている間に男はにやけ顔で手を伸ばせば届く距離まで近づいていた。
 その顔から油断しきっていることが読み取れる。しかしまだ早い、相手が動く一瞬先を狙い討つ。

 実際の戦いなんていうものはよほどの実力差が無い限り先に当てた方が勝つのだ。先手必勝、とまではいかなくともそれに近い確率で。

 そして、見かけから俺を書生の女だと思って無防備に近づいてくるこの男は二つ失態を犯した。
 一つは俺を武の心得が無い女だと思って油断している事。これによりほぼ無条件でこちらの一撃が決まる。
 もう一つは……。

 今!

 怒りと言うものは人に限界を超えた力を引き出させる。スーパーになる野菜の人と同じだ。
 つまり、誰が女だこのヤロウ!
 その気持ちを腕に込め、懐の小刀を握り締めた後神速のイメージで足を踏み出す。あくまでイメージ、俺にそんな身体能力はない。

 視線はただ一点を見つめ、そこを穿つ。

 上から聞こえるくぐもった声、腕に伝わる確かな手ごたえ。
 剣の鞘で人体急所の一つ、肝臓を貫いた。男ならばもっと下のほうにも急所はあるがそこを狙うと鞘を交換しなくてはいけない。それは不経済だ。

「ふっ」

 小さく息を吐いて男から離れる。

「―――」

 男の呼吸と思考を読みきり完全に不意を付いた急所への一撃。
 男は声も無く崩れ落ちた。
 この世界はわりと腕力がものをいうのでこういう輩はあふれんばかりだ。そんなわけで俺も一応剣の手ほどきは受けているが、はっきり言って才能は無かった。むしろ俺にある才能って何なんだろう。碁は7つ下の妹に負け続けるしね。

 おっと。
 そんなことより朱里と雛里は――。

 当初の目的を思い出し慌ててあたりに視線を飛ばす。探すまでも無く、目当ての二人組みは、こちらに気づきもせず談笑しながら歩いていた。
 やれやれだ。
 腰に手を当てて二人を眺める。それは私塾で何度も見た光景。

「――っ」

 内側から沸き起こる衝動に息がつまった。
 今でこそ人ごみの中自然に笑えているが、初めのうちは二人とも俺の後ろが指定席と言わんばかりにしがみついてきた。さすがにこれはまずい、と特訓したのだがそのときの苦労は筆舌しがたく、特に雛里の方は朱里と二人がかりだったよ。

 …………。

 そのまま過去に飛びそうになる思考を慌てて引き戻す。重要なのは今これからで、彼女たちは新しい道を歩こうとしていて……場合によっては俺が手を焼けるのもここまでだ。

 寂しくなって泡を吹いて痙攣している男を足の先でつつく。
 先ほどの一撃、そういった苛立ちもこめさせていただきました。
 ていうかお前みたいな変態に彼女たちの道を閉ざされてたまるか。

 なにより……。

「変態が、俺の妹達に近づくなっての」

 視線だけで孕みそうなんだよ!



 ………………。
 …………。
 ……。



 その後3日間二人をストーキングする日々が続いている。付け加えておくと服は買って着替えた。私塾の外でいつまでも女装していられるほど男を捨てていない。

 二人を見ている間に俺が沈めた犯罪者予備軍(数名犯罪者含む)は両手で数えられないほどに膨れ上がっていた。
 正直付いてこなかったら、と思うとホント心臓に悪い。
 そもそも武術の心得が無い少女二人だけで旅する事自体自殺行為なのだ。水鏡先生はその辺りも考えていたんだろうな、俺もその考えには行き着いただろうが先生のおかげですぐに行動に移せた。……強制的にな。
 とはいえ俺の武力など数値にして30位か? 今までは雑兵レベルだから何とかなっているが、武術を極めた変態が出てきたらどうするか。どんな変態だという突込みが来そうだが、この広い中国大陸、いないとは言い切れない。

「仕方無い、か」

 ぽつりと言葉が漏れる。
 次誰かに絡まれたら二人を私塾に連れ帰ろう。なるべく彼女たちの意思は尊重したかったが命あっての物種だ。

 そう決心した俺の前で早々に事件は起きた。それはもう計られているかのように。

 お爺さんが倒れた。黄巾の兵士が怒った。ミニ軍師スターズ(小軍師姉妹)が兵士の前に立ちはだかった。

 簡単に言うとこんな感じになる。
 ここで重要な事は朱里と雛里が黄巾の兵士の前に立ち塞がっているという事。

「…………何やってんだあいつら」

 いや、やってる事は理解できる。苦しんでいる人たちを助けたいと私塾を飛び出した二人だ。目の前に行動理念が飛び出してきたのだからどう動くかは明らか。
 しかし、何故その有り余る智謀を使わない。お前達が兵の前に立って何がどう変わるというのだ。

 何とかしないと。出来れば二人の前に姿を見せたくは無かったがそう言っていられる状況ではない。ここは――。

「待てぃ!」

 あれ?

 飛び出そうとした俺の先を制する力強い声。
 見るときれいな黒髪を伸ばした長身の少女が黄巾兵に向けて槍のような武具を突きつけていた。

「我が名は関雲長!」

「お前のどこが美髯公――っ! 落ち着け、落ち着け俺」

 飛び出して小一時間程少女に問い詰めたくなる衝動を必死に押しとどめる。今あの少女に詰め寄ったら青龍偃月刀で真っ二つだ。
 ああ、でも言いたい。突っ込みたい。
 最近ボケ(史実との差)に対して突っ込めていないから、体内の突っ込み分が不足している。
 振って沸いた突っ込みの好機。じわじわと誘惑の手が俺に迫る。

 問いたい、問い詰めたい。小一時間問い詰めたい。
 ぐぎぎぎぎ、と体の内側から湧き上がる何かに耐え、悶絶している間にも事態は急転直下。

 関羽と名乗った少女は圧倒的な武力で黄巾兵を退けた。早かった、瞬☆殺だった。
 朱里と雛里ははわあわ言いながら礼の言葉を述べている。うん、礼儀正しい。偉いぞ二人とも。

「…………」

 この二人は良い。何も問題は無い。むしろ今すぐ抱きしめたい。
 問題となるのは今関羽(♀)の元に駆け寄ってくる二つの影、赤い髪のロリと桃色の髪をした天然っぽいの。……すごく嫌な予感がします。
 そして始まる自己紹介タイム。


 どうでもいいが今の俺って不審度MAXだな。
 ……今更か。


 影からこっそり聞いていて分かった事。
 黒髪は先ほど名乗ったとおり関羽。
 そして桃色天然娘は劉備、赤ロリは張飛とそれぞれ名乗った。

 俺はこの世界を過去ではなく並行世界だと結論づけたヨ。もう誰が女でも驚いたりしない。

 劉備と言う事で予測はしていたが自然な流れで仕官を申し出る朱里と雛里。少々(恐らく見た目の関係で)驚いた義姉妹だが、最終的には受け入れた。
 あれ? 三顧の礼は? この頃の劉備ってまだ義勇軍時代だよね? 若しくはそれよりも前か?
 頭を幾多の疑問符が回る。
 歴史的なイベントをすっ飛ばしての進行に俺は呆然と立ち尽くした。

 その俺の目の前で三顧の礼というしち面倒臭いイベントをこなすことなく諸葛亮を得た、しかも鳳統まで同時に手に入れた劉備。
 何も考えていないと分かるパーな顔で笑っているが、奴は今自分がどれほど幸運か理解していない。
 その能天気な笑顔にお前がどれだけ得がたい人材を得たのかを日が暮れるまで切々と語りたかった、泣いて謝っても許しはしないぞ。

 せめてとばかりに劉備に毒念波を送ってい俺に、関羽が鋭い視線を向けてきた。

「!?」

 俺は慌てて建物の影に隠れる。

「愛紗ちゃんどうかした?」

「いえ……」

 俺のことに気づいたのだろうが向こうから手を出す事はしない。来るなら来いということか。
 上等だ。
 ならば逃げよう、脱兎のごとく。
 劉備はともかく関羽、張飛がいれば二人は安全だろう。性別は変わっているが武力の方は伝え聞くまま、つまり90台後半だった。
 俺は二人から視線を切り、背を向けた。そのまま多大な労力を要しながらも足を動かす。

 正直なところ俺も劉備に使えようと、楽な考えを選びそうになった。実際足は一歩彼女たちに近づいた。
 しかし、出来なかった。足を踏み出した瞬間体と精神が乖離するような、奇妙な感覚に襲われたのだ。

 今はもう治まっている。

 もしかしたらこの狂った世界でも歴史の修正力のようなものがあるのかもしれない。
 今更どう修正するのかと疑問はあるが、あの感覚を味わった以上気軽に試せるものでもない。
 どうせ試すのならもっと大切な時に、だ。この世界がまだ史実と完全に離れていないならば一つ、どうしても変えたい出来事がある。試すならその時がいいだろう。

 考えが堂々巡りする。いや、むしろ考えと呼べるほどまとまっていない。
 ぐるぐるする頭に対して一度動き出した足は勝手に前へ前へと進む。
 故にどういう道を通ったのか覚えていない。気が付くとずぶ濡れで私塾の前に立っていた。
 ずぶ濡れ?

「あー、雨か……」

 いかん。ダメージがでかすぎる。下着まで濡れているのに気づかないとは。

 諸葛亮、鳳統。小説、ゲームの中に登場した名軍師。

「…………」

 朱里、雛里。水鏡私塾で一緒に学んだ妹達。

 二人が見た目どおりの、ただの女の子だったら強引に引き止めた。それを出来る自信があった。
 だけど、中と外の差がバーロー以上だからなぁ。いつまでも私塾に押しとどめているわけにはいかないか。
 いかんなぁ、こういうのを妹離れできない兄というのだろう。

 私塾にたどり着いた俺は門を叩く。そういえば服、男物のままだった。まぁいいや。


 …………。


 あれ?

 しかし、いくら叩けど、私塾の門は開かなかった。はて? と辺りを見渡すと。
 門の横にに立てかけられた1本の傘と大きめの袋。

「そっか、破門……か」

 破門状なんてものをもらっていたなぁ。
 恐らく先生なりの背中を押しているのだと思うが……。結局最後まで手間を掛けてしまった。

 袋を掛けてみると俺の私物と、一番上に一枚の手紙、その下にはが小さな包みがあった――お菓子だ。

 手紙は……均か。相変わらず前衛的な文章だ。正直何を言わんとしているのか理解できない。
 続いてお菓子の方は、元直だろうなぁ……。相変わらず上手い、食べてみると少ししょっぱかった。

「俺にも行けって事か」

 それがみんなの答え。
 そうだ、いつまでも二人の後を追っているわけにはおかない。

 俺は私塾の門に深々と頭を下げる。
 その後は振り向く事はせず私塾を後にした。



 ………………。
 …………。
 ……。



「そう言えば愛紗ちゃん、さっき誰かいたの?」

「……変態でしょう」

 思い出したかのような桃香の声に愛紗は苦虫を噛み潰すような顔で答えた。

「この辺りでは筋金入りの変態が出没すると聞きました。恐らくそいつではないかと」

「どんな変態なのだ?」

「何でも妹は俺のものだ、貴様らが目に映す事すら許さん! とやみ討ちした後に叫ぶそうだ」

 実際の噂ではその後に放送禁止用語が連発されるのだが、淑女である愛紗にはとても口に出来るものではなかった。

「まったく気に入らん。変態の上に卑怯だ。叫ぶのなら攻撃する前に叫べ」

 頬を赤く染めながらもしきりに青龍偃月刀の石突で地面をたたく。どうも愛紗はその変態がお気に召さなかったようで、というか変態を気に入る愛紗ではない。

「あわわ。た、多分ですけど」

「む?」

 デフォルトで目つきが鋭い愛紗に視線を向けられ、恐る恐る口を開いた雛里は帽子のつばに顔を隠し沈黙、そしてあたりに流れる気まずい空気……。

「いや、別に責めてるとかそういうんじゃ」

 本気で怖がられているのを見てさすがに愛紗は傷ついた。

「それは妹に手を出すなと言っていたんだと思います」

「え? 二人ともその変態さん知ってるの?」

 朱里のフォローに桃香が驚きの声を上げた。幼いながらも礼儀正しい二人がそういった人物と関わっていたことが意外だったのだ。

「変態じゃないですよ」

「うん、少し変な人だけど」

 見ていてくれたんだ。
 朱里と雛里の小さな胸が温かくなった。
 一緒に来てくれなかった事は寂しいが、これは二人が勝手に選んだ道だ。あの人にも別の道があるのだろう。
 桃香達3人が不思議そうに首をかしげる中、と朱里、雛里は心底嬉しそうに微笑んでいた。



[5644] その4
Name: タンプク◆2cb962ac ID:3c5cd96a
Date: 2009/02/10 22:32
 孫堅がすでに死んでいるというミステリー。
 孫策は袁術の客将となっているようなので目指せ、荊州な現状。

 情報をくれた旅人っぽい人に「孫堅、孫策って女?」と問うたら怪訝な顔で是と返された。コレは本格的に性別が逆転しているらしい……狂ってやがる。

 正直なところ孫家に仕官するかどうかは今後の状況次第だが、可能性が高い以上この目で見ておいて損はないだろう、孫家だけに……。
 何かおかしなことをいっている気がする。落ち着け諸葛瑾。

 ノリがおかしいのはきっと現在の体調が関係していて。

「ごほごほ、がふ……」

 咳がひどくて呼吸がままならないし頭がふらふらする。
 体調最悪。初めは風邪だろうと甘く見たのが間違いだった。風は万病の元、決して馬鹿にしてはいけない。
 こんな事なら早めに医者に行っておけばよかったなぁ……先に立たないからこそ後悔なのだが、この教訓は必ず次回に生かそう。

 次があるのか。

 ふと、そんな不吉な考えがよぎる。『見知らぬ地』、『一人旅』、『体調を崩す』。全てそろうとかなり心細いと知りました。
 実のところ体調自体は水鏡先生に引き取られた直後に比べれば大分ましなのだが、あの頃はただ寝ているだけでよかった(正確には意識が無かった)。対して今は一人だ。寝ているだけでは誰も何もしてくれない。
 寂しいと死んでしまうウサギの気持ちがが少し理解できてしまったが、何に役立つかは現在調査中。

 いや、ウサギなんてどうでもいい。

 今俺に必要なものは医者だ。路銀にあまり余裕は無いが、そうは言ってられないか。金を後生大事に取っておいて死んでしまっては元も子もない。
 医者に……。

 …………。

 今一瞬意識とんだぞ。

 冗談じゃない。しかも気づいたら大地にキスしてた。
 オーケー、まだ大丈夫だ、ただ天と地がひっくり返っただけだ。大した事じゃない。とりあえず立て、俺。

 体に残る全エネルギーを振り絞り重力に逆らわんと足掻く。
 くそ、100倍の重力とかかかってないか? アニメ的描写だと世界が赤くなってるぞ。

 何とか苦労して起き上がるが、その瞬間ぐらりと視界が回る。

 ……医者まで…………。

 最後に残った意思は懸命に足を動かすが、身体が「や、無理っす」と言う事を聞かない。
 まずひざが落ち、まずいと思ったときには体勢を立て直すことは不可能だった。
 
 あーこれ、やばいな。

 他人事のように緊張感の無い考えが浮かび、視界には地面が近づいて――。


「ちょっと貴方――」


 誰かの声がした気がするが、幻聴だろう。



 ………………。
 …………。
 ……。



 目を開ける。
 知らない天井だった。


 ――っ!?


 がばっと起き上がり、身体に力が入らず布団に崩れ落ちる。

 何で? 布団? ……知らない天井だ。

 いやそれはもういいから。
 自分で突っ込んで活を入れると少しばかり頭がはっきりとして、知らないのは天井だけじゃない事が分かる。ここどこだ?
 まったく繋がらない記憶と現状に混乱しながらゆっくり視線を動かすと、備え付けの机に見覚えのある袋。

 よかった。起きたら別の世界にいました、的な事態は回避されたようだ。さすがに二度も体験したくない。
 しかし、するとここはどこだ? 分かっているのは水鏡私塾ではなことのみ。

 はて、と途方にくれている俺の耳に部屋の外から響く足音が近づいてくる。
 やがて小さな音を立てて扉が開くと一人の少女が入って、いや二人だその後ろにもう一人何故か俺を睨みつける怖そうな女が続いていた。

「目が覚めたのか」

 そう言って微笑むのは前に立つ長い桃色の髪の女性。

「えーと」

 桃色の長い髪といえば劉備さんがそうだったけど違う。なんとなくパーでほわほわしていたあの人とは違い少し緊迫した空気を纏わせている。つまり、知らない人だ。
 目が覚めたばかりの混乱から立ち直っていない俺はただ首を傾げる事しか出来ない。

「蓮華様が散策の途中で倒れていたお前を見つけたのだ」

 俺の考えを読んだのか、後ろにいた髪の短い人が簡単に説明をしてくれた。目つきの割りに実はいい人?

「それはなんとも……」

 つまり道端で倒れた俺を拾ってわざわざ面倒を見てくれたらしい。いい人だ、近年まれに聞く良い話。全俺が泣いた。
 待て待て、泣いてる場合じゃなくて言うべき事があるだろう。

「助けていただいてありがとうございます。私は諸葛瑾。字を子瑜といいます」

 助けてもらったらありがとう。コレ常識。
 心温まる人情に俺の胸も温かくなる。

「そうか、私は――」

 俺の礼にうなずいた後、蓮華と呼ばれた女性は口を開いた、のだが。

「む?」

 どこから沸いて出たのか、第三の女が目つきの悪い人に耳打ちしていた。
 やがて話を聞き終えた目つきの悪い人は先ほど蓮華と呼んだ髪の長い人に近づく。

「蓮華様――」

 何か用事が出来たのだろうか? そう言えばこの人たち何する人だろう?
 正直なところ目の前で内緒話はあまりいい気はしないが、この場合俺が異分子だ。文句を言う筋合いは無い。

「すまない、少し用事が入った。まだ体力も戻っていないだろうからこの部屋でゆっくりしてくれ」

「あ、はい。何から何までありがとうございます」

 まだ動くにはつらいのでその申し出はありがたく頂いておく。
 見知らぬ俺にこんなに良くしてくれるとは、世は乱れているがこういった人情はあるとこにはあるんだなぁ。



 ………………。
 …………。
 ……。



 遠ざかる二つの足音を聞きながら俺は全身の力を抜き布団に身体を預けた。
 あの二人、もしかして忙しい人たちなのか、それなのに俺を見に来てくれたのだろうか? だとしたらやはりいい人達だ。

 次に視線を部屋に向けてみる。

 なかなかに立派な部屋だ。豪華絢爛というわけではないが、つくりのよさが伺える……素人目の判断だけどな。こんな家に住むあの人達は一体何をしている人なんだろう? お付の人っぽい目つきの悪い方が蓮華様と呼んだわけだからピンクの人はこの家の娘なのだろうか?

 分からない事は沢山あったが、やがて答えの出ない問答に飽きた。
 そこでようやく俺自身に考えが回ってきて、

 しかし運が良かったな。あのまま死んでいてもおかしくない状、きょう……。
 待て、今までの経験から言って俺にこんな幸運が振って沸くか? 色々あっただろう、思い出せ諸葛瑾。思い出したならば理解できるはずだ、こんな幸運が我が身に起こる事などあるわけが無いと。
 そう、つまり……答えはノーだ。

 とすれば一見ラッキーとしか言いようの無いこの状況も実は何らかの落とし穴があって……。

 …………!

 まさかとは思うが法外な値段を吹っかけられて、払えなかったら身売りしろとか言われたり。
 はは、まさかな。いくらなんでもそれは無いだろう。そもそもそんなことを考えては善意で俺を助けてくれたあの人たちに失礼だ。
 うん、だからあまり長々と長居するのは悪いな。意味が被るくらい悪いな。御礼と払えるだけの謝礼を受け取ってもらってここを出よう。可及的速やかにここを出よう。



 ………………。
 …………。
 ……。



「蓮華様、何故あのような者を?」

「思春……。何故といっても、あの状況で見捨てるわけには行かないでしょう?」

 あの男、つまり諸葛子瑜と名乗った彼のことだろう。思春らしいと思いながら蓮華は本心を包み隠さず話した。

「それはそうですがあのように不審な男を連れ込むなど」

「その言い方は止めて欲しいのだけど」

 何かいかがわしい事をしたような響きだ。

「身なりはしっかりしていたから見聞を広めに旅をしている書生じゃないかしら?」

「そのように扮した密偵やもしれません」

「姉様ならともかく私を? ありえないわ」

 そう言って蓮華は自嘲気味に笑う。

「そのような事はありません! 蓮華様はいずれ孫呉を継ぐお方!」

 思春の強い口調は強く、彼女が本心でそう思っていると分かる。

「その事は分かっているしその為の努力なら惜しんでいない」

 でも、それはあくまで将来なりうる可能性であって、現実に対処するために必要なものではない。

「今は孫呉を蘇えらせる段階よ。それは私などには到底出来ない事……」

 自分に姉のような麒麟児と呼べる才能は無い。その事は蓮華自身が一番良く理解していた。
 今孫仲謀がいなくなっても孫伯符さえ存命ならば孫呉の再興は成る、それは動かしようの無い事実だ。少なくとも蓮華はそう思っている。

「とにかく彼を見つけたのも何かの縁、人の縁は大切にしないといけない」

 そう言って蓮華はこの話はここまでとばかりに口を閉ざした。


 それが仕組まれたものではないのか。
 そう言おうとして思春は思いとどまった。
 柔らかな物腰に反して彼女の主は頑固だ。このまま反対しても結果は変わらないだろう。
 しかし思春は諸葛瑾という男を信用できない。
 ……ならば。



 ………………。
 …………。
 ……。



 やがて先ほどの部下がもたした"仕事"が一段楽したとき、思春が再び諸葛子瑜という男の話を持ち出してきた。
 どうにも彼女は立場的にも性格的にも他者に対して疑いの視線を向ける傾向が強い。
 それでもその気持ちが主を心配するものであることを理解しているので蓮華は続きを促す。

「まともな精神のものならばそう長居をしようとはしないでしょう」

「それは……そうね」

 もともと孫家に関係のある人物ではない。身体さえ癒えればここに居座る理由も無いだろう。

「もし何らかの理由をつけて滞在を伸ばそうとするならば……」

 なるほど、そういうことか。蓮華は思春の言わんとすることを理解した。
 確かにそうならば少し考える必要もある。

 その時どうするか。
 話がそちらに移ったとき、一人の部下が蓮華に一礼して近づいてきた。

「仲謀様」
 
 彼女は今話している男の世話役を命じていた筈だ。
 しかし、今の彼女の表情は……困惑?

「どうした?」

「諸葛子瑜殿がここを出るのでお二人を呼んで欲しいと」

 もう?
 いくらなんでもまだ身体はいえていないだろうに。よほど急ぎの用でもあるのだろうか?
 怪訝な表情を浮かべながらも蓮華は小さく微笑む。どうやら思春の考えは思い過ごしだったらしい。

 見ると彼女は、どこか憮然とした表情をしていた。


 ………………。
 …………。
 ……。




「いえ、急ぎの用が無いのならば……」

 法外な値段を吹っかけられる前に、ではなくあまり長居をすると迷惑になるので早めにこの家を出ようと試みた俺だったが、何故か先ほどの二人の女性と長話をする羽目になった。

 まずい、まずいですよ。気のせいか引きとめられているような……。
 これはもしや本格的にそっち方向か? 俺が大金を持っていないことなど一目で分かるだろうに……この時代で臓器と言う事は無いだろうから、やはり目当ては労働力か? 冗談じゃない。俺の体力など金の次に無いぞ。

 俺がここから出るというと、蓮華と言う少女がまだ病が癒えていないだろうと返す。
 いい人だった、あまりにいい人過ぎてひねくれた俺の目には怪しく映るほどに。

 その後勃発した帰る帰さないの問答。
 何がどうなってるんだ……。



 ………………。
 …………。
 ……。



「まったく」

 表向き無表情にその場に立っている思春だったが心の中では大きなため息をつく。

 外を見ると日が落ちようとしていた。
 未だここを出ようとする諸葛瑾という男を蓮華様が引き止めている形で続く討論に終わりは見えない。

 熱くなるのは蓮華様の悪い癖だ。

 すでにこの男を引き止める理由は彼女の意地に変わっている。
 出て行くというのならそれでいいではないか、そう思春は思うのだがすでに当初の目的など忘却の彼方。目の前の男も困惑している……いや何故か顔色が悪くなっている?

 とはいえ思春もこの男が密偵の類という考えは9割方捨てていた。もしそうならばここまで頑固に誇示する必要は無い。
 故にこうして主の好きにさせているのだが。

「埒が明かないな」

 二人には聞こえないように注意しながらつぶやいた。

「蓮華様」

「――って、少し待って……何思春?」

「このまま言い争っていても埒が明きません」

「それはそうだけど、彼かなり頑固で」

 それは貴女もでしょう。
 忠実な家臣である思春は思ってもそんなこと口には出さない。

「とりあえずはこの男をここにとどめる事が肝要かと」

「何か考えがあるのか?」

「――はい」



 ………………。
 …………。
 ……。



 なにやらまた目の前で二人が内緒話を始めた。
 何故にここから出る事をこうまで拒絶されなくてはいけないのだろうか。もしかしたら俺にかかった治療費が高かったのかもしれない。
 それならば何とかして払わないといけないなぁ。

 問題は俺の予想があたっていた時……もしそうならば、最悪だ。

「子瑜殿、一ついいか?」

「……何でしょう」

「今貴方に出て行かれるといささか困った事態になってな」

 そう言うと蓮華という少女はいたずらっぽく微笑んだ。そう形容してよい笑顔だったのかもしれない。しかしこの時の俺には「兄ちゃん、そんな勝手はあきまへんで」と言っているように思えた。被害妄想って恐ろしい。

「えぇと、それはどういう」

 恐る恐る、口を開いた俺は帰ってきた答えにスイッチオフ。



「世の中なにするんもゼニが必要なんや。どうしても出て行くと言うんやったら、あんたにかかった治療費耳そろえて返してもらおか。まぁ全額は無理やろうが、その場合は……わかるな?」



 耳から入って途中で分かりやすく変換された言葉が脳に伝わった。変換の途中でおかしくなっているし何か余計なのが付け加えられてる気がしなくも無いが、大意はあってる……筈だ。

「あー、うー」

 声にならない声を発しながら俺は必死に頭を働かせる。
 恐れていた事態キター。しかも値段聞いてみるとすごい事になってる!?

「先ほど行くあては無いといっていたからここで働くのはどうだ?」

 しまった!
 行く当てが無い=ここで使いつぶしても大丈夫。

 この人たちにとってはカモがねぎしょってきた状況か!
 いやまて、治療費を出してもらっている関係でその分働くというのは間違った論法じゃない。決めてかかるのは早計だ。治療費に関しても相場に詳しくない俺に判断できる事ではない。
 そうだ、何も悪い方悪い方に考える必要は無いじゃないか。

 なのに気分はまな板の上の鯛。
 もうどうにでもなれ。とりあえず話しを聞いてみよう。

「えーと、それじゃあ」

 あー、蓮華っていうのは真名だよな。呼んだらまずい。どの位まずいかと言うと相手によっては命に関わる程度に。

「あぁ、そう言えば名乗っていなかったな。私は孫権、字を仲謀」

 …………あれ?

「すみませんもう一度いいですか?」

「別に構わないけど……孫仲謀だ」

 孫権、孫仲謀…………呉の皇帝じゃないか!
 それじゃあこっちの人は?

「甘興覇だ」

 甘寧! 鈴の人だ!

 え? じゃあ、どういうこと?
 ここで考えられるパターンは二つ。

 パターン1、名前を孫権というヤクザな人。

 パターン2、いや全ては俺の勘違い。

 正直パターン2であって欲しい。

 しかし、史実で人攫いしに海の向こうまで兵を送るなんていう読んでた俺もびっくりな戦略をとった前科(?)がある。そう考えるとむしろさらに怪しい。
 そして今現在の問題は孫権さんが俺にどんな仕事を課すのかという所。話によっては何とかして逃げなくてはいけない。今の彼女にはそれほど力は無いだろうから、恐らく逃げられるはずだ。
 もっともそうすると呉に仕える可能性は限りなくゼロに近づくのだが。

 俺は神に祈りながら、何事か思案している孫権さんの言葉を待つ。

「そうだな、とりあえず……」


 ………………。
 …………。
 ……。



 孫仲謀様に仕えるようになって1週間がたちました。
 結論から言おう。間違ってたの俺。そもそも俺にかかった治療費マジで高かったんだよ。
 そして何より孫仲謀様、すごくいい人だった。治療費に関しても俺を引き止める口実で実際に受け取る気は無かったらしい。もっともちゃんと返してるけどね。受け取ってもらえるまでに一苦労あったが……。
 この人が将来海の向こうまで人攫いに行くのなら命をかけて止めてみせよう。それが恩というものだ。
 ていうか助けてくれた上に職までくれるなんて……。妹達が軍師として働いているのに兄・無職、というな情けない事この上ない状況からようやく脱する事が出来たよ。やったね!

「な、何故拝む!?」

 おっといけない、嬉しさと感激のあまり仲謀様に後光が射して見えた、反射的に拝んだ俺を誰が責められるであろうか。

「いえ、助けてもらった上に職までもらえるとは。今俺の胸は感謝の言葉でいっぱいなのです」

「そうか……理由があるなら、まぁ……それでも拝むのは違うと思うのだが」

 気にしないで下さい。


 しかし……。
 今回の事で俺の胸にはいささか不安が残った。

 倒れたら孫権さんに拾われました。いくらなんでも都合よすぎやしないか? なにか得体の知れない力を感じる。
 もしこれが歴史の流れだとしたら、そいつは大河だ。俺一人で捻じ曲げられるものなのだろうか?
 しかし、一つだけ変えたいイベントがある、その為には……。

 …………。

 どうでもいいけど後ろから聞こえる鈴の音何とかならないかなぁ。 



[5644] その5
Name: タンプク◆2cb962ac ID:3c5cd96a
Date: 2009/01/17 01:11

 孫仲謀様に仕えて一月ほどが過ぎた。
 もちろんその間俺はニート生活をまっしぐら。働きたくないでござる!

 …………。

 なワケは無く仲謀様から仕事を頂いている。
 初めは文字を書ければ出来るようなモノだったが回数をこなしていくうち仕事の内容が複雑化し数も増えた。
 とはいえ元現代人でまがいなりにも大学まで進み、水鏡先生の下でこの世界仕様にモデルチェンジした俺、やれば出来る子です。というか戦争とか無理っぽいからこれが出来ないと真面目に出来る事が無い。

 自分の存在意義をかけて、今日も朝から竹簡を消化していく。
 幸運(?)な事に現在孫権陣営に文官が不足しているようで、相対的に俺の価値は高まった。なんでも大半が姉の孫策の方に付いているらしい。

 だからだろうか、やればやるほど増えていく竹簡の数。出来るならもっと増やそうという判断らしい。
 初日は楽だったんだけどなぁ。
 それも今や懐かしい思い出だ。今も目の前にうず高く詰まれた竹簡が俺を威圧している。
 この山を見るたびにいつも思うのだが、軟禁状態のはずの仲謀様にどうしてコレだけの仕事があるのか。
 とてもとても不思議です。




 そういえばこの間孫策さんが黄巾相手に勝利した報せが届いた。
 さすが小覇王、すごいね。話によると周瑜さんと陸遜さんも一緒にいるらしい。何このオールスター、ぶっちゃけ仲謀様が孫策さんと合流したら俺いらなくね?
 就職決まって数ヶ月で首とかしゃれにならんぞ。

「…………」
 
 13通りの未来をシミュレートして見た。
 うち14回解雇された。1回分どこから沸いてきたんだろう?
 まぁいい。とにかく今の職を確たるものにするために失敗は許されない。無職とかもう嫌です。

 かくして決意を新たに俺は初めと比べて数十倍に膨らんだ竹簡へと向き直る。

 ……もし首になったら朱里たちに養ってもらうか。

 一瞬浮かんだ悪魔のささやきは全力で否定させてもらおう。それはやっちゃダメだろ、兄として。
 色々とやってはきたがそれでも譲っちゃいけない一線はある。経済的に妹の世話になる兄……いくらなんでも情けなすぎるだろ。

 そう思うと握る筆にも力が入るというものだ。このくらいの竹簡、今の俺にかかれば……。
 かかれば…………。


 …………。


 ごめん、やっぱり無理。

 正直計算量多すぎです。パソコンが欲しい、せめて電卓があれば。
 というかこの蜂蜜代とか何だよ、額おかしいだろ。そもそも何で俺がそんな計算しなくちゃいけない!?
 出来ないとは言わないけどさ。
 計算する量が多すぎる。蜂蜜の割合も多すぎる。
 仕事の方向的には俺に合っていると思うが、慣れたとはいえ文明の利器を知っているだけにストレスが貯まりに貯まる。


 …………文明の利器?


 ひらめいた。
 電卓は無理だが、アレならば。幸い俺はアレを使える。
 構造自体も簡単だこの時代の技術で十分に再現可能だろう。というか実際あるんじゃないか?
 たまに覗く市場で見たことはないが、頼めば作ってくれるだろう。

 思い立ったが吉日。
 俺はすくと立ち上がり部屋を飛び出した。



 ………………。
 …………。
 ……。


 そして今朝、念願の物が届いた。

 珠、枠、芯を組み合わせて形作られた機能美。その名称を算盤という。
 頼んだ技師はどうやら腕が良かったらしく、思った以上の出来だ。これはもはや現代のソレと遜色ない。

 もっとも形としては現代日本にある天1珠、地4珠ではなく天2珠、地5珠。確かこの頃の中国は尺貫法の関係でこっちの方が便利だったと記憶している。実際、便利だ。
 そういえば算盤は関羽が発明したとか言われているが、創作だろう。商売の神様あたりから来たのかな?

 形はともかく概念自体は古く、紀元前からあったらしい。そう考えると算盤と呼ばれるものの原型くらいはこの時代にもあるんじゃないかなぁ。
 何が言いたいかと言うと、それほど歴史を狂わすものではないだろう、ってこと。

 さて、それじゃ始めるか。
 あー、なんだったか……そうそう。

 ご破算で願いましては――。

 新たな武器を装備した俺は強大な敵(竹簡)に立ち向かう。心なしか竹簡の山が小さく見えた。



 ………………。
 …………。
 ……。

 すごいぞ算盤。アレだけあった竹簡が見る見る間に消えていった。
 あまりの嬉しさに喜びのダンスを踊っていたら入ってきた仲謀様とすごく気まずい空気に……。

「あー……」

「…………」

 沈黙が痛い。
 が、めげずに人格のチャンネルをチェンジ。仕官モードに移行するよ。

「何か用ですか、仲謀様?」

「あ、あぁ。すまない」

 いきなり謝らないでください。

「なんだ、その……仕事の邪魔だったか?」

「いえ、邪魔と言う事はありません、もう終わりです」

 そう言うと仲謀様はきょとん、とした顔をされて……驚いているのか?

「あの量をか?」

 お、話を変えられそうなふいんき(何故か変換でry)。

「あの、と言うのがどれを指しているのかは知りませんが。任された分は終わらせましたよ」

 やるべきことをやらないと追放される可能性がありますから。目立たないながら出来る文官を目指して頑張ります。

「思春もお前も私には過ぎた将だな」

 突然仲謀様が妙な事をのたまった。

「……興覇様はともかく私は違うと思いますが」

 甘寧がチート級であることに異論は無い。実はあの人かなりの万能選手なんだよなぁ、全適正A以上はあの人だけ……ってそれは関係ないか。

「おまえは自分を過小評価しすぎだ」

 苦笑しつつ聞きなれない言葉を使う仲謀様。
 正直なところ謙遜とかではなく心底そう思っているのだが、もしかしたら朱里、雛里という化け物が身近にいた弊害かもしれない。付け加えると元直も化け物臭が漂っていたけど。

 しかしあの孫仲謀が言ってくれたのだ。もしかしたら俺って結構有能なんじゃないか? このままいけば軍師として華麗に兵を……。



「はわわわわ」

「あわわわわ」



 そして脳裏に過ぎる二つの声。
 それは心底ほんわかしたもので、他の誰が聞いても心温まるものなのだが俺には。


「えーマジ~諸葛瑾?」

「諸葛瑾が許されるのは内政までよねぇ」


 と、脳内変換された。脳裏によぎった声をさらに脳内変換する俺、とても器用だと思う。

 いやいや、さすがにコレは被害妄想も甚だしい。
 そもそも諸葛瑾の力が最大に活かされるのは外交だ。そのための技能を持って……。


 それはともかく。


 しかし俺を優秀とするとあの二人は何だ? ……あぁチートか。
 そして最前線はそういうチート武将たちがひしめき合っているのだ。俺も諸葛瑾などに軍を率いさせた記憶がない。あぁ、そうだ俺なんて3人一組になって市場立てたり槍作ったりしてるのがお似合いなんだ。

「ど、どうしたの瑾?」

 喋り方に地が出た仲謀様。
 気づくと俺は床にのの字を量産していた。

「いえ、何でも。身近にすごい出来る奴がいて」

「そう、それは誇らしい事だけど……」

 遠くを見るような目をする仲謀様。
 あぁ、そう言えばこの人もだったか。ただこっちの場合は優劣というより質の違いだと思う。確かに今は孫策向きの状況だから仕方ないと言えば仕方ないのだが。
 一瞬出かけた「あんたと一緒にするな」という言葉はのどの奥に飲み込む。主に対して突っ込むなどとんでもない事です。

「まぁ、正直今更どうでもいいんですけどね」

「どうでもいい?」

 諸葛亮と鳳統に負けたからといって誰が責めるというのか、誰も攻められない。史実だと軍略微妙じゃね? とかあんまり活躍してなくね? とか言われてるが……一緒に勉強してきた俺が言うのだから間違いない。
 やつらは、絶対に何かが憑いてる。

 しかし――。

「だからといって俺が困った記憶も無いわけで、それでも頑張ろうとは思えましたから」

 何よりあの二人の癒し効果は凄まじい。均? あいつはもはや意味不明。何考えてるのか分からん。大事な妹であることに変わりは無いがな。

「それはそうだが……自分が情けなくなったりは」

 …………情けなく?

「いや、そんなに不思議そうな顔をしないでくれ」

 よほどおかしな顔をしていたのか仲謀様は少し困ったような顔をした。

「情けなくは……まぁ何度もありましたけど。慣れですね慣れ」

「な、慣れたのか」

 慣れる慣れる。何より俺があいつらを好きだし。

 自分への劣等感などどこぞの犬にでも食わせればいい。あいつらもそんなことは気にしていなかった。
 ……それでもたま~にヘコム事があるのは否定しないが。

「仮に劣等感を持ったとしても好きな奴は好きであることに代わりが無かったんですよ、少なくとも俺の場合は」

「そう……それはなんとなく理解できる気がするわ」

 そう言って仲謀様は微笑った。
 肩から力の抜けたその笑顔は、俺の中の孫権のイメージ映像である髭面を綺麗に消し去るほどの威力があり……。

 ……あった、のだが。

 ああ、分かってますよ。そんなに近づきませんって。
 左にいる仲謀様と自然な動きで一定の距離を保つ。あまり露骨にやると失礼だし近すぎると命の危険が迫る。そんな地味に難しい作業を続けている俺の右側から聞こえる鈴の音。
 最近は隣に仲謀様がいるにも関わらず、俺に聞こえかつ仲謀様に聞こえない絶妙の音量で鈴を操っている。もはや人間じゃねー。

「しかし」

 あーりんりん煩いなぁ。

「何だ?」

 せっかくの機会だから疑問を解決しておこう。

「仲謀様って袁術に軟禁されている身ですよね?」

「……ああ、そうだな」

 仲謀様は悔しそうに、一拍間をおいてから答えた。

「それなのにこんなに仕事があるって……」

「自分でやるのが面倒くさいのだろう」

 ――え?

 一瞬何を言っているのか理解できなかった。
 面倒くさいって、理由ソレ?

「いくらなんでもそんな事は」

「ある。何と言っても袁術だからな」

 それは一体どういった理由なのか、俺ごときには理解できない 高度な考えが、

「家柄も兵力も良いのだが、少し頭がな」

 無かった。
 仲謀様は語尾を濁したが、それは『馬鹿』といったも同然だ。そうか、ここだと袁術さんは馬鹿の子なのか。

 そして我らが孫呉は頭が残念な人に顎の先で使われているのか。

「…………」

「…………」

 お互い無言だったが何を思っているのかは、何故か、理解できた。

「今日は飲もう」

「飲みましょう」

 後でもう一度聞いてみると、一応仕事を回して仲謀様に余計な事をさせない、という考えかたもあるがそんなことは考えていないだろうと仲謀様が言っていた、鈴の人も同じ意見らしい。



 その後……。


「そもそも姉さまは――」

「ははは、そうですね」

 先ほどから仲謀様オンステージ。マイクを手放しません。そいや酒癖悪いんだっけこの人。
 姉に対する不満、というよりは無謀を責めている内容だが、史実じゃこの人の方こそ無謀だったんだよなぁ……。

「何だ、その目は」

「い、いえ。何でも」

 飲むと絡む人だったのか。
 マイ辞書に新たな一文が書き加えられた瞬間だった。



 ………………。
 …………。
 ……。



「そういえば知っているか雪蓮?」

「……ん? 何を?」

 黄巾党の本陣を攻めろとか言われ、頭の中で17回袁術を斬っていた孫策、雪蓮は親友である周瑜の言葉に怪訝な声で返した。

「蓮華様が新たに将を登用したそうだ」

「へぇ……どんなコ?」

「姓は二字姓の諸葛、名を瑾。字を子瑜という。水鏡殿の私塾にいた、らしい」

 聞きかじった風を装いながらもしっかりと情報をつかんでいるあたり、らしいなぁ、と思いながら雪蓮は生真面目な表情をした妹の顔を思い浮かべた。

「そう、あの子が」

「気になるか?」

「そうね、一度あってどんな"娘"か見てみないとね」

 水鏡私塾=女子校。その知識は二人の中にあった。
 故に一つ大きな勘違いが発生する。


 …………。


「――っ!?」

「どうした瑾?」

「いえ、何か凄まじく嫌な予感が」

 気のせいか?





[5644] その6
Name: タンプク◆2cb962ac ID:3c5cd96a
Date: 2009/01/27 01:01
 その後、黄巾相手に孫策さんの部隊は連戦連勝、流石としか言いようの無い戦果を上げた。
 しかしあくまで局地的な勝利であってチート親子がいくら上田で頑張っても無駄だったように、黄巾党自体の勢いはとどまるところを知らない。
 故に大陸が大混乱に陥ったのも当然の流れだ。

 そんな中、もしかしたら忘れられてるんじゃね? と不安に思っていた俺たちの下にようやく孫策さんからの使いが駆け込んできた。

 話が長ったらしかったので要約してみる。

 YOUちょっと黄巾の本体叩いちゃいなよ。
 ちょ、流石に兵力的に無理ッス。
 だったら各地の部下呼び寄せちゃいなよ。

 袁術って本物の馬鹿なのか何か裏があるのか。主従コンビは脊椎反射で前者を選んだが、本当にそんなんでいいのだろうか?
 いくらなんでもそれは馬鹿を超えてるんじゃないかなぁ……なんて思いながら、ようやく巡ってきた機会にモチベーションが上がりに上がっている蓮華様を見る。

 うん、真名。色々あって呼んでも良くなりました。
 詳しくはまたの機会にして、今はただ蓮華様も妹キャラだった。とだけ言っておこう。

「それでは行って来る、朱羅」

 馬上の人となった蓮華様が素敵な笑顔を俺に向ける。
 ちなみに朱羅というのは俺の真名。均が朱琉なので朱里を入れて羅、里、琉とラ行変格兄妹と呼んでくれ。

「あ、はい。お気をつけて、かつ進展があることを祈っています」

 無事に戻ってきてくれる事が一番だが、命を大切にするだけでは手に入らないものがある。
 マスターカードなど無いこの世界に来て学んだ、学ばされた事実だ。
 ましてや今俺の目の前にいる人はそんじょそこらとは格が違う大望を持っているのだから……変な意味ではなく死ぬ覚悟はあるのだろう。

 ……少し、心配だ。
 確かに俺の知っている孫権は呉の皇帝となった。
 この世界でも武将のエピソードや基本的なイベントは、性別と起こる年代を無視すれば、意外と俺の記憶と一致しているので黄巾との争いで呉が負ける事は無いし蓮華様が死ぬ事もない。
 とは思うのだが、そもそもここは正史と演技をごちゃ混ぜにして、その上でカオス化させたような世界なので俺の知識はそれ単独で用いるのは危険すぎる。

「朱羅? どうかしたか?」

「――いえ」

 少なくとも今蓮華様の前で考える事ではないな。
 聞いた話では呉の主要な武将がせいぞろしているらしい。黄巾相手に遅れを取る事は無いだろう。

「今回は孫呉復興の前座とも言える戦いです、無様な失態は見せないよう」

「言ってくれるな。お前にはすぐに私の武勇を称えさせてやろう」

 そう言ってくく、と笑いながら蓮華様は馬を走らせていった。





「気をつけて」

 誰にも聞こえないであろうが声に出たのはどういう心境からだろう。
 分からない、ただ……。
 孫呉復興、前進するといいな。
 小さくなっていく人と馬の群れを眺めながらふと、そんな事を思った。



 ………………。
 …………。
 ……。



 さて、俺は俺の仕事だ。
 当たり前だが戦があっても街が亡くなるわけが無く、そうである以上仕事は存在していて、誰かは残らなくてはいけない。
 その筆頭として名前が挙がったのが俺。よほど人手不足なんだろうな。

 戦働きが出来るとは思えないので適材適所という奴だろう。戦にいかなくて良いと分かってほっとしたのも事実だ。
 しかし、ほっとできたのはわずかの間。半刻後、俺の顔は盛大に歪められた。よくよく考えれば簡単な事だ、四則演算が出来ればわかるくらいに。

 例えばこの竹簡。袁術へ送られる蜂蜜についてまとめられている。
 何故蜂蜜か、何に使うのか、そんなことは知らない。問題となるのは戦があると無かろうとひたすらにこの作業は続けなくてはいけないという事。

 次、幽閉状態とはいえ蓮華様には興覇さまを含めてそれなりの数の配下がいる。当然彼らは「働いたら負けかな」などと思っているわけは無く、各自仕事を持っている。
 しかし今見渡してみると明らかに人数が減っているのは、戦にいったんだから当然だ。

 これらの組み合わせ。何が起きるか理解できるだろう。

 割られる数に変化は無く、割る数が低下した。
 そう、仕事が増えたのだ。


 …………。


 訂正。
 何故か今までは蓮華様と興覇さまが中心となっていた孫呉関係のものまで俺の仕事に入れられている。

 これは流石に……無理なんじゃないかなぁ。

 ははは、と笑おうにも顔が引きつって上手くいかない、ふと思い出す出発直前の興覇さまとの会話。
 いや、会話ともいえないただ一言だ。



「無理しないように死力を振り絞れ」



 何と言う難しい命令。

 今思えば興覇さまはこのことを予測していたんだろうな。
 それでも何一つ口に出さなかった辺りにあの人の人柄が(悪い意味で)しのばれる。

 というか無理しないで死力を尽くすってどうやるんだよ。
 その二つは両立可能なのか?

 俺の睨んだところ、前半は建前で後半が本音なのだが。もちろん答え合わせをするわけにはいけない、命は大切にしようね。



 ………………。
 …………。
 ……。




 ついにこのときがきた。馬上で蓮華は地平線の先を睨んでいた。

 孫呉の為に戦う。

 幽閉状態にありながらもその意思は常に磨いてきた。袁術にいいように使われている姉の話を聞きながら我が身のふがいなさに枕を濡らす日もあった。
 しかし今、その切欠をつかもうとしているのだ、元々感情の起伏が激しい蓮華だ。興奮するのをとめられるはずが無い。

「蓮華様、この分では予定より半日ほど早く雪蓮様と合流できそうです」

 隣を行く思春は主の気性を理解するが故、あえて感情を排し現実的を引き合いに出す。

「そう、思った以上に兵を集めるのに時間がかからなかったおかげね」

「これまでの準備の成果でしょう」

 これは主である孫仲謀を持ち上げた発言。少なくとも思春にとってはそうだったのだが。
 その言葉を聴いた瞬間蓮華の表情が緩んだ。
 彼女の変化はわずかで一瞬後には引き締められていたが、目ざとい思春は気付く。そしてその原因までも。

(ち……)

 流石に隣り合っている今、小さくとも聞き取られる恐れがあるので心の中で舌打ちをする。甘興覇とはそういった配慮が出来る家臣だった。
 とはいえ舌打ちした彼女も主が今考えているであろう事に対し同意では、ある。それほどのこの件に関してはあの男の存在が大きかったのだ。

 もっともそれと感情は別物だが。

「でも思春も朱羅をかっていたのね」

「…………は」

 いかなる時でも主である少女の言葉を聞き逃す事などありえないが、それでも出来てしまった微妙な間が思春の心中の葛藤を表していた。

「朱羅に任せた仕事よ。思春の方から彼の名前を出すとは思っていなかったわ」

 蓮華と主だった家臣が全て出陣する。それでも孫呉復興までの道のりは長いだろうから準備を滞らせるわけにはいかず、結論として誰かに任せる必要があった。
 その時に真っ先に浮かんだ顔があの男。

「あの男自体は気に食わないところが多々ありますが、恐らくは信用はしても大丈夫でしょう」

 能力に不満は無い。問題は仕官して数ヶ月という、信用できるかどうかという事だが。

 言っては何だが、今の孫権に使えても利点は少ない。
 可能性があるとすれば袁術が差し向けた監視役なのだが、諸葛瑾という男を注意深く観察した思春はそれも無いと断した。何よりあの馬鹿がそんな手を使うとは思えない。
 それでも部下に監視は続行させ、不穏な動きがあれば問答無用で捕らえよといい含めてはいるあたり、らしいと言えばらしい。



 実のところ、確かに助けられたり仕事をもらったりの恩も大きかったが、諸葛瑾なんだから呉じゃね?
 と極めて簡略な思考回路で仕官先を選んだなどという裏事情があったのだが、もちろん彼女達が気付くわけもない。



「それは褒め言葉ね、あなたの場合」

 そう言って小さく微笑う蓮華を見ながら、

(肩の力が抜けるのは結構だが……)

 今まで幾度と無く注意し、聞き入れてもらえなかった問題だ。
 それ故に気に食わない気分に陥ったとしても誰も思春を責める事は出来ないだろう。

 一方で将であり配下である冷静な思考は、原因を考えなければ、結果だけを見れば良い事だ。と判断している。

 結果を重んじる主義である思春はとりあえず今のところは納得する事にした。
 あくまでも今は納得するだけだ。つまり問題の先送り。


 …………。


 ちょうどこの瞬間、遠くはなれた子瑜は突然の寒気に襲われていたとかいないとか。




 ………………。
 …………。
 ……。



 竹簡が一本……二本……。
 九本……一本足りな……い事はない、むしろ山ほどある。
 唐突だが皿屋敷のお菊さんとは仲良くなれそうにないという確信に至った。

 蓮華様が出発して早3日。

 今俺は全力で睡眠を求めている、しかし、そんな身体の状態とは打って変わって心の方はとても穏やかだった。

「お猫様万歳」

「お猫様万歳!!」

 その日、俺は運命に出合った。

 それは猫……。
 神々が創造したこの世でもっとも神秘的かつチャーミングな生物だ。
 人に飼われながらも確たる自分を持ち、人の手から離れてもなお美しい在り方。
 地上でもっとも気高い生物と言っても過言ではない。


 …………。


 ―――で、そんな戯言は置いといて。

「すみません。蓮華様からの伝言をもう一度いいですか?」

 うん、事の起こりは今目の前に居る周泰さんが来たことから始まったのだ。


 ………………。
 …………。
 ……。



「あと……これだけ」

 もう少しで俺は地獄から解放される。
 もちろん日々の仕事である以上明確な終わりは存在しないが、とにかく私室に戻って布団へダイブする権利を得る事だけは確かだ。
 へへ……俺、この仕事が終わったら夕方まで寝続けるんだ。

 脳内はすでに昼寝に最適なスポットが12箇所ピックアップされていた。

 残りはわずか、最後のラストスパート……大事な事だから二度言った。
 頑張れ諸葛瑾。ゴールはすぐそこだぞ。
 誰も応援してくれないので自分にエールを送りながら俺は血走った目を竹簡へと向ける。

 その瞬間、意識が遠ざかり……やがて光の扉が目の前に。

「っは!?」

 やばいやばい別のゴールに行きかけた。俺にはもうすぐ眠れる時間が出来る、こんなに嬉しい事は無い!

 うひゃひゃひゃは、と笑いながら俺は筆を走らせる。

 心なしか周りが静かになった気がするが、疲れがそう感じさせるのだろう。


 …………。


 終わった。
 ようやく、終わった。もうゴールしてもいいよね。
 いや、止められてもする。
 そう、誰も俺の惰眠を阻む事は出来ない。



「何時でも貴方のすぐそばに、それが私、周幼平です!」

 唐突に沸いた気配。
 振り向くと背の低い少女がシュタっと現れた。

「…………」

 周幼平……周泰ね。
 普段ならこんなおいしい場面逃すはずも無く、冴え渡る突っ込みも今の俺のテンションは日本海溝、とっても低いんです。

「あれ? 興覇様の話だと……」

「で、何?」

「あ、はい。蓮華様から伝言です」

 不思議そうに首をかしげた周泰さんから告げられた意外な一言。
 何かあったのか?

 蓮華様の言葉とあれば聞かないわけにはいかない、寝るのはその後だ。


 ………………。
 …………。
 ……。



 そして今。

「つまり、黄巾党との戦いの後もさらに戦いは続くだろうから準備をしておけと」

「はい! 今回の戦乱で世は荒れ、その先に割拠の時代が来ます。ですから軍備の増強は必須! との事です」

 それは、間違いない。そのくらいは俺にでも分かる。
 分かるのだが、蓮華様を送り出すだけでも死にそうになってる今、さらに仕事を増やせと?
 俺は黙って振り返る。それはうず高く詰まれた竹簡、今の今まで俺と死闘を演じていた宿敵(とも)だ。

 …………。

 あ、きっと疲れてるんだ。
 聞き違いに決まっている。

「すみません、本当に申し訳ないんですがもう一度言ってもらえませんか?」

「あ、はい。簡単に言いますと、すぐに使える兵の数と物資をまとめて下さい、という事です」

 疲れてるんじゃなくて憑かれてるっぽいな。きっと今の俺の背中には霊媒師が裸足で逃げ出す何かが住んでいる。

「あー、つまりその……仕事、増えた?」

「そう、です」

「俺の?」

「はい」

 ……あー俺の仕事が増えたのか。そうか。

「あの、子瑜さん?」

「オーケー、理解した……大丈夫だ。今ので忠誠50下がった」

「おーけー? ……ってよく分からないけどそれきっと大丈夫じゃないです!?」

 大丈夫だ、理解したんだ。自分の迂闊さ具合を。

「どう見てもフラグ立ててました」

「ふらぐ?」

 何でもありません。

 何か悟りを開いたような心境。

 ゆっくりと視線を動かすと、そこに広がる阿鼻叫喚、カオスな世界。
 何故か顔が良く見えない文官の人たちがうめきながら仕事をしている。

 それに加えてもう次の準備?
 ……死人出るんじゃないかな?

 正直無茶言うな……と叫びたいところなんだけどなぁ。



 ……はぁ。



 嫌がらせか何かで無理難題を押し付ける人じゃない。そうするより他に無かったんだろう。

「了解しました。何とかやってみると伝えてください」

「分かりました! それでは」

 俺とは対照的な返事を返した周泰さんはしゅた、と消えた。

 あの人も大概人間やめてるなぁ。

 先ほどから突き刺さる視線が痛い。すでに怨念言えるレベルまで昇華されたそれを言語化するなら、「おま……空気嫁」か?
 んなこと分かってるんだよ。だからといって無理です出来ませんで済ませられる状況じゃないだろう。




 この日俺はまた一つ賢くなった。
 戦いは現場だけで起きているんじゃない、会議室でも起きてるんだ!



[5644] その7
Name: タンプク◆2cb962ac ID:3c5cd96a
Date: 2009/02/10 22:35
「それは本当か?」

 今目の前にいるのは伝令であって冗談など言うはずもないのだが事は事だけに、俺は確認の意味をこめて問い返した。

「はっ、孫策様の軍は黄巾本隊を火計によって撃破。その名声は各地に広まっています」

 報せとは蓮華様を含む孫策軍が黄巾党本隊を撃破したと言うもので、流石は三国一の放火魔、俺たちが出来ない事をさらりとやってのける。

 報告のため、大急ぎで戻ってきたのだろう。息も絶え絶えな伝令に下がって休めと伝えた後俺はしばし黙考した。

 黄巾党の本隊を破ったとなれば孫策の名は枯葉に火をつける勢いで広まるだろう。
 人を集めると言う意味でそれは歓迎されるが袁術に目をつけられるという可能性も含まれている。

 せっかく集まってきた武将たちをまた解散させられたりしてはたまらない。何とかこの兵力を維持したまま独立まで突っ走りたいのだが。
 などとしばらく考えたのだが、答えなど出ない。

 ま、その辺を考えなきゃいけないのは俺じゃないけどね。周瑜と陸遜なんていうチート軍師がそろってるんだ、上手くやるだろう。
 俺なんかは誰にでも出来る仕事をひーひー言いながらやってるのがお似合いさ。

 おっと仕事だ。そろそろ戻らないと。

 こっちの方も慣れというのは恐ろしい。
 今ではすでに生活の一部。人間の適応力って凄いね。

 なんて、人の神秘について思いをはせつつなるべく机の上を見ないように気をつけながら席に戻った。見たら駄目だ心を折られる。



 ………………。
 …………。
 ……。



 そろそろ休んでもいいんじゃないかな。
 気付くと日はすでに落ちていた。

 そう言えば夕食食べたかな俺?
 本来ならばある程度のローテーションで働くのだろうが今はスクランブル状態。蓮華様が帰るまで頑張るしかない。

 筆を置き、伸びをする。
 一度寝た方が効率が上がりそうな気がしてきた。
 きっとそうだ。そうに決まっている。
 だが、寝る前に確かめないといけない事が一つあって。

「あーすごく眠くなったなぁ」

 ざ~とらしい声を上げ俺は注意深く辺りをうかがう。

「寝るぞー」

 傍から見れば頭がかわいそうな子に見えるかもしれないが、今この場に居る誰もが事情を知っていので向けられる視線は、痛ましいものだった。

 気配は感じられない。

 しかし。

 それでもヤツなら……。
 ヤツならきっと何かしでかしてくれる……。

 何を吹き込まれたのか(誰が吹き込んだかは予想が付くが)周泰さんは俺が仕事以外のことをしているとどこからとも無く現れて……。

「あ! 子瑜さん、暇なんですね!!」

 そうそう、こういう風にキラって感じの笑顔を向けてくるんだよ。



 …………。



 振り返って共に苦労を分かち合ってきた仲間に視線を送る。

 こめる言葉はただ一つ、助けて。

 全ての視線が外された。男の友情とはかくも儚いものなのか。

「あのさ」

「はい?」




 そう言えばキミは普段どこにいるんだ?
 などと問うた事があった。

「あなたのすぐ傍にいます」

 じゃあ。

「黄巾党との戦争は不参加?」

「? もちろん参加してますよ」

 なんであんたが不思議そうな顔をするんだよ。
 不思議なのは俺じゃなくて周泰さんの方だろ、常識的に考えて。

 何て思っていた時期が俺にも合有った。今はもう理由は分かりかねるがそういうこともある、と納得と言うか諦めの境地に入っている。

 こんな流れでよく分からないままに俺の休息時間は削られていった。……しかし!
 いつもそう上手くいくと思うなよ。俺は目の前にいる周泰さんの後ろに鈴の人の影を見る。

「幼平さん、これから俺は私室で誰にも任せられないとてもとても大切な仕事をするところです」

「あ、そうだったんですか」

 睡眠をとるという超重要任務だ。誰にも代わりは出来ない。

「それじゃあ行って来る」

「はい、頑張って下さい!」

 全く疑っていない周泰さんの声を背に歩き出す。

 な、何かこうも簡単だとかえって罪悪感が……。
 俺の背中に突き刺さる視線も先ほどの同情的なものから、殺意が込められたものへと変化している。

 ならばお前らがやれ。
 そう声を大にして叫びたい。自慢じゃないがここに居る誰よりも働いている自信がある。

 まとわり付く視線を振り切り、俺は足早に執務室を出た。



 ………………。
 …………。
 ……。



 私室、と入っても寝るだけの部屋であってそこには私物など服くらいしか無い。
 元々着の身着のままで拾われた上、仕官してからは忙しいの一言。物を増やす機会などは無かった。

 諸葛瑾となる前の俺ならば部屋に入ってまずPCの電源をつけるところだが、ここにそんなものは存在しない。本当に寝るためだけにある部屋だ。
 よって考える事はより穏やかな睡眠をとる事であり、その為にとりあえず服を着替える事にした。

 バスローブのようなゆったりとした服の方が深い眠りを得られそうな気がしたのだ。

 着替え終わった後、さて寝ようじゃあ寝ようとして……ふと、気付く。目にかかる前髪が邪魔だ。
 今の今まではなんら気にならなかったのだが一度気になりだすと止められない止まらない。
 考えてみれば結い上げているので気にはならなかったが後ろも降ろせば肩まで届くだろうし。


 …………切るか。


 そもそも髪が長い事もいらぬ誤解を招く一因なのかもしれない。
 自分で大雑把に斬ったら無造作な感じでワイルドな男に変身できる、筈だ。
 カット後の自分を思い浮かべる。

 …………。

 かなりイケてる様に思えた。ならばやるしかないだろう。
 髪を解き引き出しの中に納められた短刀を取り出す。

 ごくり、とのどが鳴った。

 そして俺は髪を一房握って――。



「何をしているの!?」

「ひぐぅ!?」

 思わず謝ってしまいそうな声に続いて背後からの衝撃。
 危ない! 手を切りかけた。

「あんたが何を!?」

「何があったのかは知らないけど女であることを止めるなんて馬鹿なまねは止めなさい!」

 止めるも何もそんなものになった記憶は無い!

「喧嘩売ってるんですか貴女は!」

 片手で止められた右手は全く動かない。
 だが、決めたんだ。必ず髪をきると。

「何があろうと、切ってみせる!」

「何と言おうと、止めてみせるわ!」

 お互いの意思は真っ向からぶつかっていた。ならばここからは実力のみが……って、ちょ、痛……極まってる、極まってるって!

「いいい、痛、イタ!? ぎ、ぎぶ。ぎぶぎぶ」

 俺はすぐさま白旗を揚げた。痛いのは……いやです。

「なかなか強情ね、これ以上頑張ると関節が死ぬわよ!」

 しまった意味が通じてない!

 ぎぎぎ……と関節が嫌な音を立てる。
 頑張ると言うかもう声が出ません。

 何とかこちらの意思を伝えようとタップしてみるが……やはり通じない。

 あれ? これやばくないか?
 なんだか気持ちよくなってきたよ……。

 感覚が痛みを通り越した時、後ろの人が動いた事により偶然右手から短刀がこぼれ落ちた。
 同時に戒めを解かれて、俺はその場に崩れ落ちる。

 痛い、全身が痛い。何で髪を切ろうとしただけでこんな目にあわないといけないんだ。
 俺は目に涙を浮かべながら理不尽さを呪った。全世界へ向けて呪った。

「全く……危ないところだったわ」

 何が危ないのか原稿用紙3枚以内でまとめてみろ!
 関節の痛みから復帰した俺は、恨みがましい視線を上げ、そこに凄い美人さんを見た。

 その人はピンクの髪と……あれ? どこかで見たような気が……。
 誰だ?
 脳内に検索をかけるがヒットは0件、これだけ目立つ人なら覚えているはずなんだが…………いや誰かに似てる?

「へ~」

 その美人さんは、首をひねっている俺を尻目に何事か感心したような声を漏らし、ずいっと顔を近づけてきた。
 それは数センチという距離にまで接近したが、甘いな。女子校で鍛えられた俺のATフィールドを持ってすればその程度、どうということはない。

「蓮華、以外と……」

 その一言でもやもやした思考に一筋の光が射した。
 この女の人の正体が分かりそうな気がした…………のだが。

 俺が答えに行き着くより早く女の人は 後ろに回りこんで、

「――っ!?」

 先ほどの激痛が頭をよぎり、身体が硬直する。

 あれ?

 つかまれているが痛みは無い。
 いやそれどころかふにゃっとした感触と甘い匂い。

 抱きしめられた?
 いや疑問形じゃなくて実際手が胸の前に回されて拘束されている状態。
 とりあえず言いたい事は、何故胸のところで手がわきわきと動かされているのでしょうか?

「あ、気にしてた?」

「何をですか……」

「あまり気にしなくても大丈夫よ。小さい方が好きな人もいるし」

 何を言ってるんだこの人は。
 小さいも何も元々そこには何も存在しないんだよ。
 だんだん腹が立ってきた。どこの誰かは知らないが、ここは一つガツンと言わなければいけないようだ。

「お姉様! やはりここでしたか!」

 Tell you GATUN.

 そう口を開きかけた俺。
 そこに、床を踏み抜くんじゃないかという勢いで現れたのは黄巾党との戦に行っていたはずの蓮華様。
 久しぶりに見る我が主はどういう理由からか俺を見るとぐっと目を細めた。

「……何をやっている子瑜?」

 何って、貴女のお姉さんに後ろから抱きしめられてます。正直すごく気持ちいいです。
 あ、今気付きましたけど。字で呼ぶ事で距離感を生み出し、怒りを表現しているわけですね。中々に芸が細かい。

「子瑜、ってことはやっぱり貴女が諸葛瑾ね?」

「あ、はい、そう……うわぁ!?」

 くっつき過ぎくっつき過ぎです!
 あと読みはあってますけど当ててる漢字間違ってましたよね、貴女。
 何ていうことは突っ込んではいけない。だって口で言ってる分には分からないはずだから。

「お姉様! 貴女は冥琳をほったらかして何をしているんですか!」

 お姉様……てことはこの人が孫策だろう。なるほどさっきの違和感は蓮華様に似ていたからか。

 その孫策さまは蓮華様の詰問にもどこ吹く風で俺の拘束はさらに強くなった。

「本当に白くて綺麗な肌してるわね~、何か腹が立ってきたわ」

「ひぃ!?」

 な、撫で……ないで。……中に入れるなぁ!?

「蓮華、様。助け、て」

「…………」

 動けないのか動きたくないのか、もはや自分でも分からなくなってきたがとにかくこのままではマズイ。
 俺はこの場に居るもう一人の人物に助けを求めた。
 心優しい我が主ならば俺を助……あれ? 何かマーカーが赤に変わってる? いわゆる敵軍色に……。

「蓮華、さま?」

 何故?
 興覇さまならともかく何で貴女まで? 愕然と見つめる俺の後ろで孫策さまが腕にこめる力を強めた。

 うわー、メロンが! 柔軟性に富んだ二つのメロンがー!!
 先ほどは鍛えられたといったがそれはあくまで非接触の場合のみ。私塾ではひたすらに逃げの一手をうってきた俺にこの感触は耐えられるものではない。

「っ! お姉様!! いい加減にして下さい」

 危なかった。
 見るからにやばそうなスイッチが押される直前、俺は蓮華様によって孫策様の拘束という名の天国から開放された。

「あ……」

 いや何と言うか、天国と言ってしまったことから分かるかもしれないが……。
 失ったメロンに思わず声が出てしまったのは仕方の無い事、じゃないかなぁ。

「随分と名残惜しそうだな」

 そんな風に誰に対してか分からない言い訳を考えている俺を絶対零度の視線が貫いた。

「いえいえいえ。そんなことはありませんですますよ?」

 孫呉のメロンは化け物か。
 しかし今の蓮華様の眼力もなかなかのもので。俺はただ首を横に振ることしか出来なかった。

「う~ん、蓮華にそっちの気は無いと思っていたんだけど……」

 顎に手をやり唸る孫策さま。ていうかこの人はさっきから何を言ってるんだ。

「お姉様……朱羅は男です」

「あ、もう真名を…………え?」

「ですから、これは男です」

 これって……。


 …………。



「え? ホント?」

 驚いた表情の孫策さまは手を――ちょ待って。
 止めてください。上はともかく下を確認するのはマジで止めてください。

「雪蓮姉様!」

「ああ、ごめんごめん。それにしても……その顔で男? 世の中ってまだまだ分からない事が沢山あるわね」

 俺は神秘の珍獣か何かか。

「誰がどう見ても男でしょう」

「「いやそれは無い」」

 ……あれ? 何か目から汗が。




 ………………。
 …………。
 ……。



 その後、何事かを納得した孫策さまは「冥琳が怒るから」と言って去った。
 何に納得したのかは言いたくない。
 その背中に蓮華様が「もう十分怒っていた」と不機嫌さを隠すことなく呟いていたが、孫策さまはよほど重要な会議でもすっぽかしてきたのかな?

 しかし、そんなことよりも今気になるのは孫策さまが去り際に残した謎の微笑。
 何と表現したらよいか……獲物を見つけた猫、というか虎?

 それがどういった理由からくるのかは知らないが俺の身に火の粉として降りかからなければいいな。
 そう切に思い。夜空の星に願いをかけた。

 あ、流れた。

 流れ星に願いを、じゃなくて願いをかけた星が流れた場合ってどうなるんだろ?
 よく分からないけどきっと叶うんだろう。そう思おう。

 とにかく結果として散々騒ぎを起こした後スパッと帰っていった孫策さまがいて、その後には俺と蓮華様が残された。これが今の状況。

「何をしていた? お姉様と」

「いえ、髪を切ろうとしたら女を捨てるな! とか言われて後ろから極められました」

「……あの人は」

 蓮華様は額を押さえた。

「えーと、戦勝おめでとうございます」

「ああ……しまった。取るものも取らずに雪蓮姉様を追いかけてきたからすぐに戻らなくては。流石に興覇が困っているだろう」

「あ、そうなんですか」

 ていうかその辺り姉妹ですね。

 慌てた様子で外へ走り出した蓮華様は、何事か思い出したのか俺を振り返ると。

「出るときに言った通り、お前には私の話を聞いてもらうぞ」

「分かりました」

 そして出来ればその時間は仕事としてカウントして下さい。



 ………………。
 …………。
 ……。




 さて、ここには寝るためにきたのだが、色々ありすぎて眠くない。
 髪ももはや切りたくない。トラウマになってなければいいんだが。

 とはいえせっかくの休みを無駄に過ごすのももったいないし……。
 ああ、そうだ私塾に手紙を出しておこう。
 出来れば朱里と雛里にも出したいんだけど、玄徳さんがどこにいるか分からないんだよなぁ。

 時代をまったく考慮せずに劉備がいそうな場所を考えると荊州の劉表か幽州の公孫賛もしくは曹操って可能性もありうる。
 流石に蜀とったりはしてないだろう。そんな大事件は今のところ耳にしていないし。

 所在が分かり次第連絡を取るつもりなのだが、ここから直接はまずいかもしれない。 
 そう考えると私塾に朱琉(諸葛均)がいるはずだからあいつを経由して、が一番簡単で確実か。
 しかし朱琉が蜀に仕えていたら……仕方ないその時は先生を頼るか、まだいるなら元直宛でもいいな。

 元直といえばあいつは劉備の所に行くのかな?
 あんまり仕官欲が無さそうだったからスルーしてたけど。

 その辺りの事も聞いておこう。

 俺は筆を取った。とりあえずは水鏡先生でいいだろう。

 えーと。

 拝啓

 …………よく考えるとあの人違う意味で背景だなぁ。



[5644] その8
Name: タンプク◆2cb962ac ID:3c5cd96a
Date: 2009/02/11 11:20
 黄巾党の本隊を撃破してから一月後、後漢王朝第十二代皇帝、霊帝死去。
 その後はごたごたどろどろした結果董卓によって一応事態は鎮静したのだが、本当に一応であってそのことを示すかのように伯符さまのもとにある檄文が届いた。
 そう、反董卓連盟の檄文だ。
 何と言うか……展開速早いなぁ。





 反董卓連合、別名「都で権力を手にしている董卓が気に入らないからやっつけ隊」

 史実ではこの時孫堅が色々とあくどい事をしていたのだが、伯符さまはどうするのだろうか?
 このあたり三国志の知識など全くあてにならないのでとても困る。孫呉の復興に利用するのだろうが……具体的にはどうするんだろうね?
 そういったところを決定するために伯符さまは蓮華様達、主要な武将を集めて軍義の真っ最中なワケだが。
 方向性だけなら俺にでも分かる。孫家の名声を広めかつ自軍の損失は最小限にし、あわよくば袁術軍の弱体化。といった感じだろう。
 とはいえそんなことは簡単で誰にでも思いつくものであって、しかし実際やれといわれるとかなり難しい。少なくとも俺には無理だ。
 伯符さまや周瑜さまの腕の見せ所だろう。

 というか俺が今現在最も気にしている事は別にあって、それは今回どのような役割を振られるのか、という一点だ。客観的に考えてみれば戦に連れて行っても役に立たないだろうから城でお留守番という運びになるだろう。

 …………。

 そう留守番、その単語に付随して蘇る忌まわしい記憶。
 あれは、地獄と証するに足る苦行だった。もう二度と経験したくない。

 過去を振り返り、俺はゆっくりと首を横に振った。

 しかし今回はそれを払拭する! 人とは経験を通して成長する生き物だ。
 故に俺も前回の反省を踏まえ、同じ轍は踏まない。

 とりあえず来た球を打つ的な内政環境を改善しなくてはいけない。あれをやると何故か俺の机の上から竹簡が減らないバグが発生するからな。

 過去を思い出しカウブルしながら俺は改革に乗り出した。
 もっとも改善とか言っても特別な何かをしたわけではないけど。そうでなければいくらなんでも蓮華様が許可しないだろう。

 やったことは適度な量の仕事を適当な人に割り振るだけだ。黄巾党を倒した事もあり文官の質も量も3割り増しといった現状では奇をてらう必要は全くない。
 むしろ前回のようなスクランブルを続ける方が百害あって一理なしだ。

 そういえば内政で思いついたが三○志11で便利だった軍屯とか使えないだろうか? 一部の地域ではもうやってる気がしたのだが……後で詳しい人に聞いてみよう。

 そんなことを考えられるのも心に余裕が出来ているからで、思わず今なら鼻歌交じりにペン回しならぬ筆回ししてしまう……墨が飛んで凄く迷惑そうな顔をされました。

 と、とにかく今回は勝った。
 何にとかいう突っ込みは無しで。

 十分な睡眠をとりながら、恐らくは董卓連合に参加する、蓮華様の帰還を待てそうだ。

 余裕と言う、超べ○ータ並みの失敗フラグを乱立していることに全く気付かず、俺は笑みすら浮かべながら蓮華様が軍義から戻るのを待った。



 ………………。
 …………。
 ……。



 やがて、俺の耳に一人分の足音が届く。

 …………一人?

 興覇さまはどうしたのだろうか?

「朱羅、少しいいか?」

「あ、はい」

 現れたのは、やっぱり蓮華様一人。鈴の人は隠れてるのか?
 いや、何で隠れるよ。セルフ突っ込みを入れながら蓮華様の言葉を待つ。

「今回は思春と別行動だ」

 別?

「思春はお姉様と同行して反董卓連合に参加する」

「とすると蓮華様はどちらへ?」

「わたしは建業へ行く。朱羅、お前は私と来い」

 建業? もう遷都?
 そんなワケない、伯符さまとつながりの深い街だったな。なんか重要そうな匂いがする。

「なるほど、中々に重要な役回りですね…………あれ?」

 董卓に関しては伯符さまに任せて蓮華様は孫呉独立の工作、それは理解できたが……留守番は?

「内側の整備も整った。それに今回は思春がいないからな、お前には私の補佐を勤めてもらう」

「お……いえ私がですか?」

 戸惑いながら答える俺に蓮華様は怪訝な顔をして、

「お前以外に誰がいる?」

 さも当然そうに答えた。
 補佐って事は俺も出陣? じゃあ留守番は俺じゃない?
 正直予想外です。


 俺、ここ、残る。


 口答えするわけにはいかないのでジェスチャーで我が意を伝えんと頑張ってみたが。

「まかせろ、か。期待しているぞ」

 何か全く通じてない気がする。いや気ならいいが事実伝わっていない。
 蓮華様の中では俺ってそんなにアグレッシブな奴なのだろうか?

 そして、完全体化→フルボッコ・フラグの効果はまだ続いているようで、思い出したかのように蓮華様が続ける。

「あぁ、そうだ。雪蓮姉様がお前を呼んでいたぞ」

 ……なに?



 ………………。
 …………。
 ……。



「じゃあ始めようか」

 伯符さまがにこにこ笑いながら宣言した。
 その笑顔に俺ももろ手を挙げて賛成の意を示したいのだが、わが身に降りかかる不幸で喜べるほどに人生達観していないしマゾでもない。

「すみません、ちょっといいですか?」

 無駄だろうなぁ……と思いつつも俺は右手を上げてみたり。

「何?」

「どういう状況でしたっけ、これ?」

「どういうって……これから穏と戦ってもらうだけよ?」

 なるほど。そういえばそうだった。
 しかし、それってどう考えても"だけ"じゃないですよね?
 現実逃避から帰還した俺は右手に握られている練習用の剣をすごく嫌そうに眺めた。実際すごく嫌なんです。





 なんと言いますか、蓮華様に連れられて伯符さまのもとに向かってる時点で嫌な予感はしていたんだ。
 行ってみると、いきなり問われた内容が「使える武器って何?」

 嫌な予感ここに極まるが君主からの質問だ、嘘などつけるはずもなく「剣です」と正直に答えると模擬戦用の剣を一振り渡された。
 そしてあれよあれよという間に今に至ったわけで。

 剣を手に提げた俺の前でなんていうか色々と大きい人、陸遜らしい、がにこにこと笑いながら手を振っている。
 何だこの状況。

 最後の望みをかけて、俺は助けを求めるべく視線を動かす。
 蓮華様と幼平さんは方向性こそ違え、共に応援モードだ。興覇さまは助けてくれるはずないから論外、伯符さまは……ダメだこの人楽しんでる、却下。

 残ったのが黄蓋さまと周瑜さまだったのだが、この二人ならば周瑜さまだろう、華麗な弁舌をもって俺を助けてくれると嬉しいなぁ……という考えの元捨てられた子犬(チワワ)をイメージして熱い視線を飛ばしたのだが。

「いくら文官とは言え、戦場に出る以上ある程度の武は必要だろう?」

 何と言うか、凄く理屈に合った返答を返された。確かに華麗な弁舌だったが対象が俺という時点で間違っている。
 ていうかこの辺りは演技設定じゃないんですね。朱里大丈夫かな……。

「何も本職の武官を相手にしろといっているわけではないさ」

 そう言った周瑜さまは、慰めのつもりなのだろうか。
 いやまて……、よくよく考えたらその通りだ。
 少し元気が沸いてきた。
 言っちゃ悪いがこのぽわぽわしている陸遜さん相手なら俺でも勝てそうだしな。
 一騎打ちなんて言われたからそればっかりに目が行って大事なところを見落としてました。
 よかったよかった、と胸をなでおろした俺だったが。

「言っておくが」

 暗雲に射す一筋の光を見つけた俺に蓮華様がぼそりと呟く。
 あ、いや……聞きたくない。顔を見ただけでなんとなく分かってしまったから。

「穏は並みの武官では相手にならない程の腕だぞ」

「ははは……冗談、じゃ無いみたいですね」

「ああ、ごく一部が邪魔をしているが、それでも十分な腕だ」

 "ごく一部"の辺りに敵意が混ざっている気がしたが……そうですか、死刑宣告ありがとうございました。



 …………。




 明日出来る事は今日やる必要ない、嫌いなものは最後に食べよう。
 そのどちらにも共通している事があって、そいつは今の俺にも当てはまったりする。
 つまりはいずれやらないといけない。

 俺もこれが現代の剣道や柔道の試合ならここまで嫌がったりはしないんだよ、この世界の模擬戦の何が嫌って不幸な事故が結構な頻度で起こるところだ。

 そしてもう一つ、そもそも俺はこういった試合自体が苦手だったりする。何が悪いってよーいどんで始まるところがダメ。
 勝ち数の9割9分が不意打ち、騙まし討ちという輝かしい歴史を持つ俺にとって分が悪すぎる。

 対する陸遜さんはぽわぽわした笑顔を浮かべたまま多節棍をぶんぶん振り回している。……訂正ブンブンなんて生易しいもんじゃない。少なくとも当たれば骨なんて軽く砕かれそうな勢いだ。
 そのうち消えて「人知を越えた武ってのは、人間の眼には見えないんだったよ」とか何とか言い出すんじゃないだろうな。それは別の人の台詞だぞ。

「ん?」

 視線を向けた先で目が会った興覇さまが怪訝な声を漏らす。
 いえ、なんでもないです。今は生き残る事に集中しよう。

 扱いの難しい多節棍をあれだけ自由自在に扱っている事だけでも蓮華様の言葉は証明されて様なものだ。じゃあ俺はどうかというと。

 右手の剣を眺める。

 剣の手ほどきは父から受けた。
 しかし期間も短かったし父親自体大した腕ではなかったので本当に自分を斬らない程度のものだ。
 そう考えると師と呼べるのは元直になる、それも授業の合間にスポーツ的なノリで習っていただけなんだけどね。 

 彼我の実力差は明確だ、これなんて無理ゲー?

 俺は自嘲気味に笑った。
 もうどうでもいいから適当にやって後は運を天に任せるか。
 そんなことを考えて身体から力を抜いた俺だったが。



 諦めたらそこで人生終了ですよ……。



 なんて、不吉な言葉が耳に届いた。
 空耳だろう、空耳に違いない。
 ていうかそんな切羽詰った言葉じゃなかったはずだ、はずなのだが……確かに一理はある。
 そもそも何もせずに運任せをして事態が良くなった例がない。

 人事を尽くすことなら俺にでも出来るのだから、出来る事はやっておこう。
 後悔とかそういう話ではなく、生き残るために。



 ………………。
 …………。
 ……。



「準備は言いか?」

「はい」

「……はい」

 対照的なテンションだが、それで待ってなどくれるはずもなく、周瑜さまの一声で模擬戦の火蓋が切って落とされた。
 いつもならば戦うと決めたと同時に動く俺だが今回に限っては動かない、いや動けない。
 相手が戦闘態勢に入っている以上開始直後に攻める利点がないし正直陸遜さんに隙なんて見当たりません。

 背中に流れる嫌な汗を無視しひたすらに陸遜さんに注意を払う。

「じゃ~行きますよー」

 来るな一生。
 半ば本気でそう思ったのだが、俺の切なる願いもむなしく時間というものは誰にも等しく流れるものであって止めることなどできはしない。
 仮に止まったとしてもゲームのスタートボタンと同様プレイヤーである俺には気付く事が出来ないだろう。

 そんな無駄な事を考えていたお陰で反応が遅れた。

 迫り来る棍の一撃に、心底アホは理由で避ける機会を失った俺はすんでのところで受け止める事には成功する。これでやられていたらいくらなんでも情けなすぎる。
 まぁ、最善は回避であったわけで、予感はしていたが遠心力の乗った一撃はあまり力が無さそうな陸遜さんであっても俺程度には十分すぎる威力を持っていた。

 危ない危ない、剣を持っていかれるところでしたよ。
 幸いというべきか棍の速さに対して陸遜さんじたいはそれほど速く動かないので距離さえとれば時間は稼げる。

 時間制限があるのならこのまま逃げ続けるのだがそんなものは存在しない。

 ……訂正逆の時間制限がある。
 後ろから蓮華様が逃げるなとかのたまっていらっしゃるので、あまりに消極的なプレーは反則と断定されるかもしれない。
 そうなる前に何か考えよう、確かに蓮華様の言うとおり何時までも逃げているわけにもいかないのだ。

 
 それは理解してるんですけどねー。
 冷静に陸遜さんの動きを見極めて俺との実力差を探る。その結果、早くて強くて広い。
 およそ考え付く全ての条件において俺を上回っていることが分かった。……ダメじゃん。

 そもそも剣以外の武器ってどう戦えばいいんだ?

「え~い、やぁ」

 とにかく落ち着け俺。
 力の抜ける掛け声に惑わされるな。
 相手を良く見て落ち着いて返せばなんとかな――。
 何か色々とゆれていた。


 れれれれれ冷静になれ。


 こういうときは師匠の言葉を思い出して打開策を練ろう。
 そういえば勝てそうにない時どう戦えばいいのかと元直に問うた記憶がある。
 確か……。


「そうだね……その場合は、逃げるか諦めるかしたらどうだい?」


 役にたたねー!

「考え事なんて余裕ですねー」

 話しかけるなんて余裕ですね!



 ………………。
 …………。
 ……。




「押されておるようじゃな」

「そうですね……順当かと」

 思春と祭、偶然隣り合った二人はどちらともなしに話し合っていた。

「まぁ、確かに武の才は無さそうじゃが」

「元々そこには誰も期待していないですから」

 そんなことより、と思春は横目で主を盗み見る。案の定そこには心配と憤慨を足して2で割ったような表情をした蓮華の姿があった。

 続いてあまり激しいとはいえない争いを繰り広げている二人のうち一方、穏を見る。
 このときの思春の瞳には確実に羨望の色が混じっていた。
 正直なところ代わってほしい。

 おおっぴろげにあの男を打ち負かせるという、喉から手が出るほどに欲しい機会だ。
 もちろん立候補したのだが、武官は流石に……という理由で却下された、無念。

 最後に視線を現在の主役の残り、子瑜に目を向ける。

 落ちそうで落ちない城とでもいうべきかきわどいところでよく粘っているが、落城は時間の問題に見えた。
 とはいえ、あの程度の腕で逃げ回れているのだからそれはそれで凄いのだが……。

 何かどうでも良くなってきた。
 集まった中で随一の関心のなさをいつものポーカーフェイスで隠しつつ、思春は思う。


 早く終わればいいものを。



 ………………。
 …………。
 ……。




 死ぬ、死んでしまう。
 それなりの質量を持つ物体がやばい音を唸らせて回転している。
 当たったらかなりの高確率で天に召されるのではないだろうか?

 あれ? よくよく考えたら模擬剣って刃が潰されてるけど陸遜さんのってどうなってるんだ?

「つ、つかぬ事を聞きますが」

「なんですか~?」

 間を空けてどうしても解決したい疑問を問うてみた。

「その多節棍もしや愛用の?」

「そうですよ。紫燕です」

 それ、どう考えても模擬戦用の武器じゃないですよね!?

「安心してください。これの方が加減ききますから~」

 きっと事実なんだろうけど、戦争で使う武器で殴りかかられて安心できるほど人生悲観していない。
 と言うわけで必死に逃げ回っているのだが。


 ダメだ。


 何とかしのいでチャンスをうかがって来たが陸遜さんにミスは望めそうにない。
 つまり、こちらから崩さない限り好機は訪れそうもないわけで。

 こういう時は……ゲンえも~~ん!



 ………………。
 …………。
 ……。


 かつて元直に剣を習っていたのに何故軍師としての道を選んだのか問うたことがある。問いすぎという突っ込みは受け付けないのであしからず。

「残念なことに僕には一流の武官になれるほどの身体能力がなくてね」

 確かに元直の剣は上手かったが特別力があったり速かったりとい事はなかった。

「そういった意味では力が強くて動きが早くて技も巧い。そういう相手に勝つのはとても困難だ」

 というかそれ全部上の奴って勝つの不可能なんじゃないのか?

「だけど違っているものがある限り必ず勝つこともなければ必ず負けることもない。ようは確率の問題だよ」

 そう言って元直はニヤリと笑った。
 その後俺の黒星と元直の撃墜数がそれぞれ一つずつ増えた事について、わざわざ詳述する必要はないだろう。



 以上回想終了。


 なるほど違っているところ、か。
 それならばいくつかある。
 まず性別……は駄目だ。むしろこの世界は女のほうが強い気がする。どう考えても物理的法則を無視してるからな。きっと気とか氣とか使ってるんだろう。

 あとは武器、か。
 確かにこれは重要な要素だ。
 しかし俺の剣は陸遜さんが使う棍に比べ間合いも早さも威力も……劣っているわけで。

 違う、強い弱いじゃない。そういった当たり前の事実では確実に負ける。前提を崩せ思考を転換させろ。
 こっちにあって向こうに無いもの。それならば俺でも上回ることができる。

 何かあるだろう、何か。

 俺の剣にあって、陸遜さんの九節棍にないもの。
 色々考え付くが……その中で今の俺に役立ちそうな要素は…………。


 一つ、あった。
 が、本当にやるのか? 正直遠慮したい。
 今となっては あれほどうんざりしていた竹簡消化作業も天国のように思える。



 元直先生……内政が、したいです。

「キミは僕をネタにしたからね。お仕置きだよ」

 何か本当に言われそうな気がする。仕方ない……やるか。



 ………………。
 …………。
 ……。


 突然だがこの世界にも慣性の法則というものは存在する。
 何を今更とか思われそうだが、たまに無視しているようにしか見えない人がいるので一応確認しておいた。

 そう考えると陸遜さんの攻撃は確実に慣性に囚われたものであって、不規則に見えるが規則性がないわけではない。
 故に避け続ける事は難しいが、一度きりの回避ならば俺でも可能だ。だから――。

 1、2、ここ!

 タイミングを計り棍の戻しに合わせて距離をつめる。
 今まで体に覚えさせてはいたが正直なところここにフェイントを入れられたらどうしようもなかった。
 その意味では賭けに勝ったといえるのだが、勝利のための綱渡りはまだ始まったばかりだ。正直今すぐ止めたい。

 頬を襲った風圧に顔を歪めながらも踏み出す一歩は凄まじい心労となり、精神ポイントをごっそり削っていった。

 しかしそのかいあって。多節棍を使うには近すぎ、剣を振るうに最適の距離を得る事が出来た。
 気をつけなくてはいけないのはこれ以上の接近はNGということだ。
 剣よりさらに内側、徒手空拳の領域になったら俺に勝ち目はないだろう。
 つまりこの距離だ。ここならば諸葛瑾は陸遜に迫ることができる。勝利の可能性も上がる。
 故に諸葛瑾はここを維持しなくてはいけない。



 そう思うだろう、思ってくれ。



 祈りを込めて、それを合図に俺は後ろへステップを踏む。
 すると当然二人の距離が開くのだが、間合いは陸遜さんの多節棍の少し外。
 つまり、両者とも手が出ない距離。
 陸遜さんの表情からは驚きの色が見て取れた。むしろそうでなければここで積みだ。


 …………。


 いったとおり俺の剣の師は徐元直だ。
 そしてあいつがもっとも得意としたのが撃剣。つまり――。

 一度きりだが間合い自体は俺のほうが広い。

 弓をイメージして腕を振り剣を放つ。
 ここからはイメージ。放った剣も陸遜さんの動きも見る余裕はない。
 手から剣が離れたのを触覚で確認し、その軌道を見ることなく俺は全力で走る。

 元直から教えられた俺は撃剣の名人…………なワケなどなく、むしろ才能無いの一言で気って落とされた。
 故に剣がはじかれたと思われる甲高い衝突音が聞こえても絶望はない。いや、ここまでは予想通りなのだから安堵の方が強い。

 陸遜さんが右手で握っていた紫燕は俺から見て右側にあった。俺が放った剣の予想着弾点は右肩、つまり紫燕ではじくには内側から外へ払うしかない。
 それはつまり多分だが無防備な体勢になっている……んじゃないかなぁ?

 どちらにせよ賽を投げてしまった俺は最速を持って体勢が崩れたであろう陸遜さんを攻撃する必要があるのだ。

 ここで問題が浮かび上がる。

 機を作る為に開いてしまった距離は始動を早める事で対処した。
 しかし問題はもう一つあったりするわけで……簡単に言ってしまうと剣を投げてしまったので武器がありません。多分今頃はその辺の宙を舞っているはずだ。

 故に俺は今この場で剣以外の武器を手に入れる必要がある。

 そんなものが都合よく落ちているはずもなく、拾っている暇もない。
 しかしご都合主義などではなく、俺には最後に残された武器がある。

 速度を落とすことなく俺は腰から鞘を引き抜いた。
 よくよく考えればこれでも竹刀以上の殺傷能力は得られるはずだ。というかこんなギリギリの場面で俺に考え付く事などこの程度だ。
 あー、今はネガティブ思考禁止。陸遜さんを打倒する事だけを考えよう。




 さすがに刺突技は危なすぎるので間合いに入ったと同時に俺は鞘を左から右になぎ払った――。




 ………………。
 …………。
 ……。




「ど、どうなの思春?」

「駄目ですね、しばらく目を覚ましそうにありません」

 極めて冷静に、泡を吹いて倒れている子瑜の容態を観察した後思春は蓮華の問いに答えた。

「明命、医者を!」

「は、はいっ」

 すぐさま叫ぶ蓮華、そんな彼女の的確な指示に思春はとても満足した。

 目の前で倒れている男など心底どうでもいい彼女はそのことだけで胸がいっぱいだった、ご飯3杯いけそうだ。
 まあ、それでも介抱を任されている以上はきっちりやるが。

「あ、やはり折れてますね。ぽっきりと、いえばきばき?」

「ええ!?」

「ふむ、流石は伯言殿、ものの見事に粉砕しています。これは完治までに時間がかかりそうですね」

「――っ!」

「ええええ、私が悪いんですかぁ!?」

 一体どんな目で睨まれたのだろうか。穏は慌てて師である冥琳の影に隠れた。
 隠れられた冥琳はやれやれと肩をすくめながらも、崖から追い落とすかのように蓮華―穏の間から身を引く。そのさりげなさは稀代の名軍師の面目躍如といったところか。

「いや、あれはな……正直私もまずいと思ったぞ」

 死んだかと思った、とは言わない。言えば矛先が自分に向かう事を三国随一の頭脳を誇る軍師様は知っていたから。
 苦笑しながら冥琳は子瑜と穏の模擬戦の最後を思い出す。

「撃剣が囮である事は読んだのだろう?」

「あ、はい。狙いが中途半端でしたからねぇ~、囮だとは分かったんですけど……」

「肝心の本命を読み間違えたか」

 撃剣と同時に飛び込んだ子瑜。
 際どかったこともあり、迎撃に出た穏は手加減を忘れた。

 その結果が今ここでピクリともしない男だ。


「うう……最後だけ予想を超えて速かったんです」

(それは違うな……)

 当事者だった穏にはそう見えたかもしれないが、第三者の視点では速さ自体にそう変化はない。
 穏が読み間違える要因を生んだのは剣を投げた後から走り出すまでの時間の短さだ。もっとも剣の間合いに入り込んだにもかかわらず後ろに下がるという予想の斜め上行く動きに惑わされた事も要因の一つだろうが。
 たらればになるが最後の攻撃を躊躇せず突きにしておけば結果は違っていたかもしれない……その時は穏が狙いを肩へ外す余裕すらなく頭蓋骨を砕かれていた可能性もあるが。

 先ほどの模擬戦を考察しながらも、冥琳は極自然に穏から距離をとる。
 正直巻き込まれるのはごめんだった。

「どう見た? 冥琳」

「そうだな……文官としての才を見せているのならそのまま城においておけばいいと思っていたが」

 いつの間にか隣で笑っている雪蓮に、冥琳も驚くことなく言葉を選びながら返す。この辺り二人の関係が如実に現れている。

「だけど?」

「あれは人を相手にする者だよ」

「へぇ……戦時の使者でも任せてみる?」

「それはいいかもしれないな、いずれあの男が孫呉の行く末を左右するときが来る……のか?」

「いや、そこは疑問形にしないでよ」

 雪蓮は面白そうに笑みを浮かべ、冥琳は肩をすくめた。

「ま、私ごときに未来の事など分かろうはずもないさ。ただ、少なくとも今の呉に必要な人物ではある」

 そう言って彼女は目を細める。その視線を追った雪蓮はなるほど、と納得した。

 傍から見て心配が見え見えの蓮華がなお平静を取り繕い、それを思春が微妙そうな表情で見ている。
 その後ろで穏が何度も蓮華に謝って、祭がいつもの豪快な笑い声を上げていた。最後に駆け込んできた明命が、恐らく彼女の速度に耐え切れなかったのであろう、泡を吹いている軍医に気付き途方にくれているのは自業自得だろうか?


 戦の匂いが漂う中、そこには平和の風景があった。
 約一名やばいことになっているのがいるが、それでもきっと平和なはずだ。



[5644] その9
Name: タンプク◆2cb962ac ID:85b92d51
Date: 2009/04/06 19:11
 ぽくぽく馬を走らせ目指せ建業。
 縦ゆれが肩に響く、正直凄く痛いです。

 模擬戦の後、気が付いてみると全く動かない上に激痛がひっきりなしに襲ってくる左肩。それでも命があったことに普段信じてもいない神々に感謝する、その位にはたくましく成長しているらしい。
 前の世界ならばかなりの重症と判断され、頭に一文字付けてもおかしくない程の怪我なのだが、当然というかこの世界では起きて早々言われた言葉が「利き腕と頭が大丈夫なら問題ないだろう」
 骨折った? だから何? という感じだ。
 まぁ実際外れてはいないから文句は言えないんだけどね。
 そして大丈夫ならば予定を変える必要などなく、そのまま蓮華様についていくことに。そんな今の状況です。

「どうした、肩が痛むのか?」

「あ、いえ。大丈夫です」

 少し呆けていたためか心配そうな声をかけてきた蓮華様に自由な右手をひらひら振って健在ぶりをアピールする。
 そして、「そうか」と前をむいた蓮華様の横顔を眺めながら俺は出立の朝に思いをはせた。



 ………………。
 …………。
 ……。



「おい」

「は……はいぃぃ!?」

 出立の準備に追われ忙しかったこともあり、思わず「何だよ」と返しそうになった俺は相手を見て言葉を飲み込む、むしろ飲み込めてよかった。
 そこにはいつものように不機嫌そうな表情を顔に貼り付けた興覇さま……何かやったか、俺? 最近のイベントといえば模擬戦くらいしか思い浮かばないし、それだと被害を被ったのは俺だ。結論、何もやらかしていない。

「何だ、その態度は」

「え、いや……なんでしょうか?」

 落ち着け諸葛瑾。今回は突っ込まれるような事は何もしていない……筈。しかしこの人に睨まれると自分が悪い事をした気になるのは一体何故なんだろう?

「……………………」

 冷や汗を書く俺を知ってか知らずか、押し黙った興覇さま。時々口を開きそうになるが、すぐに思いとどまっている辺りよほど言いにくい事なのか?
 正直この人が言いにくいとか全く思いつかないのだが、少なくとも良い意味ではないだろう。
 悪い方悪い方に流れる思考、無言のプレッシャーまで加わって胃が悲鳴を上げている。
 よく思い出せ、実は何かやらかしていたりするんじゃないか? 出会った瞬間からエネミーマークが点灯しているこの人だが冤罪の類は無い、そういうあたりはきっちりとしている。
 となると何か理由がある筈……いかん思考がループしている。

 流れる時間と共に低下していく俺の胃のライフ
 そしてそろそろ「もう止めて」から続くお約束の言葉が出そうな時、ようやく興覇さまの口から言葉が漏れた、漏れたのだが。

「お前は……ま…………いや」

 「ま」って何だ。ま、ま、まかんこうさっぽう? んな馬鹿な。
 言いたい事があるならはっきりと言って欲しい。
 そして何も無ければなお良いのであって、そろそろ何もないと判断していいですかね。
 出発の準備もあるので…………。

「――まぁ……頑張れ」

 ずっと俺のターンで最後のドローがマジックカードだった気分。
 良かった、ただの激励だ。

 一安心と胸をなでおろした俺だが、次の瞬間電流が走った。

 激励、だと? 興覇さまが?

 あ、ありえない。
 一体何があったんだ。何か悪いものでも食べたのか、それとも何か悪い事が起こったのか。
 いや……。


 …………。


 その後仕事を放ったらかした所を見つけた蓮華に咎められるまで子瑜はぶつぶつと己の世界に入り込んでいた。


 ………………。
 …………。
 ……。



 そんなことがあって今に至るわけだが、答えは未だに出ない。興覇さまは俺に何頑張れと言いたかったのだろう。
 当然興覇さまのように直接的な脅威から守るなんて無理だ、そんな事をあの人も期待してはいないだろう。何だかんだで呉の中では蓮華様と並んで付き合いが一番長いのだ。
 そして、だからこそ俺も理解している事があって、あの人が無駄な事をするはずが無い。行動には何らかの理由がある筈、なんだが。
 今一番の問題はその理由。はっきり言って見当もつかない。

 いや待て。思考を変えてみよう。

 理由→激励。

 ではなく、

 激励←理由。

 つまり俺を励ますということを決定事項として、それに連なる興覇さまの思考を分析すれば…………。

 はっ!

 もしもの場合は肉の盾として役に立て、という事じゃないだろうか?
 本当に最終手段としては考慮しなくてはいけないだろうが……待て待て、あの興覇さまが言いよどんだ後に発した言葉だぞ? 普通過ぎるだろ、却下。

 ぬぅ、行き詰ったか。


 …………。


 実のところ思春は純粋に激励の為に来たのであって、彼女の性格と相手が子瑜という二つの要素が重なったためあのような態度になった、という裏話があったりするのだが。
 そうとは知らず裏の裏のそのまた裏を読んだ子瑜は大いに悩んだ、建業につくまで延々と。
 そして地味にその余波を被ったのがもんもんとした空気をかもち出す子瑜の隣にいた蓮華だったりする。



 ………………。
 …………。
 ……。


 なんなの?

 隣の副官を横目に蓮華がそう思うのも無理はない。
 何故ならこの男先ほどから、額に指を当て考え込む→何かを思いついたような顔→顔面蒼白→いやいやと首を横に振る→額に指を当てて考え込む→以下エンドレス。
 気になって問うて見ても「なんでもない」、「大丈夫」と返すのみだ。何でも無い様にも大丈夫にも見えない。
 大丈夫ならいつものように余裕を持ってあたふたしろ、と声を大にしたいのだが今の彼女には一つだけ心当たりがあった。



 ――もしかしたら模擬戦の影響が今になって出たのかもしれない、それも頭に。



 100%蓮華の考えすぎなのだがそれ以外に思いつかない彼女は心のそこから副官の心配をした…………主に頭を。



 ………………。
 …………。
 ……。



 おいでませ建業。
 色々と悩んでいるうちにあら不思議、目的地に着いてました。
 何故かしきりに蓮華様から「大丈夫か?」と問いかけられたが、きっと肩の傷を心配してくれているのだろう。正直まだ痛いが、そこは男の子。やせ我慢の見せ所です。
 視線が肩より上を向いていた様な気がしたが……気のせいだろう。

 とにかく、興覇さまから出された問題に対する答えはまだ出ていないが着いてしまったのだから頭を切り替えよう。現実逃避なのかもしれないが、というか現実逃避なのだがやるべきことをやるだけなので文句はないはずだ。

 それでは改めて着きました目的地・建業。
 もちろん着いたといっても「それじゃあ遊ぼう」となるワケはなくこれから色々と面倒かつ重要なミッションが開始されるわけで。
 以下に簡単にまとめて見ました。

 1、兼業に入る。
 2、兼業にいる呉の人に会う。
 3、皆で話し合ってこれからどうするかを決める。
 
 言う割には少ないと思うかもしれないが、実質問題は3番だけでありその3番の難易度がテラチート。寿春で頭をひねってみたが、正直俺には思いもつかない。
 しかし伯符さまや公瑾さまのことだから何かしら考えがあるのだろう。俺は蓮華様にくっついていけばいいさ。

 などと考えている今は1の段階。これは簡単リーフシールドを持ってエアーマンを倒すくらい簡単。何故って今は戦時ではないし兵も殆どつれてきてないから。

 そしてミッションは第二段階に進むわけだが、ここで降って沸いたビッグニュース! ミッション・ナンバー2を任されたのはなんと俺。
 すごいね俺。呉の復興の中でかなりのウェイトを占める作戦を任されるに至りましたよ。これも俺の溢れんばかりの才能がなせる業だ。

 ……オーケー。止めよう、自分でむなしくなってくる。
 俺にこんな大層な任務がまわってきた理由など簡単だ、一言で言ってしまえばただの消去法。

 まず蓮華様。当然だがこの人の身に何かあってはしゃれにならない、よって除外。
 次に黄蓋さま、上の理由で蓮華様の護衛が必要、俺と公覆さまのどちらかを選べときかれたら誰でも前者を選ぶ俺もそうする。よって除外。
 ていうかこの二人有名すぎていくら警戒が薄いとはいえ動くには危険が伴うし、その時点でアウトだ。

 そして思い出して欲しいのだが建業に来た武将って3人だったよね。

 よって3-2=1。

 小学1年生で習う計算だ、さらに言うと1=俺。
 ま、人手不足じゃなかったら俺なんてそもそも連れてきていないだろうし、それ程難しくも危険でもない役目だ。このくらいならやって見せますよ。




 ………………。
 …………。
 ……。



 何て思っていた過去の自分を殴り飛ばしたい。
 何が簡単な仕事だ、しっかりとフラグ立ててるんじゃねー。

 蓮華様たちと別れ、呉の関係者とコンタクトを取るまでは良かった。出てきた人が呂蒙とか言う少女である事も今更なのでどうでも良かった。

 呂子明と名乗ったその人は可愛い、というか綺麗な子だ。これも問題ない、むしろ大歓迎だ。
 モノクルとか床につきそうな袖とか服装の趣味には頭を捻るが、そんな事は個人の自由、俺が一々口に出す事ではない。
 最初睨まれて引いたが目が悪いという理由を知ってからは気にならなくなった。後で眼鏡屋に連れて行こうと決心したけどね。
 つまり彼女については問題ないのだ。

 じゃあ何が問題なのかというと。

「…………いや待て子明。いくらなんでもそれは無いだろう。今の状況で袁術が伯符さまを自由にさせるとは思えないんだが」

 問題は子明が言う俺たちが起こすべき策。

「失礼ながら子瑜殿は袁術という人物を過大評価しています」

 過大評価って……蓮華様と興覇さま、二人の話を聞いてかなりの下方修正を加えているのだが。

「そこまで馬鹿なのか」

「……私の方からはなんとも」

 そう言って目を逸らす子明。
 バカなんだね。
 しかし今の状況で孫策を警戒しないものなのだろうか? ……理解できないな。
 ぬぅ……仕方ない、どうやら事は俺の能力を超えているらしい。正直判断がつきませんよ、このまま進めて失敗したら全滅の恐れすらある。ここは蓮華様と公覆さまの意見を聞くしかないだろう。
 簡単簡単と言いながら何てざまだ。
 正直自信喪失です。



 ………………。
 …………。
 ……。



「なるほど、それは上手くいきそうだな」

「ふむ、まだ若いのに大したものじゃな」

 子明が先ほどと同じ説明をし、その後の蓮華様と公覆さまの第一声がこれだ。
 どうやら皆さん異論は無い様です。おかしいのは俺か、世界か。

 額を押さえつつ考える。俺は後者の方向へ舵を切りたいのだが、世界を相手に戦えるのか、俺。

「どうかしたか、朱羅?」

「いえ……伯符さまの方はどうなったかなと」

「そうだな、そろそろ連絡が来てもいい頃だと思うのだが」

 蓮華様がそう言った瞬間計ったとしか思えないタイミングで一陣の風が吹きぬけた。

「何時でも貴方のすぐ傍に、以下略、です!」

 来たな死神!
 唐突に現れた小柄な少女に纏わる忌まわしい記憶が蘇り、俺の身体はオートで臨戦態勢へ移行する。

「今回は雪蓮様からの伝言だけです!」

 本当に計ったようなタイミングだな。しかしナイスだ幼平。

「…………」

「…………」

 視線が交錯する。
 昔の人が言っていた『目は口ほどにものを言う』と。
 今の俺たちがまさにそれだった。

「「イェ~イ!」」

 俺たちは分かりあったのだ。
 お互いを理解した後は手を打ち合って称えあう。それがお猫様協会のしきたり。

「な、何をやってるんだ?」

 しかしまぁどこにもKYな人はいるワケで。案の定蓮華様が眉をしかめて問うてきた。

「蓮華様もやります? 猫の会」

「いや……私は」

 どちらかと言うと犬属性な蓮華様はやはりというか猫と深い関わりを持つ事に躊躇いがあるのだろうか。

「お猫様は嫌いですか……」

 この世の終わりの様な顔をする幼平。
 まったく。

「……はぁ」

「わ、私が悪いのか!?」

 いや別に悪いとまでは言いませんけどね。

「自分とは違う属性であっても認める位の度量は欲しいなぁ、とか愚考する次第であります」

「わかった。何がかは自分でも意味不明だが、とにかく分かった」

 属性? と首をひねりながらも蓮華様は快諾してくれた。

 こうしてお猫様協会に初の会員が出来た。
 ちなみに会長は幼平で副会長が俺だったりする。


 …………。


「さて、話を元に戻すぞ」

「あ、はい。すみません公覆さま」

「何か構わんさ」

 そう言うと公覆さまは自然な動きで俺に近づいてきた。

「権殿は少し物事を深刻に考えすぎるからの」

「は……まぁ否定はしませんが」

 その意味ありげな笑みは何なんだろうか?

「感心感心」

 いや、勝手に納得して完結しないで下さい。
 何なんですか、何の意味を込めた笑みなんですか。
 そう問いたい小一時間問い詰めたいところだがどうやら状況が許してくれないようだ。

「それでは、呂蒙から提案された策について各々意見を述べてくれ」

 蓮華様の声に遮られ俺は公覆さまに詰め寄る機会を失った。流石に「ちょっと待って、今公覆さまさまに話があるから」等と言える筈も無い。

 …………まぁいいか。

 別に大した問題じゃないだろう。それに今は俺が抱える最大の問題、つまり袁術がどう動くかを尋ねる方が先決だ。
 改めて考えるとそっちの方が数倍重要だ。何と言っても命がかかっている。
 間違っているのは俺なのか、それとも世界か。
 そんな大層な事を考え、全身全霊を込めた右手を上げる。

「何だ朱羅」

「あの、まず聞きたいんですけど……本当に袁術さんはvote、じゃなくて暴徒の鎮圧を伯符さまに任せますかね?」

「任せるだろうな」

「まぁ、任せるじゃろうの」

「任せます!」

「確実に」

 そ、そうですか。
 間違ってたのは俺だったか……。
 まー、だったら問題はないんじゃないですかねー。

 対袁術においてネックとなっていたのが対抗するだけの兵力を袁術に悟られず、どうやって持ってくるかの一点だったし。
 そこで呂蒙は民兵を一揆に偽装させて蜂起、鎮圧を任された伯符さまの軍と合流しそのまま反転し袁術を討つ、という策を考えたわけだ。
 とりあえず今の状況で伯符さまを自由にさせるのならどの道袁術に先はない、遠慮する必要は皆無だろう。

「それならば私に異論はありません」

 その後、他に異論が無い事を確認した後蓮華様は「では……」と口を開いた。

「呂蒙、貴女はこの策を進めるよう手配を」

「はい」

「明命はこの話をお姉様に伝えてくれ」

「はい!」

「祭は呂蒙に付き将軍としての立場から助言を頼む」

「おう」

 こういう所は皇帝となった素質を感じさせるなぁ。
 次々に命令を発する蓮華様の姿を見て、俺は彼女が呉の孫権である事を改めて思い知った。

「では雪蓮様の元へ戻りますっ」

 全員への指示を出し終わった頃、当然のように消える幼平。今回もマジックの種を見切ることは出来なかった……というか正直種があるのかすら怪しい気がする。
 種がないならじゃあなんだ、と問われると困るのだが。

 って、あれ?
 何故か俺には何の話もなくお開きの空気が漂ってないか?

「あの、私は?」

「お前は私と一緒に来るに決まっているだろう」

「そ、そうなんですか」

 何時決まったのか。
 しかし興覇さまの代わりと考えれば、決まっていると言えるかもしれない。やはり俺の価値は肉の盾なのか。

「何をしている、付いて来い朱羅」

「あ、はい」

 別に可笑しい事はない、か? と首をひねりながら俺は蓮華様の後を追った。



 ………………。
 …………。
 ……。



「何と言うか……」

 蓮華とそれを追いかける子瑜を見つめながら、祭の口から言葉が漏れた。
 それになんと続けるか、しばし考えた後彼女は答えを得て満足げに頷く。

「良い主従ではないか」

 二人の後姿を眺めながら、少し孫堅の事を思い出した祭だった。



 何故か付いていく子瑜の表情が優れないのが気にはなったが。



 ………………。
 …………。
 ……。



 その後、子明と連携を取りながら下準備は着々と進んだ。
 基本は子明の策にのっとり細々した修正を加えるくらいだ。
 その間俺がやったことといえば 思いついた事を細切れに話すだけ。正直いなくてもいい気がする。むしろ気じゃなくて実際に居なくていい、他でもないおれ自身が断言する。
 そんな俺とは違って子明はさすがというべきか普通に優秀だった。味方に優秀な人が増えるのはよい事だこのままいけば俺が戦場に出る事もないだろう。


 やがて、こちらで出来る事は全てやり終えた段階にまでなった、後は蜂起を待つばかりとなったのだが、当たり前だがここで「では出発」などと起つ訳には行かない。
 あくまで主役は伯符さまの軍なので向こうの準備が整わない限りこちら側からは何のアクションも起こせないのだ。
 それに伯符さま達が『名を売りかつ損害は抑え、袁術の兵を極力減らす』というウルトラCをどこまで演じきることが出来るかによって作戦も変わってくる。
 今は信じて待つしかない。
 そう、信じて待つ。転じてやれる事の大半は待つ事だけ。
 ここに来て久しぶりに 時間が空いた事になる。
 得てしてそう言った空白の時間は他の事に頭が行くわけで。

 朱里と雛里は上手くやってるかなぁ。
 ふと、分かれた二人に考えが及んだ。
 どんなにあの二人が優秀で関羽、張飛といった猛将がそろっていようともいかんせん寡兵だ、限界は浅いだろう。
 いや、あの二人が無事という条件付ならばここで劉備には退場してもらう方がいいのかもしれない。
 正直なところ朱里と雛里以外は全滅していいからそうならなってほしい、しかしそう上手くはいかないだろうなぁ……。
 となると劉備もついでに応援しておこうか。
 先を考えるとあまり勢力伸ばして欲しくないのだが……。


 ………………。
 …………。
 ……。


 反董卓連合に参加しているであろう朱里と雛里の身を心配し、心を落ち着けるために歴史的事実を持ち出し、でもここ俺の知ってる世界と違うジャン、とまたダメージを受ける。
 そんな事を繰り返しているうちに、待ちに待った報告が届いた。正直忘れていた頃に届いた。

 その内容は名を売り、損害は微少、そして袁術軍に大打撃を与えた、というかそうなるよう仕向けた。というもの。

 つまり考えうる限り最善の報告。伯符さま凄いよ、超凄い。
 もはや独立戦争までは秒読みの段階に入ったも同然だ。あとは袁術が話どおりBAKAであることを祈るばかり。
 そう言えば忘れていたが俺って今回が初陣なんだよな。

 蓮華様の隣、つまり本隊にいるからか危機感は覚えないが、やはり緊張はする。

 どうか上手くいきますように。
 とりあえず神は信用ならないので身近な二人の大軍師に祈りを捧げる事にした。


 …………。


 ここでおまけ、というには大きすぎるのだろうが一つ、付け加え。

「そう小蓮がくるのか」

 小蓮?
 首を傾げるが恐らく誰かの真名なのだろう。迂闊に聞くわけにもいかない。
 名前を読んだだけで死ぬとかね、正直どうかと思うんだ。

「私の妹だ」

 妹……孫尚香か。
 こっちは性別変わってないんだな。どうやら劉備の元に嫁ぐ事は無さそう……無いよな?
 無いとは言い切れないところがこの世界の恐ろしいところだろう。薔薇はあまり見ないけど百合はあるんだよね。俺も……危ないところだった。

 …………っは、トリップしてる場合じゃない。何だったか…………ああ、そうだ孫尚香、彼女が女で劉備も女。
 もしこれで二人が結婚しなかったら呉と蜀の繋がりが薄くなるんじゃないか?
 はっきり言って人物そのものよりもそっちの方が気になるな。

 しかし、今考えてもどうにかなる問題じゃないか。とりあえず目の前の戦いに集中しよう。


 ………………。
 …………。
 ……。



 そしてさらさらと時は流れ、尚香さまの合流当日。

「お姉様~!」

 何このチンマイの?
 始めに抱いた感想はその一言。

 現れた尚香さまは弓腰姫というこちらのイメージを粉々に砕いてくれました。

 とは言え幼い頃から朱里で鍛え、雛里で最終進化を遂げた俺の耐性は並ではない。もはや呂蒙とかスルー出来るレベルだ。
 俺を動揺させたくばせめて性別を変えて来い。

 勝手に勝ち誇った俺の目の前で、くるくる動く尚香さまは始め蓮華様にじゃれ付いていたが、やがて飽きたのか視線を左右にふり、俺を見て止まった。
 あ、嫌な予感。

「貴女が 諸葛瑾?」

「はい」

「ふーん。女みたい弱そー」

 ぴし。
 俺の中の何かにヒビが入った。

「ぜんぜん強そうに見えないし、ていうか穏にけちょんけちょんにされたんでしょ?」

 はははは、尚香様、あんた孫家に生まれてきた事を神に感謝しろよ。

 湧き上がる何かを必死に押しとどめながら、俺は笑顔を作る。
 そうだ、笑え。むしろ嘲笑え。

「そういう尚香さまはまるでラフレシアのようですね」

「らふれしあ?」

「世界で一番の花です」

「何かすごい!」

 ……一応嘘は言ってない。
 正直大人気ない上に情けないが、止められない止まらない。

「ねぇねぇ。それってどんな花なの?」

「えー、俺も書物で見ただけですから。それにこの大陸には無いみたいです」

「そうなんだぁ、残ね~ん。じゃあじゃあ、アレと比べてどの位違うの?」

 尚香さまは道端に生えている5センチほどの小さな花を指し示した。

 む……どの位って。
 ラフレシアって1メートル弱だったか? とすると。

「20倍位ですかね」

「そんなに!?」

 一体どんなのを想像してるのやら。
 上機嫌にくるくる回っている尚香さまをみて、俺は罪悪感を覚えると同時に恐怖した。

 ……実物が便所の臭いを出してる花と知ったら俺処刑されるかもしれないな。

 知識的な意味でも無駄なリスクを犯してしまった、反省。



 ………………。
 …………。
 ……。



 何てゆるい一幕もあったがついにやってきました蜂起当日。

「とりあえずは派手に暴れないといけませんね」

「あぁ、袁術がお姉様に助けを請いに行く程度には、な」

 そう言って笑う蓮華様の横で俺は最近わずらっている胃の痛みと戦っていた。
 本当に袁術は自ら兵を出してこないのか。そのことを考え眠れぬ夜をすごしている最近の俺。

「袁術が出てこない事を祈ろう」

「仮に袁術軍が向かったとしても報告にあった兵力ならば勝てると思いますけど……」

 俺の独り言に反応してたまたま近くにいたのであろう子明が鋭い視線を向けてきた。
 鋭いとは言ってもこの人の場合何か攻撃的な意図があるわけではなのだが、顔が整っている分迫力がある。俺、この戦いが終わったら子明に眼鏡を新調するよう進めるんだ。

「消耗戦になった時点で俺たちも袁術も負けなんだよ」

 敵になるのが袁術だけならばどんな犠牲を出してでも勝ちさえすればいい。
 しかし孫呉にとって袁術打倒はあくまで出発点に過ぎず、その後にも戦うべき勢力は多々存在する。そういった意味ではこの時点で袁術は積んでいる。正直さっさと退場して欲しい。

「あ、そうですね」

 納得らしい子明は、どうしたのかその後後押し黙った。
 しかも、ちらちらとこちらに視線を向けてくる。

「っ!?」

 目が会うと慌ててそむける。何なんだ?

「何か言いたいことでもあるのか?」

「え、その」

 一度逡巡する仕草を見せたが、やがて目をきりりとさせ思い切った表情をして。

「あの、ありがとうございます」

「何だ? 突然」

 急に有難がられても反応に困る。

「これだけの規模で策を立てて実行するのは初めてです。子瑜殿には何度も助言をいただき本当にありがとうございます」

 いやまあ、6桁の兵を巻き込んでの作戦だからな、初めてで普通だと思うよ。
 それより……助言? 何時俺がそんなものを?

 …………あ。
 そういえば思いついた事を色々と口走った記憶はあるが。

「それに、子瑜殿ならばこの策気付いていたのではないですか?」

「いや、それは無理」

 下手に大物に見られてはたまらないので俺はすぐに否定した。
 俺から見て過去にあった戦から、そのとき活躍した武将たちから策をコピーすることは可能かもしれない。
 しかし、この程度の策ならばこいつは引っかかるだろう。とかいう見極めが出来ない。

 むしろ曹操ならばこの策に引っかかるとかなんで分かるんだ、妹よ。


「思いついたとしても、俺は袁術が自分で軍動かすだろ、で思考を止めただろうし」

 その辺りの判断を出来る事が一流の軍師の条件ならば俺には一生を費やしても届かないと断言できる。
 故に俺の限界は案を出すことだけ。その判断をし、戦闘が開始された後適時修正する能力のない俺に軍師など無理だ。

 そして後期型呂蒙はその適正がある。

「いい目と勘を持ってると思うぞ。いずれは呉を背負って立つくらいになるんじゃないか?」

「は――?」

「あ」

 まずった。つい歴史知識が口に出た。今の身分でこの会話とかありえねー。
 マズイ不味い拙い。何とか誤魔化せ。

「あーうー、そのくらいに成って欲しいなぁ、っていう期待」

「あ、ありがとうございます」

 ごまかせたか?
 心臓をバクバクさせながら子明の顔をのぞき見る。

「期待に答えられる様に頑張って勉強します」

 子明は昔誰かが言ってたような言葉を述べながら微笑った。
 素直な子で助かった。



 ………………。
 …………。
 ……。




 その後はあまりにもあっさり進んだ。
 袁術がうった手は全て後手で、むしろ何もしてない。
 これだけ簡単だと慎重に事を進める必要なかったんじゃないか、と思ってしまうのだが。慎重にやったからこの結果になったとも言える。というか痛めた胃のためにもそう思おう。
 そんな中で一つ予想外だったことは伯符さまが袁術を逃がした事だ。てっきり皆殺しかと思ってました。

「こんなものなのでしょうか?」

 落ちた寿春で子明が唖然とした表情を見せたが、気持ちは分かる。

「いやぁ……これは特殊な場合だと思う」

「そう、ですよね」

 そうだ……序盤で活躍→浮かれて致命的な失敗。よく聞くフラグだ通称落とし穴フラグ。どこぞのリバウンド王も陥ったという恐ろしい罠だ。

「勝って兜の緒を締めよ、ってことだ」

「なるほど! 良い言葉です」

 この先待ち受けていそうな落とし穴に戦々恐々している俺の視線の先には割れんばかりの歓声に笑顔で答えている伯符さま。
 何というか俺とは違う、見てるだけで大物の片鱗を感じさせる。

 しかし、自分に対する情けなさは置いといて。こうして見ると本当に孫呉復興が成った実感が沸いてくる。
 袁術にボスっぽさが無かったのはこの後に控えている曹操や袁紹に取っておいてのことなんだろう。
 そう言えば袁紹も馬鹿だとか聞いたけど……少なくとも袁術並みということは無いだろう。ないよな?

 何て考えが一瞬頭をよぎったが、何を馬鹿な事をと俺は一笑した。



[5644] その10
Name: タンプク◆2cb962ac ID:85b92d51
Date: 2009/04/11 02:36
 袁術を追放して呉の再興は成った。
 物語としてはここでめでたしめでたし、はいおしまい。となるのだろうが生憎と俺の持っていた現実とはかけ離れているが、それでも虚構とはいえないこの世界。
 つまるところ、そうは問屋がおろしてくれなかった。
 そもそも、いくら人心が離れていたとは言え国のトップが替わったのだ、混乱が起きないわけがない、ていうか起きた。

 具体的に言うと、賊が出て呂蒙と二人制圧に行ったりしたが。詳細はまた別の機会に取っておこう。
 とにかく今は可能な限り早くインフラを整える必要がある。

 そうNAISEIの時間だ。

 戦場では全く役に立てなかったが、ようやく周ってきた俺のターン、このままずっと俺のターン。
 いきなりマジックカードを引いてしまわないよう気をつけなくては、と気を引き締める。

 幸いというか今回は戦闘らしい戦闘が無かったので建物自体に被害は少ない。しかし、人の方は色々と問題が山積みだった。ソレもこれも追放された馬鹿の所為。
 馬鹿だ馬鹿だと聞くたびに下方修正をし続けてきたが、それでも俺の予想を振り切る馬鹿さ。
 ヤツへ唯一感謝する事があるとすれば、それはやる気と国への執着心が薄かったところ。馬鹿がやる気出すと大抵が良い結果にはならない、という事はこっちの世界で痛いほどに学んだ。
 いなくなってくれただけ良い馬鹿だった。

 まぁ、そのお陰で苦労はしているのだが……。

 今は、あの人の事を考えるよりも大事な事がある。
 実は国をとったときの為に色々と考えてはいたんだ。

 点数は稼げる時に稼いでおこう。
 そんな思いと共にバッタリと廊下で出くわした伯符さまにいくつか提案した。

 結果。

 学校作ったら? →だめ、あほが変に頭良くなったら困るだろう。
 軍屯いけんじゃね? →今は無理、そもそもソレだけの下地が出来てない。
 戸籍調査は? →それだ。

 学校にダメだしされたのには驚いたがトップがダメというなら下っ端の俺がどうこう言う話ではない。個人的には学びの場は広く開けておきたいが、仕方ない。
 ま、3つ提案して一つ通ったんだから上出来だ。

 なんにしても戸籍調査の方はすぐに開始されてそれなりに良い結果が出ているらしい。
 らしいというのは俺が関わっていないから。実際にやってるのは 孫堅さんの時代からず~っと仕えているという爺さんだ。例によって何故か顔が良く見えないのは気になるが……。

 私的な場での提案だった事もあり俺の名は全くでなかったが、仕事を回避できたと思えばむしろラッキーといえる。
 頑張ろうと心に決めてはいても自分から死地へ赴くにはまだ人生先が長すぎるだろう、常識的に考えて。



 ………………。
 …………。
 ……。



 そして今、蓮華様に呼ばれて付いていったらいつの間にか軍議に出席していたというミステリー。
 身分的に問題あるような気がする。そもそも蓮華様の私的な家臣から出てきたという微妙な俺の立場。何と言うかあれだ、私的秘書 ?
 こんな感じだから蓮華様の腰ぎんちゃく的なイメージが確立してしまっている現状なのだが……事実だからなんとも言い返しづらい。
 現時点での懸念は1800年くらい後で発売されるどこぞの歴史戦略ゲームの武将列伝に変な事かかれそうで怖い、という事。能力値的には初めの方は内政でそこそこ使えるという感じだろうか。何故か使える技能もってるかなんかで重宝されたりしたら嬉しいな。
 チート的な能力値で敵を撃破していくとは想像の中ですら考えられないあたり寂しいといえば寂しいのだが、自分を知っているという事にしておこう。

「朱羅、お前からも何かあるのだろう?」

 もう二度とプレイできないんだろうなぁ、とぼんやり考えている俺に蓮華様が声をかけてきた。
 っと、軍議中だ。集中しろ、俺。

 正直軍略の辺りは口を出せる雰囲気じゃなかったけど、ただ居るだけでは評価を下げに行くようなものだしな。
 妹が敵国でバリバリ働いてます。などという事態になりかねない、というかなるのだから信頼を得といて損は無いだろう。
 その為の準備はしてきました。もっとも別の件用に作ったものだが。

「はい。とりあえずこちらを見て下さい」

 そう言って壁に掛けたのは、一言で言えば巨大な竹簡。
 プロジェクタどころか紙すら満足に使えないこの世界。いや紙に関しては俺の想像以上に普及はしているのだが、流石に俺が求めるサイズは存在しなかった。
 仕方ないので普通の竹簡をつなげて作った特性プレゼンテーション用竹簡を用いて俺はクエスチョン・マークを浮かべている孫呉の幹部武将の前に立つ。

「えー、こちらの折れ線が我が国の金銭収入を示しています」

 右手の棒でとん、と横軸時間、縦軸金額のグラフを指し示す。

「そしてこの1本引かれた縦の線が支配する勢力が変化した、つまり伯符さまがこの国の主となられた時期です」

「うむ。やはり、劇的に変化しているな」

 うん、まぁそうですね。収入が増えている事自体はさっきも話が出てましたから、みんな知ってる筈。
 それはいいんです。
 黄蓋さまが言った通り袁術が支配していた時期と比べると雲泥の差だ。
 というか、それだけの差がないとやばいんだって。

 このグラフを斜めにしてみると大差はない、むしろ袁術の頃の方が勝っている。
 などと言っても誰もわかってくれないので話を先に進めよう。

「そして……」

 グラフに一本大きく横に線を引く。

「朱羅、それは?」

「まだ途中なんですが戸籍調査によって得られた情報から推測する……」

 わざわざグラフ作ってわかりやすくしてるんだからくどくど言う必要もないか。

「簡単に言ってしまえば国を維持する為にこの位はないと拙い、という事です」

 …………。

 辺りを沈黙が覆った。
 公瑾さまは苦笑いを浮かべている。

 知っているだけに頭を痛めていたのだろう。その気持ちはとても理解できる、俺も気が付いた時愕然としたし。

 収入に余裕が無い事は知ってる人は知っている。
 その証拠に文官と呼べる人たちの表情に驚きは無い。
 その他にも伯符さまは、何か目が怖い。見ないようにしよう。
 てか……蓮華様、貴女が驚いた顔をしている事が驚きです。

 主に軍略方面の勉強に忙しかった呂蒙とあちこち飛び回っていた周泰はともかく貴女が知らないのは拙いでしょう。
 ふと、視線を逸らすと気まずげな興覇さまと目があった…………もはや語るまい。

 一応二人の名誉の為に言っておくと、水軍の編成などに忙しかった事は確かだ。

 だ・が。
 内のことは文官だけがやればいいというものではない。いや、もちろん小蓮さまみたいなのには正直来て欲しくないのだが。
 あ、言うまでも無く小蓮さまも知らなかった組ね。
 それはどうでもいい。

 忙しかったとは言え蓮華様には知っていては欲しい。それも実感を持って、だ。

 伯符さまという絶対的な当主が居るうちは良いが、もしもの事があったら越後にいる人たちがタイムリーに争ってる状況になりかねない。
 まぁ、アレは跡目争いだから少し違うが。文と武で二分されたりしたらソレこそ別の国の話だ。

 そして、コレだけ苦労しなくてはいけないのも、全ては。

「あー、見て分かりますように……」

「袁術が残した遺産よね~」

 言いよどんだ俺の後を継いで、凄く嫌そうに伯符さまが言った。

「ええ、絞れるだけ絞ってましたからね。それに立場上税を上げる事は出来ませんから」

 「袁術からの解放」という名目で民には受け入れられている今、税を上げる事など不可能。やったら第二の袁術になりかねない。袁術だからこそ国を盗れたが、袁術故にこうして苦労する。
 上手くはいかないものだ。

 そして、結局何が言いたいのかと言うと今は戦争むりっぽいっす。
 と言う事だ。

 蛇足だが、一つだけ言わせてもおう。
 出費の半分ほどを蜂蜜が占めてたとかありえねー。その蜂蜜で俺が苦しんでいたとかさらにありえねー。




 ………………。
 …………。
 ……。




「あ、そーだ。子瑜、貴方ちょっと残って」

 軍議が終了し蓮華様と興覇さまの後に続こうとした矢先に伯符さまに呼び止められ俺は足をとめた。

「え、えーと」

「お姉様が呼んでいるんだ。一々私に伺いを立てなくともいい」

 そうですか。

 蓮華様のからお許しが出たので。では、と挨拶をしてその場にとどまる。
 そして、向かうはいつものチェシャ猫じみた笑みを浮かべる伯符さま。
 しかし、直接俺に用事って……初めてじゃないか?
 何かあったのだろうか。

「さっき言っていた戸籍調査の方はほぼ完了したみたいよ」

「それは……早いですね」

 いつも思うがこの世界のタイムテーブルは俺の感覚よりかなり早い。

「そう?」

 首をかしげる伯符さまを見るに、違和感は無い様だ。

「成果は上々、本来は発案者の貴方の功にもなるはずなんだけど」

 その先は聞かなくても分かる。
 先程のとおり、これに関して俺の名前は全く絡んでいない。よって俺が勲章を受け取る理由が無い。

「いえ、この方が良かったです。むしろ気を使ってもらったようで……ありがとうございます」

「あら、やっぱり気付いてたんだ」

 そう言って笑う雪蓮さまに俺の方は苦味の含まれた笑みを返した。
 一時期死にかけたが、割と順調に出世してきている俺。そして順風満帆という事は周りからしてみれば 逆に取られることもあるわけだ。
 ましてや俺の場合蓮華様に取り入って云々という話になるのも無理は無い。最近では自分の事ながら間違いではない気がしてきたし。
 簡単に言ってしまえば、俺自重しろ。

「その辺りは興覇さまにもいらない苦労をかけましたね」

「へぇ、そこまで分かってたんだ」

「まぁ、始めは分かりませんでしたけど」

 前にも言った通りあの人の本質は「公平」だ。蓮華様の害にならない限り個人的な好き嫌いで見当違いな決断をする事はない。そんな人が何故俺を目の敵のように扱ったのか、少し考えるとすぐに分かった。
 やっぱり、何だかんだといっても蓮華様に迷惑がかからないよう細心の注意を払っているのはいつもあの人だということ。

 俺に対しても興覇さまがあえて厳しく当たる事で「アレなら仕方ないか」と周りに思わせ、矛先を逸らしていたわけだ。本当に感謝感激ですよ。
 もっとも、それでも怖かったのは否定しないけど。

「始めは完全に 警戒していただけだと思うけどね」

 伯符さまはくくっと笑った。
 この辺りのころころと変わる表情は小蓮さまと姉妹である事を改めて感じさせる。
 蓮華様もあれで激情家だし、飲んでる時は……まぁ、これ以上は言うまい。

「やっぱり俺の身分で軍議に出るとかまずいんですよね?」

 俺よりも上に人はいるしなぁ。

「……難しいところなのよねぇ」

 う~ん、と伯符さまは口元に手をやる。

「軍議に出てるみんなは納得してるし、半分蓮華の小間使い扱いだから、問題ないといえば問題ないのだけど」

「小間使いだったんですか……って、分かってていってますよね?」

「さぁ? 何のこと」

 小間使い……主人の身の周りの雑用をする女の召し使い。早い話がメイドだ。

 色々と突っ込みたいが仮にも相手は国主、いや仮というか完全に国主だ。
 それに俺自身秘書とかそんな凄そうな役職回ってくるわけねー、とか思っていたし。

「冗談はコレくらいにして。正式には違うけど、でも本当に私が思ったとおりの役割を演じてくれているわ」

「演じるも何も素ですけど」

 一応仕事モードを使ってはいるが、言葉使いと自制心以外は殆ど素だ。主に後者から来る理由で最近胃がきりきりするのだが。

「ならなおの事良し、よ」

 伯符さまは微笑いながらも「ただ」と付け加える。

「問題はないけど面白くないと思う人も出てくるのよね~」

「やっぱり、拙いじゃないですか」

 そもそも俺が軍議に出なくてはいけない必要性は薄いのだ。

「そうでもないわ」

「は?」

「そうね、貴方より頭が良くて身分も高い文官はいるでしょうけど、要点をつかんで噛み砕く能力は貴重よ。世の中全てが賢人というわけじゃないのだからね」

 孤軍奮闘するような人物ではないが、いれば便利な家臣だ。
 伯符さまは俺を称してそう言った。

 コレは評価されてるのか?

「そうまで言われると怖いですね、何か隠してませんか?」

 基本小市民だ。いい事の後には悪い事がある、とデフォで思ってしまうくらいには。

「あ、分かる」

 って、本当にあるのか!

「あ、いえ。別に無理に作る必要はないのですが」

「大丈夫、ぜんぜん無理にじゃないから。むしろその為に呼んだから」

 ははは……。

「劉備軍に諸葛亮ってはわわ 言ってる軍師が居たんだけど、身内かしら?」

 それか……いつかは来るだろうと思ってはいたが。
 恐らく、引き金は反董卓連合。
 同じ陣営に居たのだから会っていても不思議は無い、いや名を聞くだけでいいのだ。むしろ気付かない可能性の方が低いだろう。
 そして、この人がこうして直接尋ねるということはすでに調べは着いている筈だ。

「妹です」

 こちらとしても予想していた問いかけであったから答えによどみは無い。
 それに否定する必要も無い事だ。

「驚かない。という事は知っていたのね?」

「ええ」

 知ってるも何も、仕官するその場をストーキン……影から見守っていましたから。

「そう……ならいいわ」

 あれ?
 いきなり罰せられる事など無いと確信してはいたがここまであっさり済まされるのは予想外。

「いいのですか?」

「単純に知りたかっただけよ。それ以上は何も考えていないわ……何かをたくらんでいるのなら受けて立つまでよ」

 その辺りの豪胆さは流石、孫策というべきか。しかし、そんなだから最期はうっかりで終わるんだ、と忠告すべきか。

「ま、その可能性は限りなく低そうだけど……あ、そうそう。この事蓮華には早めに言っておいた方がいいわよ」

「そう……ですね。騙していたわけではないのですがいい気はしないでしょうから」

 むしろもっと前に話しておくべきだった。

「あ~、そういう意味じゃなくてね」

「は?」

 ニヤリ、と。
 あ、何か悪寒。

「すねるわよ? あの子」

 すね……何?




 ………………。
 …………。
 ……。




 所変わって場所は劉備さんの陣営。
 史実何それおいしいの? とばかりに彼女たちは時代を先取り、蜀攻めを模索していた。そんなわけで今劉備陣営は大忙しなのだ。
 そんな中、私塾を経由して届いた手紙を手に雛里は一人首をかしげていた。

「どうしたの雛里ちゃん」

「あ、朱里ちゃん。朱羅兄さんからの手紙なんだけど」

 朱羅からの手紙は二人に別々に届いているので、雛里の手紙の内容をまだ朱里は知らない。怪訝に思い、朱里は。

「また何か変な事が書いてあったの?」

「変といえば変なんだけど」

 そう言って雛里は手紙を裏返し朱里に見えるようにして、一文を指し示した。

「今回も弓には気をつけろって書いてるんだけど……なんでだろう?」

「さぁ、お兄さん弓に何か嫌な思い出あったかな」

 いつも元直にぼこぼこにされていたので剣になら分かるのだが、弓?
 不可解な兄の手紙に朱里も首をかしげる。

 実のところ、割と砕けたこの文面からは全くうかがうことは出来ないが、この時の子瑜の心配度はMAXを越えていた。正直彼には何時劉備が蜀取りに動くのかが全く読めなかったのだ。年代的にありえないだろ、とかいう考えはかなり前に捨て去っていた。そしてその考えは今まさに的中している。

「あと、ここなんだけど」

「え?」

『鳳凰が落ちそうなところには近づくな。後玄徳さんから馬とかもらうのも禁止』

 演技設定か史実設定か。もはや、その辺りも意味不明。下手な鉄砲の諺をそのまま使用した様な手紙だった。
 もちろんそんな事は当の二人には理解できなかったが。

「なんなんだろうね?」

「さぁ……」

 二人は首をかしげる。
 そしてとうとう首をかしげながらも彼女たちは蜀を手に入れてしまったりする。
 当然のように雛里は無事だった。



 ………………。
 …………。
 ……。



 やはり、と言うか何と言うか。立場的なものは別として、この時代に来ていくつか不満はある。
 もちろん空気が美味しいとか水が美味しいとか良いところもあるが。

 例えば、酒。
 何度となく蓮華様に誘われて呑んでいるのだがこの時代の酒って正直美味しくない。
 味が薄いしアルコール度数も低い。

 そんなわけで、ビールは無理でも日本酒なら原料的に作れるんじゃないかと思ったのだ。
 だって米ある、水綺麗……いけんじゃね? と思っても不思議は無い。

 だが。
 米、水、発酵。
 などなど、いくつかのは思い浮かぶのだが、ただの大学生だった俺に実際作れといわれると、無理と言うしかなくなる。
 というか、私立理系の俺が学んだ事なんてこの時代じゃ殆ど生かせない。

 2次関数とか言えば驚かれるだろうが……正直それで俺は何を得るのだろうか?

 昔、朱里相手に三権分立の話をしたら、得体の知れないものを見る目で見られた。
 あの時悟ったね。妹でさえコレなのだから、未来の知識と言うものは必ずしも俺に利益をもたらすものではない、と。

 この経験の元に、俺の提案は可能な限り元ネタがハッキリしている事にとどめている。

 戸籍調査や軍屯は実際にこの時代で行われている事だから問題は無い。
 しかし、例えば水軍に竜骨船を入れるとか言う事は冗談ではなく俺の命に関わる問題になりえる。

 だからこそ、今も情報を仕入れて何か使えないかと模索しているわけだが。

「あの、先生?」

 そんな俺に、最近になって勉強仲間が増えた。
 その仲間とは、鋭どく俺を睨む……いや恐らくは心配そうな視線を向けているはずの亞莎。この人、何故か俺の生徒という立場になっていた。

 そして師弟関係を結んだ時にお互い真名を許すようになったのだが、なし崩し的に明命と小蓮さまもついてきたけど、まぁそれはいい。

「あ、悪い……なんだったか…………侵攻目的と兵站についての関係?」

「弩の改良についてです」

 ぜんぜん違うな。

「兵站については前々回です」

「ああ、そうだったか」

 オーケー、正直に言おう。ちょっとボケてました。

「やはり弩の弱点は連射力だと思うのですけど」

 そう言って亞莎は机の上に広げられた弩の設計図を指差す。

「あらかじめ何本か仕込んでおけば……」

「う~ん、その辺りは難しい。余り構造を複雑にするとメンテナンス……整備の面で問題が出てくるし。構造を複雑化して使う時に壊れでもしたら大変な事になる。何より利点の射程、威力が落ちたら元も子もないからな」

「そう……ですね」

 まぁ、威力が落ちるのはある程度眼をつぶって連射能力に特化した部隊、という一つの方向性を持たせるという方法はあるが、この辺りは孔明のパクリだな。朱里もそのうち思いつくのだろうか?
 上手くいけば本物の元戎を見れるかもしれないなぁ。

「まぁ、完全な上位互換はそう簡単に生まれはしないか」

 ソレまでのものを産廃にするのだから、そうポンポン出たらたまらない。

「とすればその利点を上手く生かして欠点を補わないといけないんだけど、利点欠点をずらして後は運用で何とかするかなぁ」

 攻撃速度については信長の三段みたいにやってみるか?
 いや、無いな。弩にそこまでする価値はないし使える場面が限られすぎだろ。鉄砲だって実際は三段云々よりあそこにおびき寄せた事の方に信長の上手さがある。

「別の利点……運用法……」

 隣の亞莎はぶつぶつと自分の世界へダイブ中のようだ。

 こんな風に家庭教師と言っても実際は一方的に教えるより、二人で色々と考え込んでいた時間の方が圧倒的に長いのだからこれを授業と呼んでいいものか不明だ。
 それでも夜は更けていく。
 放っておくと亞莎は意識を失うまで勉強し続けるので、きりのいいところで止めるのも俺の役目だった。

 あ、弩の強化で思いついたが。竹束とか実用できそうか?
 どうでもいいけどアレを竹箒と思ってたの俺だけじゃないはずだ。




 ………………。
 …………。
 ……。




 劉備が蜀を取ったという驚天動地の報せが舞い込んできた。
 あり得るんじゃないかとは思っていたが実際今の劉備が蜀取るとか無いわ。どこから兵力持ってきたんだよ。戦略ゲームじゃないんだからさ、もう少しゆっくりいこうよ。
 しかし雛里が無事なので良しとしよう、俺の手紙が効いたのかどうかは不明だが結果として無事ならどうでもいいさ。

 最近少し体調が悪くなった気もするが……忙しいからだろう。

 蜀を取られたことに関して伯符さまや公瑾さまは苦笑いだった。国が落ち着いたら侵略を考えていたのかもしれない。天下二分の計を実行するのに必要だったし。

 目の前の獲物を取られた形だが、呉の国自体は今のところ順調だ。こういう時は心底思うね、やっぱり戦争なんて無い方がいい。

 そう、今のような生活がずっと続けばいい。何てことを思ってしまったわけだ。
 得てしてこういうときに事は起こる。実際起こった。

 ある平和な昼下がり……ではなかったが軍議の場でこれまた奇妙な話を聴くことになる。

 今度ばっかりは本当の意味で驚いた。
 その報せとは――定軍山の戦い。



[5644] その11
Name: タンプク◆2cb962ac ID:85b92d51
Date: 2009/05/19 20:15
「蜀軍が敗北? 定軍山?」

 呉の主だった武将が一同に集められた軍議の場、つまり冗談など言えるワケが無いと知りながらも、俺は一瞬報告を疑ってしまった。それほど、驚きが強かったのだ。

 何だこれは?

 今まで俺が知る歴史的なイベントは全て、過程はおいておくとして、結果だけを見れば史実と酷似していた。
 それなのに何故これだけ齟齬が生じる?

「確かに曹操の動きは不自然だ」

 俺の驚きを別の意味に取ったのか、公瑾さま大きく頷く。

「そうね、劉備軍の策を読んだのか読んでいないのか……中途半端すぎるわ」

 変、そう……確かに変だ。
 伯符さまの指摘を聞いてようやく俺にも用兵自体に異常があることに気付いた。

 そうだ、こんな戦い普通に考えたらありえない。

 話を聞くとまさに慌てて、としか言いようが無い進軍だ。それでは一体何に慌てたのか。
 結果だけを見ると夏侯淵の危機を救う為、と言う事が出来るが奇襲を受けた部隊を何故遠く離れた本国に居る曹操が助けに行く? というより助けに行こうとする事が出来る?

 知っていた?

 一瞬頭をよぎる考えに、首を横に振った。
 知ってるなら、もっといい方法があるだろう。話を聞くと夏侯淵隊は壊滅しており本人も討ち取られる一歩手前だったらしい。
 何とか救援が間に合ったからいいものを、討ち取られた後だったならば勢いに乗った蜀軍に各個撃破される可能性があった。
 前もって蜀の策を知っていた、という前提では余りにもお粗末だ。

 偶然なのか、何の意味もなく偶々この戦は史実と離れた?
 というか夏侯淵が黄忠に討たれた戦いとは別だったりするのだろうか、場所が定軍山だっただけで。

 ちぃ、年代がばらばらだからややっこしくてしょうがない。
 一番の可能性は、元々曹操本隊も出陣する予定だった、と言う事だが。それはそれで不自然だ。




 定軍山ぐらい聞いたらすぐに分かるだろう、そんな決めつけが子瑜の思考を狭めていた。
 どこぞの主人公の知識が拙かっただけという、予想の完全に外にある理由に気づく事が出来なかったのだ。
 彼がその事に気付くのはもう少し後の事……。




「曹操の動きが気になりますね」

 厳しい表情で広げられた地図を睨む亞莎、今回ばかりは視力の問題ではなく、実際に出たままの心境なのだろう。
 劉備軍は上手く引き上げたお陰で被害は少ない。
 消耗した兵の数なら曹操の方が多いのだから、劉備の勝ち……ともいえないか。
 少なくとも曹軍の士気は上がっているらしい。

「そうね……そこで子瑜」

「はい?」

 怪訝に答えた俺に伯符さまは言った。



 ――劉備のところへ行ってくれない?




 ………………。
 …………。
 ……。





 朱羅が蜀へ発ったその日、呉の中心武将達は一同に集まっていた。

「やれやれ、組織というものの性質上仕方の無い事だが、非効率この上ないな」

「そうなのよねー、それでも、あの子の身分じゃ一々伺いを立てないと動けないし」

 雪蓮と冥琳。呉のトップ2はやれやれ、と億劫そうに呟いた。

 話に上がっているのはここに居ない男。
 元々後ろ盾が無い上に仕えてからの年が浅い。
 その上……。

「戦で功を立てていたのなら問題はなかったのだがな」

 袁術との戦では目立った失敗こそなかったが戦功と呼べるものも皆無だった。
 何と言うか、政略面に比べて教科書をそのまま写したかのような動き、本人も苦手だと言っていたように戦に関しての才には恵まれていないようだ。
 もっとも、そう一人で何でもできるわけではないだろう、と直接の主である蓮華は気にも留めていなかったが……。

「あの、袁術との戦いでは何度も的確な助言を頂いたのですが」

 おずおずと、亞莎が意見をするが問題はそこではないのだ。

「ソレを軍議の場で言えばよかったのよ。何で世間話みたいに話しちゃうかなぁ。今回の戸籍調査だって下から真っ当な筋で出してきたなら問題なかったのに」

「元々欲の薄い男ですから」

 そう言って蓮華は誇らしげに笑うが雪蓮としてはその辺りが不満だ。
 欲という物はやる気と表裏一体。身を滅ぼすほどあっては毒でしかないが、なすぎても困る。実際に今困っている。

 しかし……そういった性格でなければコレだけ蓮華からの信頼を得られていたかと言われると微妙だ。
 そして、もしそうなった場合この場に話として上がってこなかった可能性もある。

「今ですら不満が上がっていますから」

 それでも無難にこなせているのは処世術の上手さか人柄か。
 不平の出所が朱羅の行動範囲から離れているあたり、不満はほとんどがやっかみなのだろう。

 無表情に話す思春だが、あまり機嫌が良いとはいえないようだ。
 能力のあるものがしかるべき地位へ登る、という事は生い立ちもあってか甘寧という人物の基本的な考えである以上、ソレを妨げる事は、気持ちの良いものではない。

「その件については貴女に感謝していたわよ、思春」

「…………そうですか」

 思春としてみれば諸葛瑾という男の事は、実際気に食わないのは確かだが、かといって嫌っているわけでもない。
 自分がどうこう言うのは構わないが、無能な者の中傷となると話は変わってくる。微妙な表情を浮かべるこの人も大概に、複雑な性格をしている。

「それでは今回の同盟は」

「ええ、勲功稼ぎよ。まったく、普通こういうのって自分から躍起になるものじゃないの?」

「まぁ、普通は」

 その雪蓮の言葉には全員が同時にうなずいた。



 ………………。
 …………。
 ……。



 劉備さんの居城に着きました。
 言うと簡単だが、実際はかなりの長旅だったよ。

 まぁ、俺にとっては朱里と雛里の方が優先度が高くて劉備はおまけなんだが、今はそのおまけがグリコだ。
 その途中で朱里と雛里には会えたのだが、久しぶりに見る二人は、あんまり変わっていなかった。嬉しいというか悲しいというか、正直微妙なところ。
 怖くて年に関しては考えないようにしているが、あの二人蓮華様より……いやよそう、本当に。

 そして現在五虎将軍と伏龍、鳳雛といった錚々たる将の前、簡単に言ってしまうと劉備さんの前に居る俺。

 伯符さまの命令は劉備との同盟締結。
 魯粛はどうした、と叫びたいが……そう言えば姿を見なかったな。

 別に敵対しているわけではないし、反董卓連合の時に面識もあるみたいだからそう難しい話ではないだろう。
 今の呉に曹操と劉備相手に二面作戦なんて出来るはずが無いし、劉備も呉の存在は必要だ。
 曹操という共通の敵が居る以上手を結ぶのは当然の流れかもしれない。

「うん、孫策さんとは董卓さんを止めに行く時に話したから」

 だから同盟自体は割と簡単に結べた。この人ちゃんと考えてるのか? と不安になるくらいあっさりと。
 隣の朱里が特に何も言わないのだから大丈夫なんだろうけど。

 同盟を結んだとはいえ劉備軍も戦直後、まともに兵を動かす事は難しい。そういった意味ではお互いに頑張りましょうね、間違ってもとち狂って攻めてくるなよ的な意味合いが強く、すぐに何かできるとかそういうんじゃない。
 それは問題の曹操も同じだろう。隣に袁紹がいるしな。足場を固めなくては遠征には出れない筈だ。

 つまり、今は準備の期間。早くそして大きく飛躍したものが大陸の覇権を握るのだろう。
 今のところ曹操が頭一つ抜けている状況だが、この同盟で話は変わってくる、と伯符さまや公瑾さまは読んでいる。



 ………………。
 …………。
 ……。



 その後2,3確認を終え、蜀でやるべきことは全て終わった。
 後は呉に帰るだけだ。
 時間的に次の街を待たず日が暮れそうだったので、この日は城に泊まり、明朝建業へ発つことにした。


 …………。


 そして迎えた翌日。
 帰るまでが遠足とはよく言うが、やはり同盟締結が成った事で目的の大半は達成している。

 朱里と雛里とは話が出来なかったが、元気そうだったしそれで良しとしよう。
 正直なところ話したい気持ちは多々あるが、今の俺たちの立場は微妙だ、ここは史実にならって私的な接触は避けた方が無難かな。
 そう判断を下した俺は二人の為に涙を呑んで帰国する事に決めた。
 
 うん、決めたんだけど。

 いま俺の目の前に満面の笑みを浮かべた朱里と雛里の姿が見えるのは何故だろう?

「あ、お兄さん!」

 ちょっと待った。
 俺は二人に右の手のひらを向け、残る左手で眉間を押さえる。
 何がどうなってるんだ。

 劉備さんから伝言か何かか?

 そうだそうに違いない。
 間違っても遊びに来たとかは無いはずなのだから。

「孔明殿に士元殿、このような朝早くから一体如何なる用で?」

 しん、と空気が止まる。
 何ていうか、飲み会で空気を読まない発言をした時と同じ感じだ。

「これは私的な…………だから……」

 いや私的に会うこと自体拙いんじゃないかってお兄さんは愚考するわけなんですよ。

「玄徳殿は何か……?」

「はい、桃香さまが久しぶりだから遊んでくるように、て言ってくれました」

 いいのか劉備そんなんで。

「あー、孔明殿に士元ど、の」

 それでも何とか当初の予定通りに事を運ぼうとした俺だったが、二人の顔を見て思わず口ごもる。
 何か泣きそうな顔をしてるんですけど二人とも。

「…………」

 訂正、実際に涙ぐんでるんですけど二人とも。

「そ、そのこうめ――」


 ぐすん…………。


 うわーい、どんとこーい。
 二人の涙は俺の防壁を突き抜けてクリティカル。
 もう止めて俺のライフはゼロよ!

「分かった、分かったから泣くな朱里、雛里」

 俺が弱いんじゃない。
 むしろこの二人の涙を見て耐えられるヤツがいたら教えて欲しい、ぶん殴りに行くから。



 …………。


 何とか泣き止んでもらって、三人で街を周った。市場も活気付いてるし皆笑っている。
 いい街だな、といったら二人は嬉しそうな顔で「呉はどうですか?」と問うてきた。

 もちろんいい国だ。蜂蜜の所為で大変だけどな。
 と返したら不思議そうな顔をされた。

 まぁ、それだけなら他愛の無い話なのだが。
 お互いに思っている事が分かって苦笑いする。
 私塾にいる時は何も考えずに話せたのだが、今は立場というものがある、お互いにな。
 よって話せる事、話せない事を考えなくてはいけない。その辺りに一抹の寂しさを覚えると同時に、誇らしくもある。そんな複雑な感情を覚えた。

「差はつけられてる気はするが、こっちはこっちで頑張るさ」

 二人に言った言葉は真実俺の本心だ。
 少なくとも二人に養ってもらう事がない程度にはな。一時期は兄としての威厳を保つ為に最後の手段として元直を頼ろうと考えていたのだが、最近はその考えも浮かばなくなった。
 俺としては大きな進歩だろう。
 両隣を歩く二人を見ながらつくづく思う。定職持ってて良かった……。



 ………………。
 …………。
 ……。



 やはり何だかんだ言っても二人と話せたのは良かった。純粋に嬉しい。
 今なら素直に言える。

 劉備さんありがとう。

 ぱ~な人だと思っていたがコレばかりは感謝しなくてはいけないな。
 だが楽しい時間というものは得てしてすぐに過ぎていくもので、俺もそろそろ呉へ発たなくてはいけない。
 当初の予定より簡単に同盟の話が進み、その空白時間を3人での散策に当てたわけだから、そう問題は無いのだがさすがに予定を遅らせてまで遊んでいるわけには行かない。

 名残惜しいが、同盟軍だまた機会はあるだろう。

 二人の頭をなでながらそんな事を言おうとした俺の隣に、唐突に人影が一つ現れた。

「ふむ、その様子だと、随分楽しめたようだな」

 隣に来るまで全く気付けなかったその人は劉備さんとの謁見の場で見たことがある。
 青い髪に赤い瞳……確か趙雲だったな。ならば驚く事ではないか。
 なんといっても、位が低いとかそういうのはおいておいて、史実では諸葛亮からの信頼も厚い名将だ。
 そんな超有名人が一体……あ、俺の両隣にいる二人も似たようなものか。

「あれ? 星さんどうしたんですか?」

 気付いた朱里は怪訝そうに首を傾げた。

「護衛だ、国境までのな」

「星さんが?」

「私では不満か?」

 子龍さんはニヤリ、と口元を歪めながら赤い矛を持ち上げる。

「いえ、星さんなら安心です」

 朱里が慌てて、隣の雛里は首を縦に振っている。
 しかしまぁ、確かに趙雲がいてくれるなら俺も安心だ。この人さえいれば野盗の類物の数ではないだろう。

 そして、また会えるさ、と確証はないが実現の可能性は低くない約束をして俺たちは別れた。


 ………………。
 …………。
 ……。



 後ろ髪を引くとはまさにこのことを言うのだろう。

 しかし振り返って手を振る回数は7回に抑えたぞ。
 何と言う奇跡、俺は自画自賛した。

「ふむ」

 そんな俺の横では子龍さんが興味深そうな表情を浮かべていた。

「何か?」

「いや、二人のあのような表情は初めてみたので、な」

 あのようなってどのような?

「私たちは軍師と将軍の関係であって桃香様も主君だ、その辺りの遠慮なり配慮なりはあるだろう」

「……二人ともしっかりしてますから」

 公の場ではそれなりの態度というものがある。それに人によってある程度仮面を被るのはおかしなことではない。
 というか、流石にそうでなければ一つの国の軍師など出来るわけないしな。
 俺の言葉になるほど、と口元に手をやる子龍さん。

 その後は護衛とは言え別国の武将だ。変に打ち解けるわけにも行かず当たり障りのない言葉を交わしながら俺たちは歩く。
 別に沈黙になれていないわけではないのでこのままでも問題なかったのだが、街の外れまで来た時俺はそこに奇妙な眼鏡(?)のようなものを顔につけた女の子の姿を見た。

 それははっきり言って頭の程度が知れる悪趣味丸出しの仮面。何かの罰ゲームなのだろうか? きっとそうなのだろう。あんなものを進んでつけるなどはありえない事で、アレを身につけ人目の前に身体をさらす事など、これ以上ない屈辱を与える。そう考えると罰ゲームとしては最高のものだろう。

 気になるのはそんな仮面をつけているにもかかわらず女の子は心のそこからの笑顔を浮かべていることだが…………変な気に目覚めてしまったのだろうか?

「あの、アレは?」

「ん? ああ。華蝶仮面の模倣だな」

「鵞鳥……何?」

「食材と一緒にしないでほしい」

 子龍さんは少し機嫌を損ねた様な口調の後、いいか、と人差し指を建てると。

「華蝶仮面とは、言葉では表すことのできない美貌と……(略)……その槍捌きはまさに神業……(略)……そして彼女の……(略)……なのだよ」

 淀みなく、思考の速さと肺活量、舌の回りその全てを高レベルで備えている事を知らしめる高性能武将子龍さんの言の半分を華麗に聞き流しながら俺は要約に勤めた。
 簡単に言うとヒーロー、いやヒロインモノか? 義賊とかなんとか。不安定なこの時代だからこそそういった存在は歓迎されるのだろうか。
 しかし趙雲ほどの武将がそこまで褒めるのだから並みの人物ではないのだろう。

「それは凄いですね。子供たちが模倣して憧れるのも無理は無い」

「なんと……貴方は分かるのか!」

「え? ええ、まぁ」

 身を乗り出してきた子龍さんに一歩引く。気のせいか彼女の瞳が怪しく光っていた。

「そうだ、華蝶仮面とは比類なき美と正義の心を持つ存在。しかし……いや故になのかもしれないが、言われ無き中傷を受けている事もまた事実!」

 心底悔しそうに右手を握り締める。
 しかしそれでも 華蝶仮面は負けずに正義の心を貫いているらしい。
 何と言うか、聞けば聞くほどに素晴らしい。是非とも呉にほしい人材だ、あの仮面も女の子の手では再現し切れなかっただけで、本物はきっと素晴らしいオーラを放っているのだろう。

「それ程とは……その様な偉人をこの目で見れないとは……残念ですね」

「全くだな。子瑜殿、次に尋ねてこられる時は是非私を訪ねてもらいた――」

 はっとした顔をして子龍さんが口をつぐむが、既に俺は聞いてしまった。

「なんと、子龍殿は華蝶仮面と懇意なのですか!?」

「え、あ……まぁそういうこともあるようなないような」

 どっちなんだよ。
 何故か言葉を濁す子龍さんに怪訝な視線を向けた俺だったが。

 はっ!

 そーか、そういうことか。
 俺は気付く

「な、何か?」

 正対する子龍さんは汗をかき顔を引きつらせている。
 この反応は、間違いない。
 この人は……。

「成るほど。確かに相手は法を守っているとはいえない存在。蜀の武将としての立場がある貴女が声を大にして存在を肯定することは出来ませんね」

「あ? あ、ああ、そうだその通りなのだ」

 そう、蜀という国に仕えている彼女からしてみれば華蝶仮面は犯罪者なのだ。
 心情的には応援しながらも立場から対立してしまい、主への忠義がある故に苦しむ。
 なんて萌える、じゃない燃える展開。

「しかしそれは残念ですね」

「残念、とは?」

「その様に素晴らしい人物、可能ならば呉に仕官を進めたかったのですが……いやこれは子龍殿の前で言うべき事ではないですね」

「ははは、確かにあの者は引く手数多。子瑜殿がそう思うのは無理も無い事ですが、二君に仕え、げふん……この街を守る事が彼女の矜持、それ故ここから離れる事は無いでしょう」

「聞けば聞くほどに素晴らしい」


 ………………。
 …………。
 ……。


 何故か、一気に打ち解けた二人は国境まで大いに語り合ったのだった。
 ちなみに、子供の拙い細工だと納得した仮面だが。じつは彼女の父親で蜀一番の手先の器用さを持つ伝説の細工師・田吾作さんが作ったものだったりするのは、知られる事は無かった事実である。




 ………………。
 …………。
 ……。




 諸葛子瑜を国境まで送り届けた星が帰還したと報せを聞き、朱里は礼を述べるために彼女を探し城内を歩いていた。

「あれ、星さん?」

「ん、おお朱里か」

 朱里が見つけた時、彼女は普段の飄々とした態度とは打って変わって、一目で見て分かるほどに上機嫌だった。なんというか、とろんとしていた。

「どうしたんですか? よい事があったみたいですけど」

「ふふふ……」

 にんまりと笑いながら酒とメンマを交互に愛でる星。
 やがて、精神的に3歩退がった朱里にうるんだ瞳を向けると。

「軍師殿の兄君は……素晴らしい方ですなぁ」

「え?」

 ほぅ、とため息をつきながらそんな事をのたまった。

 何が一体?

 確かに朱里は兄として慕ってはいる、いるのだがアレを素晴らしい?
 ありえない。朱里は即答で断言した。

「何かあったんですか? お兄さんに何か言われたとか」

「言われた……そうだな、ふふふ……確かに言われた」

 ニタニタと凄まじい速度でメンマを消費していく彼女は五虎将軍でも随一の実力と人気を誇る趙子龍。

 何をしたんだあの人は。
 微妙に星から距離をとりながら朱里は高速で思考を動かした。
 恐らく何かの行き違いがあったのだろう。
 誰よりも子瑜を良く知る朱里はそう断言した。そしてそれはこれ以上ないくらい的確に真実をついていたりする。

 問題はコレをどうするか、だ。

 見ていて気持ち悪くなるほどメンマを消費していく自国屈指の武将。はっきり言っていや過ぎるが……それでも上機嫌なのだから、態々それを害する必要は無いか。
 政略に定評のある朱里は武将の士気を下げるようなマネは控える事にし、その場をそそくさと退散したのだった。

 しかしこれは彼女にしては珍しい失策だった。
 次の日から、呼ばれもせずに出没する華蝶仮面の活躍は両手の指では数え切れないほどに増加したのだ! しかも何故か、何時になく張り切りまくっていた。
 その被害にあったのが民家の屋根や市の商売道具などなど。
 朱里は彼女によって引き起こされた被害報告を受け、大いに頭を悩める事になる。

「いい加減にしてください、貴女は何がしたいのですか!」

 執務室に朱里の大声がこだました。



[5644] その12
Name: タンプク◆2cb962ac ID:85b92d51
Date: 2009/08/11 17:04
 無事に蜀との同盟締結という任務を終え呉への帰路についた。
 小さい頃よく言われた「家に着くまでが遠足です」と言う言葉を改めて実感している今日この頃だ。
 着いたら着いたで休む暇も無く仕事が待っている、という現実を考えると比喩的に足が重くなるが比喩であって俺の体重に変化はないので、馬は早く働けとばかりに軽やかな足取りで大地を駆ける。
 人間でさえ難しいのに馬に空気を読め何ていう高等技術を期待する方がおかしいというものか。

 しかし流石は中国。広いなぁ。開発とかされてないから見渡す限りの地平線だ。こう見ると改めて地球が丸いということを思い出させる。
 国境までは趙雲さんがいてくれたのだが、そこからは野盗なども手持ちの戦力で何とかしなくてはいけない。正直心細いです。
 田舎から東京の大学へ受験しに来た時も不安に押しつぶされそうだったが、今思うと本当に大海を知っていなかったな。広大な大地を見ると人間の小ささを改めて知らされるゼ。
 それでも寿春に近づくにつれ治安も良くなっていくので逆のパターンだった行きよりは気が楽だし、戻れば休めるというにんじんを吊られた馬の心境で先を急ぐことにした。

 そんな風に、確定していない未来に対して甘い予想を描いてモチベーションを上げている俺だが、道ともいえない道で倒れている男を見つけた。
 この時代では特別珍しいことでもないので無視しようと思ったのだが、黒い服が色こそ違え呉の兵士が身に付けているものに似ていた事が俺に足を止めさせた。

「…………?」

 馬を降りる。
 いきなり飛び掛られたりしたら困るので、剣を抜きゆっくりと近づく。そっと、身体に触れるとヌルっとした感触が伝わってきた。
 同時に鼻をつく鉄くさい臭い。

 違う、これは元々黒い服ではなく、血によって黒く変色しているだけだ。
 そしてそれだけの血液が失われているところから推測しても……手遅れだ。

「諸葛――殿」

 人の気配に反応して意識を取り戻したのか、しかしその顔は致命的なまでに生命感が無い。

 俺を知っている? やはり呉の兵か?

 鎧を着ていないことを考えると伝令と言う線が濃厚だ。
 そして彼が伝令で、瀕死の重症を追っていると言うことは……事態は切迫している可能性が高い、と予測できる。

「何があった? 結果だけでいい話せ」

 この男には既に長々と話している時間が無い。
 前置きをすっ飛ばして結論だけ言うように促す。

「曹操が……軍を」

 その一言で全生命力を使い果たしたかのように男の全身から力が抜けた。

「…………オーケー。分かった、後は気にしなくて良い」

 名も知らぬ男に対する憐憫も同情も無いが、それでもやるべきことはある。
 急速に熱が奪われていく男の身体から私物と思しき人形を見つけ、「しばらく借りる」とことわった後、腰の布袋に入れる。

 曹操の侵攻が事実ならその情報を命がけで届けたこの男の行動は手柄として十分だ。ならば恩賞を受ける資格がある。
 既にこの世にいない男には関係の無い話かもしれないが残された家族がいるならば、重要な意味を持つはずだ。

 さて、この人に対する感傷はコレで終わりだが、話された内容は聞いただけでは済まされない。

 色々と困惑する部分はあるが、話の内容は理解した。
 その上でまず思いつくのは 予想外の一言だ。
 曹操が袁紹を破ったのか? しかしそんな話は……そもそも戦になった事すら聞いていない。
 袁紹も馬鹿らしく、その馬鹿さ加減は袁術と同レベルらしいが軍自体は精強。本当に、どうしようもなくトップが馬鹿である以外はかなりの勢力な、はず。そう聞いている。
 それだけのものを持っているのになんで馬鹿なんだ、と頭が痛くなるが……今はどうでもいいことで重要なことは、さしもの曹操といえども話が広まらないほどすぐに勝てる相手ではない、という一点だ。
 そもそも国を一つ滅ぼしたという情報がこちらに流れる前に連戦など出来ようはずがない。
 しかし実際に攻めてきて、情報を遮断するために伝令の口を封じている今、ありえないで済ませるわけには行かない。

 何よりも。
 まずい……このままじゃ敵の支配下に取り残されかねない。
 悪いが馬よ、もうしばらく頑張ってくれ。





 ………………。
 …………。
 ……。





 飛ばしに飛ばしてようやく寿春が見えてきた。
 幸い曹操の軍勢を見ることなくここまで来れたが、もしかしたら間違いか何かだったのではないか? と疑惑も浮かんでくる。
 ただ、俺に報告を残して死んでいった兵士は実際に存在し、その重みだけが現実につなぎとめられていた。

 今俺がしなくてはいけない事はこの情報を一刻も早く城へ持ち帰ることだ。
 走る馬がいい加減休ませろと労働基準法に則った苦情をひっきりなしに送ってくるが、まだそんなもの出来てないだろ、とさらなる加速を要求する。

「――朱羅さん!」

 そんな、かなり切羽詰った状況だけに突然声をかけられ、心のそこから驚いた。漫画的表現なら口から心臓が出るくらいに驚いた。
 というか、こいつわざとやってないか?
 回数的にそんな風に思っても誰も俺を責めることは出来ないだろう。そんな思いをこめ、視線を現れた小柄な少女、周幼平に向ける。

「唐突に現れるなって、明命」

「すみませんっ」

 はぁ……、まぁいい。実のところはちょうど良いタイミングとも言えるしな。実際伝令という仕事は俺よりもこいつの方が向いているだろう。
 何て思ったのだが、何故こいつはこんなところにいるのだろうか?

「実に久しぶりだし、そういう状況で何なんだけど。何でこんなところに――?」

「冥琳様から命じられまして、この辺りの地形図の確認をしていました。先程終わったので城に帰るところです」

 そういえばそんな話を蜀へ発つ前に聞いた気がするな。ソレはいい……。
 任務についても終わったのなら好都合、どうせ城へ戻るのだから手伝ってもらっても問題ないだろう。
 長いこと呉から離れていた俺は誰がどこにいるかが全くわからないので、そういった方面では呉随一である明命を捕まえることが出来たのはかなりの幸運だった。

「そう言えば雪蓮様に会いましたか?」

「――? いや」

 俺が劉備のところまで同盟の申し出に行ったのは知っているだろうに何故ここで伯符さまの名が出てくる?
 心の中で首をひねる俺を知ってか知らずか、いや知らないんだろうけど。明命はさらに続ける。

「一人で街を出て行かれたので護衛を願い出たのですが、任務があるだろうと断られました」

 成る程、ありそうだ。笑いながらそんな事を言う伯符さまをありありと思い浮かべることが出来る。
 ……待て、するとあの人は場外に一人でいるのか?
 普段ならば気の済んだところで戻ってきて公瑾さまの説教ですむのだが、今は時期が悪い。

「曹操の軍勢が寿春に向けて進軍している。明命は可能な限り早く伯符さまを見つけて報告してくれないか?」

「わかりました!」

 他国の兵、一人で城外にいる伯符さま。
 嫌な予感がする。
 予感ですめば良い、俺の知る歴史では孫策は……。
 脳裏に過ぎった不吉な想像に後押しされ、走り出した明命へ更なる言葉を投げかける。

「伯符さまの護衛を最優先で頼む、特に伏兵には気をつけろ」

「はい!」

 正面からの1対1ならよほどのことがない限り遅れをとることがないだろうし、史実の知識から不意をつかれるイメージがある。
 呪いとかだともうどうしようもないけどね。



 ………………。
 …………。
 ……。




 明命と分かれた後、再び馬にムチを入れ、寿春へと急ぐ。
 事は刻一刻を争っており、情けないが伯符さまの方は明命一人に任せる他に道はない。
 仮に予測どおりだった場合、俺には直接的な暴力を撥ね返すだけの力が無いのだから。

 幸いというか本当に運が良い事に城に入ってすぐ公瑾さまと鉢合わせした。
 よく戻った、というねぎらいの言葉に礼を返し出来ればそのまま休みたいのだが、そういうわけにはいかず時間が惜しいのですぐさま報告に入る。
 息を整え、蜀との同盟を結んだ事、とその証である劉備さんからの手紙を渡した後、簡潔に「曹操、攻めてきた」という感じで兵から聞いた話を公瑾さまに説明した。

 そして最後に一つ付け加えて。

「明命が任務を終えていたようなので独断で伯符さまを連れ戻すように言いました」

 命令を出す立場にない俺が勝手にやったことなので、はっきりいって越権行為になりかねない。しかも理由が嫌な予感がした、とか。
 と言うか明命が直臣であるのに対して俺は陪臣だ。立場的には明命の方が上だし。その辺りは伯符さまから直接命を受けたこともあるのでハッキリと区別はつけられていないのかもしれないが。

「そうか……緊急事態だ、お前の判断は正しいよ。何にせよそういった方面では明命ほど頼りになる将もいない」

 話を聞くにつれて険しさを増していた公瑾さまだが、このときだけは相好を崩した。
 しかし、すぐさま表情を引き締めると天下の名軍師の名に恥じることなくすぐさま指示を出す。

「海軍の調練に行っている蓮華様と興覇を呼び戻して来きてくれ」

「分かりました」

 こういう時すぐさま指示が出せる上司がいると頼もしい。
 俺なんかではやることを沢山考えすぎて結局動けなくなる。


 ただ……蜀行きからずっと苦楽をともにした戦友(馬)は俺の顔を見た瞬間「ちょ、またっスか」的な表情をした、気がするが……気のせいだろう。
 そういうことにしておこう。







 ………………。
 …………。
 ……。





 休むまもなく、目指せ長江。
 パカパカと小気味良いリズムで走る馬は十分に休息をえており、体調も良いようだ。
 つまり、俺の戦友とは別の馬であって、奴は乗ろうとした俺に向かって「流石にもう無理っす」とばかりに一鳴きして座り込んだ。
 不思議で便利な豆とかトマトとか持ってなかったので別の馬を選ぶのは自然な流れだ。

 そして、着くと同時に蓮華様と興覇さまに状況を説明しすぐに城へとんぼ返り。
 戻った頃には普段のメンバーが全員そろっていた。

 と言う事は勿論伯符さまと明命もいるわけで。
 問題の伯符さまは。

「危うく撃たれるところだったわ」

 危なかったねー。
 と何事も無かったかのようにかなり致命的なんじゃないかと思えるイベントを振り返っていた。
 当然、それだけで治まるはずが無く。

「危うくではありませんお姉様!」

 臣下の俺の思いを代弁してくれた……ワケではないだろうが蓮華様が的確に突っ込んでくれた。

「大丈夫よ、かなり際どかったけど明命のおかげで助かったわ」

 しかも矢には毒が塗られていたらしい、恐ろしいなぁ。
 まぁ、何にせよ助かって良かった。曹操せめて来てるのに王様死んじゃった、ではジョークにしてはブラック過ぎる。

「さて、それじゃ始めよっか」

 どうやら俺たちを待っていたらしく、早々に軍議が開始された。
 同時に和んでいた空気が引き締められる。これから呉にとっての大きな試練が始まろうとしているのだ。
 しかし事戦争に話がいくと俺の出る幕は殆ど無いのでただ聞くだけだ。

「国境からの伝令は一人たりともとどいていない」

「恐らく曹操が遮断しているのでしょう、騎兵の機動力を持ってすればあるいは、可能なのか」

 次々に出る意見に耳を傾けつつ考える。出来る事が少ないとはいえ考えることを止めるワケにはいかない。
 情報が鍵を握ることは百も承知だ。故に正しい伝達が出来るように工夫を凝らしており、伝令全員を捕縛若しくは殺害する、なんて事は少なくとも呉の騎馬隊では不可能だ。
 ただ呉と魏では騎馬隊の質に大きな差が出る。そのあたりを読み違えたか。
 今回は運よく最悪の事態は回避できたが、もしここから目視できる地点まで近づかれたらと思うと冷や汗ものだ。

 兵数は向こうが勝っているようだが、こちらには城壁、地の利、兵站など有利な点が多くある。
 しかし曹操のほうも勝てると踏んでこその侵略だ。
 そう簡単に、は――。

「あ、れ―――っ!?」

 グラリ、と視界がゆれた。
 踏み出した足から力が抜ける。
 息が、出来ない……。

「朱羅?」

 隣の蓮華様が俺の異変に気付いたのか、怪訝な声を向けてくるが、返事をする余裕がない。

「は……」

 落ち着け、落ち着いて息を吸って……。
 吸えない?
 やばい、マジでヤバイ。

 疲れか?
 確かに蜀への同盟から休むことなく動き回っているが。

 もっともらしい理由ではあるが、俺は即座に否定する。
 何故ならこの異変は知っているから。
 今回を含めて今までに3回経験している。


 1回目は俺が劉備に仕えようとした時。
 2回目、雛里が生きている状態で劉備が蜀入りした時。
 そして今回が3回目、暗殺から伯符さまが逃れた時。

 その3つに共通する事は……。

 いうまでもなく歴史への干渉。
 かなりカオスな現在を考えると何を今更という話なのかもしれないが、もしかしたら歴史が変わる、というより個人が変える事にペナルティが発生するのかもしれない。

 もう少し、深く考えるべきだったか。
 一瞬後悔がカマ首をもたげたが、目の前で何かを必死に叫んでいる蓮華様の顔を見て、否定する。
 今俺の身体を支えてくれている主に向かって「お姉さん死ぬの分かってましたけど、こっちの都合で黙ってました」なんて言えるか。
 言わなくても、罪悪感が俺を呪い殺すだろう。

 だから、後悔はきっとない。判断した瞬間にこうなると分かっていたら逡巡したかもしれないが、既に振ったサイコロを悔やんでも仕方が無い。

 ただ、そうだとしても。
 コレは予想外だ……なぁ。
 正直なところ諸葛瑾が持っている寿命の分は生きられるのではないかと思っていた。
 もちろん戦などで直接的な死までキャンセルできるとは思っていなかったが歴史と言う道しるべがあるなら天寿を全うできると楽観視していた、その結果がコレか。

「そうそう上手くはいかない、なぁ……」

 最後に残った空気を吐き出し、俺は意識を手放した。




 ………………。
 …………。
 ……。







 真・恋姫無双 二次小説「気が着いたら三国志。と思ったら……」
 作者「タンプク」
 2009/01/02~2009/06/20






 完。





 沢山のご声援ありがとうございました。
























 ………………。
 …………。
 ……。




 って、ちょっと待てぇ!

 何に対してか分からない突っ込みで目が覚めた。
 覚めたはいいが、身体に力が入らない。

 何だ? 何があった?
 何故俺の身体はベッドから動こうとしない?

 とりあえずここはどこだ?
 混乱する頭に活を入れ、一度瞳を閉じてその後ゆっくりと開ける。
 同時に目に映るは……知ってる天じょ――。

「元気になぁぁぁぁれぇえええ!」

 いや、勇者王!?

 知っている天井だったが。
 よく分からない目覚めだった。



[5644] その13
Name: タンプク◆2cb962ac ID:85b92d51
Date: 2009/08/22 13:26
 曹操が攻めてきたよ、どうしよう。
 何て話し合っていた後の記憶が無いのだがどういうことだろう?

 今現在呉の領内に曹操の軍勢は存在せず、端的に言ってしまうと眼が覚めた時には全てが終わっていて、1週間眠っていた事、続いて身体に異常は見られないと告げられた。

 その説明の中にで勇者王というか医者王は奥義がどうとか体内の病魔を倒すとか言わんとすることは分かるが何か違うと感じる言葉を並べたてたりしたのだが正直なところ俺の拙い知識では理解しかねる内容だった。
 もっとも、医学の知識などどちらの俺も習得した事はないので何らかの深い意味があるのだろう。
 多くの医者と患者の関係と同様俺にとって重要なことは自分の体がどうなっているかであって、神医・華陀が疲労と診断したのだから、少なくとも病気等については問題ないのだろう。不安要素はあるが それは今のところどうしようもないのでおいておこう。
 何より俺が寝ている間に事態は目まぐるしく変わったようで、城内は慌しく どうやらのんびりと寝ていられる状況では無さそうだ。
 華陀が戻ってきたらもう仕事に復帰しても良いかどうか聞いてみよう……というフラグだかなんだかをスルスルと立てていた途中で、凄く良い笑顔を貼り付けた伯符さまが現れた。ついでと言っては何だが後ろに公瑾さまを従えて。


 あ、そう言えば華陀男だった。若すぎる気がしなくも無いけどそんな事は些細いな問題だろう。



 ………………。
 …………。
 ……。




 なんだか嫌な予感を感じながらも、逃げるわけにもいかない俺は挨拶の後伯符さまの話を聞くことになったのだが。

「公瑾さまが?」

 国王ともなるとプレゼン能力は相応に高いものであり、ましてや小覇王と呼ばれた人だ話の内容は分かりやすいものだった。
 それ故に始めは事の重大さにぴんと来なかったのだが、簡潔に言うと公瑾さまにドクターストップがかかった、というもの。
 原因は言う今でもなく例の医者王。
 まぁ患者が患者なので俺のほうは納得したのだが。

 なんでも、

「貴女に巣くう病魔は手ごわい、俺の五斗米道を、その奥義をもってしても完全な治療は困難だ。しかし、このまま病魔を相手に尾を下げるわけには行かないっ。そこで聞いた話では仕事量がとてつもないということだが……(ry」

 ――という事らしい。
 切々と説明を受けても医学など本格的に学んだ為しがない俺にはまさに意味不明。これでどうやって理解すればいいんだ。
 とにかく確かな事は公瑾さまが今まで通りに動くことが出来なくなったと言うこと、それだけだ。



 ………………。



 大事じゃないか。

 それなりに偉くなってきた今だからこそ言えるが 公瑾さまの仕事量はマジでハンパないの一言。後に三国一の放火魔と恐れられる稀代の軍師はやはり凄かったのだ。
 それこそ人間かと疑いたくなるほどに。

 呉を土台から支えているといっても過言ではない公瑾さまの穴を埋められる人材などそうは居ない。それこそ諸葛亮とか司馬懿あたりをつれてこない限り……いや無理だな。能力に加えて今まで呉を支えてきたというプラスアルファが付かないといけないから、実質代わりなど存在しないのだ。

 唖然とした表情で公瑾さまを見ると、やれやれと肩をすくめていた。

 実際この国について一番よく分かっている人だけに、恐らくは「でもそんなの関係ねー」とばかりに一笑にふしたりしたのだろう。
 最終的に仕事を半分にすることで落ち着いたようだが……公瑾さまの半分というのは常人にとっては計り知れない重さを持っているわけで。

 そして、そんな忙しい中何故二人がこんなところに来たのか。

「はっきり言って今は袁術にのっとられた時に次ぐ非常事態だ」

 そうですね。誰とは言わないけど主に曹操の所為で。

「そんな中使える人材を放置しておけるわけがないだろう」

 という公瑾さまからのお話。
 この場合人材=俺という判断でいいのだろうか?

 自信なさげに自らを指し示すと、伯符さまはニヤリと笑い、公瑾さまは小さく頷いた。

「……分かりました全力を尽くします」

 拒否できるものでもないし、する意味もない。
 俺は忙しいのは今までも体験してきたさ、などと高をくくった。



 しかし、仮に公瑾さまの病気がもっとひどく、それこそ史実どおりに不治の病だった場合、華陀はあまり宜しくない情報を知る事となったのだが……その場合伯符さまはどうしたのだろう。
 何気なく、尋ねたら、意味深な笑みを返されたので深く考えるのはやめよう。仮定の話なんて何の役にも立たないさ。




 ………………。
 …………。
 ……。



 俺の机の上に、かつてない高さまで積まれていた竹簡と慌しく動く文官の皆さん。
 早速回れ右して逃げたくなったがそれをやると100%に限りなく近い確率で俺に良くない結果を引き起こすので、心の中で大量の涙を流しながらも仕事に没頭する。そうして俺はまた一つ強くなった。
 部下が増えたこともあり、仕事をチーム単位に割り振った後「さあ頑張ろう」とばかりに消化していく。
 先の見えない戦いだが実際は限りのあるものなので一つ終わらせる毎に残りは減っていく…………のだが、耳かきで砂場の砂を全てすくい出すのと同様に消化した事による結果が見えずらい仕事というものは精神的にかなりきつい。
 よって、ふと気配を感じ顔を上げたところに居た蓮華様はちょうどいい、と言っては失礼かもしれないが、口実でもあった。
 何よりこの人を見つけて無視することなど出来るはずが無い。

「蓮華様?」

 以上のような理由で声をかけたのだが。

「あ……いや、急がしそうだな」

 これを見て「暇そうだな」とか言う言葉が出てくるなら眼科か精神科への通院を勧める。勿論直接的に言うわけには行かないので「……蓮華様は(病むほどに)凄く忙しかったんですね。休んだ方がいいと思います、というか可及的速やかに」という感じで。

「今忙しくない人はあまりいないと思いますけどね」

 ところで何の用なのだろうか?

「何か用ですか?」

「用という程のものでもないのだけど、眼が覚めたと聞いて中々時間が取れなかったから」

 そう言えば倒れて以降、蓮華様と会うのはこれが初めてか。
 多くの礼にもれずこの人も忙しいだろうに、そんな中わざわざ来てくれたらしい。
 何と言う行き届いた配下への気配りだ。俺は感激のあまり心の中で泣いた。

「身体の方は大丈夫、なの?」

 心配そうに問うてくる蓮華様に間をおかず「ありがとうございます。多分大丈夫でしょう、医者もそう言ってますし」と軽く返す、返す事が出来たと思う。
 正直その問題は俺が一番知りたいもので、1週間眠ったままという異常事態にも関わらず体に異常は見られなかったのだ。
 しかも神医と名高い華陀の診断だ。医学的には問題ないと思って間違いないだろう。
 そうなると、正直もうどうしようもない気がする。

 幸い、今のところ問題なく身体は動くし、あのときのような病状も表面化していない。
 もしかしたら、歴史の分岐路のみ 影響を及ぼすのかもしれないし、そもそもが俺の勘違いという線もありうる。
 だから「大丈夫」としか返せない。

 含み満載の返事だったが、ポーカーフェイスには自信がある……と言うか強制的にそうなるように育った。
 エターナルフォースブリザード! とか叫んだりしていた人たちとは異なるが、同じく暗黒時代と呼べる記憶。
 それでも今現在安心した蓮華様の表情を見ると少しは役に立ったと思えるし「塞翁が馬か」などと故事を実感したり。

 その後は少しの間、主に俺が寝ている間の出来事について話したが、お互いに忙しいこともあり仕事へと戻った。




 ………………。
 …………。
 ……。




 意識が戻って初めての軍議は公瑾さまが抜けた穴をどうするかというものだった。

 予想はしていたがやはり対症療法的に手を打つしか方法がなく、つまるところ公瑾さまの仕事量って凄まじかったという結論に至る。
 少なくとも軍議に出席している人全員顔色が宜しくない。

 俺の場合は、昇進してお給料が増えました。
 でも仕事がもっと増えました。時給換算は凄く下がってる気がします、という状況。正確に考えると欝になりそうなので"気がする"事にしている。

 とは言え皆忙しいし、公瑾さまに死ぬまで働けとか言えるはずも無いし言う気もない。ここで死なれたら洒落にならん。
 とりあえず現状の戦力で何とか回していくしかないのだが、それもそろそろ限界に来ているらしい。

 今まで公瑾さまが請け負っていた仕事を大きく分けると、公瑾さましか出来ない仕事と公瑾さまならば効率的に出来る仕事の二種類。
 前者はどうしようもないが後者に限っては他のものに任せることが出来る。そしてみんなの顔色が悪くなった。

 出来るとは言え効率は落ちるし、時間もかかる。それを変わらない頭数で割るのだからシワ寄せはかなりのものだ。
 つまり、今の呉はかつて無いほどに人手を必要としている。だからと言って星形の奇妙で素敵な物体を持ってきたら黙って牢にぶち込む自信がある。
 そういうギャグは今凄くお呼びで無いのだ。

 言うまでもなく呉の危機だ、蓮華様は突っ走るだろう。というか既にブレーキ何ソレ? という状況なのかもしれない。ストッパーである興覇さまはいつもの無表情を保っているが、例に漏れず顔色が悪い。
 何故かあまり心配にはならないのだが、明命はお猫様との憩いの時間を削らざるを得ないらしく、目が空ろだ。うん、こいつはまだ余裕がありそうだ。

 俺としても何とかしたいとは思うが、良い考えなど早々思いつくものでも無いし、そもそもが優秀な人材など都合よく沸いてくるはずもない。
 賢者が森の中で待っている何ていうのはゲームの中の話だ。
 まぁ似たようなところでは…………あ。

 その時、俺に電流はしる。ピキーンとかそういうアレだ。

 そのひらめきはやがて形になり、ここしばらくあっていない友人の顔が過ぎった。
 いや、しかしな。あいつは……。

「誰か心当たりがあるの?」

 どうしたものかと考えていた俺に隣から蓮華様が声をかけてきた。
 よく見ているな。表情を変えたのは一瞬のはずなのに。
 主の評価を大きく上方修正しつつも、なんと答えたらよいか言葉を探す。

 返事としては「いえ、なんでもありません」が最も大きな割合を占めているのだがふと視線を感じ、転じてみると俺はそこにぎらついた光を見た。どうやら皆さん余裕がなくなってきているらしいです。
 どう考えても、何でもないで済まされる雰囲気ではない。

「あ、あるといえばあるのですが」

「ですが!?」

「釣れるかどうか」

 あてと言われてもこの世界での人脈など私塾位しかなく、その中で誘える人物となるとさらに限られてくる、というか一人しかいない。
 能力的には問題ない。
 ただ……。

「それで、お前のあてとは私塾の者か?」

「はい……ただ、あくまで可能性なので」

 しかし何だろう? 何かが待ったをかけている。
 やはり俺の知る歴史と異なっているからだろうか? 既に朱里と雛里が蜀に入っているので引き抜いてきても問題ない……ような気はするのだが。
 それもこの感情の一つなのだろうが、何か違う……というか欠けている気がする。

 消えない違和感にうんうん言いながらも、とりあえず話をしに行くという結論で軍議は終了した。
 正直、気が重い。
 その出所が分からないだけに気持ちの悪さは1ランクアップといったところだ。


 ………………。
 …………。
 ……。




「仲の良い友人だったのだな」

「え?」

 軍議の後、部屋を辞そうとした俺を公瑾さまが呼び止めた。

「戦乱に巻き込みたくは無いのだろう?」

「……成る程、コレはそういうことだったんですね」

 しっくり来ない自分の気持ちを今始めて理解した。
 どれだけ有名人で、戦場で功をあげた人物であっても俺にとってあいつは友人ということだ。出来るなら荒事とは無縁でいて欲しいとかなんとか、勝手に思っていたのだろう。   

「ただ、一つ行っておく。その者がお前の言うだけの才があるのならば、遅かれ早かれ戦乱に呑まれて行く。今はそういう世だよ」

「そうですね、分かってます。何より勝手に押し付けただけですから」

 ただ、それでも完全に気が晴れないのは……やはりこちら側につれてくることに負い目を持っているから、なのだろうか?
 よく分からない。あいつに来て欲しいのか来て欲しくないのか。
 分からないけど立ち止まっていられる状況でもない、とにかく動かないことには始まらないのだ。

 俺は公瑾さまに一言礼を言った後、今度こそ部屋を出る。
 命令されたという事実を免罪符にするのは些かどころじゃなく情けないし、色々と拙いことだけは理解していた。



 ………………。
 …………。
 ……。




 登用の為には目的となる人物に会いに行く必要がある、しかし現在進行形で呉が危機的状況である以上任された仕事をほったらかしにするわけにもいかない。
 とりあえず、出来そうな奴を見繕って振り分けてみた。涙目になっていた気がするが、目元に影があってよく見えなかったので気のせいと言う事にしておこう。
 正直これでも帰ってきた時が怖いが……やめよう、今はそれ以上に問題となることがある。

 流石にこの時点で呉が滅びるのは無しだ。その為に俺も出来る手は打っておかないといけない。

 そして、その手というのが知り合いを誘ってくる事であり、相手はいうまでもなく徐元直だ。
 既に先生を通して話は通してあるので、会える事は会えるのだが。
 その時のやり取りに些か不安を感じているわけで。

 「徐庶もらってもいいですかね?」という手紙に対して「いいんじゃね? むしろ遅くね?」という返事。
 遅いとかなんだろう?

 先生の予想ではもっと早く泣きついてくると思ったのか?
 その可能性が大いにある事に何とも情けない気分を味わいつつ俺は私塾目指して出発したのだった。



 ………………。
 …………。
 ……。




 相手が元直で奴は未だに私塾に居ることは既に情報として持っている。
 しかしながら今更制服を着る気にはなれないし、何よりもう持っていないので元直とは私塾時代に買出しに行った街で落ち合うことにした。
 女物の制服を後生大事に保管しておく趣味など持っていないし見つかれば宜しくないことが起こる。
 特に呉には性格、権力、知略どれをとっても随一の超一級危険人物が居るので尚更拙いのだ。誰とは言わないがS策さん。
 一応思い出が詰まって居るといえる品物を処分した事に対して俺は全く後悔していない。それだけS策さんの毒牙の威力は凄まじかったということだ。

 間違っているのは俺じゃない、国主の方だ。などと馬上で思いつつ、同時に俺の乗馬技術も結構いけるくらいにはなってきたんじゃないか? などと自画自賛してみた。そして――。


「やあ、久しぶりだね」

「確かに久しぶりだな」

 言葉通り、久しぶりに会う友人は俺の記憶より少し髪が伸びてはいたが、馴染みの涼やかな笑顔で俺を出迎えてくれた。



[5644] その14
Name: タンプク◆2cb962ac ID:f3cadffe
Date: 2009/12/15 00:17
 進むにつれ懐かしい景色が増えると言うのは良いものだ。
 しかも今回は、休み明けでたまった仕事に泣かないように、手を打っている。
 だから、気分は晴れやかだし足取りも軽い。

 しかし……果たしてアレでよかったのか。

 頭をよぎる言葉に、立ち止まった考えてみるが……俺にとっては九分九厘問題ない。
 なら……いいか? 

 何か大切な事を忘れている気がしたが、あえて深く考えない事にする。
 最悪の場合は寝る間を削ればいいさ。
 今は他に考える事があるしな。


 ………………。
 …………。
 ……。


「子明様!」

 ところ変わって建業、名を呼ばれているのは将来の軍師として目をかけられている呂子明だ。
 未だ”将来の”という形容詞が付いてはいるが、呉には周瑜、陸遜というきちが……優秀すぎる前任が居るために他ならず、彼女の実力はすでに一国を任せるに足るものだろう。

 そんな彼女だが、自らの名を呼ばれビクリと肩を震わせ落ち着きなくあたりを見回すその様は間違いなく小動物が捕食者に対するものであって、軍師としての威厳を大幅に低下させていた。
 もっとも、どこぞの国ではそもそも威厳そのものが存在しない輩も2名ほどいたりするので、問題がないともいえるが、どれだけ贔屓目に見てもアレは基準として相応しいとはいえないだろう。見た目的にも内面的にも。

「こ、今度はどういった……」

「こちらとこちらと……あとこれもお願いします」

 持ち込まれた竹簡の山。一目見て、亞莎の顔は盛大に引きつる。
 本来ならば、視力の関係もあって、どちらかと言うと近寄りがたい……これも一種の威厳と言えるだろう、雰囲気をまとっている亞莎だが、ここ最近の彼女を動物で表すとノスリに追われているシマリス。

 どうでもいい事だがノスリをノリスと誤読し、何故シマリスがノリスを恐れるのか? と子一時間悩んだりした人がいたという。

 古いネタはこのくらいにして、ともかく今、呂子明はかつてないほどに追い詰められていた。
 出来る事なら全てを捨てて、盗んだ馬で走り出したいところだが。ソレをすると後が怖いし主も怖い。どちらかというと、ではなく確実に後者が怖すぎる。
 よって、亞莎は数秒黙する事で抗議の意を表してみたりもしたが、結局は「はい、わかりました」と返した。
 今の彼女は仕事と言う名の山に登る登山家だった。

 Q.何故登るのか?
 A.そこに山があるから。

 つまり仕事がたまっているので消化する以外に道がない。
 そして、コレが山と違うところは上った分だけ標高が上がるというところ。
 呂子明という人物の平時においてのニュートラル状態は理性的で合理的な性格をしている。故に、先の見えない戦いを喜ぶほど登山にかけてもいなければ暇人でもない。

 では、その彼女が何故このような事態になっているのだろうか。ソレを説明するためにはまず彼女の今置かれている状況にまで遡る必要がある。
 先ほど述べたように呂蒙は将来の軍師である。故に彼女には特に知識の補強、定着に関する勉強が義務付けられており、むしろソレも仕事の一つになっていた。
 そして、彼女が師事している人と書いて”諸悪の根源”と読む事が出来る人物、それが諸葛子瑜。
 何故彼が呂蒙の師となったのかというと、消去法という身もふたもない理由からだ。勿論、周瑜もしくは陸遜が教えられるのならそれが一番良いのだろうが、そんな事をしたら呉の誇る軍師二人が過労死しかねない。
 つまりは、育成という現在においてはなんら利益を生まない仕事を割り振っても困らない程度の重要度であり、かつ将来は利益を得られるであろう程度の教師としての知識を持つ人物という、なんとも厄介な条件が浮かび上がってくるわけで、その時、孫策、周瑜、陸遜の3人の脳裏に刹那の間も置くことなく浮かび上がった顔が子瑜であった。

 そういうわけで彼女は子瑜を先生と呼び日々勉学に励んでいる……のだが。
 5日前、その子瑜が旧友の引き抜きという理由で呉を離れた。
 つまり、その間呂蒙の授業は休止という事となり……結果的に彼女には空白の時間が出来たのだ。

 そこに目をつけた男が約一名。

 あろう事が自らの仕事を彼女に丸投げした。
 そして、性格的にも立場的にも嫌とは言えない亞莎は今こうして泣きを見ているのだ。
 現在の亞莎の能力からして必要とする時間は、授業<子瑜の受け持っている仕事、という不等号が成り立ってしまったから大変だ。

 適当なところで切り上げるだろう。なんて考えていた子瑜だったが、それは亞莎の性格を完全に読み違えていた。
 いや、一応心配はしていたようだから「もしかしたら」という思いはあったのかもしれない。
 しかし、そんなものは本人にとっては何の価値もないことで、亞莎は今泣いているのだ。

「朱羅先生、早く帰ってきてください!」

 悲痛な叫びは心のそこからのもので、思いの強さを言えば彼女のソレは呉の中で1,2位を争っていたりする。



 ………………。
 …………。
 ……。



 ―――?


 一瞬頭の中を言葉が走った……気がする。
 しかし宇宙空間に適応しているわけではないし、そもそも行った事すらないので、気のせいだろうそうだろう。

「どうかした?」

「いや、なんでもない」

 頭を2度ほど振って、テーブルを挟んで正面に座る元直に返す。
 久しぶりの邂逅は私塾ではなくそこから程近い邑にある茶屋だった。
 理由は一つ。今の俺の格好で私塾に入るわけには行かない。入れるようにする事は可能だがそうする事はもっといけない。

「そうか、ではそろそろ本題に入ってもらえると嬉しいかな」

 久しぶりに会ったこともあり、盛大にカコバナを咲かせていたのだが。
 話が途切れたのを待っていたのか、ごく自然な調子で元直は言った。

「……え?」

「何の用もなく僕に会いに来た、なんて甲斐性がキミにあるわけがないだろうしね」

「いや、そんな事はないぞ」

「へぇ、じゃあ今日は純粋に僕に会いに来ただけで、これといった用事はないと言う事でいいのかな?」

 YES。
 話の流れ的にそう答えかけた俺だったが、少し待て。
 今回俺がココまで来た理由は、伯符さまの命令だ。

 さて、想像してみよう。ここで元直の問いに対して是と答えるとどうなるか。


 ………………。


「さて、前置きはこのくらいにしておこうか」

「はいはい……」



 ………………。
 …………。
 ……。



 気を取り直して、今回のミッションである徐庶登用プロジェクトを起動させよう。
 1メートルほどの距離にある半眼の青い瞳、表情と口調から察するに機嫌はそう悪くはないようだ。

「えー、つまり何と言うかね。端的に言ってしまうと――」

 などと、先延ばしにしかならない言葉を発した俺を見る元直の視線の温度がわずかながら下がり、白く細い指が小さく机を叩く。

 あ、機嫌パラメータが少し下降した。しかも、こうやって分かりやすく見せると言う事は……。

「言いにくいことなのかもしれないけど、そういった奥歯に物がはさまったような言い方はあまり好きじゃないな」

「あー、うん」

「そしてそんな事は理解しているだろうキミがあえてそう言うということは僕に断って欲しいのかな?」

「……参った」

 俺は両手を上げた。
 昔馴染みであり、俺がこいつについてよく知っているということは逆も然り、だ。
 下手な小細工は見破られて当然であり、心象を悪くするだけ。
 仕方がない、あたって砕けない事を祈ろう。

「俺は今呉にいる」

「それは知っているよ」

 というかこいつの事だから何で俺がココにいるか、その理由すら察しているんだろう。
 故に単刀直入に聞く。これ以上の迂遠な策を労していると、話し合いに応じてくれなくなりそうだし。

「お前も来ないか、という話だ」

「それは、友人として誘っているのか、呉の臣として命じられたのかどちらだい?」

 案の定、元直は驚きの色など一切見せずに、聞き返してきた。

 ただ、その質問は用意してきたQ&A集の中には存在しない物で、それ故に俺はしばし考え込まざるを得ない。

「…………8割友人としてで最後の一押しが呉の俺、かな」

 伯符さま達の話を聞いた時、元直が思い浮かんだのは私塾での付き合いがあったからだろう。何より来てくれるととても心強い。
 しかし、そうは言っても公瑾さまのリタイアという非常事態が発生していなければ俺はこうして会いに来てはいない、筈だ。

 ここに至って、元直に来て欲しいのか来て欲しくないのか。ソレすら分からないあたりどうしようもないくらいに優柔不断だとは思うし、最終的には判断を元直に丸投げしようなんて事を割りと本気で思ったりもした。
 もっとも、友人としてソレはないだろうと最終的に思い直しはした。のだが、その結果が婉曲に断ろうと言う先ほどの発言だ。
 思い直してそれかよ、という突っ込みはすでにセルフで入れてある。

「とは言っても答えは一言で、”いいよ”なんだけどね」

 そんな俺の葛藤を知ってかしらずか、いや例え知っていたとしてもだからなんだ、と笑い飛ばすんだろうからその二つに意味はないのだが、とにかく元直は至極あっさりと、答えを出した。

「ずいぶんとあっさりだな」

「元々はそのつもりだったし」

「なに?」

「いや、忘れてくれ」

 忘れろって、お前な。

「私塾でかなり素直になった僕でも――」

「悪い、それ笑うところか?」

「…………キミの恥ずかしい過去を上から三つ声を大にして叫びたい気分になったね」

「ごめんすみません悪かったです許してください」

 古くからの友人はこういったところが怖い。こいつを伯符さまに紹介するのって鬼に金棒を渡すことになるのではないだろうか?
 少し早まったかもしれない。
 早くも後悔が押し寄せてきた。しかしすでに後悔になってしまっているので手遅れだ。まったく先にたたないとはよく言ったものである。

「いや、でもさ。本当にいいのか? 少しくらいなら時間をとることも出来るぞ」

「前々から言っていたとおり誰かに仕える事に異論はないんだよ。まぁ、後は……個人的な趣味というか……」

 なにやら語尾を濁した元直だが、だったら始めから付いてきてくれればいいものを。
 こいつが居てくれれば蓮華様に拾われるまでの間がかなり楽だっただろうに。そして食生活が凄く向上していたのに。

「いや……まぁ、そうなんだけどね」

 なんて事を笑い話的に話してみたら、元直は珍しく言い辛そうに視線を横にそらした。

「僕も人並みに見得というものがあってね」

 見得?

「朱里と雛里の理由が世直しだっただろ?」

「世直しって……まぁあってるけどさ」

「僕にはそういった崇高な理由と言うものがなくてね。ひどく個人的なものさ」

「それは、ダメなのか?」

 俺の理由なんて……破門されましたなんだけど。

「うーん、ダメというわけじゃないと思うけど……。それに少し冷却期間も欲しかったしね」

「冷却?」

 体でも壊していたのか?

「どうせ分からないだろうから考えなくてもいいよ」

「そうやって始めから諦めていたら何事も――」

「なら答え合わせしようか?」

「…………」

 最後まで言わせてください。
 どうせ分からない、という言葉通りに余裕を表すチェシャ猫じみた笑みを浮かべる元直を見て俺の灰色には程遠い脳細胞は電気パルスの伝達速度を上げる。


 理由……、個人的ということを考慮すると。


「力試し?」

「まぁ、間違いではないとだけ言っておくよ」

「って、解説なしか?」

 解説として不親切すぎるだろ。売れない参考書でももう少ししっかりしているぞ。

「与えられた答えに満足するだけじゃ、何時までたっても成長しないよ?」

「答えから行き着く考察もあるだろ」

「成る程、ソレは確かに」

 なんて、頷く元直だが。でも言う気はまったくありませんって顔だな。
 朱里と言い雛里と言い、こいつらは一度決めたらてこでも動かない。
 ましてやこいつの場合は何をどう決めたのかすら理解不能なのでもはや意味不明だ。

「とりあえず先生を安心させる事が出来るよ」

「ん? 水鏡先生がどうかしたのか?」

 唐突に出てきた恩師に俺は心の底から怪訝な声を上げる。

「何かを言った覚えもないのだけど、僕が何時までも私塾に残っている事について一度も口に出さなかったところから考えると、私塾では唯一といってもいい僕の理解者だったからね」

 もって回った言い方だが、ソレを聞いてもどうせ教えてはくれないのだろうな。
 ならばこれ以上食いついても無駄か。

「そういえば私塾で思い出したけど、朱琉はまだ私塾にいるんだってな」

「ん? ああ、そうだよ。会わなくても言いのかい?」

 どこでどう間違ったのか、元直以上に厄介な性格になってしまった末の妹。
 別に仲が悪いわけではないのだが、とりわけ会う理由もない。何と言うかあいつとはそういった良い意味での距離感が出来ている。

「あいつもどこかに仕える気はないのか?」

 用もないし会う気もない。何より私塾に入れない。
 言外に含んだ言葉を停滞なしで理解した元直はやれやれとため息を一つ付いた後。

「どうかな、あまり話す方じゃないしね、お互いに。とはいえ、黙って出て行く事はないだろうから、そこを考えるとしばらく私塾にとどまるんじゃないかな? 先生も自分の道が見えていない生徒を追い出すなんて事はしないしね」

「いや……俺は追い出されたんだけど? 破門されて」

「キミの場合は下手をすると私塾に永住しかねなかったからね。先生も頭を痛めていたよ」

 そ、そうだったのか。
 ……いやいや、納得しかけたけどダメなのか? 永住……。

「そのくせ兄としての矜持は……一欠けらくらい持っていたからね、妹が職に付いたとなると――」

「あぁ、分かった。というか一欠けらとか言わないで」

 先生有難うございます。生意気なこと言ってすみませんでした。
 金銭問題で妹に依存は……よろしくない。


 水鏡先生……!! 仕事がしたいです……。


 なんて泣きながら言う羽目にならずにすんで本当に良かった。


 ………………。


 さて、若干知らなければ良かったと思える小話もあったが、ゲーム風に言うと「徐庶の登用に成功しました」つまり、ミッションコンプリート。
 これで元直は呉に仕える事になり、ゾンビと化していた人たちも立ち直るだろう。


 あ。


 そういえば、仕えた時間という超えられない壁が俺と元直の間にはある。しかも”今の呉”では初期メンバーと言って良い俺だ。こいつの上司になれる可能性はかなり高い。

 今現在下っ端な俺だが、徐庶より偉いってすごいな。

「あー」

 しばらく考えた後、すぐに追い越されそうな予感がした。予感じゃなくて実際にそうなるんだろうなという確信があった。
 ま、まあいいさ。ともかく話は終わったんだ。
 店主の視線的にもそろそろ店を出た方が良さそうだし――。

「話自体は終わったと言っても良いんだけどさ、キミのほうから何か言う事があるんじゃないか?」

 言う事?
 虚をつれたこともあって、一瞬呆けた俺だが、事が事だけにものの数秒で元直が言わんとする意味を理解した。
 そういえば元直を誘うにあたって、俺は呉から出された命令を言っただけだ。
 こいつ相手じゃないのならそれで問題ないのだが、今その仮定は成り立っていないので、俺のほうから起こすべきアクションが必要となる。

 のだが、どう言えばいいか……。

「別に百の言葉で飾って欲しいわけじゃないよ」

 言葉を探がす俺に元直は微笑んだ。
 だったら――。

「…………一緒に来てくれ」

「うん、分かった」



 ………………。
 …………。
 ……。




 周公瑾。
 呉の軍師であり、屋台骨を支える大黒柱でもある。

 その彼女が病身である今、以前と同様の運営を営むためには、他のものが頑張るより他にない。
 政務についてはどこかの手の空いていた文官に押し付けたのでそれは良いのだが、軍務の方は完全に今居る人材で何とかしざるを得ないというのが現状だ。
 そして、ソレがどれほど困難かを理解している一同は例外なく黙り込んでいる。



 無理だ。



 全員ほぼ同時に出た答えは、出来れば採用したくないものだったが。誰もがそれを打ち消すだけの解を得る事が出来なかった。

「あの、朱羅先生では駄目なのですか?」

 躊躇いがちに発言した亞莎だが、

「駄目ね」

「駄目だな」

「駄目ですね~」

「痛っ!?」

 国王と軍師×2によってあっけなく切り捨てられる。
 それはもう、即決。考える間は刹那も無い。
 ちなみに最後は何かを言おうとした蓮華を思春が押しとどめた為に発生したもので、満場一致で無かった事になった。

「それはお前も理解しているだろう?」

「……それは」

 直後に反論され、出来れば弟子として否定したいところなのだが、感情で否定できる内容ではない。
 何より本人がことあるごとに言っていたし、亞莎もその理由を理解していた。
 そして、現在おかれている状況(仕事的な意味で)が彼女を少しダークネス化していたことも理由の一つとしてあげられる、のかもしれない。

「そもそも将としての器がそれほど大きいわけじゃないしね」

 実際に隊を率いる場面では知識も確かに大切だが、瞬発力の方が重要だ。考え込む時間などないのだから。
 そういった意味では雪蓮は、文官としての能力は評価しているが、軍を任せたりましてや国を任せられる器であるとは考えていない、一ミクロンたりとも。
 はっきり言ってしまえば最も期待している役割は蜀とのパイプだったりする。

 もっともそれはそれで重要ではある。

 とは言え人を見る目はあるようで、見た目の事情で侮られる事の多い周泰やまったくの無名だった呂蒙の才を一目で見抜いたりしていた。
 このあたりには歴史的な知識というズルがあったりするのだが、当然そんな事は誰も知らないので諸葛瑾の才として受け取られており、そこに師である司馬徽の後光が合わさってかなり評価が高かったりする。

 そういうわけで、子瑜が『一国の軍師を任せられる』とまで言い切った人物には期待している……のだが。

「旧友としての贔屓目か、仮に言葉通りだとすれば黙っていたことを考えるとそれはそれで問題なのよね」

「然り……だが、そのあたりはあの男の性格上仕方あるまい」

 無論雪蓮としても一人でも人材が欲しい今、その程度の理由でどうこうする意思はない。ただ、諸葛子瑜という男に対して彼女が常に感じている不安ともいえる感情。

(呉自体への忠誠に関しては一番低い気がするのよねぇ)

 とはいえ頭はいいのだろうが、陰謀を働くというタイプでもない。実際彼一人なら何も出来ないだろうし。
 しかし、本人が意識しなくても何か、呉にとって不利益をもたらす事態を引き起こすのではないか、などと雪蓮は危惧していたりする。

(蓮華……はちょっと不安ね。思春あたりに釘を刺してもらおうかな)

 国王にもなると嫌な事も考えないといけない。
 雪蓮は小さくため息をついた。



 ………………。
 …………。
 ……。



 朝。

「ゆうべはおたのしみでしたね」

 何の脈絡もなく宿の主から言われた一言。
 何だこいつは。何でこのネタ知ってやがる。
 宿をとって休んだ事自体は間違いないが、まったく楽しんでない。部屋別だし。

 七不思議の一つにあげるべきかを真剣に悩んでいたところに、不思議の片割れである元直がやってきた。

「早いな子瑜。私塾ではいつも妹に起こされるまで寝ていたのに」

 社会人になったら規則正しい生活習慣が身につくんだよ。

「勝手に妙な設定を作るな。朝弱かった事を否定はしないが、起きるのは自力だったぞ」

「そうだったかな? 僕が起こしに行った事が少なくとも二桁以上あったと記憶しているんだけど」

「いや……寝起きした回数から数えたら誤差だろ」

 そんなことは…………あったな。
 忘れていた、というか封印していた記憶の蓋が開く。
 コレも思い出したくはなかった類のものであって、できれば忘れていたかった。

 「そうだったかな」と猫系の笑みを浮かべる元直には色々と言いたい事もあるが、連鎖的に嫌な思い出が湧き出てきそうなのでやめておこう。

 こいつと付き合う仲で起こるイベントは面白楽しいものだけではなかったな。
 気をつけないと封印されし私塾での記憶が蓋を押し上げて湧き出てくる。特に初期の方は誰もがかかる思春期特有の病気との合わせ技で今の俺が悶絶死しかねない破壊力だったりするのだ。



[5644] その15
Name: タンプク◆2cb962ac ID:ff6f966a
Date: 2009/12/15 00:13
「お初にお目にかかります伯符様。徐元直です」

「――孫伯符よ」

 帰宅、そして現在元直をつれて伯符さま達の前。

「さて、さっそくだけど一つ質問するわ。今の大陸の状況をどう思っているか聞かせてくれないかしら?」

 ようやく仕事も終わりと、やれやれだぜ的に脳内でため息をついた俺の目の前で、伯符さまが何やらのたまいはじめた。

 あれ?

 てっきりこのまま採用! と言う流れだと思っていたのだが。
 少なくとも俺に限定すれば伯符様直々に問答のようなものを受けた記憶はないし、記録もない。
 いや、伯符様がわざわざ会いに来ると言う時点でなにかおかしいとは思っていたのだが。
 それは元直も同感であったようで、「聞いてないよ」という意味の視線を向けてきた。

 しかしそんな事を言われても俺だって知らなかったのだ。故に「悪い、俺も知らない」と小さく首を振るしかない。
 こういった仕草一つで意思疎通が出来るのは付き合いの長さからだが、すっと細められた青の瞳が言わんとする内容は出来れば理解したくなかった。

 元直の表情から推測すると一食……いや昼と夜か?

 まぁ、昔と違って今は定職者だ。そのくらい問題ない……と考えるのは徐元直という人物を過小評価している馬鹿だ。俺は違う。
 奴は標的(えものとルビる)の限界と言うものを正確に把握し、ぎりぎりの線をいく。

 故に俺の懐がダイエットに成功するのはもはや確定事項。できれば禁則事項にしたいのだが、それは未来人の専売特許なので涙を呑んで受け入れるしかない。…………あれ、何か忘れている気がする。
 一瞬考え込んだ俺だが答えはすぐに出た。出たのだが「いや、俺は異世界人だろ」と一笑に付すことにした。
 どこかで軍神様の性別が反転する事はあっても主要人物のほぼ全員がそうなるなんてことがあっていいはずが無い。

 閑話休題。

 すでに元直に二食分くらい奢ることが決定した。今俺するべきはその傷を可能な限り小さくする方法を模索する事で、これがよく訓練された元直の友人としての正しい姿だろう。

 視線の交錯で約束の取り決めが行われ、伯符さまからの問いに答えるためか元直は一度瞳を閉じた。

「……あくまで孫呉という形式に拘るのでしたら、戦力の建て直しに関しては魏の方が有利であると考えています」

 大陸の情勢と問われながらどうしてその話になるのかは分からないが、伯符さまの表情を見る限り正解らしい。なんというテレパシー。

「へぇ、理由を聞いてもいいかしら?」

「国と言うものへの考え方の違い、と言えばご理解いただけるかと」

 その言葉だけで伯符さまは成る程、と頷く。

「確かに曹操ならある程度の危険を犯しても最短の道をいくでしょうね」

 身分にとらわれない登用、領民への教育。
 確かに国の利とはなるだろうが家を守る事には直結しない。

 実際に史実で魏はのっとられている。まぁ、コレは直接的には関係ないのだが、それでもそうなる可能性は高まる。
 時代を見極めて改革と保守のバランスをとることが重要なのだろう。

 今の魏は呉に比べて改革の方にに大きく傾いている状態でソレが良いのか悪いのか、その判断をつけることが出来る者はこの時代に存在しないだろう。結局は残ったほうが正しかったとなるのだから。

「なるほど。良く分かったわ」

 とはいっても、呉としては嬉しくない予想であることに変わりは無いのだが、伯符さまの顔色は思いのほか明るい。

「子瑜」

「はい?」

 美女が笑顔を俺に向けてくれる。文にすると素晴らしいことなのだが、今現在の俺はどうして逃げたいなどと感じてしまうのだろう?
 いやいやいや、今回に関しては逃げる必要など皆無……の筈。何と言っても徐庶を引き抜いてきたのだ。ほめられる事は会っても勘気をこうむる言われは無い。
 などと気楽に構えていた俺は続く言葉に耳を疑う事となった。

「罰一つ。みんなに一食奢りなさい」

「わかりま……は?」

 命令をオートで受領、しかけた俺だったが、話の内容が頭へ入った瞬間にシナプス細胞が待ったをかけた。

「こんな良い娘知ってて隠していたのだから当然よ。曹操は勿論劉備でさえ取られたくないわね」

 いえ、実際は呉なんて選択肢に入る余地すらなかったんですよ? そう考えると徐元直を連れてきたのは諸葛子瑜最大のファインプレーだっんじゃ?

 と言えたら良いのだが、言っても分かってもらえる可能性は限りなく低い。
 よって、それ以外の方法を考えなくてはいけないのだが……正直なところ独力で伯符様に立ち向かうなどコンボイの謎のステージ9をクリアする以上に困難だ。
 というわけで誰かに助けを仰ぐ事にしよう。

 真っ先に視線を送った蓮華様は何がそんなに気になるのか、いやもちろん気にならない訳はないのだが、元直を見ているので俺の視線そのものに気づいていない!
 明命、もダメだ。あの顔はすでに何を奢ってもらうかを考えている。猫とか言うなよ、愛でるのも食べるのも好きですとか言われたら返事に困る。
 興覇さまは論外として…………亞莎! キミに決め――。

「なんですか? 嫌と言うつもりですか? まさかそんな事はありませんよね?」

「な、何かあったのか? 主に嫌なことが」

 どこか普段と異なる事は早い段階で気がついていたのだが……真面目に何があった? 俺がいない間に。

「いえ、特に何も。ただ、報酬としては正統なものではないかと考えています」

 そのゴミを見るような視線は眼が悪いからだろう。心なしかモノクルが新しい気がするのだが……きっと気のせいだ。

 最後の砦として期待していた人物はすでにマーカーが赤に変わっていた。
 こうなった以上、俺に出来る事があるとすればジュリアス・シーザーの有名な台詞を頭に思い浮かべながら、力なく首を縦に振ることくらいだ。



 あ、一応褒美はもらいました。結局差し引きでマイナスになったけど。
 空気の読めない人が数名……さすがに伯符さまも気まずそうだった。



 ………………。
 …………。
 ……。



 そして、主に俺の懐に、大きな傷跡を残した一幕の後、心の傷を癒すべく月を眺めようとしていた俺は。

「ん?」

「あ」

「おや?」

 順に、俺、蓮華様、元直。
 という感じで二人と遭遇した。
 二人も今会ったばかりのようで、何かを話していたという雰囲気は無い。
 俺と元直は手ぶらだが、蓮華様の手には酒瓶がぶら下げられている。……まだ飲み足りないんですか。

 一瞬呆気にとられた俺だが、ややあって主の優しさに気づく。
 この質と量の酒を先ほど頼まれたら俺のライフはゼロというかオーバーキルだった。

 心の涙を流し、一人忠誠度を+10させている間に何となく3人で月を眺めなが、酒を飲む事になった。



 ………………。
 …………。
 ……。



 黙々と、その一言が綺麗に当てはまるほどに音のない世界でただアルコールを摂取する行為だけが休むことなく行われている。
 3人集まったが、俺の知る限りその全員が率先して喋るタイプではない。
 よって、ただ黙々と酒を飲む事になるのはもはや自然の成り行きで、その事について今更どうこう言うつもりもない。

 俺としても沈黙に耐えられない、などと軟弱な事を言うつもりはないしなにより……喋りづらいというのが正直なところだ。
 そもそもこの二人に共通している話題と言うものが無い。私塾での話し、呉に来てからの話そのどちらも片側としか共有できない。
 よって、このままお開きになるまで3点リーダを作り続けるのかと思ったところで。

「少しいいかしら?」

 以外にも始めに口を開いたのは蓮華様だった。しかもその矛先は俺ではなく元直という。

「はい」

 怪訝に思った俺だが、元直は意外そうな表情を浮かべることなく、むしろ当たり前という感じで応答する。
 このあたりは予想していたのか、お得意のポーカーフェイスなのか。動物愛護団体が文句を言いそうな猫と同様、今の俺に知るすべは無い。

「個人的な酒の場なのだから、そんなに畏まらなくてもいいのだけど」

「そうですか、それでは」

 と、元直の口調から少し、硬さが取れる。
 最もある程度の緊張感は保っているようで、いくら上から無礼講だと言われたところで礼儀を欠いてよいという理由にはならないのだ。

 どちらも多く話す方では無いと言ったことに間違いは無いが、決して他者との会話を疎んでいるわけでもなく、むしろ筋の通った話ならば文句を言うことなく聞きに回るという共通点もある。
 まぁ、片方は頭に血が上るとそのままGOしちゃうのだが(Kさま談)。あえてどちらとは言わない。

 なんてことを考えているうちに、簡単な自己紹介から始まった二人の話は私塾での出来事へ移っていった。

「朱羅は私塾ではどういう生徒だったの?」

 そんな中、特に理由は無いのだろう。というか蓮華様の方からふる話題と言えばその位しかないのだから予測すべきだった。
 このあたりは俺の落ち度といってしまえるのだが、今は置いといて。

 この質問、ひどくよろしくない。

 色々とはっちゃけていた私塾時代をさらされるのは可能な限り避けたい。昔はヤンチャしてました、で済む話ではないのだ。

「私塾での子瑜ですか? そうですね……」

 あいも変わらずポーカーフェイスで答える元直。
 当たり障りの無い内容で頼む、と元直に視線を向けた俺だが……おい、何故目をそらす?

「待て、何を言うつもりだ?」

 元直の態度に不穏な空気を覚え、思い過ごしならいいなぁ、と希望的観測を胸に小声で問い掛けてみる。

「何って……色々と。今思い起こしてみると中々に波乱万丈だったじゃないか、キミは」

「だからって陰口みたいに過去の話を穿り返す事は無いだろう」

 そこには忘れたい話があって、きっとすでに忘れている(封印した)話もあるのだ。なんていうか、病んでたからなぁ色々と。

「子瑜、確かに人の陰口を叩くと言う行為は恥ずべきものだよ」

「だよな!」

「でも今僕達は君の目の前で論じているのだから何ら気兼ねする事はないね」

 えー。

「それもそうね」

 隣で蓮華様が大きく頷いている。
 一瞬突っ込みかけた、が鋼の自制心で思いとどまる事に成功する。
 ここは突っ込みの達人ならば例え主で会っても突っ込む場面なのだろうか? だとしても俺は達人とまで呼ばれる領域には到達していないし、これからも到達する予定も無い。
 さらに言えば到達したくも無い。

「じゃ、じゃあ……私は明日の職務に差し支えますのでこのあたりで失礼――」

「確かにキミがいなくなれば前提条件が崩れるね」

 しかしそんな事は予測済みだ、とでも言うように元直は意味ありげな笑みを浮かべると。

「ところで仲謀様……」

 今度は元直が蓮華様になにやら耳打ちをした。正直いやな予感しかしない。

「朱羅」

「は、はい?」

 聞いちゃダメだ聞いちゃダメだ聞いちゃダメだ。
 が、無視するわけにはいかない。
 残念な事に、俺には話を聞かずにかつ無視はしないという難問を解くことが出来なかった。現実は無情である。

「命令よ、酌をしなさい」

「……わかりました」

 だが断る。
 その一言を言えたスタンド使いに心から敬意を表そう。
 感嘆符をつけずに、つまり強調するでもなく自然にこの言葉が出るためにはどれだけの精神修行を重ねればよいのか分からない。コレをもって黄金の精神というのだろうか?

 そんなものがあれば人生もっと余裕を持って生きられるのだろうなぁ。

 などという現実逃避をこのまま続けたい誘惑にかられているのだが、そろそろ何らかの手段を講じなければ、手遅れになる。
 手遅れになったらすでに打つ手が無いのは当たり前で、つまり可能性を少しでも残すためにはここで動かなくてはいけないのだ。

「元直、分かっているとは思うが」

 さすがに笑えない話は止めて欲しい、と一口釘を刺そうとした俺だが。

「朱羅」

「…………はい」

 言い終わる前に蓮華様から待ったの声。
 適度に出来る部下を目指す俺はその内に潜む意思……「少し黙ってろ」というサインを的確に見抜き、見抜いてしまったので返事を返す以外の手段を封じられた。
 
 だが、今のだけでも俺の言わんとすることは元直も理解したはずだ!

 不安要素を挙げるとすれば理解する事と実際にソレを行動に移す事には天と地ほどの差があるという事。
 そして、徐元直という人物について考えてみると、奴は全てを理解した上で……ヤル奴だ。

「年端の逝かない少女相手にあらゆる手段を用いて弱みを握り、さらに僕の見た時は股の間に頭を突っ込んでましたね」

 肩車ですね、わかります。そして発した言葉の前と後ろに繋がりは無い。
 弱みといっても、今思えばその過程で幼い女の子を対象とするにはどうかと首を傾げなくはない手法を用いたとは言え、菓子を対象とした賭けに勝っただけだし、肩車は木の上から降りられなくなった猫を救出するためだ。
 そんな事は当然蓮華様も分かっているだろう、視線の温度が下がって気もするが気のせいだ。

「その上私塾では女装している事をいいことに女性の着替えを堂々と鑑賞していました」

 あれは……何と言うか。コレについては責められて然るべき、かもしれない。しかし堂々とは見てないぞ。

「朱羅、本当なの?」

「はい」

 思わずうなずいてしまった。その後で気づく。
 しまった……このタイミングだと全てについて肯定したことになってないか?

「あなた…………」

「ち、違っ! 元直が勝手に」

 などと手を横に振って否定しては見るが蓮華様の表情を見るに時すでに遅し。むしこのタイミングで取り繕おうとすればするほどドツボにはまっていきそうだ。

 こういう時こそ落ち着付かなくてはいけない。
 そう考えて素数を数え始めた俺は、声が漏れない程度にのどを震わせている元直を見て気づく。

 ワザとかこのやろう。

 コレを予測して最後に俺が罪悪感を持っている話を持ってきやがったな。綺麗に引っかかる俺も俺だが。
 もっとも、元直が知っているであろう俺の話全てを考えれば、話す内容を選んではくれたのだろう。だが、今の話だけではコレまで築き上げてきた俺のイメージが崩れ去り、ただの変態として扱われかねない。


 ……757、761、769……。


 ここで一番いけないのは何とかしようと焦るあまりにろくに考えもせず反論する事。
 何しろ相手は元直だ、下手な攻撃は確実にカウンターできって捨てられる。そして事態はさらに悪化する。


 ……2399、2411……。


 となると、元直をしても反論する事が出来ないレベルの反論が必要になる。そんなものがこの世に存在するのか?
 この一点を考えるため素数を数えて、今一度頭を冷やそうとした俺は9973を数えたあたりで色々と手遅れである事に気づいた。



 ………………。
 …………。
 ……。


 そこから先は正直思い出したくない。かつて無いほどに胃にダメージを受けた酒宴は続き、非生産的な時間が流れていく。唯一収穫と呼べるものがあるとすれば蓮華様と元直の間に妙な連帯感が生まれていた事だろうか。
 ソレが俺にとってどう関係してくるのかは今のところ不明だし、正直酒に逃げた今の俺には考える余裕が無い。
 そんな訳で、今俺に出来る事は明日が今日よりも良い日であらん事を祈るのみだったりする。



[5644] その16
Name: タンプク◆2cb962ac ID:ff6f966a
Date: 2011/01/01 23:50
「早いな」

 ――曹操動く。

 この報せを聞いた公瑾さまの第一声は、軍師としての常か、感情を排したものだった。
 だからこそこの場にいた将全員が、事の重大さを正確に理解する事が出来たのかもしれない。

 魏が動く、しかも相手は北方の雄袁紹。

 追い詰められて勝負に出た、という事ならば歓迎したい事態なのだがそんな事をする理由が無いし、曹操がその程度の将とは思えない以上、ありえないと断じて良い甘い予想だろう。

 俺がのんきに寝ていた前回の戦争では双方痛み訳といってよい結果だった。にもかかわらず魏はすでに大国相手に戦を仕掛ける程に国力を回復させ、対して呉はようやく国力増強が軌道に乗ってきたところだ。

 動けない事はないが、大国相手となるといささかどころでなく厳しい。
 となるとこの戦に対しては静観するより他に無く、目下のところの問題は大国同士の戦争がどのような結果に終わるのかというところ。

 曹操対袁紹。
 一番は双方に大きな打撃を残した引き分け。次いで袁紹の勝利。
 最も確率が高く、最悪といってもいい結果は曹操が勝利しての領土拡大だ。

 もちろんこの事態に伯符さまが何も手をうっていない、などというワケが無く。
 魏に放った密偵の情報を得るとすぐさま蜀へ使者を送った。でもって、それを任じられたのが、元直をつれて呉へ戻っていた俺だったりする。
 時間も無いのでとんぼ返りといってよい強行軍だったため少し疲労がたまっていたりするが、公瑾さまがリミッター解除しかけている今、弱音を吐くわけにもいかない。

 余談として、その間元直の方も小競り合いレベルの戦に駆り出されていたらしいが、その話はあくまで余談であって、主題からそれるので割愛する。

 劉備の返答は同盟国として魏の侵攻の際には共に戦う事を約束するものだった。しかし依然蜀は国内のごたごたから立ち直っていない状況であることに変わりなく、現時点で他国へ攻め込むという所までは手が回らないようだ。

 となると、何をするにしても蜀の合力は得られず、呉単独で事に当たらなくてはいけない。
 そこまで考えると打てる手というものは限られていて……というより一つしかないようだ。

「南方、ですか」

 この亞莎の一言がたった一つの的を射ていた。

 今曹操と事を構える事は出来ないし、かといってこのまま指をくわえて待つという事はいずれ魏の旗に下ると同義だ。
 魏との再戦がほぼ確定している以上こちらも戦力を整えておく必要がある。
 そこに呉の周りの情勢を加えると出てくる答えは一つだ。

「答えはでたわね」

 議論が収束していく中、他に意見が無い事を確認すると伯符さまは一度だけ笑みを浮かべ、

「我らは魏との決戦を前に南方を制圧する。この戦、そう長く時間をかけるわけにはいかない、各自全力を尽くして欲しい」

 すぐさま口元を引き締めた。
 そして国主としての表情を蓮華様に向ける。

「総大将は蓮華に任せるわ」

「はい!」

「出陣する武将は呂蒙、甘寧、周泰、徐庶」

「御意」

 名を挙げていく伯符さまに迷いはない。
 もっとも、公覆さまが不満そうな表情をしてはいたが。あえてそこには誰も触れなかった。

「それと諸葛瑾」

「ぎょい?」

 付け加える様な一言に俺は首をひねる。
 戦で俺が必要となる場面など存在しないと思われるのだが、伯符さまが命じるからには何かしらあるのだろう。
 もしかしたら俺自身気付いていない隠された才能というものがあるのかもしれない。だったら嬉しいなぁ。



 後で話を聞くと元直とその他とをマグネットコーティングするのが俺の役割らしい。
 当然のことながら隠された軍才というものは未だ開花する兆しすら見せていなかった。



 ………………。
 …………。
 ……。



 
 軍議が終わり各自割り振られた役目を果たすため足早に持ち場へ向かう中、見慣れた銀色の髪を見かけた俺は思わず後を追っていた。
 ちょうどいい、先ほどから頭の片隅に浮かんでいる疑問を解消しておこう。
 というのがその理由だ。

 そして一声かけた後、何用かと俺の言葉を待つ元直に、時間の事もあるので単刀直入、切り出す。

「南方行きが決まった時さ、何かほっとしたように感じたんだけど?」

「そういうところは目敏いね」

 答える元直の言葉は若干の刺を含んでいた。

「安心したという訳じゃないんだけど。正直、伯言様と別行動だからね」

「? 伯言さまがどうかしたか?」

「何となく視線が怖くてね」

「怖い?」

 そいう感情とは正反対の人だと思うんだが。
 俺の中の伯言さまと割と馬鹿に出来ない元直の直感が天秤を大きく揺らす。

「悪寒が走るというかな。正直身に危険を感じるんだよ」

 うーん、模擬戦で肩壊された事はあったがそれ以外だとホワホワした無害を実体化したような人だと思うんだけどなぁ。
 結局、天秤は俺の中の陸遜象に大きく偏り、多分気のせいだろうと元直に告げる事にした。
 コレが後々どのような現象を引き起こすのかは、神ならぬ俺に知る由もない。



 ………………。
 …………。
 ……。




「指揮官は呂蒙、補佐として徐庶」

「ぎょ、御意」

「分かりました」

 そして南方への侵略が開始された。
 陣を敷いて早々、蓮華様は明確に軍師として亞莎を任命する。
 未だ新参者といえる元直がその補佐についているというのは、大抜擢といえるだろう。

 俺はというと蓮華様の本陣にて物資の管理を仰せつかっている。
 コレも戦の勝敗を左右する重要な任務だ、精一杯励もう。

 とは言え、さすがは伯言さまというべきか、   
 九州征伐の石田三成を思わせる働きである。俺の仕事が無い、という事はないが一言でいって楽だ。
 楽なのだが、ココで緊張感をとくと痛いしっぺ返しをもらいそうな悪寒もとい予感がする。

「あの、朱羅先生……少しいいですか?」

 それはいやだしなと気持ちを引き締めなおしていた俺は背後からの声に振り返る。
 声で分かってはいたが、そこには走ってきたのか若干だが肩で息をしている亞莎の姿があった。

「ん? ああ、構わないぞ」

「今回の南征で指揮をとることになっているのですが」

 みんなの前で言われてたからな、言わなくても分かっているぞ。
 というような突っ込みはおいといて。今亞莎がここに来た理由を推理する。

「その顔だと何も思いつかない、というわけでもなさそうだな」

「頭の中ではどうすれば良いのかは大まかながら出来てはいるのですが」

 なるほど自信はまだ無い、と。
 頼られれば師として助言の一つでもしてあげたいところだが、餅は餅屋だ。

「その辺りは元直と話してみたらどうだ?」

「元直、さんとですか?」

 持っている知識が似通っていることもあって、俺と話してもどうせ同じ話をなぞるだけだろうし、この際まったく別の方向から見直した方が良いだろう。
 何より俺も自分の考えに自信が無い。

「基本的には戦術家だけど、その分違った考えも浮かぶだろうし」

「分かりました。ありがとうございます先生」

 そういって一礼すると亞莎は元直を探しに行くのだろう、天幕を出た。
 やはり総指揮をとるとなるとかなり忙しいようだ。



 ………………。
 …………。
 ……。




「亞莎はどうかしたの?」

 ほぼ入れ違いにやってきた蓮華様が 開口一番問うてきた。

「基本的な方針を元直と話し合うみたいです」

「あぁ、あなたがそう助言したのね」

 あ、聞いていたのは何故出て行ったのではなく。どうしてここにいたのか、か。

「すみません、そういうことです」

「別に謝る事でもないでしょう」

 真顔でそう言った後、蓮華様は「それで」と一声、話が変わる合図を出した。

「あなたの調子はどうなの?」

 ん?

 一瞬言葉の意味を理解しかねた。
 ややあって、体のことを言われている事に気づいたのだが……。
 もしかして病弱なキャラが定着しているのだろうか? 出会いからして倒れているところを拾われたわけだし。
 しかも今はなれない陣中。無駄に心配をかけているようだ。
 しかしですね蓮華様。竹中さんじゃないのだからやばくなったら休ませてもらいますって。

「体調の方は問題ありません」

 前回以来、眩暈も意識が途切れるような事もない。
 疲れてはいるので絶好調とは言えないが、俺の問題を挙げるとすると体調面より精神面の方が強いだろう。

「もっとも前回で理解してはいましたが、やはり戦は苦手ですね。正直死にかけるほどであっても机に向かっている方が性に合ってます」

 というか。

「蓮華様はずいぶんと落ち着いてますね」

「今更私が慌ててもしかたないでしょう? 信じられる配下に任せるのだから私は責任を取ることを考えればいいだけよ」

 何コレ、偽者なんじゃないか?

 一瞬だが、かなり失礼な事を考えてしまった。
 顔色には出していない自信はあったのだが、どうやら何かを感じたようで蓮華様の機嫌パラメータが下方向に動く。

「今何か失礼な事を考えなかった?」

「まさか、そんな事はありませんよ」

 図星をつかれて焦るも真顔で返す事には成功した。
 だが、表情を消したのは失敗だったようで。蓮華様の顔がさらに険しくなる。

「そ、それはともかく、残った伯符さま達も大変そうですし、こちらも頑張らないといけませんね」

「……そうね」

 あまりにもわざとらしい話のすり替え。
 気付かないはずもなく、蓮華様はじっとりした視線を向けるが、それ以上突っ込んでくる事はなかった。

 付け加えると、大変というのは本拠地を建業へ移すというもので、恐らく今頃伯符さまを筆頭にして軍師×2が額に汗して働いているのだろう。

「はぁ、まあいいわ。……そういえば徐庶の事なのだけど」

「元直がどうかしましたか?」

「この規模の軍を率いるのは初めてとは思えない落ち着きようだったわね」

「そう、見えましたか?」

 俺の問いに、蓮華様はきょとんとした表情で返す。

「え? ええ」

「俺としても論理的に理由を挙げろといわれると困るんですけど。それでも結構切羽詰っていると思います」

 表情が硬いとか、奇行を繰り返すとか、そういうサインは出していなかったが、それでも漠然とした違和感が油汚れの様に染み付いて離れない。

 この状況で意味の無い事をする様な性格では無い事は俺が良く理解している。
 となると残る可能性は……。

 ココまで考えて、蓮華様の視線がまっすぐ俺に向けられている事に気づいた。
 何と言うか、不思議そうな表情を浮かべている。

「な、なんですか?」

「そう思っているあなたが黙ってここにいることが少しおかしかったから」

 言外にお前は何をしているのか、と言われて俺はたじろぐ。

「そうは言いましても、今回の元直については俺が口を出せる問題じゃない気がしますし」

「どうして?」

「俺の考えそうな事は元より理解していますし」

「なら私は冥琳や思春に何も言えないのかしら?」

「――え?」

 それは思いもよらない問いかけだった。

「正直なところ策を練って冥琳を出し抜けるとも、一軍を率いて思春を打ち負かせるとも思えないわ。ほら、あなたの論理だと私は二人に何も言えないでしょう?」

 そう言って蓮華様が俺に向ける感情の色は怒り。

「少し怒ってたりしますか?」

 何か、デジャヴ。それも、懐かしい……プラス方面の記憶。

「ええ、怒ってるわ。私に教えてくれた人がこうして立ち止まっているのだから、正直私の感動を返せと言いたいわ」

 たしなめる様な口調のおかげだろう、既視感の正体に気づく。これは、水鏡先生が俺に対した怒りの感情と少し似ている。
 喜怒哀楽。その4文字で表せるほどに感情というものは単純ではない。両親の死後群がってきた輩と水鏡先生や、今蓮華様とが同じであるわけがない事は当事者である俺が一番理解している。

 なるほど、つまりはそういうことか。

「少し、やり方がわかりました。というより調子が戻ってきました」

 今考えると、酔っていたとは言え、ずいぶんと偉そうな事を言ったなぁ。
 あの頃の自分に反省と、許すどころか認めてくれた蓮華様に感謝を。
 そして、今の自分に活を入れよう。

「何て言うべきか……ありがとうございます」

 色々と言葉を捜してみたが、結局この一言に全て含まれた。

「まったく、手のかかる臣下を持ったわ」

 そういって微笑む蓮華様を見て、俺は感慨に耽る。
 さすがは孫権というべきか、俺が考えている以上に…………いや、さすがは蓮華様なのだろう。
 始めは歴史的知識のみであったが、もう一度仕える人を選べと言われても俺は迷うことなくこの人を選ぶんだろうな。

 漠然とそんな事を考える。

 その後、お互いに言葉を発することなく沈黙があたりを支配した。
 少なくとも俺にとっては今の空気は心地よいもので。言葉を発して霧散させるには惜しいと思えた。



 ――だというのに。



「呼ばれてないけど出番がまったく無いので登場します周泰です!」

 空気? ナニソレおいしいの? と言わんばかりに全てを突き破って現れた呉が誇る不規則戦の名手・周幼平。

「あ、うん。正直すまん」

 驚いたし、少しむっとしていいのではないかとも思うが。何故かその言葉に反論できず、むしろコチラが悪い事をしている気がするのは何故だろう?

「その言葉の意味は理解してはいけない気がするのだけど、何故か謝罪したくなるわ」

 どうやら蓮華様も同じように感じたらしい。

 今の状況、分かりやすく例えるならBGMが変わった。多分コミカルな感じに。



 ………………。
 …………。
 ……。



 蓮華様は明命と話があるという事なので、俺は交わした言葉のとおりに元直を探す事にした。

 明命が帰ったという事は偵察が終わったという事を意味していて、それは転じて残された時間はあまり無いという事でもある。
 故に早く済まそうと意気込んだ俺は、天幕に一人たたずむ元直を見た瞬間口を開く。

「まったく、どこの野生動物だおまえは」

「――子瑜?」

 弱っているところを見せたがらないとかそういうところは昔から変わらないな。
 それでも、俺が来た意味は即座に把握する程度の聡明さは残っているようで、何かを理解したかの様に小さなため息をついた。

「なんともまぁ、相変わらず目敏いね。それでいてある一方向だけは壊滅的なんだから、正直やってられない」

「何か責められている気がするけど、生憎と時間が無い。幼平が帰ってきた。お前は大丈夫なのか?」

 あえて主語を省いた問いかけに、青の瞳が細められる。

「大丈夫だよ、出来るはず。それだけの知識も自信もある」

 だから大丈夫といいたいのか、結局は経験が足りていないといいたいのか。
 こいつにしては珍しく中途半端な答えだ。

「そうか」

 付き合いは長い。
 それだけでなく友人としては随一の深度を誇っていると断言できる。
 それ故に今こいつが何を考えているか、明確に理解できた。

 その事について。

 例えば、戦についての心構えなどを偉そうに話せれば良いのだが、生憎とそんなものは俺が聞きたい。
 こと戦術理論に関してこいつに講釈できる才も知識も無い。というよりその方面ならば朱里と雛里すら及ばないのではないだろうか。



 ――――だから、俺には今のこいつに言うべき言葉は無い。


 何て思っていたのは先ほどまでの俺で、すでにそんな考えは焼却処分した。
 呉の将として、話す言葉は無くとも友人としてならば話は別だ。

「大丈夫だ。何て間違ってもいえないし、ていうかお前みたいに責任持たされたこともないからこうして話してる事自体間違いな気きもするんだけど」

「言いたい事はまとめて欲しいんだけど」

 話している内に調子を取り戻したのか、初めて出会った頃よりも30度程矯正して、それでも15度以上は捻じ曲がっている性格が表面に出始める。

「少し黙って聞いてろって。前置きは大事だろ」

 一応はまとめてきたつもりだったのだが、実行に移す前後にはやはり天と地ほどの差があって。
 用意してあった言葉を発掘し、必死に頭を動かす。
 まず始めに浮かんで来た言葉は――徐元直を呉につれてこなければ。というもの。

 違うだろ。

 刹那を待たずして俺は首を横に振った。
 コレは違う。言うべき事はそうじゃなくて。

「失敗していい、何て言う気は無いけどさ」

 正直なところ元直には今この戦に当たって軍師という役割を無難以上に勤めて欲しい。
 俺も手を尽くしたし、元直自身も人当たりは悪くないので呉の将との関係は良好だ。しかし、それでもこの戦で功を上げて欲しい。
 そんな事は、俺が理解しているのだから当事者である元直が分かっていないはずが無い。だからこそのプレッシャーなのだろう。
 なら、言うべき事は決まっていて。

「失敗した後なら、俺に全て任せればいい」

 勿論、こんな偉そうなことを言っても、俺にそれだけの権限など無いが、それでも何とかしてみるという気持ちには一点の曇りも無かった。
 もっとも、俺とて蓮華様に背中を押されているのだからあまり偉そうには言えないのだが。

「まさか、僕を連れてきた責任とでも言うつもりかい?」

「ソレこそまさかだ。本格的に参ってるんじゃないか? いつもどおりだろ、俺たちにとっては。それに今回は亞莎もいる」

 コレといった見返りを求めるでもなく、助けて、助けられて。私塾での生活を忘れたわけではないだろうに。
 元直は一瞬呆けたように俺を見返すと、何に慌てたのか、すぐさま顔をうつむかせた。

 1、2、3……。

 何となく数えた分だけ時間が過ぎる。

 その間元直は普通なら3度は数えられそうな、それだけの時間をかけて一度だけ大きく息をついた。
 そして再び視線が交わされた時、そこにはすでにいつもの元直がいて。

「その子明の相談がそもそもの原因なんだけど?」

 え?

「そしてソレを薦めたのはキミだと聞いたよ」

 あ、れ?

 この切り返しは正直予想外です。
 言葉を探す俺だが、謝罪以外で何も出てこない。 

 唯一つ分かる事は、どうやら完全に調子を取り戻したらしいということ。
 だとしたら……一応俺の目的は果たされたのだからコレでよいのだろうか?

「ま、もしもの時は頼む事にするよ」

 もっとも、と元直は俺の記憶に強く残る笑みを浮かべて言う。

「その必要はないと思うけどね」 





[5644] 外伝1・私塾その1(朱里)
Name: タンプク◆2cb962ac ID:3c5cd96a
Date: 2009/06/17 02:26
「お兄さん! またズルした!」

 ある陽気な昼下がり。
 年若い女の声が暖かな空気を震わせた。

「ち、さすがにこの手は無理があったか」

 続いて男か女か判断に苦しむ中性的な声。言葉から推測すると、なにやらもめているようだ。

「どうしていつもそういう卑怯な手を使うの!?」

「いや、そうしないと勝てないし。頭を使って何とか勝てるようにしないと」

「頭を使うべきは石をうつ時だと何回言えば――」

「至極もっとも! でもってそれが最上。しかし、それでは俺に勝ち目が無い!」

 バン、と。兄と呼ばれた少年は傍から聞いて情けなくなる言葉を胸を張って言う。

「っ~~」

「あ、そう言えば水鏡先生に本棚の修復頼まれてた」

 形勢が不利になると予測したのか、少年あからさまな逃げ口上を吐いた後脱兎のごとく逃げ出した。

「あ、まだ話は! …………まったく」

 わたし、怒ってます。と小さな体全身で表している少女、朱里は、しかし走り去る少年、子瑜の背中が見えなくなるとすぐに相好を崩した。
 彼女は兄である子瑜に対して怒るという感情が長続きしたためしがないのだ。そしてその法則は今回も適用された。

「ふぅ……えぇと」

 朱里はため息を一つついた後、視線を下へと動かす。
 そこには碁盤があった。

「あ、やっぱり。磁石だ……それで碁石の方には鉄」

 細工された碁盤と碁石。これにより碁石は思わぬ場所へうたれるという寸法だ。
 考えるまでも無く、こんな仕掛けをする人間はこの私塾に一人しかいない。諸葛瑾、字を子瑜。朱里の実兄だ、つまり今しがたここから逃げ出したへたれだ。

「何で碁に勝つためにここまで……」

 もはや笑うしかない。

 朱里と子瑜。7つ年の離れた兄妹だが碁の戦績は朱里が圧倒している。
 だからだろう、兄の威厳を守るためと称し子瑜は様々なズルを駆使するようになった。中には7つ年の離れた妹に仕掛けるには人としてどうかと思われるものも多々存在したりする。
 正直えげつない。苦笑いを通り越して引く程に。

 もっとも、だからといって朱里が子瑜に対して悪意を持つ事などは今まで一瞬足りとも無かったのだが……。
 今の朱里にとって子瑜は無条件の信頼と純粋な好意を向ける相手だった。朱里と子瑜、そして二人の妹、均を含めた3人の仲のよさは周りにいる全ての人が認めている。

 ここ最近は「私止めないから」とか「禁忌って素敵な響きよね」とか言われたりした。

 何の事だろうと朱里は首をひねったが、何かを応援されている様なので良い事なのだろう。そう納得した。この頃の彼女はまだ純粋だった。


 それはともかく。


 朱里たち兄妹3人生まれたときから今の仲の良さというわけではない。彼らがこれほどまでに固い絆で結ばれている理由の一端は兄妹の生い立ちにあった。
 3人は今でこそ水鏡先生の私塾で幸せに過ごしているが、ここに至るまでの過程は、決して平坦ではなかったのだ。


 ………………。
 …………。
 ……。


 朱里の両親は彼女が幼い頃亡くなった。
 その後、彼女たちは親戚を盥回しにされ、その過程で兄妹3人は離れ離れになりそうになる。というかその一歩手前まではいった。

 その流れに待ったを掛けたのが子瑜だ。
 子瑜は両親の財産をまとめると、群がる親類相手に一歩も引かずに、時には財産を切り崩しながらも、兄妹3人が離れ離れにならないよう奔走した。
 親類の一人と激論を交わす時の兄の、普段とはかけ離れた険しい表情は幼かった朱里の記憶に今も焼きついている。
 大人たちはあてにならず、幼い妹二人を当時まだ子供と呼べる年齢だった子瑜が一人で面倒を見なくては行けなかった。それはどれほどの負担を彼に強いたのだろう。
 今思うとあの時の子瑜は笑っていたが(朱里的には時々壊れたような笑いだった気がする)、つらいの一言では済まされない状況だった筈だ。しかし子瑜は投げ出す事もあきらめる事もせず妹二人を守り抜いた。
 だが、そんな事をしてまだ体も出来上がっていない子瑜が無事であるわけが無く。

 最終的に水鏡先生が引き取ってくれたのだが、その直後に彼は倒れた。一時は生死の境を彷徨ったほどで、まともに動けるようになるまで1年という歳月を要した。心身共に擦り切れていたらしくそれが3人一緒に引き取られたという安堵感によって一気に表面化したのだろう、とは水鏡先生の言だ。口にこそ出さないが兄が男としては背が低く肉付きも悪いのはこの当たりが原因ではないかと朱里は考えている。

 子瑜が倒れた時、朱里はどれだけ兄に負担を強いていたのかを身をもって理解した。そして自分がどれだけ兄を慕っているのかも。
 水鏡先生にもう大丈夫だと言われた後も数ヶ月は妹の均と二人、子瑜のそばを片時も離れた無かったほどだ。

「まったく、後で本当に書棚の修理を頼んだのか水鏡先生に確認しないと」

 子瑜が私塾の様々な雑務をこなしている事は事実で、彼だけでなくこの私塾に通う者皆にいえることだ。
 まぁ、女子校である都合上子瑜が入るに憚られる場所があって、そこは彼に割り当てられる事は無いのだが。さすがに嘘でもそのようなヘマをする人物ではない。


 …………。


 そう水鏡私塾は、女子校だ。よって子瑜は――女装している。

 事の起こりは子瑜の体調が回復しこれからどうするか決めていた時、

「あら、だったら。女の子の格好すればいいじゃない」

 水鏡先生のその一言だった。
 艱難辛苦を嘗め尽くしたばかりの当時の子瑜は特に異論も無く受け入れた。それが何だといわんばかりにあっさりと。
 よくよく考えてみればこの私塾の責任者は水鏡先生である。皆に事情を話せばわざわざ子瑜が女装する必要も無かった筈、なのだが。
 気づかなかったのかはたまた故意か、それは神と水鏡先生のみぞ知る。



 もっともあの時は納得した子瑜だったが喉元過ぎれば熱さ忘れる。最近は自分の格好について愚痴を言うようになった。
 その関係で以下のような出来事があった。




「最近この服装に限界を感じるようになった。そろそろ無理な気がする」

 突然兄から主語の抜け落ちた言葉を投げかけられた朱里は、何が無理なのか、持ち前の聡明な頭脳を駆使し、コンマ1秒で答えをはじき出した。そして心優しい彼女はすぐさまフォローに移る。

「でもお兄さんは色白だし背も低いし女顔だし声も高いから……大丈夫だよ。立派な女の子に見えるから」

 フォローだ、朱里としてはフォローしたつもりなのだ。しかし、その言葉は刃となって子瑜の心にクリティカル。
 つうこんの一撃を食らった子瑜はすでにKO寸前だった。

「はわわわ!?」

「いや、良いんだ大丈夫だよ。朱里は本当のことを言っただけだから」

 はははは、と床にのの自量産する兄の姿はどうみても大丈夫には見えなかった。 

「でもさ、俺もきっと恐らく多分だけどもっと男らしくなると思うんだ……なりたいなぁ」

「未来に希望を持つのはいいことだから――」

「…………」

 のの字量産工場再び。

「はわわ!? うん、きっとなる! なるから大丈夫!」

「あぁもちろん俺は疑いもしないけどな!」

 あえて何も言うまい。朱里はただ微笑んだ。

「そうなると困った事があるな、分かるか妹よ」

「えーと、ばれる?」

「それだ」

 困ったなぁ。とまったく困っ手ない表情で子瑜は腕を組む。やがて、

「ま、まぁその前に卒業すれば良いだけか!」

 何で気づかなかったんだろう。そう言って笑う兄にを眺めながら朱里は思う。気づかなかったんじゃなくてそれは問題を直視してないだけだ。

「……同窓会はどうするの?」

「…………は?」


 …………。


 時が止まった。

「す、水鏡先生が何か考えてくれるだろう! ああ、全ての責任はあの人にあるんだから」

 それならもう何も言うまい。
 朱里はやさしい少女だったから、これ以上兄が墓穴を掘るのを見るのは忍びなかった。




 実はこの頃には私塾にいる誰もが子瑜の性別を知っていたのだが、当人と朱里、均そしてあと一人はその事を知しらなかった。
 何故この様な事態になったかと言うと、お菓子作りを趣味とする人が「その方が面白そうだ」と水鏡先生を説得したからだ。その説得に応じた水鏡先生もわりとお茶目だ。




 ちなみに子瑜が性別をごまかしていた事についての周りの反応は、

「うわ! それであの仲のよさ?」

「最近一時のべったりから次の段階に進んだっぽいよね! やだ私ドキドキしてきちゃった!」

「禁断ね、禁断の匂い!」

 ……概ね好意的に受け止められた。




 この様に水鏡私塾は平和だった。



[5644] 外伝2・私塾その2(雛里)
Name: タンプク◆2cb962ac ID:3c5cd96a
Date: 2009/06/17 02:26
「お前のどの辺りが鳳統だぁ!」

 事の起こりはこの一言だった。
 その後、士元から避けられるようになり。勃発する妹、朱里との冷戦。
 さすがに俺も後悔はしているよ? しかししょうがないじゃないか、まさかあの鳳統が幼女だなんて……。

 そういいながら視線は一つ席を空けて座っている妹に向けられる。

 幼女だなんて……あれ? 予測できた?



 ………………。
 …………。
 ……。



 夜が明け今日も私塾の一日が始まった。

「――!?」

 俺の顔を見た瞬間泣きそうになりながら走り去る士元。

 欝だ。

 声をかける暇も無い。
 きっと前世は小動物か何かだったのだろう。

 どうにかして怖がらせずにこちらの言い分を聞いてもらわなくてはならない。それは理解しているのだが、そんな都合の良い方法が果たして俺に思いつけるかという大きな問題が立ち塞がっていた。
 何より朱里……お兄さんはそろそろ本格的に寂しいです。

「少しいいかな、子瑜?」

「いいが、何だ元直」

 士元に頭を痛め、朱里に心を痛めている俺に級友の徐元直が声をかけてきた。

「キミがどのような性癖を持っていても僕はキミの友人を辞めるつもりは無いよ」

 ……なに?

「ただ友人であるからこそ時としてキミを諌めないといけない事もあるんだ」

「オーケー、なんとなく落ちは読めたが。いいだろう言ってみろ」

 それでは。
 元直は前置きをすると口元をニヤリと歪めて、

「キミが……嫌がる士元を無理やり<ピーーーー>して<ピーーー>、そして<ピーーーー>」

「もういい」

 もはや最後の方はピーしか聞こえない。
 とりあえず年頃の女の子がピーピー言うのはどうかと思うぞ。

「分かってて言ってるだろ?」

「さて、何のことやら」

 そう言いながらも元直は左右不ぞろいの笑みを止めない。絶対分かってて言ってるな。

「まぁ、何にせよ早めに誤解を解いた方が良いと僕は判断するけどね」

「って、やっぱ分かってるんじゃないか」

 じっとりした視線を向けると元直は「ははは」と笑った。そしてその後、真面目な顔で。

「しかし正直なところ口八丁で言いくるめられたんじゃないかい?」

 それは俺も分かってる。しかしあいつが鳳統であることが問題だ。
 なるべくなら真正直に友誼を結んでおきたい。

 その為の方法をこうして考えているわけで……あ、そーだこいつなら。

「ちなみに僕に聞かれても解答は出せないよ。そういうのは人に頼っちゃだめだしね」

 ……ケチめ。
 ならば用はない。
 俺は元直に背を向け、手を振った。

「あえて助言をするならば素のままでいけばいい、とだけ言わせてもらうよ」

「――ありがとさん」

 何だかんだで助言をくれる辺り捻じ曲がってはいるが性格は良いのだろう。



 ………………。
 …………。
 ……。



 というか素を出して避けられるようになったんだよな。
 早くも助言に対して沸いた疑念にうんざりしながらも俺は士元を捜し歩く。

 しかし物欲センサーとでも言うのか俺の前には見慣れた黄色の髪。

「あ、朱――」

「―――」

 手を伸ばし声をかけた俺に汚物を見るような視線を向けた後朱里は背を向ける。

 冷戦状態のステージは無視からさらにワンランクアップしているようだった。
 駄目だ……早く何とかしないと。


 ………………。
 …………。
 ……。


 それは亡者か冬眠前のクマか。
 とにかく私塾中を彷徨い歩いた俺はようやくセンサーを振り切った。

 あの魔法チックな帽子は間違いなく士元のものだ。

「あー士元…………?」

 ……よく見ると案山子だった。何故?
 あまりの事態に呆然とする俺だが、帽子に触れることで思考が引き締められる。

 ……まだ暖かい。

 ばっと、振り返り辺りを伺う。どこだ、どこは知らないが、近くにいるはずだ。
 呼吸を整え空気の流れを読む。実際はそんなもの読めるわけないのだが、ここは気分。気にしない方向で。

 そこか!
 
 気配、の様なものを察知した俺は走り出す。そして――。

 
 鳳統が現れた!

「……!?」

 鳳統は逃げ出した!


 くそ、はぐれメタルかお前は!?
 とにかく話をしなければ関係回復など夢のまた夢なので俺は叫ぶと同時に走り出す。どうでもいいけど案山子と同じ形の帽子を被っているのは何でだろう? 予備持ってたのか?


 後に士元は語った。

「わたしの帽子は108型まである」

 もちろん今の俺はそんなこと知らないし、別にどうでもいい事だ。



「ちょい待て!」

 マテといわれて待つ奴は居ないよなぁ……。と思いつつもつい叫んでしまうのはお約束だからだろうか。
 そして逃げたら追う、追われたら逃げる。そこから始まるスパイラル。
 追いながら気付いたが、強引に捕まえると状況を悪化させる可能性が高い。かといってどうやれば平和的捕獲、後に説得と事を運べるのだろうか?
 何より平和的捕獲って一体……。


「はははは」

「ふふふふ」

 脳裏に、目をきらきらさせながら浜辺をバックに走る一組の男女。そして、

「捕まえた~」

「捕まっちゃったぁ」

 となるのは平和的に捕獲しているといえるのだろうか? 問題はここの近くに海は無いということで……。

 何をトチ狂っている、落ち着け諸葛瑾。
 海がどうこうの前に前提としておかしいだろう。
 却下だ、考える価値すらない。

 俺は頭を横に振って妄想を振り払った。おれ自身「はははは」とか言いながら追ってくる様な男に捕まりたくなどない。

 色々と考えてみたが、もっとも良い方法は朱里に仲介を頼む事。……しかし今は、無理だ。そもそも話を聞いてもらえない。
 その後も士元を追いながら頭を回転させてみるが上手い考えは浮かばなかった。
 
 そしてどこからか聞こえてくる誰か分からない声。


「うわ、本気で追いかけてる!」

「妹二人じゃ満足できなくなったって本当かな?」

「百合! 禁断! ただれた関係!?」

「え? じゃあ攻略した後全員で4<ピー>?」


 色々煩い上に最後伏字になってねぇ! 
 くそ、早く何とかしないとまたある事無い事ばら撒かれそうだ。

 割合的に後者が7を占めるのだから始末に終えない。

「士元! 待て、マジで待て」

「あ、ああああわわわ」

 こけそうでこけない、微妙なバランスで士元は俺の前を走る。
 ていうか何故追いつけない? 単純な身体能力ならば負ける事は無いはずなのに。

 後ろを走りながらしばし観察……そして気付いた。
 私塾の構造に人の流れ、自分と俺の速度差、全てを計算し士元は逃げている。

 あえて言わせてもらおう……何と言う知略の無駄遣い。

 

 ………………。
 …………。
 ……。




 どうやら撒いたみたいだ。

 先ほどまで後ろから離れなかった人影が見えなくなったのを見て取り雛里は一息つく。
 偽報を駆使し子瑜を私塾にとどめ自らは外に出る。雛里がとっさに思いついた策だが思いのほか上手くいった。

 全力で走った所為で胸が苦しい。
 雛里は肩で息をしながら傍の木に身体を預けた。

 冷静になって考えてみると逃げることは無かったのかもしれない。

 相手は親友である朱里のお姉さんだ。話には聞いているが優しい人みたいだし。
 どうして自分が鳳統だといけないのか、その点は疑問に思うが私塾の友達が言うように 仲直りをしたいというのは本当だろう。
 それは理解しているのだが、あの人を見ると身がすくんでしまう。
 元々人と話すのが得意ではない自分が心底嫌になる瞬間だ。

 子瑜と朱里。
 仲の良い二人が自分の所為で喧嘩をしている事を考えると申し訳ない気持ちでいっぱいになり、何とかしなくてはいけないと思うのだが……。

 いつもより深く考え事をしていたため雛里は気付かなかった。
 目の前の男たちに。

「よりにもよって子供か」

「しかし見られたからには……」

「この服はあそこの学生だな」

 3人の男はどう見ても友好的とはいえない顔つきで雛里に近づいてくる。

 震えながら後ろへ下がる雛里だが、男たちは大股で近づいてくるので相対的に距離は縮まってしまった。
 目の前の男たちは誰なのかは分からない。しかしとりあえず自分の身に危機が迫っている事だけは理解した。したのだが、今の雛里に出来るのはそこまでだ。

 誰も自分が外に出ている事を知らない。故に助けが来る可能性はゼロ。
 この場に至っても片隅に残る冷静な判断が答えを出した。



 それは、震える雛里の眼前で起こった。



「ぶべら!?」

「ひ!?」

 突然雛里の前にいた男の姿が横へ消えた。

「何だお前は!?」

「あんたは寝てろ!」

 それは聞き覚えのある声で、ここにはいないはずの人。

 突然現れた人影、諸葛子瑜は動きを止めずに二人目の男の腹を蹴りあげる。
 それは雛里が惚れ惚れするほどに人体急所を的確に突いた一撃だった。

「逃げるぞ士元!」

「あ、あわわわ」

 振り返った子瑜にそういわれても、突然の流れに思考が追いついていない雛里はただ慌てるだけで身体が全く動いてくれない。

「えぇい、我慢しろよ!」

「え、ええ?」

 子瑜の方も余裕は無いのだろう。切羽詰った表情を見せた、次の瞬間雛里の視線が上へと上がる。
 気が付くと雛里は抱き上げられていた。



 ………………。
 …………。
 ……。



 あ……ありのまま、今、起こってることを話すぜ。
 俺は士元を追いかけていたと思ったらいつのまにか知らない人達に追いかけられている。
 な、何を言ってるのか分からねーと思うが。俺も急展開についていけてない。
 頭というか心肺機能がどうにかなりそうだ。
 鬼ごっことかかくれんぼとかそんなチャチなもんじゃあ断じてねぇ。
 もっと恐ろしいものの片鱗を味わっているぜ。

 いやまぁ、つまり。何だよこの状況!
 偽報に気付きならば外に出たのか、と看破したまでは良かった、いやその後士元を見つけたまでは良かったのだ。
 問題は同じくそこにいた男たち。
 どう見ても仲良くお茶しにいこうという雰囲気ではなかった。そしてそのうちの一人が士元へと手を伸ばすのを見た瞬間、俺の身体は動いていた。



 身体は妹分(子瑜を形成する重要な栄養素)で出来ている――。



 よく分からない呪文とともに俺の身体は大地を蹴り男の顔めがけて飛んでいた。
 …………のが一刻程前。



「ま、撒いた……か?」

 恐る恐る後ろを伺いながらつぶやく。
 うん、追ってくる人はいない、撒いたようだ。

「何なんだ一体……賊、なのか?」

「水鏡先生が言ってました。最近戦場から逃亡した兵士の手配が出ているって」

 そう言えばそんなことを聞いた気もするな。もっとも最近変な人が出るから気をつけましょう、的なノリだったので気にも留めていなかったが。
 しかしそうなると奴等は元とはいえ正規兵、俺の手に負える相手ではなさそうだ。

「とりあえず私塾にもどって――」

「だ、ダメです!」

 無難に他力を頼ろうとした俺に士元が全力で待ったをかけた。

「士元?」

「あの人たちは私が私塾の生徒だって知ってました」

 うわ、最悪。
 なら私塾は優先的にマークされている可能性が高い。
 突破は、無理だろうなぁ。これが関羽とか張飛とかいう豪傑なら可能なのかもしれないが。俺は諸葛瑾、武勇などに期待する方が間違いだ。

 しかし、いくら地の利があるとは言えいつまでも逃げ続けるわけにも行かない。体力的には俺たちの方が大きく劣っているのだ。
 ど、どうするか。


 しばし黙考。


 ダメだ、何も思いつかん。
 ここは稀代の名軍師に頼らざるを得ない!

 と言うわけで士元、キミに決めた。


 …………。


 あれ? 反応なし?
 どうしたのか? と見ると士元は俺の右腕にしがみ付き、ただ震えていた。

「えーと、士元さん?」

 何やってるんですか貴女? ほらその泉のごとく湧き出る知略を持ってあんなやつらちょちょいのちょいって。

「あ、あわ、わわわ……」

 鳳卵?

 俺の頭の中に新たな単語が生まれた。
 この士元、まだ生まれる前らしい。

 ていうか良く考えろよ俺。
 この年齢の女の子がこんな状況で冷静に思考を働かせられるワケ無いだろ。……いやなかには出来る奴もいるだろうけどさ。

「とりあえず士元」

「は、はい」

「悪かった……」

「え?」

 打開策を見出せないのでとりあえず当初の目的を達成しておこう。
 さすがに士元も今俺から逃げることは無い様だし、その意味では好都合だ。

「いきなり怒鳴ったのはどう考えても俺が悪いよな。すまない悪いごめんなさい許してください」

「あ、あわわわ……そんなに沢山謝らなくても。わたしも話を聞かずに逃げたりしたから」

「いや、第一印象最悪だったから逃げもするだろ。何こいつキモッとか」

「そんなことは……」

 うん、どうやら仲直りできそうな雰囲気。

「そうか、じゃあ仲直りということで」

 そう言って差し出した右手を不思議なものを見るように見た後、士元ははにかむ様に笑ってしっかりと握り返した。



 計・画・通・り。



 ………………。
 …………。
 ……。




 それは雛里が見とれるほどの笑顔だった。
 やはり朱里のお姉さんはとても美人だと雛里は思った。

 触れられた手はとても暖かく、ざわめいていた心が沈静化していく。実際のところ子瑜は心の中でどこぞの神っぽい笑みを浮かべていたのだが、人生経験の浅い雛里に気付けという方が無理だ。

 そして手を握ったままぼんやりとしていた雛里は、

「あ――」

 解かれた時、思わず出た声に赤面する。

「さて、これから何とかして私塾に帰らないといけないわけだが」

「あ」

 そうだ、今はどうやって私塾に帰るか、そのことを考えなくてはいけない。
 一瞬弛緩した空気が張り詰めたものに戻る。

「何かいい方法あるか、士元? あいにく俺は何にも思いつかん」

 そう言って肩をすくめて笑う子瑜を見ていると雛里の頭に冷たい思考が戻ってきた。

 何のために今まで勉強してきたのだ。
 いくら知識をためても使うべきときに使えなくては何の意味も持たない。
 そして今こそ知恵を振り絞って的確に使う時だ。

 足は震えが止まらず、先ほどよりマシとは言え胸は今もどきどきしている。

 でも……。

 困ったねー、と気楽に笑っている子瑜も年上とは言えまだ子供と言える年代のはず。
 それなのに他人を気遣う余裕すら……いや少なくともあるように見える。

 負けられないという気持ちと頼られて嬉しいという気持ちが同時に沸いてきた。

「はい、一つ考えが――」



 ………………。
 …………。
 ……。




「あの……本当に上手くいくんでしょうか?」

「さあ、後になって冷静に考えたら別のいい手があるかもな」

 その言葉に雛里はしゅん、と俯いた。

「だが、今の俺たちになんら助けにならない策なんて必要ない。この時にこの場で考え付いた中での最善だとは思うから、きっと上手くいくさ」

 現金なものだがそう言って笑う子瑜に雛里の表情は明るくなる。

「それにこうして追いつかれてないことを考えると本当に上手くいってるんじゃないか?」

「そうでしょうか……」

 雛里が考えた策とは極めて単純、戦わないことだ。
 よくよく考えてみれば何も私塾に戻る必要はない。

 とは言え普通に逃げてはつかまる可能性が高いので小細工をしてはいる。


「―――――」


 遠くから悲鳴が聞こえた。
 方向から察するに、"成功した"のだろう。

「すごいです」

「元々は獣取るための罠なんだけど。人間も引っかかるんだなぁ」

 情けないねー、と笑う子瑜に雛里はあいまいな笑みを返す。一体どんな罠を仕掛けてきたんだろうこの人は。
 その罠だが実は逃げた方向とは別に仕掛けてある。少し迂回して私塾に戻る、そう男たちに考えさせるためだ。

 もっとも足の遅い雛里は先に町の方へ逃げ、子瑜が別方向へ罠を仕掛けたので彼女はどんな罠かは知らないのだが。

 分かれるときの引きつった顔と帰ってきた時の精根尽き果てた顔から、かなりの無理を強いたのだろうが雛里には出来ない事だけに申し訳ない気持ちは多々あるが任せるしかなかった。
 この策において重要な事は二人の向かった先を知られない事。故に、移動の際には木の根や石など可能な限り痕跡を残さないように移動し、今こうして子瑜の背に負ぶさっているのもその関係だ。それ以外に深い意味は断じてない。

「もう少しで、街だ」

「はい!」

 街にさえ入れば男たちは追ってこれないだろう。その後は誰かにに頼んで私塾まで護衛してもらうか人を呼んでもらう。
 雛里が考えた策とはこれが全てだった。

 それは彼女一人で成し遂げられるものではなく、子瑜に殆どの負担を強いてしまった。
 そのことについて謝ると。

「軍師なんて人使ってなんぼだ、気にしないで、というかどんどん使え。ようは使ってもらうのが嬉しいと思わせればいいんだ」

 といって笑った。

 相手を喜ばせる。
 そんなことは考えたことが無かった。
 でも確かにそんなことが出来れば、とてもいいことだろう。

 そのためにもっと頑張ろう。頑張って勉強しよう。
 誰かの台詞を数年先取った事には、当然ながら気付く者などいなかった。



 ………………。
 …………。
 ……。




 あと少しで街、そのことが雛里と子瑜の心に隙を生んだのだろう。

 あれ?

 突然身体が放り出され、雛里は気が付くと宙へ投げ出されていた。

 一体何が?

 幸い踏み固められていない大地は柔らかく、大した衝撃を雛里の身体に与えなかったが突然の事態に混乱した少女は咳き込みながら視線を左右へ振った。

「子瑜さん!?」

 そして思わず息を呑む。
 そこには先ほどの男たちの一人と剣を交えている子瑜の姿があった。

 何故!?

 混乱の極みにある頭は、しかし一つの疑問に収束した。

 私塾ではなく街へ向かった事がばれたのだろうか?
 いや、それならばこの人が一人でいること自体不自然だ。だったら……。

 別の歴史で稀代の軍師と呼ばれた少女は冷静に事実を吟味し、答えを出す。

 そうか、この人は仲間を見捨ててきたんだ。
 そしてそんな男が、手配の回っているこの街に来るのは不自然だからきっとこの人は道に迷ったのだろう。
 何て、不運。

 今持ちうるものを振り絞っても、天のいたずらによって全てを否定される。
 そのことに雛里は唇をかんだ。

 こうなってしまっては雛里に出来る事など殆ど無い。
 元直ならば加勢できるのだろうが雛里の剣の腕は高くない、むしろ低い。ていうか持つので精一杯だ。

 今彼女がとりうる最善は街へ逃げ込み助けを呼ぶ事。
 そのことは理解してたが、震える両足は雛里の意思に反して動いてくれなかった。

 そんな自分を心底情けなく思いながらも、それでもパニックになることだけは避け、雛里は二人から距離をとった。
 目指す方向は子瑜の後ろ、せめて人質になることだけは避けないといけない。

 その雛里の目の前で、筋力の差か子瑜の剣がはじかれた。

「子瑜さん!」

 叫ぶ雛里。しかしその声に現実を左右する力はなく、武器を失った子瑜の胸が上から切り裂かれた。




 ………………。
 …………。
 ……。



「―――っ!?」

 胸を掠めた風圧に冷や汗がでる。

 だが、賭けには勝った。

 初手こそ完全な不意打ちだったが、それでも思い通りに事が運んだのは相手の初歩的なミスが理由だ。
 それは位置取り、この男は坂の下から襲いかかってきた。
 恐らくは街へ逃げ込まれることを考慮したのだろうが、雛里を考えるとそれは難しい事位分からなかったのだろうか?
 坂道の上と下ではどちらが有利かは一目瞭然だろうに。だからといって馬謖のアレはどう考えても下策だったが。

 まぁ恐らくはこいつとしても予期せぬ遭遇だったのだろうし、こちらが有利になる分には文句を言う理由は無い。
 相手のミスがなければ俺に勝ち目などなかったことを考えると、まだついてるということだ。

 しばらく男を観察するために受けに回ったが、だいたいの性質はつかめた。何と言うか元直に比べると剣筋も思考も読みやすいことこの上ない。

 故意に武器を失って見せると案の定大振りで勝負を決めにきた。
 至極よみやすい。気分は某古流剣術使い、今必殺のヒテンミツルギスタイルを……。

 結果、服はだめになったが無防備な背中を取る事には成功したわけで、流石にこれを逃すほどの優しくもないし余裕もない。




 ………………。
 …………。
 ……。





 ちょっと疲れたなー。
 しかし仲直り出来たのでよしとしよう。これで朱里も冷戦を解除してくれるだろうし。
 総合的に見ればプラスじゃないか?
 などと考えながら後の士元を振り返った俺だが、やはり神様はそう簡単にいかせてくれるつもりはなかったようで。

「士元、大丈……」

「あわわ、あわわわわわわわ!?」

「?」

 あぁ、そう言えば斬られたんだったか。
 士元の視線を追うと、制服の胸の部分が大きく切り裂かれていた。
 幸いかすり傷だが、この場合は俺の素肌がさらされている事が問題であって。

 つまり……バレた。これはどちらかというと俺のミスだな。

 一難さってまた一難。俺は天を仰いだ。



 ………………。
 …………。
 ……。



「お願いします」

 私塾に帰った後、俺は士元に深々と頭を下げた。
 何とか黙っていてもらおうという切なる願いを理解してもらうためだ。

「本当にお願いします、いやマジで」

 まだこの私塾にいたいいんです。




 …………。




 思えばこの頃から兄は自尊心を捨てたようだ。

 後に朱里は語る。

 一体どの様に頼み込んだのかはその言葉に集約されているが、とにかく士元の口を封じる事には成功した。
 妹の生暖かい視線を浴びてもゆるぎないほどに、子瑜の心は鉄壁だった。



 ………………。
 …………。
 ……。



 一月が過ぎた。

 何かが違う。
 自分の半分程しか生きていない幼子に土下座外交をしたというなんとも情けない経歴を持つ兄に生暖かい視線を送りながら朱里は思った。

 兄と親友はどうやら本当に和解したらしい、それはいい。
 故に朱里が子瑜を避ける必要はなく、以前のような関係に戻ってはいるのだが……。

 あの日覚えた違和感から朱里は未だ逃れられずにいた。

 違和感の原因は彼女の親友であり今事件の中心人物、雛里だ。
 確かに仲がよくなっているが、これは……。

 仲良くなりすぎてないか?
 正直元直も怪しいと思っていたのだが、雛里お前もか。
 こっちはこっちで数年後の兄の思考を先取りする辺り流石は親友というべきか。
 もちろん今回も指摘する人は存在しなかったが。


 閑話休題。


 少なくともこのときの朱里は兄を独占したいという気持ちが存在していた。故に警報はひっきりなしに朱里の脳内で鳴り響いている。
 その関係で険しくなる朱里の視線の先で、子瑜が雛里に今水鏡先生が説明している内容について質問をしていた。

「あわわ、えと……これは」

 わたわたしながらも雛里が浮かべている表情は、笑顔だ。
 質問に答えた後、雛里は辺りを見回し、そっと子瑜の耳に口を近づけたりしているのを見てピクリと朱里は片眉を上げる。

「あの、どうして子瑜さんは女の人の格好をしているのですか?」

 これも珍しい、雛里が自分から話しかけるなどめったに無いのだ。内緒話なのに何故朱里に聞こえているかは深く追求していけない。
 今大事な事は、子瑜に多大なダメージを負わせ雛里があわあわしている事だ、反論は受け付けない。

「あわわ、ごめんなさい」

「いや、いい。普通はそうだし」

 私塾に入った当初はほとんど気にしていなかったが最近になってやたら自分の格好を気にするようになった。
 そんな子瑜に今の発言はクリティカルだったのだろう。

「ははは……いい年して女装とかね。はっきり言って気持ち悪い」

「あああああ、あの……私、好きです!」

 何かフォローするつもりが頭の中でいかような化学反応を起こしたのか、頭が沸騰して色々とすっ飛ばした雛里の発言に朱里は驚ろく。
 巡り巡って本音が出たようだが、興奮している今の雛里は気付いていないようで……。

 兄は、どう答えるのだろうか?
 時間が止まったかの様な空間の中、朱里は我知らず手を握り締めていた。

「……いや、好きも何も元々女の子だろ。ていうか男装? 男装したいのか?」

「―――」

 ……この人頭沸いてるんじゃないか? 

 実の兄の事ながら朱里は頭が痛くなり、ようやく自分の発言の意味に気付いた雛里は顔を蒼白に変えていた。
 ため息をつきながらも朱里は隣で真っ白に燃え尽きている雛里のフォローに入るのだった。

 何故か、朱里は雛里に対して仲間意識を覚え結果、以前よりも仲良くなったりした。
 色々あったが珍しく3人にとってのハッピーエンドと言えるだろう。



[5644] 外伝3・私塾その3(元直)
Name: タンプク◆2cb962ac ID:85b92d51
Date: 2009/05/19 20:11
 春眠暁を覚えず。

 布団の中というわけじゃなく、二度寝をしたわけでもない。
 ただ、春の気持ちいい日差しを浴びていると眠くなってそんな言葉が頭に浮かんだだけだ。

 今日は授業も無く、朱里と雛里は学友と一緒に街へ出かけた。
 久しぶりの一人の休日を満喫せんと、のんびりまどろんでいる俺だが。何か、顔がくすぐったくなって目が覚めた。

 銀色の髪が頬をなでて……いる?

 ぼんやりとピントの合っていない思考の中。
 うっすらと光が差す視界。そこから送られる情報に首を傾げる。
 はて、銀といえば元直だが…………まて、奴の髪って朱里と同等の長さ。
 ソレが俺の顔にかかっていると言う事は。

「――っ!?」

 行き当たった考えへの驚きで目が覚めた。
 案の定、目と鼻の先に見慣れた顔があって、そのチェシャネコじみた笑みは予想通り、級友のもの。

「やっと起きてくれたか」

 「やっと」って何だ?
 始めに沸いた疑問はあえて問わない。答えが返ってきてしまうとソレが俺の現実になるから。
 知りさえしなければ俺にとってのリアルではない……とか何とか。
 驚きでクルクル空回りする思考の片隅で一握り残った冷静な回路が動いてただ一つの言葉を作った。



 ……何やってんだよ元直。




 ………………。
 …………。
 ……。



 徐庶、字を元直。

 始めは剣をならっていたのだが、ごたごたがあって現在は私塾で学問に励んでいる。
 ステータス的には撃剣の名手の為か武力も高め。
 歌って踊れる……じゃなくて策立てて戦える軍師。ゲームによっては抜群の使い勝手を誇ったとか何とか。
 例によって例のごとく性別反転してるんだけどね。
 それでも朱里と雛里という、ある意味よりひどい前例を知っているので俺の精神の平静は保たれた。
 慣れって偉大だ。

「何やってんだお前は」

 大いに驚いたし、現在進行形で驚くべきなのだが、そういった態度を取るとこいつはさらに悪乗りしそうなのであえて平静を装う。

「見て分からないかな?」

 なるほど、確かに一目瞭然だな。
 それでは質問を変えて。

「何だこの体勢」

 言いながら周りを見渡す風を装って目を逸らす。顔が近いんだよ。
 逸らした視線の先にある光景は俺の記憶どおりで桃の木の下なのだが、頭から伝わってくる感触が大きく異なっている。
 簡単に言ってしまえば柔らかくて気持ち良い。
 具体的に言うと膝枕。

「何だとは心外だな。僕がいなかったらキミの頭は大変な事になっていたかもしれないのに」

 む……。
 そう言えば寝る前は木に寄りかかって座っていたような気がする。
 つまり、グラっときてバタンと言う事か。
 大変な事まではいかないと思うが、進んで痛い思いをする趣味は無い。
 その事については感謝すべきだ。

「あー、そうか。それは……?」

 だから、俺は「助かった」と言って起き上がろうとした……のだが。
 何故か、元直に額を押さえられあえなく失敗。

「元直?」

「ところで、妹さんはどうしたんだい?」

「? ……雛里他3人ほどと街へ行った」

 思わず答えてしまったが、ちょっと待て。露骨に話を逸らしたよな。
 今は朱里がどーこー言う時じゃなくて、俺の体勢を何とかしようよ。

「そうか」

 アイコンタクト不成立というよりは分かってて無視している線が濃厚だ。
 俺から視線を外した元直は澄ました表情で桃の木に背を預けた……相変わらず俺の身体を拘束したまま。
 何この羞恥プレイ。



 ………………。
 …………。
 ……。



 どのくらい時間が流れたのか、状況が状況だけに体感時間の精度への信頼はゼロだが、殺人光線を出す合図となるランプが点滅するよりは長かっただろう。
 むしろ俺の主観ではその10倍はあった気がする。
 最後の方はもうこのままでいいやと思いかけたのは秘密だ。誰にも知られるわけには行かない。

 そうなる前に強引に抜け出せばいいだろ、と思うかもしれないが。
 この人単純な筋力はさして無いくせに、武術の経験からか力のかけ具合が凄まじく上手い。
 と言うか寝ている体勢で頭を押さえられたら普通起きるの無理だって。
 飽きたのか、他に理由があるのかは知らないが開放された後、俺は3点リーダを連発しながら元直の横に腰掛けた。
 そして、肩を並べて座る少女にじっとりした視線を送る。
 その中にわずかならざる量の非難を込めたのだが、涼しげな青の瞳はその全てを華麗にスルーした。


 はぁ……。


 歴史上の人物としては結構人気のある軍師なので俺の知る活躍は省くとして、こいつは私塾の中で特に仲の良い部類に入る女性だ。というかここ女しか居ないんだけどな。
 見ての通り性格的には一癖あるが、何故か気が合い、よく二人で話し込んだ。そこに朱里と雛里が入って4人になったりもしたな。
 それだけなら21世紀の学生と変わらないのだが、話の内容が政治的だったり軍事的だったりするあたりに時代を感じる。
 付け加えると、こいつと二人だけの時は主に後者についての話が殆どだ。

 そんなわけで、今日も記憶の中からネタを発掘したわけだが……。

「く……」

 話の途中から元直の様子がおかしいと思ってはいたんだ。

「そんなに笑う事か?」

「いや、だって」

 淡河定範が羽柴秀長を破った雌馬作戦を話したらどうやらツボに入ったらしい。
 結局、戦自体には負けたがこの策で局地的な勝利を収めているのだから策としては成功したのだ。
 その辺りはこいつも理解しているのだろうが……まぁ、確かに面白いといえば面白いか。

「相手の馬が雄だったら上手くいくだろ」

「それはキミの経験からかい?」

 ツーカー、と言う感じのカウンター。
 元直は目じりに涙を浮かべながら問うた。
 つまりは今の俺の状況を言っているのか。

「大丈夫だよ僕達以外誰も居ないさ」

「……確認はしていたんだろうけど、自然な流れでその話出されると心臓に悪い」

 現在私塾で俺の性別を知っているのは5人しか居ないのだ。もう少し慎重になってほしい。
 それにどう答えろと言うんだよ。

「答えは聞かないことにするよ。それはそうと朱里と雛里からいずれ私塾を出るつもりだって聞いたんだけど。キミは知っているのかい?」

「ん、ああ。話自体は」

「へぇ、反対すると思っていたけど。その様子じゃそうでもないのかな?」

 うーん、俺の中で孔明と士元が表舞台に立つというのは驚くに値しない事だしな。
 できれば止めて欲しいとは思うが。

「自分でそう決めたんだったら俺が何言っても無駄だよ。その辺りは頑固だし」

 何より俺に強く反対する為の理由が無い。

「そうか。それじゃあ、キミはどうするんだい?」

 話のついで、そんな風なのか、そうと装っているのかは分からないが元直は矛先を俺へと向けてきた。
 内容的に話して困ることではないが、具体的に考えて居なかったことに今更気付き少し愕然とする。

 ここを出たら、か。

 漠然とは呉に仕える未来を想像していたのだがその動機となると……無いな。
 いやあることはあるのだが、朱里と雛里に比べてひどく情けない理由だからいいたく無いし、言えない。
 かと言って二人のように世の為人の為とかいう曖昧な物の為には働けないしなぁ。 
 暮らしやすい世の中になればいいと思うが、その為だけに命をかけられるかと問われると、無理ですとしか答えられない。
 その逆、例えば董卓みたいなことをする気も力も無いけど。

「正直なところここの生活は気に入ってるし、しばらくはここでのんびりしたい」

 できれば一生。

「今のキミはそうなんだね」

「お前は……すぐにでも出たいのか?」

 何故か、元直の言葉を聞いてそう感じた。どこか否定的な響きを感じたからかもしれない。

「あぁ、いや……そういうわけじゃないよ。ただ何時までもこのままで良いのか、とは思うんだ」

 そう言って浮かべた微笑はいつものものとは違って見えた。どこが? と問われると返答に困るが。

 それにしても……何時までもこのまま、か。
 良い悪いを論じる前に、それは成り立たない仮定だ。
 きっと朱里と雛里は劉備に仕えるだろうし、元直は……最終的には曹操か?
 この世界で俺の記憶どおりに進むかは不明だが、兄として友人として付き合ってきて3人とも私塾に収まる器では無いことは理解している。
 故に遅かれ早かれ、外の世界へ飛び出していくだろう。

 人事のように言っている俺だって何らかの選択を強いられる可能性はある。
 その時どうするのかは、まだ思いつかない。しかし、自分勝手な願いとしては皆が後悔しない道を選べればいいと思っている。

「僕としてはキミこそ、ここを出るつもりだと思っていたんだけど?」

「何でそう思う?」

「キミほど知識を"使う"事に結び付けている生徒はいないよ」

 そう言って元直は目を細めた。

「そもそも、キミは隠し事が多すぎるしね。もしかしたら人を余り近くに置きたくないんじゃないか、とも思ったんだけど」

 そっちの方は考えすぎだった、と思いたいけどね。

 と、元直は薄い笑みを浮かべて言った。
 こうまでハッキリと言われて、意外だが驚きは無い。むしろやっぱり、という納得の方が強いな。

 それなりに長く、そして深く付き合ってきた。
 こいつほどの頭があれば違和感くらい覚えて当然だ。

 もしかしたら朱里達も同じ思いを持っているのかもしれない。
 何も言ってこないのは、いずれ話すと思っているのか。それとも初めから気にしていないのか。

 元直の指摘どおり、私塾では俺の持つ最大のアドバンテージである歴史的知識をどうやってこの世界に当てはめるか、に最も重点を置いていた。
 そしてもう一つ。バタフライ効果を考えると無駄なことなのかもしれないが、それでも有名人には極力干渉したくない、とも思っていたし気をつけてもいたのだが。気付くと有名どころベスト3をコンプリートしてしまった現状。
 いやまぁ、一人は妹だからしょうがないんだけどさ。
 そんな訳でこっちは既に諦めている。

「何かあった時に何もできないのは困るから。それだけだ」

 かろうじて口から出た言葉は返答と呼ぶには程遠いものだが、同時に今の俺にとっての精一杯でもある。
 俺の身に起きた想像の斜め上をいってさらにワープした現象については、この世界の誰にも打ち明けることができない。少なくとも今のところは。

 何より、その記憶が正しいことなど誰にも証明できないのだ。
 俺自身そう思い込んでいるだけ。という仮説を否定する明確な証拠は存在しない。

 …………いや、違う。

 もし、そうだとした時。じゃあ、俺は一体何なのか。その答えが俺の中に無いのだ。
 そんなヘタレだから、全てを話した時「じゃあ、お前は一体誰なんだ?」という問いを向けられる事が心底怖い。

 既に以前の俺でもなく、かといって諸葛子瑜と言う自分に対する確信も無い。
 だけど……。

「色々と難しいみたいだね」

「う、まぁ……」

 何と言うヘタレ。自分で情けなくなってくる。
 恐らくは何らかのイベントをクリアする事で精神的なパワーアップを果たすのだろう。そういうことにしておこう。

「それについてはキミの気が向いた時に話してくれればいいさ。ある意味でここは箱庭だから。少なくともこの中では、今のキミについて何か言う人はいないよ」

 出た言葉は限定を付けた上での肯定。

「じゃあ、ここから出たらどうなるんだ?」

「さあ?」

 さあ、ってお前。

「隠している内容も知らないのだから分かりようがないよ。僕は妖術師じゃないからね」

「む」

 非難をこめた言葉は的確なカウンターで切って落とされた。本当にその通りですね。

「僕個人の予測だと、キミのことだから回りを巻き込んで何とかするんじゃない?」

「お前の中で俺はどういう奴なんだよ」

 俺は大きく肩を落とし、元直は口元に手をあて小さく喉を振るわせた。

「よくよく考えてみると随分な言い方だったね。でも、厄介ごとに巻き込まれるのはしょっちゅうだったけど、それを一人で解決したことがあったかい?」

 う…………、そう言われると何も返せなくなるな。
 ていうか、元直に言われるほど色んな事に巻き込まれている事がまず問題な気がする。
 トラブルメイカー?
 冗談だろ。ここじゃそれだけで死亡フラグだ。

「ずっとここに居よう」

 それがいい。
 むしろ私塾でさえ危険な目にあってる俺って一体……。

「無理だと思うけどね」

「人事だと思って……」

 それは、深く考えず、会話の流れに乗っただけの言葉だった。だから言葉とは裏腹に別に非難を込めていたわけでもない。
 俺としても「まぁ人事だしね」くらいの返事が返ってくると予想しており、実際にその返しも考えていた訳だ。
 が、そんな予想に反して元直は心外だと首を振った。

「意外と人事じゃないんだけど?」

 何?

「それはどういう……?」

「基本的に僕は嘘が嫌いなんだ」

 ??

 それは以前に聞いたことがある。
 しかし、一体今の話とどうつながりがあるんだ?
 唐突に全く別と思われる話を振ってきた元直に怪訝な視線を向けると同時に、頭は最速で回転する。
 そうだ、こいつとの話は面白いだけじゃないんだ。
 特に口だけで笑みを表現しているこの表情。コレがヤバイ。
 何かしらの厄介ごとが降りかかってくる前振りだ。考えろ、考えるんだ俺。

「勿論今まで一度も言った事は無い、何て事は無いし。それを他人に強要するつもりも無い」

 早いよ。
 今考えてるんだ。頼むから待ってくれ。

「でも、親しい友人相手には可能な限り正直でいたい。だから、言いづらい事は言わないという形で今まできたんだけど」

 む……。
 確かに……"一応"と頭につくが嘘をつかれた記憶は無いな。意図的にミスリードさせる事は多々あったが。そして、そのシワ寄せが俺に降りかかる事が殆どだったが。

「それを理解した上で、本当に聞きたい?」

 つまり、正直に答えた結果が俺にとってよろしくないものだと?

 聞くか聞かないでおくか。
 正直な話、元直が何を考えているのか知りたい気持ちはある。
 単純な好奇心の他に徐庶として立ち位置を知っておきたい、と言うのが理由だ。
 問題は、こいつが言うにはだが、ソレが巡り巡って俺に災いをもたらす。と言う事……うん、意味不明だ。

 しばらく考え込んでみたが答えが出るはずも無く、時間だけが過ぎていく。
 制限時間を設けられたワケではないが、余り遅すぎると自動的に「聞かない」という選択肢を選ばされそうな雰囲気。

 史実を考慮すると、朱里と雛里が予定通り劉備に仕えたらきっと元直も……って順番逆だな。
 しかし、ハッキリ言って朱里の方が意欲的に就職活動しそうな雰囲気だしなぁ。
 どのくらいかというと、今の朱里に三顧の礼なんて必要ない程だ。募集を見かけたらフラフラと行ってしまいそう、ってコレは言いすぎか。

 とりあえず今は朱里の事は置いておこう。考えるべきは、元直の話を聞くか否か。
 そもそも友達の進路を聞くだけで何故こんなに考えないといけないのだろう?

 そう考えると一気に思考がクリアになった。

 これはアレだ。前の世界でよくあった、お前どの大学行く? とかそういう感じだ。
 確かに元直みたいな仲のいい友人といった関係の異性に「貴方と同じところ」なんて言われた日にゃ相手の真意を測りかねて、随分と困るのだろうが。
 予想外な、例えば大工に弟子入りする、とか言われても驚きこそすれそれだけだ。

 こんなに意味深な前振りをする以上俺にとって予想外の答えが返ってくるのだろう。
 しかし、甘いな元直よ。
 俺は既に結果を知っているんだよ。流石のお前も今回ばかりは相手が悪かった。

「大丈夫だ、全く問題ない。微塵たりともな」

「キミが自信に満ち溢れている時って大体失敗するよね」

「…………」

 えーと……。

「大丈夫、きっと大丈夫……大丈夫な筈」

 途端、弱気になるのは元直の言葉に思い当たる節がありすぎるから。脳裏に消し去りたい敗北の記憶が蘇る。

「あぁそうだ。一つ付け加えておくけど、些か恥ずかしい内容でね。聞いたからには反対して欲しくないのだけど、快く賛成してくれるかな? もちろん、キミに害を及ぼす事は……まぁ無いよ」

 さりげなくかなり重要な条件を、本当に今思いつきましたよ的な雰囲気で元直は付け加えた。

「待て、今一瞬間を置いたよな。しかもまぁってなんだよまぁって」

「深く気にすることじゃないよ」

「気にするなって、お前な」

 あれ? ちょっと待て。
 俺の災いとなってかつ、害にはならない?
 何ソレ……日本語、じゃなくて中国語的にありえるの?

 分からん、マジで意味不明。
 強いて訳すなら「俺にとってマイナスにはならない。しかし大いに困るだろう」って事か?

「さて、どうする?」

「……先生が聞いたら反対するような話じゃないだろうな?」

「流石にそれはないよ。むしろ水鏡先生には背中を押された位さ」

 あ、そーなんだ。
 何だ、だったら問題ないじゃないか。 よくよく考えてみたらこいつが考えなしな発言をするはず無いか。
 そう考えると一気に気が楽になった。

「分かった、言ってくれ。ソレが何であれ俺は賛成する」

「ん……ありがとう」

 元直は一度大きな呼吸をして……。
 何故こんなに緊張しているのだろう?

「僕は――」


 …………。


「あ、お兄さん!」

「朱羅さん」

 そして放たれた空気を読まない横槍。

 矛先で突かれ、限界まで膨らんだ風船から空気が抜けていく、そんな音を聞いた気がする。擬音で表すとシュルシュル、という感じだ。
 苦笑いを浮かべながら振り向くと、案の定とてとてと走りよって来る朱里と雛里。

「元直ちゃんも一緒だったんですか」

「あ、ああ……うん」

 ニコニコ笑うちんまい二人。いつもどおり邪気の無い笑顔がまぶしい。この二人が色々と策謀を張り巡らしていくのかと考えると、少し泣きたくなる。
 対して引きつった笑みを浮かべる元直。こちらは進行形で珍しい表情だ。

「あ――、悪い。元直、もういっか……」

 あれ?
 なんか、背中から黒いオーラが出て。

「何となくこうなるんじゃないかとは思っていたけどね」

 何故か意気消沈しているように見える元直に首を傾げながらも、

「いや、だから続きを……」

「物事は天の時を得てこそ成功を収める事ができるんだよ」

 何故ここで孫子?
 問いかけようと手を伸ばすが朱里、雛里と談笑を始めた元直の横顔は既に私塾でのソレであって、どうやらマジで喋るつもりは無い様だ。

 ……仕方ない。
 どうせ誰かに仕えるとかそういうのだろう。目の良いこいつの事だ、必然的に選ぶ武将は限られてくる。

「そうだ、そうに決まってる」

 だから、いーや。
 と、自分を納得させたりするのだが、そんな俺に何かを感じたのか前を歩く元直が振り向き俺の鼻先に指を突きつけた。

「何かあったら、いやキミの事だからあるだろうから。その時は手伝うよ」

 青の瞳が近い。
 その関係で仰け反った姿勢のまま元直と視線を交差させるが、そこから何かを読み取る前に銀糸が舞って、元直は軽やかなステップで俺から離れて行った。

 勝手に人の将来を波乱万丈にしないで欲しい。

 それに手伝うという事に関しては今更だろう。今までだって……まぁ頻度的には俺:元直=1:5位だったが。
 にもかかわらずあえて言ったということは気にするなということか? よし、俺のためにそういうことにしておこう。
 ついては、昨日出された宿題を手伝ってもらうとしよう。
 朱里の兄と言うだけで分不相応な難問ばかり出されるからな。
 心なしか元直の足取りがぎこちない気もするが……気のせいだろう。



 人間分からないものは都合よく解釈するものだ。
 だから、俺はこの出来事を深く考える事もせず日常に埋もれさせた。



[5644] 外伝4・呉その1(亞莎)
Name: タンプク◆2cb962ac ID:85b92d51
Date: 2009/06/17 12:10
「お」

 と声を上げた俺の前を歩くのは、後ろからでも分かる長い袖が目印の軍師見習い・呂蒙さんだ。
 師と弟子という関係から気兼ねなく話せる人物なので、軽く挨拶でもしようと小走りに近づいて――。

「――っ!?」

 目の前で長い袖が舞い、俺は直感に突き動かされて顔を右へ動かした。
 そして感じる頬をなでる風圧とストンという乾いた音。
 恐る恐る首を左に回すとそこには長い袖、しかも壁に突き刺さっている。

「……は?」

 何故袖が壁に突き刺さるのだろう? おかしいだろ物理的に考えて。
 あ、そうか。何か、分からないが長い袖の中に危険なものを潜ませていて、それが壁に刺さってるのか。
 遅れていた思考がここにきて追いつき、現状を推測する。
 それなら問題ない。物理的に言って。

「あ、亞莎?」

 顔を引きつらせながら、俺はこの危険極まりない袖の持ち主に声をかける。背中を逆立てる猫に話しかける要領で。
 物理的におかしくなくても今の状況はおかしいのではないかと思うのだ。

「その声は……朱羅先生!?」

 驚きの声の後、亞莎は視線をさらに鋭くした。
 知らない人にとっては戦闘開始の合図になりえるのだが、彼女にとっては索敵行動だ。
 俺はそのことを知っているので笑顔になるように顔の筋肉を使いながら指で壁に刺さる袖を指し示す。

「そう、俺。だからこれどけて欲しい」

「し、失礼しましたっ」

 そう言って亞莎は、慌てて"何か"を袖の奥に引っ込める。

「申し訳ありません、つい……」

 あぁ、理解しているよ。見えないんだよね。
 それで武人としての勘で動いちゃうんだね、その勘が俺の行動を奇襲か何かだと判断した、と。
 授業ではこういったことが全くなかったので油断していた。
 そもそも、普通なら背後を取る事なんて不可能なのだが、勉強に頭が一杯かつ城内ということもあり周りへの注意が散漫になっていたのだろう。

「少しは 周りに気を使った方がいいんじゃないか?」

「いえ、悪意のあった場合には反応できますから」

「……その理屈で言うとさっきの俺ってあったの? 悪意」

「い、いえ! そういうわけではっ」

 慌てて訂正する姿は可愛いのだが、いくら可愛くとも、こっちは刺されかけたのだ。
 俺の立ち居地と壁にできた真新しい穴。比べると額の辺りだった……恐ろしい。

「亞莎、眼鏡買おう」

「は、いえ。そんな……」

 恐縮してる場合ではない。
 相手を殺し手からでは遅いんだ。そしてソレが俺だったら何もかもが手遅れなんだよ。

 頼むよ、俺の命に関わってくるんだ。



 ………………。
 …………。
 ……。




 そしてやってきた眼鏡屋……ではない。というかこの世界に眼鏡屋は存在しない。
 身に付けるものの一部ということで呉服屋の片隅に眼鏡を扱うスペースが存在する。

 故に店員は呉服屋のそれで、だから……つまり。

「お譲ちゃん、そんな男みたいな服着てないで……云々……」

 正直全てを聞く気は起きないが、こういう輩がいるのだ。

 また出た。というのが端的な感想。
 服屋に来るといつもコレだ。人を何だと思っている。
 問いたい、子一時間問い詰めたいのだが、ソレをすると子一時間こちらの服の方が良いということを説明されるので可能な限りやんわりと断ることにしている。

「いや、そもそも前提として色々と違ってまして。相互の理解に致命的な相違が」

 というわけで今回も断りの言葉を切々と述べていたのだが。

「あの、朱羅先生。どれが良いと思いますか?」

 間の悪い事にちょうどモノクルを選んでいた亞莎が戻ってきた。

「? どうしたのですか?」

「あぁ、いや。服を薦められただけ」

「服、を……」

 その言葉に何かひらめいたのか亞莎はぽん、と手を打つ。いやな予感がする。

「それでは、私が先生に服をお贈りします!」

「…………は?」

 ナニをイッテルンダ、この子?

 いや、言わんとすることは理解できる。
 亞莎としては完全に善意というか自分ばかりで恐縮しているのだろう。
 そんな慎み深さと優しさを併せ持つ少女であることは理解している。しかし今は凄くお呼びでなかった。

「そうかい、じゃあとびっきりの服を用意しとくよ!」

「ちょっとあんた!?」

 そして店の主人は正直消えて欲しかった。

「お願いします。先生が着替えている間に私も眼鏡を選んでいます」

「お前も待て!」

 何故当の本人をおいて話が進んでしまうのだろう? そんな事を考えているうちに事態は収拾不可能な段階にまで進み俺に出来ることといえば諦めるか逃亡するかの二者択一。
 諦めたら色々と終了だし、ならば逃げるしかないのだが……そうするとかなりの高確率で亞莎に眼鏡を買うという当初の目的が果たされなくなる。
 別に次回でもいい、とは思うのだが。


 命に危険があるけど、別に次の機会でも良いか。


 うん、凄くフラグだ。ダメだろコレ。
 何か死にそうな気がする。
 とすると、男としてのプライドを取るか命をとるか。
 命に関しては確実に失うわけではないが……。


 プライド? それがどうした。そんなもの俺にあったか?
 いや、あるのだろうが命と比べてどのくらい重い?

 ふと視線が道端の枯葉を捉えた。
 あれだ、俺のプライドなんてあの葉っぱと同じくらいの重量しかない。……あ、飛んだ。

 いいさ、今日のミッションの成功を考えればあえて泥を被るくらいなんだという。




 の、様なことをコンマ5秒で考えた後、俺は満足そうな表情を浮かべた店主のもつセーラー服を嫌な目を隠すことなく見つめた。



 ………………。
 …………。
 ……。





「わぁ、すごいです!」

 ソウカイ……ソレハヨカッタネ。
 新しいモノクル、見た目は変わらないが、をつけて喜んでいる亞莎を見ながら笑う。それだけだったなら心のそこからの笑顔を浮かべられただろうと思うと残念で仕方ない。

 だって  セーラー服。
 前の世界にあっただけに余計ダメージが大きい。

 俺の精神は致命的なダメージを受けたが……身の危険を前もって回避できたのだから良しとしよう。
 そう思わなくてはやってられません。

「ありがとうございます! せんせ……」

 喜色満面の亞莎。
 しかし俺を振り向いた瞬間……その表情が凍った。

「やっぱりいりません」

 なに?

「何を……言っている?」

「私には必要の無いものでした」

 あるだろ、凄くあるだろ! 俺の命を考えてもありすぎるし、じゃあ何だ俺の命はお前に必要のないものなのか!?
 ぐるぐると己の命の価値について考察を始めているうちに、亞莎はモノクルを戻すと足早に店を出て行った。

「あ、ちょ。待て!」

 慌てて後を追おうとしたのだが、俺は一つ大切な事を忘れていたわけで。

「お嬢さん、お勘定!」

 一つしかない出口をふさぐ店主の影。
 売り物である服を俺が身につけている以上この人の行為に非は無く、むしろ当然の行いだ。
 しかし、一時を争うこの場面では

 く……眼鏡と違ってすぐに脱ぐわけにはいかない!?
 脱げたとしても裸で街中を走るわけにはもっといかない。捕まる逮捕される、いやそれ以前に人生の汚点として俺の心に刻み付けられるだろう。

 よくよく考えれば亞莎も城に住んでいるのだから無理して追う必要は無かったのだが、「何故追うの? 逃げるからさ」という問答が頭の中で完結していた俺は懐から財布を取り出していた。

 く……何が悲しくて自分の為に女物の服を買わなくちゃいけないのだろうか?
 何か違う。
 そう感じつつ店主に着ていた服は後で取りに来ると言い残し店を飛び出す。
 そして懐的にも精神的にも大きな痛手を受けながらも、必死に亞莎の後を追った。



 ………………。
 …………。
 ……。



 颯爽と前を行く亞莎に追いつければ話としてもまとまったのだが、今は軍師という立場にある彼女も元々はバリバリの武官。
 身体能力という断崖絶壁が俺と亞莎の間を遮っていた。

 結論から言って、俺を忘れてきた事に気づいた亞莎が戻ってきてくれなかったら追いつけなかったな。
 コレが文官と武官の体力の違いか。
 考えてみれば呉に来てからは剣の訓練もしていないし、袁術との戦争を除けばずっとデスクワークだった。
 基礎体力は落ちに落ちているのだろう。

「すみません先生……」

「ああ…………いや……大丈夫」

「あまり大丈夫に見えないのですが」

 そしてただでさえ低い身体能力をより制限しているのがこの服!
 スカートが短いです。

「それ、より……何で、逃げるように、店を、出た?」

 必要が無いというわけじゃないだろう。実際、今も俺に鋭い視線を向けている。

「はい、店を出たのは驚いてしまって……」

 驚いた? 周りがはっきりと見え過ぎたということか?
 目が悪くなった事が無いからその辺りは理解できないが。

「でも、よくよく考えてみれば取り乱す事など無かったのです」

 だから戻ってきました、と言う亞莎に俺は首を傾げる。

「そういうものなのか?」

「はい……」

 そして語りだす亞莎。
 要約すると「今までは女として扱われる事が無い戦場にいた」、「だから女の子らしくなくて当然」、「よって自信をなくすも何も元々そんなものは無い」


 …………。


 ちょっと待て。
 何か凄く嫌~な予感がする。

「じゃあ、さっき眼鏡いらないって言ったのは」

「はい、初めて鮮明に見る先生の姿が凄く綺麗過ぎて、その……服も似合ってますし」

 その時亞莎が浮かべた凄くいい笑顔が俺の心にダイレクトアタック。

「いや、そうじゃなくて……。こう、格好いいとか輝いて見えたとか」

「あ、確かに輝いて見えました! 凄く綺麗で……光り輝いて」

 何か違う……。
 どこかの誰かは同じ事いわれてる気がするけどそれと違う。

 おっと、妙な電波を受信してしまった。

 と、とりあえず店に戻ろう。服を預かってもらってるし。早く着替えたい。
 こんなところ誰かに見られたら……。

「あら、亞莎」

 見られたら。

「雪蓮様! し、失礼しました」

 突然現れた我らが主に慌てて礼をとる亞莎。俺としては現実逃避したいのだが。

「朱羅先生! 雪蓮様です」

 駄目だこの弟子、早く何とかしないと……。

「あ、はい……。コンニチハ伯符さま」

「子瑜……?」

 目があった。始めはきょとん、とした驚きの目。
 やがて伯符さまは持ち前の鋭い洞察力で現状を正確に把握、その後に浮かべた視線は獲物を見る猫科の目だった。

 終わった……、もう色々と。
 俺が考え付かないレベルで終わった。






 その後、始めに助けの手を出した蓮華様を伯符さまがからかうことで何故か俺へのダメージ増え。
 流石に悪乗りが過ぎるだろうと公瑾さまが助け舟を出すまで俺の精神へのDOTは続いた。



[5644] 外伝5・呉その2(蓮華)
Name: タンプク◆2cb962ac ID:85b92d51
Date: 2009/08/11 17:03


 上司と酒を飲む。
 前世では大学生だったので、諸葛瑾になって初めて体験したイベントであり、あまり体験したくなかったイベントでもある。
 少なくとも友人らとのソレとは大きく異なっており気楽に飲めや騒げや、とはいかない。

 そして何故このような考察を行っているのか説明すると。
 事の起こりは先程。城壁の上で月を眺めながら、明日も仕事か……るーるーるー、と英気を養っていたところをひょっこり現れた仲謀様にキャッチ。リリースはされなかった。
 何故かそのまま二人酒でを飲む運びに。

 しかも普段呑んでいる奴ではない……紫の……ワインか?
 酒には詳しくないのが、恐らくワインかそれに類するものだろう、という程度の予測しか出来ないし、この時代にあったのかなんて分からない。いや、事実あるのだからあるのだろうが、そうするとコレがワインであるか否かの問題になって……別にどうでもいいか。いつもの薄い酒より美味しいし。
 それに重要なことはなみなみと注がれた紫の液体と、呑まないとは言い出せない上司の視線。
 そもそも、いい加減逃げる理由の底が尽きた現状で仲謀様の前に出たのが運のつきだった。

 前回、孫権といえば酒乱だけどこの人はどうなんだろうか? などと愚かな考えを持っていた俺はその数時間後に。

 ……酒乱だった。

 という身も蓋もない結論を得た。

 いやまぁ、おっさんが酔っ払って脱げと言ったり挙句には 酒の場でいった事は全てスルーして、とか言うのに比べれば妙齢の女の人がくだを巻く位どうということではない。
 ないのだが、だからと言って何度も経験したいものではなく、仲謀様の背後には常に鈴の人が控えていることを考慮するとやはり可能であるのなら避けたいイベントである事には全面的に同意なワケで。

 パワハラとか言えばいいのかもしれないが、この時代よりもそういった方面でも進んでいる21世紀であっても多くの人が我慢して呑んでいるのだ。
 2世紀である時代を考えると言わずもがな、だ。そもそも三国志って酒で失敗する人多いよなぁ。有名どころだと張飛とか。

 そして張飛同様の汚名を被ることが多いこの人、いくら世界が違うとは言え出された酒を前に飲まないという選択肢は今の俺に存在しないのだ。合掌。




 ………………。
 …………。
 ……。



 この世界で始めて飲むワイン(?)は存外美味しかった。どのくらい美味しいかというと、するすると 酒量が増え、気が付くと結構な量を飲んだ気がする程度だ。
 もっとも俺は酔ってなどいない。前に座る仲謀様が二人か三人に増えているがそんな事この世界では日常茶飯事だ。仲謀様が伊賀の出だったという線も否定できない。
 だから断じて酔ってなどいない。

 むしろ酔っているのは仲謀様のほうだ。

「やっぱり呑めるんじゃない」

 だって言葉使いに素が出てるから。
 前回の経験からコレが第1段階であることは理解している。
 第3まで来ると俺の精神に多大なる負荷がかかるので、そうなる前に逃げられるかどうかが勝負の分かれ目だ。

「――そもそも私なんて…………」

 拙い、台詞にネガティブ要素が入ってきた。
 フェイズ2に移行したようだ。何とかして進行を阻止しなければ。

「あ、あーーーー。えと、ここで突然であって故に何の前触れも無い事は当然なんですけどそういった事はどこかの次元においておいて、俺の昔話でも一つどうでしょうとか愚考する次第なんですけど?」


「…………」


 ダメだろうか?
 お前のカコバナなんておよびじゃねー、とか言われたらどうしよう。素直に謝るべきだろうか?
 なんて、びくびくしながら仲謀様の言葉を待っていると。

「ん~」と唸った後。

「そうね、興味があるわ」

 何とか興味を引くことに成功した。

 しかし、窮地を脱したとは言えある意味では自分から虎の口へ飛び込んだとも言える。
 俺の過去で面白い話なんてあったか?……私塾より前は思い出してもいいこと無いし、あえて言うべきでもないので酒の席ということを考慮しても私塾時代が一番適しているだろう。
 それなら簡単に言ってしまうと。

「私塾じゃあんまり出来のいい生徒じゃなかったんで大変でした」

 この一言に尽きる。
 とは言っても私塾全体から見れば上位に入っていた。
 が、周りにいる奴らの関係で相対的にいって俺の駄目さが目立ったとういか、やはり周りが出来すぎたことによる悲劇だよ。

「私が何を分かっていないのか、自分でも分からないのに回りの奴らには分かると言う……何と言うか空恐ろしくなる現象が普通に起こってまして」

 答えを間違えると本気で心配してくる朱里と雛里には正直、精神が悲鳴を上げた。
 チェシャ猫じみた笑いで俺の間違いを期待する元直もどうかと思うが。奴にとって俺は某クイズ番組で△な答えを出す人扱いだった。
 とはいえ逆に孔明、士元、元直という面々がアホだったらそれはそれで嫌だ。




「八門金鎖? 適当に攻めればおk」

 そして曹仁に討ち取られる趙雲。

「とりあえず攻めましょう、曹操を」

 天下三分の計頓挫。

「船酔いにはこの薬が効きます」

 連環崩壊。



 何て事になると劉備軍は壊滅しかねないしな。俺の心の平安と耳の大きな人のためにも奴らの能力は高い方がいい。
 そう考えるとやはり上澄みとか青狸とか言われようとも、現状に不満を抱く事はお門違いだろう。

「やはり慣れです。人間なれる生き物です」

 兄の威厳を示してやろう。何て考えていた時期が俺にもあった。
 しかし、日がたつにつれ俺がダメなんじゃない、妹がチートなんだ。と思うようになった。こういうのを何と言うのだろう……あぁ、性格的に丸くなったんだ。
 第一使徒(EVAに非ず)とか王子とかそういう感じだろう……何か違う気がするが。

 俺が汗水たらして解いてる難問を隣で「今日の宿題簡単だね~」なんて微笑ましいやり取りをされる事など私塾では日常茶飯事だったしな。
 そんな時俺は「マジで? じゃあここなんだけど――」と、妹に問うて学術的なピンチを乗り越えたものだ。
 今でこそ少し情けなかったんじゃないか? と思わないでもないが当時は至極真面目で何の引け目も感じていなかった。

 つまりどういう事かと言うと。

「結論だけを言ってしまいますと、俺にとって周りが優秀で、俺がそれに及ばないことなんて日が東から西へ動く位当たり前のことだったんです」

 そもそも比較対象が1800年の時を超えて語り継がれている人たちだぞ? どこかで召使として召喚されてもおかしくは無い。
 何のクラスでかは分からんけどな。

「もっともだからと言って俺が何もしなくて良いと言うわけにはいかなかったんで」

 世の中そんなに甘くは無い。
 呼びもしないのに沸いてくる害虫は駆除しなくてはいけないし、それ以外にも何故か事ある毎に厄介ごとが舞い込んできて、何故かそれらが俺に降りかかってくることが決まっていたりして。
 そう、命を守る為にも 自分を鍛える必要は大いにあった。事実ニートしてたら死んでいた自信がある。

 そもそも朱里と雛里については直接的な暴力からは守ってやらないといけなかったしなぁ。兄としてそのくらいはやっておきたい、という思いもあった。
 ……元直? あいつは守るとかそういう関係じゃない。むしろ俺が守って欲しい。

「そう考えて剣を習ったりしたんですけど、こっちの方は完全に才能が無かったようです」

 ため息を吐くと共に苦笑いを浮かべる。
 習い始めて早々に元直から断言された。「気にする事じゃないよ。あろうが無かろうがキミのすることに変わりは無いだろう?」なんて風にさらりと。

 確かに言葉通りで、実際ある程度までは才能以前の問題なのだが……正直言い方があったと思う。
 それでも、寄ってくる害虫駆除には役に立ったから元直には感謝しているんだけどな。

「存在している以上何かは出来るはずで、それが正の方向に働くように頑張っていた、という感じですかねぇ」

 チートがひしめき合っている事は知っていたし、自分が彼ら(今のところ10割で彼女らだが)に及ばない事は百も承知だ。
 だからと言って諦めたら、その瞬間ではないがそう遠くない将来人生終了だよ、てなことになるので俺には頑張るという選択肢しかなかったわけだ。
 あくまで俺の場合で、ソレを一般化するとかだからあんたもそう思えとか言うつもりは無い。
 そもそも今振り返ってみてもそれが正しかったのかなんて分からない。もしかしたら1800年後くらいに掲示板なりで評価されるのだろうか?

 何て、対して面白くもない話を終えたわけだが。
 聞き手の仲謀様は何故か神妙な顔をしていて、そして。

「一つだけ聞きたいのだけれど。今の私は何を求められているのだと思う?」

 などと問われた。

 はて、一体どういう流れだろうか?
 仲謀様の意図を理解しかねるし、質問されても困ったというのが正直なところ。
 自分については責任を負うのも自分だ。よって後悔もするだろうし愚痴も言うだろうが決断をすることに迷いはない。……それ以前に死ぬほど迷いはするが。
 だがしかし、他人に対して何か言えるほど俺は偉い、若しくは賢いのだろうか?

 考えるまでもなく答えは両方ノーだ。
 そういうのは頭のいい、公瑾さまとか伯言さま辺りに聞いた方がいい。
 俺に出来るとすれば話を聞いて思ったことを口にする位だ。そして判断は各自でしてね。

「何かの役に立てている自信もない。ましてや、護衛までつけられる始末よ」

「いや、護衛が付くのはおかしくないと思いますけど」

 むしろ付いていなかったら俺が進言する。

「お姉様は先陣をきってをるけど?」

 …………何やってるんだ伯符さま。森さん家のDQNじゃないんですからリアル三国無双しないで下さい。そんなんだからうっかりで死ぬんです。

「それは、危ないですね」

「ええ。冥琳も嘆げていていたわ」

 君主としては軽はずみな行動に眉をしかめると同時に、軍師という激務の傍ら主君のストッパーをも担っている公瑾さまに同情する。この思いはきっと仲謀様と共有できるもだ。
 しかし伯符さまを庇うわけじゃないが今が命のかけ時ということもあるのだろう。安全な位置から指示を出すだけの王には下が着いてこないのだから。

「って、そうじゃなくて」

 何となく綺麗にまとまりかけた空気が漂ったのだが、やはりと言うか仲謀様の当初の疑問については全く答えてはいなかった。
 当然か、俺ごときで答えを出せるならこの人も今こうして悩んでいないだろうから。

「復興した呉を継ぐ立場にあるんですから、危険は可能な限り排除したいということなんでしょうけど」

 あー、言ってておかしな事に気づいた。
 皆そう言っているので流してきたのだが……。

「しかし普通は跡継ぎとして子供をたてると思うんですけどね」

 俺の知る三国志で孫権が後を継いだのは、名前は忘れたが、孫策の長男が幼かった為だ。
 病死のように死期を悟っているわけでもないのに何故妹に後を継がせようとするのだろう?
 まだ伯符さまに子供がいないから暫定的な処置なのか……? それにしてはすでに決まっているような感じを受けるが。

「確かに私は雪蓮姉様の跡継ぎとしては……」

 あ、へこんだ。
 そういう意味で言ったのではないが、きっと考えが悪いほうに悪いほうに行くんだろうなぁ。何か凄く親近感を覚える。
 史実ではどうだったか知らないが、少なくともこの世界の仲謀様は結構なマイナス思考だ。
 この人の場合、ただ暗くなるのではなくそこから何らかの行動に移すという長所があるのだが、もっともその行動というものが自分の身を省みないことが多い、などと興覇さまが言っていた。
 そう考えると短所でもあるのか。

「ま、まだ子供いないですし」

「代用品」

 何て自嘲の笑みを浮かべorzとへこむ仲謀様。やはりこの人酔ってるな。
 俺にどうしろと言うんだ。

「難しく考えなくても仲謀様には孫家の血という最終兵器があるんですから存在するだけで意味があるんじゃないですか?」

 きっと、おそらく、多分ね。
 投げやりに言った言葉は投げやりだけに、とても失礼な単語が含まれていた気がする。
 何だろう、と考えながら極自然に右手が動いて杯を傾ける。そして空にした時には些細な事だと思考から掃き捨てた。




 この辺りから両者の記憶は怪しくなっていく。
 よって語り部たる諸葛子瑜がその役割を担えなくなったのでこの話はここで終わりだ。


 ただ、後の諸葛子瑜は語る。

「あの時あの場に興覇さまがいたら今日の俺は存在していませんでした」





 ………………。
 …………。
 ……。





 そして次の日。

「不幸な出来事だったわ」

「そうですね……触れない事にしましょう、お互いに」

 朝起きると凄まじい頭痛と吐き気に襲われ再び意識を失いかけた。
 そして正気に戻った後、身なりを整え部屋をでるとバッタリと仲謀様に出くわしたのが先程。

 同じように飲んでいた筈なのに何故この人はケロリとした顔をしているのだろう?
 あぁ、ALDH2の差か。

「人間生きていれば色々と……あるものね」

「…………そうですね」

 しみじみとした様子で二人そろって頷く。
 つまりは隣の庭は青く見えるとかそういう事なのだろう。俺場合は軍師3人組であり、仲謀様の場合は伯符さまだ。
 どちらも三国でトップレベルの青さだろう。

「大切な事は自分が何を出来るのか、か」

「そうなんでしょうね」

 頭が痛いので俺の返事はたいていが「そうですね」に固定されている。

「今はまだ何を言われても仕方ないけど、お前には孫としてではなく私個人の力を認めさせてみせるわ」

「そうで…………俺、何か言いましたか?」

 しかし、続く言葉は"たいてい"に分類してよいものではなく、俺へ向けられたじっとりした視線を考慮しても何かしら意図が見え隠れしていて。
 この人が何の理由も無くこんなことを言うはずが無く、そう考えると俺がイランことを言った可能性がなきにしもあらず。
 しかも昨夜の出来事に関してはところどころ記憶が抜け落ちているわけで……結論として俺が礼を失する発言をした可能性も極めて低いながら……あるのだ、が。

「ええ、私は孫家に生まれていなければ存在価値無いとか――」

「申し訳ありません」

 極めて低いとか言ってる場合じゃねー!
 とんでもない事言ってました。
 穴を掘って埋めたい、数時間前の俺を埋めたい。
 今の俺ならバイツァダストが使える気がする。

 ダメだ俺、早く何とかしないと。

 もしここで「お前が謝るまで殴るのをやめない!」などと言われようものなら、仲謀様の手を煩わせる間もなく鈴の音が聞こえてくるだろう。そしてまず喉を潰される。
 つまり死亡フラグ。
 そうなる前に何とか誤解、といっていいものか、を解かなくてはいけない。身命をとして!

 俺は盛大に顔を引きつらせながらも、仮にも主である仲謀様を云々……と可能な限り低い位置から切々と述べた。
 のだが、何故か話を聞いているうちに仲謀様の表情は怪訝な色を帯び始めて、

「……主と言うならお姉様じゃ?」

 ……ん?

「不思議そうな顔をされても困るのだけど」

 それはこちらの台詞なんですが。

「いえ、私はあくまで仲謀様の部下です……よね?」

「え?」

 え? とか言われても困る。
 仕官したのは仲謀様であって、伯符さまはソレを認めただけだ。
 よって今の俺の立場は呉の陪臣にあたる、と思っていたのだが。

「私が仕官したのは仲謀様ですから、伯符さまにとっては陪臣という立場ですし」

 違ったのか……?

「いや、私よりも雪蓮姉様に仕えた方が……」

 良いとか悪いとかそういう問題じゃなくて、今置かれている俺の立場的に主は仲謀様以外にありえない。
 伯符さまには「蓮華に仕える? ふーん、いいんじゃないの」というような言葉しかもらっていないのだ。そんな事よりも髪切るな、などと軽く言われるほどだ。
 ここで仲謀様に「でもそんなの関係ねー」とか言われたら凄く困った事になる。具体的に言うと職を失う。

「俺が仕えると言ったのは貴女であって他の誰でもありません」

 だからこの人にはそこのところをしっかりと把握してもらわなくてはいけない。

「そ、そう」

 何故か口ごもる仲謀様。
 理解は出来る。
 確かに不満はあるとは思いますよ。出来れば俺じゃなくて朱里とか雛里みたいなのなら良かった、とかね。
 そうなったら同時期に周瑜、陸遜、諸葛亮、鳳統……どこのオールスターだよって感じだ。

 でも仕方ないじゃないですか。その二人はあっという間に劉備さんにフィッシュされちゃったんですから。
 むしろ餌のない針に食いついていきました。

「わかった……ということは、貴方、いやお前は私直属の部下ということ?」

「はい」

「……それじゃあ主として一つ」

「は、はい」

 この流れで「だが断る」とか言うほどKYでも勇者でもない。
 腹を切れとかそういう方向じゃないのなら何なりとおっしゃって下さい。
 出来れば職の方も残してもらえると喜びます、主に俺が。

「真名をもらってもいいかしら?」

「――は?」

 ソレは構わないのだが。

「そんな事でいいんですか?」

「真名をそんな事とは言わないわ」

 確かにこの世界で真名は重要なもので、命にさえ関わってくることを考えるとおかしな話ではないのかもしれない。

「嫌なら例え主であっても断っても――」

「嫌なわけではありませんよ」

 考えるまでも無くその言葉は口からこぼれた。
 おかしな人生を歩んでいる俺だが、それでも「おぎゃー」と生まれた頃からこの世界にいる事は確かなのだ、真名の重要度は違和感はあるが理解はしている。

 しかし、いやだから。
 仲謀様に「朱羅」と呼ばれる場面を想像しても嫌な気持ちなど起こらない。
 むしろ、真名は交換するものであって、そうすると自動的に俺も「蓮華様」と呼ぶ事になるのだから。

「光栄という気持ちの方が強いです」

「そ、そう」

 何を思ったのか仲謀様は視線を俺から外して、上を向いたり下を向いたり……何かいるのだろうか?
 俺としていて欲しくないのは間違いなく鈴の人だが、今出て来ないところから推測して、いないのだろう、いないといいなぁ。

 疑心暗鬼に駆られて辺りを伺う俺に何を感じたのか、仲謀様は小さく笑った。
 その笑顔は年相応のもので、しかし俺の知る限り城の中で見せたことはない種類のものだ。

 だからだろうか、気付くと口が動いていた。

「"俺"としてもその方が利点が多いですし」

 感覚的には水鏡先生と朱里……感謝と親しみの間だろうか。
 あからさまに変化した俺に少し目を大きくして、驚きを表した後。

「そっちが素なの?」

 蓮華様はやや憮然とした色を含んだ言葉を口にした。

「素というより半仕事形態? とでも言うんですかね」

 軽口を行っているようで心臓はバクバクだ。流石に無礼討ちは無いと確信しているのだが。というか確信してなかったらこんなこと出来るわけねー。

「他に人がいないなら別に構わないわ。私としてもそっちの方が……」

「勿論その辺りは心得ていますよ」

「…………」

 気のせいか蓮華様の言葉を遮ってしまった様な。そして何故か視線の温度が下がったような気がした。



[5644] 外伝5・呉その3(蓮華その2)
Name: タンプク◆2cb962ac ID:56725b17
Date: 2009/08/22 13:22
「――は?」

 耳に届いた間の抜けた声。
 誰だと辺りを伺う必要もなく、満場一致で俺のものだ。

「あ、いえ。野盗の、討伐ですか?」

「そうよ、蓮華を出すから貴方ついていって」

 あっけらかんと簡単に言ってのける伯符さまだが、聞いてるほうとしてはまだその領域には達していないワケで。

「りょ、了解しました」

 大いに混乱したが国王直々の命に異を唱えるなんてことが出来るはずもなく、伯符さまの隣に公瑾さまが黙したままいることから冗談などではない事は理解できた。

 つまりどういうことだ?
 伯符さまの前を辞して首を捻った俺はとある重要事項にいきあたりしばし呆然とする。

 ――現状の仕事については何も言われていない。
 つまり、そっちの方は以前続行であり野盗討伐から戻り次第、ということか。

「オーケー、何とか頑張ってみよう……」

 泣くのは心の中だけだ。



 ………………。
 …………。
 ……。



 などということがあって現在天幕の中。
 蓮華様と机を挟んで向かい合っている。

 正直なところ明命か亞莎、少なくとも興覇さまは居るのだろうと思っていたが、いつものメンバーというくくりでは蓮華様と俺だけしかいない。

 興覇さまは? と問うたら「思春なら海軍の調練よ」と怪訝な顔で返された。どうやらセット的な考えは捨てた方が良さそうだ。
 話を聞くと暇そうだったから、とか何とかいう理由で俺が選ばれた……らしい。
 正直伯符さまは眼科に行くべきだと思う。

 ……いや、あの人に病院は必要ないか。分かっててやってるんだろうから。
 むしろそっちの方がタチ悪いけどな。

 もっとも今が忙しい時期であることは確かなので、俺しかいないというのが本当のところだろう。
 呉の為ということは将来的に俺のために直結するので頑張ることに異論は無い。
 戻ったら仕事が山積みなんだろうな、何ていうことは思考の隅に追いやって蓋をしてパテで固めて地中深く封印しておくとして。

「30人ほどですか」

 今は今やることに集中しよう。

「ええ、襲われた村の住人の証言よ」

 あ、そんなのあったんですね。
 しかし……30か。

 つれてきた兵の数が100だから問題ないといえば問題ない……筈。
 不安を上げるとすると、こうして考えているのが俺であることとつれてきた兵達が陸の上での戦いになれていないこと。 

「そういえばあなたが作ったあれ、凄く好評よ」

「あぁ、鐙ですか。聞いた話じゃ、そうみたいですね」

 呉の将は馬に慣れていない人が多い。俺もその例には漏れていないのだ。

 小さい頃は馬なんて買う余裕もなかったし、私塾に入ってからも馬といえば荷物を運んでくれる動物だった。間違っても人が乗るものではない。
 私塾を出た後は徒歩で旅をしていたので本格的に馬に乗ったのは呉に仕えてからだ。

 促成栽培で何とか乗れるようにはなったが、本当に乗れるだけでしかも凄く疲れる。
 勿論徒歩に比べれば疲労度と進行距離のパフォーマンスは格段に上昇するのだが、それでも疲れるものは疲れるので、可能ならば楽をしたい。

 そこで思いついたのが鐙だった。
 コレに関しては元々は紀元前からあった筈だから大丈夫だろうと判断し、職人に頼んで作ってもらったのだ。
 とはいえ、馬で長旅をしたことがなかったのでどのくらい楽なのかは分からなのだが、使ってみて好評なのだから便利なものなのだろう。

 鐙で得られる効果としては戦術よりも戦略の方が高いと思われる。
 要するに凄く早く遠くへいける。

 コレを得意としたのが夏侯淵。
 間違っても足が速かった人ではない。
 実際に足が速いのは周倉だったか、赤兎馬と並走出来たとかどんなけだよ。存在自体が創作だろうが、この世界では現実のものとして存在しかねない。

 閑話休題。

 より早くより遠くへという点は戦でもかなり重要だ。
 戦術的な方面での、つまり巨体にモノを言わせた突進については正直良く分からない。
 張遼辺りに聞けば分かるのかもしれないが……どっちも魏の人だな。やっぱり呉で騎馬というとイメージがわかない。興覇さまならあるいは、と考えたがわざわざ聞くほどのことでもないだろう。

「とりあえずその話はこの辺で」

 単純に兵数だけでも3倍。
 しかもこちらは正規兵だ。錬度も士気も装備も相手を上回っている。
 それこそ歴史に名を残す軍師とか将軍でもいない限り負けようが無い。

 後一つ不安を上げるとすれば。

「拠点が分かってないんですね」

「そうね。やはりそこが一番の問題かしら」

 ですね。
 まぁ、相手としても拠点押さえられたら勝ち目無いのでその辺りの秘匿には細心の注意を払っているのだろう。
 こういう時こそ明命がいてくれると楽なんだけど。

 来ないかなぁ……と少し待ってみたがやはり来なかった。
 来なくていい時とは違って、待っている時は絶対に来ない。使えねぇ。
 仕方ないから俺と蓮華様で何とかする他に道はなく、出来れば別の歴史で呉の王となって劉備、曹操と対抗した実績を持つ蓮華様に全てを任せたい。
 よって「では蓮華様よろしくお願いします」と口を開きかけた俺だが。

「一人で戦の指揮をとるのは初めてだから。よろしく頼むわ朱羅」

 何て、"凄く出来るっぽい片鱗を見せる若様"的な言葉に先を制された。
 長宗我部さん家の姫和子の初陣ってこんな感じなのか。
 槍の扱いなど説明できればいいのだが、残念なことにそんなものは俺が知りたい現状だ。

 そして何より、戦闘の指揮をとるのは初めてだし……ちょっとまて、てことは俺もじゃないか。
 袁術との戦いでは上から来る命令にただ従っていればよかった。
 もちろん実際はそんなに簡単なものじゃなかったが、思った以上に馬鹿だったのでするすると事が運んだのだ。

 規模的にも比べる事は間違いな気もするが、それでも俺が……。
 確かに初めて自分で戦闘の指揮をとったのが大阪の陣というどこぞの浪人さんに比べればマシなのかもしれないが……はっきり言って慰めにもならない。

 …………いや、慰めになるか?

 こっちは3倍の兵数。練度、装備を含めればさらに差は開くのだ。
 何か道が開けた気がする。

 普通にやれば勝てる。

 そんな言葉が俺の脳裏に過ぎった。
 しかし、気が付かなかったが呉の人手不足はそこまで深刻なのだろうか? イメージ的には蜀の方がヤバそうなんだが。
 何と言っても俺に指揮を任せるほどだ。



 ………………。
 …………。
 ……。




 正規兵と野盗。いうまでもなく質は前者の方が高い。まして今回は3倍の兵力を有しているのだ。
 それぞれ小覇王、三国一の放火魔と後の世に知られる孫伯符と周公瑾には「普通にやれば勝てるので、普通に戦うことしかしないあの男ならば普通に勝つだろう」という判断があった。
 しかし、なまじ才能というものがあったが故に、凡人と銘打ってよい子瑜が、実のところパニックになる直前の頭で必死に指揮をしていることなど知る由もない。

 実際、無駄に勇ましく突撃したがる蓮華を抑える子瑜の精神状態はギリギリのところだったりするのだが、やはり命じた本人達にこの情報が届くことはなかった。


 ………………。
 …………。
 ……。



 野盗討伐は成った。
 何の山もなければ谷もない。
 あったとしても山と呼べば全国の山脈連盟から苦情が来そうな、標高しかないであろうし、谷も道路の端にある溝程度だろう。早い話どちらも砂場で再現できます。
 そんな風に、とりわけ奇抜な策を実行するわけでもなく。ただ、兵の各個撃破だけに気をつけ常に敵より多い状況で戦った。
 地道に拠点を探し、地味に兵を指揮して、結果勝利したのだ。

 こちらの被害も多くも少なくも無い、つまり予定通り。
 そもそも俺に華麗な采配やら神算、鬼謀を求めるのが無理というものだ。

 俺個人としてはそこそこの上手くやれたのではないか、などと思っているのだが。

「…………」

 隣で先程から難しい顔のまま黙している人が約一名。
 言うまでも無く蓮華様なのだが、とても不満そうだ。

「えーと、今回は先陣を勤める人がいませんでしたから…………勿論蓮華様はダメです」

 何とかフォローしようと口を開いた俺に凄く何かを言いたそうな顔をする。でもそれはダメだ、ダメ絶対。

「お姉様もそうだけど、みんな私を何だと思ってるのかしら」

「それはもちろん、大切に思って――」

 睨まないで下さい。
 それに、どれだけ不満そうな顔をしても駄目なものはダメだ。特に今回は興覇さまも明命も居ないのだ、俺一人では何かあったときの対応力が低すぎる。
 無いとは思うが、不測の事態というものは無いと思ったところにくるから予測できないのだ。

「それに伯符さまとは状況が違いますし。野盗相手に命かけても仕方ないですよ」

 故に安全を優先する必要があって、自然と出来る事は限られてくる。
 蓮華様も経験が浅いし、俺なんて言わずもがな、だ。

 そう考えた時に、良くやった。という当初の評価に行き当たるのだ。

「いつも思うのだけど、貴方は少し自分を過小評価し過ぎじゃないかしら?」

「――え?」

「自分に出来ることをする。以前聞いたその意見には同意できるけど、貴方の場合は自分から出来ることの範囲を狭めていってる気がするわ」

「いえ……そんな事は」

 無い、よな?

「いや、でも……こんなものですって」

 むしろ今でさえ実力以上のものが出ている気がする。
 うーん、と「あわはわ」言ってる奴らと比較してみるが……うん、俺は間違っていない。

「孫家の血を引く私には、私だけに出来る事がある」

「その事は常々――」

「別に怒ったとかそういう……そうね、確かに少しは腹が立ったけど」

 酒の場の出来事なんです、勘弁してください。何て言い分けは通用しないですよね。何であんなこといったんだろう。

「そんな死にそうな顔をされたら私が困るのだけど」

「いえ……続けてください」

「そ、そう」

 少しの間。

「今の私に足りない所はこれから補っていけばいい。それに私一人で全てを補う必要はない。これが貴方との話で私が行き着いた結論なのだけど」

 先ほど「HANASE!」と叫んで突撃を断行しようとした人とは思えない言葉だ。もっとも、あれは孫家伝来のものである程度は仕方ないのかもしれないが。

「貴方は私についてくると言ったわ。だから、私だけに出来ることが見つかった時……貴方のことは頼りにしているのよ? 朱羅」

「え?」

 何を言った?
 少し考え込んでいたせいで聞き間違ったか? 

「まさかついて来てはくれないとでも言うつもりかしら?」

「いや、そんな事は無い……ですけど」

 無職は嫌です。
 何て事は置いといて、呉に、蓮華様についていく事自体に異議は無い。
 コレだけよくしてもらえているのだから報いたいと思っている。ただ……。

「とはいえ、何とも頼りないですから、おまけ程度に考えておいてもらえれば」

 あまり期待してない分、何か手柄を立てたときに凄く喜ばれるような立場がいい。
 のだが……何で不機嫌そうな表情になるのでしょうか?

「この際だからはっきりと言っておくべきね。私はあなたを頼りないと思ったことは無いわ、一度たりとも」

 心の中で首をかしげた俺を知ってか知らずか蓮華様はそんな事を真剣な顔でのたまった。

「…………」

 あ、鳩が豆鉄砲ってこういう事なんだ。
 今この場に鏡が無いのが残念、ってそんな事はどうでもいい。
 あーー、どうする何て返せばいい?

 いかん頭が盛大に空回ってる。

「…………それは、KOE、じゃ無くて光栄です」

 かろうじて出た言葉はそれだけ。面接なら減点対象間違いなしの返答だ。
 そして何より、中耳辺りで停止していた言葉が脳にまで行き当たって、ようやく言葉を把握できて……。

 うわ、ヤバイ。顔が赤くなってる絶対。
 何か、恥ずかし嬉しいとでも言うべきか、妙な気分だ。

「どうしたの朱羅?」

「いえ、なんでもないです」

「何でも無い様には見えないのだけど」

 えぇい、未来の呉王は天然か!
 などと心の中で叫びつつ、無駄に怪訝な表情を向けてくる蓮華様に必死の対応を試みる。

「分かった、分かりました。どれだけのものかは疑問が残りますが、精一杯やります、やって見ますよ」

 しかし、今現在サボっているわけでもないのでどうすればいいのだろう?

 言った後で気づいた難問に、俺は額を押さえて考え込む。

 この人が呉の王になるのかは分からない。ただ、呉にとって重要な人物であることは確かだ。そんな人について、一国の中枢で働くなんていうことが俺にできるのだろうか?
 長年俺の中で育てられた意識は一笑に付して「無理だ」と言う。


 ――――まて。


 なぜ無理なんだ? そもそも孫権に仕えようとは以前の記憶が戻ってすぐ考えた事で、とするならこれは予定通りの事の筈。
 かなり重要な部分がどこかで変わっている。
 考え込んだ俺は、やがて一つの答えに行き着き、納得と同時に大きく肩を落とす。

 そういうことか。

 あの時は、何だかんだと否定的な事を言っても、歴史の知識を持っていれば何とかなる。なんてティラミスにあんこと蜂蜜かけるくらい甘い事を考えていたのだ。
 そして、本人達にそのつもりは無いだろうが、そういった思い上がりを粉々に打ち砕いたのが、朱里達だ。
 あいつらとともに過ごしている内に所詮、凡人が後付の賢しい知識を持ったところで高が知れている。なんて斜に構えるようになった。こんな感じだろう。

 以上、俺自身の問題は終了。目を外へ向けると不思議そうな視線を向けてくる蓮華様が居た。突然押し黙ったのだから当然か。

 この人は――はっきり言って酒グセ悪いし、時々人の言うこと聞かないし、たまにネガティブ入るし……しかし、おれ自身でさえ理解していなかった問題をたった一言で解決してくれた。そのことに感謝と敬意をこめて、

「少し、やる気が出ました」

 まずやってみよう。

「あ、いえ。もちろん今まで手を抜いていたとかそういう意味じゃありませんよ?」

「その位はわかっているわ」

 そこから先は――。





「あの…………」

 突然振って沸いた、遠慮がちな、第三者の声。
 思わず二人そろって振り向くとそこには蓮華様についてきた呉の兵の一人が居心地悪そうな顔で立っていた。

「…………何だ?」

「はい、生き残った野盗共の拘束もすみましたのでそろそろ戻った方がよいのでは、と」

 すごくもっともな意見だ。
 俺と蓮華様は黙ったまま顔を見合わせる。

「あーうん、そうだな。それじゃあ……」

「わかった、先に準備を進めろ。私もすぐ戻る」

 無駄な気もするが佇まいを正し、命じる「あっち行け」
 勿論「だが断る」なんていうはずも無く、男は礼をとった後すぐさま取って返した。
 ただ、その場に残った、去り行く兵士の後姿を眺める俺と蓮華様の間にはなんともいえない空気が発生していてれて。

「とりあえず、これからもよろしくお願いします」

「え、ええ……そうね」

 さっきこれからの人生を左右する程の決心をして、もう少しで何かが分かりそうな雰囲気だったのに……いろいろと台無しだ。

「そういう落ちか」

 なんとなく仰いだ天は、腹立たしいほどに晴天だった。



[5644] 外伝6・私塾その4(元直その2)
Name: タンプク◆2cb962ac ID:56725b17
Date: 2009/12/15 00:18
*元直その2となってますが、その1より前のお話です。



「そう言えば元直ちゃんとお兄さんはどういう風に知り合ったんです?」

「「え?」」

 ふと思いついた。そんな朱里の問いに、俺と元直は顔を見合わせた。
 初めてこいつを見かけたのは先生に紹介された時だがそんな事は朱里も分かっているだろう。知り合ったという意味を" 一人の個人として認識した"と置き換えると……やはりあの時か。

「別に構わないよ」

 しかし、それをどう言うべきか。
 そう、思考をまわしていた俺に元直は事も無げに言った。いいのか?

「今更どうということはないさ。と言っても楽しい話でもないんだけどね」

 確かにその意見には同意だが……いいか。
 別に隠すことでもないので、話すこと自体に拒否するような理由も無い。

「確かお前が私塾に来て4、5日位後だったか」

「6日後だね」

 ……細かいな。

「キミが大雑把過ぎるんだよ」



 ………………。
 …………。
 ……。



 
 結論から言ってしまうと偶然の産物だ。

 私塾から出てぶらぶらと散策していた俺は記憶に残る人影を目にし、足を止めた。
 特徴のある髪色は人物の特定にとても役立ち、話した事など殆ど無い俺でさえ名前との一致が一瞬のうちに完了したほどだ。
 そいつ、徐庶は俺に背を向けた格好で、贔屓目に言ってもあまり柄が宜しくない男と向かい合っていた。
 何となくお友達とはいえない雰囲気を感じ、妙なことに巻き込まれるのはごめんだと踵を返した俺だが、不幸というかお約束と言うか、足元の木の枝を踏み潰したことで二人に存在を知られる事になった。

 頬をなでる風には3点リーダだけが乗り、静寂が妙な間を呼ぶ。

 どうしよう。

 このまま帰るか、親しげに話しかけるか。そんな事が頭の中でくるくる回って、動けずにいた俺を徐庶の青い瞳が射抜く。
 それは間違っても友好的とはいえない視線であって、私塾での如才ない振る舞い、その時浮かべているものとは180度異なる表情だった。
 とはいえ、前の世界にいた時ならば無条件で謝るところだが、ここに来て色々と耐性がついている俺だ。
 その程度のプレッシャー、どうという事は無い。むしろ、そんな顔をされると逃げたくなくなってくる。
 無駄かつ極めて低い確率で沸いた反骨精神が俺の足を後ろではなく前へ動かした。

 正直なところ二人になんて話しかければいいのか分からないし、歩き出して3歩位したところで早くも後悔したのだが、幸いな事に近づく俺を見て男の方は舌打ちをすると背を向けて歩き出した。
 やれやれ助かった。
 胸のなでおろす俺だったが、徐庶の態度は未だに硬く視線は氷点下だ。

 既にここに居る必要もないのでこのまま帰ってもいいのだが……帰るか?
 こいつと深く付き合う予定など無いし、一時の気の迷いで当初の予定(有名人回避政策)を潰すわけにはいかない。
 何しに来たんだという突っ込みは俺の胸のうちに眠らせることにしよう、永久に。

「どこから聞いていた?」

「来たばっかりだ。その様子だとかなり重要な話――」

 と言うのに何故か問われた内容に対し律儀に返事をしてしまうのは21世紀を生きた日本人としての習性だろうか?

「それで、本当ののところは?」

 徐庶さんには俺の返答はお気に召さなかったようで、銀色の前髪に半ば隠れた青の瞳が鋭く光る。
 というかコイツ俺のこと全く信じてないな。そんな信頼関係を築いた覚えも無いことを考えれば妥当とも言えるが。

「本当に来たばかりだ。話どころか今始めて声を聞いた」

 そう言って肩をすくめるも、背中は冷や汗でべっとりしてきた。何この人怖い。
 男の格好からして予想は出来るが、何かヤバイ話だったのか? 白いクスリ関係だったらどうしよう。

「あいつが誰とかは正直どうでも良い……事も無いんだが、俺たちに被害が及ぶのか及ばないのかだけはハッキリさせて欲しい」

「先のことなんて分からないけど。その可能性は低いよ」

 俺が嘘をついていないことを理解したのか、それとも他に理由があるのか。
 俺の勘では前者の理由からだろう、徐庶は力を抜いた。

「罪を犯した僕が狙いだし、水鏡先生相手に吹っかけるほどの度量もない」

 罪?

「あぁ、お友達に頼まれた敵討ちか」

 しかし、あれって友達たちのおかげで助けられたんじゃないのか?

「何故知ってる?」

 あ――。
 迂闊だ、あほ過ぎる。
 私塾のまったりした空気に染まって危機感が薄れているのかもしれない。

「一緒に生活する相手の経歴を調べるのが趣味で……」

「あまり気分の良いものじゃないね」

 そりゃそうだ。俺もお近づきになりたくない。



 ………………。
 …………。
 ……。



「あれ? それだけですか?」

「んー、まぁ始めはな」

「そうだね。名前と顔を覚えたのはその時だね。正直邪魔で失礼な男としか認識していなかったけど」

 色々といいたい事はあるが、俺としてもお近づきになりたくない人その1だった事を考えるとお互い様なのだろう。

「何と言うか、奇妙な糸がひいてあったというか、落とし穴が口をあけて待っていたというか」

「運命じゃないかな?」

「無いだろそれは」

「…………」

 徐庶と諸葛瑾の間にそんなものがあるとは思えないな。

「そ、それで! それからどうなったんですか?」

 いきなり大声(普段の声量比)を出した雛里に驚きながら、顎に手をやって記憶を探る。

「えーと、なんだったか」

 実のところ忘れがたい出来事だったので思い出す必要もないのだが、どう説明したら良いかが問題だ。
 というわけでもう一人の当事者である元直に視線を向けたのだが。

「さあ」

 考える気は全くありません的にあっさりと肩をすくめた。
 何こいつ、何でいきなり機嫌悪いの?

「元直?」

「……はぁ、冗談だよ。分かっているしそもそも期待とかするのも間違いだしね」

「すみません」

 何故か頭を下げる朱里。何かしたのかお前。



 ………………。
 …………。
 ……。



 現在私塾の外をとぼとぼ歩く俺は諸葛瑾、天才軍師・孔明の兄である。
 兄であるのだが、最近妹にテストの点で負けそうな、何とも情けない事情を抱えていたりする。
 兄の威厳を保つ為にも"負けそう"を"負けた"にするわけにはいかない。ならばどうするか。
 簡単だ、ヤバイと感じた時は勝負をしなければいい。

 上記の理由から返却されたテストの点に打ち負かされ、テスト返却後に良く見られる点数比べから逃げ出して来たわけだが、目を転じると当然のように徐庶が居た。
 …………諸葛瑾と徐庶って接点無かったよな?
 正直なところ諸葛瑾の一生など殆ど記憶に無いので何ともいえないのだが、多分無いだろう。
 だったら何このエンカウント率? バグってない?
 そもそも何であいつはまた人気の無いところに居るんだよ。
 そしてどうして俺は後をつけているんだろう?

 自分の行動に首を捻りながらも、歩き出した徐庶から見失なわい程度の距離の距離を維持する。
 やがて礼の男が現れ、何事か話し始めたのだが。幸いな事に白いクスリは関係ないようだ。

 しかし仮に関係あって、その結果あいつに何らかの不利益が生じたとしても、それは徐庶が招いた事態であって俺には関係がない。
 赤の他人を心配するなんてらしくない事やってないで次回のテストに向けて勉強する方が時間を有意義に使えるだろう。兄の威厳を保つ為にも。
 そう思い直して私塾へ戻ろうとした俺の瞳に一筋の光が映った。

 冗談だろ? と驚愕に広がった瞳の中で男は剣を抜いていて…………流石に無視できる場状況ではないだろ。



 ………………。
 …………。
 ……。




「冗談じゃない、何だあいつ」

「いるんだね、頭の中を母親のお腹に忘れてきたような人って」

 色々あったが男から逃げ出すことに成功はした。最も徐庶にとっては問題の先延ばしに過ぎないのだろうが。

「頭の中まで筋肉が詰まっているんだろう」

「成る程、それは的を射ているね」

 そう言って笑う徐庶だが、俺のほうには笑う余裕など無い。

「いい方法を思いついた」

 笑ったままの表情である事に一抹の不安を覚えるが、徐元直が思いついた策である。聞く価値はあるだろう。

「興味深いな」

「ボクは隠れる、キミはおとりになる。あいつの剣をキミが身体で止めてればその隙をつける」

 …………。

「それ、俺死んでないか?」

「上手くすれば虫の息だよ」

 大して違わないし上手くやる自信もない。

「却下だ」

「残念」

 徐庶は銀髪をかきあげながら全く残念で無さそうに言った。

「……ったく」

「――ありがとう」

「え?」

「流石にこの状況で礼を言わないほどひねくれては居ないよ。もちろん、時間稼ぎにしかなっていない事は理解しているけどね」

 そう言って徐庶は小さく笑う。
 ああ、それだけならとても綺麗な笑顔なんだろう。だ・が。

「…………後ろ半分が余計だと思うんだが」

「そうだね」

 そう言うと、徐庶は元々決まっていたかのように俺に背を向けた。
 その背中を黙したまま眺める俺の心中は自分自身でさえ解析不能なほどカオスとかしていた。そして――。

 あー、あほな事やろうとしてるなぁ俺。

 そんな一つの言葉に収束した。
 客観的な視点からの声は「ソレ」を無駄だと断じた。だけど答えが既に出てしまっている以上そいつは無意味以外の何者でもない。

「どういう状況なのか話せ」

 今の俺が聞くべきはそうなった経緯ではなく、今現在徐庶が陥っている状況だ。

 ここで二人の間に中途半端な友情でも芽生えていたら遠慮があるのだろうが、今の俺たちにそんなものは存在しない。
 徐庶が利を追求するのならば、既に事情を知っている俺のこの申し出を断る筈が無い。
 仮に俺が「やっぱやめる」とか言ってもコイツが損をすることは無いのだから。

「どういう風の吹き回しだい?」

「ただの感傷。自己満足だ」

 少し目を大きくした徐庶に向かってため息交じりの言葉を返す。
 それを見た後徐庶は「まぁ、いいけどね」と口を開いた。



 ………………。
 …………。
 ……。



 友人に頼まれて敵討ちを引き受ける→役人に捕まる→友人に助けられる。というところまでは知っている通りだったが。
 その事で妙な奴に付きまとわれているらしい。

「見た目通りの男だよ」

「さっきの策はともかくとして、結果的に消せれば一番楽なんだけど」

 先程は直接的な排除法を述べたが、事はそう単純じゃない。

「そうだね、ただ……」

「水鏡先生に迷惑はかけられないよなぁ」

 あんな男の命の重要性など論ずる必要性は皆無だが、そのごたごたを私塾に持ち込むことは避けなくてはいけない。
 そうなった場合、少なくとも徐庶は私塾には居られなくなるだろう。……ソレはそれでありか?

「向こうもそのことは理解しているからね、ない頭を使ってあの手この手を考えてくるよ」

 という事は、だ。

「向こうから手を引くように誘導できればいいんだよな」

「それは考えたんだけどね」

 当然だな、その程度のこと徐庶ともあろう者が思いつかないはずが無い。

「とりあえず可能性をもっと広げてみよう。流石に直接的に手伝ってもらうわけには行かないけど、事情を話さない程度になら手伝ってもらえそうな奴はいるし」

 一人と二人でも出来ることは大きく変わってくるだろうしな。

「そうだね、あてにさせてもらうよ」

 徐庶の同意を聞いた後、手を貸してくれそうな奴を頭の中でピックアップする。
 その数は予想以上に少なく、まさかこんな状況で自分の交友範囲の狭さを知る事になるとは思いもしなかった。
 なんとかなる……よな?



 ………………。
 …………。
 ……。




 そして二日後、準備は整った。
 二人で考えた策は、策と呼ぶのがおこがましいもので「本当にいいのか?」と何度徐庶に問うただろう。
 現在、既に実行に移しているので、その問答の結果はいうまでも無いのだが。


 今俺の目の前で徐庶と男が向かい合っている。
 距離が離れているので詳細は不明だが、男は抜き放たれた剣を片手に何事か怒鳴っているようだ。

 などと観察している俺の出番はまだ先だ。よってストーキング続行!

 今だ男は徐庶に向かって怒鳴り続けている状況だ。頭の方は可哀想な奴だが、少なくとも肺活量はそれなりに優れているらしい。
 そして、何の前触れも無く徐庶が動いた。
 遠目の俺にさえ銀色の光が糸状に走った様にしか見えなかった。ただ、その結果は誰にでも分かる形で現れて……気が付いた時、男の手から剣が弾かれていた。
 すごいなあいつ。徐庶といえば軍師の癖に武力が高いイメージがあるのだが、本人から聞いていたとは言えこれほどとは思わなかった。


 っと、あっけにとられている場合じゃない、そろそろ俺の出番だな。


 血で真っ赤に染まった衣服に身を包み、右手には同じく血に染まった弩。
 靴は片足のみでその方がより"らしい"と徐庶が説明してくれた。
 これが今回俺が使う小道具だ。

 あとは、予定通りに。

 隠れていた木の陰から出ると、俺はわざと大きな足音を立てながら徐庶と男に向かって歩き出す。
 元々人が来ないという理由でここを選んだのだろう、予定通りに男は俺の存在に気付いた。

 突然現れた俺に男はぽかんと、した表情でただ呆然と立ち尽くしている。
 まぁ、予想外の反撃を食らってその上血まみれの女が武器を持って現れたのだからそりゃ驚くよな。

「な、なんだ……おめぇ」

「じゃ、邪魔です…………退いて下さいっ」

 相手の話など聞く必要は無い。
 演じるは少し精神的にイってるヒステリックな女性。
 なるべく高い声を出しながら、震える右手を男と徐庶、交互に向ける。

「ひっ…………」

 既に徐庶によって武装解除されている男は見た目貧弱な女の持つ弩であっても恐怖を抱くには十分だったようで、ここが一番の不安要素であっただけに俺は心の中で安堵のため息をついた。

「ど、どこかに行って下さい。すぐに!! 二人くらい殺す人数が増えたって、もう変わらないんですよ!」

「落ち着いて……何があったかは知らないけど」

 打ち合わせどおりの台詞を、本当に"らしく"口にする徐庶には演技は主演女優の称号を与えても良い気がする。

「煩い! あ、貴女の言い分なんて知りません。撃たれたいならそう言って下さい!!」

 言ってて穴に逃げ込みたくなる。この場に朱里と朱琉がいないことが唯一の慰めだ。

「だから、落ち着――」

 とす――。
 音は静寂に乗った為か想像以上に響いた。

 眼前の徐庶の細い身体が2,3歩後ろに下がる。そして力なく草の上へ倒れこんだ。

「ひ、ひぃぃいいい!?」

 徐庶を中心として草が赤く染まる。
 それを見た男は腰が抜けたのか、大きな音を立てて尻餅をついた。

 もしかして血になれていないのだろうか?

 俺の方はこの血、量的にちょっと大げさじゃないか? ばれないのかこれ。などと不安を抱きつつ最速で石弓に次弾を装てんする。
 男とすればこの間に俺を無力化するなり殺すなりしなくてはいけないのだが、徐庶曰く「その可能性は限りなく低いよ」らしい。

 実際、男は四つんばいのまま後ろに下がるだけで俺に対して何らかの攻撃を加えようという気は全く無い様だ。

「あぁ、貴方も私の邪魔をするのですかぁああ!?」

 もうどうにでもなれ。
 やるならやりきってやる、とばかりに俺は叫ぶ。何か一つの境地に到達したのかもしれないし、そうだった場合ソレはソレで嫌だ。

「いいいいいぃぃいや、しない! 邪魔しない!」

 やっといてなんだが、気の毒になるくらいに男は狼狽し、何度も転びながらも俺の視界から消えていった。
 なんだかなぁ。
 安堵が半分、何か大切なものをなくしてしまったような喪失感が半分だった。


 ………………。
 …………。
 ……。


「なぁ、本当にこれで大丈夫なのか?」

 男が消えた後、100程数えもう大丈夫だろうと、徐庶に話しかける。

「――――」

 返事が無い、ただの屍のようだ。

「おい、じょ……」

「ふ、はは……」

 耐え切れない。
 そう、徐庶は全身で表していた。

 肩を震わせ、声を押し殺している徐庶の姿はある意味で気の毒になるものであって、故に腹立たしいのだが怒れないという何とも煮え切らない気分を抱える事になったりするのだが。

「って、いい加減笑いすぎだろ」

「いや、だって……キミは、才能があるんじゃないか?」

「なんだそれ」

「褒め言葉だよ」

 あー、そうですか。
 それはお前の方だろ、と言い返しても良いのだが、そうなると水掛け論だ。
 ただひたすら声を押し殺して笑う徐庶にため息を一つついたあと、俺は今回用いた小道具に視線を向ける。

 大きく分けて3つだ細工した弩と木盾、そして血糊。
 弩は私塾の蔵にあったものを徐庶と二人で試行錯誤したもので、木盾は説明する必要もないただの木製の盾だ(今回は防弾チョッキとして使用したが)。
 血糊については朱琉に頼んだら調達してくれた。「クク……また何かおもしれー事思いついたんですか?」なんて言いながら。
 正直末の妹の将来に不安を覚えたりもするが、今回に限って言えば凄く助かったから良しとしよう。

 前準備として街で買った服と弩に血糊を塗りたくり、徐庶に木盾と残りの血糊を渡す。
 芝居の内容は先程の通りだ。

 正直何度も実験したとはいえ矢を撃つのは抵抗があったが、本当に上手くいって良かった。

「想像以上に上手くいったよ」

 ようやく回復したのか、目じりに涙を浮かべている徐庶に向かって俺は先程と同じ質問を投げかける。

「本当にアレで大丈夫なのか?」

「十中八九大丈夫だよ。見ての通り自分の命をとても大切にする男だからね」

 それは褒め言葉ではないのだろう。
 よく観察すれば蟻塚みたいに穴が空いている芝居だと思うのだが、やはり想像だにしない徐庶からの反撃で気が動転したのだろうか?

 などと風に揺れる木の葉を眺めながら考えている俺の視線の端で徐庶はおもむろに服を…………は?

「ちょ、何やってんだよ!?」

「何って……着替えるんだよ。こんな格好じゃ私塾に戻れないだろう?」

 あぁ、いや……うんソウダネ。何もおかしくは無いね。
 いやいやいや。

「って、どこかに隠れた方がよくないか、いいだろう。絶対いいって」

「どの道外で着替えないといけないのだから、変わりは無いだろう? 幸いキミ以外誰も居ないしね」

 うん、まぁそれはそれで一見正しい判断なのだが、そこに一つ新たな情報が加わると途端に崩れたりするのだ。
 しかし、ここでその情報を提示するわけには……うん、いかないよな。

 あーうー、と唸る俺に怪訝な表情を浮かべつつも徐庶の手は止まることなく動いて……やがてハラリと何かの布キレが落ちる音がした。

 その音に反応して目を向けた先には、色白ですらりとした……ってなに観察するように見てるんだ俺。拙いだろ。
 ヤバイ……バレたらコロサレル。

 私塾に通っている時点でこういう危機はあるだろうと思われるのだが、実際はトップである水鏡先生が承諾済みなので何とかなっていたのだ。
 故に先生の手が届かないこの場において俺は……どうすればいいのだろうか?




「――――キミの番だよ」

「……………………は?」

 煩悩退散と一心に祈っていた俺は、一瞬何を言われたのか理解ず、間の抜けた声がもれた。
 何時の間にか着換え終わっていた徐庶を見て少し残念な気も……。

「は? じゃ無くてキミも血糊がついているだろう?」

 ああ、そうだった。

「……この位なら大丈夫だろ」

「それは本気で言っているのかい?」

 どう見ても大丈夫じゃないよね。そう見えるようにしたんだから当然だ。

「あ、ああそうだな。着替えないと拙いな、うん」

 という事で徐庶から離れようとした、のだが。

「何で離れる?」

 肩をつかまれ、動きを制された。

「何か怪しいな」

「そんな事は無い」

「一つ忠告するけど、無表情は過ぎると嘘を申告するようなものだよ」

 成る程、勉強に――って違う!





 ………………。
 …………。
 ……。




「じゃあその時に」

「…………バレた」

「自業自得です」

 周りの視線が痛い。朱里も雛里両者ともに"認めたくない若さゆえの過ちを自分から話さなくてはいけない"という自爆プレイを強いられた俺に対して容赦がない。
 過去の暗黒をあまりの黒さゆえに深く封印し、その深さ故に何を埋めたのかを忘れた事による悲劇だ。
 不幸中の幸いは聞き手が引いていない事だが、その理由が「俺だから」とかだったら何を賭しても考えを改めさせる必要がある。もっとも、そんな訳が無いので確認はしないけどな。

「いや、正直驚いたけどね。話を聞いて納得は出来たよ」

「納得したんだったら、あの後の暴行はなしにしろって……」

 正直なところはあれですんでホッとしたのだが。

「流石に男に裸を見られて平静を装える精神を持ってはいなかったということだよ、あの時のボクは」

「今なら大丈夫なのか?」

「見るかい?」

 ニヤリと笑う元直。
 俺は両手を上げて降参のポーズをとった。

「え、えーと。それでその事件を通じて仲良くなったんですね!」

 空気を変えるというか話を元に戻す為だろう、無駄に大きな声で朱里が問うた。

「いや、流石にそれは無いよ」

「え?」

「それだけで信用するには二人ともひねくれていたしね、少なくともあの頃は」

「一緒にするなよ」

「事実じゃないか」

 俺からすれば依然厄介であり、出来れば関わりたくない有名人で、元直の方では変態の女装野郎だ。
 あれ? 何か俺最悪じゃないか?

「ま、あの事に関して感謝はしていたよ」

「出来ればその感謝で相殺してほしかった」

「目の保養料を加えないといけないだろ?」

 そうですか……。だったらしっかりと見ておくべきだったか?
 ま、過去は過去で変えられるものでもないし、変える理由としても些か情けないので身から出た錆として甘んじて受け入れよう。

 そうすると、話は元直とこうして話すようになったのかに戻ってくるのだが。

「その後も色々と厄介ごとがあってわけだが……」

 どう話すか、と考えた俺の耳に届く鈴の音。これは午後の授業の開始を告げる為に毎日水鏡先生が鳴らしているものだ。

「区切りもちょうどいいから続きは次回にしよう」
 



[5644] 外伝8・呉その4(蓮華・亞莎・元直)前編
Name: タンプク◆2cb962ac ID:85b92d51
Date: 2011/01/01 23:52
 その日その時、俺は二人の――蓮華様と亞莎の問いにはたと首を傾げた。

「真名、ですか?」

 質問の内容とは元直の真名についてのもの。
 平たく言えば呼んでいいのか、いやこちらから真名を許すといってもいいのか。

 真名を呼び合う、ソレは親密度でいえばMAX付近に到達したということ。
 徐庶と亞莎は蓮華様の直属の軍師という立場になるのだろうから、この三人が仲良くしていることは俺にとっても一害なくて百利ありだ。
 よって俺としても心のそこからエールを送るところなのだが。

「む、う」

 ジワジワと沸いてくる黒いシミのようなものが安易に二人の背を押すことに待ったをかけた。
 ここで想像してみよう。仮に蓮華様が自分の真名を許すと言った後という状況。

Q.貴方の真名をもらえるかしら?

A.嫌です。

 勿論真名を許すかどうかと仕事上の上下は関係ない。故に上記のような事が合ってもなんら問題はない。
 ……ないのだが、それはいささか以上に気まずい。
 故によほどの馬鹿でない限り、真名を聞くというのはいわゆる答え合わせの段階になってからだ。
 しかし、この点のみで考えるのならば、どちらかというと肯定の要素の方が強い。話を聞く限り元直は蓮華様に対して概ね好意的だしな。


 だ、が。

 何か、明確に出来ない何かが俺の発言を押しとどめていた。
 そしてもう一つ。
 元直の性格を考えると何事も無く、さらりと予想外の言葉をのたまったりしてしまいそうな気もする。
 

 故に何をどういえばよいか迷う俺の返答よりも二人の問いかけの方が早かった。
 曰く、「何故真名で呼び合っていないのか?」

 ん?
 と首を傾げる俺に二人は説明を始める。


 蓮華様→亞莎は「亞莎」
 亞莎→蓮華様は「蓮華様」

 ここは問題ない。しかし……。

 蓮華様→元直は「元直」
 亞莎→元直は「元直殿」

 成る程言わんとすることは理解できた。
 というよりここまで言ってもらえば誰でも気が付くだろう。

 ましてや聡明な二人が気付かないはずも無く、自然な流れで元直の真名について触れようとした。


 そして、ここで一つの問題が浮上した。


 それは、徐庶と最も近しいであろう人物――俺のことだ――すら字で呼び合っているという現状。
 それを聞かされて 俺は一瞬何を言っているのか理解しかねたが、ややあって納得する。
 正直なところ既に字で呼び合う事に慣れていたのだが、やはり少しくらいはおかしいのだろう。

 しかし、元直か……元直ね。
 全く気にしていなかった問題だけになかなか答えは明確にならない。
 元直の真名。
 呼んではいないが、知っていることは知っている。

 それも誰かが呼んでいたのを聞いた、というのではなく直接本人から聞いた。

 …………あれ?
 そう言えば俺の知る限りあいつが誰かを真名で呼んだことも誰かから呼ばれたことも無かったのではないだろうか?

 朱里と雛里は元直ちゃんだったし。
 朱琉は姉ェ、で俺は元直。
 逆に元直からは全員字だ。

 よくよく考えてみると少し、いやかなりおかしい。

 昔、私塾時代を思い返してみる。
 朱里、朱琉、雛里そして元直。
 あの頃私塾でよくつるんでいたのはこの4人だが、年齢の差というものもあって一番長い時間を共有していたのは間違いなく奴であって。
 某怪盗の孫で例えれば黒のガンマン的な立ち居地にいてくれていた。
 故にどこかで誰かが元直の真名を呼んでいるところを聞いても不思議はないのだが。

 ……ない。

 その記憶が無い。
 しばらく出合ってから今までの記憶をリピートしてみるが、やはり元直を"あの"真名で呼んだ者は皆無だった。

「俺の知る限り元直が真名で呼ばれたことは無かったですね」

 という俺の返答に二人は困惑をあらわにする。
 しかし、俺のそれはさらに強い。水鏡先生ですら元直を真名で呼んでいなかったのはどういうことだ。


 むぅ。


 俺、蓮華様、亞莎は三人そろって口元に手を置いた。
 そして――。

「では私が聞いてみます」

 とは亞莎の言。

 真名についての問題は難しい。
 先程言った真名を許すかどうかとは違って二人が尋ねようとしているのは真名を用いない、その理由だ。
 よって立場を理由に断れるかどうかは微妙だろう。

 亞莎の発現は上からの命令でという方法を嫌った蓮華様の感情を敏感に読み取ってのことだ。
 俺が聞けば一番早かったのかもしれないが、生憎と今日は残業確定、日の出前に寝れるかなという素敵な事態になっていたので亞莎に任せることにした。


 これがそもそもの間違いの始まりであろうことなどこの時の俺に気付けという方が無理だろう。


 ………………。
 …………。
 ……。



 そして次の日。


 昨日の疲れを体の隅々に感じながらも、今日休むと昨日の苦労が無に帰すばかりかむしろマイナスとなるであろう事を知っている俺は、自画自賛するほどの勤労精神を発揮せんとばかり気合を入れていた。

「あー、目がしぱしぱする」

 目頭を押さえ、次に肩を回す。
 そう言えば一番衰えたと思ったのは徹夜でゲームが出来なくなったときだったなぁ……などと割とどう手もいいことを思い返す俺の前方5メートルといったところに亞莎の姿があった。

「お」

 今の今まで忘れていたのだが、会ってしまうとどうにも気になる。
 というわけで、バッタリと出くわした亞莎に昨日の結果を聞こうとした俺は、

「あーしぇ――」

「…………失礼します」

 え?

 眼もあわせようとすらしない。
 眼にはモノクルが掛かっていたので視力関係は無い。それに見ようともしないというのは間逆の態度だ。
 俺は呆然とその場に佇ずみながらゆるゆると頭の回転を起動させる。

 急がしかったのか? そうだな、仮にも今は仕事中と言ってもいい時間帯なのだから……。
 そうだ、そうに決まってる。

「さて、今日も一日頑張るか」


 …………。


 待て、ちょっと違う。
 これはダメだ。
 この流れを許しては良くないことが起こる。誰にとってというのならば、間違いなく俺にとって。

 様々なイベントを経て研ぎ澄まされてきた危機察知センサーが告げる。これはまずい、と。

 ちなみにこのセンサー、拙いという一転を察知する性能自体は良いのだがソレを解決するという段階においては何の役にも立たないという素敵性能だったりする。
 よって、これからどうするかという問題を前に何も出来ずにいた俺は。

「どうかしたの亞莎は?」

 そちらに意識をやりすぎていた為か声をかけられるまで蓮華様の接近に全く気付かなかった。
 慌てて礼をとる俺に小さく頷く蓮華様。

「いえ、昨日の結果を聞こうと思ったのですが」

「そう」

 といいながら蓮華様は首を傾げる。

「亞莎にしては珍しい態度だと思うのだけど」

 確かに。蓮華様の言葉は俺も大いに頷けるものだ。
 常に礼儀正しく、既に超えられている気がしてならないのだが、それでも師として俺を立ててくれる亞莎の性格を考えると首をひねらざるを得ない態度であることは確かだ。
 だからこそ俺もいやな予感がループで止まらないのだが。

 ここは俺が直接元直に聞いてみるか?

 今の今まで気にしていなかったのだが、もしかしたら何か見落としがあるのかもしれない。
 ソレがいい、きっとソレが最も傷口を広げない手段のはずだ。

「とりあえず亞莎と話してみるわ」

 ただ、その一言によって思いとどまる。
 確かに亞莎のあの態度は何かあった事に間違いはなく、その何かはというと元直への応答の可能性が高い。
 つまり、元直の真名について何らかの答えをもらったのだろう。
 元直も同じ質問を二度されるのは億劫だろうし、ここは蓮華様に任せていいかもしれない。
 俺は蓮華様から答えを聞けば万事OKだ。

 あえて言おう、完璧じゃないか?

 睡眠不足というものは得てして判断力というものを奪う。
 俺はそれ以上この問題について考えるのを止め、意識を仕事へと向けた。



 ………………。
 …………。
 ……。


 怠けに対するしっぺ返しは早かった。
 具体的に言うと次の日。

「蓮華様、昨日は――?」

「…………朱羅」

「蓮華、様?」

 なおも続けようとする俺に、蓮華様のギンッとした視線が突き刺さった。

「はひ!?」

 突然の迫力に情けなく悲鳴を上げた俺を尻目に、蓮華様は踵を返した。
 そして、そのまま無言で去っていく蓮華様。

「あ……あれ?」

 まずい。

 ふと感じる既視感は何の事はない。機能の亞莎と状況が全く同じであったということ。

「いや」

 違う。
 事態は一層悪い方向へと進行している。

 何かは分からない。
 しかし、状況は俺の甘い想定を大きくそれてしまった事は確かだ。
 分かる事は一つ。…………この流れを作ったのは間違いなく奴だということ。

 異郷の地、久しぶりという望郷の念というかそんな何かがあったために忘れていた。
 徐元直という人物は俺に対する最大のトリックスターであって。うふふきゃははと笑いあうだけの間柄だけではなかったのだ。

「いいさ元直。そっちがその気ならこっちにだって考えはある」

 俺は元直特有のチェシャ猫じみた笑みを幻視しつつ、対峙の時を思い体を震わせた。





 つづく



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