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[4690] ドラゴンクエストV 天空の俺
Name: 例の人◆9059b7ef ID:6d7552d7
Date: 2009/12/04 20:17
                                               ──プロローグ──











 青春の幻影が、逃げても逃げても追ってくる。嗚呼、五月雨は緑色。

「ピキーッ!」

 緑色……ではなく、青色のナマモノが俺に向かって吠える。ぷるぷると体を器用に揺らしながら、逃げる俺を執拗に追い立てる。

 そいつはゼリーみたいな体で、ボール大の大きさ。尖った頭が印象的だ。真ん丸な目に、どことなく愛嬌を感じさせる笑い顔。

 この姿、どこかで見たことがあります。一目見てピンときた。きましたよ。そうです、間違いなくスライムです。スライムって言っても、洋ゲーに出てくるようなアメーバ状のじゃありません。和製RPGに出てくる方であります。そう、国民的RPGに出てくるアレ。

 ドラゴンクエスト、通称ドラクエ。そのドラクエの代表格であるモンスター。みんなに大人気のマスコットキャラ。でも、元々はスライムじゃなくてドラキーの方がマスコットだったんだよな。いつの間にか、既成事実としてマスコットの座を奪われてしまった。憐れなり、ドラキー。まぁ、ドラキーはひとまず置いておこう。
 
 問題はスライム。今現在、俺を目の敵のように追いかけている青いナマモノの件だ。スライムといえば、レベル1でも余裕で勝てる伝統の雑魚でもある。そのはずなんだが、実際に追いかけられてみると違う。

 違いの分かる男、俺。上質を知る男、俺。雑魚は雑魚でもスライムはモンスター。つまりこいつは魔物。ろくに喧嘩の経験さえない一般人である俺は、戦闘なんてもっての他だ。更に言えば魔物に追いかけられる経験は初めてでもある。
 
 つまり結論から言うと、怖い。すっごい怖い。ものっそい怖い。野生の獣ならぬ魔物に殺意を向けられて追いかけられると、さすがに威圧感がある。所詮は雑魚モンスターとか言ってられないんです、うん。

「ピキーーッ!」

 あ、また吠えてる。ピキーじゃないよ、本当に。日本語喋れよ馬鹿野郎。

 試しに足を止めて話合ってみようか? 人類皆兄弟。案外、話せば分かってくれるかもしれない。

「ピキィイイイッ!!」

 ……却下。

 これだけ興奮してたら、話どころじゃないわな。ピキーしか喋ってない相手にコミュニケーションが通用するとは思えん。そもそも、こいつは人類じゃなかった。せめて「ぷるぷる。僕、悪いスライムじゃないよぅ」とか言うやつならよかったのに。それなら楽だったのに。

 そんなことを考えながら俺は走る。燦々と降り注ぐ日差しの中、必死に草原を駆け抜ける。追いつかれたら間違いなく理不尽な目に合うだろう。これは生存への逃走だ。人としての、自由と尊厳を勝ち取るための闘争だ。俺は決して負ける訳にはいかないのだ!
 
 なんか死にかけてる割には結構余裕あるな、俺。急展開すぎて半分夢見心地だからだろうか?

 ……それはともかく、誰か一体何がどうなっているのか教えてくれ。頼むから。

 俺は一体何をしているのだ? 何でこんなことになったのだ? スライムに追いかけられる稀有な経験なんぞしたくはなかった。
 
 目が覚めたらドラクエ世界で、みたいなアレか? 憑依とかトリップとか、そんな感じのやつか? せめて事前に説明をしてくれよ。もしくは心の準備する時間とか、その辺の融通は利かないのか? 頼むよ、本当に。何でいきなりスライム相手に全力疾走しなけりゃならんのですか。このままだといずれは追いつかれて死んでしまう。そんな予感がひしひしとする。悪い予感はよく当たるのが世の理。
 
 死んだ後は王様に「おお、死んでしまうとは何事か」とか言われるのか? それともどこぞの教会で目覚めるのか? どちらにしろ、一度死んで確かめてみる気は全くない。俺はマゾではないのだ。

「ピキーーーーッ!!」

 うるせぇ。

「ピキーーーーッッ!!」
「うるせぇーーッ! ちくしょおおおッ!! 馬鹿野郎ォオオオッ!!」

 対抗して怒鳴り返してみる。もちろん足は緩めない。俺はひたすら走るだけだ。明日に向かってひた走る。目的地の見えないゴールに向かって……。

「ピッキーーーーッッ!」

 うるせぇ。





 俺は目の前で力なく横たわる、二匹の青いナマモノを順番につま先で軽く蹴ってみた。でかいグミを蹴ったような感触が伝わってくる。こう、擬音入れるなら「ぶよん」って感じか。
 
 あっけなく転がるナマモノ二匹。まるで波打ち際に漂流したクラゲのようだ。

「おわッ!?」

 驚いて、思わず声を上げてしまった。ナマモノ……もとい、スライム達の体が突然砂のように崩れ去ったからだ。
 
 後に残されたのは、キラキラと光る硬貨が数枚。これが噂に聞くドラクエ世界の貨幣。ゴールドというやつだろう。俺はスライムを倒してゴールドを獲得したらしい。どういう原理かは知らないが、死んだスライムは消えてゴールドに変わったという寸法だ。

 なんたるファンタジー。さすがはドラクエ。半端じゃねぇぜ。とりあえずゴールドは懐に失敬しておいた。別にもらってもいいよね? 構わないよね?

「……あ、そういや忘れてた」

 俺は後ろへと振り返った。そこには、紫のターバンを頭に巻いた子供が目を回して倒れていた。

 ──時間は少し遡る。

 俺はスライムから必死こいて逃げた。どれくらい走ったか分からないくらい逃げて、息も上がって、そろそろもう限界間近。いや、もう無理。ギブですギブ。ロープ! ロープ! 本当に無理なんです。勘弁してください。と、心の中が泣き言で溢れ返っているくらい走った時のこと。突然、目の前に人影らしきものが見えたのだ。
 
「こ、これぞ天啓!? どこのどなたか存じませんが、助けてくださいッ!」

 安堵しつつ、その人影に向かって走り寄る。足を止めて、まじまじと人影を見つめる俺。だが、何やら様子がおかしい。そこにいたのは、スライムにフルボッコにされている一人の子供だったのだ。

「ピキーッ!?」

 子供をフルボッコにしていたスライム……こいつはスライムBと命名しよう……が俺に気付いて動きを止めた。その瞬間、子供は糸が切れた操り人形のように地面へと倒れた。どうやら気を失ったようだ。

「ピキーッ!!」

 威嚇しながら、スライムBはじりじりと俺へと近寄ってくる。完全に敵だと認識されてしまったようだ。隙を見せればすぐにでも襲い掛ってくるだろう。

「ピッキーーッ!!」

 今度は背後から声が聞こえてきた。最初に対面したスライム……こいつはスライムAと命名……が追いついてきたらしい。

 前門の虎、後門の狼ならぬ、前門のスライムと後門のスライム。四面楚歌とか、絶体絶命とか、そんな風に言い換えてもいい。

 つまりはピンチ。このままでは死ぬ。助けて神様、ヘルプです。と、神頼みしても、きっと誰も助けてくれない。ならば、自分で何とかするしかない。

 でも、どうやって? 考えろ、考えろ。思考の停止は知性の敗北だ。灰色の脳細胞をフル起動させるんだ俺。お前はやればできる子だ。死中に活あり。ピンチの中こそ、チャンスあり。何とか逆転の一手を打つべし! 自分を信じて、直感に全てを懸けろ! さすれば勝機は自ずから見えて……。見えて……。

「全ッ然、見えてこねぇッ!!」

 俺は頭を抱えてへたりこんだ。ぶっちゃけ無理です。無理なもんは無理です。俺はどこぞの戦場を駆け巡る兵士でも、凄腕パイロットでもない。ただの一般人がいきなり一発逆転の手とか打てるわけがない。

 もうどうなってもいいやー。半ば、悟りにも似た諦めの境地で俺は屈んだまま目を閉じた。

「ピギャッ!?」
「プギーッ!?」

 頭上で、呻き声が二つ聞こえた。ついでに、ゴムマリ同士がぶつかったような鈍い衝突音も。あと、何故だか分からないが「痛恨の一撃」という単語が唐突に頭に浮かんだ。

「な、何事だ……!?」

 恐る恐る目を開け、立ち上がる。眼下には、力なく横たわる二匹の青いナマモノの姿。

「うーん……?」

 しばし呆然として考える。

「あ、そうか」

 すぐに俺は答えまで辿り着いた。このスライム二匹は、俺へと向かって前後から同時に飛び掛ってきたらしい。だが、悲しいかな魔物の浅はかさ。俺がそのまま立っていれば問題なかったのだろうが、元来挟撃とは射線上に味方が重ならないようにするもの。突然屈んだ俺の頭上で、興奮したスライム達は見事正面衝突。結果、自爆したって有様だ。

「馬鹿だ、こいつら……」

 溜め息一つ。何にせよ、俺は窮地を脱したようだった。





 気絶した子供を抱きかかえてみる。ふと、軽い違和感を覚えた。やけに重いような気がしたからだ。俺って、こんなに力がなかったっけか?

「おーい、大丈夫かー?」

 呼びかけながら、軽く子供の頬を叩く。焦点が合っていなかった虚ろな目が、徐々に輝きを取り戻してきた。黒髪に、黒い瞳。年の頃は五歳か六歳と言ったところか。子供ながら、なかなか整った顔立ちだ。将来はイケメンと呼ばれる存在になりそうだ。

 べ、別に悔しくなんてないんだからねッ!? 本当ですよ、うん。……それよりも、頭に巻いた紫色のターバンが目立つなぁ。まるで羊飼いみたいな格好の子だ。どこかで見たような気がするんだけどなぁ。うーん、思い出せん。喉の奥に引っかかった魚の小骨みたいな感触だ。取れそうで取れない、あのもどかしさ。こう、頭までは出掛かっているんだが……。

 ほどなくして、子供の意識は無事に戻った。

「ん……。あれ……? お父……さん?」
「おぉ。起きたか? 俺は残念ながらお父さんではないぞ」
「え? あれ? あれれ?」

 気絶したショックで少し混乱しているようだ。脳震盪でも起こしたのだろうか。一応、診立てでは大怪我ではなさそうなんが。

「立てるか?」
「う、うん……」

 俺は子供を立たせると、背中の埃を払ってやった。

「もう大丈夫みたいだな」
「うん、僕はだいじょうぶ。えっと、君がたすけてくれたの?」
「まぁ、そうなるのかな?」
「そっか、ありがとう! 君ってつよいんだね!」
「え? あ、うん。もちろんさ。ハハハハ……。そ、それよりどうして襲われてたんだ?」
「うん……。ちょっと外へ出て遊んでたら、いきなり三匹もスライムが出てきたんだ。二匹までは何とかたおしたんだけど、さいごの一匹にやられてしまって……」

 うわぁー。俺が必死こいて逃げていたスライムを二匹まで自力で倒してたのか。末恐ろしい子供だ。そして、俺情けねぇー。

「でも、君のおかげでたすかったよ! 本当にありがとう!」

 子供の笑顔が眩しい。頭抱えて屈んでたら、スライムは勝手に自爆して死にました。実は俺、何もしてませんとはとても言えない。

「あ、そうだ。僕の名前はリュカ。君の名前は?」
「リュカ? どっかで聞いたことあるような……?」
「何か言った?」
「あ、悪い。名前だったな。俺は、田之上祐人」
「タノウエ……ユート? ながい名前だなぁ。よびにくいから、ユートでいい?」
「まぁ、構わんよ」
「よろしくね、ユート!」

 にこっと笑うリュカ。蕩けるような笑顔だ。俺が男でなければ、惚れていたかもしれん。だが、俺はノーマルだ。ショタの気も、もちろんない。よって、問題は何もない。

 嘘です。実はちょっぴりドキドキしました。

「リュカァアアアアアッ!!」

 どこからか突然響いてくる、低く渋い声。俺とリュカの目の前に、疾風の如く一人の逞しい男が現れた。

「あ、お父さん?」
「大丈夫かリュカ!? 突然いなくなったから心配したぞ! まだまだ表の一人歩きは危険だ。あまり遠くへと行かないようにと、あれほど言ったのにお前というやつは……」

 唖然とする俺を他所に、リュカの父親らしき男は早口に捲くし立てた。

「僕はだいじょうぶだよ。魔物におそわれたけど、そこにいるユートにたすけてもらったんだ」
「お、おお? そうか。どなたかは存じませんが……うん?」

 リュカの父親が俺へと向き直った。意思の強そうな眼差しの、頑強そうな壮年の戦士だ。どことなく顔つきがリュカと似ている。やはり親子だからだろう。

 俺と視線が交わった瞬間、何やら訝しげな表情に変わる。その瞳には、僅かに困惑が見て取れた。

 俺の姿が珍しいのだろうか? も、もしや息子を誑かす不審者と思われたのか!? 俺は怪しくないですよ!?

 内心冷や汗を流していた俺に、リュカの父親が話を続けた。

「君が、リュカを助けてくれたのか。見たところ、リュカと同じくらいの年のようだが……。その年で大したものだ。いやいや、このパパス、感心したぞ!」
「は、はぁ……」

 え? ちょっと、待て。待ってくれ。今何て言った? パパス? ドラクエに出てきた、あの主人公の父親のパパス? つまり、リュカはパパスの子供で、ここはドラクエⅤの世界か? そうなのか? なるほどなー。パパスなんていう有名人に会えるとは驚きだ。そういやよくよく見ると、皮でできた腰巻姿がワイルドだな。蓄えられた口ひげも風格がある。さすがはパパス。グランバニアの王様だけはある……って、違う!

「リュカと同じくらいの年だって!?」
「うむ。息子のリュカは今六歳だから、君もそれくらいじゃないのか?」
「お父さん、君じゃなくてユートって名前なんだよ!」
「おや、それは失礼をした。ユート君。改めてお礼を言わせてもらおう」 
「ハハ……ハ……」

 乾いた笑い声が、口から自然と漏れてくる。さっき感じた違和感は、これだったのか。

 田之上祐人、二十八歳。バリバリの日本人。元、アパート住まいの貧乏フリーター。何の因果か、気が付くとそこはドラクエⅤの世界。そして、体は六歳児並になっていましたとさ。ハッハッハー! こいつはすげぇや! 笑えねぇ……。

 かくして、俺の大冒険が始まったのだった。まる。てな感じです。

 これからどーなるの、俺……?



[4690] 第1話
Name: 例の人◆9059b7ef ID:6d7552d7
Date: 2008/11/05 20:00
 体は子供。でも頭脳は大人!

 ふざけんなよバーロー。俺はどこの名探偵だよ。まさか、まさかの幼児化です。唖然、呆然、愕然。突然ドラクエ世界に来てしまったと思ったら、何この展開? 馬鹿にしてんの? 今気付いたが、服装も布っぽい服になってるし、どういうこと? 元々は、ジーパンにシャツだけのラフな格好だったのに。まぁ、それはいい。本当はよくないけど、いい。それよりも問題はこの俺自身だ。この体だ。ミニマムな体が憎い。

 小さなお手手に、小さな体。何もできない子供が、ここに一人。見ず知らずの土地に放り出されてしまった俺。かわいそうな俺。住所不定無職な上に、体は子供。この先一体どうやって生きろというのか。

「バーロー……。あははは……」

 口から魂を吐き出しながら、虚ろな顔で笑う少年。それが今の俺である。もう笑うしかねぇ。

「うはははは……」

 パパス&リュカの親子は、そんな俺を困惑の目で見つめていた。

「ユート君。何があったのかは知らんが、よかったら私に事情を話してみないか?」

 心配そうな声で言うパパスに、俺は元の世界のことははぐらかして現状を説明した。

 当てもなく旅をしていて、特に目的はないと正直に話した。実際に、この世界に放り込まれたものの、何をどうすればいいのか分からないから目的などありはしないのだ。

「ふぅむ。つまりユート君は現在、一人で旅をしていると、そういう訳だな?」
「はい、概ねその通りです」
「ご両親はどうしたのだね?」
「この世界にはいません」
「……それは、すまないことを聞いた」
「いえ、いいんです」

 申し訳なさそうに謝るパパス。謝られると、逆にこっちの居心地が悪くなってしまう。まぁ、俺は別に嘘は言ってないんだけどね。こちらのドラクエ世界に俺の両親はいない……はずだ。

「何があったのかは深く聞くまい。しかし、リュカと同じような年の子が一人で旅をしていて、しかも天涯孤独の身と聞いては放ってはおけんな。何より、ユート君はリュカの恩人だ」
「お父さん、もしかして!?」

 それまで黙って話を聞いていたリュカが、嬉しそうに声を上げた。

「うむ! ユート君さえよければ、私たちと一緒に来ないか? ここから少し北に行けばサンタローズという村があって、そこに私の家がある。私達も旅を続けて長いが、しばらくは村で落ち着くつもりだ。ユート君も、私の家でリュカと共に暮らしてみるといい!」
「いや、でも、そんな。ついさっき出会ったばかりの、怪しい子供相手に悪いですよ?」

 いくらなんでも、人が良すぎだろうパパス。俺が変質者とか悪人だったらどうするつもりだ。いや、俺はただの一般人だけども。しかもスライム一匹相手に必死こいて逃げるような。

「わっはっは。ユート君は随分と大人びたことを言うな! 子供が遠慮なんてするんじゃない! なぁに、子供が一人や二人増えるくらい大したことではない。このパパスに任せておくがいい!」
「そうだよユート! いっしょにくらそうよ!」

 何の邪気もない笑顔を振りまいてくるリュカに、俺は呆気なく撃沈された。さすがは未来の魔物使いだぜ。凶悪な魔物を楽々従えるその純真な心に、俺ではとても太刀打ちできない。

 ここまで気持ちのいい善意は、生まれて初めての経験だった。

「では……ご迷惑をおかけすると思いますが、よろしくお願いします」

 俺は二人に向かって、深々と頭を下げた。

「他人行儀だぞ、ユート君。いや、今日から一緒に暮らすのだから君はいらないな。これからは私もリュカのように、ユートと呼ぶことにしよう! わっはっは!」
「よろしくね、ユート!」
「あぁ……よろしくな!」
「うむ! さっそく仲良くなっているようだな! お前達、まるで兄弟のようだな! 何やら私も、もう一人息子が増えたようで嬉しいぞ! わっはっは!」

 こうして、俺にはパパスとリュカという二人の家族ができたのだった。思いもよらない展開だが、悪い気分ではない。突然ドラクエ世界に来てしまい、何が何だか分からないうちにスライムに追いかけられた上に気が付けば体が幼児化してしまった時にはどうしようかと思ったが、これなら今後も何とかやっていけそうだ。うん、幸先は悪くない。俺のこの先の人生に幸あれ。

「わっはっは!」

 ちなみに、パパスはまだ笑っていた。案外、この人は笑い上戸なのかもしれない。





 サンタローズの村へは、それからすぐに到着した。

 何度か魔物と戦闘があったが、ほぼ全てパパスが速攻で倒した。速攻というか、瞬殺? もうね、あれは戦闘行為というか一種のいじめだね。明らかにレベルが違いすぎる。怒涛のような攻撃とは、ああいうのを言うんだろうね。

 スライムにドラキー。プリズニャンにいっかくウサギ。多種多様な魔物が出てきたが、パパスにとっては関係ない。とにかく魔物と出会った瞬間には、パパスは攻撃に移っている。パパスが軽く剣を振るうと、敵がスッパスッパ輪切りになっていく。宙を舞うスライムの刺身は、一種幻想的な光景でしたよ、えぇ。

 こうして、大抵俺とリュカが行動を終える前には、すでにパパスが魔物を倒しているという具合だ。化け物みたいに強いよ、パパス。すごいよパパス。さすがだよパパス。

 しかも、たまに俺とリュカがダメージを受けたら「大丈夫か?」と言ってホイミで回復してくれるんだが、これもまたすごい。普通のホイミじゃない。何故か分からないが、体力が全快するのだ。これ、ホイミじゃなくてベホマなんじゃね? そう思ったが、口には出さないでおいた。ちなみに、パパスのホイミは毒までも回復させてしまうらしい。キアリーの効果まであるホイミって、どんなホイミだよ。本当にホイミなのか甚だ疑問だが、パパスがホイミと言い張るからにはホイミなんだろう。まぁ、便利だし別にいいや。

 余談だが、パパスが倒した魔物から出たゴールドは俺がさりげなく回収しておいた。役得万歳。

「だ、旦那様!? お帰りなさいませ! このサンチョ、旦那様のお戻りをどれだけ待ちわびたことか……。さぁ、ともかく中へ!」

 サンタローズの村、北東にある二階建ての家。そこがパパスとリュカの暮らす家だ。中に入ると、使用人であるサンチョが目を潤ませて出迎えてくれた。やや小太り気味の、人のよさそうなおじさんである。

「うむ! 今戻ったぞサンチョ! 長い間留守にして済まなかったな」
「ただいま、サンチョ!」
「リュカ坊ちゃん! ああ、いつの間にかこんなに大きくなられて……」

 サンチョの目に、どんどん涙が貯まっていく。今にも泣き出しそうだ。

「あのー。お邪魔しまーす……」

 どうすればいいのか分からなかった俺は、最後にこそこそと家の扉をくぐった。

「おや? 旦那様、その子は一体……?」
「ん? おお、ユートのことか! すまんすまん! まだ説明していなかったな。サンチョよ、この子は私達の新しい家族のユートだ。リュカの恩人でな。天涯孤独の身の上と聞いたので、しばらく預かることになったのだ。まぁ、しばらくとはいっても、ユートさえよければいつまででもいてくれていいがな! わっはっは!」
「そうですか、分かりました。よろしくお願いしますね、ユート坊ちゃん」
「こちらこそ、サンチョさん」
「サンチョと呼び捨てにしてください、ユート坊ちゃん」
「はぁ……。分かりました。よろしく、サンチョ」

 俺まで坊ちゃんとは、恐れ入った。坊ちゃんなんて呼ばれたのは何年ぶりだろうか。くすぐったい気分だ。

「おじ様、お帰りなさい」

 部屋の奥から凛とした声が聞こえてきた。現れたのは、可愛らしい金髪の少女だった。長い髪を二つのおさげで纏めている。ツインテールならぬ、ツインおさげ……とでもいうのだろうか? 何はともあれ、少し気は強そうだが美少女には変わりない。

「ん? この女の子は?」
「あたしの娘だよ、パパス!」

 パパスの疑問に答えたのは、女の子の後ろから出てきた恰幅のいいおばさんだった。

「やぁ! となり町に住む、ダンカンのおかみさんじゃないか!」
「この村にご主人の薬を取りにきたっていうんで寄ってもらったんですよ、旦那様」
「何? 薬だと? ダンカンはどこか体でも悪いのか?」
「それがね、聞いておくれよパパス……」

 サンチョとパパスが、ダンカンのおかみさんを交えて話し込み始めたその時だった。

「ねぇ、あなた達。大人の話って長くなるから上に行かない?」

 女の子が、俺とリュカに向かってそんな提案をしてきた。

「どうしようかユート?」
「ん? 別にリュカの好きにすればいいんじゃないか?」
「うーん、どうしよう」

 リュカが迷っていると、

「行きましょうよ」

 と、こちらの答えを聞かずにすでに二階へと上がっていった。どうやら行くのは確定事項らしい。

「仕方ない。行くか、リュカ」
「うん、そうだね」

 俺達は彼女に続いて、階段を上って行ったのだった。 





 二階に到着すると、女の子は「遅いわよ」と一言。そしておもむろにリュカの顔をじっと見つめ、やがて口を開いた。

「わたしはビアンカ。リュカはわたしのこと覚えてる?」
「え? うーん? うん」
「本当かしら?」

 煮え切らない返事をするリュカに、ビアンカは半信半疑の様子。というか、やっぱりこの子がビアンカか。将来はリュカの嫁さん候補になるんだよな。金髪だし、可愛いなぁ。まるで人形みたいだなぁ。あー、俺もいつかは美人の嫁さん欲しいなぁ。俺はぼんやりとそんなことを考えていた。

「いい、リュカ? わたしは八さいだから、あなたより二つもお姉さんなのよ? えーと、そういえば、リュカのとなりにいる人は……ユートだっけ? あなたはいくつなの?」
「ん、俺か? 俺は……。多分、リュカと同い年じゃないかな? そういうことにしといてくれ」
「へんなの。まぁいいわ。とにかく、あなたたちは、わたしよりも年下なのよ。ねっ! あなたたちにご本をよんであげようか? ちょっとまってね」

 ビアンカは俺達の返事も聞かず、部屋の本棚から一冊の本を取ってきた。

「おまたせ! じゃ、よんであげるね! え~と……そらに、え~と……く……せし……ありきしか……」

 そこまで言って、ビアンカの朗読は止まった。

「これはだめだわ! だって、むずかしい字が多すぎるんですもの!」

 あー、やっぱりなー。そういえば、こういう展開だったな。
 
 しかし、慌ててはいけない。ここにはそう、俺がいる。体は子供でも、頭脳は大人の俺がいるのだ!

「はっはっは! お嬢さん、俺にその本を貸してごらんなさい!」
「あら? あなた、よめるの?」
「ユート、すごい!」
「まぁ、やってみるさ!」

 ビアンカから本を受け取った俺。リュカは期待の眼差しでこちらを見つめている。さぁ、俺の実力に戦慄するがいいわ、小童ども! 意気揚々と本をめくり、俺はカッと目を見開いた。

「……全然読めねぇ」
「やっぱりよめないんじゃない」
「気にしないで、ユート」

 リュカの残念そうな顔を見ると、心が痛い。というか、何語だよこの本の字は。普通に会話とかできてるから勘違いしていたが、どうやら通じるのは言葉だけのようだ。つまり読み書きはこれから覚えないといけないらしい。それも、全て一から。オオウ、ジーザス! 何てこったい! いや、本当に勘弁してくれよ……。

「ビアンカ、そろそろ宿に戻りますよ」

 階下から、ビアンカを呼ぶおかみさんの張りのある声が聞こえてきた。

「は~い、ママ!」

 ビアンカは元気よく返事をすると、黄昏ている俺から本を受け取って本棚へと戻した。

「それじゃ、わたしはもう帰るわね。あ、そうそう。わたしの住んでいる町は、ここから西にいったアルカパよ。リュカが小さいころ、お父さんにつれられて、よくわたしの家にきていたのよ」
「へ~。そっか、そうだったんだ」
「やっぱり、リュカはあまり覚えてなかったのね。まぁいいわ。じゃあね。リュカ、ユート。バイバイ!」

 ビアンカは俺達に手を振りながら、おかみさんと一緒に去っていった。俺とリュカはビアンカを家の前まで見送った後、また部屋へと戻った。

「そういえばリュカ坊ちゃんは、だんだんとお母上に似てきましたなぁ」
「え? 僕のお母さん?」

 静けさの戻った家の中で、サンチョがリュカの顔を見ながらしみじみと呟いた。

「そうですよ。お母上のマーサ様は、それはそれはお優しい方でした……」

 遠い目をして、虚空へと視線を向けるサンチョ。その目は、きっと過去の思い出を映していることだろう。まだリュカが生まれる前か、きっとその直後の、遠い昔。みんな幸せだった頃の思い出を……。

「さて……と。それでは私は少し出かけるが、お前達いい子にしてるんだぞ」

 それまで黙って椅子に座っていたパパスが立ち上がり、玄関へと歩き出した。

「行ってらっしゃいませ、旦那様」
「行ってらっしゃい、父さん」
「行ってらっしゃい、パパスさん」

 リュカとサンチョに習い、俺もパパスへと声をかける。パパスは軽く手を上げて答えると、そのまま家の外へと出て行った。恐らく向かった先は、村の奥にある洞窟だろう。確か天空の剣があるんだっけかな?

「それでは坊ちゃん方。長旅で二人ともお疲れでしょう? まだ少し早いですが、今日はお休みになられてはいかがですか?」
「うーん、そうだね。そういえば、僕ちょっとつかれちゃったかも。ユートはどうする?」
「んじゃ、俺もお言葉に甘えて寝ようかな」
「かしこまりました」

 サンチョは笑顔で頷くと、急いで寝具の支度を始める。本来ならこの家にはリュカにパパスにサンチョと、三人分しかベッドがない。だが、サンチョはどこからか新しくベッドを一つ持って来てくれて、部屋へと急いで設置してくれた。居候の身だし、地下室でごろ寝も覚悟していた俺である。この扱いは嬉しい限りだった。パパスの言葉通り、家族の一人として扱われているようだ。不覚にも感動してしまったぜ……。

 リュカとベッドを隣同士に並べたら、後は眠るだけ。目を瞑ると、すぐに睡魔はやってきた。予想以上に体は疲れていたらしい。

「おやすみ、ユート」
「おやすみ、リュカ」

 おやすみの挨拶を最後に、俺の意識は急速に沈んでった。



[4690] 第2話
Name: 例の人◆9059b7ef ID:6d7552d7
Date: 2008/11/05 20:01
 翌朝目覚めると、そこは見知らぬ部屋だった。

「知らない天井だ……」

 いや、本当は知ってるけどな。とりあえずお約束ってことで。

 見知らぬ部屋だと起き抜けに感じたのは嘘ではない。何しろそこは今まで長年親しんできた日本にある安アパートの一室ではなく、ドラクエ世界の家の中だったからだ。具体的に言うと、サンタローズ村のパパスさん家です。

「う~ん」

 眠気覚ましのために、ベッドで体を起こして大きく伸びをする。背中の方から、パキパキと小気味の良い音が聞こえてきた。

「さて、と……。今からどうするかな……」

 何の気無しに隣のベッドを眺めてみる。リュカはまだ寝てるかな……って、あれ?

「いない?」

 どこかに遊びに出かけたのだろうか? 子供は元気だなぁ。昼前から外に出かけて遊ぶとは、さすがお子様。

 いかん、思考が爺臭い、とは思ったが、中身は三十路前なんだから仕方ない。んでも、どうせ遊びに行くなら俺も連れて行ってくれたらよかったのに。つれないぞ、リュカ。

「おや? ユート坊ちゃん、お目覚めですか?」
「あ、サンチョさ……じゃなくて、サンチョ。おはよう」
「はい、おはようございます」

 笑顔で返してくれるサンチョ。思わずさん付けして呼びかけたが、何とか言い直した。

「よくお休みになられていましたね。きっと、かなりお疲れだったんでしょう。あ、そうそう。テーブルの上に、朝食の用意ができていますよ」
「おおぅ! やったぜ朝ご飯!」

 俺はベッドから飛び起きると、すぐさま朝食を頂くことにした。あ、もちろんちゃんと手を洗ったりはしましたよ?

 サンチョは「ユート坊ちゃんは偉いですな。リュカ坊ちゃんは時々、手や顔を洗うのを面倒くさがるんですよ」と苦笑していた。やはりリュカはまだまだお子様のようだ。ま、俺とは違って見た目と同じく中身も六歳なんだから当たり前か。

「ごちそうさまでした」
「はい、お粗末さまでした」

 サンチョの作る朝食は予想通り美味しかった。肉や野菜をふんだんに使いつつも、素材の味を生かした調理法で、特にスープが絶品だった。食材の美味しい部分だけを全て抽出して詰め込んだような、そんな味のスープ。こう、舌の上でシャッキリポンと踊るような味? 自分で言ってて意味が分からないが、とにかく美味だった。

 美味だったが……肉は普通に牛や豚や鳥の肉だよな? ドラクエ世界だけに、魔物の肉とかじゃないよな? いやいや、確かにドラクエの魔物の中には食えそうなのとかいるけども。例えばおばけきのことか、いっかくウサギとか。スライム辺りは、見た目通りゼリーみたいな食感で甘い味がしそうだ。それともクラゲみたいな淡白な味なのだろうか? あれだけプルプルした体だから、コラーゲンを多く含んでいそうだ。もしかすると、スライムって食せば美容や健康にいいかもしれない。

「今度食ってみるか……」
「は? 何をですか?」
「あ、いや、何でもないですよ?」
「はぁ……。そうですか……?」

 俺の呟きがサンチョの耳に入ってしまったので、とりあえずごまかしておいた。危ない人と思われないためにも、スライム食用化計画は封印しておこう。

「ところで、今家の中にはサンチョと俺だけしかいないのかな?」
「はい、そうですよ。旦那様は昨日と同じく、所用でお出かけですが夜には戻られるはずです。リュカ坊ちゃんは、村の中を探検してくるとか言っておりましたな。あまり危ない場所には行かないようにしてほしいものですが……」
「リュカは探検か……」

 サンチョが心配するのも頷ける。何しろリュカというお子様は、齢六つのくせに平気で大冒険をやらかす男だ。夜のレヌール城行ったり、妖精の国に行ったりとかなー。もしかして、このままリュカの側にいたら俺も一緒に行くことになるのだろうか? 妖精の国はともかく、レヌール城は行きたくないぞ、おい。ビアンカと一緒に、墓の中に生き埋めにされる光景が目に浮かんでくる。

 い、嫌だ。それは嫌だ。生き埋め超怖ぇー。埋まりたくねぇー。

 俺はずっとサンタローズで暮らす! サンチョのご飯食べて、適当に遊んで寝る毎日を満喫してやる! ダラダラ過ごすんだ! ビバ、居候生活!

 まぁ、どうせ無理だろうけどな。何だかんだ言っても、最終的にはリュカに引っ張られて強制連行されそうな予感がする。

 そういえば、今はまだサンタローズにみんな滞在中だから、最初のイベントは確か……洞窟? ダンカンさんのための薬を取りに行った人が洞窟の中から出てこないから、リュカはその人を探しに、サンタローズ奥の洞窟の中へ……?

 うん、恐らく間違いないな。あいつのことだから、村の中の探検だけでは飽き足らず、いきなり洞窟まで行ってそうだ。主人公補正のお子様パワー炸裂だな。

 俺も付き合うべきなんだろうか? でも、魔物怖いしなぁ……。スライム一匹に勝てない俺が行っても、そもそも役に立たないんじゃなかろうか。ま、それはともかく俺もずっと家の中にいても仕方ないし、少し出歩いてみるか。

「じゃあ、俺もちょっくら村の中を散歩してきます」
「はい、気をつけて行ってらっしゃいね、ユート坊ちゃん」
「行ってきまっす!」

 少しわざとらしいかなと思ったが、子供らしく元気に返事をして家の外へ。まずは、適当に歩き回ってみるか。





 サンタローズ村。人々は純朴で穏やかで、大きな争いもなく平和に過ごしている。畑を耕し、大地の恵みを神に祈り、夜になれば酒場で一杯やりつつ笑い合う。古きよき日本の田舎町を彷彿させるような、ここはそんな村だった。

 出会う人は、誰もがみんな親切。パパスが俺の保護者というのが、その最も大きな理由だろう。なんでも、ここサンタローズの村はパパスを中心として拓かれていったらしい。村人達から絶大なる信頼を誇るパパスの家族扱いともなれば、好意的にされるのも納得だ。適当に歩いているだけでも、向こうから声をかけてきてくれたりする。ちなみにサンタローズ村での主だった会話内容をいくつか抜粋すると、こんな感じ。

「坊や、知ってるかい? 武器や防具は、持ってるだけじゃダメなんだぜ。ちゃんと装備して、初めて使いこなせるってわけさ!」

 当たり前のことを言うなと。こっちが子供だからと思って、馬鹿にしてないか? こちとら中身は三十路前だぞチクショウ。

「ありゃりゃ? 宿帳に、おかしないたずら書きがしてあるぞ。坊やじゃないだろうね?」

 違います。そもそも悲しいことに、俺はこの世界の字をまだ読み書きできません。泣きたいです。むしろ泣いてもいいですか?

「薬を取りにいってくれた人がまだ戻ってこないのよ。本当は誰かに探しにいってもらいたいけど、パパスも忙しそうだしねぇ……。坊やに頼むわけにもいかないし、誰か洞くつの奥まで様子を見にいってくれる人はいないものかねえ……」

 自分で行けよおばさん。とは、口が裂けても言えません。この話はリュカも聞いたんだろうなぁ。やっぱり今頃は洞窟大冒険中か、リュカよ。

「うー、さぶい、さぶい……。もうすぐ夏だっていうのに、この寒さはなんだろうね……」

 確かに肌寒いなー。あー、これはあれか。妖精の国で春風のフルートが盗まれたせいで、季節が巡ってこないとかいうアレか。んで、助っ人探しのために妖精であるベラって女の子がやってくると。妖精は大人には見えないから、いたずらして気付いてくれる人を探してるんだったな。俺は外見は子供だが、中身は大人だ。果たして妖精の姿は見えるのであろうか? 全然関係ないけどベラって名前、某妖怪人間みたいだよね。

 ……とまぁ、こんな感じであった。村人達の話を大雑把にまとめると、現在サンタローズ村で起こっている事件は全部で三つ。

 一つ目。謎のいたずら大発生。

 二つ目。謎の気温低下。

 三つ目。謎の……はいらないや。洞窟まで、ダンカンさんのために薬を取りにいった人が戻ってこない件。

 リュカが洞窟の中へと入って行ったという目撃談もありました。やっぱりかよ、おい!? 昨日旅から戻ってきたばかりで、いきなり大冒険に出かけるんじゃないよ。たまには家の中で遊べと言いたい。声を大にして言いたいね。何でそんなに野性的なんだよ。俺なんて、ずっと家にいても平気だぞ! 一年だろうが二年だろうが外に出なくても余裕だ! ちなみに、人それを引きこもりと言う。

 村の人達の中には、俺をパパスの新しい子供かと勘違いしてくる人もいた。ちゃんと訂正はしておいたが、何となく気になって理由を聞いてみると「坊やもパパスさんやリュカ君と同じ髪の色だしね。てっきりリュカ君の兄弟かと思ったよ」とのこと。

 髪の色を指摘されて、初めて俺は自分が黒髪のままなんだと知った。どうやら、元の日本人としての体がそのまま子供化してしまっただけのようだ。どうせなら、美形キャラに憑依とかやってみたかった。いや、別に将来イケメン確定なリュカが羨ましいとか、そんな理由じゃないですよ? 本当だよ?

 あれ? そういえば元の体が縮んだだけってことは、今の俺は丸々と平凡なだけの一般人? せっかくドラクエ世界に来てるのに、魔法とか一切使えないのか?

 いかん、それはいかんよ君。リュカなんて、職業欄が「パパスの息子」から「グランバニア王」を経て最終的には「勇者の父親」までバージョンアップするというのに!

 俺の今の職業は……とぼんやり考えてみると、唐突に頭の中に「居候」という単語が浮かんできた。居候とはその名の通り、居候である。職業の名称なのか、これ? 居候の身分がなくなれば「無職」か「遊び人」くらいしか名乗れないのが情けない。

 ドラクエはドラクエでも、ここの世界には転職できるダーマ神殿が存在しない。要するにこのままだと、俺は職業欄が「無職」→「居候」→「遊び人」で終わってしまう。そんな気がする。最初が無職で最後が遊び人って、何だよおい。これはあまりにも情けない。せめて、せめて魔法の一つでも使えれば!

 そう思った俺は、サンタローズの洞窟へと足を運ぶことにした。理由は実験のためだ。魔法の名前を片っ端から叫んで、俺にも何か使えるかどうか試してみるのだ。この成否次第では、俺の今後は大きく変わると言えよう。村の中で魔法の名前を連呼して叫んでいたら、頭の残念な子と思われること間違い無しなので、洞窟まで足を伸ばすしかないのだ。もし洞窟の中でリュカに出会うことがあれば、一緒に行動するのも悪くない。もちろん、リュカの手伝いとかよりも、純粋に俺の身の安全のために! だって、リュカの方が俺より明らかに強いんですもの。俺、情けないね。うん。

 ま、それはともかくとして、危なくないようにあまり奥には行かず、洞窟の入り口付近で魔法の練習開始しようかね。





 サンターローズの洞窟は村の中心を流れる川と繋がっていて、その上流部分に位置する。案外洞窟の奥の方には湧き水でもあるのかもしれない。

 洞窟に一歩足を踏み入れると、暗闇も相まってそこは不気味な雰囲気を醸し出していた。魔物が出るせいか、どことなく空気が張り詰めているような気もする。しかし、だからと言ってその程度で怖気づくわけにはいかない。

「やってやる。やってやるぞ!」

 まだ洞窟に入ってからろくに経っていないが、さっそく練習開始だ! 善は急げ。兵は神速を尊ぶのだ。

 俺は闘志を滾らせながら、魔法の使える自分を強くイメージしてみた。心は無に。個は全。全は個。

 俺にも必ず魔法は使える。必ず使える。必ず使える。必ず使える。……よし、自己暗示完了。

「メラッ!」

 腰を落とし、右手を大きく前に突き出して叫んでみる。まずは形から入るのが成功への近道。気分だけはすでに魔法使いだ。

 これで、手のひらから魔法が……。魔法が……。魔法……が……出ない。

「ならもう一度! メラァッ!!」

 同じ体勢のまま、再度魔法を唱える。気合十分。今度こそ完璧なはず!

「…………あれ?」

 ……しかし、何も起こらなかった!
 
 しかも「メラ……メラ……メラ……メラ……」と、俺の声が洞窟に反響して響く。それが俺の中の虚しさを更に増幅させた。

「くッ!? ならば今度は……ギラッ!!」

 ……しかし、何も起こらなかった!

「うおおおおッ! イオッ!!」 

 ……しかし、何も起こらなかった!

「ヒャド! バギ! ホイミ! スカラ! ルカニ! リレミト! キアリー!」

 ……しかし、何も起こらなかった!

「メガンテッ!!」

 ……しかし、何も起こらなかった!

 って、何を叫んでるんだ俺は!? もしメガンテ成功してたら死んでるぞ!?

「はぁ……」

 溜め息が出てくる。自暴自棄になってメガンテ唱えてみるくらいテンパってたのか、俺は。薄々そんな予感がしていたとはいえ、やはり俺には魔法は使えない……か。

「あーあ。俺も魔法使いたかったなぁ、ちくしょう……」

 無念だ。

「……あ」

 俺はふと、あることに思い当たった。もしかしてレベルが足りないから、まだ魔法が使えないだけとかかもしれん。つまりは、何匹か頑張って魔物を倒せば俺にも可能性がある……かも。魔物は確かに怖いが、こそこそと逃げ回りながら不意打ちを続ければ数匹くらいには勝てる……はずだ。

 でもそもそも、俺は一体何レベルなんだろうか? そう疑問に思ったら、何となく頭に数字が浮かんできた。例によって原理がどうなっているのかはさっぱり分からないが気にしない。

『ユート:レベル1』

 レベル1ですか、そうですか。俺のレベルはまだ1ですか。ほほぅ、そうなんですか。
 
 よりにもよって、レベル1。言わずもがな最低レベル。

 しかし俺にもレベルという概念が存在するからには、成長すればいつかは魔法が使えるかもしれぬ。ドラクエ世界は剣と魔法のファンタジー世界だしね。何が起きても不思議ではない。

 道は遠そうだけどなー。

「それにしても、寒いなここは……」

 俺は体の芯にくるような冷気に、肩を抱いてぶるっと震えた。ただでさえ外は寒いのに、こんな薄暗い洞窟入ったらもっと寒くなるは当たり前だ。洞窟の中に川があって水が流れているのも、温度低下の原因の一つかもしれない。現在の俺の服装、というか装備は布の服オンリー。この世界に来た時のまんまの装備である。サンチョに言って、上に羽織る物でも借りればよかったかもしれん。

 ん? ちょっと待てよ? 装備は布の服一枚?

 武器や盾は……ない。買ってないんだから当たり前だ。レベル1で、おまけに装備は布の服だけ。つまり、このまま洞窟に留まって万が一にも魔物と遭遇してしまったら……。

「うん。死ねる」

 間違いなく死ねる。早めに気付いてよかった。村には武器屋があったはずだ。一度戻って、せめて「ひのきの棒」くらいは購入しておこう。幸いにも、こっそり貯めたゴールド(パパスが倒した魔物からちょろまかした)が多少はある。余裕があれば道具屋で薬草も買って備えておけば万全だ。

「では、撤収~」

 こんなカビ臭くて薄暗くて魔物だらけの場所に、素手のまま長居しててもいいことは何もない。さっさと帰ってしまおう。

 俺は回れ右をすると、村の方へと戻ろうとした。

 したのだが。

「ピキーーッ!」
「グワーーッ!」
「ギャーース!」
「ウガーーッ!」
「パタパタッ!」

 見渡すとそこには、魔物の群れ。

 スライムさんに、いっかくウサギさんに、とげぼうずさん。あ、あそこにいるのは、せみモグラさんでしょうか。あれれ。ドラキーさんまでいますよー。いやー、こいつは壮観です。たくさんいますねー。素晴らしいですねー。

 ──ユートは魔物の群れに囲まれた!

「……なんでやねん」

 俺のぼやきは、洞窟の奥へと消えていった。



[4690] 第3話
Name: 例の人◆9059b7ef ID:6d7552d7
Date: 2008/11/06 03:31
 ユートは逃げ出した!

 しかし、回り込まれてしまった!

「うひょおおおおおッ!?」

 みなさん、お元気ですか。最近めっきりと寒くなってきましたが、いかがお過ごしでしょうか?
 僕ユート。体は六歳、でも心は二十八歳。ちょっと前まで一般人やってました。現在情けない声を上げながら、洞窟の中を全力疾走している最中であります。

 その理由とは……。

「ピキーーッ!」
「グワーーッ!」
「ギャーース!」
「ウガーーッ!」
「パタパタッ!」

 こいつらのせいです。

「嫌ぁーッ!? 来ないでぇーッ!?」

 集団で襲ってくるとは卑怯ですよ、おい!?

「君達に誇りというものがあるならば、ここは正々堂々と一対一の戦いを……」
「ピキーッ!!」
「すんませんでしたぁッ!?」

 飛び掛ってくるスライムにぶつかられ、突進してくるいっかくウサギに尻をつつかれ、とげぼうずに刺され、せみモグラに足を噛まれ、ドラキーに頭をどつかれる俺。

 それでも死にたくないから必死で逃げる。逃げる。恥や外聞なんて気にしない。命あっての物種だ。

「うおおおッ!?」

 鼻先を何かがかすめた!? 角? 今の角ですか!? 目の前を凄い勢いで横切った、いっかくウサギの角が当たる寸前でしたよ!?

 死んだらどうすんだよ、この人でなし! まぁ、人じゃなくて魔物だけどねッ!

「あ、痛ッ!? めっちゃ痛い!? や、やめて! そこはダメ!」

 逃げ惑う俺に、容赦なく襲い掛かる魔物達。致命傷だけにはならないように、時には転げ回ったりしながらも逃げ続ける俺。でも逃げ切れない。敵の数が多すぎて、すぐに回り込まれてしまう。

 何この集団暴行? 包囲作戦ですか? 俺専用のABCD包囲網ですか? 俺が一体君らに何をしたと?

「……って、危ねぇ! 今度は上から!?」

 俺の頭上からドラキーが急降下。全力疾走している俺の目の前に回り込み、鋭い歯で噛み付いてこようとするのを強引に方向転換して回避。

 すると、今度は回避先にとげぼうずの姿が。このままだと、あのトゲトゲの体にぶつかって大怪我必死。

 また回避を……ダメだ! とげぼうずの左右にはスライムとせみモグラの姿が見える。

 なら、何とか直前で急ブレーキを……無理! 勢いがつきすぎて止まれない!

「死ぬ! 死ぬ死ぬ、死んでしまう!?」

 何か、何か手はないか!? だめだ。だめ、無理。無理なものは無理であるからして無理。

 何か手はないかと考えてみたが、そんなの急に考えても何も思い浮かばない。せめて被害を減らすためには……。それももう考えてる暇がない! ええい、ままよ!

「ちくしょおおおおッ!!」

 万策尽きた。そう思っていたが、気がつくと俺の両足は走り高跳びの要領で、とげぼうずにぶつかる寸前で思い切り地を蹴っていた。

 痛いのは嫌だという一心で出た、半ば無意識化の行動。火事場の馬鹿力発動。渾身のベリーロールもどき開始だ。

 一瞬、世界がスローモーションになったような感覚が俺を襲った。これが世に聞く走馬灯の世界ってやつだろうか。浮遊感に包まれ、まるでこの身が空を飛んでいるような気分だ。

 ゆっくりと、ゆっくりと、俺の体はとげぼうずの上を通り過ぎていく。正面の顔に始まり、頭頂部を過ぎ、背中から腰へいき、そして最後は足から踵。そんなとげぼうずの姿を眼下に眺めながら、俺は何とか強引な体勢で着地した。

 具体的に説明すると、顔面から着地した。

「痛ぇええええええッ!?」

 でも痛がってはいられない。今がチャンスだ。せっかく魔物達の包囲網を、一瞬とはいえ掻い潜れたのだ。ぐずぐずしている暇などない。

 俺は顔の痛みを無視して、そのまま後ろを振り返らずに洞窟の奥へと走り去った。





 どれだけ走っただろうか。息が切れて動けなくなった俺は、地面へと座り込んだ。

「はぁ……し、死ぬ……かと……はぁ……お、思った……」

 心臓が早鐘のように鼓動を刻んでいるのが分かる。足は棒のように硬くなっていて、動かそうにも動かない。体中が悲鳴を上げている。筋肉には、奥の奥まで乳酸が溢れていることだろう。しばらく休まないと、歩くことすらままならない。

「明日は筋肉痛確実だな……」

 ドラクエ世界に湿布ってあるんだろうか? サロンパス的なものとか、そんなのが。

「多分ないだろうなぁ」

 薬草は筋肉痛に効果はあるのかな? あ、そうだ。いざとなったらパパスからホイミかけてもらおう。あのスーパーホイミなら、俺の筋肉痛まで回復してくれそうだ。

「うぅ、何で俺がこんな目に。せめて、俺も自分で魔法使えればなぁ……」

 もしくは、もうちょっとレベルがあれば魔物に対抗できるのに。レベル不足の自分が憎らしい。でも、待てよ……? そもそもこの世界に来たばかりの時に、偶然とはいえスライム二体を俺は倒したはずだ。その後もサンタローズに向かう際、パパスに引っ付いて魔物を何匹か倒した。なのに、それなのに。

「何故未だに俺は1レベルのままなんだよ、おい……」

 理不尽だ。不条理だ。不公平だ。納得いかない。これはきっと孔明の罠だ。まさか俺はレベルの上がりが人一倍遅いとか、そんな特異なキャラなんじゃなかろうな?

 確かにドラクエではレベルアップするまでに要する経験値は、キャラによって個体差が存在する。

 レベルが上がり難いキャラというものがいたのは覚えている。ゲーム後半でレベル1から仲間になるようなキャラは、大抵そんな感じだった。それ以外にも、一定以上のレベルになるまでは能力がさっぱり伸びないキャラもいたような。

「俺、もしかしてそういうキャラですか?」

 問いかけに答えるものは、もちろんいない。だが、レベルが1のままという現状から鑑みると、俺の考えは恐らく正しいのだろう。

 勘弁してくれ……。ただでさえ俺は一般人で弱いのに、レベル上がるのまで遅いとか最悪だ。しかも俺は後半に仲間になるタイプというよりも、イベントの進行状況から見れば、ほぼゲーム開始時からリュカの仲間ですよ? 成長率が遅いのはひどいです。これはないんじゃないでしょうか。強くなる前に死んでしまうと思います。ゲームバランスどうなってるんですか。俺一人だけ糞ゲーですか。

「ひでぇ……」

 泣きたいです。泣いてもいいですか。泣きますよ、俺? 本気で涙が出てきそうだ。

 そんな俺だったが、ふとある偉人による名言を思い出した。

『──逆に考えるんだ』

 逆……? 逆に……考える……?

 レベルが上がるのが遅いというのを逆に考えてみる。これはつまり、俺は大器晩成型の証。そういうことなんじゃないか? いや、きっとそうに違いない。俺はやればできる子だ。レベルが上がった暁には、デコピン一発ではぐれメタルを屠るような男になれるはず。今は雌伏の時なのだ。未来はきっと薔薇色に輝いているのだ!

「よーし、元気出てきたぞー!」

 いつのまにか暗鬱とした気分も晴れ、体には力が漲ってきた。四肢には溢れんばかりの活力が充満している。座り込んでいる場合じゃない。

 立ち上がれ、俺! 

 走り出せ、俺! 

 駆け抜けろ、俺!

「うおおおおおおおおッ!」

 俺はバネ仕掛けのように勢いよく立ち上がると、洞窟の更なる奥を目指して走り出した。向かうは、栄光の明日。

 さようなら弱気な俺。

 こんにちは新しい自分。

「おおおおおおッ!!」

 薄暗い洞窟を、一筋の風のように駆け抜ける。一歩踏み出す度に足音が壁に反響して洞窟に響き、心地よいメロディを奏でてくれる。走り出した足は止まらない。今や俺は、洞窟を疾走する一匹の獣。光速を超え、神速に迫る弾丸野郎。夜空を切り裂く流れ星。俺は風だ。風になるのだ! 今の俺なら、烈海王にだって勝てるッッ!!

「いや、やっぱり烈海王は無理だな……」

 そんなことを考えながらしばらく走っていたが、俺はあることに気が付いて足を止めた。

「ところで、ここ……どこ?」

 右を向いても洞窟。左を向いても洞窟。もちろん上を向いても下を向いても洞窟だ。ハイになって走っていたため、どちらが出口なのかも覚えていない。

「どう見ても迷子です、本当にありがとうございましたッ!!」

 こうして俺は迷子になった。





 ドナドナのメロディが頭の中を流れていく。これほど、今の心情にマッチした曲はないだろう。

「いや、いかん。暗い曲だと、気分が更に落ち込むだけだ。ここは一つ明るい曲で気分転換しなければ」

 脳内BGMをトトロのテーマ曲に強引にチェンジ。

 歩くのー、大好きー。

「どんどん……行こう……」

 行きたくねーよ。もうこれ以上歩きたくねーよ。歩くの大好きでも何でもねーよ。ふざけんなよ、おい。聞いてんのかコラ。

「だめだ、この曲は迷子の時には向いてないことが判明した……」

 明るくなるどころか、一層暗い気分になっただけだ。このままだと突発的に自殺でもしたくなりそうだ。何か明るくなれる話題を考えよう。楽しいこととか、そういうのを。うん、そうしよう。

 えーと……。そうだ。俺はこの世界にはしばらくい続けることになりそうなんだよな。ってことは、最悪本気でこちらの世界に定住するのも考えないといけない。

 となると、今のうちから人生設計を立てておいた方がいいだろう。やはり俺にも将来的に伴侶がほしいな。美人で気立てがいいのはもちろん、できれば楽して過ごしたいから相手は金持ちがいい。美人で気立てがよくて、金持ちの娘……。そんな女、そうそういねーよな……。

「あ、いた」

 フローラという存在がいた。いましたよ。このまま俺がリュカと一緒にずっと旅を続けると仮定しよう。で、リュカのヤツを意図的にビアンカと仲良くさせて、最終的にくっつけてしまえば……。そうすれば、俺にもフローラを嫁にできる可能性が出てくる。

 アンディ? そんなヤツは知らん。どうせヤツはサラボナ火山でリタイヤだ。その間に俺がフローラにアプローチしまくれば、惚れてくれる可能性が高い。

 もしすぐに惚れてくれなくても、まだ手はある。ルドマン邸で俺も花婿候補として当初から立候補しておけばいい。これならリュカと共に指輪探しを終えた時には、俺にも花嫁選びをする場が提供されるはず。

 基本的にフローラは親の言う事に黙って従うタイプ。ルドマンが俺を認めさえすれば、フローラは流されるままに受け入れて結婚は確実。結婚さえしてしまえば後はこっちのものだ。逆玉の輿万歳だ。

「フローラは俺が頂くッ!」

 俺は胸の奥で決意の炎を燃やした。今後はリュカとビアンカのキューピット役をしてやろう。うんうん、俺はなんていいヤツなんだ。ありがたく思えよ、リュカ。お前がビアンカと結婚すれば、みんな幸せになれるのだ。

「うははははははは!」

 笑いが止まらねぇぜ! 本当は行くのを強引に拒否しようかとも思ったが、この先のレヌール城のイベントも自主的に参加決定だ。リュカを立てて、存分にビアンカの前で活躍させまくってやろう。

 ビアンカは強がっては見せているが、本当はお化けは怖いはず。リュカに対してお姉さんぶっても、まだ八歳の子供だ。俺がわざと後ろから脅かしたりすれば、思わずリュカに抱きついたりするかもしれん。あるいは、手を繋がないと歩けなくなるかも。こうしてフラグは着実に立てられていくのだ。うん、この方向でいこう。

「うはははは! ん、何だ……?」

 少し先の方で、何やら騒がしい気配がした。誰かが争っているような激しい物音も。

「魔物が喧嘩でもしてんのか?」

 気楽に考える。もし魔物がいても、今度は見つかる前に逃げてしまえばいいだけだ。今の俺は一味違う。油断さえしなければ絶対逃げられる。そう思い、のんびりと歩を進めた俺の前に現れたのは、

「くうッ!?」

 魔物に囲まれ、苦悶の呻き声を漏らす満身創痍のリュカの姿だった。

 苦痛に顔を歪め、体の痛みに耐えながら必死で立ち回っている。

「リュカ!?」

 おいおいおい。デジャヴュな光景が飛び込んできましたよ。どっかで見た光景だな、おい。……って、思い出に浸ってる場合ではないな。このままだとリュカが魔物にやられてしまう。

 敵の数は……全部で三体か。スライム一匹に、いっかくウサギが二匹。これなら俺が加勢すれば、何とかなる……のか? えぇい、ごちゃごちゃ考えてる暇はない! 当たって砕けろだ!

「おああああああああああッ!!」

 わざと大声を出してから突撃する。こちらは素人な上に、素手のまま。戦法も糞もない。俺は腕をぐるぐる回しながら、だだっこパンチで突貫した。

 予想通り魔物は一瞬こちらに気を取られ、リュカへの攻撃が止まった。俺の姿に呆気にとられたのかもしれない。それでも、結果として作戦は成功だ。





 リュカには当初、何が起きたのかは分からなかった。魔物が動きを止めた時間。それは時間にすれば数秒にも満たない、ほんのわずかな時間。一瞬の隙にしかすぎない。されど、一瞬でも魔物の手が止まったのは紛れもない事実。

 ──そして、その隙をリュカが見逃すはずもなかった。

 未だ子供とはいえ、パパスより譲り受けた戦士としての天賦の才は伊達ではない。魔物の攻撃を受け続けて朦朧としていた意識が、生存本能によって呼び覚まされる。何が起きているのかは分からなくとも、何をすべきなのかは体が理解している。

 リュカの体が沈んだ──と思ったのも束の間。まずは正面にいたいっかくウサギを、手に持った樫の杖の頭で殴り付ける。鈍い音がして、いっかくウサギは後方へと吹っ飛んだ。二度三度地面をバウンドし、それからピクりとも動かなくなる。

 だが、リュカの攻撃はこれだけでは終わらない。そのまま殴った反動を利用して、背後のスライムを杖の先端部分で刺し貫く。突然の闖入者に気を取られ、硬直したままだったスライムがその攻撃を避けられるはずもない。スライムは、フォークを突き刺した後のゼリーのような姿になって地に沈んだ。

 残るは、リュカに対して右斜め前方にいるいっかくウサギのみ。このままいけば楽勝か? そう思われたが、そうはならなかった。

 野生の力か、それとも魔物の本能か。残るいっかくウサギは、今までの二体とは違ってリュカに対して素早く反撃を敢行してきた。鋭い角をかざし、リュカのわき腹目掛けて突進してきたのだ。何とか隙をついて二体の魔物を倒したものの、杖を振り切って不自然な体勢のままだったリュカは、とっさに反応することができなかった。回避は、間に合わない。

 ──失敗しちゃったな。僕、やられちゃうのかな。

 悔しさと恐怖がごちゃまぜになった感情が、リュカの心の中を支配する。

 もうダメだ。

 リュカはこれから訪れるであろう痛みと衝撃に備え、思わず目を閉じた。

 そして……いっかくウサギの角が、今まさにリュカを捉えんとした瞬間。

「どっせーい!!」

 目を閉じたリュカの耳に聞こえてきたのは、頼もしいかけ声だった。





 俺のグルグルパンチが、いっかくウサギの後頭部に炸裂!

 会心の一撃! 俺はいっかくウサギを倒した!

 全ての武を捨てた俺の攻撃の前では、ウサ公など臭いだけの小動物に過ぎぬわ!! ざまぁみやがれウサ公め!

 ……正直言うと、まさか倒せるとは思わなかったけどな。偶然当たり所が良かったというのと、今までにリュカがダメージを与えてたおかげか? まぁ、勝ったんだからいいや。

「おいリュカ! 大丈夫か!?」

 目を閉じたままよろめき、今にも倒れそうになっているリュカに駆け寄る。

「何で目を閉じてんだお前は? おいコラ、平気か? 生きてたら目を開けろ!」
「あれ……? ユート……?」
「おう、俺だよ。俺、俺。やっと目を開けたか」

 なんかこの問答では俺俺詐欺みたいだな。俺はリュカに肩を貸すと、その華奢な体を支えた。

「あ、そっか……。ユートが、たすけてくれたんだね……」
「その通りだ」
「ユートは……いつも、僕の……あぶないところを……たすけて、くれるんだね。あは、すごいや……」

 そう言って力なく笑うリュカ。どことなく剣呑でヤバい雰囲気だ。これは少し、怪我が大きすぎるのかもしれない。

「ええぃ! くそッ! めんどくさい! 何で俺がこんな目に!!」
「わッ? な、なにを……?」
「うるさい! いいから黙ってろ!」

 俺はリュカを強引に背負うと、脇目もふらずに洞窟の道を走り出した。





 あの後、奇跡的に村へはすぐに戻ることが出来た。よくよく考えれば、サンタローズの洞窟の中はそこまで複雑な地形ではない。一度川を見つければ、後は下流に向かえばいいだけだしな。……そんな洞窟で一度迷子になった俺のことはさておき。

 リュカはパパスの反則ホイミと、サンチョの献身的な世話のおかげであっという間に全快した。もちろん大目玉を食らって、パパスから説教を一時間ほど受けてたけどな。納得いかないのは、俺も巻き添えで叱られたことだ。曰く、子供だけで洞窟に行くとは何事だ、と。パパスからはリュカと一緒に拳骨を頂いた。理不尽だとは思ったが、パパスは本気で叱ってくれていたのが分かっていたので黙って受け入れた。自分の子供と同じように接するパパスに、ちょっと感動したのは秘密だ。

 ちなみにリュカの方は、しっかりと洞窟で薬を取りにいった人を助けていたらしい。その帰りに魔物に襲われてたら世話ないけどなー。

「しかし、パパスさんの拳骨は痛かったなぁ……」

 夜、ベッドに入ってもまだ頭がズキズキする。コブになってるんじゃなかろうか。ちょっと涙目の俺。だが、同じく拳骨を受けたはずのリュカは、隣のベッドで何故か笑っていた。

「おい、何笑ってるんだリュカ?」
「あ、ごめん。でもうれしくって」
「嬉しいって何が?」
「んー……秘密」
「秘密かよ、おい」

 秘密を持ちたがる年頃なんだろうか。何となく悔しくなった俺は、

「今日は遅いし、もう寝ろよ。リュカはあれだけ怪我してたんだし、早く休め。じゃあな、おやすみ」

 と、強引に会話を打ち切って目を閉じた。

「ねぇ、ユート」
「何だ?」
「……今日はありがとね。じゃあ、おやすみ」
「……あぁ、おやすみ」

 しばらくすると、リュカの穏やかな寝息が聞こえてきた。リュカの寝息を聞きながら、ゆっくりと俺も眠りの世界に落ちていった。



[4690] 第4話
Name: 例の人◆9059b7ef ID:6d7552d7
Date: 2008/11/07 04:54
 未来はためらいながら近づき、現在は矢のように飛び去り、過去は永遠に静止している。

 三十路前という年齢の俺にとって、勉強などという行為は遠い過去の思い出の産物である。

 友と机を並べ、教師の言葉に耳を傾け、一心不乱にノートに筆記。懐かしきかな、懐かしきかな、学生時代のあの頃の俺……。過ぎ去りし哀愁の日々は、決して戻ってはこないのだ。

 そんな風に考えていた時期が俺にもありました。

「ユート坊ちゃん。よそ見はいけませんよ」
「はい、すんません」

 ここはサンタローズの村、パパス家の一室。

 俺が村に滞在するようになってから数日が過ぎていた。

 サンタローズの洞窟は、危ないからということであれから立ち入り禁止になってしまった。村の外に出ようにも、外は魔物が出るからと子供だけでは出してもらえない。見張りの兵士さんが通せんぼだ。

 洞窟には入れない、外にも出られないとなればレベル上げもできない。となると、村の中でできることを探すしかない。

 そう思った俺はサンチョに頼んで教師役をやってもらい、先日からこの世界の読み書きを教えてもらっていたのだ。

「それにしてもユート坊ちゃんは偉いですな」
「何がですか?」
「自分から進んで勉強を教えてほしいとは、感心なものです。それに物覚えも早いですし、教えがいがあるというものですよ」
「いやぁ……」

 そんなに褒められると、照れてしまいますよ。読み書きは全くのゼロからのスタートだったとはいえ、俺の中身は二十八歳である。開始当初はさすがに四苦八苦したが、慣れればそれほど苦にはならなかった。

 それに、文法とか文字の形はどことなく日本語に似てるんだよな。まだ習って数日だが、簡単な読み書き程度はできるようになったと自負している。

 俺とてできるなら面倒だし勉強なんてしたくはないが、そんな甘いことは言ってられない。だって、今のうちに習っておかないと後々苦労するのが分かってるしね。読み書きできるかどうかは、文化的に生きていく上で最も重要な要素である。この世界の識字率がどうなっているのかは不明だが、子供とは勉強するものというのが俺の認識だ。たとえそれが中身は大人であっても、だ。とにかく今は勉強第一。

 それにしてもこうやって誰かから勉強教わるのは、一体何年ぶりのことだろうか? 現実世界の学生時代では、教師の話など適当に聞き流していただけであったが、こうやってサンチョから教わっていると、生きていくために勉強を習うという行為がどれほど尊い行為なのかがよく分かる。

 だから、だからこそである。お前ももうちょっと真面目にやらんかい!

 俺は隣に座っている学友、もといリュカを見やった。

 サンチョから、紙に自分の名前の書き取りを命じられていたリュカは、いつの間にか手が止まってイスの上で舟をこいでいた。

「寝るな。起きろリュカ」
「……えぅ?」

 寝ぼけた声で返事が返ってくる。緩慢な動作で顔を上げ、辺りをぼんやりと眺めるリュカ。まだ夢の中にでもいるのか、うつろな目は焦点があっていない。

 あ、口の端からちょっとよだれが出てる。汚ねぇな、おい。

「リュカ坊ちゃんも、もう少しユート坊ちゃんを見習ってほしいものですな」

 そんなリュカの様子を見て、サンチョが苦笑していた。

「あーあ、もう。口くらい自分で拭けよ……」

 俺はハンカチを取り出すと、リュカの口元を強引にこすった。これくらいやれば、さすがにこいつも完全に起きるだろう。何だか、手のかかる弟ができたみたいだ。世話を焼かずにはいられない。……このハンカチは、後で洗っておこう。

「わ、わぷッ!? ユート何するの!?」
「よだれを垂らして寝てたリュカの口の周りを拭いてる」
「いや、そうじゃなくて」
「今まさに拭き終えようとしている」
「だから、そうじゃなくて……」
「はい、終わったぞ」
「あ、ありがとう。じゃなくて!」
「ほらほら、静かにする」
「もう! ユートはそうやってごまかすんだから!」
「うるさいぞ、リュカ。そんなに騒いでていいのか? 怖~い先生が目の前にいるんだぞ?」
「……え?」

 リュカが顔を上げると、そこにはちょっぴり怒りを溜めたサンチョの姿が。

「リュカ坊ちゃん? サンチョの教えは、そんなにつまらないですかな?」
「あ、えーと……。あはは」

 笑ってごまかすリュカだったが、書き取りの量は倍にされてしまいましたとさ。





 勉強も終わり、ひとまず休憩。サンチョの作った昼食を、戻ってきたパパスも交えて一家全員で食べた後のことである。パパスがおもむろに、俺とリュカに向かって話を始めた。

「手に入った薬を煎じ終えたので おかみさんとビアンカは今日帰ってしまうらしい。しかし、女二人では何かと危ない。二人をアルカパまで送っていこうと思うのだが お前達もついてくるか?」

 あー、そういえばビアンカ達はサンタローズ村に滞在してたんだよな。まだ帰ってなかったのか。

「うーん……。ユートはどうする?」
「え? 俺?」

 リュカが俺に話を振ってきた。何だかここ数日、リュカがやけに俺に懐いてきている気がする。サンタローズの洞窟で助けてやったせいだろうか? 何かことあるごとに「ユート、ユート」と俺の名を呼んでくる。

 読み書きの勉強の件だってそうだ。家の外で遊ぼうとしていたリュカだったが、俺がサンチョに勉強を教わると聞くと「僕もユートと一緒にやる!」と言って後に続いてきたのだ。

 その結果、今日は途中で居眠りしてやがったけどもなー。やる気があるのかないのか、いまいち分からんやつである。俺は一人っ子だったので、世話の焼ける弟ができたような気分になれて満更でもないけどね。

「ここにいても暇だし、俺達も一緒に行くか?」
「うん!」

 リュカが嬉しそうに頷いた。もし「俺はめんどいからパス」とか言っていたら、リュカも俺と一緒に村に残りそうだ。それはいかん。俺の幸せ計画を実行に移すためには、リュカはアルカパに連れて行く必要がある。リュカにはこの先ビアンカと仲良くしてもらって、行く末はカップルになって結婚してもらわねば。具体的に、夜のレヌール城でしっぽりと仲良くしておくれ。俺も後押ししてやるから、いっそビアンカを押し倒しちまってもいいぞ! 既成事実を作ってしまえ!

 そんなことを内心では考えていたが、もちろんおくびにも出さない。リュカやパパスの前では、あくまでもいい子を演じる俺である。計画は密やかに進めるべし、だ。

「相変わらずお前達は仲がいいな! よし、そうと決まったらさっそく出かけることにしよう!」

 元々、身一つでドラクエ世界に投げ出された俺。どこかへ出かけるといっても、大して荷物もない。ましてや今回は、日帰りで行けような距離にある近くの町まで行くだけだ。他のみんなも同じようで、準備に手間取ることもなく、すぐに出発することとなった。

「旦那様、リュカ坊ちゃん、ユート坊ちゃん。どうかお気を付けて行ってらっしゃいませ!」

 サンチョに見送られながら家を出て、ビアンカとおかみさんに合流してから俺達一行は村の入り口へと向かった。

「おや? パパスさん、お出かけですか?」
「うん。ちょっと、アルカパの町までな」

 少し歩くだけで、村中の人々から口々に挨拶の言葉が出てくる。そんな中を、軽く手を振りながらパパスは気軽に返事をして歩を進める。

「リュカのお父さんって、すごいにんきなのね」
「そうなのかな?」
「そうよ」
「僕にはよくわかんないや」

 途中、ビアンカとリュカがそんなやり取りをしていた。偉大な父親の重圧とか、そういうものはまだまだリュカには無縁の年頃なようだ。

「これはパパスどの。お出かけですかな? どうぞお通りください」
「やあ、ごくろうさん」

 俺とリュカがどれだけ頼んでもどいてくれなかった、村の入り口にいた見張り役の兵士は、パパスの顔を見ただけで道を開けてくれた。さすがはパパス。VIP待遇だ。顔パスとは、ずるいぜ。

 村を出てから小一時間ほど歩くと、アルカパの町に呆気なく到着した。途中、魔物に一度も襲われなかったのは運がいいのやら悪いのやら。俺としては魔物はウェルカムだったんだが。迫りくる魔物の群れをバッタバッタと(主にパパスが)薙ぎ倒し、経験値をがっぽりと頂きたかった。悲しいかな、俺は未だにレベル1の身なのだ。

 まぁ、アルカパの町に着いてしまったからには仕方がない。ここは涙を呑んで気持ちを切り替えよう。でも悔しいなぁ……。パパスの力添えがあれば、俺のレベルも少しはマシになりそうなのに。何で俺はレベルが上がらないんだよ、なぁ?

「ユートどうしたの? 元気ないけど、おなかでもいたいの?」

 隣を歩くリュカが心配そうに声をかけてくれるけど、今は君の優しさが辛いです。だってなぁ……。リュカってすでにホイミ使えるんですよ、ホイミ。俺も使いたいよホイミ。「気がついたら使えるようになってた」とは本人の談だが、羨ましいことこの上ない。こっちがレベル1のまま苦しんでるのに、一人だけサクサクとレベル上げやがって。

「ユート、だいじょうぶ?」

 うるせー、ちくしょー。主人公だからってずるいぞバーロー。富の偏在は不公平だー。

「ユート……?」

 くぅ!? 何て破壊力のある目でこっちを見やがるんだ、こいつは!? これが目で殺すというやつか? そ、そんな純真な目で俺を見るな。俺の汚れた心を覗き込まないでおくれ! 思わず起き上がって仲間になりたくなるような目はやめてくれ!

「どれ、私もダンカンを見舞うことにしようか」

 パパスの言葉で俺は我に返った。葛藤しているうちに、いつの間にかアルカパの宿屋に到着していたようだ。ここの宿屋の主人がダンカンさんこと、ビアンカの親父さんである。

「わたしのお父さん、病気でずっとねているのよ」
「そっか。はやくよくなるといいね」

 ビアンカの説明に、相槌を打ちながら答えるリュカ。俺はあえて一歩引いた位置からその様子を眺める。

 いいぞ、どんどん会話するんだ。そしてもっと仲良くなるんだ。俺はもちろん会話に加わるなんて無粋な真似はしないからな。若い者同士、二人だけで盛り上がってくれればいい。今は俺も若いけど、それはひとまず置いておくから気にしない。とにかく早くカップルになっておくれ、君達。

「お父さん、僕はどうすればいい?」

 おかみさんに続いてダンカンの元へ行こうとしたパパスに、リュカが声をかけた。

「ん? おお、そうだな。リュカ、ユート。お前達、もし退屈ならその辺を散歩してきてもいいぞ」
「うん、わかった!」

 パパスに返事をすると、リュカは俺の元まで小走りに駆け寄ってきた。

「ユート! 町の中を散歩してもいいんだって! どこか行く?」
「え? あ、うん。そうだね。どうしようか」

 リュカよ。何故に俺の方に来るのか。あえて目立たないように下がっていたのに、リュカの方から俺のとこに来たら意味がないじゃないか。今までビアンカと話してたんだから、そっち行きなさいよ君。ちらっとリュカの背後にいるビアンカの方を見てみる。あ、ちょっと不機嫌そうだ。仕方ない、フォローしておこう。

「えーと。俺とリュカは少し出てくるけど、ビアンカはどうする?」
「お散歩に行くの? わたしもつきあうわ」
「よし、決定だ。三人で散歩に行こうか」

 リュカとビアンカを引き連れ、アルカパ観光ツアーの開始だ。





 しかし、アルカパは町というだけあって立派なもんだ。俺は目の前に広がる町並みに目を細めた。サンタローズの村に比べると、民家も倍近くある。人が多いということは、単純に考えると栄えている証だ。武器屋だけじゃなくて防具屋まであるしなー。サンタローズの村が田舎だとすれば、ここアルカパの町は幾分か都会的だと思う。「村」じゃなくて「町」なんだから当たり前のことかもしれないが。

 この町で何より目を引くのが、先ほど俺達が出てきた宿屋だ。庭付き三階建ての立派な宿屋で、現代でいうなら中堅のホテルクラスだろう。ビアンカの説明によると、実際に町の名物にもなっているらしい。
 
 ちなみに宿屋の近くにはバニーさんがいる酒場があったので、俺はまず最初にフラフラっとそちらへ向かってしまい、導かれるように中に入ってしまった。

「こんなところにきてどうするの、ユート?」
「ここはお酒をのむところよ」

 リュカとビアンカが呆れていたような気もするが、俺はバニーさんを一目見れただけで満足だ。うん、やっぱりバニーはいいな。乳でかいな、おい。眼福、眼福。

「あら、お嬢さん! 彼氏を連れて、お酒を飲みにきたのかしら!? でも、中々かわいい顔の彼氏ね。大きくなったら、きっとかっこよくなるわよ」
「か、かれし? べつにちがいますッ」

 と、ビアンカがバニーさんに冷やかされて、赤い顔で慌てたりもしていた。リュカの方は何を言われているのか分からずに、不思議そうな顔をしてただけだが。フラグ成立の道のりはまだまだ遠そうだ。

 ……それはともかく。おーい、バニーさんやーい。ビアンカ冷やかすのはいいけど、男はリュカだけじゃなくて俺もいますよー。何で俺だけ無視するんですかー。俺は別に将来かっこよくなりそうにないというのですか? そうなんですか? 泣きますよ? 俺は心に10のダメージを受けた!

 酒場を出た後は、行く先は素直にビアンカに任せた。さすが地元の人間だけあって、ビアンカの足には迷いがない。ここは教会、ここは道具屋と、子供とは思えないほどしっかりと説明しながら案内をしてくれる。

「あら、あれは何をしているのかしら?」

 案内役のビアンカの言葉に、彼女の後に続いて歩いていた俺とリュカは同時に足を止めた。何事かと一瞬リュカと顔を見合わせ、すぐにビアンカの視線の先に目を向けてみる。

 そこには悪ガキそうな子供二人に囲まれていじめられている、一匹の小さな獣の姿があった。



[4690] 第5話
Name: 例の人◆9059b7ef ID:6d7552d7
Date: 2008/11/16 21:20
 犬は喜び庭駆け回り、猫はコタツで丸くなる。

 冬の定番ソングが俺の頭の中で流れ始めていた。

「あなたたち! なにをしているの!?」

 ビアンカの怒声がアルカパの町に響く。その厳しい視線の先には、子供達にいじめられている一匹の獣の姿があった。

 燃えるような赤いたてがみに、ツンと尖った大きな耳。警戒心からせわしなく動く、たてがみと同じく赤い尾。それに立派な牙と鋭い爪。豹柄の体は獅子のそれを思わせる。

 だが悲しいかな、まだまだ体は幼体のようだ。必死になって抵抗しようにも、その身は子供達にいいようにあしらわれていた。

「なんだよう! 今こいつをいじめて遊んでるんだ! ジャマすんなよなっ!」
「ガルルルルー!」

 獣が低く唸り声を上げた。

「変わった猫だろ!? 変な声でなくから面白いぜっ」
「ほら、もっとなけ! ほらほら!」

 子供達が調子に乗って獣をつつく。獣は牙をむき出して、先ほどよりも大きな声で唸り声を上げる。そんな獣のなき声を聞いて、ますます調子に乗る子供達。ループ状態だ。

「やめなさいよ! かわいそうでしょう。その子をわたしなさい!」

 ついに見ていられなくなったのか、ビアンカが獣と子供達の間に割って入っていった。

「おい、この猫をわたせってさ。どうする?」
「そうだなあ。いじめるのもあきてきたし、欲しいならあげてもいいけどさぁ……」
「うーん、でもなぁ」
「タダでやるのも、もったいないよなぁ」

 子供達は、顔を見合わせて思案している。相談はなかなかまとまらないようだ。

 その頃俺とリュカも、少し離れた位置で顔を見合わせていた。

「ユート、どうしよう?」
「どうしようって言われてもなぁ」
「ビアンカ、猫さんのほうに行っちゃったよ」
「行っちゃったなぁ」
「どうする?」
「どうしようかなぁ」

 上の空で返事を返す俺。相変わらず、リュカは俺に行動の指針を求めてくる。俺はお前のご意見番か? そもそも、お前らの目は節穴かと言いたい。小一時間問い詰めてやりたい。あれのどこが猫に見えるのか。猫は「ガルルル」とかなきません。この世界に虎やライオンといった動物がいるのかどうかは不明だが、あの獣っ子はどう見ても猫というよりそっちの方だろうが。

 ぶっちゃけると、こいつはキラーパンサーの幼体であるベビーパンサーとかいう魔物である。いっそ、この場で俺が猫の正体をバラしてやろうか。今まで猫だと思っていじめていた悪ガキどもには、いい薬になるかもしれん。

 それに、どの道この獣っ子は後々リュカとビアンカに懐くのだ。ならば、今すぐ連れて行っても同じく懐くだろう。今後話の展開次第でレヌール城に行くにしろ行かなくなるにしろ、戦力は少しでも多い方がいい。報酬の先払いということで、獣っ子を今すぐ渡すのを条件にレヌール城のお化け退治を引き受けることを提案してやろう。ベビーパンサーの力があれば、レヌール城の探索も容易になるはずだ。よし、決定。そうしよう。

「その猫を先に──」
「あなたたち! いいかげんにしなさいよッ!!」

 俺の言葉は、ビアンカの声によって遮られてしまった。

「な、なんだよう。大声出しやがって。そんなにこの猫が欲しいのかよ」
「そうだ! いいこと思いついた! レヌール城のお化けを退治してきたらあげてもいいぞ!」
「そりゃいいや。レヌール城のお化け退治と交換で決まりだな!」

 事態は俺を置きざりにして、どんどん勝手に進行していく。開きかけた口のまま、ビアンカの隣で固まっている俺。このやり場のない気持ちはどうすればいいのだろうか。

「レヌール城のお化けですって……?」

 ビアンカは、怪訝な顔をして眉をひそめた。

「知らないのか? 町の北にあるレヌール城にはお化けが出るんだぜ! とにかく、レヌール城のお化けを退治したらこの猫をあげるよ!」
「お、お化けだろうがなんだろうが、退治してあげるわよ!」

 声を荒げ、即答するビアンカ。

 勇ましいのは結構だが、声が震えてるぞビアンカよ。

「ふーん? 本当かな? ま、どうせできるはずはないだろうけどな!」
「期待せずに待ってるよ! おい、もう行こうぜ!」
「あ、そろそろご飯の時間か。じゃあな!」

 悪ガキ二人は、ベビーパンサーを引き連れて家に帰ってしまった。恐らく追いかけても、レヌール城のお化けを退治するまでは何も言うことを聞かないだろう。えてして、子供とは頑固な生き物なのだ。

 ビアンカは「お化け……お化け……」と、ぶつぶつ呟いている。俯いた顔が微かに震えていることから推察するに、内心で何か葛藤があるようだ。

「ユート! レヌール城にお化けが出るんだって!」
「ああ。そうらしいな」
「お化けって本当にいるのかな? ユートは見たことある?」
「いや、ないな」
「そっかぁ。お化けってどんな顔してるのかな? 見てみたいなぁ! ユートもそう思うでしょ?」
「え? いや、俺は別にそんなに……」
「うわぁ! 楽しみだなー! もしお化けと会えたら、お父さんやサンチョにも、きっとじまんできるよ!」
「おーい……」

 顔を上気させ、興奮気味に話してくるリュカ。矢継ぎ早に言葉が飛び出すのは、未知なるものとの遭遇に胸を高鳴らせているせいだろう。俺の答えなど、ろくに耳に入っていないようだ。さすが冒険大好きなお子様である。お化けと聞いて、探究心が抑えきれなくなったらしい。

 こうなっては仕方ない。俺は溜め息を一つ吐いた後、思考を切り替えることにした。お化け退治を無事に終えることだけを考えよう。さて、さし当たって今からどうしたもんかね。

「お化け……。うぅ……でも、猫さんが……」

 相変わらずぶつぶつ言っているビアンカの方へ目を向けてみる。ビアンカは強く噛み締めた唇が青くなっていた。そんなに怖いなら、さっき断ればよかったのになぁ。強情というか、気の強い子だ。もしかすると、俺やリュカの前ではお姉さんぶりたいから虚勢を張ったというのもあるかもしれない。

 やがて、ようやく心が決まったのかビアンカは顔を上げた。

「こうなったら、お化け退治をするしかないわね! リュカとユートも手伝ってくれるでしょ?」
「僕はかまわないよ!」

 間を置かずにリュカがすぐさま返事をする。

「本当!? リュカったらずいぶんたくましくなったのね! びっくりしちゃったわ」
「うん! このままだと猫さんがかわいそうだし、お化けにも会ってみたいからね!」
「え……? そ、そうね……」

 ビアンカが口ごもる。お化けという単語に、思わず反応してしまったらしい。

「ユートはどうするの? もちろん手伝ってくれるんでしょう?」
「ユートも来てくれるよね?」

 じっと、俺の目を見つめてくるリュカとビアンカ。きっと断られることなど微塵も考えていないのだろう。曇りのない目は、人を疑うことを知らない純真そのものである。とてもじゃないが、断れる雰囲気ではない。「だが断る」とか言ったら、一生恨まれそうだ。

 二人はじっと、俺の答えを待っている。俺がすぐに返事をしないせいか、二人の顔は時が経つにつれて不安そうになっていく。

「はぁ、分かったよ。俺もお化け退治に付き合うよ」

 苦笑しながら俺は頷いた。リュカとビアンカの顔は、ぱぁっと花が咲いたように明るくなった。

 こうして当初の予定通りとはいえ、俺もレヌール城のお化け退治に参加が決定した。

「猫さん、ぜったいに助けてあげようね、リュカ!」
「うん! がんばろうね!」

 さて、それじゃ盛り上がってるお子様達に一つ単純な質問をしてみようか。

「でも、お化け退治っていつ行くつもりなんだ? 俺とリュカは今日にもサンタローズ村に戻るんだぞ?」
「あ」
「あ」

 リュカとビアンカの声が、見事にハモった。

 ……やれやれ。





 結論から先に言うと、俺とリュカはしばらくアルカパの町に滞在することが決まった。

 まぁ、俺だけは何となくこうなることは分かってはいたが、とにかく掻い摘んで経緯を説明する。

 あの後ダンカンへの見舞いが終わったパパスが、俺とリュカを連れてサンタローズ村へ帰ろうとした時だった。

「パパスさん、パパスさん! このまま帰るなんてとんでもない! せめて今日だけでも泊まっていってくださいな!」

 宿屋の人達が、そう言ってパパスを引き止めたのだ。

「それではお言葉に甘えることにするか」

 パパスは快くその申し出を受け、

「ああよかった。どうぞこちらへ」
「じゃあパパスさん、どうぞごゆっくり」

 あれよあれよと俺とリュカも部屋に案内されて、

「さてと……。明日は早く出るぞ。村の皆が待っているからな。今日はもう眠ることにしよう。おやすみ、リュカ。おやすみ、ユート」

 と言われて、パパスと共に床についたまではよかった。異変はすぐに起きた。ベッドに横になったパパスが一時間もしないうちに、くしゃみを連発し始めたのだ。

「ハクション! ハクション! うう、頭が痛い……。どうやら、ダンカンのやつに風邪をうつされてしまったらしいぞ。情けないことだ」

 そこからは大騒ぎ。宿屋の人がダンカンへ用意した薬と同じものを大慌てで処方したり、「薬など飲まなくても大丈夫だ」と言い張るパパスに強引に薬を飲ませたりと、気がつけばあっという間に一夜が明けていた。

 こうして結局、パパスの具合がよくなるまでは宿に滞在を続けることになったのだった。

 その後、昼になると「散歩に行く」と言って俺とリュカとビアンカの三人は、遊びにいくふりをして宿から出た。

 今すぐレヌール城へ行こうにも、町の入り口ではサンタローズ村と同じく兵士が見張っていて子供だけでは通れない。

 では、どうするか? 

 そんな時こそ、話し合いだ。三人寄れば文殊の知恵。みんなで話し合えば、いい知恵も浮かんでくるというものだ。

 俺達は一つのテーブルを囲い、それぞれイスに座って顔を突き合わせていた。

「では、今からレヌール城お化け退治作戦対策会議を始める」

 厳かな宣言と共に、会議は開始された。俺はリュカとビアンカに向かって、真面目な声で言い放つ。

「では、意見のある者は遠慮なく言うように!」
「それはいいけど……。ユート。話し合いするのに、どうしてこんなとこにくるの?」
「前にも言ったけど、ここはお酒をのむ場所よ。大人の人しかきたらだめなんだからね」

 人もまばらな昼間の酒場に、呆れたような子供達の声が響いた。明らかに非難を込めた視線が俺を責め立てている。

 そ、そんな目で俺を見ないでくれ。……だって、だって仕方ないんだ。宿屋を出た後、俺の足がいつの間にか酒場に向かったんですよ。俺は見た目は子供でも、中身は健全な成人男性。バニーさんという名の、おっぱい神の導きには抗えないんです。俺は悪くない。悪いのは、俺の意思に反して勝手に動いた足だ!

「とにかく、細かいことは気にせずに話を進めよう」

 リュカとビアンカは不満そうな顔だったが、俺は強引に話を進め始めた。バニーさんは「あらあら? 酒場で秘密の会議かしら? うふふ、頑張ってね」と、素敵な笑顔で承認してくれたので、この場で話し続けても問題はない。

 それにしても、バニーさんはいいなぁ。あの乳がたまらん。この世界のバニーさんは、みんな巨乳なのだろうか? 乳を見るためだけに、今後も俺は酒場に通いつめてしまいそうだ。あ、他にもカジノにもバニーさんいたな。夢はどこまでも広がるぜ。いつか、ドラクエ世界バニーさん観賞の旅に出かけるのもいいかもしれん。バニーさん素晴らしいよ、バニーさん。

「ユート、どうしたの? へんな顔してるよ?」
「……え?」

 心配そうなリュカの声で、俺は我に返った。妄想が広がりすぎてトリップしていたようだ。

「い、いや、なんでもない。うん、話を続けようか? えーと、どうやって町から出るかだったな」
「うん、そうだよ。こっそり出るのは無理かなぁ……」
「向こうは大人だし、さすがにこっそり出てもバレるだろうな。しかも、こっちは三人もいるからなおさらだ」
「そっかぁ……」

 落胆するリュカに、ビアンカが声をかける。

「そのことなんだけどね。見張りのおじさん、夜になるといつも寝ちゃうの。わたし知ってるんだから」

 この一言で、今後の指針は決定した。昼間は宿屋で仮眠をとって、夜になったらレヌール城へ出かけようと、そんな風に決まった。

「あぁ、そうだ。実は、宿屋にいた詩人の人から、レヌール城について聞いた話があるんだが……」

 俺はおもむろにリュカとビアンカの顔を見回すと、声を潜めてそう言った。本当は小さな声で話す必要はないが、雰囲気作りだ。

「え? なになに? もしかして、お化けの話?」
「お化け……? そ、そうなの……?」
「まぁ、いいから聞いてくれ。昔々、レヌールの城にはたくましい王と美しい王妃が住んでいました……」

 俺が話を始めると、二人とも何も言わずに黙り込む。リュカは楽しそうな顔で、反対にビアンカは少し強張った顔で俺の話に聞き入っている。

「しかし二人には子供ができず、いつしか王家も絶え、お城には誰もいなくなったのでした。ところが、そのレヌール城から夜な夜なすすり泣く声が聞こえてくるという。その泣き声は……」

 一旦、話を止める。そして小さく笑うと、

「ギャアアアアアアッ!!」

 唐突に叫んでやった。

「うわぁああああッ!?」
「いやぁあああああああッ!?」

 リュカとビアンカの絶叫が響き渡る。特にビアンカは、よっぽど怖かったのかイスを蹴倒して店の奥へと逃げ出してしまった。

「ホギャアアアアアアッ!!」

 そんなビアンカを更に追撃。ずっと俺のターン!

「キャアアアア!? いやぁあああああッ!?」
「ギャアアアアアア! うおおおおおおッ! きしゃあああああッ! ほあああああッ!」

 大騒ぎしながら逃げるビアンカと、ノリノリで叫んで追いかける俺。どうすればいいのか分からずに、おろおろしながら店内を右往左往するリュカ。まさに阿鼻叫喚。

 この後、涙目になったビアンカに俺が土下座するまで追いかけっこは続いた。そんなこんなで、酒場での話し合いは幕を閉じたのだった。



[4690] 第6話
Name: 例の人◆9059b7ef ID:6d7552d7
Date: 2008/11/16 21:23
 酒場を出た後、リュカが「お酒っておいしいの?」と言い出した。

 いきなりのクエスチョン。当たり前だがリュカはまだ六歳。お酒の味を知らないお子様である。むしろ、この年で知っていたら逆に怖い。ヤンキーの子供ではあるまいし、とにかく今までリュカには酒を飲んでみる機会など皆無だったようだ。パパスは意外と酒好きのようだが、酔っ払ってもリュカに飲ませたりはしないからね。

 ビアンカはお姉さんぶって「子供にはのませてもらえないくらいだから、おいしいに決まってるわ」とか言っていたが、ビアンカも飲んだことがないのは明白だった。

 リュカもビアンカも飲酒経験はなし。残る俺は、中身は二十八歳。つまり超大人。精神年齢だけはバリバリの成人男性である俺は、もちろん現実世界で飲酒を経験済み。酒豪やザルと言えるほどではないが、カクテルやチューハイなどの甘めの酒が好みで、それ系なら一晩中でも余裕で飲める。

 あ、ビールは飲めないこともないけど苦手です。ウイスキーやワインは好きでも嫌いでもないです。日本酒は甘口ならどんとこい。とにかく、俺はそれなりに大人の味を知っている男なのだ。

「いいか、リュカ。酒は子供のうちは不味いとしか感じない。だが、大人になればなるほど美味くなるんだぞ。お前にもいつか分かるさ」

 かっこつけてそう言うと、リュカは「ほへー」と珍妙な声を上げて感心していた。

「それでも、やっぱり子供だけで酒場にくるなんてよくないわよね」

 ビアンカは不満そうだが、そう言われても俺は中身は大人なんだ。分かってくれ。この体では酒は飲めないが、せめてバニーさんくらいは見たい年頃なんです。

「お酒かぁ。僕もいつか、お酒のんでみたいなぁ」
「ま、子供が酒飲んでも怒られるだけだし、いつかリュカが大人になったらな」

 俺はリュカにそう答えると、ターバンの上から頭をくしゃくしゃっと撫でてやった。

「もう~! ユートは時々、僕を子供あつかいするんだから! 僕はそんなに子供じゃないよ!」
「いや、だってお前、どこからどう見ても子供だろうが」
「ユートだって僕と同じくらいの年じゃないか。もうっ!」

 はっはっは。俺は中身は二十八だぞ。舐めんな小僧。純度百パーセントのお子様である君とは雲泥の差です。格が違うのだよ、格が。

「そうだわ! 大人になったら、みんなでまた一緒にここの酒場にきましょうよ!」

 いい事を思いついたとばかりに、ビアンカが声を上げた。

「大人になれば、怒られずにお酒がのめるんだよね? うん、僕もまたみんなできたいなって思うよ」
「あー、そうだな。大人になったらな」
「みんな、約束だからね! わたしだけ仲間外れにしたらゆるさないんだから!」

 こうして、子供同士(若干一名中身は大人)で秘密の約束が交わされた。この約束が果たされるかどうかは、今はまだ分からない。俺は原作知識で未来を知っているとはいえ、万能の神ではないのだ。そもそも、俺という存在自体がすでにこの世界ではイレギュラーである。原作通りに全てが進むという保障はどこにもない。願わくば、望ましい未来を引き寄せられることを祈ろう。

 それにしても、大人になったら、か。子供らしい台詞だが、感慨深いものがあるなぁ。俺も子供の頃はいつか大人になったら何がしたいとか、色々考えていた気がする。ま、俺はもう実は大人なんだけどな。無粋なことは言わないでおこう。

「俺は、その時はビアンカにお酌でもしてもらおうかな」
「お酌ってなぁに?」
「あー、えっと、女の人が男の人のグラスにお酒を注いであげること、かな?」
「ふ~ん。別にそれくらいならいいわよ」
「おう。楽しみにしてるぞ」

 ビアンカは将来はリュカの嫁候補とはいえ、美女になるのは確定している。美女のお酌を今から予約できたのは僥倖かもしれない。もしリュカと結婚した後でも、人妻相手というのもそれはそれで味がある。

「ビアンカばっかりずるい! なら、僕もユートにお酌する!」
「ちょ、おい、おま!? 俺の話を聞いてなかったのか!? いいかリュカよ、よく聞け。もう一度言うが、そもそもお酌ってのは女の人が……」
「ずるいずるいずるい! 僕もやるったらやる! ビアンカだけずるい!!」
「いや、だからね。お酌は別に遊びとかじゃなくてね。大人同士のコミュニケーションというか、心と心の会話というか、無言の語らいというか、何というか」
「僕もやる~!!」
「話を聞いてくれ……」

 駄々をこねるリュカを宥めつつ、俺達は夜に向けて準備を整えることにした。

 武器屋、防具屋、道具屋と順に回り、必要な物を購入していく。ビアンカはどこから調達してきたのか、最初から武器防具の一式は持っていたので、とりあえず俺とリュカの装備を買うこととなった。

 まずは武器屋。リュカが銅の剣を買ったので、俺はお下がりとして樫の杖をゲット。これでついに、俺の装備が素手から変更された! ついに俺の時代がやって来たのだ。思えば長い道のりだった……。これでもう、あの全ての武を捨てたグルグルパンチを使わなくて済む。樫の杖を使って、魔物どもをタコ殴りにしてくれるわ。

 次は防具屋。リュカは皮の鎧を買ってマントの下に仕込み、俺は今まで着ていた布の服を旅人の服へと変更した。旅人の服を着てみて驚いたが、布の服とは明らかに違う。耐久性があるのに軽く、おまけに肌触りも素晴らしいというパーフェクトな衣類だ。長く旅人達の間で愛されてきた装備というのも、納得の理由だ。

 なお、お金はリュカとビアンカが出してくれました。最近の子供ってお金持ちですね。セレブですね。女子供に養われる俺。人、それをヒモと呼ぶ。情けないこと、この上ない。俺も自分の装備代くらいは自分で出そうと思ったのだが、懐に貯蓄しておいたゴールドを数えてみると四十ゴールドしかなかった。武器屋でも防具屋でも、四十ゴールドでは何も買えない。一番安い竹の槍ですら五十ゴールド。俺は心の中で涙した。

 一方、リュカは俺とは比べ物にならないくらいリッチだった。全部数えたわけじゃないが、パッと見で五百ゴールドくらい持ってました。サンタローズの洞窟で魔物と戦っているうちに、気がついたらお金が貯まっていたそうです。

 うわー、すごいねー。びっくりだねー。所持ゴールドを比較すると、単純計算で俺の十倍以上魔物倒してることになるねー。もうお前、魔物狩ってるだけで一生生活できるんじゃね? どこのモンスターハンターですか。生活力ありすぎだよ、リュカ。君の将来が心配です。あ、将来は王様ですか。そうですか。

 神は死んだ。まさに格差社会の富と偏在を、しみじみ実感した瞬間であった。ちなみに、これだけ買ってもリュカにはまだ懐に余裕があったらしいが、結局盾や兜の類は購入しなかった。本人に理由を聞いてみると「だってこれ以上は重そうだし」とのこと。要約すると、戦う時に邪魔になるかもしれないということだ。ゲームとは違い、無駄にリアルな理由に俺は少しだけ悄然とした。

 最後に道具屋。薬草と毒消し草を少量だけ購入。リュカはホイミが使えるので、あまり薬草の個数はいらないのだ。一応毒消し草も買ったけど、どうせリュカはすぐにキアリーも覚えるんだろうなぁ。俺なんてまだレベル1だぞ。せめてホイミくらい俺にも使わせろ。リュカばっかりずるいぞバーローと、嘆いてみても仕方がない。俺は大器晩成なのだと、今は信じるしかないのだ。

 とにかく、これにてお買い物タイムは終了。後は宿に戻って夜を待つばかり。





 草木も眠る丑三つ時……というほど、遅い時間ではないが、とにかく夜。宿屋の一室で仮眠を取っていた俺とリュカは、ビアンカによって起こされた。

「リュカ、ユート、起きて……。起きて……」

 声を潜めて話し、体を揺すってくるビアンカ。同じ部屋にはパパスも寝ているので、慎重になっているようだ。リュカは名前を呼ばれただけですぐに起きたようだが、俺は違った。家の隣に住む幼馴染の女の子が、登校前に起こしてくれているというシチュエーションを妄想してしまって、ビアンカが「ユート! いいかげんに起きなさいよ!」と耳元で怒鳴るまでベッドで寝たフリを続けてしまったのだ。思わずベッドから転げ落ちそうになった。

「ようやく起きたわね、ユート」
「耳元で怒鳴るなよ。耳の奥がキーンとするぞ、おい。パパスさんが起きたらどうするんだよ……」
「おじ様はぐっすり眠っているわ。それに、あなたが起きないのが悪いんでしょ。リュカはすぐに起きたわよ」
「確かに起きてるけど、リュカは絶対まだ半分寝てるぞ。それに俺は寝起きが悪くて」
「知らないわよ、そんなの。じゃあ、早く行きましょう」
「んー? どこへ?」

 分かっているが、わざと聞いてみる。

「どこへって? もちろん、レヌール城へよ。お化け退治をして、あの猫さんを助けてあげなくちゃ。レヌール城は、この町からずっと北にあるそうだわ。リュカ、ユート、準備はいいわね? さぁ、ぐずぐずしてないで行きましょう」

 ビアンカは意気揚々と。

 俺は耳鳴りでフラつく頭を抑えながら。

 リュカは半分寝ぼけ眼で。

 一路こっそりと、宿を抜けた。

 目指す先はレヌール城。お化けが出没し、魔物が跋扈するという噂の場所。だが、どんな困難があろうとも、突き進むのみ。俺の行く手を遮ることなど、誰にもできはしないのだ。さぁ、いざ行かん!

「ちょっとユート! そっちは酒場よ! レヌール城に行くんでしょう!?」

 しまった!? また足が勝手に!?

「しかし、俺はあえて酒場に行く!」

 バニーさんを一目見てから出かけたい。ただ、それだけだ。この思いは、あくまでも純粋なのだ。

「いいかげんにしなさい!!」
「あ、痛ッ!? 痛たたたたたたたッ! ちょ、おい、耳! 耳を引っ張るなビアンカ! ちぎれる、ちぎれてしまう!?」
「いいから早くくるの!」
「分かったから離して!?」
「ダメ!」
「何故に!?」

 俺はビアンカに耳を引っ張られながら、町の入り口まで強制連行されていった。宿屋から大通りを道なりにまっすぐ進むと、すぐに町の入り口へと到着だ。

「やっぱり寝てる……。外に出られるのはいいけど、ちょっと不安になるよね」

 ビアンカの言葉通り、町の入り口では見張りの兵士が大の字になって熟睡していた。鼻ちょうちんを垂らしながら、幸せそうな顔で寝言を呟いている。

「おのれ、怪物め! 町には入れさせないぞっ! ムニャムニャ……」

 どうやら夢の中では大バトルの最中のようだ。それにしても、ムニャムニャとか寝言で言う人初めて見たよ俺は。本当にいるもんだね。うーん、貴重なものを見た。

「んじゃ、見張りの人が寝ている隙に通ろうか……って、おい」
「どうしたの、ユート?」

 突然立ち止まった俺を、ビアンカが不思議そうな顔で見ている。

「早く行かないと、見張りのおじさんが起きてきちゃうわ」
「いや、それは分かってるが、リュカはどうした?」
「リュカならわたしの後ろに……あら?」

 ビアンカが振り返るが、そこには誰もいない。目を凝らして辺りを見回してみても、どこまでも夜の闇が広がっているばかりだ。

「リュカったら、どこに行ったのかしら?」
「こ、これはもしや……」

 俺はごくりと唾を飲み込んだ。

「ビアンカ、もしかしたらリュカは……」
「え、何? どうしたの……?」
「リュカは……」

 声のトーンを落とし、ビアンカの目をじっと見つめる。

「な、何よ……? どうしたのよ……?」

 俺のただならぬ雰囲気に何かを察したのか、ビアンカの顔に焦りと怯えが浮かんできた。かわいそうだが、ビアンカには真実を伝えねばなるまい。たとえそれが、どんな結果をもたらすとしても。俺にはそれを伝える義務があるのだ。

「あそこだ……」

 俺はある方向を指差して、ビアンカに残酷な真実を宣告をした。

「リュカは…………宿屋の……ドアの前で寝ている」

 何ということだろう! 夜更かしに慣れていないお子様のリュカは、宿屋のドアにもたれかかって寝息を立てているではないか! おお、神よ! 眠気に敗北してしまった、あわれなお子様をお許しあれ!

「ユートの馬鹿! おどかさないでよ、もう!」

 ビアンカはプンスカと怒りながら、宿屋の方へと駆けていく。

「いたい、いたいよビアンカ!?」

 しばらくすると、リュカも耳を引っ張られながらやって来た。うんうん。あれは痛いよなぁ。気持ちは分かるぞ、リュカよ。

「これでやっとみんなそろったことだし、行きましょうか」
「あぅ……。耳がいたい……」

 痛みのショックで完全に目が覚めたのか、もうリュカの顔には眠気は残っていない。目には少し涙が浮かんでいるが、それはまぁ仕方ない。文句はビアンカに言ってくれ。

「んじゃ、出発~」

 俺の掛け声に合わせ、みんなで一斉に町の外へ向かって歩き出した。



[4690] 第7話
Name: 例の人◆9059b7ef ID:6d7552d7
Date: 2008/11/16 21:25
 時刻は夜。

 見上げれば空には満点の星。真っ黒なキャンバスに、光輝く宝石を散りばめたような星空。空の中央に鎮座している黄色い月は、わずかに円の端が欠けている。

 遠く小さく聞こえてくる、涼やかな虫の音がBGMだ。こんな光景はスモッグと人口の光に溢れた、騒がしい日本の都会では味わえないだろう。異世界情緒とでもいえばいいのだろうか。どこまでも澄んだ夜の冷気を吸うと、思わず感動がこみ上げてきた。

 今夜は、風情たっぷりのいい月夜だ。何か不満があるとすれば、それは寒さだけ。肌を刺すような冷気に、体が少し震えてしまう。この寒さは、夜というからだけではない。もうすぐ夏だというのに、未だ春という季節が訪れていないためだ。

 静寂に満ち溢れた平原には、今のところ魔物の影は見えない。月明かりの下、アルカパの町を出た俺達一行はまっすぐレヌール城を……目指せずにいた。

「なぁ、リュカ。どこだここは? ちょっと俺に教えてくれ」
「え? ユート分かってて歩いてたんじゃないの? 僕はしらないよ」
「もしかしてわたしたち、迷子になっちゃったの……?」
「あー……」

 辺りを見回してみる。

 まずは右。山がある。

 次は左。森がある。

 前と後ろには草原だ。全ての地形に見覚えがない。

「どうも、迷子になっちゃったみたいだな。うん。こいつは困った」
「どうするの、ユート?」
「どうするのよ?」
「どうしよう……?」

 俺達は、絶賛迷子中だった。

「えーと、確かアルカパの北にレヌール城があるんだったよな」
「ええ、そうよ」
「北ってどっちだ? いや、そもそも俺達はどっちから来たんだっけ?」
「……わたしに聞かれても、わからないわよ」
「そ、そんな! ビアンカは地元の人間じゃないのか!? てっきり、いざとなったら余裕で道案内できるとばかり思ってたぞ!?」
「そんなこと言われても、わたしは遠出なんてしたことないもの。レヌール城っていうお城が北にあるのはみんなから聞いて知ってたけど、それだけよ。今まで行ったことがある場所だって、サンタローズの村だけだし……」
「ガッデム! 今まさに神は死んだ!!」
「ユートは時々、むずかしい言葉をつかうよねー。がっでむって、どういういみ?」
「リュカ、お前は気楽でいいな……」
「えへへ。ありがとう」
「褒めてねぇー!」

 だめだ。リュカもビアンカも当てにならん。こうなったら、俺が何とかしなくては。ちびっ子達を遭難させるわけにはいかない。こんな時こそ年長者の知恵と経験を役に立てよう。星の位置から、方角や現在位置を大まかに割り出してみよう。現在位置はともかく、方角くらいなら分かるはずだ。

 えーと、割り出……せません。無理です。現実世界の星空と違いすぎます。北極星すら見つかりません。そもそも、俺が今いるこの星は地球なのかすら不明です。

 せめて包囲磁石でもあればと荷物を探してみても、誰も持ってない。進退ここに窮まる。俺の大冒険・完。

「いや、まだだ! まだ終わらんよ!!」
「うわぁ、びっくりした! ユートどうしたの?」

拳を握り締め、天に向かって叫んだ俺に、リュカが驚いて目を丸くしている。

「リュカ! ビアンカ! こうなったら勘で進もう!」
「勘でって、それは当てになるの? 不安だわ……」
「心配いらん! 城の一つや二つ、俺が余裕で見つけてやる!」
「ユート。見つけるお城は一つだけでいいんだよ」

 リュカがツッコミを入れてくるが気にしない。ガンガン行こうぜ! 行けば分かるさ!

「とにかく行くぞ。城はあっちだ。間違いない。俺の野生の勘がそう告げている」
「本当かしら……?」
「間違いない! さぁ、俺に着いて来いリュカ!」
「おー!」
「あ、ちょっと! わたしを置いていかないでよ! 本当にそっちでいいの!?」

 ビアンカの疑いの眼差しを跳ね除け、俺は足の赴くままに歩き出した。山を越え、森を越え、川を越えの強行軍。向かうはレヌール城。一切の迷いを捨て、俺達は振り返らずに進む。

 その結果──もっと迷った。

「ここはどこだろうか、リュカ?」
「だから僕に聞かれてもしらないよ」
「なら、ビアンカは?」
「わたしにわかるわけないでしょ」
「ならば、前進あるのみだ!」

 やけっぱちになって、また歩く。そして時々思い出したように止まって、場所を確認。でも誰も現在位置が分からないので、また歩く。その繰り返しだ。

 迷走はどこまでも続いた。散々迷い続けた末、リュカが地図を持っていることを思い出したのが明け方前。結局その夜はレヌール城には行けず、そのまま町に戻ることとなった。続きはまた明日ということで、宿屋に入ってすぐに解散。

 俺は倒れ込むようにしてベッドへ突っ伏した。

 あんなに歩いたのは久しぶりだ。次回はちゃんと最初から地図を見よう。歩き損だ。魔物と遭遇しなかったことだけが、せめてもの救いだったな。にしても、リュカもリュカだ。地図を持っていたのなら、最初から出せというのに。最近分かってきたが、あいつはもしかして天然属性の持ち主なんじゃなかろうか。

「あー、しんどかった……」

 しばらくベッドで横になっていると、すぐに眠気が襲ってきた。ちらりと隣のベッドを見れば、リュカはすでに寝息を立てている。更にその隣のベッドでは、うなされながら眠りについているパパスの姿。この分だと、パパスはまだ数日は寝込むことになりそうだ。

 俺が眠いのはたくさん歩いて疲れたからだが、リュカは単純に睡眠不足だったからだろう。部屋の前で別れたビアンカも元気そうだったし、お子様パワー恐るべしである。これが若さか……。

 それにしても、異様に体がだるい。想像以上に疲労が溜まったのか、手足が鉛のように重い。さっさと俺も眠ってしまおう。寝て起きれば、今夜もまた冒険の続きがあるのだから。





 夢を見た。

 いや、今現在リアルタイムで夢を見ている。これは夢だと、おぼろげに認識できる。俺が、日本のアパートで暮らしていた頃の夢。いつだって記憶の海を辿れば、すぐにでも浮かんでくる光景だ。

 俺の目に映っているのは、懐かしき我が部屋。汚れ放題の狭い室内には、敷きっぱなしの布団と、ネットに繋ぎっぱなしのPCがあった。

 大学を単位不足で中退した俺は、フリーターをやりながらその日その日を刹那的に生きてきた。定職に就いたこともあったが、色々あって辞めてしまった。それでも生きていくのには困らなかったし、選り好みしなければいつでも再就職できる。少ない貯金をやりくりしつつ、それなりに楽しく毎日を過ごしていた。

 それが、何の因果か今俺がいるのはドラクエ世界。まだあれから一週間も経っていないはずだが、もうずいぶん昔のことのように思える。もしドラクエ世界に飛ばされていなければ、いつも通りネット三昧の日々が続いていただろう。

 ──そこで、はたと考えた。

 俺が今まで現実だと思って過ごしていた世界は、果たして現実だったのか。もし、今いるドラクエ世界が真に現実ならば、これまで現実だと思って過ごしていた世界は夢に過ぎないのではないのかと、そんなことをふと思った。

 夢が夢でなくなる時、虚構と現実の壁は呆気なく崩れる。普段なら一笑に付すような胡蝶の夢も、今の俺にとっては紛れもない『現実』なのだろう。俺は、何故ドラクエ世界に来てしまったのだろか。何か意味はあるのだろうか。

 全ては、まどろみの中に。

 夢を見た。

 夢を──。

「……ト。ユ……ト。お……て……」

 遠くから、誰かの声がする。電波の悪いラジオのように、ノイズ混じりで聞き取り難い。でも、この声は──聞き覚えのある声だ。

「ユート、おきて」

 あー、この声はリュカか? 俺を呼んでるのか? 呼ぶ? どうして? 呼ばれて飛び出てコンニチハ?

「おきてよ、ユート!」
「うぼぁー」

 変な声が出てしまった。薄っすら目を開くと、そこには俺を心配そうに見守るリュカの顔。それも至近距離に。

「うぉッ!? リュカ! 顔! 顔めっちゃ近い!」

 一体何ごとですか!? ドッキリ? もしかしてドッキリなの? 寝起きドッキリ!?

「ユート……やっとおきた……」

 潤んだ瞳に、熱を帯びた吐息。どこか憂いのある顔で、じっとリュカが俺を注視している。まだ六歳の子供が相手だというのに、ともすれば心が吸い込まれてしまいそうな雰囲気だ。魔物使いという、天性の才によるものなのか。それとも──。

「あ、その、えーと? お、おはよう? あ、こんばんはか?」

 昼から仮眠とって寝てたってことは、今は夜だしな。それはともかく。

「えっとね、リュカ? さっきも言ったけど、顔が近い」
「あ、ごめんね」

 リュカがようやく俺から離れ、隣にあった自分のベッドの端にちょこんと座った。

「……もしかして俺、寝過ごしたか?」
「そうだよー。さっきからずっと呼んでたのに、ユートったらぜんぜんおきないんだもん。あんまり大きな声を出したらお父さんがおきちゃうだろうし、僕すごくこまったんだからね。それに、ユートはうなされてたみたいだし、心配したんだよ……」
「そうか。迷惑かけて悪かったな。何か変な夢見ててなー。あれ? ビアンカはどうした?」

 首だけ起こして部屋を見回してみるが、部屋にはビアンカの姿はなかった。

「ビアンカは先に行っちゃったよ。宿屋の前でまってるからって」
「なら、急がないとな。俺もすぐに──」

 ベッドから出ようと思い、体を起こそうとした俺は違和感に動きを止めた。

「ユート、どうしたの? 首だけじゃなくて、早くちゃんと起きてよ」
「あー、その、な。リュカ。非常に言い辛いんだが」
「うん、どうしたの?」
「体が動かん」
「え……?」

 必死に腹筋に力を入れてみるが、腹に伝わる前に力が拡散して抜けていく。何度トライしてみても、結果は変わらない。それに、間接の節々が痛い。いや、間接だけじゃない。

「頭が、すげぇ痛い……。あと、喉も」
「えー!?」

 頭痛、関節痛、喉の痛みと三連コンボだ。どう見ても風邪です。本当にありがとうございました。

「こりゃ、どうもパパスさんに風邪を移されたみたいだな」

 参ったな。同じ部屋で寝てるんだし、こうなる可能性も考えておくべきだった。パパスもパパスだ。風邪ひいたんなら、部屋を移動するとかしてくれたらよかったのに。おかげで俺に移ってしまったじゃないか。風邪はホイミでも治せないから、リュカに頼むわけにもいかない。

 こんな時、あの薬さえ手元にあれば……。成分の半分が優しさでできていると噂される、日本古来より伝わる伝説の薬さえあれば!

 ま、こうなった以上、今更文句言っても仕方ないが。風邪薬はパパスと同じものを後々宿の人から分けて貰うとしよう。さて、さし当たって今からはどうしたものか。

「リュカ。ビアンカを呼んできてくれ。レヌール城に行くのは、明日に変更を……」
「ううん。僕は今からレヌール城に行くよ」

 首を横に振って答えるリュカ。はっきりとした拒絶の言葉に、俺は少々面食らってしまった。

「どういうことだ?」
「こうしている間にも、猫さんはいじめられてるんだ。だから、早くたすけてあげなきゃ。僕とビアンカだけで、なんとかがんばってみるよ」

 聞き返した俺に、そう言ってにっこりと微笑む。口調は穏やかだが、あくまでも決意は硬そうだ。まだ短い付き合いだが、こうなったリュカは頑固であることを俺は理解していた。普段は俺に意見を求めてくることが多いが、ここぞと自分で物事を決めた時のリュカは違う。どこまでも自分の意思を貫き通すのだ。俺が止めても、焼け石に水だろう。なら、今の俺ができることはただ一つ。快く見送ってやることだけだ。

「……気をつけてな。無茶はするなよ。危ないと思ったらすぐに逃げるんだぞ」
「うん、わかってる。ユートも、ちゃんと寝てなきゃだめだよ? サンチョが言ってたけど、風邪はひきはじめがかんじんなんだって。いつの間にか重い病気になることもあるって。それに……」
「あー、分かった分かった。俺はしっかり寝てるから気にしなくていい。ほら、そろそろ行かないとビアンカが怖いぞ?」
「そうだった! じゃあ、行ってくるね! ユートは寝てなきゃだめだよ!」

 リュカは腰掛けていたベッドから立ち上がると、慌しくドアを開けて出て行った。階段をバタバタと駆け下りる音が聞こえてきた後、ようやく部屋には静けさが戻る。

「行ったか……」

 騒がしいやつだ。パパスが起きたらどうするんだ。あいつ、絶対パパスのこと忘れてたな。詰めが甘いというか、何というか……。行動力はあっても、やっぱりまだまだ子供なんだなと実感する。

「では、お言葉に甘えて寝かせてもらいますか」

 リュカを見送ったら、一気に気が抜けてしまった。どの道風邪で動けないんだし、今は素直に眠っておこう。目を閉じると、すぐに強烈な睡魔がやってくる。意識がまどろみの中に消えていく寸前、最後に俺が考えたのはリュカとビアンカの無事を祈ることだった。




[4690] 第8話
Name: 例の人◆9059b7ef ID:6d7552d7
Date: 2008/11/15 23:18
 寝苦しくて目が覚めた。

「暑い」

 暑いというよりも熱い。体中が火照っている。大量の寝汗で、服の下がベトベトして気持ち悪い。シャワーでも浴びたい気分だ。……この世界にはシャワーはないけども。というか、当たり前だが電気すら通っていない。テレビもねぇ、なんにもねぇ。

「まだ夜……か?」

 部屋の中は未だ暗い。窓から差し込んでくる、かすかな月明かりだけが光源だ。

 どうやらまだ朝にはなっていない様子。二十四時間眠ってしまったという可能性もなくはないが、そこまで熟睡したらさすがに分かる。ということは、自分が眠っていたのは体感的に考えると五時間から六時間といったところか。あまり長い時間は眠れなかったな。

 それでも、眠る前よりは気分はかなりマシになっている。二日酔い並にひどかった頭痛も、今はそこまでは感じない。寝ている時に汗をかいたせいだろうか、熱も多少下がっているようだ。

「よっ……と」

 試しに上半身を起こしてみると、案外簡単に成功した。首だけしか起こせなかった眠る前とはえらい違いだ。部屋を見渡してみたが、パパスは眠ったままだし相変わらずリュカのベッドは空だ。

 一体今は何時頃なのだろうか? ドラクエ世界には時の砂、つまり砂時計というアイテムが存在するくらいだから、恐らく普通の時計も存在するはずである。腕時計は無理でも、壁掛け時計くらいはあると思う。しかしサンタローズ村でもアルカパの町でも、どこにも時計を見かけなかった。もしかしてお城とか大きな町とか、もうちょっと都会的な場所にしか置いてないのかもしれない。この世界、技術レベルはあんまり高くないみたいだしなぁ。あぁ、そういえばドラクエⅤのOPでは時計が時を刻む音がしてたような。カッチコッチと。つまり時計は、あるとこにはあるんだな。田舎と都会で物的流通の落差が激しいんだろう。

 そんなことを考えながら、俺はベッドから床へ足を下ろした。上半身が起こせるんなら、今度は立ち上がってみようと試みる。

「お? お、おぅ……?」

 立ち眩みがして、少し千鳥足になってしまった。が、転ばなかったので結果は重畳。

 一歩一歩確かめるように歩き、窓へと近寄って半分ほど開く。窓の外から、すぐに穏やかな風が室内へと流れてきた。火照った体に、冷気混じりの夜風が心地良い。首だけ出して空を見上げると、月がかなり沈んでいるのが分かった。

 これはつまり──。

「おいおい。リュカは何やってんだ? 夜が明けちまうぞ」

 いくらなんでも、戻ってくるのが遅すぎる。リュカは肉体スペックの高いやつだが、それでもまだまだ子供だ。それに天然というか、どこか抜けている部分がある。特に、自分一人で突っ走った時にはそれが顕著だ。俺と初めて会った時もそうだし、サンタローズの洞窟で会った時もだ。あいつは、たまに周りが見えていない。熱くなる性格なのはいいんだが、暴走するのは悪癖だ。もしかして今回も、魔物相手に窮地に陥って……。

 頭の中でどんどん嫌な予感が膨らんでくる。放っておいても、あっさりお化け退治して帰ってくると思いたいが、一度不安になってしまった思考は変えられない。坂から転がり落ちるように、思考は嫌な方へ嫌な方へ。

「あー、どうすっかなぁ……」

 口には出してみたものの、俺の心はすでに決まっていた。

 窓を閉めて、部屋の入り口へと向かう。俺はパパスを起こさないように、なるべく足音を抑えながら忍び足で歩いた。部屋の扉を開け、廊下側から後ろ手で閉めようとしたその時──。

「行くのか、ユート」

 背後から低い声がした。

 振り返ると、ベッドに横たわるパパスがしっかりと目を開けて俺を見ていた。鋭い眼光は病人のそれとは思えない。

「パパスさん、起きて……いや、気付いてたんですか?」
「わっはっは。あなどってもらっては困るな。痩せても枯れてもこのパパス、部屋の人間の気配くらいは分かるのでな」
「もしかして、昨夜も?」
「うむ、まぁな。それよりも話している暇はあるのか? リュカやビアンカと何をしているのかは知らんが、急がないとまずいのではないか?」
「……すんません。では、行ってきます」
「気をつけてな、ユート。リュカとビアンカを頼んだぞ」
「はい!」

 ドアを閉め、急ぎ足で階段を駆け下りる。途中で一度足がもつれそうになったが気にしない。レヌール城の位置はリュカの地図を見た時に頭に入っている。まだ体は万全ではないが、泣き言を言っている暇はない。

「だるいけど、いっちょ気張るか」

 俺は宿を出てすぐに町を抜けると、レヌール城に向かって走り出した。

 ──今頃きっとピンチになっているであろう、あの弟分に一言説教してやるために。





 時々、咳でむせながらも必死で走り、俺はなんとかレヌール城へと到着した。アルカパの町を出て、大体三十分くらいだろうか。体が本調子なら、もう少し時間を短縮できたかもしれない。途中で魔物と遭遇しそうにもなったが、相手をしたくなかったので逃げた。今の俺には余計な時間はないのだ。

 ないのだが……。

「これは……壮観だな」

 小高い丘の上、勇壮な姿でそびえ立つレヌール城の姿に、思わず目を奪われて立ち止まってしまった。和風な城ではなく、こういった西洋風な本物の城を目にするのは生まれて初めてだ。

「やっぱり、本物は迫力が違うなぁ」

 感動だ。某ネズミーランドにある夢の城とは全然違う。

 ここは、紛れもない王の住処。今は寂れているとはいえ、かつては多くの家来が仕え、日々を過ごしていた城。

 外敵の進入を防ぐための強固な外壁は重厚で、見る者を圧倒する。

「……って、いつまでもこうしてられないな」

 呆けてないで急がなければ。夜が明けてしまう前に、さっさとリュカと合流して町に戻ろう。

「まずは中に入って…………あれ?」

 城の正面に位置する、大きな扉は鍵が閉まっていた。押しても引いてもだめ。試しに、助走してから体当たりもしてみたが無駄だった。

「あ~、くそッ! 外から回らないとだめか!」

 レヌール城には正面にある扉の他に、もう一つ中に入る方法がある。城の真後ろにある外壁に設置された梯子を上り、最上階から入るという方法だ。遠回りになるが、これしか方法がないなら仕方ない。

 俺は城の裏手に回ろうと、移動を開始しようとした時。どこからか、喧騒が聞こえてきた。音の出所は……頭上だ。

「なんだ?」

 仰ぎ見ると、城の中ほどから出ているテラスに複数の人影があった。

 あれは──リュカとビアンカだ。それも、何者かと戦っている! 戦闘の相手は……魔物か?

「やっぱり戦闘中かよ!?」

 ビアンカを背後にかばいながら、魔物相手に防戦一方のリュカの様子が見て取れた。なんとか攻撃を捌きながらじりじりと後退しているが、このままだとテラスの端に追い詰められるのも時間の問題だろう。追い詰められたが最後、最悪突き落とされる可能性もある。あの高さから落とされれば──下手すれば死ぬ。

「ああ、もう! 毎回毎回こんなんばっかしか! 俺は風邪ひいてるんだぞバーロー! 少しはいたわってくれよ!」

 間に合えよ、ちくしょう!

 俺は全速力で城の裏手へと移動した。

 梯子は──。

「あれか!?」

 梯子発見。取っ手を掴み、腕が吊りそうな勢いで上る。

 三分の一ほど上った辺りで息が切れてきた。病み上がり……というか、現在進行形で病んでいる体にはきつい。頭痛もぶり返してきた。喉も痛い。

 しかし、ここは気合で乗り切ってみせる。とにかく努力だ、根性だ。

「おおおおおおおおおッ!!」

 自らを鼓舞するように叫び、俺はハイペースを維持して強引に梯子を上りきった。

 最上階である目の前には扉が見える。ようやく入り口だ。

「うがッ、ゲホッ……ゲホッ。あー、しんどい……」

 荒い息に混じって、咳まで出てきた。いったん立ち止まると、そのまま動けなくなってしまいそうだ。だから休んでいるわけにはいかない。俺は体を引きずるようにして、城の中へと突入した。

「テラス……テラスはどこだ!?」

 石造りの城内は広く、やたらと階段があって道が入り組んでいる。何を考えてこんな造りにしたんだバーロー。もっと快適に暮らせるように建ててくれよ、おい。しかも埃だらけで、そこら中に蜘蛛の巣とかあるし、空気を吸うだけでも風邪が悪化してしまいそうだ。

 俺は豪奢な赤い絨毯を踏みしながら廊下を走りぬけた。薄暗い城内は、窓からの月明かりだけが頼りだ。

「こっち……じゃない!? 道間違えた!?」

 階段を下りたり上ったり、あっちへ行ったりこっちへ行ったりしているうちに、全然関係ない小部屋に入ってしまった。急いで来た道を戻ろうと思い、振り返ると、

「うおッ!?」

 巨大なロウソクの化け物が道を塞いでいた。頭の上にある芯からは、炎が燃え盛っている。この魔物は……おばけキャンドルだ。

 振り返ったまま固まる俺と、バッチリ目が合った。

「こっち見んな! というか、こっち来んな!」

 お前を相手にしている時間はないんだよ。どっかでケーキにでも刺さってろロウソク野郎! あばよ、とっつぁん。

 俺は脱兎のごとく逃げ出した。

「げぇッ!? 後を着いてきてる!?」

 逃げられない……ではなく、逃げ切れない。俺の背後をぴったりとマークしつつ、おばけキャンドルは絶妙な位置取りで追いかけてくる。例えるなら、最後の直線四百メートルで半馬身差で追いかけてくる競走馬のごとくだ。このままではゴール前で差される……ではなくて捕まってしまう。

 立ち止まって戦うか? そんな考えもふと浮かんだが、すぐに消去。こっちはレベル1だ。しかも一般人だし、悲しいくらい弱い。不意打ちでもしないと、まず無傷では勝てない。今戦っては、おばけキャンドルのような雑魚相手でも死闘になってしまう。

 激しいリズムで打ち鳴らされる心臓の音を聞きながら、俺はひたすら逃げ回った。

 いかん。このままだとリュカを助ける前に俺がやばい。足がだんだん重くなってきた。やはり風邪ひいてるのに全力疾走は無茶だった。所詮、村人A並の実力しかない俺が出張ろうとしたのがだめだったんだ。だって俺、中身は一般人ですよ。

「も、もう無理、マジで無理……」

 俺が心身ともに挫けかけた、その時だった。廊下の角を曲がると、そこには階段が。

 さすがの魔物でも、階段下りれば追いかけるのを諦めるはず。そう思った俺は、半分落ちるような勢いで階段を降りた。

「……って、今度は真っ暗!?」

 窓が一切ないのか、降りた先の階は暗闇に包まれていた。ほんの一メートル手前程度でもろくに見えない。五里霧中とは、こういう時に使う言葉だろうか。魔物が追いかけてこなくても、これでは手探りで進まなければならない。

「参ったな……」

 俺が立ち止まり、そう呟いた直後。背後から嫌な音が聞こえてきた。そう、まるで巨大なロウソクが階段を転がり落ちてくるような音が。

「……うわー」

 振り返った俺の目の前には、予想通りの代物があった。おばけキャンドルが階段を転がり落ちてきたのだ。幸いにも、気付いたのが早かったおかげで回避はできそうだ。

 崖から落ちる丸太のごとく、階段を転がってくるおばけキャンドル。ぼやぼやしていれば、俺を巻き込んで轢いていくだろう。この階は暗闇で周りが見え難いが、幸運にも相手は頭が光っているおばけキャンドルだ。

 とりあえず足元に来た瞬間を狙って、

「よっと」

 ジャンプ一発、見事回避した。アクションゲームの気分だ。

 俺に避けられたおばけキャンドルは、そのまま勢いよく転がり……やがて壁に激突して静止した。

「……あれ?」

 一秒。

 二秒。

 三秒。

 そのまま待ってみたが、動く気配がない。頭の上では相変わらず炎が燃えているし、死んではいないはずだ。気絶しているのだろうか?

「ならばチャンス!」

 俺は装備品である樫の杖を手に持つと、倒れているおばけキャンドルを力の限りぶん殴った。

 会心の一撃! 俺はおばけキャンドルを倒した!

「やった……って、あれぇ?」

 樫の杖の先が、赤く燃え盛っていた。どうやら、おばけキャンドルの火が燃え移ってしまったらしい。効果的かと思って、頭部付近を殴ったのがまずかったか。

「でもまぁ、松明代わりになってちょうどいいか」

 どうせこの階は暗くて難儀していたのである。灯りが手に入ったと思えばラッキーというものだ。

 俺は樫の杖をかざしながら、急ぎ足で廊下を進んだ。やがて、俺の目の前に二つの立派な玉座が姿を現した。

「……見つけた」

 当たりだ。ようやく辿り着いた。

 ここは、玉座の間。俺の記憶では、玉座をまっすぐ下に行けばテラスがある。そのはずだ、間違いない。

 樫の杖を強く握り締めて駆け出す。

 ──あった、あそこだ!

 テラスへと続くアーチを潜り抜け、俺は外に躍り出た。

「──ッ!?」

 月明かりの下、テラスでは戦いが続いていた。

 いや……これは戦いとは呼べない。ただの蹂躙だ。

 泣きじゃくるビアンカを、一匹の魔物がいたぶるように攻撃していた。ビアンカをいじめているクソ野郎は、青いローブを全身に纏った魔法使いのような魔物だ。あいつの名前は確か──おやぶんゴースト。

 わざと致命傷になるような攻撃を避け、ビアンカをゆっくりと追い込んでいる。明らかに遊んでいるのが見て取れた。

 リュカは──テラスの端でうつぶせに倒れている。

「ユート……?」

 ビアンカが俺に気付き、小さく声を上げた。端正だった顔には細かい傷がつき、泣き腫らした目は赤く腫れている。

 よくもまぁ、女の子の顔に傷をつけやがったもんだ。それに……リュカまで。あの野郎……。胸の内に、沸々と怒りがこみ上げてくる。

 ビアンカの様子に気付いたのか、おやぶんゴーストが俺の方へと顔を向けようと──。

「うおりゃあああッ!!」

 俺は、おやぶんゴーストが振り向く前に先制攻撃を開始。雄叫びを上げながら、後頭部へ向かって樫の杖を振り下ろした。

 みしりと杖が軋む。鈍い音がしたが、会心の当たりではない。直前で、攻撃の当たる位置を少しずらされた。

 ただの魔物にできる動きではない。今までの魔物よりも一段格が上の相手のようだ。あわよくばローブに火を燃え移してやろうとも目論んでいたが、それも無理だった。衝撃のせいか、それともローブに防火対策でもしてあったのか。あっさりと杖からは火が消えてしまったのだ。

 ──まずい。不意打ちで倒せなかったとなると、打てる手が大幅に限られてくる。

「なんだ、お前?」

 爛々と光る目で、おやぶんゴーストが俺を見据えていた。

 こいつ……強い。相対しているだけで、威圧感から汗が出てくる。

「どこのガキだか知らんが、お前も一緒に俺様が食ってやろう!」

 言い終わるや否や、おやぶんゴーストは両手を突き出す。

「じっくり焼いてやる。メラ!」

 その手の平から、拳大の炎が飛び出してきた。

「うおわわわわわ!?」

 間一髪、俺は情けない声を出しながら避ける。炎は俺の足元に着弾すると、床を焦がして消えた。

「あ、危ねぇ……」

 避けられたのは、ほとんどマグレに近い。そう何度も避けられるようなものではない。

「ほう? よくかわしたな。なら、これでどうかな。ギラ!」

 空中一面に浮かんだ小さな炎が、俺を目掛けていっせいに襲ってくる。数が多すぎる。

 今度は──避けられない!

「うわぁああああッ!」

 熱い! 熱い! 熱い!

 炎で服が焼け、熱が肌を焦がしていく。とても痩せ我慢だけで耐えられる熱さではない!

「熱い、熱いィイイ!!」

 熱い。それしか言えない。熱い。それしか考えられない。

 自分の肉が焦げる臭いがした。嫌な臭いだ。これは死の臭いだ。

 俺は手に持った杖を放り出して、テラスの床中を転がり回った。

「はぁ……はぁ……ちくしょう……」

 転がっているうちに燃えた服は鎮火したが、もう限界だった。俺はテラスの石畳の上に大の字になって、倒れたまま体を動かすことができない。

 いや、動かす気力がないと言った方が正しい。体は火傷を負っているし、風邪をひいているのに無理に酷使したせいで体力も尽きる寸前だ。気を抜くと意識が飛んでいきそうになる。

「もう終わりか、ガキ?」

 見下すような声。

 俺は何も反論できない。

「なんだ、喋る気力もないのか? つまらんな」

 おやぶんゴーストは俺の元へゆっくり歩いてくると、目の前で立ち止まった。

「おい、なんとか言えよ」
「がッ!?」

 一瞬、目の前が暗転して腹部に衝撃が走った。蹴りを入れられたらしい。

「ぐッ……ごぼッ」

 床一面に胃液をぶちまけ、俺は無様にのたうち回った。痛いというよりも、それよりも息が苦しい。いくら吐いてもこみ上げてくる吐瀉物のおかげで、息ができない。

 体をくの字に折り曲げながら顔を上げると、不安気にこちらを見つめているビアンカの姿が目に入った。

 そんな目で、俺を見るなよ。俺は、ただの一般人なんだよ。

 ──ちくしょう。

 なんだってんだよ。俺は、死ぬのかよ。それも、こんな異世界で。呼ばれた意味も分からず、何もできず。呆気なく……死ぬのか。

 それも俺だけでなく、このままではリュカとビアンカも死ぬ。俺が負けると、そこで終わり。

 あいつは、あの魔物は俺達を食うと明言している。

 俺はしょせんは無力な一般人だ。元々弱いのは自分でも自覚している。分不相応なことをして死ぬのは自業自得だ。

 でも、リュカは違う。

 リュカは、まがりなりにも主人公だろう? 俺なんかとは違って、本物の勇者にもなれるような存在だろう? だから……だから、お前は簡単に死んだりするなよ。

「起きろ……よ……」
「あ? 何を言ってるんだ、ガキ?」
「起きろ、リュカ……」
「おい、俺様の質問に答えろ」

 再び腹部に衝撃と激痛。また蹴られた。もう胃液すら出ない。圧迫された肺が酸素を押し出し、俺は息ができずに溺れる。

 眠くなってきた。

 瞼が重い。

 でも、一言。一言、言わないと。

「が、はッ……。いい……加減に……目を覚ませよ! リュカァアアアアアアアア!!」

 それが、俺の最後の言葉。正真正銘、全ての力を振り絞って叫んだ俺は、そこで意識を保つ努力を放棄した。

 視界が闇に落ちていく。

 強制的に閉じていく瞼の向こうに写ったのは。

 それは──ビアンカの背後から、リュカが幽鬼のごとく、ゆらりと立ち上がった姿だった。





 目が覚めると、そこはアルカパの宿屋のベッドの中だった。

「あれ? どうなってんの? あれ?」

 夢? 夢だったの? もしか夢オチ?

「おお! ユートよ、起きたか!」
「パパスさん? 一体、俺は──」

 俺の言葉は、そこから続けることができなかった。ベッドの脇にいたらしい、二人のお子様が飛び掛ってきたからだ。二人のお子様とは、もちろんリュカとビアンカだ。二人は俺にしがみつくように抱きつくと、大声を上げて泣き出した。

「えーと……?」

 何がなんだか分からない。

 レヌール城での一件はどうなったのか? おやぶんゴーストは倒せたのか?

 さっぱり分からない。

 分からないが、一つだけ確かなことはある。俺達は全員無事に助かったということだ。

「ま、終わりよければ全てよし……ってか?」

 細かいことは、後で考えよう。今はただ、甘んじて平和を享受すればいい。

 カタツムリ枝に這い、神そらにしろ示す。全て世は、こともなし。




[4690] 第9話
Name: 例の人◆9059b7ef ID:6d7552d7
Date: 2008/11/16 21:27
 そういえば、俺はどうやってアルカパの町まで戻ったんだろう。リュカとビアンカが背負ったのか? 

 いや、違うな。おぼろげながら、混濁した意識の中で空を飛んでいたようなような記憶が残っている。あれはきっと、キメラの翼で飛んでいたのだろう。夢かと思っていたが、夢にしては体が覚えている浮遊感がリアルすぎる。

 どうやら俺はレヌール城からは、リュカかビアンカのどちらか持っていたキメラの翼のおかげで帰ってこられたようだ。意識がしっかりあれば、生身で空を飛ぶという貴重な体験を堪能できたのになぁ。残念。

 体の傷はパパスのホイミで回復してもらったが、風邪はそうもいかない。治りかけの体で無理をしたおかげで、また少し熱が出てきた。一応薬を貰って飲んだが、パパスから今日一日は部屋での療養を言い渡されてしまった。サンタローズ村に戻るのは明日以降になるだろう。

 ちなみに、パパスは風邪からの完全復帰を果たしたようだ。俺にしがみついて泣き喚くリュカとビアンカを宥めながら、安静にしている俺の邪魔にならないようにと部屋の外へ連れて行ってしまった。今頃二人は、パパスからきつく説教されているに違いない。

 自分以外誰もいなくなった部屋で、俺はぼんやりと天井を眺めた。思えば、こうやって一人の時間というものは久しぶりな気がする。今は昼過ぎみたいだし、夕食まで時間もある。ちょうどいい。この際だから色々と考えてみるとしよう。

 ベッドにごろんと横になって寝返りを打ちながら、まずはレヌール城の一件から思い返してみた。

「俺らしくないなぁ」

 その一言に尽きる。俺はもう少し、ドライというか分別はそれなりにある人間だと自称していたはずである。敵にやられても自業自得だから死んでもいいとか、あの時は何を考えてたんだ俺は。死んでいいわけないだろうに。

 敵に突撃して、最後は大絶叫。俺はこんなに熱血成分のある性格だったか? ヒーローへの憧れというものは、妄想の中だけでそれなりに満足していたはずだ。現実の俺は破滅型の英雄願望も自己犠牲の精神も持ってないし、我が身が一番の大人な性格だった……と思う。

 確かにノリで行動することもあるが、それでもいざとなれば大人としての非情な判断ができる。そのはずだったのに……。

 目に浮かぶのは、魔物の前で倒れているリュカと、泣いているビアンカの姿。

 二人を見た瞬間「俺がなんとかしなければ」と思ってしまった。

 その結果がこれである。レベル1で中身は一般人という己を省みず、不意打ちを敢行して失敗。にもかかわらず、その場から逃走せずに魔物に立ち向い、挙句に死にかけて気絶。現在はベッドで療養中。

「はぁ……」

 溜息が出てくる。

 この世界にやってきて、そろそろ一週間。いきなりスライムに追いかけられたり、その後も魔物と交戦したり。元の世界では経験のなかった「死の危険」というものを何度か味わったが、それでもどこか自分自身を遠いところから達観して見ていた気がする。頭のどこかで「これは夢なんじゃないか」と、否定していた部分があったのが事実だ。自分という名のキャラクターをテレビのモニター越しに見ているような、そんな俯瞰した感覚。だから原作知識があっても、あえて特に際立った行動もせず、基本的に流されるままだった。

 まぁ、将来の嫁としてフローラとのフラグを立てるべく、リュカとビアンカを仲良くさせようと画策くらいはしたが、その考えも、半分恋愛ゲームでも遊んでいるような感覚だった。

 とにかく、現実感が希薄だったのだ。しかし、さすがに今回のように本当に死にかけたらそうも言っていられない。あの痛みと恐怖は、紛れもない「現実」だ。レヌール城へ行く前に見た変な夢のおかげで内心では薄々気付いていたが、あえて自分をごまかしていた気がする。

 目の前の出来事を現実だと思いたい自分と、それを認めたくない自分との二律背反。複雑な感情が心の中でせめぎ合う。難儀なものだ。

 ベッドに仰向けになったまま、右腕を伸ばして手の平を見つめてみる。未だに違和感を感じる小さな手が、俺の目に映った。

「子供の体、か」

 ぽつりと呟いて思う。もしかして、俺はこの体に精神が引きずられているんじゃないだろうか。基本的に精神とは肉体と共に成長していくものだ。つまり、精神は肉体に依存する。いくら俺の中身が二十八歳の大人だとしても、体が子供では精神構造に影響が出ていてもおかしくはない。

 あの時の俺は目の前の出来事に、心でなく体が勝手に反応したのでないのか。まさに若さ故の過ち。

 おいおい、口ではなんと言おうが体は正直だな。

 む? この言い方は語弊があるな。いやーんな感じだ。……何考えてんだ、俺。

「そろそろ身の振り方を決めんといかんなぁ……」

 成り行きでリュカやパパスと暮らすことになったが、あっさり受け入れたのは自分なりに打算もあったからだ。

 見知らぬ土地で一人で生きていくというのは、あまり現実的な選択肢ではない。中身が大人でも、体は子供。生活の役に立つような特殊技能があるわけでもないし、誰かを頼ろうにも身寄りすらいない世界だ。外には魔物がウロウロしているし、子供一人で過ごせば死の危険もある。これではろくに生活ができない。教会辺りに駆け込めば孤児として保護してくれたかもしれないが、それでも完全に安全とはいえない。

 そう──ドラクエⅤの世界では、子供の誘拐がそこら中で多発しているからだ。本来は「高貴な身分の者から勇者が誕生する」という予言を恐れた魔王ミルドラースが、その対策として部下であるゲマに命じて行っているものだ。だが、末端の魔物達はほとんど関係なしに片っ端から子供を拉致している様子。基本的には金持ちを中心に狙っているようだが、俺が聞いた限りでは、中には明らかに一般家庭の子供まで誘拐されている。サンタローズの村や、アルカパの町でもその噂はちらほらと耳に入ってきたほどである。

 もし、俺がパパスの申し出を断って主人公サイドと関わりにならずに過ごしていたとしよう。その場合、万が一にでも俺が魔物によって誘拐された場合はどうなるのか。

 光の教団によって、大神殿建立のために奴隷として働くのは確定だな。リュカやヘンリーと親しくないので、脱出時にも誘われない。つまり死亡フラグ。

 いや、待てよ。誘拐されてから、奴隷仲間として仲良くなれば……無理だな。偶然出会って仲良くなれればいいが、それは理想論にすぎない。そもそも奴隷といっても、その数はどれだけいるのかすら不明だ。大神殿の規模も同じく不明。まぁ、「大」神殿ってくらいだから規模もでかいんだろう。下手すれば全くリュカやヘンリーと出会わないまま働くことになるかもしれない。

 結果、俺は死ぬまで楽しい奴隷生活。いつか屍になった俺を、冒険者の誰かが見つけてくれることだろう。

「それは嫌すぎる」

 奴隷ライフなんて満喫できねーよ。何が悲しくてタコ部屋みたいな場所で生涯タダ働きせねばならんのだ。奴隷になればペリカでも支給されて、貯まれば自由になれるのか? それとも、いつか誰かが助けてくれる可能性に賭けるのか?

 否……それは否……! そういう思考こそが、俺にとっては最大の敵……! 一度深く嵌まった足は、そうは容易く抜けない……! まさに泥沼、嵌まっている………! すでに……泥中、首まで………! せせら嗤われる…………! ギャンブルという魔性にッ…………!

「いや、ギャンブルは関係ないけどね」

 うん。人生はギャンブルだとも言えなくはないが、そういう話をしているのではない。

 閑話休題。話が飛躍してしまったから戻そう。

 えーと、なんだっけ? 確か……今後の俺の身の振り方についてだったな。これで自分が大人の体なら、適当に職でも探して平和に暮らしていたんだろうが、子供のままだと働くこともままならないからなぁ。

 やはり今後の第一の目的は、自分が死なないようにすることだな。奴隷生活の末に死亡という最悪の未来だけは、なんとしてでも回避したい。死亡フラグに満ち溢れたこの世界で、なんとか生を求めて足掻いてみよう。

 第二の目的は、幸せになること、かな。この世界から現実に戻れるとは限らないから、ここでの幸福を追求する方針で。それも、どうせならみんな幸せになるハッピーエンドが理想だ。自分一人の保身のためだけに周りを見捨てるようなやり方は、さすがに人としてどうかと思うので、パパスの生存ルートも含めて色々と模索してみようと思う。

 でも、できれば魔王退治とかは遠慮したいなぁ。というか、ぶっちゃけると簡便してほしい。俺は村人Aのまま、それなりに幸福に過ごせれば満足である。元の世界でだって、のんびりとその日暮らしをしていても不満はなかったからな。人間、平凡が一番さ。

 この世界に俺が呼ばれた意味とか役割とか、そんなもんは知らん。むしろ、知っているなら誰か教えてくれ。調子に乗って「俺は選ばれた人間だ! 俺がこの世界を救うのだ!」などと、ハッスルするつもりは全然ない。骨の芯まで一般人根性が染み付いている俺である。どうせ頑張っても、主役にはなれないのは目に見えている。変に色気を出しても魔物に殺されるだけだ。現実はいつだって非情なのだ。魔王退治や世界平和への貢献は、いずれリュカのような主役級の人達に任せればいい。

 俺は俺で、自分なりに頑張って小さな幸せを細々と追求してみるだけさ。できれば安定した将来のためにフローラを嫁にしたいが、これくらいの目標は構わないだろう。脇役は脇役なりの幸福を求めるのが、分相応というもの。

 とにかく、目的達成のためには、俺の唯一の武器である原作知識の活用が必須だ。この知識という名の鍵をどう生かすかが、今後の課題と言えよう。

 だが……あまり長くは考えている時間がない。サンタローズの村に戻れば、今度は妖精の村関連のイベントが始まるはず。それが終われば、すぐにラインハット行きだ。

 ヘンリーが城から誘拐され、パパスが一人で追いかけていってしまえばそこで終わり。どれだけ説得しようがリュカもパパスを追うだろうし、俺も一緒に行くことになるはず。で、結局は原作の流れ通りにパパスは死亡して、俺はリュカやヘンリーと一緒に仲良く奴隷に……。

「どうしたもんかな……」

 ラインハットに同行しなければ俺だけは助かるけど、それは嫌だ。リュカとパパスを見殺しに、身の安全だけを考えてサンチョと一緒にグランバニアに行くのは罪悪感がある。

 なら、サンタローズ村にいる間に、パパスに直接「俺は未来の知識があるんだ」とでも言うか?

 却下だ。現に、原作では未来から来た大人リュカに同じことを言われたパパスは「予言は信じない」とほとんど相手にしなかった。大人相手ですらそれだ。子供の俺が言っても、同じく相手にはされないだろう。

 ならサンチョに言えば……やっぱりどうにもならないだろうなぁ。冗談はやめてくださいよユート坊ちゃん、とか言われそうだ。

 とりあえずは、ラインハットでヘンリーが誘拐されるのを防止してみるか。現場で誘拐さえされなければ、あとはパパス頼みの力技でなんとかなるだろう。

 うん、そうしよう。とりあえず方向性は決まった。細かいことは、追々考えていこう。とにかく今後も、ラインハットに行くまではあまり原作を逸脱した行動はしないように自粛だな。原作を変に改変してしまうと、物語が根底から破綻してしまう恐れがある。俺の唯一の武器である原作知識と大幅に違ったことが起きた場合、俺には手の打ちようがない。

 そういや、妖精の国には俺も行くことになるんだろうか?

 ……なるんだろうなぁ。面倒だが、俺が傍にいないとまたリュカが暴走してしまうような気がする。お目付け役として行くしかない、か。今度はせいぜい、死にかけないように注意するとしよう。痛いのも気絶するのも、もうご免だ。

 サンタローズ村に戻ったら、パパスに剣でも習ってみるのもいいかもしれないな。付け焼刃でも、ないよりはマシというものだ。

 今は、考えるのはこんなものでいいか。それに、色々考えてたら眠くなってきた。飲んだ薬に、眠気を促す作用でも入っていたのかもしれない。続きはまた明日。

 俺は瞼を閉じると、迫り来る眠気に抗うことなく身を委ねた。





 翌日。

 一晩寝たら風邪はすっかり完治していた。

 いやー、若いっていいですね。元の大人な体の時は運動不足でろくに鍛えてなかったし、風邪ひくと長引いてたからなぁ。子供というのも、こういう時だけはいいもんだ。

 俺の風邪のためだけに、昨日はアルカパの宿に余計に滞在していた。治った以上、もうこの町にいる必要はない。ついにサンタローズの村へと戻る時がやってきた。

「これから村に戻るが、町の人達に挨拶はすませたか?」

 宿の部屋で帰る準備をしていた俺とリュカに、パパスが声をかけてきた。

「あ。そういえば、ビアンカにまだあいさつしてないや。それに、猫さんのこともわすれてた……」
「猫? よく分からんが、とにかく父さんはまだここにいるから、ユートと二人で挨拶に行ってきなさい」
「うん、わかった!」
「分かりました。リュカと挨拶に行ってきます」

 部屋を出ると、廊下にはビアンカの姿があった。どうやら部屋の前で俺達を待っていたらしかった。

「ユート、リュカ、待ってたわよ! あなたたちが帰る前に、猫さんをむかえにいきましょう!」

 ビアンカは早口で捲くし立てると、俺とリュカの手を引いて廊下を走り出した。

「ビアンカ、どうしたの?」
「お、おいビアンカ? そんなに急がなくても……」
「いいから早く行くの!」

 釈然としなかったが逆らわずについていく。そのまま階段を降り、宿を出ると悪ガキ二人のところへ一直線。

「さぁ、約束よ! この猫さんをもらっていってもいいわね?」
「おい、どうする?」
「しかたないか……。よし! 約束したし、お前らもがんばったからな! この猫はあげるよ」

 少しは揉めるかと思ったが、悪ガキ達はあっさりとベビーパンサーを手放した。

「しかし本当にお化けを退治してくるとは思わなかったよ……」
「お前ら、けっこう勇気あるよな!」

 実は俺は、ギラ一発で死にかけて気絶してたんだけどな。本当にすごいのは、俺が気絶した後でしっかり復活して魔物を倒したリュカだけだ。俺ははっきりいって、ほとんど何もしていない。気絶してたおかげで、レベルも未だ1のままだ。いつになったらレベルが上がるのだろうか、俺。

「そうだわ! この猫さんに、名前をつけてあげなきゃ!」

 俺がちょっぴり沈んでいると、ビアンカがそんなことを言い出した。

 ベビーパンサーは俺達が助けてやったことを理解しているようで、ビアンカの足元で盛んに尻尾を振っている。……結構かわいいかもしれない。

「ボロンゴ……チロル……。ううん、プックルがいいかしら? アンドレにリンクスにモモ……。ビビンバ……ギコギコ……。ソロっていうのもいいわね。うーん、色々まよって考えがまとまらないわ。ねぇ、どう思う? なんなら、リュカが決めていいわよ」
「僕が? うーん、名前かぁ……。むずかしいなぁ。ユートはどんなのがいい?」
「んあ? 名前?」

 別になんでもいいんじゃね?
 
 というセリフが口から出かかったが、リュカとビアンカが真面目な顔で俺を見ていたのでやめておいた。

「リュカが決めるんじゃないのか?」
「僕は、ユートにかんがえてほしいな。ね、ビアンカ。いいでしょ?」
「リュカがそう言うんなら、わたしは構わないわ」
「……え? 俺が決めるの?」

 どうしよう。急に言われても困る。しかも、今すぐ決めないといけない状況だ。迷っている暇はない。俺の口からとっさに出たのは、

「ゲレゲレ……?」

 こうして、ベビーパンサーの名前はゲレゲレに決定された。

 二人は少し不満そうな顔だったが、そんなもん知らん。俺はゲレゲレがいいんだ。文句言うな。ゲレゲレかわいいよゲレゲレ。

「ゲレゲレは俺とリュカが連れて行くってことでいいのか?」
「うん。うちでは、ゲレゲレちゃんを飼えないの……。だから、わたしの代わりにかわいがってあげてね」
「もちろんだよ!」
「ああ、分かってる」

 リュカと俺の返事に、ビアンカが嬉しそうに微笑んだ。見惚れてしまうような、そんな笑顔だった。

「さて。俺とリュカはそろそろ行かないと。パパスさんを待たせてるしな」
「ビアンカ、また会おうね」
「うん……」

 小さな声で返し、ビアンカが下を向く。しばらく、そのまま黙って三人で歩いた。途中、ビアンカの方を見てみたが、その表情は俯いていたためによく分からなかった。もしかすると、泣き顔を見せたくなかったのかもしれない。

 宿の前に着くと、パパスが俺達を待っていた。

「うむ、戻ったようだな。では行くとしよう! ダンカンよ、世話になったな!」

 ビアンカとも別れて宿の人達に別れを告げ、俺達はパパスを先頭に町の入り口へと向かう。一度だけパパスが立ち止まって、リュカへと話しかけた。

「ところで、リュカ。お化け退治のこと、この父も感心したぞ。しかし、お前はまだ子供だ。ユートに迷惑もかけたようだしな。今後は、あまり無理をするでないぞ」
「はい……」

優しくも厳しい叱責に、リュカはしゅんとなりながらも素直に反省している様子だった。

「うむ……。では、行くとしよう」

 再びパパスが歩き出し、やがて町の入り口へと到着した。見張りの兵士に簡単な挨拶を交わし、町の外へ出ようとしたその時。

「ユート! リュカ! ちょっと待って!」

 背後から、呼び止める声があった。振り返ると、ビアンカが息を切らしながら走ってきていた。

「ビアンカ? どうしたんだ?」
「何かあったのかな?」

 もしかして……。いや、間違いない。恐らくはアレのことだろう。ゲレゲレと別れることになった時のための、アレ。

「しばらく会えないかもしれないから、これをあげる……」

 息が落ち着くと、ビアンカはそう言って一本のリボンを差し出してきた。

「そうだわ! ゲレゲレちゃんにつけてあげるね」

 ゲレゲレの首に、スカーフのようにリボンを巻いてあげるビアンカ。少しだけ、その手は震えていた。きっと、寂しさを必死で我慢しているのだろう。ゲレゲレは、ただ嬉しそうに目を細めて尻尾を振っていた。

「またいつかいっしょに冒険しましょうね! ぜったいよ! だから元気でね、ユート、リュカ……」
「分かってる。ま、俺はいつでも元気だから問題ないって」
「約束だよビアンカ! また僕たちと冒険しようね!」
「うん……。ねぇ、ユート……」
「ん? どうした?」
「あの……」

 言いかけて、口をつぐんだ。

「ううん。やっぱり、なんでもないわ……」

 ビアンカが首を横に振る。一体、何を言いたかったのだろうか。

「じゃあ、またね。ユート、リュカ」
「ああ、またな」
「またね、ビアンカ。またぜったい会おうね」

 いつまでも手を振り続けるビアンカを背に、俺達はアルカパの町を出てサンタローズ村へと戻った。

 かくして、長いようで短かったアルカパの日々は終わりを告げたのだった。



[4690] 第10話
Name: 例の人◆9059b7ef ID:6d7552d7
Date: 2008/11/16 22:20
 リュカがユートに出会ってから、そろそろ一ヶ月が経過しようとしていた。

 リュカにとって、ユートという少年は特別な存在である。しかし、どの辺が特別な存在なのかと問われると、とても一言では言い表せない。

 ではユートとは、どのような人物なのか。時々突飛なことをしてリュカを驚かせることもあれば、ものすごく大人びて見えることもある。かと思えばリュカよりも子供っぽい面もあるし、何がなんだかわけが分からない。

 一体、ユートは自分にとってどういう存在なのだろうかと、リュカは改めて考えてみた。

 生まれて初めてできた同年代の友達。

 危ない時に必ず助けてくれる、頼れる相棒。

 また時には、教師のような人。

 リュカの頭に、様々な言葉が浮かんでくる。

 以前、リュカが「鳥は何故空を飛ぶのか」とサンチョに尋ねた時のこと。サンチョは「翼があるからですよ」と答えた。リュカは続けて「翼があると何故飛べるのか」と聞いた。サンチョは「それは羽ばたくからであって……」と口ごもってしまった。

 しかし、ユートの答えは違った。別の日にユートに対して同じ質問をしてみたところ、彼は「鳥が空を飛翔する上での、航空力学と気流の関係」について熱く語ってくれたのだ。正直リュカには全く意味が分からなかったが、それでもユートが賢いということだけははっきりと理解できた。

 それ以外にも、身近な疑問について質問すればすぐに答えてくれるし、リュカの知らないような話を面白おかしく噛み砕いてたくさん教えてくれる。だから教師のような存在でもある。

 それだけではない。一緒にいると、まるで父親であるパパスといる時と同じような安心感もあった。パパスなどはユートのことを、まるでリュカに兄弟ができたようだと言っている。一人っ子であるリュカにとって、兄弟というものは今まで縁のないものだった。一応身近にはサンチョという人物もいるが、彼はリュカにとってはあくまでも優しい年上のおじさん。兄弟とはとても言い難い。

 ならば、ユートに対して抱くこの感情は、パパスが言うように兄弟を相手に感じるようなものなのだろうか? それとも、別のものなのだろうか? よく分からないけど、兄弟ができるというなら嬉しい。リュカはそう思った。

 そう思ったら、なんとなく楽しいような、くすぐったいような、そんな気分になった。

 でも待てよ。リュカはふと考える。兄弟ということは、どちらが兄でどちらが弟なのだろうか。

 少しだけ悩んだが答えはすぐに出た。どう見てもユートの方が兄という感じがする。

 ──今度、お兄ちゃんって呼んでみようかな。

 そんなことを考えたリュカ。

 無論、リュカの思いなどユートには知る由もないのであった。





 うららかな午後の日差しの中。サンタローズ村の広場には、俺とリュカの声が木霊していた。

「パッキャバラー!」
「おう」
「パッキャバラー!」
「……おう」
「声が小さい! もう一度! パッキャバラー!」
「……おう!」
「パッキャバラー!」
「おう!」
「パッキャバラー!」
「おう!」
「パッキャバラー!」
「……ねぇ、ユート。この遊び、どういういみなの?」

 リュカが顔をしかめている。

「特に深い意味はない」
「……そう」

 サンタローズ村は、今日も割と平和だった。

「しかし、暇だなぁ」

 次は何をして遊ぼう。この村には娯楽がさっぱり存在しない。

 俺は現代っ子である上に、中身は大人である。しかも、ものぐさでインドア派だ。外を走り回っていれば満足なリュカとは違って、できればあまり体を動かしたくないのが心情。ネットもゲームもテレビも使わない遊びを考えるというのは、なかなかに骨が折れる。ボードゲームの類は、まだリュカには難しいしなぁ……。

 家に置いてきた昼寝中のゲレゲレを起こして、芸でも仕込んでみようか。お手と伏せくらいなら覚えるかもしれん。上手くすれば、それ以上も……。

 なんだかやる気が出てきた。いずれはトップブリーダーも推奨するような、立派なペットに育ててみせようぞ。

 俺は密かに決意を固めたのだった。

 アルカパの町から戻ってきて、すでに三週間が過ぎていた。戻ってきた当初こそ、パパス宛てにラインハットから手紙が届いたり、それを読んだパパスが難しい顔をしていたりしていたが、それだけだ。ゲレゲレに関しても「責任を持って飼うなら文句は言わん」と言っただけ。

 俺はすぐに妖精の国へ行くことになるかと思っていたのだが、杞憂だった。相変わらず村では謎のいたずら事件が続いていたが、リュカはまだ妖精と遭遇していない。村へと戻ってきてから、リュカが一度も宿屋に足を踏み入れていないというのがその理由。妖精の国へ行くきっかけとなるのは、宿屋の地下にあるBARで妖精のベラと出会うのが条件である。だが、リュカは村ではほぼ常に俺と行動しているので、特に用もない宿屋の地下に行く機会など全くなかったのだ。

 俺はBARへ行かなければイベントが進まないことを、すっかり失念していた。一体いつ妖精の国へ行くイベントが起こるのだろうとか、夕食は肉が食いたいなとか、たまには味噌と醤油の味付けが恋しいなとか、そんなことを考えながら俺はこの三週間を過ごしていた。

 ちなみに、三週間ずっと遊んでいたわけではない。今日でこそパパスが出かけているのでこうして遊んでいるが、手の空いている時はリュカと一緒に剣を教えてもらったりもしていたのだ。

 自分で言うのもなんだが、少しは強くなったと思う。サンタローズ周辺に出没する魔物相手なら、一対一ではそうそう遅れをとることはないだろうと自負している。頭の中では、もう何度も魔物との戦いをシミュレーションしてみた。

 その結果はというと。

 スライム相手なら余裕で勝てる。

 ドラキー相手だと、ちょっと涙目になるけど勝てる。

 いっかくウサギが相手なら、相打ち上等でまだ勝てる。

 くびながイタチ相手の時は激闘になるが、かろうじて勝てる。

 ダンスニードルが相手の場合は、瀕死になるけど勝てる……はずだ。

 とまぁ、俺はそのくらい強くなったのだ。それってあまり強くなってないんじゃね? という説もあるが、本人が強くなったと言い張っているのだからそれでいいのだ。

 まぁ、肝心のレベルは1のままなんですけどね……。だって洞窟入るのも村の外に出るのも禁止だから、魔物と戦えないんです。

 泣きたい。でも泣かない。我慢する。だって男の子ですから。むしろ漢です。漢と書いて「おとこ」と読むんです。

「あ、そうだ」
「どうした、リュカ?」

 リュカが何か思いついたように、声を上げた。

「さっきシスターがね。教会の前にすてきな人がいたって、言ってたよ」
「素敵な人?」
「うん。シスターがいつもとはちがって、なんだかそわそわしてて、へんだった」
「へぇ……?」
「もしかして私に気があったりして、とか言って、体をくねくねしてたよ。シスターどうしたんだろう? ユートにはわかる?」
「いや……」
「ユート、どうしたの?」
「なんでも、ない」

 自分でも思っていた以上に、固い声が出てしまった。

「でも、へんな顔してるよー?」

 リュカが訝しんでいる。きっと、俺はよっぽど形容し難い顔をしていのだろう。

 まさか……素敵な人とやらは未来の……? 頭の中で疑問が渦を巻く。いや、決め付けるのは早計だ。まずは自分の目で見て確かめよう。

「リュカ。その素敵な人とやらを見に行ってみるぞ」
「うん、わかった!」

 俺はリュカを引き連れて、教会へと走り出した。小さな村である。教会にはすぐに到着した。

「だれもいないね」
「そうだな」

 教会の周りには誰もいなかった。一応、扉を開けて教会の中も覗いてみたが、目的の人物らしき姿は見えない。

「入れ違いになったかもしれないな」
「そっかぁ。もう帰っちゃったのかな?」
「さて、どうかな……」

 俺は言葉を濁した。

「会ってみたかったのにね」
「ああ、そうだな」

 もし、その相手が「未来のリュカ」だとすると、俺はなんとしてでも会いたかった。どうしても聞きたいことがあったからだ。

 未来では俺という存在はどうなっているのか。リュカは無事なのか。パパスは無事なのか。俺は生きていられるのか、誰かと結婚しているのか。はたまた、すでに現実の世界に戻っていたりはしないのか、それとも……。

「ところでリュカ。お前、ゴールドオーブっていうの持ってないか?」
「ゴールドオーブ?」
「えーと、なんか金色に光ってる宝石みたいなの……かな?」
「あれ? ユートどうしてしってるの?」
「いや、まぁ、あれだ。とにかく、持ってるのか?」
「うん、もってるよ。レヌール城で、お化け退治した時にもらったんだ」
「そうか……」

 それなら、まだ探し人は村の中にいるかもしれないな。その相手が「未来のリュカ」だとすれば、目的はゴールドオーブのすり替えである。リュカとの邂逅を果たしていないとなると、まだ目的は達成していないと見ていいはずだ。つまり、諦めるのは早いということだ。狭い村だし、少し探せばすぐに見つかるかもしれない。

「あ、いいこと考えた」

 不意に、俺の脳裏に天啓がひらめいた。

「いいことって?」
「ゲレゲレを使おう」
「ゲレゲレを?」

 リュカが首を傾げる。リュカにはまだ分からないか。

「ゲレゲレの野生の力を頼るんだ」

 詳しく言うと、ゲレゲレの鼻を使うのだ。警察犬のように匂いを追跡させてみようと、俺はそう考えた。

 探す相手が「未来のリュカ」だからこそできる反則技。同じ匂いの持ち主であるリュカがここにいるので、村の中で同一の匂いを発している者を辿らせればいい。我ながらいい考えである。ゲレゲレは名前はアレだが、なかなか賢いので、匂いを辿るくらいならできるはずだ。

「とにかく、ちょっとゲレゲレを連れてくる! リュカはここで素敵な人とやらが来ないか見張っておいてくれ。じゃあな!」
「え? え? ちょっと、ユート? どういうことなの?」

 未だ理解が追いつかずに首を傾げているリュカを置いて、俺は家を目指してその場から走り去った。

 全速力で走り、着いたら家の前で急停止。やや乱暴に扉を開けて中に入ると、水場で洗い物をしていたサンチョが俺に気付いて手を止めた。

「おや? ユート坊ちゃん、お帰りなさい」
「あ、サンチョ! ゲレゲレはまだ寝てるかな?」
「はい、まだ寝ておりますよ。さっき見たら、ユート坊ちゃんのベッドにいたような……」
「ありがとう!」

 俺は返事もそこそこに、自分のベッドへと向かう。サンチョの言葉通り、ゲレゲレは俺のベッドの上でぐっすりと眠っていた。丸まって眠るその姿は、なるほど確かに猫そっくりだ。

「ゲレゲレ、起きてくれ! 緊急事態だ!!」
「……ふにゃあ?」

 寝ぼけた声を上げて、ゲレゲレが目を覚ました。前足を舐め、次に億劫そうに大きく伸びをする。その姿は猫そっくりというよりも、猫そのもの。……ベッドの上が毛だらけだ。あれは俺が掃除しなければいけないのだろうか。

「起きたな? よし、行くぞ!」
「ふ、ふにゃあああ!?」

 俺は有無を言わさずゲレゲレを抱き上げると、家を飛び出した。腕の中で暴れるゲレゲレをがっちりと抱きしめ、教会へと向かってひた走る。

「フー! フー! グルルルル! ふにゃあああ!」

 ゲレゲレの泣き声が聞こえたような気がしたが、幻聴ということにしておこう。さぁ、これで準備は万端。俺の明日はどっちだ。





 教会の前では、リュカが一人ぽつんと立っていた。つまらなそうに下を向いている。

「リュカ、お待たせ!」
「ユート!」

 リュカがぱっと顔を上げた。

「ユート、おそいよ~。僕、ずっとまってたんだからね」
「悪い悪い。これでも急いだんだ」

 いじけているのか、リュカは俺を見て頬をふくらませた。俺は少しぐったりとしているゲレゲレを地面に降ろすと、リュカに尋ねる。

「それで、やっぱり誰も来なかったのか?」
「ううん。きたよー」
「そうかそうか。……え?」

 今なんと?

「ごめん、もう一回言ってくれないか。誰が来たって?」
「んー、だれかはよくわからないけど、たぶん、シスターの言ってた人かな?」
「ちょ、おい!? リュカ、その人と何を話した!?」

 俺は間に合わなかったのか!? くそッ! もっと急ぐべきだった!

「リュカ! 教えてくれ!」
「ユ、ユート……。なんだかこわいよ……」
「……と、すまん」

 リュカが怯えている。俺は掴みかからんばかりの勢いで詰め寄っていた。

 興奮しすぎだ。リュカから距離を取り、目を閉じて大きく一度深呼吸。……よし、落ち着いた。

「ごめん。話を続けてくれ。その人は、何を言ってた?」

 まずはリュカの話を聞いてからだ。それから判断しても遅くないと自分に言い聞かせ、続きを促した。

「えーとね……。ゴールドオーブだっけ? あれをちょっとだけ見せてほしいっておねがいされたから見せてあげたんだ。それからね、お父さんとユートを大切にしてあげるんだよって」
「……そうか。それだけか?」
「えーとね。えーと、えーと……」

 リュカは、うんうん唸りながら思い出そうとしている。

「あ、そうだ。あと、どんなにつらいことがあっても、負けちゃだめだって。ユートと二人ならがんばれるからって」
「俺となら?」
「うん、そう言ってた。あれ? でも、どうしてあの人はユートのことしってたんだろう? 僕ユートのことは何も話してないのに。へんなの」
「……そうか」

 間違いなく、相手は未来のリュカだろう。だが、これでは肝心なことは何も聞けなかったのと同じだ。俺が知りたかったのは、今後どうなるかについての情報だったのに。

「ちなみに、その人はどんな格好してた?」
「うーんとね。そういえば、服が僕のとちょっと似てたかも。マントも似てたかな」
「なるほど。そんなに似てたのか……」
「うん。あ、ほら。やっぱり似てる。ユートもそう思うでしょ?」
「……え?」

 俺の背後をリュカが指さした。釣られて目をやる。

 村の入り口方面に向かって歩く、一人の人間の後ろ姿があった。遠目な上に後ろ姿なのではっきりとは見えないが、マントの色がリュカと同じなのは分かる。特徴的な紫のマントは、見間違えることはない。

「あれは……! リュカ、ちょっと行ってくる!」
「え? ちょっと、ユート? どうしたの!? さっきからへんだよ!」

 俺は慌てて「大人リュカ」を見失わないように駆け出した。突然走り出した俺の足音に驚いたのか、足元にいたゲレゲレが身を竦ませて硬直する。慌しく去った教会の方からは、リュカの不満気な声。だが、今はどちらにも構ってはいられない。

「待て! 待ってくれ!」

 村を出て行こうとする、その直前。俺はなんとか「大人リュカ」の背に声をかけることに成功した。

「────あ」

 小さな声を漏らしながら、その人物はゆっくりとこちらへ振り向く。逆光のため、姿は全体的にぼやけていて曖昧だ。それでも──目だけは何故かはっきりと見える。

 どこか憂いを帯びた、見慣れた色の瞳が俺を射抜いていた。深く黒い瞳だ。その中に今映っているのは、きっと俺の姿。俺の全てを見透かしているような、そんな瞳が俺を見据えている。

 時が止まったような気がした。

 木漏れ日が差す穏やかな光の中、俺との間で視線が一瞬だけ交錯する。

 そう──ほんの一瞬。

 束の間の邂逅は、すぐに終わりを告げた。言葉を交わす暇などなかった。悲しそうに目を伏せて再び踵を返したそいつに、俺は、

「ちょっと、待──」

 声は、届かない。

 まるで最初からそこには何も存在しなかったように、人影は村の入り口から消えた。

 俺は何も聞くことも、伝えることもできなかった。

「なんで……」

 問いに答える者はいない。

 これでは……あんまりではないか。心の中にぽっかりと大きな穴が開いたような、激しい虚脱感が襲ってくる。俺の頬を冷たい風が撫でていった。

 見張りの兵士の人が声をかけるまで、俺はじっとその場で立ち尽くしていた。




[4690] 第11話
Name: 例の人◆9059b7ef ID:6d7552d7
Date: 2009/12/04 18:39
 死亡フラグという言葉がある。

 吹雪の舞う雪山のペンションで殺人事件が起こった時に「殺人鬼と一緒にいられるか!」と、一人だけ別行動をしたり、戦場へ向かう兵士が「俺、この戦争が終わったら結婚するんだ」と、恋人の写真が入ったペンダントを眺めたりするような行動である。

 これらの行動は呪いにも似た強制力で、対象者を高確率で昇天させる。その確立たるや、擬似連四回目で発生した激熱リーチ以上だ。

 他にも、たとえば未来を知っている相手から悲しげな目で見られたり、あまつさえ声をかけようとしたら逃走された場合も、これに当たると言えよう。

 つまり、今俺がヤバい。すごくヤバい。

 どれくらいヤバいのかというと、塩と砂糖を混ぜたら水になると思っている子供の頭くらいヤバい。頭悪すぎるだろ、常識的に考えて。

 ちなみにその子供とは、誰であろう小学生の時の俺のことだ。

 あの頃は俺も若かった。無知な子供とは怖いものだ。外見年齢だけはその頃と同じだけどね。や、だって今の俺は子供化してるし。

「違う。そんなことはどうでもいい」

 どうして俺の思考は、こうすぐに脱線してしまうのか。死亡フラグが立ったのかもしれないんだから、もうちょっと真面目に考えろ俺。未だに「どうせ何かあっても俺は死なないだろう」とか思ってないか? そんな甘い考えだと、この世界では本当に死ぬぞ。レヌール城での痛みと恐怖を忘れるな。

 そもそも、あの大人リュカはなんで逃げるように去っていったのか。せめて一言くらい助言とかしてくれよ。死亡フラグだけ残していきやがって、あの野郎。

 もし本当に死亡フラグ成立なら、俺が今からどれだけ足掻いても無駄なのか? 大人リュカのあの行動だけで、すでに俺の未来は確定してるのか?

「うぼぁーー!!」

 頭を抱えてベッドの上を転げ回る。

 どないせー、ちゅーねん。あぁ、胃が痛くなってきた。ストレスで胃に穴が開きそうだ。サンチョに言えば胃薬をもらえるだろうか? 見た目六歳の子供が胃薬を飲む光景って、どれだけシュールなんだ。

「うがーー! やってらんねーーーー!!」
「ユート、どうしたの? ずっと元気ないみたいだけど……」

 俺の魂の慟哭が聞こえたのか、リュカが心配してやって来た。足元にはゲレゲレの姿もある。俺はベッドから体を起こすとリュカに向き直った。

「考え事してるんだ。気にしないでくれ」
「そうなの?」
「そうなんだよ。というか、リュカについて悩んでる。胃に穴が開きそうなほどに」
「え……僕? 僕のせいなの……?」

 厳密に言えば、未来のリュカの行動についてだが。

「よくわからないけど、ごめんねユート……」
「あー、いや、その……」

 リュカの瞳に涙が貯まってくる。今にも泣きそうな顔で謝るリュカに、俺の良心がちくりと痛んだ。

 ぽりぽりと頬を掻きながら、どうしたものかと考えてみる。このままベッドで唸っていても、いい考えは浮かびそうにない。それに、何か対策を立てようにも現状では俺にできることは限られている。ラインハットに着くまでは、原作が破綻しないように極力干渉を避けようとも決めたしなぁ。

 本当は、もうしばらく家でごろ寝しながら悩んでいたいが仕方ない。ここは外にでも出てみるか。

「リュカ。気分転換に外に行くか?」
「……うん!」

 ん、いい返事だ。今にも泣きそうだった顔が、もう笑顔になっている。

「がうがう!」

 ゲレゲレ、お前には聞いてねぇ。意味もなく誇らしげに返事するな。

「今日はなにをするの?」
「そうだなぁ……」

 何をしよう。ゲレゲレもいることだし、芸でも仕込むか? それとも、リュカと二人で木の枝使って剣の訓練でもしようか。パパスは今日もサンタローズ洞窟に出かけていて、いつ戻るのか分からないし。

 俺はここ数日は大人リュカとの件がショックで、ずっと部屋に引きこもっていた。たまには外に出ないと、体がカビてしまう。リュカは俺にべったりだから、俺が家にいると同じく外に出ようとしないし、そもそも俺は居候の身。子供の体とはいえ、部屋でじっとしているだけだとパパスやサンチョの目が痛い。子供は風の子、元気の子。家で腐ってないで、子供らしく外へ遊びに行かなければ。ま、とりあえずどこで何をするのかは、外に出てから考えよう。

「リュカと遊びに行ってきます」
「行ってらっしゃいませ、坊ちゃん達」

 サンチョに挨拶をして、家の外へ。俺の後にはリュカとゲレゲレが続く。

 扉を閉める際に、

「あのまな板はどこにやったのかなぁ……」

 というサンチョの呟きが聞こえたような気がした。





 サンタローズ村は、今日も晴れ。

 村には畑が多いので、少し歩いただけでも土の匂いが鼻腔をくすぐる。リュカにとっては当たり前の、俺にとっては懐かしい田舎の匂いだ。あと、なんといっても空気が美味い。現実世界のコンビニで、瓶にでも詰めて売りに出したいくらいだ。大気汚染で汚れた俺の住み慣れた都会とは違い、この世界の空気はどこまでも澄み渡っている。たかが空気、されど空気。空気がやたら美味いと感じるのも、この世界ならではだろう。

 今までに俺は何度か海外へと旅行をしたことがある。その時にも似たような経験があった。飛行機を降りて空港を出て、異郷の地を踏んで最初に感じたのは空気と土の匂いの違いだった。日本とは明らかに違うのがはっきりと分かるのだ。ましてや、今俺が立つこの場所は異国でなくて異世界である。元の世界との違いを顕著に感じるのは、当たり前といえば当たり前のことなのかもしれない。

「ね、ね! ユート、どこに行こうか?」
「そうさなぁ……」

 数日ぶりに俺と外に出れたのが嬉しいのか、リュカのテンションが無駄に高い。反対に、休日に無理矢理外に連れ出されたダメ親父の心境のような俺。リュカとは反比例してテンションが減少していく。外に出たばかりだが、もう家に戻りたくなってきた。たった数日間家にこもっていただけなのだが、元来のものぐさ魂が再燃してしまったようだ。

「僕はユートの行きたいとこでいいよ」
「俺の行きたい場所?」

 うーむ。行きたい場所か。この村、狭いし何もないんだよなぁ。洞窟行くのは禁止だし、広場で鬼ごっこするもの疲れるから面倒だし。他にどこかあったかな。行きたい場所、行きたい場所……。

「酒場へ行こう」
「酒場にようじなの? ユート、アルカパにいた時も行ってなかった?」
「気にするな、リュカ。酒場に行くと決めたからには行くんだ」

 そうだ、酒場へ行こう。俺は京阪電車に乗って京都にでも出かけるような気軽さで、村の酒場へと向かった。

 目的はもちろん、バニーさんの乳だ。俺としたことがうっかりしていた。この村には、酒場という名の理想郷が残されていたじゃないか。酒場があるということは、つまりそこにはバニーさんがいる。酒場とバニーさんは切っても切れない関係。

 精通のきていないこのお子様な体では、自家発電すらまだ無理であるが、それでも胸の奥から湧き上がるエロスの泉は尽きることがないのだ。

 リュカが「なんで酒場なの?」的な表情で俺を見ているが気にしない。飽くなき情熱を内に秘め、己が信じた道をただ邁進するのみ。おっぱい天国が俺を待っている。

 まずは宿屋に入り、目指すは地下にある酒場だ。

「おや、パパスさんのところの坊主達じゃないか。いらっしゃい」

 宿の主人に笑顔で手を振って通り過ぎる。パパスのおかげで、村の中はどこに行こうと顔パスだ。あとは階段を下りれば、そこには……。

「ん?」
「あれ?」
「がう?」

 順番に、俺、リュカ、ゲレゲレと三者三様の声。どの声にも驚きの色が混じっている。

 酒場に入った俺達の目に飛び込んできたのは、BARカウンターの上に行儀悪く座り、足をぶらつかせている少女の姿だった。

 何が気に入らないのか、口を尖らせて下を向いている。その後ろでは、マスターが何事もないように立っていた。

「おや、グラスがないと思ったらこんなところにあったぞ。最近こういうことが多いなぁ」

 ぼやきながら、マスターがカウンター下からグラスを取って布で磨く。そう、まるで少女のことなど全く目に入らないかのように。

「あれは……」

 俺はカウンターに座る女の子を凝視した。長い耳が特徴的な、不思議な雰囲気を身に纏った子だ。特に不思議なのが体が半分透けて見える点だ。何あれ? 光学迷彩? どこの潜入工作員なの?

「リュカ。お前にもあの子見えるか?」
「うん、見えるよ? でも、どうして女の子がいるんだろうね。ここって、おさけをのむところだから子供だけで入ったらいけないんだって、ビアンカも言ってたよね。へんだよねー」
「そうだね、変だね……」

 違う、そういうことを言っているんじゃないぞ、リュカ。そんな天然な答えを期待してるんじゃないんだ俺は。

「お? パパスさんのところの子か。まぁ、酒は出せないがゆっくりしていってくれ」

 リュカと共に階段の前で突っ立っていたら、マスターに声をかけられた。

「あ、どうも」

 社交辞令的に言葉を返しておく。本来はバニーさんが目当てだったのだが、この酒場にはバニーさんはいないようだ。テーブルに客らしき戦士風の男の姿はあるが、野郎のことはどうでもいい。なんという酒場だろう。もう二度と来るものか。

 それにしても、違和感のある光景だ。視線は、どうしてもカウンターの上の少女へ向かってしまう。リュカも同様のようだ。

「あら?」

 俺達の視線に気付いたのか、女の子が顔を上げた。

「まあっ! もしかして、あなた達には私が見えるの!?」

 少女の言葉に、俺とリュカは黙って頷く。

「がう!」

 ついでにゲレゲレも返事をした。ゲレゲレにもはっきり見えているようだ。

「よかった! やっと私に気がついてくれる人を見つけたわ!」
「ねぇ、君はだれなの?」

 というリュカの問いに、

「私が何者か、ですって? 待って、ここじゃ落ち着かないわ。たしかこの村には、地下室のある家があったわね……。その地下室に行ってて! 私もすぐに行くから……」

 慌てるように答えた少女は、酒場を出ていってしまった。

「どこの子かなぁ? あんな子、この村にいたっけ?」
「いや、いないな」
「そうだよね。僕、はじめて見たもん」
「俺も初めて見たよ」
「でも、どうしてお店の人はだれもあの子に気付かなかったんだろう? ずっとカウンターの上にすわってたのにね」

 だってあの子は、人間じゃなくて妖精さんですもの。大人には見えないんです。

「リュカには、あの子の姿がはっきり見えたのか?」
「うん。ユートも見えたでしょ?」
「まぁ、一応は……」

 半透明だったけど。

 これはあれか。俺は外見は子供で、中身が大人という中途半端な存在だから妖精の姿が中途半端に見えたのか? 微妙な気分だ。

 それにしても、俺としたことがうかつだった。妖精の国関連のイベントは、酒場に行かないと起こらないことをすっかり忘れていた。

「地下室のある家って、もしかして僕の家かな?」
「あー、たぶんそうなんじゃないかな」
「それなら、早く行かないと! あの子を待たせちゃうよ、ユート!」
「ああ、分かった分かった」

 俺はリュカに急かされるように酒場を後にした。

 本当はバニーさんを見に来たというのに。未練は残るが、この酒場にはバニーさんがいないのだから、諦めるしかない。

「ただいま戻りました」
「ただいま、サンチョ」
「おや、お帰りなさいませ」

 家に戻ると、いつものようにサンチョが出迎えてくれた。

「そうだ、聞いてくださいよユート坊ちゃん。実は、無くしたと思っていたまな板がタンスの中から見つかったんですよ。どこかにイタズラ者がいるんですかねえ……」

 サンチョが、疑わしそうに俺を見ている。

「お、俺じゃないですよ?」
「ふふ、冗談ですよ」

 と、いたずらっぽく笑うサンチョだった。脅かさないでください。

「ユート、早く早く! おいてっちゃうよ!」

 地下室へと続く階段の前で、リュカが俺を呼んでいる。その足元に待機しているゲレゲレは何が楽しいのか、激しく尻尾を振っていた。散歩の延長とでも考えているのだろうか、あの獣っ子は。

 みんなもっとのんびり行けばいいのに、慌しいことだなぁ。……こういう思考は、俺が年寄り臭いから出るのだろうか?

「すぐ行くよー」

 投げやりに返事を返しながら、のそのそと階段へと向かう。

「ユート! 急いで急いで!」
「あー、はいはい」

 俺はリュカの後に続くと、地下室へと降りた。





 地下室に降りて最初に感じたのは、寒さだった。じめじめした湿気と冷気は、まるで洞窟の中を思わせる。

 辺りには壷や樽が並んでいるが、食料でも貯蔵しているのだろうか? 全体的に薄暗く、申し訳程度にともされているロウソクの明かりだけが頼りだ。

「来てくれたのね! 私はエルフのベラ」

 地下室の奥にいた、長耳の少女が声を上げた。そうか、この子はエルフだったのか。妖精とエルフって別物かと思っていたが、同じだったんだな。耳が長いから、なんとなくエルフっぽいとは思ってたんだけどね。

 しかし、エルフ娘とはいいね。ファンタジーの醍醐味だね。ドラクエ万歳です。

「ユート、えるふって何?」

 リュカがこそこそと、小声で聞いてきた。

「エルフってのは、ほら、あれだよ。耳が長くて、人間とは別の種族で……」
「僕たちとはちがうの? しゅぞくって何?」
「えーと……」

 俺の苦心を他所に、ベラと名乗ったエルフの少女の話は続く。

「実は、私たちの国が大変なのっ! それで人間界に助けを求めて来たのだけど、誰も私に気がついてくれなくて……。気がついてほしくて、色々イタズラもしたわ。そこへあなた達が現れたってわけ。……ねぇ、私の話聞いてる?」
「ねぇ、しゅぞくって何? 僕よくわかんないよ」
「いや、ほらな。たとえばゲレゲレは人間とは違うだろ? これが種族の違いってやつなんだよ」
「つまり……ベラも猫さんみたいなもの? ゲレゲレも耳が長いよ?」
「がう?」

 足元で丸まっていたゲレゲレが、自分の名前に反応して顔を上げた。が、自分が呼ばれたのではないと気付くと、すぐにまた顔を伏せる。

「違うって。だからゲレゲレとは違ってエルフだって」
「エルフっていう猫さん?」
「エルフと猫は別物だっつーの。猫から離れろ。猫の他にも、魔物とか動物とか色々いるだろ」
「えーと、えーと。……ベラは魔物なの?」
「私は誇り高きエルフの一族よ! 失礼ね、魔物なんかじゃないわ!」

 あ、ベラさん聞いてたんですか。怒らないでください、すんません。

「シッ! ちょっと待って。誰か来たみたいだわ……」

 ベラが口元に指を当てて、静かにするように促した。俺とリュカは素直に指示に従う。

 しばらく、地下室に静寂が流れた。耳を澄ますと、かつかつという足音が反響しているのが聞こえる。音は次第に大きくなってきていて、上から誰かが降りてくるのが分かった。

「話し声がしたので誰かいるのかと思ったが、お前達か……」

 やって来たのは、パパスだった。辺りをぐるりと眺め、

「ここはとても寒い。遊ぶのはほどほどにして、風邪をひかぬうちに上がって来るのだぞ」

 それだけ言うと、再び上へと戻っていった。

「お父さん、ベラに気付かなかったみたいだね」
「そうだな。見えてないんだろうな」
「やっぱり他の人には、私は見えないみたいね……」

 目の前にいたのに無視されたベラの口調は、悔しさを滲ませている。

「ともかく、私達の国に来てくださる? そして詳しい話は、ポワンさまから聞いて!」

 言い終わるや否や、ベラの姿が俺達の目の前から消えるようにいなくなった。魔法の一種だろうか?

「あれ? ベラはどこに行っちゃったの?」

 リュカがきょろきょろと辺りを見回している。ややあって、地下室の天井から淡い光が溢れ出して来た。目の前が光に包まれていく。

「うわ、わ、わ! な、何これ!?」
「ファンタジックな光景だな」

 驚くリュカとは対照的に、あくまでも俺は冷静だ。綺麗だとは思うが、某有名遊園地のイリュージョンとかでは、もっとド派手なのもあるしなぁ。

「がう! ガルルルル!」

 ゲレゲレ、うるさい。警戒して吠えるのはやめなさい。

 やがて光はゆっくりと収束し、形を成していく。円形の足場のようなものが、連なるようにして天へと向かっていた。

「えっと、これって……」
「階段、だな」

 別世界へと繋がる、光の階段がそこにはあった。




[4690] 第12話
Name: 例の人◆9059b7ef ID:6d7552d7
Date: 2008/11/23 01:59
 光の階段を抜けると、そこは妖精の国だった。と、どこかで聞いたようなモノローグから始めてみる。

 俺達がやって来たのは、妖精の村。村の中央には大きな池があり、その真ん中に位置する場所には巨大な樹木の切り株が根を生やしている。

 池の中だけではない。村のあちこちに切り株は鎮座している。そのどれもが、中を切り開いて住居として使われているようだ。

 特に池にある巨大な切り株は細かく手が入れられていて、城代わりに使用されている。あそこが恐らく、妖精の村の長であるポワンの住居である。

「あなた達、来てくれたのね。さぁ、ポワンさまに会って!」

 最初に出迎えてくれたのは、ベラだった。今からポワンの元まで案内をしてくれるのだろう。

 それはともかく。

 村の中に広がるのは、一面の銀世界。辺りの木々は葉を落として枯れ、寂しさを一層募らせている。空には粉雪が乱舞し、足元に降り積もった雪はまるで白い絨毯のようだ。

「寒い! めっちゃ寒い!」

 鳥肌が立ってきた。

 手をこすり合わせ、内股気味で震える俺。一方、リュカなどは「うわー、雪だー」と微笑ましい感想を漏らし、ゲレゲレは興奮して俺の足元を走り回っていた。

「こいつらは、なんでこんなに無駄に元気なんだよ……」

 それはお子様だからである。心の中で、自分で自分にツッコミを入れる。

「あなたはだらしないわねぇ」

 ベラが俺とリュカの様子を見比べながら、呆れたように言う。

「そんなこと言われても、寒いものは寒いというのに」
「確かに寒いけど、男の子なんだから我慢しなさいよ。さ、ここで話してないで行くわよ」

 ベラを先頭に、俺達はポワンの元へと向かった。途中、池を渡る時に大きな蓮の葉を足場代わりに歩いたのだが、寒さで池が完全に凍っているので、どこを通っても同じじゃね? と思った。

 池の中の切り株──今後は城と呼称しよう──の内部は、不思議な空間が広がっていた。空洞となった内部はいくつもの階層によって分かれ、螺旋状の階段で繋がっている。一つ一つの階層がとても広く、一階には図書館、二階には教会というように、小さなデパートの一フロア程度のスペースが丸ごと入るくらいだ。

 そして頂上に当たる三階では華美な玉座で、エルフの長ポワンが待ち構えていた。その傍らには、付き人と思われるエルフが姿勢よく佇んでいる。

「ポワン様。仰せの通り、人間族の戦士を連れて参りました」

 部屋に入ったベラが、ポワンの前で仰々しく頭を下げた。俺も続いて頭を下げる。その俺の様子を見て、リュカも同じように頭を下げた。

 俺は単純に、目上の者に対して礼を逸しないようにと思っての行動だったが、リュカはなんとなく俺の真似をしただけのようだ。

「まぁ、なんてかわいい戦士様ですこと。お二人とも、頭をお上げくださいな」

 ポワンの言葉で、俺とリュカは顔を上げた。

「あ……」

 意図せず、短い言葉が口から漏れてしまう。慈愛に溢れた顔で微笑むポワンは、幻想的な美しさを醸し出していた。

 髪を彩る銀のティアラに、ゆったりとした淡い緑のドレス姿。服装という点だけでも、簡素な布の服を主体とした他のエルフとは一線を画している。ベラを初めて見た時は「不思議な感じの少女だな」程度しか思わなかった俺だが、ポワンには衝撃を受けたと言っても過言ではない。

 エルフ特有の薄い青みがかった髪。ツンと突き出た長い耳。涼やかな目元。まごうことなき、絶世の美女である。

「あー、その、どうも……」

 たどたどしい俺の返事に、ポワンは小さく首を傾げて笑っている。ベラはというと、かわいらしい戦士という評価に焦ったのか慌てて言葉を継ぎ足す。

「め、めっそうもありませんポワン様。こう見えましても彼らは……」
「言い訳はいいのですよ、ベラ。全ては見ておりました」
「うぅ……」

 ぴしゃりと言われ、ベラが黙り込んだ。ポワンの視線がベラから俺とリュカの方へと移る。

「リュカに、ユートといいましたね。ようこそ、妖精の村へ。人間の世界でも私達の姿が見えたのは、あなた方に何か不思議な力があるためかも知れません」

 俺は半透明でしか見えなかったんですけどね。妖精の世界にきてからは、割とはっきり見えるけども。

「その力を見込んで、あなた達に頼みがあるのです。引き受けてはもらえませんか?」
「うん、いいよ!」

 リュカが即答した。

 やれやれ、仕方のないやつだ……。せめて、答えるのは頼みごとの内容を聞いてからにするとか、それを元に交渉した後でにしてくれ。即答するのは愚かの極みだぞ。俺はあらかじめ原作による事前知識として知っているからいいが、もし依頼が理不尽な内容だったらどうするのだリュカよ。こういう考え無しの行動はいただけない。俺は内心で溜息を吐いた。

「ユート。あなたはどうですか?」
「俺もいいですよ」

 今更後戻りはできない。リュカが引き受けてしまったからには、俺も腹を決めるしか…………あれ?

 思索の海に意識が沈む寸前、ふと自分の思考回路に軽い違和感を覚えた。さっきから、俺は何を考えていた? 「仕方がないから」だって? 

 魔物との戦いで生死がかかっているような切羽詰まった状況でもなく、相手はエルフの長といっても、今はごく普通の会話の最中。脅されているのではないのだから、身の危険はどこにもない。リュカが即答したとはいえ、俺がすぐに横槍を入れて口を挟むこともできたはずだ。

 自分も構わないと追随してどうする? ここは話を聞いてから返事をしろと言ってやる場面ではないのか。リュカにきちんと注意してやるのが大人としての行動ではないのか。

 その程度ならば、原作が破綻するほど干渉したことにもならない。頼みごとの内容を最後まで聞き、条件を吟味し、メリット・デメリットを秤にかけた上で答えを出す。これが交渉の基本である。

 元々俺は自己犠牲の精神は皆無の性格。実際に、今まで生きてきた中で無償奉仕などさっぱりしたことがない。学生時代の時だって、ボランティア活動とは縁のない生活だった。

 かつての俺なら、ポワンとの会話に何か一言口添えをしていたのは想像に難くない。それなのに「仕方ない」からとは何事だ? 確かに俺はノリと勢いだけで動くことも多いし、結構流されやすい性格ではある。だが、交渉内容の一切を他人に委ねて「仕方ない」の一言で済ますような人間ではなかったはずだ。それなのに、何故こんな結果に? 俺は、一体どうしてしまったのだ?

 考えてみればこの世界に来て以来、今までの自分の行動には納得できない点が多々ある。自分のすること成すこと、いい意味でも悪い意味でも若すぎるのだ。思いついたら深く考えずに即行動。そして問題が起こってから対処するような場当たり的な反応。

 サンタローズ洞窟では魔法を使ってみたいからといって、何の準備もなしに突入した。レヌール城で死にかけた時は魔物相手に不意打ちをしたものの、よくよく考えれば事前の計画は皆無。大人リュカとの件だって、ゲレゲレを連れに行かずにリュカの傍でずっと見張っているだけでよかった。

 ──精神は肉体に依存する。

 以前、アルカパの宿屋で自己診断した時に出た答えだ。こうして深く考えている時はいいが、日常の無意識下では子供の体に引きずられ、体が勝手に動いてしまうことがあるのか?

 つまり今の俺は……心と体のバランスが取れていない。反抗期に入った中学生よりも面倒な事態になっている。子供の肉体というものは、思っていた以上に厄介なようだ。今後俺はどうすればいいのだろう。体を動かす前に、必ず深く考えるようにするだけしか対策はないのか? 今この事実に気付けただけでも、僥倖だと思った方がいいのだろうか……? この世界に来てからというものの、俺の悩みは尽きることがない。

「実は私達エルフの宝、春風のフルートをある者に奪われてしまったのです。このフルートがなければ世界に春を告げることができません。リュカ。ユート。二人の力で春風のフルートを取り戻してくれませんか?」

 俺の内心の葛藤を他所に、ポワンの話は佳境に入っていた。リュカはまたしても「うん!」と即答し、俺は「ああ」と曖昧に頷くだけにとどめる。

「まぁ! 引き受けてくださるのですね! それではベラ。あなたもお供しなさい」
「はい、ポワン様!」
「リュカ。ユート。あなた方が無事にフルートをとりもどせるよう、祈っていますわ」

 ポワンの話は終わり、俺達のパーティにベラが加入することとなった。

「それでは、ポワン様。行って参ります」
「ええ。くれぐれも気をつけるのですよ」

 ベラはポワンに一礼すると、俺とリュカに向き直る。

「しばらくの間、私も一緒に行くからよろしくね」
「ああ、うん。よろしく」
「うん! いっしょにがんばろうね!」
「がう!」

 俺に続いて、リュカとゲレゲレが元気よく返事を返した。それにしてもゲレゲレ、お前大人しいと思ったがちゃんといたんだな。あまりにも静かだったから存在を忘れかけていたぞ。

「それじゃ、行きましょうか! 私達で絶対に春風のフルートを取り戻すわよ!」

 踵を返して階段へと向かうベラ達に、

「あ、すまん。ちょっと待った」

 俺は一人待ったをかけた。やる気満々で歩を進めようとしていたベラの肩が、ガクッと落ちる。

「急に何よ!?」
「あー、いや。その、ちょっとだけポワン様と話があるんだ。悪いけど、下の階で待っててくれないか?」
「ポワン様と話……?」

 うろん気な目で、ベラが俺を見つめた。声色も少し厳しい。俺は思わずうっと身を退いた。不審に思われてしまったようだ。

「す、すまん。少しだけだから」
「……まぁいいわ。くれぐれもポワン様に失礼のないようにね。リュカ、先に行きましょう」
「ユート、お話おわったら早くきてね」
「分かってる。悪いな」

 リュカ達が階段を降りるのを見届けると、俺はポワンの前へと向かった。

「私に話があるとのことですが?」
「はい。いくつか聞きたいことがあります」
「あら、何でしょうか? 私に答えられることならば遠慮なく話してくださいな、小さな戦士様」

 ポワンが穏やかに答える。その瞳には、どこか楽しそうな色が見え隠れしていた。

 しかし正面からこうやって向かい合ってみると、ポワンは本当に美人だ。香り立つような色気に、頭がくらくらしてしまう。もし俺の体が大人のままだったら、誘惑に負けて押し倒していたかもしれない。

 ……おっと、俺は話をしに来たんだった。余計な考えをしている暇はない。

「その、失礼な質問かもしれませんが、ポワン様はエルフですから、長生きをされていますよね?」
「エルフであるこの身は、人に比べればその生が何倍にも長いと言えるでしょうね」
「でも、長生きしても外見はあまり変わりませんよね?」
「ある程度育った後は、人のように激しく老化するということはありませんが……」

 こちらの質問の意図を掴みかねているのか、怪訝そうな口調だ。

「外見が若いままだと、やはり中身というか心もずっと若いままなのでしょうか?」
「そうですね……」

 俺の質問に、ポワンは少しだけ間を置いてから答える。

「その通りかもしれませんね。確かに精神的にも成長はしていきますが、その速度はとても緩やかです。フフ……。だから、ベラはあんなにそそっかしいままなのかもしれませんね」
「はぁ……?」

 ベラは割とそそっかしい性格だとは俺も思うが、それが今の話に関係があるのだろうか?

「ああ見えて、ベラはあなたの何十倍も生きているのですよ?」
「ええッ!?」

 てっきりまだ十代の少女だと思ってたのに。エルフ、侮りがたし。

「質問はそれだけでしょうか?」
「あ、はい。どうもありがとうございました」
「礼など不要ですよ。それで──求める答えは見つかりましたか?」
「え……」

 言葉に詰まる。もしかして、最初から見抜かれていたのだろうか。

「ユート。不思議そうな顔をしていますね」
「いや、そんなことは……」

 ない、と断言できない。

「私はこれでもエルフですよ、ユート。長生きしてきただけあって、誰かを見る目はそれなりに養われていると自負しています。あなたが私の前に来てからずっと、何かに悩んでいたことは感じておりました」
「そう、ですか……」

 予感は当たった。俺はぐぅの音も出せない。

「こういうのを──人間の言葉で年の功というのでしたか? フフ……人というものは面白い言葉を考えるものですね」

 そう言って笑うポワンの顔は、とても俺の何倍も生きているエルフとは思えないほど可憐で、美しかった。

「その……ポワン様のお話はとても参考になりました。本当にありがとうございました」
「お役に立てたなら幸いですわ、小さな戦士様」
「では、みんなを待たせているので俺も行きます」

 軽く頭を下げ、その場から立ち去ろうとした俺を、

「ユート。待ってください」

 ポワンが背後から呼び止めた。

「はい、なんでしょ──」

 振り向いた瞬間、俺の視界は薄い緑色に覆われた。柔らかな感触が顔を包み込む。

 とても、暖かい。

 とても、懐かしい。

 ずっと昔に覚えがあるような、そんな感触。

 心の中が、不可思議な感情で満たされていく。何が起きたのか理解する前に、頭上から優しい声が降ってきた。

「ユート。あなたは大人びていますが、まだまだ体は子供です。あなたの内面がどうであれ、今だけは、悩みを忘れて甘えても構いませんよ。エルフである私に力がないために、不甲斐ない頼みごとをしてしまい、とても申し訳なく思っています。許してくださいね、ユート」

 真綿に水が染み込むように、ポワンの言葉が心に響いてくる。

 ああ、俺は今、ポワンに抱かれているのか。前面に広がる暖かい感触は彼女の胸だったのか。柔らかいなぁ。気持ちいいなぁ。女の胸に抱かれるなんて、何年ぶりだろう。心の中のモヤモヤが、すぅっと消えていくような気がする。

「俺……」

 言葉が続かない。いや、今は言葉など無粋なだけかもしれない。目頭が熱い。知らず、涙が出てくる。気が付くと、俺は両手をポワンの腰に回して泣いていた。全ての体重を預け、心のままに泣きじゃくる。堰を切ったように溢れる涙は止まらない。そんな俺の頭を、ポワンの手が慈しむように撫でた。

 果てしない安心感の中、俺はしばらくされるがままに身を任せたのだった。



[4690] 第13話
Name: 例の人◆9059b7ef ID:dbf3a8c8
Date: 2009/03/07 01:59
 散々泣きはらした後、俺はリュカ達と合流するために城を出た。

「うお、めっちゃ寒ッ!?」

 玄関口にある木製の大扉を開けた途端、強烈な冷気が肌を刺してくる。

 どういう原理かは知らないが、城の中は暖かかったので忘れかけていたが、外は極寒の地だったのである。

 まさに天国から地獄への急降下だ。体感温度的に。

「うぅ……寒い。なにが妖精の国だよ。気温はシベリア並じゃねーか」

 シベリア行ったことないけども。元の世界では、せいぜい北海道が関の山です。こんなに寒いなら、もっと厚着してくるんだった。

「で、今からリュカと合流して、この寒さの中を冒険という名の強制労働かい。笑えるねぇ」

 思わず吐いた溜め息は、当たり前のように白かった。

 見渡せば雪景色。うんざりするくらい次々と降ってくる粉雪に、太陽の見えない曇天の空。白い息が、白い雪へと混じって溶けていく。

 ここは地の果て、北の果て。その名も妖精の国。

 ……話に聞く妖精の世界とは、全然違う。

 これでは詐欺だ。自分が子供の頃、絵本やアニメから伝え聞いた妖精の国は、こんな流刑者がいそうなところじゃない。最果ての地かここは?
 
 妖精の国ってのはもっとこう……鳥が舞い、花が歌うようなメルヘンチックな光景だったはずだ。それなのに、なんだよこの国、この気候。

 今にも物陰から筋肉質なロシア人の集団とか出てきてもおかしくないぞ。寒さだろうがなんのその。困難の全てをウォッカの一飲みで吹き飛ばす猛者達だ。

 いるなら出て来いロシア人。そして春風のフルートの奪還は、俺じゃなくてスペツナズ辺りに頼んでくれ。やつらならきっと一時間もあれば解決してくれるはずだ。魔物相手でも、トカレフとコマンドサンボで一発さ。ハラショー。

「ああ、寒い寒い。暖房の効いた部屋でごろ寝したいなぁ。面倒だなぁ。もう帰りたいなぁ。ロシア人いないかなぁ。この際、妥協してロシア人風の妖精でもいいから」

 現実逃避しながら歩いていると、目の前に見知った人影を発見。

「んん? リュカか?」

 それに、ベラにゲレゲレも一緒だ。

「……あ、ユート?」

 俺がリュカの前に姿を現した瞬間、少し沈み気味だったその顔がパッと明るくなった。

 そんなに俺と会えたのが嬉しかったのだろうか。野郎の顔見て喜ぶなんて、奇特なやつだ。

「おう」

 大げさに反応するのもあれなので、片手を上げてそっけなく返す。

「おかえり~! おそかったから、ぼく心配したんだよ!」
「そいつは悪かった」
「ユート、ぜんぜん悪そうにしてるように見えないよ……」
「すまんすまん。ま、心配はいらんから気にすんなリュカ」
「気にするよ!」
「あっはっは」

 とりあえず笑ってごまかしてみた。

「もう! ほんとうに心配してたのに!」

 俺の対応がお気に召さなかったらしく、頬をふくらませてそっぽを向いている。

 憤慨するリュカを見て、ふと思う。こいつ、このままの調子で大人になったらどうなるのだろうかと。結婚した後も、もしかしてずっとこんな感じなのだろうか?

 嫁さんとの痴話喧嘩まで俺に「ねぇ、聞いてよユート!」みたいに言ってきたりするのだけは勘弁願いたい。

 そろそろ、多少厳しく接して甘え癖を改善するべきか? 漢と書いて男と読むような、そんなオトコにするために。

「ねぇ、聞いてるの?」
「……ん? 悪い。で、ロシア人がなんだって?」
「そんなこと話してないよ! ろしあ人ってだれさ!? もう! ユートはそうやってすぐにごまかす!」
「いやぁ、はっはっは」

 ま、リュカが俺にべったりなのは今に始まったことではないか。だから今は気にしないでおこう。

 今問題なのは、さっきから俺をじとっとした目で見ているベラの方だ。

「結構遅かったわね、ユート。ポワン様と二人きりで一体何をしてたのかしら?」
「その、ちょっとだけ大切な話を……」
「大切な話ねぇ……? まさかとは思うけど、あなたポワン様に失礼なことしなかったでしょうね?」
「してないしてない。普通に話してただけだよ」
「本当かしら? なんとなく怪しいわね」
「う、嘘じゃないぞ?」

 半目でこちらを眺めているベラに、どもり気味に返事をしてしまう。まさかポワンの胸に抱かれて泣いていたとは、口が裂けても言えない。

 それにしても、あの時は久々によく泣いたなぁ。人間の体の半分以上は水分でできているらしいが、まさに納得である。

 あれだけ涙を流したのはいつ以来だろうか。遠い昔、まだ幼い頃の思い出が脳裏に蘇ってくる。

 子供とは楽しければ笑い、悲しければ泣く。それは人として至極当然の行為。

 なのに、いつからだろう。俺がろくに涙を流さなくなったのは。大人になるにつれて、徐々に無感動に、そして無関心になっていったと思う。どの辺を境に俺は変わってしまったのだろうか。

 昔は俺だって、たくさん泣いて、同じくらいたくさん笑っていた。それは間違いない。

 楽しみだった夏休み。走り回ったあぜ道。どこまでも追いかけてきそうな入道雲。夕立を麦藁帽子で避け、蝉の声をBGMに帰宅した夏の午後。

 それは過ぎ去りし、宝物のような思い出の日々。

 ────そう、あの頃は確かに……色あせることのない毎日を俺は「冒険」していたのだ。

「ちょっと、聞いてるのユート? なんか今、子供にはありえない遠い目をしてたわよ。あなた、リュカと同じくらいの子供のくせに、どこか大人びているというか、変にマセてるのよねぇ……」
「マセてるってそんなこと言われてもなぁ」

 どう答えればいいのだろうか。一応中身は大人だから、マセてて当然といえば当然なのだが。

「本当に変なことしてないでしょうね?」
「だからしてないって」

 しつこいぞベラよ。

 だが、ここでもし仮に「変なことって何かなぁ? んん? ベラは一体何を想像したのかなぁ? もっと具体的に言ってごらん? さぁ! さぁ! さぁ!」などと言おうものなら、間違いなくセクハラ親父扱いされてしまうので黙っておく。まだガキなのに親父とは、これ如何に。日本語って不思議だね。

「まぁいいわ。別に嘘は言ってないようだし、深く追求はしないであげる」
「……そりゃどうも」
「さて、話も終わったわね。それじゃ、さっそく行きましょうか。一刻も早く春風のフルートを取り返さなくっちゃね!」
「おー!」

 ベラの言葉に気勢を上げるリュカ。気合十分の様子だ。

「ガウーッ!!」

 続いて足元から声。視線を下にやると、ゲレゲレが激しく尻尾を振っていた。今のはゲレゲレの同意の声らしい。

 というか、

「ゲレゲレ。お前いたのか」
「ガウッ……」

 あ、鳴き声に元気がなくなった。ちょっと落ち込んだみたいだ。きっと今の声は意訳すると「ひどいぜ、ユートの旦那……」と言っているに違いない。

 すまん、ゲレゲレ。許せ。

「……って、ちょっと待った」

 村の外へと向かって歩き出そうとしている一行に、俺は待ったをかけた。

「何よ?」

 踏み出そうとした右足を宙に振り上げたまま、ベラが首だけをこちらへ向けた。なんとも器用な体勢である。

「村から出るのはいいが、目的地はちゃんと分かってるのか?」
「それくらい分かってるわよ。フルートを奪った盗賊が、ここから北にある氷の館に逃げ込んだって噂があるわ」
「それで?」
「だから、今から氷の館に行くのよ!」
「直接行くのか?」
「もちろん! 時間を無駄になんてできないわ!」 
「……実はさっき、城にいた人から聞いたんだが」
「あら、何を聞いたのかしら?」
「その氷の館とやらの入り口は、固く鍵で閉ざされているらしいとかなんとか」
「…………ほえ?」

 一瞬、間があった後、間抜けな返事が返ってきた。

 ベラは、ポカンという擬音がしっくりくる顔で固まってしまっていた。

「え? 嘘? それ、本当に? 一体誰がそんなこと言ってたの?」
「いや、嘘じゃないって。城にいた侍女っぽい人がそんなことをちらほら言ってた」
「えー? カギがしまってるんじゃ入れないよね。どうするの、ベラ?」
「ど、どうしましょう?」

 問いかけてきたリュカの方に、ぎこちない動きで首を向けてベラが答える。なんか、油の切れたゼンマイ人形みたいな動きだ。ちょっと怖いぞ、ベラ。夜中に子供が見たら泣きそうな動きだぞ。

「ま、まぁ、行けばなんとかなるわよ、うん。きっと……たぶん。というわけで、気を取り直して行きましょう!」
「おー!」
「ガウー!」

 再び気勢を上げる二人と一匹。回れ右して村の外を目指そうとする一行に、俺は言い知れぬ不安に襲われた。

 ……だめだこいつら。早くなんとかしないと。

 俺がどうしたものかと頭を抱えそうになったその時である。

「あら、ベラじゃない? あなた、まだこんなところをウロウロしてるのね」

 一人の少女が、俺達に声をかけてきたのだ。ツンと尖った耳から、彼女もエルフだということが分かる。

 にしても、エルフというのは似たような顔立ちが多いのだろうか。話しかけてきたエルフの少女は、ベラとよく似た整った顔立ちをしていた。髪の色も同じく紫。服装もほぼ同じ簡素な布製なので、並んでいるとまるで姉妹のようだ。

「ふーん……。これがあなたの選んだ人間の『戦士』ねぇ……」

 じろじろと、俺の顔を無遠慮にねめつけてくるエルフの少女。

「なんとも小さくてかわいい戦士様ですこと。ポワン様のお決めになったこととはいえ、本当にこの子が役に立つのかしら?」

 ベラとは違い、どことなく険のある瞳が疑わしそうに俺を見ていた。

「う、うるさいわね! ユートはね、こう見えても、えーと、こう見えても……えーと……」
「こう見えても、何よ?」
「その、凄いの……よ?」

 なんで疑問系なんだよ。

「ねぇ、ユート? そうよね?」

 俺に聞くな。

「ちょっとユート! あなたの凄さをなんとか言いなさいよ! なんで黙ってるのよ!?」

 何を言えと? 自慢じゃないが、俺はレベル1だぞチクショウ。

「そうだよ、ユートはすごいんだよー!」

 俺が沈黙を決め込んでいると、リュカから助け舟が。

「ユートはね、ぼくがあぶなくなったら必ずたすけてくれるんだよ!」
「ふーん……それは凄いわねー……」
「すごいでしょー?」
「はいはい、凄い凄い」
「えへへ。ユート、ぼくほめられちゃった」

 エルフの少女は適当に返しているだけのようだが、リュカは気付かずに喜んでいた。知らぬが花である。

 一方、リュカの後ろで顔を真っ赤にしているベラは地団駄を踏んでいた。

「うぅ~ッ! ば、馬鹿にして! 見てなさい、必ず私達でフルートを取り戻してみせるんだからね!」
「それは勇ましいことね。それじゃ、私はそろそろ行くわ。ベラと違って、私は忙しいの」
「わ、私だって今からフルートを取り戻すという大仕事が……」
「はいはい、怪我しない程度に頑張ってちょうだいな」
「うるさいわね! 忙しいならさっさと行きなさいよ!」
「言われなくてもすぐに行くわよ。……まったく、ポワン様も甘いのよ。そもそも妖精も人間も怪物ですら、みんなで仲よく暮らそうだなんて……。あげく、こんな人間の子供に重要な頼みごとですもの。そんな甘い考えだから、フルートを盗まれたりするんだわ」
「ちょっと……!? いくらなんでも言い過ぎよ!」
「……確かに少し不敬だったわね。でも、私は自分の考えが間違ってるとは思わないわ」
「あなた……」
「じゃあね。今度こそ、もう行くわ」

 エルフの少女は、背を向けて村の奥へと去っていった。ベラはその後ろ姿を、唇を噛み締めながらいつまでも眺めていた。

 悔しそうな、もどかしそうな、そんなベラの横顔。

 リュカも俺も、何も言わない。何かを気軽に話せる雰囲気ではなかった。

 俺は声をかけてやるべきなのだろうか? だが、なんとフォローすればいいのだろうか。こういう時は、下手な台詞は逆効果になる場合もあるのだ。

「ベラ……えっと、俺は……」

 そこまで言って、俺は言葉を飲み込んだ。続きの言葉が思い浮かばなかった。

「もう。ユートったらなんて顔してるのよ」

 俺の不安気な様子に気付いたのか、ベラが苦笑しながらそう言った。

「あのね……」

 少し言いよどんだ後、ぽつり、ぽつりと話し出した。

「妖精の国の先代の方はとても厳しい方でね。ほんの少しでも平和が乱れることを嫌われたの。その先代様も先日お亡くなりになり、ポワン様があとを継がれたばかりなのよ。ポワン様は優しくて大らかな方だけど、みんながみんなその考えに賛同しているってわけじゃないの」

 昔を思い出すように、どこか彼方を見つめながらベラは話を続ける。

「やっぱり、偉大な先代様の影響が強すぎるのかしらね……。私はポワン様の考えに大賛成だから、さっきみたいなああいう言葉を聞くと悲しくなってしまうの。いつか、エルフも人も魔物も、みんなで仲良く暮らせる日が来るといいのにね……」

 最後の方の言葉は、ベラは願うように呟いていた。

「……って、私ったら、子供相手に何話してるのかしら。子供にはちょっと難しくて退屈な話だったでしょう?」
「いや、別にそんなことは……」
「うーん、よく分からないけど、みんなで仲良くしようって話はぼくわかったよ!」

 リュカよ、それは全然分かってねぇ。

「なんだかしんみりしちゃったわね。気を取り直して、出かけましょう!」
「おー!」
「ガウーッ!」

 意気揚々と村の外へ進もうとする一行。目指すは氷の館だ。

 ……って、違う。

「だから、待てというのに」

 君ら、行動がループしているぞ。

 まずは村で情報収集してから行動しろとベラに説教しよう。うん、そうしよう。

 俺は浮かれる面々を前に、固く心に誓ったのだった。





「ところでベラ」
「急に何よ?」
「妖精の国ってロシア人はいないのか? こう、軍人とか、もしくはそれっぽいエルフとか」
「……はぁ?」

そんな会話もあったとかなかったとか。



[4690] 第14話
Name: 例の人◆9059b7ef ID:dbf3a8c8
Date: 2009/05/07 03:02
 俺が口を酸っぱくして、まずは情報収集しろといい続けたのが功を奏したのか、氷の館に向かう前に村で聞き込みをすることとなった。

 本来なら俺には情報収集など必要がない。非力なレベル1のこの身であるが、俺には唯一の武器ともいえる原作知識というやつが存在するからだ。

 しかしこの原作知識というものをひけらかして、本来知るはずのないことを自慢気に言いふらしても意味がない。

 リュカは誤魔化せるかもしれないが、ベラには確実に怪しまれるだろう。ベラに怪しまれるということは、引いては同じ妖精族であるポワンにも怪しまれることとなるかもしれない。もしポワンに怪しまれて、それが引き金になって揉め事でも起これば一大事だ。主人公であるリュカを巻き込み、ゆくゆくは世界のバランスを狂わせかねない。

 こんな意味のない場所で下手に物語の流れを改竄してしまうと修正が効かなくなってしまう。つまりは、原作と大きく乖離した流れになってしまい、俺の持つ知識がゴミ屑と化す。原作崩壊万歳だ。そんなのは勘弁だ。

 切り札となる原作知識の使いどころは、もっと重要な場面でこそ。そう、例えばもうすぐ起こるであろう、パパスの死亡という場面など──。

 そろそろ俺も、腰を据えて未来をどうするか考えておかねば。切り札の使いよう次第ではパパスの死を回避しつつ、俺も幸せになる方法だってあるはずだ。

 そのためにも、今は無知な子供を装っておこう。未来をペラペラと話す子供など、不気味な不審者扱いされてしまう。やけに物事に詳しい不審者というポジションでこの世界を生きるよりは、もうしばらくはほんの少しマセたガキとして、世の中の隅っこの方を生きていたい。

 そもそも、俺は元は何の取りえもない一般人。このドラクエワールドに呼ばれてからは、現在進行形で意に反して色々と大冒険してしまっているが、そういうのは俺には似合わないのだ。願わくば将来は美人の嫁さんを手に入れて、左団扇で穏やかで平和な生活が目標です。できることなら、最終的には元の世界に戻れたらいいんだけどね。

 まかり間違っても、魔界にまで足を踏み入れて魔王相手に大バトルはしたくない。ただでさえ、ドラクエ世界というカオスな世界にいるのに、更に異世界にまで行ってたまるかい。

 ……と、そこまで思って俺ははたと気付いた。

 俺が今足を踏み入れている、この妖精の国ってバリバリの異世界じゃないのか、と。つまり俺はどっぷりと異世界で大冒険中。今後もなし崩し的に命を削って大冒険になってしまうんじゃね?

「それは嫌ァ!?」
「ど、どうしたのユート?」

 往来で突然叫び出した俺に、リュカが心配そうに声をかけてきた。辺りを見回すと、村人であるエルフやらドワーフのみなさんもこっちをガン見している。スライムや骸骨といった、明らかに人外の魔物ですら訝しげに俺を見ている。いやぁ、人種がたくさんで国際情緒豊かな村ですね。

「ユート、あんたねぇ……」

 ベラは額に手を当て、やれやれという風に下を向いていた。どうも、無駄に注目を浴びてしまったようだ。

「ユート、おなかでもいたいの?」
「気にするな。持病の癪が疼いただけだ」
「じびょうのしゃく? なにそれ?」
「気にするな。さぁ、ぐずぐずしてないで行くぞ!」
「あ、ちょっとユート! いくってどこにさ!?」

 リュカを適当にあしらって誤魔化すと、俺は走り出した。

 俺が走ったのは、別にみんなからの視線が恥ずかしかったからじゃない。その、太陽が……あまりにも綺麗だったから……。

「今日も太陽が眩しいな」

 俺は走りながら空を仰ぎ見る。曇天の空には、風切り音と共に粉雪が舞っていた。太陽の姿はまるで見えない。これが話に聞く、白夜のような天候なのだろうか。風が唸る度に耳たぶが痛くなった。

「そこな小僧、ちょっと待つがよい」

 現実逃避気味だった俺を引き戻したのは、しわがれた老人の声だった。杖にすがりながらよろよろと立ち、白髪の老人が小屋の影から現れる。

「はい? なんですかおじいさん?」
「お主の後ろにおる、その獣……」
「俺の後ろ?」

 振り向くと、そこには激しく尻尾を振るゲレゲレの姿。お座りの体勢でこちらを見上げている。俺が走り出した時に、生意気にも遅れずに付いてきたらしい。さすがは野生のパワー。

 屈みこんで頭をひと撫でしてやると、ゲレゲレは嬉しそうに喉を鳴らした。

「こいつが何か?」

 俺の問いに、老人は手に持った杖をわなわなと震わせながら答えた。

「も、もしや……そやつは地獄の殺し屋ではないのか! 小僧の連れか?」
「いや、俺じゃなくてあいつの連れ」
「ほ? あいつとな?」

 俺が指で示した方向から、紫のターバンを巻いたお子様が息を切らしながら走り寄ってきた。誰であろう、このお子様こそ地獄の殺し屋の飼い主であるリュカだ。

「ユート、ひどいよー。きゅうに走っていったからびっくりしたよ」
「すまんすまん。俺が悪かった」
「ユートはいっつもそればっかりだ」

 リュカはご立腹の様子だ。そんなリュカを、老人は目を細めてじっと見つめている。どことなく、老人の眼光が鋭くなったような気がした。

「こんな小さな子供が、キラーパンサーの主だというのか……」
「え? きら……ぱんさー?」

 誰にともなく呟いた老人の声に、リュカが反応する。

「ねぇねぇユート。きらきらぱんさーってなに?」
「んー? キラキラじゃなくてキラーな。ゲレゲレは地獄の殺し屋で、キラーパンサーとかいうらしいぞ」
「うわ! よくわかんないけど、なんだかゲレゲレかっこいい!」

 褒められたのかと思ったのか、ゲレゲレが誇らしげに大きく吠えた。しかしその声は「にゃおーん!」という間の抜けた声で、どう贔屓目に見ても地獄の殺し屋とは思えない声だ。

 そういえば以前、俺が朝起きたら枕元にゲレゲレがネズミの死骸を置いていたことがあったのを思い出した。どう考えてもゲレゲレの行動は飼い猫そのものです、本当にありがとうございました。

 ハラワタをぶち撒けた小動物を、寝起きにいきなり目にした俺の気持ちを誰か察してくれ。臭いわ気持ち悪いわで、その日は一日憂鬱だった。

 あ、なんかその時の光景を思い出して気分が……。

「う……おぇ……」

 俺が胃腸の奥からこみ上げてくる酸っぱいものを必死で耐えようとしていた、その時。

「あ~! やっと見つけた!」

 どこからともなく、ベラがやってきた。

「ユート! 急に走り出したと思ったら、こんな場所で何をしてるのよ?」
「いや、ちょっと……」
「ちょっとって何よ? あれ、あなた顔が青いわよ? どうしたの?」
「いや、ネズミのハラワタが……」
「ネズミ? ネズミがどこにいるのよ? ユート、あなた寝ぼけてるの?」

 あれが夢だったらどんなに良かったか。夢は夢でも、悪夢の類だろうが。

「まぁいいわ。それで、結局情報収集はどうするのよ? こんな所で油を売ってる暇があるんだったら、早く情報を集めなさいよ。このままじゃ、氷の館に入れないわよ」
「今、氷の館と、おっしゃいましたか?」
「あら、おじいさん。何か知ってらっしゃるの?」

 ベラに隣から声をかけてきたのは、先ほどゲレゲレに驚いていた老人だった。

「もしやベラ様は、あの館に入ろうと難儀されているのではございませんかな?」
「その通りよ。でも生憎、扉に鍵がかかってて入れないらしくてね。とても困ってるのよ」
「ふむ、そうでしたか。ベラ様は、西の洞窟に住むドワーフのことはご存知ですかな?」
「えーと、確かドワーフが一人で洞窟に住んでいるってのは聞いたことがあるような……」
「そのドワーフですが、『鍵の技法』というものを持っておりましてな。その技法さえあれば、氷の館の扉も開くかもしれませぬ」
「それは本当!? いいこと聞いたわ! ユート、リュカ! さっそく西の洞窟に向かうわよ!」

 ベラが気勢を吐き、手を振り上げた。

 はからずも、これで目的地は決まった。

「よくわかんないけど、もう行くの?」

 ゲレゲレとじゃれていたリュカが顔を上げる。つられてゲレゲレも顔を上げると、ピンと張った髭が風に揺れた。

「まずは『鍵の技法』を手に入れるわよ! さぁ、ぐずぐずしてないで出発よ!」
「おー! 手に入れるぞー!」

 元気よく返事をするリュカを横目に、俺は無言で老人にお辞儀をしておく。老人は薄く笑うと、その場を去っていった。

 さて、それでは出発するかと思ったところ。

「……って、よく見りゃリュカもベラもいない!? おい、俺を置いていくな!」

 慌てて一行を追いかける俺。

 かくして、妖精世界での冒険は始まる。





 妖精の村を抜けると、俺の目に飛び込んできたのは荒涼とした大地だった。一面には、雪が薄く降り積もっている。雪と雪の隙間に時折見えるのは、枯れかけた草花と乾いた土。そんな光景が、ひたすらどこまでも続いている。

 空は薄灰色の厚い雲に覆われていて、太陽はいつまでたっても顔を見せることはない。生あるものの気配が、ほとんどない。耳をすませても聞こえてくるのは、風の唸る音だけ。まるでここは死の世界だ。

「詐欺だ」

 俺は思わずそう漏らした。

「ちょっと詐欺って何よ? 聞き捨てならないわね」

 俺の言葉に、先を歩くベラが反応してきた。

「……聞いてたのか?」
「ばっちりね。で、何が詐欺なのよ?」
「いや、だってここ妖精の世界なんだろ? それなのに……」

 俺は顔を上げる。雪がふわふわと落ちてくる濁った空が目に映った。

「あ痛ッ!?」

 頬に小さな衝撃。目を凝らすと、雪に混じって小さな霰が見える。なんとも嫌な天気だ。

「まぁ、ユートの言いたいことも分かるけどね」

 ベラは肩をすくめると、そう返した。

「これでも少し前までは、この辺りは一面に広がるお花畑だったんだけどなぁ……」
「花畑ねぇ……」

 全然想像できん。本当に妖精の世界なのか、ここは? 魔界だと言われても信じてしまいそうだ。

「それにしても、寒ッ……!」

 思わず肩を抱いてしまう俺。腕を見ると、無数の鳥肌。妖精の世界に来てから何度も思ったことだが、もう少し厚着してくればよかった。

「ユートはだらしないわねぇ。リュカを見習いなさいよ」
「リュカ?」

 リュカの姿を捜して目をやると、そこには元気に走り回るお子様と獣の姿が! 雪道に足跡をペタペタと付けながら、何が面白いのかご機嫌な表情だ。

「あははははははは! ゲレゲレ、こっちこっち~!」
「ガウッ!」

 リュカのすぐ後ろを、付かず離れずの距離でゲレゲレが追いかける。そんなゲレゲレに捕まらないように、リュカは右に左に避けながら、雪を蹴って踊るように駆け回る。

 雪原に、一人と一匹の小さな足跡がどんどん増えていく。リュカにとっては、雪や悪天候など大した問題ではないようだ。

「子供は元気だねぇ……」
「あんたも子供でしょうが」

 ベラが呆れたように言った。

 実は俺は中身は大人なんですよ、ベラさん。秘密だけどな!

「洞窟までもう少しかかると思うし、ユートもリュカと少しは遊んだらどう?」
「俺が? いや、遠慮しとくよ。疲れるし、寒いし」
「やっぱりあんた、子供らしくないわねぇ」

 放っといてくれ。俺はリュカと違って寒いのも疲れるのも嫌なんだ。

「ところで、ベラは寒くないのか?」
「私? なんで?」

 なんでという答えは想定外だった。いや、だって……。

「そんな寒そうな格好してるのに……」

 ちらっとベラの服装を観察してみる。ベラが身に着けているのは、恐らくは絹のローブだろう。それもかなりの薄手で、しかもノースリーブ。

「別に寒くわないわね。なんといっても私は、あなたたちと違って大人だからね!」
「さいですか」

 大人とか関係あるのだろうか? どうもエルフという種族は、俺の想像していたイメージよりも頑丈なのかもしれない。俺の中にあるエルフ族という名の幻想が、少しだけ壊れた気がした。

 もっとか弱くて儚い生き物だと思ってたのになぁ。

「いや、待てよ」

 案外、ベラだけが特殊なのかもしれない。だって、女王であるポワンはあんなに繊細な人だったんだし。つまりは、ベラはエルフの中でも特異体質なのだ。きっと神経が鈍いから寒さなど平気なんだろう。そういうことにしておこう。俺の幻想を保つために。

「ユート、あんた今失礼なこと考えてない?」
「いや、全然」
「いーや、絶対に変なこと考えてました! すごく失礼な目をしてました!」
「僕の目はいつでも宝石のように綺麗ですよ」
「急に僕とか言い出すし、怪しいわ……」 

 そんなやり取りをしていると、前方のリュカから声が。

「洞窟、見つけたよ~!」



[4690] 第15話
Name: 例の人◆9059b7ef ID:dbf3a8c8
Date: 2009/05/12 20:56
 一面の雪で真っ白な大地の中に、ぽっかりと大きな穴が見えた。小高い丘を掘り下げるようにして、奥へ奥へと不気味に続いてゆく巨大な闇。

 ここが件のドワーフが住むという洞窟だろう。

「意外と早く着いたわね。でも、こんな場所にドワーフが住んでるなんて本当かしら?」
「くらいところが好きなのかな?」
「そうなのかしら? まぁ、こんなところで立ち止まっていても仕方ないわね。それじゃ、さっそく入りましょうか」
「こういうとこって、なんだかワクワクするよね!」

 いきなり躊躇なく入ろうとするベラとリュカに、俺は「待った」と声をかけた。

「なんで止めるのよ、ユート?」

 もどかしそうにベラがこちらを振り返り、文句を言ってくる。リュカも不思議そうな表情だ。

「入った先で、魔物が待ち伏せでもしてたらどうするんだ? ただでさえ洞窟は薄暗くて先が見えないんだから、気をつけた方がいい」

 君ら、少しは考えて行動してくれ。ここに来るまでは運良く魔物と遭遇しなかったが、洞窟に入った瞬間エンカウントする可能性だってあるんだぞ。油断は大敵だ。

「魔物? そんなもの、出てきたら私の魔法で一発よ! こう見えても私、魔法は結構得意なのよ。ユートは子供のくせに心配性ね」

 そう豪語しつつも「直接戦うのは苦手だけどね」と小さな声で付け足すベラ。

「ぼくも、まものにかんたんに負けたりはしないよ。ゲレゲレだっているしね!」
「ガウッ!」

 リュカの言葉に、元気良く返事をするゲレゲレ。

「みなさん、強気ですね……」

 お前らはいいかもしれないが、こっちはレベル1なんだよ。一発でも直撃受けたら冗談抜きで死ぬんだよ。一般人をもっと大事にしてくれよ。

 と、内心で思っている俺の気持ちを一切無視するように、

「そういう訳だし、グズグズしてないで行きましょう」

 ベラを先頭にして俺以外のメンバーは洞窟に入っていった。薄情なやつらだ。

「はいはい、行けばいいんでしょう、行けば」

 俺は重い足を引きずるように、パーティの最後方を少し離れながら着いていく。こうなったら、魔物と出会わないことを祈るしかない。いざとなったら、ゲレゲレを囮にして俺だけ逃げよう。うん、そうしよう。あいつなら野生のパワーで生き残れるはずだ。俺だけはなんとしてでも生き延びねば。

 そもそも、こんな世界で急に死んだら困る。もし俺がこんな場所で死んだら、現実世界のアパートに残してきたPCがヤバい。具体的にいうと、HDDにぎっしり詰めてあるエロ動画の数々がヤバい。行方不明者の手がかりとして、親戚一同の前で暴露されるのを考えると精神的に死ねる。あれを消去せずに死んだりしたら、末代までの恥となること間違いなし。しかも俺のマニアックな趣味まで露見してしまう。だから俺は死ぬわけにはいかんのだ。

 ……そういえば、エロ動画とか懐かしいな。子供の体になってから性欲が減退しているが、それでも俺は男の子。たまにはエッチな本でも読みたいです。

「ユート、おそいよ~」

 リュカの声が遠くから聞こえてきた。洞窟の中にいるせいか、その声は微妙に反響している。考えごとをしながら歩いていたおかげで、先頭集団と引き離されてしまったようだ。でもまぁ、そんなに気にすることもないだろう。

「ぼうっとしすぎたかな……」

 洞窟の中は、外と比べるとわずかに暖かかった。だが、寒いことには変わりない。しもやけができないように、手をこすり合わせながら歩く。

「あれ?」 

 気が付けばしんがり最後方の俺。少し離されただけかと思いきや、リュカ達はかなり先に行ってしまっている。距離にして五十馬身と言ったところ。逆転するには、第四コーナーを出た最後の直線で一気に抜き返すしか手はない。鞍上はもちろん俺ことユート騎手。イメージではトップジョッキー。豊だろうがデットーリだろうが目じゃないぜ。

「さぁ、脅威の末脚の発揮です」

 心の中で馬体に鞭を入れる。ギアをトップに入れ替え、俺は洞窟の固い地面を蹴った。目指すは栄光の三冠。最終的には海外レースも制覇だ。

 と思って発進したが、

「……あれ?」

 なぜか、突然つま先がむにゅっとした。まるで生き物でも踏んだような感触だ。

 恐る恐る足元を見てみる。

「グルルルルルッ……!」

 翼と角の生えた真っ赤で大きなトカゲが、血走った目で俺を睨んでいた。ちょうど尻尾の部分の真上には、俺の足がある。

 しまった、トカゲに悪いことをしてしまった。

「いやぁ、すいません」

 俺はすぐに足をどけた。

 ごめんね、トカゲさん。悪気はないんです。

「じゃあ、そういうことで……」

 俺はあくまで紳士的に対応し、その場を去ろう踵を返した。

 ────しかし、ユートは回り込まれてしまった!

「グギャアアッ!!」

 赤いトカゲが咆哮し、洞窟内に声が響き渡る。と同時に、俺へと向かって一直線に飛び掛ってきた。

「うおおおおおおおおおッ!?」

 体を反らせ、とっさに回避する。トカゲは俺のすぐ脇を、ミサイルみたいに通り過ぎていった。成層圏まで突き抜けていきそうな勢いだ。

「あ、危ない……」

 目を下にやると、服の端がトカゲの鋭い牙で切れている。かなり丈夫な布なんだが、こうもあっさり破れるとは……。背筋に冷たい汗が伝ってきた。あのままその場にいれば、脇腹の肉を抉られていたかもしれない。

「なんて凶暴なトカゲだ……って、また来たァ!?」

 再度避ける俺。今度はさっきよりも余裕がない。

 間一髪。かろうじて攻撃は回避できたが、エビ反りみたいな体勢になってしまった。そのまま後頭部から落ちてしまう前に、両手を広げて地面に着地。

「こ、これは死ねる……」

 薄暗い洞窟で、体は現在ブリッジ状態。しかもつま先立ちです。色々と限界が近い体は、ピクピクと痙攣している。

 このまま階段を下りたら、エクソシストの名場面が再現できそうだ。なんだよこの状況。

「な、な、なぜ、俺が、こんな、目に……」

 ブリッジのままでは呼吸がしにくい。息も絶え絶えの俺の目に映るのは、上下反転したトカゲの姿。次に攻撃されたら回避は不可能だ。いくらなんでも、ブリッジ体勢のままでは逃げられない。

 しかし、現実はいつだって非情である。俺の都合などお構い無しに事態は動いていく。

 トカゲは牙を剥き出し、後ろ足で大きく地を蹴って──。

「ユート、あぶない!」

 一瞬のことだった。どこからか凄まじい速さで距離を詰めてきたリュカが、中空のトカゲを樫の杖で殴りつけたのだ。

 バランスを崩し、横合いに吹き飛ぶ赤トカゲ。それでも強引に着地し、体勢を立て直そうとする。

 そこに、間発入れずにゲレゲレが唸りを上げて跳躍。まるでその動きは、しなる弓の弦ようだ。拳銃から発射された弾丸のごとき勢いで飛び出していったゲレゲレに、トカゲは有無を言わさず組み伏せられる。

 ゲレゲレは前足でトカゲの両翼をしっかりとホールドし、あっという間にマウントポジションを奪い取った。

「ガウッ!!」

 暴れるトカゲを野生の馬鹿力で抑え込むと、ゲレゲレは大きく口を開いた。口から突き出している二本の大きな牙の先から、唾液がポタリと滴り落ちる。今のトカゲには、あの牙は死神の鎌に見えているかもしれない。殺意には殺意を。これが、弱肉強食の摂理。ゲレゲレは目を細め、対照的にトカゲは死の恐怖に大きく目を見開いた。……そこから先はあまり語りたくない。

 俺は立ち上がると、できるだけ耳を塞ぐようにしながら後ろを向いた。背後では、肉を噛みちぎる音と血飛沫が飛び散る音が交互に不協和音を奏でている。時折、断末魔の悲鳴が上がるが、それもだんだんと弱々しくなり、やがて声は完全に途切れた。最後には、ゲレゲレが何かの肉らしきものを咀嚼する音だけが残った。

「聞こえない、俺には何も聞こえない」

 聞こえないふりをする俺。ゲレゲレさん、グロいです。どこぞの人造ロボじゃないんだから、敵を食わないでください。

 一方リュカは、そんなゲレゲレを見ても割と平気な顔をしている。俺の視線に気付くと、リュカは「どうしたの?」と首を傾げた。

 なんというデカルチャー。この世界の住人のバイタリティは高すぎる。

「ユート、怪我はない?」

 リュカに少し遅れて、ベラも俺の傍までやって来た。

「どこか痛いところがあるのなら、私のホイミで治してあげるわよ」
「いや、大丈夫。怪我はないよ」
「そう? それならいいわ」
「しかしまさか、トカゲに襲われるとは……」
「トカゲ? あなた、何を寝ぼけてるの?」

 ベラはやれやれと言うように首を振る。

「さっきのあれはメラリザード。れっきとした魔物よ。マ・モ・ノ!」
「そ、そうだったのか!」

 衝撃の事実発覚。どうりでトカゲにしてはでかいし、翼があるし、角まで生えてると思った……。洞窟に入る前、あれだけ偉そうに魔物に気を付けろと言っていた俺だったが、これでは本末転倒だ。

「ユートがちゃんとついてこないからだよ。一人でいったらあぶないよ」
「すんません」

 いつも一人で大冒険しまくってるお前が言うなとツッコミたかったが、俺は素直にリュカに謝っておいた。

「でもユート、ケガがなくてよかったね」
「怪我はなかったけど、旅人の服では防御にちょっと不安があるなぁ……」

 メラリザードに食いちぎられた服の端を見て、俺はそう思った。

 リュカのように、皮の鎧を服の下に仕込むか? しかし、問題は金が……。リュカに借りるのも情けないしなぁ。

「ええい! いっそ、リアクティブアーマーでもあれば!」
「りあくてぃぶ? 何よ、それ」

 ベラからの質問。横文字が変な発音になっているが、そこはご愛嬌というものだろう。

「爆発性反応装甲だよ。反作用の力で被害を軽減するんだ。あれさえあれば、対戦車ミサイルが相手でも耐えられる」
「……ごめんなさい。ユートが何を言ってるのか、私にはさっぱり分からないわ」

 ああ、俺もM-60になって大地を駆け巡りたい。

 でも現実的に考えたら、ケプラー材を布に縫い込む方がまだ可能かな? この世界の防具は見かけと違ってチートな性能があったりするらしいし、身かわしの服辺りにケプラーを縫い込んだら、SASが裸足で逃げ出すような凄まじい防具が完成するやもしれん。いや、しかしケプラー繊維だと重量に問題があるな。

「子供の体ということを考慮すると、素材はケプラーではなくて比較的軽量のスペクトラを……」
「また何か言い出したわね……。リュカ、あなたにはユートの言ってること分かる?」
「ぼくにも分かんないや。ユートはときどき、こうやってむずかしいこと言うんだよ」

 男の浪漫を介さぬ者どもめ。まぁ、話に付いて来られても、それはそれで別の意味で驚くが。

「ふにゃあ」

 気の抜けた声が足元から聞こえてきた。目をやると、地獄の殺し屋ことゲレゲレが俺の足にすり寄っていた。前足を軽く動かしながら、しきりに何事かを訴えかけている。

「一体なんだ? 俺に何を言いたいんだこいつは?」
「ユート、ゲレゲレはほめてほしいんだよ」

 リュカがそう言うと、

「ガウガウッ!」

 と、ゲレゲレは正解だと言わんばかりに鳴いた。

「褒める? あ~、なるほど」

 魔物を倒したのを褒めてほしいのか。よろしい。俺がじきじきに賞賛してつかわそう。

 それにしても、リュカはさすが未来の魔物使いだけあって、ゲレゲレと意思疎通ができるのか。中々やるな。

 俺はその場で屈むと、どことなく得意そうな顔をしているゲレゲレの頭を撫でてやった。

「ふにゃ……」

 だらしのない表情で、ゲレゲレは満足そうに喉を鳴らす。すると、弛緩したゲレゲレの口端から一筋の液体が流れ落ちてきた。

 まるで血のように真っ赤なそれは、俺の服にドス黒い染みを作っていく。みるみる広がっていく染み。辺りに充満してくる生々しい臭気。

「……って、これさっきの魔物の血じゃねーか!? うおおお、汚ぇええッ!?」

 ゲレゲレから飛び離れると、俺は服の中央を掴んで端を振り回した。当然のことながら、そこら中に血が舞い散る。

「きゃあッ!? ユート、何するのよ!?」
「うわ、ぼくにもかかった!」

 周りにいたベラとリュカから悲鳴。だが、悲鳴を上げたいのはこっちの方だ。このクソ寒い中で服を脱ぐわけにもいかないし、何よりも脱いだら死ぬ。防御力的に。

「うおおおおッ! 臭い! そして汚い!」

 大騒ぎする俺を見て、ゲレゲレが不思議そうな顔をしているのが腹が立つ。お前のせいだ、お前の。人様の服に生臭いもの付けやがって。

「くそ、こうなったらリュカとベラにも血を付けてやる! 道連れだ! ゲレゲレ、来い!」
「ふにゃあッ!?」

 俺はゲレゲレを抱えると、二人に向かって相変わらず血が垂れている口の方を押し付けた。

「ちょ、ちょっとこっちに来ないでよ!?」
「ユート、やめてよ~!」

 追い掛け回す俺。逃げ惑うエルフとお子様。ドワーフが住むという洞窟は、たちまち阿鼻叫喚の地獄と化す。さっきの魔物の襲来よりも被害が大きいと思うのは、気のせいだろうか。

 みんなでグルグルと洞窟内を走り回っていると、いつの間にか一人のドワーフがこちらを見ていた。

「お前さんら、人の住処の前で何やっとるんじゃ……」

 ドワーフは呆れた声でそう言った。



[4690] 第16話
Name: 例の人◆9059b7ef ID:dbf3a8c8
Date: 2009/05/12 20:54
 暗い洞窟に灯る、ロウソクのほのかな明かり。小さなテーブルを囲み、俺達はドワーフと向かい合っていた。
 
 ここは洞窟の奥深く、岩や土を削って作った小さな居住空間。テーブルだけではなく、就寝具やタンスといった物まである。まさに住居と呼ぶに相応しい。魔物が跋扈する場所に似つかわしくない、生活感溢れた空間がそこにはあった。

「……なるほど。盗まれた春風のフルートを取り戻すために氷の館に入りたいと。それでお前さんらは、『鍵の技法』を探すためにここまで来なさったのじゃな」

 どこか苦しそうに語るドワーフ。

 俺がドワーフという存在を初めて見たのは妖精の世界に来てからだが、目の前のドワーフは小柄な体躯に太い手足と、いかにもそれらしい姿だ。かなりの老年らしく、その顔には深い皺が刻まれていた。しかしそれでも背筋は真っ直ぐで、まるで己の生き様を表しているかのようだ。皺の中に埋もれた細い目で、俺達をしっかりと見据えている。

「その通りよ。『鍵の技法』について何かご存知なら教えてくださらない?」

 ベラがドワーフに問いかけた。

「ご存知も何も、あの技法はそもそもわしが考え出したものでしてな。誰よりもよく知っておるよ」
「それならちょうどいいわね。どうか詳しく教えてくださいな」
「その前に、少しだけこの老いぼれの話を聞いてはくださらんかね」
「え……? まぁ、別にいいけど……」
「ありがとうございます」
 
 ドワーフは目を閉じて大きく息を一つ吐くと、うなだれた顔を上げてゆっくりと話し出した。

 ドワーフの話によると、彼は昔妖精の村に住んでいた時に「鍵の技法」という技術を編み出したらしい。その技法があれば、誰でも簡単な鍵程度なら開けてしまえるようになるという。本来純粋な興味から作った技法だったのだが、この技法は一歩間違えば悪用されかねない。そのことに思い当たったドワーフは村から離れてこの洞窟に技法を封印し、住み込みながら厳重に管理しているのだという。

 しかし、そんなドワーフの行動を勘違いした者がいた。それがドワーフの孫であるザイルである。ザイルは、ドワーフがポワンによって村を追い出されたと早とちりをして、仕返しのために城から春風のフルートを盗み出してしまったというのだ。

「まったく、ザイルには呆れてしまうわい。わしは追い出されたのではなく、自分から村を出て行ったというのに」

 ドワーフは深々と溜め息を吐いた。辛そうな声からは苦悩が滲み出ている。

「なるほどね。そういう訳だったの。それにしても、ザイルって子はひどい勘違いをしたものね。お優しいポワン様が誰かを追い出すなんて、ありえないわよ」
「ん……と。つまり、ザイルって人がフルートをもっているの?」
「その通りだ、リュカ」

 俺は頷く。

「ザイルも、いじわるでやったんじゃなかったんだね。ちゃんとりゆうがあったんだね」
「そうだな。でも、フルートは取り返さないとな」

 そして、さっさと季節を春にしてくれ。俺は寒いのは苦手なんだ。暑いのも嫌いだが。

「妖精の村から来たお方達よ。お詫びといってはなんだが、『鍵の技法』をあなた方に授けよう。『鍵の技法』はこの洞窟深く、宝箱の中に封印しました。どうか、ザイルを正しい道に戻してやってくだされ」

 心からそう願っているドワーフの言葉に、俺達は拒否などするはずはなかった。

「ぼくたちに、まかせといて!」

 リュカのその一言が、俺達の総意である。

 何度もお礼を繰り返すドワーフを背にし、俺達は更に洞窟の奥深くへと進んだ。途中、幾度となく魔物とも遭遇したが、大して苦戦することもなく倒した。主にリュカとゲレゲレが、だが。

 肉弾戦は苦手だと公言しているベラは、基本的に後方で俺と待機だ。パパスから多少戦い方は習ったが、俺は前線には出て行かない。だって死にたくないから。

 実は俺の現在の武器は木製のブーメランである。サンチョやパパスから貰った小遣いを貯めて、こっそり武器屋で買っておいたのだ。魔物を倒してゴールドを貯めたのではないのがちょっぴり悲しいが、同じ金には違いない。いつかは俺だって、魔物をバッタバッタと薙ぎ倒して荒稼ぎしてやる。そんな日が来ればいいなぁ。いや、きっと来るに違いない。

 閑話休題。

 とにかく、俺とベラは後方待機。魔物が現れたら最初にゲレゲレが突っ込んでいき、すぐさまリュカが後に続く。魔物が弱ってきたところで、俺が側面かつ遠方からブーメランで攻撃。ベラは臨機応変に俺達全員を魔法で支援。大体そんな感じの役割分担だ。

 陣形で言えば雁行陣の変則といったところか。この役割分担は俺が考案したものだ。

 しかし、こうやって分担が決まるまではひどかった。最初に魔物が出てきた時には、雄叫び上げながら全員で同時に突撃してたからなぁ……。呆然とする俺を残して、土わらしやガップリンを囲んでタコ殴り。

 あのベラですら「うわああ!」とか言いながら杖持って突進していってました。魔物を囲んでボコボコにするエルフとか、初めて見たよ俺は。直接戦うのは苦手なんじゃなかったのかあんた。俺のエルフに対する幻想を返せ。どこの喧嘩屋かと問い詰めたくなったぞ。

 とにかく、これでは戦術も糞もない、ただの暴走だ。みんな身体能力が高いおかげで戦闘には勝利していたが、それでも危険すぎることには変わりない。俺まで同じように行動して付き合っていたら、死んでしまう。主に俺だけが。

 そこで、役割分担を考え出したのだ。

 その中でも特に突撃隊長であるゲレゲレは、時には撹乱、時には囮と重宝する。猫みたいな外見に似合わず馬鹿力もあるし、地獄の殺し屋の異名は伊達ではない。味方で本当に良かった。

 そして、例によって魔物を倒しても俺のレベルは一向に上がる様子を見せなかったのは言うまでもない。ちょっぴり泣きたくなったけど、我慢した。頑張れ俺。

「あれ? ユート、あそこにだれかいるよ」

 洞窟の地下二階辺り。ゲレゲレを歩哨役に、周りを警戒しながら歩いていた時のことだった。

 俺達の目の前に現れたのは、半裸でマッチョな大男だった。見るからに怪しい荒くれた男。しかも暑苦しくてむさ苦しい、汗の臭そうな体育会系。絶対に友達にはなりたくないタイプだ。

 が、問題はそこではない。

「もしかして、あいつ人間じゃないの……?」

 ベラが驚いている。

 さもありなん。ここは妖精の国。人間が入り込むのは極めて珍しいのだ。一体どうやって入ってきたのだろうか。

 そんなことを考えていると、こちらに気付いた大男が声をかけてきた。

「へへへ。さてはあんたらも『鍵の技法』を探しにきたんだな? 悪いが、俺様が先にいただくぜ!」

 そう言うと、大男は洞窟の奥へと去っていった。付け加えると、去り行く後ろ姿もむさ苦しかった。

「あんな人間が私達の世界に入ってくるなんて、今までなかったことだわ。何か良くないことの前ぶれかしら……。もしかして先代様はそれで厳しくなさっていたのかも……」

 ベラの表情が曇る。

「ベラ、あの人よりも先に『カギのぎほう』を見つけないといけないね」
「そうね。先を越されるわけにはいかないわ」
「でも、あの人は『カギのぎほう』なんかでなにをするんだろうね?」
「……う~ん、どう考えてもあの人、『鍵の技法』を手に入れてもロクなことしそうにないわよね。負けてられないわ! 早いところ『鍵の技法』を手に入れなくちゃね」

 盛り上がるベラとリュカを横目に見ながら、俺はその「鍵の技法」について思いを馳せていた。もしかして「鍵の技法」とは魔法の一種なのではなかろうか? ということは、会得すれば俺もついに念願の魔法を使えるように……?

「よし、行くぞみんな! 俺に遅れるな!」
「なんか無駄に気合が入ってるわね、ユート」

 じとっとした目でベラが見てくる。俺は視線を逸らすと、早足で歩き出した。

「さぁ行こう。すぐ行こう」

 目指すは「鍵の技法」だ。俺も今日からは魔法使いだぜ、ヤッフゥ!

 ──それから、しばし歩くこと数十分。

 澱が溜まったような、じめじめした洞窟特有の空気の中をひたすら進んだ。魔物は面倒だから可能な限り無視した。一刻も早く「鍵の技法」に辿り着きたかったのだ。

 階段を二つほど下りて、ここは地下四階。多少道には迷ったりもしたが、ようやくお目当ての宝箱の前に到着した。宝箱は隠すというよりも、あまりにも雑然と置かれているのには少し驚いたが。

「んじゃ、俺が代表して開けてもいいかな?」
「えー? ぼくもあけたい!」
「いや、しかしここは俺が」
「ぼくもあけたい!」

 リュカがだだをこね始めた。

 わがまま言うんじゃありませんよ。俺が開けるんですよ。そもそも、リュカはすでに魔法使えるくせにずるいぞ! このお子様、バギとかホイミ使えるんだぜ? ただでさえ俺より強いのに、ふざけんな。俺にも魔法使わせろ。不公平だ。差別だ。

「どっちでもいいじゃない。早くしなさいよ」

 ベラが心底どうでも良さそうな顔で言った。このままでは、時間だけが無駄に過ぎていきそうだ。仕方ない、ここは妥協案を出そう。

「リュカ。なら、俺と同時に開けよう」
「うん! それならいいよ!」

 ということで決定。定番の「いっせいのーで」で、同時に宝箱を開けることとなった。

「いっせいのー」
「……で!」

 俺とリュカの声が唱和し、ゆっくりと宝箱が開かれていく。

 中から出てきたのは、一冊の書物だった。

「なんだこれ? 本?」

 俺がその本を手に取った、その時。

「うわ!?」

 突然書物から光が溢れ出し、オーラとでもいうような不思議な何かが辺りを包み込んだ。かと思うと、俺の頭の中に天啓のように情報が流れ込んできた。摩訶不思議体験だ。これが、魔法を会得するという感覚なのか。

「なんだかぼく、カギのあけ方がわかったような気がする」
「私もよ。不思議な気分ね……」

 リュカとベラが、顔を見合わせながらそんな話をしていた。そして、俺も……。

「おおお!? こ、この技法さえあれば、その辺の鍵ならハリガネ一本あれば……って、違う! なんでやねん!」

 セルフツッコミが炸裂。

 おい、これのどこが魔法だよ! ただのピッキング技術を習得しただけじゃねぇか!? 俺に空き巣にでもなれというのか?

「騙された。俺の心が汚された……」

 こんなの魔法じゃない。俺が想像してたのと全然違う。

「違うんだよお……」
「ユート、あなたまた訳の分からないこと言ってるのね。何が違うのよ」
「いいかい、ベラ。魔法ってのはこんなものじゃないんだよ」
「魔法? 一体何の話をしているの?」
「魔法ってのはね。誰にも邪魔されず、自由で、なんというか救われてなきゃダメなんだ。独りで静かで豊かで……」
「ああ、はいはい。そうね、それは大変ね。分かった分かった」

 ベラは適当に俺の話を打ち切った。

「これでもう、この洞窟に用はないわね。地上に出て、次は氷の館に向かいましょう」
「おー!」
「ガウッ!」

 ベラの言葉にリュカとゲレゲレがお返事。俺だけショックで無言。

 それにしてもゲレゲレ、君もいたのね。普段は大人しいね、君。まるで普通の猫みたいだね。

「おーい、ユート! おいてっちゃうよ~!」
「どうしたの? またユートが遅れてるの?」
「今行きますよ、行けばいいんでしょう……」

 とぼとぼと歩く。きっと今、俺の背中には哀愁が漂っているに違いない。俺の明日はどっちだ。

「早く洞窟を出たいわ。ここって暗いし、ジメジメしてるし、魔物は多いし、嫌な感じよね」
「そうかなぁ。ぼくは好きだよ、どうくつ」
「リュカは変わってるわねぇ」
「そうなの? へんかな?」
「私はやっぱり、明るいお日様の下が一番いいわ。まぁ、今はまだ外に出てもお日様は見えないんだけどね」
「ぼくもお日様は好きだよ。どうくつも好きだけどね」
「もう、リュカったら! 調子いいんだから」
「あはは。べつにうそじゃないんだけどなー」

 苦笑するベラに、リュカは屈託のない笑顔で返している。

「ちくしょう……」

 リュカの笑顔が眩しくて憎い。俺のレベルはいつ上がるのか。俺はいつ魔法を使えるようになるのか。

 あ、駄目だ。考えてたらどんどん気分が沈んできたぞ。気分転換だ。もっと楽しいこと考えよう。

 フルートを取り戻して妖精の国から戻ったら、今度はラインハットに行って、それから拉致されて強制的に奴隷に……。いや、拉致はなんとしてでも防がねば。奴隷だけは勘弁だ。

「うわぁ、楽しくねぇ……」

 全然気分転換できなかった。むしろもっと暗くなったような。

 気が付けば、俺達一行は階段を上がりきって一階へ。途中ドワーフに軽く挨拶をした後、ようやく地上へと戻ったのであった。



[4690] 第17話
Name: 例の人◆9059b7ef ID:dbf3a8c8
Date: 2009/05/14 23:46
 ドワーフの住む洞窟を出た後、俺達はベラの先導で「南」へ向かおうとしていた。

「さぁ、いよいよ次は氷の館よ。みんな、頑張ろうね!」

 吹き荒ぶ風のせいで、ベラの声がどこかかすれて聞こえた。雪は小降りだが、激しい風のせいで体感温度が半端でなく低い。

 こんなに寒いのに、俺以外のメンバーは元気いっぱいな様子で羨ましい。ゲレゲレは天然の毛皮があるから平気かもしれないけどな。ノースリーブの服で動き回っているベラは、体の中に血液の代わりに不凍液でも流れるんじゃなかろうか。

 だが、寒さや何よりも一番の問題は……。

「ちょっと待ってくれベラ。氷の館って北じゃなかったか?」
「そうよ? それがどうしたの?」
「いや、だってベラは明らかに南に向かってるような……」
「……え?」

 ベラは意気揚々と踏み出そうとした足を止めると、怪訝な顔をした。

「こっちって南だったかしら? 北じゃないの?」

 きょろきょろと辺りを見回しながら尋ねてくる。

「いや、違う。洞窟に来るまでに村から通ってきた道があっちだから……北はそっちだ」

 俺は指で北の方を示して見せた。ベラが進もうとしていた方向とは真逆だった。

「ふぅむ、なるほどね。私としたことが、少しだけ方向を間違ってしまったようね」
「少し……?」

 おーい、少しというレベルではないぞ。俺もそんなに方向感覚は優れている方ではないが、ベラのはひどすぎる気がする。

「その、私って実はちょっとだけ方向音痴なのよね。ま、過ぎたことは気にしないでいきましょう」
「ぼくもちずを見るのはにがてなんだ。ベラとおんなじだね」
「あら、リュカもなの? そうよね、北とか南とか難しいものね。あれってどうにも覚えにくいわ。だから仕方ないわよね」
「そうだよねー」
「ねー」

 ねー、じゃないよ。こんな悪天候で適当に歩いたら遭難してしまうぞ。本当にこいつらは分かっているのだろうか。吹雪いてきたら一貫の終わりだ。あっという間に三人と一匹の凍死体が出来上がってしまう。数万年後に発見されてピクルとか名付けられるのは嫌だ。

「じゃあ、改めて氷の館に向かいましょうか」

 そう言ってベラが一歩踏み出した先は、西だった。俺は眩暈がした。

「もういい。俺が先導する。みんなは俺の後から離れないように来てくれ」
「あ、ちょっと! 勝手に決めて先に行かないでよユート! 私には、あなた達子供を監督するという義務が……」
「はいはい、遅れずに俺についてきてね」

 偉そうなことは、方向感覚を直してから言ってくれ。

 俺はベラの言葉を話半分で聞き流し、北へと向かった。もちろん、ちゃんと後ろから全員が来ているのを確認しながら、と追記しておく。

「歩きにくいなぁ」

 自然と口からぼやきが出てくる。何度足を取られたか分からない。歩いているうちに体が暖まってきたおかげで、寒さには多少慣れた。

 しかし、果てしなく広がる白い景色はいくら歩いても途切れる様子を見せない。この道は終わりがないんじゃないかと、うんざりしてしまうほどに。

 音もなく降り積もる雪に、吐息が吸い込まれていく。どこまで行っても悪路。通ったのは、ただの雪道だけではない。朽ちかけた木々の森や、雪崩を起こしかけている谷間すら、おっかなびっくり進む俺。まるで気分は南極探検隊だ。誰かジェットスキーを用意してくれ。雪踏んで歩くのは、いい加減面倒くさい。

 そんなとりとめないことを現実逃避のように考えながら、氷の館を目指した。

「ねぇ、まだつかないのかな?」
「どうしたリュカ、疲れたのか?」
「そういうわけじゃないけど」
「あ、分かった。さては腹が冷えておしっこ……」
「ちがうよ~!」

 歩くのに飽きたのか、リュカの歩みが鈍くなってきていた。

「ベラ、氷の館ってあとどれくらいなんだ?」

 ひたすら北を目指して歩いた俺だったが、初めての土地なので具体的な場所は知らないのだ。土地勘というものは、基本的に地元の者にしか備わらないのだから仕方ない。俺の予想では、そろそろ到着してもいい頃だとは思うんだが……。

「う~んと、確かそこに見える岩を越えたらすぐだったはずよ」
「岩……? あれかな?」

 ベラの視線の先を辿ると、ゴツゴツとした大きな岩が鎮座しているのが見えた。鋭角的な先っぽの方には薄っすらと帽子のように雪をかぶっている。

「ってことは、あともうひと踏ん張りってとこか」

 俺は少し歩くと、その岩に背中を預けて一息ついた。だが、そこで気を抜いてしまったのがいけなかったのだろう。かなり注意力が散漫になっていたようだ。

「ユート!?」

 俺を呼ぶ声は、果たして誰のものだったのか。リュカか、それともベラか。頭がそれを判別する前に、俺の頭上から突然緑色の何かが落下してきた。

「ま、魔物!? ぬわ、うわ、こいつ、魔物で、でも、だけど、おわわわわわ!?」

 とっさのことで言葉にならない。自分でも何を言っているのか分からない。硬直したままの俺の腕にすっぽりと収まるようにして、その魔物は上から現れたのだ。

「ゲッゲッゲ……」

 気味の悪い声を上げながら、ウツボカズラに似た緑色の魔物が俺を見て笑う。子供程度なら丸呑みしてしまいそうな大きな口に、ウネウネと蠢く二本の蔦……ならぬ、触手。吊り上った細い目は、完全に俺を獲物として認識しているようだ。こいつは確か……マッドプラントか!

「き、気持ち悪い! こいつ、離れろよッ!」

 慌てて腕を振り回す。こんな気色の悪いオプションなどいらない。

 しかし──。

「うぉ! な、なんで取れないんだよ!?」

 よくよく見ると、触手が俺の右腕に絡み付いていた。それも、ちょうど素肌の部分に直に。

「うわぁああああッ!?」

 さっきよりも激しく腕を振り回す。でも全然取れない。触手はぬめりと光る、粘着質な謎の液体を出しながら俺をしっかりと締め付けて離れようとしない。

「リュカ! ベラ! こ、これを早く取ってくれ!」

 恥も外聞もなく、俺は大声で外野陣に助けを求めた。誰でもいいから俺を助けてくれ。

「で、でも、どうやって……」

 ベラの戸惑ったような声。

「どうやってでもいいから頼む! 誰でもいいから早く! もう限界! 色々と!」

 触手気持ち悪いんです。生理的に無理なんです、駄目なんです。腕がぬめっとして、ねちょっとするんです。

 そ、そうだ、こういう時こそ地獄の殺し屋の出番だ!

「ゲレゲレ!」
「ガウッ!」

 名を呼んだだけで全てを理解したのか、ゲレゲレは雪を蹴って俺の腕へと跳躍。そのまま勢いよくガブリと、俺の腕にかじりついた。

「痛ぇえええええええええええッ!?」

 上腕部に走る鋭い痛みは、マッドプラントが締め付ける触手の痛みの比ではない。どう見ても、触手部分よりも多量に俺の腕の肉の方に牙が食い込んでいる。魔物よりもゲレゲレからの攻撃の方がダメージが大きいとは、なんたる皮肉。痛恨のオウンゴールで大失態だ。

「ゲレゲレ、だめ! ユートのうでからはなれて!」

 とっさにリュカがゲレゲレを引き離さなければ、俺の腕は噛み千切られていたかもしれない。危機一髪だった。

 不満そうに離れたゲレゲレだったが、今はどうしようもない。たとえマッドプラントの本体の方を狙っていたとしても、触手で強引に俺の腕を動かして向きを変えられていたことだろう。

「ゲッゲッゲ」

 俺達の慌てっぷりがおかしいのか、マッドプラントは愉快そうに笑う。少量だが流血している俺の腕は、触手の粘液に混ざって一層感触が気持ち悪くなっている。痛いし気持ち悪いし、マッドプラントの笑い声はムカつくし最悪の気分だ。

「ちくしょう……ふざけんな……」

 なぜ俺がこんな目に? いつも俺ばっかり扱いひどくないか? こっちは一般人なんだぞ、おい。責任者出て来い。

 そう思うと、なんだか怒りが沸いてきた。

「一般人舐めんなよ」

 それは、勢いだった。後から考え直すと、きっと我を忘れていたんだと思う。沸き上がる黒い情動に身を任せ、俺は気が付くと自分でも思いもよらなかった行動に出ていた。右腕に幾重にも巻きついている触手の先端部分に、ピンポイントで思い切り噛み付くという行為をやらかしたのだ。

「アオギャッ!」

 甲高い声がマッドプラントから漏れた。触手の先端部は弱点だったようだ。痛ましく、切ない鳴き声が雪原に響く。噛んだ本人の俺が言うことではないが、少し哀れに思えた。なぜか俺の脳裏には、ソーセージが先端から折れる映像がふと浮かんだ。

「離れろ」

 腕をブンと振ると、今度は呆気なくマッドプラントは飛んでいった。放物線を描いて宙を舞うマッドプラント。そのまま雪の上にボトリと落ちると、よほど痛いのか小刻みに体を震わせる。

「みんな、魔物に止めを頼む」

 俺はもう疲れた。

「……え?」
「……あ、うん」

 ベラとリュカが、俺の言葉に一拍子遅れて頷いた。まずベラが遠距離からギラを放ち、火の付いたマッドプラントをリュカが杖で殴る。

 これで終了。最初に苦戦したのはなんだったのかと思えるほど、すんなり終わった。

 その間の俺はというと、

「うぇ……。気持ち悪……」

 何度も雪を口に入れて溶かしては、うがいするように吐き出していた。マッドプラントの触手に噛み付いたせいで、口の中が粘液とか血とかで色々とアレだったのだ。

 アレってなんだとか聞いてくれるな。具体的には言いたくないんだ。どうか察してくれ。

 その後は、ベラに腕の怪我をホイミで治療してもらってから再び進軍開始。岩を越えればすぐだと言ったベラの言葉通りに、ほどなくして氷の館に到着した。





 雪と氷に覆われ、不気味に佇む氷の館。館というよりも一見すると要塞にすら見えるそれは、切り立った崖を背に、硬い石を敷き詰めて作られている。

 堅牢にして強固。入り口にある門は重く閉ざされ、あらゆる者の行く手を阻む。

「汝らここに入るもの一切の望みを棄てよ、か」

 神曲の有名な一説が、なんとはなしに頭に浮かんだ。

 もしもこの門が、かの有名な地獄の門であるならば、そこに入ろうとする俺はダンテの役か。それとも、導き手のウェルギリウスか。

「どちらにせよ、地獄の門よりは確実に劣るな」

 その理由は、これだ。

「ユート、門があいたよ~」
「鍵の技法って、本当に便利よね」

 ただのピッキング技術で開いてしまう門だしなー。

 俺達は空き巣か? もうちょっとこう、雰囲気を大事にするというか、情緒というものをですね。地獄の門がどうとか考えてた俺が間抜けみたいじゃないですか。

「ユート、おいてっちゃうよー!」
「早く来なさいよー!」

 俺はすでに門を潜っているリュカとベラに「今行くー!」と返事をすると、鬱蒼とした気分で後に続いた。

 館の中は意外と広く、何よりも目につくのは床一面に張られている氷だ。嵌め殺しの天窓から漏れてくる、微かな光を乱反射して眩しくて仕方ない。周りはというと、石壁には寒さのためか表面が氷結してツララが群れを成している。

「中に入れば少しは暖かいかと思ったけど、全然だな。しかも、床はツルッツルだし……」

 雪道の次は氷道か。スケート靴でも持ってくればよかったよ。まるでスケートリンクみたいな床だ。

「うひゃー!」
「きゃーッ!」
「ガウー!?」

 二人と一匹の悲鳴が聞こえてきて、俺は顔をしかめた。

「何やってるの、君ら……?」

 俺が目にしたものは、床を縦横無尽に滑りまわるリュカとベラとゲレゲレの姿だった。もちろん、自分達の意思で滑っているのではないはずだ。無造作に床に踏み込んでしまったせいでああなったのだろう。生まれて初めてスケートに挑戦するような初心者を見ている気分だ。

「うわわ、あわ、わ! ユート、ど、どうしよう!?」
「ちょっとユート! 見てないで止めて~!」

 二人から止めてと言われるが、勢いがありすぎて難しい。氷上をスケーターよろしく、右に左に滑りまくるリュカとベラ。ゲレゲレだけは床に爪を立てて、強引に急停止を試みていた。さすがは野生動物。爪があるヤツは違うぜ。まぁ、リュカとベラはそのうち壁にでもぶつかって勝手に止まるんじゃね?

「でもこんな時に、魔物でも出てきたらどうするんだよ……」

 俺がそう思っていると、物陰から一匹のウサギが姿を現した。いや、分かっている。俺だって馬鹿じゃない。こいつが普通のウサギなんかじゃないってことは理解できる。

 薄紫の体毛に大きな一本角。前にサンタローズの洞窟で見たことがある、いっかくウサギの上位種タイプ。間違いない、あいつはアルミラージだ。

「参ったな、どうしよう……」

 床で滑ってしまわないように、すり足で後ずさりしながらアルミラージと距離を取る。

 これがマーフィーの法則というものなのか。魔物が出ないでくれと思っていたら、こんな風に出現してしまった。

「待てよ、それなら逆に考えてみよう」

 俺は今度は、魔物よ出て来いと強く念じてみた。さっきとは逆だ。法則的に、これでこの魔物は去っていくはずだ。

『アルミラージBが現れた! アルミラージCが現れた!』

 物陰から更に敵が出てきて増えた。計三匹になった。

「なんでやねん!?」




[4690] 第18話
Name: 例の人◆9059b7ef ID:dbf3a8c8
Date: 2009/05/18 06:44
 アルミラージ三匹は横一列に並び、こちらに向かって真っ直ぐに突進してくる。氷の床など物ともしない動きだ。

 いや、氷に足を取られてはいるが、後先など考えていないのだろう。ふりかざした鋭い角を俺に突き刺すことしか頭にないに違いない。滑る勢いすら利用して、加速度を増すアルミラージの群れ。

 だが、もしも俺に回避されれば三匹まとめて壁に激突するのは必至なはず。それが分かっていて、ぼんやりと突っ立ったままでいる俺ではない。

「あらよっと」

 昔何度かやったことがあるスケートの要領で、円を描くようにして足を動かす。トリプルアクセルは無理でも、緩やかに移動する程度なら俺でも可能だ。専用の靴ではないので少々難儀はしたが、それでも見事アルミラージの攻撃を回避できた。

 俺に避けられてしまったからには、アルミラージは壁に激突するしかない。まるで吸い込まれるように、頭から壁へと突っ込んでいった。当然の帰結と言えよう。足場の悪い所で、後退無視の万歳アタックなど敢行するからこうなるのだ。

「痛そうだなぁ」

 俺は他人事のようにそう言いながら、壁の前で潰れる三匹のアルミラージを見やった。頭から硬い石壁にぶつかったおかげで、三匹とも角がぽっきり折れている。起き上がる気配を全く見せないし、このまま放っておけばいずれは力尽きて死ぬだろう。角とか、なんとなく弱点っぽいしね。

「あ、そうだ」

 目の前に倒れるアルミラージの体を見て、俺はあることを思いついた。こいつらの毛皮は、きっとアレに使えるに違いない。

 懐からブーメランとは別に持っていた護身用のブロンズナイフを取り出すと、俺はおもむろにアルミラージへと近付いていく。ブロンズ製だけあって切れ味はそこまで鋭くはないが、それでも動かない魔物から皮を剥ぐにはこれでも十分。

「南無三」

 俺はアルミラージの体から、少量の皮を剥いだ。こいつの使い道は、もちろん……。

「ユート、なにやってるの?」

 聞き覚えのある声に振り向くと、俺の後ろにはリュカの姿。肩の上にはゲレゲレが乗っている。さすがは主人公。滑る床にはもう慣れたのか。

「リュカか。ベラはどうした?」
「ベラならあっちのかべのほうにいるよ」

 リュカに言われた方を見ると、そこには確かにベラの姿があった。ベラは壁に両手を付き、滑ってしまわないようにガニ股気味に足を開いて床の上に立っている。膝はガクガクと笑っていて、今にも転んでしまいそうだ。

「きゃあッ!」

 あ、転んだ。

「ベラ……何やってんだ……」
「ちょっとユート、見てないで、助け……ああっ」

 ベラの言葉はそこで途切れた。その理由は、また転んだからだ。

「もう! この床、いい加減に……きゃッ!」

 起き上がろうとしては再び転ぶベラ。二度三度と転倒を繰り返した後、冷たい床の上でベラはしばらく動かなくなった。

 やがてベラはその場で起きるのは諦めたのか、床を這ったままこちらへと匍匐前進を開始した。予想外の行動だ。
 
 その姿は歴戦の軍人を思わせる。ああ、軍靴の足音が聞こえてきそうだ。

「やっと、着いた……わ……」
「ご苦労様」

 息も絶え絶えにこちらにやって来たベラに、俺は肩を貸して立ち上がらせる。

「この床は最悪だわ! おかげで這って進まないとここまで来られなかったし、ひどすぎるわ。肘が冷たいったらないわよ、本当に。ねぇ、見てよこの腕。まったく、乙女の柔肌をなんだと思ってるのかしら」

 ぶつぶつと愚痴をこぼしながら、ベラが腕を見せてくる。その細い腕は、しもやけができたのか赤くなっていた。これは辛そうだ。

「だったら長袖の服を着ればいいのに……」
「ユート、今何か言ったかしら?」
「いえ、なんでも」

 小さな声で言ったつもりが、聞かれていたようだ。

「で、あなたは何をしているの? さっきからその手に持っているのは……魔物の皮?」
「ご名答。大当たり」
「変な子ね。そんな物どうするのよ」
「あ、ぼくもずっと気になってたんだ。ユート、それどうするの?」
「どうするも何も、使うんだよ」
「……ユートがたべるの?」
「食べるか!」

 リュカよ、お前には俺が魔物の生皮剥いで食べるような人間に見えるのか? 悪食のゲレゲレと一緒にするんじゃない。

「これは、こう使うんだ」

 俺はアルミラージの皮を手頃な大きさに切って分けると、自分の靴裏へと巻き付けた。本当は縫い込むように貼り付けられればいいのだが、そんな贅沢を言ってはいられない。

「皮を靴に巻いたりして、何のつもり? リュカ、あなたはユートが何をしたいのか分かる?」
「ぼくにもわかんない」
「んー……実演して見せた方がいいか。なら、ちょっと実験してみよう」

 試しにその場でジャンプしてみる。

「ユート、転ぶわよ!?」

 ベラが慌てるが、俺は難なくその場で着地に成功。ベラとリュカのポカンとした顔が愉快だ。

「ユートすごい! どうしてころばないの!?」
「そ、そうよ! 教えなさいよ!」

 詰め寄ってくる二人。俺、大人気。落ち着けお前ら。

「別に種を明かせば大したことはないよ。魔物の毛皮が滑り止めの役割を果たしているんだよ」

 本来は雪道で使用する方法だが、氷上でもきちんと効果はあったようだ。スイス軍の山岳部隊などは、スキー板の裏側にアザラシの毛皮を装着して逆行止めに使っているのは割と有名な話である。

「へー。ユートって子供なのに物知りね。皮をこんな風に使うなんて、思いもしなかったわ」
「ユートはやっぱりすごいよ。ぼくのしらないことたくさんしってるんだね」

 そう褒めてくれるな。これでも中身は一応大人ですから。

「車だって、雪が降ったらタイヤにチェーン巻いたりするだろ……って言っても誰も分からないよなぁ……」
「知らないわ」
「うん、ぼくもわかんない」

 ですよねー。

「まぁ、原理はともかく、みんなも使ってくれ」

 俺は残りの皮をベラとリュカに配った。

「ほれ、ゲレゲレ。お前も足を出せ」
「ふにゃ?」

 ついでに、ゲレゲレの足にも皮を巻いてやる。これでリュカの肩から降りても大丈夫だ。

「ユート、これすごいよ。うごきやすい!」

 リュカがぴょんぴょんと跳ね回っている。そのすぐ後ろから、床に下りたゲレゲレも嬉しそうに追っていく。

「はいはい、嬉しいのは分かったから今は先を急ぐわよ。ザイルって子を探すのが私達の目的なんだからね」

 ベラが年長者としてしっかりまとめ、俺達は氷の館の奥へと足を踏み出したのだった。





 館には滑る床の他にも行く手を阻む仕掛けがあった。氷の床の先には、無数の落とし穴がぽっかりと口を開けていたのだ。それに、入り組んだ道はまるで迷路のよう。靴に滑り止めがなければ、今頃はどこかの落とし穴に真っ逆さまに落ちていたはずだ。

「本ッ……当に、意地悪な造りの館ね!」

 ベラは顔をしかめている。

「落とし穴まであるなんて、建てた人は何を考えているのかしら」
「ねぇベラ。ザイルがこの家をつくったのかな?」
「うーん、それはどうかしら? ドワーフは手先が器用だから、考えられなくはないけど……」
「ぼくもまえに、ユートとすなでおしろをつくったことがあるけど、こんなに大きなのはむりだなぁ」
「あはは。さすがに砂のお城と比べたらだめよ、リュカ」
「むぅ……」

 口を閉じて頬を膨らませるリュカ。まるで頬袋に食べ物を詰めているリスのようだ。

「ザイルの他にも、誰か黒幕がいるかもね」

 俺はぽつりと呟いた。

「ユート、それはどういう意味?」

 ベラの視線が、リュカから俺へと移る。

「そのままの意味だよ。ベラ、この氷の館っていつ頃からあるんだ?」
「そういえば、いつからかしら? そんなに昔じゃなかったとは思うけど、気が付いたら建っていたって感じね」
「なら、分かるだろ? そんなに短期間に、ドワーフといえども一人で館を建てたりはできないはずだよ」
「……それもそうね。一応、ザイル以外の存在も警戒しておく必要はあるわね」
「備えあれば憂い無しとか、石橋を叩いて渡るって言うしな」
「どこの言葉よ、それ」
「俺の故郷の格言」
「ふーん。聞いたことないわね」

 それはそうだろう。何しろ、日本の格言だし。

「でも、ユートは流石ね。そんなことに気が付くなんて」
「偶然だよ、偶然」
「あら、せっかく褒めてあげてるんだから、謙遜しなくてもいいのに」

 今の俺には、こうやってさりげなく注意を促すくらいしかできない。ザイルの背後には「雪の女王」がいるなどと、本来知るはずのない話をストレートに言うわけにはいかないのだ。

「ねぇねぇ、ふたりともなんの話をしてるの? むずかしい話は、ぼくわかんないよ」
「おっと、リュカにはまだ早かったか。心配するな、大人になれば分かる話だ」
「ぶぅ。ユートだってぼくとおなじで、まだこどもじゃないか」
「ああ、そういえばそうだっけ?」
「そうだよー!」

 リュカをからかっていると、ベラがこちらを優しい目で見ていた。

「あなた達って、とても仲がいいのね。まるで兄弟喧嘩でもしてるみたい」

 そう言って口を閉じると、何かに堪えるようにくっくと喉で笑った。

「兄弟ねぇ……」

 そういえば、サンタローズ村で何度かパパスの子供かと勘違いされたことがあったっけ。確かに俺はパパスやリュカと同じ黒髪だけど、そんなに似ているのかね。自分ではよく分からん。

「俺が兄貴で、リュカが弟だとしたら、ベラは……お母さん?」
「なんでそうなるのよ! そこは普通お姉さんでしょう!?」
「まぁ、そう言わずに。リュカだってベラみたいなお母さんは欲しくないか?」
「え? うーん……うーん……?」

 リュカは頭を抱えて悩み始めた。頭から湯気が出てきそうだ。そこまで真剣に悩まなくてもいいのに、真面目なやつだなぁ。

「悩まれても、それはそれで腹が立つわね」

 胸中で葛藤でもあるのか、ベラは微妙な顔をしている。複雑な女心というやつだろうか。女心と秋の空。女性の心理は、いつの世も難しい。

「みんな、ちょっとまって!」

 頭を抱えていたはずのリュカが、唐突に一同を呼び止めた。

「急にどうしたのよ?」

 ベラの問いに、リュカは唇に指を当てて静かにすように促す。ここで騒ぎ立てるほど俺は空気を読めないわけでもなく、ベラと同じく沈黙する。

「見て、ゲレゲレがうなってる……」

 リュカが小声で言った。見てみると、ゲレゲレが毛を逆立てて低く声を上げていた。この姿は警戒態勢だ。

「どうやら、誰かそこにいるようだな。おい、観念して出て来い!」

 俺の言葉に、氷の壁の合間から小さな影が現れた。

「へっ、まさか俺が見つかるとはな。バレちまったからには、出ていってやらぁ」

 そう言って出てきたのは、ドワーフの少年だった。顔全体を隠すように黒い頭巾をし、両目の部分だけを切り抜いている。そこから見える目は、爛々と輝いていた。

 全身を覆うようなぴっちりとした薄い緑のローブの下からは、ドワーフらしく発達した筋肉が見て取れる。

「お前ら、もしかしてポワンに頼まれてフルートを取り戻しにきたのか? ご苦労なことだな」

 小柄な体躯に似合わない大きな斧を楽々と肩に担ぎながら、ドワーフの少年は皮肉っぽく笑みを浮かべている。

「きみがザイルだね!」

 リュカが叫ぶ。

「この子がザイルなの? こら、ザイル! フルートを返しなさいよ!」
「はん、お断りだね」
「まぁ、生意気な子ね! あんたがフルートを盗んだせいで、ポワン様が世界に春を告げられないのよ!」
「そんなの、俺の知ったこっちゃないね」

 ザイルはベラをせせら笑った。

「ポワンは俺のじいちゃんを村から追い出した憎いやつだ。そんなやつがどうなろうと、俺には関係ないね」
「それは誤解よ! 私の話を聞いて、ザイル!」
「うるさいうるさい! お前らの話なんか知ったことか! どうしてもフルートが欲しければ、力づくで奪ってみろよッ!」

 激昂したザイルは聞く耳を持たない。向こうが話し合いを拒否したのだから、こうなってしまった以上は戦うしかないだろう。

 ……という訳で、

「ゲレゲレ、行け。足だ」
「ガウッ!」

 俺の言葉に、コンマ何秒かの速度でゲレゲレが反応する。

 普段の躾の賜物だ。軍用犬のように高度に訓練されたゲレゲレは、正確な指示さえあれば強靭な兵士に匹敵する存在となる。俺の言葉を即座に理解し、ザイルの足元へと一瞬にして身を躍らせた。

「うわ、なんだこいつ!?」

 慌てふためくザイル。反射的に手に持った斧を足元に振り落とそうとするが、あまりにも遅すぎた。

 勝敗は、この時点で既に決していたと言えよう。

 ザイルの足首に噛み付いたゲレゲレは、顎を振って強引に獲物の体を倒そうとする。受身を取ろうとして体を捻ったザイルの手からは、斧が投げ出された。

「次、ベラが魔法」
「え? 分かったわ……ギラ!」

 ベラの手から放たれた魔法の炎は、体勢を崩したザイルの正面から激突。

「熱ッちィいいい!?」

 氷上を転がり、ローブに燃え移った火を消そうとザイルがもがく。足には先ほどからゲレゲレが噛み付いたままだ。だが、これで終わりではない。

「最後はリュカ。追撃」
「うん、いってくる!」

 元気よく返事をして、リュカが氷を蹴った。身を低くし、あっという間にザイルとの間合いを詰める。接近を感知したザイルが床から顔を上げた時、リュカが持った樫の杖は既に大きく振りかぶられていた。

「えいッ!」

 掛け声と共に力強く降り下ろされた杖は、ザイルの腹部に深々とめり込む。

「げぇッ」

 ザイルは腹を押さえると、膝から崩れ落ちるようにして前のめりに倒れた。凍った床に、ザイルの頭がぶつかる「ゴン」という音が響く。

 まだザイルが抵抗するようなら、俺がブーメランでも投げてやろうかと思ったが、その必要はなさそうだった。

「ぐ、うぅ……」

 ザイルは呻き声を漏らすのが精一杯で、これ以上抵抗する様子は皆無。勝負ありだ。

「ゲレゲレ、もう離れていいぞ」

 俺の指示に従って、ゲレゲレが口からザイルの足を離した。

「呆気なかったな」

 思った以上に上手くいった。自画自賛したい気分だ。非力な俺だが、意外と指揮官としての才はあるのかもしれない。

「くそー! 負けた負けた! まさかこんなに簡単に俺がやられるなんて……」

 ザイルが腹をさすりながら立ち上がる。

「お前ら、なかなか強いな。驚いたぜ」

 どこかすっきりとした声で、ザイルは言った。

 これはあれか。漫画とかでよくある、戦ったら友情が芽生えるとか、そんな感じなのか?

「やっとゆっくり話ができそうな雰囲気になったわね。ザイル、私の話を聞いてくれるかしら?」
「負けたからには仕方ねぇ。いいよ、聞いてやるよ」
「もう、態度が大きい子ね」

 ベラが苦笑した。

「そもそも、あなたは勘違いしているようだけど、あなたのおじいさんは別に追い出されたわけじゃないわ。だからポワン様は、何の関係もないの」
「ベラのいうとおりだよ。ぼくも会ったけど、ポワンさまはとってもいい人だったよ」

 リュカも頷く。

「じいちゃんを村から追いだしたのは、ポワンじゃないって?」
「こら! それを言うならポワン様でしょう! 様をちゃんと付けなさい!」
「……ポワン様じゃないって?」

 ベラに剣幕に押されたのか、律儀にザイルが言い直した。

「でも、雪の女王様が……」
「雪の女王様? 誰よ、それ?」
「それは……」

 その時、ザイルの言葉を遮るように、突然辺りに激しい冷気がたち込めてきた。冷気は渦を巻き、室内の一角に氷雪が吹き荒れる。

 通常ではありえない現象だ。ここは「室内」である。いくらなんでも、吹雪まで発生する訳がない。ということは、これは自然現象ではないということだ。

「みんな、気をつけろ! 何か来るぞ!」

 俺の言葉に、ベラとリュカが身構えた。

 風雪は竜巻のような形を作って屹立し、一箇所に集っていく。唸りを上げて渦を巻く雪と氷の粒は、やがて人の姿へと変わっていった。

「ククククク……。やはり子供をたぶらかせて、という私の考えは甘いようでしたね」

 風雪の中から甲高い女の声が聞こえてきた。

「あわわ。ゆ、雪の女王様!」

 ザイルが怯えたように叫ぶ。

「あれが雪の女王ですって!?」

 ベラの声に答えるように吹雪は晴れ、雪の女王と呼ばれた女が姿を現した。

「そう、私が雪の女王。雪と氷を司るのが使命。どんな物でも私の前では凍てつくことでしょう」

 底冷えのするような冷たい声で、雪の女王は言った。

 白いドレスに、異様なほど白い肌。人というよりも、美しい彫像のような造形をした女であった。

 すらりと伸びた長い手足は深雪のように白く、見開いた瞳の色は白銀。青みがかった灰色の髪は静かに風になびいている。

「女王様は、じいちゃんを追い出したのはポワン様だって……」
「ククク……。あなたは、まだそんなことを信じているのですか?」
「女王様、それって、どういう意味……」
「あれは、あなたにフルートを盗ませるための嘘です。つまり、あなたは騙されていたのですよ」
「そ、そんな……。だったら俺は、なんのために……」

 ザイルはがっくりと肩を落とした。

「愚かなドワーフよ。フルートが私の手にある以上、もうあなたは用済みです。消えなさい」

 雪の女王はザイルの方へと向けて手をかざし、そっと息を吹きかける。真っ白な唇から凍りつくような息が吐き出され、ザイルへと襲い掛かった。

「ザイル、よけて!」

 リュカがとっさに声をかけるが間に合わない。雪の女王の息で、ザイルは壁際まで吹き飛んでいく。そのまま受身すら取れずに激突したザイルは、気を失ったのかぴくりとも動かなくなった。

「ザイル!? よくもザイルをやったな!」
「待て、リュカ!」

 怒りに我を忘れたリュカが、俺の制止を振り切って飛び出していく。まずはゲレゲレを先頭に攻撃を仕掛けるという、俺達の作戦が出だしから躓いてしまった。こうなってしまってはどうにもならない。出たとこ勝負で流れを戻すしか手はないだろう。

「ベラ、リュカに魔法で加勢を! ゲレゲレは雪の女王の背後を狙え!」

 手遅れになる前に、急いで指示を出す。間合いを一足飛びで詰めたリュカは、今にも雪の女王と交戦しようとする寸前だった。

「了解よ、ユート。ギラ!」

 ベラが呪文を唱えながら杖を振ると炎が生まれ、

「ガウーッ!」

 ゲレゲレは主人のピンチだとばかりに、雄叫びを上げながら突撃する。

 俺もブーメランを構えると、雪の女王へと狙いを定めた。

「クク……」

 薄く笑う雪の女王。氷のような美貌が、醜く歪む。

「痴れ者どもめ! 身の程を知るがよい!」

 眼前へと迫るリュカをあっさりと片手でいなすと、女王は大きく息を吸い込んだ。

 ────まずい。

 女王を境に、空間が歪むような違和感。ある種の嫌な予感が俺の脳裏を過ぎる。濃厚な死の気配が、体をヒリヒリと焼いていく。

「みんな、一度戻……」

 俺は最後まで言葉を続けることはできなかった。

 女王の口から放たれた息は、荒れ狂うブリザードのように部屋中を満たしていく。雪と氷の乱舞は、どこまでも無慈悲に全てを侵食する。まるで、自然の驚異そのものが相手だ。悲鳴すら出す余裕がない。なすすべもなく、女王へと向かったみんなは吹き飛ばされてしまう。

 やがて……静寂だけが空間を支配した。

 圧倒的な攻撃を前に、部屋の中は一瞬で凍り付いてしまったのだ。

「ぐ、うぉ」

 最後方にいたおかげか、俺一人はかろうじて無事だった。

 いや、無事というのもおこがましい。倒れていないというだけで、氷付いた体は寒さのためにまるで言う事をきかない。

「みんな……ちくしょう……」

 リュカもベラもゲレゲレも、動かない。うつ伏せになって倒れている姿には、嫌な予感しか沸いてこない。

 もしかすると──みんな死んでしまったのかもしれない。

 ああ、なんということだろう。臆病者で役に立たない俺一人だけが、無様にもこうして残ってしまった。

 何が作戦だ。何が指揮官だ。パーティのお荷物である自分という存在を、体のいい言葉で誤魔化していただけじゃないか。

「は、はは……」

 いつの間にか、俺の口元は自嘲の笑みを形作っていた。

「おや、気でも触れましたか?」

 俺は何も答えない。女王は、ゆっくりと俺に向かって歩みを進めてくる。

「かわいそうに。私がそんなにも怖かったのですね。さぞや苦しかったのでしょう。さぞや辛かったのでしょう。でも、それもここまでです。敵わぬ相手に立ち向かうなど、愚かの極みでしかありません」

 俺は何も答えられない。女王は言葉を続ける。

「もう、あなたは何も考える必要はないのです。恐れも痛みも、眠ってしまえばすぐに忘れられますよ」

 歌うように。

「私は雪の女王。私はこの世に存在する全てを凍らせます。幾千の憎しみも、幾万の悲しみも。そして……幾億の魂すらも」

 祈るように。

「さぁ、とこしえの眠りに誘いましょう」

 囁くように。

「おやすみなさい、坊や」

 女王の顔が間近に迫る。冷たい何かが俺の体へと進入してきたような気がした。

「あ……」

 意図せず、俺の口から声が漏れた。溜め息にも似たその声を、俺はどこか遠くから聞いていた。

 視線を下げると、俺の腹部には巨大な氷の刃が突き刺さっていた。背中まで貫通しているのが、感触から理解できる。無機質な氷の塊を伝って、赤い血が床へと垂れた。

「う……あ……」

 なんとも間抜けな声だな、と思った。

 この自分の呻き声が、俺の聞いた最後の言葉。痛みはない。あるのは、恐ろしいまでの眠気だけ。既に目の前は真っ暗で何も見えない。方向感覚すら曖昧で、自分が立っているのか倒れているのかすら分からない。

 これが、この感覚がそうなのか。

 そう、俺は。

 俺は──死んだのだ。





 目を覚ますと、部屋の中には西日が差し込んでいた。

 今は何時だろうか。ここは……俺の部屋か。

 ああ、思い出した。確かにここは俺のアパートの部屋に違いない。寝起きで上手く頭が働いていなかったようだ。

 顔を上げると、スクリーンセイバーの起動しているモニターに自分の顔が映った。三十路前の、くたびれた男の顔だ。見慣れたはずの顔だが、どこか違和感があった。

「う~ん……っと」

 大きく伸びをして眠気を振り払う。年季の入った座イスが、ギシギシと嫌な音を立てた。

「PCやりながら寝ちまってたのか」

 よくあることだ。何日も徹夜でネトゲをやった時など、俺は電池が切れるように突然眠ってしまう。

「なんか、長い夢でも見てた気分だな……」

 無精ひげを手でなぞりながら、俺はぼんやりと考える。奇妙な満足感と倦怠感があった。そしてなぜか、軽い後悔のようなものまで。まるで、眠っている間に夢の中で大冒険でもしてきたような気分だった。

「でも、どんな夢だったっけ」

 しばらく考えてみたが、どうにも思い出せない。思い出せないということは、そんなに大した夢ではなかったのだろう。たぶん、そうに違いない。

「ま、いいか」

 俺は椅子から立ち上がると、部屋の窓の方へと移動した。カーテンを開けると、アパートの前が黄昏に染まっているのが見えた。今は恐らく、夕方の五時か六時頃だろう。

「飯でも買いにいくかな」

 俺は誰にともなく呟く。一人暮らしをしていると、どうにも独り言が多くなっていけない。まるで俺が寂しい人みたいだ。

「自炊は面倒だし、コンビニ弁当でいいか」

 いつもと変わらない行動だ。こうして、変化のない日常がまた始まる。そのはずなのに……なぜだか、胸の奥がざわめいているような気がした。小さな炎が燻るような違和感を抱えたまま、俺は洗面所に行って顔を洗った。不安を洗い流してしまいたかったのかもしれない。

 そして財布をジーパンのポケットに突っ込むと、俺はアパートを出てコンビニへ向かったのだった。



[4690] 第19話
Name: 例の人◆9059b7ef ID:dbf3a8c8
Date: 2009/12/04 22:14
 黄昏時はどこか世界が曖昧だ。朝と夜とがカフェオレみたいに混ざり合って、境界線を溶かしてできたのが夕暮れなのかもしれない。詩人をきどるつもりはないが、そんな考えが頭に自然と浮かんできた。

 遠く聞こえるのはカラスの鳴き声。足元からは、歩く度に発生する単調な靴の音。沈む夕日をぼんやり眺めながら、俺は帰路に着いていた。

 暦の上ではそろそろ夏になろうとしているが、まだまだ夕方の気温は低い。このところ、昼間は暑くなってきたので油断して上着を羽織るのを忘れて出てしまった。

「冷えるなぁ」

 震えがくるほどの寒さではないが、不満が口から出る程度には寒かった。

 コンビニまでは、アパートから徒歩で五分ほど。この辺りは都会というほど開けている土地ではないが、それなりに人口は多い。夕飯の買出しをする主婦や、仕事帰りのサラリーマンの姿がちらほらと見えた。一様に早足で、忙しそうに思い思いの方向へと去っていく。あんなに急いでどこに行くというのだろう。もっとゆっくり歩けばいいのに。

「人はどこから来てどこへ行く、か」

 ラテン語の文句にそんな言葉があったはずだ。なんとなく口には出してみたものの、答えは明白だった。みんな、自分のいるべき場所へと帰っているだけなのだ。淡い赤色に照らされて行き交う、人々の群れ。足元から伸びた長い影は道の上で踊るように動く。向こう側から見れば、きっと俺もまた群れの中の一人にしか過ぎないのだろう。

「はぁ……」

 知らず溜め息が出てくる。今日何度目の溜め息になるのだろう。気になったが、数えるのは馬鹿らしい。先人が言うには、溜め息は一つ吐くとその分だけ幸せが逃げていくそうな。そうなると今日一日の累計で、俺の幸せは一生分くらい使い果たしていそうだ。

 とにかく、寝起き以来ずっと俺の気分は暗澹としている。胸の奥がもやもやした霧に覆われているような感覚。相も変わらず、その理由は分からない。悩めば悩むほど、深みにはまってしまっているような気がした。もしや……これが噂のマタニティブルーというやつだろうか?

「って、俺は妊婦かよ」

 自分自身でツッコミ入れる。少し虚しくなった。一人暮らしが長いと、自然と独り言が増えてしまう。悪い癖だと分かっていてもどうしようもない。

 沈みがちな気分を振り切るように、止まりそうな足を意識して動かす。猫背の俺は歩く時に俯き気味になってしまう癖がある。そのため、歩いていると自然と視線が下方に向かう。目に映るのは、小さなビニール袋にやや強引に詰めてあるコンビニ弁当。別段この味は好きでも嫌いでもないが、食わないことには餓死してしまう。だからなのか。この右手に感じる弁当の重みだけが、曖昧な世界の中で唯一リアルな感じがした。

「俺の居場所は、どこにあるんだろうな」

 答える者はもちろんいない。俺の問いかけは、風の中へと消えていった。

 ……ああ、だめだだめだ。どうにも調子が出ない。俺の居場所はどこかだって? 決まっている。あの安アパートだ。どうせ夢だか現実だか分からないような日々を、今までフラフラと生きてきたのだ。糸の切れた凧のような身の上。行き先は風の向くまま気の向くまま。どこへ行くのかは風に聞いてくれってか? そんな、文字通り風任せの生活がまた繰り返されるだけさ。さっさとアパートに戻って、飯食った後はゲームでもしよう。センチメンタルな気分はガラじゃない。

 俺は顔を上げると周りのように急ぎ足になろうとして、ふと足を止めた。

「結局、俺も周りと同じだな」

 他の者に対してゆっくり歩けばいいのになどと思っていながら、自分だって早足で帰ろうとしている。これでは他人のことなんて言えた義理ではない。思わず苦笑してしまう。

 空を見上げると、鰯のような雲が夕日で赤くなった空間をゆらゆらと泳いでいた。頬にはどことなく湿った空気を感じる。

 ──もうすぐ梅雨入りかな。

 そして俺は、視線を戻すとアパートへの道を再び歩き出した。





 テレビを付けながら飯を食う。これが俺の食事時のスタイル。マナーは悪いが、ここには俺一人しかいないんだから細かいことは気にしない。音量も絞ってあるし、隣の住人にはきちんと配慮もしてあるから大丈夫だ。

「あー、また三振しやがった。内角捌けないならオープンスタンスの意味がないじゃないか。こんな糞外人に二億近くとか、ふざけんなよ。スカウトはちゃんと仕事しろよ」

 俺はプロ野球中継を見ながら、その不甲斐ない試合展開に野次を飛ばしていた。あくまでも野次である。決してテレビ画面とお話をしていた訳ではない。そこまで俺は寂しい人間ではない……と思いたい。

 話を戻そう。主に関西一円で強大な人気を誇る、虎がトレードマークの某球団が俺の贔屓チームである。ちなみに対戦相手は兎をシンボルとする全国区の人気球団。余談ではあるが、会長の傍若無人な振る舞いも有名な球団である。この球団とは昔からの因縁の対決でもあるので、観戦にも自然と力が入ってエキサイトしてくる。

「大体なんだよあの構え方は。なんで打つ瞬間に明後日の方向に首が向くんだよ。最後までボールから目を離すな。本当に元メジャーリーガーなのか、おい。不満そうな顔でベンチに戻るな。打てないのは自業自得だ。こっち向け。話聞いてんのか」

 相手はテレビの向こう側なので聞こえるはずはないが、それでも俺は言わずにはいられなかった。

 まだシーズンが開始して二ヶ月も経っていないというのに、今年の助っ人も大外れなようだ。我が贔屓球団は毎年のように助っ人外国人を獲得するのだが、ここ十年ほど連続して外ればかり。今回の外人野手の成績も、ある意味では例年通りで仕方がないと言えるのかもしれない。だが、それで納得できるなら俺は野次など飛ばさない。

「他のみんなもチャンスでさっぱり打てないし、今日も負けかなぁ……」

 頭を抱えている内にも試合は進んでいく。8回の裏で点数は1対7。今日はアウェイでの試合なので、遺憾ながら負けている方が我が贔屓球団である。現在、2アウト1塁で相手チームの攻撃中。

「あ、おい! さっきからそのコースは甘いだろ!?」

 捕手のリードが悪いのか。投手の出来が悪いのか。あるいはその両方なのか。投手の手から放たれたのは、真ん中高めのストレート。打ってくださいと言わんばかりの、まさに絶好球というやつだ。

「うあああ……」

 顔を覆いたくなる。これは打たれるなと思った瞬間、相手チームの主砲の一振りで白球はライトスタンドへと消えていった。ホームラン、ホームランと画面の向こうでは興奮気味にアナウンサーが何度も叫ぶ。バッターは野次と歓声の中、ダイヤモンドを誇らしげに回る。

 イライラする。点差が更に広がってしまった。いくら野球は9回裏2アウトからと言っても、物には限度がある。メイクドラマはそうそう起こりはしないということだ。

「もう今日はいいや」

 俺はリモコンのボタンを力なく押すと、テレビのスイッチを切った。敵チームの打ったホームランのリプレイ映像など、忌々しくて見てられるか。

 空になったコンビニ弁当の箱をゴミ箱に押し込んだ後、俺は部屋の中央にごろんと横になる。そのまましばらく、ぼんやりと天井を眺めた。安物の電灯から吊るされた紐が、ゆらゆらと揺れていた。

 どうせ負けているだろうし、再びテレビを付ける気にはならない。一度寝転がってしまうと起きるのが億劫で、ほんの数メートル先にあるPCの方へと向かう気にもなれなかった。不貞寝しようにも、数時間前に目が覚めたばかり。最果てへと旅立っていった睡魔は、当分戻ってきそうにもない。

「うぅあー」

 特に意味のない言葉を口に出してみる。次は畳が敷いてある床の上をごろごろと転がってみた。そう、例えるならば芋虫のごとく。無論、行動に深い意味はない。何回か往復したら、すぐに飽きてしまった。人は所詮人でしかない。芋虫にはなれないのだ。

 それでも、胃の中が微妙にシェイクされてしまったようで少し気分が悪くなった。俺は一体何をやっているんだろう。

「そうだ、京都へ行こう」

 脳裏にふと飛来したJR西日本の某フレーズが、衝動的に口から漏れて言葉となる。思い立ったが吉日。俺は立ち上がると、玄関を出て駅へと向か……わなかった。

 とりあえず立っただけだ。当たり前である。そもそも勢いだけで口にした言葉だ。旅行するほど貯金に余裕もないし、こんな時間から遠出をするのも面倒くさい。元来俺は無精者。こうして立ち上がっただけでも御の字というものだ。もっとも御の字といっても誰が俺に感謝してくれるのかは謎だが、その辺は追求しないでくれ。

 さて、立ってはみたもののこれからどうしようか。顎に手を当てて、ふむと考える。

 奇跡の逆転勝ちを期待して再びテレビ中継を見るのは却下。外に出かけるのも面倒だし却下。となると、選択肢は自ずと狭まってくる。ネットをするかゲームをするかの二者択一に決定。勉強や筋トレといった、己を高める作業は埒外だ。

 例外として第三の選択肢に「かめはめ波を練習をする」というのもある。腰の辺りに両手を構えて部屋の中で「か~め~は~め~」とやってしまうアレのことだ。男の子なら、誰もが一度は通る道。この練習はやっている時はノリノリで楽しいんだが、ふと我に返ってしまうと猛烈に虚無感が襲ってくる諸刃の剣。よって、素人にはあまりおすすめできない。客観的に見ても、三十路を目前に控えた男の行動にはあまり相応しくない。

 まぁ、かといってネットやゲームもどうかと思うが、そこはそれ。もう何年も駄目人間に近いライフスタイルを送っている俺としては、あくまでも至極当然の行為なのだ。だから俺の行動は仕方がない。言うなれば自然の摂理、更に言えば大宇宙の真理。大体そんな感じに違いないはず。

 自己弁護がつつがなく終了したところで、俺は部屋の脇にある小さなテーブルの前に移動した。目当ての品はテーブルの上に無造作に置いてある某携帯型ゲーム機。元花札屋の大手ゲームメーカーが開発した、世界的大ヒットの品だ。上下二画面、タッチパネル付きの液晶は遊び心が満載。人気になるのも頷けるってもんだ。確か、ドラクエ5のリメイク作をやろうと思ってゲーム機本体にROMを入れたままにしてあったはず。

「お、あったあった」

 ゲーム機を掴み上げると、俺はROMがきちんと刺さっているのを確認した上で電源を入れた。続きをやろうやろうと思いつつも、かなり前から放置していたので電池が心配だったのが、充電の必要はなさそうだ。

 特徴的な起動音が鳴り終わると、今度は初期画面が液晶に映し出される。立ったままプレイするのも馬鹿らしいので、ゲーム機を片手にその場に座って胡坐をかいた。俺は姿勢が悪いので見事に背中も丸まっている。全国のお母さん連中から苦情が殺到しそうな光景だが、俺は気にしない。座ろうが寝転がろうが、ゲームは好きなようにやるのが一番だ。

 起動画面の次は、オープニング画面。シリーズ恒例のBGMを心行くまで堪能した後は、セーブデータである冒険の書を開く。ほどなくして「ユート:レベル1」と書かれた項目が表示された。

「主人公はユートか。自分の名前でやってたっけ? 他の名前でしてたような気もするが……」

 ま、細かいことは置いておこう。レベル1ということは、まだ序盤だった……はずだ。プレイしている内に思い出すだろう。

 さて、それではいざ冒険開始──と思ったのも束の間。

「……あれ?」

 かすかな、それでいて妙な違和感を感じた。

 思い過ごしではない。違和感はすぐに直接的な形となって目の前に現れた。一瞬俺の目の前で、ゲームの液晶画面がブレたように波打ったのだ。

 そんな怪現象だけに留まらず、違和感自体も膨れ上がるようにあっという間に大きくなっていく。

 ──なんだこれは。どうなっているのだ。

 眩暈にも似た感覚が襲ってくる。手が震え、液晶の画面が霞む。目の前にあるはずのそれは、遠近感が狂ってぐにゃりと歪んで見えた。

 周囲からは音が消え、頭の中には直接響いてくるような耳障りなノイズがどこからか溢れ出してくる。

 ふわりとした浮遊感。床の感触が尻から消え失せてしまっている。座っていたはずなのに、立ったままどこかに落ちているような気がした。

 世界が緩やかに色を失っている。冷たい汗が出てくる。喉はカラカラだ。全身の皮膚がぞくぞくと粟立ち、次第に大きくなるノイズは脳を締め付けている。目が回る。暗い景色が回る。

 舵の利かないまま、闇夜の海に船出したような。

 狂っているのは俺か、世界か。錯覚なのか現実なのか判断がつかない。俺が、俺であるという当たり前の事実ですら正確に知覚できない。全てが曖昧に溶けていく感覚は、買い物帰りに夕日を見た時とよく似ていた。

 いや、それよりも。──何かが、頭の隅に引っかかっていた。重大な何かを、今まさに俺は思い出そうとしている。それが何なのかは分からない。思い出したくないが、思い出さないといけないという強迫観念めいたものがある。怖い。なんだかとても怖いのだ。圧倒的な不安感。世界から見放されたような孤独。果てのない寂しさに俺は包まれた。

 俺は、どうすればいいのだ。泥船が海に溶け落ちてしまったような気分だった。

 その時。

 声が、聞こえた。

 ──さい。

 耳元で誰かが囁く。俺を呼んでいる。ひどく冷たい声だ。嫌な声だ。幻聴だろう。そうに決まっている。

 ──おやすみ、なさい。

 聞きたくない。でも今度はさっきよりもはっきりと聞こえた。俺の耳元で、冷たい声が。

 ──おやすみなさい、坊や。

 この声は、この声は。俺に終わりを告げたあの声だ。忘れるはずがない。

 ああ、そうだった。そうだったのだ。全てを思い出した。なぜ今の今まで忘れていたのだろうか。

「どうして、俺は──」

 言葉にならない言葉。あの時……俺は、眠るように意識を無くした。

 冷たい、冷たい、硬い氷の塊が、俺の腹に。腹に刺さって、血が流れて、動けなくなって、それから、俺は。

「あぁああああああぁぁあああぁあああああ!」

 身が震え、腹の底から叫び声を上げる。

 死んだ。俺は一度死んだのだ。忌まわしい記憶と共に、壮絶な恐怖心も湧き上がってきた。

 俺は氷の女王に腹を貫かれ、全てを諦めて惨めったらしく死んだ。得意気に作戦指示をしていても、弱い自分を誤魔化していただけだった俺。あの時俺は、ドラクエの世界で自分の存在になんの意味があるのだろうと思った。本来ならもっと早くに考えなければいけない問題だった。死を目前に控えるまで真剣に考えないとは、自分のことながらお気楽だ。

 本来の俺はボロアパートに住むただの貧乏男。だが気が付けば、俺がいたのはドラクエという未知の世界。しかも大人であるはずの体は、なぜか子供の姿に。レベルは一行に上がらないし、特異技能があるわけでもない。唯一俺の手にあったのは原作の知識。何かあれば原作と道を外れることを気にして悩み、そんな不安を消し飛ばすようにわざとらしく騒ぐ日々。

 今思えば、俺は不安だったのだろう。死にたくない、危ないことは嫌だと口では言いつつも、取り残されるのが不安で誰かの後を追いかけてきた。本気で嫌ならずっとサンタローズの家に引きこもっていればよかったのに、リュカに付き合って動き回っていたのがいい例だ。いや、それ以前に原作キャラと関わりを避けて、パパスの元を離れて無難に暮らすという選択肢だってあったはずだ。それをしなかったということは、訳も分からず異世界に放り出された自分という存在を確立するのに、きっと必死だったに違いない。ゲームで見知っただけとはいえ、誰か知っている相手がそばにいないと怖かったのだ。

 原作知識を用いることこそが使命なんだと信じ込んではみていたが、死という結果は知識の行使以前の問題だった。呆気なく、簡単に死んでしまうのならば。あの世界での俺の「役割」とはなんだったのか。

 いや、そもそも俺という存在はなんなのか。ドラクエ世界と現実世界。どちらが真でどちらが偽か。こうやって考え悩んでいる俺は幻か? アパートでの生活は夢だったのか? ドラクエ世界での冒険は幻だったのか?

 違う。違う。違う。それは問題ではない。

 ──そんなものはどちらでもいい! 今重要なのはそんな話ではない!

 己という存在を否定しても意味がない。怖い怖いと喚きちらし、なんで俺がこんな目にと騒いでいても解決にはならない。
 
 ドラクエ世界とアパートでの生活。どちらが夢で現実か。どちらが本当に俺がいるべき場所だったのか。そもそも……俺はどちら側にいたかったのか。

「分からない。でも……」

 ──僕の名前はリュカ。君の名前は?

「俺は……」

 ──その年で大したものだ。いやいや、このパパス、感心したぞ!

「俺、は……」

 ──またいつかいっしょに冒険しましょうね! ぜったいよ! だから元気でね、ユート、リュカ……。

「ぼう……けん……」

 そう、冒険だ。俺はあの世界で間違いなく冒険をしていた。例えそれが一炊の夢であろうと、あの場所で体験したことは、俺にとって紛れも無い現実だ。

「俺には……まだあそこで遣り残したことがある」

 雪の女王にあっけなく負けた俺だが、あの場所にはまだリュカやベラが残っている。一度負けた俺なんかが役に立つとは思えないが、それでも懐いてくれた弟分を放ったらかしにしてなかったことにするのは寝覚めが悪い。今重要なのは、こうして考え抜いた末に結論を出したという事実のみ。

 一度死んだ? 

 ──それがどうした。どの道、人間誰だっていつかは死ぬんだ。

 恐怖心は? 

 ──怖いからってなんだ。気合と根性で乗り越えてやる。

 また辛い目に合ってもいいのか? 

 ──ああ、構わないさ。痛みがあるのは生きてる証。それに本音を言えば、大冒険には昔から憧れてたんだ。

 レベル1で何が出来る?

 ──知るかンなもん。なるようになる、してみせる。こっちにゃそれなりに人生経験だってあるさ。三十路前を舐めんな。

 あの世界へ行きたいと思うのは、辛い現実から逃げたいからではないのか?

 ──そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない。今はそんなことどうでもいい。

 どうして俺はドラクエの世界へ行ってしまったとか、一度死んで戻ってこれたのは何故かとか、面倒な疑問は全て後回しでいい。出たとこ勝負で行ってやる。

 とにかくどんな目に合おうとも、俺はもう一度みんなに、リュカ達に会いたい。あのドラクエという世界における自分の役割が分からないのなら、分かるまで探し抜いてやる。この熱意と想いは混じりっけ無しの本物だ。それに、何よりも、

「あの世界で……また冒険したいんだああああああああッ!!」

 魂を震わす絶叫。その瞬間、空間が軋みを上げた。暗闇に亀裂が入り、隙間から光が漏れてくる。

「ははッ」

 最高に愉快だ。笑い声が出てくる。くだらない毎日を生きていく中ですっかり忘れかけていたが、俺はずっと冒険に飢えていたのだ。目を閉じれば、それだけでいくらでも思い出せる。

 夏の日、入道雲、麦藁帽子。秘密基地、暗号、チャンバラごっこ。隣街まで自転車に乗って出かけるだけで大冒険だった日々。

 子供の時の思い出は、まるでキラキラと光る宝石の数々。輝きは何年経っても色褪せることはないのだ。子供から大人になった今でも、俺の本質はあの頃と変わらない。

 俺だけじゃない。きっと本当は大人は誰だって同じだろう。みんな、見た目だけは大きくなったかもしれないが、芯の部分は冒険を求める子供のまんまに違いないのだ。

 再び何かが始まるという予感があった。今や俺の心の中の霧は完全に取り除かれていた。暗澹とした悩みは吹っ飛び、晴れ晴れとした気分だ。生まれ変わったような気分とは、こういうものを言うのかもしれない。

 ふと、俺を見て誰かが笑ったような気がした。

 曖昧だった世界は、壊れた硝子細工のように音を立てて砕け散る。現と幻の境界は破られた。

 予感は確信へと変わっていく。

 粉々になった世界の欠片はビデオテープの巻き戻しのように急速に再生される。あの懐かしくも素晴らしい、もう一つの世界が構築されていく。

 一度は失ったはずの色が、そして世界が──今俺の目の前で鮮やかに蘇る。さぁ、大冒険の再開だ。





 頬を撫でる冷気。辺りの景色は、アパートから氷の館へと戻っていた。

「ユート、目を覚ましたのね!?」

 優しい声が降り注ぐ。俺の頭上には、涙を浮かべたベラの顔があった。後頭部に当たる柔らかな感触から推測するに、どうやら俺は膝枕をされているらしい。

「ユート……。よ、かった……。もう、目を覚まさないんじゃないかって、私……」

 話しながらもベラの瞳にはどんどん涙が溜まり、やがて安心したことで緊張の糸が切れたのか堰を切ったように嗚咽を漏らしながら号泣する。ベラは何度もしゃくり上げながら「ユート、ユート」と俺の名前を連呼した。

 なんだか気恥ずかしくなったが、照れている前にこれだけは伝えたかった。

「えっと……ただいま」

 本当はもっと気の利いた言葉があるのかもしれないが、今の俺はこの言葉を一番言いたかったのだ。

 ベラは涙で顔をくしゃくしゃにしながら、

「おかえりなさい」

 と、肩を震わせて微笑んだ。



[4690] 第20話
Name: 例の人◆9059b7ef ID:dbf3a8c8
Date: 2009/12/04 22:15
 ベラは俺を膝に抱えたままで、端正な顔を崩してまるで赤子のように泣きじゃくる。大きな目から溢れる涙は止まることを知らない。その姿からは、心の底から俺を心配してくれていたことが伺えた。

「ユートぉ……。本当に……本当に……生きてて、良かった……」

 何度もしゃくり上げながら、大粒の涙を流し続けるベラ。

「ベラ……」

 心配してくれたことはありがたいし、後頭部に感じる太ももの感触も柔らかいし暖かくて大変気持ちいいんだが……。

「あの、ベラさん」
「ぐすッ。な、何よ急に改まって?」
「その、大変言い難いのですが、涙やら鼻水やらが俺の顔に……」
「……え?」

 後頭部は気持ちいが、顔面の感触は激しく気持ち悪い。なんだこの複雑な感情。

 現在進行形で俺の顔面へと滝のように降り注ぐベラの涙と鼻水。よだれも混じってるやもしれぬ。感動の再会のはずが台無しだ。

 一応ベラの容姿は美少女にカテゴライズされるので、ある種の性癖の人からすれば垂涎物の状況なのか? しかし、俺にはそんな特殊な性癖はないので嬉しくもなんともない。

 ちなみに俺の頭はがっちりとベラの手によって膝の上でホールドされているので、逃げたくても逃げられないという。

「あ、ご、ごめんなさい!?」

ベラはようやく自分の状況に気付いたのか、俺の頭を膝の上から慌ててどけて──。

「ちょ、ベラ、待……」

 ああ無常。静止の声は届かない。ベラは俺を冷たい氷の床の上へと放り出した。

 慣性の法則に従って落下していく俺の頭部は、当然のことながら硬い床へと激突する。突然すぎて受身を取ろうという考え事態思いつかなかった。

 ゴン、という鈍い音。ハンマーで殴られたような衝撃と痛みが後頭部を襲った。

「すげぇ痛ぇええッ! そして冷てぇええええッ!!」

 目から星を出しながら、俺は頭を抑えて床の上を転がりまわるのだった。

「ああッ、ユートが!?」
「転がってたら更に冷たくて痛ぇええええ!!」

 色々あってこちらの世界に戻ってこれた俺だったが、幸先は締まらないものとなってしまった。

 ──まぁ、ある意味で俺らしいと言えるのかもしれないが。





 気の済むまで氷の床を転げまわった後、俺は起き上がるとベラと向かい合っていた。

「ほら、ハンカチ貸すから、いつまでも泣いてないで涙を拭いてくれよ」
「べ、別に泣いてなんかいないわよ。……ハンカチは借りるけど」

 ツンデレか? これが噂に聞くツンデレなのか?

「めっちゃ泣いてたくせに」
「何か言ったかしら?」
「いえ、別に」

 ベラは俺からハンカチを受け取ると荒っぽく顔をこすって涙を拭き、そして最後に止めとばかりに鼻をかんだ。

「ああ、すっきりした」
「おい……」
「あ、ハンカチ返すわね、ユート。どうもありがと」
「……どういたしまして」

 俺はべちゃべちゃでぐちょぐちょになったハンカチを返してもらった。

『ユートはエルフが鼻をかんだハンカチを手に入れた!』

 ……って、やかましいわ! 何の役に立つんだよそのアイテムは!

「ユート、変な顔してどうしたの?」
「いや、もういいです……」

 とりあえず道具袋にハンカチを格納(隔離?)すると、改めてベラに向き合う。

「それで、話を聞かせてくれないか。俺はてっきり死んだと思ったんだけども」
「死んでたわよ。すごい量の血が出てたし、心臓も止まってたし」
「……え?」

 呆けた声で返してしまった。

「ちょ、ちょっと待ってくれ。俺は本当に死んでたのか? いや、そもそも雪の女王はどうなった? あれ? そういえばリュカとベラもやられてなかったか?」
「質問が多いわねぇ。落ち着きなさいよ」
「ご、ごめん」

 ベラに諌められた俺は、大きく深呼吸をした。冷たいが新鮮な空気が肺を満たしていく。うん、少しだけ落ち着いた。

 やはり自分が死んでいたとはっきり告げられると、分かっていたとはいえショックだな。

「落ち着いた?」
「ああ、悪かった。もう大丈夫だ。とりあえず順を追って話してくれないか?」
「分かったわ。そうね、まずはユートがやられた後だけど、簡単に言うとリュカが怒ったの」
「つまり、やられた俺を見てあいつはキレたのか?」
「そうとも言うわね」
「またか……」

 レヌール城の時もそんな展開だった気がする。あれ、あの時は俺が煽った結果だったか? あんまり覚えてないんだよなぁ。

 にしても、ピンチになると覚醒するとか、どこの主人公だよ……って、リュカは正真正銘の主人公か。

「本当に凄かったわよ。私なんて動けるようになるまで時間がかかったのに、リュカは倒れたユートの姿を見たら、あっという間に立ち上がって一方的に猛反撃して。こう、ビュンって走って、杖でビシーッってやって!」

 大げさな身振り手振りでベラが語ってくれる。

「なるほど。確かにあいつならやりかねん」
「それで、そのまま戦いながら別の部屋に行っちゃったわ。あ、それとあのキラーパンサーの子供も動けるようになったらすぐにリュカを追いかけて行ったわよ」
「そうか……」
「見た感じ、リュカの方が優勢だったから雪の女王を任せて、私はユートの治療をすることにしたの」
「そこだよ。そこが聞きたかった。俺はどうなったんだ?」
「どうって……。だから、死んでたわよ」
「いや、そうじゃなくて。そこからどうやって俺は生き返ったんだ? もしかして、ベラは蘇生呪文とか使えるのか?」

 ザオラルとかザオリクとか、もしくはエルフなだけに精霊の歌的な。

「私は蘇生呪文なんて高度な魔法は使えないわ。使ったのは、世界樹の葉よ」

 ベラの口から出た単語は予想外のものだった。

「え? 世界樹の葉……って、あの有名な?」

 世界樹の葉。それはドラクエ世界でも有名なアイテムの一つである。使えば確実に死んだ仲間を蘇らせることができるが、その特性故に希少価値が非常に高い。まさか、ベラがそんなとんでもアイテムを持っていたとは。

「有名かどうかは知らないけど、ユートの想像通りの物で間違いないと思うわよ」
「なんでベラがそんな物を持ってたんだ? 俺はよく知らないけど、高価な物なんだろう?」
「我が家の家宝みたいな物よ。先々代の……先々々代だったかしら? とにかく、ずっと昔に、ポワン様よりもずっと前の代の女王様に頂いた物らしいわ。何かあった時のために、お守り代わりに持ってたの」
「そんな家宝を使わせてしまって、申し訳ない……」
「別にいいわよ。偶然持ってるのを思い出して、物は試しとやってみただけだから」
「物は試しって、そんな実験台みたいに言わなくても」
「仕方ないじゃない。何度ホイミ使ってもユートは起きないし、それしか方法がなかったんだから」

 そりゃまぁ、完全に死んでたらホイミは効果ないよなぁ。ベラの家宝に感謝しなくては。

「それにしても、効果があったってことは本物の世界樹の葉だったのねー」
「本物って……。ベラの家の家宝だったんだろ?」
「だって昔から家にあったけど、エルフは争いごとなんて嫌いだから使うような機会もないし」
「それはそうかもしれないが……」
「まぁ、ユートが無事だったんだから細かいことはいいじゃない。ユートが生きててくれるんなら、家宝なんてどうでもいいわ」

 そう言ってベラははにかみ、一瞬、見惚れてしまいそうな笑顔を見せる。

 不意打ちすぎだ。なんて笑顔しやがる。

 頬が熱くなったのを感じた俺は思わず、気恥ずかしくなってそっぽを向いた。

「ユート、どうしたの?」

 小首を傾げて、少しだけ不安そうな目で俺を見るベラ。くそ、結構可愛いじゃないか。そのポーズは反則だぞ。

「そ、そうだ。俺はもう大丈夫だから、リュカの加勢に行かないと!」

 俺は照れを誤魔化すように、話の矛先を変える。

「そうね。リュカも気になるし、合流しましょうか」
「ああ。戦いは水物だし、優勢だった場合でも簡単にひっくり返ることも多いしな」
「そうなの? リュカが圧倒してたような気がしたけど」
「それでも、あいつはまだまだ子供だよ。何があるか分からない」
「なるほど……って、そういうユートも子供でしょ!」
「まぁ、一応は」
「一応って何よ」

 実は中の人は大人です。

「そもそも、ベラだって見た目は子供と変わら……」
「な・に・か、言ったかしら!?」
「いえ、なんでもありません!」

 ベラの背後から怒気による黒いオーラが見えたような気がしたので、俺はそれ以上言うのを止めた。藪をつつくような真似は危険だ。蛇より怖いものが出てきそうだ。

「ほら、何をぐずぐずしてるの? 早くリュカの元へ急ぐわよ」
「へーい」

 急かす声に促され、俺はベラのすぐ後ろに続くようにして部屋を移動した。

「それにしても、すごいなこれは」
「リュカったらあんな小さな体のくせして、激しい戦い方をするのねぇ」

 移動中に館を見回してみたのだが、壁から床までそこら中に戦いの傷跡らしき物がちらほら。ツルツルだった氷の床は小さなクレーターだらけ。壁には亀裂が入り、隙間からは外の雪が舞い込んでいる。リュカよ、お前はどこぞの戦闘民族か。

「んー?」

 ふと俺は、足元に違和感を感じて立ち止まった。小枝を踏み潰したような感触が足の裏にあったのだ。

「ユート、どうしたの?」
「いや、なんか踏んだような」

 靴をどけてみると、そこには根元が砕けた細長いつららと、その破片が。よくよく見ると、リュカが戦いの最中に雪の女王の攻撃を防いだのだろうか、辺りには折れ曲がった小型の氷柱が散乱していた。

「本当にとんでもないな。あれを防いだのか」

 俺なんて防ぐどころか、一発刺されただけで文字通り昇天してしまったというのに。

 弱いなー、俺。スペランカー先生並だよ。今に始まったことじゃないが、レベルはいつ上がるんだろう。

「いや、待てよ……?」
「ちょっとユート?」

 脳裏に天啓がひらめく。

 俺は一度死に、そして奇跡的に復活を果たした。古来よりそういった者には新たな力が宿ることが多い……らしい。

 つまり、俺にも主人公的なパワーが!? その可能性は高いはずだ、うん。

「おいおい、ようやく俺の時代が来たのか。むしろ、時代がやっと俺に追いついたのか」
「ユート、さっきから立ち止まったまま何をブツブツ言ってるの? ねぇ、私の話聞いてる?」

 今まで魔法が使えなかった俺も、今日からついに使えるように? それとも特技のような感じで、手から真空の刃を出したりとか? おおう、楽しみだ。夢はどこまでも広がっていく。

「フ……フフ……」
「ユ、ユート? 今度は笑い出してどうしたの……?」

 まずは実験だ。

「波あッ!!」
「きゃあッ!? な、何よ、急に大声出さないでよ!?」

 俺は両腕を勢いよく前に突き出して叫んだ。

 ……しかし、何も起こらなかった!

 真空の刃も、電撃も、いてつくはどうも出なかった。しかし、まだ俺には魔法がある。

「メラ! ギラ! バギィィイイ!」
「何よ、なんなのよ! 何がしたいのよ!?」

……しかし、何も起こらなかった!

「失敗か……」
「意味分かんないわよッ!!」

 顎に手を置き、ニヒルに呟いた俺の後頭部をベラの手刀が襲った。手刀で叩いたのに、何故かスパーンという小気味のいい音が鳴った。

「……痛いじゃないか」
「うるさいわよ! あなたさっきからわざと私のこと無視してたでしょう!?」

 あ、バレてた。 

「いやー。なんか生き返ってからシリアスな雰囲気が多かったから、緊張をほぐそうかと。ごめんごめん」
「なんかムカつくわね……」
「そう怒らないで。あーあ。それにしても、やっぱり俺は魔法は使えないままか」

 どうせ魔法も特殊能力も、そんな都合よく使えるようになるわけないしなー。一応実験的にお約束通りのノリでやってはみたけれど、結果は失敗だったし。

「ユートは子供っぽいのか大人っぽいのか、時々分からなくなるわ……」 
「俺は子供だよ。中身がどうであれ、本当の意味で大人になりたいと思ってる限りは、まだまだ子供だと思うよ」
「また意味分かんないこと言ってるわね」

 本心を言ったつもりなんだが、ベラには意味が通じなかったようで怪訝な顔をしている。どうも煙に巻いた形になってしまったらしい。

「でも、やってることは無茶苦茶でも、前よりは少しだけ落ち着いた感じがしないでもないわね。気のせいかしら?」
「そうなのかな? 自分ではよく分からないけども」
「ま、いいわ。今度こそさっさとリュカと合流するわよ」
「ああ、了解」

 さすがに寄り道が過ぎたのを自覚した俺は、ベラの言葉に素直に頷いてその場を後にした。





 戦いの跡を辿っていくと、ほどなくしてリュカに追いつくことができた。

 できたのだが──。

「グググググ……! ああ、身体が熱い……。ぐはあッ!」

 局面はすでにクライマックスを迎えようとしていた。

 氷床の上にその身を横たえ、断末魔の声を上げる雪の女王。そして、それを冷たい目で見下ろすリュカと、その傍らで毛を逆立てて低く唸るゲレゲレの姿。

 一目で理解できるような、勝者と敗者の図がそこにはあった。

「グ……。おのれ、人間……風情、が、この、私……」
「──バギ」

 相手の言葉を遮り、ポツリとリュカが呟く。その手に掲げた樫の杖の先から、空気を切り裂く風の刃が飛び出した。

「ギャアアアアアアアアアアッ!?」

 美しかった顔を醜く歪め、雪の女王が激しく身を震わせた。豪奢なドレスはずたずたに引き裂かれ、深雪のように白かった肌は赤く染まる。

「私、は……」

 もはや虫の息という体だが、それでも怨嗟を込めて雪の女王は声を上げる。そこにあるのは、女王と自負する己への矜持か、それともただの悪足掻きなのか。

 リュカは、何も答えない。

「私は雪、の……女……王」 

 雪の女王は何かを掴むように、何も無い宙に向かって震える手を伸ばそうとして──。

 そして、途中で力尽きたのか緩慢な動作で腕を下ろした。

「あぁ……」

 溜め息のような、呟きのような声。それが雪の女王の最後の言葉だった。一体何を言おうとしていたのか。いや、もしかすると言葉に意味などなかったのかもしれない。

 ぴくりとも動かなくなった雪の女王の身体は、やがて雪解けの水のようにさらさらと音もなく崩れていった。

 その様子を無言で見守っていたリュカだったが、

「ユート、かたきはとったよ」

 唇をかみ締め、搾り出すようにして声を出した。まるで、そこにいない誰かに話しかけるように──。

 黄昏たその背中は、少年から青年へと成長している途中のようにも見えた。

「いやー、お疲れさん」

 そんな全ての空気をブチ壊して、俺はリュカに背後から声をかけたのだった。




[4690] 第21話
Name: 例の人◆9059b7ef ID:dbf3a8c8
Date: 2009/12/13 00:59
 ぽかーんという擬音が聞こえてきそうだった。

「……え?」

 目をまん丸にしたリュカは、俺の姿を見て硬直していた。

「あれ? え? うそ? なんで、ユートが、あれ?」

 リュカは混乱している。

「だって、ユートはあのとき、しんじゃって、え?」

 リュカは混乱している。

「ちょっと、ユート。リュカが驚いてるでしょ。もっと早くに声をかけてあげなさいよ」
「いや、なんか雰囲気的に手を出し辛かったというか、なんというか。シリアスすぎるのは苦手というか」
「薄情なのねぇ……」
「面目ない」

 混乱しているリュカの隣で、ベラと益体も無い話をする俺。

「ガウッ!」
「おお、ゲレゲレ! お前も頑張ったみたいだな。さすがは地獄の殺し屋だ」

 俺の足元で千切れんばかりに尻尾を振るゲレゲレの頭を軽く撫でてやる。

「にゃおーん」

 ゲレゲレは甘えた声を出すと、幸せそうに目を細めた。本当に猫だな、こいつは。

「ユートは、でも……目のまえに、でも……」

 リュカはまだ混乱している。俺という存在は、相手を混乱させる魔法のメダパニ効果があるのだろうか。

「おい、いい加減に正気に戻れ」

 リュカに近付き、頬をぺちんと平手で叩いてやる。

「あ、ユート……? ほん、もの?」
「混じりっ気無し、純度100パーセントの本物だぞ」
「あ、ああ……」

 焦点の合っていなかったリュカの瞳が、ゆっくりと元へ戻っていく。

「い、生きてたのユート!?」
「ああ、なんとかな。ベラのおかげで奇跡の復活だ」
「うああああああああああん!!」

 泣きながら俺へと向かってリュカが突撃してきた。

「おっと」

 一瞬、野郎の抱擁は御免だとばかりに反射的に避けそうになってしまったが、さすがに今回ばかりは空気を読んでされるがままに任せる。

 リュカは床を勢いよく蹴って俺の胸に飛び込んできた。思わずむせてしまいそうになるくらいの衝撃だったが、なんとか抱きとめてやる。

「ユート……。ぼく……」
「あー、その、泣くな? 男の子は簡単に泣いたらいけない……というのが、世間では常識らしいぞ」
「でも、でもぉ……」

 俺の服を掴んだまま、わんわん泣き続けるリュカ。困った俺はどうすればいいのか分からず、視線を宙にさ迷わせる。

 すると、こちらを微笑ましそうな顔で見ていたベラと視線がかち合った。

「ベラ、なんとかしてくれ」
「しょうがないわね」

 ベラは苦笑しながら、リュカを優しく俺から引き離してくれた。

「ほら、ユートも言ってたでしょう? リュカも男の子なんだから。そろそろ泣き止みなさい」
「……うん」

 リュカはぐしぐしと服の袖で目元をこすって涙を拭い去ると、泣き明かした真っ赤な目で、俺をじっと見据えた。

「えへへ。ユート……おかえり」
「ああ。ただいま、リュカ」

 おかえりとただいま。当たり前の挨拶の応酬。

 泣き笑いのリュカの顔を見て、俺は自分が再びこの世界に戻ってきたことを改めて強く感じたのだった。

「さて、と。結局リュカには加勢はいらなかったみたいだな」
「リュカったら子供なのに凄いのね。私もユートも後ろで見てるしかなかったわ」
「すごいのかなー? ぼくは、ふつうだとおもうけど」
「いや、普通じゃないと思うぞ。まぁそれはともかく」

 人心地ついたので、みんなとこれからのことを考える。

「黒幕っぽい雪の女王は倒したし、後は春風のフルートを取り戻すだけかな」
「あ、そうよ、フルートよ! フルートはどこにあるの!?」

 にわかに色めき立つベラ。

「うーん。ゆきのじょうおうって人はもってなかったよ?」
「なら、一体どこにあるの!?」
「ザイルが持ってるんじゃないか?」
「ザイルはどこにいるのよ!?」
「いや、俺に聞かれても困る」

 俺、死んでたし。

「俺が死んでた部屋でまだ気絶でもしてるんじゃないのか?」
「死んでた部屋って……。あの部屋からは、ユートの治療中にザイルはいつの間にかいなくなってたわよ」

 ふむぅ? ザイルは目を覚ました後、雪の女王が怖くなって逃げたのか?

「なぁゲレゲレ。ザイルはどこにいるか分かるか?」

 駄目元で、お座りしていたゲレゲレに聞いてみる。

「ガウッ!」

 ゲレゲレは返事をするように、元気よく鳴いた。その後、小走りで館の奥へと駆けていく。

「ユート! ゲレゲレはザイルのいる場所知ってるんだって! あっちだよ!」

 ゲレゲレの言葉を翻訳してくれたリュカに、何故理解できるのかなど色々とツッコミたい衝動に駆られたが我慢。

 俺とベラは一瞬だけ顔を見合わせると、ゲレゲレの後を慌てて追う。

 ゲレゲレは普段の躾の賜物か、俺達が追いついてこれるように時々立ち止まりながら進んでくれたおかげで見失う心配はなかった。

 やがて、館の最奥部らしき小部屋の前でゲレゲレは立ち止まると、こちらへと振り返った。

「ここにザイルがいるのか?」
「ガウッ!」

 ゲレゲレがそうだと言わんばかりに、一際高い声で鳴いた。どうやら、ここで間違いないようだ。

「では、行くか。みんな、気を付けろよ」

 俺達は一番戦闘能力の高いリュカを先頭に、ゆっくりと部屋の中へと進んだ。

 一度倒して和解した相手だろうと万が一のこともある。やっぱり気が変わったなどと言われて、再度襲われた場合はたまらない。

「お、なんか少し変わった部屋だな」

 俺は辺りを見回しながらそう思った。

 館内の他の部屋と同じように、床の全面には氷が敷き詰められている。だが、一箇所だけこれまでとは違う点があった。部屋の中央に大きな石台が置かれており、その上には一際目を引く煌びやかな宝箱。

 そして、宝箱を守るような位置取りでローブを身に纏った小柄な人影の姿も見えた。間違いない、お目当ての人物だ。というか、目の部分だけ出した頭巾に、全身ローブ装備という、あんな特徴的な姿は間違えようが無い。

「あ、ザイルだ! ザイル、ぶじだったんだね~!」

 ザイルを視界に入れたリュカは、その名を呼びながら躊躇のない足取りで石台へと近寄っていく。それに気が付いたのか、俯いて下を向いていたザイルが顔を上げた。

「おい、ちょっと待……。あーあ、行っちまった。気を付けろって最初に言ったのに」

 俺の制止の声はリュカの耳には届かなかったようだ。ちょっとは警戒しようよ、リュカ君。

「ユートは心配性ね。子供の内からそんなに悩んでばっかりだと、大人になって苦労するわよ」

 隣に視線を滑らせると、ベラがやれやれといった表情で首を振っていた。

「ベラは楽観的すぎるんじゃないか?」
「いいの。リュカならそんなに気にしなくても、きっと大丈夫よ」
「なんでそう思うんだ?」
「女の勘よ」
「女のって……。プッ」

 俺はとりあえず鼻で笑ってやった。そういう台詞は、もうちょっと女らしい身体になってから言えと。具体的には、酒場のバニーさん並に。ベラさんったら、凹凸のほとんどない胸で偉そうに。

「ちょっとユート! なんで笑ってるのよ!?」
「いやいや他意はないですよ。ちょっと笑いたい気分になっただけで」
「なんだか馬鹿にされてる気がするわね……」
「断固として気のせいです」
「気のせいには見えないけど……。あら、リュカ?」
「ん、リュカ……と、ザイルも?」

 俺とベラが馬鹿話をしている間に、リュカとザイルの話は終わっていたらしく、いつの間にか二人は俺達の前に来ていた。どうやら、当初の心配は杞憂だったらしく、本当に何事もなかったようだ。

「ねぇ、ユートのおはなしはおわった?」
「お前ら、話が長いな」

 若干呆れたような目で、小柄な二人組が俺達を見ていた。

「えーと……。二人とも、話は終わったのか?」
「うん、おわったよ。ザイルはちゃんとわかってくれたよ」
「そうなのか?」

 リュカの言葉に、俺はザイルに目を向ける。

「まぁな。リュカから全部話は聞いたよ。雪の女王様って悪いやつだったんだな。俺、騙されてたみたいだなぁ……」
「きちんと反省してるんなら、許してあげないこともないわよ?」
「……まぁ、なんだ。その、悪かったな」

 ベラに向かって若干の不満を眼に添えながらも、ザイルは素直に謝った。

「うむ。これにて一件落着ってか」
「ユート、いっけんらくちゃちゃ……ってどういういみ?」

 リュカが訝しげに問い返してくる。

「落着な。全部終わったって意味だよ」
「うーん? なるほど?」

 疑問系で納得するな。お前、本当は分かってないだろ。せっかく締めようと思ったのに、ままならないなぁ。

「あ~~~~ッ!?」

 突如、何の前触れもなくザイルが咆哮した。館内に反響した声が、ぐわんぐわんと木霊する。

「急にうるさいわよ!」
「痛えッ!?」

 ベラに拳骨で頭を叩かれたザイルが涙目で悲鳴を上げる。ザイルの頭からは、かなりいい音がしたので会心の一撃だったかもしれない。肉体派エルフ、ここに在り。

「ベラ、拳骨はやりすぎじゃないのか?」
「いいの! 急に耳元で叫んだこいつが悪いの! ぐすッ……す、すっごくびっくりしたわよ!!」

 何故かベラまで涙声で怒っていた。

「なんでそんなに怒ってるんだ? あと、泣いてるのか?」
「エルフの耳は繊細なの! それに……な、泣いてないわよ!!」

 相変わらずの涙声でベラが怒鳴る。

「エルフの耳……?」

 ベラの耳は、特徴的な大きな尖った耳。

 ……あー、なるほど。耳が大きいだけあって、拾う音も大きいのか。高性能なのも考え物だな。

 高性能な耳といえば、ゲレゲレも獣っ子なだけに高性能なんじゃないか? そう思った俺は、ゲレゲレは大丈夫なのかと姿を探してみたが、いつもは足元に控えている姿が見えない。

 はて、どこへ消えたと思い辺りを見回してみると、部屋の隅の方で丸くなってあくびをしているのを発見。話が長くなったから暇だったのだろうか。

 まぁ、無事ならいいか。話を戻そう。

「んで、結局ザイルはどうして大声出したんだ?」
「……あ、そうだった。そうだった!」

 殴られた箇所を痛そうに押さえていたザイルが、はっとした声で言う。

「ままま、まずい、まずいぞ! 絶対じいちゃんに叱られる! は、早く帰らないと!」

 顔全体を隠した頭巾のせいで表情は分からないが、震える声から察するにザイルは今、きっと青い顔をしているんだろう。

「俺はもう帰るから!」

 そう言って慌ててその場を去ろうとするザイルだったが、ベラが待ったをかけた。

「ちょっと! フルートはどうしたのよ!?」
「春風のフルートなら、そこの宝箱に入ってるぜ! ちゃんと返したからな。じゃあな!」

 ザイルは自分の背後の宝箱を指差すと、それで用は済んだとばかりに脱兎のごとく走り去ってしまった。

 誰も、止める間もなかった。後に残された俺達は、所在無く佇むのみ。しばらくの間、呆然とした空気が辺りに漂っていたが、

「これにて、いっけんらちゃらく!」

 リュカが胸を張りながら自信に溢れた表情で、そう宣言した。

「だから落着な」

 俺が呟いた訂正の言葉は、氷の館の冷気に混じって消えていった。





 膝に乗せた小さな笛に一瞬目をやった後、ポワンは静かな声で俺達に語りかけた。

「──確かに。これぞ、我らがエルフの宝、春風のフルート」

 フルートを取り戻した俺達は、妖精の村にある城の玉座でポワンに謁見していた。

「ベラ、ユート、リュカ。それに──魔物の子はゲレゲレでしたね。みな、ご苦労様でした」
「わ、私はただ当たり前のことをしただけです!」

 ポワンの言葉に、照れているのかベラが慌てふためいている。

「フフ……。ベラはもう少し自分に自信を持ったほうがいいかもしれませんね。あなたはそれだけの大事を成し遂げたのですから」
「わわわ、私などのためにそのようなお言葉を……」

 ポワンは、あわあわ言ってるベラを見ながら、涼やかな顔のまま口元に微笑を浮かべていた。

「ユート、リュカ。二人の小さな戦士様。あなた方には子供の身でありながら、世話をかけてしまいましたね」
「どうも」

 俺は短く返事をするだけに返したが、

「ううん。ぼくはただ……」

 リュカは言葉を区切り、わずかに顔を伏せる。だが、すぐに顔を上げて言葉を続けた。

「ポワンさま。どうか、みんなでなかよくできるようにがんばってください」

 リュカの言葉に、ポワンは驚いたのか目を見開いた。

「ちょ、ちょっとリュカ、急にどうしたのよ?」
「いいのですよ、ベラ。リュカの話を最後まで聞きましょう」
「……分かりました」

 ふてくされた顔で、ベラが黙る。

「リュカ。あなたはどうしてそう思ったのですか?」
「えっと、そとでベラがほかの人とけんかしてるのを見て、でも、ぼくはゲレゲレとはなかよしだし、ザイルとだってお話したらなかよくなれたし、ベラもいい人だし、えっと、だから、えっと、その……」

 リュカは頭から湯気が出そうな顔をしながら、舌っ足らずな言葉で話す。

「えっと、とにかく、みんななかよくできるはずだから、がんばってください!」

 そして、そのまま強引に話を完結させた。

「リュカ。あなたは優しい子ですね」

 ポワンはリュカの話を理解したのか、優しく微笑んだ。リュカの想いは伝わったようだ。

「非才な身なれど、私はこの国の女王。私の命が続く限り、みなが仲良く暮らせるようにがんばりましょう」
「うん!」
「もう。リュカは仕方がないわね」

 女王を相手でも物怖じしないリュカに、ベラが苦笑している。

「さてと、フルートは戻ったことだし……。そろそろ二人は元の世界に帰らないとね」
「あ、そうだった! お父さんとサンチョがしんぱいしてるかも!?」

 ベラに言われて、初めて気付いたのかリュカが慌てだした。

「あの、帰る前にポワン様に一つ聞きたいことがあるんですが」

 俺はふと、思いついた疑問があったので聞いてみることにした。

「あら、なんでしょうかユート?」
「俺って、魔法は使えないんでしょうか?」
「魔法……ですか?」

 このドラクエ世界に来てから、ずっと悶々と悩んでいた疑問だ。レベルもさっぱり上がらないし、そろそろ魔法が使えるかの有無をはっきりさせておきたい。

「ふむ……」

 ポワンは目を細めると、俺の中の何かを見通すようにじっとこちらを凝視した。絶世の美女であるポワンの整った顔が、俺へと向けられている。

 ……美人にそんな風に見つめられると、正直ちょっと照れる。

「あの、どうでしょう?」
「そうですね……」

 やがて、ポワンは少し言い辛そうに口を開いた。

「残念ながら、今のあなたには魔法力はないようですね」
「あ、そうですか」

 魔法力はマジックパワー。略してMP。それが俺にはない。つまり、俺はどう頑張っても魔法が使えないということだ。

 あぁ、やっぱりなー。薄々は分かっていたが、はっきり聞くとちょっとショックだ。必死になって呪文の名を連呼していた過去の俺はなんだったのだろう。アホの子?

「はぁ……」

 うな垂れる俺だったが、

「魔法は使えないかもしれませんが、ユートには何か他の者とは違う何かがあるように感じます」
「何か、ですか?」
「はい。それが何なのかは分かりませんが」

 何かと言われても、曖昧すぎてどうすればいいのやら。まぁ、確かに普通とは違う身の上なのは間違いないのだが。

「わざわざすいませんでした」
「いえ。こちらこそ期待を裏切ってしまってごめんなさいね、ユート」
「あ、いや、その……」

 なんだか、こちらが悪いような、申し訳ない気分になってくる。

「なんだ。ユートったら、魔法が使えないことを悩んでたの?」
「俺も使えたら嬉しいなー、みたいな?」
「魔法が使えなくったって、ユートはユートでしょう?」
「そんなもんかな」
「そんなもんよ」

 気休めみたいなやり取りだったが、ベラの言葉は自然と俺の胸に入って気持ちを楽にさせた。

「──ポワン様、そろそろ」

 玉座の傍らに控えていた侍女らしきエルフが、そっとポワンに耳打ちをする。

「今度こそ時間のようですね。ユート、リュカ。もしもいつの日か、何か困ったことができたならば、再びこの村を訪ねていらっしゃい。私の名に誓って、必ずや力になりましょう」
「ユート、リュカ! あなた達のことは絶対忘れないわ! だからあなた達も、私のことを忘れたりしないようにね! 絶対よ、絶対!」
「ぼくはわすれたりしないよ! ユートだってそうだよね?」
「おう、もちろんだ」
「ゲレゲレもわすれないよね?」
「ガウッ!」

 あ、ゲレゲレ。お前もいたのか。相変わらず、大人しくしてると影が薄いね、君。

「さぁ、名残惜しいですが、お別れの時です」

 ポワンは膝の上から春風のフルートを手に取ると、そっと唇に当てた。

 フルートからは、澄んだ音色がゆっくりと紡がれてくる。その音色は、まるで雪を溶かす春の訪れのように儚く、そして優しかった。

「あ……」

 リュカが何かに気付いたように顔を上げた。俺も釣られるように視線を宙にやると──。

「これは……桜か……?」

 巨大な切り株をくり抜いて作った妖精の城。枯れ果てた枝葉の束しか見えなかった外周からは、いつの間にか青々しい若葉が芽吹き、あっという間に大きくなった先端の薄桃色の蕾は辺り一面に満開の花を咲かせていた。

 春風のフルートに呼応したのだろう。妖精の国には、今まさに春がやって来たのだ。

「うわぁ、すごいや……」
「そうだな……」

 首が痛くなるのも忘れて、頭上を仰ぎ見る俺とリュカ。目に映るのはどこまでも続くような桜の乱舞。風に吹かれ、目の前に花びらがはらりと落ちる。幻想的な光景がそこにはあった。

「わッ!?」
「なんだ!?」

 一瞬、風が強くなり、俺とリュカは目を閉じる。

「あれ?」

 次に俺達が目を開けると、そこはすでにサンタローズの自宅にある地下室だった。地下室特有の湿り気のある空気と、カビの臭いが鼻をついてくる。

「もどってきたんだね、ユート」
「ああ、そうだな」
「ガウッ!」

 あ、ゲレゲレもちゃんと戻ってたのね。

「さて、怒られないうちにパパスさんに顔を見せないと。行くぞ、リュカ」
「あ、ユート、おいてかないでよ~!」

 こうして、色々あったが妖精の国での冒険は終わりを迎えた。

 ──俺の胸に、覚悟という名の僅かな疼きを残して。



[4690] 第22話
Name: 例の人◆9059b7ef ID:dbf3a8c8
Date: 2009/12/28 00:02
 サンタローズには春が訪れ、ようやく世間は肌寒い気候から解放された。人々は締め切っていた窓を開け放ち、着込んでいた服を減らし始める。

 にわかに沸き立つ村を尻目に、俺はパパス家の一室から動かずにいた。あの妖精の国での大冒険からは、早くも一週間が過ぎている。外に出て遊ぼうと声をかけてくるリュカや、構ってくれとニャーニャーうるさいゲレゲレを毎日適当にあしらい、俺は部屋の中でひたすらに考え事を続けていた。

 懸念事項は、今後に俺が取るべき行動についてだ。原作では妖精の国の次は、ラインハットでのイベントが始まる。この世界がドラクエⅤを基本骨子としているのは間違いないので、起こる事象も原作に追随するはずだ。

 ラインハットでの流れを大まかに思い起こしてみよう。

 まず、ラインハット王によりサンタローズ村から呼び出されたパパスは、紆余曲折の末に誘拐されてしまったヘンリー王子を単独で追跡。

 無事に発見してなんとか保護するも、パパスを追いかけてきたリュカをヘンリーと共に誘拐犯の黒幕であるゲマによって人質に取られて、手出しできずに殺されてしまう。

 その後、リュカとヘンリーはゲマ一味に連れ去られ、十年間の奴隷生活開始。

「うーむむむむ……」

 パパス家の二階。部屋のベッドに腰掛けながら、俺は顎に手をやって唸っていた。端から見ると、きっとさぞや気難しい顔をしていることだろう。もっとも、気難しい顔の幼児など見ても笑い話にしかならないが。

「このままラインハットに付いて行っても、俺が何もしなければ巻き込まれて奴隷生活は確定か」

 奴隷生活はご免こうむりたい。ペリカが配給されそうなタコ部屋生活で、元来インドア系の俺が肉体労働を続けるのは無茶すぎる。時々冒険する程度なら楽しめるが、死ぬか生きるかの日々を十年も送るのはお断りです。

「自分の安全だけに限れば、一番の危険回避方法はラインハットに俺が行かないことなんだよな……」

 パパスは死後、ヘンリー誘拐の汚名を着せられてサンタローズ村はラインハットの軍により襲撃されるはずだ。しかし、サンチョはその直前に村を出ていたらしいので、俺がサンチョの元にいれば同行させてくれることだろう。

「でも、それだけはできない」

 今更リュカ達を見捨てて俺一人の保身に走ろうとは間違っても思わない。倫理や道徳の問題ではなく、単純に俺が嫌だからだ。カルネアデスの板という、極限状況では人を見殺しにしても許されるという話があるが、それとは話が別。せっかく覚悟を決めて再び戻ってきた世界だ。どうせなら可能な限りハッピーエンドで終われるように、なんとか足掻いてみたい。

「となると、ヘンリーの誘拐を未然に防ぐ方法を考えるのがベスト……なのか?」

 誘拐が起こらない。そうなると、リュカも人質にならないしパパスも死なない。みんな幸せ。

 なんとなく、そんな三段論法もどきが頭に浮かんだ。

「よし、基本はこの路線で行こう」

 他にも、パパスをなんとか説得してラインハットに行かないようにさせるという方法もある。あるんだが、これは無理だろう。

 何せ、原作では大人になったリュカが未来を語って説得しても「予言や占いの類は信じない」と、パパスは一笑に付してしまったほどだ。息子ですら無理だったのだ。俺がいくら言ったところでどうにもならないに違いない。物は試しで、俺の正体を明かして正直に全て話すのは……止めた方がいいな。パパスなら信じてくれるかもしれないが、もし失敗して「ユートよ。きっとお前は疲れているのだ。しばらく休むといい」とか言われてサンタローズ村に置いていかれては敵わない。

 となると、ここはやはりヘンリーの誘拐阻止を第一に考えることとする。確か、ラインハットではヘンリーがかくれんぼで一人になったところを誘拐されてしまうんだよな。ヘンリーの側に、常に俺が控えておこうか? それともパパスを強引に部屋に入れるか?

 いや、それは無理か。子供時代のヘンリーは糞餓鬼という言葉を体現したような性格だったはず。どうせ難癖を付けて一人になってしまうだろう。拳を使用した肉体言語で強引にお話するという裏技的な考えもあるが、高確率で衛兵を呼ばれて捕まってしまいそうなので却下。兎にも角にも、王族の子供が本気で嫌がったら、平民側のこちらとしては従うしかない。パパスも本来なら対等とも言えるような王族なんだが、どうせ正体は明かさないだろうしなぁ……。

 なら、こっそりと監視するか?

 それも駄目だな。仮に誘拐犯が目の前に来ても、俺の実力では阻止できないだろう。なんとも情けないが、俺は弱いんだから仕方ない。

 城の人に助力を求めるのは?

 こいつも却下だ。子供の戯れ言扱いされて終わる可能性が高い。

「うーむむむむ……」

 俺の実力不足が憎い。せめてレベル上がれよ畜生。以前、一度村の教会を訪ねて神父さんに次のレベルまでのお告げを聞けないか試してみたことがあるが「は? レベルですか? レベルとは何です? 神からのお告げと、一体どういった関連が?」みたいに言われてしまったからなぁ。ゲームの中での当事者と、プレイヤー側の間には大きな壁があるようだ。

 おっと、話が逸れた。こうなったら、ラインハットではパパスにあらかじめ誘拐犯の存在を臭わせておくか? 怪しいやつらがヘンリーを狙っているから来てくれと言えば、きっと半信半疑でも付いてきてくれる……はずだ。リュカがヘンリーの相手をしている隙に、俺はパパスを連れてヘンリーの隠れ場所に先回りして監視。もし誘拐犯がやってきたら、パパスに全てを任せて倒してもらう。ひどい原作破壊だが、こっちだって命がけなんだから気にしない。

「うん。これがいいな」

 俺はその間、どこか隅っこの方でパパスを応援しておこう。邪魔にならないように。どうせ俺はモブキャラ程度の力しか持ってないんだ。下手にハッスルして目立つ真似をすると、死亡フラグに繋がってしまうからな。人間、分を弁えるのが一番だ。「ヘンリー王子は命に代えても俺が守る!」とか言って飛び出したりはしません。したくてもできません。

「ま、作戦はこんな感じでいいか」

 ここからは流れにまかせよう。誘拐さえ阻止できれば、きっと後はなるようになるだろう。俺が唯一持っているアドバンテージである原作知識が役に立たなくなっても、人が死ぬよりはずっとマシだ。

 そう考えた時、階段を誰かが上ってくる足音を耳が捉えた。

「ユート、いるか?」

 足音の主は、パパスだった。

「あ、パパスさん。どうしたんですか?」

 俺はベッドに腰掛けたまま、部屋へと入ってきたパパスの顔を見上げた。がっしりとした体躯に、立派な口髭の壮年の男性の姿が目に映る。長く伸びた後ろ髪を無造作に束ねた髪型は、リュカとお揃いである。

 思えば、飯時以外でパパスと顔を合わせるのは久しぶりかもしれない。剣の稽古をつけて貰うこともあるが、基本的にパパスは忙しいのでその時間も最近ではあまりなかったのだ。

「少し話があってな」

 パパスはそう言うと、近くにあった椅子を引き寄せ、俺と向かい合うように腰を下ろした。

「実は、ラインハットという国の王から手紙が届いてな。どうも、私に何やら相談があるらしい。しばらく家を空けることになるので、リュカを連れて行こうと思っているのだが……」

 そこでパパスは一旦言葉を句切ると、じっと俺の目を見つめた。俺は視線を逸らさずに正面から見つめ返す。パパスは何か納得したように軽く頷くと、話を続けた。

「……ふむ。ユートよ。お前も一緒に来るか?」
「ラインハットですか。俺も行ってもいいんですか?」
「うむ、構わんぞ。それよりも──悩みは解決したのか?」
「え、悩みってどうして?」

 思わず質問に質問で返してしまった。

「やはり図星だったか? ここのところ、部屋に閉じこもって何事かを考えていたようだったのでな」

 さすがはパパス。俺が悩んでいたことはお見通しだったらしい。

「ええ、確かに少し悩んでましたけど、もう大丈夫です」
「そうか。今回は自分で解決したようだな。ユートはリュカと歳が近い割に大人びているようだが、まだまだ子供だ。何かあった時は遠慮なく大人に頼るのも忘れぬようにな」
「分かりました。心配かけてしまってすいません」

 頭を下げると、パパスが苦笑した。

「やれやれ。そういう態度が子供らしくないと言っているのだ」
「ああ、ええっと……。それよりも、本当に俺も一緒に行っていいんですか?」

 俺が誤魔化すように言うと、パパスは不思議そうに首を傾げる。

「ん? 構わんと言ったはずだが。なんだ、遠慮しているのか?」
「いや、まぁ……」

 恐らく俺もラインハットに付いて来いと言われるだろうとは最初から薄々予感していたし、今後の計画的にもサンタローズに居残ることは避けたいとは思っている。だが、俺はこの家では居候の身の上である。一応は遠慮してしまうのは当たり前ではなかろうか。

「ユートよ。私は、お前のことは家族の一員だと思っている」
「パパスさん……」
「リュカと違ってあまり手はかからないが、ユートは私にとってはすでに、もう一人の息子みたいなものだ」

 まさか、そこまで思ってくれていたとは予想外だ。胸の奥が、じんと熱くなってくるのが分かる。元の世界では俺はすでに三十路前。下手すればパパスともあまり歳は変わらないかもしれない。それでも、息子扱いされて純粋に嬉しいと思ってしまった。

「俺も、パパスさんは父親みたいな存在だと思ってますよ」
「ほほぅ? ならば、いつでもお父さんと呼んでくれ。親父でもいいぞ?」
「いや、それはちょっと……」
「どうした、もしや照れているのか? わっはっは!」

 俺が困った顔をしているのが楽しいのか、パパスは大口を開けて豪快に笑った。そしてひとしきり笑い終えると、ふと気付いたように、

「何があったのかは知らんが、ユートは以前よりもいい顔をするようになったな」

 と、ぽつりと漏らした。

「いい顔、ですか?」
「うむ。男の顔になったぞ」
「成長したってことでしょうか? まぁ、俺は元々男ですけども」
「なるほど、それは確かにその通りだな。お前はれっきとした男だ。こいつは一本取られた。わっはっは!」

 再び笑い始めるパパス。この人の笑い上戸は筋金入りなのかもしれない。放置しておくといつまでも笑いが止まらなさそうだったので、俺は話題を変えることにした。

「ところで、パパスさんに質問があるんですが」
「わっはっは……うむ? 質問?」
「はい。聞いてもいいですか?」
「ああ。遠慮はいらんとさっき言っただろう」

 言ってたっけ? まぁ、いいや。話を続けよう。

「もし──もしもですよ? パパスさんが戦いの最中に大切な誰かを人質に取られ、手も足も出ないような状況に陥ってしまったらどうしますか?」

 今後の展開における最悪の状況を想定した質問だ。一応ここで聞いておけば、何かあった時に役立つかもしれない。

「難しい質問だな」

 パパスは真剣な顔をしてしばし考えた後、

「それは、話し合いではどうにもならない状況だと思っていいのか?」
「はい。交渉は無理な状況だと仮定してください」
「ふむ……」
「パパスさんなら、なんとかなりませんか?」

 一縷の望みを託して、聞いてみる。

「無理だな」

 だが、あっさりと無理だと断定されてしまった。

「戦いの最中に人質を取られてしまった時点でこちらの負けだ。戦術とは、そうなる前にどうにかするものであり、事が起こってしまった後ではどうしようもないのでな」
「そうですか……」
「まぁ、もし仮に私がそんな状況になってしまったとしたら──」

 パパスは言葉を選んでいるのか、少しの間宙に視線を泳がせる。

「私なら、せめて人質だけは無事に生かすために剣を捨てて投降するな。例えその後、この身が犠牲になろうとも、だ。せいぜい、それくらいしかできん」
「そう……ですか……」

 パパスらしい答えだ。だからこそ、何があってもリュカのことを守り通せたのだろう。

「ユートの満足のいく答えではなかったか?」
「あ、いえ。十分参考になりました。ありがとうございました」
「うむ。ならば良かった。それで……結局、ユートはラインハットまで一緒に来るのか?」

 あ、そうだった。話に夢中でまだ答えてなかったのをすっかり忘れていた。

「気が進まぬのなら、無理にとは言わんぞ。サンチョを一人ここに残していくのも心苦しいと思っているのでな」

 気を遣ってくれているのか、パパスからの言葉は控えめだ。だが、俺の答えは最初から決まっている。

「俺も行きます。行かせてください」
「おお、ずいぶんと乗り気だな。うむ、分かった。それではユートも連れて行くこととしよう!」
「よろしくお願いします。……ちなみに、行くのはいつなんですか?」

 明日か明後日くらいか? とにかく、行くと決まったのなら俺も準備をしなければ。何があるか分からないし、薬草でも買い込んでおこうかな。できれば武器や防具も新調したいところだが、あんまり金はないしなぁ……。リュカに借りるのも情けないし、どうしたものか。

「ん? そういえば言っていなかったかな? 今からだ。すぐに出るぞ」
「なるほど、今から……え?」

 今すぐ? え? あれ? そんなすぐに行くんですか? 心の準備がまだですよ?

「さて、急がなければな。ラインハット王がお待ちかねだ」

 テンパっている俺を余所に、パパスは椅子から勢いよく立ち上がった。

「では、行くとしようか! ああ、そうだ。リュカはさっき呼んでおいたから心配はいらんぞ!」
「ちょっと、パパスさん、待……」

 パパスは上機嫌で俺の手を引くと一階まで連れて行き、すでに用意してあった荷物を持つと、サンチョとわずかに言葉を交わしてそのまま家を出た。家の扉が閉まる時に首だけで振り向くと、背後の方でサンチョがやけに印象的な笑顔をしながら「行ってらっしゃいませ、ユート坊ちゃん」と言っていたような気がするが、あまりよく覚えてはいない。

 家の前でリュカとゲレゲレの一人と一匹に合流し、結局俺だけろくに用意もしていないままラインハットへ旅立つこととなったのだった。



[4690] 第23話
Name: 例の人◆9059b7ef ID:2b1d1d02
Date: 2013/06/17 23:01
 野を越え山を越え、一路東を目指す。旅は道連れ、世は情け。人生楽ありゃ苦もあるさ。

 旅慣れているパパスやリュカと違って、俺はあくまでも一般人だ。ボーイスカウトの経験もなければ山伏の経験もないので、長時間歩き続けるのは辛い。最初の一日は元気に行進していたが、二日目からは既に足が鈍っていた。

 ゲームの中ではサンタローズから一日歩けば到着した距離だったはずだが、実際に歩いてみると全然違う。すぐにラインハットに着くだろうと思っていた俺だが、見通しが甘すぎた。これが噂の孔明の罠というやつか……!

「パ、パパスさん……。そろそろ、休憩しませんか?」
「うん? ユートはもう疲れたのか?」

 先頭を歩く威風堂々とした偉丈夫、その名もパパス──が足を止めてこちらを振り返る。

「ユート、どうしたの~?」

 鼻歌でも聞こえてきそうな上機嫌な声。父親と一緒に旅が出来るのが嬉しいのか、パパスの隣を歩くリュカは元気いっぱいだ。

「まだ村を出てから一日しか経っておらんぞ。ユートはもうちょっと体を鍛えた方がいいな」
「そ、そんなこと言われても……」
 
 ぜいぜいと荒い息を吐きながら答える。

 足は筋肉が張ってパンパンだ。誰か、溜まりに貯まった乳酸を削ぎ落としてくれ。

 道程は平地が多いのだけは幸いだったが、それでも疲れは蓄積される。

 パパスはまだ一日と言うが、体感気分的には半年以上旅を続けてきたような感じだ。そう、例えるならば……。十二月の末に歩き出して、八月くらいまで経過したような──。俺は一体何を考えているんだろう。

「ふむ。まだ先は長いがユートが疲れたのならば仕方ない。ここらで一旦休憩に……む?」

 突如、パパスが言葉を止めて周囲に鋭く視線を走らせた。

「魔物の群れが来たようだ! リュカ、ユート! 油断するな!」

 一声注意をすると、パパスは地を蹴って飛び出した。

 さすがに魔物の前で棒立ちはまずい。疲れたのなんだの言うのは後回しだ。

 俺は慌ててブーメランを取り出すと、魔物の気配へ向かって構えた。

「よし!」

 気持ちも切り替えた。準備は万端だ。

「さぁ、いつでも来い!」

 ……しかし、何も起こらなかった!

「あれ?」

 魔物の姿が、ない?

「どうしたの、ユート?」

 リュカが不思議そうに小首を傾げて聞いてくる。

「魔物は?」
「もう終わったよ。ほら」

 リュカが指さす方向には、血か体液か、何やら液体的な物がこびり付いた愛剣を布で拭うパパスの姿。

「あ、もう終わったんだ」

 そうですか。もう終わりですか。早いですね。俺構えただけで何もやってないのに。

「パパスさん、お疲れ様です」

 とりあえず、労っておく。今の俺にできることはそれくらいしかない。

「魔物と言っても、たかがホイミスライムが数匹程度だったしな。この程度なら軽い物だ」
「でも、ホイミスライムってホイミをつかうからたいへんだよね」
「その通りだ。やつらが大量に出てきた時は回復されて長期戦にならぬようにせねばな」
「うん! ぼくも気をつけるよ!」
「まぁ、どんな魔物が相手だろうと、回復される前に全て一撃で倒してしまえば何も恐れることはないがな。わっはっは!」
「お父さん、すごーい!」

 笑い合う親子。そんな力業で解決できるのは、パパスさん、あなただけじゃないでしょうか。

「俺なんてブーメランで遠距離からコツコツ当てるだけなのになぁ」

 こう、クイッと投げてパコンとやるような。擬音で表すとそんな感じ。貧弱な坊やである俺にはそれが精一杯だ。一応接近戦用にブロンズナイフも持っているが、これはあくまでも緊急時の護身用。まかり間違ってもナイフ一本で敵を相手に十七分割して無双してやろうなどとは思わない。

 豪快に戦える人がうらやましい。でも、俺だっていつかは……!

「いつか……いつの日か高レベルになったら、バッサバッサと敵を倒しまくってやる……!」

 俺の言葉に同意するかのように、足下にいたゲレゲレが「にゃおーん」と一鳴き。

「あ、ゲレゲレ。お前いたの?」
「ふにゃあ……」

 ふて腐れたようにゲレゲレが鳴く。今のを翻訳するとしたら、

「そりゃないぜ旦那……てな感じか?」
「がうッ」

 右に左に尻尾を振りながらゲレゲレが答えた。赤い炎のような飾り毛がゆらゆらと揺れる。意訳したニュアンスは大体合ってたようだ。

「なんか、気が抜けてしまったな」

 ふと空を見上げてみる。穏やかな日差しが目に眩しかった。

 世界は平和である。

 ──今のところは、まだ。






 旅立ってから今日で五日目。野宿を重ね、魔物を倒して進む日々。これまでの記録をダイジェストで送ろうと思う。まずは初日。一日目。

「うおおおおおお!」

 ダンスニードルの群れをパパスが一人で倒した。まる。輪切りになったダンスニードルの姿は、なんだか滑稽だった。

 二日目。なんか魔物の群れが出たと思ってたら、俺がブーメラン構えてる間にパパスが全部一人で倒してた。敵はどうやらホイミスライムだった様子。

 三日目。

「どりゃああああ!」

 メラリザードの群れをパパスが一人で倒した。途中、メラを放ってきたやつもいたが、パパスは「ふんッ!」と剣を一閃させた風圧だけで炎をかき消していた。チートってのはこういう人のことを言うんだなぁ、と思った。リュカも加勢しようとしたようだが、特に何もすることがなかった。

 四日目。

「ぬおおおおおお!」

 おばけねずみの群れをパパスが一人で倒した。先に魔物を発見したのはゲレゲレだったが、気が付くと全部パパスが倒していた。ゲレゲレは何もできずに唸っていただけだった。

 そして今日は五日目。

「はああああああ!」

 現在、スカンカーの群れをパパスが一人で倒している最中だ。もちろん俺は隅の方で大人しく見ているだけだ。歩きづめで疲れている体を動かす必要もなく、非常に楽なんだが……。

「暇だな、おい」
「そうだねー」

 リュカも同意してくれた。やることがないので、ゲレゲレでもいじることにしよう。

「おいでませ、ゲレゲレー」
「にゃー」

 我が家のお猫様はきちんと躾が行き届いているので、呼べばすぐにやって来るのだ。足下に小走りでやって来たゲレゲレを片手で抱き上げてやる。

「結構重いな、お前」
「がうがう!」

 別に褒めた訳ではないのに、何故かゲレゲレは自慢気な顔をしていた。こういう顔をドヤ顔というのだろうか。

「よーしよしよしよしよしよし!」

 次は高速で頭を撫でてみる。最初は気持ちよさそうに身を委ねていたゲレゲレだったが、俺の手の平が熱くなってきた辺りで暴れ出した。

 抱き辛いことこの上ない。仕方ないので地面に下ろしてやったら、どこかへ走り去って行ってしまった。俺の愛は激しすぎたようだ。

「ユート、ゲレゲレをいじめたらだめだよ」
「ごめんなさい」

 リュカに怒られてしまった。反省。さて、次は何をして暇を潰そうかと思った時、

「リュカ、ユート。そろそろ行くぞ」

 パパスが声をかけてくる。スカンカーの始末が済んだようだ。

 そんなこんなで五日目も問題なく過ぎていき、六日目に。今日も代わり映えのない日になるのかと思っていたが、ようやく変化が現れた。

 歩く途中で、頬に湿気を感じたのだ。すわ雨でも降るのかと思いきや、歩き続けていると不意に視界が開けた。

「う……わぁ……」

 思わず声が漏れる。

 緩やかな坂を登りきった向こう側には、大きな河が流れていた。激しい水流があちこちで飛沫を上げている。かなり流れの激しい河のようだ。

「でっかいなぁ」

 しばらくぼんやりと河を眺める。水の発するマイナスイオンを浴びたおかげか、疲労が抜けて体が軽くなってきた気がする。プラシーボ効果だろうが疑似科学だろうが、効果があるならそれでいいのだ。

「ようやくここまで来たな。これが有名なヘルライン河だ。この河の向こうからは、ラインハットの領土だぞ」

 パパスの説明に、リュカが目を輝かせた。

「あとちょっとで、ラインハットなんだね!」
「厳密には、この河からすでにラインハットなんだが……まぁ、リュカに言ってもまだ分からんか」
「うーん?」

 疑問符を頭上で乱舞させている息子に、パパスは苦笑して説明を止めた。もちろん俺は理解できていたが、知識をひけらかす必要もないと思い無言を貫く。

 しばらく河のほとりで休憩してから一行は出発。この河には橋がないので、検問所の置かれた地下通路を進まなければいけない。大河の下にトンネル通すよりも、普通に橋を架けた方が労力的に楽なんじゃね? 落盤したらどうすんだろうとか思ったが、口には出さないでおいた。俺は空気が読める男なのだ。

 途中、立派な槍を構えたラインハット兵との問答があったが、パパスが名乗るとあっさりと通してくれた。かなりのVIP待遇だ。それだけ世間にパパスの名が広く知られているという証なのだろう。

「ご苦労様であります、パパス殿! こちらがラインハットへの道となっておりますので、どうぞお通りください!」

 兵士達の隊長らしき人に体育会系の暑苦しい見送りをされながら、通路を抜ける。急に崩れてきやしないかと、頭上の様子が少々心配だったが何事もなく行くことができた。

 出口のすぐ先では、河の流れに国の行く末を重ねて見ているという爺さんとも遭遇したが、特筆するほどでもない。お節介なパパスが「ご老人、風邪を引かぬように」と注意していたが、それだけだ。

 問題があったとすれば──。

「パパスさん、そっち違う。そっちはサンタローズです」
「ぬ? これはしまった。危うく道を戻るところだったぞ、わっはっは!」

 老人に声をかけた後のパパスが、うっかり道を間違えそうになったくらいだ。相変わらず笑っているパパスだったが、額に少し汗が浮いていた。どうやら、笑って誤魔化しているようだった。

「……ここからラインハット城までは、どれくらいかかるんですか?」

 気を遣って俺は話題を変えた。再度言うが、空気の読める男なのだ、俺は。

「ん、ここまで来たらもうすぐだぞ」
「すぐですか」
「ああ、すぐだ。あくびでもしている間に着いてしまうぞ」
「なるほど」

 そうか、あと少しか。ならば、もうちょっとだけ頑張ろう。

 そんな風に思って出発したが、結局ラインハットの街に到着したのはそれから三日後のことだった。

「うぉーい、どこがもうすぐなんだぁ……」

 騙された。大人はいつだって汚い。

 疲労困憊で声を出すのも億劫の俺は、喉の奥から絞り出すように呻いた。鏡があれば、きっとげっそりした顔が映るだろう。

 もうすぐと言って三日もかかるとか、大雑把すぎる。時間間隔が日本の田舎町に住んでいる人達並……いや、それ以上だ。

「にしても、人が多いなぁ」

 牧歌的だったサンタローズと違って、ここは完全な都会といった感じだ。畑もなければ、牛や馬といった家畜もいない。

 煉瓦造りの建物が多く、入り組んだ街路には天幕が張り巡らされている。辺りを見回すと、そこらかしこで商人達の呼び込みの声。人々の熱気と喧噪が空気を焦がす。

 この街は、かなりの規模で市場が広がっているようだ。もしかすると、人口は万単位でいるのかもしれない。さすがは城があるような街だ。ゲームでは数十人しかいなかったのなぁ。

「ユート、あっち見て! おしろ、おしろがある! すごいよ!」
「んー? 城だって?」

 興奮したリュカの声に釣られるように俺もそちらを見やる。街を貫くように、中央道にびっしりと整備されて敷かれた石。

 急勾配の丘の向こう側。そこには、巨大な白亜の城がそびえ立っていた。テレビ映像や写真でしか見たことのない、西洋風の城だ。

 あれが──ラインハット城。今後の俺の運命を決めると言っても過言ではない城。いつの間にか、俺はごくりと喉を鳴らして唾を飲み込んでいた。

「では、早速王に会うため城に……行くのは止めておくか」

 顔を上気させ、おおはしゃぎしながら歓声を上げているリュカを見た後、俺に目を移したパパスはそう言った。俺は城を見ていただけなのだが、その様子に何か感じ入ったことでもあったのだろうか。もしかして、物凄く疲れて立ちすくんでいたように見えたとか? いや、実際に疲れているのだけれども。足は棒のように硬くなっていますけれども。

「とりあえず今日のところは宿を取って休もう。なに、急ぐこともない。城へは明日行けば構わん」
「いいんですか? 大事な用なんじゃ……」
「構わんと言っただろう? 子供が細かいことを気にせずとも良い」
「はぁ、そうですか……って、うわ!?」

 適当に返事をした俺の視界が、突如高くなった。パパスが俺を持ち上げて肩車したのだ。

 おおぅ、懐かしい高さだ。意外といい眺め……じゃなくて、

「パパスさん、何を!?」
「わっはっは。疲れているだろうから、宿まで私が運んでやろうと思ってな」
「いや、恥ずかしいんですけど!」

 中の人は三十路前なんです。こっちに来てから子供っぽい言動多かったけど、それでも中身は大人なんです。

「あー! ユートだけずるい! お父さん、ぼくも! ぼくも!」
「おお、リュカもか。いいぞ、ほれ」

 パパスは一瞬だけ屈むと、リュカも軽々と担ぎ上げる。右肩に俺、左肩にはリュカという出で立ちだ。

「がうッ!」
「む?」

 不満そうな声に気付いたパパスは、視線を下に向けた。

「ゲレゲレか。悪いが、私の腕は二本しかないのでな。お前は諦めろ」
「ふにゃ……」

 ゲレゲレは激しく振っていた尻尾を力なく垂らすと、無念そうに顔を伏せた。

「では、行こうか!」
「おー!」

 リュカの返事に合わせてパパスが歩みを進める。結局、俺はされるがままに任せてパパスに連れて行かれた。恥ずかしかったが不快ではなかったからだ。武技の達人らしく重心が安定しているのか、肩の上でも揺れはほとんどない。

 ふと、胸の奥に燻るような火が点った。なんだか懐かしい気分だ。そう、この気持ちは──遠い子供の頃に感じた覚えがある。

 ずっと昔、父親に肩車された微かな記憶を思い出しながら俺は目を瞑った。宿屋に着くまでのしばしの間、こうして休ませて貰おうか。




[4690] 生存報告
Name: 例の人◆9059b7ef ID:2b913b9c
Date: 2013/12/05 00:40
更新が途絶えて幾星霜。皆様、申し訳ございませぬ。
とかく私生活が忙しく、アルカディア様から長いこと離れておりました。
一応生きてはいますので、これまでと同じく気長に更新をお待ち頂ければ。
次回更新はさすがに数年お待たせすることはないはずです。

あと、ハーメルン様の方で別名義でほんの少しだけ活動しておりましたので、ついでですので、向こうの方でも投稿しておきます次第です。


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