演目は『三文オペラ』だった。
親しみやすく軽快な『モリダート』の旋律が奏でられている。
混沌。
久しぶりに見る、大空を舞い飛ぶ夢。
眼下に広がるのは自分の手で優しくも厳しく全滅させ、たった一夜にして崩壊し棄て去った愛くるしい古き王国。
無残な姿で血の海に転がる、四十人の生徒の死体。
卒業してゆく生徒達。
最後の授業。
物の怪のような声で鳴きながら、狭い廊下を飛び回り露払いする二羽の眷属。
熱くなった散弾銃は完全に一個の人格を獲得しており、野獣のような咆哮とともに、生け贄の命を奪うことに無上の喜びを覚えている。
「聖司くん。あかん。やめて……」
殺戮をやめるよう訴える少女のか細い声は、無数の悪鬼たちの哄笑の中でかき消されてしまう。
はっと目が覚めた。
けっして彼女に、慕われてはいないだろう。
むしろ恨まれているはずだ。
カラスの鳴き声。
町田から離れても蓮実聖司にストーカーみたいに執着して、毎朝いつも律儀に縁側で鳴くのは彼女なりの絶え間ぬ復讐。
ムニン。
左目の白濁している不気味なカラスの呪詛が、雨の日も風の日も蓮実の一日の始まりだった。
追っ払おうとしてもどうせ無駄なのは、長い付き合いなのでもうわかっている。
老朽化している平屋の日本建築。
ところどころブルーシートで、恒久的に応急補修してある。
両肩と首をぐるぐる回しながら、小さな庭に面した雨戸を開け放った。
蓮実が起きたのを確認するまでは、いつまでも執拗に延々ムニンは鳴き止んでくれない。
いた。
相も変らぬ禍々しさで、悠然とこちらを見返している。
ペットの置き土産のペット。
ややこしい名前の飼い猫が震えているが、ムニンはそちらは一顧だにしない。
どう聞いても阿呆としか聞こえない捨て台詞を残し、蓮実の顔を見て満足したのかぱっと飛び立っていく。
もうすでに毎朝のお約束とはいえ、
「……やれやれ」
だった。
うんざりするカラスの押し売りモーニング・コールではあるが、遅刻の心配だけはしなくて済むのでそこだけは評価している。
とりあえずすることもないのでジョギング。
シャワー。
しっかり朝食。
何事もなければこれが蓮実の、朝のルーティン・ワークだった。
身支度を整えて出勤。
愛車はここでも重宝しているダイハツのハイゼット。
こうして丘陵地帯を切り開いた急な坂道を登って通勤していると、前に務めていた懐かしい職場の記憶がふとしたとき後悔とともに蘇ってくる。
今でもクラス全員の顔と名前を、蓮実は鮮明に思い出すことができた。
可愛い生徒達。
あんな忌まわく痛ましい事件さえなければ……。
エンジン音に振り返る二人の女生徒に、蓮実は既視感を覚えずにはいられなかった。
「先生……」
「お、おはようございます」
ただ目の前にいる水泳部の先輩後輩の二人は、記憶の中にある剣道部の教え子二人より礼儀正しかった。
制服も小洒落てる。
デザイナーズ・ブランドの、品の良いブレザーに白いブラウス。
襟元で交差したリボンも、あざとくないワンポイント。
プリーツ・スカートは丈が短めで、理事長の趣味だともっぱらの評判だった。
上を見て下は育つということなのか、部長でもある三年生の塚原響に続き、期待の一年生ホープである七咲逢もきちんと蓮実に挨拶する。
折った腰のラインが美しかった。
切れ長の涼やかな瞳をした響は女子高にでも通っていたら、ラブレターやバレンタインのチョコの数は蓮実にも匹敵するだろう。
背も高いので男装して颯爽と舞台にでも立てば、熱狂した歓声に包まれるのは疑いなかった。
対して逢の方は一見すると、冷めた印象なのは響と同じなのだが、より生意気でより挑んでくるような雰囲気がある。
小柄な身体から負けん気の強さが感じられた。
蓮実に対する態度が二人とも少々緊張気味で堅い気もするが、根が真面目な二人の性格からすればこんなものかもしれない。
悪くはない反応だ。
これもこれまでの手間暇惜しまぬ努力の成果だろう。
心酔とまではいかないものの、気持ちの天秤は大きく好意に傾いている。
「二人とも早いじゃん。水泳部の朝錬か?」
まだ七時前だ。
そうでもなければわざわざこんな時間に、登校してくるような生徒はほとんどいないだろう。
「七咲がどうしてもって訊かなくて。……この子はちゃんと見てないと、すぐオーバーワークしてしまいますから」
そう言いながら響は、蓮実から気まずそうに視線をそらした。
将来のエースであっても、贔屓するようなことはない。
傍目には他の後輩と分け隔てなく、先輩として公明公平に接している。
それでも逢を特に可愛がっているのは、蓮実の目からは手に取るようによくわかった。
自分を重ねているのかもしれない。
蓮実は二年前の校内で巡回がてらのバグの設置中に、放課後のプールで無理な練習を行って、足を攣った女生徒を助けたことがあった。
「すみません、先輩」
「べつに気にしなくていいわ」
「ありがとうございます」
言葉だけ捉えると素っ気無い会話に聞こえるが、お互い先輩後輩として強く信頼しているのが感じられる。
それは微笑ましかった。
思わず頬の筋肉が緩んでしまう。
「先生、何こっち見て、ニヤけてるんですか?」
これぞ教師冥利に尽きるというものだ。
ほんの僅かな表情の変化なのに、目敏く見つけてむっとした顔をする逢と、ちらっと蓮実を見てから視線をそらす響。
「二人は仲が良いな」
手を伸ばす。
逢のセットされた髪の毛を、くしゃくしゃにしてやった。
「ちょ、せ、先生、や、やめてください。もう、それ、女子の間で不評なんですよ」
「だからやってるんだよ」
慌てまくって顔を赤らめる逢が可愛らしくて、蓮実は車内から身を乗り出し、シャンプーでもするみたいにもみくしゃにする。
「もうっ」
「それじゃ若人諸君。これからの朝錬、あまり無茶しない程度に、しっかり頑張ってくれたまえよ」
蓮実は逢のブーイングを聞き流しながら、ハイゼットを発進させた。
すでに開いている校門をくぐり、教職員用の駐車スペースにハイゼットを止める。
今日は昔の記憶がやたら蘇るなぁ。
またしても蓮実の脳裏に、懐かしくフラッシュバックするものがあった。
一番乗りの栄誉を前の学校では、必ず阻んでいたレクサスが停まってないのが、ほんのちょっとだけもの足りない。
ゴルフ焼けした貧相な顔まで、また拝みたくはなかったが。
ただそんな感傷めいたというには些か以上に、甘くもなければ苦くもない過去の映像は、職員室に入ると何事もなかったようにあっさり終了する。
青少年の教育上、あまりよろしくない。
学生の本分は勉学。
派手ではないシンプルなデザインのスーツ。
膝丈のタイト・スカート。
抑え目な色合いの黒いパンティー・ストッキング。
大人の女性としての当然の身嗜み、嗜み程度に施されたナチュラルメイク。
ハイヒールの似合う二十九歳。
刺激を与えぬようにとの配慮なのか、全体的に地味なコーディネートだが、残念ながらその効果のほどは疑わしい。
本人にそのつもりはないだろうが色気十分で、男子生徒なら数式や英文などよりも、高橋麻耶教諭には教えて欲しいことがあるだろう。
正確にはわからないが、少なくない人数がいるはずだった。
「蓮実先生。おはようございます」
「おはようございます」
職場内では蓮実がもっとも年齢が近い。
周囲に飛び交うセクハラまがいのオッサンギャグには、どうやら辟易していたようなので、蓮実の爽やかな弁舌は初めから好印象を持たれている。
口調がくだけすぎることはないが、同僚教師という以上の関係を築けている自信があった。
そろそろ次の段階に進んでも、いい頃合いなのかもしれない。
この学校では麻耶の方が先輩だが、教師としては蓮実の方が先輩だ。
教師には担任するクラスと担当教科以外にも、校務分掌という役割分担があって、蓮実と麻耶は生徒指導及び生活指導である。
いろいろアドバイスやフォローもしてやっていた。
本人は意識してないだろうが、教えを請うような態度を取ってることが多い。
相談に乗るという形で呑みに誘えば、二人きりでもそれほど躊躇しないで承諾してくれるだろう。
具体的な問題が起きる兆候もあるので、何ならそれを待ってもいいが待ちきれない。
「高橋先生」
談笑が一区切りついたところで、蓮実は声のトーンを落とし、口元に手を当てて内緒話をしたいサインを送った。
麻耶が可愛らしい耳を寄せてくる。
45センチもない。
恋人ではない同僚とその距離になるのに、さすがに麻耶は一瞬だけ反応を固くしたが、蓮実の気分を害してはと緊張しながら耳を寄せてくる。
モデルにしたのは亡き恩師。
これまで蓮実は無数の表情のストックの中から、度々麻耶には『真摯で熱い教育者』の顔を選んで見せてきた。
他の『でもしか』な同僚と並列にして、邪推した反応を返すのは失礼。
おそらく麻耶の心理は、おおよそそんなところだろう。
ただ麻耶はあどけない初心な女子高生ではない。
三十路間近の社会経験を積んだ女性であれば、この程度内心はどうあれ笑って巧く処理できるはずだ。
あしらえる。
頼れる同僚としか見ていなければ、ほどほどのスキンシップに逡巡や葛藤を必要とはしない。
前任の学校でのことをどこまで知ってるか定かではないが、時折見せておいた『明るいがどこか陰のある男』の顔も効いている。
あくまで同僚教師という立場で接してくる蓮実を、異性として自覚しないようにしているが、逆にそれは強く認識している証明だった。
「今晩どうで――」
「あーっ!! ハスミンが高橋先生とイチャついてるぅ!!」
甘ったるい舌足らずな声。
職員室はセーフティー・ゾーンだろうと、完全に高をくくり油断していた。
こんな朝っぱらから来なくていいだろうに……。
チャンスに割り込まれて蓮実は腹を立てたが、無論表情にはおくびにも出さない。
即座に消しはしたものの対照的に麻耶は、ほっとしたようなむっとしたような、微妙なものの混じる複雑な表情をしていた。
「早いな」
この台詞を言うのも、今日はもうすでに二度目だった。
何気なさを装って後ろを振り返ると、受け持ちのクラスの生徒、橘美也がふくれっ面を隠しもせず睨んでいる。
あどけなさが色濃く残る顔立ちは、芸能プロダクションが売り出してもおかしくない愛らしさだ。
子役として。
ブラジャーの必要性が疑わしい。
そんな起伏に乏しい胸は言わずもがなで、全体的に肉の薄く小作りな身体は見事な幼児体型。
発育の良い小学生なら、美也よりも余程高校生に見えるだろう。
きまぐれ我侭甘えん坊な性格も相まってか、大きな瞳は好奇心旺盛な仔猫を連想させた。
字こそ違うが同じ名前で、前に飼っていたお気に入りのペットの姿とも、見た目では似ていないが重ねてる部分が多いのもある。
教師本来としての、やり甲斐がある生徒だった。
「橘が会いに来てくれたのは嬉しいんだけど、ここは職員室だから用がなきゃあんまり来ちゃダメだぞ?」
「日直だもん」
期待してた答えじゃなかった美也は、叱られた子供みたいにぶすっとそっぽを向く。
みゃーが朝からこうやって、折角ハスミンに会いに来てあげたのにぃ!!
むくれた顔には言葉よりも素直に、少女の生の感情がストレートに表れていた。
「そうかそうか。ありがとう。橘はえらいな。ご苦労さん」
異常に傷つきやすくデリケートな、今時の子供をフォローするために蓮実は、美也の頭をぽんぽんっと軽く叩いてやる。
機嫌はあっさり直ったようで、満更でもない顔をしていた。
日誌を渡し両手で髪をくしゃくしゃにしてから、怒ったふりは続けているが口元の緩んだ美也を送り出す。
「モテますね」
麻耶からは鼻白んだ気配がした。
「イジられてるだけですよ」
「そうでしょうか?」
「じゃないなら嬉しいですね。って、これオフレコにしてください。もし生徒の耳にでも入ったら、ロリコン教師と言われてモテ期が終わります」
「女生徒たちは喜びそうですけど?」
「でもわたしの好みは、大人の女性ですから」
「…………」
同僚の静かな返答はマイナスではなく、望む方向へ転がる予兆の好ましい沈黙だった。
呑みに誘うタイミングは美也のおかげで逸していたが、その美也のおかげで一歩踏み込んだアピールができたので良しとする。
今日はうっかりしてると、授業中に口笛を吹いてしまいそうだ。
自分の担任する教室で朝のSHRを行いつつ、クラスに不穏分子が居ないか一人ひとり注意深く観察する。
「にっしっし~」
美也がニヤニヤしてるくらいで、1年B組に特におかしなところはない。
2年A組のような、厄介事の前兆は見られなかった。
一時限目は空きでそこからは三コマの授業を連続でこなし、ようやく昼休みになったがカフェテリアは食べ盛りの生徒に占拠されている。
近々のイベントとして、生徒会長選挙も開催されるので、いつもより数段騒がしい活気に満ちていた。
会長は創設祭の実行委員長も兼務するので、何をするのかイメージしやすいのもあって、候補者のディスカッションはけっこうな熱が入っている。
座れないこともないのだが蓮実の周りは、女生徒を中心に自然に人だかりができてしまう。
営業活動の一環といつもは我慢できるのだが、今日はゆっくりと息抜きをしたかった。
こういうとき行くところは決まっている。
校内の片隅にぽつんとある茶道部なら、混雑とは無縁で煩わしさはないだろう。
他にも空き教室の心当たりはあるが、あそこだったら黙っててもお茶が出る。
俺の住んでるとこより立派だな。
こじんまりとした日本家屋はそれほど古くないはずだが、どこか味わいがある上に造りがしっかりしている。
茶室どころか茶屋をぽんっと作ってしまうあたりは、それなりに金のありそうで見栄っぱりな如何にも私立の学校らしかった。
「いらっしゃい」
「ようこそ。ハスミン」
夕月瑠璃子と飛羽愛歌は、自室のように寛いでいる。
「お邪魔するよ」
「いやだなぁ水臭い」
「……私たちとハスミンの仲で」
あらかじめ買っておいたパンを食べようとすると、何も言わなくとも湯飲みに入ったお茶が出てきた。
部長と副部長だけあって二人とも、淹れるお茶は平の二年生部員より格段に美味い。
これで部員数が三人でさえなければ、その凄さもよりわかるのだが。
「しっかし毎度毎度、人気者も大変だねぇ」
「是非ともあやかりたい」
茶道部のこの現状というか、惨状からすればそうだろう。
「このままだと来年は、ここも桜井一人だけになっちゃうからな」
「まずいねそれ……」
「ハスミン。グッドなアイディア求む」
「そうだなぁ」
考えてみれば考えてみるほど、来年は廃部というのが濃厚な気がするが、お茶をご馳走になっているので、頭を悩ますふりくらいは一応してやる。
蓮実が顧問にでもなってやれば、万事解決しそうではあるが、メリットよりもデメリットの方が大きい。
労多くして得るものは少ない面倒は御免だった。
だったら憂い顔の女子高生二人を、こうして間近で眺めてる方がずっといい。
黒縁眼鏡がトレードマークの瑠璃子は、男勝りで強引な言動が多いが、黙っていれば理知的に映る少女だ。
江戸っ子気質、もしくは姉御肌という表現がしっくりくる。
そしてその相棒になる愛歌は瑠璃子以上に、輪を掛けて黙っていればという注意事項が、さらに重要視されるミステリアス系の少女である。
鴉の濡れ羽などという大仰な形容が似合いそうな、腰まで垂らされている黒髪が、いっそうその残念で勿体無い印象を深くさせていた。
ぽっちゃり癒し系な二年の桜井利穂子も含めて、着物で卑猥な接待でもすれば男子部員はきっと増える。
「本気で御茶っていう文化に取り組んでるのを、地道に伝えていくのが結局近道なんじゃないか」
脳内では劣情を催す光景を描きつつ、蓮実は誰にでも言えそうな建前を、あえて口にしてその場のお茶を濁した。
中身のないことも言ってる人間次第で、どうにかそれなりの説得力は獲得できる。
具体案はなくていい。
二人とも安易に部員を増やしてこの小さな世界を、無闇に荒らされたくないという考えが根底にはある。
筋道を立てて思考するのが難しい二人ではなかったが、願望がそれを邪魔して蓮実の適当な誘導にも簡単に乗ってきた。
「結局それしかないんだろうねぇ」
「……千里の道も一歩から? 一日一歩三日で三歩?」
「それだと何年も掛かっちゃうけどな。まあ、少なくともおまえらが安心して、この学校を卒業できるようにはしてやらないと」
「頼むよハスミン」
「ハスミンだけが頼り」
「任せとけ」
「でも純真な子をひどい目に遭わせるのは却下」
「承知しない」
「……わかってるよ」
そうやって毒にも薬にもならない約束を二人にしてから、校内の死角になっている場所を見て回るため茶道部を後にした。
輝日東高校には以前の学校のように、それほど性質の悪い生徒がいるわけではないが、それでも問題の芽は少しでも早く摘んでおいた方がいい。
不良らしい不良は居ないが、屋上や体育館の裏などを見て回る。
昼休みはそろそろ終わろうとしていたが、蓮実はとりあえずポンプ小屋も回っておくことにした。
ほとんど人は寄り付かない場所ではあるが、それだからこそ利用しようとする者もいる。
外からは鍵がかからないのに、内側からは鍵がかかってしまうという、どこかの施設と既視感を憶える管理上まずい状態だった。
カップルが自分たちだけの時間を、満喫したいのはわからなくもないが。
蓮実はドアを開けようとして苦笑した。
使用中のようである。
室内からはワンチャンだったり先輩の膝の裏だったり、高校生にしてはえらくマニアックな睦み声が漏れ聴こえていた。
ここで邪魔するのは、野暮な気もしないではない。
しかしそれはそれこれはこれ。
はじめから午後の授業はエスケープするつもりだったのか、火が付いて夢中になっているのかわからないが、発見したからには見過ごせなかった。
二人の行為がいったい今どこまでいって、どんな格好になっているのかはわからない。
身繕いができるようにゆっくり、なるだけ気を遣ってドアをノックしてやる。
「誰かいるのか、ここを開けろ」
それでも余程不意打ちだったみたいで驚いたのか、室内からはドタバタと慌てている音がした。
しばらくの間があってからそろそろと、おっかなびっくりの気まずそうな様子で、蓮実のノックの間隔より何倍もゆっくりドアが開く。
「ど、どうも」
バツの悪い見本みたいな顔を出したのは、美也の兄である橘純一と、照れたような顔をしている森島はるかだった。
予想してない意外な組み合わせである。
蓮実は純一の顔を知ってはいるが、それは主に麻耶の教え子であり美也の兄としてだった。
成績にしてもスポーツにしても、ルックスにしてもプライベートにしても、所謂イケているという感じの目立つ生徒ではない。
あらゆる意味で平均点。
輝日東高校ではマドンナ的存在である三年の森島はるかは、まさに高嶺の花という言葉がしっくりとくる男子生徒だ。
吊り合わない。
室内や二人の表情などを観察した限りでは、セックスにまで及んでいたわけではなさそうだが……。
これはとてもではないが看過できない抜け駆けだ。
近くにはゴミ袋も砂もある。
一撃。
手練の技でブラックジャックを、こめかみに叩き込んでやろうか。
冷たい怒りに支配されそうになる。
「おいおい。こんなとこで何をやってたんだ?」
しかし蓮実はぐっと堪えると、冗談めかし笑顔で語りかけた。
「んもうやだなぁ。ハスミン先生ったら、ただワンチャンと遊んでただけですよぉ」
「そ、そう。そうですよ!!」
図太いのか天然なのか微妙なところだが、とりあえず度胸はおどおどした純一よりも、どうやらずっとはるかの方がありそうである。
そういった部分もイギリス人の血が混じった、クォーターだからかもしれない。
もちろんほかの部分、胸だったり腰だったり尻だったりも、イギリス人の血の恩恵を多大に受けている。
慎ましい日本人では困難なパーフェクトなボディを、森島はるかは男好きのするフェロモンとともに十八歳で完成させていた。
カラーコンタクトでは再現できないブルーアイ。
ちょっとした仕草に、いちいちエロティシズムが漂う。
二人きりになれば即勃起してそうな、子供に遊ばせておくには、あまりにも惜しい玩具だった。
「……まったく」
ぺしっぺしっと続けて二人の頭を軽く叩く。
わからないように純一の頭は、はるかより少しだけ強めに叩いておいた。
「動物と遊ぶのはいいが、ここは生徒の立ち入りは禁止だぞ」
「はーい」
「すいませんでした」
「ところで橘の家の周りには、猫避けのペットボトルとか置いてるか?」
「え? あ、いや、置いてませんけど」
「ふ~ん。そうなのかぁ」
「なんですか?」
「いやいや、別に何でもないよ」
主と従者のように去っていく二人の背中を見送りながら、外科手術的攻撃を気軽には用いれないことに歯噛みした。
さすがに前の学校で、派手に乱発しすぎてる。
控えるべきだ。
美也を巻き込んでしまう恐れもある。
上手く転がれば住む場所も家族も失った少女を、自宅で飼うことができるかもしれないが止めておいた。
全滅の可能性の方が高い。
やはり純一の排除は別の方法を、ここは考えるしかないだろう。
昼休みが終わるぎりぎりで、職員室に戻ってきた蓮実は、シンプルに片付けようと決断していた。
青春の思い出として、ブロークンハートしてもらおう。
どこからか聴こえてくるのは『三文オペラ』の『モリダート』のメロディ。
蓮実は自分が無意識に、口笛を吹いていたのに気づいた。