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[41638] 転生者が蔓延る世界に生まれた僕は奴隷市場で前世勇者の転生者を見つけて購入したけど特に冒険的なイベントを起こさず、都市経営に専念します。
Name: ニョニュム◆473938c4 ID:754c1ba2
Date: 2016/10/06 22:51
かなり久しぶりに投稿するリハビリ兼練習作品です。

名前は違いますが小説家になろう様の方でも投稿しているマルチ投稿となります。



[41638] 出会いの日(1)
Name: ニョニュム◆473938c4 ID:754c1ba2
Date: 2016/09/21 21:11
 それは広大な荒野を彷徨う旅人が安寧の地を見つけるような偶然であり、太陽が顔を出せば人々の営みが始まるほど必然的な出会いだった。

 薄汚れた鉄格子の檻の中、その少女は意思の強さを感じさせる瞳でこちらを威嚇していた。
 口には猿轡、両手両足には拘束具。両手の拘束具に繋がる縄が天井の柱を経由して少女の両手を引っ張り上げている。身体が浮いているのか、足が地面へついているのか、分からない絶妙な位置で固定された少女の内股には拷問用の三角木馬が設置されていて、少女に爪先立ちを強要している。そしてなにより少女は身に纏う衣を一切所持していなかった。

 そんな女性としての尊厳を全て破壊するような環境でも少女の美しさは健在だった。腰まで届く乱れた赤毛は朝とも夜とも分からぬように日の光を入れぬ室内で揺らめく蝋燭の火に照らされて燃えるような煌めきを見せ、相手を射抜くような鋭い眼光を向ける赤い瞳はガラス玉のように澄んでいる。絹のように滑らかな肌が少女の美しさを何倍にも増長させていた。

 そんな少女の姿を見て、湧き上がってくる気持ちの正体を知っている。多分、この気持ちは――――。


 ――――――初恋に似た気持ちなのだろう。









 【ストネ帝国】。それは様々な国が群雄割拠するクーデリカ大陸において、最も強大な軍事力を背景に大陸最強の名を持つ国であり、広大な領土を治めている国でもあった。

 そんな帝国において、海に隣接する帝国東部を管理して中心的な役割を果たす為の拠点として栄えた大都市【ネバルカ】の天気は雲一つない晴れ晴れとした陽気だった。

「――――て下さい、ミーゼ様」

 穏やかな陽気と心地良いそよ風が頬を撫でる。日の光を浴びてぽかぽかと身体が暖まり、一度は覚醒しかけたミーゼを再び深い微睡みへ誘う。怒らせてしまったら恐ろしい事になるメイド長の自らを呼ぶ声が聞こえる。しかし、この微睡みに抗うには少々、骨が折れる。

「起きて下さい、ミーゼルカ様。今から帝王学の先生が到着致します」

 少しだけ呼び方の変わったメイド長の声音に反応して、まだ眠りから覚醒しない身体を必死に起こす。怒らせたら厄介な事になるのは身体に染みついている。

「おはよう、カトラ。今日も良い天気だね」
「はい、私達メイドとしても洗濯の仕事が捗るのでとても助かります」

 身体を起こし、自身の眠りを妨げた女性――メイド長であるカトラへ声を掛ける。白を基調としてエプロンドレスにこの大陸では珍しい腰まで届く鳥羽色の艶やかな長髪、町へ繰り出せば十人中十五人くらいは振り返る美貌と体付きをした彼女は寝惚け眼のミーゼへ呆れた視線を送っている。

「今日みたいに天気の良い日はお昼寝するのが丁度良いと思わない?」

 要約するともう少し寝かせて、と希望する。

「――――そうですか。ですがミーゼルカ様、今日は今から天気が悪くなるようですよ」
「え、そうなの? こんなに良い天気なのに今から崩れるのか……」

 淡々と告げられたカトラの言葉に釣られてイスの背もたれに預けていた身体を起こして、心地良い風が吹き込んでくる窓の外を覗き込む。眼前には雲一つない空が広がっている。とても今から天気が崩れて雨が降ってくるような気配は見えない。

 その時だった。

「痛ッ!」

 ミーゼの頭上にゴツンという良い音を立て、強い衝撃と痛みが奔る。誰に拳を振り下ろされたのかは明白だった。

「大丈夫ですか? どうやら、カミナリが落ちたようですね」

 先程までは大人しく、ぼんやりと思考の回っていないミーゼルカの近くで粛々と控えていた筈だが、白々しく平然と言葉を口にするカトラ。
 実際、誰がカミナリを落としたかなど明白。そんな態度のカトラを見たミーゼは小さく溜息を吐き、カミナリを落とされて痛む頭を手で労わりながらカトラへジト目を向ける。

「…………全く、普通にカトラが僕の事を殴ったよね? 僕はこれでも帝国四大門に連なる公爵家の三男なんだからさ。もっと、こう、敬っても良いと思うんだけど。いくらクラウゼル家のメイド長とはいえ、平民が手を出して良い身分では無い筈なんだけど……」
「いえいえ、滅相もございません。私がお仕えしているのはクラウゼル家。政略結婚として他家へ出て行かれるミーゼ様のご機嫌取よりも帝国四大門のクラウゼル家として名に恥じぬお方へ教育する事が優先ですので」
「ねえ、カトラ。世の中には本音と建前が必要だと思わない?」
「お仕えする家の方に虚偽の報告をするなどとんでもない事でございます」

 平然と失礼な発言をするカトラの態度にミーゼは深い溜息を吐く。色々と言いたい事があるものの、どうにも小さい頃から世話になっているカトラと口論した所で煙に巻かれるのはオチだ。長年の付き合いなのでそれくらい理解している。どのみち、カトラの指摘は事実であり、顔を赤くして怒るような事でもない。

「まあ、別に良いんだけどね。後、半月も経てば、僕はこの家から出ていく事になるし。カトラに怒られるのも今の内と思えば感慨深いモノがあるよね」
「そんな事でしみじみしないで下さい」

 ストネ帝国に生きる帝国男児として生まれてからもうすぐ十五年の月日が流れる。クーデリカ大陸において十五歳という年齢は子供と大人の境界線であり、貴族の間では子供から大人へ変わる【成人の儀】と呼ばれる風習が存在する。

 帝国においても【成人の儀】は重要な意味を持つ。【成人の儀】を無事に終えた貴族の男児は統治する領内に存在する都市の一つを与えられて運営していく義務がある。

 十五歳という若さで周囲の大人達から成人として扱われる風習に、ミーゼは少し早すぎるのではないか、と思っているのだが、このクーデリカ大陸では一般的に行われている風風習なので仕方ない。

 とはいえ、同じクーデリカ大陸に生きるミーゼがそんな疑問を抱くのには少し理由がある。ミーゼが少しだけ特殊な生まれだからこそ、疑問を抱くが他の人間からしてみればこの風習を不思議と思う人はいないだろう。

「それに世間体や扱いに困る問題児が実家を出ていくんだから、皆も助かるよね」
「………………」
「……少しは気を遣って、否定して欲しかったんだけど……」

 ミーゼの発言を否定しないカトラの正直な態度に苦笑を浮かべて溜息を吐く。
 嫌われるような発言も行動もしないように心掛けていたけれど、生まれは重くのしかかる。

 ミーゼの母親は彼がまだ小さな赤ん坊だった頃、その時代に猛威を振るった流行り病に感染して既にこの世を去っている。そしてクラウゼル家にとってミーゼを産んだ母親はとても扱い辛い人物でもあった。彼女の元々の出生は平民である。
 帝国四大門に連なるクラウゼル家の血を引き継ぐ人間に平民の血が混ざる。これだけでも重大な汚点ではあるがその母親が勤めていた職に大きな問題があったのだ。

 ミーゼの母親は元々、皇帝が治める帝国首都に存在する歓楽街で貴族を相手にしていた高級娼館に勤めていた娼婦だ。彼女は美しく手腕も良いと評判であり、娼館で一二を争う人気の娼婦であった。もっと言ってしまえば、皇帝のお気に入りである。硬派で知られるミーゼの父親も皇帝に進められた彼女を抱かない訳にはいかなかった。

 そして、彼女のお腹に宿った命がミーゼルカである。クラウゼル家にとって、事故で“生まれてしまった”問題児。それがミーゼルカだ。皇帝のお気に入りを孕ませておきながら知らんぷりする事は出来ず、妾として世話をする事になった。

 元々、大人しく目の前で控えているカトラは母親と死別して世話をしなければならなくなったミーゼの世話係。クラウゼル家のメイド長として活躍するようになったのはその後である。ミーゼにとって、カトラはただのメイドではなく、一生頭の上がらない母親であり、姉のような存在なのだ。

 そして、育ての親であるカトラだからこそ、ミーゼの抱えるもう一つの特殊な生まれを知っている。

 このクーデリカ大陸において“転生者”と呼ばれる特殊な生まれ方をする人間が稀に生まれてくる。
 “転生者”とは過去の自分――前世の自分が身に付けていた多くの知識や本来なら習得に長い年月が掛かる技能《スキル》を生まれた時から身に付けている者の総称である。
 勿論、前世の自分が習得していた技能や知識を全て継承している訳では無い。多少、劣化しているもののそれでも天才と呼ばれる一区切りの人間を除いた同年代の人間と比べれば卓越した知識と技能を持っている。

 ミーゼもまたその“転生者”と呼ばれる人物の一人だ。しかし、彼が継承している知識や技能には大きな問題がある。

 “転生者”はクーデリカ大陸の知識や技能を持って生まれてくるのが普通である。変わり種だったとしても東方の島国【ヤマト】と呼ばれる国の知識を持つ“転生者”が生まれてくるぐらいだ。

 そんな中、ミーゼの持つ“転生者”の知識は異彩を放つ。彼の持つ“転生者”としての知識は地球と呼ばれる星のニホンという国のモノである。ニホンという国は魔法という文明こそないもののストネ帝国の文明を遥かに超えた高度な文明や文化、倫理観を持つ国であった。

 “転生者”にとって、生まれついて持つ知識は考え方の根底に深く根付く重要な要素である事に違いない。そして、進み過ぎた文明や文化、倫理観を知識に持つミーゼはニホンとクーデリカ大陸との差異に悩まされていた。言ってしまえば“転生者”として継承した知識はクーデリカ大陸で生きる人間にとって邪魔でしかない。

 それに異世界という概念そのものが荒唐無稽の話であり、ミーゼの実家であるクラウゼル家でさえ、ミーゼが持つというニホンの知識を否定している。むしろ、平民で娼婦の母親を持つミーゼがクラウゼル家で自身の価値を上げる為に“転生者”だと言い張っている虚言だと判断している。

 なにより、ミーゼは自身が本当に“転生者”であると証明出来る技能を持っていない。正確に言えば、ミーゼの持つ“転生者”としての技能は他人に証明出来る類の技能ではなかった。

 【能力認識《アナライズ》】――――――それがミーゼの所有する技能の名前である。ミーゼが“観察した”と認識した対象の能力値を数値化して、その数値をミーゼ個人に認識させる技能である。生物も物も対象として数値化出来るある意味便利な技能である。しかし、言ってしまえば人を見る目がある人間とさほど変わらない。これではこの技能を他人に証明するのは難しいだろう。

 地球という世界の知識について説明する事が出来れば、また違ったかもしれないが“転生者”が継承するものは知識と技能だ。それは知識であって、ニホンで生きた記憶ではない。前世の自分がどのような人物だったか知るすべもなく、劣化して歯抜け状態の知識だけが残される。継承した知識の中に進んだ文明や文化を再現するだけのモノはない。
 クーデリカ大陸の知識を持つ“転生者”なら暮らしていく内に知識の補完も可能であるが異世界という概念そのものが荒唐無稽な話なので、ミーゼはニホンの知識を補完する事など夢のまた夢である。

「まあ、帝国四大門の三男として認められているだけでも儲けものだし、実家に対してこれ以上文句は言えないよな」

 それにミーゼの母親が素晴らしい人格者であったとか、母親の死を惜しんだ噂をミーゼは耳にした事が無い。むしろ、帝国四大門に連なる当主を愛妾となった事でクラウゼル家の使用人達に対して、あまり良い態度では無かった、と陰口を叩かれている所を聞いた事があった。

 第一、娼婦に出来た子供である。実際、誰が父親なのか定かですらいない。知らぬ存ぜぬで無視されても可笑しくなかったのだ。クラウゼル家には感謝するべきで恨むのは筋違いだろう。

「――――――全く、魔法が存在したり、技能が存在したり、身体能力《ステータス》なんてモノがあったり、僕は一体何処のゲームに迷い込んだんだろうな」

 野鳥が翼を羽ばたかせ、気持ちよさそうに空を飛翔する様子を眺めながら、ミーゼが誰にも聞こえないような声音でぼやく。

 ミーゼの持つ知識からは荒唐無稽な魔法が存在して、技能が存在して、魔物が存在する世界。

 それがニホンの知識を持つ“転生者”。ミーゼルカ・クラウゼルの暮らすクーデリカ大陸だ。



[41638] 出会いの日(2)
Name: ニョニュム◆473938c4 ID:754c1ba2
Date: 2016/09/06 21:40
 本来ならば下働きのメイドや執事といった人間が忙しそうに往来するリビングルームへ繋がる廊下には誰一人として姿が見えない。いつもなら嫌でも耳に届く活気溢れる往来の喧騒も今は静まり返っていた。太陽が頭上に上がっている時間帯で無人の廊下を初めてみたがそれも仕方ない事なのだろう。

 現在、貴重な調度品や高級家具が据え付けられたリビングにはクラウゼル家に連なる五人の男女とその世話係として控えているカトラの六人しかいない。今から行われる家族会議は重要な話が議題となる。他の下働きにはカトラから家族会議が終わるまでリビングへ近付かないように伝令されている。

「それで? 今回、俺達を呼び付けた理由はコイツの領地について、でいいんだよな、親父」

 洗練された美しい装飾を施された長机と椅子に身体を預けた一人の男性――――三兄弟の中で最も腕の立つ次男ゲイル・クラウゼルが家族会議の議題を口にする。その表情はさっさと話を進めて欲しいという不満がありありと浮かび上がっている。

「ああ、ミーゼルカへ与える領地についての話で違いない」
「こら、ゲイル。自分の仕事が忙しいからと言ってその態度はなんだ。忙しいのはお前だけじゃないぞ。大体、お前は――――」
「うふふ、今日はミーゼルカが大人の一歩を踏み出す大事な話し合いなのですから仲良くしなければいけませんよ」

 ゲイルの言葉を肯定し、頷いた初老の男性こそがミーゼルカの父親にして、帝国東部の管理を皇帝から任せられているクラウゼル家当主――――リーガル・クラウゼルである。
ゲイルの不満げな表情に気付いていながら特に気にした様子を見せないリーガルと違い、ゲイルの態度に眉間へ皺を寄せた男性がクラウゼル家の長男であり、次期当主でもあるハロルド・クラウゼルだ。
 そして口論になりかけた二人に仲裁として割って入った女性がリーガルの正妻にして、ミーゼルカの義母であるエミュット・クラウゼルだった。

 数年前に成人の儀を終えたハロルドとゲイルは既に帝国東部の各地へ飛んで、都市経営に着手している為に現状、自分達の都市をほったらかしにしてしまっている。ゲイルの不満も最もだろう。

 現状、リーガルの言葉を待つしかないミーゼはゲイルの言動に顔色を変えず、大人しくリーガルの言葉を待っている。

「ミーゼルカ」
「はい、なんでしょうか」

 自身の名前を呼ばれたミーゼは少しだけ緊張した声音で返答する。

 今まで子供として扱われていたミーゼにとって成人の儀を終えた今、初めて大人として――厳しい父親ではなく、クラウゼル家当主とその部下として言葉を交わすのだ、緊張するのも当然だろう。それも議題は自身の今後を大きく左右するモノである。
 そんなミーゼを余所に二人の兄は慣れた様子でリーガルの言葉を待っている。

「貴様に治めてもらう都市は【ネグリア】だ。何か問題は?」
「いえ、問題ありません。しかし、一つだけ質問があります。【ネグリア】はハロルド兄さんが治めている都市の一つでは?」

 リーガルの言葉を聞いて、大人しく頷いたミーゼだったが内心では驚きを隠せないでいた。

 交易都市【ネグリア】。
 クラウゼル家が皇帝から管理を任されている帝国東部においてリーガルが直接治め、東部の中心地である【ネバルカ】についで発展している都市である。その特徴はなによりも海に面している事だろう。大きな漁港を所有し、海外船との貿易を行う大きな港町。帝国が別大陸の海外船と交易を行う為の都市として帝国内でも重要な位置に存在する都市だ。

 間違いなく、都市経営が初めてのミーゼが治める都市としては規模が大きい。完全に手に余る代物だ。

「勘違いされては困るが最初から完全に貴様へ【ネグリア】を預ける訳ではない。【ネグリア】は冒険者ギルド等の人が集まる場所だ。まずは【ネグリア】へ赴き、為政者としての足場を固めろ。その後、貴様の手腕を判断して分け与える領地を決める。どういう意味か、分かるな?」

 そこまで説明を受けて、ようやくリーガルの意図を理解する。本来、帝国四大門の人間であれば成人の儀を行う前にある程度、貴族の間で伝手のようなモノが形成されている。
 しかし、実家に軽視されているミーゼにはその伝手が無い。将来の投資として一応、顔合わせをしているくらいだ。
 だからこそ【ネグリア】へミーゼが派遣される。【ネグリア】は大陸でも有数の交易都市であり、人口の多さは帝国内部でも指折り。人が集まれば組織が出来る。交易商が運営する商会ギルドや冒険者へ仕事を斡旋する冒険者ギルド。都市経営をしていく中で必要となる人脈や優秀な部下を発掘する上でこれ以上適している場所は他に無いだろう。

「ミーゼ、君には二年間だけ僕の下で為政者としての勉強をしてもらう事になる。基本的な政策方針は僕の指示に従ってもらう。その代わり、他の雑務については君に一任する。勿論、僕の部下も残していくから勝手が分からない内は必ず彼らを頼るんだ。【ネグリア】は大きな都市だ。為政者が変わったからと言って、新しい事をする必要は無い。あそこまで巨大な都市を問題無く運営出来るようになるだけでも勉強になる筈だ」

 最初からハロルドには話が行っていたのだろう。ミーゼと一緒に驚きの表情を浮かべていたゲイルと違い、特に驚いた様子を見せずにリーガルの言葉を補足するハロルド。人の良さそうな柔和な笑みを浮かべるハロルドを見て小さな溜息を吐く。

 言い換えてしまえば、【ネグリア】の実権はハロルドがそのまま握り、ミーゼは人材集めに精を出す。ミーゼの部下となる残されたハロルドの部下はミーゼがとんでもない方針を指示した時に抑え込む為の鎖だ。
 そして、ハロルドから与えられる指示に答えて結果を残す事でミーゼの為政者としての適性を判断してもらうという訳だ。

 兄として――身内として話すハロルドは優しい兄の印象が強いが、公人として話すハロルドはどうにも食えない人物のようである。とはいえ、リーガルの判断は正しい。ハロルドと敵対している訳でもないし、ハロルドが口にしたように大きな都市を問題無く運営するだけでも為政者として勉強になるだろう。
 それに人材集めや人脈作りをしていく上で恵まれた都市である事は確かだ。多少、頭を押さえつけられて不自由な気もするが為政者としての基盤を作る期間を与えられたのは感謝するべき事だろう。

 一つ、気に掛かるとしたら対外的にとはいえミーゼを【ネグリア】の領主として据えるか、である。普通にハロルドの部下として【ネグリア】へ赴き、為政者としての地盤を固めても問題は無い筈である。まあ、その辺りは面子を気にしての事だろう。元【ネグリア】の領主はそれだけで効果を持つ肩書きだ。

「【ネグリア】の統治、了解しました」

 頭を下げるミーゼの姿に、少しだけ張り詰めていた空気が和む。ミーゼの言動や価値観が帝国の文化と合わない事は家族全員の認識である。今までは子供の戯言として無視する事が出来た。しかし。大人になった今、簡単に無視する訳にもいかないのだ。もし、ミーゼが妙な言動や政策を打ち出せばそれはそのままクラウゼル家の恥に繋がる。今、この場所で妙な事を言い出したらミーゼと“丁重”にお話しする必要があった。

 勿論、ミーゼ自身も自分の言動や価値観が他人と大きく違う事は生きていく中で重々承知している。そして、この世界を生きていく上で自分の方が間違っている事も。そう簡単に妙な言動をする筈が無い。

 本来ならもう少し揉めるかもしれなかった領地の分配がスムーズに進んだ事もあり、少し家族の中が穏やかな空気を醸し出す瞬間、リーガルが度胆を抜く発言をする。

「ミーゼルカ、お前の婚約者が決まったぞ」
「――――え?」

 婚約者というのはアレだろうか。妻として隣に立ち、一緒に生きていく人生の伴侶の事だろうか。

 ミーゼの表情に驚きが生まれる。勿論、色々な意味で自由恋愛出来るような立場で無い事は理解していた。自分の婚約者が自分の知らない所で決まる事も覚悟していたし、そう言い聞かされながら育ってきたので理解していた。しかし、まさか大人として扱われるようになったその日に知らされる事になるとは流石に予想外である。

 とはいえ、もう決まった事ならば仕方ない。問題は相手がどんな人物であるかの一点だ。色々な意味で問題を抱える身であるが帝国四大門に連なるクラウゼル家の三男坊である。下級貴族からは狙われやすい物件である事は明白であり、帝国四大門の結束を高める為の駒として扱われる可能性も高い。

「へぇ、誰なんだよ、親父殿。“こんな奴”の婚約相手に選ばれた奴は? さぞかし足元を見られたんだろ? 妙な血を入れるのは勘弁してくれよ」
「……ゲイル。そういう言い方はあまり関心しないな。控えるようにしろ。相手に失礼だぞ」
「あら、ミーゼちゃん。結婚、おめでとう」
「いえ、義母さん。まだ、結婚した訳では無いですよ」

 勿論、婚約相手が気になるのは他の皆も同様であり、含みのある言い方をするゲイルとそれを注意するハロルド。ギクシャクしている兄弟の横で朗らかに微笑み、婚約を祝福しているエミュット。

ゲイルの態度はいつもの事なので特に気にしない。むしろ、ゲイル以外の家族がゲイルのような言動を取らない事にミーゼは内心驚いていた。その辺りはミーゼに対して一番思う所がある筈のエミュットが一番婚約を祝福してくれている時点でこの家族の風潮なのだろう。

「安心しろ、お相手はシャロン王女様だ」
「は?」

 その名前を聞いた瞬間、ミーゼの思考が停止する。いやいや、まさか。そんな筈が無い。自分の聞き間違えだと言い聞かせる。

「聞こえなかったか? お前の婚約相手はストネ帝国第四王女――シャロン・フリューゼン様だ」
「へぇ、シャロン様とミーゼがね。まあ、ある意味でお似合いじゃないのか」
「――――ゲイル、いいかげんにしろ。僕はたとえ家族でも帝国に対する不敬を何度も見逃す程、お人好しじゃない」

 少し本気の怒気を乗せた声音でゲイルを睨み付けるハロルドの視線を受けて、ゲイルは反省した様子もなく、肩を竦めるとまだ言い足りなそうに開いていた口を閉じる。その頃になるとミーゼの思考も回復してきており、頭の中からシャロンについてのデータを探しつつ、大きな問題になるだろう事について口にする。

「まさか僕の婚約者が第四王女のシャロン様とは光栄の至りですが、シャロン様は確か目が……」
「何か問題があるか?」
「いえ、何もありません」

 ストネ帝国第四王女シャロン・フリューゼン。彼女はある意味で最も帝国の民に知られている人物である。彼女は生まれつき視力が弱く、一人で生活する事が困難な身体で生まれてきた。

 帝国ではそういう子供の事を悪魔の子として差別してきた文化がある。勿論、王族の子供として生まれてきたシャロンを差別する訳にもいかず、シャロンは普通の子供として育てられている。しかし、そういった情報統制が完璧に上手くいく筈が無い。シャロン様の容態は帝国の民なら知っている公然の事実だ。特殊な育ちという意味では確かにミーゼとお似合いかも知れない。

 とはいえ、ミーゼもシャロンの事を拝見した事もあるが基本的には美しく、高貴な信念を持つ素晴らしい人物である事を知っている。多少のハンデなら十分に周囲の目を引っくり返すだけの能力も持っている。本当に婚約出来るのならとても光栄な事だ。

 しかし、いやだからこそ、ミーゼが躊躇ってしまう大きな問題が存在する。

「あの、ミーゼがシャロン様と婚約するのはとても光栄な事だと思いますが、まだシャロン様は成人の儀を終えていないですよね? 皇帝陛下もそのような時期から婚約者を決めるなど少し急ぎ過ぎでは?」

 リーガルの眼光に言葉を封殺されたミーゼの心を代弁するようにハロルドがリーガルへ尋ねる。

 そう、シャロン・フリューゼンはまだ成人の儀を終えていない九歳の女の子だった。



[41638] 出会いの日(3)
Name: ニョニュム◆473938c4 ID:754c1ba2
Date: 2016/09/06 21:41
 結婚は人生の墓場へ向かう行為だと聞いた事がある。それが転生による知識の引継ぎなのか、この世界で暮らしてきた記憶によるモノだったのかはあまり覚えていない。

 クーデリカ大陸において最大の軍事国家であるストネ帝国。その第三王女であるシャロン王女様が成人の儀を済ませて、名実共に女性として扱われるようになるまで後、六年。六年後、ミーゼが人生の墓場まで足を踏み入れる事は確定した事実である。勿論、六年の間にミーゼが婚約破棄せざる負えない珍事を起こさない事が絶対条件ではあるが。

「それにしても信用無いというか、確実性を重視しているというか……」

 ガタゴトと揺れる舗装状況の芳しくない街道を走る馬車の中、ソファーに腰を下ろしたミーゼが窓の向こう側の景色を眺めて苦笑する。視線の先には大きな海の水平線が広がっていた。

「御主人様は幼少期の頃から少し変わった考えの持ち主でしたので仕方ないかと」
「やっぱり、カトラに御主人様と呼ばれると違和感があるね。元の呼び方に戻ったりしない?」
「正式に私の主となられた以上、以前のような言動は問題がありますので承服致しかねます」

 そんなミーゼのぼやきに答えたのは隣に座るカトラだった。それとクラウゼル家の屋敷で暮らしている間の言動に問題があった事は認めるのかよ、と内心でツッコミを入れながらミーゼはカトラへ視線を向ける。

 家族会議を終えた後、ミーゼはリーガルに呼び止められていた。話の内容としては成人の儀を終えたミーゼに対して祝いの品を送るというモノだった。その祝いの品というのがクラウゼル家でメイド長を務めるカトラであった。この世界は奴隷が普通に売り買いされる文化を持っている。人のやりとりなど珍しい事では無い。

 しかし、カトラは奴隷ではない。理不尽な人事は問題になる。それにクラウゼル家のメイド長にまで上り詰めるほど優秀な人材だ。手放すには惜しい筈。だからこそ、ミーゼはリーガルの意図を至極簡単に把握した。

 ハロルドを上司として、その部下に指示を出す状況は公人としてのミーゼの行動を抑え込む為に用意された鎖である。
 しかし、それでは私人として動くミーゼの鎖にはならない。私人としてのミーゼの行動を抑える為の鎖が必要なのだ。そこで白羽の矢が立った人物こそカトラだった。

 勿論、カトラは部下にあたるのでミーゼが本気で命令すれば逆らう権利など無い。しかし、ミーゼがカトラに頭が上がらない事と懐いている事は周知の事実。彼女自身、ミーゼを使って悪事を働くような人物で無い事は皆が知っている。私人としてのミーゼの暴走を諌める人物としてこれほど適した人物はいない。

 そしてミーゼとしてもカトラのような優秀な人材を手駒として確保出来る事にメリットはあってもデメリットは無い。本来ならミーゼのような身分を持つ人間ならば年頃になれば放っておいても帝国四大門との伝手が欲しい人材が向こうからやってくる。

 しかし、ミーゼの場合は幼少期の問題行動が貴族の間で噂されている。巨大な船かもしれないが他にも選択肢がある中でミーゼという泥船に乗り込んでくる物好きは今の所、誰一人としていない。

 とはいえ、前向きに考えればそれだけ部下となる貴族同士の力関係や人間関係に悩まなくていい。貴族の部下が増えるというのは一長一短なのだ。

 少なくとも自分に人望が無いだけではない。人望が無い訳では無いのだ。

 ミーゼは自分に言い聞かせながら小さく溜息を吐く。

「どうやらそろそろ到着するようですね。御主人様、降りる準備をしてください」

 思考を巡巡らし、一人で勝手に落ち込んでいるミーゼを余所に窓の外を見たカトラがミーゼへ告げる。その言葉につられて窓の外へ視線を移したミーゼは感嘆の声を漏らす。

 街の郊外からでも見える巨大な港には交易船が並び、堅牢な石壁が街を守る為に建てられている。

「ああ、準備なら直ぐに済む。それにしても街の規模が想像していたよりも大規模みたいだ」
「ハロルド様の統治が上手く行っている証だと思います」

 聞いていた話からイメージしていた街と比べて、想像以上に発達している街の様子を見たミーゼは兄であるハロルドが為政者としてどれほどの高みにいるのか、なんとなく理解した。

 そうこうしている内にミーゼ達の乗った馬車が街の入り口でもあり、街を守る兵士が詰める関所に到着する。街のメインストリートへ続く巨大な関所ではなく、軍事関係の事以外ではほとんど使われていないような寂れた関所である。なるべく一般市民なら近付きたくないような場所で止まった馬車の姿に関所へ詰めていた兵士が怪訝そうな顔を浮かべて馬車へ近付く。

 運転手が慌てた様子でクラウゼル家の印が押されている書類を兵士へ手渡す。最初、怪訝そうな表情で書類を受け取った兵士はクラウゼル家の印を見て、驚いた表情を浮かべると表情を強張らせる。

 いきなりやってきた馬車の中にいる人物が今後、この都市を経営していく事になる為政者が乗っているなど兵士も思っていなかっただろう。規則正しく馬車へ向けて敬礼する兵士に窓から見えるように手を上げて彼らを労う。

 馬車が移動を開始して兵士達の姿が見えなくなった頃、上げていた手を下ろしてミーゼは溜息を一つ。実質的な権限は兄のハロルドが握っているものの自分が彼らの命を預かる立場なのだと思うと急に気が重くなった。責任の重圧とは中々、重いらしい。

「多少は人の上に立つという事がどんなに大変な事か、理解されたようですね」

 いきなり疲れた様子を見せるミーゼを見ていたカトラが微笑する。

「確かに何も考えず、家柄を盾にして好き勝手していた子供の頃が楽だったかもね」

 しかし、ミーゼの仕事は人々の先頭に立ち、先導していく事だ。追々、慣れていかなければいけない。

 関所を通り抜けるから数分、馬車の中からリラックスして街の風景を眺めていると小さい悲鳴と共に馬車が突然、停止する。

「ふぎゃっ!」

その反動で窓の向こう側を眺めていたミーゼは窓ガラスへ思い切り顔面をぶつけてしまう。

「何か、ありましたか?」
「も、もし訳ありません! 丁度、餓鬼が道に飛び出してきて……」

 顔に手をやって涙目になっているミーゼを見て、眉間に皺を寄せたカトラは急停止した運転手へ問い掛けると運転手は緊張した声音で前方を指差す。

 そこには何が起きたのか理解していないのだろう。きょとんとした表情で馬車を見つめる薄汚れた薄着と首に黒い首輪をした小さな女の子がいた。その近くには今の状況に気付いたのか、顔面蒼白になっている母親の姿もある。母親の姿も子供と同様だ。

 同じく異変に気付いたミーゼも窓から外を覗き込み、二人の姿を見て顔を顰める。

「おい、貴様らみたいな奴がこの方の馬車を止めたらどうなるか――――」
「カトラ、いいから行かせろ。ここで時間を潰す方が惜しい」
「とのことです。奴隷に構う暇があるならその子を避けて先に進みなさい」
「りょ、了解しました」

 冷酷に表情の消えたミーゼの命令にカトラは頷き、運転手へそれを伝える。少女を抱えて脇道に移動すると地面に頭をこすり付ける勢いで頭を下げている母親を横目に動き出した馬車の中でミーゼは頭を掻く。

 知識としては理解していた。しかし、現実問題としてミーゼが暮らすような階級で奴隷を連れまわすような馬鹿はいなかったので奴隷を見るのは両手で数えるくらいである。あの家族も既に飼い主がいるのだろう。

「ご主人様、到着したしました。お降りください」

 カトラの言葉に考え込んでいたミーゼは顔を上げる。そこには立派な洋館があった。ここがミーゼの仕事場であり、二年間暮らしていく事になる家だ。

 洋館で働く者達全員で自分を出迎えているのは圧巻である。

「クラッド・ハウゼリアと申します。ハロルド様の命により、ミーゼルカ様のお手伝いを任されました。分からない事などございましたら私におっしゃってください」

 馬車を降りると金髪の美青年が頭を下げていた。

「そうか、ご苦労。名乗る必要もないと思うがミーゼルカ・クラウゼルだ。そしてこっちは侍女のカトラ。僕の生活に関する一切は彼女に任せてある。時間が空いた時に打ち合わせをしておけ。それとこの町の状況について纏めて報告書を作れ。簡易的な物で良いから今日中にだ。町の問題が解らない限り、仕事のしようがない」
「了解しました。どちらにせよ、今日の業務は用意していませんので少し町を見て回ってはいかがでしょうか?」

 上下関係をハッキリさせる為、少し高圧的に命令するミーゼとその命令に頷くクラッド。

「それもそうだな。少し町を見て回る。護衛はカトラだけでいい。この町を少し観光してくる。その意味が分かるな?」
「……了解しました」

 ミーゼの言葉にクラッドは少しだけ驚いた表情を浮かべるがミーゼの意図に気付いて、しっかりと頷く。

「カトラ、ついてこい」
「分かりました。打ち合わせについてはまた夜にでも」

 そう言って洋館から飛び出し、町へ繰り出すミーゼとカトラ。

「ご主人様、一体どちらへ?」
「そんなの決まってるだろ?」

 行先を尋ねるカトラにミーゼが言う。

 確実に帝国最大。もしかしたら大陸の中でも最大かもしれない【ネグリア】の最大市場――――そう。

「奴隷市場だ」



[41638] 出会いの日(4)
Name: ニョニュム◆473938c4 ID:754c1ba2
Date: 2016/09/06 21:42
 ストネ帝国において最大級の交易都市である【ネグリア】。その中で最も栄えている市場が奴隷の人身売買である事はあまり誇れるような事では無いがこれには勿論、理由が存在している。

 本来、奴隷市場というものは無法者が蔓延る治安の悪い地区に形成される傾向がある。その為、奴隷商人と客との間でトラブルが起きる事は珍しくない。血が流れる事もしばしばある。その全てを潰してしまえば問題無いのだが、交易都市である【ネグリア】は他国との玄関口でもある。

 国内外から売られてくる奴隷。国内外から売られていく奴隷。その数は膨大なモノであり、一つの都市が“無かった事”に出来る規模を大きく超えている。治安の低下はどうしても避けられない問題なのだ。

 その対応策として【ネグリア】という都市自体が奴隷商人の組合を設立して、奴隷商人に対して奴隷市場の場所を提供する事で【ネグリア】によって指定された場所以外での商売を禁止した。勿論、奴隷市場の警邏を欠かさない。これにより多少の人件費を圧迫する事になったが奴隷市場で起きるトラブルの量は激減した。結果的に見れば、治安の向上に貢献している。

 それになにより奴隷商人としても【ネグリア】の組合に参加する事は非常に旨味が存在する。【ネグリア】を統治する領主は帝国四大門の一つであるクラウゼル家。つまり、組合に参加するという事はクラウゼル家という後ろ立てを得る事と同義である。他の都市で普通にまかり通っている奴隷を買いに来た貴族による横暴な要求を跳ね除ける事が出来るのだ。

 そんな奴隷市場という名とは裏腹に整然と店舗が立ち並んでいる場所の一等地。つまり、【ネグリア】の――――ひいては金の掛かる奴隷市場の治安維持に“協力的”な奴隷商人から与えられていく恵まれた立地に位置する店舗の一つ【妖精の港】と看板を掲げる店の前でミーゼは足を止めた。

 帝国において、奴隷というのは一つの職業として成り立っている。大概の人間は金に困った貧乏人であり、例外と言えば人攫いにあった人間くらいだろう。そして奴隷の仕事というのは大きく分けて二つに分類される。性別によって分かれていると言っても過言ではない。どちらも肉体的な労働であるが労働する時間帯が昼間か、夜間であるかの違いくらいだ。特定の特殊な趣味の持ち主以外では昼間と夜間で男女の労働時間の比率に差がある事など説明せずとも察する事が出来る。

 ミーゼが興味本位で足を止めた【妖精の港】は所謂、夜間に働く少女達。それも生娘をウリとして販売を行っている店舗であった。勿論、奴隷市場の一等地に店を構える【妖精の港】は都市の中でも有名な店舗であるが初めて都市を訪れたミーゼがソレを知る由もない。

 しかし、帝国において奴隷の使用方法は大体、二分されるので【妖精の港】がどういう店舗であるかは理解している。

「御主人様。成人なされた以上、その行いに対して口出しするつもりは御座いませんが、着任した当日に奴隷買いは少々噂になると思いますが?」

 明らかにそういうお店である【妖精の港】の前で足を止めたミーゼに対して少しだけ眉を顰めたカトラが告げる。クラッドにもそれとなく言っていたがまさか本当に奴隷を購入する気だとは想像していなかった。

「まあ、それは仕方ないかな。だけど、こちらの顔が奴隷商人に知られていない今だからこそ、奴隷市場の本当の顔が拝めるかもしれないじゃないか」

 【ネグリア】は奴隷商人を手厚く保護している代わりに厳しく管理している。しかし、人攫いに誘拐された奴隷のようにクラウゼル家には言えない身分を持つ“記入漏れ”した奴隷がいる可能性は一概に否定出来ない。勿論、ミーゼ程度が思い付くような事なのだ。ある種の伏魔殿に近いこの都市を問題無く管理・運営していたハロルドが思い付かない筈が無い。奴隷商人を締め付けすぎて反感を買うよりある程度、裏道を用意しておく事で旨味を残した方が奴隷商人も大人しく【ネグリア】の方針に従う筈だ。

 ミーゼが確認したいのはその裏道がどの程度の規模なのか、という所だ。

「それにこの人事には僕も“技能を使う”。それも第二段階だ。カトラも気合を入れて吟味した方が良い」

「奴隷を見定めるのに技能を使われるのですか?」

 ミーゼの持つ技能を知るカトラはその発言に首を傾げる。ミーゼの持つ技能――――所謂、魔眼の発動には少なからず本人に負担が発生する。瞳を酷使する肉体的な疲労と魔力を消費する精神的な疲労である。あまり乱用する事の出来ないチカラである事は本人が一番理解している筈である。
 なにより女性の奴隷に必要とされるのは容姿とスタイル、外見で全てが分かる。魔眼のチカラを使う必要は無い。それも負担の大きい第二段階まで上げる必要は無い。

「う~ん、カトラにしては察しが悪いな。僕は最初に人事と言った筈だよ」
「…………正気ですか?」

ミーゼの発言を受けて思考を巡らせたカトラは一つの結論へ辿り着き、それがどのような結果をもたらすか理解した上でミーゼに確認する。

「勿論、良さそうな奴隷がいるなら買い取って僕専用の侍女に育て上げるつもりだよ。奴隷達をそのレベルまで教育するのはカトラだからよろしくね」

 奴隷を御付の侍女にするなど帝国の歴史上、聞いた事が無い。褒められた職業ではないかもしれないが奴隷は職業の一つである。そして職業としての身分は相当低い。そんな人間を侍女として雇い入れるなど他の人間ならば夢にも思わないだろう。何故なら、部下とは主の鏡である。無能な人間が部下に揃っているようなら主も無能。有能な人間が揃っているならば主も有能。そんな価値観が存在する国で奴隷を部下として雇うと考える人間が出てくるなど予想外だ。
 しかも、それを考えたのは三男とはいえ帝国四大門の家系の人間から。

「ミーゼ様、それだけは承服致しかねます。リーガル様からのお言葉を忘れたのですか?」

 本人でも気付かない内にカトラの言葉使いが昔のものに戻っている。それだけ今回の奇行はカトラの想定外であり、絶対に阻止しなければならないものなのだ。
 シャロン王女と婚約する上で最低条件となる限度を大幅に超えている。シャロン王女に奴隷が入れた飲み物や奴隷が触れた衣服を着せるなどあってはならない事である。
 極論を言えば、同じ敷地に存在する事がおこがましい。シャロン王女本人が許したとしても周囲の人間がそんな不敬を許す筈がない。

 思わぬ反論を受けたミーゼはカトラが致命的な勘違いをしている事に気付き、苦笑する。

「いや、流石に身分が奴隷のままでクラウゼル家の使用人を名乗らせる訳無いだろ」
「では、どうするおつもりで?」
「まずは侍女として必要な技能を全て学ぶ学校を作る。そこでカトラが奴隷達に侍女の全てを伝授して、その上でカトラが部下として“使える”レベルまで成長した奴隷から僕が個人的に金を貸して、僕から自分を購入する。これで奴隷と言った職業ではなく、僕に個人的な借金を抱えている一般市民の出来上がりだ。僕の借金を返す代わりに侍女として働く。これなら僕は奴隷を雇った事にはならないだろ?」

 確かに言葉遊びのレベルであるが理論上は可能である。しかし、その行為自体が金の無駄遣いだ。奴隷は購入したその時から給与を与える必要のない“所有物”である。持ち物をどう扱おうが持ち主の裁量一つなのだ。
 そんな持ち物に給与を与えるなど無駄遣いでしかないのだが、仕方ない事かもしれない。

 ミーゼが今、個人として持っているモノはクラウゼル家という名前とそこから与えられる富だけなのだから。

 勿論、借金の形として働くというのはそう珍しい事では無い。だが、もしも――。

「いつまでも“使える”と判断出来るレベルに上達しない奴隷がいた場合、どうするおつもりですか?」

 帝国四大門のクラウゼル家に雇われる侍女となれば、求められるレベルは当然高い。御付の侍女ともなれば護衛も兼ねているのである程度戦えなければならない。狭き門である事は変わらない。

「ん? それならどうしようもないんじゃないかな? 侍女としての仕事を教えた分を上乗せして、他に売るよ。能力の無い人間を手元に置いておく必要は無いからね。それにクラウゼルの侍女として不合格でも他のとこの侍女としてなら十分に役目を果たせるでしょ。勿論、奴隷として売るから侍女の役目を貰えるかどうかはしらないけど。それにそんな事が無いようにする為、目を使うんだから」

 ミーゼの持つ技能の第二段階――つまり、能力識別Ⅱは魔力の消費と瞳への負担を増加させる代わりに能力数値の細分化と成長限界の認識が可能となる。現在の数値を十段階評価でしか見分ける事の出来ない第一段階と比べて詳細な数値の認識が可能となるのだ。
 そしてなにより有効なのはその人物が至れる可能性――成長限界を認識出来るという事は現状ではなく、将来的な得手不得手を判断する事が出来る。

「まあ、正直な所、お金を出して勉強を教えただけで手駒になるような物件があるなら利用しない手はないよね」

 自分の手元で育て上げた侍女なら隠密のような心配も無い。それに奴隷としては破格の扱いである。ミーゼに感謝して、忠誠を誓う事は容易に想像出来る。絶対に裏切る事は無いだろう。そんな人物をお金を出すだけで手駒として使えるなら安いものだ。
 勿論、元奴隷という身分の人間で賄えるのは侍女や下級の兵士といった身分の人間だけであり、相応の地位に就く人間には相応の身分と経歴が必要となってくる訳だが。

 そう言って小さく笑うミーゼの姿にカトラは初めて畏怖を抱いた。



[41638] 出会いの日(5)
Name: ニョニュム◆473938c4 ID:754c1ba2
Date: 2016/10/06 22:39
 カトラとの話し合いを終えたミーゼは【妖精の港】に足を踏み入れた。店内を見渡すと店内は薄暗く、淡く光る赤色のランプが光源としての役割を果たしていた。少し鼻に付くような甘い香りが店内に充満している。恐らく、なにかしらの香を焚いているのだろう。
 ミーゼには少し苦手な匂いであり、気付かない内に眉間へ皺を寄せている。
 実際に行った事や利用した事は無いが奴隷の販売店という割には内装が娼館そのものである。

 ミーゼは少しだけカトラの様子が気になり、チラッと自身の後ろに控えているカトラへ視線を送るが嫌悪感のような気配を顔に出したりしていない。勿論、ミーゼの護衛も兼ねている立場なのでこの程度の事で動揺する筈は無い。

 それよりもミーゼが意識を向けるべき相手は他にいる。ミーゼが来店した瞬間、疑り深く観察するような視線を向け、メイド服を纏ったカトラが続いて来店した時に何か察した様子で胡散臭い柔和な笑みを顔面に張り付けた店主の方である。

「ようこそいらっしゃいました【妖精の港】へ。本日はどのような御用件でしょうか?」
「奴隷を少し拝見させてもらいたいんだけど大丈夫かな?」
「ええ、それは勿論です。よろしければお連れ様には休憩室でお茶でもお出ししましょうか?」
「いえ、お気遣いなさらずに。旦那様を御一人にするなど私の職務に支障がありますので」

 奴隷市場の一等地に並ぶこの店を訪れて、奴隷を購入する事以外の要件があるのか、逆に尋ねてみたいくらいだ。
 白々しくミーゼ一行に要件を尋ねた店主は不自然さを見せない自然な流れでミーゼとカトラの分断を謀るがカトラがその提案を一蹴する。

 金持ちの子供というのは道楽で奴隷を購入する事が多い。店主の目から見て、御付であるカトラを引き剥がし、ミーゼ個人と話した方が扱い易いと判断したのだろう。
 実際、カトラは優秀な人材である事に違いない。

 とはいえ、ミーゼはここへ奴隷を購入しに来た訳で店主と心理戦をやらかしにきた訳では無い。個人的に使用出来るお金は十分に持ってきている。値引きなどの交渉は最初から考えていない。

 しかし、このまま店主の言い値で奴隷を購入するマヌケを演じるのは少し癪に障るのも事実。少しだけならこちらがどのような人間なのか、アピールするのも悪くない。

「店主、よろしければこの店の品揃えを尋ねてもいいですか?」
「ええ、勿論。当店は基本的に若い女の奴隷を扱っております。もし好みに合わないのでしたら他店の紹介もしておりますが?」
「いえ、大丈夫です。若いと言っても成人の儀――失礼、十五歳を超えているのであれば構いません」

 白々しく成人の儀を話題に出すミーゼの言葉に店主は眉をピクリと反応させる。身元を隠して入店する事の意義を語ったすぐ後に身分をばらしたミーゼに対して呆れるようなカトラの視線が突き刺さる。しかし、店主の変化は一目瞭然だった。

 帝国において成人の儀は一般的な儀式である。しかし、それは子供を十五歳まで勉学に集中させる事の出来る貴族内の話だ。つまり、自然と成人の儀を口にして訂正したミーゼの正体を店主は把握した。
 成人の儀と言う言葉をわざわざ訂正して、十五歳という言葉に変えた意味。貴族ではあるが貴族であると扱われたり、詮索されたりしたくない貴族という事だ。この街で培ってきた経験からそういう手合いは訳ありが多い。

 この店を売り込むべきか否か、笑顔を張り付けた表情の裏でどれだけの可能性を思案しているのだろうか。まあ、実際は普通に奴隷を買いに来ているただの客なのだが。

「そうですか。それでは一部屋ずつ案内致しますのでこちらへどうぞ」

 店主なりの予想を終えたのだろう。成金の子供を扱うような態度から違和感を覚えない程度に少しずつ丁寧な態度へ変化していく店主の役者ぶりに感心しながら店主の案内で店の奥に向かう。
 そこは上に続いている階段といくつかの部屋へ続く扉がいくつも配置されている廊下だった。扉には覗き窓のような物があり、そこから部屋の中にいる奴隷を確認するシステムのようだ。

「お客様が見学されている事は彼女達も判る事になっております。ですが、ご安心ください。彼女達からお客様の顔が確認出来ない仕様となっていますのでお客様の顔がむやみに知れ渡る事はございませんので安心してください。もし、気に入った奴隷がいた場合は仰ってくだされば、感触程度なら確認する事が出来ますので……」

 言わぬが花、と言った様子でニヤリと笑った店主の言葉に頷いて、覗き窓の隙間から部屋の中を覗き込む。カトラから突き刺さる非難の視線が痛い。とはいえ、元々、女性の奴隷はそういう事をする為の用途として販売されているのだから我慢して欲しい。

 カトラの視線に気付いていないふりをして、瞳に魔力を集めて能力認識Ⅱを発動させる。少なくない魔力を消費し続ける疲労感と魔力の負荷で悲鳴を上げる瞳の痛みに眉を顰めながら、流れ込んでくる大量の情報の中から必要な物を認識する。情報の取捨選択は気付いた時には出来ていた。流れ込んでくる情報全てを認識しようとすれば脳の処理が追いつかない。

 部屋の内部は小さな個室だった。彼女達が寝起きする為のベッドと小さいテーブルが置いてあるだけの質素な作り。調度品としてテーブルの上には店内の入り口にも置いてあった香を焚く為の皿が置いてある。そして能力認識Ⅱを発動させたからこそ分かった事がある。店内、そして奴隷のいる小部屋に焚かれている香には多少の発情を促す効果があるようだ。まあ、この程度の精神異常をきたす香に違法性は無い。ニホンで言うリラクゼーションを促す香と似た様な物だ。そういう店なのだから多少の小細工は仕方ない。

 そして個室の中にいた奴隷の少女は少し怯えた様なぎこちない笑みを浮かべて覗き窓から見ているこちらへアピールをしている。衣装は男の欲情を誘うような薄着であり、怯えているものの香の効能で少女の顔は少し赤い。容姿はまあ、及第点と言った所だろうか。

 店内の入り口で大量に香を吸ってしまったおかげで判断力がだいぶ鈍っている事は認めよう。これくらいの容姿なら手元に置いておいてもいいか、なんて思考回路が脳内を駆け巡るがそれでは店主の思い通り過ぎる。流石にそれは気に食わないので冷静に少女の能力を認識する。【能力】や【技能】についてはあまり高くない。現状、【能力】や【技能】が低い事はそこまで問題じゃない。しかし、少女の成長限界が低い事は問題だ。総合的に判断してこの少女を購入するのは無しだ。

 覗き扉から目を離して、小さく呼吸を整える。まあ、記憶の無い曖昧な前世を含めればそれなりの年齢になる僕も今は若い男な訳で、少し気軽に構えていたが少々、不用意な状態で足を踏み入れてしまったかもしれない。素直にクラウゼル家との伝手が欲しい冒険者の中から優れた人物をスカウトした方が良かった可能性もある。

 とはいえ、信頼関係を築く必要もなく、お金で解決出来る部下がいるのならそれほど楽なモノは無い。発情効果に惑わされぬよう心の中で気合を入れつつ、次の覗き窓を覗き込んだ。









「ふぅ、これで最後かな? 流石に負担が大きいかな……」

 最後の部屋にあった覗き窓から目を離し、魔眼の発動を停止する。【妖精の港】で販売されている商品を全て認識するのは流石に疲れた。おそらく入店から一時間ほど経っている筈だ。【妖精の港】で売り出されている商品全員の能力は把握した。採用基準がクラウゼル家のメイドたちと同様にしたからかもしれないが二十数名ほどの奴隷から採用基準を超える事の出来た奴隷は四名ほどだった。

 まあ、潜在的な能力とはいえクラウゼル家のメイドとして十分に働ける能力まで成長する可能性がある奴隷が四名もいた事の方が驚きかもしれない。
 勿論、メイドとはいえクラウゼル家の名を冠する以上、潜在能力は一流クラス。容姿とスタイルも平均以上だ。正直、発情効果のせいで容姿とスタイルの要求レベルが上昇している事については否定しない。

「この店に並んでいる商品はこれで最後かな? それなら四名ほど連れて帰りたい商品があるんだけど」
「よ、四名もですか? 勿論、構いませんが話してみなくて大丈夫なのですか?」

 奴隷とはいえ性格の不一致による使用頻度でクレームをされても困る。クラウゼル家の名前があるとはいえそうほいほい使っていい名前ではない事を理解している店主としてはトラブルの種になりそうな事は早めに摘み取っておきたいのだろう。

「安心してください。言う事を聞かないような奴隷に言う事を聞くように“指導”するのも楽しみの一つですから」

 自分で発言したものの、その気持ち悪さに鳥肌が立った。勿論、僕に加虐的趣味がある訳じゃない。メイドとして育てる以上、彼女達はカトラの部下になる訳だ。それならメイドとして問題があるようならカトラから“指導”がある筈だ。

 明らかに勘違いを促す発言であるものの店主は納得した様子で頷くと思い出したようにニヤリと笑う。

「そのような趣向を好まれるのでしたら、彼女も紹介した方が良いのかもしれませんね」
「彼女とは?」

 一度に四名もの奴隷を購入したせいか、店主の表情は緩い。そんな店主の言葉に耳を傾ける。

「間違いなく当店で一番の美貌を持つ奴隷です。ですが、性格に少々問題がありまして……」
「そうなんですか? それは少し興味がありますね」

 つまり、客と接する機会のある店内に“展示”出来ないほど問題を抱えた性格の奴隷がいる訳だ。まあ、店としても感触を確認する為に面会した客に奴隷が何かしたとなれば信用問題に直結する。そんな奴隷を話題に出してきた時点で店主がどういう勘違いをしているのか分かる。それに一番の美貌に興味が無い、とは言わない。

「そうですか、それではこちらへどうぞ」

 僕の反応を見て、興味ありと判断した店主は華やかな表通りに面した入口とは反対側にある裏口に僕達を案内する。

「――――ッ」

 息を呑む、という言葉の意味を今日、初めて理解した。目の前には数人の少女が入っている檻がいくつも並んでいる。ある程度、奴隷を種類別に分けているのだろう。髪の色が違ったり、肌の色が違ったり、変わり種では四肢の一部が欠損していたりする。身に着けている物からして【妖精の港】に“展示”されていた奴隷とは明らかに扱いが違う。

【妖精の港】というブランドでは商品にならない品物でも普通の奴隷として商売する分にはなんら問題は無い。

「一応、面倒事は嫌なので尋ねておきますが市政の許可は?」
「ええ、勿論大丈夫ですよ。御心配なさらずに。きちんと市政の許可を得ればどのような奴隷でも取り扱える。それがこの都市の魅力ですから」
「それなら問題ありません」

 哀れだと思うな、これがこの世界では普通の事なのだ。そう、自分の心に言い聞かせる。

 これが奴隷の現実だ。【妖精の港】では奴隷を買ってもらう為にある程度の手入れを行っていただけで、商品価値の低い奴隷ならそれなりの手入れしか受けられない。ここはそういう場所なのだ。ある意味で最もこの都市の表情を表している強烈な洗礼に頭が痛くなってくるが表情には出さない。

「どうも汚い所をお見せして申し訳ございません。紹介したい奴隷はすぐそこの小屋に居ますので……」

 店主の示した方向には土壁と木造の屋根で出来た小汚い小屋があった。酷い扱いを受けている奴隷が入った檻を横目に小屋の前まで移動すると店主が静かに小屋の扉を開く。

「まだ、調教が済んでいないので危険ですからあまり檻に近付かないようにしてくださいね」
「ええ、大丈夫ですよ」

 店主の注意に頷いて、小屋の扉をくぐり中へ入る。

「ッ」

 最初に感じたのは異臭。時間感覚を無くす為か、昼間だというのに日の光一つ入らない小屋の中で空気の換気が行えていないのは至極当然なのだろう。そして小屋の中には鉄格子の檻があり、その中で一人の少女が三角木馬に乗せられていた。

 両手両足は拘束具で身動きが取れないようになっていて、なにより衣服を与えられず少女の恥部は丸見えの状態だった。

 ある意味で外にいる奴隷よりも扱いが悪い。

「どうですか、かなりの上物でしょう。貧困に苦しんだ村を助ける為と言って、売られてきたんですがどうにも本人曰く、私が彼女を買い取った金貸しに騙されたとかなんとか。勿論、誘拐等の犯罪行為ではなく、莫大な借金を抱えた村の身代わりですから正式な奴隷として書類の方も手続きが済んでおります。しかしながら、本人がそれを自覚していないようでして、金貸しと村のトラブルに私は関係ありませんからね。私は持ち込まれた奴隷を買い取っただけなんですよ。それに村では猟で生計を立てていたようでして腕っ節も中々のようでして反抗的だとこちらとしても困るのです。なので、今は自分が奴隷という商品なのだと自覚させている所なんですよ。元々、これほどの上物なら【妖精の港】ですぐにでも販売したい所だったのですが。勿論、初物なのは買い取る際に確認しています」

 劣悪な環境に身を置く事で自身が奴隷という商品になったと自覚を促すと共に買い取った主の下で奴隷以下の扱いから奴隷程度の扱いになる事での印象操作。つまり、拷問にも似た調教を受けている彼女は今、精神破壊に似た行為を受けていた最中なのだろう。

 そんな人としての尊厳を砕く為の環境に身を置きながらそれでも店主の言葉通り、彼女は美しかった。肩まで届く乱れた赤毛は朝とも夜とも分からぬように日の光を入れぬ室内で揺らめく蝋燭の火に照らされて燃えるような煌めきを見せ、相手を射抜くような鋭い眼光を向ける赤い瞳はガラス玉のように澄んでいる。絹のように滑らかな肌が少女の美しさを何倍にも増長させていた。

 この際、ハッキリと断言しておこう。カトラという身近な女性のおかげで気付かぬうちに高騰していた美人のラインをぶち抜いて、ミーゼの好む容姿のど真ん中を貫いていた。

 香を焚かれていた店内から離れたお蔭で冷静に彼女を観察しているが店内だったら能力の確認すらせずに躊躇わず彼女を購入していただろう。

 なによりミーゼが彼女を気に入ったのはその瞳である。少し前まで虚ろだった瞳はミーゼ達の姿を見つけると恥じらうような表情を見せず、敵意むき出しの睨み付けだ。自身が圧倒的に不利な状況で見せた威嚇という態度に彼女の性格がどのようなものか、なんとなく察しがついた。その上でそれなりに腕が立つというのなら確かに拘束具を外して店内に並べる事は出来ないだろう。

 能力認識Ⅱがミーゼに与える負担は大きい。店内の奴隷を値踏みする際、瞳をかなり酷使しているがこれで最後だ。ミーゼは深呼吸をすると瞳に魔力を集める。

 ――――瞳を発動させた瞬間、ミーゼは息を呑む。

 現状の能力値で見ると事前情報通り武力関係以外の能力値はそこまで高くない。成長限界もそこまで高くない。クラウゼル家のメイドを名乗るには必須と言える家事関係の成長限界は合格レベルに達していない。

 ミーゼが息を呑んだのは武力関係の成長限界が軒並み上限に達している事だ。かつて一度だけ帝国最強と名高い英雄に会った事があり、その時に興味本位で瞳を発動させた事があるが、彼女の成長限界は帝国最強の英雄と同等である。勿論、現状の能力値ではその辺の夜盗を撃退出来る程度であるが。

 それよりもミーゼの興味を引いたのは彼女の持つ【勇気持つ者(ブレイブホルダー)】と呼ばれる固有技能だ。固有技能とはその名の通り、修練では会得することの出来ない生まれ付きの技能である。有名な固有技能と言えば魔法を使う才能だ。

 帝国四大門に連なる一族なので優秀な人材とされる人物の能力は見慣れているがその中に【勇気持つ者】という固有技能を見た事が無い。なにより【能力認識】では本来なら技能の持つ効果を調べる事が出来る筈であるが【勇気持つ者】が所持者に与える効果を分析出来ていない。つまり【勇気持つ者】という固有技能は【能力認識】という固有技能より上位に存在する技能という事なのだろう。

 とはいえ、【勇気持つ者】――――つまりは勇者。その名前から技能の効果は予想がつく。
それにある程度、安定しているとはいえ戦乱が続くこの大陸で英雄は数多く存在しているが勇者と呼ばれた人物は歴史上、一人しかいない。

 勇者ミスティナ――――黒の時代と呼ばれる国家間戦争が激化していた時代。自然発生する魔物の発生率が急増した為、当時の人々は国家間戦争をしている余裕がなくなり、大陸の人間全てが一丸となって、急増する魔物を駆逐していった。その時、国家間の調停役として活躍し、魔物駆除の主力となった人物だ。

 姓が無い時点で彼女が貴族の血筋では無い事は確定している。しかし、黒の時代の文献は極端に少ない為、詳しい情報は無い。判明している事はミスティナが実在して人物で黒の時代と呼ばれた時代が確かにあったという事だけだ。

 しかし、帝国においてミスティナの知名度は低い。理由は単純明快であり、帝国の為に戦争で活躍する英雄がいる状況でわざわざ世界を平和に導いた勇者を普及させる必要は無い。

「もしかして、勇者の転生者?」

 奴隷として売られているには平均的に能力値が高い。それは転生者に多い傾向だ。

 その呟きが彼女の耳に届いたのか、反応は劇的だった。四肢を拘束され、猿轡で言葉を発せない代わりに何度も頷いて、自身が勇者の転生者だと主張している。

「まさか、彼女がこんなに反応するとは驚きです。どうですか? 今は多少、お見苦しい状態ですが、キチンと手入れすればかなり良い所までいくと思いますが?」
「そうだね、気に入ったよ。彼女も貰って行こう。五人分の支払を頼む」
「ありがとうございます。それでは一人につき金貨一枚。彼女はまだ正式な売り物ではありませんから銀貨八枚で構いません」
「そうか、それじゃあ支払を頼む」

 正直、奴隷一人に金貨一枚を使うとは思っていなかったが高級店の値段と思えば納得がいく。

「それではご確認ください」
「はい、少々お待ちください」

 店に入店してから何も言わずに控えていたカトラが金貨と銀貨の混ざった袋を店主へ手渡す。袋の中身を確認した店主は彼女の見張り番をしていた部下に指示を出し、彼女の拘束を解くと疲労で殆ど動かない彼女を抱えて僕の目前へ連れてくる。

「やっぱり、転生者ってつらいよね。特に記憶にある前世の立場と今の立場が大きく違うと……」

 暫定勇者の転生者である彼女は小さく頷く。

「でも、これは仕方ない事だよ。転生者だろうがなんだろうが、今の君は何も成し得ていないただの奴隷だ。転生者だからと言ってチャンスを掴めるかどうかは別問題だ。これからよろしく」

 転生者だからと言って生まれてきた時の状況をどうこう出来る人間は少ないだろう。少なくとも僕はそうだった。だけど、僕は恵まれた生まれだったからこそ、よく分かる。

 ――――彼女はただ、チャンスを掴むという選択肢すら与えられない場所に生まれてきただけなのだ。



[41638] 出会いの日(6)
Name: ニョニュム◆473938c4 ID:754c1ba2
Date: 2016/10/16 20:24
 【妖精の港】での買い物を終えたミーゼは買い物の結果に大変満足していた。相手が奴隷という事で能力的にも容姿的にもあまり期待していなかったが良い意味で誤算が生じた。
 よくよく考えてみれば優秀な“素質”を持つ人間が優秀な“能力”を持つ人間とは限らない。その事は瞳を通じて理解していた筈だった。
 特に確定とまでは言わないが転生勇者を奴隷として買い取れた事は幸運だった。素質を戦闘系に特化している彼女に対する教育は後日考えるとして、まずは奴隷を大勢購入したお蔭で発生している問題について対処していく事にする。

「流石に目立つかな」
「少なくとも道中、周囲の視線が集まる事は確実だと思いますが」
「まあ、当然か」

 ミーゼの呟きにカトラが答える。その返答を受けたミーゼはどうしたもんか、と首を捻り悩み出す。

 【妖精の港】で転生勇者を紹介された時、彼女は全裸であった。彼女を購入した今でこそ、流石に全裸の奴隷を連れて街を歩く趣味は無いので店主に言って真新しい薄紅色のネグリジュを用意してもらい、彼女に着せている。

 しかし、転生勇者を含めた五人は元々、“そういう事”をする為に売られていた。身に着けていた衣服は全ていささか刺激的なばかりなのは仕方ない。はっきりと言ってしまえばネグリジュの生地が薄い為、色々と見えている。
 首には奴隷の証明であり、奴隷が勝手に逃走しないように魔法的な拘束機能を持つ“黒の首輪”を身に着けているので周囲の人々も彼女達が奴隷である事を理解するだろうがほぼ全裸から半裸に近い衣服を着た五人の奴隷を連れて街中を歩くなど目立って仕方ない。

「しょうがないか。カトラ、僕達は近くの宿屋で休憩しているから先に屋敷へ帰って、馬車と彼女達用の衣服を用意しておいてくれないか?」
「申し訳ありませんがそれは承服致しかねます。旦那様を一人にするくらいなら彼女達を連れて街中を歩いた方が賢明です」

 ミーゼの提案をカトラは即答で否定する。カトラの個人的な心境はともかく、カトラは侍女であると同時にミーゼの護衛でもある。いくら統治が行き届いているとはいえ、比較的に治安の悪いこの場所でミーゼを一人にするくらいなら年若い少女達が奇異の視線に舐め回される方を選ぶ。それが護衛として当然の態度である。

「大丈夫さ、ここは一等地の近くで治安も良いし、彼女達の支配権限は僕が握っている。万が一も無い」
「ですが……」
「――――ふざけないでっ!」

 ミーゼとカトラの会話を切り裂いて、怒気を含んだ少女の叫びが周囲に響いた。

 奴隷市場の中に立ち並んでいる宿屋が本来の用途で使われる事はまず無い。わざわざ貿易が盛んな街中ではなく、奥まった区画にある宿屋を好き好んで使う人はいない。そんな宿屋の主だった収入源の大半は自宅へ帰るまで奴隷で遊ぶ事を我慢出来ない客だったり、一定の金額を払い奴隷と色々な“相性”を調べる為に利用する客である

「私はまだ、アンタの奴隷になった訳じゃな――――」
「黙れ。僕は発言を許可した覚えは無いよ」

 瞬間、困った表情でカトラを説得していたミーゼの表情が変化して、冷酷無比なソレに変わる。ミーゼの意思に反応した転生勇者の身に着けた黒の首輪が作動する。黒の首輪から生じた電撃の魔法が転生勇者の体内を駆け巡り、ミーゼに抗議しようとした転生勇者は堪らず膝から倒れてしまう。
 黒の首輪から発生した電撃の後遺症で身体が麻痺した状態で自由の利かない転生勇者の髪を掴んだミーゼは転生勇者の顔を起こして語り掛ける。

「一つ、言っておこう。僕は君達にとって良い主人でありたいと思っているし、その為に努力していくつもりもある。けれど、それには条件がある。それは君達が僕に対して有益であり、友好的である事が最低条件だ。僕は少なくとも敵意に対して好意で返せるような人間じゃない。それぐらいは理解してくれないかな?」

 それは見る者が見れば脅しそのものと言われても仕方ないぐらいの態度で転生勇者とこちらのやり取りを怯えながら見守っている四人の奴隷に柔和な笑みを見せる。
 ビクビクと怯えながらしっかりと頷いている四人の奴隷とは違い、髪を掴まれている転生勇者は反抗的な態度と視線をミーゼに向ける。
 そして、近付いていたミーゼの顔へ自身の口に含んだ唾を吐き出す。

――――その場の空気が凍ったのを誰もが理解した。

「…………」

 ミーゼは無言のまま転生勇者の髪を離して解放する顔の唾を拭き取り、大きな溜息を吐く。

「分かった、それじゃあこうしよう。今からここで君一人を置いていく。その間、街中で不慮の事故があったとしても僕は誰も咎めない。はっきり言おう。浮浪者達に“遊んでもらう”か、僕と一緒にどうなるか分からない宿屋で休憩するか、今すぐ選べ」
「御主人さま、それは……」
「お前は黙っていろ」
「はい、申し訳ございません」

 珍しいミーゼの無機質な声音にカトラは彼が周囲の目を気にした上での高圧的な態度ではなく、本当の怒気を含んだ発言だと理解した。
 そして怒気をぶつけられた転生勇者本人もその事を肌で感じ取った。痺れが取れず不自由な身体を起こして周囲を見渡す。道中の真ん中で起きている騒がしいトラブルに周囲の視線が集まっている。勿論、その中にはミーゼの発言を聞いて“意図”を理解した人々の視線も混じっている。彼女に選択肢など最初から無かった。

「…………何でもありません」
「そう、それじゃあいいよ。身体の方は大丈夫かな? カトラ、馬車の手配はよろしくね」
「――――了解しました」

 自身に纏わりつく汚らわしい視線に転生勇者は精一杯の抵抗として顔を伏せ、ミーゼに答える。その返答に満足したミーゼは有無も言わせぬ雰囲気でカトラに指示を出し、宿屋の中へ入っていく。こうなると意地でも意見を変えない事を知っているカトラは説得を諦め、転生勇者の身体を起こし、土を落とす。

「貴方がどのような場所で育ったのかわかりませんが自身の命があった事を感謝しなさい。あの方は敵意には敵意を返すお方です」

 そう言うとカトラは馬車の手配をする為に街中の人混みへ紛れていく。

 恐怖でミーゼに従う四人とは違い、あれだけ反抗的な態度を見せた転生勇者は自身が本当にミーゼの奴隷になってしまった事を理解して、声を殺して泣いた。








 ミーゼが適当に見繕い、選んだ宿屋の一室には当然のように重苦しい空気が流れていた。大勢で休むと言った筈なのに、部屋に“一つ”しかないベッドに腰掛けているミーゼは内心でどうしたもんか、と頭を悩ませていた。

 奴隷である彼女達はミーゼの機嫌を損なわないように彼の言動を注意深く観察しており、転生勇者の態度に問題があったとは言え、上位者の彼に逆らった場合どうなるかハッキリと理解した様子だった。だが、効果覿面過ぎたらしく、彼の挙動一つ一つに怯え切っている。唯一、転生勇者だけは泣き腫らして赤くなっている瞳を隠そうともせず、他の奴隷達を守るようにミーゼと奴隷達の間に割り入っていた。

 転生勇者の瞳には明確な敵意、他の奴隷少女達の瞳には明らかな恐怖。ミーゼに対する第一印象は最悪だろう。恐怖による支配を考えていないミーゼにとって、この印象は頭の痛いモノだった。

 しかし、人と人は会話して言葉を交わさなければ一生理解しあえないのも事実。気を取り直し、前向きに思考を向けたミーゼが口を開く。

「それじゃあまずは自己紹介から始めようか。君達も自分の主人が何処の誰なのか、気になるだろう」
「…………」

 なるべく優しい声音で声を掛けたつもりのミーゼだったが彼女達から返事は無い。転生勇者のような失言による制裁を恐れ、ミーゼの機嫌を窺っているだけである。言動の一々に怯えられてはまともに話も出来ない。内心で溜息を吐き、頭を切り替えて話だけでも先に進める。態度云々についてはこれから矯正していけばいい話である。

「僕の名前はミーゼルカ・クラウゼル。これでも貴族の出身だ」
「えっ――」
「どうかしたかな?」
「クラウゼルと言えば、あの帝国四大門のクラウゼル家でしょうか?」
「ああ、そのクラウゼル家で正しい」

 クラウゼルの名を口にした瞬間、驚愕の表情を浮かべて表情を青くした少女の質問に肯定する。勝手な憶測だったが奴隷になるような暮らしをおくる人々は貴族の事など興味無いと思っていたが流石に帝国四大門の家系くらいは知っているようだ。

「それじゃあ、君から自己紹介してもらえるかな」

 帝国四大門の名に驚いている彼女達を余所にミーゼは転生勇者の方を見て、自己紹介を促す。

「――――ジゼルです」

 ミーゼの問い掛けに対してぶっきらぼうに転生勇者――ジゼルが名乗る。

「いや、済まない。出来れば名前と何が出来るのかを教えて欲しいんだけど……」

 瞳のおかげで彼女達の能力は把握しているが彼女達自身が自分の能力を理解しているか、これから先の教育で重要な事である。

「えっと、その、出来る事はありません。お店で教わる前に買われたから……」
「?」

 躊躇うように口を開き、恥ずかしそうに表情を赤らめるジゼルの態度を見て、ミーゼは首を傾げる。ジゼルが腕の立つ人物である事は能力を見れば一目瞭然、生活していく上で、狩猟などの荒事で生計を立てていた筈。生計を立てていたのだ、腕が立つという自覚が無い訳が無い。少し気になり、周囲に視線を向けてみると他の少女達も恥ずかしそうに表情を赤らめている。

「あ……」

 そこでようやく、ミーゼは自分と彼女達との間で質問の認識が食い違っている事に気付く。瞳の力で既に把握しているとはいえ、ミーゼは奴隷として売られる前にどんな仕事をしていたのか、どのような仕事に慣れているのか、そういった意図での質問だった。

 しかし、奴隷として購入された彼女達からすれば奴隷の仕事はただ一つ。そして、この宿屋は露骨に“そういう”場所である。その上で何が出来るか、と尋ねられたら“プレイ”の話と勘違いしても仕方ない。

「いや、そういう意味じゃない。奴隷になる前、どんな仕事をしていたか、どんな技術を持っているのか、そういう事を教えて欲しいんだが」
「ッ――――、猟師や村近くの魔物退治です。」

 質問の食い違いに気付いたのだろう、顔を赤く染め上げたジゼルが恥ずかしそうに答える。

「こほん、これからよろしく頼むよ、ジゼル」

 なんとなく気まずい雰囲気が流れる部屋で咳払いを一つ、誤魔化すようにジゼルへ声を掛け、次を促す。

「アリスと申します。奴隷になる前は近所のお店で裁縫の仕事をしていました。それと私に出来る事は胸を使ったご奉仕です」

 次に名乗りを上げたのは栗毛の長髪を持つ少女――いや、女性に変わるぐらいの年頃だろうか。おそらく購入した奴隷の中でも一番年上であろうアリスだった。確かに彼女の言う通り、おおらかな表情を含めて随分と立派なモノを持っている。とはいえ、ミーゼがそんな質問をしていない事はアリスも気付いている筈だ。それなのにわざわざ余計な事まで口にした事を不審に思い、アリスがジゼルに笑い掛けている姿を見て理解する。

 ジゼルがミーゼからアリス達を守ろうとする意思があるのはその立ち位置から明らかである。その好意に応える為、アリスはジゼルが勘違いの末に言い放った恥ずかしい言葉を誤魔化す為、余計な事を口にした。

 アリスの意図に他の奴隷も気付いたらしく、顔を合わせて頷いている。

 少々、複雑な気分ではあるが、自身という敵のおかげで彼女達の絆が深まるなら良い事だ。ミーゼは自分に言い聞かせながら次の言葉を待つ。

「ミリィです。以前は酒場で給仕として働いていました。出来る事は口を使ったご奉仕です」

 アリスに続いて、名乗ったのはミリィという少女だった。金色の短髪は活発そうな印象を受ける。実際、アリスと同様にジゼルへ笑い掛ける笑みは見る者の心を明るくさせる。確かに給仕に向いているだろう。

「アスカ・ミツルギ。見て分かると思いますが極東の島国【ヤマト】から来ました。以前は……家事手伝いをしていました。出来る事は手を使ったご奉仕です」
「?」

 次に名乗ったのは鳥羽色の美しい髪を持つ少女――アスカだった。【ニホン】の知識に引っ張られた事は否めないがアスカの言う通り黒髪は極東の【ヤマト】か、その付近の人が持つ髪色であり、この国では珍しい。この都市が外国との玄関口だからこそ出会えたのだろう。

「姓があるなら君は向こうの貴族か何かかな?」

 貧乏貴族が借金で首が回らなくなる事はこの国でもあまり珍しくない。貴族の親が家を守る為に家名を継ぐ長男以外の子供をもっと上の位に位置する貴族へ奉公させる事は金策の常套手段であり、人脈作りの一環でもある。実際、クラウゼル家の中にも数人、下位貴族の令嬢はいた。勿論、その中にはクラウゼル家の種を虎視眈々と狙っているような人物も混ざっている。そういう人物を排除したいのは山々だが、メイドとはいえ平民が入れたお茶を御馳走したら失礼にあたる人物などが訪ねてきた時に活躍してくれるので、切り捨てる事は出来ない。

 【ヤマト】での事情を把握する事は出来ない。しかし、そういう伝手がないような貴族の令嬢が奴隷になるのはあり得る話だ。

「いえ、ヤマトには平民にも姓があります」

 文化の違いというやつだろう。実際、僅かに伝わる【ヤマト】の文献を見る限り知識に存在する【ニホン】と似た文化を持つ国である事は予想出来る。それなら姓があっても可笑しくない。

 最後に残ったのはクラウゼル家の名前を聞いて、露骨に顔を青くしていた少女である。明らかにクラウゼル家の事を知識として知っている以上の何かを隠し持っている。

 特徴的な青い髪は肩に掛かるくらいまで伸びており、ミーゼと視線が合わないように前髪で瞳を隠し、顔を伏せた彼女が呟く。

「あの、その、エアリス・モフコットです。元々、貴族なので文字の読書きと計算ぐらいは出来ます。後、出来る事は虐められる事です」
「モフコット?」

 元々、貴族なら一般教養の数値が他の子よりも高いのは納得出来る。ミーゼが気になったのは何故、クラウゼル家の名を恐れているのかだ。

「も、もしかして覚えていないんですか?」
「? すまない。会った事が?」

 失礼かもしれないがモフコットという家名に聞き覚えは無い。彼女が奴隷になっている時点でモフコット家が下位貴族である事は予想出来る。帝国四大門と下位貴族では関わる事は稀だろう。もしかしたら、晩餐会か何かで出会った事があるかもしれない。

「はい、闘技場での決闘で遠目に一度だけ……」
「決闘?」

 闘技場での決闘とは随分、穏やかではない。決闘はお互いの家名を掛けて戦う重要なモノだ。帝国最大の力を持つ帝国四大門のクラウゼル家に喧嘩を売ってくる貴族など早々いない。

「やはり、覚えていないんですね。ゲイル様は大変強くて、一瞬でお兄様を蹴散らしてしまいましたから……」

 ミーゼの兄であるゲイルは三人兄弟の中で最強の武力を持つ武闘派だ。選民主義が少し強いのでトラブルは多々ある。全然、気にした事は無かったがモフコット家とトラブルになった事があるのだろう。

聞いてみるとトラブルの原因は兄主催の晩餐会で兄の部下であるメイドに貴族を理由にしてうんたらかんたら。

 実際の原因がなんなのか知る由もない。しかし、決闘は圧倒、地位はこちらの方が上。周囲の人間もクラウゼル家に喧嘩を売った家と関わり合いなど持ちたくないだろう。僕もクラウゼル家の人間として見守ったが向こうの田舎貴族のぼんぼんが勘違いしてクラウゼル家に楯突いたくらいの認識でしかなかった。

 田舎貴族が帝国四大門に睨まれれば衰退していくのは当然の事。最終的にクラウゼル家に睨まれたせいでエアリスは他の貴族へ奉公にも行けなかったのだろう。田舎貴族に恩を売る事と帝国四大門に睨まれる事、どちらが良いか一目瞭然だ。

「あー、そのー、僕の手元にある以上、兄貴達には何も言わせない。それだけは覚えておいてくれ」

 どうやら僕は転生勇者だけでなく、クラウゼル家が叩き潰した貴族の子女も奴隷として抱える事になるらしい。


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