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[40213] 【第一部完結】BETAが跋扈する地球に、紅茶ブランデー好きな提督がやってきたら?【Muv-Luv】
Name: D4C◆9f1d95e0 ID:ed951b55
Date: 2019/07/17 17:19
2019年7月17日、第一部完まで書けましたので、チラシの裏から移転。


長らくすいませんでした。執筆から極端に離れていましたが、戻ってきました。
以前night talker様でリビダルヨコシマなる二次創作も書いていましたが、サイト&投稿消失で色々思う所がありまして、創作を再開しました。

第二部の構想はもちろんありますが、先に幕間なり番外編なりで補完していくつもりです。ただarcadia様でなく別の所で他の作品もまとめるかもしれません。またよろしくお願いします。

ではまた。



[40213] 1
Name: D4C◆9f1d95e0 ID:ed951b55
Date: 2014/08/03 22:51




          第一章 「Another BETA」


 疾風怒濤の数年といわれた当時を知る者は未だ多い。その中の一人、『鳴海孝之』は後年、何度も自らの部下たちに“それ”を語った。

 それは1999年8月5日。幼なじみの女性二人より早く任官し実戦――しかも当時としては人類最大規模のBETA反攻作戦といわれた日本本州奪還作戦。通称『明星作戦』に自分と僚友は参加することになったのだと。


「あの日、空はバカみたいに青く澄み切って、そして広かった。あのけたたましい戦場の中でそれが分かったのは、『彼ら』が来たのを見上げたからだ」

 
 それは作戦が始まり、7分と52秒後のことだった。

 突如――後になって知ったのだが、実は作戦開始2分後には宇宙を監視するレーダーで観測されていたらしいが――その時の自分としては、本当に突然現れた。

 艦砲射撃と宇宙からの支援砲撃が終わるか否かという時に、陽光を遮り、空一面を埋め尽くす「艦隊」がその戦場にやってきた。


「BETAには、最も厄介な光線級がいたのは知っているな? もちろん奴らも彼らに反応したさ」


 合成金属の固まりの戦術機でも、数秒と持たず融解・蒸発してしまう熱線。単照射でもそうなのに、それが数百数千と束を重ね、虚空に向かって放たれた。
 しかし蒼穹に浮かぶ船団は、不可視の壁によってそれらをすべて逸らし、あるいは中和し、ただの一機たりとも小揺るぎせず空にあり続けた。


「彼らの反撃はBETA以上に苛烈で、容赦なくて、完璧で、そして何より正確だった」


 コンマ数秒遅れ、千を越える戦船〈いくさぶね〉から放たれた万条の光。それらは地上にいた蟲の群を容赦なく撃滅していった。地表スレスレに向かって放たれた光線は、一切“友軍”に当たることなく、先に攻撃してきた光線級を一匹残らず総滅していった。

 一条の光が百を越えるBETAを蒸発させ、一隻の巡航艦から放たれる光が千を粉砕し、千を越える艦隊が億の敵を鏖殺していく。それも秒単位で続いていくのだから、空から竜の群が襲っているようだった。
 彼らが来てから、実に5分と24秒のことだった。東日本の地表を埋め尽くしていた蟲たちの姿がほぼ消えさったのは。


「友軍といったが、あの時の俺たちはただの観客だった。地の底から溢れ出る悪魔たちを退治しにきてくれた、遙か空からやってきた天の使いたちの活躍のな」


 決死の覚悟で最大級の作戦に挑んだ連隊がこの間、無言だったと、公式の記録でも確認されている。ちなみに、戦場にいなかった遠くの会議場では、全く逆の様相であったとも記録されている。
 
 光線級がいなくなったのを確認したのだろうか。その戦船から更に小さないくつもの船が飛び出してきた。
 彼らは自分たちには決して真似しえない三次元の動きを見せながら、かつて人類同士が争っていた戦場を彷彿とするように、数少なくなった蟲たちを残り一匹まで蹂躙していった。


 彼らはいったい何だ――? それがその場にいた、いや、地球人類共通の疑問だった。


 重光線級が放つ数百の光線もモノともしない厚き装甲。モース硬度15という装甲殻を和紙より軽く蹴破るその銃火。正確無比かつ統率されたその連隊の動き。

 明らかに人為的な手で造られた戦艦の群は、しかし地にいる観客達を無視し、自らの役割を全てこなしていった。

 彼らが来てから実に15分と経過しない頃。横浜に溢れかえっていたBETAの群は完全に消失した。それを確認したのだろうか。
 自分たちの最終作戦目的地である横浜ハイヴのモニュメントに『神の雷』が叩き込まれた。

 それは神の怒りを買った巨大な構造物だったのだろうか。モニュメントと呼ばれた建築物は光の柱が立った後は跡形もなくなり、さらにはその下、主縦坑の最大深度を“斜めに”突破し、半径数百メートルほどのクレーターを新たに建造することになった。


「当時の俺たちは知ることもなかったが、実は世界中で同時に作戦が行われていたんだ」


 南北アメリカとオセアニアを除く大陸各地の前線において、彼らは同様の作戦を展開していた。唯一違ったのは、ハイヴを攻略するのを助けてくれたのは、自分たちの作戦地域だけだった事だ。
 

「半世紀近くも増殖し続けてきたBETAどもが、たった2時間で地表から完全に消えさったんだ」


 宇宙の軌道艦から眺めていた部隊は、“ヒゲのそり残し”が一本も見あたらないような有様だったと、つまらない――実際、彼らもそう表現するしかできない――ジョークを残した。

 そして作戦を完遂した彼らは、来たときと同じように統率された鮮やかな動きで宇宙〈そら〉に帰って行った。

 たった一言だけ、地球人類に大きなメッセージを残して。


『こちら、イゼルローン。繰り返す、こちらイゼルローン。ソル系第三惑星、テラの方々へ。貴官らをこれより応援する』


 地球人類がこの日出会ったのは、もう一つのBETA――「人類に“友好的”な地球外起源種(Beings of the Extra Terrestrial origin which is Amicability of human race)」だった。



ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

「もしもBETAが跋扈する地球に、紅茶ブランデー好きな提督がやってきたら?」

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          第二章 「魔女への恋文」


“2000年1月”某日。国連太平洋方面第11軍横浜基地(仮)、オルタネティヴ4占有区画。

 つい5ヶ月前まではBETAの巣があったその場所は、現在急ピッチで基地の建設が進んでいた。だが主要機能が出来るのはまだまだ先で、全面開設の認可はあと2年はかかると言われている。
 しかし計画に絶対必要な研究機関はすでに帝大から移設されており、同時並行で衛士訓練学校も移設されていた。

「……それで、この忙しい中、何の用かしら?」

 研究機関の中枢、機密事項の集まりと言うべき地下19階の執務室の部屋。
 何よりも先に建設と封鎖をされたその部屋において、一組の男女が向かい合っていた。

「いえいえ、ちょっと米国への貿易帰りのついで。麗しき香月博士への陣中見舞いといったところです。ああこれ、お土産です」

 結構よ、と断りを入れて、白衣を着込んだ女性――『香月 夕呼』は目の前の胡散臭い自称紳士から用件を聞き出す。
 実際、自分は――いや世界は秒単位でそれどころではないのだから。

「それで、オルタナティヴ“6”の連中の動向はどうなの?」

「変わらず、ですな。遙か虚空におわす女王の城に向かい、熱烈なプロポーズを贈り続ける日々、といったところです」

「はっ。変わらない言葉ばかりかけ続ける男なんて、女からしたら恋愛対象にもならないわよ」

「せめて蓬莱の玉の枝や、竜の首の珠でも持ってこいと命じられればいいのですがね」

「……5人の男が求婚者ってわけ?」

「声も出せぬ、手も挙げられぬ男たちは100を越えるかと」

 そして残念ながら、日本帝国はその百の内に入るのだろう。

「しかし、つれない姫の返事を待っている時間も無いため、こうして地上の灰かぶり姫、もとい、その方に魔法をかける魔女殿に話を聞きにきた次第でして」

 男はちらと視線を隣の部屋のドアに向ける。そこに何があるのか、そして誰がいるのかを分かった上でのアイコンタクトだった。

「コロすわよ、あんたら……」

 恭しく垂れている頭ごと荷電粒子砲でぶっ飛ばしてやろうか。8割方本気になった夕呼だが、“愛人”扱いされているのも理性では理解せざるをえなかった。……納得も共感も同調も出来はしないが。

「こっちも変わらずよ。だいたい五ヶ月やそこらで解析が終わるわけないでしょ」

 苛立ちのボルテージも、そろそろ超臨界反応境界面を突破しそうな有様だった。

「それは申し訳なく。しかし12時の鐘が鳴る前までには魔法をお願いしたい……との声が王子様たちから、ちらほらと」

「本命が来るまでは、ほかの女とダンスでも踊ってなさい。そんな甲斐性があるのならねっ」

 しっしっと手を振って訪問者を追い出す。これで出ていかなければ、9mmの熱いベーゼを数発お見舞いしてやるつもりだった。当たらないけど。

「ではそのように……。くれぐれも、お願いいたしますよ、博士」

 来た時同様、音もなく去っていく無礼な訪問者が消え、ダンと机がたわむ勢いの音が響いた。

「……ったく、アポも取っていないのに、厄介な客ばかり来るわね」

 そもそもの原因を思いだし、苛立ちとともに、現状をもう一度眺めることにした夕呼。

 鍵のかけていない机の中から、COPYと判を押されたその資料――『Another BETA』の国連レポートを広げた。



 ――1999年8月5日。突如として現れた宇宙船群、通称イゼルローンは人類を驚愕と混沌の坩堝に叩き込んだ。
 BETAのように、恐怖や恐慌でなかったのは幸いなのだろう。現時点では少なくとも表立ったパニックは起こってはいない。

 なぜなら彼らは、地表に現存するBETAの全撃退という、これ以上ないほどの地球人類への援護をしてくれたからだ。

「まさか半日で6000万kmも跳べるとはね……」

 さらに地上に降りたったあの日の午後。彼らは宇宙へと帰る途上、月、そして火星に有ったBETAのハイヴを――地球では“遠慮”していた武力をこれでもかと振り回し――文字通り、壊滅させ尽くしてしまった。まるで太陽系にピクニックに来た帰りに、ちょっと寄り道でもしていくかという気軽さで。

 だがしかし。これで地球にはBETAの着陸ユニットは降りてこなくなった。少なくともあと数年はだ。
 更には間引き作戦では理論上不可能とまで言われていた、BETAの生息数の激減。これによって人類の寿命はあと30年は延びたとまで言われた。

 人類は沸き立った。イゼルローン万歳、地球万歳、くたばれBETAと。

 一時とはいえ、完全なる勝利と平和をもたらしてくれたイゼルローンに対し、地球はかつてないほどの歓呼のメッセージを宙にとばした。BETAと大きく異なり、地球人類にとって友好的――少なくとも敵対的ではない――行為をしてくれた彼らに対し、公式・非公式問わず接触を試みた。

 最初にもたらされたメッセージは異星の技術を使ったのだろう、避難民のテントにある旧式のラジオにまで電波が入っていた。更には各地域に合わせた言語と文語まで併せて送ってきてくれた。
 そのことから、受信に関しても地球側の稚拙な方法であっても届くであろうと信じ、人類は彼らに希望を託した。

 しかし事態は空振りに終わった。
 彼らは地球からのメッセージに応えなかった。
 彼らは常に一方的なメッセージのみを送ってきた。

「最初は応援……二度目は警告。誰が予想したかしらね、これ」

 8月12日。帰還率8割超という横浜ハイヴ攻略と、友好的異星種との接触という――後者と比べると前者は甚だしく小さい扱いになってしまった――二大ニュースの興奮から覚めやらぬ頃。

 国連が侃々諤々に、今後のBETA攻略戦とイゼルローン交流について語る中で、彼らからの第二のメッセージが入った。

 全世界が見守る中、しかしそれは、一度目のメッセージとは様相が異なり、かなり対応に迷うものだった。

「……衛星軌道および、ラグランジュポイントからの即時全面撤退を希求するなんて、誰が聞くっていうのよ」

 三個連隊ほどの質問が国連から飛び出し、三日がかり不眠不休で内容を一個中隊ほどにまとめ、最新鋭の機器と技術の粋を込めて、彼らが去っていった太陽系外に向けて飛ばした。

 一週間後、新たにメッセージが届いたという報が届き、睡眠不足の職員が色めき立ち、しかし次の瞬間には困惑と失望の色が顔面を青く染めた。

 彼らのメッセージは変わらず――いや、至急の文言がついてはいたが、とにかく内容は変わらなかった。

 国連議会は真面目に、この馬鹿馬鹿しいメッセージの対応に苦慮した。 
 イゼルローンからの要望に応えるべきか。いや何をいう、これは制宙権を確保する策謀に違いない。だが、しかし、実務的に、物理的にetc...。会議は踊る、されど議員は(疲れきって)眠る有様だった。

 結論など出るわけがない。

 そもそも衛星軌道はBETA攻略の大きな柱の一つ。衛星爆撃、戦況の監視、HSSTによる軌道降下作戦などなど、その利用法は多岐に渡る。それを誰が放棄できるというのか。
 ラグランジュポイントは更に大きい、オルタナティヴ“5”計画の双翼というべき部分。非公式ではあるが、十万人を載せることができる太陽系外脱出のための船が、いま正に建造中のだから。

 これがイゼルローンからのメッセージでなければ、と誰もが苦悩した。これを断ったら、もしかしたらBETAに向けた光の柱が自分たちの頭の上に落ちてくるのではないかという妄言まで出る有様だった。

 さらに三日後、結論が出ないまま、最終告知と文言が打たれたメッセージが届けられた時、骸骨一歩手前にまでやせ細った議員たちは、とうとう“半分”だけ要望を聞き入れた。

 文字通り半分。全面撤退ではなく、一時撤退。オルタナティブ5計画も一時凍結。人員の半数以上を地上に返し、機能維持のための要員だけは宇宙に確保した。

 これは政治家的対応という意味では大変正しかったのだが、結果論では赤点対応になった。

 9月3日。イゼルローン初コンタクトから、一ヶ月も経たない頃の事だった。
 H1喀什〈カシュガル〉ハイヴ――通称、オリジナルハイヴ直上に建てられた新たなモニュメントに、それまで誰しもが目を向けなかった。イゼルローンが残してくれた多大なる戦跡と、BETA無侵攻という貴重すぎる時間を、人類はこの一ヶ月間、まったくの無為にしてしまったのだ!

 建てられたのは、モニュメントなどではなかった!
 
「…………30万km以上を砲撃できる個体を生み出してくるなんて、あいつら以外考えもしなかったでしょうね」

 光線級上位種、通称『砲撃級〈カノン〉』。

 ハイヴ直上のみに建てられたそれは、BETAの反応炉と直結しているためか尋常ではない出力のレーザーを天に向かって放った。それこそ、光秒単位の距離で、地球から遠く離れた人工物を撃滅するくらいのモノを。

 かつてBETAが航空戦力に対処するために生み出した光線級のように、今度は対イゼルローンへのための属種を生み出したというわけだ。

 そうして哀れ、宇宙に残されていた貴重な人員の生命と、十年以上かけて建築建設を続けてきた人類の拠点は、宇宙をたゆたうデブリと化したのだった。

 人類に一切の逃げ場なし――宇宙へ飛び出すことは、砲撃級の物理的範囲外である南アメリカ大陸以外からは不可能になり、それも直上に向かって飛び出さなければならなくなった。

 この事態に最も慌てふためいたのは、オルタナティヴ5推進派だった。建前上の地球脱出計画が無効になってしまったからだ。
 しかし主戦派もまた、この事態に口を閉ざしてしまった。大戦略の要である軌道降下作戦は使えず、人類は外縁部からチクチクと攻略することを余儀なくされてしまったからだ。

「ま、国連は非難轟々だったらしいけどね」

 人類の貴重な時間が~とか、イゼルローンが来た日に一斉反攻作戦を開始していれば今頃は~とか。最前線からの陳情・非難は未だに鳴り止んでいない。

「……せめて佐渡島だけでも取り返せれば、現状が違ったのでしょうけど」

 その案がでなかったわけでもない。

 横浜ハイヴ攻略は、誰もが想定していなかった8割超という帰還率であり、その戦力をそのまま佐渡島ハイヴ攻略に向けることは十分可能だった。実際、佐渡島のBETAもイゼルローンが綺麗に掃除してくれたのだから、そのまま突入しても攻略は不可能ではなかったはずだ。

「それなのに、くだらない横やりのせいで不意にするなんて!」

 夕呼の苛立ちは、そのまま日本帝国の嘆きと一緒だった。

 その足を引っ張った相手とは、誰を言おう、米軍だった。
 ハイヴ攻略ほどの大作戦を立てるに当たっては、十分な準備をせねば無用な被害が出る建前だったが、実のところは違う。彼らは横浜ハイヴ攻略で用いるはずだった、とある兵器――『G弾』を使いたがっていたのだ。

 イゼルローンの介入により、明星作戦ではそれどころではなくなり、続いてのコンタクトにかけている期間は強硬派の間でも意見が別れていたのだ。

 しかしイゼルローンはその砲撃級出現後、この四ヶ月間、地球人類と全くコンタクトを途絶した。

 そして再び増え始めたBETAの影。人類が失ってしまった衛星軌道という戦略基地。新たに出現した超光線級という存在。
 喜びと希望に溢れていた八月から一転、再び悲観的な空気が帝国全土を覆おうとしていた。

 今ではオルタナティヴ5の計画は、G弾推進派の5’派と、Another BETAであるイゼルローンとのコミュニケーションを模索する6派に別れて壮絶な争いをしているらしい。
 ……おかげで、机上の空論扱いされている4に対する予算など、ガリガリ削られていく一方だった。

「ほんっと、バカは足下ばかりしか見ないから苦労するわ。仮にイゼルローンとコンタクトが取れたとする。交渉の末、BETA撃退への協力を取り付けられたとする。その間、その後、一体どんな要求をされるかっ」

 あの胡散臭い男――外務省の鎧衣課長がわざわざ進んでもいない情報を知らせに来たのもそのせいだろう。

 表だってはイゼルローンへの積極的な勧誘と美辞麗句の限りを宇宙に向かって飛ばし、しかし決して裏を知られぬよう――夕呼からしたら無駄と滑稽の限りだが――こうして紙の文章や人を使ってイゼルローンについて情報をやりとりしている。

「人類って進歩ないわね。BETAが初めて火星に現れた時のことを忘れたのかしら?」

 夕呼だってイゼルローンの科学力の凄さはこの目で見ている。仮に人類の総力を集めたとしても、あの戦艦10隻の戦力と天秤にかけられるものだろうかとも。

 だがBETAとまるで正反対。イゼルローンの秘密主義は徹底している。情報は決して渡さない。アドバンテージは常に向こう側にある。明星作戦の時だって実体弾は一切使わず、宇宙船の欠片一つさえ残さなかった。

 戦力は比べることさえおこがましい。目的は不明。二度目の警告の意図も不明。現在、彼らがいるであろう惑星の位置も不明。不明不明不明!

「なのに、なんであっちの計画がこっちより多く、人材も資料も資金も費やしているってのよっ!」

 元より大きくない臨界を突破したのか、夕呼はレポートを破き、研究室の床にぶちまけた。

 自分の研究がなかなか進まない苛立ち。勝手なことばかり言う連中のバカさ加減。イゼルローンの読めない意図。人類の置かれた不利すぎる状況。誰も見ていない状況が、沈着冷静なはずの女傑の沸点を超えさせた。

 しばらくして、夕呼は荒くなった息を整え、額に自分の手を当てた。

 仮に……仮に自分の研究が全てうまくいったとする。だがその研究のみではどうにもならないのだ。それをバックアップするいくつかの要素が、どうしても必要になる。脳があっても手足無しでは意味がないのだから。

「宇宙戦艦の一隻や二隻、人類側に融通しなさいよね。代わりに国の一個や二個くらいくれてやるから」


 誰に向けたであろうメッセージに応えたのだろうか。


 重厚なデスクに置かれたパソコンから、メールが届いたという音声が流れた。

「誰よ、こんな時に」

 このアドレスを知っている者、送れる者は限られているので、仕方なくメールをチェックする。カチカチとキーボードを叩く内に、妙なことに気づいた。

――……送信元、不明?

 そんなはずは無い。これはもしや反オルタネイティヴ派からのウイルスか何か? だとしたらすぐにダストシュートすべきものなのだが、夕呼の勘はそれを拒んだ。

 開いてみると、中にあったのは膨大な数字の羅列。文章にもなっていない。暗号か。

「……ふーん、解いてみろってのね」

 試されている不快感よりも、軽く知的好奇心が刺激された。ラブレターだとしても、特別に及第点をあげてもいい。

 クロスワードパズルを解く気持ちで、夕呼は適当な紙の後ろにシャカシャカとペンを走らせる。数字自体はすでに覚えた。後は手順さえ間違えなければいい。

「ポリュビオス……じゃないわよね、頻度分析で簡単に解けるし。サイファじゃなくて、もしかしてステガノグラフィ? 縦読みや斜め読みすると……そんなわけないか。あー、もー、共通鍵さえ分かれば……」

 優雅な線を描いていたペンの先端がいきなり止まる。不意に脳裏を走った可能性に、自分自身驚いてしまう。

――いや、まさか、そんな……遊びにしても度が過ぎている、こんな下らない洒落を誰が考えるって……。

 ごくりと唾を飲み込む。こんなに自分の推論を試したくないと思ってしまったのは、いったいいつぶりだったろうか。
 しかし、もしかしたらという気持ちで鍵を回すと、そこには下駄箱に隠された熱烈な恋文が入っていた。

「やっぱり、あたしって天才ね……!」

 鍵の名は、『Iserlohn』。

 魔法の鍵は箱を閉ざしていた鎖を赤いリボンに替え、その中からこの世に二つとないプレゼントが飛び出してきた。入っていたのは人類に夢と希望を与えるものだろうか、あるいは更なる災厄と混沌をもたらすのだろうか。もたらされるのは、神の御業か悪魔の所行か。

「………………っっ!」」

 だがそれを受け取った当人の反応は早かった。すぐさま三度データを検証し、本物しか知り得ない情報も確認。来たメールは完全消却し、取るもの手につかず地上階へと向かった。

 どたたたたたっと、まだまだ未完成の基地を走り回った博士の姿を見たものは数知れず。そして彼らが博士から聞かれたことは全く同じだった。

 その捕獲対象の位置を確認した夕呼は、夕暮れのグラウンドの下、新兵たちを叱咤する級友のもとにひた走った。

「神宮司、ま~~~り~~~~もぉぉぉぉお~~~~っ!!」

 自己最高記録の早さで雪煙を上げながら爆走する副司令官の姿を確認した教官は、何事かとすぐさま敬礼を取った。

「はっ! 副司令、どのような御用向きでありましょうかっ!」

「そんっな形式ばった挨拶どうでもいいのよ、いいあんたすぐさまこの質問に答えなさいこれは人類史上最大最強絶対の命題であり、これに三秒以内に答えなければ人類全てへの背任かつ敵対行為と取られ、もし答えなかったらBETAの群の中に素っ裸で放り出すわよ、さあさあさあチャキチャキ答えなさい!?」 

「ちょっ……! ちょっと夕――副司令! このような場でそんな機密事項を!」

 周囲には多くの新兵および自主訓練をしている兵がいる。それもあの冷静沈着な副司令がこんな剣幕で問いただすなどただ事ではないと、皆がこちらに注目してしまったいる。

 これは下手をすれば、スパイ行為をしているかもしれない者たちに重要な情報を渡すことになって――


「あんたっ! 今、妊娠してるっ!?」


 ………………。

 ぱふっ。気の抜けきった起床ラッパの音が、夕暮れの大地に響いた。そして訪れる沈黙。圧縮された体感時間はBETAの群に初遭遇したあのときを思い出すが、なんとも言えない感はそれ以上だった。

 それでも持ち前の生真面目さで、なんとか三秒以内に返答をする神宮司まりもにじゅうごさい。

「…………いえ、小官は、して、おりません、が?」

「絶対の確実ね!?」

「……ぜったい、で、あります、でしょう」

「いよっし! 偉いわ、まりも! あんたは今、人類に夢と希望の種をまいたっ! 二階級特進モノよっ!」

 はっ、こうしちゃいられないわ! 来たときと同じ速度でグラウンドの雪にハイヒールの跡をつけて爆走する博士。
 後に残された者たちは、もういないはずの夕暮れのカラスの声を聞いたような気さえした。

 後に、その場にいた新兵の一人、宗像美冴は、わずかに震える後ろ姿を見て証言した。

『あれを見た……? 私は一生、この光景を忘れられないでしょう……。あの教官が、泣いていたのよ……』


■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ 

          第三章「軍曹の困惑」

 その副司令官の天才・奇行っぷりが話題に上がらなくなり始めた1月下旬。気温はさらに降下の一途をたどり、更に豪雪が積もりはじめていた。だが兵士たちの訓練・職務はもちろん減ることはなく、雪の処理活動や雪中行軍など普段以上の激務が続いていた。

 それは神宮司まりも軍曹も例外ではなく、いかに雪の中の訓練を安全に進めていくかの訓練プログラムを組んでいた頃だった。いきなり執務室に呼び出されて一言。

「あ、まりも。あんた、明日から1週間特別任務であたしと同行ね? もう司令官にも許可取っといたから。日の出前には出発するから準備しといてね」
 
 魔女だ、魔女がいる!

 呆然とするまりもの前に、はいと渡された指示書。軽く目に通しただけで卒倒しそうなぶっ飛んだ内容だった。

 神宮司まりも一人で? 副司令官と、オルタナティヴ計画に関わっている重要人物を護衛しながら? 重量40kgを越える荷物(主に副司令の私物)を装備して? この豪雪の中を? 小型BETAが残存しているかもしれない地域まで? 安全確実に所定の時間までに護送しろと? 

 はーい、ふくしれーい、戦術機は装備にはいりますかー? 
 機密任務だから無しよー♪

「ふ、副司令……質問を、宜しい、でしょうか?」

 ひくひくと震える頬を筋肉で抑えながら、なんとか職務に忠実になろうとするまりも。

「却下。これは特務中の特務よ。一切の質問は許されないわ。そして――失敗もね?」

 遊び心一切無しのその視線を受け、まりもも瞬時に、軍人としての自己を自覚した。

「はっ! 了解いたしました!」

「再度念を押しておくわ。これは特務よ。現在より作戦は開始されていて、私の命令と指示は全てに優先する。尾行や間諜には十分注意なさい。伝えるのが直前になったのもそのせい」

 再度、背筋を伸ばし最敬礼をするまりも。もうそこには学友同士は存在しない。あるのは上官と部下のみ。
 直ちに作戦内容をつぶさに頭に叩き込み、作戦指令書は廃棄する。達成にかかるであろう時間や装備などを計算し、計画を練る。

「それでは、小官は直ちに準備をするため、失礼をさせていただきます!」

「……あ~、そうだ」

 ぴこんと雰囲気切り替わり、悪友の表情がそこに浮かぶ。

「あんたも本とか私物持って行きたいなら許可するわよ。どうせ長い時間、手持ちぶさたになるだろうし」

「……?」

 質問はしなかったが、どういう意味かと考える。確かにこの任務、特務といわれるだけあって不明な点が多すぎる。
 最たるは、護衛任務だというのに内容を確認できるのは初日のみ。後の6日間の日程は全て空白だった。厳密に時間を決めるのが普通なのだが……。

 これは果たして、Need to knowの原則によるものだろうか、それとも、もしや……。

――夕呼自身もどうなるか知らない……なんてことないわよね?

 未知に遭遇するたびに喜びを露わにする癖がある友人を顧みて、百抹は不安が絶えない軍曹であった。


 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 ・・・・・・・・・・・・・

 ・・・・・・・・

「ん~……座標は、うん、ここで間違ってないわね。時間も10分を残してる。さすがね、まりも」

「光栄であります」

 持っていた荷物の中から夕呼はいくつか取り出し、それを雪の中や岩の隙間に埋めていた。

「じゃあ時間まで周囲を警戒しといて。社は大丈夫?」

 まりもはもう一人の同行者、社霞〈やしろ かすみ〉という少女を見守る。

 たまに基地内で見かけることのある少女は、オルタナティヴ計画の紋章を肩につけていた。まりもは訊いてはいないし、夕呼も伝えてはいないが、この特務に同行している以上、かなり重要な存在なのだろう。
 普段は黒一色の服と耳ヘアバンド(?)をつけている少女は、存在を隠す意味で白一色の雪兎と化していた。厚手でほこほこの素材だから、なおウサギっぽい。

 その少女は今、岩に鎮座して、じっと空を見ていた。

「………………」

 無言。なにも問わず、何か言うわけでなく、少女はただ雪の止んで澄んだ色の星々を眺めていた。

 雪は幸いにも止んでいた。周囲は天然の要塞のようになっており、くり抜かれた大きなクレーターのような場所だ。ここなら周囲から見えず、かつ誰かが来たら即発見・対応ができるポイントだった。

 ……砲撃級BETAの存在によって、軍事衛星さえ失ってしまった人類はGPSの使用や、超望遠によるスパイ活動さえ不可能になった。たぶん、ここに自分たちがいることは他の誰も知らないだろう。

「星が瞬くのは大気があるからなのよね」

 どちらに聞かせるともなく、博士はつぶやいた。

「最初に外から地球を見た男は言ったそうよ、地球は美しかったと――遠くからみたら何でも綺麗には見えるわよね。その中身がどんなものであれ」

 こんなことを言う友人を見るのは初めてで、まりもは気になった。夕呼は関係ない話題を振る者ではない。……まあ昔は、よーくカラカわれたものだが。

「彼らからは、私たちはどう見えているのかしらね?」

 その代名詞が出てきたことに、まりもも反応する。

「イゼルローン……」

 軍の中でも、「彼ら」といったらイゼルローン。「奴ら」といったらBETAといった隠語になっていた。
 彼らこと、イゼルローン。それはもはや地球人類にとって、希望と期待と不安の代名詞となっていた。

 まりもも彼らを見たのは一度きり。その一回は、明星作戦という人類史上2回目となる本格的なハイヴ攻略戦の最中だった。
 あれを思い出すたびに、BETAを初めて肉眼で目の当たりにした時に匹敵する衝撃が体を走る。だがそれは戦慄というより、むしろ感動に近いものだった。
 出動した人員の実に8割超という帰還率。神宮司まりもの教え子たち、A-01の隊に至っては、ただの一人も死傷することなく、その五体満足な姿を再び見せてくれた。

――あの『8月の奇跡』は人類に希望を示してくれた……。

 歴戦の衛士であるまりもですら、想ってしまった。これは、もしかしたら……もしかしたら、もう誰も亡くならないで済むんじゃないかと。もう、BETAに悲しむ者は無く、真の平和が訪れるんじゃないかと。

 まりもですら期待してしまった。彼らからの二度目の通信がきた時――受信は民間人でも簡単にできたため、箝口令は無意味だった――ついに人類は友好的な異星種と交流できるかもしれないと。彼らから技術を学び、協力をし、ともにBETAを追い払えるのかもしれないと。

 だが、この数ヶ月、イゼルローンは自分の……そして地球人類の淡い期待を裏切ってきた。

 むしろ状況は悪化の一途をたどるだけ。BETAの数が再び増える中、佐渡島ハイヴ攻略の声も挙がっている。このままでは再び奴らによる悲しみが増えるだけだろう。

――彼らは一体、人類になにをしたいのかしら。私たちが苦しんでいる姿を眺めて楽しんでいるのかしら。

 邪推にもほどがあると分かっているが、言いたくてたまらない。
 あれほどの力があるなら。そして自分たちを哀れに想ってくれるならば。少しは助けてくれたっていいじゃないかと。

「……………」

 ふと、まりもは視線に気づき、同行者に目を向ける。
 雪の少女はじっとまりもを見ていた。ああ、いけないと気づき、自分の思考を打ち切った。

「ごめんなさい、こわい顔していた……でありますか? 社……え~と……?」

 どうも軍隊生活が長すぎたせいで、階級章の有無を考えてしまう。これが民間人なら年下の女の子対応できるのだが、オルタナティヴ計画の要人ともなると敬語を使うべきだし。

「変に構えて考えなくてもいいわよ。だいたい社相手にそれじゃあ、この後苦労するわよ?」

 いちいち煙に巻く言動をする友人に眉をひそめるまりも。

 だがもしかしたら、と思った。この任務はどこかの要人と秘密裏にコンタクトを取るためのものではないと。だとしたら納得はいく。
 イゼルローンが現れて以来、重要な書類は郵送、会議は面談で行うという(ある種、滑稽な)秘密主義が徹底しているのだから。

――帝国でなければ……アメリカ? ソビエト? あるいは統一中華?

 つたない想像力を駆使して、誰が来たとしても対応できるように心の準備をしておく。

「…………なにか、きます」

 ぴくんと社の耳飾りが動く。その警告にまりもも小銃を構え、あたりを警戒する。
 だが、それは天頂方向から来ていた。すぐにまりももその異常な重力場に気づいた。

「……わぁおっ♪」

 初めて海を見た時の子供のように。
 初めて戦術機を目前で見た兵士のように。
 初めてリンゴが木から落ちるのを見た若き物理学者のように。

「……え、あ……っえ?」

 瞬間、時空が歪曲して、そこに引っ張られる感覚に襲われた。衝撃に一瞬目を閉ざし、天を再度見上げると、そこには銀河の海を往く船があった。そう、船。宇宙船があった。

「まさか、亜空間跳躍まで出来るなんてっ! さっすがイゼルローン、退屈させないわ!」

 星々の光を数億宿したかのように瞳を爛々と輝かせ、興味の限りを尽くした声がした。そこに聞き逃せない単語があったかを確認すべく、軍曹は上官に質問をする。

「ゆ、ゆ、夕呼? いま、いぜるろーん……って?」
「そうよ?」

 小銃を持つ手や体が震えてる。おかしいわ、この程度の寒波、訓練でいくらでも越えてきたはずなのに。

『こちらイゼルローン第一空戦隊長、オリビエ・ポプラン中佐でありますっ! 小官の眼に麗しき美女が二人、美少女が一人確認できますが、コウヅキ・ユーコ博士はどなたでありましょう!?』

「ふむ、どうやら今度の異星生命体は美的センスは合格点。口説き文句は、まあ及第点ね」

「ゆゆゆゆ、夕呼~~っ!?」

「なによ、やかましいわね。あんた、地球人類代表の一人よ? もっと毅然としてなさいよ。社を見習いなさい」

 くると視線を船から反対方向に向けると、ほんの少しだけ瞳を開くだけの少女が見えた。いくらなんでも反応性に乏しすぎる気が……。

「…………びっくりしました」

 その一言だけで済ませてしまえるのが羨ましい。

――イゼルローン、宇宙船、ワープ、地球代表、特務、三人だけ、えーとえーと、それってもしかして、もしかして……!?
 
「そーいうこと。これから一週間、宇宙旅行。滞在予定地はイゼルローン」
「…………はじめてです」

 完全に自我がホワイトアウトした。

「ま、あんたが認めようが認めまいが、事実は変わらないわ。――あれは正真正銘のAnother BETA、イゼルローン。空戦隊長っていってたから軍関係者だろうけど」

 軍関係者という馴染みのある言葉が、なんとか神宮司軍曹の意識をとりとめた。

「は、ははぁっ! ちゅ、中佐殿っ! しょ、小官は国連太平洋方面第11軍横浜基地所属神宮司まりも軍曹であります中佐殿のご尊顔を拝謁し光栄の極みであります!」

「おちつきなさいって」

 後頭部をチョップされた。おかげで最敬礼が乱れてしまった。

『これは軍曹殿! 結構なご挨拶、こちらも光栄の極みであります。この広大なる宇宙銀河の中、軍曹ほどの煌めきを持った星に出会えたこと、オリビエ・ポプラン、後生まで語り継がせていただきましょうっ』

 ……なんか。本当に異星種の者なのかと疑いたくなるほどの流暢な日本語だった。ドッキリじゃないわよねと、いささか白けた視線を横に向ける。

「………………」
「……ふ~ん、そうなのね」

 なんかこっちはこっちで納得していた。

『このまま花のある話題を続けたいところですが、いささかここは寒々しい。暖かい飲み物と菓子のある場所までご案内したいのですが、準備はよろしいでしょうか?』

 銀色の船の一部が開き、そこからタラップが伸びた。この階段の先にあるのは果たして希望か絶望か。

「……小官が安全を確認します。博士たちは後から」

 先方には無礼だろうが、小銃は携行したままタラップを一人昇る。目だけを階段の先まで出し、船内をくまなく観察した。
 四人までかけられるであろう椅子。機械類を見てもどんなものか判別しないが、とりあえず妙なものは見あたらない。

 船首にいるであろう操縦席の男は………堅牢な宇宙防護服を着込んだ自称中佐が、なんか手を振って投げキッスまでしていた。なんか警戒レッドレベルなこっちが無性にバカらしくなってくる。銃持って構えているのよ、こっちは。

 はぁっと、白い息を吐き出して、下にいる二人にとりあえずオール・グリーンと合図を出す。
 タンタンとタラップを上り、博士はビス一本まで見逃さないという視線で周囲を見渡し、雪の少女は茫洋とした視線で椅子に腰掛けた。

「それじゃあ短い間ですが、宇宙〈そら〉への旅をお楽しみあれ!」

 タラップは格納され、一瞬の浮遊感があり、このまま宇宙へと飛び出すのかと思ったら、


 空間がブレた。


「…………うっ」

 戦術機の振動やGとは全く異なる違和感が一瞬で体中を巡る。脳の神経細胞が細かくシェイクされたかのような目眩が訪れた。
 だがさすがは歴戦の勇士。まりもは三人の誰よりも意識を清明に戻し、周囲を警戒した。

「ふっ……ふふふふふっ、これが、亜空間跳躍、なのね……貴重な体験を、したわ……」

 おそらく地球人類初の物理現象を生で体験した博士は、マッドな笑いを口の端から漏らして、驚喜、もとい狂気の危ない光を灯していた。たぶん、放置しとくのが正解だろう。

「………~~~」

 深刻だったのは少女の方だった。想像もしたことのないだろう揺れに感覚を揺さぶられたのか、白皙に満月を照らしたかのような燐光を放っていた。

「お嬢ちゃんにはまだ早い経験だったな。まあ、これでも食べな」

 ぽんと操縦席から渡された未知の物体に、まりもは注意レベルを三段階上げた。

「……中佐、失礼ですが、それはどのようなモノで?」

「チョコボンボンのウィスキー抜き、ミルク入りで御座います。当方、お子さまに優しい作りになっております」

 ……ぱふぱふっ。まりもの気持ちを描写するならば、まさに起床ラッパが二つほど聞こえただろう。

――……この人たちって本当に異星人?

 宇宙服の先にわずかに見える顔立ちや、流暢な日本語。軽快な冗談を飛ばし、子どものためのチョコレートを取り出す。先の世界大戦後、日本に乗り込んできた米兵かと言ってやりたい。
 
 肉視窓から見える光景がなかったら、さすがに信じきれなかっただろう。

「へえ……完全な重力制御や慣性制御まで出来るのねぇ……」

 うふふふふふっ……と初めて飛行機に乗った子どもよろしく、べったりとその美しい両手の指紋を窓に残していた。
 まりももまた、室内を警戒しながらも、別の窓から外を眺める。

「…………星」

 そこは別世界だった。一面に赤・白・青……散らばめられた宝石がそこにはあった。

「綺麗……」

 一瞬、まりもは地上で今も行われているであろう悲惨も、現在の置かれている状況をも忘れた。

 すでに自分の故郷である青い星はどこにも見あたらない。代わりにあるのは数え切れないほどの恒星たちの群。静謐な世界の中に散らばる無限の空間。そこを今、自分は飛んでいる。精神は飛翔し、重力から解き放たれ、どこまでも行ける気がした。

 この光景がシュミレーターなどでないことは感覚で解った。
 確かに重力はあり、加速しているGを感じない。だが……だが、これが宇宙なのだと、外からもたらされる情報の多くがその真実を明らかにしてくれた。

 だが、そんな“お上りさん”達の感動も長くは続かなかった。数分もしたころ、前方に巨大――目測800m超の船が見えた。

 四人を乗せた小型船はいっさいの迷いも振動もなく着艦し――それだけでも腕のいいパイロットだろうと判った――紳士よろしく三人を促した。(お手をどうぞと言われ、取ったのが社だけだったのでガクっと頭を落としていたが)。

 降りた先には何人かの――やはり同じように宇宙服を着込んだ――兵士と思しき者たちがいたが、銃は携行していなかった。
 ……未だに小銃を抱えているこちらの方が無礼に思えてきたが、さすがに手放すわけにはいかなかった。

「初めまして、ドクターコウヅキ。申し訳ありませんがドクターたちをイゼルローンにご招待するに当たって、いくつかの検査をさせていただきます。宜しいでしょうか?」

「ええ、もちろん宜しいですわ」

 先ほどまでマイペースを保っていた夕呼も公人としての振る舞いを取り戻していた。
 まりもももまた一軍人として上官に従って強くうなずいた。

「もちろん検査員は全て女性が担当しまして、記録は問題なし・ありのみを報告させていただきますので、ご安心を」

 ……なんだろう、ここは国連軍以上に配慮が行き届きすぎではないだろうか。トイレも風呂も寝床も全て男女共同だった前線を思い出すと、ここがいかに清潔で気を使われているかが判る。

 軽くかぶりを振って、気持ちを引き締める。これは一種の懐柔作戦かもしれない。気を抜いてはだめだ、コトが起こったときにマトモに戦えるのはおそらく自分のみ。残り6日間の成否はこの両肩に掛かっているのだから。
 さしあたっては、飲食もこちらが用意してきたものを使わなくては―――


 そう思える時期が、まりもにもありました。


「くやしいっ、でも、おいしすぎるぅっ……!」
「……おいしいです」
「ん~、いい豆使っているわね~♪」

 二時間に渡る検査後、さすがに眠気が出始めた時に出された遅めの夕食。軽めにしてくれたであろうメニューだったが、軍で出される合成食材など比較にならない豪勢さだった。

 本物の子牛を用いた柔らかミニステーキに、貝がたくさん入った家庭的なアイリッシュシチュー、麦が薫る焼きたてライ麦パンに、合成でないバター、取れたてタマネギとレタスとトマトのフレッシュサラダ。とどめにデザートのラズベリーのパイに、食後のドリンクは本物の紅茶かコーヒーか果物ジュースから選べるという細かさ。

 日本人たるまりもをして、戦慄せざるを得ない洋食の内容だった。これは、基地に帰った後の一種の兵糧責めなのか? この味に慣れさせておいて、飼い殺しにする気だというのか!? でもでも、自分一人だけマズいレーションなんて食べてられないっ!

 シチューおかわりと言ったら本当にしてくれそうだ。いやダメだ、隣で「コーヒーお代わり、豆替えて」とか注文つけている悪友のノリに合わせては。だがシチューに入っているニンジンを見て悩んでいる少女のように、出されたものを残すのも無礼だろうし。

――でも本当に、異星人なの……?

 まだ国連が極秘裏に開発した宇宙戦艦だと言われた方が納得できる。言語・文化・人種、どれをとっても地球人としか思えない。しかし現在の地球では到底あり得ない技術の数々、物資の豊かさ。

――この矛盾はいったい何なの……?

 とうとう疑問の水が壷をあふれ、上官に問うてしまった。

「あの……博士。イゼルローンとはいったい……」

「ん? …………そうね、盗聴器があっても、この距離なら無意味だろうし一つ教えてあげる」

 軽くカップを持ち上げながら、ぶっとんだ発言をした。


「イゼルローン人は未来の地球人たちよ」


 ………………。

「……は?」

「ま、信じられないのも無理ないわ。ただ本人たち曰く、今から約1600年以上先の未来から来たみたいよ。今あんたが目の前で見てきた現象の数々がその証拠」

「え……あ……えっ?」

「言っとくけど、これは機密中の機密。イゼルローンへ行ったらどっちみち説明があるだろうから告げたの。もしバラしたら、銃殺刑される前に某国に連れてかれて、薬漬けで天国までイカされるわよ?」

 真面目すぎる表情で、あまりにあまりな内容を打ち明けられた。

「だから地球外起源種、じゃなくて同一起源種ね。ついでに言っとくと同じ世界じゃなくて、たぶん異なる世界軸からやってきたはずだから」

 ますます混乱する軍曹を置いて、ふぁぁっと欠伸を一つする博士。

「じゃ。到着は6時間後って言ってたし、それまで寝るわ。ここのところ徹夜続きだったし、イゼルローンについたら忙しくなりそうだからね。楽しみね」

 寝台へと入っていき、本当に横になってしまう夕呼。遅れて、きれいに食べ終えた社霞もまた、とことこと別のベッドに入ってしまう。

「うそでしょぉぉぉ……!?」

 残されたまりもは、この後確実に訪れるであろう地球人類前人未踏の六日間をどう潜り抜けるか、机に頭と両肘を乗せて真剣に頭を悩ますのであった。



[40213] 2
Name: D4C◆9f1d95e0 ID:ed951b55
Date: 2014/08/03 22:51


          第四章「特務内容」

 わかめと豆腐が入った味噌汁。今や伝承も途絶えた、大豆と塩のみを原料とした八丁味噌の旨味と渋みが利いたコクと香りは、日本国民のDNAを活性化させていく。
 出汁を込めた焼きたて卵焼きの触感は、まるで赤ん坊のほっぺた。大ぶりの鮭の塩っ気と身の脂の混合度合いときたら、もう芸術の一品。パリと焼かれた海苔、熟成梅干しといった小物は、食の彩りと栄養価の名バランサー。
 なんといっても米! ササニシキやコシヒカリといった名種を上回る米が、いやおうなく食欲を増してくれる。名水で炊かれ、粒の立った米、米、米っ! これで箸を止めるなんてことは、日本人なら不可避っ!

「そう……無理なの、無理なのよぉっ……!」
「なに呻いてんのよ、まりも?」
「…………っ、っ(肉厚梅干しを丸かじりして、ぶんぶん顔を振っている)」


 衝撃の事実を告げられたあの時刻から、5時間ときっかり24分。
 神宮司まりも軍曹は何度目になるか判らない――数えるのがそもそもおかしい――衝撃に見舞われていた。

 地球人類初であろうイゼルローンへの来訪という目的を聞かされ、しかもそれが自分たち人類と同種の民だという事実を聞かされ、重力と慣性が制御された宇宙船の中で一晩を過ごす。

 初日にしてそれだったというのに、二日目の朝(外が宇宙空間なので実感はないが)、とにかく朝。

 歴戦で鍛えられた鋼の精神でなんとか睡眠を取ったまりもの耳に、艦内放送が入った。なにやら到着前に何か軽食をどうかという連絡だった。
 ここで護衛対象の女性博士からとんでもない質問――いや要望、いや命令か?――が入った。

「ねえ、和食って出来ます?」

 こっちは鳥肌どころか髪の毛まで逆立つほどの内容だった。この友人の心臓と肝臓には毛でも生えているに違いない。
 さすがにそれは想定していなかったのか、「少々お待ちください」という声の後、「30分ほどかかりますが……?」という答えが帰ってきて、思わず「出来るのっ!?」と大声を上げそうになった。

 そして運ばれてきた品々。前日の夜のコースを上回る衝撃。けっして豪勢ではないが、郷愁を誘うメニューに、神宮司まりもの精神(食欲)は完全屈服した。香りや匂いとは、かくも胃を収縮させるものなのだと思い知らされた。教え子たちがここにいなくて本当に良かった。

――でも本当になにを考えているのよっ……。

 八十八の命が籠もる一品を残さず綺麗にし、鮭の皮にこびりついた身も食べきったまりもは、目の前の席を見た。

「ん? ずいぶんと綺麗に食べたじゃない」
「…………っ、っ(鮭の小骨を除くのに苦闘している)」

 いろいろと言いたいこと、聞きたいことがBETAの数ほどあるのだが、盗聴器もあるだろうし、ただジーッと半目で見つめるしか出来ない。

「やれやれ、まりもー、あんた分かってないわね~。いい、まず、この米よっ!」

 やれやれという感じで大げさに手が振られた瞬間。

 こつんとテーブルの下の膝の上、何かの感触がした。表情は変えず、さもトンデモ発言にガクッと首を曲げたかのように、下を見る。
 そこには、手のひらに収まるサイズの網膜ディスプレイがあった。すばやく手の中にいれ、テーブルに左肘をつき頭を抱えるポーズをとる。

「はぁっ……なにがですか、博士?」
「分かんない? これ間違いなくカマドの味を再現しているのよ!? あの30分でここまで準備できるなんて……イゼルローン、おそるべしよね~」
「……………(お椀にこびりついた米粒をどうキレイに取るべきか思索中)」

 ぺらぺらと雑談を続ける夕呼に適当に相づちを打ちながら、手で隠した映像を確認する。

【このデータは一度きりしか再現しないようにしているから。字幕を見落とさすんじゃないわよ】

 基地の執務室をバックにして、もう一人の香月夕呼が左目に映る。

【この映像を見ているってことは、とりあえずイゼルローンへの潜入に成功したってことね。じゃあこれから本作戦の詳細を伝えるわ】

 盗聴や盗撮を――イゼルローンだけでなく地球側の組織も――警戒して、こんな回りくどい方法を採ったのだろう。常に布石を打つ友人の手腕に改めて感心させられる。

【1月の上旬、イゼルローン側から私のところに接触があった。内容は地球側に技術の提供をしたいから、物理博士号を持つ私をぜひ招待したいって】

 表情は変えないまま、内心の動揺は限りなく抑える。

【その連絡の中に――ああこれは今、あんたにもう伝えたかは分からないけど――イゼルローンは異星人でなく地球出身の未来人だってこと内容があった】

 事前に聞いていなければ仰天を抑えられなかった内容に、なるほどだから前日にわざわざ伝えたのかと納得できた。

【一笑に付す内容だったけど、私の研究テーマとも合致するところも多かったしね。それにBETAのリアルタイムの情報なんかも入っていたわ。――監視衛星を失った人類側では計れなくなったはずの生のデータがね】

 なるほど。技術的な線から某国の陰謀という可能性を消していって、信憑性の方が大きいと判断したのか。

【向こうからの具体的な指示は少しだけだったわ。日時、場所、指定した人員以外で同行できるのは“1名”まで。あと平服でお越しください、料金とお車はもちろんイゼルローンもち、デートプランはお楽しみに、ですって】

 案内役をしてくれた中佐の軽さを思いだし、イゼルローン流の冗談なのか、それとも夕呼のジョークなのか悩んだ。

【……彼らが何を意図しているのか、正直私も読み切れない。でもこの数ヶ月の空白の意味、彼らの目的、彼らの持つ技術。BETAの情報を知る以上に、彼らを知ることは地球人類の存亡に関わってくる】

 そこはまりもも強くうなずく所だった。イゼルローンに関しては、未だ何もかもが未知のままなのだから。

【人類のタイムリミットは、あんたが思っているより少ないわ。最悪なのは制宙権もBETAに取られてしまったことね。アレのせいでリアルタイムの情報の精度がどれだけ落ちたか知っているわね】

 心の中で二度頷く。確かにBETAの侵攻はここ数ヶ月ウソのように落ち着いているが、それは大嵐の前の静けさに等しい。奴らは数がある程度整うと、雲霞のごとく侵攻を始めてくるのだから。

【……そこが虎の穴だろうが、竜の洞だろうが、ハイヴの中だろうが、この機会を逃すわけには行かない。どんな大きな犠牲を払おうが、どんな些少の情報だろうが、彼らの生態・目的・文明を調べ尽くす。そして彼らの技術を盗んで、地球に持ち帰る。これが今回のミッションの目的よ】

 まりもはようやく、これまでの夕呼の行動を理解した。
 たびたび食事にリクエストを出したのも、彼らを知るための一手だったのだ。

――彼らは、和食を、の一言でこれほどのものを出してくれた……。

 ということは。彼らは自分が想像している以上に、地球人類を(しかも一地域の文化まで)知り尽くしている。
 なるほど、確かに未来の地球人ということにも若干の信憑性がでてくる。

――しかも注文から30分以内でこれだけのものを……。

 彼らが持つ料理素材の質と種類の豊富さ、そしてレシピ。それらをあらかじめこの船に準備していてくれたことから、賓客としてもてなそうという姿勢も読める。

――いや、でも、私たちがそう読むことも、向こうも承知の上かも……!?

 政治のステージなど立ったことのないまりもだが、「私たちはこれほどのことが出来ますよ」というアピールが、いかに他者を懐柔する上での圧力になるかは理解している。
 これはもしや、イゼルローン側からの無言の攻撃だったのかもしれない……。

――夕呼は最初からずっと、こんな無言の戦場にいたのね……!

 オルタナティヴ計画を先導していた友人の政治力に、改めて感服する。

 そう、これは第二のパレオロゴス作戦なのだ。参加して散った衛士たちと同じく、自分は今、全くの未知の場におり、何が何でも生還して情報を地球に届けなくてはならないっ。
 自分の一言、一動作が彼らにどう評価され、どう判断されるのか。それを考えてしまうと、身と心がこわばっていってしまうのがよく分かる。

――だから夕呼は、あえて私に何も伝えなかった。

 情報の漏洩防止ももちろんだけど、早い段階で伝えられていては自分がどれほどぎこちなくなってしまったのか、想像はたやすい。
 ああ、自分はなんと浅はかだったのか。一月上旬にコンタクトがあったということは、夕呼は現在まで様々な根回しをしていたはずだ。それこそ、自分たちが帰還できなかった時のことも考えてっ!

――だから夕呼は、この社という娘も連れてきた。

 夕呼がいなくなればオルタナティヴ4の計画も水泡と化す。乾坤一擲の場として、何か特殊な意味をこめて、この社霞を同行させたのだと。

――そうだ、だから夕呼は私も…………。

 …………。
 あれ? 

――私が同行する意味はなに?

 ちょっと待て。この動画でも一名まで同行可とあったではないか。約束の場までの護衛ということであれば、残していけば良かったはず。なんでわざわざイゼルローンまで一緒に?

 ………………。
 ちょっと待って、夕呼ストップ、もしかしてだけども……。

――わたし、イゼルローンへの献上品……ってわけ、ない、わよね?

 まてまてまてまて。そんな古代の戦争よろしく、相手国への貢ぎ物で我が国の女性をなんて暴挙を…………やる。この友人は必要とあれば、遠慮なくヤル。どーぞどーぞ、少々嫁ぎ遅れの凶暴ですがと、リボン巻いて送る。

――もしかして、妊娠しているかなんて訊いたのもそのせい!?

 先ほどまでとは別種の、なんかイヤな汗が背中を伝う。

 いや、あの、うん、私ももちろん、帰れないかもしれないなんて覚悟、とうの昔に済ませているし、地球人類存亡のこのさなか、貞操や人権とか振りかざす気も無い………けど、有明はいや! なんだ有明って、あそこは何もないだろう。

 混乱しかけた自分の網膜に、最重要情報が映る。

【それでイゼルローンについた後のあんたの役割は―――】

 それを見逃さんと、血液の限りを尽くしてクワッと目に力を込めたっ!

『皆様、すぐそこにイゼルローンが見えます』
「ついに来たのねッ!?」
「…………(キレイに食べ切り、仕事をやりきった女の顔をしている)」

 あっ。……しまった。声に気を取られ、つい顔を上げてしまった。ここでまた目を覆い隠すのは明らかに不自然だ。かといって、肉視窓に向かって直球した夕呼に尋ねるわけにもいかないし……。

――ああ……あの子たちに偉そうなこと言えないわ。まさかミッション内容を見落とすなんて……。

 失敗はなんとか取り戻すしかないとスイッチを切り替え、自分も席から立ち上がる。


 さて、とうとうイゼルローンだ。だが、どんなところだろうか?
 基地内でも色んな意見が出ていたものだ。地球みたいな惑星だろう。いやいやきっと宇宙に浮かぶ人工基地みたいなところだ。植物星、ガス星、もしかしたら恒星のことかも。などなど。

――さあ、どんなところかしら。あんまりオドロオドロシくなければいいのだけど。

 友人の頭の隣に目を乗せ、進行方向の右前面を視る。遠くにあるのだろうか、見えるのは遠くの星々と小さなシャボン玉くらいしか……。

――……宇宙にシャボン玉?

 近づいているせいか、銀色に美しく光るシャボン玉がだんだんと大きくなっていく。天体にはあまり詳しくないのだが、ああいう惑星ってあるのだろうか? なんか水銀で覆われた星みたい。

「……開いた口が塞がらないって、まさにこのことね……」

 夕呼はすでに何か気づいたのか、窓に爪を立て、キレイな犬歯を見せていた。きらきらしていた目がギラギラ充血しだしている。
 自分もなんとか観察をし、彼女の思考に追いつこうとがんばる。

 そうこうしている間に、シャボン玉はもはや小さな惑星くらいまで大きくなり、船の前方に壁となって現れた。
 表面はつるつるの液体で覆われているが、波紋が前方にできてキレイに上下に分かれて…………。

 大きく目の前の壁が分かれて…………。

「………………質問を宜しいでしょうか、香月博士?」
「………………なにかしら、神宮司軍曹?」

 目の前で星の壁が真っ二つに裂けて、その奥に明らかな人工金属の壁が映った。
 いや、ちょっと待って。これ確かに、数百メートル規模の戦艦を、一万隻以上収納できるスペースが十分あるけど……。

「これ……BETAみたいに星を削って、地下とかを改造したんでしょうか……?」
「…………外部と内部の構造を見ると、多分、一から造ったんじゃないかしら」
「……おおきいです」

 余りに巨大すぎる物体――究極の人工物を目の当たりにして、体と顎と膝からガクっと力が抜けていき、窓に手を突きながら、ずるずるずるずると体が下に滑っていく。

「あ、り、え、な、い、でしょぉぉぉぉっ……!!」


 イゼルローンは、人工惑星だったッッ!?


 隣の夕呼はスコープを取り出して「目測、約50、ちがう、まさか60km超ですって!」とか「なんてこと、このサイズ、質量の基地を維持するための一日の総エネルギー量は……!」とか、物理学者らしくデータの収集と解析と計算に一生懸命だった。あるいは彼女もそーいう風に計算していないと、このスケールに踏みつぶされそうな気持ちなのかも。

――……ああ、これは地球人類どころか、BETAなんかが適うはずがないわよね……。

 二日目でもう泣きそう。

 この情報一つで、国連のメンバーが全員椅子からひっくり返って、脳天をしたたかに打つに違いない。
 人工衛星? 宇宙ステーション? 恒星間移動船? イゼルローンから鼻で笑われてしまう。
 地球側とは技術以前に、構想と実現のスケールが違いすぎた。

「……おっきいです、とってもとっても、おおきいです」

 社もまた本人なりに衝撃を受けている様子だった。イゼルローンのあちらこちらに視線を向けている。

 表面を覆っていた液体が分かれ、およそ四層もあったゲートが開き、その中へと船は入っていく。

 外から見えた美しさとはまた異なり、内部は上下左右がメカや金属の固まりになっており、そこに大小さまざまな艦隊が浮かび、外側にぽつんぽつんと人らしき粒も映っていた。
 外見の有様とはことなり、中はかなり理解可能なメカドッグになっている。

「まるで基地……そうか、ここは軍事基地っ! イゼルローンは星や地名でなく、宇宙基地の名前だったのねっ!」
「……ざっと概算したけど、ここだけで数百万、基地としての機能を外せたら一千万人以上が居住可能ね」
「……ひろいです、おっきいです」

 建設中の横浜基地でも、せいぜい一万五千から、最大で二万くらいの兵士しか常駐できないだろう。それ以上になると土地以前に、補給の困難さが出てくるからだ。最新鋭の基地でもそうなのだ。

 しかしイゼルローンは違う。彼らはこの人工惑星一つで、大都市まるまる――いや下手をすれば、一国家に相当する人員を養うことができるのだ!

――これが、イゼルローン……要塞っ!

 脱力していた体に戦慄がほとばしる。そうだ、これは星でも基地でもなく、もはや一個の『要塞』だ! 
 彼らは地球側の助けなんて何も必要としない。これ一個だけで全てをまかなうことができるのだから……。

 唾と汗が、体の内外で同時に落ちる。

――いったい……彼らは地球側に何を要求する気なのっ……!?

 これほどの規模と技術と人員を持つ彼らだ。おそらくはテラフォーミング技術も持ち合わせているだろう。作物を作るための土地は必要としない。資材は星丸ごとを削って取ってこれるだろう。エネルギーはこんな要塞を支えるほどあることから、おそらく無限大。

――なぜ遙かに劣る地球側に、技術を伝えたいなんて言ってくるの!?

 まりもは恐ろしくなってきた。いや、恐ろしさの実体が目の前に現れたというべきだろうか。未知なる故に不安、そして既知なるが故に恐怖。まさにイゼルローンがそれだった。

 彼らはその気になれば、半日もいらず地球を焼き払い、地球人類を搾取し、奪い、自らのものにできる能力を備えているのだと。

――イゼルローンが要塞である事実。これはなんとしても、地球に伝えないとっ!

 これを第一級の情報として脳裏に刻む。

 彼らにしてみれば、この程度のことを見せても問題がないという裏返しだろうが、それでも彼我の差を正しく知れたことは大きい。相手の大きさを知ることこそ、攻略の第一歩なのだから。

 ……攻略?

――なぜ、私はイゼルローンが敵になると想定しているの?

 今までは――昨日まではそんなことを思ってなかったのに。

 あの八月の日、宙からやってきた宇宙艦隊がBETA共を駆逐しつくしてくれたとき、この胸にあったのは口にもできないほどの感動だった。それからの沈黙の期間は不満と不安もあった。だが、彼らの実体を知り始めた今日からは「恐れ」――そう「畏れ」の感情が胸を締め始めていた。

――なんなの、これ……?

 それが何故かは判らない。だがまりもは、この情報を地球に持ち帰らなければいけないという、先ほどまでの信念じみたものに疑問を抱いた。そしてまた同時に、なぜ疑問を抱くのかということにも疑念が沸いた。

 第二のパレオロゴスとも言える本特務のはずなのに、どうしてか、まりもは情報を持ち帰ることに一瞬の躊躇を得た。

「……………」

 気づけば社がこちらを見ていた。いけないと頭を振り、荷物を片づける。


 しばらくして無事ドッグ内に入ったのか、軽い振動が伝わってきた。部屋のドアが開き、そこには小型艇を操縦していた主。オリビエ・ポプラン中佐が立っていた。

「これは麗しきご婦人方! 昨晩はごゆっくり休まれましたかな? イゼルローン共和政府へのご入国おめでとう御座います。ささやかではありますがっ、小生が出迎えの花を見繕って参りました、どうぞどうぞ」

 宇宙服を脱ぎ、軍服……なのだろう。ベレー帽に収まりきらないほどの不適さと陽気さと瀟洒さ……まあつまり洒落っけ溢れる雰囲気を醸し出していた。
 耳と口元にマイクみたいなものがついているところから、おそらく、あれが通訳の機械になっているのだろう。そうでないと、いくらなんでも日本語が巧すぎる。

 あといったいどこから調達してきたのか、三色三種の花束がその腕の中に収まっていた。たしか一緒の船に乗っていたはずなのだけれども。

「あらデンファレね。花言葉は知っているのかしら、お若い中佐さん?」
「それはもちろん。有能、魅惑。まったく貴女には相応しい言葉かと」
「それとわがままな美人、かしら?」
「美人が我が儘であることに文句を言う奴がいるとしたら、そいつぁは自分が我が儘にできないからでしょう? いい男はいい女を飾るもんですっ」

 まったくね、と笑い返して、夕呼は一輪だけ赤い蘭の花を受け取った。あの夕呼がそういう態度を返すのは案外珍しいので、ちょっと驚いた。

 中佐がちらとこちらへ視線を向けてきたので、先手を打っておく。

「中佐殿、小官は任務中のため、私物を受け取るわけには参りません。どうかお引き取りを」
「まあまあまあ、花に罪はありませんから、どうか香りだけでもお受け取りください。ささっ」

 ……そういわれては流石に断りづらい。いささかの警戒を胸にそのオレンジ色の花に鼻を近づける。

「……これ、金木犀〈キンモクセイ〉ですね。思い出しました」

 ああ……とても懐かしい香りだ。まだ子どもの頃は、秋になると野端にこの香りが溢れていた。

「花言葉は『謙虚』。花そのものは気づかなくても、そっと香りで相手に気づかせる。まさに謙虚な貴女そのものです」
「へ~……ま~り~も~♪ とうとうあんたにも春が、いや秋がきたのかしらね~」

 いや~な笑いを向こうで浮かべてこっちをカラカってくる。……あれは演技だろうか、素だろうかと疑問符を浮かべてしまいそうだ。

――でも……本当に懐かしい。

 BETAの侵攻のせいで地球の生態系は狂ってしまい、大気も大きく汚染されてしまった。今はもう、季節の草花さえ実らなくなってしまった。だからなお、郷愁をくすぐられる。
 そしてこんな宇宙の果ての、人工惑星の中でそれがまた嗅げるようになるなんて思ってもみなかった。

「最後に嬢ちゃんにはこれだっ」

 先ほどまでの芝居がかった瀟洒さから一転、小さな白い花の束――ああこれもとても懐かしい――シロツメクサの束を社へと渡した。

「…………これは?」

「おう、シロツメクサっていってな。クローバーの花なんだぜ。まぁ、ちょっと見てろよ」

 これもまた懐かしい。まだ幼い頃、母がよく作ってくれたように、茎を編んで丸い輪っかにしていく。

「んで、こーして、ほらよ。ちょっと小指だしてみな」
「…………」

 小さな小指に小さな白のリングがはめられた。

「シロツメクサの花言葉は約束っていってな。んでもって、小指は約束を守るとこみたいだぜ?」

「……なんでですか?」

「あ~、えっとな~、……まちがってないでありますか、軍曹殿?」

 立ち膝になっていた中佐が困ったようにこっちを見てくる。ふむ、どうやら彼らも完全には日本文化を知らないようだ。
 夕呼はわずかな沈黙の後、それを教えて上げた。

「社。相手の小指と自分の小指を絡ませてね、『指切りげんまん』って言いなさい」
「……ゆびきりげんまん」
「そうね、それで『ウソついたら、戦術機でなーぐる。指切った』って言うのよ」

 ちょっ。

「……うそついたら、戦術機でなぐります。ゆびきり、しました」
「うおっ、そいつはコワい! あれか、戦術機ってあの二足歩行の単座式機体だろう!?」
「……はい。あれで、なぐっちゃいます」
「んじゃ、嬢ちゃんにはウソつかないでおくぜ。あとは何を約束してほしい?」

 軽く首をかしげて、かなり考えている様子だった。

「……わかりません」
「そうかっ。じゃあ、また今度でいいぜ。この銀河一のイカした美男子、不死身の撃墜王〈エース〉、ポプラン様にいつでも言いなっ、嬢ちゃん」
「……………………社」

 ぽつりと少女がつぶやいた。

「私……社霞、です」

 視界に映った夕呼が軽く目を開いた。だが次の瞬間には、薄く目を細くし、何かを考えている様子だった。

「そうかい。まっ、よろしくな、“嬢ちゃん”」
「………………」

 わずかに……そう本当にわずかに、社は眉を曲げてポプラン中佐を睨んでいるかのように見えた。

「それでは出口までご案内をばっ。出迎えの準備はもうできたようですので」

 その言葉に、再び身と気持ちを引き締める。
 これほどの大規模な基地で中佐を出迎える。さぞや規律の整った将兵たちが、毅然と列を成していることだろう。

 そうして、タラップへと出た瞬間、わたし達を待ちかまえていたのは、

「「「「「「おおおおぉぉぉぉぉーーーっっ」」」」」」」

 …………毅然と、整列して。

「美人だ、隊長が言っていたように本当に美女だーっ!」
「イゼルローンへようこそ、地球のご婦人がたっ!!」
「貴女の誕生日は知らないが記念日は知っていますっ! それはこうして出会えた本日だっ!」
「こらこら勝手に剽窃するな、それは俺がしたためておいた言葉だ」
「おいおい、ドライジン、リキュール、シェリー、アブサン。花束は身銭を切って購入してきたか? キャゼルヌ中将の嫌みが飛ぶぞ」

 ……整、列。

「……ここって一応、軍事施設よね?」
「……………そう思いたいであります」
「……花が、いっぱいです」

 いつから私はVIPになったのかしら? いや確かに地球人類初の来客かもしれないけれど、ちょっともてなしが過ぎる。花束を投げないでください。
 隣の夕呼もこれには流石に呆れたのか、周囲を見渡して要塞内部を観察していた。

 天井は呆れるほど高く、このドッグだけで横浜基地が埋まるんじゃないかというほどの“容積”を占めている。何十隻、何百隻という船が地平の彼方まで見えており、ああ自分は本当に宇宙に来たという実感がこもる。

 その向こうの壁にはいくつもの出口があり、そこからランドカーが近づいてくる。ああいう地球にもありそうな機械を見ると安心する。
 上部をオープンにさせて、そこには二名の男性が乗っていた。

「陸戦指揮官、およびイゼルローン防御指揮官、ワルター・フォン・シェーンコップ中将であります。これよりフロイラインのエスコート係を務めさせていただきましょう」

 お嬢様扱いされた夕呼の目がさらにおもしろいモノを見たようなモノに変わっていく。対する男の目も、なにかこちらを品定めしているかのような不適な目をしていた。……なにかスゴく不穏な火花が二人の間で散っているよーな。

 年の頃は三十代、しかし余計な脂肪は全くついておらず、精悍かつ歴戦の不適さを全身ににじませている。立ち居振る舞いにまったく隙は見えない。

――多分……白兵戦をしかけても私は勝てない。

 試しに何度かシュミレートしてみたが、その瞬間、片手で組み伏せられているのが脳裏に浮かんだ。

「これはこれは。またずいぶんと、やんちゃな子犬を連れてこられたご様子で」

 一瞬こちらを見て、そんな毒をシラッと吐かれた。一瞬、怒りの感情が出てきかけたが、こういった挑発は軍で何度も受けているのだ、今更どうこうない。
 
――こちらが仕掛けようとしたことも見透かされていたか……。

 視線だけでどういう風に攻略しようと思ったかも見抜かれていた。なるほど、中将といっていたが叩き上げの強者らしい。もし一瞬でも殺意を出してしまったら、腰のもので脳天を貫かれてしまっていただろう。
 今までとは違い、正真正銘の目付役といったところだ。

「ふーむ、しかし……」

 視線を夕呼、まりもに向けた後、まりもの後ろに隠れていた社に目を向ける。

「そちらの未成年はいただけませんな」

「……あらっ? 何がでしょうか、ヘレン?」

「これからお嬢様方を、閣下たちのところまでご案内いたします」

 閣下――軍部における高位責任者の敬称。おそらくこのイゼルローン要塞における最高級責任者の存在との対談。これが本当の交渉の始まり。
 もちろんそうなるだろうと予想はしていたが、あらためて緊張感が全身に溢れてくる。

「ですが、女性未満には少々刺激の強すぎるお話になりそうでして。あいにく、連れて行くのはご遠慮いただきたいかと」
「………………」

 ……言語翻訳システムに誤作動はないのだろうか。子ども扱いでなく、女性未満ってなに?

「もちろんお暇をさせないよう、姫君のお相手は、うちの坊やがつとめさせていただきましょう」

 同じランドカーに乗っていた一人の青年――いやまだ少年か。身長は180を越えているが、まだあどけなさが残る男性が降りてきた。

「中将、坊やは止めてくださいって」
「ああ、これはすまなかったな。で“坊や”、そちらの子としばらく遊んでやってくれないか」

 ………イゼルローンとはこんな人たちしかいないのかと、呆れてくる。軍上下の規律とか敬いとかはどうなっているのだろうか。

「そうそう、俺の後継者を名乗るんだったら、男の義務から逃げずに、嬢ちゃんを退屈させないようつき合ってやっとけ」
「……社です」
「あ、僕はユリアン・ミンツといいます。よろしくお願いします」
「……」

 社は夕呼を見やった。その夕呼もまた僅かな逡巡の後、ほほえみを浮かべてこう答えた。

「ええ、よろしいですわ。でも、あまり悪い遊びは教えないとお約束していただけますか、中将」

「それはもちろん。こう見えても坊やは、我が国最高級の紳士たちに薫陶陶冶されましたからな」

 まりもから見たらまだまだ少年のミンツ中尉は、ちょっと苦笑していた。さて、彼を教育した者たちとはどんな人だろうか。

 …………。教育か。

――ここには学校もあるんだろうか……。

 夢の残骸が意識に浮かんでくる。それを振り払い、まりもは夕呼の後に続き、ランドカーへと乗り込む。


 5分ほど飛ばしたあたりだろうか、エレベーターに乗り込み、別の階層へと移動していく。
 横浜基地でもかなり深い階層まであるが、ここは文字通り桁が違う。直径数十kmという天体の内部だ、数千にも及ぶ階層があることだろう。

――どんな会議場で待っているのかしら。

 そうしてエレベーターを降りた先には、本日何度目かに分からない衝撃があった。

「…………まあ、こういう施設も必要よね」
「…………規模が違いすぎるの、もう……慣れました」

 森があった。芝があった。空があり、風があり、気候があり、季節があった。半分ほどが人工物だろうが、半分ほどは本物だろう。季節の花の香りがあり、川のせせらぎが聞こえる。ああ、鳥も放し飼いしている。広さが別次元だけれども。

 中将が案内していくその先に、白い丸テーブルが見えた。シンプルだが美しいそこに、一人の女性がいた。西洋のスーツ姿を見事に着こなした、ヘイゼルの瞳と金褐色のショートカット姿。

「“議長”、お客人をご案内いたしました」

 女性は席から立ち上がり、こちらに向かって一礼をした。

「初めまして、ドクター・コウヅキ。フレデリカ・G〈グリーンヒル〉・ヤンと申します。遠くの星よりのご来訪、心より歓迎いたしますわ」

「こちらこそ招待状をいただき、ありがとうございます、議長。香月夕呼と申しますわ」

「神宮司まりも軍曹であります」

 なんとなくだがこの女性……元々は軍関係者なのかも。立ち居振る舞いにあまり隙がない。
 
「それでは議長。申し訳ありませんが、お話の方をさっそく」

「あっ……いえ、すいません。ちょっとあの人を呼んでこないと……」

 視線の先の一隅にあるベンチに、一人の軍人が横になっていた。議長がそばにかけより、何度か呼びかけると、ぼんやりと立ち上がり、こちらにやってきた。

――あの人が……閣下?

 姿勢の正しい思慮ありげな老紳士ではない。分厚い筋肉で覆われた大男でもない。冷徹そうな秀才でもなく、白面の貴公子でもない。どれをどう見ても軍人でない。最上の階級どころか、下士官にも見えない。そもそもさっぱり軍服が似合っていない。

 例えるなら……学者? 能力はそこそこあり、もうちょっとで助教授の地位を取れそうだけど、政治力の不足のせいで一講師に甘んじていて、しかも、仕事が増えないからまあいいやと思ってそうなタイプ?
 
「ああ、すいません、お待たせしてしまいました。ヤン・ウェンリーです、よろしく」

 ぺこりと頭を下ろすと、ベレー帽が落っこちてしまった。地面から拾い、払ってもう一度かぶりなおす。
 今まで出会ってきた中佐や中将たちとは異なり、とても能力があるようには見えない。威圧感や覇気は見えず、しかも挨拶も端的。2秒で自己紹介を終えてしまった。

「ええと、自己紹介を二度させて申し訳ありませんが、貴女がドクター・コウヅキでよろしいでしょうか?」

 こくんと夕呼が頷く。これがフェイクで、本当の司令官は別にいるのではないかと訝しんでいるかもしれない。

「それで貴女が技術官の方でよろしかったでしょうか」

「はっ、閣下! 神宮司まりも軍曹で――」

 …………。技術官?

「……あの、技術官とは?」

 ここでイゼルローン組の視線がドクターの元へと集まった。そして博士の視線が軍曹の元へと向かい、居たたまれたない気持ちになってくる。

「ええと……理論の方は博士にお伝えできますが、実際の軍事技術を学んでもらう方は別に必要ですので」

 …………。

「ですので、軍曹には博士とは別に、研修を受けていただきたいと……あの?」

 …………。ああ、そういうことだったのね。あの動画の、もう一人までっていうのは、つまり、そういう意味だったのね。

「あの、軍曹、その……あんまり気を落とさないように」

 なんでだろうか、長い関係のはずの副司令官よりも、今出会ったばかりの閣下のお言葉の方が胸に染みるのは。

「いえ、これも、任務ですので………!」

 一言一挙動を誤れば、即地球人類の存亡に関わりかねないという、あまりにあまりに重すぎる立場な任務に、神宮司まりもは心の中で涙を流し続けるのであった。




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Name: D4C◆9f1d95e0 ID:ed951b55
Date: 2014/08/03 22:53

          第五章「魔女と魔術師」


 香月夕呼は目の前の男性を観察する。

――この人が……イゼルローンの軍部最高責任者?

 ヤン・ウェンリーと自己紹介した黒髪黒目の男。見た目の年の頃は夕呼やまりもよりも少し年上。少し加算して考えても三十代前半だろう。そんな歳の者が閣下。地球の軍の常識かすると、まずありえない。まだ後ろで不適に腕を組んでたたずむ中将(かなり夕呼好みのナイスミドル)の方がそれっぽい。

 だが、余所の国家のことをどうこうはいえないだろう。実際――様々な政治的な思惑が絡まった結果だが――18にも満たない少女が、自分の出身国の政威大将軍を務めているのだから。

 ……だが。にしても、しかし、だけど、いくらなんでも。

――議長の女性はまだ分かるけれど……“これ”がねぇ?

 雰囲気がまるで軍人、いや責任者っぽくない。替え玉であったとしても、いくらなんでも人選を誤りすぎだろう。と、すれば正真正銘の閣下ということか?

 確証はまだ取れなかったが、夕呼は会談の先手を取った。

「お会いできて光栄ですわ、閣下、議長。お頼みされていた物をお渡しいたしますわ」

 まりもを促し、運んでいた荷物の中から贈り物を取り出させる。白のテーブルの上で、十段の重箱かと見間違うほどの固まりが重量音を出した。

「我が国と世界の国々の歴史書になります。十冊ほどですが、よろしかったでしょうか?」

「うわっ! これはありがとうございます、博士っ!」

 喜色満面。小躍りしかねないほどのウキウキしたオーラを出して、男はさっそくと本の中身を確認しだした。ふむ、どうやら軍部が欲しがっていたようね。
 となりではまりもが「やけにかさばって重いと思ったら……」といった目を夕呼に向けた。仕方ないじゃない、贈り物なんだから。

――やはり地球の情報を知りたがっている、ということかしら。

 おそらく……いやほぼ確実にだが、イゼルローンは地球住人に姿を現す前から、地球の情報をかなりの精度で押さえていた。そうでないと、あの絶妙なタイミングで作戦に介入できたことに理由がつかない。

 1600年後、しかも平行世界からきたという、異星の住人。彼らが情報を集め、地球をどうしたいのかは未だ判らない。だが宇宙船で出された食事などからも推察されるが、文化に関しても積極的に調べている様子だ。

――歴史を知りたいということは、やはり政治にも絡んでくる気かしら?

 彼らに提出した歴史書は市販もされていた物(現在は入手困難)で、情報の秘匿度は高くない。帝国大学の学生なら閲覧可能なレベルだった。

「――ああ、ターニングポイントはやはりここか」

 イスの上で半分あぐらを掻き、ぱらぱらと本をめくっていたヤン閣下が7冊目を机の上に置いた。表題は「帝国の歴史」。近現代の日本についてがメインテーマの本だった。

 円卓を囲んでいた夕呼やまりも、議長もみな、本に注目する。

「これを見てください、ADの19世紀中頃の所です」

 細く長い指が指す先には、1867年の大政奉還の項目があった。

「我々の世界の歴史では、この翌年に『王政復古の大号令』があり、明治政府および総裁・議定・参与の三職が置かれ、征夷大将軍――ああ、『政威』か――は廃止されました」

 いきなりの話に、まりもは面をくらったようだが、しかし夕呼はたいへん興味を惹かれた。

「大政奉還、までは同じ歴史を歩んだということでしょうか?」

「ええ、もともとこの大政奉還というのは、倒幕派の名目を奪う狙いがあったのでしょうね。一時形式的に朝廷に政権を返上したとしても、いまだ諸藩を圧倒する将軍家が天皇――ああこちらでは皇帝でしたね――の下、新政府に参画すれば、実質的には政権を握れると」

 夕呼は警戒度を一つ上げた。この男、戦場しか知らない純粋軍人ではなく、政治にも詳しい。

「しかし私たちの歴史では、諸大名が上京の指示に従わず、将軍抜きの新政府は五藩主導となりました。ちなみにこの王政復古によって、京都守護職や所司代、あと五摂家も廃止され、首都は東京に移っているようです」

 わずかに感心の吐息が、まりもから漏れる。どうやら彼女も、彼らが平行世界から来たということを段々と認識し出したようだった。

「あともう一つ大きな違いとしましては、私たちの世界では、第二次世界大戦中、日本に二発の原子爆弾が落とされていました」

「ドイツではなく、日本に……!?」

「ええ、本土空襲に加え、ヒロシマとナガサキに原爆が落とされた一週間後には全面降伏宣言の受諾、およびその事実を天皇自身自らが全国民に伝えました」

 まりもが僅かに身を堅くした。帝国国民にとっては皇帝および将軍は国の象徴そのもの。そこからもたらされる完全なる敗戦の報を受けた民の失望はどれほどのものだったろうかと。

 夕呼もまた表面上だけでなく、心の中でもその事実に驚かされた。

 それと同時に、それがもたらすであろう日本の復興への影響についても計算し、男に向かって考察を返す。

「そうですか……それでは帝国、いえ日本は米国の影響を大きく受けたことでしょうね」

「ええ。西洋文化がどんどん入ってきまして、純日本的文化は段々と衰退していったでしょうね」

「……“でしょうね”?」

 ニュアンスが妙だったことを、夕呼は見逃さなかった。

「はぁ、実は」男はベレー帽を脱いで、片手で黒髪をかき回した。「西暦2040年あたりに熱核兵器の世界大戦がありまして、それ以前の歴史や文化はほとんどが消失してしまったんですよ」

 まりもは完全に言葉を失い、夕呼は最大限の注意と関心をもって一言一句を逃さないよう目を細めた。

「…………詳しくお聞きしても?」

「当事者だったのは北方連合国家と三大陸合衆国でした。こちらの世界でも在る、ソビエトと米国のイデオロギーの違いによる、最悪の形での第三次地球大戦でした」

 淡々とした口調で語られるそれは、神に遣わされた預言者の言葉か、全てを知る賢者の想いか。

「それは十三日戦争と呼ばれました。戦術核の撃ち合いは両国家陣営の大都市軍を放射能の井戸に変え、どちらにも属さない国をも巻き込みました」

「……味方ではないのなら、敵ですか」

「そこに資源があり、敵国に利用される、あるいは寝返るかもしれないというだけの理由だけで。疑わしきは罰せよ、まったく末期もいいところですよ」

「ええ全く、同意いたしますわ」

 本心からうなずく。今の地球の政府連中も、そちらの世界の政府とレベルが変わらない。BETAの勢力がますます増しているというのに、まったく一つにまとまろうとしないのだから。

「戦後、統一政府ができるまで90年もかかり、最盛期80億に近づこうかという人口が10億前後までに落ち込んでいたと。BETAなど関係ない、人類同士の行為の結果がそれです」

「……そちらの世界ではBETAは存在しなかったと?」

 夕呼も気づかない内に前のめりになっていた。

 ふむ。この男、なかなかの語り部だ。飽きさせないというか、こちらが知らない情報をすらすらと分かりやすく伝えてくれる上、こちらの質問にも的確に答えてくれる。お互いの相互理解にはうってつけの人材だ、地球側もちょっとは見習ってほしいものだ。

「ええ。太陽系を飛び出し、恒星間を飛び立てるようになり1200年ほど経ちましたが、人類は未だ地球以外の生物とは遭遇できません。お三方にお出しした食材も地球原産です」

 多少は品種改良したり、人工合成してますがねという言葉は、夕呼の耳には残らなかった。

――歴史の違い……それ以上にBETAがいない?

 事象の生起には必ず原因があるはずだ。さて、この大きい違いはいったい何を意味しているのだろうか。

「ですが、なぜBETAが私たちの世界にいなかったか、というのは余り問題ではありません」

 こちらの思考を読みとられたかと、一瞬警戒したが、どうやらそうではなかったようだ。単純に意識を持って行かれたのが身体に出ていただけか。

「肝心なのは、こちらの世界にはBETAがいて、早く駆除する必要がある、ということでしょう」

「え、ええ、閣下、その通りですわ」

 隣のまりもも改めて背筋を伸ばした。今までの会話は名刺の交換程度。まだまだ彼の口からあちらの歴史を聞きたいところだが、ここからが会談の本番だ。

 だがここまでの前振りでも収穫は大きかった。彼らの世界の歴史はもちろん、BETAが存在しないこと。何より、目の前のこの男が、軍部のみならずイゼルローンの最高責任者だということ。

――どうやら軍部が上に立っている、ということね。

 先ほどから隣の女議長は、全ての会話を――姓が同じことから夫か――彼に任せている。それが単純な夫婦関係によるものでなく、このイゼルローンの関係でもあるのだろう。

――なら、彼の決定がすなわち、イゼルローンの決定になる。

 下っ端相手にちまちま話を進めるより数億倍ありがたいが、その分、責任へのプレッシャーも重くなる。ここでの自分たちの会話が、その後の地球の流れを大きく左右するかもしれないのだから。

「そうですね……そういえばわたくし達に技術の提供をしてくださるとのことですが、それはどれほどのモノを?」

 だが「待ち」はしない。6日間という期間は、国家間の交渉では決して長くはない。最大限の利益を得るためにも、最初こそ肝心だ。技術の流出は国家において忌避するものだろうが、どんな些細な技術・理論だろうと、そこを交渉の突破口として――

「とりあえず、亜空間跳躍航法と重力制御と慣性制御でもどうですか?」

――――――――――

――――――

―――は?

「「…………は?」」

 まりもと私の口から同じ吐息と疑問が漏れた。それって恒星宇宙船の基礎かつ根幹理論にあたるのでは?

「ああ、ただ跳躍航法に関しては、“BETAに真似される”と困りますから使用には制限をかけてもらいたいのですが」

「………あの、閣下?」

 なんか聞き捨てならないセリフがぶすぶすと脳髄を犯してくる。

「あと大変申し訳ありません、イゼルローン内では“資料の閲覧は自由”にしてよろしいのですが、地球への持ち込みはしばらくは無しでお願いします」

「………………ヤン閣下?」

 地平線の彼方まで懐石と満漢全席とフルコースとが、どんどん並べさせられていく。私にどうしろと? 食えと? 残さず食べなさいと?

「あとはそうですね、“核融合炉や超光速通信”なども、BETA戦だけでなく復興への役に立つかと」

「ちょっとっ、待ちなさいよッ!!」

 白テーブルに振動が走った。…………あ。

「……ゆ、夕呼……!」

 ああ……まりももかなり動揺している。今聞いた事態はもちろん、自分がしてしまった行為と発言を目撃して、顔を白くしてパクパク口を動かしている。

「……大変、粗相をいたしました。どうかお赦しを、閣下」

 何年ぶりになるのかな。素直に謝ろう。お辞儀の角度は70度くらい。人類の未来のためなのだから、これくらいこれくらい。
 こら、そこでくつくつって笑っている中将、あんた後で覚えておきなさいっ。

「いや、こちらこそ申し訳ありません。博士にも都合があるでしょうし、こちらの希望ばかりを押しつけてしまいまして」

 ベレー帽を外して、ぺこりと謝られた。……ほんっとに偉そうには見えない。まるで同じ研究室(文系と理系で分かれるでしょうけど)で交流している同僚のように思えてきてしまう。

――ああ、だから油断したのね……。

 こちらが憤慨しても何をしても、変わらず淡々としている、心理的に構えさせないその茫洋とした雰囲気。予想を遙かに越えた提案と相まって、それで自分も油断して本音を出してしまった。

 だがここからはまた引き締めていかなくては。

「……今、希望と仰られましたが、閣下はわたくし共に何を望んでいらっしゃいますの? ……いえ、正直申し上げさせて下さい、初対面の私たちへのその提案は、一国家の、軍部の、最高責任者としましては、あり得ない決断です。いったい何をお考えでしょう?」

 核心をついたせいだろうか、すらすらと語っていた男がいきなり黙してしまった。
 隣に腰掛け、今まで黙っていた議長はすっと彼に提案をする。

「……閣下、紅茶をお入れしましょうか?」

「ああ、うん。頼むよ。ブランデーも入れてくれないか」

 一時休憩ということでお茶が振る舞われることになった。

 自分たちにも入れ立ての一品が出される。自分はストレート、まりもはミルクを入れて口に含んだ。
 琥珀色の液体はコーヒー愛好家の自分としてもなかなかの一杯であり、縮んだ胃を休めてくれた。……ちょっと入れ方がまだ甘いけど。

 紅茶にブランデーというなかなか変わった一品を、しかし男は静かに口に含んで、まったくの予想外の方向から切り込んできた。

「……地球からのBETA撃退後、すぐに地球人類は平和になれると、博士は思われますか?」

 ………………。

 ああ、なるほど。
 これは自分が評価を誤っていた。
 この男、かなり、いや物凄く頭がキれる。

――だから情報を集めていた、というわけ?

 出された紅茶を自分ももう一度口に運び、慎重に、しかし正直に返答をする。

「無理ですね」
「でしょうね」

 あっさり同調された。そーか、そこまで見通されていたとはね。こりゃ、地球側お手上げだわ。武力とか財力とか技術力とか以前に、情報や内情がここまで筒抜けじゃあね。

 なんか少し力が抜けてきちゃった。淡々としているこいつを前にしていると、なんか毒気が抜かれてしまう。ああ、入れ立てなら紅茶もいけるわね。
 
「ゆうっ! 博士!?」

「世界各地の戦場を見たあなたなら予想できるでしょ、神宮寺軍曹。“戦後”、世界がどうなるかなんて」

 目の前の男も紅茶を口に運びながら、淡々と未来予測を口にした。

「ユーラシア大陸全土とカナダの半分、さらには北アフリカ大陸の一部という、地球人類がかつて経験したことのない規模の壊滅と荒廃は、今後一世紀近くにわたる混乱を起こすでしょう」

 地球全陸土のおよそ30%の更地化、地球人類は約十数憶にまで減少。いまだ宇宙に蔓延るであろうBETAの脅威。ほぼ無傷のアメリカと南アメリカ諸国とオセアニア。

「私たちの歴史の第三次世界大戦後、大きな戦争も内乱も起きませんでした。それは単純に、そういったことをする“余力”も残されていなかったから、というべきでしょう」

 ……ふーん。なるほど、話はよく通る。

――最初は、地球人類との交渉へのカードに残しておいたと思ったけど。

 全てを鵜呑みにはできないが、なるほど、それは確かに当たっていた。

「……それが、あなた方がハイヴを全て潰さなかった理由でしょうか?」

「ご明察の通りです」

 夕呼も疑問だった。なぜ彼らは横浜ハイヴだけ叩くのを手伝ったのか、なぜ世界各地のハイヴは触れずにいたのか。
 それが、BETAが地球からいなくなった瞬間、全ての人類が耐えてきた“名目”が消失してしまうからだったとは。

「BETAの消滅が発表された瞬間、今までの不満や問題は一気に各地で噴出するでしょう」

「人種、人口、国境、国土、技術、経済、権利、宗教、貧富……さて、これらの格差や不平等を解決するのにどれくらいかかりますことね」

「人類の刃という戦術機は、今度は人類自身を傷つけていくでしょう。BETA相手のため、人類生存のためという名目で徴兵されていた子たちは、今度は国家のためという名目でそのまま――しかも今度は同じ人間を殺すために組み込まれていきます。いつ終わるともしれない、人類同士の戦争のために」

 まりもが顔を真っ青に変えていく。こちらに口を開いたが、私は視線でそれを止める。まだ何か言いたげにして、じっと拳を握ってうつむいた。

「私たちは、“なるべく”それを止めたいんですよ」

「…………すると閣下が、いえイゼルローンが望んでいるのは」

「平和です」

 テーブルの上にそのままカップが乗り、陶器と木材の奏でる音が芝生の上に響いた。

「ですが、私たちはそもそも部外者です。他の星の、未来の人間だけが関わるのでなく、当事者である地球人類自身の力が必要になってくるでしょう」

「……………」

「そのために、あなた方に技術や知識をお伝えしたいと考えているのです」

 風の音だけがしばらく聞こえてきた。人工の太陽があたりをてらし、木々の葉が揺れ、芝生にいくつもの影を作っていた。

――平和、ねぇ……?

 聞こえはいいが、たいへん信じがたい。これを容易く呑んだ後には、どんな毒がもたらされるものか。

――社を別にされたのはイタかったわね。

 彼女がここにいれば、この男の言葉が是か非かが判ったというのに。彼女の存在を知られていたということか? 

――さて、どうしたものかしらね。

 困ったことに、これを断る「理由」がない。BETAを地球から追い払うだけでなく、その後の地球の平和のためにも尽力してくれてるといっているのだ。
 しかし、このままあちらのペースで話を進めていけば、彼ら“が”ではなく、彼ら“に”協力するしかなくなってしまうだろう。

――まずいわね、このままじゃイゼルローンの下に立たされてしまう。

 某国のようなあからさまな圧力ではないが、この話を断ることができない。かといって断れば当然、お客様はお帰りですよといわれ、何も知識を得られないまま地球に帰ることになるだろう(イゼルローンに監禁されそうにないのは幸いだが)。

 肯けば、今後の要請を断ることは出来ず。
 背けば、未来の知恵を得ることは叶わず。

 ……………。それならば。

――毒を喰らわば皿まで。

 一か八か、魔女の本性を発揮する時はここだった。

「閣下、そのような回りくどいことはなさらずとも、地球の平和は得られますわ」
 
 すっと薄く笑いを浮かべ、甘い蜜の毒林檎を差し出す。

「イゼルローンが、地球政府をまとめて下さればよろしいのですよ」

 隣の軍曹は、今までで一番愕然とした表情を貼り付けた。

「一つの案としましては、あなた方イゼルローンのお力でハイヴを全て潰していただくのです。その後、しばらく交信を途絶し、国連が世界各国の事態を収集できなくなったタイミングで――そうですね、5年以内でしょうか――再び現れていただくのです」

 薄く笑みを浮かべ、最高責任者に謀略を投げかける。

「そしていがみ合う各国の独裁者を一掃してしまうのですよ。民衆は万呼の歓声で迎えるでしょう。それから地球を復興し、統一してしまえばよろしいのですよ」

 空気が重く、冷たくなっていく。だが夕呼は続ける。

「第二の案としましては――いっそ徹底的に地球の国家を分裂させ、互いに抗争させてしまうのですよ。何も難しい話ではありません、あなた方が各国に技術や兵器や物資をちらつかせておくのです。必ず互いの国家が先んじようとするでしょう。そうして互いの競争に消耗した国家を併合するのですよ」

 香月夕呼は地球を救うためなら手段を選ばない。
 そして徹底的に疑い、検証する。イゼルローンが取るであろう策の可能性を。彼らの本当の狙いが何かを。
 自分たちをいったい何に利用しようかということ知らず、信用なんて出来ないのだから。

――さあ、激昂するかしら? それとも大げさに笑い飛ばす?

 その反応次第で計れる。彼らが隠しているものを。真意を。


 ……パチパチパチパチ。


「実に素晴らしい。博士は政治の先見もありますな。閣下にも見習っていただきたいものです」

 だが返ってきたのは、賞賛だった?

「……中将、君まで乗ってこないでくれ。その話は何度もしただろう。私には合わないよ、そんな服は」

「まあ貴方は軍服も似合わないが、他の服は何を着ても似合いませんからね。とはいっても、意外と合うかもしれませんよ。誰よりも善政を行う為政者、宇宙国家元首ヤン・ウェンリーの格好もね」

「未来から持ってきた技術と知識と人員を振りかざしてかい? ソリビジョンの題材にしたら、それなりに視聴率は取れるだろうがね」

「異なる立場、性別、年齢の者から同じ意見が出たのです。いい加減、認めてもよろしいのでは?」

 ……これは予想外すぎた。まさか部下の方からもけしかけられていたとは。

――にしても、ずいぶんと部下に言いたい放題いわせているのね。

 自分も堅苦しいのは好まないが、ここまでは言わせない。階級に人一倍厳しいまりもなんか、珍獣を見るような目で見つめている。

――部下をコントロール出来ていない……? 

 …………いやそうではないだろう。それならば軍を軍として機能できるはずがない。あの八月に見せた艦隊の統制は、素人目から見ても完璧すぎた。無能な人間が上に立って出来るものではない。

――この男、見た目以上の化け物かも……。

 正直……この提案をすることによって、この人工惑星で散ることも覚悟していた。まりもには悪いけど、これを聞いておかなければ、今後どんな風に利用されるか判ったものでなかったからだ。

 しかし結果は空振り――どころか、先に言われた目的が本当なのではないかと思ってしまうほどだ。

 それくらいこの男、雰囲気がまるで変わらない。動じず、驚かず、怒らず、怯まず。視線も動作も何も変わっていない。神経が結晶炭素繊維で出来ているかと思うくらい。

「……議長は宜しいのですか?」
 
 会話にほとんど加わっていなかった女性に向かって問いかける。イゼルローンの意志が本当に統一されているのか、それを確かめるために。

 だが女性は芯の通った透き通った声で疑念に答えた。

「閣下は民主国家の軍隊が存在する意義は、民間人の生命を守るためにあるという事を本気で信じていて、しかも決してそれを一度たりとも違ったことはございません。どんな過酷な戦場であっても、民間人を戦争に巻き込みませんでした」

 ショートカットの髪が陽光に反射して輝いていた。

「イゼルローン代表議長としてお約束いたしますわ。時代は違えど、同じ祖を持つ地球人類の生命を必ず守ると」

 ふっと微笑みを浮かべて、こちらに優しく語りかけてくる。

「閣下には閣下の深慮がございます。今は信じられなくとも、全てを明らかにするときが来ます。だってあの人は『魔術師ヤン〈ヤン・ザ・マジシャン〉』ですから」

 ……マジシャン。なるほど、何らかのタネは仕掛けられているということか。
 しかしそこに虚偽〈ウソ〉は無いのだろう。約束を破る行為など、マジシャンとしても政治家としても失格なのだから。だとしたら彼らの目的を信じて、この話に乗っても良いのかもしれない。

――でも何かしら……この違和感は。

 2日目の始まりとしては、これ以上ないくらい交渉がうまくいっているというのに、全てがあちら側のレールに沿っているような気がしてならない。

 ……うん、うまくいっているのは良い。知識を制限無く知れるなんて望外の幸運だ。素晴らしい成果といえる。使用には制限があるだろうが、それでも問題はなし。
 
 でも、なんというか。

――めちゃくちゃ気にくわないわっ!

 駒扱いされているような気がしてならないっ!! いいように言いくるめられている気がするっ! 大きな詐欺にかかっていて、しかもそれから抜け出せないもどかしさがあるっ!

 ……ならっ!

「ありがとうございますわ、閣下、議長。それでは資料を見せていただけますか? ああ、それと部屋も大部屋一室ご用意していただけると大変助かりますわ」

 あちらの予想を裏切ってみせよう。この限られた期間で、イゼルローンの全資料を読破してみせるっ! 
 
――1600年分の格差? 超技術の固まり? ハッ、この天才の実力を甘く見てもらったら困るわ。6日なんていわない、2日で基礎理論全てを網羅してみせるっ!


 ここに――地球の魔女とイゼルローンの魔術師との盟約は結ばれた。
 ……ただそれが友好的なものといえるのかは、当人同士でないと判らないのであった。




[40213] 4
Name: D4C◆9f1d95e0 ID:ed951b55
Date: 2014/08/17 19:09
          第六章「不思議の国のカスミ」


 社霞は今までにない「色」を多く見ていた。

――……みんな、明るい?

 すれ違う人々から見えてくる色の形。それは赤、青、黄、紫、様々な色相があり、彩度も異なっていても、どれも共通しているのは同じだった。

 それはみな、明度が極めて高い――つまりは誰も落ち込んでおらず、不安な感情を抱えている者は極々微少だということだった。

 それは社霞がこれまで見た人の群の中では、会ったことの無い“現象”だった。
 どんな組織であれ集団であれ、暗く重く淀んだ「不安」や「緊張」の色があったはずなのに、ここはいつも朝の木漏れ日のように優しく和やかだ。

「……どうして」

 だから霞は“任務”を果たすべく、隣でエスコートしてくれている男性に向かって、その疑問を投げかけた。

「なんでここの人たちはみんな…………不安そうでないんですか?」

 霞よりずっと高い身長のその人は、ちょっとだけ考える仕草をして、霞に優しく笑いかけた。

「それはきっと、提督がいるからなんだ」

 霞の眼に、穏やかにベンチで読書をしている男性の姿が映った。その色は、このイゼルローンの誰よりも柔らかで淡い色をしていた。



 ――社霞は人の感情を「色」として捉え、人の思考を「画」として感じ取れる。その特殊な能力がゆえに――それ以外にも様々な制約や思惑もあって――香月夕呼はイゼルローン訪問の三人目に、霞を選んだ。

 出発の前夜、夕呼は社に任務内容を伝えていた。

『いい、社。あんたの役目はイゼルローン側が言ったことの是非を見分けることよ』

 ただし、と夕呼は指を一本立てた。

『会話の流れは私が作る。同行するあんたはその中で、相手がウソをついている――もしくは何かを隠そうとしているのが分かったら、すぐに私に投影〈プロジェクション〉なさい。詳細は後でいいわ』

 ただし、ともう一本、夕呼は指を立てた。

『イゼルローンの出方次第だけど、私と社が分断される場合もあるわ。その際のあんたの任務は情報収集。出来る限り疑問を呈して、イゼルローンについてあれこれ訊きなさい』

 こくんと社が肯くと、夕呼は手を口元に当てながら指令を詳しく伝える。

『ただ……下手なこと訊いたら、警戒されて逆効果になるかもしれないからね。そこらへん、会話の機微や駆け引きや誘導が必要なんだけど……』

 夕呼がじ~っと社を見た。それから、はぁっとため息をつく。

『ま、難しいことは訊かなくていいわ。あんたが見たもの、聞いたもの、疑問に思ったことを素直に訊きなさい。それを糸口にして「なんで? どうしてですか?」ってどんどん尋ねること』

 ついでに相手が警戒色を出した際のレクチャーを受けた。

『相手が警戒してきたらね、こー、目を伏せがちにして手を組んで、もじもじしながら「すいません……私、施設育ちで何も知らなくて……」って言えばいいわ。相手が男だったら、これでコロッて騙されるから』

 かんらかんらと笑いながら、しかし次には真剣な顔をした。

『――でもイゼルローン側が敵意、あるいは殺意の感情を出してきた時。その時は相手に向かって、ありったけの“平和”に関するイメージを叩き込みなさい。イゼルローンが本当に未来人類なら、たぶんそれで通じるはず』

 それを話した時の夕呼の感情は揺れ動いていた。その方法はかつてBETAに試し、しかし何の効果も上げないまま失敗したものだったからだ。イゼルローンが人類ならば一応は効果がでるかもしれないが、それでも限界はある。

 だからそれは、最後の手段。社霞に出来る唯一の守り刀だった。それを抜くときは、すなわち霞が自らの力だけで自身を守らなければならない最悪の状況だということだ。霞自身もまたそれをよく自覚し、この任務の重さを学んでいた。

 ――のだが。

「提督のこと聞きたい? うん、いいよ」

 すごく。あっさりと。先ほどから男性は霞にいろいろと教えてくれていた。しかも、今まで案内してくれていた中で一番の柔らかな優しい色を映しながら、そのイメージを伝えてくれる。

「そうだな……聞いただけだと信じられないような逸話が、提督にはいくつもあるんだ」

 商店街のメインストリートのベンチに腰掛けながら、青年は嬉しそうな色を出しながら、社に彼の最も敬愛する者の物語を話してくれた。
 社もまた、彼が勧めてくれたフルーツたっぷりのクレープをぱくもぐと食べながら、その話に耳と目を傾けた。


 曰く、中尉の時、上官が見捨てた民間人三百万人を、彼が率いて軍艦一隻も用いらず全員を救った。
 曰く、准将の時、潰走寸前の艦隊の指揮を任され、最悪の状態から全滅を防ぐことに成功した。
 曰く、少将の時、半個艦隊を率いて、三個艦隊が六度攻めても不落だった要塞を攻め、ただ一人の部下も失わず攻略・奪取に成功した。
 曰く、中将の時―――

 そのような伝説を作り上げながら、尚も最前線に在り続ける。
 軍神、あるいは知神とも称えられる常勝の将、その彼が率いた圧倒的な敵を相手にして、相手をあと一歩まで追いつめた。

 部下は問う。ヤン提督の最高の作戦は何か、と。
 部下は答える。決まっている、この次の作戦さ、と。
 そうして、彼が指揮する兵はみな、最高の士気を保ち続ける。

 百以上の戦場を乗り越え、不滅。
 数百万の将兵と万の艦を指揮し、不敗
 百億の人民を守る軍の頂点に立つ、生きる英雄。

 それこそ、イゼルローン最高司令官、ヤン・ウェンリー提督。

 軍事的経験など無いに等しい社だが、彼のまっすぐな想いを見て、熱い語りを聞いていて、素直にすごいんだなと肯いていた。


 ……ちなみにだが、合流後、夕呼とまりもに対してこの話をそのまま伝えて、盛大に二人をひっくり返らせた。一つの逸話を語る度に、夕呼の顔は百面相になり、まりもちゃんに至っては精神崩壊寸前まで行った。

『11階級を13年間でなんて、ウソでしょうぉーっ!? 大尉が6時間だけって何なのッッ!! 何をどうしたら将官が年間で3階級昇進できるっていうのよぉぉぉっ!?』

 実際に口にしたわけではないが、彼女の精神と思考はそんな混乱っぷりだったらしい。
 どうやらそれはあり得ない昇進のスピードだったらしいと、社も初めて分かった。

『……ふーん、なるほどね。やっぱり、あの男が、このイゼルローンの核なわけか……おっもっしろい、じゃない!』

 その一瞬、夕呼の興味関心が未来の知識や技術でなく、ただの一個人に強烈に向かったことが、社にもなんとなく分かった。


 それくらい、ヤン・ウェンリーという人は「特別」なんですね、と霞は同行してくれた青年に感想を述べた。
 でも年上の青年は、少し複雑な色をした感情と表情を浮かべて、鼻の頭をかいていた。

「うん……でも、提督はそう言われるのはあんまり好きじゃないんだ」

「……どうしてですか?」

 純粋な疑問から首を傾げ、斜め45度の上目遣い(夕呼指導)で彼に問いかける。

「う~~ん、説明が難しいんだけど……」

 彼はベレー帽を外して、手のひらの上で形を変わらせていた。それは彼の師父がするのと同じような仕草だった。

「提督はよく僕に注意していることがあるんだ」

 それは、社霞がかつて感じたことのない穏やかな色と画をしていた。その時、確かに社霞は隣にいる青年――ユリアン・ミンツと共にその話を聞いていた。

『  ユリアン、ユリアン。人間には出来ることと出来ないことがある。私は出来ないことはやらないよ。  』

 柔らかく、しかし言葉は揺れず、“提督”は霞にしっかりと伝えてきてくれる。

『  どんな人間でも手足は二本、頭は一個しかない。それなのに個人が何でも出来るなんて考えるのはおかしいと思わないかい?  』

 提督は紅茶を口に運びながら、社に教えてくれる。

『  だが軍や国も同じなんだ。軍事は政治の一部分、しかも極めて暴力的な一面でしかない。軍事上の失敗を政治が取り返すことはできる。しかし政治上の失敗を軍事が補うことは決して出来ない。なのに往々にして、一部の政治家や軍人はそれが可能と思ってしまう。  』

「……それは、なんでですか?」

『  権力や武力を持った人間の、万能感の拡大だね。一番厄介なのは、奴ら曰くの人類至上の使命とやらが絡まった時だ。個人が使命を持ち、それに向かって邁進するのはかまわない、個人の自由だ。でもそれが他者を巻き込む最悪のケースが、戦争なんだ。  』

 今まで優しかった色に、微かな厳しい色が混じる。

『  でも戦争をする理由が、生命とか食糧とか金銭とかなら、巻き込まれる側もまだ少しは理解できる――と思ってしまうかもしれないがね、ユリアン。民衆はその時訴えるべきなんだよ、もっと別の方法は無いのかとね。  』

 何もなかった水面に波紋が浮かぶように、ぽとんぽとんと霞の精神に言葉が浮かんで伝わっていく。

『  思考を停止させないことだ。世の中がこうだから、こんな状況だから、それは仕方ないと言ってしまった瞬間、自分以外の誰かに意志を委ねてしまうし、工夫は何も生まれなくなってしまう。  』
 
 ぽすんと頭の上に暖かな手のひらが乗っかり、くしゃくしゃっと髪をなでられる。不快感はそこにはなかった。

『  大切なのは、お前自身が決める事なんだ。お前が見てきたこと、聞いたこと、それをまとめて、考えて、時には相談して。それから決めたことならば、私はお前を応援したいと思うよ。  』

「………………」

『  たとえ、私と同じ空を見上げていても、お前が同じ星を見る必要はないんだよ。そうやって人は、自らの星を自分で見つけられたらいいね。  』

 真剣であたたかな色が、そこにはあった。そんな風に声をかけてもらったことは、社には今まで無かった。

――自分だけの……星……?

 ただ一度のリーディング、しかも目の前にいないというのに、提督のイメージは社霞の心深くに染み通る言葉を残していった。

「――で、最初に訊かれたことだけど、提督にとっては「特別」な人っていうのはいないんだ。天才はいるかもしれないし、名人もいるかもしれない。でもそれは一個人でしかないって」

 ヴィジョンが提督から青年へと移り変わる。

「だからきっと、提督にとっては同じなんだ。提督も僕も君も同じで、かけがえのない一人だってこと」

「……………」

 社には応えられなかった。また疑問を口にすることもできなかった。彼女の内に、今まで無かった何かが共鳴しつつあったから。


 数分ほど任務を忘れてしまった自分を、しかし隣にいた男性は優しく見守ってくれていたようだった。

 と、そこに一人の青年――中年?――が立ち寄ってきた。

「よぉ、お嬢様の護衛はいかがかな、新人執事」

「“哨戒任務”は終わったんですか、アッテンボロー中将」

「ああ、終わった終わった。波高しといえども、天気晴朗。辺塞、寧日ばかり。神、そらに知ろしめす、なべて世はこともなしだな」

「昔の表現ばかりを拝借していたら『新世界紀行』の出版が遅れますよ。確か過去編と未来編を構想なさっているんですよね」

「……お前、ほんっとにどっかの自称キラキラ星の王子に似てきたな」

「皆様の教育の賜物ですね。イゼルローンにいる方々は皆、教師、いえ先生ですから」

「おいこら、お前も何もしなくてもいずれ三十を越えていくんだ。いいか、たとえ俺をそう呼んだとしても、いずれ第二、第三の者たちがお前を中年として……」

「あまり暇だからといって、古典のゲームにはまりすぎないでくださいね。ますます表現が陳腐になってしまいますよ」

「それがどうしたっ!」

 ぽけ~っと社はそのやり取りを「観て」いた。彼女の幼いコミュニケーション能力では、互いに毒を吐いて喧嘩しているように聞こえていたのだが、研ぎ澄まされた能力ではむしろ、実にいきいきとした交流の色を発していたのが見えた。

 その矛盾が不思議で、ちょっと小首を傾げて、疑問を呈してみる。

「……あの」

「あぁ、すまなかったな、お嬢さん。こちらの執事は粗相をなさっていなかったか?」

「……社霞です。……それとミンツさんは、執事ではありません。中尉です」

 目を丸くして黙ってしまった二人を見て、はて自分は何か間違ったことを言ってしまったかなと、小首を傾げる。

「……なぁるほどなぁ……いやこいつは不味い、実に不味いぞ、ミンツさん」
「ええ、僕もそう思えました」

 うんうんと頷いて何かを納得している中将さんを見て、ますます訳が分からなくなる霞。思考を見てもよく分からない。

「この深窓の令嬢にこれ以上、わがイゼルローンの汚染をさせては、保護者からどんな苦情・告訴・罵倒・上申されるか分かったものでないからな。空気感染は避けられんが、接触感染はなるべくよそう」

「汚染レベルを自覚なさっているのなら、すいませんがお引き取りを」

「お前さんもかれこれ6、いや7年か。俺に比べればまだ浅いが、気をつけろよ」

 霞にはさっぱり彼らの話す内容が分からなかった。もしやこれはイゼルローン式の暗号なのだろうかと、会話の中身だけは記憶しておいた。

「それじゃあ、小官はこれで。――ああそうだ、ユリアン」

 雑談を終え、立ち去ろうとした中将がこちらに呼びかけてきた

「お前がそのお嬢さんに、いろいろ教えてやれ。ここで思い出を作っていくのが、たぶん、一番いい」

 割と真剣な色が見えた。今まではずっと会話と色にズレがあったのに、その時だけは一致していた。
 隣にいるミンツ中尉もこくんとうなずき、また一緒に案内を開始してくれる。

「じゃあ……そうだねっ、ヤシロさんの行ったことのないところへ案内するよ」


 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 ・・・・・・・・・・・・・

 ・・・・・・・


「ふ~ん……なるほどねぇ……」

 起床してから約6時間後、つまりお昼頃になって、社は別れていた二人と合流していた。
 一つのテーブルの上に昼食を並べ、その間に何があったのかをつぶさに報告していた。

「……元帥……元帥閣下だったなんて……ふふふっ、元帥……」
「……あの、いいんですか?」
「ほっときなさい」

 報告を一通り終えた社だったが、神宮司軍曹は完全に意識喪失していた。目から光がなくなり、頭をテーブルにつけたまま、ぷしゅ~~っと白い煙を出しているようにも見える。

「でも上出来よ、社。その調子でコンタクトを続けなさい」

 ここはイゼルローンに用意してもらった部屋の一室。さらにあちらの配慮で貸してもらえた遮音力場発生装置――周囲に空気の膜みたいなモノができる――によって、一応は謀聴を防いでいるらしい。

 だが昼食をのんびりぱくぱくと取っているのは、社一人のみ。
 ほか二人は用意してもらった資料(日本語)を読みながら、これからの準備をしていた。

「ほら、まりも。あんたもいつまでも休んでいるんじゃないわよ。資料も読まずに演習させてもらえるわけないでしょ」

「…………うぅぅ、夕呼~……! 秒間140発でウラン238を撃ち込めるって、これ秒と分を間違えてないわよね~っ……!?」

「ああ、見せてもらった、あの単座式戦闘機ねー。ただ放射能のリスクもあるし、ユーラシア奪還するなら、もうちょっとクリーンにしてほうが各国の反発も少なくていいかも」

「…………それとこっちの、イゼルローンの主砲が9億4200万メガワットって、どれくらいの量なの……?」

「BETAに侵攻される前の、日本の年間総電力以上。大気圏内での荷電粒子砲でも……そうね優に数万発は撃てる電力かしら? でもなに考えているのかしらね。スペックだけとはいえ、ここまで資料を開示するなんて。各国の技術開発局が聞いたら、軒並み発狂するわよ」

「そ、そうね、ふっ……うふふふ……」

 ふふふふふふっ………と黒い息を口から吐き出していった。なんか会話を続けるたびに、軍曹の精神耐久度がゼロに近づいていく。というよりマイナス? 理性の綱もだいぶ切れかけてきたせいか、普段は締まりのある言動が幼くなってきているよーな。

 代わって、博士の方はもう慣れてきたのか、用意してもらった資料を恐るべき早さで読み続け、砂漠に水を蒔くがごとく、未来の知識や情報を吸収しているようにも見える。
 こちらには目を向けず、自らの成すべきこと、そして自分たちに成すべきことを伝えるためにこの場を設けたのだった。


「じゃあ、最終確認よ。私はこれから資料の熟読に、この部屋にこもるわ。明後日――現在から42時間後には出る予定、それまで一切の室内への進入を許可しないわ。イゼルローン側にも伝えてある」

 周囲には本や紙の山脈が連なっていた。何でも文明が進んでも、紙媒体以上の優れた記録装置はできなかったらしい(もちろん操作卓〈コンソール〉もあるのだが)。
 これら全てをたった42時間で読み切るなんてできるんだろうかと、社は疑問に思ったが、口にはしなかった。この博士は、自らすると言った以上、意地にかけても絶対成し遂げるだろうから。
 ちなみに大部屋といったが、もちろんトイレやユニットバス、あとイゼルローンからタンク・ベッドというのが用意されていた。

「まりもはイゼルローンの兵器に少しでも触れて、対BETA戦への構想と運用と戦術案を練って。後でレポートにまとめてもらうわ。艦そのものは、時間もないし今回はパスして。宇宙戦艦一つ造るより、地上戦で使える兵器の数揃えた方が、コストパフォーマンスもマシだから」

「了解ですっ」

 実務的な話に移ったのか、少しだけ心の平衡を取り戻せてきたようだった。……まだまだショックは大きいようだが。

「で、最後は社だけど……」

 ほんのちょっとだけ、こちらに目を細めて言った。

「あんたは今日と同じでいいわ。そのなんとかって中尉、ヤン閣下の養い子なんでしょ? そいつにまた色々と教えてもらいなさい。特に彼らの文化とか歴史とかね」

 コーヒーの入ったマグカップを持ち上げながら、にやりとまた笑った。

「それに、このコーヒー、なかなかうまく淹れられたじゃない」

「はい……ミンツさんに、教えてもらいました」

 ミンツ中尉の実父は茶道楽だったらしく、本人も教えられたらしい。本人曰く、紅茶が特にだそうだが、緑茶やコーヒーなども点てられるとのことだった。
 いろいろと話をする中で、ミンツ中尉ばかりでなく、自分のことも――極限られたことしか話せないが――話すようになっていた。その中の一つで、博士の助手のようなことをしていると言ったら、ならばと教えてくれたのだった。

「それにしても……あんたもなかなかやるわね~。それも買わせたんでしょ?」

「……はい、ミンツさんが、私にって」

 彼が自分にと勧めてくれたのは、もう一つ。日記だった。
 彼自身もイゼルローンに来た頃から書き始め、今では結構な量になっているらしい。

「…………書いても、よろしいでしょうか?」

「んっ……まあいいわ、ただ検閲が当然入るだろうから、何をした、これこれを見たくらいにしておきなさい」

 こくんと頷いた社だが、どうしても気になったことがあった。

「…………あの、なんで、日記って書くんですか?」

 紙をめくっていた夕呼の手がぴたりと止まり、こちらに向き直った。

「……忘れないためかしらね」

 飲み終わったマグカップのふちを指でなぞった。

「こんな世界で生きていたら、死ぬほどツラくて忘れたい思い出なんてね、みんな腐るほど持っているわ。でもね、社。それを忘れていってしまうほうが、もっとツラいの」

 隣に座っていた神宮司軍曹もまた、真剣にその話に聞き入った。

「何があった、これがあったなんて一文なんて、他人からしてみたら本当の意味では分からない。その時その場に――いい、これはよく覚えておきなさい――実際にいた人間にしか、その記録から「本当」を思い出せないのよ」

 その夕呼の言葉が、ユリアン――ヤン提督から聞いた言葉とわずかに共鳴した。

「あんたがそこに書き記すことは、私にとっては何の意味も価値もない。だから注意はしても、指示はしない。社自身が書き記して、後になってあなただけの価値が生まれるかもしれないし、そうでないかもしれないのだから」

 社はその日記帳に目を下ろす。こんな分厚いものを自分は書き残すことが果たして出来るのだろうかと。

「まっ、人工惑星にくるなんてこと滅多にない機会だから、いいんじゃない、書いておきなさい。男からの貢ぎ物なんて、テキトーに扱っていいんだから」

 からからと笑う博士に、半目でじとーっとみつめる軍曹がいた。

「あと、思い出っていうのは、何をしたか、どこにいたかって、それほど重要じゃないと思うわ。一番大事なのは、誰と一緒にいたかだと思う。それさえ忘れなければ、思い出ってのはいいものだから」

 にやりと笑う夕呼の答えに、霞はこくんと頷き、まりもも静かに二回頷いていた。

「――さあっ、動くわよっ! せっかくのこの機会! まりもも社も、情報収集を怠るんじゃないわよっ!!」
「了解しましたっ!」
「はい……!」




 ……こうして、イゼルローン訪問の時は流れていく。夕呼は知識を、まりもは実践を、霞は情報を。それぞれがそれぞれ、掛け替えのない体験をし、2日目を過ごしていった。

 その途中、まりもはふと思った。なぜ夕呼はあれほど社という娘に、任務外のことを真剣に伝えていたのだろうかと。時の不可逆性と価値についてあれほど知っている夕呼が。

 神宮司まりもは知らない。社霞の特別な出生を。彼女には自身に寄与する思い出など、ほとんど持っていないことを。他者にリーディングすることで、その主幹の欠損を補っていたということを。

 色々な意図をこめて、夕呼はこの機会に社が自分自身ということを学んでくれればと、彼女を一人にすることをあえて選ばせた。もちろん情報収集の意味もあるが、それ以上に彼女の能力的な、そして人間的な成長を願って。


 ――だが。


 香月夕呼は気づかなかった。イゼルローンの未来知識を学べるという絶好の機会に目が眩んだばかりに。気づける機会は何度かあったというのに。

 ヤン・ウェンリーという男の、見た目に騙されていたといってもいいだろう。あれほどの武勇伝を聞いた後にも関わらず、外見の先入観から抜け出せず、半信半疑な部分を残してしまった。

 イゼルローン組がヤンファミリーとも言われる理由の一つ。それは司令官のおそるべき人格的影響力、もとい汚染力にあった。
 まじめで堅苦しかった士官のほとんどが、ヤン率いる不良中年組の独特の気風――伊達と酔狂と冗談と趣味で、自ら無謀な戦いに身を投じるという熱気に染まったことを。

 純粋無垢で世間知らずな年頃の娘を、そんなたまり場に一人おいていくことが、どれほど「危険」かということを。

 香月夕呼はまだ知らない。何より、社霞自身も知らない。
 そしてイゼルローンの面々は知ったことではないと、責任はとらないのであった。




[40213] 5
Name: D4C◆9f1d95e0 ID:ed951b55
Date: 2014/08/30 21:52

        第7章「狂犬伝説」


 特務“四日目”の朝。その時、神宮司まりもは後悔と困惑と混乱の渦中にあった。
 目の前で起こってしまっている現象と現実と事実と事態に、脳の処理が全くついていかない。
 少しずつ周囲を認識するたびに、もはや取り返しがつかないことを悟らざるを得なくなってくる。

「ま……まりも、あ、ああ、あんた……なんって、ことを……!」

 ああ、あの冷静で冷徹で冷厳な夕呼でさえ、自身のあり得ない失態を見て、ひたすら狼狽している。顔は青ざめ、指し示す指が白くふるえていた。

――どうして……こんなことに……。

 記憶に無い。どうして自分が、こんなことをしてしまったのか。なぜ自分が、こんなことになっているのか。
 
 だが一つだけ、確かに分かることは、

――ああ……みんな、ごめんなさい……!

 私はもう、地球の土を踏むことはできない―――。


 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 ・・・・・・・・・・・・・・・

 ・・・・・・・・・


 特務三日目の朝。地球組三人それぞれが別行動を取る中、神宮司まりもも文明格差〈カルチャーショック〉にも段々と慣れ、比較的冷静に軍事技術に触れられるようになってきた。

 地球ではまずありえない、低重力下での白兵戦。光線式という、重力や風や反動の影響を受けない銃の存在。衛士強化装備とは異なる、宇宙空間の絶対零度さえ耐えられる防護服の着用。

 白兵戦や射撃に関しては、現地球のものと大差がないものだったこともあり、むしろ好奇心を持って新しい技術に触れられた。

 特に軍事訓練の見学をさせてもらえたのが大きかった。

「きさまら、遊ぶつもりでここにいるのかっ!? 役立たずのヒヨコどもがっ!」
「いいか、生き残る奴は強い奴だ! 正義なんて振りかざしてもなんにもならんっ! 道義や権利を口にしたければ、まずは生き残れっ!」
「幼年学校からやり直してこいっ! いいかここは最前線だ、せめてママのおっぱいから離れてからやってこいよ、ボク!」
「ぴーちくぴーちく弱音を吐く元気はあるようだなっ! あと10km!」
「戦場で最後にモノを言うのは体力と気力だっ! この程度も耐えられんやつが味方を殺すんだ!」

 火薬式の軽機銃を持ち、5kmの徒歩と300mの水中歩行、25カ所の障害越え。地球とほぼ変わらない訓練を見て、ああ未来の軍隊でも変わらないんだと、春の木漏れ日のような精神的安静を得られた。よかった、自分はまともだ。

「統率された訓練されておられますね、さすがです」

「いえ、まだまだ彼らは新兵も同然です。とてもではありませんが、最前線には出せないだろう。熟練兵が見守らなければ、いざという時動けない者たちばかりです」

 神宮司まりもは案内をしてくれている初老に近い男性――『ムライ中将』の説明を受けて、納得をした。確かにまりもの眼から見ても、10代とも見える若い兵士たちは洗練された動きとは言い難かった。

 でも、とまりもは思った。

「ですが、熟練された兵たちが直接指導に当たることが出来る……それは貴官の故郷からすれば、十分すぎるほど恵まれた環境と言えるかもしれませんな」

 どうやら見透かされていたようだった。いえそんなことは、頭を下げたのだが、内心は同意するところだった。

「では次だが、砲撃場に案内しよう」
「はっ! 中将にご足労を煩わせ、真に申し訳ありません!」

 直線に伸ばした背中の斜め後方を歩きながら、まりもは思った。

――こんな人もちゃんといるのね……。

 冷静で緻密な処理を行い、常識と秩序を重んじ、汚職や冗談を好まず、礼儀や規則に重きを置く軍人。それがまりもが彼に抱いた感想だった。

 今まで出会ってきた中佐や中将や元帥が、いささか……うん、想定以上に型破りすぎたのでかなり不安だったのだが、軍人らしい軍人が案内してくれて助かっていた。
(某中佐と某中将がそろって案内をしてくれると申し出てくれていたのだが、主席幕僚が案内することになったらしい)
 
 そうやって案内された各所で兵器を確認し、モノによっては使用を許可され、地球上で扱えるかどうかの相談も行い、数十にわたるブロックを渡り歩いた。
 謹厳実直で実務的なことしか言わない案内であることも助けになり、実に充実した演習の時間をとることができた。


 そうしている間に、どうやら胃が昼を知らせてきたようだ。兵士たちの食堂に案内され、そこで休憩を取ることになった。
 ムライ中将が入った瞬間、ほぼ全員が起立し敬礼をした。和んでいた兵士たちに緊張感が見える。
 中将が軽く手を振ると、みなが着席した。兵士の中には急いで食事を放り込み、席からそそくさと立つ者もいた。

「普段は高級士官用の部屋で食事を取るものでね。ここに来るもの久しぶりだ」

 相席を失礼いたしますと断りをいれて、彼の前にトレーを置かせてもらう。食事中に失礼だとは思ったが、先ほどの演習についての補足質問をいくつか投げかける。
 中将は表情を変えず、階級も年齢も圧倒的に下の自分に、淡々と、でも一つ一つの質問にとても丁寧に答えてくれた。それは、まるでそう―――自分が訓練校の生徒だったころ、教官に教えを乞いていた頃のようだった。

 またこんな風に、誰かから教えられる機会が訪れるなんて思ってもいなかった。

――そうか……あれからもう、9年も経つのね……。

 ああ……そんなにも経ってしまってたのか。私も歳を取ったなんて言いたくないけど、BETAとの戦争のさなか、過去を振り返る余裕なんて無かったから。

 ……振り返りたくなかったから、というべきかもしれないけれども。

「どうかしたかね、軍曹」

 しまった、貴重な話を聞かせていただいている最中だというのに、意識が別のところに飛んだ。
 素直に謝罪をし、同時に話題を少し変える。

「そういえば元帥閣下のお噂を少し耳にしたのですが」
「……………………どんなものかね」

 ??? 表情は変わっていないが、やけに重く苦い沈痛な感情を出している? まるで聞きたくないような……話したくないような……。

 やはり訊いてはいけなかったのだろうか……でも、これも任務の内。夕呼から『社ばかりでなく、あんたも訊いてきなさい』と言われたので、少しでも彼についての情報を集めなくては。

「いえ、元帥閣下のご栄達と武勲の数々、尊敬の念と口にするのもおこがましい……正に畏敬の念を抱かせていただきました! あの若さで元帥にまで栄進され、激戦の地にて伝説の数々をうち立て、それに驕らず、なおも最前線に在りつづける。部下からの信任も厚く、まさに武人の誉れ、軍人の鑑〈かがみ〉というべき御方だと!」

 …………あら? 率直で素直な感想を口にしたというのに、なぜ中将は頭を抱えていらっしゃるのだろうか?

「…………そうか、貴官はそう感じられたわけか。そうか……そうだな……うむ……それが正常な反応か……」

 ふぅっと吐息をもらし、少し何かをためらうかのように沈黙を保ち、こちらに問いかけてきた。

「…………軍曹。昨日、君は閣下と対面したが、実際に彼を見てからその話を聞いて、それが事実だと納得できたかね」

 ……すごく、難しい質問だった。ちょっと顔を背けたい気分になる。

「…………は、いえ、あの……し、失礼ながら! この話は、閣下の養い子である中尉殿からお聞かせ願ったものでしてっ! 小官も又聞きなものでありまして!?」

「いや、すまない。意地が悪い質問だった。……まず、その話は全て事実だ。軍のデータも残っているし、実際の兵の証言もある。私も証人だ」

 重く重く、深いため息を吐いた。普段の苦労全てを吐き出すように、主席幕僚としての証言をはなしてくれた。

「…………うむ、地球とイゼルローンの相互理解と交流のため、私も貴官の質問にはなるべく答えるよう、閣下より指示されている。そのように、認識に大きな齟齬があると今後の交流に差し支えるだろう。なので率直な疑問を口にしてもかまわん」

「…………」

「閣下の見た目と武勲とが、あまりにもかけ離れているようですが、とな」

「……い、いえ、そ、そのようなこと、小官は……」

 顔を背けてしまった自分はなんて弱い子なのだろう。ああ、本当に訓練学校に戻ってしまったようだ。

「正直に打ち明けよう。身内の恥をさらすのは実に、甚だ、とても、遺憾ではあるのだが……一つの例だが、閣下を含め、幕僚のおよそ半分が、軍事訓練校で門限破りをしてきた経験がある」

 口と目が、ぽかーんと開いてしまった。

「幕僚の一部は、酒を飲む楽しみの半分は、禁酒法を破ることにあると公言していたり、いかに合法的に規則の網を抜けるかに腐心する者たちばかりで。まったく困ったものだ」

 どんな軍隊よ、ここ。

「閣下に至っては、『スパルタ教育の語源となった国では、新兵の訓練のため、あえて与える食料を減らし、畑から作物を盗むことを唆したという歴史があるのだよ』とのたまっておられるほどだ」

 どんな元帥よ、あの人。

 ああ……昨日見て、今日聞いてきた未来の超技術よりも、ここの人たちの方が意外性がありすぎた。本当におそるべきは、イゼルローンの軍人たちか。ほんとに、どうやって軍の規律保っているのよ、ここ。

「特に閣下はその地位や立場に比べると、非常識なまでに容儀が軽い。……貴官等との会談にも、もう少し護衛を用意するよう具申したのだがな」

 ぴくんと警戒心の糸が張った。それと同時に今までの疑問が一つの考察となって行き着く。

「……ヤン閣下が、イゼルローンにおける小官たちの自由を許可されたのでありますか?」
「私以外にも、反対はあったのだがね」

 中将は目の前のコップを口元に持っていった。その沈黙の期間が、私に思考の自由を許す。

――あの人が……でもどうして……?

 正直、自分もずっと疑問だった。一介の下士官に過ぎない私に、なぜここまでの行動の自由を許されているのか。夕呼もその疑問は持っていたようで、イゼルローンの狙いを計りかねていた。

「……なぜ、閣下はわたくし共のごとき者に、これほどの自由をお許しになっているのでしょうか」

「すまんが、その質問に関しては私の権限を越えている。答えられる範囲で言うならば、地球の平和のために必要だからだろう」

――また平和……でも、本当にそれだけ……?

 これまでイゼルローン側から要求されたモノはほぼ皆無だ。地球側の技術――筆頭は戦術機だろうが、噂に聞くBETA由来の技術に関しても、何も求めてきていない。

 地球側の劣った技術など必要ない? 地球という市場の確保? 知識や技術の特許独占? 陰からの支配? 労働力の提供を後から求める? 歴史を変えるため? 民族解放? イデオロギーの浸透? 半植民地化? BETAとの戦いへの布石?

――……ダメだ、どれも確証を持てない。

 疑えば疑うほどキリがない。いっそBETAのように分かりやすい侵攻なら――いや何を思っている、私は。遙か未来から現れた彼らの好意と比べるなんて、無礼にもほどがある。

 だというのに、疑問が堂々と巡る。同じ人間だというのに、これほどまでに彼ら―――ちがう、“彼”の本当の狙いが分からない。

「あの……ヤン閣下とは、どういう御方なのでしょうか?」

 漠然としすぎる、でもおそらくは、これこそイゼルローンの核心というべき疑問が出てきた。

 私の質問に対し、ムライ中将は腕を組み、しばらく沈思黙考した。

「……難しい質問だ。だが答えられる範囲でいうならば、」

 ごくりと唾を飲み込む。体が思わず前のめりになる。

「私も正直、よく分からん」

 こけた。

「……これは冗談ではないのだ、軍曹。私は冗談は苦手だし、あまり好まない。幕僚の多くも同じように答えるだろう」

 ふぅっと腕を組んだままため息をもらす。

「私の知る限り、閣下ほど軍人や戦争を毛嫌いしている者はいない。同時に閣下ほど、戦略戦術の智略に優れ、個性的な部下をまとめ、変化する戦局に柔軟に対応できる方を私は知らない。まさに矛盾の固まりのような人だ」

 ……? 

「軍人がお嫌いと仰りましたが、閣下は軍部の最高位では?」

「閣下は隠されていない――むしろ公言されているのだが、軍人になったのは食い扶持がなかったからで、当時の士官学校に無料で歴史を学べる科があったからだけらしい。およそ正義や信念とは無縁の志望動機だ」

 …………。もう、地球の軍人は、全力で石投げてもいいかも。私みたいに、怒りを通り越して、全力で呆れるかもしれないけれど。

「我々の軍は長年勤めれば年金が付くので、辞め退きを計っていたらしい。だが“仕方なく”戦場で武勲と功績を上げたせいで、階級が上がり部下も多くなったきて、辞めるタイミングを逸してしまったと」

「…………確かに、よく、分からない、御方ですね……」

 なんとかぎりぎりな返答できたけど、言葉にならなかった。

 ああ……イゼルローンの超技術に適応できてきたと思ったら、次は未来人の非常識さを越えなければいけないのか、私は。なんて試練だ。

 私とほぼ変わらない歳で将官になり、32歳で元帥になった人が、実は仕方なく昇進していって、年金を狙って辞め退きを探していたなんて。
 軍部の常識って何かしら、軍人の信念って何かしら、軍の勝利って何なのかな。

 イゼルローン、おそるべし――否、ヤン・ウェンリー、おそるべし。


 死んだ魚のような目を浮かべていた私に、ムライ中将は話を続けた。

「だが誤解の無いように……いや既に誤解をしていても仕方のないことだが、しかし閣下は決して不真面目な方では――いやすまない、言葉を変えよう。あの方は無能と無体という言葉からは、限りなく遠い人だ」

 中将は今までのような苦い口調とは異なり、淡々としたそれに戻っていった。

「閣下は自らが率先して他の模範となり、全体を自らのコントロールに置いて他者を引っ張るという、いわゆる典型的な指導者ではない。むしろ個々人の個性を十二分に発揮させる場を提供する、人材配置の達人というべきだろう」

 少し沈黙があり、中将は続けた。

「私は万事、型どおりの考えしか出来ない男でね。型は提供するが、柔軟に修正を施すのは他人に任せたいと思っている。閣下は正に非常の御方で、あの人の幕僚となれたことは、私の軍人生活において充実した日々だった」

 中将は少しベレー帽を直した。……もしかしたら照れているのかも。だとしたら余りこれは他の人に告げない方がいいかも。

「主席幕僚にイエスマンを置きたがる軍人は多い。しかし閣下はむしろ、最初に私の反対意見を期待されている。その上で会議で議論と説得をし、納得の上で全体の行く道を決めていく。自身や組織のバランスを調整する役目を、私に負わせているというわけさ」

 それは凄いと思えた。確かに変化が激しい前線においては、トップが部下の意見を聞かず、拙速を旨としてしまう場合が多いから。

「だが同時に、閣下はある事柄に関しては、人が変わったように断固とした態度を取る」

「…………」

「貴官が見てきた演習場において、上官が訓練兵に私刑を行っている場面はあったかね?」

「……いえ、ありませんでした」

 確かに思い返せば、そういった醜聞は見なかった。地球からきたゲストの前で遠慮していたのか?

「閣下は枝葉末節な軍律に関しては甘い御方だが、軍人が民間人に危害を加えることと、上官が部下に私的制裁を加えることについては、厳格に対処している。それが下まで浸透しているのだよ」

 それはまりもにも思い当たるところがあった。

 軍部における悪しき習慣の一つに、出来の悪い下士官が睨まれるのと同じくらい、“出来のよすぎる”下士官や年下の者は、上官や年上に決して好まれないというのがある。上下関係の軍律は重要だが、私的な混同が過ぎると、それはむしろ軋みと不満をもたらしてしまう。

 ここイゼルローンではそのよどんだ空気が限りなく薄かったのだ。

――イゼルローンの空気を作ったのが、あの人……!?

 初めて見た時は想像も出来なかったが、夕呼とあの人の話を間近で聞き、こうして彼に詳しい人々の話を訊いていると、それが確かなものなのだと実感できてくる。

 ヤン・ウェンリーこそ、イゼルローンを知る上で、最も知らなければ人物なのだと―――。

「『軍紀で抵抗できない部下を一方的に殴るような者が、軍人として賞賛に値するというなら、軍人とは人類の恥部そのものだな。そんな軍人はいらない。少なくとも、私にはね』とな」

「……耳の痛いお言葉です」

「しかし、貴官は違う」

 いきなり、思わぬ言葉をかけられた。

「閣下は人を見る目―――いや見抜く目を持つ。もし貴官がそのような軍人であったのなら、ここまでの行動の自由は、閣下も決して許されなかっただろう」

 中将は厳格な表情のまま、しかし少しだけ柔らかさをこめて、軍曹に答えを返す。 

「閣下は貴官を認められた、ゆえに幕僚である私も貴官を認める。それが『なぜ自由を許可しているか』という質問に対する、もう一つの答えだ」

 数瞬遅れて、まりもは起立と最敬礼を返す。

「……はっ! 中将より勿体ないお言葉をいただき、真に感激の念に耐えません!」

「私は貴官の直接の上官ではない。故に敬礼は不要だ、席に腰掛けてくれたまえ」

 着席した後でも、まりもは敬意の念を抱かずにはいられなかった。

 遙か1600年もの未来からやってきてくれた軍隊。イゼルローンに来た当初は、不安や疑問だらけでたまらなかった。でもこうして話をしていて分かる。

 彼らは同じなのだ。BETAなんかのコミュニケーションが不可能な生命体とは全く違う。自分たちと同じ人類であり、こうして互いに認め合い、互いを分かろうと伝えあえるんだ。

――そうか、これがヤン閣下の狙いだったのかも……!

 ただ技術や知識を提供するのでなく、お互いの文化や考えなどを交流しあい、真の意味でイゼルローンを知ってもらうために、最大限の自由を許可していたのだと。少なくともまりもには、彼の意図はそうなのだと思えた。

 それを知ると、ますます勇気と意欲が湧いてきた。残り数日という短い期間ではあるが、技術や知識だけでなく彼らのことを知らなくてはと。


 ――――と、そこへ。


「ややっ、これは麗しき一輪の花が見えますことでっ!」
「……ポプラン中佐」

 中将はあまり表情は変えていないが、憮然とした雰囲気を醸し出してそちらに振り返る。
 対する中佐は厳しい上官の表情もなんのそのといった、緑色の瞳に笑顔を浮かべてこちらに話しかけてきた。

「壁の花にしておくには余りに余りにもったいなく思い、一匹の蜜蜂がこうしておそばにやってきた次第であります」

 相変わらず軽薄ではあるが、冗談ではなさそうだ。こういったタイプの熟練兵は前線でもいたが、ここまで陽気さを出せる者はいなかった。なるほど、中将がおっしゃっていた、“幕僚の一部”というわけか。

「中佐。案内役を閣下より仰せつかったのは、小官であると記憶しているのだが?」

「もちろんですとも。演習を案内するのはムライ中将にお任せいたします。しかし交流会の主催役を認可されたのは、我らでして」

 交流会? 私と中将の声が同時に出た。

「ええっ。“自分とシェーンコップ中将とアッテンボロー提督”とが企画・立案・誘致をいたしまして、第一回、地球とイゼルローン交流会をと。既にヤン提督の許可は得ています」

「…………君たち三人が併せて行動したら、深刻な問題が冗談でも済んでしまうような気や、軽く革命でも起きそうな予感がするので、あまり好ましくないと思われるのだが、どういうものだろうね」

「そいつは独断と偏見と悪意というものです。例の二人はさておき、おれ、ではない、小官は、おふくろの腹から生まれた頃から、誠実と双子として生まれたというのが自慢なもので」

「……中佐殿、それは生き別れになったということでは?」

 ……はっ。つい話にツッコんでしまった!? 自分はまったくの部外者なはずなのに、どうしてこんなっ!

「と、彼女も言っているようだが?」

「参謀長! 地球人類との交流のテストケースと考えたら、これは重要な任務であります。残念ながら博士は部屋で研究中ではありますが、嬢ちゃん、もとい、ヤシロ・カスミ嬢も参加の意を示しております」

 外堀から埋めてきたというわけね。
 ………普通に考えたら断るべきところだけど……でも。

 うんっと頷いて、意志を固めた。

「畏まりました、中佐殿。ご厚意に甘えまして、神宮司軍曹、交流会に参加させていただきます」
「私は遠慮しておこう。大騒ぎよりも静かな休暇の方が好みなのでな」

 これも任務の内だ。この交流会を通じて、彼らのことをもっと知っていこうっ!

「だがポプラン中佐。あまり羽目を外しすぎないように」

「了解しました、もちろん“未成年組にはノンアルコール”を振る舞いますので――――」























        ※       ※       ※


 タンク・ベッドの蓋が開き、そこから一つの裸身が現れる。その女性はんん~~っと上半身を回しながら、シャワールームに移動した。40℃の熱く激しい雨を全身に受け、次に15℃の冷たいスコールを浴びる。それを交互に繰り返し、一気に全身の細胞を覚醒させていく。

 寝ている間も脈々と動いて脳細胞に加え、体の細胞もそれにあわせて脈動し始める。

 ふわっふわのタオルで全身をくまなく拭き、ぱりっとした白衣を着込み、ごきゅごきゅっと一番搾り冷たい牛乳を胃に流し込み、ぷはぁっと至福の吐息を吐き出し、大部屋の中央で一言。

「あたしってやっぱり最高だわっ!」

 全てを成し遂げた女傑がそこにいた。

 あれからきっちり42時間。香月夕呼の本気に駆逐された資料の山々が、死屍累々と周囲に横たわっている。

「ふっ……イゼルローンってこの程度? あたしを満腹にさせたかったら、この十倍は持ってきなさいよねっっ!」

 高笑いが部屋で反響する。ええ、別に盗聴されてよーが、もはや関係ないものっ!

 やった! 確かにやったっ! 自分は1600年を、世界を縮めてしまった! ああ、なんて至福の時間だったのだろう! なんて刺激的な時だったのだろう! あの無知で蒙昧で、何もかもが新鮮だった二日前に帰りたいっ! 知識を遠慮なくむさぼり食らえた夢のような時間よ、あたしにもう一度カモンっ!

 部屋の中でダンスを踊れるくらい舞い上がっていた夕呼も、だんだんと平常を取り戻す。
 しかしその脳の中は興奮からいまだ醒めやらぬ夢の中にあった。

――最大最高の収穫は、亜空間跳躍と超光速通信の原理ねっ!

 これら二つの原理を応用することは、すなわち「人間の観測」を超えることが出来るということだっ! それすなわち、「可能性」の世界へと更に足を踏み入れることが出来るということ。
 
 すなわち、すなわちっ! 自分の研究の長大なる躍進を望めるということっ!!

――これでだいぶBETA由来の技術からの脱却ができるっ!

 これを流用しての、完全なブレイクスルーはもちろん出来ないが、それでも更なる発展を見込める―――否、その天井はこの天才の自分でさえも計り知れない。

 ああ、ああ! 次々あふれてくるアイディアを残せないのが悔しい! タンク・ベッドの中で見てきた、弾ける創造が消えてしまうっ! 資料は持ち帰れなくても、検閲なしでマイノートを持ち帰る許可を交渉しなくては!!

「ふぅっ………やれることはまだまだ山積みね」

 今日は四日目か。七日目が帰還の日と考えても、それでもあと丸々三日分の時がある。
 最低限の技術と知識と理論は、既にこの天才の頭脳の中に入った。あとはこれを活かして、どう各国のお偉方と交渉していくかも考えなくては。

 と、段々と醒めてきた脳細胞が、別の注意を警告してくる。

――……にしても、ずいぶんと解りやすい資料のチョイスだったわね。

 要求したのは確かにこちらだが、それにしてもずいぶんと地球側の技術ベースに合わせた難易度だった。こちらが理論の壁を超えるたびに、がんばれば理解できる範疇の理論を提示してきた。

 まるで前人未踏のロッククライミングではなく、整備された登山道をひたすら登ってきたような……。

――まだ彼らの思惑の内、ってことかしら?

 イゼルローン側の意図が完全には見えない中、ひたすら集中してきたわけだが(正直、至福の時すぎて、もーどうでもいいやって思ったけど)。

 でもここからは、また彼らとの交渉と交流の時間。対理論のお勉強の時間よりも、対人間の営業の時間の始まりだ。更に地球に有利な形で話を進めていかねば。

――まりもはどうしているかしら?

 これからのことももちろんだが、まりも達が集めた情報も訊ねて、ミーティングをしなくてはと、大部屋から出る。
 至福の時間を過ごしたこともあり、足取りも楽しく、るんるん気分で廊下を歩んでいける。

 まだ時刻は標準時間で朝の五時頃。まだ寝ているだろうが、忍び込んでびっくりさせてやろう。
 個室のドアの前に立ち、既に二人から聞き出しているパスコードと、自分に配布されたIDカードを当てる。

 音もなくドアが開いた。屋は暗い。どうやらまだ寝ているようだ。寝息が聞こえてくる。どうやら彼女も任務を果たすべく、一生懸命だったようだ、こうやって人の気配があるのに反応して起きないとは。

「まーりーもっ! 私の帰還よっ、さあっ目覚めの時間は今っ!」

 ぱちっと部屋のライトをつけると同時に、学生時代のような気軽さで彼女を起こし―――

「……え゛っっ」

 香月夕呼は、完全に、沈黙、した。

「…………っ、っ、っ……!?」

 声が、出ない。息が、詰まる。指が、震える。どうしよう、これ、どうしようっ。

 BETAが大挙して横浜基地を襲ってきた、という報がまだマシと思える。人間の思考と想像の限界を、今、香月夕呼は思い知った。

「……んっ……んんぅ……?」

 その夕呼の混乱など知らないとばかりに、“服を着崩した”神宮司まりもが声の主の方へ向く。

「あれ……夕呼? どうしてここに………資料は……?」

「ま……まり、まり、まりまりまりもっ、あああ、あんた、それ、それっ」

 震える指でこちらとは反対側、ちょうどベッドの向こう側の“それ”を指さす。こんなにも自分が慌てている最大の原因の、片割れがそこにはあった。

「……それ?」

 まりももそちらを振り向き―――そして凍った。

「「………………」」

 どうしようもない沈黙が辺りを凍結していく。

「ま……まりも、あ、ああ、あんた……なんって、ことを……!」

 そこにいたのが“それだけ”だったら、まだ大した問題では無かった。とてもマズすぎるのは、神宮司まりもがそれの隣で寝ていたという事実だった。

 そう、そこにいたのは、


「……うーん、ユリアン……あと10分でいい、いや9分45秒……あと9分と30秒だけでいいから…………」

 
 ………………。うん。
 赦せ、友よ。これも地球人類のためだ。NAME,君の名を忘れない。

「ゆ、ゆうこ、わ、わたし、わたし……」

 慌てふためき始めた彼女の肩に、ぽんっと優しく手を乗せ、かつてないくらい穏やかな笑みを浮かべる。何も心配することはないのだよと、聖母のように語りかける。

「大丈夫よ、“神宮司さん”。面会は、年に一回は来るようにするから」
「軍籍抹消決定ーーーーっ!?」

 最高のはずの四日目の朝は、最悪の形で幕を開くのだった。



[40213] 6
Name: D4C◆9f1d95e0 ID:ed951b55
Date: 2014/09/07 17:39
 月は地獄だ――BETAに侵攻された月において戦い続けた、司令官が残した言葉がそれだった。
 地球も地獄だ――BETAの侵攻が始まった地球において、戦い続けた衛士たちが口々にした言葉もそれだった。

 神宮司まりもも、今日この日まではそれが真実だと思っていた。安全圏などないユーラシア大陸の戦地を転々とした時こそが、もっとも生命の危機を感じた頃であった。

 だが、まりもの認識は甘かった。そんなのは、地獄の一階層程度をうろついていた程度だったことを。そうだ――

「ユリアン、お茶のおかわり……入れてもらえるかしら?」

 ここが、地獄の底の底だ―――!



        第八章「修羅場」



 イゼルローン要塞の一室。そこは機密を保持するための会話室になっており盗聴を防ぐためのありとあらゆる技術が盛り込まれている。

 部屋は一辺10mほどで、壁にはドアのみがあり、重厚な四角のテーブルが部屋の中央に、それを囲むようにソファーが4つ並んでいるだけの簡素な作りだった。

 そのソファーの一つに、イゼルローン議長、フレデリカ・G・ヤンが。
 その右隣にイゼルローン最高司令官、ヤン・ウェンリー。左隣には参謀長のムライ中将が。
 
 そしてフレデリカの向かいには、イゼルローンに刻まれた新たな伝説の人物、神宮司まりも軍曹の姿があった。

 まりもは周囲からの視線(特に正面)に耐えるように、頭を少しうなだれて、視線を下に、手のひらは太ももの上にキチンと置いていた。

「では……証言者もそろいましたので、あらためて昨夜の被害状況を報告いたします」

 証言者こと、昨夜の歓迎会の参加者は――生存者とも言う――壁に背中をつけ、それぞれがそれぞれの表情を浮かべていた。
 そんな中、進行役のムライ中将が淡々と事務的に事実を伝えていく。

「まず物理的被害ですが、これは使用させていただいた民間店の被害が最も大きく、追加で注文した飲料や食材の請求費が20万ディナールほど来ております」

 うわぁっ……と証言者から――観覧者とも言う――どん引く吐息が漏れ出る。

「……ミンツさん、それはどれくらいの価格なんでしょう?」
「……僕が兵長だった時の初任給が、1440ディナールだったんだ」

 16トンの重りが神宮司まりもの頭上にたたき落とされた。

「次に人的被害ですが、多いところではローゼンリッター連隊が14名、空戦部隊からは21名が急逝――失礼、急性アルコール中毒で病院へと搬送されました。総勢45名が救急搬送されましたが、幸い、生命には別状ないとのことです」

 参加者60名余の中、その被害で収まったのは幸いなのか不幸なのか。

「千人にて師団に相当する、我らがローゼンリッターの精鋭をことごとく屠るとは。いやはや、あの時の軍曹殿はまさに狂犬といった有様でしたな」
「鯨みたいに飲みやがる、マシェンゴの奴まで撃沈されてましたからな。『これも運命です』って言い残して」
「いちばんの犠牲者はパトリチェフ中将ですかね。『よせよ……酔うじゃないかね』と表情と一致しなかったので、もっともっとと飲まされました」

 一個小隊に相当する心優しき牡牛も、勇気を与える心穏やかな巨熊も、覚醒した狂犬の前では無力だったようだ。
 ちなみに空戦隊長と薔薇騎士元隊長は、素早く戦線離脱を果たしたようで、ここにいつもと変わらぬ雰囲気で傍聴していた。

「さて。以上の被害があったわけだが、当人たちの証言を聞きたい。ジングージ軍曹は昨夜のことは記憶にあるかね?」

「…………いえ、小官は覚えておりません」

 誤って割ってしまった花瓶の前に立たされる、小学生の姿がそこにはあった。
 明らかなため息をついて、参謀長はしかたなく、比較的中立に証言をしてくれるであろう少年と少女に尋ねた。

「ミンツ中尉とヤシロ君は覚えているかね」

 ユリアンが少しためらったのが分かったので、霞が一歩前に出ようとする。だがユリアンもまた霞を制して、その時のことをありのままに伝えようとした。

「ええと、ジングージ軍曹はお酒が入られた後から、その、ちょっと気持ちが高ぶったようでして、周りに方にお酒を勧められる傾向にあったといいますか……」

 まだ幼さの残る少年は、年上の女性の醜態を衆目にさらさず、かなりのオブラートに包んで処方することにした。

「……『みなさんの、ちょーっと、いいとこ見てみたいっ』でした」

 霞もうまく言葉にできないので、しゃんしゃかと手拍子を入れて、その時の振り付けを再現することで説明した。

 おかげでジングージさんの生命力と精神力は、すでにマイナスに振り切っていた。

――も、いっそ、ころして。

 もしこの場に自決用のS-11があれば遠慮なく使っていただろう。いやもちろんイゼルローン内でなく、ハイヴに直行してくるつもりだけど。頭をカプッてされて冷やしてきてもいいかも。
 ほら、夕呼だって自分の任官時の肖像を抱えて、朝焼けを見上げている表情になっているじゃない。自分はもう、軍人としても大人としても死んだも同然だもの。だもの。

「まあいいじゃないか、ムライ中将。幸い、取り返しの付かない被害というわけでもない」

「しかし閣下……彼女は――」

「皆、大人なんだ。お酒はそれぞれの分別で飲むべきものだし、限界は個々人が計っていかなきゃいけない。彼女を止められなかった者たちや、むしろ煽った者たちにも責任はある。全員で分割して、治療費やら酒代やら支払っていこう」

――ヤン閣下……っ! 

 神宮司まりもは、目がにじむ思いだった。まさか最高責任者、しかも自分がもっとも迷惑をかけたであろう相手が庇ってくれるなんてっ。

「……了解いたしました。では私から――いえ、私が訊かねば、おそらくはそちらの傍聴人からの質問があると思いますので――イゼルローンの風紀のためにも、真相を明らかにしなければならない件が、最後に一つ」

 …………ああ。そうね、それがあったのね。

「閣下……男女間のプライベートな事情は当人たちで解決すべき問題であると心得ておりますが、それぞれの立場というものがございますので、幕僚長としてお聞きさせていただきます」

 自分はこの時のために、死ぬのが定められていたのか。

「昨晩、ジングージ軍曹の部屋で“何か”ありましたか?」
「ない」

 即答だった。部屋の空気が重く冷たく固くなる前に、大きくも強くもない声で、だけど断固とした言葉が放たれた。

「昨夜、彼女を部屋まで運んだのは、確かに私だ。しかしそれは寝込んでしまった彼女を運べる人員が少なく、しかも幕僚連中の企みであったと証言させてもらう」

「では彼女の部屋に残った理由は?」

「部屋まで運んだのはいいが、彼女が――彼女の名誉のために証言させてもらうが――寝ぼけて私を放さなかった。そして私の名誉はどうでもいいが、彼女を引きはがす膂力に欠けていたため、そのまま残らざるを得なかっただけだ」

 しゅしゅしゅと、まりもの背中が丸く小さくなっていき、赤くなった頬から蒸気があふれ出していく。まさか自分がそんなことをしたなんて。

「軍曹殿は閣下に絡んだ瞬間、嘘のようにおとなしくなりましたからな。閣下のいうことならおとなしく従う、正に忠犬という形〈なり〉でしたかな?」
「被害の拡散を防ぐため、我らが敬愛する提督にお任せするしかなかった次第でして。意識のない女性を任せるなど、このポプランの苦悩たるや暗澹たるもので」
「誰よりも最前線で戦い、誰よりも殿〈しんがり〉を務める。さすが先輩でしたね」
「ヤンも成長したものだな、まさかイゼルローンの両巨頭から女性の扱いを任されるようになるとは」

「すばらしいですわね、閣下。援護射撃が後ろ弾だらけじゃないですか」
「こうやって私の人徳は磨き上げられてきたわけですよ」

 漫才なのか本気なのか。場がゆるんだことを悟ったのか、夕呼まで話に乗ってきていた。
 まりもにも、急に場の空気が弛緩していくのが分かった。

――……何もなかった、の?

 ほぅっと、初めて生きた心地の吐息を出せた。まさか自分が一夜の過ちをしてまったのではないかと思っていただけに。

「ユリアン」

 だが、その声で一瞬で場が凍る。

「……紅茶のおかわり、入れてもらえるかしら?」

「あの、フレデリカさん、いえ議長。もう四杯目ですけど……」

「入れて、もらえるかしら?」

「……アイアイサー」

 ミンツ中尉はぎこちない姿勢のまま新しいお茶を入れ、議長は結婚指輪をはめた左手でそのカップを持ち上げた。
 彼女がカップを持ち上げ、口に含み、そのカップをソーサーに乗せるまでの間、誰も何も口にすることはできなかった。

 沈黙が場を占める中、ムライ中将がわざとらしく咳払いする。

「では閣下、以上の証言に嘘偽りは無いと誓えますか?」
「妻と議長とフレデリカに誓って」

 おぉっと僅かに傍聴者からも吐息が漏れたが、しかし暗雲を切り裂くとまでは行かなかったようだ。

 イゼルローン戦線は未だ膠着状況にあった。議長は「そう」とも何も言わず、ただじっと座っているだけだ。ここで自分が何かを言うべきなのか、いやそれは千年戦争の始まりを告げるに過ぎないのではないか。泥沼は避けるべきなのは分かるが、いったいどうすればいいのか。

 この場、この空気で動けるものは一人もいなかった。誰しもが、ここで動いた瞬間、すなわちそれが、この危うく保ったバランスを崩壊させることなのだと分かってしまったから。

 そんな時間だけが空しく過ぎていく中、


「――あらあら、みなさん。難しいお話はもう終わったかしら?」


『白い魔女』の登場が、すべての淀んだ暗黒を吹き飛ばした。

「おまえ! どうしてここに……!?」
「はいはい、みなさんもいつまでもこんなところにいないで、それぞれのお仕事をしましょう」

 夫のその言葉には答えないで、キャゼルヌ夫人は空気を全く介さず、ぱんぱんと柏手を打った。

「フレデリカさん。今日は久しぶりに、一緒にお料理しましょうか」
「えっ、あの……オルタンスさん……?」

 奇襲を受けて慌てる議長にも構わず、反転攻勢を更に仕掛けた。

「それと、えっとジングージさんでよろしかったかしら?」

「はっ……? はいっ! 自分は神宮司まりも軍曹であります!」

「わたしは軍人じゃないもの。だから普通にしゃべってもらえたら嬉しいわ」

「は……はい……?」
 
 にっこり笑って、マダム・キャゼルヌはまりもに手を差し出す。

「あなたも一緒にお料理しましょうか」

 仰天したのは男連中のみならず、女性陣もだった。まさか。まさか、今この時の議長と軍曹をセットにすることの、その最悪さを分かっていないというのかと。

「大丈夫よ。わたしは、知っているから」

 絶対の記憶能力を誇る議長も、最前線を生き抜いてきた衛士も、この時、訳の分からない予知者じみた発言をした、一主婦に負けた。
 渋々というか、有無をいわさないような扱いで彼女の後についていかざるを得なくなった。

「それじゃあ、あなた。今日はヤンさんの所に泊まってちょうだいね」

「お、おい?」

「今日は女の子だけの集まりなの。殿方は外で。今日は深酒を許してあげるから」

 それだけを言い残して、白い魔女はまるごと暗雲を連れ去っていってしまうのだった。手を振るだけで家具を動かすかのように、場面を動かしてしまっていった。



 そうして、後に残された面々はふかーい深い、疲れ切った吐息を部屋に満たした。

「……おい、ヤン。おまえ、始めから女房を待っていたな」

 プライベートな空間になったせいか、キャゼルヌ中将も後輩に対する口調に戻った。
 ヤンもテーブルの紅茶をおいしく飲みながら、あぐらをかきはじめた。

「まあ、そうですね。戦線を維持しながら、最大の援護を待つ。そういった次第の作戦でして」

「あら? 閣下は自ら解決しようとは思わなかったのですか」

 香月夕呼もまた余裕が戻れたおかげか、気軽にヤンに疑問を呈した。もちろん彼の為人〈ひととなり〉やその思考を知る意味もあったが、彼女もイゼルローンの空気に染まってきたせいもある……かもしれない。

「博士、博士。私はゴルディオスの結び目を強引に斬ることはしませんよ。絡まった糸を解くには、第三者からの目が必要になると思いませんか?」

「へぇ……それでは、あの方はどういった方で?」

「キャゼルヌ夫人は、二人の娘さんと夫を育てた専業主婦ですよ」

 さりげなく皮肉を入れたことに抗議した中将を無視して、話を続ける。

「失礼ですがジングージ軍曹は20代後半、つまり私の妻と同年代になるでしょう。同じ年代の女性だけで“そんな話”をしたら、変に捻れてしまう。年上の、しかも既婚者の同姓ほど、その間に立てるうってつけの役はいませんよ」

「全くですわね。でも専業主婦が何かの役に立つのですか?」

「それは博士、女手一つで娘たちを育て上げた主婦の力というのを甘く見積もっていますね。博士の周りにはいませんか、そういう方は?」

 夕呼の脳裏に、食堂のドンこと、京塚おばちゃんの姿が映った。

 ああなるほど。方向性はかなり違うけれども、あの人と同タイプというわけか。確かにそういう感じだった。
 それなら安心だ。自分もあの人には頭が上がらないし、そういう関係のことならば、まりもを任せても問題ないだろう。

「なるほど……しかし閣下、先の質問はそういう意味ではなく、男としての甲斐性を見せようとは思わなかったのですか? という意味でして」

 いささか挑発的な呼びかけに、ムライ中将あたりは眉をしかめたが、そのほかの傍聴人は関心をもって見守った。

「いやぁ……」ヤンはベレー帽を脱いで頭をかいた。「情けない話ではありますがね、私はもてないもので。その道の熟練者の助力を乞うのが一番ですよ」

「それでも最初から頼るのですか?」

「初手こそ肝心だと思いませんか? 悪い意味の男の意地を張り、後から戦力の逐次投入をすることは愚行だと思いますがね」

 まったくね、と夕呼は心の中で両手を挙げた。BETAが地球にやってきた直後の、中国やソビエトに言ってやりたくなるセリフだ。

 本当にうまく、あの最悪の状況を乗り切ったとその手腕に感嘆する。きっとまりもに捕まった直後からこの状況を想定して、連絡を入れていたに違いない。先々を読むその洞察力と、適材適所な配置、そしてそれを可能とする人脈には見事の一言だった。

 でもその一方、すべてを解決したからこそ、もうちょっと鮮やかなドラマを見たかったとも思ってしまうのも、心の贅肉。
 それはむしろ、幕僚連中も同じだったらしい。

「しかし、やはり閣下も物好きでしたな。結婚という牢獄に囚われていなければ、何の気兼ねもしなかったものを」
「おめでとう、ヤン。これでおまえも、妻にはとても言えないことを持つメンバーの一員となったわけだ」
「結婚へは歩け、離婚へは走れ。小官が独身主義から離れられない理由もそれですなぁ」
「いやいや皆様方、ヤン提督の最大の魔術は、あのとても抑えられなかった野獣を、麗しき姫君へ変えて寝床までお運びしたことでしょう」
「私はコメントを控えさせていただきましょう。しかし閣下、今後は噂の立たないよう、どうか慎んだ行動をお願いいたします」

 皮肉と慨嘆と真面目の絶妙なカクテルが方々から飛んだ。
 だがその中から、一部とんでもない発言が飛んだ。

「……私、わかりました。ヤン提督は“ヘタレ”なんですね」

 だぁぁっと(言った当人以外の)全員がつんのめった。それもそのはず。それを言ったのが、それを言うのとはかけ離れた少女だったからだ。

「や、社? あんた、いつの間にそんなことを……」

「……また失敗しちゃいました」

 社霞は眉を悲しそうに曲げて、発言を謝罪した。

「……みなさんみたいに悪口ばかりいっているのに、でもとても仲のいいのが不思議で、真似をしたんですけど……むずかしいです」

「カ、カスミ。前もいったけど、そういうのは無理しなくてもいいんだよ。これは僕たちなりの挨拶だから」

「……わたしは、しちゃいけないんですね……わかりました」

「いや、そんなことはないんだ! だけどそれは上級者の挨拶だから、もっとイゼルローンに慣れてからにしたほうがいいだけで……」

「……はいっ。私、ミンツさんみたいに、がんばります」

 仲のよい二人に視線を向けた後、香月夕呼はぎぎぎぎぎっと大人連中に目を向ける。それは獲物を見つけた時の、某狂犬の目の光ににていた。

「では小官は職務がありますので」「そうそう、小官も」「では小官も」「提督、後はよろしく」「おい、ヤン。今日はいっぱい奢れよ?」

 敗戦処理を最高司令官に託して、幕僚達は待避を開始する。ヤン艦隊の最大の強さは、逃げるタイミングと速さにあった。

 そうして席に一人残された最高司令官の向かいに、今度は黒い魔女が座ってきた。

「ヤン閣下――イゼルローンにおける情操教育などについて、少々、お・は・な・し、していただけたらと、わたくし申し上げますわ」

 弱みを見つけたら素早く、そして容赦なくつけ込む。戦場における鉄則を踏襲するのは地球も変わらなかった。

「……あー、ユリアン、紅茶を入れてくれるかい?」
「すいません、提督、さっきので茶葉が切れました」
「……コーヒーなら私、入れられます」
「まあ良かった。じゃあ提督、社が入れたのをどうぞ」

 やれやれ。黒い魔女には黒い飲み物がよく似合うことで。

 どうやら今度は援護は全く無い、孤立無援の勝ち目のない戦いをしなくてはいけないようであった。
 いつものことだろうと割り切って、夕呼が部屋にこもっている間に何があったか、保護者同伴の会談をすることになったのだった。




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Name: D4C◆9f1d95e0 ID:ed951b55
Date: 2014/09/14 16:28

      第九章「二つ名の由来」


 イゼルローン来訪四日目。昼時にはまだ遠い時間の中、
 香月夕呼は最高の機会に恵まれた。

「……ということがありました」
「はい、ですから博士、提督。カスミは別に困らせようとして、提督に悪口を言ったわけではないんです」

 社霞の三日目の行動内容を聞いて、なるほど良かったわねと表面上は頷きながらも、夕呼はまったく別の思考を走らせていた。

――社がここにいて、この男がここにいる。この機会を逃す手はなしね。

 正直、まりも発見からの騒ぎは自分にとっても、驚天動地すぎる事件だった。いやほんっと、あの子をコンパニオンにでもして、イゼルローン側で働かせようかしらとも思ったくらい。

 しかし事態はどうやら改善の方向に動き、しかも思わぬ幸運が転がり込んできた。

 ヤン・ウェンリー元帥。社から聞かされた、そして夕呼自身の目で認めたイゼルローンの最重要人物。
 彼が――護衛として彼の養い子もいるが――社霞の前に無防備にいる。そして周囲には厄介かつ曲者の部下達はいない。この千載一遇のチャンス、彼の腹の内を訊かない手は無い。

――さあ、暴かせてもらうわよ。イゼルローンの真意を!

 社が入れたコーヒーに一口だけ手をつけ、のほほんとアグラをかきながら話を聞いていた男性に眼を向ける。

 心の中では牙をギラつかせ、しかし決して獲物を逃がさないように、夕呼は会話を始める。

「――ところで閣下、こうして事態も落ち着いたことですし、あらためてお聞かせしていただきたいことが、いくつかあるのですが」

「ああ、そういえば博士は部屋から出てこられたばかりでしたね。ええ、私が答えられることであれば」

 そこのところは想定内だ。こちらの質問によって、彼が脳裏に浮かべたイメージや、嘘まことを見抜けるだけで十分。
 社に目を向けて合図を出す。彼女も軽く頷き、彼に能力と意識を向ける。

「先の会談でも少々疑問に思ったのですが―――なぜ、最初に国連では無く、私個人に知識を伝えたいと思われたのですか?」

 既に知識や情報をかっさらったというのに、この疑問を呈する図々しさは承知の上だ。だが、この疑問には答えてもらう。

「閣下が仰られた、わたくし達地球人類の力でもBETA撃退を果たすため、知恵や技術を伝えてくださるというお心遣い、大変ありたがく存じます。しかしそれならば、まず地球側の代表たる国連に公開していただけたら良かったのでは?」

 追撃の手はゆるめない。

「いえそもそも、この5ヶ月の空白期間はなぜだったのでしょうか? あなた方が地球で地表のBETA撃退をしてくださった直後に接触してくだされば、前線で傷つく兵士たちの数、そして難民たちの犠牲は減ったでしょうに」

 理性と感情の両方からも攻める。表情も口調も責めるものでなく、悲哀の気持ちをそれとなく醸し出すのがポイント。
 ほら、すでに隣で見守っている中尉は眉をしかめて何かいいたそうにしている。まだ若いだけあって、青い正義感も持っているみたい。

――でも、この男は、やっぱり動じてないわね。

 当のヤンは、ぽりぽりと頬をかきながら、ぽけーっとこちらを見つめてきているだけだった。黒い瞳はぶれずにこちらの目を見てきている。
 ……まずいわね、深淵をのぞき込むような気持ちになってくる。沈黙が妙に気持ち悪い。反応がないってこんなに静かだったかしら。

「失礼ですが……イゼルローンを実際目の当たりにし、地球の内情にも詳しい博士なら、もしあのまま接触していたら、いったいどんな事態になったか解られると思うのですが?」

 …………、ちっ、そう来るか。内心舌打ちをするが表面にはもちろん出さない。

 なんて姑息で卑怯な返し方。今度はこっちがいろんな意味で試されるってわけね。こちらの考え方を言わせるのももちろん、わたしの洞察力や考察力を試すってぇの?

――いいわよっ、その挑戦受けたっ。

「まあ、間違いなく空前絶後の大恐慌でしたわね」
「でしょうね」

 また同調されたか。まあ、それも読んでいたのだろう。

「地球の方々が一つの国家にまとまってらっしゃるなら、博士の仰る通りにしたでしょう。しかしながら、100以上の――国土が現在存在しないとしても――地方政府が存在している以上、混乱は避けられません」

「確かにそれは認めざるを得ませんわね。国連は実質的なトップというわけではなく、それぞれの国家の代表者の集まりに過ぎませんので」

「私もそれを否定するわけでは決してないんです。各人が協議し、議論を交わし、行動を決定するという在り方を。しかし、確実に決裂し分裂をもたらすと分かってしまったら、避けざるを得ませんでした」

 ……ふんっ。ほんとに地球側の事情をご存じのようで。

「それぞれの国家の代表者は我先我先と、私たちを取り込もうとするでしょう。そうなったら各国は互いの足を引っ張り合い、妨害し、私たちの存在自体が後の禍根となってしまう――博士が仰ったように」

 ちっ、失敗した。まさか二日前の発言を撤回するわけにもいかない。このまま話を進めなくては。

「もう一つの疑問に対しては、更に大きな問題をはらんでいました。仮にあのまま接触したとしても、私たちだけで、あなた方すべての問題を解決する能力はなかったということです」

「……これほどの超科学でもでしょうか?」

「博士、博士。文明や科学がどれほど進んでも、人間の能力には限界はありますよ。特に食料に関しましてはどうにもなりません」

 やっぱりか。

「このイゼルローンの収容人数、かつ生活を維持できる最大人員は500万が限度です。博士の仰った難民の数はどれほどでしょうか?」

「……数億は下りませんわね」

「イゼルローンの100倍の人口を、最低でも数ヶ月にわたってまかなうのは不可能です。金銭や輸送という問題ではなく、生産能力の問題です」

 まあそうだろうなと思った。今さっき、自分が言ったのはむしろ、何も分かっていない難民たちが口にする言葉だろう。
 一旦食料を供給を開始したら、もう停めることができなくなる。人間は、与えられたモノを取り上げられることには耐えられない生き物なのだから。不用意に食料を与えることは長期的に考えなくてはならない。

「いまヤシロ君が話してくれたように、“約半年前”に私たちはこのイゼルローンだけで未来から来ました。なのでどうしても、食料の増産や資材の確保を優先する必要があったのです」

 ……話のスジは大変通る。実際、社からもサインは来ておらず、こいつが嘘をついていないことは明らかだ。ここまでいっさい、彼は虚飾を交えて話していないのだろう。

――でも……ほんとに、この男、何者?

 だが、こうして話していて一番おそろしいのは、彼がちっともおそろしくないと感じてしまうことだ。

 自分が今、ギリギリの会話を交わしているのは、未来からきた超科学の軍隊のトップ。しかもおそろしく頭が切れる男。一つこちらが言葉を飛ばした瞬間、自分が奈落へ落ちてしまう緊張でいっぱいになるはず―――なのにっ。

 なのに。なのに、自分は今、“安心”してコトに当たっている!? こうやってこいつと知的な会話を交わすことが楽しくてしょうがない。

 自分が失敗しないと思っているから? ちがう、あたしは無意識の内に、ある種の“信用”をしてしまっている!! イゼルローンの人間は――否、ヤン・ウェンリーが激情に任せてこちらを攻撃してくることは、決して無いとっ!

――これが、ヤン・ウェンリー……!?

 なんって扱いにくい男……感情が無いわけじゃないことは明らかなのに、理性と悟性がそれを遙かに凌駕している。知性に至っては底も天井も見えない。
 だというのに、こちらの警戒心を無意識の内にはぎ取ってしまうか、あるいは必要以上に警戒させてしまう。実体のない靄〈もや〉を相手にしている気さえする。魔術師〈マジシャン〉の二つ名は伊達ではないということか。

 だが、彼らの真意を知らなくてはと、ここから疑問を続ける。

「では、なぜ明星作戦――ああ失礼しました、5ヶ月前の軍事作戦の時に姿を見せられたのですか?」

「それがギリギリのタイミングだったからです」

 口ごもることも表情の変化もなく、ヤンは即座に答えた。

「おそらくですが博士、あの時、米軍は“何か”をしようとしました」

 ドグンと心臓が強まる。
 すべて知っているというのか、こいつは!?

「…………何か、とは?」

「うーん……新戦術じゃないし、たぶん、新兵器か何かですかね? 戦術機じゃないな。下手したら味方ごと巻き込むタイプの、爆弾かな?」

 こいっつっ……!!

「まあ、まさかアメリカがそんな……!!」

 社がこっち見て眉をひそめている。自分の感情と表情とがあまりにかけ離れているのを感知してしまったせいだろう。腹芸腹芸。

「いや勝算があったのは確かでしょうね。実は先だって軍のデータを――とはいっても、一般兵も知っているレベルでしたが、諜報させていただきました。米軍が先のBETA日本侵攻の際、一方的に安保理を破棄したのに、なぜかハイヴ攻略には参加しようとしたことを」

 ずずっと今度は二口コーヒーを飲み、やっぱり顔をしかめた。

「ハイヴ攻略は未だかつて成功したことはない。だというのに、攻略しようとした。日本の立場としてはそれでいい、というよりそれしか無い。しかしアメリカはなぜ? 思惑は様々でしょうが、少なくとも何らかの勝算はあった」

 空中に浮かんだ指が知性の織物を編んでいく。

「その勝算はいかなるものか。少なくとも日本と国連の配置は従来の戦術方式と変わらない、ということはこれはBETAへの陽動作戦かもしれない。しかし諜報の結果、一般兵には何も知らされていない。と、なれば」

 タンと中指がテーブルをたたく。

「米国は兵士たちを犠牲にし、何かをしようとした。それも今後に遺恨を残す最悪の形で」

 空気の冷たさのあまり、心臓の鼓動さえ止まってしまった気がする。

 こいつ……いったいどうしたら、戦況の僅かな変化と違和感から、そこまでたどり着けるっていうのよ。

「こう考えたのは、正直突飛でしたが、私達の歴史の中で二発の原子爆弾がアメリカによって日本に落とされた、というのがヒントになりました。世界間のアナロジーは起こらないといえるのだろうかと。もしかしたら私たちの世界の第三次世界大戦が、BETA大戦に当たるのかも知れないと」

「……………」

「何にせよ急がざるを得ませんでした。情報を知ってから大至急地球にかけつけ、作戦開始前にその企てを阻止しなければならなかったのです」

「……では、同時にその他の地域でもBETAを駆除した理由は?」

「戦力の逐次投入は愚策ですからね。あと諸々、ほかの理由もありまして」

 ……その理由は? という問いかけを夕呼は飲み込んだ。

 ここで何もかも訊くのはプライドが許さなかった。自分は彼の生徒ではない! すでにいくつもの情報を取り入れているのに解法を導けないなんて、科学者としても司令官としても失格だ。

――彼らが“そう”して一番得をするのは何?

 ヤン・ウェンリーは無意味な行動はもちろん、単一の目的のために決して動かないだろう。だとするならば、純軍事的以外にもねらいはあったはず。

 考えろ、あの時点でイゼルローンがほしがったのは何だ? 地球側の信用? 兵器の武威を示すこと? BETA由来の技術? 資源? 人材?

――……ちがう、彼らが最もほしがったであろうは、情報。

 情報。そうだ、地球側のリアルタイムの情報こそ手に入れなくてはならなかったはず。

 しかしおかしい、そうなると尚更、何故彼らは接触をしなかった? 地球側はすでに重要な情報のやりとりは、盗聴不可能な策――主に電磁波などを防ぐ技術で、手間暇かけて行っている。それをも見抜ける技術があるから? ちがう、自分がみた限りでは、さすがにそこまでの科学技術は無かった。

――……あたしは何かを見落としている。

 考えろ。これはおそらく、初歩的かつ根本的な思考のミスだ。彼らが接触をしなかったのは国連であって―――

「あ、」

 ――エウレカ。

「………なるほど、すでにイゼルローンは、非公式に地球側とやりとりをしていたのですね」

「さすが、博士。その通りです」
 
 そうか……あの大々的な軍事行動は一種の示威行為であり、地球側のあらゆる――そう、大小、公式非公式、個人組織を問わず、ありとあらゆる者から情報を集めるためのものだったのか!

――あたしとしたことが、こんなことも気づかなかったなんて!

 これは思考の詐術誘導だった。国連や各国が連絡をとれていないからといって、どうして個人がしていないと言い切れるのか。だって彼らは、避難民のテントにまで連絡が出来たのだから。

――最初に全員に伝えたからって、それ以降もそうだなんて限らないじゃないっ。

 爪を噛みたい気持ちになってくる。向こうが騙す気なんてなく、こっちが勝手に勘違いしていただけに悔しさも倍増だ。

「いくつかの個人、団体、あるいは組織から情報をいただきまして、地球側の具体的な内情は明らかになっていきました」

 ヤンはその中の一つを明らかにした。

「RLF――難民解放戦線に加わってまもない、とある女性に話を聞けました。彼女は幼い頃フランスからカナダに移住せざるを得なくなり、そこで人生の大半を暮らしたと。彼女は事細かに教えてくれました」

「…………」

「どれほどの難民が、どこにいるのか。彼らの生活の度合いはどんなものか。現在、彼女はアラスカで職を見つけることが出来たようですが、それでも『理解は出来ても、納得ができない』とこぼしていました」

 ……なるほど、この五ヶ月の空白は単に食料や資源を確保したり、軍備を増強するだけでなく、地球のありのままを明らかにする期間だったわけね。

――地球側、情報戦でも負けっぱなしじゃない。

 まあどこの組織でも、イゼルローンと接触できましたなんて、赤裸々に全世界に明かすバカはいないけど。……特別扱いされたら、他の組織にもそうしている可能性を見落としちゃうものだけど。

――彼らがあたしに接触したのも、「準備」が整ったからってわけね。

 情報の欺瞞も当然考慮に入れて、精査はすでに済んでいるのだろう。あたしのメールアドレスなんかの情報も、地球方面から手に入れていったのだろう。

「なるほど……イゼルローンが歴史書を要望されたのも、そういった理由からでしたか」

 ふっ、やるじゃない。まあ歴史を丸ごと暗記したり奴や、軍のデータにそのまま載っていることなんて無いでしょうからね。
 地球を知る上で、とてもいい着眼点だわ。さすがね、ヤン。

「……あの、すいません、博士。その、あれは私の趣味でして」

 盛大にこけた。

「……ミンツさんから聞きました。ヤン提督はほんとうは歴史学者になりたかったみたいです」
「いや~、まさか10冊も持ってきてくださるとは思ってなかったです。ほんとうに、ありがとうございました!」

 にこにこ満面の笑みで、こっちに感謝してきている。

――こ、こいつ……!?

 明らかに狙っていたと思ったら、自分の趣味ぃ!? 
 返せっ! 懸命に選書した、あたしの労力と心労と時間を返しなさいよッ! ついでに、さっきまでのあたしの感銘もっ!

「そ、そうですか、喜んでいただいて、何より、ですわっ」

 ああ、あたし、そろそろ限界かも……! リーディングしている社もオドオドし始めた。いけないいけない、カップを持つ手の震えよ、止まれ。せめてこいつに一泡吹かせるまでは……!

「そ、そうですわね。疑問に答えていただいてありがとうございます。しかし最初の質問の『なぜ私を選んだのか?』には答えていただいてませんが?」

「うん、それなんですが……」

 いつぞやみたいにベレー帽を外して、収まりの悪い髪をかいた。どうやらそれが、ヤンが言いづらいことを言う時の癖のようだ。

「……団体、組織、あるいは国家、どう言ってもいいのですが、人間の集団が結束するためには、どうしても必要なものがあります」

 ………?
 …………。……で、そうなると……ヤンは…………。
 ……………。つまりあたしは…………。

 ……ああなるほど。

――なんだ、そんなことだったのね。

 思考のトレースにがちょっと時間がかかったけど、こいつに行き着いた。ふぅっと軽く嘆息してしまう。
 ヤンもこっちの反応を見て、申し訳なさそうにまだ髪をかいていた。まったく、髪をかいて誤魔化そうっていうの?

 だんだん解ってきたけど、こいつが言いにくそうにする時って、地球側代表のあたしが気を害するかもしれないから、ってことだったのね。一昨日の会談の時の「地球が平和になれると思いますか?」って問いしかり。

――憎まれ役くらい、最初から覚悟しているってのに。

 だから迷わず、こいつにあたしの覚悟を示す。

「敵、ですわね」

「よき目標と言うべきでしょうが、狙われるという意味では同じです」

「今に始まったことではありませんわ。で、あたしに人類の敵役をしろと?」

「名だけはなく実を伴ってになりますが、その実を見せびらかすことになります」

「せいぜい美味そうに食べて、高く売りつけてやりましょう。その裁量くらいは任せていただけるので?」

「まあ、お手柔らかにお願いします」

「冗談っ。散々あたしに押しつける以上、遠慮はしませんことよ」

 にやりと嗤うことで、その“悪巧み”に乗っかるサインとする。
 まったく。そういうことなら最初から言ってくれれば良かったものを。

「……あの、ヤン提督……どういうことでしょうか?」

 思考は読めても、その意図するところまでは解らなかったのだろう。社がヤンに尋ねた。

「ああ、つまりね、ヤシロくん。そもそも、地球側が互いに協力せず、我先にとイゼルローンの未来技術に群がろうとしてしまうのは、なぜかってことなんだ」

 こくんと社が頷く。

「企業、団体、国家。彼らが目指しているのは『独占』――少なくとも他の国が追随できないくらいまでは、イゼルローンの技術や知識や兵器を究めることを狙っている。つまりは大航海時代から続く、既得権の確保だ。これは戦術機の開発事情とかを見ていたら明らかだね」

 こくんこくんと社が頷く。

「しかしここに、彼らの何歩先までも技術や知識を手に入れた者がいる」

「億光年先と言ってほしいですわね、閣下?」

 軽く茶々を入れて、話を促す。

「そうなると彼らはもはや“身内”で争っている場合ではなくなったわけだ。一番手どころか、周回遅れになった以上、一刻も早く連携して追いつく必要がある。自分たちと同じスタートラインから出た、その一番先の人物にね」

「追いつかせる気なんて、さらさら無いでしょうけどね、その人物は」

「でしょうね」

「ですわね」

 くくくっと笑みがこぼれてしまう。ここで並みの人物なら、選ばれて光栄です、とでも感じるでしょうけど、あたしを選んだ慧眼の方を誉めたたえてやりたくなる。

「しかもそれだけでなく、個人的に彼らと親しい交流をした人物だ。無法に彼女を傷つけようモノなら、彼らも黙っていないのではないか――と勝手に思ってしまう」

「殿方をたらし込むのは、女性の七つ道具の内ですが?」

「たぶかされた男達の挽歌が、既に聞こえてくるようで」

「閣下、閣下。負け犬の遠吠え、というのですよ、それは」

 同席しているミンツ中尉は既に引いているが、このくらいで怯えているようではこの元帥の足下にも及ばないわよ?

「ではリベートはいかほどに?」

「そのままの知識を伝えるのではなく、アレンジするのなら全てを。特許はお好みでどうぞ」

「まあまあっ♪ ごちそうさまですわ、ヤン・ウェンリー元帥閣下♪」

「どういたしまして、コーヅキ・ユーコ博士」

 演技ではない高笑いを出してしまう。

 確かにいろんな意味でハイリスクではあるが、これ以上ないくらいのスーパーリターンだ。並の研究者なら、この旨すぎる話に後込みしてしまっていたところだろう。組織の人間なら、内部分裂のきっかけにもなったかもしれない。

 だが香月夕呼ならば、清も濁も飲み込んでいける! これで再びオルタナティヴ4に予算と権限を取り戻すことも容易い! いえ、むしろあのハゲどもに、お願いします博士と低身平頭させるべきねっ!

――これでイゼルローン訪問はパーフェクトねっ!

 まさか滞在4日目にして、ここまでの大戦果を上げられるなんて思ってもなかった! 彼らの知識技術を手に入れられただけでなく、その莫大な権利までも許可されるなんてっ!

――ま、イゼルローンの出方に合わせる必要はあるでしょうけど。

 あとはオルタナティヴ計画に差し支えが無い範囲でやっていきましょう。
 確かにイゼルローンの協力があれば、地球からのBETA撃退も容易くはあるでしょうけど、こっちはこっちで進めておかなきゃいけない。……イザという時のために。

「ではヤン閣下は今後、どのように地球と交流していかれるおつもりですか?」

 あたし達を招いておいて何もしないなんてあり得ないから、彼らの出方も知っておかねば。

「それなんですが、博士は日本帝国の要人とコンタクトをとれますか?」

「……ええ、まあ、大概は」

「では、将軍と話をしたいのですが」

 ……………。……よし、あたし、えらい。よく驚かなかったわね、よしよし。

「…………どのような件で、でしょうか?」

「こういうのは内緒にしておいた方が、旨味が出るということで」

 ……後で社に聞くか。

「ええ、それはよろしいのですが、閣下………それをしたら、わたくし達にどのようなメリットがあるのでしょうか?」

 そこの顔をしかめたミンツくん。あたしはこいつの部下じゃないのよ、むしろビジネスパートナー。得がなければやらないのは当たり前ってものよ?

「ひと月でユーラシアの三分の一をBETAから奪還します」

 ………………。
 …………………………。
 よーし、落ち着けー、あたしー。びーくーる、びーくーるぅ……って出来るかぁっ!!

「……閣下、まさかとは思いますが? 地球上で? ご自身が? 大艦隊を率いるおつもりでは? ございませんことねぇ?」

 あ・れ・だ・け、地球側にも任せるといった以上! そんなことしたら、政治的にどうなるか解っているんでしょうねぇぇー!?

「ええ、もちろんです。私たちは裏方に回ります。主体は地球の国家にお任せしますね」

「……ハイヴ攻略を各国にさせるということですか? 最低でも数個を? ひと月で?」

「実際は半月ですかね? どうやらBETAは19日程度で対応策を実行してしまうようですし」

 その準備だけで、いったいどれだけの時間と費用と人員が必要と思っているんだ、この男は!? イゼルローンの兵器を用いるにしても、最低限の研究・研修期間が必要だというのに。
 
「だいたいどれほどの兵士を動員するというんですか。仮に用意できたとしても、地球側に甚大な被害が出ますわよ?」

「いえ、ハイヴ自体の攻略には、一人の生命も一機の戦術機も、一隻の戦艦も用いりません」

 ……こいつ狂ったか、という視線を七割本気で向ける。社も眉を思いっきりひそめていた。

「作戦の概要はですね―――」


 ・・・・・・・・・・・・・・・・・

 ・・・・・・・・・・

 ・・・・・・

――こ、この発想は無かったわ……!

 内容を聞き終えた時、ああ、この男は確かに、最前線で生き抜いてきた元帥なんだと理解と納得ができた。話聞くだけで、おそろしく疲れたけど。

――これが魔術師の二つ名の由来だったのね。

 イゼルローンの兵器を学んだあたしでも、えげつないというか、使用の方向性がでたらめというか、その発想はまだ出なかったというか、いっそオリジナルハイヴをそれで潰したら? と感じる作戦だった。コロンブスの卵すぎる攻め方だ。

「人間相手ならしょせん一回限りの小技ですが、BETA相手なら何度か使えそうな分ありがたいですね」

 いったい、いくつ策を用意していたと突っ込みたい。たぶん、各国の思惑でうまく軍を動かせないことを考慮し、構想と実現性を兼ね備えた策を選んだのだろう。

「提督、人命を犠牲にしないって、アルテミスの首飾りを破壊したときに似ていますね」

 中尉が作戦を聞いて感想を漏らした。……いやな予感が走る。

「……ヤン提督、どんな作戦だったんでしょうか?」

 社は自分が命じたことに忠実に、率直に疑問を呈する。あたし、ちょっと今は聞きたくない気なんだけど。

「ああ、12個の互いに連携した自律衛星兵器があったんだ。で、それを全て破壊しようとした時でね」

 中尉がより詳しい内容を補足する。

 宙域全方向に対し、レーザー砲、荷電粒子砲、中性子砲、レーザー水爆、レールキャノン、その他人間が用いるあらゆる兵器を備え、半永久的に自律する。ハッキング対策も万全であり、装甲は準完全鏡面装甲で戦艦の主砲にもビクともしない。イゼルローン要塞ほどではないが、一個艦隊に勝るほどの戦力を持つ無人兵器。それが12個も連動している。

「……どのような戦術を用いたのでしょう?」

 ふつうに考えると、おそろしく被害が出そうな相手だけど………同じような無人衛星兵器でも大量に用意したのだろうか? あるいは画期的な超兵器?

「1立方キロメートルほどの氷にエンジンをつけて、亜光速にまで加速させてぶつけただけです」
「………………」

――やだ、ちょっとなに、やだ、こいつ、こわいわ、やだっ。

 鬼なんて目じゃない。もっとおぞましいナニカよ、こいつ。ナニカって呼んでやるわ、こいつ。

「例のBETA砲撃級が相手でも、地球上でなければ使えた策なんですけど」
「やめてください、BETAどころか地球が木っ端微塵になります」

 なによ、そのメテオストライク。光速の99.999%まで加速したら質量223倍になるじゃない。10億トン×223×30万キロメートル毎秒の衝突エネルギー? そんな大きいのをハイヴに突っ込ませるなんて、やだ、地球が壊れちゃう。

 ああもうっ! ある程度まで吹っ切ると、逆に冷静になってきちゃうじゃない。

――真におそるべきはイゼルローンじゃなかった、やっぱりこいつよ、こいつ、ヤン・ウェンリー!

 イゼルローンの超科学に大艦隊、それにこいつの戦術戦略眼が加わったら、ご愁傷様な結果しか待ってないわね、BETA。

「破壊するだけならBETAやハイヴは怖れるものではないのですが……いろいろと制約があるのが厄介です」

「……ええ、まあ」軍事技術的な話が出て、ちょっと平静になれる。「中性子砲も放射能汚染がありますし、水爆もレーザーで反応させているとはいえ忌避感があるでしょうし。兵器全てを使えないのは厄介ですわ」

「BETA相手に時間をかけると、際限の無い泥沼に陥る可能性が高いですので。本当のところ、すぐに全てを叩くのがいいのですけど」

 その後に続く言葉は耳には聞こえなくとも、この頭にはしっかり響いていた。

――アメリカやソビエト、あと統一中華辺りが、許可しないわねぇ。

 純軍事的にはヤンの言うとおりだ。あたしも片方の手をあげて賛成する。
 BETAから情報をとれなくなるのはイタイが、おそらく他の星にもBETAのユニットはあるでしょうしね。恒星宇宙船を手に入れた以上――そして自分の研究が完成するまでは、後に回していい。むしろ、するべき状況だ。

 しかしハイヴがある場所は――もはや形骸化しても――国家の国土である。そこらへん、利権を声高に訴える奴は確実に出てくるだろう。バカじゃないの、と心底思うけど、イゼルローンが好意的に協力してくれると解ったら、調子に乗る連中が大半を占めるだろう。

――いかに効率よく“経済的”に戦争するかって、連中喜んで、ソロバン弾くわよ。

 血を流す者がいれば、血を流させる者もいて、その血を飲んで肥え太る者もいる。心の中で嘆息し、そーいった連中をどう一掃するかも考える。掃いても払ってもキリがないのは承知だけど、イゼルローンから一任された以上、なんとかしなくちゃね。

――対して、こっちは お人好しすぎるのよねぇ。

 イゼルローンの幹部連中、特にヤンからは要求が無さすぎる。確かに同じ人類で、こっちが困っているからかもしれないけど、ふつうなら、もっと…………

 ……もっと?

――

――――

――――――まさか。

 いやだけど、こいつが、ヤンが、それを考えていないなんてこと…………ありえないわ。この政戦両略どころか、謀略の才さえある魔術師が、“それ”を想定していないなんて。なのに、手をまるで打ってこないなんて。ありえない。

――どういう、こと?

 頭が急速に冷えていくのが分かる。最初に問いただすべきであった事柄を、最後に回してしまったことに、自分も愕然とする。ここまで彼らの、イゼルローンの空気に慣れ親しんでしまっていたというのか。

「………………閣下」

 今まででもっとも慎重に、口を開く。だがそれはノックの音によって遮断されてしまった。

「おい、ヤン。女房が、そろそろ料理ができるから皆さんで来て、だとよ」

 退室していたキュゼルヌ中将がヤンを呼びにきた。そんなに時間が経っていたなんて。

「ではすいません、博士。いろいろとお話していただきありがとうございます」

「……いえ、とんでもありませんわ、閣下。またの機会に是非、お話の続きを」

 薄笑顔の仮面をかぶり、彼に向かって友好を向ける。その下に隠した疑問を絶対に見せないようにするために。

――……最悪は……いいえ、それも考えとかなくちゃね。

 先に退室したヤンやミンツの後についていきながら、今後の――出来れば、今日中にしておかねばらならない予定を一つずつ編んでいった。


 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・

 ・・・・・・・・・・・

 その夜。ヤンとキャゼルヌ中将、男二人で飲んでいるバーに立ち寄り、彼らに相伴させてもらうことにした。

「んーっ、やっぱり未来のお酒はいい材料を使ってますわねー。ドンペリまであるなんてっ」

「あの、博士、あんまりボトルを開けられると、ムライ中将がまた……」

「あらっ、大丈夫ですわ、閣下。私のポケットマネーで支払いますので♪」

 午後にまりもと再び合流し、今度は三人であちこちを案内してもらう中で、ちょっとした“小銭稼ぎ”をさせてもらった。それのおかげで、こうして新しい服を買うことや、美味しいお酒を飲むことも気兼ねせず出来るようになったというわけだ。

「やれやれ。どうやらヤン、こっちの世界にきたせいで、お前の中に恋愛原子核でも出来たようだな。博士のお目当てはお前のようだ」

「キャゼルヌ先輩、どちらに?」
 
「女房に知られたくないことを二つも持ちたくないのでな。女性に恥をかかせない程度に頑張れ、新米亭主」

「熟年亭主殿の経験を活かし、前線の指揮を取っていただきたいのですが」

「あいにく小官は後方支援任務が専門でして、司令官殿」

「私には帰りを待っている妻がいるんです」

「だが俺には帰りを待っている二人の愛娘もいる。まあ、ここまでの支払いはやっておいてやる。別の女性と連続朝帰りだけはよしておけよ、イゼルローンの女性陣と未婚男性が敵に回ることになる」

 どうやら勝負あったようだ。お目当ての人物との接触はスムーズに済んだ。

「いい先輩をお持ちですわね、閣下は」

「どこがですか。夫人が白い魔女なら、亭主は黒い魔術師ですよ。きっとスラックスの裾からは尖った尻尾が生えているに違いない」

「あら? わたくしがお酌ではご不満でして?」

「あ、いえ、そんなことはないんです。博士は美人ですし、あなたとの知的な会話はとても刺激的です。ただ、ちょっと、ええ、フレデリカにこれ以上誤解されるのは、ちょっと」

「男には甲斐性が必要だと思うのですけどねぇ」

「……博士は、軍曹やヤシロ君と一緒に行かれなくてよろしかったのですか?」

「ご冗談。女の子どうしのパジャマパーティーなんて10代で卒業しましてよ。ヤン閣下とこうしてお話しできる時間の方が大事ですわ」

 困ったように笑いながら、でも完全に拒絶することは出来なかったようで、あたしと会話を選択してくれたようだ。


 そうして彼とはいろいろな話をした。


 彼は戦争や軍人そのものを好きになれないようだが、戦術戦略論については、まるで青年のように新鮮な考えを打ち明けてくれた。
 ヤンが言ってくれたように、彼との会話は知的に刺激的であり、理系と文系の違いはあれど、互いに今までの、そして今後のBETA戦や国家交流について討議することが出来た。

 そうして店も閉める頃には、互いにかなりの瓶を空けていた。おかげでかなり酔いも回ってしまった。
 そんな中、照明を落とした夜の繁華街を二人で歩いていく。

「あー、おいし~~、きゃはは、ヤン~! つぎいきましょー、つぎー」

「博士、無茶言わないでください、もうどこも閉めている時間ですって」

「じゃー、あっちで飲むわよーっ! ついてきなさーいっ!」

 人気の少ない公園へと向かっていく。例の植物園ほどではないが、それでも結構な広さがある場所のようで、その中心地近くのベンチに腰掛ける。

「うー、ちょっと飲み過ぎたわ。気持ち悪い」

「あ~……ちょっと待っていてください、水でも買ってきますので」

 口元に手を当てながら、さりげなく薬を口に含む。アルコールが急速に分解され、脳に瑞々しい血液が戻ってくる。

「……ああ、そういえば訊きたいことがあったのですけど」

 飲み物を買いに行こうと、ベンチから離れた彼がこちらに振り返る。その胸元めがけて、隠していたソレを構える。


 沈黙が、あたし達の間に生まれる。


「全部教えてもらうわよ、ヤン・ウェンリー。あんた達が本当は、地球の何を狙っているのか―――その真実を」

 銃口の先で、ヤンはやれやれと両手を挙げて、ぽつりと呟いた。

「夜間勤務手当は出ますか?」
「美女との楽しいおしゃべりじゃ足りないかしら?」

 拳銃を向けられているのに関わらず、ふてぶてしいことこの上ない、不敵と不遜なことを返す『男』に向かって。

 初めてあたしは、演技の無い笑顔を見せるのだった。



[40213] 8
Name: D4C◆9f1d95e0 ID:ed951b55
Date: 2014/09/24 02:43
          第十章 「理解者」

 人工照明も明度が薄まり、静まり返った公園フロア。その一角において、二人の男女が向かい合っていた。
 一方の男性は両手を挙げ、やれやれといった表情で女性を見つめ、一方の女性は拳銃を構えながら、不敵な表情で男性を見つめていた。

「ああ、わかりました。博士の疑問にはお答えするので、とりあえずその銃を下ろしていただけないかな、“中将”」

 その呼び声を聞き、音もなく気配を現したのは、もう一人の男だった。その手に持ったブラスターをゆだんなく構え、女性に向けて利き手を向けていた。

「あら? 男女の逢い引きを覗き見るなんて、どこの出歯亀野郎かしら」

「これはこれは。閣下だけなく、博士もとうにお気づきであったようで」

「当たり前でしょ? いくらなんでも護衛一人もつけないで、司令官を身元不明の外部の人間と接触させるわけないでしょうし」

「博士ならやりかねませんな」
「そこは同意するところだね、中将」

「うっさいわね、男二人でうんうん頷きあってんじゃないわよ」

 銃口を自身に向けられたというのに、夕呼は軽妙な態度を全く崩さず、物怖じせずに銃をヤンに向け続ける。

 ここに緊張関係が生まれた。シェーンコップ中将が夕呼に、夕呼はヤンにそれぞれ銃口を向けている。どちらか一方が銃火を灯した瞬間、もう一方は躊躇わず放つであろう。

「しかし大胆な才女とは分かっていましたが、コーヅキ嬢も恐れを知りませんな。我らが提督を銃で脅し、手込めにしようなどとは」

「なかなか本心を明かそうとしてくださらない御方ですもの。その宝石が詰まっている頭の鍵を開けようと思っただけですわ」

「心の鍵と言わないところが実に可愛らしいですな、閣下」

「すいませんが、私は注射と歯医者は嫌いなのでね。頭に電極を刺すのだけは勘弁していただきたい」

「あら、知らない? 痛みを感じるのは頭蓋骨と脳膜までで、脳そのものは何も感じないのよ♪」

「痛い知識のプレゼントをありがとう、博士。おかげで今日は睡眠導入剤を飲んで、グッスリ眠れそうだ」

 まったく。こうした一触即発の場面だというのに、いつもの皮肉や冗談の言い合いは無くならない。
 あるいはこうしてペースを乱させておいて、銃を取り上げるチャンスを狙っているのかもしれないが、イゼルローン流のやりとりを感得してきたあたしには通じない。……毒されてきた証拠かもしれないけど。

 さて。

「それでは囚われのヤン閣下に、その真意をお聞きさせていただきますわね」

「それはよろしいのですが、やっぱり二人とも銃は下ろさないかい? 長い話になりそうだし、見ているこっちの肩までコリそうだ」

 やれやれと肩をもみほぐして、さらっと場の緊張を崩壊させる発言をする。

「中将も、実弾を込めていない女性を撃ったとあっては、フォン・シェーンコップの名が実に不名誉なモノになってしまうぞ」

 …………。まったく、お手上げだ。
 銃を持ったまま、バンザイの姿勢を取る。

「はぁっ……あんた、いつから気づいていたのよ?」
「ハッタリです」

 おい、こら。

「これはこれは。まさか閣下が、白兵戦における秘技を扱えるとは。これは小官の評価も上方修正せざるを得ませんな」

 シェーンコップも銃は持ったままだけど、腕を組んで片膝を軽く曲げて背を軽く木につけた。くくっと不敵に笑って……ったく、最初からあっちも気づいてやがったわね。

「博士がそういう暴挙に出るとは思えませんでしたからね。人間はバカなことほど本気でするものですが、それはかなり追いつめられてからのことですし」

「じゃあ、これはどういう行為だと考えているのかしら?」

「古来から戦術上の最終決戦場というのは、双方のある程度の合意――というより、もう、そこしか有り得ないという場所を取られてきました。日本風に言えば、ここが博士にとってのセキガハラという所ですか?」

「そこの中将、ちょっとあたしに寝返らない?」

「ほう、これは実に心揺さぶられる魅惑の声。ふーむ、閣下と博士の優勢具合を見てからにいたしましょうか」

 そこのコバヤカワ・シェーンコップ。G弾を鼻先にぶちこまれる前に決断しなさいよ?

「まあとにかく、博士にとっては“ヤシロ君抜きであっても”、どうしても今、話をしておかねばならない内容ということでしょう」

 …………。

「いつから、あの子のこと知ってたの?」
「お三方が乗ってきた艦で検査させていただいた時です」

 ……ああ、まさかそこまで知っていたとはねー。予想の範疇には一応入れていたけど、まさか本当に知った上で同席させてたなんて。大胆というか適当というか。

 しかし自分もあんまり驚いていない。ヤン相手だと、大概のことは知られていると覚悟しているせいもあるのかも。むしろ理解が早くて助かるっていう気持ちかしら?

「彼女のことを知っているイゼルローンの者は、私とシェーンコップ中将、それと情報部局の大佐だけですよ。ユリアンやフレデリカには、何も知らせていません」

「それは機密保持のため?」

「それもありますが、彼女にはできるだけ公正に、イゼルローンそのものを学んで知ってほしかったからです」

 ヤンは収まりの悪い髪をかき混ぜた。

「失礼ですが、ヤシロくんは一般的な意味での教育を受けていないようで」

「ええ。だからちょっと目を離した隙に、イゼルローンの空気に毒されちゃったみたいで。あんな清純で素直で可愛かったあの子に、なんてこと覚えさせたのよ、あんたら」

「面目のしようもありません。ウチのユリアンもいい子だったのに、ああ、どうしてあんなにヒネクレた子になってしまったのですかねぇ」

 っと、いけないいけない、つい向こうの流儀に乗っかってしまった。とっとと本筋に戻らないと脱線した会話ばかりが続いてしまう。

「それで? あの子に教育という名の洗脳でもさせて、イゼルローンの味方にでもしようと思ったのかしら?」

「……人間の成長はどのような影響を外から受けようと、当人の責任で受け入れていかねばならないと思います。どんな成長も進路も、結局は当人が決めることです」

「つまりあんたは、生まれた頃――いいえ生まれる前から他人に定められた生き方、いわゆる『宿命』ってのがきらいってこと?」

「実に嫌ですね。それは人間というものを二重の意味で侮辱しています。思考を停止させ、人間の自由意志を価値の低いものとして扱っている」

 珍しく――本当に初めて見たけど、ヤンは言葉をあらげた。

「信念や宿命、それは便利な言葉だ。事態や状況や世界がどれほど変わろうと、それを振りかざすだけで、もはや考える必要もなく、他者からの言葉も何も受け入れず、楽に自分の生き方を正当化でき、他人に強制できる」

「あの子自身が、そう生きることを望んでも?」

「ええ。しかしそれは他者の言葉ではなく、彼女自身の生命や思惟を込めたものでなくてはならない。自らの生を嘆くも慶ぶも、肯定するも否定するも、彼女が彼女自身で決めてからでなくてはならない。彼女以外が、彼女の生と死の在り方を定めることはしてはいけない」

 ……ふぅっん。

「あら、飄々とした優男だと思ってたら、ずいぶん熱くなれるんじゃない」

「あ……いえ、これは私の考えであって、結局はヤシロ君が決めることだということでして」

 くすくすとした軽い笑い声と、くくっとした重い笑い声が同時に響いた。

「ま、今は社のことはいいわ。じゃあ、そろそろ本題に入りましょうかしら?」

 ベンチの上で足を組み替える。

「率直に言うわ。あたしと本格的に手を組みなさい、ヤン」

「…………博士には既にご協力をお願いしたはずでは?」

「はっ! あんな各国の調和を目指すなんてお優しいモノじゃないわ、地球そのものを手に入れなさいって言っているのよ」

 木に軽くもたれていた中将の目が、危険に輝き始めた。

「あんただって解っているはず。このまま進めば、イゼルローンと地球の接触の最後にある未来を」

「…………」

「地球の各国政府が互いに足を引っ張りあい、いがみ合い、それでもイゼルローンの技術や知識を我先に取り込もうとする。それは初期には確かにあるでしょうね。でも後々に待っているモノは、あんた達を地球人類の敵――『Another BETA〈もう一つの地球人類に“敵対的”な生物〉』と見なす結末よ!」

 ヤンは反論も何もせず、その考察を聞き続けた。
 やっぱりこいつ、その可能性を知った上で、二度の会談に望んでいたのか。

「狡兎死して走狗煮くる―――地球のBETAという脅威無き後に残るのは、自分たちよりも圧倒的な軍事力を持つイゼルローンという脅威よ。それを地球側の人間が全く恐れないと思うの?」

「反逆する力を持っている。それこそが汝の罪である、ですか」

「なまじ自分たちと“同じ”と分かっちゃうぶんね。でも未来の人類といっても、本拠地が地球にないあんた達は、どこまでいっても余所者に過ぎない。『あっち側』と『こっち側』に分けるのが得意な権力者達が、それを利用しないと思って?」

「……間違いなく煽動の材料にするでしょうね」

「そんな連中のために、なんだってわざわざ回りくどいことしなくちゃいけないっていうの? どんなにお膳立てしても、まだ足りない、もっともっとあるだろ、寄越せ寄越せって訴えるバカの群は尽きないわ」

 かかっとハイヒールを地面に突き立て、颯爽と立ち上がり、手を差し出す。

「あらためて言うわ、あたしと手を組みなさい、ヤン・ウェンリー! そうすれば世界の半分をあんたのモノにしてあげる」

 しんっとした空気の振動が肌に突き刺さってくる。

 そうだ認めよう、イゼルローンの技術力と軍事力、それにヤン・ウェンリーという軍事の天才の超絶さを。この天才の自分が彼らと手を組めば、数年で世界は正しい復活と繁栄を目指し、BETAがはびこる宇宙へも進出できる!

「……私が政治と軍事の覇権を握り、博士は経済と技術の権益を独占する、ですか」

「悪くないと思うけど? もし望むのであれば、あんた達が元の時代と世界に戻れる研究をしてあげてもいいわ」

 ヤンは腕を組んで顔をしかめた。

「まだ地球と公式に交流していない今なら、それが出来るわ。BETA大戦があんた達の世界の第三次大戦に当たるというのなら、尚のこと統一国家を樹立する! それこそが『正解である世界』へのベストな選択よ!」

 熱く煽ってみても、まだ返答は無い。

――とっくに結論はでているようなものだけど、何をためらっているのよ。

 ヤンだって本当は分かっているはずだ。現在のイゼルローンのプランは「抜け」が大きすぎる。あたしの行動のことごとくを予測していた慧眼は感心するが、人類全ての挙動を見て取れるわけがない。
 建設的な構想力と、破壊的な策謀力を持つヤンなら分かっているはずだ。先手を打つことが何よりも肝心だと。ならば尚更、戦後のことを考えて狙っていくべきなのに。

――いったいこいつの真意ってどこにあるのよ。

 心の中で舌打ちし、相手のプランの弱点を更に突く。

「権力者だけじゃない。民衆も最初はあんたたちに感謝はするでしょね。でも民衆が求めているものは、理想でも正義でもない、ただ食料と身の安全だけよ。ただ権利ばかりを訴える連中を食わせるために、何であんた達がボランティアをしなくちゃいけないのよ?」

「吾々が『ルドルフ』にならないためにです」

 反論が、即座に彼の舌から飛び出た。

「ルドルフ……? ああ、あんた達の歴史の中にいた、銀河帝国の創始者のこと?」

「宇宙の略奪者というべきでしょうが、絶大なカリスマ性を備えた鋼鉄の巨人であったことは確かです」

 社がミンツから聞いたという彼らの歴史。そこに自由惑星同盟を語る上で外すことの出来ない存在、銀河帝国の存在があったことを。

「博士の危惧されていることは、決して間違ってはいません。未来からの知識技術の本、そして軍事の剣を携え、滅亡の困窮にあえぐ人民を助けにいく。彼らの名君として立ち、人々を正しき方へ導く。ソリビジョンの題材としてはこの上なく名ストーリーとなるでしょう」

 でも、とヤンは言った。

「しかし名君にとっての最大の課題は、名君であり続けることです。名君として出発し、暗君や暴君として終わらなかった例はごく珍しい」

 彼が断固として反論するときの声。それは怒声を張り上げることは決してなく、むしろ淡々としていつもと全く変わらない口調で、静かに訴えるものだった。

「最初から統治者としての責任感も能力も欠くのなら、かえって始末はいい。しかし名君たろうとして挫折した者こそ、往々にして最悪の暴君となる。それは歴史が証明している」

「……そのルドルフってやつがそうだっていうの?」

「ルドルフが最初から独裁者を目指したわけではない、と私は思ってます。彼はただ、自らの権限の中で義務を果たす中で、ふとこう思ってしまった。自分がこれほど彼らに尽くしているというのに、“こんなもの”に正当な権力を与える政治とは何なのか、こんなものを支持する民衆とはいったいなんなのか、とね」

「…………それはあなた自身の経験かしら?」

 ヤンはそれには返答をしなかった。シェーンコップも普段の皮肉げな笑みをやめ、静かに見守っている。

「逆説的なのですが、悪逆な専制者を生むのは民衆なのです。自分たちの努力で問題を解決せず、どこからか超人なり聖者なり、あるいは異世界の英雄なりが現れて、彼らの苦労を全て背負ってくれるのを待っている限り……」

 ヤンはそれ以上の言葉を口にはしなかった。だからあたしから彼に問いかける。

「……わからないわね。仮にそれが善政であったとしても、あんたは専制や独裁を否定するの?」

「私は否定できます」

「なぜ?」

「専制政治の罪とは、人民が政治の――本来は自分たち自身の問題や害悪を、自分たち以外のせいにできるという点につきます。まさにそれこそが、独裁の罪なのです」

「…………」

「してもよいことと、やってはいけないことを教えてもらい、指導と命令にさえ服従してさえいれば、手の届く範囲の安定と幸福を与えてもらえる。それを満足とし、それを選択するのは個人の自由です。しかし柵の中にいる家畜は、いつの日か、支配者の恣意によって殺され、壇上の供物にされる日も来るでしょう」

「…………」

「博士のおっしゃることは、確かに人類を救済の道を歩ませるでしょう。最小限の犠牲の中で、最大の幸福を得られるかもしれない。しかしそれは結局、BETAという人類史上最大の共通課題から、何ら人類自身は学ばなかったという悪しき前例を作ってしまう」

「これがベストな選択だと分かっていても?」

「それでも、私は、ベターを選びたいんです」

 ……やれやれ。

「はぁっ……思った以上の頑固者だったみたいね、あんた」

「申し訳ありません」

 ぺこりと謝られた。それはこちらの提案への最終拒絶の現れだった。
 あーあー、いい線いっていたと思ったのに。これはこれ以上押せないわね。

「ああ、それともう一つの理由がありまして」

 自身の攻勢が失敗したことが分かって引こうとしたあたしに、今度はヤンが声をかけてきた。

「博士、あなたをルドルフにしたくないからです」

 気の抜けた声のような息が喉から出てきた。その発言の意味へと思考を走らせる中で、憤りの感情が相乗りしてきた。

「――随分と見下してくれたものね、ヤン? このあたしが、自分のエゴで人類の命運を好き勝手にもてあそぶとでも思ったわけ?」

「いいえ。二流の政治家がその地位につくことだけを目的とするなら、一流の政治家はその地位で何を為すかを明確にしている。博士は間違いなく、一流の政治家でしょう」

「……それじゃあ何? あたしがしている“実験”で人命を犠牲にしていくことでも非難しようっていう気?」

「博士、博士。戦場にいる以上、犠牲が皆無ということはありえませんよ。いかに“効率よく味方を殺す”かが、用兵学の存在意義なのですよ?」 

 人畜無害な笑顔で、さらっととんでもない発言をするわね、この男……!

「汝、殺すなかれ、奪うなかれ、騙すなかれ―――いったいどれだけ背いたことでしょう。何千万の敵という名の人間を殺し、それ以上の味方を死なせてきたことか。彼らの遺族も含めると、何百回、輪廻転成しても地獄の特等席が永久指定席で用意されていることでしょう」

「…………」

「博士はおそらく、自分で自分の生き方を選んだし、それを悔いる気持ちも躊躇の想いもないのでしょう。最初の選択を誤り、まったく自発的でもない私とはえらい違いです」

「……ふんっ」

「でも私はこうも思うのですよ。平和な世界――そう、私たちの世界であったという、半世紀に及ぶ日本の平和な時代にいたとしたなら、果たして博士は今と同じようなことを買って出たのでしょうか」

 心にさざなみが寄る。波紋があたしの心に浮かび立ち、反論が陳腐なものになってしまった。

「……当たり前でしょ? そうね、帝大の研究機関のリーダーどころか国を掌握して、世界に名だたる研究者として名を馳せていること、間違いないわね」

「私としてはアナーキストなところがある博士は学会から煙たがられて、けっこう一学校の物理教師になって、『研究なんてどこでも出来るわ、賞なんてチョロイチョロイ』とうそぶいていると思うのだが、中将はそのへんどう思うかね?」

「ふむ、名物美人教諭ですか。なるほど、小さな社会の独裁者としては、これ以上ないほどお似合いなお姿でしょうな」

「うっさいわね、そこの“おっさん”共!」

 今までの発言の中でもっとも彼らを傷つけたようだ。中性子爆弾を投げられた後のように、よろめいて木に手をついた。

「ああぁ……差別だ、中傷だ、暴言だ。“こっちの世界にきたのが33歳の誕生日”だったとはいえ、中将ならさておき、私までおっさんだなんて……中年だなんて……」

「なよなよ嘘泣きしてるんじゃないわよっ」

 ああ、まずい、こんなので動揺している。こいつの発言って、いちいちこっちの気持ちをかき混ぜてくる。

「はぁっ……ただ、私はこうも思ったのですよ。ルドルフを銀河帝国の皇帝にしてしまったのは、彼に対等たる友がいなかったせいではないかと」

 なんとか立ち直ったヤンがこちらに向き直ってきた。

「自我が肥大と変性を繰り返し、鋼鉄の巨人へと変貌していく時、それを諫め、反対できる対等の者が彼の傍にいなかった。それこそが周囲の罪だと思うのですよ」

「……あんたはあたしがそうなるっていう気?」

「変わらない人間はいませんよ。それは脳科学的にもそうです。無慈悲な時の流れの中で、いったいどうして、人間だけが永遠なるものがありえましょうか」

 …………時間は何よりも優しくて、そして残酷、か。

「私はよい主君もよい臣下も持ちたいとは思わない。でも佳い友人がほしいし、誰かにとっての佳い友人でありたいと思います」

 だからと、ヤンはあたしに告げた。


「私は、あなたをこれ以上、“怪物”にしたくありません」


 不敗の名将の一言は、香月夕呼の核なるものを撃ち抜いてきた。

「……つまり、えーと、なに? いろいろと大層な計画を練っていたけど? とどのつまり、あんた達は? あたし達と“お友達”になりたくって? こんな宇宙の果ての果てまで? 招いたっていうこと?」

「はい」

 嘘偽りも、騙しも奇襲もなく、淡々と、当たり前のよーに、ヤンは告げた。

「……くっ」

 腹の底から何かがこみ上げてきた。ぷるぷると顔や頬のの筋肉が崩壊を起こしはじめ、ついで胸筋やお腹までふるえ始めた。

「くっ、くくくっ…………!」

 立っているのももう限界だった。ベンチに勢いよく腰掛け、背もたれに体重を預ける。

「あっ、っあははははっっ、ははははっ!!」

 蛇口が壊れたかのような、陽気な酔っぱらいの笑いが辺りにあふれた。
 いくら笑ってもお腹の中にたまっていた色んなものは止まらず、あまりに面白くてありえなくて、笑いと一緒に涙腺まで崩壊した。
 酔って、笑って、泣いて、叫んで、震えて。いろんな思いが言語ではなく、声と体で代弁するように、あたしは笑い続けた。

 それがいったいどれだけ続いただろう。笑いきった後には10年分の垢がすべて抜け落ちたような軽い気持ちと、むくんで重くなった瞼が残った。

「あー……おっかっしぃ。あんた達、バカなの?」

 二人の男はそれぞれの表現で苦笑していた。

「あんたの言ったことをやるって、地球の敗残処理をある程度は引き受けるってことよ? しかも見返りは大したものでないし」

「まあ今更ですね。昔からそういう役ばかり回されるもので」

「下手すれば地球の9割を敵に回すわよ?」

「宇宙の9割を相手に戦争しようとしていた事に比べれば、ですと。まったく、博士達が美人であることも加わって、一部幕僚連中以下が乗り気だらけですよ」

「我らを騎士症候群〈ナイト・シンドローム〉にかけるとは、さすが地球の魔女殿でしたな」

 つまりそれは、地球を助けると同時に、あたしやまりも、社の身の安全を保障するということの明言だった。

――こんなに“個人”を守りたいっていうんだから、よっぽどよね。

 ヤンの基本スタンスはそこにあるのだろう。

 自立と自律をした個人が集まり、互いに過度の干渉をせず、互いに自尊と他尊をし、それでも共通の課題には団結し、それぞれの役割を担い解決していく―――ああ、それは。なんて尊く、素晴らしいものか。

 主権国家というモノが人類歴史上に現れてしまったのに、彼はそれでも“個人”を尊重し、共和政府という実現に少しでも近づこうとしている。自分の代で成そうと焦らず、イゼルローンだけでなく地球にもその種を蒔き、千年の時を経て、その花を咲かせようとしているというのか。

――しかも言葉だけでなく、それを正に実践しているのだからねー。

 その壮大といえる遠望を聞き、その一端といえるイゼルローンの空気に触れると、なるほど、まりもや社が“あれほど”感化されてしまった理由も分かる気がした。

――そしてあたしまで、感化されちゃったってわけか。

 やれやれっとてっぺんの髪を軽く押さえる。

「まー、あたしは利害さえ一致していれば、あんた達がどういう主義でいようとも、どーでもいいわ。あたしはそれを利用するだけだから」

「ほぉ、とうとう閣下も勤労主義に目覚める時がきましたかな?」

「え、なになに!? やっぱ、こいつってあんまり働かないわけ?」

「それはもう。魔術師やら奇跡のヤンと呼ばれる以前のあだ名は何でしたかな、閣下?」

「…………私は自分の出来る範囲で何か仕事をやったら、後はのんびり年金で気楽に暮らしたいと思っているだけで」

「怠け根性ね」「まだ老年の佳境に入るには、些か以上に早いかと」

 ああ、だめね、だめだめね。こいつ変な方向で能力あるんだから、尻けっ飛ばして働かせないと。特に、このあたしが懸命に働いているっていうのに、そんな自堕落を許すわけないでしょ!

「大丈夫よ、ヤン。あんたはあたしが知る中で、もっとも有益な駒だから♪ 地球とイゼルローンの平和のため、最上の舞台を用意してあげる♪」

「これはこれは。ついに閣下も最上級の演出家をパートナーに得ましたな。どんな名演技をするか、このシェーンコップ、最後まで見届けさせていただきましょう」

「……ああ、一つの過ちを次の過ちでは矯正できないって本当なんだなぁ」

 とほほっとした苦笑いが一つ、皮肉げな笑い声が二つ、その日、イゼルローンの一フロアに響いた。


 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 ・・・・・・・・・・・・・・

 ・・・・・・・・


 それからの二日間は特に大きな事件という事件は起きなかった。まりもや社と合流し、イゼルローンとの技術と文化交流を更に進めていった、というだけだ。

 そうそう、大きな種明かしはあった。“あたしら以外に招いた地球人”はいなかったかという事だ。

――何回も同じトリックにひっかからないっていうの。

 これはあたしの方から問いかけて、ヤンはあっさりそれを認めた。
 実の所、招くに当たっていくつかの候補がいたらしく、その中で最終選考を勝ち抜いたのが、香月夕呼その人だったということだ。

 最終的に手を組もうと考えた選考基準は何か。それはいくつかの条件があった。

 第一に、全世界的に名を知られた理系学者であること。これは当たり前。
 第二に、例の暗号文を解くことができ、かつそれをイタズラであると軽々に判断せず、きちんと考察と推論をし、実際に確かめることをした者。要はイゼルローン人が地球人――同じ人間であると信じられるか否かということ。
 第三に、あちらの要求――人数は三人までということを守った者。鼻で笑っちゃうけど、軍を配備して宇宙船の捕獲でもしようとしたり、替え玉を使おうとした国がけっこういたようだ。どことは言わないけど。

 そして第四に――とそれを語る前に、あたしにだけ知らせた新事実があった。

 あたし達が来る以前、すでに“亡命”を果たした者がいたのだ。

 今挙げた第三の条件までクリアしたけど、自ら亡命を望んだと。詳しい話はしなかったが、他2名をつれて地球を捨ててイゼルローンに逃げ込んだと。

 でもヤンは、相変わらずの表情と口調で告げた。

『 誰だって自分の身の安全を計るものですよ。私だってもっと責任の軽い立場にいれば、形勢有利な方に味方したかもしれない 』

 動乱時代の人間というものはそういうものだと。状況判断能力や柔軟性という表現をすれば非難される言われもないと。
 で、ヤン達は彼(彼女? 会わなかったから判らない)を受け入れ、今はイゼルローン市民の一員となったと。

 まああたしもそこを突っ込む気はないけど、頭抱えたのは、“戦術機やら地球の研究データ諸々”まで土産に持参したことだった。ヤンが社――オルタナティヴ3の研究成果を知っていたのもそのせいである。

――こいつらが本気で地球ねらっていたらどーしたのよ。

 まあ確かに、本気で地球侵攻する気でいたら、そんな回りくどいことしなくても戦艦用意すれば十分だったろうけど。
 とにかく、あたしやまりもに提示されたやけに解りやすい資料は、その亡命者がリストアップしたものだということで謎は解けた。


 で、先ほど挙げた中での第四の条件―――実は最終候補まで残ったアメリカなどは、その条件をクリアできなかったらしい。

 第四の条件とは、招待状を受けた博士が選んだ第三の人物が、その博士の下か上かということだった。で、アメリカは上(政治家?)を、あたしは社、つまりはあたしの下の人物を選んだのだった。

――イゼルローンが欲しがったのは、徹底的に“個人”の協力者だったわけね。

 例の招待状を自らの能力で解き明かせる者。
 信頼に値する人物二名を選びとれる人脈を持つ者。
 準備を決して怠らず、かつリスクを承知で未知の領域に飛び込める者。
 裁量を自らの範疇で果たし、決断を誰にも託さず、自らで未来を決められる者。
 誰かが用意してくれた優れた設計図でなく、純白のキャンパスに喜んで絵筆を握って挑む者。
 
――あたししかいないじゃない。

 実際のところ、かなーりイゼルローンも焦っていたようで、あたしがダメなら、当初の予定通り国連に接触するしかなかったみたい。
 まあオルタナティヴ4の責任者であるあたしの存在を知って、あえて時間が経つごとに立場が悪くなるのを計っていたという、その悪どさ、もとい抜け目のなさは誉めてやってもいいけど。

 まあとにかくイゼルローンの狙いと思惑と真意は明らかになったし、あたしも遠慮なく、ほくほく成果を持って帰ることができた。
 そこからのスケジュールも聞いたし、後はあちらとの連絡に合わせていけばいい。もし連絡が無ければ無いで、こっちはこっちで動けばいい。そういう関係なのだ、あたしとイゼルローンは。協力も連絡もするけど、指示も命令もない、対等な存在だから。


 そーいうわけで、イゼルローン滞在を終え、元の横浜まで無事に戻ってきた。

 ワープ先は一週間前とは別のポイントを指定していて、そこに連絡通り、鎧衣のヤツが迎えにきてくれた。イゼルローンからの連絡をして、あいつが驚く顔を見られたことが最後の収穫だった。

 で、今は久しぶりの横浜基地の食堂にいた。一週間だけだというのに、もう何年もあそこに滞在していた気分になっていた。

「おやっ、夕呼ちゃんじゃないかいっ! ひっさしぶりだねぇ、まりもちゃんと一体どこへ行っていたんだい!?」

「久しぶり~、おばちゃんも元気だった? ちょーっとバカンスに行ってきてねー。おみやげはあいにく無いけど」

 ちなみに、そのまりもちゃんは、食堂の向こう側で元教え子たちに囲まれていた。あたしが『滞在先で男を自分のベッドに連れ込んでね~』って肉食獣の群にエサを投げた瞬間、そのエサは階級の柵に囲まれてしまったということだ。あらあら、黄色い声が上がってる上がってる。

 まあ機密事項は話すほど、まりもも抜けてないから、あっちは放っておいていいだろう。でも、もうちょっと火種を投げてもいいかも。

「なんだい、ずいぶんといいことがあったみたいだね?」

「あら、分かる~? さっすが京塚曹長ね」

「そりゃもうっ。ずいぶんと“憑き物”が落ちた顔をしてるよ、あんたは」

 配給し終えたおばちゃんは、なんとなしに話を続けた。

「なんていうか、まりもちゃんもそうだけど、夕呼ちゃん、昔に戻ったみたいだねー」

「あらやだ、あたしが女の武器に錆をつけたっていうの?」

「ちがうちがう。二人とも、いい意味でこわいもの知らずだった頃に戻ったってことさ」

 おばちゃんは仕込みを続けながら、わずかな沈黙の後、それを打ち明けた。

「まあ、今だから言うけどね、あたしゃほんとは心配だったんだよ。かれこれ10年ぶりに二人の顔みたときゃ、この子たち、どんだけ重い苦労しょいこんできたんだろうってね」

 こんなご時世だし、二人に限った話じゃないけど。おばちゃんは声を小さくして話し始めた。

「二人とも強い子だからね~、あたしから言えることなんて何もないし、出せるのは料理くらいだからね。ちょっとでも旨いモン食べて、元気だしてくれればそれでいいって想ってたさ」

「…………」

「でも、だからこそ今日は驚いたよ。義務とか責任とか過去とかじゃなくて、二人とも、そう……陳腐な言い方だけど『希望』ってやつが眼にあったからね。いったい何があったねって思っちゃうもんさ」

 おばちゃんも一応軍部所属だけあって、機密をはなせないことを重々承知なのだろう。だからそれ以上は何も訊いてこなかった。

「……おばちゃん、あたしね」

 ちょっとだけ躊躇ったあと、背を後ろに向けたままのおばちゃんに少しだけ語った。

「あたしは、誰に非難されても憎まれてもいいことをしてきたし、これからもしていくわ。必要になるなら、おばちゃんだって切り捨てる」

 洗い物をしながらのおばちゃんは何も言わなかった。

「後ろ指さされて当然のことしているし、別に誰に何を言われたって構わない。自分で決めて自分がやってきたことだもの。でもね、一つだけ勘弁ならないことがあるの」

 きゅっておばちゃんは蛇口をひねった。

「あたしは、『わかるよ、仕方なかったんだよね』て、いかにも分かったツラして哀れむヤツだけは、絶対に許せない」

 がやがやと食堂で聞こえてくるはずの声が、今は遠くに聞こえた。

「誰のせいでも、誰に強制されたからでもない。あたしが、あたしで決めたことに、何も知らない連中から口出されるのだけは勘弁ならないの。結果からなら、いくらでも評価も非難もしていい。でも、解られたフリだけは絶対にイヤ」

 あたしは何故か、イゼルローンでの日々を語りたくなった。

「でもね――“あいつ”だけは別なの」

 報いられることもなく。理解されることもなく。守ろうとしてきた者に謀殺されそうになり、価値のない者たちに非難され。全ての旗に背きながらも、なお、自らの願いを―――個人が個人として生きられる自由を、ついに目指そうとした。

 自らの命令によって、何千万の敵を殺め、その何倍もの味方を死なせ、恩人を見殺しにしながら、悩み苦しみながら。それでも、自らの決断を悔い続けることなく、人類そのものの意識と戦ってきた。

 一戦局のみならず、歴史という大河の中での戦争を見つめ、その中で懸命に、より良い選択を探り続けてきた男。人類の行く末そのものを見つめ、その意義を問い続けてきた男。

 ああ、そうだ。間違うのならば、自らの責任で間違いたがったあの男だけが――


「あいつだけが、香月夕呼を理解って〈わかって〉いいの。あいつはそんなこと絶対に言わないけれど、それでいいのよ」


 傍聴されている可能性もあって、意味不明なことしか言えなかった。
 まったく、ああ、自分もずいぶんイゼルローンに毒されたものだと、髪をすくう。

「夕呼ちゃん、あんた……」

 ……? おばちゃんが目をキラキラさせ始めた? はて、これはおばちゃんが井戸端会議をするときのような……。

「そーかいっ! 夕呼ちゃんにも、ついにいい男が見つかったんだねっ!!」

「え゛?」

 今までの小さな声から一転、いつも以上に大きな声を張り上げて、食堂中に聞こえるような―――あ、まずい、すでに全員がこっち見てる。

「や、やーね、京塚曹長、そんなんじゃないわよ」

「いやいや、皆まで言わなくていいんだよ、夕呼ちゃん。旦那と女房ってのはね、何も言わなくても、お互いを理解しているって間柄なんだから。で、で、どんなヤツだい、お相手は」

「やめてよ、おばちゃん。だいたいそいつは、穀潰しのろくでなしの甲斐性無しなヤツで、おばちゃんが考えているようなもんじゃ―――」

「かぁーーっ! やっぱりだっ! もぉーっ、夕呼ちゃんは何でもできちまうから、そーいうダメな男にひっかかっちまうんだねっ! いいかいっ! そーいう亭主はシリ引っ叩いて働かせなきゃダメだよ」

「……ああもう、だからね」

 がしっ。

「……誰よ、今取り込みちゅ――」

「フクシレイカン」

 ぞわっと、肌が泡だった。

「クワシク、ハナシヲキキマショウッッ!!」

 両目に炎をたぎらせた友人がやけに強い力で引っ張っていく。ちっ、新たな餌を見つけた肉食獣(独身女子)どもも、すでに待ち構えていやがったか。

――やれやれ、あたしも緩んだものだわね。

 さーてどうやってこの場を切り抜けたものかしらと、頭を回転させながら、ずるずると引っ張られていった。



 陽光が新雪に照らされて輝く頃。人類史に今後燦々と輝く、西暦2000年という年は、その12分の1を終わろうとしていた。
 後の歴史学者、そして戦争の生き証人たちが語る、公的に残る人類史上最高に激動の時代は、この次の月より始まるのだった。

 イゼルローンが、ついに来る。



[40213] 9
Name: D4C◆76c1e85e ID:a53dcb19
Date: 2015/01/12 11:48
           第8.5章「忠犬伝説?」


 日露戦争当時。旧日本軍において、肉と野菜の栄養バランスを簡単に取れ、調理も手軽な食事として、海軍にカレーライスが導入されたというのは有名な話である。
 しかしながら、同じ材料――肉、じゃがいも、タマネギ――さえあれば、醤油と砂糖を加えて作れる、とある料理も軍隊で生まれたことは余り知られていない。

 誕生の由来が、かの東郷平八郎が艦上食としてビーフシチューを導入しようと命じたが、ワインもデミグラスソースもなかったため、醤油とみりんを使用して生まれたという説もあるが、これは些か眉唾であろう。

 まあとにかく、その料理は日本発祥かつ家庭的なモノとして、現帝国軍でも脈々と受け継がれているものである。

 
 で。


「ええっと……入れる順番を間違えなければ調理は簡便であります」

「肉を炒めた後、4分後シュガー、7分後ソイソース、11分後コンニャクとジャガイモ、28分後タマネギ。調理から30分で出来上がりね」

 だけど、どーして。

「味付けは調味料の量さえ間違えなければ大丈夫です。ただ煮物ですので、ジャガイモを煮くずれさせず、タマネギには軽く歯ごたえを残せれば、尚よろしいですね」

「単純な料理が一番奥が深いのね、分かるわ」

 ……どうして自分は、地球人類未到の地で、しかも最高議長(エプロン姿)に『肉じゃが』の作り方を教えているのだろう?

――ほんとう……私、なんのためにイゼルローンまで来たのかしら?

 突然、副司令官に特命任務を命じられて。
 いきなり、宇宙の果ての軍事要塞まで連れてこられて。
 訳の分からないまま、未来軍事技術を教えてもらえることになって。

 なんだかんだと、すったもんだと。成り行き任せのまま、こんな場面になってしまった。

――ほんと……私ったらそんなにお酒に弱かったなんて……。

 前線の中では、死への恐怖や死者への後悔のため心身を病み、薬物やアルコールに逃げてしまう兵士も少なくない。自分はそんなもので自分の“罪”から目を背けたくなかったから。だから成人してからも一切口にしてこなかった。

――そのせいで夕呼だけじゃなくて、イゼルローンの皆さんまで……ヤン閣下にまで迷惑をかけてしまって……。

 この場にフレデリカ議長やキャゼルヌ夫人がいなければ、あぁぁっと壁に頭をつけて思いっきり猛省したいところだった。もちろんそんな無様な姿は見せられないので、この場での自分の役割を果たすことに正心する。

「さっきは取り乱しちゃってごめんなさい」

 議長が突然、こちらに謝罪してきた。視線は鍋に固定したまま、具材を崩さないようかき回している。

「そ、そんな、こちら、いえ小官こそ、大変なご無礼を致しまして、大変申し訳ありません」

「ううん。あの人が嘘をつくわけ無いって解っているのだけど、ああいうことは初めてだったから……なんて言えばいいか。ちょっと口を開いたら、後で頭を抱えたくなるような暴言を吐いちゃうかもしれないって……」

 後ろで別の料理を盛りつけていたキャゼルヌ夫人は、くすくすと笑いながら話に参加してきた。

「あらあら、そういうときはね、フレデリカさん。ちゃーんと亭主にひとこと釘を刺さなきゃダメよ。甘やかすとつけあがりますからね」

 さすが軍人の妻だった。亭主が任務で不在の時でも、二人の娘を立派に育てあげているだけあって、胆力は女性陣一番だった。

――夫人もいてくれて助かったわ……。

 先ほどからちょいちょいと、何か空気が悪くなりそうな気配があったら、キャゼルヌ夫人が言葉を挟んでくれていた。おかげで雰囲気も悪くならず、しかもお互いが無言にならずに過ごせていた。

「そうそう、フレデリカさんも元々は軍人さんだったのよ」

「あ……やはりそうだったのですか?」

 話題を盛り上げようとしてくれた気配を感じ、それに乗っかることにする。

「やっぱりって……知っていたの?」

「ええ、立ち居振る舞いに隙がありませんでしたし。それに、さりげなく周りをいつも注意されておりましたね」

「あらやだ、気づかれちゃっていたのね」

 軽く苦笑して、またお玉で鍋をかき回していた。

「こう見えて、わたし子供のころ、手が早いことで有名でね。男の子とケンカするたびに、こう、背中と腕を伸ばして平手打ち〈スパンク〉してね。『どうして泣かせてきたのっ』って母によく叱られていたのよ」

「それはまた……」

「でも軍隊に入ってからは、お淑やかに見えるように見えるように……って、それはもうっ、猫の毛皮を三、四枚は着込んだもの。なかなかの努力だったのよ?」

 どこか自分と似たところのある――でも全く反対の彼女に、私も自分を語りたくなった。

「小官は……いえ、私は逆ですね」

 あいつのことを思い出すと、古傷が痛む。
 でも一昨日、夕呼が言ってくれたように、忘れてしまうことの方がもっとつらいという言葉を思い返し、彼女にそれを語る。

「訓練校で同期だった男が『女は戦場に立つべきじゃない。だから女みたいな言葉遣いはどうにかしろ』って、いっつもいつも突っかかってきて……いつの間にか、男みたいな口調や態度が癖になっちゃいました」

「あらやだわ。わたしだったら『なら、あんたは軍を脱退して“貰い手”を探しにいってきなさい、このbarrow〈去勢された牡豚〉』って言い返してやっちゃうのに」

 見た目にそぐわぬ議長の過激さに、ぷっと笑いが漏れてしまう。でも自分も思い返せば、『あんた自分がカマ掘られたいから、私が邪魔なんでしょう? 競争相手は減らしておきたいものね』とか、負けず劣らずな事を言い返したものだと、二重に笑いがこみ上げてしまう。

「そして、今は軍を脱退され、政治の世界に?」

 軍人が退役後、政治の世界に入るのはそれほど珍しくない。だからなのだろう、と軽い気持ちで尋ねてみた。

「…………約半年前かしら、わたしたちはこのイゼルローンごと未来世界からやってきたの」

 いきなりの新情報に絶句するしかなかった。

「元々、イゼルローンは最前線の軍事要塞だったし、たまたま政治家の人は一人もいなくて。だからどうしても、誰かが政治上の代表者になる必要があったの」

 情報を残さず取り入れると同時に、ふとした疑問が出てきた。

「あの……ヤン閣下は?」

「その意見はもちろん出たわ。というより、その意見が大勢だったわね。ヤン提督なら最高指導者として、この方舟をアララト山まで届けてくれるだろうって」

 旧約聖書における伝説と重ね合わせた比喩に、なるほどと思われた。

「でもやっぱり、あの人は静かに、断固として辞退したわ。『最高指導者は文民でなくてはならない。軍人が支配する民主共和制なんて存在しない』ってね」
 
「……文民統制〈シビリアン・コントロール〉ですか」

「そう、民主政治における軍人は、政治的運動に関与するためには職を辞さなければいけない。でもあの人以上に用兵術を究めた人はいなかった。だから私は、あの人の副官を辞して、この手を挙げたの」

 それもまた小さな衝撃ではなかった。

「ヤン閣下の副官だったのですか……!?」

 社からヤン・ウェンリーの来歴はつぶさに聞いてきたが、その他の人物については情報がまだ不十分だった。

「――ある女の子が14歳の時、中尉になったばかりの軍人さんに会ったの」

 ことことと鍋を煮詰めながら、議長はとある物語を語り始めた。
 
「その人は黒ベレーも板に付かなくてね、いかにも駆け出しの、これが初陣だって感じの軍人さんだったわ」

 それは社から聞いていた。不敗伝説の始まりともいうべき、エル・ファシルの英雄の誕生だった。
 司令官が民間人三百万人を見捨て逃げ、軍艦も無い中で若い中尉が奇跡の策を講じ、ただ一人の犠牲も出すことなく、包囲網からの脱出を見事に果たした。まさに英雄譚。

 しかもそれが、最前線で指揮を執った、初の実践での壮挙というのだから―――

――……本当、私なんかとは天と地の差だわ……。

 暗い嫉妬と後悔の想いを振り払って、笑顔で話を促した。

「きっと周囲の民間人も、安心してその軍人にコトを任されていたでしょうね」
「ううん、全然」

 …………。え?

「駆け出しの軍人さんだもの、尊敬する理由も信頼する根拠もなかったわ。それどころか、周りの大人達は露骨に見下して、『あんな落ちこぼれになんて任せちゃいけない』って言い出していたわ」

「そ、それも、確かに……そう、ですね」

「でも女の子は、一生懸命がんばっている中尉さんを、何もしない人たちがとやかくいう資格は無いって怒ったの。……ただ、本当はそれだけじゃなかったのだけど」

 議長はほほえみを浮かべた。

「女の子はつくづく思ったの。こーんなに頼りなげで。とっぽい感じで。軍服姿のままソファーで眠って、朝起きたら顔も洗わず、ひとりごとを言いながらパンをかじるような男の人。わたしが好きになってあげなきゃ、誰も好きになってくれないんだろうなーって……」

 その微笑みは単調なものではなく、長い時を経て熟成されてきた深く複雑な想いを多分に含んでいた。

「でも当時の女の子ができたことは、せいぜい食事と飲み物を差し入れてあげることくらい。中尉さんはそんな助けが無くても、不可能としか言われなかったことを本当に成し遂げちゃったわ」

「……だから、その女の子は軍人に?」

「そうっ。何も出来なかった自分も、いつの日か、本当の意味であの人を支えられるようになりたいんだって!」

 それは陳腐で、ありきたりな動機。崇高とはとても言えず、とても小さくて、幼い子どもが抱くような想い。同年代の、同姓の軍人の発言だとは思えない。

 でも……どうしてだろう。どうして、こんなに、彼女がまぶしくて、私は、羨ましいのだろう。
 どうして私は、こんなに、彼女を――ううん、イゼルローンの人たちを見ていると、胸が暖かくなるような、切なくなるような、懐かしいような、そんな気持ちになれるのだろう。
 

 だって……それはとてもちいさな、とてもおおきな、とてもたいせつな――


――……そうか。

 ……わかった。このイゼルローンが軍事要塞でありながら。遙か未来の軍隊でありながら。BETAと戦い続けてきた訳でもないのに。本当は私たちとは、とても遠い存在のはずなのに。なんでこんなに身近に彼らを感じることが出来るのかが。

 そう……ここには、私たちが失ってしまい、無くしてしまい、忘れてしまった“未来への情熱”があるんだ。

 悲壮な覚悟ではなく。決死の責務でもなく。
 自らに言い聞かせるためのものでもなく、大義名分の旗に立たされているからでもなく。
 イゼルローンの人たちはみな、それぞれの希望と未来のために戦っているんだ。

 それはまるで、春の学園祭のように、賑やかさと生のエネルギーに満ちた青春。
 それはまるで、夏の盆踊りのように、全ての参加者を巻き込むような祭囃子〈まつりばやし〉。
 そして、それらを煽動することも鼓舞することもしないのに、皆を最大限の志気に保ち続け、祭りの夢に誘っているのはきっと――

「ヤン閣下は……」

 瞼が不意に熱くなる。

「とても……不思議なお方なんですね」

 私がこの数日で出会ってきたイゼルローンの人々。瀟洒な中佐、不敵な中将、謹厳な中将たち。
 普通、軍人というのは所属している軍のカラーに染まっていくはずなのに、それぞれの個性を失うことなく、十二分に才幹を発揮していた。それはきっと、ヤン閣下が司令官として在るからだ。

 これは拙い考察だと思う。でもあの人は、歴戦の将帥として数々の伝説を築いてきたという。猛将を越え、智将を越え、部下に不敗と不死の信仰を抱かせてきた、その武勲。
 そして何より、人を威圧することなく、淡々と未来と過去を語るその語り口が、どこか不安や不信を包み込んでしまう。
 頼りないようで、でも、あの夕呼と同じくらい、どこか人を信じさせる何かがある……と思う。

「そうね……でもあの人は、わたしが政治の代表者になることは余り賛成じゃなかったみたいなの」

「それは優秀な副官を失いたくなかったからではありませんか?」

「ありがとう。でもそういうのじゃなくて…………うん、たとえばヤシロさんの案内をしているユリアンなんだけど」

 フレデリカ議長は直接は質問には答えず、彼のことを語った。

「ヤン提督はよくわたしに語ったわ。ユリアンは何をしても不思議と絵になる子だって。料理人になって人を喜ばすことも、フライングボールの選手になって観客を感動させることも出来るのに、なんでわざわざ軍人なんかに……って」

 ヤン閣下の養い子だった彼は、間近で英雄を見てきたことによって、強い憧憬と尊敬を抱き、自ら軍人になることを志願したと。でもヤン閣下はそれをあんまり喜ばなかったらしい。

「……解ります。正規兵になれば、もはや明日の保証も無き身。前途有望な若者が自分より先に亡くなるかもしれない……と。それを躊躇うのは当然かと」

「そう、だからあの人も悩んでたわ。提督としての立場と、養い親としての立場でね。だけど……」

 プッと、フレデリカ議長は吹き出した? 思い出し笑い?

「ううん、ユリアンが十六歳の時、スパルタニアンで初めて出撃して、敵機三機と巡航艦一隻を撃破したの」

「それは……! 大戦果ですね、まさに天稟といっていいほどです!」

 実際にあの単座式戦闘機や巡航艦を見学した今では、彼我の戦力差は把握できる。
 三機というのも対BETAではなく、対戦術機と置き換えるとわかりやすい。新兵としていかに傑出しているか。しかもそれが、まだ少年といっていい年齢でなんて。

「でね、あの人も『これで戦いを甘くみるようになったら、かえって本人のためにならない。真に器量が問われるのはこれからだ』って、厳格な指導者兼教育者らしい態度を取っていたのだけど……」

 いざ帰還したユリアン少年に会った時の、ヤン提督は、

「髪をかきながら困った顔で、あの子に『危ないことをしちゃいけない、と、いつも言っているだろう』って」

 きっと自分は、目と口で三つの0を作ってしまったことだろう。
 数瞬かかって、その言葉とその場面が脳内に再現されていく。それとともに、なんとも抑えがたいモノが胸にこみ上げてきた。

「……ぷっ……くっく……!」

 口元を押さえて、胸の中からこみ上げてくる情動を押さえる。だ、だめ、こんなところで笑うなんて失礼無礼にも程があっ……。

「な、なんなんですかっ、それぇっ……!」

 努力は無駄だった。むしろ抑えた分だけ、笑いは止まらず、上官としての立場とその言動のギャップがツボにはまってしまい、私は涙をためるくらい声を上げて笑ってしまった。

 フレデリカ議長も、キャゼルヌ夫人もまた、斉唱するように朗らかな笑い声で唄い続けた。
 とてもとても久しぶりに、私は心から笑い声をあげた。

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 ・・・・・・・・・・・・・・

 ・・・・・・・

 それから料理の準備を続ける中で、彼女の口からヤン閣下のエピソードを山のように聞いた。そのたびに、笑い声がキッチンに絶えなかった。
 だいたいがコミカルで、でも時に真剣に頷くような言動の数々を聞き、私はヤン閣下の為人〈ひととなり〉を知っていくことが出来た。


 そして今、料理の支度が済み、ヤン閣下やキャゼルヌ中将、そして夕呼と社、ユリアンもやってきた。
 10人と人数も多いということ、かつ、昼食でということなので、庭の大きなテーブルで食卓を囲むことになった。そしてヤン閣下とはす向かいになり、実際の彼を知る機会に恵まれた。

 ヤン閣下は議長によって調理された肉じゃがをつまみながら、一夫婦としての会話をしている。とても世界の頂点に立つイゼルローンの、その政治と軍事の頂点に立つ二人とは思えないほどの団らんだった。

「あの……ヤン閣下に伺いたいことがあるのですが」

 食事中に無礼だとは分かるのだけれども、彼にはどこか、気軽にいろいろ訊ねやすい包容力があった。なので、実際の彼がいる場所でどうしても聞いておきたかった。

「なぜ閣下はこれほどまでに、わたくし達に様々に知る機会や自由を与えてくださっているのでしょうか」

 それはムライ中将にも訊ねた内容だった。

「香月博士一人になら、まだ理解は出来ます。しかし私のような下士官にまで同等の――しかも単独で行動をしていた昨日でさえ、多忙の中将にご案内をいただくという、破格の待遇をいただきました。これは過分すぎる扱いだと感じたのですが……?」

 食卓の雰囲気はとくに悪くはならず、閣下はいつも通りの表情で話を聞いてくださった。私の隣に座っている夕呼もまた、特に制止することなく話に興味を持った様子だ。

 閣下は付け合わせのスープを一口すすって、スプーンを卓上においた。

「すべての不幸は無知から始まる。私はそう思うのですよ」

「…………え」

 その、言葉は……!?

「ヤシロ君に聞いたかもしれませんが、私は歴史学者になりたかった。それは、歴史を学ぶとは、人類に共通する記憶を共有する行為だと思うからです」

「記憶を共有する……?」

 今の声は自分ではなく、ヤシロからだった。彼女もまた、瞳に好奇の光をともらせて閣下の話に聞き入った。
 質問をしたのは私だったが、ヤン閣下はヤシロに言い聞かせるように、しっかりと言葉を伝えていく。

「うん、ヤシロ君、人間が一生のうちに新しいことを学べる限界は、だいたい八十歳前後と言われている。これは医学上の寿命が延びた未来でも同じだ。でも人間は、星が瞬くほどもない一瞬にたくさんのことを学べる。それは人間だけが歴史を持ち、教育を扱えるからだ」

 私も、ずずずいっと前のめりになっていく。

「ヤシロ君。人間はね、自分だと思っているものの大部分は、過去からの授かり物なんだ。多くのモノを引き継いで、今、君はこうしてここにいる。私もまた同じさ」

 このイゼルローンに来る前の無表情とは少し異なり、社はコクンと素直に頷いた。

「ところが様々な事情によって、その教育や学問の恩恵を受けられない人々がいる。一番よくあるのが、内戦や戦争なんかで、政情や経済が不安定な国家の子どもたちだね」

 隣の私も、こくこくこくこくと何度も頷いた。

「次世代に受け継がれるはずの教育や文化に一度穴が空いてしまうと、そこから元に戻すには、とてもとても長い年月と労力が必要になってしまう。だから我々が後生に残せるとしたら、やはり平和が一番だ。それに加え、後輩に判断と考察の機会をより多く与えていくのも、その時代を生きた者たちの義務であり責任だと思う」

――ヤン閣下っ……!!

 私は頬が上気するのを止めることが出来なかった。だって――だって、それは、彼がいま口にしているそれは。私が軍人を志すきっかけ、そのものであり、そして―――そして、もう諦め朽ちてしまった理想と夢だったから!

「教育こそが人類に与えられた最強の武器! ですね!」

 思わず声を大きくして、“軍曹”が“元帥提督閣下”に意見してしまった。
 その無礼さにハッと気づくより前に、彼はちょっと苦笑して私に合わせてくれた。

「うん、軍曹の言うとおりだね。ペンは剣より強い。銃火と軍靴をもってしても、歴史と教育という遺産を完全に踏みつぶすことはできない。……次の世代が後の世代への責任を忘れなければ、だけど」

 ヤン閣下は苦笑を深くして、彼らの世界のことを語った。

「私たちのいた世界は、それが出来なかったんだ。たかだか数十年の平和を手にするために――今もまだ解決はしていないんだけど――五百年もの歳月と、数千億の人命、数兆リットルの血を必要をした」

 議長やキャゼルヌ夫妻も、その話を遮らず聞き入っていた。

「銀河連邦の末期に、市民たちが政治に倦まなかったら。過去の歴史から学び得ていたなら。ごくわずかな想像力があったのなら。平和がどれほど貴重で尊いものか学んでいたなら。人類はより少ない犠牲と負担で、より中庸な道を実現しえただろうに」

 一瞬、ヤン閣下に陰りと憂いのある表情が浮かんだ。それを見たとき、私は――とても大きな勘違いをしていたことに、いまさら気づいた。

 私はずっと、彼の不敗の武勲にばかり目がいっていた。彼の軍人志望動機の不純さをどこか蔑んでいた。

 でも、それは違ったんだ。彼は私以上に、たくさんの部下や上官を、同期の仲間たちを犠牲にしながら、今の階級に至るまで戦い続けてきたんだ。十数年、ずっとずっと、最前線で戦い続けてきたんだ。多くのかけがえのない人たちを失いながら、なお理想を捨てず、過去に亡くなった人々たちを真剣に悼んでいたんだ―――

「無知でいること。自分も他者も過去も未来も知ろうとしないこと。それが、話し合えば済むであろう問題や不和に対し、人々がわだかまり、戦争を続けてしまう原因の一如だと、私は思うんだ」

 仰るとおりです! と、また声を大にして同調したくなった。

「ヤシロ君。人間はね、自らが絶対悪であるという認識に耐えられるほどは強くないんだ。人間がもっとも強く、もっとも残酷に、もっとも無慈悲になりうるのは、無知の不知に至らず、自己の正しさを絶対的に盲信した時だ。もっとも純粋な愛はもっとも残酷たりうる、というのもそこから来ている」

 社もまた、真剣に深く頷いた。茫洋としていた瞳には、どこか確固たる意志が籠もりはじめていた。
 
 そういえば、なぜかヤン閣下は、先ほどから社に対しても多くを伝えようとしていた。普通、一番立場が高い夕呼に訴えるものだと思うけど……? 
 夕呼もどこかおかしい。会話に参加しているようで、先ほどから発言を控えている。彼女の表情も――長いつき合いだから分かるけど――どこか硬く、無機質な目が、ヤン閣下一人を逃すことなく観察しているようにも見えた。
 


 でもそんな違和感も、ヤン閣下の大事な話を聞いた今では、あまり気にならなくなっていった。

 話を続ける間に、昼食も終わり、キャゼルヌ夫人は娘二人を連れてダイニングに食器を持って行ってくれた。
 後に残った私たち軍関係者7人は、ミンツ中尉が入れてくれた絶品の紅茶と、社が入れてくれたコーヒーを口にしながら、さらに歓談を続ける。

「まあ、つまり、その……さきほど食事時にいろいろと、らしくないことを言ってしまいましたが、相手が誰であろうと、知ることを遮ってばかりでは相互に話し合うことも出来ないと思っただけですよ。それだけです」

「need to knowの原則ですね。……でもそれでも、敢えて知る範囲を指示をされなかったのは何故ですか?」

 いつのまにか、私も閣下にはあまり遠慮せずに訊くようになってしまった。

“あの”夕呼にそら恐ろしい謀略を投げかけられても自然体を崩さず、私が会ってきた軍人の誰よりも懐が深く、どんな名将よりも先を見据えている不思議な人。そんな彼に、もっと話を聞きたくなった。

「正しい判断は、正しい情報と正しい分析の上に、初めて成立しますから。ちなみに『正しい』とは、日本のカンジで書くと、一に止まる〈とどまる〉と書きますね?」

 こくっ(×2)。

「ここで大事なのは二つではないと言うことです。あっちはこういっているけど、こっちはこういっている。しかし二つともを選ぶのは一に止まらない、つまり正しくないということです」

 ああ~~っ(×3)。隣のミンツ中尉も斉唱に加わった。

「……ヤン提督。それはどちらを選んでも正しい、ということでしょうか? どちらも間違ってはいないんですか?」

「そうだね、ヤシロくん。一つの正義は余所から見たら一つの悪であり、その逆もしかりさ。この世に絶対善と絶対悪というものが存在するとしたら、人間はもっと単純に生きられるんだろうけどねぇ」

「……じゃあ、どっちを選んでも別に構わない、ということですか」

「いや、それは違うよ、ヤシロ君」

 珍しくヤン閣下が彼女を諫めた。

「大切なのは、選んだ――あるいは選ばざるを得なかった当人たちが『納得』することだと思う」

「……納得」

「そこに至るまでに時間はかかる。多くを知らないといけないし、多くを考えなくてはいけない。樽の中で熟成する中で酢になってしまう時もある。でもその過程を経てきたからこそ、一という『自分』に止まりつづけることが出来るんじゃないかな」

 そのとき、私の疑問はようやく氷解した。
 ヤン閣下は、ずっと私たち自身で判断する権利を委ねていたのだと。

 ヤン閣下がおっしゃった正しい情報とは、イゼルローンから一方的にもたらされるものじゃなかった。私自身が見て聞いてきたモノこそが、それだった。だからこそ、ヤン閣下は敢えて知るべきことに制限を加えず、私たちに自由――自らに由ることを許していたのかと。

 ぶるぶると体の震えと熱気が止められなくなっていく。ムライ中将がおっしゃっていたように、イゼルローンのこの闊達な空気はヤン閣下がいてこそ実現できていったのだと、さらに確信を深めていけたから。

――ああ、でもだめ、落ち着かないと、そうよ、私!

 そう、そうだ。ヤン閣下のお人柄はもう疑う余地もなく素晴らしいものだ。でもそうっ! 将帥としての彼の知略が、果たして本当に地球のBETA相手にも十二分に発揮されるのか確かめないと!

「あのっ、ヤン閣下! 是非ともヤン閣下のお考えになる、対BETA戦への戦略戦術論をお聞かせ願いたいのですがっ!」


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「ねえねえっ、夕呼! ヤン閣下ってすごいわっ!」
「……すごいです」
「あー……はいはいはい、そうね」

 両手に資料とレポートを持ち、テーブルにきちんと整理しながら、私は夕呼に何度も訴えかけた。

「特にこの案! ハイヴ攻略戦における戦術機の新運用思想は、地球交流後の戦術機開発と戦術骨子になること間違いないわ!」

 あの昼食後、そのままテーブルの方でヤン閣下やキャゼルヌ中将、そして議長を交えて、たいへんたいへん貴重かつ政治的、軍事的な外交をすることが出来たのだ。

 まず、夕呼には伝えたという、ハイヴ攻略案。それにも仰天したが、何よりヤン閣下がおっしゃった一言が感動だった。

『  この作戦のいいとこはですね、仮に失敗しても死人が出ないところです  』

 四半世紀というBETA大戦の歴史でも、ハイヴ攻略戦が片手で数えるしかない理由。それは、その攻略難易度だけではない。攻略戦にかかる物資、人材、コストの量ときたら天文学的なものになるせいだ。
 しかも作戦が失敗するにしろ成功するにしろ、その後、他のハイヴからの逆襲に遭い、深手を負った前線部隊はそれを維持することも不可能になるだろう。

 それが無い。これが成功すれば、多くの衛士たちが散ることはもうなくなる!

「それにうんっ! 戦車と歩兵の例えも適切だったわっ!」

 では、残ったハイヴの攻略はどうするかと訊ねた。イゼルローンの兵器を装備させた戦術機ならば、確かに犠牲は少なくなりそうだが、それでも皆無とはならない。何しろ全方位からBETAの師団が襲いかかってくるのだから。かといって、戦艦があの狭いハイヴ内に突入できるわけもないし、と。

 それに対して、ヤン閣下は米国の戦術機運用思想を例に挙げた。

『  たぶん米国は、戦術機をハイヴに突入させるようには造ってませんね  』

 それはアメリカ産の戦術機に、近接密集戦用の十分な装備が備わっていないからだと告げた。
 ハイヴ攻略をする際、弾丸などの消費装備はどうしても切れる。その場合、欧州産や帝国産のような近接武装――しかも丈夫なものが必要となる。しかしアメリカのモノにはそれはないと。

『  おそらくですが米国は、戦術機にとっての戦車、あるいは大規模爆撃兵器などを開発中なのでしょう  』

 つまりは戦術機を、かつて戦車を護衛した歩兵のような扱いとして、大規模な軍団の切り込み役にそちらを当て、残った中規模のBETA群を遠距離から戦術機が掃討する構想なのだろうと。(ちなみにこの考えを告げられた際、夕呼がピクピクとまつげを動かしていた)。

 しかし、この戦車に当たるものが、実戦配備されるほどは開発が進んでいないのではないかと。だからイゼルローンから、代わりとなる設計図を提唱してくれた。

 それが自律迎撃兵器、アルテミスの首飾り(小型)。

 球形であり全方向死角無しのソレをハイヴの坑道に突き落として、そのままコロコロと最深部まで転がせばいいと(無人兵器だから適当なところで自爆させてもいいと)。

 ただこれを造るのにかなり時間がかかるだろうから、先に挙げた案でユーラシア大陸を攻略・奪還して、製作するまでの時間と場所を稼いでおきたいと。

 その考えを聞かされた時、単に戦術機にイゼルローンの兵器を装着させる方向で考えていた自分は、頭をぶんなぐられた気持ちになった。
 普通、大艦隊を指揮する名人ならば、艦隊の運用の方を先に提唱するのに、ヤン閣下はそれに囚われることのない意見を出せた。なのに自分は、つい戦術機の運用や開発のことばかり考えてしまっていたのだ。

 そうだ、ヤン閣下は、誰よりも友軍の犠牲を最小にすることを考えられていたんだっ!

「それにまさか、『盾』まで提供してくれるなんて、ねえっ!」
「まー、それは確かに助かるわねー」

 私も難しいとは考えていたのだ。イゼルローンの兵器を戦術機のそれに運用していく困難さを。
 そもそも、全世界の前線部隊に最新鋭の装備を行き届かせるのは不可能なのだ。ただでさえ時間がかかる開発・生産・運搬・補給の流れ。さらに確実に訪れるであろう、イゼルローン関連技術のライセンス利権、開発特許、工場の誘致やらの問題。下手をしたら、前線に装備が届くまでに数年かかってしまう。

 その問題のささやかな(と謙遜されていたが画期的な)解決のため、イゼルローンは一つ兵器を提供してくれることにすると。
 ただ工場ラインをイゼルローン内で造ると、政治的にも経済的にもいろいろと面倒な問題が起こるので、加工が簡単な「盾」を渡してくれることになったのだ(しかも初期ロットは無償!)。

 その材料はというと――なんとイゼルローン要塞の外壁だった!

 直径60kmの球型人工惑星。その表面積は45000平方km(九州より1万平方km大きい)にもなる。その外壁を構成しているのは、耐ビーム用鏡面処理を施した超硬度鋼と結晶線維とスーパーセラミックの四重複合装甲。戦艦の中性子砲にも小揺るぎもしないというそれを、なんと! 戦術機のサイズ、実用可能な軽さと強度にして全前線に送ってくれると約束してくれた!

 つまり、光線級や大型種の攻撃をほぼカバーできるようになるということ。更に数多く支給されるので使い捨て(爆弾やパイルバンカーを仕込むなど)も可能。更に開発が進めば、盾といわず装甲板として戦術機全体を覆うことや、近接戦闘用の長刀やトマホークにすることも可能というっ!

 もうっ、私は震えるしかなかった。理想と同時に実現可能な案をデザインし、しかもそれを確実に計画・実行・準備をしてくださったヤン閣下とその幕僚たちの有能さに! 
 そして、明日からは私がテストパイロットとなって、実際に使用した感想と調整役をしていくことになっているのだった。

 そんな風に感激し続けていた私だけど――

「……ふーん、本当に何を考えているのかしらねー」 

 なんか夕呼はあまり熱がこもってなかった。昼食の頃から、こんな様子だった。白けているというより、慎重になっているというか、彼らを疑っているような……。

「なによ、夕呼。ヤン閣下たちが嘘をつくとまだ思っているの?」

「……あんたねー、F-4ショックのこと知らないの?」

「もちろん知っているわよ。でも今回は逆に盾だけでしょ。きっといい意味でイゼルローンショックって言われるようになるわよ」

 F-4ショックとは、帝国軍がF-4戦術機の導入を決定し、米国から輸入することになった時の事件だった。正式に契約したのに納品が他国より後に回されて、結局74式長刀のみが送られてきたという屈辱的な話だ。その事件があったからこそ、日本は他力本願な調達ではなく、戦術機の自国生産を目指してきたのだ。

「あたしが言いたいのはねっ、あんまりイゼルローンの『好意』ってものに頼りすぎるのはどうかってことよ」

「……それは解るわよ。だからヤン閣下も言っていたじゃない。あくまで主役は地球の人々で、自分たちはその応援だって」

「それが民主主義の精神だっていうんでしょ? はっ、それもどーだかねー」

「ちょっと夕呼! さっきから貴女おかしいわよ、なんでそんな態度ばかり取るの?」

 確かに用意された大部屋に三人だけしかいないし、しかも遮音装置を使っている。だからといって、監視カメラもあるかもしれないし、ここでの発言が彼らの気を害するとも限らないのに。
 間にすわる社もオロオロと、交互に視線を向けていた。

「あたしが変? そのまんまお返しするわよ、まりも。あんた、さっきからあたしのこと、夕呼って呼び捨てにしてるわよ?」

 …………あっ。

「……大変申し訳ありません、香月副司令官」

「別にそれはいいわよ。ただねー……あんたもたった数日でずいぶん染まってきたわねーって」

 うっ。

「まあアンタの言うとおり、ヤン閣下の人柄や軍略についてはあたしも認めるわよ。イゼルローンが嘘もついていないっては明らかだし」
「…………(こくこくこく)」

 夕呼の発言に合わせるように、社も真剣に頷いていた。

「だけど、なんでここまで地球側に技術やら物資やらを融通してくれるか、話してないじゃない」

「言ってたじゃない、平和のためだって。ヤン閣下は真剣に本気で、後の世代の子たちのためを想って、色々考えてくださっていたのよ」

「まー、確かにねー。だいたい彼らも元の世界へ帰れるメドもたってないし、こっちに根付く可能性も考えておかないといけないみたいだから」

 元の世界に帰れない(かもしれない)。それは昼食後、ヤン閣下達から聞かされた衝撃の――というほどでもない?――真実だった。

 詳細は彼らも不明だけど、なんでも敵国がしかけた罠のようなモノが残ってて、ワープ事故で座標も決めないまま亜空間に突入し、あわや次元の狭間の漂流者になるところだったと。
 なぜこの世界にきたのかは未だ不明だそうだが、地図も羅針盤もない以上、ピンポイントで元の時間と世界に帰るのは不可能(もしくは研究に数十年以上かかる)だと。

「あたしが見ただけでも、男女比の歪さは顕著よねー。っていうか、それが地球を助ける狙いなんじゃない?」

「……まあ、それは、確かにあるかもしれないけど……」

 将兵250万近くがいる中で、たぶん女性兵の割合は1割、多くても2割はいっていない。この世界に長い期間滞在しなくてはならないのなら、そこも解消していかなければならないのだろう。

「今ならあんたもよりどりみどりよ。二、三十人みつくろって、地球にお持ち帰りしたら? あ、でもあんたの『狂犬伝説』はもう知れ渡っているみたいだし、数ヶ月でフられてきちゃうかしら~?」

 むぅっと頬をふくらませて、ぷいっと横を向く。

「お気遣いいただき、大変光栄であります、香月副司令殿。しかし小官は敵対異星生物を撃退するという使命があります故、そのようなことは戦後に考慮したいと愚考するところであります」

「あんた、ヤン閣下に惚れた?」

 机の上空に資料が乱舞した。

「の、ななななのなななっっ!? なにぃをおっしゃいってるのよーっ!」

「きゃあ、意外♪ まさか、アンタ、他人〈ひと〉の旦那に手を出すような趣味があったなんて」

「ゆーうーこぉーっ!!」

 ぱしんぱしん、ぱしぱしんと、合成樹脂の天板を叩きながら、顔を真っ赤にして必死に否定する。

「ほほほ、惚れたとか腫れたとかってそんなわけないでしょ! いえ仮にそうだとしても、それはあの人に対する敬愛というか尊敬というか感謝というかそういうものであってヤマシいところなんてこれっぽっちもなくて、だだだからつまり」

「社ー、いまのまりもの頭の中、何色ー?」

「……なんだかとっても桃色です」

 ぶちっ!

「こー、づき、ふく、しーれーいぃぃ!!(ギシギシギシ)」
「ぎゃぃいいいたいたいたい、馬鹿やめなさい、入っている締まってるいたいたいたいたい!!(アンアンアン)」
「………(見事なヘッドロックだと感心して見ている)」

 タップを何度かされて、少し冷静になった私は悪友を解放した。

「ぜー、ぜー……あ、あんた、この天才の脳細胞を何だと思ってんのよ、いま十億死んだわよ、十億。これで人類滅んだらどうすんのよ」

「はー、はー……いちど長期休暇でもとったほうがよろしいのでは? 頭をまともにしてくる意味で」

 互いに息を荒くして、一時休戦をした。
 社が持ってきてくれた水を互いに飲んで、ぼさぼさになった髪を整え直し、真剣に話を戻す。

「――イゼルローンが敵対する、とまでは言わないわ。でも気を許しすぎないで。あいつ、あんたが考えている以上に曲者よ?」

 夕呼もヤン閣下への敬称を止めていた。それはすなわち、これこそ夕呼の本心だということだろう。

 確かに、とは自分も思う。最初にイゼルローン要塞を見たとき、そのあまりの軍事的脅威さに、彼らと敵対する可能性を思ってしまっていた。だというのに、気づかない間に彼らに全幅の信頼をおくようになってきてしまっている。

 数日前には想像だに出来なかった場面にいるのに、どうしてこんなにも馴染んできてしまっているのか? 
 自分が夕呼ほどの責任ある立場にいないせいだろうか? もっと理性的に彼らを疑い、その中でもっと公人たる振る舞いをするべきなのだろうか? それが国連軍所属の兵としての在り方なのだろうか?

 ……でも。

「それでも……あの人達は、私の教え子たちを助けてくれたのよ」

 しんっと静寂が遮音空間の中にも満ちる。

 私がヤン閣下たちを信じる根底の理由はそれだった。きっとイゼルローンの兵達も同じ理由で彼を信じているのだろう。

 ヤン閣下は、勝ち続けてきたのだ。不敗と不死の信仰をいただかせるほどに。そして民衆と部下を決して見捨てることはなかった。だからこそ、異世界という漂流生活の中でも、イゼルローンの人たちは混乱や内乱などを起こさず、平穏であり統制のとれた生活を送れているのだろう。

――それに……。

 私はフレデリカとの会話を思い出す。彼女がヤン閣下の副官として初任官した時、シェーンコップ中将へ戦う理由を話したときのことを。


『今回あなたに課せられた使命は、どだい無理なものだった。それを承諾なさったのは、実行の技術面ではこの計画がおありだったからでしょう。――しかし、さらにその底にはなにがあったかを知りたいものです。名誉欲ですか、それとも出世欲ですか?』

『出世欲じゃない、と思うな。三十歳前で閣下呼ばわりされれば、もう充分だ。第一、この作戦が終わって生きていたら私は退役するつもりだから』

『……この情勢下で退役するとおっしゃる?』

『それ、その情勢というやつさ。今回の作戦がうまくいけば、帝国軍は侵攻のほとんど唯一のルートを断たれる。そこでこれは政府の外交手腕しだいだが、軍事的に有利な地歩を占めたところで、和平条約を結べるかもしれない。そうなれば、私としては安心して退役できるわけさ』

『しかし、その平和が恒久的なものになりえますかな?』

『恒久平和なんて人類の歴史上無かった。だから私はそんなもの望みはしない。だが何十年かの平和で豊かな時代は存在できたんだ。要するに私の希望はたかだかこのさき何十年かの平和なんだ。だがそれでも、その十分の一の期間の戦乱に勝ること幾万倍だと思う』

 淡々として、しかし確固たる想いでヤン閣下は語ったと。

『私の家に十四歳の男の子がいるが、その子が戦場に引き出されるのを見たくない。そういうことなんだ』


 ……ヤン閣下のそのときの想いはきっと、数年経った今でも変わってはいないのだろう。私もまた、ヤン閣下のその理想に同調したい。だからこそ、私も彼らを信じたいんだ。

「………やっぱり、早い内がいいか」

「夕呼?」

 何か折れたように夕呼は髪に手を当て、ぽつりと呟いた。

「何でもないわ。それより議長たちにまた呼ばれているんでしょ? そろそろ時間じゃない」

 部屋に設置されたイゼルローン時間の時計を見ると、確かにそろそろ出た方が夕食の支度を手伝えそうだ。

「夕呼は行かなくていいの?」

「じょーだん。何が悲しくて女たちだけでお泊まり会なんてしなくちゃいけないのよ。これでもあたし忙しいの」

 これも夕呼にしては変だ。イゼルローンの議長まで来てくださるのだから、政治的にいろいろ交渉して詰めていきそうなものだけど。今日はまだ四日目だから、丸々あと二日の滞在時間あるから?
 まあ夕呼には、イゼルローン技術をどう地球に活かしていくかの研究をしないといけないだろうから、夜くらいは一人になりたいのだろうけど。

「ほらほら、早く行きなさい。社もあたしの手伝いはいいから、まりもの面倒をしっかり見ときなさい」

 むぅ、普通は逆の立場なのに。……昨日の大失態があるから否定できない立場だものね。悔しい。

「……あたしがいなくても、しっかりやんなさいよ。まりも」

 部屋から出る直前、夕呼は指で銃をつくってこちらに向けた。なぜかその姿が、高校時代別れたときの彼女の姿にだぶって見えた。


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 やっぱり夕呼のことが気になった。

「ごめんなさい、クロイツェル伍長。楽しんでいる最中だったのに、同行してもらって」

「いえ構いません」

 案内役(兼、見張り役?)としてカーテローゼ・フォン・クロイツェル伍長に同行してもらっていた。彼女は数少ない若手の女性士官として、フレデリカ議長の護衛を務めているらしい。それ以外にも何か色々と事情があるのか、今日の女性だけのパジャマパーティーにも招かれていた。

 ちなみに、社とクロイツェル伍長はすでに顔を合わせていたらしいが、あまり仲が良くないようにも見えた(ミンツ中尉の話題が出ると揉める様子だった?)。

 そうして自分、社、議長、キャゼルヌ夫人と娘二人、更に伍長の七人は文化交流という名目で集まり、自分が八個お手玉を見せたり、フレデリカ議長が四枚神経衰弱をノーミスでクリアしたり、社とクロイツェル伍長とがホースマニアというゲームで勝負したりと、大変盛り上がっていた。

 しかし夜分になりキャゼルヌ夫人の娘たちも眠った頃、どうも胸がざわつき、夕呼の顔を見たくなった。そうしてクロイツェル伍長を伴って部屋まで戻ったのだが、そこには夕呼の姿は無かった。

「確認を取りましょう、ちょっと待ってて下さい」

 伍長は通訳用のヘッドホンに手を当て、通話へ切り替えていた。なるほど、あれには様々な機能を入れているということか。
 しかしなかなか捕まらなかったようで、あちらこちらへ連絡を入れても発見できずにいた。

「…………ああ、あいつには繋げたくなかったのに」
 
 苦虫で出来たパイを口に放り込むような表情で、伍長は曲がり角の死角へと消えていった。どうやら会話している相手の声も内容も聞かせたくない様子だ。いったい相手は誰だろうか。

――でも夕呼、どこ行ったのかしら。

 イゼルローン時間での深夜、一人で出歩くなんて。機密を盗みに行くとかそういう無謀なことはしないだろうし、もしかしたらヤン閣下のところで話をしているのかもしれない。まったく根拠の無い考えだけれども、そんな風にふと思った。

 そうして人気の無い通路でしばらく佇んでいると。

「ウェンリーを探しているの?」

 十メートルほど向こうに、小柄な少女がいた。年の頃は社やクロイツェル伍長と同じくらいだろうか? 猫耳を模したフードとフリルのついたワンピースを着て、銀色の長い髪をフードの隙間から垂らしていた。社が黒ウサギならこの少女は白猫といったところだろう。
 イゼルローン軍の制服を着ていないところから民間人なのだろうか。胸に抱いているクマのぬいぐるみがまた可愛らしさを出している。

「ミーシャ」

「?」

「この子の名前はミーシャだよ」

 天真爛漫な笑顔にふと自分も頬がゆるむ。彼女と視線を同じ高さにして「そっかいい名前ね」と返すと、嬉しそうに笑ってくれた。

「ところで、ウェンリーってもしかして、ヤン閣下のこと?」

「うんっ! ウェンリーはねっ、いま公園のフロアにいるよ。なんか難しいお話しているみたい」

 お話。こんな夜分に公園で内密な話とは、やはり夕呼もそこに……?

「ありがとうね。……そういえば、あなたはヤン閣下の娘さんなの?」

 議長もミンツ中尉も彼のことをファーストネームで呼ぶことはなかった。呼び捨てにしているし、もしかしたら二番目の養い子なのかも。

 そう思ったのだけど、どうも違ったらしい。キョトンとした表情を浮かべていた。
 でもそれも数秒。すぐにまた笑顔を戻して、うんっと元気に頷いた。

「そうだよっ! イゼルローンはみんなの家で、わたし達はみーんな家族なんだって。オリビエもユリアンもそういっているよ。わたし達はヤン・ファミリーなんだよ!」

「そっか……うん、よかった」

 ぴょんぴょんと跳ねるように喜んでいるこの子を見ていると、どうも嬉しくなった。

「ウェンリーはねっ、すっごく不思議な色をしているの。夜の空みたいに広くて大きくて、でも、とーってもふわふわーキラキラーしてて、キレイなんだよ!」

「うん……そうね、不思議な人よね」

「でもね、ウェンリーはね、今はまだ、あの子に会っちゃダメっていってたの。だからまだ会えないの。あの女には会わない方がいいって。だから会いたくないの」

「???」

 どうにもこの子が言うことは象徴的で、つかみ所がない。

「だけど、あなたはキレイな色だから。みんなと同じ、わたしと同じ、ウェンリーのことが好きだから」

 顔にちょっと熱が籠もってしまう。さっき夕呼にさんざんからかわれたせいもあって、ちょっと意識しちゃう。でも無邪気で悪意の無い子からの発言なので、軽くかわせた。

「あ。呼んでるから、わたし帰るね。えーと、またね、マリモ」

「うん、ありがとう。またね、よい子はもう寝る時間よ? 子どもには夢を見る時間が必要なんだから」

「はーい♪」

 大きく手を振った後、とてててててっと軽い歩調で通路の向こう側に消えていった。

 それにしても不思議な雰囲気の子だった。名前を聞きそびれてしまったけど、あちらは自分のことを知っている様子だ。まあそれも当然だろう、こちらが地球から来ている情報は知れているだろうし。

 あの白猫の子と話していたのも二~三分ほどだったろう、クロイツェル伍長も戻ってきた。合成青汁特盛りを一気に飲み干したような顔で?

「………繋がりました、もうすぐ部屋に戻ってくるとのことです」

 あれ? あの子は別フロアの公園にいると言っていたのだけれども……タイムラグが微妙に噛み合わない気が?

「申し訳ありませんが、軍曹。自分はフレデリカ議長の護衛の本任務がありますので、これで」

 敬礼をした伍長は走ると歩くの中間の早さで立ち去っていってしまう。一人残された私は、そのままドアの前でしばらく待つことになった。


 一人、誰もいない長い廊下で立っていると、この四日間のことがあっという間に脳裏を過ぎ去っていく。

 いきなり夕呼に特務として護衛の任務で呼ばれたこと。イゼルローンへと地球人類初の特使となったこと。ヤン閣下とフレデリカ議長と出会ったこと。色んな軍人たちに出会い、技術を学び、そしてたくさんの思い出と収穫ができたこと。

 自分がBETA戦後も生きていたとしたら、西暦2000年という年のことを黄金時代ときっと振り返るだろう。そう思えるくらい、イゼルローンの人々はとても素晴らしい人々だった。願わくば――自分も含め、このイゼルローンの人々が誰一人欠けることなく、一緒に思い出話が出来るように――。

「ああ……ダメね。気を引き締めないと」

 まだ滞在も二日もあるというのに、ついつい現役の軍人らしくない気持ちになっちゃう。こんな緩み具合じゃ、基地に帰った後、教え子たちに笑われてしまうんだからっ。




























      ※     ※     ※


 で。

「さて、神宮司軍曹。香月副司令が語っていただいた件について、克明な詳細を報告していただきたいものですが」

 それから、二日間、まあ色々とまた収穫もあり、再び横浜基地に帰ってきた私だけど。

「そう……滞在先で任務中に男性と同衾したとの事ですが、真偽はどういったことで?」

 元&現教え子(女子限定)一個大隊に包囲陣をしかれて逃げ場無く、階級という壁に囲まれてしまっていた。

 椅子に腰掛けて対面しているのはヴァルキリー小隊に配属されている伊隅中尉、他二名。圧迫面接さながらのこの事態。昼時をやや過ぎたということで、他の軍人たちも席を譲っている。……あるいは耳をそばだてているかもしれない。なんだかんだで、この子らは横浜基地では有名な秘密任務部隊なのだから。

――困ったわね……。

 軍人といえども男女が部隊混合であれば、そーいう浮いた話もぽつぽつあるものだが、あいにく自分には未だかつてその片鱗もなかった。
 教導中の上官としてなら叱咤して散らせるのも容易いのだけど、あいにく教え子たちは階級も上。しかも最上級の上官かつ、この騒動の火付け役が夕呼なのだから物理的に止めるのは不可能だった。

「それでそれでっ! 神宮司軍曹、ほんとうのところ、どうなんですかっ!?」

 髪を後ろで束ねた、つい半年前に任官したばかりの速瀬少尉が待ちきれないとばかりに飛び出してきた。隣の涼宮少尉がたしなめていたが、そっちも好奇の光を隠しきれていない。まあ、この二人は同期の男性とのことをまだ――どうやら男側が回答を曖昧にしているせいで――解決していないようなので、一層気になるのだろう。

 ……実のところ、「任務に関することには、一切答える権限はありません」と返せばすぐに散るのだけれども。この子たちだって軍人だ。触れてはならないと知れば探ろうとはしない。…………けど。

『  言葉では伝わらないことは確かにある。でもそれは、言葉を使い尽くした人だけが言えることだと思うんだ  』

 ……どうも私、イゼルローン空間の空気が抜けていないようだ。あの人たちとの時間を思い返すと、それだけでいいのかなっていう気持ちになってしまう。

 この子達には『兵士』として生きる術を伝えてきた。だけど『人間』としての経験を伝え、何かを教えられる機会があるのならば、それもしていくべきじゃないかと今は思ってしまう。

 すぅっと一呼吸置いて、慎重に言葉を紡ぐ。

「……性交渉は一切しておりません」

 どよっ……と周囲の壁が揺れた。たぶん何も答えないであろうと予測していたのだろう。しかし弁明の一言だけで終わるかといったらそうでもなかった。

「……ただ。あの人はなんというか……大きな樹みたいな人なの」

 イゼルローンに関する一切は当然話せない。だから曖昧な言い方でぼかす。

「一見すると何の役にも立たなくて、実も成さなくて。季節が変わっても、いつもぼんやり立っているだけのような人で。でも十年前も十年後も、どれだけ人や社会が変わっても。そこにいけば、彼だけは変わらず、同じように接してくれるような、広い安心感があって」

 目をつむりながら、そっと自分の手を握る。

「気負いも気取りもないのに、いつのまにか周囲に人が集まってて。その大きな傘の下でみんなが自然体で過ごせるような、そんな……暖かくて不思議な人で」

 いつもベンチでうとうと眠っているような、駆け出しの軍人さんの姿が目に浮かんだ。
 
「だから何年、ううん何十年離れても、きっと淋しさを感じない。そこにいけばきっと、あの時のあの人と自分にまた出会えるから……」

 語り終えた後の、しんっとした静寂。だけどそれもほんのひとときだった。

『きゃあああああぁぁぁぁ~~~~~っ!!』 

 黄色い声が周囲の壁からBETA来襲のごとく上がった。

「あ、あ、あんですと~っ!? 軍曹が、鬼の軍曹が、花も恥じらう乙女になったですとーーっ!?」
「まことかーっ!? こ、これが大人の女性の恋愛というものなのですかーっ!」
「誰だ出てきなさい、いったいどこの魔術師よーっ! なにをどうしたら一週間でこうなるのーっ!?」
「み、な、ぎ、ってきたぁぁぁーっ! 今のあたしならオリジナルハイヴを単独で落としてみせるっ!」
「いいなーいいなぁーっ! もー、そういう包容力がある男に会いたいぃぃっ!」
「なによその、君が望む永遠な男ーっ! ちょっと孝之ーっ、あんた、そいつ見習ってきなさいー!!」
「……何年たっても変わらない、忘れない…………いいなぁ」
「……そうか、だから、うん、言うことで関係が変わってしまうのが怖いのね、私……」

 雄々しいばかりの若さが溢れ、興奮で収拾がつかなくなった。しまった、口調もつい軍隊調のものでなく、素が出てしまった。

――ああ、やっぱりシャキっとしないと、私。

 もうじき彼らが本格的に地球にやってくるのだから。それまで私もしっかりしてないと。

 そう、イゼルローンの人たちはきっと世界を変える。それはきっと技術や軍事や文明といったものだけじゃない。もっと大事で、私たちが忘れて置いてかざるを得なかったものを再び喚起してくれる。

 夕呼が不敵さを更に取り戻したように。社が大きく変わったように。私も昔の理想を思い出せたように。きっと、世界は変わっていく。 

 陽光が新雪を照らす。希望はきっとある。きっとその先にある未来に向かって、私はまた歩んでいこう。

『そーかいっ! 夕呼ちゃんにも、ついにいい男が見つかったんだねっ!!』

 ………………、…………、さて。

――さしあたっては、副司令に詳しい話でも聞きにいくことから始めていこうかしら。

 腕と肩をぐるぐる回しながら、私は元クラスメートのところに向かうのだった。



[40213] 10
Name: D4C◆e51439de ID:86d37b30
Date: 2015/07/12 11:35

 帝都某所。二月に入り、雪も本格的に降り積もった、逢魔が刻。白銀の世界に染まり沈黙を守る闇の地、そこにある誰もが知られざる一室。あらゆる組織・機関・人員からのマークを逃れ得るために、鎧衣左近が丹念に造りあげた――それも一回限りの使用のための会談室。

 その階の一室に、今、三人の男女がいた。

 一人は情報省所属、鎧衣左近。トレードマークというべき帽子を外し、目の前の画面に向かって、敬意を見せるべく深く頭を下げる。
 一人は護衛としてこの場への参加を許された月詠真耶〈まや〉。剣呑たる目をその眼鏡に隠したその女性は、壁と背筋とを平行にし、二人のそばに立っている。

 そして最後の女性―――煌武院悠陽。純白の和服と帯に身を包んだ彼女は、「彼ら」に向かって最初の返答をした。


「――斯かる申し出、謹んでお断り致します」


 その意外な返事に、超光速通信の画面の向こう、光年単位離れた銀河にいる元帥――ヤン・ウェンリーはぽりぽりと頬をかいていた。


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     第11章 「聖者の交信」

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「これは、いやはや。いえ、これは殿下がとんだご無礼を。議長、元帥閣下、どうかご寛恕、御気を悪くせずに、はははは」

『はぁ……いえ、私は別に』

「ふむふむ、どうやら夜分にこの鎧衣めが寝所にて無粋に起こしてしまったのが殿下のご癇癪の原因のご様子。さすれば会議の続きはこのわたくしが責任を持ちお聞きいたしますので、ご心配なきよう」

 大仰に手を振り、会話の主導権を握った男の後ろ姿に、月詠真耶を無言の罵倒をかます。

――この痴れ者がっ!

 殿下の後ろに立ち、瞑目している――否、もし瞠目してしまえば、視線だけで抜け抜けと殿下を貶めた男を殺してしまいそうになるから――真耶は必死に息を殺し、その歴史的会談の行く末を見守る。

――殿下をここでも“お人形”とする気か、こいつらは……!?

 背景も前後も全く知らない者がこの場を見れば、さしずめ時代劇の一幕にでも見えるか? 世間知らずで不機嫌になってしまい口を閉ざした姫様と、その姫様と外交相手の間を必死に取り持って苦慮する爺やだと。

 なるほど、滑稽だ、ああ滑稽だ。そんな“狂言”を黙って見て聞いて、ただただ許すしかない、この身がだっ! 今すぐ違うといってやりたいのにっ!

――だが、私が動くことを、殿下は決して許されない……!

 いまだ齢十八といえど、聡明なる自分の主君は全てを呑み込んで、この場に臨んでいるのだ。

 道化を演じることを。そして道化ゆえに、成功しても何も得られず、万が一の時は“観客”のご不興を被って退場することも。それら万難への覚悟を背負って、この場に望んだのだから。

――だからこそ、殿下は先の提案をお断りされた。

 先ほど聞かされたイゼルローンの最高司令官と最高議長からの「提案」――なるほど、確かに鎧衣が告げていたように、これは最高最悪の劇薬だった。弱りきった帝国には決して飲みきれない、しかし飲まなければ外科手術しかない状況で差し出された効能不明の新薬。

 それは唯一つの要求。
 日本帝国への、向こう十年間のイゼルローン軍の駐留許可だった。


       ※       ※       ※


 なるほど、イゼルローンの民が未来の地球人類であると。それは吉〈よし〉としよう。疑問と質問は山ほど積もるが、異星の住人との交流が不可能でないのは実にいい。
 なるほど、イゼルローンの技術・知識を無償で与えてくれると。それも吉としよう。何を要求されるか不安なこと海よりも深くあるが、BETAを追い払える力が確実に手に入るのだから、とてもいい。

 なるほど、そしてイゼルローン軍の地球駐留拠点として、我が日本帝国を選んでくれたと―――それが却下〈だめ〉だ。

 それは危険すぎるのだ。ああ、だめだ。武家で衛士たるこの身でも、そのコインの裏表の意味が分かってしまう。

――今の帝国に……いや、殿下には、その片方をすら支えきれる御力が無い……。

 本音を言えばこの上なく有り難いのだ。全世界が喉から手を出すほどの望外の提案を、向こうが申し出てくれたのだ。しかも帝国にいまだ突きつけられている、佐渡島ハイヴという剣を一番に抜いてくれるといっている。これをどうして逃す手があろうか。

 更なるメリットがある。それは言うなれば外交利権だ。彼らが伝えようとしてくれている技術・知識への独占はできない(全世界各国に平等に伝える予定らしいので)。しかし彼らが地球に長期滞在するための土地は限られてくる。そこに起こるのは間違いなく利権の嵐だ。

 莫大なる富の源泉、宇宙最強たる軍の安全保障、国内・国際社会における立場の躍進。財力・軍事力・権力の最上級の三暴力装置が、その土地へと集約されてしまう。それが、不味いのだ。

――このお方はあまりに清廉すぎる……。

 そんな溢れ出る血の源泉に群がるであろう鯱や鮫の悪鬼羅刹共を、頑として殿下が退けることができるか? 無論、斯衛たるこの身は殿下に盾となるべきもの。だが……だが、世界全ての悪意から守れるとは言い切れない。
 
 絶大なる利権に群がる裏世界の住人たちの手練手管。それはこの身の想像を絶するほどの毒の塊。それはBETA以上に苛烈で怒濤で、狡猾で残忍冷酷な形で帝国を覆うだろう。

 そのように事が起こった時、イゼルローンは殿下や帝国を擁護してくれるか? 否だ。ビジネスパートナーとして相応しくないと見限り、他国と結びつきを持ち、帝国との安全保障を打ち切るに違いない。力無き者にどうしてその身を預けられようというのか。
 
 そう……若き殿下と弱り切った帝国単独では、その莫大なメリットを支えることができないのだ。

――なにより、この者達を信じられないのだから。

 それが、メリットを遙かに上回るデメリットだった。

 他国の軍を――正体が遙か未来の人類の?――地球を百度滅ぼせる強力すぎる軍団を?――自国に誘致する。それが我が国の自治にいかなる影響を与えるか、火を見るより明らかではないか。銃後の後ろにいる者が、信の全く置けぬ他者だというのだ。

――平和のために? 莫迦な、それだけのはずがあるものか。

 すでに鎧衣から話を聞いていた。彼らは望んでこの世界にきたわけでもなく、しかも既に亡国となった国の敗残軍団だという。そんな落ち武者の集団は、手頃な獲物として疲弊した日本帝国を選んだのだろう。でなければ、後方の安全な大国でなく、どうして我が国を選ぶ?

 先ほどから鎧衣とその理由について答えているようだが、イゼルローン側のメリットは全く聞こえない。聞こえるのは、その『Z作戦』が成功した際の地球側の戦略的利益と、その予想される成功率、そして失敗した場合の被害の少なさだけだ。商品を売りつけるのが下手糞すぎる。

――その作戦が成功する大前提は、我が国が全面的にイゼルローンを信じられるか否かでないか。

 そして、その作戦の可否を信じられない理由がもう一つ。“前例”が全く無いことだ。

 軍隊の行動の基本原則は、戦闘行動を前例に沿わせることにある。素人が聞いたら異論が多々出るだろうが、思いつきの行動をして多くの生命を巻き込むわけにはいかないのだ。新戦術は思いつきで行うのでなく、幾度も幾度も小さな実戦で試しながら修正し、そして大戦でようやく行うものなのだ。

――所詮、力押ししか出来ない軍隊か……?

 新米衛士たちが「死の八分」の壁を乗り越えられるようになってきたのは、多くの先任たちの死から学び取り、それを乗り越えることを目指してきたからこそなのだ。その犠牲をイゼルローンの軍隊は何も分かっていない。

――……だが。……それでも。

 分かっている。……だがもう、我らは、それでも彼らを頼るしかないのだと……。

 無論、イゼルローンの力は認める。認めざるを得ない。その軍事力も科学力も、質も量も圧倒的に地球を上回っていることを。彼らが本気になれば、如何に砲撃級BETAを擁するオリジナルハイヴといえども、一日足らずで落とすことが十分可能なのだと。

 だがこの『Z作戦』においてイゼルローン側から出す宇宙戦艦は極少数、それも作戦に必要というより、あくまで最悪の場合の保険だと。主役は我ら帝国(と駐留している国連軍)だと言っている。

――我らを最前線の捨て石とする気なのか……!?

 それを責めるつもりはない。責められる道理もない。同じ人類といっているが、違う星の、違う刻の、違う世界の民に、どうしてBETAとの戦いに加わってくれと言えるのか。どうして、命の危機にもなく、遙か銀河の人工惑星で安穏と暮らせている彼らを、どうして無関係な国の存亡に巻き込めるのか。

――だが……だがっ! これはあんまりではないかっ! 

 助けてくれといいたい! 恥も外見も無く、裸で土下座してもいいっ! この身を捨ててもいい、奴隷としてもどんな扱いをしてもいいっ! だからっ、私のこの大切な国と民をっ! 何より大切な御方を……どうか、どうか助けてくださいっ! そう縋りたい!

 だが……出来ぬのだっ! それが出来ないからこそ、殿下はあのような発言をなさったっ!

――殿下はそれでも矜持を貫かれようとされているというのにっ!

 皇帝より賜った、国務全権代行者としての務めを、このお方は必死に守ろうとしている。

 後生の人間よ、現世の人間よ、嗤いたくば嗤え! 罵りたければ罵れ! 呪いたければ呪え! ただ頭を下げれば万事解決し、万人の生命と生活を守れるというのに、頑なにその在り様を守ろうといるこのお方をっ! 私がその声をどれほどでも聞いてやるっ!

――このお方は、今、この場で腹を切る覚悟でいらっしゃるのだっ!

 そうだ、イゼルローンからの申し出はもはや断れるものではない。この会談は、もはや我が帝国一国の範疇ではないのだ。地球全土の存亡をかけた交渉の場なのだ。

 それを殿下は断固として断った。なぜ? それはイゼルローンへの疑惑をこの場で晴らすため、彼らの本当の狙いが何かを知るため。そのために、「私はあなた方を信用していません」と初手から伝え、彼らの本心を暴こうとしているのだ。

 これは政治の場では下策中の下策。モノも分からない小娘だと、軽く笑って流されるだけだ。だがそれは無い。何故ならば殿下はこの会談中、この態度を貫かれるのだから。

 そうなれば当然、相手は甚だしく気を害する。なぜこの星を救いにきたのに、そんな態度でいるのかと。怒りの余り、席を立って二度と交信しないかもしれない。

 だが、それを絶妙のバランスで引き留める役が鎧衣なのだ。こちらも困っているという態度を出しながらも、会談を続け進め、成功への舵取りをしている。

 そしてイゼルローン側が激昂して押さえられなくなり、すべて失敗した時―――殿下はその腹を切り一命を以て、己の過ちを謝するつもりなのだ。

――なぜ……殿下だけがこのような無体をせねば……!

 分かる。分かってしまう。この方の覚悟を。

 無論、殿下とてイゼルローンがそんな行為一つで怒りを鎮めるとは想っていない。むしろこの国の文化も覚悟も知らない彼らからすれば、何を自害しているのかとあざ笑うだけだとも。

 こちらがわざわざ遠くの星を救ってやろうというのに、勝手に不機嫌になり、勝手に言いたいだけ言って、勝手に死んだ小娘が一人……そう嗤うだろう。この国の民も兵も共感しなかったとしても………それでいい。

 だが、誰かが言わなければならない。誰かが訊かなければならない。誰かが問わなければならない。いったいイゼルローンは、なぜ地球人類を助けてくれるのかと。

――そうでなければ、彼らがBETA以上に我らを迫害しかねないのだから……。

 コワいのだ、私たちは。ほんとうは不安なのだ、みんなが。イゼルローンが何を考えているのか。彼らの圧倒的な力が。真意が分からないことが。

 そんな不安を抱えて、いつ来るのかと怯え、待ち焦がれ、それでも………人間としての尊厳を全て捧げていいから、助けて下さいと求めてしまっている。私もそうだ、このお方だけでも、どうか……どうか助けてくださいと願ってしまっている

――殿下は、それでも一人の人間としての尊厳を貫こうとしている。

 飢えと寒さに苦しみながらも、生命の危機に晒されながらも、圧倒的な力を持った相手を前にしながらも、己の命を賭け金としながらも。それでも、このお方は地球人類の疑問を代弁しようとなさっているのだ。

 どうかお答えください、貴方たちの真意はどこにありますかと―――。


       ※       ※       ※


 だが、月詠真耶が行き着いていた答えよりも更に奥に、隣の部屋にいた『月詠真那〈まな〉』は至っていた。

――この下衆がっ!!

 今にも隣の部屋に飛び込み、抜け抜けと殿下と“このお方”を陥れた男を殺してしまいそうになる中、必死に己の気配を殺し、その歴史的会談の行く末を見守る。

――冥夜様をここで“影”としての役割を果たさせる気か、こいつは……!?

 目の前に鎮座する自らの主を見る。彼女――御剣冥夜は眉一つ動かさず、ただ正座して隣の部屋で行われている会話を決して逃さないよう、目を閉じている。

――冥夜様……貴方はそれでよろしいのですかっ!?

 先ほど、一度だけ動こうとした時、その視線だけで制された。鋭く、しかし有無をいわさぬ眼で「黙れ」と無言で告げられていた。

 自分の主もまた、解っていたのだ。なぜこの場に鎧衣左近が内密に呼んだのかを。

――万が一の時には、影として腹を切らせるつもりなのに……!

 最初から“保険”をかけていたのだ、あの男はっ! 殿下の覚悟をあざ笑うかのように、いざ事が為される時には冥夜様にその任を負わせる。そして何も知らぬ――もし知っていたら、なぜあのような凛とした態度でいられるのか――殿下を生き永えさせるのだ! 死者として、“妹”を身代わりにした者としてっ!

 噛んだ唇から血が滴った。

――利用価値があるのだから、ただ屍となって生きろというのかっ!

 おそらく、本当に殿下が腹を切る事態になった時、奴はその事実を帝国内外に「将軍殿下はイゼルローンの信を得るためにその命を賭した」とでも知らせ回るに違いない。だがそうした時、摂家は五つでなく四つになる。それによって生じる混乱の布石のため、念のために生かして取っておく気なのだろう。或いは後々のイゼルローンへの布石なのか、それは解らない。

 分かるのは唯一つ。これから先、必要なのは生きた煌武院悠陽であり、不必要なのは死んだ御剣冥夜なのだと――。

――なぜ……なぜこのお方達はこんな運命に翻弄されなければいけないのだ! これが摂家に生まれた者の宿命なのかっ!?

 生まれて数日でその仲を裂かれ、お互いに出会うことさえ許されず、扉越しとはいえこんな近くに寄れたというのに。

 片や妹がこれほどそばにいることを知らず、ただ己の身を賭して交渉に臨み。
 片や姉があれほど義務を果たす姿を知り、ただ身代わりとなって命を散らそうとしている。

 妹がこれほど姉君を想い遣っているというのに、姉がそれを知る時は、もう二度と出会えないその瞬間だけ―――。

――そして……私に、冥夜様の首を、斬れと……!

 震える二の腕を掴み、必死に衝動を抑える。

 そうだ。だからあの男は冥夜様だけでなく、私までこの場に呼んだのだ。全てを知り、そして呑み込み、そして死ね、そして殺せと。一切を何も言わず、知らせず、ただ悟り、そして覚悟しろと。

 今、お前達の行動は、帝国臣民だけでなく、全地球人類の命運を左右するのだと。だから黙っていろと。それらを何も知らせず、ただこの部屋でひたすら待てと命じたのだ。

――いいだろう……だが解っているだろうな、鎧衣…………。

 すーっと熱が引いていき、濡れた白刃のごとき殺意が内面に凝縮されていく。

――“そう”なった時、返す刀を以て、貴様もそして私も黄泉路へいくのだと。


       ※       ※       ※


 そんな殺意二つを自身の背後と脇に浴びながら、尚、鎧衣左近はひょうひょうとした態度を崩さなかった。

――さてさて、これは上手くいったとしても、八つ裂き程度、いやいや二人がかりだから十六分割で済むかな?

 すでに彼女ら従姉妹、いや姉妹? そうそう姉妹のような従姉妹だったな、彼女らは。
 さて、そんな彼女らの殺すリストの最上段に認定されていたようだ、いやいや参った。

――あまり、私ばかりを責めないでいただきたいものなのだがね。

 実のところ、そこの従姉妹が至った考察は決して間違ってはない。ただ、まあ、そこに至るまでの、なぜ自分がこんな一手を打ったのかということに関しては抜けているのだろう。

 そもそも。自分は“情報省”所属だ。こういった交渉役をするのは、管轄が激しく異なっている。

 確かに博士より一番にイゼルローンの情報を聞き取った――いや買い取っただな――さて参った、今後半世紀は彼女の下働き奴隷家畜のごとき扱いになってしまったのだが。それはまあ後で考えよう。

 こういった外国、いや外星か? とにかくイゼルローンとの交渉はむしろもっと厳選した立場の者を揃え、公式の場を整えた上で臨むべきだろう。実際、イゼルローン側からは将軍殿下と話をしたいとしか要求が無く、日時や場所や人員はこちらに任せるとのお話だった。

 しかし、だった。

『  あと、そうねー。交渉を“本当の意味で”成功させたいんだったら、あのお姫様一人の方がいいわよ  』

 と、横浜の魔女殿から実にありがたいご忠言をいただけたのが、そもそもの発端だった。
 なぜと問いただし、そこからまた答えを聞くための苦労と交渉と代価ときたら……まあ、それは後日。

『  イゼルローン、というよりヤンね。あいつの情報に関しては包み隠さず伝えて、あとは殿下に直接いろいろ訊かせてみたらいいんじゃない?  』

 適当すぎる言いぐさに、それはまた大胆なご意見で、と更に話を聞いて……。

『  しつこいわね。とにかく、変に入れ知恵させたら逆効果よ。あいつはそーいうのがキライだから。  』

 おやおや、ずいぶんと最高司令官殿とご親密になったことで……といったら銃を取り出されたので、さすがに取り下げた。

『  ……それがどれほど未熟なものでも、それがそいつ自身が考え出して吐いた言葉なら、あいつはいつも真剣であたたかに返してくるからよ。  』

 じゃっ、後は勝手にすればと、重厚なイスを反対に回転させてその顔を隠されてしまった。おやと思ったが、もしここで迂闊に発言をしたら後ろ向きのまま弾丸を飛ばしてくる予感がしたので、そこで完全に引き上げたのだった。

――博士にご同席いただけたら一番だったのだがな。

 実はそれを言い出したかったのだが、残念。先日から他国の暗謀が横浜を張り込んでいたのだった。右を向いたらスパイ、左を向いたら工作員、上を見たら指令書といった具合に、極めて大量に。

――他の国にもイゼルローンからの連絡が行っていたのが効いたか。

 博士には黙っていたのだが、ここ数ヶ月、他国の動向で不審な動きが何度かあった。自分もそれを探ろうと動いていたのだが、妙なことに、ある期間までは情報封鎖が激しく、それを過ぎるとセキュリティが甘く―――というより、関係者一同がっかりした空気のような状態になっていた。

 そんなことが各国に何度か起こった後の、今回の魔女殿の行方不明期間が七日。当然、各国は詳細を知ろうと、あの手この手で横浜に潜り、事実を知るであろう人物に張り付こうとしていた。

 そのため香月氏にはもちろんのこと、神宮寺まりもと社霞にもセキュリティの高い場所にしばらく籠もってもらっていたのだった。

――しかし、さてさて、上手くいってもしばらく身を隠さねば不味いな、これは。

 そんな状況の中で。鎧衣が行ったのは、組織の中において決してやってはならない、報告連絡相談なしの独断専行決定だった。

 実は鎧衣もまた、関係諸機関に消されるとの覚悟の上でこの場にいたのだった。

――こうしなければ、佐渡はおそらく間に合わないのだからな。

 夕呼から情報を聞き出したのが理由と、それともう一つ。佐渡島のハイヴがそろそろ膨張限界間近であったのが、鎧衣が単独で動いた理由だった。
 つい先日、ソ連領ヤクート自治領に押し寄せたBETAが新たなハイヴを建設するかもしれないとの情報が入ったのだ。

 イゼルローンが稼いでくれた間引きのリミットも限界にきている。この数ヶ月間で佐渡島が貯めこんだBETAの量は……推定量だけでも考えたくないところだ。散発的に出てくれれば間引きも可能なのだが、もしこの量が一斉に出てきたら本土上陸の比ではない被害が予想(実のところ、ほぼ確定)されている。

 さて。そんなところにイゼルローンからの有り難いお誘いがあったと知ったら、軍部の高官やら、財閥の重鎮やら、省庁の閣僚やら、裏の権力者やらはどのような行動に出るか? 会議会議罵倒会議暗躍、時間切れ、助けて下さいイゼルローンのどんな条件でも飲みます、だろうな。

――イゼルローン側もそこを突いてきた、というわけかな?

 もう少し時間的猶予があれば、あの手この手を使えたのだが、さすがに無理だ。なればこそ、一か八か、伸るか反るか、乾坤一擲、殿下に全てお任せしてしまおうという作戦に出たわけだ。

――まあ、最悪。拝んで祈り倒して、戦艦でハイヴ丸ごと潰していただけないか、お伺いするしかないだろう。

 それによってもたらされる政治的危機はさておき、国民の生命と生活は守る。
 殿下たちはおそらくその考えには賛同しかねると仰られるだろうが、それはさて置かせていただく。いただかねばならない。

――では、さてさて、このお方は博士の言った通りなのだろうか?

 そして、あの博士は最後にこんな宿題を残していった。

『  あんた、いろんな人間を見てきたんでしょ? じゃあ見定めてみなさい、ヤンという男を。あのバケモノを  』

 軍人にして軍人にあらず、政治家にして政治家にあらず、歴史家にして歴史家にあらず、凡人にして凡人にあらず、予言者にして予言者にあらず。いかなる衣も彼の身の丈に合わすことができなかったと。そんな彼はいったい何者か。見定めてみろと。あの魔女殿は仰った。

 そう、鎧衣左近の目的もまた、ヤン・ウェンリーの正体を暴くことにあったのだった。


       ※       ※       ※


『―――といった概要なのですが、よろしかったでしょうか?』

「いやいやいや、これは参りましたな。いえ大変けっこうでございます、閣下と議長のご深謀ご配慮、この鎧衣たいへん感服いたしました」

 説明を全て終えた画面に向かって、恭しく礼儀正しく頭を下げる鎧衣だったが、傍らにいる肝心の殿下は動かなかった。
 そんな彼女を見て、ぽりぽりと頬をかいた画面の向こうの男性は、申し訳なさそうに彼女に尋ねてきた。

『………あの、殿下はその、なにか納得がいってないご様子ですが』


  来たっ!!


 この瞬間、地球側五名の心境は完全に一致した。来るべき時が、ついに来たのだと。

「では……ヤン・ウェンリー閣下に伺いたき儀が幾つか」

 議長でなく閣下を質問の対象とした理由。それは既に香月夕呼から聞き出していた、イゼルローンの実質的なトップはヤン・ウェンリーであるという事実。そして議長もまたそれを容認しているからこそ、話を遮らずに二人の会話を許してくれる様子だった。

 居住まいを更に正し、声を凛とさせて問いただす。

「閣下は最高の専制政治よりも最悪の民主政治の方が勝る、とお考えになっていると耳に致しました」

『はい』

「では、なにゆえ、民主政治の代表を自負する米国でなく、皇帝陛下が政務全権を掌握している―――いわば専制国家というべき、この日の本を滞在の地に選ばれたのでしょうか?」

『多様な政治的価値観の共存こそが、民主主義の精髄だからです』

 一の矢はあっさり避けられた。

「…………異なる政治の共存、でいらっしゃいますか?」

『はい』

 ちょっと続きを訊くのがためらわれた。目の前の男性が嘘をついているようには、あまりに見えなかったから。

「……閣下は、地球の国家統一を目的にしないと? それはどのようなご心算でしょうか」

『単一の安易な政体が全宇宙を支配するのは許されるべきではない、と私は思ってます。全ての色を集めれば黒一色に化するだけであり、無秩序な多彩は統一の無彩に勝ります。人類社会全体が単一の政体によって統合される必要性など、まったく無いのですよ』

「しかし、」それでも疑問は残った「閣下は民主政治を信奉なさっていらっしゃいますと。そのために戦ってきたとお聞きしましたが……?」

『育ってきた水が違うだけですよ。軟水と硬水みたいなものです。それぞれの良さと味と用途があり、それぞれが好きな方を飲めればいいと思いますから』

 ただ、コーヒー派だけはだめです、私は紅茶派でして、あの黒い泥のような液体だけは許せませんね。という、冗談のような冗談には応えられなかった。

「では……その、イゼルローンは我が国の―――いえ地球のどの国家の内政にも、一切不干渉をなさると、そうお約束されますか?」

『はい』

 淡々とした表情でさらりと言われた。口約束とはいえ、この会談での発言の重さをわかってらっしゃるのでしょうか?

 意図とは外れたが、それでも目的は果たせたので、続けて第二の矢を放つことにする。

「分かりました。しかし……イゼルローンは平和を目的として、地球との交流を目指していると仰りました」

『ええ』

「ならばなにゆえ、斯くも回り道を通り、平和を目指されるのか。このような交渉を行うのでなく、今は非常の時とし――BETA撃退という期間を定めてのこととなるでしょうが――地球国家への統制を行うことも、また肝要な一手ではありませぬか?」

『命が助かればよい、という単純な問題ではありません。生きているのと、生かされているのとではまるで違います』

 その言葉に、少なからぬ衝撃を受けた。

『そこに自分の意志があるかどうか、それが問題だと思います。それが反映できる環境があるのかが肝要なんです』

 頑なにしていた決意が僅かに揺らぐ。その想いは、己自身もまた常々抱えていたことだったからだ。

『私としては、異世界からきた救世主の聖恩を称えないとヒドい目にあわされるような社会より、役立たずの神を公然と罵倒できるような――あ、失礼しました、批判できるような世界の方が好きなんですよ』

 今までは何も感じなかった凡庸たる男性から、何か大きく包まれるようなものを感じた。それは太陽によって照らされた、柔らかな布のような暖かみがあった。

「公然と……でしょうか?」

『少なくとも言論や行動を統制して、愚痴も建前も許さない社会よりは余程ですね。私は『そんなことを言っている場合じゃない』という、声ばかり大きいところは好きになれないのですよ』

「ですが、それが大義の――国家や人類の生存のために、正しい道であってもですか?」

『……たとえそれが、どんなに正しい道であっても、他者に強制されたり操られたりして歩むのが、私はいやなんですよ』

 少し声を落として、彼は続けてくれた。

『自分で選んだ好きな道を歩めば、穴に落ちても文句は言えませんし、言うつもりもありません。まあ、文句やぼやきはしたくなりますけど』

 だけど、と静かな瞳がこちらを捉えた。

『これは私の信念とかじゃなくて、単に好みの問題です。その考えを殿下たちに押しつけようなんて思いません。先に言った民主政治と同じです』

 とても柔らかな声は、しかし真綿のような何かとなって胸を締め付けられるような気持ちになってしまう。それを振り払うかのように、なんとか言葉を紡ぐ。

「しかしそんな……」別の意味での疑問が生じてきた。「命令を押しつけないなどと、国家の軍人の、最高位たる閣下の発言とは、とても思えなく感じますが……」

 取り方によっては大変侮辱している発言だったかもしれない。しかし目の前の御方は、帽子を取って苦笑するだけだった。

『……こういっては、殿下の気を害されるかもしれません』

 帽子を戻して、真摯な表情でこちらに向き直ってくれた。

『国家や軍隊というのは、本来、単なる道具に過ぎないと思うのですよ』

 意外すぎる方角から放たれた、その言葉の矢はとても甘受できるものではなかった。緩んでいた精神の糸が張りを取り戻す。

「……国家は道具であると、閣下は仰られるのですか?」

『人間がなるべく互いに迷惑をかけずに生きていくための、道具ですね』

 赤い感情がこみあげてくる。だがそれを瞳の奥に収め、更にその奥の真意を問いただす。

「では閣下は――日本帝国が滅びようとどうなろうと、何の痛痒も同情も感じないと仰りますか?」

『どれほど非現実的な人間でも、本気で不老不死を信じたりはしませんよね?』

「……? なにを……」

『星々だってその輝きは決して永遠ではありません。なのにどうして、国家だけが永遠にして不滅なものであると思ってしまうのでしょう』

 当たり前のことを当たり前のように―――それはまるで、預言者じみた不吉な何かを纏っているかのように感じられた。
 先ほどの包まれるような暖かい感覚とは一転し、何か今まで確固としてあった自分の足下が突き崩されるようなめまいに襲われた。

「し、しかし!」

 思わず声をあらげてしまい、それを呑み込み努めて冷静に伝えようと心がける。

「……我が国の先人達は、この国と民を愛し慈しみ、それが永らえることを願ってきたのです。幾つもの返らぬ命があり、その果たせなかった想いを、この地に暮らす全ての人に託してきたのです」

 自分の師というべき一人の軍人の背を思い出す。彼に負わせてしまったこの国の罪と言うべきものも知っている。

「死すべき者でなき者を死なせ、生かすべき者を生かせず、それでも……それでも生き残った我らは、彼らが守ろうとしたモノを守ろうとしているのです……!」

 目を伏せ、必死に言葉を紡ぐ。

「それを……それを閣下は、単なる道具を守るために死んだと。国のために為すべきをなした彼らの……その行動は無価値であったと、仰られるのですか……!?」

『……そうじゃないんです、殿下』

 その否定は無知な子供をあざ笑うようなものでなく、その嘆きを柔らかく受け止めてくれる声色をしていた。

『最近ですが、殿下と似たようなことを、ある子から言われました。「私は貴様等のような遊び半分で戦争ごっこをしているような軍人とは違うんだ、私は国家のためにこの身を捧げていたのだ」と』

 少しだけ苦く笑って、閣下は続けた。

『私は彼女に問い返しました。君にとっての国家とはなんだい、と。彼女は、その答えに詰まりました』

 その問いは自分自身にも染み渡ってきた。

『私は彼女に言いました。「国家とはその名の通り、みんなで共同生活を営んでいる集合住宅じゃないかな」と』

「住宅……ですか?」

『無いと、まあ困ります。風雨に晒されないよう屋根は必要ですし、肉食獣から身を守るための壁もいりますし、食べ物を蓄えるための倉も準備しなくてはならないでしょう』

 それが歴史上における国家の始まりだったのでしょう。そう、その物語を続けた。

『いつしか住宅には人が増えてきました。そこで成長した子孫だけでなく、安心して明日を夢みて、今日を過ごせる安寧の場所を求めてきた者も取り込んで』

 そうして住宅は増設を続け、時にその形式を変え、成長と発展を続けていったと。

『しかし住宅は有限であり、その生活空間が小さくなるほどに、不平等と不満は蓄積されていきました』

 その光景が目の前に見えているかのように、閣下は語りを続けた。

『本来は自分たち自身の生活を守るための城壁が、いつしか自分達を囲む檻と化していきました。窮屈になったのなら、家の中の構造を整えたり、居る場所を変えてもらったり、あるいは外に向かって増築すればいいだけなのに、いつしかそれさえも出来なくなっていく』

 閣下はしずかにため息を吐いた。外に降っている雪の音さえ聞こえてくるような静寂が満ちた。

『長い間その家に住み続けていると、そこが世界の全てだと思ってしまいます。人間は認識しうる範囲でしか行動しえないのです。だから世界の広さを拒絶するより、無視や区別を選ぶんでしょう』

「……我々が、そうだと仰るのですか」

 閣下はしかし、静かに首を横に振った。

『家床が腐りかけ床柱さえも軋みかけた時、住人たちが正しい処置をすることが出来たのならば、更に何世代かは持つでしょう。そのために努力をすることは決して間違っておりません』

 ですが、と柔らかく続けてくれた。

『見誤ってはいけないのは、本当に残すべきは住宅という国家ではない、住人という“社会”なのだと。そう、私は考えます』

「社会、ですか……?」

『継続的な意志疎通と相互の行為が行われ、かつそれらが在る程度の度合いで秩序化と組織化された共同体、と言い換えても構いません』

 急に難しくなった例えから、そこに国家との差異を見た。手を唇に当て、彼の説明の真意に行き着こうと試みる。

『殿下。殿下が仰った方々が守りたかったのは、国家という枠組みでなく、隣人や友人や家族という代替不可能な“繋がり”だったのではないでしょうか?』

 熱く乾いた風が目の前の画面から届いた気がした。

『国が滅びても人が生きれば、また新しい国を建てればいい。でもただ生命があればいいわけではありません。社会という繋がりや構造が無くなってしまったら、私たちの世界がかつて歩んでしまったような、数十年に渡る苦悩と混乱、無秩序と荒廃が訪れてしまう』

 閣下は静かに続けた。

『だから、彼らが守りたかったのは多分、その繋がりの核となるべきモノだったのではないでしょうか。それは時に、生まれ育った土地や景色であり、共に戦った上官や部下であり、遺言を託せる家族であり友人であった。そしてその一つがきっと、殿下、貴方なのでしょう』

 また一つ、暖かい灯火が胸にともった。率直に褒めていただいたことに頬も熱くなって、不意に照れがこみ上げてしまう。

『私の場合は、まあ、民主主義の理念と制度と、あとはそれを運用する方法とに関して残したかったんですけど。そういったモデルが知識としてでも伝われば、自分達の社会をどうするかの試行錯誤も短くできますので』

「…………閣下はなにゆえ、それ程までに民主政治を尊ばれ、専制政治を憎まれ―――いえ、嫌われるのでしょうか?」

『専制政治の最大の問題点は、誰からも批判されないという点にあるんです』

 それは先ほど閣下がおっしゃったことと真反対の事実だった。

『どれほど清廉潔癖で能力に秀でた人間でも、時を経るほどにその自律性は崩れていく。なぜなら誰からも処罰されず、批判されず、自省の知的根拠も一切与えられない者は、そのエゴを限りなく加速させ、いつかは自身を暴走させてしまう』

 帽子をはずされ、その黒髪をかかれた。

『いえ、実のところ私も私自身が怖いんですよ。歴史上、いくらでもそんな例はあった。自分がそうならないという保証は何もないし、誰もしてくれない。だからこそ、専制政治における軍隊はもっとも恐ろしい』 

 どうやら話は国家から軍隊に移ったようだった。

『軍隊とは、その国家における最大の暴力機関なんです。その役割は本来、国家の国民の安全保障のためにある道具です。少なくとも西暦2000年以降の国家においてはそうでした』

 しかし、と閣下は続けた。

『自国の市民を守るはずである軍隊は、権力者と市民が対立したとき、市民の味方をした例は極少ない。いえ、それどころか軍隊そのものが軍閥化し、権力機構と化して民衆を支配さえしてきました。それは歴史上、いくつもの国で起こってきました。たとえば、そう、クーデターという形で』

 隣の鎧衣が極微少の身じろぎをした。

「蜂起した側は正義のつもりなのでしょう。我々は腐敗などはしない、武力を使うにしてもこれは仮の一時の姿に過ぎない、と。ですが、政治が腐敗するとは、政治家が賄賂を受け取ったり不正をすることではありません。それは個人の腐敗にしか過ぎないんです。政治家が不正をした時、誰も批判も罰することも出来なくなった時、政治は腐敗する」

――……だから、なのですか!

『円熟した大人ではなく、未熟な子供だけが王様は裸だと言えるものです。しかしあいにく、現実の王様たちは恥を恥として受け入れる度量がないことの方が多い。それどころか一方的な“おとなげない”暴力を振るうことさえある。そうなればもう、誰も何も言えなくなってしまう』

 ようやく閣下の言いたかったことにたどり着けた。

『本来、市民たちの生活の安全を約束し、不和や内争を和らげるのが目的だったはずの国家や軍隊を取り扱えなくなり、彼ら自身が道具に支配されてしまう―――それは皮肉なパラドックスだと、私は思うのですよ』

 でもそれに気づけたと同時に、最後の疑問が―――第三の矢が口から飛び出てきた。

「では……ではっ!」

 最後の矢を弦につがえる。

「あなた方はどうなのですかっ!?」

 この地球上の誰もが一度は考えたであろう恐れを、もはや一切の躊躇なく放った。

「敵対異星生物無き後、地球の民が貴方がたイゼルローンをもはや不必要と断じた時! 最強の軍事力を持たれるあなた方を恐怖し、排斥しようとした時! 閣下はいかなるご宸断、ご裁断を下すおつもりなのかっ!」

『逃げます』







 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・。







「「「「「………? ?? ???」」」」」

 一瞬の躊躇なく返されてしまいました、はて? 後ろの月詠や隣の鎧衣さえも首を傾げ、口元に手を当てて悩んでいらっしゃいます。
 無限とも思える混乱の中、こほんと軽く咳払いし、丁寧に問いを投げかけます。

「……大変心苦しいことでございますが。閣下、今一度だけ」
『そうなったとき、私たちは、逃げます』

 永遠とも思える沈黙が満ちます。閣下の隣の議長が苦笑なさり、当の閣下がぽりぽりと頬を掻かれているお姿だけが網膜に映りました。

「……逃げられると?」
『古典的兵法の三十六番目ですね』
「……どちらまで?」
『とりあえずイゼルローンまで』
「……なにゆえ?」
『人民の大多数が望みましたので』

「そのようなことでは、ありませぬっ!!」

 今までで一番の怒声が部屋全体を振るわす。ああ、わたくしはこの会談に立ち会ってから、いったい幾度、感情の大震災を起こせばよいのでしょうか。
 すぅーっと息を吸い込み、気を整え、キッと画面の向こうを睨みなおす。

「閣下は仰られました、地球のBETA撃退に尽力していただけると」
『微力ではありますが、確かに』

「閣下は斯くも仰られました、そのための無制限の技術の提供をし、資源や機材に関しても幾分か貸し出していただけると」
『軍事技術に関しては危ないモノもあるので制限はありますが、確かに』

「閣下は斯くも仰られました、しかし地球国家の内政には一切の不干渉であり、軍事行動に関しても統制をされないと」
『多少アドバイスさせていただきますが、確かに』

「そして閣下は今、此の様に仰られました、BETA撃退後、地球がイゼルローンを排斥しようとした時は躊躇なく帰られると」
『はい、確かに』

「ですが一切の報復を地球に行わず、一切の見返りを地球に求めず、一切の悔恨なくそれを行われると?」
『なかなか予定通りには行かないものですが、予定を立てないわけにもいきませんのでねぇ』

「何故ですかっっっ!?」
『吾々が民主主義の軍人だからです』

 淡々としているにも関わらず、こちらの困惑を更に深めるかのような発言の数々に、しかし閣下は一つ一つ丁寧に応えてくださった。

『殿下、吾々は民主政治の軍人です。我々は市民の生活と生命を守りながらも、しかしその功績を誇ることは決して許されません』

 閣下は帽子をその胸に収めながら、静かに語り始めた。

『私たちは、自分たち自身を基本的には否定する政治体制のために戦う。我々は民衆によって求められ、そして民衆の求めにしたがって消えなければなりません。その矛盾した構造を、民主主義の軍人は受容しなければならない。軍人は平和においては、最も無価値で不必要な存在となるのだから。でも、それは決して不公正なことはありません』

 黒曜石のような瞳が数光年先の自分を捉えた。

『なぜなら、民主主義とは“力を持った者の自制”にこそ真髄があるからです。強者の自制を法と機構によって制度化したのが、民主主義だからです。そして最大の暴力組織である軍隊が自制しなければ、誰にも自制の必要などないのだから』

 衝撃というにもおこがましい、感動の火花が自分の胸を撃ち貫いた。

『戦いを終え、誰もが軍隊を必要としなくなる時はいつか来るでしょう。その時、我々は帽子を脱ぎ、静かにその席を立ち去っていかねばなりません』

 閣下は帽子を静かに机の上に置いた。

『生き残った兵士たちは野に下り、それぞれの市井へと流れていく。“平和の無為”が訪れる中で、虚しさを感じる者も出るでしょう。「私たちは何のためにあれだけ戦ってきたのか、結局世界は何も変わっていないのではないか」と。ですが人民の生命と生活、その安寧を守ったという自負があればこそ、我々は平和を受容し、無音の未来にも耐えることが出来る』

 その高潔ともいえる覚悟を、それが当たり前のように話されている。
 自分は段々と弱々しい声でしか問えなくなっていく。

「なぜ……なぜ斯くもそこまで、己を殺すことができるのですか……?」

『いえ、別にそんな気は毛頭ありませんよ。元々私は退役していたのに、何の因果か経路かを辿ってしまってこうなっただけで。ほんとは年金をもらって妻とのんびり過ごしたかっただけなんですけどねぇ』

 苦笑を深くして、あの御方は軽く頭を掻いた。

『ですが、その平和は残念ながら永遠なものではありません。何故ならば時が移れば、社会も国家も元首も代わり、安寧は必ずしも永遠なものではなくなるからです。権力者は自省と自戒を忘れ、安全な場所にいる軍人は平穏を惰性と怠慢と断じ、満腹になった市民は平和と生命への価値を見失う日もくる』 

 語りは静かに続いていく。

『その中で弾圧する暴力も再び現れる。やがて抑圧の暴力に苦しむ民衆が再び私たちを求めたとき――本当は全く来てほしくないのですが――我々は速やかに席に置いてきた帽子を被り、解放のための暴力を手にしなくてはならない。その日のために我々は“動くシャーウッドの森”を残さなければならないのです』

 そのどことなく気障〈きざ〉な微笑の裏に、その方のしたたかさを垣間見れた。先ほどの『逃げる』という言葉が実は、一時の埋伏に過ぎないという振りなのだったと。

『………この世界に来る前、私は一つの矛盾に直面してました。つまり、人民の大多数が専制政治を肯定し受容した時、我々は人民多数の敵対者となってしまう。彼らの幸福と選択を否定する立場になってしまうのではないかと』

 それはまさに、自分が先ほど口にしたことだった。

『ですが実のところ、解決方法はありました。人民のその全てが専制政治や名君の独裁を望むわけではない。その中の少数派は自分達で行う政治を望んでいるかもしれない。なら、その少数派で新しい社会と自治を形成できればいいのではないかと』

 それがまさに、ヤン閣下が仰られたことだった。

『この世界でならば或いは、それがささやかながら叶えられるかもしれない。各々の、多様な、多彩に溢れた社会の中で、みんながそれぞれ生きたい場所へ行けるようにと。どうか、その選択と決断ができるようにと。――そういうことなんです』


 すとんと、今まで負っていた重荷が降ろされた気がした。


――……負けました。

 自分には、己の命を賭してでも、この国の在りようを守ろうという覚悟があった。自らの手を汚すことを、厭わぬ想いがあった。
 でもそれを、嗤うこともなく弾くこともなく、優しく受け止められた時、その自分ののまこと矮小なることが識れた。

――この御方は、まことに博く、深く、そして遠い御方でした……。
 
 その瞳に観えている過去のなんと深いことか。その口から話される未来のなんと遠いことか。その智慧のなんと尊いことか。そして……その負った責任と決断のなんと雄大なることか。

――地球人類全ての命運を負われているに等しいのに……あまりに自然体で、気負わず。当たり前のように、でもとても……とても優しく仰られた。

 渾身の力を振り絞った最後の矢も受け止められてしまい、うなだれ、言葉を失ってしまう。
 そんな脱力したこの身から、政治的でも何でもない、全くの素直な疑問が口からこぼれた。

「なにゆえ……閣下は、わたくしのような若輩の、無知な小娘の言に応えてくれたのでしょうか……?」

 自分でも驚くくらい弱い声だった。それまでの将軍としての毅然とした気概を無くしてしまったような、そんな他人事のように感じられる声だった。

『いやぁ、私たちが相対していた敵軍のトップは、15歳で初陣した後、“23歳で王朝を打ち立てて、四百億の人民を治める初代皇帝”になってましたからねぇ』







 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・。







「「「「「………は?」」」」」

 はて? どこかから“あの者”の声まで聞こえてきたような。幻聴でしょうか? そんなわけ、ないですわね? そうですね、何か異常ともいえるお声を聞いたせいですね?

 しかしそんなわたくし達、皆の呆けた声を無視されて、閣下は淡々と、でもどこか嬉しそうに伝説を語り始めました。

『彼の逸話はそれはもう、古今卓絶という他ないですね』

 10歳にして軍の幼年学校に入り、15歳にして少尉として最前線基地に任官。たった二人で敵の戦車と情報を奪い、前線基地の防御・及び攻撃に多大なる功績を挙げて中尉となる。
 中尉として駆逐艦の航海長となる。艦長が負傷した際、代理の指揮を執り、単騎で敵勢力圏からの生還を果たす。任官からわずか半年で大尉となる。

「……月詠、大尉とは半年でなれるものなのですか?」
「いえ、ありません、殿下」

 後方勤務の軍務尚で書類改竄の不正をいくつも暴き、少佐となる。
 第五次イゼルローン戦で駆逐艦艦長として巡航艦を撃破、中佐となる。
 巡航官の艦長として何らかの武勲を挙げたらしく、任官から2年、17歳で大佐となる。

「……真耶さん、いえ月詠、2年余りで大佐までなれるのですか?」
「いえ、全くありえません、殿下」

 大佐として憲兵隊の指揮を執り、幼年学校の殺人事件を一週間で解決。准将となる。
 准将としてヴァンフリート四=二にて、陸戦隊を率いて敵基地の将官を捕縛。少将となる。
 少将として第六次イゼルローン戦で、三千の船で三万の敵艦隊をおびきよせ、最大の戦果を成し遂げる。中将となる。
 中将として第三次ティアマト会戦にて、たった三分間の活躍によって勝敗を決する活躍をする。これにより任官から4年、僅か19歳にて大将となる。これは皇帝直系の貴族にしか有り得ない業績で、同時期、後継者がおらず途絶していた有力伯爵家の門地を継ぐ。

「どうか、どうか、落ち着き下さい、殿下」
「わたくしはまだ何も口にしておりません」

 大将として第四次ティアマト会戦にて一翼を務める。膠着状況を打破する一手を鮮やかに放つ。上級大将となる。
 上級大将としてアスターテ会戦の総指揮を執る。二倍する敵の艦隊を完膚無きまでに撃退。元帥となる。
 元帥としてアムリッツァ会戦の総指揮を執る。三千万の兵力を動員した敵、八個艦隊の進撃を撃退。宇宙艦隊総司令官に就任。20歳にて軍人の最高位まで上り詰める。

「「「「「……………………」」」」」

 その後、王朝の後継者争いに参戦、政敵をことごとく打ち破り、生後数歳の子を皇帝にさせ、自身は摂政となる。その後、銀河系全体を平定し、23歳にして皇帝位を禅譲。銀河帝国ローエングラム王朝の初代皇帝となる。

『そちらの国でいうならば、えーと、黒の斯衛の少年が5年で大将となり、しかも赤の門地を継いで、翌年には元帥と摂政にまでなり、更に3年後には皇帝から位を禅譲されるといった具合ですかね?』

――はて、なんなんでありましょうか、その非常識に常識外れな栄進ぶりは。

 およそ、およそ、おおよそ、自分の浅き経験と見識と常識では計りきれない程の傑物の存在に、ああわたくしなど、小粒の天道虫のごとき存在なのでしたねと理解できました。

『それはもう絶大な美貌の貴公子でして。金砂で埋め尽くされた大河を想わせる流麗な髪に、雷鳴のように万物を斬り裂く蒼氷色の瞳。彼のために創られたかのような黒と銀の壮麗な軍服。軍神にして知神にも称えられる軍才と覇気。生きた神話、歴史と美神の寵愛を一身に受けたような優美さ。私が銀河系の向こう側に生を享けたなら、一も二もなく麾下に馳せ参じたことでしょう』

 そうでありましたか、およそ何の経験も実績も積めてこなかった自分など、この御方が相対してきた将軍に比べれば、市井の小娘が一人前に息巻いているも当然のことで…………。

『ただ、“彼”もただ一人で険しい道を歩めていたわけではなかったようですが』

 ……?

「……失礼ながら閣下は、親しげにその方の――しかも敵将の長を詳しく語られておられますね」 

『一度だけですが、戦いが終わった後に――私が敗北した後にですが――彼と面談の機会を得ることが出来まして。その時、誘われました、元帥の称号をもって仕えないかと』

 あらためて――そうあらためて、目の前に映る男性が、その卓絶した英雄に比肩した英雄であると認識せざるを得ない事実でした。

『その中で、彼は私に語ってくれました。「私には半身というべき友がいた。その友人とふたりで、宇宙を手に入れようと誓約しあった」……』

 閣下は透明感を増したお言葉で続けれた。

『「私はその友のために、いつでも犠牲になるつもりだった。……だが実際には、犠牲になったのは彼の方だった。私はそれに甘えて、甘えきって、ついには彼の生命まで私のために失わせてしまった」……と』

 一瞬、私は“あの者”を思い返してしまった。

『失礼ながら、殿下にはそういった方はおられませんか?』

「え……」

 愕然とすることが多すぎてためか、全くの虚を突かれてしまったためか、今までの会話の中で閣下がとても正直に応えられてきた恩義があるためか。……あの者を連想してしまったせいか。答えを拒否するという選択肢が浮かばなかった。

「わ、わたくしは……」しかし当然正直に答えるわけにもいかず、抽象的な答えしか返せなかった。

「……わたくしは、黄泉比良坂に参るわけにはいきません故」

『ヨモツヒラサカ?』

 閣下は首を傾げられてしまいました。当たり前ですね、この単語を知ること自体、他国の、しかも未来の人類にはあり得ませんので。

「いえ……詮無いことで――」

『ああ、もしかして、生き別れになった双子の妹がいらっしゃいますか?』

 第一の矢が心の臓を射抜いてきた。

『そう、御家の決まり事か何かで、双子は凶事の現れとかいうことで離されてしまったとか?』

 第二の弾丸が脳天を貫いた。

『それと当てずっぽうですいません。その方、“夜”や“暗い”といった意味のカンジを名前に当てていませんか?』

 当てずっぽうの戦斧は、しかし確実に首をはね飛ばしてきた。ふっと天井が視界に見える。

「殿下ーっ!? 御気をッッ! 御気をお確かにーっ!!!」

 気づいた時には天井が斜めに見えていた。背中と肩を掴まれる感触だけは感じられた。ぼんやりとした頭の中で、反響する声だけが収まりなく響きわたる。

――なぜ? なぜ? どうして?

 なにが、なにがあったのでしょうか? いったい、じぶんは、なにをされてしまったのでしょうか?
 あの一瞬、あの言葉のみで、どうして数千光年先の真実にたどり着けるというのでしょうか?

 ……パチパチパチ。

「――いや、閣下の御深遠、まことに恐れ入りました」
「鎧衣!? 貴様なにをっっ!!」

 鎧衣と月詠の声が聞こえました。画面の向こうで、閣下が困ったように髪を掻かれているのが見えます。

「しかし宜しければ、ヤン・ウェンリー元帥閣下。閣下殿がいかにしてそのように答えにたどり着けたのか、無知無学なる身に教えていただきたくも思うのですが」

『はあ、まあ』

 閣下は隠すことなく、その魔術の種を明らかにしてくださる様子だった。
 わたくしもなんとか体勢を戻し、一人で座ることが出来るようになった。

『まず殿下が仰ったヨモツヒラサカとは、日本神話に出てくるイザナギとイザナミの逸話に出てくる地名ですね?』

 こ…くんと、なんとか頷くことに成功する。まだ頬と手が冷たい。

『神話において夫婦だった男神イザナギと女神イザナミ。妻であるイザナミを亡くしてしまったイザナギは、もう一度逢いたいという気持ちを捨てきれず、黄泉の国にまで逢いに往き、共に帰ってきてほしいと彼女に頼む』

 そう、しかしイザナギとイザナミは……

『イザナミは一つ約束をする。これから黄泉の国の神に相談しますので、その間、私の顔を絶対に見ないで下さい、と。しかし待つことに痺れを切らしたイザナギは彼女の姿を見てしまう』

「……死者の国の住人と化してしまったイザナミの全身には蛆がたかり、八つの雷を宿す異形となっていました」

『畏れをなしたイザナギは一人逃げだし、それに憤怒したイザナミは彼を追う。後一歩というところまで追いつかれた彼は、黄泉の出口を大きな岩で通れなくしてしまう。そこがヨモツヒラサカ』

 こくん……と先ほどより力を増してうなずけた。

『ここでいうイザナギとは、恐らく殿下のこと――つまり殿下の大切な方とは、死者の国にいってしまったイザナミのことだった』

 閣下の指が空中に推理の糸を編む。

『そこでまず第一に、イザナギとイザナミは夫婦という以前に、“兄妹”の神であった。彼ら彼女らは交わることによって島や土地を産むことができたが、同時に最後に産んだ火の神によって、イザナミは命を失ってしまう。これはインセスト〈近親相姦〉タブーのことを示唆していると思われますが、とにかく“兄妹であったことが別れる最初の原因”となった』

 ずきりと胸が痛む。

『殿下の例えから死別したのかもしれないとも思いましたが、ここで殿下の御家が貴い家系であることから想起される事実がある。即ち、兄弟間における相続問題―――血統で後継者を決めるどの文化でも見られる問題です』

 動こうとした月詠を視線で止め、閣下のお言葉を遮らないようにする。

『しかし、今の殿下のご年齢は二十より下――それはBETA進行が本格化し始めた頃と生まれ年が重なる。となると、生まれた妹か弟を余所の家に養子に出すのは些か不合理だ』

「……なぜ、でしょうか?」

『殿下が成人前に亡くなる可能性が高いからです』

 またしても動こうと――片膝までついて前に出ようとした――月詠を手で止めます。
 わたくしも解ってきましたが、どうもこの御方は直裁すぎる物の言い方があるようですね。でも言うこと全てが事実であるので、憤慨するよりも話の続きを待ちます。

「……ですが、なぜそれから双子のい……妹だと断ずることができたのですか?」

『子どもの――特に15歳になる頃が成人とされた武家〈そちら〉の方針では、一歳二歳の歳の差はとても大きいんですよ。特に問題がなければ、能力と経験から言っても、長女か長男が家督を継ぐのに問題が無い。しかし双子の場合は、その差がほとんど無くなってしまう。御家が二つに割れてしまう原因にしかならない』

 胃の中に石を詰め込まれたかのような苦さがこみ上げてくる。でもそれでも、疑問を一つ一つ解いていく。

「……ではなぜ、妹だと?」

『兄妹の双子だと逆に好ましいんですよ。性別という確かな差が出来ている。一姫二タローではありませんが、それぞれに“役割”を割り当てることも出来る。あまり好ましい話ではありませんが』

 まったく仰る通りだった。

『そして名前。これは本当に当てずっぽうでしたが、殿下のお名前は失礼ながらユーヒ、これは悠然とした太陽と書かれます。即ち昼を意味する』

「…………そしてあの者には、同じ字ではなく、反対の字〈あざな〉をつけられることになりました」

 そう…………あの者には、陰としての全てを背負わせ、わたくしは…………

『ああ成る程、やはり殿下のご両親は、一度は妹と出会って良いと言うために、お二人にその名前を付けられたんですね』







 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・。







「「………え?」」

 なにを、おっしゃっているのでしょうか?

『イザナギとイザナミの例えはご両親から伝えられたものでは?』

「は、はい……それは、確かに……」

 正確には遺言、という形ではあったが、その意味を込めていたのだろう。

『イザナギとイザナミは生前――といっていいのかな?――に何度か島や神を創ったのですが、最初、どうもうまくいかなかったようです。そこで天つ神――父に当たる神はこうアドバイスしたようです。「女〈イザナミ〉が先に声をかけるのはよくない」と』

 ぴくっと何かが線に触れた。

『更にイザナギは死者の国から黄泉返ってきた後、穢れを洗い流し、最も尊い三神――武力を意味する剣神と、天と光を指す太陽の神と、太陽と対をなす月の神――を産めた。それまではイザナミと二柱でしか産めなかったはずなのに』

 スッと閣下の指が宙の一点で止まった。

『この神話が示す意味は、死と生の交わりによって――目と鼻から産まれた、つまり最後の涙によって――もっとも尊い神たちを産み出すことが出来たということです』

 別の意味で肌が泡立ってきた。だって、それは、そんな………

『……イザナミは神話の中でイザナギを責めます、なぜ今頃になって現れたのか、私はとうに死者の国の者になってしまったのに、と。でもそれでもイザナギはこう言います、どうかまた一緒に国を創ろう、と』

 それは、なんて、あの者にとってなんと残酷な……でも、それでも……

『世界が違えば、もう一緒には居られない。逢えばお互いが後悔し、恨みを残すだけかもしれない。でもそれでも、力を逢わせて国を創りたいと願うならば、一度だけ貴女の方から逢いに往きなさい―――そう、ご両親はお互いの名前に、“陰と陽の交わり”というメッセージを隠したんじゃないでしょうか』

 これはあくまで私の想像ですが――という声はもう心に聞こえなかった。それが真実そうならば――いえ、それがわたくしの真実だというならば―――

『だからええっと、変な脱線をしてしまいましたが、私の言いたかったことは……』

「……いえ、閣下、質問にお答えします」

 殿下、と諫める声がしましたが、それでもわたくしは誠意を示してくれたこの異星の住人に向かって、答えを返す。

 いま、この場にあの者がいては決して言えないことだから。この方なら決してあの者に暴いたり、利用したりしないという確信があるから。わたくしは初めて、他者にその真実を明かすことができる。

「逢ったことがなくとも、恨まれていても、あの者は…………『冥夜』は、わたくしの、掛け替えの無い唯一人の妹でございます」



        ※      ※     ※



 鎧衣左近は、さて本当に参ったなという心境になった。

――これはこれは……こんな“奇跡”まで見せてくれるとは。

 まさかにまさか、裏工作が完全に裏目に、いやハマりこんだというべきか? とにかくこんな結末が来るとは。

 襖一枚隔てた向こうの彼女らの姿は想像に足る状態になっているだろう。声を出してこないだけありがたい(何度か若干漏れた)が、下手をしたらイゼルローン側どころか、殿下達にまで暴かれてしまう。

――まさか、全てはあちらの計算通りというわけではないだろうが。

 そう疑ってしまうほどの顛末だった。いやそれは無い、と言える、言いたい。あるいは殿下の妹の存在を知っていたにしても、今回、あの者を呼んだのは自分の独断であり、社霞にスパイをさせていたという線もまず無い。
 しかしそれだけに、自身もあまりに動揺を繰り返してしまうほどだった。まさに驚愕というほか無い。

――これは一体どんな神の奇跡、悪魔の悪戯か。

 魔術師という二つ名はすでに聞き及んでいたが、それにしても、ここまでの奇跡の御業を観せられるとは想っても無かった。しかも魔術をなした本人は軽くやってみせただけに過ぎないという。

――なるほどなるほど……これは確かに、最上級に“危険”だ。

 ここまでずっと彼のことを観察し続けてきた。その言動、推理力、思想、行動、ジョークに挙動に教養。それら全てを煮詰め続け、ようやくこの者の実態に行き着けることが出来た。

――まさか生きている内に“本物”に出会えるとは思わなかったな。

 軍人にして軍人にあらず、政治家にして政治家にあらず、歴史家にして歴史家にあらず、凡人にして凡人にあらず、予言者にして予言者にあらず。そう、この男を表す言葉とは――

――この男の正体は、『聖者』だったか。

 そうとしか言いようがなかった。それも似非の思想家や宗教家や指導者などでは決してない、“本人がまるで自覚していない本物”だった。

 善も悪も超越した聖者。遙か過去から遠い未来までも見渡す預言者。右にも左にも寄れない中立中庸の仙人。教養と文化と歴史に精通した教授。微かな情報の糸から真理にまで至れる賢者。

 先ほど告げられた英雄が銀河帝国の『覇者』にして『王者』ならば、この男はそれに決して属さない、世界の『聖者』にして『賢者』だった。

 どんな社会的な衣も似合わないというのは当然だろう。それほどまでに、この男は大きく、そして遠すぎる。

――それだけに権力者は言うまでもなく、民衆もまたこの男を受け容れられないだろうな。

 だが聖者とは救世主〈メシア〉ではない。むしろ、その多くは世界の“秩序の破壊者”なのだ。

 この男はそう非難されればこう言い返すだろう――「私は別に特別なことはしていない、民主主義自体、既に過去の偉人が生んだものに過ぎない」と。
 だが私はこう言い返せる――「キリスト教はユダヤ教から産まれ、イスラム教はキリスト教を母胎とした」のだと。

 その結果がどうなったか、それは歴史学徒たるこの者に言うまでもないだろう。
 そう、この男は民主主義の“思想を拡張”してしまっている。ユダヤ教が選民思想と救世主主義という一神教を信仰していた時代から、神との新たなる契約――新約を結んでしまったキリストと同じように。

――そしてこの男の言は、あまりに影響力が大きすぎる。

 多くの矛盾と腐敗と混沌、世界の闇と裏のほとんど全てを見てきた自分であっても、この男の吐く言葉一つ一つが無視できないほど大きい。
 そう、無視できないのだ。直截的な言い方も多く、人によっては毒を吐かれているようにしか聞こえないこともあるだろう。だがそれだけに、予言のように聞こえ、そして実際それは当たる。

――更にそこに、軍事的才能まで加わるというのだから手がつけられんな。

 それはイスラム教の創始者のように。敵対していた圧倒的強者を相手にして、なお負けず、なお滅びず、そして戦うたびに自身への味方を増やして、いまこうしてこの場にいる。
 圧倒的なカリスマと軍才、そこに最強たる軍事力との結合。それがどれほど危険なのか………いや、この男は十二分にそれは自覚しているのだろう。

――この男が真に危険なのではない。それ以上に“弟子たち”が世界に危機をもたらすだろう。

 イゼルローンに元からいる者たちだけではない。すでに社霞も“汚染”されてしまっているのだろう。イゼルローンから帰還した後、一瞥しただけで理解できた。
 人間的な意味では成長に当たるのだろうな、あれは。しかし、社会的――そう、既にある社会の中で言うならば、あれは“異端”という他ない。しかし本人はというと、ヤン・ウェンリーに洗脳されたからでなく、これは自分から進んで選んだに過ぎないと憤慨するだろう。

――だが、このヤン・ウェンリーの理想は、決して実現はしないだろう。

 二千年前に出された救世主の意図は曲解され、利用され、そして今もなお一切現世において為されてはいない。それどころか恭順派などというのが出る始末だ。

 だが――この男はそれをも、理解し飲み込んでいる。だからこそ、きっとこう言い返してくるのだろう。

『  人類が火を手にしてから数千万年、民主主義を手にしてからは数千年に過ぎない。結論を出すのは早いと思う  』
『  現状を正しく認識することと肯定すること――いや、悪用することは別のものだ  』
『  古来の奴隷にだって主人を心の中で罵る自由があった。どうして現代の市民がそれさえもしてはいけないというのか  』

 ……ああいかんな、自分も相当にこの男に毒されかかっている。そういった言葉が自然に浮かぶこと自体、自分がこの男を理解して、共感しかけている証拠だった。

――殿下にこの男と逢わせるべきではなかったかもしれない。

 だが既に手遅れ、というべきだろう。

 最初の拒絶もなんのそのというべき。すでに殿下はとても打ち明けた態度になってらっしゃっている。
 初対面の人間――しかも他国の最高軍事責任者に対して、殿下にとって最大の禁忌というべき事柄まで語ったのだから。この一事だけで、煌武院の福音書の最初の書き出しは決まったというべきだろう。

 相手からの問いに対して丁寧に誠意をもって、そして矛盾無く更に考察を加え。相手のわずかな言動からその深奥にまでたやすく至り。そして朝食のメニューを決めるがごとく、未来が確定しているかのように予言される。
 香月夕呼のいったことは正鵠を射ていた。ヤン・ウェンリーこそ、イゼルローン以上に“危険”な存在であるということが。
 
 今からでも遅くない、自分が停めるべきなのだろう。日本帝国は物理的にも政治的にも救われたとしても、“そうではない部分”で、これから先の未来にどんな結末が待っているのか解らないのだから。

――――――――

――――

――だがなぁ……。

 しかし……だというのに、なんというか、これは……。

 目の前の光景をもう一度眺めてみる。

 名目とはいえ全政治代行を任されている若き大将軍殿下と、実質的に最高司令官を務めている元帥閣下とが、一国の命運のみならず、全人類・全生命の運命を賭した、壮大な計画について今こうして話し合っている。

 後の歴史家がそれを聞いたら、さぞ緊張と緊迫に満ちた会議場だろうと、立ち会ったことを羨ましがることだろう。だが実際にはそれは違った。

――……おやおや、革命のための陰謀や暗躍というより、これはむしろ……。

 そこは初めとは打って変わった、緊張とは無縁の感情に大きく包まれていた。
 情熱的に楽しげに、これからの計画について準備している彼らを見ていると、ますますその感情は大きくなっている。

 自分もまた、気づかない内に微かに苦笑していたようだ。おっと、こんな身にもまだそんな感情というものが残っていたとは。帽子の頭を押さえて二回目の苦笑を見せる失態を防ぐ。

 そう、これは教祖より福音を与えられた信徒ではなく―――

――抑圧的な教師が決めつけたプログラムが気に入らない学生達が、外部の学生を呼び込んでの、空前絶後のイタズラを企んでいるようにしか見えんな、これは。

 やれやれと嘆息し、情報省所属、課長の鎧衣左近も、この“誠実なる悪巧み”の渦の中に飛び込むことを決意するのだった。

――踊る阿呆に踊らぬ阿呆、どうせ阿呆なら……か。

 本来自分は踊らせる立場の者だったはずなのだが、どうしてこうも、年甲斐もなく胸が高まってくるというのか。……ああそうか。

――嵐の日に、傘もささず外に出て踊ってもいい。それが“自由”というものだったな。

 そして青春とは、降りかかる“現実”を有り余るほどの勢いで押し切ること。昔、どこかの偉そうな男が偉そうに語ったことだったな。
 ならば、自分もここから始めていくとしよう。全世界を巻き込んだ、一世一代の政〈おまつり〉を――――。









[40213] 11
Name: D4C◆9f1d95e0 ID:812a97c2
Date: 2016/01/02 18:40
 西暦二千年、二月某日、第一帝都東京。
 地球の公式文書に記されている伝説の始まりはその日であった。

 将軍公室にその日呼ばれたのは、国家の「表」の重鎮三名。
 日本帝国、現内閣総理大臣、榊是親。
 国連事務次官、珠瀬玄丞斎。
 武家最高位、五摂家が一家、祟宰家が現当主、祟宰恭子。

 国家内外、公家武家に多大なる影響をもたらす者たちが平伏しているのは目の前の少女。
 帝国議会の上位執政機関、元帥府の長。皇帝陛下より国事全権総代を任命された政威大将軍、煌武院悠陽。

 この日、三人は目の前の少女の有様に目を見張った。

 本来はお飾りに過ぎないはずだった少女。しかし今日この日は違った。全身から放たれる清冽なる覇気、瞳が放つ凛烈たる王気。それは千の戦場を潜ってきた大将軍の名に恥じない姿だった。

 いったい、この娘に何があった――?

 ただの聡い小娘だったはずだ。権限はなく、経験も浅く、ただ理想だけが高く、己の非力という現実を嘆くだけだったはずだ。何がこの娘を一夜で真の将軍へと変えたのか。

 その答えは、後の公文書にて一文で端的に記されることになる。


「イゼルローンと友誼を結びました」


 当時の三人がどのような表情を浮かべたのか。それらは一切、公文書には記されてはいない。
 そしてまた。どのようにして、なぜ、いつ、この若き将軍がイゼルローンと友好を深めることが出来たのか。彼女はその全てを明らかにすることも遂には無かった――いやそれが真実だと証明できる一級歴史物は存在しなかった。

 故に、後の歴史考察・創作物において、煌武院悠陽ほど対象となった近代人物はいないとまでされる。

 彼女は後の世、様々な渾名で呼ばれることになる。「日、出ずる処の太陽妃」「中興の祖にして、最後の将軍」「国家と結婚し、歴史を産んだ姫君」「ヤン・ウェンリーの使徒、序列第四位」「最も高値で国家を売りつけた売女にして、最も世界を守った処女〈おとめ〉」。

 そんな悪名勇名を含め、彼女を彩る一つの言葉が欧米において広まっていく。それは、彼女が真の意味で将軍と認められた西暦二千年という年にちなんで名付けられた。

 その後の歴史における彼女の偉業と、その凛とした美貌を評してこう呼ばれている。


「千年王国の明星〈ミレニアム・ビーナス〉」―――と。
 

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      第12章 「歴史の終わり、伝説の始まり」

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【地球、極東日本時間、西暦2000年2月23日、AM9:32。太陽系第四惑星の第一衛星軌道上】

 悠陽との交信から約半月が経った頃、ヤンはひたすら、その時を待っていた。

「提督、まだ地球には行けないんですか? ――と、皆さんからの抗議がそろそろダース単位になってきてます」

 机の上に両脚を投げ出して腕枕で休んでいた提督に、ユリアンは三回目の紅茶の差し入れを持ってきた。机を見ると、途中で飽きて投げ出したクロスワードやパズルなどが散乱していた。

「まあ、そろそろかな? この手の仕込みには、時間がかかるものだけどね、動くときは一気さ」

「こっちはとっくに舞踏会への馬車とスーツの準備は出来ているぞと、今日もポプラン中佐がボヤいていましたけど」

 そこに某中将2名も加わっての、わっしょいどっこい、大合唱であるとのこと。
 それを聞いたヤンはよっこいしょと胡座をかいて、新茶の香りを堪能しだした。そろそろシロン星の茶葉の残りも少ないなぁ、とノン気に考えていた。

「地球訪問の一番乗りを志願した者たちばかりだからねぇ。数日も待てないのも仕方ないか?」

「『退屈だ退屈だ、どうせならここが戦場の中心地になればいいのに』と言っている方々ばかりですからね」

 悠陽との交渉により、艦隊で地球に訪れるための前段階は済んだ。しかし、今回の地球上陸作戦に、ヤン艦隊の全員が参加できる訳もなかった。
 そもそもイゼルローン要塞の機能と治安の維持にも残さねばならない人員と、何より上級士官が必要だった。

 そこで地球派遣幹部として、ヤン提督、フレデリカ議長、アッテンボロー提督、シェーンコップ中将、ポプラン中佐、ほか数名。
 イゼルローン滞在組には、メルカッツ提督、キャゼルヌ中将、ムライ中将、フィッシャー中将、パトリチェフ准将他が残されていた。

 ちなみにローゼンリッター連隊は半分が地球派遣組で、カスパー・リンツ連隊長は残念ながら居残り治安組に任命されてしまっていた。(本来の要塞防御指揮官が派遣組に入ることに関しては、当然のごとく諦め、もとい認められていた)。

「イゼルローンはともかく、こっちは歯止めする方が不在ですけど。これ、地球で独立運動でも起こされたらどうするんですか、提督」

「ユリアン、ユリアン、致死量を超えた毒ならいくら飲んでも変わりないよ」

「ムライ中将が頭痛と腹痛と心痛を起こしてましたけど」

 実のところ、地球派遣への志望倍率はかなり高かった。イゼルローンにいればほぼBETAの危機はなく、“安全対策”もしているので安寧と平和はまず保証されている。のだが。

 ヤン・ファミリーの悪童組にとっては、平和や平穏という言葉はNo thank youであった。このビックウェーブに一番乗りで行くぞと、嵐の日にネクタイを締めて飛び出す連中ばかりが揃っていた。

「『地球の未亡人が、こうして俺を呼んでいる声が聞こえないのか、不肖の弟子よ』とのことです」

「確かに、地球からのラブコールは止んでないからねぇ」

「日を追うごとに文面が多種多様になってきてますよ、読みましょうか?」

 現在、ヤン艦隊(地球派遣組)は月の裏側で地球から見えない位置で待機している。これは北半球にあるBETA砲撃級の攻撃を避けるためなのだが、それでもこの位置に来るまでに南半球の国々からは感知されてしまっていた。

 イゼルローン艦隊が地球に再接近している、ということは、ここ数日の間に地球側でも広まってきているのだろう。そのためか大国を含め、あらゆる国家や組織からの電文が連日届きっぱなしであった。

 だがユリアンの不安は別のところにあった。

「でも提督……その、ニホンのショーグンですけど、ちゃんと合図を送ってくれますか?」

 煌武院悠陽との交信後、ヤンは一切の連絡を絶っていた。もっぱら日本以外の他勢力の暗謀を避けるためなのだが、根本的な理由は違った。

「全体の絵図を預けたら、後は任せることだ。何しろこっちは余所者なんだから。地元の人たちを蔑ろにしちゃいけないよ」

 ヤンは暗にユリアンを―――いや、自分自身を戒める言葉を出した。

「ユリアン、復習しておこうか。なぜ私たちは、なるべく地球の人たちに任せようとしている?」

「第一には、それが地球の方々自身の問題ですから。問題は放っておいても、誰か偉い人や力のある人が解決してくれると。そう思ってしまうことの危険性です」

「そう、それが第一義だ。でもそれとは別の厄介な問題もある。私たちは文字通り、歴史の余所者だということだ」

 力も知識も人員も持つ自分達なら、もっと“うまく”やれるはずだ、お前らは引っ込んでいろ――と。そう主張してしまう危険性をヤンは熟知していた。
 強い力――中でも権力を持つものは、自分が思い描いた設計図のとおりにコトが運ぶと思いこむ。だがそれは『権力』という力が、何に立脚して成り立つかを見誤っている。

「ユリアン、暴力とは何だと思う?」

 いきなり話題が変わったように思えたが、それはヤン提督の説明の仕方だった。

「……他人が望まない行動や思想、法や命令を強制することが出来る力だと思います」

「そうだね。だが暴力の中でも、軍事力や財力ではなく、権力というのは特殊なモノなんだ。それは相手に“自発的に”服従させる『権威』を兼ね備えなくてはいけない」

 相手が望まないことを、自発的に服従させる―――その矛盾こそ権力の魔力だった。

「昔、地球の宗教のトップに教皇という者がいた。最盛期の教皇は一国の王すらお伺いを立てなければならない程の、強い権力を持っていた。それこそ、雪の降る日に裸足で赦免嘆願をしなければならないほどに」

「逆らえば、旧帝国のように憲兵に捕まってしまうからですか? それとも地球教のように薬物とマインドコントロールで……?」

「いいや、最終的には破門されるだけだよ。その宗教とは一切関われなくなる」

 ユリアンによく解らなかったのも無理はなかった。ヤンだって本当のところ、実感としては解らない。彼らの人生と社会には、その“共通の土台”が無いからだ。

「権威を持つには、持つ者も受ける側も、ある種の価値体系や規範を“共有”しなくてはいけない。この場合は『神』という概念だ」

 ヤンはイスから机の上の腰掛けなおした。

「それは漠然とした実体の無いものではない。彼らの社会や生活に根ざした規範や規律を記した、ある意味、法だ。もし逆らえば彼らはそのコミュニティから排除される、例外なくね」

「それは教皇もですか?」

「そう、それが共有するということだ。軍隊だって同じさ、階級という規範を共有しているからこそ権力が産まれる。昨日まで年下の下士官だった者にも、上官になったら敬礼しなければいけない」

 その軍隊の階級が機能として、互いの合意の上になりたつ内はいい。だがそれが拡大解釈され――特に権力者当人はまったくの自覚無く――他の範囲にまで命令権が与えられる時、それがもっとも怖れる事態となる。

「……こういう言い方をするのはなんだが、私がお前に権力的になってしまうのは、まあ少しばかりお前よりもモノを知っているかもしれない、ということと、後は年齢が少し上だってことだ」

「15歳くらい、ちょっとですね」

 くすっと笑ったユリアンに年上の権力者は続ける。

「つまり権力ってヤツは一対一の関係の中でも生まれてしまうんだ。これは年上ってものが年下よりも人生経験があり、そういった経験者に従うのが当然っていう価値を共有しているから起こるものだ」

 そーいう割にはヤン艦隊のほとんどが、年上の上官に逆らってばかりじゃなかったかな――とは思っても、ユリアンは口にしなかった。

「で、だ。その価値観や歴史観、人生観なんかを共有していない余所者相手には、まったく権力というものは発動しなくなる。もう少し言うなら、その命令が当然であるとは、受ける側は感じも考えもしない」

「ええ、それはよく分かります。僕だって旧帝国の皇帝に頭を下げろといわれたら断固として断りますが、カイザー・ラインハルトに言われたら、ちょっと考えちゃいます」

「お、言うじゃないか」

 紅茶を一口すすって、教授は授業を進めていく。

「……歴史の余所者とは正に我々だ。地球の彼らが受けてきた数十年に及ぶ苦悩と苦痛を、私たちはまったく共有していない。そして彼らもまた、百数十年に及ぶ星間戦争を体験していない。これらが決定的な齟齬を生みかねない」

 自分たちの“体験”が他者よりも優れている――あるいは自分たちの方が悲惨な目にあったのだと、切に訴えたい気持ちはよく分かる。最初はいいだろう。しかしそれを延々と聞かされては、お互いがたまったものじゃなくなってくるだろう。

「我々はね、ユリアン、共有することが出来ないんだ。イゼルローンの誰一人――ああ彼女らは別だが――大切な人をBETAによって失っていない。そして地球の彼らもまた、人間同士が数千億の同じ国民を、いとも容易く殺してきた歴史を持っていない」

 生徒は眉根を寄せ、静かな鎮魂の痛みを感じた。

「地獄への道は善意で舗装されている。善人が悪人よりも厄介なのは、彼らが少しも自分たちは間違ったことをしているとは省みない点だ。相手もこの善意をきっと分かってくれるだろう、そう思いこむのは余りに甘すぎる。それはよく覚えておいた方がいいよ、ユリアン」

 イゼルローンの真面目な将官ならば、こう言うだろう。『アムリッツァ会戦の始まり、解放軍と名乗った我々はどうなった?』と。
 また、イゼルローンの両巨頭の箴言はこうだった――『出会い方より別れる時の方がはるかに難しい』と。

「関わり方を間違えると、どちらも泥沼だ。だが関わらなければ、この先の地球も、そして“イゼルローンにも”未来は無い」

「……難しいんですね、ほんの少しだけ、互いが協力するだけなのに」

「そうさ、それが拗れると、人類は何百年の時間と生命を失うこともある。だからまあ、あとあと楽をするためにも、少し回り道もしながら超過勤務もしなくちゃいけないってことさ」

「クロスワードを解いて?」

「お前の淹れた紅茶を飲みながらね」

 弛緩した暖かい空気が流れたのは、きっと空調のせいではないだろう。ヤンはおどけたが、ユリアンにはしかし、もう一つ懸念があった。

「でもヤン提督、その地球のショーグンですけど、提督の期待に応えてくれそうだったんですか?」

 軽く「おや? お前さんも同世代の女性に興味を持ったのかな?」と茶々を入れた後、ヤンは答えた。

「“期待”はしていないよ。“信”じているだけさ」









 同時刻、煌武院悠陽は空を静かに見つめていた。寒気も極まった冬の空は、とても青く静かに、どこまでも遠くの星を見られそうなくらい澄んでいた。
 でも残念ながら、月の裏側にいるであろう彼らの姿は見つけることが出来なかった。

「……殿下、時間です。そろそろ式典へ赴くご準備を」

 静かに、悠陽は付き人に頷いた。そう、今日この日はロールアウトした「零式」のお披露目ということで関係各部を集めている。幸い、この地方の天候は一日快晴。式典を外で行うには問題の無い日だった。これならば本来の目的は十二分に効果的なものになるだろう。

 ……だが付き人――月詠の胸の中は未だ暗中にあった。

「…………彼らは――」

 その後の言葉を舌の上に乗せた瞬間、月詠真耶は後悔した。自分は何を言おうとしたのか、このお方こそが自分などよりも遙かに不安を抱えていらっしゃるに違いないというのにっ!

「来ます」

 だがそんな彼女の葛藤を見抜いたがごとく、何の躊躇もなく、若き将軍は言い放った。

「あの方たちは、来てくれます」

 それは蒼天の輝きにも勝る、晴れ晴れしい笑顔だった。どうしてここまで断言できるのか、なぜここまで疑わないでいられるのか、それが月詠には理解……いや納得しがたかった。

 そんな真耶の疑問に答えるためか、将軍は静かに一人ごちた。

「触れ合った時間は関係はありません。わたくしは、あの方を信じるだけです」

 あの殿下にここまで言わせる魔術師の実力は、真耶も不本意だが認めざるを得ない。かなりアクの強い人物だったが、政治屋や軍人特有の空気はまとっておらず、嘘はついているようには見えなかった。

「信とは、期待することとは異なります」

 奇しくもそれは、同日同刻、ヤンが告げたことと同じものだった。

「期待とは、其れ即ち妄念………こうであれという己も気づかぬ欲と、こう成るはずだという浅はかな予測の混血児に過ぎません」

 悠陽は真耶ではなく、遠くにいるヤンに聞かせるように星をみた。

「信とは、人が言うこと――ひとたび言明したことを真っ直ぐに押し通す意です。信じるとは、言ったことを必ず守るということなのです」

 くると振り返り、悠陽は胸に手を置いた。

「あの方は、約束して下さいました。わたくしも、約束を守りました。ならば、それ以上のことを思い煩うことは、もはや信義に反します」

 真耶は恥じた。このお方は自分が考えている以上に純粋で、しかし金剛石よりも尚澄んだ堅さを持っているのだと。
 しっかと頭を垂れて、真耶は再度、仕えるべき主君が誰かを再認識した。

 そして遂に出発の時間が来る。イゼルローンから(正確には鎧衣から)渡された装置に悠陽が“呪文”を唱えようとした時、ふっと何か思い出したかのように、顎にしなやかな指を置いた。

「ええ……ですが、わたくしも少し緊張と不安と興奮があります。このような心持ちをなんといえばいいのか……」

 やはりこの方でもか? という疑問を持った真耶の前で、ぽんと胸に両手を置いて微笑んだ。


「ああ、分かりました。わたくし、生まれて初めて、“わくわく”していますのね」


 ………………。
 なんとゆーか……。

 そー、なんとゆーか………大切に大切ーに育てていた箱入りお嬢様が、“いい歳こいて家出した放蕩児”に引っかかって、いけない夜の道を突っ走ろうとしているよーな。
 そんな、BETAによる人類滅亡の危機よりも厄介な、とてつもなくイヤーな予感が侍従長、もとい斯衛の脳裏を走っていた。


      ※     ※     ※


 極東日本時間、西暦2000年2月23日、AM10:25。

 公式記録において、五度目となるイゼルローンからの電文が届いた。「ウジ茶を一杯。ヤツハシでもなく焼き餅でもなく、コンペートーと」と。

 その5分前、非公式に、地球の帝都からとある電文が出されていた。「健康と美容のために、食後に一杯の緑茶を」と―――。




■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ 

      第13章「とある女性士官の証言より」

 あの日のこと? ……ああ、もちろんよく覚えている。“西暦の終わり”となったあの年。あの日の空の色も、そして寒さも、何よりも殿下の言葉一言一句、決して忘れはしない。

 西暦2000年2月23日。あの日の私は、当時、ようやく量産体制に入った――とはいっても、年間20~30台程度しか造れない――00式戦術機、武御雷〈たけみかづち〉の公式発表会の会場に向かっていた。

 当時の私もいささか疑問だったな。帝国の技術の粋を込めた最新機のお披露目とはいえ、配備される斯衛軍どころか、陸軍や海軍、各省の閣僚を召集するのは何故かと。

 最初は、これは今年中に佐渡島を取り戻すという殿下の意志を示すためだと考えていた。世界最高クラスの戦術機の性能を皆に示し、明星作戦のようにもう一度………まあ実際は、彼らが戦果のほとんどを持っていってくれたのだがな。

(証言者、苦笑し、お茶をすすった)

 そうだな……正直、当時の私もまだ薄い希望を持っていた。あの1999年のとても熱かった日のように、彼らがもう一度、来てくれれば……と。
 不安はあった。そう、確かに……。いかに武御雷が優れた機体といえども、純国産の技術を結集したものであっても。彼らが持つ戦艦一隻にさえ敵しえないのだから。

 だから殿下が壇上で演説の初めに、彼ら――イゼルローンに触れた時はそれほど不自然には感じなかった。

(記録者、レコーダーからその演説を再生する)

『  この声が聞こえますか。此の日、此の時、共に同じ世界に生きている、親愛なる皆様。わたくしは日本帝国政威大将軍、煌武院悠陽。本日、貴方方すべてに伝えたいことがあります。  』

 そう……あれはいささか風変わりな始まり方だったな。帝国臣民にも放送しているとはいえ、あなた方とは妙な言い回しだった。

『  三十年の長きにわたる戦乱の終わりは見えず、皆様の心身には、苦難と不安が大きなうねりとなって押し寄せていることでしょう。  』

 ああ……声だけでも思い出される。六色の武御雷の前で、全ての民に向かって語られる殿下の御姿を。

『  わたくし達の国、日本帝国もまた、戦火から逃れることは出来ませんでした。二年前の敵対異星生物の侵攻により、わずか一週間に3600万の……いえ、今日に至るまでに、それ以上の御霊が大地に散っていきました。  』

 その時の私には分からなかったが、後になって、なぜ殿下が先の言葉を述べられたのかが理解できた。

『  己の生命が助かった者達も、難民キャンプでの困窮と苦悩を伴う生活を余儀なくされている者。大切な者たちを見捨てなくては生きることが出来なかった者。今も戦いの中で友を失っている者。本当の意味の安寧と平和を、この地球上で謳歌している者はおりません。  』

 静かに、誰もが皆、その鎮魂の言葉に耳を傾けて…………実はいなかった。なぜか閣僚の一部に耳打ちしている者がいて、何事かと眉をひそめたものだ。
 ……その通りだ。後になって分かったが、月にいたイゼルローン艦隊が動き始めたという連絡だったらしい。

『  ……そんな時流の中で、  』

 殿下の「気」が変わられたのはその時だった。その場にいる者にしか伝わらない、裂帛の覇気が発せられた。

『  先の年、我々は彼らと出会いました。Another BETA――いえ、イゼルローンの民と。  』

 殿下は晴れ晴れと、それが我が誇りのように彼らを語り始めた。

『  彼らが何者なのか、どうして我らと言葉を交わしてくれないのか、もしや彼らも私たちを排斥するのではないか――そのような暗鬼を生むこともあったでしょう。ですが、  』

 ほほえみをもって、殿下は続けられた。

『  ですが、それは違いました。  』

 その瞬間、さすがの私たちも殿下の演説が明らかに妙だと気づいた。私は恭子様――そう、当時の五摂家の祟宰家の当主――にお尋ねしようと振り向いた。
 だが疑念を顔に浮かべた私とは異なり、恭子様は固く手を握り、緊張の面もちで殿下を見守っていた。

『  彼らは、イゼルローンの方々は、わたくし達と同じ心と想いを持っていました。彼らは、この地球に友を求めてやってきたのです。  』

 演説を止めようかと動き始めた者もいる中―――そう、その放送は日本国内だけでなく、あの日と同じように、全世界中に放送されていたから。それ故に、日本駐在員に連絡も入ったのだろう、事態を知った米国がまず動いた。

『  ゆえに、今こそ、わたくし達は歓呼を以て迎えましょう。遙か遠くの世界、遙か未来の時代からやってきた、私たちの隣り人を! イゼルローンの方々をっ!!  』

 その時だった。大地に影が生まれた。ざわつき始めていた会場は一斉に言葉を無くし、空を仰ぎ見た。
 天には緑碧の船が埋め尽くしていた。BETA光線級の攻撃を避けるためだろう、極限の低空飛行の船は空に蓋をして、私たちを睥睨しているかのようだった。

 理解が追いつかなかった。認識も及びもしなかった。だが不思議と、私には恐怖もなかった。
 隣にいた恭子様が私の手を強く握り、喜びに上気した表情で空を見上げていたから。恭子様は「来た……っ! 本当っ、にっ、来てくれたっ!」って、震えた声で口元を覆っていたわ。

 その艦隊群の中の一隻、旗艦と思わしき船から数隻の小型船が飛び出しきた。
 地上の会場に近づいてきた船を警戒する動きももちろんあったけれど、殿下はそれを止められ、御自ら船の先頭に立たれた。

 開かれた扉の先頭から出てきたのは、一人の女性だった。赤みがかった褐色の瞳と金褐色の髪を短く切り揃えていた。私たちが見守る中、女性は殿下よりマイクを受け取り、澄んだ声で告げてくれた。

『  初めまして、地球の皆さん。わたくしはイゼルローン共和政府代表、フレデリカ・G・ヤンと申します。  』

 議長は語り始めた、イゼルローンの正体を。
 数千年未来の、違う時間軸から来た元地球人であることを。
 他の星系まで人類は到達し、そこで繁栄してきたことを。

 正直、悪い冗談にしか……いや冗談と認識することさえ出来なかった。完全に思考が停止してしまって、ただ聞き流すだけで精一杯だったから。

『  そして今、私たちイゼルローンは、地球の友人を得ることが出来たことを誇りに思います。  』
『  わたくし、煌武院悠陽もまた、イゼルローンの人々の意を受けて、ここに宣誓いたします。  』

 だけど議長が殿下の手を取り、そして大きく天に向かって掲げられた時、


『『  共に、平和をっ!!  』』


 沈黙は永遠に続くかと思えた。でもそれは一瞬だった。すぐに殿下らの後ろにいたイゼルローンの護衛と、殿下の斯衛たちが大声を上げたから。

『 イゼルローン万歳!! 』『 将軍殿下万歳!! 』『 平和に乾杯っ!! 』『  新たなる時代の幕開けをっ!!  』『 くたばれ、BETA!! 』

 半拍の間を置いて、天からも周りからも、一斉に鬨の声が挙がった。世界各地に放送されていた声が、向こうからもこちらに伝わっていたんだ。それだけじゃなく、立体映像も合わせて投影していたらしい。

 喜びの声はさらなる喜びを生み、波紋が重なるように熱気は世界全土をかけていった。ある者は呆然としていたし、若い者は歓呼の声を殿下たちに向けていたな。


 ……私か? あ…あまり話したくないのだけれども………た、たしかに今日は記念日だけど…………んんっ、そうだな……。

 ……泣いていた。熱いものがひたすらにこみ上げてきて、ただただ、子どもみたいに泣きじゃくってしまった。な、情けないとか言わないでくれ。

 わたしは……あの……京都での初陣で……同期の、みんなを失った後………もう泣かないと、心に決めていたのに。でも、なんでだろうかな、あれはその時とは違ったんだ。
 きっと……とても、とても、眩しかったせいだろうかな。あの日のことを思い出すと、どうしてか、今でも、あまりに切なくなってしまうんだ。

 あの時、たぶん分かってしまったんだ。ああ、あの殿下と議長の姿こそが、私たちがどうしようもなく渇望し、求めていたものだったって。

 最新鋭の戦術機でも戦艦でもない。違う星に生まれた二人が手を繋いだあの姿こそが、本当の「希望」の形だったんだって………。

 でも、それから直ぐに判った。あの伝説の演説でさえも、それから十年に渡る、黄金の光に満ちた神話の始まりに過ぎなかったって―――。

【証言者:ユイ・タカムラ
 記録者:ミコト・Y・アッテンボロー
 記録日:宇宙歴12年2月23日    】



[40213] 12
Name: D4C◆c175b9c0 ID:f951a572
Date: 2017/07/05 01:03


       第14章「陽はまた昇る」


 碧船〈あおふね〉来航! 碧船来航! 西暦2000年2月24日、帝国新聞の見出しが、後の歴史書の一節となった。

 黒船が幕末の始まりとなり日本の鎖国を打ち破ったのならば、碧船は世界各国の鎖国を打ち砕いた――という表現は、些か誇張が過ぎるという評価である。しかし、この年この日以降、人々の交流が坩堝〈るつぼ〉の蓋を天にまで吹き飛ばすほど熱くなったということは、疑いを差し込む余地は無かった。
 
 特にイゼルローンが来訪した日から一ヶ月間に残された記録は、公式のものを閲覧するだけで三回人生が暮れると言われる量である。それだけにそこには多くの神話、陰謀論が生まれる余地があり、後生の歴史家たちは想像を楽しませるのだった。

 例えばあの日、煌武院悠陽の『将軍宣言』は国を救ったのか、あるいは地球を売ったのかという点でも意見が割れる。彼女はその後ヤン・ウェンリーに余りに傾倒しすぎる面が見られたからだ。
 それ故に、彼女はヤンの弟子という――彼女がその称号をどう捉えたかはもはや解らないが――国のトップとしてはあるまじき呼び方が一般的になってしまった。

 ただ少なくとも、2000年当時では彼女への一般からの評価は、ただただ感謝と崇拝の声しか聞かれなかっただろう。


 だが、一般民衆や下位軍人は無垢に熱狂することが出来たが、肝心の政治実務を行う中枢官僚たちは当時のことを振り返りこう言った――いっそ殺せと。

 当時イゼルローンからもたらされた技術の中に、タンクベッドという1時間の睡眠を8時間の熟睡に勝る状態にするというものがあった。なんと素晴らしい製品だ、ありがとう、ふぁっきゅーイゼルローン、人類の英知は終〈つい〉に窮まったぞと揶揄された。
 膨大な仕事に忙殺された省庁の人間は「棺桶送り〈リビングデッド〉」にされて働かされると恐々していた。

 しかしまた、当時、内務省に勤めていた『伊隅やよい(旧姓)』の証言はまた別の側面も表していた。

「確かに……当時はただただ、みんな訳が分からないままに動いていたわ。あの発表が急すぎたものね。もう、朝も昼も夜もなく、どの省庁も明かりと人の影が消えることもなかったし」

 でも、と彼女は楽しげに語った。

「今振り返ると、とっても、楽しかった」

 楽しいとは? 質問者が問うと、彼女はBETA侵攻の頃と比較した。

「……同じ忙しさでもBETAが九州に侵攻したときとは全く違う。これからどうなるんだろうって言葉は同じでも、これから自分には何が出来るんだろうって、そんな希望と興奮がいっぱいだった」

 それはまるで、終わりのない学園祭前夜のようで。

「これから体験する事の全てが歴史で、自分たちが確かに創っていくものだって、皆が分かっていたから」

 復興ではなく、新生。旧暦から新暦、終わらない祭りの始まり、新世界への入り口。それまでの閉塞に満ちた生活から解放され、地平線を目指す冒険を味わい、歴史の新しい栄光に満ちたページを、自らの手で埋めていく輝かしい体験。
 それこそが、悠陽とイゼルローンが仕掛けた宣言だった。

 普通、どんな集団にも「温度差」というのが存在する。事態を重く鋭く捉える者もいれば、自分には関係ないと過ごす者もいる。事実、日本帝国の民間人も、自分たちの土地にBETA侵攻が起こるまでは、余りに平穏過ぎる生活をしていた。
 しかし今回の『将軍宣言』は、人類全てを「当事者」として巻き込むことに成功した。

 将軍宣言を世界中の空に立体映像で映した後、イゼルローンの部隊は“連絡”があった難民キャンプに着陸し、食料や生活物資を一斉に配布した。もちろん現地の軍隊や自治組織とは些か以上の摩擦があったが、それ以上の難民達が彼らを歓呼して受け入れた。

 さらに日本政府からも、世界への根回しが一斉に始まった。細かい交渉などではなく、イゼルローンからの援助という鼻薬をかがせるだけで一時的に矛を収めさせた(というより、当時の政府もどこまで約束していいか把握できている者はいなかった)。

 明星作戦からの半年の間に作製した各種物資を、これでもかと振る舞うことで、民衆の熱狂を暴動まで移行することを防いだのだった。 


 しかし、後の歴史家たちは正しく推察している。表面上は余裕の豪勢なパーティーだったが、その舞台裏は火の車の上での綱渡りだったと。
 当時のイゼルローンの備蓄でも、いいところ四ヶ月保てばいいほうだったと資料から分析されている。それまでに次の変化を――しかも将軍宣言以上の決定的な改善をしなければ、人類は泡沫の夢から醒めてしまっただろうと。

 それ故に、イゼルローンと日本帝国は、西暦2000年の万愚節(4月1日)に佐渡島ハイヴの攻略が成したのだった。

 その年表を一見眺めた時、疑問に思う者もいるだろう。いくらなんでもイゼルローンが来てから一月余の間に、ハイヴ攻略という――後世にあっては過大に思えるが、当時の地球人民にとっては過小ともいえる――大・大・大攻略戦を可能とする期間となったのだろうかと。

 ハイヴ自体の攻略はさておき、当時の佐渡島ハイヴが日本国のすぐ間近にあり、倒し損ねたBETAが大陸側でなく、まだ稼働していた横浜ハイヴの反応炉に引き寄せられる可能性もあった。
 どれだけの残敵BETAが、どこに現れるかというのは当時では全く予想しか出来ないだろうに、なぜそこまで早く開戦に踏み切ったのかと。

 しかし、結果は周知の通りであった。

“たった一隻とたった一機”の守護者によって、BETAが人類の防衛線を越えることは、ついに出来なかったということだ。


       ※      ※     ※


 春の闇を割く光が海から昇ろうとしていた。天候は霞がかった雲がまばらに見えるのみ。静かな日になる夜明けの前、しかし、地上の人々で目を覚ましていない者はいなかった。皆、動き、祈り、動かし、想い、そしてその時を待っていた。

 雲が地平の彼方に三度流れ、新造されたばかりの艦が朝焼けに輝いた。紫に染められたその宙船〈そらふね〉は飛ぶその時を静かに待っている。

 その艦内に一人の少女が歩いていた。衛士強化装備を身に纏い、その細い手には一本の宝刀を握っている。

「……鬼の道を現すこと無かれ、其は己が為の刃に非ず、ただ牙無き者の為たれ」

 これから始まる大戦の前にして、彼女はその刀の銘の意味を唱える。

「これより祓いを以て、無道を正さん」

 わずかに体が奮える。ああ、これが武者震い、否、将軍の重みというモノかと、理解できた。

 光が射し込む大部屋へと移動した。すでにブリッジに居た全員が機敏にかつ完璧に――失礼、約一名だけやや緩慢に新兵のように、彼女に敬礼をした。

 指揮官の席へと着いた彼女の手が強く握られた。

「陸母『天曜〈アマテラス〉』、発進せよっ!」

 静けさは破られ、ついに「その時」がやってきたのだ。




 陸戦型戦術機宇宙母艦、略して陸母。その運用構想は戦術機の揚陸・輸送・補給・改修・整備・護衛・支援である。その設計思想自体は既に地球側でも存在していた。
『大隅級戦術機揚陸艦』――全長340m、全幅66m、全高75mのミニッツ空母に比類するそれは、戦術機を四個小隊(16機)収容可能であり、沿岸部の橋頭堡としての役割も担っている。アメリカの空母に至っては一個大隊を搭載することを目指している。

 しかしながらイゼルローンから提供された戦艦は、文字通り桁が違っていた。
 全長830m、全幅220m、全高350m。単純な“容積”でも地球の空母の30倍以上ある。搭載できる戦術機も一桁違い、一個連隊(108機)まで収容可能であった(但し、現実的運用に耐えうる整備・補給の限界は、現状その半分)。

 艦の乗員は2500名。内、戦術機の整備・搭乗要員は約1000名。ほぼ全ての者がベテラン中のベテランばかりが集められ、一度も前線に出ていない者といえば艦長兼総指揮官の悠陽のみであった。


 ただしこの陸母、実は一から造ったものではない。元々同盟軍の空母の――しかも最新鋭のラザルス級ではなく、一世代前のホワンフー級を――改造して急遽造り上げたものだったのだ。

 これにはイゼルローン側の台所事情があった。宇宙空母は単純に設計コストが高いのだ。

 旗艦に匹敵する全長規模を持っており、被弾にもある程度耐えられるよう装甲を厚くし、スパルタニアンを搭乗させる分だけ重量もかさみ、重量分のパワーを補うため、動力炉も大型のものを用意しなくてはならない………と、大きさ分だけコストは高登りしていく。

 自分たちの戦艦でさえ手が足りなかったというのに(ヤン艦隊はこの世界に来た時点で艦隊は三割弱が修理や整備中、兵員二割強は新兵だった)、地球のために一から設計建造する時間的・経済的・人員的余裕などあるわけがない。

 そこで。

『  グリーンティーでダメなら紅茶にすればいいじゃないか。  』

 との最高司令官の発言で方向性が決まった。

 緑茶も青茶も紅茶も原材料は同じで、発酵度が違うだけである。つまり、元々あるものに手を加えて活用しましょう、というリサイクル発想だった。旧帝国貴族ならば、なんと貧乏くさいことをと忌避するだろうが、そんなことは言ってられないのがイゼルローン軍ことヤン・イレギュラーズ。

 イゼルローン要塞の外壁を引っ剥がし加工し、弱い防御部分をカバーし、対空防御でなく対地攻撃を重点的に補い、万一BETAに接触された時のために壁に超高圧電流と衝撃波が流れるように工夫。半年以上の試行錯誤と“実地訓練”を繰り返し、確保した帝国軍艦の部品も流用し、あらゆるパーツを継ぎ合わせていった。

 この改造が成功したのは、同盟軍の艦が大気圏内でも“一応”航行が可能である点が利いていた。

 旧帝国軍の艦は軍船というよりも、貴族のお乗り物という色が大きく反映されている。また宇宙空間で運用するというより、“暴徒”鎮圧のために惑星内で用いられることが多かった。そのためあらゆる空間において十全の乗り心地を保証する必要があり、見た目も内装も豪華にするのも欠かせなかった。
 そんな事を全く考慮しない(というより予算的に出来ない)同盟軍は、宇宙空間においてのみ対帝国軍に対抗しうる船を造っていた。艦外に突き出された無骨なアンテナ群がそれを物語っている。

 しかし。第四次ティアマト会戦の前哨戦において、風速6000m級(時速720km)の水素とヘリウムの風を浴びながらも運航できたように、同盟軍も惑星内戦闘を可能としている。

 ただし、中性子ビームは物体を透過する力が極めて大きいため、放射線としての力が強い。その上ビーム兵器系統は直進性や歪曲性、また大気内ではエネルギーと集束性が減衰しやすい欠点がある。核融合ミサイルなど以ての外だ。
 そのため惑星内での運用というより、“有人惑星”内での宙域戦闘をほとんど想定していなかった。明星作戦での乱入でも、実はかなり兵装を手加減しなくてはならなかったのだ。


 ――閑話休題。


 そうしてイゼルローン謹製実験機、陸戦用母艦「天曜〈アマテラス〉」は完成した。そして様々な政治的・軍事的な思惑を込められて、地球(というより日本帝国)に「貸与」されることになったのだった。
 日本国内だけでなく国連からも、その所有権利や使用条件についての議論異論暴論があった(現在進行形で大増殖している)のだが、兎にも角にも、こうして初の実戦発進となった。

 BETA光線級の攻撃を避けるため、現在は低高度に浮遊している状態であるが、朝焼けの中で静かに空中に鎮座する姿に神々しさすら覚えた。

 それは内部にいた者たちもそうであった。作戦実行を告げる将軍殿下の姿はこれが初陣にはとても見えない。驕ることも畏れることもなく、彼女はただそこに在った。

「……殿下」

 時計を確認した月詠真耶が放送の準備を促した。

「全軍へ告げる。これより本作戦の総指揮官、煌武院将軍が放送を始める。各員、作業の手を止め、傾聴せよ。繰り返す、傾聴せよ」

 ゆっくり瞠目した悠陽は強化装備服のマイクを入れた。

「みなに私から告げる宣言はただ一つ。我々はすでに勝利している」

 困惑と動揺が沈黙の中でかき混ぜられる前に、将軍は続ける。

「我々はこれまで敵対異星生物に対し、まず戦うことから始めていた。故にこそ、決定的な勝利を得ることは敵わなかった」

 混乱を続ける兵の中、気付く者達も現れ始めた。彼女は兵法を語っているのだと。

「孫子に曰く。兵法は一に曰く度〈たく〉、二に曰く量、三に曰く数、四に曰く称、五に曰く勝。国土は資源を、資源は兵数に、兵数は戦力となり、戦力が即ち勝利を呼ぶという意味である」

 敵と比較してより強大な戦力を整え、補給を完全にし、情報を多く収集し、かつ正確に分析し、信頼しうる前線指揮官を任用し、地理的に有利な位置を確保し、開戦の時期を選ぶ。それらをやっておけば戦術的敗北など論評にも値しないと。

「イゼルローンより寄贈された技術・資源により、我らは既に勝利の準備を成した。これまでの止むに止まれぬ戦いではなく、これより先、我らは約束された勝利の戦いを始める」

 そして十全に戦いの準備をした最高司令官の任務はただ一つ。
 全軍に対して言うだけである。

「ゆえに、煌武院悠陽は唯一つの命令をする! 死ぬなっ!!」

 その声は全ての兵士に届いた。

「そなたらの命は決してこの不毛な戦で散らすものにあらず! これから先の世界を、友を、家族を、仲間を、国を! そして何より、己自らの歴史を紡ぐためにあり! 忘れるな、我々は死地に往くのではない! 生きるために、勝つのだっ!!」

 一瞬の沈黙の後、怒濤のような声が大地と雲を揺らす。悲壮も狂気もなく、自分たちこそがこの戦いの主役だと胸を張って叫んでいた。

 かつてこれほどまでに高揚に満ちた戦いがあっただろうかと、天曜戦術機隊長『斑鳩祟継』は歴史に立ち会ったことに、体が上気するのを止められなかった。
 この国を、未だ戦うべきでなかった後輩たちを今度こそ守れると、天曜副長『嵩宰恭子』は身を正して英霊たちに敬礼した。
 よくぞ、よくぞここまで、と愛しき娘を見るがごとく、天曜保安主任『月詠真耶』は涙を一筋流した。 

「……また、我らが既に勝利しているという証は、イゼルローンより渡されたこの艦のみにあらず。今回、特別にイゼルローンより総参謀長をこの艦に招いている」

 ざわっ……と感激の声がなりを潜め、今度は期待と緊張のざわめきが残った。

「本来、そのお方は参謀などではなく司令官を務めるべき者――イゼルローンの唯一人の元帥である」

 画面を見ている者たちのざわめきが更に大きくなった。まさか、まさかまさかイゼルローンの最高司令官が居るなど―――事情を知らされなかった軍人閣僚全てが驚きに満ちた。
 まさかこれはイゼルローンが日本帝国の下に付いたという事か、と勘ぐる者たちもいた。

「申し訳ありません、ヤン・ウェンリー閣下。皆にお声を」

 今まで映っていた将軍殿下の姿から画面が移動する。息と空唾を同時に飲み込む音さえも途絶える。
 間違いなく地球各国を七度滅ぼせる軍隊の最高司令官。いったいどのような豪傑英傑が―――
 
「ああ、こんにちは、ヤン・ウェンリーです。どうぞよろしく」

 ……………………。

 ……ん? んんぅ?

 スピーチが二秒で終わってしまった。え、続きは? というよりこんな男が本当に? というか、若ッ!? なんか冴えない感じが……。あ、頬をかいている。

「コホ、コホンッ! ……失礼、どうぞ、閣下」

 未だに頬をぽりぽり掻いていた閣下に、じろりとした視線を向けずに向ける保安主任。

「どうぞ。“続き”を、さあどうぞ。ヤン・ウェンリー閣下」

 ここで紹介にあずかった元帥閣下は思った。あー、この人、ムライ中将と同じタイプだ、と。

「ええと、どうもこういうのは……つまり、まあ申し上げることはほとんど無いのだけれど」

 やれやれ、普通こういう演説は音声だけでいいのに。今回は結成式ということもあって、顔まで出さなければいけなくなるとは。まあ、戦いを立案した身としては、これもまあ給料の内か?

「殿下の仰ったように、勝つための算段と準備は十分にしてある。だから、気楽にやってくれ。……あー、うまい紅茶を飲めるのは生きている間だけなんだから、みんな死なないように戦い抜こう」

 全世界の微妙すぎる空気がブリッジにも流入し始め、月詠のしかめっ面が深くなり、悠陽の微笑みが逆に柔らかくなった。

「なに、就業時間内は給料分の業務を遂行すればいい。私は皆に能力以上の仕事は求めない。訓練した通りにすること、指示に従うこと。それさえ出来れば、今晩のディナーにシャンパンをつけて楽しむことができるさ」

 先ほどの悠陽の時とは異なる勢いであるが、紛れもなくそれは勝利宣言であった。まるで気負いのない声に、徐々に全員の意識が勝利へと向かっていく。

「前線にいるパイロットや兵士だけじゃない。医療者、整備員、コック、歩哨。後方で支えてくれている君たちもまた、等しく現場に立っている。誰か一人欠けても作戦はうまくいかなくなる。慌てず騒がず、いつも通りにやってくれ」

 穏やかな口調のまま、男は締めくくる。

「さ、それじゃあ、そろそろ始めようか」

 彼にとっては自己最長記録並みのスピーチを、他の者にとっては短すぎる演説が終わった。
 淡々すぎる語り部に、戸惑いの沈黙が長く流れる。その静寂を破ったのは彼のすぐ近くからだった。悠陽は地球人の誰より早く――実は彼女とほぼ同タイミングの者が数名いたのだが――忌憚のない拍手を鳴らしたのだった。

 それに続くように次々と、静かな波紋のような拍手が世界中の兵士たちからもたらされる。悠陽の時の熱狂的なものとは対照的な、湖畔のパーティーの開会式のような爽やかな空気が流れた。

――なるほど、これがイゼルローン最高位元帥。

 斑鳩祟継は画面の向こうの男を興味深く眺める。気持ちは軽く、しかし、その瞳と口元は薄さと鋭さを増していった。おもしろい、おもしろい、ああ、これは手強い。今まで見たことも無い属性を持つ男だと、分析と警戒を怠ることなく彼を見た。
 それは各国の諸機関の者達も同様であり、音声と映像の記録はもちろん、既に人格分析も始まっていた。

 イゼルローン側もそれは警戒しており、彼を前面に出すことは避けたいところだった。ヤン自身もマスコミ関係の鬱陶しさは、よくよく身をもって知っている。
 ――のだが。某魔女のささやき(という名の脅迫というか“実験”)によって、メリットの方が大きいからツラ出せオラァ、ということになった。

『深淵を覗こうとする奴は、こっちからも覗けるってことよ』

 という某女傑の言葉に、こくこくこくはむと頷きを返す黒兎の少女もいた。彼女も“身をもって”ヤンを識った人物だったからだ。
 ヤンに毒された彼女の戦いもまた、既に始まっていたのだ。ヤンという最上級の役者をいかにして舞台に上げるか。某陸戦中将と結託し、演出家兼プロデューサーと化した香月夕呼も舞台裏で暗躍を続けていた。


 ヤンもそんなことを思い出しながら、やれやれ、こーいう政治的な駆け引きはほんとに遠慮したいのだけど、と肩を軽くすくめた。

「じゃあ殿下」
「はい、閣下」

 この場の最高責任者に参謀はマイクを返す。作戦の開始の合図はここに始まる。

「ではっ! これより作戦を開始する!」

 コードZとされた地球人類反攻作戦の第一手。それは作戦の要の兵器名であり、その物質を発見した博士の頭文字。そして“本来の”使用のために用いりますという敬意を表し、その作戦はそう呼ばれた。

「『オペレーション・ゼッフル』、発動せよ!!」



      ※     ※     ※



 “それ”が“それら”を発見したのはつい先ほどのことであった。“それ”は自身に与えられたプログラム通りに“それら”の追跡・回収をすぐに行うことを決断した。

 自らの“施設”の中に進入してきた浮遊飛行物は四つ。それぞれが全く別の方向へと縦横無尽に飛び続けていた。こちらに対する“災害”ではない。中身も全く新たな構造でできた、簡素な生命体のようだった。

――アラタナ、資源とナルか?

 資源回収のプログラム通り、“それ”は自らが作り出した作業機械に命令を出す。追跡せよ、回収せよ、分解せよ、解析せよ、利用せよ、応用せよと。

 しばらくして“それら”が別の物質を出していることに気付いた。その物質もまた“それ”にとっては未知の物質であった。その粒子は拡散しようとせず、別の“原始的生命”に誘因され、主に巣の下層に向けて広がっていったようだった。

 都合がいい。このまま“通信機”まで来れば回収と分析の時間が省略できると、作業機械らにも粒子を残さず捕獲させていく。未知の物質の解析は“本体”に任せなくてはいけない

 その単純作業を幾ばくか続けた後、突然――――

――高温ヲ確認――――?

 “それ”は“本体”への通信を一瞬で断絶した。



      ※     ※     ※



 ゼッフル粒子、それはカール・ゼッフル博士によって発明された気体爆薬である。元々は惑星開発や資源発掘のために創られたそれは、それまでの人類の歴史を振り返るかのように、軍事的目的でも使用されていった。

 その特性はいくつかあり、高温に連鎖反応して爆発するのだが、火薬式の銃火器や戦艦のロケットエンジンなどでは反応温度に達せず、レーザーなどの数万度に初めて反応する。
 この特性を活かして、要塞内や宇宙戦艦内においてブラスターやレーザーの使用を不可能な状態に持ち込む戦術が生み出された(レールガンやミサイルなどを使用すると、壁も壊れて宇宙空間に投げ出されてしまう)。

 第二の特性は、その爆発力であった。普通の火薬のように酸素を必要としないというのに、その破壊力はたった一機の発生装置によって宇宙要塞の四分の一を吹き飛ばすほどである。
 ヤンが元々いた同盟においてもかつて事故で流出し、1800万平方メートルという、一つの街に相当する面積が焼失するという被害が発生するほどの効果範囲であった。

 今回のZ作戦はそれを使用したのだった。


 BETAのハイヴ攻略において何が一番厄介か、それはひとえに「巣」内の複雑な構造とBETAの数にあった。
 フェイズ3~4と推察される佐渡島ハイヴでは、最大深度は1000m、地下茎半径は10kmにも及ぶとされている。またその内部は単調ではなく、縦杭〈シャフト〉、横杭〈ドリフト〉、門〈ゲート〉、広場〈ホール〉……と目的地である反応炉があるメインホールにたどり着くまで、地下迷路が延々と続く。もちろん20万に及ぶといわれるBETAと対峙しながらだ。

 戦術核並みの威力を発揮する、電子励起爆弾S-11が有効でないのもその構造ゆえだった。単純にハイヴの強固な壁に阻まれて爆風が遠くまで届かないのだ。
 それ故に、今まで地球人類は戦術機や戦車によってハイヴに突入させるという作戦しか取れなかった(アメリカとしては、だからこその新兵器を使いたがったのだが)。

 しかし、そんな巣に高圧の鉄砲水を流すがごとく放たれた気体爆薬は、逆にその巣の構造を逆手に取った。数年前に帝国で新開発された指向性ゼッフルを利用し、下層を中心としてハイヴの隅から隅まで粒子を充填した。そしてそれらに一気に点火した成果は―――



「佐渡が、怒った……!!」

 モニターを通じ、あるいは現場の近くで、あるいは遠くの地で。その身で振動を感じ、その耳で反攻作戦の爆音を聞き、その目で溢れた炎が天を焦がす様を見た。
 地球の怒りを聞け、人類の意志を放てと、その日、日本にいた者たちは声を高らかに上げた。

「津波、第一派、来ます!!」

 そして予測通り、大地を震わせた影響で生じた津波が発生した。作戦前から日本海側の沿岸から避難させていたので被害はなく、津波の高さも計算以上のものではなかった。

 ただ一つ。この作戦は立地条件上、どうしても津波が発生するため、佐渡島周辺に支援砲撃を行う戦艦を一切配置出来ないという欠点があった。いくらゼッフル粒子でくまなくハイヴを吹き飛ばしたといっても、数%は残存したであろうBETAを駆除しなくてはいけないというのに。

 だからこそ―――

「天曜〈アマテラス〉、発進せよっ!!」

 母艦が更なる浮上を開始する。山の高みを越え、雲に近づき、内陸の尾根を飛び越えていく。だが高々度までの飛翔により、確実に訪れる存在がやってくる。

「っ、光線級、来ますっ!!」

 その声に一瞬、全員に緊張が走る。解ってはいたのだが、それでもこの恐怖だけは拭うことが出来ない。戦艦の装甲さえ十数秒で蒸発させてしまう重光線級のレーザー、それが文字通り束になって襲ってくるのだ。

 幾百、幾千もの光が大陸の彼方から襲ってくる。決して標的を外しはしない、確実無比の殺戮光線がたった一機の戦艦めがけて殺到する。

「っ……っっ……、ひ、被害……被害無し! 繰り返す、当方に被害無しっ!」

 歓声がブリッジから上がる。元々、宇宙艦隊のほとんどに設置されている電磁シールドによって、質量弾以外ならば十二分に防御できることは解っていた。しかし今回はたった一隻に対して、全方位から襲いかかってくるのだから心配は尽きなかったのだ。

「まあ、こっちも色々と実験したからねぇ」 

 五稜星の帽子を手で遊んでいたヤンは、ふたたび帽子をかぶり直す。伊達に耐久実験を重点的に行ってきたわけではないのだ。宇宙空間を航行する速度を落とした分だけ、出力と耐久度はどの艦よりも優れていたのだ。

 そのヤンの落ち着き具合を感じたブリッジの面々にも、その安心感が伝播する。同時にヤンの肚の座り具合を見て、彼は新兵などではなく、歴戦の勇士なのだと確認できた。

「……それだけ、イゼルローンの技術に自信があったということね」

「いえ、それはきっと違います」

 副長の嵩宰恭子が漏らした小さな独り言に、悠陽は否定の言で正した。

「もちろんそれもありますでしょう。しかしあの方は、戦場で――いえ、生きている限り、いつ命を落とすかということに対し「絶対」は無いと自覚して在られるのです」

 確かに……それはまあ、そうだけど。どんな者でもいつ亡くなるかなんて、本当に、そう本当に判らないものだけど。

――でもそれをこんな非常の時に、実践できる人なんて……?

 恭子はモニターから目を離し、下の席にいたヤンの後ろ姿を見る。

 ヤンはいつの間にか、指揮卓の上にあぐらをかいて座り込み、片膝をたて、その膝に肘をついて頬杖をついていた。月詠真耶などは、なんとだらしない姿勢だと眉をひそめていたが、恭子は不思議と別の連想が浮かんだ。

――弥勒菩薩の半跏思惟……?

 それくらい、彼は自然体でモニターを注視していた。

『  多くの戦場で生き抜いた者が、風邪をこじらせて死ぬ。権力闘争に生き残った人物が、名もない暗殺者の手にかかる。毒殺をおそれて食事もとらなければ餓死をする。用心しても、だめな時はだめさ。  』

 一瞬、ハッとした。彼の背中は、そう自分に語りかけてくるようだった。

――そう……そうね、だからこそ、為すべきを為す。

 当たり前のことを今更再確認するまでもない。今、自分たちは為すべき仕事をするだけだ。

「……慌てず騒がず、いつも通り、訓練通りに、ね」
「ええ」

 年下の将軍殿下と共に笑みを漏らす。ああ、なるほど、この少女は既にこの不思議な元帥閣下と逢っていたからと納得できた。

「慌てるな! イゼルローンの者から受けた教習通り、反撃を開始せよっ!!」

 この一ヶ月間、地獄の集中プログラムを潜り抜けた精鋭たちは意識をモニターに戻す。
 数千にも及ぶターゲットに自動照準をロックし、いまだに撃ち続けてくる光線級にカウンターをお見舞いすべく指示を待つ。

「総門開けっ!! ――放てっ!」

 十六門の主砲から秒間数百の光条が放たれる。光のシャワーは遙か地平にいたBETAを大地ともども削っていく。あれほど厄介であった光線級の姿は半瞬で蒸発していった。
 その様をデータで確認するたびに、艦内からは無数の歓声があがっていく。

「油断してはならないっ! 戦いは未だ始まったばかりなのだっ!」

 若き将軍の檄に一同は気を引き締め直す。そうだ、なにを新兵の初陣のように浮かれていたのかと。今自分たちは日本の、そしてこれからの人類の未来を担っているというのに。
 あまりに強大な軍事力を与えられてしまったという事実を再確認し、身と気持ちを引き締めて任務に当たる。

 作戦行動は順調に進んでいく。光線級BETAを掃討でき攻撃も一旦止め、佐渡がある日本海側へと油断なく到達した。

 ハイヴの門から湧き出ていたBETAの残党も目視できる。どうやら奴らは他のハイヴのある大陸側に向け、一斉に逃走を開始していたようだ。

「対地射撃、開始せよっ!」

 艦の下に設置された副砲から炸裂弾が発射される。先の遠距離精密射撃ではなく、小型BETAも殲滅すべく隈無く佐渡島に雨を降らしていく。

 火の豪雨に打たれ、炎の嵐に巻かれ、BETAはその炭化した亡骸を大地に落としていく。地表に動く姿が確認できなくなった頃、出番を待ちかねた戦術機部隊が戦場に舞い降りる。

『さて、記念すべき武御雷の初の舞にしては些か寂しい舞台となったが……皆の者、これからが我らが槍働きぞ! 一番槍を務める我が斯衛の闘い! これからの誉れ高き時代に刻みつけてゆけいっ!!』

 若き鮮烈な声と共に、艦の上面に設置されたカタパルトから青の武御雷が発艦する。その機体の腕には機体を覆う盾が設置され、万が一の下からの光線に対する防御も備えていた。
 予備中隊を艦に残し、最新鋭の三個中隊がハイヴの中央縦杭近辺に無事着陸する。ハイヴ完全攻略のための橋頭堡はここに確保された。


 予定作戦時間通りに進む。散発的なBETAの駆除を続けていると、天曜に遅れて、数十機の空挺機が山を越えてやってくる。反応炉確保のために国連軍も戦力を放出していたのだ。天曜が備えているバリアは無くとも、光線級の攻撃を防ぐ装甲の外付けは完了している。

『ドラグナー部隊! パーティーに遅れるなよ、ディナーがカラになるぞっ!』
『クラッカー1、着陸完了! 予備弾薬を落とせ!』
『戦術機十二機、搬送完了! これより基地に一旦帰投する!』
『門〈ゲート〉進入開始、これより有線で連絡するっ!』

「……すごい」

 ここまでこちらの被害は一切無く、全ての攻略が順調に動いていた。いやもちろん油断は出来ない。残ったBETAが一点突破してくることだってありうる。何しろ奴らはこちらの想定外のところから出現してくるのだから。
 コマンドポスト達もモニターを注視し、索敵長はいかなる範囲の敵の接近も見逃さないとセンサーに注意した。

 作戦開始から時間が経過した。今のところ、ハイヴ侵入部隊からも特に異常らしき報告は上がってきていない。

「……ああ、やっぱりか。やあ、これは一大事」

 そんな安堵で緩み始めたブリッジの中。これまでほとんど発言も仕事もしなかった、形の上での参謀長が壇上を見上げた。

「殿下、B92ーΔ08の位置に極低周波ミサイルを打ち込んでいただきたいのですが」

 ――は?

 ブリッジにいた全員の時が一瞬止まった。

「……なぜ、でありますか、閣下?」
「布石です」

「……そこがどこかご存じで?」
「内地です」

「……今ですか?」
「今です」

 モニターで地表部分をチェックしてもなにも無い。いや、廃墟と化した町があるくらいで、BETAどころか避難民も部隊も誰もいない……なぜ今? というか私たちに? 日本国を? 攻撃しろと?

「なるべく地下深くで爆発するようセットしてお願いします」

 それを聞いて、悠陽の意識に緊張が走る。そう、それは可能性の一つとして聞かされていたものだったからだ。

「……BETAが日本の地下にいると?」
「おそらくは」

 なぜそれがこの時点で判別できたか、それはもはや訊くことはなかった。参謀が示したのならば、司令官がすべきことは唯一つ、素早く決断するだけだ!

「B92ーΔ08に向け、地下貫通砲弾を発射せよっ!」

「し、しかし!? そこは我が国の領土では……」


「日本帝国政威大将軍、煌武院悠陽が勅命であるっ!!」


 10代の少女の躰から放たれたとは思えない、雷鳴のような声が静寂を創った。ヤンなどは乗っていたコンソールの上からひっくり落ちるほどであった。

「りょ、了解ッ!? 標準合わせ、砲撃準備っ!」

 戦略構想を描くのが参謀でありならば、それを細かい部分に調整するのは現場の人間だった。特に、司令官にカリスマがあるのならば、その指令系統に迷いは無かった。カリスマとは即ち、迷い無く判断と決断を為すことができる人物そのものなのだから。

「殿下……っ!?」

 そう……民間人も部隊も展開していないとはいえ、自身の領地に弾頭を放って何も無かったでは済まされない。それは理解しているが、詳しく理由を問いただしている間も、閣僚に伝える時間も惜しい。

 人の上に立つということは、多くの責任を背負い、多くの決断を下さねばならぬということ。
 全ての安全を満たす道が、常に自分の前に有るとは限らない。時に限られた状況下の中で決断を強いられることもある。だからこそ、勇気を持つ。自らの手を汚すことを、厭うてはならない。

 この首一つで救われる命が数百数千あるのならば。
 この艦を、戦う力を預けてくれたイゼルローンの信義があるのだから。
 
 たかだが一つの弾丸を放つのに、何の躊躇があろうか!!

「放てッッ!」

 果たして放たれたミサイルは、数秒後、群馬県の山沿いに着弾した。そのまま地面深く潜り込んだ弾頭は、地下数百mで正しく爆発し、第二・三帝都にまで震動を与えることになった。

 だが、その結果はすぐに明らかになった。

「……なんだ、これは……?」

 索敵長がその着弾地点周囲の赤印に驚きの声を漏らす。それは時間を追うごとに、濃度と範囲を増していった。

「――地中からBETAが出てきています! 中型と小型がほとんどのようですが……その数、およそ二万っ! い、いいえ三万……軍団規模、なおも増大中っ!」

 ブリッジにいた全員が、ハイヴで部隊を展開していた帝国軍が、基地に残留していた国連軍が。報を聞いた全員がどよめきと警戒を始める。

 これは不味い、と。恭子は思わざるを得なかった。確かに天曜は強力無比な母艦ではあるが、強力過ぎるのだ。横浜ハイヴ攻略の際、イゼルローンが丁寧にBETAを排除していたのは、ひとえに地上部隊を巻き込まないためだったのに。

――手が足りない……!?

 特に今回はBETAが分散しすぎている。空爆をする部隊はいないまでもないが、隠れていた光線級が出てこないとも限らない。しかし、佐渡島ハイヴ攻略まで天曜を動かしすぎるわけにもいかない。まだハイヴ内にだって何があるか判らない。

 一旦作戦の中断を具申すべきか、それとも禁じ手のイゼルローンからの援軍を乞うべきか、帝都や国連の駐屯部隊だけに任せるべきか―――

『作戦行動中、失礼いたしますわ、殿下』

 そこに突然、余所からの通信が入った。通信元は横浜の基地からだった。

「香月博士、ですか」

『ええ、今回の作戦で使用するとは“あまり”想定していませんでしたが、出せます』

 Need to knowの原則は、今、解禁される。この場においては、煌武院悠陽と香月博士、そしてヤン・ウェンリーしか知らなかった事実が明らかとなる。

「あいたたた……まあ、兵器なんてものは、使わないならそれに越したことは無かったのですがね」

 布石という種を播くことには定評のある黒髪の魔術師が。
 種に水と肥料を蒔くことを怠ることのない黒髪の魔女が。

「……なるほど。では、お願いします」
『それでは―――もしもし、マッドドッグ、出番よ』 

 その二人のもと、天まで伸びた蔓を上り、実を回収する苦労を背負うことになる、栗毛の“女教皇”が。
 
『オーダー・オンリーワン、サーチ・アンド・デストロイよ』

 最高の舞台の中、動き出す。


『戦術“宙戦”戦闘機、「大翔〈ヤマト〉」! これより日本帝国内のBETAを殲滅するっ!』 


 新世代の戦術機が、今、地球の空を翔ぶ。



      ※     ※     ※



 「死の八分」という言葉が衛士訓練兵たちに最初に教えられる。
 
 BETAとの戦いの中、初陣で戦ってきた先人たちの平均生存時間である。これは単にBETAが余りに強く多かったことだけが原因ではない。

 当時――航空戦力が余りにBETAの前に無力化した時、軍隊は大幅な再編を余儀なくされた。無役となったパイロット達に対し、全く新しい概念・戦術・運用・機動を要求した。だが当然のことながら、そんな急編成が巧くいくわけもなく、多くの屍という教訓を必要とした。
 そして、新兵衛士は皆、初陣の中でその死を越えていかなければならない……。

「……それをもう一度、越えていかなきゃね……」

 私は今まで、訓練兵たちに何度その話をしただろう。私自身もまた、その非情のデータを教えられた。しかし、当時はまだ日本の半分がBETAに占領される前であり、私はその教えが単なる脅しだとしか捉えられなかった。極端なデータを持ち出しているに過ぎないと高をくくり、それが自分を、そして仲間達を危機に陥れたのだ。

 自分が果たさなければならない重責を。
 私が未熟であったが故にこの身に負った罪を。
 私は決して忘れることは出来ないだろう。

 多くの仲間を、そして教え子を見殺しにしてきた私は、きっと地獄へと落ちる。

 …………、でも、


『  提督が地獄にいらっしゃるなら、ぼくもお供します。少なくとも寂しくはありませんよ。  』
『  ばかなことを言うんじゃない。お前には天国へ行ってもらって、釣り糸で私を地獄からつり上げてもらうつもりなんだ。せいぜい善行をつんでおいてほしいな。  』


 フレデリカに教えてもらった会話に、またクスッと思いだし笑いがこぼれる。あーあ、自分はなんでこんな新世代の革新機に乗らされているというのに、こんなにリラックスしてしまうのだろう。

――きっと、ヤン提督たちのおかげ……いいえ、せいかしら。

 なるほど、後世に平和を残すのは結局は自分のためなのか、ふむふむ。なら、自分もこれからは教え子たちに、そして子供達に人生を全うしてもらって、後でつり上げてもらわなくちゃ。

 だからそのためにも、

『  微力を尽くします。  』

 全力でなく、死力でもなく、ましてや粉骨砕身ではなく。たとえ内心で真剣そのものであっても、命懸けでもそうは見せない、イゼルローンのスタイルを真似て。
 
「……じゃあ、私も、ちょっとだけ超過勤務しないとね」

 緊張はもう無い。たとえこれが全く新しい戦術概念の機体だとしても。これが初めての実戦配備だとしても。これを用意してくれたのが、何度も死線を越えてきたイゼルローンと、自分が敬意を抱く友人なのだから。

『――もしもし、マッドドッグ、出番よ』

 じゃあね、行ってきます、みんな。

『オーダー・オンリーワン、サーチ・アンド・デストロイよ』

 いままでの贖罪ではなく、これからの未来のために。

「戦術宙戦戦闘機、『大翔〈ヤマト〉』、これより日本帝国内のBETAを殲滅するっ!!」

 スロットルを回し、その名の通り、大空へと飛び立っていく。




 戦場へとたどり着くまでのほんの僅かの時間。私はイゼルローンで得たヤン閣下の見地を思い出す。

『ユリアン、万能の兵器とは決して全能ではないんだよ、むしろ無能に属しかねない』

 普段のように、ヤン閣下は養い子のユリアンに対して自身の考えを話していたようだ。私たちはその隣で彼の軍事論を拝聴していた。

『……それはどういうことなんですか、ヤン提督』

『うん、ヤシロ君。例えば軍事で使うからといって、我々は宇宙戦艦ばかりを造ればいいというわけじゃないんだ。戦闘は軍事の所詮一場面に過ぎない。哨戒・巡航・警備・輸送・護衛といった軍務から、訓練・整備といった合間の任務も必ず存在する』

 だからこそ、戦艦以外にも、空母、駆逐艦、巡航艦といった戦闘艦から、強襲艇、空戦艇、連絡艦、輸送艦、修理艦、医療艦といった特殊な任務を帯びた艦まで、幅広く造らなければならないと。

『それで先の軍曹からの質問の、「イゼルローンの技術を得た戦術機」が今後どのような形で開発・進歩していくかということに戻るんだけど、』

 学生に戻ったつもりで、私もヤン教授の講義に聞き入った。

『それは、ドクトリン〈運用思想〉次第になる』

 そうですよねと頷きを返す私とミンツ中尉と夕呼に、首を傾げる社の姿があった。

『まず前提として、イゼルローンの技術を応用すれば、武装や出力や装甲やらのカタログスペックは確実に進歩する。しかしどんな場面でも扱え、どんな敵にも勝てるような全能の兵器が創れるかといったら、それは不可能だということさ』

 ヤン閣下は更に補足をして下さった。

 彼らの世界においても、戦術機のようなパワードスーツは過去に存在し、一世を風靡したこともあるらしい。しかし“対人”を相手に戦争する以上、重く大きい機体は単なる的以上には成りえなかったようで、直ぐに開発から手を引かれたと。高価で複雑な手間のかかる機体が、安価で単純なミサイル一発で使い物にならなくなれば、ね。
 実際、第一・二世代の戦術機を思い返すとよく理解できる。動力の出力を上げたり、防御装甲を上げたりするだけでは、BETAの餌食になるだけだったから。

『想像を絶する新兵器、というものはまず実在しない。だいたいが理論的には実現されているのがほとんどさ。新兵器の出現は技術力だけでなく、経済力の集積の上にも成立しているものだ。だから遅れをとった陣営の敗北感は、「まさか」より「やはり」という形で表現されている』

 夕呼もまた、彼の発言にうむと我が意を得たりとうなずいた。

 ただその後の「古代ギリシア、シラクサのアルキメデスは様々な科学兵器を考案したものの、結局はローマ帝国の侵攻、つまり物量を防ぐことはできなかった」とか、「負けが越したからといって、ワンオフの兵器で戦術上の勝利を覆すような代物を求めてはならない。それは単なる大穴狙いのギャンブルだね」いう言葉にはビキビキと青筋を立てていたけど……。いつ「アンタが言うかーッ! 言うかーっ!?」ていう言葉が飛び出すかヒヤヒヤしたわ。

『想像を絶するとは、むしろ「用兵思想の転換」に用いられる』

 うんうんと全員が話に聞き入った。

『新兵器を用いた例としては、火気の大量使用・航空戦力による海上支配・戦車と航空機による高速機動戦術。従来の兵器を用いた例としては、ハンニバルの包囲殲滅、ナポレオンの各個撃破、毛沢東のゲリラ戦略、ジンギスカンの騎兵集団戦法、孫子の心理情報戦略、エパミノンダスの重装歩兵斜線陣……とかだね』

 あらためて元帥閣下の歴史知識と軍事考察の深さを知った時だった。

『だからまあ、仮にイゼルローンの技術で最初の戦術機を造るとしても、今後の発展を考慮して、なるべく「拡張性」を持たせた機体にするくらいかな? まあどちらにしても、大差は無くなっていくだろうけどね』

 なるほど、まったく正論だった。戦術機の不知火のことを思い出すとよく解る。機能をとことん突き詰めすぎてしまうと、余りにピーキーになりすぎて精鋭衛士にしか扱えなかったり、発展性の余裕が無くなってしまったり、コストや整備面で使い物にならなくなるからだ。

『そもそも、勝敗は兵器の質ではなく、まず敵に対して少なくとも6倍の兵力を揃え、補給と整備を完全に行い、司令官の意志を過たず伝達することこそ肝心なんだ。勝敗などというものは、戦場の外で決まるもので、戦術とは所詮、戦略の完成を技術的に補佐するものでしかない。戦術レベルにおける偶然は、戦略レベルにおける必然の、余光の破片であるにすぎない。戦略的条件が互角であれば、むろん軍人の能力は重要になる。しかし多少の能力差は、まず数量によって補いがついてしまう。数を揃えられなかった者の自己正当化を押しつけられて、そんな異常という名の奇跡を当てにされては、前線に立つものはたまったものでは「――ではっっ!!」

 あ。……長い付き合いだから解る。夕呼が(また)キれた。

『ええ、ええっ、もしもっ、ヤン元帥提督閣下様がっ、たった一機の戦術機によってっ! 地球の戦場を、いいえ軍部の意識を革命するとしたら!? ……どんな用兵思想の転換をいたしますか、わたくし、とても、とーってもぉ、お伺いしたく存じますわ♪』

 にこやかに、しかし本気の夕呼がそこにいた。答えないとブチ■す♪ と言わんばかりの壊顔〈えがお〉に、ヤン提督もさすがに髪をかいていた。
 まあ……ヤン提督もそうやって当てにされ続けて散々苦労してきたんだなーって、前線の人間として私も気持ちは解ったけど。ちょっと、あの夕呼の前で言い過ぎたのよね。

 でも。言われて終わらなかったのが、「魔術師ヤン」と言われた彼の凄さだった。
 そこで、夕呼とヤン提督の共通点が一つ分かった。二人とも劣勢な状況の中であっても、状況をひっくり返す事ができる「天才」だということだ。

『…………そうですねぇ、いくつかの案としてですが――』

 その何気ない会話こそ、始まりだった。




 そんなことを思い返したのも“数秒”だったろうか。もう、そこは戦場だった。レーダーを七割埋め尽くすほどのBETAの群がそこにはあった。

「殲滅戦術の一、『玖紗薙〈クサナギ〉』を使用する!」

 一切スピードを減衰することなく、そのまま低空を駆けていく。超・超音速によって、機体が接する空気そのものが兵器となる。しかしそれだけではない。戦術機の横翼と後翼から放たれる粒子砲が、周囲の敵対異星生物を薙いでいく。放たれる九筋の光は、まるで天女の衣が宙に舞っているような幻想的な光景にさえ見えるだろう。

 だがその威力は尋常ではない。半瞬で機体が過ぎ去っていく後には、粒子に焼かれたBETAの藻屑も死骸さえも残さない。だが止まることはない。粒子砲を更なる推進力として、瞬きよりも早く、星の光が過ぎ去るように空間が流れていく。

 光線級が狙いをこちらに定めるよりも、なお疾く。急旋回・急制御・急加速という、中のパイロットをも殺しかねない動きによって、狙いを決して定めさせない。
 慣性制御システム、重力制御システム、高度演算装置。これらによって、この無茶苦茶な動きの中でも無事な航行を可能としていた。

 赤い大地を裂くように、BETAの群を縦横無尽に駆けていった――。



『  ドクトリンとは、要はどういった場面でその兵器を使うか、という点を考えるかだ。  』

 ハイヴ攻略ならゼッフル粒子と小型アルテミスの首飾り、広域活動範囲なら戦術機母船といった具合に。その場面に特化した――それでいて、そこそこ他の運用も出来る汎用性が望ましい。

『  戦艦を戦術機と平行運用することによって、より広範囲のBETAを倒すことは出来るようになるだろう。しかし倒し損ねてしまう何パーセントかの敵は確実に出てくる。  』

 それは正に、今この場の状況そのものだった。

『  今後、星の数ほどのBETAが宇宙空間を航行して、イゼルローン要塞へと侵入してくることだってあり得る。そんな時、乱戦状態になり、兵器を用いると友軍や施設にまで被害が及んでしまう、そんな限界線の戦いも生じてくるだろう。  』

 それは正に、ヤン提督(正確には同盟軍)が第五次イゼルローン要塞攻略戦において実践した方法そのものだった。

『  連中には指揮官がやられたから撤退するという概念が無い。たった一匹でもBETAが基地に侵入したら、被害はゼロとはできない。水際でいかに防ぐかが、最後の課題となる。  』

 そして生まれたのが、対人ではなく対BETAに極限まで特化した機体。侵入してこようとする、死角や隙間に隠れた敵を殲滅することを目的とした人類最終防衛線。命の門番〈ゲートキーパー〉。
 宇宙空間の戦闘さえも視野に入れ、従来の戦術機の「歩行」という機能さえ削ぎ落とした。

 それが単独殲滅宙戦戦術機、『大翔〈ヤマト〉』だった。




『マッドドッグ、そのまま西南西150km、駐屯部隊に足止めされている連隊規模がいるわ。「八蛇〈ヤタ〉」を使いなさい』

 横浜基地にいる夕呼の指令に従い、トップスピードを維持したまま戦線へと向かう。レーダーの先には、一つの塊となっているBETAの群がいた。
 ちょうど戦線の部隊と十字砲火が可能となる位置で空中停止し、九門備えられた武装の内、その八つを向ける。

 あちらもこちらの姿を認識したようだ。

「現地部隊に告げる! これよりBETAに向け、広域に砲撃を放つ。閃光・震動ショックに備えろっ!」

 エネルギーを充填させ、出力を最大にセット。反動によるブレを抑えるために、一門は放つ方向とは反対へと向ける。

「総門斉射っッ!!」

 八頭の蛇、いや龍が飛び出していった。光が瞬き終わった後、龍の牙が削りきった地平には、扇形に抉られきった地層以外にはもはや何も存在していなかった。一度の全力放射によって七割のBETAが消滅していた。

『よし、そこはもういいわ。現地の連中に任せて、一旦補給しなさい』
「了解っ」

 ただ一つだけ。この機体には致命的ともいえる欠陥があった。

「…………これで四回目の補給ね」

 燃費が最悪だった。

 動力が小型核融合炉とはいえ、全ての兵装がビーム兵器であるため、継続戦闘時間が極端に短い。最高出力や加速などを重点的にチェーンしたため、とにかく短時間で最大の戦果を満たすようになっている。

 ヤン提督に言わせれば、これは戦車(馬が牽くチャリオットの方)のような扱いらしい。特定の状況下での単独戦闘力は最強だが、戦地の制約をとても受けやすく、継続戦闘時間も余りに低いという。だから古代でもコロッセオなどの「見せ物」でしか使われなくなっていったと。

「……でも、今回のように条件を満たした環境でならっ」

 自陣が常に近くにあり、補給線までの往復時間が短く、かつ補給地が豊富に存在するという防衛戦ならばっ!

「何度だって、出撃できるッッ!!」

 ヤン提督の仰ったように、戦いは決して戦術機だけで行われるものでない。兵站をいかに確保するか、どこに配置するか。それによって、前線は十全にその真価を発揮できるのだった。

「くたばりなさい、BETA!!」



     ※     ※     ※



 そんな大翔〈ヤマト〉の様子を見ていた現場の戦士たち、各国の軍部・首脳陣、そして横浜基地の作戦室からは、興奮と感嘆の声が止まることなく聞こえていた。

「なんという加速、そして運動性能か……!? あれ程の動きの中でもパイロットは無事なのか?」
「見ろ、あの威力を。迫撃砲などもはや何の比較にもならん」
「しかし燃料は主に水素のみ……なるほど、推進剤の充填ももはや不要ということか」
「いや、さすが香月博士っ! 今日この日をもって、科学者としての名を歴史に刻みましたなっ!」

 作戦室はもちろん部外者立ち入り厳禁……なのだが。この日だけは各国の軍関係者や科学者たちが“たまたま”横浜に集まっていた。名目上、日本国内においてZ作戦の経過を見やる立場の彼らだが、状況が変わってからというもの意識はすっかり新型戦術機に奪われていた。

 そんな彼らを見下ろしながら、香月夕呼女史は応える。

「歴史に名を刻むほどの科学者……? いやですわね、そんな評価をいただいても困りますわ」

 それは謙遜などでは無かった。ファサッと後ろ髪をかき上げ、白衣を舞わせる。上から観客を見下ろし、自分こそがプリマドンナと言わんばかりのポーズで示した。

「あたしが歴史よ。そんな上だ下だの、くだらない格付けに当てはめないで欲しいわね」

 ぉぉぉ……。ナンバーワンではなく、オンリーワン。天上天下唯我独尊、ただ我のみが尊いのだと。一切の虚飾なく断言するその姿は、まさに女帝そのものだった。

 そんな彼女の隣にいる基地司令官は、周りに気づかれない程度の嘆息をした。

――ふむ……これでは自分は単なるエスコート係だな。

 国連軍横浜基地司令官、パウル・ラダビノッド准将は彼女を見やる。元々、自分の任務は彼女の「仕事」の監査であるが……あの将軍宣言の日からは、その役目に輪が五重にかかっていた。

 なぜなら。香月夕呼こそ、地球の技術交流者第一号であると、イゼルローン側から発表されてしまったからだ。おかげで彼女は、地球人類でもっとも名を知られている人物の第二位にランクインしてしまった(各国上層部にとっては元々知られていたが)。

 それだけならまだしも、彼女の護衛ということで、今もこの作戦室にはイゼルローンの陸戦部隊がおり、横浜基地の海側には彼らの戦艦や戦闘艇が一部常駐することになってしまった。彼らがその気になれば、こんな小さい基地など一瞬で蒸発して無くなるだろう。

 それからひと月余りは、正にあれよあれよ。一介の軍人たる自分には手に負えない案件だと、国連上層部からは左遷されると思っていたが、どういうわけだか、未だ彼女の名目上の上官ということになっている。

――まあ、特別扱いするにも値しない人物だと判断されただけだろう。

 左遷しようがしまいが、文字通りどうでもよかったのだろう。或いは各国が牽制しあったため、彼女の上官を誰にするか持て余したか。現状維持で様子見をして、イゼルローンの御気分を伺っているだけなのか。
 そんな明日をも知れぬ我が身だが、一軍人としては務めを最後まで果たすだけである。軍人は政治には関わらず。今はただ、Z作戦を完遂するのを見届けるだけであった。

――しかし……これはどういうことだ?

 オペレーターのイリーナ・ピアティフを通じて、マッドドッグこと神宮司“中佐”に指示を与えている香月博士を見やる。

 下で感嘆している科学者たちでなく、軍人として実戦を潜り抜けてきた自分だからこそ分かる。

――なぜ、これほどまでに博士は的確な指示を与えられる?

 新世代戦術機の性能は、なるほど、まったく今までの地球産のモノとは比較にならない。これを――ほぼイゼルローンで作製したパーツではあるが――設計図を自ら引いたと公言するだけあり、博士の天才性は疑う余地もない。今までの既存のUI〈ユーザーインターフェイス〉を流用しつつ、イゼルローンの技術にたったひと月(実質はふた月?)ですり合わせたというのだから。

 だが、それは彼女の軍事的才能とはイコールではないはず。

――なぜ、こうも先読みした動きを指示できる?

 確かに彼の戦術機は強靱だ。しかしそれでも、たった一機なのである。しかもだ、博士には大翔と自身のAー01連隊にしか指揮権が無い。出来たことといえばせいぜい、事前の補給物資の配置くらいであろう。

 地中から溢れてきた佐渡島の残党BETAに対しては、各駐屯部隊によって、目前のBETAへの対処で追われている。統一的な指揮というのは国連と帝国軍との関係性上無いはずだ。だというのに、現在のところ、目立った被害報告が上がってきていない。

 それは大翔〈ヤマト〉がBETAを駆逐しつつも、彼等を戦いやすいように戦場を動かし、全戦場をコントロールしているからに他ならない。それは道筋を照らすといわれる明けの烏のように。かつて白き旗を振った聖女のように。あるいは数十手先まで見通す棋士のように。

――いったい、香月博士の裏に、どんなブレーンが着いたというのか……?

 彼女はとある人事権を持っている。それを駆使して、いまだ知らぬ逸材を見つけてきたのかもしれない。或いは……………、いや、やめておこう。下手に虎の尾を踏むことは、地球側にとってマイナスになりかねないのだから。

 再びモニターに意識を戻し、横浜基地司令官として、万が一のBETAの襲来に備えるのであった。



 
 ただ、オペレーター兼秘書のイリーナ・ピアティフは、司令官とは別の感想を持っていた。
 
――いったいどんな男が変えたのかしら?

 女としての感覚が、直属の上司の香月博士と、現在猛威を奮っている神宮司中佐の変わり具合に気づいていた。

 例えば。先ほど中佐は「くたばりなさい、BETA」と言ったが、数ヶ月前の彼女であれば「くたばれ」の方を使っただろう。友軍との通信では別だが、無意識の内に男言葉が取れてきている。たぶん、彼女の教え子たちもその変化には気づいている。

――本当に謎だらけね。

 自分の上司もそうだ。元から“こういう”性格ではあるが、生き死にがかかった現場において、彼女は決してフザケるような行為はしない。あったとしても、それは何らかの意図があっての挑発だったりする。
 そんな時の彼女は、自分から見ても無理をしている。必死にオルタナティヴ計画の責任者としての役目を振る舞っていた。

 だが、それが今は無い。ただただ純粋に、彼女は彼女としてそこに在った。

――ポプランのせい……じゃないわね、これは。

 横浜基地にやってきたイゼルローンの一人を思い出す。
 彼ときたら、それはもう撃墜王の称号にふさわしく、この基地にいる女性陣のほぼ全員にアタックをしていた。もちろん、自分にも。

 ただし、イゼルローンの立場を利用して、上から威圧的に従えようなんてものは全くなく、むしろ男性陣からも面白いヤツとの評価も一定数ある。
 むしろ十代や二十歳を越えたくらいの女性に対しては真剣に相談に乗ったり、若いパイロットたちとは十年来の悪友のような付き合い方をしていると。喧嘩があれば負けそうな方に参戦し、憲兵が来れば誰よりも早く抜け出し、食堂でまた会話に花を咲かせるといった具合に。

 そんな彼を筆頭として、イゼルローンの軍人は香月副司令のA-01連隊ともすこぶる付き合いがあるようだった。
 今のところ、表面上イゼルローンの軍隊との不協和音は聞こえてこず、むしろジャムセッションが聞こえてくるようだった(ただし、帝国軍とは今一ノリが合わないとグチっていた)。

 彼等がこの一ヶ月の間に起こした横浜での珍事件は、身内の間ではあまりに有名となっていた。

 しかしどうも、香月博士や神宮司中佐は違う。でも、たぶん男だ、そーに違いない。個人的興味が尽きない。でも、正直羨ま妬ましい。イゼルローンの男軍人は、今では横浜基地の特上有望株となっている。すでにBETA戦役後を狙って、女同士(特に故郷を失った独身)の熾烈な戦いは始まっているというのに。

『軌道計算開始……曲率想定……大気濃度・風速測定……誤差微修正……』

 だけど。今はオペレーターとしての役割を全うするだけだった。

『曲弾〈マガタマ〉、発射っ!!」

 画面の向こうでは狂犬のコードで呼ばれた中佐が、山脈向こうの光線級BETAを狙撃する姿があった。
 数十という光線級が密集して丘の上に陣取り、まともに接近すれば大翔〈ヤマト〉でも苦戦を免れないという状況。それを逆に一網打尽にする場面だった。

「粒子砲は磁場と干渉させることも出来る……だからこういう使い方をすることも可能ってことよ」

 艦隊の砲弾のような縦の曲射撃ちだけでなく、斜め横に落ちるということも可能とする姿があった。その一撃一撃はまるで流星が落ちるかのような美しさがあった。

――ああ、本当に勝てるのね……!

 冷静でいなくてはいけない自分が、思わず拳を握ってしまった。
 イゼルローンに頼りきるのでなく、自分たち地球人の手によってもBETAを倒せるんだと。特別な技能や才能を必要とせず、適切な訓練をすれば、あの戦術機を使えるんだと。
 
 そんな輝かしい希望の姿が、モニターの向こうで翔んでいた。




 しかし、散々讃えられていた香月夕呼自身は、かなり醒めていた。

――ま、あんなオモチャで目が眩む程度の連中なら、大したことないでしょう。

 一足も二足も早くイゼルローンの知識を根こそぎ手に入れた身としては、あんなモン、夏休みの自由工作程度にしか思えなかった。
 だいたい、亜空間跳躍や、それを応用したマイクロブラックホールの兵器まで既に実用化されているって知ってるのに、今更ビーム兵器の応用程度で驚くはずがあるかってーの。

――ま、頭が堅くなりすぎた連中にはちょうどいい啓蒙になったでしょう。

 自称科学者だけではない。ソロバンを弾くのが大好きな政府の連中や、まだ戦術機の開発に固執している企業のお抱え共には、ちょうどいい撒き餌になっているだろう。

 だが本命はもっと別に、そしていくつもいくつもある。

 まず第一に、自分ほどではないが、さらなる未来を見据えている連中を発掘すること。もはや自分にとって、パトロンや権力者を見つけるなんていう寄り道をしている暇はない。それより人的資源の確保が先決。自分の手足となる人材、研究の材料となるデータの収集、それらを可能とさせる権力の確保。それが自分に課したことなのだから。

 そう……ヤンの奴も散々不吉な予言を言っていたが、あたしだって楽天的になんかなっていない。あたしは、イゼルローンがあの半年の間に収集したデータを見せられたのだから。

 イゼルローンが観測し、ヤン達が計測した恐るべき予測。人類が観測できる銀河領域内であっても、BETAが存在している星とその量は文字通り天文学的なものだということを。イゼルローンであっても、そう遠くない内に、圧倒的なBETAの物量の前に消え去るだろうという未来予測を聞かされた。

 だからこそ、ヤン達イゼルローンは――下級兵士には苦境にあえぐ地球市民を救うという表面上の理由だけを伝え――10億という地球の人口を味方につけようとしていたのだということを。

 あたしだけは、全てを知ったのだから。

『  まあ、これは大変ですねぇ。  』

 とか、部屋に蟻でも湧いたような気楽さであいつは言っていたけど、知った身としてはノンビリなんてしていられなかった。

――もう、たかだが一惑星のBETAなんてモンに拘っている場合じゃないわ。

 だからこそ、あたしはイゼルローンと軌を一にした。人類存続のために――といっても、ヤンはあたしと別の意味でドライだけど――為すべきことをしていくと。

 生きるために。生きて、後生に歴史を残していくために。当たり前の生存競争に勝ち抜くために、あたし達は今、戦っている。

――あー……でも、やっぱこういう気分って久しぶりねー。

 現状を知らない周りに囲まれながら、一人こーして未来を見てしまう感じは久しぶりだった。まああたしは天才だから。周りとのそういうズレは、当然仕方ないのだけどね。

――……ま、昔とは違うかもしれないけど。

 ただ、まあ? 認めたくないけど認めてやってもいいわ。昔はあたし一人が知るのみだった。別に孤独とも思ってない。でも今は……まあ、かなり使える駒というか、まあ、その、共犯者? がいるという事実は認めてもいい(食堂での発言はかなり迂闊だった)。

 ただし、あたしとあいつのスタンスには若干のズレはある。

――あいつはあたしに、『怪物』になって欲しくないって言ってた。だけど、必要ならばあたしはいくらでもそう成る。

 そうだ、だからこそあたしは、“日本帝国の地下にBETAが浸食していた事実を知っていた”のに、わざわざ今日この日まで明かさなかった。イゼルローン製の地下観測装置を、秘密裏に国内に設置してたというのに。

 もちろん、もっと安全確実に地下BETAを駆除する方法もあっただろう。ヤンもまた、BETAが地下にいる可能性を危惧していたし、そのための軍事的方法をあいつなら思い浮かんでいたはずだ。

 でもあたしは、敢えてイゼルローンの行動を止めた。あいつに対する言い訳として、これは一国内の問題だからと釘を刺して。

 何故か? 簡単なこと。あたし(とイゼルローン)が造った大翔〈ヤマト〉の実戦評価のデータが取れるいいチャンスだからだ。今日のデータは国内外のあらゆる組織のいいアピールになったことだろう。これであたしの発言力は更に高まることとなる。

 では、もしもヤンの具申によって、将軍がミサイル発射を決断しなかったらどうしてたか?
 後でBETAが来襲した時に出撃していた、ただそれだけのこと。

――ま、被害は今の比じゃすまなかったでしょうね。
 
 死傷者は多く出ただろう。A-01連隊からも死者は出たでしょう。でもシナリオに大差は無い。むしろ旧戦術機の屍の上に立った大翔は、更に華々しい活躍をしてくれたことだろう。

――あいつもその結論にたどり着いて、すっごくイヤそうな顔してたけどね。

 気づいてはいてもあいつは口に……いいえ、手には出せなかった。これは政治的領域の策。政治は戦略の上位に位置する項目なのだから。

――……まあ、あいつが気づいていたのはそれだけじゃないでしょうけど。

 この事実を暴露する奴らが出たとしても、汚名はいくらでもあたしがカブる。あたしは怪物にでも魔王にでもなろう。
 それをヤンは気づいていたし、イヤがっていた。でもそれは戦争をしている以上、仕方のないことだ。

 ヤンが百万の敵を殺して、英雄となるのなら。
 香月夕呼は百万の味方を死なせて、怪物になる。
 そして英雄は怪物を殺し、物語を終わりとする、と。

 それがあたしの書いた筋書きだったのだから。

――……ま、“今回は”そうはならなかったよーだけど。

 意外といえば意外。将軍とはいえ、あんな中途半端に賢しい小娘が一発で決断するなんて。普通、イゼルローンの元帥に命令(お願い?)されたからって、自国にミサイル撃つなんて拒否するはずなのに。
 実際、あの京都防衛戦においても、その軍事的方針や指揮権の食い違いで、日米安全保障が撤廃されてしまったというのに。

 なーんで、ヤンの言うことなら、お姫さま素直に聞いたのかしら?

――……ふーん、やっぱり思った通り、あいつには“あれ”があるのかしら?

 確かめなきゃいけない項目がまた一つできた。とりあえず“実験”のプランを練ろう練ろう。ふっふふ、楽しみになってきたわー。絶対、まりももあいつらも驚くわねー。

――天才たる者のゆえんね。一つのことだけに囚われていられないもの。

 凡人……いいえ、使われるだけの奴隷は足下だけしか見ない。少しの進歩でも大げさに喜ぶ。でもあたしもヤンも、遠くを見据えないといけない。
 時にオオトリになって遠くの天候を知り、巨人となって大地を見据え、進むべき航路を読む。それが司令官という存在なのだから。

 現実を知らずに浮かれさせるのは、民衆と兵士たちだけでいい。周りの連中のバカさ加減だけが視界に浮かんで邪魔になる時もあるけど、自分たち指揮官の苦悩を代わってもらいたいとも思わない。

 Need to know、知るべき者だけが知ればいい。知ることが権利ならば、知った後は自分の行動に責任を持つということ。現実を知ったのに、自分にはそんなこと関係ないとか、こんなはずじゃないなんてワメき散らす坊やには、知る資格なんてありはしないのだから。


『  専制政治の罪とは、人民が政治の――本来は自分たち自身の問題や害悪を、自分たち以外のせいにできるという点につきます。まさにそれこそが、独裁の罪なのです。  』

『  夕呼、だからこそ私たちは教えないといけなかったんじゃないかしら? 本当に学ぶということを、知るということが何かを。私たちの後に続く子たちに。  』


「…………はー」
「香月博士?」

 あー、ため息が出たわ。何でもないわと軽く手を振って、声をかけてきた連中と、浮かんできた幻影を散らす。
 あー、あー、あー、イゼルローンの汚染は尋常じゃなかったわ。まさか、この天才にまで悪癖を染み込ませてくるなんて。

『  私、夕呼はきっと、先生になるのも向いていたと思うわよ。  』

 うーるーさーいー。帰還したら、また仕事押しつけてやる。

「さっ! とっととこんな簡単な仕事にケリつけてっ! 今晩はイゼルローンからの差し入れのワインを飲むわよっ!!」

 ぉおおおーっ! 了解ーっ! あちこちから聞こえる歓声に手を振って流す。こんな第一関門なんてとっとと突破しちゃいましょう!



「あ、マッドドッグ、あんたは酒ダメよ」
『了解ですぅッッ!!』


     ※      ※      ※



 帝国連合艦隊、大型巡洋艦「最上」の艦長、小沢久彌中将は、戦地より遠くの海でただただ戦況を聞き入っていた。もちろん、内地に新たに現れたBETAめがけ、支援砲撃は絶えず放ってはいる。

 この艦だけではない。信濃艦長の阿部、大和艦長の田所、武蔵艦長の井口。各所で支援砲撃を放っている彼等と通信を繋いでいるが、作戦開始から早10時間余り、戦況は凪のように落ち着き始めていた。斜めになった太陽の光が、穏やかに作戦室へと入り込んでくる。

 本作戦の概要を聞かされた当初は、もちろん戸惑いがあった。従来の作戦ならば、自分たちが佐渡島の周囲で突入部隊の支援を行うはずだったからだ。それを殿下どころか五摂家の半分以上が、たった一隻の戦艦に乗るという。作戦失敗はすなわち、日本帝国の本幹の崩壊につながりかねない、まったく無謀な作戦だと、誰もが反対をした。

――……いや、本音を言えば……。

 自分たちはもう一度、佐渡に往きたかった。守るべき首都、京の街に砲弾を放ったあの日を。守るべき日本国の地、佐渡の島から逃げたあの日を。自分たち帝国海軍は決して忘れることはなかったのだから。

 帝国海軍軍人たる者、海行かば水漬く屍は元より覚悟の上なのだ。

 だからこそ我々は、イゼルローンの来訪の日より、遂に来るべき戦いが来るのだと襟を正し、艦に乗り込む日を待ちわびていた。
 しかしそれからひと月、自分たちはもはや要らないと言われたかのように、主戦地とは遠く離れた海へと配置された。作戦上やむを得ないとはいえ、それは無念であった。

 だが今日この日、かの空中戦艦と新世代戦術機の活躍をこうして耳にすれば、それも致し方なかったと分かる。

 嗚呼、自分たち海の軍人は、もはや過去の存在となったのだと。
 もはや海を船で往く時代は終わろうとしているのだと。
 そう悟らざるを得なかった。

――政府も軍部再編に動くだろう。

 空軍ではなく宙軍として、宇宙戦闘も視野にいれた軍隊の大規模再編がやってくる。いや、起こさねばならない。海軍だけでない、陸軍、空軍の三軍も巻き込み、まったく新たな軍隊組織の編制となるだろう。

 むろん、直ぐに宇宙艦隊を用意できるはずは無い。イゼルローンから優先的に購入できるにしろ、いまだ傾いている帝国の経済状況から言って、それは十年、二十年という………

 …………。

「いや……もっと早いか」

 一人思い、一人否定する。自分のような老人には想像もできない速さで世界は変わっていくのだろう。
 そうだ、いったい誰が、こんな光景を予感しただろう。いったい誰が、いまだ二十にも満たない殿下がこのような御威光を持たれると想像しただろう。いったい誰が、たった一機の戦術機と戦艦によって国を守れると確信できただろうか。

 奇跡の光は、今こうして自分の目の前にあるのだ。

「陽はまた昇る、か……」

「艦長?」

 どうやら聞かれたようだ。太陽は既に西の海に沈もうとしているのに、何を真逆のことを言っているのかと。

「いやすまんな。……時に大尉、君は今年いくつになる?」

「はっ! 二十三であります、艦長!」 

「そうか。若いな……いや、本当に若い」

 優秀だからだけではないだろう。本当に、帝国軍人は……いや日本国民は少なくなってしまった。こんな戦争に巻き込まれた若者たちから先に死んでいき、自分のような老人だけが残ってしまったのだから。

「……半世紀前の大東亜戦争の時、儂もまだ海軍兵学校に入ったばかりの小僧だった」

「…………」

「時節が合わなかったのだろう。任官して前線に赴く前に戦争が終わってしまった。それからの三十年、BETAが大陸に墜ちてくるまでの間、帝国の復興を見てきた」

「…………」

「銃弾飛び交う戦争は終わったものの、東西冷戦という見えない戦争が長く続いた。帝国は安全保障の元、米国の占領軍を駐留させざるを得なくなり、日本は米国の属領という誹りを受け続けた」

 それは、今の帝国の状況に似ているように思えた。

 イゼルローンという超越の軍事力を持った国家。それが日本帝国に駐留を決めたのだろう。だからこそ、第一優先的に日本のハイヴを取り除いてくれた。それくらいは想像がつく。

 確かに短期的には喜ばしいことだ。だが長期的にはどうだろうか? これは帝国にとって、瑕疵ある意思表示となってしまうのではないか? 日本の自治や誇りは保たれるのだろうか。そんな不安を抱える帝国軍人はおそらく自分だけではない。

「大尉は、かのイゼルローンの元帥閣下をどう捉えた?」

 支援砲撃の要請も少なくなり、作戦への余裕が自分の中にも生まれてしまったせいだろうか。謀反気とも捉えられない質問をしてしまった。

「はっ…………小官は、その、今までに見たことのない御仁だと感じましたっ!」

「……ふむ、確かに不思議な雰囲気を纏っていた」

 最初は擬態か替え玉とも感じた。それくらい、かの元帥からは、戦場を潜り抜けた男が備えているはずの覇気を一切感じなかった。かといって怜悧冷静な、精密機械のような冷血漢という雰囲気でも無かった。

 歳の頃も若作りをしていなければ、三十代半ばといったところだろう。いったいどういう人生を歩めば、あんな男が宇宙艦隊の元帥提督になれるのだろうかと、純粋に疑問に思った。

「ただ……」

 大尉が少し口ごもった。

「ただ?」

「イゼルローンの元帥閣下御自らが、本来我ら地球の民だけの戦いに―――しかも最前線の戦場に同行されたこと、それを小官は心から敬服致しましたっ!」

 ―――ああ、そうか。

「うむ……うむ、確かにそうだ」

 イゼルローンは、米国のように後方から戦いをけしかけて我らを防波堤代わりにするのでなく、最後まで戦場の傍らに在ってくれた。無論、戦況が悪くなれば別だったのかも知れない。

 だが少なくとも、今日この日、元帥閣下自らが将軍殿下と共にあり、我ら地球の戦士たちと共に戦うのだと示してくれたのだ。

「なるほど……彼等も間違いなく、我々と同じ『人間』だ」

 イゼルローンの正体を聞いただけの者の多くが半信半疑だっただろう。見た目が同じだからといって、本当に未来世界のヒトだったのかと。

 だが分かった。彼等は人間だ。殿下が仰ったように、我らと共に生きようとしてくれる友なのだと。ああ、なんという――。

「心強いな……」

 なんという遠回りを我々はしてきたのだろう。各国の、各組織の、各地域の主張を押しつけあい、BETAに遅れを取ってきた我々が、たったひと月前に出会った隣人によって助けられるとは。

 科学力だけではない。経済力だけでもない。ましてや軍事力だけでもない。
 我々人類は、“人間”によって、助けられたのだと。


 そしてそれは、今確かな形となって叶う。


『―――本作戦、オペレーション・ゼッフルに参戦した全ての帝国軍人、並びに国連軍、及び全人類に告げます』

 殿下の玉声が、全艦隊の通信から伝わってきた。職務についている者も姿勢を正し、緊張感とともにそれを聞く。

『本時刻を以て、本作戦および戦闘は終了となりました』

 口が渇く。全員がその続きを待ち続ける。

『佐渡島ハイヴ内の制圧は完了。日本国内に出没したBETA残党も九割以上の除去を確認。これより四八時間は第二種戦闘配備へと移行する』

 すぅっと殿下の息づかいが聞こえた。

『皆の者……大儀でありました。この戦い、人類の勝利です』

 透き通るような声の後、一斉に艦内が湧いた。帽子を空高く放り投げる兵士がいた。艦内の壁を鳴らし、喝采に泣く兵士がいた。泣いた。叫んだ。うれしかった。我々は皆、今日のために戦ったのだと。勝つために戦ってきたのだと。

 それが何分続いたのだろうか、或いは一分も経っていないかもしれない。

『では――』

 殿下の声が続き、艦内が再び静けさを戻し始める。

『これまでに散っていった多くの兵士、民、友人、家族たちのために。これより一分間の黙祷を行います』

 士官たちは襟を正し、帽子を被りなおした。かつて軍隊学校で先輩たちから教え込まれたように、一切の隙もない姿のまま、佐渡島の方へと向いた。

『それでは……黙祷を』

 一斉に正敬礼を行う。顔を引き締めたまま、涙を流す者もいた。それまでの苦しみやつらさを洗い流すかのような、熱い滴が垂れていった。

「……勝ったぞ」

 いつのまにか、自分の声も震えていた。

「……なあ、みんな……勝ったぞ」

 春の空には、満天の星が輝いていた。



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Date: 2017/07/08 09:44


 第15章「そして明日へ」


 西暦2000年5月5日、第二首都東京の地にて。各国首脳や軍関係者、財閥の重鎮やマスコミたちを集めた式典会場は、大いに賑わいを始めていた。

「みなさん。どうぞ、楽しんでください」

 スピーチをしろと言われた男は、やはり二秒で終わらせた。こうなるだろうと見込んで、トリにすることにしていたので、パーティ開始の合図代わりとなった。

 乾杯! と全員が透き通ったグラスを掲げた。その男女の姿の中に、いつものグリーンの軍服とは異なる白の礼服を着込んだヤン・ウェンリーの姿があった。その隣には妻のフレデリカの姿や、やや離れた所には煌武院悠陽、香月夕呼の姿もあった。
 みな煌びやかなドレスや礼服を着こなし、各国の人々と歓談を始める。もちろんヤンとフレデリカがパーティーの中心となり、様々な人物たちと顔を合わせることになってしまった。

 それがひっきりなしに続き、まだ続き、続いて、ようやく一段落したところで中心から離れて一休みをしていた。

「やれやれ、所変わっても、やっぱりこういうのは慣れないなぁ」

「作戦が一段落したのですから、こういった式典に出るのも大切ですわよ、提督」

 議長としての立場か、妻としての立場か、あるいはかつての部下としての立場としてか。フレデリカは冗談めかして彼をそう呼んだ。


 
 Z作戦の第一段階、日本の佐渡島ハイヴ攻略は円満に終了した。被害の程度が極端に少なく、作戦に要する時間や事前戦力も少ないという「実績」に、各国――特にBETAハイヴによって国土を占拠されたユーラシア勢が手と腰を上げた。

 ゼッフル粒子による佐渡島の土地被害も、想定以上はいかなかったのが効いた。ハイヴ奥にあった反応炉については、ゼッフル粒子の濃度が濃すぎたせいか粉々になっていたが、壁自体が強固だったため原型は保たれ、「採取」が十分に可能なレベルだったのも大きかった。

 イギリス率いるEU、東へと追い込まれていたソ連、インド亜大陸、北アフリカ前線、東南アジア、全ての前線が一斉に反攻作戦を開始した。

 天曜や大翔などの母艦や新戦術機は無いものの、ハイヴ投入のゼッフル粒子が多くのBETAを殲滅し、かつ残存BETAがオリジナルハイヴ方面へ撤退を開始した事実が戦力の消耗を抑えた。

 結果、ヤン提督の予言通り、作戦開始から19日を越える前までに、残23のハイヴの内、11のハイヴの陥落に成功した。それにより西欧州、中東、東ソ連邦、朝鮮半島と、多くのユーラシアの大地が再び人類のモノとなったのだった。

 当初は懐疑的だった国家のお偉方も、あまりの成功ぶりに熱狂し、その余り、このままゼッフル作戦だけでも、オリジナルハイヴ陥落まで行けるのではないかという声も出た。

 しかし、それは会見の場所でイゼルローンが止めた。

『  ハイヴの通路各所に開閉装置でもつけられたら本作戦は無意味になります。  』

 まあそれはそうだ、と誰もが水をかけられたように冷静になった。対処法は極めて単純だからだ。
 しかし次の言葉は、各国の面々にブリザードを投げかけた。

『  それより恐れているのは、BETAが大気を回収する新型個体を生み出してこないかです。  』

 ゼッフル粒子を防ぐために、大気中の粒子そのものを喰ってしまえばいいとBETAが考えたら? それは即ち、自分たちが安楽に過ごしているこの空間の大気そのものが無くなるということ。それはつまり、地球上の生命体の死、そのものだった。

 これを一笑にふせないのが、それを言ったのが正にイゼルローンの最高議長その人であり、それを平気でやりかねないのがBETAだったからだ。

 内心慌て始めた者たち相手に、対処法は既にありますと説明した。

『  私たちイゼルローンにはテラフォーミングの技術とその準備があります。万一の時には、人類および地球生命の生存圏を確保することが十分可能です。  』

 長い時代を宇宙で過ごしてきたため、大気成分がゼロの地であっても生存可能にする技術が揃っていた。
 それだけではなく、億が一には、地球人類全てを退避させられるだけの有人惑星を既に確保してある、とフレデリカは説明した。

 その用意周到さに、地球人類は更に湧いた。そうか、だから初めて姿を見せてから半年の間は準備期間としてコンタクトを取らなかったのかと、多くは納得した。
 それはそうだ、準備が中途半端で千万人しか助けられないと伝えたら、地球側の大混乱は避けられなかっただろうと。それを一々連絡していたら、自分たちだけ助けてくれと、急かしかねなかっただろうとも。

 しかし地球側の質問は更に踏み込んだものになった。なぜ地球側の宇宙空間からの撤退を命じたのかと。確かに地球のオリジナルハイヴには砲撃級という個体が出てきたが、それを予知できていたら告げてくれても良かったものを、と。

 一種、イゼルローンを非難するような質問と感じる者もいたが、確かにと、質問を遮る者はいなかった。
 しかしここでも、イゼルローンは特大級のブリザードを叩き込んだ。

『  これを申し上げてよいか、わたくし達も悩みますが……地球の方々の中に、月のハイヴに接近しようとした艦がおりましたね?  』

 失敬、ブリザードでなくボルケーノだった。

 非難の目は、一斉に超大国および南半球の地域に向けられた。
 ここで戯れ言を言うなと一喝できる相手でないのがイゼルローンである。証拠はあるのかといえば、確実にありますと出してくるだろう。そして、実際それはあったことだからだ。

 あの日、イゼルローンが地球から帰る時に月と火星のハイヴを攻撃してくれた後、月のハイヴの動きが止まったのは地球側からでも観測が出来た。

 そこでタダで見過ごさないのが、宇宙空間に戦力を有する有力者である。ハイヴの奥深くにのみ発見できる月のG元素を求め、各国の暗部は競合し暗躍し、さあ動きだそうとしていたのだ。

 ――で。さて盗らぬ、もとい捕らぬ狸の皮算用と分け前については決まった、さあ月の金鉱に向かってGラッシュだぜ、レッツホライゾン! ―――と意気揚々と月軌道に入ったあたりで、地球のBETAからあえなく砲撃された、というのが、とある国家たちの裏事情であった。

 それを全世界に伝える生中継の場で暴露されたのだから、まあたまったものではない。
 民主主義の原則は公開性にありとのイゼルローンの要望を聞き入れた各国は戦々恐々とせざるを得なかった。まだ二十代の女議長の丁寧な態度に対し、鷹揚、あるいは傲慢になりかけていた者も、決して侮ってはいけない相手だと悟った。

 下手な質問をすれば、各国の裏事情までこの場で明らかにされてしまうと口をつぐまざるを得なかった。

 しかし中には、そんな状況を逆利用してやろうという者たちもいた。ではイゼルローンはこの状況を想定していたのですか、という、ある意味まっとうな質問に対し、議長は笑みを深めた。

『  BETAがこちらの新たな抵抗に対し、さらなる未知の個体を生み出してくるであろうことは多少想定しておりました。  』

 故に、後の通信で宇宙空間から撤退するように忠告したこと。しかし、かつて地球上では危険性を指摘されたからといって、リターンを省みて聞き入れなかった国があったようですが……との一言で、全国家から睨まれたオリジナルハイヴ付近の某国があったりもした。

 要は地球側に危険性を考察できるメンバーがいたかどうか、そしてそれを聞き入れるだけの度量が権力者にあったかということ。それが難しいようであるならば、イゼルローンからの忠告という後押しがあればと計ったということだった。

 実際、その危険性を想定した科学者たちもいたのだろう。しかしデータが無いからと一笑に付されたのだろう。

『  我々としてもBETAの行動に絶対の確信はありませんでした。しかし人命がかかっている以上は、忠言させていただかざるを得ません。  』

 事実。イゼルローンからの通信が無ければ、失われていた宇宙滞在者の人命は計り知れなかった。彼等の技術、経験も同時に永遠に失われることになっていただろう。
 故に各国は非難することが出来なかった―――いや、言うだけならタダである、しかしタダよりも高いものは無いことは、もはや十分に分かっていた。イゼルローンが寛容であるからといって、それにつけ込めばBETA以上に最悪なことになると理解したのだ。

『  実はオリジナルハイヴを一瞬で陥落させる方法はございます。  』

 最後に放たれたサンダーは、文字通り地球を痺れ震わせた。絶対神ゼウスの一言にも、それは思えた。

 それは禁忌の兵器―――『跳躍砲』の存在だった。

『  亜空間跳躍の技術が生まれた当初、それは開発が進められました。  』

 誰もが考えた亜空間跳躍技術の応用。離れた地域に対し、迎撃も防御も不可能な軌道で核兵器を叩き込む―――そんなフザケた発想を人類は本気で実現しようとした、と。

 しかしそれは大きく二つの理由で実現しなかった。

 一つは妨害電波技術の進歩。
 亜空間跳躍には距離や質量などの様々な制限があり、実はポプランが夕呼たち三人を連れて行く時も、あれ以上の人数(質量)だと安全に跳躍できるとは限らなかったのだ。そのように、同等に進んだ技術によって、簡単に跳躍は妨害を可能とできると。
 だからこそ宇宙艦隊での勝負でも、接敵しすぎるとワープすることが出来なくなってしまう。それでも跳ぶと、文字通りどこに跳ばされるかが分からなくなる。

 二つ目の理由が更に深刻で、その跳躍砲を放ってくるのが、自国の反対派――いやテロリストの可能性もあったことだ。
 仮に国内で開発が秘密裏にすすんだとして、それを奪取されて首都に発射されたら? もはや一切の防ぎようも無い悪夢が生まれることだろう。

 故に、かの銀河帝国においても同盟軍においても、それを開発・製造に携わっただけで重罪に相当したのだと。

『  ええ、兵器というのは実に恐ろしいものです。ですから新開発されたモノを不用意に使うなど、厳に慎まなければなりません。  』

 まっとうな意見の元、沈黙と額のシワを深めなければならない某大国があった。
 ちなみに、某博士はこの放送を自分の部屋で聞いて、ばしばしばしと腹を抱えながら机を叩いていたらしい。言ったれ、言ったれと、まさに快哉を叫んでいた。

 とにもかくにも、地球側は理解を深めた。
 あ、これ勝ったわ、と。

 文字通り手段を選ばなければ、地球のBETAなどどうにでもなるんだと、はっきりした。

 だが、だからといってイゼルローンに軍事力を要請するには―――その一部だけでも取り込むのはあまりにリスクが高いと、各国も悟った。イゼルローン自体、劇物の固まりなのだと。
 そのような牽制球により、地球上の組織は「獲物」を遠くから狙うだけに留め、滞在地となった日本帝国の動向を注視し続けていた。



 それからかくして、Z作戦からわずかな日をおいて、悲願の国土奪還を為した国々と、今後の攻略への希望をかける国々とが集まる、戦勝祝賀パーティーが日本帝国で開かれることになったのだった(どこで開くかで激しく政治の遣り取りがあったのは言うまでもない)。

「まったく……表面上は祝賀会だが、内部は欲望渦巻く摩天楼じゃないか、あれは」

 そんな純政治舞台に立たされたヤンは早々にダウンし、フレデリカに任せて会場を抜け出した。妻に任せる夫というのもどうかと思ったが、軍人が長くいてもしょうがない場ですよ、と説得されてありがたく抜け出させてもらった。

「なあ、ユリアン。連中はイゼルローンの技術があれば、BETAを家畜化でも出来るとでも思ってないか? 何十億という同胞を無惨に殺されてきたというのに」

 あれか? 美味しいからといってフグを安全に捌く技術があるはずだと思っているのか? それを食べさせられるのはいったい誰だ? 方法が確立されるまでに犠牲となる数は? と愚痴は続いた。

「コーヅキ博士はまだいい、彼女は全てを覚悟しているし背負っている。だが自分の手も血で汚さず、ただ利益だけを享受しようとしている連中は尽きないものだな」

 やれやれと、手で顔を覆った。これまでがスムーズに行きすぎていたらしい。コーヅキ博士やコーブイン将軍というように、話せば解ってもらえる人ばかりだからと油断していたのだろうか。やはり権力者はいつの時代もどこでも、大差はなかった。

「BETAはコントロール可能な存在とでも、まだ思っているんですかね……?」

「無理だ。私から言わせたら、BETAはプログラムされたウイルスみたいなものだ。突然変異は当たり前、撲滅も夢のまた夢、せいぜい予防接種しか対策がない、しかも昨年効いたのは効かない。そういう存在だ」

 我々の世界だって、未だがんと天然痘しか克服できていないというのに。そういった歴史的観点からの愚痴は続いた。

「天然痘といえば、その例えでフレデリカさんが理由を説明したのに、ピンときた方々も少ない様子でしたし……」

「たった一つの疫病が、速やかで取り返しのつかない災厄となった例はおびただしい。だがそれが“正当”とされる歴史の教科書に載る例は甚だ少ないからね」

 スペイン人が持ち込んだ天然痘は、当時一億の人口だったインディカ文明を完全に崩壊させた。
 アジアから運び込まれた腺ペストは中世ヨーロッパの三分の一に死をもたらした。
 それ以外にも黄熱病、コレラ、結核、梅毒などなど、ひとたび疾病が流行した後の災禍は計り知れない。

「見た目や思考が同じ人類といっても、同じキャリア(病原体保因者)だとは限らない。もし我々か地球の中に、致命的な病原体があるとしたら一瞬で壊滅してしまう。それが想像できなかったのか?」

 それがヤン達イゼルローンが半年もの間、地球に“上陸”出来なかった最大の理由である。眼には見えない未知の細菌やウイルスが、もしイゼルローンに持ち込まれたら? その逆があったとしたら?

 古いSF小説にそんな結末がある。まったく人類が敵し得なかったエイリアンが、地球の細菌によって罹患し、たった数日で全滅するというような。
 その可能性を考慮し、十二分に予防接種を行わなければ地球に上陸できなかったのに。

「BETAにしたってそうだ。奴らが大きさを自由に変えて量産される以上、虫や細菌サイズのBETAが造れないとどうして言い切れないのか」

 BETAがどんな新型でも生んでくるという可能性は、素人のヤンだって持っているというのに。
 確かに過度に恐れすぎて、対策を過剰にするのは仕方ないかもしれない。だがどうして、あらゆる危険性を想像しようとしないのか、その対策を始めようとしないのか……。

 
 ……やはりやりすぎたのだろうか。


「まったく、私は成長すること甚だ無いな。勝ちすぎればこうなるというのは解っていた」

 人は見たいものだけ見て、知ったと思うところだけ知ったように話す。自分だってそうだ。だからだろうか、地球側がこれほど楽天的になってしまったのは。
 イゼルローンが関わってからというもの、地球人類は連戦連勝だと。とんでもない。自分たちがどれほどこの数ヶ月間、薄氷を渡る気持ちで調査と準備を進めてきたことか。

「提督は以前おっしゃっていましたけど、多くを死なせる司令官ほど苦労しているって思われているんでしょう」

「実際は逆なんだがねぇ……」

 やれやれと、公園のベンチに腰掛けて頬杖をついていた。

「こういうのを、コトワザでなんと言ったかな、えーと、いっしょう、いつ?」


「  一将功成りて万骨枯る―――でございますね  」


 おや? とヤンとユリアンは声の主に顔を向けた。

「沢国の江山 戦図に入る
 生民 何の計あってか樵蘇を楽しまん
 君に憑って語ること莫かれ 封侯の事
 一将功成りて 万骨枯る      」

 そこにいたのは、ベージュのセーターと濃紺のスカートいう、市井の女性の服装に身を包まれた、一国の将軍だった。

「曹松の『己亥の歳〈きがいのとし〉』……さすがヤン閣下でございます。耳の痛い御言葉です」

「……ええ、ひとりの将軍が手柄を立てる時、その陰に無数の、当たり前の生活を営んでいる人々の生命が奪われているという言葉ですね」

 どうやら翻訳装置は正常に働いているようだった。

「しかし殿下、どうしてこちらに?」

 お付きの護衛も一人しか連れていなかった。なぜこんな公園に?

 まあ、この式典会場は半径数十キロに渡って警戒線が何重にも引かれていて、それこそイゼルローン要塞でも降ってこない限りは安全なのだけれども。

 それにしても、まだ式典は続いているはずだったのに。カゲムシャでも置いてきたのだろうか?

「殿下、30分です。それ以上は延ばせません」

 お付きのメガネの女性――確かツクヨミ?――が確認すると、殿下も静かに頷いた。ユリアンも何かを悟ったのだろうか、席の隣を離れ、護衛の人と一言二言話して、一緒に離れていった。

「こちらをお使い下さい」

 去る前にお付きの女性から遮音・遮電波装置を渡された。傍聴を避けるためか。ああ、なるほど、他の護衛者達も見えない所にいるのだろう。うちと同じように。

「……隣をよろしいでしょうか」
「ええ、それはもちろん」

 五月の公園には、まだ散るのを忘れた桜が多く残っていた。三十年に渡るBETAの被害によって地球環境も激変し、気候の変化も甚だしかったのだ。



 月が差し込み、花が舞う。そんな宵の中、一人は静かに星を見上げ、一人は地を見つめた。

 何かを相談したいのだろうというのはヤンにも解った。だがそれを決して急かすことはなく、穏やかに待ち続けた。

「……有り難う御座います」

 始まりの言葉はお礼だった。

「……えーと、何がでしょうか?」

「これまでの全てに」

 悠陽はゆっくりと顔を上げ、ヤンと同じように空を見上げた。

「閣下の御力添えにより、困窮していた民と国が救われ、今や世界中で復興が始まろうとしております。皆が希望に溢れ、己の生きる世界を見いだし初めております」

「いえいえ、少しばかりお手伝いをしたまでで……」

 そのまま空を見上げたまま、独白を続ける。

「人類の総悲願というべき未来が、本当に来ているという事実を……しかもそれが、我が日本帝国が主導してい――」
「殿下」

 悠陽はハッとし、すぅっと呼息を一つ立てた。

「……妄言でございました、面目次第も御座いません。些か以上に己に酔ってしまった未熟者をお許し下さい」
「いえ、そんな」

 悠陽はヤンの一声のみで我に返ることが出来たことに、その偉大さを知った。
 ああ、やはりこの方には隠し事は無意味だと。今、相談しなければいけないのだと。

 悠陽はついに、誰にもいえなかった想いを吐露した。

「ほんとうは……わたくしは震えておりました……己が姿を見失いそうになっていることに……」

 悠陽の独白を、ヤンは静かにそばで聞いた。

「死傷者がほぼ皆無で佐渡島を取り戻したという事実に。ひと月足らずで大陸の三分の一以上をBETAより取り返したという現実に。そして………そして、いま本当に、わたくし達の手で、この世界を確かに取り戻しているのだという真実に」

 悠陽は目の前に手をかざし、静かに握った。

「かつて無い栄華と豊穣が、今こうして訪れているという事に……!」

 悠陽の手は震えていた。こわかった。いま目の前にあるのは絶望という闇ではなく、地球全人類の希望という松明―――赫灼と燃えさかる炎だったから。

 人間は苦痛や苦難には耐えられる。己を己として保ち、我慢すれば乗り切ることができるからだ。周りも同じように耐えていることを知れば尚更だ。
 しかし膨大な成功には耐えられない。自分だけに莫大な豊かさや幸福がやってくる事態は、己に強制的な変化を強いるから。
 これからはそれだけではない。栄華という炎の陰にまとわりつく妬み嫉み恨み、光に寄ってくる欲望と渇望の蟲の群も確実に襲いかかってくるだろう。それらが否応無く己の姿を見失わせる。

 悠陽は解っていた。覚悟していたはずだった。イゼルローンを自分の味方につけるということが、どれほどの歴史的影響をもたらすのかを。
 でもそれは「人間はいつか死ぬ」という程度の認識に過ぎなかったのだと、いま思い知らされていた。一度も死んだことの無い人間が、どうして死が怖くないなどと覚悟できるのだろうか。

 悠陽はいま、現実に体感している。自分はこれからどれだけの「業」を背負うことになるのか。日本帝国のこれまでの過去を、暗部を、闇を、そしてこれからの未来を、希望を、光を浴びていかなければいけないのか。
 でもそれはもう手放せない。それを離してしまうことは、摂家であり将軍の自分には決して許されないのだから。自分が許せないから。

 でも……でも嗚呼。このふた月の間の興奮と熱気が一段落した今だからこそ、その恐怖が大きくなっていく。自分の身に今も降りかかっている、そしてこれから限りなく訪れていく「幸運」はいったいどこまで自分にまとわり続け―――

 
 ―――ぽんっ。


「…………閣下?」

 柔らかな手が頭に乗せられていた。

「えーと……殿下は未熟ではありません、まあ、半熟ですね」

 ……きょとん。姪が年の近い叔父を見上げるような、あるいは年の離れた従兄弟を見つめるように、目をまん丸くした。
 髪に優しく置かれた手の反対側では、困ったように収まりの悪い黒髪をかき回していた。

 なんともいえない沈黙が流れる。

 その十数秒後、遮音空間の内部で“女の子”の笑い声が籠もった。快活に笑う女学生と、自分が言った冗談に恥ずかしく苦笑いする教師が、そこにはいた。

「ええ、ええっ……! そうですわね、半熟者でございました」
「あんまり茹ですぎたらハードボイルドになってしまいますからね。注意してください」

 面白くもない冗談に先ほどまであった「おそれ」が吹き飛んでいくのを感じていた。
 ああ――そうなんだ、そうだった、この方は“そういう”方だったんだだなと。だから、自分はこの方とまた話したかったのだ。

「嗚呼っ……まことまこと、まことに閣下は偉大なるお方です。どんな事態でも――如何なる偉大な功を成そうとも、如何なる強大な敵が襲おうとも、常であり平らなる心を見失うことがありません」

「まあ、私は私ですからね。それ以外の者にはなりようがありませんし。背伸びしたからって身の丈が伸びるわけではありませんので」

 クスクスッと柔らかな唇に手をかざして、その笑い顔を隠した。それは自然と、年相応の女の子の仕草となった。

「閣下はわたくしを否定もせず、肯定もいたしませんでしたね」

 暑い日差しを柔らかく遮る木々の枝のように。冷たい雨を避けてくれる大きな葉っぱのように。この方といると、将軍でもなんでもない自分と、ただ寄り添ってくれる大きい幹のような安心感があった。

「うーん……まあ、本人が選んだことですからね。あ、いえ、本当はどうかと思わなくもないのですが、でもだからといって、偉そうに未成年の進路についてアレコレ講釈できるほどではなくて」

 この人が慌てる姿は初めて見たと、まじまじと見つめてしまう。

「どうか遠慮せず仰って下さい」

「いえ、将軍殿下にそんな」

「おっしゃって、下さいまし」

 ちょっとだけ強く言い切ると、ヤン閣下は帽子を脱いで黒髪をくしゃっと掻いてこちらをちらりと見た。

「あー、では……殿下、独裁者というものの大半は望まれて出現してきます。それを支えてしまうのは国家や政府の制度でなく、個人に対する忠誠心からです」


 それから閣下はたくさんのお話をしてくれた。


「国家の再建は、理念・政治・経済・軍事の四つの分野において成さねらばなりません。軍事力や経済力は必要です。しかし理念なくして政治は行えません。『自由・自律・自尊・自主』がアーレ・ハイネセンが唱えた民主政治の精神だったように」

 時に政治の話を。

「こちらのEUの成立は歴史の流れというより、BETAの存在による危機に後押しされた面が大きい。地球のBETA無き後、その反動がEUに及ぼす影響は計り知れないでしょう。或いは再分裂するかもしれません」

 時に歴史の話を。

「信念で人を殺すのは、金銭で人を殺めるのより下等なことだと思います。なぜなら、金銭は万人にとって多少の価値はあるものですが、信念とはその人間のみに価値のあるものだからです。狂信者というのは正にその極致です」

 時に耳の痛い話を。

「しかしこういうのは、士官学校時代を思い出しますね。門限破りの方法に、無い知恵をしぼったもので。あ、殿下、シュナップスという酒は飲まない方がいいです、大人になるということは自分の酒量をわきまえることですから」

 時にとても不思議な話を。


 たくさんの、たくさんの、たくさんの、天の星の名を教えるような語りかけだった。それはきっと、教えることでこちらを支配しようなんてものではなく、ただ伝えて渡すだけで、自分なりにその糸を紡いで編んでほしいという、そんな柔らかな願いが込められていた。



「殿下、お時間です」

 でも、終わりの時は来る。自分はもう卒業しなければいけない時だったのだから。

「……閣下、これまでの事、まことに有り難う御座いました。言葉に尽くせないほどの感謝を」

 寂しさはある。でも不安はもう無い。夢は、もう十分に見れた。

 これからは政威大将軍としての務めを果たしていかなければならないのだから。一国の将軍が一星の元帥と秘密裏に逢うなど、もう許されはしないのだから。

 だからもう、行かなくちゃ。ひとりでも、行かなくちゃ。

「では閣下……失礼いたします」

 月夜の中、閣下に背中を向け、自分が向かわねばならない場所へと――

「ああ、最後に一つだけ」

 ヤン閣下は帽子を脱ぎながらこちらに声をかけてきた。

「ええと、言いそびれてしまいましたが、こちらこそありがとうございました」

「……? 何がで御座いますか」

「出会っていただいたことに」

 風が吹いた。桜の花びらが舞う。

「BETAの侵略を防ぐことは、過度に恐れるものではありません。もしかしたらそれは、イゼルローン単独でも可能だったかもしれません」

 ですが、と続けた。

「もしそれをしていたら、この広大な銀河の中で、こうして星粒のような出会いを見つけることも、こうやって話をする機会を設けていただくことも決して無かったでしょう」

 帽子をはずしたまま、静かにこちらに微笑んでくれた。

「……コーヅキ博士は一つ、とてもいいことをしてくれました。あなたを、私に引き逢わせてくれた」

 ありがとうございます――ペコリと何の気負いもない、当たり前のように――――わたくしに――

――ああっ……。

「殿下?」


 たたた、たんっ。


「え?」「あれっ?」「ほぉっ」「殿下っ!?」

 跳んだ。
 抱きとめられた。

「うわっと…………殿下? えーと、だいじょうぶでしょうか?」

「はいっ、“あなた様”」



「「「「……………………」」」」



「……殿下?」
「なんでしょうか、あなた様?」

 ヤン様は耳の翻訳装置を触って操作をした。

「えーと、いえ、将軍殿下? アナタサマとは?」

「我が国の最上級の敬意を表す言葉ですが、どうなさいましたか?」

 アー、ソウデスネーと、翻訳装置に触れるのを止めた。

「では殿下、ええと、なぜ私の方に?」

「はい、粗忽者ゆえ、“うっかり”転んでしまいました」

 うっかりです、うっかり。
 再度ヤン様は、ソウデスカーとゆっくり頷いた。

「ヤン様はとても紳士的でございます。転びそうになったわたくしを、しかと受け止めてくれましたのですから」

 にこりとほほえみ、名残惜しいですが離れます。月詠が珍しく口と眼で三つの丸を造っていました。
 さすがにもう戻らないといけません。ですが、その前に、

「ありがとうございます、あなた様」

「…………えーと、何がでしょうか?」

「はいっ、“これからの”全てに、でございます♪」

 満面の笑みで、そう宣戦布告するのでした。



      ※     ※     ※



「……なあ、ユリアン」

「なんでしょうか、提督?」

「私の翻訳装置に何か異常があったのかな? 彼女たちの『ヨシナニ』という言葉がさっぱり理解できないのだが」

 将軍殿下が去る前に「どうぞ、よしなに」と告げられ。その後、お付きの女性から、

『よろしいですか、ヤン元帥提督閣下? 殿下は我が日本帝国にとって、いえ今や全国民全地球人にとっての玉体、至尊、宝玉のごときお方にして、無垢なる白絹の御輿なのです、掲げ称えるべき我らが威光を汚すなどというような無体をされるようなイゼルローンの最高軍事司令官ではないと心得ておる所存ではありますが、万が一、ええ、万が一にでもスキャンダルなどというものが、ええ、そんなものは有りはしませんが明るみにでもなりました時には男の責任というものを心得ているでございましょうかということを実に実に今すぐ確認したく思いますが? よろしい? はいですね、イエスですね。では、よしなに。くれぐれも、よ・し・な・に』

 眼が血走ったオニのような表情で、ぎりぎりぎりと肩の肉をもぎ取られそうなほど握りしめられたら、誰が否定できようか。

「ブルース・アッシュビー元帥やリン・パオ元帥も、女性の方とずいぶん親交があったようですし、これ、同盟軍の伝統なんですかね?」

「遅くて咲く花もあるということだな。しかし閣下が徒花で終わるか、“実”をも成らせるか、これからが実に見ものですな」

「傍観者に傍観されたままの気持ちというのがどういうものか、今更よく分かったよ。専制には抗議の声を上げなくては、やはりダメだな」

 というか、シェーンコップ、いったいいつから見ていた。

「いやいや、馬に蹴られるような真似を行うなど、紳士の鏡たる自分にはとてもとても」

「……提督、ぼく初めて提督を軽蔑しそうです。フレデリカさんに悪いですよ」

「待て、ユリアン。いいか、殿下はお前よりも年下の子だぞ。私の半分にも、いや半分よりはちょっと多いが、それでも17歳だ」

「小官はすでに女を知った歳でしたなぁ。いや、あの頃は実に女が新鮮に思えた」

 ちょっと黙れ、シェーンコップ。 

「それはさすがに提督、鈍いですよ。ぼくだって分かります。だいたい提督は昔からおもてになるじゃないですか?」

「私がかい? いつ? 誰に?」

 やれやれとユリアンは帽子を脱いで亜麻色の髪をかきまわした。

「キャゼルヌ中将から聞きましたよ。エル・ファシルの大脱出の後、週刊プリティーウーマンで、結婚したい男性No.1に選ばれたこともあるそうじゃないですか」

 はてそんなことがあったのか?

「第四次ティアマト会戦後には、女性からのファンレターで机の上が一杯になっていたと、アッテンボロー提督からも聞きました」

 ああ、えっと、そんなこともあったか? あったっけ?

「ふむ。確かに閣下は係累も無し、離婚歴も無し、借金も無ければ金をつぎこむ趣味もなし」
「だいたい休日は寝ているか、本を読んでいるかだけですから。料理の作りがいがあるのは、ぼくも嬉しかったですけど」

 いやそれは全くモてる要素には入らないだろう? どこに頼りがいなんてあるというんだ? 私は年金をもらって、とっとと隠居したいと思っている身だぞ。

「ふーむ、そんな草食系というより、むしろ絶食系というべき若年寄が……いやむしろそれが、自ら獲物を狩りにいく肉食女たちの狙いとなったか」

「今までうまくかわしていたんですけど、ここの所、負け続けていますね」

「魔術師、朝までに、還らずか。次回の題目は決まったな」

 こらこらこら、大量殺戮者だという事実を言われたら頷くが、そんな風聞は聞けないぞ。

「でも提督、妻のフレデリカさんを会場に残して、夜に将軍殿下と逢い引きしたことは歴史的事実ですよ?」

「ああ、ユリアン、ユリアン。歴史とはそういう風に曲解されがちだ。しかしね、事実と真実は違うものだと伝えただろう? 事実が同じでも、誰にでもそれぞれの真実を持つものだと」

「なるほど、閣下と麗しき女将軍との真実もまた異なるということですな」

 だから余りかき混ぜるな、シェーンコップ。

「じゃあ提督、もう将軍とは逢う必要がないから会わないんですね」

「いや必要だったから会ったというものでなく、必要だから話をしたとかそういうものじゃなくて……いや、必要というのは役に立つとか立たないとか、そういう次元ではなくてだな」

 ああ、どうにも失敗した。いや失敗とは、そうではなくて、あんな風に迷ったり困ったりしている年下の後輩を見ると、どうにも余計な口出しをしてしまう自分に対してだな。軍曹、ああ今は中佐か、彼女といい、殿下といい、ユリアンといい。

「とにかく。今回ばかりは、ぼく、フレデリカさんの味方になりますからね」

「旗幟を明らかにするのはいいことだよ、ユリアン。しかしこういうのは敵味方はないものだと思うんだがね?」

「いやですよ提督、ぼくが提督の敵になんてなるわけないじゃないですか。ただフレデリカさんの味方になるだけで」

「これはこれは。ついに家庭内戦争〈リトルスターウォーズ〉の勃発ですかな? よろしければ小官が閣下の参謀長を務めさせていただいても宜しいのですが?」

「即時全面降伏を訴え出るよ。負けるのはもちろん、勝っても何も得るものもない。戦争はやはり不毛なものだ、無意味だ」

 やれやれと両手をあげて、軽く背伸びをする。空には星、地には桜、ああしかし、世はこともなくかしましきかな、だった。


















「……殿下、お戯れが過ぎます」

 諫言は何度か続きました。ええ、仕方ありませんけど。
 でも今回のことで、ひとつ、わたくしの決心はつきました。

「榊と珠瀬、二人にそれぞれ面会をします。月詠、手配を」

「はっ。しかし二人は国内外の実務に多忙のため、殿下の命とはいえ、しばしお時間がかかりますが」

「構いません。……それと、彩峰閣下には確か娘がおりましたね」

「……はっ」

 月詠は声を小さくした。その件は帝国にとって触れない方がいいものだったからだ。しかし自分は禊ぎをなす。

 きっと彼女たちには恨まれるだろう。しかし、きっとそうではない未来が待っていると、そう確信できるから。自分もそうだったから。

 すぅっと僅かに吸息し、何をするかを告げる。 


「――“あの者”の身柄を、イゼルローンにお預けします」






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Name: D4C◆9f1d95e0 ID:28c08642
Date: 2017/07/30 21:34

 第16章「最後の二つ名」


 西暦最後の年にして、宇宙歴元年の“8月”。イゼルローンがその姿を見せてから、ちょうど一年という月日が流れた。この一年はまさに地球にとってもイゼルローンにとっても激動の期間であり、同時に伝説はまだ始まったばかりともいえた。

 地球の復刻と発展は始まりを見せていたが、BETAから祖国の土地を奪還したとはいえ、民間人がすぐに故郷に戻れるわけもなかった。ハイヴはいまだユーラシア大陸の半分以上の土地を占拠しているのだ。せいぜい前線を上げられたくらいの状態だ。

 映画館の感動が終わった後は、現実でどう動いていくかを決めなくてはならない。プランを立て、その通りに動き動かし、さらに修正を加えていく。それを可及的速やかに行わなければいけない理由があった。

 そう、イゼルローンである。

 ヤン・ウェンリー一党が本格的に地球との交流を始め、様々な双方での遣り取りが行われていた。大きな点から細かい点まで、後に法典の厚さにもなる交渉を慎重にかつ大胆に進めていた。

 だが既に、技術と経済の交流第一人者は香月夕呼、政治と軍事の交流第一人者は煌武院悠陽というように声明を出したため、一番を引こうとする争いにまで発展することはなかった。

 しかし問題は尽きなかった。誰を指名するかを決めるのは、もちろんイゼルローン側にこそその権利があるのだが、それは全く公平ではないそれでも民主的かという声も当たり前のように上がった。日本帝国ばかりが良い目を見ているではないかと。

 それに関して、当時、ヤン・ウェンリーは“生徒”達にこう教えていた。

『公平と公正は異なる。公平とは理不尽であり、公正は無情だ。公平は神がサイコロを振るように、善人にも冷たい雨を降らせ、悪人にも暖かい日差しを与える。だが公正は現実社会の法則を知り、得るための準備を怠らなかった抜け目のない強者にのみ、その全てを与える』

 イゼルローンの公園のベンチに腰掛けながら、青空教室で授業を進めていた。

『現実世界の多くは、残念ながら公正なんだよ。戦争では数の多い方が勝つ。富めるものが更に富む。よく知る者がそれを活かす。人脈を持つ者が更によい人脈と繋がれる。残念ながら、ギャンブルの一発逆転は99.99%無い。力も富も知恵も人間も、持つものが更に独占できる。その逆もしかりさ、格差は個々人の努力のみでは縮まらないように出来ている』

 芝生の上にシートを敷いた生徒たちは、その一語一句に聞き入っていた。

『貧困や紛争、偏見や呪いに囚われてしまったら、その連鎖を断ち切ることは相当に難しい。まずいことに、心は伝染してしまうものだからね。あんまり後生の後輩たちに、そういうものは残したくないものだ』

 一つの例を、ヤンは上げた。

『こういう話がある。とある民族と民族の紛争だ。そこの子供が親から聞かされた。隣の土地の子とは遊ぶなと、やつらは悪だ、お前を傷つけるだろうと』

 人差し指と人差し指で指人形を作って、つたない劇を行った。

『でも僕は隣の土地の子とは会ったことがないよ、と答えると、いやいずれはそうなる、だから出会っても決して気を許すなと父親は警告した』

 片方の指を曲げて、考える人のポーズを作った。

『じゃあ父さんは隣の土地の人にひどい目に遭わされたことがあるの、と聞いた。父親は答えた―――いや出会ったことはない、でもきっとそうなんだ』

 話の意味を理解し、生徒達はみな一斉に顔をしかめていた。

『いいかい、歴史と伝聞は限りなく近く、そして遠い。愚者は経験にのみ学び、賢者は歴史から学ぶとは言う。しかし決して経験――特にその時に得た感情や感動を軽んじたり、人から聞いたままの話を鵜呑みにしてはいけない。歴史とは検証を続けることにこそ、その価値があるのだからね』

 それを聞いて、黒髪ショートの学生は何度も何度も頷きを返していた。最初は反発と警戒の固まりの猫のようだと思ってたが、後に「ボス」と敬意と愛着を持って彼を呼び、最も慕い添う犬のようになっていったと、メガネの三つ編み委員長は述懐した。或いは彼の父性的な何かに惹かれたのかもしれないと。
 というか、お偉方に対してしゃらくさい口をいくらでも利ける面と、普段はそれをも面倒くさがるという点で、あの二人、本当に親子じゃないのっ、と酒の場で漏らすこともあったらしい。



 閑話休題。



 そのように、日本帝国にのみイゼルローンの恩恵があるのは不平等という陳情は尽きなかった(或いはそう世論操作されたのかもしれないが)。
 
 確かに毎日の食事がきちんと配給されるようになった。暖かい衣服と布団が皆に配られた。BETAの脅威から解き放たれ、命の危険がなくなった。難民キャンプの治安維持にも働きかけて、安心して道を歩けるようになった。

 だが、それでも満足できないのが、やはり人間だった。

 それに関しても、その都度その都度、ヤンは彼女たちに丁寧に告げた。

『人間というのは、そのときに一番痛いとこにだけ意識が取られるものさ。一つ治れば、もとから痛かった他の部位にも意識が移る。だが、それに囚われたら永遠に痛みを追いかけることになる。新しい悩みは生きている限り、どんどん出てくるからね』

 一緒に紅茶を飲みながら、のんびりと話した。

『君たちの国のコトワザにあるだろう? 起きて半ジョー、寝て1ジョー、天下取っても2ゴー半と』

 私は食が細いからライスは半ゴーで十分だけど、と言う言葉に、和服を着崩して、畳の上でお茶漬けをすすっている姿を想像してしまった生徒たちだった。なお、似合いすぎて、みんな笑いをこらえるのに必死だった。あれほど猫と風鈴と団扇が似合う姿は無いとも。

 だが、誰もがヤンのように先が見すえて、淡々と生きれるわけではなかった。
 真っ暗闇の中、イゼルローンという光が見えたが、いまだその光は足下を照らしていない。暗がりを恐れる人々が、無我夢中でその光を追いかけるのは仕方ないことだった。

 今よりもっといっぱい、もう二度とあんな目に遭わないために、いっぱいいっぱい集めなくちゃ―――と、単純な欲望ではなく、未来への不安が拍車をかけた。特にそれはBETAによって国を追われた難民にこそ傾向が強く見られた。

『ばかばかしくはあるけど、放ってもおけないからなぁ。不安ってやつは恐慌と猜疑の卵だ。わざわざ孵化させてやることもない』

 そのためイゼルローンも予防を欠かさなかった。具体的には情報の共有と公開である。情報統制や規制によるデマと暴走を避けるべく、イゼルローン番組をラジオに流し、難民キャンプの空に向けて、ホログラム番組も放映した。特に低重力フライング・ボールは近未来を感じさせるもので、娯楽にも飢えていた民間人には大いに好評であった。


 だが―――権力者たちは難民を利用した。


 日本帝国は1999年のBETA侵略以降、自国の国民を各国へと預けたが、そのツケを十分に払っていない。自国のハイヴを攻略した今こそ、その負債を精算してもらおうという要求が示し合わされたように出された。

 つまり、難民の押しつけである。政治的にも経済的にも、これは断ることが難しい難問だった。実際、オーストラリアや南米などにも、一部の国民を避難させてもらったりしていたからだ。

 ここにきて「攻略」の矛先がイゼルローンでなく、その滞在地である日本帝国に向いてきた。

 姿を見せたばかりのイゼルローンには各国にも国連にも何らの繋がりも無く(あくまで日本に駐留滞在しているだけなので)、要求できることなどゼロに等しい。
 しかし日本帝国は別だ。国債を含めて、さまざまな関係や資本を持つ以上、交渉や要求を迫れる隙は数限りなくあったのだ。将を得んとするならば、まず馬を狙うのが常道だ。

 その魔の一手が、日本が難民の大部分を負担せよという国連での決議だった。そして多数の賛成によって、多くの難民を日本国内で受け持つことになってしまった(しかも次年度も次々年度もまだある)。
 これによって日本の復興が大幅に遅れてしまうと、誰もが嘆息を隠せなかった。これからの予算をどう配分するか、省庁は頭を抱えた。

 だが――そんなことを予期していないイゼルローンではなかった。
 
『  一つ許可をいただけたら、世界の状況をひっくり返します。  』

 議長の呼びかけと説明に、やや考えた後、GOサインを出した姫将軍がいた。

 ここに、イゼルローン法人、自由学園都市〈フリー・アカデミック・シティー〉の建設許可が下りたのだった。



     ※      ※      ※



 国家には三要素がある。領土と国民と主権である。

 領土とは、領土・領海(領水)・領空が一定に区画されていること。
 国民とは、恒久的に国家に属し、一時の好悪で脱したり服したりしない人のこと。
 主権とは、正当な物理的実力のことで、領土の国内外に対して排他的に行使できる実力を有すること。

 尚、現代においては他国からの承認という第四の要素もあるが、少なくとも以上の三つの要素を保たれなければならない(ちなみにイゼルローンは政府であり、国家ではない)。


 話は変わるが。イゼルローンが地球に長期滞在するに当たって問題となったのは、どこの国家の一部を間借りするか、ということだった。
 およそ二十世紀の地球世界においては、北極も南極も太平洋も大西洋も、地球上から下まで余すところ無く領有権問題を抱えていた。BETAの問題があったので尚更である。

 今後に大いに関係する件として、宇宙空間の領有権をどうするかという現実的議題も国連内において持ち上がっているが、とりあえず今は関係なかった。

 とにかく、艦隊を千隻だけ地球に泊めるにせよ、どう考えても広大な土地がいる。国連と交渉して外洋に泊めるか、最悪、月の裏側に基地でも作るかという話も持ち上がっていた(尚、月にも領有権争いはある)。

 だが悠陽との交渉によって獲得できた、日本国内におけるイゼルローン軍の駐留許可。これによって大手を振って、地球に滞在できることになった(尚、艦隊の地球上の交通に関しては各国から文句が出ている)。

 さて。では次にどこに留めるかという話で、そこはフレデリカと日本政府との交渉によって、“四国本島を丸々貸借地”とすることが出来た。これにはとあるトリックがあった。

 そもそも。日本(地球)と、イゼルローンの間には、共通通貨がない。

 通貨レートを決める以前に、そもそも急な転移の影響でイゼルローン内の経済と物資を回すだけでも大変であるのに、地球との本格的な経済交流など始められるわけもない。いくら演算装置によるビッグデータの処理が出来るといっても、初期設定は人が決めなければいけない。それをしたら、確実に他の国家も口を出してきて盛大に揉める。

 なので、もっと単純な物々交換に出た。
 
『  こちらは艦隊や機材をリースいたしますから、そちらは土地を貸して頂けませんか?  』

 だから天曜は「譲与」ではなく「貸与」だったのだ。そもそも宇宙艦を渡されても、それを維持整備をできるだけの経済力が日本にあるわけもない。だからこそのお互いのリース。イゼルローンは使わない艦が余っていて、日本はBETAに侵略されて荒廃無人の四国が余っていた。正に蜜月の関係である。

 もちろん国内からの非難も轟々とあったが、そもそも日本国民が何千万人と殺され、国土の大半が荒廃している以上、土地があっても誰が住めるのかいつ元に戻るのかという話だった。土地は管理してこそ国土となるのだと。
 それに加え、イゼルローンが租借する十年間の間に造った施設や宇宙艦ドッグなどは、必要ならばそのまま日本が優先的に買い取る権利を得る、ということで、首相は強引に不満を退けた。

 正にいたせりつくせりの扱いに、他の国が不満を募らせたのもある意味無理はなかった。BETA撃退後には宇宙エレベーターの建設も考えているという情報も錯綜したため、混迷は更に深まった。


 さて、いまだグレーゾーンだらけの貸与条約が、難民を押しつけられるという事態に逆転をもたらせた。

『  不満がある、というのはエネルギーが有り余っているということだ。その行き先さえ間違えなければ宇宙へも導ける。  』

 長きに渡って虐待と抑圧を受け続け、ずっと「いらないもの」扱いされてきた難民たちは、新天地にて驚きに包まれた。


 ようこそ、自由学園都市へ! 建築したばかりの各種大型施設の中で、イゼルローン主催の入学式が盛大に開かれたのだった。

 
 これには各国は一斉に非難した。「どうして日本国が引き受けずに、イゼルローンが引き受けるというのか!?」と。
 それに対して日本はこう答えた。「租借地とはいえ、我が国の領土です、我が国が受け入れたも同然です」と。
 これを聞いたイゼルローンの人々は思った。「なんだ、またヤン提督のペテンか」と。

 日本以外の他の国と正式な交流を深めなかった鉄壁のイゼルローンが、いきなり難民を受け入れるなど誰が分かるか。そもそも軍隊の駐留地に部外者を大量に受け入れるなど、常識の埒外にあった。そもそもそれは法的にどうなのかという問いかけに対しては、議員お得意の先延ばし作戦によって、なんとか回避し続けた。
 司法・立法・行政の最大の弱点は、前例がない事案を扱う場合である。法や前例を踏襲した上で動かざるを得ない者たちにとって、イゼルローンという人類未聞の存在の行動には、慎重にならざるを得なかったのだ。

『  確かに世界は公平ではない。だけど、ささやかな機会を作ることは出来るさ。  』

 与えるのではなく、得るための方法を学ばせる――最新の自由環境の中で。これが地球再生の一手だった。

『  私たちは国家を相手にしていたわけじゃない。主体的な意志を持った個人が集まって国家を構成するものである以上、どっちが主で従かは明らかだ。  』

 奪われ続けた者たちはここに咆哮を上げた。革命よ改革よ、今こそこの辺境より世界に広がれ、と某革命大好き中将まで加わっての大学祭が始まった。悪ノリが過ぎると止める者も一部イゼルローンにもいたが、歴史の流れは止まらず、世界を震撼させた。

 避難施設ではなく学園というのが、世界の種を受け入れる土壌だった。ここに永遠にいるわけではなく、花を咲かせて実を成し、そして世界にも宇宙にも旅立つようにという願いを込めて、その学園は建てられた。
 最新の設備、全く新しい未来知識、自由と革命への意志持つ講師陣と、自由学園都市の存在は、「極東のゼッフル粒子」と呼ばれ恐れられることになった。

 ただ、日本国民からもさすがにやりすぎだという声が続出し、我々を助けてくれたイゼルローンならまだしも、なぜ先祖伝来守り続けてきた土地に外国の者を滞在させなければならないのか、という非難が多く上った。

 それに対しては首相ではなく、将軍殿下が自ら国民に語りかけた。

『  BETAによって故郷を追いやられることが、どれほど惨めで苦難を味わうものか、それを知らない者はおりません。イゼルローンのおかげで我々は衣食に足ることが叶いました。なれば何故、いまだ困窮している民に対し、なおも手をさしのべようとするあの方々をも非難しようというのでしょうか。  』

 勘違いしないように、そもそもイゼルローンは日本に、いいや地球に滞在しなくてはならない理由はないのだと。それを忘れて、日本ばかりが彼らの庇護下にあり恩恵を受けられるわけではないと。あなた方は、巣を暖めてやるから餌を寄越せと囀るだけの雛鳥なのかと。将軍殿下は静かな口調で、しかし厳に戒めた。

 そうして、様々な職種の、様々な人種の、様々な経歴を持つ、『世界市民〈コスモポリタン〉』はここに勃興した。歴史は新たな転換点を得た。

 ただし、統合した単一の国家を目指すなどではなく、もはや国家なんてものを気にしなくても生きられるようにということを指向したと、ヤンは注意喚起した。

『  我々は難民第一主義でもない。自分たちこそがイゼルローンに導かれた唯一正統などと思いこんだら、ろくなことにならない。  』

 民主主義とは多様性と複数性にある。そういうわけで、難民以外の希望者も学園に入学できるように準備し始めていた。

 それを聞いた各国は、非難の手のひらをあっさり返し、希望者――というより間違いなく工作員――を用意するために早速動き出していた。
 ああ、ますます火薬庫に火種がつくことになると、首相は胃薬を大量に用意していた。


 ……ただ実際のところ、初期の学園はリアルMMO(事前登録人数、数百万人突破!)開幕当日、と呼ばれるほどごった返した。おい運営仕事しろ、が皆の合い言葉となるほどカオスな状況となっていた。

 そういう修羅場には慣れている、むしろケンカとトラブルはイゼルローンの華だ、かかってこいではあったが、全てを引き受ける事はせず、地球の人からも祭りに参加、もとい参画してくれる者を募った。そのため各国は(以下略)。

 フレデリカ直々にスカウトした神宮司まりももその一人になった。いまだ国連軍所属ではあるが、そこら辺は政治的駆け引きによってもはや何でもありで、本人の希望もあって兼任することになった。おかげで「……過労死ラインって何百時間だったかしら?」と膨大な仕事を抱えることになったが。

 そのように、一年を経った現在でも、いまだ宇宙は日本を中心として盛り上がりを見せていたのであった。



     ※     ※     ※



「あら、あんた、まだ死んでなかったの? あ、そうだ、じゃあいっそここで死ぬ? むしろシネ?」

「ははははは、博士は相変わらず冗談がお上手なことですな」

「えーと、荷電粒子ライフルはどこにあったかしら? せっかく提供されたんだし、試し撃ちの的が欲しかったとこなのよねー」

 そんな暑さの盛りの8月。横浜基地の香月夕呼は招かれざる客をどう追い払うかを考えていた。
 まー、来ることは“社のおかげで”判っていたし、そろそろ政府も何らかのアクションを起こしてくるでしょうと準備はしていたのだけども。

「おお、おお、博士、無抵抗でか弱い紳士を過剰戦力で迎えるとは、なんという感嘆の至り」

「自称エセ紳士はイゼルローンの連中でお腹いっぱいなのよ、とっとと本題に入りなさい」

 マジで構えたので、あっさりと手みやげを渡す―――と思いきや、“採点”を要求してきた。

「時に、以前香月教諭から出されました宿題に関してですが」

「? ……ん? あーそういえば、あんた2月から姿を見せてなかったかしら?」

 だからてっきり関係各所から社会的に抹殺されたもんだと。

「猫の手を1000匹ほど借りるよりは、死者の手を用意するほうが早いとの判断ですな。しかしあいにく首輪付きなもので、いつ棺桶に戻らさせられるか冷や冷やとしておりまして」

 まあ実際、銃で殺すくらいなら働かせて忙殺させた方がいいものね。モノや技術が足りても、時間と人が足りないのが世界の現状だし。

「下らない前置きはいいわ。こっちだって時間がないの、さっさと評価を言ってみなさい」

「では――――」

 ・・・・・・・・・・・・

 ・・・・・・・・

 ・・・・

「ふーん……なーるほどね、聖者、あー、なるほど、ヤンが聖者…………100点中5点、やり直し、補習は自分でやりなさい」

「採点基準はどのように?」

「文学的センスおよび理学的証拠に欠ける、ナンセンス、以上、カエレ」

「証拠ならばいくつかあるのですがねぇ」

 ……ほーぉ、ようやく聞く価値のある情報を開示するようね。まったく、相変わらず迂遠に話すもんだから、いつぶっ飛ばしてやろうかと思ったけど。

「いいわ、話してみなさい」

「最近、某塾なる勉強会の集まりが、若手の武家を中心に行われているのをご存じで?」

 ふーーん? ……武家、若手、勉強会…………となるとイゼルローン? 狙いは…………で鎧衣あたりが動いている…………あー、あー、下らない。

「国内の反イゼルローン派のあぶり出しかしら」

「いえ、それが見事に企画倒れしまして」

 あら??? スケープゴートを立てて、耳障りをよくしたプロパガンダからの、反対派閥を集めての、一網打尽じゃなかったのかしら?

「将軍殿下はイゼルローンの傀儡と化したー、日本帝国の自治は地に墜ちたー、とかいう連中、思ったより多くなかったのかしら?」

 正直、自由学園都市はやりすぎだったものねー。国内の土地貸借から始まって、難民とはいえ勝手に他国の人間を入れたってんだもの。我々意識の強い連中はワメくでしょうね、そりゃ。
 だったら自分たちで賄えるかっていったら、口を閉ざしたでしょうけど。技術と物資だけよこせ、口は出すな、なんてイゼルローン様に言えるわけもなしと。はっ、情けないわねっ。

「いえいえいえ、おりましたとも。しかしながら、先の月の『ヤン・イレギュラーズ』の活躍によるものですな」

「あー、あれね」

“実験”の一部を思い返す。なんということはない、A-01部隊の中から大隊(36名)を選抜して、ヤンに戦術指揮をとってもらっただけ。A-01部隊の内情は基本秘密だから、通称ヤン・イレギュラーズって呼ばれたらしいんだけど……。

「あいつ、帝都防衛部隊に勝っちゃったものねー」

「はははは、博士の模擬線企画のおかげで政府軍部は大混乱でしたがね」


      ※       ※      ※


――でもあれは面白かったわ~~。

 A-01部隊全員を並ばせて、今日からこいつに戦術指揮を取ってもらうからって、モニター越しに紹介したときのことを思い出す。まりもなんて、盛大に吹き出していたものねー。ただ肝心の連中、リアクションが乏しくて、え、本物、え? みたいな感じだったのが残念。

 横浜基地の司令官なんか、あんぐりと口を開けて固まった後、詰め寄ってきたけど。

『まあ大変、そのヤン元帥閣下って、ずいぶんとご立派なのねぇ。どこかの穀潰しのヤンに見習わせたいわ♪』

『同姓同名の別人というのは、同じ時代に三人はいるらしいですからねぇ。そのごくつぶしのヤンさんという方も、きっとどこかにいるのでしょう』

 これを聞いた社曰く、「口ケンカは同じレベルどうしでしか起きませんね」とのこと。まったく悪い影響をイゼルローンから受けたものだわ。


 ま、確かにヤンを使うなんて越権どころか、そもそものところ誰にも権利なんてありはしない。イゼルローンの中でも、議長だけだろう。

 だから「お願い」をしただけのこと。それも、国連軍所属の香月がイゼルローンのヤン提督に、ではなくて、香月夕呼個人がヤン・ウェンリー個人に対してだ。

――あいつ、軍令や軍務を破ることもあるくせに、根底の規則には人一倍うるさいものね。

 まあ、あいつに今のところ仕事が無いのも効いていた。

 社にも聞いたけど、日本との交流が始まって以降は、お茶飲んでいるか、本読んでいるか、パズル解いているか、チェスやっているか、日なたのベンチで寝ているか―――基本、ぼけーっとしているだけだったものねー。

 何でも、こっちに転移してからの半年ほどはかなり考えている様子だったが、地球との交流もうまくいった今はその反動で、やることなすこと他人に全部任せて、書類の裁決以外は食っちゃ寝の物置と化していたみたい。

 妻の議長は日夜働かせて、夫の軍人はぐーたらしているって状況。しかもヤン夫人はむしろ喜び、養い子も「ヤン提督が一生懸命働くようになったら、いよいよイゼルローンも終わりな気がしますので」と、不真面目さを肯定していた。

 そこに目を付けたのが、あたしと中将ズ(3名)だった。

『あんた、作戦について考えるのは好きなんでしょ? だったらちょっと乗りなさいよ』
『寝て起きて食って寝てと。お前、夫人もユリアンも地球に行った途端、ホコリを友として呼び戻したな』
『朝寝、朝酒、朝風呂、妻は遠くに単身赴任中。これで愛人でも呼び込めば完璧なのですがなあ』
『せっかくのお祭りへの誘いを断るのは、老年への始まりだと思うのですがね』

 と懇切丁寧に包囲説得〈こうげき〉すること長期間。司令官はあたしで参謀はあんた、あたしの責任と裁量の範囲内に納める、部下の生命を決してもてあそばない、etc...で、不定期ならばと参謀を勤めてもらうことになった。辞めたい時はいつでもどーぞ、がお互いのご挨拶で、皮肉が基本。イゼルローンからも地球からも、周囲からはふざけた関係と見られている――――狙い通りに。


 本命の理由は、ヤンとヤン夫人にだけは伝えた。


 地球どころか宇宙全体のBETAの攻略、そのためだと。細かい理由は伝えられない――実験の意図を伝えたら、効果に影響が出てしまうから――と、その時が来たら全てを明かすと約束をした。あと、ヤン達がこっちの世界に来た原因についても、あたしなりに解明してみせると約束した。

 それと、ヤンが関わらなければ関わらないでもいい、その代わり、どうしても犠牲になる人数は増えることになる、千人単位程度だけど、という「事実」も話したのが効いた。

 そして何より、

『  ご主人に人殺しの手伝いをさせるようなことは、決していたしません。  』

 彼女にそう約束をしたのが最後の一押しになった。
 英雄としてのヤンではなく、個人としてのヤンの力が必要なのだと。
 殺人者と殺人被害者を増やすために動くわけではないと。

 議長が神妙に頷くと、あいつはしみじみと深いため息をついて、給料分は働きましょうと答えた。
 これ以上、下らない戦争の犠牲になる若者たちを少しでも減らすため。ヤン風に言わせれば、いかに効率的に味方を殺すか。その名分でお互いが手を組んだ。

 そういうわけで、うちの「非常勤参謀」は決定した。ちなみにそれもヤンのあだなの一つだったらしい。ふむふむ。



 それが今年の3月中の出来事。佐渡島ハイヴ攻略前にあいつを陥落できたのは大きかった。最初はまりもに対してだけ戦術指揮を任せてみたけど、思いの外、すぐに「効果」は見られた。だからこそ、あの日も実戦を任せられたわけだ。
 それを更に検証すべく、今度はA-01部隊に対して実戦指揮を任せてみたけど、今度は“逆方向”にも働く場合があることが確認できた。

――だからでしょうね、先月の戦果は。

 更に様々な検証を秘密裏に行った後、ひとつの模擬戦を特別に将軍殿下とイゼルローンとに諮った。それが対人最強と謳われた帝都本土防衛を担う戦術機部隊と、A-01部隊との戦いだった。

 ま、国内のハイヴを完全攻略した日本帝国には戦術機が余っていたし、『大翔』の活躍で「旧型」になった戦術機は博物館送りになっていくってのは分かっていたしねー。
 それに加えて、ハイヴ攻略後の3ヶ月はまーったく「実戦」をすることが無くなった連中が多くなったことも交渉材料になった。気を緩ませたら今度こそ実戦で命を失う、どこかで喝を入れねばいけないという意見もあったのだ。

「誰もが思ったでしょうなあ、かのイゼルローンの元帥といえども、これは不可能だと」

 あっちは最新の第三世代の武御雷と不知火、こっちは不知火と型落ちの吹雪。戦術機の搭乗時間数や実戦経験も圧倒的にあっちが豊富。何より人数が72対36というふざけた戦力差。

 下馬評で不可能と言われた最大の要因が、ヤンの存在だった。そもそも宇宙艦隊司令官殿が戦術機の指揮を取るなど、海軍が陸軍の部隊を扱うようなものだ、部署違いもいいとこだと、軍部のほとんどが憤慨するか嗤い飛ばした。

 だけど、ヤンはそれを覆した。

「ステイルメイトだったかしら? あの状況」

「三コウともいいますな。防衛戦においては勝利とも言えるのですが」

 地球上でも前代未聞の公式軍事演習ということで、各国の軍事顧問たちもそれを見守った。

 さすがの戦力差と、帝都防衛部隊の本来の任務を省みて、あっちが防衛部隊、こっちが攻撃部隊にしてもらった。勝利条件は「三カ所すべての拠点を撃破したら、攻撃側の勝利」「攻撃部隊全てを大破させたら、防衛側の勝利」となった。

 序盤・中盤は完全に帝都防衛側に押されていた。斯衛の誇りにかけて、一カ所たりとも攻略させてなるものかという意気に溢れ、指揮は万全、連携完璧。こちらは防衛に隙を見つけることが出来なかった。

 そう、何一つミスはなかった。なにも連中は間違えていなかった。正に軍事の教科書に乗るような戦法だった。
 だからこそ、ヤンに勝つことが出来なかった。

「帝国軍ではイゼルローンの詰め将棋と呼ばれ、日夜研究されているようで」
「はっ。必要な時に解けなかった問題を説くことに何の意味があるんだか」

 戦闘が続き、三分の一近く減らされたA-01部隊。これは一気に決着が付くかと思ったが、そこは熟練の帝都防衛部隊、慎重に包囲網を作り始めて―――というギリギリの瞬間で、ヤンは部隊を動かした。

 その配置とタイミングが実に絶妙だった。見事なまでに逆包囲を完成させ、こっちは全滅間際と引き替えに三カ所全てを撃破することが可能という状態になった。

 そして特筆すべきことに、ヤンはそれを相手側に悟らせたのだ。

『  遊兵を作らないのは兵法の法則だが、遊兵がいる、ということを相手に知らせるならば、遊兵もまた兵法になる。特に相手が兵法に通じていればなおさらだ。  』

 敵の心理と思考につけこむヤンの真骨頂が発揮された。逆包囲が完成する直前、敵にこちらの意図を気づかせたのだ。
 瞬間的に、あちらの総指揮官、摂家の斑鳩当主は部隊を制止させてしまった。なまじ優秀であるが故に、その詰め将棋の難解さに気づいてしまったのだ。だから、何とか突破口を見つけようとしてしまった。

 双方の部隊が制止した。お互いがお互いに包囲してしまい、ここからの一手を間違えてしまえば勝敗が決まる状態となってしまった。

 戦況を見守っていた軍部関係者もざわめきはじめ、選手だけでなく観客までもがどうすれば勝てるのかを考えた。現場にいた部隊の沈黙とは対照的に、大モニターの前の貴賓席は喧噪に包まれた。

 その状態が数分、あるいは十数分続いた頃、誰かが気づいた。

『  そのままだと、あちらさんも勝利条件を満たせないんだよねえ。  』

 今回の模擬戦は防衛側が圧倒的に有利ということで、制限時間守りきるのではなく、攻撃部隊の全撃退が勝利条件となっていた。つまり、いつかは勝負に出なくてはいけなかった。

『  だけど、そのまま強引に力押しされたら、たぶんこちらがやられてしまうだろう。  』

 とアッサリとヤンは認めた。計算上は確かにこっちがギリギリ勝てるラインだったけど、それは馬の背に乗っかっている状態であり、勝つには飛んでいる針に糸を通すような精密な動きが必要だったと。物量戦ありきのBETA相手なら十中八九負けたと。

 だが、それは対人ならば――相手が“優秀”であれば全く別の話になる。
 一度止まってしまったからこそ、作戦時間を取れたからこそ、戦法に拘ってしまった。そして攻撃側が動かないからこそ、防衛側が先攻を取らざるを得なくなったのだ。

『  あちらが“対応”する場面でのミスは期待できない。だが“選択”がいくつもあれば、先の複雑さにどこかで詰まる。そこを狙うしかない。  』

 ヤンはワザと先手のバトンを渡したのだ。勝利と敗北に全責任を負わせる、という恐怖をちらつかせるために。斯衛として、日本の帝都を護る者として―――そんな武家達のプライドを狙い撃ちにすることこそ、ヤンの心理作戦だった。

『  まあ、たぶん、殿下が止めてくれるから、決戦まで行くことはないよ。気楽に待っててくれ。  』

 何よりあいつの怖ろしいところは、その終着点まで予言しきったことだ。それを聞いたA-01部隊は「はあ……」という半信半疑で返事していたが、模擬戦後は魔術師を見るような目でヤンを見るようになった。

 事実、膠着状況が限界にまで達したところで、将軍殿下が一喝して戦いを止めた。双方ともに十分にその成果を示した、これ以上の模擬戦は無意味であると。
 突然の戦闘停止指示に、しかしヤンはあっさりと受け入れた。いきなりの事態に困惑の色が浮かんだ各国の観戦者たちも、ヤンが「やあ、お見事でした」と拍手したことにつられて賞賛の声を上げた。

 実際は引き分けなのだが、防衛指揮官の斑鳩は敗北を認めた。それは、模擬戦後の戦術考察をしたいとヤンに申し込んだ時、ヤンが吐いたセリフのせいだった。

『  いえ、私たちは最初から負けていました。もし最初から、防衛側が三拠点の内、二つを捨てて一カ所に戦力集中していたら、こちらは白旗を揚げざるを得ませんでしたので。  』

 ええ、これを聞いた時の武家側の反応といったらもう笑うしかないくらいだった。ぽっかーーん、って擬音が聞こえるくらいに全員が口を開いて、まじまじと“宇宙人”を見つめた。それ、わかっていてもヤるかって作戦だものねえ。ヤン、卑怯、さすがヤン、汚い、エゲツナい。

 呵々大笑した斑鳩は「いやいや、これは敵わない。我々は天ではなく、己自身の慢心……いや傲慢に破れたわけだ」と、憑き物が落ちたような顔でヤンに敗北の握手を求めた。

 それが帝都模擬戦の決着となった。


      ※       ※      ※


「あれ以降、いえいえ、過激派や中立派だった武家の方々も元帥、いやヤン参謀に好意的な声を出すようになりましてねえ。いえ、実にこちらも“仕事”を進めやすくなりました」

「ふーん」

 ま、そちらは予想通り。あいつの影響力は半端じゃないものね。なるほど、それが鎧衣の言う証拠の一つってわけね。

 武家の連中は格式とか歴史とかよく口にするけど、同時に「強さ」の原理に関してはよく従う。特に今回は、ヤンという一個人の力に敗北したとあって、摂家さえもヤンを個人的に認めるようになったということだ。実際、彼らとのパイプ作りにもヤンはよく働いてくれた。

 ただ、鎧衣自らがわざわざ言いにきたってことは、それだけじゃないってことだろうけど。

「――それで逆の連中は?」

「ははは、やはり今を、いえ歴史をときめかせる香月女史は鋭い。―――高貴なるお方は、最近の星の動きに気を害しているようで」

 ふーーん……高貴、ねえ? 元帥府……なら、『斑鳩』は今聞いたように肯定派に鞍替え、『嵩宰』は元から消極的賛成派、『煌武院』は論外、となると……。

「先代(元将軍)の『斉御司』かしら」

「いえ最後の一つですな」

 ああ『九條』ね。でも妙ね、今の情勢で? 確かに現将軍は色々と……ええ、ほんとに色々とやりすぎている面もあるけど、功績でいったら世界的規模だし。次の将軍狙って裏工作に動くにしても、時節ってモンが読めていないにも程があるけど……。

「ああ、時に博士、」

「何よ、ちょっと考え中なんだけど」


「“彼のお方”を第四計画の対象者にする心算ですかな?」


 …………。

「………………」

 ……なるほどね。こいつ……いや日本帝国は、ついにあたしという天秤の位置を測りに来たわけか。

 イゼルローンがその姿を明らかにし、オリジナルハイヴ攻略も今年達成すると計画されている今となっては、オルタナティヴ計画に比重を置く理由がもはや無い。まあ予算のぶんどり合いは今に始まったことじゃないけどね。

 だけどお偉方にはとある誤算が生まれた。そう、オルタナティヴ4計画の総指揮者であるあたしと、イゼルローンからご指名された香月女史が同一人物であるということだ。
 そのため連中は計りかねた。あたしという存在をどう扱うか、オルタナティヴ計画は凍結すべきなのか、継続すべきなのかを。

 まあふっつーに考えれば、とっとと暗くてうす汚い計画なんてお蔵入りして、イゼルローン様の目に触れないようにさせる配慮をしたいんだろうけど。あたしはそれを止めさせた。むろん、イゼルローンから仕入れた様々なおミヤゲを餌にして。

 だが、やりすぎというものはある。それがイゼルローン最高軍事責任者であるヤン・ウェンリーに軍事指揮をさせたという点だろう。いくらあちらの合意を得たからといって、あまりに越権行為、あまりに秘密保持義務違反、あまりに売星奴だと。

 いったい香月博士はなにを考えているのか。それをこいつが測りにきたって訳か。あるいは、あの将軍殿下も危惧を抱いたのかもしれない。だいぶヤンに心酔しているみたいだしね。

――……ま、煙にまいても後々が面倒かしら。

 何だかんだで鎧衣は人を見抜く目が鋭い。黙っていても嘘をついても、謀殺はされないまでも、権限は一気に削られるだろう。何しろイゼルローン様の御気分を害されるかもしれないってことに関しては、日本ほど敏感になっている国もないものねー。

 しょうがない、一部は答えてやるか。

「しないわよ、無意味だから」

「…………。ほぉ? 無意味とは、また意味深な回答ですな?」

「ヤン・ウェンリーを『00ユニット』にしても、まったく効果が出ないって言ってんの」

 変に勘ぐられるのも面倒だから、直接言ったけど……まったく、ちょっとばかり補足してやるとしますか。

「いい? あたしの『因果律量子論』においては、世界の在り方には人の意志(観測)が大きく影響を与えているという仮説があるわ。世界に意志を投影する力を持つ者は、並行世界から漏れ出す因果情報を受け取ることができる。だからこそ、意志こそが重要不可欠なものになる」

「…………ふむ」

「だけどね、ヤンはね、勝ちたいなんて意志は持っていない。自分が正しいだなんて信念なんて有りはしない。そもそも、あんちくしょうには、やる気なんてこれっっっっ、ぽっっちも無いのよっ」

「…………ほぉ? それは博士が提唱する理論とは真っ向から反対しますな。では、はてさて? かの名将は偉業とも奇跡とも称えられる戦績の数々をいかにして成されたのでしょうかなぁ」

「ええ、勝とうとする意志や気持ちや行動が大きい方が強いし勝つ。基本はそうよ。プラスの意志こそが、運命ってやつを切り開くって言ってもいいわ」

 その最たる存在が、あいつの世界の新皇帝なんでしょうね。言うなればプラスの極限値。それは全てのプラスの意志をねじ伏せ飲み込んでしまう、圧倒的な恒星。だからこそ、ヤンのいた同盟側の猛将も知将も勝ち得なかった。ベクトルでは強い力の方が勝ち、相手を飲み込んでしまうのだから。

 では、なぜヤンだけは、正の極限的存在に対し得たのか。あいつの存在の答えはそこにある。

「でもね、理論には必ず例外……いいえ、特異点というのがある。あいつはね、その例外的存在、“ゼロ”なのよ」

 あいつを計算に入れようとするのは、それこそゼロ除算をするようなもの。決して特定の答えが出てこない存在。マイナスゼロでもプラスゼロでも同じ存在なのに、演算機にかけると例外処理されてしまう悪魔。無意味、無定義、無限、パラドックス―――それがヤン・ウェンリーの正体。

「ヤンは勝とうと思っていない。でもね、負けようとも思っていない。だから、強いのよ」

「…………」

「あいつには勝利への欲とか、敗北への畏れなんてほとんど無いのよ。真ん中なのよ、ゼロなの。どうやっても、どんな時でも、なにがあっても」

「欲はその脚を浮つかせ、畏れはその一歩を躊躇させる、ですな」

 たぶんあいつに死にたいのかって訊いたら、『あまり死にたくないかなぁ?』って答えるでしょうね。しかもその精神性だけじゃなくて、学者的視点から未来を予測するんだから効果は倍増する。
 普段はモノの役にも立たないあいつが、死か生かの究極極限状況においては、その真価を発揮する。ごく淡々と冷静に、しかし確実に生死の突破点を見つけだす。
 
「あいつは相手側の思惑や意図や行動なんて、ほとんど読み切っている。読んだ上で、相手に何が何でも勝とうなんてしないのよ。そんな宙を浮くノレンみたいな存在に誰が勝てるってのよ」

 勝とうと動く者は必ず力を入れざるを得ない場と、弱くなってしまう場がある。あいつはそれを一瞬で読みとって、それを逆手に取り一発逆転を狙う。それは、後の先の極み。
 劣勢から取り返そうとするのはあたしも同じだけど、一つ違う。香月夕呼は、いつも勝つつもりでやる。でもヤン・ウェンリーは負けないつもりでやる。

 だから――あたしはあいつには決して敵わない。新銀河帝国の皇帝さえ、ついにヤンに勝ち得なかったように。

「ふむ。ふむふむふむ。なるほど、ゼロなる存在と。――しかし気になりますな。ではいかにしてヤン・ウェンリーに接触した彼女たち、特に社霞はあれほど成長できたのでしょうかな?」

 あー、やっぱりつっこんできたわね。ま、そっちはとっくに裏の連中にはバレていたんでしょうけどね。

 
 そう、ヤン・イレギュラーズに入った連中もだけど、社はその能力を多大に伸ばしていた。特に思念波を飛ばすことに関しては比類ない成長で、『停滞工作員〈スタグナー〉』を炙り出すことさえ出来るようになった。

 停滞工作員、それは指向性蛋白を注入された自覚無き工作員。人工的な生化学物質――但し、ウイルスや細菌、ナノマシンの類ではないため、免疫系の影響を一切受けず、専門的な検査をしないと発見できない――を投与された人間。その物質は一時的な記憶障害や暗示、猛毒や爆発物まで体内で生成させる、いわば武器を持たない暗殺者と人間爆弾を生むことさえ出来る。

 欧州連合情報軍所属のとある男は、その思念波を(特定の条件下で)出せるようだけど、社のそれはもはや完全な任意での発動だ。
 それ以外にも様々な点で、イゼルローン訪問後から能力の飛躍が見られている。それは正に、あの一週間で『洗礼』されたかのようだった(個人的には『汚染』ってつけたい、もんのすんごく名付けたい)。

――しっかし、その成長がヤンに“感応”しただけで起こるって、どんなおとぎ話ってのよ。

 科学にケンカ売ってんの、あいつ。

――そもそも、対象に接触しただけで『より良い確率分岐する未来』を引き寄せる能力を上げるか“下げる”って、どんだけよ?

 まさか本当に奇蹟〈ミラクル〉のヤンだなんて、想定もしてなかったわよ。そーいう触媒がいるかもしれないとは仮説には置いていたけど。
 
 そもそも因果量子論的に言えば、「運」とは各個人に先天的に備わっている『より良い確率分岐する未来』を引き寄せる能力を指す。並行世界から漏れ出す情報を、無意識のうちに的確に選択して、『正解である世界』を選び取っているのが人間。

 ヤンはその能力の影響力がとんでもなく、接触した相手の運を巻き込むことが出来る。仮説通りなら、それは歴史に名を残した『始まりの賢者』というべき存在。
 それはヤンが偉業を成せば成すほどに、相手への影響を高めていく。それこそ最終的には、相対している相手がヤンの名を聞くだけで影響をもたらしてしまったほどに。

――ま、実際、銀河帝国の連中もけっこう無能化したみたいだし。

 表面的にはさっき鎧衣が言ったのと同じ現象が起きたのだろう。ヤン艦隊に対して、欲か畏れの針が限界を振り切って――実際はそうさせるようヤンが仕向けて――普段なら決してやらないような失策を打ってしまう。そして味方は不敗のヤンへの信仰によって、十全の力を発揮できるようになる。

 しかし根底にはヤンの因果律の力が働き、敵には幸運の低下を、味方には“悪運”の上昇をもたらしていた。あたしはそう睨んでいた。


「あいつ自身がゼロだからこそ、周りが勝手に触発されて変わっていく―――いいえ、『本来』に戻るのよ」

「…………」

「……人間の心って生きている内にいろんなモノをくっつけられて、変わってしまう―――自分が変わったことにさえ気づかされないままに、時は人間を置き去って流れてしまうわ」

「………………」

「全ての物質は、そこに『在る』ことを求められて存在している。様々な意志によって、存在は初めて存在できる。だからいっぺん凝り固まった存在はそうは化われない。それこそ、ゼロなる存在と掛け合わされない限りね」

「……なるほど」

 そういったことを教えてやったら、なるほどなるほどと――こいつには珍しく、本当にそう見えるように――納得したようだった。

「月は変わらず天にあり。ただ我々の見え方が変わるのみ、という具合ですな」

「ま、月は実在するから見えるんじゃなくて、見ている時だけ存在するって考え方よ」

 そういう意味ではヤンは湖畔に反射する朧月。実体は無い。勝手に出会った人間が想定するだけ。あいつに飛びかかるのは、月をたたこうとして湖に飛び込むみたいなもの。
 あいつ自身は、ちっぽけでだらしないロクデナシのゴクツブシなんだもの。そんなヤツに挑んでも勝てないっていうんだから、まったく不条理を感じるのも無理ないわ。

「だから解った? ヤンはね、あたしの貴重な、きっちょぉぉぉなサンプルなの。サ・ン・プ・ル! あいつをそんな一発勝負の使い捨てにするのなんて、勿体ないったらないわ」

「時に博士はイゼルローン語録の『ツンデレ』なる存在をぉぉぉぉっ!?!?」

 ちっ、避けたかっ! 

「はははははっ、なるほどそれが香月夕呼女史の『本来』でいらっしゃいましたか。ああ、若く研究一途で優秀すぎる適齢期の女性、年下は性別識別圏外、おお、だがそこに出会ったのは歴史学の教授―――」

 もう一発っ! いいえ当たるまでっ!! 

「…………とまあ、とある平行世界の話は別にしまして」

 カチカチッ、エネルギー切れっ!? まったくっ! 誰でも当たるように改造しておくべきだったっ。

「なによっ、もう用件は済んだでしょ、とっとと棺桶に還りなさいよ」

「“マイナス”なる存在はご存じで?」


 ………………。

「いま、なんて?」

「負。あるいは人間の悪意の“群体”。己が存在できるならば、他の存在を幾ら浸食しようと失おうと腐らせようと一切を省みない。人類のがん細胞、悪性新生物」

 …………、それは……。つまりさっきの話は……。

「尊きお方ってヤツの動きの裏にいるのは、どっかの国家ってこと?」

「香月博士、貴方はお若い。それだけに『奴ら』の存在を知らないのも無理はありません」

 なによ、こいつ。急に真面目になったりして。

「組織には居ても組織の長ではなく。国家に属しても国家に従わず。個人でもあり、時に他の同類とも繋がり、しかし決してその存在の本質を知らせず、常に生き残る。寄生粘菌という言葉がお似合いですな、どこにでも入り込む」

「…………オルタナティヴ計画にも」

「います。ですが、それは特定の個人ではないのです」

「…………」

「どこの組織にも、いつの時代にも、必ず存在するマイナスの存在。ちっぽけな裏切者であることもあれば、仮面をかぶった国家的煽動者であることもある。共通している事は、奴らは“自分以外はどうなっても一向にかまわない”ということです。それこそ国家も歴史も破滅しようが」

 ……なるほどね。

「確かに自分の手足を切れば痛むでしょう、勿体ないとも思うことでしょうな。しかし奴らにとってはそれだけ。またどこかで新しい手足を見つけてくっつけ、ひたすらに自分のためだけに生きる」

「潰すのは?」

「BETAを撲滅するほうがまだ可能でしょうな。人類が生きる限り、そういった手合いがどこそこに生まれてくるでしょう」

 ……あー、ヤンも言ってたわねー。

『  人間が戦争を始める時は、命より大切なモノがあるといって始める。止める時は、命より大切なものは無いといって止める。この場合の命とは、権力者とそれ以外とで意味が異なります。  』

 自分の命のみを重んじて、他人の命をとことん軽んじる者がいるかぎり戦争は終わらない。そんなことを人類は何千年と続けてきたんだと。

「ちょうどイゼルローンの存在が明るみになり、奴らの活動が活発になってきました。こちらの網に引っかかる程度にはね」

「…………」

「私は疑問に思ったのですよ、香月博士。はたして、彼の聖者殿の叡智は、その存在にまで気づいて計画してたのかと。ここ一連の彼らの政策は、そういった負の存在の浸食を加速させてしまっているのではないかと」

 確かに……正直、やりすぎな面はある。民主主義とかのあいつの理想は解るけど、もっと慎重にやっても良かったはずだ。焦り? いやそういうのではない。だけど……

「…………、なるほど博士もご存じではなかったようで」

 ちっ。なーるーほーど、こいつ、そっちを確かめるのが本命だったってわけか。やられたっ。

「ははは。では、白き狐と黒き狸の心温まる交流を今後を期待しまして、月下氷人は去ると致しましょう」

 言いたいところだけ言って、音もなく部屋から抜け出していった。
 ……空間ディスプレイを出して、ぴぴぴっと。せめてセキュリティを上げて嫌がらせしておく。ただで帰らせるものか。

「まったく、招かれざる客と問題ばかりがやってくるわねっ」

 …………まあいいわ、いい機会だものね。せっかく出されたこの命題、この天才が解いてみるとしましょうか。

「社ー、ちょっとコーヒー入れて。休憩するから」
『……わかりました』

 社に連絡を入れて、ちょっと本腰を入れて思考回路を回す。

「そう……ヤン、あんたがいったい何を隠していたのか、考えていたのか。あたしが捕まえて、解き明かしてやるわっ」

 ゼロ除算? はっ、そんなモンのパラドックスなんてあたしが解けないわけがないってことを教えてやる。あんたの飄々とした態度も今日までってことよ、覚悟なさいっ!

『……わたし判ります。それはライバル関係と見せかけての、博士なりの独占欲なんですね』

 とりあえず、社、あんた正座。


       ※      ※     ※


「さーて、やっぱり考えるべきは、初期のイゼルローンの行動の不自然さね」

「……はい」

 社の入れたブレンドコーヒーを飲みながら、ゆっくりと思考実験を始める。ちなみに社はイスの上に座布団を敷いて正座していた。

 片手で空間ディスプレイを操作して、三次元の黒板に書き込みを始める。

「各国の連中も突っ込んでいるけど、イゼルローンの地球へのコンタクトは、一貫性がなく中途半端な点がいくつも見られている」

 誰かに教えることは、自身の考えを整理することにも適している。自分の説明に何か曖昧さや不足があると、キチンと伝わらないからだ。

「もし仮に、本気でイゼルローンが地球に援助するのであれば、一年前の最初から声明を出し、国連にでも接触すればよかったのに」

「……ですけど博士、ヤン提督が仰っていたように、それは混乱を招きかねませんでした」

「反論できるわ。それは現在も同じじゃない? どうあっても混乱は避けられない。なら、あちらが組織なり人物を交渉相手に指名すれば良かったともいえる。明らかにイゼルローン側が主導権を取れるのだから」

「……でも、一年前の時点では資源や物資は不足していました。皆さんに行き渡る分はなくて、たくさんの暴動が起きたかもしれません」

「それにしても、各国の協力があれば――まあ地域の偏差は埋まらないにしても――全体の底上げにはなったはず。そもそも地球側の問題があっちが背負いこむことなんてないわ」

 そうだ、ヤンの意見では、イゼルローンは最初から地球側を信用していなかったように捉えられてしまう。ま、実際、とんでもない実態や裏があるんだけど。十分以上に情報をよく集めてから判断したので、余計に慎重にならざるを得なかったとも言えるけど……。

「かと思うと、ここ数ヶ月のイゼルローンの行動は、今までの慎重さから解き放たれたように、好き勝手やっていて隙だらけに見える」

 自由学園都市はその最たるモノだ。熱気があって面白いのは認めるけど、自由度が高すぎて、地球側の様々な思惑も絡まる魔都と化している面も見られる。

 この行動の温度差はいったいなんだろうか?

「これは、あたしと社、まりもと将軍殿下――ひいては日本と正式に接触できたことで彼らの行動地盤を固めることが出来たから?」

「そうだと思います。ヤン提督は、私たちを信頼なさってくれているんです」

 ぷんすーっと可愛く鼻息を漏らして、小さい拳を構える社。なんだかんだで社もヤンのことを信頼しきっている。ま、ヤンの養い子の記憶を見過ぎたせいで、社自身もヤンに数年間養われていたような感覚になっているのでしょう。実際、社があいつの所で養われていても、おんなじように育てたでしょうけど。

「そうね、日本や地球に大枠を任せられる段階になったからこそ、大胆になっているとも言えるわ」

 そこには矛盾は無い。信頼できる地元のビジネスパートナーを慎重に捜しだし、準備を進めたらお互いに協力し、一気にコトを成す。それは全く正しい。

 ……そうなんだけど。

「やっぱりどこかおかしい」

「………………」

「導かれた命題の正しさは証明できるし、隙はあってもなるほどとは思える。でも、そもそもの公理系に、一貫性や無矛盾がないように思えてならない」

 そう公理系――つまり前提と仮定だ。その認識がそもそもの間違えを呼んでいるんじゃない?

「最初に立ち返りましょう。そもそもヤン、いいえイゼルローンの当初からの目的は何? いくつでも列挙していきましょう」

 社と一緒に空間上に付箋を貼っていく。

「地球とイゼルローンの平和、民主主義、独立独歩、BETAの撃退……というか防疫体制の構築、この男女バランスの解消は公理ではないわ、公理は最小にするのが原則よ、地球人との交流、個性の尊重、人類生存チャンスの確保、経済の健全化と発展…………」

 あー、いけないいけない、現在の状況から前提を当てはめようとするのは循環論に陥るわ。ここからはもっと絞っていくとして。

「地球との平和、民主主義、BETAの撃退。この三つが彼らの目的なのは間違いないわ」

「はい」

「BETAの撃退……だけをイゼルローンでやってしまうと、民主の原則からはずれる……だから地球人、特に個人に対しての接触を特に重んじた……そして地球の混乱を少なくするために………………」


 ……?


「ここ。あの時感じた違和感は、ここだったのよ」

『  私たちは、なるべく、それを止めたいんですよ  』
『  …………すると閣下が、いえイゼルローンが望んでいるのは。  』
『  平和です。  』
 
 『平和』という文言。そこが矛盾を生じさせている。定義が成されていないのだ。

「でも、そもそも平和って何? BETAの撃退は判る、あいつの言う民主主義の精神もまだ理解できる、でも彼らにとって、地球の……いえお互いにとっての平和って何を意味するの?」

 席を立って、室内を歩き出す。

「国家においても平和維持を口にして、従わない者や反対者を公然と排除しているのが実態よ。平和は決して聞こえのいい言葉じゃない。なのに何故、ヤンが、あの政治嫌いの男が、平和なんてフワフワした言葉を口にしたの? あいつは決して無意味なことは言わないのに、」

 つかつかつかと歩みを止めることが出来ない。あいつ、何かとんでもないことを最初から明かしていたんじゃないかしらッ!?

「これは謎かけなんかじゃない、ミスリードよ、こっちが勘違いしただけのこと、またやられたの、だからそう、でもああ、ヤンは地球を実効支配しようなんて気はサラサラないし、だったら平和っていうのは、あの時、いいえ現時点でもその選択は残しているはず、じゃああたしや将軍殿下がもしも――――もしも?」

 ぴたりと足が止まった。


『  団体、組織、あるいは国家、どう言ってもいいのですが、人間の集団が結束するためには、どうしても必要なものがあります。  』


 …………、あっ。

「――なによ、それ……!?」

 行き着いてしまった。今更ながら、あいつに追いついた。
 ワラいがこみ上げてくる。腹の底から顔の皮膚までふるえが止まらなくなってくる。声が出せない笑いが全身を駆けめぐる。

「……博士っ……!?」

 はめられていたんだ、最初っから。いいえ、あたし達が勝手に作った墓穴に飛び込まされていただけだった。
 
「………いーい、社ー? 三流の詐欺師は騙した後で、当人が騙されたことを知るの。二流の詐欺師は騙した後でも、当人も騙されていたことに気づかない」

 なぜ、ヤンは社の能力さえも欺けたというのか。それは精神防壁の装置を使ったとか、そんな後付けトリックなんかじゃない。

「そして一流の詐欺師は、騙した後でも詐欺師自身さえも騙していたことに気づかない……ってことよ」

 騙すとか隠しているところが無ければ、見えてしまった絵図からこっちが解釈し想像するだけだったのだ。視点を180度変えれば出てくる絵が違っただけだったのか。


「――ヤンは最初っから! 地球の敵になる気だったのよっっ!!」


 社が大きく目を見開き、言葉を失った。しばらくの沈黙が部屋に満ちる。

「え……ですが……でも……でもだって、提督は私たちにとっても優しくしてくださって、仲良くしてくださって……」

「結果的にね」

 ばっさりとその意見を切り捨てる。

「そうなれば良かったんでしょうね、そして結果的にそうなった。あいつは事がうまく運ぶことを望んでいたし、今だってあたし達や日本国を使い捨ての道具扱いしているわけじゃない」

 社は幾分か安心したような、しかし余計に混乱したような表情を浮かべた。

「じゃあ、もしもうまくいかなかったら? あの時、技術交流者のあたしが見つからなくて、日本国との交流もまるでうまくいっていなかったら?」

「……それは……国連と……」

「うまく行かないわ、必ずどこかで詰まる」

 再度、手刀でばっさりと空中の糸を断つ。 

「100歩譲って地球のBETA撃退までね。その先はあたしがあいつに言ったように、イゼルローンが地球の敵になる。そう仕向けられる」

 でもあいつは、それでも地球を支配なんてしないって言った。あたしはそれを、そういった手段に依らないで、あたし達を良き友人として、いい意味で交流していくためだと思ってしまった。それは実際そうなのだろう。

「でも、社……ヤンがいったように、全員が賛成か反対の一色になるなんてことはないの。必ずイゼルローンを肯定する連中も出てくる。そうなると、イゼルローンの存在自体が、地球を二分してしまうような事態になるとも限らない」

 そんな退くことも避けることも出来ない状況になったとき、果たしてイゼルローンはただ宇宙に引っ込むだけで終わっただろうか。それも選択肢の一つだったのかもしれない。だけど、“逆方向に”積極的な手段に訴えたかもしれないのだ。

「そうなった時……ヤンは言ったでしょうね。『その通りです、実は私たちは悪い宇宙人だったのです』って。そして地球の騒動に決着をつけた」

 自らを悪とし、敵となり、地球の統一を促す。だが目的は達成される。地球とイゼルローン双方の平和、BETAに対抗しうる力の確保、地球の自治という三原色が。

 それでも……人類の歴史が続き、いつか自分たちの行動を再び見直してくれる者も現れるだろうと信じて。イゼルローンはその功績を地球に残して、宇宙に消えたのだと知っていてくれる人がいいと。そうして勝手にあいつらは消えていったのだろう。

「…………どうして」

 社は、その小さな手でスカートの端をつかんだ。

「……どうして、ヤン提督はそんな手段を……わたし達にはどうしてそれを一言も………なんで今でも………」

「あたし達に……いいえ、イゼルローン側にも選択を残すためでしょうね」

 まったく……どこまで自由意志ってのを重んじてるのよ、あいつは。ああっ、もうっ!

「地球人類が敵に回っても……それでもイゼルローンに乗るか、それとも地球に残るかの選択権を残したかったのよ」

 今も政府が頭を悩ませている問題の一つ、イゼルローン側の男と地球側の女が結婚した時、国籍をどうするかということ。交流が進めば、当然そういう問題も出てくる。
 では、もしもコトが起こった時、その二人はどうするのか。元々はイゼルローン側の人間でも、地球に残りたいって選択をする者も出てくるかもしれない。
 逆に、あたしみたいに姉達を地球に永遠に残して、ヤン側に付く判断をするケースもあるかもしれない。
 
「殿下みたいに、一個人の心情としてはイゼルローンの味方でいたくても、国家の一部としてはそれは出来ないってケースもあるしね……」

「でもそんなの……そんなのって……! なんでそんなっ……!」

 ……行動に一貫性が無いように見えたのも当然か。あいつは常に両方の可能性を残していた。

「……イゼルローンの連中には明かしていなかったのも当然ね。あくまでそういう可能性がある程度にしか、ヤン自身も捉えてなかったもの」

「…………ポプランさんなら、喜んで宇宙海賊のマネでもしそうな気がします」

 やるわね、絶対。あいつら偽悪者ぶりたがるもの。地球での空気がギスギスしてきたら、そういった手段に訴えたでしょうし。
 あたしらは全部ほっぽって、「地球の後のことはお任せしました、では」ってとっととイゼルローンに帰っていったでしょう。

 あー、まったくっ……!!

「どこがミラクルヤンよ、ただの結婚詐欺師じゃないっ!?」
「…………今、思い出しました。ヤン提督の最後のあだな、『ペテン師』でしたっ」

 やっぱりか、あんにゃろぅっ!! あたしらをなんだと思っているのよっ!

「ふっ……ふふふふふふっ、ああー……まったくナメたマネしてくれるじゃないの……」

 これなあたしの勝手な想像、いいえ妄想と言ってもいいかもしれない。証拠となる部分は何一つなく、あくまで可能性の一つ。こんな風に断じるとは、科学者として恥じるべきとこだわ、ええ。

 どっこい、あいつの人格分析に関しては、ここ、ずーーっと実験を進めてきたせいで、たぶん、あいつならそうするだろうってのが解ってしまう。
 ダメだと判ったら、とっとと撤退する。どんな誹りを受けようと、結果的に人死にが出ないのならば、どんな悪評でもどんとこい、遠慮なくサイテーの策を使ってくる。

「…………やってやろうじゃない」
「(こくこくっ!)」

 ここまであたしはヤンに裏をかかれっぱなし……いいえ、あたしが勝手に裏があると思って空回っていた。ここからあいつに一泡吹かせるなんてまったく不可能に近い。だけどねぇ……

「あいつに魅せてやろうじゃない。戦術レベルがその戦略をひっくり返す瞬間ってのをっ!」
「ふぁいと、ですっ」

 お・ぼ・え・て、なさいよぉぉっ、地球人〈あたしら〉をなめたこの屈辱っっ、10倍にして叩き返してやるーっ! あたしが分析したあんたの弱点ってのを教えてやるわ、たっかい授業料つきでっ!!



[40213] 15
Name: D4C◆9f1d95e0 ID:28c08642
Date: 2017/11/18 23:33

 ヤン提督がまだ大佐だった頃から、ぼくはずっとあの人を見続けてきた。不敗のヤン提督が負ける姿なんて、想像も出来なかった。この人のそばにあって、自分もいつか何かを恩返しできると思っていた。

 でもそれは、ぼくの勘違いと驕りにすぎないことを、今日この場で知った。
 不敗と不死のヤン・ウェンリーは、今日この日、敗北を喫する以外の未来がもはや無い。

――ヤン提督……どうか赦してください、赦してください……ぼくは役立たずの能なしの嘘つきでした。肝腎な時に、あなたの助けに何一つなれない。

 言い訳できるわけもないけど、それでも確かに言えることがある。この場で何か発言できる者はあのカイザー・ラインハルトでさえ、無理なんじゃないかということだ。

 だって、

『ヤン閣下、副司令から聞きました! どういうことか、教えていただけますかっ!?』
『教えていただきますっ』
『…………(無言で茶を立てている)』
『……(その後ろで若干腰が引けている)』

 だって…………

『ヤーンー、ウェンリィィー? これまであたし達を騙していた分のツケ……ここで払ってもらうわよーっ!』

 こんな鬼気迫る女性たちに包囲されるなんて、さすがの提督でも……

「……いやぁ、そうは言われましても」

『頭をかいてごまかせると思ったら大間違いよっ!!』

 やっぱり無理だった。


 ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■

   第17章 「あいとペテンのものがたり」

 ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■


 超光速通信の中でも秘匿度が最も高い回線を通じて、二つの画面の向こうには五人の女性が待ち構えていた。
 まるで査問会のような空気だけど、ヤン提督はいつかみたいに同盟軍に呼ばれた時の憤慨している様子でなく、困ったなぁって苦笑していた。

『――――と、いうのが、あんたの狙っていたところという、あたくしの考察なのですけど、いかがでしょうか? ヤン・ウェンリー元帥提督閣下様っ?』

 あ、これはダメだ、たぶん当たっている。ぼくでも言われてみれば、確かに提督ならやりかねないと思ってしまうほどの説得力があった。

「ああ、なるほど確かに」

『すっとぼけてるんじゃないわよっ!』

 ぽんっとコブシで作った小槌を叩いて、さも今気づいたように答えた。正確には、今思い出したのかもしれない。提督の記憶力は正直なところ、あまり当てにならない時もあるから。

「いえ、ですが。私も一応はまだ軍人の端くれでして。民主政治の軍人が政治に対して、そんなあれをしろ、これをしろなどと、口を出すのは間違っていると思うのですが」

 これはヤン提督が正しい。特に提督は政治嫌いだからこそ、政治家たちとは決して接点を持とうとしなかったのだから。

『ヤン様? わたくしはあなた様から政〈まつりごと〉について、様々にお聞きしたと記憶にございますが?』

 にっこりとキレイな笑顔を上げて、将軍殿下が静かに反論した。なんだか怖い。

『そうです! フレデリカから、いいえ議長からもお話を聞かせていただきましたが、何か悩みや困ったことがあればヤン閣下からよく進言をいただくと仰っていましたっ!』

 語気強く、元軍曹、現中佐のジングージさんも訴えてきた。いつもよりも勢いが強い。

『そうよねぇ、議長も能力は相当あるけど、あれはどっちかというと政治家というより官僚寄りよ。政務処理能力には長けているけど、発想や着想は秀才の域を越えないものね。だいたい自由学園都市だって、あれ、元々はあんたが考えたんでしょう?』

 三者連続の連携口撃に、さすがのヤン提督も封殺されてしまった。

 実際、あの自由学園都市は、かつてヤン提督自身が経済的な理由で望む進路に行けなかったことを、ぼくやフレデリカさんはよく聞いていたからだ。

 そして実務を進めたのはフレデリカ議長で間違いないけども、その発端となったアイディアや理念はヤン提督の影響を強く受けているのも間違いない。

「ですが、地球の困窮している状況を何とか手助けすることも、BETA被害による極端な偏差を解消することも、皆の意見も取り入れて、イゼルローンの賛成多数で決まったことですから」

『はっっ』

 鼻で笑われた!?

『そーいう全うな正論文句は結構よ。そんなの当たり前でしょ? そ・こ・の、どこに反対する政治要素があるっていうのよっ!?』

 ないですね。せいぜい地球の方に取り込まれないよう注意が必要っていう慎重論があっただけで。異星の怪物に襲われた人々を助けに行くなんて、間違いなく善行ですし。

『私も立派だと思いました! 軍人が、人を殺めた数よりもより多くの人を救うことを出来る機会なんて、滅多にありませんっ』

『それに加え、見返りをほとんど求めないなど、ええ、ええ、ええ、我が国の武家の誰一人として、ヤン様たちの行いを非難する者などおりません』

 困ったようにヤン提督が髪をかいた。ここまでの事実として、ヤン提督自身も考えたかもしれないが、ぼく達イゼルローンに属している皆が同じ意見だったからだ―――ただ一つを除いては。

「提督、確かにコーヅキ博士のおっしゃる通り、ここまで地球側と交流してきて、実は悪い宇宙人でしたって逆肯定するなんて、提督以外は考えも出来ませんよ」

「あー、ユリアン、私でもそんな手はまず取らないよ。なるべくなら、現状のまま良好な――」

『……まず? なるべくなら?』

 あ。

『では……ヤン閣下は、必要であったならば、私たちには一言も相談も何も伝えずにっ、勝手に、地球の敵に、悪役に回った、ということです……かっ?』

「いえ、あの、軍曹? いや今は中佐だったね、ちょっと待ってくれないかい?」

 ジングージさんがプルプルと震えだした。

『……今更ながら、伊隅たちの気持ちがよく解りましたっ。上官が黙って悪役ぶるのを知るのって、こんな、こんなにっ、侮辱されたような気になるんですねっ……でもですね、それでもですね、』

 波打つ唇を画面に向けて、大きく吠えた。

『なんで、何も言ってくれないんですかっっ!!』

 あまりの怒声に、提督がひっくり返った。

『私たちが頼りにならないなら、そう注意して下さいっ! 罵ってくれても、侮蔑してくれても……それでも何も言われなかったら、どうしたらいいかも判らないじゃないですかっ!』

「いや、あのだね、中佐? もしも仮にそういった局面になったとしてだね? こちらから連絡を取れば、君たちにもあらぬ疑いを負わせてしまうかもしれないし」

『そんなことは十分解っていますっ! でも、そんなの、私たちはそんなに、ヤン閣下にとっては、頼りない存在なんだって思われ……う、ぅうぅぅっ』

「ああ、ああっ! 泣かないでっ! ほら、せっかくの美人が台無しになってしまうよ!」

『ばかにしないでくださいっ!!』

 提督……ぼくはやはり無力です。泣いている女性にどう声をかけたらいいのか、見ているだけしか出来ません。

『――ヤン様?』

 背筋がぞっとするくらい、極冷えの声がもう一つの画面から聞こえてきた。

『ヤン様? あまり、わたくし達を……いいえ、地球を無礼ないで〈なめないで〉いただけません?』

 にこりとした笑顔と、その声がまるで合っていない。まるでホラー映画のクライマックスシーンのようだった。戦場以上にオソロシい。

 ぼくよりも年下のはずの将軍殿下は、さっきから、くるクル狂うと茶筅を回して、泡だらけになった抹茶をそれでもかき混ぜていた。それは魔女が釜をグツグツと混ぜている姿を想像させた。

『ええ……わたくしは若輩も若輩、あなた様から見たら小粒も小粒、取るに足らない小童なのでございましょうね……うふふ……』

 目を前髪に隠して下を向いたまま、殿下はしゃかしゃかと茶碗をかき混ぜていた。後ろのお付きの女性――マナさんに似ている方――も、かなり引いている。

『ですが……あなた様がたに対する恩義は、地球の誰よりも何よりも最も持ちあわせていると、はい、その義理と道理を果たさねばならないと誓っていたのですが』

 くすくすと、口元を和服の袖で隠してワラっていた。

『まさか……ただの足手纏いのお荷物、恥も恩も知らない猿などと、そう思われていたかと聞いてしまうと、あまりにおかしくておかしくて……』

 前髪の陰から、その危険な光が漏れた。

『――はらわたで煮えくり返った粗茶を、おなかいっぱい差し上げたい心持ちになりましてございます』

 …………、提督、ぼく、確かにひとつわかりました。おんなのひとは、怒らせたらダメなんですね。歴史的事実でもなく真実でもなく、恒久的真理でした。
 もうお茶じゃなくて、真剣を喉元に突きつけられているような状況です。

『うーっ……うーっ…!(涙目で今にも飛びかかりそうな表情を浮かべている)』
『ふふふっ、わたくし、こんなに凶暴な気持ちになれるなんて、生まれて初めてのことで……嗚呼、すごく“ぞくぞく”してしまいます……!』

 今にも爆発しそうに、炎のように憤慨しているジングージ中佐。
 すぐにも刺してきそうな、氷でできた刃物のような鋭さのコーブイン将軍。

 これだけでもおっかないのに、最後の女傑が、ヤン提督の前に立ちふさがった。

『は~……っ。あんたって、察しのいいところと悪いところの落差がヒドすぎるわね』

「はぁ……いえ、その、ほんとにすいません」

『あんたねっ、そもそもなんであたし達がこんなに腹を立てているのか、おわかり?』

「……皆さんを謀ったり、騙していたつもりは無いのですが。そういう状況もありえたかもしれない、というだけで、準備はまるでしていませんし」

 再度、コーヅキ博士は深いため息をついて、やれやれと手を挙げた。

『しょーがないわねっ! この宇宙的天才が! あんたの最大の弱点、じきじきに教えてあげるわよっ!』

「ご拝聴させていただきます」

 腕をくんだまま、あっけらかんと、博士は告げてきた。



『ヤン。あんた、「助けてくれ」って誰にも言ったことないでしょ?』



 …………? ………………、???。
 どういう意味だろうか。話を聞いていた中佐や将軍、カスミや侍女の人まで呆気にとられていた。

「…………、いえ、ありますよ?」

『条件付き、あるいは制度付きでしょ? 無条件で誰かに対して、心の底からの助けを求めたことがあるか、ってこと』

 えっ……と? ヤン提督が誰かに……ええと、……ぼくやフレデリカさんに機械の使い方を教えてくれとか、紅茶にウイスキーを入れてほしいとかって……でもそれは、確かに……ええっ?

――でも、それは断られてもよかった事柄だけ……?

 そういえば、ホントの本当に、困ったから助けてくれなんて、本当の救助を求める場面なんて……無い。見たことが無い。聞いたこともない。

『あんたなら、それこそ銃を眉間に突きつけられても、命乞いしないでしょうね』

「しましたよ、それはさすがに。宇宙歴870年ものの白ワインを飲んでから死にたいって」

 提督、それ数十年後に出来るワインです。

『だからっ! 惨めったらしく、無様でみっともなくて、それでも誰かに必死に助けを求めたことあるかって訊いているのよっ!!』

「それは……ない、ですね?」

『それが、あんたの限界なのよ』

 どういうことだ……? なんでそれがヤン提督の弱点…………いや、でも、わかる。彼女たちがヤン提督に対して怒っている理由が、なんとなく……。

『社から聞いたわ。あんた、自分の父親が亡くなった後、遺産相続したけど、ほとんどガラクタばかりで一文無しになったんでしょ?』

「……ええ、まったく困ったものでした。まあ、父らしいなとも思いましたが」

『唯一の身内が亡くなっても、無一文で住居がなくなっても、まあ仕方ないって、あっさり済ましてしまえるところが、あんたの欠陥なのよ』

 ヤン提督を欠陥よばわりしているのに、なぜかぼくも怒る気になれなかった。

『あんたは異常の中にいても正常を保てて、しかも平穏の中に戻ったとしても日常に慣れてしまうことが出来る。それは本来、異端なのよ」

 命を常に狙われる戦場では「正常」なんて簡単に壊れる。常に怯え、緊張し、ほんの僅かのみ訪れる心の平穏。訓練されている兵士でも、連続で最前線にいられるのも20~50日が限度とされている。必ず交代制を用いているのはそのためだと。
 だけどたまに例外がいる。薬物も用いらないで、極限な状況においても何ヶ月もベストな精神的なコンディションを保てる。そういうのが、たいがい英雄視される。特に長年生き残った戦術機乗りに多いんだと。

 だけどその人たちは、戦場では重宝されるが、日常に帰れば異常者として扱われる――脳内が戦争という麻薬に浸かりきって、日常と平穏に回帰することがもはやできなくなってしまう。そしてやがては、また戦争を欲するようになる。それが戦場の英雄――例外者たちの末路。

『だけどあんたはそうじゃない。いつだって“ヤン・ウェンリー”でいられてしまう。それは、なんでだと思う?』

「……それは、私は私ですからねえ。他のモノにどうやって成れと?」

『あんたは、本質的には人との隔絶を欲するからよ』

 その言葉が、三つの空間に沈黙をもたらせた。

『勘違いしないで。孤高をきどっているどっかのバカ軍人とは違う。賑やかなお祭り騒ぎとか、そういった人間の営みは好きでしょうし、ひょっこり輪に入って、一緒にいることを楽しむのも当たり前にできるのでしょうね』

 まさにそれは提督のスタイルそのものだった。

『…………でもあんたは、ほんとうは、別に入れなくてもいいと常に思っている。だから他人を強く求めない。本気で助けを求めたりもできない。社会に溶け込むことも、他人に深く入り込むことも、おそれている』

 博士の声のトーンは、ぼくらの心情を表しているようでもあった。

『あんたはいつでも、それでも仕方ないかと、いつも人生にも生命にも一線を引いている。一人では生きられないって知っているのに、全体主義には真っ向から反発して、個人よりも社会制度に助けを依存してしまう。“孤人”主義の行き着いた果てがあんたなのよ』

「……博士。人は生まれ落ちた時は一人で生まれ、死に絶える時もまた一人なんじゃないでしょうか」

 カスミやジングージさんは泣きそうな顔をした。ぼくもきっと同じだった。
 ヤン提督はそうなんだ。本質的には、博士のいったように、ヤン提督は抱えきれないくらいの孤独を抱えていて、でもそれを決して誰にも明かそうとはしていない。泣かないんだ、ヤン提督は。

『でもそれでも、生きている時は違う。誰かと共に生きたいと思うのも、また人間よ』

「ですが現実の世界は、往々にしてそれを叶えてはくれません。……生きていて欲しかった人は、自分よりも早く亡くなってしまいます」

『そんなことはとっくに知ってんのよっっ!!』

 博士は本気で怒鳴った。

『現実がどうとか、歴史的にどうとか、そうじゃないでしょっ!! 今っ! この時、この場でっ! あんたはあたしに何を求めているかっ!! そういうのをはっきりさせろって言ってんのよっ!』

 つかみかからんばかりに画面に近寄った。

『地球が敵に回ったら何っ!? あたしの助けなんてこれっぽちもいらないのかっっ!? 自分が大量殺戮者だからそんな資格がないとか、こっちの立場が危うくなるとか勝手に慮ってないでっ! はっきり言いなさいよ、ヤン・ウェンリー!!』

 腕を組んで仁王立ちした彼女は提督に対して、真っ正面から答えを求めた。

『あんたはっ! あたしの助けが必要なのっ!? そうじゃないのっ!?』

 どんっとした重い沈黙が画面の向こうから伝わってきた。その視線は鋭く、提督をただひたすらに見据えていた。
 提督はあぐらをかいたまま、少し頭をかいてゆっくりと答えた。

「……助けて、いただけますか?」

『当たり前でしょうがっっっ!!』

 即答だった。男前だった。イゼルローンの誰よりも伊達を気取った、堂々たる姿だった。

『はんっ、この期に及んで、あたしを誰だか知らなかった?』

「天才でしたね」

『大・天才よっ。あんた一人の助けくらい、軽く応えてやらなくてどうするってのよっ』

 すごい、この人、ほんとうにかっこいい。

「いやぁ……本当に参りました。完敗です」

 ああ、そうか。本当に政治をする人っていうのはこういう人のことなのか。人にいうことを聞かせるっていう意味が初めて解った。
 常勝の天才カイザー・ラインハルトの誘いさえも断ったヤン提督が、今初めて、自分から降ったんだ。素直に、そしてうれしそうに負けを認められる人に出会った。しかもそれが提督よりも年下の女性という事実が、とても歴史的な場面に思えた。

『まー、でもとーぜんっ、こういうのってタダって訳にはいかないわよねぇ?』

「まあ、一方的に与えるか奪う関係というのが、長続きしたという記述は古来からありませんからねえ」

 しかも、助けに甘えた相互依存ではなく、お互いが自立した一個の個人として高めあっている姿が、ほんとに眩しく見えた。

『まあ特別に後払いにしてやってもいいんだけど、ほらほら、だったらあたしに何か言うことあるんじゃないのー?』

 にやにやと勝ち誇るように笑いながら、提督に再度の敗北宣言を求めてくる。あ、この人、絶対にいじるのと追い打ちをかけるのが大好きだ。ちょっとだけ提督、ご愁傷様です。

「ああ、そうですね、えーと……」

 ヤン提督は帽子をはずして、ちょっと眼を上に向けた。何かを考え込んでいるみたいだ。何だろうか。

「――ありがとう、ユーコ」
『んなっ!?』

 ……えー!? 「ええっ!?」「……え?」「まあっ」「……」

 提督が、女性を、名前で呼んだっ!?

「いやあ、気軽に頼みごとができる友人なんて、士官学校以来、かれこれ15年ぶりだったものだから」

 ……そういうことでしたか。でも、提督。

『なっ、えっっ、あ……ああ、そ、そういうことねっ!! 友人、そうよねっ、対等の関係だものねっ!』

「ああ、これから頼むよ、ユーコ」

『っっ、んんっ、ま、まあね~っ』

 …………えーと、ちょっとマズいと思いますよ、これは。

『……夕呼、あなたまさか……』

『な、何言ってるのよっ、十代の生娘じゃあるまいし、そんな名前で呼ばれたくらいで、このあたしがどうにかなると思っているのっ!?』

 いえ、博士、そんな顔を真っ赤にされて否定されても……。

『……社、えー、今の副司令の頭の中、何色かしら?』
『なんだかとってもお花畑です』

 ブチィッッ!! ……あれ、なんだろうか、画面の向こうで何かが切れたような、何か魔王城に雷が落ちたような、取り返しのつかないことが起こったような。

 何も言わず立ち上がったコーヅキ博士は、部屋の端へと移動し始めた。

『え? 副司令、そんなところから何を取り出して………え、ちょっと、待って、夕呼、それ、服っ、布? え、キロ? 着ろ……いぃぃやぁぁぁーーーっ!! ちょっと何、ええ、なんであなた、そんなに力強っ!? ごめんなさい、やめて、助けて、許してーっ!!』
『……見せられないよーです』

 Sound Only。一つの画面から画像が消えて、その向こうからこの世のものとは思えない悲鳴と奇声が聞こえてくる。なんだろうか、知ってはいけない人類の悪が地球にはあるらしい。

『……時にヤン様?』

「えっ? は、はい、殿下、どうされましたか?」

『わたくしのことも、どうぞ名前でお呼び下さい』

 さっきの極寒とは打って変わって、太陽のように暖かい笑みを浮かべて、ぐいぐいっと訴えてきた。その後ろではもう諦めた顔で遠くを見ているツクヨミさんがいた。それはマナさんが、とある女性の行動に浮かべるのと同じような表情だった。

「いえですが、一国のトップである殿下を呼び捨てにするなど」
『呼んでくださいまし』
「しかしですねえ……」
『呼んで、くださいまし』

 ……すごいなあ、ぼくより年下なのに。女の子ってこんなに押しが強いんだ。

「えーと………………ユーヒ」
「もうちょっと間の発音をお願いいたします、しっかりと」
「…………ユウヒ?」
「はいっ、ヤン様っ♪」

 まだ喧噪が続く一方の画面と、うれしそうに何度も名前を呼びかける画面とに囲まれながら。

――フレデリカさんが地球に出かけていてよかったなあ……。

 かなり失礼なことを、ぼくも考えてしまっていた。



      ※      ※      ※



「うぅぅ、こんな服、いったい何のために作ったのよぉ……」

 しくしく泣きたくなってくる。
 サイズも自分にぴったりぴっちりだし、デザインも色々とアレだし、ほんとにアレだしっ。恥ずかしいったら無い。

「ふっ、天才の思考は凡人には解らないものなのよねぇ」
「わかりたくないわよっ」
「……わからないです」

 隣にいる社も連帯責任(?)ということで、自分と似たような服を着せられていた。なんと言えばいいのか……西洋のレオタードと紫タイツを基本として、小悪魔の羽根を背中と頭につけられたような感じというのか……これ、絶対、イゼルローン側の資料から作ったんだ。

 肩も丸出しだし、かなり過激な格好だから、画面向こうのヤン提督とミンツ中尉もちょっと眼を背けていた。うう、やっぱり恥ずかしいよお。

「なーに? やっぱりこっちの南米のサンバ衣装を着たかったかしら?」
「全力で遠慮します」
「あらそお? ならアンタも懐かしの訓練用衛士強化装備でも」
「すいません、ごめんなさい、申し訳ありません!」

 アレはイヤっ!! 少なくとも戦場以外ではっ!

『……あー、ユーコ。その衣装ならまだ仮装パーティーで通るけど、アレはハラスメントにしかならないよ。上官の不当な権力の行使は認められないな』

「なによ。アレ、一応正式な訓練装備なのよ?」

『いや、アレを知った時はイゼルローン全軍部が戦慄したものだよ。もしイゼルローンで正式採用されたら、女性軍人全員が総辞職するとも。シェーンコップやポプランも憤慨して、女性にあんなモノを着せるなど何事かと怒鳴ったくらいだから』

 ? ムライ中将ならさておき、あの二人が? 失礼だと思うけど、喜びそうなものだと思うけど。

「……まるでわかっていない、だそうです」

 ああ……そういうことね。なんとなく分かってしまった自分は、相当毒されてしまったということだろうか。

「まー、まりものことはどうでもいいとして」

 よくないです。でも言ったら、絶対ペナルティが待っているから言えないんだけどっ!

「ヤン、あんたまだ、あたしに隠して企んでいることあるでしょ?」

 しんっとした緊張感がまた戻る。
 先ほどまでヤン閣下に何度も名前を呼ばせていた殿下も、その頬を引き締めた。顔をつやつやさせているけど。

『……さっきも告げたけど、私は軍人だ。多少、議長から相談をされる時もある。だが原則、政治の内容について口を出すことはしない』

「ああ、あたしの言い方が悪かったわね。今後の地球とイゼルローンはどうなっていくか、あんたの予想――いいえ、予言を聞かせなさいってこと」

 今度はより長く重く、沈黙の空気が滞った。

「あんたが自分の思惑を歴史の流れに通しきる、っていうタイプじゃないのは知っているわ。でもその分、誰よりも時代の流れを調べ、感じ取り、予想することには長けている。それを明かしなさい」

 命令形だけど、それは即ち、ヤン閣下のその智慧を受ける覚悟があるという証だった。Need to know、知ることは責任を負うということなのだから。

――私はこの場にいていいの……?

 あらためて(自分の今の格好は別にして)、自分がこの場にふさわしい存在なのかを考えてしまう。
 夕呼に急に呼ばれて、ヤン閣下の隠し事をきいて、勢いのままにこの場に来てしまったのだけど。普通に考えてみれば、イゼルローンの最高軍事司令官と、日本帝国の最高指導者と、オルタナィヴ第四計画の最高責任者の集いなのだ。

 ……でも。

『ええっと、殿下、よろしいですか?』

 私がこの場を去るか躊躇している間に、ヤン閣下は殿下に確認を取った。先ほどのように名前で呼ばなかったのは、きっとこれが本当に真剣な話だからだろう。

『これからの博士と話す内容を聞くのは、殿下の立場を悪くする可能性があります』

『はい』

『正直なところあまり他には明かさないで欲しいのですが、日本帝国の未来についても触れそうですので、それも仕方ないとは思うのですけど、』

『ヤン様』

 にこりとほほえみ、しかし少しスネるように唇を尖らせた。

『香月博士が仰ったように、ヤン様は全てを抱え込みすぎです』

『うーん……そうですかね?』

『そうでございます。時にそれが美徳になりましょう。しかし度がすぎれば、それは謙虚ではなく、われらへの侮辱となります』

 ……そうだ、自分も同じ気持ちじゃなかったのか?

『どうぞ私の言の葉を信じてください。確かに、私はあなた様の部下ではございません。しかし一人の友として、お力になりたいと想っております』

 微力ですが――とそう付け加えて、年頃の少女らしくイタズラっぽく笑った。
 そんな彼女を見て、ヤン閣下は苦笑して髪をかいた。

『ええと、殿下。私はあなたの倍近くの年上ですし、何というか、およそまともさという所に欠けたところだらけなんですが……ああ、こまったものだな、自分の都合ばかりを言ってしまいまして。ええと、』

『はい』

『要するにですね……私の、助けになってくれませんか?』

『はいっ。はい、もちろんです、あなた様っ』

 殿下はこの場に止まることを選んだ。後ろにいる護衛は最初から殿下に付き従う覚悟だったのだろう、何も言わずにただ頷いた。

『じゃあ、ヤシロ君は、』
「任せてください」

 即答ぉっっ!?

『カスミ、いいのかい?』

 ミンツ中尉の問いかけにも、ぷぷすーっと小鼻を可愛く振るわせ、頭の羽根をぴこぴこと振っていた。

「……私にはわかりません。ヤン提督のなさることが果たして正しいのか、それとも間違っているのか。ですけど今は、確かにわかることがあります」

 かつて茫洋としていた瞳の中には、今や億万の星が宿っていた。

「……みなさんに必要とされるのは嬉しいです。博士やヤン提督や、ユリアンさんのお役に立てるのは……もっとうれしいです」

 ヤン閣下はどこか困ったような表情を浮かべた。

「……ヤン提督。ヒトは主義や理想のためじゃなくて、それを体現した人のために戦うこともあるんだと思います」

 驚いたことに、社はヤン閣下が困った顔をした理由を推察した。

『……だがね、ヤシロ君。私は君よりも、ええと十数歳は年上だ。年齢順でいえば、君よりも早く亡くなる。そうなった時、君はそれまで積み上げてきた行いを放棄してしまうのかい?』

「いいえ。そうなったら、私の後に続く人たちのために、私も道を示します。……提督が私に、そう教えてくれたように」

 ミンツ中尉は強く首肯し、閣下はぱしりと手のひらで顔を覆って天井を見上げた。

「一本取られたわよ、アンタ」

『いやあ、ほんとうに今日は負けっぱなしです』

 夕呼も殿下も、そして社も、それぞれがそれぞれの想いで応えた。最後に残ったのは私だった。
 居住まいを正し、画面向こうの閣下に向き直る。

「……閣下、私は軍人です。閣下が去れとご命令されるならば、是非もなく指令に従います。ですが、」

 私も示さなくてはならない。夕呼に連れてこられた形ではあっても、今は自分の意志でこの場に残っていることを。

「もし配属希望を聞いていただけるならば、これからもヤン閣下の麾下の元で務めさせていただきたく願います」

『だがヤシロ君に言ったように、わたくしも永遠の存在ではない。いや、それ以上にイゼルローンが地球側と友好関係を築き続けられる保証もなくて――』

「失礼しました、閣下。どうか閣下達の元で“勉強”させていただきたい、という要望です」

 首を傾げたヤン閣下に対し、ちょっと悪戯っ子ぎみな笑みを浮かべる。

「私は軍校に入学する前、ほんの少しだけ普通大学に入っておりました。ただ戦火が激しくなる将来を見据えて、徴兵前に志願させていただきました」

『あー、それは私と同じだねえ。自由惑星同盟でも徴兵制はあるから』

「はい、閣下と同じです。――ですから、閣下と同じようにさせていただきます」

『???』

「無料で入学でき。しかも、給料ももらえて。念願だった教育学の勉強ができる、ヤン・ウェンリー科に入科を希望いたしますっ」

 天を仰いでいたヤン閣下は、首を折る勢いで頭を垂れた。

『いやー……これは君たちの国の言葉で、インガオホーってやつかい?』

 全員で「その発音は何かおかしい」と言うと、『アッハイ』とやっぱり妙な返し方をされた。

「まー、あきらめなさい。みんなアンタのためとか立場のせいとかじゃなくて、自分のために悪巧みに乗るんだから」

 こう言っている夕呼だけど、もしもヤン閣下が苦境に立たされた時は協力を惜しまないだろう。……ただ「これは貸しよ?」と絶対に言ってくるでしょうけどね。

「じゃあそろそろ回答、いいえ解答合わせといきましょうか。あんたの予言する人類の今後はどうなるのか」

『ええと、人類全体というよりは、まずはイゼルローンになるのだけれども、』

 わしゃわしゃとヤン閣下は髪をかいた。


『10年後を目途に、イゼルローン要塞は売却されるでしょう』


 凍った。場は。そして私たちが。ついでにミンツ中尉も。

『……ええっと、実際に地球側に売却されるのはもうちょっとしてからで、年月はさておき、少なくともそうなっていくだろうというだけで……あの、皆さん?』

 フォローしていただいたけど、そんなものは永久凍土に春をもたらす風にはならなかった。

――あら? わたし、なにか、とんでもないことを、きいて、しまったような?

 そんな中で最初に動けたのは、やはりというか夕呼だった。

「……あっんった、ねえっ。ほんと、ねえ。あの、ねえっ、ほんと、もおね、ねえええぇええ……やだ、ほんっとやだっ……」

 ぐしゃぐしゃぐっしゃと、綺麗にセットしていた髪を千切れるんじゃないかしらって程にかき混ぜ、だんだんだんと机を壊さんばかりに叩き回った。棚に隠してたワインを瓶の口から、ごっごっごっと音を立てて飲み干し、ぶっふぁああ~~~っと酒臭い霧を吐きとばす。
 悪魔にでも憑かれたかのような奇行をし尽くした彼女は、血走った目をようやくヤン閣下に向けた。

「……最終は国家の消滅」
『いやさすがだね、ユーコは。その通りだ』

――いやなにをおっしゃっているのかしら、このふたりは。

 ヤンせんせー、わたし、さっぱりわかりませんー。ゆうこも灰色になっていますよー。

「…………、いつからこうなるって?」
『ユーコ達がイゼルローンに来た日から』

 ますます、わかりませーん、せーーーんっ。だからゆうこも、この世の終わりと言わんばかりに鈍色のため息つかないで。

「はぁっっ…………あー、まー、そうねー。振り返ると、あの時点でこうなるって分かるわけか。この、なんて、ペテン師」
『まあ、君たちがうまく地球側に橋渡ししてくれたおかげなんだけどね』

 あのー、ですからー、ふたりだけではなしを終わらせないでーっ。

『ヤン提督っ、いったいどういうことなんですかっ!?』

 ありがとう、ミンツ中尉! みんなが聞きたかったことを訊いてくれて!!

『そうだねえ、ユリアン。仮定、というよりほぼ本決まりの話だが、このまま我々が元の世界に帰れず、我々も、そして子孫もこちらで生きなくてはならなくなったとしよう』

 ようやくのようやく、話が凡人にも分かりやすいモノになってくれた。殿下たちも再起動して、ヤン閣下の話に聞き入った。

『そして既に地球側と様々な交流が始まった。さて、ここから歴史はどう流れていくと思うかということだ』

 いえ、そこからどうしてイゼルローンの売却という話に飛ぶのでしょうか?

「はっ。技術や知識の流出を防ぐどころか、積極的に流したあんたらがそれを言う? 水は低きにしか流れないのよ」

『物理学者的に言うなら、エントロピーの拡散だね』

「それ、生命っていうのが負のエントロピーを吸収している、という仮説の上では反するものなのだけれどもねー」

『ああそうか、じゃあBETA、というより我々が見ているアレらは生命体ではないとも言えるのかもね』

「あれのこと? アンタが言っていた、BETAは工作作業機械に似ているっていう感想」

『うん、炭素生命体の我々がAIの機械を惑星開発に送るのに似ているからねー』

 いえですからー、天才お二人だけで納得しないでー。なにやらスゴい話がびゅんびゅん飛び交っているようなのに、全く理解できなくてとても怖いのですが。

「いくらイゼルローンの方が軍事的に優れていたとしても、技術的な質が均一化したら、後は量や数が多い方が勝る―――って考える連中が出るわよね、とーぜん」

『そうしたら、地球側もイゼルローンを奪く方向に動くだろうねえ、物理的にか政治的にか』

 具体的な未来に、別の意味で私たちは体を硬直させた。

「ま、今はその前の段階ね。宇宙の資源はどこの国のモノかー、って利権を謳うグループも出てきているみたいだし」

『そうなったら、イゼルローンばかりが独占するのはおかしいっ、とかいう意見も出ているかな?』

「そこまでじゃないわね。まあ、日本国に貸与した宇宙戦艦を是非我が国にもーとかいうくらいでしょ。まだ」

 ますますな話に、聞いてはいけない陰謀の匂いがしだした。

「………あたしもそこまでは予想してたわ。でもそこからのアンタの打とうとした手は完全予想外。……ったく、見事にかわしてくれたじゃない」

『以前ユーコに言っただろう? 異なる組織がまとまるためには敵が必要だって』

「ええ、そーね、まったく。あの時の言葉がそこまでの意味を持つなんて思わなかったわよ。――まさかイゼルローンを自分から手放すことで、仮想敵国にもならないことを示し、そいつらの一致団結をくい止めるなんて」

 …………、あっ……っ!

――そういうことだったのっ!?

「そこで頑なにイゼルローンを保守独占する手を打てば、少なくともイゼルローン要塞だけは守れるかもしれないのにねー」

『方舟は大雨が過ぎてアララト山に漂着したら、もはや不要になるということさ。我々の手足は伸びすぎて、揺り籠にはもう戻れない』

「なるほどねー、500万人しか居住できないのなら、いっそ、次の世代の揺籃に使おうってわけか。……あの自由学園都市はそのモデルケースだったわけね」

『うん、まあね』

 次々に明かされていく事実に耳を疑い続ける。

「あの学園都市は国家という枠組みを取っ払って、それこそ多種多様な人間・人種を一つのところに集めた」

『小さい社会が同等価値となり、多様性をもって存在する。それが民主主義だからねえ』

「だけど自治体や政府ではなく、学園というある一定期間のみ、そこに居てもいられるという、社会の中でも特殊な環境にした」

『国家や体制というのは、いつの時代も人民がそこから動かないように、ハード面でもソフト面でも固定できることを目指すものさ』

「あんた分かっているの? 現時点での可能性は極小っていっても、あの学園都市の卒業生たちが目指す未来の一つ。それは国家の消滅よ」

 学園都市の半数以上が難民という、国を失った者たち。彼らが目指すのは祖国の復興か、あるいは国に捨てられた者たちが、国家を捨てるのか。いや捨てるのではなく、目指すのは解放なのかもしれない。
 それはまだ分からない。だけど現存する国家は、その自由と解放を決して喜びはしないだろうということは分かる。

『まあ国家が困るのは、国民という動かない資源がいないと、税金の取り立てが不安定になるというだけだから』

「毎度ながら、あんた過激な意見ね」

『経営者がいなくても回る店舗、公務員がいなくても運営できる政府。そういったものが理想なんだけどねえ?』

「往々にして、反対よねー。従業員が解雇削減される店、仕事量変わらないのに増え続ける公務員」

『技術的には十分可能なはずなんだけどね。ところが社会のシステムは何千年も変わらず、一部の権力者や組織の独占になっている』

 やれやれと、二人仲良くためいきを吐いた。ちょっとぉっ!

『既得権は自分たちにはある、それは正当なものであると訴える連中にとっては、宇宙という未開の資源地や居住可能地さえも、既に自分たちのモノであるとか言い出すからね』

「まっさかっ。いくら厚顔な上に厚化粧を塗りたくる連中でも、そんな明け透けに言わないわよ。言うとしても常套文句、国家の発展のため、でしょ」

『ユーコ、ユーコ。愛国心ってのは悪党の最後の下着みたいなものさ。これほど安っぽくて便利な商売の道具は他に無い』

「いい表現ね。自分たちだけじゃなくて、周りにも売りつけて回るもの。そのくせそいつら、身につけたフリだものねえ」

 だーかーらーっ、ちょっとぉおおおっ! 迂闊過ぎじゃないですかぁ、二人ともぉぉっ!? 画面の向こうに日本国の殿下もいらっしゃるのですけどぉぉっ!

『……ヤン様、お教えいただけますか。……そうなった未来では、日本国は如何様になるのかを……』

 真剣な表情で伺う殿下の前でも、ヤン閣下はいつもどおりの穏やかさだった。

『日本のみならず世界各国で起きるのは、まず独立運動でしょう。しかし国の中から新たな国を産み出しても、そこで起きるのはまた新たな独立運動―――いいえ、権力闘争という名の内乱です』

 歴史はそうやって繰り返してきたと。かのアメリカや、ヤン閣下たちのシリウスでもそうだったと。

『出来ればそれは避けたい。一つにまとまる必要はありませんが、内乱が起こった時に最も害を被るのは、その場所から逃れられない弱者たちですから』

 ぽりぽりとヤン閣下は頭をかいた。

『国家という、社会の在り方を超える必要があります。そのための最も難しかった条件は、実はクリアーしているのですよ』

『それはどういったものでしょうか?』

『科学技術です』

 あっけらかんと明かした。

『かつて私たちの世界では、3000億という人口の衣食住をまかなえていました。銀河帝国が生まれなければ、その数は更に増えることができたでしょう』

 改めて聞くともの凄い数だった。地球だけに閉じこめられていたら、せいぜい100億が限界だっただろうに。

『イゼルローン要塞も宇宙暦763年から767年の、わずか5年で製作されました。まあ予算は天文学的になったようですが、500万以上が住めるビオトープを人工的に造れるくらいには、科学技術は進歩しました』 

 ……確かに。あれを5年で造れるなんて、人類ってすごいわよねー……。

『つまりまあ、地球の生命体が六十億年かけて到達できなかった、どれほど種の数が増えたとしても、その寿命を全うできるだけの、食料も医療も土地も、生存のための要素全てを確保しうるという地点に来たということです』

 こくこくと全員が頷いた。確かに……あらためて考えると、イゼルローンの軍事技術以上にそういったことを実現できる可能性の方が大きいのか。

『技術的にもそれぞれの場所で行き、生きたいように居きることが可能になった。ところが、それを阻害して独占しようとする者達がいるから話は別になってくる』

 やれやれとヤン閣下が頬杖をついた。

『信じられますか、殿下。旧銀河帝国の周辺惑星では、欧州の中世のように鋤や鍬を持たせて土地を耕しているのですよ? 庶民が武器を持つのを禁ずるといって。それだけではない、帝都では馬車をひかせ、全ての者を徒歩で宮廷を歩かせていたと』

「なにそれ、バカ? ああ、バカね、バカばっか」

『人間というのは自分がバカバカしいことをしているということにも気づかないか、口にしないものさ』

「自分がする分にはかまわないけど、なんでわざわざ法にするのかしらねえ」

 やっぱりこの二人、正反対だけど同質だった。口の悪さが二乗になってる。

『……分かりました。ヤン様のおっしゃることは、先祖が守ってきたからといって、その土地にしがみ続けることの愚かさですね』

「……わたしも分かりました。それはユリアンさんから聞きました。「宙域支配」ではなく「宙域管制」と呼ぶべきものへの変移なんですね」

 大艦隊や国家どうしの決戦による、覇権争奪という形式自体が古いと。要は、必要な時期や時間に必要な空間を確保しておく方が大事だと。

『それは……俄には受け入れがたい言葉ではございます……しかし、確かに。それをなさねばならぬ時代が来る、いいえ既に訪れたのですね』

 殿下の眼に強い力がこもった。

『ではヤン様、いいえヤン・ウェンリー閣下。生きることが容易くなってしまう時代の中で、我々はいかに、どこで、どのように生きるべきなのでしょうか。その叡智の一片をお与え下さい』

『……人類の歴史とは、統合と分断とを行き来する振り子みたいなものです』

 静かな語り部は穏やかな口調のままで、大切な想いを伝えてくれた。

『国家、組織、個人、人種、民族、宗教。その中に様々な執着と固執があって――時にそれは、苦難を経て勝ち取ったり、先祖から受け継いだりしたものであるでしょう――しかし、既得したモノの喪失を怖れることは弱さです。それを覆い隠すために、人々の分断が常態という欺瞞を正常化してしまう』

 その言葉一つ一つが、みんなの胸に染み入った。

『相違の許容。怠慢や停滞であったとしても、それもまたヒトなのだと、互いにその弱さを認め、差異を受け入れる。同一性の強制を廃し、急激な解決でなく、緩やかな共存と共栄の道を歩む。……それがいかに困難であれ、時に後退したとしても、前進して解決していく。それぞれが判断し、決断し、実行すると覚悟する。希望的楽観や他者の気まぐれに、自らや他者の人生を委ねない。そして自らを大事にすると同じくらい、他者を大事にする。それが本来の民主主義なんだと思います』

「……あんた、やっぱり首相にでもなれば?」

 コクッ(×5)。同時に全員の首が垂れた。それくらい穏やかでありながら、心に訴えかけてくるスピーチだったから。社なんて、首振り人形みたいに何度も前後運動をしている。

『いやですよ。私にとって政治なんて、権力と財力と暴力の下水処理場と同じです。必要ではあるでしょうけど、近づきたくもありません』

「殿下、不敬者がおりますよ」「ふけいです」『月詠』『誅滅ですね、直ちに』

 殿下達もイゼルローン流に染まってきていないかしら、かなり。

『皆さんのように、一度か二度話せば解ってもらえる方ばかりならいいんですがねえ。最初から理解する気がない、或いは三回言っても聞き入れる気が無い者にかまう気はありません』

「あんたねえ……それを啓蒙していくのも、あんたのいう民主主義の精神なんじゃないの?」

『私は十分働きましたので。そういった活動は、ユリアンやヤシロ君に任せますよ。なんでもかんでも自分がやったら、後の世代のやることが無くなってしまうものでしょう?』

『はいっ、お任せください』「がんばりますっ」

 元気よく返事する若い子たちを見ていると、ああ、本当に将来の希望というのを感じる。

「そーねー、社も案外、半世紀後には人類統合政府の初代総監にでもなったりしてね」
「ヤン提督が仰ってくれた、たくさんのことを皆さんに伝えます」

 再度、がんばりますと頭飾りをぴこぴこと振るわせていた。

『ただ今言ったこと以上に、大きな問題がありましてねえ』

「宇宙のBETAの存在でしょ?」

『いやー、ほんとユーコがいると話がよく進むなあ。なんとかなりそうかい?』

「はっっ、地球にBETAがいる間に、数百年分の技術の針を進めてやるわよ」

 そうかっ、BETAの存在が残る以上、それを「敵」として人類を強引にひとまとめにしてしまう連中もいるのか。それがなまじ“正当性”を帯びているから、全体主義に流れてしまうのを止めるのも難しい。
 夕呼はそれをなんとか解決することを表明したんだ。つまり、BETAの正体の解明を、これから更に進めていくと。

 ならそうだっ、私だってっ!!

「ヤン閣下! 自由学園都市の治安はお任せくださいっ。現在は開校直後で混沌としておりますが、私もいち参画者として尽力いたします!」

『ならばわたくしは、これより武家の者たちの説得に当たります。無論、善く善く、慎重に進めさせていただきますので、ご安心を』

 残った年少者二人組はまだ何かを口に出来るほどではなかったが、それでもしっかりと意思表明する。

「わたしは……ヤン提督の仰ってくれたたくさんの言葉をまとめたいです」

『いや、あのね、ヤシロ君。そういうのを残されるのは、他人に自分の残したメモ書きを見られるようで、だいたい私はそんな大層なことは、』

「わたしの、自由です」

 かくんと頬杖から顎がこぼれ落ちた。なんか娘の反抗期が来て、どうしようか悩む父親にしか見えない姿だった。

『ヨコハマ基地にいさせていただいた時、カスミと話しました。カスミがヤン提督の教えを正確に残すなら、僕はそれを実践できるように頑張りますって』

『……まったく、お前もヤシロ君も、私にもったいないくらい、いい子なんだけどなあ』

 後に続く言葉はそれ以上は出てこなかった。長年の、そして様々な気持ちがそこには籠もっていたんだろう。うれしいような、困ったような、でもやっぱり嬉しいような。教え子たちの人生を変えてしまった自分自身について感じているようだった。

「だけどアンタ、政治には関わらないって宣言したのに、どうやってイゼルローンが売却される方向に持って行くつもりよ?」

『10年以内を目処に退役します』

 …………、相変わらずすぎるほど突然な話だった。でも、だいじょうぶ、だいじょーぶ、もう慣れたもの。

「……アンタが?」
『私が』

 確かにヤン閣下が軍人を生涯続ける姿を想像できなかったせいもあって、退役される姿がスムーズに想像できた。

「あー、あ~……なるほどー。ヤン・ウェンリー提督元帥閣下という生きた伝説様自らがイゼルローンを捨てることで、聖地化するのを防ぐってわけ? それも出きるだけ早く」

『どこの立派なヤンさんかは知りませんが、なんとしても私は退役しますよ、ええ』

 珍しく胸を張って宣言していた。

『そりゃあもちろん、夢の年金暮らしのためです。イゼルローンのみならず、人類社会が継続しない限り、十分な年金も出てくれない。そのために解決できそうな問題を先に片づけておく。うん、徹頭徹尾、私のやることは一貫していますね』

 その何とも何ともヤン・ウェンリー閣下らしい答えに。私たちは、あきれたり、ほほえんだり、うなずいたり、でも皆、すごく納得していたのだった。

――でも、確かにそれなら、イゼルローンの譲渡もスムーズにいくかも。

 土地争いの最大の問題は、長引けば長引くほど、現地の人たちと元現地の人の妥協点を見いだすことが難しくなることだ。
 ヤン閣下が退役されイゼルローンから別の星に移られるならば、多くの士官も付いていかれるかもしれない。それならイゼルローンも軍事要塞としての役目を終えることになる。

『……かつてヒトは一人では生きられませんでした。他の生物と同じように集団で狩猟採集で過ごし、長く放浪の旅でした』

 ヤン閣下はいつものぼんやりした様子とは全く別に、滔々と歴史を弁じ始めた。

『穀物や家畜を育てるという技術を得た後には、土地や水という限られた資源の争いを何千年と繰り返してきました』

 それは今の私たちに通じる、遙かな歴史の途上だった。

『人々が纏まるために国家や法が必要だったのかもしれない。食物を、薬を、服を、家を、薪を――生き残るための資格を得るために。生き残れる者がどうしても限られているのならば、争いは生じてしまうのだから』

 その話の上に今の地球の私たちがいた。

『ヒトの遺伝子の中に、その戦いの歴史が刻まれ、他者を征服し支配しようという本能があり、それが消せないのだとしても。数万年かけて歩み進んできた進歩の歴史もまた同じだけあるのだと、私は思います』

 同じような歴史を繰り返す人類も、円の中にいるのではなく螺旋階段の中にいる。そうヤン閣下は告げていた。

――そう……この人はいつでもそうだった。

 自分は特別ではないと。世界を変えうるだけの軍事力と権力をその手に持ちながらも、それらを傲慢に振るうことは決して無かった。
 どれほどの技術と科学が進歩しようとも、人間は一歩一歩、その歴史を積み重ねて、時に反省して、時に停滞して、それでもまた進んでいくだけしかないと。

 当たり前の人間としての生を、この人は全うしようとしていた。

――ああ、だから自分も惹かれたんだ。

 私は自分の人生を振り返る。何かが自分にも出きる、無限の可能性があるはずだと。そう思いこみ、多くの時と努力を費やし、しかし徒労に終わってきた。そうして残ったのは、何者にもなれなかった自分の残りの人生だった。

 自分は何者でも無い。きっと何者にも成れない。天命なんて受けられず、世界を変革する英雄にもなれず、この世界の片隅でただ生きるだけの人間だと。それを初めての戦場で知らしめられた時、私は無知の不知という罪を知った。

 でもそれさえも、終わりじゃなくて、ようやくの始まりだったんだのだと、今更ながらに気づけた。
 なにもない自分、でもそれでも、生きている限りは前に歩んでいく自分たちがいるんだって。

――なんて長い、遠回りの人生だったんだろう……。

 長かった迷いの旅を続けて生きてきた。だけどそれでも一歩ずつ歩んできたから、ここにこられた。本当に何があるかなんて分からない。ああだからか、生きているって、だからすばらしいんだ。


 ――それから、私たちは色んなことを話した。


 放課後の夕焼けの教室の中で、なんとも下らなくて楽しい、互いの夢や想いを語るような―――チャイムが鳴って終わってしまうのが惜しくてしょうがない――後になって、あれは青春だったんだって呼べる時が過ぎていく。

 他愛もない話だった。でもそれこそが必要な時間だった。
 BETAが地球にやってきてからの数十年近く、私たちはあまりに「いらないもの」を削り取ってきていた。そうしなければ生き残れないからと、多くのことをこぼしてきた。

 イゼルローンのおかげで、そんな急ぎすぎていた時代は変わると思っていた。だけど、時代はこれから更に加速していってしまうのだろう。BETAとの生存競争に勝っても、ますます人々は勝利に渇き、熱狂の中に行ってしまっている。その兆候は私自身の中にもあったのだから、決して他人事ではない。

 本当に変わらなければならないのは、私たちの意識―――ううん、こんな風なお茶会の時間を取り戻すことだった。
 立場も国家も人種も違う人で集まるけど、会議するのでもなく議論するのでもなく、もちろん煽動するのでもなく、なんとなく思いついた話や意見を言ったり聞いたりする時間。生涯の中で限られている、ただ話すというこの時間。それはとても尊いものだった。

 私たちはそれから何十年先になっても、この時の集まりを決して忘れなかった。ヤン閣下がいて、殿下がいて、夕呼がいて、社がいて、そして私が一緒にいられた時のことを―――。



       ※      ※      ※



[40213] 16
Name: D4C◆e51439de ID:92c5deb7
Date: 2019/07/16 23:34


 最終話 「銀河の歴史は」


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「私はボスの七番目の女」

 ――自称、ただの歴史家、序列七位、ケー・アヤミネ

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 歴史には『伝説』と呼ばれる時代が存在する。それは後になり、振り返ってみたらそういう時期だった、と認められる事がほとんどである。しかしながら歴史にはごく稀に、当事者たちが今まさに伝説に立ち会っていると確信することがある。

 西暦の1999年8月から始まった歴史の中にいた人々は、今こそが人類史における転換期であると肌で感じ取っていた。誰もがこの大きな流れの中にその身を投じざるを得なかった。
 誰もが一様に感じたことは、「かわらなくてはいけない」という漠然とした、しかし大いなる畏れだった。

 この初期の歴史の動きは一直線の大河というよりも、いきなり滝から突き落とされて、どの方向に動いていいのかを迷う大渦に似ていた。

 国家は――というより、それを先導すると自負する者たちは、その歴史の変遷に誰よりも敏感に動いた。


 そのスタートにおいて、当時の最勢力であったアメリカが大きくつまずくことになる。理由は、国家の巨大さにあった。
 アメリカは内外において最強といえるだけの軍事力と、BETAに浸食されていない国土、その両方を兼ね備えていた、言うなれば巨人の国である。しかし同時にそれは、進行方向をいきなり変えることが困難であることの現れであった。

 イゼルローンの未来技術は革命的であり、今まで最新とされていた設備やシステムが一気に旧態となってしまった。それはもはや誰の眼にも明らかである。しかし来期の予算案を急に変えられるわけもなく、複雑に絡み合っている社会システムを変えることにより、損を被る(と思ってしまった)既得権益者たちのデモ運動が勃発した。
 その上、体制上は民主政治と合衆国を謳っているため、反対の声を一方的に排除することも出きなかったため、設備改変への動きが二歩も三歩も遅れてしまった。

 対してBETAに侵略され破壊された地域の国家にとっては、イゼルローンの技術を容易く受け入れることができた。国土の大半が荒野と化したため、全く新たなインフラや住居を造り、そこに国民を住まわせる事が容易だったからだ。
 イゼルローンがやってきてから出生率が爆発的に増加したことも拍車をかけ、人類は数十年でかつての人口を取り戻すことに成功した。

 しかし全てがうまくいったわけではない。各勢力の足の引っ張り合いの場面は、大小内外さまざまな場所で見られた。
 中国と台湾による統一中華戦線、イギリスと他欧州諸国、ソビエト前線とアラスカ、北半球の旧覇権国家と南半球現覇権国家、各少数民族や宗教間派閥などなど。
 BETAがいた頃には抑えられていた様々な不満や思惑、そして権力への志向が「今度こそ自分たちが」という意識に支配されてしまったせいで、人類同士の政治闘争が顕著になり始めた。

 だが同時期、そういう国家内の争いとは別個にして、各企業や個人は国家間の軋轢を飛び越え、それぞれが独自の発展を始めたことも見過ごせない。それを可能としたのは、正にイゼルローンがそういう舞台を整えたおかげだった。

 自由学園都市の存在。閉ざされた逃げられない環境ではなく、誰もが“それぞれ”で生きることが出きる場所。それを許可する環境と制度。
「顔も知らない連中に振り回されるのは、もううんざりだ」と、自分自身の気持ちとそれを解決できる方法があると気づき始めた。

 ついに人々はBETAだけではなく、閉ざされた地域社会からの解放への道を歩み始めた。


 ――と、もちろん歴史はそんなに単純ではなく、保守と革新、右派と左派、分裂と独立と、くっついては離れての繰り返しであった。ただ大筋においては、もはや人々が国を越えて交わっていく流れは覆しようがない程に溢れていた。

 そこで一部の賢しい国は、民衆を抑圧することを止め、むしろ積極的に彼らの向上意欲を奨励した。その上で知識と技術を積んだ者たちを誘致し、彼らに様々な「特権」を示した。

 権力者は肌身で知っていたのだ。民衆の熱狂など一時の熱病に過ぎないと。土台の上でいくら虫が場所を移ろうと、国家という大地は少しも揺るぎはしないと。あちこちを移動したとしても結局はどこかに落ち着かざるを得ないことを。
 そして権力という特権がどれほど甘いものであるか、どれほどあらがいがたい魔力を持つか。権力者自身が分かっていたのだ。清貧の輩が富を手にした事でどれだけ変わるのかを。

 何も正面から吸い取らなくてもいい。巧みに、狡猾に、判らないように、徐々に、そして確実に利益を吸い上げ、自分たちのモノにしていけばいいのだ。イゼルローンとてその例外ではないと、徐々にその触手を伸ばしていけば良い。そう、彼らは静かに機会を伺っていた。

 しかし、そんな麦畑の収穫を待つ彼らの期待は唐突に終わることになる。それを予期していた者はいなかった。
 当時、歴史の一つに終わりを告げた人物の名から、その年は「落陽」と呼ばれている。

 西暦2010年、宇宙暦10年。
 日本帝国政威大将軍、煌武院悠陽の退位が突然公表された。
 その日以降、彼女は歴史舞台から永遠に姿を消すことになる。


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「え、てーとくですか? うん、やさしかったですよ、とってもっ! あがり症だったわたしですけど、てーとくにだけは全然緊張しなかったですし。あ、でもだらしないところもとっても多くて、だからわたしが当時、分隊長としてがんばらなきゃいけなかったんですよー! ……ああ、嘘です嘘ですーっ! 今のは記録に残さないでーっ!」

 ――自称、ただの主婦、序列十位、ミキ・タマセ

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 イゼルローンの歴史を語ると、どうしても外せない人物が出る。それがヤン・ウェンリーである。しかし彼という巨人は単独で歴史に立ったわけではなく、彼を取り巻いた様々な人物という土台の上に在ったというべきだろう。
 
 その中でも最重要とされている四人の女性がいる。フレデリカ・G・ヤン、コーヅキ・ユーコ、ジングージ・マリモ、コーブイン・ユーヒ。
 ヤン・ウェンリーを支えた女性たちの中でも、フレデリカ・G・ヤンに関しては語るまでもなく、こんにちのイゼルローンにとっては、もはや「象徴」となっているので説明から除外する。

 第一の女、コーヅキ・ユーコ。物理・化学・数学、その他多くの多彩な分野において多大なる功績を残した天才科学者にして謎の狂人。
 彼女が残した功績は多大であり偉大でもあるが、同時に人類に少なからぬ「停滞」をもたらした。そのため今日においても、彼女を正当に評価するということが難しい。

 停滞の一例は、イゼルローンの知識技術を余りに取り込み過ぎたことにもある。確かに彼女が導かなくとも、地球の科学者たちはその知識技術をふんだんに取り込んだだろう。しかしその結果、独自の地球の技術(例えば戦術機)の発展の芽まで摘んでしまった事などが非難となっている。
 彼女が独自に編み出した理論というのが少ないのではないか、彼女は単なる窃盗者に過ぎないのではないか、という意見もある。

 それに加え、彼女の人格が余りに独善すぎた点も挙げられている。功績があればその裏でどんな行為も許されるのかという意見だ。しかし、歴史の当事者で無かった者には評価しづらい点と、彼女のみならず、その時代は様々な非人道的かつ非合法な実験が行われていた点も忘れてはならない。

 さて。そんな彼女がヤン・ウェンリーといかなる交流をしたかについては、様々な逸話や証言が残されている。

 曰く、彼女とヤン・ウェンリーが共著した、世界の進む未来についての予言書の存在。そのY・K文書は彼と彼女の弟子たちのみに密かに託され、数百年後の人類についても記されているとも。

 曰く、食事会に強制的にかり出されたヤン・ウェンリーが先に帰ろうとしたところを、スパコーンッと音が廊下中に響くほどはたき、首根っこをつかんで会場に引きずり戻したと。また、ネクタイが曲がり寝ぐせが跳ねていた彼の身なりを直す姿もたびたびあったとも。

 曰く、人文学と数理学の意味と展望を侃々諤々と熱中していたかと思えば、低俗な文化や荒唐無稽で不毛な話に代わり、軍事学と生理学の専門用語が飛び交っていたように聞こえたら、最後には(ヤン・ウェンリーの方が多く飲んでいたにも関わらず)彼女の方が酔いつぶれて眠りこけ、ヤンにもたれかかる姿が目撃されたとも。

 虚実ない交ぜになったエピソードがいくつも残されていた。

 そんな彼女だが、ヤン・ウェンリーの最期に立ち会った場面が、彼女とヤンとの関係を端的に表している。

 ヤン・ウェンリー臨終の数日前。八十余歳の老年となった彼もついに体調が思わしくなくなり、関係者一同が見舞いに集まった。その場面で、最後にやってきた香月夕呼は、なぜか彼のすぐ前でステーキを焼きたてで食べた。
 見た目二十代後半の彼女と見た目のままの八十代の彼の間では、会話らしい会話は無かった。食事も終わりかけの頃、切りわけた肉の端を彼の口元に持って行き、ヤンはそれをゆっくりと噛みしめて食べた。そして彼の口元をナプキンで拭き取り、「……ったく、いつまでたっても、アンタはアンタだったわねー」と苦笑して、香月夕呼は去っていった。それが彼女とヤンの最期の別れとなった。

 後に関係者たちの間で判明したことだが、彼女は重要な会議などに出席が予定されていたのだが、それら全てを直前で無断キャンセルして、ヤン・ウェンリーを見舞っていた。そのためその後数年間、彼女は学会からも諸機関からも干されることになった(その後の業績によって再び持ち直したが)。
 
 彼女に対し、「貴女にとってヤン・ウェンリーとはどのような存在だったのですか?」と質問した者は多かったが、だいたいが表面的でおざなりなリップサービスか、あるいは親しい者たちが訊いた時は「ハッ」と笑いとばすだけであったという。

 ただ彼女に近しかった者たちは揃えてこう言った――アレは似たもの同士で、隣に立って同じ方向を見ていた同志だった、と。



 第二の女、ジングージ・マリモ。彼女が歴史舞台に登場したのは、ちょうどイゼルローンが来日したその日に始まる。それまでの彼女は一軍人に過ぎず、際だった功績や能力も示さなかった。
 しかしひとたび、ふさわしい場を与えられれば、決してその場から脱落することなく、華やかではないが渋い活躍を見せていった。

 最新鋭の戦術機を駆れば、十分な戦術データが無いにも関わらず十二分にその機能を発揮し、与えられた任務を確実にこなす。戦術機乗りの中では最強でも最優でも無いが、最も頼れる現場衛士である。
 後に、実戦をくぐり抜けた戦術機操縦士の中でも、最も栄誉ある『世界十二衛士』に選ばれた存在となり、他の規範となる存在、まさに教師であった。

 イゼルローンが現れて以降、その存在を認められた彼女は、自由学園都市においても、その隠れていた資質を発揮することになる。
 開校当時、未完成すぎて秩序というものがほとんど無かった初期の学園。様々な勢力の思惑が絡まり、荒れようとしていた学園をまとめあげ、内外の様々な団体と闘い、規律と機構を造り上げた。その伝説的存在として「女教皇」として呼ばれることになる。
 ……なお、一部からは「女狂皇」や「当番長」、「極東のナイチンゲール」、「たった一人の軍隊」、「不眠不撓不屈」と様々な異名で畏れられた。

 軍人として、教育者として、そして最後には政治家として活躍し、地球出身者としては初となるイゼルローン独立惑星の元首にも就任し、三期連続で大過なく勤め上げた。
 晩年は関わってきたすべての人たちに見送られ、賑やかにこの世を去ることになる。

 彼女がヤン・ウェンリーにどのように関わったのか、それに対する証言は余りに少ない。元々接する機会や場が少なかったせいもあるが、彼女はヤン・ウェンリーに対して公私の一線を決して越えなかったからだと言われている。
 しかし現場に立って率先して動いてくれる有能な働き者、そんな彼女の存在がヤンにとって大きな頼りになったことは確かであろう。事実、彼女はヤンにとっての、地球での秘書のような役割を果たすこともたびたびあった。
 ただフレデリカ・G・ヤンと異なることは、ジングージ・マリモはヤンを後ろや陰から支えたのではなく、一線を引いても前に出て、彼を守っていたという面が垣間見れた、という証言も残っている。



 第三の女、コーブイン・ユウヒ。彼女はその業績の功罪も、生まれも育ちも、そして没年さえ、今もなお多くの謎に包まれている。彼女もまた、イゼルローンが来日した日よりその存在を歴史に現した人物である。彼女こそが日本帝国を再興させ、そして“亡びの道”を歩ませた張本人とも言われる。

 ある歴史学者は言う。コーブイン将軍には主体性など無く、イゼルローンの思うがままに国を私物化したと。
 ある歴史学者は言う。彼女ほど将軍としての天分を発揮し、国と民を歴史の先に導き、将来を切り開いた者はいないと。
 自称歴史学者は言う。彼女こそヤン・ウェンリーの弟子の序列四番だったと。なお、自分は七番目の女だと。

 彼女が行ったことは変革であり善政であり、破壊であり必要悪であった。その政治的な手腕は余りに早すぎて、正確であり、後になって検証しても完璧すぎた。

 首都も国民さえも完全に蹂躙された国家をわずか十年で復興させ、経済を発展させ、インフラを刷新し、制度を整え、そして律法を改定した。
 その動きは鋭く速く、内外からの反発を「結果」というこれ以上ないほどの証拠によって封じ込めた。やがて一つの施策を出されるたびに、官民はそれを迎え入れ実行し、その結果と複音を享受した。

 若く、強く、美しく、何より指導者としてのカリスマに満ちあふれた姿。万民が畏れ敬い、崇め奉る存在となった彼女は、もはや現人神〈あらひとがみ〉であった。
 彼女の声は鶴であり、彼女の目は鷹であり、彼女の姿は三本足の烏であった。肉体的な最盛期も迎えていた彼女が「千年王国の明星〈ミレニアム・ビーナス〉」と称えられたのも決して誇張ではなかった。彼女は偶像〈アイドル〉ではなく、女神〈ルール〉だったからだ。

 ――そう、皮肉なことに、ヤン・ウェンリーに最も心酔していた彼女は、その教えと真っ向から反することを行ってしまっていた。権力と軍事力と財力を掌握した為政者が、完全無欠で非の打ち所のない政治を行ってしまったのだ。


 だが、そんな彼女が執政した十年の間に、世界の膨張はあるピークを迎えつつあった。既存の権力者たちでは抑えきれないほど、人民の自由への意思は顕著になり、流動的だった格差の固着化が始まりつつあった。過去と未来、保守と革新の対立は激流から泥沼になり、日本帝国さえもそれは例外では無くなっていった。

 イゼルローンが訪れる前、日本帝国の政治体制は、皇帝を最上位として将軍と議会との二重権力体制を取っていた。将軍を筆頭とする武家と、内閣総理大臣を長とする代議士との間の摩擦は年を追うごとに大きくなった。それを抑えていたのは、ひとえに煌武院悠陽という絶対的な存在によるものである。

 だがその光の裏には彼女を疎む者も当然のごとくおり、テロ未遂も公式記録だけで十数にも及んだ。その苦難と障害の全てを越えきった彼女に待っていた突然の引退。それだけに彼女は自らの意思ではなく、誰かによって消されたのではないかという説も流れた。


 武家という軍事力と権力を兼ね備えた存在は、いつしか時代にそぐわないようになっていった。BETAの危機が去った後でも国民の血税を吸い寄せてその力を維持する彼らはもはや無用、という危険な意見まで出始めていた。

 だからこそ、彼女は自身の存在を消さなければならなかったのだろうか。かつての江戸幕府が真に成せなかった大政奉還――権力を自ら放棄し、内乱する意義を無くし、次の時代へと官民ともに脱皮させていく。それを彼女は望んだ。


 そんな豊穣と栄光の女神伝説が終わったすぐ後に、新たなる伝説が始まるなどと想像できた者もいなかった。

 煌武院悠陽の退位から明けた年、とある人物が突如、歴史舞台へと登場する。
 その人物こそが『御剣冥夜』。後の御剣財閥初代総帥にして、人類連盟初代議長である。


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「提督だね、ああ提督といっても他の提督じゃなくてヤン提督か、うんうん、ボクは提督の中では一番提督が好きだったね、ああううん、ボクの旦那様がいちばんだけど、それはそれとしてヤン提督はとってもマイペースで、え、ボクの方がかい? そうかな、そうだね、で、提督といえばだけど何といっても(以下、脱線すること数十分)」

 自称、ただのジャーナリスト兼主婦兼冒険家兼……、序列最下位、ミコト・Y・アッテンボロー

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 ヤン・ウェンリーという偉大な巨人に師事した者は――公称自称問わなければ尚のこと――実は“数少ない”。古代西洋の賢者と異なり、およそ彼は私塾の門を開くことは遂に無かったからである。
 もちろん彼に教えを請いたいという者や、彼に講演を頼む組織・団体は数え切れないほどあった。しかしどんな高額な金銭や貴重な物品を報酬に出されたとしても、彼がそれを受け入れることは無かった。
 しかしそれが身近な親しい個人からの依頼であった場合、引き受けることも(たびたび)あった。

 その中で、ヤン・ウェンリーのみならず、当時のイゼルローン将官たちに教えを受けた五人の弟子たちは――イゼルローン軍の軍帽にならって――『五将星』と呼ばれている。


 序列筆頭、御剣 冥夜は、アレックス・キャゼルヌ“大将”に。
 序列七位、彩峰 慧は、 ワルター・フォン・シェーンコップ“大将”が。 
 序列十位、珠瀬 壬姫は、フョードル・パトリチェフ中将の。
 序列三位、榊 千鶴は、ムライ“大将”を。
 序列最下位、鎧衣 美琴は、ダスティ・アッテンポロー中将と。



 彼女ら五人は、それぞれ五人に師事し、あるいは結びつき、または手本とした。

 ――なお、ヤン・ウェンリーの弟子序列とは、ヤン・ウェンリーが決めたモノでも後生の歴史家が定めたカテゴリーでもなく、弟子たちが何となく決めたものである。それも歴史の謎の一つと言われているが、彼ら自身も“誰が言い始めたのか判らない”、あるいは覚えていないのだ。ただ事実として、彼ら彼女らもその序列はよく口にしていたようであり、後の業績にも相応しい序列となった。


 御剣冥夜はあらゆる弟子たちの中で、最もヤンの思想と言葉を「実践」した人物と言われる。およそ現実にそぐわないヤン・ウェンリーの理想を、現実世界に投影し、人類社会に当然のように存在するシステムとして組み込んだ。

 彼女が表舞台に登場したのは、煌武院悠陽が退位してすぐの事だった。彼女の容姿が世間に混乱をもたらすよりも尚早く、御剣の名が瞬く間に刻まれていった。経済、政治、軍事、情報、科学、人材と、あらゆる分野において御剣の名が後生に残されているように。
 イゼルローン来訪からの十年の間に蓄えてきたであろう、モノ・ヒト・カネの全てを、最良最善のタイミングでつぎ込んできた。彼女が率いた組織力は凄まじく、ヤン・ウェンリーの優れた仲間たちも彼女にこぞって協力した。

 各国の既存権力や財閥を一気に出し抜けたのは、その人材確保力にあった。

 煌武院悠陽が壊し、御剣冥夜が創ったと言われるのは、彼女は時代の中で行き場を見失いつつあった武家を取り込んだことにある。既存権力の破壊と再編成という、もっとも難しい事業に着手し、それを成功させたのだ。
 宇宙へ飛び立つ者と地球に残ろうとする者たちの諍いの間にも立ち、内争と断絶が絶えなかった人類社会に確かな繋がりを創った。彼女こそ、まさに宇宙新時代の旗印だった。

 彼女がもう一人の師として名を挙げるアレックス・キャゼルヌの辣腕と、ヤン・ウェンリーの絶対的なカリスマ、その二つを彼女は兼ね受け継いだ。過去・現在・未来を全て見通すかのように的確な指示を出し、常に陣頭に立つ姿は「将軍」そのものだった。

 それ故に、ヤン・ウェンリーの後継者とは、御剣冥夜かユリアン・ミンツのどちらだと、しばしば論点になる。しかしそれは“比較することが出来ない”ため、とりあえず御剣冥夜が筆頭となっている。
 ただし彼女が存命中、その話題を彼女自身(や他の関係者)に振った者は、もれなく存在を無視されることになるため、ある種のタブーとなっていた。ただ決して不仲だったというわけではなく、むしろヤンとキャゼルヌと同等に尊敬する人物だと公言していた。



 彩峰慧。彼女が歴史的な功績を認められたのは、彼女の死後になってからである。彼女が生きている間は、通称『ウェンリーさん家のネコ、あるいは番犬』であった。
 なにしろ彼女は普段はまったく仕事をしていなかった。ウェンリー家のすぐ隣にモバイルハウスを置き、日中はウェンリー家のリビングでまったり過ごし、ネコや犬たちの世話をし、気づいたらいなくなるという、全くもって気ままかつ、自堕落な生活を送っていた。

 しかしいざ有事になった際は、ヤンを誰よりも守護し、殿となって部隊を守り、普段の気ままさからは想像できないほど戦果を挙げる戦士になった。
 彼女はしばしば『戦略の榊千鶴、戦術の彩峰慧』と比較され、「戦術は正しいから勝つのじゃなく、勝つから正しい、だからいい」と師の言葉のまねをした。実際、佳境と苦境と土壇場における彼女の爆発力は他の誰よりも優れていた。
 ヤンに似ていると言われると無表情のまま喜んだ彼女(尻尾と耳がぱたぱた振れる幻影が見えるらしい)だが、ローゼンリッターの師に似ていると評価されると「心外。仮に似ていても、あっちがわたしの真似をしてる」と心底イヤそうな顔をした。

 彼女無しではヤン・ウェンリーは十回暗殺されていたのではないかと揶揄されるほど、師を守る任務を自ら課していたとも言われる(アイツはご飯をたかっていただけ、と某首相は語ったが)。

 彼女は「私はボスの七番目の女」や「無職? 甘い。私は歴史学者」と、関係者さえも意味不明な言葉を告げることが時折あったが、歴史学者という点は当たっていた。
 彼女がいつそれを書いていたかは判らないが、イゼルローンが来るまでのBETA戦争についての事細かな資料を集め、それについての膨大な考察が残していた。特に『光州作戦』については各所からの資料や証言を集められており、とある中将の行動について、後生、再評価されることとなる。
 彼女一人で書き上げられたとはとても思えず、ヤン・ウェンリーの添削も見つかっているため、間接的ではあるが、ヤン・ウェンリーの歴史学者の一面についても認めさせたことになった。



 珠瀬壬姫。彼女自身は何の業績も残すことは遂に無かった。軍人にも政治家にも経済家にも成らず、生涯を専業主婦として過ごした。
 射撃能力には非凡なものがあったが、それ以外の才能は自分には無いと、BETA戦後は自分のしたかったことをすると決めた。

 彼女が優れていた才能が判明したのは、人生の後半になってからであった。それが「母力」だった。

 彼女の実子の数は十二人、養子も五人と、BETA戦後の人口爆発の中でも最大級の大家族を作った。しかもその子ども達もまた、もれなく大家族を作った上、更にその孫も……と、ネズミ算式に孫、ひ孫、玄孫が産まれることになった。
 その大家族を支えたのは、彼女の父である国連事務次官の財力と、夫のイゼルローン軍人のコネクションであったのはもちろんだが、それ以上に母としての珠瀬壬姫が優れていた。

 彼女は自身の昔を振り返って、よく他人の顔色を伺って、言いたいことも言えない自分だったと告げていた。しかしヤン・ウェンリーの人柄と、フョードル・パトリチェフの在り方を学び、ただそこにいるだけで人々を和ませ、仲良くさせるという極めて稀なキャラクターを形成することが出来た。

 彼女の子たちは皆、才能にあふれ、人格的にも安定し、経済力もあり、自分たちの家族を作れ、何よりも健康的であった。彼女の子や孫、あるいは後の代の子孫には、歴史に名を刻んだ者たちの名で辞典が出来ると言われるほどである、

 彼女自身も弟子達の中で最も長寿であり、多くの子ども達に見送られながらその天寿を全うした。彼女は晩年「……てーとくも皆も、わたしより早く行っちゃったけど、わたしの子たちは、みーんなわたしより先に行かなかったね。ありがとうね」と、何度も何度も繰り返していた。彼女の末期の言葉は「わたしのゆめは、ずっと叶い続けたよ」。

 彼女の子孫が余りに多く、しかも著名人も多いため、「源平藤橘、それに珠」と言われるほど名字が多くなり、それにあやかって「タマ」の名を付ける日本人も多くなった。



 榊千鶴。彼女はよく「三代目」と言われ、それが自身の役割だと自覚していた。
 初代が創り、二代目が整え、三代目はそれらを確固たるモノとして継がせる。その歴史の螺旋階段を一度も滑ることなく昇ったのが、榊千鶴だった。
 
 自由学園都市への留学、神宮司まりもの秘書として務め、二十五にして国政に携わり、御剣冥夜との協力関係を作り、武家の力が弱まった時代の日本国首相でありながら、大過なく日本国の復興と発展を成し遂げた。

 その手腕は「堅実」の一言だった。奇才もなく天才でもなく、カリスマはなく派手さもない彼女だったが、ケレン味もまた持たなかった。秀才にして確実にして、失敗はあっても間違いをすることは無く、国が進むべきビジョンをはっきりと示した。

 政治家にありがちなスキャンダルや失態は全く無く、かといって清廉潔白かと言うとそうでもなく。様々な個人・組織からの妨害があっても、彼女は問題なく通り過ごし、むしろそれを仕掛けてきた方が手痛い反撃やミスによって沈没するという場面が幾度も見られた。

 法の隅々まで目を通し、民の暮らしに耳を傾け、世界や社会や個人の動向に常にアンテナを張り巡らせていた。全能ではなくとも全知であるかのような姿に畏怖されることもしばしばあったが「何でもは知らないわよ。知っていることしか知らないわ」と返した。




 そして最後の鎧衣美琴。彼女は一言で述べると謎。文字を費やしても謎謎謎の人物である。表面上のデータならいくらでも挙げられるが大したモノは無く、他の弟子達と異なり、後生の世界にも社会にも何らの影響を残さなかった。そのためか、彼女は序列最下位と言われている。

 しかし正史でなく陰謀論を紐解けば、彼女の影があちらこちらにチラつく。
 
 動乱あるところにヨロイあり――と言われるように、彼女は内乱や戦争の前後にその近辺に居たと言われる。表向きの滞在理由はあるのだが、どうにも取って付けたような理由ばかりが残った。

 時に取材し、時に冒険し、時に交渉し、時に里帰りし……と、彼女が何のために何をしているのか、彼女の家族さえ把握していなかった。なぜ結婚したのかさえ、謎のコメントばかりが残されている。
 一説には彼女によって、榊千鶴や御剣冥夜の足下が守られていたとも言われるが、それも定かではない。 

 だが――そんな彼女をして、更に謎とされている者が一名いる。



 序列番外位、『スミカ・カガミ』。最初にして最後の弟子。ヤン・ウェンリーの思想と言葉を後生に完全に残した、ヤン・ウェンリー経典の作成者にして伝道者。

 弟子の功績という意味では、もっとも大きい業績を成し遂げたといえる彼女(彼?)だが、その正体は今なお謎に包まれている。いや、氏名を辿れば答えは求められるのだが、イゼルローンが来る前に故人扱いとなっているため、ペンネームという説が有力である。
 一説には、当時横浜基地にいた(公式にはいないため、当時の施設関係者の証言)とされる「カスミ・ヤシロ」がそうではないかと言われる。スミカはカスミのアナグラム、カガミとは鏡、すなわち御社に奉納される三種の神器の一つではないか――と。


 だが多くの真実はいまも歴史の陰に隠されている。
















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「委員長? いいえ、そう呼んだのはヤン先生が初めてではないわ。確かに……でも、待って? 誰が提督を、最初に“ヤン先生”なんて呼んだのかしら……?」

 ――自称、ただの物知り、序列三位、チヅル・サカキ。

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【西暦二〇〇〇年、某日、横浜基地、地下××階。※以下、音声のみが記録されている】


「あー……それじゃあ最終チェックに入るわよ」
「はい」

「この実験の目的は?」
「“被験者”の望みとする人物を、異なる次元から呼び寄せることです」

「正解。厳密には『確率の霧』の向こう側から手繰り寄せることなんだけど……まあいいわ。それで、そのための手段は?」
「三つ必要です。被験者の強い願いとその“増幅”。核融合炉による莫大なエネルギー。そして膨大なG元素です」

「目的、手段ともに確認したわね。じゃあ後は?」
「トライアルです」



 十数分の駆動音、音声、振動。そして轟音が響いた。



「っっ~~~ぅ、データはっ!?」
「………………いま、す」

 ハッチが開く音。どさりと誰が倒れ込む

「……ぅ、こ、ここ、え? あれ、おれ、俺は……?」
「ハイ、早々で悪いけど、あんたが×××ちゃんかしら?」

 音声が著しく上書き消去されている。

「え、あ、×××先生、それに×××っ!?」

 ここから先、更に音声が乱れる。

「……な、え、BETAが? それにオルタナ――」


「まだ、いますっ!」


 音の向こうから緊張さえも伝わる。何かを構える音、這いずる音が聞こえる。

「…………あれ、アンタの知り合い?」
「い、いえ、お前、誰だよっ!?」
「……とりあえず、銃を下ろしていただけますか、マドモアゼル」

 わずかな沈黙。

「……そうね、じゃあ自己紹介でもしてもらおうかしら、“赤毛のノッポさん”」

「…………×××××××・××××××と申します」





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「師父ならば、今も昔も変わらず言って下さるだろう。『君たちの銀河の歴史は、まだ一ページだ』と」

 ――自称、ただの弟子、序列筆頭、メイヤ・ミツルギ。

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