吐いた呼気が白く立ち上り、降る雪に触れて溶ける。
ほぅ、と。詩乃目くららはそれを眺めて、次は深くため息をついた。
「儚いね……」
惜しむように、言葉を口から上らせる。氷点下の世界では空気に雑味が無いせいか、ひどく静かだった。彼女の声は染みいるように響く。
世界に存在するおとは自分のこだまだけ。胸に痛い孤独を避けるように、彼女は言葉を紡いでいく――
「人の夢のように淡い雪……暖かかったの? 冷たかったの? もうわたし、覚えてないよ」
――だから目が覚めたら、きみの事を探してしまう。
「逢いたくて、逢いたくて、胸が苦しくて」
――でも逢えないの。
「わたしの声は、届かない。このまっさらな純白の雪に降り積もって、埋もれてしまうの」
くららはその場に跪いて、ウールの手袋をはめた手で積もる雪を一すくいする。
「でも、ひょっとしたらあなたは聞いてくれているのかな? 春の息吹を伝えてくれる、雪待草……」
――季節は巡って、春になって、いつかあなたはここに訪れて、それを見つけてくれるの?
「わたしはそれを、ずっと願っているの……」
――そっと瞳を閉じて……
――閉じ、て……
「――寒いよ!」
大雪原のど真ん中で、ぶるぶる震える唇と冷気でひりつく喉をどうにか動かして、くららは叫び声を上げた。
その服装は母校・私立文聯館高等学校の制服である白いセーラー――の下にジャージを重ね着して、マフラーを三つ編みにした髪ごとがっちがちに巻き付け、ウインドブレーカーも上に羽織っている。スカートの下から臙脂色のジャージが伸びた、なりふり構わぬ真冬の女子高生スタイルだ。それでも寒くてたまらなかった。冷えた眼鏡のフレームが耳に当たって物凄く痛い。
現在彼女の立つ場所は、都市部の高校生が対象の防寒ではあまりに不十分だった。
問答無用の寒冷地帯である。周囲の樹木は樹氷と化し、積雪量は軽く三メートルを超えてなお倦まず弛まず、南方のやや離れた場所の山脈から吹き下ろす寒風に乗って、大粒の雪が降り積もる。
持ち込んだ魔法瓶の中のお茶が、カップに注ぐ前に凍り付くのを見た時は、むしろ笑えた。
くららが自分の身体をきつく抱きしめて、摩擦熱で少しでも暖を得ようとさすっていると、
「おぅ……寒いのう。まったくもって、寒かったのう」
彼女から数メートル離れて、体温の低下とは別の理由で青ざめた顔をした黒髪の幼女が言った。黒地に椿をあしらった和服姿に、灰色の毛皮のイヤーマフに帽子、手袋と、急ごしらえの防寒着のせいで随分ミスマッチな格好をしている。
「お嬢様、もしやくらら様は、我らを精神攻撃により凍死させた上で財産を横取りする野心を抱いているのでは。……我々は、彼女の狂気を見誤っていたのやも知れません」
幼女の隣の長身・金髪金眼の美女が同調した。彼女はこれまでと変わらず、白地の小袖だけの姿だというのに震え一つ見せていない。
くららは一旦寒気を忘れる程の恥ずかしさで顔を熱くして、白黒の主従に抗弁した。
「う゛……やめてよ夜見ちゃん、だきにさん……自分でもやってしまった感は切々と感じてるから……今のなし。気の迷いだから。忘れて? ね?」
「しかしくらら様、既に私は帳面に今の恥ずかしいポエムを記録しております」
「きゃああああ! なんて事をするんですかだきにさん!」
「こんな時の為に、通信教育で習い覚えた速記術が役に立ちました」
「なんでそんな嫌な方向性の努力にばかり血道を上げるんですか……っていうか嘘でしょう? 通信教育とか無いでしょ! この世界!」
「銀河の黒歴史が、また一ページ……」
「前回の黒歴史があったような発言をしないで下さい! ありません! ありませんから! ――ホントにありませんからね!」
くららは必死に自分の過去を否定した。
「おや、そうなのですか? ――お嬢様は現在進行形で、壮大な宇宙叙事詩の如き分量の黒歴史を更新し続けているのですが」
「こっちに飛び火したじゃとぉっ!?」
それまで傍観者気取りだった黒髪幼女、詞木島夜見が愕然とした顔で悲鳴を上げる。
金髪の従者、だきには懐を軽く開き、分厚い和綴じのノートを覗かせた。タイトルは「我が主・詞木島夜見の破廉恥なる軌跡」とある。
「こ、こらあっ! 寄越せ! 焼却する!」
「そういうわけには参りません。十年後、お二方となるたけ多い衆人環視の中で声高らかに朗読するまで、これは固く守らせて頂く所存にございます」
追いすがる二人をひらりひらりと躱しながら、鉄面皮で迷惑な誓いを立てるだきに。
ぎゃあぎゃあと喚きながら走り回る事数分……
「つ、疲れた……」
雪原に手を突き、くららが息を切らしている。
「寒冷地で無駄に体力を使うなど、理性のある人間のする事ではありませんね」
「黙れぇえ~……」
早々に雪に足を取られてすっころび、しかしなぜかくららより気息奄々としつつ、夜見は僅かも呼吸に乱れのない従者に殺気に満ちた声を投げかけた。
だきにの発言は悪質なマッチポンプながら、実際走り回ってかいた汗が冷え込み、悪寒を催してきた。低体温症の危険をくららは自覚する。
「……だきにさんって、狐の妖怪なんですよね?」
「まぁ、厳密には式神ですが、似たようなものです」
だきにの返答に、くららは声のトーンを落としてぼそりと呟いた。
「毛皮……もふもふ……暖か……」
「おや。悪逆非道の密猟者的眼光をなさっておりますよ、くらら様」
寒風に人間の良心も凍り付きつつあった。
――そもそも、確かにだきには巨大な化け狐に変化する事ができるが、現在はその能力を行使できない。最後に変化した時に戦った機傀悪魔〝マモン〟に受けたダメージが回復しきっていないのだ。
「うぅ……なんでこんな極限状況に……」
季節は――〝初夏〟。四月に夏服の入り用な酷暑の土地から出て、極寒の地に踏み入った今の暦は六月初旬。日本出身のくららは、常識外の環境の変化に思いっきり打ちのめされていた。
「〝この国〟の気候は常冬と聞いておる……実際に寒さに震えるまで、話半分に聞いてもおったが……」
夜見はへたった身体を起き上がらせ、雪原に尻餅をつきつつくららに言った。
博学なこの天才児でさえ、僅かな文献を通してしかこの地の風土は分かっていない。かつて秋津洲国という一国の王女であった彼女の権限をもってしても、閲覧できる資料は酷く乏しかった。
――人間の領域ではないからだ。
「竜支――ジラント皇国。よもや、かの竜の国を訪れる機会があるとはの」
竜。
くららの常識からすれば、火を吐く巨大なトカゲで、洞窟を根城に財宝を蓄え冒険者を襲う――何よりフィクションの存在だ。
しかし、この世界――くららのいた時代から遥か未来の、文明の再構成されたこの時代には、実際に息づいて、実在している。
しかも、彼らは独自の文明を持ち、国家を作り暮らしているらしい。
その国の名称が、ジラント皇国。
くららたちは今、そこにいる。
「っちゅーても、ここは南の辺境の方じゃがな。永久晶原の領域外、まだ人間に耐えられる環境じゃ――〝アガルタ〟のとんねるがここで終わっておって、助かったわ」
心底安堵したように、夜見はそうコメントした。
アガルタ。この〝大陸〟南方に位置するバーブル帝国の一都市、チャトラの地下深くに秘匿されていた旧時代の遺跡である。周縁国に通じる巨大な地下トンネルが複数通っており、チャトラの豪商とアガルタ内部で生活する亜人・兎人族はそこをナラカと呼び、要人の密出国ビジネスに利用していた。
くららたちは、この地下トンネルの一つを通じてジラント皇国に訪れている。
本来の予定とは、大きく外れて。
「もっとも」
次の夜見の口調は、打って変わって苛立ちが滲んでいた。
「ミラーヴ……幽霊国家の尖兵と出くわさなければ、このような苦労はせんでも良かったものを」
彼女の立てた計画は、バーブルの隣国パキを挟んだ西方の国タージーへ入り、テュルキエ、そして目的地のヘラスへと西進するというものだった。
幽霊国家――大陸外洋のどこかに隠遁し、影ながら大陸諸国へ干渉している、先進的な文明を持つ国家群。その一つ、連合王国が大陸干渉の窓口としていると思われるのがヘラスだった。
ヘラスを足がかりに連合王国に接触し、幽霊国家の正体を探り、彼らへの対抗策を模索するのが夜見のプランだ。
もっとも、計画というのは思い通りに進まないものである。
足取りを消す――出入国管理の手続きを経ずに国境を通過する為に訪れたアガルタは、魔獣――旧時代の人造生命体を製造する為の軍事研究施設であり、その管理を任ぜられた幽霊国家の工作員、機傀悪魔ウェパルの応現体・ミラーヴとくららたちは遭遇する羽目になったのだ。
ウェパルを撃破し、当面の危機は回避されたものの……
「ミラーヴは、討たれる前に彼奴の本国に我らの存在を報告しておったじゃろう。真っ当なるーとには既に幽霊国家が網を張っておると考えて間違いはない」
準備万端待ち構える彼らをたった四人でやりすごしながら大陸の西端に辿り着くなど、競竜の大穴に全額張るような無謀な博打だ。そんなもの、夜見は御免被る所である。
だから、彼らにとって最もありえないルートを選ぶ他なかった。
ただそれは、人類にとっても最悪の旅程でもあった。
ジラント皇国領の国境沿いをなぞるように西へ進み、大陸の内海・裏海を大回りする形で、北方の小国カフカスからテュルキエ入りする――くららの世界観なら、ロシアからカスピ海対岸のグルジア経由で西アジアに入るルートと言い換えて良い。
地下トンネルの移動に用いた竜車も、寒冷地の運用には耐えられないので放棄せざるを得なかった。食糧も、五千キロメートル程の旅路を賄える程の量はない。
補給は絶対必要。ジラント皇国との接触は、不可避だった。
「気を引き締めておれよ、くららちゃん……万一の時は、〝セイタン〟の力が必要じゃ」
表情を強張らせて、夜見は告げる。背筋に感じる冷気は、雪や寒風に身体を冷やされただけではない。
「セイタンを……?」
セイタン――詩乃目くららの機傀悪魔への変異は、他ならぬ夜見自身が固く戒めていたはずだ。彼女は幽霊国家の保有していると予測される偵察衛星を警戒していた。
問い糾そうとして、くららは息を飲む。
夜見の手袋をはめた指先がかすかに震えている。
「そなたの時代には、おらなんだのよな――人類に好意的でない超越種などという存在は」
八代目竜皇、雷帝・イヴァンが南下政策を唱え人類国家に侵攻したのが二百年程前。
国境を接するカザク、テュルキエ、円国は瞬く間に蹂躙され、人類は竜種の脅威をその身に刻みつけられた。
その後、イヴァンが唐突に持ちかけた不可解な講和がなければ、大陸は竜のものとなっていただろう。
そして彼は、未だ生きながらえて皇位を保持している。竜種の寿命は人類と比べて遥かに永い。
竜の脅威は、二百年経った今も去ってはいないのだ。
夜見の竜種についての知識が乏しいのは、大戦後の人類が竜種を恐れ、不可侵の存在としていたというのが大きかった。
「アガルタで遭遇した魔竜を超える怪物が、単なる一国民として生活するような国じゃ。対抗する手段はセイタンしか無い。そなたと、兄様だけが頼り……」
そこで夜見は「ん?」と首をかしげた。
「兄様はどこじゃ?」
雪原をきょろきょろと見回して、彼女は問いかける。
夜見の兄であり、くららのパートナー。機傀悪魔セイタンの搭乗者・詞木島日雨の姿が見えない。
「さっきまで「うぉおおおおおぅっ! なにこれ超寒い! すっげーのー!」とかミジンコほどの知性も感じさせない雄叫びを上げて雪原を駆け回っておりましたが」
辛辣な補足を入れてだきにが報告する。
夜見は立ち上がり、尻についた雪を払った後、白く煙るため息をつく。
「まったくあの男は……あやつに緊張感なるものを少しでも覚え込ませる方法はないのか? ――緊……緊縛?」
「やめてね、それ、試そうとするの」
ふとした思いつきに大いに魅力を感じたように顔を輝かせた、兄への愛情表現を遠大に取り違えている幼女に、くららは釘を刺す。
「でもホント、どこに行ったんだろ、日雨くん……おーい! 日雨くーん!」
彼女もまた立ち上がり、声を張って彼へ呼びかける――直後に、何かにけつまずいて転びかけた。
雪に埋もれた石でも引っ掛けたか、と思って見下ろすと、
「 .,,..,,,,_
/ ,' 3 `ヽーっ
l ⊃ ⌒_つ
`'ー---‐'''''" スヤァ」
「寝てる――――――――――――!?」
鳶色の髪の少年が、氷点を遥かに下回る気温の大雪原で、半ば身体を雪に埋もれさせながら熟睡していた。
「さっきのくらら様が口にしたジパング風ポップカルチャーなポエムの如く、雪に埋もれて、瞳を閉じておりましたね」
「それはもういいですから! ちょっと、日雨くん、日雨くーん!」
慌てて抱き起こして揺さぶると、彼、詞木島日雨は薄く目を開けた。瞳の琥珀色の輝きがかすかに覗く。
「むぅ……どうしたのだくららよ。そううるさくては、余は眠れん」
「寝るな! 起きなさい!」
「そうは言うがのぅ、さっきからパトなんとかと名乗る牧畜犬が、「疲れてなーい? なんだかとても眠くなーい?」とか声を掛けてきてのぅ」
「それ低体温症の幻覚! 本物のパトなんとかくんはそんな軽いノリじゃないし、そもそも人語を喋らない!」
「むむ……次は、なんか羽の生えた全裸の幼児がついてこいと」
「だめ――っ!」
パニクったくららは、結構全力のビンタを日雨の頬に見舞った。
その甲斐あってか、彼は覚醒して立ち上がる。
頭をかき、どさどさ頭の雪を落としながら、手形のついた頬を歪めて笑う。つい一瞬前に凍死寸前であった事を忘れたかと問いたくなる、脳天気な風情であった。
「いやぁ、冗談のように寒いのぅ」
そうあっけらかんと言う彼の装備は、腰に差した刀を除けば、赤茶けた獣の革のズボンに濃緑色のインナー、生成りの木綿のジャケットとあまりに軽装である。資産家の妹と反対に懐の寒い彼は、持ち込んだ衣類も少ない。ましてや防寒着の持ち合わせなど無かった。
「寒いならちゃんと寒そうにしてよ……ほら、マフラーだけでも貸したげる」
くららが首を覆うマフラーを解いて渡そうとすると、「よいよい」と日雨は手で制してきた。
「くららよ、女性が身体を冷やすものではない」
「そ、そう? じゃ、じゃあ――このマフラーって、結構長くてさ」
なぜかくららは口ごもり、余った布を見せびらかすようにする。
「試しに、ね……一緒に巻いてみる?」
近付いてうつむき加減になりつつも、上目遣いでそう告げた。
「む?」
日雨は目を丸くして、そわそわとした手つきで促されるままマフラーの端に触れる――
「ぐぬぅうぉおおおおうっ、さぶい、さぶいぃいい、さぶいのじゃ~……っ」
その後ろで、夜見が二の腕に立つ鳥肌をさすりながら唸り声を上げていた。
「お嬢様、やはりくらら様は我らに二心ありと見受けられます。――さぁ、遺産の相続権を私に全面的に移譲する旨を記した公正証書にサインを。それがお嬢様の財産を守る唯一の道です」
その隣で、だきには二心がありありと見受けられる提案を主に持ちかけている。
「ち、茶化さないでよ!」
水を差され、拗ねた顔で苦情を述べるくらら(さながら前頭葉がキャラメリゼされたかの如きこの少女には、夜見が本気で精神にダメージを負っているのだと理解できない)。
――アガルタでの滞在中、今の二人の関係が単なる友達でしかないのだと結論がついてしまったけれど。
(……もっと、近い距離に立ちたいな)
そう思ってしまう。
二人で同じマフラーを巻いて、並んで歩くなんて――そうなれたらきっと、ここが寒いだなんて感じられなくなってしまいそう。
「やっぱり……くららは不思議だ」
「?」
日雨の不可思議な物言いに、くららは首を傾げる。
「いや……なんでもない。――その、なんだ、こうすれば良いのか?」
伸びたマフラーを掴んで、日雨は自分の首に持って行こうとする。
――しかし彼と彼女の冒険には波乱が満ちていて。
当然の如く、予定調和的なイベントには妨害が入る。
――音、であった。
数キロメートルを隔ててなお雪原の表面をびりびりと振るわせる、破壊的な大音量がこの時響いてきた。
「えっ、ええっ!? な、なに今の!?」
痛む耳を押さえて、くららは戸惑いの声を上げる。
そして休む間もなく、立て続けに。決定的な変化が起きた。
――本来なら〝それ〟が、一般的なイメージのようにただの音で発生する事は無い。
しかし今し方のそれは、ただの音どころではなかった。目に見えて物理的な作用を伴う、爆発じみた音圧であった。
それは雪原の向こうの山脈、その表面に届き、寝た子を起こすような衝撃を――万年雪の山岳に加えた。
「おや」
〝その音〟に、この中で最も耳の良いだきにが最初に気付いた。
間を置かず、全員がその音を聞き取る。
――ずどどどどどど。
「な」
青ざめたくららが振り向くと、見えた。
山の斜面から噴煙のように吹き上がり、怒濤のように滑り落ちてくる、大量の豪雪。
「雪崩だ――――――――――――――!!」
彼女の悲鳴は、城壁のように押し寄せる雪崩の音圧にかき消された。
「嘘みたい、わ、わわわわたし、いぃ生きてるぅ、生きてるよぉ……」
疲労困憊の態で雪原に手を突き、鼓動のうるさい心臓の音を聞きつつくららは震える声で言った。
――彼女らのいた場所が、山のふもとからやや離れていたのが幸いした。
日雨がくららを、だきにが夜見をそれぞれ抱きかかえ、鬼道で強化した脚力で全力疾走して、どうにか雪崩の範囲から逃れる事に成功したのだ。
「……かなり肝を冷やしたの、今のは」
ほんの数十メートルほど先で、雪崩に薙ぎ倒された樹氷を恐々と見やりつつ日雨は額の冷や汗をぬぐう。
「ぐぅ……しかし、なんだったのじゃあのでかい音は……」
米俵のようにぞんざいに担がれた為に、目を回して青い顔をしつつ夜見が呟く。
それに、だきにが反応を返した。
「声、でしたね」
「……声ぇ? あんなでかい声、人間に出せるわけが」
「しかし、言語の態を為しておりました。――我々は図らずとも発信源に近付いてしまったようです。皆様、耳をお塞ぎなさいませ。間近であの声をまともに聞けば、無事では済みません」
と、彼女は懐から茶巾を取り出し、二つに裂いてつばで濡らし簡単な耳栓とした。夜見はイヤーマフを両手で押さえつけ、日雨とくららも耳を塞ぐ。
間一髪のタイミングで、再び轟音が響いてきた。
耳を塞いで音量を抑えて聞いている為か、その正体がくららたちにも判別できた。
確かにそれは、人の声だった。
「今更言えない息子への懺悔シリィ――――――――――――――ズッ!!」
雪原から牙のように突き出た大岩の上に、人間が立っている。
巨漢である。
顔の造作から判断出来る年の頃は三十半ばといった所か。赤銅色の皮膚に覆われた魁偉な容貌と、銀糸のような髪の毛をぞろりと垂らす様は、日雨たちには獅子舞の被り物を思わせた。
並の偉丈夫ではない。銅板をたわめるように躍動する、力に満ちた筋肉が目に見えて分かる。
――上半身裸だからだ。
「お前が昔、一年掛かりでちまちまちまちま作ってたボトルシップ! あれ壊したの俺! いやほら、酒瓶と勘違いしちゃってさぁ!」
手でメガホンのように口元を包んで、その変態が何かを叫ぶたびに大気が震える。
周囲の雪原の表面が爆裂する。
樹氷が砕け散る。
「あと、えーと、あれだ! ラブレター書き換え事件の犯人も実は俺だー! 五十そこそこの小娘には「今夜お前の部屋に行くから裸で待ってろ♡」は直球過ぎた! お前の晩婚の原因って、あの時の悲惨過ぎるフラれっぷりのせいだよな!? 父ちゃんマジ反省してるー!」
――一体なんなのでしょうね、あの生きた騒音公害おやじは。
数百メートル離れた先で半裸の巨漢の様子を伺っていただきにが、他の三人に向けて爪先で雪原に言葉を書き付ける。
――……
わざわざ夜見が、沈思黙考を意味する三点リーダを雪原に刻む。
「でもさぁ、悪気は無かったんだって! 元の「君は永久の氷雪で象られた女神のよう。碧い瞳は翡翠……」で始まる超絶ナルシーなラブレターをなんとかしようと頑張ったんだって! 息子の初恋を成就させてやりたいって親心じゃん!」
――と、そこで、巨漢の垂れ流す破壊は彼の足下にも及んだ。
彼の立つ大岩が大音声に音を上げ、がらがらと崩落した。
「っとと」
軽く声を上げるや否や、その巨漢は岩の崩壊に巻き込まれて見えなくなる。
常人ならば破片に押し潰されて圧死しているはずである。
しかし、粉塵が晴れた頃、岩の破片――といっても男の身の丈以上の大岩を押し退けて、彼は悠然と歩み出て来た。
「ちっ……やっぱ南の方は自然も脆くていけねぇや」
不満げに舌打ちして、ばりばりと頭を掻く――と。
男が、こちらに気付いた。
「……ありゃ?」
それからしばし時が過ぎ、夜も更けた頃、出発地点からやや北進した先にある湖畔で日雨たちは野営していた。
樹木の根元の雪を掘って設営したテントに、男の莞爾とした笑いが響く。うるさいが、間近で聞いて鼓膜が破れるような常識外れな大きさではない。
「なっはっは。恥ずかしい所を見られちまったな~」
細帯で締めるゆったりとした上衣――ルパシカというらしい――を着直した彼は、「リューリク」と名乗った。
「……リュー、リク?」
その名を聞いた時、一瞬だけ夜見の眼が見開かれる。
それを一瞥し、微かに意味ありげに微笑んだ後、リューリクは何事も無かったように会話を続ける。
「こんな辺鄙な所に人間がいるたぁ思わなくてよ、つい全力で声張っちまった。雪崩に巻き込まれかけたんだって? すまねえな坊主ども」
「いや、なんのなんの。命があれば問題無しである。しかし、ただの大声で天変地異が起こせるとは、このへんの人間はすごいんだの~」
脳天気に笑い返して日雨が応じる――その後ろで夜見が「ん・な・わ・け・あ・る・かぁ~……この極楽蜻蛉兄ぃ~……」と苛立たしげに唸り声を上げている。
「ま、声がデカいだけじゃどうにもなんねえ事だから、ああして叫んでたわけなんだがな」
リューリクの声量が、わずかに落ちる。
「息子が独り立ちしてしばらくしたら根付いちまった、密かな習慣でよ。――アイツは俺の事を嫌ってるし、俺もアイツの考えを全面的に認められるわけじゃねえ。厄介なしがらみもあるし、今更面と向かって腹割って語らう事ぁ出来なくてな」
深緑色の瞳に、かすかに伺える程度の寂しさを滲ませて、彼は言った。
「だから、森の中の葦に向かって、王様の耳はロバの耳、ってな。全く、恥ずかしいったらねぇぜ」
本気で羞恥心を覚えているらしく、彼は軽く赤面した頬をかく。
「……そういうもの、なのかの」
日雨の物言いは、実感のない、水を掴もうとするようなニュアンスがあった。
「常に泰然自若、平然と余裕めかして上から目線でもの言うのが大人、とでも思ってたか? 坊主。実態はこんなモンだぜ」
「いや、そうではなく――父親というのは、そのように息子の事を気にかけているのかと」
その言葉には、リューリクのように寂寥感を込めるべきなのか。彼にはよく分からなかった。
日雨は父親の顔も、名前も知らない。
今は亡き彼の祖国、秋津洲国は女王制を布いており、一妻多夫で血筋を残していた。
だからこそ有力貴族の種を受け入れ、政治的な結び付きを強くするのが当然であり、これまでの女帝は必ずそうしてきた。
しかし、百十七代目巫王・白面王は一度だけその常識から外れ、素性も知れぬ異国の男を情夫にしてその子を産んだ。その男は彼女と短い逢瀬を重ねた後、再び外洋を渡りどこかへ旅立っていったと言う。
そうして生を受けた詞木島日雨は、公的には存在しない私生児として腫れ物のように扱われてきた。
〝師匠〟に会うまでは、父親について考えない日は無かった。
「そうか、父無し子か坊主」
リューリクは男臭い笑みを浮かべ、日雨に告げた。
「子が可愛くない親なんていねえ――なんて綺麗事は言えねぇけどよ、親子……特に父親と息子ってのは互いにどうあっても無視出来ない存在だぜ。善きにつけ悪しきにつけ、息子が気にならん男なんていねえさ」
「む……気づかい痛み入る、リューリク殿」
「いや――俺も若者の意見が聞けて有意義だったぜ」
と、リューリクは陽気にウインクする。
二人のやり取りを、少し離れて伺っていたくららは感心していた。
(ほんと……すぐ人と仲良くなれるなぁ、日雨くんって)
船旅の最中も、アガルタ探索でもすぐそのコミュニティの一員として溶け込んでいた。国を逐われてから今年の春まで滞在していた貿易都市モクレントレイでも、大人に混じって用心棒として自活していたようだ。――十歳で一財産築いた夜見と比べて自分を卑下しているようだが、それはそれで十分すごい事だとくららは思う。
「年上の男にモテる才能、ですね」
「わたしの心を読んだ上で意図的に卑猥な誤解をしないで下さい」
ぼそっと背後から耳打ちするだきにに言い返し、けど確かにそうだと思い直す。決してそういう意味ではないが、日雨は大人の男に好かれるたちだ。常に堂々として物怖じせず、しかし礼儀正しくはあるからだろう。
――日雨くんが仲良くなれない大人の男の人って、いるのかな。
「次は嬢ちゃんらの話も聞きてぇな」
唐突に水を向けられて、くららの物思いが中断される。
「え? ええと、どういう事……ですか?」
こちらは年上の男となるときっぱり物怖じするたちだ。おずおずと、おっかなびっくりくららは問い糾す。
リューリクは「いや、んなしゃちほこばる必要はねえんだけどよ」と前置きして、
「今は年頃の孫娘を抱えててよ、これがまた大層扱いづらい難物でな。若い娘の話を聞いて、参考にしたい所なんだわ」
「えっ? お孫さんいるんですか?」
びっくりして目を見開き、くららは声を上げる。とても孫のいる年には見えない。
「はっは。これでも一族じゃ最長老なんだぜ?」
かんらかんらと笑うリューリク。
「ま、今日は夜も更けたからよ、明日でいーや。俺はちと夜釣りと洒落込ませてもらうぜ。元々それが目的だったんでな」
と、彼はテントの入り口から出て行こうとする。しかし、外の湖は凍っていた――この辺りでも、氷上でわかさぎ釣りをするような習慣があるのだろうか。
「……明日もついて来る気か?」
なぜか警戒心を滲ませて、夜見が問いかける。
「んだよ、嫌なのか? 娘っ子。――人里に案内してやろう、ってんだぜ?」
リューリクの応答は、警戒に値するような邪気があるようには見えない。
「おお、それはありがたい」
日雨が暢気に応じると、「なぁに」と彼は人好きのする表情を浮かべた。
「迷惑かけたワビと、話相手の礼だよ。――じゃ、また明日な、坊主ども」
と、長い銀髪をなびかせて、リューリクはその巨体を夜闇に溶かすように立ち去っていった。
「しっかしツイてたな、お前ら。丁度今は〝シヴィル・コサック〟がこの近くの〝シーチ〟に入ってる所だ。食糧も、白蜥蜴――寒冷地でもよく走る竜車も手に入るだろうぜ」
翌朝は降雪もなく、開けた雪原を歩けば澄んだ空気を感じられた。
雪に反射する陽光に眩まないよう気をつけて進みつつ、くららはリューリクの言葉をオウム返しに聞き返した。
「コサック?」
彼女はその単語を、両手を組んで足を交互に突き出す民族舞踊、つまりコサック・ダンスでしか知らない。あれってなんて意味なんだっけ? と腕組して首をかしげる。
それより先にリューリクが解説した。
「ジラント皇国の遊撃兵団だな。本国の親衛軍とは独立してて、国内を常に移動してる……この国の国土は広いからよ、そういう火消しみてぇな連中が必要なんだわ。で、〝シーチ〟ってのは奴らの根拠地だ。各地の軍管で年がら年中演習してる奴らだが、二年に一度は帰還して休養する。……まぁ、シヴィル・コサックはジラントきっての武闘派だからよ、〝サシチザーニイ〟なんかもこの時開催されるんだが……」
「サシ……?」
また耳慣れない単語だ。次は日雨が問い糾す。
「ああ、そりゃあ……」
「――待て」
さくん、と一際甲高く雪を踏む音を立てて、
その場に停止したのは夜見だった。
「あん? どうした嬢ちゃん」
「このまま、なし崩し的に事を進めるのをわらわが許すと思うか。――いくつか疑問がある」
立ち止り、振り返るリューリクを厳しい目つきで見返し、夜見は告げた。
「そなた、なぜ我らがあの雪原にいたかを問わぬ。国境は南の峻厳な山脈が塞いでいて、そなた自身も辺鄙な場所と申しておった場所に、〝人間〟がおったのじゃぞ?」
人間、という単語に妙に重心の寄った発音で彼女は述べる。
「もう一つ」
さすがにこの時はもう、他の三人も空気の変化を感じ取っていた。肌にひりつきを覚え、日雨は身構える。
「〝リューリク〟とは〝そなたら〟にとって〝諱〟のはずじゃ。不遜とは思わんのか?」
夜見の糾弾に、リューリクは腕組みしつつ「ふーん」と軽く応じる。
彼は天気の話のような、あっさりした物言いで告げた。
「別に大した謎でもないだろ? あの辺りには〝アガルタ〟の出口がある。それじゃ不満か? ――秋津洲国の姫さんよ」
その内容は、夜見だけでなく他の三人にとっても警戒に値した。くららはびくりとして後ずさり、だきには夜見の守りに入ろうと接近し、日雨は両者の間に立とうとする。
夜見が、続けて問い糾そうと口を開く。
「そなた、一体何者――」
言い終わるより先に。
リューリクの側頭部に、巨大な飛来物が激突した。
一瞬遅れて衝撃波と発砲音が彼らに到達する――リューリクに直撃したのはダーツ状の弾体。装弾筒付翼安定徹甲弾だ。
日雨は咄嗟にくららを押し倒し、雪原に伏せる。
もうもうと雪煙が舞い上がる中、日雨は襲撃の動揺で熱せられた頭に冷や水を浴びせるように自問する。
(どこだ!?)
弾体の飛翔してきた方角を振り向き、狙撃手を探す。
かろうじて彼はそれを発見した。全身に雪を被せて身を隠していたが、熱を持った狙撃砲のマズルブレーキが周囲の雪を溶かし、湯気として立ち上らせていた――何より、相手は隠遁に徹するにはあまりに巨大な身体を持っていた。
伏射姿勢を取った鋼鉄の巨人。頭部前面に十字のスリットが入っており、三基のカメラアイが絶えずその中を稼働している。雪原での迷彩の為か、装甲は白と灰の斑模様に塗装されていた。
「幽霊国家の……《機動甲冑》!」
かの正体不明の国家群が保有する人型機動兵器である。彼らの大陸への武力介入の尖兵であり、日雨はかつて二度、大陸の都市にあの巨人が投入される場面を目撃していた。
横目に、同じようにだきにに雪原に伏せられていた妹の顔を伺うと、痛恨事とばかりに彼女の表情はしかめられていた。
(……待ち伏せされていた!?)
幽霊国家の裏をかく為に採ったルートであるが、裏の裏をかかれたのか。
(糞……ッ!)
悔恨に日雨は歯噛みする。警戒を怠ったばかりに、ただ自分たちに同行しただけのリューリクを巻き込んだ。
「くらら! 行けるか!?」
組み敷いたくららに問いかける。あの狙撃砲の砲口がこちらに向く前に、敵機に対処しなければならない。デモナイズした上でだきにと共闘すれば機動甲冑に拮抗できるかも知れないが、距離が遠すぎる。夜見の式神・戦鬼も先日喪失して再構成が済んでいない。
このままでは、七面鳥の如く撃ち込まれる。セイタンで対処するしかない。
「――うん!」
くららは迷い無く応じる。
「待……ちぃっ!」
夜見が制止しかけて、諦めたように手元の雪を殴りつける。自分の立てた計画が早々に破綻した事に、腸が煮えくりかえる思いを覚えていた。――こうもあっさりと無能を晒すなど、己のここにいる意味がないではないか!
妹の苦衷を慰めるだけの余裕は、この時には無かった。日雨はセイタンの転生プロセスを起動する為の誓言を唱えようと口を開く。
「《時よ――》」
しかし直後、彼は口にしかけた言葉を呑んだ。
舞い上がる、雪煙の真っ只中。
「――ハッ」
喜悦の笑い声が、上がった。
雪原に伏せる四人全員が驚愕に刮目する。――馬鹿な。
全高八メートル程の巨人が扱う、戦車砲と同等の威力の狙撃砲による砲弾が直撃したのだ。頭どころか全身が血煙と散っていなければ道理に合わない。
〝人類の〟常識に反する事態に、彼らは動揺する。
そして、それを生まれつき持ち合わせない者だけが平静さを保っていた。
「〝釣り〟には掛からなかったと思ったけどよ……確実を期して待ち伏せの奇襲を選んだってワケか。――引き金を引くまで撃ち気を消すたぁ、イイ腕してるじゃねぇか」
雪煙が、晴れる。
――ぱき、ぱきん。
渇いた、硬質の音を立てて雪原に石片のようなものが落ちる。
リューリクの顔面の右半分が、〝銀色の鱗で覆われていた〟。徹甲弾の侵徹体が完全に運動量を殺され、潰れた状態でそこに貼り付いている。
「けどよ――詰めが甘ぇわ。竜を本気で殺りたきゃ、聖別されてるか加護を付加した弾を撃ち込まねえとよ」
必殺の射撃が全くの効果を得なかった事への動揺は、無機質なカメラアイからは伺えなかった。
同時に、機動甲冑周囲の雪原から五つ、小山のような盛り上がりが生じる。
防雪ネットを被さった雪ごと払い、同じ機種の機動甲冑が五体出現した。足に、大きなかんじきのようなものを履いている――雪原航行用のホバーアタッチメントだ。
彼らはかんじきから空気を吹かし、突撃銃を保持して滑るようにこちらに向かって来る。
「小隊規模の機動甲冑部隊――廉く見られたな、俺も」
ざん、とリューリクが足を前に進める。悠然と、欠片も怖じる事なく鋼鉄の殺戮者に向けて自ら接近していく。
機動甲冑はセオリー通りの乱数機動を取りつつ、突撃銃の集中砲火をリューリクへと浴びせる。雪原に穿たれる大穴が彼の周囲数メートルに集中している事が、彼らの練度の高さを伺わせた。
しかし、彼らが訓練に捧げた歳月は、その怪物を前に無意味と堕す。
リューリクは避けすらしなかった。少なからぬ二十mm弾がその身体に命中し、そして虚しく砕け散っていく。
一機が突撃銃を放り捨て、背部パイロンに懸架されていた巨大なハルバードを取り、草を刈るように振り下ろす。
「むぅんッ!」
リューリクの左腕が膨脹し、銀色の鱗に覆われる。それを彼は斬撃の軌道上に打ち付けるように置いた。
そして、機動甲冑の方が打ち負けた。ハルバードを弾かれ、その遠心力に振り回されて機体の体勢が崩れる。
致命的な隙であった。
リューリクは軽く七メートル近く跳躍し、右腕を振り上げる。既にこちら側の腕も巨大化していた。
振り下ろされた拳打が、胸甲をクレーターのように陥没させた。パイロットの搭乗する場所だと日雨は経験上知っている。彼ないし彼女はコックピットに押し潰されて即死だろう。
制御を失い放り出されたハルバードをリューリクは手に取る。柄に爪を突き立て、強引に把握した。
「オラァッ!」
自身の体長の三倍はある武装を軽々と扱い、彼は横薙ぎの斬撃を放った。後方から接近する敵機が胴体から両断される。
爆裂する機体――その噴煙を引き裂くように、無数の円筒型の飛来物が飛び掛かってきた。
対戦車ミサイル。
爆発、炎上。
雪原の白を朱に染める大炎。周囲の樹氷が溶けて、水を滴らせ始める。
爆心地に向けて三機の機動甲冑が、突撃銃を構え戦果を見定めようとする。
――かか。
ゆらめく陽炎に、笑う化物が映る。
「温いぜ小僧ども――俺様が、本物の炎の熱さを教えてやろうか」
リューリクはそう告げて、口を大きく開いた。
轟ッ――!
彼の口腔から発せられた、白熱した熱線が敵機の胴体をあっさりと貫いた。貫通した機体から、向こう側の景色を覗かせながらその機動甲冑は大地に膝を屈し、二度と動かなくなる。
――ふと、日雨の隣で夜見が戦慄の滲む声で唸った。
「あれが……〝高位竜種〟……!」
最上級の能力を持つ竜種をそう呼ぶのだと、夜見はかつて聞き覚えている。強靱な肉体と、人間を遥かに超えた魔力の器を持ち、一体で一国を滅ぼすだけの力を持つ。
「竜が、人の形を取っている……?」
日雨が驚愕と共に呟く。人間の世界にも竜種は存在する。しかし、人間の姿をした竜など聞いた事もなかった。
当のリューリクは、三機目を撃破した後攻撃の手を止めていた。周囲を軽く見渡した後、突撃銃を突きつける機動甲冑二機へ声を張り上げる。
「おい小僧ども! 狙撃手はもうトンズラしてやがるぜ!」
雪原のある一点に、放置された狙撃砲が沈み込んでいた。最初の狙撃を敢行した機体とその主は、戦闘の最中で撤退したようだった。
「ありゃあ指揮官機だろ。お前らの本意かどうかは知らんが、奴が逃げを打つ為の時間稼ぎは成功したわけだ。――ここらで手打ちにしねぇか?」
鷹揚と告げて、そしてリューリクは更に一歩前進する。
「まぁ……このまま、勝ち目の無ぇ喧嘩に付き合ってやってもいいけどよ」
かくして、残り二機の機動甲冑は――撤退を選んだ。
ホバーアタッチメントを吹かして、雪原の地平線に向けて後退を始める。
しばしその様子を見送った後、未だ残る炎を背景にリューリクは日雨たちの方を向いた。
日雨の背中に、ぞわり、と。確かな恐怖が走る。
リューリクは夜見へ声をかけた。
「嬢ちゃん、二番目の質問の答えがまだだったな」
彼の声の調子は、どこまでも落ち着いたものだった。日雨はようやくそれを、圧倒的な超越種であるがゆえの余裕であると理解する。
彼は言う。
「手前の名を忌む奴はいねぇだろ。――俺が、リューリクだ」
日雨にとっては、意味を図りかねる語り口であった。
だが、夜見はそれを正しく理解した。驚きに喉をつまらせたように、小さく呟く。
「馬鹿な……そなたがリューリク……リューリク・ジランタウだと言うのか……!」
竜種の文明圏で、唯一父称を持たぬ者。
国父リューリク。
ジラント皇国最初の竜皇であり、現竜皇イヴァンの父。
初代竜皇、リューリク・ジランタウ。
「竜の……王?」
飲み込んだ言葉は、日雨の胃の腑にずっしりと沈み込んでいく。
かくして王を目指す少年は、この時初めて――〝本物の王〟と出会った。