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[40176] 機傀魔王醒譚 【SFファンタジー・ロボットアクション】【第四章開始】
Name: 八目又臣◆aa87a973 ID:17b043ce
Date: 2016/08/30 21:42
 かつて、少年は自分の国の滅びを目撃した。燃える首都を前にして、王として返り咲くと誓った。
 そして二年後、少年――詞木島日雨しきしまひさめは、一人の少女と出会う。
 不可思議な、巨大な人型の像の中で。

 少女は普通の高校生だった。その日も昨日と同じ日常が続くはずだった。
 しかし彼女――詩乃目しののめくららは、見知らぬ場所で目覚め、一人の少年と出会う。
 そこは巨大ロボットの中だった。



ファンタジー世界でボーイミーツガールでロボットが殴り合ってと、とてもありがちな話です。
気力が続く限りやってこうと思うので、できれば末永くよろしくお願い致します。



[40176] 第一章「〝S〟は恋する機傀少女」 プロローグ
Name: 八目又臣◆aa87a973 ID:17b043ce
Date: 2014/07/10 19:52
 戦火から逃れてもなお、追手のように戦場から吹付けてくる風。無色の熱風は血と肉の香りを伴っていた。
 故国の死臭とでも言うべきものを、少年は落ち延びる途中の小高い山の中腹で嗅ぎ取った。

 振り返れば、秋津洲国あきずしまくにの首都・常世京の燃え落ちる様が目に映る。五度目の遷都から三百年の歴史を誇る都が陥落するには、一夜とかからなかった。玩具の城を子供が遊びで崩すかのように、その崩壊には容赦がない。
 実際に、あの都では血肉で遊ぶ子供がひしめいているのだ。あの――あれはなんだったのか――鋼の巨人――都詰めの禁衛兵が蟻のごとく殺されていった――

 未だ新鮮な恐怖の記憶を発作的に呼び起こし、少年は身を竦ませた。しかし、怯えるより先に歩き出さねばならなかった。血臭の酔いを覚ました敵兵が自分たちの事を思い出す前に、逃げなくては。優先順位の何番目であるにせよ、少年の抹殺が彼らの目的に含まれている事は疑うべくもない。
 今、彼が手を握っている妹は、もっと高い順位に名を連ねているに違いなかった。

「あにさま」

 握り返す小さな手は震えていた。八つ。庇護を必要とする年の彼女に、暖かい食事も安らかな寝床もない逃亡の旅路は苦しいものになるのだろう。

夜見よみ。安心しろ。余が必ず、お主を守ってやる」

 妹の手を強く握って、少年は笑う。――内心の後ろめたさを隠しながら。
 何を言っているのだ、このひ弱な偽善者め。
 祖国が滅ぶ時、お前に何が出来たのか。ただ妹を連れて逃げるだけではないか。無力な素の自分を隠し立てして、恥ずかしくないのか。
 お前は弱々しい、ただの子供でしかない。

(……強く、なりたい)

 心の中で彼は渇望した。
 何も奪われず、全てを得る強さが欲しい。今日守れなかった人々を守れる者に。
 戦乱を引き起こす、悪魔の機械を止める存在に。

「王になりたい」

 今は、この手を引いて遠くへ去るしかできないけれど。
 いつか、ここに帰ってきて。
 きっと。




 そして二年後、少年は見事に落ちぶれていた。

「まぁ待ちたまえよ諸君」

 額に左手を当て、右手を前方の空間に向けたポーズで彼は言う。
 しかし空まで覆い隠すほど高い樹木の生い茂る深い森の中で、少年以外の人間はいない――実を言うと、〝人間の形をしたもの〟はいるのだが――三日間に及ぶ孤独な樹海探索の途中で、少年は自分だけに見える素敵な妖精さんに話しかけるようになっていた。

「確かに私有財産の盗難は憎むべき犯罪であるよ? うん。知ってる知ってる。こないだ夜見の財布から自主的に小遣いを拝借したら、タコ殴りにされた挙げ句自警団に突き出されて一週間クサい飯を食ったからの。法と妹の無慈悲を痛感して久しからぬ訳であるよ」

 思えばその投獄期間が、餓死確定ラインギリギリをうろついていた少年の生活にとどめを刺したから、こうして町を離れて周辺住人から不還の森と呼ばれる樹海に入り込んでいるのだが。

「しかし民法には取得時効という概念がある。拾った銭を届け、官憲の職務怠慢を祈り半年待てとの教えだのぅ。――さて、そこで聞くが、所有者は墓穴の骸骨と成り果てて久しい、樹海の中で風雨に朽ちるがままの宝物を拾得したとて、犯罪となり得るか? 否であろう。むしろ無為に捨てられたままのものを経済に還元するのだから善行と呼ぶべきよのぅ」

 いい加減に長ったらしい言い訳を要約すると――少年は遺跡盗掘に向かう最中であった。
 情報屋耳口売のシハヌークが、隣国ラーンサーンの大学で助教を務める考古学者より聞き出した話によれば、この不還の森の最深部には失われた古代王国の遺跡があるという。

 講釈師が舌先三寸で語る冒険話のような胡散臭さだが、シハヌークは太鼓判を押した。一年弱の付き合いだが、(比較的)信頼に足る男だ。彼が良心価格と言い張る値で売る、盗賊の欲しがりそうな貴重品を詰む予定のあるキャラバンやら、町のやくざの怒りを買った間抜けな金持ちの話は少年の食い扶持を支える蜘蛛の糸だった。
 それでも本来なら躊躇する話だが、少年は差し迫った枯死の危機を前にして、愛刀とサバイバル装備を詰めたザックを背負って樹海に潜った。

 そして情報料のオマケに貰った古地図、自前の天測技術、遁甲術とんこうじゅつを駆使して三日間歩きつめ、どうにか遭難せずに地図の示す遺跡付近に辿り着けた。
 ――しかし、肝心の遺跡の発見にはまだ至らなかった。

 梢の天蓋の隙間から覗く中天の太陽を見上げて、少年は背中を少々湿らせる。密林を歩き回れる時間帯はそう長くない。不首尾に終わった時は破産すると覚悟して買い込んだ携行食糧にはまだ余裕がある。現時点で、兎や野鳥を狩って血の香りで〝よくないもの〟を呼び寄せる危険を犯す必要はない。だがそれは、遠くない未来に訪れる危機だ。
 二年前の亡命の道程で、エン国の砂漠を越えた経験はあるが、密林探索は勝手が違っていたと認めざるを得ない。

 腕を組み、精神安定の為に作り出した架空のお友達、妖精さん一号に語りかける。

「ううむ……ちと、早まったかのぅ……ん?」

 少年はふと、妖精さんがいると仮定した方角とは違う向きに目線をやった。
 ――人の声が、聞こえた気がした。
 とうとう本格的に精神に変調をきたしたか、あるいは遭難者の亡霊か。どちらにしても怯えるのに十分な事態に少年は息を飲む。

「……どうする?」

 妖精さんに聞く自問する
 このまま精神的健康に配慮した密林探索を続けるなら、何も聞かなかった事にして別の方向へ歩き出すべきだ。
 だが、万が一の可能性。
 骸骨になる前の、鮮度を保ったナマの遭難者であったとしたら?
 確認くらいはしておくべきだ。そう結論付けて、少年は歩き出した。




「……この可能性は、考えておらんかったのー」

 少年は化かされたような面持ちで唸った。
 微かな声のした方角へ向かい、いくらもしない内に例の遺跡と思われるものに行き当たった。――神の導きなどという与太話は、さすがに考慮していなかった。
 してはいなかったが、天佑神助てんゆうしんじょの類だろうとただの偶然だろうと幸運には違いない。ザックを近場の木の根もとに置き、少年は遺跡に取り付いた。持ち運び可能なものを拝借した上で、それを証拠に発掘隊を勧誘するのが今回の目的だった。

 柱を軽く拳で叩き、表面をじっと見つめる。奇妙な素材でできた遺跡だった。見た事のない様式の文様の入った、翡翠に似た材質の表面にはなぜか苔一つ生えていない。
 ふと思い立ってナイフを突き立ててみたが――
 軽く当てただけなのに、刃が根本から折れ飛んだ。遺跡にはかすり傷すら付いていない。

「ううむ……面妖な」

 不気味である。と同時に、とんでもないお宝を探り当てたのではないかと高揚もしてくる。遺跡の周囲を歩き回り、子細に観察を続ける。
 その途中から気づいたのは、どうやらこの遺跡は建物ではないという事だ。手近な樹木に登って見下ろす事でようやく理解した。
 柱と思っていたものは足であり、その根本には胴体がある。
 首と両腕は喪失しているようだが――それは大地に腰掛けた巨大な人の像であった。あまりに巨大であった為に、間近からは正体を視認できなかったのだ。

 なにか宗教的な遺物かも知れない。今は無き秋津洲国にも巨大な神像は存在するが、それらの造像は国家的な大事業だ。これが古来から存在する遺物としたら、史的価値は計り知れない。
 自分の手に余る発見かも知れない、と少年は思い始めていた。値が張る程度なら喜ばしいが、〝値が付けられない〟となると話は別。少年の名まで周辺諸国に伝わってしまう。本来、人目を忍ぶ身分だ。故国から遠く離れたこの場所なら安全かも知れないが……

「んん?」

 皮算用を留めるものを彼は目にした。人像の脊椎にあたる場所に注目する。

「あれは……」

 好奇心に押されて、少年は木から飛び降りた。軽業じみた芸当で人像の背中に着地する。
 背骨のような形の構造物を指でなぞってみる。やはり、人のくぐれる程度の大きさの、円形の溝があった。
 扉だ。

「像と見せかけて住居だったのか? いやはや、いつの時代かは知らんが、人型の庵とはずいぶんと奇抜な風俗だのぅ」

 今は無き祖国でも、数奇すきやら風流と称した傍目には奇人変人競技会のような文化が民間で流行っていたが、そういう趣味の人間なら理解できたかも知れない。
 そんな彼らにご鑑定頂く為に、扉の内側にお招き頂きたい所だが――この扉、取っ手はなく、押してもびくともしない。

 単なる鋼鉄なら、本気でやれば斬り破る事も不可能ではないが、さっきのナイフの例がある。愛刀の鍛冶師は故国に残っており、捕殺の危険を犯して作刀を頼みに帰る訳にもいかない。

「むぅ」

 何か、痕跡を一つでも持ち帰る必要があるというのに。証拠がなければ、町の商人たちに危険な樹海の奥まで発掘隊を出させる事は難しいだろう。
 扉の上に立ち、腕を組み少年は途方に暮れる。
 その直後、扉が内側に引っ込むようにして開いた。

「――え?」

 当然、少年は落下する。

「ああああれえええええええええええええ!?」

 内臓のひっくり返るような落下感に恐怖する間もなく、少年は床に落ち、着地に失敗してすっ転んで顔面をぶつけて悶絶した。

「いっぅ……っ」

 どうにか折れずに済んだ鼻を押さえながら、少年は顔を上げ――痛みを忘れた。

「……」

 扉の内側は球形の小部屋だった。灯りの類は無かったが、床が薄い緑に発光している。
 その中央に、一人の少女が眠っている。

「な……に?」

 ここが霊廟れいびょうの一種であり、彼女は保存された貴人の死体――という可能性は即座に棄却した。肌合いは瑞々しく、呼吸で衣服の胸が上下する。生きた人間である。
 であるなら、なおさら奇妙な状況だ。
 少女はあまりに軽装だった。ここは周囲五十キロ四方、余す事なく危険な樹海に囲まれた場所。少年とて十分に準備してようやくここまで辿り着いたのだ。

 こんな場所に居住する人間がいるとでも?
 あるいは。
 忽然こつぜんと、この場に出現したかのような――
 ひとりで思索を続けるのも馬鹿らしいかと、少女を起こして、事情を聞く事にする。

「もし。もし。御前(ごぜん)

 肩を揺すりつつ声をかけてみる。しかし彼女は目を覚まそうとしない。「うぅん……」と唸り、妙にはっきりした寝言を垂れる。

「ふはははは……世界の超越神たるこのわたしが命じているのだよ。今すぐ百万のお猫さまをわが前に差し出し、にゃんにゃんパラダイス略してにゃんパラを実現するのだ」
「超越神だと……よく分からんが怖過ぎる」
「合い言葉はにゃイスにゃんパラ。さぁ復唱せよ」
「にゃイスにゃんパーラっ!」

 少年は敬礼した。

「ごめんなさい。今のは猫をかわいがるわたしかわいいアピールでした」
「はしゃいだ自分が馬鹿みたいだ……」
「すいません……昔正直に、花のない植物とか鉱物が好きと申告してクラスの空気を凍らせたトラウマからつい発作的に」
「いや、余はその趣味悪くないと思うよ?」
「あ、プラトンがカール・ゴッチにレスリング勝負を挑もうとしています……」
「あれ? 今の気遣い無視?」
「必殺イデアスープレックスが決まりました……単なるスープレックスなのに無駄に哲学的です……カール・ゴッチ、人生について悩み始めました……テンカウントまで立てないか……いや、カール、カウントエイトで悟りを開きました。なんというアルカイック・スマイル……しかしタップ、タップです……カール・ゴッチ、争いの空しさまで悟ってしまったー……勝ったのはプラトン……オーディエンス、釈然としませーん……」
「誰だよプラトン」

 と、そこで少年は気づいた。
 ただの寝言に律儀に相槌を返す間抜けがこの場に一人いると。

「悔しい……」
「梅しい?」
「紛らわしい字を横に並べるなもうずっとお眠りやがるがよい眠り姫」

 とは言え、全く無意味なやり取りという訳でもなかった。
 会話ができるのだ。この少女の使う言語は、多少耳覚えのない語彙が出てくるものの、故国・秋津洲国のものだった。
 顎に手を当て、考え込む。ここは同郷の人間と遭遇するには奇抜に過ぎる場所だ。

 それに、彼女を同郷と当て込むには少々――彼女の装いは奇妙だった。
 まとめて編むようにして胸元に垂らす髪型。服装は、首元を茶巾のような布で縛った上衣とやけに短い袴。傍らに鎮座する大きめの袋には、目にした事のない言語が刺繍されている。どれも見た事のない着物だ。

「どれ」

 少年は袋を取ってみると、その口を開いて(中央に線のように走った留め具を開く、初めて見る作りだった)、中身をばらばらと床に落とした。全く遠慮がない。
 衣類が数点。書もあった。服の方は今少女が着ているものの予備が数着と、別種の上下一揃いの衣服(臙脂えんじ色の布地に橙の糸で「文聯館ぶんれんかん高等学校」と刺繍されている)。
 それと、小さく柔そうな布きれがいくつか。衣服にしては小さすぎる。

「帽子か?」

 手元で十分にいじった後でそう当りをつけて――少年はその布きれを一つ、なんとなく被って、検分を再開した。
 書は驚くほど滑らかな紙に、「数学C」「物理Ⅱ」などと滲み一つない墨で書かれていた。綴じた跡のない書をぱらぱらめくると、恐ろしく正確に整った配列で文字が並んでいる。

「もしや、これが宝だったりするのか?」

 金銀財宝の類ではないが、これはこれで重大な価値があるように思える。
 しかし、所有者が明らかに生きているのだから、盗掘ですらなく単なる盗難である。少年はため息をついて持ち出しを断念、書を床に重ねた。
 少女自身の観察を始める。
 やんごとなき身分なのかも知れない。妹と同じく丹念に手入れされた黒髪と、きめの細やかな肌。女性の美観を保つには十分な金子がいるらしく、ここまで身綺麗にできる人間はそう多くない。閉じた瞼の辺りにかかった玻璃ガラス細工の装飾品も見た事がない希少品だ。

 栄養も十分取れているらしき事も、その仮説を裏付けた。どことは言わないが、身体の一部分が平均的な女性の大きさを遥かに上回っている。少年が思わず「きょほう!」と柏手を打って拝んでしまう程に大きかった。
 ――それは、巨砲と巨峰、二重の意味を含み、そしてどことなく「きゃっほう!」という感嘆詞にも似ているという、大は小を兼ねる主義の彼なりの賞賛表現であるが、それはさておき。

「しかし、短い袴だのー」

 少年は無造作に、少女の袴の裾をつまんでめくりあげた。内側の襦袢じゅばんもまた妙な形だ。股間を覆い隠す程度の広さしかなく、どこか呪術的な感じの縁取りがされている。

「うぅむ、面妖、まことに面妖である」
「――なに人のスカートめくってしみじみとしてるのかな?」
「……ぬ?」

 芝居の幕を下ろすように袴から手を離すと、眠れる少女と目が合った。
 玻璃細工の装飾品を間に隔てた目尻が、甘い微笑を象っている。
 そしてこめかみには青筋が浮いている。

「おお、おはやう。健やかにお目覚めか眠り姫」
「……あ、あははー」

 一見朗らかに笑う彼女。

「はっはっは」

 少年も笑顔で返礼する。

「とりあえず、ね?」
「うむ」
「頭部にパンツを着装してスカートめくりに勤しむ変態には、正当防衛が適用されるよね?」

 控えめな調子の言葉と同時に、「百科事典」と箔押しされた鈍器のごとき書が少年の額に「めしゃり」とめり込んだ。

「ぬおぉおおおおおおおおおっ」

 床に倒れのたうち回る少年。

「ちょっ、えっ? ここどこ? 拉致監禁されたのわたし?」

 周囲を見渡して慌てた風の少女は、少年に目をやって同情に満ちた調子で言う。

「きみ……いくら年頃の男の子は色々持て余してるからって、これは洒落じゃ済まないよ?」
「いや、待て、誤解だ」
「わ、わたし、ついていってあげるから。ね? 自首しよ? ね?」
「臭い飯はもう嫌だぁあああっ」

 ぶるんぶるんと頭を振ってトラウマを回想する少年。

「前科まであるみたい……これは更正を諦めて、自分の身を守る事に専念すべきなのかしら……でも警察沙汰って受験に響きそう……」

 球形の部屋の壁に背を付けるほど後退し、少女は恐ろしげに言う。しかし内容はやけに冷静で計算高かった。

「ぬがー!」
「きゃあっ!」

 やにわに大声を発して立ち上がった少年に怯え、少女は悲鳴を上げた。

「聞けい婦女子!」

 右手を振るようにして突き出し、少年は高らかに告げた。

「この詞木島日雨しきしまひさめは、いやしくも王統一八〇〇年を誇るかの秋津洲国が王族の末席に名を連ねる男子である! 女子に狼藉を働くなど、天地神明に誓ってありはせぬ!」

 同郷人である事を見越して、彼は仮の姓と本名を名乗り、身分を明かしたのだが。

「……パンツ被りとスカートめくりでは飽きたらず電波まで受信していらっしゃるよこの変態さん……絶望の三重苦だ……」

 少女は顔面蒼白で唇を振るわせ、盛大に盛り上がっている。

「あ、ちょっと」
「さらば少年! きみに必要なのは下町的にヌルい人情じゃなくて黒いカラスを白く塗り潰すのに全力投球できるステキな精神構造の顧問弁護団みたいだから!」

 止める間もなく、目敏くも小部屋の壁にかかった梯子を発見していた少女は、颯爽とこの場から逃走を図った。梯子に取り付いて、少年が落ちた扉へと登っていく。

「お、おい、危ない……」
「聞く耳持ちませーん!」

 かんかんかんと、軽快に少女は鉄の梯子を踏み締め登攀していく。
 少年は頭を掻いて、渋々あとをついていった(そして少女は登る速度を速めた)。
 扉の向こうに上り詰め、少年の視界から少女の姿が消えた直後、

「……………………え? ……なに、これ」

 少女の、呆然としたつぶやきが扉から漏れてきた。
 少年が扉から這い出すと、少女は彼がすぐ後ろにいる事も気付かずに立ち尽くしている。
 目線の先は、空。
 中天の太陽に影を作る、羽の生えた蜥蜴の群れを見つめていた。
 少年は首を傾げる。飛竜種の生息地は世界各地に余す所なく存在する。野良飛竜など珍しくもなんともなかろうに。
 次いで自分の踏み締めている人像に目をやって、呟いた。

「ロボット……?」

 不思議な響きの単語だった。
 少女は振り返る。少年への警戒心を忘れて、ただ脳裏に浮かんだままの言葉が滑り出るかのように、彼に向かってその一言を言った。

「……異世界?」

 そのようにして、少年と少女は出会った。
 奇理きり、奇理と――悪魔の機械の歯車は回り始める。



[40176] 1.「じんるいは食糧に含まれますか?」「YES!」
Name: 八目又臣◆aa87a973 ID:17b043ce
Date: 2014/07/11 18:40
 えっと、あはは。すいません。わたし人見知りする方で、ちょっと語りがたどたどしくなってしまいますけど、ごめんなさい。
 わたし、詩乃目しののめくららと申します。私立文聯館高校三年C組。受験生です。

 えへへ、学生ってなんで、少なくともクラスメイトの人数分と被ってしまうようないかにもアイデンティティ不足な自己紹介をしてしまうのでしょうね。みんな個性個性と声高に叫びつつも、没個性に安心感を覚えるようにできてるからでしょうか。あ、一緒にするなって大多数の人達に怒られそうですね。太宰メソッドってやつでしょうか。自重します。
 ただ、わたし自身は間違いなく個性の足りてない子供です。二年の夏から予備校に通い始めて、模試の志望校判定に一喜一憂しつつ、時折骨休めにマンガを読んだり友達とお喋りするのを楽しむ、人生是平均点、徹頭徹尾一切合切、ふつうのこうこうせい、です。

 昨日だって、一昨日以前の焼直しのような一日を過ごしたはずでした。
 先日引退した天文部に顔を出して一年二年の輪に入っていけず退散し、友達の片蔵さんに駅ビルのお勧めの服屋さんに連行され、わたしの格好の地味さがいかなる大罪か山ほど列挙された上で着せ替え人形の刑を課されました。その後は予備校で講義を受けて微分積分に目眩を覚え、ガウスの法則に胸焼けし、へとへとになりながら帰宅です。お風呂上がりにコーヒーを片手に英単語の暗記をして、眠くなった頃合いにベッドに入りました。
 ――そして目覚めた場所はベッドではなく巨大ロボットのコックピットの中で、周囲はファンタジックなモンスターが生息する異世界でした。

 いやはや、中学時代はマンガに影響を受けて似たような妄想をしたものですが、まさか実際にそんな現象が起き得るとは思いもしませんでした。それになんか、ロボットものと異世界ファンタジー。テンプレにテンプレを混ぜれば新しく見えるだろうという運命さまの底の浅さが垣間見えます。ガトーショコラと天丼を混ぜても、げてものが出来上がるだけだと思いますが。
 そもそもなぜわたしなどが、そんな不可思議の渦中にいるのか。ヒロイン要素に乏しい三つ編み眼鏡の地味子ちゃんであるこのわたしが、SFとファンタジーのちゃんぽんに加わった所で何一つ貢献できはしませんのに。

 ――ああ、そう言えば。
 ロボと異世界の他にもう一つ、追加要素がありました。
 彼をフロマージュと定義するのか、あるいはキーマカレーか刺身のツマかおみおつけとするのかは、非常に判断の難しい案件ではあるのですが。
 ……お腹空いたなぁ。





「なにをぶつくさ言っておるのだ? お主」

 樹海を先導する少年がこちらを向き、きょとんとしている。

「あ、いや、なんでもないよ……詞木島くん」

 くららは手振りして誤魔化し、モノローグを切り上げた。
 この詞木島日雨と名乗る少年は、自称どこかの国の王子様である。
 正直に言って、彼の証言を肯定する要素はいくら観察しても見当たらない。やや小柄で(一六〇台後半のくららより、数センチ低い)童顔の、多分ひとつふたつ年下の少年。日本語を喋っているが、髪と瞳の色は茶系だった。目鼻立ちもモンゴロイドっぽくはない。

 生成りの木綿のインナーに紅染めのジャケットを羽織っていて、ズボンは何かの獣の皮で出来ている。王子と聞いてイメージする豪華な衣装とは正反対の、実用一辺倒の服装。加えて本格的な登山をする時に使うような大きいリュックサックを背負っており、それでも楽々と歩いていた。
 樹海に入って体感で二、三時間は経っているというのに、なんてスタミナだ。軽装のくららの方が先に息が上がりそうだった。

 熟練のボーイスカウトか何かと言われた方が納得がいく――いや。
 一つだけ、ボーイスカウトなどという平和的な肩書きを否定する要素が彼に存在する。具体的には、左の腰に。
 鞘に収まった、刀だ。
 こしらえを見る限り、日本刀によく似ている。ズボンのベルトを二重にして、中に挟むように差している。
 彼は武装しているのだ。王子というのはさておき、ファンタジー世界の住人という肩書きに説得力を加味する事実だった。

 くららは刃物なんて、包丁くらいしか握った事がない。
 少年はそれで、何かを――誰かを斬った事があるのだろうか――こんなあどけない男の子が? まさか――

「くららよ、もう少し速く歩けんか? 日が暮れないうちに、距離を稼いでおきたい」
「……ごめんね」

 くららは荷物を入れたスポーツバッグを背負い直し、きもち強めに足を踏み出す。日雨に根拠の不明瞭な恐怖を感じるのも筋違いだった。彼は自分の食糧を分け、リスクを覚悟でくららの樹海脱出に手を貸してくれているのだから。
 あれから正体不明のロボットの中身を捜索し、目的の――元の世界へ帰還する方法のない事を知り(おそらくコックピットであろうあの小部屋は、操縦桿も計器類も無かった)、このまま樹海に留まれば生存の見込みは無かろうとも悟り、渋々冒険の必要を認めた。

 その後数時間経過して、既にくららはげんなりし始めている。この行軍を三日続けないと人里に辿り着けないと聞き、運命を呪った。出端からなんと地味で過酷なサバイバルなのか。

「それにしても……あっさり名前で呼んでくれちゃうのね、詞木島くん」
「なんだ、お主も夜見と同じくいみなで呼ばれるのを嫌がるくちか?」
「そういうのとは違うけど……ねぇ、夜見って誰?」
「うむ。幼女の形をした鬼である」
「?」

 言うなり、ぷぷぷぷ、と小刻みに震える日雨に、くららは首を傾げた。

「それに、余の事も名前で呼んで貰った方が好ましい。余は王族ゆえ、本来姓などない。偽名として名乗っておるに過ぎぬ。必要な事と割り切ってはおるが、窮屈な気分ではある。まぁ、名の方も呼びやすいよう簡略化したものだが、それでも本来の自分と繋がっているものだしの」
「うーん……わたしのいた世界だと、異性を名前で呼ぶの、ちょっと抵抗あるのよ」

 厳密には日本という国の、学校という生活圏で、分類学上「おとなしめ」に区分けされる男女の特徴なのだが。
 そうなのか? と日雨は特に拘泥こうでいしなかった。
 代わりに、別の事に食いついてきた。

「異世界のぅ」
「……やっぱり、信じられないよね」
「っちゅーより、余の頭では理解が及ばん。お主は自分の身に起きた事を最低限把握しておるようだが」
「いや、それはほら、あるあるだから」
「あるある?」
「うん。お約束」
「?」

 それこそ理解のできない事柄らしく、日雨は怪訝そうにする。

「そのなりで山陰に潜む天狗やら、黄泉の国に住まう魑魅魍魎とも思えぬし」
「世界観はかぶってるっぽいのよね……」

 彼の故郷である秋津洲国とやらは、日本の伝奇に酷似する文献に根ざした歴史的背景を持つ、日本っぽい国という理解で間違いなさそうだ。身につけているものが全て手工業製品である事から、文明の程度はくららの世界で言えば中世か、高めに見積もっても前近代くらいだろう。
 スマホを見せてみた。

「うっわーすっごー神かお主!(きらきら)」

 期待通りのリアクションだった。くららはガッツポーズした。

「まぁ、当然アンテナは立ってないんだけど」

 既に確かめていた事を再認しつつ、スマホはスポーツバッグにしまった。無用の長物に成り果てたと分かっているのに携帯を手放せない辺り、自分も大概予定調和だとくららは自嘲する。

「あまり悲観するなくらら。夜見ならばお主の窮状も理解できるであろうし、あっさり解決してくれるやも知れん」
「だから誰?」
「妹を自称するモットオゾマシイナニカである」

 そう言って日雨はまた、ぷぷぷぷぷと小刻みに震え始めた。

 何にせよ、その夜見という人物が知恵を出してくれたからといって、別世界に神隠しにあったくららの帰還を助けてくれるとは思えないが。
 そうなった理由も、原理も分からない。魔法も使えない、SF的な科学力も持たない(そうなのだ、必要不可欠な所だけがピンポイントでお約束でない。どういう事だ)くららが抗うには、この荒唐無稽な現実は巨大過ぎた。彼女のすぐ足下には、「帰れない」という名の黒く重い絶望が鎮座している。

 どうにかそれを意識せずにいられるのは、日雨という話相手がいるからなのだろう。その点は感謝してもいい。パンツの件を帳消しにするかは悩み所だが――
 唐突に、
 日雨がくららの手を握って物凄い力で茂みに引き込んだ。

「ちょ、ちょちょちょちょちょ」
「静かにせよっ」

 必死な形相の日雨の顔が間近にある。男子に手を握られた事も、ここまで接近された経験もくららにはないというのに。

「いやいやいや、会ったばかりの男子にそこまで許せるほどわたしちょろくないからね!?」
「何を言っておる! 人喰鬼オグルだ!」
「え――」

 恐慌の一歩手前といった日雨の視線が向く方角を、くららも見た。
 下生えの隙間から覗く樹海の深奥。そこから現れる、〝人のような〟一団。
 布一枚すら身につけておらず、晒された肌は蝋細工のように白い。思わず見た股間は真っ平らだった。体格は成人男性並のものから、子供サイズまで。
 そして、目と鼻と耳がない。頭部の下半分を埋める程に大きい口だけがある。乱杭歯の隙間から涎が絶えずこぼれていた。
 そんな生物が、三体。

「チ――髪の香油を嗅ぎつけたか」

 くららの頭を押さえつけ、怪生物の一群から目を離さずに日雨はうめいた。おそらく彼はくららのシャンプーとトリートメントの匂いの事を言っているのだろう。

「あれ……なんなの?」
「人を襲って喰う習性のある鬼種よ。この森が不還と呼ばれる所以(ゆえん)だ。力が強く、あの一番小さいものすら人の腕を骨ごと握り潰すくらいの芸当ができる」

 静かにしなくて良いなら、悲鳴を上げていた所だ。まさかそんなモンスターまでいるとは!

「ど、どうするの?」
「……」

 小声で問いかけるくららを、日雨は無視した。考え事に没頭しているようで、かすかに独り言を漏らしている。

陰形おんぎょう術を他者に施すのは余の力では無理……三体……仲間を呼ぶ前にやれるか……?」

 彼は、なにかを決意するように拳を一度開き、握る。

「余が死んだら走ってこの場を去れ」

 有無を言わさぬ口調で手早く告げると、日雨は短く浅く、かと思えば深く長く変わる不規則なリズムの呼吸を始めた。触れられた手の感触で、彼の体温が上昇していくのを感じた。

「……え?」

 直後、日雨の気配が、薄くなっていった。目の前にいるのかも定かでない、あやふやなものになって、触れる手の触感も消えた。
 突然の不可思議に、くららが戸惑う――その瞬間に。
 人喰鬼の一体の首が跳ね飛んだ。

「ぎっ――」

 残った二体が声を上げかけた。そのうち一体の喉首に、五指の形の窪みが出来る。もう一体には肺のある位置に穴が空き、ばちゃっ、と粘性の水音を立てて白い血液が噴出した。
 ぱきん、と。
 枯木を踏んだような音と共に、最後の人喰鬼の首が折れ曲がる。――くららは知る由もないが、首を支えられた状態で頭部に打撃を与え、てこの原理で頸椎をくじく柔の技だった。

 ほぼ同時に三体の怪生物が始末されたその場に、煙が立ち上るように日雨の姿が現れる。

「……は」

 大きく、荒い吐息。
 それはあからさまに、かろうじて命を拾った安堵から来るものだった。
 こちらに戻ってくる日雨の肩に、白いべっとりとした液体がかかっている。

「……なにをしたの?」

 間抜けに聞こえる問いに、日雨は答える。

巫術フジュツ……その中でも鬼道キドウと呼ばれる秘儀よ。魂振りしてを貯え、鬼の力を振るう。今のは陰形という、身をかすかにするわざを用いた」

 くららの問いかけの本意とは外れた受け答えだったが、彼女は自ずから悟った。厳密には、あやふやであった実感を確かにした。
 この世界には魔法じみた力と、殺さねば殺されるような恐ろしい怪物が実在する。
 冗談のような、本物の異境だった。




「……ごめんね」

 手つかずの原始林というのは夜も音に溢れていた。獣が草を踏む音や虫の鳴き声にかき消されないよう、きもち声を張ってくららは謝罪する。

「いや、殺生を忌むは人として真っ当な感性であるよ」

 気軽に答える日雨の顔は見えない。火を炊くと昼間の人喰鬼を始めとした危険な人狩り獣、総じて魔獣と呼ばれる生物を呼び寄せるおそれがあるらしい。

「それもあるんだけど……なんか、現実に打ちのめされちゃって」

 ――あれからくららは、目眩を起こしてその場に倒れた。
 日雨はザックを腹に抱え直すと、動けない彼女を背負って日暮れまで歩きつめたのだった。

「気に病むな。むしろ距離を稼げたからの。いやはや、おなごがか弱いというのは新鮮である!我が妹ならば式神を百鬼ほども使役して森の魔獣を勝手に駆除しつつ進み、帰れば死骸を山ほど積んで近隣の国府に退治料をせびったであろうからの! かわいげのないを通り越して地獄のような女よ!」

 むしろ頼りにされる事が喜ばしいとばかりに日雨の機嫌は良い。よほど妹相手に抑圧されているのだろうか。――そもそも、くららをおぶった時から彼のテンションは高かった。なんか「きょほう」とか口ずさんでノリノリだった。異世界のおまじないだろうか?
 焚き火なしで暖を取る為、と渡された鉄粉入りの布袋(要は懐炉だ)を抱いて、くららは愛想笑いする。

「寒いか? もう一つ懐炉いるか? 道のりはまだまだ長い。小食ではいかんぞ。もっと飯を食え。脂肪をトドほど蓄えるのだ」
「えへへ、最後のを強要するつもりなら、わたしの全存在をかけてきみと決闘する事もやぶさかではないよ?」

 構われ過ぎてウザい。
 ただ、ありがたい事ではあるのだ。
 くららは彼の樹海探索に想定されていなかった、招かれざる客だ。
 彼女が今抱えている懐炉や、先程食べたしょっぱい干し肉とじゃりじゃりしたじゃがいも、ラスクっぽい硬いパン。それは本来誰のものだったのか?
 暗闇の向こうで明るそうに喋る少年は、今どうしているのだろう――

「……わたし、足手まといだ」
「だから気に病むなと言っている。むしろ恩に着せろ。――旅の友は同じ重さの金にも換えがたいというが、身に染みて思い知ったよ。話し相手がおるだけで、旅は楽しい」
「そう、かな」
「うむ。そなたこそ、この旅で得た余の宝よ」
「……天然で言ってるっぽいんだよなー」

 ようやく王子要素を一個発見。

「ねぇ、詞木島くん。……王子様って、本当なの?」
「なんだ、疑わしいか?」
「というより、分からないかな。なんで王子様が一人で盗掘なんて真似をするの? 戦ったりとかも……穢れ? とか、あるんじゃないかな」
「……懐かしい言葉を聞いた。お主はまこと、我が国の習わしに通じておるな」

 彼の住んでいた秋津洲国とやらが日本に酷似していた事からの当てずっぽうだが、図に当たったらしい。日雨は懐かしそうに――そして、苦いものを覚えたように言う。

「そうだの。王族の穢れは国を祟る。この二年の暮らしを神祇伯じんぎはくあたりが聞けば卒倒しかねん。思いあまって自刃するやも知れぬ」

 くつくつと、面白い冗談であるかのように(くららには近世以前の支配階級の文化など全く理解できていないので、笑い所も分からない)含み笑いを漏らし、そして。
 日雨は、尖った石を呑んだように言う。

「ま、既に国は滅んだ。官僚連中も大方が墓の下よ」
「滅んだ――って」
「おうよ。王統一千八百年を誇る我が秋津洲国はつい二年前、その歴史を閉じた。ふむ? つまり余が本当に王子かなんて疑いは、晴らすべきものでもなかったのか」

 余は阿呆であったわ、と日雨はつぶやく。

「……ごめん」
「お主は謝ってばかりだのー。今のどこに、お主の否がある?」
「……ないかも知れないけど」
「むしろ余は責めを受けるのが相応しい身分。我ら王侯貴族が舵取りを過てばこそ、国が滅んだのであるからの」

 少し、昔話をしようか――そう前置きして、日雨は語り出した。
 歴史のターニングポイントの渦中にあった少年の知る、一国の滅亡のあらまし。
 詩乃目くららにとっては、歴史か政経のテストで二点程度の価値にあたる言葉でその国は滅んだ。
 革命、というやつだ。




「先程お主の言った、穢れ、というのが遠因であったかの」

 秋津洲国。
 秋津、とは蜻蛉セイレイ――この島国が原産とされる飛竜種の古名である。国の開祖・始馭天下之比売命はつくにしらすひめのみこと芙蓉峰ふようほうという霊山から国土を見下ろした時、この竜がつがいで交わる形をしていた、などと神話には書かれている。

 いくら国一の高山であるにしろ全国を見下ろせる程の標高はない。その後の測量技術の発達で発覚した国土の輪郭も、そんな卑猥な形ではない。
 実際はその始馭なんたらが、未だ使い手のない伝説の巫術・竜種使役法を用いて敵対部族を降した事に由来するという説が有力である。だが、それを声高に吹聴する事は許されていなかった。
 かの国は滅亡に至るまで神話の時代と地続きだったのだ。

 伝説を根拠に慣習を作り、慣習を元に法を制定した。
 穢れ――という概念は、伝説の中核であった。
 その言葉は「気枯れ」とも言い換えられる。開祖は不死の女帝であったとされるが、国造りの際に犯した数多の殺生が祟り気が枯れ果て、煙のように消えたのだという。
 以来、国の支配者たちは国の霊威を保つ為と称し、屠殺や軍事、農耕など様々な事柄を禁忌と定め、民衆にそれを代行させた。職業部族、という概念の誕生である。

 その歴史が一千八百年も続いた頃には――複雑怪奇の極みというべき混沌とした階級社会が出来上がっていた。
 生まれで生涯が決まっていた。住める土地も、婚姻の相手も限定されていた。
 特に問題となったのが、苦人くにんと呼ばれる身分制度の外に追いやられた人々である。長い歴史の過程で不要とされ、解体された職業部族の構成員が山陰や川沿いに集落を作って生活圏を構築したのだ。
 当然、被差別階級として彼ら苦人は迫害された。彼らは過酷な鉱山労働や非公式の女郎窟など、最底辺の職業でしか社会に参加できなかった。

「政府もまた、表に出来ない汚れ仕事に彼らを使った。公式に身分のない者だからの。あまりにも使い勝手が良い」

 日雨は当てこするように言う。

「……身分に貴賎がある事について、妹は倹約の為だと言う。全ての人間が平等に立身栄達の機会を得るような仕組みは酷く金と手間がかかるのだと。我が国にはそれだけの器が整っておらんと。貴賎とは、そんな生々しい窮状を隠す為のはったりに過ぎん、とあやつは言うた。
 しかし、おおよその人はあやつ程冷酷ではおれん。中身よりはったりの方を信じる。己が格別優れているが故に、神のような何か尊いものに優遇されていると信じる――というだけならまだ良い。
 我が国が末期的だったのは、大多数の貴族が己等だけが人であり、他は人の形をした何か別のものと信じていた事だ。――余は、人が道具として使い潰されるのを幾度となく見てきたよ」

 やがて、蓄積された歪みが顕在化した――全ての瓦解によって。
 迫害された苦人は雌伏しふくしていたのだ。山陰に潜み、結託し、財を蓄え、人を養っていた。
 苦鸞クラン、と呼ばれるその結社は身分制度の隙を突いて構成員を国家の中枢に送り込み、離間策や有力貴族の失脚、反乱の誘発などあらゆる工作活動を行った。慎重に、彼らの存在が発覚しないように、水の一滴で石を穿つように。
 秋津洲国の財政状況は悪化し、政治の質は低下の一途を辿っていった。臣民もまた国家への憎悪を募らせていく。

 仕掛けが完成した所で、苦鸞は歴史の表舞台に登場する。首都・常世京に潜伏させていた大隊規模の党員がクーデターを起こし、迅速に国家中枢を破壊すると、次いで各地の党員も蜂起、東西南北の鎮台ちんだいを制圧して抵抗の芽を摘んだ。
 国家主権を奪取した苦鸞は、臣民に国家の解放と全ての民の自由を謳い、新国家・山徒ヤマト公国の樹立を宣言する――




 それが、二点の言葉の内実だった。

「訳知り顔で語りはしたが、余がこの事件で務めた役など無い。我が父は西方からの流れ者だったというからの。兄上らのように朝堂院ちょうどういん(※議事堂)に立てる身分でもなし。ただ、市井しせいに忍びで出入りして遊んでおったよ。太刀業はその時に習い覚えた。おかげで国を飛び出しても用心棒稼業や魔獣討伐の仕事は出来て助かっておる」

 かんらかんらと日雨は笑う。
 過去が歳月で風化しているのなら、彼はそうやって無理に笑顔を作らなかったはずだ。誤魔化すべき痛みがあるからこそ、そうしているのではないか。

「……やっぱり、恨んでたりとかする?」

 不躾なのだろうが、黙ってやり過ごすには重すぎる話題だった。くららは問いかける。

「……いや」

 くすんだ声で日雨は答える。

「先にも言うた通り、我らは国の舵取りを誤ったのだ。責こそあれ恨む筋などあるまいよ。それに妹はどうか知らんが、余は身軽なこの暮らしを好んでおる。その上苦鸞が新しい国を善く治めるとあらば、全てがめでたしめでたし、と言えたであろ」
「……そうじゃなかったんだ」
「――まーの」

 声の質から、暗闇の奥の彼がそっぽを向いたと分かる。

「結局の所、連中の謳った美辞麗句は景気づけの喧伝に過ぎなかった。最初の一年で主立った反乱分子を掃討すると、奴らは支配階級に成り代わって品部シナベ――さっきの話で出た職業部族の事よ――を解体した。そして官営の農場を作り、彼らの大半を農奴としてあてがった。農本主義、それによる富国強兵というのが連中の指針らしゅうての。
 つい先日、領土拡大を目的として奴らが大陸のサイ国に侵略を始めたと人づてに聞いたよ」

 ぎり、と音がする。日雨が奥歯を噛みしめたのだ。

「……なにに、怒っているの?」

 くららにはそれがよく分からない。聞く限り秋津洲国というのが彼のものであった訳ではない。彼に幸福を与えてくれたとも思えない。
 日雨は言った。

「虐げられた民ならば、その痛みを知っているはずではないか。それがなぜ、支配者になるなり同じ行為に走るのだ。少なくとも以前と比べてまつりごとが善くなっておらねば、道理が合わぬ」
「……それは」

 驚いた。驚きすぎて、言葉に詰まった。
 この少年は世界の不正に憤っているのだ。
 人が弱き者を助けない事に、他者を虐げてしまう事に怒っているのだ。
 あまりにも子供っぽく、単純明快な心根だった。

「余はいずれ力を付けて国に帰り、それを正したいと思っておる。王となり、憎悪が受け継がれぬ、幸福な国をあの地に作り出したいのだ……ぁ」

 日雨は途中まで熱っぽく語っていたが、不意に口ごもってしまう。

「……自分で言ってみてあまりにうさん臭い。盗掘に手を出すような卑しい若造が己を王子だとうそぶき、幼稚な夢物語を語る。これで信じるものなどおるはずがあるまいな。……下らん。余りに下らん。人恋しさについ気が緩んで与太を吹いた。忘れてくれ」

 恥じ入るような声音だった。

「もう眠れ。明日は日の出から出発せねばならんからの――」
「信じるよ」
「……え?」
「信じる。きみが王子様だって、今から信じる」
「……別に余の機嫌を伺わずとも、森に置き去りになどせんよ」
「そうじゃないわよ。本当に、今の言葉が全部本当だってわたしは信じる。っていうか、もう信じちゃったからね」

 彼にしっかりと伝わるように、くららは声に熱がこもるように言う。
 尊いと思ったのだ。
 国が滅んだのだ。親しい人も数多く死んで、一人で生きて行かなくてはならなくなった。
 現実を、人間のなんたるかを悟ったはずだ。
 それでもなお、彼は子供っぽく、単純な心を捨てなかった。世界に抗う意志を持ち続けていた。

 それは幼稚であるのだろう。現実に適応する事を人は成長といい、摺り合わせの完成した者を大人というのだから。とことん打ちのめされても学ばないのであれば、愚かですらあると人々は思ったはずだ。
 けれどその幼稚さは、くららには尊いものと思えた。

「だから、自分の夢を馬鹿にしちゃだめだよ。他の誰が馬鹿にしても、自分だけは」
「……そう、かの」

 日雨は油の切れた歯車のようにたどたどしい声を出す。その表情は森の暗闇に覆われて見えない。

「そうか――」



[40176] 2.ホラ吹き王子
Name: 八目又臣◆aa87a973 ID:17b043ce
Date: 2014/07/12 19:45
 魚の遊ぶ地モクレントレイという名で呼ばれるその港湾都市は、厳密には南海亜大陸に存在する大国のひとつ、アンコール王国に帰属する。市の中央を巨大な河川が分断しており、河口付近の汽水域は栄養が豊富でかつては漁業の盛んな地としてのみ知られていた。
 厳密には、かつては、などと前置きするからには、実態はいささか複雑な事情を抱えている。

 半世紀ほど昔、内乱が長期化した為に深刻な財政危機に瀕していたアンコール王国は、一定の上納金と引替えに、諸外国の商人へこの市の自治権を与え解放した。
 少しお堅い言い方をすれば経済特区。やや砕けた言い方ならば、みかじめを取って商売をさせたという事だ。

 ただの漁場に過ぎない地でなぜそのような取引が成立するかと言えば、海を隔てたバーブル帝国との交易地として、モクレントレイの整備された漁港を転用できるからだった。アンコール王国をはじめとして、ラーンサーン、文老ヴァンラオなどの南海諸国とバーブル帝国の関係は通商条約を結ぶ事すら困難なほど険悪であり、国家的な利害と離れた商人たちに下駄を預けるのは、乗れぬ船に船頭をあてがう妙案と言えた。

 かくして大多数の利害の一致を見た結果、かつて漁村に過ぎなかったモクレントレイは南海諸国有数の貿易都市となっている。
 訪れる人種とその国籍は様々で、後ろ暗い過去を詮索される事もない。臑に傷持つ者も多く住み着いている。
 国外逃亡した王族なども、そこに含まれるやも知れない。




 二年後、妹の方は見事に成り上がっていた。
 市街地の真ん中も真ん中にある煉瓦造り、三階建てオフィスの看板には、モクレントレイで用いられる大陸共通の商用言語・セール語にて「ウカノミタマ商会」と社長直筆で書かれている。
 一階は受付と商談の場であり、二階は百体ほどの半自律式神が勅令によって月四百時間のダークな労働に従事する、オフィスという名の無間地獄。
 そして三階が社長室となる。

 小上がりに仕立てた畳敷きの座敷に三方を格子で囲った空間を持つ、帳場風の部屋である。
 格子の中で、畳に墨の川の如く長い黒髪をたらした幼女は、日雨に背を向けたままそろばんを弾いていた。黒地に赤い椿をあしらった小袖が、時折身じろぎによって衣擦れの音を立てる。
 彼女なら演算霊を使役した方が余程効率的なので、その行為には別の目的がある。

 ぱち、ぱち、ぱちん、とゆったりしたリズムの珠の音は、否応無しに圧迫感を感じさせた。

「おう、久しいの妹よ」

 日雨は土間(に見立てた板敷きの床)に立ち、軽く挨拶する。
 無視された。
 ぱち、ぱちん、とそろばんの音ばかりが耳に痛い。
 くららと二人して命からがら樹海を脱出、竜車でモクレントレイに帰り着き、その足でここにやってきた訳だが、側仕えを務める高機能完全自律式神だきにさんに掴まり、一階の応接室で有無を言わさずくららと引き離され、日雨一人だけここに連行された。

 当のだきには「どうぞ家族水入らずでお過ごしを」などと刑罰を科す獄卒のような発言を残して立ち去っている。なんと悪質な拷問法を心得ている女なのだろう。
 胃の痛くなる沈黙に耐えかねて、日雨は一歩後ずさろうとした。

「あ~長旅空けで喉が渇いたの~。茶の一杯でも馳走になってこようか、」

 ――じゃらん。
 幼女が手に握るそろばんを振った音だ。

「誰が去って良いと言うたかや? 兄様あにさまよ」

 振り返る横顔は、秋津洲一の美女と謳われるのが世辞やはったりではなかった女帝の娘らしく、非凡な美しさだった。まだ十歳だというのに芙蓉ふようの蕾じみた色香がある。

「そも、おとなうなり帰るとはどういう了見か。その場でくつろぐのが礼法としても適っておるのではないかや兄様よ」
「そ、そうか。じゃあ上がらせて――」
「その場で、と言うたのじゃ兄様よ。そこの三和土たたきにへばり付く程に深く跪き、たっぷりとくつろぐがよろしかろう」
(帰りたーい)

 心の中で悲嘆に溺れる日雨。
 妹の提案とは半ば以上に命令であるので、日雨は屈辱に耐えて床に正座した。
 秋津洲国第一王位継承権保持者・詞木島夜見しきしまよみ王女は、地位を失いはしても、人の上に立つ為に生まれてきたような面の皮の厚さは失っていない。

「麗しの我が妹よ、お主の兄はもしかしてと懸念しておるのだが……怒ってる?」
「おやおや愛しの我が兄様よ。以心伝心たる妹の機嫌を詮索するとはもーろくしたものよ。見れば分かるであろうに」

 かつて飢え死にしかけていた時、彼女に素敵な笑顔で「内臓を三つほど担保に金を貸してやろうか兄様? 利息はひみつ金利こと日に三割じゃ。かわいい響きであろ?」と持ちかけられて以来、日雨は妹の精神構造を理解する努力を放棄しているのだが。

「怒っているように見える」

 いつも通り、的中率九割以上の分の良い賭けに張った。

「あなや兄様よ、主様ぬしさまはおなごの顔色を伺うのが下手じゃの。さすがは童貞」

 夜見は最後の言葉だけ慈母のような表情で言った。

「あれー妹よ妹よー、最後の情報はこの場で公開する必要があったのかのー」
「よいじゃろ。ここにはわらわと兄様しかおらんのじゃから、誰にはばかる必要もあるまいて」
「それはそうなのだが」
「まぁわらわは事あるごとにそれを周囲に吹聴しておるのじゃけども」
「すぐにでもこの町から脱出したーい!」
「ふふ、そうとあらばこの一蓮托生たる愛妹めも憑いてゆきますぞ兄様。そしてその先々で主様が乙男おとめである事を言いふらして回るのじゃ」
「ぐぅうう……金を腐る程持っている貧乏神め……」

 日雨は瞠目して、運命から課せられた人生の負債に嘆いた。

「さて――ともかく、はずれじゃ兄様よ」

 唐突に、山の天気の如く夜見の表情が一変した。

「わらわはご機嫌に決まっておろう?」

 最も危険な時に妹と遭遇してしまったと日雨は悟る。

「楽しくないわけがあるまいて。――後ろ向きに歩く猿に歩き方を教導するのが」

 夜見の口元がこぼれる程の笑みに歪んだ。兎を目にした空腹の獅子とさして変わらない表情だった。

「危険な樹海の深奥に失われた古代文明の秘宝が? 元服してよい歳の男子がかような童子わらしの夢物語じみた話を信じて六日も冒険ごっこに費やすとはの。主様は十四の頃の感性から一寸も成長しておらぬと見える。身丈が伸び悩んでおるのも道理よの」
「ぬぐ」

 ぐさり。

「そも、盗掘に手を染めるなど兄様は王統一千八百年の秋津洲国が王子の誇りを忘れたのかや?故国は失われたとは言え、いやだからこそかつて社稷しゃしょくを預かった一族として守るべき矜恃があろう。主様が為した祖霊に泥を塗るかの如き卑しき所行。恥ずかしいとは思わぬか?」
「ぐぬ」

 ぐさささり。

「それで収穫と言えば得体の知れぬおなごが一人きりとな? 哀れツキすらうしのうたか兄様」
「ぐぬぬ」

 ぐささささささささ。
 じゃららん、とそろばんを揺らして、一瞬の溜めを作るという小憎らしい演出のあと、夜見は言った。

「愚兄」
「い、言いたくば言うがよい」

 座っていなければ膝が笑って倒れていたであろう精神的ダメージを、思い切りやせ我慢して日雨は強がりを言った。
 それでこの妹が手心を加える事はないのだが。

「阿呆、低脳、愚昧、貧乏、甲斐性無し、どん亀、下等生物、木っ端者、産廃、穀潰し、一家の不良債権、放蕩者、○○○○、××××××、△@**$%$、そして童貞」
「ぬがああああああああああっ!」

 日雨は吼えて、土間から一息に飛び上がりにっくき妹へ殺到する。

「兄より優れた妹など存在しねー!」
「ばかめ!」

 ぐるり、と日雨に向き直った夜見は、懐から呪符を抜き出し空中に投げる。空間に浮く五つの符を頂点に配した五芒星が形成された。
 召喚した演算霊による術式の高速展開、宣呪式神による招詞(まねきのことば)の三鬼同時詠唱により――一瞬で秘儀の完成は為った。
 膨大なの余波で視覚化された青白い霊力の燐光を纏い、夜見は言い放つ。

「そういうのを〝ふらぐ〟というのじゃあっ!」

 五芒星から右腕のみ召喚された戦術式神・戦鬼い号。その大木のような豪腕によるラリアットが日雨の首を直撃した。

「ぎゃー!」

 空中で五回転して土間に叩き付けられ、床板と熱い接吻を交わす日雨。
 ――女王制、厳密には女性司祭の統括する神権政治を執っていた秋津洲国では、巫女としての能力を序列の根拠にして王位継承権を与える。
 つまり継承権第一位の女児とは、当代最優秀の巫女と言い換えても良い。
 その行使する能力は、未熟な鬼道しか使えない日雨とは次元が二つ三つ違う。彼女が使ったのは式神召喚――陰陽道という鬼道とは別の巫術の流派であり、その中でも特に高等な術だ。

「くふ、ふ、くふふふふ。不様、不様よの兄様」

 夜見は畳敷きの端に近寄って腰掛けると、足袋を脱ぎ、大地に屈服した日雨の頭に裸足の両足を乗せる。

「く、屈辱……!」
「おお、おお、兄様はまっこと犬のごとく地面に這いつくばる様が似合うておりますな。弱々しく、情けない所がなんとも……あんっ」

 兄の頭をなぶるように両足でぐりぐり踏みながら、なんか色っぽい吐息を漏らす十歳児。

「さぁ兄様、犬のごとき主様を素足で踏んで汚れたわらわの足をその舌で拭うてくれれば、かわいい妹に手をあげようとした無礼を許してさしあげましょうぞ。ほれ、 指の股をねっとりと、いやらしくねぶりなされ。くふふっ、くふふふふっ……人と呼べぬ程に堕ちに堕ち果てた兄様がわらわに隷属する……はぁああんっ♡」
「助けて! 妹が変態です!」

 悲鳴を上げて救援を請い願う。が、下の階の半自律式神たちが主人である夜見に逆らえる訳もなく、日雨の人としての尊厳は風前の灯火だった――

「お嬢様、お楽しみの所申し訳ありません。あ、涎はこれで拭いて下さい」

 発言の割には遠慮なく部屋の襖を開けて、白地に白梅の小袖姿、狐の体毛のような金色の髪をした、長身、妙齢の美女が現れる。
 件の高機能完全自律式神、だきにさんである。

「なんじゃだきに。半刻は人を通すなと申しておったであろ」

 だきにの差し出した布巾で口元を拭い、乱れた衣服を整えつつ、やや恥ずかしげに夜見が恨み言を言う。
 主の不興を買いながらも従者は飄々と鉄面皮を通した。

「〝彼女の売却〟が成立しましたので、ご報告を」
「……至急の事でもなし、あえて顔見せして言う事でもあるまいに。――お節介焼きめ」
「なんのことやら」

 顔をしかめた夜見に対して、あくまでだきには無表情だ。
 ――その足下で這いつくばる日雨は、背筋にひやりとしたものを覚えていた。

「待て。どういう事だ夜見」
 問い詰めると、興が冷めたように夜見は足を戻し、その場に正座した。
「主様が連れて来た女の事よ。――あやつは女郎宿に売った」
「……夜見ッ!」

 立ち上がり、顔つきを険しくして日雨は妹に詰め寄った。ようやく悟った。彼女はくららを連れ出す時間稼ぎに日雨をこの場に留めたのだ。

「どういうつもりだ!」

 掴み掛からんばかりの剣幕であったが、夜見は一片も動じていない。いつの間にか、表情は氷雪のように冷え込んでいる。

「どういうつもりだ――とはこちらの台詞じゃ」

 氷の彫像めいたかおのまま、冷えた声を吐く。

「ここに駆け込んでどうするつもりだった。――わらわに何をしてもらおうとした」
「そ、それは……」
「もしや……文無しの遭難者に温情を掛け、無償で宿と食事の世話を施す……などと期待していたのではあるまいな。わらわを、そんな者だと思い違いしておるのではあるまいな」

 獄司の如き厳正な口調だった。

「わらわは慈善を為さぬ。利の無き相手は切り捨てる。今の財を築く為に、ずっとそうして来た。今更それを翻すでは、わらわの降した者共はなんの為に踏みにじられたのか。――まさか主様は、たかだか兄であるというだけで、わらわの生き方に泥を塗るつもりか?」
「……タダとは言わん。余がお主の下で働く、」
「少々腕の立つ程度の剣客にあてがう仕事はない。護衛ならだきに一鬼で事足りる」

 日雨が言い終わらない内に、制圧するように告げる夜見。
 それでも日雨は食い下がった。

「しかし……! この仕打ちはあまりに惨いではないか! お主も女子なら己のした事の意味が分からぬでもないだろう!」
「それ以外に道のない以上、是非もないわ。――だきににあやつの品定めをさせた。公用語の絹語も喋れぬでは問題外よ。あやつが自活する方法は、口が利けぬでもできる商いしかない。幸い、見目は良いようじゃ。その道の目はあるであろうよ」

 駄目だ。口論でこの妹に勝てる訳がない。日雨は踵を返して、

「まさか、主様があの女を養うとは言うまいな。はっ! 未熟な巫術と、かつてお忍びで市井の者に師事して習い覚えた刀術だけが恃(たの)みの用心棒稼業の分際で、女一人を囲うと? あやしげな与太話をあてにして盗掘に手を染める程困窮しておった事を忘れたかや?」

 鉄の鎖じみた言葉に引き留められた。

「兄様。慈善とは贅沢な娯楽よ」
「……っ」
「主様の器では高望みじゃ」

 舌が震える。指先が冷え込んでいく。何かを言い返そうとした。
 しかし、何も言えなかった。
 背後の式神が、空気を整えるように口を挟んでくる。

「身代は彼女自身に満額支払われます。それに、お嬢様が指定したのはアレーナの娼館です。この市ではかなり良心的な部類ではあります」
「だきに、余計な事を申すな」

 刺すように主が告げると、だきには口を閉ざす。

「兄様」

 兄を見上げる妹の言葉は、憐憫すら滲んでいた。

「力無き者には何も守れぬ。ただ奪われるのみよ。それを主様は二年前悟ったはずじゃろう」




 少し、頭を冷やせ。
 それを土産の言葉として、日雨はウカノミタマ商会から放り出された。
 いつの間にやら空は曇り、雨が降り出していた。この地方特有の驟雨スコールではなく、軽い代わりに長く続く小糠雨だ。
 軽いとは言え、傘も無ければ服に染み付いて体温を冷やす。日雨は街路の両端に所狭しと並べられた屋台の軒先に逃げ込んだ。

「おい」
「晩飯の書き入れ時にはまだ早いだろう」

 抗議する店主に素っ気なく告げて、強引に雨宿りする。
 店主はそれ以上何も言わず、むっつりと口を閉ざした。強硬に追い出しにかからないのは、隣にいる先客が既に諦めさせた後だからだろう。

「よう、ミュンヒィ王子」

 夜盗の頭領じみた風体の、三十半ばの男が軽い調子で声をかけてきた。

璃利漢リリハン

 中原七国――大陸東側の広大な地域を争う、七つの大国の一つ、国出身と本人は称している傭兵だ。何度か一緒に仕事をした事もあるが、自警団にスカウトされ組を一つ任されるようになってからは市外に出るような警護や魔獣討伐隊に参加しなくなった為、疎遠になっていた。

「〝俺〟の名前を覚えているか、お前――この稼業の習いを忘れる程、組長を熱心に務めている訳でもないだろう。面子を失っては飯も食えない。そうならない為には、多少手荒い事も必要だ」

 スラング含みの絹語を用いて、腰の刀を軽く鳴らし威嚇すると、男は悪い悪いと後ずさる。

「デカい稼ぎを諦めて人生守りに入っちまった俺様だ。イケイケのお前さんとやり合いたかぁないねぇ。だが日雨リィユ、この件はお前さんも悪いぜ。去年の夏のキュルフ隊商キャラバンの警護に出た連中と酒呑むと、今でもあの話で盛り上がる」

 ミュンヒィ王子というのは、この地方で子供に聞かせる御伽噺の主役だ。
 正体不明の男が各地で自分を亡国の王子と名乗り、誇張したホラ話を聞かせて回る、という筋書きである。
 子供にとっては手垢のついた童話、大人にとっては詐欺師の隠語でもある。――近場の国が荒れると、没落貴族を騙る詐欺師は雨後の竹の子のように湧いてくる。
 まだ世間ずれしていなかった日雨が正直に自分の身分を名乗った相手は、璃利漢らその日暮らしの傭兵たちだけだったので、そんな疑いはかからなかったが。

 単に笑い話になっただけだ。
 仕事をこなして名が売れてくると、ホラ吹きミュンヒィ王子が通り名になった(ちなみに璃利漢を始めとして大陸から出て来た武術家は、慣習からものすごくカッコいい二つ名がついている)。
 若い頃によくある失敗談だ。恥かきついでに「馬鹿正直に身分を明かすとは愚か者」と夜見にしばかれまでした後は、口調も変えて、流れの用心棒になりきっている。
 それが一年続いて、日雨は以前の自分がどうだったか思い出せなくなりつつある。

「……」

 いずれ力をつけて国を正す――その言葉を嘘のつもりで吐いた訳ではない。
 だが、どうやってその力とやらを手に入れるというのだ。妹のように財を生み出す才覚も、神懸かりの巫術もなく、個人の武術は国の再興に何の役も立たない。
 いずれ、いずれ――その言葉が甘い蜜のように背筋を冒すようになってきた。

 日々をあくせくと暮らす内に、やがて偽りこそが真実になって、どこにでもいる無頼として生きていくようになるのではないか。日雨はそれを恐れていた。だから危険を犯しても大金を得ようとした。
 糸のように流れる雨を眺めつつ、日雨は一人物思いする。
 今回は失敗したのだ。次の機会を待てば良い。金を稼いで身を立てて、ちゃんとした大人になったその時に目の前の人を救えばいい。くららの事は――若い頃によくある、失敗談として。

 さぁさぁ、と。雨が降る。
 ――信じるよ。

「……クッ」
「あん?」

 つい口元から堪えきれず漏れた笑いに、隣の璃利漢が不気味そうにした。
 それを無視して、日雨は笑う。大馬鹿笑いだった。高笑いだった。呵々大笑であった。

「くっはははははははははははははははははははは!」
「おい、どうしたんだよ」
「璃利漢! 俺は大馬鹿者だ!」
「あ、ああ? そうね?」

 あからさまに可哀想な人を見る目の璃利漢。

「天よ、地よ! 我が暗愚を笑えぇーい!」

 などと傍目には脳に深刻な損傷を受けた人間のような宣言と共に、日雨は雨の降る大路を駆け出した。

「ちょ、おい!」
「お主も笑うがいい! 余は、嘘などついておらんのだからな!」

 捨て台詞を吐いて全力で駆ける。――アレーナの娼館は北方の繁華街だ。
 走りながら自問自答する。
 ――王とはなんだ!
 単なる為政者の称ではない。
 あのような少女が信じる、夢物語に語られるような〝本物の王〟とは!
 力が無いなどと言い訳をして、来るはずのない〝次の機会〟とやらを待って、女一人を諦めるような小利口な男か?

「否! 断じて否ぁっ!」

 市中の人間を大いに退かせる雄叫びを上げて、少年は走る。
 彼の頭上の空は存外、早めに晴れようとしていた。




 なんだかなぁ。
 とまぁ、現状を一言で表わすとそんな感じです。あ、詩乃目くららです。
 ファンタジーな異世界に身一つで放り出されて、命からがら最初の樹海ステージを脱出して東南アジアっぽい蒸し暑い町に辿り着いたと思ったら――なんか、ええと、その――えっちなお店に売られてしまいました。
 わたしをここに放り込んだ、金髪金眼でモデル体型の和服美女が言うには、

 ――貴女の職業適性を診察した結果、ここが最適と判断しました。
 ――店主に事情は説明しておりますので、しばらくは目をつむってやり過ごせる程度の仕事になるとは思います。従順にしている限り、面倒を見てもくれるはず。言葉が分からずともどうにかなるでしょう。我らを恨みつつ、健やかにお過ごしを。
 との事。

 正直言って納得してはいません。だって、男の子とキスすらした事もないのに、恋も知らないのに、お金の為に知らない相手となんて……考えるだけで泣きたくなります。
 けど、諦めるしかない事なのだろうとは思います。
 あるあるでは、お約束では、異世界にさまよった人は何かしら武術ができたり、優れた魔法を使えたり、昨今の流行りでは知略に優れていたりして、即効で環境に適応して生きていくものなのですが。

 ちから1、まりょく1、かしこさ1の一般人のわたしです。ジ○リ的ドラマツルギーならば湯屋で神様相手に労働に勤しむ道もあったでしょうが(あ、そういえばあの童女の湯女って肩書きも……あれですよね)、それすら言語的コミュニケーションが取れない為に不可能です。
 わたしは、異世界での活躍どころか、生活する事すらできないのです。
 物語にすら書けない、つまらない顛末を迎えるのです。




 ――などと、窓の向こうの都市の夜景を眼下に収め、涙混じりに嘆いてみても、振り返れば、内実を取り繕うように飾り立てられた娼館の部屋の風景があるばかり。
 鎖に繋がれている訳でもないが、逃げ出せば詐偽罪で手配されるとの事だし、そもそも逃げる場所もない。
 十七年大事にしてきたものが失われる日は、明日か、あるいは今日か。明後日以降に引き延ばされる事はあるまい。どちらにせよ、ただ怯えて待つ事しかできない。

 くららは無力だ。
 誰かが助けてくれれば――というのも絵空事でしかない。この世界でくららは身寄りもなくたった一人。彼女を助けてくれる人間などいない。
 あるいは、と一人の少年の顔を思い浮かべる。
 ――なお、日雨様はこの仕打ちに関わっていない事を、公平を期して申告しておきます。
 無表情なモデル美女がついでのように言っていた。彼に騙された訳では無いという事が、ただ一つ救いだった。

 しかしこの窮状を救ってくれるとまで考えるのは都合が良すぎる。樹海で三日ほど過ごした、ただその程度の仲なのだ。
 やはり、全てを諦めるよりないと結論がついてしまう。
 ――それにしても階下が騒がしい。風俗街とはこういうものなのか?
 悲鳴じみた声まで聞こえてくる。他にも鈍い音が……人が殴り合っているような音だ。
 怖くなってきて、くららはスポーツバッグを抱えて壁に後じさる――

「無事かくららよー! 既に世間の荒波に揉みに揉まれ揉みしだかれた挙句、ケバい化粧と死んだマグロの如き目をしつつ昔はアタイも純だったと煙草を吹かすすれっからした夜の蝶へと変わり果ててはおらんかー!?」
「セクハラ! それすっごいセクハラ!」
「なんだその不思議な言葉は! 知らぬ語彙で訴えられる謂われはない故、法廷に立つ事は断固拒否である! そしてそこかとぅっ!」

 階段を駆け上がる音がしたと思ったら、直後扉を蹴破って日雨が現れた。

「うむ。先刻と変わらぬ地味女ぶり。杞憂であったようだ」
「ごめんね。多分助けに来てくれたんだろうなぁって事はなんとなく理解してるんだけど全然ありがたみを感じない」

 王子要素もない。

「……っていうか、助けに来てくれたの? ホント?」

 にわかに信じられなかった。市中を眺めて文化の程度を察するにこのモクレントレイという都市は無法地帯ではない。一度成立した契約をぶち壊せば罪に問われるだろう。

「おう。最悪強奪も覚悟しておったのだがの。どうもここの女主人が地回りのやくざ者の頭相手にふたまたをかけておって、落とし前をつけに来た三下を叩き出すのと引替えにお主の契約を帳消しにした。いやはや、なんとも都合よく事が運んだものだのぅ」

 腕を組みほくほくと語る彼の右目には青あざがあり、他にもナイフやら何やらで斬られた生傷が各所にあった。

「なんで……助けてくれるの?」
「なんだ。めくるめく夜の世界に憧れておったのかお主」
「ごめん。真面目に答えてくれないかな」

 アホっぽい事を言う日雨に釘を刺して、くららは問いかけた。

「わたし……なんの値打ちもないよ? 助けたって、迷惑かけるだけだと思う」
「余は、友を値踏みする習慣を持たぬ」
「……友?」

 窓枠に切り取られた星空を背景に立つくららに、日雨は手を差し出した。

「余も、信じる」

 星明かりを受けて微笑み、誓うように彼は言う。

「お主が異境から訪れた寄る辺なき民である事を信じる。ならば孤独のままにはしておけぬ。それが王の為政というものよ」
「……なにそれ。こじつけ臭い。バカみたい」

 目尻に溜まった涙を左の指先で拭いつつ、くららは微笑む。
 右手で、日雨の手を握って彼女はほぅ、と熱のこもったため息をついた。

「すごいなぁ。わたし、王子様と友達になっちゃった」



[40176] 3.凶兆
Name: 八目又臣◆aa87a973 ID:17b043ce
Date: 2014/07/13 23:33
 アンコール王国をはじめとする南海諸国では春が最も暑く、水菓子が飛ぶように売れる。

「アンタ、ヘラスの出だろ? よくあんな西の最果てから来たもんだ」
 長瓜の形をした皮ごと食える赤色の果実を売る屋台の店主が、買い手の男のくすんだ金髪を見て言った。
「商人かい?」
「ええ、まぁ」

 砂海さかい越えをしてきたと分かる、砂の染み付いたジャケットを着た日焼けした男は、風体の割に気弱そうに答えた。

「ならここでの買い物は断然真珠だぜ。つい半年前、ウカノミ……なんたら言う会社が養殖?ってぇやつに成功してだな。山ほど出回ってる。南海亜大陸じゃもう値が下がって来てるが、お前さんの国じゃボロ儲け間違いなしだ」
「ああ、それはすごい。良い事を聞きました。おやじさん、その果物箱詰めで」
「あいよ」

 銀貨を受け取って気前よく木箱に果実を詰め込む店主から、男は目を逸らす。
 その視線は、同じ果物を手にして通りを行く一組の少年少女に向いていた。

「珍しい装束ですね」
「お、そっちの商いが専門かいお兄さん。ふむ……実際あの嬢ちゃんの格好は些か珍妙だぁな。ここにゃあ四海あまねくものが揃うが、お目にかかった事がねぇや」
「いや……私の郷里では見ないでもないのですがね。セイラー、というのですよ。海軍であてがわれています。航海中、あの大きな襟を立てて、指示を聞き漏らさないようにするのです」
「へぇ、さすが大陸を端から端まで旅しただけはあるねぇ兄さん」
「連れの子供も帯剣しているようですが……まさかあれで軍人という訳でもないでしょうし、不思議です」

 店主の感心したような言葉を無視して、男は言った。

「ここじゃ余計な詮索は嫌われるぜ兄さん。……あの小僧の身内か何かだろうさ。ここの暮らしが上向いてきたから呼び寄せたんだろ。最近、あいつの故郷は戦でごたついてるから……ガキの癖に魔獣討伐なんてヤバい仕事で銭稼いでたのもこの為かと思うと、ちと泣けてくるね」
「確かに。戦争のある国で手に入れた品は値が上がるから、商人としてはただ迷惑なだけでもないんですが……ああいう子供を見ると、いたたまれなくはあります」
 と、そこで別の客が現れた。男は店主に長話を詫びて立ち去る。
 男は少年少女らと逆方向へ立ち去りながら、首元に向かって囁いた。

 ――指揮所CP、〝シエラ〟を確認。画像を転送します。




「暑い国だな」

 その部屋の、日陰になった場所に腰掛ける男は、窓の外を見つめてそう漏らした。そこからは揺れる港湾都市の風景が覗ける――ここは、洋上であるらしい。

「申し訳ありません。このような不快な蛮地の滞在は、最小限に留まるはずでしたが」

 中央のテーブルに付いた、華美な軍服に身を包む中年の男が謝罪する。日陰の中の男の声は若々しく、少なくとも二十歳は超えていないだろう。だというのに、勲章の数から長い軍暦を伺わせる中年は恐懼しきっていた。

「少将、コンスタンティン! 深読みをせずともよい。ただの感想だ。俺はむしろこの暑苦しさが嫌いではない。ああいった街もな――商業の盛んな地は、欲望が目に見える程輝いている。なぁガラテイア。お前もそう思うだろう?」

 日陰の奥で、さらり、と渇いた音がする。猫が喉を鳴らすような声も。

「は」

 コンスタンティンと呼ばれた中年が言葉を詰まらせる。暑気で喉が渇いているようで、手元のグラスに注がれた氷水を飲み干す。これが酒であったなら、と不満に思っているような手つきであった。

「ヒューゴーの買った果物を届けさせましょうか旦那」

 窓のそばの壁に背を預けた人物が言った。砂海の民特有の日に焼けた肌をした、野卑な赤毛の男である。およそ軍の礼装に身を包んだ将官らしき人物と同席して自然な人間ではない。
 コンスタンティン自身もそう感じているようだった。声を尖らせて叱責する。

「口の利き方に気をつけろ無號ネームレス
「こいつぁ失敬、少将閣下」

 肩をすくめて、いかにも木で鼻を括ったような受け答えをする男。彼を空想で銃殺刑に処している事が明らかな表情で、コンスタンティンは続ける。

「要らぬ世話だ」
「そうですかい。ありゃチィチィトィって旬の果物だ。モクレントレイに出回っているものなら、味はお墨付きなんですがねぇ」
「私は、蛮地の得体の知れぬ食物を口にするつもりはない」
「カッ。つくづく諜報活動向きじゃあありませんねぇ閣下。あんたの部下も蛙の子が蛙って感じだ。あの無意味な骨董臭い符牒フォネティックコードは景気づけかなんかですかい? まさに裸の王様だわ。果物屋の店主、ありゃ自警団に通報するつもりですよ。また余計な殺生をしなきゃなんねぇ」

 こうも直截ちょくせつな非難を受けた事はかつて無かったのだろう。顔を赤くして懐に手をかけるコンスタンティンを、

「よせ、少将。御前を汚すつもりか」

 日陰の中の男が制した。

「殿下――」
「それに、お前も利き手を失っては色々と生活に困るだろう」
「いやいやいや。名高きアングル名家の当主の御小手を切り落とすなんざぁ畏れ多い。――人差し指一本に留めとくつもりでしたよ俺ぁ」

 男の背には、革のベルトで括られた剣がある。とは言え、コンスタンティンとの距離は五メートルは離れているのだが。

羅虚虎ロゥ・シィフゥは中原七国で仕事中の所をわざわざ呼びつけたアドバイザーだ。それなりの礼を払えよコンスタンティン」

 日陰の男の言に、水銀を飲み込んだような面付きで黙り込むコンスタンティン。

「しかし羅よ、彼の師団、とりわけ今連れている連隊は精兵であると弁明しておくよ。彼らは士官学校で受けたきりの諜報技術をどうにか思い出しながらやっているのだ。まさかガラテイアの〝マモン〟で破壊するつもりだった〝サマエル〟のハッチを先に開けて、中身を持ち出すような輩がいるとは誰も思わなかったのだよ」
「丸っきり予想外、って訳でもありませんでしょう。電子的、魔術的に厳重に封印されていた〝眷属機ファミリア〟のコックピットに侵入するなんて現地人には到底無理だ……〝あんたん所〟の誰かに先を越されたんじゃありませんか」
「ユリウスやザイフリートの目は欺けている、と思ってはいるのだがね。藪蛇が怖くて探れもしない。それに、連中ならばいつまでもこの僻地に〝あれ〟を留めておくのは不可解でもある」
「そりゃそうなんですがね……おっ、のろまなヒューゴー君が画像を送ってきましたよ。少尉じゃ上等過ぎる仕事ぶりだ。二等兵に位落ちして軍曹に尻穴の世話でもされてやがれ」

 羅虚虎、と呼ばれた男は口汚く罵りながら部屋の中央のテーブルに近寄り、備え付けられたパネルを操作した。
 中空に画像が投影される――

「なんだ? この子供は? おい、〝第四〟と〝無形〟の諜報員リストと照合しろ」
「……その必要はありませんぜ、少将閣下」

 扉のそばに待機していた部下に命じるコンスタンティンを、羅は留めた。その顔は酷く面白い冗談を耳にしたかのように歪み、少年の顔を見定めている。

「運良く苦鸞クランどもから逃げおおせたと思ったらこんな所にいやがったか王子様! 復讐者の嗅覚ってぇ奴かねぇ。こいつぁすげぇ! 最悪のジョーカーを引き当てやがった!」
「どうした? 知り合いか羅」

 問いかける日陰の男の方に、名前通り虎じみた笑みを返して羅は言った。

「なに――二年ほど前、こいつの国を滅ぼしましてね」




「んー……水っぽいさつまいも?」

 街路を歩く道すがら、日雨に勧められたチィチィなんたらいう赤い果物を一口かじり、くららは感想を言った。

「お、言い得て妙だの」

 当の日雨は早くも二つめに取りかかりつつ同意する。

「うん、まぁ、おいしいよ。喉も渇いてたし」

 日傘をずらし、じりじりと照りつける太陽に眼を細めつつくららは言う。春が一番暑いなんて、なんだか裏切られた気分だった。
 持ち込んでいたスポーツバッグには、なぜかセーターやカーディガンも含めて四季に対応した母校指定の制服が揃っており、くららは迷わず夏服を選んだ。
 日傘は詞木島夜見に借りたものだ。

「夜見の屋敷での生活はどうだ? いびられてないか? 味噌汁の味付けで理不尽な言いがかりを付けられているなら言うがよい。聞くだけ聞いてやろう」
「聞くだけなんだ……いや、丁重に扱っていただいてるよ」
「ふむ……まぁ、我が妹は道理にだけは誠実なのが美徳だからの。価値を認めれば見合った対価を払う事だけは信じてよい」




 ――あの夜が明けた次の日の事。
 日雨とくららは、再びウカノミタマ商会三階の社長室に訪れていた。

「なんじゃ。わらわの忠告を無下にした兄様。昨日の今日でその間抜け面を見とうないぞ」

 帳場に正座して背を向ける妹に、日雨は頭を掻きつつ言った。

「……いや、礼の一つも言っておこうかと思っての」
「あなや。わらわの昨日した事のどこに礼を言うべきものがあるのかや? 被虐の趣味でもおありでしたか兄様。よろしい、一晩かけて虐めて差し上げましょうぞ」
「全力で拒否する」

 がばばばばと振り返りきらきら顔を輝かせる妹の誤解を否定して、

「余があの娼館に踏み込んだ時を見計らったように、あそこの女主人が窮状に陥った。お主があれの不行状を余所に流してくれたのではないか?」
「……はん。主様の頭の中身は花盛りじゃの。偶然に決まっておろう。それを勝手に恩に着て、わらわの仕打ちも忘れて礼に来るとは、わらわの如き悪党にはよい鴨じゃ。かもねぎ兄じゃの」
「美味そうだ……」

 ネギと一緒に程よく煮込まれる自分を想像して嫌な顔をする日雨。

「あ、あの!」

 身を縮ませて、二人のやり取りを伺っていたくららが前に進み出て言った。

「あ、ありがとうね。夜見ちゃん……」
「……はぁ?」

 思わず、といった風に夜見が振り返った。目を丸くしている。日雨は物凄く珍しい物を見た気分だった。

御前ごぜん、頭の螺子ねじが飛んでおるのかや? わらわはそなたを女郎宿に売り飛ばした鬼女ぞ?」
「ま、まぁ、その通りなんだけど……わたし、あるあるとかお約束を参考にして、なんとかなるって浮ついてたし……目を覚ましてくれたっていうか」
「?」
「ごめん、こっちの話ね。……それに、夜見ちゃんがそうした理由は理解できるし。詞木島くんってお人好しで際限なく面倒を請け負ってくれそうだから――お兄ちゃんにつく悪い虫を排除したいって思うの、当然だよね」
「ばっ、ばばばば馬鹿な事を申すな女郎めろう!」
「? お兄ちゃんの事大好きなんだよね? あはは、恥ずかしがらなくてもいいよー。そのくらいの年なら普通だもん」
「そっ、そそっ、その口を即刻閉ざせぇえええええええええええっ!」

 顔を真っ赤にして、どたどたと足をばたつかせながら駆け寄ってくる夜見(彼女は運動神経だけは並以下だ)。――日雨はその珍妙不可思議な現象を前に、これは夢かと納得した。単なるコミカルな誇張表現と思ってはいけない。日雨の、積年の仕打ちで植え付けられた妹への固定観念は洗脳レベルで彼の精神に染み付いている。

「くらら様」
「あ、だきにさん……でしたっけ」

 扉の近くに身じろぎ一つせず立っていた和装の金髪美女が、深々とくららに最敬礼する。

「このだきに、感服いたしました。童話のいじわる婆と同水準まで洗練された心の狭さを誇るお嬢様に残された、一寸未満の人情から来る引け目を巧みに引き出し、その隙に乗じて彼女の一番の急所を的確に突くお手並み、美事と言うほかありません。貴女はまさしくツンデレの天敵、いえ反応促進剤と言えましょう」
「は、はぁ。……え? あるんですかこの世界、その言葉」
「いいえ、今しがた魂的な何かで閃きました」
「あの、理屈を説明しては……」
「私のソウルフルなバイブスを解説しろとは、無粋ですよブラザー」
「あ、はい。分かりました。聞かない事にします」

 無表情のまま胡散臭い台詞を述べるだきにに、くららは全てを諦めた。

「ともあれ眼福も致しました。お嬢様の醜態を肴に今宵は美味しいお酒が飲めそうです」
「そ、それはどうも」
「メシウマ女神とお呼びしても?」
「……嫌です」

 それは残念至極、と特に残念でもなさそうに言いつつ彼女は不動の置物に戻った。

「ちっ! ちっ! 不愉快じゃ不愉快じゃ! 気の抜ける脳味噌お花畑が二人も雁首揃えて! 商いの邪魔じゃ! ぬがよい! 兄様はその女の世話に追われて貧乏を更にこじらせて枯れ果てるがよいわ!」

 わめき散らしても下がらぬ溜飲をどうにか我慢しつつ、夜見は元の配置に戻った。図面の描かれた紙の乗る見台を眺め、さして間を置かずため息をつき始める。

「どうしたのだ?」
「去ねと言うたのに……そういう空気を読まぬ所が主様は……まぁよいわ」

 ぶつくさ言いつつ、懐から紐綴じの冊子を一冊出して、畳敷きの端に放る夜見。

「近頃構想中の商売の種じゃ。目を通してみるがよい」
「ほぅ。どれどれ」

 日雨が冊子を手に取ろうとする。隣のくららが、表紙に筆書きされた「犬主人の鬼畜な召使い飼い主様 」というタイトルを目にして「んんん?」と首を傾げる。

「おっ、草双紙の類かのー。昔は結構読んだからうるさいぞ余は」

 暢気な顔でページをめくる日雨をくららは止めようとしたが、遅かった。
 ――数分後、日雨の目が点になっていた。

「秋津洲におった頃、鎮台の番衆の間で衆道なる文化が流行っておると聞いてじゃな、それをここの絵描きと劇作家に話してみた所、結託して一晩で書いてきおった。……フッ、堪能させてもろうたわえ」

 なんか晴れやかに澱んだ顔とでも言うべき表情で語る夜見。

「これはイケる! 一時代築ける! ……と思うておったのじゃが、商売にする段階でつまずいておっての」
「え、ええと、どういう事かしら?」

 腐海深い水底に囚われ人生を思い悩んでいる日雨に真っ当な受け答えは期待できず、くららが会話の穂を接いだ。

「増産の目処が立たないのです」

 邪魔になった日雨を部屋の隅に運んでいただきにが補足してくる。

「まずは我が国で使われておった版木を試してみたのじゃが、効率が悪うての。製版をする職人を育てるのも難しい。加えて、この辺りは湿度も高く木材が歪むしの。西で流行っておるらしい活版はこの辺りの文字数の多い文化に馴染まぬし絵図にも向かぬ」

 腕組みしてうんうん唸る夜見。

「切り上げるしかないのかの。しかし惜しい、あまりに惜しい。作家は良い仕事をしておるというのに、それを大衆に届ける商人の役目を果たせぬでは沽券こけんにもかかわるしの」

 真剣に苦悩する夜見の顔には、(別の意味で)腐ってはいても商人のプライドを感じさせる。
 くららはふと思い立って、スポーツバッグを探る。

「確か美術の教科書が……美術史の項目もあったはずよね」

 取り出した本をちらと見て、一瞬で夜見の瞳孔が開いた。

「……おい御前、それはなにかや」
「ええと、ごめんね? わたしは理路整然と説明できる自信がないから……とりあえずここ、見てみて」

 興奮気味なのを隠しつつ、くららの方に膝でいざって寄ってくる夜見。
 開いたページを見せると、黒曜石のような瞳が輝いた。

「りとぐらふ……水と油の反発を使う製版? 墨にも工夫があるようじゃ。そも、この字の異様に整然とした書はなんじゃ? も、もし御前、このような書をもっと持っておるのかや?」
「あ、うん。はい」

 くららの差し出した教科書を、金の延べ棒のように丁重に受け取った幼女は、怒濤の勢いでそれを読み込み始めた。

「これは算術……これは舎密せいみ(※化学)か? びっ、微積分!? なんじゃこれは! 曲面の方寸(※面積)がこんなに簡単に割り出せるのか!」

 猫背で教科書に没頭する事数分。
 夜見は、ばね仕掛けのように唐突にくららの方を見上げて言った。

「――御前、そなたを買いたい」
「か、買い?」
「だきに」
「はい」

 背後に控えていただきにが部屋の奥に設けられた御簾みすの向こうに引っ込み、しばしして戻って来た。
 その手に山ほど金塊の乗った三宝を持って。

「とりあえず手付けじゃ。今後、わらわがそなたから得る知識による利益は半分配分する。こちらでの生活の面倒も見よう。だきに、屋敷に言付けて此方様こなたさまの部屋の手配じゃ」
「はい、お嬢様」
「詩乃目くらら殿と申したな? どうじゃ? これだけ出す。この書だけでは足りぬ、生きた知識が必要じゃ。これを束脩そくしゅう(※礼金)として、わらわの師となって下さらぬか?」




 なんとも上手く運んだものである。

「正直言えば助かったのー。余の寝起きする長屋は女性にょしょうを住まわせるには狭すぎる」
「一宿一飯を頂いた身としては不躾なんだけど……確かに狭かったなぁ」

 くららは初日だけ泊まらせてもらったが、日雨は王子様要素の欠片もない、一部屋きりのうなぎの寝床じみたアパート住まいだった。

「あそこにずっと住むのは……ちょっと心臓に悪い」

 男の子と背中合わせで寝る、というのが特に。

「?」
「あはは、えっと、なんでもないよ。っていうか詞木島くんは夜見ちゃんと住まないの?」

 妹の方は、モクレントレイでも高級住宅地にあたる西方に大きな屋敷を構えている。空き部屋もいくつかあった。

「はは、馬鹿を言う」
「あ、ごめん。さすがに妹にそこまで面倒見られると立つ瀬がないわよね」
「いや、それは良いのだが。あやつと同居するなど、ここぞとばかりに虐められるからの」

 プライドの欠片もない兄だった。

「ま、良い暮らしをしているというのなら重畳ちょうじょうよの。余もここしばらく、文無しになったのを挽回するので手一杯だったからのー。あまり顔を出せずにすまなんだ」

 あの日以来、三週間ほどが経過していた。樹海探索で手持ちの金を使い切ってしまった日雨は、食事付きのキャラバン護衛に何度か参加してどうにか餓死の危機を避けたのだ。

「いいっていいって。むしろ、なんだか悪い気さえしてくるよ」

 くららはそんな過酷さとはかけ離れた労働で、相当楽な暮らしが出来ていた。

「ほんとにわたし、大した事してないもの」

 文明の進んだ異世界から訪れた者が、知識というアドバンテージを発揮する――これはこれであるあるなのだが、実態はもう少し情けない。

「夜見ちゃん、もうわたしよりずっと物知りなんだよ?」

 有り体に言って、詞木島夜見は天才少女だった。
 綿が水を吸うように教科書の知識を吸収し、更にはそこに書かれていない事も予測を立て、理論を確立していった。まさに一を聞いて十を知る感じである。下手をすると、いくつかの分野で博士号を取れるレベルに達しているかも知れない。
 彼女は利益を半分配分すると言っているが、どう贔屓目に見てもくららの寄与した部分は二割未満といった所だ。

「うむ。あやつは国におった頃から勉強好きだったからのー。あれはあれで変わり者と周囲から避けられておった」

 くららは知らない話だが、秋津洲国の身分制度は別に下層の民にだけ窮屈を強いるものではない。王位継承権保持者ともなれば、生活に相当な制限がかかるものだ。巫女の取りしきる祭祀と関わりのない学問に興味を示す事に周囲は決して良い顔をしない。

 夜見は、本業である巫術において他者が追従する余地すらない事を示し、それを強引に認めさせたのだった。
 おかげで嫉妬や反感を多く買った。

「だから、商いであれ学問であれ、誰はばかる事なく挑む事ができるというのは、あやつにとって喜びなのだろうな。くららよ、あれにやりがいのある学を授けてくれた事、礼を言うぞ」

 しゃくしゃくと果物を食いながら、日雨は言う。

「……あはは、ちゃんとお兄ちゃんしてるんだ」
「礼を言うだけならタダだからの。それくらいしかできる事のない、不逞の兄よ」

 やや照れたように顔をそらす日雨。

「お礼なんて必要ないよ。夜見ちゃんにわたしの世界の知識を教えるのって、ほとんど自分の為なんだから。……ちょっと急ごうか。待たせたら悪いしね」

 ――夜見の提示した報酬の他に、一つの条件をくららは付け足したのだった。
 元の世界への帰還を手助けしてくれる事を。




 詞木島夜見の屋敷は、気候条件もあってかお国柄を感じさせない、この辺りで一般的な天井の高い煉瓦造りの平屋だった。窓も大きめで風通しがよい。
 その中の一室、本棚で壁一面の埋まった書斎に日雨たちはいた。

「異世界、別世界――などと簡単に言うが」

 そう切り出す夜見はなぜか小袖の上に、袖まくりしたぶかぶかの白衣を羽織って、眼鏡まで付けている。どちらもくららから知識を得て仕立てさせたものだ。形から入る幼女だった。
 彼女は、真っ白い体色をした淡く光る巨人の腕に乗り、一番上の本棚の冊子を手に取って続けた。

「歌という名の芸があり、三十一文字という定型がある……といった程度の理解で歌詠みができる訳ではないのと同じように、概要を知っておる程度ではそれを自在にするなど不可能よの。まずはこの言葉を理解する事から始めよう」
「おー」

 中央のテーブルに付き、ぱちぱちと拍手する日雨。
 冊子をぱらぱらとめくりつつ、夜見は語る。

「くららちゃんが持ち込んだ教科書なる書物は、私塾の門弟のような者共が受ける基礎的な学問を教えるもののようじゃ」
「既にちゃん付けで呼ぶ程親しく……」
「女同士はあっさり親しくなるものじゃ兄様。まぁ、離れる時もあっさりしておるがの」
「嫌な話を聞いてしまった……」
「さて、話を続けるが。くららちゃんの教科書ではそこまで専門的な事は記述されておらぬでの、いささかわらわの私見を含めて述べるが……異世界、という現世と別の世界の存在を認める為の理屈は二つある」

 巨人が夜見の代わりに巨大な二本指を立てる。

「一つめを語るには、まず世の万物を目に見えぬ程の極小の粒の集まりと定義する学問を知らねばならぬ」
「量子論ってやつだよね」

 頬に汗を一筋垂らして巨人を見やりつつも、くららが声を上げた。

「うむ。この粒の動きは確率に支配されておって、それは観る者によって確定する、というのが理屈の骨子である。丁半博打の壷の中身が、丁であるか半であるかは、開けてみるまでどちらでもある、という一見珍妙な絵空事じみた理よ。
 この、どちらでもある、という状況を一押しして「全ての結果が同時に存在する」とまで言い切るのが一つめの説。丁が出て負けた兄様がいる世界、半が出て負けた兄様がいる世界と分岐した二つの世界を想定するのだ」
「あれー妹よ妹よー、どちらも余が負けておるのだがのー。お主は空想の中でも兄を負け組にしたいのかのー」
「(無視)根っこから無数に枝分かれした樹木、とした方がしっくりくるかの。世界の始原から今に至るまで枝分かれしたこの大樹の枝数は無限に等しく、それぞれの枝の様相は、少々離れた程度でまるで別物になっておると考えられる。これを以て、異世界という存在を認めるものよ」
「二つめっていうのは?」
「こちらは単純。この世界が成り立ちから無数の天地あめつちを内包する構造であった、というものである。南海諸国やバーブル帝国、秋津洲でも一部で流行していた宗教でいう三千大千世界に近い」

 ――つまり、夜見が語っているのは多世界解釈と多元宇宙論である。

 中世的な価値観の元で育てられてきた十歳児が、高校の教科書十数冊でそこまでの世界観を築き上げた事がいかに驚くべきかは、それを聞く日雨の顔が(゚Д゚)ハァ? という間抜け面である点から察する事が出来よう。

「くららちゃんの言う異世界とは、この二つの理論のどちらかで定義される概念である」

 区切りの意味か、手元の冊子を閉じつつ告げる夜見。

「ふーむ、なるほどのぅ」
「理解できなんだ事をさも分かったような顔をしている兄様よ、一つ聞くが、ここからくららちゃんが元の世界に帰る手立ては考えつくか?」
「はっはっは。無理に決まっておろう」
「おいだきに、この阿呆に我慢大会の如く煮えた茶を持て」

 どこからともなく現れただきにが、向こうの見えない程湯気の立った湯呑みを日雨の前に置く。これを飲まずに一分も待てばより過酷な仕置きが待っていると理解している日雨は、無言でそれを飲み干して以降黙り込んだ。

「まぁ、わらわ自身も考えつかん……というより、この二つでは、そもそもそなたがこちらに来る事も不可能に思える」
「え、ええと、どういう事かな」
「前者の世界観では、観測こそが世界を成立させる主軸であり、観測者はそれに縛られる。箱の中の猫が死んだ世界に生きるものは、猫の生きる世界を観測する事はできぬはずじゃ。後者にしても、二つの世界の距離は途方も無く離れておるであろうよ。そなたのおった世界とやらは、このいずれかを解決する術を持つ程文明が進んでおったのかや?」
「……ううん」

 首を振って、夜見の問いに答えるくらら。

「となると、〝さいえんす〟からの〝あぷろーち〟は頓挫……少なくとも保留しなければならんの」
「うん、そうだね……」

 と、くららは言う。天才児の頭脳を以てしても匙を投げられながら、不思議とそれ程気落ちしているようでもない。
 というより、別の事が気にかかって仕方がないという表情だ。

「ごめん夜見ちゃん、わたしの相談について真剣に考えてくれているのに、当のわたしに身が入っていないのは申し訳ないんだけれどね? 喉に魚の小骨が引っかかったみたいな、っていうか……どうしても聞いておきたい事があるの」
「むぅ?」

 夜見が可愛らしく首を傾げるのに合わせて、彼女を抱える巨人もまた同じ姿勢を取った。

「それ。それだよ。……なにそれ」
「式神じゃが?」

 あっさり夜見は答えた。

「うぅ……半端に被っている世界観がわたしを惑わせる……」

 頭を抱えて苦悩するくらら。

「ふむ……〝この方面〟から攻めてみるのも有りかもの」

 そんな彼女を見て、夜見は柏手を打った。

「くららちゃんよ。実は異世界……と言うべき場所がこの地には実在する」
「えっ、そうなの?」
「実証もされておる。証拠となるのは、この式神という存在よ」

 白い巨人は左手で、やたら陽気に手を振った。

「秋津洲の巫術は、というものを操る事で行使される。動植物、鉱物、大気……あらゆるものに内在する目に見えぬ元素えれめんとよ。そなたの教科書にも載っていた、疑似科学として否定された〝えーてる〟なる物質が、これにとても近い。
 そこな舌の火傷に悶えておる兄様がよく使うのは、鬼道――自身、あるいは他者の霊を操る術じゃ。肉体を強化したり、人に幻影を見せる効用がある。
 この式神はもう一つの術、〝陰陽道〟に分類される。これは〝霊の側の世界〟を利用する秘儀よ」
「……霊の側の世界?」
「うむ。いつの世もまっどな輩というのはおるもので、かつて山脇某なる医師が動物や刑死した死体の身体を刻んで、臓腑の内訳を明らかにした。胃、肝臓、腎臓などの機能はそなたの教科書に載っているのとおよそ大差無い程度に明かされておる……が、霊を蓄える臓器は存在しなかった。
 つまり霊とは物質世界とは別の場所に存在するのよ。秋津洲ではこれを黄泉、あるいは底つ根の国と呼んだ。世界の万物はそこと繋がっておるが故に霊を持つ。ここから図形や言霊により構築した術式で定義し、招き寄せる存在を式神という。この大鬼やだきになぞがそれに当たる」
「え……だきにさん、って」
「だきに」
「は」

 ドアを開けて再び現れた、どう見ても人間の美女でしかないだきにに向かって、夜見は言った。

「ほれ、化生してみせよ」
「……脱げと?」

 彼女は着物の袖を口元に寄せて、仕草だけで「何言ってんのこの人」というアピールをした。

「……別に半妖相でよい」
「はぁ。では――」

 すぅ、と彼女が吸気する――途端に、その肉体の輪郭がいささか変化した。
 着物の裾を押し上げて、ふさふさとした大きな尻尾が一本現れる。頭も一部盛り上がって、狐耳が生えてきた。

「これで如何ですか?」
「あざとーい!」

 たまらずくららが叫ぶ。

「ふふふのふ、くらら様、このだきにはお嬢様の最高傑作……すなわちこの耳年増幼女のムダにマセてねじれた欲望の集大成。この程度はまだまだ序の口。機会があれば万人を萌え転がす最終奥義・傾城だきにさん七変化をご覧に入れましょう」
「喧嘩を売っておるのかや我が従者」

 無表情のまま大口を叩くだきにを、額に青筋立てて睨みつける夜見。

「……とまぁ、これが巫術という我が国の秘儀よ。ただ、この「力の根源たる場」と「それを利用する術」の概念は世界各地に存在する。太極から気を引き出す大陸の道術、バーブルの梵天ブラフマンから精力クンダリニーを引き出す心止法ヨーガ……」
「また世界観が被ってる……」

 と、くららは首を傾げる。むやみやたらと造語を使えばそれはそれで難解ではあるのだが、異世界なのだからもっとオリジナリティを出して良いのではなかろうか。随分と手抜きをするものだ。

「つまり、異境の実在と、そこに干渉する術を我らは知っておる。これが直接そなたの住む場所へ帰還する手立てとなるかは分からんが、そう悲観せずとも良いやも知れぬぞ?」
「うん。……ありがとう夜見ちゃん、元気づけてくれて」
「なに、師弟のよしみじゃ」

 などと微笑で受け答えする夜見に、くららも笑い返した。

「さて、机上での推論は打ち切りじゃの。身体を使うしか能のない兄様よ、出番ぞ」
「……なんだ」

 火傷した舌をどうにか回して応答する日雨に、夜見は言った。

「この問題を解決する一番の手掛かりは、主様が見た巨大神像じゃろう。それの出自を明らかにすれば、あれこれ理屈をこねるまでもなく解答がまろび出てくれるやも知れぬではないか」
「……またあそこに行けと?」
「そうするのが一番ではあるが、手間を考えると最後の手段じゃの。もっとお手軽な筋から当たるべきではないかや?」
「……?」
「鈍い男じゃの。神像の情報を寄越したシハヌークなる情報屋にその出所を聞け、と言うておるのじゃ。そやつも、くららちゃんの持つ金子をひと握りでも寄越せば立て板に水とばかりに喋りだすわ」




 なるほどなるほど、お主はまこと頼りになるのぅ――などと。
 夜見の手を握って上下にぶんぶん振り回した挙げ句、日雨はすぐさま弾丸のような勢いでくららと屋敷を飛び出して行った。

「なんとも節操のない兄様じゃ……」

 大窓から豆粒のようになって消えていく兄の背中を見つめて、夜見は呟いた。
 その目線が、彼の握った自分の手に移ると、彼女はほぅ、とため息をつく。

「夜見の元には一刻とておってはくれぬ」
「相変わらず一人になると乙女丸出しですね。正直気持ち悪いです」

 果物を山ほど投入したトロピカルなジュースを載せた盆を持ち、だきにが背後に立ってコメントする。

「う、うるさい!」

 罵りながらグラスを引ったくって両手で抱え、ストローをくわえる夜見。

「……彼女の件、言わずとも宜しかったのですか?」
「……確証がない。それでは兄とて納得するまい」

 密やかに告げてくる従者に、同じ程度の小ささで夜見は返した。
 ――彼女の背は、既に見えなくなっているというのに。




 彼女がこの屋敷での生活に慣れ始めた頃だった。
 夜見が彼女の部屋を訪ねると、彼女は机にノートと教科書を広げ、シャープペンを片手に勉強していた。

「あはは、わたしだって受験生だからね。うまく元の世界に帰れた時、三角関数すら忘れてました、なんて笑えないもん」

 屈託のない笑顔を浮かべて言う彼女の邪魔をしないよう、夜見は彼女への用事(私服を都合してやるつもりだったのだ)を後回しにしてその場を立ち去った。
 そして、居間で暇潰しに自分の問題に挑戦してみた。彼女が数学をやっているのに合わせて、数式をこねくり回す。

 ただしその高度さは桁が一つ二つ違う。既に夜見は、高校レベルの問題では物足りなくなっていた。師弟の礼にもとると控えてはいるが、彼女の勉強を見る事も正直簡単であろうと思う。

 その時夜見が手を付けていたのは、「2より大きな偶数は、二つの素数の和で表せる」という予想の証明だった。一見単純なようでいて、これが何とも奥深い手応えを感じさせた。

 ――その問題を、現代数学では「ゴールドバッハの予想」という。
 未解決問題に分類される整数論上の難問であった。

 ついに地頭での解決に白旗を揚げ、演算霊を召喚してまで取り組んでいたが――その日も解決には至らず、筆と紙を放り出したまま湯浴みに向かった。
 ――だきにに濡れ髪を纏めさせた夜見が居間に戻ると、放置した紙に解法が記されていた。

 演算霊三鬼をフル回転させて、その解法の検証をした。
 数時間かけて、様々な検証法を用いて、それが予想の完全な解であると結論せざるを得なかった。
 その、シャーペンで書かれた筆蹟――

 慌ただしく彼女の部屋のドアを開けると、彼女は数時間前と同じように、高校の教科書とノート相手に唸っていた。

「おい、そなた、居間の問題――」
「あ、ごめんね夜見ちゃん。勝手に解いちゃって」
「い、いや……」

 そして、彼女は屈託のない笑顔を――先程のコピーのような表情を浮かべて、言った。

「それにしても、数学ってほんと難しいなぁ。夜見ちゃん、教えてくれる?」




 ――それで収穫と言えば得体の知れぬ女子おなごが一人とな? 哀れツキすら失うたか兄様。
 兄様よ、わらわはいつぞや主様にそう言うた。
 だが、取り消す――いや、あるいは――〝意味は違えど〟言葉は同じで良いのだろうか。

 主様は運が巡ってきたのか、それとも失ったのか?
 なぁ兄様よ。
 主様は、一体……〝何を〟拾うてしまったのか?



[40176] 4.DEMONIZE
Name: 八目又臣◆aa87a973 ID:17b043ce
Date: 2014/07/16 21:42
 モクレントレイの土地割は至極単純なもので、西には中流階級以上の住む高級住宅地、南は港湾地区、中央は商業地区、北に自治府の庁舎を始めとした公共施設がある。
 一応理由はある――西側はやや高所で景観も良く、南は海に面している。北は都市の入り口であり外からの客、例えばアンコール王国の役人の来訪に応対するのに都合が良い。中央の商業地区には、四方全ての住人に用がある。

 東側は、前述したもの以外が押し込められた場所だ。
 肉体労働者や流れ者が住み着いており、一部はスラム化している。用心棒のようなやくざな商売をやる者は家賃の低さや手続きの簡便さを好んでここに居住する。日雨の家もここにある。
 無論、総じて柄が悪い。

「……わたし、ファンタジー世界の治安の悪さをナメてたみたい」

 山賊との相違点が間違い探しレベルにしか存在しない客ばかりの酒場から、逃げるように這い出てきたくららはげんなりと呟く。三つ編みの尻尾を嗅ぐと、やはり煙草臭い。

「んー……夜見の屋敷に戻っても良いのだぞ? 連中からすれば、お主のような清潔で見目の良い女性にょしょうは道ばたに落ちていた宝石と変わらんしのー。拾わぬのが不自然というものだ」
「……えっ? ええとっ! あ、あはははっ?」

 唐突に心臓に悪い発言が隣の日雨から飛び出して、くららは動転した。

「だ、大丈夫……そもそもわたしの事だしね、詞木島くん一人にやってもらうなんてあり得ないよ」
「心意気は買うがのぅ」
「それに、守ってくれるんでしょ?」

 まぁの、と日雨は軽く請け負う。

「そもそも、荒事になるのを心配する事もあるまい。この辺りの連中は余の顔を知っておる」

 ――さっき、ヒグマとの相違点が服を着ている事くらいの客の一人に、くららが胸を揉まれそうになった時、日雨は「俺の連れに用か?」と一言だけで抑えてのけた(くららも近頃は、絹語を多少聞き取れるようになっていた)。

「喧嘩を売るには高くつく相手、程度には認知されておるからの。余の側におる限り、少々不快な軽口を叩かれるくらいで済む」

 身丈も小さく顔立ちも男臭さを欠いている、十六という年齢以上に精強さを感じさせない容姿の日雨。彼が強面の大人に混じって用心棒で食えているのは、単純に腕が立つからだった。一対一ならば武侠ウーシャ――大陸から流れてくる、道術(※鬼道の大陸版)の心得がある武術家にもそうそう後れを取らない。
「へぇ……ていうかさ、俺、とか言うのね詞木島くん」
「……む。いじわるを言うな」

 気恥ずかしそうに、日雨はくららを睨んだ。大人の荒くれ者相手に強気の彼が、いかにも子供っぽい所を見せるのでくららは吹き出してしまう。

「ええい! 早く行くぞ! ……全く、シハヌークの奴はどこへ消えたのか」

 と、小路を歩き出しつつ八つ当たり気味に愚痴を言う日雨。
 耳口売情報屋のシハヌークは、定住する家を持たない。安宿やたらし込んだ女の家を渡り歩いている。理由はと聞けば、情報は足で得るものだから、地に足を付けちゃこの商売はやってけねぇ、と胡散臭いような納得の行くような職業哲学を語っていた。
 彼の現在の住まいは、彼の出入りする酒場や娼館から聞き出せるはずだが――十数件回っても足取りは掴めない。
 ただ――手掛かりが、一つ。

「全く、むごい話よ」

 片目を閉じ、手刀を切る仕草と共に日雨は言う。
 ――三日前、この辺りのある安アパートで女の刺殺体が発見された。自警団が出払って犯人を捜している。
 どうやら、シハヌークの女の一人らしい。
 くららは身を震わせる。殺人事件というのをこれほど身近に感じた事は無かったのだ。

「あやつが痴情のもつれで女を殺す程の外道であったとは思えんが……そも、素人の手際ではないし」
「……どういう事?」
「この程度で顔色を青くしておるお主に聞かせる話ではない」

 先程の酒場には非番の自警団員が詰めており、彼から遺体の状態を日雨は聞いていた。
 肝臓、肺の位置にそれぞれ二箇所刺し傷がある。急所の位置を的確に捉えていたのもさる事ながら、回数が問題だ。素人が激情に駆られた時は、一度刺すか、あるいは何度も繰り返し刺す。今回の下手人は、前者が不確実、後者は余分である事を知っている。

(厄介事に巻き込まれたか?)

 他人の秘密を売り買いする仕事である以上、その危険は無視できない。
 しかしあの男は、その点には細心の注意を払っていたはずだ。危険なヤマに関わる時は自分の顔を見せないし、腕っぷしの良い友人を作る配慮も欠かさない。
 それが、女を一人巻き込む程の不始末をするとは。色事師を誇るあの男にとっては痛恨事に他ならない。
 それとも――彼の能力を越えた事態に遭遇したとでも?

「……どうしたの?」

 覗き込むようにして、くららが言う。

(……やはり、帰すべきか?)

 その顔を横目に自問する。

(……いや)

 殺人事件の発覚から三日。シハヌークが窮状にあるのなら、引き返す時間が惜しい。かと言ってくらら一人で帰すにはこの辺りは治安が悪過ぎる。
 連れて行くしかないだろう。

(……大丈夫だ)

 腰の辺り、刀の柄に手を添えて日雨は言葉を胸に落とす。
 この二年間、敗北が死に繋がる世界で生きてきた。魔獣の群れや、手練れで組んだ徒党に逃げる事はあっても、自分はおよその戦いで勝利してきた。
 己は強い。
 女一人を守る事くらい訳は無い。
 訳は無いのだ――




 太陽が西に大きく傾くまで歩きつめて、ようやくシハヌークの居所を掴んだ。
 ――アイツぁ絵を集めるのが密かな趣味でよォ、酔ってる時に漏らしやがったんだわ。リドゥクの干物屋の隣にある借家を保管用の部屋にしてるって。
 普段通り安宿や女の家にいるなら、顔の広いシハヌークの事だから誰かは知っている。それが無いという事は、人を頼っていないのだ。その物置小屋は最有力候補である。

 住所を聞き、情報提供者に「手を付けるなよ、俺が金に困った時の保険なんだから」などと釘を刺されつつそちらに向かった。
 件の物置小屋は、この辺りでは標準的な煉瓦造りの二階建てだった。壁の中程まで苔が侵食しているのが、いささか貧乏臭い。
 ドアの手前の地面に、足跡がある。
 シハヌークがここに隠れているなら、この場に日雨たちが突っ立っていては不都合だろう。日雨はドアの取っ手に手を掛けて引く。――施錠はされていない。

「お邪魔します……」
「シハヌーク! いるか! 俺だ、日雨だ」

 不法侵入に遠慮がちになるくららの声をかき消す大きさで、日雨は呼びかけた。
 応答は無い。フロアの内は壁も無く一部屋きりだった。居間とキッチンを兼ねているようで、中古品らしきソファにテーブル、半開きのクローゼット、渇いた水桶……どこにも人影は見当たらない。
 中央に、二階へと続く階段がある。

「お前を追っている訳じゃない! 事情を聞かせてくれれば力になれるかも知れない!」

 ――こんな言葉に追い詰められた人間が耳を貸すとも思えないが、こちらの正体も分からないまま出くわしてパニックになられても困る。

「とにかく顔を出せ。話をしよう」

 声を上げながら階段を上っていく。くららもやや怯えがちな猫背の姿勢で、その後を追った。
 最後の段を踏んだ所で――日雨の足が止まる。

「詞木島くん?」

 背後のくららが囁きかけるが、答えはない。彫像のように動かなくなった彼を避けて、くららは二階に顔を出そうとした。

「くらら……止まれ。余の前に出るな」

 ようやく絞り出した彼の声は、なぜか水気を失っている。

「……どうしたの? シハヌークさん、いたの?」

 日雨は、答えなかった。
 ――シハヌークが居なかったから、ではない。
 二階もまた壁を取り払った一つきりの部屋だった。色事師やら情報屋という先入観が無ければ、画家のアトリエとでも思っただろう。蒐集しゅうしゅうしていると言われた絵画はまばらに配置されたイーゼルに掛けられているものがほとんどで、他は部屋の隅に重ねて置かれている。壁際のテーブルの上には、筆の入った箱やパレットなどの道具まであった。

 林のように立ち並ぶ絵画――それは本来、鮮やかで多彩な色彩で描かれているはずだ。
 しかし、それを日雨には認識出来ない。
 色を認知する感性が、一つの色彩に囚われていた。
 ――赤い。
 何か、赤いものが、部屋の中央に、ある。
 絵画の保管庫と聞いていたせいか、それは何かのオブジェのように思える。
 椅子に載った――瞳のない首。

「――サハニーア・メンサール『大地の傷跡』」

 声がした。
 それまではそれこそオブジェのように、部屋の中に混じって気付きもしなかった。その男はただ単に、そこに立って絵画を見ていただけなのに。

「バーブル帝国じゃ珍しい、印象派の画だ。聖河バーギーラティーをモチーフにコイツの死生観を塗り込めた。名画だよ。この色男、中々良いセンスしてるじゃねぇか」

 男は瞳のない生首に向かってウインクする。

「コイツ自身の絵もあるぜ。女たらしのケチな噂売りの密かな夢って奴か? 泣かせるねぇ。あっさり人生から退場した端役にも、軽んじてはならないドラマがあった訳だ。なぁ? 坊や」

 そんな事を言いつつ、男は窓から刺す西日の下に歩み寄ってきた。
 藁の日傘に白い貫頭衣、生成りの布のズボンとこの辺りでは標準的な服装。砂海の民によく見られる、日焼けした肌に赤毛。歳の頃は四十手前か。
 ――凶兆を体現したような男と、日雨は思う。
 およそ陰を感じさせる要素の無い男ではあった。むしろ彼から受けるのは、強烈な陽の気だった。

 しかし、それは――濃い陰を周囲に落としてはばからない、凶暴な太陽だった。
 戦場にあって常に砲煙弾雨を受けながら、周りの仲間は全て死に、己のみ生き残る――そういう宿業ほしを感じさせた。夜見のように占術に長けておらずとも感じ取れた。
 顔相かおが、手足が、音が、匂いが、魂が。
 男を形作る全ての要素が、調和を保ちながらそうした性質を示しているのだ。

「全く、余計な殺生だぜ。馬鹿に仕事をやらせると、死体ばかりが増えやがる」

 そう言って、男は嗤う。虎のような表情だった。直観的にその獣が思い浮かぶ程、その笑みは非人間じみた獰猛さを帯びていた。

「そこの――ああ、どうせ俺から目ェ離す気になれねぇだろうから教えといてやる。お前の後ろ側の部屋の隅、もう一つ死体があるんだぜ?――遠征調査中だったエーリックス伍長がコイツの女口説いてる時に、知っちゃあならねぇ事って奴を喋っちまった訳だ。それを耳にしたこの色男が誰に漏らしたか、昨日から一晩かけて、丁寧に、手間暇かけてお尋ねしてね……ようやく、坊や一人にしか秘密が漏れてないと確信が持てたんで、楽になってもらったよ。うん、案外義理堅いっつうか、信用されてたんだねぇ坊や」

 男がべらべらと喋る――そのほとんどを日雨は聞き流していた。こういう男が、こういう場面で饒舌になる理由なんて決まっている。
 案の定、階下から複数の、潜めた人の足音を聞いた。

「くらら!」

 事態を把握できず、背後で蚊帳の外に置かれていたくららを強引に抱きかかえる。

「えっ、ちょ――きゃあっ!」

 赤面して身をすくませるくららの身体をジャケットでくるみ、全力で疾走。部屋の窓ガラスを割って飛び出した。
 隣の民家の屋根に着地する前に、日雨は呼吸によって発動する簡易な鬼道を行使した。全身のを励起させ、筋力に別種の力を上乗せする――身体強化術だ。
 強化された脚力で屋根の瓦を踏み割り、大きく跳躍して三つ隣の屋根に飛び移る(くららの悲鳴が一層高くなった)。そのまま民家の屋根伝いに駆けていく。

「し、詞木島くん――」
「舌を噛む! 黙っていろ!」

 鋭く叱責しつつ、鬼道の呼吸を続ける。霊力は使いすぎると精神に負荷がかかる。これ以上身体強化を続けると、情緒不安定、あるいは情動の消失などの副作用が起きるかも知れない。
 しかし、足が自我を持っているかのように、止まろうとしない。
 あの男。
 不吉だった。危険を感じた。巨獣に遭遇した鼠の気分だった。
 そして――どこかで、見た事のある、ような。

「……っ」

 小路の一つにようやく降り立って、日雨は一息ついた。川の匂いがする。都市を縦断するチャウ河だ。東区の出口付近まで来ている――

「やっぱ、陰形もできねぇ兵隊を使うんじゃなかったな。〝向こうの連中〟は、便利な小道具が無ぇと鼠狩り一つ満足に出来やしねぇ」

 焼けた砂風のような野卑な声。
 小路の出口に、西日を背負いながらさっきの男が立っていた。

(全力で走った――軽地竜の襲歩はやがけ並の速度だぞ! なぜ追いつける!?)

 目を大きく見開きつつも、日雨は驚愕の声をどうにか我慢して飲み込んだ。しかし、

「その点坊や、ボンボンの癖に中々どうして端っこいじゃねぇか。この二年でお鍛え遊ばされましたか――還龍宮かんりゅうぐうサマ?」
「――ぁ」

 続いて発せられた男の言葉に、抑えが利かなかった。
 忌諱きき(※本名の呼称を避ける事)の慣習がある秋津洲国では、王族の子が誕生すると国内に社が建立こんりゅうされる。その社の名前を宮号と言い、これを生まれた子の通称にするのだ。
 男が呼んだのは日雨の宮号。この男は、自分の素性を知っている!

「何者だ貴様!」
「おやおや、つれねぇなぁ王子様。祇辰殿ぎしんでんの下人、蝟島捌朗いしまはちろうをお忘れか……ああ、こりゃ名前が悪いな。苦鸞の山猿共は絵に描いた餅がお好みだ。偽名もやたら凝りやがるモンだからよ」

 祇辰殿。地方領主を務めていたさる有力貴族の王都での別邸だ。彼は苦鸞のシンパで、二年前の王都・常世京でのクーデターに協力した人物でもある。

「苦鸞の党員、か……?」
「いんや、俺ぁフリーランスの工作員って奴でね、金で雇われただけさ。羅虚虎ロゥ・シィフゥ、ってのが一番通りの良い名前かねぇ」
「大陸の者か? それにしては容貌が……」
「ソイツには答えらんねぇな。生まれの分かる生き方なんざして来なかったんでね……ふむ、名は体を表わすって意味なら無號ネームレスが一番当意即妙って奴だねェ」

 顎に手を当ておどけるように言う羅虚虎(なんとはなしに日雨はその名を選んだ)に、日雨は悪態をついた。

「政治的な価値もない私生児を二年かけて追い回すとは、苦鸞も随分としつこい連中だ。あるいは王室が余程恨みを買っていたか。羅とやら、走狗も楽では無かろうな」
「ハッ」

 羅は口の端を吊り上げる。

「化かし合いは止めにしようぜ坊や。これでも引く手あまたの商売なんでね、一つの仕事にそう時間をかけちゃあいられねぇんだ」

 そう告げられて、日雨の背筋に汗が滲む。

「……狙いは夜見か」

 先に述べた通り父親も知れない私生児の日雨に政治的な価値など無いが、妹は秋津洲国の時期女王だった。未だ政治基盤の緩い山徒公国にとって、いくらでも使いでのある道具だろう。
 そう当て込んで、日雨は呟いた――のだが。

「ハァ……面倒臭ぇな」

 げんなりしたように、羅は嘆息する。
 当てが外れたのか――確かに、その筋書きではシハヌークの殺害を説明できないが。

(なら、どういう理由で、)

 いや。
 あの哀れな伊達男と自分を結びつけるものが一つ、あったのではないか……?

「――ま、やるこたぁ変わんねぇわな」

 日雨の物思いは、羅が背中に腕を回した事で中断された。
 ずるぅり、と引き出された剣の刃が、西日に照り返し妖しい光を帯びる。

「……っ」

 歯噛みしつつも、日雨もまた太刀を抜いた。

「……え、ちょっと……戦う、の……? 嘘……」

 背後から、くららの怯えた呟きが聞こえる。この気優しい少女の前で斬り合うのは気が進まなかったが、既に交戦は不可避だった。

「逃げろ」

 日雨はくららに告げる。東区の出口に近いここならば、一人でも構うまい。たとえ最も治安の悪いスラム街の最奥であっても同じ事を言うべきと思える程、この男は危険に感じられたが。

「その足は棒か何かか! 早う去ね!」

 ぐずぐずと後方に居残る気配に叱責する――と。

「そうは……いかねぇわな」

 羅が一歩進み出た。
 戦端が切られた以上、くららの心配をしている暇は無かった。日雨は眼前の脅威に集中する。
 相手の得物は、大陸風の拵えではあったが奇妙に秋津洲の刀と酷似していた――確か苗刀みょうとうという名の武器だ。海を隔てて秋津洲と程近いサイ国で開発されたものである。

「得物の趣味は同じか。気が合うの」

 一歩先んじられた気勢を整える意味で、軽口を叩く。日雨もまた、雅やかな貴族の儀仗ではない無骨な番衆太刀――身幅がやや広く反りのある、実用一辺倒の武器を使っている。
 どちらも切断に特化した刀剣だ。

「やんごとなき高殿の宮様と趣味が合う? ハハ、光栄の極みだねぇ」

 具合を確かめるように三度、羅は太刀を振ってから、気軽に担ぐように構えた。
 大陸剣術の特徴は、拳法の延長上として成立した為の身軽さと手数だ。套路、つまり攻防を一連の型に当てはめる。

(……そこに勝機がある)

 一手目は、様子を見てくるはずだ。
 日雨が取ったのは切っ先を地面に向ける脇構え。
 こちらの背は低い。上半身への攻撃は遅延してしまう。胸腔以下の内臓、あるいは足を狙って動きを止める意図か――そう、羅は判断するだろう。
 日雨は胸の上下で肺の動きを悟られぬよう、小さく鬼道の呼吸を完成させる。丹田を力が廻り、全身を巡って埋み火のように滞留する。
 これから使う術は、精緻を極めたコントロールが必要だ。

「さて、坊や――」

 余裕めかして羅が再び口遊びを仄めかす。
 その瞬間に、日雨は飛び出していた。
 低く身を沈め、蹴り足を強く。
 右腹を狙う下段の太刀筋。
 ――そう、相手は錯覚しただろう。
 日雨は気配を隠蔽する陰形術を、太刀を握る手、足運びに施した。
 結果、敵手は幻の斬撃を幻視する。

 真実の太刀筋は、上段。日雨は一瞬の間に太刀を振り上げ、羅の左肩を狙って袈裟斬りを放っていた。
 二手、三手と先を想定していた敵の意表を突く、幾重もの伏線を張った一撃。
 確実に命中する――
 斬撃の軌道に、鈍い鋼の色彩が重なった。
 次ぐ刹那、景色がめまぐるしく流れる。
 眼下の遥か遠くに羅の後頭部がある。日雨は、空中高くに投げ出されているのだ。

(……っ!?)

 斬り下ろしを受け太刀で防がれた。そこまでは理解できる。
 その後に起きた事はなんだ。
 投げられた?
 どこを掴んだ。己の身体に奴は触れていない。
 剣の刃と刃が、接触しただけ――
 恐ろしい可能性に、気づく。

(剣で……投げた?)

 物体には摩擦がある。刀刃においてもそれは例外ではない。刃が斬れるのは鋭さの為ではない、むしろ適度に引っかかるからこそ肉を引き裂く事が出来る。秋津洲国の番衆などが研ぎの後の刀をわざわざ砂山に突っ込んで傷を付けるのはその為だ。
 だから、理論上は不可能ではない。極小の摩擦を捉えたまま、力の流れを的確に操って相手の突進を振り回す、という芸当は。

 いわゆる――神業である、というだけで。
 動揺を押え込みどうにか着地した日雨の方を向く羅。その顔の、なんと弛緩している事か。
 まるで、子猫をあやしでもした後のようだ。

「内臓に届かないよう加減しやがったな? 驕ってるねぇ。まさに餓鬼の太刀筋だ」

 あからさまな侮蔑。

「この辺の武侠と何度かやって自信を付けたってとこだろうな。はん。武林の序列から漏れてこんな半島くんだりに逃げて来た三下どもを負かした程度で、大陸の武術を計ったつもりかい坊や。笑えるねぇ。見本にしたいくらいの井の中の蛙ぶりだ」

 見透かしたような物言いで放たれる痛烈な侮辱に、ぎっ、と奥歯が軋る。
 だが、即座に報復に向かう事が出来ない。前に出る事を身体が拒否している。
 一合で理解してしまった。羅虚虎、と名乗ったこの男は極上の達人だ。

「おやおや、次はビビリやがったか。全くガキってのはこれだから扱いに困る」
「……く」

 事実臆している日雨に、興醒めとばかりに羅は肩をすくめた。

「秋津洲の番衆衛士は仇が出来りゃあ命賭けで殺すのが習いって聞いたぜ。お前はどうなんだ王子サマ。――国の仇を前にしてんだ。これを逃しゃあ沽券に関わるってモンだろ」

 男の、告げた言葉は。
 単なる挑発と見過ごすには重過ぎた。

「……何だと」
「俺の話を聞いてなかったのかい還龍宮。金で雇われた工作員って」
「苦鸞の、」
ちげぇ違ぇ。俺の雇い主は別さ。西の涯の、とある〝真面目にイカれた連中〟にね、頼まれたのさ。ちィとばかし歴史の歯車を早めに回してくれ、ってな」
「歴史の……歯車?」
「あの頭でっかちの山猿苦鸞はな、本来革命を成功させる程の器じゃ無かったのさ。資金は貧相、コネも袖の下目当てのケチな役人程度が関の山、人材も当の党首サマからしてカルト宗教の教祖とどっこいどっこいだ。――テコ入れが、必要だったのさ。
 俺は奴らに雇い主のカネを回してやって、有力貴族とのパイプを作ってやり、党員の教育もしてやった。つまり俺様は、革命の大裏方って訳だ」

 ――きしっ。
 最後の言葉に妙な諧謔かいぎゃくを覚えたらしい羅の、笑い声だ。

「それだけじゃあねぇ。春畝はるせの穀倉放火、遠天橋おんてんきょうの爆破、戸乃衛淼童とのえびょうどう大臣暗殺……苦鸞が関わったって言われてる主な事件は大概俺の仕事だ。殺したぜぇ? 山ほど殺した。坊やが顔を知ってる要人もわんさといただろうな」

 この男は――その言葉に、己の行為に何ら引け目を感じていない。頭の蝿を払うのと同じ領域に殺人行為が置かれている。その事が日雨には恐ろしい。
 彼が理解できずとも当然だろう。職業的テロリストなど概念すら存在しない世界に、彼は生きてきたのだ。
 そして羅は、

「白面王――お前の母親だってそうさ」

 とどめの一言を、告げる。

「……ど、ういう」

 問い詰める声が枯れる。指先の震えが、握る剣の切っ先に現れる。
 それを見て、羅は食いちぎった肉の旨味を味わうような笑みを浮かべた。

「ちょっとした〝記念〟にさぁ、首斬り役人の御役を買わせて頂いたんだよ。中々出来る経験じゃあねぇだろ? 弑逆レジサイドってのはよ。どんな反応を見せてくれるかと期待したが――さすが稀代の女傑と謳われるだけはあるねぇ。落ちた首が眉一つ動いてやがらなかったよ」
「――き」

 日雨の脳髄が漂白された。
 女王の姿は常に御簾の向こうにある、声すら数える程しか聞いていない。
 ――父の無い事が哀しいか、日雨。
 ――その必要は無い。笑え。己の生を誇れ。そなたの父は余が惚れるに足る、佳き男であったのだから。
 ――そなたを産んだのは、間違いではなかった……

「貴様ァアアアアアッッッ!!」
「かかッ、かおだ坊や! 俺を殺したくてたまんねぇんだな! 来い!」

 殺す!
 殺意に塗り潰された思考は、思慮を放り捨てた暴力を選んだ。太刀を肩に乗せ、弾丸を撃ち出すように突進する。
 間合いの侵入と同時に、全力の一撃を放った――

「だが残念」

 そしてその斬撃は、羅が軽々しく放った刃よりも、遥かに遅かった。
 軌道上に置かれた右腕ごと切り裂き、羅の太刀は日雨の心の臓を潰した。
 噴出する血液がやけにのろく空を流れてゆく。その最中、羅の吐き捨てる言葉だけが聞こえた。

「かくあれかし、なんてガキの夢想にゃ敵を殺す力は無ぇ」
「……ぁ」

 二歩、三歩とよろぼい歩き、日雨の足は力を失った。どう、と倒れ込み地面に血の河を生み始める。

「さて、これでお前も「かつて、見るべきドラマのある人生を生きていた端役」の仲間入りだな坊や。一夜無情の風が吹いて、紅顔忽ち白骨となる……ってねぇ。きし、ひしししし、シャハハハハハハッ! カァ――ハハハハハハッ!」

 不快な哄笑が急速に小さく、薄れていく。

「これで仕事は完了。ついでに坊やの妹でもかっさらっておくかね。あの王女サマは、苦鸞に高く売れそうだぜ」

 至極不愉快な発言を聞いても、そちらを向く事が出来ない。波にさらわれる砂の城の如く、身体から瞬く間に力が抜けていく。

「……しきしま、くん」

 霞がかった視界に、膝をついてこちらを見下ろす少女の姿が。
 彼女もまた、羅に殺されるだろう。
 命のみならず、守ると誓った全てを失う。
 ――力無き者には何も守れぬ。ただ奪われるのみよ。
 妹の言葉が、泡のように思考に浮かび上がる。

「……ぐ」

 血泡を喉に詰まらせながら、日雨は怨嗟に唸る。
 ――許せない。
 このまま終わる事が許せない。あの鬼畜を生かしたまま数秒後に死ぬ自分が許せない。
 血液と共に意識は流出していく。しかし怒りだけが一向に色褪せない。

(力が……欲しい)

 あの不遜な強奪者を退ける力を。守りたい者を守るだけの力を。
 たとえ――悪魔に魂を売ったとしても!

(力が……)

 そこで、肉体が昂ぶる意志に愛想を尽かした。
 脳髄を巡る血を失い、日雨の意識は消失する。




 ――少女の目の前には、息絶えようとする少年の身体がある。

「あ……あ」

 生気を失い倒れた肉体。そこを起点に、小路の石畳の隙間を川のように血が巡っていく。血河はやがて少女の元に辿り着き、その膝を赤く濡らした。
 触れれば、血液は未だ温かかった。瞼を振るわせながら、少女は手についた鮮血を眺める。
 少年の顔にその手を伸ばす。
 かき抱いた面相は――怒りにこごっていた。

(なんで……だろう)

 少女は自問する。
 戦い、傷つき、死に行こうとする人間の顔だ。平和な世界に生きてきた自分には縁遠く、おぞましいもののはずだ。
 それなのに、どうして――こうも胸が熱い。
 この少年の熱い血が、燃え盛る怒りが、心を捉えて離さない。
 なぜ、思ってしまうのだろう。
 きみが欲しい、と。

(いけないのに)

 この志向性こころは、この世にあってはならないものだ。
 穢れている。悪徳である。
 それでは、まるで――悪魔のような。

(……でも)

 少女は衝動のまま、少年の唇に口を付けた。
 甘く熱い、血の味がした――




「見せつけてくれるなお嬢ちゃん。気は済んだかい? じゃあ俺と一緒に来てもらおうか」

 その有り様を面白がるように見ていた羅は、仕事を果たそうと一歩前に踏み出す――

【〝mediator unit〟の登録が完了しました】
【統合魔導戦闘支援ナノ・アセンブル・システム〝cat's cradle Ver8.1〟の定着を確認……破損臓器の修復……完了】

 ぐらり、と地に落ちた人形を引き起こすような無造作な動きで、死体一歩手前の元王子が起き上がった。

「……む?」

 心臓を引き裂いたはずだ。羅はこれまで無数の人体を刻んでいる。殺したと判断するに不足のない、慣れた手応えを感じていた。
 それがなぜ立ち上がる。

【フランケンシュタイン野に補助機構を構築。霊子エーテルコントロール効率1173%上昇。アストラル体を強化します】
「……がっ」

 日雨の口から、苦痛の声が漏れる――
 その直後に、劇的な変化が起こった。

「がアッ! あアあああああアアァああっ!」

 頭髪が腰元まで伸びていく。髪色も青白い色彩に変化しつつある。瞳は血のように濡れた赤に染まる。残った左手の爪が鋭く延伸する。じゅうじゅうと、焼けた鉄板に水を引いたような音と共に肩の傷が塞がっていく。
 両腕に、髪色と同じ青白い色で発光する、回路図じみた紋様が浮かび上がった。

「こいつぁ――」

 怪訝さを含んだ声を、羅が上げる。
 その瞬間、日雨の姿がかき消えた。

「――ッ!」

 猛禽を捉える羅の視力でもかろうじて影を追えるに過ぎない速度。日雨は羅に向けて突進、途中で右腕ごと取り落とした刀を拾い、口にくわえて飛びかかってきた。
 顎で支えられた斬撃を受け、羅の刀が半ばから折れ飛ぶ。切っ先が回転しながら民家の壁に突き立った。

けいを化かし切れねぇ! 人間のはやさじゃねぇぞ!)

 背筋を冷気にあぶられつつ、羅は後方に飛び過ぎた日雨の方を向く。

「……ぐ……うるる」

 獣の唸り声を上げて、少年は路地を挟む建物の壁に貼り付いていた。壁虎功ヘキココウ――無機物の〝気〟(秋津洲国の巫術では霊と言ったか)と同調して手足を吸着する、道術の高等技術だ。
 さっきまで、未熟な陰形術程度で驕っていた子供に出来る芸当ではない。

「つまり、こいつが――〝悪魔憑きデモナイズド〟ってヤツかい」

 頬に冷や汗をかきつつ羅はうめき、折れた刀を足下に向ける。無形の位。羅が全力で応戦する際の構えだ。
 それに合わせて、日雨もまた右腕を再生させた。剥き身の骨肉と神経が伸び、次いで皮膚がそれを覆い隠す。元の腕の形を取り戻すまで二秒とかかっていない。
 日雨は口から太刀を放し、復活した両手で握る――直後、武器も変化した。刀身の長さは二メートル、身幅に至っては二十センチを軽く越える、怪物じみた鉄塊へと。

(気を得物に通して強引に霊格を上げやがった!)

 羅ら道士もよく使う術ではある……しかし、武具が変形する程の力を注ぐなど、大仙人レベルの芸当だ。
 ――巨刀を担ぎ、日雨が壁を蹴る。
 ぎんっ! と刃金の噛み合う音を立て、羅の刀がそれを受け止める。大地に流した勁力が、彼の後方の石畳を数メートルも砕き、吹き飛ばした。

「ったく……腹立たしいねぇ。剣聖の領域に接吻一つで並びやがって」

 気の激突でぢりぢりと焼け付く大気にあぶられ、額に脂汗を浮かべつつ、相手と比べていかにも細身の刀で競り合う羅。

「舐めんじゃねぇぞ坊や!」

 巧みに剣を操って、猛進する敵の斬撃を流す。勢い余って地面に大穴を穿った日雨の背後に回り、側頭部に回し蹴りを見舞った。
 大木をへし折るだけの勁力を込めた。
 日雨は身じろぎ一つしなかった。
 致命的な隙。蹴り足を掴まれる。

「しまっ……」
「ガァッ!!」

 掴まれたまま振り回される。技術など微塵もない、単なる力技で羅は空中に投げ飛ばされた。
 影に隠れた小路から飛び出し、青空に滞空する。
 空中浮遊の余韻に浸る間もなく、砲弾じみた速さで白い魔物が小路から飛び出してきた。
 その身が帯電していた。僅かな量で大岩を持ち上げる力となる気が、膨大過ぎて器から漏れだしているのだ。
 振り上げられた巨刀――全力の斬撃が来る――気を練る時間が無い――

「チッ……」

 圧縮された瀑布ばくふの如き一撃に打ち据えられ、羅は墜落した。眼下の河に叩き付けられ、飛沫が天高く舞い上り雨として一帯に降り注ぐ――




「へっ、へへ……」

 ずるずると、下水道を命からがらの態で這い進みつつ、羅は薄ら笑いを浮かべる。
 不十分な守勢で受けた圧力のせいで、体中の骨に亀裂が走っている。特に怪力で掴まれ、投げられた左足は砕けているので歩けもしない。
 この致命的な不様を晒して止(とど)めが来ないのはどういう事かと、後ろを振り返れば、少年もまた力尽きて河を流れていた。失血死寸前で無理を通したせいだろう。〝変身〟も解けている。

「そうかい、そうかい……あのお嬢ちゃんは、坊やを選んだか」

 きしし、し、と軋むように笑う。

「止まっていた世界が、動きだすねぇ……カカ、楽し」

 喜悦に身体を振るわせながら、凶相の男は気を失った。



[40176] 5.インベーダー
Name: 八目又臣◆aa87a973 ID:17b043ce
Date: 2014/07/22 21:56
【〝mediator unit 02〟、〝incarnation〟とのリンクは確保されています】
【エンゲージコードを入力して下さい】
【エンゲージコードは――】

 目を閉じているはずなのに、緑色に輝く意味不明の文字が瞼の裏にちらつく。その不快感に、日雨は意識を引き起こされた。

「う……ぐ」

 途端、脳髄を内側から木槌でこづき回されたような激痛に顔をしかめる。

「詞木島くん! 良かった……気がついたんだね」
「く、らら……?」

 頭痛のひどさに滲み出した涙で霞む視界の中に、年上の少女の顔がある。

「! 奴は!? 羅はどこだ!」

 発作的に起き上がり、刀と敵を探して周囲を見回す日雨に、くららは「落ち着いて」と囁きかける。

「もうあの人はいないの、ここは夜見ちゃんの屋敷よ」

 そう言われて気づいた。今いるのは夜見の屋敷の客間の一つ、日雨も時折投宿する部屋である。彼はベッドに横たえられていた。窓の外ではとうに日が暮れており、夜の帳が降りている。
 くららの肩越しには、だきにと、そっぽを向いて立つ夜見の姿があった。

「どういう事だ……?」

 あの職業的合理性に富んだ男が日雨とくららを見逃したというのか? いや、そもそもあの時、日雨は心臓を破壊されたはずだ。こうして再び目を覚ますのは道理に合わない。
 切断されたはずの右腕も付いている。先刻の事件を夢とした方が納得の行く状況だった。

「ごめん、わたし詞木島くんとあの人が戦ってる途中で気を失っちゃって……何が起きたか分からないの。気づいた時には誰もいなくて……詞木島くんは、川縁に倒れてたのを見つけて」

 そう説明するくららの顔に、嘘の色は無い。
 ――しかし、あの時。
 死に行く日雨を見下ろす少女の顔。あれは、夢とするには余りにも確かだった。
 赤らんだ頬、視線の先の者をとろかすような眼差し。
 あれは、まるで……

「そして、失神した日雨様をくらら様が担いでここまで運んできて今に至る、という訳です。日雨様、ちっこくて助かりましたね」
「軽くて。そこは軽くて助かったと言うのが正しいのだぞーだきにさんよ」

 妹の従者の言葉につっこむ。浮かびかけたイメージは消えてしまった。

「あ、いや、服も水を吸ってて、刀も持ってたし……通りすがりの人に手伝ってもらったよ」

 日雨の与り知らぬ事だが、その「通りすがりの人」というのはやたら盛り上がった筋肉を持つ禿頭かつなぜか上半身裸の大男で、くららと二人で彼を担いで歩く道すがら「カワイイ顔してやがるぜ」「むしゃぶりつきたくなるケツだ」「クッ、たまんねぇ、たまんねぇぜ少年……」と終始鼻息荒かった。日雨は今日二回、危機に陥った事になる。

「ふむ、いつぞやの借りを返してもらった、という訳か」

 無邪気に笑いかけてくる日雨にそんな事は言えず、「う、うん、そうだね。あはは……」とくららは顔をそらしている。

「ふん。暢気な事よ」

 皮肉っぽく言ってくるのは、未だそっぽを向いたままの夜見だ。横顔の目元がなぜか赤い。

「日頃胡乱うろんな生活をしておるから、余計な敵を作るのじゃ。少しはその向こう見ずを改め、慎ましくなさるがよかろう」
「痛み入る……が、今回のはちと格が違っての」

 日雨は夜見の方を見据えて言った。

「我らの因縁の相手、という奴らしい」
「……苦鸞の追手か?」
「いや、厳密には違うと言っていたが……苦鸞の元で働いていた傭兵らしく、名を羅虚虎と」

 日雨は先を続ける事が出来なかった。
 羅の名を聞いた途端夜見の目が大きく見開かれ、口元が強く引き結ばれた。

「羅虚虎……まことか兄様。そやつが、そう名乗ったのか」
「……知っておるのか?」
「わらわが今、最も出会いたくない男よ」

 夜見の手を見れば、指先が震えていた。借りは必ず返す、特に意趣返しとなれば八九三倍にして返すのが主義の極道妹が、王家の仇と言うべき相手に腰が引けている。

「それ程の相手か」
「はん。羅自身は取るに足らんただの使い走りよ」

 見下したように彼女は言う。実際に戦った日雨からすれば、入神の域にある剣客に対する評価としてはあまりに不足と思ったが、妹の政治的視点から言えばそうなのかも知れない。
 彼女は、どこの使い走りかという点に重きを置いているのだ。

「奴も言っていた。本来の雇い主は苦鸞……山徒公国ではないと」

 大陸の利害が絡んでいる、という事か。――斎国、円国、疏国など内海を挟んで面する諸国と秋津洲国は敵対、あるいは協力関係にあった。革命の援助の報酬に、自国に有利な立場を取るよう取引したのか。そう考えれば二年足らずで山徒公国が斎国と開戦したのはいかにも臭い。

「斎国と敵対する中原七国のいずれかがそうだ、と考えておるじゃろう兄様」

 日雨の推論を先回りして、夜見は否定した。

「主様は、それでは説明の付かぬ事が一つあるのを失念しておる。――二年前、見たじゃろう」

 重苦しい声音で、彼女は言う。

「あの、鋼の巨人を」

 秋津洲国の首都、常世京が一夜で陥落した理由は、苦鸞の奇襲の手並みが鮮やかだったから――ではない。
 当時、王宮周辺には禁衛兵が常駐しており、監視態勢も整っていた。高台に位置する王宮で守備に徹すれば、一月は持ちこたえられただろう。その間に来る周辺の砦からの援軍が外敵の背後を突いて撃退する、というのが常世京の防衛構想であった。
 それが機能しなかったのは、禁衛兵が先んじて全滅させられていたからだ。
 彼らを殺戮したのは、身の丈八メートル程もある鋼鉄の身体を持った巨人だった。それがたった十数体程で、二千を超える完全武装の精兵を殺し尽くしたのだ。

「あんなものを持つ国が大陸にあったなら、あそこの戦乱は五百年も続いておらぬじゃろう?」

 皮肉るように、夜見は言った。なら、誰が秋津洲国を滅ぼした黒幕なのか――

「……西の、涯」

 ――西の涯の、とある真面目にイカれた連中にね、頼まれたのさ……
 羅は確か、そう言っていた。

「ヘラス、あるいはスーリーヤか……? あのような遠国が、なぜ秋津洲国と敵対する」
「外れ」

 続く回答もまた、夜見は否定した。
 彼女は部屋の壁を指差す。そこには、最新の世界地図が貼り付けられていた。

「つい先日まで、確信が持てなかった……こんな事があるのかと。そうでなければ説明が付かぬと思うてはいても、信じられなかった。余りに荒唐無稽だった」

 その指先は、大陸――かつて中原七国を有する東側の一部までしか判明していなかった頃とは違う、最西端のヘラス、スーリーヤ、テュルキエまで含む大陸全土という意味での〝大陸〟――を外れ、西の海を示していた。

「ここに、国がある。大陸のどの国とも交易を持たず、認知されていない〝幽霊国家〟が」
「……本気か?」

 思わず、日雨の口からついて出た言葉だった。夜見は口の端を引きつらせたシニカルな笑みで応じた。

「正気すら疑っておるよ兄様。だが……それを事実と信ずるに足る、確証を得てしまった」

 その時、夜見の視線が軽くぶれたように日雨には見えた。別の方向を――別の人物を見たように。それは一瞬の事だったが。

「国外に逃亡した時点で、わらわは式神を各地に派遣し、秋津洲国の滅亡の原因を探り始めた。羅虚虎にはすぐに行き当たったわ。十四から傭兵として中原七国の戦争に参加し、十六で当時の武林序列第一位〝計羅剣〟王瑠尽を暗殺、その後世界中を転々としてあらゆる戦争の裏で暗躍した。我が秋津洲国もその一つに過ぎぬ……大した経歴じゃの」

 帳面を覗くような面つきで、淡々と羅の人物像を並べ立てる夜見。彼の存在を今日初めて知った日雨からすれば、なぜ教えてくれなかったのかと言いたい所だった。

「しかし、この男、十四より以前の経歴が一切存在しない。どこぞの小村で産まれて波風一つ立たぬ十四年間を送ってきたなら、確かに目に付く由来も無いであろう。しかしこの男はたかだか二年で、大陸最強の武侠を殺したのじゃぞ? その技術はどこで、誰に学んだ? その後の手慣れた諜報員ぶりも同じよ。
 つまり、この男はその〝幽霊国家〟の出身じゃ。奴らの命を受けて活動しておったのだ」
「……」

 日雨は絶句する。
 理解出来なかったのだ。
 その〝幽霊国家〟の在り方が。隠された国家などという存在自体が。その理由も、それに必要な技術も分からない。羅のような男を使って人形芝居のように無数の国を操り、あるいは滅ぼす理由もそうだ。その手段である、鉄巨人の存在もまた。
 異質だった。まるで――異世界の住人であるかのように。
 日雨はくららの方を見る。彼女は、夜見の話を耳にして不安げな顔をしていた。

(……まさか、か)

「問題は羅の目的よ。あやつ、なぜ今になって我らの前に現れた。苦鸞に媚を売る理由はもう無いはずじゃ……」

 部屋をうろつき思索に耽る夜見に、日雨は事の経緯を説明しようとした。が、

「お嬢様、優先順位が違いましょう」

 だきにが彼女の物思いに口を挟んだ。

「まずはこの場から逃走する事です。貴女の狡知こうちは、安全を確保した上で存分に巡らせて下さい。――今し方、準備が完了した所です。資産の二割程度は即日には持ち出せませんので、放棄するよりありませんが」

 彼女は下位式神と念話で意志疎通が図れる。どうやら彼らに指示して夜逃げの用意をしていたらしい。二年前の亡命の時を思い出す手際の良さだった。

「確かに、だきにさんの言う通りか。……気をつけよ。羅はケタ外れの達人だった」
「まったく、あなた方兄妹といると私好みのロハスなスローライフが遠ざかる一方です」

 意味不明の(くららは何か言いたそうだったが)語彙で軽口を述べながらも、だきには夜見の側から離れない。
 日雨もまた、ベッドから降りて部屋のテーブルに乗っていた刀を帯びる。

「よし、行こう――」

 その時、どこかで。
 遠雷のような音が、した。
 続いて人の悲鳴が上がる。炎の爆ぜる音がする。そして。
 鋼が、大地を踏み締める音が。




「貴様の評価を改めなくてはならんようだな羅虚虎!」

 恰幅の好い軍礼装の男――コンスタンティンは口ひげを振るわせて椅子に掛けた羅を叱責した。その顔を彩っているのは、明らかに怒りというよりは喜びだったが。

「一流の工作員とやらは、ただの子供一人に遅れを取るのか!」
「すいませんねぇ少将閣下。いや、言い訳しようもありませんわ」

 傷の手当てもそこそこに軍事法廷じみた糾弾(確かこの少将の軍暦は法務士官から始まったと聞く)に付き合わされている羅は、表面上飄々と応じた。
 洋上を揺れるこの部屋の振動は、全身に亀裂骨折を負った身としては快適とは言い難いが、仕事の不始末を咎められるのに病院のベッドの上というのも具合が悪かろう。気の運用の心得があれば痛みを鈍化できるし、羅は拷問を受けた経験もある。コンスタンティンの癇癪に付き合うのはさして億劫では無かった。

「どう責任を取ってくれるのだ。あんな取るに足らぬ小僧に〝契約〟を許してしまうとは!」
「よせ、コンスタンティン」

 昼間と同じ場所で影に隠れて座す男が、コンスタンティンを制止した。

「遺憾ながら、我が連合王国の兵はその取るに足らぬ小僧を追う事すら出来なかったと聞く。それに、そもそもの情報漏洩もこちらの不手際だ。羅ばかり責めるのは釣り合いが悪い」
「それがこの男の専門なのです殿下。どぶのさらい方など尊き街ベルグラビアの子らに教えられましょうか」

 歯に衣着せぬ物言いで、コンスタンティンは反駁はんばくした。

「恐れながら申上げますが、殿下はこの男に甘すぎます」
「仕方あるまい。お前の評価はどうあれ、羅を味方につけているというのは、連合王国の大きなアドバンテージだ。ここで手放せば、ユリウスとザイフリートは欣喜雀躍きんきじゃくやくするだろうな」
「身に余るお言葉恐縮至極。俺ぁ、どっちかと言えば少将閣下の意見に賛成ですがね」
「水路の整備は文化的国家の必須事項だよ羅。いつの時代であっても」

 どうやら、いびりは切り上げてくれるらしい。額に青筋を浮かべて煮えた腹に耐えているコンスタンティンを尻目に、羅は影に溶け込む男へ言った。

「しかし殿下も人が悪い。悪魔憑きの契約があんな色っぽいモンだと知ってれば、怪我をせずに済んだんですがね」
「情事は秘め隠すものだろう羅。それに、俺とガラテイアの時は――路上で出来るような方法では無かったからな。失念していた」

 男がそう言った直後、衣擦れの音がしてくる。次いで、押し殺した喘ぎ声が聞こえた。

「秘め隠すもの、ですかね? 王子殿下」
「ああ、そうだ」

 諧謔に笑うような気配が、影の奥から発せられた。

「とにかく! かかる事態には即刻対処をせねば」

 付き合い切れないとばかりにテーブルを叩き、声を荒らげるコンスタンティン。

「どうするつもりだ? コンスタンティン」
「既に連隊を都市周辺に展開しております」
「あの都市を襲撃する気か?」
「是非もありません」

 その言葉の意味する重みに比べて、あまりにもあっさりとコンスタンティンは言った。

「……モクレントレイは交易港ですよ。機動甲冑アルマキナを市民に見せるのは、ちとマズイんじゃないですかい」
「〝媒介者メディエーター〟を相手にできる数の歩兵を遣わした所で目立つ事は避けられまい。こちらにも犠牲が出る。そもそも彼らは鉄騎兵なのだ。専門の兵科で戦わせた方が良いに決まっているだろう。――反論はあるか?」
「いえ全く、少将閣下」
「目撃者を残すつもりはない。だからこそ連隊全力を投入するのだ」

 そう語るコンスタンティンの瞳から伺える決意は、石のように――まぁ、道ばたに落ちた石英程度には――硬い。

「目標の奪取には連合王国ヘプタ・アーキーの興亡がかかっている。東方の蛮族と故国の民、どちらを優先するかなど考えるまでもない」

 石英程度の硬さの決意で、数万人の鏖殺おうさつを指示できるかの連合王国の将校教育には問題がある気がしないでもないが、羅はそれ以上何か言うのを控えた。彼に至っては殺人に決意など必要ですらないのだ。

「よろしいですか、殿下」

 コンスタンティンの問いかけに、この場に残るもう一人、まともな人倫を備えていると期待されるべき影の奥の男は、一考したような間を置いた後に言った。

「お伺いを立てる必要などないよコンスタンティン。俺は軍への命令権を持っていない。まぁ、いずれ統帥権とやらを上王ブレトワルダ陛下から頂く予定ではあるがね」
「はっ。では、我が第六師団隷下、ノーサンブリア・ロイヤル・ドラゴンスケイルズの奮戦をご照覧あれ。必ずや例の少女を奪い、殿下の前に献上致しましょう」

 コンスタンティンは傲然と一礼して、部下に指示を出し始める。故国と通信を取って、ノーサンブリア・ロイヤル・ドラゴンスケイルズ――第十七強襲鉄騎兵連隊の連隊所有者カーネル・イン・チーフに攻撃を発令するつもりなのだろう。
 直接の指揮権を持つ連隊長代理士官に言付けるのが全く実際的なのだが、貴族院の大法官までお狙い遊ばされるこの少将閣下が、議席を持つ大貴族を軽んじるような真似をするはずもない。

 おかげで、モクレントレイの住人の寿命が数分延びた訳だが。
 ――暗がりの奥の男の碧く光る瞳が、沿岸の都市に向いているのを羅は見た。

「この港町は今日、赤く塗り潰されるのだろう。残念だなコンスタンティン。非常に残念だよ」




 夜見の屋敷のある西区は高台にある。屋根に上れば、中央区付近の状況は伺えた。
 街を闊歩する鋼の巨人。
 表面の色合いは濃紺。口は無く、瞳は二つあり、顔面の十字の溝を忙しなく行き来する。近付けば、耳障りな、きぃんという音を終始発しているはずだ――二年前はそうだった。
 ずんぐりとした、鋼板を貼り合わせたような身体――鋼の巨人というより、巨大な鎧と呼んだ方が適切かも知れない。

 しかし、鎧であればそれを着る人間がいるはずだ。中に常人の四、五倍の体高の巨人が入っているとでも言うのか。秘境にごく少数住む亜人種にそうしたものがいると聞くが……

(いや)

 つい最近、その推察を否定する可能性に出会ったはずだ。あの、森の奥にあった神像。あれを知った今、あの都市に蠢くものに奇妙な符号を感じる。あれらは、同一の思想に基づいた作られた器物なのではないか?
 くららはなんと言っていたか、あれを……

(ろぼと)

「ロボット……!? あんなにたくさん……!」

 屋敷の二階の窓から同じものを見ていたくららが言った。
 発音の微妙な違いに気恥ずかしくなりつつも、唸るだけに留める。彼女の発言には重要な指摘があった。

(……そうだ。数が多い)

 かつて常世京を襲った〝ロボット〟は、十数体(器物であるなら、この数え方で良いはずだ)しか現れなかった。そしてその程度で宮殿の禁衛兵を壊滅させた。
 今回モクレントレイに現れたのは、目算で百体は超えている。
 なぜそんなに必要なのだ――あれは器物、いや武具。使い途は決まっている――破壊――ならば。
 あれらはこの日、何を、どれだけ、壊す気でいる?
 疑問が脳裏に浮かんだ瞬間、ロボットの一体が背を屈めた。肩に載せた穴の空いた箱のようなものを、並ぶ民家に向けている。

 何をする気か、と思う間も無かった。
 撃ち出された四つの鉄筒が、火を噴きながら推進。民家に激突するなり猛烈な火炎を生み、夜の空を焦がす巨大な松明となった。
 他の巨人も全て、都市に向けて無差別に破壊を撒き散らしている。
 匂いがする。無風であるはずなのに、日雨の鼻にまで漂ってくる匂いがある。
 血と炎の匂いだ。
 二年前に嗅いだのと、全く同じ――

「……っ」

 日雨の、屋根瓦を掴む手が軋む。

「火砲……いや違う、飛ぶからくりを持つ発破か?」

 くららの隣にいた夜見が分析めいた発言をする。
 日雨はそれ程冷静ではいられなかった。屋根を飛び降りて地面に着地する。
 一歩踏み出した所で声が掛かった。

「待て。どこに行くつもりじゃ兄様」

 風を繰り、木の葉のような軽やかさで日雨の前に降り立つ夜見。

「問答の時間が惜しい。そこを退け夜見」
「街へ降りて、何が出来る気でおるのじゃ大たわけが!」

 夜見は、日雨を睨め付けて一喝した。

「あれの戦力は見た所、一体が蟠竜ばんりゅう螭龍ちりゅう……準上級竜種と同格じゃぞ。百の兵が装備を整えてようやく討伐できるような怪物とじゃ。そんなものと戦うつもりか? 似非軍記の英傑にでもなったつもりか愚か者!」

 苛立たしげになじる彼女の目を見つめて、日雨は言った。

「なら、逃げる人々の手助けでもする」
「……~っ、その程度も出来はせぬ! 二年前は逃げたじゃろう! あれから主様の何が変わった!? 何も変わりはせぬ! 無力な小僧のままじゃろうが!」
「――違う!」

 夜見が怯む程の怒声を日雨は張り上げた。
 二年前と今回は明らかに違う。日雨自身には確かに変化などないのかも知れない。だが、

「あれは、我らを狩る為にやってきたのだ! モクレントレイの民は、巻き添えを食った! 彼らに背を向けて逃げるわけには行かん!」
「確証は無かろう! 仮にそうだったとして、もう種火は大火に燃えさかっておる! 我らが首を差し出した所で奴らが鉾を収める事は無い!」

 正しい。
 夜見が言う事は常に正論だ。日雨が何をした所で、この虐殺を止める事はおろか、一人の命も救う事は出来ないかも知れない。逃げ出すのならば、少なくとも自分一人分の命は助かる。
 だが、

「行く」

 それでも行く。

「なぜ……!?」

 妹は、どこか縋るように問いかけてくる。
 おろそかにはできない、詞木島日雨という少年の根幹を糺す問いだった。
 彼女を納得させられる答えではないかも知れない。そんな整然とした理屈を、日雨の知恵では用意できない。
 しかし彼は、確信を込めて問答に応じた。

「ここで逃げれば、道が途切れてしまうのだ。……王になる道が」

 不当な暴力に傷付けられる人々がいる。悪辣な強者に散らされる、弱くとも確かに生きている命がある。
 王とは、彼らの庇護者でなくてはならない。たとえその手に何の力も無かったとしても、彼らの前に立つ者であらねばならない。
 後ろに逃げ込んではならないのだ。それは決して、してはならないのだ。

「今逃げたら、この道を見失ってしまう」

 なら、行かねばならない。例え死出の道行きであろうとも。

「夜見、お主にとっては愚か者の戯言に過ぎぬのだろうが……余はまだ、二年前に言った事を叶えるつもりでいるのだ」
「だ、誰が……っ!」

 夜見は反射的に何かを言いかけたが、表情を引きつらせてそれを押し殺したようだった。唇を怒りに震わせて、日雨から一歩距離を取る。
 懐から、呪符を取り出して。

「……馬鹿を口で言い聞かせようなどと、わらわも馬鹿じゃった。……いつも通り、腕尽くで跪かせる」

 夜見は本気だ。周囲にの燐光が浮かび、実体化しかかった演算霊が肩の辺りを滞空し始めている。
 相手は国祖以来の天才と呼ばれた巫女だ。術の展開速度、規模は人知を軽々しく踏み超える。

 普段は兄としての配慮で妹に手心を加えていた――などという裏は無い。菓子の取り合い程度の兄妹喧嘩にも日雨は常に本気を出し、そして妹は手抜きで圧勝してきた。日雨はいつも、彼女が何をしているのかも分からずねじ伏せられている。このままではまさにいつも通り、屈服するしかない。
 せめて、術の種類でも分かれば対処も出来るのだが……

「? なんじゃ兄様、その腕……?」

 夜見が日雨の腕を見て、怪訝そうな声を上げる――その瞬間。

「……っ?」

 唐突に脳髄を圧迫する重みに、日雨は苦悶の声を上げた。
 重く粘った――知が流れ込んでくる。
 澱んだ大気の中で生きてきた生物が、急に新鮮な空気を肺に送り込まれたかのような、暴力的ですらある開放感。血液の流れが加速する。〝理解〟が物理的に身体に押し込まれていく。
 夜見のが見える。体内を巡る、意志をもって編み込まれた力の流れが。

霊子エーテル属性、樹精ドライアド……法式タイプ操作オペレート付加エンチャント……対象、当方周囲の地表数メートル……ッ!)

 日雨自身にも理解出来ない言葉が思考を駆け巡っていく。

『っ――句句廼馳ククノチノ命以テ百草モクサノ霊ヲラストル!』

 兄の異変に何か直感したか、夜見が宣呪式神の召喚を待たずに自ら言霊を発した。
 日雨の周囲の地面に生えた雑草が爆発じみた速度で発育し、彼に殺到する。
 だが、読み合いで先んじている。日雨は抜き打ちで草の縄を根本から断ち切った。

「なっ……」

 自分の初動を完全に把握した動きに唖然とする夜見。
 次手を打つ暇を与えず、日雨は彼女の脇を通り過ぎていく。既に、呼吸でを昂ぶらせるという過程を経ずに、力の量、精度共にかつてない水準で鬼道は発動していた。
 肉体強化と陰形を同時に施している。異なる性質の術を同時に扱うのは、座摩寮いかすりのりょう――故国でも特に優秀な巫覡ふげきの集まる官僚機関――の神官レベルの高等技術だというのに、可能だと確信していた。

「くっ……」

 身体を隠蔽したまま急速に遠ざかって行く兄を追おうと、夜見は索敵式神を召喚する為の呪符を取り出す――
 その時、居並ぶ富豪の屋敷の一つが爆散した。
 一瞬で瓦礫の山と成り果てた屋敷の跡地を、鋼の足が踏み潰す。
 紅蓮に猛る炎から鋼の巨人が出現し、夜見に赤い単眼ひとつめを向けた。




 その日のモクレントレイは無風であった。そして住人の知る所ではないが、数時間後豪雨が到来する事にもなっていた。炎が際限なく延焼を続け、都市を焼き尽くすといった心配は無い。それは紛れもなく幸運だった。
 しかし、無意味な幸運であった。その数時間は、彼ら鋼鉄の侵略者にとって、この小さな漁港から始まった半島の港湾都市を滅ぼすのに十分な時間だった。




 現時点で混沌が猖獗しょうけつの極みに達しているのは中央区だった。鋼の巨人はモクレントレイを両断する形で流れるチャウ河を潜行し、中心街付近で上陸したからだ。
 唐突に河から這い上がってきた巨人に市民が唖然としているのもつかの間、頭部の機銃が大地に向けて掃射される。
 この最初の攻撃で肉片と血煙に分解された人間はそう多くはない。

 彼らの意図は混乱の誘発だった。惨劇を目の当たりにした人々は、こぞって巨人から逃がれようと走る。その背を炙るように機銃で追い立てながら、機械の兵団は市内を拡散していく。
 追われる彼らは、悪性の病原体の如く恐怖を周囲に伝播させていった。

 ある街路では、財産を積んだ荷車が渋滞していた。ミサイルの一撃で吹き飛ばされ、街路には金貨や証書と人肉が平等にばら撒かれた。
 別の路地では、足を挫いた少女が放置されていた。弾薬を惜しんだ巨人は彼女を踏み潰した。
 橋を渡ろうとした人々がいた。彼らは橋の幅を超える人数で押し通ろうとして、端の人間を転落させていった。動きは遅々として進まず、やがて橋は爆破され彼らは転落し、水路を堰き止める肉のつつみと成り果てた。
 恐怖が、人々から心の粉飾を剥ぎ取っていく。それを楽しむように、鋼の巨人は彼らを蹂躙していった――




「なんだってんだ! なんだってんだ畜生!」

 自警団五番組の長、璃利漢は抑制の無い叫び声で、詰所の安普請の壁を震わせた。
 五番組の詰所は北区と中央区の境目にあり、まだ戦火が及んでいない。だが、じきにあの鋼の巨人が逃げ惑う人の波を伴ってやってくるだろう。

「いったい、なんなんだありゃあ……」

 詰所に待機していた数十人の中で唯一陰形の心得があった璃利漢は、つい数分前中央区の偵察から命からがら帰還したばかりだった。
 彼は中原七国の戦争に従軍し、逐電ちくでんして以降も中型魔獣の討伐に参加した経験のある古強者だったが、その経験は恐怖の緩和に役立たなかった。むしろ怯えを助長した。
 あれは魔獣の類ではない。統制の取れた、人の扱う武器だ。そして壁に穿たれた弾痕から、その主要な攻撃手段は鉄砲の類だと分かった。

 しかし、何故あそこまで精度が良いのか。何故弾込めを必要としないのか――初歩的な銃火器を、大国がどうにか運用できるといったレベルの文明に生きる彼らには、巨人の扱う武装は別次元の存在だった。
 戦意、という言葉を意識する事すら出来なかった。

「璃利漢! 逃げよう!」

 副長のサンギータが傭兵仲間時代の調子で声を掛けてきた。

「まごついてる内に、避難民で逃げ道を埋められちまう!」
「……」

 彼女の意図は分かる。具体的な意見に焚き付けられた団員たちが、ざわつき始めている。彼らを扇動して、未だ迷っている璃利漢に発破を掛ける気なのだ。
 団員らは焦燥と恐慌に炙られ、こちらを見てくる。

「……ち」

 得体の知れない不愉快さを覚えるが、別案など出てこない。璃利漢は号令を掛けようとする。その瞬間、彼らはただ逃げ惑う烏合の衆と化すと悟りつつも。
 ――そこに、詰所の扉を蹴破って、少年が一人姿を現わした。

「何をしておる、お前たち!」
「……日雨!?」
「蔵を開けよ! 火砲を持て! 応戦の準備を整えろ!」

 小柄な少年は詰所に入るなり、居丈高に指示を飛ばす。
 自警団員の半数程度は彼と面識があった。その中から、璃利漢がなだめるように言う。

「お、おい、待てよ日雨……ここのちゃちな臼砲であんなバケモンの相手が出来るわけ」
「真正面から戦う必要は無いのだ。我らには地の利がある。小路に隠れて砲撃し、敵を攪乱する。住民が避難する時間を稼ぐのだ。時が経てば近場のパシフ砦の物見がここの窮状に気づく。援軍も来るだろう」
「そうは……言ってもよ」

 口ごもる璃利漢を見て、ようやく日雨は詰所を支配する空気に気づいたようだった。
 周囲を見渡して、息を吸い込む。
 彼は言った。

「また逃げるのか」
「……何だと!?」
「璃利漢、お主は収賄で国を追われた大陸の元武官と聞いた。そこのサンギータ、お主もバーブルの司祭を半殺しにして追われたのだったな? そこの男はテュルキエ辺りの出か? 包帯は腕の入墨を隠しているのだな? 元戦奴か?」
「……だから何だってんだよこのガキ!」

 反駁してくる団員に向けて、日雨は大喝した。

「我らは逃げ出した挙げ句にこの都市に流れ着いた。語れぬ過去を持つ我らを受け入れてくれる場所はここだけだったのだ! お主ら、ここの飯を喰って何年になる! もうここは、我らの場所だ!」

 日雨の口調は、会ったばかりのホラ吹きミュンヒィ王子と揶揄された時の、偉そうで、どこか滑稽なものに戻っていた。

「逃げ続けて終わる生など余は要らぬ! 前進し、命を掴み取ってみせる! 我らはその為に戦う術を身につけたのではないのかつわものども!」

 語る言葉も青臭く、提示した案にしたって綱渡りも良い所だった。
 璃利漢は、一笑に付してよかったはずだった。
 なのになぜだろう、この少年が今――本物の王族のように見えている。
 他の連中もまた、少年を笑いはしなかった。

「……まぁ、ここを上手く凌ぎゃあ、商人連中からたんまりと手当が出るかもな」

 璃利漢は頭を掻きつつ言った。

「良いだろ? サンギータ」
「……ちぇっ」

 拗ねたように舌打ちして、大柄な女は床に置かれた自分の鎧を着込み始める。

「ったく、大口を叩きやがったなクソガキ。脇で俺様の戦ぶりを見てやがれ。俺ぁこれでも昔、百人長だったんだ」

 そう言って璃利漢は、日雨に渋い笑みを向ける。副長がその様子を見て照れくさそうにしながら、詰所の扉を開けた――
 鋼の巨人が、詰所前の街路に立っていた。
 巨人が両手に保持しているものが何か、璃利漢にはかろうじて理解できた。どれだけ巨大で、異質な機能を発揮しようとも銃そのものの形はろくに変わらないらしい。

 銃口の暗闇が、魂をさらう鬼火のごとく、真っ白な光を吐き出した――



[40176] 6.大魔降誕
Name: 八目又臣◆aa87a973 ID:17b043ce
Date: 2014/07/29 18:54
『軍施設……というにもお粗末だが……を襲撃中、ターゲットβを発見。攻撃したが……健在だ。デモナイズして、魔術で防御したらしい。20mmの掃射に耐えるとは、まさに化物だ』
『王子殿下直々のアドバイスだ。戦象と出くわした百人隊ケントゥリアの如くピルムを投げろ、とさ。釣瓶打ちにすればいずれ力尽きるそうだ。悪魔憑きと言ってもその実、少々力の強い魔術師メイガスに過ぎん』
『了解。近場の僚機に応援を請う』





「……ぐ、ぅ」

 気絶から復帰した瞬間、強烈な耳鳴りと目眩に日雨は襲われた。衝撃で目がおかしくなっているのか、奇妙な幻覚が見える。ちかちかとちらつき、揺れる視界の中に緑色に輝く文字だけがくっきりと見える。

【磁界障壁の展開により、体内エーテル16%消費。深刻な脅威と遭遇。〝mediator unit 02〟、速やかに〝incarnation〟を召喚しエンゲージコードを入力……にて対処して下さい】

 意味を少しも理解できない幻覚を無視して、日雨は身を起こそうとする。
 手を床につき――ぬちゃり、としたぬめりに触れた。

「……ぁ」

 聴覚と視覚の混乱に囚われていた意識が、ようやく嗅覚に振り向けられ――強烈な血臭を嗅いだ。
 ぶれる視界がようやく元に戻り、眼前の光景を映す。
 屍山血河であった。
 ひざまずいた自分の手元にある首を、日雨は判別できない――上顎から先が消し飛んでいる――璃利漢――あの気の良い中年男の下顎の形を思い出せない――

 詰所の屋根は吹き飛ばされ、中にいた数十人の人間は残らず弾丸に引き裂かれていた。日雨だけがなぜか、生き残っていた。
 その理由を。自分の身に起きている明らかな異変を、彼は意識できていない。

「お、おおお……」

 血の付いた手の平を映す視界が、またにじみ始める。璃利漢。あの男は何かと日雨の面倒を見たがった。ある日酒に酔って、故国に残した息子がいた事を漏らしていた。
 他の団員も似た境遇を抱えていた。故郷を放逐されて、大事なものを手放して、それでも生きていたのだ。
 この都市に生きていた人々の全てに、確かな人生があった。そのはずなのだ。

「ァアアアアアアアアアアアアッッッ!!」

 気づけば日雨は叫んでいた。幽鬼の如く青白く伸びた長髪を振り乱し、鋭く伸びた爪で皮膚を裂く程に強く拳を握り、瞳から滂沱ぼうだの涙を流していた。

「何故だ!」

 こちらを見下ろす鋼の巨人に向けて、問い糾す。

「この者達に、何の罪があったのだ! 何の為に彼らは殺されたのだ!」

 巨人は答えない。濃紺の肌に炎を照り返し、ただ傲然とそこに立っている。

「答えよッ!」

 激情のまま日雨は跳躍し、巨人の頭部に向かって斬り掛かった。
 巨人は一歩後退して、側頭部の機銃で彼を打ち据えた。弾丸は彼の周囲で軌道を変え、逸れていく。鬼道により生体電流を増幅させて磁場を発生させ、障壁としているのだ。未知の術を行使している事に彼自身は気付いてはいなかった。

 銃弾の直撃は防げても、衝撃で押し流された。日雨は自警団詰所そばの広場に墜落する。
 したたかに大地に打ち付けられ、激痛に苛まれながらも身を起こす。巨人はゆったりとした動きで、こちらに向かってきていた。その上、ブースターを吹かし民家を飛び越えて仲間の巨人が二体現れ、一体目の両脇に並ぶ。

「強者は……弱者から何もかも奪って良いと言うのか!」

 相手が三体に増え、力の差は明らかだった。こちらの言葉も羽虫の喚きに等しいのだろう。
 しかし足は後ろに下がろうとしない。この身を支配する一つの感情が、逃走を許さなかった。

「許さない」

 怒りだ。

「余は……貴様らを許さない」

 己の身体を内側から食い破りかねない、凶暴な怒りがこの身を満たしている。
 なぜこの身は無力なのだ。目の前の殺戮者と戦う剣を持たないのだ。

(力が……欲しい)



  //////



「戦鬼い号! 気象・地山謙チザンケンにて防御!」

 濃紺の鉄巨人とほぼ同等の体躯の白く光る式神が、両腕を前にかざす。瞬間、腕が盾状に変化してチェーンガンの銃撃を防いだ。
 それが最後の隙だった。

「戦鬼ろ号! 気象・火天大有カテンタイユウ! 叩き伏せいッ!」

 側面から巨人に迫っていたもう一体の式神が、火精の作用によって右肘から爆風を生じさせ、それを推進力に猛烈な鉤打ちを放った。敵機の腰を狙って拳を叩き付ける。
 駆動部の起点を破壊された巨人は、バランスを失って横倒しになる。機銃による悪足掻きを試みるも、戦鬼い号が頭部を踏み潰してそれを封じた。
 決着の様子を、夜見は空中で伺っていた。その身体は、だきにの両腕に抱えられている。

「こ、怖っ、高っ」

 だきにの首に必死にしがみつき、くららが泣きっ面になっている。彼女らはこの時、戦域を俯瞰する為に、夜見の風精操作によって十数メートルの高さを浮遊している所だった。
 敵の抵抗力を奪った事を確認して、やんわりと降下する。
 だきにはくららだけ地面に置き捨てて告げた。

「失礼、こちらでお待ち下さい」

 彼女は跳躍して、破損した鉄巨人に飛び移る。夜見を隣に降ろし、巨人の装甲に手を触れた。
 金気を操作して装甲の金属を奪い、薙刀に変化させると、巨人の突出した胸部をくり抜くように切り裂いた。
 一度でうまく正解に行き当たったようだ(生存性、居住性というものを考えると〝そういったもの〟を配置できそうな場所はここくらいではあったが)。

 露出した内部には、鎧にしては薄手、ただの衣服にしては厚手の、巨人の肌と同じ色をした装束を着た人間がいる。顔全てを覆う兜を被っているが、体格からして男だろう。
 ――ある種の確信をもって、夜見は男に告げた。

Surrender,you lost降伏しろ、貴様の負けだ

 かくして、予測を実証する結果が返ってきた。

Dumn it糞ッ! Oriental magus……Are you monster極東の魔術師……化物か、貴様?」
「……Take off your helmet兜を脱げ

 敗北感からか、あるいはこの異国で自国の言語を聞いた衝撃で心に隙が出来たか、不承不承といった風ながらも男は兜を脱いだ。三十そこそこの金髪碧眼の男だった。

『魔女め……』
『その通り。よく知っているな異国の兵士』

 冷徹な声音で夜見は告げる。

『よく聞け雑兵。私は貴様の命に何ら関心を抱いていない。寝所を這う蟻と同等に不快で些末な存在だ。気が向けば、いつでも殺せる用意がある』
『……』
『逆に言えば、お前が生き残ろうとも構わないという事だ。いいか。私の知りたい事を囀れ。夜明けの鵯のように小五月蠅く、だ』
『ふざけるな! 蛮族の小娘……!』
「やれ、だきに」

 自国の言葉で従者に告げる。彼女は即座に実行に移した。
 男は、風切り音が聞こえたとしか分からなかっただろう。それ程、だきにの手は速く正確で、自然だった。
 右耳を薙刀で切り離された男は、痛みでその事実を知るのに数秒をかけた。

『ぐっ、ギああぁぁっ! ああっ!』
『残る左耳に聞いてやる。まず、お前たちは何者か。次に、この作戦の目的、計画、戦力を知る限り』

 悲鳴を上げる男に、夜見は囁きかける。

『長くは待たない』

 告げると共に、従者が男の左耳に薙刀の刃を触れさせた。
 男は、答えた。

『呪われろ、魔女め……連合王国ヘプタ・アーキーに栄光あれッ!』
「お嬢様!」

 だきにが叫び、夜見の身体を抱えて機体から飛び退いた。
 ほぼ同時に、鋼の巨人は内部から火炎を噴き出して爆散した。

「……ふん、中々気骨のある兵ではないか」

 だきにと共に、爆発を免れ着地した夜見が感心したように呟く。どうやらあの男は、自爆の手順を終えていて、夜見との問答で時間を稼いでいたらしい。情報の宝庫であった鋼の巨人は単なる残骸と化してしまった。

「まぁ、収穫は……無いでも無かったが」
「費やした時間を考えると、不満があります。あれの相手をせずに、日雨様をとっ捕まえてとっとと退散した方がよろしかったのでは? 長く放置していると、彼がうかつにも山盛りで立てた死亡フラグが回収されてしまいます」

 従者の意見に、夜見は首を横に振った。

「事はそう簡単ではない、だきに」
「と、言いますと?」
「あの〝ろぼっと〟がモクレントレイの中央から現れたのは、民を市外に追い立てる為じゃ。今いるのは狐狩りの猟犬よ」
「……魂的にとてつもなく厭な響きですね」
「郊外では予備隊が待ち構えておるだろう。今出て行けば、遮蔽物もない平地で縁日の射的のように撃たれる。命を張って彼奴らの遊戯の道具になるなど御免被るわ」

 だからこそ、安全な退路を確保する為の情報を敵兵から聞き出そうとしたのだ。それに関しては全くの失敗だった。
 夜見は焦燥に炙られ、爪を噛んだ。
 兄と離れてしまった今、一分一秒も無駄には出来ないというのに……!

「日雨様の安否は、そう心配する必要も無いのかも知れません」
「おいだきに、ついさっきと言うておる事が違うぞ」
「……お嬢様も見たでしょう」

 声を潜めて、だきには告げた。それだけで、従者の意図する所は理解できた。

「だきに。そちはあの時の兄様の霊格をいくらと見立てる」
大繍だいしゅう。付け加えるなら、あれで頭打ちでは無いと感じました」
「……神祇官が兄様の男装を疑うであろうの」

 大繍。秋津洲国の制定する霊位十三階の三位である。秋津洲国の巫術は、技術的な特性か遺伝的要因(教科書で知った遺伝学というのは、興味深い学問だった)か、女性の能力が顕著に高い。三位の霊格を持つ男子というのは前代未聞であった。
 一日で八位分も霊格が向上する、という現象に至っては夜見にとってすら匙を投げたくなる変事だ。

 一体、兄の身に何が起きたのか。
 どうして起きたのか――と思い至ると、夜見は視界の端に意識をやる。彼女は呆けたように、燃える街を見つめている。
 状況証拠は、彼女がそれこそ〝全て〟の原因だと告げている。しかし。
 気絶した日雨を担いで戻って来た彼女に、夜見は事の子細を問い糾した。彼女に隠れて、雷精による脳波探知と占術を使い、虚言があれば確実に察知できるようにして。

 彼女が語ったのは、日雨が起きた時にした説明と同じものだ。そして二重の鑑定の結果は白だった。少なくとも、詩乃目くららはその言葉を嘘と思っていない。
 しかし、それでも――彼女はあまりに不可解だった。全ての検証が彼女をただの十七の少女であると示しているのに、最後の一線で納得できずにいる。巫女の神懸かりの霊感など、夜見は信じていないのに。
 あるいは。

(わらわの能力を出し抜く、何か……なのか?)

 詞木島夜見は初めて、未知に喜びでなく恐怖を感じている。
 彼女が、〝どこから来たのか〟という点についてはほぼ判明している。今までに得た情報から、彼女の言う〝異世界〟と〝元の世界〟が何であるのか、夜見は解答を見出していた。――たとえ受け入れるのに、いくらかの狂気が必要な答えであっても。
 しかし唯一、この一見普通の少女の正体だけが分からない。

(……?)

 沈思に耽っていた為か、夜見はその異常にひどく遅れて気づいた。
 くららは、炎上する都市を見ていた。ずっと、呆けたように。
 ――ついさっき、間近で敵の〝ロボット〟が大爆発したというのに。
 彼女はただ無表情に、深い黒瞳に都市を舐める炎を映し出していた。
 その感情の欠落は、どこか機械じみていた。

「くららちゃん、どうした」

 夜見は、彼女の元に駆け寄る。間近に立っても、くららは夜見の事を目に映していない。

「……でる」
「なんじゃと?」
「呼んでる」

 ぽつり、とくららは言葉を吐き出す。

「詞木島くんが、わたしを呼んでいるの」

 ――その、瞬間。
 くららの姿が消失した。

「……っ!?」

 夜見は驚愕し、目を見開く。何が起きたのか理解できなかった。霊的、物理的の両面において、夜見が解読できるだけの痕跡を全く残さずくららはどこかへ消えた。
 まるで。
 詩乃目くららという少女など、始めからどこにもいなかったかのように。





「くらら……?」

 三体の鋼の巨人と自分との間に、唐突に出現した少女を見て、日雨は呟いた。
 疑問符を浮かべたのは――確信が持てなかったからだ。
 現れた少女は三つ編みを解き、眼鏡を外していた。夜空を写し取ったような髪が、炎上する都市の中でも氷河のように冷え冷えと流れている。思わず寒気を催す程に。

 ただ、装いを改めただけなのか? それだけで人は、こうも――美しくなるのか?
 今日までの彼女から受けていた印象はもっと不揃いで、不定形で、不完全だった。
 人間らしい少女だった。
 今は違う。容姿そのものには何ら変化が無いのに、身に纏う空気が一変している。
 整然として、安定していて、完全だった。

 その美しいかたちは――人間以外の何かにしか見えなかった。
 神か。
 あるいは。

「……」

 少女は冷厳な眼差しで日雨を見つめて、何事かを口にしようとした。しかし。
 鋼の巨人の一体が、銃口を彼女に突きつける。

「……っ!」

 やめろ。
 やめろ、やめろ、やめろッ!
 また殺す気か。今度は、彼女を。
 ――信じるよ。

(駄目だ……ッ!)

 させない。それだけは絶対に許さない。
 この命を投げ捨ててでも、その結末だけは認められない。

(頼む!)

 力をくれ。この悪辣な現実に抗う力を。二度と奪われない為の力を。
 くれ――寄越せ!
 必要なものは何だ? 肉体か! 命か! 魂か!

「くれてやる、全て――だからッ!」

【〝mediator unit 02〟、〝incarnation〟とのリンクは確保されています】

 幻覚だけが、少年の悲願に応じた。

【エンゲージコードを入力して下さい】

 手を差し伸べてきたのがそれだけであったから必死で縋り付く。日雨は幻覚の文字を読み切って、その指示通りの行為を取る。

【エンゲージコードは――】
「《時よ止まれ》」

 手を、少女に向けて差し出しながら、少年は告げた。

「《きみは美しい》」

 結びの言葉を口にした、その瞬間。
 少女が泣きそうな顔をしたように、見えた――





【エンゲージ完了。〝リインカーネーション・シークエンス〟、開始】





 じゃきんッ! と。
 少女を中心に、大地を引き裂いて、無数の巨大な刃が突き出された。目にしただけで魂を切り刻まれると思わせる、極限に研ぎ澄まされた剣峰が大気を引き裂き、天へと伸びていく。

【情報相転移開始。アストラル相の霊的質量を物質化マテリアライズ

 その剣森は街路を埋め尽くす程に増殖と成長を続け――唐突に、歪んだ。

収斂しゅうれん、再構築】

 刃が湾曲し、中心である少女の周囲に巻き付くように集束していく。数百、数千の剣刃が絡みつき、結び合うその姿は、鋼鉄の花を思わせた。
 あるいは――繭と言うべきか。

【ニューロフレーム構築、可変配列式ナノアクチュエータ構築、多元輻射装甲構築】

 その内部で、何か異様な変質が起こっている。鋼の殻に覆われた小世界で、人間の観測を許さない奇怪な変容が。

【基礎筐体実装完了】

 そして、剣刃の花は開花する。

【〝Diabolus ex machina〟Type〝Ira〟『SATAN』、顕現リアライズ

 剣刃は解けた時、十二の剣に統合されていた。二十メートルを超える白い巨剣は切っ先を大地に向けて、王に隷属する臣下の如く〝それ〟の周囲を浮遊している。
 黒鉄の、巨人であった。
 都市を蹂躙する鋼の巨人とはまるで別物であった。体高はあれらの五倍以上ある。それだけの大きさでありながら、粗雑さは皆無だった。鋼の巨人が子供の玩具に見える程に、その造形は精緻を極めていた。

 そして、それは己が美術品であるという誤解を見る者に許さなかった。その輪郭は、見る者を怯えさせる鋭さに満ちていた。殺戮と破壊のみが己の本領であると訴えていた。
 さながら、一生を作刀に費やし、無数の名刀を駄作と放り捨てた刀工が、その生涯の最後に作り出した剣。狂人の精神が作り出した、呪われた武具。
 魔剣、であった。
 神威ではなく、しかし同等の魔性を放っていた。
 神と同じ力を持つ、悪魔だった。

【〝セイタン〟からのコネクト。リインカーネーション・シークエンス続行の為、〝媒介者メディエーター〟の搭乗を要求しています。転移に備えて下さい】

 再び幻覚の文字が流れるのとほぼ同時、日雨の視界が急変した。
 一瞬後に彼が立たされたのは、球形の小部屋だった。床が薄い赤に光り、こちらを照らしてくる。
 こんな部屋をどこかで見た事がある。詩乃目くららと、初めて出会った時の――

『〝媒介者〟の搭乗を確認しました』

 小部屋の中に、声が響いた。暖かみも冷たさもない、無機質な音程であったが、この数週間何度も聞いた声だった。

「くら、ら……?」
『ジェネレーター〝クリフォト機関エンジン〟の励起プロセスを実行します。媒介者、アストラル相最深部〝虚海mare falsum〟間にパスを構築、霊子エーテル抽出開始』

 誰何の声など耳に入っていないかのように口にされた、平坦な言葉と共に、小部屋の内部に異変が起こった。
 足下から、黒い風が吹き出してくる。

(これは……瘴気しょうき!?)

 故国で聞いた覚えがある。古戦場など、魔境と呼ばれる土地に稀に吹き出す毒気に満ちただ。
 少量がその肌に触れただけで発狂、下手をすると死の危険があると言う――

「ぐっ、がっ!? あがああああああああああっ!!」

 黒風は瞬く間に小部屋を埋め尽くす嵐となり、日雨の身体に纏わり付いた。途端に襲い掛かる未知の感覚に、彼は絶叫する。
 塗り潰される。
 魂を異物に侵食されている。その異物の規模はあまりにも膨大で、日雨に抵抗を許さない。
 ――怒りイカリいかり瞋恚ANGER憤激殺す呪いあれCOLERE憎悪殺意ÄRGER死ね……
 日雨の感情が一粒の水滴とすれば、それは大海そのものだった。凄まじく膨大な一つの感情が、彼の魂を押し流そうとしている。
 怒り――怒り――怒り!

「ああああああああああああああああアアアあアああッ!」

 抗う意志の生じるよりも速く、日雨の意識は途絶えた。





『――精神潜行、深度〝tohu〟で定着。霊子出力現在98300Tbps前後にて安定』

〝彼〟は、静かに彼女の声を耳にした。

『魔導兵装起動プロセス開始RUN。観測精霊散布。全天周囲のモニタリング……完了』

 直後、黒い壁に囲われた小部屋に変化が起きた。彼を取り囲む壁と床が消え、炎上するモクレントレイの風景が映し出される。足下の感触は確かであるから、床が無くなった訳ではないようだが。

「……〝僕〟の自我は、瘴気の嵐に吹き飛ばされたはずだ」

 彼は自問したなにかがおかしい
 廃人とならずに、言葉を解する思考まで残しているのはどういった訳か――

「……あれは」

 この黒巨人をやや遠巻きにして、三体の鋼の巨人がそれぞれ別の民家を盾にするように座りこちらを伺っている。この黒巨人の大きさと比較してしまえば、既に巨人とは言い難いが。

『観測精霊にて通信を傍受します。……使用言語・英語イングリッシュ……翻訳フィルタ・オン』

 彼の疑問を聞き届けて、何事か意味不明の言葉を述べる彼女。すると、




   『あれが――機傀悪魔デクスマキナセイタンか!』

    『どうなっているのよ。あの大きさで平然と直立している……』
 
 『どうするんだ? こっちは三機しかいない』




「なんだ……あの巨人の、中の人間の声?」
『魔術的防御は皆無、通信の暗号化技術も脆弱。非常に低品質なヴェトロニクスです。――使い手ユーザー。敵機は、低水準の量産機と推察されます』

 小部屋に響いてくる、二人の男と一人の女の声を聞きながら彼女は冷淡に評価した。

「それは……つまり、」

 彼は声を上げようとする。それよりも前に、巨人の中身の一人が言った。

『落ち着け! 外面に惑わされるな! あれのパイロットは未だに生身で斬り合いなんぞやっている蛮地の猿だ! どんな性能を持っていても、動かせなければただの置物に過ぎない!』

 己を鼓舞するように叫ぶと、背中のパイロンに固定されていた巨大な手斧を取り、二人の仲間にも声を上げる。

『三体同時にかかるぞ! エイシャ! 俺とガバナーが前面から突入して引き付ける! お前は背後からコックピットを狙え!』
『了解!』

 仲間二人も応じて斧を取る。彼らは民家の間を縫うように走り、こちらに向かってきた。

「――セイタン、僕に身体を預けろ」
『了解。神経接続網展開、ニューロフレームとのコネクションを構築します』

 周囲から、輝く銀糸が伸び彼に絡み付いた。銀糸は極小の糸に分化して皮膚細胞を通り抜け、彼の神経に取り付いていく。糸繰りの人形じみた格好であった。

『操作方法は』
「いらない。〝もう引き出している〟」

 彼は雑に応じて、腕に力を入れた。要はマン・マシン・インターフェイスの一種だ。直感的な戦闘行動を実現する為に、機体と肉体が同等の箇所に対応している。機体の腕を動かしたいのなら、自身の腕を動作させれば良い。「腕を動かす」という意識に紐付けられた動きならなんでも良く、慣れれば生身を動かさずとも操作が可能となるようだ。
 彼は最も非効率な操作を実行した。機体にさせたい動作と、全く同じ動きを取った。
 右腕を、軽くひと薙ぎしたのだ。

『喰らはぴゅっ

 敵機の内二体が、正面から接近し民家の屋根を登り跳躍してきた。その片方、こちらの間合いに0.4秒速く到達した機体がセイタンの爪に薙ぎ払われて空中で鉄屑に分解される。最後の通信は、巨大な指に押し潰された〝中身〟の、内臓なかみを吐き出しながら潰される音だ。

『え――』

 僚友の惨殺に、正面の敵機が一瞬情動を失った。致命的な隙だった。

あぎゅ!?

 突き出された左の貫手により、彼もまた戦友と同じ末路を辿る。

『ひっ』

 哀れな残りの一体は、僚友二人分の肉塊となる音を聞き、事態を理解し恐怖するだけの暇を与えられた。しかし逃走の時間までは、この機械の悪魔は与えなかった。
 そちらを見もせずに振り下ろされた手の平が、八メートルの巨人を数十センチの低さに押し潰した。

ぼびゅっ!?

 女の断末魔も、汚らしさでは大して変わる所は無かった。
 ――全て、人の気配の在処を的確に狙った攻撃だった。
 彼は両の手の平を見える位置に持ち上げた。オイルに混じって明らかに存在を主張する赤が、黒い装甲にこびりついている。
 詞木島日雨であれば、そこに何かを感じるはずだった。彼はこれまでの生涯で一度も、人を殺した事が無かったのだから。

「……キヒッ」

 しかし彼が浮かべたのは、歪んだ嘲笑だけだった。

(そうか、つまり……)

 彼は自身の存在理由を正しく理解した。

理性ぼくは、殺意を管制する装置システムか」
使い手ユーザー、〝ライブラリ〟の参照状況を報告願います』

 彼女の問いかけに、感慨をあっさりと放棄して彼は答える。

「二割未満と言った所だ。未だ不明な機能が多い」

 セイタンは彼の脳髄に駐留するナノマシンを経由して、記憶野に直接、自機の機能、使用法を送信している。だがなぜか、機体の全機能の五分の一も把握できていない。

『検索性の劣化は当機に原因があります。不可知のバグがあり、現状では除去出来ません』
「構わない。現時点の機能おまえで既に――僕の殺戮のぞみを果たすに十分だ」

 観測精霊の散布が進んだ為、彼はモクレントレイの全域を知覚していた。同型の敵機が百四十九機、市内の各所に点在している。

連合王国ヘプタ・アーキー……? 製、汎用機動甲冑アルマキナ……ワイルドハンター……」

 機体の制御システムに侵入して、盗み取った情報を彼は読み上げる。

『ヴェトロニクスのリソースの大半が火器管制と機体制御に割かれています。電子戦や索敵を別の機種が行い連携を取る仕様と推察されますが、当戦域にはこの機種しか存在しません』
「目と耳も無しに戦いに出てくるとは……いや」

 浮かびかけた推察を彼は否定した。
 奴らは、戦いに出たつもりなど無いのだ。狩猟、娯楽と喜び勇んでモクレントレイの人々を虐殺していった。
 彼の周囲の瘴気がざわめく。彼を苛む憤怒は、よりその色を濃くしていった。

「その傲慢に断じて報復する。――セイタン、僕の剣」
『はい、私の使い手』
「奴等の眩んだ目と遠い耳でも分かるよう、おまえの威風すがたを示せ」
『了解。地精散布、引力中和……雷精散布、磁界発現……統合魔術コンバインド・ソーサリィ、フロート・スペル、発動』

 セイタンの周囲に茶色、黄金色の微小な精霊が生じ、発光を始める。直後、機体がゆるりとした速度で浮上していった。
 モクレントレイの上空100メートル程に達した時点で静止する。
 空に浮かぶ、異様な存在を敵は察したようだった。強制的にオープンにされた敵機の通信回線から、パイロットの声が流れ込んでくる。

『な、んだ……あれ』『機傀悪魔セイタン……? 起動……してしまったのか?』『中尉! 応答願います!』『見ている、見ているさデグリック。ああ……動いている所を初めて見る。なんと恐ろしく……美しいんだ』『グルガン少尉? エイシャ准尉? ガバナー軍曹? 応答しろ!』『何をボサっとしている? 小隊! 応戦だ!』『指揮所CP! 指示を! セイタンが出現した!』

 百四十九の人間の声を、余さず受け取っている事を彼は確認する。これから起きる、百四十九の惨劇を全て聞き届ける為に。
 彼女がその、冷徹な殺意に呼応した。

固有機巧マシーナリー《自己錬金》、発動』

 周囲を浮遊する十二の巨剣が移動した。機体の背部に放射状に並んでいく。
 まるで、翼のようであった。

『媒介剣《反転使徒ANTI-APOSTLE》、一番剣《ケファの不信》から十二番剣《シモンの倦怠》まで変成プログラムをロード……都市郊外にて伏撃体勢にある敵機を含め、全敵勢力をロックオン……全刃射出準備完了』

 全ての準備を整えた彼女が告げる。剣の役割はここまでだった。
 殺戮の実行は、彼の意志によって為される。
 彼はこの都市に存在する全ての敵機に、オープンチャンネルで一言、殺意を吐露した。

「――死ね」

 翼状に展開した剣の刃が――伸びた。
 無数に枝分かれして、音を遥かに超える速度で、使い手の意図通りの正確さでどこまでも伸長する。レーザーの斉射じみた剣刃。それらは百四十九の枝に分かれて、余す事無く鋼の巨人に襲い掛かった。
 五キロメートルを超える射程、そしてナノメートル単位の精密操作による刃は何者であれ死圏に納めた。つむじ風の通過する程度の静謐な衝撃が、都市を跋扈する鉄機を撫でた時、致命的な破壊が起きる。

 三十二体は輪切りにされた。二十九体はコックピットを射貫かれた。十八体は縦に両断された。七十体は粉微塵に切り刻まれた。そして全ての刃の軌道は、確実に内部のパイロットの心臓をなぞっていた。
 百四十九の断末魔が、彼の登場するコックピットに響き渡る――その奏楽を、表情一つ変えず彼は聴いていた。

『あ、ああぁ……悪、魔』

 怨嗟と恐怖を十分に載せた声を最後に、通信は全て死の静寂を返すのみとなる。鏖殺おうさつの完遂に満足したように、セイタンの背中の翼刃は主の元に戻ってきた。

『市内の敵機の殲滅を確認』
「……これで終わりか」
『――いえ。南方の海域より新たな敵勢の接近を感知しました』

 それを聞くなり、獲物を与えられた野犬の如く彼は海の方角を向いた。主の意思に呼応してセイタンが観測精霊の濃度を操作。遠隔視リモート・ビューイングの映像を彼に送信する。
 モクレントレイから数キロ離れた海上にある、鶴翼状に展開する十数隻の船影。
 その中でも特に目を引くのは、周囲の艦船に護衛されるように浮かぶ一隻だった。異様に広く、手すりの無い甲板を乗せた船。詞木島日雨が見た事のない大きさ、形の船種である。

『航空母艦を基軸とした、空母打撃群です。格納庫、飛行甲板に機動甲冑を確認。規模は市内の部隊を大隊相当と仮定して、二個大隊。護衛艦隊は巡航ミサイルの発射態勢にあります』

 甲板に展開する機動甲冑は、今地上で物言わぬ骸と化している鋼の巨人と同一のものだったが、輪郭がごちゃごちゃとしていた。鉄の翼と、火炎を後方に噴き出す筒が一体になった装具を身につけている。鎧の上に着込む鎧といった風だった。

『着脱式の飛行ユニットです。汎用マルチロール機動甲冑……アタッチメントで機能を拡張する仕様であると推察されます』

 彼女の補足説明を聞きつつ、彼は敵機の翼に注目していた。パイロンに紡錘形の物体が取り付けられている。

『敵機は爆装しています。単機で近接航空支援CAS空挺戦術エアボーンを両立するのでしょう』
「手負いにして止めを刺す、という事か」
『不可能です。当機の装甲は、障壁魔術を用いた場合、戦術核の直撃でも破壊できません』
「だが、モクレントレイの人間に被害が及ぶ。――何より」

 彼の周囲の瘴気が、強く騒ぎ出す。

「僕は、一秒も敵の生存を引き延ばすつもりはない」
『それでは――当機の最大戦闘術の行使を具申します』

 彼女はそう告げると同時に、彼に〝それ〟の使い方を送信してきた。
 彼は、獲物に牙をかける肉食獣のように眼光を光らせた。

「許可する」
『了解。神話再現方式魔導兵装Assaultive Realization Mythology Sorcery、起動シークエンス開始。クリフォト機関出力上昇』

 瘴気の颶風ぐふうが渦を巻いて、セイタンのコックピットに荒れ狂う。

「ぐ……うぅううっ!」

 その現象は、四肢をばらばらにされそうな苦痛を彼に与えた。瘴気の与える精神の苦痛が、肉体に及ぶほど高いのだ。
 噛みしめた唇が切れて、口角から漏れ出る。毛細血管が破けて目尻から血の涙が流れた。
 その激痛を受けて、しかし彼は憎悪に嗤う。
 この身は怒りの体現者。機能は応報唯一つ。
 なれば――首一つになっても敵を殺す為の動作を、続けるのだ。

「召喚術式……起動」

 機体周囲に、黄金色に輝く魔法陣が無数に生じた。

『一番剣《ケファの不信》、二番剣《ヤコブの挫折》へ干渉開始。アストラル相接続……クリア。形相原典アーキタイプ ロード……20%……50%……』

 セイタンの周囲に滞留していた巨剣の内、二本が機体前方で静止する。彼女のカウントが進む度に、その形が変化していく。

『形相転移完了。ARMS-01《ヴォルスパー》、02《レーヴァテイン》、顕現リアライズ

 変化を終えて現れたものは、異形の剣だった。
 いや、それを剣と呼んでもよいのか。
 一振りは、赤い鉄花と言うべきか。柄らしき意匠の棒に、赤金で彫金された蓮華の蕾のようなものが取り付けられている。
 もう一振りは一冊の本に変化していた。紙に写し取られたものではなく、無数の赤く光る文字が書物の形に寄り集まっている。

 武具の機能を果たす要素を、その造形からは欠片も感じられない。
 だが、間違いなく剣なのだ。
 その二振りの放出する魔力は、大気を満たす粘性の液体のように見る者の呼吸を止めた。
 人も、動植物も、鉱物であっても。その精神に理解を強要されていた。
 それが、己に破滅をもたらす――魔剣である事を。

『《ヴォルスパー》、起動』

 ――がしゅんッ!
 左手の側に浮かぶ書物の方が、音を立てて変形を始める。ページが展開し、赤く輝く文字列が一つの形を構築していく。
 がしゅっ――がしゅんっ――がしゅッ――がしゅんッ!
 切っ先の無い、セイタンの体高を超える程巨大で歪な剣が構築された。
 セイタンの黒鉄の左腕が、その柄を握る。と、文字列の一部が強く発光を始めた。

『《ヴォルスパー》はじまりの断章』

 明滅を繰り返す言の葉の剣を、セイタンは首の後ろに回すように、横に振りかぶる。
 彼が、彼女の言葉に結びの句を継いだ。

「〝うつろがみちるギンヌンガガプ〟」

 セイタンは中空に向けて剣を振り抜いた。
 同時、数キロ先の海上、敵の艦隊が展開する海域に――激変が生じた。
 海が、裂けた。
 大海をえぐり取るようにして、夜空よりも暗い真っ黒な穴が開いた。その穴は周囲の物体を吸引し始める。黒穴を中心として大渦が生まれ、鶴翼の前面を構成する十隻がそれに囚われた。滑り落ちるように奈落じみた空虚へと落ち――そして呑まれた。
 言の葉の剣は、その役割を終えた為か、巻き戻るように書に変化し、そして元の巨剣の形に戻る。

「……何が起きたんだ?」
『《ヴォルスパー》は、北欧神話の創世から終焉までを記述する魔導書型のARMSです。今再現した伝承は、世界の始まりにあったとされる巨大な淵・ギンヌンガガプ』
「……つまり?」
『空間裂孔の生成、そして、それに対する時空間の復元力により発生する疑似ブラックホールを利用した兵器です』
「……全く分からん、という事が分かった」
使い手ユーザー。基礎的な科学知識の学習を求めます。魔術スキルの向上に、諸現象の原理の理解は不可欠です』
「後にしろ――僕たちの前に、殺すべき敵がいる限り」

 空母を含む六隻の敵艦は疑似ブラックホールの影響圏から逃れていたが、無駄話をする間に反撃されるという事はなかった。飛行甲板で行われていた敵勢の発艦作業が停止していたからだ。――彼らは唐突かつ理不尽な破壊に、動揺、いや恐慌に陥っていた。
 その情動が、最後の生存の機会を奪う事になる。

『フライング・スペル発動。雷精・風精・火精召喚』

 セイタンの背面装甲に魔法陣が二基敷設され、周囲に白、黄金、赤の体色をした微小の霊体が無数に生じる。

『磁界発生……ラムスクープ力場構築。圧縮空気精製』

 白色の風精が機体の背後に暴風を生み、黄金色の雷精が磁界によりこれを圧縮し制御する。

点火イグニッション

 赤色の火精が、押さえつけられていた風に火を灯す。
 発生した高熱の烈風が、セイタンの背を押した。
 前方の空に浮かぶ星が線形に見える程の速度で、音を遥か後方に置き去りにして、黒の巨人は飛翔する。
 数秒で、彼の目は三キロは離れていた船団を間近に捉えた。
 そこに搭乗する無数の人間は、脅威の接近を呆然と見過ごした。

 反応できたのは機械のみだった。巡洋艦に搭載された迎撃兵器CIWSが、機関砲の砲門をセイタンに振り向け即座に発射する。
 中型海魔を容易く肉塊に変える、毎分5000発で撃ち出される30mm弾は、漆黒の装甲に傷一つ付ける事ができなかった。

「シィアッ!」

 突撃の勢いのまま機体を旋転させ、彼は巡洋艦の一隻に回し蹴りを放った。鋼鉄の軍艦は真ん中からくの字に折れて吹き飛び、そのまま中央の空母に叩き付けられる。
 セイタンは上空に飛び上がり、再び翼刃を放つ。かぎ爪の如く伸びる刃が、排水量3000t超の巨体を二隻同時に持ち上げ、空母に向かって投げつける。
 その時が艦隊の抗う、最後の隙だった。

 残りの巡洋艦二隻の垂直発射装置VLSが一斉に開放し、ミサイルの先端フェアリングが槍穂のようにセイタンへ向けられる。

『くたばれ化物ォオオオオオオオオオオッ!!』

 通信回線から誰とも知らぬ咆吼が聞こえると共に、艦載されている全てのミサイルが至近距離で撃ち出される。
 人類の英知の火、プロメテウスの破城鎚とも言うべき兵器は全弾機械仕掛けの悪魔に直撃した。爆風に船体を煽られ、幾人もが艦内の壁に叩き付けられながら、勇猛なる水兵ネイヴィー達は勝利を確信する。
 ――しかし、彼らは忘れているのだ。
 悪魔とは、人間の希望を砕く為に存在するという事を。

『風精発現』

 爆発の猛火が、内側から発生した暴風に吹き散らされる。
 同色の夜空にあってもなお色濃く存在を主張するセイタンの黒鉄には、攻撃の痕跡すら認める事ができなかった。

『な……んと』

 抵抗する意気を奪われた海兵を満載する鉄の棺に、セイタンは手を掛ける。

「飛べ」

 軽く押すような動作で巡洋艦は弾け飛び、もう一隻にぶち当たりながら空母まで押し流されていった。
 そしてセイタンは、高度をゆっくりと上げていった。鋼の土嚢に押し込まれて身動きの取れない空母の真上に位置する。
 その右手には、もう一振りの魔剣、赤金の蓮の蕾が握られていた。

『――ま、待て! セイタンのパイロット!』

 初めて、敵方から彼らへ能動的な通信が送られてくる。やや枯れた、初老の男の声だった。

『我が連隊は貴官に降伏する用意がある! 私はノーサンブリア・ロイヤル・ドラゴンスケイルズ指揮担当士官、連合王国侯爵フリートウッド・ブランデルズ・ペール大佐! 賠償金も爵位も! 望むまま貴官に与える事のできる男だ!』

 彼は聞くに値しない御託を無視し、攻撃態勢を完成させようとした。

『《レーヴァテイン》解放』
「〝いてついたほのおムスペルヘイム〟」

 二人の詠唱を受けて、柄の先の鉄蕾が花咲くように開いた。その直後、
 ――夜を、朱が染めた。
 柄から炎が生じ、瞬時に膨れあがっていく。洪水のように際限なく、炎熱はその規模を増していく。蛇のような形状の火焔が、セイタンの周囲にとぐろを巻く。
 先の英知の炎を小火と笑うような、煉獄の劫火だった。

『ひ、ひぃっ!? た、頼むッ! 殺さないで! 私には家族が――』

 膨大な熱量が大気をプラズマ化させ、電磁波の働きを阻害した。通信は途絶し、コックピット内部は静寂へと還る。
 その中で再び、彼は殺意を口にする。

「死ね」

 松明を投げ込むように、セイタンは剣の柄を空母へと落とした。
 海水が一瞬で蒸発し、白い蒸気で全てを覆い隠す前に、彼は視た。
 火炎に溶けて消えていく六つの船を。

「……ク、クク、カカカカカカッ……キヒヒヒッ」

 怨嗟も命乞いも届かなくなったコックピットに一人あって、彼は喜悦に嗤う。
 応報は為された。
 虐殺の代償は、虐殺によって清算された――

(いや)

 足りない。まだ足りない。

「殺戮を命じた者が、どこかにまだ生きている」

 詞木島夜見はそれを幽霊国家と呼んでいたが。その所在を明らかにしなければならない。

「まだ殺す。殺し尽くす……!」

 いかな敵が現れようとこの力があればものの数ではない。あのような非道を行う者共を誅罰する為にこの力はあるのだ。
 人類の全ての悪徳を殲滅するまで、この怒りは消える事が無い。





 ――それは。
 ――強者が、意のままに他者を虐げ、ほしいままに支配する事は。
 ――ある、一人の少年が、悲嘆して廃絶を願った悪徳ではなかったか?





 ――矛盾エラー

「……ッ、あ! あがッ! あぁッ!?」

 周囲を滞留する瘴気の風に乱れが生じた。彼は顔面を手で押さえ、膝を突いて苦悶にうめく。

「あっ……ぐ……こん、な……」

 腰元までの白髪が縮んでいき、色彩も元の鳶色に戻っていく。
 海の蒸発による噴霧が薄れていこうとしていた。いささか〝低くなった気がする〟海上を、淡い光が照らし始める。夜が、明け始めていた。
 曙光は、かろうじて溶け残った船の破片を浮かび上がらせる。

「余が……やったのか?」

 手を見つめる。指先が震え始めている。嘔吐感がこみ上げてくる。
 脳裏にこびりつくように、無数の悲鳴が消えない。

「あっ……あぁああああああああああああああああああああああああっ!」

 跪いて――自我を取り戻した日雨は、頭を抱えて悲鳴を上げた。
 その時、

『……どう、したの? しきしま、くん。泣いて……るの』

 コックピット内部に、少女の声が響いてきた。

「……ヒッ」

 声だけがあどけない少女のままの、黒鉄の悪魔。自分は今、そんな化物の腹の中にいる。

「な、なんだお前は! 一体なんなんだッ!」
『なに、って……わ、たしは……あれ? きみは、どこにいるの?』
「……?」

〝セイタン〟の様子がおかしい。さっきまでの、世界の全てを無価値と断ずるような、冷淡で無機的な口調が鳴りを潜めている。

『わたし……そらに……浮いてる、の? なんで』

 戸惑いに満ちた声が響くと同時に、巨人の頭部が左右に振れる。

「くら、ら……?」
『詞木島くん……どうなっているの? なに? え? わたしの、からだ……ぁ』

 セイタンは、両手の平を顔の前に掲げた。
 鋼鉄の手には、最初に殺した人間の血が、こびりついていた。



[40176] 7.BRAVE ANOTHER WORLD
Name: 八目又臣◆aa87a973 ID:17b043ce
Date: 2014/08/01 19:24
「馬鹿な、馬鹿な。馬鹿なッ!」

 甲板にて、船の手すりに掴まりながら食い入るように遥か遠い海上を見つめ、コンスタンティン少将は絶叫した。

「連隊が……全滅だと!? 五百近い鉄騎兵と、支援艦隊全て! そんな、事が……」
「なんだ、コンスタンティン――お前まさか、覚醒した機傀悪魔デクスマキナを一個連隊程度の戦力で鹵獲できると思っていたのか?」

 彼の背後から、嘲弄する声が聞こえる。

「殿、下……」

 手の平が手すりに溶接されたように剥がれない。どうしてもそちらを振り向けなかった。不敬と知りつつも、彼の顔を直視する意気が湧いてこない。

「何やら俺の浅慮では思いつかぬ、軍暦に違わぬ深謀遠慮で奴に挑んだのだと期待していたのだがな? 次に何をやる、どうするつもりだこの男、と心躍らせながら成り行きを伺っていたのだが……おい、それも演技なのだろう? この始末、全て計算通りなのだろう? お前は機傀悪魔の武力を聞き知っていたはずだ。その上で軍略を立てたのだろう」

 確かに、コンスタンティンは高級貴族の一員としてかの存在の脅威を伝え聞かされてきた。
 しかし、信じなかった。所詮は伝説、話半分以下のものとして聞いていた。己の連隊が知恵と勇猛さを駆使して、達成できない作戦とは思わなかった。
 当然ではないか? 栄光の連合王国全軍を投入してすら、小一時間程度で壊滅させられる機動甲冑の実在など、信じられる訳がない――

「ふむ、どうやら演技ではないようだ……」

 彼の声は、唐突に零下の冷たさを帯びた。

「そうなると、俺はお前に失望するしかない、コンスタンティン」
「殿下、殿下! お待ちを……」

 手すりを汗で濡らしつつ、海面に向けてコンスタンティンは弁明の声を上げた。

「まだ私の麾下には、完全編制の一個旅団と連隊があります。今一度機会を頂ければ、必ずや」
「どうにかできる、と?」
「ぐ……」

 コンスタンティンは喉を詰まらせる。できる、などと夢想にすら思えない。こちらの保有する戦力の四分の一をものの数分で屠ったあの怪物に? 残り四分の三を生贄に捧げるだけだ。

「そもそもだな、コンスタンティン。今のお前には出来ない相談だろう」
「……何、を」

 背筋に疼痛を与える厭な予感に、絞るような声でコンスタンティンは問いかけた。
 彼は言う。

「つい先程、キングスレー卿からお前の解任を通達されたよ。はは、王子を使い走りにするとは、不敬な爺だ」
「ば、かな……ッ! そんな事が!」
「そう不思議でもあるまい。お前の命令でセイタンの供物となった故フリートウッド卿は、かの地上部隊司令部人事責任者殿と友人だった。そもそも、連隊壊滅の責任を誰かが取らねばならん。この東の涯てで今、お前以下の将校は一人もいない。切り頃の蜥蜴の尻尾は無いのだ」

 軽々しく、愉しむような男の声。弾劾の言葉を並べながら、指折り数えているのだろうとコンスタンティンは察する。

「なに、友人の誼だ。寂しくないよう、道連れは山ほど用意してやるさ」
「……なん、と?」
「コンスタンティン・ヘンリー・コンプトン。お前の爵位は剥奪される。一族も平民に降格だ。お前の愛人――確か、六人だったな?――は、不義密通の罪なりなんなりで牢屋にでも入ってもらおうか」
「な、何故!? どんな道理があって、そんな非道を!」

 彼の築き上げた人生の全てを奪うと宣告した男に、敬意も忘れてコンスタンティンは叫んだ。

「言わねば分からないのか?」
「分かりません! こんな馬鹿な事があってたまるか!」
「当然の対価なんだよ、コンスタンティン」

 嘆息を交えて、男は言った。

「お前は、自身の栄達を求めて、個人的な戦争に軍を用いた。勝利を手土産に国家に返礼するのであれば目こぼしもしよう。――だが貴様は敗北した。紛う事なき自身の無能によって」

 切っ先を突きつけるような響きに、男の声は変化した。

「罪状は疑う余地もない、国家反逆罪だ。次期上王として、俺は貴様に可能な限りの刑罰を与えざるを得ない。全てを失い地獄に堕ちろ、愚臣」

 最後の理性を奪う言葉だった。コンスタンティンは、とうとう振り返って相手の顔を見定め叫び散らす。

「ルーラッハ・ガルガンティン・マーシアァッ!!」

 尊き血筋の者を名指しで呼ばわる不敬も、彼は躊躇わなかった。そうだ、こんな若造に自分が指図をされるいわれなどない!

「悪魔が! 君主を気取るかァッ!」

 拳銃を求めて懐に手を入れる。そうとも、この場には自分とこの男しかいない。この気取った若造さえ始末してしまえば後はどうとでも「ぷぎゅん

 ――そして、不可視の圧力に押し潰され、コンスタンティンは甲板に貼り付く平たい肉塊と化した。

「なんだ、やれば出来るじゃないかコンスタンティン」

 男は告げた。返り血に濡れた頬が、浮かべた笑みによって歪む。

「今際の際に、俺の正体を言い当てられた」





「ふむ。甲板を汚してしまったな」

 ルーラッハは風精シルフを召喚して、元少将の肉片を海へと吹き散らした。

「生まれを間違えたなコンスタンティン。貴族になどならなければ、魚の餌になる末路など辿らずに済んだものを」
「掃除の手間が省けましたよ、ルーラッハの旦那」

 いつの間にか甲板に佇んでいた羅虚虎が彼に声を掛けてくる。何の冗談か、掃除夫よろしくモップを手にしていた。

「まぁ……もう少し早く片付けてくれりゃあ、千人ばかしの兵隊どもを掃除する手間も省けたんでしょうがね」
「仕方ないよ羅。いつぞやコンスタンティンに言った言葉は嘘じゃない。俺には軍の指揮権が無いんだ。下手な横紙破りは王国の貴族どもを刺激する。奴が明らかな失態を犯すまで、出来る事は無かった。王族とは、存外窮屈な立場なのだよ」

 ルーラッハは、肩をすくめて羅の気のない非難に応えた。

「この件で、いささか窮屈ではなくなるって訳ですかい」

 皮肉げに顔を歪めて、羅は言う。

「まぁね。コンスタンティンの例で見るように、機傀悪魔の武力は伝説程度に認知されるようになって久しい。軽々しく使えないものだから仕方がないが……今ではちょっとした玉璽扱いだ。貴族の子弟を多く含むノーサンブリア・ロイヤル・ドラゴンスケイルズの派兵に、誰一人反対しない、というより戦功目当てに進んで送り出したのがその証拠だよ。奴らは自分の息子、娘を殺され、教訓とした……とまでは行かぬでも、冷や水を浴びせる効果はあっただろう」
「少なくとも、玉璽が火ぃ吹いて、触れる奴を焼き殺せる事にゃあ気づいたでしょうぜ」

 軽口を叩きながらも、羅は内心うそ寒いものを感じていた。あのセイタンの武力を目の当たりにして、なお政治に利用できるような人間は、連合王国ではこの王子一人だけだろう。

(人外魔境の化かし合い、って奴かねぇ)

 こんな化物が実在する世界に生まれてしまうとは! まったく、楽しくて仕方がない。

「ま、掃除夫の役を買って出たのは俺じゃあねぇ、その玉璽サマだ。いやはや、大した手際ですよ」

 大魔術師の秘儀すら児戯に見える規模の魔導を、いとも簡単に行使するロボット。
 しかしそれ以上に羅を驚かせたのは、その非情さだった。あの甘っちょろい亡国の王子がやったにしては、連隊の鏖殺はあまりに速やかで遠慮が無かった。

「ふむ、興味を持ったか羅」
「心惹かれざるを得ませんねぇ。ありゃあ、機動甲冑のフラッグシップ機なんかじゃねぇ。全くの別モンだ」
「当然だな、あれは機動甲冑のようなまがいとは違う、純然たる、〝今は遠き世界〟の遺物だ」

 未だ滞空したままのセイタンを示して、ルーラッハは言う。

「羅、お前は魔術の成り立ちを知っているだろう?」
「パラケルスス世界構想の証明……精神世界ムンドゥス・アニムスの発見、ってぇ奴ですかい」

 かつて、精神なるものが解明され、その在処である物質世界の影とも言うべき領域の実在が証明された。
 精神の存在する領域は星の世界アストラルと呼ばれ、やがてそこに発生する精神現象の媒介元素〝霊子エーテル〟を抽出し、現実世界に任意の物理現象として発現させる技術が生まれた。
 それが魔術である。こと東側においてはネーミングの統一がされておらず、鬼道、陰陽道、道術、仙術、ヨーガ、法力……などと数多い呼び方があるが、全て同じ原理に基づく技術だ。

「それら魔導と最先端科学を結集し、究極の兵器とやらを開発する、という構想がかつてあったのだ。精神世界の最深部から、膨大な力を汲み出し無限に行使する機動兵器……」
「精神世界の最深部?」
「人の、悪意だよ」

 ルーラッハは至極端的に応えた。

暴食グーラ強欲アウァーリティア怠惰アケーディア色欲ルクスリア傲慢スペルビア嫉妬インウィディア……そして憤怒イーラ。七つの大罪とも呼ばれる、自身を滅ぼす程に強い精神の側面。それらをエネルギーとして活動する七体の兵器。人の心を喰らって駆動する機械仕掛けの悪魔ディアボルス・エクス・マキナこと機傀悪魔D'EX MACHINA……」

 つまり、それがあの洋上に佇む漆黒の機兵という訳か。

「あれのパイロットは、機傀悪魔が莫大なエーテルを抽出する際の媒介も兼ねる。だから〝媒介者メディエーター〟と呼ばれるのだ。人類総ての悪意を感覚して、正気を保つには訓練が必要だ。奴は呑まれてしまったのだろうな。人類の怒りに」

 羅の疑問点に解答を付け加えつつ、彼は続けた。

「憤怒とは、七つの大罪の内でも特に業深いとされた感情だ。セイタンは七体の機傀悪魔の中で、最も制御が難しく、そして最も強い力を持つとされた機傀悪魔だった。逸話に違わぬ、激烈で凶悪な暴力……」

 ふと、何かを堪えきれないようにルーラッハは顔を片手で覆った。その奥に爛々と輝く、碧の瞳がある。

「欲しい」

 欲しい、欲しい、欲しい、欲しい、欲しい、欲しい、欲しい、欲しい……!
 背中を屈め、周囲に火の粉のように赤く輝くエーテルを迸らせながら欲望を剥き出しにする王子を眺め、羅はうなる。――なるほど、これが悪意の体現者、という訳か。
 ルーラッハは、後方の艦橋が作る影に向かって語りかける。

「来い、ガラテイア。あの素敵な玩具と戯れよう」

 影の中、花が風に揺れるような可憐な声がそれに答えた。

「はい、マスター」





『ああっ!? あああっ、ああああああああああああああっ!』
「落ち着け! 落ち着くのだくらら!」
『いや、いやァ……違う、こんなの……わたしじゃない、わたしじゃない!』

 機械の身体がかぶりを振り、身体を震わせ錯乱する。それに合わせて揺れる風景に目眩を起こしつつ、日雨は彼女をなだめる。
 彼にとっても理解を遥かに超えた事態だった。詩乃目くららが巨大な鉄巨人に変身? して、自分を取り込んだ。日雨とくららは正気を失い、モクレントレイを襲った軍勢を虐殺した。そして今はなぜか、失った正気を取り戻している。
 そして、彼女は別の形で再び正気を失おうとしていた。

『夢だ、夢だ、夢だ、夢だ、夢だ、夢だ、夢だ夢だ夢だ夢だ夢だ夢だ夢だ夢だ夢だ夢だ夢だ夢だ夢だ夢だ夢だ……! そうよ。元から異世界に迷い込むなんて、ありえないじゃない……その上ロボットに変身して、人をこ、殺……殺……ああ、ぃ、う』

 鋼鉄の手で頭を抱え、狂気の記憶にうめくセイタン――くらら。

『あ、あはは……リアリティが全然ないよ。三流脚本だよ。全部嘘、嘘に決まってる……どうすればこんな夢から覚めるの? ねぇ、ねぇ!』
「心を静めろくらら! 余の声を聞け!」
『ねぇ詞木島くん、きみも嘘なんでしょう? わたしの夢の登場人物なんだ……どうすればいいの? わたしの目覚める方法を教えてよ』
「……夢ではない、夢ではないのだ、くららよ」

 心臓を握り潰されるような痛みを覚えつつ、日雨はその言葉を告げた。
 未だ手の内には、虐殺の手触りが残っている。あの時はそれを、ひどく心地良いものと感じていた。憤怒に浸っていた。悪意に耽(ふけ)っていた。殺人に悦楽していた。
 間近に自分より錯乱している人間がいなければ、彼自身が狂っていただろう。

「だから落ち着いて、先の事を考えねばならん。まずは元の身体に戻る方法を見つけよう」
『……詞木島くん』

 いささか、くららの声に籠った熱が冷却された。外側のセイタンの動きも止まる。

『でも、元の身体に戻るって言っても……え?』

 不意に、彼女の口調に怪訝さが混じった。コックピットの視界が動き、洋上の一点に留まる。
 日雨もまた、それを見た。
 海面から数十センチの高さを浮遊して佇む一組の男女。
 一人は、年若い美丈夫だった。均整の取れた身体つきに煌びやかな黒い礼服を纏い、更にその上に赤いマントを羽織っていた。歳の頃は意外と若く、十八程度か。絹糸じみた金髪が潮風に流れ、朝日に透けている。
 しかし、彼の特筆すべき容姿は他にあった。翡翠色の瞳、そして。

『エル、フ……?』

 くららが不可思議な言葉で、その風体を表現した。男の耳は長く、そして尖っていたのだ。
 その傍らに佇む女の方も、容姿に幼さを残す少女だった。身体を構成する色彩に、不自然なまでの統一感を持っている。小柄な身体を赤いドレスに包み、紅玉じみた瞳を持ち、血に濡れたような髪を風になびかせていた。

『気づかなかった……さ、索、敵……が機能しな、か……あの人たちの後ろ、船……? 色んな情報……流れ込んでく、る』

 コックピットに響く声に、不可解な乱れが生じる。

「ど、どうした?」
『雷精に、よる……光学透過……水精によ、る……熱源隠蔽……統合魔術……術種……ステルス・スペル……?』

 熱に浮かされたような声で、くららは呟く。

『同型、機……?』

 朝日を背負い、金髪の美丈夫が言葉を発した。観測精霊がその声を拾う。
 秋津洲国の言葉だった。

秋津洲国ドラゴンフライ・ランドの王子! 俺は連合王国マーシア州国、第一王位継承権保持者ルーラッハ・ガルガンティン・マーシア!」

 美丈夫――ルーラッハは、高らかに告げた。

「貴殿の保有する機傀悪魔、セイタンを強奪する為に参上した!」
「……!」

 事ここに至って、日雨は昨日の羅との遭遇から今に至る事件のすべてが、この黒い巨人を奪う為に行われたのだと悟った。夜見の言っていた幽霊国家は、くららを手に入れる為に軍勢を駆り出しモクレントレイの民の虐殺まで行った。
 そして、その首魁が今、そこにいる。
 ざわり、とコックピットの内部に再び瘴気が生まれ始める――が。

(駄目だ……!)

 この力は制御できない。また自我を無くして、殺戮に走ってしまう!

「どうした? あの獰猛かつ勇壮な破壊魔が、宣戦布告した怨敵を前に立ち尽くすなど! それでは――俺の〝強欲〟は、貴殿のすべてを奪ってしまうぞ」

 ルーラッハの宣誓は、物理的な現象を伴った。彼の周囲の海面が無数のさざ波を生じ始めている。
 彼の身体にも変化があった。金髪は炎のような赤毛に変化して伸びていく。かすかに覗く首には、赤色に発光する回路図じみた紋様が浮かび上がり、口からは鋭く尖る牙が覗く。
 刃物のように伸びた爪で、彼は自身のマントを引き裂き海に捨てた。

「ガラテイア!」

 呼びかけに応じて、赤の少女は異形と化した男の腕に抱かれる。
 牙で肉を食いちぎるような獰猛さで、男は言葉を発した。

「《孤独に震える狂王ピュグマリオーンの渇望は、》」

 抱き潰すように強く紅の少女を扱いながら。

「《やがて、理想の乙女を造形した》」

 ――海面を、焔が奔った。
 流血のように炎は巡り、彼らの周囲に幾重もの円を描いていく。
 その大炎は天上へと昇り紅蓮の柱と化した。高く、高く、涯ても見えない程に高く。
 やがて――炎の柱を吹き散らして、血の色の巨人が出現した。
 目にしているだけで物理的な重圧を伴うような、堅牢かつ重厚な真紅の装甲。体高四十メートル以上はあるセイタンと比べても、更に二回りは巨大であった。
 右肩から覗く構造物――奇妙な形の箱を背負っている。

『〝Diabolus ex machina〟Type〝Avaritia〟『MAMMON』、顕現リアライズ――お初にお目に掛かるわね私の同型機しまい。逢えて嬉しいわ』

 少女が初めて声を発した時、その身体は既に巨人と化していた。小鳥の鳴き声、あるいは風に揺れる花の擦れ音か。そんな淡い印象の美声を、あの鋼鉄の身体から聞くなどあまりにも冗談じみていた。

『ち、がう……わたしは、あなたと同じじゃない』
『……? 様子がおかしいようだけれど……まぁいいわ』

 未だ戸惑いの最中にあるくららを超然と見下ろし、〝マモン〟は左腕を変形させた。
 ――がぎゅっ!
 手首から先の装甲が割れ、肘の方へ展開し、その内から六つの砲身を束ねたガトリングガンが伸びる。

『私達は鋼鉄の悪魔。人類の悪意の体現者。姉妹と相対したとして、いえ、だからこそ、その唯一にして絶対の機能に殉じねばならないわ。――壊し合いましょう、魔剣の王』





 海が爆散した。
 マモンの左腕は、雲霞じみた弾幕をセイタンの浮遊する海域にバラ撒いた。水柱が無数に上がり、歪な海水のオブジェを作り出す。

『きゃああああっ!』

 こちらは避けるどころか、両腕を楯に身を竦ませるといった無意味な動作しかできなかった。日雨の身体からは既に繰り糸が解け、機体の制御権はくららにある。先程の機械的な動作が見る影も無い、怯える少女そのものの仕草だった。
 狙いの雑な制圧射撃であった事が幸運であった。命中弾はごく僅かだ。
 そして――幸運でない事態が一つ。

 セイタンはダメージを負っている。針のような弾芯が五発、漆黒の装甲に食い込んでいた。
 巡航ミサイルの直撃を防いだ機械の悪魔に、どういうからくりか攻撃を通している。
 あるいはこれが――同種の力、という事なのか。

『あ、あ……腕、なんか刺さってる……』
「くらら!」
『でも、痛くない……痛くないよぅ!』
「くららッ!」

 錯乱する彼女に、日雨は叫ぶ。

「逃げるのだ! このままでは殺されるぞ!」

 海上から数百メートルほど、こちらを見下ろすように浮遊するマモンは、次に右腕をこちらに向けた。
 がしゅっ! ――左腕と同じく装甲が展開、変形して巨大な砲門となった。

『ああぁあああああっ!』

 日雨の言葉というより、砲口を向けられた恐怖からくららは機体を駆動させた。背を向け、敵機の逆側に飛翔する。
 それを追うように、右腕の大砲、左腕の機関砲が弾丸を撒き散らす。
 吹き上がる海水が白く煙る中、セイタンは逃げ惑う。

『なんだ? まさか弱者をいたぶるだけが能だったと言うのか? 違うだろう? この力は、そんなものじゃあないだろう!』

 通信回線でなく、直接拡声した音声を外界に出力してくるルーラッハ。その声音は力を振るう喜悦に満ちていた。
 彼の哄笑は尽きる事がない。――弾幕もまた。

(なぜ弾が切れん!?)
『う、あ……機体、内、部……に……金精、地精、火精反応……弾薬錬成……バレット・スペル……』

 また、〝情報が流れ込んでくる〟という現象が起こっているのか、くららが唸りながら言う。
 要は、相手の弾丸は無制限であるらしい。数十秒かけて一発撃てる程度の前装式の銃しか知らない日雨からすれば、理解の埒外にある兵器だった。
 だが、こうして距離を取れば精度は落ちるはずだ。相手はあの巨体。その上、無数に弾丸を積み込んでいる。速度においてはこちらが明らかに優位――
 セイタンの真横を、紅蓮の影が追い越していった。

『あまり興を冷ますな、セイタン!』

 ルーラッハの声と共に、眼前に占位したマモンが、左腕のガトリングガンから針弾を吐き出した。

「くぁあああああああああっ!」
『きゃあああああああああっ!』

 両腕で身体をかばうも、針弾は機体の表面を鉋をかけるように削っていく。細かな鉄片が摩擦によって引火し、無数の火花を散らした。

『な、なんでっ!』

 怯えた声を上げながら、くららは機体を反転、再び逃げの一手を打つ。
 そのすぐ真横をマモンが並走していた。悪夢じみた光景に、日雨も疑念を隠せなかった。

(なぜ、こんなに速い!?)

 マモンの機体は、体高五十メートルを超え、横幅に至ってはやや細身のセイタンの倍近くある。いかにも鈍重な外見であった。その上、内部に無数の弾丸を貯蔵している。だと言うのに、こちらの全速力にあちらは余裕を残してついてくる。

(推力……に差がある?)

 連隊を相手に戦った時、日雨の中に未知の知識が流れ込んで来ていた。そのほとんどは自我を取り戻した時に消えてしまったが、いくつか断片的に残ったものが今の窮状に理屈を付けた。重い竜車は、より力の強い竜に引かせればいい。

(なら!)
「くらら、余にもう一度繰り糸を結べ!」

 日雨はコックピットの天井を振り仰いで、声を張り上げた。
 しかし、返ってきたのは拒絶だった。

『い、嫌。わたしを操らないで、戦わせようとしないで……』

 悲痛な懇願に、引け目を覚えた。肺が強張る。しかし。

「違う! 戦わなくともよい! この場を脱する為には、ただ逃げるだけでは駄目なのだ」
『でも……』
「頼む……!」

 日雨の懇願に、彼女も折れたようだった。最初とは格段にのろい動きで、日雨の身体に極細の糸が巻き付けられる。
 自分の身体が二つあるかのような幻肢感に目眩を起こしつつも、日雨は歯を食いしばってセイタンを操作した。
 機体を旋転させ、方向転換。追いすがるマモンに対して、二度、三度ロールを繰り返し惑乱する。

 これが彼の打開策だった。重量級の機体をスラスターの強引な出力で動かしているのであれば、小回りは利かないはずだ。勢いのついた重い竜車は、曲がりきれずに柵に激突する。
 だが、

『鬼ごっこ、というのだったな、貴様の国では』

 マモンは、変わらず追従している。

(なぜだ!?)

 驚愕する日雨に、ルーラッハは嘆息混じりに告げた。

『俺は、この遊びにいささか飽いたぞ』

 赤の機体は、肩部のミサイルポッドを開き、無数の火筒を吐き出した。円筒形の飛翔体は一瞬空中に滞留した後、火を噴き猛烈な勢いでセイタンを追い越すと、方向転換してこちらに襲い掛かってきた。
 弾種はディスペンサー。セイタンの目前で破裂し、小型爆弾のスコールを降らせる。

「ぉおおおおおッッ!」

 日雨は叫びながら、弾雨に機体を突っ込ませた。
 爆炎の朱が、空域の全てを塗り潰す。
 それが晴れた時、セイタンは未だ海上を飛翔していた。やや煤を被っているものの、健在であった。ミサイルを撃った反動で停止したマモンと、距離を開く事に成功している。
 機体に随行する巨剣を再び翼状に展開、それを操作して被爆範囲にある爆弾を斬り落としたのだ。

『ほぉ!』

 ルーラッハが、興を咲かしたような快哉を上げる。

『ようやく調子が出て来たか! ならば俺も、ここらでクラブのジャックを切ってみようか!』

 彼の不可解な宣言に、くららが反応した。

『なに……? マモンから……高霊子、反応……?』

 戦闘空域に散布されていたセイタンの観測精霊が、マモンの背面画像をフォーカスし、モニタリングした。
 奇妙な構造物が、機体の背中に取り付けられている。巨大な円筒――その数は九。
 ガラテイアが告げる。

『召喚術式励起弾・第一弾頭プルミエ・バル、撃発』

 ――がしゅんッ!
 円筒の一つが作動した――バレルが機体の内部に沈み、そして戻ると同時にエジェクションポートから薬莢が排出され、海中に落ちる。
 マモンは、自らの身体に弾丸を撃ち込んだのだ。
 瞬間、真紅の機兵の前方に青白く輝く魔法陣が展開される。空間が歪み、何も無いはずの中空に無形の存在感が充満していく。
 翡翠の色をした、巨大な竪琴が出現する。

(あれは……!)

 日雨は確信する。あの器物は、先の戦闘でセイタンが使った《ヴォルスパー》、《レーヴァテイン》と同種のもの、そこに存在するだけで心を凍らせる神器だ。

『《アッキヌフォート》』

 ルーラッハは告げる。既に拡声しても肉声の届く距離ではないが、通信機器に介入されているようだ。セイタンのコックピットに直接言葉が届いている。

『流浪の王子よ。その不様な彷徨の慰みに、一曲吟じてやろう』

 と、竪琴がひとりでにその身を奏で始める。音の波が海面に波紋を生む。この鉄火場に似合わない、ゆったりとした和声の調べであった。
 こちらは律儀に聴衆になってやる道理などない。スピードを維持し、マモンから距離を離していく。

『あ、れ……?』

 その最中、くららが戸惑いの声を上げた。

「どうした? 何か異変か?」
『え、ええと……あんな形してるから、定番の音波攻撃かなぁ、って思ってたんだけど』
「いつもの、あるあるというやつか?」
『うん、そう。でも……おかしいのはそれだけじゃなくて……わたし、この曲知ってる……昔、吹奏楽部、かけ持ちでやってたから……これは』

 声の質から、彼女の懸念は敵機の不可解な動きでなく、そちらの方にあるらしいと日雨は察する。疑念を含む声で、彼女はつぶやく。

『〝魔弾の射手〟……なんで異世界に、この曲を知ってる人がいるの?』

 しかしくららに、思考を継続する暇は与えられなかった。
 再びマモンが銃身と化した両腕をセイタンの背に向けたのだ。

「……ッ!」

 背筋を怖気が走るが、日雨は一直線に逃げて撃ち頃の的になる事を選ばない。機体を左右に振って、射線から巧みに外れる。
 マモンは、特に狙いを付けずに射撃を再開した。

(馬鹿が!)

 日雨は内心で敵を罵った。既に肉眼では互いが豆粒にしか見えない程距離を取っている。今までのあちらの射撃を鑑みるに精度はさほど高くない。回避機動を取る相手に当たる訳がない。
 日雨の確信通り、弾丸はセイタンから遥か外れた空中を飛び、
 そして、その軌道を変えてこちらに着弾した。

「な」

 振動する機体の中で、日雨は驚愕する。そんな馬鹿な。道理に外れている。直進するしかない弾丸が、今、縦横無尽に動き回り――全方位からセイタンに襲い掛かってくる。

「っづあああああああっ!」

 翼剣で防ぐにしても限度がある。防御を潜り抜けた針弾が、砲弾が機体をえぐっていく。
 魔曲のピッチが上がる。一音一音が獲物を追う猟犬のように、烈しく空に轟いた。弾丸は奏楽に合わせて玩弄するように踊り、余すことなくセイタンに向かう。
 あの翡翠の竪琴の機能である事は間違いない。あの演奏が、弾丸に必中の加護を与えている。
 今では距離を離した事が仇になってしまった。抵抗したくとも、近付く前に蜂の巣にされる!

(どうする……!?)

 考える猶予は瀑布じみた射撃に刻一刻と削り取られていく。かろうじて身体の中心を守る翼剣は、軋み、罅割れ、折れる一歩手前といった有り様だった。
 かつてこちらが同じく神器で攻撃した時は、敵軍は赤子のように為す術無く鏖殺された。これは人知を超えた、圧倒的な破壊現象をもたらす武具だ。どのようにして抗えばいいのか――

(同じ……神器)

 できるか? そう自問しつつ日雨は翼剣の一本を手に取る。

「くらら! さっきの武器を出せるか!? 炎の剣だ!」
『え、えっと……ごめん、戦ってた時のこと……うまく思い出せなくて。記憶の断片が物凄い速さで頭の中に出てくるの……フラッシュバック、みたい』
「なんとかやってみてくれ!」
『わ、わかった……あ、ぅ……媒介剣《反転使徒》に介入……アストラル相と接続……形相原典……ロード……形相転換』

 以前とは段違いの遅さだが、手の中の巨剣が変化していった。

(間に合え……!)

 楯にしている翼剣の内、三本が同時に限界を迎えた。破断して海中に没する。
 しかしそれと同時に朱い鉄の花が再び出現し、猛炎を生んだ。炎は蛇じみた挙動でセイタンの周囲を渦巻き、接近する銃弾を全て溶解させる。

『ARMS-02《レーヴァテイン》。機能、無制限の熱量精製……でもこれ……北欧神話? なんで……? どうしてこんなに、わたしの世界と同じものがあるの……?』
「考え事は後にしろ! この隙に逃げる!」

 再び戸惑いの声を上げるくららを叱咤して、日雨は機体に炎の蛇を纏わせながら逃走を再開した。
 その背に浴びせられる、毒蛇の絡み付くような男の声。

『逃がすと思うか?』

 ぞわり、とした怖気に震え、日雨は後方を思わず振り返った。完全に振り切ったと思われる位置にマモンの機体はある。観測精霊で拡大された映像が、後方に投影される。

第二弾頭ドゥジエム・バル第三弾頭トルワジエム・バル、撃発』

 再び背中の弾丸がマモンへ撃発された。――今度の数は、二発。
 現れた神器は、黄金色の弦のない弓と両端に刃の生えた短い棒である。

『《ガーンディーヴァ》、《ヴァジュラ》、顕現リアライズ

 マモンは左手に黄金の弓《ガーンディーヴァ》を取り、右手に棒状の器物《ヴァジュラ》を掴んだ。矢摺やずりに器物を触れさせる、と――
 ばぢっ、ばぢぢっ――ばぢんッ。
 弓弭ゆはずが白く発光すると、雷光の弦を延ばして《ヴァジュラ》に絡みつける。目映い放電が、血に濡れたようなマモンの装甲を青白く照らし出す。溢れる程の色濃い電が《ヴァジュラ》へと集束していく。

『――〝再臨/大魔殺ヴリトラハン・サンサーラ〟』

 マモンの手元が、白く閃いた、と視覚した。
 その瞬間には、雷光の一矢によって《レーヴァテイン》の炎は吹き飛ばされ、セイタンは貫かれていた。

「……ッッッ!?」

 猛烈な衝撃に機体が横に傾ぎ、日雨はつんのめる。

『あ、あ……』

 くららは機体の首を右に向けて、恐ろしげにうめいた。右肩部の装甲を綺麗にくり抜かれ、断面が漏電している。どうにか身体に右腕がぶら下がっているという有り様であった。

『ああ、なんとも――不様』

 失望を含んだ声をこちらに送って、ルーラッハは機体を推進、こちらへ接近してくる。

『これ程の力を得て、ただ怯え、逃げ惑うだけか秋津洲国の王子。国の主の一族がそのザマならば、かの国が滅んだのも道理だろうな』
「な、んだと……」

 断じて聞き逃せない侮辱であった。
 しかし、現状で勝てる目が全く無い。自我を失った事への混乱も覚めやらぬ上に、日雨もくららも戦い方をほとんど忘れている。対するマモンは、いかにもこのロボットを使った戦いに手慣れた風情である。数少ない望みはやはり、逃走の続行にしかない。

「まだ……動く! くらら、飛ぶぞ!」
『や、ぁ……やだ……もうやだ』

 身体の一部の欠損――痛みは無いと言っていたが、くららはその事実に、戦意どころか逃走の意志すら失ってしまった。ただ、絶望だけがその声に満ちていた。

「ぐ……」

 日雨は繰り糸を操作して、強引に機体を飛翔させようとした。
 が――

「……!」

 がくん、と機体が揺れ、高度が下がる。飛行を維持していた周囲の精霊が、輝きを失い次々と消失していく。

『クリフォト機関とのリンクを切っていたのか。先の戦いの貯蓄でごまかしていたのが、ARMSまで使ってとうとうガス欠になった、という訳だな。……〝怒り〟に呑まれるのを恐れたか。全く、失望させてくれる』

 短剣で刺すような、冷たさを帯びたルーラッハの言葉――それは通信を介してではなかった。

『あぐっ……』

 くららが悲鳴を上げる。背後まで追いついていたマモンが、セイタンの首を掴んでいた。
 次いでこちらをなじったのは、ルーラッハではなかった。

『貴女も不甲斐ないわ、セイタン』

 可憐、という印象を音にしたような少女の声。ガラテイア、と呼ばれた少女が吐く言葉は、しかし凍てつく侮蔑に溢れていた。

『戦意を無くしたメディエーターに従って逃げるなんて。鳴かない鳥なら鞭で躾けるのが道理だわ。支配するなり、調教するなりすればいいでしょう。この軟弱で、脆くて、劣等な子が機傀悪魔のラストナンバー? 最強のセイタン? 笑う気にもなれないわね』
『ひ……ぅ、違う……』

 コックピットに響く、しゃくり上げるくららの声。

『わたしは、そんなのじゃない……帰して、元の世界に帰して……』
『……何を言っているの?』
『わたしは、詩乃目くらら……地球の、日本の高校生……この異世界に、迷い込んだだけ……帰りたい、帰りたいよぉ……』

 慟哭する彼女の背で、ガラテイアは嘆息した。

『――なるほど。マスター、セイタンは深刻なバグを抱えているようです』
『そのようだな。寝覚めが悪かったという事か?』

 通信越しに、ガラテイアとルーラッハは不可解なやり取りをする。

「どういう事だ……!」
『赤道付近か……少し遠いが、あそこまで飛ぶか。――蛮地の王子よ、お前に世界の秘密を教えてやる』

 問い糾す日雨に、ルーラッハはそう告げて、マモンを推進させた。

「ぐっ、ああああああああああああっ!?」

 空気が粘ってからみつくような重圧に、日雨はコックピットの内壁に押し付けられて悲鳴を上げる。彼は知らなかった事だが、自力で飛翔している時は魔術で足場を固定され、Gも緩和されていた。引き摺(ず)られて飛ぶ今はそれが無い。
 流れていく景色の中で、どんどん日が高くなっていく。――時差、という概念を知らない日雨はその怪奇に精神までなぶられた。
 数分もその拷問に耐えた頃、空中でマモンが停止する。

『さて到着だ』
「到、着……?」
『己の目で確かめろ』

 と、マモンはセイタンの機体を放り投げた。地鳴りのように揺れる視界、急速に増加する相対速度。その中で、日雨は一つの島を見る。
 洋上に浮かぶ、小さな島――と言っても、俯瞰(ふかん)だからそう見えるだけで、面積は五十平方キロメートルは優にある。
 円形の、やけに整然とした輪郭をしていた。
 まるで、作り物のような。
 ――そんな感想を抱く間に、大地は目前にまで近付いていた。
 地面に激突して、数十メートルも地表を削ってようやくセイタンは停止した。

『あ、ぐ』
「つ、ぅ……」

 ぎし、ぎし、と歪んだフレームを軋ませながらのたうち、地面を掻く。見た事もない、灰色の、一続きの石で舗装された地面であった。

「な、んだ……ここは」

 二人が不時着したのは、都市と思しき場所だった。
 日雨にとってはその情景は、驚愕の一言に尽きた。セイタンの全高よりも更に高い建物が、無数に林立している。建材も煉瓦や樹木では無いようだった。看板に書かれた言語は統一されていない。「Archange Transport SA」「蓬莱電々公司」「Vedas Foundation」「Shem Stock Exchange」「八菱重工」「Ёосгосстрах」「We are Astronoid ! Let's ride Milky Way !」……

 ――そしてそれらは、廃墟と化していた。ほとんどの建物の外壁が砕け、樹木に侵食されている。一体、どれ程の時間をかければこのような状態になるのか。
 道の遥か向こう、おそらく島の中心部と思しき場所にある建物が、最も巨大であった。半ばからへし折れた鋼の柱。竜種の巣になっているようで、時折赤い体色の飛竜が出入りしていた。

『な、に……あれ?』
『軌道エレベーターの残骸だ』

 呆然と呟くくららの前に、ルーラッハは答えを置いた。マモンの機体が、巨大な柱を背にセイタンの目前を浮遊している。

『ここはシェム・メガフロートと呼ばれる人工島だ。かつて宇宙開発の拠点として、世界各国の出資で建造された』

 日雨はルーラッハの語る言葉を一つも理解できなかった。この男は何を言っている?

『なに、を言っているの……?』

 くららの口にした同じ言葉に含まれているものは、日雨のような完全な無理解とは違った。彼女は恐怖に怯えながら、思い浮かぶ可能性を否定しようとしている。しかし、

『セイタン。日本、と貴女は言ったわね』

 ガラテイアが冷えた銃口を突きつけるような口調で告げる。

『その国は、もう存在しない。かつてあった、西暦という時代と共に消えて無くなった。――八千年ほど、前の話よ』
『……え?』

 その冷ややかさに触れて、くららの声が凍り付く。
 ルーラッハは言った。

『お前の言う元の世界というのは、旧世界……今、この文明より以前の時代の事だろう。異世界、とお前が呼ぶこの世界は、お前の見方で言えば』

 銃弾じみた言葉が、機械の巨人と化した少女に撃ち込まれる。

『未来の、地球だ』



[40176] 8.完全武装浪漫譚(フルアームド・ロマンス)
Name: 八目又臣◆aa87a973 ID:17b043ce
Date: 2014/08/05 07:31
「小さい上に運痴のお嬢様、あまり海に近付いてはいけません。まぁ、お嬢様がすってんころりんと波にさらわれる様子は正直見てみたくありますが。ん? もしかして私、初めて笑える……? お嬢様、私攻略の重要イベントです。ちょっと試してみて下さい」
「うるさい。黙っておれ」

 波止場に立って海を睨みながら、夜見は従者に言った。だきには傘を差して、降雨から彼女の身体を遮っている。
 昨日――こんな事件があるとは、想像もしなかった昨日の朝にやった占術では、今後三日間は晴れると出ていた。周辺の大気の質からして、このような大雨の到来はありえなかった。

 異常気象の原因はあの、未明に発生した近海の大規模な蒸発だ。つまり、〝あれ〟のもたらした怪異だった。
 唐突に出現して、モクレントレイを蹂躙する機械兵を瞬く間に鏖殺した黒鉄の機兵。
 天性の巫女である夜見だからこそ、あれの恐ろしさが嫌でも理解できた。あの黒機兵は、人間の精神など一瞬で消し飛ぶレベルの大魔術を、呼吸と同じ程度の手間で行使している。まるで底の見えない力の源泉、そしてそれを容易く使いこなす巧緻な魔術体系。あれが――

(あれが、神代の技術か)

 詩乃目くららの持つ文明の資料から推察した過去の世界を、夜見は便宜的にそう呼んでいた。古来より秋津洲国において、開国以前の時代の通称として使われていたのだ。
 ――神の御代に葦原中国あしはらなかつくにありて、八つ洲のいとひろき大地に人々住めり。されど海神わたつみ荒ぶりて洲を呑み、秋津洲一つとなりにけり。

 くららの教科書に記載されていた〝日本〟の国土は秋津洲国より広い。が、土地の特徴は酷似している。温暖化による海面上昇か、あるいはもっと別の理由でか、本州の一部を除いて日本の国土は海中に没し、残った土地が秋津洲国になったのだ。
 それ以前に存在した、現代とは比べ物にならない、進化の極北に到達した技術。その産物があの黒機兵。
 あの、詩乃目くららという少女だ。
 機械兵の襲撃が収まった後、夜見は混乱するモクレントレイの中で兄を捜し、その過程で行った過去視によってここで起きた事件の全てを知った。

 兄は今、黒機兵に化生したくららに呑まれて、遠海に飛んでいったらしい。
 追わねばならない。兄を助けなければならない。あの弱く危うい兄を支える事ができるのは、自分だけなのだから――

「……ッ」

 泡のように浮かんだ思考に、恥ずかしさを覚える。黒機兵の行方も追えず、追えたとしても為す術がない。水際で案山子のように突っ立っているだけの自分が、何の役に立っている?
 天才と、神童と言われた。自分を見上げるだけの彼らに侮蔑を覚えつつも、心の底で卑小な優越感に浸っていた。
 なんでもできると、思っていた。

(わらわは、無力なのか……)

 立ち続ける力を失い、夜見は屈み込む。鬱々としたまま、荒れる海を眺める。

「慰めませんよ」
「……元よりいらぬわ」
「分かっていますとも」

 軽薄でいい加減な従者の物言いに、夜見は腹を立てる。完全に自律した、こちらの心と繋がりのない式神のくせに、なんと正しく己の心を察するのか――請う程に慰めを求めていた。ここで甘える場所を与えられれば、本当に何もできない子供になってしまうとしても。
 だきにがすくい上げたひと匙程度のプライドを揺り起こし、夜見は立ち上がる。

 その時であった。
 雨滴すら避けて通る、凶悪な魔力が海の向こうから近付いてくる。
 兄を乗せた黒機兵か、と夜見は身体を強張らせて様子を伺う。

「……ぁ」

 ――海上を飛行し現れたのは、真紅の装甲はだを持つ別の機兵だった。
 片手に、玩具を扱うような乱暴な手つきで例の黒機兵を抱えている。装甲のあちこちが抉られ、満身創痍だった。特に右肩の損傷がひどい。
 両者が戦闘した後である事は察せられた。赤機兵が、黒機兵と同種の存在である事も。
 やがて赤機兵は港に辿り着く。夜見の立つ場所と近いが、こちらに気付きもしない。

「ぐ……」

 その事に、心の底から安堵を覚える。見上げる程巨大な人形ヒトガタの、血に濡れたような赤い身体がたまらなく怖い。あれに見つかるくらいなら、荒波に自ら飛び込んだ方がましだ。
 たとえそれが、確実な死への数秒の猶予に過ぎないとしても。
 ほとんどの市民は北に逃げた為に、港湾地区の人間はそう多くない。背の高い倉庫の建ち並ぶ為に、低空を飛ぶ赤機兵の存在が市民の恐怖を再び煽る事は無かった。しかし、あれがかの幽霊国家に帰属するものである事は間違い無い。赤機兵がその気であれば、今度こそモクレントレイは壊滅する――

 赤機兵は、黒機兵を手荒く投げ飛ばした。墜落じみた着地の衝撃で港を激震させて、黒機兵は倒れ伏す。

『う……あ』

 両の瞳を青く明滅させつつ、黒機兵はうめき声を上げる。それが詩乃目くららと同じ声であるのが、何かの冗談のようだった。

『制御系強制介入、インカーネーション・シークエンス開始』

 赤機兵が声を上げた。こちらもまた、少女の声であった。
 赤機兵から、黒機兵に何らかの干渉があったようだ。それを受けて、黒機兵の装甲が空気に蝕まれるように消えていき――日雨とくららが現れる。

『秋津洲国の王子、約束を違えるなよ?』

 疲労に震えながら身を起こそうとする日雨に、赤機兵は告げる。今度は若い男の声だった。
 赤機兵は彼の答えを待たずに、港から背を向けた。

またねオゥ・ルヴォア、〝マドモアゼル・テイラー〟。明日までには、惑星ソロールで生きる決意を固めておきなさい』

 最後に少女の声で言い残して、赤機兵は海の彼方へ消えていった。

「ひ……ぅ」

 くららは怯えきっていた。顔色は青白く、今にも吐きそうで、身体を縮こまらせて赤機兵の背を見ていた。
 やがてそれが見えなくなると、立ち上がって港に向かって駆け出した。

「くら、ら……!」

 逃げる背に手を伸ばしつつ、日雨は立ち上がろうとして、雨に足をとられ転んだ。

「くそ……!」
「兄様!」

 日雨の元に駆け寄り、夜見が声を掛ける。
 妹の姿を認めると、彼は一瞬感情を失ったように呆然とした。瞳が揺れ動き、そして自分の手に目線が移る。
 何かに耐えるように苦しげにうめいた後、言った。

「すまん、夜見。くららを追ってくれ」

 夜見が何かを指示するまでもなく、だきにがその頼みに従った。一本きりの傘を屈む夜見の肩において、くららの消えていった方向へ走っていく。

「何があった……?」
「ああ、お主には、話しておく……にわかには信じがたい話ではあろうが」

 傘は少々遅かった。既にひどく水を吸った衣服に重たげにしつつ、言葉を口にする日雨。

「神代の世界について、聞いたのか」

 夜見が先んじてそう言うと、彼はどうにか苦笑の表情を作って応える。

「まったく、お主には驚かされてばかりだ。分からぬ事なんてないのではないか?」

 気軽に告げる言葉に、夜見は背を刺された気分だった。
 ――違う。
 わらわには、分からぬ事ばかりじゃ兄様……





『明朝……そうだな、モクレントレイから北方に五キロほど進んだ場所に砦があったはずだ。あそこで待つ』
『セイタン側からであれば、メディエーターの契約破棄は可能だ。それを行った上で、その女をそこへ寄越せ』
『さもなければ、この都市を殲滅した後でお前たちを追う。逃げられると思うなよ?』





 それがルーラッハから日雨に降された最後通告だった。
 早朝のモクレントレイ市内をさまよい歩きながら、くららはその言葉を思い出していた。思い出してすぐ、忘れようと努めた。
 強い雨が降っていた。白く煙り、視界を覆う程の雨だった。雨水が石畳を川のように流れ、側溝に落とし込んでいる。
 その水には、赤が混じっていた。

「……ぅ」

 活気に溢れていた港湾都市は、死者の巷と化していた。応急策として死体は街路の脇に避けられ、麻のシートに覆われている。それでも死体の手足が見え隠れしていた。――子供のものもあった。
 生者は泣きながら死体を片付けているか、一縷の望みにかけて家族を捜し歩いていた。
 戦場、と呼ばれる世界。

 くららはこれまで、そんなものに出くわした事が無かった――無かったはずだった。
 フラッシュバックする記憶に身が竦む。
 いとも簡単に、無造作に。〝セイタン〟は戦場の主となった。無数の死の苦痛を聞いて心を微動だにさせなかった。いかにも手慣れていた。
 あの虐殺が初めてであったとは思えない。
 しかし、その記憶が存在しない。この〝異世界〟で目を覚ますまで、くららは確かに日本の高校生だったはずだ。あの黒いロボットとの結び付きなんてどこを探しても無い。
 けれども、現にこの白い肉の腕は、黒い鋼鉄の腕に変わった。

(わたしは……どうしちゃったの?)
「くそッ――この、悪魔め!」

 神経を直接引っかかれたような悪寒を感じ、そちらを振り返る。
 民家の一つに寄り掛かるようにして停止する、濃紺に塗装されたロボット――確か機動甲冑とかいう――の足を蹴りつけている人々がいた。

「兄貴の仇だ!」

 一握りの石を手に、男が機動甲冑の装甲を殴りつけている。
 憎悪は周囲に伝播して、民衆はほとんど暴徒じみてくる。数十人が機動甲冑に飛びつき――その重みで機体が横倒しになった。幸運にも、潰される者はいなかった。

「い、てぇ……あん? これ、扉か? 穴、空いて……」

 機体が倒れた事で、その胸部を貫通する大穴に彼らは気づいた。近場にいた数人が、その中身を見て――悲鳴を上げた。

「な、なんだこりゃあ!」
「人間が……ひ、挽肉……」

 ひぐ――吐息を押し殺して、くららはそこから逃げ出した。
 あれはわたしを追ってきた。わたしが連れて来たのだ。わたしが、この戦場の原因だ。
 あの兵士の死も、街路に積まれた人々の死も、全て。
 そして、

(詞木島くんに……わたしが、殺させた……!)

 あの無邪気な少年の手を、血で染めた。

 ――……ヒッ
 ――な、なんだお前は! 一体なんなんだッ!

 恐怖を噛みしめるような、日雨の言葉を思い出す。
 わたしはどうしちゃったの、などと。今更、初心うぶな事を言うな。

(わたしは、悪魔だ……!)

 逃げたい。自分のしでかした事から、こんな世界から、すぐにでも逃げ出したい。

「……ぅ」

 足が止まる。
 逃げられなんかしない。
 ここは、異世界などではなかったのだから。
 帰る場所なんて、どこにもなかったのだから。
 ――と。

「ジャパニーズ透けブラですか」

 いつの間にか隣に立っていただきにが、そう言ってきた。いつものぼんやりした無表情で、しかし決してくららの胸から目を離さない。

「これは良いものをお持ちで」
「……あの、わたし割と真剣に盛り下がってたんですけど」
「ええ、ですからウェットなジョークで場を和ませようと」
「いや、下ネタです」
「ああ、いえ。機知ウィットではなく、雨ざらしな我々に似合う、濡れたウェットなジョークです」
「ダジャレじゃないですか……」

 頭を抱えてくららは唸る。
 空気を読まない事に定評のある金髪金眼の美女は、くららの胸を見ながら聞いてくる。

「おや、貴女のアイデンティティ眼鏡はどこへ?」
「顔、顔を見て言って下さい。……っていうか今、物凄く失敬な当て字をしませんでしたか」

 そう言えば、さっきから視界が妙に曖昧だと思っていた。眼鏡をかけていなかったのだ。
 もっとも、くっきりと見たいものは今この場に一つとして無いのだが。
 だきには言う。

「何を隠そう、貴女の大事なお眼鏡様はこちらで預かっております。屋敷の前に落ちてましたので」
「ひどいマッチポンプだ……」
「さぁ、貴女が貴女である為に必要なもの。それを欲しているのであれば、我が屋敷にお戻り下さい、くらら様」

 くららの顔を見ながらだきには告げた。――要は、自分を連れ戻しに来たのだろう。
 当然だ。くららを引き渡さなければ、詞木島兄妹の命ばかりかモクレントレイの住人全員の命脈も途絶える。
 危険な機械仕掛けの悪魔と引替えに、破滅を回避できるのなら躊躇う理由などない。

 怖い。あのルーラッハとガラテイアの手に渡った後、自分がどうなるかと思うとたまらなくなる。さっきはそれで、咄嗟に逃げてしまった。
 けれど。

「……行きますよ」

 くららは投げやりに応じた。逃げ場なんてどこにもないと、たった今悟ったばかりだった。





 一月近く暮らした屋敷は、幸運にも戦火を免れており無傷だった。
 しかし、無人だった。日雨と夜見の姿が無い。
 それはくららにとっての幸運だった。今、あの二人に合わせる顔なんて無いのだ。何を言われるか怖くて仕方ない。
 だきにの入れてくれた風呂に入り、自室で彼女の作ってくれた食事を取る。暖かいおかゆだった。米が違うせいか、記憶にあるものとは食感が異なる。けれど、

「……おいしい」

 身体の芯から暖まる。当たり前のように味を感じられる事が、涙が出るほど嬉しい。

「う……ぁぅ。ああぁ……うえ……ふ」

 枕に染みを作り、やがて彼女は泥のような疲労を抱いて眠りについた。
 微睡みの中で――微風が吹く。

「健やかにお眠りか、眠り姫」

 跳ね起きた。

「あ……」
「まったく、相も変わらず奇天烈な寝言を言う女だのぅ」

 部屋の扉を開けて、燈明の光を背に日雨が立っている。どうやら、夜になるまで眠っていたらしい。
 影に隠れて、彼の顔色は伺えない。
 けれど、決まっている。くららへの失望、嫌悪に塗れているのだ。

「ぁ……ごめん、なさい。ごめんなさい!」
「謝ってばかりな所も、相変わらずだ」
「……ごめん、なさい……」
「いやなに、ここには所用を済ませに来ただけだ。すぐに行く。――ほれ、受け取るがよい」

 軽く放り投げられた小物が、くららの眠っていた布団の上に落ちた。
 彼女の眼鏡だ。

「だきにさんがの、夜逃げの支度で忙しいからと押しつけてきおった。用事はこれだけだ。――ではの、くらら。達者でな」

 と、彼は戸を閉めて去った。迷いないリズムの足音で、遠ざかって行く。
 これで彼ともお別れか。日雨は虐殺者としての傷を抱えながら、どこか別の地で生きるのだろう。その償いもできないのは哀しい。

「ごめんなさい……」

 もう一度、くららは物言わぬ扉に謝罪を呟いた。
 日雨から受け取った眼鏡を、手に取って眺めるまま、くららは時間を過ごした。これをどうしたものかと迷うまま、夜は更けていく。
 ふと、窓を大きな影が遮った。

「夜見、ちゃん……」

 日雨の妹、詞木島夜見が夜空を背景に立っていた。ここは二階だ。彼女は自分の式神である白い巨人の手の上に乗っていた。
 もう一方の腕で、式神は屋敷の外壁を殴りつけた。粉々になった木材や漆喰が、くららの部屋の中に散らばる。
 その穴から、夜見は侵入してきた。無言のまま、つかつかとこちらに寄ってくる。

「壊さなくても良かったのに……夜見ちゃんの屋敷なんだから」

 逃げる意志はない、とくららは示そうとした。
 しかし、夜見はぽつりと一言告げる。

「要らぬ」
「……え?」
「こんな屋敷要らぬ。商売の上でのはったり、はりぼてじゃ。わらわの商いをする意味などもう無くなってしまうのに、必要などありはせんわ」

 彼女は疲れきり、悄然としていた。うつむいて肩を震わせている。

「どうしたの? 何があったの?」

 枯れた声で、夜見は言った。

「兄様が、行ってしまった」





 ウカノミタマ商会が港湾地区に持つ倉庫の前に、日雨と夜見はいた。だきにに渡された傘は日雨が持ち、二人並んで立っている。
 上下開閉の大きなシャッターの前に、夜見の半自律式神が複数いて、荷車に持ち運び出来る財産をあらかた積み終えていた。防水シートの中に、袋に包んだ証書や金銀が入っている。
 だきにが指示した家財の持ち出し準備は、ほとんど完了しているようだった。

「……という訳だ」

 ルーラッハ・ガルガンティン・マーシアと名乗る〝幽霊国家〟の王子から聞いたという、日雨の話は、かなり有益なものだった。
 特に、彼らが機傀悪魔セイタンの奪取を目的としている点は、一つの事実を推察させた。
 つまり、彼らは――

「いや、まずはこの場を脱してからじゃの」

 つい昨日だきにに指摘された悪癖をぶり返しかけて、夜見はかぶりを振って浮かぶ思考を排除した。

「まず海を渡る。バーブル帝国を経由して砂海に潜伏するのじゃ。五年は雌伏の時と思うておけよ兄様」

 そう兄に告げ、積荷の検分をしようとした。土地証書の類はバーブルで金に換える必要がある。砂海での金銀の相場はどうだったか――

「? おい、兄様、ついてこんか。わらわが濡れてしまうじゃろ」

 荷車に歩み寄ろうとする夜見だが、日雨は立ち止ったままだ。一歩踏み出した彼女に傘を差して、彼自身は雨ざらしになってしまっている。

「夜見。くららを、連れて行ってやれ」
「……わらわの話を聞いておらなんだのか? 彼奴らめは、くららを奪う為に都市一つ滅ぼそうとまでしたのじゃぞ? あやつを連れておっては、彼奴らは我らの追撃を決して諦めぬ」

 言いつつ、その角度からでは弱いと思った。夜見は日雨の急所を突くような言葉を吐く。

「逃げる先々でこのような惨劇を繰り返すのか兄様。死んだモクレントレイの民は、この件とは何の関わりもなかった。無辜の民に理不尽な災厄を強いるのが、主様の目指す王道か」

 このような事は言いたくなかった。兄の生々しい傷跡に、塩を塗り込むような真似は。
 彼が泣いているのかは分からない。ただ、目尻から落ちる雨水を涙と勘違いする程には、悔恨と悲哀が表情を彩っていた。

「……そうだの。お主の言う事は、正しい」

 そして彼は、その顔を無理に封じ込めて言った。

「だから、逃げずとも良いようにしてくる」
「……どういう事じゃ。何を考えておる兄様」

 日雨は夜見の眼を見据えて一呼吸置き、告げる。

「ルーラッハのいる砦を奇襲する。奴を討ち取ってくる」
「ばっ――馬鹿を申すな!」

 右手で空を薙いで、雨を弾きながら夜見は叫んだ。

「勝てる訳が無かろう!? 相手はあの赤い機兵――マモンなのじゃろう! あれは掛け値無しの魔神じゃ! くらら――セイタンと同じで!」

 兄が怒りを買うと確信して、それでも夜見はその言葉を吐いた。

「あやつは物語に出て来る囚われの姫君などではない! 主様が今戦うと抜かしたものと同じバケモノじゃ! バケモノを守ってバケモノと戦うじゃと!? 愚かにも程がある!」
「……」

 日雨は無言だった。更に夜見は彼をなじる。

「それとも、虐殺に罪の意識を感じて自棄やけになっておるのか?」
「……」
「彼奴らは目的の為に都市一つ鏖殺しようとした連中ぞ? 殺されて当然ではないか」
「……」
「むしろ、主様はモクレントレイを滅びから救ったのじゃ! 英雄と言うてもよい!」
「……」
「何より、主様は自我を呑まれておった。主様を殺人に駆り立てたのは――あの、セイタンじゃろうが!」

 言葉よりも先に呼吸を使い切って、夜見は言葉を止めた。肩を激しく上下させつつも兄の顔を見上げる。
 彼は、ふ、と軽く息を吐いて言った。

「夜見、余がそれくらいの言い訳を考えつかなかったとでも思うたか――余はお主と違って、どこにでもいる至極普通の男だぞ? 自分を慰める文句には慣れておる」

 怒りはしなかった。ただ、夜見の言葉は受け入れられなかったのだと分かる。

「だがの、余はその言い訳に甘んじるつもりはない。弱い自分のままに生きるつもりはないのだ――そう、最近誓った」
「……何を、言うておる」

 兄の顔は、泣き笑いじみていた。初めて見る表情であった。

「余は、いつも自分に失望しておった。私生児として生まれた自分に……二年前、祖国の滅びに何もできなかった自分に……そして、妹を守る事もできない自分に」

 二年で成り上がった妹に対して、生きるのに精一杯の兄は、いつも劣等感を感じていた。
 夜見は知らなかった。二年間ずっと日雨は、それだけは隠し通してきたのだ。同じ感情を根拠に兄姉に突き放される妹の孤独を、彼は知っていた。

「ち……がう。兄様。わらわは、兄様を」

 王になりたい、と日雨は二年前、夜見の小さな手を取って言った。
 だからそうしようと。
 力を付けて、財を増やし、兄を王に〝してあげよう〟と。
 夜見は、彼の平凡な器量を知っていたから。

「余はいずれ、身の丈通りの自分に満足していたはずだった。――くららに会うまで」

 日雨は笑った。夜見が、息の止まるような笑顔だった。

「あやつは、余の吹いた、自分自身も定かに信じておらぬ話を信じると言ったのだ」
「……ぁ」

 宝物を抱くように語る彼の言葉に、夜見は自分の間違いを。その為に開いた兄との距離を悟った。

「余は、戦って良いのだ。たとえ力が無くとも、自分を夢見て良いのだ。……余は、その言葉をくれたくららを信じる。あやつが機械仕掛けの悪魔などではなく、孤独に震える人間である事を信じる。ならば、余はあやつを守る。――それが、余の信じる王の道だ」

 夜見の知性は、一瞬で五百以上の反論を思い浮かべた。
 そしてその全てが、兄の決意を崩せるものでないとも悟ってしまった。
 沈黙する彼女に、

「のぅ、夜見よ……その資格がないと、分かってはいるのだが」

 日雨は、照れたような顔で言った。

「頭を、撫でてよいかの」

 夜見は答えられなかった。やがて、日雨は嘆息すると、彼女の黒髪に手を付ける。

「兄よりも百倍は優れた妹だがの……余はいつも、お主を可愛いと思っておったよ」

 いくらかそうすると、満足したのか彼は手を離した。傘を夜見の手に握らせると、迷いのない足取りで港から消えていった。
 夜見のそばには、がらくたと化した財だけが残った。





 くららの部屋で、夜見は静かに――膝をついた。
 音のない挙措で、額を床に付ける。

「詩乃目くらら殿」

 くららは知らなかった。当代の秋津洲国第一王位継承権者は、この十年間の生涯で一度も、土下座どころか人に頭を下げた事など無い。

「わらわは、此方様こなたさまの与り知らぬ所で此方様を化物と言うた」

 棘のような誠意に、くららの息が詰まる。

「本来、頼み事をできる筋は無い。それでも伏してお頼み申します。――兄を、助けて下さい」

 ひどく低い位置にある小さな頭。床を流れる黒髪。表情は見えない。

「この身に出来る事はなんでもします。全ての財を、此方様に捧げます。奴隷として仕えます。命を捨てろというのであれば、その通りにします」

 それでも、声は痛切に届いてくる。

「お……ねがい、します」

 涙に濡れた声だった。

「ひ、ぐ……あにさまが、あにさまが……死んじゃうよぉ……くららちゃん……助け、て」

 俯きながら身を震わせ、しゃくり上げて、夜見は懇願した。
 ――詩乃目くららは自問自答する。
 人間とは、なんだ。
 単なる生物学的な分類ではない。
 詞木島日雨、あの愚かで真っ直ぐな少年が信じる〝当たり前の人間〟とは。
 己の為に戦う男を見捨てるような女なのか?

「……違う、よね」

 そう呟いて、くららは日雨の投げてよこした眼鏡をかけた。
 夜見が壊した壁の穴から、雨の上がった空に輝く月がはっきりと見える。

「行こう、夜見ちゃん。妹を泣かせる馬鹿なお兄ちゃんを迎えにね」



   //////



 日雨は、払暁より少し前の時間帯を襲撃の時とした。人間の活動が最も鈍る頃合いだ。
 パシフという名のその砦は、防衛拠点としてさほど重要視されていなかった。アンコール王国の仮想敵国と言えば西のバーブル帝国だが、海路からの侵略は海魔との遭遇を警戒せねばならず、その上直近のモクレントレイには近隣から様々な民が集まるから、攻撃すれば南海諸国を全て敵に回しかねない。

 そうした理由から、パシフは小規模な砦として建造された。大きな川が近くにあるのに堀も設けられておらず、兵員もそう多くない。
 しかし、近場の森の影から伺った砦の状況は、その情報とは違っていた――多くないどころではない。皆無だ。歩哨すら立っていない。
 ルーラッハはここで待つと言った。砦に居座るのに、代金ではなく別のものを支払った事は想像に難くない。

 砦の兵にとっての不幸は、日雨にとっての幸運だった。ルーラッハの兵はあらかた――自分が――殺している。いくら小城とは言え、数人程度の手勢で守城などできる訳もない。
 侵入するのは、そう難しくない。
 日雨は薄暗い森から、一歩踏み出した。

「よぉ、坊や」

 全くの不意打ちで掛けられた聞き覚えのある声に、恐慌を来たしかけて日雨は刀を抜いた。後方に斬りつける。
 硬い音響。

「おお、怖ぇ」

 羅虚虎は事も無げに日雨の斬撃を受けて、後方に飛んだ。

「待ちなって、坊や。ここでやり合う気は無ぇよ」

 飛びかかろうとする日雨に、両手を挙げて降伏の意を示す羅。
 全く信用できない。ルーラッハに既に連絡はしているのか? それならば計画は御破算だ――

「早まるなって。ルーラッハの旦那に承った仕事は、覚醒前のセイタンの応現体インカーネーション……あのお嬢ちゃんの捕獲まで。契約は切れてる。今の俺ぁ旦那の味方じゃあねぇよ。坊やだって、帰り際たまたま見かけただけさ」
「こんな時間にか」
「いや……そりゃあ、戦になりそうだからさ。巻き込まれちゃあ面白くねぇ。銭にならねぇしな」
「……?」
「本物の武侠の聴勁ちょうけいってのはな、一太刀交えりゃ敵の心意気くらい分かるモンなんだよ坊や」

 怪訝な顔をする日雨にそう告げて、くく、と羅は嗤う。

「来るたぁ分かっちゃいたけど、マジで来るんだな、坊や。しかも身一つでかよ」
「……何が可笑しい」
「いや、悪くねぇな、ってよ。金が絡まねぇなら、俺ぁお前を応援するよ還龍宮」

 おどけるように言うと、羅は森の奥へ下がっていく。

「……逃がすと思うか。貴様は国の、母上の仇だ」
「欲張りはいけねぇよ坊や。なぁに、お前さんがこの戦いを生き延びりゃあ、嫌でもこの世界の暗がり、幽霊の住み処に関わる羽目になる。いずれ会う事もあるさ。その時存分に、斬り合いをやればいい」

 そう言って、羅は霞のように消えた。幽鬼の如き陰形術であった。

「……ふぅ」

 内心、安堵していた。最大の不安要素が計らずとも手を引いたのだ。
 日雨は気を取り直して、呼吸を深く――自身も陰形を施して砦へと近付いていった。
 正門や裏口ではなく、外壁を登って砦内に侵入する。最上階である三階の窓には鍵がかけられていない、というより取り付けられていなかった。積石のちょっとしたでっぱりに指をかけて壁を登攀する人間など、想定していないのだろう。――秋津洲国では、密偵しのびなら誰でも訓練する技術なのだが。

 土地柄による意図せぬ勝手口バックドアを開け、中に入る。将校の宿舎の一室か、ベッドが一つに小綺麗な家具の並ぶ部屋に出た。
 シーツを剥ぐが、やはり人が寝ているという事は無かった。
 部屋の探索は適当に切り上げ、刀の柄で軽く扉を押して開ける――血臭が、鼻をついた。

「……ぐ」

 こみ上げる嘔吐感をこらえる。間近の壁に、人間の力とはかけ離れた怪力で叩き付けられ、ひしゃげた人体が貼り付いていた。
 戸の隙間から見れば、通路には砦の守兵と思しき服装の死体が溢れかえっている。その全てが人間業では不可能な破壊をされていた。

 マモンによるものではないだろう。あの赤い機傀悪魔であれば、砦ごと爆散させている。
 人間業ではないが、人の手からなる殺害である。つまり、

(巫術……いや、鬼道とも陰陽道とも質が違う)

 同じ原理を用いてはいても、扱い方が異なる。
 魔術、というものなのだろう。
 ルーラッハ、あるいは彼の警護は魔術師のようだ。その事を念頭に置いて、行動すべきだろう。
 日雨は音を立てず扉を開け、床に耳を付けた。とりあえず間近に足音のないのを確かめると、通路を歩いて行く――




 日雨の与り知らぬ幸運が、この時、複数あった。
 まず大前提として、ルーラッハは先に完勝したセイタンの主を侮っていた。敵として認識していなかった。
 それ故に、彼の目的は娯楽に切り替わっていた。明朝までにくららを引き渡せ――その通告には、屈服させた亡国の王子の末路を愉しむ意図があった。

 再びセイタンと挑んでくるのであれば、また力の差を見せつけるだけだ。
 くららを捨てて逃げるのであれば、自ら抗う力を捨てた不様を笑いモクレントレイごと抹殺する。元よりあの都市の住人には機動甲冑を目撃されている。〝機構〟の存在は秘匿されるのが大原則だ。彼らを生かしてはおけない。

 そのどちらかしか考えていなかった。――当の王子が、単身で砦に奇襲をかけにくるなどルーラッハの想定の埒外であった。
 だから、彼は砦にマモンの応現体インカーネーションガラテイアしか連れていない。ハーミーズ――ルーラッハの乗船していた嚮導艦の船員は、海上で待機させている。

 魔術的警戒網も、砦の周辺の大規模な霊子反応に限定していた。
 それらの要素が重なった結果――




(……見つけた)

 砦の二階中央。兵団の集会場と思しき広間に、砦主のものらしい革張りの瀟洒な椅子を持ち込み、男が腰掛けていた。忘れがたい特徴的な尖った耳が、背後からでも覗ける。ルーラッハだ。
 広間は吹き抜けになっており、日雨のいる三階通路から様子が伺えた。
 柱の影に隠れて観察する。ルーラッハの膝元にはうつぶせのガラテイアがおり、彼はその赤毛を梳いている。眠ってはいないようだが、いかにも動きが鈍そうだ。

 息を飲む。こちらに気づいている様子は無い――それは演技か――ここにはどうやらあの二人しかいない――つまり、砦の虐殺は奴一人で――勝てるのか、そんな相手と――
 目まぐるしい思考に、再び吐き気を覚え始める。歯の根が合わなくなる。

(……だが)

 行かねばならない。日雨はもう一度、深く呼吸して気勢を立て直した。
 頭上に占位している。まずありえない好機だ。ここを逃せば、万一にも勝ち目は無い。
 ゆっくりと、音を立てないよう抜刀し、柱の影から出る。
 意を決し――跳んだ。

 狙う相手は決めていた。ガラテイアだ。彼女を始末すればマモンという最悪の脅威は回避できる。
 あの少女の白首に、刃を潜り込ませ、殺して――

「……ッ!」

 日雨は空中で、狙いをルーラッハに切り替えた。刀を突き出す。
 ――硬質の手応え。

「……なん、と」

 ルーラッハが驚愕の声を上げる。その手には、長大な拳銃が握られていた。その銃身が、白刃を防いでいた。

「お前自身が乗り込んで来るとは!」
「……ちィッ!!」

 最悪の失態を犯した事を自覚しつつ、歯噛みして日雨は着地した。そのまま腰を落とし刀を振りかぶる。

解放/地精エレウテリアー・ゲノムス!』

 そう叫んで、ルーラッハは左手を日雨に向けた。手のひらにチェーンで巻き付けられた六芒星のペンダントからとてつもなく嫌な気配がして、日雨は飛び退く。
 一瞬前まで日雨のいた床が、まるく陥没した。

(これが魔術か……!)

 不可視の力による圧死は免れた、しかし。
 ルーラッハの髪色は既に火焔の色と化し、朱色の――いや、霊子エーテルが噴火前の活火山のように溢れて身体から拭きだしている。悪魔憑きの変身は完了していた。
 強化された筋力で、巨大な銃を掲げる。銃口の暗黒が日雨に口を開けていた。

 撃発音、そして発射炎が吹き出す。
 ――そして、銃弾は眼前で停止した。日雨から伸びた青白い髪が、それを絡め取っていた。摩擦でしゅるしゅると音と煙を立てて、やがてただの鉛の破片と化す。

(……同じ事を、こちらも出来るのか!)

 ここに至って初めて、日雨は自分の変身を自覚した。周囲に帯電現象を及ぼす程の霊子の奔流。魔術現象への理解力の補助。相手と条件は同じだ。

(これなら……)

 ルーラッハが再び銃撃を放った。今度は三発。
 既に日雨は知覚を鬼道で増強していた。脳髄と神経に霊子を通すという、極めて高難度の術。しかし今の彼に、不可能な技ではなかった。
 初速800m/s、初活力2300フットポンド超の弾丸三発を見切り、撃墜する。
 斬り落とした弾丸が、後方の床を削った。

「やれるぞルーラッハ!」
「思い上がるな素人がッ!」

 再びルーラッハは射撃体勢に入る。銃身長が三十センチ近いリボルバー。赤く塗装されており、グリップは竜の意匠の象嵌が施されている。弾倉に込められた弾丸は.308ウインチェスター。悪魔憑きの筋力でなければ到底撃てない怪物である。
 残りの二発を撃ち尽くし、手首を振ってシリンダーを引き出し排莢すると、腰に吊った弾薬盒からテレキネシスで弾丸を操り装填する。異能を駆使したリロードは、一秒未満で完了した。

 ほぼ間断なく繰り返される射撃に対し、日雨は常に移動して射線から逃れている。命中弾と判断すれば、霊子を通した刀で斬り落とした。
 両者の意図はここで相反した。銃弾のみが届く距離を維持したいルーラッハ、斬撃の間合いに近付きたい日雨。
 不利な条件に置かれているのは日雨だった。一度撤退し、再度奇襲を狙う事はできない。距離を置けば、ルーラッハはガラテイアをマモンに化生させるだろう。銃撃の嵐に対し綱渡りじみた防御を続け、前進する他に道が無い。
 ――しかし。

「く……ッ」

 焦燥の声を上げたのは、ルーラッハだった。
 当たらない。
 銃を。八千年以上前に誕生して以来、現在まで個人兵器の頂点に立ち続けた、人類の知性の象徴による攻撃を日雨はことごとく躱し続けている。悪夢のような情景だった。

蛮人バルバロイ……ッ!」

 これでは銃弾が先に枯渇する。ルーラッハはうめいて、左手の地の護符ペンタクルを日雨に向けた。

解放/地精エレウテリアー・ゲノムス!』

 大地の引力が、日雨の周囲数メートルに集束する。破壊的な圧力を受ける、その直前。

(それを待っていたッ!)

 日雨は胸中で歓声を上げ、ずるり、と粘った、しかし奇妙な程の速さの歩法で、魔術の影響圏から逃れてルーラッハに肉薄する。

「しま……ッ」

 魔術を行使する為の集中の間は、豹の速さで疾走する日雨には十分以上の隙だった。
 苦しまぎれの至近距離射撃。日雨は首を傾げるだけで、それを回避した。衝撃波が青白く発光する髪を一房吹き飛ばすが、骨肉には届かない。
 ルーラッハは、無理な射撃で姿勢を崩している。
 った、そう確信して、日雨は刀を上段から振り下ろす。

 ――そして、手の内を絞ってブレーキをかけた。
 赤毛の少女の額と、紙一重の位置で刃が止まっている。

「……ガラテイアを狙わんのは何故かと思っていたが。そういう事か――甘ったるいぞ、蛮地の王子」

 彼女の白首を掴んで、楯にしつつルーラッハは告げる。

「貴、様……ッ!」
「《孤独に震える狂王ピュグマリオーンの渇望は、》」

 日雨の硬直の隙に、ルーラッハは致命の言霊を発した。

「……くそッ!」

 悔恨に唸り、日雨は全力で後方に駆ける。

「《やがて、理想の乙女を造形した》」

 広間に火焔が溢れ、吹き抜けを通り過ぎ天井を溶かして昇り行く。
 炎の柱から赤い腕が伸び、逃げる日雨を掴んだ。

「ぐっ……」
『優しさがあだになるなんて、哀しい事だわ』

 出現したマモンが、少女の声で手の内の日雨を憐れんだ。

『けれど、ごめんなさい。私は貴方を優しく殺してあげる事はできないの』

 この上なく確実な、死の宣告であった。
 巨大な赤い手に握られたまま、日雨は歯噛みする。挽回の手段はない。
 溶けた天井から、マモンの機体の大部分は露出していた。彼を握る手も外界に出ている。
 いつの間にか夜が明けていた。朝日が顔を出し、砦と周辺の森、草原を照らす。日雨にとっては、見納めの太陽だった。

『貴様の負けだ、蛮族の王子――このまま握り潰す』

 冥土の土産は、一泡吹かされた怒りに震えるルーラッハの声か。なんとも、色気のない。

(すまん……くらら)

 彼女の運命を変えられずに敗北する事を謝罪し、日雨は最期に瞑目した。

『――マスター! 四時方向に高霊子反応!』

 ガラテイアの警告。

「何っ!?」

 草原を風の如く駆ける白い影が、赤い機兵に飛びかかった。砦の残骸にマモンを叩き付けて、唸り声をあげる。
 その衝撃に、マモンは日雨の身体を手放した。

「……なんだ!?」

 どうにか空中でバランスを取って瓦礫の上に着地し、様子を伺う。
 真っ白な体色の、巨大な狐であった。四本の尾を持ち、獰猛な動きの中にどこか人間的な柔らかい仕草がある。
 その背に、夜見が乗っていた。

「だきに! 少しだけで良い! 時を稼ぐ!」
『……労災下りますか』

 だきにの名で呼ばれた白狐は、普段の彼女と同じ軽薄な調子で応じた。

「んなもん大昔に廃れたわ! 冗談抜かす暇があったら働け!」
『……ブラック社長』

 そうぼやきつつ、白狐はマモンから飛び退いた。赤い機兵の左腕は既にガトリングガンに変形している。
 白狐は全身に緊張を漲らせ、紅蓮の悪魔と対峙した。

「夜見……! なんで……」

 勝てる訳がない。死人が増えるだけだ。日雨は崩れかけた砦の影から、訳も分からないまま飛び出していこうとした。
 ――その、目の前に、学校指定のローファーを履いた足が降り立った。
 セーラー服を着た三つ編み眼鏡の少女が、壊れた外壁から降り注ぐ陽光を受けてそこにいる。

「くらら……」
「えへへ……おはよ、元気してた?」
「ばっ、馬鹿者! なぜ来た!」

 慌てふためき、日雨は緊張感のない挨拶などをするくららに向かって歩み寄った。
 日雨の詰問に彼女は答えず、その頬に手を伸ばす。

「あーあ、怪我しちゃって」

 ルーラッハとの戦闘か、今の転落でか、いつの間にか負っていた切り傷をふわりと撫でて、くららは呆れたように嘆息する。

「馬鹿はきみだよ――日雨くん。……ほんと見てらんないな。馬鹿なひと」
「な、なんなのだいきなり……」
「――ごめん。夜見ちゃんとだきにさんが頑張ってるから、手早く済ませちゃうね」

 と、そう言って、くららは。
 日雨の頬を抱えて、軽く口付けした。緊張が唇から伝わるくらいに、ぎこちない仕草だった。

「え……ぇ?」

 日雨が思考を真っ白にしている内に、彼女は唇を離す。

「〝セイタン〟じゃなくて、わたしのキス。わたしとの契約」

 桜色に頬を染めて、くららは言う。

「わたしは信じる。日雨くんがこの力を、正しく使ってくれるって。きみの夢見る道を進む為に、わたしを活かしてくれるって」

 そして彼女は、華やかに微笑んだ。

「だから、わたしを手に取って、日雨くん――わたしの王子様」

 少女の言葉が、本当はどんな意味を持つのか日雨は分からなかった。
 けれど、胸が高鳴る。
 この瞬間ときが、永遠であればと願う程に目映い。
 だから、少年は、少女の顔を見定めて。

「……《時よ、止まれ》」

 その誓いを、口にした。

「《きみは、美しい》」

 そして再び、刃金はがねの華が咲き乱れる。





『がッ……!』

 だきにが苦悶の声を上げてよろめいた。その四肢には、無数の針弾が突き刺さっている。

『ぐ……るるるぅ……うが……うぃいい』

 うなり声が奇妙に甲高い。この針弾は、降魔断怪の加護を付加しているようだった。霊的な毒気に、だきにの存在そのものが侵食されている。

「……もう良い、だきに。しばし黄泉へと還っておれ」
『ま、だ……やれますよ』

 全身を震わせながら立ち上がろうとする従者を無視して、夜見は彼女と現世とのリンクを断ち切った。煙のように、巨大な白狐は消えていく。

「ではな……気が向けば、再雇用先でも探せ」

 労を尽くした従者に、夜見は手向けの言葉を贈る。もっとも、あれだけの式神を喚べる術者が今後、巫女の権威の落ちた山徒公国から出ては来ないかも知れないが。
 あちこちに破壊痕の残る大地に立ち、夜見はマモンを見上げる。

『このマモンを相手に、三十二秒生き延びた……あれはなんだったのだ、ガラテイア』
人造高位妖精アーティフィシャル・ハイ・フェアリィです。秋津洲国ドラゴンフライ・ランド特有の魔術……あれほど高度な存在は見た事がありませんが』
『竜の高位種と似たようなものか』
『どちらかと言えば我々の側に属する存在です、マスター』
『いずれにしろ興味深い……術者はあれか? まだ子供ではないか』

 マモンの操者が夜見に興味を持ったようだった。赤い兜の内の、碧色の眼光がこちらを向き、夜見は魂を握り潰されたような恐怖を覚える。

「あ……ぁ」

 後じさるも、赤の巨人の指一本分の距離すら逃げられていない。

魔術師メイガス。俺と一緒に来て貰おうか』

 マモンはその巨大な手を、夜見へと伸ばした。
 理性が恐怖に耐えられなくなった。夜見は、震える声で叫ぶ。

「や、やだ……たすけて……助けてぇっ! 兄様ぁっ!」

 赤い手は、彼女の視界全てを覆う――
 それを、黒い手が握り止めた。

『何!?』

 マモンの右手を掴み、押し戻していく――漆黒の機兵。
 その鋼鉄の悪魔から、少年と少女の怒声が発せられた。

「余の妹に……」『夜見ちゃんに……』
「『なにをするつもりだこの変態童女趣味ロリコン野郎ッ!!』」

 空いた右拳を振りかぶり、二人はマモンの巨体を全力で〝ブン殴った〟。百メートル近く吹き飛ばされ、大地に沈む赤の機兵。

『な……んだと。セイタン……!? 応現体インカーネーションを連れて来ていたのか……!』

 よろめきながら、機体を起こしつつルーラッハは敵の姿を見る。
 朝焼けの太陽を背に、機傀悪魔セイタンが立っていた。大気が歪む程に濃密で邪悪な魔力を発し、凶暴な戦意をマモンへと向けている。

「さて……くららよ、一つ問答だ」

 外部へ音声を出力して、敵に聞こえるように日雨はくららに問いかけた。

「お主のいつも言っている〝あるある〟だと、この後どういう話の運びになるのかの?」

 少女の声で、黒い機兵は答えた。

『あの手の一見イケメンなむっつりすけべはね、最後の最後で大負けするものだよ、日雨くん』
「……だ、そうだぞ。ルーラッハ」

 機体の右腕を突き出し、いかにも挑発的な声で日雨は告げる。

「来い弩三一ドサンピン! 余が貴様に、王道を叩き込んでくれる」
『調子に乗るなよ……下種な蛮族が』

 怒りに燃え猛りつつ、ルーラッハはうめく。右腕をカノン砲に変形させ、臨戦態勢を取る。

『同調するセイタンも噴飯だ。――ガラテイア、あれの調教を任す。喜びの涙を流して俺の靴を舐める、従順な犬に仕立て上げろ』
『はい、マスター』
『……っ』

 悪意に満ちたマモンの声に、コックピットの日雨にだけ聞こえるようにくららは息を飲む。啖呵を切ったものの、心から怯えは消えない。敵に対して、そして、戦いそのものに対して。

「くらら」

 日雨は、彼女に言った。

「安心しろ。余がお主を守ってやる」
『……うん』

 勇気を示すように、セイタンの瞳が青く瞬いた。
 そして二人の意志を載せた漆黒の機兵が、進撃する。



[40176] エピローグ:わたしたちの世界
Name: 八目又臣◆aa87a973 ID:17b043ce
Date: 2015/07/19 09:39
 大地が爆ぜる。炎と金属の嵐が森を引き裂き、空へ撒き散らした。

『金精、火精、地精発現! バレット・スペル!』

 紅蓮の巨躯の内で、一秒ごとに無数の弾丸が充填されていく。左腕のガトリングガンから伸びる給弾ベルトを天女の帯のごとくはためかせ、マモンは銃弾の雨を降らす。
 その致死の雨滴を退けて、隼の如く翔ぶ漆黒の機影。

『火精、風精、雷精発現! フライング・スペル!』

 ジェット噴流の炎が目まぐるしく尾を引き、ヴェイパートレイルが奇怪の絵図を空に描く。軽業師の極限じみた曲芸飛行で、セイタンはマモンの張る弾幕を回避しつつ追いすがっている。

『ちぃッ!』

 相手の立体的な高速機動に、照準が定まらない。焦れたルーラッハはカノン砲を発射。
 加速された五感が飛来する砲弾を捕捉する。セイタンの背面から翼状に展開する巨剣の一本がそれを捉え、突き刺した。運動量を殺して放り捨てる。

「戦えているな!」

 回転する風景、脳髄に転送されてくる情報を必死で追いつつも、日雨は快哉を上げる。

「それに、お互い正気を保てているようだ!」

 瘴気――黒い霊子エーテルの渦は日雨に絡み付いている。内臓を虫が蠢いているような猛烈な不快感がある。しかし、自我は失っていない。

『うん、そうみたい!』

 くららの受け答えも、機械的なものではない。

『中枢神経系に駐留してるナノマシンをこっちで制御して、日雨くんの意識をミラーリングしてるの』
「うむ! そうなのか!」
『ごめん、分かるように言うから……とにかく、その姿に〝変身〟している間は高濃度霊子の影響を緩和できるわ。存分にやって!』
「おおッ!」

 強く応答して、機体を操作。弾丸の雲に飛び込んでいく。
 一見無謀な突撃。だが、被弾は最小限に留まっていた。
 つい昨日完敗を喫したマモンを相手に、戦えている――それは彼らが、〝戦っている〟からだ。
 尻に帆を掛けて逃げる相手を撃つのは容易い。精神的優位に立ちながら、じっくりと狙う事ができる。
 逆説的に、己に向かって進撃してくる敵を狙撃するのは困難となる。
 前へ、前へ。恐れを呑み込み空間を踏破する。

 己が身と相棒を信じて。
 それは勝利を確約しない。意志一つで節理が弱者に傾く事は無い。
 しかし、か細い勝利への糸を手にする事ができるのは、その暗路行を征く者である。
 ――そして。
 セイタンはついに、自身の斬撃圏内にマモンを収めた。
 背の巨剣の一振りを取り、上段から斬り下ろす。
 白刃は鉄の擦れる不協和音を立てつつ、マモンの胸部装甲を切り裂いた。

(一太刀!)

 初めて成功する反撃に、日雨は胸中で喝采を上げた。間髪容れず追撃。刃を返して切り上げを狙う。

『っ……舐めるなァ!』

 ルーラッハの怒声。マモンが右腕のカノン砲を変形――手の形に〝戻しきる前〟に砲弾を撃発した。
 右腕そのものを爆弾と化す捨身の戦法である。爆風に押され、セイタンの機体がよろめいた。

『固有機巧起動!』

 その隙に、ガラテイアが叫ぶ。
 次の瞬間には、マモンは赤い残像のみを残して眼前から消失していた。

『ほぼ真後ろ! だいたい五百メートル! ぐらい!』

 くららの声に日雨が振り返った時には既に、マモンは両肩のミサイルポッドから火筒を撃ち出していた。セイタンの頭上でディスペンサーが破裂し、無慮数千の小爆発を引き起こす。

「っぐ……!」

 衝撃に苦悶する日雨。
 直前に張った電磁障壁により直撃は防いだが、表面装甲の一部が軽く融解した。

『ち……昨日と違って、覚悟が出来ているという事か』

 爆煙が薄れていく最中、ルーラッハの埋み火じみた声がする。
 風精を召喚し、突風で煙を晴らす――その向こうに、屈辱を糧に戦意をくゆらす紅蓮の機兵が浮遊している。

『破損箇所の再生を開始します』

 ガラテイアの声と共に、爆発した右腕の根本から赤い鋼鉄が伸び、元の形を象っていく。
 マモンの隣には既に、巨大な翡翠の竪琴が滞空していた。

『もう出し惜しみは無しだ。全力で潰す』

 ARMS《アッキヌフォート》。弾丸に必中の加護を与える妖魅の竪琴。無限の給弾機構を恃(たの)みに銃弾の嵐を吹かせるマモンにとって、最良の相性の神器だ。
 それに付け加えて、

「また、か……」

 あの、敵機の不可解な加速。
 重量級の機体でありながら、セイタンより速く飛び、小回りも利く。いかにも理不尽だった。
 あちらの方が性能が上、という事なのか?

『違うよ』

 日雨の思考を読み取って、くららは告げた。

『速いんじゃない、〝軽い〟の』
「……? 何を言っておるのだくららよ」

 体格、そして武装の性質からして、あの赤い機兵が軽量なはずはない。
 しかし彼女は確信を持って言った。

『それがマモンの〝からくり〟なの……まったく、夜見ちゃんには驚かされるな』





「重さが、減っている?」

 巨大な白狐に化生しただきにの背に乗って、砦に向かう途中の事だった。
 くららの隣で夜見は、遁甲盤を三つ並べ、演算霊を周囲に山ほど展開し、目を血走らせ思考に没頭していた。くららの記憶を巫術で引き出して共有し、マモンとの戦闘記録を検分しているのだ。
 その結果、一つの事実を探り当てた。

「そうじゃ。一見しては分からんかった……だが、極めて微細な視点で見ると、それが起きておる」
「素粒子、って事?」
「うむ。分かりやすく言うと、マモンの機体中枢に設置された装置がハドロンに干渉し、カイラル対称性の自発的破れを緩和して質量を一時的に減殺しておる」
「……ぜんぜん分かりやすくないんだけど」
「あれは自重を操作する能力を持っておる、という事じゃ」
『え、なにそれ。心の底から殺意が湧いてくるんですが』
「ええ。許せませんよねっ、だきにさん!」
「……なんか、そなたらは別のべくとるで異様な憎悪を燃やしておるような気がするのだが」

 どす黒い共感を交わすだきにとくららを胡散臭そうに見て、夜見は頭痛を堪えるような顔を(きっと頭を使ったからだろう)する。





『それがマモンの固有機巧マシーナリー、《質量操作》よ』

 と、くららは解説を締めくくる。

《アッキヌフォート》の作用で追尾してくる無数の針弾を必死に回避しつつ、日雨は問う。

「固有機巧とはなんだ!? 魔術とは違うのか?」

 昨日の戦いで、セイタンは引力操作と磁界の作用によって空中浮遊している。それと似たようなものではないのか。

『同じ事を魔術でやろうとしたら……その、燃費が悪い? のよ。何より、魔術には必ず霊子の反応があって、術の正体は事前に分かっちゃうの。その点固有機巧は兆候無し、常時発動可能、起動も段違いに速い。機傀悪魔の戦術の基軸……みたい』

 セイタンとしての機能を検索しながら、たどたどしくくららは説明する。

「――つまり」

 はっとして、日雨は声を上げた。

『うん。使うよ。ここからは〝本格的に〟。それに――《アッキヌフォート》を破る手はある』

 と、くららは日雨の脳内のナノマシンを介した圧縮通信により、詳細な戦術を伝えた。

「了解した、任せておけ」

 日雨は唇を舐めて、緊張をほぐすと――飛翔魔術を解除、機体を着地させた。草原を二つの足で駆ける。激震が起き、土煙がしぶきのように跳ね上がる。

『小賢しいぞ!』

 弾幕を張りつつ、ルーラッハは叫ぶ。
 立体的な空中機動ではなく、平面的な疾走に変わった事で一見狙いやすくなったように思えるが、そうではない。マモンが妖術の竪琴の加護によって全方位射撃を仕掛けてくる今、最も防御の困難な下方の攻撃を封じる陸駆けは有効である。更に、地表に着弾して運動量の減殺された弾丸はそれ以上敵機を追尾しない。
 だが。

『私の火力をやすく見るな!』

 プライドを刺激されたガラテイアが吼える。

『固有機巧起動、〝質量操作・加重〟! 機体重量増加、安定性確保――背部火器展開!』

 マモンが右肩に負う筺――武装コンテナが開き、前面に移動する。ガトリングガンが腰部に四門、左右に伸びる隠し腕四本に一門ずつ、ミサイルポッドを肩部に二基、背部に八基マウント。
 火力の権化の如き姿と化したマモンが、少女の声で殺意を歌う。

『〝緋色の箱庭フラム・ジャルダン・ミニアチュール〟――地表ごと焼き払ってあげるわ!』

 唱和するように、全ての火砲が瞬いた。
 虚空に充満する弾頭は、神器の奏楽により必中の加護を得てセイタンに突撃する。
 着弾、爆裂。
 災害の如き火焔と鋼鉄の嵐は、地形を変える程の勢いで草原を薙ぎ払っていく。
 炎を纏い、装甲を焦がし、それでもなおセイタンは戦場を奔る。

『耐えて! もう少しで〝準備〟が整う!』
「応!」

 くららの叱咤に、日雨が答える。音速を超える爆走の衝撃波で炎を吹き飛ばしつつ疾駆し、
 ――その目前に、先回りしたミサイルの弾頭が突き刺さった。
 朱色の火柱が上がり、黒機兵を喰らった。
 その地点にマモンは全力で弾丸を注ぎ込んだ。大地が融解、液状化して爆散する。噴煙が地表を覆い白く染める。

『――セイタンの霊子反応減少』

 ガラテイアはそう告げて、火器を停止させた。

「……破壊してしまったか?」
『いえ、完全破壊には今一歩という所でしょう。中枢ユニットさえ残れば、再生は可能ですマスター』

 問いかけるルーラッハに彼女は答える。美貌の王子は、口元を冷笑に引きつらせた。

「そうか。なら、機体を回収するぞ。あの蛮族には、ハッチをこじ開け、直接弾丸を叩き込んでくれる――」

 そう言いかけた、その時。
 浮遊するマモンの足下。舞い上がる爆煙の白に、黒い影がゆらめいた。
 セイタンが、そこから飛び出してくる。

『な……ッ』

 驚愕の声を上げたのは、ガラテイアだった。観測精霊の返す情報は敵機の瀕死を示していた。眼前のセイタンは、無傷でこそないものの健在。どういう事だ!?

同調術式エミュレーション・ソーサリィとやら、どうやら機能したようだな!」
『うん! 日雨くんの陰形術は効いてるよ!』

 日雨の快哉に、くららが応じた。
 これがもう一つの機傀悪魔の特性――パイロットとシンクロし、彼らの扱う魔術をトレースする能力。
 セイタンは日雨の鬼道、陰形術を用いて気配を隠蔽し、噴煙に紛れてマモンに接近したのだ。

『ちぃッ!』

 ルーラッハは舌打ちして、右手と四本の隠し腕、腰部のガトリングガン総計九門の銃口をセイタンに向ける。
 くららが叫んだ。

『固有機巧《自己錬金》発動! 媒介剣五番、六番、分割スプリット増殖インクリース!』

 セイタンの周囲に浮遊する剣が二本、割れ、弾けた。千を超える刃の群れとなり、撃ち出された弾丸への楯となる。
 銃撃を受けて砕ける千刃の間を縫うようにセイタンは飛び、マモンの腰に抱きついた。

『媒介剣七番から十二番まで合成コンポジション変形トランスフォーメーション。飛行補助ユニット建造!』

 六振りの媒介剣が液状に変化し、機体に纏わり付くと再び硬化した。背面に巨大な鉄翼とスラスターノズルが造形される。
 これがセイタンの固有機巧《自己錬金》。機体を構成する金属に干渉し、その性質、形態を自在に変化させる機能である。
 飛行ユニットの各所に設置された、緋色の金属が発光する。魔術を増幅する火廣金ヒヒイロカネの周囲で、召喚された雷精、水精、風精、火精が膨大な魔力を放出している。

『推進剤精製! 電磁力励起――』

 スラスターから巨獣の悲鳴じみた高音が響く。発生する高熱に大気が歪む。

『イグニッション! ロケット・スペルッ!』

 爆発じみた推進力が発生した。
 白い炎を吹き出しながら、マモンを抱えたセイタンは天高く舞い上がる。

「ぐっ、あああああああああああああっ!!」

 とてつもない力で押し出されるマモンの内部で、ルーラッハが悲鳴を上げた。質量操作による加重も、この猛烈な加速の前に意味を成さない。
 大地が急速に遠ざかる。雲の層を一瞬で突き抜ける。それでもなお止まらない。第二宇宙速度エスケープ・ヴェロシティを遥かに超えて黒い機兵は上昇する。
『離せぇッ!』

 マモンの頭部機銃の射撃がセイタンの頭を殴りつけ、その衝撃に二機は引き離された。
 彼らの滞空するその場所は、深い紺碧で彩られていた。

「むむ? ……の、のうくららよ……どこだ? ここは」
『え? あ、ええと……』

 唐突におっかなびっくりとし始めた日雨に、くららはどう説明したものか本気で困る。彼の知識は中世の人間と同程度な訳であり、

「お、おい! あれが大地か! 丸っ! どうして海水がこぼれんのだ!? あっ、あれ月!? でかっ! 怖ぁっ!」

 ――そんな人間を宇宙空間に連れてくると、こういう反応が返ってくる。

『日雨くん! 今は戦闘中! マモンに集中して!』

 くららはさじを投げた。

『今がチャンスよ! マモンは《アッキヌフォート》を使えない!』

 と、彼女の不可解な発言に押され、日雨は機体を推進させた。
 ――そう言えば、なぜ竪琴の演奏が聞こえない?

『ぐっ……! それが狙いか!』

 ルーラッハが狼狽の声を上げる。媒介剣の一振りを手にして突撃するセイタンに、マモンは恃みの神器であるはずの翡翠の竪琴をあっさりと楯にした。
 投げつけられた《アッキヌフォート》をセイタンが切断する隙に、マモンは後退する。その時、スラスターの噴射音もしなかった。
 訝る日雨に、くららが答える。

『この場所ではね、音を伝達する空気がないの』

 つまりこの宇宙空間では、音を媒介として敵機にマーキングを施し、銃弾にホーミング性能を付加する《アッキヌフォート》は無用の長物と化す。

「よく分からんが――好機なのだな!」
『それだけ理解してれば十分!』

 二人は戦意を滾らせ飛行を再開した。プラズマ化した推進剤によって曳光弾の如く尾を引きながら、赤い機兵に向けて驀進する。
 マモンは背部、肩部のミサイルポッドから火筒を吐き出し迎撃を狙う――しかし、遅い。
 シーカーの感知よりも遥かに速くセイタンは奔り、そして己の間合いにマモンを捉えた。
 媒介剣を更に一振り、左手に握って二刀による斬撃を振るう。

『ぬうぁッ!』

 ルーラッハの苦悶の声。楯にしたガトリングガンの銃身が切断される。
 その隙に振り向けたカノン砲で起死回生を狙う――

「させるかッ!」

 セイタンの放つ、砲口を縦に裁断する剣閃。

『あぐっ!』

 ガラテイアもまた、衝撃にうめいた。
 マモンは肩部ミサイルポッドを一基切り離し、内部のミサイルを遠隔操作で爆散させた。攻撃ではなく、爆圧を受けて後方に逃れる為である。

(何を、している……!)

 爆風に吹き飛ばされつつも、ルーラッハは自虐に歯噛みした。

(何をしている、ルーラッハ・ガルガンティン・マーシア!)

 国家の象徴、七つの御旗を統合する上王ブレトワルダの証たる機傀悪魔マモン。それを担う為の選定を生き延びた最高の魔術師たる己が、単なる偶然で最強の力を拾ったに過ぎない亡国の王子に遅れを取っている。不様にも、逃げ惑っているのだ。
 あの小僧は、己の存在そのものを否定しようとしている。
 怨敵、であった。

「ガラテイア、クリフォト機関の出力を上げろ!」
『……しかしマスター、これ以上の精神へのエーテル侵食には高いリスクがあります』
「今更気など遣う間柄か! 貴様は俺の道具だ――俺が、貴様の道具であるのと同じように!」

 溶岩じみた熱を言葉に込めて、彼はガラテイアをなじった。

「欲しい、欲しい、欲しい……俺は、断じて勝利を強欲する! その為ならば――俺の魂を喰らい潰して弾丸としろ、鋼鉄の悪魔よ!」
『……了解しました。――精神潜行、深度〝bofu〟境界付近まで接近。霊子出力、725Ebps』

 漆黒の機影が追いすがってくる。巨大な白剣が目の前に。
 しかし、紅蓮の悪魔憑きは瘴気の嵐の中で、喜悦に嗤う。




第四弾頭キャトリエム・バル――《鋳金の小王キュマ・バジリスク》、顕現リアライズ




 巨大な、怪鳥の骨格が現出した。
 内側にマモンの巨体を取り込む程にそれはおおきかった。骨のみの羽を広げれば、更に圧迫感を増大する。それは、体躯に由来するものだけではない。
 怪鳥の発する膨大な魔力の奔流に、セイタンは押し流される。

「なんだ……!?」
『わ、分からない! でも……なにをしたの!? マモンの霊子出力が急激に上昇してる!』

 そして怪鳥は受肉を開始する。白く輝く鋼糸が筋肉を造形し、その上を緋色の装甲が覆う。
 鳥の首が動き、真っ直ぐ前方に伸びる。砲であった。その奇怪な迄に巨大な砲口は、怪物の単眼じみて見えた。
 胸の位置に、マモンの上半身が露出している。
 完成された怪鳥は、眼窩のような砲門を全身に纏っていた。

『邪眼の妖鳥を元型とする火薬庫アーセナルアタッチメント……これが、惑星防衛用高速移動砲台たる機傀悪魔マモンの、完全な姿だ』

 通信を介して、ルーラッハは日雨に宣告した。

『機体はもう要らん。すり潰し、砕いて、その力の源を奪う』

 挽回の狼煙のつもりか、鳥首の形をした巨砲をマモンは撃ち放つ。電磁加速による神速の砲弾は、雑な狙いでセイタンの後方数百メートルへと放り出され、
 そして、弾頭の熱核反応により半径一キロ以上に及ぶ大爆発を起こした。

「ぐぁぁあああぁあッッ!?」
『きゃぁあああああっっ!!』

 咄嗟に障壁を張るものの、爆圧に吹き飛ばされ悲鳴を上げる日雨とくらら。

(まずい……距離を取られた!)
《鋳金の小王》に搭載された大出力スラスターは、マモンの質量操作能力との併用によってその巨体を遥か遠くへ運び出していた。魔剣が届かぬ、魔弾の射手の支配圏へと。

『カァ――はハハはははッッ! 釣瓶打ちだ! 低軌道に漂うデブリごと溶解させてやる!』

 音程の狂った哄笑を上げながら、ルーラッハは《鋳金の小王》の火砲を斉射する。虚空を爆炎が埋め尽くしていく。
《アッキヌフォート》を失った今、弾丸がセイタンを自動追尾する訳ではない。しかし、今マモンの放つ弾頭は全て大規模な爆発半径を持つ、魔術的強化の施された榴弾であった。
 点ではなく、面による爆撃。
 セイタンの活路が瞬く間に制圧されていく。
 宇宙の暗黒を塗り潰す白光から全力で逃避しながら、日雨は思考する。

(後背に回り込むか……いや、あの弾幕を飛び越えるのは無理だ!)

 それに、背中にも武装が無いと思い込むのはいかにも愚かしかった。あの《鋳金の小王》はこの宇宙空間で稼働する事を念頭に置いた兵器だ。全方位に攻撃手段を持つはずである。
 せめてこちらに、飛び道具があれば――

「! くらら、《ヴォルスパー》だ!」

 あれは任意の時空間を切り裂き、その反動による疑似ブラックホールを生成する兵器。現状のセイタンの武装で唯一、マモンの砲弾に対抗する射程と効果範囲を持っている。

『了解! 一番剣《ケファの不信》に干渉、形相原典ロード!』

 セイタンの手の中で、媒介剣が形を変えて行く。
 出現した魔典《ヴォルスパー》を取り、ページを分解、あの歪な形状の剣へと変化させる。

『《ヴォルスパー》始の断章!』
「〝うつろがみちるギンヌンガガプ〟ッ!」

 剣を横薙ぎに斬り払う。マモンを中心に据えた斬撃軌道。
 しかし。

『馬鹿が!』

 一瞬前に、マモンはスラスターを噴射してその範囲から免れた。

「しまっ……」

 日雨は、自分が焦りから失策を犯したと気づく。このARMSという兵器は召喚完了までタイムラグがある。兆しを看破するのは容易であり、この攻撃は一度相手に晒している。そんなものを、心理的優位にある敵に使ってしまった!

『切り札とは、こうやって切るのだ!』

 と、マモンは既に再生の完了した両手を中空にかざした。
 空間が湾曲し、黄金色の神弓と七鈷杵ななこしょが出現する。
 ――《ガーンディーヴァ》と《ヴァジュラ》。
 昨日の戦いで、セイタンくららの心をへし折った神器だ。
 マモンは《鋳金の小王》による間髪容れぬ砲撃を加えつつ、弓矢の射撃体勢を作る。まずい――あの神速の雷箭は、こちらの知覚を超える速さで放たれる!

「くらら、防げるか!」
『やってみる! 三番剣、四番剣合成コンポジション、シールドユニット建造。変成コンバージョン・種別金剛不壊鋼アダマンタイト!』

 媒介剣の二振りが、ボウル状に変形して硬質化していく。白く発光する、荒削りの堅牢な楯。
 その完成と同時に、《ガーンディーヴァ》の雷が《ヴァジュラ》に充填された。

『〝再臨/大魔殺ヴリトラハン・サンサァア――ラァ〟ッッ!!』

 光の瞬きを視覚に収めるよりも前に、楯を通じて衝撃が伝わる。
 雷神の鉄槌に耐えきれず、楯は砕け散って輝く破片として宇宙に漂う。しかしこちらの骨肉には届かなかった。

「よし! なんとか防――」

 日雨が安堵の声を上げる、その直後。
 不可視の弾丸がセイタンに食らいつき、その右腕をもぎ取っていった。
 虚空に投げ出される黒い腕を日雨とくららが呆然と見送る最中、ルーラッハは告げる。

第五弾頭サンキエム・バル――《邪眼殺タスラム》』

 衝撃に吹き飛ばされるセイタン。くららの感覚している制御系のエラーが日雨に逆流し、脳髄にダメージを与えた。彼は眼球から血涙を流して苦悶しながら驚愕する。

(二の矢……だとぉッ!?)

 一度恐怖を植え付けた攻撃を見せ技として、その裏で狙い澄ました本命の一撃を放つ。まんまと彼らは、それを喰らってしまった。
 そして、恐怖は再現された。

『ぁ……あ』

 欠落した右腕を見て、くららが怯えた声を上げる。

「くらら……!」

 恐怖の感情が、日雨に逆流するエラー情報に加算される。神経系が乱れ、四肢が麻痺して彼はその場に膝をついた。
 彼女は恐慌を来している。無理もない。同じ攻撃を見せられた上で、同じ箇所を欠損した。トラウマを呼び起こされたのだ。
 致命的な隙だった。既にとどめの砲撃を放たんとマモンは砲門をセイタンに向けている。
 避けられない――

『ま……』

 詩乃目くららは、己が身の内にある少年を想う。
 ――安心しろ。余がお主を守ってやる。
 このひとは、この鋼鉄の身体を見て、自分ですら信じられなくなっている事を信じてくれた。
 わたしが、人間であると。怯える女の子を守るのだと言ってくれた。
 だから、だから。
 だから――

『負……けるかぁああああッ!!』

 エラーが消失した。
 もがれた右腕が再生される。
 スラスターを急速噴射。その場を逃れた瞬間、火線が足下を撫でていった。

『日雨くん! 前を見て!』

 機体を全力で航行させながら、くららは日雨を叱咤する。

『わたしはきみの走る道を切り拓くって決めたから! だから――わたしはもう、傷つく事を恐れたりしない!』
「……っ」

 その宣誓を聞いて、日雨の全身が震える。
 一人の少女が、己にまさしくすべてを預けたのだ。
 それだけで、どんな敵を前にしても立ち向かえる。

「マモンを……倒す! 良いな!」
『了解!』

 戦意を滾らせ、人と機械の交わった悪魔は宇宙を駆ける。
 二人はナノマシン経由の圧縮通信によって、高速で情報のやり取りを開始した。
 ――戦術を再考する。戦力を見極める。勝利に至る戦闘方法を獲得する。
 敵機は無限の砲弾を扱う魔弾の射手。その火力は《鋳金の小王》によって格段に膨れあがっている。速力でも当方を上回り、攻撃能力に至っては比べる事も馬鹿馬鹿しい。
 膨大な火力を支えるのは、突如として増大した魔力。
 同じ事をセイタンはできるか――否。

 現在のセイタンは、不可知のエラーによって機能を大幅に制限されている。現状発揮している戦力が出せる手札の全てであった。
 固有機巧《自己錬金》。媒介剣、三番から六番まで大破。戦闘中の再生は不可能。七番から十二番を飛行ユニットに使用中。
 召喚可能なARMS――《ヴォルスパー》《レーヴァテイン》二器。
 同調術式により行使できる、日雨自身の魔術がいくつか。
 マモンとの現時点での霊子出力比――およそ一〇〇〇:一。
 足りない要素は、何か。

(力だ)

 蟻と象の戦いに知恵と技術を持ち出しても意味などない。同じ領域に立たなくては戦いにすらならない。敵機の有する霊子出力と同等の力を得るのが絶対条件。
 あちらとは違う手法で。
 こちらの保有する手段で。
 活路を創造する。
 そんなものが存在するという保証はどこにもない。
 しかし二人は、諦めず思考した。彼らの持つ知性の限りをもって、未知なる道を模索した。
 そして――神から奇跡を強奪する閃きを得る。
 榴弾を回避しつつ、日雨は問うた。

「〝これ〟はぶっつけ本番、それも一度限りの手段だぞ! やれるか!」
『ここで「できない」なんて言う訳ないでしょ! 日雨くんこそ、できるの?』
「できるさ! 余とそなたなら!」
『うん――わたしも、そう思う!』

 ――そしてセイタンは、残る二剣を手に取り、遠きマモンに向けて突き出した。

『《ヴォルスパー》《レーヴァテイン》召喚』

 二振りの剣は同時に変形し、魔典と宝華の神器となる。

『《ヴォルスパー》起動』
「〝うつろがみちるギンヌンガガプ〟!」

 セイタンは左手の魔典を剣に変えると――前方の空間を、円を描くように切り裂いた。
 間近で発現する、宇宙空間よりも深い、光と時を飲み込む暗闇。危険な距離であった。スラスターを吹かせて、セイタンは超重力に必死で抗う。
 ――マモンのコックピットの中で、ルーラッハは訝った。

(なんだ……防壁のつもりか?)

 疑似ブラックホールを前面に展開している今、砲弾は全てそちらに吸い込まれてしまうだろう。
 しかし、空間裂孔の生成などという怪異を維持する為に必要とする魔力はあまりに膨大だ。現在のセイタンの霊子出力では、瞬く間に枯渇してしまうだろう。その後を狙い撃てば問題ない。

(失策だったな、蛮人)

 そう嘲り、マモンは待つ――待ってしまった。
 ブラックホールを前に、セイタンは右手の宝華を差し出す。

『《レーヴァテイン》解放』
「〝いてついたほのおムスペルヘイム〟!」

《レーヴァテイン》の蕾が花開き、炎が膨れあがる。
 無限の炎を内包する松明。それを、セイタンは――ブラックホールに向かって放り捨てた。
 ひと瞬きの時だけ、暗黒の洞は静寂を保ち。
 光の爆発が起きた。

「何……!?」

 突如として起こる怪奇に、ルーラッハは動揺する。
 白光は圧縮され、目映い光球となってセイタンの眼前に浮遊する。
 黒い機兵は、両手でそれを囲い――握り潰した。
 直後、その背から膨大な極光が放出される。

「あれは何をしている!? ガラテイア!」

 問い糾すルーラッハに、二秒、ガラテイアは沈黙した。究極の火力を管制する光量子コンピューターと無数の演算霊の補助を受けた彼女の思考は、〝その現象〟を結論付けるのにそれだけの時をかけた。

『そんな……手が? 正気なの!? こんなもの、機傀悪魔わたしたちの設計思想を超えた運用法だわ!』

 主への返答を余所に狼狽するほど、彼女は戦慄に囚われていた。
 セイタンの背部から生まれ、花の開花じみた複雑な形状に膨れあがる光。スペクトルが乱れているのか、オーロラのように揺らめき、色を刻一刻と変じている。それを注視しながらガラテイアは言った。

『疑似ブラックホールに、熱量の塊である《レーヴァテイン》を投入した……圧縮された時空間の中でエネルギーを超短時間で練り上げ、吸収する……』

 信じがたい、とその美貌を強張らせてガラテイアは結論を述べる。

『縮退炉を、即席で造り出した……!』

 ――セイタンのコックピット内部では、苦闘が繰り広げられていた。

高天原タカマガハラ神留カムヅマリ水波能売命ミヅハノメノカミノ霊威以テ火之迦具土神ヒノカグツチノカミノ荒御魂鎮メ賜エト願イ奉ル!』

 日雨は巫術・火霊調伏の祝詞を唱え、

『装甲変形、放熱効率23%向上……水精、風精発現、フリーズ・スペル……!』

 くららは飛行ユニットを分解し、各所にラジエーターと放熱孔を建造。機体そのものの排熱効率も向上させ、更に魔術による冷却を併用する。
 彼らは獲得した熱量を手放す事に専念しているのだ。エネルギー効率は30%程度に低下している。そうしなければ扱えないのだ。
 造り出した小型の太陽の制御は、想像以上の難行であった。一度手綱を誤れば機体が自壊してしまう。
 獰猛で、危険な――しかし、圧倒的な力の塊。

『一番剣変形! 魔導鉄甲形成!』

 くららは《ヴォルスパー》から戻した媒介剣を機体右腕に纏わり付かせ、巨大な五本の爪の生えた手甲を建造する。

『完成、した……でも日雨くん、長くは保たない! 身体、バラバラになりそう……!』
「応……っ!」

 コックピット内は激震し、エラー情報の逆流が日雨の目に映る世界を赤く染める。
 その視界の中で、マモンが射撃体勢に入っていた。全砲門をセイタンに向けて、中央の本体は再び雷神の秘儀を放とうと弓を取っている。
 こちらも持てる力の全てを傾注した。賽は投げられたのだ。後はただ、より強い方が勝つ。

「滅却式魔導機巧術〝外辺奈ゲヘナ〟――行くぞ、ルーラッハ・ガルガンティン!」
『撃ち滅ぼす! 塵も残さんぞセイタン!』

 極限まで撓められた力を、両者は同時に――解放した。
 マモンが、全ての火砲を撃発し、弓弦から指を離す。
 光が、奔る。

「……な」

 驚愕に震えたのはエルフの王子。
 マモンの眼前で、セイタンが射出しかけた《ヴァジュラ》を右掌で握り潰していた。
 その背後で、何も無い空間をマモンの砲撃が薙ぎ払っている。
 全ての弾丸と、雷速の飛箭に先んじて、漆黒の機体は敵機への道を走破していた。

「我らの勝ちだ、マモンッ!!」

 セイタンは極光を帯びた右手の爪を振るい、《鋳金の小王》ごとマモンを引き裂いた。
 機体に溜め込んだ全てのエネルギーを解放した一撃は、堅牢な装甲を融解させつつ裁断する。
 下半身を蒸発させられたマモンは、衝撃に吹き飛ばされて――そのまま星の重力に囚われた。

「……ッ!? 糞、糞、糞ぉおおおおおおっ!!」
『あぁぁああああああああっ!』

 怨嗟の叫びを上げ、赤の機兵は摩擦に焼け付きながら大地へと墜落していく。
〝外辺奈〟が解除され、機体から放出されていた極光が霧散した。
 静謐の宇宙空間に、セイタンは浮遊する。

「は……なんとか……生き延びたのぅ」

 立っていられずコックピットに尻餅をついて、日雨は大きく息を吐いた。
 嘆息に混じるのは、疲労だけではない。

「すまん。今度は……我らの意志で、敵を殺した」
『そう……だね』

 そうしない、という選択肢はあった。それが己の死を意味するのだとしても。
 そして日雨は、それを選ばなかった。くららを奪われない為に、命を拾う為にルーラッハとガラテイアを殺害した。くららもまた、日雨を助ける為に、自身が囚われない為にそれに荷担した。
 二人の他に誰もいない孤独の空で、彼らは少しの間だけ泣いた。

『……帰ろう。わたしたちの世界へ』

 やがて、目の前に漂う蒼い惑星を見て、くららはそう言った。




    //////



「お帰りなさいませ、日雨様、くらら様」

 パシフ砦近くの草原に降り立ち、日雨とくららが変身を解除した所で(ガラテイアに強引に人間に戻された時、コツを理解したらしい)、いつものどこか気怠げな無表情のままのだきにが二人を出迎えた。
 その後方で、何やら目尻に涙のようなものを浮かべ、両手を広げて全力ダッシュを敢行しようとしていたような姿勢の夜見が、「く……ぁ、おのれぇ……だきにィ!」とか憎悪の唸り声を上げている。

「え、あれ……生きてたんですか?」
「おや……知らぬ間に私に保険金でもお掛けなさいましたかくらら様」
「いや、違いますけど……」
「うまい事貴女をだまくらかして誓約書に拇印を押させたのは私だけと思っていましたが」
「あ! 覚えがある!? わたし保険金掛けられてたの!?」
「昨今の家政婦は自らドラマを演出する必要があると思いまして」

 ものすごく余計なポリシーを述べ立てるだきにに、くららは頭を抱えた。

「……別に、完全消滅した訳ではない。こやつを構成する情報を凍結して、黄泉――アストラル相に一時返しただけじゃ。呼び戻すのは簡単な事よ」

 なんだかものすごく拗ねた目つきでそっぽを向き、夜見が会話に入ってくる。

「マモンを打ち破ったようじゃの」
「ああ。余には、まだツキが残っていたようだ」

 答える日雨に、彼女は意地の悪い笑みを返した。

「運の尽き、かも知れぬぞ? ルーラッハを始末した所でその場しのぎに過ぎん。むしろ主様は、〝幽霊国家〟の争いの渦中に飛び込んだとも言える」
「そう、だの……」

 妹の言う通りだった。日雨は深く息を吸って、

「夜見よ、ここからは、」
「嫌じゃ。絶対ついてゆく」

 彼の言いかけた言葉を高圧的に封じて、夜見は言った。

「甲斐性無しの兄様よ、主様と、神代の人間で今の世情に全く疎いくららちゃんのみでどう〝幽霊国家〟相手に立ち回るつもりじゃ。そもそも普通に生活するのも無理じゃろーが」
「ぬぐ……」

 痛いところを突かれて、言葉に詰まる日雨。

「はん、主様はまだまだ、わらわ抜きでは立ち行かぬ半端者よ。調子に乗るでない」

 と、夜見は兄に指を突きつけて悪態をついた。

「それに、わらわとて〝幽霊国家〟なんて危険で得体の知れんものを放置しておきとうない。秋津洲国は連中が滅ぼしたのじゃから、国の再建にも障害となるじゃろうしな」
「わたしも」

 くららが、二人の側に寄って言った。

「その〝幽霊国家〟について知りたい。そうすれば、分かると思うの……ただの高校生だったわたしが、なんで機傀悪魔セイタンになったのか。なんでわたしに、その時の記憶がないのか」
「決まりじゃ。〝幽霊国家〟を探し出す。――まずは追手を撒いて、情報を得ねばの。予定通り砂海へ渡る……砂海、瀝青山嶺、永久晶原……くららちゃんよ。この未来の地球の有り様は、そなたの言うていた〝異世界〟の如く変わっておるぞ? 覚悟してついてくるが良い」

 と、夜見はくららに向けて小さな手を差し出した。
 それを左手で握り返し、くららは言う。

「冒険、かぁ……あるあるとはちょっと違っちゃってる気もするけど、うん。少しね、わくわくする」

 空いた右手を、彼女は日雨へと差し出した。

「一緒に行こう、日雨くん。いつまでだって、どこまでだって」
「……ああ! 望む所だ」

 力強く頷いて、少年は少女の手を取る。
 そして始まる――全ての時と空を制覇する、魔王の物語。



[40176] 第二章「〝A〟ははてなき幻影迷宮」プロローグ
Name: 八目又臣◆aa87a973 ID:17b043ce
Date: 2014/08/09 00:00
 見下ろす海面はひたすらに青かった。

 空の鮮やかな青さとは違う、冷たさと重さを感じる青が泡立つ波の合間に見える。どこか怖くて、しかし手を触れたくなる魅力も持った色彩だ。小学生の頃、草野球チームの合宿で伊豆大島に行き、練習前に(まぁ、小学生のモチベーションなんてそんなものだ)海水浴をした時、海面になんとなく伸ばした手に海蛇が絡み付いた事がある。
 引率でついてきた母親が大慌てで、彼女を海から引きずり出したのを覚えている。

(お母さん……どうしてるかなぁ)

 そんな事を回想しつつ、詩乃目しののめくららは胸中で呟き、そしてそれを訂正した。彼女がこれまでに聞き知った事実に則れば、母はとうの昔に墓の中だ。

 だから、気にかける事は、母が墓に入るまでにどのような生き方をしたかだ。高三の春以降の記憶がすっぽりと抜け落ちているくららには、それを知る事ができない。何かに絶望して死んでいったのか、幸福を抱えて笑って逝ったのか。
 後者であればいいと思う。けれど。

 娘がこんなにも遠い、あまりにも遠い場所にいる。抱えて、引きずり出そうにも手の届かない程の距離に、今の詩乃目くららはいる。
 それが母の絶望に値すると信じられる程には、自分は愛されていたとくららは思う――

「……っ」

 限界だった。秩序だった思考が積み木の崩れるようにばらけて落ちていく。
 草野球チームの名前は茶花町モモンガーズで(なんてやる気の失せる名前だ)くららのポジションはショートで背番号は十三番、得意技はスクイズでコーチが地味にキツく走り込みばかりやらせようとして――何度か――何度か――

 回想が危険な方向に向かおうとしている。ボールデッドだ。没収試合だ。
 青いものを見ないと、気持ちを落ち着けないと。
 ああ――なんて青い、海――まるで――わたしの、顔色みたいに――

「…………………………………………おぅえぅぶっ

 女子高生が決して発してはいけない声を、くららは上げた。

 乗船している貨物船の船縁にしがみつき、修行僧のようなひたむきさで青い海にガンをつける。ここ数時間彼女はずっとそうして、船酔いを堪えていた。時折背後を水夫のおじさんが通りかかるが、仕事に追われる彼らは三つ編み眼鏡でセーラー服姿の高三女子が嘔吐感に悶えている程度を気にかけたりはしない。

「――ふっ、不様じゃのくららちゃん」

 だから、背後よりかけられた声は野太い水夫のものではなく、甲高くて幼げな、女の子のものだった。
 遥か高みから見下ろすように尊大に、その声は言ってくる。

「人が大地に足をつけて生きるのはなんのためと思うたかや? 海では生きられぬからよ。船を作りごく僅か洋上を行く術を得たとは言え、それで海を制したと思うは人の傲慢じゃ。揺れる船は容易に人の三半規管をなぶり、地獄をこの世にあらわとす。三日前、無防備に船に乗り込んだそなたの油断が今の醜態を招いたと知るがよい。船旅を舐めるな、くららちゃんよ」
「あー……うん、そうだね」

 くららはじっとりとした目をして振り返り、手首に布を巻き付け、得体の知れない漢方薬の入った薬研やげんを傍らの金髪長身美女に持たせ、こちらを見ず、決して水平線から目線を外さない、黒地に椿をあしらった小袖姿の黒髪幼女に応じた。

「ちなみにくららちゃん、一つ教えて進ぜよう。船とは中央が最も揺れず、酔いにくいのだ」

 それが、さっきから甲板のド真ん中に居座り、邪魔そうにしている水夫を寄らば思いつく限りの残虐な手段で殺すと威嚇し、立ち退きを断固拒否していた理由か。
 くららはそこまで強靱なメンタルを持っていないので、彼女の陣地にお邪魔する事はできなかったけれど。

「夜見ちゃんも、船酔いしやすいん「黙れ」

 幼女の決して発してはいけないドスの効いた声で、発言を差し止められた。

「わらわにその言葉を意識させるな。……わらわ気分爽快、わらわ泰然自若、わらわ心頭滅却、わらわ悠々自適」

 無駄に悲愴な面持ちで水平線を見たままぶつぶつと自己暗示をかける幼女――詞木島夜見しきしまよみの有り様は、その美貌も相まって妙な凄みを醸し出していた。

「お察しの通りです、くらら様。お嬢様の三半規管は人並み外れて貧弱でございます」

 薬研を抱えた、白地に白梅をあしらった小袖姿の金髪長身美女が言った。彼女の従者である高機能完全自律式神・だきにさんである。
 ここ一月ばかりの付き合いで一度も変化の無かった無表情のまま、彼女は告げる。

秋津洲国あきずしまくにに居た頃は駕籠に乗るのも嫌がる始末。それで公事を除けば年に二、三度外出すれば良い方でして。姿を見ればその日なんかとんでもなく悪い事が起きると宮殿の貴人がたから噂されていた珍獣ヒッキー幼女でした」
「うるさいぞ従者」

 水平線の位置に目線が固定された夜見の返しは、いまいち覇気に欠けた。

「申し訳ありません珍女」

 謝意の欠片もない上に悪意のある省略までされた、だきにの返答であった。

「ところで皆さん、小腹が空いてきましたね。肉食の私としては肉臭香しいバーベキューを提案いたします。鉄板の上で獣肉の血と脂が蒸発し、風に乗って周囲に漂うその臭気がなんとも言えぬ食欲を誘う、あのギットギトに脂っこくも肉々しき肉の祭典を洋上で催し」
「きぃーっ!」
「おやお嬢様、どうなさいました突然エテ公の如き奇声を上げて殴り掛かりなどして。淑女としてはしたないですよ」

 幼女のへろっとしたパンチを軽く身を引いただけで躱すだきに。
 くららはボディーブローの連打じみただきにの文句にへたり込んでいる。
 そして、激昂した勢いで思わず水平線から目線を外した夜見は、何かの芸かとくららが思う程素早く、それこそものの一瞬で顔色を紙のように青白くして甲板に倒れた。

「よっ、夜見ちゃーん!」

 くららは慌てて駆け寄り、夜見の身体を抱き起こす。

「す、すまんくららちゃん……我らの旅は、どうやらこれまでのようじゃ」
「早っ!」

 夜見が冒険の開始を宣言したのは、時間的には三日ほど、メタ視点ではたった一記事前の事。いくらなんでも短兵急過ぎる。打ち切りの決まった週刊少年漫画でももう少し根気があるだろうに。

 その後、だきにが手慣れた仕草で(というより飽きた手つきで)夜見の口を開かせ、薬研の舳先を傾け中の薬剤を流し込んだ。夜見は苦そうにぎゅーと目をつむり縮こまってぷるぷる震えると(ちょっと可愛かった)、若干顔色を持ち直した。どのような原料で作ったのか、怖いくらい即効で効いた。

「国に帰りたい……宮殿の自室で、寝転がって菓子をぱくつきつつ書を読み日がなだらだらと過ごしていた昔が懐かしい……」

 船酔いに打ちのめされたせいか、涙目で泣き言を言う夜見。彼女は秋津洲国という島国で、次期女王と目されていたお姫様だ。故国が革命で滅んでいなければ、確かにこんな遠い洋上で苦心惨憺してはいなかっただろう。

 くららと夜見、そしてもう一人は帰る故郷が無いという事実を共有している。彼女と彼の母親も既にいない――こちらはある男に、殺されているのだが。

「ね、夜見ちゃん。気晴らしにちょっと聞いてみていいかな……夜見ちゃんのお母さんって、どういう人だった?」
「? 唐突じゃの。ああ、ほーむしっくとやらを患ったか」

 超人的に聡い彼女にあっさり当て推量されて――ようやくくららは、今の自分の気分を理解した。そうか、わたしはホームシックにかかってるのか。
 感慨めいたものを抱くくららの腕から離れ(この幼女にはこうした、人との接触を拒む所がある)、甲板に腰を下ろして空を見つめ、夜見は一言、端的に言った。

「知らぬ」
「……え?」
「王……秋津洲国が巫王かむなぎのきみは語る全ての言葉が言霊とされ、勅令となる。故に語る言葉を選び、聞く者を選ばねばならん。正三位しょうさんみ以上の位階持ちでなければ対面する事が許されぬ――まぁ、建前じゃ。要は権威と権力の分離よ。王が表に出る事は、実際の政務を担う大臣にも、王家の神秘性を維持したい王族や巫覡ふげき官僚にとっても歓迎されんからの」

 立て板に水とばかりにすらすらと語る夜見――だが、それはつまり。

「白面王……母に、わらわは会うた事がない」

 今空を飛ぶ海鳥が落ちた、といった程度の無感動さで夜見は言った。
 気軽な気持ちでした質問を、くららは後悔した。「え、えっと。ごめんねっ!」としどろもどろに謝罪する、と。
 くくっ――夜見が邪気のある笑い声を上げた。

「相も変わらずのんきな女子おなごじゃのくららちゃん。同情などするより先に、己に問うてみるがよい。そなたとて、冗談にも幸福とは言えん人生であろうに」

 針で突くような、意地の悪い皮肉だった。
 確かに、くららの体験したこの一月ばかりは激動の一言である。
 目覚めた時、そこはどこぞの深い樹海で、しかも巨大な竜や人喰いの怪物までいるファンタジーな異世界だった。

 人のいる都市にやって来てどうにか生活の目処が立ったと思えば、得体の知れない〝幽霊国家〟なる組織に追われた。
 異世界と信じていたこの世界が、遥か未来の地球である事を知った。
 そして、何より――

「でも、ね。夜見ちゃん」

 物思いを止めて、くららは夜見に告げる。

「わたし、自分を不幸だとは思わないよ。友達もできたしね」

 と、彼女の小さい手を握る。夜見はびくり、として手を引こうとしたが、諦めて「ぬ……ぅ……の、脳味噌お花畑め」と憎まれ口だけ叩き、顔を赤くして猫背気味に俯く。

「それに……」

 言うなり――でゅふひひっ、と気持ち悪い笑い声をくららは上げた。

「えへへ、なんだかな、なんだかなー。いやー、あはは! えっと、あれだよねあれ!」
「……何一つ具体的な事を言っていないのに、なぜかはらわたが煮えくりかえってくるのじゃが」
「春が来ちゃったもんねー、わたし! これで不幸なんて嘘だよーむしろウルトラハッピーだよー」

 空いてる左手で頭をかきながら、握っている手をぶんぶん振る。

「ぐぅううう……ッ!」

 心底ウザそうな顔で苦悶する夜見。その背後でだきにが、悪魔の囁きめいて「殺りますか」と言っている。
 さて――ここでようやく、この物語の主人公が登場する。
 彼は、三人からやや離れた甲板上でデッキブラシを手に全力ダッシュしている所だった。

「ふふはははははっ! さぁ見よ船長! 甲板の掃除完了したぞ!」

 高笑いしながら長柄のブラシを肩に担ぐと、彼は化粧っ気の強くて濃い顔の大男に宣言する。

「何度言えば分かるの、デカい態度の密航者君! ぅワタシの事は洋上の麗しき薔薇様とお呼びなさぁい!」
「ぬははは、これは失念しておったわ。洋上の麗しき薔薇様よ」
「よろしくってよ! 司厨長! このジャリに褒美のまかないをくれてやりなさぁい!」
「あいよ船長ォ! グラバババババ(笑い声らしい)、小僧ッ、ワシの特盛り海鮮丼を喰らえぇい!」

 申し訳程度にかぶったコック帽以外何一つ料理人らしくない筋骨隆々とした老人が、どっさり刺身の載った丼と箸を彼に投げつける。彼はそれを空中でキャッチしてそのままかっこんだ。

「んまーい!」
「さぁ密航者君! 追い風が出てきたわ! 継帆を張りなさぁい!」
「任せておけい船長!」

 彼は十数秒で丼を食べ尽くすと、やたら慣れた動きでメインマストに登って作業を始めた。継帆とは現代で言う所のスタンセイル(※トップセイルの両脇に張る補助的な帆)か。

 十六かそこらの少年である。小柄で童顔、表情もころころ変わるせいか年齢よりも年若く見える。鳶色の髪を潮風にたなびかせ、琥珀色の瞳を楽しげに輝かせつつもやい紐を解いている。明らかに船酔いとは無縁そうで、その上船員からもらった白シャツと焦げ茶のパンツを着用し、船での作業の為に普段帯びている刀を腰から外して代わりに双眼鏡を吊った姿は、生まれついての水夫じみていた。

 そんな彼の名前は詞木島日雨しきしまひさめで、すなわち詞木島夜見の兄であり、つまりれっきとした王子であるのだが。

「順応性高いなー……」

 彼女たちについていけない汗臭い世界観を展開している船員たちと、その輪に冗談のように溶け込んでいる日雨を遠くから眺めてくららは呟いた。
 いったいどういうメンタルをしていれば、密航者扱いでスタートしてから三日で帆張り作業を任されるまで環境に適合できるのだろう。

 ――あん? 旅費は自腹に決まっておろーが懐のお寒い兄様よ。金が無いなら密航でもするがよい。

 三日前、彼らのいた貿易都市モクレントレイから旅立つ時の事。事前にだきにが手配していた貨物船に意気揚々と乗り込もうとした日雨に告げられた、夜見の言葉である。
 そして外洋に入って後戻りの出来なくなった頃を見計らい、嬉々として密航者狩りを船員たちに提案したのも夜見である。

 かくして日雨はお縄となり、無賃労働と引替えに乗船を許されたのだが――

「フッ、良い手つきじゃない。あのコなら、ワタシの後を継ぐ為に必要な〝アレ〟を渡すのに相応しいわ」
「なんと……! まさか船長、〝アレ〟をあの若造に……」
「おいおい船長、隠居はまだ早ぇっスよ。それにアイツぁまだまだだ。オイラたちが鍛えてやんねぇとよォ……」
「チッ、ボク様のライバル登場か……次期船長の座は渡さないよシキシマ」
「くうっ、良いケツしてやがるぜ……」
「あ、いや、ワタシの化粧道具の話なんだけど」
「え? そっち?」

 チョイ役のくせに無駄に自己主張の強いキャラ造形の船員たちが、口々に帆桁ヤード上で作業する日雨を眺め(一人だけなぜか臀部に焦点を当てている)語り合っている。いつの間にやら特殊なポジションを構築している彼であった。

「む?」

 そんな日雨が、洋上の一点をしばし見据えて、そしてマストから飛び降りた。身軽に着地すると、くららの方へ駆けてくる。

「くららよ、見物みものだぞ」

 と、腰に吊った双眼鏡を手渡してきた。急な接近にどぎまぎしていた彼女は、取り落としそうになりながらそれを抱える。

「え、えっと、どういう事?」
「いいから。あちらを見てみるがよい」

 日雨はくららの背後に回り手を掴み(そこでくららは「ひゅうわっ!」と奇声を上げた)、双眼鏡を彼女の目の高さに添える。
 遠い海上の一点。そこの海面が――薄い青の蛍光色に染まっている。

「なに? あれ……」
「しっ。もうすぐ出てくる」

 精神の半分くらいを気恥ずかしさに持って行かれているくららに、日雨はそう不可解な言葉を告げる。と。
 光る海面が盛り上がり、巨大な生き物が浮上した。

「鯨……?」

 濃い藍色をした、ずんぐりとした体型の生物の造形は鯨としか言い様がない。しかし――それは十数匹あまりで群れを成し、空を飛んでいた。海中で身についた泥を大きく身震いして振り落とすと、周囲に青白い燐光を撒き散らしながら空中を航行している。

勇魚翔いさながけですか」

 いつの間にか「アンチ青春同盟名誉会長」とかいう文句の書かれたたすきを肩に掛けただきにが、後方から淡々とした声で言った。

「勇魚とは、飛行と遊泳を併用する亜竜の一種です。海流と風向きを読んで、回遊か渡りかを選択します。しかし飛行する事は珍しく、秋津洲国の漁師の間では吉兆とされました」

 すらすらと彼女は解説してくれるが、その解説そのものすらくららには未知の事柄ばかりだった。

「竜、って……わたしたちの世界――時代だと、羽の生えた蜥蜴っぽい……っていうかそもそも空想上の動物なんだけど。でもあれ、どう見ても鯨、」
「我らの認識はちと違う」

 くららの取り留めのない言葉を遮ったのは夜見だった。

「現在、大陸全土で認知されている竜種の定義は、あれよ」

 夜見はそう言って、勇魚――空飛ぶ鯨を指差した。いや、厳密には、その身体から周囲に発散されている燐光を。

――霊子エーテルじゃ。あれを利用する能力を持つ生物種を指して、我らは竜と呼ぶ」

 霊子。
 この世界には魔法が実在する。それを扱う為の媒介となるのが、生物のみならぬ万物が持つその元素である。各国によって元素の名称はまちまちで、例えば秋津洲国では、それを使う技術を巫術と呼ぶ。更に巫術の中でも術の性質によって鬼道、陰陽道と区別される――というのが先日の詞木島夜見の言である。

「えっと、つまり……魔法を使える生き物、って事?」

 構造上明らかに飛ぶようにできていないあの鯨が飛行しているのは、魔術的な作用によるものというわけか。

「そうじゃ。もっとも、それは大雑把な区分であって、もっと厳密に言えば北方の永久晶原にある竜の国・ジラント皇国と諸国家との間の協約で定められた竜権章典の補典である竜譜の記載に従って、人間と同等の権利を保障されたものを竜、それ以外を亜竜と……」
「夜見よ、無粋だぞ」

 日雨がしかめ面して夜見の説明台詞を制止した。

「もー少し素直に景観を楽しむがよい。王宮に籠ったままでは、決して見られなんだ世界だ」
「はん。暑苦しいあうとどあ原理主義者め。わらわは、部屋で書でも読んでおった方が遥かに楽しいわ」

 毒づいてそっぽを向く夜見。
 確かに彼の言う通り――光を帯びて飛ぶ鯨の群れは、ため息の出る程美しかった。
 くららはもう一度反芻する。この世界に来た事は決して、ただ不幸なだけじゃない。

「ありがとうね、日雨くん」

 ぽすん、と後ろに体重を預けてくららは言った。同じくらい――というより数センチくららの方が身長が高いので、日雨の肩に頭を乗せる形になる。

「う、うむ」

 口ごもりつつも、彼は応じる。今この人はどんな表情をしているのだろう。わたしのように、照れて顔を赤くしているのだろうか。

「船酔いした時は遠くを見たり、人と話しておるのが良いと言うしの。効果のあったようで何よりだ」
「もう……無粋だよ、日雨くん」

 期待していた流れとは違う会話に、くららは口を尖らせた。

「――ぐぅぬぉおおおおおおぅっ、なんじゃこれ壮絶に鬱陶しい……!」

 そのやや後ろで、ぎりぎり歯ぎしりして夜見が唸っている。だきにがその肩に「アンチ青春同盟平会員」と書かれた襷をそっと掛けた。

「ええいこの極楽蜻蛉ごくらくトンボ どもめ! 船旅が楽しい事ばかりなら誰も陸になんぞ住みはせんわ! 見よ!」

 どかどかと歩き(なんか彼女は、くららとは別の理由で船酔いを解消したようだ)、船縁から身を乗り出すと夜見は船体の船首側を指差した。

 彼女らの乗船している貨物船は、横帆が三、縦帆が一のガレオン船に酷似した造形の帆船である。位置的には東南アジアにあたるこの地域で、洋船に似た形の船種が主流であるのは不思議であったが、もう一度文明を再構築したようなこの時代において、技術発展の過程で何らかの作用があったのだろう。

 その船の、本来なら船首像フィギュアヘッドのある箇所には――巨大な魚の骨がくくりつけられていた。

「うぅ……忘れようとしてたのに」

 甘酸っぱい空気をぶち壊されて、恨めしげにくららは夜見を見る。

「なんなの、あれ……?」

 夜見の隣に立って問いかける。海賊船であれば、何らかの自己主張かと思った所だが。
 答えたのはだきにだった。

吊贄つりにえですね。海魔に対する魔除けの一種です。本来なら腐敗した魚を吊るし、強い臭気で人間の臭いを隠すのが正統な用法ですが……今では大して効果のない事が分かりましたので、形骸化して、単なるお守りとしてあのように簡略化されました」
「海魔?」

 また新しい単語だ。くららはおうむ返しに聞く。と、同じように夜見が解説する。

「海棲魔獣じゃ。不還の森を越えた時に兄様から聞いたやも知れぬが、魔獣とは無条件に人を襲う獣の総称よ。一部の亜竜もこの中に含まれる。この世界における、人類の天敵じゃ。大陸全ての人間が、彼奴らの脅威を思い知っておる。――あれを見よ」

 夜見は今度は、船体側面に人差し指を向けた。
 数十程度の砲眼から鈍い鉄色の大砲が顔を出している。

「この時代は、くららちゃんのいた時代……神代と比べて、海軍は未発達じゃし、海賊も少ない。しかし武装は欠かせぬ。その全ての原因が海魔よ。火砲の発明で、ようやく外洋に出られるようになったばかりじゃ」
「そうなんだ……」

 恐ろしげに大砲を見つめ、くららは呟いた。そして、一つの疑問を覚えた。
〝なんでだろう?〟

 くららのいた時代より少し前、遥か未来の世界の生物相を予想したドキュメンタリーが流行った事がある。中学生の時に書籍化したものを課題図書として読み、進化した巨大なイカや光る鮫に驚いたものだ。
 二億年後の未来は、こんな風なのかと。

 ガラテイア――貿易都市モクレントレイ滞在中に遭遇した、あの赤髪の少女の言葉を信じるなら、西暦の終焉が八千年前。西暦という時代がどれ程続いたのかは分からないが、生物相が激変する程の時間は経っていないはずだ。
 だというのに、この未来の世界は、くららがファンタジーな異世界と勘違いする程に変質している。

 なんで、こんなにも世界は変わってしまったのだろう……
 ――そう思う間にも、夜見の語りは続いていた。

「ま、大海蛇いくち海女蜘蛛あまぐも辺りの大物に出くわしたらこんな豆鉄砲無意味じゃがの。今でも外洋に出た船の三割は帰ってこれん。あの水夫連中も、会社に遺書を置いてきて航海に臨んでおるよ」

 甲板上で仕事に勤しむ船員達の方を向き、夜見は言った。彼らはまさに命懸けで働いているのだと知って、くららの足が震える。

「で、でも、今回は大丈夫だよね」

 くららは言った。自分の手を見つめて。

「そういうのが出てきても、〝わたしが〟やっつければいいもの」

 おっかなびっくりと、独り言のように彼女は呟く。と。

「戯け」

 ばっさりと、夜見はくららの決心を切って捨てた。

「海魔程度ならわらわがどうにかする。――良い機会じゃから言うておくが、くららちゃんよ。今後〝セイタン〟を出すのは禁止じゃ」
「え? えと、なんで?」
「鳥頭め。我らが〝幽霊国家〟に追われる立場である事、忘れたか?」

 やれやれ、とばかりに嘆息して告げる夜見。

 幽霊国家。
 現在、この世界に生きる人間に確認できる陸地は〝大陸〟――ユーラシア大陸らしき大地と、秋津洲国などその周囲に点在する島々のみらしい。
 しかしその地域とは別の国土を持つ、謎の国家があるのだ。大陸からは認知されておらず、だが影から諸国に干渉している――それを夜見は、便宜上幽霊国家と名付けた。

 彼らはくららを捕獲しようと、モクレントレイに軍を使わした。その中には幽霊国家の王子であるルーラッハという男も含まれていた。
 彼とその従者である少女・ガラテイアと日雨&くららは戦い、辛くも勝利している。そして更なる追手から逃れつつ幽霊国家の正体を知る為に、彼女たちは旅を始めたのだ。
 ――と、これまでの経緯を軽く反芻しつつ、くららは言った。

「わ、分かってるけど……それと〝セイタン〟がNGな理由が結びつかなくて」
「奴らは現在の大陸とは隔絶した文明を持っておる。特に機械技術において、軽く五百年以上は進んでおるじゃろう」

 幽霊国家の指示でモクレントレイを襲撃した軍は、鉄の巨人――いわゆるロボットで構成されていた(彼らは機動甲冑アルマキナと呼んでいた)。そんなもの、くららのいた時代にも存在しない。
 オーバーテクノロジーと言うべきか、ロストテクノロジーと言うべきか、とにかくそんなものを彼らは保有している。

「〝セイタン〟はとにかく目立つ。とりわけ霊的側面において。彼奴らがそれを感知する機械を持っておらぬわけがないじゃろう」

 例えば偵察衛星である。二十一世紀初頭の時点でもあの手のものの解像度は、三十センチ程度の物体を捕捉可能なまでに向上している。それに霊子観測機器を搭載すれば、確かに〝アレ〟は一瞬で見つかるだろう。

「そなたら、なぜいちいち大陸の西端まで向かうのにのんびり船旅を選んだと思うたのかや? 〝セイタン〟が使えるなら、一夜で飛んでいけるであろーに」
「まぁ……」

 考えてみれば当然の疑問に今更思い至って、くららは間抜け面をした。夜見はそれを見て、アホめと小馬鹿にする。
 もう一つ、今更、当然の疑問が思い浮かんだ。

「そもそも、なんで西に行くの?」
羅虚虎ロゥ・シィフゥが言っておったのだ」

 日雨が会話に参加した。その表情には、かすかな緊張が見て取れる。
 羅虚虎――幽霊国家に所属する工作員である。大陸諸国でテロ活動を行っていて、日雨らの故国・秋津洲国の滅亡も彼の仕業らしい。
 日雨、夜見の母親を殺したのも、羅だと言う。

「幽霊国家は、西の涯てにあると」
「ま、それも羅の方便かも知れんがの。〝もう一つ〟根拠がある」

 と言って、夜見は小袖のたもとを探った。一冊の分厚い本を取り出す。

「くららちゃんがこの時代に持ち込んだ遺物で、もっとも有用であったのはこれよ」

 百科事典、とタイトルの箔押しされた茶色いハードカバーである。それを見た日雨が「むむぅ。これは因縁の……」とか意味深な事を言うが、単に日雨と出会った日、くららのスカートをめくった彼をこれでぶん殴っただけだ。
 夜見は一発で目的のページを開き(まさか内容を全て把握しているのか?)、一つの項目を日雨とくららに見せつけた。

【七王国…ヘプターキー。中世初期にグレートブリテン島に入植したアングロ・サクソン人の国家群の事。主要七ヶ国とその他多数の小国で構成される】

「――幽霊国家の軍人が、自国を〝連合王国ヘプタ・アーキー〟と称した。人種的特徴もコーカソイドであった。加えて……兄様が戦った男は、マーシア州国王子のルーラッハ・ガルガンティン・マーシアなどと名乗ったそうじゃな? マーシアとは、七王国を構成する大国の一つよ。
 この事から、連中はイギリスを起源とする民であると推察される」

 事典を閉じて、夜見はそう告げた。

「現在の大陸にはグレートブリテン島はおろか、〝ヨーロッパなる地域が存在しない〟。ユーラシア大陸からそこだけごっそり欠けておる。ロシアにあたる場所に先に言うた永久晶原があるがの。それを除けばアジアおんりーじゃ。かつて、そこにいた人々はどこへ消えたのか? わらわは、大西洋のどこかに彼奴らの拠点があると考えておる。西の希臘ヘラス……神代で言うギリシャには、金髪碧眼の人種もいまだおるしの。大陸干渉への橋頭堡とするにも都合がよい」

 すらすらと理屈を並べ立てた後、彼女は言った。

「〝連合王国という幽霊国家に限っては〟、この予想が鉄板じゃ。だから我らはまず西に向かう」
「限って、って?」

 唐突に出て来た意味深長な発言に、くららはもう一度間抜け面で首を傾げた。日雨も同じ顔で首を傾げている。
 ふん、と脳天気を嘲笑うように鼻を鳴らし、夜見は語りだす。

「ルーラッハ――連合王国がくららちゃんを欲した事、不思議に思わなんだのか? 彼奴は既に〝マモン〟を持っておったであろうが」

 マモン。
 ルーラッハの従者・ガラテイアが〝変身〟した機傀悪魔デクス・マキナという巨大ロボットの名である。幽霊国家の機動甲冑より更に隔絶した技術で作られた、機械仕掛けの悪魔。
 その脅威は未だ記憶に新しく、彼らと直に戦った日雨とくららは軽く身震いした。

「あんなもん、一機あればそれで十分やりたい放題じゃろーが。新しい玩具を求める必要もあるまい」

 その通りだ。あれは単なる兵器とは一線を画した、全てを支配する力だ。くららはそれを〝誰よりも〟実感している。
 沈鬱とする彼女を無視して、夜見は続ける。

「――そう。〝一機だけであったなら〟、やりたい放題だったのじゃ」

 ――それで。
 ようやく、日雨とくららも、彼女の言わんとする事を察した。

「同等の機傀悪魔が、他にもあるのじゃ。そしてそれらは、マモン――連合王国と対立しておる」

 夜見は一言で、話を結んだ。

「〝幽霊国家〟は、複数存在する」



[40176] 1.カタ・コスモーン機構
Name: 八目又臣◆aa87a973 ID:17b043ce
Date: 2014/08/10 11:51
 見下ろす海面はひたすらに青かった。

 ステーション下部に設置されたカメラが、リアルタイムで地球の映像をモニタリングして彼女の寝転ぶ床に投影している。
 初めて見るものは、どこかに〝継ぎ目〟を探してしまうだろう。それ程に人形めいた美観を持つ少女だった。真っ白な、フリルをあしらったドレス姿もその印象を助長している。

 歳の頃は十二、三くらいか。長い金髪を床にざらりと流し、その一部が足下の地球にかかって、惑星の景観に金色の川を付け足していた。整った表情に倦怠感を滲ませ、そぞろげに文庫本のページをめくっている。

「退屈かな? 〝花嫁ザ・メイト〟」

 女の声が、遠くからかかった。
 少女のいる場所は、円形劇場型の議事堂のようだった。周囲に五つほど段差が設けられ、取り囲むように議席が配置されている。三百人ほど収容できるだろうか。
 しかし今、議事堂はがらんとして寒々しかった。彼女と、あとは一組の男女だけ。

〝花嫁〟と呼ばれた少女は、文庫を足下の地球の上に被せて、そちらを向いた。――文庫のタイトルは「2001年宇宙の旅」

「いんやーそんな事ぁねーぜー〝ギニョール〟ちゃん。ボクってばコイツの映画版も眠らず通しで鑑賞できた根気溢れる美少女ちゃんだぜ。星新一ほししん御大よりガッツがあるね。――たった63時間ぱかし宇宙ステーションでただ一人放置プレイかまされた程度でめげたりなんかしないよ、いやホント。ホントね」

 へへ、へ、と卑屈っぽい微笑みを挟んで。
 整った美少女の容貌が、「イラッ」という心理的効果音と共に崩壊した。

「っつーかテメーらどんだけダイナミックに遅刻してんだよ! ありとあらゆる一人遊びをやり尽くして、最終的に瞑想のはてに新しい宗教を開眼する所だったわ! ナメてんのか! 王様気取りか!」
「王様だからな」

 男の声が無感動そうに告げる。
 男は一段目の議席の一つにつき、女はその傍のテーブルに腰掛けていた。
 女の方は、少女と同じ質で――人形じみて美しいものであった。歳の頃は十七、八に見える。エメラルドグリーンの髪と瞳を持った、人の目を捉えずにいられない宝物じみた造形。

 そしてそれを自ら〝台無し〟にしていた。身に纏っているのは道化師クラウンの装束で、身じろぎするたびに頭に被った二叉帽子が揺れている。

 男の方は、考えようによっては更に道化じみていた。
 髑髏の面で、頭を覆い隠している。
 その下は黒い軍服姿である。胸元の勲章――黄金の柏葉と剣、そしてダイヤをあしらったもの――だけがその他の道具立てから浮いた輝きを放っていた。
 男が、黒い革手袋をはめた手を口に当て、あくびをしながら言った。

「我々は君と違いいささか多忙だ。君は時間という財産を無意味に備蓄しているのだから、湯水のように無駄遣いして何の不都合がある。――ところでなんだ? その行儀の悪さは。君が私の娘だったら鞭をくれてやる所だった。よかったなお嬢さんフロイライン……いやお転婆娘ヴィルトファング……ああ、シュヴァインで十分か」
「あー開眼しそー新宗教開けそー。教義はただ一つ、目に付く人類皆殺しサーチ・アンド・デストロイな。明日からボクの全存在を賭けて布教して回るわー」

 ドス黒い憎悪を込めて、〝花嫁〟は髑髏面の男を睨み付けた。

「っつーかてめー娘どころか結婚すらしてねーだろ。ま、その〝レザーフェイス〟にも劣らないホラーな面構えじゃ寄り付く女なんざいやしねーだろーけど」
「はん。さすがは〝色欲〟だな。慎みのなさに反吐が出るぞ雌犬め」

 見下しきった声色で、ザイフリートと呼ばれた男は吐き捨てる。
 澱んだ空気が目に見えるほど険悪な二人に、残りの女が割って入った。

「遅刻は詫びるけどね、〝花嫁〟。君だって早く来すぎだよ。本来の会談の予定は三十五時間前じゃないか」
「仕方ねーだろ。〝アバドン〟のクソアマの都合が合わねーってんで、丁度いいタイミングで来れなかったんだよ」
「君の〝眷属機ファミリア〟じゃないんだ、それこそ仕方がない。――君も人の事は言えないね。早く婿を探しなよ〝花嫁〟。うちにはこちらの彼とは違って、良物件が揃ってるよ。地球上で最も美しき貴いアーリア人種さ」
「はっ、百年ぱかし会わねー間にすっかりやり手ばばーが板に付いたにゃーギニョールちゃん。命の泉レーベンスボルンの血統書付の種馬にございます、ってか? とっくの大昔にバレてる虚偽表示じゃねーの。手口が埃クサすぎてくしゃみが出るね」
「……ひ、ひどいなぁ」

 ギニョールと呼ばれた女は、ザイフリートのように丁々発止と返せるわけではないのか、〝花嫁〟に押し込まれてすごすごと引っ込んだ。
〝花嫁〟は、はん、と鼻を鳴らして更に弁舌を振るう。

「そもそも宇宙に集合って時点でバッカじゃねーのお前らと言いたいね。パッと見壮大っぽければそれでオッケーって底の浅さが透けてるっての。お山の大将丸出し。バカさ加減と高度が正比例するってんなら、お前らと未だにお遅刻しやがってるもうひと組は、人類トップクラスのバカだね」
「――会談の場をこの宇宙ステーションに設けるのには、ちゃんと理由がありますよ」

 湖水に針を落としたような、静かで、しかし存在感のある声が議事堂に響いた。
 男装の麗人である。ダークカラーのスーツを身に纏い、その上に透き通る肌とアップにまとめた金髪を乗せ、革靴でかつかつと階段を踏み鳴らして下りてくる。
 彼女は、翠の瞳と尖った耳という異形を備えていた。

「一つは防衛上の要求です。通常兵器では宇宙空間まで届きませんし、機傀悪魔デクス・マキナを使ったとしてもステーションのセンサーが感知します。もう一つは防諜。ここの盗聴対策は万全ですし、やはり宇宙空間であるが故に侵入も困難です。
 最後に、歴史的意義です。この〝スペンサー〟は我ら〝カタ・コスモーン機構〟発足の地ですからね」

 水が染み込むような自然に通る声色で彼女は語り、そしてザイフリートの向かいの議席に腰掛けた。
 彼女もまた、人形めいた美貌の従者を連れていた。
 白色の修道服の内に水の妖精ウンディーネめいた薄い青色の髪と瞳を持ち、完成された――いや、完結したように頑強な美観を見せつけ、金髪の女の背後に立っている。

 彼女らを見据えて、ザイフリートが声を上げた。しっかりと発声してみると、金髪の女に劣らず存在感のあるバリトンであった。

「ユリウス! ガイウス・ユリウス・カエサル・クゥイリーヌス・サテュリコン! どれだけ人を待たせるつもりかね! 瞑想の果てに新しい宗教でも開眼する所だったぞ」
「……っえー、なんかいけしゃあしゃあと言いやがりましたよこの人」

 そのあまりに堂々とした物言いに、ぼそっと〝花嫁〟が口を挟む。が、誰も聞いていない。

「おや、私としては貴方に機会を差し上げたつもりですがね、〝第四帝国ダス・フィアテ・ライヒ〟総統、ザイフリート・ジンプリチウス・フォン・オイレンシュピーゲル殿。女性を口説くには十分な時間だったでしょう? ああ、なんて事だ。〝花嫁〟がそちらの手に渡れば我が〝無形なる国家インウィーシビリス・シーウィタース〟の敗北は必至だ! 私は売国奴の誹りを免れません。さぁハダリー、毒杯を用意しなさい」
「はん、相も変わらず悲劇めかしたディオニュソスな女め。生憎とこのおどろおどろしい醜男には、貴殿の如く女を百人も侍らす非生産的な手練手管はないものでね。ぜひ御指南頂きたいものだ」
「ほう、貴方がそれ程勉強熱心だったとは。ならばまず、毎食のソーセージヴルストを麦粥と魚に、ビールをワインに変える事をお勧めしますよ」
「ハハ、緩慢な自殺だな。貴殿のこれまでに我が国に為した工作活動で、最も破壊的な教唆だよユリウス。ところで、この面相には言及せんのかね?」
「ええ、その必要はありません。――そこだけが唯一貴方の美観と言えましょうから」

 男と女の皮肉の応酬に、人形めいた少女たちはそれぞれの反応を見せた。ギニョールはやれやれと嘆息し、〝花嫁〟はアホらしいと寝転がる。
 ハダリー、と呼ばれた女は、静かに微笑を浮かべた。

「ご挨拶はそのくらいになさいませんか、お二方。お互い忙しい御見である事ですし」

 厳冬下で茶の一服でも差し出すような口調であった。ザイフリートは肩をすくめて椅子に背を預け、ユリウスは無言になる。
 その様子を柔和に細めた目で眺めた後、ハダリーは〝花嫁〟の方を見た。

「旧友、議事進行をお願いしてもよろしいかしら?」
「っえー、やだよめんどい」
「この手の事は、貴女が適任でしょう? 貴女へのお土産に、美味しいサヴァランを用意しているの。これが終わったら一緒に食べましょう」
「……へいへい」

 気怠げに〝花嫁〟は身を起こし、その場に立った。
 その紫水晶アメジストめいた色彩の瞳が、何もない中空を見定める。忘我の表情で〝花嫁〟は呟いた。

「〝固有権能〟起動……アクセス……ステーション〝スペンサー〟メインフレームに同調……よしよしスペンサーちゃん、オトモダチになろうぜ……ルート権限取得。第一議事堂のコントロール掌握」

 ぶん……と音を立てて、議事堂中央、〝花嫁〟の頭上に映像が投影された。縮小された地球のホログラムだ。
 焦点の戻った瞳でそれを見上げて、〝花嫁〟はやる気のない声音で宣言した。

「えー、じゃあ第……何回だ? 639回? え? 覚えてんのザイフリート? うわキモ。男のマメさって行きすぎるとホント気持ち悪……こほん。では第693回〝カタ・コスモーン機構〟サミットを開催いたしまーす。病欠二名でーす。今回の標語は「ガイアが俺たちにもっと輝けと囁いている。チェレンコフ光で」不詳わたくしめが独断で決めさせて頂きましたー。おらーバカども拍手しろー」

〝花嫁〟以外の四人がテンションの急降下した顔つきでぞんざいに手を打ち鳴らす。

「ではまず中東情勢からー」

 投影された地球儀、その陸地の一部が赤く発光した。

「アラビア半島はいい感じに腐ってんねー。現在西のサーリフ王国で絶賛権力闘争がちんこプロレス中。バカ王子が七人くらい揃って大臣やら親族連中の接待パレードやら闘技祭やらを連日やるモンだから、ガンガン国庫が削れてます。主要産業の紡績もないがしろ。そろそろ国民の餓死率が10%の大台に突入するかにゃー」
「意外と少ないな」
「まーあの辺は戦奴に身売りって最終手段があっからねー。闘技祭の闘士もそうだけど、砂海の傭兵はいくらいても足りないから。ま、片っ端から魔獣に喰われてっからだけど。――アイツらが現代の世界経済の助けになるなんて、なんつーか、塞翁が馬だねー」

 ザイフリートのコメントに、そう〝花嫁〟は返答する。
 ユリウスが発言した。

「あまり腐敗して諸外国の侵攻を受けると、我らの中東での影響力ガバナンスが低下します」
「分かっているさ。予防策は打ってるだろう」
「ん。我らがスパルタクス君ね」

 ザイフリートの応答を受けて、〝花嫁〟が言った。

「アシュラフ・アフライール……あの元戦奴君は着々と英雄街道驀進中だぁね。まーうちらのテコ入れがあるんだから当然だけど。あと十年もすりゃ、サーリフはアイツを頭に据えた傀儡国家にすり替わってるさ。
 元はと言えばサーリフも、300年ぱかし前に全く同じ手管でボクらが作ったんだけどねー。祇園精舎ぎおんしょうじゃの鐘の声が聞こえるねー」
「仕方ないさ。私達の大陸への干渉は、必要最小限に抑えられるべきだからね」

 ギニョールの発言に、ユリウスが同調する。

「その通り。効率だけを求めるなら、自前で養成した工作員だけで支配体制を作れば良い。そうしないのは、現地人の自立性を尊重しこれを助けるのが機構の理念だからです。――〝花嫁〟、人は時と共に理想を忘却レテの河に置き捨てますが、貴女がた応現体インカーネーションは幾星霜の時を経てなお盤石です。ギニョール女史のようにね。貴女がたの手助けがあれば、機構もまた永久の繁栄を享受できるでしょう。諸行無常などと、儚い事を言われませんよう」
「……へいへい」

〝花嫁〟が散漫に返事する。ザイフリートは対岸の女二人に聞こえないよう「言葉の盗人め」とうめいた。

「んじゃ中東は現状維持で。次は北アジア……永久晶原周縁国だ」

 地球のホログラム映像の、赤い光が移動する。北方の広い大地を取り囲むような区域だ。

「西のカザクは良いんだけどねー、東のエンはマズイねー。相変わらずジラント皇国と交流持ってる。亜竜の輸入も進んでるらしいし……未確認だけど、もう〝竜軍〟の編制が大部分できあがってるって話もある」
「連中からすれば、中原の戦乱に対する決め手のつもりなのだろうがな。竜どもの勢力拡大は看過できん。対策の進捗は?」
「第一段階で頓挫中。元・秋津洲国ドラゴンフライ・ランドこと山徒公国は円の南の斎国とドンパチやってんよ。旗色は悪かないけど、ボクらの支援含みと考えるとだらしないね。大陸進出の橋頭堡作りでモタつくとは……ちょっち急ぎすぎたかなー。マジで使えねぇあのインスタント国家」
「あの極東の島国は、君のたっての要望で潰したと記憶しているが? 大陸の敵対国に円を攻めさせる方が手っ取り早かった」
「しゃーねーだろ。こっちにも都合があるの。それに、相穴熊には角より金ってゆーしね。戦局によっちゃあ最強の駒より使える駒ってのがあんのさ」
「……我々は西欧人だ。せめてチェスで例えろ」
「ポーンを敵陣奥に突っ込ませるのも、立派な戦法だろ?」
「その山徒公国が成駒プロモーションする、と?」
「ひひ、さてねー。どーなんでしょ」

 のらりくらりとはぐらかす〝花嫁〟にうんざりと嘆息し、ザイフリートは逸れた話題を矯正する。

「円の国王やら、生きて都合の悪い連中を羅虚虎に暗殺させるのはどうだ?」
「はいはい、出ましたよボクらの便利な鉄砲玉羅虚虎ちゃん。かわいそー。……無理無理。ジラントの連中もその手の手管は警戒してて、円の要人に自前の警護をつけてる。さすがの羅ちゃんもカテゴリーΕイプシロン以上の高位竜種を相手にすんのは無理ゲーでしょー。
 それにザイフリート、仮に暗殺がことごとく成功して円の体制が崩れたとしたら――円に一番近くて、いの一番に手ぇ出せる勢力はどこよ?」
「……そうだな。失言だった」
「そ。竜の影響下の傀儡政権ができちまう。そりゃ最悪だ」

 己が失態に苦い声を上げるザイフリートに、にたりと〝花嫁〟は笑いかける。

「つまり、これまで通り北極戦域軍に血を流してもらうしかありませんね」

 ユリウスが結論付けるように告げた。

「そーそ。アイツら相手には、さすがに真っ当に戦争やらにゃーね。人生地道に、血道を上げるのが一番だわ」
「……つまらんぞ」
「そりゃ残念」

 ザイフリートの呟きに、〝花嫁〟は肩をすくめる――
 このようにして、いくつかの議題が取り上げられ、彼らはいくらかの討論の末に結論を出していった。
 休憩を挟まないまま五時間もそれが続いた頃、「さて、最後の議題だ」と〝花嫁〟は告げた。

「さて、今までスルーして来たけどよ――楽しい楽しい〝機構〟の会議に二人も欠席するなんて、異例の事態だわな」
「君は、結構最近までサボりがちだったけどね……」

 ぼそりと呟くギニョールを無視して、ザイフリートは言った。会食の場で、爆発物をテーブルに置くような心境で。

「〝セイタン〟が覚醒し、〝マモン〟を撃破した。媒介者メディエータールーラッハ・ガルガンティン・マーシアと応現体インカーネーションガラテイアは現在行方不明だ」

 平素は泰然自若といった風のユリウスさえもが指先をかすかに強張らせた。それ程の事態であった。
〝花嫁〟は言う。

「今、連合王国は大騒ぎだね。ルーラッハちゃんはともかく、ガラテイアを失ったのは連中にとっちゃ致命的に痛い。ボクら機傀悪魔は言ってみれば王権の証、玉璽ぎょくじだかんねぇ。明確な主導権の根拠を失って雨後の筍のように湧いてきた有象無象が泥沼のガッチガチバトルを繰り広げる予感」
「隣の御家騒動になど興味はない」

 ザイフリートが一言で切って捨てる。ユリウスが会話の穂を接いだ。

「機傀悪魔の主機ロード・ユニット同士の戦闘など、〝個人帝国ワンマン・エンパイア〟以来ですよ。……まさかその再来だと?」

 怖気を感じたような口調であった。だがザイフリートにも、それを嘲笑う事はできなかった。伝説によれば〝個人帝国〟は一度〝機構〟を崩壊させかけたのだ。

「その結論は尚早だろう。ルーラッハとセイタンの媒介者の個人的な闘争であれば問題は皆無だ」
「ひどいなぁ、総統」
「取り繕いは無意味だ、ギニョール。所詮〝機構〟を構成する三国は互いを最大の敵としている。あの色男が功を焦った理由はなんだ? 我らが連合王国を退勢に陥れたからだ。滅びかけの国の舵取りを任された哀れな若造が下手を打った、ただそれだけの話で収まるなら、私はそこの女相手であっても喜んで祝杯を挙げるぞ」

 ザイフリートは皮肉めかした弁舌を、対岸のユリウスに並べる。彼女もただ苦笑して手を組む程度の反応しか示さない。

「まぁ、その点に関しては議論の余地がありますが……現時点で最も肝要なのは、セイタンとその媒介者の行方です。〝花嫁〟、何か分かっているのですか?」
「いんにゃ。連合王国の捕獲部隊は〝全部〟セイタンがブッ潰したからねー、足取りどころか、応現体、媒介者の情報も掴めにゃいねー」
「……出端から手詰まりですか、困りましたね」
「ま、相手の出方を見るしかないね。ザイフリートの言うように、セイタンがマモンとのタイマンのつもりでやり合ったのか、〝機構〟相手にセンソーふっかけるつもりなのかはそれで分かるっしょ」
「……後手に回るのは好みではない、全く」
「しゃーねーっしょー? いくらボクでも蒸発した艦隊から情報抜くなんて無理だって」
「――しかし」

 発言したのは、会議が始まって五時間余り一言も漏らさなかったハダリーだった。
 彼女は楚々とした仕草で人差し指を口に当て、言った。

「いったい連合王国は、どうやってセイタンを発見したのでしょうね? 彼女の捜索は、新世界の黎明期より、遺失認定される600年前まで続いておりましたわ。連合王国が作戦行動を行った東南アジアも、もちろん念入りに調査されましたのに」

 この時、彼女の細めた目はただ一点だけを見据えていた。

「旧友、貴女は何か御存知かしら?」

 水を向けられた〝花嫁〟は、はん、と軽く笑って応じる。

「なんでもかんでもボクに聞きゃ分かると思われても困るね、ハダリー。特にセイタンは機傀悪魔の中でも最後に作られた一機だからね、開示されてない情報が多すぎるんだよ。探査機器を誤魔化す方法だって持ってて不思議じゃない」
「そうですか――残念ですわ」

 口調の静謐さを維持したまま、そう述べると、ハダリーは再び沈黙した。
 彼女の様子を一拍ほど見守って、〝花嫁〟はホログラム映像を停止させた。

「んじゃ、セイタンの件はしばし静観って事で。あ、なんだこれダジャレ言ったみてぇになっちゃったじゃん。おいバカども、恥ずかしいから何も言わずに帰れよな。はい解散」

 彼女の要請通り、何も言わずに四人は立ち去った。一様に、何か言いたそうな目はしていたが。


    //////


 無人の議事堂で、〝花嫁〟は再び寝転んでいる。
 迎えが来るまで――十日だったか? 〝アバドン〟の媒介者はそう言っていた気がする。
 ザイフリートたちにああ言ったが、彼女は待つのに慣れていた。何十時間? 十日? 彼女が過ごしてきた歳月からすれば一瞬に等しい。

 床に伏せておいた文庫を、軽くはね除ける。
 青い惑星。
 その青い海に、芥子粒のような白い光の群れを見つけて、〝花嫁〟は歌うように囁いた。

「我が待つや鴫はさやらず、いすくはし鯨障る……」

 ああ、でも――待つのには、もう飽いた。

「セイタン。詞木島日雨。わたしはきみたちを、待ち望んでいた」


      //////


 宇宙ステーション・スペンサー内部の通路に軍靴の音が響く。
 病的なくらいに白く清潔な道を汚すように力を込め、〝第四帝国〟総統ザイフリート・ジンプリチウスは歩いていた。

「帰還と同時に仕事にかかるぞ、ギニョール」
「セイタンを探すのかい?」

 傍らのギニョールが問いかけると、卑しげに口元を歪め彼は告げた。

「後手に回るのは好みではない、全く」
「ああ。分かっているさ、友達」
「あの雌狐がセイタンの情報を隠しているのは明らかだ。何の意図かは分からんが、奴を出し抜けば全てを手に入れる事ができるぞ。僕らの一人勝ちだ。楽しくなってきたな、友よ。怖いくらいだ」

 ぱん、ぱん、と革手袋をはめた手を打ち鳴らすザイフリート。
 それに水を差すように、ギニョールは言う。

「ユリウスは君が動く事を察しているよ、ザイフリート。漁夫の利を狙ってる」
「ああ、そうだ。それがあの女のつまらん所だ。反吐が出る。――だがギニョール、祖父が付けた僕の名だ。大阿呆者ジンプリチウスだ。道化者オイレンシュピーゲルだ。脚本家ぶる小賢しさなぞ糞喰らえだ。死ぬまで舞台のど真ん中で踊り続けるぞ、僕は」
「ああ――分かっているさ、友達」

 約束事のようにそう応じると、ギニョールは続けて問いかけた。

「けど、なにか当てはあるのかい? マモンとの戦闘を最後にセイタンは顕現リアライズしていない。霊子観測網に引っかからないんじゃ、探しようが」
「それだ、ギニョール。セイタンの媒介者は、セイタンを使わずに逃走している。我々の存在を理解し、警戒しているのだ。知性と理性を兼ね備えた利け者だぞ」
「それ、探すのがより難しくなったってことじゃないの?」
「いいや。チェス盤を挟んで殴り掛かってくる輩より遥かにやりやすい。奴らは東南アジアから逃走しているという事だな。ならば行く先は一つだ。――僕らはツイてるぞ。〝あそこ〟は君の眷属機〝ウェパル〟の管轄区域だ」
「ああ……あそこか」

 得心がいった、とギニョールは唸る。
 かつんっ、と。ザイフリートは一際甲高く床を踏み鳴らし、髑髏面の奥の口から告げた。

「そう――チャトラだ」



[40176] 2.天蓋都市
Name: 八目又臣◆aa87a973 ID:17b043ce
Date: 2014/08/12 19:51
「茶虎?」

 草原に一本引かれた石畳の道路を、幌付馬車――これを引いている生き物も、先日夜見が言った亜竜の一種らしいので竜車と言うべきか――で行く道すがら、くららは声を上げた。
 と同時に、竜車を引く竜(灰色のごつごつした皮膚を持つ蜥蜴っぽい四足獣で、まっとうに竜っぽいデザインだ)が「にゃうーん」と鳴いた。

「チャトラです」

 客席の一番後ろの三人席にて、夜見を挟んで向かいに座るだきにが、微妙な発音の違いを訂正する。

「バーブル帝……国……北領の都市じゃの……中原七国(※≒中国)とバーブルを隔て……る山脈のふもとに位置する……チャトラとはここの辺りの言葉……で〝天蓋〟という意味じゃ……我らはそこにむか……っておる」

 船から下りて丸一日経っているというのに、未だに平衡感覚のずれを矯正できない夜見がぐらぐら揺れながら解説した。両脇のくららとだきにが挟んで固定しないと、座っていても転びそうな有り様である。

 そんなパンチドランカーのボクサーみたいな状態で、運賃をボッタクリ価格で提示してきた御者に「今月の相場は15ラカじゃろうが。これ以上は絶対に払わんぞ御者」などと脅しつけるのだから、商魂たくましいというかなんというか。
 ――しかし、

「しかし夜見よ、なぜわざわざ大陸の奥深くまで行く必要がある? あのまま船で西海岸まで行けば良かったではないか」

 幌の、丸く盛り上がった部分がくららの疑問を先に述べた。
 くららはこのバーブル帝国という国の貨幣制度を知らないが、日雨が支払った銅銭一枚で乗れる席は幌の上だけらしい。
 船員らとの別れ際、彼らから涙混じりに手渡された魚の干物をぱくつきつつの彼の口調は、どこか名残惜しそうだった。

 兄とは逆に、船旅がすっかりトラウマになってしまった夜見は、大陸の西の端まで船に揺られる様を想像したのか、青い顔でぷぷぷぷぷと小刻みに震えつつ、日雨に反論した。

「そう簡単にいくか、脳天気な兄様よ」

 どうやら、船酔いにこれ以上耐えられない以外に理由があるらしい。彼女は着物の袂を探り、紐で留められた一巻の巻物を取り出した。

「人別信用証書……いわゆる〝ぱすぽおと〟じゃ。無くとも国境の通過は不可能ではないが、公的手続きやら大口の商取引では必ず提示を求められる。他国の間諜の流入ないし麻薬・盗品の密売への対策として作られた制度であるが……両替にもこれが必要じゃ。これを持っておらねば、我らは路銀を確保できん。そして、」

 一拍ぶんの間を置き、夜見は言った。

「これがある以上、我らの旅路は記録されておる。――幽霊国家が大陸中に根を張っておるとすれば、その記録を得る事も不可能ではない。
 モクレントレイでの戦いで、兄様とくららちゃんは〝ルーラッハの乗船していた軍艦〟を討ち漏らしておるからの。あの羅虚虎めも生きておる。我らの情報は、彼奴らを経て既に幽霊国家に渡ってしまったはずじゃ。あのまま船旅を続ければ、早晩追手に出くわしたじゃろう」
「……む」
「そしてそれは、このまま旅を続ければ必ずついて回る足枷よ。――我らはまず、それを外さねばならん」
「できるの? そんな事」

 問いかけるくららに、夜見はぐらぐらしながら、にたり、と人の悪そうな微笑みを浮かべた。

「法を作れば、必ず抜け穴ができるものよ。――チャトラとはまさしく、その抜け穴じゃ」




「インドだ!」

 日も暮れた頃合いに目的地に到着し、街灯の点った町の景観を一目見るなりくららは叫んだ。
 建ち並ぶ建物は木造と石造りが半々ほどだろうか。街路には水牛やら荷運びの竜が平然と寝そべっていて、そのそばを無数の浅黒い肌の人々が行き交う。規模はモクレントレイと同じか、それ以上の、活気のある町である。
 既に何人かの子供に、水や果物をぼったくり価格で売りつけられている。

「インドだ!」

 くららは果物を抱えたまま、背後の日雨たちの方を振り返ってもう一度叫んだ。

「なんなのじゃそのてんしょんは……」

 胡乱げな目つきで、くららを見返す夜見。

「だってインドだよ、インド! うわー、わたし行ってみたかったんだー! え? この町限定の工芸品? うん、買う買う! 買うよー」
「……かつての日本人我らの祖先がどんな感じだったかなんとなく分かるのー」

 またしても物売りにあやしげな人形を買わされているくららに、胡散臭げな目線をくれてやりつつ夜見は呟く。

「――ふふはははは!」

 一方、その身に纏う貧乏のオーラに物売りすら近寄らなかった日雨が、高笑いを上げていた。いつの間にやら街路の牛の背中に登って仁王立ちしている。

「さすがはくららよ! 未知の土地を素直に堪能せんとするその心意気やよし!」

 何事かと周囲の住民が日雨の元に集い、足下の牛が「ずもーぅ」と鳴く中、彼は高らかに語り始める。

「しかし金に物言わせて土産物を買い込むだけではただのお客さん。旅の真髄を味わったとは言えぬ。現地の人々の心に確かな事跡を打ち立ててこそ、その町を制したと言えよう。そう、旅行とはつまり征服である!」

 だきにがぼそりと「一体何を言っているんでしょうねあのバカ王子は」と呟いた。
 日雨は、バーブル帝国の公用語であるテルク語(彼はキャラバン護衛などでこの辺りに滞在した経験があり、現地語も使える)で声高に言い放った。

「遠からんものは音に聞け、近くば寄って目にも見よ! 余の名は詞木島日雨、東は秋津洲国が王族の末席に名を連ねる者である! 故あって流浪の身となり、諸君らの前に推参し――」
「あほかぁああああああああああああああ――っ!!」

 夜見は怒声を張り上げ懐から呪符を抜き出すと、空中に五芒星の配置で並べてそこから戦術式神・戦鬼い号(の腕)を召喚し、日雨をぶん殴った。彼は「ぎゃー!」と悲鳴を上げて吹っ飛び、近くの果物屋の中に埋没する。

「この駄兄! 昼間のわらわの話を聞いておらんかったのか!」
「お嬢様、今の巫術のせいでむしろ貴女の方が大注目ですが」

 隣の従者の指摘に、はっ、と狼狽する夜見。不思議な技で白く輝く巨人の腕を出現させた幼女に人々は群がり始め、果物屋の店主は顔を劇画調にしつつ、巨獣のような吐息を吐いて弁償金をせびりに接近してきていた。長い戦いになりそうだった。

「わ、わ。日雨くん、大丈夫?」
「うむ。慣れておるからの」
「よく今まで生きてこれたなぁ……」

 果物の山に埋まった日雨の手を取り、くららは引き起こそうとする。が、細身に見えて結構筋肉のある彼を持ち上げるには、力が足りなかった。日雨が「よいよい。自分で起きる――」と言いかけた所で、

「大丈夫か? 少年」

 声がかかり、手が差し出された。
 道行く住人とは違う、女の白い腕。それがフード付のコートから伸びていた。フードからは月光のような淡い色彩の金髪がこぼれ、赤い瞳が影の内で輝いている。
 二人がかりで果物の山から助け出された日雨が、「すまんのぅ、御前」と女に礼を言う。

「なに、〝なんとかするジュガード〟さ。まぁ、今度私が困っている時にお前が居合わせていれば、なんとかしてくれ」
「おう、任せておけ」

 などと安請け合いする日雨。

「あ、ありがとうございます」

 くららは大陸共通の商用言語、セール語で言い、頭を下げた。先程の物売りもこの女性も、絹語を使っていたのだ。チャトラは旅行者が多いのだろうか。一見して、観光向きの風土には見えなかったが。

「少女も。ジュガード、ジュガードだよ。――久々に面白い旅行者だな、お前たちは」
「現地の人なんですか?」

 町の住民の外見と比べ明らかに異質な女の容姿を見て、くららは問いかける。
 女はそれを察したが、気を悪くした様子は無かった。気さくに応じてくる。

「生まれがここではないんだ。肌が弱くてね、被り物は許して欲しい。――リグラヴェット・ラケシュだ。リグで良い」
「あ……詩乃目くららです。こっちは詞木島日雨」
「少年の名前は聞いていたよ。とてもそうは見えないが、亡命貴族か」

 とてもそうは見えないが、に重心の偏った女――リグラヴェット女史の発言である。

「なに、余計な詮索はしないよ。ここは〝そういう所〟だからね。お前たちのような連中も、珍しくはない」

 と、リグは渋い笑みを浮かべて言った。見た所二十歳半ばくらいのようであるが、自然と年長者風の態度が滲む女性である。弟か妹でもいるのだろうか。

「さて、〝ナラカ〟に潜る前に腹拵えでもしたいんじゃないか? 美味い店を教えてやるぞ」

 彼女の発言の前半部分の意味はくららも日雨も分からなかったが、後半は理解できた。
 くららは瞳の中に、きらきらと星を散らした。

「カレーですか!」
「かれえ? いや、よく分からんが……」
「日雨くん! カレーだよ! 本場のカレー!」
「お、おう……美味いのか? それは」
「しっ、知らないのカレー!? きみはそれでも日本人か!」
「えぇぇぇ……? なにそのノリ」
「カレーとラーメンは、美味しいものに国境はないという平和的精神の象徴だよ! たとえ明日世界が滅びても、瓦礫の山から這い出て最初にする事がカレーの調理! それが日本人の使命なの! ジャスティスなの!」

 拳を握りしめ、天に突き上げて、神に挑むような気合いを込めてくららは断言した。

「リグさん、その店の場所教えて下さい! さぁ行くよ日雨くん! きみの舌と胃袋に、失われた日本の魂を投入してあげるわ!」

 と、日雨の手首を鷲掴みにして歩き出そうとするくららに、「ああ、待て待て」とリグの声がかかった。
 彼女は再びコートから手を伸ばしている。その手の平はぴったりと、天に月の浮かぶ、真上の方を向いていた。

「シキシマを助け起こしたのは善意だったが、旅行ガイドは有償だ。10ラカ、支払って貰おうか」

 それはまさしく、明朗会計に、ぼったくり価格であった。




 ――さて。
 多くの日本人が誤解している事柄であるが――厳密には、インドには「カレー」という料理は存在しない。
 時代は近代、イギリスによる植民統治時代の事。インドで常食される香辛料を使った煮込み料理全般を、イギリス人は簡略化してカレーと名付け、自国に輸入した。そこから更に英国海軍との交流などの経緯を辿り、日本に流入し人気を博す。
 つまりカレーとは「洋食」なのである。ラーメンと同じく、カレーもまた原型を留めないほどにアレンジされた料理だ。ある意味では平和的象徴というより、文化的侵略とも言える。
 そもそもくららが今いるのは、遥か未来の、文明の再構築された世界だ。秋津洲国は日本ではなく、バーブル帝国はインドではない。
 つまり――




「……嘘だ」

 地面に膝と手をつき、唇を震わせながら、くららはかろうじてその言葉だけを発した。

「嘘だ、嘘だ、嘘だ……」

 繰り返し、言葉を重ねるが、それで目の前の風景が彼女の望むように変わるわけでもなし。
 リグに紹介されたレストランは一部がテラス席になった開放的な作りで、実際人気があるのか現地の客で賑わっていた。ジョッキに入った、液状化したヨーグルトやら果実酒を飲み、皿に盛られた料理をつついている。香辛料をまぶして焼いた、鳥や魚。黄色いジャムのかかったパン……
 彼女の期待している料理を食べている人間は、一人としていない。

「インドから、カレーが消えた……?」

 太陽系から太陽が消えた、と同程度の悲愴さの声色であった。

「なぜ……誰が……何の陰謀で……こんな……ひどい……よくも、よくも……」
「……いい加減その鬱陶しいきゃらを止めんかくららちゃん」
「うぅ~だってだって~」

 腰に手を当てうんざりとした風の夜見に、くららはべそべそと泣き言を述べる。

「あれで良いではないか、美味そうだぞ」
「違う、違うのよ日雨くん……カレーっていうのはね、ただ美味しいだけじゃないの。三軒先から漂う匂いで「あっ、カレーだ」とほんわかした気分になる、特別な食べ物なの」

 さめざめとしつつも力説するくらら。

「ああ……死ぬ前にもう一度食べたかった……みんなにも食べて欲しかった……」
「作れば良いじゃありませんか」
「う゛……いえ、だきにさん、わたしちょっとカレーのレシピは分からなくて」
「おい。日本人の使命はどうした」

 だきにのもっともな提案に言い訳を述べるくららへ、珍しくも日雨のつっこみが入る、と。

「私、知ってますけど」

 さりげも素っ気もなく発せられた言葉に、くららは一瞬呆然とした後、首を痛めそうな程強く振り返った。
 だきには、涼しげな無表情のまま彼女を見下ろし、言った。

「私、カレー作れますよ」




 調理器具と材料はレストランから拝借した(多少のレンタル料と、物珍しさで店主は説得された)。
 いくつかの材料はレシピ通りのものを用意できなかった。バターをラードで代用し、野菜もたまねぎやジャガイモ、人参と形は似ているが異なるもののようだ。

 それらをだきには、ぼんやりとした顔つきのまま手際よく調理していく。鶏をさばいて内臓を取り香辛料を馴染ませ、刻んだ野菜と共にボウル状の鍋で炒めた後、隣の湯を張った寸胴鍋で煮込む。特に難しい香辛料の調合を、適当にやっているのではと疑わしくなるほどあっさりと終えて、鍋に投入し更に煮込む。
 数時間の耐えがたい空腹を経て、ようやく三人の座るテーブルに一品の料理が差し出された。

「……カレーだ」

 しかも、日本で食されるような、炊いた白米の上にカレーソースのかかった、ごく普通のチキンカレーだ。クリーム色の、らっきょうに似た野菜の漬け物の小皿まで添えられている。
 木のスプーンですくって、ぱくりと口に含む。

「カレーだ!」

 美味い、舌がとろける、頬が落ちる、などという通り一遍の讃辞は不要。ただカレーは、カレーというだけで素晴らしいのだ――

「おお、美味いではないか。これがカレーか」

 旅人気質で、異文化に気軽に馴染む性質である日雨の感想は単純で淡白だったが。

「……~っ!」

 子供舌の夜見は、個別に果糖で甘口に味付けされたカレーに、目を爛々と輝かせていた。いそいそと二口、三口続けて食べ始める。

「うーむ、こりゃ美味いねぇ。今度ウチの店でも作ってみるかな」

 調理を弟子に任せ、別のテーブルで試食していた店主が唸る。――後にこの店発のカレーライスが周辺諸国も含めたムーブメントを引き起こす事になるが、それは別の話。

「だきにさん……あなたはカレーの女神様です……」
「あの……止めてください、その微妙な称号」

 鉄面皮のだきにが、見て分かるほど嫌そうにくららの賞賛を辞退した。

「――っていうか、どうしてカレーのレシピが分かるんですか?」

 当然の疑問である。本場のバーブル帝国インドですら失伝した料理の存在を知っているなど、いくら不思議式神だきにでもデタラメ過ぎる。

「それに関しては、わらわも気になっての。モクレントレイでの連合王国との接触で得た情報を元に、仮説を一つ立ててみた」

 一皿食べ尽くした夜見が、ナプキンで口をぬぐいながら言った。
 だきにがどこからともなく車輪付の黒板を取り出し、夜見に白衣を羽織らせ眼鏡を掛けさせる。いつぞやの解説スタイルだ。
 ぶかぶかの袖をめくって、チョークを手に夜見は図式を描く。

「巫術などのいわゆる魔導は、精神世界であるアストラル相を利用した技術じゃ」

 と、人の絵を描き、下に波線を加え、更に下層に丸を描いて内側に「あすとらる」と書く。

「物質世界の影である、霊子によって構成される精神活動の根源……さて、ここで一つ言葉の定義を明確にしておくが、この場合の精神活動とは思考、感情の事ではない」
「じゃあ、なんなの?」
「〝そこにあること〟じゃ」

 自分の胸に手を当て、夜見は言った。

「黒板に図を書き付けること、立っていること、息をしていること、生きていること……意味、情報じゃ。つまり万物に精神は存在する。一種のあにみずむ、八百万の神とも言える。
 本来この〝情報〟なるものを物質世界に表現する方法は、こうして〝言語化〟する事のみであったが、アストラル相の発見により、もう一つの手段が生み出された。それが〝魔術〟よ」

 次いで夜見は、人の絵と「あすとらる」の間に「⇔」を書き入れた。

「物質世界とアストラル相は相互に干渉し合っておる。意味が生じれば物質もまた生じるとも言えるし、物質が存在する事で意味が付随するとも言える。――つまり、意味を構築すれば物理現象を引き起こせるのじゃ。
 原理としては、人間とアストラル相との間の経路を利用してアストラル相へ干渉し、霊子を操作するというものじゃ。物質世界での量子、つまり構成要素の最小単位にあたるのが霊子で、この配列次第で物質世界に何らかの現象が起きる。操作する霊子の種別、操作の方式によって様々なばりえーしょんがあり、例えば秋津洲国の巫術では自身の肉体の霊子を対象にするものを鬼道、それ以外を対象にするものを陰陽道と呼ぶ。式神召喚が後者だと、かつて言うたの」

 と、夜見は黒板の、「あすとらる」から別の矢印を引いて、その先の、人の絵の隣にある何もない空間に、デフォルメされた大鬼のイラストを描いた。

「これも手法によって区別がある。簡単なやり方は、何か素体となる動植物の霊子構造に手を加え、強化するものじゃの。しかしこれは素体の能力によって制限が掛かる。例えば普通の術者が、犬辺りを式神化したとしたら、完全武装の兵士5,6人と互角程度が関の山じゃの。
 わらわが使う戦鬼、そしてだきには〝余剰霊子〟を利用して、一から造り出されたものじゃ」
「余剰霊子?」

 新しい単語だ。おうむ返しに聞くくららに、夜見は答える。

「現世にあるものと繋がっておらぬ霊子じゃ。アストラル相の大部分がこれで出来ておる。――そして、ここからが仮説の本旨なのじゃが、この余剰霊子は〝過去の精神現象〟の蓄積なのではないかとわらわは考えておる。かつての日本である秋津洲国の余剰霊子で作られただきには、それ故に断片的に日本の知識を保有しておる……のではないじゃろうか」

 夜見の解説を他人事のように聞き流し、食後の茶を飲んでいるだきに。どうやら味見と称して三人を待たせ、一人先に食べていたらしい――彼女の奇行にそんな真っ当な理由があったとは。
 どうやら興が乗ってきたらしく、夜見は更に講義を続けるつもりのようだ。黒板にかつかつと無数のイラストと数式を書き連ねていく。

「自然発生する形で生まれる竜種、土地神などの精霊、他にも〝亜人〟などにこの理論が適応されるとすれば、彼ら独自の生態にも説明がつく。すなわち彼らの、」
「夜見、夜見よ」
「む。なんじゃ兄様。これからが山場じゃというのに……」

 とっくに理解を放棄していた日雨は、かんかんとスプーンで皿を叩きつつ不平を言った。

「このチャトラには、何か目的があって来たのではないのか? それを明日に回すにしても、そろそろ宿を取らねば野宿だぞ」
「ぬー……仕方あるまい。だきに」

 夜見は名残惜しげであったが、講義を切り上げて従者に声を掛けた。

「モクレントレイで飛竜便にて紹介者に送った書状の返信は、港で受け取っておきました。〝ナラカ〟の利用は、〝カイラス〟という業者を通して行えるよう手配されているようです。……ちょうど良い頃合いですね。そろそろ先方との約束の時間です」

 報告するだきにに、うむ、と頷き、夜見は白衣と眼鏡を外していつもの格好に戻った。

「では、行くぞ兄様、くららちゃん」
「のぅ夜見よ、そろそろどこに行くのか教えて欲しいのだが」

 二人だけ置いてけぼりにされて話が進んでいくのが不満なのか、日雨が問うてくる。
 夜見は、意地悪げに口の端を引き上げ、答える。

「奈落じゃ」




「……劇場?」

 市の中心に向かっていくらか歩いた所で、目的の場所と告げられた建物を見上げ、くららは呟いた。
 民間の芝居小屋、という規模ではない。石造りの、神殿に似た造作で、入り口には六本腕で剣を持った奇怪な神像が立ち、四人を見下ろしている。外から見る限り、二千人はゆうに収容できそうだ。

 観光の続きという事で、これから観劇に行く――わけではない事は明らかだ。劇場の照明は落ちていた。正面玄関に貼り付けられたプレートに書かれた文字はくららには読めなかったが「本日の公演は終了しました」といった所だろう。扉の前の警備員らしき男が、怪訝そうにこちらを見ている。
 いや――警戒レベルが上がったようだ。六尺棒を手にこちらに接近し、胴間声を張り上げる。

「おいガキ共、何の用だ――」
「クマリ殿の紹介で参上した。詞木島夜見じゃ」

 紹介状らしき一枚の紙を懐から出し、夜見は男に告げる。
 すると一瞬、信じがたいような視線を目前の幼女にやって、男は背筋に針金を通したように直立する。

「は、はッ。これは失礼致しました! お客様!」
「よい。先の無礼をそちの主人に報告などもせぬ」

 夜見は、怯えすら感じられるほど恐懼する警備員を鷹揚な口調でなだめると、紹介状を押しつけた。さすがはお姫様、堂々とした立ち居振る舞いである。

「それより、案内あないせよ」
「はッ」

 恐縮しきった様子の男の先導により、四人は劇場の勝手口から中に入った。
 通路には赤い絨毯が敷かれていたが、静粛な館内では嫌でも音が響いた。
 緊張で背中に汗をかきつつ、くららは隣の夜見に問う。

「ね、ねぇ夜見ちゃん、いい加減はぐらかさないで、目的地を教えて欲しい、かな」
「じゃから、奈落じゃ、奈落」

 面白がる調子。彼女が、怯えるくららを見て楽しんでいるのは明らかだった。
 答えは意外な方から来る。

「地下だの」
「……う、裏切り者!」
「え、なんで?」

 確信を込めて述べた日雨に、くららは恨めしげな目線をやる。

「日雨くんはわたしと同じ、聞き役・驚き役じゃない」
「まぁ、そういう役割分担が発生しているのは否定せんが……舞台の地下部分を別名、奈落というのだ。故郷くににおった頃は、芝居を見る機会があったからの」

 ――彼との初対面の日に聞いた話では、外国人とのハーフで、なおかつ私生児らしい日雨は、その存在を秘匿され、扱いもぞんざいだったらしい。たびたび城下にお忍びで出て、剣術を習ったり市井の遊びを覚えたりしていたそうだ。その経験から来る知識だろう。

「……で? その地下に何があるの?」
「それは分からんが」
「えへへ」
「今日一番のイイ笑顔だのー……」

 無駄な親近感に満ち溢れたくららの微笑みに、ジト目になる日雨。
 夜見がため息をつきつつ、発言する。

「あのな、そなたら。わらわが単なる意地悪で言葉を濁しておると思うてないかや?」
「えっ?」
「違うのか?」
「それ以外に何の理由が?」
「おい貴様ら。幼女に対してもっと慈しみといたわりとか、そんなのは無いのか」

 口々に言うくらら、日雨、そしてだきにに、額に青筋立てて反駁する夜見。

「犯罪に関わる事なのじゃぞ。大っぴらに子細を口にできるわけ無かろうが」
「は、犯罪!? 聞いてないよ!」

 思わず大声を上げてしまうくらら。

「これがこの腹黒ロリの手口なのです、くらら様。情報を制限して思考力を奪い、あれよあれよと獲物を泥沼に引きずり込む……」
「なんじゃ、敵か? この中にはわらわの敵しかおらんのか?」

 聞こえよがしにくららに耳打ちするだきにを、夜見は憎悪を込めて睨み付ける。

「公的な記録から足取りを消すなど、犯罪に決まっておろうが阿呆。とりわけ〝ナラカ〟はバーブル帝国本国にも秘匿されている組織犯罪の温床じゃ。露見すれば国家反逆罪、関わったものは残らず処刑よ」
「ええぇぇぇ……」

 打ち首獄門に処される自分を想像して、くららは身震いする。

「わらわとて、こんなヤバい橋渡りたく無かったわ。しかし、一刻も早く〝幽霊国家〟の目を誤魔化さねば我らの命が危うい。それともそなた、一国を相手に戦争を仕掛ける方が穏便だとでも申すのか?」
「う゛」
「――理解したかや? なら、黙ってくらいむ・うぃず・みーじゃ」
「泥沼だよぅ……」

 さめざめと泣きつつ、くららはまさに泥沼を進むような、重い足取りで歩く。
 楽屋裏を経由して、隠し扉らしきものを通り地下への階段を進む。得体の知れない恐怖に、くららは自然と猫背になっていく。
 やがて、円形のホールのような場所に四人は通された。

 照明は薄く制限されており、半径数メートル程度しか把握できない。足音や声の反響から、そこそこ手広い事は分かる。
 案内人の警備員は、来た階段から引き返してしまった。増殖する不安に、拷問めいたものを覚えつつ数分待たされ――

 ぱっ、と唐突に照明が増光し、ホール中央を照らした。
 暗がりに慣れた目を焼かれ、四人は顔をしかめる。白光の内に何かがいるような気がする――人影?

「――ぱんぱかぱ~ん☆ こんばんみゃ~っ♪ だぴょん?」

 なんか異常に甲高く、まるっこい猫撫で声がした。

「お嬢さまっ、だんなさまっ♪ 今夜はチャトラでいっちば――ん! の坑道案内業者〝カイラス〟をご利用いただきありがとだぴょん♪ サービスまんてん、ウレションする程楽しい亡命の旅をプレゼントっ☆ したげるのら~♪ にぴぴっ?」

 寒気すら覚える奇怪なナニモノかが、ホールの中心で踊っている。日雨などは警戒心を呼び起こされ、腰の刀に手を掛け身構えまでした。
 ようやく四人の目が慣れてくる――

「みゃぱぱっ、かわいらしいお嬢さまとお姉さまなの~♪ あちしは今宵の案内人……いやいや、月のよ・う・せ・い☆ リグたんなのら~♪ あ、後ろにもお客様がいたんだねっ? こちらもかわいらしいおぼっちゃまとお嬢さ、ま……」

 だから、人類に許された限界までイタい口上の途中で凍り付いた彼女の姿を、視界に収める事ができた。
 頭に兎の耳をつけ、白い毛皮のチューブトップとホットパンツ、ブーツを着用した、金髪赤眼の女。

 リグラヴェット・ラケシュである。



[40176] 3.ナラカ
Name: 八目又臣◆aa87a973 ID:17b043ce
Date: 2014/08/13 20:21
 日雨ら四人は一様に判を押したような無表情であった。理解を超えた奇天烈な物体を目にして、知性と感情がその職務を放棄しているのだ。
 太古の昔に存在したバニーガールのコスプレ姿で、これまた太古の昔に存在した売れ残りのアイドルめいた過剰なキャラで喋る、けっこういい歳の女――リグラヴェット・ラケシュ女史は、予期しない知人との遭遇に硬直し、顔面を紅潮させた。

「な、ななな、なんでお前たち、ここにいるんだ」

 舌をもつれさせながら、身を庇うように縮こまる。

「ち、違う。これは、その、仕事なのだ! 会社の方針で……」
「兄様、くららちゃん。知り合いか? アレ」

 アレ、に百の意味がこもったような、夜見の問いかけである。

「あんなのの友人となると、今後貴方がたとの付き合いを考えずにはいられませんね」

 既に一歩日雨たちから下がった位置に立つ、だきにの発言である。

「さっき色々親切(一部有料)にしてくれた人、のようなんだけど……」
「そうだとは思いたくないのー」
「うああああああいたいけな少年少女に存在を否定されようとしているううう……そんなにヒドいかこの格好!? いやヒドいよな! 分かってた!」

 ヤケクソじみたリグの慟哭。

「二十歳過ぎた辺りから、ないなー、やめてくれないかなー、と思ってはいたんだ……でもなんとなく言い出せないままずるずると今日まで……いつの間にか上役からは「気に入ってるんだろそれ? 好きなだけ続けていいよ?」とか言われるし、部下も私が率先してコレやってると思ってるし。
 一昨日給湯室でヤツらが話してるの聞いてしまったんだ……「もうやめたいよねー、この恥ずかしい芸風」「でも隊長が、ほら、乗り気だからさぁ」「あの人もう2○でしょ? トシ考えて欲しいよねー」「行き遅れが過ぎて、変なテンションになっちゃってんのよきっと」「ありそー」「キャハハ」……私が流されやすい性格なのも悪いが、そこまで言わないでもいいじゃないか……あはは、人生どこで間違ったんだろ私……」

 頭を抱え、膝を突き、床を見下ろして自分の人生を省み始める彼女。輝ける十代の日雨とくららが近寄りがたさを覚える、澱んだオーラを発散していた。
 その肩に、だきにが手を置いた。

「え? あ? あなたは……」

 人の暖かい手に触れ、軽く目を潤ませるリグに、だきには告げる。

「月の妖精リグたん様。我が主が、顧客権限でさっきのキャラを続けるようにと仰せです」
「悪魔かお主」

 隣の夜見を、半眼で見る日雨。彼女の顔は、「にぱぁっ」と表情だけは子供っぽく輝いていた。

「チップを支払いますが」
「みゅっぷっぷ~☆ お月さまからやって来たようせいっ☆ リグたんだよ~」

 だきにの差し出した銀貨を見るなり、ばね仕掛けの人形の如く即座に立ち上がり、横向きのピースサインを目の位置にかざして舌を出すリグ。

「プライド無いのか、お主……?」
「――少年。大人とは皆、それを切り売りする事で日々を生きているのだ」

 巌の如く語る女の背中は、カッコいいかはともかくとして、力強くはあった。

「さ、案内人であろう。仕事をするがよい、リグたん」
「らっじゃーだぴょ~ん☆ ご主人さまっ☆ でわでわっ、夢の国に四名さまごあんな~い☆」

 夜見の命令に、リグは条件反射レベルの切り替えの早さで猫なで声を上げると、くるくる回りつつホールの出口を指差し、先導を開始する。
 扉を開けた先には、剥き出しの鉄骨で補強された階段が続いていた。吊されたランタンが照らす中、五人は階段を下っていく。リグ、日雨、くらら、そして運動神経の切れてる夜見の背後でフォローできるよう、だきにがしんがりにつく、という順番だ。

 リグの露出の高い衣装。そのホットパンツより伸びた揺れる尻尾から目を逸らし、日雨は問うた。

「まだ地下に下りるのか。一体、どこまで続いておるのだ?」
「みゃぱぱっ☆ それはねおぼっちゃま、」
「……いや、余とくらら相手には素でいいから。金を出しておるのは妹だしの」
「……む。そうか」

 青い顔をしてリグのキャラ作りを拒絶すると、彼女は咳払いして声を再び低くした。

「……しかし、相当な御大尽だったんだなお前たち。手前味噌でなんだが、〝カイラス〟は〝ナラカ〟の案内業者では最大手だぞ? かなりの金とコネを持ってないと依頼出来ないはずだ」

 だから、この営業モードを見られる心配はないと油断していた、という事なのか。なんて不幸な事故だ、お互いにとって。

「御大尽なのは余の妹だ」
「ふむ。………………………………複雑な兄妹なんだな。まぁ、分かるよ」

 日雨と夜見の関係を推察していたのか、長い沈黙を挟んだ後にリグは言った。言葉の重心に気になる偏りがある。やはり、弟か妹でもいるのだろうか。

「ところで、さっきの質問の答えを聞いておらんのだが」
「ん? ああ、すまんすまん」

 リグは謝罪すると、バニースタイルのまま意味深な笑みを浮かべてこう答えた。

「どこまでも、さ」




 階段の出口が、道行きの果てではなかった。
 そこには更に、巨大な坑道が続いていた。

「う、わぁ……」

 坑道の外壁に設けられた出入口から顔を出し、くららが感嘆とした声を上げた。その音は、深く暗い横穴に反響して震えた響きとして聞こえてくる。
 幅、高さ共に十数メートルはあるだろう。そして奥行きは左右のどちら側も、入り口に設置されたランタン程度の光源では全く伺えない。

「これは……地上の劇場よりも広いのではないか?」
「あそこは入り口に過ぎないからね。この巨大地下坑道〝ナラカ〟に繋ぐ為に作られた施設さ」

 驚嘆する日雨に、リグは悪戯の成功したような微笑みを送る。

「さ、こちらだ。ついてきなさい」

 右側を指差し、彼女は歩き始めた。
 しかし、入り口の他には照明が無かった。足下がおぼつかないでは、ついてくるも何も無い。日雨はリグに問い糾そうとする、と――

【警戒メッセージ:アストラル相からのハッキングを検知しました。ファイアウォール展開、霊体を保護します】

 日雨のみに見える幻覚が、視界の端に緑色に発光する文字を並べた。十日ほど前、母親の仇に殺されかけた時から見え始めたものだ。

「……?」

 相も変わらず、未知の語彙の混じる文字列に目を通していると、

「日雨くん? リグさん、行っちゃうよ?」

 背後からくららが声を掛けてくる。

「いや、こう暗いでは進みようが……」
「何言ってるの? 〝こんなに明るいじゃない〟」

 指呼の間より先は真っ暗闇のトンネルを迷う事なく指差し、彼女は言う。

「――案内人、無警告で術に填めるなど、不作法ではないかや?」

 唐突に夜見が、恫喝めいた口調で闇の中にいるリグに告げた。

「……え? あ、申し訳ない」

 どうやら何事かに動揺しているらしく、素の口調で応じるリグ。

「その、害意は無いと弁明させてくれ」
「照明代わり、という事じゃろう? よい、自前で用意する」

 背景の読めないやり取りの後、夜見は懐から呪符を取り出し、空中に撒いた。
 ぼう――と音を立て、白く発光する、小さな手足の生えた球体じみた生物に呪符は変化した。鬼火、という式神だ。
 生み出された鬼火は坑道を先行し、五人の足下を照らす。

「私の幻法マーヤーに抵抗したのもさることながら……どうやら〝ダルマに通じている〟らしいな、御客人」
「ささいな手妻じゃ。これでよいじゃろう、もう行くぞ」

 感嘆したらしきリグの讃辞を、大した事のないようにあしらう夜見。リグは頷いて、日雨たちの先導を再開する。
 その道すがら、くららが問いかけた。

「マーヤー?」
「いわゆる幻術じゃ。アストラル相から他者の霊子に干渉し、任意の幻覚を見せる……生きた人間は霊的干渉には元から抵抗力を持っておるから、どの国でも主流の魔術とはならんかったがの。くららちゃん、そなたが明るく感じておったのは、こやつの幻術の作用よ」

 と、夜見は解説した。リグがそれを引き継いで補足する。

「今の術は、幻覚というより私の感覚を共有してもらったんだがね。ナラカは広すぎて灯りを導入できないから、物の位置を音で探知できる〝私達〟以外の人間では危ないんだ」
「……? ええと、」

 不可解な物言いに、くららが怪訝そうにする。

「幻法に特化した魔術、音を捉える為の四つ耳……ふむ、そなたが噂に聞く兎人……探索者アンヴィスか」

 顎に手を当て、リグの兎耳を見ながら夜見が言う。
 顔面に無数の疑問符を貼り付けたような顔のくららには、リグが説明した。

「この地に土着する〝亜人〟だよ、シノノメ。地上うえでお前たちに会った時、フードを被っていたのはこの耳を隠したかったんだ。亜人はどこでも、嫌われ者だからね」
「いえ、あの……まずその、亜人っていうのから説明して欲しいんですけど」
「後でわらわがしてやる。……すまぬな、案内人。この娘は世情に恐ろしく疎いのじゃ」

 疑問を解消できなかったくららに短く告げ、リグに謝罪する夜見。――この、他人に頭を下げると雪が降ると噂の(腹いせに巫術で降雪を呼んだだけなのだが)王女が、初対面の人間に謝るのだから余程の事だ。

 実際、亜人に対する問題は秋津洲国でもデリケートなものだった。天狗が百年ほど前を境に山陰から消えた理由を聞けば、大人はたいてい嫌な顔をする。

「いいさ、御客人。私達はこうして、どうにか人と折り合いを付けて生きていけている。亜人の中でもマシな方だよ」

 と、豪放磊落とした微笑みを浮かべるリグ。――たとえ兎の耳が本物であったとしても、その下の問答無用で破廉恥な衣装の言い訳にはならないのだが。
 長い階段を下っていた時から行軍の順序は変わらないので、日雨が一番彼女に近い位置にいる。歩くたびに尻が揺れるので、そわそわと落ち着かない。

 目のやり場に困って、右隣を見ると――くららが追いついてきていた。何か物言いたげな目線を日雨に送っている。

「むー」
「な、なんだ? くららよ」

 不可思議な圧力を覚えて、日雨は若干声をうわずらせて聞いた。
 彼女は答えず、こちらとリグを見比べて、腕を組んでぬぬーと唸り出した。そして、何か天変地異の前触れめいた沈黙を挟んで、発言する。

「リグさん。その衣装、わたしも着たいんですけど」
「はぁ?」

 唐突かつ奇天烈な要求に、リグは素っ頓狂な声を上げた。後方ではだきにと夜見が「なんか、斜め上の結論に至ったようですよあの人」「捨身というべきか阿呆というべきか……」と訳知り顔で囁き合っている。

「え? まさか、気に入ったのか? これを?」
「い、いえ……決してそんな罰ゲームレベルの恥ずかしい格好をよもや好き好んでしたいわけでは決してないのですが……」

 両手を組んでもじもじとしつつ告げられた奇譚のない本音に、リグは打ちのめされる。

「セクシーコーデでカレを悩・殺? この春トレンドの甘萌えラブリーバニーコス……という頭の悪いキャッチコピーで、現在希少な脳細胞の大部分を占有しているのです、このアホJKは」
「そこまで言いますか!?」

 会話に割り込んできただきにの暴言に、くららもまたノックアウトされる。死屍累々の態である。

「む、むぅ。異国の言葉はよく分からん……しかし、悪いがシノノメ、私達の種族は小柄な者が多くて……お前に合うサイズの制服は無いぞ」

 割と早くショックから立ち直った(言われ慣れているのだろう、たぶん)リグが言う。

「え? ……わたし、そんな大きいですか?」
「お、大きい、な……少なくとも私は、お前より大きい女を見た事が無い」

 不安げになって問うくららに、リグは顔を赤らめて応じた。

「今日まで妹を羨んで生きてきたが……上には上がいると思い知ったよ。なんだか、世界がひらけた感じだ」

 どうやら一人の人間の人生観を変えてしまったらしい。
 そして、会話の行間を読めないくららが慌てて背後のだきにを指差す。

「ま、待って下さいよ。ほ、ほら! だきにさんの方が大きいじゃないですか」
「いえいえ、貴女には敵いませんよチョモランマ様……ああ、いえ、くらら様」

 どこからともなく用意した白旗を振りながら、彼女は言う。
 うぐ、と息を詰まらせ、青い顔で隣の日雨を見るくらら。なぜか中腰になっている。

「ね、ねぇ日雨くん……大きい女の子って、き、嫌い? かな」
「面映ゆい事を言わすな馬鹿者……嫌いではない。むしろ好きだ」
「そ、そう? よかったぁ……」

 妙に甘ったるい空気に気まずくなり、目線を坑道の壁に逃れさせながら言う日雨に、くららは胸をなで下ろす。

「――楽しそうで良いのぉ……そなたら」

 声が冷気となって周囲の大気を凍り付かせる。そんな調子で夜見が割って入ってきた。

「おや? 気づかなかったという様子じゃの? 小さいわらわが目に入らなかったんじゃろうなぁ。仕方ないのぉ。小さいからのぉ、一寸法師でぬりかべと二重の意味で小さいからのぉ。眼中に入らんでも全く、一寸とて不思議ではないのぉ、一寸法師だけに……くふ、ふふふふふ……」

 ここ数年日雨の見た記憶がない、最大限に不機嫌な状態だ。近い内に災害が降り注ぐ――たいがい、日雨の身に。
 妹は以後「巨乳はもぐ」「長身は削る」とか不穏当極まりない独り言をぶつぶつ呟き始めた。歩く炸裂弾を身近にして、日雨は恐怖に打ち震える。
 更に歩く事数十分――未だに同じ坑道の風景が続いていた。

「……あうぅ~」

 夜も更け、眠気と疲れからへばり始めたくららが唸りだす。幼女の夜見は平気で歩いている――ように見えて、大きめの三葉虫に似た自走式神を呼び、その上に乗るというズルをしていた。

 日雨は徒歩だが、かつてキャラバン護衛の仕事中に輸送用竜車が脱輪し、三日三晩歩きつめた経験もある。さすがにこの程度では音を上げない。
 何より――一つの違和感に、疲労を訴える思考を奪われていた。
 余裕を持って歩いている日雨とだきに、何よりここに慣れているらしきリグは気づいているはずだ。

(斜面になっていないか? この道……)

 非常になだらかではあるが、確かに斜度がある。まだ下るというのか?
 それに、これまた微かではあるが、横にもカーブがついている。同じ左の方向に、延々と。

 つまり――何か大きなものを囲むように、螺旋状に設置された道を彼らは歩いているのだ。地下資源の採掘場としてはいかにも非合理的な構造である。
 一体ナラカとは何なのか。初めて切実な疑問が浮かび上がってきた。

「あとどれくらい歩けばいいんですか? リグさん」
「タージー行きの支道手前に竜車を用意する手筈だ。もう少しで着くから我慢してくれ」

 物思いに没頭している間に、会話が始まっていた。ついに不平を漏らしたくららに、リグはなだめすかすように弁明する。
 くららは「そうですか……」と軽く聞き流すだけだったが、その内容には驚愕に値する情報が含まれていた。

「タージー……隣の国ではないか。おい、まさかこの坑道、国境をまたぐ程続いておるのか!」

 問い糾す日雨に、リグはきょとんとした。何で今更そんな事を言うのか、という顔つきだった。彼女は、この一行で事情に通じているのはただ一人だけなのを知らないのだ。

「タージーだけではない。アルシャク、パキ、クゥルク、カザク……ジラントにも出入口があると噂されておる」

 そのただ一人が回答した。夜見は噂の真偽やいかに、とリグに目線を送るが、彼女は愛想笑いではぐらかす。

「竜国とも繋がる道だと? そんな危ないもの、どうして放置しておるのだ」

 自然と、問い詰めるような口調になる。先代竜皇イヴァン七世の御代にジラントの仕掛けた戦争は、大陸全土を震撼させたと聞く。以後二百年経つが、未だ人間と竜の関係は微妙なままだ。ジラント国民どころか、竜族自体の入国を拒む国も少なからずある。

「バーブル北領が中央政府と険悪なのは知っておるじゃろう、兄様。特にここ数代の領主はその傾向が強く、反乱を目論んでおるという話もある。――彼奴らにとっては、ナラカは金づるでもあり、他にも色々と利用価値のある、多少のりすくは問題にならないほど魅力的な場所なのじゃ」

 夜見はそう言うと、地上を見透かすように天井を見上げ、「ま、聞き耳の心配もあるまい」と前置きして語り出した。

「〝ナラカ〟とは、リグラヴェットらアンヴィス族の祖先である〝シャンバラの民〟が掘り進めた、巨大地下坑道の名よ」
「シャンバラ?」

 日雨の疑問符に、当のリグが答えた。

「私達に伝わる古い伝承だよ。かつて、ダルマ――世界の摂理だ。神のようなものと思ってくれていい――の御業で地底深くに沈んだ広大な理想郷。私達はかつて、そこに住んでいた民だったと伝えられている……まぁ、下らん御伽噺だよ」

 言葉と一緒に苦いものを舌に乗せたように、彼女は顔を強張らせる。
 夜見が解説を引き継いだ。

「伝承の実態はさておくとして、彼らは故郷シャンバラを目指して地下を掘り進んだ。何代にも渡り、長い時をかけて」
「長い時って、どれくらい?」
「およそ五千年と言われておる」
「五……っ!?」

 軽い気持ちでした質問の答えに、くららは戦慄する。

「それもまた白髪三千丈というやつだな。祖先の残した記録から推察して、二千年程度と見られている」

 リグの指摘――だが、それにしたって十分に遠大な話だ。日雨の故国・秋津洲国の歴史は一千六百年で、これでも周辺国と比べれば最長老である。それよりも長い間、ただひたすら穴を掘り続けていたなどと、当の本人がいなければ与太話と笑い飛ばしていた所だ。

「硬質の岩盤を避け、数多の迂回を続けてナラカは拡張されていった。……やがて支道のいくつかが周辺諸国に通じるようになる。その時既に、チャトラはバーブル帝国北領として編入されておった。地上の人間達は、この支道に目を付けおったのよ。アンヴィスらを案内人として雇い、夜逃げを目論む富豪や貴族の密出国を手助けする。人別信用証書などの公文書の偽造も行っておる。
 それがここ数十年続いておる、ナラカの逃亡支援事業じゃ」

 訳知り顔で語る夜見。世俗に通じる耳年増な幼女の解説に、周囲がなるほどと唸る、のがこれまでのお約束であったのだが。
 リグが一瞬、皮肉めかした薄ら笑いを浮かべるのを、日雨は見ていた。

「おお~、なるほど」

 そして、やはりくららは脳天気な顔でお約束を踏襲していた。
 疑問がようやく解消されたからか、彼女の足取りも軽くなる。五人はその後も軽く雑談などを踏まえつつ、坑道を進んでいく――




 夜見の招いた鬼火は、足下を照らす為に低い位置を浮遊していた。
 坑道の天井は、闇の範疇だ。
 彼らの今通り過ぎた天井には、所々潰れた、かろうじて読み取れる程度のかすれた文字で「A****HA Outer Layer Cloister:Section East-8」と書かれている――




「着いたぞ」

 また更に数十分歩いたところで、ようやくリグが待ちかねた言葉を発した。
 確かに、一本道で続いていた坑道の右側に分岐路が見える。その入り口で待機するのは、四頭の地竜で引く、キャラバンなどで使うような大きめの竜車だ。食糧や日用品なども積んでいるのだろう。

「う~、やっと休める~」

 へばりかけていたくららが、汗で額に貼り付いた前髪を払いつつ顔をほころばせる。

「次は私の部下の先導でタージーを目指す。ここでお別れだな」

 別れの挨拶めかして薄く微笑むリグ。客向けの愛想笑いか、実際名残惜しんでくれているのかは判別が付かない――あるいは、判別が付かない程度には感情移入してくれていたのかも知れない。

「世話になった。機会があれば、また」
「はは、出戻って来るつもりか? 大陸中のお尋ね者にでもなるつもりか、シキシマは」

 からかうような口調のリグに、もう似たような立場だ、と日雨は胸中で言葉を呑む。

「いや……今度は、日のある時に酒でも奢ろうかと思っての」
「ああ――それは、いいな。そうであったら……うん」

 不可解な、含みのある返答だった。

「だが、やはりこのような裏稼業とは関わらん方が良い。シキシマ、シノノメ、御客人たち。新天地での君達の安住を祈ろう。よければ君達も、遠き穴蔵の私の幸福を祈ってくれ」
「ああ」
「はい、ありがとうございます」
「まぁ、よかろう。おい、巫女の祈祷は本来高くつくのじゃぞ?」
「その小っ恥ずかしいコスプレ姿でいくらカッコいい台詞を言っても、格好はつきませんが」

 日雨、くらら、夜見が口々に礼を言い、そしてやはりだきにが台無しにした。
 残り四人は何とも言えない微妙な愛想笑いを交わし、「じゃ、じゃあ解散で……」と盛り上がりに欠ける号令で、待機する竜車へとぼとぼと歩いて行った。

 荷物を積み、竜の手綱の具合を見ているリグの部下――彼らも兎様の耳を生やす、アンヴィスの男女だ。こちらはフード付のマントの下に革鎧を着込んでいる、キャラバン護衛などでは一般的なスタイルだった。
 つまり、同業のようなものか――用心棒気質の抜けきらない日雨が共感を抱いたところで、脳裏に疑問が浮かぶ。

 ――タージー行きの支道手前に竜車を用意する手筈だ。もう少しで着くから我慢してくれ。
 先程は発言の一部をクローズアップして驚いていたが、他にも不審点がいくつかある。
 用意する、手筈――それが未確定であるかのように、彼女は言っていた。

 そもそもなぜ、坑道に入った時点で竜車に乗せない? これまで通った道は広く、悪路という訳でもない。効率を考えればそれが一番良いやり方ではないか。
 リグの部下は、なぜ武装している――

「しかし、シノノメよ」

 考えの纏まらずにいる最中、リグとくららの雑談が聞こえてくる。

「お前とシキシマが、そういう関係だったとはな」
「え、えぇ? あれっ? わっ、分かります?」

 水を向けるリグに、くららは顔を真っ赤にして身振り手振りしていた。

「あれだけ露骨ならな。……うむ、いいなぁ、甘酸っぱいなぁ」
「か、からかわないで下さいよぅ……えへへ」

 その会話に、日雨は没入していた思考を中断させられた。

「? そういう関係とは、」

 言いかけようとして【警告メッセージ:アストラル相からのハッキングを検知しました。霊体表層にマルウェア・プログラム侵入――法式・幻影タイプ・ミラージュ。霊子抗体を投入、排除します】視界に文字が浮かんだ。

 瞬間、炭酸の抜けるような音を立てて――坑道の外壁に貼り付くように立つ、数十人の武装した人間が現れた。まるで、最初からそこにいたかのように。

「……! プル、気づかれた! 術者がいる!」

 その内の一人が声を上げた。

「チッ――護衛付の貴族かよ!」

 竜車のそばにいたリグの部下――その内の女の方が舌打ちして、こちらに突進してきた。
 この一瞬で、姿形が変わっていた。小柄な体つきの少女、月光の色彩じみた金髪、そして背に吊った巨大な鉄槌――

 そこでようやく、夜見ら残りの四人が幻術に気づいた。リグが疾走する少女を見定め、悲鳴じみた声を上げる。

「プルールギータ!?」
「カッ、なんだよそのクソ卦体ケッタイなカッコはよ!? 豚座長の趣味かぁリグラヴェットォッ!!」

 嘲笑混じりに毒づいて、プルールギータと呼ばれた少女は走る速度を上げた。背の鉄槌に気を取られていたが――右手に煌めく、凶刃の輝き。
 ぎんっ! と――振り下ろされた山刀風の小剣を、二人の間に割って入った日雨が太刀で受け止める。
 間近に、凶暴な光を放つ赤い瞳がある。

「邪魔すんじゃねぇよ! 金持ちの狗畜生!」

 粗雑な語彙の罵声。その勘違いを訂正してやる義理も暇も無い。
 鍔迫り合いの均衡を保ちつつ、背後に呼びかける。

「だきにさん! 頼めるか!」

 わざわざ言われずとも、彼女は主を守るだろうが、日雨はそこにくららとリグを含めるよう要求したのだ。くららは元より、リグも戦闘の心得があるかも知れないがいかんせん丸腰だ。
 返答は無かったが、確認する余裕がない。左右から一人ずつ、増援が来ている。山刀で武装した少年二人。日雨より年下かも知れない。

「ち――」

 舌打ちして、太刀を押し出し目の前の少女を弾き飛ばす。靴で床をこすりながら後退した彼女と入れ替わるようにして前に出た、少年二人と切り結ぶ。技は荒いが、身体能力が高い。亜人の戦士によくいる手合いだ。

 左の敵手の大振りの上段に膝を合わせ、腹筋にめり込ませる。げう、と吐瀉物を撒き散らして悶絶する少年。それを飛び越えるようにして掛かってくる右の敵手の顎を、刀の柄で跳ね上げた。
 そうして二人を始末した時には、新たな手勢が三人接近してきていた。

(多勢に無勢……このままでは押し切られる!)
「シキシマ!」

 焦燥感に炙られ出した頃合いでリグが背後の敵を奇襲し、肘を延髄に叩き込んだ。気絶して地面に伏せる前にその手から山刀を奪って、プルールギータに突きつける。

「私の部下はどうした! プルールギータ!」
「ハッ、てめぇと違って仲間の扱いは心得てんだよ――信頼ねぇなぁリグラヴェット、妹を売るようなゲスに相応だがな」

 皮肉げな物言いに、リグが喉を詰まらせたようなうめき声を上げる。どうやら部下に内通者がいて、この襲撃を手引きしたらしい。
 裏切りの衝撃も覚めやらぬまま、リグは少女に向けて怒声を張り上げた。

「こんな事を続けて何になる! 人間を敵に回せば、私達は滅びるだけだ――」
「生きてりゃ満足か! たっぷり日を浴びたクソどもに媚びへつらって引き延ばす命に何の意味がある!」

 プルールギータは憎々しげにリグを罵ると、続けて訴えかけるように声を上げた。

「あたしは、シャンバラに行くんだ! そうすればみんな、太陽の下に出られる!」
「根拠のない御伽噺だ! そんなものありはしない……」
「ならてめぇは一生豚のケツを舐めてやがれ!」

 どこか悠長な罵声のやり取り――それは唐突に、彼女らの間に放り込まれた人間の身体に遮られた。
 襲撃者の一人であろう若い男。折れた足を抱えて悲鳴を上げている。

「――狼藉者共」

 氷点下に冷え込んだ声が、坑道の一箇所から吹き込んでくる。
 巨大な、白く輝く人形二つ――戦闘用式神、戦鬼い号、ろ号を従え、妹が冷厳と腕を組んで立っていた。その足下にくららが退避し、屈みこんでいる。

 彼女は端的に、誰にでも分かるように、自分の意志を表明した。

く、諾々だくだくと、縛につけ。さもなくばここでわらわが処断する」

 一片の情も含まない言葉だった。それに合わせて、普段は余計な音を発しない戦鬼が、壁を殴りつけ盛大な破砕音を立て敵勢を威嚇した。

「クソ……貴族自身も術者かよ」

 頬にじっとりとした汗をかき、プルールギータがうめく。

「プル! 撤退だ! 相手が悪い!」

 その背に、遠くからの男の声が掛けられた。馬車のそばでリグの部下を偽装していたもう一人、長身で痩せぎすの、少壮の男だ。
 彼は坑道の壁に待機していた後詰めの仲間に指示を飛ばす。

「銃士部隊、子供を狙え!」

 肩のストラップに下げていた銃を、彼らは夜見に向ける――見た事のない形であった。銃身が短く、後方に飛び出したストックの下に奇妙な箱が取り付けられている。
 銃口から発せられた火線が、鬼火のあってなお薄暗い坑道を照らす。

 ――飛び込んできただきにが、薙刀の石突を床に叩き付け、砕き散らした石片で銃弾を防御した。
 なおも射撃は続き、戦鬼もまた夜見とくららを囲んで防御に徹する。その場に縫い止められた形だ。

「よし! そのまま引き付けろ! 他の皆は撤収! ヌーラティア、ラクラシュナを頼めるか!」

 男の指示で、大柄な女が足の折れた男を担いで走り出す。日雨とリグの倒した三人も、仲間に助け起こされてふらつきながら逃げ始める。

「待てよカクラナンナ! このまま押し切れる! お前の〝シュチ・シャシヤ〟も使えば――」
「戦局を読めプル! 弾薬も限りがある。仲間を失っては割に合わない!」

 食ってかかるプル――それが略称らしい――に、カクラナンナと呼ばれた男は同じ程度の声量で反論した。
 プルは、ぎ、と歯噛みして山刀を強く握りしめ、そして腰の鞘に仕舞う。

「だがよ――」

 ぱちん、と彼女の背中で軽い音がした。
 背負った巨大な鉄槌が、留め具を外され落ち――プルの手の中に収まる。

「手ぶらで帰れるかよ!」

 重量級の得物を軽々と扱い、高く跳躍して――彼女は日雨とリグに飛び掛かってきた。
 日雨もまた、大地を蹴って空に踊る。

 この展開は、あり得る事であった。だから日雨は戦局が小康状態の間に準備を終えていた。
 特殊な呼吸により自身の霊子を昂ぶらせ、身体能力を底上げする――巫術の一流儀、鬼道の基礎にして最も有効な技だ。

 更に太刀にも霊子を通して強化し、破砕兵器への備えも取っている。
 両者、共に武器を振り上げ、激突させた。
 ハンマーの打面から火花が上がり、ぎしぎしと鉄と筋肉の軋む音がする。
 いくら筋力の高い亜人であろうと、霊的に強化された膂力には敵わない。

(押し込む……!)

 背筋に力を込め、日雨は前方に体重を預ける。

「……へっ」

 その最中、プルの不敵な笑いと、

《JET HAMMER IGNITION》

 鉄槌そのものから発せられた、奇怪な言葉を聞いた。
 直後――鉄槌の背面から、猛烈な噴射炎が生じた。

「な……ッ!」
「潰れちまえよ! 狗っころ!」

 噴流の勢いで加速した打撃は、あっさりと日雨の力を上回った。受け止める太刀ごと押し切られ、地面に叩き付けられる。

「がはァっ!」

 呼吸の止まる程の衝撃を背面に受け、日雨は苦悶の声を上げた。そこで筋力、霊力ともに切れて鉄槌の進撃へ抗う術を失う。
 間近にあってなお、急速に突き進んで視界を覆い尽くそうとする鉄の蓋。

(死……ぬ)

 ――鉄槌が叩き付けられ、坑道の床が大きく罅割れる。

「……え?」

 しかし、戸惑いの声を上げるのは鉄槌の持ち主であった。
 彼女だけが、目の前の少年の変化を目の当たりにしている。

 鳶色の髪の毛は青白く変色し、腰元まで伸びる。瞳は血に濡れたように赤く染まり、爪は鋭く伸長した。両腕には血管、あるいは回路図のような文様が浮かび上がっている。

 そして、床の罅割れ――それは日雨の足から生じていた。足裏だけを地面と接して、彼は突進する鉄槌を留めている。
 いや――押し返している。

「な、なんだ一体、てめぇは……!?」
「さてな、余もよく知らぬ!」

 怯えを含んだ問いかけに応じて、日雨は鉄槌を弾き飛ばした。
 視界の端で、幻覚の文字が【〝Mediater Unit 02〟の生命危機を検知、防衛用ナノマシン〝Cat's Cradle Ver8.1〟緊急起動】などと意味不明の言葉を浮かび上がらせている。

 どこぞの誰かは、これを〝悪魔憑きデモナイズド〟と呼んでいた。
 好機を逃さず、先程とは比べ物にならない速度で日雨は跳躍する。吹き飛ばされたプルが着地する前に接近し、その喉首を握り込んだ。
 既に噴射炎の収まったハンマーが、彼女の手から離れて床に落ち、甲高い音を立てる。

「ぐっ……」
「そこの男、貴様が首魁か!」

 右手は太刀を取り、カクラナンナに突きつける。定寸二尺三寸の番衆太刀は過剰に注ぎ込まれた霊子によって変形し、二メートルを優に超える大剣となっていた。

「仲間の武装を解け。そうすれば、我らの仲間にも攻撃を中止するように言う」
「ラナ、聞くんじゃねぇ。嘘に決まってんだろ……」

 気道を押さえていない為、プルの声はよく通ってカクラナンナに届いた。

「信じてもらいたい。我らにはお主らと何の遺恨もないのだ。無用の争いは避けたい」
「僕ら亜人と人間は、有史以来から犬猿の仲なんだがね……」

 などと言いつつ、カクラナンナは両手を挙げて進み出てきた。

「そういう大雑把な括りは好かぬ」
「善い人なんだね。……なら、彼女は丁重に扱って貰いたいな。君は勘違いしているようだが、彼女が僕たち〝サヴィトリ〟のリーダーだ」

 思わず、手の内の少女を見返した。日雨と同い年くらいだろう。こんな子供が、武装集団を纏めている?

「……お主らの氏素性は問わん」

 疑問を後回しに、日雨は告げる。

「早く指示を出せ。そろそろ余の妹が現況の打開策を考えつく頃合いだ。あやつは事を穏便に済ますなどという平和的発想を一欠片も持たんのだぞ――」

 そう言いかけた所で、
 背に、何かを押しつけられた感触。
 同時に、全身を衝撃が貫いた。

「ガ……ぎっ!?」

 筋肉の活動を阻害され、プルの捕縛どころか立っている事すら出来なくなる。日雨は墜落するようにその場に倒れ、床に頬を押しつける。

「ぐ……ゥっ!」

 もつれる舌を口内に押し込め、腕を床に押しつけて、強引に身を起こそうとする。
 その耳元に、聞き覚えのない声が囁かれた。

「カーン」

 その、ただ一言を耳にした途端、視界が暗くなった。
 殴りつけて脳髄を揺する、そんな物理的な方法ではなくもっと異質な手段だ。思考そのものを玄翁げんのうで打ちのめされたような、そんな言いしれぬ不快感がある。
 砂の城が風にさらわれるように、日雨の意識が薄れていく――

「……悪い、助かったシュニヤタ」
「い、いいよ。それより、正面から戦えなくてごめん……」
「お前はモヤシなんだから、それでいいんだよ。下手に走って転びでもされたら足手まといだもんなぁ」
「ひ、酷いなぁ……」
「君の幻法はサヴィトリで一番だ。むしろ欠かせない存在で、引け目を感じる必要はないよ。……こちらの彼だって、君でなきゃ倒せなかった」
「そ、そう言ってくれると助かります、カクラナンナ……でも、大丈夫かな。〝痺れ花マンジュサカ〟を食っても立ち上がろうとしてたから、煩悩破壊まで掛けちゃったけど……下手をすれば一ヶ月は目覚めないよ?」
「いーんだよ、こんな金持ちの狗。落とし前は付けたんだ。その辺にすっ転がしていこうぜ」
「いや……連れて行こう。どうやら彼も貴族らしい」
「はぁ!? このビンボ臭いガキが!?」
「まぁ、それは否定しないが……話しぶりからすると、ただの護衛じゃない。人質に使えそうだ。――いいね? リグラヴェット」
「……好きにしろ、ラナ。この面子相手では私に勝ち目はない。彼女らが救援に駆けつけるまで抵抗するのも、割に合わん」
「……けッ、相変わらずだなリグ。てめぇにとって仲間なんざ、我が身を守る盾だもんなぁ? ……いずれ、てめぇにも落とし前を付けさせてやる」

 そこで会話は終了したようで、誰かがぐったりした日雨の身体を抱え上げた。

(……く、そ)

 最後の毒づきも中途半端に、日雨は己が意識を手放した。



[40176] 4.少女奴隷
Name: 八目又臣◆aa87a973 ID:17b043ce
Date: 2014/08/14 19:21
「と、いうわけで」

 今、くららが眺めている部屋の床のように平かな口調で、だきにが発言した。

「女三人に男一人のハーレム状態。仮にも主人公ならここらで一発囚われのヒロインを助け出し、フラグの一つでも立てようかという頃合いですが……まさか自ら進んで略取されるとは。コペルニクス的転回の如く奇抜な展開ですね。え? 笑い所ですか? ここ」
「笑・え・る・かぁっ! この駄狐!」

 憤激した夜見がだきにの足を蹴りつけて、そして自分だけバランスを崩してその場にすっ転んだ。のあーっ、と悲鳴を上げてくららの方に転がってくる。
 謎の武装集団に襲撃を受けた後、彼女らは元来た道を引き返し、劇場の地下にやって来ていた。通された部屋は、密出国を控えた富豪を収容する客室なのか、多少手狭だが、観葉植物や調度品を適宜配置しており決して殺風景ではない。

 かといって、気分が休まるわけでもない。ベッドも人数分あり、多少は時間の余裕もあったがくららと夜見は眠れず、ソファに座ったまま居心地悪げにしていた。

 ちなみにだきには寝た。
「私、就寝は全裸派なので」とか言って二人の前で裸になり、思う存分ベッドでくつろぐ彼女の傍若無人ぶりに、彼女らは余計神経を逆撫でされ、まんじりともしないまま一夜明かしたのだが、それはさておき。

「ど、どどどどうしようくららちゃあん! あ、あにさまがっ、あにさまがさらわれてしもうたあああ……」

 動揺のあまり幼児退行する(元より幼女だが)夜見をなだめながら、くららは天井を見上げる。
 雇用主に連絡を取る、と言いリグが退出して数時間。もう外では日が昇っているだろう。

 ナラカの奥に連れ去られた日雨を救出するには、彼女の属する〝カイラス〟なる組織の援助が不可欠だ。くららたちを襲撃した兎人・アンヴィスの武装集団の目的も、正体もこちらには分からない。事情に通じている彼らの協力を、何としても取り付けなければならない。

 そう――さすがにくららも、もう気づいていた。彼らにとってあの武装集団の存在は既知であり、襲撃の可能性も予見していたのだ。その上で秘匿していた。
 信用はできない。しかし、頼るしかない。

「落ち着いて、夜見ちゃん。……夜見ちゃんしか、ここと交渉できる人がいないの」

 そしてその折衝も、夜見に頼りっぱなしだ。
 思い返せば、昨夜の襲撃でもくららは逃げ惑い、夜見の足下に隠れていただけだ。

(……情けないなぁ)

〝セイタン〟を使えない今、くららは全く役立たずで場違いな、普通の女子高生だった。日雨の窮地に、何一つできる事が無い。だきにがくつろいでいるのだって、荒事担当の彼女は疲労を回復する必要を感じているからに違いないのだ。

「ところで、お腹が空きましたね。先程朝食を頼んでおいたのですが」
「いつの間に……」
「お風呂に入るついでに、その辺を歩いていた方に少し」

 タオルを濡れ髪に巻いたバスローブ姿で、緩めた襟ぐりから湯気と色気を立ち上らせるだきにがぬけぬけと言った――理由があってくつろいでいるのだ、うん、きっと。

 ――その時ちょうど良くドアから発せられたノックは、やはりと言うべきか、リグではなくその朝食の給仕であった。この妖怪侍従は空気を読まないのを通り越して、空気を支配しているのではないかとすら思えてくる。

「あ、あの……」

 白い生地のみのクレープと、蒸しパン、それと調味料らしきペースト――旅同好会(旅行雑誌を見て妄想するだけの不毛なサークル)に所属していた時に見た事がある。確かドーサ、イドゥリ、チャツネという名前だ――を載せたワゴンを押して、一人の少女が入室してくる。

 リグや昨夜の武装集団と同じ、兎の耳と薄い金髪、赤い眼を持つ、小柄な少女だ。歳の頃は十三、四といった所か。白のワンピースを着て、茶系色のタペストリーのような柄のショールを肩に掛けている。足取りもどこか不確かで、病弱なのかも知れない。

「朝食を、お持ちしました……」
「ありがとうございます、代金はこちらの方に請求願います」

 と、ためらい無く夜見を指差しワゴンを受け取るだきに。
 少女の方はためらいがちに、かつうつむき加減に、加えておずおずと言う。

「いえ……厨房の人はご主人様の食事にかかってて……これはわたしが勝手に作ったものですので、お代は要りません」

 通りすがりの人はやたら親切だった。

「ふむ、それはご苦労をお掛けしたようで。よろしければ召し上がっていかれますか?」

 さっさとテーブルに料理を並べつつ、だきには少女を誘う。

「え、えと……いいんですか? お客様……」
「遠慮なさらず。女三人寄れば姦しいと申しますが、昨今の風潮では、四人寄ると日常系というくくりでむしろ好意的に受け入れられますので。女偏四つ重ねて「ほほえましい」と読む漢字がそろそろ誕生してもおかしくありません」
「おかしい! おかしいですよ!」

 だきにの発言にくららはつっこみを入れた。いや、実際、もしかしたら二十一世紀のどこかで文科省が折れて本当にそうなっていたかも知れないけれど、そんな来歴の単語が漢和辞典に載った過去(だか未来だか)は知りたくない。

「いや、まぁ、私も「いやらしい」と読む方が正しいと思いますが。ほほえましく思うには、ちょっと生臭い商売っ気に溢れておりますし」
「そういう意味で言ったんじゃないんですけど……」
「百合っ気という意味で?」
「違います」

 握った手から百合の花を出すという小憎らしい(というか憎らしい)手品を披露するだきにに、くららは冷たく告げる。

「外の人は色んな言葉を知っているんですね……すごいなぁ」

 意味を知る者にとってはただのアホな会話に、感心したように目を輝かせる少女。

「じゃあお言葉に甘えて、頂きますね」

 彼女はテーブルについて、だきにの取り分けた朝食を食べ始める。だきにがそれに続いて、クレープにペーストを付けて囓る。
 少女を食事に招待した形になってしまったので、失礼のないようくららと夜見も同席した。それに正直な所、さっきから空腹は覚えていたのだ。

「どちらからいらしたんですか?」という少女の問いに、くららが「日本……いや、秋津洲国。東の方だよ」と答える。
「あ……海、っていう大きい湖の向こうですね。本で読みました。そんな遠くから……」

 奇妙な語り口で、少女は感嘆した。

「旅をするのって、やっぱり大変なんですよね」
「はん。大変も何も、波瀾万丈じゃ。昨夜もプルールギータなるがさつな女に兄が襲われ、さらわれた所よ」

 八つ当たりも良い所だが、苛立たしげに夜見が皮肉を言う、と。

「……え?」

 少女の顔から血の気が引いた。クレープを握る指先が震えている。

「す、すいません……すいません」

 唐突に、身を竦めて謝罪を繰り返す彼女。
 不審げにする三人に、俯きながら彼女は言った。

「わ、わたしの名前は、」
「――御客人、入るぞ」

 ノックを二回した後で、再び扉が開け放たれた。
 リグラヴェット・ラケシュが入室する。衣装は着替えて、藍色のチュニックと生成りのパンツ、額に黄色のバンダナを巻いた姿に変わっていた。
 彼女の登場と同時に、夜見が食事の味が落ちたように顔をしかめる。見て分かる程の敵意を彼女は発していた。

 くららもまた、複雑な目線を送らずにはいられなかった。会った当初の和やかさは羽虫の遺骸のように成り果て、しかし消えずに両者の間にわだかまって、ぎくしゃくした関係性を強調する。なんとも嫌な空気だった。
 彼女は表面上飄々と三人の顔を見下ろし、そしてもう一人の少女を見つけると声を上げた。

「カフカレイア、何をしている」

 咎めるような語調だった。少女の肩が、怯えたように震える。

「ごめんなさい……お客様に、お話を聞いていたの」
「お前の仕事はラフィー座長の側仕えだ。彼はもう起床している。遊ぶ暇があるなら勤めを果たせ、カフカ」
「はい……」

 悄然とした顔つきでカフカと呼ばれた少女は立ち、彼女の立つドアへと歩いて行く。

「おのれは職務を放棄した分際で、口幅ったい台詞を抜かすものよのぉリグラヴェット。唇寒いとは思わんのかや?」

 少女への居丈高な口調も勘に障ったのか、石つぶてのような硬い言葉を投げかける夜見。
 対するリグの返答は、小石を払い落とすような無味乾燥としたものだ。

「あの場で降伏した事を責めているのであれば、筋違いだ御客人。一人であの敵勢に反抗する事に意味など無かった。――そもそも、その状況を作り出したのはシキシマだ。彼が突出し過ぎた為に、孤立してしまったのだから。警護されるべき人間に出しゃばられては、私も守りようがない」
「こっ……」

 寝不足で充血した夜見の眼球に、更に赤が追加される。丸腰のリグを庇う為に、日雨は前に立ったのだ。式神を呼ぶ――まで激してはいなかったにしても、朝食が手づかみで食べられるものでなかったら、食器の一つも投げている所だろう。

 ぱく、と。
 修羅場めいた空気の中で平然とクレープを囓っていたのは、当然ながらだきにだった。彼女はゆっくりと生地を飲み下すと、リグに横目をやって聞いた。

「警護の必要な危険があるとは、執拗に隠していらっしゃいましたね。それも、部下は全て哨戒に出払い、自分一人で羞恥プレイに甘んじねばならない程窮すべき危機です」
「……」

 リグの、呼吸に苦しさを覚えたような沈黙の原因は、三割程度は羞恥プレイ云々を指摘された事だろうが――残りは、図星を指された動揺だった。

「見た所単なる愚連隊らしき集団に、そこまで手こずっているのは……あの奇妙な武装ですね?」

 そうだ。
 アンヴィスの武装集団が保有していた兵器は、中世レベルの文明である現在の世界には不釣り合いな銃火器類だった。くららは詳しく知らないが、銃撃に使われたのはブルパップ方式のアサルトライフル――この世界での主流の銃器は、先込め式のマスケットだ。軽く数百年は時代が違ってしまっている。

「彼らは〝ナラカ〟の秘事に関わる者たちであると推察されますが……貴女がたはその存在を顧客――ひいては、後援者であるバーブル北領領主にすら隠しているのではありませんか?」
「……何を、根拠に」
「我々がナラカを利用するにあたって、仲介をお願いしたのはクマリ・フェルマティ様――領主殿の第一夫人です」

 頬を引きつらせて反駁しようとしたリグに、逃げ道を塞ぐようなだきにの言葉。

「事の露見は、貴女がたにとって微笑ましくない未来に繋がるのではないかと愚考致しますが。そして、我が主は他人様の笑顔を蛇蝎のように忌み嫌う、人類社会にとっていかにも破壊的な腐り切った人格を誇る幼女なので、機嫌を損ねない事をお勧めします」

 リグに向けていた敵意をそのまま自分の従者に向ける夜見であったが、それはさておきリグはその背を閉めた戸に預けていた。あからさまに、追い詰められた格好であった。

「姉さん……あの」

 カフカがそう言った。

「お前には関係のない話だ。早く行け……!」

 リグは声を荒らげて彼女に指図し、そこで自分が戸を塞いでいる事に気付いて、気まずげに身を離す。

「姉さん、って」

 カフカの退室した後、戸を閉めてリグは言った。

「あれはカフカレイア・ラケシュ。私の、妹だ」




「〝カイラス〟の元締、ラフィー・ハルラールに御座います。そちらとは別に、この劇団の座長も務めております。表の顔という奴でして」

 形だけを真似た高級料理のような口上を聞きながら、くららは声の方を見ずに部屋の端にある調度品の金壷を眺めていた。日の当たらない地下室で、目に痛い毒々しい輝きを放つそれが妙に気になる。

 つまるところ、ラフィー・ハルラール氏はこの金壷と似たような男であった。カールさせた長髪も、膨らんだ身体を締め付けるローブも、本来薄い目をどうにか苦辛して見開いている仕草も、手元でうまく掴めずにいる葉巻も、その身にそぐわぬちぐはぐした印象を受ける。劇団に居所を求めるとすれば、風変わりなピエロが一番似合う、そんな風体だった。

 黒檀のテーブルを間に挟んで、革張りのソファに座るラフィー氏に向けて、対岸に座る夜見が言った。

「詞木島夜見じゃ。南海亜大陸で商いをしておる者よ」
「していた、というのが正しいでしょう。聞き及んでおりますよ。貴女の拠点であったアンコール王国の港湾都市モクレントレイは……津波にあって壊滅したのだそうで」

 ラフィーの物言いは慇懃な口調ながら、どこか鬼の首を獲ったような響きがある。夜見の隣に座るくららは、滑稽さを覚えたのを顔に出さないよう努力しなくてはならなかった――津波云々とは事実ではない。あの都市は、彼の想像もつかない凶事に巻き込まれたのだ。

「じゃから、窮状にあると思うたかラフィー殿。……南海亜大陸、と言うた。支社は未だ営業中よ」

 牽制のような夜見の返しに、ラフィーはたるんだ顎を震わせて笑う。

「妙な誤解を与えてしまったようですな。これは失敬、失敬」

 誤魔化しの為か、なぁ? と背後の、壁を背にして控えるリグへと振り向き声を掛ける。彼女は、はぁ、と曖昧に返して沈黙する。
 一瞬、つまらなそうに嘆息するとラフィーはこちらに向き直った。

「どうやら、昨夜は災難を被ったそうで……」
「まるで他人事じゃの。――そちらが情報を隠匿した為に、こちらは賊に襲われ兄がさらわれた……落とし前を付けて頂こうか」
「は、は。商人の方はそろばん勘定に忙しなく、ゆとりと寛容の心を知らない……第一、こちらがかの愚連隊の存在をお知らせしなかったのは、お客様に安心して頂くためです。不幸にも今回は彼らに出し抜かれましたが……我々も二名、隊員を失っている。〝彼らは哨戒中に囚われ、移送ルートを白状させられた〟……拷問されたのでしょう、野蛮な土兎どもに」

 同情を引くようなラフィーの語り口――その背後で、リグが何故か一瞬だけ、ぴくり、と身を震わせた。

「じゃから、手心を加えろと?」

 はん、と夜見が嘲笑し、くららの浮かびかけた疑問を形になる前に霧散させた。彼女は背筋を行儀良く伸ばしてなお、眼前の大人の男より低い身丈でありながら、どこまでも尊大な上から目線で告げる。

「そちらの行為は明らかな契約の不履行である。このままアーグラの赤い城ラール・キラーまで駆け込んで訴えかけても良いのじゃぞ? クマリのお袋様よ、ここの者共にいじめられた、なんとかしてくれ、と」
「はは、は。子供じみた事を仰る……」
「子供じゃからの。まぁ、本来ならば領主夫人は子供のわがままに耳を貸す程暇でもあるまいが。――しかし、ここで見聞きした事を織り交ぜてはどうかや? 御方も、そして御亭主も、さぞや興味を持つのじゃろうのぉ……」

 蛇の絡むような脅迫に、息苦しさを覚えたようにラフィーの呼吸が荒くなる。

「じゃが、」

 相手を存分に虐めて溜飲を下げたのか、あるいは交渉術の一種か、夜見は口調をかすかに和らげる。

「安心せよ。そちらの出方次第ではわらわも連れも全てを忘れる。そも、大げさな事をさせようと言うのでもない。――かの狼藉者の居所と、そこまでの案内だけじゃ。後は自前でなんとかする」

 というより、それ以上の干渉は好ましくない、というのが事前の打ち合わせで出した夜見の意見だった。他人の思惑が絡んで救出作戦が上手くいかないでは身も蓋も無い。
 並べられた取引材料に、ラフィーが取った行動は――相談だった。

『******……』

 そして、その言語はくららたちの馴染みのある絹語ではなかった。リグを呼びつけ、こちらを明らかに蚊帳の外に置いて彼らはやり取りを交わしている。
 ――後日通訳してもらった所によると、彼らの会話は以下の通りであった。

『おい、なんとかならんのか!』

 ラフィーの詰問に、リグは耳打ちする。

『……略取されたのはシキシマヨミの兄です。彼の返還無しには納得しないでしょう』
『だから、それをどうにかしろと言っているんだ』
『……彼女たちの要求を呑んでも構わないかと思われますが。シキシマヨミの術力は帝国法術院の高僧並、あるいはそれ以上と見受けられます。こちらの助力次第で、救出成功の見込みは十分にある』
『馬鹿かお前は! 相手は〝ナラカの遺産〟で武装したサヴィトリの連中だぞ? ミイラ取りがミイラになって、余計状況がややこしくなるだけだ!』
『ならば、サヴィトリの要求を呑みますか?』
『……連中は何を求めてくる』
『まずは金です。御存知の通り、ナラカの縄張りだけでは食糧、水、その他物資の調達に限界がありますので』
『……チャトラの警吏局には、連中の手配書を回しているはずだぞ』
『サヴィトリの構成員は増え続けています。末端の者が地上に出て兵站活動を行うのを予防するのは難しいでしょう』
『ち……忌々しい。だが、金で済むなら問題ないな。どうせ出すのはこのメスガキだ』
『いえ、身代金だけが条件とは思えません。――サヴィトリのリーダーは、プルールギータですよ?』

 彼女が告げたその言葉で、ラフィーの目が見開かれ、頬に汗が伝った。その首は、まるでたった今強盗に脅かされているかのように部屋の一点を向く。
 くららたちからやや離れた場所にカフカレイア・ラケシュが立ち、薄く微笑んでいた。

 くららも夜見も、最初からそこにいた彼女に対して、意図的に意識を向けていなかった。
 カフカはその装いを改め――天女の羽衣めいた、透けて素肌の見える上衣のみの姿になっていた。

 裸同然で衆目に晒されながら、彼女は終始微笑んだままで、言葉一つ口にしなかった。身じろぎすら、生物としての最低限の反応のみで我慢している。
 人形である事を強制されていた。調度品と同じ扱いであった。

 その無惨を、くららは無視する事でささやかな配慮を示していた。
 ラフィーは、彼女が己の所有物である事を示すように、そちらへと無遠慮な目線を向けている。

『――駄目だ。……駄目だ駄目だ、駄目だ。絶対に渡さん。カフカレイアは私のモノだ。私の、永久の天女……』

 熱に浮かされたように語るラフィーを、リグが一瞥する。
 その、全く好意的とは言えない目線が浮かんだのは一瞬だけだった。すぐに平板な、感情を伝えない表情に戻ると彼女は言う。

『ならば、どうしますか。要求を呑まないのであれば……彼女らへの対処が必要です』
『そうだ。最初からそれを考えろと言っていたのだ、間抜けな女め。妹に似ず美しくもない貴様を飼ってやっているのは、何の為だと思っている?』

 どうやらリグを詰っているらしきラフィーは、次いで見開かれた眼球をひらめかせる。

『ナラカの奥深くに置き去るのはどうだ? 二度と上がってこれんぞ』
『少々不確実かと……シキシマヨミは勘の鋭い人物と見受けられます。気づかれれば更に関係が悪化してしまうでしょう』
『ならば、どうする?』
『まずは、』
『――まずは、チャトラの警吏局を通じて諸外国に我らが手配されておるか確かめてみるのはどうじゃ?』

 第三者が、彼らの会話に割って入った。
 ぎょっとするラフィーとリグをにたりと見返して、夜見はくららに理解できない言語で語る。

『要は、国におれん程の事をやらかして逃亡した者共じゃ。官憲に処理させれば後腐れないのぉ。ケツ持ちの領主夫人も、国際問題になりかねんとあらば尻込みするであろうよ』
『な、なぜ……』
『北のボド方言か。どうやら田舎者だったようじゃの、座長殿。そうとは思うておったのだ。――でなくば、その猪の着飾ったような滑稽さに理屈がつかん』

 体温を上げて脂汗を流すラフィーに、氷柱じみた目線を夜見は突き刺した。
 不穏な気配を感じ取ったリグが、前に出ようとして――

 この部屋にはもう一人、最初からそこにいて無視されていた人物がいる。こちらは彼女自身の意図でもって、気配を薄くしていたのだ。

 だきには誰よりも早く動いた。部屋の金壷に手を触れ薙刀に変化させると、ラフィーの座るソファを半ばから切断する。ラフィー、リグ共に、紙一枚の距離だけ己が身と離れて通過した斬撃に凍り付いた。
 ずるり、と傾いだソファからラフィーは倒れ込む。
 その頭を、夜見は踏みにじった。

「ちょ、よ、夜見ちゃん!?」
『汚らわしい豚。一度だけ貴様に触れてやる』

 制止するくららを無視して、足下の肉の深い部分まで下駄を埋め込み、彼女は冷酷に告げる。

『貴様と私がただ一つ共有している事実を教えてやろう。それは、〝時間が無い〟という事だ。豚の舌遣いじみた貴様の言葉にかかずらっている間に、兄に傷一つついたならば――貴様の皮算用を、全て御破算にしてやる。その肥えた腹を養う為に蓄えた財を全てむしり取り、そこの貴様が大事に大事にしている妾も奪い取った後で、生きたままなかまの餌にしてやる。いいか? 私は必ずそれを実行する』

 意味は分からずとも、意図を強制的に知らしめる力を持つ宣言だった。ラフィーは怯えた目で、己を踏みしだく幼女を見上げている。

『交渉の形を取ったのは、私の温情に過ぎなかった。貴様がそれに値しないと分かった今、ここにあるのは単純な力関係だけだ。私が上、貴様が下だ。豚の知能でも分かるだろう?』

 押さえつけられた頭をどうにか動かして、ラフィーは頷いた。
 それを見るなり、興味の失せたように彼から視線を外して夜見はリグの方を見た。

「と、いうわけじゃ。わらわの意に従えリグラヴェット。すぐにまた、ナラカに潜るぞ」
「……了解した。だからこちらの方に、鉾を下ろすよう言ってくれ」

 喉元にだきにの薙刀を突きつけられた状態で、リグは応じた。
 下駄をラフィーの顔から放し、犬の糞を踏んだかのように顔をしかめてカーペットで下駄底を拭くと、夜見はカフカの方に声を掛けた。

はよう去ね、見苦しい」

 それを耳にして、カフカがもの問いたげな目線をリグに送ると、彼女は短く「言う通りにしろ」と答えた。姉の命令でようやく、妹は表情を人間らしい怯え顔にすり替えて部屋を出て行く。ラフィーが顔を上げて抗議しようとしたが、夜見の足のみならずだきにの矛先までもが彼に向いたので、あえなく黙殺された。

 カフカが自室に戻るのに十分な時間を空けて、くららたちも退出した。
 小さい肩を無理やりいからせて歩く夜見の背に、くららは声を掛ける。

「ありがとね」
「……何がじゃ」
「カフカちゃんを助けてくれた事」

 きょとん、とした顔でくららを見返した後、夜見はため息をついて、苛立たしげに自分の黒髪をかき混ぜた。

「相も変わらずお人好しじゃのそなたは。あれは言葉通りの意味じゃ。己の美意識にそぐわぬものを、これ以上見たくなかっただけの事よ」
「あはは、ツンデレ台詞だ」
「けったいな言葉でわらわを評価するな!」

 頭を撫でようとするくららの手をぺちぺちと払い、夜見は怒鳴りつける。
 ひとしきり、そうして邪険にされた後――くららは足を止めた。
 後方の、付かず離れずの位置を歩いていたリグもまた、距離を開いたまま停止する。

 目尻の周りの肉に、余計な力が入っていると自覚しつつくららは背後に向けて声を投げつけた。

「見損ないました、リグさん」
「……驚きだな、まだ見損なうだけの余地があったとは」
「はぐらかさないで下さい! なんで、あんな……妹を売るような真似……!」

 男の妾として扱われているあどけない少女を見て、くららは率直に憤っている。
 露骨に怒気に溢れた目線にさらされながら、リグの反応は素っ気なかった。

「家族の問題だ。口出ししないでもらおうか」
「あれが家族のする事ですか!」

 掴み掛かろうと、くららは振り返りかけ、
 袖を掴む、小さな腕の力を感じた。

「よせ、くららちゃん」

 夜見が、制止の言葉を吐く。

「亜人は、人間社会では概して弱者として扱われる生物じゃ。人里で人間と共存する事を選んだ種は、只人より過酷な生活を強いられる。……珍しくも無い話じゃ。こやつとて好きこのんでしておるわけではないじゃろう」

 理屈を並べられても、感情が納得しなかった。一歩、リグに近寄ろうと踏み出す。
 夜見の手の力が強まり、セーラー服の袖に皺が寄った。

「そこの女が責められるのであれば、わらわは五体を百に刻まれてもおかしゅうない。――思い出してもみよ。わらわはそなたを一度女郎宿に売った」
「……それは、結果的に助かったわけだし」
「だからと言って責任は消えぬ。……それに、そなたが初めてではない。商いの道で蹴落とした者にも、年若い娘はいた。困窮した、健康な女が取り得る道など分かりきっているのに手心は加えなんだ」

 道理を諭すのではない、説得でもない。懇願に近い響きだった。
 齢十の詞木島夜見が、亡命してから二年で確固たる地位と財を築き上げるのに費やしたものは、隔絶した知能だけではないのだろう。
 それ程の無理と非道を重ねた――いずれ故国に帰り王になると言う兄を支える為に。

 もしかしたらこの幼女は、自分に富豪になる資質が無かったら自ら身体を売っていたのかも知れない。
 ただひたすら兄の為だけに、自分の手を汚す事を全く躊躇しない。日雨への普段の冷酷な態度と裏腹に――異常と言える程に、彼を慕っている。

「……」

 それでも彼女は、こんなに小さな手をした女の子なのだ。兄への思慕一つで他人を踏みにじる事に、何も感じていない訳ではない。
 自分より遥かにささいな罪で責められるリグを見て、たまらなくなってしまったのか。

「……ごめんね、夜見ちゃん」

 くららは、袖に腕を取られて遮るもののない夜見の頭を、空いた左手で撫でる。

「わたしは、全然、気にしてないからね」
「……極楽蜻蛉め」

 きゅう、と袖を握りしめて、顔を俯かせる夜見。

「……背中がかゆいですね」

 半眼のだきにが、その間に割って入った。

「皆さま、いみじくも先程お嬢様が仰った通り、時間がありません」
「……しかし、だきによ」

 冷や水を浴びせられたような顔で、くららから離れた夜見が言った。

「あの時はああ言うたが、どうも兄様は人質としての価値を見出されておるようじゃ。要求が突っぱねられるまで命の危険はないと思ってよいじゃろう」
「それはそうなのですが」

 そう前置きして、だきには短く告げた。

「ただ、あまり放置すると、無数の男に菊座を蹂躙されてしまう恐れが」
「……え゛?」

 予想外の角度の懸念に、問い返すくららの声が濁る。

「くらら様もそろそろお気づきでしょう。あのショタ顔&細マッチョ王子は――モテるのです。雄に。異様なくらいに」
「う、こ、心当たりが……」
「敷居を跨げば七人のゲイ達者に尻穴を狙われております。今まで純潔を保っていたのが不自然なくらいです」
「うあああああああ~、ものすごく心配になってきたぁああ~……!」

 耳元で洗脳するようにささやくだきにに、頭を抱えて青ざめるくらら。

「行こう、夜見ちゃん! ぽっと出の男なんかに日雨くんは渡せないよ!」

 拳を固く握りしめ宣言すると、どかどかくららは歩き始める。案内人のリグが置いてけぼりなのに気づかない程うろたえていた。

(日雨くんは、わたしの……は、はははは初めての……か、彼……なんだから! 男に取られるなんて……悪夢すぎるよ! 断固阻止だよ! 無事でいてね、日雨くん!)



[40176] 5.囚われの王子様
Name: 八目又臣◆aa87a973 ID:17b043ce
Date: 2014/08/15 20:01
 覚醒しかけの薄い意識でまず感じたのは、身体の痛みだった――無理な姿勢で硬い地面に寝転がされていたのだろう。
 次いで、水音がした。

(……み、ず)

 その音に餓えたように、乾いた喉が鳴る。
 三つ目の外界の情報は、視覚だった。蛍火のような薄い緑色の光が、半開きの瞼から差し込んでくる――

「……おいコラ、話が違うじゃねぇかシュニヤタてめぇ。一月どころか一晩で起きやがったぞコイツ」
「ひぃ……凄まないでよプル。……多分、すごく優れた術者なんだよ。精神制御に長けてる人なら、煩悩破壊ローカ・クレーシャを受けても自我を復旧できるから……にしては詰めが甘くてちぐはぐな感じだけど」
「確かにそうだな。プルの〝マハーカーラ〟を破った時の変化……あれを最初からやられていたら危なかった。――何度も言うようだが、プル。あの時の君の行動はリーダーとしてはあまりに軽率だ。なぁ、耳にタコという顔をしないでちゃんと聞いて欲しい」
「……ぐ、く」
「なんで僕の顔を掴むの!?」
「なぁシュニヤタ、女っぽくねぇ特技だから今まで黙ってたけどよ……あたし、クルミを五つまでなら重ねて握りつぶせるんだ」
「知ってるよ! こないだ目撃して大いに恐怖したよ! なんで今そんな事言うの!?」

 薄くぼやけた人影が三つ、ぎゃあぎゃあと喧しかった。
 不快感に刺激されて、完全に目が覚めた。
 テントの中にいるらしく、布の壁が周囲を覆い、その内に三人の男女がいる。手足を縛られ、手は背中に回されていた。そして当然ながら、腰の刀は取り上げられている。
 それだけ確かめた後、日雨は見えない箇所に注意を向けた。

「……うむ、尻穴は痛くない」
「え? 起き抜けの第一声に何言ってんのおまえ」
「いや……妹の側仕えに、安全の定かでない状況で目覚めたらまずそれを確認しろと言われておって。どういう意味なのかは余も分からんが」

 こちらを見下ろして気味悪げに言う兎耳の少女に、日雨もすっきりしない顔で応じる。

「確かお主……プルプルキター」
「ブッ殺すぞてめぇー! プ・ル・ー・ル・ギ・ー・タ・だ!」

 名前の間違いを訂正する少女――プルールギータ。愛称はプルだったか。
 見下ろされている、といってもそれ程高低差は感じなかった。後ろ手に拘束されて仰向けに寝る日雨に対し、プルは尻と地面がさして離れていない奇抜な座り方でその間近にしゃがんでいる(彼の与り知らぬ事だが、それは古式ゆかしいヤンキー・スタイル。つまりうんこ座りである)。

 色の薄い金髪は、いかにも不良娘な態度に似合わない細やかな作りの髪飾りで、ポニーテールにまとめられている。その内側の肌は種族的な特徴からかあるいは地下暮らしのせいか、雪のように白く、くりくりと動く瞳は血の色をしている。着物は、草色のチューブトップの上に白いベストを羽織り、下も緑系でやたら丈の短いスカートを穿いていた。
 つまり、この角度だと下着が見える。

「……殴らんのか?」
「さっきからなんなんだよ! 意味不明かつキモチワリぃ発言ばっかりしやがって!」
「む……もしやお主、けっこうおしとやかなのか?」
「ぅえっ!?」

 日雨は単に、かつて下着を覗いて殴られた経験からそう述べただけなのだが、プルは強い反応を見せた。顔を赤らめて慌てたような声を上げる。

「そ、そんな事言われたの、は、初めて……おいおいおまえ、なかなか見所あるじゃんか!」
「うむ。苦しゅうない」
「あっさり懐柔されるな、プル。……彼は、君の下着が見えているのを指摘したんだ。地上の人間にとっても、君の服装ははしたなく見えるという事だぞ? 作戦中は動きやすいからと容認してきたが、なら普段着にする必要はないはずだな。君ももう十六なんだから、人並の羞じらいというものを……」

 最初の忠告を、とめどなく脱線して説教に移行しつつある男。こちらも昨夜の戦いで見た。カクラナンナ、という名前だったか。
 髭が薄くて若く見えるが、三十は超えているだろう。細身で、私塾の講師役が似合いそうな風体をしている。
 日雨は彼の着るゆったりとした藍染めの上衣に注目していた――袖口に擦り傷がついている。暗器の心得があるのだ。

「チッ、危うく騙される所だったぜ! 地上うえの人間は卑怯ったらねぇな!」
「話をすり替えて説教を避けるのは卑怯ではないのかのー」
「う、うっせぇ!」

 図星を指されて日雨を小突くプル。

「ど、どうせっ、下着だけじゃなくてあたしの胸もじろじろ見てたんだろうが! スケベ野郎!」
「――ハ」
「んだよその腹の立つせせら笑いは!」
「その程度の小山で余の目を引こうなどと片腹痛い。滑稽、滑稽よのぉ、井の中の蛙とはこの事か。余はお主などとは格の違う、霊峰の如く峻厳とそびえ、地母神の如く雄大な乳を知っておる。お主の浅い峡谷を見た所で、心にさざなみ一つ立たんわ。くくくくく。ふはははは、はぁ――っはっはっは!!」

 地面に頬を押しつけた体勢で、上に立つプルを見上げたままだというのに、どこまでも上から目線で高笑いする日雨であった。

「こ、の……てめぇ――コラ離しやがれシュニヤタ! あたしにこいつを殺させろーっ!」
「だ、ダメだよプル! この人は大事な人質なんだから! それによくよく聞いてみればこの人しっかり君の胸を見てるよ! ディティールが分かるくらいはっきりと凝視してるよ!」

 飛び掛かろうとするプルを羽交い締めしつつ、その真実を指摘したのは、日雨の見た事のない人物だった。
 年若い少年である。十四、五といった所か。種族特有の薄い金髪はくせっ毛気味で、整えきれずにあちこち毛先を向けている。上衣とズボン共に砂漠の砂のような色合いのものを着込んでいた。

 その腰に、短剣程度の長さの棒を吊っていた。武具にしてはかなり頼りないように見える。

「人質?」

 シュニヤタと呼ばれたその少年に向けて放った問いかけだが、答えたのはカクラナンナだった。

「まぁ、特に面白くもない話だよ。君を人質にして、カイラスに金を要求する」
「金だけじゃねぇ」
「ああ、分かっているさプル。カフカもあの悪徳座長から取り返さないとね」

 口を挟んできたプルに応じると、カクラナンナは日雨に向き直る。

「首尾良く身代金を得られたら、解放すると約束しよう。ただ、そうでない時は覚悟して欲しい」
「殺すのか?」

 背筋に嫌な汗をかきながら問いかけると、彼は首を振った。

「いや……奴隷になってもらおう。君は戦力になりそうだし、そうでなくとも健康的で若いヒトの男は色々と〝使いみち〟があってね」
「?」
「……この段階では言及を控えよう。人里に帰る可能性のある君に、亜人への悪いイメージを植え付けたくないしね」

 疑問符を浮かべる日雨に、意味深な言葉を与えるカクラナンナ。
 もう一度、プルが会話に割って入った。

「ハッ、可能性なんざあるモンかねぇ? カイラスの頭領はリグラヴェットだ。――おい人間、てめぇも思い知っただろ。あいつぁてめぇの身がヤバいと思ったら、あっさり仲間を見捨てる冷血女なんだよ」

 妙に露悪的な物言いだった。昨夜のやり取りで気づいていた事だが、彼女はリグと格別遺恨があるようだ。
 ――庇う、という意図は無いが。

「我が身が可愛いのは当たり前であろう」

 日雨はプルのしかめ面を見返して言った。

「あの場であやつが抵抗した所で余を取り返す事は出来なんだであろうし、妹らの救援まで足留めするにしても、それで大怪我をしては後の生活が成り立たん。あそこで飛び出すのは大馬鹿者よ。リグの判断は妥当であろう」

 共感を得られると思っていたのか、一瞬プルの顔から表情が失せ、次いで怒気に満ちていく。

「地上の人間の考え方ってのは、全くクソだな……胸糞悪いぜ」

 憎らしげに舌打ちすると、彼女はテントから出て行った。その後をシュニヤタが追っていく。

「兵団の長にしては、ちとガキっぽい女だったのー」

 ただ一人残るカクラナンナに向けて、日雨は言った。

「実態はお主の傀儡政権か? 随分回りくどい真似をする」
「まぁ……現状では、そう言われても仕方ない。ただ、改善に努めてはいるんだよ」

 彼は悪戯を見咎められたような顔つきで、服の袖を振るい――紙巻き煙草を一本取り出した。

「あの子はこの手のものにすぐ興味を持つからね……こうして隠れて吸うしかない。かなり、気を遣っているんだよ? したくもない説教をして……彼女には早く、一人前のリーダーになってもらわないと」

 種火を探して服をまさぐりつつ、カクラナンナは言う。
 説教をしたくないというのは明らかに嘘に思えるが(さっきプルを相手にしていた時は実に生き生きした顔つきだった)、要はお目付役あるいは師という事なのだろう。王宮住まいの経験から考えれば、傀儡政権の黒幕と区別の付きづらい立ち位置ではあるが。

「やはり、回りくどい。お主が老い先短い年寄りならともかく、その若さなら己が頭領に収まった方が手っ取り早いではないか」
「おや、若く見えるか。嬉しいね……アンヴィスは少々短命なんだよ。これでも我々の社会ではロートルの部類さ。それに、彼女をリーダーに据えるのは色々と理由があってね」
「ふむ。というと?」
「それは……おいおい、君は意外と聞き上手だな。つい余計な口を利いてしまいたくなる」

 日雨が水を向けた要素など二割も無かった気がするが、カクラナンナはそう言って、ようやく靴の土踏まずに貼り付けていたマッチを発見した。爪先でこすって火を付け、くわえた煙草に灯す。

「ま、事が不首尾に終わった時に話してやろう。穴蔵暮らしもそう悪くないよ。煙草は滅多に手に入らないがね」
「余は、その煙いのは好かん」
「そうか。となると、娯楽は博打くらいかな。……実は僕は、今回の営利誘拐は失敗しそうな気がしているんだ。カイラスの雇い主は吝嗇けちな男だ。君の身内が君の身を案じていても、彼らの助けなしにはこの穴深くにやってこれない……覚悟を決めておくといい」

 と、カクラナンナは脅し文句を吐く。

「最後に釘を刺しておく。このまま、大人しくしているんだ。この〝階層〟はただの人間に脱出できる深さじゃない……君が厄介ごとを起こすのを許容できない程度に、危険でもある。だから」

 半分ほど減った煙草を美味そうに吸い尽くすと、名残惜しげにつまんで、放り捨てた。
 吸い殻が一瞬浮遊し、カクラナンナが袖を軽く振る。
 薄く鈍い閃きが袖口から見えた、と思った瞬間には、吸い殻の残り火の部分だけ弾け飛んでいた。

「君は気づいていたね。僕の袖口を確認した……確かに僕は、察しの通りの仕事をしていた事もある。昔の、好みではない過去を思い出させるような真似を、しないで欲しい」

 煙草の残骸をテントに置き捨て、彼は立ち去っていった。

「……ふむ」

 ようやく独りになり、日雨は寝そべったまま沈思黙考する。
 術を使える人間には拘束の効果が薄い為、ああして釘を刺したのだろう。特にあの〝変身〟は警戒していたはずだ。
 だが、カクラナンナの懸念は杞憂だ。

(どうやってアレになってるか、余にも分からんからのー)

 昨夜が、モクレントレイでの戦い以来初めての変身だ。そんな曖昧な能力を当てにはできない。
 拘束は厳重で――鉄糸を編み込んだ縄で縛られているようだった。通常の鬼道による身体強化では、無理矢理引きちぎろうとすれば手首を痛めるかも知れない。

「仕方ない――縄抜けといくか」

 ひとりごちると、日雨はにょろにょろとした動きで手首の縄をまたいで身体の前に持って行き、右手、左手の順に抜いた。足も同じ順で引き抜く。――この場にくららがいたら「え、なにそれ日雨くん。気持ち悪……」とコメントするような奇怪な技であった。
 この、王子らしくないどころか保有しているだけで王子度の下がるスキルは、故国の城下町に通っていた頃、剣の師匠に習い覚えたものだ。

(なにしてるかのー、師匠)

 秋津洲国が滅びる少し前に「ちょっと死んでくる」と言ってふらりと消えた人物だ。口から先に生まれてきたような人物だから、全く信用はしていないが。
 このまま旅を続ければ、いずれ会う事もあるやも知れない。

「すまんの、カクラナンナ殿」

 テントの出口を潜りつつ、日雨は呟いた。

「ここに定住するのは、余の望みではない」




 テントの隙間から差し込んできた薄緑の光。地下であるはずのナラカに存在する光源の正体は、外に出てすぐに判明した。

(……花?)

 日雨の腰ほどの高さの植物が生えている。その花弁が発光していた。
 ドーム状の空間に収まった草地である。それら大ぶりの花以外にも、足下にワラビのような見かけの発光植物が生えている。踏み締めれば、光を地面に振りまいた。

(日もないのに、なぜ植物が生育する?)

 光合成の原理を日雨は知らなかったが、経験則で日光の届かない所に植物が育たないのを知っている。目の前の情景はいかにも不可解だった。
 夜見に知らせれば、目を輝かせて研究を始めそうだが――今はそれどころではない。

 日雨の出たテントよりやや外れた場所に、同じ作りのテントが林立していた。サヴィトリなる武装集団の集落なのだろう。遊牧民のように定住しない習慣なのか、真っ当な家屋は見られない。
 外に出ているアンヴィスの姿もちらほら見受けられた。煮炊きをしている者、談笑している者。――走り回る子供もいた。

 虜囚扱いで集落から引き離されていたおかげで、いきなり彼らの中に飛び出す心配は無かったが、それでも当然見張りはいた。今、日雨の背後で眠そうにあくびを噛み殺している。

 その男は、目の前の日雨の姿を認識していない。
 陰形術――身体を巡る霊子を沈静化し、気配を殺す鬼道を行使している。肉体強化と逆に、術の深さに比例して運動能力の落ちるデメリットはあるが、忍び働きに都合が良い技だ。

(さて……刀を、取り返せるか?)

 日雨の愛刀は、捨てられていなければ、集落のテントのどこかに保管されているはずだ。思い入れのある武具で、手放すには惜しい。
 だが、アンヴィスには幻法なる魔術の遣い手もいる。特にあのシュニヤタという少年は、陰形にも長けているはずである。昨夜の戦闘で、日雨は背後にも十分注意を配っていたはずなのに、彼はいとも容易く背を突き捕縛した。
 近寄れば看破される恐れがある。

(剣の道においても人の生くる道においても、居付くは悪し、か……まったく、難しい事を言うてくれる、師匠)

 当の彼が、鍛冶師に渡りをつけて打ってもらった太刀なのだが。
 師の説教する様を思い浮かべて、日雨は集落から外れた道を歩き出した。どちらにせよ、まずは退路を確保する事が先決だ。
 その手掛かりは、目覚めた時既に見つけて――聞きつけていた。

(水音だ)

 集落を見てみれば、中央を縦断するように水路が引かれている。地底湖なりなんなりの水源があるようだ。彼らが水場を拠点に坑道の増設作業を行っているのだとすれば、そこを辿れば、本来の坑道に復帰できるのではないだろうか。
 そう当て推量して、日雨は歩き出した。

 登りは集落を通過する必要がある。まずは下りから調査する事にした。
 それ程歩く事もなく――水路の果てに辿り着く。

「…………………………………………………………な、に?」

 どどどどどどど……
 重たい滝の音を聞きながら、日雨は絶句していた。
 彼の歩いてきた地面は途中で寸断され、崖になっていた。水路の水はそこから流れ落ちていく。しかし、それだけで発せられる水音はそう大きくないだろう。

 日雨の頭上からも、水流が落ちているのだ。ここより上にも同じような寸断された坑道があり、そこを流れる水が落下して――それらが束になり、滝を形作っている。
 その落ちる先は――全く見えなかった。

 崖の先は、巨大な――恐ろしく巨大な円筒状の空間だった。
 灰色の内壁には例の光る植物が群生しており、かすかながら対岸まで見渡せる。直径は軽く一キロメートルを超えているようだ。内壁を構成する建材は何かしらの金属で、鈍く輝きを放っている。

(どこかで……見た覚えが)

 ――ここはシェム・メガフロートと呼ばれる人工島だ。
 かつて、ルーラッハ・ガルガンティン・マーシアという男の放った言葉を思い出す。そうだ。あの奇妙な都市の建造物とここは、ひどく似通っている。
 日雨はおっかなびっくりと崖から身を乗り出して、上方を見る。天井もまた見通す事ができなかった。

天蓋チャトラ……天の、蓋)

 寒気のする可能性に思い至り、愕然とする。あの都市は、もしかして――この円筒の真上にあるのではないか?
 既に様々な事柄が日雨の理解の埒外だったが、一つだけ分かる事がある。

「夜見……お主の解説、初めて的を外したぞ」

 ――〝ナラカ〟とは、リグラヴェットらアンヴィス族の祖先である〝シャンバラの民〟が掘り進めた、巨大地下坑道の名よ。
 五千年だろうと二千年だろうと、ツルハシ担いだ人間が掘り進んだ所で、こうなる事は決してあるまい。
 ナラカは〝幽霊国家〟が抱えているのと同じく、この世界の秘密に関わる何かだ。

 もしかすると自分たちは、逃げ込んだと思って虎口に飛び込んだのではないか?
 そんな、怖気を感じたのと、

【――戦闘用〝C.I.M.E.R.A〟の接近を感知しました。防衛態勢への移行を推奨します】

 視界の端にまた幻覚の文字が浮かぶのは、同時だった。
 それが何らかの警告であるのは明らかだった――頭上の、円筒の内壁にへばり付く、異形がある。
 壁面のかすかなでっぱりに、毛の生えた前腕を引っ掛けて悠々と歩く怪生物。その脚だけを見れば、蜘蛛のようであった。

 しかしその体高は三メートル近くあり、その中心では仰向けになった人型の生物が、だらりと脱力した姿勢で、背中から生える数十本の脚に支えられていた。瞳は白眼がなく真っ黒で、肌の色は病的なまでに青白い。毛髪も一切生えていない。関節の形状も人間そのものとは造形がどこか違っている。

 見た事のない種類だ。しかし直感的に理解した。
 この世界における、人類の天敵――魔獣である。
 丸腰の日雨に向けて、その〝人蜘蛛〟が飛び掛かってくる――




「ぎゃアアあああああああああアああああああああっッ!! ああっ!! あぎィ!」

 人蜘蛛の脚に吊り上げられ、別の脚に腹を何度も何度も何度も突き込まれ、男が悲鳴を上げた。やがてそれすらも小さくなり、間もなく絶息する。

「てッ……めええぇッ!!」

 身震いする程の怒気を覚え、プルは飛び上がった。手の内の〝マハーカーラ〟に法力を通し、炎へ変換し推進力とする。
 自身の跳躍力もそれに乗せて一息に数十メートルも空を踊り、その勢いのまま鉄槌を人蜘蛛の頭部に叩き付ける。頭を爆散させるに留まらず、股下まで抜けてその下の地面を砕いた。

 両断した人蜘蛛の内側で、怪物の白い血を浴びながらプルは大きく呼吸する。色合いに反して人のそれと変わらぬ血生臭さに反吐を催すが、今はとにかく酸素が欲しかった。
 その背に、もう一体の人蜘蛛が迫る。

「――ッ!」

 重みの増したように感じる鉄槌をどうにか持ち上げ、迫撃を試みる――
 その時、人蜘蛛の背後から光の束が飛来し、その背面を焼き尽くした。人蜘蛛は目玉をぐるぐると蠢かせた後、墜落するように地面に倒れる。

「プル! 無駄な力を使うな! 〝蜘蛛野郎〟の弱点は背中だ! 脚の出所を潰すと本体も死ぬ!」

 姿の見えない遠くから、カクラナンナの声が飛んできた。
 応える暇も惜しんで、プルは次の獲物を探す。
 サヴィトリの拠点はナラカ探索の最前線に程近い。魔獣の襲撃は今回が初めてではないが――

(強くなって――いや、学んでやがるんだ)

 人蜘蛛の群れは、天井を伝って集落の中央に降り立ち奇襲してきた。これでは銃士部隊の〝アストラ〟が使えない。こちらが流れ弾の被害を受けてしまう。
 それに、もう一つの懸念もあった。

「てめぇらは周りに散れ! ここを囲もうとする蜘蛛野郎がいるかもしんねぇ!」

 更に一体の背中をぶち抜きながら、プルは銃士部隊に号令する。彼らは一瞬迷う素振りを見せたが、指示通りに集落の外周に向かって走った。

「……チ」

 ともすれば目に入りそうな汗に顔をしかめ、舌打ちする。精密射撃に長けたカクラナンナの援護があるとは言え、この場はプル一人で対処しなければならない。
 既に非戦闘員にはテントに退避するよう指示している。だが、間に合っていない。さっき殺された男は以前の探索で足を負傷していた。そんな連中から真っ先に人蜘蛛に掴まっている。概して魔獣は、弱った人間から仕留める習性があるのだ。

 老婆に襲い掛かろうとしていた一体の腹に飛び乗り、胸板をぶち抜く。崩れる人蜘蛛から飛び上がって、天井近くの高さを滞空しつつ眼下を俯瞰し――背筋に緊張が走る。

 一人の女が、足を挫いたのか地面を這っていた。
 五体の人蜘蛛が、獲物を見つけて近寄っている。
 逃げられるはずがない。足を挫いているだけではなく――女の腹は膨らんでいた。身重なのだ。

(助け――)

 浮かびかけた意志が、壁にぶち当たったように留まる。
 数が多すぎる。法力を半ばほども消耗したプルには、手に余る相手だ。ましてや、動けない妊婦を庇って戦うとなると……
 飛び込んでも救えない公算の方が高い。そして彼女も死ぬ。全くの無駄死にだ。

(ここで、終わるわけには……いかねぇ)

 むしろ人蜘蛛が妊婦を攻撃している背後を突くべきだ。空中に滞空する最中に、そう決断を下した時――

「お母さん!」

 人蜘蛛が妊婦に気を取られている隙に、一人の女の子が飛び出して彼女の前に立った。震える手足を精一杯広げ、魔獣から彼女の姿を遮っている。妊婦の逃げなさいという悲鳴じみた言葉にも首を横に振る。
 その場にいる〝三人〟の関係は、嫌でも知れた――

(違う!)

 任侠心などではなく、獰猛な戦意を燃え立たせ、プルは鉄槌をそちらに向けた。

(違う! 違う! 違う! あたしは、リグラヴェットとは違うッ!!)
「死ねぇえええッッッ!!」

 殺意混じりの法力をごっそりと〝マハーカーラ〟に喰わせ、視界の焼けつきそうな程の噴射炎を生む。空気の壁に頭を押し込まれながら強引にプルは突貫し、人蜘蛛の一体を打ち据えた。五体がバラバラになって周囲に弾け飛び、勢い余った鉄槌に穿たれた地面が大きく揺れる。

 振動に姿勢が崩れている隙に、這うように動いて更に一体の脚を薙ぎ払う。横倒しになる人蜘蛛のとどめはカクラナンナに任せ、もう一度マハーカーラに法力を注ぎ短くジャンプ、三体目に飛び掛かる――
 その時、三体目の人蜘蛛の体勢が〝入れ替った〟。

 人間部分が地面に降り立ち四つん這いになり、無数の蜘蛛脚が、身体を支える役割から解放され、ぞわり、と蠢動する。
 それらが、カーテンのように眼前に広がった。
 鉄槌の打撃は、その半数を叩き折って――そこで炎が消える。
 残りの脚が〝マハーカーラ〟を絡め取り、プルの手から奪い取った。

「……ッ!?」

 戦慄するプル――その右足を、二本の脚が挟み込む。天井を這う程の吸着力を持つ人蜘蛛の脚は、がっちりと彼女の足を捉え、投げ飛ばした。
 その先に、同じく人間部分が四つん這いになった人蜘蛛が待ち構えていた。
 牙の並ぶ虎の口の如く、蜘蛛脚が広がっている。

(死……ぬ!? おねえ――)

 鋭利な人蜘蛛の爪先が、プルの五体を引き裂こうと伸びてくる、その時。
 青白い雷光――と見紛うような人影が、人蜘蛛の眼前に降り立った。

「ようやく殴れる高さに降りてきたな、でかぶつ!」

 人蜘蛛は相手を見上げようとして、振り下ろされた打撃に頭を叩き潰された。
 ちなみに声の主が放ったのは突き返し蹴りブラジリアンキックである。殴ってはいない。

 ぐらり、と首から上を失った人蜘蛛が転倒し、プルと地面を遮るものが無くなる。
 いや――一人の少年が割って入り、落下するプルを受け止めた。

「おう、跳び娘。空でけでもしたか」

 こちらの顔を覗き込み、からかうように言ってくる少年――誘拐した似非貴族。既に変身している。

「え……ぁ、え?」

 その腕の中で不格好に抱きかかえられたまま、声も出せずにいると、彼は続けて聞いてきた。

「おいお主、余の刀はどこだ」
「え……えと、西の、ラナのテント……」

 思わず、白状してしまうと、彼は人蜘蛛のはびこる集落を見渡して唸る。

「悠長に取りに行ける状況でもないの……仕方ない」
「ちょ――おまっ、何しやがんだよ! コラっ! スケベ!」

 やにわにこちらの身体をまさぐり出す少年に、プルは悲鳴を上げて暴れる。

「大人しくせよ……あった」

 太股の内側に、バンドで巻かれた山刀の鞘を見つけると、少年はそれを引き抜いた。

「慣れぬ得物だが……いけるか?」

 光花の緑光の照り返しを放つ刃を、念を込めるように見返すと――ぱき、ぴき、と音を立てて山刀が巨大化した。

「よし」

 具合を確かめるように柄を強く握ると、少年は左手に抱えていたプルを適当に地面に落とした。尻を打って顔をしかめる彼女をよそに、彼は――残り二体の人蜘蛛と対峙する。

「そこの夫人と子供! 身を低くしておれよ!」

 怯える母子にそう告げると、巨大化した山刀を肩に担ぎ、躊躇いなく前進を始める。
 不可解、だった。

「な……んでだよ」

 その背を、プルは問い糾した。

「この隙に逃げりゃあいいじゃねぇか! てめえをさらった奴らをなんで助けんだ! そういうのは、大馬鹿者のやる事じゃねぇのかよ!?」

 無敵の力を恃みに、施しのつもりでやっている――のではない。よく見れば、少年の身体は傷ついていた。その変身は、丸腰で強力な魔獣の群れと戦って無傷でいられる程、便利なものではない。
 義理や人情――あたしは、そんなものでは動けなかったのに。
 少年は振り返りすらせずに、答えた。

「うむ。――だから余は、大馬鹿者だ」

 身体を反転させ、無数の蜘蛛脚をヤマアラシのように掲げて攻撃してくる人蜘蛛二体と、少年は切り結ぶ。
 高速で応酬する剣戟の嵐に、硬い甲殻が混じっている。少年が法力を通した山刀の強度、斬撃の速度、手数が人蜘蛛二体ぶんのそれを上回っているのだ。

 鑢で削るように人蜘蛛の脚は減っていき、守りが崩れた所で少年に胴を薙がれる。
 崩れ落ちる人蜘蛛の足下から、プルの〝マハーカーラ〟を拾い上げ、少年はこちらに放って寄越した。

「ぼさっとしておるな、跳び娘。残りの魔獣を片付けるぞ」

 きょとん、とプルは彼の顔を見返す。こいつは、後ろから打たれると考えないのか?

「……言った通りの大馬鹿野郎だな、おまえ」

 言い様の無い反骨心から憎まれ口を叩くと、彼はプルへ振り返って笑う。

「待て。やはり、ただの馬鹿では余の目指す道にはそぐわぬ――王馬鹿野郎、とでも呼ぶが良い」
「んだよそれ、ワケわかんねぇ……名前教えろ。あたしは――プルでいい。それなら覚えられんだろ」
「うむ、詞木島日雨である」
「よし、シキシマ。――あたしはあっちのあいつをやる。おまえはこっちだ」

 新たに現れた人蜘蛛を指差し、プルは言う。
 未だに魔獣の群れは残っているが、なんとなく。
 負ける気がしない、と思えてきた。




「うらあぁっ!」

 裂帛の気合いを込めて、その一体の背中を叩き潰し――

「プル、蜘蛛野郎はそれで最後だ!」

 どこぞの高台から声を張り、カクラナンナが伝えてくる。
 膝に手をつき、肩で息をしつつ周囲を見渡してみれば――魔獣の死体の山が出来ていた。軽く五十体はいる。
 今までで最大規模の襲撃のようだった。不意まで突かれている。撃退できたのが不思議なくらいだった。

 被害の程をすぐにでも、事態を俯瞰できる位置にいるカクラナンナに問い糾したい。しかしその欲求を彼女は腹の底に飲み下した。それを聞けばメンバーが動揺する。何より、その暇が今はない。
 魔獣の骸に手刀を切っている日雨に、プルは声を掛けた。

「おい、何してやがんだシキシマ」
「おう。ちと供養をの」
「ったく、どうにも変わった野郎だな――んな暇はねぇぞ」
「うむ。魔獣は戦の理に長けておるからの。後詰めが集落を囲んでおるやも知れん」

 いちいち説明するまでもなく、共通の理解をしていたらしい日雨が歩き始める。プルもまた、それに並んで足を進めた。
 集落の外に出た所で――

「……あん?」

 先んじて外に出した銃兵が人蜘蛛と死闘を繰り広げている、という予想とは違う風景が、そこにあった。
 魔獣の姿はなく、サヴィトリの構成員はと言えば、坑道への出口を遠巻きに囲んでいた。どこか呆けた顔つきで、そちらを伺っている。
 彼らの不審な態度の理由は、すぐに理解できた。

 ずん……ずん……
 そんな重たげな音が出口から聞こえてきているのだ。そしてそれはどんどん大きくなり――近付いている。

 音が、地面が軽く揺れる程に高まった時、一体の人蜘蛛が出口から現れた。
 全員が緊張する――その直後。
 暗がりから伸びた巨大な腕が、人蜘蛛を叩き潰した。ずん、という激震はその打撃音らしく、つまりここから侵入を試みた人蜘蛛は、その腕が始末していたようだった。

「げ」

 その様子を見て、隣の日雨がうめき声を上げた。

「者共! 退け! 退くのだっ! 一見愛らしい幼女に見える最悪に凶暴で危険な生物がやって来る! 間合いに入るな! 喰い殺されるぞ!」
「あん? 何言ってんだよシキシマ」

 出口を囲む兵達に切羽詰まった口調で指示を飛ばす日雨に、プルは怪訝そうに言う。

「――聞こえる……」

 直後、出口から、冷気を帯びたような女の声が上がった。

「血の絆で分かる……我が兄が、遠路はるばる救出に参った愛妹に暴言を吐いておる……」
「……絆というか、呪いではないか? それ」

 その声を聞くなり、ガタガタ日雨が震え始めた。
 ずるぅり、と出口から這い出て来たのは真っ白な巨人。
 四足獣のように四つん這いになったその背に、女が三人乗っていた。

「……おやぁ?」

 三人の先頭で仁王立ちする黒髪の幼女が、一瞬で群衆の中に日雨の姿を認め、その次の瞬間には状況を完璧に把握して、地獄の獄吏めいた声音で告げた。

「兄様よ、わらわは誘拐犯を皆殺しにする腹積もりでここに参った訳じゃが……主様がその手先になっておるとなると……同じ扱いをするのが妥当かのぉ」
「妹よー妹よー、お主は余を救出に来たのではないのかのー。どうしてそんな不毛な結論が出てしまうのかのー。兄は不思議でならんのー」

 重心を後ろに預け、いつでも逃げ出せる体勢を作りながら日雨が言う。

「ま、まぁ、夜見ちゃん……無事だったわけだし」

 巨人の背に乗っていた女の一人。おっかなびっくりと中腰でバランスを取っていた少女が、幼女をなだめすかす。
 その姿を認めると、日雨は顔を輝かせた。

「おおー! くららよー!」

 彼が呼びかけると、彼女も顔を輝かせて巨人から降り立ち、駆け寄ってくる。

「日雨くん! 無事だった……ん、だ、ね?」

 後半の台詞が、詰まったように途切れ途切れになる――日雨の隣の、プルを見つけて。

「え、っと……どちらさま、かな?」
「おう。余の友、プルである」

 言葉に重しのついたような問いかけに、日雨は軽く応じた。

「こ、こら。もう友達ヅラかよ……い、いや、いいんだけどよ。で、そいつは誰だよ?」

 顔を赤くして、こめかみを気恥ずかしげに指でかきながら、プルは訪ねる。
 一瞬の沈黙の間に、身を縮こまらせ、何か期待するような顔をする少女。
 そちらを手で示して、日雨は言った。

「うむ。余の〝一番の友〟、詩乃目くららである」

 その発言の後、一瞬どころでない沈黙がこの宇宙に粛々と生まれ、

「…………………………………………………………………あれ?」と少女は呟いた。

「むっ! これは……もしや!」

 幼女の背後に立っていた金髪美女が声を上げ、前方の幼女に「え? そち、そんなでかい声で喋れたの?」と驚かれた。
 かくして、金髪美女は大きな身振りと共に言い放った。風雲急、といった感じの緊迫感溢れる声音で。

「ラブコメ展開ですね!」



[40176] 6.恋愛脳共の宴
Name: 八目又臣◆aa87a973 ID:17b043ce
Date: 2014/08/16 19:55
「失われた古代文明の遺跡……口にするだに面映ゆい惹句だけどね」

 つい数時間前日雨が目撃した巨大縦坑に繋がる横穴の淵を背に、そうカクラナンナが語り出す。

「少なくとも僕らアンヴィスは、先史以前に、現在と比べて遥かに発達した文明があるのを知っていた……そりゃあ、目の前にあるんだからね」

 最初に抱いた、私塾の講師役という印象通りに、聴講生のように並ぶ日雨たちを前にした彼の態度には独特の調和感があった。

「ご覧の通り、〝ナラカ〟は僕らが掘り進めた坑道なんかじゃなく、既に存在していた遺跡だ。アンヴィスは二千年の間、この最下層を目指して内部を探索していた……最初期は最上部の外壁を崩すまで、実際に穴掘りをしていたらしいけどね」

 最後の文句を、彼は冗談めかして言う。

「なぜ、最下層を目指すのじゃ?」

 優等生然とした夜見が質問すると、カクラナンナは講義が一方通行でない事に満足を得たように、滑らかな調子で返答する。

「ナラカで出土する〝遺産〟は、現代のものとかけ離れた技術で作られた道具だからね。その価値は計り知れない」

 と、プルの背に吊った巨大鉄槌を指差す。――さっき軽く彼女が説明してくれたのだが、彼女が〝マハーカーラ〟と名付けたその鉄槌は、法力(霊子の彼らなりの表現だろう)を燃料に火炎を生む武具らしい。幻法のような繊細な技術の適正はないが、術力の高い彼女にうってつけと託されたそうだ。

 銃士部隊の持つ〝アストラ〟――自動小銃も同じくナラカの発掘品らしい。
 なるほど、これだけの宝があるのだから、目の色を変えて探索するだけの理由はある――

「ここまで来て隠し立ては無しじゃ、カクラナンナ殿」

 納得しかけた日雨の右隣で、夜見が言った。優等生というのは早合点だった。博学多才な不良という立ち位置が、残念ながら自分の妹には物凄く似合う。

「……どういう事かな?」

 抵抗の意志を示すカクラナンナに、夜見ははん、と鼻で笑い、

「そなたらは、その遺産とやらで思う存分利益を甘受しているようにはとても見えん。むしろ地上への流出を避けているようじゃ。――そして、ここまで降りてくる過程で分かったが、このナラカは魔獣の巣窟じゃ。命懸けのくせに旨味が全くない……なら宗教的意義か? 違うの。それだけでは人は動かん。一部の騙されやすい馬鹿以外にとって、宗教なぞ効率的な統治の手段に過ぎんのじゃから」
「……暴論だね。子供らしくもない」
「反論、反抗は大人買いしてやるぞ。で、一部の騙されやすい馬鹿だけでは二千年も事業は続かん。――なら、そやつらだけの知る旨味があるのよ。
 あるいは、〝弱味〟か? ……亜人の持つ、〝地縛性〟というやつじゃ」

 針で横腹を突くような夜見の言葉に、その場にいたカクラナンナ、プル、シュニヤタの身体が一瞬強張る。

「地縛性?」

 問いかける日雨に、いったん夜見はカクラナンナから視線を外した。

「物の本で読んだ事があるのじゃ。亜人とは、〝土地に縛られておる〟としか思えないような習性を多く持つ。例えば砂海周辺に住む猫人族などは、そこにだけ植生する植物を興奮剤として戦闘、性交に用いておるらしい。――人と変わらぬ知能を持ち、身体能力はむしろ遥かに高い彼らの頭を押さえて人類が世界を席巻しておるのは、その地縛性ゆえよ」

 そう解説して、再びカクラナンナの方を向く。

「腹を割って頂きたいの、カクラナンナ殿。我らはカイラスの豚座長を軽く小突いてここに来た。彼らとは決裂しており、もうチャトラには戻れぬ。ここで活路を見出さねばならんのは、そなたらと同じよ」

 絶対に〝我ら〟ではなく〝軽く小突いて〟でもないと日雨は思ったが、空気を読んで沈黙する。
 カクラナンナは、降参とばかりに諸手を挙げた。

「……分かったよ、可愛らしい女丈夫さん。白状しよう」

 いいね? とリーダーのプルに目線をやると、彼女も頷いた。どうやら、豚座長とやらを害した事が彼女にとって好印象らしい。
 カクラナンナは重苦しい息をつき、語り始める。

「僕らアンヴィスは、太陽の下に出られない」
「……なに?」
「衰弱してしまうんだよ。日の光を浴びただけで足が萎え、小一時間もそこに倒れていれば心の臓が止まる。僕らに許された世界はこの地下と〝チャンドラ〟の下だけだ」

 寂しげに微笑みながら彼は言う。

「これまでの研究――というか、単なる経験則なんだけど――で分かったのは……太陽がアンヴィスの力を奪うのではなく、ナラカにある何かが僕らに力を与えている事。地下深くに潜るにつれ、僕らの力は強力になる。その力の源を、僕らは〝シャンバラ〟と呼んでいる。
 このシャンバラに辿り着き、その原理を解明して、地上で生きられる能力を獲得する。それが僕らアンヴィスの至上命題だ」

 そこで彼は軽く懐をまさぐり、途中で手を止める。つい、煙草が欲しくなったのか。
 軽く嘆息して、彼は告げた。

「そう……そのはずだったんだ」
「今ではそうでないと?」

 日雨の疑問に、左隣のプルが口汚く応じる。

「今じゃここは、ヘタレ野郎どもの巣窟だ」

 言葉遣いか、発言の内容そのものかに咎めるような視線をカクラナンナが送るが、口舌で嗜めはしなかった。

「アンヴィスの多くは、疲れてしまったんだよ。……ナラカに潜む魔獣は、地下深くに進む程強力になる。僕らがシャンバラから力を得ても追いつかない。曖昧な理想を目指して、何代にも渡って死闘を繰り広げながら最下層を目指すような生き方は止めて、彼らは人間にすり寄った。
 人間にとって魅力的だったのは、ナラカの支道のいくつかが、国境を越える程遠くに伸びていた事だ。密出国事業というものを彼らは考えつき、アンヴィスを案内人として雇った。見返りとして食糧や嗜好品を受け取って、浅い階層で生活する……多くのアンヴィスのコミュニティが、そういう風に生き方を変えた。リグラヴェットの率いるカイラスはその筆頭だね」

 最後の発言に、左隣から舌打ちが聞こえてくる。

「僕らサヴィトリは、アンヴィスの理想に立ち返った集団だ。必ずシャンバラに辿り着く……その理念のもとに集い、こうしてナラカ攻略の最前線にいる」

 飄々と落ち着いた風情のカクラナンナが、立ち振る舞いに似合わぬ熱を込めて言う。
 その熱意に、優等生然とした不良幼女は皮肉で応えた。

「ほう。それはなんとも素晴らしい。心ならず微笑みがこぼれ落ちるわえ。――で、その輝かしい理想主義者殿は、地上ではお尋ね者となっておるようじゃが」
「あん? おまえ、喧嘩売ってんのか?」

 頭から爪先まで不良少女のプルが、日雨の左隣から右隣の夜見にガンをくれる。

「ほお? わらわの喧嘩を買うてくれるのかや、下賤の娘。王女の喧嘩は高いぞ? 末代まで破産してもよいのかや?」
「代金は踏み倒してモノだけ頂くのが、あたしの主義なんだよ」
「それって単なる強盗……ぐえ」

 プルの更に左隣で声を上げたシュニヤタの首を、彼女は見もせずに握って黙らせる。

「とうとう白状したのぉ泥棒猫、いや泥棒兎。それで我が兄もかっさらって行こうとな? 釜で茹でて食ろうてやろうか!」
「もうさらいやしねぇよ! こ、こいつとはもう、だ、ダチなんだから! っつーか幼女の癖に語彙がババくせぇんだよこのガキ!」
「バッ……? ゆ、言うたな小娘ぇ~……!」

 ――女二人の応酬に挟まれて、日雨は衝撃を受けていた。

「む……!? な、なんだこの空気……ただ女二人が喧嘩しておるだけなのに……すごく嬉し恥ずかしいぞ!」
「ふふふのふ。知りましたね日雨様、その甘露を」

 背後に音も無く立っていただきにが、ぼそりと囁きかけてきた。

「これこそ業界の伝統芸。〝覇愛恋夢はあれむ展開〟というものです」
「かっこいい当て字だ!」
「時の覇王にだけ許された、周囲の女をごろごろと手の平で転がし悦に浸る禁断の業……」
「おおう……実態を聞くとただの最低野郎だ」

 日雨は冷めた。

「さて。そちらの、左の女性と馴染みの方。当て馬にされた気分はいかがですか?」
「現在進行形で絞殺されようとしている身としては、全く悔しくないです……っていうか助けて」

 遠慮のかけらも無いだきにの質問に、プルの左手に首を掴まれたままのシュニヤタが、チアノーゼ気味の青い顔で答える。

「僕は、うん、殺したいかな」

 爽やかな微笑みと共に、カクラナンナがコメントした。

「ほう。貴方とはどうやら気が合うようで」

 だきには、「アンチ青春同盟係長補佐」の襷を彼に差し出しつつ言う。

「とまぁ、蚊帳の外の人間からは嫉妬心を買い、女性陣も競争にかまけて己の味方になってくれるわけでもない。率直に言って、モテ男の税金のようなものです」
「脱税したい……」
「まぁ、実際は女性の好意にも種類と程度がありますし、下手に立ち回ると火傷ではすみません。程々に、謙虚に振る舞うのがよろしいかと(副音声:あんま調子にのんなや童貞野郎)」
「う、うむ……」

 副音声まできっちり発言するだきに相手に、ひそひそと相談を交わす日雨。
 今後の日雨の人生についての、わりかし大事な方針への決定が為された所で、

「じゃあ、路線を戻していいかな」

 カクラナンナが、にこやかに告げる。額に青筋を立てて。

「確かに、僕らは犯罪に手を出している……密出国中の貴族を襲い、積荷を奪って活動資金を得てきた。人間社会において犯罪で、僕らの倫理観においても悪行だ。言い訳をするつもりはない」

 と、ため息混じりに苦笑する。

「だけど、僕らは切羽詰まってる。……密出国業者の手先になってるアンヴィスは、正直、長期的な視点を欠いていると言わざるを得ない。生活が安定すれば人口が増える。安全な階層の居住区は、そう広くないんだ。いずれ限界が来る。嫌でも下層に潜らないといけなくなった時には、戦う力を無くしてしまっているだろう。
 けれど、時代の潮流は彼らに傾いている。僅かながらにも賛同者がいるこの今、なんとしてもシャンバラに至らなくては、僕らに未来は無い」
「その為に……また強盗をやるのか」

 顔の筋肉に軽く緊張を走らせ、日雨は問いかけた。答えの分かりきっている質問をするなど、なんとも間抜けな事と思いながら。

「人間の君には、受け入れがたい事だと……分かっているよ」

 種族的な違い、という線引きを使って、カクラナンナは応じた。

「そうか」

 日雨は、一歩退いて表情の緊張を全身の筋肉に移した。
 一歩分離れたプルが、青ざめて場をとりなそうとする(シュニヤタの首からはもう手を離している)。

「お、おい。いいじゃねぇか! 相手は国から追い出されるような真似やらかした連中、税金やらなにやらで肥え太った豚野郎共だ! 身ぐるみ剥がれても天罰って奴で……」
「プルよ、余は東のある国で王子だった男だ。その税金やらで肥え太った者の筆頭よ」
「……っ」
「それに、悪人からなら奪っても良いという理屈を、余は好かぬ」

 強い拒絶の意志を込めた言葉に、プルは口をつぐむ。
 そちらに気を遣う余裕などなく、日雨は目の前の講師風の男に集中していた。サヴィトリの事情がどうあれ、現時点での意志決定権はこの男にある。

「人から奪ったもので理想を為すというのなら、余はそれを止めねばならん。……どうか、他の道を考えて欲しい」
「そんな道は無い……残念だよ、詞木島君」

 日雨とカクラナンナの間で、極限まで緊張が高まった、その瞬間。

「はん――世界を白か黒かでしか見ておらん愚か者どもめ」

 その間に割って入って、夜見が二人を嘲笑した。

「世間様の色彩は白黒付かぬ灰色が大部分を占めておると知るがよい。――カクラナンナ殿、わらわはサヴィトリの事業に出資するぞ」
「出……資?」

 唐突な提案についていけず、おうむ返しに訪ねるカクラナンナに、夜見は即答した。

「そなたらの活動資金をわらわが出す。戦力面でも協力しよう。条件は――わらわを、この下に連れて行く事じゃ」

 と、縦坑の方を手で示す。

「おい、夜見、」
「兄様。わらわは是非ともこのナラカの底を覗いてみとうなった。ここにはおそらく、幽霊国家が隠しておる神代の秘密の手掛かりがある。彼奴らに対抗する為の、情報がある」

 冷静な知見の中に、隠しきれぬ好奇心を滲ませて夜見は言った。

「それに、我らはもうチャトラの密出国業者には頼れぬ。ナラカの土地勘があるこやつらに、脱出の出引きをしてもらわねばならん」

 弱味を見せたくないのか、日雨のみに密やかに告げた後、彼女は周囲に向けて声を張り上げた。

「えらいえらい出資者様の命令じゃ! これよりは一切の遅滞を認めぬぞ! 我が従者に進捗をきっちり管理させる! わらわはかような穴蔵で貴重な十代を浪費しとうないからの、そこのがさつな小娘のように!」
「てめえ……」

 あからさまな当てつけに、プルが拳を震わせる。シュニヤタが「だ、ダメだよプル。実際出資者様はえら痛って」と余計な口を利いて拳の振り下ろし所に選ばれた。
 ――ともあれ、事はうまく運んだようだ。

「……すまんの、夜見」

 こっそりと妹に礼を言う。結局の所、事態を収拾したのは彼女の資金力だった。情けない話だが、日雨は何の役にも立っていない。
 よい、と夜見は日雨に背を向けて言った。

「金とは善悪を容易にはぐらかす便利すぎる道具じゃ。理想も真実も一緒くたに、現実という箱に詰めて蓋をしてくれる。……じゃから、兄様は金など持っておらん方がよい。そういうのは……その、わらわの役目じゃから」
「?」
「よ、よいから行くぞ。……その、なんだ、そこの、アレを拾って」
「おう。……アレをの」

 唐突に気まずそうに口を濁す夜見に、同じ熱量の声色で返す日雨。
 彼らは、見ないようにしていた――縦坑に空いた横穴の淵を。
 そこには、なんか、ぐんにょりした生物が座っていた。

「……」

 会話に一切参加せず、膝を抱え、煤けた背中をこちら側にさらしながらひたすら虚空を見つめる――

「く、くららよー」

 控えめに声を掛けると、くららはぐらぐらと揺れ始める。

「えへへ……何かな日雨くん。単なるオトモダチのわたしに何か用なのかな」

 何か言う余地が無かった。

「ふへ、へへへ。はい、わたし夢見てましたー……三つ編み眼鏡の地味子ちゃんの癖に、ヒロイン張ろうだなんて、そりゃあ運命様が許しませんよねー。ないないですよねー……すいません……これからはちゃんとモブに徹します……カメラさーん、こっち、ぼかしお願いしまーす……」

 心なしか、その発言と共にくららの輪郭がぼやけたように見える。
 日雨の理解できない語彙ばかりで、よく分からないが――落ち込んでいるらしい。

「……の、のぅ、くららよ」
「情けをかけてはいけません、日雨様。釣った魚に餌をやらない。女性の発するありとあらゆるメッセージを、ひたすら鈍感アピールでスルー安定の気概無くば覇愛恋夢王になる事はできませんよ」
「いや、王を目指すとは常日頃言うておるが、そういうのとは違うぞ、多分」

 だきにの意味不明の制止を振り切って、くららのそばに近寄ろうとする、と。

「うう……放っといてよぅ。わたしは背景なんだから……」

 物理的圧力すら持っているような凄まじい卑屈オーラに近寄れず、日雨はぬぐ、と唸る。

「……まぁ、ここは我らがなんとかするから」

 なだめるように(珍しくも)夜見が言う――やんわりと、追い払われているのだと日雨は理解した。
 喉に小骨の刺さったような顔つきで、彼はサヴィトリの集落へ向けて戻っていく。
 最後に振り返って、「晩飯までには帰るのだぞー」と声を掛ける。
 くららは、答えなかった。




 ――だから、わたしを手に取って、日雨くん。わたしの王子様。
 ――一緒に行こう、日雨くん。いつまでだって、どこまでだって。
 告白、っぽい。というかくらら主観では九割九分告白のような台詞を言ったのだ。
 ――ああ! 望む所だ。
 そう返事をしてくれたのだ。
 そして、そして……キスまでしたのだ。
 だから――二人は、付き合ってるのではないのか?

「付き合ってません」

 だきにの無情な台詞が、女三人を収容してやや手狭なテントに反響し、全方位からくららに突き刺さった。

「え? っていうか……え? たったそれだけで、これまで、あれだけ彼女ヅラしていたんですか? 貴女。本当に? うっそー」

 無表情のまま、傷口をスプーンでえぐるような残虐な口調で彼女は言う。
 そして、物理的ダメージを受けたようにぐらぐら揺れるくららに、とどめの言葉を口にした。

「うわっ……処女めんどくさ」
「うわーん!」

 とうとう耐えきれず、くららは頭を抱えてごろごろテントの床を転がった。
 ――あれから、なおもグダグダしていた彼女はだきにに引きずられてテントに戻り、食事もそこで取った。
 そのままスプーンで自分の潜る穴を掘りだした所で、見かねた夜見が「がーるずとーくじゃあっ!」と宣言した。

 テントの周囲にはだきにの用意した有刺鉄線付のバリケードが配置されており、「ガール3サミット(※単なる女子会)開催中。男子禁制。死して屍拾う者無し」と看板が立てられている。
 それを遠巻きに眺め恐ろしげにする人々に囲まれ、三人は討議していた。というか、一人の少女の恋愛観の瑕疵を二人で論破していた。

「そもそも、くらら様は告白すらしておりません」
「えっ」

 茶をすすりつつのあっさりとしただきにの台詞に、くららは衝撃を受ける。

「……うむ。そなたは気の利いた台詞を言うたつもりなんじゃろうが、「わたしの王子様」という台詞が好意の表明となりうるのは神代の文化じゃろ? 海外との交流が中世日本と大差無い秋津洲国には「白馬の王子様」という概念が存在せんからの。
 婉曲表現が通用するのは、共通の文化あっての事。遠回しな恋歌を詠んだ所で、返歌を返すというお約束を相手が理解してなければ無用の長物よ」
「「月は出ているか」「お前を殺す」みたいなものですね」
「……いや、そういうのとは違うし、多分そちの発言も色々と間違っているように思うが」

 口を挟んでくるだきにに、しっくりこない顔で夜見が返す。だきには口元を袖で覆って寂しげな仕草を作ると、「なるほど。これが文化の違いですね、いろいろと赤い大佐」と不思議発言をする。
 つまり、まとめると。

「わたし、滑ってたって事……!?」
「それはもうつるつると」
「まぁ、そうじゃの」

 ショックのあまりデッサンが崩れたくららに、だきにと夜見が追い打ちをかける。

「じゃ、じゃあわたし、単なる勘違いでこの二週間あまりのろけにのろけまくってたって事、かな……」
「蟻も胸焼けするような脳内糖度ですね」
「アルコール発酵して酔っぱらっておったのではないかや?」
「ひいいいいいい! 恥ずかしい恥ずかしい恥ずかしいぃ~!」

 再び頭を抱えて床を転がり、羞恥心に悶え苦しむくらら。

「ええい! うろたえるな愚か者!」

 だんっ、と床を拳で叩き夜見が大喝した。

「そのイタい過去については忘れよ!」
「あ、イタいと思ってるんだ……」
「ともかく! そなたにはわらわというぶれーんがついておるじゃろうが! あのような女子力を物理的暴力と理解してそうな不良娘の後塵を拝するなどあると思うか!」

 傲岸不遜に仁王立ちして言い放つ彼女に、くららは感涙する。 

「よ、夜見ちゃぁん……」
「軍議、軍議じゃあ! あの朴念仁兄の外堀を埋め、城門を打ち壊し、本丸を崩して略奪の限りを尽くす! そう! 恋愛とは侵略である!」

 右手をばっ、と振るい、夜見はくらら以上の盛り上がりを見せる。どうやらこの幼女は女子力を政治的暴力と理解しているらしい。
 かくして、女三人の恋愛討議は夜を徹して行われた。
 恒例の白衣に眼鏡の解説スタイルで、だきにの用意した黒板にチョークで縦横無尽の数式を書き連ねる夜見。

「ポケットから落としたハンカチが受ける空気抵抗と、万有引力から導き出される重力加速度を考慮して……カオス理論を適用し……これじゃっ! この相対距離と角度でハンカチを投下すれば、男もまた恋に落ちる!」

 今宵彼女が考案した理論はこの「ハンカチ落とし定理」のみならず「嫉妬煽りと処女アピールの均衡値」「リアル恋愛サイクル理論」「愛人のジレンマ」「場の恋愛論」「ダーリン予想」「一般男女相対性理論」など枚挙に暇がない。

 知性の限りを尽くし、チョークを七十三本磨り減らしてこれらの画期的な研究を成し遂げた夜見だが――何故男女の恋愛の解明にゼータ関数やら複素解析が必要なのかという疑問には、とうとう思い至る事は無かった。
 そして夜は明け、菓子の包み紙や湯呑みが杯盤狼藉と散乱するテントの中で、ようやく彼女は一つの結論を導き出した。

「――告れ!」

 中央にでっかく「告白」と書かれた黒板を叩いて、徹夜明けの充血した眼でくららを睨み、夜見は傲然と告げる。
 それに対するくららの返答は。

「え、え~……えと、その、恥ずかしいよぅ」
「ぬがあああああああああっ!」

 両手の指を突き合わせてもじもじしだすくららの胸ぐらを、夜見は掴み上げる。

「好きだの惚れただの愛してるだの、一言言えば済む話じゃろーが!」
「だ、だってだって、こういうの初めてだし……こないだのだって、ホント勢いだったし……告白したら、その、いろいろと答えが出ちゃうわけで……こ、怖いし……だったらこのままの方がいいかなー、とか……思っちゃうし……今でもけっこう、仲良くて楽しいし」
「な、なんて煮え切らん女……」

 ぎぎぎぎぎ、と歯ぎしりする夜見。

「今まではそれで良かったかも知れんが、兎娘という対抗馬が出て来た以上、それでは収まらんぞ! あやつを間に挟んで、遠くからただの友人として眺めておるような立ち位置にそなたは満足するのか!」
「う゛……それは、その、イヤだけど」
「じゃろ!? ならぶんどれ! 強引に兄様の隣に並べ!」
「うう~、で、でも、その……」

 なおも言葉を濁すくららに、夜見は髪の毛を浮き上がらせる程の怒気を発する。
 それに怯えつつ、くららはか細く言った。

「資格が……」
「何を、」
「――まぁまぁ、お嬢さま。一服おつけなさいませ」

 一触即発といった夜見の背後に立ち、だきにが湯気の立った茶を乗せた盆を手に言う。

「む……」

 水を差された夜見は唸ると、三つの湯呑みの内、一番ぬるいものを取り(猫舌なのだ)飲み下す。
 空気が沈静化した所で、だきには言う。

「我らも男性経験は皆無ですし、色恋沙汰に適切な助言をするのは困難かと。確かに、くらら様が告白した事で二人の関係が崩れるというのも十分考えられます」
「そ、それは……」

 諭されて、言葉に詰まる夜見。
 その隙に、くららが疑念を呈した。

「え? だきにさん、そういう経験ないんですか?」

 意外だった。多少人格に問題があるとは言え、この妙齢の美女然とした人が男を知らないとは。

「いえ、まぁ、何度か殿方のお誘いを受けた事はありますが、丁重にお断りしております」
「好みじゃなかったんですか?」

 当事者として槍玉に挙げられるのはキツいにしても、他人の恋バナは面白い、という至極真っ当な感性からくららは徹夜明けの疲れも忘れ、食いついた。
 だきには無表情のまま、それに答える。

「私の好み以前の問題として、五歳児に手を出せば彼らは犯罪者になってしまうでしょうし」
「……」

 一瞬、何か不可解な情報を耳にした、ような気がする。

「……ん? え? 後妻?」
「五歳です。――少し考えればお分かりでしょうが、私は夜見様に造られた式神ですから、当然彼女より年下でないと理屈に合いません」
「で、わらわがこやつを造ったのは自身が五歳の時分じゃ」
「このモデル体型の美女が……五歳!? ど、どこの層に訴えているのかしら……んんん? あれ、待って待って」

 くらくらとし始めた頭を、熱い茶を飲んで覚まし、くららは一つの悟りに至る。

「わたし、この中で最年長……?」
「まぁ、私的にはおばちゃんですね」
「ひ、ひどい……っていうか、十歳児と五歳児に恋愛相談してたの、わたし……」
「ええ。ですので昨夜から、いい年して恥ずかしくないのかなー、とか、人として情けないなー、とか思いつつ見ていたのですが」

 床に手をつき、じっと地面を見て己を省みるくららの後頭部に、だきにの暴言がざくざくと突き刺さる。

「……」

 すっ、と。
 くららは無言でスプーンを取り出し、シートを剥いで、地面に穴を掘り始めた。

「振り出しに戻りおったー!」

 頭を抱えて夜見は叫ぶ。

「うう……わたし、ダメ女……穴掘って埋まってるのがお似合いだよぅ」

 くららはうじうじとうめきながら、ひたすらに大地を掘削する。

「では、そろそろ私は出立の時間なので」

 それを残酷にも放置して、だきには盆を置き、身支度を始めた。行李のような竹の駕籠に携帯食料やら着替えやら、他にも用途の分からない道具を詰めていく。

「? どこか行くんですか? だきにさん」

 穴を掘る手を止めて、くららが聞くと、彼女は簡潔に答えた。

「ええ。これから日雨様と、お泊まりデートです」

 それだけ告げて、行李を背負うと淡々とした足取りでテントから立ち去っていく。

「……えっ? ちょっ、お、お泊まりデート!? ま、待って……だきにさーん!?」

 くららの制止を無視して、彼女の姿はあっさりバリケードから消えた。
 そうして、実年齢五歳と判明した式神女は、例によって例の如く場の空気をかき乱すだけかき乱したのだった。



[40176] 7.お泊まりデート七泊八日
Name: 八目又臣◆aa87a973 ID:17b043ce
Date: 2014/08/18 20:55
 黴の匂い、埃の匂い、苔の匂い、そして恐らく何かの生肉の腐った匂い。
 日雨はこの数時間、臭気ばかりを意識して歩き続けていた。サヴィトリの拠点にあったような光源となる発光植物はここには存在しない。

 アンヴィスの集落は、ナラカ迷宮の外壁の更に外、自然と崩れ空洞になった地層か自ら掘削した空間に設けるものらしく、迷宮本体は完全に人工的な建造物だった。夜見は「出入口付近の壁に突起があるはずじゃ。それを押してみよ」と助言してきて、実際その通りのものがあったが、何度押しても建物に変化は起きなかった。そういう時の場合は「電源が死んでおる」のだそうで「光源の確保は諦めよ」らしい。

 と言うわけで、前方を行くだきにの持つカンテラの仄かな灯りを頼りに、足を前に進める。
 通路の両側には、一定の間隔を取って小部屋が配置されている。扉は壊されていた――サヴィトリが探索の過程で破壊したのだ。道具の調達、新しい通路の捜索、休憩所の設置、理由は様々である。
 ある種の目印でもある。ここは、彼らが既に踏破した領域であると。
 ――やがて、それが途切れる。

「ふむ、これですね」

 突き当たりの丁字路にて立ち止り、だきにが足下を指差した。例の発光植物を植えた鉢が置かれており、そのそばの壁には破れたシャッターがある。その向こうは、数段も歩けば真っ暗闇の階段であった。
 アンヴィスはこの発光植物を〝パドマ〟と名付け栽培しているそうだ。有毒で食用に適さないが、最低限の土壌で容易に発育する。集落を構築する時、探索の目印にする時に用いる必需品らしい。
 ここから先は、サヴィトリらにも未踏の領域という訳である。

「しかし、物寂しいのー。ぞろぞろ隊列を組んで探検、というのを期待しておったのだが」

 シャッターの奥を覗き込みつつ日雨はぼやく。
 仕方のない事ではあった。昨日の人蜘蛛の襲撃で、サヴィトリには少なくない被害が出ている。死者の埋葬、戦力の再編に彼らは追われていた。集落の移転も検討しているようだ。プルやカクラナンナなど幹部連中はもちろん、末端の兵士も使える状況にない。
 その中、日雨たちだけで迷宮探索を強行したのは、カクラナンナの提案だった。

『君達が戦闘員として参加するなら、最低限自分達の面倒は見られる事を確かめさせて欲しい』

 そう彼は切り出した。

『一度迷宮にもぐって、感触を確かめて貰いたい。初心者気分で浮き足だった感覚のまま随行されては、土壇場でこちらの足を掬われかねないからね。――あの蜘蛛野郎の襲撃は、奴らのコロニーの移転に運悪く僕らの集落が巻き込まれたんだと思う。だから、僕らがマッピングしている領域は一時的に空白地帯になっているはずだ。危険は少ない。
 言い換えれば……その程度の危険に対応できないなら付いてきて欲しくないね』

 その物言いに同席していたプルは怒っていたが、日雨は特に無情とは思わなかった。モクレントレイにいた頃、中隊規模の傭兵団に混じって魔獣討伐の仕事をした事もある――彼らが言う事と同じだ。足手まといがいては、こっちの身が危ない。
 日雨は彼の提案に同意して、一人迷宮に入ろうとしたのだが。

「おや? 私との逢い引きではご不満ですか、日雨様」

 色っぽい文句も、鉄面皮で言われてはなびきようも無い。

「いいや、心強い」

 軽く応じる。だきにが護衛としてついてきた意図は分からなかったが、実際頼もしい。――これまでの道行き、彼女は足音一つ立てずに歩いている。足運びに一切の無駄が無かった。
 夜見が最高傑作と自負しているだけあって、この式神は性格を除けば万能である。家事、商いの補佐、そして戦闘能力に長けている。日雨よりもずっと。
 彼女がついてくるのでは、己の出番などない――と思っていたのだが。

「しかし、どうにも、拍子抜けだの」

 カクラナンナの保証した安全は、ひょっとしたら嘘かもと思っていたが――実際は、〝予想に反した〟虚言であった。これまでの道行きで、魔獣と一切遭遇する事は無かった。
 ノルマであった場所まで、何の苦労もなく辿り着いてしまった。これでは単なる散歩だ。

「まぁ、あえて苦労をしたいわけでもないが」

 頭をかいて、独り言を言う、と。

「おや、てっきり貴方はマゾなのかと思っておりましたが」とだきにが反応を返してきた。

「ま?」
「お嬢様に虐げられるの、好きでやっていたのでは?」
「そんな特殊な趣味は無い……」
「む、これは勘違いしておりました。義を見てせざるは勇無きなりを信条とする私が、好きでもない虐待を受ける方をこれまで素通りしていたとは」
「え? これからは助けてくれるのか?」
「いえ、今のは単なる、私の好感度低下を予防する自己アピールです」
「この人気のない場所でそれをする必要があるのか……?」
「いるではありませんか……そう、貴方が」
「多少媚びた程度では、今の嘘の分で下がった好感度は取り戻せんぞ」

 冷たく応じつつ、日雨は顔をしかめる。また彼女の煙に巻くような雑談に付き合ってしまった。
 うんざりとしつつ、帰還しようときびすを返す。
 その背に、だきには声を掛けた。

「やはり、日雨様は虐げられるのを好む性癖の持ち主と思われますが。いつも面倒ごとを進んで背負い込むのは、好きでやっているのでしょう?」
「言いがかりだ。……何が言いたいのだ?」

 振り返り、日雨は問いかける。カンテラの照らす彼女の姿を見返して――薙刀? いつ引き出した?――そもそも何故武装している――

「いえ――私も、ここで一つ、貴方を虐げて好感度を上げておこうかと」

 カンテラの照明が、一瞬浮き上がった。
 日雨の目線は、一瞬それに吸い付けられずにはいられなかった。罠であると気づいた時には、あまりに遅い。
 空中に浮かすようにだきにはカンテラを投げ、自身は身を沈めていた。日雨から見て左に投げられた光源とは逆の、右側から、薙刀を切り上げる。

 脇下から入って心臓を抉る軌道だった。彼女の膂力なら、上半身を横断して余りある。
 確定された運命を――不条理の技が覆した。

「……っづ」

 鞘から抜きかけの太刀で、日雨は斬撃を防いでいた。人間の反応速度では、決して防げない一撃のはずだった。

【〝Mediater Unit 02〟の生命危機を検知、防衛用ナノマシン〝Cat's Cradle Ver8.1〟緊急起動しました】

 視界の端に幻覚の文字が浮かぶ。太刀を握る手には、電子回路じみた模様が浮かんでいた。

「な……んの、つもりだ」

 なおも押し込まれる薙刀に、苦悶混じりの声で問い糾す。だきにはそれを無視した。

「ふむ……やはり、死に瀕すると起こるようですね、その変身は」

 悪魔憑きの腕力に拮抗しつつ、彼女は冷静に分析めいた言葉を吐く。

「大した力です。――しかし、少々鈍足ですね」

 告げるなり、彼女もまた〝変身〟した。
 頭部を押し上げるように狐の耳が生え、小袖の裾をめくって黄金の尾が生える。

「ぐっ!」

 呼吸を詰まらせて喘いだ。だきにの力が数倍に膨れあがり、薙刀を強く押し進めてくる。初動で遅れた為に崩れた姿勢では、耐えられない――
 そして、抵抗に意識を取られていた隙に、足絡みで右の踵をすくわれあっさりと転倒する。

 倒れた日雨の胸に、裾のはだけた白い足が跨がった。
 首筋に、うぶ毛をちりちりと擦る鋭い気配。手にした刀ごと押し切られ、薙刀の刃が紙一重の位置に添えられていた。

「私の九百九十六勝目ですね、日雨様」

 さらり、と髪の一房で日雨の頬をくすぐりながら、間近にあるだきにの口が囁いてくる。迷宮の匂いを上書きする、蠱惑的な女の体臭が香った。

「……久々にやったな、それ」

 一時期、彼女に稽古に付き合って貰って何度も勝負を挑んでいた事がある。戦績は全敗。一勝もしないまま、千敗に届く前に諦めて久しい。

「……コレの力でも、勝負にならんとはの」

 偶然拾ったような力をアテにしたつもりは無かったが、存外落胆していた。

「いえ、今の日雨様の霊格は私と互角まで向上しております」
「……ならば、技の差か?」

 今更気づいたが、彼女の投げたカンテラは落ちずに薙刀の石突に引っかかっていた。あの一瞬の攻防でそんな配慮をする程、余裕があったのだ。

「私の武術は、かつて存在した達人の情報をそのまま落とし込んだ物。鍛練の成果ではありませんので、劣等感を抱くには値しません……そして、今回の敗因はそれ以前の問題です」
「と、いうと?」
「その変身には、欠陥があります」

 だきには告げる。

「先手を取られねば使えないのでは話になりません。同格以上の相手には必敗するでしょう。その変身が自在にできていたのなら、先日もまんまと誘拐される事は無かったはずです」
「……そうは言うが、余もこの力をよくは知らん」

 夜見にこの症状を聞かせた時は、機傀悪魔の操者に施される防衛措置であろうと推察していた。生身での生存性を底上げする為に、機械的な処理で操者を強力な魔術師に改造する、という。
 天才児の妹ならともかく、自分の知性でそんな神代の技術を使いこなせるとは思えない。

「ならば、お知りなさいませ。身体で体得するのです」

 ようやくそこで、だきには身を引いた。立ち上がり、ぽっかりと口を開けた更なる下階への入り口を指差す。

「この下は魔獣の巣窟……命の危険には事欠かないでしょう。ここに、ひとりで、潜って頂きます」

 言葉を句切り、冷酷さを強調して彼女は言った。

「五十刻……百時間経てば、迎えに行きます。それまで生き延びて下さい」
「……中々、厳しいの」
「必要な事ですので。――得体の知れない幽霊国家と立ち回ると決めた以上、戦いは今後激化していきます。貴方は、力を付けなければなりません。
 先日のように、貴方の背負い込んだ面倒事を私に託されても困ります。窮地には、私はお嬢様の保護を優先しますので。残りを守るのは貴方の役割です」

 それとも、と彼女は挑発的に聞いてくる。

「面倒事は下人に任せて、玉座でふんぞり返るのがお好みですか? 王子様」
「は――くすぐるような事を言ってくれる」

 唇の端を吊り上げ、日雨は応じた。破れたシャッターに手を掛ける。

「確かに、お主の言う通りだ。ここで一つ、余は強くなっておく必要がある」

 妖気の香るような暗がり――などと思うのも、恐怖から来る妄想か。指先の震えを武者震いと誤魔化しつつ、階段を下っていく。

「いってらっしゃいませ、日雨様。ご武運を」

 一礼と共に見送る、妹の従者の声を背後に聞いて。




 さて、皆様御機嫌ようこ(妖狐にひっかけたオリジナルの挨拶です。生き馬の目を抜くこの業界では、自己アピールが肝要ですので)。腹グロ幼女こと詞木島夜見様にお仕えする式神、だきにに御座います。
 あれから、きっかり、ちゃんと、過不足無く百時間が経過致しました。時間に厳しく、秒刻みのタイトなスケジューリングで日々を生きるアイドル的な私ですので、これより日雨様をお迎えに上がる次第です。

 どうやら彼は、このいっ……百時間の間に迷宮のかなり奥深くまで進んでいたようで、先日の場所から更に二十階層ほど下に彼の匂いを感じます。狐はイヌ科なので、嗅覚には優れているのです。
 しかし日雨様も、私に気を遣ってもっと近い所で待っていてくれればよいのですが――まぁ、童貞野郎にそんな配慮を期待するだけ無駄というものですね。
 仕方ありません。

「えい」

 可愛らしいかけ声と共に、私は瞳孔を開きます。死んだマグロのような目と言えばよろしいでしょうか。
 鬼道も併用して暗視能力を発動させ、地下迷宮を進みます。
 旅程は大幅に割愛させて頂いて、目的の階層に辿り着きました。省エネですね。

「……おや」

 階段から下りるなり、視界に飛び込んできた景色に唸る私です。

「家庭菜園とは、牧歌的ですね」

 ここまでの階層は居住区らしきこぢんまりとした通路と小部屋のみで構成されていたのですが、この階は天井も高い、広い空間でした。畝、というよりは些か幅広の通路に囲まれる形で、畑が配されております。
 放棄されて数千年は経っているとの話ですが、不思議と枯渇しておりません。むしろ奇妙に発育した植物の蔦が、畑から溢れて通路を横断しています。
 栽培している作物は、イチジクに似た赤い果実で、蔦から成っております。

「……ふむ」

 一つ手に取って、囓ってみました。不用心かとお思いでしょうが、私は毒への耐性がありますし、食物の内容物を判別できる味覚も持っており、毒味は手慣れた物です。良い子は真似してはいけませんよ。
 予想に反して甘みはなく、芋のような食感と味でした。栄養価は高く、玄米のような完全食を想定して作られた作物なのでしょう。

 それともう一つ――この作物について、お嬢様に報告しなければならない事があるようです。
 日雨様を回収して、とっとと戻る事に致しましょう。
 ここは縦坑をぐるりと囲む構造の建築物なので、畑も緩くカーブしながら続いております。まずは一周してみましょうか。

 と、しばし通路を歩いた所で、道を塞ぐ死体を見つけました。
 大きな、赤色の猪です。体長は十メートルほどで、額や肩などの要所に昆虫の外骨格のような装甲を纏っており、横腹には戦端が槍のように尖った触手が数十本生えています。
 このような珍妙奇天烈な生き物は、いわゆる魔獣以外にありませんでしょう。

 人類を害する事を本能――いえ、〝本能以上の何か〟に命じられているかのような生命体。
 例えば――膏蟲コウチュウという、秋津洲国や大陸七国などの山間部に生息していた昆虫型の魔獣は、その特殊な臓器で生成した爆薬を火打石に似た顎によって引火させ〝自爆〟を行います。殺人が自己保存に優先するのです。

 多くの種が食糧を摂取せずに何十年も活動し、繁殖能力を持たない場合も多く、そして不条理なまでに人類に敵対する――その不可解さに対する畏怖が、魔の獣という呼称に現れております。

 この赤猪殿は、自然死ではなく、殺されたようです。額の装甲が割れ、中の脳髄が漏れだしています。周囲の壁に無数に空いた大穴は、この方が突撃した跡でしょうか。
 このような凶悪極まる怪物を撃退する、更に野蛮で暴力的な生き物がいるかと思うと、乙女として震えがきます。
 などと、思っていると。

「ウゥウウウララララララ――ッ!!」

 いかにも狩猟民族的な雄叫びと共に、赤猪の死体を飛び越えて高く跳躍する人影を目撃しました。
 野獣の如き理性の欠片もない眼光、身体に土をこすりつけて匂い消しとカモフラージュをする習性。特派員は目撃しました、彼こそ失われた秘境の民ポコロコ族――

「……っ」

 彼の繰り出してきた斬撃が思いの外重かったので、嘘をついている余裕が無くなりました。通路の金属を陰陽道で造形した即席薙刀キャシーちゃんの柄が、彼の振るう大きな刀を受け止め、あっさりと両断されてしまいました。
 短刀と半棒となった薙刀を左右の手に持ち、追撃を防御します。彼は私よりも背丈が低く、地を這うような姿勢で十重二十重の連撃を繰り出し――

 それに目が慣れた頃合いに、彼は後ろに刀を回しました。大地を蹴り、縦に回転しながら斬り下ろしの一撃を見舞ってきます。
 受け止めた短刀と半棒が粉微塵と砕け、その勢いのまま私は彼に押し倒されました。
 ああ無惨、乙女の純潔がこのような得体の知れない未開の部族に散らされてしまうとは――

「……む。だきにさんではないか」

 と、そこでようやくポコロコ族こと日雨様の瞳に知性の輝きが戻ります。変身の作用による白髪と赤眼も、元の色合いへと変化していきました。
 どうやら地下で孤独にサバイバルをしている内に野生化していたようです。いっ……たかだか百時間程度で、情けない話ですね。

 私の姿が見えているという事は、彼も鬼道で暗視しているようです。昔はそのような繊細な技術に対応する事は出来なかったのですが。このいっ……百時間の修業の成果は、単に変身を自在とする事に成功しただけではないようです。

「お迎えに上がりました、日雨様」

 押し倒されたままというのも格好が付きませんが、そう呼びかけます。まぁ、これはこれで趣深くはありますので。

「おお、もう百時間経っておったのか。生き延びるのに必死で気づかなんだ」
「いえ」
「? もしや、さすがに百時間も放置では可哀想かと救助に来てくれたのか? 中々優しい所があるではないか」
「いえ……実は、先日の居住区を漁ってみた所、知恵の輪を見つけまして」
「? ふむ」
「単純な遊具ですが、中々奥が深いものですね。つい熱が入ってしまいました」
「ほうほう、で?」
「気づけば一週間経過していました」
「おい」

 日雨様の額に青筋が浮きます。マウントを取られた状態で、この事実を明かしたのは少々不味かったでしょうか。

「それで私は、まぁいいか、と次の知恵の輪に取りかかったのですが」
「助けに来いよ!」
「直後、さすがに心配してやってきた夜見様に後ろ頭をはたかれまして、渋々参った次第です」
「お主、もしかして余の事が嫌いなのか……?」
「べっ、別に、貴方の事が好きなんかじゃ、ないんだか……ふぅ」

 おや、日雨様がきょとんとしております。やはり彼に古典を理解する侘び寂びは無いようです。まぁ、私も途中で息切れしてしまいましたが。
 中途半端なツンデレ台詞に冷めたからか、ここでようやく彼は私を押し倒している事に思い至り、身体をどけました。

「おお、これは失敬した」

 素っ気ない謝罪です。どうやら私の肉体では日雨様の獣性を呼び覚ます事はできなかったようで。
 私もまた起立し、日雨様に声を掛けます。

「初めて私から一本取りましたね」
「うむ……いや。今回のは数えんでよい」

 せっかくの賞賛を辞退して、彼はこちらを横目にして聞いてきました。

「……マモンと戦った時か?」

 ――ふむ、やはり要所要所では勘の鋭い御方ですね。
 そう。
 私は先日、多少手に余る方と一戦交えまして、本調子ではありません。

「どの程度悪い?」
「完全変化は当分無理ですね。治癒は可能ですが、時間がかかります」

 この際隠し立てしても無意味なので、正直に申告します。

「すまん。余の無謀で割を食わせた」
「いえ。あれはあれで、結果的に最善に近い形になったのではないかと」

 無茶もせずに理詰めの安全策を採った時は、あの赤い悪魔から全員生き延びる事はできなかったでしょうし。詳しくは一話をご覧下さい。

「それでも、借りは返させろ」

 彼は刀を肩に担ぎ、こちらに告げてきます。

「そなたが窮状にある時は、余が守ってやる」

 勇ましい台詞、ですが。

「……あまり調子に乗らない事です、日雨様。フラグが立ちますよ」

 私は水を差します。

「幽霊国家に対抗するには、本来このような付け焼き刃の修業では心許ないのです。しかし長々と山ごもりしている余裕もない。貴方は、この旅の中で力を付けなければなりません。まずは、すぐ隣の方を守れるようになっておく事です」
「む」

 手厳しい台詞に、日雨様が唸ります。

「ですが、まぁ」

 私はそんな彼に、ぽつりと言いました。

「貴方がまかり間違って鯉の滝登りの如き不条理な成長を成し遂げた暁には……お頼みしましょうか」
「――おう、任せておけ」

 まったく、すぐ調子に乗る。扱い易い方ですね。
 面白くて、からかいがいがあります。

「それに、それだけの男の甲斐性を身につけたのなら――身近な所で、愛人の一人も見繕ってみるのも……よろしいかも知れませんね」

 緩く鬢をかき上げ、襟元の肌をそれとなく見せてモーションをかけてみます、が。
 日雨様は目を白黒させて、

「そういうのは良く分からんし……その、なんだ、苦手だ」

 おやつれない。
 まったく、なんともまぁ――お約束的に、鈍い御方。
 周囲の女性は苦労しますね。



[40176] 8.暗雲
Name: 八目又臣◆aa87a973 ID:17b043ce
Date: 2014/08/20 19:37
 その階層は露骨に崩落していた。天井の石材が脱落し、中の鉄骨をさらしていない箇所はほとんど無く、折れた柱がいくつも斜めに傾いでいる。長い回廊で、中央に二本のレールが敷かれている。トロッコが通行する為の物にしては、随分と幅が広い。どちらにせよ、さび付いて途中から寸断していたが。

 障害物が無数にある地形だった。魔獣が隠れていそうな場所は、目視で探していればきりが無い。
 先行する小柄なアンヴィスの少年、シュニヤタが胸元に吊り下げた笛を取り、吹く――何の音も鳴らなかった。
 数秒後、後方に固まる小隊規模のチームに、声ならぬ声が届いてきた。

『正面に三匹。右側から迂回しよう』

 その指示に、部隊の一人が同じような笛を取り、短く吹く。これも音が聞こえてこない。よく見れば、彼ら全員がこの鳴らない笛を持っていた。
 彼らは俊敏な動きで指示に従い、目前の柱の右側に周り、進軍していく。

『左に一匹、右に四。中央を直進』
『何もいない。けど左側の足場が悪い。右に迂回』
『中央のルート……ガラスの破片? プル、いつもみたいにがさつな歩き方すると音が鳴る。気をつけてよね』

 彼らは同じ手順を繰り返していた。シュニヤタが笛を吹いた後、幻法を念話のような使い方をして後方の仲間に情報を伝達、彼らはその通りに動く(三番目の発言で、部隊の中心から怒りのオーラが上がっていたが)。
 その方法で、彼らはこの階層を一度も魔獣に遭遇せず進行していた。

『後もう少しで出口だ……みんな頑張って』

 仲間を激励しつつ、シュニヤタは忍び足で歩み、もう一度笛を吹こうとして――
 そこで不運が起きた。回廊の端の柱が倒壊して、大きな音を立てたのだ。

「ぎぃッ!!」

 彼らの前方数十メートルにいた魔獣が反応し、こちら側に〝転がってきた〟。腕の生えた巨大な球体である。腕の先端、本来手のあるはずのそこは花の蕾のような形をしており、開けば牙を並べた口があった。発声はここからしているのだろう。

「ヤタ! こっちに下がれ! 野郎共! そのへんの柱を楯に射撃開始!」

 部隊中央にいたプルが大声で荒っぽく指示を飛ばし、部隊はその通りに周囲の障害物を掩体代わりに銃撃を始めた。瓦礫に銃床を固定し、狙いを定めてフルオート射撃。
 安穏とした暗闇を火線が侵し、魔獣に直進する。
 しかし効果は芳しくなかった。回転しながら移動する球形魔獣は、身体の曲面が弾丸を弾いてしまうのだ。

 頭を抱えて、悲鳴を上げつつ逃走するシュニヤタに球形魔獣は狙いを定め、彼を押し潰そうと突進を仕掛け――
 その両腕に、天井から飛来した、刃渡り二メートル程の手槍が突き刺さった。

「キィ――――――――ッ!」

 音程を外した悲鳴が魔獣の腕から上がり、転がろうにも、腕を大地へ縫い止められている為にその場で悶え苦しむ。――サヴィトリらの知らない事だが、その腕に開かれていた口の中にはヤコブソン器官に似た感覚器があり、この魔獣は外界の情報を得るのをそれに頼っていた。人間で言えば目を潰されたのと同じである。

「っしゃあ! でかしたヒサメ!」

 その致命的な隙にプルは動く。天井に声を掛けつつ、背に吊ったマハーカーラを手に跳躍、噴出する炎の勢いを乗せた一打を魔獣に叩き付けた。
 声も無く、球形魔獣は砕け散る。

「ひゅうっ」

 口笛を吹きつつ、プルは着地すると誇らしげに仁王立ちした。

「安心している場合じゃない! 後方の魔獣がこっちに勘付いたぞ!」

 天井に張り付いていた日雨が下方に声を降らせる。彼は天井の石材の霊子と同調する事で、四肢をそこに吸着させていた。土遁と呼ばれる忍術の一種、大陸の道術では壁虎功とも呼ばれる技である。
 警告している間にも、既に生白い肌の人型魔獣、人喰鬼オグルが二体部隊に近付いていた。

 日雨は懐からナイフを取り出し、霊子を通す。
 長大な手槍に変形したそれを、人喰鬼に向けて投擲した。頭部に直撃し、頭蓋を貫通された人喰鬼は崩れ落ちる。――この投槍術は、接近戦だけでは戦術の幅が狭いと、先日の修業で考案した戦法である。付け焼き刃だが存外使えていた。

「余が援護する! 出口まで走れ!」
「任せた!」

 日雨の指示に、プルが応じる。部隊は一度牽制射撃を後方に向けて放ち、その後は一目散に駆けていく。身体能力の高い亜人らしく、崩れた瓦礫を物ともせずに飛び越え、目まぐるしい速度で回廊を疾走する。
 回廊の突き当たり、その左側にドアがあり、彼らはそこに飛び込んだ。
 殿しんがりの日雨が進路の途中の柱を巨剣で切り落とし、道を塞いでから後に続き、扉を力任せに閉める。

 息をつき、変身を解いた日雨にプルがボトルを投げ渡した。ステンレス製で、表面に「ば~~~む」と書かれている。なぜ秋津洲国の言葉日本語なのかは分からないが。
 中身はただの水だった。

「けったいな水筒だのぅ」
「それもナラカの遺産だ。けっこー重宝すんだぜ? カッコいいしさ」
「カッコいい、のか……?」

 プルの発言に、胡散臭そうな顔で日雨はペットボトルを凝視する。
 カッコいいだろ! と彼女は強硬に主張する。

「こういうのとか、看板とか、武器とかにゃ使えねー小物を集めるの、あたしの趣味なんだ。今度あたしんちに来いよ、見せてやっから」

 意外な趣味である。数奇者というやつの一種か、と日雨は納得した。地元にも、形の歪んだ茶碗などを「はにゃあ」とした味わいだのなんだの意味不明の事を言ってもてはやす奇人変人が少なからず存在していたのを思い出す。

「……このルートは使えねーな。魔獣が多すぎる」

 一息ついた後、プルが口惜しげに言った。
 彼らは先遣隊だった。未踏領域を探索し、魔獣の少ないルートを模索して後方の仲間の進路を確保するという物だ。
 これまでは、そんな手法は採られなかった。一度検討された事はあったらしいが、魔獣に発見される確率が高い為に、少数の偵察部隊を出すより大部隊を派遣して魔獣を駆逐するやり方が効率的と判断されていた。無論攻略には時間がかかり、何より数多くの犠牲が出るのだが、そうせざるを得なかった。

 前者の戦術が採用されなかった理由は、彼らの偵察技術の限界の為だ。
 アンヴィスの聴覚は、人間の耳と頭部の兎耳――補助器官との併用で高い精度を持つ。
 これにより、いわゆる反響定位が可能になる。音の反響を聞き取って、地形や移動する物体を把握するのだ。

 しかしその為には、自ら音を発する必要がある。反響定位には波長の短い高音である事が望ましいので、これまでは口笛などで行われていた。
 当然、この音は魔獣の耳に入る。
 これは種族的な欠陥、と屈辱に歯噛みしながらアンヴィスらはこの手法を諦めていた。
 つい先日までは。

「けどさ、本当にすごいね、これ」

 シュニヤタが首もとに下げた笛を手に、話に入ってくる。大きく息を吸って吹き鳴らすも、日雨には全く音が聞こえなかった。デモナイズしていた時は、多少耳に入っていたのだが。

「人間には全然聞こえないんでしょ? 今の音、僕らには物凄くうるさ痛って」
「間近でピーピー鳴らすんじゃねぇよ! 驚いたじゃねぇか!」

 涙目で耳を押さえつつ、プルはシュニヤタの脇腹に回し蹴りを叩き込む。おふぅ、と彼はうめきつつよろめき、壁によりかかって悶絶する。

「……まぁ、おまえの妹、いけ好かねぇ奴だけど、その、なんだ、確かによ、すげえな」

 プルはたどたどしく言って、「おい! あいつには言うんじゃねぇぞ」と釘を刺してくる。
 アンヴィスにのみ聞き取れる超音波を発する笛を開発したのは、夜見だった。
 妹にとってはナラカ遺跡の攻略を効率化する為のアイデアなのだろうが、それでサヴィトリの生存率が飛躍的に向上したのも事実だ。プルが明らかに性格の合わない夜見を賞賛するのは、これが私情を差し置いても認めざるを得ない功績だったのだろう。

(……ふむ)

 日雨は感心した。彼女はなんだかんだと言いつつ、部下の身命を預かっているという自覚があるのだ。

「今のお主は、なんか首領らしいぞ」

 茶化すように言ったのだが、予想した反応――殴り掛かってくるなどは無かった。
 顔を赤らめて俯き、ぼそりとこちらだけに聞こえる声で言ってくる。

「ほ、ホントに……?」

 ――これは、と。
 どうにも、意外なものを見た心地だった。あるいは単に、日雨の配慮が足りなかったのかと、反省すべき所なのか。
 目の前の少女はどういう理由でかは分からないが、この若さで一団の主という大役を担わされている。普段は乱暴で押しが強く、我が物顔でリーダーシップを取っているように見えていたが――プレッシャーを感じていない訳が無かったのだ。

 指揮を違えれば部下は死ぬ。いや、たとえ最善な手段であっても、この魔獣の巣窟では犠牲は不可避だろう。
 部下の死の度にこの小柄な少女は何を思っていたのだろうかと思えば、痛ましくなる。
 彼女は未だ、自分を信じ切れずにいるのだ。

「――ああ。本当だ。そなたは上手くやっている。いずれ名実共にサヴィトリの首領になれるであろう」

 日雨は言葉に熱を込めるようにして、強く言った。

「そう、かな」
「うむ」

 うつむき加減のプルにそう頷いてから、ぬははははと高笑いする。

「その為には現状に満足せず、更に乳を育てるがよかろう。母権社会には母性、つまり母なる乳房が必須だからの! あまねく男の吸い寄せられるような雄大な二つの山となれい!」
「死ねぇ!」

 途中まで良い話っぽかったのに裏切られた怒りを存分に込めた蹴りが、日雨の脇腹に突き刺さった。おふぅ、と彼はうめきつつよろめき、壁によりかかって悶絶する。
「あ、こんにちわ」先客として隣にいたシュニヤタの挨拶に、日雨もおう、と返す。

「オラッ寝てんじゃねぇバカ男ども! 今日のノルマはまだ終わりじゃねーぞ!」

 うずくまる男二人に粗暴に声を叩き付けて、プルは下層への階段を降り始める。一見していつもの彼女だが、あれで自信がついたのかどうか。

(……あやつのようには、いかんか)

 天井を見通すように眺めて、日雨はぼやいた。彼女は今、何をしているだろう?
 ナラカの探索を開始して、三週間程度経過していた。
 穴蔵暮らしにも慣れた。当初はぎこちなかったが、今ではプルを始めとして、サヴィトリの人々とは上手くやれていると思う。
 けれど最近、彼女とは上手くやれていない。

「……なんでかのー」




「実際、君達の働きには助かってるよ」

 十数人程度は収容できそうな大型テントの中である。
 天井に吊されたカンテラに照らされて長い影を作りつつ、カクラナンナは言った。

「先日、詞木島君が単独でここまで踏破してくれたのは、大きな功績だった。畑もあるこの階層に集落を移転できたからね。危険を犯して地上まで食糧を調達に走る事も無い」
「畑、というよりは屋内農業ぷらんとじゃの。どうもナラカは、長期間人間を収容する目的の施設であったらしい」

 カクラナンナに背を向けたまま、テーブルの上で書き物をしつつ夜見は言う。
 彼らは先日日雨の踏破した階層に、拠点を移していた。食糧となる赤い果実もあり、長期的にはサヴィトリの備蓄していた穀類の栽培が可能になるかも知れない。

 というのも、灌漑設備が生きていたからだ。周囲の地層から地下水を汲み上げ、濾過する機器がこのプラントにはあった。
 もちろんその稼働には電力が必要だが、それには夜見の術で補いをつけた。

 発電を魔術で行う――その荒唐無稽な試みは、いくら天才児の夜見でも試行錯誤の必要があった。
 第一候補は地熱発電である。チャトラは山のふもとにあり、火山活動のある事が予測されたからだ。たとえ死火山であったとしても、これだけ地下深くに潜っているのだから、地殻の熱が利用できるはずだ。
 夜見は亡命の過程で大陸七国の仙術も学んでいる。風水による龍脈構築を用いて、霊的側面から地熱の導引を試みた。
 結果は失敗。術は成功したにも関わらず、確保できる熱量が必要量を下回った。

 続いては地磁気による電磁誘導を用いて発電機を稼働させるというもの。発電機そのものはナラカの施設内に多く設置されており、簡単な修理で利用可能だった。
 地熱発電の時と同じ手法で地殻の更に深く、地核の熱対流から地磁気の導引を試み――これも失敗に終わる。やはり、必要量を確保できない。

 この時点でイラッと来て癇癪を起こした夜見が、テキトーに決めた第三案――これが何故か、図に当たった。
 プラント内の奥まった一画に、「発電室」と書かれた看板のかけられたドアがあり、そこから常に暑苦しいオーラが放たれていた。
 その中では、地面から浮かせた自転車を延々とこぎ続けている男達がむやみやたらな盛り上がりを見せている。

「苦しい時こそ笑えてくる! それが自転車乗りってヤツなんだよォ!!」
「負けるかァ! 山頂(?)はオレが獲るんだ!」
「なんというケイデンス! まだ回すのかこの男!」

 彼らは夜見の作った発電用式神、その名も「ナラカ学園ナラガク自転車競技部の皆さん」である。
 そう、最終的に決定案となったのは、単純極まる人力発電だった。
 何故彼らが進まない自転車で、ロードレースの激闘じみたやり取りをしているのかと言えば、競争意識を喚起させた方が彼らの運動能力が向上するからだ。
 それと。

「チッ……オマエなんかのケツを拝む羽目になるとはよォ……」
「なに、今日は僕の方が速かった、それだけの事……悔しいならまた来い。僕に君の尻を拝ませてみせるのだよ」

 深夜、周囲に薔薇の舞い散るようなイメージの台詞を交わす彼らを半開きのドア越しに覗く、和服に黒髪の幼女が目撃されている。その妖怪、通称腐り姫は粘ついた声で「眼福、眼福じゃあ……わらわの充電完了だわえ~」などと発言していたと、目撃者はおぞましげに語る。

 ――ともあれ、発電の成功はナラカで長年生活するアンヴィスらにとっても画期的だった。照明設備にまで回す電力も無く、魔獣を刺激する可能性から、これまで通り発光植物パドマで光源を確保せざるを得なかったが、それでも彼らはこの目新しい発見を絶賛した。
 夜見のもたらしたものは、サヴィトリと人間である彼女たちの融和に一役買っている。それは素直にカクラナンナも認めているし、感謝もしている。
 だが、

「その……君達は、一体、何をしているんだ?」

 恐る恐る彼は聞いた。テントの中央に目線をやりながら。
 そこには、体長二メートル程の人喰鬼の死体が横たえられていた。周囲に魔法陣じみた文様が描かれている――大陸極東の人間が見れば、それは遁甲盤の図式であると看破できただろう。
 死体の腹には数本の、八十センチ程の針が突き刺さっている。

 そばに立つだきにが、更に一本の針を死体の腎臓の辺りに突き刺すと、死後硬直しているはずの腕がずるりと動き、「庚」の文字を指す。――遠くから作業を覗いていた子供が、大いに怯えて逃げていった。
 この不気味な行為に耐えかねた人々の訴えを聞き、カクラナンナが代表として問い質しに来た訳であるが。

「解剖」

 魔法陣の外側に置かれたテーブルに付いた夜見が、素っ気なく答える。帳面に「腎に金気有。五行相生による身体強化か」と書き付けている――ならばそれはカルテか何かのつもりなのか。
 秘密主義からではなく、単に作業中だった為のぞんざいな返答だったらしい。彼女は記述を終えると、手元の湯呑みの中身をすすり、冷えた茶に舌打ちしてから解答を補足してきた。

「霊的な意味で、じゃがの。占いの一種じゃ。この魔獣の霊子構造を調査しておる」
「……? ええと」
「分からぬのならよい」

 夜見は手短に話題を打ち切った。カクラナンナが特別愚鈍な訳ではない。夜見の行っている術は、魔術師の中でも、実用する術者ではなく研究者にしか理解できない専門的な代物だ。
 その行為に至っては、研究者すら首を傾げるような物だった。

 科学の未発達なこの時代においても、魔獣という存在を行動学的に解明しようとする者は数多くいる。生態や習性、その能力、つまり表出している部分の理解は彼らへの対抗策と繋がるからだ。むしろ急務として、国も予算を出してくる。
 しかし、解剖学的なアプローチを用いて「魔獣とは何か?」という根本的な疑問を解き明かそうという人間は、これまでいなかった。あるいは表に出ない程軽んじられてきた。全く実際的でないからだ。それが分かった所で、魔獣を駆逐する手段には決してならない。

 だが夜見は、先日日雨と共に下層に潜ってきただきにの報告を聞くなり、その研究を始めた。
 それに並行して、

「多少の悪感情はこの際やむを得ぬ」

 切って捨てるように告げると、逆に彼女は問い返した。

「カクラナンナ殿、〝健康診断〟の受診率は未だ二割程度じゃ。全員ここに来るよう伝えよ」
「……ここに?」

 魔獣の死体を横目にしつつ、嫌そうな顔をするカクラナンナ。

「……別のテントを用意すれば受診率が上がるというなら、そうする」

 冷めた茶を飲み干してから、夜見は言った。

「地下深くで暮らすそなたらが、我ら人間が抗体を持たん病原菌を保菌しておるか、どうしても調べる必要がある。我らの命に関わる問題じゃ、妥協は出来ん」
「その、抗体? とか病原菌? というのがいまいちピンと来なくてね……皆そうだと思う」

 煮え切らないカクラナンナの返答に、夜見は苛立たしげに髪をかき混ぜる。彼が特別愚鈍ではない、ないが――どうしてこうも、話が通じないのか。

「とにかく、頼む」

 念を押すように、一言言いつける。
 嘘をついている事に、若干の罪悪感を覚えないでもないが。

(魔獣のサンプルはいくらでもある……じゃが)

〝アンヴィスのサンプル〟は、そう多くない。

(出来る事なら、墓を暴いて先日襲撃された死体に同じ術を施したい所じゃが……無理じゃな。多少の悪感情どころでは済まん)
「分かったよ。実際、恩義があるしね。全員にもう一度、声を掛けておく」

 冷酷な思索を弄ぶ夜見を余所に、愛想笑いを浮かべたカクラナンナはそそくさと立ち去ろうとした。これでは、大した働きは期待できなさそうだ。
 その背に、夜見は声を掛ける。

「カクラナンナ殿」
「? まだ何か?」

 首を傾げる彼に、問いかける。

「そなたは……アンヴィスが、ナラカを降る理由を考えた事があるか?」
「? それは、シャンバラが、」
「もっと根源的な所でじゃ。そなたらの運命を決定づけたのが一体何か、と言うてもよい」
「――さてね」

 と、彼は即答する。

「僕らに神がいれば、その彼なり彼女なりが命じた事と思った所だね。……君とは意見が合わないが、僕は宗教ってのは、人間のとりわけ優れた発明だと思っているんだ。――この日の差さない暗がりで希望もなく生きる僕にとっては、とても目映い物だよ。神というのは」

 どこか皮肉のようにそう告げて、彼は立ち去っていく。背を向けた彼から、微かに、火を灯す音と紫煙の香りがした――

「少し、焦りすぎでは?」

 だきにが、たしなめるように言ってくる。夜見はそちらにやぶにらみの目線を送り、諦めたようにため息をついた。疲労している、という自覚はある。この三週間余り、ろくに眠っていない。

「分かっておる。じゃが……この状況はまずい、ような気がする」

 夜見にしては珍しく、確信が持てなかった。現状では極めて順調に事が進んでいるのだ。ナラカの探索効率は上がり、完全踏破の見通しは立っている。サヴィトリの生活水準は向上し、その立役者である彼女らも概ね受け入れられていた。排他的な亜人相手に信頼を得るのは、本来困難な事なのだ。
 それを脅かしてまで研究を続ける論理的根拠は、実は無い。
 しかし。

「今すぐ我らの置かれた状況を把握せねばならん。何か大きな落とし穴にはまり込んでおるように思えてならんのじゃ」

 この悪寒には、覚えがあった。
〝彼女〟と屋敷で生活していた時、一見普通の少女でしかない彼女から感じていた得体の知れなさ。それに似た感覚を、今痛烈に覚えている。

「それって……今のわたしみたいに?」
「緊迫感を崩すな。空気を読めくららちゃん」

 テントの隅の隅に向かって声を掛ける。
 当の彼女、くららはさっきからずっとそこにいた。
 空気のように自然な存在感の薄さで、膝を抱えた人間が顔だけ出せる程度のあっさい縦穴にはまり込んでいる。
 スプーン一本でこれを掘ったのだから、映画の脱獄囚じみた情熱、いや情念だった。

「あっ、にぎやかし要員としても否定されちゃった……もっと深く埋まらなきゃ」
「ぐぅうう、めんどくさい……」

 スプーンを手に、今度は全身埋まる穴を掘ろうとするくららを嫌そうに見やり、夜見は唸る。
 ち、と舌打ちして、

「だきに、休憩じゃ。菓子を作れ。くららちゃんは茶を淹れよ。よもやそれで先日のような失敗はすまい」

 だきには手を霊酒で消毒するとテントから出て行き、くららもおっかなびっくりそれについていく。
 十数分後、炊事場から帰ってきたくららが持ち込んできた茶は、冷めているよりはマシといった程度の、もしかしていつも美味い茶を淹れるだきには物凄く出来た女なのではないかと錯覚してしまいそうな程の味だったが、茶菓子の蛋撻中華風エッグタルトでどうにか中和しつつ飲み下す。――憩いの時なのに全く楽しくない。
 おそるおそるこちらを伺うくららに、「まぁ、悪くはない」と最大限譲歩したコメントをすると、久々に褒められた(一応、形の上は)彼女は「うぇへへぇ……」と崩れた顔でにやける。

(うぅ、なぜ王女のわらわが、ここまで気を遣わねばならんのじゃ……)

 内心で頭を抱える夜見。
 くららの、先日より更に徹底した卑屈ぶりは、この三週間ほどの無惨な敗戦による物であった。
 初戦は、炊事であった。

 ――み、皆さんに、料理を振る舞わせていただきます!
 その宣言に潜む緊迫感、いわば「長年の修業で身につけた必殺技をお前らにお見舞いしてやるぜ」的なトーンの時点で気づくべきだった。あれは夜見の誤断だったと今でも悔やまれる。
 一見すいとんに見えるそれを口にしたカクラナンナが、首を傾げて「地上の料理は、その、すごく、薄味……なんだね?」と哲学的疑念を覚えたような表情でその料理を評価した。

 続いて夜見が食べてみて、驚愕した――味が、一切しない。
 おかしい、何故だ。厨房に立つくららの傍らには、こちらの持ち込んだ醤油やみりん、酢と各種調味料が揃っていた。それを使っているのも見た。しかし、味覚を刺激するものが全く無い。歯応えすら心に引っかからない。食べた気が全然してこない。これを口にしたつい数秒前の記憶が、なんとも不確かで仕方がない。
 これを料理というのなら、料理とは一体なんだ? 自分の今まで食べていたものは、なんだったというのか――夜見もまた深い哲学的疑念に囚われかけた。

「ふむ、精緻を極めた調味料の加減により、五味の一切が殺されております。ある種の至芸と呼べるでしょう。何の意味もありませんが」

 三番目に試食しただきにが遠慮容赦無いコメントをして、くららはテンプルにフックを食らったボクサーのようによろめいた。
 ああ、とだきにが思い出したように。

「精進料理には、これ以上無く向いているかと」

 とどめの一撃であった。その後くららは、厨房に近寄る事すら無くなった。
 二戦目は救護である。
 ――か、看護! 看護させていただきます! わたし、保健委員だったので!
 その宣言に潜む以下略。
 だきにの仕立てたナース服を着て(普通の看護師の制服なのに、なんか無闇にいかがわしかった)傷病者の収容されたテントにくららは赴いたのだが。

 ――当然ながら、サヴィトリの傷病者と言えば大多数がナラカ遺跡攻略の過程で大怪我した人間である。
 悲鳴と怒号と鮮血の飛び交う掛け値無しの修羅場を前に、彼女は即座に卒倒して逆に医者の世話になった。
 ――の、農業を……
 その略。
 アンヴィスは身体能力が高く、かつ発光植物の栽培で農作業に慣れていた。人間並の体力で未経験者のくららには、立ち入る隙がまるで無かった。

 最後に、彼らの一人に「もうあんた、何もしないでくれよ」と言われて以来、彼女はテントに穴を掘って土竜もぐらのふりをして生きる事を選んだ。
 そう。
 彼女は、物の見事に何の役にも立たなかったのである。

「うぅ、まぶしい……なんか重要っぽい仕事をしてる夜見ちゃんを直視できない……」

 両手で顔を覆い、なんとも卑屈な姿勢で発言してくるくらら。
 さっきのカクラナンナに対するのとは種類の違う苛立ちから、夜見は髪の毛をかき混ぜて、

「無理に仕事を探すのがそもそもの間違いじゃ。我らは客人なのじゃから、偉そうにふんぞり返っておるだけでよい」
「……そんな風には考えられないよ。夜見ちゃんもだきにさんも……日雨くんも、それぞれ頑張ってて、ちゃんとみんなの役に立ってるもん」

 湯呑みを両手に抱えつつ、うつむき加減にくららは言う。
 夜見はため息をついて、口を開いた。
 言葉がそこから上る、その一瞬前に。

「――先遣隊が帰ったぞ!」

 テントの入り口から、誰かが張り上げた大声が届いてくる。
 夜見たちが外に出てみると、プラントの下層に繋がる出入口からぞろぞろと出てくる者達がいる。革鎧を着込み、腰に山刀を吊っている兎耳の男女ら。
 夜見とくららが、不安げに顔色を曇らせる。兎耳でない少年の姿が見当たらない――

「負傷者だ! ヌーラレルナが足を折っている!」

 最後に、出入口の暗がりから、日雨が一人のアンヴィスの男に肩を貸して歩いてくる。先遣隊を囲む人混みをかき分けて進み出た医師に、その男の身柄を預けると、疲れの滲むため息をついた。
 それを見つけたくららが、人混みに歩み寄ろうとすると。

「ご苦労さん、ヒサメ」

 プルが日雨の肩に手を置いて、出迎えの一人が寄越した茶のカップを差し出した事で、くららの足が止まる。

「ルナを担ぐの、任せちまって悪いな」
「いや、構わん。余が一番体力に余裕があったからの」

 カップを受け取り茶をすすりながら、日雨はプルに微笑み返す。
 いつの間にか、彼女は日雨の事を名前で呼ぶようになっていた。――ある程度付き合いが長い人間には、そうしているらしい。あれは意外に人見知りで、こんな短期間でそうなるのは珍しいとカクラナンナが言っていた。
 この三週間、彼女と日雨は深く打ち解けていた。一緒に遺跡の攻略に参加し、生死のかかった状況で強い信頼関係を築いていた。

 くららには出来ない事だ。彼女自身に、プルのような戦う力は無い。
 人々に囲まれ、賞賛を受ける彼らが余りに遠い。
 近寄れそうに、無い。

「――おー、くららよ!」

 しかし日雨の方は、くららの姿を認めると無邪気に手を振りながら、群衆に「すまんの、ちと通してもらおう」などと言って避けつつ駆け寄ってくる。

「ただいま帰った。お主は息災かの?」

 にっ、と笑って言ってくる。
 ――遠い群衆の幾人かが、こちらに注目した。

「あ……うん」

 重みを感じる程の人の目線に、下を向きながらくららは答える。

「ご、ごめんね。わたし、用事があって……もう行かなきゃ」

 身の縮むような嘘を付いて、彼女は日雨に背を向けた。
 一歩、踏み出した所で。
 右手の小指を、ぎこちなく掴まれた。

「……そう言うな」

 そのせいで、後ろを振り返れない。日雨がどんな顔をしているか分からない。

「三日ぶりに会うのだ、茶の一杯でも付き合ってくれ。友がそうつれないと、余は……その、なんだ。つまらんではないか」

 ひどい女だ、と自分でも思う。
 ここ三週間ほど彼とはろくに会話していない。勝手に避けて、日雨を悲しがらせている。彼に取ってくららは単なる友達に過ぎないとしても、こう露骨にぎくしゃくしては心中穏やかではないだろう。
 自分の心情を押しても、彼に笑いかけてあげるべきなのだ。
 なのに、それが出来ない。今も、どうしても振り返れずにいる。

「……やはり、血生臭いのが嫌か?」
「……えっ?」

 ぽつりとした問いかけに、聞き返す。
 小指を握る力が、日雨にしては酷く小さく遠慮がちなのに、今更くららは気づいた。

「魔獣相手と言えど、殺生には違いない。そなたは気優しい女であるから、彼らを山程殺して生きる余は、随分とおぞましく見えるのだろう」

 彼は、ここの所の不仲の原因をそう解釈していたらしい。
 誤解だ、とくららは痺れるような自己嫌悪に震える。そう、それは全くの間違いだ。

(わたしは、優しくなんてない……きみがそう思うのは、きみが)
「ひ、日雨くん――」

 首を後ろに向けて、彼に言葉を掛けようとする、と。

「聞き捨てなんねぇな」

 プルが、こちらに歩み寄ってきていた。腕を組み、目元を強張らせ、明らかに憤っている。

「おまえ、魔獣ってのを可愛いペットか何かと勘違いしてんのか? あいつらはあたしらの敵だ。ツラ突き合わせれば命の取り合いをするしかねぇんだ」

 怒気に満ちた目線でくららを刺し、プルは言う。

「あたしの父さんと母さんは魔獣に殺された。アンヴィスの死に方としちゃ、珍しくもねぇ。ナラカここじゃ寿命で死ぬ奴なんざロクにいねぇんだよ」

 お、おい――と制する日雨を無視して、彼女は続けて責め言を吐く。

「この三週間、あたしらの中に死人は出なかった。それがどんだけ有り難い事か分かるか? こいつが、ヒサメがいつも前に出て戦ったから、あたしらは生き残れた。一番のダチってんなら、なんでそいつを理解してやんねぇんだ!」

 罵声を張り上げて、プルはひるむくららの右腕を掴み上げた。日雨の手から、小指が引き剥がされる。
 痛みに顔をしかめるくららの前に、戦慣れした少女の気迫に満ちた表情がある。
 そしてそこには、一抹の羨望と哀しみがあったように、くららには見えた。

「綺麗な手……おまえ、よっぽど平和な場所で生きてきたんだな。誰にも脅かされねぇで育った、何も知らねぇお人形の手だ」

 その言葉は、くららの心の一番深く柔い場所にひっかき傷を入れていた。

「プル! いい加減にせよ!」
「――いいの、日雨くん」

 プルの肩を掴んで引き離そうとする日雨を、くららは押し止める。

「彼女の言ってる事、全部正しいよ……間違ってるのは、わたし」

 それだけ言って、もう耐えられなくなった。
 くららはプルの手を振りほどいて、その場から走り去っていった。
 残されたのは、舌打ちして苛々と地面を踏みにじるプルと、伸ばした手を所在なさげにする日雨と、

「……おや。我々今、空気ですかね」
「であったら、場の空気もちゃんと読め」

 置いてけぼりで背景と化していた夜見とだきにであった。




 そして更に三日経ち、それでも日雨は、伸ばした手の持って行く先を見つけられずにいた。
 遺跡の下層へ繋がる階段を下りつつ、中空に向けて右手をかざし呆けたようにする。
 どこかで、何かを間違えたような気がするのに、それが何か分からずにいる――

「おい、ヒサメ。ボサっとしてんじゃねぇ、集中しろ」

 隣のプルが叱責してくる。
 おう、と答えて日雨は手を引き戻し、己の頬をはたいた。そうだ、ここは死の危険がある迷宮なのだ。油断は、己のみならず仲間全員の命を危機にさらす。

(山は九合目からが長い、とも言うしの)

 上るのではなく、地下に降っていくこの道程でも、同じ事が言えるはずだ。
 日雨の服の襟元には、小さな、ひれのようなものの生えた球形の生物が引っかかっている。夜見の造り出した観測用の式神だ。
 それは小さく「八千二百尋」と日雨に囁きかける。
 ――八千八百八十八尋、つまり、およそ十六キロメートルじゃ。
 同じ観測式神をナラカ中心の縦坑に投下した夜見は、地表から数えてそれだけの深度の地点に、縦坑の「底」があると説明した。

 つまりそれが遺跡の果てであり、アンヴィスらの約束の地シャンバラなのだ。
 距離にすれば四里程度の道のりの先にあるその場所を、彼らは二千年追い求めていた。逆に魔獣の侵攻を受け大きく後退する事も、絶滅しかけて繁殖に長い時をかけた事もあったと聞く。
 この数百年はずっと、八割の地点で足踏みしていたらしい。それが戦闘を極力避ける手法を見出した事で、一月足らずの間に一割以上の行程を消化している。快進撃と言って良い。

 それが理由で、サヴィトリのメンバーの士気は非常に高い。種族の悲願を自分たちの手で成し遂げられるとなれば、奮い立たずにはいられないだろう。
 階段を下る彼らは、全員が希望に目を輝かせていた。




 階段を降りきった先は、異様に広大な空間であった。
 床に敷かれているのはボルトの打たれた鉄板で、等間隔に並ぶ柱は直径で十メートルは優にある。視力を鬼道で強化しても、奥までは見通せない。巨人の世界――そういう童話が故国にある――に迷い込んだような錯覚を覚える。

「ヤタ」

 プルの指示に、シュニヤタが超音波笛を鳴らし、日雨には聞こえない残響を捉える。「うん。出口は……あっちだ」と闇の一画を指さした。

「でも……なんだろこれ。魔獣とは違う……でっかい人間の死体みたいなのがある」

 直感的に抱いた空想と、妙に符合する発言を彼はした。
 数百メートル程歩いた所で、その理由が判明する。

「……んだ、これ」

 どこか呆然とした調子で、プルがそれを見上げて唸った。
 柱に半分ほど身体を埋めて倒れる、鋼の巨人である。立ち上がれば体高は十メートル近くあるだろう。装甲には灰色の塗装が施されており、手にはサヴィトリらの持つ突撃銃をそのまま巨大化させたような火器が握られている。
 日雨以外の人間は、腰を抜かしそうなくらいに驚愕し、それを恐る恐る取り囲んでいるが。

(これは……!)

 大きさは一回り程上回っているが、かつて日雨のいた貿易都市モクレントレイを襲った軍の運用する鉄巨人、それに極めて酷似していた。彼らは機動甲冑アルマキナとこの〝ロボット〟を呼んでいた。
 鉄巨人はもう死んでいると分かる、問答無用の静寂を身に纏っていた。関節部から漏れ出すオイルと装甲の錆の匂いが、どこか血臭めいて鼻を突く。

 その機体だけでなく、この空間の各所に鉄巨人の残骸はあった。最初のものが最も保存状態が良かったらしく、四肢の欠落しているもの、下半身と上半身が分断しているものと、無惨に破壊されているのが目立つ。死屍累々といった態である。

「ナラカの遺産の中じゃあ一番の大物だぞ、これ」

 歩きながら残骸をいくつか見る事で慣れたのか、好奇心を覚えたようにプルが呟く。おっかなびっくりと一体の足を蹴りつけて、うへっ、と喜色を帯びた悲鳴を上げて飛び退く。――起き上がる事はないと日雨は分かっている。ハッチが破れ露出したコックピットの中には、誰も居なかった。

「遊ばないでよプル、緊張感無いなぁ」
「んだよヤタ。この階、魔獣はいねぇんだろ?」

 ぼやくように叱るシュニヤタに、口を尖らせて返すプル。
 シュニヤタは、うん、と頷くも、その様子は普段以上に自信が感じられなかった。

「どうかしたのか?」
「あ、いや……多分気のせい。耳を使いすぎて、疲れたのかな。ちょっと、音の響きが変な所があったように聞こえたんだ」

 気のせい、気のせいだよと言って、彼は問いかけを打ち切った。
 ――なんとなく、日雨は背後を振り向く。
 何もいなかった。

(……気のせい、か)

 行くぞ、とプルに呼びつけられ、日雨は彼女らの後を追い掛けていく。
 ――辿り着いた出口もまた巨人サイズであった。
 見上げれば首の痛くなるような、高さにして五十メートル、横幅に至ってはその倍はありそうな鉄の扉が立ちはだかっている。

「おいおいおい、こんなんどうすんだよ」

 唖然と見上げつつ、彼女は鉄扉を叩く。

「マハーカーラでブチ破れるか?」
「いや、無理だ」

 本気でそれをやろうと、背面に吊る鉄槌を手に取ったプルを制し、日雨は告げた。まさかこの大きさで、厚さだけトタン板並という事は決してあるまい。

「……一旦戻るしかあるまい。夜見なら妙案を思いつくはずだ」
「またあいつに頼るしかねぇのか……なんかあいつ、交換条件にすげぇ無茶振りしてきそうで怖いんだよな」

 その不安は、長年の付き合いである日雨にとっては不安どころか確定された未来であると分かっているのだが、この手の摩訶不思議に対応できるのは妹の知力しかない。
「一緒に頼んでやる」と焼け石に水のような事を口にして、日雨は扉を背に歩き出そうと【戦闘用C.I.M.E.R.Aの接近を検知。カテゴリーδデルタと推定。即時撤退を推奨します】視界の端に文字が発生した。

 同時、目前に巨大な物体が着地する。
 サヴィトリのメンバーが二人、その真下にいた。
 潰れて押し出された内臓と鮮血が、床に撒かれる。

「ジュルカルラ! マルカサトラ!」

 肉塊と化した仲間の名を呼ばわるプルの傍らで、怖気に満ちた声音でシュニヤタが呟く。

「な……魔獣!? こんなでかいのの音、聞き逃すはずが……」

 彼の指摘の通り、その生物はこれまで遺跡内にいた魔獣の中でも際だって大きかった。鱗の生えた大木じみた四肢に支えられる四足獣の体長は二十メートル程か。

「て、めぇ……!」

 仲間を殺された怒気のまま、大槌を振るおうとするプルを、

「止まれプル!」

 日雨の、必死の絶叫が留めた。即座にデモナイズし、彼女の前に立って巨大化させた剣の腹を左側面に差し出す。
 直後、身体がばらばらになったと思えるような衝撃に吹き飛ばされ、柱の一つにヒビを入れる程の勢いで激突する。

「がっ……!?」

 脳震盪に翳む視界の中で、鞭のように振るわれる怪物の尾を見つける。体長とほぼ同じ長さがあった。あれに一撃されたのか。

「ヒサメ!」
「構うな! 自分の面倒は自分で見る!」

 ぐらつく頭を押さえつつ、駆け寄ろうとするプルを叱責する。出現した怪物を観察しながら、恐慌に侵されぬよう必死で自制していた。
 体色は茶褐色で、白い鬣に覆われた、蜥蜴のような顔をしている。元は骨であろう突起が、肘の先から槍のように突き出していた。――雑多な生物をこねて混ぜれば、こんな形になるかと場違いなおかしみを覚える。そんな造形をしていた。

(〝九似形〟!)

 そして、額には朱色に輝く水晶のような角が生えていた。

(そして角付き……これは!)
「プル! すぐに仲間を連れて逃げろ!」

 悲鳴じみた指示を飛ばすも、地下に暮らすプルはその恐怖の意味を理解できずに一瞬逡巡する。
 その迷いを、怪物は即座に突いた。

「くぅあぁぅううぅうぅ」

 嬰児の唸り声のような奇っ怪な音を口内から発する――額の角の輝きが増し、口の端から赤い火の粉が漏れ出す。
 ――暗闇を、火線が灼いた。
 怪物が口から吐き出す熱線、その進路上にいたのは三人の亜人。中心にいた者は即座に炎上、そして蒸発し、側面の二人は半身を焼け焦がして悲鳴を上げながら床を転がる。
 残りの半身で涙を流し、苦悶の表情を浮かべてのたうつ二人の仲間を眺め、プルは茫然自失とする。

「――プル!!」

 日雨の大声に反応して、ようやく彼女はまともな思考を取り戻した。唇を噛みしめて、声を張り上げる。

「散開だ! バラけて出口に走れ!」

 その指示の意味する事を知っている、屈辱に満ちた声だった。運の悪いものは囮になって死ぬ。
 だが、日雨もまた逃げる以外の選択肢が無かった。相手が悪過ぎる。
 あれは、ただの魔獣ではない。

(竜種……!)

 この世界における紛う事なき最強生物。
 中でも、魔獣としての習性、人類への敵対意識を持つ竜はただの魔獣とは一線を画する存在として、こう呼ばれていた。
 魔竜、と。



[40176] 9.魔竜討伐戦
Name: 八目又臣◆aa87a973 ID:17b043ce
Date: 2014/08/21 19:31
「竜とは魔術を使う生物である。そして、その分類法は二つある」

 テントの中に居並ぶ聴衆を前にして、かっ、かっ、と黒板にチョークを当てつつ夜見は言う。いつものだぶだぶ白衣に伊達眼鏡の解説スタイルだ。

「一つは法律上の分類。北方の竜の国、ジラント皇国が人間の国家との協定により定めた〝竜権章典〟により、ジラント国外でも権利の保障された竜種を竜、それ以外を亜竜と呼ぶ。二百年前の人竜戦役の直後に制定された為にジラントにかなり配慮された内容となっており、田畑を荒らす野良竜も竜権を持つに至り、現在も社会問題となっておるが……こほん」

 講義が脱線しかけた事を、聴衆の目線で気づいた夜見は咳払いして、

「もう一つは、生物学的な分類。この区分では、竜を下級竜種、上級竜種の二つに定義する。これは下位の竜種から、段階的に説明した方がよかろうの」

 と、黒板の左端に丸を描き、上に下級竜種と文字を付ける。

「最も下等な竜……例えば車を引く軽地竜、海を翔る勇魚などがこれに当たる。この段階の竜は、蜥蜴や鯨など、他の生物種に造形が酷似しておる。これが、竜としての能力が向上するごとに多数の生物種の特徴が混じり、比定しにくくなってくる……竜とは、いわば複合生物なのじゃ」
「あ、ゲームとか漫画で見た事あるよ……キメラっていうんだ」

 くららが口を出すと、彼女が何を言っているか分からないサヴィトリのメンバーをよそに夜見は「うむ、そう呼ぶのが分かりやすいの」と頷いて、

「本来、生物には移植免疫がある為、こうした生命体が存在するはずはないのじゃが……いかなる方法でか、竜種はこの課題をくりあしておる。竜としての位が高くなる程に、この複合形質はより複雑になり……比定が不可能になった種の形質を、大陸七国や秋津洲国では〝九似形きゅうじけい〟と呼ぶ。無数の香辛料で作ったかれーのようなもので、ここまでくればそれを竜固有の形質と言っても良いじゃろう。この位の竜の代表格は蟠竜ばんりゅう……天に昇れぬ竜じゃ。準上級竜種とも言う」
「……まだ、上級竜種にはならないのかい」

 下級竜種の円の右端に書き足された、「しぎゃー」と吠えるデフォルメされた竜のイラストを見て、カクラナンナが問いかける。この男が生徒役をするのは、どこかおかしげな不釣り合いさが感じられた。
 夜見は黒板の右に丸を引きつつ答える。

「下級竜種と上級竜種を分けるものは、〝竜角〟じゃ」

 そちら側に描かれた「しぎゃー」はほぼ左のものと同じだが、唯一角が生えている点のみ異なっていた。

「竜角は半霊体であり、アストラル相から自然界の霊子を汲み上げる媒介となる。これの有る無しでは、能力の格が〝だんち〟じゃ。下級竜種は己の霊子しか利用する事ができない為、速く駆ける、風の助けを借りて限定的に空を飛ぶ……などという低級の魔術しか使えんが、角持ちの竜は極めて高度な術を使ってくる。反響定位をごまかしたのも、何らかの魔導の加護によるものと思われる。
 もっとも、この上級竜種もぴんきりで、ジラント国民は更に上の格として、高位竜なる区分けを提唱しておるが……ま、ここの地下の竜がそうではない事は確かじゃ」
「なんでだよ」
「魔獣としての習性を持つ竜……人間を無差別に襲う魔竜で、この高位竜が確認された事は無い――もしそうであれば、人類は今ほど繁栄しておらん。高位竜は一体で一国を滅ぼす力を持つと言われておる」

 ぶっきらぼうに聞くプルに、脅かすように夜見が言う。急に大きくなった話のスケールに、プルのみならず聴衆全員がおののいた。
 しかし、それは言い返せば安心材料でもある。シュニヤタが、「じ、じゃあ、あれはそこまで危険な相手でもないんですね……」と若干の笑顔で声を上げた。

 だが彼も、自分の発言を信じ切れていないようだった。彼は実際に、あの竜の威力を体感しているのだ。――三十五人の先遣隊の内で魔竜から逃げ帰れた、たった八人の一人として。
 この手の楽観論をよく口にする日雨も、全く声を上げなかった。彼と夜見は魔竜の脅威を知っている。――五年前、秋津洲国南端で起きた阿浪竜災あろうりゅうさい。あの時は、

「五千の兵と百の巫覡を動員して、ようやく討伐した。そしてその半数が戦死した。上級竜種とは、そういう存在じゃ」




 
 聴衆が立ち去って、寒気のするような静寂に支配されたテントに、日雨たちは取り残されていた。
 悄然とした足取りで立ち去っていくアンヴィスらの中で、最後に吐き捨てられたプルの言葉が痛々しく耳に残っている。

 ――ここまで来て! ここまで、来て……! 諦めなきゃなんねぇのかよ……!

 仮に阿浪竜災の魔竜とナラカ遺跡の魔竜が同じ戦力であるとして、大規模な兵員を無傷であの場所に送り込む手段が無い。そもそも、サヴィトリの構成員は非戦闘員を含めても一千にすら届かないのだ。
 他に、囮の部隊が魔竜を引き付けている間に、本隊を下層へ送り込む――サヴィトリの一人が提案したそのプランは夜見が却下した。

『密閉されたそこの巨大扉を開けるには、十分な調査が必要じゃ。そして、その魔竜はどんなエサをぶら下げても、〝決してその階層から出ていかんじゃろう〟』

 妙に確信的な物言いだった。それを思い返して、日雨は彼女に問いかける。

「夜見よ。あの言葉は、どういう根拠で言うたのだ?」
「……最下層付近の、いかにも重要そうな施設の扉の前に格段に強力な魔獣がいた。――いかにも〝おあつらえ向き〟だからじゃ」
「?」
「そやつはおそらく門番よ。扉に近寄る者を排除するよう、命じられておる」
「……誰に命じられていると?」

 人間が魔獣を使役する事は不可能であるというのが、現在の世界の定説である――戦争に利用しようとした国がかつてあったのだ。
 唯一の例外は、秋津洲国の開祖・始馭天下之比売命はつくにしらすひめのみこと。彼女はあらゆる生物、竜種すら使役する法外な巫術の遣い手であったらしい。

「わらわは……」

 日雨の問いかけには、彼女は答えなかった。ぽつりと呟いて、

「魔獣という存在を、今まで理解していなかったのではないかと思うておる」
「……?」
「まだ確証は無い。確定的な事は言えん」

 こちらから目線を外して、夜見は言った。どちらにせよ、囮作戦の失敗は確信しているようだった。

「どうにも……お手上げだの」
「――あ、あの」

 顔色を曇らせて呟く日雨に、おずおずとくららが声を掛けてきた。彼女から話しかけてきたのは久しぶりだ。

「わたしが……わたしが、戦うよ」
「駄目じゃ」

 夜見が即座に口を挟んだ。

「ここは地下深く……衛星の監視は無いと考えてもよいじゃろうが」
「なら!」
「すまん、これも確定的な事は言えん。……じゃが、サヴィトリの連中に〝セイタン〟を見せとうない」
「でも、夜見ちゃん、」
「単なるもったいつけで言うておるのではないのじゃ。あれを今晒す事で、我らが窮地に立たされる可能性がある」

 食い下がろうとするくららに、その口を塞ぐように夜見が告げる。

「けど、それじゃあの人たちはどうなるの?」

 しかし彼女は、それでも言葉を止めなかった。

「わたしにだって分かるよ……あの人たちには、もう帰る場所がない。ここで逃げても、他のアンヴィスの人達は受け入れてくれない」

 サヴィトリの反乱は、生活の安定を求めるアンヴィスらの立場を少なからず脅かしたはずだ。彼らの平和を掻き回すだけ掻き回して何の成果もなく戻って来る彼らを、元のコミュニティが保護してくれるだろうか?
 しかしここに留まっても、彼らはじりじりと魔獣の侵攻を受けて磨り減っていく。

 プルの絶望に満ちた言葉は、進退窮まったのを悟っているからこその、首領としての責任に苛まれた為のものだったはずだ。
 それをくららも理解していた。だから、何としても夜見を説得するつもりだった。

「夜見ちゃん、」
「――誰が諦めると言うた。そそっかしいぞ、くららちゃん」

 顔つきを不敵な笑みへ一変させて、夜見が傲然と告げた。

「え、でも、」
「次の攻略にはわらわが赴く。そなたが出るまでも無い――五千の兵と百の巫覡? 凡夫が頭数を揃えただけの事。戦は単なる数で決まるものではない」

 ここにいる誰よりも小さい身体で、思う存分ふんぞり返って彼女は言う。
 そして拳を、日雨の胸に押し当てて、

「試してみたい術もある。――多少は力を付けたようじゃが、所詮は主様もぱんぴーよ。わらわが一足飛びで主様の頭を飛び越えるのを、悔しげに見ておるがよい」
「はっ、可愛くない妹だ」

 口の端を吊り上げて、日雨は応じた。腰の刀を手の平で叩き、

「ならば余は、飛ぶお主の尻をかぶりつき拝ませてもらうとするかの」
「……はうっ!?」

 セクハラするのは得意なのにされる事に全く耐性のない夜見が、日雨の、本人はカッコつけたつもりの台詞に赤面した。





 魔竜討伐隊に参加するのは、日雨と夜見、だきに、そして。
 プラント下層に繋がる出口を抜けた先は、二十メートル先の階段まで続く平坦な道であり、そこには腕を組み壁に背を預けるプルがいた。

「……こいつはあたしらの戦いだ。おまえらに下駄預けるつもりはねぇ」

 いつもの蓮っ葉な口調でそう告げると、その向かい側に立つ男が呼応した。意外な人物の加勢に、日雨は目を見張っている。

「サヴィトリとしては、こんな無謀な戦いに参加する訳にはいかないがね……だから、僕はただの個人として参戦する」

 カクラナンナであった。普段のゆったりとした衣装ではなく、野戦服じみた布の衣類の腰に小さめの山刀を吊っている。
 その背に、大きめの革製の箱を背負っていた。くららが見れば、それを楽器のハードケースか何かと思っただろう。

「……あのな、ラナ」
「さっきも言ったはずだよ、プル。君の両親に、君の面倒を見るよう任されている。最低限僕の命を使ってでも、君だけは生還させるつもりだ。そうでもしないと、彼らへの恩義は返せそうにない。――もう一度言うが、僕の屍を跨ぐ覚悟が無ければここで引き返すんだ」

 文句を言おうとするプルに、強硬な口調で告げるカクラナンナ。やはり、最後は説教臭くなっていたが。

「……そうは言うけどよ、相手が相手だ。万一全滅したら、サヴィトリを任せられる奴がいねぇだろ」
「シュニヤタがいる。彼を大人達に補佐させるさ。――今後、他のアンヴィスの集落と和解するなら、僕のような因縁の多いロートルや君みたいな尖った若造よりは、むしろ適任だ」
「……む」

 発言にさらっと込められた皮肉に、プルは頬を膨らませながらもこれ以上の反論はしなかった。
 はっ、と鼻で笑いながら、彼女は周囲を見渡して、

「五千人だかの軍隊でやっと倒せるバケモン相手に、五人で挑むか。一騎当千の勇士サマってやつ? はは、笑えるぜ」
「はん」

 夜見がその前に対抗するように立ち、プルを見上げつつ、見下した笑みを浮かべる。

「そちら凡骨に、そこまでの期待をするか。四人揃って人並の働きをすればよい――残り四千九百九十六人分を、わらわが担う」

 挑発的な文句を応酬し、いかにも柄の悪そうにガンを付け合う二人――これはこれで、物凄く気が合っているのではないかと日雨には思えてきた。

「……あ、あの!」

 その背中に、引きつり気味の声が掛けられた。
 身体を縮めながら、うつむき加減にくららは言ってくる。

「生きて……帰ってきてね」
「――うむ。必ず、そなたの元に帰ってくる」

 縮こまる肩に手を置いて、日雨は笑いかける。心が軽くなった気分だった。

「……う、うん」

 くららは赤面して、こくりと頷く。

「……さっきから死亡フラグをずんがずんが立てていらっしゃる皆様方。もしやわざとやっているのですか?」

 これから死闘に赴くとはとても思えない、いつも通りの調子でだきにが彼らの盛り上がりに水を差した。
 一瞬前までは燃え立つような熱気に溢れていたのに、どこか澱んだ空気に支配された中、日雨が億劫ながらも声を上げる。どうしても出立前に明らかにしておかねばならない懸念だったからだ。

「しかし夜見よ、この先の道のりは厳しいぞ?」

 運動神経の切れている妹に踏破できる道だとは思えない。まさか道中ずっと、だきにに抱えてもらうつもりか。
 言外に乗せた疑問を受け取っても、夜見は自信たっぷりの表情を崩さなかった。

「当然、その備えはしておるわ。新術の〝一部〟として、運動機能を補助する術を開発した」
「ほう」

 聞くところによれば、連日テントに引きこもって奇っ怪な作業にふけり近隣住人を怯えさせていたとの事だが、いつの間にそんな用意をしていたのか。なんとも抜け目のない幼女である。

「今より、それを披露する、が」

 ――そこで夜見は、なぜか言葉を句切り、この場にいる連中一人一人を睨みやると、

「忠告しておく。これより先、少しでも笑ったらわらわへの敵対行為と見なす。ありとあらゆる手を使って貴様らの身を破滅させてやるので、そのつもりでおれ」

 凄絶な表情を浮かべ、恐ろしげな警告をしてくる。

「よいな! 分かったら返事をせい!」

 更に念を押して声を張り上げる夜見。一人一人が返答するのを、しっかり確認までした。

「……いったいなんなんだよ。分かったから早くしろって」

 焦れてきたプルが、苛々と言う。
 それにも長めの沈黙で応じ――覚悟を決めるように頷くと、夜見は呪言の詠唱を始めた。

『高天原ニ神留マリ坐ス天宇受賣命アメニウズメノミコト ノ霊威ヲ以テ神モ笑ヒエラグ御業ヲク奇シキ玉裳ヲ繕ヒ給エ――』

 すると、彼女の着る黒い和服が変化していく。
 色彩は黒から、白とピンクを基調としたものへ。裾はフリルとなり、長さも短くなって細い足が晒される――その直後、足袋がニーハイになって膝上まで覆い隠した。
 空中に粒子のようなものが集束し、柄が金色で白い羽の生えたステッキの形を取って、夜見の手の中に収まった。

 出来上がった凄まじく恥ずかしい姿をひと目見て、くららは拳を握り目を輝かせ興奮気味に、その衣装を着た十代前後の少女の普遍的な名称を叫ぶ。

「魔法少女だ!」





「……では、ぶりーふぃんぐじゃ」

 魔竜の潜む階層近くの小部屋まで来て、ようやく日雨とプルを呪い殺す計画をぶつぶつ呟くのを切り上げて夜見が言った。
 あの時、カクラナンナは自分の尻をつねり上げてどうにか耐え呪殺を免れた。だきにも鉄面皮を通したが、「危なかったです」と後に呟いている。

 くららは未だに電源を切って所持していたスマホをスポーツバッグから取ってきて、魔法少女スタイルの夜見の激写を敢行した――どう考えても羞恥心を煽る意味では彼女が一番酷かった気がするが、「笑った奴は敵」という前言があったので彼女は処罰を免れた。
 鬼火を喚んで照らした部屋に、瓦礫の欠片を配置して夜見は述べる。

「今回、大型魔獣との戦における最もおーそどっくすな手法を採る事にした」
「足留めして、大砲で仕留めるか」

 魔獣の討伐隊にも参加した事のある日雨が、妹の言わんとする事を察した。
 うむ、と彼女は頷いて、

「竜種は基本的に回復能力を持つ。上級竜種ともなれば、戦闘中に切られた腕を復元させるなど朝飯前じゃ。一撃で、修復不可能な致命傷を与える必要がある」

 近年、軍隊ではその為に屠龍弾――大口径の榴弾などを開発している。
 それ以前の手法としては、大規模な魔術による攻撃が行われていた。

「今回、その役はわらわが担う」

 だが、本来それは、熟練の術者でも百人単位の頭数を揃える必要があったはずだ。
 夜見はいとも容易く、単独での砲撃手を請け負うと言う――それが単なる安請け合いでない事を日雨は知っている。
 彼女は、大きめの石の周囲に小さい石を四つ置き、離れた箇所にもう一つ小さな石を配置して告げた。

「そちらの仕事は単純じゃ。術の完成までわらわを守りきればよい。そうじゃな……ばっふぁを入れて、五分と二十秒。その間、わらわはたーげっとを視認圏内に置きつつ、術の構築に専念する必要がある」

 つまりそれまで、あの怪物の間近で無防備を晒す事になるわけか。それを知りつつ眉ひとつ動かさないとは、己の妹ながら大した度胸だと日雨は感嘆した。

「おい、その大砲の威力ってのは、ホントに信じていいんだろうな。あたしらはてめぇを守って、あのバケモンの矢面に立つんだぜ。それで五分と二十秒後に出てくるのが貧弱な豆鉄砲じゃ、笑い話にもなんねぇ」

 プルが腕を組みながら、胡散臭げに言う。
 夜見はそれをせせら笑って、

「全財産を賭けてやろう――きっちり時間内を耐えきった時は、どでかい竜の死体が出来上がっておると」

 揺らぎ一つない大言壮語に、プルは気圧されたように口をつぐむ。

「僕らに代案の無い以上は、それに従うさ」

 カクラナンナが代わって応じる。

「すぐに出るか?」
「いや――偵察を出す」

 夜見は懐から呪符を出して、彼の問いかけに答える。

「まずは戦鬼を彼奴と戦わせる。今回は術に集中しなければならんから、本番で使役する事は出来んからの。魔竜の戦闘能力を把握した上で詳細な戦術を定める。そちらも自身の戦力を明かすのじゃ――特にカクラナンナ殿、その背の箱について知りたい」

 カクラナンナの持つハードケースを指差して、夜見は言った。
 そして彼が頷くのを待って、居並ぶ全員に宣言する。

「戦鬼の限界の頃合いに、我らが突入する。なるたけ保たせるつもりじゃが、一刻以上は無理じゃの。各々、覚悟を決めておくがよい」





『全員、配置は完了だ。いつでも行ける』

 大広間のどこかから、カクラナンナが念話で告げてくるのを、日雨は柱の影で聞いた。
 幻法の使える彼の同行は幸運だった。こうして隠れながら、各々バラバラに魔竜に接近するには念話が不可欠であった。
 夜見が採用したのは、各個に別の方角から接敵する散兵戦術である。固まっていては、魔竜の吐く熱線を回避するのに足の引っ張り合いになる恐れがあるからだ。

 了解、という意味で日雨は超音波笛を短く吹く。あらかじめ取り決めていた合図では、はいは短く一回、いいえは短く二回。
 そして、戦闘開始は五秒以上鳴らす。その役割は日雨に与えられた。戦鬼の状況を把握している夜見を配置まで連れて行く役を、彼が負ったからだ。

「そろそろ、戦鬼の霊力が尽きる」

 柱から顔を出し、戦況を伺っていた夜見が言う。
 あるいは戦鬼が魔竜を討ち果たしてくれれば、という希望もあったのだが、甘い目論見だったようだ。
 大広間の暗闇は、隠れる彼らが分からない程度のほのかさで夜見の鬼火に照らされており、絶望的な戦況が見て取れる。
 召喚された二鬼の式神の内、一鬼は既に熱線の直撃を喰らって霧散していた。残りの戦鬼い号も左腕を失い満身創痍である。

 対する魔竜は、ほぼ無傷であった。
 かつてこの戦鬼は二体がかりで幽霊国家の機動甲冑を打倒した。魔竜はそれ以上の能力を持っている事になる。もしかすると、この階層に屍を晒す機動甲冑の群れはこの竜の祖先が壊滅させたのかも知れない。
 そんなものと、たった五人で戦う――控えめに言って、無謀極まる。
 率直に言えば、自殺行為か。

(……は)

 呼吸が乱れ、指先が震えを催す。

(なんとも、なんとも、情けない事)

 荒い呼吸のせいで喉まで渇いてきた。唇を舐めると、自己嫌悪の苦い味がする。
 日雨が自分を虐める楽しみに耽っていた所で、

「兄様」

 こちらから背を向けたままの夜見が、声を掛けてきた。

「……なんだ?」

 問い返すも、彼女は数秒沈黙を挟んできた。

「本来ならば、守りはだきに一鬼で十分じゃった……じゃが今回、あやつの無理が利かぬ」
「……気づいていたのか」
「当然じゃろう。わらわはあやつの主ぞ」

 ふん、と小馬鹿にした口調で彼女は言う。
 更に間を挟んで、夜見はらしくもなく訥々とつとつと述べる。

「……じゃから、の。主様のようなしょぼい凡骨男にも、見せ場っぽいものがあるというか、いないよりはいた方がマシというか」
「喧嘩を売っておるのか、お主」

 毒舌にうめき、日雨は妹の肩に手を置く、と。
 彼は驚きに目を見張った。小さな肩から伝わる、身体の震え。

「しっ、しし仕方ないじゃろうがっ……わらわ自身が前線に出るの、初めてなんじゃもの。決め手の術もてすと不足のぶっつけ本番っ、わらわは行き当たりばったりという言葉がねずみの次にだいっきらいじゃというに……!」

 舌先が痺れているのか、いつにも増して舌っ足らずに夜見は言う。
 ――自信が無かったのか。
 これまでの自信満々な大言壮語は、強がりだったようだ。自分を奮い立たせる意味と、何より士気の低下を恐れたか。

「じゃから!」

 夜見は、こちらを振り返って声を張り上げる。

「五分と二十秒だけ、兄様を信じる。わらわの命を預かってみせよ!」

 その必死の形相に――なんとも笑えてきた。

「任せておけ、夜見。余がお主を守ってやる」

 震えが止まった指で、妹の頭を撫でる。
 そして日雨は笛を手に取り、長く吹き鳴らした。





「ぎぃゅるるるるるっ――」

 損耗し、霊力が枯渇して動きの鈍くなった戦鬼い号の顔面を、魔竜が左の前肢で掴む。
 額の竜角が赤く輝き、心臓から前肢にかけての血管が白く発光した。

 ――がしゅんッ!
 一体どういう体構造をしているのか、左前肢の内部が小爆発を起こし、肘の尖った骨格が腕内に侵入、手の平から突き抜けてい号の頭部を貫いた。

『ごぉあああああああああああああっ!!』

 限界のダメージを受け消滅する一瞬前、意志無きはずの式神が意地を見せた。雄叫びを上げて両腕で魔竜の前肢を捕縛、地を蹴り飛びついて腕挫十字固を極めた。そのまま前肢を捻り折って、泡の如く霧散する。

「でかしたぞ、い号――」

 親である夜見が、その散り様に賞賛を送って、ステッキ――夜見は強化した御幣ごへいと主張していたが――を目の前に掲げ、自己暗示を施す。
 トランス状態になった彼女は、術の完成まで自我を失う。その間は完全な無防備だ。
 これで後には引き返せなくなった。

「はぁああああああああッ!!」

 裂帛の気合いと共に、デモナイズした日雨が奔る。一直線に跳躍して、巨刀を魔竜の顔面に叩き付けた。
 相手は牙で斬撃を受ける。大木を斬り落とす一撃は、表面を浅く傷付けるのみに留まっていた。日雨の発する白い霊子に混じり、赤い粒子が中空に吹き出す。
 戦鬼の偵察で判明していた事だった。魔竜は体表を魔術で保護している。

 しかしその強度にはムラがあり、顔面や主要臓器の防御は堅固だが、それ以外がおろそかであった。
 日雨が注意を引き付けている間に、戦鬼い号がへし折った左前肢を、半妖の型に変化しただきにの薙刀が斬り落とした。夜見の察した再生速度からして、二分は使い物にならない。右前肢も封じた事になる――この魔竜は完全な四脚動物だ。猿のように二本足に移行する事は無い。

「くぁうるぅうるる――」

 間近にある竜角が光り、口から火の粉が吹き出す。熱線を放つ予兆だ。

退け、詞木島君』

 念話の指示が飛び、日雨は牙を蹴って後方に飛び退く。
 滞空する彼を狙って魔竜の口が閃き――

《PLASMA LAUNCHER――FIRE》

 その横っ面にサッカーボール大の光球が命中した。吹き出しかけた熱線が暴発し、魔竜の下顎が消し飛ぶ。
 カクラナンナは機動甲冑の残骸の一つの影に隠れ、伏射の姿勢で射撃の成果を伺っていた。その手に保持しているのは黒く塗装されたロングライフル。銃口にはマズルブレーキに似た冷却器が取り付けられており、緩く蒸気を放っていた。

 弾倉は無い――彼が〝光の槍シュチ・シャシヤ〟と名付けたこの火器は、プルのマハーカーラと同じくグリップが霊子を吸収する構造となっており、それをプラズマ球に変換して射出している。
 術力がそう高くない彼は、陰形と射撃の併用は出来なかった。こうして物陰に隠れる必要がある。

 状況を最も静観できる位置にいた彼は、即座に下顎の再生を始める魔竜に舌打ちする。別の狙撃地点に移動しなければ、熱線で反撃されるだろう。
 やや離れた地点に着地した日雨は、再び魔竜に接近する。彼の役割は囮であった。常に相手の前面で立ち回り、可能な限り攻撃を誘引して隙を作り、そこを仲間が突く。

 い号の最後の仕事で、それは随分とやりやすくなっていた。熱線は前兆があり、牙の攻撃は低い位置にいる人間相手には不都合だ。最大の不安要素であった前肢を封じた今、そうそう遅れを取る事は――
 彼の楽観を嘲笑うように、頭上から刺突が飛来する。
 どうにか紙一重で回避した日雨は、間近で攻撃の正体を見る――やじりのような鱗が無数に並ぶ、魔竜の尾だ。
 一瞬尾は日雨から遠ざかり、振り子のように急速に戻ってくる。

「まだ、私を守るには程遠いようで」

 薙刀の柄で打撃を受け止め、だきにが小馬鹿にした口調で言う。

「囮役は二人で務めましょう」

 短く告げると、日雨の隣に立って薙刀を構える。
 尾による打撃は土砂崩れの如く、素早く、縦横無尽であった。逸れて地を打った一撃は、鉄板の床を歪ませ、表面をやすり掛けしたように削り取る。一撃でもまともに喰らえば致命傷を負うだろう。
 日雨とだきには、嵐のような攻防の只中、決死で攻撃を凌いでいた。鱗と床の破片で衣服と皮膚に無数の裂傷が出来ていく。

 神経の焼け付くような集中の最中に、二人共に一瞬未満の隙を見つけて同時の一撃を放った。
 尾を押さえつけるように斬り下ろし、床に縫い止める。

「っしゃあッ!」

 柱の影で出番を伺っていたプルが、強く呼気を吐いてマハーカーラを点火、空中から魔竜へと躍りかかる。
 狙いは――背中。

『この竜は、脳が二つある』

 戦鬼から偵察の成果を受信していた夜見が立てた予測だった。頭部の脳は竜角の近くに配され魔術の制御に専念し、運動機能は安定した体幹部分の脳が担当している。

「だらぁッ!!」

 気合いを込めて発声。自身と得物の重量、噴射炎、亜人の筋力全てを乗せた打撃を背骨の中心に叩き付ける。

「ぎゅるっ!?」

 奇っ怪な悲鳴を口から上し、魔竜は大地に突っ伏した。衝撃が魔術で強化された体表を突き抜け脳に届き、脳震盪を起こしているのだ。
 指示するまでもなく、打ち合わせ通りプルは即座に魔獣の背中から跳び離れた。体表を浸透する打撃でアタッカーに適するとされた彼女であるが、防御の手段が無い。常に一撃離脱ヒットアンドアウェイを念頭に置くよう夜見に厳命されていた。

 入れ替わりに日雨とだきにが飛び出す。次の狙いは上級竜種全般の弱点とされる額の竜角。あわよくばこのまま押し切る心算であった。
 が――敵は紛う事なき最強の種。この程度の攻め筋ではいのちを差し出してはくれない。

「ぎるるるるるるるるぅ」

 不気味な雄叫びを上げ、魔竜は――右前肢を床に叩き付けた。
 がぎゅぅッ!! と、肘の突角を突き出し鉄板の床を貫いて、

「きゅるるるるるるるるるるるるるるるるるるるるる」

 角と心臓が赤く発光する。膨大な魔力が右腕の先端に注ぎ込まれている――
 瞬時に、床が溶解した。

(足場を崩したかッ!)

 魔竜を中心として円形に赤く溶け崩れる床から、たまらず飛び退く。あれと同じ皮膚の強度が無ければ、融解した鉄の上を歩くなど不可能だ。

(不味い……!)

 相手は安全地帯に立ち、悠々と熱線で攻撃するつもりだ。日雨たちは回避出来ても、魔竜が夜見に気付けば攻撃を阻害する手立てが無い。

「――ラナァッ!!」

 焦燥感に炙られた日雨にも、遠くに立つプルの呼び声が届いた。

「あんたの腕、信じてるからな!」

 そう叫ぶなり、再びマハーカーラに点火、大地を蹴って飛び上がった。

「プル……!」

 別の機動甲冑の影で伏射姿勢を取っていたカクラナンナが、悲鳴じみた声を上げる。今度は尾の打撃を日雨たちが止める事ができないのだ。あのまま突撃すれば良い的だ。

(ちッ……無鉄砲過ぎる! 父親そっくりだ!)

 毒づいて物陰から飛び出し、膝射姿勢に切り替える。スコープを覗く眼球の奥が、過度の集中で痛みを訴え始めた。
 四つ耳で大気の流れを捉え、一瞬の射撃の機を掌握する。
 トリガーを、引く。
 発射された光球は、プルを狙って突き出された尾の先端を弾いた。
 尾が頬をかすめて逸れた事に、熱狂の中にある彼女は気付いていなかっただろう。
 間合いに入った瞬間、その手に握る鉄槌を彼女は――裏返した。

「こっちにもな、切り札くらいあるんだよッ!!」

 魔槌が彼女から膨大な霊子を吸い上げ、内部に蓄積する。漏れだした余波が火の粉の如く赤く漏れだし、その表情を照らした。
 血に餓えた獣の貌だ。

《JET HAMMER EXPLODE》

 魔竜の体表に噴射口が接触した時点で、マハーカーラから音声が発せられる。同時に――魔竜の腹から、爆炎が噴出した。

「ぎ――! るりゅりるるるッ――」

 奇声を上げ、魔竜は眼球をぐるぐると蠢かせて再び溶けた床に転倒した。腹を焦がしながら、壊れたぜんまい仕掛けのようにでたらめに腕を動かし、地面を掻いている。

「やった――脳を破壊した!」

 蒸気を上げるライフルを立て、カクラナンナが歓声を上げる。

「ぜぇ……ぜひ……ぐ」

 切り札とやらは余程体力を消耗するのか、プルは魔竜の背に鉄槌を立てかけ、それにもたれかかるようにして喘いでいた。

「出番……無かったな、クソガキ」

 指先を動かすのも困難そうな疲弊の中でも、勝利を確信して彼女は誇らしげに笑う。
 ――ぞわり、と。
 根拠の無い悪寒が、日雨の背筋を撫でた。
 神託――いや、彼に取り憑く悪魔の警鐘か。

「逃げろォッ!!」

 無駄と分かりつつも叫び声を上げる。今の彼女に跳ぶ力は無い。
 日雨が駆けつけようと、足を踏みだした、その時。
 魔竜の、人間であれば肩胛骨のある場所から――五本目の腕が生えてプルの身体を握った。

「……なっ!?」

 自分を捉えた、蛍光色に輝く半透明の腕を見下ろして彼女は戦慄する。実体ではない。視覚化されたテレキネシスだ。
 霊体の腕とでも言うべきそれが、プルの身体を締め上げる。

「――あっ、ぎ!? ぎゃああああああああああああぁっ!!」

 苦痛に絶叫する彼女を見て、カクラナンナが「プルッ!?」と調子を外した声を上げる。
 しかし、反応は古強者らしき迅速さだった。即座にライフルを構え、魔竜の顔面を狙撃する。
 光球が直撃し――しかし、表面を軽く焼き焦がすだけだった。

(強度が……上がっている!?)

 よく見れば、額の竜角の光度が増している。まさか今までは、全力では無かったというのか!
 ――カクラナンナの狙撃は、ダメージを与えなかったにせよ怯ませる事には成功していた。魔竜は霊腕を振るって、プルを放り捨てる。
 中空に投げ出された彼女を、日雨はかろうじて受け止めた。

「……ぅ、く」

 半分意識のない彼女が、日雨の腕の中で激痛にうめく。右肘があらぬ方向に曲がっている。身体の各所が骨折しており、内臓にも傷を付けているかも知れない。すぐにでも治療が必要な状態だった。
 しかし、相手は逃がしてくれそうにもない。

「くぁあうぁああううるるるるる」

 音程を外した鳴き声を響かせながら、魔竜はゆっくりと立ち上がった。斬り飛ばされた左前肢、そして腹の傷が治癒している。もう中の脳まで修復したというのか。

(もしやこやつ……二つの脳を同時に破壊せんと、死なんのか?)

 片方の脳が一時的に機能を代行し、その間に破損した脳を修復しているという事なのか。
 出鱈目な強靱さであった。思わず、希望をかすませる懸念を抱く程に。
 夜見がたとえ術を完成させたとしても、離れた箇所にある急所を同時に吹き飛ばすような威力があるのだろうか?
 絶望的な思索に耽っている隙に――魔竜は四本のあしで重戦車のごとく突き進む。
 その先には、カクラナンナがいた。

「くっ……!」

 唸り声を上げ、彼はライフルを抱えて逃走する。柱の影に逃げ込み、楯にしつつ距離を取っていく。
 魔竜は柱を回り込んで追いすがろうと――はせず、その場に停止した。

「……?」

 怪物の不可解な行動に、日雨は怪訝さに眉をひそめた。が、どうであれ今の機会に、プルを安全な場所に置いてこなくては――
 そう考えて彼女を背負い、歩き始め、そして。
 驚愕に、足を止める。
 魔竜の停止した地点、そこには二体の機動甲冑の残骸が横たわっていた。

 その機械の腕にはそれぞれ、巨大な片刃の剣と、サヴィトリのメンバーの持っていた自動小銃をそのまま大きくしたような火器が握られている。
 魔竜はもう一本背中から霊腕を生やして、剣と銃を両手に取った。その霊体の指先が器物の内部に潜り込んでいる。

《Certification process……error……error》

 二つの兵器から、意味の分からない無機質な音声が発せられる。
 その調子が、途中から変化した。

《errぁ……えrra……Eらあ~……え、ら、あ》

 狂わされている、と日雨は直感的にその現象を理解した。その兵器には意志のようなものがあり、魔竜の霊腕はそれを乗っ取ろうとしているのだと。

《Confirmed Correct ID... Start up〝FN SCAR-A MK-21〟》
《Confirmed Correct ID... Start up〝AMAKUNI PLASMA EDGE〟》

 銃と剣が、同時に音声を発した。
 魔竜の霊腕が、剣を左右に二度振り抜く。
 刃部が真っ白に発光した剣は、鉄骨の入った柱を容易く斬り飛ばし、その向こうのカクラナンナの姿を露出させた。
 次いで小銃を構え、銃弾をバラ撒く。床に落ちる薬莢が子供の腕ほどもあるという、巫山戯ているかのような大口径であった。

 カクラナンナはかろうじて別の柱に退避した――しかし、武器を抱えて逃げる間は無かった。打ち捨てられた彼のライフルとの間の床には、無数の弾痕が穿たれている。

「馬鹿な! 遺産を使う魔獣だと!?」

 武装を手放した悔恨混じりに、彼はうめく。

「かぁうるるぁっ」

 魔竜はカクラナンナに止めを刺そうと前肢を一歩進め、
 そしてその側頭部に、だきにの投げつけた薙刀が当たり、弾かれる。
 彼女は果断であった。抗戦は不可能と判断して、回避して時間を稼ぐ事を選んだのだ。
 魔竜はターゲットを彼女に変えて、銃撃しつつ突進する。一発につき人間の頭部並の大きさの穴を鉄の床に穿つ弾丸を、走力の強化に集中した鬼道を用いる事でだきには何とか回避していく。

 日雨もまた、柱の影にプルを隠して戦闘に復帰した。二人がかりで攪乱するならば、時間内まで逃げ切る事は不可能ではないかも知れない――
 甘い、想定であった。
 魔竜は銃口を広間の一点に向けた。
 日雨でも、だきにでもなく。
 その先には、術に集中する夜見がいた。

(見つかった!?)

 恐慌に駆られ、日雨は真っ直ぐに魔竜へ向けて疾走する。だきにもまた、徒手空拳で走り出す。
 その途端、魔竜は銃口を接近するだきにへと振り向けた。

「な……!?」

 撃発。白色のマズルフラッシュと同時に、銃弾が鉄床に弾痕を穿っていく。
 その中に、生白い女の足も含まれていた。

「だきにさん!」

 ――かろうじて彼女は、柱の影へ退避出来たようだった。しかし右足の膝から先が吹き飛んでいる。戦闘不能だ。

(夜見を、囮にした……!?)

 気付くべきであった。
 戦端を切るより以前からおかしかった。最初からこれだけの力を発揮していれば、戦鬼をもっと短期間で倒していたはずだ。
 この怪物はおそらく、戦鬼との戦闘のどこかの時点で察していたのだ。これが偵察であると。
 だから戦力を隠し、本隊を待った。

 そして戦いながら、日雨たちの意図を探った。どのような手立てで己を打倒するのかと。
 早い時点で、作戦の要が距離を取って戦闘に参加しない幼女であると気付いていたのかも知れない。
 他の四人が決め手となる攻撃手段を持たないと悟ると、次に魔竜はこう考える。

 ――確実にこの五人を殺す方法は何か。
 早々に夜見を潰した場合、残りの人間は逃走を図るだろう。次戦に戦力が引き継がれ、情報も持ち帰られる。現在の戦闘も、以前に先遣隊を仕留め損なったのが原因だ。
〝それでは不味い〟。
 鏖殺おうさつを期した魔竜は、作戦の要をあえて残す事で全員を誘引し、弱らせて仕留める事を選んだ。
 そう、作戦である。
 この獣は、戦理を理解している!

(――〝異常だ〟)

 戦慄と共に、日雨はそう直感した。
 強靱な牙と爪、そして魔術。のみならず神代の兵器を乗っ取って使い、知性を以て戦いに臨んでいた。
 ただの動物がここまでの戦闘能力を持つ事に意味があるのか?
 こんな生物が、自然に発生するものなのか?

「くぁるららうぅうるるる」

 思考に気を取られている暇は存在しなかった。再び魔竜は夜見に銃口を向ける。
 罠と悟っていても、前に出る以外の選択肢が無い。

「……く」

 魔竜の前に踏み出せば、先程とは圧力が段違いだった。左前肢は完全に再生し、その上二本も腕が付け足され、それぞれに神代の超常の兵器を取っている。

「くぁあああああああああああああああッ!!」

 苦し紛れに一吼えして、前進する。
 同時に、前面の空間を埋める程の攻撃が飛来した。尾の一撃を皮膚を削りつつ避け、薙ぎ払われた左前肢を倒れ込むようにやり過ごし、小銃の銃撃を潜り抜け、光剣の袈裟懸けの斬撃を跳び上がって躱し、
 頭上から降ってきた、右前肢の掌に地面へ叩き付けられる。

「……がッ!?」

 巨大な手が視界の全てを覆い隠し、眼前に生臭い臭気を放つ暗い穴が開いている。
 そしてその穴は、次第に赤い光を放ち始めた。戦鬼い号を屠った突角を放つつもりだ。
 問答無用の死がそこにある。逃げ道は無い。

(終わり、か……)

 それを認めると、心に黒い幕を下ろすような絶望がやってくる。
 敵は圧倒的な生物だった。そもそも挑むのが間違いだった。素のままの人間は、少しでかい程度の犬にも殺される脆弱な種族だ。それが現実だ。
 種としてここまで格の違う存在と戦おうなど、他の種からすれば本能が壊れていると笑う所だろう。素敵な宇宙船地球号の中でも、一番の馬鹿者だ人類おまえたちは、と。
 妹もまた、天才などと嘯きつつその摂理を理解しない、馬鹿者の一人だったわけだ。
 無謀の代償を、命で支払って終わりにするのが相応なのだ――

(……しかし)

 身体の奥底の深い場所から、小さな声が聞こえる。

(……なら)

 心の一部が、道理に膝を屈しかけた日雨に反論していた。

(なら……なぜアンヴィスは、二千年もの間、地下を目指したのか)

 彼らはただ愚かだったのか。
 地上を夢見て、地下を降る。それが馬鹿げた事だったのか?

(ち……がう、だろう)

 更なる心の欠片が、日雨を責めたてる。
 世界をひらく為に戦う。それが――間違いでなどあるものか。
 断じて、断じて、断じて。
 断じて!

(何を諦めている……お前は!)

 お前を信じた詞木島夜見は、愚かだったのか? あの、自身の天性を殻と成して引きこもり、決して人を頼る事の無かった妹が、勇気を出して命を預けた。それを間違いだとして良いのか?
 お前は――詩乃目くららに生還を誓ったのではないのか?

(馬鹿はお前だけだ! 詞木島日雨!)

 人の信頼を裏切って勝手に命を諦めようとしている、お前だけだ!
 数多くの心の欠片を繋ぎ合わせた事で、その輪郭が理解できた。燃え滾り、摂理に抗えと背中を押す心の一部が。
 怒りだ。
 己の前進を塞ぐ全ての障害かべが許せない。己の諦めが、弱い心が。
 そして、視界にはまさしく前を塞ぐ、無駄にでかい怪物の手があった。

「……どけ」

 苛立ちを込めて、それに告げた。手は、身じろぎ一つしなかったが。
 更に強烈な怒りを覚え、日雨は叫んだ。

「余の邪魔をするな! どけぇえ――――――――ッッッ!!」

 ――がしゅんッ!
 魔竜の前肢が撃発し、蒸気を噴き出して肘の突角が腕内に侵入する。
 ――しかし、先端が肘の穴から露出した所で、突角が停止していた。

「くぃるぅっ」

 魔竜が奇声を上げる。――もしかするとこの獣は、唖然としたのかも知れない。
 魔竜の手が、微かに浮いた。
 十トン近い体重を乗せた前肢を、五十キロ前後の小柄な少年が押し返している。

「が……き、く」

 その口には、魔竜の突角の先端がくわえられていた。彼は、突角の刺突を食らいつく事で受け止めたのだ。
 巨獣の手を押す彼の腕には回路図めいた文様が浮かんでいる。これまでは肘までであったのが、肩口にまで侵食していた。
 身体からは青白い霊子の光が吹き出し、広間を明々と照らし出す。

「がぁああああああああああああああああああッッ!」

 雄叫びを上げて、日雨は魔竜の前肢を投げ飛ばした。
 相手がバランスを崩し、ぐらつく隙に落とした太刀を拾う。
 その瞬間既に、背後から回り込むように尾の先端が迫っていた。
 振り向きもせず、日雨は太刀を後方に斬りつけて尾を弾いた。

 視野を遥かに超える体格の相手に、視力を強化しても効果は薄い。
 耳だ。
 聴力に専心して鬼道で鋭敏化させる。
 心音を、筋骨の軋みを、眼球の動きを、呼吸を聞き、攻撃の予兆を読む。
 暗い穴蔵で生きる亜人が、そうしてきたように。

「ぅるくくるるるるるるるるっ」

 唸り声を上げて、多角的に攻撃を加えてくる魔竜。
 左前肢が横薙ぎに振るわれる。

「だらぁッ!」

 脇構えから掬い上げるように斬り上げ、吹き飛ばす。
 左の霊腕の握る小銃が、こちらの身体と射線を結ぶ。

「しゃら臭い!」

 震脚。鉄板の根本を踏みつけて、固定するボルトごと引っこ抜き楯とする。
 それを切り裂きつつ、右の霊腕の光剣が上段から振り下ろされた。

「握りが成っとらんわド素人がッ!」

 左拳を頭上に掲げる上段――雷刀でそれに応じた。刀身長、身幅共に三倍近い光剣は、日雨の真一文字の斬撃に弾かれて大きく後退する。
 単純に五倍の手数を持ち、乱気流を叩き付けるかのような怒濤の攻めを繰り出す魔竜に、たった一振の太刀で日雨は拮抗していた。
 いや――押し返していた。
 最初は爪先の一寸程度、それが一歩になり、やがて十歩を超える。

 この強大な体を持つ種からすれば、相手はいかにも貧弱な小人だった。
 そんな存在に追い詰められた焦りからか、光剣の斬撃は元から技を持たないばかりか心までも欠いていた。武術を練磨した人間からすれば狙いごろの乱雑さであった。日雨は下段から絡めるように斬り上げ、霊腕から柄をもぎ取る。
 生じた勝機に、大地を蹴った。
 魔竜の頭よりも遥かに高い位置へ跳び上がると、懐からナイフを取り出し手槍に変化させる。過剰に注ぎ込まれた霊子により、その長さは五メートルを超えていた。
 投げ飛ばし、左右の前肢を鉄床に縫い止める。

「かぁるぅっ!?」

 身動きの取れない事に動揺し、魔竜は小銃を空に向けて迎撃を図る。

(遅い!)

 射線の下に潜るようにして日雨は落下していく。その先には、魔竜の頭部がある。
 力の源、竜角を狙って太刀を叩き付けた。さすがに急所。空気が粘度を持ったように押し返す手応えがあった。魔術で障壁を張られている。

(押し込む……!)

 日雨は更に力を集中させた。太刀が白い光を帯び、魔竜の赤い霊子を弾きながらじりじりと進んでいく。

「かるぁぅっ」

 魔竜が一吼えして、そのあぎとが開かれた。
 射出された熱線が、日雨の右腕を消し飛ばす。太刀が弾かれ、後方へ放り出された。

「がっ……!?」

 衝撃に苦吟する。
 しかし、断固として退かない。
 脳髄を突き刺す激痛を意志一つで切り捨てた。己は今、ひたすら前に進むのみと決めている!

「づぁらあああああああああああっ!!」

 右腕に霊子を集中させ、一瞬で復元させた。そのまま鬼道の身体強化を拳に一極集中。
 全力で、竜角を殴打する。
 赤く輝く水晶に似たそれに、大きくヒビが入った。

「かぁるぁああああああああああああああ――ッ!」

 今度こそ、混じり気なしの苦痛のうめきを魔竜は上げた。急所を破損した衝撃から頭部の脳がショック状態に陥ったらしい。口の端から溶岩と胃の内容物の混じったような吐瀉物を漏らし、足をもつれさせて転倒。床を大きく振動させる。

(今の内に、もう一つの脳を……!)

 そう思考して、歩き出そうとしたその時――限界が来た。
 強烈な目眩と脱力感を覚え、受け身も取れず床に倒れ込む。ざわり、と音を立て伸びた白髪が縮み、色合いも元に戻っていく。

(く……あともう少しだったというのに……!)

 焦燥と倦怠感に唸るも、指先一つ動かせそうにない。

「か、るぁ……るるぅ」

 魔竜の方は既に破損した神経系の修復を始めていた。痙攣しつつも、立ち上がろうとしている。

(くそ……ォ!)

 身体に重みを付加するような絶望感に、日雨は罵声を上げた――
 その時、この場にいた全ての者、魔竜さえもがその言葉を聞いた。聴覚ではなく、精神そのものに響いてくるような声音。
 霊威を持つ言葉、言霊である。





『試作複合魔導、四番――玄天白晶衣ゲンテンビャクショウエ





 東洋の魔導において最も重要な概念は呪文や印契いんげいではない。
 方角、地勢――タイミングである。
 東西南北四方位、八卦、十二支と方角は複雑に絡み合い、そして地勢は一刹那ごとに変化する。
 その概念を理解し、あるべき時に、あるべき場所に立つ。それが全ての術の要訣である。機を正しく掴む事で、気は正しく巡り神秘をもたらす。

 詞木島夜見を陰陽道の天才たらしめたのは、その最適の時と場所を誰よりも正確に把握できる知性と感覚である。演算霊の補助を受ければ、誤差0.00000001秒、数ナノメートルの精度で彼女は時間と空間を掌握する。
 しかし彼女は、そこに立つ為の身体能力が欠けていた。今はそれを補正する為に、天宇受賣玉裳アメノウズメノタマモ――計算され尽くした空力特性、筋力補助機能を備えた装束を身に纏っている。決して笑いを取る為の魔法少女スタイルなどではない。

 戦域の境界に立ち、トランス状態の彼女は踊り続けていた。呪術的歩法、反閇へんばいである。
 みずのとみずのえ。常に魔竜の北方に占位し、ステップを続ける。
 大地と大気、自然の保有する霊子が一歩毎に昂ぶっていく。あたかも、その美しい幼女の仕草に魅せられているかのように。
 やがてそれは最高潮に高まり、膨大な力の源泉となる。
 周囲を浮遊する、小妖精の如き宣呪式神。彼らが舞台の囃子方のように祝詞を発する。

『南斗 北斗 三台 玉女 左青龍避万兵 右白虎避不詳 前朱雀避口舌 後玄武避万鬼』
『腎中黒氣 出自足下 化為玄武在後』
『四縦五横 禹為除道 蚩尤避兵 令吾周遍天下 帰還故郷 向吾者死 留吾者亡 急々如律令』

 囃し立てられながら、踊る、踊る、踊る。
 そして乙女は、霊妙なることばを謡った。

『北の星垣に封ぜられしくろき天の帝に妙なる衣を賜ふ』

 びょう――と、水気を帯びた霧の風が、夜見の周囲から吹き上がった。

『霜の経糸、雪の緯糸。かさね襲ねて十二のおんぞ

 白い、帯のような気流が魔竜に向けて伸び――その身体に絡み付いた。

『纏ひて疎まし』

 半霊体の風は魔竜の霊体にまで絡みつき、完全に捕縛する。鳴き声を上げて足掻くも、痙攣じみた動きをするのが限界であった。
 そして巫女のうたいは、幽玄の世界をうつつとす。

こいに木枯れ、果てて身さみ氷襲こおりがさね

 カン――硬質の音を立てて、魔竜の鱗の一部が氷結した。
 その現象は瞬く間に連鎖し、その体表の全てを処女雪の純白に染め上げていく。
 抵抗も、ただの苦悶すらも既に無かった。魔術の氷結は魔竜の内部から身体を侵している。二つの脳髄はとうに停止していた。
 魔竜が氷雪の彫像と化した時、彼女は白い呼気と共に、手向けじみた言葉を吐いた。

あれは死出の衣を賜ひけり』





「……………………………………………………」

 魔竜の氷結現象を間近で見せつけられた日雨は、長く絶句していた。
 巫術の心得のある彼でも、どれ程の技術があればこのような複雑な術が可能になるのか理解できない。
 凡人が百年かけても術理の把握すら叶わない魔導を、たった五分と二十秒で実現してみせた。

(まったく……あの妹は、本当に……)
「ぬぐっ?」

 感嘆とも嫉妬ともつかない感情に囚われていた日雨の頭を、小さい足が踏みつけた。

「くふ、くふふふふ……目覚めてみれば、ちょうど踏み頃の位置に寝ておるではないか兄様。頑張ったわらわへのご褒美として、率先して下僕すたいるですたんばいしておったのじゃな?」

 喜悦に満ちた声音で日雨の頭をぐりぐり踏む夜見。

「そのボロ雑巾ぶり……さては兄様、想定外に相手が強くて、わらわが当てにできないかもと無謀に突貫し玉砕しかけておったの?」

 トランス状態にあったはずなのに、まるで見ていたかのように妹は状況を看破してくる。

「くふふふふっ、兄様が間抜けな真似をして不様をさらすのは、まこと面白うてならんのー」
「ぐぬぅううう」

 屈辱にうなる日雨に、夜見は言葉を下す。

「……単身怪物を殺してふんぞり返る英雄様など、一見格好よく見えるだけの、独り善がりな増上慢よ。此度の武功は、それぞれが死力を尽くしたからこその物。人を支え、人に支えられるが誠の道、主様の目指す王道とやらなのじゃろう?」
「……何か悪い物でも食ったのか? お主」

 普段の人格から考えて決してありえないようなまともっぽい事を言い出す妹に、日雨は本気で心配そうな声を上げる。
 そのこめかみを、夜見は爪先に力を込めてぐりぐりと責める。

「つい先日、手痛い敗北を喫したばかりじゃ。謙虚にもなろう」
「……マモンとの戦いは、お主にとって随分と衝撃的だったのかの」
「違うわ。他の相手じゃ」
「?」
「主様は知らんで良い」

 衝立を置くように夜見は述べる。

「さて、御託はここまで。そしてだきにと兎娘の治療は後回しじゃ。主様の身動きが取れんこの絶好の機会を存分に堪能させてもらうとするかの。あらん限りの言葉と足責めをくれてやるがゆえ覚悟するがよい。くふ、くふふふふふ……」

 やっぱり妹は、ただの性格の悪い幼女だった。
 反撃の意味で、日雨はこれまで明かさなかった事実を告げた。

「夜見よ」
「なんじゃ、手心をくわえて欲しいのかや? 聞くだけ聞いて裏切ってやろう」
「いや……その衣装でこの角度だと、お主、下着が丸見えだぞ」

 普段は小袖姿の彼女は、着慣れないスカート穿きで気付いていなかったようだった。
 彼女の変身は下着にまでこだわっており、襦袢の変化したらしき白い絹のドロワーズかぼちゃぱんつが燦然と日雨の頭上に輝いていた。
 いつぞやの前言通り、夜見は日雨の頭上を一足飛びで越える活躍を見せ、そして兄に飛ぶ自身の尻を見せつけたわけである。

「はうっ!」

 彼女は赤面して悲鳴を上げ、ステッキで日雨の頭部をゴルフスイングでぶっ叩いたのだった。



[40176] 10.約束の地で
Name: 八目又臣◆aa87a973 ID:17b043ce
Date: 2014/08/23 18:31
 それから夜見の巫術で怪我人の応急処置をして、体調を持ち直した全員が大勝利に沸き立ち、何かを成し遂げたようなスッキリした顔で帰路につこうとした所で、「いや、駄目じゃろ」と夜見がつっこんだ。
 当初の目的を忘れかけていた五人は気を取り直し、大広間の果てにある巨大な扉の前に立っている。

「……けどよコレ、どうにかなんのか?」

 扉を拳で軽く叩いて、プルが不満げに唸る。骨折は完治しているが、陰陽道による回復術は五臓を活性化させて治癒力を底上げするものであり、体力をかなり奪われる。口調こそいつもの強気を失っていないが、その顔色は血の気が失せている。
 もっともその理由は、夜見が物凄く可愛らしい笑顔で差し出した治療費の請求書の、ゼロの数を数えた為かも知れないが。

「君の術で破壊できるか?」

 当初、あるいはプルよりも作戦に懐疑的らしかったカクラナンナは、夜見の火力を目の当たりにして認識を改めたらしい。期待感を込めて言ってくる。

「できん事は無い。……が、疲れるしのぅ」

 肩をステッキでとんとんと叩きながら、億劫そうに夜見は言う。

「それに、ぶち壊してしもうたら元には戻せん。せきゅりてぃのようなものが働くかも知れんし、あるいは内側からまた同じような守衛魔獣が出てきおるやもの」
「それは……ぞっとしないね」

 自分の安易さを指摘されたのに気付いたか、彼は一歩下がって肩をすくめた。

「うむ。我らは、この扉をもっと穏便に開閉せねばならん」

 と、夜見は左を指差して扉のすぐそばの壁を示した。
 そこにあったのは彼女以外の人間からすれば、壁にただガラス板を埋め込み、その下に楽器の鍵盤のようなものを据えた用途不明の道具にしか見えない。

「こんぴーたじゃ」

 そして夜見自身も、それ程詳しい訳ではない事が発音から分かる(この幼女は慣れない横文字に関して舌っ足らずになる特徴がある)。

「非常用の制御盤のようじゃの。まずはあれを試してみようか」

 そう提案すると、とてとてその器物へ近寄り、鍵盤に手が届かず「むきー!」と癇癪を起こし、だきにの持ち込んだみかんと書かれた奇妙な紙の箱に乗る事でようやく操作を開始した。
 途端、壁面に埋め込まれたガラスが点灯して奇妙な文字の羅列を表示させた為に、日雨、プル、カクラナンナの三人がぎょっとした。

「ふむ……やはり電気が供給されておる……」

 淡々と瞳に理解の色を灯し、顎に指を当て頷くと、夜見は後ろへ声を掛けた。

「小娘、カクラナンナ殿。これはひょっとしたら、ひょっとするかも知れぬ」
「……ええと?」

 疑問符を浮かべるカクラナンナに、彼女は語りだした。

「あの魔竜、繁殖が可能な種には思えぬ。ここが閉鎖される二千年前より存続していたはずじゃ」
「……まさか、不死身だとでも?」

 思わずやや離れた場所で氷漬けになっている怪物を振り返り、カクラナンナは言う。

「仮にそうであったとしても、あれは呪いを帯びた冷気じゃ。千年は溶けん。それに、事実は違う。……活動する必要の無い時は、何らかの機械的処置で休眠しておったのじゃ。この階層のどこかに、その為の設備があるはず」

 見てきたかのように確信的な口調で夜見は述べる。

「機器を稼働させる電力の源は……地磁気、地熱は不可能であった。化石燃料は資源の供給が止まれば動かん……どうやら神代の先人は、霊子を電力に変換する技術を開発しておったようじゃの」

 つまり、と彼女は前置きして、

「大きな、霊力の源泉がここより間近にある」
「それは――」
「どちらにせよ、この扉を開けてからじゃ」

 期待から声のトーンが上がるプルを制して、夜見は隔壁の制御盤コンソールに向き直った。キーボードをつついてみたり、周辺にスイッチ類が無いか探りなどする。

「使い方知ってんのか?」
「いんや。全く知らん」

 感心混じりに聞いてくるプルに、あっさりと返答する。

「存在自体はくららちゃんの持つ書から知識を得ているが、扱い方までは載っておらんかったからの。むぅ……うにくす? おらくる? えすきゅーえる?」

 よく見れば、キーボードの叩き方が一本指打法である。

「……あたしも良く分かんねぇけどよ、これ、すっごくダメな気がしてきたんだが」

 おっかなびっくりと人差し指のみで打鍵する幼女の後ろ姿を、プルは胡散臭げに眺める。

「仕方ないじゃろうが。初心者である以前に、わらわはこの手の風雅でなさそーな道具は好かんのじゃ。ほれ、やんごとなきお姫様じゃからの」

 言葉通りどこか嫌そうな顔つきで唸りながら、あーでもないこーでもないと彼女は試行錯誤を始める。
 数分もするとその顔つきは鬼気迫るモノになっていた。苛々と頭を掻き、ぐぬぅううう、と苦吟して、心配して声をかけた日雨には「うっさい! 気が散る!」と口調を崩して怒鳴りつけ、「だきに! 茶と菓子!」とねだって猫舌仕様の煎茶に煎餅を受け取り乱雑に口に押し込み、更に一本指打法で打鍵を続ける。彼女の人差し指の動きは既に、残像すら生じ始めていた。

 ――すたたたたたた、たたーん、よし! よしよしよし! 解析つーる完成じゃ! さぁ、わらわにるーとのぱすわーどを献上するがよい! ……きたきたきたぁーっ! いぇーい! 随分と手こずらせてくれおったな身持ちの堅いさーばーめ! あられもない裸体をさらすが良いわ! くは、くははははははは――ッ!!

「なぁ……」

 充血した目つきで猫背気味にモニターを覗きつつ、衆目をはばからず高笑いする夜見。その様子を遠くから恐ろしげに見つめ、プルが日雨に問いかけた。

「多分こいつ、この手の道具が大好きだよな?」
「ああ、余もそう思う」

 彼は同意する。魔法少女スタイルでハッキングに熱中する幼女の絵面は、やんごとなきお姫様には全く見えない。というかシュール過ぎる。
 ――数十分後。

「御開帳ぉー!」

 更に良い感じに出来上がった夜見が、上気した顔つきで人差し指をエンターキーに叩き付ける。
 と、目の前の隔壁のロックが外れ、重たげな音を立てて内部のシャフトが沈み、中程を起点にしてゆっくりと上下に分かれていく。

「なんでだろう……これまでのほぼ全ての手柄がこいつにあるのに、いまいち尊敬できねぇのは……」

 開かれていく扉の前に仁王立ちして、「夜見ちゃんやっぱり大天才! 憎い! 己の神童ぶりが憎いのー! わらわつえー! おい後ろの下僕共! 踏みやすい位置に頭を垂れい! 超かわいい女神様のご降臨じゃあっ、かかかかか」と大笑いする夜見から、さっきと変わらず距離を置いたプルがうんざりと呟く。日雨も、つい先程吐いた諫言かんげんをあっさり裏切る振る舞いを見せる妹に対して全く同意見だった。
 やがて照明の光が漏れだして来る――

 開放された隔壁の内側には、夜見の懸念したような魔獣が潜んでいるという事は無かった。
 冷却されたような空気が吹き込む、無機的な白い石材の床と鉄の壁で構築された広間であった。
 数メートル程の幅の溝が六本走っており、その中央を覗けば鉄の線路が敷かれているのが見える。ここに来るまでに何度か発見した事のあるものだが、やはりトロッコの物にしては広い。

 ならば、何を走らせるレールだというのか――その解答が、溝の一つに留まっていた。
 車輪付きの大きな鉄の箱である。日雨たちのイメージする物としては、屋根付きの竜車に近い。だがそれを引く竜の姿は無く、厩舎らしき設備も見当たらなかった。

「鉄道車両のぷらっとふぉーむ、なる場所のようじゃの、ここは」

 施設を見渡しつつ、再び知識面でアドバンテージを持つ夜見が解説役を受け持った。

「管制施設は……あれかの。しばし待て、使えるかどうか吟味してくる」

 日雨らが通った隔壁の向かい側にあるドアを指差して言うと、護衛のだきにを伴って中に入っていく。
 数分後、また魔女的な高笑いが聞こえてきて、残りの三人が怯えだした頃合いに彼女は戻ってくる。コツを掴んだのか、今回は格段に早い。

「架線は通電させた。線路も断線しておる事は無さそうじゃ」

 つまり、首尾良くこの車両が利用可能になったという事なのだろう。
 日雨が車両の扉の前に立つと、それはひとりでに開放された。ぎょっとして腰の引ける彼の尻を夜見が蹴飛ばし、中に押し込む。
 鰻の寝床じみて細長い通路の両端に、羅紗のような布を張った長椅子が据え付けられている。

「のぅ夜見よ、御者の座席が見当たらんが」

 乗り手がいないでは、動かしようが無いだろう。そう含みを込めた日雨の言葉である。
 夜見は首を振って返す。

「車両の制御にはAIを使うておるようじゃ」
「?」
「式神と似たようなものじゃの。これは半自律式神の部類に入る……要は、特定の運用に特化して、ぱたーん化された振る舞いを見せる、弱いAIと呼ぶべきものじゃ。同類との間にねっとわーくが構築されておるのも同じじゃの。この車両には〝親〟がおり、その指令で自律稼働する……」

 説明を遮るように、頭上から聞き覚えのない声が降りてくる。

《Welcome aboard helical transport system》

「『夜見よ夜見よ、我らの他に人がおるぞ』などと言うたら一週間は物笑いの種にするからの、兄様」

 口に上しかけた言葉を一言一句違わず当てられて、日雨は沈黙する。
 夜見は座席の一箇所に腰を掛けつつ、周囲に告げた。

「そちらも座れ。〝そろそろ動き出す〟。転んで怪我をするぞ」

 残り四人が指示通りに座席につくかつかないか、と言った所で車両が間延びした獣の唸り声じみた音を発し、前進を始めた。

「おっ、おおー!」

 牽引する竜もなく、静粛かつスムーズに線路を進行する物珍しい車に興奮し、日雨は座席に膝を立て、窓に顔を貼り付けるようにして外を覗いた。

「景色がすいすい流れてゆくぞ! 競竜の重賞竜より速いのではないか、これ?」

 やっばいのー!
 とか叫びつつ車両内をうろうろする日雨を見て、夜見が顔を両手で覆う。

「うぅ~、恥ずかしい恥ずかしい恥ずかしいぃ~……兄様が一番おのぼりさん丸出し……」
「まぁ、僕らは遺産に普段から触れているからね。これでも、十分驚いてはいるんだけど」

 彼女の向かいの座席から、取りなすようにカクラナンナが言った。

「それに……僕らの中にも、こういうのがいるし」
「おい! この窓ぶっ壊れてんじゃねぇのか!? ちょっとしか開かねぇぞ! あたしはKAZEになりてぇんだよー!」

 安全の為に数センチのみ開閉できる仕様の窓をがたがた揺らしつつ、プルが頭の悪そうな雄叫びを上げている。
 焦れて来て、マハーカーラまで取り出し窓を破ろうとした所でカクラナンナから大目玉を食らった。日雨もまた夜見の式神による折檻を受けて床の上でのびている。
 線路は途中からトンネルに入っていた。暗闇に包まれた中、等間隔で内壁に配置された安全灯が残像を残して通り過ぎていく。

「そろそろじゃ」

 数分もした所で、夜見がそう言った。
 その手の中には、いつぞや彼女が造り出した観測式神が抱えられている。

「八千八百尋を、超えた」

 ナラカ遺跡の〝底〟は八千八百八十八尋、十六キロメートル。
 終点が、近付いている。

「おい、線路が分かれた――」

 窓に顔を近づけ外の様子を伺っていたプルが、声を上げかけた所で。
 光が、溢れた。

「……っ」

 日雨は眩しさに目をつむる。
 いち早く視界を復帰させただきにが、一言述べるのを聞いた。

「これは……どうにも、奇想天外ですね」

 ちらつく視界に色が戻り、日雨は彼女の言葉の意味を知る。

「地下に……大地だと」

 窓に映る外の景色に、唖然と呟く。
 広大な――おそらくは遥か上層のチャトラと同程度の、半球状の空間である。内壁は中程から突出していて、斜度がついた螺旋状の道路になっている。彼らの乗る車両はその上を走っていた。
 遠い眼下には、草原が広がっていた。風になびいて揺れる様が、なんとも牧歌的な――

(風?)

 ここは地下の奥深く。これまで活動出来ているのだから、酸素は何かしらの機構で供給されているにしても、そこまで強い気流が発生するとは思えない。

(それだけではない。なぜ光がある?)

 天井側の内壁近くの空中で、何かが白く発光している。直視できない程の光度で、その正体は掴めないが。
 まるで、太陽の光のようだった。

「兄様、あれを見よ」

 隣に座る夜見もまた、座席に膝を立てて窓から外を検分していた。草原の中央を指差している。

「……湖?」

 翡翠に光を通したような燐光が、草原の中心部分から溢れている。広大な草原の五分の一ほどが、その湖に占められていた。
 液状の光、と言うべきか。湖の真下に光源があって、それを透過させているのとは違う。液体そのものが光を放っている。少なくとも日雨の知る限り、地上に存在しない物質だ。
 いや――モノなのか? あれは。

「すまないが……何がどうなっている? まだ、目が慣れなくてよく見えない」

 手の平をひさしのように額の上でかざしながら、目を細めてカクラナンナが言う。プルも似たような仕草をしていた。彼らアンヴィスにとって、これだけの光量を目にするのは生まれて初めてなのだろう。
 だが、その質問には答えようがなかった。この風景は日雨の理解を遠く超えている。
 彼が戸惑っている間に、頭上のスピーカーが再びアナウンスを流した。

《The next station is 〝AGARTHA GEOFRONT AREA〟section south-1. this is the nearest station for 3rd laboratory block……》





 車両から降りた場所は乗車駅を少し小さくしたような、吹き抜けの屋根がついたプラットフォームであった。改札はなく、すぐそばに草原へ直結する階段がある。
 その足で踏み締めた草の感触は、まさに本物であった。幻覚や作り物ではない。
 草を揺らす風もまた、車両の壁が無くなれば素肌で体感する事が出来た。

「精霊が自然に実体化しておる……」

 夜見はその現象に説明をつける事が出来るようだった。吹付ける風を受け、そして天井の光源を見上げ、やや驚愕した声で呟いている。

「尋常でない霊力……その源が、あの湖というわけか」

 草原の中心を見通すようにして、夜見が言う。そちらへは二、三キロは歩くようだった。
 そこへ至る通路は舗装〝されていたのだろう〟。いつぞや見たパーム・シェムなる人工島の道路と同じ、岩石を砕いて練ったようなもので出来ていた。くららが後に教えてくれた名前は、確かアスファルトだったか。
〝いた〟、〝のだろう〟――長年経過している為にひび割れ、原型を留めていないのだ。獣道のように道標以上の用を為す事はないだろう。
 湖の周辺には建物もいくつか点在していた。ほとんどが崩落していたが。

「おっ」

 その内の一つを通り過ぎかけた所で、プルが興趣を覚えたような声を上げた。
 壁まで走り――そこには花壇があった。管理するものも無く、ほとんど自生しているような形で花が群生している。

「バラじゃねぇか」

 茎の棘に触れないよう、花びらを撫でながら彼女は言う。

「ん? 知っておるのか?」
「晩でもやってる地上うえの花屋があんだよ。昔は行きつけだったんだ。……家族で」

 何か、懐かしむような笑みを一瞬見せた後、すぐに彼女は表情を戻すと付け加える。

「別に、食うんじゃねぇぞ。これでも花は好きなんだよ」

 どこか拗ねたような響きの声音に、日雨は言った。

「そう卑下せぬでもよかろう。お主のような麗しい女性が花を愛でているのは、率直に微笑ましい。その花も元は観賞用なのだろうし、冥利に尽きるというものよ」
「みょうりゅっ!?」

 何気なく吐いた言葉に、プルは奇妙奇っ怪な奇声を上げた。

「お、おい、握ってる握ってる」

 棘だらけのバラの茎を力一杯握りしめている事にも気付かず、彼女は顔面を、人間の耳まで真っ赤にして「お、おおおおおおおお前吹かしてんじゃねぇよぉっ! あたし今まで、そんなの言われた事ねーし! ねーしっ!」と怒鳴り散らす。
 それに日雨は笑いかけて、

「なら、余が初めての男だの。お主は中々の器量良しよ。その青い薔薇を配材とした二種活けぶり、大した華やかさと思うぞ」

 ぼむんっ、とプルの頭から蒸気が噴き出した。目をぐるぐる回し、赤い頬を両手で挟んで「う゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛~」と唸り声を発している。
 自分が何か言う度に体調が悪くなっていくように見えるプルに、日雨は戸惑い首を傾げる。驚くべき事に、この男はこれでもナンパをする意図は無い。馬鹿なのである。

 その様子を見て逆上した夜見が、「女衒ぜげん、滅すべしッ!」とか怪気炎を吐いてさっき魔竜を葬った決戦魔術を再び発動させかけた所で――「青い……薔薇?」その身を硬直させた。
 花壇に駆け寄り、その青い花が確かに薔薇である事を確かめると「……なんと」とうめく。

「どうかしたのか?」
「どうかしたのか、ではない兄様。ならば聞くが、主様はこれまで青い薔薇を見た事があるのか」
「それは今回が初めてだが……大陸の西の方にはあるのではないか?」
「ない。――大陸全土を探しても、青い薔薇など存在しない」

 舌に重さを覚えたような口調で、妹は兄の緊張感に欠ける問いかけに答えた。

「……もしや、ここは」
「――なぁ、そろそろ中央の湖に行かないか?」

 青い花弁を見つめ物思いに陥りかけた夜見に、カクラナンナが水を差す。

「すまない。しかしどうしても、気が急いてしまうんだ」

 確かに、彼の気持ちは理解できる。
 この先にあるいは、彼の、いや彼ら種族の悲願が待っているかも知れないのだから。

「そうだの。申し訳ない、カクラナンナ殿」

 日雨の方がそう答えて、先へと歩き出した。
 湖のそばに近付くにつれ、周囲の風景は一変した。
 周囲を、輝く小さな生き物が浮遊している。粘土で簡単に作った人形のような造形をしており、数種類存在する。水色の、手がヒレのような形のもの、薄緑で羽の生えているもの、白く光る玉のようなもの……

「精霊じゃ。強い霊子を帯びた環境下で可視化しておる。この場所の大気や湿度、光度を維持しておるのはこやつらよ」

 隣を歩く夜見が、そう解説してくる。

「これで間違いない。あの湖が、ここの霊子の根源……つまり」

 彼女は、その続きは言わなかった。
 その台詞を最初に言う資格は、この五人の中でもただ二人にだけあると思ったのかも知れない。
 やがて、湖のほとりに辿り着く。

「なるほど。ここは、あの縦坑の真下にあるのですね」

 頭上を見上げてだきにが言う。中心部分は光精の影響下から離れているらしく、湖の直径よりやや広い穴がぽっかりと開いているのが見えた。
 彼女以外の四人は、魅入られるように湖に目線を囚われていた。

 例えば、通りすがりに技術の髄を凝らして作られた巨大な城塞があれば、足を止めて見てしまうだろう。山ほど材料を置かれた台所に立てば、どのような料理が出来るかと期待してしまうだろう。
 そうした感覚の濃度を、数百倍に上げれば今のような気分になるだろうか。
 無視する事を許さない、注視を強制する程の圧倒的な情報の塊。その一見してただ光り輝くだけの水から感じられたのは、そんなものであった。
 目眩を振り払うように、目頭を押さえてから夜見は言った。

「そちら、この水に触れるでない。霊子の奔流じゃ。呑まれれば〝帰ってこれんぞ〟」

 その警告に、引きずられた気を戻すように日雨は後退した。

「プル、カクラナンナ殿。お主らも下がれ。どうやらこれは、目に毒のようだ」

 そう告げるも、彼らはその場から動かない。
 正気を失ったのか? そう思って肩に手を掛けようとして――その手を止める。
 カクラナンナが涙を流していた。
 それを目の端に留めて、プルが叱責するように言う。

「ちっ。年寄りは涙腺緩んでやがるから……ラナ。まだ終わりじゃねぇ。むしろ、これから始まるんだろうが」
「……っ、ああ」

 自分が落涙している事に、気付いていなかったらしい。目尻を指で拭って彼は言った。

「そんな事を言えるなんて、知らぬ間に成長していたんだな、プル。君の言う通りだ……すまない、醜態を見せた」
「なぁに、小うるさい副長の泣き顔なんて仲間の物笑いの種だろうけどよ……あたしらの胸に、しまっておいてやるさ。あんたは長くここを目指していたんだ。感動もひとしおだろうしな」

 なぁ? と後ろの日雨たちを振り返る。彼らも、頷いて彼女に同意した。
 その言葉を告げたのは、プルだった。長くこの場所を目指していた種族の、最前線に立つ少女だ。

「そうだ……ここがシャンバラ。あたしたちの、約束の地だ」





 それから一日は、調査に時を割いた。
 霊湖の湖畔をひと周りした所、各所に機械が設置されていた。子供の胴体ほどもある太いケーブルが湖に差し込まれており、それは湖畔のすぐそばの扉の無い門を経由して、遠い草原側の建物群の方向へと伸びている。

「この門は計測機器の類じゃの……神代の人間は魔導と機械技術を合成する術を持っておったようじゃ。こちらの管にも魔術的な加護が付加されておる」

 ケーブルを遠慮無くだきにに切断させて(どちらにせよ稼働はしていなかったが)、中身を覗きつつ夜見が言う。

「アンヴィスがナラカ、シャンバラと名付けておった場所は本来ひとまとめに〝アガルタ〟と呼ばれる建造物であったようじゃ。シャンバラにあたるこの最下層は、工場、あるいは研究施設か……この霊湖の膨大な霊子を何かに利用する為に作られたのじゃろう」
「何か?」
「……何かは何かじゃ。わらわにも分からん。設備は放棄されて久しく、朽ちておるじゃろうからの」

 この妹にしては珍しく歯切れの悪い回答に日雨は首を傾げるが、夜見は湖畔の機械にすぐ興味を失って歩き出したので、追求する事は出来なかった。
 次は、草原に建てられた建築物を捜索した。
 と言っても、ほとんどの施設は夜見の言う通り廃墟と化していた。足場も悪く、中に入る事すら危険なものばかりであった。
 その中で――唯一、ほぼ完全な形で保存されている施設があった。

 外壁は完全に鋼鉄で構築された建物で、正面には巨大なシャッターが張られていた。人や、あるいは一般の車両が通過するにも大きすぎるものだ。
 側面に勝手口と見られる小さなドアがあり、そこを破って侵入する。
 区切りも上階も無い、建物の体積全てを使った大広間である。飾り気はなく、鉄の色そのままの内壁に貼り付くようにして、日雨には用途の分からない無骨な機械類が無数に鎮座している。そしてその全てが巨大であった。
 巨人の家に迷い込んでしまったような錯覚を覚える――その理由は明らかだった。

「……これは」

 体高十メートル強の鋼の巨人――機動甲冑アルマキナであった。
 あの魔竜のいた階層で大破し、打ち捨てられていたものと同じデザインだ。ドックには鋼鉄製のベッドのようなものを乗せたトレーラーが二十台ほどあって、その内十台ほどの上で膝を立てて仰向けになっている。
 もうすっかり手慣れた動きで、夜見がだきにを伴ってその内一つに近寄る。
 トレーラーのドアをだきにに斬り落とさせて中に侵入する。この車両もまた巨大で、ステップにすら幼女の足では届かず、従者にだっこされる必要があったが。

 一足遅く日雨が続き、トレーラーの中を覗く――座席の後部に、三畳程度の非常に狭く天井も低いスペースがある。
 内装はやたらごちゃごちゃとしている。壁には計器類やコンソールが埋め込まれ、足下には無数のケーブルが蛇のようにのたうっていた。天井にポスターと写真が貼り付けられていたようだが、劣化が激しく当時の人間の姿を知る事は出来ない。
 夜見はその小部屋に固定された座席の一つに座り、コンソールの操作を始める。既に彼女はハッキングを巫術によって効率化していて、内部の基盤に演算霊を取り憑かせパスワードを解析し難なく認証をクリアした。要は魔竜が機動甲冑の兵器を乗っ取った技をもっとスマートにしたものだが、日雨には彼女が何をやっているのか全く理解できない。

「ふむ……兄様、ちと動かしてみる。外を見ておれ」

 一本指打法でキーボードを叩きつつの指示に従い、日雨はトレーラーのステップに片足を乗せ、上の鋼鉄のベッドに目線をくれる。
 がちん、と何かが外れる音と共に、ベッドが変形を始めた。縦に立ち上がると分解され、形が変化していく。
 四角い外枠の内に、二本の鉄骨が横断するように伸びて首と腰を固定する。足下も、かんじき、あるいは具足のような形の固定具が構築された。

「輸送とめんてなんすを兼ねる車のようじゃの。どれ」

 夜見がコンソールを操作すると、外枠の各所からロボットアームが展開して機動甲冑に取り付いていく。
 やはりこの手のお姫様っぽくない、無骨で、オイル臭く、デジタルなものを愛する素養があるようで、彼女は喜色を隠しきれず機械いじりを続ける。

「ほう、ほうほうほう……」

 結局完全に機動甲冑を分解し、もう一度組み上げるまでやった所で夜見は言った。

「兄様、この機動甲冑……いや、神代の人間はそう呼ばなんだのかも知れんが……これは、〝幽霊国家〟の使っていたものよりいくらか高度な兵器のようじゃ」
「……どういう事だ?」
「まず目方が大きい点が目につくじゃろう……これは、増大した重量を支える技術、素材を持っておるという事じゃ。――それに、長年放置されておったのに、稼働出来る状態で残っておる……己の状態を維持する機能を備えておるのじゃ。魔導技術も組み込まれておる……目に見えぬ極小の機械が、周囲の霊子を取り込んで地精に変換し、金属を生じて部品を補修する……その極小の機械ナノマシンの制御系が破壊されん限り、半永久的に維持できる。連合王国の機動甲冑には無かった機能じゃの」

 夜見は口元を手で隠すようにして、しばし思考に没頭する。

「つまり……幽霊国家も……という事なのか? ならば……彼奴らと機傀悪魔の関係は……」

 小声の独り言は、日雨には聞き取れなかったが。

「――おーい! こっちに来てくれ!」

 別れてドッグの内部を探索していたカクラナンナが声を張って呼びかけてきた。
 降車して、彼の声のした方へと三人が向かう、と。
 鋼鉄を貼り合わせた多面体、と言った感じのデザインの車両が、壁際に五台ほど横並びになっており、そのそばにプルとカクラナンナがいた。プルは背に吊っていた鉄槌を構え、車の後部ハッチをにらみ据えている。

「申し訳ない、開けてくれないか? プルが暴発寸前だ」

 日雨たちの到着以前にも悶着していたのか、すっかり参った調子でカクラナンナが言う。
 夜見は頭痛をこらえるようにこめかみを押さえて、

「ド阿呆! ここは兵器の格納庫、これも軍用の装甲車とかいう奴じゃぞ!? そんな火の気のもんでぶっ叩いて火薬やら燃料に引火でもしたらどーするつもりじゃ、このがさつ娘!」
「ぐぬっ」

 しかり飛ばされて、口をつぐむプル。「まったく……」と唸りながら、夜見はハッチそばのパネルに先程と同じ手順で入手したパスコードを打ち込み、ハッチを開放させる。
 と、同時に内部の照明が点灯し、中身を露出させた。
 外壁の両端にぶら下がっているのを、首吊り死体と勘違いして彼らはぎょっとする――よく見ればそれは鎧であった。黒い布地の上を暗緑色のアラミド繊維で補強し、要所をセラミックのプロテクターが覆うボディアーマーだ。すぐそばには、銃火器類も懸架されていた。

 夜見が検分した所、これはパワードスーツの一種らしく、ヘルメットに内蔵された機器が制御する事で一番下の黒い布地が伸縮し装着者の動きをサポートする。ヘルメットの機能はそれだけでなく多岐に渡り、暗視など感覚器の補助、仲間とのデータリンク――なんとかかんとかうんぬんかんぬん。

「ともかく……これまでと比べて遥かに格上な〝遺産〟の兵器がここにある、というわけだね」

 日雨とプルが早々に理解を放棄した彼女の説明に、大人としての責任感めいたものでどうにかついてきたカクラナンナがそうまとめる。

「そう……なるかの」

 何故か、どこか慎重そうに言葉を濁して夜見は応じた。

「へぇ、んじゃいくらか持って帰ろうぜ」

 脳天気そうにプルが言うのに、夜見は阿呆阿呆と繰り返し、

「五人程度でこんな大荷物持ってゆけるか。今回は下見程度、そろそろお開きとすべきじゃろう」
「まぁ、そーだな。仲間にも早く知らせてやりてぇし」

 プルは後ろ頭に両手をやって言うと、踵を返して出口へと歩いて行く。日雨たちもまた、後についていった。
 足音が、遠い人間が一人。

「……」

 カクラナンナは、四人とやや離れた場所に立ちドッグに伏している兵器を眺めていた。
 その時、ぽつり、と呟かれた彼の言葉を、日雨は距離が開いたが為の聞き違いと判断した。長年シャンバラを待望していたはずの彼が、そんな事を言うはずがない。
 ――「とうとう、ここまで〝来てしまった〟のか……」などと。





 シャンバラ到達の報は、当然ながらサヴィトリを大いに沸き立たせた。
 プラント区画はお祭り騒ぎで、秘蔵していた酒まで振る舞われた。
 悪ノリが過ぎて子供を酔わそうとした戦闘員を、カクラナンナが捕まえて長々と説教している。
 何人かの男が正座するだきにの周囲にたむろしている。その更に外周には数倍の男たちが死屍累々と横たわり、よく見れば点々と酒の器が転がっていて――どうやら彼女を酔わせて誘いをかけようという腹のようだ。淡々と五升飲み干し未だ表情が微動だにしない妖女を相手に、勝てる勝負では無さそうだが。

 魔竜を討伐し、シャンバラを発見した五人は有り体に言って英雄扱いだった。帰還するまで死んだものとして扱われていた分反動も大きいのだろう。一歩歩くたびに声を掛けられ、武勇伝をせがまれ、それを断ると一発芸を要求される。彼らは英雄とは見世物と同義であるという残酷な真理を悟る羽目になった。

 歌を歌わされ、目隠しした状態で投げたボールを斬り落とすという無茶振りを要求され(もちろん顔面に直撃した)、女装を執拗にせがまれ疲労困憊の態の日雨がとぼとぼと歩いている。
 その背中に、何度も何度も何度も声を掛けようとしていた人物がいる。その度に日雨は人に捕まり、武勇伝を断って芸を披露していたので断念していた。
 ようやく意を決して、うわずった声を彼女は上げた。

「ひ、日雨くん!」

 くららの呼びかけに、日雨は身体ごと振り返る。「おー! くららよ!」などといつもと変わらぬ調子で、ずかずか大股で近寄ってきた。

「どうした? 何か用事か?」
「いや……用、っていうか……えと、その、〝大丈夫〟?」
「? おうよ。まぁ、ちと喧しくはあるがこの程度、傭兵の間では茶飯事だったからの」

 にこやかに返す彼の答えは、彼女の意図していたものとは違っていたけれど。
 ぎこちなく笑い返して、くららは言った。

「そう? ならいいんだ……でも、ちょっとあっちで休んで行く?」
「ん……そうだの、」
「――おぉい! ヒサメ!」

 彼女の誘いに頷きかけた日雨の背後から、大きな声が上がった。

「たっ、助けろー! ここはもうあたし一人じゃ持ちこたえらんねぇ! ……っておいおいおいおい! 下だめ、いや上もだめだから! ちょちょっやめてやめてやめてきゃぁーっ!?」

 彼らサヴィトリのリーダーであるプルには、他四人の倍の取り巻きが出来ていた。アルコールの勢いで野獣と化した男女にひん剥かれかけている。

「あー……」

 頭を掻いて、どうしたものかと困惑する日雨に、くららは言った。

「行ってあげて? ……いや、ホントに。彼女が女の子として大事なものを失う前に」

 それが後押しになって、彼はプルの方へと駆け寄っていく。
 彼が群衆に飲み込まれ新たな生贄として弄ばれるのを頬に汗して苦笑いし、そしてそのすぐ後にため息をつき、くららは立ち去っていった。
 背後で、少年少女の悲惨な悲鳴が上がる。




 
 宴の場から離れて、プラントの外れの壁際までやってきたくらら。
 そこには先客がいた。

「……浮かん顔じゃの」

 床にシートと座布団を敷き、正座で文机に向かい書き物をしていた夜見が言う。

「あ、あはは……いたんだ、夜見ちゃん。あっち、行かなくていいの?」

 くららは愛想笑いを返す。

「当然じゃ。あそこは今、呑みにけーしょんなる邪教の悪習にとらわれた未開部族の巣窟。馴れ馴れしさを人間力などと尊大な呼称で呼び、ノリが悪いというだけで全人格を否定されるこの世の地獄よ。ぐぅう~、ここからでも奴原しゃつばらめの「君らコミュ障と違って人生楽しんじゃってますよボクら」的おーらが見える……うざい。うざいんじゃ~……ちぃっ! わらわがとした事が、あのような魔界の跳梁を許してしまうとは……! 破壊せねば、消滅させねばぁ~……」
「……なんで十歳で飲み会にそんな具体的な恨みつらみを持ってるの?」

 三白眼で宴会会場を睨み、憎悪に煮えたぎった視線を送る夜見にドン引きしつつくららが言う。

「……それで? 何してるの?」

 話を逸らす意味で問いかける。
 彼女が紙に書き付けている文章は、いわゆる「達筆すぎて他人が読めない文字」でありその上文語体だった。
 ある意味、暗号として機能しそうな程に難解である。

「これまでの考えをまとめておる」
「……どういう事?」
「……まだ、この段階で口には出来ん」
「確証が無い、ってこないだも言ってたよね?」
「――いや。それについては、〝下で拾うてきた〟」

 夜見の返答に、くららは首を傾げる。日雨ら五人が帰還して語った事に、夜見が口を濁すような秘密は含まれていなかったはずだが。

「じゃが、この事実を公表する事の影響を計れておらん。……兵器庫が完全な形で残っておったのが厄介じゃ……」

 ぶつぶつと聞き取りづらい声で唸ると、ぽつり、と呟いた。

「万一、彼奴らが暴発した時……どうすればいい?」

 くららは目を見張り、幼女のつむじを見下ろした。いかなる難題も即答してきた夜見が苦悩している。

「夜見ちゃん……大丈夫? あの……ひとりであんまり抱え込まないでね? わたしは……何の力にもなれないんだけど」
「何の力にもなれない者に話しても詮無き事じゃ」

 ばっさり斬られた。

「う、うん……そうなんだけど、でも」

 手を組みもじもじとし出すくららに、夜見はため息をつき、文机の上の紙を折り畳んだ。苛々と髪をかき混ぜる。

「まだそんなぐじぐじ悩んでおったのかや? どーせここに来たのも、兎娘と競り合おうとすらせず逃げて来たのじゃろーが」

 ずっぱりと腹の内を暴かれた。

「だきにもそなたの意気地無さにがっかりと言うておったぞ。まぁ、あやつの期待しておるようなドロッドロの修羅場にならんのは、わらわ的にはまこと善哉であるが」

 開きにされた腹の底をぐりぐりなぶるように言う夜見に、くららは言葉を返した。

「う……だ、だって。わたしだけ未だに、ここの人達と打ち解けてないし……一緒にいると、日雨くんとみんなの仲までぎくしゃくしちゃいそうで」
「……元々亜人は身内主義で排他的なんじゃ。引け目を感じる必要はない」
「でも、夜見ちゃんたちはちゃんと皆の役に立って、居場所を作れてるし」

 背を縮めてぐだぐだと泣き言を言うくららに、夜見は再び嘆息する。

「……またそれか。なぜそれに拘る?」

 彼女からすれば、理解しがたい感情なのだろう。黙っていても人に求められるこの幼女からすれば、人の手は振り払いたいもので、居場所とは鬱陶しいものなのだ。
 ――嫉妬から嫌な考えを抱いた事に、くららは顔をうつむかせる。
 それでも、羨ましい。

(わたしは……欲しい)

 自分一人で立つ術を。誰かに必要とされる、自分自身の力を。

(だって、そうじゃなかったら)
「資格が……無いから」

 腐れた膿を吐くように、くららは自分の心情を吐露した。

「それも聞いた……いったい、何の資格が無いと言うのじゃ」
「日雨くんの……そばにいる資格」
「何を、」
「わたし自身に何の力も無かったら」

 問い詰める夜見に先んじて、くららは言葉を置いた。

「わたしには、〝セイタン〟しか無くなっちゃう」

 手の平を、見つめる。
 かつて見た、血で染まった黒鉄の腕がそこに重なる。

「わたし、これまでも何度かあれに頼ろうとしてた」

 海魔について脅された時、魔竜に道を塞がれた時。
 人間の力を超える強大な存在に対して、誰も傷付けずに戦える力があると言うのは抗いがたい誘惑だった。圧倒的な力を誇示し、状況を打開し――人は讃えるより、恐れるかも知れないが。
 それでも、確かなくららの居場所となる。
 遥か遠き世界に一人放り出された彼女を引き付けてやまないものだ。
 夜見は告げる。

「……それの何が悪い。力が居場所を作る、というのはわらわも同意見じゃ。そしてセイタンは何よりも確かな力じゃろうが。今はまだ存在を隠せと言うたがの、いずれあれの力が必要になる局面が必ず出てくる。その時頼りになるのは、そなたと兄様だけなのじゃ」
「だめ……だめだよ」

 くららはかぶりを振って、それに応じた。

「わたしがそれに依存しちゃいけないの……それじゃ、わたしといる事が日雨くんの重みになっちゃう」
「重み、じゃと?」

 不理解の色を浮かべた瞳でこちらを見上げてくる夜見。
 くららはそちらを見ず、宴の渦中にいる彼を捜すようにサヴィトリの集落を眺めて、呟いた。

「あの時……日雨くんも泣いてたから」

 ただ二人だけがいた、あの宇宙で。己の意志で人を殺した重みをかき抱いて。
 今日、ずっと後ろから彼の姿を伺っていた。
 彼は一度も武勇伝を語らなかった。
 彼らが降りてこなければ平穏に眠っていたであろう生命を奪って、多くの人に賞賛される事に後ろめたさを感じていた。

「あのひとは、本当は……殺す事で何かを成し遂げるのを苦痛に感じているから」

 そしてそれを、サヴィトリの人々に悟らせまいとしている。
 彼らが己の正しさに疑念を抱いてしまったら、目的を果たすどころか生き残る事すら難しくなる。感情を押し殺して彼らを鼓舞していた。
 日雨は不器用ながらも、自分なりの「王の道」を実践しているのだろう。

「セイタンは、日雨くんが本当にそれを求めた時に使うもの……わたしがそれに頼るようじゃだめなの。わたしは、わたし自身に出来る事をちゃんと探して、自立しないといけない。プルちゃんに対抗するのは、その後」

 心情を言葉として白状すると、決心めいたものが生まれてきた。
 元気を取り戻し、見下ろす手の平を拳の形に握り込んでくららは、うん、と気合いを入れる。

「また頑張らねばっ。まずは料理だよねっ。強制精進懐石の汚名を返上しないと痛っ」

 燃える彼女のこめかみに、まるめた紙が投げつけられた。
 なぜか夜見が苛立たしげに目尻を尖らせ、その上半泣きでこちらを睨み付けている。

「え? なに? どしたの?」
「おのれ……一度ならず二度までも」

 ぎりぎりと歯噛みして、指先で行儀悪く文机を叩き彼女は屈辱感を堪えている。

「?」
「疲れた! もう寝るっ!」

 取り繕いとしてもいい加減な文句を荒々しく怒鳴りつけると、文机と座布団をそのままに立ち上がってテントへと帰っていく。
 その途中で振り返り、夜見は言う。

「くららちゃんよ、そなたの不安は馬鹿丸出しじゃ。掛けた眼鏡をどこだどこだと騒いでおる――あの愚兄がどうしようももなくなっておる時は……他の誰でもない、詩乃目くららにしかどうにも出来んというのに」

 それはなんとも、悔しげな声音だった。




 
「……ふぅ」

 酒の香りのする息をつき、カクラナンナは内壁に背を預けた。やや危うい足取りだった。

「僕も歳だね。少々の酒で足下がおぼつかなくなるとは」
「休んでおればよかったではないか。守衛に飯を渡しに行く程度、余一人でも十分だったぞ」

 彼の向かいに立ち、日雨が言う。
 宴会の最中とは言えここは魔獣の巣窟なのだ。無防備を晒す訳にはいかず、戦闘員の何割かは出入口の警護に回っていた。彼らに食事を届けに行く役を日雨が負い、カクラナンナがそれについてきたのだ。
 彼は苦笑し、首を横に振る。

「僕らが飲んで騒いでいる時に働いてくれているからね、労ってやらないと。君にはできない仕事さ」

 大人ならではの気遣い、という事か。
 あるいは純粋に仲間であるが為の義務か。彼の言葉には、意識的に日雨に疎外感を与えるようなものがあった。
 実際、サヴィトリに完全に受け入れられた感触は無い。先遣隊の連中とは生死を共にした連帯感のようなものがあるが、その他とは微妙な溝が出来ているように思える。
 亜人と人間の溝か。

「そこまで……僕らは排外主義じゃないんだがね」

 顔色から考えた事を察されたか、見透かすようにカクラナンナが言う。

「今の僕の言葉の意味は、単に君達が客人に過ぎないという事さ。いずれ去って行く者にそこまで心は預けられない。それは人間も同じだろう」
「それは……道理だの」

 偏見を抱えていた事を自覚して、日雨は頭を掻いた。

「……」

 カクラナンナはそんな日雨を見返して、酔いを鎮めるように目頭を押さえ沈黙すると、

「なぁ……僕が普段からこの手の無粋な事を言う男だとは思わないで欲しいんだが……どうもあの娘は、年頃の割にてんで疎いというか、成長の過程で学んで然るべきそうした機微をことごとくスルーしてきた、恐るべきニブさというか……今にして思えば、あの子の家系は皆そうなんだが……」

 全く要領を得ない彼の言葉に、日雨は首を傾げる。
 回想まで始めて脱線しかけていた頭を振るい、カクラナンナは切り出してきた。

「君は、なぜプルのような子供がサヴィトリのリーダーであるか聞いてきた事があったね?」
「? ああ……」

 数週間も前の、忘れかけていた疑問であった。

「そもそもアンヴィスは母権社会を構築する民族なんだ。常に命の危険にさらされていたからね、子供を産める女の方が男より重宝される」

 納得のいく話だった。秋津洲国もまた女王制の国だった。王権の根拠である巫術の能力の性差が、あまりに顕著だったのだ。特殊な状況下では男女差はあっさり逆転する。

「ただ、サヴィトリに関してはもっと複雑な事情があってね……一つは信仰上の理由と言うべきか」
「宗教を信奉しておったのか?」
「というよりは伝説だね。千年程前、アンヴィス全体が最も盛んにナラカ攻略を目指していた時、ナラカの底から現れた〝アスラ〟を退治したのが、一人の女性だったんだ」
「アスラ?」
「君達の言葉で言えば……そうだな――悪魔、というのかな」

 彼の語る言葉に挟まれた一つの単語に、日雨の心臓が軽く跳ねる。
 どこにでもある言葉だ、そう動揺する事もあるまい、と思い直してカクラナンナの話に集中する。

「〝サナト・クマリ〟と名乗ったその少女は、アスラの襲撃によって半数ほど失われたアンヴィスらの前に現れた。彼らに幻法を教え、ともにアスラと戦い、最後は自分の命と引き換えにアスラを消滅させた……なんとも曖昧な話で、宗教らしい教義も無い単なる言い伝えだが、彼女を女神と崇めるアンヴィスは少なくないよ。年若い少女を形だけでも主導的な立ち位置に置いた集落は他にもある。リグラヴェットがカイラスの首領に納まったのも、彼女が十四の頃だったね」
「リグと古い仲だったのか?」
「あ……ああ。彼女の両親と、付き合いがあってね」

 何か、口を滑らせた事を悔いるような顔をした後に、誤魔化すようにカクラナンナは言う。

「まぁ……当時の彼女やプル。重責を背負わされる子供たちには迷惑な話だ。本当はその手の慣習を改めて、大人達がその役を負うべきなんだが……サヴィトリの前の首領がプルの母親だったんだ。彼女の死で空中分解していた組織を、プルが十四の時に再構築した。一度頓挫した計画を立て直すには、人望厚かった首領の娘という御輿が必要だったんだ……プル自身が望んだ事とは言え、僕は彼女にあまりに惨い仕打ちをした」

 酔いもあってか、気鬱を表情に浮かべつつカクラナンナは自嘲する。

「……母から聞いた、数少ない言葉だが」

 日雨は声を掛ける。

「試練とは、それに耐えられる者にしか与えられないのだそうだ。……プルは試練に耐えて、首領の責を果たしておると思う」
「……ああ、どうもそのようだ。彼女と久々にナラカ攻略に参加して、昔が懐かしくなったよ。母親に似て、強くなった」

 両の目尻に右手の指を当て――泣きはしなかったが、カクラナンナは郷愁めいて呟く。

「だが、まだ支えが必要だ」
「おう。カクラナンナ殿がおる限り、あやつも安心して前に進めるであろうよ」
「……いや。そうでなくて、だね」

 太鼓判を押すように言う日雨に、唐突に歯切れ悪くなりながらカクラナンナは応じた。

「もう一つ、君が人質になっていた時に感じた疑問点があったはずだ。健康的で若いヒトの男は、って」

 あの時は奴隷だの使い途だの不穏当な単語が含まれていた気がするが、それを省いて彼は口火を切ってくる。

「あれは――繁殖の為なんだ」
「はん?」
「あまり多い例ではないんだが、地上から人間の異性を娶るアンヴィスもいて……女性では駄目だ。人間の子供しか産まれない。地下で暮らせるアンヴィスの子を作るには、母胎がアンヴィスでないといけない。それに人間との混血児は寿命も伸びるから、婿入りは非常に歓迎されるんだ。仮に君があのまま奴隷になっていたら、誰かアンヴィスの女にあてがわれていただろうね」
「お、おう……」

 まさかそういう類の危機にさらされていたとはつゆ知らず、日雨は絶句する。

「で、だ」

 ずい、と壁から一歩彼は踏みだしてきた。

「――それに、プルをというのはどうだろうか」
「……ど、奴隷になれと?」
「いや、真っ当な入り婿としてだ。君なら申し分無い」

 更に一歩近付いて続ける。――そこまで近付いてようやく分かった事がある。

(あれー目が座っておるよーこのおっさーん)
「これから先、シャンバラの秘密を解き明かしてアンヴィスが地上に出れるようになるとしても、それには時が必要だろう。一世代では無理かも知れない。今後プルに必要なのは、墓場に入るのを待つ年老いた後見人ではなくて、後継者を作れる若い夫だ。下世話な話だが、人間の貴族というのも加点要素だ。地上に上がった時、人間との関係構築に役立つだろう。残念ながら財力の匂いは君には全くしないが、家柄、武力と君以上の適任者はいない」

 きっちり財布の軽さを指摘してくるカクラナンナに軽く傷つきながら――抵抗するように日雨は言った。

「やはりそういうのは、プルの気持ちが大事なのではないかと……」
「君ならそこも問題ない。プルは君に気がある」
「えっ? そうなの?」
「試しに今夜にでも夜這いをかけてみろ。翌朝には結婚する気になっている」
「む、むむぅ」

 日雨は気圧され気味になりつつも唸る。酔っ払いのおっさんの保証である点がどうにも胡散臭いが、女性から気があるなどと言われるのは初めてだ。御年十六、未だ女を知らない青少年からすれば小躍りしたくなるような大事件である。

「どうだ?」

 実際日雨に迫っているのは中年の酔漢なのだが。
 しかし、万一にもそれが事実だったとしたら、真面目に考えなければ無礼であろう。ひとまず日雨は目の前のカクラナンナの存在を忘れ、脳細胞のまるでシナプスの結合の弱い箇所を働かせ始めた。知恵熱で耳から煙を出しながらも思考に没頭する。
 数分の葛藤を経て――しかし、するりと答えが出た。

「断る」

 迷い一つ無い口調に、カクラナンナの顔色から酔いが何割か失せる。

「……やはり、穴蔵暮らしは嫌かい?」
「率直に好ましいとも言えんが、住めば都というし、断った理由はそれではない」
「プルに不満が? あれでも彼女は母親似の器量良しで、娘装束を着せれば随分と見れたものになるよ? 性格も、婿を取ればかなり角が取れると思うんだが」
「不満などない。――あやつは佳い女であるよ。ひたむきで、芯が強い……いや、どこか脆い所もあるが、それを奮い立たせて前に進む気概がある。同輩として、尊敬しておる」

 不細工なまでに愚直な物言いであった。だからか、カクラナンナの次ぐ言葉は説得ではなく、敗因を問い糾すような質へと変わっていた。

「……既に恋人がいる?」
「むぅ……そんなもんはおらぬ。生まれてこの方、逢引き一つした事もない」

 多少女慣れしていると見受けられる大人の男にそんな告白をする気恥ずかしさから、拗ねた口調になる日雨。

「余には、やらねばならん事がある。行かねばならない場所がある」

 いつか、確かな力をつけて故郷へ帰り、王になると誓った。
 そして、誰も信じてくれず、自分ですら否定しかけていたその夢をすくい上げてくれた人がいる。

「ここで立ち止っては、くららに合わす顔が無い」

 自分の拳を握る。かつて彼女が取ってくれた手。
 見下ろして、仄かに目元を綻ばせつつ日雨は言った。

「……?」

 それを受けてのカクラナンナの反応は、当惑だった。酔っ払いも完全に覚める程の混乱がその表情に浮かんでいる。

「くらら……あの、胸の大きい子だよね」
「うむ、間違いない。それがくららだ」

 日雨は即答で断言した。なぜか誇らしげですらあった。

「だって、彼女は……え? 君も……その反応……恋人じゃないの?」
「いや、あやつとは友である」
「……すまない。おじさんには若者の考え方がよく分からなくて……率直に聞いていいか? 君は、彼女をどう思ってるんだ?」

 酔いではなく、別の原因で足元をふらつかせつつのカクラナンナの問いかけ。
 それは言葉を選ぶ必要のあるものだった。未だ日雨自身にもよく分かっていない。
 一つ、それを表現する言葉を思いついて、口にした。

「あやつは、不思議だ」

 そう、その言葉が一番しっくりくる。

「触れられると顔が熱くなる。近くにおるだけで呼吸が乱れる。意味もなくあやつの前では格好をつけたくなる。少し褒められただけで寝る前に何度も思い出す。近頃は……避けられておるようで、気が沈む」

 彼女の事を考える時の己の胸は、様々に色を変える。白い時もある、赤い時もある、青い時もある、紫の時もある。明るい時もある、暗い時もある。
 謎だ。奇妙だ。――不思議だ。

「カクラナンナ殿、この気持ちは一体……なんなのであろうな?」

 はにかみつつ、日雨は唖然とする彼にそう問いかけたのだった。





 詞木島日雨を宴の場に追い返して、カクラナンナはプラントの内壁に再び背を預ける。懐から煙草を取り出し、またマッチの隠し場所を忘れていくらか難儀した末に、ようやく紫煙を肺に満たした。
 吐き出す煙には、呆れの感情が混じっていた。

「プルと言い彼と言い……最近の若者はまともな教育を受けてないのか?」

 まさか、自分の気持ちの正体すら知らないとは。

「真面目に逆仲人の算段をつけていた自分が馬鹿に思えてくるな……」

 子供の色恋沙汰に容喙ようかいしようとしたしっぺ返しが、今の滑稽な様か。諧謔かいぎゃくに思わず苦笑が漏れる。

「彼らが魔竜を討伐するのに〝セイタン〟を出してくれれば、話は早かったんだが……いったい誰が応現体インカーネーションなんだ?」

 順当に考えれば、詞木島日雨の妹を名乗る幼女だ。彼女の示す能力は、機傀悪魔デクスマキナ主機ロードユニットに相応しい規格外であろう。
 だが、今の話を聞いてみれば――存外、あのいかにも普通の少女があるいは、とも考えられる。
 結局は、疑い出せばきりがないという事だ。なんと厄介な兵器なのだろう、機傀悪魔というものは。普段はただの人間の少女にしか見えないなど。

「……果たしてどの手札がジョーカーか……なんて、博打に身命を預けるのは好みじゃないな」

 希少な煙草を贅沢に使うわけにもいかない。カクラナンナはマッチをまた服の内に仕舞おうとする。
 手元が狂い、肩口の紐で吊った小ぶりな鎌に触れてしまう。
 指先の血を吸いながら、カクラナンナは考える。大げさな手振りでミスディレクションを誘い、肩の動きで飛ばした鎌で頸動脈を裂く――いかにも小細工じみた暗器の技が、霊感を含めた感覚をナノマシンで補助した媒介者メディエーターに通用するだろうか。

「愚か者は名器を猫の餌皿にする……あの隙だらけの小僧なら、あるいは、かな」

 そう呟くと、彼はプラントの天井を見上げて声を掛けた。

「さて、貴女はどう思う? 〝ミラーヴ〟……」





 数日掛けて、シャンバラの調査隊が編制された。
 それ程長く時間を費やしたのは、夜見が人選に手間取ったからだ。

「今回の面子に要求されるのは、調査員となり得る魔導の才じゃ。我らが去る前に教育を施し、シャンバラを研究する人材とせねばならん」

 そう主張した彼女はテントに陣取って、老人と子供も含んだサヴィトリのメンバー全員を調べた。簡単なIQテストとカウンセリングで知能を、八卦見や瞑想などをさせて魔導の適正を計る。
 結果、まずは五名ほどが調査員候補に選ばれた。戦闘経験があるのはその内一人のみ。今回は彼らを警護してナラカ最下層まで辿り着く必要がある。その為魔竜討伐のメンバーは全員今回の調査に同行している。

「おう、お主か。……修羅場慣れした者が一人でもいて助かった」

 プラント出口にたむろした調査隊の中に、よく知った人間を見つけて日雨は声を掛けた。

「いや……僕は逃げるくらいしか出来ないんで、妙な期待されても」

 にこやかな彼と対照的に、陰気に顔を翳らせて答えたのはアンヴィスの少年、シュニヤタである。

「何を言う。カクラナンナ殿はお主を推してたぞ。魔竜相手の決死隊が壊滅した時の後釜としてもいた。うむうむ、そなたが此度の働きで、栄えある調査隊第一班として歴史にその名を刻む未来が見えるのー!」
「きみ……今時珍しいぐらい露骨にポジティブだよね」

 瞳に星すら浮かべて語る日雨に、思う存分引きながらシュニヤタが言う。

「ラナの期待も重いな……表に出るのは好きじゃないんだ。能力も武装も戦闘向きじゃないしね」

 彼は腰に吊った警棒のようなものを取り出し、グリップに気を込める。柄から先が薄い光を放ち、帯電した。

「僕の〝痺れ花マンジュサカ〟はただの護身道具だよ。人間を失神させる程度の電流は流れるけど、魔獣相手じゃ脅しにもならない」

 頼りなさげに唯一の得物を眺めると、ため息をついてベルトの留め具に戻した。

「だから、条件は他の四人と同じ。ちゃんと警護してよ? 詞木島君」
「おう、任せておけい」

 あっけらかんと胸を叩き、安請け合いをする日雨。





「馬鹿野郎、集中しろヒサメ」

 最下層へと続く通路の暗がりにて、小声でプルがしかり飛ばした。

「……おお、すまん」

 崩落しかけた床から足を踏み外しそうになっていた日雨は、慌てて彼女の叱責に応じて足を引っ込めた。先日のカクラナンナの発言を意識してしまい、ふと近くに寄ってきた彼女に呆けてしまったのだ。
 その不様を、「しっかりしろよ」と胸を叩いてプルはたしなめる。

「そろそろ慣れた道に見えても、ここは魔獣の巣なんだ。油断すりゃ誰だってあっさり死ぬ、仲間を巻き込んでな。特に今回は戦えねぇやつまで混じってる。気を引き締めろ」

 甘さの無い彼女の声に、日雨は思い直した。やはりあれは、カクラナンナの勘違いだったのだ。

(……しかし)

 不注意を謝罪して、部隊に随行する道すがら物思いする。
 ここ数日のプルは、度胸がついただけでなく周りを見る余裕まで出て来た。先遣隊のメンバーはもう彼女をお飾りの大将とは思わないだろう。
 功だ。
 魔竜を討伐し、アンヴィスの約束の地を発見した功績が、無鉄砲な十六の少女を額面通りの一団のリーダーへと成長させた。
 鯉の滝登りじみた出世ぶりに、率直に日雨は羨望を覚えた。

「――おい、さっきの話聞いてたのか?」
「……ああ、悪かった」

 再びの叱責に謝罪して、日雨は足を前に進める。
 彼女が前に立つ限り、サヴィトリは大丈夫だ。ひいては他のアンヴィスも――シャンバラの謎を解き明かし、彼らが手に手を取り合って地上へ上り、人間と対等に共存する未来はきっとやって来る。
 暗闇の中、眩しい希望を抱いて日雨は下層への道を行く。

 ――やがて、魔竜の棲息していた階層に到達する。
 その入り口に立った所で、日雨は足を止めた。

「……待て」

 後方の部隊を手で制して、彼は告げた。その目線は中空のあらぬ方向へ向けられている。

「――魔獣だ」

 そう口にした途端、背後の亜人たちの間で動揺が走る。日雨も同じだった。またあの魔竜か? 夜見が氷漬けにしたもの以外に、存在したのか?
 悪い予感に背筋を凍らせた、その時。
 予感は、裏切られた。
 暗がりの奥から聞こえてきたそれは――人間の声であった。

「サヴィトリだな!」

 聞き覚えのある女の声であった。日雨がその正体を思い出すより早く、後方のプルがうめき混じりに、

「あの……声は!」
「いるのだろうプルールギータ! 下層への入り口は我々が確保した! 大人しく出てこい!」

 名指しで呼ばわれて、プルが飛び出して行った。容易には治らないらしい無鉄砲に舌打ちし、日雨も後を追う――その脳裏には、疑念が渦巻いていた。
 そこにいるのは〝絶対に〟魔獣のはずだ。なぜ、あの女の声が聞こえてくる?
 プラットフォームに繋がる隔壁の前には、アンヴィスの一団が待ち構えていた。ざっと目算して二百人以上、一部が柱の影に隠れながら展開している。

(これだけの人数で、ナラカを突破してきたのか? どうやって……)

 その答えは、彼らの姿を詳細に観察して明らかになった。それぞれがナラカの遺産と見られる銃火器で武装している。サヴィトリよりも保有数は多く、種類も多彩だ。
 彼らの中心、隔壁の真正面に立つ女がその首領と見られた。
 首枷のような輪がついた藍色のボディスーツの上にマントを羽織った姿で、その両手には、ナックルダスターの先に身幅の広い両刃を填めたような剣――確か、ジャマダハルというバーブル帝国特有の武具だ――を持っていた。
 日雨にとっても、見知った顔だった。

「リグラヴェット……ッ!」

 プルが忌々しげにその名を呼ぶ。

「ずいぶん、憎らしげに呼んでくれるなプルールギータ」

 彼女を見返して、リグが言った。その声音と目線には、いつぞや対面した時には無かったものが宿っていた。
 冷酷さと、憎悪だ。

「大義が自分にあるような顔で、己が何をしでかしたかも分からず……その無知、腹立たしいぞ」

 よく見れば、彼女の仲間たちも同様だった。彼ら全てが、憎悪に満ちた視線をこちらに送ってくる。不可解な程に煮えたぎっていた。

「……んだと」

 声を引きつらせて突っかかるプルに、リグは告げた。

「もう――貴様らの愚かさに付き合うのは限界という事だ、プルールギータ」

 彼女は両手のジャマダハルを重ね、金属の擦れる音を引き出す。

「ここで全ての幕を引く。それが、私の責任だ」
「……て、めぇ」

 かすれた声でうめきつつも、プルは背中のマハーカーラの留め具を外し、手の中に収める。
 一触即発の空気の最中――日雨は呆然と立ち尽くしていた。
 その目線は未だ、中空の一点を見つめている。

(どういう、事だ……これは――〝魔獣を意味する呼称〟のはずだろう?)

 視界に現れた幻覚の文字は、変わらず一つの警告を発していた。

【武装したC.I.M.E.R.Aによる部隊の接近を検知しました。規模、中隊程度。即時対処を推奨します……】



[40176] 11.理想郷(OUTOPOS)
Name: 八目又臣◆aa87a973 ID:17b043ce
Date: 2014/08/24 22:20
「……サヴィトリが、ナラカ最下層に辿り着いたと聞いた」

 カザクの水晶細工、カンの紅檀机、テュルキエの純金壷……自身の経営する劇場の地下に設けられたラフィー・ハルラールの自室を飾る調度品は、祖先の財を食い潰す放蕩息子そのものの、金ばかりかかり統一感に欠ける代物だった。
 あるいは、先祖への報復のつもりか――若い頃の彼は役者を目指していたと聞く。今この場に納まっている理由は、親に諦めさせられた訳でなく、単に挫折しただけらしいが。

 自分に才能を与えなかった親のせいだ――いつだったか、そんな事を漏らしていた。
 父祖から受け継いだ財を半分も使いこの劇場を建てたのは、卑小な自尊心を満足させる為だ。
 自ら何かを生み出した事は一度もなく、他人の功績を吸って自慰に耽る度し難い小人物。
 しかし、リグラヴェット・ラケシュと彼女の預かる無数の亜人の命運を握っているのは、この男だ。

「連中の拠点はナラカの奥深くですが。我々の耳でも、その動きは聞き取れません」

 牽制を含めた皮肉を述べるリグに、紅檀机に重たげに身体を預けるラフィーは苛立ったようだ。前傾が深くなり、木材の軋む音がする。

「とぼける気か! 貴様がサヴィトリに間諜を潜り込ませていた事は知っている」

 その間諜の報告を受ける過程で、ラフィーの息の掛かった誰かが告げ口をした、という事か。そんな事態を警戒して、カイラスでない別のコミュニティの者を使ったのだが。それがあるいは判断ミスだったか。
 どちらにせよ、なんとも現実的な話だ。小さな穴蔵で身を固めるように過ごす亜人たちの中にすら、裏切りを探すのが難しくない。

「――どうしてくれる気だ?」

 最も向いて欲しくない進路に、ラフィーの思考は傾こうとしている。

「そこには強力な〝遺産〟があったとも聞いている。仮に連中が地上に出る能力を得たとしたら……このチャトラは侵略される」
「お待ち下さい。……連中は所詮亜人です。バーブル帝国の領地を脅かせば近隣諸国も敵に回る。首領はともかく、副長のカクラナンナは賢明な男です。そんな無茶をしでかすはずがない」

 爆発物を扱うような慎重さで、彼女は言葉を並べ立てた。

「この件は私にお任せ下さい。最低限の譲歩で、彼らの暴発を止めてみせます……」

 口にした言葉は、自分で驚く程に空疎に響いた。
 日光の下に出られる身体を得て、地上で生活する――それはサヴィトリのみならず、アンヴィス全体が潜在的に持つ宿願だ。
 しかしほとんどのアンヴィスが、その具体的な像を全く思い描いていない。
 一体、どこで、どのようにして生きるというのか。
 チャトラに移住する? 人間の住民は自身の生活圏を脅かす彼らを、受け入れないだろう。スラムに押し込み、最低限の仕事に従事させる程度が関の山。あるいはそれすら難しい。

 ならば、別の土地にアンヴィスだけの国家を作るか?
 それが不可能である事は歴史が証明している。亜人のほとんどは険しい山岳地帯など秘境じみた難所に押し込められ、時にはそこにすら討伐の手が入る。反乱はことごとく鎮圧され、その度に虐殺の嵐が吹き荒れた。
 人間にとって亜人は本質的に異端者なのだ。敵国に領地を奪われるのと同等の忌避感を、亜人に生活圏を分けるという行為に抱いている。
 最低限の譲歩――そもそも人間の側にその気が無いのだ。
 種としても、そして個人としても。

「駄目だ、駄目だ、駄目だ……! そうなれば私は、カフカレイアを手放さねばならなくなる……私の光を……永久の天女を……」

 財産を持つ富豪の感性で、奪い取られるものを察してラフィーはうめき声を上げた。そう、プルールギータは必ず、この男に金で買われた妾の少女を救い出そうとするだろう。それがラフィーに要求する、最低限の譲歩だ。
 彼はそれを決して受け入れない。

「同族の不始末は、貴様が付けろリグラヴェット。――あの穴蔵で不快に這い回る害虫を、駆除して来い」
「っ……それは、」
「断れると思うか! 今すぐ貴様らへの援助を打ち切っても良いんだぞ……他の密出国業者にも同じ事をさせる。貴様らはすぐにでも干上がる」

 顔を紅潮させて怒鳴り散らす言葉に、リグは凍り付いた。
 その表情に嗜虐心を満足させたか、怒り顔と微笑みを混ぜたような異様な表情でラフィーは続けて述べる。

「いや、それだけではない。――そうだ、今回の件は良い機会となった。商売を畳む潮時だったのだよ。……貴様らに、全ての後始末をしてもらおうじゃないか?」
「……?」
「中央政府に進言するんだよ。不逞の亜人が徒党を組み、密出国の斡旋なる犯罪を行っていると」
「……な」

 リグは唖然と、その言葉を受け取った。

「何を馬鹿な! これは貴方がたが始めた事ではないか!」
「それを政府が信じると思うか? 亜人の語る言葉なぞ……いや、信じようが信じまいが責任を貴様らが被る事に変わりはあるまい」

 にたり、としたラフィーの言葉を、真実と理解してリグはほぞを噛む。彼ら密出国業者は人間の社会と利害の絡む存在だ。この仕事を始めるにあたって北領領主には鼻薬を効かせているだろうし、各国の要人とも深く繋がっている。
 彼らは保護される――穴蔵で暮らす亜人に全ての悪果を押しつける事で。

 積極的に動くのは北領領主か。中央政府へ対抗する力を付ける目的で密出国業者から金を得ている彼は、事実の隠蔽の為に即座に討伐隊をナラカに送ってくるだろう。
 上からは数万から為る軍隊による亜人狩り。地下深くに逃げれば魔獣に後背を突かれる。
 二千年穴蔵で細々と生きた亜人は、そのまま暗がりに葬り去られるだろう。

「最初から……そのつもりだったのか……!」

 絞り出すようなリグの言葉に、ラフィーは余裕めかした微笑みで応じた。

「だったらどうだと言うのだ? これまで面従腹背で小賢しく立ち回っていたようだが……ようやく己の立場を理解したか、リグラヴェット」

 この世界の強者と、弱者を明らかにする口調であった。

「貴様ら亜人は、人間の、奴隷だ」





 ラフィーの私室から退出してすぐ、リグラヴェットは劇場地階の壁に背を預けた。自力で立つ力を失いかけていた。

「くそ……ッ!」

 毒づき、両手で顔面を覆う。

「――姉さん?」

 だから四つの耳だけが、その少女の存在を捉えた。声を掛けられるまで気付かなかった失態を忌々しく思いながら、背筋に鉄骨を入れるような気分で立つ。

「カフカ……あまりうろつくな。いつ呼びつけられても良いよう、部屋で待っていろ」

 あの男の心胆を思い知った後もなお、妹にその意に沿うよう強いる自分にたまらなく吐き気を覚える。しかし、決して表情に出さぬよう押し殺した。

(今更、そんな顔をして……憐れんで欲しいのか?)

 妹を金で売り渡し、さんざん供物として消費させた今になって情けを受けたがるなど。恥知らずにも程があるではないか。
 ――両親が死に、彼らの養っていた人々と共に干上がりかけていた時に声を掛けてきたのが、あのラフィー・ハルラールという男だった。
 彼が自分たちの扶養と引替えに要求してきたのは、密出国事業に協力する事。

 そしてカフカレイアを妾として差し出す事。
 当時の幼かった彼女を人間の男の餌食とする事に、決して納得していた訳ではない。
 だが、結局はそうせざるを得なかった。リグの集落では餓死しかけている者が何人もいた。すぐにでも金が必要だった。
 それを行ってしまえば――自分が獣にも劣る存在に成り果ててしまうとしても。

 亡八、という言葉が極東の島国にはあるという。
 今の自分がまさにそれだ。人として持っていてしかるべき心を亡くして生きる、卑しい女だ。
 己の身に裏切りが常に纏わり付いているのは、それに値するだけの所行を積み重ねてきたからに他ならない。
 最初に去っていったのは、プルールギータだった……

「聞こえていなかったのか? 行けと言っている――」

 なおも留まる妹に、声を荒らげかけた所で。
 胸の内に、彼女が飛び込んできた。

「いいえ……わたしは去っていかないわ、姉さん」

 胸元から上ってくる声音は、あの座長が入れ込むのも理解できる玲瓏れいろうとした響きであった。深い陶酔を抗えない、清い水から作った美酒のようであった。

「わたしだけは、姉さんの苦しみを分かってる。みんなを養う為に、自分だけ手を汚して、ひとりで悲しみを堪えているの」
「ち……がう。私は、苦しんでなどいない」

 子供がだだをこねるような響きで、リグは言った。本当に苦しんでいるのは――
 胸の中で、妹は首を振った。

「わたしは苦しくなんてないわ。姉さんを支えられる事は、わたしの一番の喜び……わたしだけが姉さんと共に身を汚している。それがたまらなく嬉しい」
「カフカ……」

 妹の健気な言葉が、心に付けられた傷を埋めるように納まっていく。
 女である事を半ば捨てているリグは、妹の示す女そのものの力に憧憬じみたものを覚える。
 彼女はこんなにも簡単に、己の固めた覚悟を解いてしまう。

「……お前は、汚れてなんていない」

 妖精のように華奢な身体を、壊さないよう優しく抱きしめてリグは囁いた。

「清いままだ。あの男にも汚せない……永久の天女だ」

 その弱さ、儚さはかき抱く者に力を与える。ただ守らねばならないと強く思う。

「お前はただ、そばにいてくれるだけでいい。それだけで私はどんな事もできる」

 誓うように告げて、名残惜しげに身体を離す。

「待っていてくれ。――すぐ、お前の元に帰るから」

 既に歩む足取りは力を取り戻し、心の曇りは拭き取られた。
 迷いはない。己に出来る最善を為す。
 現実を理解しない、あの無責任に夢を見るだけの若造どもとは違う。最小限の犠牲で種族を生き残らせる。それがリグラヴェット・ラケシュに与えられた使命だ。
 たとえ、あのプルールギータと戦うとしても。





「……一つ、聞かせて欲しい」

 もう摩擦熱程度で炸裂する火薬の庭、といった状況に、これ以上ないタイミングで水を差したのはカクラナンナだった。

「君達の武装は……ナラカの遺産だな。僕らの保有するものより数が多い。それをどこに隠していた」

 リグの率いる一団はそれぞれに銃火器を保持していた。サヴィトリ側の持つ突撃銃のみならず、グレネードの射出機、サブマシンガン、腰のホルスターには手榴弾や拳銃まで吊られている。おそらくナラカと呼ばれる前の〝アガルタ〟であった時代に存在した兵士の、完全武装に程近いものであった。

「私ではない。カルルフィナが秘蔵していたものだ」
(……カルルフィナ?)

 耳慣れない名前に日雨が疑問符を浮かべる――その前に、怒気に溢れた声が隣から上がった。

「母さんのものを、母さんを裏切ったあんたが我が物顔で使うかよ……!」

 プルは背筋を怒りに固めて、今にも飛び掛からんばかりだった。やはり彼女のリグに対する敵意は、私怨の気配がある。
 以前はただ受け流すだけであったリグも、その敵意に応じた。

「彼女から託されたのは私だ。私の使い途こそ、彼女の意志に沿うものだろうよ」
「な……んだと!」
「死者の意図を勝手に曲解して、裏切りなどと……貴様はいつまで経っても変わらない、独り善がりな餓鬼だ」

 目元を歪め、苛立つように詰ってくる亜人の女。

「てめぇ……てめぇ、はぁッ……!」

 呼吸の乱れる程に憤激して、プルは背を屈める。すぐにでも飛び出していきかねない。

(馬鹿者……! 数と装備で負けてる上に、地の利も取られているのだぞ!)

 日雨は内心で彼女を罵りつつ、背筋を流れる嫌な汗に震えた。こちらを待ち構えていたらしき敵勢。その一部は側面にも展開している。この瞬間に戦端を開けば、即全滅となりかねない。
 それを理解しているのは日雨だけではない。

「では、密かに手練れの兵員を養っていたと?」

 一つだけ、というのは単なる便法か。カクラナンナは続けて問いかける。

「まったく。僕らが苦労して突破したここまでの道を……簡単に辿り着いてくれるものだ」

 皮肉めかした言葉を放つ途中で、彼は眉をひそめた――集団の殺気が、一層膨れあがっている。

「簡単……などではない」

 彼らの代表たるリグが、その疑問に応じた。

「カイラスのみならず、他の集落の戦士も徴収した……千人からなる軍勢だった」

 千人――しかし、今ここにいる彼らはざっと見積もって二百人程度だ。
 残りの八百人は、どこにいった?

「この階層に辿り着くのは、本来そう難しい事ではない。魔獣の群れに囮を出し、引き付けている内に進む……それを繰り返せば良い。八百人がそうして死んだ。ここにいる者共の兄弟たちが」

 彼女の最後の理性が、その言葉で崩れた。剣を突きつけ、声を張り上げて告げる。

「貴様らの無軌道のツケを支払う為にだ! 下らん時間稼ぎなどするなカクラナンナ! もう私達は――立ち止まれる場所を踏み越えた!」

 それが開戦の合図として敵勢に聞こえるであろう事を、日雨は察する。
 一瞬後に降り注ぐ銃弾の嵐を前にして、絶望に表情を凍らせた。
 ――集団の前方にいる彼は、気付かなかった。
 カクラナンナの時間稼ぎが成功していた事を。

金神封緘こんじんふうかん!」

 地勢を掌握し、術の準備を整え切った夜見が床に手を当て、言霊を放つ。
 鉄の床が変形し、サヴィトリの立つ場を中心として無数の壁を形作った。
 撃発された銃弾は間一髪、鋼鉄の楯に阻まれる。
 妹の作った機に、日雨はデモナイズして疾走。楯の外周へ飛び出して行く。
 姿を見せた瞬間、銃弾が飛んでくる――それを巨大化させた剣の腹で受ける。

(腕が良い……にわか仕込みではない!)

 射線をくぐり抜けるように身体を振りながら、日雨は隔壁の方へと走る。
 戦力面で完全に劣勢だった。魔竜に滅ぼされた夜見の戦鬼は再構成に時間がかかり、だきには戦鬼に代わって彼女の警護に回らねばならない。
 首領のリグを捕獲して、停戦を促す以外に生き残る道は無い。
 駆ける彼の進路上に、五人のアンヴィスが立ちはだかった。

「……ぐッ」

 うめきながら刀を鞘に収め、徒手空拳で応戦する。
 前方の一人が、山刀を振り抜いてくるのを首をすくめて躱す。そこに狙い澄ましたように拳銃の銃口が待ち構えていた。
 腰を捻って銃撃を回避。旋転の勢いでこめかみに肘を叩き付け、一人目を昏倒させる。
 背後から回り込んできた二人目の銃剣による刺突を、上半身を反り返るように倒して避け、振り上げた爪先で蹴り飛ばす。

 姿勢の崩れた隙を突いて、三人目と四人目が突撃銃をフルオートで放ってくる。
 日雨は反り返った勢いでバック転し、射線から逃れた。空中で懐のナイフを引き出し、巨大化させないまま投擲、突撃銃の銃身を破壊する。
 その時、最後の一人が投げてきた缶のような何かが彼の目前に滞空した。

「いかん――詞木島君!」

 夜見の造り出した壁を遮蔽物として、サヴィトリを囲もうとする敵勢に牽制射撃を加えていたカクラナンナが、その投擲物を見て声を上げる。
 先代の時代からサヴィトリのメンバーであった彼は知っていた。仲間の一人が本来の遺産に手を加え、爆音を低減し発光だけするよう改造した道具の存在を。
 即ち――閃光手榴弾フラッシュ・バン
 かっ――!

「……がっ!?」

 爆裂し、視界を灼く強烈な光に日雨は仰け反った。空中でバランスを崩して地面に墜落する。
 鉄の床に叩き付けられた苦痛に没頭したくなる欲求を堪え、身体を横に転がす。直後、銃弾が彼のいた場所を穿った。
 今相対する敵の眼球も、間近で浴びた光に機能を失っただろうが、彼らには関係無い。気流と音さえあればかの兎人は十分に戦えるのだ。
 こちらも聴力を鬼道で強化するが、この戦い方ではあちらに一日の長がある。

(くそ……手練れか)

 戦い慣れ、コンビネーションも巧み。遺産の扱いも熟達しており、アンヴィスのアドバンテージを引き出す戦法にも長けている。身体能力はデモナイズで強化された日雨が圧倒しているが――殺さずに制圧するとなると、過剰な力はむしろ神経を磨り減らす。
 サヴィトリ以外のアンヴィスは平和な生活になまりかけていると聞いているが――これだけの兵士をなぜリグは保有しているのだ?

「はは……よく見れば……知った顔がいるじゃないか」

 カクラナンナの声が聞こえてくる。

「ちょっとした同窓会かな……お互い持ってるのは、宴会道具にしちゃ面白味に欠けるがね」

 悲愴感を誤魔化す為か、冗談めかして言う。――この兵士たちの一部は、先代のサヴィトリのメンバーだったのか。

「かつての仲間を撃たせるか……全く、運命って奴はどこまでも底意地が悪い」

 その時彼は、心に配置したスイッチを切り替えた。
 これまで敵勢の足下を狙っていたロングライフルを、彼らの急所へと上向かせる。

「待て! カクラナンナ殿!」

 躍りかかってくるアンヴィスらをいなしつつ、日雨は声を張った。

「聞けないね、詞木島君。――君も、その変身の力にあぐらをかいて余裕ぶるのを止めろ。君の背後に妹や友人がいるのを忘れるな」
「しかし……これでは……!」

 汚れた雑巾から水を絞るような、かすれた声を日雨は出した。
 シャンバラに辿り着く。
 それが、最善の道ではなかったのか? それさえできれば、彼らは和解できるのではなかったのか? 手に手を取り合って地上へ上り、人間と共存して理想の世界を築くのではなかったのか?
 困惑に顔を歪ませる日雨の心境を察したか、とどめを刺すようにカクラナンナが告げる。

「地下の奥底だろうが、ここは人と人が憎み合うありふれた浮世に過ぎないんだよ――理想郷なんて、どこにも存在しない」
「――リグラヴェットォオッッ!!」

 彼の言葉に呼応するかのように、プルが戦場に飛び出してきた。敵勢の注意が彼らの首領から外れるのを、待っていたようだ。
 マハーカーラの噴射炎の勢いで高く舞い上がり、頂点に達すると噴射口を天井に向け落下。地表に再突入する弾道ミサイルじみた軌道でリグへと突撃する。
 リグの飛び退いた後の地面を鉄槌が叩き、大きく陥没させた。

「相変わらず、雑な力押しだ」
「黙れぇッ!!」

 見下した口調のリグに激昂して、プルは前に飛び出した。横薙ぎに払われた鉄槌を、リグは子供の拳を相手にするかのような気軽さで回避する。

「元々それは、華奢な女のお前に向く武具ではない。形だけタラルカの真似をした所で、モノになるはずがないだろう」
「父さんの名前まで……出すんじゃねぇ! てめぇがぁっ!」

 更に激して攻め立てるプル。――聴覚から察する彼女の動きに、日雨は舌打ちする。いつにも増して直線的でワンパターンだ。
 その愚直さがかつて羅虚虎と相対した時の日雨と、だぶる。
 首筋を撫でるような悪寒に、彼は腰の太刀に手を掛けた。すぐにでも救援に向かわねばならない。
 そして、この手練れのアンヴィスたちは、殺す覚悟でかからなければ排除できない――

(しかし……!)

 諦めきれない夢想が、鎖のように鞘に絡み付く。
 迷う隙に、戦局は猖獗しょうけつを極めていくというのに。

「技術、思想、行動。全てが誰かの猿真似、表面だけの取り繕いに過ぎない。子供の滑稽さは、見ていてもの悲しいなプルールギータ!」
「てめぇ……はッ! いつもそうやって上からモノを語る!」

 ずだんッ! とプルは強く大地を蹴った。
 マハーカーラを点火――その軌道は、常のような直線ではない。
 回転。
 鼠花火の如く火を噴きながら縦回転し、リグへと猛進する。
 噴射炎の向きを変える事で、変則的な機動を実現している。あれならあるいは――

「……!」

 日雨の視界は回復し始めていた。ややちらつきつつも、リグの姿の変化を見て取る事ができた。
 枷のような鋼鉄の首輪、そして手にしたジャマダハルのグリップが薄く光を放ち始めていた。
 思えば――あの身体にフィットするボディスーツは、どこかで見た覚えがある。
 シャンバラの兵器庫で見た、あの鎧の肌着部分だ。
 夜見はあれをなんと言っていたか――

《Start up 〝EXOMUSCLE〟》

 首輪が音声を発すると共に、赤い光がボディスーツに血管の如く流れる。
 そして、

《Start up 〝HFO BLADE〟》

 ちり、と彼女の両手のジャマダハルを中心として、気流に乱れが生じ始めた。
 その刃が微細に、凄まじい速度で振動している事を、強化された感覚で日雨は悟る。
 リグは右拳を肩の高さに立て、それに左手を重ねた奇妙な構えを取った。

「あぁぁああああああああああああッッ!!」

 雄叫びを放ち、鉄槌を振り上げるプル。
 瞬間、剣閃が幾重にも奔った――
 高分子アクチュエーターの補助は、リグの斬撃を人間の視認できる限界を超えて加速させていた。刃を覆う高周波振動の加護は、鋼鉄を水の如きか弱い抵抗の物体へと変えた。
 ゆえに成立する―― 一瞬間の八回転、十六連撃。

「……ぁ」

 プルのマハーカーラは微塵に切り崩され、鉄片の吹雪と化して宙を舞う。
 重みを無くし、ただの鉄の棒と化した得物を呆然と眺めていたプルは、着地時に受け身を取る事も出来なかった。墜落するように床に叩き付けられ、三度転がりようやく止まる。

「ぁう……あぁ」

 敗北の衝撃に放心している。救いがたい隙であった。

「これが、技を受け継ぎ己のモノとするという事だ、プルールギータ」

 彼女の頭上から切っ先を突きつけて、リグは告げる。

「まさか……それは、」
「カルルフィナの遺産だ。武具――技術もだ」

 技術――確かに今の攻撃は、神代の超兵器に振り回されたような未熟な動きでは無かった。パワードスーツという外部の力を的確に自分の動作に乗せ、高速の身体操作の中正確に刃筋を立てる感覚と技を抜きには不可能な芸当。正しく武術アートと呼ぶべき、研鑽けんさんの結実である。
 それをあからさまな形で示されたプルは、奥歯を砕きかねない程に噛みしめ屈辱に唸る。

「タラルカから技を継ぐ機会の無かった事を嘆いているのか。あるいは、カルルフィナの技でタラルカの遺産を葬った事を憤っているのか……どちらにせよ、そんなものは感傷に過ぎない」

 敗者の表情を見下ろしつつ、なぶるようにリグは言う。

「お前はその下らん情動にしか、価値を見出せていない。シャンバラなどという幻影を追い求めるのもただの感傷だ」
「違う……! シャンバラはちゃんとあった……! あたしは見つけたんだ……!」

 その事実にすがりつくような抵抗の言葉を、リグは断ち切るように否定した。

「違う。お前の求める〝シャンバラ〟は、お前の人生の失点を全て取り返してくれる都合の良い理想郷だ。両親の死をぬぐい去り、カフカレイアを取り戻し、穴蔵の中の惨めな生活から抜け出す――亜人として生まれたがゆえの不幸全てを帳消しにしてくれる、夢見がちな子供の妄想じみた幸福の世界だ」
「……ッ!」

 その言葉は、おそらく。
 少女の、触れられただけで傷つくような秘所であったのだろう。

「そんなものは存在するはずのない幻想だ! 現実を見ろ……! お前の感傷から始まった事で、アンヴィスという種全体が危機に陥っている……!」
「ぁ……うぁ」

 リグの叱責に、プルはか弱い反応を見せた。仰向けに反転し、尻を床につけて後じさる。両手のマハーカーラの柄を護符のように強く握りしめながら。

「やめ……て。やめてよ……なんでそんな事、言うの……?」

 幼児の駄々にすら似た調子で、柄を振り回す。それでリグという女の存在を拒絶するかのように。

「なんで……どうしてあんたがあたしを否定するの……あんたは、あたしの……」

 リグの斬撃は彼女自身を傷つけなかったと思っていたが、違うようだった。自我に深く傷を負い、彼女は現実を拒否していた。
 リグはその様に失望に満ちた嘆息を吐き――右手の剣を、照準を合わせるようにプルへ向けた。

「……! くそ――どけ! どけッ!」

 彼女たちとの間に立ちふさがるアンヴィスの兵士たちに、日雨は怒鳴りつける。自然現象の如く、彼らは聞く耳を持たず、戦闘の手を緩めたりはしない。
 銃撃を回避するのに手一杯で、むしろ彼女たちから遠ざかって行く。

「プル……!」

 ――リグは、氷結したような表情で一歩前へ進む。剣の間合いへと。

「私は仲間の命を守る為に、必要とあればなんであれ切り捨ててきた……今の私は、種族全体の命に責任を負う立場だ……同じ事をするのに、何ら迷いは無い」

 再び、ジャマダハルに超振動を付加する。

「あ……あ」

 打ちのめされたプルに抵抗する力は無く、ただ切っ先を見つめて遅々と下がるだけだ。
 決定的な一瞬を前に、時間が引き延ばされる。呼吸が苦しみを覚える程に鈍い。
 日雨が抜刀を決意した――その時。

「プルッ!!」

 リグが、声を上げた。

「下がるな! 後ろだ……! くそッ! 我々の匂いに誘引されたのか……!?」

 何事か喚いて、切っ先を移動させてプルを飛び越え彼女の後方から迫っていたものを切断する。
 本人が誇るだけある、巧みな剣捌きであった。対象は一撃で首を斬り落とされ、地面に墜落するように倒れ込む。
 油断無く、リグは斬殺した敵へと向き直る。
 プルもまた、何事かと後方へ首を振り向けた。

「……え?」

 そして、同時に唖然と声を上げた。




「……………………………………………………おじ、さん?」




 二人の声が唱和し――首と胴体を切り離されたカクラナンナに向けられた。
 どくっ、どくっ、と。間欠泉の如く断続的に、首の断面から血液が噴出する。
 何秒か、四肢が痙攣を続けていた。
 それがおさまった後――プルが半狂乱の悲鳴を上げた。

「あぁあああああああああぁ――ッ!? おじちゃん! おじちゃんッ!!」

 四つん這いになってカクラナンナの死体に近寄り、彼の首を抱える。涙と鼻水に塗れた顔で、既に生命の失せた眼に必死に声をかけ始めた。

「うそ、うそうそうそうそうそ……! おじちゃん! やめて……違う! 違うよ……こんなのおかしい……おかしいよ……ちが、うの……おじちゃん……」

 元より現実に対して拒絶反応を起こしていた彼女は、追い打ちを掛けるように訪れた身内の死に、退行を起こしていた。おそらくはかつての呼び方で彼に呼びかけ、彼の頬を平手ではたく。ただ眠っているのを、起こすかのように。
 その行為に返すかのようにカクラナンナの血液が飛び散り、彼女の頬に付く。
 プルの手が止まり、悲鳴ですらない音が口から漏れた。

「ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ――」

 その狂態を、一番間近で見る女。

「ぁ……なぜ、だ。私は、確かに……あれは……」

 リグもまた、動きを止めて呆然としていた。
 その声を聞いて、プルの目線がようやくカクラナンナから外れる。

「りぐ、ら、べと……」

 壊れた人形じみた発声。
 ならば、次いで放たれた絶叫は人形に火が付いたようなものなのか。先程の憎悪がまるで赤子の遊びに思える、己の身を燃料にしたような心胆からの怨嗟がそこに込められていた。

「リグラヴェットぉおお……ッ!!」

 その響きに、戦いの勝者であったはずのリグがたじろいだ。

「ラナは……叔父さんは……父さんと母さんを亡くした〝あたしたち〟を養ってくれた……親みたいなモンだったはずだろ……あんたの言う現実ってのは……カフカを……あたしたちの妹を売るだけじゃなくて……この人を平然と斬り殺せるくらい、ご大層なモンなのかよ」

 焼けた己を押しつけるような、捨身の憎しみを彼女は向けた。
 自分の――

「答えろよォッ! 姉貴ッ――!!」
「……ぁ」

 滂沱ぼうだと落涙しつつ絶叫する妹に気圧されて、リグは一歩後退した。
 からん、と彼女の手からジャマダハルが落ちる。彼女は不可思議なまでに動揺していた。
 プルの後方から迫る人物が、カクラナンナであると分からなかったはずがない。確かに彼と認めて、あれだけ躊躇無く斬殺しておきながら――今は狼狽しきっている。
 なぜ……?

「――兄様ッ!」

 その様子を呆然と見過ごしていた日雨の耳に、夜見の声が届く。

「リグラヴェットの剣を握って、全力で霊力を注ぎ込め!」

 切羽詰まった声で告げられる彼女の指示に反射的に従い、同じく動揺しているアンヴィスたちの間を縫って走り、リグラヴェットのジャマダハルを掴んだ。
 一瞬の集中の後、全身の霊子がグリップから剣に注がれる。
 ――――――――――――ッ!!
 音ならぬ音が、その刃から発せられた。

 周囲から悲鳴が上がる。アンヴィスの鋭敏な耳は、デモナイズした日雨の膨大な霊力を注ぎ込まれて過剰に発振した剣の高周波に耐えかねたのだ。三半規管を揺さぶられて転倒し、起き上がれずにいる。
 夜見の指示で事前に備えていたサヴィトリは被害を免れていた。既に退却準備を始めている。
 日雨もそれに乗ずる。ジャマダハルを放り捨てて倒れるプルを抱え、出口へと駆け去って行く。
 腕の中の彼女は、朦朧としつつも変わらぬ怨嗟を謳っていた。

「待て……殺させろ……あたしに……あいつをォ……!」

 それを聞くのも、憎しみに歪んだ貌を見るのも耐えがたかった。
 穴蔵の中で身を寄せ合うようにして生きているはずの亜人たちですら互いを憎み、殺し合おうとしている。それが血を分けた姉妹であっても。
 ――理想郷なんて、どこにも存在しない。
 死んだカクラナンナの声が、脳裏に残響する。彼の言葉は呪いじみて、日雨の抱いた夢想を子供の戯言と嘲笑っていた――



[40176] 12.幻惑の繰り手
Name: 八目又臣◆aa87a973 ID:17b043ce
Date: 2014/08/25 19:37
 二十五年前――




 エアダクトの中を大きめの地虫のように這い進み始めて、どれ程の時間が経っただろうかとカクラナンナ・ラケシュは自問する。
 最初は腹具合から時間経過を計測するなどと余裕ぶっていたが、携行食が尽きダクトを根城とする蜘蛛や鼠を腹に収める事に全く抵抗が無くなってから、そんな人間味は消し飛んでしまった。

 棺桶じみた閉所を行く長い旅は、十五になったばかりの少年の精神を思う存分打ちのめしていた。鉄錆の匂いを血臭と勘違いして発狂しかけ、腹の下に魔獣が通る気配を感じれば外聞も無く小便を漏らす。昔、地上で人間が石を投げながら発した「お前は人間じゃない」という言葉――あれは真実であったのではないかと思えてくる。あの時は、相手の腕をへし折ってやりはしたが。
 体中の筋を痛めながら、ヒトの尊厳を放り捨てて己を虫の一種と同列視するような道行き。
 それでもまだ、上層にある彼の集落に留まるよりは心安かった。

(もう……結婚式の始まる頃合いか)

 まだ始まっていないのか、終わってしまったのか。時の把握を放棄したのは失敗だったかも知れない。〝その日〟が永遠に彼の前に留まっているような錯覚を覚える。兄と彼女は幸福の絶頂にあり、自分は地下を惨めに這い回り続ける。
 ――ラナ。
 幻聴が聞こえてくる。カクラナンナがいつも、その四つ耳で聞逃すまいとしていた涼やかな声音が。
 ――わたしね、結婚するの。タラルカと……お腹にはもう、あの人の赤ん坊がいるわ。

 今はそれを、耳を切り落としてでも聞きたくないと思ってしまう。
 ――ありがとう……ねぇ、良かったら、生まれてくる子に名前を付けてあげて? きっとタラルカも喜ぶ……

(カルル……カルルフィナ……俺の方が、兄貴より先に君を……なのに……)

 あの日。見る事も、聞く事も耐えかねる現実から逃げて、彼は地下深くを目指した。
 エアダクトから下層への侵入を試みる、という案はかねてよりアンヴィスの間で存在し、早々に放棄されてきたものだった。最終的に最下層へ辿り着く見込みは薄く、戻る事も難しい。その上少人数しか潜入できず、大した武装も携行できない。

 そのルートを選んだ理由の大部分が自殺願望である事を、カクラナンナは自覚している。ならばもう、この辺りで留まり人知れず骸をさらすべきなのかも知れない。
 しかし、手足は遅々としながらも前へ進もうとしていた。
 希望を抱いていた。

(シャンバラに……行くんだ)

 そこに辿り着けば、きっと何かが変わる。この胸を締め付ける惨めさを、シャンバラは救ってくれる。それが理想郷というものだろう?
 か細い蜘蛛の糸を辿るようにカクラナンナは進んでいき――やがて。
 光を見た。
 広大な半球状の空間、瑞々しい草花、その中央の光溢れる湖。

「…………………………………………………………これが」

 衰えかけた声帯で、かすれた声を漏らす。
 これが、シャンバラか。

 ――あらァ。

 蜜のような声音が、カクラナンナの一人だけの世界を侵した。

 ――〝益獣〟がここまで辿り着いたのなんて、千と……何百年ぶりかしら?

 霊湖のほとりで、翡翠色に輝く光を背景に少女が佇んでいた。

 ――ああでも、丁度いいのかしらねェ。そろそろ地上の文明も進んできたみたいだし、心配性のギニョール姉様がせっついてくる頃合いだわ。……アナタ、ワタシの手足になりなさァい。

 その声は確かに蜜を持つ花のようではあったが――同時に獲物を捉える蜘蛛の手足じみた悪寒も感じた。
 人形のような美貌の少女が――ばけもののような笑みを浮かべる。
 怖気の振るうその表情を見て、カクラナンナは不意にその名前を思い浮かべた。

「サナト・クマリ――」





 堕ちる首が物思う。
 走馬燈じみた思考の爆発の最中、誰のいかなる思惑で今自分が死ぬのか、カクラナンナは過誤無く理解した。
 堕ちる首が人を見る。
 兄とカルルフィナの子である二人の姉妹。互いに相争う事を強いられた――自分の責任で。
 嘆かないで欲しい。憎悪と嘲笑をもって、僕をナラカより深い地獄へ送り出して欲しい。
 これは正しく己のカルマ
 全ては、あの時から決まっていた事なのだから。
 堕ちる首が物思う――


    
    //////



 日雨たちとサヴィトリが農業プラントの入り口近くまで逃げ込んできた時――既に火と血の香りが漂い始めていた。
 日雨は呼吸すら忘れて駆け出した。あれから更に半日メンバーの護送を務めて疲弊しきった身体に、強引に渇を入れて、飛び込むように入り口をくぐる。

「――」

 発光植物の光に照らされるその光景に、日雨は絶句する。
 サヴィトリの集落はほぼ壊滅していた。
 テントのほとんどが焼け落ちて、周辺にアンヴィスたちが倒れ伏している。苦痛のうめきがそこかしこで上り――あるいはそれすらも発しない者もいる。

「っ……づ、ぁ」

 入り口そば、日雨のすぐ足下に瀕死のアンヴィスの男が俯せに転がっていた。突撃銃で武装したサヴィトリの戦闘員だ。
 助け起こして――深い腹の傷に絶望感を覚えつつも、声を掛ける。

「どうした! 何があった!?」
「ぁ……あ」

 活動を止めかけている肺を必死に動かし、彼は言葉を吐き出そうとした。そうしなければ死ぬ事すらできないとばかりの、執念と怨嗟を瞳に宿して。

「一人、の……アンヴィスが……魔獣を誘引してここにやってきた……どうにか魔獣は撃退したけど……あいつ、テント……食糧にも……火を付けて……」
「顔は見たか!?」
「わから、ない……フード、被ってたから……でも、女だ……かなり若いと思う……」
(別働隊がいたという事か……)

 リグの率いる兵員はサヴィトリに対抗する為に割かれていた。不足した兵力をナラカの魔獣で補ったわけか。
 なんとも合理的だ――しかし、彼らもまた魔獣に脅かされて生きる亜人ではないのか?
 自分たちの天敵を利用して同族を攻める行為に、何の躊躇いも無いと言うのか?

「あ……ぁ」

 日雨の腕の中で、男は断末魔のうめき声を上げる。

「あと……もう少しだったのに……」

 溢れんばかりの悔恨と未練を湛えた言葉を最後に、彼は何の音も、心音すら発する事は無くなった。
 その身体を横たえて――プラントの中を走り、声を上げる。

「くらら!」

 恐怖に目をそらしたくなりながらも、集落の死傷者の姿を見回し確かめていく。取り繕いを剥ぎ取られた感情が、目につく死体に兎耳のある事に心から安堵していた。
 自己嫌悪に吐き気を感じつつ、それでもなお目を血走らせ駆け続ける。
 集落から外れてもなお、彼女の姿が見えない。足下を炙る焦燥感に叫びかけた所で、

「ひ、日雨く~ん……」

 その足下から、聞き覚えのある声が上ってきた。
 プラントの畑の中に、作物の茎を重ねて隠された蛸壺のような穴があった。
 その中でくららは、アンヴィスの赤ん坊を三人ほど抱えてうずくまっていた。奥に横穴まであるのか、後ろからぞろぞろと子供が顔を覗かせている。
 土と涙で汚れた顔を引きつらせ、がくがくと震える足を子供たちに支えられてどうにか彼女は立ち上がり、舌をもつれさせながら言う。

「ひ、ひひ、引きこもる為の穴がこんな役に立つなんてね……でもごめん、この子たちを連れて逃げるしかできなくて……」
「いや――よくやってくれた」

 心底からの賞賛を込めて言い、日雨は穴の下に手を伸ばす。
 くらら本人に戦う力は無い。生き残ってさえいてくれれば十分と、そう思っていた。
 しかし彼女は子供を助けた。詞木島日雨如きの希望など超えて、彼女は大事な事を成し遂げたのだ。

「……父ちゃんは?」

 くららから赤ん坊を受け取って、地上に引き上げていく途中、蛸壺の内から子供の一人が問いかけてきた。

「……それ、は」

 日雨にははっきりと答える事が出来なかった。子供の容貌に覚えのある面影が見られる――最初に遭遇した男に似ていた。




 
 くららと子供たちを連れて集落の中央に戻ると、生き残りのメンバーが座り込んでいた。リグらとの戦闘、あるいは集落の襲撃で傷を負わなかったものも多くいたが、彼らが強く打ちのめされたのは肉体ではなく精神だった。

「兄様」

 背後から夜見が近寄ってきて、囁くように告げる。

「食料庫を見てきた……念入りに焼かれておる。何も残っておらん」

 翳りのある声色だった。

「リグは……徹底的にサヴィトリを潰すつもりか」

 苦々しげなうめきが、日雨の口から漏れる。
 ナラカの下層深くに入り込んだこの場所で補給を断たれた。あとは干上がるのを待つだけだ。
 穴蔵で細々と生きる現実を変える為に立ち上がった亜人の集団は、そうしてひっそりと、誰にも知られずに消え果てていく。――同族の手によって。

「……くそッ!」

 舌で踊る悲嘆の味に、日雨は毒づいた。あまりにもやりきれなかった。

「どうしてこうなる……!」
「あいつらが――人間の狗だからだろ」

 ぞっとするような声が、すぐ隣で上がった。
 プルの面相は凄惨の一言に尽きた。憔悴した身体に憎悪という芯を入れて、強引に立ち上がるその姿は、頼もしさとは真逆の印象しか与えない。燃え尽きる前の蝋燭じみていた。

「姉貴は……リグラヴェットは、てめぇが餌を貰う為に肉親まで殺すクソ狗だ。あいつを使う人間も……亜人同士で殺し合わせててめぇは高みの見物決め込んでやがる。全部、全部クソったれだ」

 日雨の肌がひりつく――彼女の激情が、日雨をも例外にしていない事を理解する。
 彼女は、姉と人間全てに対し憎悪の矛先を向けている。

「殺してやる」

 燃えさかる炎のような色合いの瞳で、しかし声音は底冷えのする響きでもって彼女は言った。

「待て……! 冷静になれプル! この少ない兵員で、あの精兵相手に戦いになどならん!」

 言いかけた所で、日雨は胸ぐらを掴まれた。

「冷静じゃねぇのはてめぇだヒサメ。まだ頭がゆだってやがるのか――もう、サヴィトリは終わりなんだよ。先の事を考えるなんざ無駄な事だ」

 刃を直に握りながら突きつけるような危うさで、彼女は言ってくる。

「もうあたしらにやれるのは、あのクソ共を出来るだけ多く道連れに奈落へ落ちる事だけだ」
「そんな事に何の意味があるというのだ!」
「今更そんなモン要らねぇんだよ! 生きる道は奴らに閉ざされた……! もう死に場所を探すしかねぇ! これは、奴らの始めた事だ……!」

 首領であるプルの烈しい感情に満ちた発言は、檄として周囲に伝わった。多くのアンヴィスが――子供までもが――立ち上がり、赤い瞳に憎悪を宿す。

「所詮人間のてめぇに、理解できる事じゃねぇ――ここから先は、あたしらだけで良い」

 拒絶の言葉と共に突き飛ばされ、日雨は尻餅をつく。身体に、踏み留まる力が湧いてこなかった。

「リグラヴェットたちの居場所は最下層付近だ。囮を使い切ったあいつらは上層に逃げ帰る手段がねぇ。――あたしらの集落を焼いたのは保険だろうな。これであたしらも下に戻って来るって当て込んでやがるんだ」

 実際、その通りに動くんだけどな――くすりともせずに皮肉を言い、彼女は周囲に宣言した。

「リグラヴェットたちをぶっ殺して、後は地上に上がって人間どもにも落とし前を付けさせる……! こいつぁ全員どこかの過程で死ぬ道だ! ここで餓えて死ぬより遥かに苦しくて痛ぇ道だ! それでもあたしと一緒に走れるか!」

 おおぉおおおおおおおおおおおおおおおッ――!
 プルの扇動に、残ったアンヴィスのほとんどが唱和するように雄叫びを上げた。
 彼女はそれを受けて頷くと、死体から突撃銃を二丁奪って肩に掛ける。

「道半ばで倒れた奴は前の背中に魂を預けろ! 前を行く奴は背負った仲間の命ごと、てめぇの牙で敵に喰らいつけ! 全員ナラカの奥底に叩き落としてやる! あたしらの奪われた、夢の仇を取るんだ!」

 再び空気を震わせる鯨波げいはを亜人たちは発し、一斉に最下層への道へと身体を向けた。

「行くぞ!」

 プルを先頭に、彼らは走り去っていく。
 残されたのは子供を含めたサヴィトリのメンバーのうち一割程度と、日雨たちだけだった。
 焼け落ちたテントばかりが雑然と散らばる様は、嫌が応にも何かの終わりを感じずにいられなかった。

「……」

 やがて日雨は立ち上がると、無言でプルたちの去って行った方角へ足を踏み出した。

「待て! どこへ行く兄様!」

 叫び、呼び止める妹へ振り向かずに答える。

「あやつらが自滅するのを放ってはおけん」

 あるいは、あの決死の気迫であればリグたちを打ち破る事ができるかも知れない。
 しかし――それは更なる最悪の事態を招くおそれがある。

「サヴィトリがあのまま地上に出て人間を襲えば、アンヴィス全体に累が及ぶ」

 食糧の自給がほぼ不可能なナラカの住人であるアンヴィスは、地上の人間から補給を止められれば瞬く間に枯死してしまう。
 彼らの社会は否応無しに、人間に命綱を握られている。その状況でのサヴィトリの反乱は、種の存亡すら脅かすものとなるだろう。
 ――そこまで思い至ると、リグが大量の犠牲を出して地下深くに押し込んできた理由も想像が付いてきた。

「……夜見、お主こうなると知っていたのか」

 この賢明な幼女が、日雨ですら気付いた事を知らなかったはずはない。
 後ろに立つ夜見は、顔をそらしたのか幾分くぐもって聞こえる声で言う。

「……いずれは、と思うておった。それでも、もう少し猶予のあるはずじゃった。その間に何か手を打てると……」

 言い訳じみている、と思ったのか彼女は言葉をすぼませた。
 しかし、妹に責任を求める筋でもなかった。ここまでの障害はほとんどを彼女の仕事で突破している。本来、シャンバラの発見にはもっと長い時間と犠牲が必要だったはずなのだ。
 その事後処理に至っては日雨も含め、彼女以外の人間は考えてすらいなかった。

 あるいはカクラナンナは、その件に頭を悩ませていたのかも知れない――地上の人間から婿取りするという提案は本気だったのだろうか。それもまた、今回の事態の急変を考えると遅すぎる策ではあるが。
 サヴィトリは最初から〝詰んでいた〟。
 地上を夢見て地下を降る。それが馬鹿げた事だったのか――かつて否定した言葉が、視界の端にちらつく。

 誰が間違っているのか。
 種族の状況を考慮せずに、ただ愚直に夢を追い続けたサヴィトリか。
 人間に膝を屈し、同族の駆逐を決めたリグたちか。
 肉親の裏切りに打ちのめされ、仲間を道連れに暴走するプルか。
 亜人の自立を阻む人間たちか。
 このどうしようもない現実に気付きすらせず、甘い夢に浸っていた詞木島日雨か。
 日雨の最も許せないものは、いったい何だ――

「とにかく……考え直せ! 主様ひとりで飛び出してどうなる状況でもない! 兄様まで暴走してどうする……!」

 背中にかかる夜見の説得の声。
 それを日雨は無視して再び歩き出す。ひとりでにデモナイズが始まっている。ざわり、と音を立てて髪の毛が蠢き、変色し、爪も伸長していく。鋭く、何かを攻撃する為の身体に変化していく。
 この身に抱く怒りを、余す事なく叩き付ける事のできる形に。
 間違っているものを、滅ぼす。人と人を憎しみ合わせる悪魔の機械を。

 その為の詞木島日雨だ。
 たとえ誰が制止しようとも、もう決して止まりはしない――
 不意に後ろから伸びた手が、日雨の頭を両側から挟んだ。
 そして、「ぎゅるんっ」と強引に振り向かせる(首の筋を思い切り痛めた)。
 日雨が反応するより先に――何かが顔面に覆いかぶさってきた。

「もがっ!?」

 視界を塞ぐ闇に、日雨は混乱して悲鳴を上げる。
 逃げだそうにも後頭部をがっちりと掴まれていて、引きはがせない。
 ――いや、その力はいかにもか弱かった。デモナイズした筋力なら、そもそも素の日雨ですら簡単に振りほどけるだろう。
 しかし、どうしてもその気が湧いてこない。抵抗する意志を、その闇は底なし沼のごとく飲み込んでいく。

 やたら暖かく、そして柔らかい闇であった。
 服越しにもそのふざけた弾力が分かる柔肉が、両脇から日雨の頭を挟み込んでいる。頭蓋骨越しに脳髄を揉みほぐすように、快楽が不快になる手前の絶妙な力加減で、こめかみが圧迫されていた。
 甘い香りが漂い、強張った心が痺れるように弛緩していく。
 頭上から生暖かい吐息がかかり、身体が震える。
 どういう事だ――カルチャーショックに日雨の頭は大いに困惑する。

(天国とは、もっと光り輝いて開けた場所にあるのではないのか?)

 この心地よさを知ってしまえば、そんなものは浅はかな先入観に過ぎなかったのではと思う。
 そうだ――天国が広くては、むしろ喜びをまばらにしてしまうだろう。輝いているという事は、光があちこちに飛散しているのだ。
 だから、これが正しい。天国とは、頭を覆うだけの狭さであるべきなのだ。この小宇宙の中に全ての快楽が凝縮されているからこそ、この闇はこれ程に暗く閉ざされている。

 一つ不満があるとすれば、呼吸ができない事か。
 しかしそれも些末な事。
 この柔らかさの中で逝けるなら、それこそ男の本懐――

「くららちゃんくららちゃん! 兄様が窒息しかけておる!」
「えっ、わわっ! ごめんね日雨くん!」

 夜見の指摘で、くららは彼女的には単なるフェイスロック――傍目に呼ぶなら、おっぱいホールドとしか言いようがないのだが――を解いた。

「ぐっ、愚妹ィ~……!」
「えっ、愚かって言われた!? わらわ生まれて初めて人に馬鹿って言われた!? しかも馬鹿兄の、いかにも馬鹿っぽい理由で!」

 日雨の怨念を存分に込めた恨み節に、夜見は動揺する。

「あれ……? 落ち着かせるつもりだったのに、より興奮してる……」
「くらら様、それで落ち着ける雄は悟りを開いた仙人くらいのものです」

 首を傾げるくららに、横合いからだきにが指摘する。

「あるいはふの……いえ、何でもありません」

 言いかけた言葉を自主規制して、彼女は退席した。
 興奮は収まらなかったにせよ、袋小路に追い詰められたような切羽詰まった気分は緩和されていた――しかしそれは、単なる勘違いでしかない。

「くらら、余は……」
「――何を壊したいの? 日雨くん」

 言いさした言葉を、くららは遮った。
 それは日雨が怯えを催す程に、冷酷な声音であった。

「リグさん達? それともプルちゃん達? それとも、アンヴィスを殺し合わせようとする地上の人達かな? それとも、おめでたい夢を見てた自分?」
「それ、は……」
「それとも」

 痛烈な物言いに口ごもる日雨に、急所を刺すような言葉をくららは重ねた。

「きみの思い通りにならない、世界の全てかな」

 日雨自身が意識を避けていた部分を、彼女はあっさりと暴露してみせる。
 うろたえる彼に、彼女は言う。囁くように小さく、しかし抗いがたい程に強く。

「壊して欲しい?」

 それは、悪魔の誘惑と呼ぶに相応しかった。

「きみには、わたしがいる。きみは、きみが間違ってると思うものを全部破壊できる――あの、モクレントレイでしたように」
「……ぁ」

 百発の殴打よりも、堪える言葉であった。

「わたしはもう拒まない。きみが望むなら、わたしが世界を壊してあげる――あの時、そう誓ったから」

 ――〝セイタン〟じゃなくて、わたしのキス。わたしとの契約。
 あの時彼女の言葉に込められた重みを、今ようやく日雨は知った。
 くららは本気で言っている。日雨が今そうしろと命じれば、全力を尽くして世界を滅ぼすつもりでいる。
 再びその手を、あの時より遥かに多く血で染めようと。ガラテイアとルーラッハを抹殺した宇宙でしたように、誰もいなくなった世界で嘆こうとも。
 自分ちからを日雨の意志に委ねる覚悟を決めている。
 その重みにひるむ日雨に、彼女は言う。

「だから、考えて。わたしの手を血で染めるだけの意味を、きみが戦う理由を。怒りではなくて、きみの意志が願う道を行く為に、きみはわたしを手に取って」

 彼女の語ったのは、日雨に苦しみを与える言葉だ。
 怒りに身を任せるという安楽な道を塞ぎ、血に染まる苦難の道を歩めと彼女は言っている。
 なのになぜ――こんなにも力づけられる。
 こんなにも簡単に、挫けかけた心が立ち直る。

「……うん」

 精神が鎮静した為か、日雨のデモナイズが解けていく。

「……ふん、冷や冷やさせおって」

 どこか面白くなさそうな顔で、夜見が隣から口を挟んでくる。

「ただでさえ人手の足りん状況なのじゃ。兄様が考え無しに特攻しておれば、事態を収拾する手が打てなくなる所じゃったぞ」
「収拾……できるのか?」

 日雨は問いかけた。まさに現状は、王手を掛けられたような有り様である。
 夜見は逆転の一手を打つ棋士のように、不敵な笑みでそれに応じた。

「今回、〝敵〟は大きく動いた」
「……敵だと?」

 問い返すと、彼女は頷く。

「今まではいるかどうかも定かでなかったが……これで明白となったわ。このナラカという地には、この状況〝全て〟の絵図を引いている者がおる。奈落舞台下から脚本家ぶって、舞台上の人間を操っておる輩がの――そやつが、リグラヴェットを操ってカクラナンナ殿を殺させた」
「……何?」

 夜見が漏らした情報は、将棋で言えば観衆すらもぎょっとさせるような、まさに鬼手だった。

「どういう事だ、夜見」
「この場で説明しておる時間はない。兄様は、こやつらを連れてシャンバラへ降りよ。式神を護衛に付けてやる。我らと合流する時もそやつらが道を教えてくれる」

 と、彼女はここに残ったサヴィトリのメンバーを指し示した。

「ここにはもう守りがない。あそこが最も安全じゃ……それに、あるいはあの場所ならば……」
「?」
「よいから行け! 時間が無いと言うておろうが!」

 夜見は日雨の尻を蹴りつけると、背を向けて歩いて行く――そちらには、カクラナンナのテントがある。

「わらわたちは最後の詰めじゃ。プルールギータとリグラヴェットは、わらわの口からあの女の正体を聞かされたとて、信じはせんじゃろう。――証拠がいる。それがあるとすれば……カクラナンナ殿の遺品くらいしかあてがない」
「……夜見、お主、その敵とやらの正体まで知っておるのか?」
「推論でしかないが、確信がある――この状況の〝始点〟を考えれば、黒幕はあやつしかおらん」
「……もったいつけるな」
「……ちぃとは己で考え……ああ、いや、兄様はあやつと会うた事すら無かったのじゃったか」

 頭を掻いて振り返ると、夜見は告げる。

「全ては、リグラヴェットとプルールギータの確執から始まった。プルールギータが姉と袂を分かった事で、あやつは瓦解したサヴィトリを再結成した。その結果、安定しかけていたアンヴィスの社会が混乱していった……それが、あの女の目論見だったのじゃろう」
「それ、って……まさか」

 何か思い当たるものがあったのか、くららが口元に手を当てて唸る。その表情には、夜見の推論とやらへの不信感が混じっている。
 しかし夜見が述べる言葉に、迷いは無かった。

「あの姉妹を分かつ事になった原因を作ったあの女こそが、その、奈落の脚本家よ」





 バーブル帝国の司法制度は、大陸でも先進的な部類に入る。
 辺境の農村などを例外とすれば、中央政府の設立した警吏局の出先機関が設置され、犯罪を取り締まっている。バーブルが多数の民族で構成され、地方の独立意識の高い事への警戒から来る中央政府の干渉の一種ではあるが、大陸のほとんどの国家が地元の自警団に治安維持を丸投げしている事を考えれば法治国家として一歩進んだ地点にいる事は確かだ。
 だから、その日チャトラで起きた事件は彼らの管轄で処理された。

 地元の有力者であるラフィー・ハルラール氏の変死事件とあれば、野次馬も多い。非番の局員も駆り出され、現場である大劇場の封鎖に回された。彼らの野次馬への対応は、休暇を潰した事件への恨みもあって多少手荒い。
 死体発見現場は舞台上であった。
 死体を見た捜査員は、ベテランであってもその異様さに困惑していた。
 ラフィーの死体は首と胴体を除いて舞台上にばらばらに散乱していた。両側の舞台袖付近に、ちぎれた手足が転がっている。

 胴体を目視する事は出来なかった。舞台中央に鎮座する巨大な女神像が彼の胴を押し潰していたのだ。
 その台座の前に、ベルトで固定された首が置かれている。大きく見開かれた目が、生者を威圧するように目線を送り、それは閉じる事がない。
 死体とその周囲を数時間かけて検分した捜査員たちは、自ら信じがたい面持ちになりつつも――彼の死因を自殺と特定した。

 首を床に固定するベルトは、拘束ではなく、頭部が手足のように散らばらないようにする為のものだ。四肢は自由に動かす事ができ、ベルトの留め具も簡単に外れる。
 彼を圧殺した女神像は天井に設置された滑車と繋がり、上げ下げのできる構造となっている。仕掛けを操作するレバーは、彼の右手があったであろう場所に置かれていた。
 決定的だったのが、彼の自室を調査していた者が彼の日記を発見した事だ。彼の自筆である事が親類の証言で証明されている。

 最後の記述は死体が発見された当日。遺書めいた内容を彼は記していた。どうやら、情婦との痴情をもつれさせた結果の自殺であったらしい。彼の日記のほとんどが、彼女についての記述で埋め尽くされていた。

『人は私を、親の七光りと、役者になりそこねて他人の功績を食い潰すだけの虫に成り果てた卑劣な男と言う』
『だが、好んでそうしていたわけがない。私とて、自分だけの功績を、輝く宝物を欲していた。しかし私にはそれは与えられなかった。他人の輝きに埋もれて、疎んじ、それを追い払っていたに過ぎない。いくら散財した所で、私に残るのは空しさだけだ。与えられる快楽は代用品でしかなかった』
『努力が足りないなどと――それは才に恵まれた者か、あるいは本当に力を尽くした事のない人間の、外野の意見だ。この世にはどれ程努力しても叶わない夢がある。高く上ろうとした分、落ちる痛みは強くなる。夢は、時に死すら願う程の絶望を人に与えるのだ! 私が何度、首をくくる縄を前に夜を過ごしたか誰も知るまい』
『彼女だけだ。彼女だけが私の苦しみを理解してくれた。そっと頬に手を当て、慰めてくれた。貴方は頑張りました、と。そんな素朴な言葉を、どれだけ私は欲していたか! そして、それすら与えてくれる人間はこれまで存在しなかったのだ!』
『彼女は私の弱さを責めない。私の醜さを愛でてくれる……彼女になら、私は何であれ捧げられる』
『最初私は、彼女が同族の厚遇を求めてくると思った。しかし違った』
『彼女は姉二人の不和を求めた。訝しむ私に、彼女は囁いた――貴方と共にある為に、これまでのわたしの全てを棄ててしまいたいのです、と。愛される事のなんたるかを初めて知った瞬間だった』
『姉の前で辱めを受けさせるのも、リグラヴェットの冷遇も、全て彼女が私の為に求めた事だ』
『そして今日、姉二人が殺し合うまでになったこの日、彼女は言った』
『もうわたしには棄てるものがありません』
『ですから、あなたを棄ててしまいたいと思います、と』
『別れの言葉と思った。私は絶望に嘆いた。しかし違った』
『わたしが貴方への愛を示す為にはもう、わたしのものである貴方を棄てるしかないのです――そう彼女は言ったのだ』
『真実の愛とは、なんと苛烈な事か! 私は愛のなんたるかを、その時本当に理解する事ができた……』
『だから私は捧げる。彼女という女神に、私の命を供物として差し出すのだ』
『余人は誰も理解しないだろう。愚か者の末路と嗤うだろう』
『それでいい。私の事は、彼女だけが分かってくれればそれでいい』
『導いてくれ、私の光よ』
『私の、永久の天女サナト・クマリ ――』

 本件の現場指揮官はガンダルラ・ルヴィティ一等警吏官。彼はラフィーの日記を冒頭から末尾まで読み切った後、こうコメントしている。
 ――このような女が実在するとは思えないが……仮にいたとしたら、そうだな。
 ――悪魔としか、呼びようがないだろう。
 当然ながら、この情婦は重要参考人として捜索されている。しかし現在、彼女は発見されていない。
 



[40176] 13.神に見離された人々
Name: 八目又臣◆aa87a973 ID:17b043ce
Date: 2014/08/30 18:08
 プラットフォームの階層には当然ながらリグラヴェットたちは残っていなかった。今回はサヴィトリ側も最初から交戦するつもりでいるのだ。陣形を組んで待ち構えていた所で狙撃で崩されてしまう。
 閉鎖された隔壁の開け方は詞木島夜見しか知らない。リグラヴェットたちはここより上層のどこかに拠点を確保しているだろう。

 ナラカは中央の縦坑の外周に何重にも円形の区画を重ねて広がる、広大な迷宮である。最下層付近には、強力な魔獣までもが蠢いており、生きたまま両者が遭遇する確率は相当低い。
 ――だから、リグラヴェットとプルールギータが再び相対した事には、何か道理を超えたものを感じずにはいられない。
 姉妹の絆――彼女らはそれを否定するだろう。
 ならば、誰にもひと目で見て取れる、憎悪と呼ぶべきものか?
 彼女らは否定しないかも知れない。しかし――運命を引き寄せる程の強烈な憎悪が、愛情による絆とどう違うというのか。

 答える者はおらず、両者は無言で戦端を切った。
 戦場となったのは、プラットフォームの階層より三つ程上層にある区画であった。崩落が酷く、縦坑側の壁が大きく破れて風が吹き込んでいる。天井も破れており、瓦礫が床を覆い尽くしていて足場も悪い。
 この環境下で、聴力に優れるアンヴィスが互いの接近を察知するのは容易であった。
 奇襲は成立しない――しかしプルは、即座に敵勢に斬り込んだ。
 怒り任せの突貫、でもある。しかし計算もあった。遠距離で戦えば数と装備の差が顕著に出てしまうと彼女は考えた。

 それでも無謀な突撃である事に変わりはない。遮蔽物の多い地形であっても、リグたちは相手が近付くまでの射撃でサヴィトリ側の半数を減らせるであろう。
 だから、サヴィトリは一つ工夫をした。
 彼女らには、リグたちの知らないアドバンテージがただ一つある。
 詞木島夜見の開発した、超音波笛だ。
 ――ひぃいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいっ!!

「づっ!?」

 怪鳥の悲鳴じみた大音量が空間を埋め尽くし、鼓膜を刺激されたリグがうめき声を上げた。
 プルを始め、サヴィトリのメンバーは超音波に備え耳を塞いでいた。全員で吹き鳴らした超音波笛を吐き捨てると、作りだした数秒の隙に滑り込むようにリグたちの陣形に突入する。
 戦場は、混戦の様相となった。敵味方が入り乱れ、誤射を恐れた彼らは全員、山刀を手に取って切り結ぶ。

「リグラヴェットォォおッッ!」

 野獣じみた雄叫びで姉の名を呼び、プルは山刀を彼女に叩き付けた。

「プルールギータ……!」

 右のジャマダハルで乱雑な斬撃を受け止め、リグは苦悶を微かに伺わせる声を上げた。
 彼女の表情など、プルは見ていない。即座に右手に隠し持った突撃銃を脇で保持し、相手の腹を狙ってトリガーを引く。
 リグは左のジャマダハルの腹でそれを受けた。身幅の広い刃ならではの芸当だ。
 続いて放たれる足下を狙った銃撃を、リグはステップを踏んで躱していく。
 山刀を納刀し、両手に二丁突撃銃を取ってそれを追いながら、プルは祈るように呟く。

「待ってろ、ラナ……今こいつを殺してやる……殺してやるからな」
「プルールギータ! 私は、ラナを……」
「てめぇが! あの人の名前を出すんじゃねぇ!」

 何か言いかけたリグの口を塞ぐように、銃声を浴びせるプル。
 ぎり、とリグの歯噛みする音が鳴る。

「貴様のような餓鬼に何が分かる!」

 弾切れの瞬間を逃さず捉えて、滑るような歩法でプルへと接近した。超振動ブレードを発振させ、袈裟懸けの斬撃を繰り出す。
 突撃銃の一丁が、半ばから切断されて地に落ちる。

「離反した貴様についていった事で、ラナの命運は決まった! 叔父の優しさにつけ込んで利用していたお前が私をなじるのか!」

 激情に任せた一刀を、リグは振るった。脇下から上半身を斜めに斬り落とす軌道であった。
 その挙動にプルは、踏み込みを合わせた。
 斬られた銃は囮。本命の突撃銃に予備弾倉を叩き込みつつ、斬撃の内側に潜り込んで、真下から相手の顔面を銃撃する。

「……っ!」

 強化スーツの補助任せに後退し、危うくリグは銃弾から逃れた。浅く焼き切られた頬から薄く血が流れる。
 苦痛が、憎悪を呼び起こした。

「貴様さえ……」
「てめぇさえ……」

 プルの憎しみはここに来るまでに煮え切っている。
 同質にして等量の憎悪を抱くに至った姉妹は、唱和するように呪詛を吐いた。

姉妹おまえさえいなければぁ……ッ!」

 手近の、重傷を負って倒れ伏すアンヴィスから武器を奪い取って、プルは再び突進する。
 リグもまた、強化スーツを起動させて応戦する。
 武装と戦闘技術において、リグはプルを上回っている。
 しかし彼女は攻めきれなかった。
 プルは、この混戦を十分に利用していた。敵勢の間を縫うように移動し、リグへの楯としている。敵味方の区別無く倒れた者から武装を奪い、結果的に多彩な攻め手となっている。

 リグの技術が高い事も災いしている――彼女は武術家としてのプライドを持っていた。プルのようになりふり構わぬ戦い方は意識の外にある。戦場では無駄な贅肉であった。
 その為に両者の力は拮抗し、数分が経過しても決着がつかない。
 ――勝敗を決めたのは、彼女ら自身の力でなく単なる運であった。
 彼女らが戦場としている階層は老朽化が進んでいた。数百人の入り乱れる激戦に耐えられなかった。
 プルが飛び退いた先の床にヒビが入り、崩落する。

「な……!」

 瓦礫と共に彼女は落下していく。
 下層の床に倒れ込み、背中を痛打したショックに咳き込む。――その時既に気付いていた。
 両足が瓦礫に巻き込まれ、ズタズタにされていた。脳髄が白熱するような激痛にプルはうめく。

「ぐ……くぅ……」
「プルールギータ……」

 リグは、危なげなく下層に降り立っていた。ブレードを発振させ、プルへと近付いている。

「プルールギータぁ……!」

 低く、怨嗟の声を上げて、リグは右の剣を振りかぶった。
 それが振り下ろされる――その直前に。
 飛来した銃弾が、リグの右手に命中した。ぱっ、と血の花が咲き、支える力を失いジャマダハルが手から落ちる。
 苦痛にうなり右手を押さえつつ、リグは混乱していた。

(流れ弾だと……!?)

 戦域から遠く離れる形になった彼女らに、銃弾が飛んでくるなどと。信じがたい偶然であった。
 しかしその偶然が、決まっていたはずの勝敗を覆した。

「リグラヴェットォオオ――ッ!!」

 獣声と共に、プルは残る力を振り絞って突撃銃を構えていた。既に強化スーツによる回避も間に合わない、致命的な隙であった。
 銃口の暗黒が、過つことなくリグの額に向けられている。
 必死、である。
 いかなる技術も、運も覆せない。全ての手札をさらけ出したショウダウンの状況であった。リグは己の死が確定された事を理解して、硬直する。
 長い一瞬が、通り過ぎていった。

「な……んで」

 プルの苦吟。

「なんで撃てねぇんだよ……っ!」

 震える指先は、トリガーを引く百グラム程度の力を引き出せずにいた。

「……殺せ」

 銃を放り出して、プルは言った。

「てめぇを殺れねぇんじゃ、あたしに生きてる意味なんざねぇ……」
「……プルールギータ」

 戦いの激情が冷却されたように、リグの声は冷めていた。
 むなしさを覚えていた。
 彼女はプルを殺さねばならない。見逃せば彼女は再び暴走する。この場で妹に止めを刺す事が、リグに課せられた種族の舵取りをする者としての責務である。
 しかしプルの指に引き金を引かせなかったのは、紛れもなく情だ。百グラム程度のものであっても、姉への情が彼女には残っていた。
 リグもまた――同じものをこの少女に感じているのに。
 責任が、彼女に刃を振るう手を止めさせない。

「……」

 口を閉ざし、苦悶を吐き出す事もできないままにリグは左手の剣を振り上げた。

(……どうして、こうなってしまったんだ)

 ――かあさん、とうさん。安心して眠って。
 ――あたしが、プルを守るから。

 生まれて間もないプルを抱えて、父母の墓前でそう誓ったはずだった。それが今は、全く逆の事をしている。
 あの誓いは、幼いリグの生きる支えだったのに。唐突な両親の死の絶望――次女が生まれたばかりなのに――ざざ――あれ?――にばんめ?――

「づ……ぁ?」

 思考に走る奇妙なノイズに、リグは額を押さえる。

「どうした……早く殺れよ。モタモタしてると、仲間が助けに来るぞ」

 プルが虚無感を表情に浮かべ、指図してくる。

(ああ……そうだ……殺さなきゃ……種族の……彼女の為に)

 たとえ妹を殺し汚れたリグであっても、あの美しく可憐な少女が、永遠に変わらぬ人形めいた娘が慰めてくれる。あの少女は人の醜さを、弱さを許してくれる。
 目眩に朦朧としつつも、リグは振り上げた左腕に力を込める。予測された刃の軌道が、妹の首をなぞっている。ただ一太刀で、苦しむ間もなくプルは逝くだろう。

(……でも、なんで?)

 なんで誰も、この手を止めてくれない。
 この世に神がいるならば、こんな惨い運命からリグを救ってくれるのではないのか? この子は、両親に守ると誓った、ただ一人の妹なのに――

「なんで……!」

 顔面を引きつらせながら、リグは刃を振り下ろす。
 ――彼女の悲嘆に応えたのは、少なくとも神ではない。
 性悪な一人の幼女である。
 ――互いに注意を奪われていた姉妹は気付いていなかった。
 つい数秒前より、彼女たち、そして頭上で戦闘していた全てのアンヴィスの身体に、どこからか流れてきた砂塵が纏わり付いていた事に。

「歳破呪禁!」

 砂を媒介に働いた術の詳細を、彼女たちは知らない。しかし体感した。
 力が封じられる。彼女らアンヴィスの体内を巡る、何か重要な力だ。
 足が萎えてリグはその場に転倒した。上階の戦場でも悲鳴が上がっている。身体の衰弱だけでなく、アンヴィスの最も重要な器官である耳が働いていないのだ。
 これまで体感した事のない〝暗さ〟に、亜人たちは混迷の極みに達する。
 しかし、混乱は長く続かなかった。崩落した天井に、ほのかに輝く鬼火が点り、彼女たちを照らしたのだ。

 光を背景に、幼女と女が立っている。
 そのうち一人、金髪金眼であった長身の女は、その色合いを純白に変え、尾を生やしていた。二本の尾――一本が途中から、戦場を侵食する砂に変化していた。

「……間一髪、といった所じゃったの」

 腰に手を当て嘆息し、幼女――夜見が言った。

「てめぇ……何しに来やがった!」

 プルが憤激を込め、夜見へ怒鳴りつける。

「しゃしゃり出てくるんじゃねぇよ! こいつぁあたしらの戦いだ! 人間は引っ込んでろ!」
「はん。弱い立場を傘に着て他人の口舌を封ずるとは、嫌らしい噛みつき方を覚えたものじゃのぉ兎娘」

 唇の端を吊り上げ、嫌な笑顔を見せて夜見は皮肉を言う。

「そちの指図など受けるつもりは毛頭ないわ。亜人であろーが人間であろーが、わらわにとっては等しく下民。血筋、財力、美貌、魔術、知能全てを兼ね備えた王女様がわざわざ骨折ってそちら凡俗の邪魔をしてやろうと言うのじゃ。三拝九拝してへぇへぇお願い致しまする天才にして超かわいい姫様と請うのが万民の義務じゃろう」

 どうやら本気で言っているらしく、胸を張ってドヤ顔をする幼女様であった。

「と言うわけで、申し訳ありませんが皆様、しばしこの心の薄汚れた可哀想な王女の圧政に従って下さいまし」

 だきにが無表情でぺこりとお辞儀すると、崩落した穴から飛び降りてリグラヴェットとプルールギータの前に立ち、問答無用で両者を担いで上階に跳び上がった。
 床に投げ出されて、砂と埃に咳き込みつつリグは抗議した。

「場を濁す気か! こんな茶番で……愚弄するにも程がある!」
「元より茶番よ、このような争いは」

 夜見は不可解な一言を発し、リグを刺す。

「繰り糸のついた人間が、人形劇を演じておるのじゃからの」
「な……んだと? 何を言っている?」
「――今の術は」

 夜見は、リグの追求を無視した。彼女にではなく、別の方向に向かって言葉を吐いている。

「アンヴィスの力を封じる事に特化したものじゃ。聴力を強化する水気を土気で相殺し、人間並に落とす……アンヴィスであれば、聴覚の弱体化に大きく動揺する」

 そこは、戦場のすぐ外側であった。一人のフード付きのコートを着込んで顔を隠したアンヴィスが、突撃銃を持って立ち尽くしている。
 夜見の視線を追って、残りのアンヴィスたちが全員その少女を注視した。サヴィトリ、リグの率いる戦士達、そのどちらもが目つきに疑念を宿す。
 ――あんな女、仲間にいたか……?

「だきにに観察させた。貴様だけ、明らかに術の影響を感じていなかった」

 少女に強く敵意を向けて、夜見は告げる。

「必ずここにいると思うておった。この〝山場〟とも言える場面に、そちが立ち会わぬはずがないと。――そちの行動には一貫して一つの志向があったからの。趣向とも言えるか……」
「へぇ、どんな?」

 少女が初めて声を上げた。抗弁めいたものではない。
 その声を聞いて――プルとリグの表情が凍りつく。
 夜見は簡潔に言う。

「自分の演出した劇を、〝かぶりつき〟で楽しみたい」
「……アハぁ♪」

 堪えきれずに漏れた、というような笑い声が少女の唇から上がる。

「アハッ、アハハハハハハっ♪ あははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははは――」

 額を押さえ、腹を抱えて嬌笑を上げる少女。
 激しい動きにフードがずれて、中の可憐な容貌があらわとなった。

「な……」

 プルとリグが同時に絶句し、彼女の名を呼ぶ。

「カフカ……」

 カフカレイア・ラケシュは姉二人を見ようともせず、笑い尽くして荒れた呼吸と共に言葉を吐く。

「アナタって、本当に厄介な子ねェ。エキストラのつもりで呼んだのに、主演を食って私の筋書きを壊しちゃった。不愉快、不愉快だわァ」

 浮かべた表情は、物言いとは真逆のものであった。

「長く生きるとつまづきも人生のすぱいす、という事かの。幼女には理解できん境地じゃ」

 つまらなそうに、夜見は吐き捨てる。

「ちょっと待て……どういう事だよ!」

 彼女ら二人だけで展開されていく会話に、錯乱気味にプルが水を差した。

「カフカがなんでここにいる……それに術の影響がないって……カフカはあたしらの妹で、れっきとしたアンヴィスだ!」
「違う、プルールギータ……そちに、妹はおらん」

 夜見は言う。その舌の動きにためらいが感じられた。

「こやつの名はミラーヴ。アンヴィスでも……そもそも、人間ですらない」

 と、彼女は小袖の帯に挟んでいた冊子を取り出した。

「カクラナンナ殿の遺品からこれを見つけた……日記じゃ。彼はこの女に脅迫され、工作員として働かされておった」
「あらあら……どうして、ワタシとカクラナンナに繋がりがあると分かったのかしら?」
「人間を洗脳する類の術には興味があっての、かつて研究しておった」

 昔からロクでもない事考えてるんだなぁこの幼女、とこの場にいた誰もが思ったが空気を読んで沈黙した。
 夜見は続けて述べる。

「結局頓挫したがの。――〝記憶の操作〟は容易な術ではない。元より精神に介入する術に人類は抵抗力を持っておるし、プルールギータやリグラヴェットと違い、あやつは〝カフカレイアという肉親がいた〟などという重大な記憶を差し込むには歳を取りすぎておる。正しい記憶との齟齬ですぐ術が解けてしまう」
「な……何を馬鹿な!?」

 リグが狼狽した声を上げる。

「記憶が操作されているだと? そんな術、聞いた事もない! 私に妹が二人いるのは、確かな――」

 反論を口にしかけた所で、強烈な頭痛に襲われた。頭を押さえ、彼女はうずくまる。

「あららァ……妹を殺しかけた事で幻法のかかりが甘くなっちゃったのねェ」

 苦悶する姉に嘲笑を浴びせながら、カフカは言う。

「聞いた事なくて当然だわァ。ワタシ、そこまでアナタたちに教えてないもの」
「何、を……カフカ」
「こやつには別の名もあるのじゃ、リグラヴェット。アンヴィスに幻法という魔術を教えた、サナト・クマリという名前が」

 頭痛をこらえつつ問いかけるリグに、夜見が答える。

「ふぅ……あいつ、やっぱり腹に一物抱えていたのねェ。それ、〝全部〟書かれてるのかしらァ?」
「……ああ」
「そうよねェ。でなかったら、この子達に見せた方が話が早いものねェ。……案外、優しいのかしらね? お嬢さんは」

 夜見の持つ日記を指して、皮肉めかしてカフカは言う。
 一つ嘆息して、降参とばかりに彼女は肩をすくめた。

「そこまで握られてるとなると……やっぱり、お芝居はオシマイ、かしらァ」

 にいぃ、と怪物じみた微笑みを浮かべる。
 同時に、彼女の周囲に霧が生じその姿を覆い隠す。
 ――霧を払って一歩前に進んできた少女の頭に、兎の耳は無い。
 顔の造作に変化はないが、色彩が変化していた。その深いターコイズブルーの髪と瞳の色彩は、地底に湧く泉を思わせる。その中に、人喰いの怪魚を泳がせていそうな。

「な……カフ、カ?」
「察しの悪い子ねェ、姉さん? ワタシの名はミラーヴ。カフカレイア・ラケシュは、ワタシがアナタたちに書き足した偽りの家族よ」

 いかにも侮蔑的な目線をリグに送って、カフカ――ミラーヴが言う。
 夜見が不敵な笑みを浮かべて、

「幽霊国家の機傀悪魔デクスマキナ……まさか逃げ込んだ先が、貴様の餌場であったとはの」
幽霊国家ゲシュペンスト・ライヒ、ねェ? 中々言い得て妙だわァ……ワタシもギニョール姉様から飛び入りの名を聞かされた時、驚いたわよ? 長く行方不明だった主機ロードユニットの一体〝セイタン〟――よほどの大物だもの」

 表情を変えぬまま夜見はミラーヴの言葉を聞き、思考を巡らせていた。

(独逸語、という奴か……? ギニョール……主機……機傀悪魔の間には階級が存在する? 口ぶりからして、こやつはセイタンより格下なのか?)

 それにしても、と夜見は内心歯噛みしている。

(我らがチャトラに逃げ込むのを予見していた……どれだけ深く大陸に根を張っておるのだ、こやつらは!)
「我らを待ち伏せておった、というわけではあるまい。かようなかび臭い地下で少数民族を弄ぶのが役目とは……そち、余程の木っ端者のようじゃの」

 胸の内の動揺を隠しつつ、挑発的に夜見は述べる。

「あらァ、傷つくわねェ……結構重要な仕事なのよ? このアガルタの〝害獣駆除〟は」

 ミラーヴの物言いに夜見は小さく舌打ちする。予想通り、この女がここでやっていた事は……

「即座に攻撃してこなかった、という事は交渉の余地があるのかの?」
「……ふふ。自分でも信じていない事を聞かないの。ワタシが受けた命は、セイタンの捕獲。アナタたちを逃がす気は毛頭ないわよ」
「……なら、わらわとしても貴様を始末するよりあるまいな」

 剣呑な台詞のやり取りに、だきにが身構える。とうに手の内に薙刀を握っていた。彼女の脚力なら瞬き一つの間にミラーヴの首を落とせる。〝変身〟の隙など与えない。
 それを理解しているであろうに、相手は妖気を帯びた笑顔に翳り一つ無い。

「そう巻いていかずとも良いじゃない? ワタシまだ、語り足りていないのよ?」
「知った事か――」
(なんじゃ……こやつの余裕の根拠は、どこに……)

 手をミラーヴへ向け、だきにに彼女の抹殺を命じようとする――その間にも思考は回転を続け、
 一つの違和感を、覚えた。

「プルールギータ!」

 両足を負傷して倒れ伏たままの彼女に、声を張り上げて問い詰める。

「あのシュニヤタという小僧はどこにいる!?」
「え……?」

 プルは戸惑いを表情に浮かべた。シュニヤタはあのまま集落に残ったのではなかったのか?
 夜見はなぜ気付かなかったと悔恨に陥る。プルについて戦場に向かったはずのあの少年が、この場のどこにも見当たらない!
 ――ミラーヴの唇が、言葉をささやく。

「もう一度、ワタシの筋書きに戻してもらおうかしらァ? ねェ、ワタシの可愛い坊や?」
「はい、ミラーヴ」

 その少年が初めて気配を表に出した時、既に王手を掛けていた。
 狙われたのは夜見ではなく――

「……ッ!?」

 だきにの鉄面皮が、危機を前に凍り付く。陰形を解いたシュニヤタが現れたのは、彼女の懐であった。
 その手の内に握られた〝痺れ花マンジュサカ〟――スタンロッドの先端が、だきにの首に食い込む。
 式神と言えど、人間の形に受肉している以上、身体の構造は人体と同じものとなる。神経系に電流を流された彼女は言葉もなく転倒した。

「この武器は他の遺産と比べていかにも貧弱だけど、一つ利点がある」

 昏倒するだきにには一瞥もくれず、彼は夜見の方へ振り返った。目を三日月の如く細めて笑う――普段の自信に乏しい少年と別人の如き顔つきであった。

「起動時の警告音声が無い事さ。あれは、不意打ちには邪魔でしかないからね」
「き……さま」
「同じ論法で――君はいかにも強力だけど、一つ弱点がある」

 冗談めかすように告げて――彼は変化した。
 薄い金髪が更に色を落として白髪となり、爪が鋭く伸びていく。瞳の色も、水の色彩へと変化した。

「貴様が……ミラーヴの、」

 夜見が言葉を口にしかけた所で、シュニヤタが十数メートルの距離を二歩で詰めてきた。小柄な彼の身体が、彼女の視界を塞ぐ程に間近に立ちふさがっている。

「カーン」

 夜見の頭に軽く手を添えて、シュニヤタは短く呪文を唱えた。
 思考そのものにダメージを与える〝煩悩破壊ローカ・クレーシャ〟を受けて夜見はその場に膝を突いた。脂汗を浮かべて崩れかかる精神を支え、どうにか意識を保っている。それで精一杯だった。

「デモナイズで強化した術なのに……失神すらしないなんてね。子供の身ながら、世界でも十指に入る魔術師だと思うよ、君は……ただ、戦う相手としては問題外だね。あちらの人造高位妖精アーティフィシャル・ハイ・フェアリィの守りが無ければ、単なる子供でしかない」

 乱れた思考の最中、夜見はその冷静な講師口調に疑念を抱いた――似ている。誰かに。

「ふふッ。どうかしらお嬢さん。ワタシには、腕の良い黒子がついているの」

 近寄ってきたシュニヤタの腰に手を回し、艶めかしく舌を使って彼の頬を舐めつつ、ミラーヴが言う。

「アナタの言う通り、こここそが山場。幕を引くのはまだ早いわァ。この場にいる全員に、最高潮に達してもらわないと」
「……なんなんだよ。ワケわかんねぇよ!」

 耐えきれない、という風にプルが声を上げた。

「カフカが偽物で、シュニヤタが裏切り者だって!? わかんねぇし、わかりたくもねぇよ……!」

 床を殴りつけ、扱いかねる困惑に翻弄された表情を浮かべる。
 その有り様を見て、

「……あはァっ」

 ミラーヴは、喜悦を漏らす。

「やっぱりアナタが一番虐めがいがあるわァ、お姉ちゃん。精一杯背伸びしてる、か弱くて、とても脆い子……カクラナンナとシュニヤタをお守りにつけて、ちょっとずつ、ちょっとずつ削って味わってきたのだけれど」

 プルの髪の毛に指を差し込み、ねぶるように掻き回し――強く引く。
 あぐっ、とプルは短く悲鳴を上げた。

「そろそろ、全部、頂いちゃってもいいかしらァ」
「な、にを……」

 プルの声色には、隠しきれない怯えの色が滲んでいた。

「例えば……リグラヴェットに幻法をかけてカクラナンナを殺させたのはシュニヤタで――この子は、彼の息子だって聞いたら、どう?」
「え……」

 プルの瞳が、驚愕に見開かれる。

「ふ……ふざけんなよ……それじゃあたしは、リグラヴェットを……」
「ハメられて叔父を殺させられた姉を恨んで、殺そうとしていたワケねェ。――そもそも、リグラヴェットがワタシをラフィー・ハルラールに身売りさせたというのも嘘。アナタ、これまでずっと見当違いの憎悪を実の姉に向けていたのよ」
「ぁ……ぁあっ」

 ミラーヴの、錐で腹を刺すような言葉は、プルの精神に小さい穴を無数に穿っていた。
 押し寄せる後悔を逸らす為に、プルは憎しみの矛先を外に向けた。シュニヤタを見据え、怒鳴りつける。

「てめぇ……なんで叔父さんを……! てめぇの親父だろうが!」

 彼女の恫喝に、シュニヤタは肩をすくめて、

「僕には、〝作り主〟の命令の方が大事だった、それだけの話だ」
「な……に?」
「この子は、ワタシの坊やよ」

 ミラーヴが告げる。可憐な少女の唇を、毒婦じみた舌使いで舐め上げながら、

「アガルタの設備を使って〝作り上げた〟、最後の子供。種はカクラナンナのを使わせてもらったわァ。この身体で、受け止めてあげたのよ……」

 プルは彼女の言葉に潜む不可解なニュアンスに気づく事は出来なかった。彼女に理解できるレベルで、それを解釈して言い返す。

「嘘ばっか並べやがって! 叔父さんがてめぇみたいなバケモンと子を作るもんか!」

 そしてそれは、ミラーヴの筋書通りの台詞だったのだろう。

「心外ねェ……あの子は進んでワタシを貪ったわよォ」

 水底の瞳をした女は、その中にプルを引き摺り込むように言う。

「――兄夫婦を殺した重みに耐えかねて、女に溺れるなんて。滑稽な男だったわァ」

 きひっ、きひひひっ。
 きひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひ。

「……馬鹿な」

 ミラーヴの狂ったような笑いの最中、リグが声を上げる。彼女はまだ、夜見の術の影響で立ち上がれない程衰弱している。口舌以外に抵抗できるものが無かった。

「そんな馬鹿な話があるものか! カクラナンナが……叔父が私達の両親を殺したなどと!」
「嘘じゃないわよォ。多分そこの子が持ってるあいつの日記に、書いてあるんじゃないかしら。生きてる内に罪を白状せず、死後に遺恨をぶちまける事で自分の心を救う。卑劣な男ねェ、そう思わない?」
「黙れッ!! 信じられるかそんな事!」
「――貴女がそう激昂できるのは」

 言葉を挟んできたのはシュニヤタだった。

「知らないからだ……父と僕の絶望を」
「訳の分からん事を……あぐっ!?」

 リグの声が途中から苦悶の悲鳴に変わる。シュニヤタが彼女の腹を蹴りつけたからだ。
 シュニヤタは爪先を突き込む。何度も、何度も。

「貴女が人がましく希望を抱いてられたのは、僕と父が秘密を抱えたままでいたからだ。僕らだけが苦しみを請け負ったからだ。僕に舐めた口を利くな……僕に、僕にッ!」
「あがっ、はぐっ! あ……ぎ」
「や、やめろ! やめて……」

 殴打される姉に目をやりながら、弱々しくプルは漏らす。
 呼吸を乱すまで蹴り続けて、ようやくシュニヤタは身を引いた。そちらに気優しげにミラーヴは声を掛ける。

「そうねェ、シュニヤタ。貴方の望み通り、この哀れなけだもの達にも同じ絶望をくれてやりましょう」
「どういう……事だ」
「――僕らは、家畜なんですよ」

 シュニヤタが、毒の混じる血を吐血するように言う。

「何を……言っている?」
「そこの子なら分かっているはずよ。だって、さっきのアナタたちの力を奪った術、アンヴィスの構造を完全に把握していなければ機能しないはずだもの……この短期間で、よく調査したものねェ、お嬢さん」

 ミラーヴが感嘆を込めて、足下にうずくまる夜見に告げる。
 夜見は、苦しげながらもどうにか言葉を吐き出した。

「や……めろ。それをこやつらに、聞かせるな……」
「ふふ。お断りだわァ。馬脚を現わし、舞台に上がったからには見せ場を全て頂かないと気が済まないのだもの」

 自身の面立ちの可憐さに悪意があるかのような妖艶な仕草で唇を舐め、ミラーヴは応じた。目尻に笑みの形の皺を寄せるその様は、妖気すら漂わせている。
 プルが声を上げたのは、一種の防衛行動であった。この女は妖魅の類だ。何か抵抗しなければ、食われてしまう。

「さっきからお前らの言ってる事は何もわかんねぇよ! 家畜だと? あたしらを見下して、裏で操って一体何のつもりなんだ……!」
「つもり、ねェ」

 そしてそのか弱い抵抗は、この女にとって味付けの一種に過ぎなかった。更に愉悦を深くして、ミラーヴは語る。

「〝カタ・コスモーン機構〟の目的は一言で言って、人類文明の安定維持。ワタシがこのアガルタに駐留しているのもその一貫よ。即ち――旧世界の人類が遺した負債を、駆除する事」
「負債……?」
「魔獣、とアナタたちが呼んでいるモノの事よ。あれらの駆逐を、ワタシはギニョール姉様に命じられている」

 この穴蔵に潜む怪物たちを示すように、彼女は両手を広げた。

「馬鹿言ってんじゃねぇ!」

 プルが声を荒らげて反論した。

「未だにここには魔獣がウヨウヨしていやがる! ここまで潜るのにあたしらアンヴィスに、どれだけ犠牲が出たか……! てめぇは何もしてねぇじゃねぇか!」
「だから、アナタたちにやってもらっているのよ。害獣の駆除を、益獣であるアナタたちに」
「……え?」

 続いてミラーヴが口にした言葉に、この場にいたアンヴィス全員が凍り付いた。
 彼ら種族の根幹を揺るがす言葉であった。

「だって、そうするのが効率的だもの。――ここで造られた家畜同士で、殺し合ってくれた方がね」

 次の瞬間、この場にいる全員の視野に映像が投影された。ミラーヴの幻法によるものである。

「な……んだ? これ……」

 プルがその情景を見て絶句する。
 広大な空間に、円筒形の器物が無数に整列している。その間を白衣やグレーの作業着を着た人間が歩き回り、各々の作業をこなしていた。
 円筒はガラス張りで、内部を覗く事ができた。薄緑色の液体に満たされ、一つにつき一体の生物が納まっている。その姿は、

「魔獣……?」

 中でも一際巨大な円筒の内に、先日討伐した魔竜が浮かんでいた。その周囲にも、見覚えのあるナラカの魔獣たちを収納したカプセルが並んでいる。

「これは二千年以上前、アガルタが稼働していた頃の記録」

 ミラーヴの声が、どこからともなく響いてくる。

「ここはアガルタでも主幹の施設。この場所で旧世界の人類は、〝C.I.M.E.R.A〟の製造を行っていた」
「シーアイ……?」
構成物質の霊子化、再構築、付加による創造生物Creatuer In Material Etherise and Rebuild and Addition――いわば当時の錬金術ね。アストラル相からのアプローチで、素体を霊的に強化した上で他の生物種と合成する……つまり、キメラよ。彼らの技術は、人工的に生物を造るまでに至っていた。
 彼らはキメラを様々な分野に利用した……農工業における労働力、深海や高山など過酷な局地環境下での活動……主たる物は軍事力、つまり生物兵器ね。この戦闘用に調整されたキメラは、ID登録されていない人間を攻撃するようインプリンティングされていた……」
「――! つまり、それが……」

 脂汗を浮かべつつ、夜見がどうにか言葉を絞り出す。
 そう、とミラーヴが頷いて、

「それが魔獣の正体。もちろん〝ID登録されている人間〟なんてものは現代に残っていないわ。今の人類からすれば、ただ人間だけを無条件に襲う人類の天敵って事になるわよねェ」
「厄介なものを……!」
「ええェ、本当に厄介な負債を残してくれたものだわァ。だからカタ・コスモーン機構を構成する国家は、戦闘用キメラの討伐の為にその出没地域に定期的に派兵している。けれど、このアガルタにはそれが出来なかった……機構の存在は、秘匿されていなければならない。地上の人間から隠れて軍を侵入させるのは、ここでは困難だった……ワタシ自身では、アガルタを破壊しかねない。ここは重要な施設なのよねェ。機能を保ったまま確保しておきたいの」

 だから、と彼女は続けて言葉を紡ぐ。

「ここにある資源を、使わせてもらう事にしたの」
「ここにある、資源だと……?」
「ええ。それがアナタたち」

 リグの問いかけに、ミラーヴが応じる。その声は喜びに音程を引き上げられていた。

「見てご覧なさァい……」

 彼女の造りだした幻視が切り替わる。同じ製造フロアの別区画のようだった。
 ここに並ぶ円筒は、魔獣を収めたものと違ってかなり小さかった。培養液を漂うものに合わせたサイズなのだろう。
 その中身を見て――誰もが顔を凍り付かせる。

「これ、は……ッ!」

 眼球を揺らし、舌先をもつれさせながらリグが絶句している。
 円筒の中には、人間が入っていた。赤ん坊から十五歳程度の子供までが居並び――その誰もが、どこか人間の形状から外れている。
 その中に、兎の耳を生やした人間もいた。

「これが後に亜人として大陸に散らばった存在……人間のクローンを素体とした、非戦闘用のキメラ」

 囁きかけるように、ミラーヴは告げた。

「アナタたちは、作り物の家畜なのよ」

 霧が晴れるように幻覚が途切れる。
 プルの眼前にミラーヴがいて、その絶望に強張った顔を味わうように見つめていた。

「くフッ」

 零すように、嘲笑する。

「アガルタのキメラに戦闘用キメラを駆除させる……この計画を立案したとき既に、アガルタの亜人はアナタたちしかいなかった。他の亜人と違ってアガルタでの運用だけ想定されていたアナタたちアンヴィスは、ここから離れられないよう調整されていたの。あの霊湖の放出する霊子を吸収しなければ生きられない身体に」

 神秘的な理由など一つも無い。
 ただ、工業製品としての仕様の為に、アンヴィスは地上に出る事を禁じられたのだ。
 それを理解して、彼らはその表情に浮かぶ絶望の色を濃くする。

「苦労したわよォ。アナタたちひ弱な亜人を、戦闘用キメラと戦えるよう調教するのは。シャンバラに辿り着けば、アンヴィスは地上に出られる身体になるって嘘を流布して、旧世界の兵器を与え、幻法を教えて……やり過ぎて、最下層まで到達させてしまった事もあったわねェ」

 昔を懐かしむように語る――その口調から察せられるのは、彼女が回想しているのはつい先日のサヴィトリによるシャンバラ到達についてではないという事だった。

「調整に手間取って、ついあの時のアンヴィスを半分も減らしちゃったものだったわァ」
「……アースラ、か?」
「そォよォ。アースラとサマト・クマリの伝説は、ワタシの自作自演」

 かすれ声ながらも直感を口にしたリグに、軽々しくミラーヴは応じた。

「この穴蔵の悲劇は全部、全部、ぜェんぶ。ワタシの脚本。アンヴィスは皆このアガルタで踊り続けていたお人形さん。アナタとプルールギータ相手に演出したのは、いわば劇中劇。扱い難いカルルフィナとタラルカを排除して、残ったアナタたち姉妹を決裂させた……」
「何の為に!」
「カルルフィナは地上の人間に取り入って、アンヴィスの社会を安定させようとしていたんだもの。アンヴィスには適度に餓えて、害獣駆除に精を出してもらわないとならないから……ねェ?」
「……そんな事の、為に……父と母は……私と妹は……」

 屈辱と憤激で表情を染め上げて、リグは地面を殴りつける。床に手にした刃が触れ、こすれてきぃきぃと音を立てた。
 その有り様をくすくすと含み笑いで見つめるミラーヴ。

「ああ……良いわねェその怒り。そそるわァ……でも、もっと好みなのはこっち」

 そう言うと、再び目線をプルへと戻した。
 彼女は放心していた。表情が絶望にこそぎ落とされていた。呼吸すら薄く弱い。

「シャンバラという夢は虚構、育ててくれた叔父も裏切り者、自分の存在すらも作り物。ねェプルールギータ。アナタが希望できるものは、全部偽り、私の脚本の上での作り事でしかなかった」

 プルは反応すらしない。

「とうとう、壊れちゃったのねェ、プル……」

 愛おしむように呟くと、ミラーヴはプルと唇を重ね、舌を差し込んだ。プルは人形のように身動きせず、肉体が性感にかすかに震える程度の反応しか示さなかった。
 ぴちゃぴちゃと水音を立てて唾液をすすり、ミラーヴは口を離す。

「ふふ、美味しい……悲嘆の味がするわァ」

 衣服に艶めかしく指を差し込み、胸をまさぐる。

「ワタシは、ヒトの弱さと醜さを許してあげる……だってこんなにも美味なのだもの。絶望にひたりきったアナタを、全部味わい尽くしてあげるわ――お姉ちゃん」

 もう片方の手を、ミラーヴはプルの股間にあてがおうとした。

「やめろ……ッ!」

 それを留めたのは、リグの絶叫だった。
 衰弱した身体を引きずるように立たせ、遅々とした歩みでミラーヴへと距離を詰める。

「私の妹を、辱めるな……!」

 左手のブレードを発振させて、跳び上がる――
 そこをシュニヤタが、奪った突撃銃で狙い撃った。無事な左腕と両足を砕かれ、リグは墜落して苦痛にのたうち回る。

「ぐぁああ……ッ!」
「無粋な飛び入りねェ、リグラヴェット」

 興を削がれたと嘆息し、家畜の処分を降すような無感動さでシュニヤタに指示を飛ばす。

「もう殺していいわ。他のアンヴィスも。仲間を殺されていく悲鳴をBGMにこの子を犯すというのも、良い趣向じゃない?」

 そして再び、陵辱に耽ろうとする。
 ――その胸を突き飛ばし、プルはリグへと這い寄った。傷ついた足を引きずって床を血痕で汚しつつ進み、彼女に覆い被さる。

「なにを……やめろ!」

 押し退けようとするリグに、プルは絞り出すように言葉を落とした。

「あたしが……シャンバラを目指したのは」

 涙を流し、顔をくしゃくしゃに歪ませて妹は姉に吐露する。

「あたしたちを苦しめるものが無くなれば、全部、元通りになるって思ったから……家族がみんな戻って来て……お姉ちゃんとも、元通りになれるって……!」
「プル……」

 折り重なる姉妹に、冷淡な声が掛かった。

「あらあら……味が落ちちゃったわァ。安い愁嘆場は嫌いなのよねェ」

 興味が失せたような顔つきで、ミラーヴはシュニヤタに告げる。

「プルールギータも殺していいわよ、シュニヤタ。ここを全部始末して、また別の手駒を探しましょう」
「はい、ミラーヴ」

 躊躇い無く、シュニヤタは銃口をプルの後頭部にポイントした。

「や……やめろ!」

 リグが決死で制止するも、言葉などで彼が止まるはずはなかった。

(……何故だ)

 なぜこのような非道がまかり通る。

(この世に神がいるならば……なんで私たちだけこんな、奪われ、弄ばれるがままにされる……!)
「――神の仕打ちを恨んでいるんだね、リグラヴェット。僕にも経験がある……手向けの言葉を贈ろう」

 絶対的優位者であるはずのシュニヤタの顔にも、絶望が貼り付いていた。
 彼は口ずさむように、

「『主はこう言われる。疫病に定められた者は疫病に。剣に定められた者は剣に。餓えに定められた者は餓えに。捕囚に定められた者は捕囚に』……エレミヤ書の一節、神に見離されたユダ王国の民を語る言葉だ。――君達もまた同じく、神に見離された人々なんだよ」

 トリガーが引き絞られ、撃発音が暗い穴蔵を弄する。
 ――硝煙の向こうにある景色が、銃弾にえぐられた姉妹の死体でない事にシュニヤタの目元が引きつった。

「君、か……」

 銃弾を弾いた巨大化した剣が引き戻され、青白く輝く髪がさらされる。
 その背中を見ていたリグが、呆けたように呟いた。

「お前は……」
「――なんとかするジュガード、だったかのリグよ」

 詞木島日雨が冗談事のように彼女へ告げて、軽く微笑んだ。

「遅すぎるわ、兄様……」
「すまん。少し手間取った」

 夜見の不平に謝罪すると、ミラーヴの元へ後退したシュニヤタに目線をやる。

「状況がいまいち掴めんが……あやつらがお主の言う黒幕で間違いないか」
「そうじゃ、気をつけよ……あの女、機傀悪魔じゃ」

 不調に澱んだ声で、どうにか夜見はそれを伝える。

「承知した。お主は休んでおれよ」

 そう告げると、日雨は太刀を担いで一歩前に出る。

「死なせてやるべきだった」

 そこに、挫くようなシュニヤタの声が掛かった。

「何?」
「彼女たちは死なせてやるべきだった。この人々は決して救えない……自分たちの真実を知ってしまった。神に見離されているという事を」

 ナラカの奥底から響くような声音で、彼は日雨への非難を口にする。

「君のした事は、救済じゃない。絶望の継続だ」
「よく分からんが……」

 と、日雨は周囲を見渡した。シュニヤタの言葉通り、種族の真実を知ったアンヴィスたちの顔には一様に失意と悲嘆が滲んでいた。

「いや……分からねばならん事か」

 言い直すと、彼は後ろのリグとプルを見やった。

「なぁ、そなたら――余の民となれ」

 そんな言葉を、日雨は口にした。

「余は国を作る。人と亜人が、姉と妹が手を取り合える国を。そなたらはその国の、最初の民となるのだ」
「馬鹿げた事を抜かすな!」

 シュニヤタが激昂して、叫び声を上げた。

「そんな言葉で誰が救える! たかだか一人の人間が、そんな理想郷じみたものを作れるか!」
「作ってみせる!」

 剣を彼に突きつけ、日雨は喝破した。

「王とは願いだ。人が人の身で、人の器を超えて人々を救う。それを求める願いだ。神が見離そうとも――人の王がこの者達を見捨てはしない!」
(……ああ)

 宣言する兄を見上げて、静かに詞木島夜見は呟く。
 小柄な少年の身体に、かすかながらも確実に感じられる――王威が。彼を見上げる二人の女から、絶望を拭う力が。
 かつて夜見は、兄がそんなものを纏うとは信じていなかった。誰よりも間近で兄を見てきた彼女は、兄の凡庸さを知っていた。王の器では無い。そう思ったからこそ兄を王にする為に、自分の力を尽くしてきた。
 それは間違いだった。

 人は、自分の器を押し広げて戦おうとする事ができる。それを信じてあげればよかったのだ。そうできなかった夜見は幼く、間違えて、そして負けた。
 兄を最初に信じた彼女に。
 だから、兄は彼女の名を呼ぶ。
 リグラヴェットでもなく、プルールギータでもなく、だきにでもなく、詞木島夜見でもなく。
 ただ一人、彼女だけを自ら求めるのだ。

「くらら」

 ――今まで物陰に隠れさせていた詩乃目くららが、その呼びかけに応じて彼へ駆け寄ってきた。

(……まったく、なぜあやつが隠れていると気付いておったのやら)

 日雨が現れるまで何があっても隠れていろと、夜見はくららに厳命していたのだ。
 最初に彼女が奪われてはミラーヴへの対抗手段が無くなる。切り札とは、最後に切るからこそ意味があるのだ。

(これが、わらわに打てる最後の手よ……後はそなたらの力。信じておるからな)

 半分悔しさを交えてそう漏らし、夜見は意識を手放した。

「てめぇ……なんでここに……場違いだってんだよ」

 なじるように言うプルのそばを通りかかりつつ、くららは告げる。

「えへ、ごめんね――でも、待ってて。今わたしたちが、あなたたちの敵を倒す」

 力と確信に満ちた口調に、プルは気圧された。
 その宣告を聞き取って、シュニヤタは嘆息まじりにうめく。

「君がまさか〝そう〟だったとはね……三人の女の中で、最も平凡で見るべきものの無かった君が」
「はッ――こやつを舐めるなよ!」

 日雨は飛び掛かり、袈裟斬りをシュニヤタに浴びせる。
 彼は危なげなく飛び退いていた。その腕にミラーヴを抱えて。

「仕方ありません、ミラーヴ。セイタンと交戦します――〝リインカーネーション〟を」
「あらあら……まァ、たまには操り人形となるのも良いかしらねェ」

 彼らは走り抜けて、その勢いのまま壁の穴からアガルタの縦坑に飛び出した。
 日雨がその後を追って、穴の淵に立つ。
 その隣にくららが駆け寄ってきて、一つ問いかけた。

「いいんだよね?」
「ああ、そうだ。余が決めた王の道だ」

 奈落の穴を見つめて、迷いなく日雨は応えた。

「余があの者達の王である為に。彼らに繰り糸を結んで自由を奪うあやつらを――殺す」

 それは罪である。許されざる行いである。
 しかし、そうすると決めた。怒りではなく、自分が人の王である為に。
 夢の為に人を殺す。誰とも共有し得ない悪行を、共に背負ってくれる人がいる。

「この道を切り拓いてくれるか? 盟友」

 拳を突き出して、日雨はくららに言葉を投げかけた。

「うん」

 彼女は短く言って、開いた手を伸ばした。

「でも、女の子相手には……こうだよ、日雨くん」

 閉じた拳を押し開いて、彼女は日雨の手に指をからめた。
 日雨の心臓が一つ、大きく鼓動を打った。これもまた初めて知る感触だ。

「やっぱりくららは――不思議だ」

 気恥ずかしげに微笑み、日雨はひとりごとを呟く。
 ――くららの身体を抱きかかえて、彼は壁の穴から大きく跳躍した。風が身体をなぶり、恐ろしげな落下感に囚われる。
 その最中、間近にくららの顔を見つめて日雨は言い放つ。

「《時よ止まれ》」

 契約の言葉を。

「《きみは美しい》」

 ――虚空を刃が引き裂いた。
 突如として二人の周囲に出現した巨大な剣刃は、数百、数千と無数に増殖しながら渦を巻くように湾曲する。
 大気を切断した鋭い刃が構築する、鋼の華。その内部で人の観測を許さない、奇怪な変容が生じている。
 やがてその花弁は解けて散っていく。
 内から現れたのは――黒鉄の機兵。
 ナラカの暗闇よりもなお黒く魔性を放つ装甲を身に纏い、周囲に十二の白い巨剣を帯びている。それが存在するだけで生じる凶悪な魔力は、ナラカに棲む魔獣全てを恐慌に陥れた。
 鋭利に過ぎるフォルム、濃密な刃金の香気。
 魔剣の王――

『〝Diabolus ex machina〟Type〝Ira〟『SATAN』……顕現リアライズ!』

 蒼い瞳を瞬かせ、機兵が産声を上げた。――その声はまさしく、詩乃目くららのものであった。

『行くよ、日雨くん!』
「ああ! このナラカに潜む悪魔を……破壊する!」

 球形のコックピットの中に立ち、日雨はそう宣言する。
 暗黒の深奥に向けて、漆黒の機兵は飛翔を開始した――



[40176] 14.日(スーリヤ)と雨(ヴァルシャ)
Name: 八目又臣◆aa87a973 ID:17b043ce
Date: 2015/01/11 19:40
〝リインカーネーション〟を完了し、その威容を現世にあらわとした機傀悪魔セイタンが、アガルタのシャフトを急降下してくる。
 シャフトを自由落下していたミラーヴは、遥か上空から己を滅ぼそうと迫り来る敵に感嘆めいたため息を吐いた。

「鳴り物入りねェ」

 その唇が不意につり上がり、哄笑を漏らす。

「くふっ、あははっ、あはははははははははははははははははははははははははははははははははははははははは――やっぱり、タマラナイわァ……黒幕仕事も悪くないけれど、同じ存在と相対し、機能を十全に発揮して破壊し合う事には代え難い昂ぶりがあるものねェ! 欲情しちゃうわァ……」
「ミラーヴ」

 上気した吐息を漏らす彼女に、水を差すようにシュニヤタが言う。

「ええ、そうねェ坊や。ワタシたちも鳴り物の豪華さでは引けを取らないってコト、あの高貴なるロードに魅せて差し上げなさい」

 そう命じると、ミラーヴは生暖かい舌をシュニヤタの首筋に這わせた。
 性感に昂ぶるかのように、シュニヤタの魔力が増大する。白髪が蛇の如く蠢き、鋭い爪が抱き留めるミラーヴの肌に傷を入れる。
 その痛みにすら快感を覚え恍惚とする彼女に、彼は契約の言葉を紡いだ。

「《打ち鳴らせミラーヴ! 万乗の拍音を! 人形劇ギニョールの夜を迎える為に!》」

 ――暗黒を侵食する、白濁とした濃霧が生じた。
 霧は二人の姿を覆い隠し、そして渦を巻くように集束する。影すらも隠れ、匂いも遮り、味と匂いも水の無味しか感じられない。
 その世界で――音だけが鳴っている。
 じゃりッ――じゃりッ――じゃりんッ!
 鋼鉄をこすり合わせる不快な音響が、静謐の地底を弄する。
 そして霧が晴れ――白銀の蛇が出現した。

 上半身は人型で、下半身は蛇の尾というその形態は古代の妖異な神を思わせた。上半身の体格は体高四十メートルのセイタンと同程度であるが、尾を含めればその全長は百メートル近くにも及ぶ。
 音響の発生源はこの尾だ。艶めかしく蠢動するたびに、無数の鱗が互いにぶつかって音を立てている。

『〝Diabolus ex machina〟Type〝Acedia〟『Vephar』――顕現リアライズ

 妖艶と可憐が混淆した怪女の声音で、〝ウェパル〟は名乗りを上げる。

子爵級ヴァイカウント・クラス眷属機ファミリアと侮らない事ね、セイタン。脇役が主役を食う事も、お芝居にはつきものでしょう?』




「ヴァイカウント・クラス……ファミリア? くららよ、あやつ何を言ってるのだ?」

 通信回線を経由して発せられたミラーヴの宣戦布告に、日雨は疑問符を浮かべた。
 彼の搭乗しているコックピットは、球形の空間に、周囲に散布された観測精霊が観測した映像をモニタリングするという形を取っている。床も透明で、コックピットが正確に機体のどこに内臓されているかも分からず、この姿の時の詩乃目くららの意識がどこにあるかも不明だ。
 しかし、とりあえずイメージとして日雨は頭部のありそうな頭上を見上げて質問している。
 一秒未満の、しかし妙に長く感じる沈黙を挟んで、くららは答えた。

『う゛……ごめん。わかんにゃい』

 機体の指をつんつんと気まずげに合わせ、顔を逸らしまでした。
 詩乃目くららは機傀悪魔――神代の末期に造られたと言われる、魔導と機械技術の粋を結集した人型兵器である。
 だが、彼女自身の人格はそれより更に昔、秋津洲国が日本という国家であった頃の学生で、自身が機傀悪魔になった経緯も神代末期のセイタンとしての自分も、何一つ思い出せない。
 セイタンに内蔵されたデータベースも不具合が起きており、アクセス不能だった。現在の彼女は機傀悪魔としての機能と知識の大部分が制限されているのだ。

「むぅ、そうか……口ぶりからすると、自分がセイタンより格下だと言っておるようだが」

 落下するウェパルへ追いすがりつつ、日雨は記憶を掘り起こす。
 彼らの戦闘経験といえば先日戦ったマモンとの一度きりだが、その応現体たるガラテイアの物言いはミラーヴのようなへりくだりは無かった。

(マモンよりは弱い相手なのか……?)
『侮るなと言ったでしょォ!』

 日雨の思考を読み取ったわけでもなかろうが、無警戒に降下するだけのこちらの動きに侮辱を感じたのかも知れない。ウェパルは大喝して尾をシャフトの内壁に突き立てた。
 機体を壁に引き寄せると、壁を恐ろしいスピードで這い上がってセイタンを通り越した。

『ジャアッ!』

 シュニヤタが蛇の舌遣いじみた奇声を上げ、肩部装甲に懸架されていた、刃のついた鉄の輪――チャクラムを投げ下ろしてくる。

「……っ!」

 日雨は意表を突かれた動揺を押さえ込みつつ、皮膚を透過し神経に接続されたナノ単位の操作糸に指令を送り、迫る輪刃に対して回避行動を取る。
 一瞬前まで機体のあった場所を通過して、チャクラムはシャフトを墜落していく――
 そしてその軌道を変え、セイタンに向けて再び上昇した。

「またこの手の武器か!」

 追尾してくるチャクラムから逃げ惑いつつ、日雨は苛立ち混じりに叫んだ。

『まだまだまだまだまだまだまだまだまだァッ!!』

 シュニヤタは立て続けにチャクラムを投擲してくる。
 その数は十六。日雨は背面装甲に展開した飛翔術式のベクトルを操作して、曲芸飛行じみた動きで回避を続ける。

(遠ざけられる……間合いに入れん!)

 焦りに唸り声をあげる日雨に、頭上から声が掛かった。

『日雨くん。ここの所、生身で戦ってばかりだから忘れてない? ――セイタンで戦う時は、わたしがサポートするって』

 どこか責めるような口調で、くららは言った。

『ウェパルのホーミング能力は、魔術による気流操作みたい。マモンのアッキヌフォートみたいな理不尽な性能じゃないわ――〝道〟と〝翼〟はわたしが用意する』

 彼女がそう宣言した瞬間、日雨の視界に被さるように映像が投影された。彼の脳髄に駐留するナノマシンを経由して、情報を転送しているのだ。
 高度、速度、霊子出力――チャクラムの予測軌道。

『〝固有機巧〟自己錬金起動! 媒介剣《ANTI-APOSTLE》、四番剣《アンデレの飢餓》から六番剣《バルトロマイの苦痛》まで変形トランスフォーム、飛行補助ユニット建造!』

 セイタンの周囲に滞留する巨剣の内三振りが歪み、機体の上半身に纏わり付いて変形、翼とスラスターを形成する。
 三基構築されたスラスターの内で、火気の魔術を増幅する金属・火廣金ヒヒイロカネが励起して赤く発光を始める。

『飛ばすよ! 日雨くん!』
「応ッ!」

 スラスターに風精が発現、膨大な気流を圧縮し、雷精の構築する磁界で制御、それを火精が燃焼させる。

統合魔導コンバインド・ソーサリィ、フライング・スペル――三重発動トリプル・キャスト!』

 四十メートルを超える巨体が、残像を残して消失した。
 左右のスラスターによるベクトル操作により、複雑な軌道で迫り来るチャクラムをかい潜る。子供の落書きじみた軌跡を描いて輪刃を遥か後方に置き去り、セイタンはウェパルの目前に到達した。

「おぉおおおおおおおおッ!!」

 その勢いのまま突撃し、媒介剣の一振りをウェパルの胴体に突き込む。
 貫かれた白蛇は――その瞬間、霞のように消え去った。

「何!?」

 直後、背面に飛来したチャクラムがセイタンの飛行補助ユニットに直撃する。

『きゃあああっ!?』

 衝撃にくららは悲鳴を上げる。
 彼女から逆流するエラー情報に頭痛を覚えつつ、日雨は攻撃の飛んできた方角を見やり――絶句する。
 シャフト内壁に無数のウェパルが貼り付いていた。その数はざっと数えて、千を超えている。

「分身だと!?」
『……ち、がう、よ』

 苦悶を堪えつつ、くららは言葉を絞り出した。

『統合魔導、ミラージュ・スペル』

 先制攻撃を決め、嬉々としたミラーヴの声がコックピットに響く。

「幻術の類か……!」
『うん。でも、あれは魔術だけじゃない』

 壁を蠢くウェパルの一体にカーソルが重ねられる。厳密には、機体の腰部に。
 白い輪が回転している、とかろうじて見て取れた――周囲に陽炎が発生し、その形状を不確かにしているのだ。

『ARMS、《太蜃宝環タイシェンバオファン》……蜃気楼の伝奇を具現化した神器よ』

 喜悦を込めて、ミラーヴは告げる。
 神話再現方式魔導兵装Assaultive Realization Mythology Sorcery――機傀悪魔の切り札。集合的無意識に存在する人類のイメージ、語り継がれてきた神話を具象した魔導兵器である。
 蜃気楼とは、蜃なる大蛤、あるいは龍の吐く気が見せる幻の楼閣であるという伝説が中国には存在する。
 その伝説を実体化させたのならば、効果は幻影の発生と見るべきだろう。

『固有機巧もたぶん……あの鱗のこすれる音、わたしのセンサーを幻惑してる』
『ご名答。それがワタシの固有機巧、音波阻害ジャマーサウンド

 固有機巧――機傀悪魔がそれぞれ個別に備える、機械的な装置の事だ。
 ウェパルは三重のからくりで、セイタンを幻惑している。

『ワタシの武装は全て幻術に特化している……力押しの相手の足をすくう、奇策を持ってるって事よォ』

 優越感を伺わせる声を上げて、全てのウェパルが肩にマウントされたチャクラムを取り出す。両手の指で弄ぶように回転させながら――

『落ぉおおおおおおおおおちなさぁぁあああああああああいッッ!』

 一挙に投擲。

「くっ……!」

 瀑布、あるいは雪崩のように無数の輪刃が押し寄せる最中、日雨は刃の幕が最も薄い場所に飛び込む。実体が掴めない以上、全て本物として対処するしかない。
 周囲を壁に囲まれた状況というのも災いしている。飛行補助ユニットは先程の攻撃で破壊されたが、そもそも全速力で逃げるだけの距離がこの場所には存在しないのだ。敵機にとっては狙いごろのスピードで飛び回る事しかできない。
 ここはウェパルの舞台――地の利を取られてしまっていた。

「くらら! 本物が分かるか!?」
『……分からない』

 屈辱の滲む声で、くららはうめいた。
 観測精霊と機械的センサーを総動員してくららはシャフト内を精査、ウェパルの実体を掴もうとしている。音、熱源、化学物質。電波、可視光線などの電磁波。霊的痕跡……
 その全ての感覚からウェパルは逃げおおせていた。
 敵機の幻術は幾重にも伏線を張った、精巧な仕掛けであった。固有機巧でこちらの感覚を眩まし、神器にて実体の気配を隠蔽、その上で魔術を用いて幻覚を作り出している。
 幻影の繰り手――千年単位でこの地下から他者を操ってきた女の老獪さが、巧緻な戦術として現れていた。

「――技では敵わん」

 日雨は認めた。

「力で押す」

 相手が力押しの足をすくう絡め手を持っているなら、より強く押し込むだけだ。

「ここで切れる手札はあるか?」
『〝外辺奈〟は無理。〝ヴォルスパー〟も……ナラカが崩落しちゃう』

 くららの受け答えは、予想できた事だった。セイタンの持つ武装は規模が大きすぎる。天井に人間の住むこの縦坑の中で使えるようなものではない。
 三つの手札の内、二つまで封じられた。

「上等だ――残り一つを切る」
『了解!』

 セイタンの周囲に無数の光り輝く魔法陣が出現した。
 その開かれた力の経路から、可視化される程の膨大な魔力が媒介剣の一振りに注ぎ込まれる。剣は霊子の侵食を受け、その形を変えていく。

『二番剣《ヤコブの挫折》へ形相原典アーキタイプロード……完了!』

 セイタンの手元に出現したのは、一輪の赤い花だった。
 鋼鉄の造花――その精緻な造形は、しかし見る者の心をざわつかせた。凶なる香気が、花弁から漂ってくる。周囲に災いをもたらす毒花。しかし目を離せない程に美しい。
 魔剣の一振り――

『ARMS-02。《レーヴァテイン》……顕現リアライズ!』

 妖花の茎を掴み、日雨は解放の呪言コードを叫ぶ。

「〝いてついたほのおムスペルヘイム〟ッ!」

 花の花弁が散った。
 花床にあたる部分から太陽の如く目映い火炎が生まれ、シャフトを光で埋め尽くす。炎は意志を持っているかのように膨れあがり、蠢き、セイタンの周囲で蜷局を巻く火竜と化した。
 まさに神話の謳う獄炎郷ムスペルヘイム――そこに侵入を試みたチャクラムが蒸発する。
 そして、火炎は徐々に支配領域を広げていった。赤い濁流がシャフトの内壁を舐め、壁に貼り付くウェパルもまた蒸散させていく。
 実体の手応えは無い――だが、

『くっ……』

 ミラーヴが声に動揺を滲ませる。
 ウェパルのARMS《太蜃宝環》の元型である蜃は水妖の類であり、ウェパル自体の幻術も水精と雷精を用いた光学偏向によるものである。火気と相殺されれば機能を失ってしまう。
 攻防一体の強力な兵器だ――さすがは世界に七体のみの機傀悪魔の王、〝第一形態〟で既に地力においてこちらの遥か上を行っている。

「ミラーヴ、このままではジリ貧です。あの炎はいずれ実体に届く」
『口にせずとも分かっているわ! アナタは機体の操作に専念なさい!』

 余計な口を叩くシュニヤタをミラーヴは叱責する。普段はそれで口をつぐむ、従順な子供だ。そのように作り、育てた。
 しかし今回は引き下がらなかった。

「ミラーヴ、博打を打つ度胸はありますか?」
『何を……』

 脳髄のナノマシンを経由して、シュニヤタは戦略を彼女へ送信した――




「……なんだ?」

 壁を逃げ惑うウェパルの群れの挙動に変化が起き、日雨は怪訝さを顔に浮かべる。
 群れが半分に別れ、それぞれ上下に移動を始めたのだ。

『逃げる、気……なの?』

 くららもまた敵機の意図を計りかねていた。

「逃げる……だとしたら――」

 日雨の声帯が、言葉を口にする途中で凍り付いた。逃走するウェパルの数をざっと数え、上に向かう方の幻影の数が多いと気付き、確信する。

「くらら、上だ!」
『えっ?』
「ウェパルは上の〝蓋〟をぶち壊して地上に出るつもりだ!」

 蓋――一個の都市を乗せた蓋だ。
 ウェパルがチャトラを崩落させこちらの目眩ましとして逃走を図るつもりだとしたら、大惨事が起きる。

「させるか!」

 セイタンはレーヴァテインの炎を纏ったまま飛翔術式を起動、壁を駆け上る敵機へ追いすがる。
 火炎を操作して、ウェパルの群れをしらみつぶしに焼き尽くしていった。幻影は蒸発、霧散していきその数を刻一刻と減らしていく。

(実体に届くまで――)

 幻覚はずれ幻覚はずれ幻覚はずれ幻覚はずれ幻覚はずれ幻覚はずれ幻覚はずれ幻覚はずれ幻覚はずれ幻覚はずれ幻覚はずれ幻覚はずれ幻覚はずれ幻覚はずれ幻覚はずれ幻覚はずれ幻覚はずれ幻覚はずれ幻覚はずれ幻覚はずれ幻覚はずれ幻覚はずれ幻覚はずれ幻覚はずれ幻覚はずれ幻覚はずれ幻覚はずれ幻覚はずれ幻覚はずれ幻覚はずれ幻覚はずれ幻覚はずれ幻覚はずれ幻覚はずれ幻覚はずれ幻覚はずれ幻覚はずれ幻覚はずれ――
 はずれ。

「……な、に?」

 最後の一体が空疎に蒸発していくのを見送り、日雨は呆然とした声を上げた。
 その、遥か下方から。

『詞木島日雨。君は上を選ぶと思っていたよ――裸の王様だね、君は』

 嘲弄するように、シュニヤタの声が届いてくる。

『これで、僕らの勝ちだ』
「何を――」

 奇妙な程に確信的な口調に、背筋へ掻痒感を覚えつつも、日雨は機体を回頭。ナラカの奥底へと降下を開始した。下方への逃走は下策でしかない。そちらは行き止まり。まさしく袋の鼠ではないか。
 セイタンはレーヴァテインの柄を振り上げ、目下へと突き込む。膨大な火炎の奔流がウェパルへと殺到する。
 ――霊湖シャンバラを背に浮遊するウェパルへと。
 ウェパルは両腕を手刀の形にして重ね、眼前へと突き出した。炎の渦の目に、楔を打ち込むように。
 炎がその指先に到達した瞬間。

洪水ジャラプラーナよ! アグニを調伏せよ!』

 シャンバラから注ぎ込まれた大海のような水気が、ウェパルから溢れた。
 指先から生じた水の嵐がレーヴァテインの炎に絡み付き、エネルギーを奪って霧へと変換していく。
 神器の炎は、完全に水嵐に食い尽くされた。

「何っ!?」
『君の妹ほどではないけれど……僕も自然から力を借りる事ができる』

 つまり、これはシュニヤタ自身の魔術だった――術式同期エミュレーション・ソーサリィ。機傀悪魔は搭乗者の魔術を模倣して操る事ができる。

天竺風水ヴァーストゥ・シャーストラ――このシャンバラは水のプラーナちた聖域。ウェパルの性能は向上し、セイタンの神器は弱体化する』

 地勢を味方に付けたウェパルから、セイタンに匹敵する程の魔力が溢れ出す。

『のこのこと我が物顔で僕らの世界に足を踏み入れたのが君の敗因だ! 後悔させてやるぞセイタン!』

 レーヴァテインと水嵐の衝突で生じた霧は、セイタンの浮遊する場所まで届いている。
 その霧を媒介に、ウェパルの魔力が張り巡らされていく。

『幻法――《ラマチャンドランの幻影劇場》』

 シュニヤタの声と共に、
 セイタンの頭上に、人身象頭の巨人が出現した。

『……うそぉっ!?』

 軽くセイタンの数百倍。アガルタのシャフトを埋め尽くす程の巨人の威容に、くららが素っ頓狂な悲鳴を上げた。

「惑わされるなくらら! あれも所詮幻覚に過ぎん!」

 彼女を叱咤しながらも、日雨もまた巨人のリアリティに怖気を覚えていた。

我念ガネェェエエエエエエエエシャァッッ!!』

 巨人が雄叫びを上げて、四本の腕の内一本で張り手を見舞ってくる。人に追われる蝿の気分を味わわされる光景だ。
 速く、巨きい――逃げられない。

(しかし……!)

 あれは幻覚だ。直撃しようともダメージを受ける事は――
 日雨の期待を、セイタンの機体ごと打ち砕くような衝撃が襲い掛かってきた。

「ぐあぁぁああああああああああああっ!?」
『きゃああああああああああああああっ!!』

 巨人の掌打を喰らい、内壁に叩き付けられて二人は悲鳴を上げる。

(な……なんだと!?)

 脳へ逆流してくるエラー情報の膨大さに、日雨の眼球の毛細血管が切れて血の涙が流れる――くららは本物のダメージを受けている!

『現実を侵す幻影、という事だよ』

 勝利を確信したシュニヤタの、余裕めかした言葉が上ってくる。
 彼の目から見れば、セイタンは自らシャフトの内壁へ飛んでぶち当たっていた。機体のダメージも傍目には存在しない。
 しかし、日雨たちにはセイタンが満身創痍に見えている。全身の装甲に罅が入り、右腕は動作しない。観測精霊への受信機能が損傷し、コックピットのモニターの映像にノイズが走っている。

『心を壊してやる。抜け殻の身体を置いて、魂だけ奈落へ落ちるがいい』

 嗜虐的な笑みを浮かべて、シュニヤタは死の宣告を述べた――

「立てるかくらら! 次の攻撃が来る!」
『う、ん……』

 声を出す程度にも重みを覚えたようにしながら、セイタンは機体を壁から引き剥がした。飛び去ったそのすぐ後を、象の巨人の掌が叩き伏せる。
 虫かごに収まった羽虫を追い立てるように、巨人の腕が追ってくる。

「くそ……!」

 追い詰められた虫の心境で、日雨は苦吟にあえいだ。

『あらあらァ、愉しそうねェ』

 弄ぶようなミラーヴの声音。

『ならァ、こういう趣向はどうかしらァ?』

 象の巨人が、霧が晴れるように消滅する。

「……何?」

 なんのつもりだ、と怪訝に思う、と。
 セイタンの周囲に滞空する媒介剣が、一斉に駆動した――こちらは何の指示も出していないのに。

『え……!?』

 剣は主に反逆するように切っ先をセイタンへと向けて、斬り掛かってきた。
 動かぬ右腕を切り落とされ、左足を串刺しにされた。

『きゃああああああああっ!』

 くららが苦悶に叫ぶ。
 機体をなます斬りに刻んだ後、ようやく媒介剣は動きを停止した。
 セイタンの左手に、一振りが戻ってくる。

『……ぁ?』

 憔悴したくららが、疑念の声を上げた。自分の手がひとりでに動いて、剣を持ち上げる。切っ先を己の腹部に向けていた。

「……! 動け、動けぇっ!」

 日雨は焦燥に絶叫し、その動きを止めようとした。しかし全身の神経と繋がっている操作糸は、逆に日雨の身体を縛って剣を手放させない。

『い、いや……』

 くららの弱々しげな悲鳴を耳にして、ウェパルから愉悦を帯びた哄笑が浴びせられる。

『ああ、いいわァ……アナタの悲痛は、今まで味わったものより遥かに美味よ』

 その指が、人形繰りのように蠢いた。
 セイタンの腹に、自らの手によって剣が突き刺さる。
 声にならない悲鳴と、致命的な激痛が日雨に流れ込んでくる。
 機体の制御が失われ、セイタンはナラカの奥底へと自由落下していった。
 落ちる先でウェパルがチャクラムを両手に持ち待ち構えている。とどめを刺す気だ。

(ま、ずい……やられる)

 レッドアウトした視界の中でそれを見下ろし、日雨の胸が危機感に炙られる。しかし。

(どうすればいい……)

 地の利を完全に取られたこの状況で、セイタンの力が発揮できないこのナラカで。勝利する術が見つけられなかった。

(どうすれば……!)

 絶望が心を侵食し始める、その最中。

『……なきゃ』

 ノイズ混じりのくららの呟きが聞こえた。

『このままじゃ……負けちゃう……今のままじゃ駄目……強くならなきゃ……強く……』
「……くらら?」

 朦朧とした声に、不安をかき立てられながらも問いかける。しかし彼女に、こちらの声は届いていない。

『力を――取り戻さなきゃ』

 セイタンの蒼い瞳に、強い光が灯った。
 落下する機体の周囲に魔法陣が展開されていく。力の経路が開き、剣の一振りに霊子が充填されていった。

『三番剣《ヨハネの拒絶》へ形相原典をロード……』

 媒介剣は変化を始めていく。異形の魔剣へと。

『ARMS-03《淼渺たる妖精の水車チャクラ・アプサラサム》――顕現リアライズ

 セイタンの両手に出現したのは、二つの水晶で構成された車輪であった。発せられる妖気が、時の停滞するような粘った重みを帯びている。

「新しい神器、か……?」

 日雨は呟いて、左右の手にそれを握り込み――不意に気付く。

「右腕が……」

 媒介剣に斬り落とされたはずの右腕が、元に戻っている。腹の傷もまるで存在しなかったように消えていた。

「どういう事だ……?」

 怪訝にうなりつつ、ふと妹の言葉を日雨は思い出した。
 ――人間は霊的干渉には元から抵抗力を持っておるから……

(自分の身体を侵食する幻術を、排除したのか……?)
「くらら!」
『――わっ!? お、おおおおはようございますっ!』

 今この瞬間に覚醒したような調子で、くららが声を上げた。

「教えてくれ!」
『あ、うん! 朝はトースト派だよ!』
「違う! この武器の使い方を教えろと言っているのだ!」

 頓珍漢な事を言い出すくららを叱責する。すぐ真下に武器を構えたウェパルの姿があるのだ。

『えっ? なにこれ!? ええと……《淼渺たる妖精の水車》?』

 自分の両手に掴んでいる車輪を戸惑うように見下ろしつつも、ライブラリにアクセスして使用法を引き出す。不可思議な事に、これまでロックのかかっていた領域にあるその情報が閲覧可能となっていた。
 日雨はナノマシン経由の高速通信で受け取った、神器の解放コードを叫ぶ。

「〝そらへながれるサムドラ・マンタン〟!」

 楔を外されたように車輪が回転を始めた。
 そこから、水があふれ出してくる。水は車輪の回転に合わせて流れ、円形の水流を形作る。薄く、鋭利な刃の如く――
 落下するセイタンとウェパルが交錯した。

『……ぐゥッ!』

 苦悶の声を上げたのは、ミラーヴだった。
 切断されたウェパルの両腕が、シャンバラへと落下していく。

『やってくれたわねェ……!』

 尾を壁に突き立て、身体を保持しながらミラーヴが呪いを吐く。両腕の再生を始めている――シャンバラの霊力を借りている為か、数秒で復元した。
 だが、

「こちらも地の利を得た! 条件は五分だぞ、ウェパル!」

 日雨が大喝した。水刃を両手に、ウェパルを追撃する。

『ちぃッ!』

 舌打ちして、敵機は再生した腕を壁に突き立てシャフトを駆け上っていく。

『水精、雷精発現、ミラージュ・スペル!』

 術式を展開し、千の幻影を作り出して追走を幻惑した。

「またか……!」

 内壁を縦横無尽に駆けるウェパルの群れを見やり、日雨は悔しげに歯噛みする。

『大丈夫!』

 くららがそれを叱咤するように言い放つ。

『条件は同じ……なら前言通り、力で押し切る!』

 そう告げると共に、神器から溢れる水流を操作した。数百にも又分かれして上空へと上り、シャフトを覆い尽くす程に巨大な水の網を形成する。
 そしてセイタンは、水流に魔力を流して術式を発動させた。

『水精、雷精発現! ミラージュ・スペル!』

 薄く引き延ばされた水面に、無数のセイタンの機体が投影される。
 その数は――万に届く。

『なん……ですって!?』

 ミラーヴの唖然とした声が響く。

『幻術の規模は機体の演算処理に依存してる。だから、』

 セイタンの機体周囲に、体表を黄金色に輝く0と1――デジタル記号で構成された球体が無数に出現していく。量子計算を行う高性能演算霊だ。
 その補助を受けて、セイタンの万軍はウェパルの千軍より遥かに複雑に運動を始めた。

『ここの力で勝負よ、ミラーヴ!』

 機体のこめかみを指さして、くららは宣戦布告した。

「いまいちお主にそういうのが得意なイメージがないのだが……」
『日雨くん! 空気を読んで!』

 水を差すような事を言う日雨に抗議しつつも、くららは幻影の操作を開始した。

『このワタシを、幻術で地につけようだなんて……!』

 ウェパルもまた、自身に搭載された光量子コンピュータをオーバークロックさせそれに対抗する。

『なめるんじゃないわよォッ! セイタン!』

 幻覚と幻覚が入り乱れ、混戦の様相を呈す。
 セイタンに斬られたウェパルは幻。ウェパルの尾に締め上げられたセイタンは幻。三体のセイタンに取り囲まれ切り刻まれたウェパルは幻。ウェパルのチャクラムに首を落とされたセイタンは幻。幻、幻、幻、幻幻幻幻幻幻幻幻幻幻幻幻幻幻幻幻幻幻幻幻幻幻幻幻幻幻幻幻幻幻幻幻幻幻幻幻幻幻幻幻幻幻幻幻幻幻幻幻幻幻幻――

 相互にネットワークで接続され、処理能力が相乗された演算霊が秒間百京エクサ単位の0と1を計算し、無数の幻像を駆動させる。
 とうとうセイタンのコックピットにも0と1の文字列が侵食し始めた。
 知恵熱に機体の頭部装甲が赤熱していくが、くららは神器による水流で頭を冷却して強引に頭脳を稼働させる。頭の良さそうな頭の使い方ではない。

『0010101010111100101011110010101110100111101010010111010100101010101111100100010101ぜろろろいちちいちィイイイイイ――ッ!!』

 ――やがて。

『……ぐうぅううッ!!』

 ウェパルの群れの幻影が、歪み始めた。性能の安全圏を越えて幻影を操作した負債がのしかかり、フリーズしかけている。
 その隙を、くららは見逃さなかった。

『日雨くん! 見つけた!』

 日雨の視界の中で、一体のウェパルに丸い枠が被さりフォーカスされる。周囲の幻影がかすむ中で、その一体だけが形を保っている。

「あれが実体か!」
肯定!』

 勢い余って返答もデジタルになるくらら。
 セイタンは機体背面に飛翔術式を三基起動させ、その一体へ向けて全速力で飛びかかった。――火焔を噴き出して空へと舞い踊るその姿は、いつも前に向かって突き進んでいた少女を思い起こさせる。
 ウェパルは機体をぐらつかせながら、どうにかチャクラムを手に応戦の構えを取った。

『セイタァァアアアアアアアアアアンッッ!!』

 ミラーヴとシュニヤタが絶叫し、刃を突き出してくる。
 セイタンは、突撃のベクトルを精妙に逸らしてその攻撃を紙一重ですかし、敵機の内懐に入る。
 一瞬未満の停滞――セイタンが手にした水の刃は、車輪から身幅の広い刃の突出するジャマダハルの形態を取っていた。
 機体のアクチュエーター、神経骨格ニューロフレームを総動員して再現する――彼女の技を。
 彼女が母親から受け継いだ、一族の剣技を。
 高速回転するセイタンが振るう、刹那に圧縮された千の剣閃がウェパルの全身をなぞった。
 断末魔の暇すらなく、白銀の妖蛇は、ばらばらに分解されてシャンバラへと落ちていった――




「……胸のない癖に重てぇんだよ馬鹿姉貴。その剣捨てろよ」

 どうにか止血して体裁だけ整えた両足には堪える重みに、プルは肩に貸している姉へと不平を述べた。

「何を馬鹿な事を言っている、頭の栄養が乳にいった愚妹め。これは母の形見だぞ……私の娘に受け継がせるまで手放す訳がないだろう」
「そりゃあ一体いつになるんだよ。あんたが男作ったって話すら一度も聞いた事ねぇぞ」
「なっ、き、貴様ぁ……!」
「――母さんの望んでるのは、そんな事じゃねぇだろ。ここまで辿り着いたからには、娘がそんなモノ持たねぇで済むようにしなきゃなんねぇ」

 そう言ってプルは、遠巻きに霊湖シャンバラを目線で示す。
 あの後彼女たちは負傷者を担いで、最も安全と思われる最下層を目指した。不可思議な事に、魔獣とは出くわさなかった――何か恐ろしいモノの気配を間近に感じて、奥に引きこもっているかのようだった。

「しかし、プル……」

 リグの声が、悲嘆に翳る。ここはあのミラーヴが捏造した、虚構の理想郷なのだ。
 だが、彼女に向けられる妹の言葉は力強かった。

「シャンバラの言い伝えが嘘だったとしてもだ。ずっとあたしらはここを目指してたんだ。それをただの嘘にしちゃなんねぇ。ちゃんとした区切りに。前に進む出発点にしねぇといけねぇんだ」
「……そうだな」

 気恥ずかしそうに、リグは応える。彼女が頑なに認めようとしなかった妹の成長を、改めて実感していた。

「……あいつらの勝利を、信じてるのか?」

 プルが未来を見据えているのは、今の苦境が必ず脱せられると思っているからなのだろう。リグにはそこまでの確信は持てない。二千年穴蔵で彼女たちを操ってきた怪物と、つい数週間前ふらりと現れたあの怪物と同じ存在。そんな人知を越えたものの戦いの行く末など、彼女には予想する事ができなかった。

「……まぁな」

 プルの返事には、どこか悔しそうな響きがあった。

「なんつーかよ……あの時のあいつとヒサメは、しっくり来てたんだよ。あの女とシュニヤタよりも、ずっとな」

 そう認める事に苦いものを覚えたような口調で、彼女は言う。

「胸のでかさ以外で負けてる所なんてねぇと思ってたんだけどよ――諦めるしかねぇよなぁ……」

 そうか、とリグは妹の成長の理由の一つに思い至った。
 彼女自身にも覚えがある。

「私にとっては、叔父がそうだったよ」
「……姉貴」
「いいじゃないか。父と母も、私たちが彼を責める事を望みはしない。そうだろう?」
「……だな」

 こうして姉妹らしく語らう事も、長らく無かった。
 もう少しこうしていたい――二人ともそう思っていたが、それは叶わなかった。
 シャンバラの上空にある大穴から激震の音響が轟き、直後、無数の鋼の欠片が落下して霊湖の中へと消えていく。
 更にしばらく間を置いて、
 雨が、降り始めた。
 それが雨ではなく、セイタンの神器が再び封印されてその影響下にあった水流が落ちてきただけである事を彼女たちは知らない。
 ただ、天井の光を通り抜けて落ちる雨滴を見上げて、リグが呟いた。

スーリヤヴァルシャか……」
「ああ……そうだな」

 プルが熱を込めて呟いた。
 光の中から降りてくる、黒鉄の機兵を眩しそうに見つめて。

「あたしたちが、願っていたものだよ」



[40176] エピローグ:淡い湖のほとりで
Name: 八目又臣◆aa87a973 ID:17b043ce
Date: 2014/08/30 20:00
「……では、この巻物に研究の子細は記したからの」
「痛み入る」

 夜見の差し出した巻子を丁重に受け取って、リグは礼を述べた。
 アガルタ最下層のプラットフォームの一つである。旅立つ日雨たちと、見送りに来たリグとプルの姿がそこにあった。
 姉妹はそれぞれ、平服に着替えていた。しばし戦う必要が無くなった為である。
 ――サヴィトリやリグの連れて来た兵団を養う見込みが出来たのだ。
 このアガルタは、要は生命工学の研究施設だ。人造生物の創造が主幹研究ではあろうが――分枝として農作物の品種改良なども行っているという考えは、おそらく的外れではないだろう。

 そうあたりを付けた夜見が、施設の内部の探索を指示したところ――冷凍保存された種子が発見された。
 当面糊口をしのぐ術としても、保存食を収めた食料庫を見つけ出した。元より地下十六キロである巨大建造物の最深部なのだ。長期間地上に上がらずとも自活できる備えがあるという予想は、そう分の悪い賭けではなかった。
 彼らはこの場所を拠点に、耕作しつつ生活する事を決めた。
 ただ漫然と生きる為ではない。目的があった。

「本来なら、そなたらの体質改善まで面倒を見るのが乗りかかった船という奴であろうがの。こちらも急ぐ旅じゃ」
「構わないさ。十分すぎる置き土産だ」

 リグの受け答えには、心底の感謝が込められていた。
 夜見が健康診断やら調査員の選定やらとサヴィトリをだまくらかして行った研究の結果、本来霊湖シャンバラからしか吸収できない霊子を、アンヴィスが自給自足する方法論の目処が立ったのだ。
 実用化にはまだ程遠いが、完成すれば彼らは地上に出る事ができる。

「君達は種族の救世主だ。落ち着いたら、銅像でも建てさせて貰おう」
『いや、カンベンして下さい』

 日雨、くらら、夜見の三人はシンクロして首を横に振った。これ見よがしにドヤ顔をした自分たちの像が末代まで残るなんて、恥ずかしすぎる。

「そうですか? 私は欲しいですよ自分の銅像。それに、今後のアンヴィスの皆様方の道標として、ホラ吹くアリエッティ・ランカスター教なるオリジナルの宗教を考案し聖典を作成した次第で、」
「やめんか」
「伝説って、こうやって捏造されていくんだね……」

 小袖の懐から外側だけ無駄にそれっぽい革張りの本を取り出しかけるだきにを、夜見が制止し、くららがジト目で嘆息する。

「そうか……?」

 リグはどこか残念そうだった。恥ずかしいバニーのコスプレが常態化していた彼女は、羞恥心のスイッチがどこかズレているのかも知れないと日雨ら四人は思ったが、不憫すぎる二十五女に配慮して口をつぐんだ。どうか幸せになって欲しいものである。
 夜見が一歩進み出る。

「それよりも、早く研究を完成させよ」

 微かに、緊迫感を滲ませる声音だった。

「?」
「――ここは、地下十六キロにある場所じゃ」

 唐突に述べられた、周知の事実にリグが首を傾げる。
 それに構わず、独り言のように夜見は言う。

「そこまで深い場所で、地熱と地磁気による発電がなぜ成功しなかったのか……わらわは疑問に思うておる」
「どういう事だ?」
「いや……まだ確証は無い。じゃが……あるいはこの星は……」

 ぶつぶつと呟いた後、リグの置いてけぼりにされた疑問顔に目をやり、咳払いした。
 声をひそめて、問いかける。

「もう一つ疑問がある。――なぜそなたらは、〝夜であれば地上に出られるのじゃ〟?」

 アンヴィスの衰弱の理由が、地底にあるエネルギー源・シャンバラから離れすぎる事であるとすれば、日中であろうと夜中であろうと同じく衰弱するはずだ。なぜ夜だけが例外となるのか?
 リグが回答する。

「言い伝えによれば……チャンドラの光が、シャンバラの発するプラーナと同じ成分であるとの事だが」
「……分かった」

 顎に指を当てて応じ、しばし沈思黙考する夜見。そしてリグに、もう一度念を押した。

「やはり早く地上に上れ。――おそらく、ここはそう長くは安全ではない」
「……なに?」

 聞き返そうとするリグを、うんざりしたような声が遮った。

「出立前だってのに、固ぇツラして談合かよお前ら。萎えるったらねーな」

 プルが肩をすくめて、夜見とリグの会話に水を差した。

「いや、すまんすまん」

 日雨が兄貴面して妹の不作法を詫びる。

「ヒサメ、おめぇも……なんか言う事あるんじゃねぇの?」

 と、プルはスカートの裾をつまんで軽く引き上げてみせた。これまでの洒落っ気の欠片もない軽装ではなく、白いブラウスの上に薄紅色のベストを羽織り、複雑な文様の入ったスカートを穿いたエスニックな装束であった。髪はいつもくくっている髪飾りの位置を、少し下ろしている――それは、かつて姉からもらった母の形見なのだそうだ。
 花の匂うように感じられる可憐さに、日雨は眩しげに眼を細めつつ言った。

「……カクラナンナ殿がな、娘装束を着たそなたは本当に可愛らしいと言うておったよ。それは嘘ではなかった」

 げふっげふっ――プルと、なぜかくららまでが咳き込んだ。この少年の物言いは、ある意味意外性のあるストレートさであった。

「そっ、そそ、そうかよ……」
「――周りの男は放っておかんだろうな。カクラナンナ殿も、婿取りしたそなたを見たかっただろう」
「……ちぇっ」

 続いての言葉に、悔しそうにプルは舌打ちした。しかし直後、晴れ晴れとした顔で言う。

「ああ。すぐ、叔父さんの墓に子供を連れて参ってやるさ」
「うむ。……思えばシュニヤタも、本当はそなたらの従弟であったのだな」

 声を翳らせる日雨の胸を、こら、とプルは叩いた。

「あいつを殺したのが、正しい解決法だったとは思わねぇよ。忘れろとも言わねぇ……でも、それで足を止めんじゃねぇ」
「プル……」
「これからも、お前は手を血で汚していくんだろうよ。けどよ……お前がそうした事で、あたしらは救われたんだ。正しくは無かったとしても……お前があたしと姉貴の前に立ってくれた事が、心から嬉しい」

 そう言ってプルは、軽く頭を日雨の胸にこすりつけた。
 甘い香りを微かに上らせつつ、彼女は言う。

「悩んでも良い。けど、そのまま進んでくれ。そうして、あたしらみたいな奴が増えていって……お前の国になるんだ」

 名残惜しげに頭を離して、プルは身を引いた。ほのかな残り香が匂う。
 なぜだろう、と日雨は物思う。――今この時のプルは、かつてのような男とも女とも付かない子供ではなく、驚く程に魅力的な少女であった。

「いつかあたしらが地上に上がってきた時、あたしたちの居場所はそこしかねぇんだ。――だからがんばれよ、王様。シノノメと一緒に」

 唐突に声を掛けられて、くららが動揺した。プルに名前を呼ばれるのは、これが初めてだったのだ。名前を覚えて貰えているとも思わなかった。
 しばらくうろたえていたが――プルの、寂しげな視線の意味に気付いて、それに応えた。

「うん。任せてプルちゃん。きっと地上にも、あなたたちの居場所を作ってみせるよ」
「……ああ」

 ――AI制御の列車がやって来る。
 日雨たち四人が乗り込むと同時に、車両は上層へと上っていった。
 離れていく姉妹が、こちらへ手を振っている。
 一方の手を、互いに繋ぎ合わせて。



    //////



 意識をさらう光の洪水に、彼女は必死で抗う。
 砂粒のように散り散りに乱れた自我に、ゆっくりと、一本ずつ糸を結んで引き寄せていく。それは彼女のような存在にとっても、途方もなく困難な作業であった。
 しかし、強固な意志が彼女を支えた。

(ナニカを……ワタシハぁ……恨ン、で……殺サナイト……アイツラヲ……コノ屈辱ヲ、晴ラス……)

 やがて――彼女は自分の名を思い出した。
 ミラーヴ。

「……っ、は。ああっ!」

 湖のほとりに裸の上半身でしがみつき、ミラーヴは呼吸の苦しさに喘いだ。受肉した肺の動かし方を忘れている。
 必死で霊湖から這いずって、岸に身体を横たえる。
 生還して即座に――憎悪が灯った。

「ぐ……ちくしょう……あいつらよくもよくも……このワタシを虚仮にして……! 殺してやる、殺してやるわァ!」

 記憶と思考も、強烈な殺意に形を整えられていく。
 既に第四帝国本国への報告は済ませている。主、ギニョール姉様に声を掛ければ、彼女自身がセイタンを抹殺してくれる。

「ああ――それは無理だよ」

 ミラーヴの頭上から、声が掛かった。
 己が無防備な裸身を晒していると気付き、恐慌と共に見上げ――戸惑いを瞳に映す。

「坊、や……?」

 シュニヤタが彼女の目の前に立ち、無感動にこちらを見下ろしている。

「ぼ、坊や……生きて、」
「きみは本国への報告なんてしていない。……三ヶ月前から、僕の幻術に囚われていた」

 手駒の生存に、ミラーヴが安堵を顔に浮かべた直後、表情はその形のまま凍り付いた。
 シュニヤタの姿が、霧が晴れるように溶けていく。
 光精の逆光に遮られ、かすかに覗く顔を見上げてミラーヴは茫然と声を上げる。

「アナ、タ……だれ?」
「彼はもう死んでいたんだよ。この時までの彼は、僕自身が演じた幻だ」

 彼の言う事は一つも理解できなかった。幻術に長けた自分をここまで完璧に騙しおおせる魔術師が存在するなど。そもそもこの人間はどうやって、未契約のままでウェパルを操ったのだ。
 何者だ――少年――なんて白く――目映い――まるで――

「哀しい存在だ、きみは」

 慈愛すら感じられる口調で、彼はミラーヴの思考を断ち切った。

瞋恚いかりは人を迷妄させる三毒という煩悩の一つだそうだ。機械仕掛けのきみは、そんなものを抱かなくていいはずだったのに……きみは、生の苦しみを知ってしまった」

 彼女の頬に、温かな手が触れられる――おぞましい程の安らぎが、彼女を浸した。

愛別離苦あいべつりく怨憎会苦おんぞうえく求不得苦ぐふとくく……きみの生には、苦しみが満ちている。解放されるがいい、可哀想な人形」
「まっ……」

 制止の声を、彼女は上げられなかった。
 ミラーヴの身体は、抵抗する間もなく金色の粒子に分解されて風に散り、消えていった。




「終わりましたか」

 一人残された彼に、透き通るような少女の声が掛かる。
 彼は冷たく言った。

「格下の存在に顔を見せたくない、という事なのか? 傲慢な考えだ」
「わたしは、そのように造られた存在です」

 姿は見えず、少女の声だけが響いてくる。

「セイタンとも会わないのは、その為か?」
「この程度の弱者に手間取っているようであれば、まさしく」

 冷徹、あるいはそれ以上の無機的な色彩を帯びた返答であった。

「あなたにとっても、そうなのではありませんか?」
「彼らは僕にとって、救済すべき存在だよ……」
「ミラーヴを操り、ギニョールに対して彼らの来訪を隠蔽した事がですか?」
「それはただの戦略的都合だね。現在の彼らでは第四帝国の〝ベルフェゴール〟はおろか、上級の眷属にすら敗北するだろうから……まだ彼らには、情勢をかき乱して貰わないと」
「ええ……時を造る。それがセイタンの機能役割ですから」

 少女の無機質な声を受け、彼は一歩足を進めた。
 その先には、人の自我など一瞬で溶かしてその奔流の一部に取り込んでしまう、霊子の海がある。

「それでは、行きましょうか――ヨシュア」
「ああ。アガルタ最深部、デミ・アストラル領域〝シャンバラ〟へ――コッペリア。きみの身体を取り戻す為に」

 そう宣言すると、彼は躊躇いもせず霊湖へとその身を投げた――



[40176] 第三章「〝D〟は天翔ける銀翼小姫」 プロローグ
Name: 八目又臣◆aa87a973 ID:17b043ce
Date: 2014/07/20 00:13
 吐いた呼気が白く立ち上り、降る雪に触れて溶ける。
 ほぅ、と。詩乃目くららはそれを眺めて、次は深くため息をついた。

「儚いね……」

 惜しむように、言葉を口から上らせる。氷点下の世界では空気に雑味が無いせいか、ひどく静かだった。彼女の声は染みいるように響く。
 世界に存在するおとは自分のこだまだけ。胸に痛い孤独を避けるように、彼女は言葉を紡いでいく――

「人の夢のように淡い雪……暖かかったの? 冷たかったの? もうわたし、覚えてないよ」

 ――だから目が覚めたら、きみの事を探してしまう。

「逢いたくて、逢いたくて、胸が苦しくて」

 ――でも逢えないの。

「わたしの声は、届かない。このまっさらな純白の雪バージンスノーに降り積もって、埋もれてしまうの」

 くららはその場に跪いて、ウールの手袋をはめた手で積もる雪を一すくいする。

「でも、ひょっとしたらあなたは聞いてくれているのかな? 春の息吹を伝えてくれる、雪待草スノードロップ……」

 ――季節は巡って、春になって、いつかあなたはここに訪れて、それを見つけてくれるの?

「わたしはそれを、ずっと願っているの……」

 ――そっと瞳を閉じて……
 ――閉じ、て……





「――寒いよ!」

 大雪原のど真ん中で、ぶるぶる震える唇と冷気でひりつく喉をどうにか動かして、くららは叫び声を上げた。
 その服装は母校・私立文聯館高等学校の制服である白いセーラー――の下にジャージを重ね着して、マフラーを三つ編みにした髪ごとがっちがちに巻き付け、ウインドブレーカーも上に羽織っている。スカートの下から臙脂色のジャージが伸びた、なりふり構わぬ真冬の女子高生スタイルだ。それでも寒くてたまらなかった。冷えた眼鏡のフレームが耳に当たって物凄く痛い。

 現在彼女の立つ場所は、都市部の高校生が対象の防寒ではあまりに不十分だった。
 問答無用の寒冷地帯である。周囲の樹木は樹氷と化し、積雪量は軽く三メートルを超えてなお倦まず弛まず、南方のやや離れた場所の山脈から吹き下ろす寒風に乗って、大粒の雪が降り積もる。
 持ち込んだ魔法瓶の中のお茶が、カップに注ぐ前に凍り付くのを見た時は、むしろ笑えた。
 くららが自分の身体をきつく抱きしめて、摩擦熱で少しでも暖を得ようとさすっていると、

「おぅ……寒いのう。まったくもって、寒かったのう」

 彼女から数メートル離れて、体温の低下とは別の理由で青ざめた顔をした黒髪の幼女が言った。黒地に椿をあしらった和服姿に、灰色の毛皮のイヤーマフに帽子、手袋と、急ごしらえの防寒着のせいで随分ミスマッチな格好をしている。

「お嬢様、もしやくらら様は、我らを精神攻撃により凍死させた上で財産を横取りする野心を抱いているのでは。……我々は、彼女の狂気を見誤っていたのやも知れません」

 幼女の隣の長身・金髪金眼の美女が同調した。彼女はこれまでと変わらず、白地の小袖だけの姿だというのに震え一つ見せていない。
 くららは一旦寒気を忘れる程の恥ずかしさで顔を熱くして、白黒の主従に抗弁した。

「う゛……やめてよ夜見ちゃん、だきにさん……自分でもやってしまった感は切々と感じてるから……今のなし。気の迷いだから。忘れて? ね?」
「しかしくらら様、既に私は帳面に今の恥ずかしいポエムを記録しております」
「きゃああああ! なんて事をするんですかだきにさん!」
「こんな時の為に、通信教育で習い覚えた速記術が役に立ちました」
「なんでそんな嫌な方向性の努力にばかり血道を上げるんですか……っていうか嘘でしょう? 通信教育とか無いでしょ! この世界!」
「銀河の黒歴史が、また一ページ……」
「前回の黒歴史があったような発言をしないで下さい! ありません! ありませんから! ――ホントにありませんからね!」

 くららは必死に自分の過去を否定した。

「おや、そうなのですか? ――お嬢様は現在進行形で、壮大な宇宙叙事詩の如き分量の黒歴史を更新し続けているのですが」
「こっちに飛び火したじゃとぉっ!?」

 それまで傍観者気取りだった黒髪幼女、詞木島夜見が愕然とした顔で悲鳴を上げる。
 金髪の従者、だきには懐を軽く開き、分厚い和綴じのノートを覗かせた。タイトルは「我が主・詞木島夜見の破廉恥なる軌跡」とある。

「こ、こらあっ! 寄越せ! 焼却する!」
「そういうわけには参りません。十年後、お二方となるたけ多い衆人環視の中で声高らかに朗読するまで、これは固く守らせて頂く所存にございます」

 追いすがる二人をひらりひらりと躱しながら、鉄面皮で迷惑な誓いを立てるだきに。
 ぎゃあぎゃあと喚きながら走り回る事数分……

「つ、疲れた……」

 雪原に手を突き、くららが息を切らしている。

「寒冷地で無駄に体力を使うなど、理性のある人間のする事ではありませんね」
「黙れぇえ~……」

 早々に雪に足を取られてすっころび、しかしなぜかくららより気息奄々としつつ、夜見は僅かも呼吸に乱れのない従者に殺気に満ちた声を投げかけた。
 だきにの発言は悪質なマッチポンプながら、実際走り回ってかいた汗が冷え込み、悪寒を催してきた。低体温症の危険をくららは自覚する。

「……だきにさんって、狐の妖怪なんですよね?」
「まぁ、厳密には式神ですが、似たようなものです」

 だきにの返答に、くららは声のトーンを落としてぼそりと呟いた。

「毛皮……もふもふ……暖か……」
「おや。悪逆非道の密猟者的眼光をなさっておりますよ、くらら様」

 寒風に人間の良心も凍り付きつつあった。
 ――そもそも、確かにだきには巨大な化け狐に変化する事ができるが、現在はその能力を行使できない。最後に変化した時に戦った機傀悪魔〝マモン〟に受けたダメージが回復しきっていないのだ。

「うぅ……なんでこんな極限状況に……」

 季節は――〝初夏〟。四月に夏服の入り用な酷暑の土地から出て、極寒の地に踏み入った今の暦は六月初旬。日本出身のくららは、常識外の環境の変化に思いっきり打ちのめされていた。

「〝この国〟の気候は常冬と聞いておる……実際に寒さに震えるまで、話半分に聞いてもおったが……」

 夜見はへたった身体を起き上がらせ、雪原に尻餅をつきつつくららに言った。
 博学なこの天才児でさえ、僅かな文献を通してしかこの地の風土は分かっていない。かつて秋津洲国という一国の王女であった彼女の権限をもってしても、閲覧できる資料は酷く乏しかった。
 ――人間の領域ではないからだ。

竜支ルーシ――ジラント皇国。よもや、かの竜の国を訪れる機会があるとはの」

 ドラゴン
 くららの常識からすれば、火を吐く巨大なトカゲで、洞窟を根城に財宝を蓄え冒険者を襲う――何よりフィクションの存在だ。
 しかし、この世界――くららのいた時代から遥か未来の、文明の再構成されたこの時代には、実際に息づいて、実在している。
 しかも、彼らは独自の文明を持ち、国家を作り暮らしているらしい。
 その国の名称が、ジラント皇国。
 くららたちは今、そこにいる。

「っちゅーても、ここは南の辺境の方じゃがな。永久晶原の領域外、まだ人間に耐えられる環境じゃ――〝アガルタ〟のとんねるがここで終わっておって、助かったわ」

 心底安堵したように、夜見はそうコメントした。
 アガルタ。この〝大陸〟南方に位置するバーブル帝国の一都市、チャトラの地下深くに秘匿されていた旧時代の遺跡である。周縁国に通じる巨大な地下トンネルが複数通っており、チャトラの豪商とアガルタ内部で生活する亜人・兎人族アンヴィスはそこをナラカと呼び、要人の密出国ビジネスに利用していた。
 くららたちは、この地下トンネルの一つを通じてジラント皇国に訪れている。
 本来の予定とは、大きく外れて。

「もっとも」

 次の夜見の口調は、打って変わって苛立ちが滲んでいた。

「ミラーヴ……幽霊国家の尖兵と出くわさなければ、このような苦労はせんでも良かったものを」

 彼女の立てた計画は、バーブルの隣国パキを挟んだ西方の国タージーへ入り、テュルキエ、そして目的地のヘラスへと西進するというものだった。
 幽霊国家――大陸外洋のどこかに隠遁し、影ながら大陸諸国へ干渉している、先進的な文明を持つ国家群。その一つ、連合王国ヘプタ・アーキーが大陸干渉の窓口としていると思われるのがヘラスだった。
 ヘラスを足がかりに連合王国に接触し、幽霊国家の正体を探り、彼らへの対抗策を模索するのが夜見のプランだ。

 もっとも、計画というのは思い通りに進まないものである。
 足取りを消す――出入国管理の手続きを経ずに国境を通過する為に訪れたアガルタは、魔獣――旧時代の人造生命体を製造する為の軍事研究施設であり、その管理を任ぜられた幽霊国家の工作員、機傀悪魔ウェパルの応現体インカーネーション・ミラーヴとくららたちは遭遇する羽目になったのだ。
 ウェパルを撃破し、当面の危機は回避されたものの……

「ミラーヴは、討たれる前に彼奴の本国に我らの存在を報告しておったじゃろう。真っ当なるーとには既に幽霊国家が網を張っておると考えて間違いはない」

 準備万端待ち構える彼らをたった四人でやりすごしながら大陸の西端に辿り着くなど、競竜の大穴に全額張るような無謀な博打だ。そんなもの、夜見は御免被る所である。
 だから、彼らにとって最もありえないルートを選ぶ他なかった。
 ただそれは、人類にとっても最悪の旅程でもあった。
 ジラント皇国領の国境沿いをなぞるように西へ進み、大陸の内海・裏海ハザールを大回りする形で、北方の小国カフカスからテュルキエ入りする――くららの世界観なら、ロシアからカスピ海対岸のグルジア経由で西アジアに入るルートと言い換えて良い。

 地下トンネルの移動に用いた竜車も、寒冷地の運用には耐えられないので放棄せざるを得なかった。食糧も、五千キロメートル程の旅路を賄える程の量はない。
 補給は絶対必要。ジラント皇国との接触は、不可避だった。

「気を引き締めておれよ、くららちゃん……万一の時は、〝セイタン〟の力が必要じゃ」

 表情を強張らせて、夜見は告げる。背筋に感じる冷気は、雪や寒風に身体を冷やされただけではない。

「セイタンを……?」

 セイタン――詩乃目くららの機傀悪魔への変異は、他ならぬ夜見自身が固く戒めていたはずだ。彼女は幽霊国家の保有していると予測される偵察衛星を警戒していた。
 問い糾そうとして、くららは息を飲む。
 夜見の手袋をはめた指先がかすかに震えている。

「そなたの時代には、おらなんだのよな――人類に好意的でない超越種などという存在は」

 八代目竜皇ツァーリ雷帝グローズヌイ・イヴァンが南下政策を唱え人類国家に侵攻したのが二百年程前。
 国境を接するカザク、テュルキエ、円国は瞬く間に蹂躙され、人類は竜種の脅威をその身に刻みつけられた。
 その後、イヴァンが唐突に持ちかけた不可解な講和がなければ、大陸は竜のものとなっていただろう。

 そして彼は、未だ生きながらえて皇位を保持している。竜種の寿命は人類と比べて遥かに永い。
 竜の脅威は、二百年経った今も去ってはいないのだ。
 夜見の竜種についての知識が乏しいのは、大戦後の人類が竜種を恐れ、不可侵の存在としていたというのが大きかった。

「アガルタで遭遇した魔竜を超える怪物が、単なる一国民として生活するような国じゃ。対抗する手段はセイタンしか無い。そなたと、兄様あにさまだけが頼り……」

 そこで夜見は「ん?」と首をかしげた。

「兄様はどこじゃ?」

 雪原をきょろきょろと見回して、彼女は問いかける。
 夜見の兄であり、くららのパートナー。機傀悪魔セイタンの搭乗者メディエーター・詞木島日雨の姿が見えない。

「さっきまで「うぉおおおおおぅっ! なにこれ超さっむーい! すっげーのー!」とかミジンコほどの知性も感じさせない雄叫びを上げて雪原を駆け回っておりましたが」

 辛辣な補足を入れてだきにが報告する。
 夜見は立ち上がり、尻についた雪を払った後、白く煙るため息をつく。

「まったくあの男は……あやつに緊張感なるものを少しでも覚え込ませる方法はないのか? ――緊……緊縛?」
「やめてね、それ、試そうとするの」

 ふとした思いつきに大いに魅力を感じたように顔を輝かせた、兄への愛情表現を遠大に取り違えている幼女に、くららは釘を刺す。

「でもホント、どこに行ったんだろ、日雨くん……おーい! 日雨くーん!」

 彼女もまた立ち上がり、声を張って彼へ呼びかける――直後に、何かにけつまずいて転びかけた。
 雪に埋もれた石でも引っ掛けたか、と思って見下ろすと、

「  .,,..,,,,_
 / ,' 3  `ヽーっ
 l   ⊃ ⌒_つ
 `'ー---‐'''''"  スヤァ」

「寝てる――――――――――――!?」

 鳶色の髪の少年が、氷点を遥かに下回る気温の大雪原で、半ば身体を雪に埋もれさせながら熟睡していた。

「さっきのくらら様が口にしたジパング風ポップカルチャーなポエムの如く、雪に埋もれて、瞳を閉じておりましたね」
「それはもういいですから! ちょっと、日雨くん、日雨くーん!」

 慌てて抱き起こして揺さぶると、彼、詞木島日雨は薄く目を開けた。瞳の琥珀色の輝きがかすかに覗く。

「むぅ……どうしたのだくららよ。そううるさくては、余は眠れん」
「寝るな! 起きなさい!」
「そうは言うがのぅ、さっきからパトなんとかと名乗る牧畜犬が、「疲れてなーい? なんだかとても眠くなーい?」とか声を掛けてきてのぅ」
「それ低体温症の幻覚! 本物のパトなんとかくんはそんな軽いノリじゃないし、そもそも人語を喋らない!」
「むむ……次は、なんか羽の生えた全裸の幼児がついてこいと」
「だめ――っ!」

 パニクったくららは、結構全力のビンタを日雨の頬に見舞った。
 その甲斐あってか、彼は覚醒して立ち上がる。
 頭をかき、どさどさ頭の雪を落としながら、手形のついた頬を歪めて笑う。つい一瞬前に凍死寸前であった事を忘れたかと問いたくなる、脳天気な風情であった。

「いやぁ、冗談のように寒いのぅ」

 そうあっけらかんと言う彼の装備は、腰に差した刀を除けば、赤茶けた獣の革のズボンに濃緑色のインナー、生成りの木綿のジャケットとあまりに軽装である。資産家の妹と反対に懐の寒い彼は、持ち込んだ衣類も少ない。ましてや防寒着の持ち合わせなど無かった。

「寒いならちゃんと寒そうにしてよ……ほら、マフラーだけでも貸したげる」

 くららが首を覆うマフラーを解いて渡そうとすると、「よいよい」と日雨は手で制してきた。

「くららよ、女性にょしょうが身体を冷やすものではない」
「そ、そう? じゃ、じゃあ――このマフラーって、結構長くてさ」

 なぜかくららは口ごもり、余った布を見せびらかすようにする。

「試しに、ね……一緒に巻いてみる?」

 近付いてうつむき加減になりつつも、上目遣いでそう告げた。

「む?」

 日雨は目を丸くして、そわそわとした手つきで促されるままマフラーの端に触れる――

「ぐぬぅうぉおおおおうっ、さぶい、さぶいぃいい、さぶいのじゃ~……っ」

 その後ろで、夜見が二の腕に立つ鳥肌をさすりながら唸り声を上げていた。

「お嬢様、やはりくらら様は我らに二心ありと見受けられます。――さぁ、遺産の相続権を私に全面的に移譲する旨を記した公正証書にサインを。それがお嬢様の財産を守る唯一の道です」

 その隣で、だきには二心がありありと見受けられる提案を主に持ちかけている。

「ち、茶化さないでよ!」

 水を差され、拗ねた顔で苦情を述べるくらら(さながら前頭葉がキャラメリゼされたかの如きこの少女には、夜見が本気で精神にダメージを負っているのだと理解できない)。
 ――アガルタでの滞在中、今の二人の関係が単なる友達でしかないのだと結論がついてしまったけれど。

(……もっと、近い距離に立ちたいな)

 そう思ってしまう。
 二人で同じマフラーを巻いて、並んで歩くなんて――そうなれたらきっと、ここが寒いだなんて感じられなくなってしまいそう。

「やっぱり……くららは不思議だ」
「?」

 日雨の不可思議な物言いに、くららは首を傾げる。

「いや……なんでもない。――その、なんだ、こうすれば良いのか?」

 伸びたマフラーを掴んで、日雨は自分の首に持って行こうとする。
 ――しかし彼と彼女の冒険には波乱が満ちていて。
 当然の如く、予定調和的なイベントには妨害が入る。
 ――音、であった。
 数キロメートルを隔ててなお雪原の表面をびりびりと振るわせる、破壊的な大音量がこの時響いてきた。

「えっ、ええっ!? な、なに今の!?」

 痛む耳を押さえて、くららは戸惑いの声を上げる。
 そして休む間もなく、立て続けに。決定的な変化が起きた。
 ――本来なら〝それ〟が、一般的なイメージのようにただの音で発生する事は無い。
 しかし今し方のそれは、ただの音どころではなかった。目に見えて物理的な作用を伴う、爆発じみた音圧であった。
 それは雪原の向こうの山脈、その表面に届き、寝た子を起こすような衝撃を――万年雪の山岳に加えた。

「おや」

〝その音〟に、この中で最も耳の良いだきにが最初に気付いた。
 間を置かず、全員がその音を聞き取る。
 ――ずどどどどどど。

「な」

 青ざめたくららが振り向くと、見えた。
 山の斜面から噴煙のように吹き上がり、怒濤のように滑り落ちてくる、大量の豪雪。

「雪崩だ――――――――――――――!!」

 彼女の悲鳴は、城壁のように押し寄せる雪崩の音圧にかき消された。





「嘘みたい、わ、わわわわたし、いぃ生きてるぅ、生きてるよぉ……」

 疲労困憊の態で雪原に手を突き、鼓動のうるさい心臓の音を聞きつつくららは震える声で言った。
 ――彼女らのいた場所が、山のふもとからやや離れていたのが幸いした。
 日雨がくららを、だきにが夜見をそれぞれ抱きかかえ、鬼道で強化した脚力で全力疾走して、どうにか雪崩の範囲から逃れる事に成功したのだ。

「……かなり肝を冷やしたの、今のは」

 ほんの数十メートルほど先で、雪崩に薙ぎ倒された樹氷を恐々と見やりつつ日雨は額の冷や汗をぬぐう。

「ぐぅ……しかし、なんだったのじゃあのでかい音は……」

 米俵のようにぞんざいに担がれた為に、目を回して青い顔をしつつ夜見が呟く。
 それに、だきにが反応を返した。

「声、でしたね」
「……声ぇ? あんなでかい声、人間に出せるわけが」
「しかし、言語の態を為しておりました。――我々は図らずとも発信源に近付いてしまったようです。皆様、耳をお塞ぎなさいませ。間近であの声をまともに聞けば、無事では済みません」

 と、彼女は懐から茶巾を取り出し、二つに裂いてつばで濡らし簡単な耳栓とした。夜見はイヤーマフを両手で押さえつけ、日雨とくららも耳を塞ぐ。
 間一髪のタイミングで、再び轟音が響いてきた。
 耳を塞いで音量を抑えて聞いている為か、その正体がくららたちにも判別できた。
 確かにそれは、人の声だった。




「今更言えない息子への懺悔シリィ――――――――――――――ズッ!!」

 雪原から牙のように突き出た大岩の上に、人間が立っている。
 巨漢である。
 顔の造作から判断出来る年の頃は三十半ばといった所か。赤銅色の皮膚に覆われた魁偉な容貌と、銀糸のような髪の毛をぞろりと垂らす様は、日雨たちには獅子舞の被り物を思わせた。
 並の偉丈夫ではない。銅板をたわめるように躍動する、力に満ちた筋肉が目に見えて分かる。
 ――上半身裸だからだ。

「お前が昔、一年掛かりでちまちまちまちま作ってたボトルシップ! あれ壊したの俺! いやほら、酒瓶と勘違いしちゃってさぁ!」

 手でメガホンのように口元を包んで、その変態が何かを叫ぶたびに大気が震える。
 周囲の雪原の表面が爆裂する。
 樹氷が砕け散る。

「あと、えーと、あれだ! ラブレター書き換え事件の犯人も実は俺だー! 五十そこそこの小娘には「今夜お前の部屋に行くから裸で待ってろ♡」は直球過ぎた! お前の晩婚の原因って、あの時の悲惨過ぎるフラれっぷりのせいだよな!? 父ちゃんマジ反省してるー!」

 ――一体なんなのでしょうね、あの生きた騒音公害おやじは。
 数百メートル離れた先で半裸の巨漢の様子を伺っていただきにが、他の三人に向けて爪先で雪原に言葉を書き付ける。
 ――……
 わざわざ夜見が、沈思黙考を意味する三点リーダを雪原に刻む。

「でもさぁ、悪気は無かったんだって! 元の「君は永久とこしえの氷雪で象られた女神のよう。碧い瞳は翡翠ジャヂェイート……」で始まる超絶ナルシーなラブレターをなんとかしようと頑張ったんだって! 息子の初恋を成就させてやりたいって親心じゃん!」

 ――と、そこで、巨漢の垂れ流す破壊は彼の足下にも及んだ。
 彼の立つ大岩が大音声に音を上げ、がらがらと崩落した。

「っとと」

 軽く声を上げるや否や、その巨漢は岩の崩壊に巻き込まれて見えなくなる。
 常人ならば破片に押し潰されて圧死しているはずである。
 しかし、粉塵が晴れた頃、岩の破片――といっても男の身の丈以上の大岩を押し退けて、彼は悠然と歩み出て来た。

「ちっ……やっぱ南の方は自然も脆くていけねぇや」

 不満げに舌打ちして、ばりばりと頭を掻く――と。
 男が、こちらに気付いた。

「……ありゃ?」




 それからしばし時が過ぎ、夜も更けた頃、出発地点からやや北進した先にある湖畔で日雨たちは野営していた。
 樹木の根元の雪を掘って設営したテントに、男の莞爾かんじとした笑いが響く。うるさいが、間近で聞いて鼓膜が破れるような常識外れな大きさではない。

「なっはっは。恥ずかしい所を見られちまったな~」

 細帯で締めるゆったりとした上衣――ルパシカというらしい――を着直した彼は、「リューリク」と名乗った。

「……リュー、リク?」

 その名を聞いた時、一瞬だけ夜見の眼が見開かれる。
 それを一瞥し、微かに意味ありげに微笑んだ後、リューリクは何事も無かったように会話を続ける。

「こんな辺鄙な所に人間がいるたぁ思わなくてよ、つい全力で声張っちまった。雪崩に巻き込まれかけたんだって? すまねえな坊主ども」
「いや、なんのなんの。命があれば問題無しである。しかし、ただの大声で天変地異が起こせるとは、このへんの人間はすごいんだの~」

 脳天気に笑い返して日雨が応じる――その後ろで夜見が「ん・な・わ・け・あ・る・かぁ~……この極楽蜻蛉兄ぃ~……」と苛立たしげに唸り声を上げている。

「ま、声がデカいだけじゃどうにもなんねえ事だから、ああして叫んでたわけなんだがな」

 リューリクの声量が、わずかに落ちる。

「息子が独り立ちしてしばらくしたら根付いちまった、密かな習慣でよ。――アイツは俺の事を嫌ってるし、俺もアイツの考えを全面的に認められるわけじゃねえ。厄介なしがらみもあるし、今更面と向かって腹割って語らう事ぁ出来なくてな」

 深緑色の瞳に、かすかに伺える程度の寂しさを滲ませて、彼は言った。

「だから、森の中の葦に向かって、王様の耳はロバの耳、ってな。全く、恥ずかしいったらねぇぜ」

 本気で羞恥心を覚えているらしく、彼は軽く赤面した頬をかく。

「……そういうもの、なのかの」

 日雨の物言いは、実感のない、水を掴もうとするようなニュアンスがあった。

「常に泰然自若、平然と余裕めかして上から目線でもの言うのが大人、とでも思ってたか? 坊主。実態はこんなモンだぜ」
「いや、そうではなく――父親というのは、そのように息子の事を気にかけているのかと」

 その言葉には、リューリクのように寂寥感を込めるべきなのか。彼にはよく分からなかった。
 日雨は父親の顔も、名前も知らない。
 今は亡き彼の祖国、秋津洲国は女王制を布いており、一妻多夫で血筋を残していた。
 だからこそ有力貴族の種を受け入れ、政治的な結び付きを強くするのが当然であり、これまでの女帝は必ずそうしてきた。

 しかし、百十七代目巫王かんなぎのきみ・白面王は一度だけその常識から外れ、素性も知れぬ異国の男を情夫にしてその子を産んだ。その男は彼女と短い逢瀬を重ねた後、再び外洋を渡りどこかへ旅立っていったと言う。
 そうして生を受けた詞木島日雨は、公的には存在しない私生児として腫れ物のように扱われてきた。
〝師匠〟に会うまでは、父親について考えない日は無かった。

「そうか、てて無し子か坊主」

 リューリクは男臭い笑みを浮かべ、日雨に告げた。

「子が可愛くない親なんていねえ――なんて綺麗事は言えねぇけどよ、親子……特に父親と息子ってのは互いにどうあっても無視出来ない存在だぜ。善きにつけ悪しきにつけ、息子が気にならん男なんていねえさ」
「む……気づかい痛み入る、リューリク殿」
「いや――俺も若者の意見が聞けて有意義だったぜ」

 と、リューリクは陽気にウインクする。
 二人のやり取りを、少し離れて伺っていたくららは感心していた。

(ほんと……すぐ人と仲良くなれるなぁ、日雨くんって)

 船旅の最中も、アガルタ探索でもすぐそのコミュニティの一員として溶け込んでいた。国を逐われてから今年の春まで滞在していた貿易都市モクレントレイでも、大人に混じって用心棒として自活していたようだ。――十歳で一財産築いた夜見と比べて自分を卑下しているようだが、それはそれで十分すごい事だとくららは思う。

「年上の男にモテる才能、ですね」
「わたしの心を読んだ上で意図的に卑猥な誤解をしないで下さい」

 ぼそっと背後から耳打ちするだきにに言い返し、けど確かにそうだと思い直す。決してそういう意味ではないが、日雨は大人の男に好かれるたちだ。常に堂々として物怖じせず、しかし礼儀正しくはあるからだろう。
 ――日雨くんが仲良くなれない大人の男の人って、いるのかな。

「次は嬢ちゃんらの話も聞きてぇな」

 唐突に水を向けられて、くららの物思いが中断される。

「え? ええと、どういう事……ですか?」

 こちらは年上の男となるときっぱり物怖じするたちだ。おずおずと、おっかなびっくりくららは問い糾す。
 リューリクは「いや、んなしゃちほこばる必要はねえんだけどよ」と前置きして、

「今は年頃の孫娘を抱えててよ、これがまた大層扱いづらい難物でな。若い娘の話を聞いて、参考にしたい所なんだわ」
「えっ? お孫さんいるんですか?」

 びっくりして目を見開き、くららは声を上げる。とても孫のいる年には見えない。

「はっは。これでも一族じゃ最長老なんだぜ?」

 かんらかんらと笑うリューリク。

「ま、今日は夜も更けたからよ、明日でいーや。俺はちと夜釣りと洒落込ませてもらうぜ。元々それが目的だったんでな」

 と、彼はテントの入り口から出て行こうとする。しかし、外の湖は凍っていた――この辺りでも、氷上でわかさぎ釣りをするような習慣があるのだろうか。

「……明日もついて来る気か?」

 なぜか警戒心を滲ませて、夜見が問いかける。

「んだよ、嫌なのか? 娘っ子。――人里に案内してやろう、ってんだぜ?」

 リューリクの応答は、警戒に値するような邪気があるようには見えない。

「おお、それはありがたい」

 日雨が暢気に応じると、「なぁに」と彼は人好きのする表情を浮かべた。

「迷惑かけたワビと、話相手の礼だよ。――じゃ、また明日な、坊主ども」

 と、長い銀髪をなびかせて、リューリクはその巨体を夜闇に溶かすように立ち去っていった。





「しっかしツイてたな、お前ら。丁度今は〝シヴィル・コサック〟がこの近くの〝シーチ〟に入ってる所だ。食糧も、白蜥蜴――寒冷地でもよく走る竜車も手に入るだろうぜ」

 翌朝は降雪もなく、開けた雪原を歩けば澄んだ空気を感じられた。
 雪に反射する陽光に眩まないよう気をつけて進みつつ、くららはリューリクの言葉をオウム返しに聞き返した。

「コサック?」

 彼女はその単語を、両手を組んで足を交互に突き出す民族舞踊、つまりコサック・ダンスでしか知らない。あれってなんて意味なんだっけ? と腕組して首をかしげる。
 それより先にリューリクが解説した。

「ジラント皇国の遊撃兵団だな。本国の親衛軍とは独立してて、国内を常に移動してる……この国の国土は広いからよ、そういう火消しみてぇな連中が必要なんだわ。で、〝シーチ〟ってのは奴らの根拠地だ。各地の軍管で年がら年中演習してる奴らだが、二年に一度は帰還して休養する。……まぁ、シヴィル・コサックはジラントきっての武闘派だからよ、〝サシチザーニイ〟なんかもこの時開催されるんだが……」
「サシ……?」

 また耳慣れない単語だ。次は日雨が問い糾す。

「ああ、そりゃあ……」
「――待て」

 さくん、と一際甲高く雪を踏む音を立てて、
 その場に停止したのは夜見だった。

「あん? どうした嬢ちゃん」
「このまま、なし崩し的に事を進めるのをわらわが許すと思うか。――いくつか疑問がある」

 立ち止り、振り返るリューリクを厳しい目つきで見返し、夜見は告げた。

「そなた、なぜ我らがあの雪原にいたかを問わぬ。国境は南の峻厳な山脈が塞いでいて、そなた自身も辺鄙な場所と申しておった場所に、〝人間〟がおったのじゃぞ?」

 人間、という単語に妙に重心の寄った発音で彼女は述べる。

「もう一つ」

 さすがにこの時はもう、他の三人も空気の変化を感じ取っていた。肌にひりつきを覚え、日雨は身構える。

「〝リューリク〟とは〝そなたら〟にとって〝諱〟のはずじゃ。不遜とは思わんのか?」

 夜見の糾弾に、リューリクは腕組みしつつ「ふーん」と軽く応じる。
 彼は天気の話のような、あっさりした物言いで告げた。

「別に大した謎でもないだろ? あの辺りには〝アガルタ〟の出口がある。それじゃ不満か? ――秋津洲国あきずしまくにの姫さんよ」

 その内容は、夜見だけでなく他の三人にとっても警戒に値した。くららはびくりとして後ずさり、だきには夜見の守りに入ろうと接近し、日雨は両者の間に立とうとする。
 夜見が、続けて問い糾そうと口を開く。

「そなた、一体何者――」

 言い終わるより先に。
 リューリクの側頭部に、巨大な飛来物が激突した。
 一瞬遅れて衝撃波と発砲音が彼らに到達する――リューリクに直撃したのはダーツ状の弾体。装弾筒付翼安定徹甲弾APFSDSだ。
 日雨は咄嗟にくららを押し倒し、雪原に伏せる。
 もうもうと雪煙が舞い上がる中、日雨は襲撃の動揺で熱せられた頭に冷や水を浴びせるように自問する。

(どこだ!?)

 弾体の飛翔してきた方角を振り向き、狙撃手を探す。
 かろうじて彼はそれを発見した。全身に雪を被せて身を隠していたが、熱を持った狙撃砲のマズルブレーキが周囲の雪を溶かし、湯気として立ち上らせていた――何より、相手は隠遁に徹するにはあまりに巨大な身体を持っていた。
 伏射姿勢を取った鋼鉄の巨人。頭部前面に十字のスリットが入っており、三基のカメラアイが絶えずその中を稼働している。雪原での迷彩の為か、装甲は白と灰の斑模様に塗装されていた。

「幽霊国家の……《機動甲冑アルマキナ》!」

 かの正体不明の国家群が保有する人型機動兵器である。彼らの大陸への武力介入の尖兵であり、日雨はかつて二度、大陸の都市にあの巨人が投入される場面を目撃していた。
 横目に、同じようにだきにに雪原に伏せられていた妹の顔を伺うと、痛恨事とばかりに彼女の表情はしかめられていた。

(……待ち伏せされていた!?)

 幽霊国家の裏をかく為に採ったルートであるが、裏の裏をかかれたのか。

(糞……ッ!)

 悔恨に日雨は歯噛みする。警戒を怠ったばかりに、ただ自分たちに同行しただけのリューリクを巻き込んだ。

「くらら! 行けるか!?」

 組み敷いたくららに問いかける。あの狙撃砲の砲口がこちらに向く前に、敵機に対処しなければならない。デモナイズした上でだきにと共闘すれば機動甲冑に拮抗できるかも知れないが、距離が遠すぎる。夜見の式神・戦鬼も先日喪失して再構成が済んでいない。
 このままでは、七面鳥の如く撃ち込まれる。セイタンで対処するしかない。

「――うん!」

 くららは迷い無く応じる。

「待……ちぃっ!」

 夜見が制止しかけて、諦めたように手元の雪を殴りつける。自分の立てた計画が早々に破綻した事に、腸が煮えくりかえる思いを覚えていた。――こうもあっさりと無能を晒すなど、己のここにいる意味がないではないか!
 妹の苦衷を慰めるだけの余裕は、この時には無かった。日雨はセイタンの転生リインカーネーションプロセスを起動する為の誓言を唱えようと口を開く。

「《時よ――》」

 しかし直後、彼は口にしかけた言葉を呑んだ。
 舞い上がる、雪煙の真っ只中。

「――ハッ」

 喜悦の笑い声が、上がった。
 雪原に伏せる四人全員が驚愕に刮目する。――馬鹿な。
 全高八メートル程の巨人が扱う、戦車砲と同等の威力の狙撃砲による砲弾が直撃したのだ。頭どころか全身が血煙と散っていなければ道理に合わない。
〝人類の〟常識に反する事態に、彼らは動揺する。
 そして、それを生まれつき持ち合わせない者だけが平静さを保っていた。

「〝釣り〟には掛からなかったと思ったけどよ……確実を期して待ち伏せの奇襲を選んだってワケか。――引き金を引くまで撃ち気を消すたぁ、イイ腕してるじゃねぇか」

 雪煙が、晴れる。
 ――ぱき、ぱきん。
 渇いた、硬質の音を立てて雪原に石片のようなものが落ちる。
 リューリクの顔面の右半分が、〝銀色の鱗で覆われていた〟。徹甲弾の侵徹体が完全に運動量を殺され、潰れた状態でそこに貼り付いている。

「けどよ――詰めが甘ぇわ。を本気で殺りたきゃ、聖別されてるか加護エンチャントを付加した弾を撃ち込まねえとよ」

 必殺の射撃が全くの効果を得なかった事への動揺は、無機質なカメラアイからは伺えなかった。
 同時に、機動甲冑周囲の雪原から五つ、小山のような盛り上がりが生じる。
 防雪ネットを被さった雪ごと払い、同じ機種の機動甲冑が五体出現した。足に、大きなかんじきのようなものを履いている――雪原航行用のホバーアタッチメントだ。
 彼らはかんじきから空気を吹かし、突撃銃を保持して滑るようにこちらに向かって来る。

「小隊規模の機動甲冑部隊――やすく見られたな、俺も」

 ざん、とリューリクが足を前に進める。悠然と、欠片も怖じる事なく鋼鉄の殺戮者に向けて自ら接近していく。
 機動甲冑はセオリー通りの乱数機動を取りつつ、突撃銃の集中砲火をリューリクへと浴びせる。雪原に穿たれる大穴が彼の周囲数メートルに集中している事が、彼らの練度の高さを伺わせた。
 しかし、彼らが訓練に捧げた歳月は、その怪物を前に無意味と堕す。
 リューリクは避けすらしなかった。少なからぬ二十mm弾がその身体に命中し、そして虚しく砕け散っていく。
 一機が突撃銃を放り捨て、背部パイロンに懸架されていた巨大なハルバードを取り、草を刈るように振り下ろす。

「むぅんッ!」

 リューリクの左腕が膨脹し、銀色の鱗に覆われる。それを彼は斬撃の軌道上に打ち付けるように置いた。
 そして、機動甲冑の方が打ち負けた。ハルバードを弾かれ、その遠心力に振り回されて機体の体勢が崩れる。
 致命的な隙であった。
 リューリクは軽く七メートル近く跳躍し、右腕を振り上げる。既にこちら側の腕も巨大化していた。

 振り下ろされた拳打が、胸甲をクレーターのように陥没させた。パイロットの搭乗する場所だと日雨は経験上知っている。彼ないし彼女はコックピットに押し潰されて即死だろう。
 制御を失い放り出されたハルバードをリューリクは手に取る。柄に爪を突き立て、強引に把握した。

「オラァッ!」

 自身の体長の三倍はある武装を軽々と扱い、彼は横薙ぎの斬撃を放った。後方から接近する敵機が胴体から両断される。
 爆裂する機体――その噴煙を引き裂くように、無数の円筒型の飛来物が飛び掛かってきた。
 対戦車ミサイルTOW

 爆発、炎上。
 雪原の白を朱に染める大炎。周囲の樹氷が溶けて、水を滴らせ始める。
 爆心地に向けて三機の機動甲冑が、突撃銃を構え戦果を見定めようとする。
 ――かか。
 ゆらめく陽炎に、笑う化物が映る。

「温いぜ小僧ども――俺様が、本物の炎の熱さを教えてやろうか」

 リューリクはそう告げて、口を大きく開いた。
 轟ッ――!
 彼の口腔から発せられた、白熱した熱線が敵機の胴体をあっさりと貫いた。貫通した機体から、向こう側の景色を覗かせながらその機動甲冑は大地に膝を屈し、二度と動かなくなる。
 ――ふと、日雨の隣で夜見が戦慄の滲む声で唸った。

「あれが……〝高位竜種〟……!」

 最上級の能力を持つ竜種をそう呼ぶのだと、夜見はかつて聞き覚えている。強靱な肉体と、人間を遥かに超えた魔力の器を持ち、一体で一国を滅ぼすだけの力を持つ。

「竜が、人の形を取っている……?」

 日雨が驚愕と共に呟く。人間の世界にも竜種は存在する。しかし、人間の姿をした竜など聞いた事もなかった。
 当のリューリクは、三機目を撃破した後攻撃の手を止めていた。周囲を軽く見渡した後、突撃銃を突きつける機動甲冑二機へ声を張り上げる。

「おい小僧ども! 狙撃手はもうトンズラしてやがるぜ!」

 雪原のある一点に、放置された狙撃砲が沈み込んでいた。最初の狙撃を敢行した機体とその主は、戦闘の最中で撤退したようだった。

「ありゃあ指揮官機だろ。お前らの本意かどうかは知らんが、奴が逃げを打つ為の時間稼ぎは成功したわけだ。――ここらで手打ちにしねぇか?」

 鷹揚と告げて、そしてリューリクは更に一歩前進する。

「まぁ……このまま、勝ち目の無ぇ喧嘩に付き合ってやってもいいけどよ」

 かくして、残り二機の機動甲冑は――撤退を選んだ。
 ホバーアタッチメントを吹かして、雪原の地平線に向けて後退を始める。
 しばしその様子を見送った後、未だ残る炎を背景にリューリクは日雨たちの方を向いた。
 日雨の背中に、ぞわり、と。確かな恐怖が走る。
 リューリクは夜見へ声をかけた。

「嬢ちゃん、二番目の質問の答えがまだだったな」

 彼の声の調子は、どこまでも落ち着いたものだった。日雨はようやくそれを、圧倒的な超越種であるがゆえの余裕であると理解する。
 彼は言う。

手前てめぇの名を忌む奴はいねぇだろ。――俺が、リューリクだ」

 日雨にとっては、意味を図りかねる語り口であった。
 だが、夜見はそれを正しく理解した。驚きに喉をつまらせたように、小さく呟く。

「馬鹿な……そなたがリューリク……リューリク・ジランタウだと言うのか……!」

 竜種の文明圏で、唯一父称を持たぬ者。
 国父アチェーツリューリク。
 ジラント皇国最初の竜皇ツァーリであり、現竜皇イヴァンの父。
 初代竜皇、リューリク・ジランタウ。

「竜の……王?」

 飲み込んだ言葉は、日雨の胃の腑にずっしりと沈み込んでいく。
 かくして王を目指す少年は、この時初めて――〝本物の王〟と出会った。



[40176] 1.絶対強種
Name: 八目又臣◆aa87a973 ID:17b043ce
Date: 2014/12/15 18:57
 めー。
 現在日雨たちが騎乗している、竜の鳴き声である。
 体長は五メートル程。ずんぐりとした四足獣で、全身をクリーム色の羽毛で覆っている。足裏が象のように大きいのは接地面を大きく取って雪に沈まないようにする為で、時折雪原に鼻を触れさせるのは、匂いで歩きやすいクラスト層を探っているのだそうだ。
 変温動物というわけでもなく、どこをもって白蜥蜴と言うのか、いくら考えても分からなかった。

「乗り心地はどうだ?」

 併走するもう一匹の白蜥蜴の背で寝転びつつ、リューリクが聞いてくる。

「悪くない」

 白蜥蜴のふわふわした頭を軽く撫でてやりつつ、日雨が答える。実際、羽毛は暖かく歩き方も穏やかだった。既にこの生き物を旅の供として三日経っているが、苦痛は感じなかった。

「し……かし……竜も、同種を家畜とする……のじゃな」

 例によって例の如く乗り物酔いに苦心惨憺している夜見が、白蜥蜴の背にぐったりと身体を預けつつ問う。この幼女にとっては、体調不良をおしても好奇心を満たす事が優先されるらしい。
 この竜を手配したのはリューリクだった。機動甲冑の軍勢を撃破した後、あの辺りを生息域としていた彼らを手懐け乗竜とした。一言二言命令しただけで、彼らはリューリクに恭順した。手綱も付けずに目的地であるシヴィル・シーチまで連れて行ってくれている。

人間オマエらだって、猿を同類とは認めねぇだろ? 白蜥蜴――俺らはこの手の格下の同種を蜥蜴って呼んでる」
「いわゆる亜竜、か……じゃが、一部の低級竜種は人間社会でも高等竜種と同等の権利を保証するよう、竜権章典で定められておって」

 二百年前の人竜戦争の終戦時に定められた、人類国家での竜の権利を定めた法典であり、世界初の多国間条約で制定された国際法である。八百種近い亜種が存在すると言われる竜族のほとんどが網羅されており、野性の獣と同等として害獣駆除、畜産が認められている亜竜が六百種で、それ以外が人間と同等の権利を定められた竜となる。

「あー、あれな?」

 リューリクは鼻をほじりながら答えた。

「開戦前に全国議会ゼムスキー・ソボルで議員連中があーでもないこーでもないとこねくり回して作ったシロモンでな、しょーもない理由で決められた部分も多いんだが……そーだな、嬢ちゃん向けの説明をすれば――大羽蜥蜴、つまり飛竜の畜産を禁じたのが当時の親衛軍元帥で、竜属ほぼ全種を網羅するように指示したのが外務大臣だ」

 あまりに端的な説明であったが、夜見はすぐにピンと来たようだった。「なる……ほど」と唸りながら感心したようにため息をつく。
 頭上に疑問符を浮かべたような顔をする日雨に、機先を制するように彼女は解説する。

「飛竜を禁じたのは……人間が航空戦力を保有する事を封じる為じゃ。空という要素を取り入れた立体的な戦闘は……文字通り次元が違うものとなる。〝空軍〟を持つ国に、陸戦兵力しか保有しとらん国は決して勝てぬ。人と竜の戦力差を維持する意図があったのじゃろう」
「一を聞いて十知るヤツは話が早くて助かるね」

 かっかっかと呵々大笑しつつ、リューリクは雪原に鼻くそを飛ばした。
 それに顔をしかめつつ、夜見は続ける。

「竜属〝ほぼ〟全種について権利を定めたのは……人類全体に竜の存在を周知し、そして誤解させる為じゃ」
「誤解?」

 雪原で採れたクルミをぽりぽりかじりつつ、くららが問う。
 夜見は横目にリューリクを一瞥して、

「高等な竜種は諸生物のキメラであり、竜角という魔力の媒介を持つ……ここまでしか人は知らされておらん。あのように人に化けるなど」
「それがどうかしたの?」
「じゃから……間諜を忍ばせ放題じゃろーが」

 察しの悪いくららに血の気の失せた顔を向けつつ、夜見は言った。

「だな。ジラントの密偵オフラーナは今も大陸中に潜伏してる」
「それを人間われらに言うてよかったのか、リューリク殿」
「べっつにー? あの頃はもう俺、国政から追ん出されてたしー。それに、情報ってのはしかるべき筋から伝えないと価値を持たねぇしな。ここで俺が喋くった所で、大勢に影響はねーだろ」

 いい加減な物言いで応じるリューリク。だが、後半の発言はまさにその通りだった。信頼性のない情報源からどれ程重大な真実がもたらされても意味が無い。カサンドラの予言は、トロイの木馬を防がなかったのだ。

(やりにくい……)

 夜見は内心で唸る。立ち居振る舞いはいかにも放蕩者なのに、勘所はしっかりと押さえている。彼を襲った機動甲冑の軍勢は何者か、と何度聞いた時ものらりくらりとはぐらかされた。
 まったくもって油断のならない人種――竜種?――だ。
 このような相手に身柄を預けるなど御免被りたい所だが、ジラント皇国の国土は恐ろしく広かった。シヴィル・シーチなる最寄りの人里まですら、百キロメートル以上先にあるらしい。乗用竜を使役できるリューリクがいなければ、ここまでの道のりは遥かに困難なものだっただろう。
 選り好みをしている余裕はない。ならば、

(今ある材料を活用するしかない)

 吐き気をこらえつつ、夜見はそう決意する。窮地から最良の結果を導き出す。たとえ相手が超越種であろうと、いやだからこそうまく利用してみせる。
 自分なら、それができる――

「おお、見えてきたぜ。あれが軍営都市……シヴィル・シーチだ」

 リューリクが、地平線のかなたにかすかに盛り上がる都の輪郭を見つめ、そう告げた。





「……ええと」

 数時間後、シーチの全容が見える程度に接近したくららの声音は、困惑に満ちていた。
 白蜥蜴の象のような足が〝草原〟を踏み、さくりと音を立てる。草木の雑多な色彩が視界に満ちている。暖かい風が吹き込んでくる。
 正しく初夏の風景だった。
 背後を振り返ると、白一色の極寒の世界が広がっているのに。

「おー!」

 白蜥蜴の背に立ち、都市の威容を見通しつつ日雨が歓声を上げていた。

「でかい! なんともでかい!」

 それは何の事を言っているのか。
 都市外縁の二十メートルは優にある市壁か。
 そこからはみ出た、都市中央に鎮座するドーム状の建造物か。
 西側へやや離れた場所にある、同じくらいの大きさの城か。
 あるいは、市壁の前に立つ五十メートルを超える竜の石像か。

「……」

 夜見の目は都市からやや離れた空域で旋回する飛竜の群れを向いていた。その表情には緊張感が漂う――飛竜の群れは、二つの飛行隊スコードロンに分かれて争っていた。
 敵味方の識別の意味か、首回りの鱗を青か赤で塗装している。それぞれ機を見ては口腔から赤い火球を吐き、敵側の竜を攻撃していた――威力を調節した弱装弾だ。
 彼らは演習をしているのだ。

(青い方が練度が高い。戦法も何かの模倣のようじゃ……教導隊あぐれっさー、というやつか?)

 明確な仮想敵を想定した、体系立てられた空戦演習。
 大陸の人類国家とは軍事レベルのケタが違う。これがジラント皇国の標準であるなら、彼らがその気になれば――いや、一割未満の力で大陸全土を制圧できるだろう。

(つまり……)

 眉間に皺を寄せて思考に没頭する夜見。
 彼らは三者三様で、竜種の世界に驚きを見せていた(だきにはただ単にぼんやりしていた)。
 め。
 市門に程近い場所まで来た所で、白蜥蜴が鳴いた。
 リューリクがそれに反応する。身を乗り出して、白蜥蜴の顔を覗くようにして声を上げた。

「あん? メシぐらい食ってけよ。ここのスリーヴァの砂糖漬けは絶対お前さんの気に入ると思うぜ?」

 め。

「そうは言うがな、ここまで世話になっておいて礼の一つもしねぇとあっちゃあ、俺のメンツが立たねぇよ」

 め。

「……まぁ、無理にとは言わねぇさ。あんがとよ」

 ぽん、と白蜥蜴の背を軽く叩いて、リューリクは草原に降り立った。

「縄張りに帰るってよ」
「おお、そうか。世話になった。達者での」

 日雨もまた白蜥蜴から降りて、彼(?)の首を撫でて礼を述べる。
 めー。
 二匹の亜竜は、互いに頭を軽くこすりつけつつ、仲むつまじげに雪原の方角へと歩いて行った。つがいだったらしい。
 くららはマフラーを外し、ウインドブレーカーも脱ぐ。さすがに北国らしく、いささか寒冷気味であるものの、厚着していれば汗ばむ程度に暖かかった。セーラー服の内に重ね着したセーター二枚は難しくとも、スカートの下のジャージを穿きっぱなしというのは見栄えが悪い。

「っていうか、必要がなくなると途端に我に返って恥ずかしくなってきた……え? なにこれ? なんでわたし、こんなダサい格好してるの……?」
「なんというか、高山地帯のどマイナーな集落でのみ伝わる、雑誌に特集したくもならない民族衣装みたいですね」
「いやぁあああああっ恥ずかしい恥ずかしい恥ずかしいよぅ~っ!」

 だきにの指摘に、顔を覆って悲嘆するくらら。
 すぐにでも脱ぎ捨てたい所だが、それもまた恥ずかしい。スカートに隠れて大事な所は決して見えないはずなのに、人前――しかも好きな人の前で下穿きを脱ぐのは、想像しただけで羞恥心に呑まれそうだった。同じ意味で、好きな人の前でこれ以上ジャージ・イン・スカート姿を続けていては悶死してしまう。
 引くも地獄進むも地獄。
 気候は遥かに温暖で過ごしやすくなったのに、極寒の雪原が恋しくなってきた。

「あうぅ~……なんで急にこんな環境が変わったの……? 順応できない、適合できないぃ~」

 くららは草花萌える草原にひざまずき、さめざめと嘆く。

「あー、それはな、」

 リューリクがこの怪奇現象について説明をしようとした所で、

『お帰りなさいませ、国父アチェーツ

 遥か上空から、声が降ってきた。
 語調は落ち着いているというのに、草花を軽く揺らす、スピーカーで拡大したような音質であった。

「ああ。帰ったぜレフ」

 リューリクが頭上を見上げて声を掛ける。

「……えっ?」

 釣られて上を見たくららが絶句する。
 市壁の側に〝建てられて〟いたはずの巨大な竜の像が、首を自力で動かしてこちらを見下ろしていた。
 口を開こうと顎をあけると、頭の上に留まった鳥が飛び立っていく。石のかけらが降ってくる。

『釣れましたか』
「雑魚しか掛からなかった」
『……あまり独断専行に走らないで頂きたいものです。毎度、年寄りの冷や水の面倒を見ていられる程私も暇ではない』
「はっは。ヒデェな」
『〝戻るのは縁起が悪い〟とも言いますし、あえて連れ戻しはしませんでしたが……威力偵察なら我々が出します。若手に仕事を任せねば、後進が育ちませんよ』
「俺の首を狙ってる連中の相手を、小僧どもに押しつけるのもなぁ」
『問題ありません。我が兵の士気は悪くない。――新皇都ノヴォ・モスクヴァの軍閥貴族とは違い、コサック達の間では未だ貴方は英雄です』
「手前のケツを手前で拭うから、その面子を保ってられるのさ」
『……別荘持ちダーチャ族が嫌うわけですね。貴方はやはり、無頼が過ぎる男だ。……で? そこの人間は?』

 妙に立ち入りがたい会話の最中、いきなり竜の像――体長五十メートルを超える石竜がこちらに水晶を削りだしたような瞳を向けてきた。

『食糧ですか?』
「食っ……?」

 物騒な語彙に戦慄し、くららがリューリクの顔を見る。大口を開けて笑う彼の歯は、いかにも丈夫そうだ。

「えっ、竜って……人間を食べるんですか?」
「まぁ、そういうヤツもいたなぁ」
「ひっ」

 くららは悲鳴を上げて、日雨の背後に隠れた。

「……レフ、お前がこの手の冗談を言うタチだとは、長い付き合いながら知らんかったぜ。――昔は、そういう物好きもいたってだけの話だ。嬢ちゃんなら知ってるだろ?」

 リューリクが石竜に胡乱な視線を返した後、夜見に水を向けた。
 夜見は若干強張った口調で、「……文献通りなら、じゃ」と応じる。半ば今の発言を疑っていたようだった。

「人竜戦争の後、取り交された国際法は竜の権利についてだけではない、竜国での人の権利も同じく保証された。と言っても、ジラント皇国を訪問する人間などロクにおらんから、有名無実化しておったがの」
「法文化する以前から、人を食う竜なんてそんないなかったぜ? 意志疎通の図れる生きモンを食用にするなんて、なんかぞっとしねえだろ?」
「ええと……捕鯨やイルカ猟に反対する団体と同じような理屈……なのかしら」

 納得できるようなできないような論旨に、曖昧な表情を浮かべてくららは呟く。
 ただ、「食べようと思えば人間を食べられる生き物」がいるというのはそれこそぞっとしないものがある。――くららの生きた社会では、弱肉強食というリアリズムから人間は執拗な程に遠ざけられていた。

(……そうか)

 今更ながら気付く。
 この世界――時代? では、人類は食物連鎖の頂点にはいないのだ。
 万物の霊長、とも言えない。
 その座を、この強大な種族と競い合っている。

「俺の〝客〟だ。そのつもりで扱うように」

 リューリクが、レフと呼ぶ石竜へそう告げた。

『は』

 彼は短く合意を返すと、その巨体を蠢かして道を開けた。ずしん、ずしんと腹に響く足音が立つ。

『国父リューリクの賓客よ、シヴィル・コサック軍長オタマーンレフ・ニコラエヴィチ・カルピンスキの権限において入城を許可する』



 
 
 正門を抜けて、石畳で舗装された目抜き通りを行く。

「とりあえずその辺でメシでも食ってくか?」というリューリクの提案に、夜見とくらら、そしてだきにまでもが首を振った。
「まず、宿を取りたい」
「日も高いし、そんな急がなくてもいいじゃねぇか。ジラントの料理は人間世界のとひと味違って面白えぞ? ボルシチ、ピロシキ、ブリヌイ……」
「い、いえ、それは後で、ありがたく、いただきますので」

 夜見のつれない態度に不満げなリューリクへ、くららが言う。両者共に切実な口調だった。
 ――真っ当な人里に訪れて、今まで我慢していた欲求が急に首をもたげてきたのだ。
 つまり、

「「「お風呂に入りたいです」」」

 女三人異口同音にそう言った。
 アガルタでは数週間、地下水で水浴びするのみ。それすら水が貴重で毎日とはいかなかった。
 その上、サヴィトリと別れてからは薄暗くじめじめした地下トンネルを十日ばかりかけてひたすら進んでいた。その時もやはり水が貴重で、身体を拭くくらいしか出来なかった。
 毎日身体を清潔にできる、というのがどれ程の贅沢か、くららは身に染みて実感していた。

「ぬぬぅ」

 ただ一人リューリクの提案に乗り気だった日雨は、(お腹が)切なそうに指をくわえている。

「っあー……」

 リューリクは何かを思い出すように半眼で唸った。

「そういや孫のヤツも、人里に来る度に風呂に入りたがったなぁ……ったく女ってヤツは。ちっと風呂入らないくらい問題ねーって。なぁ小僧」
「うむ。余は鰤縫とやらが食いたいのぅ。最近魚食ってないし」

 文句を垂れる男二人に、女性陣は怨念に満ちた眼をくれた。

「うっ……怖ぇ」

 リューリクと日雨は、肩を抱いてガタガタ震える。

「仕方ねぇなぁ……まずはクレムリに行くか」

 市壁の外からも見えた高い城を指差し、リューリクがそう持ちかける。

「おお~、城持ちとはさすがだのー」
「俺のじゃねぇよ。レフの城だ。今は孫と一緒に、食客として居候させてもらってる。あそこの浴場なら、市井の湯屋より広いし何より〝安全〟だしな」
「……何か危険があるのか?」
「見た方が早ぇな。ここの名物だ」

 と、リューリクが通りの一画を指さした。人集りが出来ている。
 どうもジラントの国民は総じて巨体のようで、小柄な日雨にはその中をうかがい知る事はできない。その辺の壁に貼り付いてみるか、と彼が思った所で。
 天高く吹き飛ばされた人間が、こちらに落ちてきた。頬に打撃痕があり、完全にのびている。

「コサックの構成員は軍制の中枢からあぶれた士分やら、平民出身の兵だからなぁ。どいつもこいつも喧嘩っ早い。元々竜ってのは、どつき合いとじゃれ合いの区別がつかんタチだしな」

 人集りの中央に向けられる歓声を背景に、リューリクが解説する。
 その間にも、負けてのされた者――よく見ると女だった――の友人が、笑いながら慰みを言いつつ肩を貸し、その場から離れて行った。こうした事が日常茶飯事と分かる、慣れた風情である。

「ってなわけで、〝竜人〟に喧嘩ふっかけられたくなけりゃ、外歩きは控えるこったな」
「う゛……分かりました」

 一般人並の体力しかないくららは、真っ先に同意する。

「……それにしても」

 と、彼女は不意に話題を切り替えた。のびていた女や、通りを歩く人々の姿を思い出していた。

「リューリクさんって、この中じゃ結構スマートな方なんですね」

 二メートル近い巨漢の彼であるが、ここの人間は更に一回り、二回り大きい。周囲の民家や商店も彼らの体格に合わせて大作りだ。
 それだけでなく、彼らの容姿はどこか異質だった。四肢の表面に鱗が生えていたり、穴の開いたズボンから尻尾が出ていたり。
 何より、頭部に角が生えている。

「ああ。〝角隠し〟のできる竜はそう多くねぇからな。――嬢ちゃんがさっき気にしてたこの辺の異常気象も、それが原因だぜ」
「え?」
「……強力な霊体は、周囲に怪異を招く」

 隣を歩く夜見が、そう漏らした。
 そして、くららにだけ聞こえるよう耳打ちする。

「おそらく……竜や、だきにのような妖魅が人に化けるのと、機傀悪魔が人の姿を持つ理由は同じじゃ」
「どういう事?」

 同じくくららも耳打ちで返す。

「魔力の強弱は、すなわちアストラル相に内包する霊子エーテルの多寡じゃ。機傀悪魔のような並外れた魔導兵器の保有する霊子は、ただそこに存在するだけで現世に影響を及ぼしてしまうじゃろう。動植物の突然変異、異常気象……竜にもそれが言えるようじゃ。まさか連中が機傀悪魔ほど強力ではなかろうが、それでも一国を構成する程に数が多い。力を抑えねば、寄り集まる事もできん。ほれ、あれじゃ、ぱそこんの排熱で室温が上がるから、待機はいばねーしょんもーどにするようなものじゃの」
「……ええと。は、はいばねだねっ、はいばね」

 中世レベルの文明を生きる幼女に、IT知識でついていけない現代日本の女子高生がここにいた。

「……」

 夜見が頭痛をこらえるように眉間を指で揉んだ。どうやら、セイタンとして稼働している時の彼女は機体の演算素子、記憶素子で知能を拡大させているようで、人間に戻った時はその辺りの知識を記憶すらできないらしい。
 つまり。

「そちは知性も待機もーどに入るらしいの」
「えっ、なんかすごく酷い物言いでこきおろされた……」
「(無視)じゃが、完全に力の漏出を防げる竜は少ないようじゃ。……リューリクの口ぶりからして、それがおそらく、竜の位の指標となるのではなかろうと」
「――そういうこった」

 二人の内緒話に、リューリクが割って入った。

「魔力の媒介である竜角を抑制して、完全に人の姿を取れる竜を、俺らは高位竜種と呼んでる。王侯貴族アリスタクラートの間じゃ〝角隠し〟は一人前の証で、これが出来なきゃ結婚も許されなくてな……ちなみに、自分の身体を構成する〝因子〟の扱いに長けると、中耳と内耳だけ象や鯨みたいな構造にして聴覚の底上げをするなんて真似もできる。理解したか?」
「……お気遣い痛み入りますの、リューリク殿」

 眉間に皺を寄せて、悔しげに睨みつつ夜見は皮肉げに返す。――実際、気遣われたのだ。これからは聞き耳をもっと警戒しろ、と。
 これから向かう先にいるのは、人間と似て非なるもの。これまでの常識で物を考えていては足下を掬われてしまうらしい。





 湯気で向こう側が隠れる程、広い浴場であった。
 湯殿の床は石造りで、人間が歩くたびに、ひたり、と湿った音がカランから流れる湯の音に混じる。
 ――豊満な肉である。
 裸身の姿を見れば、その厚みが否応無しに理解できた。普段は服に隠された、はちきれんばかりの肉体。多くの異性が、いや同性であっても目を引かずにはいられない。芳醇な果実の如き姿態である。

 長い髪がぞろりと背を撫でる様は、ふと甘味の匂いを嗅いだかのような色気を覚えさせた。
 かくも美しき、肉の器であった――

「っういー一番風呂頂きーっ。がはははは。やっぱ風呂は広いに限るな」

 ざぱんと湯船に入ったリューリクが、豊満な筋肉を蠢かして豪快に笑う。

「……あん? どした小僧」
「いや……今、何か重大な期待を残酷に裏切ったような気が」

 不意に感じた例え様の無い罪悪感に、日雨は首を傾げつつ後に続く。

「っちゅーか、本当に広いのー」

 感嘆を隠しきれず、彼は湯気に混じるため息をついた。
 彼の生まれた秋津州国でも入浴の習慣はあったが、火災やコストの問題もあって共同浴場を利用するのが一般的だった。それに、都市部を除けば蒸し風呂がほとんどだ。水はともかくとして、燃料を必要分調達できないのである。
 現代日本と違って、湯水のように使う、という慣用句は彼の故郷には存在しない。

 しかし、シヴィル・シーチの竜人は自宅に浴槽を持つ者も多く、かつ軍長レフ・カルピンスキの居城であるこの牙の城クルイーカ・クレムリにはこんな大浴場がある。
 今頃壁の向こうの女湯では、夜見が文明の格差がうんぬんと考察をこねくり回し、挙げ句湯あたりでのぼせている事だろう。

「ここはプラーミァ川に近いからな。火竜が多くて燃料いらずなんだよ」
「……?」
「ん、ああ。説明してやる。――竜ってのは、自力じゃ子を作れない」

 疑問顔の日雨に対して、リューリクはそう切り出した。

「母胎の環境が過酷過ぎてな。ただの生物じゃ生まれる前に死んじまうんだ。だから竜のつがいは霊地でまぐわい、場の霊子を吸収する事で子の肉体を強化して出産に耐える。俺らの姓、例えばジランタウ、カルピンスキなんかは産地の地名だな。で、火川は名前通り火精の多い霊地だから、生まれてくるのも火竜だ」
「……ふむ」

 強力な生物とは、生まれ方からして違うという事か。
 鋼鉄を軽くひしぐ力、千年を超える寿命、劣悪な環境に居住可能な身体、高い知性――人類に対して圧倒的に優良な生物。
 彼らはその優位性を、二百年前に戦争という形で示した。

「なぜ……ジラント皇国は大陸に戦争をしかけたのだ?」

 開戦のきっかけは、航海技術の発達で大陸全土と交易を持てるようになりつつあった当時、不凍港を開港する為の土地の賃借を、国境を接する円国や、小国カフカスを隔てたテュルキエに求め、それを拒否された事と歴史には記されている。
 だが、こうして竜の実物を見て、信じられなくなった。
 このような生物が、果たしてそんな〝人並〟の理由で戦争をするのか?
 そして、かの人竜戦争で何より不可解な事は。

「そもそもなぜ、途中で止めた?」

 人竜戦争は別名を百日戦争と言う。ジラントはたった百日で周縁国の主立った城塞を制圧し、かつ駆けつけた近隣諸国からなる合従軍も撃破した。
 周縁国のみならず、大陸全土の人類が屈服しかけた所で――竜皇イヴァンは講和を申し入れた。領土の割譲や賠償金も最小限の、破格の条件であった。
 あのまま続けていれば、大陸の支配者は彼らと定まったはずだ。なぜそうしなかった?
 しばし、水音だけを聞く時間を経て、

「……資源問題だよ」

 とリューリクは切り出す。

「さっきの話と絡むが、竜の繁殖には大量の霊子を持つ場が必要になる。そして、霊子は無尽蔵じゃねぇ……もう、ジラントの出生率は全盛期の一割以下だ」

 湯水のようには湧いてこねぇのさ、と彼は皮肉げに笑う。

「現在の領地にある霊地だけじゃ五百年も保たずに新生児が生まれなくなる、って試算が出た時、イヴァンは開戦に乗り切った。……俺はそれに反対してな。その時アイツとやり合って以来、物別れになっちまった」

 と、彼は持ち込んで浴槽の縁に置いていたショットグラスを取り、透明な酒をあおる。

「完膚無きまでに負けたのは、あの時が初めてだ。それが実の息子とはな……クク。人生ってなぁなんとも楽しいな、小僧」

 日雨はその笑みに共感はできなかった。敗北を愉しめる程長く、この少年は人生とやらを味わってはいない。
 ひとしきり含み笑いを漏らした後、リューリクは続けた。

「二番目の質問は……お前の妹がもう察してるはずだ。あの嬢ちゃんから聞きな」

 その通りだろう、と日雨は思う。己程度に考えつくような疑問は、とうにあの利け者の妹は答えを出している。
 竜も夜見も、日雨にとっては同じような超越者だ。

「ぶっ」

 いきなりお湯を顔面にひっかけられた。
 両手を組み合わせて水鉄砲を作ったまま、リューリクは言う。

「お前は、こういう事に興味を持つタチにゃあ見えなかったんだがな? なぜ聞いてきた?」

 気後れした。
 いつも言っている事が、この相手にはうまく言葉にできない。相手の声に、肉体に、魂に充ちる力に圧倒される。
 劣等感を刺激される。

「……っ」

 意気を奮い立たせる為の呼吸が、湯を震わせる。

「王になる為だ」

 リューリクの青い目を見据えて、日雨は言った。

「余は力をつけて国に帰り、王になる。その為には、理解しなければならない事がある」
「それは?」
「〝悪魔の機械〟の機関からくりだ」

 ――全ての人間に争いを強いるものがある。
 ――それを、悪魔の機械と言うのだ。
 かつて母から聞いた言葉だ。
 人間はそれに囚われているからこそ、争うのだと。人類を絡め取る繰り糸を外さない限り、その状況から脱却する事はできないのだと。
 そう、言っていた。

「それを知り、止める方法を見出さなければ王になっても意味はない。いずれ争いが起こり、国は破滅する」

 かつての秋津洲国も、選民思想と階級社会という火種を抱えていたからこそ叛乱が起きた。そして秋津洲国に成り代わった山徒公国も、強引な外征と民衆の農奴化なる別の火種を持っている。
 有史以来のありとあらゆる国家が、戦乱に繋がる憎悪の種子を植え付け、手放せずにいる。

「今は、どう歯止めをかけるかも分からん。が、せめて過去の戦争の起こった理由を知る事が、その一助になると思っている」

 いつしか日雨の物言いは、湯気を吐くような熱っぽいものになっていた。
 冷や水。

「――タワゴトだな」

 リューリクは、一変して冷徹な眼差しで日雨を射貫いていた。射すくめられる、冷めた眼光だった。

資源リソースってのは、どうあっても不足するように出来てる。資源が増えれば人も増える。突き詰めればいくら豊富な資源も底が見えてくる……ミクロな視点でも、マクロな視点でも人は限られた資源を奪い合わねぇと生きていけねぇ。社会の発展が道徳やら理性やらの緩衝材めいたものをいくつか作るかも知れんが、引き延ばしに過ぎない。
 つまる所、最後に物を言うのは暴力だ」
「しかし……!」

 思わず日雨は湯を蹴立てて身を乗り出した。

「リューリク殿も、かつての戦争に反対していたのだろう!」

 竜であっても、争いを望まぬ者はいる。彼らに犠牲を強いてなお戦うなど、間違っているではないか。
 食い下がるように睨む彼に、リューリクは。
 ――く。
 失笑で返した。

「あの時は、俺ぁ息子にこう言ったんだ――全人類を滅ぼし尽くす戦力がなきゃあ、戦争仕掛けても意味がねぇってな」

 身の凍り付くような声音だった。

「よっと」

 日雨が立ち尽くしている間に、リューリクはざぱんと湯から上がり、ショットグラスの載った盆を手に湯殿から出て行く。

「俺たちは、力の価値を重んじる種だ。竜は決して弱者を理解しない――覚えておくこったな、小僧」



  //////

 

「むっ、負け犬の顔をしていますね、日雨様」

 大浴場から出た廊下で、湯冷めしそうな頃合いまで待った所で、長風呂していた女性陣が女湯から出て来た。そして開口一番だきにがそう言ってきた。

「青臭いこわっぱは無駄に筋肉に憧れるものですからね。細身の日雨様では、マッチョ親父の肉厚ぶりに敗北感を味わってしまうのは至極当然でしょう」
「いや、別にそういう感じの敗北感を味わっていたわけではないのだが……」
「ふむ。つまり」
「つまりなんだ。なぜ下半身を凝視する。何を比べて余が敗北感を味わったと想像した」

 日雨の追及に答えず、彼女は口元を裾で覆い一歩後ずさりなどする。

「そしてこちらにも負け犬が一人。兄妹揃って情けない事です」

 そして不満に満ち溢れた顔つきの日雨をまるで無視して、足下の夜見をすがめ見た。
 彼女は青ざめた顔で、背を屈めて、着物の胸の辺りを手の平で叩いている。

「圧倒的にわらわのより大きくて重いのに何故浮く……? だ、だめじゃ! あのひょっこりひょうたん島を考察しようとすると、なぜかわらわの知性が極端に低下する! あ、あるきめですのげんり? へうれーか?」

 どうやら、脳髄の活動が鈍化する程にショッキングなものを見てしまったらしい。頭の良さは妹のほとんど唯一と言っていい美点であるのだが。

「まぁ、私とて今お嬢様をさいなんでいる絶望は理解できます。実際ゴイスーでしたよ彼女は」
「――えっへへ~、いいお湯だったね、みんな!」

 久方ぶりの入浴でテンションが上がったらしく、最後に出て来たくららがはしゃいでいた。

「ごめんね日雨くん、リューリクさん。つい長風呂しちゃったよ~。ほんと広くて気持ちよかったなぁ。あーあ、これでコーヒー牛乳があったらなぁ。お風呂上がりに飲むとね、サイッコーなんだよ~っ」

 太平楽そのものの表情で脳天気に語るくらら。
 その目前で、圧倒されたように後ずさり、強烈な畏怖に唇を震わせて彼女の胸を見上げる夜見。
 ――きょにゅうは決して弱者ひんにゅうを理解しない。

 なぜか日雨の脳裏に、さっきのリューリクの台詞が変なルビ付で浮かんでくる。
 同情を込めて夜見の肩に手を置くと、「ぬがーっ!」と八つ当たり気味に噛みつかれた。

「俺ぁ断然酒だがね、嬢ちゃん――じゃ、行くとするか」

 待ち時間の間に三本の酒瓶を空けていたリューリクが、そう言って立ち上がる。

「? どこに?」
「謁見の間。レフが会見を求めてる――人間の王族が遠路はるばるやってきたんだ、こっちとしちゃ話の一つも聞かんとな」
「――望む所じゃ」

 がじがじと日雨の手を甘噛みしていた口を引き剥がし、表情を引き締めて夜見が応じる。

「そうでなくては、わざわざここまでやってきた意味がない。自由裁量権を持つ軍を指揮する有力貴族……交渉には都合の良い相手よ」

 と、彼女は年不相応の妖艶さを滲ませほくそ笑む。悪い顔だ。

「何の交渉をするつもりだ?」

 日雨が問いかけると、夜見はこちらをちらりと見るだけで答えなかった。先程、リューリクに内緒話を盗み聞きされたのを警戒しているらしい。
 これまでと同じように、妹は勝利の為の要素を積み重ねている。
 勝ちへの確信がある。竜を相手にしてすら、その自負に揺らぎはない。
 日雨もまた、妹の才覚を信じている。――だが。

(……竜は決して弱者を理解しない)

 種族の最長老たる男の言葉が、脳裏に澱のように沈み、一向に消えなかった。





「う……わぁ」

 くららが精緻な彫り込みの為された天井の穹窿ヴォールトを見上げて、感嘆のため息をついた。

「お城みたい」
「城じゃ……」

 とんちんかんな事を抜かしたくららに頭痛を覚えつつ、夜見がたしなめる。
 とは言え、案内された謁見の間は、確かに感に堪えない美しさだった。踵まで埋まる絨毯、翡翠のはめ込まれた壁、金糸で模様を象ったカーテン……音に聞くチョウ国の四象宮や、秋津洲国が山徒公国に移り変わってもその美観から取り壊されなかった天離宮と比べても遜色は無い。――彼ら東方人が北狄と蔑む竜の、しかも辺境の軍事基地でしかない城がかくも美観を誇るとは。

「――異種族の王族を歓待するには、いささか無骨で申し訳ない」

 部屋の奥に設けられた馬蹄状の階段から、声がかかる。
 黒を基調とした軍礼装姿の、黒髪の男だ。かつては紅顔の美少年ともてはやされていただろう。右の目尻から頬にかけての大きな傷のある顔立ちにその名残がある。

「このクレムリは、あくまで中央から外れた地方軍の根拠地に過ぎないのでね」

 鋭い眼差しに理知的な光を湛えた男は、ゆったりとした足取りで階段から下りてくる。

「えっ……誰?」
「さっき会っただろーが――レフだよ、レフ・カルピンスキ」
「うそーっ!?」

 ひそひそとリューリクに質問していたくららが、驚愕の解答に大声を上げる。手広な謁見の間でそれはとてもよく響いた。
 内心、先に彼女がアホっぽく驚いてくれた事に夜見は感謝していた――正直、こちらも驚きを声に出しかけた。

(いや、反則じゃろ)

 体高五十メートルを超える大怪獣が、長身白皙のクール系イケメン~軍服を添えて~に変身した。思わず幼女の目つきが胡乱になる程の怪奇現象だ。
 ――そう言えば、こちらの陣営にも体高四十メートル豊かの巨大ロボットに変身する女子高生がいたのだった。

(この世界、巨大化する人間が多すぎではないか? 流行っておるのか? そういうの……)

 今まで知らなかった世情の裏側に、夜見は頭を抱えそうになっていた。

「余は詞木島日雨である。よろしく、レフ殿」

 かと思えば、兄はあっさりレフ・カルピンスキに挨拶していた。くららを相手にしてもそうだったが、この兄はどうやら見た目でモノを判断しないらしい。アホの子だ。
 やはり、自分が差配するしかない。気を取り直して夜見は魔女じみた声音で、こちらを見下ろすレフに語りかけた。

「亡国の元王族程度には、十分な意匠ですぞ。――これならば、かの夏宮の琥珀の間の壮観も期待できそうじゃ。一度はお目に掛かってみたいものですな。
(副音声:まぁ? 元王族を接待するだけならギリギリ及第点ってトコカナ? あ、夜見ちゃんその辺の情弱とは違うからお前らんトコの王族の別荘くらいヨユーで知ってるんダヨ? ま、ソコもウチらのチョー豪華な城と比べたら大した事ないんだろーケド? あんまナメんなよテメー)」

「謙遜する事はありません。かの古き歴史を持つ秋津洲国ストリカザー・カラリエーフストヴァについては我らジラント臣民も広く伝え聞く所です。貴国の滅亡には私も同情を禁じ得ない。しかし三代目女皇の事跡が人界にも伝わっているとは、誇らしい限りですな。しかしかの夏宮はジランタウ家か、それに次ぐ家格の竜族にしか開かれぬ場所。ご覧頂く事が出来ず残念に思います。私も一度訪れたが、あそこは終生記憶に残る程美しい城なのですが……
(副音声:あ゛ぁ゛ん゛? だからなんだってんだよテメー。オレらも無駄に歳だけ食ってるババアみてーなオマエの国くらい知ってるし。で、皇族の別荘はVIP限定だからオマエみてーな豆粒チビガキが拝めるワケねーだろ。ま、有力貴族のオレは行った事あるけど? ハッ、オマエラ如きはオレサマの自慢話で満足しとけやバーカ)」

 非常に婉曲でギスギスとした、表面上は美辞麗句のような悪口雑言の応酬、腹の探り合いを敢行する二人(副音声部分は、だきにが日雨とくららにこっそり耳打ちしたものである。豆粒チビガキは明らかに彼女の私情が入っている)。
 リューリクがうざったそうに頭をかいて、二人の間に割って入った。

「っあー、止めろレフ。まだるっこしい――嬢ちゃん、この牙の城は元は冬宮つってな、皇族の避寒地のつもりで建造されたんだよ。ここ〝翡翠の間〟は夏宮の琥珀の間と対になるよう設えられたが、建造を推進した先々代のミハイルが途中で放棄してな……ミハイルは、アイツの女の慰労の為に作ったんだが、その女は完成前に死んじまったんだ。
 で、使わんのも勿体ないから、今じゃこの城はシヴィル・コサックの拠点になってる――ここが分不相応に豪華なのもその為だ。ま、昔は内壁全部翡翠仕立てで、一部コイツが矢銭の足しに売り払ったから多少は質素になってるがな。
 っつーわけで、他の地方城塞は謙遜抜きでビンボ臭ぇから、見栄の張り合いをする必要はねーよ嬢ちゃん」
「……国父アチェーツ
「貴族連中ってのはやたらめったら挨拶が長くていけねぇ。早く本題に入れ」

 恨めしげに睨んでくるレフの目線を軽く流しつつ、リューリクは壁際に置いてあった椅子を手に取り行儀悪く逆座りした。
 レフは眉間に皺を寄せて嘆息しつつ、玉座に腰を下ろした。不機嫌さが、どかり、という雑音に現れている。

「……貴殿らに会見を求めたのは、問い糾したい事があるからだ。それは、」
「――アガルタで起きた異変についてかや?」

 要撃カウンターを打つ心地で夜見が言った。口をつぐむレフに、彼女は続ける。

「あそこから出て来た我らに聞く事など、それくらいしか無いじゃろ――こちらのリューリク殿はかの地下とんねるについて既知であった。ジラント皇国の密偵が大陸に派遣されているとも言うておった。ならば、あそこを頻繁に利用しておったはずじゃ。アガルタに住まう兎人アンヴィスと、連中を弄んでおった者も知っていたのじゃろう」

 言い募られて、レフはリューリクに情報漏洩を咎めるような視線を向ける。だが、相手はどこ吹く風とにやついた顔をするだけだった。
 諦めたように唸り、レフは言う。

「アガルタの監督は私に一任されていた……つい先日バーブル帝国に忍ばせた密偵オフラーナが飛蜥蜴便で、亜人共が地上の商人との癒着を取りやめ、隠遁を始めたと伝えてきたのだ。〝連中〟が鼠狩りを企図しているのなら、対処せねばならない」

 連中、という言葉は、亜人とも地上の商人とも掛かっていないように思える。
 ならば――日雨やくららが答えを出すより先に、夜見が解答を言葉にした。

「企図などありはせんよ――既に彼奴はおらんのだから」
「……何?」
「ミラーヴ……帝国らいひとやらの工作員は、我らが始末した」

 その言葉にレフが起こした反応は、軽く拳を握るだけだった。大した自制心だ。

「……何だと?」
「我らが、機傀悪魔の、ウェパルを、撃破した。と言うておるのじゃレフ殿」
「あり得ない。天底ナディルのヒトザルが天頂ジェニトの機人を打ち倒すなど」
「動揺と一緒に情報も漏らしてくれてありがたい事じゃ、レフ殿。ほぉほぉ、貴殿らは我らと彼奴らをそう区別しておるのか」

 嫌みったらしく薄笑いを浮かべながら、夜見はレフの足を掬うように告げる。

「で? この下等なヒトザル共に礼の一つもくれてやってはいかがかな? レフ殿。貴国の敵を一人減らしてやったのじゃから」
「……」

 何かを伺うような眼差しをこちらに向けて、レフは沈黙する。その眼光には僅かに迷いも見て取れた。

「……どういう事だ?」

 日雨が問いかけると、夜見はレフに矛先を向けるように答えた。

「ジラント皇国はな、敵対しておるのよ。幽霊国家――カタ・コスモーン機構と」





「かねてより思うておった。人竜戦争の終結には、大陸の人間の知らん裏があると」

 レフが沈黙する間に、種明かしでもするように夜見は、赤い絨毯を演壇のように踏んで朗々と語る。独壇場と言うに相応しい姿だった。

「圧倒的優位に立ちながら、勝っている側から講和を持ちかける理由など全く存在しない。――ならば、前提から間違っておる。ジラント皇国は〝負けていた〟のじゃ。南方の戦線の優位など足しにもならん劣勢を、後方で味わっておった。じゃから南下政策を諦めざるを得なかった」
「つまり、その後方で戦った相手が……」
「幽霊国家。ミラーヴはカタ・コスモーン機構と名乗っておったがの。あやつはその行動方針を人類文明の安定維持と抜かしておった……大陸に干渉する彼奴らは、その大陸を竜に侵略されるわけにもいかんのじゃろう」

 日雨の疑問に答えると、次いでくららから声が上がった。

「え、じゃあ、あの人たちって人間の味方ってこと?」
「知性待機もーど。脳味噌単純回路。お花畑」
「ひどい……」

 背中を向けたまま罵られさめざめと嘆くくららを、夜見は無視する。傀儡師ぶって大陸に介入してくるような連中を、味方などと思えるものか。

「これまでは仮定に過ぎなんだが、この城に訪れて確信に変わった。ここで行われている軍事教練は、大陸の人類を相手取るにはあまりにも過剰じゃ。大陸全土を征服するのには、見た所一割程度の戦力――予算で十分足りる。割に合わんのよ。
 つまり、こすと相応の相手と今も戦っておると見るべきじゃ」

 槍衾やりぶすまのように言葉を並べる夜見に、それを向けられたレフはしかめ面をする。

「……国父、一体なんなのですか、この子供は」
「さてね。だがよ、賢い女はお前の好みだろ?」
「私に赤子を女と見る趣味はありません……それに、皇都に妻子を持つ身です」

 十歳というのは長命な竜種にとっては童子どころか赤ん坊同然らしい。彼は自分が常識的な人間(?)である事を、顔を青ざめさせる事で示すと、重々しく口を開く。

「……確かに、我らとカタ・コスモーン機構と名乗る旧世界から続く人類国家群は戦争状態にある。――貴殿らはアガルタの遺跡から、我らの成り立ちを知ったのだな?」
「亜人、魔獣、竜……これらは神代の人類が作った人造生命であると」
「それは、ジラントでも限られた高等貴族しか知らぬ事ゆえ内密に頼む。――かつて、我らの先祖は人類から独立したのだ。人類の庇護者を称する機構とは、ジラント皇国開国時点から不倶戴天の敵同士であった」
「そして現在まで戦い続けておる、と」
「そうだ。――貴殿はかの戦役を我らの敗北と言ったが、それは間違いと言っておく。南方戦線を維持する戦力を、機構の兵団の対処に回したに過ぎない」

 当初の目的を達成できずにただ戦力を損耗した、というのは立派な敗戦であるのだが――と思いつつも、夜見はそれに言及しなかった。
 牽制の段階は終わった。これ以上刺激しても怒りを買うだけだ。

(地均しは済んだ)

 もう関係を築く頃合いだ。

「ならば――我らは手を結べるとは思わんか? レフ殿」

 と、夜見は持ちかける。

「……どういう事だ」
「わらわは、この兄を王として秋津洲国を再建するつもりでおる」

 彼女は日雨の隣に立って告げる。

「我が国はカタ・コスモーン機構の介入で滅ぼされた。再興には連中が邪魔じゃ。我らは今、彼奴らの国に赴いて連中と交渉するつもりでおる……不可侵条約を結ぶのが理想じゃの」
「つまり、機構と癒着するという事ではないのか?」
「いいや。秋津洲国の独立は、そなたらにとって敵陣深くに歩を打つようなものじゃろうて……独立後もわらわは、大陸国家全域に離間工作を行うつもりじゃ。これがどれ程機構に打撃を与え、ジラント皇国を利するか分からんわけでもなかろう?」

 羽子板の羽を打ち返すように、夜見はレフの疑念に応じる。

「ついては、我らの旅程の支援を貴殿に、そして今後機構に対抗する為の同盟関係をジラント皇国と構築したい」

 それが、夜見のここにやってきた目的である。竜国領内を移動する際の竜車、物資の提供と、何より機構の敵対勢力と交流を持つ。それは今まで持ち得なかった、機構に対する強力な外交カードとなる。多少の金とコネだけしか持たない彼女が、喉から手が出る程欲しいものだった。
 レフはしばし沈黙した後、「……一つ、疑問に答えてもらおう」と述べた。

「なんじゃ?」
「貴殿の画策の大前提だ――貴殿らは、どのようにして奴らの保有するあの機傀悪魔を屠ったのだ? その武力を背景に機構と交渉するのであれば、それを見せて貰わん事には信用ができん」

 潮目、である。
 情報を明かす事には常に大きなリスクを伴う。しかもそれは、こちらにとっては生命線となる情報だ。だが、そのリスクを取らない事には相手の譲歩を引き出せない。
 夜見は掛け金を上乗せする心地で、口を開いた。後ろのくららに軽く視線を送って。

「この詩乃目くららは機傀悪魔セイタン――連中の中でも、王の格にあたる一機じゃ」
「夜見……!」

 咎め立てするように、日雨が呼ばわってくる。秘密を漏らした事に怒っている――わけはないだろう。この兄は、くららをただの兵器のように扱う夜見の物言いが気に食わなかったのだ。
 夜見はそれを黙殺した。

「今は、この兄がセイタンのぱいろっとメディエーターとして契約しておる。ただ一機ではあるが、連中は決して無視できん戦力じゃ――ウェパル以前にも、連合王国の保有する主機ロードユニットマモンを撃破しておるからの」

 畳みかけるように述べ立てる。マモン戦の勝利という事実は更に衝撃的だったようで、レフは深く唸って右手で口元を覆う。

「あの赤機竜ア・ドライグ・ゴッホを倒したというのか……? 白龍公アレクセイ純潔公主エリザヴェータを滅ぼした悪魔を……」

 主機ロード眷属機ファミリア。ミラーヴの物言いからの当てずっぽうによる発言だったが、どうやら図に当たったらしい。機傀悪魔には格式があり、その頂点にセイタンやマモンが君臨している。
 ならば、兄が得たくらら手札は最良の切り札ジョーカーだ。

(……蔑むならば蔑め)

 今なお怒りを視線に込める兄と、真後ろにいて表情の伺えないくららに胸中で呟く。
 政治の世界に情愛めいたものを抱いて踏み込めば、刺されるだけだ。
 この広間を見よ。虚飾と底意を彫り込んだような壮麗さを。これは余人が夢見る善意の芸術などではない。訪れるものの譲歩を、資産を、土地を、武力を奪い取る為の武器だ。廟堂に生きる者が求める物は、人であれ竜であれ変わらない。
 ここでは、力だけが意味を持つ。その論理で詩乃目くららという少女を分解すれば、兵器としての有用性しか残りはしない。
 あの少女が優しいものだとは、ここで語るべき事ではない。

(ここで勝つには、情を捨てねばならんのだ)

 恨むなら恨め、打つなら打て。
 ――殺すなら殺せ。

「我らは四人の無勢に過ぎんが、最強の武力を持っておる。どうじゃレフ殿。わらわの誘いに、乗るべきではないかや?」

 夜見は、魔女じみてすらりと指の伸びた手の平を指し出す。

「……そうだな」

 かくして男は、籠絡されたように玉座を立ち、一歩足を進めた。





 違和感が、ある。

(……何だ?)

 その居心地の悪さをすぐに解消しなければならない、そんな感覚を日雨は覚えていた。
 今、隣で妹が交渉に手応えを感じてほくそ笑んでいる。彼女の論旨に色々と気に食わない点はあるが、その目論見は成功するように思えた――いつもそうだったから。
 なのにどうしても安心感を感じられない。

 むしろ、あのレフという男が一歩一歩ゆっくりと近寄ってくるたびに焦燥感が強くなる。何かがおかしい。前提を間違えている。
 答えを探すように軽く周囲を見渡しても、物見遊山という風にこちらを伺うリューリクがいるだけだ。
 他には、誰もいない――

(……何故だ?)

 ここはシヴィル・コサックという一個軍の根拠地であり、対峙しているのはその首魁。
 だというのに、なぜ護衛が控えていない?
 レフに万一の事があったら、この組織は壊滅的な打撃を被るというのに。
 ――時間が、切れる。
 夜見から一歩ぶんの距離を空けて、レフが立ち止まる。白い手袋を填めた手を、彼女の手を取る為に持ち上げる。
 指先が触れる寸前に、その手を止めた。

「そこの少年が……貴殿らの頭目という事、だったな」

 握手の相手を変えるつもりか、レフは視線を日雨の方に向けた。
 ぞわり、と悪寒が背筋を撫でる。
 その瞬間に日雨は全ての疑念を解消した。彼の視線はあまりに雄弁だった。
 かつて、兄や姉が自分に向けた感情と同質のものだ。
 ――この男は、日雨を自分と同列の生き物と認識していない。
 護衛を置かなかったのは、人間という種を脅威と見なしていないからだ。

「さて――なんという名だったかな、この猿は」

 氷点下に冷え込んだ呟きを聞いた刹那。
 白が迫る。
 レフ・カルピンスキは差し出した手を裏拳の形にして日雨へと放り込んできた。頭部の上半分を消し飛ばす速度と力量だった。

「……ッ!」

 間一髪、飛び退いてそれを躱す。引きちぎられた前髪の一房が宙を舞った。

「ほう。多少の体術の心得はあるようだ」
「な……何をする! レフ殿!」

 夜見の悲鳴じみた糾弾に、レフは応じなかった。ゆったりと肩を脱力させた奇妙な構えで、日雨の方へと前進してくる。
 日雨は躊躇わず抜刀した。今の裏拳一つで、竜種は見た目以上の力を動きに込める事ができると理解した。相手を素手と思ってはならない!
 避けさせる意図で、上段からの斬り下ろしを放つ。
 しかしレフは避けなかった。左腕を交差させるように差し出し、服の袖を鎬に触れさせる。
 瞬間、横向きの竜巻じみた力に襲われた。

(……合気!?)

 運動の構造を利用して、力を逸らす技術である。太刀を握る両手ごと横倒しにされる感覚に、日雨はくぐもったうめきを漏らす。
 この流れに逆らえば、武器を奪われる。
 日雨は自ら飛んで回転し、その勢いでレフのこめかみに爪先を打ち付けた。
 靴を通して伝わる、硬質の手応え。人の形をした肉を打ったとは思えない感触だった。

「人間如きの蹴りなど、防ぐ必要もないな」

 そう告げてレフは、自由な右手を振り上げ、こちらに拳打を繰り出した。

「日雨くん……!」

 強烈な打撃音を聞き、くららが悲鳴を上げる。
 ――派手に吹き飛ばされた日雨が、即座に起き上がる。その容貌が変化していた。
 眼球は血の色に染まり、髪色もまた青白く変色し長く伸びた。爪も鋭く延伸し、両手には回路図じみた文様が走る。

「なるほど、それが悪魔憑きデモナイズド……機傀悪魔デクスマキナ媒介者メディエーターの刻印か」

 感嘆に唸るレフ。その顎には軽い擦り傷がある。
 デモナイズで身体を霊的に防御し、相手の顎を蹴り上げ、その勢いで後ろに飛び退き打撃力を殺した。

(その……はずなのに……ッ!)

 日雨の膝が震える。二割程度に減殺したはずのレフのパンチが脳を揺らしていた。あの細身の身体で、なんたる膂力か!

「――答えよ! 何のつもりじゃ!」
「亡国の姫君よ、貴殿は賢く、そして愚かだ」

 二度目の夜見の問いかけに、そちらを見ずにレフは応じた。

「利け者の王女、最強の機傀悪魔――この子供を排除するだけでこちらの手に渡る」

 誰にでも理解できる、単純明快な解答だった。

(見誤っていた……竜という種を!)

 悔恨に満ちた唸り声を夜見は上げる。政治の舞台で知謀を重んじるのは、丸裸の人間が脆弱な武力しか持たないからだ。
 強靱な肉体を持つ種なら、こういう選択肢も取り得るのだ。

「兄様! くららちゃん! セイタンを使え!」

 こうなっては交渉は決裂だ。夜見は日雨とくららに言い放つ――が。
 おかしい、と気付く。だきにが、こういう場面だけは一切遊ばずに取るべき行動を取る彼女の従者が、レフとの戦いに加勢してこない。

「――まぁまぁ。ここは、小僧とレフのタイマンを見物しようや」

 壁際からでなくてはおかしいリューリクの声を、真後ろに聞く。
 夜見が振り返れば、くららとだきにの肩に彼の大きな手が乗せられていた。彼の移動にだきにすら気付かなかった事は、彼女が一歩も動かず捕縛された事で理解できた。

「騙したのか……!」
「人聞きの悪い事言うなよ。俺ぁ流れの風来坊。誰の味方でもねぇ」

 夜見の非難に、リューリクはそう応じる。

「そしてレフの、ましてやシヴィル・コサックの味方ってワケでもねぇ。――小僧がここでレフを倒せるなら、俺はこれ以上の干渉をしねぇ。嬢ちゃんの目論見通りコトが進むだろうぜ」

 ――その会話を遠くに聞きながら、日雨は状況がこれ以上変化しないと悟る。
 目の前の男を倒さなければ、打破できない状況なのだと。
 日雨は太刀を肩に担ぎ、霊子を注ぎ込んだ。膨脹し、二メートルを超える巨剣へ変化する。
 レフはそれを見て、ぽつりと言った。

「乏しいな」

 白い手袋を填めた手を、横に軽く振るう。
 何の意味が、と思う間も無く、
 ――ぞるんっ。
 足下の石畳が脈動し、槍の如く尖って日雨へと伸びて来る。

「な……!?」

 バック転し、背中を貫きかけた無数の石槍をかろうじて回避する。

「カルピンスキ山は地精の気に充ちた霊地だ。レフはカルピンスキ氏族でも一際優れた〝石〟の遣い手だぜ、小僧」

 半畳を打つようなリューリクの言葉に、日雨は舌打ちする。

(地の利は奴にあるという事か……!)

 ここは六方を石に囲まれた室内。つまり――
 下方の石槍に加えて、前後左右、天井から石矢が飛来してきた。

「くそ……!」

 毒づいて、全力で回避に専念する。

「不様だな……せめてその他大勢コール・ド・バレエの〝石の花〟程度には踊って欲しいものだ」

 謁見の間を縦横無尽に駆ける日雨を罵りつつ、レフは壁の翡翠を操って槍の形に変え手に取った。
 一息に跳躍し、日雨を自身の間合いに入れる。
 横に飛ぶ雷撃めいた刺突が襲ってきた。
 かろうじて太刀を当て軌道を逸らす。遅れて猛烈な刃風が髪を撫でた。

(この男、槍術も出来る……!)

 つぶてのような連突の合間に、巻き上げ技などの絡め手も織り交ぜてくる。硬軟合わせた攻め口に対処するだけで、こちらは手一杯になっていく。
 その隙に――猛烈な衝撃が側頭部を打った。

「が……っ!?」

 吹き飛ばされて、床に倒れ伏す。横目に石畳に戻ろうとする石棍を見た。

「チ……自分の槍に気を取られて、石槍の形成が甘かったか」

 尖った石槍でこちらの頭部を突き殺せなかった事が不満か、レフは苛立たしげな足取りで接近してくる。

(どうする……!)

 強靱な竜種の肉体に加えて、年功を積んだ槍術、卓越した石繰りの魔術、地勢まで味方につけている。圧倒的にあちらの優勢だった。

「――む」

 不意にレフの歩みが止まる。その足下の石畳が蛇のようにうねり、彼の足首を絡め取っていた。
 夜見が床に手をついていた。巫術を行使しているのだ。

「石竜の支配下にある岩石を操作するとは……魔術師ヴィエーディマとしても、驚嘆すべき才覚よ」
「――逃げよ兄様!」

 戦いを忘れて――彼にとっては、日雨はその程度の相手に過ぎないという事か――感心を口にするレフを余所に、夜見は叫ぶ。

「しかし……!」
「このままでは勝ち目が無いのは分かっておるじゃろうが! 少なくとも我らの身の安全は保証されておる……今は自分の命を優先せよ!」

 食い下がる日雨に夜見は告げた。懇願するような響きだった。
 ぎっ、と日雨は歯噛みする。

「必ず……助けに戻る!」

 それだけ言い残して即座に踵を返した。全力で疾走し、広間の窓ガラスを打ち破って外へ躍り出る。
 土遁術で城壁を駆け下り、地上に着地すると一目散に城下町へと走り去った。

(くそ……くそ! くそッ!)

 気付けば、唇を噛み切っていた。
 血の味よりも苦い、敗走の屈辱を感じていた。





「追わなくていい」

 城を巡回する歩哨全員に、レフは逃走する子供の対処を指示する。――霊子の扱いに長けた竜種は、同族に限り距離を隔てた場所からも念話テレパスで意志疎通を図れる。
 もう一声添えた。

「どうせ、犬のようにのたれ死ぬ」

 同情を一切含まない声音だった。
 涙目でこちらを睨み付ける亡国の姫にも、同じような無感動を視線で示した。
 不服に思うのならば、眼力などではなく暴力に訴えるべきだ。こちらを実力で排除できる武力がないのなら、好きに扱われるしかない。

「まずは、貴殿の知る事を全て語ってもらうとするか」

 レフは道具を遇するように、夜見へと告げる。
 そこに、

「まぁ、待てよ」

 リューリクが制止してくる。
 こちらは脆弱な人間などではなく、同種で、しかも己より強い男だ。その言葉は聞くに値する。

「予定調和のようにガキの手から宝物をふんだくって、それで満足か?」
「それが我らの流儀です。まさか弱者にんげんが度々持ち出す人道とやらを振りかざす程、奴らにかぶれたわけでもありますまい」

 この流浪人は、ここ数十年人界を含む大陸全土を旅していた。巻き込まれた孫娘からすれば、たまった物では無かっただろう。
 人類の思想に毒されたか――その疑念が失礼にあたるとレフは思い直した。こちらを見る国父の眼光は、未だ衰えぬ確信と強靱さに充ちている。

「それじゃつまんねぇだろ、って言ってんだよ」
「何を……仰りたいので?」
「小僧にチャンスをくれてやれ。――この嬢ちゃんらは、〝サシチザーニイ〟の景品にする」

 リューリクの提案は、これまでの長い付き合いで何度も経験した、レフを困惑させる類のものだった。

「人間を出場させるつもりですか?」
「別に、竜種限定ってルールがあるわけでもねぇだろ?」
「……今回の貴方の行動は特に不可解だ。この者たちだけではない。自身の孫娘まで差し出すなど……イヴァン陛下が聞けば激怒なさるでしょう」
「そん時ゃ、もっぺん親子喧嘩をやらかすさ」

 軽々しく告げるリューリクに、暗澹とした唸り声を漏らす。旧皇都モスクヴァからの遷都は、あの時の〝親子喧嘩〟が原因だと言うのに。

「……結果は変わりませんよ。あのか弱い種が、私――ましてや貴方まで倒してサシチザーニイを制する事など不可能だ」
「ま……十中八九そうだろうな」

 リューリクは後ろ手に組んで、軽薄に応じた。その目線は今し方捕えた少女達へ向いている。
 機傀悪魔の応現体インカーネーションだという娘が、亡国の王女を慰めるように抱きかかえている。
 こう言ってはなんだが――この場の誰より平凡で、見るべきものの無いように思える少女だ。

 しかし、彼女はなぜか王女よりもうろたえてはいなかった。いくら機傀悪魔でも、人の姿をしている時に竜に対抗する手段は無いはずなのだが。
 ――何かを信じてでもいるのか。

「レフ」

 あの子供が脱出した窓を眺めて、リューリクが呼びかける。
 こちらの疑念に答えるつもりなのだと思い至るまで、ほんの少し時間が掛かった。
 彼は言う。

「俺は、あの小僧の器が見たい」



[40176] 2.邂逅し、再会す
Name: 八目又臣◆aa87a973 ID:17b043ce
Date: 2014/11/10 18:36
「サシチザーニイ?」

 日雨は聞き返した。彼の前には、つい先刻敵対関係になったリューリクの姿がある。
 牙の城をやや見下ろす形に望む、塔のような鐘楼の最上階である。日雨は城下町に逃走するとみせてすぐ城の周辺に引き返し、ここを見つけて侵入した。
 デモナイズした身体能力ならば、ここから城の屋根に飛びつける。その後は窓から潜入してくららたちを捜索、救出するつもりだった。

 彼女らの拘束が軟禁なのか、監禁なのか。あのレフという男が彼女らをどう従わせるつもりなのか――考えただけで焦燥感に頭が煮える。
 すぐにでも助け出さなければ――
 強迫観念めいたものの後押しでそう決意し、飛び出そうとする直前にリューリクが現れた。

 ――ったく、元気の良いガキだな。
 ――攻め手を打つには、お前はまだ竜って種族を知らなすぎるぜ。見ろよ。

 絶句する日雨をよそに何事も無かったように親しげに告げて、彼は城の上空を旋回する飛竜を指差したのだった。

 ――最近ちぃと〝いろいろ〟あってゴタついててよ。シヴィル・コサックは臨戦態勢にある……屋根伝いに押し込みかけたってすぐ気付かれるぜ。

 ついさっき仲間を奪った男に救われた事に、日雨が口ごもっている所で、リューリクがその言葉を告げたのだった。

「……一度聞いた名前だ。一体なんだ? それは」
「お前らの言葉じゃ、武術大会だな。勝ち抜き方式、なんでもありバーリトゥード、非公式標語は『なるたけ頑張って殺さない真剣勝負ガチンコバトル』。出場者の死亡率が二割切ると、安全目標達成って事で参加賞が配られる」
「サーリフの闘技祭のようなものか?」

 砂海を隔てた大陸の西側の大国である。砂海――大陸の東西を分断する大砂漠の魔獣は強力で、そこを行き来する隊商を護衛する傭兵は、かなりの練度を要求される。周縁国は彼ら砂海の傭兵の輸出で利益を得ており、その量的、質的向上の為にそうした催しを奨励している。

「その通り。あっちと違うのは、王族じゃなくて軍の主催する大会って所だな。成績いかんでコサック兵なら軍長オタマーンの目に留まって要職に就けるし、部外者なら軍に好待遇でスカウトされる。優勝した奴は……確約されるワケじゃあねぇが、大抵は次期軍長になる」

 レフ・カルピンスキもそうして軍長の座についた、とリューリクは補足する。

「ただ、娯楽も少ねぇ辺境の数少ない催し事でもあるからな、地位と名誉だけが報酬じゃ味気無いってんで、毎回副賞が用意される――今回の戦利品トロフィーは、あの嬢ちゃんらだ」

 ぎぃ、と日雨は奥歯を噛みしめた。自分の仲間が物のように扱われる事に、憤激していた。
 それを弄ぶように、リューリクは口の端を吊り上げた。

「出場者の連中は奮うだろうぜ? 特にあのヨミってのはな。人界と太い繋がりを持つ元王女――使いようによっちゃあ中央の政治に一枚噛む事もできる便利なガキだ。〝おまけ〟の二人も含めて見目もすこぶる良い。涎の出る程オイシイエサだな」
「貴様……ッ!」

 激怒を視線に込めてぶつけるも――日雨自身理解していた。この圧倒的強者は、そんなもの意にすら介さない。
 現に、にやりと笑みを深くするのみで挑発的な口調には変化がない。

「出るだろ坊主? この大会はルールで〝竜転メテンピシフォス〟――元の姿に戻る事を禁じてる。全力でやり合ったら市街をふっ飛ばしちまうからな。
 無数の竜兵が万全の態勢で待ち構えてる城に一人でかち込むよか、よほど確実だろ?」
「その大会には……レフ・カルピンスキと……そなたも出るのか」
「勿論。俺ァ祭りとケンカが大好きだ」

 ――つまり、真正面から戦うのか、この漢と。
 素手でカタ・コスモーン機構の保有する機兵を悠々と破壊する、こうして対峙しても力の底がまるで見えない怪物と。
 日雨が目指している場所にかつて立っていた、本物の王を。

「サシチザーニイの決着が付くまで、嬢ちゃんらは俺が責任持って客として遇してやる。次は、あのアレーナで会おうぜ?」

 鐘楼の、牙の城とは逆方向にある巨大な円形闘技場を指差してリューリクは告げ、伝えるべき事は伝えたと立ち去ろうとする。
 日雨に背中をさらして。
 ――この男の提示したものより遥かに確実な解決策がある。
 この隙に不意を打って、リューリクに重傷を負わせ捕縛する。ジラント皇国でも最も位の高い要人を人質にとれば、レフとてくららたちの返還に応じるだろう。

 音を立てぬように、抜刀する。
 切っ先を、遠ざかりつつあるリューリクの背に向けた。デモナイズした上での、全力の鬼道で強化した腕力による刺突。一尺の厚みの鉄板を易々と貫通する威力だ。この男とて防ぎきれない――はずだ。
 それなのに――切っ先が震える。

(何を迷っている……!)

 叱咤するように自分をなじる。まさか、この期に及んで臆しているのか?
 それもある。背を見せてすら計り知れない格が、この巨漢には滲んでいる。
 しかし、それだけなら日雨はとうに突貫している。砂粒程度の可能性であっても、これが最も確実な手段なのだ。選択肢が無ければ博打に身を投じるしかない。
 そうと知りながら、この手が震えるのは――

(これでいいのか?)

 徒手空拳でこちらの間合いに入ってきて、少なくとも公正な勝負を挑んできた男を後ろから刺すような真似をするのが、正しいのか?

(正しい……はずだ)

 天秤の片側に乗っているのは、自分ではなく仲間の身柄なのだ。手段を選んで失敗していては元も子もない。忌むべき偽善であり、愚劣さだ。
 敵対する者を、同じく敵と断じて害し、奪い、勝利する。
 人も竜も変わらない、正義の在り方だ。

(正義であって……しかし)

 詞木島日雨の目指すものとは、決定的に断絶している――

「やらねぇのか?」

 背を向けたまま、リューリクが言う。

「正々堂々、真正面から人間以上の生物と殴り合う事に比べりゃあよっぽど確実な手だ。俺様が思うに、〝二番目に〟賢いやり方だぜ」

 あっさり奇襲を察知した事の動揺を気取られないように、声の震えを隠して問う。

「二番目……だと?」
「一番は――何もせずに全てを見過ごす事だ。今、お前がやってる事だよ、坊主」

 その挑発に、怖じ気が吹き飛んだ。

「こっちを向け!」
「なんだそりゃ? 下らんプライドが惜しいってか。青臭いガキめ」
「向け!」
「やだね――いいから刺せ。それが出来なけりゃ、これから嬢ちゃんらの内一人を殺しに行く」

 そう告げて一歩踏み出すリューリク。
 彼の行動が、日雨の足を拘束していた最後の理性を弾き飛ばした。
 一瞬でデモナイズ。太刀の切っ先に自分の全ての肉と魂を注ぐ心地で強化を施し、床を蹴る。
 狙いは相手の広い背中のど真ん中。脊椎を破壊し心臓を破る軌道。
 リューリクは、身じろぎ一つしない。
 ――切っ先が、背に触れる。

「……っ!?」

 そして、それだけだった。薄紙一枚ほども、日雨の太刀はリューリクを傷付けはしなかった。

「小僧――お前はまだ、俺と正面切って向かい合う事もできねぇ」

 巌のような背中が語る。
 その、直後。
 ――リューリクが行ったのは、大陸拳法の〝寸勁〟に近い。
 予備動作を最小限に、身体内部の深層筋を操作する事で最大限の力を出力する。
 その巨体に無数の生物の因子を内包するキメラであるかれは、筋肉の構造を流動的に変化させる事で、より効率的にそれを行った。

 彼はただ仁王立ちした姿勢のまま、足裏を通してこの鐘楼に力を浸透させた。
 地割れのような音を立てて、鐘楼が崩壊する。

「ぐっ……!」

 日雨は唸り声をあげて、どうにか大きな瓦礫を飛び移り地上に着地する。
 崩落で生じた土煙が晴れた後、鐘楼の残骸の中央で何事も無かったようにリューリクが立っている。

「サシチザーニイの開催は、二週間後だ」

 言葉を置き捨てるように、彼は宣告する。

「それまでに、この、おれおまえの間にある途方も無い力の差を埋められないのなら――お前の旅は、ここで終わる」






「わわ……な、なに? 今のおっきい音」

 分厚い城壁を通してもなお響いてきた、重たい地鳴りのような音に驚いて声を上げるくらら。
 手広な部屋に重厚な存在感を持った天蓋付きのベッドが置かれ、足下には万華鏡じみた模様の絨毯が敷かれている(美術の教科書で見たヴィクトリア朝のインテリアに似ている)。交渉の決裂後通されたこの客室は、牢獄というイメージからはかけ離れていた。

 とは言え、ドアに近寄れば歩哨の気配はするし、ここは三階なので窓から飛び降りて逃げるのも難しい。目に見える範囲ですらそうなのだから、目に見えない領域ではどんな障害があるのか。
 現状、逃走は不可能だと――知性待機モードのくららも理解しているのに。

「……見張りを幻術で惑わして……火薬庫を爆破するか? ……いや……」

 ぶつぶつと、テーブルとにらめっこでもするように俯いて座り、ぶつぶつと夜見が思考に耽っている。今し方の異常には気付きすらしなかったらしい。手元にメイド(そう、この城にはメイドさんがいるのだ)が淹れた紅茶が一口も飲まれず冷めたままで放置されている。
 虜囚の身で厨房は使えなかっただきにが、自分の分は飲み干してテーブルに置いた。

「蒸らしが長すぎるようです」

 いつも通り無表情に語るが、どこか自慢げだ。結構自分の仕事にプライドのあるタイプだったのだろうか?
 どちらにせよ、今の主に干渉する気はこの従者には無いらしい。なら、何か言うのはくららの役目だ。

「夜見ちゃん」

 向かいの椅子に座り、そう声を掛ける。

「戦鬼を今から再構築……霊地との気脈を繋げる術式は……」
「――夜見ちゃん」

 続けて呼びかけても、彼女は自分の世界に没頭している。
 ため息を、一つ。
 ――ひったくるように紅茶のカップを取り、一息で空にして(確かに、冷めているのを加味してもだきにの淹れる茶の方が美味しい)、テーブルに叩き付けた。
 びくり、と肩を振るわせて夜見が顔を上げた。

自棄やけにならないで」

 一瞬放心した後で、彼女は声を荒らげた。指摘された事の自覚はあるのだろう。

「これは……わらわの失策じゃ! やつらの思惑を見誤った……鴨が葱を背負うかのようにのこのこと敵陣にやってきて……なんたる不様か!」

 だから、自分が解決しなければならない。一刻も早く。
 そう目線で告げる夜見に、くららは軽い微笑みで返した。

「夜見ちゃんと日雨くんの、似てる所を一つ発見」
「……何を」
「多分今頃、日雨くんも自分のせいでわたしたちが捕まった、って思ってるんだろうなぁ、って」

 自分の凡才を悲観してきた兄と、自分の天才を自負してきた妹。道筋は違えど同じ結論を出している(日雨の現在の心情について、くららは疑問の余地無く確信している)。その事がおかしかった。

「何を悠長な事を……」
「今はまだ、焦ってもいい事ないよ。幸い、時間はまだあるっぽいし」
「……どういう事じゃ」

 夜見がこうして素直に他人にものを尋ねるなど珍しい――それ程、この失態で理性を失っているのだろう。

「あの時場の主導権を握っていた人は、レフさんじゃないもの。この状況があの人の望み通りなら、しばらく現状が維持されるよ」

 だから、成算は高くとも希望的観測も混じった答えを、くららは努めて確信的に述べた。
 その直後、窓側から巨大な影が床に落ちる。

「ふーん」

 リューリクが三階の窓の桟に飛び乗って、感心したように声を上げていた。

「イマイチ嬢ちゃんが機傀悪魔セイタンだってのが納得できなかったが……ナルホドね。〝尾の無い竜をこそ恐れよ〟って事か」
「いや……なんか落ち着き払って語ってますけど、あなた女子の部屋に窓から侵入してますからね。正直どん引いてますからね、わたし」
「ぬぅ……ッ! 年頃の娘っ子との接し方が掴めねぇ……!」

 動揺のあまり窓枠を握り潰しつつ、額に脂汗かいて唸る巨漢。

「ま、まぁ――概ね嬢ちゃんの読み通りだ。お前らは二週間後のサシチザーニイの戦利品って事で話がついてる」

 そう告げると、そのサシチザーニイという言葉の意味をリューリクは簡単に説明した。

「つまり、ジャ○プトーナメントですね。――展開につまりましたか?」

 だきにがにべもないまとめ方をする。

「い、いや、だきにさん……わたしは好きですよ? 少年漫画の王道だし」

 フォローを入れるようにくららが横から口を出す。

「認識が古いですよくらら様。最近では手垢がつきすぎて誰も手を出しません。発想の浅さを露呈しかねないと忌避されているのです」
「引っ張らないで! 言及しないで! 追い詰めないで!」

 話題を変えてくれないだきにに、くららは必死に取りなした。
 彼女らの会話を理解できないリューリクが、「続けていいか?」と声を上げる。

「っつーわけで、それまでの短い期間だが、嬢ちゃんらは俺の宣言通り賓客扱いだ。完全に自由とは行かんが、出来る限りの待遇は保証してやるぜ――まぁ」

 あの小僧が、竜人を相手に惨めっぽく負けるまで、の話だがな。
 ことさらに挑発的な脅し文句に、夜見は歯噛みした。
 くららは、

「なら、心配いらないですね」

 竜ですら崩せない、揺るぎない笑みを浮かべた。

「……あの小僧は、レフに手も足も出なかったぜ? しかもアイツはあの時、相手を人間と侮って手を抜いていた。あの男を筆頭に、サシチザーニイには各地から竜種の猛者が集まる。
 何より――この俺が出る」

 物理的な重圧すら伴う言葉であった。
 目の前の男には、力の確信がある。自負がある。人を遥かに超える超越種の、かつてその極峰に立っていた男は、ただ立ち姿のみでそれに相応しい圧倒的な力を余人に伝える。
 人類種の、立ち入る余地などありはしないと。

「今も、あの小僧に一発かましてきた。――今、アイツの前にあるのは絶望だけだ」
「それでも、彼は諦めません」

 挑戦を受けるように、くららは応じた。
 自分の器を超えるものを、自分の力不足を嘆きながらも決して目を逸らさず目指しているあの少年は、どんな絶望を提示されても諦めはしない。

「それだけは確かだから……わたしは日雨くんを信じます」
「ったく、妬けるね――そいつは、男ってヤツが女から欲しい一番の言葉だ」

 力の抜けた微笑を向けてリューリクは言う。
 対話する両者は、そのそばで翳った顔をする夜見に気付かない。

「ま、賽の目が出るのは二週間後だ。それまでの面倒は見る――まずは、住み処だな。こんなむさくるしい場所じゃ気も休まらねぇだろ。離宮に部屋を手配した」
「離宮?」
「ここが皇族の別荘だってなぁ、さっき言ったろ? 後宮を転用した、貴族の子女向けの離れがあんだよ」

 ついてこいよ、と告げて窓から侵入した巨漢はドアから部屋を抜け出した。見張りの兵士が、不意を突かれてびくっとしていた。






 リューリクに案内された離宮なる建物は、離れというよりかは、牙の城の敷地内にある支城といった威容ぶりだった。前面ファサードの仰々しい銀泥細工や巨大なイオニア風の柱は、離宮という言葉からくららが抱いた、京都の桂離宮のような庭に凝った質素な別荘のイメージとはかけ離れている。

 建材となる樹木は乏しい不毛の地で、また身体も大きい竜種にとっては石材や鉄骨を使った巨大な建造物が一般的となる。この、良く言えば含蓄豊かで壮麗たる、悪く言えば無駄に威圧的な建築様式はジラント皇国では主流だ。
 エントランスホールを歩きながら、あちこちを忙しなく行き来する竜人のメイドさんを興味深そうに眺めつつ(この少女は、この手の分かりやすい記号に弱かった)先行するリューリクに聞いた。

「意外と賑わってるんですね」
「今は一番客の多い時期だからな……普段はコサックが演習で各地を回ってるから、ただのデカい物置みたいなものなんだが、この時期は国のあちこちから貴族がここに間借りしてる」
「えっと……なんでですか?」
「サシチザーニイってのは、昔は単なるコサック内での腕試しだったんだがな……殴り合いの好きな竜種の気性に合って、今じゃ地方の一大イベントなんだわ。東西の都市から、果ては皇都の連中までも物見遊山にやってくる。貴族連中もその範疇でな」
「へぇ~」

 素直に感心してうなるくららの脇で、夜見がぼそりと口を挟む。

「それだけではなかろう」

 彼女の目線は、ホールに接続する豪奢なサロンやら会食ホールにたむろし、談話する正装の男女に向けられていた。

「ジラント皇国の国土は広大極まる……各地の有力者を呼び込み、交流させる事で連携を緊密とする。これは内政の一種じゃ」

 竜種はただの筋肉馬鹿ではない。
〝腹芸〟もそつなくこなす、知的な猛獣なのだ。

「おっ、ちったぁ頭が冷えて、調子が出て来たか嬢ちゃん」
「……るさい筋肉達磨。馴れ馴れしくするでない」

 頭を撫でようとするリューリクの手を、夜見は乱暴に払う。――彼女がこの大事なおつむに触れる事を許したのは、一人だけだ。

「契約により猶予が生じた以上、我らはまだ貴様らの奴隷ではない。敵じゃ。そこを勘違いしないでもらおう」

 小柄な身体で真っ直ぐ、倍近くある巨漢を睨み付ける。と。
 リューリクは面白がるように口の端を吊り上げる。

「なっはっは。元気がいいな嬢ちゃん。ウチの孫娘と気が合いそうだ――ルームメイトとして仲良くやってけそうだな」
「えっ?」

 発言の末尾の不穏当な添え物に、くららが聞き返した。
 リューリクは豪快にがははははと笑い、頭をかく。

「いや~、今言った事情で、この時期離宮の部屋は満杯でよ~。嬢ちゃんたち、悪いけど俺の孫と同宿してくれ。レフが気を回して手配しててな、アイツの部屋が一番だだっぴろくて、寝泊まりするスペースが空いてるんだわ」
「あ……ええと」

 くららは口ごもる。
 別に、彼女自身としてはルームシェアにそこまで抵抗はない。元の時代でよく友達とやっていた、パジャマパーティの延長みたいなものかな、と思っている。
 しかし、

「くらら様、考えておられる事は分かりますよ。性狷介にして自ら恃むことすこぶる厚く、「友達? 便利な奴隷の隠語かや?」と素で答えて周囲をがっつり引かせるプロぼっち。教科書どころか聖典として世に語り継がれるような、お手本の如き孤独感を実践するパーフェクトヒッキーこと夜見お嬢様が初対面の他人と同居するなど無理ゲーに過ぎる。こう仰りたいのですよね?」
「……」

 数百倍は露悪的に語られているのに、趣意としては全くその通りなだきにの発言だったので、くららは否定も肯定もできなかった。
 この幼女、アガルタでの洞窟暮らしの最中も、襦袢下着姿と寝顔を見られたくないからと巫術で地精を操ってかまくらのような寝床を作って就寝していたのである。古事記の天の岩戸のエピソードを思わせる、強固極まる心の壁の持ち主なのだ。
 夜見にとっては敵地であるこの城で、しかも一杯食わされた相手の孫と同居するなど同意する訳が無い。

「あの……別にさっきの軟禁場所でも良かったんですけど、」
「――構わぬ」

 気を回しておずおずと答えようとしたくららを遮り、夜見が言った。

「先のようなあばら屋で寝泊まりしては、人族の貴顕としての沽券に関わる。ジラント皇国の姫とあらば、庇を分け合う相手としては上々じゃ」
「えっ?」
「悪いものでも拾い食いしましたか?」
「……覚えておれよ貴様ら」

 動揺すらし始めるくららとだきにに、きっちり恨み言をささやく夜見。

(……わらわの目的には、ここに居住した方が都合がよい)

 胸の内で彼女は呟いた。
 当然ながら、夜見はこのまま座してサシチザーニイとやらを待つ気は毛頭ない。自分の失敗のツケを兄に寄せるなど、プライドが許さない。

(転んでもただでは起きぬ)

 ここで――〝力〟を手に入れる。
 夜見は軽く拳を握って、決意を胸中に落とし込んだ。

「そーかそーか。ま、歳の近い娘同士、なんとかよろしくやってくれや。出来ればダチになってくれると助かる」

 リューリクが親指を立てて言うのを、彼女は鼻で笑う。――別に、この男の孫とよろしくする気などない。ましてや友達になるなど。
 自分の権謀に気を取られていた夜見は、気付かなかった。
 その発言が、この男にしては妙にはっきりしないものであった事に。






 離宮はゴシック・リバイバル風の横に広く伸びた構造であったが(くららは「書き割りみたい」とたいへん失敬な感想を抱いた)、その奥に大きな螺旋階段があり、ドーム状の最上階に繋がっていた。
 最上階のフロア全てが一続きの部屋であり、元は竜皇と皇妃の居室を想定していたらしい。

 リューリクの孫娘はそこに住んでいるのだそうだ。
 先導する彼に、息を切らせながらもどうにか追従しつつ、今更くららは不安になってきた。
 竜族のお姫様。
 種族全体が好戦的な竜種の、しかもこの巌のような大男の孫である。夜見ほどではないにせよ、いかにも覇気に欠ける三つ編み眼鏡の文系少女なくららにとってもコミュニケーションが心配な相手に思える。
 ましてや、このリューリクが「大層な難物」とまで言っているのだ。

(……こんなかしら)

 筋肉質の長身で目つきが鋭く、革ジャン姿で、ホットパンツをはいた太股にはタトゥーが入っており、挨拶代わりに殴り掛かってくる……あたかもハリウッド映画の不良娘然とした「リューリクの孫」を想像して、くららは恐怖に震える。
 空想をもてあそんでいると、階段の果てに辿り着いた。

「ここに、俺の孫――ジュラヴリカ・イヴァノヴナ・ジランタウが住んでる」

 すぐ突き当たりに設けられた巨大な門扉を親指で指して、リューリクが告げる。
 彼は門前に仁王立ちすると、大声で中に呼びかけた。

「ジュラヴリカ――ラヴリーチカ! 俺だ! 今日は客を連れて来たぞ!」

 そして腕を組み、しばし待つ。
 ――近くを回遊するカモメが、五回ほどぎょっぎょっと鳴いた。
 岩戸のような扉に変化は無い。

「聞こえてんだろラヴリーチカ! 出迎えに来い! お前ももう赤ん坊って歳じゃねぇんだから、ちったぁ社交性ってモンを身につけろと毎回毎回口酸っぱくして――っだぁああッ! 案の定入り口に重石置いてやがる! いい加減にしろよ巣籠もり娘!」

 苛立ちながら扉に蹴りを入れ始めたリューリクを、くららたちは胡乱な眼差しで眺める。

「なんか……不穏な展開になってきたような」

 奥歯にものの挟まったような顔つきで、首を傾げる。
 ――結局リューリクは「だっしゃぁらぁあああッ」とか怪気炎を吐き扉を殴り壊した。
 扉の破片に混じって、重石にしたらしき一つで家の買えそうな調度品の数々が吹き飛んで辺りに転がる。
 プラネタリウムのようなドーム状の空間。その中央に、巨人の寝起きするような巨大な天蓋付ベッドが置かれており、無数のビスクドールが散りばめられていた。どれも、フリルをふんだんに縫い付けたドレスを着た、これでもかと言わんばかりに耽美な装飾である。

 リューリクはそのベッドに向かって大股で歩き、シーツに隠れるように埋まっていた一体を引きずり出した。
 他の人形と比べて、ほんの少しだけ大きい。白いヘッドドレスからリューリクと同じ色合いをした巻き毛をこぼし、身体に着込んでいるドレスも白。肌までも透き通るような色彩。その中で瑠璃色の瞳がアクセントになっている、いかにも高級そうな造作である。側頭部から生える象牙のような二本の角と、ドレスの裾からはみ出た尻尾などの異形が、ちょっとした遊び心として単なるビスクドールとは違った味わいを醸し出している。

 ――だと言うのに、腐った魚のようにじっとりとした目つき、目の下の隈、卑屈そうに歪んだ口元の内のぎざぎざに尖った歯と、職人が悪意で造形したような表情がその美しさを台無しにしていた。
 その人形は、リューリクに首根っこを掴まれながらもひとりでに暴れた。

「は、ははははは離せじじい……し、しし、信じらんない信じらんない。れ、れでぃの部屋に、と、扉破って、はは、入ってくるなんて」
「てめえがレディらしく振る舞ったらそうする必要も無かったんだよ。なんでダンマリ決め込んだラヴリーチカ」
「だ、だだだだって、あんたみたいな無骨な筋肉ダルマがいたら、あた、あたしの完全なる世界が、調和が乱れる……げ、現に乱した。乱しまくった。ううう、うざ。うざじじい」

 壊れかけのラジオのようなたどたどしい口調で、人形はリューリクを罵倒する。

「調和だぁ? この汚部屋のどこにそんなモンがあんだよ?」

 と、リューリクは人形を睨め付けた。
 そう。この広大な部屋は――とにかく汚かった。
 ベッドを中心として放射線状に、足の踏み場を探すのも難しい程に広がる調度品や書籍、人形、食べた後の食器、使途不明のオブジェっぽいもの――ちょっとした球技なら余裕で出来そうな面積を、よくもまぁここまで散らかしたものである。ある意味才能すら感じられる。
 人形は顔をそらして、どもりながら言う。

「あああ、あたしの生活パターンに沿って、どど動線を計算した結果の、りり理想の配置なの。あああんたが土足で散らかしたせいで、明日からあたし、い、生きてけないわ。ま、孫にこんなアコギでゲスい地上げ屋風味の追い込みかけるなんて、ほほ、ほんと信じらんないぃ~……鬼ぃ、鬼祖父ぅ~……」
「……ッたく、ああ言えばこう言う」

 いつも泰然自若としていた巨漢が、額に手を当ていかにもうんざりと唸っていた。

「よく聞けラヴリーチカ」

 リューリクは眦を険しくすると、指を人形に突きつけ告げる。

「社会から全身全霊で戦略的撤退を試みている最中の、一家の不良債権である所のお前を更正させるのが、一族の長である俺の義務だ」
「あ、ありがた迷惑ぅ~!」
「(無視)その俺が考えた、今回の更正計画は、だ――この人間の娘たちと同居しろ」

 人形の首根っこを捕まえたまま、入り口に所在なさげに佇む三人に差し出すリューリク。

「改めて紹介するが……〝コレ〟が俺の不肖の孫、ジュラヴリカ・イヴァノヴナ・ジランタウだ」

 沈鬱とした声音で彼は人形――じみた幼女を指差した。
 当のジュラヴリカは、くららたちを視界に収めるなり、ただでさえ白い肌を病的に青ざめさせ、脂汗を流し、激しく瞬きをし始めた。

「え……は? う、うう嘘……む、むむ、無理無理無理。絶対無理」
「拒否は許さん」
「ふふ、ふざけんなじじいっ! おおおお横暴っ! ぱ、パワハラっ! ほ、ほほっ、本邦最大規模のドメスティックなバイオレンスのハリケーンがっ、命名ジャクリーンがっ、あたしの平穏を吹き飛ばす為に襲来ぃ~! た、たたた助けてレフ小父様ー! あなたの尊敬する上役である所の竜皇の娘がっ! 老害化したロートル爺から凶悪なハラスメントを受けてますぅ~! い、いい、今こそ悪しき旧弊を排して正義を実行するために立ち上がる時ですよぉ~!」
「保身の為にクーデターを煽るな! それに、レフの承認は取ってる。嫌ならここから出て、一人で暮らすか? 飯炊き一つ出来ない癖に」
「ぎ、ぎぎぎぎぎぃ~……鬼じい~……」

 尖った歯で歯ぎしりしつつ、ジュラヴリカはうなり声を上げる。
 彼女を、ぺいっ、とくららたちの目前に放り込んで、リューリクは口を開く。どこか顔つきの陰影が増した気がする。

「……その、なんだ。見ての通りの問題児でな。親族全員が匙を投げてる」
「泥沼の家庭環境だ……」
「俺も正直匙を投げたい」
「泥沼がより深く……」

 初代竜皇。強力無比の力を持ち、竜の国を興した偉大な漢。
 ラシュモア山の顔像に付け足しても様になりそうな含蓄深い面相――その顔色は今、敗色濃厚である。

「っつーわけで、よろしく頼む。特にヨミ嬢ちゃんは、コイツと気が合いそうだし期待してるぜ。――じゃ、昔のダチの酒に付き合いに行くんで俺はこれで」

 しゅたっ、と右手を上げてリューリクは走らず、しかし異様な速度でドームの扉から出て行った。まさに彼は、匙を全力投球でこちらへ投げ込む事に成功したわけである。
 取り残された女三人は、困惑に満ちて、ぺたんと座りちらちらと挙動不審にこちらを伺うジュラヴリカを見下ろす。決して向こうから発言する様子は無い。
 やがて、くららが口を開く。

「夜見ちゃん! これは夜見ちゃんにとってもチャンスだよ!」
「え? 何が?」
「だってだって、この子と一番歳が近いの夜見ちゃんだし、実際気が合いそうだし」
「えっ? それすっごく失礼ではないかや?」

 今の惨状をサンプルに相性が良いと見なされた夜見が、不満に満ちた目線を彼女に送る。
 それを押し切るように、くららは畳みかけた。

「わたしももちろん夜見ちゃんの友達のつもりだけど、やっぱり歳の近い友達って特別だし。夜見ちゃん今までそういう相手いなかったでしょ絶対」
「そなたをわらわの友達のつもりと思うのが難しくなる発言じゃの……」
「友達は大事だよ! マストゲットだよ! 人生の彩り、輝きだよ!」

 夜見の発言を無視して、眼鏡の奥の瞳に星を散らしながら語るくらら。心の底からウザかった。
 それを見て、だきにが呟く。

「むむっ、これは……クラス委員症候群!」
「えっ、なんじゃそれ」
「教師から委任を受けたクラス委員が無駄にボランティア感覚を惹起されて不登校生徒に鬱陶しく絡むかの如き、立場に格差のある三者間で発生する心理現象……見た所くらら様は、その病に罹っております」

 毎度の無駄な現代日本知識を披露するだきにである。

「ぐぅうう……なんつう影響を受けやすい女……」

 キラキラウザウザとした空気を発散しつつ、「ファイトっ♪」と幼女の背中をぐいぐい押すくららを流し見て、じっとりとした目つきになる夜見。

「おいっ! なんとかせよだきに」
「嫌です」
「即答!?」

 主従関係に疑念が出てくるような超然とした態度で、だきには主の要請をすげなく断った。

「私としても内容の気になるカードですので。……先のやり取りから察するに、この白ロリ幼女の戦闘力は、あるいはお嬢様よりも上……まさかお嬢様よりも性格の歪んだ幼女がこの世に存在する……? やはり、世界は広い……いいえ……だからこそこの世界は面白いと言う事でしょうか」

 などと、国内編から世界編に移ってパワーインフレを起こした格闘漫画の主人公のような台詞をのたまう。

「というわけでファイトです、お嬢様」

 くららの口にしたものとは趣意がまるで違うが、同じ単語でだきには夜見を送り出す。
 かくして、背後でくららとだきにに見守られながら(見離されながら)、夜見はジュラヴリカの前に立たされた。
 尖った目つきで見下ろす黒い和服の幼女と、卑屈そうに吊り下がった眼差しで見上げる白いドレスの幼女。対照的な二人である。

 両者はしばし視線を交わす。
 先手を取ったのは夜見だった。

「わらわは友達なんぞいらんわ」

 リューリクは妙な期待を掛けているようだが、それに応えてやる義理など彼女には無い。身内の恥くらい自分で雪げと言う事だ。

「ましてや、こんな――くらげのようにふわっふわしたチビなんぞ」

 城壁のように堅固な拒絶の言葉である。
 それに対し、ジュラヴリカは、

「――ふひっ」

 引きつったような笑い声を上げる。

「あ、ああああ~、あたしだって友達なんていらないし……友達? なにそれおいしいの? ですしおすし……リカちゃんのパーフェクト・ワールドに他人様とかゆう異物は切除排除削除リム安定ぃい~……」

 ――でゅふひっ、でゅふひひひっ。
 どうやらこの幼女の豆腐メンタルは、出会い頭に否定されてバグり気味らしい。
 そして彼女は、最後に一言夜見を睨め上げて告げる。

「ましてや、こんな――イカみたいにつるっつるしたガキなんてぇ~」

 びきぃっ!
 空気が凍り、ひび割れる音か。あるいは幼児体型を露骨にこき下ろされた夜見が額に青筋立てた音か。

「……貴様とてその服で誤魔化しておるだけで、貧相な体つきしとるんじゃろうが」
「ふ、ふひっ。せせ、成長性って名セリフを知らないのかよ……あ、あんた見たとこもう十歳超えてるでしょ。育つ奴はもう片鱗を見せる頃だし……そそ、そこのおっぱい魔王に聞いてみなさいよぉ~っ」
栴檀せんだんは双葉の頃より香しって名セリフを知らないのかよ、ですね」

 だきにがあっさり主を裏切り、ジュラヴリカの罵倒に追い風を吹かせる。そしてくららは、おっぱい魔王とか言われて大いにショックを受けていた。
 卑屈な笑いに嘲笑を混ぜ込み、ジュラヴリカは追い打ちをかける。

「じゅ、十歳て……竜族換算じゃ四十路くらいだし……ば、ババアぁ~。ババアの癖につるぺたぁ~」
「バっ……詭弁を弄すな! 人間換算で十歳はあくまで幼女じゃっちゅーの! だいいちそう言う貴様はいくつなんじゃ!」
「そ、そろそろ八歳ぃ~……」
「人間換算でじゃろーが! つまり三十路超えとるっちゅー事じゃろ! おばはん!」
「お、おおおばはんちゃうわっ! り、竜族換算だから幼女の部類に入るに決まってるでしょぉ~!? し、失礼っ、失礼よぉこのイカぁ~!」
「はん。よいかくらげ、社会においては相対性理論なんぞ通用せんのじゃ。時間は平等に流れるものよ――〝三十路のぱらさいとしんぐる〟という言葉の持つ残念極まる響きが、種族の違い如きで易々と覆るわけなかろーが」
「ぴきゃぁあああああ~っ!?」

 容赦の無い夜見の発言に、頭を抱えて悲鳴を上げるジュラヴリカ。

「ち、ちちち違う違う違う。あたしはまだ本気出してないだけ、本当の自分になれてないだけぇ~! ああああんだなんがに分がんないのよぉ~っ! だ、だいたい、あんたの言動がババ臭いのは確かな事実ですしぃ~?」
「わ、わらわは天才じゃから早熟なだけじゃっちゅーの!」
「体型は晩熟どころか絶望的ぃ~」
「ぶ、ブチ殺すぞこのくらげ~っ!」
「こ、怖ぁ~……野蛮イカ怖ぁ~っ」

 とうとう夜見がジュラヴリカに掴み掛かり、とっくみあいのケンカになる。

「……ええと」

 広大な汚部屋をリングにマウントを取り合う幼女二人を見下ろし、困惑するくららに、

「ドロー。物の見事な泥仕合ですね」

 審判よろしくだきにが判定を下すのだった。




 

「っちゅーわけで、この中心線を国境にしたこっち側が我らの領地じゃ。入ってくんなよくらげ」

 絨毯の上に手頃な壷やら椅子、観葉植物、燭台などを土嚢のように置き、そこを隔てて夜見はジュラヴリカに毒気をまじえて通告した。掴まれた髪が乱れ、着物も崩れている。

「あ、ありえない……あたしの平穏な世界が半分に……し、侵略者っ、侵略イカ娘ぇ~っ……」

 隈のある目を恨めしげに夜見へと向けつつ、ジュラヴリカはうなる。こちらも引っ張られた巻き毛があさっての方向に伸び、コルセットのずれたドレスが妙なシルエットになってしまっている。

「あ、あはは……ごめんね?」

 頬をかきながら、くららは彼女に謝意を述べた。――そもそも、獲れる時に獲るのが信条の夜見は、数の優位を傘に着て、この部屋の四分の三の面積の割譲を要求していたのだが「いくらなんでも」とくららが止めていた。
 それで話しかけやすいと思われたのか、ジュラヴリカはくららの方を向いて聞いてきた。

「て、てゆーか、そもそもあんたたちは何者なのよ……」
「うーん……虜囚ってとこかな。サシチザーニイとか言う武術大会の景品にされちゃって……」
「ほ、ほんと?」

 くららの回答を聞くなり、爪の伸びた両手の人差し指を絡ませて、もじもじと声を上げるジュラヴリカ。

「あ、あ、あたしとおんなじ。あたしも、それ」
「えっ?」

 指示語のみで要領を得なかったが、勘違いでなければこの幼女もサシチザーニイの景品にされてしまっているという事だ――リューリクの孫が。

「どういう事?」
「じじいが、やった……」

 ぽつり、とジュラヴリカは答えた。

「ほほ、ほんとワケわかんない。家から連れ出して、人界をさんざん連れ回した挙げ句に、ようやくジラントに戻って来たと思ったら、う、売り飛ばすなんて……」

 うぐ、と詰まったような吐息が漏れる。膝を抱えてしゃがみ込んだ彼女の、ドレスの裾に涙が落ちた。

「けけ、結局あいつもあたしを見離した……そ、そりゃそうよね。こんな、く、クズの面倒、誰だって見てらんないもの……こっ、これまでは単なる楽隠居の気まぐれってだけ。最初からあたしは、ひっ、一人って事……だだ、だから、す、捨てられたとかじゃないし……」
「……」

 沈痛な独白に、くららは何も言えず口ごもる。
 どうやらこの子供(実年齢は三十なので、この場では最年長なのだが……ややこしい)には、複雑な事情があるようだ。
 どう声を掛けたらいいか迷っていると、

「――阿呆め」

 冷淡な声に、うつむくジュラヴリカの顔が上向いた。
 早速だきにに指示をして、自分の領地に散らばるがらくたを片付けさせていた夜見が、背を向けたまま横顔だけこちらに見せていた。覗く左目は、刺々しい視線をへたり込むジュラヴリカに突き刺している。

「な、なによぅ……ど、どどっ、どうせあんたも、外に出ないあたしを馬鹿にしてるんでしょ……ああ、あんたなんかに、あたしの気持ちなんて、分かんないわよ」

 ジュラヴリカは座ったまま後じさりつつ、反論する。

「違うわたわけ。っちゅーか、わらわとて国が滅びなんだらずっと宮殿実家にこもっていたかった。三十路までもらとりあむ継続中の貴様が心の底から妬ましい。明日にでも可能な限り残酷な不幸を味わって無惨に死ねとすら思うておる」

 真顔の発言である。

「夜見ちゃん……」

 安定した性根の歪みっぷりに、くららが呆れてため息をつくも、それを無視して彼女は言葉を続けた。

「――自分だけしか見ておらん癖に、他人の意図を斟酌しようなどという愚かさをなじったのじゃ、わらわは」
「……どど、どういう事よぅ」
「そち如き相手にさーびすしてやる程、わらわの口は軽くない」

 底意地の悪い口調で切り捨てると、顎に手を当て考え込む仕草の後夜見は言った。

「おいくらげ。そちの祖父に、最近変わった事はないかや。覚えておる限り話せ」
「お、横暴っ、自分は何も教えてくれないのに……」
「いいから話せ」
「いっ、嫌ですぅ~。あんたみたいにこまっしゃくれたガキに教えてあげる事なんてありません~」
「ぐっ……貴様、今の状況を理解しておらんようじゃな」

 唐突に夜見は声のトーンを落とした。

「な、なによぅ」

 怯えるジュラヴリカに、自分の領地として奪い取った部屋の半分を手で示しながら彼女は告げる。

「こちら側にある貴様の私物の支配権は今、わらわが握っておるという事じゃ」
「ししっ、しまったぁ~!」
「ほぉ~れ、有能なる我が従者が瞬く間に貴様の持ち物を分別していくぞ。あやつの片付け能力は実に脅威じゃからのぉ。……わらわが何度、容赦無く大事な物を捨てられた事か。あの根付けっこう気に入ってたのに……」

 どうやら実体験をまじえて脅迫する夜見を、恨めしげにジュラヴリカは睨む。

「ひっ、卑怯よぉ~!」
「くふっ、くふふふ、最高の褒め言葉じゃのぉ……恨み節を垂れる暇があれば、語るべき言葉があるのではないかやくらげ。陶製人形は燃えないごみじゃが、一尺以上は粗大ごみよ」
「きゃああああ~っ! あたしの百七十五人目の友達ヴァリューシカちゃんがぁ~! 言うっ! 言いますぅ~! じじいの個人情報をいくら漏洩してもあたしの腹は全然痛みませんからぁ~!」

 ジュラヴリカは実に理不尽な屈服を強いられているのだが、祖父をあっさり売るその姿勢に全く同情できなかった。
 ――かくして四人は国境線として置かれたテーブルにつく。
 ジュラヴリカは不服げに口を尖らせながらも、だきににお茶を供されると「あ、ありがと……」とか細く礼を言った後に語り始めた。

「て言っても……あたしだって大した事は分かんないわよ……あいつ、いっつもあちこちふらふらしてるんだから……最近は特にそう。あたしをここに押し込めたっきり、たまにしか会いに来ないし……」

 不意に声を沈鬱とさせる。なんだかんだと言って祖父の訪問が減ったのが不満――不安らしい。

「……で?」

 そんな心情は興味がないとばかりに、夜見が先を促す。
 ジュラヴリカは苛立たしげな目つきを彼女へ向けつつも、席を立ちはしなかった。煎茶の水面を眺めて、記憶を掘り起こすように眉根を寄せると、やがて口を開く。

「あ……でも、こないだ、なんかやたら上機嫌だった時があって」
「上機嫌?」
「そ、そう。世界は広い~、だの、長く生きててもまだ意外な事があるもんだ~、だのワケわかんない事一方的に言ってきて、う、うざかった」
「ちっ……しっかりわらわが使える情報を聞き出さんか、無能なこみゅ障め」
「り、理不尽~! ……あ、そそ、そう言えば、こんな事も言ってたわね」

 湯呑みに視線を落とし、たどたどしいながらもジュラヴリカは告げた。

「――生身の人間に殺されかけたのは初めてだ、って」




    //////




 路上の喧嘩はシヴィル・シーチの風物詩である。

 ――おお、やってるやってる。
 ――片方はムィハーイロか。野郎、伍長との博打で負けてイラついてやがったからなぁ。
 ――もう片方のチビは誰だ? 見ねぇ顔だな。
 ――角も尾もねぇし……まさか貴種アリスタクラートか?
 ――馬ァ鹿。こんな所に連中がいるワケねぇし、仮にそうだとしたらとっくにムィハーイロを吹っ飛ばしてらぁ。
 ――まぁ、貴種にしちゃ苦戦してるが……あ、でもチビの方が勝ったぞ。

 目抜き通りの横町となる街路で勃発した喧嘩の趨勢を見送っていた男二人が、その決着にぞんざいな拍手を送る。

「よぉよぉ、頑張ったなちっこいの。面白ぇモン見せてくれた礼に、一杯やろうや」

 気さくに声を掛ける。
 だが、その相手である少年は、困惑したような顔をするだけで呼びかけに応じなかった。「テアテシテヤレ」と妙な言葉を語り、殴り倒された大男を指差している。

「あん? 何言ってやがんだてめぇ」

 男が首を傾げていると、諦めたように首振りして少年は立ち去った。その足取りには疲労感が色濃かった。






「……ぐっ」

 人目の無い路地裏に潜り込み、ようやく日雨はデモナイズを解いた。途端に鬼道で調えていた呼吸が乱れ、石畳に倒れるように座り込む。北国の肌寒さの中でなお、肩や腹に出来たあざに強い熱を覚えた。
 リューリクとの鐘楼でのやり取りの後、駆けつけた歩哨相手に今度こそ城下町へ逃げ込み、数時間経過していた。
 もう夜と呼ぶべき時間帯だが、空はさして暗くもない。驚くべき事に、この時期、この地方は太陽が沈まないらしい。

 刻限を示すのは仕事を終え、繁華街に集い始めた人々の姿のみだ。
 そして、その多くが灰色に染めた厚手の戎衣姿だった。
 彼らシヴィル・コサックの兵士は、リューリクの語ったように荒くれ揃いで――日雨はこれまでに五度、彼らの喧嘩に巻き込まれた。

(東州人並に喧嘩っ早いぞ、ここの連中……)

 秋津洲国の東側の領土に住む人間も、東北の地方民族と常に戦ってきた歴史から荒っぽく喧嘩好きだった。火事と喧嘩は穢土の花、などとうそぶく習慣すらある(穢土とは畿内が東州を揶揄する表現だ)。
 彼らと違うのは、単純に力の量だ。
 太刀は使わなかったにせよ、デモナイズして全力で殴り合う事で辛うじて無力化できた。

 相手は、単なる一歩兵だと言うのに。
 レフ・カルピンスキ――あの、コサックを統率する長の霊格は、〝三尾〟のだきにに匹敵するだろう。人間サイズの妖魅では最高峰の霊力を保有する存在だ。
 そして、リューリク・ジランタウはそれすら上回る。
 加えて、二週間後のサシチザーニイで相手にしなければならないのは、彼らだけではない。地位も保証され、豊富な報酬も与えられる武術大会に出場する選手が、今戦ったような場末の酒場で酒精に浸る一兵卒と同レベルであるはずがない。
 認める。

(このままでは……勝てない)

 人と竜。この隔絶した種族の壁がある限り、サシチザーニイを制覇する見込みはゼロだ。
 壁を越える力を手に入れない限り――

(だが、どうやって?)

 たかだか二週間で飛躍的に強くなる方法などがあれば、誰も武術の鍛練に苦しみはしない。
 そもそも。

(余には、才が無いのだ)

 ――日雨君、君は天賦の才を持ってはいない。

 師匠の言葉だ。

 ――同じく才を持たなかった者からの忠告だ。君は、戦う道を選ばずに生きなさい。

 そう言ってあの男は、日雨に武術の手解きを始めたのだ。
 師の忠告は守れなかった。国は滅び、彼に教わった武術を役立てるしか生活する術は無かった。
 そして今は、目指すものの為に戦っている。

(だから、選ばずにはおれんのだ……師匠)

 種族の壁、才能の壁、明確な道理が立ちはだかるにしても、それに挑戦する事を諦めるわけにはいかない。
 壁に背を預け、疲労で震える足を無理矢理立たせる。時間は少ない。休んでいるわけにはいかなかった。都合の良い妙案が無いにしても、出来る事をしなければ。
 尚武の気風が強いのが竜種であるなら、町道場のようなものも存在するだろう。そもそも日雨は竜種について知らなすぎる。彼らの戦い方を覚えておくに越したことはない。あるいは、竜種共通の弱点が見つかるやも。
 方針は定まったが――それも問題が一つ。

「……言葉が通じん」

 リューリクやレフは人界共通の商用言語・絹語を使っていたが、あれは彼らが高級貴族の教養で修得していただけなようで、城下に住む一般人はまるで違う言語を喋っていた。
 夜見ならば、道ばたの会話を数時間ほども聞いていたら現地人並に喋るのだろうが、あいにくとそんな規格外の言語能力はない。
 これまで喧嘩に巻き込まれたのは、コミュニケーションを取れない事に大きな原因がある。
 このままでは町道場はおろか、二週間生き延びる事すら困難だった。

「通訳も探さねばならんのか……そもそもいるのか、そんなの」

 山積みの課題にうんざりとしつつ、日雨は路地裏から抜け出ようとした。

「ん?」

 しかし、その直後、出口を小柄な人影に塞がれる。
 人影は真っ直ぐこちらに駆けてきて、飛び込むように体当たりしてきた。一応、武装してないのは確認している。通り魔の類では無いようだ。
 そして、そう疑うのが失礼な程に――胸の内の少女は美しかった。
 歳の頃は夜見とさして変わらないだろう。絹糸のような柔らかな光沢を放つ金髪を持ち、瞳は紫水晶アメジストのように蠱惑的な輝きを放つ。煌めく朝の砂丘のような肌は、多少薄汚れたフードローブ姿であっても人目を惹かずにはいられないだろう。

 作り物めいて整った少女だった。
 そのほっそりと伸びる手足の、繊細な作りの指がこちらの服を握っている。

「ウマリャーユ パマギーチェ――」

 小作りな唇が発した言葉を日雨が理解していない事に、彼女も気付いたようだった。すぐに言い直してくる。

「助けて!」

 絹語だった。

「追われているの!」
「お、追われている? 誰に?」

 状況の急変についていけず、間抜けな顔で胸の内の少女に問い糾す。と――
 北国に場違いな、砂漠の毒風めいた空気が吹き込む――

「俺から逃げられるとでも、思ったかよ」

 聞き覚えのある――忘れようのない声音に、背筋が跳ねる。
 石畳を踏む足音が、妙に薄くか細い。踏み込んで来た男の体格に見合わない。
 赤土めいた毛色の長髪、砂海の民特有の彫りの深い顔立ち。黒い留め具の多い革の上下にモスグリーンのマントを合わせている。
 ズボンに一体化した留め具に、刀の鞘を固定していた。
 日雨はその太刀の味を知っている。身体で体験した。
 それを操る男の、神域の武芸も。

「おや?」

 男はようやくこちらの姿を認めたようだった。顎の無精髭を撫でて、おかしみを覚えたように唸る。

「こんな所で会うたぁ、なんとも……合縁奇縁って奴かねぇ――還龍宮」
羅虚虎ロゥ・シィフゥ……!」

 日雨は、凶侠の名を呼んだ。
 



[40176] 3.凶虎再び
Name: 八目又臣◆aa87a973 ID:17b043ce
Date: 2014/09/01 20:15
 日雨の祖国、秋津洲国の滅亡には幽霊国家ことカタ・コスモーン機構の思惑があり――その代行エージェントを担う者がいた。
 叛乱勢力である苦鸞クランの教育と資金提供の仲介を請け負い、自身も破壊工作サボタージュや要人暗殺を行っていた男。秋津洲国を転覆させた張本人と言っても良い。

 そして、
 ――さすが稀代の女傑と謳われるだけはあるねぇ。落ちた首が眉一つ動いてやがらなかったよ。
 日雨の母を処刑した男。
 それが、羅虚虎だ。

「なぜ……貴様がここにいる!」

 弓弦を張り詰めたような敵意をぶつけて、日雨が問いかける。
 相手はまるで気負わず、緩んだ姿勢のまま答える。

「そいつぁこっちのセリフだぜ坊や。単なる暑気払いには遠出が過ぎるじゃねぇか?」

 手応えが一切感じられない。こちらの気勢を流すように、ふらふらとした語り口だった。

「セイタンのお嬢ちゃんがいねぇな。――うまく目を盗んで、別の女を腕の中に、か。随分と見込みが出て来たじゃねぇか? えぇ坊や? 悪事を学ぶにゃ一時で余り有る、って言うがねぇ」

 口の端を吊り上げて、卑しげになじってくる羅。
 頭が煮えたように熱くなるが、辛うじてこれが挑発に過ぎないと理解できていた。
 この老獪な男の意図を直接探るのは困難だ。今この時は、別の情報源がある。

「御前、この男は何故そなたを追う」

 抱きついてきた金髪の少女に問いかける。

「あ……ええ、と」

 しかし彼女は、憂いたような眼差しでうつむき、言葉を濁すだけだ。
 語りたくない事らしい、が――このシチュエーションには覚えがある。少女の非現実的な美貌も、〝あの時〟のくららと同じものと感じた。

「そなた、機傀悪魔か」

 一言端的に告げると、彼女は紫の瞳を見開いて驚愕した。

「え……どうして、キミ、知って」
「最近、少しばかり縁があっての……あの男とも」

 羅の身体全体を視界に収めるように注意して――一度目を離したら何をやってくるか分からない男だ――、日雨は少女をやんわり押し退ける。
 彼女を背後に置き、間に立ち塞がるようにして羅と対峙した。

「へぇ――戦る気かい坊や」
「次に会った時に斬り合う、と言ったのは貴様だ」

 にべもない口調で言い放ち、日雨は腰の刀を抜いた。
 羅がこの少女を追う理由は定かでないが、カタ・コスモーン機構の依頼を受けて活動するこの職業的テロリストの目的が穏健なものであるはずがない。応戦以外の選択肢は無かった。
 何より――この男は、敵だ。
 詞木島日雨が敵意を以て立ち向かう相手だ。

「ここで、貴様との決着をつけておく」
「江戸の敵を長崎で討つ、ってかい……ああ、こりゃあ秋津洲人には分からん諧謔だねぇ」

 きしっ、と軋るような笑い声を上げて、羅は房飾りのついた腰の刀――大陸で打たれた太刀・苗刀を抜刀する。

「しかし、一端の口を利くにはちィと……早いんじゃないかねぇ――坊や」
「――確かめてみろッ! その身で!」

 自分にもう一つの身体がある、とイメージする。架空の血管、空想の神経、幻の筋骨――精神の内に、己の移し身を構築する。
 それがデモナイズの手順だ。
 頭髪が青白い変色と共に伸び、爪が尖り、四肢に回路図のような文様が浮かぶ。手にした太刀が膨脹し、膨大な魔力で強化された筋力に見合う強度と重量に変質していく。
 全力で相対する。羅は入神の域にある達人だ。かつて日雨は手も足も出ずに殺されかけた。
 ――しかし、

(余は、この男に一度勝っている!)

 日雨はあの時失神しており、戦いの行く末を記憶している訳ではないが、状況を鑑みるに間違いない。かつて、羅と最初に戦った時、媒介者メディエーターとして覚醒しこの男を打倒したのだ。
 悪魔の秘術は、神域の剣達にも通用する。
 ――路地裏の石畳を蹴って、一足飛びに羅へ飛び掛かる。担いだ剣を、落雷じみた速度で振り下ろした。

 羅は、水の落ちるように身体を沈めた。
 回避と攻撃の予備動作が一体となっている――沈墜勁。大地の反発を利用して剣力へと変換する大陸武術の身体操法。
 内懐に潜り込まれた。そこからの斬り上げは、こちらの斬り下げよりも最短距離を走る。
 羅の攻めが早く届くと判断して、日雨は咄嗟に身体を捻ろうとした。斬撃をすかして回り込み、反撃する意図。
 ――その目前に、凶刃の切っ先がある。

(……なっ!?)

 腰を落とした羅。その手の内に握られているはずの刀は、彼の背を回り込んで右肩からこちらへ向けられていた。
 姿勢を低くしたのは、手元を隠す為か――!

「相変わらず――初心うぶな坊やだッ!」

 羅は右手で刀身を直接握り込み、身体が泳いで身動きの取れない日雨の肩に突き刺した。
 ぶちぶちと肉が裂ける悪寒。

「ぎッ……!」

 肉食獣の牙に晒されたような激痛に、日雨はくぐもった悲鳴を上げた。

「カカッ!」

 羅はそのまま肩口に突き刺さった太刀を捻り、肉を抉る。焼けるような激痛に、日雨の悲鳴は高くなった。痛感による反射で、自分の刀を取り落としてしまう。

「……離せッ!」

 空いた右手で拳を作り、顎を撃ち抜くつもりで振り上げる。
 紙一重で躱された。
 その一瞬で、左肩の痛みがかすかに和らぐ――羅もまた、太刀から手を離していた。

「仰せのままに王子様、ってかァ!?」

 羅は目の前に差し出された形の日雨の腕を、右手で手首、左手で肘を掴んだ。

擒拿関節技……!?)

 逆技で、こちらの右腕をねじ折ろうと羅は力を込めてくる。
 だが、デモナイズで強化した肉体ならば、いくら梃子の原理を用いても耐えられるはずだ。
 それが道理だったが――直感が否定した。
 膝で、右腕を捕縛する手を砕こうと蹴り上げる。
 間一髪で羅は飛び退き、日雨は解放された。羅の手の内にはいつの間にか苗刀が拾い上げられている。
 日雨も太刀を拾いつつ、肩の傷に霊子を通し治癒力を高め、どうにか両手で握る握力を取り戻す。右手もまた痺れていた――あの一瞬で掛かった負荷の為だ。

「ひゃはっ!」

 喜悦を零しながら斬り込んでくる羅に、当てるように受ける。――斬撃が重い。

(やはり……力を強化している!)

 デモナイズによる法外な筋力に対抗出来る程、強い霊子を身体に注ぎ込んでいる。
 おかしい――最初の戦闘では、羅はここまで自分を強化していなかったはずだ。技術では比べるのも馬鹿らしい程に格差があるのだから、力で圧倒する以外に自分の勝ち口は無い。
 それが、今は拮抗している。
 その技術の格差が、目に見えて現れる程に。

「少しも技は向上してねぇな坊や! ガッカリさせてくれる!」
「くッ……!」

 視野全域を縦横無尽に駆けるように、羅の斬撃が奔る。その全てに骨肉を断つ重みが乗っていた。なんたる多彩な技量か。
 日雨は受け太刀で手一杯となる。
 そこに、

「動きが固ぇんだよ!」

 防御の為に踏ん張っていた足、その膝を蹴りつけられた。
 腰が落ちる。その隙に頭上から迫る刀刃。
 膝を地面に立て、太刀を横にして斬撃を受け止めた。
 そして、がら空きの顎を蹴り上げられる。

「ぐぅッ!」

 吹き飛ばされ、空中へ投げ出される。

(こ……このままでは勝てん!)

 同じ動き、同じ次元での戦いをしている限り、技術の差が大きすぎる。
 人の範疇にある限り。

(ならば、それを越えるまでだ!)
「かぁああああああああっ!!」

 息吹と同じ呼吸法で、全身の霊子の循環を、より速く、強くする。青白い燐光が周囲に生じ、体温の高熱に周囲の大気が白く煙る。
 滞空したまま、間近の建物の壁を蹴る。
 狭隘な地形は日雨を利した。彼は目まぐるしい速度で両端の壁を行き来し、羅の視覚を幻惑する。
 死角に占位し、突撃。

 羅は軽い横飛びのみで斬撃を躱す。後ろに目でも付いているかのような動きだった。
 日雨は舌打ちしつつも、そのままの勢いで飛び上がり、再び壁に取り付いた。

(なら……これはどうだ!)

 内懐からスローイングダガーを取り出し、霊子を通して巨大化させ投げ飛ばす。
 これも羅は身をひねって回避する。
 その程度織り込み済みだ。
 空中から釣瓶打ちに投剣を撃ち続ける。防御に専念させ、その隙に斬撃を当てる――

「なかなか……化物じみてきたじゃねぇか? 坊や」

 挑発のつもりか、回避運動の最中に羅はそう告げてくる。

「ここの竜どもと比べても大差ねぇ。まぁ、〝上〟の連中よりかはカワイイモンだがな」

 偶然にもこちらの苦悩を示唆する皮肉に、日雨の血が一段と熱を持つ。
 立て続けに五本投剣する。残弾全てを使い切った攻撃。
 その内の一本が――羅の握る苗刀を弾き飛ばした。
 生じた勝機に、日雨は全力で壁を蹴り突貫する。

「それでも貴様には勝てるぞ、羅!」

 太刀を振り上げ、降下の勢いを乗せて斬りつける――その最中。
 神経に通した鬼道で強化された聴覚が、小さな呟きを聞いた。
 ――豎子青二才
 羅は〝刃に直接手を触れた〟。一瞬にも満たない交錯で、それだけを把握する。
 嵐に巻き込まれたかの如く、視界が急変する。
 そしてその変化は、大地に叩き付けられる事で制止した。

「がはぁッ!?」

 肺が収縮し、呼吸が全て吐き出される。突撃に費やした日雨自身のちからが全て受け流され、石畳を砕き大穴を穿っていた。

「教えてやるぜ、坊や。俺の専門はただの暗殺じゃねぇ――化物退治だ」

 落とすように、言葉を述べる羅。

「お前さんみたいな力に奢った化物は、手頃な獲物なのさ」

 ざりっ、と靴が地面をこする音がする。剣を拾い上げた羅が止めに近付いてきている。

(動け、動け、動け……!)

 したたかに背中から叩き付けられ、脊椎が砕けていた。これを治癒しなければ逃げられない。恐怖に満ちた一瞬の中で、必死に回復へ霊子を回す。

「く……ぁ」

 どうにか立ち上がり、羅を睨み据える。

(この程度の力では駄目だ。もっと――もっと!)

 更に強く、自身の魔力を身体の強化に注ぐ為に意識を集中させる。

「ば――馬鹿! それ以上は!」

 背後から、少女の声が聞こえた。それに加えて、

【警告メッセージ:フランケンシュタイン野のドーパミン濃度が許容値を逸脱。〝NODS〟の危険有。直ちに体内エーテルを基底状態へ遷移させて下さい】

 視界の端に、緑色に発光する文字列が浮かび上がる。以前より度々日雨に何かを警告してきた謎の幻影である。

(構うか!)

 無視して、力を励起させる――
 ぐらり、と。

「……ぁ?」

 不意に足が滑り、日雨は地面に転倒した。
 足下を見れば――石畳が液状に溶けて、足首まで沈んでいた。

(まさか……幻術!?)

 そんな手管まで持っていたのかと、羅を見上げる。しかし彼は、その疑惑を嘲弄するように口元を歪めて告げた。

「限界だな、坊や。〝魔力酔いオーバードーズ〟だ」
「オーバー……ドーズ?」
霊子操作エーテル・コントロールの為のESPの過剰行使に起因する心的不全……秋津洲国じゃ、巫病と呼んでいた症状だ」

 それは、秋津洲流の魔術――巫術を習う人間ならまず始めに教わる、術の行使に伴うリスクだ。

 ――巫覡の業の極意は、己が身魂を幽世に置く事である。
 ――しかし、常に〝半身は現世に留めよ〟。さもなくば、〝帰ってこれなくなる〟。

 巫術の行使の為の瞑想には、心身のバランスを失調する危険がある。術の修得過程において、幻聴や幻視、妄想などの精神疾患を発して病床で暮らす羽目になる修行者は後を絶たない。
 ここ数ヶ月――デモナイズの能力を得てからは、その制約を無視して力を使えていた。

(いや……)

 思えば、アガルタで竜種の魔獣――魔竜と戦った時にも同じように喪心しかけた。限界が伸びただけで、消えたわけではなかったのだ。
 初心者でも持っている心構えを怠り、無計画に連戦した挙げ句に自分の限界を超える力を引き出そうとした。

(なんたる間抜けか……!)
「理解したか、餓鬼め」

 悔しさに奥歯を噛みしめる日雨に、冷酷な羅の声が降りかかる。

「お前は、自分の得た力の意味を考えもしなかった。偶然に拾った利器で自分が強くなったと勘違いした、愚かな餓鬼だ。お前は――無思慮な化物になっただけだ」

 嘲笑うか、と日雨は屈辱に唸り、見下ろす男へ眼をくれる。
 しかし、男の唇は真一文字に結ばれていた。
 羅虚虎は、落胆していたのだ。

「……ッ!!」

 屈辱を超えて、脳髄が発火したような激情に苛まれた。
 喉を、血と骨の生臭さが下る。知らず、奥歯を噛み砕いていた。
 この怒りが何に起因するか、日雨は正確には理解できなかった。
 しかし、許せなかった。
 断じて、このままにはしておけなかった。

(この男、だけは……ッ!)

 ぞわり、と陽炎のように髪の毛が揺らめく。
 羅と己の間に、取り落とした刀。
 手足は全く動かない。
 噛みついて、取り上げた。

「へぇ……まだやるってのかい、坊や」

 羅の言葉に、殺意を視線に乗せて応じた。

「いいぜ――ここで、お前を終わりにしてやる」

 心身の熱気が吐息を暖め、白く立ち上らせる。靄の掛かったような視界の中で、なお凶刃が濡れたように妖しく輝く。
 決定的な一瞬が訪れる。
 その直前に。

「待ちなよ、無號ネームレス

 背後から、少女の声が制止した。
 この土壇場で何の意味も無いと思えたその言葉は、果たして羅の足を留めた。
 男の顔を見る――羅は、明らかに少女を警戒していた。

「……何だ」
「キミは、任務おしごと以外の殺しはやらないと思っていたんだけどね」

 固い羅の応答に、余裕めかした口調で少女は返した。
 続く羅の返事はいかにも不愉快そうだった。

「……別に、モラリストを気取ってるわけじゃねぇ。経済的じゃねぇ、ってだけだ」
「じゃあ、これは経済的だってのかにゃー?」
「やめろ、その口調……反吐が出るぜ。――この程度、小石を払うくらいの手間だ。社会に有害な血気に逸ったクソガキを始末する。ボランティアって奴だよ」
「はぁ? たった二行前のセリフを忘れましたかー? アルツハイマーの検査でもしといた方がいいんじゃねぇの、お・じ・さ・ま♡ 現在絶賛モラルハザード中と自認する極悪非道の殺人稼業・羅虚虎ちゃんが慈善ボランティアの殺し? アレですか? 正義の心に目覚めちゃいましたかー?」
「……チ」

 げらげらと下品な嘲笑と共に当てこすられた羅が、顔をしかめる。

「……何のつもりだ」
「あーあ、すっかりスレちゃったねぇ羅。おねーさんはしばらくぶりに会ったかーわうぃ坊やと楽しくお喋りしたいだけだってのに。警戒心バリバリ、深読みしたくて仕方ないのねぇ。あー哀し」
「喉元に刃を突きつけられねぇと、その戯言は止まらねぇのか」

 苛立たしげに羅は吐き捨てる。

「あは――ほんと、可愛いね、キミは」

 挑発めいた言葉に、羅虚虎の怒気が名前通り肉食獣じみて空気を浸透する。
 それをはぐらかすようにして、少女は言う。

「取引、しよーぜ」
「……取引だと?」
「そ。――今回のキミの仕事を、やりやすいようにお膳立てしたげる」
「……あんたが?」
「うん。ボクが。おやすい御用だ。分かるでしょ?」

 自信に満ちた発言に、羅は沈思黙考を始めた。
 しかし、相手に冷静である事を許さないとばかりに、少女は立て続けに語りかける。

「キミが、ボクやこの子を害する経済的な理由はない。そして、手を出さない経済的な理由は今できた。これでどう? 見逃してくれる?」
「……まだ、俺の天秤は傾ききってねぇ。――あんたの思惑は俺には読めん。〝あんたが〟そこの小僧を庇う理由もだ」
「疑わしきは罰せよ、って考え方、コスパ悪くない? エコノミストの羅虚虎ちゃん。――それにさ」

 彼女は音程を一段低くして、刺すように述べる。

「キミがボクへ抱く殺意も、計略の一部かも。……ボクが、〝そういう者〟だって、キミなら理解してくれてると思ってたけど」

 雌の蛇が絡むような口調であった。
 絡め取られた雄虎は、苦しむように唸ると一言「くそったれ」と吐き捨てる。屈服めいた響きだった。

「……あんたとそのガキ、二人の命分は仕事をしてもらうぞ」

 置き捨てるように告げて、羅は路地裏から立ち去っていった。
 あの男の気配が消えた途端、強烈な虚脱感に襲われた。顎からも力が抜け、くわえた太刀が落ちる。

「あーあ、ボロボロだねぇ、キミ」

 背後に立っていた少女が日雨の眼前に回り込んでくる。しゃがんで、面白がるような笑顔をこちらに向けていた。

「御前、何者だ……」

 あの揺るぎない殺し屋を自分の意図通りに操り、撤退させた。驚愕を滲ませて日雨は問いかける。
 彼女は、答えた。

「エルザ。エルザ・フランケンシュタイン」

 そして日雨の意識は喪失した。






 微睡みの中で、自分は眠っていたのだと理解していた。かなりの時間が経っているとも、緩んだ筋肉の感触から知れる。
 なのに、眠る前と同じくエルザ・フランケンシュタインの顔が間近にある。
 むしろ近くなっている。

「お、起きた? おはよ」
「~~~っ!?」

 日雨は転がるようにしてエルザの顔から身を離す。身体にかかっていた布団が吹き飛び、宙に舞った。
 ベッドから転げ落ち、飛んだ布団が頭上に戻って来る。
 被さった掛け布団の隙間から、起き上がってベッドに座り込んだ姿勢の金髪の少女が見える。
 下着姿だった。

「な……え、あ?」

 舌がもつれて言葉にならない。――下着という秋津洲国では馴染みのない衣類の意味を、日雨はこの間、くららから切々と説かれていたのだ。
 白い精緻なレースの下着とそれに劣らない輝く肌を見ている内に、自然と脂汗が流れ、喉がからからと渇いてくる。美しいものを視界に収めているはずなのに、ストレスを感じられてならない。辺りを見渡しても、屋内の寝室らしき部屋の内装が見えるばかりで、この窮状の救いになるものはどこにもない。

「おやおや? なんで土下座すんの?」

 気付けば日雨は白鳥の如き華麗なフォームで土下座を敢行していた。――彼は下着がどういうものか理解した時も、くらら相手に同じようにして詫びている。

「あっははははは……キミはホントに初心な子なんだね。なんか新鮮だよ」

 からかうように告げるエルザに、日雨は自分の顔が熱くなるのを感じていた。

「うん、色んな意味で新鮮――キミは、完全にボクを女だと認識してるんだねぇ」
「えっ? 男なのかそなた」
「違うって。……察しの通り、機傀悪魔の応現体インカーネーションだよ、ボクは」
「うむ。……で、女子おなごという事でよいのだな?」
「い、いやだから」
「そなたが男だと、余はかなり驚天動地である。人生観に大いに影響する大事なので、はっきりして欲しい」
「……ああ、うん、いいです。ボクはひゃくぱー女。性染色体はえっくすえっくす。一人称もキャラ作りの一環。納得したかコンチクショー」
「うむ。では余は布団を被って待っているので着替えるのだ。下着姿の女子と会話するなど、どうにも落ち着かんので」

 そう告げて、日雨は返事も待たずに寄居虫やどかりのふりをする。

「はいはい、分かったよ……キミ、空気読めない子ってよく言われるでしょ」
「うむ。妹がよく言っておる。あやつの言う事は難しくてたいがいよく分からん。空気になんか書いてあるわけでもないし」
「妹さんの苛立ちが現在進行形で共感できる……」

 どこか沈痛とした響きで言うと、もぞもぞと衣擦れの音がし始める。

「ほら、できたよ」

 数十秒でそう告知してくるエルザ。

「早くないか?」
「着替え、得意なんだよねー。着るのも……脱ぐのも、ね」
「ふーん」
「リアクションが薄いよぅ……」

 素直に感心したのになぜか不満らしいエルザを無視して、布団を剥いで立ち上がると、ベッドから降りた彼女の姿態が見えた。
 白のブラウスに黒のリボンタイを合わせた、詩乃目くららの時代の女学生を思わせる装いである。その他、髪を短めのポニーテールにくくるリボンと、上着にしたベスト、下に穿くスカート、タイツ、ファー付のニーハイブーツなどの色合いはほぼ黒系でまとめている。
 色彩としては地味で、最低限の動きやすさを意識しているのに、匂い立つようなコケティッシュさがある。自分の美観の質を十分理解した上での着こなしであった。

「おお~、確かに早い。すごいのー。一芸として通用しそうだのー」
「はいはいはい、女の子がおめかししたらまずルックスを褒めようね小僧っ子ー」

 額に青筋立てて、しかしにこやかにするという妙な顔芸をしつつエルザは言う。

「む。それはすまん」

 詫びを入れつつも、反論が口をついて出る。

「しかしお主は、容姿を褒められ慣れておるように見える」
「ま、ねー。でも礼儀として。や、そのセリフも婉曲的な表現としてはアリだけど? 女の子はもっと率直な物言いが欲しいの。分かる?」

 などと言い立てつつ、詰め寄ってくる。かすかな香水の香りがした。

「よく分からんが……しかしお主、見目の割に……姉か母のような感じだのぅ」
「む」

 エルザはなんとも複雑そうな顔をした。

「どうした?」
「んー……意図したのとは違うけど、むしろ意表を突かれたっていうか。今の、割とボクのツボだよ、キミ」
「そうなのか?」
「うんうん。普段ロリ系で攻めてるから、オトナの色気に溢れるお姉様とか、広大な包容力を誇る地母神様なんて言われるときゅんとくる」
「そこまでは言っておらんのだが……」

 その図々しさは確かに姉か母っぽい。

「だから、ひとまずは許してあげよう」

 偉そうな物言いと共に、子供っぽく笑顔を見せるエルザ。蠱惑的な容姿との格差に、軽く日雨の心臓が跳ねた。
 この少女と、さっきまで同衾していたのかと思うと気恥ずかしかった。

「のぅ、なぜ余はそなたと共に寝ていたのだ?」

 前に一度、モクレントレイの下宿でくららと一夜共にした事があるが、その時は家具を間仕切りに一応の体裁は整えたのだ。婦女子とここまで接近して眠った事は無い。

「う゛……なんか急に妙な罪悪感が」

 くららの事を思い出すと、現状にやたら不安感が出てくる。由来の分からない違和感に、日雨が胸を押さえて唸っていると、

「〝NODS〟は視床下部や自律神経にもダメージが行くからね……ホメオスタシスに異常が出て、体温が下がり続けてたんだよキミ。で、ボクのアジトに匿って古式ゆかしいヒトハダ療法をしてさしあげたってワケ」
「……ノッズ?」
「羅も言ってた魔力酔いのコト。神経伝達物質の過剰分泌による疑似統合失調症……常駐ナノマシンにAR表示で警告されたでしょ?」
「え、エーアール? 神経……統合……?」

 日雨が未知の語彙をまくしたてられて目を回していると、エルザは深くため息をついて口を尖らせた。

「初歩の初歩だよ? キミの機傀悪魔はそんな事も教えてくれないの?」
「いや……あやつは」

 蔑むような口調に、反射的に反論が口をついて出る。だが、はっきりとした言葉にならなかった。
 機傀悪魔セイタンの応現体である詩乃目くららの情報を、日雨は知らない。
 彼女自身が知らないからだ。
 セイタンとして活動していた時期の記憶を彼女は一切持っておらず、文明の再構成以前の女学生として生きてきた頃と今現在までの長い期間が、全くの空白なのである。
 この旅は、それを探す為のものでもある。

(つまり……これは良い機会なのではないか?)

 敵対し、ろくに会話もできなかったガラテイアやミラーヴの時と違い、コミュニケーションの取れるエルザからは、重要な情報が聞き出せるだろう。
 機傀悪魔とは何か?
 それを保有する幽霊国家、カタ・コスモーン機構とは?

「のぅお主、なんで羅虚虎に追われておったのだ?」

 とっかかりにそう問いかけると、エルザはベッドに腰掛けて語り始めた。

連合王国ヘプタ・アーキー第四帝国ダス・フィアテ・ライヒ無形なる国家インウィーシビリス・シーウィタース……カタ・コスモーン機構の加盟国にボクは所属してないからねー。放置しておくには厄介な存在だもん」
「そういう機傀悪魔もいるのか?」
「そりゃそーでしょ。今挙げた三国がそれぞれマモン、ベルフェゴール、ベルゼビュートの三機の主機ロード・ユニットを保有してるんだから、それ以外の四機と、その眷属機ファミリア・ユニットは連中の支配下にないんだし……え、なに、その生まれたての子鹿みたいなつぶらな瞳は。まさかそこから知らないの?」
「うむ!」
「頭痛くなってきた……」

 実際苦痛を堪えるようにしばし頭を抱えた後、エルザはおもむろに部屋から退出し、キャスター付の黒板をがらがらと引きずってきた。白衣を羽織り、眼鏡までかけている(この手の解説系女子の正装なのだろうか?)。
 かっかっ、とチョークで文字とイラストを書いて説明を始める。

「いーい? 機傀悪魔のメインエンジンである〝クリフォト機関〟は、人類の感情を源泉にして稼働するの。人間の、つよーい感情をね」
「強い感情?」
「悪意だよ」

 たった一言端的に、疑問を挟む余地無く彼女は告げた。

「で、クリフォト機関ってのは、その悪意を七つのタイプに分類して、それぞれ一つの感情をエネルギー源として抽出する仕様になってんの。だから機傀悪魔はそれに沿った系統分けがされてるんさ。暴食グーラ強欲アウァーリティア怠惰アケーディア色欲ルクスリア傲慢スペルビア嫉妬インウィディア憤怒イーラ

 かなり早い手さばきで、イラスト化された機兵が黒板の上に七体並ぶ。

「こいつらは〝開発した組織〟からして違うから、設計思想、建造時期、果ては投入された戦場まで異なるんだけど、共通してるのは、一つの系統に基づいて開発された機体の内、最も〝最初期の目的に近付いた一機〟を≪主機ロード・ユニット≫なる長機として、他の機体を≪眷属機ファミリア・ユニット≫って僚機として運用する事」

 更にエルザは、七機の周囲に複数のロボットを書き足していく。

「この主機には、強欲のマモン、怠惰のベルフェゴール、暴食のベルゼビュートの他に、色欲のアスモデウス、傲慢のルシフェル、嫉妬のリヴァイアサン、憤怒のセイタンってのがいるの。て言っても、ルシフェル、リヴァイアサン、セイタンは既に喪失してるんだけどね」
「……セイタンも?」
「? なんでそこだけ食いつくの?」
「いいから」
「ま、いーけどさ……セイタンは他の二機とも違って、理由の分からない全くの〝消失〟……戦闘中行方不明MIAだったって聞いてる。機構は星系全域にまで観測精霊を飛ばして捜索したのに、痕跡一つ見つからなかった」

 エルザが黒板消しで、セイタンらしきイラストを一息に消し込むのを眺めつつ、日雨は考え込んだ。

(どういう事だ?)

 消失したはずのセイタン――くららを、日雨は大陸東端付近の半島、その樹海で発見した。
 確かに大陸人にとっては踏破の困難な秘境であったが、宇宙まで支配圏を伸ばす機構にとってそれ程捜索の難しい場所とは思えないのだが……

「続けていーい?」
「う、うむ」

 上の空だったのが不服そうに、かつかつとチョークで黒板を叩くエルザに、先を促す。

「機構の支配下にない機傀悪魔は、四機の主機だけじゃなくて、その眷属機も含まれてる。つまり、半分以上が手の内にないワケ。だから連中は、機構に非所属の機傀悪魔を取り込むか、破壊するかしたがってんの」
「お主も、その一人という事か?」
「ん。そ。機構と敵対してるジラント皇国は絶好の隠れ蓑だかんねー。我ながら上手いコト潜伏できたと思ってたんだけど……」
「羅に見つかったと」
「うんうん。あの子とは、機構うんぬんよりも個人間で因縁浅からぬモンがあってねー。……ほんと、キミには助けられたよ。感謝してる」

 エルザの柔らかい微笑みが、こちらへの偽りない感謝を意味していると分かる。
 胸が、痛くなる。

「余は……何もできなかった」

 デモナイズという法外な力を得てなお、手も足も出ず敗北した。最初の会敵で子供扱いされた挙げ句に心臓を抉られた時と、何ら変わらない。

(いや……)

 ――お前はただ、無思慮な化物になっただけだ。
 失望と共に下された言葉が、逆鉤のついた銛のように胸に突き刺さって消えない。

「んー、そーでもないよ? キミが状況を引っかき回してくれなきゃ羅の心変わりを引き出す事は難しかったかんねー。ボクってば、あのやろーにゃ百回ブッ殺されてもおかしくないくらい恨まれてるし」
「一体何をやったのだお主……」

 あののらりくらりとした男に、本気の殺意を抱かせる方法など日雨には想像もつかない。

「ふふーん。男と女のイ・ロ・イ・ロ♡」

 あはーんっ、とかしなを作りつつのエルザの発言――日雨は慄然とした。

「まさかあの男……童女趣味なのか?」
「い、いやいやいや……ボクってこんな見た目だけど千年単位で生きてるし、あいつにも少年時代があったワケで。そりゃあ、今現在のビジュアルを基準にすると犯罪臭がハンパないけどさ……」
「おお、そうか……よかった……本当によかった……」

 そういう意味での犯罪者を仇敵と呼ぶのは、嫌だ。

「まぁ、気を落とすコトはないよ」

 エルザは慰めるように告げると、黒板に文字を書き連ねた。

There's more ways than one to skin a cat猫の皮を剥ぐ方法は一つではない

「腕っぷしの強さは便利なステータスであっても万能の利器じゃあない。キミが羅より強かったとしても、それが最良の結果に繋がるとは限らないよ。……ま、つまり結果オーライってコト」
「しかし! それでは……!」

 衝動的に、日雨は声を荒らげてしまう。拳を痛む程握り、レフ、リューリク、羅の三人に味わわされた敗北を噛みしめる。

「弱ければ、奪われるままだ……」

 唇を噛んで、絞り出すように言葉を吐く。

「……ふぅん」

 エルザは、猫のように挑発的な笑みを浮かべた。

「仲間を人質にされてサシチザーニイに出場する人間って、やっぱキミなんだね」
「……なぜ知っている?」
「あんまナメんなよ~? ボクってば旧世界から生きてる古強者だぜ。生存戦略是即ち情報収集。耳の早さは息の長さってね。自分のテリトリーにはきっちり情報網整備してるっての」

(うすい)胸を張り、自慢げに語るエルザに、日雨は真っ正直な感嘆を口にする。

「おー。それはすごい耳年増っぷりだのぅ」
「おいおいおーい、言葉の使い方をクッソ盛大に間違えてるよー小僧っ子ー。思わずエルザちゃんのイケない個人授業(不眠不休絶食・一〇〇時間耐久)を課業しちゃうトコだったぞー」

 にこぉっ……という効果音で笑いかけてくるエルザ。手元を見ると、チョークを手の中で粉末になるまで握り潰している。
 怖い。

「……こほん。――ま、近頃諸事情あってシヴィル・シーチは相当ゴタついてるから、牙の城の動静は常に伺ってたワケさ。サシチザーニイの戦利品に人間の女が登録されたと聞いて……しかも、一人は国の滅亡以来行方不明だった秋津洲国の第一王位継承権保持者、月天宮がってんきゅうだってんだから、驚き桃の木山椒の木ってぇモンよ」

 エルザが口にしたのは夜見の宮号。忌諱の習慣がある秋津洲国での王族の異称である。
 東方の島国に過ぎない秋津洲国の王女について知悉している彼女は、確かに相当な情報網を持っているらしい。

「で、知り合いに裏取ってみたら、その子たちを賭けて人間の男の子がサシチザーニイに挑むって追加情報まで聞けてねぇ。……いやはや、久々に胸が熱くなったね。心躍る無謀っぷりだ」
「……他人事だと思って」
「ひひ。わりいわりい」

 不満の声を日雨は上げるが、エルザは悪びれもしない。
 まぁ、実際他人事である。
 これは日雨自身が解決しなければならない事だ。

(奪われたものを、取り返す……その為には、)

 必要な事を、しなければならない。

「そなた、羅虚虎と取引すると言っていたな」

 エルザに問いかけると、彼女は頷いて、

「あいつの抱えてる仕事を援助するのが、助命の条件だしね。実はキミが寝てる間に、仕込みは済ませてる。後は直接会合して詰めるトコ」
「そうか」

 日雨は、一つ息を吸い込んだ。
 告げる。

「その場に、余も居合わせたい」






 日の沈まない街では、空模様で時間帯を判断する事は難しかった。早朝であろうとは、今日雨が佇む広場の人通りの無さから推察できるが。
 いや、もう一つ。

「そろそろ……かな」

 エルザは手元の小さな円盤を見下ろし、そうつぶやく。ガラスで保護された盤面に二本の長さの異なる針がはめ込まれ、規則的に動いている。何かの機械のようだった。
 日雨の知識では、方角の吉凶を占う遁甲盤に近いが。

「時辰儀か」
「お。分かる?」
故国くにで、見た事がある。もっとも、余が見たのは持ち運びなどできん大きさのものだったが」
「懐中時計、っていうんだよ」

 聞き慣れない名前を述べると、彼女はその懐中時計の蓋を閉じて懐にしまった。黒い帽子ウシャーンカのずれを直し、コートの前を締めながら寒そうにする。竜が活動しないこの時間帯は、気温が本来の寒冷地のそれに近付くらしい。
 主要な街路の合流するらしき広場は、物寂しい程に広く、冷えた石畳の冷気も足下から伝わってくる。
 白い息を吐きながら、エルザは言った。心配そうな声音だった。

「もう一度念押ししとくけど、いきなり羅に喧嘩ふっかけたりしないでね。どうもキミも、あいつとは因縁があるようだけど……今度は見逃しちゃくれないよ」
「分かっている。そのつもりで来たわけではない」

 そう答えたものの、彼女は不服そうだった。こちらの意図が未だ読めていないからだろう。日雨は羅との談合に同席する理由を彼女に明かさなかった。
 言葉少なに、ただ立ち尽くしているだけだ。
 ――羅は、もう一度エルザが懐中時計を覗いた時にやってきた。長針が、次の数字を指し示す頃合いだった。

「よぉ」

 真後ろ数メートルの位置に近付かれるまで、気付けもしなかった。日雨たちは広場の中心に立っていたというのに。
 振り返り、対峙すれば虎の檻に放り込まれたような圧力を感じる。濃厚な暴力の気配を朧のように隠蔽する陰形の技巧は、魔技と呼ぶに相応しい。

「女を待たせるって、どういう了見だよ羅。おめかしでもしてきたかぁ?」

 日雨の目からは、一切動揺していない風にエルザが煽り立てる。内心で冷や汗をかいていてもおかしくない――この男が今心変わりをすれば、日雨も彼女も首が胴から離れる。
 はん、と嘲笑混じりに羅は応じた。

「ドブ浚いだよ。この見晴らしの良さだ。狙撃手でも潜り込ませてねぇかとな」
「にゃは。信用ねーなぁー」

 肩をすくめて心外といったゼスチャーをするエルザに、牙をちらつかせるように羅は言った。

「十年ばかし前にあんたから喰った手だ」
「……過去の事は水に流して未来志向の友好関係を結ぶ事こそステークホルダー間のシナジーによるイノベーションを実現する為に緊要なビジョンであるとワタクシは愚考致します」
「急に何言ってるのか分からんようになったぞ」

 動揺のあまり曖昧な政治家答弁になるエルザであった。

「チ……下らんお喋りが増えたな、あんたは」
「ふふ……常に女は変わるモンだぜ、坊や」
「……仕事の話をしろ」

 苦いものを舐めたような顔をして、羅は言い捨てる。

「キミは変わらないね。相変わらずせっかちだ……そう睨むなよ。この件の〝協力者〟を呼びつけてる。そいつが来てから話をしようや」
「……ふん」

 手玉に取られる感覚を覚えたのか、鼻を鳴らして顔をそむける羅。
 ――二人の間に、一歩日雨が進み出た。

「なら先に、こちらの用を済ませたい」
「……なんのつもり」

 警戒するような顔のエルザを無視して、もう一歩羅に近付く。

「ハッ、早速昨夜の報復をしようってか。威勢がいいねぇ」

 面白がるように羅は告げ、帯剣の柄頭を軽く叩く。

「羅虚虎」

 日雨は、目前の男の名を呼んだ。自分もまた、腰の太刀の柄を握りながら。

「……」

 この男の斬撃の間合いに、これほど長く留まるのは初めてだった。彼の眼光は卑しく、表情は常に他者を嘲弄するように歪んでいる。
 外道である。
 国の仇である。
 母の仇である。
 憎んでも憎み切れない相手である。
 そして――最強の剣士である。

「……?」

 恐る恐る両者を伺っていたエルザが、怪訝な眼差しを送る。
 日雨は太刀を――納刀したまま留め具から引き出した。
 石畳に膝を突き、剣を横に置いて両手を添える。

「――何のつもりだ、手前」

 その所作の意味する所を羅は知っていた。その声には、かすかな強張りが聞き取れた。
 日雨の取ったこの体勢からは決して相手を害せない。
 秋津洲国の剣術諸流において、一般的な――弟子入りを請う時の作法である。

「そなたに師事したい」

 頭を石畳につけ、嘆願する。
 しばしの沈黙があった。どういう意味のものかは、顔色の見えない日雨には分からなかったが。

「……馬鹿じゃねぇのか」
「そなたがエルザに手を出さないのなら、戦う理由はない。余には喫緊に強くなる必要がある。その為には、そなたの剣技を学ぶのが一番だと思う」

 合理的な理由を並べたつもりだったが、相手からは苛立たしげな反論が返ってきた。

「巫山戯た事言ってんじゃねぇよ。俺は、お前の……仇だろうが。もう恨みを忘れたとでも言うのかよ?」

 忘れてなどいない。
 この男に頭を垂れるだけで、屈辱に腸が煮える。柄にかけた手が震え、かちゃかちゃと音を立てている。
 しかし、およそ半月程度で竜種と戦う力を得るには、これしか方法が無い。

「――伏してお頼み申す。羅虚虎殿」

 平身低頭のまま、日雨は羅にこいねがった。

「……」

 更に長い沈黙が訪れた。
 もう一度、舌打ちが漏れる。

「てめぇは――」
「おや? 取り込み中だったか?」

 思わず日雨は顔を上げた。突然闖入してきた声は、聞き覚えのあるものだった。

「リューリク……!?」

 広場に接続する街路の一つから悠然と歩いてきたのは、銀髪の巨漢、リューリク・ジランタウだった。

(この男が、なぜ……?)
「……どういう事だ」

 見れば、日雨が抱いたのと同じような疑問の眼差しを羅はエルザに向けていた。
 彼女はそれを受け流し、リューリクに声をかける。

「あーそーだねリューリク。せっかく面白いものを見れてたってのに、間が悪いぜ」
「俺にしちゃあ遅れずによく来れたと自分を褒めてやりてぇトコだが。ハハ、気まぐれに早起きして損したな」

 ズボンのポケットに手を入れつつ、軽佻浮薄に返すリューリク。

「……そなたら、知り合いか?」
「旧いダチさ」

 そう告げて、リューリクは羅虚虎にも手を挙げ、気さくに呼びかける。

「お前も、久しぶりだな。あれから半月か?」
「……知り合いか?」

 もう一度同じ事を日雨が問いかけると、リューリクは剛気な笑顔を浮かべて答える。

「おう、深い仲だぜ。命のやり取りをする程にな」

 その言葉の真意を問い糾す前に、羅がエルザに犬歯を見せて言い放つ。

「……確かに、狙撃手なんてチャチな罠じゃあ無かったな。恐れ入ったぜ」

 肉食獣めいた獰猛な表情を浮かべると、羅は腰を落とす。臨戦態勢に入っている。
 その威勢をくじくように、エルザは身振り手振りで言ってきた。

「早とちりすんなって。このリューリクおじちゃんが、今回の件の〝協力者〟なの」
「……この場に常識人は俺だけか? 親の仇に弟子入りしたがる馬鹿なガキだけでもウンザリだってのに――自分の暗殺に手を貸す蜥蜴野郎とはよ」

 苛立たしげな羅の発言に驚愕する日雨に、エルザが説明してくる。

「今回、羅が依頼されたのはリューリク・ジランタウの暗殺ってワケ。長年機構に敵対してきたジラント皇国の重鎮、国父アチェーツリューリク。その首の値打ちは計り知れないかんね」
「では……あの時襲ってきた機動甲冑も?」

 問いかけると、リューリクは軽く頷いて答えた。

「そういうこった。――どうも、シヴィル・シーチに滞在してからやたら付け狙われるようになってな。あん時ゃこっちから打って出て、連中に誘いをかけたんだ」
「だから、釣りか……羅もその一派だと?」
「おう。一度襲われたがよ、軍隊よりもよっぽど面白ぇケンカが出来たぜ」

 それが楽しくて仕方ないとばかりに、綻んだ顔をするリューリク。
 改めて羅を見る――羅はこの竜の王と、互角にやりあったというのか。
 即応の構えを解かない羅を、エルザが手で制した。リューリクに向けてにこやかに語りかける。

「そいつぁハッピーな事だねリューリク。ボクらみたいな長い時を生きるものにとっては、退屈が一番の絶望さ。……そのスリルを、もっと楽しんでみる気はないかい?」
「……何を言ってやがる」

 彼女の意図を問い糾したのは羅だった。
 エルザは羅とリューリクの間に立ち、裁定でもするように答える。
 悪魔のような、笑みを浮かべていた。

「そこの子の代わりに、羅がサシチザーニイに出場する」
「……えっ?」

 唖然とした日雨を差し置いて、彼女は説明を続ける。

「羅は試合中の事故って形で、暗殺の機会を得る。――リューリク、白昼堂々試合で羅の相手が出来るのは……キミにとっても、メリットのある提案でしょ?」

 言い含めるような口調に、水を向けられたリューリクは、何かを天秤にかけるように日雨と羅を見比べた後に答えた。

「確かに……悪くねえな」
「キミも」

 エルザは次に、日雨の方に語りかけた。いかにも優しげな表情だった。

「正直、キミが竜と戦うのは無謀だと思う。……人質にされたキミの仲間を救うには、これが一番効率が良い」
「……」

 真綿でくるむように、納得を促す口調に日雨は沈黙する。
 確かに、それが最良の方法ではある。
 いかにも不可能な挑戦をせずに、可能性のある他者に身を委ねる。意地を張る意味はない。羅に弟子入りを願ったのと同じだ。プライドよりも仲間の命を優先するのが当然である。
 正しい道、である。 

「……分かっ、」

 合意を、日雨は口にしかけた。
 その瞬間に――顔面を羅に蹴りつけられる。

「づっ!? ……なッ、何を、」
「黙れ。そこから先を口にするんじゃねぇ」

 冷徹に告げて、羅は蹴り倒した日雨を背にしたままエルザとリューリクに対峙する。

「てめぇらのペースに乗る気はねぇ」
「へぇ……あくまで自分の流儀に徹するかい兄ちゃん。――ま、ここでやり合うのも悪くないな」
「馬鹿が。誰がこんな不利な状況でてめぇみたいなバケモンと戦うかよ。――条件を吊り上げさせろ」

 そう言って、羅は、親指を後ろの日雨に向けた。

「俺は、コイツと、タッグで出場する」

 不可解な提案に、羅以外の三人ともが訝しんだ。それに構わず、彼はリューリクに卑しげな笑みを浮かべて言った。

「まさか、卑怯たぁ言わねぇよなァ? 元より人間二人分以上の超越種サマだ。これくらいハンデにもなりゃしねぇ」
「ちょ、ちょっと羅! 勝手に決めないでよ!」
「うるせぇ」

 一言で切って捨てると、羅は日雨の方に近寄り、屈み込んだ。
 胸ぐらをきつく掴みあげて、尖った声音で告げる。

「事情は掴めた。――俺が一人で勝つなら、戦利品も俺のモンだ。セイタンの嬢ちゃんは機構に売り渡す」
「……!」
「それが嫌なら、弾避けくらいにはなってみせろ」

 見下すような言葉に、言い返す。

「……リューリクの暗殺に荷担するつもりはない」
「なら、〝俺にも勝ってみせろ〟。てめぇは俺みたいな卑しい暗殺者とは違う、王の子だってんだろうが。てめぇの力で、全てを掴み取ってみせやがれ」

 挑発じみた文句に、冷えた血管が熱を持つような感触を覚えた。
 日雨は掴む手を払って、自らの足で立ち上がる。

「望む所だ!」

 叩き付けるように言い放つと、羅は、はん、と鼻を鳴らして引き下がった。

「ね、ねぇっ。少しはボクの話を、」

 ぱぁんっ!

「――いいぜ」

 右拳で左掌を打ち付ける事で盛大な音を立て、リューリクは言った。喜悦の感情で筋肉が膨脹し、先ほどより大きな威圧感を発散している。

「よほど面白い展開になってきたじゃねぇか。乗ったぜロゥ。そこの小僧とアレーナを駆け上ってきな。俺は、逃げも隠れもしねぇ」
「カカッ――さっすがお偉い元竜皇ツァーリサマだ。気風キップがよろしくていらっしゃる。この卑しい下賤の者としちゃあ、その隙に出来るだけ〝欲張らせて〟頂きたいモンだ」
「いいぜ。獲れるならよ。ただし〝コイツ〟は、二千年以上生き延びたプレミア物だ。テメェの器が合わねぇなら、たっぷりツケを持っていくぜ」

 自身の首に手刀を当てて、挑発的に告げるリューリク。

「うああああん……無骨なオスどもがボクの華麗な計略を全力でシカトして女人禁制の脳筋ワールドに入り浸ってるよぅ~……」

 視界の端でめそめそと泣くエルザを、この場の誰も気にしていなかった。
 ――リューリクが立ち去った後、羅は地面に落ちた日雨の刀を拾い上げて、乱雑に放ってよこす。

「今のままじゃてめぇは弱すぎて使い物になりゃしねぇ。サシチザーニイ開催まで、多少は仕込んでやる。……俺の仕事の為だ」
「……ああ」

 師弟の礼は必要無い、という事らしい。日雨としても、そちらの方が遥かに気が楽だ。

「明日までに手頃な場所を見つくろっておく。今日は傷を治して体力を取り戻すのに専念しろ」

 そう告げると、陰形を使わずただ歩いて羅は街中へと去って行こうとする。
 その足が、一度止まった。

「一つ、聞かせろ」
「……なんだ?」
「てめぇの流儀の話だ」

 羅は振り返って、日雨を見据えながら問いかける。
 男の口から出た言葉は、予想もしていなかったものだった。

「お前は……日向昴ひゅうが・すまるの弟子か?」



[40176] 4.二つの道
Name: 八目又臣◆aa87a973 ID:17b043ce
Date: 2014/11/19 05:09
 エルザの住み処は、傍目には倉庫にしか見えない。

「一昔前は、シヴィル・コサックの旧態化した装備を死蔵する保管庫だったんだけど」

 複数の表音文字が並んだジラント皇国語の看板を拳で叩きつつ、彼女は言う。

「本隊が遠征に出てる隙に、ここを管理してる兵站科のおっちゃんに袖の下渡して民間委託管理者としてボクの名前(もちろん偽名)を登録したってワケよ。中心街の一等地に同じサイズの一軒家を買おうとしたら、ケタが違って来るかんね。この見た目じゃ不動産登記の手続きもめんどいし」

 鉄製の大扉の脇に設けられた勝手口から入室する。
 本来は倉庫として使われていた扉側の半分ほどのスペースは、全くがらんとしている。

「その、死蔵された装備というのは?」

 日雨が聞いてみると、エルザは悪びれもせず答えた。

「横流しした。おっちゃんに渡した賄賂よりも儲かった」
「……なんか、ズルくないか? お主」
「んだよーオトナのワルな手練手管に無軌道な若者っぽく感心しろよー」

 口を尖らせる彼女に、日雨は渋い顔で沈黙する。
 ワルいというより、どことなくセコかった。
 倉庫奥の半分ほどが居住スペースとして利用されている。本来は事務処理を行う小屋か何かに過ぎなかったのだろうが、増改築されたらしくちょっとしたマンションのようにすら見える。
 入ってすぐ居間になっており、観葉植物や読みっぱなしの雑誌が乱雑に置かれている。出て行く時もちらりとこの有り様を見ていたが、あまり几帳面なタイプではないようだ。
 壁際に置かれたソファに、エルザはどかりと座った。彼女の不機嫌さを代弁するように、スプリングが大きめの音を立てる。

「……ったく、ヒトの計画をあっさり台無しにしてくれちゃって」
「……すまん」
「簡単に謝らないで。リューリクの伝手つてを使うって言うのは、そんなにお手軽な手段じゃないよ。人脈はお金と一緒。無くなりもするし、価値も変わるんだから」

 これまで間合いを詰めるかのように接してきた彼女の、突き放すような語り口に日雨は身を竦める。
 それは、妹もよく言っていた事だ。『兄様、貨幣とは人の縁と同等の材料で出来ておる。即ち〝信用〟よ。あれは信用を有形化・簡略化し、初見の相手とも縁を作る事を可能にした恐るべき発明なのじゃ』
 腹の底にぬるい水の溜まったような感覚を覚える。この少女は、善意でこちらの窮状を救おうとしてくれていたのに。

「反省してくれた? くれたね? じゃおっけー。許す」
「……んんっ?」

 エルザは簡単に許してくれた。なぜか納得がいかない。

「ボクは実利主義プラグマティストなの。しないで良い勝負を受けちゃうバカなオトコどもとはもちろん違うけど、過ぎたコトをぐちぐち思い悩む程オンナノコでもないワケ。目の前の現実を材料に、最良の結果を出さなきゃね」

 さばさばとした口調で語るとともに、ばさばさとコートと帽子を脱ぎ、ブーツも引っこ抜くようにして床に放る。どうも土足の習慣が身に馴染んでいないらしい。

「キミと羅の起こしたイレギュラーが、ボクに悪影響だったってワケでもないかんね。取引は成立したし、リューリクは見ての通りのバトル脳だからむしろ上機嫌だ。――問題はキミだよ」

 憂うようにソファの肘掛けに肘を置き、頬杖を突きながら、エルザは日雨を指差した。

「キミが人間である以上、高位の竜種には決して勝てない。たとえデモナイズの力を以てしても」

 にべもない断定に、咄嗟に反駁する。

「羅は、リューリクと互角の勝負をしたようだが」

 エルザは子供の言い訳を諭すようにため息をついてみせた。

「あれは、例外中の例外。羅虚虎は、人類のハイエンドとも言える程の武術の才能があり、そしてそれを長年の修錬で完成させてる。それだって、事前に〝十分な準備〟をしてようやく、ってトコ」
「十分な、準備?」
「――大陸の魔術、仙道には内丹術っていうのがある」

 指を戻し、自身の金髪の一房をもてあそびつつ、彼女は言う。

「周囲の霊子を吸収、保持する魔術だよ。いわば外部燃料タンク。どこかの霊地で気を練ってきたんだろうね……その作用で、一時的に羅は竜とも戦える霊子出力――魔力を引き出せてるってワケ」

 その解説でようやく、日雨は羅の力の上昇に得心がいった。最初に会敵した時は、その準備ができておらず人間並の魔力でデモナイズした日雨と戦ったのだろう。デモナイズと併用した鬼道の身体能力を誰よりも知っている日雨からすれば、信じがたい事だ。

「それでも並の竜人の半分以下のはずなんだけどね……あいつは武侠ウーシャとしては、本当に規格外の存在だよ」

 キミが、真似できるものじゃない――彼女は添えるように告げた。

「故事に曰く、武術的素養の格は一眼二足三胆四技……天与の才が大いにモノを言う。あいつは、人間の限界に迫るスペックの持ち主だ。
 なら、努力でその差を埋める? ま、ボクも個人的には正しい努力ならば才能より勝るって論者だけどね――今のキミには鍛練を積み重ねる時間がない。羅に師事した所で、この事実は変わらないよ」

 ひやりとした目線が、日雨を射貫く。

「これがキミの現実。だと言うのにキミは、リューリクに挑戦するどころか、羅虚虎のリューリク暗殺をも止めるつもりでいる。……これはね、無謀を通り越して――正気を疑うよ」

 その目を見ると、蛇がすぐ足下をのたくったような、冷ややかな戦慄を覚える。
 エルザは問いかける。

「キミは、自分の仲間を助けたいんじゃないの? なぜ賭けなくても良い命を賭けて、無茶な真似をするの?」

 彼女が俎上に上げたのは、先程のような行為の是非ではない。信義の所在だ。
 そして、彼女の底に秘めた意思が苛烈であるとも分かる。日雨の答え如何では、見捨てる――いや、敵対するつもりですらいるように思えた。
 恐怖すら催す問答に、日雨は応じた。

「現実に妥協しては、余は本物の王になれないと思ったからだ」

 リューリクを背中から刺そうとした時、羅虚虎に勝負を委ねようとした時、感じていた違和感。
 その行為は、正しい。目的を達するには最適のやり方だ。
 だが、そこには自分の意志が存在しなかった。状況や、より強い他者に流されるままの選択でしかなかった。

(……そうだ)

 あの男に蹴りつけられて目が覚めた。

「余の思う王とは、たとえ世のことわりであっても気に食わなければ反逆する、わがままなおとこだ。だから余は、自らの意志で間違いを選ぶ。現実を押し退けて、常道に罵声を浴びせられながら、自分の望みを叶えてみせる」

 それは、決して正しくはないけれども。
 ――あの少女なら、きっと信じてくれるから。

「だから、余は自分の戦いを他人に委ねる気はない」

 エルザの紫水晶の瞳を見据えて、日雨はそう告げた。
 果たして彼女は、その思慮をしばし瞳の奥に隠してから。

「……悪くない」

 不意に老成したような口調で漏らした。

「キミなら……〝魔法〟を担う資質があるのかも知れない」

 などと、彼女はそんな事をつぶやいた。

「魔法? 何かの魔術か?」
「いいや、違う」

 首を振ると、エルザは吟ずるように言葉を並べた。

「われは思ふ、末世の邪宗、切支丹でうすの魔法。黒船の加比丹かぴたんを、紅毛の不思議国を、色赤きびいどろを、匂鋭きあんじやべいいる、南蛮の浅留縞を、はた、阿刺吉、珍夕の酒を……」
「……なんだ? それは」
「北原白秋だよ。キミは知らないだろうけどね。神代、秋津洲国より以前の葦原中国あしはらなかつくにの歴史でも、かなり古い話。キャラック船を操る船長や、西洋人の国、赤いガラス細工、カーネーション、洋服や蒸留酒……こんな他愛もないものを、当時の人間は魔法だともてはやしていたのさ」

 口の端を歪ませて、彼女は続ける。

「発達した科学は魔法と見分けがつかない、ってのはアーサー・C・クラークだけど――時の流れで陳腐化するような、そんなものを、ボクは断じて魔法とは呼ばない」

 その笑みには、嫌なものを覚える。先人への嘲笑と蔑視が、そこには含まれていた。

「魔法とは、即ち奇跡だ。才能を踏みにじり、努力を嘲笑い、払うべき代価を踏み倒して、馬鹿馬鹿しい程に法外な結果を導き出す、理の外の業だ。単なる技術に堕した〝魔術〟には、その資格がない」

 すらり、とした。白い手をエルザはこちらに差し出した。

「外道の剣士だけじゃキミの願いには不足だ。魔女の弟子になってみない?」
「……そなたの?」
「ああ、そうだ。とっておきを教えてあげる。秋津洲流魔術・巫術の究極系――裏鬼道を」




    //////




 今、牙の城・離宮の貴人たちの間では、怪談が流行っていた。




 ウラジーミル・ウラジーミロヴィチ・ナボーカフ(一七二歳・独身・通風持ち)はジラント西方の地方領主。領主といっても所領は芋しか取れないど田舎で、普段は鼻血も出ない貧乏貴族であるが、熱狂的な格闘技オタクで、サシチザーニイは女房を質に入れても観戦していた。
 ちなみに女房とは、人界に旅行に行った時に東方興業なる工房で仕入れた等身大樹脂製少女人形・ロリタちゃんである。

 今日も今日とて彼は火酒ウォトカをがぶ飲みして、上機嫌で自分の部屋に帰ろうとしていた(いつもこれで、地元に帰った頃に通風に苦しむ羽目になる)。サシチザーニイを観覧する貴族の内、地位の高いVIPは無料で飲食できるのだ。
 ウラジーミルはもちろん格安料金の滞在で飲み食いは別途料金発生なのだが、彼は金持ちの輪に友達ヅラして潜り込み、どさくさに紛れてタダ酒・タダ飯を頂くという特技を持っていた。

「オ・ン・ナは三十路からでしょ~♪ ふふふふーん」

 人間と竜で捉え方の百八十度違う鼻歌を口ずさみつつ、広大な廊下を歩く。
 が、なにぶん広大な宮殿なので迷ってしまった。
 以前はこのまま廊下で寝こけて翌朝メイドに殴り起こされたものだったが、今回は起きている内に近くのメイドに頼った。立って歩いている限り、彼女らは客として遇してくれる。

「なぁ、君。すまないが西棟の三等客室はどちらか教えてくれないか?」
「ふ、ふひゃいっ!?」

 びくーんっ! と背筋を逸らしてわたわたとメイドは振り返る。一般的な竜種より小柄な外見から声を掛けたが、よく見るとババアだった。六十代くらいだろうか。

「な、なんの御用でしょうかお客様……」
「だから、西棟の三等客室の場所を……」

 内心はさておき彼はきもち柔らかく、言葉を繰り返す。隔年でここに訪れるようになっていくらか使用人とも顔見知りになったが、彼女は見ない顔だ。新人なのだろう。先輩にしかられ客にも冷たくされでは可哀想だ。

「あれっ? こっち東棟じゃ……」

 メイドの少女はぶつぶつとつぶやくと、彼の歩いてきた方を指差し――かけて、「あ、それじゃダメなんだった」とか言って奥の方に人差し指を向け直した。

「えっと、向こうの二番目の分岐を右に曲がって、突き当たりを左、です」

 たどたどしい解説に、ウラジーミルは礼を言ってそちらへ歩き出した。

「あっ、ちょっと待って下さいお客様!」

 メイドは彼を呼び止めると、ばたばたとどこかへ走り去り、二分ほどで戻って来た。
 手には酒瓶を持っている。

「えへへー、厨房から持ってきました。迎え酒、ですよっ!」

 にこにこしたメイドから酒瓶を受け取ると、ウラジーミルはもう一度「いろいろとありがとう、お嬢さんスパシーバ ザ フショー、ディエーヴーシカ」と謝辞を述べて彼女と別れた。いい子じゃないか、ババアだけど。
 ――ちなみに、迎え酒の効用は全くの迷信である。
 土産の酒瓶を手に、しばし歩く……

「……着かないな」

 見覚えのある場所が全く見えて来ず、さすがに彼は声を上げて疑念を呈した。
 あの新人眼鏡メイドに土地勘がなかったのか、ウラジーミル自身が酔っているからか。
 これはまた、朝方殴り起こされるしか無いのか――

「そこな御仁。迷っておるな?」

 唐突に、声を掛けられた。
 通路から分岐した袋小路に、テーブルに腰掛けた小柄な人影がある。顔は黒いヴェールに隠れて見えず、テーブルには札や妙な図形の書かれた板きれが置かれている。
 こんな夜更けに、しかも屋敷の中で辻占いスタイル。

(頭のおかしいやつだ)

 ウラジーミルは正直な男だった。

「え、ええ、まぁ、道に……」

 無視した方がよかった気もするが、酔った勢いと牧歌的な田舎貴族の気質から彼は問答に応じた。
 どうやら女性らしき占い師は、もったいつけたような言葉遣いで告げる。

「そう、そなたは大きな分岐路に立たされておる……」
「あ、いや、部屋の帰り道を、」
「両親もいい加減結婚しろとせっつき、顔を合わせれば見合い相手の紹介をしてくる。気楽な独身貴族の立場は惜しいが、なんかぷれっしゃーに負けてどうでもよくなりつつある……違いますかな?」
「えっ?」

 遠く離れた地元での個人的な事情を指摘されて、ウラジーミルは動揺した。

「なぜそれを……」
「わらわはなんでも知っておる……」

 胡散臭い発言と共に、札の配列をいじる占い師。

「他にも……そなたが子供の頃、地元の芋畑で芋泥棒を働いておった時、地主に見つかりかけて畑に潜った事。そして掘り起こされて、その後しばらくあだ名がじゃがジーミルになってしまった事も、当然わらわは知っておる」
「そ、そんな事まで!?」

 少年時代の恥ずかしい過去を暴かれて、赤ら顔を更に紅潮させるウラジーミル。
 なんだか、恐ろしくなってきた。
 ――ぼっ、と。
 その時、彼の周囲に球形の青白い炎が浮かび上がる。

「ひゅー、どろどろどろー」

 どこからともなく、妙齢の女のやけに無感動な声音の擬音語まで聞こえてくる。
 悲鳴を押し殺し、震えるウラジーミルに、占い師は語りかける。

「わらわは知っておる……そなたが、田舎の地方貴族で終わる器などではないと」
「どういう……事ですか」
「天下を取り、時の覇者となる……男子なら一度は夢見た事であろう」
「つまり……竜皇ツァーリ?」
「くふ、ふふふふっ……そのような小さい立場ではない。そう、夢はでっかく世界征服」
「世界征服!?」

 今時幼児も言わない頭の悪いキャッチコピーにウラジーミルは驚愕する。

「そなたが、自身の野望を叶える為の〝力〟を差し上げよう」

 ぬるりっ、と占い師は袖から白く細い腕を出して差し向けてきた。
 鬼火に照らされて、ヴェールの奥の白い顔が、にたぁ……と微笑んだ。

「さぁ、この手を取るがよい、」
「ひぃぁあああ~っ!? 魔女ッ、魔女が手ぐすね引いてっ! たまっ、魂取られちゃうぅ~っ!!」

 彼女の言う事を最後まで聞かず、ごろごろと小路から飛び出してウラジーミルは通路の果てへと逃げていった。





「お見事。これで十五連敗ですね」

 陰形で物陰に潜んでいただきにが小さな手旗を振りつつ、地面に手をつき消沈する夜見に言った。幼女の頭には、さっきの男が放り捨てた酒瓶が直撃してでっかいたんこぶが出来ている。

「なぜじゃ、なぜこうもことごとく失敗する……こーるどりーでぃんぐと占術の併用で心理的優位に立ち、鬼火という怪奇現象で恐怖を煽る事で平常心を失わせる、完璧な勧誘術のはずが……」
「技術面で言えば天才的なのに、計画が誤りだとゴミのような成果しかでないという好例ですね」

 だきにが端的に主の計画を評価していると、小路の入り口からメイド衣装のくららが顔を出してきた。

「やっほー。さっきの人、勧誘できた?」
「っちゅーか、くららちゃん、なんじゃあの男は!」

 夜見は流れるように責任を転嫁した。

「あんないかにも冴えないおっさんを誘導してきて、どうせいっちゅーんじゃ。強そうなやつを呼び込めって言ったじゃろうが」
「えっ、えっと……だって、おっきくて怖いし」
「その腰の引けっぷりでどうして誘導役に立候補した……」
「そっ、それは……その、メイドさんの衣装を着てみたかったの!」

 くららは真っ正直に、どうしようもない発言をした。

「脱げ! だきにと代われ!」
「ひゃあああっ!」

 怒声を張り上げ、夜見がくららに飛びつき強引にエプロンドレスを脱がしにかかる。

「いえ、私はやりませんよ」

 だきには手旗を振りつつ、主の命令に拒否権を行使した。かなり頻繁に行使される権利だった。

「私の職責と、その衣装は水と油というものです」
「あっ、やっぱり和風な女中さんとしての様式美があるとかですか?」
「いえ。家事手伝い、という良い具合に有名無実な私の職責を侵害されそうなので」

 かすかな期待を込めたくららの問いを裏切りで返す彼女。様式美に溢れるニートの生き様であった。

「ええい! 毎度毎度使えん連中じゃ!」

 夜見は二人から離れた位置で、びしびしと彼女らに指を突きつける。

「よいか。わらわのような天才巫女がおって、いつもいつもいつもいつも、かような窮地に立たされるのは、そなたらの如きへぼじぇーけーと無気力女中しか仲間がおらんからじゃ」
「ひ、ひどい……」

 自己中を体現したかのごとき夜見の発言に、さめざめと泣くくらら。

「そのメイドスタイルで傲慢な幼女にしかられていると、妙に様になりますね」

 だきにはどこ吹く風で淡々と感想を述べる。

「とにかく! わらわにはもっと有能な手駒が必要なのじゃ! 幸い、ここにはその人材が溢れておる」

 夜見は、野望の青い炎を瞳の奥に灯して言った。
 それは、彼女にとっても乗り越えるべき壁となる。

「わらわはここで開眼するぞ――秋津洲流魔術・巫術の始原にして完成形、竜種使役法を」





 秋津洲国の開国は千六百年ほど昔。
 当時、極東の大きな離島に過ぎなかったかの地は、戦乱の最中にあった。断続的に大陸から漂白してくる諸所の勢力や現地の亜人の部族などが乱立し、ごく狭い土地の利権ですら相争っていた。長い闘争が瘴気を招き妖魅まで発生するに至り、かの島は地獄の様相を呈した。
 この争いを平定したのが、初代秋津洲国巫王・始馭天下之比売命はつくにしらすひめのみこと

 この女性は他の勢力と同じ大陸からではなく、東の海からやってきた。
 竜に騎乗して。
 亜人が束になっても敵わない強靱な肉体、妖魅の呪法にも抗う高い魔力を有し、思念を共有し一糸乱れぬ統率を誇る最強の種族。
 彼ら竜で構成された〝竜軍〟を従え、瞬く間に始馭天下之比売命は敵対勢力を下し、無数の小集落を併呑して一つの国家を作った。
 飛竜・蜻蛉アキツを従えた女の国、秋津洲国。

 かの国特有の魔術である巫術は、この竜種使役法の模倣から始まっている。生物、無生物を支配下に置く操作術、竜種の異次元の体感覚にアジャストする為の肉体強化術から、それぞれ陰陽道、鬼道という流儀に分化していった。
 千六百年の歴史を経て、この二つの流儀が洗練されていくにつれて術者のレベルは開祖を超えたと主張する者もいたが――論壇の片隅に押しやられるのが常だった。
 国の始祖への侮辱に繋がる論旨の忌避感もあっただろうが、もっと明白な理由がある。
 誰も。この千六百年の歴史におけるどの術者であっても――竜を使役する事に成功した者はいなかったからだ。
 伝説にして不可侵の巫術・竜種使役法。

「伝説? だからどうした。かつて誰ぞに出来た事が、わらわに出来ないわけがあるか」

 深夜、離宮の最上階でだきにの淹れた茶をすすりつつ夜見がそううそぶく。
 その周囲には、くららには用途のまるで分からない水晶玉や遁甲盤が散乱しており、机や小脇の棚の壁には殴り書きのメモが貼り付いている。
 かれこれ三日、夜見は日中得体の知れない勧誘活動に精を出し、夜が更けるとこうして術の研究をしている。つまり、ほとんど寝ていない。

「それに……この術の会得は、現状の打開だけでなくこの先の旅にも必要じゃ」
「どういう事?」

 くららはそう聞き返す。どちらかと言うと、夜見の目の隈の方が気になっていたが。

「我らの敵は組織じゃ……数で押してくるのが当然じゃろう。複数の機傀悪魔と戦わねばならん時、セイタン一機ではいかにも心許ない。せめてもう一枚、予備の戦力が欲しい」

 周囲に演算霊を浮かべ、膨大な計算処理を行いつつも語る言葉に淀みは無い。書き物をする手もすらすらと動く。
 セイタンにリインカーネーションしていない今、魔術についての知識はくららには無いが……彼女が並の人間ではない事は分かる。

「――見ておれよ、くららちゃん。わらわが竜を従え、かのリューリクとレフに一泡吹かせてここを脱出してくれる。彼奴らの思惑通りになどいかせるものか」

 目の下の隈はさておき、目の色だけは野心と復讐心にぎらぎらと輝かせて自信たっぷりに語る夜見。

「くふ……くふふふ。くははは、はーっはっはっは――――――!」

 離宮の端までおどろおどろしく浸透するような魔女的高笑いを上げる幼女。

(大丈夫かなぁ……)

 くららが、その背中を不安げな眼差しで見つめ胸中で呟いている、と。
 夜見の側頭部に小さな飛来物がぶち当たった。

「きゃうんっ!?」
(えっ、意外に可愛い悲鳴!?)

 などとくららが驚き(不謹慎)、がつん、とかなり痛そうな激突音に恐々として、最後に緩く滞空する物体の正体を見定める(彼女はこの見た目ながら結構動体視力が良かった)。

(……インクつぼ?)
「う、ううううるさいうるさいうるさいぃ~! 夜中に近所迷惑なのよこのゲロカスイカぁ~!」

 汚い語彙の罵倒が飛んできたのは、くららたちの領地の外。
 銀髪の幼女(30)ジュラヴリカが、国境線のタンスから覗き込むようにこちらを睨み付けていた。
 そしてその額に、夜見の投げつけた硯がぶち当たった。

「んぎゃぁっ!?」
「なななななにすんじゃこの海岸に打ち上げられた不法投棄くらげぇっ! いたかった! わらわすっごいいだがっだぁ~っ!」

 同じ日、同じ箇所に二度も物をぶつけられてとうとう癇癪を起こしたか、彼女の目には大粒の涙が溜まっている。

「ちょ、ちょっと二人とも。危ない、危ないから……あたぁっ!?」

 容赦無く、固くて攻撃力の高そうな小物を選んで投げ合う幼女二人を制止しようとして、流れ弾の飾り皿を喰らい転倒するくらら。
 仰向けの視界の内で、きっちり天蓋付ベッドを占領してだきにが寝息を立てていた。
 意識の霞む最中、罵り合う夜見とジュラヴリカの声を遠く聞きながら、

(やっぱダメかも)

 などとくららは思うのだった。




   //////




 初手は刺突。廃墟の陰に潜み、風化の為に破れた壁の穴から突き出す。得物は普段の太刀では大きすぎる為に、崩落した壁の鉄骨を引き抜いて用いた。
 羅は首を捻るだけでそれを躱す。
 そして、壁に近寄り――何を――腰を沈め、甲高い呼気を吐き出す――
 爆裂じみた音響と共に、廃墟の壁が粉砕された。
 破片が舞い散る最中、ぎらついた眼光が残像を残して揺らめき、荒研ぎされたような肉体が挙動する。

 あの男が裏拳で弾いた瓦礫が、ピンボールのように連鎖して日雨に飛礫を浴びせてくる。
 反射的に避けて体勢の崩れた所に、羅の返礼じみた刺突が伸びて来る。

「くッ」

 既に抜刀し手元に置いていた太刀を斬り上げ、当てるように受ける。
 二手、三手と連撃が続く。押し込むような斬撃に、身が縮こまる。このままでは、三日前と同じ展開が待っている。
 日雨は太刀を羅の目と鼻の先に突き出し――置くように手を離した。
 墜落するように深く身を沈め、滑るように懐に入り拳を繰り出す。

「……ッ!」

 腹を打つ瞬間、羅の左手がこちらの腕に触れた。決断が早いのか、動きを読まれているのか、相手も既に刀を捨てていた。
 羅の動きは一体何の技術であるのか、添えた左手の作用で打撃の手応えが無くなった――いや、力が乗らなかった。
 結果、相手の中心軸は全くぶれていない。
 唸り、日雨は羅のふくらはぎを弾き飛ばすようにローキックを繰り出す。相手は軽く足を浮かせて打点をずらすだけで対応した。

 次手。伸び上がるように右の拳打で顔面を狙う。
 二重の仕掛けであった。羅は足一本宙に浮いている。下段への回避と共に沈墜による掌打を放ってくるであろう相手に、日雨は膝を合わせる意図である。
 羅は――日雨の手首を、縛るように左手で押さえた。
 抗いがたい力が、その身を翻弄する。
 小動物が腕の中で弄ばれるように、日雨は振り回されて上半身を仰向けに傾けられた。
 頭上から、肘が降ってくる。




「てんでなっちゃいねぇ」

 心臓を打たれたショックによる失神から回復してすぐ、羅の侮蔑に満ちた声が上がる。
 鍛練の場としたシーチ郊外の廃墟にて、羅は先程自分が靠撃で砕いた瓦礫を積んで腰掛けている。
 この男は訓練の初日に、こう言い放った。

 ――俺ぁ弟子なんざ取った事がねぇ。向いてるとも思わん。剣の振り方から教えるにも時間がない。
 ――だから、お前は今まで通り、俺を殺しにこい。
 ――俺は殺さねぇよう加減してやる。それでいいだろ。
 いいわけがあるとは思えず、その居丈高な物言いには心の底から腹が立つ。

 怒りをぶつけるように、日雨は創意工夫を尽くして羅に挑み掛かった。
 ――二百回は、殺されただろうか。
 そして常のように、地面に倒れ伏して動けない時間を用いて感想戦、のような羅の罵倒を聞かされる。

「まず初手から稚拙だ。最初にやり合った時から分かってたが、てめぇの陰形は三流だ。多少モノの見える相手に通じる代物じゃねェよ」
「ぐ……」
「お前の魔術への理解は浅すぎる。こいつぁ、てめぇが愚図ってのもあんだろーが、師匠もカスだ。一体どこのボンクラに魔術の手解きを受けやがった?」
座摩寮いかすりのりょう出身の神祇官だ……」

 胸の痛みにうめき混じりで反論すると、羅は唾を吐き捨てる。

「秋津洲の巫覡官僚なんざ縁故と賄賂でズブズブのただの汚職役人じゃねぇか。それに、巫女になれねぇ男って事で三下のいい加減な教師をつけられたな」

 ――そもそも日雨は父親の知れぬ私生児という事で、王家の恥部扱いだった。最低限の教養として巫術の教示も受けたが、それ以上のものは求められなかった。現在使う鬼道は彼のほぼ独学である。

「いいかヘタクソ。てめぇの勘違いは、陰形を〝気配を消す技術〟だと思っていやがる事だ。正しくは〝気配を隠す技術〟だ」
「……どう違う?」
「まず完全に気配を消す事なんざ出来やしねぇし、仮に出来たとしても不自然過ぎる。さっきのてめぇは〝人間大の気配の不在〟だったんだよ。あれじゃあむしろ居場所を主張してるようなモンだ」

 悪辣になじると――手本のつもりか、羅は自身に陰形を施した。

「……っ」

 日雨の喉が、戦慄に震える。すぐ間近にいるはずの男の実感を、まるで感じなくなった。

「陰形の本義は周囲の自然物との〝気〟の同調だ。大気や木石にも気、つまり霊子はある。その波長に自分の霊子を合わせるんだよ」
「それは……陰陽道の領分ではないのか?」
「馬鹿が。てめぇ、その陰陽って言葉の本意も知らねぇのか? 光あれば影がある。逆も然りだ。陰中の陽、陽中の陰。即ち陰陽互根……鬼道が自己強化術だからと言って、周囲の世界を切り離して考えるのは大きな間違いだ」
「それは、何の教えだ?」
「〝タオ〟だ」
「大陸の鬼道……道術の事か?」
「違う。そいつぁ武侠が〝道〟を術理に落とし込んだモノに過ぎねぇ。〝道〟ってのは真理だ。万物の秘儀だ。ヒンドゥーのブラフマン、プラトンのイデア……似たような概念はどこにでも転がってるがな」

 そらんじるように述べると、鞘に収まった刀で肩を叩きつつ、羅は告げる。

「お前の戦術は〝道〟から外れてる。守勢に入れば攻めを忘れ、攻勢に入れば守りを疎かにしやがる。固く縮こまって防御すりゃあ、確かに守りは簡単だがよ、動きが制限されちまう。苦しまぎれに反攻に出ても読まれて当然。ヘボい将棋打ちと同じで、打てば打つ程てめぇを不利にするんだよ」

 と、鐺を日雨の鼻先に突きつける。

「とにかく読みが浅ぇ。この外見ナリで、俺の技術を大陸武術一本と思い込んだ事も含めてな。最後にてめぇに止めを刺したのは、旧世界の拳法、シラットだ。――俺ぁカタ・コスモーン機構のエージェントだぞ? 現在じゃ失伝してる武術も山ほど叩き込まれてる。
 旧知の敵なら、その情報を考慮しろ。脳ミソついてるならアタマで戦え。以上だ」

 締めくくりの言葉を投げつけると、羅は瓦礫から腰を上げる。

「立て。もう回復しただろうが」
「へし折られた胸骨がそんなに早く治るか……」
「あーそーかい。じゃあ、手負いの時の戦い方だ。完調でないと戦えねぇなんて抜かす奴ぁ三流以下だ。豚のように死ね」

 無慈悲に言い放つと、羅は間合いを取る為に歩いて行く。
 元よりこの男に慈悲を求める気はない。日雨は胸の痛みを強引に無視して立ち上がると、太刀を構えて相手の立ち姿を見る。
 ――不意に、目線が揺れる。

「……んだよ?」

 戦意とは種類の違う日雨の気配を訝しんで、羅は問い糾そうとしてくる。

「いや……戦ろう」

 はぐらかすように、日雨は答えた。
 こうして、何度も剣を手に対峙した相手の事を思い出していたのだ。

(羅……貴様は、師匠とどういう関係なのだ?)




「にゃっはっは。また派手にやられたモンだぁね」

 這々ほうほうの体で倉庫に帰り着いてきた日雨を、面白がるように笑ってエルザは出迎えた。

「でさー、さっそくで悪いんだけど日雨。ボクお腹空いちゃった。ご飯作ってよ」
「……指一本動かせんのだが」
「もー、情けないなぁ。衣食住のメンドー見る代わりに家事やってくれるって約束っしょー? 契約不履行で損害賠償だよ?」

 疲労困憊と全身打撲、骨折の治癒に魔力を使いすぎた事によるNODSの幻覚に苛まれて、玄関に伏したまま動けない日雨を屈み込んで見下ろしつつ、うりうりと靴を脱いだ足で踏みにじってくるエルザ。

「それに、体内のナノマシンのアップデートはほとんど済んでるんだから、脳内物質の調整は前より遥かにスムーズになってるでしょ。身体の自由はもーすぐ戻るはずだけど?」
「む……」

 言われてみると、じわじわと体感覚がはっきりしてきている。彼女の言う通り、あと数分もすれば立ち上がれそうだ。

「あの地獄の恐怖に耐えたかいがあったと言う事か」
「ただの注射じゃん……子供かキミは」
「神代ではあんな恐ろしい慣習があったのか……」

 おぞましげにうめきつつも、どうにか床の方へ這い進んで座り込んだ。

「あれは、どういう処置だったのだ?」
「……正体不明の薬物を接種するコトの方が、注射なんかよりよほど恐ろしいはずなんだけど……」

 呆れたような、恐れ入ったようなため息をつくと、エルザは向かいのソファに座り腕を組んで語り始めた。

「魔術ってのはね、アストラル相を観測するESPと霊子を操作するPKの二種の超能力が必要で、その行使には脳髄のある領域を使用するの。中脳腹側被蓋野を中心とした、霊子操作に機能する脳領域。通称フランケンシュタイン野。そこにはいわゆる報酬系と呼ばれるA10神経を含むドーパミン神経系があって、それを賦活ふかつする事で霊子操作は可能になるワケだけど、必然的にドーパミンの過剰分泌って副作用が発生してしまう。それが≪Neurotransmitter Over Dose SyndromeNODS≫。
 このリスクを軽減する為に、メディエーターは機傀悪魔と〝契約〟する時、神経伝達物質を調整するナノマシンをフランケンシュタイン野に取り憑かせられる。だからキミたちは、普通の人間より遥かに効率的に魔術を行使する事ができるってワケ。
 キミに打った注射は、そのナノマシンを最新版にアップデートするナノマシンで、以前より調整は断然高効率になっているはず……キミのナノマシンはバージョンが古すぎて驚いたけど……」
「そうナノかー」
「うん、キミがこの説明とボクのありがたみを1ナノメートルも理解できないの分かってた分かってた。あはー、分かってるのについ説明しちゃったボクって馬鹿だなー」

 中身のない壷のようにからっからの薄ら笑いを浮かべて、エルザは自嘲などする。

「いや、感謝はしておる。ありがとうエルザ」
「……む」

 日雨が居住まいを正して頭を下げると、彼女は頬を薄く染めてむずがゆそうに口を結ぶ。

「ま、よかろーよかろー。うん、日雨はアホの子だけど素直でかわいいねぇ」
「……子供扱いするでない」
「ボクにとっちゃー人類なんてみんな子供みたいなモンさー。老若男女東西南北、人類みなマイベイビー」

 嫌そうに顔をしかめるのにも構わず、エルザはソファから身を乗り出して日雨の頭を撫でてくる。
 くすぐったい。

「ん。けっこー復調は早くなってるね。これなら修業にも耐えられそうだ。ご飯は後で作ってもらうとして、そろそろ裏鬼道修得の第一段階、始めよっか」

 ぱん、と両手を打ち鳴らして、そう彼女は宣言する。が。

「これまではっきりさせずにおったが……余はその、裏鬼道という巫術を聞いた事がない」

 先程羅に看破されたように、日雨は技術としての巫術はほとんど教わった経験がない。しかし教養としてはある程度網羅している。
 現在の巫術の第一人者と言ってもいい夜見にしても、そのような術の存在を知らないはずだ。
 エルザの言うような術が実在するのか、今でも疑問に思っている。

「一体なんなのだ? それは」

 問い糾すと、彼女はふむ、と指を形の良い唇に当ててから、

「巫術は、陰陽道と鬼道に大別されるってのは周知の通りだね。秋津洲国の歴史千六百年の流れでその術理は考察、研究されていったけど……〝改良〟される事は無かった。既にその完成形が術の始祖により提示されていたから」
「……竜種使役法」

 日雨にも、エルザの言葉の本意は理解できた。現在の巫術は、開祖・始馭天下之比売命の術を〝継承しきれなかった〟が故の劣化品なのだ。今に至るまでも術の質はオリジナルに遠く及ばず、そして国の滅亡で出藍の誉れとなる機会は永遠に失われた。

「秋津洲国では、鬼道は陰陽道より軽視されている」

 それもまた、秋津洲人にとっては周知の事実である。
 鬼道は雑兵の手妻、陰陽道こそ霊妙なる巫国みくにの誉れよ――鬼道しか扱えなかった日雨がよく言われていた事だ。

「これは兵士の肉体強化程度にしか使い途がない鬼道より、陰陽道には占術や厄払いなど国事にも関わる有用な技術が含まれるから、ってのもあるけど……式神の作成、使役っていう、現時点で竜種使役法に一番近い術を評価されてるからだ。今では式神の質の高さが巫女の評価の大部分になりつつある。……嘆かわしいコトにね」

 結びの言葉は、皮肉と悲嘆を綯い交ぜにした口調で語られた。

「何が嘆かわしいというのだ?」
「日雨、キミは楽箏の名手が弟子に曲を弾いてみせるのは何の為だと思うの?」
「練習の為であろ?」
「でしょ? じゃあ、その弟子たちが〝原曲の劣化コピー〟をいつまで経っても弾き続けて、むしろそれがステータスにすらなってる状況って、師匠にとっては噴飯モノだと思うけど?」
「むぅ」

 言いくるめられた気分で日雨が唸ると、エルザはなだらかな手の甲を顎に当てて、低く呟いた。

「原曲の完全な模倣……いや、オリジナルを超える技の出現を、彼女は望んでいたのにね」
「なにやら知り合いのような物言いだが……会った事があるのか? 国祖と」

 日雨の認識は彼女の容姿に引っ張られがちだが、この少女はこれで千年単位を生きる機傀悪魔なのだ。最初の国王・始馭天下之比売命と顔見知りでも何ら不思議はない。巫術についてこれだけ詳しく語るのも、それで説明がつく。
 エルザは、んふー、と思わせぶりな薄笑いを浮かべた。

「ボクが彼女と知り合いだとして……彼女について、聞きたい?」
「すごく」
「ダーメ」
「ぬぐぅ」
「『便利な機械に頼るな。がんばれ人類どもひゅーまん』これがボクの信条だからね。謎は自力で解き明かしなさい」

 指を振って言い聞かせるように告げる彼女。

「さて、少し脱線したね。ボクが今、鬼道と陰陽道の区別について語ったのは、鬼道がただの低劣な巫術では決してないというコトを認識してもらいたかったからだよ。陰陽道、鬼道は等しく並び立つ二つの道だ。その道の一つを突き詰めた先に――裏鬼道という術がある」
「巫術の究極系、とお主は先日言っておったが……つまりそれは、竜種使役法に匹敵する巫術なのか?」
「その通り。……あるいは、超越しているとすら言える」

 彼女は真顔で言った。伝説を凌駕するわざが、実在するのだと。

「……」

 日雨は黙り込んで考える。確かに、そのような巫術があるのなら、竜種と自分の力の差を埋める数少ない手段だ。しかし。

「修得……できるのか?」

 日雨の巫術の才能は平凡だ。何より、巫術とは女性に強くその才覚が現れる特性がある。それは秋津洲国の政体にも影響する程に顕著だ。

「できる」

 エルザは一言で応じた。

「それが裏鬼道の優れた点なんだよね。――この術は、理論上どんな人間にも修得可能だ。誰であれ、竜種にすら匹敵する力を手に入れるコトができる」

 才能も、努力も必要ない。それこそが魔法。
 先日彼女が言った言葉だ。
 確かにどんな才能も、努力も竜種に肉体の性能で並ぶ事はできない。人類という種族の限界だからだ。それは羅虚虎という人類最高レベルの武術家が、未だにリューリクを暗殺できていないという事実により証明されている。
 現実であり、道理だ。
 それを破壊するのは、いかにも間違っているように思える。

(しかし……余には、それが必要だ)
「――おっ、懸念は解消されたかね少年」
「ああ。その裏鬼道とやらの伝授、よろしくお願いする。エルザ・フランケンシュタイン殿」

 日雨は床に平伏して、座礼する。
 すると、くいっ、と白い指で顎を持ち上げられた。
 屈み込んだ姿勢のエルザが、不機嫌そうに告げる。

「ボク、師匠と弟子みたいなかたっ苦しーのキライなんだよねー。ボクらもうオトモダチなんだからさー、もっとフランクにいこーぜ」
「ぬ」

 どうも最近、立て続けに師弟の礼を拒否されている。文化が違うのか。
 あるいは人間性の問題か。

「ボクとしては、『僕のせんせいになってよ、エルザおねーちゃん♡』って言ってくれた方が気合い入るにゃー」

 ――悪質な笑みを浮かべてそう要求してくるエルザを見る限り、後者の方が当たっている。

「え゛……もの凄まじく恥ずかしいのだが」
「師匠の命令は絶対服従でしょ?」
「たった二個前のセリフの手の平を返しただと……」
「早くしろよー。……ショタ顔の小生意気な小僧っ子が嫌々ながら弟キャラで媚びる……なにその御馳走プレイ……たぎるわー。捗るわー。絶対逃さねー」
「ぐぬぅうううう……」

 喉の血管の上の皮膚を、真珠色のマニキュアを塗った爪で軽く引っかかれる。女郎蜘蛛の爪先に触れられた、という比喩が相応しい状況である。
 日雨は首をロクに動かせない状態でうなり、煩悶して。
 折れた。

「ぼ……僕の先生になってよ、え、えぇ……エルザお姉ちゃん……」

 んあ――――――――――っ!!
 そして直後、恥ずかしさに悶絶しながら床を転がるのだった。




「じゃ、レッスン1だね」
「うぅ……」

 あれからエルザの演技指導(照れがあるだの、声が小さいだの、ハートマークが無いだの)を小一時間ばかり受けて、何度も弟キャラを強要された日雨は疲労困憊にうめいている。
 対するエルザは、何も食っていないにも関わらずご満悦の表情であった。頬を上気させ、妖艶な舌遣いでぺろりと唇を舐めている。
 ――居住スペースの外、元の倉庫部分に彼らは立っていた。
 エルザはステッキの先にチョークのついた道具で、床に図形を描いている。

「まず手始めに、内丹術を覚えてもらおーか」
「以前言っていた、仙道の術か」
「そ」

 歩む足を止めずにエルザは語る。

「口も鼻も使わない呼吸……胎息を用いて、周囲の霊子を吸収し自分の活力とする。この柔軟さは秋津洲人には無いものだね。己の霊子を用いるのが鬼道、周囲の自然の霊子を操るのが陰陽道って厳密に定義されちゃってる。その自縄自縛が術の発展を妨げてるってコトなんだけど……」
「陰陽互根、か」
「そーそー。あれ? 羅にでも聞いた? アイツけっこー衒学趣味(ペダンティスト)なトコあっかんねー」

 見もせずにエルザは看破すると、

「ま、鬼道を使っているキミならすぐコツを掴めるよ。内丹術はどちらかと言えば仙術でなく道術に属するもので、鬼道と親和性は高い技術だから。――覚えといて損はない。魔術格闘の基本スキルだもん。燃料が体内エーテルだけではすぐガス欠、NODSになっちゃうかんね。自然物の霊子を取り込むコトで、スタミナも回復力も向上するってワケ。
 それにコレは、裏鬼道修得の前提条件なんだよね」
「そもそも、裏鬼道とは具体的にどういう術なのだ?」

 日雨がそう問いかけると、エルザは無言でチョーク付ステッキを操り、日雨の額にバッテンを描いた。

「謎は自分で解き明かせ、という事か?」
「それもあるけど。魔術の鍛練に先入観は禁物だぜ日雨。魔術の最大の長所は〝なんでもできる〟ってコトだよ。教えや先例で可能性を狭めちゃ意味がない。ボクは最低限のヒントしか与えないから、キミはよく観察し、凝り固まった意識は排除して、創意工夫をこらしなさい」

 教師役が妙にサマになる口調で、彼女はたしなめてくる。
 ――脳ミソついてるならアタマで戦え。
 忌々しい事に、羅の説教まで思い浮かんできた。

(……ふむ)

 日雨は額のチョーク跡を袖で拭いながら、少女の作業を観察してみる。そろそろ、彼女の描くものの全容が見えてきた頃合いだ。
 中央に陰陽太極図を配し、方角を定義して天地十干、九星、八神、八門を割り振った八角形を作成する――
 遁甲盤の絵図を彼女は作っている。地勢を正確に把握する必要のある術を行使する際、その指標となるものだ。占術、方位除、そして式神召喚。
 まさかこれから修業の成否を占う、などという訳でもあるまい。

「式を打つのか?」
「ん。時間が押してるからね。胎息の修得と並行して、もう一個裏鬼道に必要な準備をする」

 最後まで描き切ると、エルザは日雨の方に声を掛けてくる。

「今、キミの持ち物で〝一番思い入れのあるモノ〟を式神化する」
「付喪神か?」

 式神の作成方法には二種類ある。
 一つは完全に黄泉――アストラル相由来のもの。霊子を操作し一から全体を創造する。術者の力量に大きく依存し、莫大な労力を費やして使い走り程度のものしか造れない事もあれば、一軍と渡り合うような霊格の式神も存在する。だきにがその代表格だ。
 もう一つは、実在する物品や、生物の死体などに霊的な強化を施すものだ。これは素体の能力である程度の基盤が出来ている為、未熟な術者でもある程度の式神を造り出せる。
 付喪神とは、後者の俗称だ。

「裏鬼道とは、付喪神を使役する事なのか? いや、しかし……」

 素体の能力によって基盤が出来ている――これは、素体の能力に縛られるという事でもある。この手法では、だきにのような強力な式を打てない。ましてや竜に対抗出来る程のものが出来るとは……

「早とちりしなさんねぇ日雨。裏鬼道はあくまで鬼道の一種。本意は〝自己の変革〟だよ。物を式神に変えるのは、キミを変える為の下準備」
「……自己の変革?」
「そ。それこそが本来の鬼道の目的。自己を変革し――愛を理解する為の」
「愛?」
「魔術ってのは、愛の業なんだぜ、日雨。脳の、それも情動を司る箇所を作動させて魔術は起動するんだ。愛を持たないものに、魔術は使えねー」
「……よく分からん」
「いーんだよ少年。それは、キミがこれから知り、体得していくコトだ。コレがその第一歩」
「物体の式神化とそれが、どう繋がるのだ?」
「裏鬼道の行使には、触媒が必要なの。ただの触媒じゃダメ。その物に対する深い共感、そして理解がないと」
「だから、思い入れのある物を式神化し……交流を図るという事か?」
「そ」

 話の趣意は理解した。
 今、自分の手元にある最も思い入れの強い物品――それも、すぐに思いつく。

「……剣?」

 日雨が腰の留め具を外し、納刀したままの太刀を引き出すのを見てエルザは問い糾してくる。

「ああ――師匠に貰ったものだ」

 ――日雨君、君に、これをあげよう。
 ――名匠の作、という訳でもない。そもそも〝中古品〟だ。君の体格に合わせて磨り上げて貰った。贈り物としては、不適当だろうと思うが。
 ――やはり、うん。俺が贈れる唯一のものだと、思う。
 ――日雨君。この剣は……

「だが、これを式神化しては余は戦えん」

 思い出を打ち切って、思考を現実に戻して告げると、エルザは軽く手を振って、

「問題ないよ。ボクの式神作成術は特別製でね、元に戻すのも自在さ」
「……そうか。ならばこの剣、そなたに預けよう」

 両手で鞘を持ち、エルザに太刀を差し出す。
 彼女はそれを受け取ると、遁甲図の中心、陰陽太極図に乗せた。
 手を組み、屈み込んで、謡うように呪を唱える。

『西の白天よりかねの気の息吹を賜ひて、無きものに宿し給う。庚星かのえぼしよ照らせ、太陰よ導け、驚門よ開け、兌宮だきゅうを潜れ……』

 ――鮮麗。
 この異国の少女の扱う巫術は、その技前自体が美しくすらあった。盤石の知識を無謬の知性と感覚で調える様は、淀みのない清流の如く。自然を循環する霊子が、巧みに誘導されて彼女の意図通りの構成を作り上げていく。人造の自然、我意の世界を象っていく。
 日雨はここまでの達人を、妹、夜見くらいしか見た事が……

(いや……あるいはそれ以上……なのか?)

 戦慄と共に、そんな疑念を抱く。
 ――やがて集束した霊子が、剣の実体に干渉を始める。輪郭が歪み、真っ白に光り輝きながら形状が変化していく。

(……どうなるのだ?)

 師・日向昴から受け取ってから、これまで長年相棒であった愛刀。秋津洲滅亡後の亡命生活を支えたのは、この剣であったと言っても良い。友のような愛着を持っている。
 人造とは言え、生命としての身体を持ち、意志の疎通を図れる存在となったら、何を語ったものか。今までの戦いを労えばいいのか、数多く味わわせた敗北や酷使を謝罪すればいいのか。
 身を強張らせつつ、その瞬間を日雨は見守る。
 ――一瞬、強い閃光が生じた。

「……ぐっ」

 思わず瞼を閉じ、顔を逸らす。
 光が消え、はっ、と遁甲陣に目線をやった時――そこには何もいなかった。

「……何?」

 周囲を見渡すも、倉庫の景色には何ら変化がない。

(まさか、失敗……?)
「……いや、成功だよ」

 動揺した日雨の顔色を読んだのか、エルザが声を上げる。
 その目線は――日雨の足下に向いていた。
 体高は日雨の膝よりも低く、茶系の体毛はもこもこと毛羽だっており、琥珀色の瞳はきりっと引き締まり闘志をたぎらせ――しかし元があまりに暢気そうな作りらしく全く怖くない。
 突っ張った手足は短く、尻尾は何が嬉しいのか絶えずぶんぶんと振られている。

「ひゃん」

 吠え声は子供のように高い。

「……………………………………………………犬?」

 詳細な説明を可能な限り早急に求める、と目線でエルザに語る日雨。
 彼女は後ろ頭をかき、にゃっははは、と愛想笑いをして告げた。

「や、そりゃあ……けんだからね」
「駄洒落――――――――――――っ!」

 頭を抱え絶叫する日雨の足下で、子犬が物真似のように「わおーんっ」と遠吠えした。



[40176] 5.詞木島兄妹のレベリング生活
Name: 八目又臣◆aa87a973 ID:17b043ce
Date: 2014/11/10 19:17
 その日、シヴィル・シーチ西方に住まう住人の多くが、隼を目撃した。
 妙に低い場所を飛ぶ、大きな隼であった。




 路地裏に墜落した隼が、左右の屋根に狭められた空を見上げている。
 そこを、虎の頭が遮った。

「落第。カスだな」

 羅は七日経っても変わらず、悪し様に日雨を罵ってくる。
 今日の状況設定は、空中戦。民家の屋根伝いに市街を駆け抜けながら戦うというものだった。派手な動きをしては警邏の目に留まる――この都市は憲兵が組織立って管理している。喧嘩が絶えない事を除けばむしろ治安はかなり良いのだ――為に、常に移動しなければならなかった。
 羅は猿のように身軽で、速かった。
 彼に追いつこうとして無理に速度を上げて、消耗した所を突かれて撃墜され、こうして路地裏で苦悶に喘いでいる。
 相手は息を切らした様子すらない。
 これが、エルザの言っていた〝外部タンク〟の効用なのか。

(……いや)

 彼女の手解きで内丹術を習い始めて、他人の霊子の流れもある程度把握できるようになってきた。
 だから理解していた。羅は、日雨との勝負でロクに霊子を消費していない。それでいて、日雨より遥かに速い。
 思えば、最初に会敵した時もこうして市街を駆けずっていた。あの時は立場が逆でこちらが逃げていたが、やはりあっさりと追いつかれている。

(どういう事だ……?)
「多少はモノが見えてきたみてぇだな」

 困惑の視線からその疑念を感じ取ったのか、羅が鼻を鳴らして言葉を落としてくる。

「今回、てめぇの身体能力はほとんど封じられてる」
「……何?」
「分かんねぇで屋根を走ってやがったのか、間抜けが。あの不安定な足場じゃ、蹴り足が強すぎると崩れちまうだろうが。デモナイズした所で力のほとんどをセーブするしかねぇ。そうなると、てめぇと俺の技術の差が如実に出てくる」
「技術だと?」
「そうだ。〝軽功〟と言う」

 羅は告げる。

「てめぇはただ、脚力を増幅して走っていただけ。無駄が大きすぎんだよ。全身の筋肉、接地面にかかる応力、抗力、全て計算して抵抗を最小限に抑える走りをする……達人にかかりゃあ、竜車の最高速度並のスピードで三日三晩走り続ける事も可能だ。瞬発的にはもっと速くもなれる……」

 そこで羅は言葉を止めた。この男は長い説明をしていると、自分で勝手に苛立ち始める。やたらと短気な男だった。
 舌打ちして、不平を述べてきた。

「これは日向の野郎も使える技術のはずだ。あいつは、てめぇに教えなかったのか?」

 どちらかと言うと、ここにいない人物を責めるような口調だった。

「……あの人は余が十三の夏にふらりと消えてしまった。さして長く教えを受けた訳でもない」

 そう言えば――これが初めての、明確な発言であるように思う。
 日向昴という人物と、互いに知己である事を示したのは。

「……そうだな」

 奇妙な物言いで、羅は日雨の言葉を肯定した。

「もしかして、彼の行方を知っているのか?」
「……気になるのか?」
「あの人には世話になった……礼の一つもしたい」

 微かに、懇願めいた響きが出る事に、恥ずかしさを覚える。
 羅は嘲笑で応えた。

「知ってても教えるかよ馬ァ鹿。……縋ってくんじゃねぇ、俺とお前は敵同士だ」
「……ぐっ」

 こちらの甘えを敏感に読み取った返しに、腹立たしさに胸が煮えたようになる。起き上がって、努めて冷静な口調で言い返した。

「……そう言えば、妙な訓練を課された事がある。〝死んだようにその場に倒れろ〟とかなんとか」

 枯れ草をクッションにして、受け身も何も考えずに全身の力を抜く。これは意外に困難な行為だった。最初の内はどうしても踏ん張ってしまうか、一部の脱力に気を取られてしまう(そういう時は、「生者の転び方」とか言われてたしなめられた)。
 自分の身体が、どのような力で支えられているのか知る訓練だ、と言われた。これを続けると、鴻毛こうもうのように身軽に走れるなどとも。

「そいつぁ、〝糸切り〟っつう鍛練法だ。身体の奥の筋肉……深層筋を把握する為の。――次は、地面に接地する直前に踏ん張るようにしてみろ。使う筋肉は明確に意識しておけよ」

 それが罵倒でなく単なるアドバイスである事を理解するのに、しばし時間がかかった。
 何を言い返すべきか迷っている間に、羅はべらべらと語り始める。

「常に、自分を自然の一部として考えろ。太極より両儀を生じ、両儀より四象を生じ、四象より八卦を生ず……全ては大きな一つのものの一部だ。戦の機も、身体の気も、全体を意識して初めて機能する……クソガキには理解できねぇかも知れんがな」

 最後の余計な一言で、日雨は皮肉を返す事を決めた。

「訳知り顔で中原の哲理を語る貴様は、中原人ちゅうげんびとではないように見えるが」

 癖のついた赤毛、浅黒い肌、彫りの深い顔立ち、青い瞳……どれを取っても大陸の東側に住む人種とはかけ離れている。

神の御心のままにインシャアッラー、とでも言えばいいのかね」

 皮肉げに唇を歪ませる羅。――日雨には、その言葉の意味は分からなかったが。

「確かに俺ぁ中東系の血が濃いがよ、砂海周縁国で生まれた訳でもねぇ。若ぇ時に長くいたのが中原のだ」

 そう言うと、日雨の顔を観察するように眺めて、

「第一てめぇも、秋津洲人の顔立ちじゃねぇ……」

 言いかけて、虎の唸るような声を上げると共に頭を掻いた。

「どうも、口を使う程に緊張感が抜けていくな、えぇ? おい。休んでんじゃねぇよ」

 理不尽にこちらを蹴りつけてくる羅。
 苛立ちを足に込めて、日雨は強引に立ち上がる。
 再び両者は、自身の間の空気を緊迫させながら対峙する――

「む。待て、エサの時間だ」

 その空気を一方的に日雨が断ち切った。太刀を地面に置き、切り替えの呪を唱えると、ぽん、と間抜けな音を立てて鉄の剣がモフい犬っころに変化した。

「わふっ」
「おー、よしよし」

 エルザの寄越した「犬の飼い方ワンポイントアドバイス」なるアンチョコを見ながら、日雨はこの「刀犬」の頭を撫でる。『そのいちっ(犬をデフォルメした小憎らしいスタンプが押されている)頭は頻繁に撫でてあげましょう。犬は格付けをする生き物です。褒めると共に、自分が上位者である事を示すのです』

 肉の缶詰を食わせ(どこで消化されているのだろう)、食後の運動に小さめのボールを投げ、何度か取ってこさせる。

「わおーんっ」
「うむ、でかしたぞ」

『そのに(犬をデフォルメ以下略)とにかく褒めて伸ばしましょう』とアンチョコにある通り、もう一度、頭を撫でる――

「……おい、舐めてんのかてめぇ」

 これまでで一番低い声の羅の脅し文句と共に、胸ぐらを掴まれる。いつもなら全力で反発する所だが、今回ばかりは負い目から腰が引けている。大型の肉食獣を彷彿とさせる羅の殺気に当てられて、犬が日雨の足下に縋り付き、ぷぷぷぷぷと震え始めた。

「こ、これはれっきとした魔術の鍛練なのだ! ……たぶん」

 言い返す口調も、どこか弱々しい。

「それに、これはまだマシな部類だと……」

 エルザ曰く、変化する付喪神はランダムで、犬の他に鶴(つるぎ、だかららしい)、ソードテール(熱帯魚)、メカジキ(これも体長数メートルの肉食魚。英名ソードフィッシュ)と候補があったようだ。
 実に二分の一の確率で、凍った川くらいしか周囲にない場所で、海水魚と戯れるシュールな図になってしまう所だった訳である。そうならなくて本当に良かった。

「……あの女の仕込みか」

 こちらが言い訳をしている内に子細を察したのか、羅の怒りが冷める。胸ぐらを掴む手を離して、ち、と舌打ちする。

「いきなり胎息タイソクを覚えてきやがったと思ったら……またぞろ何か企んでやがんのか」

 如何にも不快そうな物言いと共に、深いため息をつくと、じとりとした目でこちらを睨んできた。

「おい還龍宮。てめぇまさか、多少世話になった程度であの女を善人か何かと勘違いしてやいねぇか?」

 けっ、と吐き捨て、悪辣に告げてくる。

「ありゃあ、魔女だ。この世にその肩書きがこれ以上似合う女なんざいやしねぇ。人の足下を掬い、裏をかく事しか考えちゃいねぇんだよ……少しでも信用してやがるなら、間抜けと言わざるを、」
「――本当に、口を使うと緊張感が抜けるの。貴様が余の心配をするとは」

 羅の発言を日雨は皮肉で遮った。
 初めて、この男の隙を突くのに成功している、などと思いつつ告げる。

「それは、あやつにも思惑くらいあるだろう。竜と戦える程の強力な術を伝授してくれるというのだからの。どんな代償を支払わされるのかと密かに恐々としておる」

 本音を漏らしたのは、その隙がこの男の私情によって生まれたのだと分かるからだ。面と向かって詫びる気には決してならないので、そうした物言いで現わさざるを得ない。

「しかし、割に合う取引と思うから乗った。掛け金がなんであるにせよ、それでくららや夜見(とその従者)を救えるのなら、むしろ釣りが出るというものだ……それに」

 付け加えるように、日雨は言う。

「そういう所も込みで、余はエルザを悪い人間とは思わんよ」

 羅はその言葉に、唾棄で返した。路地裏の石畳に吐き捨てた唾を踏みにじり、

「……耄碌もうろくしたな。てめぇみたいな馬鹿なガキに、同情するなんざ」
「……元より、貴様に理解してもらおうとは思わん。――余は一つの真理を知っている、ただそれだけの話よ」

 言葉を句切って、日雨は東の方角を向いた。そちらの方にある遠く離れた城、ましてやそこに囚われた人間を見通せる訳ではないが。

「優れた巫女というのは、大概性格が悪い。……だが、良い所もあるのだ」



    //////



「さっきそちが食したぴろしきには遅効性の毒を仕込んである。解毒剤はわらわしか持っておらん。さぁ、死にたくなければこのわらわへの絶対服従を誓う契約書にさいんを……あっ、おい、待て!」

 夜見の話を最後まで聞かず、大柄な竜種の女は人生を悲観して、最後の(最初の、でもある)恋を探す為に地元へ全力ダッシュで帰っていった。

「……夜見ちゃん」

 五十人目に袖にされた辺りから、勧誘の手段も形振り構わなくなってきており、くららの夜見へ送る視線は全くのダメ人間を見るが如しである。

「ぐぬぅううう。なぜだ! なぜ竜という連中はこうも人の話を聞かん!?」

 先日とは別の離宮の小路で、悔しげにうなって夜見は小さな拳を握り合わせる。

「ええと……それはともかくとして、あの人に毒を盛ったって話、まさかホントじゃないよね?」
「うむ。残念ながら、毒飼いを働こうにも材料が手に入らなかった」
「材料が手に入ってたらやってたんだね……」

 幼女との精神的な距離を大いに開きつつ、戦々恐々とうめくくらら。

「両替が出来んこの地では、正攻法(この幼女にとって、正攻法とは「札ビラで頬をはたく」である)が使えんのが痛い……こうなったら……子連れの者を探すか」
「ちょっとちょっとちょっと」

 どうやら誘拐に手を染めようとしつつある夜見を、くららは慌てて制止する。
 普段であればさすがにここまで悪質ではないはずだが(多分)、兄と引き離された状況で何度も失敗を繰り返して、彼女は追い詰められつつあるようだ。

「煮詰まってきてない? ちょっとは息抜きした方がいいよ」
「そんな暇は……」

 半ば意地になったように、夜見が反駁――しかけて。
 どこか近くで、言い争う声が聞こえてきた。




「あの殺し屋ウビーイツァをサシチザーニイに出場させる……!? 何を考えているのですか、貴方は!」

 そう声を荒らげるのは、レフ・カルピンスキであった。
 普段は本城である牙の城で生活している彼が、こうして離宮の中庭を口論の場としているのは、兵士達の聞き耳を気にしたからなのか。
 責められている相手、リューリク・ジランタウの顔色には、この男にしては珍しく悪びれたものを感じさせた。睨み上げるレフから目を逸らし、耳の後ろを指で掻きつつ、

「手続きがメンドクセぇ事になったのは謝るっての。後で礼はするつもりだった……」
「そういう事を言っているのではない事くらい、分かっているでしょう!」

 レフは怒声を張り上げ、リューリクの言い訳を遮った。

「あの時貴方は、心臓を三つまで抉られた。忘れたのか!」
「忘れちゃいね~~~よ。キッチリ半殺し。隙を突かれたたぁ言っても、あそこまで良いようにしてやられた覚えはあんまねぇな……ザイフリートのベルフェゴールか、〝黒騎士〟の〝アバドン〟くらいか……」

 胸板を軽く親指でこすりながら――よく見ると、シャツの隙間から傷跡が覗いている――、にたりとするリューリク。

「つまり、上玉の獲物って事だ」
「命を的に遊ぶなど……!」

 苛立たしげに歯噛みして、レフは彼を非難した。八つ当たりか、足下の小石を踏み締め、砕いている。

「――それだけじゃねぇさ」

 やや声の熱量を落として、リューリクは小さく告げる。

「ロゥとサシチザーニイでやり合うってのは……むしろ、こっちのメリットのがでかい」
「……何を」
「タイマンで俺の首を獲る機会をエサに、それ以外の選択肢を奪った形になる。ああいう手合いには、搦め手で来られた方が余程手こずるんだよ……特に今は、ジュラヴリカを連れている」
「奴が彼女を人質に取る、と?」
「むしろ、それが暗殺者である奴にとっちゃあ正攻法だな」
「卑劣な人間どもめ……!」

 だんっ、と中庭に設置されていた銅像(一角獣がモチーフだった)の台座を殴りつけるレフ。彼の腕力、よりも能力に反応して大理石の台座が歪み、前衛的なオブジェと化す。

「青臭ぇぜレフ。そうやって熱くなってる内は――お前は人間って奴を理解できていねぇんだ」
「十二分に分かっています! 貧弱で卑怯な……機械に頼るしか脳のない連中だ!」

 激昂して反発する彼に、リューリクは微かな嘆息を漏らした。
 はぐらかされたような仕草が、更に勘に障ったのか、レフはとうとうリューリクに掴み掛かる。

「なぜ私に命じない! あの男を殺してこいと!」
「……馬鹿言ってんじゃねえよ。お前はもう三万の軍勢と、それを擁する都市の長だ。逆に俺はもう国からはじき出されたロートル。価値がまるで逆だぜ。おい、まだ近衛兵の若造だった頃の気分を引きずってやがるのか?」

 呆れたように間近の男の頭上で手の平をさまよわせ――そして肩に置いてなだめすかすリューリク。かつては、頭に手を置いていたのだろうか。
 そのまま押し退けようとしたが、強い手応えに止められた。レフは引き下がらなかった。

「変わりはしない! 変わるはずがないだろうが――俺は、貴方に全てを教わった。あのセヴェルナヤ・ゼムリャ戦線の地獄では命を救われた……俺の英雄は、今も変わってなどいない。代わりもいない。……貴方を失う事に、俺が耐えられるとでも思っているのか?」

 絞るような声音だった。

「……レフ」

 かつての王は、半ば呆けたように、息子とも言える部下の心痛に満ちた表情を見下ろす。
 そして、獰猛に微笑み、レフの肩に置いた手で――彼の胸を殴りつけた。
 吹き飛ばされて、咳き込むレフ。

「っづ……何を、」
「ったくよォ、さっきから聞いてりゃ――大きく間違ってやがるぜ、親衛少尉ムラドシー・レイチェナント

 たった今彼を殴り飛ばした拳を突き出して、リューリクは問うた。

「こいつを見ろ。これが衰えた男の拳に見えるのか。挑まれた戦いに負ける男の拳に、見えるってのか?」
「……っ」
「セヴェルナヤ・ゼムリャでもそうだったろうが。英雄ってのはよ、窮地を笑って乗り越える男の事を言うんだよ」

 そしてリューリクは、握った拳を開いてレフへ差し出した。
 その手を取り、レフ・カルピンスキは気の抜けたように微笑む。

「全く……貴方はいつまでも、変わらない」





「……うーん」

 離宮の二階から、二人の口論を伺っていたくららが困惑の声を上げる。
 どうやらリューリクは、レフのようにくららセイタンや夜見を手に入れるのとは違う目的があり、彼なりの事情を抱えているようだ。聞き耳を立てても聞き取れない部分はあったし、情報も断片的で、彼の意図を推し量るにはくららでは不足だったが。
 特に、ウビーイツァという言葉が妙に気にかかる(彼女は夜見から軽くジラント皇国語の手解きを受け始めたが、常用語以外は全く範囲外だ)。

「ねぇ夜見ちゃん、あれってどういう……」

 隣で、同じく盗み聞きにふけっていた夜見へ問いかけようとする。が、

「のぅのぅくららちゃんくららちゃん! あの二人――デキとるようじゃのっ!」

 彼女はキラッキラと輝くこれまでにない子供らしい笑顔で、そう断言してきた。

「くららちゃんも二人の会話の行間に感じ取ったじゃろ!?」
「えっと……何を?」
「愛じゃ!」

 幼女の腐化ふか読みが酷い。

「特にあのレフは属性が盛りだくさんじゃのぅ! ワンコ攻めにメガネ攻めに敬語攻めに加え、暗殺者に執心するリューリクに嫉妬を向ける良い感じのヤンデレぶり! っくぅ~、あのいけ好かん男にこれ程おいしい思いをさせられるとはっ! この後連中が閨事に耽ると思うと白飯三杯はいけるのぅ!」

 どうやら、夜見は彼らの会話を十二分に理解しつつも全力で曲解しているらしい。

「夜見ちゃん……」

 嘆かわしさを目線に込めるも、妄想に目の眩んだ彼女には感じ取れていない。
 ふと中庭を見ると、リューリクがずっ転けていた。こちらの気配は察していたようである。元より、格別の感覚を持つ彼に出歯亀を働けるとは思っていなかったが。

「ぐふふふぅ~……まさか黒髪眼鏡いけめんと枯れ専好みの中年などというお宝かっぷりんぐがりあるに実在するとはの~。わらわ生まれて初めて三次元に希望を持てるかもじゃ~!」
(どうしよう……ここ最近の夜見ちゃんの没落っぷりが凄まじい)

 窓ガラスにへばりつくようにして中庭を伺いつつ、緑青ろくしょうの浮いた銅鏡の反射光めいたものを瞳に宿す夜見を眺めて、額に一汗垂らすくらら。

「間違っておりますよ、くらら様。夜見様は没落したのではなく、元から腐ったドブ川の底に住むが如き底辺チックな人格を誇るダメ幼女です」

 そしてその心境を読み取って、逆側に佇んでいただきにが耳打ちしてくる。
 なんだかどうしようもなく現実から逃避したい気分になった、そのせいなのか。くららはか細く届いてくる外界の音を聞き取る事ができた。
 高校生の彼女には馴染み深く、そして懐かしい。さらさらと――鉛筆でものを書く音だ。
 それと、もう一つ。

「ふひっ、ふひひっ、ぐひひひひぃ~……」

 どぶ川の底に溜まったガスが抜けるような、澱んだ笑い声である。

「ジュラヴリカちゃん?」

 くららたちからやや離れた窓際で、同じく中庭を見下ろしていた銀髪の幼女に気付き、軽い驚きを覚える。この一週間ほどで、離宮の最上階以外の場所で彼女を見かけた覚えが無かったからだ。
 彼女はこちらに気付かずに、手元のスケッチブックに鉛筆を走らせている。瞬きすら忘れる、一心不乱ぶりである。涎まで垂れている。

「なにしてるのかしら」
「ふむ……どうやら彼女もリューリク氏とレフ氏を観察していたようですし、お嬢様と同じく四則演算の中で掛け算だけ特別視してしまう腐かい業の持ち主なのかも知れません」
「まっさかぁ。夜見ちゃんじゃあるまいし」

 無意識にさらりと毒を吐くと、くららは身をひるがえしてジュラヴリカの方へ駆け寄っていった。

「こんにちわ、ジュラヴリカちゃん。なにし」

 なにしてるの? と言い切る前に、「うぎゃあっ!」とジュラヴリカは可愛げのない悲鳴を上げてスケッチブックを反射的に放り投げた。
 偶然、くららの手元に開かれた状態で落ちてくる。
 他人の書き物を覗くのは良くないと、目を逸らそうとしたのだが――その前に固定されてしまった。
 書かれて――描かれていたのは、イラストと〝ふきだし〟。
 くららにとっては、鉛筆以上に懐かしい。

「わっ、わぁっ……漫画だ。へぇー! ジュラヴリカちゃん、漫画描いてるんだぁ……!」

 ぱらぱらとページをたぐる。その足下では子犬のような生き物がぴょんぴょん跳ねながら「かっ、かかっ、返しなさいよぉっ! こらぁっ!」とか言っているが、くららには聞こえていない。
 まさか今の世界で、本物の漫画を拝めるとは思っていなかったのだ。嬉しくなってきて、つい先へ先へと読み進めてしまう。
 ――そして数分後、くららの目が点になっていた。

「…………………………………………………………んんん?」

 一見して、真っ当な漫画である。絵柄も多少顎が尖っていたりするものの、素人仕事にしては十分な画力に思える。むしろ頑張っている感じがして微笑ましい。
 ほぼ全てのページに、銀髪の少女が美男子に求愛されるシーンが描かれている。壁に挟まれて「こうして押さえつけとかないと、すぐにどこかに行ってしまうからな、君は」とか、ナンパ男に絡まれてた所で肩を抱かれて「コイツ、俺のだから」とか。
 ちなみにシチュエーション毎に相手は別の男である。

「ふむ、いわゆる逆ハーものの少女漫画ですね」

 背後からスケッチブックを覗き見ていただきにが、端的かつ的確にその内容を言い表す。実はこの人物、くららよりも現代日本知識が豊富なのではないだろうか。

「主人公のモデルが明らかにジュラヴリカ様なのは元より、こちらの黒髪眼鏡男子はレフ氏にそっくりですし、このガテン系の親父はリューリク氏の面影がありますね。こっちの毎度毎度当て馬気味にフラれる銀髪長身巨乳女の描写には、何やら個人的な怨念を感じますし……どうやら他人に見られると衝動的にヒモ無しバンジーにチャレンジしたくなる程恥ずかしい、ごくごく私的な黒歴史スケブのようです」

 そんな作者の心情をしっかり読み切った上で、くららの肩越しに手を伸ばしてページをめくり、最後まで熟読してしまうだきにである。その足下ではジュラヴリカが狼狽のあまり埴輪はにわのようになっている。

「御馳走様でした」

 だきには最後にそう告げて、放心するジュラヴリカの手にスケッチブックを載せる。

「それにしても、この国って漫画文化あったんですねー」
「ジラント皇国はカタ・コスモーン機構と拮抗しているとの事ですし、なまじ肉体の強いぶん機械技術の発達はないにしても、文化レベルの方は高いのでしょう。戦争の過程で、機構の保有する神代の文明が流入した、という事もあり得ますし」
「ヘレニズム文明とかと似たような感じなんですかねー」

 発作的に死んじゃいたいオーラを放ちだしたジュラヴリカを尻目に、くららとだきにが考察を交わす。

「まぁ、何にせよお嬢様と同レベルの奇行でしたね。此度も同率一位……従者としてはやはり、我がお嬢様にはワーストを走り抜けて欲しいという願望はあるのですが」
「ワーストを走り抜けるって言葉、初めて耳にしましたよ……」

 この従者、主の足を引っ張る気まんまんである。

「あ、でもでも、二人とも同じような趣味を持ってるって判明したんだし、これをきっかけに仲良くなれるかも!」

 わたしナイスアイディア! と人差し指を立てウインクしてドヤ顔のくららを、鉄面皮のだきには心の奥底だけでそっと「うざっ」と思った。

「甘いですよ、くらら様」

 そんな心境はさておき、彼女はくららの希望を一蹴する。

「確かに同好の士の繋がりは強固でもありますが、愛するからこそ譲れない一線もありましょう。現に――」

 と、だきには目線で足下を示す。
 ちょっと目を離した隙に、低身長の幼女二人がまたしても争っていた。

「はぁ~? はぁ~? あ、あんた男同士の絡みが好きとか、あ、ありえないし。悪趣味ぃ。服の趣味込みで悪趣味ぃ~……」
「きっ、聞き捨てならん事を抜かしたなくらげっ! 貴様こそ数多の男をとっかえひっかえなどというしちゅえーしょん、ふしだらにも程があるじゃろうが! あとっ、服の趣味について貴様のようなふりふりと頭の悪そうな格好を三十路になってまで平然と着こなす脳弱年増女にとやかく言われたくないわぁっ!」
「いっ、イケメンにモテたいって願望は全ての女子の憧れですぅ~! あんたみたいな非生産的でニッチ極まる性癖よりずっと真っ当よぉ~! あとっ、歳だけ若くてもそんな黒くて地味でババ臭いカッコしてるあんたのが精神的には老境に入ってるわよぉ~!」
「社会でめじゃーになれなんだにーと女が多数派を傘に着るなぁっ! 生産性が無いからこそ実現する理想的な純愛を理解せんとは、精神と見た目だけ全然成熟せぬまま歳ばかり重ねた耳年増、名ばかりびっちめ!」
「あ、ああああ、あんたはマイナーを傘に着て高尚ぶってるじゃないのよぉ~! 愛の多様性を認められない性根の未熟なガキはこれだから困るのよぉ~! て、てゆーか、耳年増はあんたも一緒でしょぉ~っ! エロガキ!」
「えっ、えろ……っ!? お、王族を辱めたなぁくらげぇ~!」
「あ、ああ、あたしだって王族ですぅ~! 先に名ばかりビッチとか言ったのはそっちでしょぉ~! 腐れ妄想趣味のダサ和服スケベ幼女ぉ~!」
「言うたなこの逆はー自慰狂いの年甲斐もない独身白ろりばばあ~っ!」
「きぃ――――――――――――――!」
「やんのかこらぁ――――――――っ!」
(……み、醜い)

 通路に布かれた絨毯をリングに、再びマウントを取り合い大喧嘩を始めた夜見とジュラヴリカを見下ろすくららは、その光景のあまりの見苦しさにめまいを覚えていた。

「マイナスにマイナスを掛けてマイナスになる……数学では表現できない人間の妙味という奴ですね」

 だきには顎に手を当て、しみじみと頷いている。

「どうも先日からくらら様はお二人をくっつけたがっているようですが、この様子では難しいのでは? というより、貴方も幼女二人が百合の花を咲かせるのが趣味とか、特殊な性癖の持ち主だったのでしょうか」
「えっと……あの二人と一緒にしないで下さい」

 やはり無意識に毒を込めて、だきにへ不平を漏らすくらら。

「わたし、ちょっと考えてみたんですけど」
「下手の考え休むに似たりと申しますが……おっと、今のは単なる独り言です」
「……」

 だきにの皮肉にめげそうになりつつも、くららは持論を述べる。

「リューリクさんって、どうも孫に甘そうですし、ジュラヴリカちゃんと懇意にしておけば今後いろいろ便宜を図ってくれそうじゃありません? 例えば……今こうして脱出の手立てを練っているのがレフさんにバレても、かばってくれるとか」

 その言葉を聞いて、だきには口元に手を当てて沈黙する。心なしか、無表情にも軽い驚きの色が伺えるように思える。

「……思いのほか腹黒い思惑を開示されて、私、くらら様の抱える闇に恐々としております」
「あ、あれーっ?」

 くららがそのリアクションにショックを受けていると、彼女は口元にやった手を、何かを捨てるように振り下ろした。

「……まぁ、冗談です。血気盛んな雄たちや――なまじ才のあるばかりに難所を進もうとする方と比べれば、遥かに現実的で妥当な行動を取っていると言えます」

 ちらり、と主へ無遠慮な目線を向けてだきには言った。

「ですがやはり、あの二人は互いにぶつかる気性のようです。私、喧嘩する程仲が良いという説は支持しない派ですので」
「うーん、まぁ、そもそも経験則を一般論みたいに語るのが間違いなだけって気がしますけど……今回に関しては例外かな、わたしは」

 喧嘩する二人へ、やや羨ましそうな目線をくららは送る。

「夜見ちゃんがあんな子供っぽく怒ってるところ、初めて見るし」
「……む」

 そう指摘されて、だきにが口元を締める。
 にっ、と彼女に微笑みかけて、くららは言った。

「やっぱり、わたしの一番の思惑は、あの二人が友達になれたらいいなぁ、って願望ですよ。友達は大事です。マストゲットですよ、だきにさん」
「……くらら様」

 一つ、感心したようにも見えるため息をついた後、だきには返す。

「先程も思いましたが……そのドヤ顔は心底鬱陶しいです」
「……あれれー?」

 良い事を言ったつもりがあえなく撃沈し、くららはしょんぼりするのだった。



    //////



 ――トーナメントの組み合わせを決める。
 エルザを伝手に、リューリクがそう言って牙の城へ招集をかけたのは、サシチザーニイ開催の前日であった。
 大会の規模に比してなんとも行き当たりばったりな運営もあったものだと日雨は呆れたが、エルザ曰く「なに、それがリューリクって男の流儀で、竜って種族の流儀なのさ」との事だった。

(はて)

 ああいった男が大会運営なんて細々として地味な仕事を請け負うのか、そもそも立場的にそうした雑務を課せられる事があるのか。
 行けば分かるよ、と意味深なセリフと共に、エルザは日雨を送り出した。
 組み合わせを決める――おそらく抽選会のようなものを行う場所として指定されたのは、牙の城の前庭だった。特に高い価値があるようにも見えない、単なる大岩が中央に鎮座している。

 近くの竜に聞いてみると、この地が単なる雪原であった頃、当時の竜皇から委任を受けて結成された初代シヴィル・コサックの兵士たちが、人界から切り出し、徒歩で運び込んだ牙の城の建材の余りなのだそうだ(その頃は城ではなく小さな砦で、既に砦本体は取り壊されているらしい)。
 人界でもその件は記録されており、隣国カザクでは「突然竜が現れ山を台地にして去って行った」と恐ろしげに言い伝えられている。
 そうした前置きがあれば、ただのでかい石くれにも含蓄らしきものが感じられたりもする。――普段の日雨であれば、観光気分でそれを楽しんでいただろう。

(肌が……ひりつく)

 掻痒感そうようかんめいたものを二の腕に感じながら、日雨は周囲を意識する。
 エルザに内丹術を教え込まれて以来、外界を流動する霊子を把握する事ができるようになってきている。つまり、事物の保有する魔力の多寡だ。これが即強さの評価に繋がる訳でもないが、指標の一つとはなる。
 ――今は、それが空気に粘りけを感じられる程に、濃い。
 この場に集まった竜は三十人。格闘技のイベントと考えれば、角力の興業を打つにも乏しい面子である。
 その誰も彼もが、並の竜の二、三十人分を優に超える魔力を持っている。
 三十人。まだ現れないレフとリューリクを入れれば三十二人で、つまり五回勝って優勝という事ではあるが……この、明らかに地力で自分の上を行く連中を相手に五回も勝利を重ねるというのはどれ程の困難か。

(呑まれるな)

 屈伸して身体をほぐしつつ、自分に言い聞かせる。
 すると、

「ふ フ は  ハハ  ハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ  ハハ ハハハハハハハハハハハ ハハハハハハハハハハハハァ――――――――――――――ッ!!」

 上空から空気を揺らす高笑いが轟いた。
 見上げれば、城の尖塔に仁王立ちしていた巨漢がこちらに向かって飛び込み、前庭中央の大岩に降りる所だった。
 びしっ、と大事なモニュメントであるはずの大岩に無遠慮な亀裂が入る。

「よォっく来たなぁ若造共ォ!」

 鳴り物入りで登場したリューリクは、眼下の三十人を見下ろして胴間声を張り上げた。

「明日、サシチザーニイが開かれる! コイツぁ興業だの政治の舞台だの出世の道だの余計な〝添え物〟がついてるがよ、それ以上に俺達、ここにいる戦士の為の祭りだ! せいぜい愉快に、気持ちよく、笑って殴り合おうぜ!」

 開催前の、参加者であると共に主賓の立場としての挨拶という事か。豪放磊落を体現したような語りかけに、参加者のほとんどが歓声で応えた。
 日雨は口をつぐみ、リューリクに鋭い目線を送るのみだった。彼にとってはこの勝負は、仲間の身柄が掛かっているものである。お祭り気分を挟む余地は無い。
 そもそも――あの男の姿を一瞥しただけで、先程から身動きが取れなくなっていた。
 あの大岩の上に今、一座の高い山が載っている。リューリクの内包する魔力を見て、そんなイメージが浮かんだ。

(これ程……とは……!)

 しかもこの大山は、自らの足で歩み、敵をその手で殴り壊すのだ。
 自我を持った自然現象――竜という種族の極みが、そこまでの域に達するのだと知り、日雨は畏怖すら覚えていた。

「お前も。よく来たな、小僧」

 そのリューリクが、いかにも歓迎ムードでこちらに声を掛けてくる。
 他の参加者が注目するのにも構わず会話を続けてくる。

「ロゥはどうした?」
「取組の抽選くらい一人でいいだろう、とな」

 不機嫌そうに口を尖らせて日雨は漏らした。実際にあの男の吐いた文句には、「ガキの使いくらいこなせんだろ、ガキなんだから」とか余計な罵倒まで付け足されていた。

「はっ、ノリの悪いヤツだぜ。暗殺稼業だからって日向に出んのを嫌がってばっかだと、筋肉が腐っちまうぞ」
「どういう理屈だ……」

 いかにも脳筋じみた発言にうろんな眼差しを送る日雨。

「で、お前はなんだ? その足下のちっこいの」

 次にリューリクは、日雨の足下の刀犬を指差した。彼は鋭敏な獣の野性を発揮して――より強い猛獣の群れの中で怯え、日雨の足下に隠れていた。

(た、頼りない……)
「この状況で犬を飼い始めるたぁ、中々余裕じゃねぇか小僧」

 茶化してくるリューリクにそっぽを向きながら、日雨は言う。

「無駄話などせず、早く取組を決めてもらいたい。くじでも引くのだろう?」

 それにリューリクは、いんや、と首を横に振った。

「んな〝まだるっこしい〟事しねぇよー」
「?」
「俺ぁ、組み合わせを〝決める〟と言ったはずだぜ」

 リューリクの不可解な発言に、日雨が疑問符を重ねていると――彼は、人差し指を無造作に動かした。一体の竜に、指先を向けて、

「そこのお前でいいや。俺と一番手な」

 指名された男が顔つきを強張らせ、数秒の逡巡の後に「……はっ」と進み出て頷くまで、日雨はそれが何を決めているのか気づけなかった。日雨の――人間の常識にあまりに合致しない選出方法だったからだ。
 リューリクはこの場で、ただの独断によりマッチングしている。前もって口裏を合わせてすらいないだろう。横車を押すだの、横紙破りだのの次元ではないのだ。
 リューリクはこの場の竜人たちに対する絶対的な命令権を持っていて、そして彼らはそれを受け入れている。

「お前とお前が二番手、そっちの二人が三番手、そこのデカいのと小せぇの四番手なー、五番手は……」

 後半になると指の動きもぞんざいになっていき、最後に日雨が指された。

「で、小僧。お前とロゥがトリだ」

 こちらがあっけにとられた顔をしているのを気づいているのだろう、リューリクはからかうように口の端を吊り上げると、言った。

「これが竜種俺らのモノの決め方だ、小僧。ジラント皇国に民主主義は無ぇ」
「国祖の権威は、これ程までに強いのか?」
「あぁん? 権威だ? んな鼻紙にもならねぇ肩書きに頼る気風は、竜は持ち合わせちゃいねぇぞ」

 可視化する程濃厚な魔力を陽炎のように立ち上らせて、リューリクは言い放つ。

「こいつらが俺の言う事を聞くのはな、俺が一等強ぇからだ。強者への絶対服従。それが俺たちの流儀よ」

 ずらりと並ぶ三十余名の竜は、その言葉になんら異議を唱えない。

「安心しろよ小僧。竜の喧嘩に八百長は無ぇ。俺がこの権利を振るって楽に決勝まで進む事はありえん。――むしろ全身全霊でかかってくるだろうぜ。俺に勝ってサシチザーニイを制すれば、次期軍長オタマーンは確定だからな。ジラント最有力のコサックのアタマで、国父を負かしたハクまで付くとありゃあ、今後やりたい放題だ。今の俺の立場にそっくり成り代われるって寸法よ」

 確かに――彼らの瞳には、揃って戦意と野心が秘められている。
 弱者を屈服させ、思いのままにする事は彼らにとって疑問の余地のない真理なのだ。
 ――ぐるる。
 気付けば、足下の刀犬が日雨の足下から離れ、リューリクに唸り声を放っている。

(……頼れるではないか、相棒)

 胸中でそう呟いて、日雨も一歩前に出た。

「これまで、そなた自身には個人的な遺恨は無かったがの。今、気が変わった」

 端的に言って――ムカついていた。
 胸の内に宿った戦意は、リューリクに対してのみのものではない。竜種全員にケンカを売る心地で、日雨は言い放った。

「この戦いは余が制する。貴様らの流儀とやらを、茶番に堕としてくれるわ」
「はん――やってみせろよ、人間」

 絶対強者は、獣の貌でそれに応えた。





 夜見の竜種使役法の実験台――もとい、パートナーは、サシチザーニイ前日に見つかった。
 くらら達は与り知らぬ、前庭での一件からしばし後の事だ。

「ま、ちと考えれば当然じゃの。今この城内で一番力を求めておる連中は明白よ」

 更に言えば、その中でも特に早急に強くなる必要のあるのは、ただ一人だ。

「何をこそこそと話し込んでいる?」

 今、彼女らが立っている場所は離宮の外れにある倉庫だった。酒や保存用の食料を詰めた木箱が積み重ねられた、かなり手広な空間の中央で、身の丈三メートルの巨漢が咎めるように言ってきた。声に苛立ちが混じっているのは、室内の湿気を嫌がってか、別の理由か。
 身体の大きさ、頭部の角、鋭い爪――竜人の特徴を備えているが、離宮に住む者達と比べていかにも屈強そうだ。その威圧感に、くららなどはさっきから、小動物よろしくびくびくとしている。
 事前に夜見が式神を使って収集した情報によると、男はイーゴリ・ヴェデルニコフ男爵。ジラント皇国西方軍の大尉でもあり、そこでは鳴らした猛者なのだそうだ。
 立身出世を目指してサシチザーニイに出場し――一回戦でリューリクと当たってしまった男だ。
 彼はその事態を、不運と捉えたらしい。
 そしてその心境を、小さい魔女につけ込まれた訳である。

「なに、ちょっとした打ち合わせじゃイーゴリ殿。術の構築の最後の詰めよ」

 くららに背伸びして耳打ちしていた夜見が、そちらを振り向いて嘘八百を並べ立てる。こういう時の彼女はとても十歳とは思えない、妖艶さじみたものを発している。
 思わず、くららまでもが呑まれる。

「ふん……人間の小娘如きの術が、どれ程頼れるのか知れたものではないが」

 不満げに男は唸る。
 その首をやんわりと掴むような声音で、夜見は言う。

「そこは信用してもらおうかの。我らがサシチザーニイの戦利品として選ばれたのは、竜種にとっても優れた術者であるからじゃ」

 などと、逆境までも嘘の材料にしてしまうしたたかぶりである。これは一介の武辺では役者が違いすぎる。
 夜見は最初から、リューリクの対戦相手を竜種使役法の対象者候補に決めていたように思える。力量も十分であり、交渉するだけの弱味も握る事ができる。これ以上条件に合致した人選は無いだろう。
 ならば――なぜ、この二週間の内少なくない時間を勧誘に当てたのか。
 前日までトーナメントの組み合わせが決定しなかった事に焦りを感じていたのか、あるいは単なる保険か。
 効率を良しとする夜見にしては、随分と無駄が多かったように思うが。
 どちらにせよ、術は完成して、その被験者も見つかった。

(……でも)

 胸の下に落ちる、重たい不快感をくららは自覚していた。

「小賢しい手練手管が貴様らの専売特許なのは承知している――せいぜい、私の為に働くがいい」

 居丈高な巨漢の物言い。
 人間を劣等種として見下しているのはレフ・カルピンスキの例で学んだ竜という種族の傾向ではあるが、それにしても。

(その小賢しい手練手管に頼ろうとしてるのは、どこの誰なのよ)

 意地の悪い皮肉を、胸中で漏らす。
 この男はその事をまるで引け目に思っていない。人間という弱者は対等に取引をする相手どころか、利用するものですらない、ただ〝使役〟する存在なのだ。こちらからどのような恩恵を受けても、当然として受け取っている。
 夜見は、表向き、自分たちの解放を条件にイーゴリ男爵のサシチザーニイ制覇への助力を申し出た。彼は「用が済んだらそうしてやる」と言っていたが……明らかに嘘だ。
 くららですら気付いた事を、夜見が察していないはずはない。
 彼の思惑がどうあるにせよ、支配できる確信が彼女にあるのだろうが……

(……なんか、やだなぁ)

 胸中で本音を漏らす。
 そうやって利用し合うだけの、薄ら寒い関係を築くのが夜見の望みなのだろうか。
 そんな事を聞けば、彼女はこう返すだろう――必要だからしておる。
 思えば、この小さな女の子は自分の望みを口にした事は無いのではないか。全ての行動は、合理的な必要性によってのみ選択される。そこに感情を挟む余地を決して彼女は認めない。
 兄を守る為に。
 日雨と離れてからの夜見は、一心不乱に状況の打開に努めていた。寝食すら惜しむ没頭ぶりに、くららは彼女が心配でならなかった。

 普段の態度からはまるで想像出来ないが、この幼女は兄を強烈に慕っている――いや。
 こうして、二人が離れてみてようやく理解した。
 夜見は日雨に依存している。兄の守護者という立場を維持する為に、全知全能であろうとしている。
 その為に幼さを塗り潰して、海千山千の魔女ぶって大人たちと対峙するその背中は、痛ましくすらある。
 それを止める事は難しい。実際、彼女の才知はこの旅に必要なのだ。くららはカタ・コスモーン機構との争いに、機傀悪魔としての戦力でしか貢献できない事が歯がゆかった。
 だからせめて、夜見の仲間になる人だけは、彼女が幼いままでいられる相手であればと思っていたのだが。

「任されよ、イーゴリ殿。このわらわが、そなたをリューリクにも勝てる最強の竜にして差し上げよう」

 今も夜見は、魔女の言葉を取り繕う。





 巫術の黎明期、特に始馭天下之比売命の行使した術の理合を説明する資料は皆無である。当時は紙という記録媒体も存在せず、口伝であり、そして伝授をされたはずの当時の秋津洲人は、この異邦から現れた謎の女性の起こす奇跡についてまるで無知だった。魔術の薫陶を理解する素養を持たなかったのだ。これが、竜種使役法の失伝の最大の要因と言われている。
 その為夜見は、神話を紐解いて術の正体を解明せねばならなかった。
 秋津洲国の滅亡前に、宮殿の文殿の蔵書は全て読み込み記憶している。問題は、その神話から政治的配慮、著者の私見、情報不足による虚報を省いて実像を削り出す作業である。

 苦労してどうにか確度の高い情報をピックアップした所、竜種使役法には二つの特性があると判明した。
 この術は、竜の支配だけではなく、その能力を強化するという副次的効果がある。
 かつてこの術の唯一の行使者・始馭天下之比売命が使役した竜は、自力で大地を割り、一塊の雲を吹き飛ばす、といった天変地異を起こす程の強大な力を持っていたと伝承されている。
 術者が竜の副脳の役割を果たす事で、単体では不可能な魔力管制を実現しているのだと夜見は推察した。

 そして、もう一つの特性――というより、制約、あるいは負担、
 ――あるいは、代償というべきものが、この術には存在する。

(これが……おそらく、竜種使役法が失伝した、本当の理由)

 それは、神話の虚実に丹念に覆い隠されていた、歴史の暗渠というべきものだ。

(〝この女〟は、狂っておる)

 太古の遥か遠くに引き離されているはずの伝説が忍び寄り、背筋を撫でていったような恐怖を催す。
 竜種使役法の会得を目指す事は、〝この女〟の薄皮の内にあるおぞましい腸を探るのと同義である。
 怯えに、震えを来す――が。

(今更退くものか)

 兄は今、リューリクら絶対的な強者との戦いを強いられ窮地にある。彼を救う為なら、地獄の蓋だって開いてみせる。
 そうして夜見は一人、記憶の海を潜り、知性を巡らしパズルのピースをはめ込んでいった。

(この術は……呪術の一種じゃ)

 巫術の中でも、とりわけ修得するものの少ない――というより、禁止されている技術である。禁じたのは無論、呪殺を警戒する権力者だ。
〝だから〟、夜見は一時期熱心に研究していた。
 呪術には〝類感〟と〝感染〟の二種類の方式が存在するが、竜種使役法は後者に属している。自己と対象者を結びつける事で影響を与えるというものだ。
 つまり、リンクを作る事が何よりも重要となる。
 ――今、倉庫に設けられた結界の中央に被験者であるイーゴリが立っている。
 彼には既に、各種薬液――と夜見の血液を混ぜた薬品を飲ませてある。

 薬効は目論見通り。イーゴリの身体が他の人間より〝はっきり見える〟。霊的な結び付きが強化されたのだ。
 筋肉、内臓、頭脳……霊体。
〝観測〟は問題無い。この後、アストラル相を経由して霊体に干渉し、支配する事で竜種使役法は完成する。その為の理論は万全に構築している。

『景門よ開け、生門よ閉じよ。巽宮を退きて中宮に留まれ。あか御霊みたまよ集え、巡れ、人和を為さしめたまえ……』

 手法としては、ハッキングに近い。相手の霊体を構築する霊子を操作し、防護を解放させる。

(丸裸にするには、ちと色気の足らん相手ではあるが)

 そもそも相手は野心を餌に釣られた、こちらを利用しているつもりの馬鹿だ。尻の毛までむしって路頭に放り出しても心のまるで痛まない男である。

(手駒として使い倒し、利用価値が無くなれば不様に捨ててくれる)

 胸中で残虐に言い放ち、見えざる支配の手を伸ばす。
 扉を、開く――

「……ぐ」

 イーゴリが不意に胸を押さえ、苦しげに唸った。
 不審に思――

(ぐが)

 どくん、と心臓が跳ねた。
 ――サシチザーニイ出場を決めたのは弟が自分より出世した瞬間――新天地でやり直したい――うまくいくと思ってたのに、なんであんな化物と緒戦でやり合う羽目に――
 記憶にない思考が、〝自分のものとして〟流れている。

(あががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががが)
「夜見ちゃん!?」

 涙に霞む視界の中で、かろうじて自分を助け起こすくららの姿を認めた。転倒していた事に気付いていなかった。
 痺れる身体をどうにか動かして、首を上向かせる。
 結界の中心で、竜の男が宙に浮かんでいる。支配の過程で気脈を調えた為か、膨れるように魔力が増大している。

「くッ、かははははははッ! 確かに、力が漲る。中々どうして、使えるじゃないか人間!」

 力を得た恍惚によるものか、たがを外したように哄笑を上げるイーゴリ。

(だ、だめじゃ……あれは)

 朦朧としながらも、鮮烈な危機感にくららの袖を強く握りしめる。

「ま、ずい……離れよ、あやつ、暴発する……」

 その言葉に即座に反応したのは、彼女ではなくだきにだった。一瞬で半妖の姿へ変化して二人を尾で巻き取ると、一目散に倉庫の扉へ向かって蹴り破る。
 外に飛び出して、直後。
 かっ――!
 轟音と白光が辺りを埋めた。

「つ……ぅ」

 瞼を閉じても瞳の焼け付く光量に、顔をしかめる。
 光が晴れた後、風景は一変していた。倉庫と通路を隔てる壁は破壊され、ずいぶんと風通しが良くなっている。貯蔵されていた木箱はほとんどが打ち壊され、中身の酒の匂いが鼻をついた。
 倉庫の中央では、身体を焦げ付かせたイーゴリが失神している。
 あの男は普段自分が制御している数倍以上の力を発揮し、そしてその手綱の扱いを誤って自爆したのだ。
 本来ならそれを抑えるのが夜見の役割だが――その時リンクは消失していた。
 如何なる原因でか、未だに見当もつかないが、一つ言える事は。

「わらわは……竜種使役法の開発に、失敗した……」



[40176] 6.捨て駒
Name: 八目又臣◆aa87a973 ID:17b043ce
Date: 2014/09/07 13:59
牙の妻クルイーカ・ジナ〟はジラント建築史に残る傑作の一つである。先々代の竜皇ミハイルの愛妾ユーリアの居城としてシヴィル・コサックから召し上げ、改築された〝牙の城〟の対となる建築物。当世最高の名工、ヨシフ・カルピンスキが設計した円形劇場である。
 しかしこの名跡は、竣工から一度として持ち主に愛でられる事はなかった。ユーリアは北方戦線にて戦死し、失意のミハイル皇は皇位を後進に禅譲すると、次の戦闘で果てるまで戦い抜いた。

 次代の竜皇アレクサンドルは牙の城の所有権をシヴィル・コサックへ戻し、牙の妻の所有権については放棄した。彼はミハイルにとってはむしろ政敵であり、その業績に敬意を払うような人物ではなかった。
 コサックたちはこの牙の妻を劇場ではなく闘技場として改装し、自分たちの祭りの舞台とした。

「――おお、おお。今年も大盛況だぜ」

 牙の妻は天井の半分ほどが開放されたドーム状の建物だが、へりの一部が空に向けて牙のように突出する、特徴的な構造物がある。
 その〝牙〟の先端に仁王立ちして、これからやってくる観客と既に客席についている気の早い観客の両方をリューリクは見下ろしている。彼らの高揚に当てられて、美味い酒を一杯引っかけたような気分になっていたが――この男は一杯の酒では味見にもならない。

「俺が参加する以上、例年通りじゃちと物足りねぇな。っつーわけで嬢ちゃん、例のモノをシクヨロ」
「はぁ」

 正反対の冷めた調子でだきにが応じる。傍らには主の姿はなく、代わりに長さ五十センチ程の筒がいくつも置かれている。

(まぁ、同じ寸胴体型ですから、似たようなものと思っておきましょう)

 主と離れても隙あらばディスる心構えを忘れない従者であった。
 ともあれ筒の根本には導火線があり、火を付けると――
 しゅぼっ、と気の抜けた音を立てて筒から球体が飛び出し、空高く昇った所で弾ける。
 花火である。

「かーぎやー」

 何の気なしに呟くだきに。実は、ここから百メートル以上離れた闘技場来賓席で「たーまやーっ」とはしゃいで声を上げるくららに呼応した発言である。

「中々の絶景です。ジラントにも花火の匠がいるのですね」
「そいつぁ光栄だ」
「……貴方が作ったのですか?」

 そういう細かい手仕事に嗜好があるとは思えない人物である。軽い驚きを感じながらだきにが問うと、リューリクはおうと頷いて、

「こうして……」

 手の平を差し出すと、一見して何も無いように見える空間に、めきめきと音を立てながら薄金を貼り合わせたような球体が出来上がっていく。

「ってな具合で一丁上がりだ」

 完成した花火玉をだきにの方へ放り投げる。

「炎色反応する金属の配合には結構苦労したんだぜー。長年研究を重ねたベストの比率だ」
「……ふむ」

 だきには手元の花火玉をしげしげと眺め、その生成過程を思い返す。彼女の霊視は物理世界の裏で起きた現象を看破していた。

「やはり貴方の能力は……」
「おっと嬢ちゃん、それについては後の楽しみに取っておこうぜ。手品の種を始まる前に明かしちゃあ面白くねぇ」

 などと、言いかけた言葉をリューリクは遮ってくる。

「まぁ、それは構いませんが……」

 どことなくじっとりとした目つきで花火玉を見下ろし、だきには言った。

「これ、要は貴方の排泄物ですよね」
「お゛い゛。嫌な言い方をするな」
「老人の排泄物を数多の衆目がいる場所の上空で爆破するというおぞましきテロ行為に荷担するのは私の良心に反しますので、これにて帰らせて頂きます」

 ぺいっ、と打ち上げたばかりの筒に花火玉を捨てつつ、ありもしない良心を楯にストライキを敢行しようとするだきに。
 若者のゆとり気質を理解できないリューリクがそこに追いすがってくる。

「ちょっ、待てって! 昨日の件を不問にするようレフにかけあってやったろ? な?」

 言い訳しようもない爆発事故の後、当然夜見の脱出計画はレフに露見した。
 これまでの居候じみた待遇から、拘束して本当に監禁すると息巻く彼を説得したのがリューリクだった。監視を多少強化するだけで十分だし、何より夜見も懲りただろう、との論旨である。
 不戦敗になったイーゴリ氏の件も、

『アイツに非がなかったワケじゃねぇだろ? そりゃ他人の力を借りるなとは言わんが、それで発生したリスクも負うのが当然だ。なんなら俺が個別にエキシビションマッチって事で戦って、結果如何で出世の口を紹介してやってもいいしよ』

 この大雑把そうな男にしては、破格の気の回しぶりである。
 というのも、

「それはお孫さんの面倒を見ている事でチャラのはずですが」

 彼はどうやら、こちらがジュラヴリカ嬢の相手をしているのを恩義に感じているらしい。――なんと、くららの計略はずばり図に当たっていたわけである。

「そ、そりゃそうだけどよ……そう言わずに。な? 頼むぜ嬢ちゃん。プロモーターとしちゃできるだけイベントを盛り上げたい所なんだよ。それに、俺にも立場ってモンがあってな……初代竜皇って事で、色々と気を遣うんだよ」
「というと?」
「……このイベントがコケると、正月の顔合わせで、俺の後援会につるし上げを食らう」
「竜の世界も普通に俗っぽいですね」
「っつーわけで、頼む! この通り! あのジジババども俺より年下の癖に堅物だわ重苦しいわウルサイわで、ヘタ打つととにかく説教が長ぇんだよー。俺らレベルの年寄りの〝長い説教〟って半月は優にあるんだぜ? 正月丸々潰れちまうんだよー」

 プライドをかなぐり捨てて懇願してくるリューリク。この有り様こそ後援会のお歴々とやらには見せられないような気もするが。

「……仕方ありませんね」

 人質の身で随分と偉そうにもったいつけるだきにである。
 そもそも彼女は、主である夜見からリューリクの為に働いてやれと命じられていた。
 夜見自身も労をとっている。闘技場を結界で補強し、客席や建物自体に戦闘の余波が及ばぬよう処置していた。自分自身の肉体を基礎とする竜種はその手の魔術が苦手で、これまでは観客にも怪我人が出るといういい加減なイベントだったらしい。
 それもまた、初代竜皇が先々代ミハイル皇の史跡をぞんざいに扱うと問題になるから、という政治的な配慮という側面がある。
 普段の彼女なら、このような他人の個人的な都合に付き合うなど鼠の巣に放り込まれても断った所だが。

(……まったく)

 不満げな嘆息をだきには漏らす。
 どうやら我が主は、今回の失敗で、本当に懲りてしまったようである。





「たーまやーっ」

 何かトラブルでもあったのか、一発だけ打ち上がってからしばし間の空いたものの、続々と白夜の空を彩り始めた花火を見上げて囃し声を立てるくらら。
 頬には汗が一筋。
 よく聞けば声色も引きつっている。
 脳裏には、高校時代、テンションの低いクラスで文化祭の取りまとめ役に任命された時の記憶が蘇っていた。あの時と同じ絶望は二度と御免だと思っていたのに。
 観客席上段部分に設けられた、一般席と区切ってある来賓席の隅にくららたちの座席は与えられていた。
 彼女の隣には、椅子の上で膝を抱えてひたすら落ち込む夜見の姿がある。

「よ、夜見ちゃーん、ほ、ほら、花火だよー、明るいねー」

 数秒の間を空けて、

「そうじゃの、明るいの……イヌセンボンタケの如き暗くじめじめしたわらわとちごうての」

 取りなすように声を掛けるくららに、顔も上げずに応じる夜見。

「そんなマイナーな洞窟生物を引合いに出して……」

 天才児は凹み方も一味違うウザさだった。

「理論上は完璧じゃったのに……爆発オチって……これ九十年代のあにめのお約束的お笑い要素なんじゃろ? わらわ、あにめとやら見た事ないけど知ってるもん。くららちゃんがわらわのこと笑いものにしてるのも知ってるもん」
「し、してないって……っていうか、もん、って……」

 夜見は意気消沈のあまり幼児退行を始めていた。

「……だ、だって、デキる天才幼女様じゃなくなったわらわって、ただ金に汚くて陰険で色んな意味で腐っておる超絶かわいい幼女様じゃし……今後も変わらず世間を見下してふんぞり返って生きるには、きゃらを変えてきゃぴきゃぴ媚び媚びして不動の人気を得るしかないではないか」
「ちょくちょく鬱陶しい発言を挟むなー……」

 失敗しても謙虚には決してならない子供であった。

「ほれ、くららちゃんも考えるのじゃ。萌ゆる一人称のあいであを」
「い、いや、そのままで十分かわいいから。ね? ……夜見ちゃん、一回の失敗で動揺し過ぎだよ」
「だって……わらわはくららちゃんの如き平々凡々な女と違うて、失敗なんて理不尽な事象を経験したことないんじゃもの」
「鬱陶しいよぅ……」

 座席の上でアメーバの如くどろどろと淀みながらも、語る言葉は相変わらず天上天下唯我独尊。鼻っ柱をへし折られて、むしろより扱いづらくなった夜見を隣に置き、くららは頭を抱える。

「ほ、ほら! 夜見ちゃん、選手さんが集まり始めた。日雨くんもそろそろ出てくるよ」

 ドーム中央の石で作られた丸盆リングに、数人の竜が上がって準備運動をしている。もう開会時刻は間近だ。後の参加者も続いてやってくるだろう。
 実に二週間ぶりに顔を見るとなると、感極まってすらくる。

「元気してたかな……ね、夜見ちゃん」

 声をかけると、夜見は更に深く膝の中に顔を埋めた。

「合わす顔がない……わらわが不甲斐ないせいで、このような危険な場所に兄様を一人立たせてしまうとは」

 鬱々と自責する彼女に、くららは言葉を詰まらせる。
 目のやり場を探してリングを見下ろすと、東西のフェンスに設けられた入場口の西口から、見知った少年が出てくる。

「日雨く――」

 くららは歓声を上げかけ、舌を凍り付かせた。
 男が一人、日雨と並んで歩いている。彼もまたくららの知っている顔だった。忘れがたい――恐怖によって記憶に焼き付けられた。
 赤毛の、凶相の男。

「羅、虚虎……」





「かっ、お祭り騒ぎでいやがる」

 民衆の浮かれ具合が気に食わないのか、羅は客席を睨め上げるようにして吐き捨てた。

「実際、祭りなのだろうが。彼らにとっては」

 それをたしなめるように日雨が言い返す。

「チッ、お育ちがおよろしくておいらっしゃるなァ、王子様はよォ」
「貴様が格別にねじれておるのだ」

 勘に障る羅の皮肉に日雨は同じく当てこすって応じる。
 はん、と鬱陶しげに鼻を鳴らして羅は沈黙した。ガキの戯言に付き合う気はない、と態度にありありと伺える。
 苛立ちを腹に呑むようにして、日雨はアリーナを見回した。もしかするとリューリク辺りが気を回して、くららたちを連れて来ているかも知れないと――
 後頭部をがつん、と殴りつけられる。

「づぅッ……? 何をする!?」
「走り出してもいねぇのに遠い場所の獲物を見るんじゃねぇ。足下の小石を確かめやがれ」

 抗議する日雨ににべもなく羅は告げ、目線でリング上に佇む竜たちの一人を示した。竜種のご多分に漏れず、体長三メートル近い大柄な男。髪を短く刈り込んでいるのと、鉄の棒を通したような背筋から何となく軍人と辺りを付けた。外見から察する事のできる年齢は三十半ばほど、いかにも闘士として脂の乗った風情である。

「てめぇに取っちゃあ、小石とは言えねぇだろうがな」

 同じ口から上る皮肉を、日雨は反駁しなかった。それが事実であると自分で分かっているからだ。

「あの女の仕込みはどうした」
「……まだだ」

 エルザから施された裏鬼道なる術の修錬は、会得どころかまだその実態すら分かっていないという有り様である。
 竜と戦える程の劇的な力の向上は、とうとう今になっても実現し得なかった。
 それを聞くなり、羅はこれまでの引っかかる声の調子を潜め、実務家らしき冷徹さで言ってくる。

「なら……打ち合わせ通りだ」
「……ああ」

 日雨は羅の言葉に頷いた。その唇は、強く噛みしめられていた。





「いとつよき爪と牙を持つ者達よ」

 重厚かつ荘厳なバリトンでそう開会の挨拶を切り出した人物が、あの無頼漢のリューリクである事に彼個人の知人は誰もが驚くだろう。
 リングの中央に威風堂々と立つこの男を囲むように、円の縁に出場者が並んでいる。更にそれを囲むようにアリーナの観衆が起立していた。
 個々の強さを恃みとする彼らが、群れのように整然と統率されていた。

「この〝牙の妻〟は貴き血の遺した事跡である。本来、畏れ多きものと、不可侵のものと見るが自然じねんである。それを諸君らはこれまで五百年来、荒々しく踏み荒らし、野卑に拳を交わす蛮行の祭典に用いている」

 一聴して責めるような言葉に、竜たちの発する空気に冷気が混じる。存在するだけで怪異を起こす生物の恐れは、実際にその身を凍り付かせるのだ。
 リューリクは、言う。

「それでし」

 そしてそのおおきな拳を、握る。

「我らは強くある事を宿命付けられた種である。我らにはこの世に生じて以来の不倶戴天の仇敵があり、彼らは鋼鉄の身体を持ち、天へ昇る程の焔を操り、剣林の如き敵意を決して絶やす事はない。ただ生きる為に、彼らに伍するは不可欠であった。
 強さの追求こそが竜の理性であり、皇国臣民第一の義務である。諸君らの尚武の気風が皇族への敬意を上回るのであれば、亡き我が義弟ミハイル・トルストイ・ジランタウは冥府アートよりこれをよみするものである。
 ましてや生きた国父アチェーツは、万斛ばんこくの言葉を以てこれを許し、そして讃える。
 三十二名の闘士諸君! 猛れ! その武勇を我が自ら受け止めてやろう!
 この場に集う民よ、彼らの滾りを胸に自らも強者たらんと誓うのだ!
 これより強者の祭典を開催する!」

 一つの生物の如き群体となった竜たちは、示し合わす必要もなく「万歳ウラー!」と咆吼を唱和させた。
 その大音声は、山を越えて人の国まで届いたと言う。





「なんて大見得切ったんだけどよ、俺一回戦不戦勝なんだわ。わっりー」

 ついさっきまでの威厳が消え果てたように、へらへら笑いながら悪びれるリューリク。

「っつーワケで、一回戦は解説に徹するぜ」

 と、リングから跳び上がって、直接アリーナの、丁度来賓席の対岸に位置する解説者席に着地した。

「今年のサシチザーニイの実況者は、なんかその辺で見つけてきた若者こと、ウラジーミル君だぜ」

 ぞんざいに紹介されたのは、ロリコン格闘技オタクの地方貴族ことウラジーミル・ウラジーミロヴィチ・ナボーカフ氏(一七二歳・独身・通風持ち)である。
 最上級貴族であるリューリクに突然声を掛けられたと思ったら、誘拐同然の強引さでこの場に座らされた彼は、鮫の泳ぐ海域に放り捨てられたかの如く顔色を青ざめさせている。

「あ、あの、どうして私が連れてこられたのでしょう」
「や、こっちの嬢ちゃんに聞いたらよー、ピッタリの人材がいるって言うからよー」

 と言われても、リューリクを挟んで右隣に座る無表情な金髪金眼美女の事をウラジーミルは全く知らなかった。
 彼女にしても、このじゃがジーミル氏の事は主の占いで知っているというだけなのだが。

「こっちは外国から呼んだゲストのダキニ嬢だぜ」
「皆さん、ごきげんようこ」

 真顔でおかしな挨拶をするだきにに、観衆はなんとも言えない顔になる――が、彼女の抜擢自体が不服というわけではないようだ。だきにの霊格が、そこいらの竜種よりも遥かに高い為である。

「しかし、ブースのスタッフはたまたま近くにいた知人、設営や列整理もコサックの兵士たち、売店も酒保をそのまま移しただけ……なんだかやたら手前味噌ですね。少し運営が杜撰ずさん過ぎませんか?」

 挨拶もそこそこに歯に衣着せない毒を吐く彼女。

「し、仕方ねぇだろ? 運営委員長は、あのケチで華のねぇレフだぜ? あいつ、大会の予算を雀の涙くらいしか出しやがらねぇんだよ」

 目を逸らし、口笛を交えて誤魔化すリューリク。

「おや、来賓席のレフ・カルピンスキ選手がこちらを睨んでおります。「パレードだの前夜祭だの、貴方の要求を通したら軍費まで削らねばならない。第一、人員の手配が間に合わなかったのは貴方の責任でしょう。俺様の有り余るコネで用意してやるとか言っておきながら、書簡を出すのを面倒臭がって」……これは、無能な上役たちが責任のなすりつけ合いをしているようですね。緒戦を前に場外で熾烈な争いが繰り広げられております。本戦での二人の対決は相当白熱しそうです」
「お、おらおらっ、第一試合の選手ども、早くリングに上がれ!」

 早々と実況者口調で語り出すだきにに、リューリクは額に汗を浮かべつつリングへ向けて怒鳴りつける。
 こうして、なんとも締まらない出だしでトーナメントは開始された。リューリクは早速正月の説教を心配し始めている。

「ええと……それでは、リューリク・ジランタウ選手対イーゴリ・ヴェデルニコフ選手の対戦がイーゴリ選手病欠の為中止となりましたので、一回戦第一試合は繰り上げでアントン・プラーミァ選手対アンドレイ・ブリャンスキ選手の対戦となります」

 緊張に口調をややたどたどしくさせながらも、ウラジーミルがアナウンスを始める。魔力による身体能力の拡張に長けた竜種には拡声器の類は必要ない。
 東西に設けられた入場口から、それぞれ巨大な竜人が出てきた。互いに劣らぬ体格、劣らぬ魁偉な容貌であった。

「アントン選手はシヴィル・シーチ近隣のプラーミァ川出身で、所属もシヴィル・コサックで階級は中尉、サシチザーニイは二度目の出場ですね。前回はレフ・カルピンスキ軍長に地を付けられましたが、雪辱を期しての再挑戦でしょうか」

 ウラジーミルのここまでの台詞に台本は無い。夜見が解説者に適任としたのもむべなるかな、この人物は会食に混じる事で情報に通じ、ほとんどの人間が知らないイーゴリの欠場も知っていて、前回以前の出場経験のあるサシチザーニイ参加者についてのデータも頭に入っていた。

「こちらのアンドレイ選手は西方軍管区に所属の少佐で、サシチザーニイは三度目の出場となるようです。前々回は七十年前、前回は三十年前、どちらも彼女に振られた腹いせが出場の動機となっております。一昨年ようやく結婚したとの情報ですが、もしやバツイチとなってしまったのでしょうか。こちらは女性遍歴について雪辱できなかったようです。対戦前に負け組感をかもし出しておりますね」

 対するだきには、夜見の占いによって得た選手の恥ずかしい個人情報を交えての解説である。こちらも鬼道で拡声ができるので問題無かったが……「前者と後者で露骨に待遇に差がないか?」と誰もが思い、今後ウラジーミルに紹介されるよう祈る事となる。
 今回の試合結果は、アンドレイ選手に軍配が上がった。試合経験に差がある事、地精の気の強い土竜の彼が火竜のアントン選手と相性のよかった事が勝因として挙げられた。
 あるいは、赤っ恥をかいた怒りが後押しになったのかも知れないが。
 その後も同じ調子で第二試合、第三試合とスケジュールが消化されていく。
 そして最終、第十五試合目。

「西口からの入場となりますのはセルゲイ・サランスキー選手、こちらは東方軍管区所属の大尉で、三度目のサシチザーニイ出場となります。東口からは……二人?」

 東側の入場口から出てくる人影が二つある事に、戸惑いの声をウラジーミルが上げる。が、早くも職業意識が芽生えてきたのか、初出場の彼らだけ別個に用意された、プロフィールの記述された紙片を読み上げ、
 今度こそ度肝を抜かれて、言葉を失う。

「両者とも人類種……人間の出場者です! これは前代未聞! このサシチザーニイに異種族、しかも人間が参加しています!」

 驚愕をもって語られた彼の言葉に、場内の観衆も色めき立った。好奇と敵意を交えた視線をリングに上がった二人へ投げかけて騒ぎ始める。
 彼らの抑えがたいざわめきは――一人の男が静かに起立した、それだけの事で治められた。

「俺が許可した」

 リューリクはそう告げると、自分の胸を親指で指して、

「そこの羅虚虎は俺の心臓をぶちぬいた猛者だ。小僧の方は本大会の戦利品となる三人の女の縁者であり、ここで戦う十分な理由がある。両者とも同じ闘士として迎えるように」

 説得ですらない、単なる報告と命令だけ述べて椅子に座り直した。観衆も諾々と従い、ただの観戦者へと戻る。

「ふむ……竜種特有の気風というものですか」

 その様子を眺め、前日に日雨が体験したのと同じ彼らの習性を察しただきに。
 しかし、今回リューリクはそれを否定した。

「それもあるけどよ。連中が人間の出場を認めたのは俺の命令だからってだけじゃねぇ」

 この時彼は、声を拡声しなかった。

「ジラントは国民皆兵、ほとんどの連中がカタ・コスモーン機構との戦争に参加しているし、奴らに苦杯を嘗めさせられてる。こいつらには、卑怯な兵器どうぐさえ無ければ人間などものの数ではない、って共通の意識があんのさ。人間がこっちの土俵に上がるのはむしろ大歓迎ってワケよ。二人がかりってのも、人間の卑小さを示すには手頃なアピールだ」
「復仇の機会、という事ですか。それはなんとも、」
「ああ、なんとも――情けねぇ話さ」

 落胆めいた気分を微笑みで誤魔化して、リューリクは呟いた。

「で、では……気を取り直して選手の紹介をします。年かさの方は……ヨシフ選手? 少年の方はシキーミヤ・ヒメ選手……」

 人界極東の人名をうまく発音できず、自信なさげにプロフィールを読み上げるウラジーミル。

「ヒメ選手は私の知人ですね、お姫様という呼び方を推奨します」

 思いの外面白くアレンジされた日雨の名前が気に入ったのか、だきには彼の言い間違いにのっかってくる。
 知人のお墨付きという事で、観衆が意味の分からないまま「十秒は立ってろよお姫様」だの「負けたら慰めてやろうかお姫様」だの囃し立てるので、リング上でストレッチをしていた日雨の目つきが険しくなった。
 だきには全くそれを意に介さず、

「もう御一方おひとかたは、名前だけは存じております。殺し屋という大変愉快なご職業についていらっしゃるとの事で」

 興味なさげに羅虚虎についてコメントした。目線は対岸の来賓席、顔つきを強張らせたくららと、顔色の青ざめた夜見へと向いている。

「意外な取り合わせと、驚きを禁じ得ません」

 最後にそう言い置く。
 屈伸中の日雨はそれを聞いて、一瞬動きを止める。
 彼女らと日雨の関係をよく知らないウラジーミルは、そのやり取りを特に注視するわけでもなく、これまでと同じ試合開始の手続きを取る。

「それでは第一回戦最終試合、セルゲイ・サランスキー選手対ヨシフ選手、ヒメ選手タッグの変則マッチを開始します」

 コサックから供出されたスタッフが、リングの外に置かれた釣り鐘を鳴らす。一度、二度、三度――音響が響く。
 九つまで鐘が鳴り響いた時、試合が始まる。
 九つ鐘はジラントでは弔鐘の作法である。亡きミハイル皇の愛妾ユーリアを偲ぶという意味合いで、最初に行われたサシチザーニイから鳴らされてきたが、しかし。
 ――これまでの十四試合で、三人の竜が命を落としている。
 誰が為に鐘は鳴る。
 五つ、六つ、七つ、八つ、
 九つ。

 開始早々に日雨が飛び出した。鐘の鳴る間にデモナイズを完成させていて、強化した脚力で一直線に対戦相手へと駆けつける。
 太刀は、抜いていない。
 対する敵手、セルゲイの得物はナックルダスター。
 彼は小兵らしき機敏さで接近する相手に慌てる事なく、ゆるりとした歩みで拳を振りかぶり、間合いに入ると同時に打ち下ろした。
 スレッジハンマーの一打にも似た、巨大で一直線の拳打。
 日雨はそれをかいくぐり、腰の脇を通り抜けて背後に回った。
 回り込む勢いを乗せた肘打ちが、セルゲイの腰部、腎臓のある位置に突き刺さる――

「なんと、初撃は人類種、ヒメ選手が取った!」

 やはり竜種として隠せない意識があるのか、ウラジーミルが実況に驚きを込める。

「ロゥの奴、かなり仕込んだじゃねぇか」

 顎に手を当て興味深そうに唸るリューリク。

「というと?」
「皇国軍制式格闘術についてよく研究している。小僧が抜刀しねぇのは、ジラント軍人が刀剣を持った相手を制圧する技術に長けているからだ。小僧の国にも無刀取りって技があるしな、その怖さは分かっているんだろう。後背に占位する事に専念しているのも、意図的なモンだ」

 こうして会話している最中も、日雨はセルゲイの間合いに残り続け、小刻みに回避運動を取りながら背面への攻撃を狙っている。
 皇国軍制式格闘術――とは言うが、彼らジラントの軍人は基礎的な格闘技術と並行して四つの原則を元にした戦術の習得を課せられる。
 呼吸の維持、リラックスの維持、運動の維持、姿勢の維持。
 敵にはその逆、呼吸の阻害、リラックスの阻害、運動の阻害、姿勢の阻害を狙って攻める。それが実際の戦闘で表面化した時、レフ・カルピンスキが行使したような合気に似た技術として現れる。

 これを確実に実行する為には、正面から向かい合う事が必要となる。ならば背後を取るのはセオリーの対処法ではあるが――そう上手くはいかない。回り込まれたなら、単に自分も回転すればいいだけの話だ。小回りに大差のない巨漢の竜種同士なら、移動距離の差で後者に軍配が上がる。
 つまり、

「異種族の体格差を、うまく小僧は利用している。小回りの差は元より、相手の視野の差、間合いの差を考慮したフットワークだ」
「……普通は体格の大きい方が優位なのでは?」
「そいつぁちと教条主義だぜウラジーミル。試合を見ろ。今の所は一方的に小僧が攻めてるぜ」

 事実、ファーストヒットを奪って以来、次撃、三撃と日雨は立て続けに打撃を命中させている。反撃は一発も喰らっていない。

「視野にも、間合いにも〝下限〟があるんだぜ。目方のある程そいつも合わせて大きくなる。ああも間近に迫られちゃあ、セルゲイには小僧が見えねぇし、パンチを振り下ろしても射角の内側にいるから当たりゃしねぇ」
「なるほど……ヒメ選手にとっては、一見危険に満ちたあの位置が安全地帯という事ですね」

 国祖との会話にどぎまぎとしながら受け答えるウラジーミルに、リューリクは気軽に頷き返す。

「ロゥは人界に潜む妖魅やら、俺ら竜種の密偵の始末を主に請け負っている男だ。人間以外の生物の攻略法を見出すに聡い。小僧にあらかじめそれを授けていたんだろうよ」
「……ですが」

 だきにが始めて会話に割って入った。その目線はリングの縁へ向いている。

「その羅虚虎氏は先程から戦いに参加しておられません」

 彼女の言う通り、羅はただリング上に立ち、戦いの経過を見ているだけだ。腕を組んですらいて、まるで介入する気が無い。

「日……ヒメ選手がセルゲイ選手を攪乱かくらんしている今ならば、二正面からの攻撃で優位を確実にする事ができるはずです」
「ああ、その通りだ。だがロゥの野郎はどういうわけか、この勝機にダンマリを決め込んでやがる。だから――」

 日雨がセルゲイの背に、十七手目の拳を撃ち込んだ。
 そして、その顔が凍り付く。
 セルゲイの背が、荒削りの岩石如く硬化していた。

「小僧の優勢は、もう終わる」

 動揺を押し隠しつつ、日雨は振り返りざまにセルゲイの放った裏拳をかいくぐる。続けざまの打ち下ろしが、肌をかすめてリングへ突き立つ。

「俺とレフ以外の出場闘士は〝角隠し〟のできる貴種アリスタクラートでこそ無いものの、魔力の練り込みはそこらの竜種の比じゃねぇし、その扱いにも長けている。デモナイズと鬼道を併用した打ち込みでも決め手にはならん。気の遠くなる程ダメージを積み重ねていく必要がある……相手の攻め手を躱し続けながらな。
 いずれ体力が切れ、集中力が尽き、動きが雑になる。相手も小僧の攻め口を学習し始める。やがて、」

 セルゲイは立て続けの苛烈な攻撃の流れで、潮の引くような一手を打つ。
 バックステップしたのだ。
 日雨はそれに釣られて追いすがってしまう。
 そこに、下方からすくい上げるようなアッパーが飛び込んでくる。
 着弾――

「がはァッ!」

 肺から酸素を絞り出しながら日雨は吹き飛ばされた。
 リングをこするように転げ回り、その縁に程近い場所で停止すると、彼は盛大に咳き込み始めた。その吐瀉物に赤黒い血液が混じっている。肋骨がへし折られ、内臓に突き刺さっているのだ。

「あ、が……」

 それでもなお、日雨は立ち上がろうとしていた。がくがくと震える足を押さえつけ、強引に曲がった膝を伸ばす。

「根性は認めるが――もう、終わっている」

 リューリクが、冷淡に告げる。
 その時には目の前に突進してきていたセルゲイが、拳を振り下ろす所だった。内臓を打たれ、気脈の乱れた日雨はそれを避ける為の機動力をも失っていた。
 顔面に拳打の直撃を喰らい、彼はリングに沈む。

「手こずらせてくれたな……ヒトザル風情が」

 セルゲイは拳に返る手応えに恍惚とし、蚊を叩き潰したような弛緩した顔つきで首を鳴らす。
 そして、更にとどめを撃ち込む為に緩んだ手を再び握る。

「死ねィ――ぬっ?」

 打ち出す間際に――日雨を見下ろすように立つ羅虚虎を見つけて動きを止めた。

「え、あ……よ、ヨシフ選手……? あれ? さっきまで、彼は向こう側に……」

 セルゲイの困惑を代弁するように、ウラジーミルがたどたどしく声を上げる。羅はたっぷり直径百メートルはあるリングの、ほぼ反対側の縁にいたはずだった。
 同じように狼狽する観客のざわめきを無視して、それどころか対戦相手のセルゲイすら見ずに羅は日雨へ侮蔑の視線を送っている。

「一発防がれた程度で動揺して動きを澱ませるんじゃねぇよ。今日も落第だ、雑魚が」

 岩を砕く拳に顔面を打たれ、失神しているはずの日雨がぴくりと痙攣した。彼の言葉に反感を覚えたように。
 はん、とそれを鼻で笑うと、羅は自分にかかる影の主をようやく意識したかの如く、セルゲイを見上げた。

「ってなわけで、選手交代だ兄ちゃん」

 と、日雨を蹴り飛ばしてリング外に落とす。

「ハ、今まで餓鬼の影に隠れていた臆病な男が何を抜かすか。楯が無くなれば虚勢を張って、うまく逃げおおせようというのだろうが――」
「御託はいらねぇからかかってこい馬鹿蜥蜴が。餓鬼一人ぶちのめした程度で調子に乗りやがって。――てめぇもアイツと五十歩百歩だ。雑魚を一手で仕留められねぇなら、そいつも同じ雑魚なのさ」

 つまらなそうに嘆息しつつの羅の言に、一瞬でセルゲイは沸点に達した。

「貴ッ様ァ――」

 厳めしい容貌に更に深い皺を刻んで、握り込んだ巨岩の拳を一直線に叩き付ける。
 羅は避けなかった。
 ――セルゲイの拳打が羅の頭部に直撃する瞬間を、誰もが目撃した。
 はずだった。
 途中のコマを切り落としたフィルムのように、次の瞬間セルゲイの内懐に羅の姿はあり、その拳は相手の腹に深々とめり込んでいた。
 ただの、人の手による殴打。
 それを受けたセルゲイが、全身の穴という穴から噴水の如く血を吹き出させ、声一つ発さず白眼を剥いて転倒する。
 リング上にただ一人、羅は崩拳ポンケンの残心のまま立つ。

「救護班、担架出せ。セルゲイの方だ。あのままだと五分も保たずに死ぬ」

 アリーナの全ての人間の、時を止められたような沈黙をリューリクの冷静な声が打ち破った。
 国父の命令に背中を押された救護スタッフが我に返り、担架を手にリングへ駆けつけ、それに続いて観衆の身体にも熱が通い始める。

「な、ななななんとォ――ッ! 秒殺、いえ瞬殺!? ヨシフ選手、ただ一撃でセルゲイ選手を打ち倒しました! これはどういう事かぁっ!」

 実況のウラジーミルが頭を抱えつつ立ち、全身で驚愕を表わしながら叫び散らす。
 その隣で、頭の後ろで手を組み寄り掛かるリューリクが「なるほどな」と鼻を鳴らす。

「点穴ですか」

 だきにがリング上の羅を見下ろしながら、無感動そうに言う。

「だろうな」

 リューリクがそれに同意する。
 血流、細胞分裂、呼吸、思考、そして霊子エーテルの波動――大陸の武術はこれら人体の構成要素を循環する一つの流れと捉える。気脈、という概念である。
 気脈が正常に維持される事で人体は健康を保つ。逆説的に、これを乱す事で人体を破壊し得る。この仙道の理念を体現した技術の一つが、点穴。気脈を維持する支点を突く事で身体の不調、あるいは死を引き出すのだ。

「奴が突いた点穴は、身体強化の為の霊子の湧出点だ。ゴムホースから勢いよく流れる水を塞いだようなモンだな。なまじ魔力の強い竜種だけに、自らの魔力で身体うつわを壊しちまう。ロゥの野郎は自分の力を全く使っちゃいねぇ……レフの目論見は外れたワケだ」
「トーナメント表の貴方と彼らの配置を両端にした事ですか?」
「ああ。あれはロゥの出場に当たってアイツの出した条件でな……勝ち上がる間に、ロゥが内丹術で練った気を浪費させるのが狙いだったんだよ」
「その件はどうも、羅氏の方が一枚上手だったようですが」
「ああ、そうだな」

 あっさりした顔つきでリューリクが言う。一杯食わされたにしても、その手口があまりに鮮やかでむしろ感心したと言わんばかりだった。

「こちらとしては、業腹な話です」

 珍しくもだきにが感情的な言葉を吐く。その目は、再び来賓席に向いていた。
 膝の上の手を固く握りしめてリング外に蹴り飛ばされた日雨を見つめるくららと、その腕にしがみついて怯えたように目を閉じる夜見。
 主の震える目尻からは、何滴もの涙がこぼれ落ちている。

「竜種の点穴の位置が人類と同じなワケがねぇからな。しかも各々が多種生物のキメラなだけに、個々人でもそれは違ってきやがる。見極めるには……全力で魔力を使って戦うのを観察するのが一番いいってワケだ」
「ええ、つまり」

 戸惑い、怒り、歓喜、狂気――様々な感情を混ぜ込んだ歓声が、リング上の羅に注がれている。
 その外側でボロ雑巾のようになって倒れ伏す日雨に、だきにとリューリク、夜見とくららだけが目線を送っている。
 リューリクが、だきにの言葉を継いだ。

「つまり――あの小僧は、捨て駒だ」



[40176] 7.剣の意味…とかはさておき殺る気満々のイケメンがこっち睨んでくる件
Name: 八目又臣◆aa87a973 ID:17b043ce
Date: 2014/09/12 21:33
 一回戦の直後、くららがリューリクに日雨の安否を問い糾した所、重傷を負いはしたものの命に別状は無く、自分の足で帰る事もできたという。ないたん……なんたら言う術の鍛練を始めたおかげで回復も早いだろうとの事だ。明日(もう今日だが)の二回戦には動ける状態には身体を戻しているだろう、と。
 むしろ昨日の一回戦でダメージを負ったのは、彼の戦いを見ていた夜見だった。

 離宮の最上階の中央にあるベッドで、彼女は寝込んでいる。頬が赤みを帯びていた。呼吸も荒かった。
 額に手を当てると、ぞくりとするくらいに熱い。
 この地に人間を診れる医者などいない。高熱の原因が何かの病魔であれば、手の施しようがないだろう。
 しかし、その可能性は薄い。
 原因は明らかだった。彼女は兄が手酷く痛めつけられた場面を目撃したショックで、体調を崩しているのだ。

(……ううん)

 より正確に言えば、自分が脱出の手蔓てづるである竜種使役法の開発に失敗した事が原因で、兄が重傷を負ったと自分を追い詰めているのだ。
 はっ、はっ、と苦しげな浅い呼吸をして目を閉じている様は、年相応の女の子にしか見えない。
 繊細で、病弱――これが、張り詰めた糸の切れた本来の姿なのだろう。
 これまでの数ヶ月――いや、おそらくは、亡命して以来ずっと人間離れした天才児であり続けた彼女が、その有能さを否定される事態に始めて直面して、地金を見せている。
 兄を支える事で、自分を支えてきたのだ。

(こんな状態の夜見ちゃんを一人で放ってはおけない……でも)
「くらら、ちゃん……」

 枯れた布巾を無理に絞るような声音で、夜見は言葉を上す。

「わらわのことは、いいから……兄様のところに行って」
「けど、」

 躊躇うくららの服の裾を、小さい手がきゅうと掴んだ。

「兄様を、ひとりにしないで」
「……うん、そうだね」

 懇願する夜見を元気づけるように微笑みかけると、彼女は力尽きたように裾を掴む手を離し、再び朦朧とし始めた。





 目を開けても映る景色に見覚えが無い、布団が身体に馴染まない――体調を崩した時に一人見知らぬ場所で眠る事がこれ程心細いとは、と夜見は思う。
 自分が孤独をこれ程厭うとは、かつては考えもしなかった。
 母とは顔を合わせた事もない。父は次期女王確定の天才巫女の種を供出した栄誉に耽溺たんできするばかりの俗物。宮殿住まいの兄姉は自分を妬むばかりの敵だった。
 一人の方が心地良かった。外は見たくないものばかりだった。

 あの頃の自分にとって、孤独はただそこに当然のようにあるものに過ぎなかった。
 だきにを造り出しそばに置いても、本質的な孤独に変化は無かった。彼女は夜見自身を投影した影に過ぎない。
 詞木島日雨が最初の、そして唯一の身内だった。
 意識は朦朧として、夢と現の境を行き来しているが――眠れはしない。兄が失われてしまうかもしれないこの時に。
 兄と離れた事で始めて、孤独が怖いものであると知った。それが永遠のものになってしまう事に、耐えられるはずがない。

(あにさま)

 置いていかないで。

(ひとりにしないで)

 べちゃ。

「……………………………………………………あん?」

 唐突に顔に叩き付けられた冷感に、夜見の意識が覚醒する。震える指で顔面を手探りして、そこに貼り付いたものを引き剥がす。
 濡れた雑巾だった。
 隣をすがめ見ると、ベッドの縁から銀髪の髪の毛と瑠璃色の瞳が覗く。

「……弱った敵はすかさず叩く主義かくらげ、初めて気がうたではないか」
「えっ!? あ、ちち、ちが」

 あたふたとしだすジュラヴリカの手の中には、だきにが夜見の額に乗せていった濡れタオルが握られている。
 雑巾をそちらへ投げ返そうとして、疲労で震える指の感覚に諦め、傍に落とすと夜見は言う。

「……確かに、千載一遇の好機ぞくらげ。普段のわらわならかような嫌がらせには全力で呪いを仕掛けておる所じゃが、その力も出ん。今ならやりたい放題じゃ」

 投げやりに告げると、苛立たしげな唸り声の後に、

「い、いいい加減その、くらげっての止めなさいよぉ。あ、あたしにはジュラヴリカって、お父様のつけてくれたちゃんとした名前があるんだから……」
「んな噛みそうな名前、いちいち呼べるか」

 こちとらただでさえ舌っ足らずなのだ、とコンプレックスに感じている部分は胸の内にしまっておく。

「名前なんて毎日使う記号に父称だのなんだのごてごてつけよってからに。こんなん呼びやすければなんでもよかろうが」

 夜見自身のいみなも、とにかくひたすら長ったらしい。その一部を切り取りアレンジした夜見という仮の名は、彼女の気に入る所だった。なにせ二文字で事足りる。

「ふ、ふん……雅に欠けるイカだわぁ~……こ、この名前は東方のものすごぉ~く綺麗な鳥の名前なのよ……じじいの旅行に付き合わされた時、湿原を群れで飛ぶのを見たの。じ、純白で、優雅で……ほ、本当にすごかったんだから」
「つまり……鶴か」

 ジュラヴリカの自慢話に嫌な顔をしつつ、夜見は言う。神代のロシアにはクロヅルやソデグロヅルなどの生息地があっただろうが、現在、常冬のジラントにはいないはずである。どうして外国の鳥の名を娘につけたのか、イヴァン氏に聞いてみたい所ではあるが。

「はん、群れで飛ぶ、美しい鳥、なのじゃろうが。群れからはぐれた醜いアヒルの子では名前負けよ」

 せせら笑いながら皮肉を述べる、と。

「……っ」

 ジュラヴリカは売られた喧嘩を買いもせず、ただ瑠璃色の瞳を揺らした。

「う、うう、うるさい……わね。そんなの、分かってるわよぉ」

 普段以上にたどたどしく言い返すと、そのままおずおずとした口調で当てこすりを言ってくる。

「て、てゆーか、あ、あんただって……失敗したんでしょうが」

 今日まで、ジュラヴリカがこちらの行動に興味を持った節はなかった。夜見が竜種使役法の開発に失敗した事を彼女は知らないはずだが。
 今更、どうでもいい事ではあるけれど。

「……ふん、その通りよ。上手く飛べずに、高い所から落っこちてしもうた」

 豪奢なベッドの天蓋の細工を何とはなしに眺めながら言う。それはいくら手を伸ばそうとも届きはしない場所にあった。
 つい昨日まで、そんな事は考えもしなかった。
 四半刻もぼうっとして――気付けば、未だにベッドの側でぐずぐずとジュラヴリカがわだかまっている。こちらへちらちらと送ってくる視線がやたら鬱陶しい。
 不意に勘付く。

「貴様も、挫折したくちか」

 びくっ、と頭が震えるのを見て、推察の当たっている事を悟る。
 そもそも、竜族の貴顕は完全な人間形態を取れる程自己の肉体を制御できるようになって初めて一人前と認められるというのがリューリクの言だった。二本の角、ドレスの裾から出ている尾、尖った歯と、皇族なのに人に化けきれていないジュラヴリカは、ジラントの上流社会で落伍者と見られているのではないか。
 この女は、最初からなんとなく引きこもっていた訳ではないのだ。
 だからなんだ、という話ではあるが。

「同情なんぞするなうざったい」
「っ、な、なによぉ~!」
「貴様にわらわの気持ちは分からんわ。貴様が何一つ出来んとしても、あのリューリク・ジランタウが全ての不始末を肩代わりしてくれるんじゃからの」

 あの無敵の男には、身を案じる必要など無いのだ。
 馬鹿馬鹿しいと嘆息する、と――ジュラヴリカがシーツを強く握りしめて巻き取った分、夜見の身体がずれた。

「あ、あんたにだって……あたしの気持ちはわからないわよ」

 悔しげに目尻に涙を溜めて、彼女は唸り声を混じらせ反駁する。

「周りがあたしの全てを肩代わりして、お前は何もするなって、何も期待しないって、居場所を持っていった時のあたしの気持ちは……子供のくせにちゃんと頼りにされてるあんたには、分かりようがないじゃない」

 病身で弱っている所に本気の怒気を叩き付けられて、夜見は怯んだ。
 ふん、と鼻を鳴らして背を向ける。敵前逃亡じみていると自嘲した。
 ジュラヴリカの方は、はぐらかされたような気分で腹立たしげに唸ると、嘆息して拗ねた声を上げる。

「た、たた確かに……あのじじいに、人の助けなんて必要ないわよ。ど、どうせ今だって、余裕しゃくしゃくで、人を煙に巻くようなことしてるに違いないわ」





 既にリューリクと一回戦を勝ち上がったアンドレイ・ブリャンスキの戦いは三十分も続いている。
 アンドレイの得物はモーニングスター。と言っても、柄頭の大きさは一メートルを優に超えている。丁度鉄球クレーンの鉄球に棘と柄を取り付けたようなものだ。
 そんな規格外の鈍器を、リューリクは幾度となく喰らっていた。
 そして更に一発。

「くあっ」

 額から血を吹き出し、顔面を朱く染め上げてよろめくリューリク。
 武装はしていない。ただ徒手空拳で両手の平を前に差し出すように構え、凄絶な顔つきで笑う。

「まだまだっ! さぁ来やがれ!」

 囃し立てるように、アンドレイへ向かって叫ぶ。
 歓声が上がる――

「茶番だ」

 東側の入場口の影に立ち、羅が吐き捨てるように言った。

「リューリクの野郎、完全に遊んでやがる。身体強化も最小限にして、殴り殴られを演出してんだ」
「なぜ、そんな事をする?」
「野郎にとっちゃあコイツは興業だしな……プロレス、つってもお前にゃ分からんだろうが」

 きょとん、と首を傾げての日雨の問いかけに羅は珍しく困った顔つきで応じる。秋津洲国の庶民の間では闘鶏が盛んだったが、獣に八百長をする知能はない。
 言い淀んでいる内に、戦況が動いた。

「オラァッ!」

 リューリクの裂帛の気合い――に見せかけた、全く気の乗っていない単なる大声と共に叩き付けたヘッドバットを受け、アレクセイの振るうモーニングスターの鉄球が砕け散る。
 相手が動揺する間にリューリクは逆水平打ちを胸板に三度浴びせ、更に怯んだ隙に背面に回り込み、十字架を作るように肩に担ぐ。

「ふむ……アルゼンチン・バックブリーカー……から持ち替えて膝に叩き付けましたね。これは変則シュミット式バックブリーカーと申しますか……更に監獄固めで追い打ち。リューリク選手、流れるような連続技です」
「……妙に詳しいな、お前の連れ」

 淡々とした、実況として似つかわしくない口調でリューリクの繰り出す技を羅列するだきにに、羅は胡散臭げな顔つきをする。この男にとってもかの式神女は得体の知れない不思議ちゃんとして認識されるようだ。
 リューリクは足関節を極めながら、自由な手を打ち鳴らして観客を煽っている。
 おぉおおおおおおおお――観客の絶叫が最高潮に達した所で、彼は技を解く。
〝痛そうに見える〟技を喰らったアンドレイは、関節にダメージもなく素早い立ち上がりでリューリクへと殴り掛かった。よく訓練された無駄のないストレート。悪く言えば面白みのない技である。

 ――が、それが途中で変化してラリアットになりリューリクの首を打った。
 その衝撃で二人ともがリングへ落下する。
 アンドレイの倒れた先、丁度手頃な位置にリューリクの延髄があった。組技の類も皇国軍制式格闘技にはもちろん存在する。すかさず裸締めを極めた――

「見えたか」

 羅は短く問う。日雨もただ、軽く頷いただけだ。
 彼はアンドレイが初撃を撃ち込みかけたほんの一瞬について言及していた。
 その瞬間、リューリクが観客の視力では捉えきれない速さでアンドレイの関節を数箇所軽く打撃し、人形繰りのようにラリアットへ変化させたのだ。
 もちろん、裸締めの隙も彼の演出に過ぎない。

「ちったぁ手札を明かすかと期待して見に来てみりゃあ、とんだ肩すかしだ」

 興醒めしたとばかりに羅は頭の後ろで手を組み、入場口の奥へ歩き出す。

「結局の所、あの野郎のふざけた力量が分かっただけだな。サシチザーニイの選抜闘士も、アイツにとっちゃあ遊び相手にしかならねぇってわけだ」

 その後リューリクは、たっぷり一時間は観客を沸かせた後ブレーンバスターを決め手に二回戦を勝ち抜いた。






「――で、キミは今日も惨敗。羅に勝ちを拾ってもらったワケだ」

 住み処の倉庫にて、ほうほうの体で帰り着いた日雨の腫れ上がった顔にてきぱきと包帯を巻きながら、エルザは耳に痛い語り口で二回戦の顛末を述べた。
 反射的に言い返そうとしたが、

「まさか、こうしてフルボッコにされる事で勝ちに貢献してるって言わないよね」

 図星を指された。

「キミにとって羅は仇敵ってヤツなんでしょ? こーして敵に借りを作り続けている今の状況を、まさかただの悔し紛れに肯定はしないよねぇ~」
「……ぐ」

 完全に見透かされた発言に、唸るくらいしかできない。

「ほいできた」

 ミイラ男のような仕上がりを満足げに頷き、エルザは日雨の背をはたいた。全身打撲、各所に亀裂骨折、内臓破裂に軽度ながらも脳挫傷――即入院レベルの重傷を負った人間の扱いではない。
 もっとも、デモナイズと内丹術の恩恵で、即死に至らぬ重傷は回復に専念すれば一夜で治癒は可能となっている。既に治りかけていて、包帯も不要かも知れない。
 それでも手当を受けたのは、エルザの「こんな全身スプラッタと共同生活なんてできないっての」という臭いものに蓋をする的な理屈である。全き彼女の個人的な都合だ。

「予定じゃ、こんな見てるだけでツタンカーメンの呪いにかかりそうなビジュアルになるこたー無かったんだけどねー」

 がりがり頭を掻きながらの言。あるいは先程の背中を強めにはたかれたのも、苛立ちを紛れさす為か。夜見も計画が上手く進まない時はよく癇癪を起こす。
 裏鬼道の修得にこれ程難航するとは、彼女は思っていなかったのだろう。

「この子と、」

 と、エルザは足下を見やる。日雨の手から離れた刀犬が、猫缶をむさぼっていた(いいのか)。

「キミのリンクが薄いってコトじゃないと思う。むしろ強固に繋がってのが〝視える〟。余程大事に使ってたんだろうね」

 彼女の紫に輝く瞳に薄もやのような霊子の輝きが見て取れる。霊視を行っているのだ。

「だってのに、霊子エーテルの送受信が一バイトも起こらない。疎通さえすりゃ後はクラスタの構築まで芋づる式だってのに……」

 顎に指を当て、ぶつぶつと日雨の理解できない言葉を呟くエルザ。

「何か不具合があるんだと思う……けど、現状それが分からない」

 悔しげな響きで、彼女は言った。

「ゆっくりと時間をかけてデバッグしたい所だけど――今は」

 と、言葉を濁す。
 日雨もその言葉の続きを悟っていた。





 サシチザーニイの大会規定では、一回戦、二回戦ではトーナメント表の順繰りに、三回戦と準決勝を逆順に試合を消化していく。
 つまり、第一試合が日雨たちの対戦となる。
 昨日、一昨日と同じように東側入場口の影で待機する間、日雨は屈伸して身体の感触を確かめていた。

(……重い)

 ダメージが蓄積している。傷の治癒はデモナイズと内丹術の恩恵でどうにかなるにしても、筋肉や骨格の疲労という内在する異常は回復が難しい。
 少しでも身体を休めておきたかったが、ここに来て出端からの対戦になるとは。

「前にも言ったが、完調でなければ戦えねぇって奴は」
「三流以下、というのだろう。分かっておる」

 冷酷に釘を刺してくる羅に言い返し、日雨は負け惜しみのように背筋をぴんと伸ばして立つ。
 ここまでは普段通りの確執であったが、今回、羅がもう一歩踏み込んで来た。

「……ようやく、お前に施されつつある、あの女の仕込みの正体が分かってきた」

 そこで言葉を句切り、指先を刃物のように突きつけてくる。

「このままじゃあ、死ぬまでてめぇは〝その術〟を会得できねぇ」
「……どういう事だ」
「道具の式神化によって強い共感を引き出し、霊子の連結を強める……あの女は、〝類感〟の呪術の応用であるその術の修得法を、そう定義しているようだがな」
「それが、間違っているというのか?」
「今回に限ってな。それは基本的なセオリーであって、例外ももちろん存在する。あの女は海千山千の魔女だが、こればっかりは考慮の外だ」
「なぜだ?」
「あの女は武人じゃねぇからだ」

 遠く離れたエルザを切って捨てるように、羅は告げた。

「剣の奥境に立つならば……武人は、剣を愛してはいけない」

 ぞろり、と羅は苗刀を抜いて、鏡面のような棟を日雨に晒した。

「あの犬畜生は、てめぇの今の心を映す鏡だ。刀を犬に化かすような不心得が、てめぇの間違いの元だ」
「……何を」

 日雨は初めて、羅虚虎の剣技ではなく言葉を恐れた。
 彼は言う。

「剣は剣だ。他の何物でもねぇ。――お前は、剣に、何か別のものであって欲しいと願望を抱いている」





 三回戦の相手は奇遇にも刀剣の遣い手だった。
 鯨でも解体するつもりかと問いたくなるような長段平を軽々と振るってくる相手に、日雨は巨大化させた太刀で拮抗する。

「ぬゥんッ!」

 巨漢の振り下ろす爆撃に似た斬撃を、鎬を弾くようにして流し、その勢いで左回りのステップを踏んで横薙ぎの斬撃を繰り出す。相手に首を傾げる事で躱されたが、引きちぎれた髪の毛が数本舞う。

「小兵のヒメ選手、機敏な立ち回りでイェルマーク選手を翻弄しています。極東からやってきた噛ませ豆柴ことヒメ選手、三回戦に至ってまさかの善戦! これは手に汗握る!」

 所々追求したくなるウラジーミルの実況が入るも(極東からやってきた噛ませ豆柴とかいう異名は明らかにだきにの入れ知恵だろう)、日雨は聞いていなかった。
 上手く集中できている。
 対戦相手のイェルマーク・フメリヌィーツィクィイ選手は火竜。身体の膨大な熱エネルギーにより、高い運動能力を発揮して戦うタイプの闘士であった。

 これまでの相手より格段に速い――が、同じ太刀遣いという事で呼吸が合った。
 身体能力任せで剣技も拙く、合わせるのは難しくはない。その認識がもたらす心理的優位が身体のリラックスに寄与した。当たる気がしない、とさえ思えてくる。
 逆に、相手は苛立っていた。命中しない斬撃を振るう度に焦燥にかられ、動きが雑になっていく。
 攻防が五十合を超えた頃――攻め手を打った直後のイェルマークは、自身が握る太刀を意識から外した。狙い撃つべき隙であった。

 日雨は柄を掬い上げるように斬り上げ、イェルマークから得物を取り落とさせた。
 大太刀がリングに落ちてガラガラと音を立てるより前に、追撃の機動を取る。膝関節を蹴りつけ、姿勢を崩した所で顎を返す刀の爪先で跳ねあげる。以前、日雨自身が羅に喰らった攻撃だ。
 脳を揺らされよろめいた所に、とどめを刺す。短くジャンプして振り下ろすような浴びせ蹴りで、イェルマークの胸を打ち据えた。
 とうとう仰向けに転倒する彼の喉元に、太刀の切っ先を突きつける。
 勝利した。初めて、羅に頼らずに――隠しようのない歓喜に、日雨は胸を沸き立たせる。

「余の勝ちだ! 降参しろ!」

 相手を見据えて言い放つ。
 ――その彼の背後では、羅は険しい顔つきで「……馬鹿が」と呟いていた。
 相手選手、イェルマークは日雨の口にした言葉を聞いていなかった――仮に耳に入っていたとしても、その意味を共感する事も、理解するさえなかっただろう。
 彼はただ、竜種の兵士として当然の心構えの通りに――戦いの最中に手を止めた間抜けの握る太刀を、掴んで止めた。そして首の皮に切っ先がめり込むのも構わず立ち上がる。

「なっ……!」

 唐突な蛮行に動揺する日雨。
 その隙を狙って、頭突きを顔面に叩き付けてくるイェルマーク。日雨はたたらを踏みながら後退する。
 鼻面を打たれ、涙で視界が塞がれる。ただ左側の空気の圧力が変化したのを触感で悟った。
 とっさに立てた剣を、横薙ぎに打たれる。

「がっ!?」

 イェルマークは日雨のひるむ間に得物を拾っていた。大太刀を二度、三度と立て続けに振るって追撃をかけてくる。
 今度は真逆の、いや更に劣勢の戦況に日雨は立たされた。ただ防戦一方に、かろうじて受けているだけ。
 決まったと思った勝負が覆された事で、強く動揺に駆られていた。
 いや――日雨を追い詰めているのは、相手の斬撃だけではない。
 ――お前は、剣に、何か別のものであって欲しいと願望を抱いている。
 羅の放った言葉が楔のように日雨の胸に刺さっていた。

「ぬゥんッ!!」

 体勢の崩れ、避けきれない状態で重爆撃じみた打ち下ろしが降りかかる。
 どうにか剣を楯にする。それだけの事しかできず、殺し切れない衝撃に全身を押し込まれ、日雨はリングに叩き付けられた。

「あ……がっ」

 肺から呼吸を絞り出され、かすれるようにうめく日雨の隣を、羅が通り過ぎていく。
 一瞬だけこちらに向けられた男の目は、侮蔑をたたえていた。
 羅は自分の倍近い巨漢と向き合う。それ以上に、その手に握られた刀は相手の得物と比較すれば小枝のように小さい。
 しかし、刀身に秘めた凶気は比べ物にならず。

「や……やめろ!」

 思わず口をついた言葉。
 羅は、それに嘲笑で応じた。
 イェルマークが割り込んで来た羅へ狙いを変え、大太刀を振り上げる――動作をするよりも前に。
 ちん、と。
 ただ、鞘の縁金と鐔金の噛み合う音だけがした。過ぎた結果だけを示す残響であった。
 イェルマークは自らの身体に起きた異変に気付かず、剣を振りかぶる動きを続けた。
 高々と天空に持ち上がる、前腕部の消え失せた両手。

 ずるり、と主から引き離された腕が、太刀を握ったままリングに落ちる。
 そのまま対戦相手が失血のショックに横転するのを目にも止めず、羅は踵を返してリング外へ歩いて行く。
 リングを侵食するように拡大する血溜まりと、失神して死体の如く虚ろな目をする男。
 そうして羅は自らの口で語るが如く示した。
 その手が握る、血と鉄の色を帯びた刃によって。
 ――これが、剣だ。






 第一試合の凄惨な結末は、竜たちを萎縮させるどころかむしろ発奮させた。彼らには血を見ればたぎる率直な蛮性があり、敵対種族である人間が残虐であるのはむしろ喜ばしい事であった。
 何より――彼らの英雄たちが最終的に勝利するストーリーを思い描いていた。
 三回戦第二試合。
 ウラル・コサック所属、グリゴリー・プガチョフ選手対――

「中々、い試合だった。貴官の益荒男ますらおぶり、スチェバン軍長オタマーンには親書の形で報告しておこう」

 リングに倒れ伏す巨漢を横目に見下ろし、余裕綽々と相手の健闘を讃える男。
 少々とうが立っておりながらも、色気に感じる程度の若々しさを未だ遺す少壮の容姿。身長は百八十センチ程度。サシチザーニイに出場する竜の中で、最も小柄だった。角も、爪も、牙も、尾も、竜としての特徴までもがその身に現れていない。

 出場闘士の中に立てばいかにも場違いな外観。
 そして、その印象を最も強くする理由は――三回戦を越してなお、彼が無傷である点だ。
 羅虚虎と同じく、しかも単独で竜種の猛者に圧勝を収めてきた男。
 シヴィル・コサック軍長、レフ・ニコラエヴィチ・カルピンスキ。

「御盛況頂いている第六十一回サシチザーニイも、既に三回戦の半分を消化し明日は準決勝となる。主催者としては、慶賀けいがに堪えぬ善事である」

 彼は観衆に語りかける。

「軍長の座を前軍長ボフダン閣下より譲り受けて以来、私は、本大会においては出場闘士の死者を削減する事を努力目標として腐心してきた。あたらイヴァン陛下の元で来るべき戦いに備え牙を研ぐ猛者を、かような座興で失うわけにはいかない為である。今回賓客として参戦頂いた国父アチェーツリューリク陛下にも〝ご協力〟頂き、これまでの死者は四名。まずまずの成果となっている」

 実況ブースで椅子に寄り掛かって、あくびまじりに演説を聞いていたリューリクが、苦笑を浮かべた。レフはこれまでの〝遊び〟を公然と皮肉り、たしなめているのだ。
 レフはそれをちらりと伺っただけで、後を続ける。

「だが、国父が開会宣言で述べたように、尚武しょうぶの気風の渙発かんぱつたる諸君には欲求不満な試合内容であった事は私も自覚し、反省する所である」

 彼は一段と冷えた声音で、次ぐ言葉を吐いた。

「であるからして、次の準決勝の私の試合は、諸君らの興心に応えるつもりである」

 その目線は、東の入場口に立つ日雨と羅へ向けられていた。

「本大会には特例として人間が参戦している。――彼らは陛下の赤子せきしではなく、我が同朋たらず、従って配慮に値しない例外である」

 不意に――リングを構成する石材が変化し、レフの周囲に棘のように突き出した。
 彼の殺気に反応して、地精が荒ぶっているのだ。

「私は、彼らの確実なる死を諸君らに約束する。姑息な小細工を弄する小僧の首を即刻跳ね飛ばし、その後ろに控える凶手の心臓をえぐり出す。彼奴らの血を、諸君らへ供する美酒とするものである」

 零下の石棺めいた冷酷な宣言に、観衆は猛った。
 うぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお――!
 日雨の隣に立つ羅は、空気の揺れる程の大歓声が自分の死を望む声であるにもかかわらず、つまらなそうに腕を組んでいた。人を殺す力のない言葉に、なんら意味はないとでも思っているのだろう。
 日雨は――震える膝を押さえ、恐怖に耐えていた。

 今は時間がない、と示唆したエルザの言葉を思い出す。
 その通りだ。日雨は悠長に修業している暇などなかった。
 レフ・カルピンスキは羅がリューリクの命を狙う暗殺者であると知っている。彼にとっても、サシチザーニイは逃げ場の無いリング上で不安要素を始末できる絶好の機会だ。
 羅に形の上では協力している日雨も、生かしておく理由などない。
 これまでの相手のような武術試合の感覚ではなく、絶対の殺意をもってこちらを殺しにかかる圧倒的な強者。
 詞木島日雨の死神は、彼に明日の命はないのだと宣告していた。



[40176] 8.初めてのデなんとか
Name: 八目又臣◆aa87a973 ID:17b043ce
Date: 2014/12/01 20:04
 さて、シヴィル・コサックの拠点である「牙の城」は現在、国父リューリク暗殺未遂と近隣に潜んでいるらしきカタ・コスモーン機構加盟国の派兵した兵団の件で厳戒態勢にある。本来なら格闘大会にうつつを抜かしている場合では無かろうが、他のコサックや南北東西の軍管区からも参加者を募り、各地の貴族も関心を持っているサシチザーニイの中止は、皇国有数の遊撃兵団たる彼らの立場を考えれば別種の危険――例えば他コサックの介入により失脚させられるなど。つまるところ近代軍の最大の敵とは、予算というパイを取り合う同国の軍事組織である――すら考えられた。

 その上「大っぴらに攻めてもこねぇヘタレ相手にイモ引いちゃあ、面子が丸つぶれってモンよ」という国の最高権威が述べた空気を読まない脳筋発言もあった。
 正体の見えない敵の暗躍と、脳細胞がミオシンで構築されたはた迷惑な大御所の板挟みで頭を悩ませたレフ・カルピンスキは、警備の強化という正道の予防措置を打った。兵士がうんざりする程の過密なシフトを組み、軍長自らが見取り図とにらめっこし、実地の検分も行う事で城内の侵入経路全てをカバーした警備計画を立てる。
 結果、鼠一匹の侵入も許さぬ鉄壁の警備網が完成した。レフ・カルピンスキの神経質さ加減と姑気質の産物である。

 彼が、祖国が抱える自慢の密偵組織オフラーナも突破できぬと豪語する(一時期その密偵組織に属していた彼が言うのだから、はったりとは言い切れない)その警備網に――ただの女子高生が挑戦しようとしている。

「あう~」

 城内の連絡路の植え込みの影で、イヌツゲの葉を頭にくっつけたくららがへたれた唸り声を上げる。
 キッチンの勝手口から離宮を出て、三重の城壁の内一つを資材搬入の竜車の荷台に紛れてやり過ごし、今は巡回の兵士の目を盗んで二番目の城壁の抜け道を探る最中である。
 ド素人の彼女が、こうして曲がりなりにも厳戒態勢の城内を三分の一もくぐり抜ける事に成功しているのは、警備が外敵の潜入に気を配っている為である。竜の兵士たちの背中を素通りするように、くららは城内を歩き回っていた。

 神経は加速度的に磨り減っている。ここのむくつけき兵士らのますらおぶりに比べたら、くららなど小動物だ。しかも彼女は現在たった一人で牙の城からの脱出を図っている。恐怖と心細さで卒倒しそうである。
 しかし、行かねばならない。
 おどおどと怯えながらも、彼女は植え込みを這うようにして出口を探す。
 ――ところで、ザンネンな事にくららは中高両方とも、修学旅行は定番の京都・奈良だった。
 平安の面影を遺す明媚な古都を体感した経験はあっても、戦国の城跡を訪ねた事はない。
 姫路城、熊本城など、軍事色の濃い城塞というのは、迷路のように作られているものだ。彼女はそれを知らず、場当たり的な移動を続けていた。
 ゆえに、至極当然の結果として、

「……い、行き止まり?」

 あっさり袋小路に突き当たり、くららは唖然とした。
 踵を返して別のルートを探ろうとするも――突き当たりの曲がり角の向こうから、談笑する兵士達の声が聞こえてくる。
 まさに絶体絶命である。

(だ、誰か助けてーっ!?)

 悲鳴じみた言葉を胸の中で叫ぶが、この軍事基地の真っ只中で味方などいるわけもない。
 本来は、そのはずであったのだが。

「ホホウ」

 どこからか、そう遠く無い場所で声が聞こえてくる。

「ディンジャラスでスリリングなスニーキング・ミッションの真っ最中に、同好の士が飛び込んでくるとはネー。驚きのハプニングでゴザルヨー」

 けったいとしか言い様の無い口調の女の声と、

exactly、合縁奇縁……也」

 無駄に重っ苦しい低音をした男の声である。
 辺りを見渡してみるも、誰の姿も見当たらない。くららは「えっ、幽霊?」とか素っ頓狂な疑惑を口にして青い顔をする。

「ハッハー、ノンノン、でゴザルヨ。幽霊の小隊見たり彼ススキノ、とゆーでショ?」
ask……ソノ心ハ」
「ゴーストは旧世界オールド・ワールドのジャパンの一地区カウンティ、ホッカイ・ドーにしか生息しないって事ネ。レッドリストの保護対象でゴザルヨー」
「絶対違うと思いますけど……」

 じっとりとした声音で男女のアホっぽい会話につっこみを入れる――その頃には声の出所が判明した。
 上を見上げると、

「……………………………………」

 ショッキングピンクに染め込んだいかにも悪目立ちするノースリーブのアレンジ着物を来た金髪碧眼の白人女と、巌のような筋肉を真っ黒な胴衣と袴に包み、頭巾と鉢金で顔を隠した大男が、
 壁に直立して並んでいた。

「ニンニン、でゴザルヨー」
「……」

 そこまで強硬に自己主張されると、もう疑いようが無かった。というか、疑わせてくれない雰囲気を感じた。
 くららは一つ息を吸い、

「忍者だーっ!」

 現在の世界に存在するはずのない、しかしそうとしか呼びようのない彼らの呼称を叫んだ。





「……なんか、不意打ちで驚天動地の奇人変人に遭遇してしまったような驚きの叫び声が聞こえた気がしたんだが」
「なんだよ、その妙に具体的な例えは……気のせいだったんだろ、戻るぞ」

 袋小路に立ち、怪訝な顔で辺りを検分していた竜種の兵士が、仲間に肩を叩かれ戻っていく。
 その様子を見下ろして、ほぅ、と安堵のため息をつくくらら。
 セーラー服の襟を、忍者装束の巨漢に掴まれ吊り上げられている。

「あ、あの、ありがとうございます」

 あまり素直に礼を言いたくはならないぞんざいな扱いだが、助けられた事には違いない。
 木石の如く寡黙な巨漢に代わって、女の方が応えた。

「ハッハー、袖スリ会うも多生の縁って言うネ。エド・エイジの民衆ピープル巾着切りピックポケットにも前世のご縁を感じてオタスケしていたネ。ボサツ・スピリットを体現するブッディストの心意気ネー」
「……っくぅうう~」

 つっこみたい。
 日本列島の産湯に浸かり、お米を主食に育ち、年明けだけお寺へ初詣に出かける正統なる日本国民の一人として、この日本という国を盛大に勘違いしたフジヤマゲイシャハラキリ外人女に全力でつっこみを入れたい。
 しかし状況を鑑みれば大騒ぎもできないと、くららは泣く泣くこの謎の忍者女へもの申すのを諦めた。
 そんな彼女の葛藤をさておき、べらべらと忍者女はものを申し続ける。

「ソレに、ユーの立ち居振る舞いにはベリーベリー親近感ネ。セッシャ分かってるヨ。ユーの衣装、オールドスタイル・ネイビーでなくジャパニーズ・トラディショナル・スクールガールのコスチュームデショ?」
「そうですけど……えっ、分かるんですか?」
「モチのロンヨー。他のウゾウムゾウはともかく、セッシャたちコスプレ仲間メイトにはお見通しヨー」
「……exactly

 一見硬派そうな、寡黙忍者男まで彼女の言葉に同意する。
 驚愕の事実であるが、あの冗談の通じない男レフ・カルピンスキの牛耳る厳戒態勢の軍事基地において、あからさまな不法侵入をしているこの怪しげな男女は、それを――伊達や酔狂でやってるらしい。

「いえ、あの……わたしのは、コスプレとかじゃないんで」
「ノンノン、ダイジョブダヨーオタク恥ずかしくないヨーネイキッドの自分をもっとさらけ出していった方がいいヨー」
「そういう事じゃないぃ~」

 英語しか喋れないアメリカ人よりも意思の疎通が困難っぽい女に、くららは吊り下げられたまま頭を抱える。

「ユーはコスプレ仲間でもあり、ホッカムリ仲間メイトでもあるネ。コレはスリよりもワンランク上のご縁であるからして、無償にてレスキューしたでゴザルヨ」

 にんにん、とお約束的に智拳印を結ぶ忍者女に、くららはおずおずと言う。

「えっと、その……わたしは別にこの城に泥棒に入ったわけじゃなくて、むしろ逆で……ここから出たいんです」
「ホワット?」
「ちょっとだけでいいんですけど……今日中に会いたい人がいるんです」

 吊り下げられたままの真顔はどうにも格好がつかないが、くららは彼女を見据えて告げる。
 忍者女は、フーン、と面白がるように唇を吊り上げると、

「何の為に会うノ?」
「……え?」
「今のこの城、セッシャたちにとってもハードなパトロールを実施中ネ。察するに、ココから出るのを禁じられてる身分のスクールガールがくぐり抜けるのはチョット無謀ヨ。……そこまでしてその人に会って、何をするのカナ?」

 壁に立ちながら背を屈めてこちらを見上げ、瞳の奥を覗き込むようにしながらの彼女の問い。
 嘘を許さない雰囲気に、くららは胸中の言葉を口にする。

「えっと……その、彼、日雨くんに、」

 事情を知るものにとっては信じがたい、命懸けで脱出をしようとする理由としては一笑に付すような馬鹿げたもの。しかし、ごまかしのない真実だ。

「がんばれ、て言いに……」

 おずおずと述べたくららに、

「……ハハッ!」

 忍者女は、どこか子供っぽく破顔して応えた。

「ステイツのチアリーダークイーン・ビーにはないケナゲな心意気ネ。イイヨイイヨ。……コッチの女王蜂クイーン・ビーの意向とは違いそうダケド……チョット、応援したくなっちゃう」
「?」

 いい加減空中に吊された状況にどぎまぎしつつある所に、忍者女は一つウインクした。

「OKスクールガール、この堅苦しい場所からエスケープするまで、付き合ってあげるネ」
「えっ……なんで?」
「セッシャも一端のレディ、コイバナは大好きネ。キューピッド役はカミさん質に入れてもマストバイヨー」
「それ、他人の縁結びをしてる場合じゃないんじゃ……」
「さっ、そうと決まれば禅は急げヨ。人生急がなきゃすぐネハンにジョウブツしちゃうってアリガタイオコトバヨー。セッシャたちと、ニンジャマスターズfeat.スクールガールのユニットを結成するネー」

 有無を言わさず忍者女はすたすたと壁歩きで移動を開始した。忍者男も問答無用でくららを引きずりそれに付いていく。

「あれぇええ~……」

 売られる仔牛の気分で、くららは情けない悲鳴を上げた。





 そしてニンジャマスターズfeat.スクールガールなる冗談で結成されたような三人組は、驚くべき事に――冗談の通じない超堅物レフ・カルピンスキの敷いた包囲網の突破に成功してのけた。
 そのからくりは明らかである。女の、一キロ先からでも判別のつくショッキングピンクの忍者装束は、衛兵の目と鼻の先を素通りしても咎められなかったのだ。

(……陰形おんぎょう、ってやつだよね)

 日雨もよく使う術だ。壁歩きも同じく彼が得意としていた。
 驚嘆すべきは――この男女の内どちらかが、くららにまで術の効果を及ばせている事だ。
 日雨と最初に会った時、他人に陰形を施す事の困難を彼は訴えていた。
 にぎやかしじみた風体ながら、彼らは高度な技術を備える魔術師なのだ。
 三重の城壁の内、二つめの壁を乗り越える最中の事である。高所を忍者男の腕一本で支えられている恐怖を紛らわす為に、くららは彼らに問うた。

「あの、あなたたちは……ここに何をしに来たんですか?」

 質問を口にして――多少の懸念を覚える。ジュラヴリカの証言や夜見の推察、そして日雨と共に試合場に現れた羅虚虎の件から、リューリクが暗殺の脅威にさらされているのは間違いない。
 この忍者たちが彼の敵であるのなら――たとえ人質扱いで軟禁されていても――、ばつが悪い。

「ハッハー。チョッチ、ロリィタを鑑賞しにでゴザルヨー」
exactly
「………………………………………………………………え゛っ?」

 くららの抱いていた不安とは百八十度違う、予想だにしない解答が飛んできた。大暴投である。

「窓から遠巻きに覗いただけダケド、思わずキッドナッピングしちゃいたくなる程ベリーキュートだったネ。毎日ザゼンを組んでなけりゃ危なかったでゴザルヨー」
exactly

 ロリがどうこうという話題に入ってから、忍者男の台詞に三点リーダが無い。即時即応即答である。物凄く怖い。

「さっすがプリンセスネー、国民的アイドルの素質十分ヨー。――〝将来〟が楽しみネ」

 プリンセス――どうやらこの忍者たちはジュラヴリカについて語っているようである。話しぶりからして、彼女らは、かの皇女の顔を見るのが目的であったらしいが……その一事だけでは、彼らの正体は図りかねる。間違いなく幼女の敵ではあるが、ジラント皇国の敵であるかは分からない。
 忍者女はぽつり、と蛇足のように呟いた。

「それに……面白いカップリングだったネ」
exactly……アレモ又、合縁奇縁也」

 意味深な言葉のやりとりをする二人に、くららは首を傾げる。
 ――元より声を潜めなければならない状況。以後は会話も無く、外周の城壁も乗り越えて彼女らは城下に降り立った。

「あの……本当に、ありがとうございました」

 くららはぺこぺこと彼女らに頭を下げる。この二人の助けが無ければ牙の城からの脱出など不可能だったろう。我ながら、なんとも無茶をしたものだ。

「ネヴァーマインドヨー、スクールガール。足袋は道擦れ世は情け。和のテイストを体現する為に、靴ズレするくらいの苦労はむしろウェルカムでゴザルヨ」

 再び胡散臭い発言を飛ばしながら、豪快に笑ってサムズアップする忍者女。

「え、えっと、お礼、させて下さい」

 大いに引きながらも、それでも感謝の気持ちは忘れない。和のテイストを体現するくららであった。

「フフ……ならその辺のカフェでグリーンティーをイップク……と言いたい所ダケド、セッシャたちもイロイロ忙しい身だからネー。これにてドロンさせていただくヨー」
「そうですか……」

 残念がるくららの肩を軽く叩き、忍者女はびっ、と人差し指と中指をくっつけて振ると、背を向け、忍者男と連れだって歩き始めた。
 その途中、かすかに声を交わし合う事のできる程度の距離を置いて、ちらりとこちらを向き告げる。

「――マァ、縁は異なモノ奇なるモノ。イズレ、ユーが借りを返す機会があるカモネー」



    //////



 グレーチカ、という名の穀類がある。
 国土のほとんどが寒帯のジラント皇国ではライ麦の次に産出量の多い穀物で、国民の主食の一つとして供されてきた。主な用途はカーシャ、あるいはクレープブリヌイの生地。実の殻を剥いたものをそのまま使うか、あるいは粉上にしてペーストにする。
 しかし、皇紀二千年を過ぎた今になって、南方のシヴィル・シーチで芽吹きつつある食べ方は彼ら皇国臣民の固定観念の外にあった。

 挽いて粉末にしたグレーチカを、水と磨り潰した馬鈴薯と混ぜペースト状にする。本来こうした繋ぎには自然薯の方が適しているのだが、ジラントには存在しなかった。
 ペーストを練り、クレープのように薄く伸ばして、畳み、鉈のような包丁で切り――麺状にする。
 これを黒ずんだあっさりめのスープにつけて頂く。具は揚げた魚類や卵黄など。揚げ物の際に生じた〝かす〟を加えても美味しい。それとは別に、薬味としてネギやショウガなども使う。
 ここまで解説すれば、さる極東の島国に住む人々は察しがつくだろう。
 ギリシャ風のグレーチカ、という名のこの穀類は、別名蕎麦という。

「……明日、命懸けの試合に臨む余は、なぜ蕎麦打ちに励んでおるのだろう」

 路上に設置した急ごしらえの屋台で、せっせとのし棒を操りながら日雨はつぶやく。独り言のようでいて、屋台の前で客寄せするエルザへの当てつけである。
 彼女は唇を尖らせて、

「超絶デキる魔女である所のボクの授業料は、本来城が一つ買えるくらいが相場なんだよ? いかにも貧乏そうな日雨の懐事情を鑑みて、ちょっとした無賃労働でカンベンしてあげてんじゃん」
「大会前にやたら麺を打たされたはずだが……あれはどうした」

 日雨はサシチザーニイ前日まで、羅との命のやり取り一歩手前の修業から疲労困憊で帰った後、馬車馬のように蕎麦打ちをさせられていたのだった。彼女一人で食うにはいかにも多すぎる量の麺は、いったいどこに消えたのか。

「察しが悪いなー日雨は。サシチザーニイの出店で売りさばいたに決まってんじゃん」

 どうやらこの少女、日雨が大会でずたぼろにされていた最中にもちゃっかり小銭を稼いでいたらしい。形容しがたい腹立たしさに、思わず手元ののし棒鈍器を意識してしまう。

「で、存外ご好評を頂いて、屋台を開店する運びになったワケ。鉄は熱いうちに打たなきゃね」
「だから、余はそれどころではないと……」
「それどころじゃないからさ」

 床几についてかけそばをすする客に愛想笑いを振りまくと、エルザは屋台に肘をついて日雨の顔を覗き込んできた。

「余裕を無くしている時こそ、本題から離れてみるのも一つの手だぜ、日雨」

 それこそ余裕めかした口調で語りかけてくる彼女であるが。

「なんか丸め込まれている気が……」
「んだよー、カワイクねーなぁ。――ってゆーかさ、なんで蕎麦打ちなんて特技持ってんのさ。一応王子なんでしょ?」

 エルザは露骨に話をそらしにかかった。
 どうにも納得が行かなかったが――懐かしさに胸を押されて、言葉が口をついて出た。

「余は他の兄姉と違い、城下で遊ぶ機会が多かったからの。師匠に街を連れ回されておった時に、行きつけの蕎麦屋が酔狂で教えてくれた」

 料理だけでなく、観劇も、舞踊も、様々な遊びを彼について教わった。宮廷でおざなりに与えられる教養とは比べ物にならない量と質だった。
 日向昴は剣術の師というより、人生の師匠と言っても良い。
 もっと踏み込んだ言い方をすれば、あるいは――父親代わりとでも、思っていたのかも知れない。
 今は遠い、しかし今もなお記憶の対岸にその輝きを見出す事のできる、懐かしい日々だ。

「そなたも食え。秋津洲国は常世京、烏座通りの名店・弁天庵が大将直伝の味だ」

 湿っぽくなったのを避けて、日雨はかけそばを一杯エルザに差し出した。

「おっ、冷え込んで来たから丁度いーや。いただきまーす」

 喜色満面に器を受け取った彼女は、屋台に備え付けた箸を引き抜いて、油揚げを具に選んで蕎麦をすすり始める。竜種の体躯と文化に合わせて食器は大きなフォークを用意していたのだが、彼女はそれを使わない。食い方も堂に入ったものだった。
 長い時を生きていると自称する彼女だ。秋津洲国に訪れた事もあるのかも知れない――などと日雨が感想を抱いていると。

「お……おそばの匂いぃ~」

 疲れ切った響きの、聞き知った声がどこからか聞こえてくる。
 ずりずりと引きずるようにこちらへ歩いてきた少女は、屋台に立つ日雨の姿を認めると、暗い顔を裏返したように輝かせた。

「ひ、日雨く――」

 そして、駆け出す途中で足を止めて、顔色を曇らせる。
 その目線は、日雨と連れ添うようにして立ち食い中のエルザへ定まっていた。

「…………………………………………………………え?」





 忍者に城外への脱出を手引きしてもらったくららであるが、その後の艱難辛苦は自力で切り抜けなければならなかった。
 とにかくケンカっ早く、言葉も最低限にしか通じない竜種の市民ら相手に、小動物が逃げ惑うように街を徘徊した。そもそも日雨の居場所がどこであるかも分からないのだ。当てのない捜索を小一時間も続け、日こそ沈まないものの歓楽街の灯りに火が付き始め、着々と夜が深まっていく事に押し潰されそうな不安を感じていた。

 そこに懐かしげなかけそばの匂いを嗅いで、誘われるように歓楽街の一画へ向かった所、なんと日雨の姿があった。
 恋とかつおだしのもたらした奇跡である。
 くららは感極まって、彼に駆け寄っていったが――彼と仲むつまじくする見知らぬ少女の姿に、思わず足を止めてしまった。
 妖精もかくやというような、非現実的に可憐な容姿の金髪美少女である。御髪のシルクのような輝きは、先程会った実は結構な美女であった忍者女のものより、更に二段、三段と上乗せしたような上質さであった。
 そんなニンフェットの魅力を泉のように湛えた少女が、日雨と、まるで蕎麦屋の亭主と女房のように所帯じみた距離感を演出していた。おまけに屋台の側に見知らぬ犬までまとわりついていて――一緒に犬を飼っているとでも言うのか。
 以前も似たようなシチュエーションに遭遇した経験はあるが、その時は諸々の理由で面当てなどに発展はしなかった。
 だから、今回――どうしてこんなに現状が不満なのか、くらら自身にもよく分かっていない。

「……日雨くん。そ、その子……だれかな」

 うつむいて両手の指を組み、拗ねた声を発するくららに、

「お、おぅ! この御仁はエルザと言ってだな、この都市に滞在する間、宿の世話を……してくれて、だな……」

 どうして囚われの身の彼女がここに現れたのか問うのも忘れ、気後れしつつ少女を紹介する日雨――こちらはこちらで、無自覚ながら初日の添い寝から始まるエルザとの生活をくららに知られる事に、なぜか腰が引けて仕方ない。
 そしてその意味深な態度が、更に疑惑を引き寄せる。

「……ふ、ふーん」

 くららは組み合わせた指をもじもじとさせ、革のローファーでとんとんと街路の石畳を叩く。
 我ながら、なんともはっきりしない仕草だと思う。明日、命のかかった戦いを挑む日雨を応援しに来たはずなのに。
 こちらの知らぬ間に綺麗どころといい仲になってる事に、腹が立っているのか。

(で、でも、そういうのはなんか……違うし。別にわたしと日雨くん、付き合ってるとかじゃないし。でも、なんか、なんかなー……)

 うじうじうじうじうじうじうじうじうじうじうじうじうじうじうじうじうじうじうじうじうじうじうじうじうじうじうじうじうじうじうじうじ。
 冷えてはいてもからからと渇いた大気に馴れたジラント国民が、思わず距離を取ってしまうじめついた空気をくららは発し始める。

「う、ぬぅ……」

 そのオーラに気圧されて日雨は唸る。何か言い訳しようにも、この後ろめたさの理由を彼自身理解していないのだ。
 追い詰められた彼は、イマイチ正解とも思えない解答を出した。かけそばを手にくららへと歩み寄る。つまり、餌付けである。
 歓楽街にたむろす大人たちが、一斉に「いやそりゃねーだろ」という顔をした。

「そ、そうだくららよ、腹が空いておらんか? 余の作った蕎麦である、食うがよい、」
「ひどいっ!」

 唐突に横合いから殴るように甲高い声が上がり、日雨もくららも硬直する。

「別に女がいたなんて! ワタクシとの事は遊びだったのですね、日雨様! 箱入り娘と軽く見て、アナタにとってワタクシなぞ単なる現地妻、停泊する港の一つに過ぎなかったのね!」
「え゛え~……なにその猿芝居……」

 ハンカチを噛みしめて涙目になり金切り声を出し始めたエルザに、日雨は嫌な顔で唸る。
 彼女はきつねそばの器を持ったまま、ひどいわひどいわと詰め寄ってくる。
 ――その間に、くららが割って入った。

「……そう、彼は渡さないと仰いますのね!」

 眦を決して詰問してくるエルザに、くららは「あ、えと、その、それは、なんと申しますか……」とどもり声を上げる。
 が、今更後には引けぬと日雨からかけそばを引ったくって、ありったけの天かすを投下してたぬきそばにした。
 今ここに、サシチザーニイ番外試合、「純度百パーセント腹黒キツネ」対「隠した爪が割と鋭い擬態系たぬき」の戦いが始まる――

「ぷぷっ」

 その前に、エルザが器を持っていない右手で腹を抱えて笑い出した。

「あははっ、ひひひひ……うろたえちゃって、初々しいなぁ……冗談、冗談だよ」
「……は? え?」
「別に、ボクと日雨はなんでもないよ。キミの反応がやたら面白かったから、ひと芝居打ったの。騙してゴメンね?」

 エルザは右手でくららの肩を叩きながら弁明する。

「でもね、こーゆー時は、満面の笑顔で男にビンタの一つもくれてやるのがイイ女の作法だぜ?」

 などと、ウインクして意味深な微笑みまで浮かべてきた。
 ……どうも、頓珍漢なやり取りをするくららと日雨に気を遣って汚れ役を買って出た、というのが真相のようである。事実、日雨に感じていた妙なしこりはもう消えていた。
 くららとしては、礼を言って笑い返すのが正しいのだろうが――どうしても顔が引きつっていた。
 先程、日雨とエルザの間に割り込んだ理由を考えあぐねていた。
 単なる嫉妬――ではない。

(……なぜ、だろう)

 行動は善意。外見にしても、容姿こそ現実離れして美しいものの、ただのローティーンの少女である。
 危険を匂わせる要素を、彼女からは何一つ感じない。だというのに。

(……この人、なんだか……怖い)

 根拠の無い防衛衝動が、彼女を日雨に近づける事を躊躇わせたのだ。
 ちらり、とエルザはくららの目を覗いてくる。こちらの怯えを、まさか察したのか。
 心臓を締め付けられるような沈黙に、くららが耐えていると、

「日雨、」

 エルザは唐突に日雨の方へ振り向く。

「確かにさ、これまでの試合で疲れてる上に準決勝の前日って状況で、ちょっとこき使いすぎたね。もー上がっていーよ。それと、」

 彼女はポケットから財布を出し、丸ごと日雨の手元に放り投げた。

「なんだ? これは」
「おこづかい。使い切るまで帰ってくんなよ」
「?」
「はぁ……ホント、察し悪いなー日雨は」

 エルザは嘆息すると、首を傾げる日雨の胸を人差し指で突いて、次いでくららの方を指差した。

「男として、自分の為にはるばるやってきたガールフレンドにはそれなりのおもてなしをしなきゃね。――デート、してこいって言ってんの」






 日雨もくららもジラント皇国の貨幣価値は分からない。
 だから、歩き疲れているであろうくららに気を遣った日雨が、流しの竜車の御者にエルザから受け取った財布の中身を見せ、「適当に市内を巡ってくれ」と頼んだ所――御者は財布にじゃらじゃらと詰まった硬貨を一枚だけ引き抜いた後、相乗りの客を「今夜はこいつらの貸し切りだ」とかのたまい追い出した。

「……くらら、この財布を預かってはくれんか」
「えっ、無理無理無理無理! ひ、日雨くんが持っててよぉー!」

 小市民二人が、大金にビビって責任をなすりつけ合い始めた。

「……これを今夜中に使い切れと? 家でも買わせる気なのか? あやつは……」
「ここまでくるともう、なんかの罰ゲームみたいだね……」

 結局エルザから直接受け取った日雨が預かる事になり、彼の両手にうやうやしく握られた財布を二人して見下ろし、恐々と唸る。
 ともあれ、二人に持たされたのは、つまるところこの貨幣と同等価値の期待である。もう後には引けない。
 デェトを、するしかないのだ。

「と、とりあえず……移動するか」
「そ、そうだねっ。せっかく貸し切りなんだし……」

 大金をちらつかされたにしてはふてぶてしい態度の御者も、こちらを急かすように睨んでいた。そそくさと日雨とくらら(すぐ後ろを刀犬がついてきている)はキャビンに入る。
 ばたん、と戸を閉められた時は、閉じ込められたような不安を感じていた。
 走り出した時には、絶叫必至がうたい文句のジェットコースターに乗せられたような気分を味わってすらいた。
 最後部の座席についた二人は、言い知れぬ圧迫感を紛らわす為に近況報告を始める。

「へ、へぇーっ、あのエルザって人、機傀悪魔のひとなんだー! すごいねっ!」
「ほぉーっ、城内で謎の忍者に遭遇して、その手引きで脱出できたのか! 大したものだ!」
「「じゃ、じゃあ次の話題に」」

 両者共に、互いの抱える最重要の情報を流れ作業的にスルーした。この場に夜見がいれば激怒している所である。
 貸し切りがまずかった。竜車を引くのは軽地竜という分類名ながら、その体躯は羆よりも二回りはでかく、馬力は本気を出せば中型トラック並にある。その牽引するキャビンは、最大で五十人乗り。
 このだだっぴろい空間を、二人は持て余していた。
 後部座席に座る彼らの間には、ひと一人分のスペースが空いている。満員だったら自然と隣に座れただろうに。
 デートという言葉を妙に意識して、距離が開いてしまったのである。

(あうぅ~。ちょ、ちょっと「がんばってねっ!」とか言うだけのつもりだったのに、で、デートとか想定外だって! 息がっ、息ができないぃ~)

 思う存分テンパって頭を抱えるくらら。
 日雨の方も原因不明の動悸に肩が強張り目が回っている。

(確かに逢引きの経験など一度もないが……余は、初体験というだけで怖じ気づくような臆病者だったのか? このざまで何を王になるだのとのたまっておったのだ!)

 などと見当違いの自己嫌悪にすら陥っていた。
 手綱を操る無愛想な御者は、バックミラーに映る、互いに目線を逸らして悶える少年少女を見やり、金払いがいいとは言え妙な客掴まされたなと後悔し始めた。
 ――わおぅんっ。
 そこに、さっきから一声も発しなかった刀犬が吠えて、二人の間に座り込んだ。

「……そういえば、どうしたの? この子」

 刀犬の耳の根本を軽くくすぐりなどしつつ、くららは問う。さっきは、日雨とエルザがより家庭環境を充実させる為に犬を飼い始めたのでは……などと素っ頓狂な事を考えていたが。

「うむ、エルザから教示を受けておるさる術の修業の一環でな……」

 と、日雨はくららに、この刀犬が日雨の太刀を式神化した存在である事を説明した。

「刀が犬になるとか……ホント、この世界の魔術ってトンデモだね」

 自身が刀犬と比べ物にならない程にトンデモな魔術的存在である事は棚に上げて、くららは唸る。

(っていうか……なんかこの犬、妙に親近感の湧く見かけをしているのよね……)

 体毛は鳶色、瞳は琥珀色。いつも、きりっ、と顔を引き締めているのだが、丸っこい目と牧歌的な顔の作りのせいか威圧感はまるで感じない。
 ザ・座敷犬、耳から尻尾まで小動物である。

「こらっ、おい……頭の上に乗るなといつも言うておろうが」

 座席の背もたれを伝って日雨の頭上に飛びつく刀犬。
 二つ並んだ顔を見比べて――くららの疑問に完璧な答えが出た。

「ねぇ、その子、名前つけたの?」
「いや、便宜上刀犬と呼んでおるが……」
「じゃあ、これからは小雨くんって呼ぶね。日雨くんもそう呼んでね」
「えっ……強制……?」

 くららの問答無用の要求に、日雨は納得がいかない面持ちであるが、刀犬の方は同意するように「わん」とひと吼えした。

「そ、それじゃあ、今回はデー……デなんとかってアレじゃなくてさ、小雨くんのお散歩って事で」
「う、うむ。そうするか」

 そうして少年少女は情けなくも、犬をダシにしてイモを引いた。

(少し残念な気もするけど……まだわたしには早いというか……心臓に悪いし)

 正直言えばかなりホッとしている小心者の女子高生、詩乃目くららである。




 サシチザーニイはシヴィル・シーチとその周辺地域にとってはお祭り、それも冬越しの祭マースレニツァ よりも盛り上がる一大イベントという側面がある。
 夜間は閉める店舗も深夜まで稼働し、目抜き通りには出店が立ち並ぶ。ジラント皇国の各所から人を呼び込む為に、各地の名産品も出回るマーケットにもなっている。
 南方であればとっくに日の落ちている時間帯ながらも、市中は人で賑わっていた。

「おー……花火だ」

 歩きつつ、天空に打ち上がった火玉を見上げてくららは感嘆する。その手には、ミーハーな彼女が早速買い求めたマトリョーシカを詰めた紙袋が握られている。

「大会中のやつより派手だのー」

 同じく、絶景かな、と感心を込めて日雨が言った。――レフが予算をけちった結果のリューリクの人力花火では、さすがに職人が数ヶ月かけて大量生産したものとは比べようもない。
 そして彼らの足下では、刀犬改め小雨も花火を見上げて「げふぁん」とげっぷ混じりの鳴き声を上げた。
 とりあえず腹ごしらえ、という事で彼らは屋台めぐりをしたのだが、日雨は三回戦直後に自己治癒魔術の為大量のカロリーを摂取している。
 くららの方はたぬき蕎麦一杯ではまだ小腹が満ちた程度なのだが……日雨が食事を取らない状況で買い食いするのは、物凄く恥ずかしい。
 その結果、

小雨こやつだけが肥え太ったような気がするのだが……」

 野性の命ずるまま餓えを満たした小雨に、日雨がうろんな目線を送る。こころなしか顔面がもっちりしているのが妙に腹立たしい。

「まぁまぁ……っていうか、アレ、見てよ」

 と、くららが左手で日雨の服の袖を引っ張り、右手人差し指を通りの向こうへ向けている。
 実は日雨はとっくに気付いていて、スルーしていたのだが。
 広場に巨大なリューリクの銅像が立っていた。かっちりした正装にマント姿で、表情も威厳に満ちあふれ、実態とは百八十度違ってはいるけれど。

「あの人、ホントに有名人だったんだね……」

 考えてみれば、徳川家康が二十一世紀に存命であるようなものか。ドラマや時代小説で引っ張りだこの人物が実際息をして、自分たちにものを語るのだから民衆の人気は尋常ではないだろう。

「ああ……そうだな」

 銅像を遠巻きに見つめる日雨の物言いが、ほんの少し鈍い。

「?」

 くららが不思議がっていると、

「おい、お前!」

 二人の背後から、大きく呼ばわる声がした。
 振り返ると、身長三メートル近い巨漢――標準的な竜人の男が、こちらを指差しながら群衆をかき分け近寄ってくる。
 最初、くららは牙の城からやってきた追手かと思った。夜見が幻術で一夜くらいは誤魔化すと請け負ったものの、目敏いレフやリューリクに見破られるおそれがあった。
 しかし、相手は一人。装備もコサック制式のものではなかった。
 それに、日雨の方に敵意の視線を向けている。

「サシチザーニイに出場している人間の、ガキの方だろう! 違うか!?」
「そうだが」

 喧嘩腰に問い詰めてくる相手に、日雨はくららを後ろにやりつつ応じる。
 男は拳を握り、アップライトに構えると恫喝を放った。

「選抜も経ていない人間、しかも〝おまけ〟のガキが栄誉ある大会に出るなど! 俺と勝負しろ! 負ければ出場闘士の枠を貰い受ける!」

 物言いから察するに、サシチザーニイ本戦の選抜に漏れた者らしい。
 なんとも無法な要求であるが、周囲の民衆は乱闘の気配に集まり、物見遊山の野次馬となりつつある。この中から憲兵を呼ぶ者が出ると期待するのは、空腹の虎を前に命乞いをするより無意味だろう。

「ちょ、ちょっと!」

 それでも、くららは抗議の声を上げる。
 ぎろり、と野次馬の歓声で勢いづいた巨漢の睨みがそちらに向かうより前に、

「受けてやってもいいが、」

 日雨が手で彼女の前を塞ぎ、そう告げる。
 ふん、と鼻を鳴らして、

「しかし、よいのか――見かけの割りに、随分と小物のようだが」
「……何ぃ」

 鼻白む男に向かい、憶えたてで拙いジラント皇国語を使って日雨は問う。
 後方の銅像を指差して、

「余の出場が不満なら、開会すぐにリューリクに抗議すればよかったであろう。あの男なら飛び入りを認め、こんな野試合でなく試合場でケリをつけさせてくれたはずだが」

 一歩、間を詰めながら更に問い詰める。

「準決勝直前に与しやすい余に成り代わる。竜種を殺さぬと公言したレフが相手なら命までは取られまい。労せずして四強の一画の座につき箔をつける……なんともやすい皮算用よ」
「貴様……ッ!」

 挑発に激昂した男が無作為に放った打ち下ろしのパンチを、日雨は待ち受けていた。
 托掌で軌道を逸らし、脇に潜り込むと服を掴んで払い腰で投げ飛ばす。
 鬼道で膂力を増した投げを綺麗に喰らって、男は広場のリューリク像まで飛ばされ叩き付けられた。

「よし、逃げるぞくらら」

 日雨はくららの方へ向き直り、手を握って走るよう促した。

「あ、う、うんっ」

 引かれる手を意識しつつ、彼女も足を速める。足下の小雨もそれについてきた。

「すまんの。いつの間にやら顔が知れ渡っておったようだ」
「うん……なんか、有名税って言ってもはた迷惑な話だね」
「まったくだ。――代われるものなら代わって欲しいというのに」

 最後、ぽつりと呟かれた言葉を、くららは聞かなかったふりをした。
 脇道に逸れた横町でようやく観衆の目から逃れたと確信し、二人は立ち止まる。あうあうと息を切らしながらも、くららが感心して言う。

「でも、なんだかしばらく見ない間に強くなったね、日雨くん」

 デモナイズも使わず、馬鹿げた体格差を持つ竜種を一発で倒してみせた。サシチザーニイでは負け続きで目立たないものの、これまでと比べて確実にたくましさは増しているようだ。
 しかし日雨はなぜか、拗ねた面持ちになり言い返した。

「羅虚虎に習った戦い方だ」

 手を出さずに口喧嘩から始める奴ぁまず挑発に乗りやすい馬鹿だ。会話から糸口を掴んで冷静さを失わせろ――などと。

「あんな卑怯な男の教えを実践する所など、お主に見られたくなかったのだが。……むぅ、本当に迷惑な話だ」

 不満たらたらに羅を罵る日雨に――くららは新鮮な気分だった。

(日雨くんが……人の悪口を言ってる!)

 基本的に人を嫌わない彼が、こうして誰かを悪し様に言うのをくららは初めて見た。
 相手が国の仇、母の仇であるとは言っても、この少年の人となりを知る身からすれば驚きの事態だ。
 先程の近況報告会で羅と手を組んだ経緯は聞いているが、やはり内心忸怩たるものがあるのか。

(でも、それにしたってレアだなー……)
「おい、聞いておるか、くららよ」

 と、日雨が追求してくる。くららが物思いに耽っていた間に話題が移っていたらしい。

「え、あ、ごめん……なにかな?」
「また同じ手合いに絡まれても面倒だ、と言ったのだ」
「うん、そうだね……」

 祭りの熱気に当てられて、という事もあるのだろう。日雨の顔が知られている以上、今後も似たような暴漢が出てこないとも限らない。

「どうしよう?」
「うむ、どこか人通りのない場所で夜が更けるのを待つか……」
「あるの? そんな所」

 問われて日雨も答えに窮する。牙の城離宮に囚われていたくららはもちろん、羅との修業に明け暮れていた彼もシヴィル・シーチの土地勘はない。
 二人して首をもたげ考え込み――同時に結論を出した。

「あったな」
「あったね」

 と、顔を見合わせる。





 彼らが向かったのは、闘技場〝牙の妻〟――の天井、開放式ドームが一部突出した〝牙〟の部分である。
 会場の片付けと明日の設営準備は日中に済ませてある為に、少数の見回りを除けば人影はない。侵入するのは容易かった。

「にんにん」
「なんだ? それは」
「えっと、なんとなく……でござる」
「ござ?」

 くららに感染力激高の忍者女のキャラが伝染していた。しばらく抜けないかも知れない。
 ドームの周囲に螺旋状に掛けられたメンテナンス用のキャットウォークを伝い、最上部を目指す。

「う゛、高……こわ……」

 足場の危うさにくららが目眩を覚えていると、

「いや、お主、宇宙を飛んで戦った事があるではないか……」

 二ヶ月前にマモンとの戦闘にて、地上一千キロメートルの低軌道に飛び出した件を日雨が引合いに出す。

「うぅ~、そりゃそうなんだけどさ……」

 へっぴり腰でのろのろと歩くくららの前に――日雨の手が差し出された。

「ほれ、手を貸すがよい。落ちそうになれば余が引き上げる」
「あ、ぅ……日雨くんって、ほんとそういう事平気でするよね……」

 くららは顔を火照らせつつ不平を述べ、しかしおずおずとその手を握った。握り返す力の強さに、物凄くどぎまぎする。
 安全性は増したものの、むしろより心臓に悪くなった道のりを踏破して、くららたちは〝牙〟に辿り着いた。

「ふぁ……怖かった……帰る時降りられるかなぁ」
「猫か」

 ちなみに小雨はむしろ先頭を走り、誰よりも先に頂上に到着していた。今も夜のシヴィル・シーチに向けて「わおーん」と遠吠えを発している。
 街の喧騒から離れ、遠巻きに見下ろす日雨は――どこかホッとしているようにくららには見えた。
 彼らにとってサシチザーニイとは、単なる祭りだ。闘士の戦いに熱狂し、試合の終わった後もこうして持て余した熱を腹に呑み、踊り、騒いでいる。笑い合って、酒の肴にして。日常の退屈を紛らわして。
 その非日常の糧として、実際に戦った三十三人のうち四人が死んだ。
 そして彼らは、次の血を求めている。
 自分の死を願う無垢な民衆。そんな人々の中にいて、気が休まりはしないだろう。
 ――横顔をじっと見るくららに気付いて、日雨が照れ隠しに苦笑した。

「いかんな。高い場所で下ばかり見ておると、足が竦む」

 そう言って、上を見る。一日の終わりも近い今となってもなお、城壁の向こうの地平線にはかすかな太陽が覗き、空は夕焼けのように朱い。

「太陽の無い穴蔵をさまよって、今は日の沈まぬ地にいる。なんとも奇天烈な事だの」

 この二ヶ月ばかりの旅路を思い返して、感慨深げに日雨は言った。

「しかし面白い。追手を気にしながらの、土壇場じみた旅だが、大陸中を巡るのは愉しいものだ」
「……だね」
「それが……まったく、妙な所でつまづいたものよ」

 目尻に皺を寄せて、彼はぼやいた。
 くららが何も言えずにいると、その気づかわしげ沈黙を日雨の方が破った。

「余を、元気づけに来てくれたのだろう?」

 そのつもりだった。
 しかし、仇敵に頼り、自分の力を上回る相手と戦い続け、そして更に圧倒的な敵に死を宣告された彼の生の顔、時折見せる心の軋みを見出してしまった。
 がんばれ、などと言える訳がない。

「――何も言わずともいい。こうしてそなたが来ただけで十分、火が入った」
「……え?」

 そう告げる日雨に、くららは目を丸くする。

「なんちゅーかの、情けない事に……今日、レフの睨みを受けて本気で逃げる事を考えた」

 ばつの悪そうな顔で、彼は告白する。

「仲間への情も、人としての見栄も何もかも放り出して逃げてしまえば、少なくとも命は助かる。生きたくて仕方なかった。……何より、くららよ。そなたなら、それを許してくれるだろうと思っていた」

 恥じ入るように、彼は後ろ頭をかき混ぜる。

「だがの、こうして顔を合わせてみて……それでは〝物足りん〟と思ったのよ」
「どういうこと……?」
「一人で逃げるなど真っ平だ。――余は、そなたと一緒にいたい」

 えひゃっ――意味深な発言にくららの喉から自動で変な声が出た。
 どういう事かと問い糾す前に、日雨は後を続けた。

「たった一人の妹と離れるのも御免被る。だきにさんも含めて、元の四人で旅を続けていきたい。この沈まぬ日を四人で見て、更に日の沈む方角へ……その為なら、レフ・カルピンスキだろうが――リューリク・ジランタウだろうが、倒して先に進む」

 男臭い台詞を言い放って、拳を握る。
 くららの期待とは意味が違っていたけれど、
 思わず、笑みがこぼれる程に心強かった。

「うん――がんばれ、日雨くん」
「……おぅ!」

 白夜を背景にして、少年と少女は互いの手を景気よく打ち合わせた。
 




 くららが〝牙の城〟正門に現れた時、そこで佇んでいたレフ・カルピンスキは少なからぬ驚きを表情に浮かべていた。

「……なぜ、戻って来た」

 決して理解できぬものを見るような目線を送りつつ、問いかけてくる。

「あの子供と二人で逃げる……いや、セイタンとなってこの城に攻め入ってくるつもりではなかったのか?」
「もしそうしたら、夜見ちゃんたちを殺して応戦するだけの話……でしょう? リューリクさん」

 同じく門前で腕を組んで立っていたリューリクは、口の端を笑みの形に歪めるだけで応じた。当たり前の事を聞くな、と言わんばかりだった。

「どうやら嬢ちゃんが、一番竜種俺らの事を理解してるようだな」

 彼らは己が力に絶対の自信がある。セイタンの武力を背景に恫喝し、人質の返還を求めるなど不可能だろう。くらら一人、しかも偶然に頼ってようやく城から脱出できるような状況では、全員の生還はどだい無理な話だった。

「だから、大人しく待っていますよ、ここで」
「いったい、何を待つと言う?」

 不快そうに聞いてくるレフに、くららは笑顔を向けた。未来を確信している者だけが持てる表情だった。

「日雨くんが、あなたたちに勝つのを」

 彼女の言葉を受け、レフの肩越しに見えるリューリク・ジランタウの顔つきが、たまらなく愉しい遊びを見つけたように綻ぶ。
 そして、日の沈まぬ街で、誰もその正確な時を知る事なく――サシチザーニイの四日目が訪れる。



[40176] 9.決死戦
Name: 八目又臣◆aa87a973 ID:17b043ce
Date: 2014/11/12 18:36
 初めて城下に出たのは八歳の頃。
 日雨が一人で市中に出る事を、宮殿の世話係は黙認していた。出世の手蔓にはなりそうもない、女帝が気まぐれに流れ者のたねで生み落とした私生児。さる下級貴族出身のとうの立った女中は、閑職に追いやられた事を嘆くのにかまけるのに忙しく、厄介者に関心は無かったようだ。
 理由はどうあれ、その無関心はありがたかった。

 宮廷という小世界で、彼の存在が認められた事は一度も無かったから。血の繋がった兄姉たちにすら。
 ――鬼子、と呼ばれた。
 家格と位階だけがアイデンティティの貴族社会で、父無し子の彼は異端者だった。貴顕の誇りという美酒に混じった一滴の泥だった。
 彼らの言う泥を酒に混ぜた当人は、高御座たかみくらにおわすもの。批判を口にする事はあまりに畏れ多く、その矛先は一人の童子にのみ向けられた。水が低い所に向かうように、童子は溺れていく。掬い上げてくれる味方など一人もいない。
 だから彼が外の世界に飛びだそうとしたのは、海に落ちた子犬が陸へ這い上がろうと足掻くようなものだった。

 同年代の子供たちの遊び場を探し、市中をさまよった。途中、どうやって声を掛けようかなどと含み笑いして。蹴鞠も歌詠みも城下の子供は知らんだろう。だから、あちらの遊びを教えて貰えばいい。そうして仲良くなっていこう。
 裏路地ではしゃぐ声を聞きつけ、手を振りながら近寄り、
 そしてこちらの姿を認めた子供たちは、一目散に逃げていった。

 ――鬼子と、捨て台詞を残して。
 裏路地に一人うつむき、やがて気付く。前日の雨で溜まった水溜まりに、自分の顔が映っている。
 鳶色の髪に、琥珀色の瞳。顔の作りもどこか違う。
 父の血と、血が造り出した己の形。
 鬼子という言葉の意味を、その日童子は完全に理解した。

『ハハ、ザンネンだったね、坊や』

 唐突に響く声に、日雨は顔を上げた。
 路地裏の影に座り込む男――浮浪者の類である事は間違い無い。
 蔑ろにされているとは言っても、王族のはしくれである。警戒心を抱いて後ずさりしかけた所に、

『コーカサス系の混血児かな。両親のどちらかが白人……いや、そちらも純血という訳ではないな。まぁ、〝この世界〟ではもう、人種を定義するのも馬鹿らしいが』

 影の奥から、男の瞳だけが輝き日雨を観察している。
 そこに恐怖の色が無かったから……日雨は足を止めた。
 男の瞳に宿る色は、好奇と、これまでに見た事のない色彩――青い瞳を彼は持っていた。

『失礼。不躾だったね。以前、遺伝学を……ああ、いや、家系の相を占う仕事についていた事があって』
『そなたは、だれぞ』

 男の言い訳を無視して、日雨は問いかけた。

『ああ、俺は、ヒュー……』

 名乗り掛けた男は、途中で言葉をさまよわせた。雨上がりの冷えた空をしばし見上げて、

日向昴ひゅうがすまると言う。君と同じ、はぐれ者さ』
『それは?』

 間髪容れずに日雨は続けて聞いた。男の手元に置かれた長い棒のようなものを指差している。
 日向昴は、一言答えた。

『剣だ』




 

「起きろクソガキ」

 と、夢の中から蹴り出された。
 目を開けばそこは秋津洲国の首都・常世京の路地裏などではなく闘技場の控え室で、目前にはあきれ顔でこちらを見下ろす羅がいる。

「どうにも、神経だけは図太ぇ奴だな。この期に及んで居眠りかよ」
「……少し夜更かしをした」

 椅子からずれた身体を直しつつ言う。
 日付の変わった頃合いに倉庫へ帰り着き、後は眠るだけだと思っていたのだが――待ち構えていたエルザの質問攻め&デートの評点に付き合わされた。
 渡された小遣いを使い切らなかったのが大いに不満らしく、「効率よく回ればあれくらい一夜で消えるっての」だの「ああいう地味めな子はたまには派手な世界を見せてあげなきゃ」だの売るほど説教を頂き、
 そのついでに、レフ・カルピンスキとの戦い方についても教えてくれた。

『結局、裏鬼道の修得は間に合わなかったからね。魔女の面目丸つぶれ、こいつはキミへの侘び状代わりさ。……すまないね、助けてやれなくて』

 最後、ぽつりと陰のある笑顔で告げた彼女。

(いや……十分さ)
「……頭のネジでも緩んでやがるのか? 妙に吹っ切れたツラしやがって」

 怪訝そうに羅が問い詰めてくる。
 彼の疑念を、日雨は十分理解していた。エルザも、分かっていたからこそのああした物言いなのだろう。
 この準決勝は試合ではない。ある種の代理戦争だ。レフ・カルピンスキはリューリクを守る為に、こちらを殺しにかかってくる。
 相手は日雨より遥か格上。
 生還の見込みは……ゼロに等しい。

「言っておくが、」

 と、羅は言う。

「三回戦まで、てめぇが死にかけるたびに交代してやったのは仏心からじゃねぇ。内気を節約したまま決勝に行くには、てめぇを捨て駒にした方が効率的だからだ。だが――ここからは、お前の実力ではむしろ足手まといだ」

 その瞳に冷酷な光を湛えて、彼は通告した。

「ここで負けるようなら、てめぇは切り捨てる。捨て駒は、捨て時が肝心だからな。今回、俺がてめぇのケツを持ってくれるとは思わねぇ事だ」

 その物言いに、日雨は口を尖らせて言い返す。

「余はここまで、貴様の助けを期待して戦った事はない」

 現実を無視した反論に、羅は三倍の皮肉で叩き返してくるだろう。
 と思ったが。

「……そうだな」

 拍子抜けの台詞を差し出されて、日雨はきょとんとした。
 どういうつもりかと聞くより先に、羅は一歩ぶん下がり会話の間を外す。この男のやり口は対話においても武術家じみている。
 宙に迷った言葉の捌け口を探している内に、
 ――わおうん。
 足下に吼えかけられた。
 昨夜から小雨は犬のままでいた。日雨が刀に戻さなかったのだ。
 ここ二週間ほどの奇妙な付き合いも、あるいはここで終わるものと思えば……物言わぬ道具に戻すのは気が引けていた。

 しかし、試合の時間が迫っている。
 もう潮時だった。日雨は小雨の頭に触れ、変化の呪を唱え始める。
 裏鬼道を会得するには、式神化した道具を理解していなければならないとエルザは言う。
 ならば、これまで幾度となく己を助けてきたこの刀を、自分は理解していなかったという事だ。

(どうすれば……そなたを理解できる)

 亡命して以来いつも共にあった。旅の最中に山賊の襲撃を切り抜けた事もある。居付く先を見つけてからは用心棒稼業の商売道具として助けられてきた。匂いも、音も、素朴な刃文も、鉄の味も、自分は知っている。
 それでは足りないというのか。
 何を以て、剣なるものを理解したと言えるのか――
 自問自答する、その隙に。
 がぶりっ、と。
 小雨は日雨の手に噛みついてきた。

「づっ……何をする!」

 抗議の声を、この子犬が聞き届けるより先に。
 ――からんっ。
 完全に元の剣の形となった小雨が、床に落ちた。
 最後の最後に、三行半を突きつけた。そういう事なのか。

「……クッ」

 飼い犬に手を噛まれたのがおかしいのか、羅が勘に障る含み笑いを漏らした。

「……馬鹿にしおって」
「勘違いしてんなよ馬鹿。俺は感心してるんだ――最後に上等の土産を残していきやがった。大した忠犬だぜ」
「? それは、どういう」

 その意味深な言葉を問い糾すより先に、羅は出口へ向けて歩き始めた。

「時間だ。行くぞ」





 だきにに手を引かれて、夜見が来賓席に連れられる。
 まだ熱は下がっておらず、朝は立つ事も難しかった。抱きかかえて連れてくるくらいはしても良かっただろうが、「……たわけ。王女が衆目にそのような不様を晒せるか」とにべもなかった。
 会場は既に満員で、観衆のどよめきが耳に痛い程。
 今日の日程では、この第一試合が最注目のカードだ。これまでずっと三味線を弾いていたリューリクは、今日ものらりくらりと流すのだろう。
 しかし、レフ・カルピンスキと詞木島日雨、羅虚虎の戦いは命の取り合いになる。
 厳密には――本気のレフが吹き上がる人間二人を抹殺するショウが見られる。
 その期待感は、闘技場に生臭い熱気として滞留し、嫌でも存在を感じ取れる。

「……」

 それに当てられた夜見は、青い顔をしてリングを見下ろしている。
 彼女の手を、くららは握る。

「日雨くんは大丈夫だよ、夜見ちゃん。だから、応援してあげて」

 しかし夜見は、その手を無遠慮に振り払って拒絶した。

「そんなものに意味などあるか……! 何を根拠にそう楽観できる!」

 苛立ちを込めて、彼女はくららを睨み付けてくる。

「人間は、竜や……そなたのような強大な存在を前に、あまりに無力じゃ! ――くららちゃんに、人の気持ちが、」

 言いかけた言葉を夜見は飲み込む。
 自分自身の気持ちに怯えるように口をつぐむ彼女に――くららは、笑みで返した。

「なぜ……笑う。わらわは今、」
「楽しい事があれば、人は笑うものでしょ?」
「?」
「普段太陽系は自分を中心に回ってると言わんばかりの天上天下唯我独尊系幼女が、ここに来てから失敗、挫折、転落の繰り返しでさ。こうして泣き言言ったり、八つ当たりまでしてる」
「……おい」

 喧嘩を売っているのか、と言い返そうとした夜見に、底意地の悪い口調でくららは言う。

「そして、今日は自分の間違いを完膚無きまでに見せつけられるの。――よく見てなさい、夜見ちゃん。きみのお兄ちゃんは、この戦いに勝つよ」






「さて、天候明朗本日も晴天ナリ北北西より微風アリ。皆様からご好評頂いた戦士の祭典サシチザーニイも宴たけなわ、お陰様で準決勝を迎える事相成りました」

 奇天烈な前口上から入るのは、実況ブースについただきにである。

「第一試合、東の入場口から来たりますは極東からやってきた噛ませ豆柴ことヒメ選手と、ホールケーキは絶対苺の乗ってる所をかっさらう、卑劣トラ男ヨシフ選手。この小動物と猛獣の凸凹コンビがよもや準決勝まで勝ち進むなど、会場の皆様方の誰が想像し得たでしょう」
「いったい誰の味方なのだ、あやつは……」

 配慮の欠片もない語り口をする妹の従者に、げんなりとうなる日雨。

「対するは官僚社会の申し子、とにかく予算にうるさく経費と聞けば嫌な顔。イケメンの細面に気を取られる前に、ちょっと上を見てみましょう。そう、彼はオカタイ石頭……シヴィル・コサックの軍長、レフ・カルピンスキ選手です」

 そう紹介されるレフ自身は、口上の前にリングに上がっていた。以前会った時の軍装ではなく、モスグリーンの野戦服を纏っている。
 だきにの発言には眉一つ動かさず、腕を組んで瞑目していた。

「つっこみを入れん……だと」
「そういうのに乗ってくるのはてめぇらアホの仲間内だけだ」

 立ち止まって驚愕する日雨の後ろ頭を、羅が引っぱたいてくる。こちらも呆れ顔をするだけで、ホールケーキを苺からうんぬんを完全に聞き流していた。

「野郎にとっちゃ、てめぇ自身がリューリクへの道を塞ぐ唯一の防波堤よ。俺たちを確実に殺る為に、集中してる真っ最中だ。……厳密には、俺を殺す為にな。リューリクを殺しかけた俺に関しちゃ最大の警戒をもって当たる気だが、お前は数合わせに過ぎねぇ。野郎の眼中にはねぇだろうな」
「……分かっておるわ」

 言わずもがな、日雨自身も承知している事だ。それをあえて念押しするとは、まったくもってこの男は嫌味たらしい……

(……?)

 微かな、引っかかりを覚える。
 それに答えを出すより先に、羅はリングへ上がった。一歩目を石造りのリングへ付けると、レフの身体から漏れる魔力にかすかな揺らめきが現れる。

「よォよォ、随分と入れ込んでるじゃねェか。そんなに俺をリューリクのそばに近づけたくねェのかよ? 大した忠犬ぶりだぜ」

 羅の、蛇蝎のような毒気のある挑発に、レフは引き結んだ唇を微かに開いた。

「……人間は戦いの場で口舌を弄するのか。実に醜悪だな、小僧」
「カッ、下らん美意識だぜ。せいぜいお高く止まって足を掬われてな」
「高みから打ち据えられなければ、その品性は治らんようだな……ケダモノが」

 目を閉じたまま、糞便の臭気を嗅いだように顔をしかめるレフ。
 その目の前に立ち、羅は告げた。

「てめぇにケダモノと呼ばれる筋合いはねェな、番犬。予告してやる――てめぇは、不様に這いつくばって、犬死にするんだよ」

 少なくとも表面上、レフは感情を動かさなかった。
 しかし石造りのリングが、彼の憤激に呼応してざわめいていた。

「カッ」

 嘲弄するように笑い、羅はリングの端にある規定の開始線まで戻って来る。と同時に、試合開始の予告である九つ鐘が鳴り始めた。
 ついに始まる。
 勝つ以外に、生き残る道のない戦いだ。
 一つ、二つ、三つ、四つ――
 七つ目を数えた時、レフが目を見開く。
 八つ目を数えた時、羅が太刀を鞘から引き抜いた。
 そして、

「……ふっ!」

 九つ目が鳴った瞬間に日雨がデモナイズを完成させ、呼気と共に疾走する。飛ぶようにして数歩で間を詰め、太刀を叩き付けた。
 間一髪で、リングの石材を槍に変化させたレフが斬撃を受け止める。その表情には、微かに意表を突かれた驚きがあった。

『貴種――高位竜種の魔術的特性について、レクチャーしよう』

 昨夜、エルザの語った所によれば。

『連中は、各々固有に持つ魔力の波長と同調する霊子を、無条件に操作する事ができる。地竜なら地精を、火竜なら火精を……といった具合にね。この竜種特有の魔術を、機密ミスティリオン、と言う』
『キミがうすぼんやりとしか理解できないのは知ってるから、口を挟まないように……現実世界の意味論的構成要素、霊子は特性として、他の霊子とのもつれエンタングルメントを持つ。遠距離の霊子との相関性がね。それを利用するのが魔術の作動原理』
『このもつれは、波長が同質であると特に強くなる。呪文や魔法陣なんかの儀式が必要な理由はこれ。例えばテジャスを象徴する赤い三角形を魔法陣に組み込む事で、火精を利用した魔術が使えたりね。現実世界の行為にはアストラル相の情報が付随するから、火を呼び込む儀式で生じた霊子は、同質の波長の霊子を励起させるってワケ』

『自身を構成する霊子を完全制御する事に成功した高位竜種は、それと同じ事を無条件――まだるっこしい呪文の詠唱やら魔法陣の記述ナシで行使できる』
『連中の発する強烈な霊波は、それが波及する範囲の同属性の霊子を支配する事が可能なの。要は、存在自体が大規模な儀式魔術なんだよね』
『で、キミが明日戦うレフ・カルピンスキは地竜……陸でやり合うには最悪の相手だね。キミが足をつけている大地全てが、地竜の支配圏だ。間合いの外から物量で押し潰される、ってのがキミの負け筋の大方だろうね』
『ま、脅し文句はこれくらいにして……攻略法に移ろうか』
『機密の行使には、十分な集中が要る。集中力が落ちれば術の精度も下がる』

 エルザは言った。

『だから、キミが狙うのは接近戦だ。一足一刀の距離に釘付けにして、術の集中をする余裕を決して与えない。人間のキミがレフ・カルピンスキに拮抗できる余地はそこしかないぜ』

 ――その戦術の問題点は、大会規定上、試合開始時点では必ず両者が距離を取らねばならない事だ。
 これまでの三試合で、日雨がまず突っかける事は分かりきっていた。そのまま突っ込んでも、エルザ曰くの「間合いの外から物量で押し潰される」末路が待っている。
 まず、接近に成功する為の工夫が必要だった。
 ヒントは、先程の羅の皮肉めいた言葉。
 レフ・カルピンスキの本大会最大の目的は、リューリクを狙う暗殺者、羅虚虎の始末である。彼は国父を殺しかけた人間の武術を、大いに警戒していた。

 彼に、この試合は羅が先に打って出ると思わせる事。これが日雨が接近戦の間合いに飛び込む為の条件である。
 レフを挑発する羅に、日雨は口を挟まなかった。試合開始まで羅の後ろに立ち、デモナイズも直前まで発動させず、その上軽度の陰形を施す事で存在感の隠蔽を図った。
 更に、開始直前に羅が太刀を抜く事で、レフの意識から完全に日雨は消え去る。
 そこまでのお膳立てを経て――日雨は、第一の課題のクリアに成功した。
 しかし、心中には苦いものがある。

(……あの男に助けられるとは)

 ヒントを出したのも羅で、計略の下準備をしたのもあの男だ。単にこちらが秒殺されては面倒だというだけなのだろうが、それでも面白くはない。
 もっとも、そんな感情を弄んでいる暇など今は無かった。
 不意を打って接近に成功したものの、それは同じ土俵に相手を立たせただけの事。
 単身の武術にも優れたレフを、一対一で打倒しなければならないのだ。
 早々と――レフが蹴り足を半歩、流すように後退させた。

「……っ」

 レフが機密で造り出した石槍の柄に叩き付けた太刀が、がくんっ、と落ちる。こちらの身体も巻き込んで引き寄せる動きだ。
 姿勢を一瞬でも崩せばそこで事足りる。既にレフが槍を回して石突きを横打ちに放っている。頸をへし折る軌道だった。
 ――動きが固い。
 羅の叱責を思い出すより最中にも、身体は動いている。
 ――考え方もな。人間が二本足で立つ生き物って固定観念を捨てろ。手でも頭でも背中でも、どれか地面に付いてりゃ身体を支えられるし発勁出来る。動きに型を填めるな。

 レフの引き寄せる力に合わせて沈墜する。
 前のめりに地面を転がり、首を支点に身体を捻ってレフの肋骨を狙い蹴りを打った。
 レフは膝を立ててその蹴りを受けていたが、顔をしかめている。常識外の姿勢から放たれた蹴り技は、骨身に浸透する力が乗っていた。
 すかさず起き上がりざま、太刀を斬り上げる。
 対するレフも、片手突きを放ってきた。
 斬撃と刺突はそれぞれ軌道が交差し、敵の身体から逸れる。かすめる互いの刃が、石片と鉄片を散らした。

 同時に、交差の支点に重心を掛けて相手を押し潰そうとする。
 近付くレフの端正な相貌を見る。相手の瞳の焦点が、羅ではなくこちらに合ったのを日雨は感じた。
 羅に全て注いでいた警戒を、いくばくかこちらに注がせる事に成功した。あの、牙の城での最初の戦い以来初めて、ただの数合わせの子供ではなく敵として認められた――

「……ふ」

 思わず笑う。おかしい事など一つもないはずなのに。
 その間にも、接触した得物を解した聴勁でレフの動きを察した。石槍を引いて、大きく後退。槍の間合いに逃れて突きを放ってくる。
 その刺突は――空を切る。
 日雨は地を蹴り、胴回し回転蹴りの要領で太刀を斬り下ろしていた。回避と攻撃を兼ねる機動。

(当たる……ッ!)

 確信を込めて放った一撃。
 しかし――それは突如リングからそそり立った石の楯に防がれる。
 相手は竜。人間の武術の範囲で戦う訳がない。

(届いたと思えば……するりと逃れてくれる!)

 悔しげに歯噛みする間に、

「カッ――!」

 裂帛の呼気と同時、石楯を砕きながら無数の突きが放たれた。
 竜種の膂力は混成生物キメラの筋力に生来の魔力を上乗せして、ナチュラルに鬼道と同じ――それ以上の強化が為されている。
 一突きの残像を残す内に、更に三突。それを無数に繰り返す。
 槍衾、という言葉があるが、眼前の光景はその形容が相応しい。
 地竜レフ・カルピンスキはただ一個人で一軍の戦術を為し得ていた――

 波のように押し寄せる連突を、太刀で逸らし、すかし、どうにか日雨は距離を保つ。視力を鬼道で強化していても、三割は勘で捌くしかない速度である。綱渡りの攻防であるが、ここで下がれば更に苛烈な攻め手を打たれる。

(とはいえ……このまま続けても……!)

 筋力、知覚力。生物としてのスペックで上を行かれている以上、この均衡も早晩崩れる。
 即座に起死回生の一手を打たねばならない状況。
 ――一つ、策はある。
 防戦に徹せざるを得ぬこの状況から、一手。この槍衾を抜けてレフへ斬撃を当てる術が。
 それを成立させる為には、

(次手は、なんだ)

 レフの次に繰り出す攻撃を予測するのが絶対条件。
 ――体術が空間を制する為のものとすれば、読みは時間を制する為のものだ。
 こちらを打ちのめし這いつくばらせた後、羅は何度も語っていた。あの男は常に、日雨の技の初動よりも早く対応していたのだ。
 未来予測。その魔法じみた能力が、剣戟を交わす相手の、ただ一瞬先の挙動に限定すれば決して不可能でないとあの男はその身で示していた。
 相手の能力、気質を考慮して、次の瞬間レフがこの身体のどこを貫きたがるかを考察する――

「ツァッ!」

 レフの放った突きは下段。こちらの機動力あしをまず奪う意図か。
 日雨は右足を浮かせて、すかそうとする。が。
 穂先は彼の身体までは伸びてこなかった。虚撃フェイントである。
 生じた一瞬の隙にねじ込むように、レフの石槍は日雨の右眼球へ向けて真っ直ぐ突き進む。
 首を逸らせば躱せる軌道だ――

 ぎゅんっ、と。
 その刹那、硬質の石槍が〝ねじ曲がった〟。直線の軌道は曲線へ変化し、日雨の心臓に狙いを変えて突き出される。
 これで、終いだ――そう冷徹に判断したレフ・カルピンスキの顔つきが、強張る。
 槍の穂先は、何も無い宙のみを貫いていた。
 読み勝った――身体を流して左側面からレフの内懐に飛び込みつつある日雨が、心中で歓声を上げる。
 レフの石槍が〝しなる〟事は予想できていた。彼の能力は岩石を支配できる。木製の柄のように軌道を曲げる程度は造作も無いだろう。

 直線の突きで目を慣らし、必殺のタイミングで隠し球を使うつもりであるとすれば、そのタイミングを与えてやればいい。日雨が足を浮かせたのは、誘いだった。
 仕掛けに乗せて、まんまと出し抜いた。
 日雨が放つのは、逆胴を抜く斬り上げ。槍の間合いより深く潜り込んだ今、レフにこれを防ぐ術はない。
 切っ先が、相手の肌に触れる――
 ぞぶり、と。
 日雨の右目に、槍の穂先が潜り込んだ。
 ――レフは、槍の柄を突き手より後ろに引き戻し、螻蛄首けらくびを掴んで間合いを縮めたのだ。
 石槍は、眼球の奥の脳まで届く程深く突き刺さっている――

「……ッ!?」

 レフの表情が、驚愕に凍り付く。
 刺突の手応えが返ってくるより先に、刺し貫いた日雨の姿が――靄のように消失した。
 同時に、肩口から怖気のする異物感を彼は感じた――

(……斬った!)

 日雨は肺の萎縮する程の緊張で声も出せず、胸の内のみで叫び声を上げる。
 彼の〝実体〟が打った、本物の斬撃は右側面から入る斬り下げ。
 これは――羅との最初の邂逅で使った、陰形を利用した〝分身〟である。フェイクとなる左下段の体捌きの裏で、本命の右上段の体捌きを陰形で隠蔽する。この竜の将の身体能力、武術の経験からして内懐に潜り込むだけでは足りぬと判断して打った手だ。
 羅との訓練で練度を上げた日雨の陰形術は、レフを騙す事に成功した。

「くッ……」

 傷の痛みに唸りながら、レフは後退する。
 日雨は逃さず追いすがる。相手の心身が負傷と動揺で乱れている内に、畳みかける――

「ま、さか……」

 剣の間合いに入るまでの一瞬の間に、レフの痛恨のうめきを聞いた。

「小僧、貴様の方に――〝仕掛け〟を使わねばならんとは」

 怪訝に眉をひそめる、と。

「還龍宮!」

 後方の離れた場所で、羅が怒号を浴びせてくる。

「〝上〟だ!」

 意味の分からぬ警告であったが、反射的に飛び退る。
 直後、眼前に巨大な石の円錐が突き立った。

「なッ……!?」

 日雨は戦慄に背筋を震わせる。
 石錐はレフの〝機密〟によるものに間違いない。しかし、いつ、どこからこのような武器を生成したというのか。
 石錐の落下してきた方角を見上げ、その正体に気付く。
 闘技場〝牙の妻〟を象徴する、ドームから一部だけ突出する〝牙〟が、無くなっていた。
 代わりに――無数の石錐が上空に滞空している。

「不敬の誹りは甘んじて受けよう……」

 屈辱の滲む声で、レフは言った――王手を掛けているとは思えない声色だと、皮肉混じりに思う。

「〝俺〟は、リューリクの敵を滅する事が出来るなら、墓石を刃に変えて放り投げる事も厭わん……!」

 数百の、リングを埋め尽くす規模の石錐が一斉に降りかかった。

「ぐ……ぅっ」

 全身が痺れたような怖じ気を覚えつつ、篠突く雨の如く降りてくる石刃へ必死に回避運動を取る。
 距離を取ってはいけない――その原則を守っている余裕は無かった。
 足下のリングが、槍状に変化して突き出され、首筋を掠めた。

「くそ……!」

 天地から、圧倒的な物量により挟み打つその攻勢は軍勢の如し。地竜レフ・カルピンスキの支配する陸上に、日雨は太刀一本で押し入った哀れな夜盗に過ぎなかった。
 か細い支えは、小さな亀裂から崩壊を始める。

「がッ……」

 足から走った痛感に、悲鳴を上げる。見れば、下腿を石槍に貫かれていた。
 動きを止めた所を、天空の石錐と地上から生える石槍が伸びてくる。
 身を捻って避けようとするも、右肩、右脇腹、左腿に石の刃が突き刺さる。
 更に、

「小僧ッ!!」

 リングに突き立つ石錐がひとりでに歪み、崩れ――生じた一本道をレフが突貫してくる。諸手に握る短槍ショートスピアは、二回り大きく先鋭的な突撃槍ランスへ変化していた。

「これで〝前座〟は終いだッ!」

 心の臓を狙う突進。避けようもない一撃。
 交錯の一瞬――その進路上に、一振りの刃金が割り込んだ。

(……え?)

 その動きを、日雨自身は意図していたわけではない。
 右肩をえぐられ、その重みを支えられなくなったのか。汗で滑ったのか。
 手の内からこぼれた日雨の太刀が、偶然、レフの刺突を受け止めていた。
 ――突進の衝撃に吹き飛ばされて、石錐を砕きながら転倒する。
 止まった先で、肺の空気を絞るように咳き込む――まだ死んではいないらしい。
 ふらつく頭をどうにか立て直し、正面を見定める。

「……ぁ」

 目の前に、根本から折れた日雨の太刀が転がっていた。
 通した霊子が消え失せ、元の大きさに戻っていく――その様は、まるで。
 命が抜け落ちたようで。

「まだ足掻くか……生き汚いぞ、ヒトザル……!」

 不快感を表情に貼り付け、レフが槍を元の大きさへ戻して止めを刺そうと歩み寄ってくる。

「ぐ……」

 牙を折られ、まともに戦う術はもうない。

(しかし……!)

 圧倒的な現実の壁を前に、まだそれを否定する意思が、この胸に。
 己の心はまだ、折れていない。

「よォ」

 その時、レフと日雨の間に割り込んだのは、

「羅……」

 当然、リングに降る石錐からは逃れおおせているとは思っていたが。
 レフは羅を警戒して立ち止まる。その一瞬をついて、暗殺者は問いかけてくる。
 ただ一言。

「それがてめぇの限界か」

 凶眼を睨み付けて、応じた。

「違う」
「まだか」
「まだだ……ッ!!」

 気付けばその手に、折れた刃を握って吠えていた。
 それを見下ろして、羅は、

「そうかよ」

 レフへと向き直る。

「〝一時〟、選手交代だ番犬。少し遊んでやる」

 侮蔑に満ちた物言いに、レフの美貌が色を為す。
 にぃいいい……と獰猛な凶笑を浮かべ、羅は言葉通り、遊びに誘うように軽々しく苗刀を担いで歩き出した。
 そして始まる遠い剣戟を聞きながら、日雨は手の内の刃を見下ろしていた。

(……小雨)

 自分の似姿のようでもあった、あの子犬の姿が刃に投影される。
 最後には自分を庇うようにして折れた剣。
 しかし――その出自を、その〝忌まわしさ〟を日雨は師・日向昴から聞いていた。
 何度も請い願い、彼から剣術の手解きを受ける事を認めて貰った時に、この剣を託された。
 彼はこう言っていた。

 ――この剣は……俺が、親友を斬った時に使っていたものだ。
 ――あの地獄のような場所で、唯一頼れる男。兄弟のように育った……彼の血を浴びた剣だ。決して彼を斬りたいなどと思ってはいなかったのに。
 ――だから俺は、これまでこの剣を手放せずにいた。
 ――なぜ俺は、彼を斬らねばならなかったのだろう。
 ――俺が斬ったのか? 剣が斬らせたのか? 剣とは、悪なのか?
 ――剣とは、なんだ?
 その問いを、剣と共に師に託されたようにも思えた。

(剣とは、なんだ)

 羅虚虎は、敵を斬る事で剣のなんたるかを示した。
 しかし、それでは……〝足りない〟のだ。
 剣なるものの完全なる理解、それに必要な行為は――
 答えは既に、小雨が教えてくれていた。
 日雨は、握った刃を高く掲げる。
 切っ先は、自身の身体に向いていた。
 掌を切り裂き、赤い血を滴らせる刃を日雨は――自分の心臓に突き刺した。



[40176] 10.鬼の道
Name: 八目又臣◆aa87a973 ID:17b043ce
Date: 2014/10/08 23:09
『な、なんだ!? ヨシフ選手と交代して窮地を脱したはずのヒメ選手、謎の自害!? これはなんだ!? 負け戦に絶望しての乱心か!?』

 実況ブースからの困惑に満ちたウラジーミルの叫び声が、闘技場に轟く。

「……っ!? ぁ……」

 来賓席の夜見は言葉を失っていた。
 兄はその身をリングに沈め、ぴくりともしない。デモナイズは解けて元の姿に戻っていた。湧水のように床を広がる致死量の鮮血。背中から突き出た刃の切っ先が、心臓の貫通を容赦無く伝えていた。

「ぁ……あに、さま、あにさま……ッ!」

 半狂乱になりかける――夜見の手を、くららが掴んだ。
 きっと睨み付ける夜見の視線を、青ざめた顔で彼女は受け止める。

「まだ、終わってない」
「だ、だって……あんな、」
「日雨くんが、自分で自分を終わりにするわけない。だから、きっと立ち上がる。夜見ちゃん、信じて……」





 失血と共に流出し、密度を薄くしていく意識の中でも、鮮烈に己を苛む――痛み。

(ああ……そうだ)

 これが、剣だ。
 痛みを与えるもの。
 傷を刻むもの。
 死をもたらすもの。
 ――問。
 暗い水のような臨死の世界で、孤独なはずの場所で、誰かが発言した。
 ――なれば剣は悪なりや。
 沈むような思考の中で、日雨は答えを吐き出す。

「……否」

 ――何故か。
 続く問いかけに答える。

「そこに、剣の意思が無いからだ」

 あくまで剣は、人の意志が振るうもの。握る手が無ければ、それはただの鉄塊に過ぎない。
 誰も痛ませず、傷を刻まず、死をもたらさず。
 剣とは、全ての武器とは、ただそこにあるだけならば、無垢な鋼である。
 善も悪もなく、
 無意味な存在である。

「剣は、人の意思を介してのみ意味を持つ」

 ――ならば、剣とは。

「人と、一対の物である」

 暗い水が、しばし沈黙だけを返し、
 ――然り。
 と答えた。
 ――汝は、わたしを理解した。

(……そうか)

 己のみであるはずのこの世界に入り込んだ存在を、日雨は知る。
 そして裏鬼道という術の、正体を悟った。

 ――なれば最後に、汝の心中に刻む忠告を述べ、問答を終える。
 剣は告げる。
 ――人と〝一体の〟剣というものがあるとすれば。〝意思を持つ剣〟があるとすれば、それは何か。
 ――忌まわしき、魔剣である。
 ――心して、その道を征け。





群狼ヴォールク・スターダ〟で乱戦に持ち込み隙を作り、横打ちを誘いに下段からの〝電光ゾルニーツァ〟で首を抉る――

「ふぅん――ソイツがアンタの切り札かい」

 必殺の一撃を躱してなお、面憎い敵は獣じみた笑みを小揺るぎもさせなかった。
 余裕綽々と突き返すように放たれた崩剣が肩に刺さり、苦痛に唸りながらレフは後退する。
 牽制に〝群狼〟――リングの石材を変質させた石槍を放ち、その間に傷の再生に努める。
 既にリングは度重なる機密による操作で、原型を留めていなかった。羅虚虎の背後には、攻撃に失敗した石槍の残骸が敗残兵の群れの如く累々と横たわる。

 この数分で、レフ・カルピンスキが放った攻撃は百手を超える。
 その全てが、この人間の男にまるで通用しなかった。奥の手――地磁気を利用した神速の片手突きも児戯の如く扱われ、レフの誇りには無数のヒビが入っている。

「たかが、三十年そこそこ生きただけの小僧が……」
「はん、坊や――てめぇが何百年生きてるか知らんが、人間が武術の研鑽に費やした年月に比べりゃごうにも足りんよ」

 乱れた呼吸にあえぎながらの屈辱に満ちたうめきを、嘲笑で叩き落とす羅。
 レフは端正な顔立ちを歪めながら――しかし、一欠片残る冷静な思考が疑問を呈していた。

(……なぜあの時、小僧の前に立った?)

 レフが最も警戒していたのは、日雨に止めを刺す時の隙を狙って羅がこちらを仕留めにかかる事だった。今思い知ったこの男の実力を鑑みれば、断言できる。その機会があれば、羅はレフを一撃で殺せた。リューリクとの決勝を、最大のコンディションで望む事ができたはずだ。
 確かにあの男は、レフの全力の攻めを軽くあしらってはいるが――内在する魔力が目に見えて減少していっている。これは決して、羅の望ましい展開ではないはずだ。
 なぜ、そこまでして。

「……なぜだ、ロゥ。なぜあの子供を庇う」

 合理的な暗殺者であるはずの男が、この土壇場でたかが小僧一人を救う為に身銭を切る理由を、レフは理解できなかった。
 はん、と羅は飄々とした風情で鼻を鳴らす。

「後生畏る可し。焉んぞ来者の今に如かざるを知らんや」
「……?」
「ガラじゃあねぇんだがよ――雛鳥が、壁を越えようとしているみてぇだったからよ」

 そう言ったきり――羅はレフから背を向けた。そのまま無造作に歩いて、リングから降りてしまう。
 何を、

「審判……はいねぇんだな。おい主催者、俺はこの試合、棄権する」

 羅は実況ブースのリューリクへ向けて、そう告げた。
 唐突な宣言に、会場全てが唖然とした。

「な……ロゥ! どういうつもりだ貴様!」

 噛みつくように問い詰めるレフに、羅は言う。

「なに――俺の仕事は、終わったからさ」

 それだけの言葉を置き捨てて、彼は闘技場のフェンスに背を預けた。
 沈黙が解け、どよめき始める観衆を代表して、実況ブースでウラジーミルが声を張り上げた。

『これはいったいどういう事か!? 前回の優勝者レフ選手にまさかの接戦を演じたヨシフ選手、突然の棄権!? ええと、つまり……レフ選手の勝利、という事か……』

 戸惑いながらも、彼が勝敗を決する言葉を吐きかけた、その時。
 ――どくんっ。
 巨大な、心音のような霊波を、観衆の竜たちは感じ取った。

「なん……じゃ、これは」

 来賓席の夜見が、誰より早くその異常の出所を察した。彼女にとって試合の趨勢などどうでもよく、ただ倒れ伏して、死んでいるようにしか見えない彼だけを見ていたから。

「兄様……?」

 物理的な音ではない、胎動にも似たその音響は二度、三度と数と速さを増していく。
 どくん、どくん、どくん、どくん――どくんっ。
 一つ、大きく鼓動を打ったその瞬間、日雨は立ち上がった。

「……え?」

 その胸を貫いていたはずの白刃は、傷跡ごと跡形も無く消え去っていた。






【警告メッセージ:禁止術式プロヒビドゥン・スペル〝エレメンタライズ〟の発動を検知しました。この術式を続行した場合、〝EFD〟の発症は不可避です。即刻中止を勧告します】

 視界の目前をなぞるように浮かぶ蛍光色のARメッセージ。
 日雨の知識では言葉の意味は分からなかったが――その切実さを理解していた。
 この術は、危険だ。日雨の感性は、すぐ目の前に大火災や津波が迫っているのを目撃した時にも似た、直感的な忌避感をまざまざと感じ取っている。
 だが。
 ――心して、その道を征け。
 己が剣を理解したように、剣も己を理解した。己が、ここで退く事はないと。

(余には、守りたいものがある……それに、)

 リング上に立つレフ・カルピンスキを見る――〝その向こう〟を見通すように。
 彼の先に、あの男がいる。

(余は、あの男と戦ってみたい……だから!)

【警  告m(ざざ)っセー(ざ)ジ  禁 止 禁禁禁  禁禁禁禁禁禁禁禁禁禁禁禁禁禁禁禁禁禁禁禁禁 禁   禁 禁禁禁 禁禁禁禁禁  禁禁禁禁】

 ARメッセージにノイズが混じる。

【――統合魔導戦闘支援ナノ・アセンブル・システム〝Cat's Cradle〟アップデートプロセス・コンプリート。ライブラリ更新】

 頭の裏にかゆみのような感触が生じると共に、メッセージが切り替わった。

【〝裏鬼道〟発動、霊子種別・金精属〝ブレイド〟――刃鬼変化ジンキヘンゲ

 ぞわり、と日雨の髪が膨脹した。
 霊格の向上による物理的実体の変質。それはデモナイズと同じであるが。
 その髪色は、鋼の色彩であった。
 日雨から十数メートルの距離を置いてその変化を観察していたレフが、怪訝な顔つきで口を開いた。

「なんだ……? 先程とさして変わらんではないか、」
「レフ・カルピンスキ殿」

 その言葉を遮って、日雨は告げる。

「これより攻撃を始める。まずは守勢に徹されよ」

 彼は、あまりに不可解なこちらの発言の意味を吟味して、理解が表情に及ぶと同時に怒りがその瞳に宿った。

「小僧――貴様、侮辱する の    も」

 レフの目前に、日雨が立っていた。

「――」

 言葉すら間延びする一瞬で、レフの顔が戦慄に凍る。初動がまるで見えず、過程にすら気付かず、ただ接近されたという結果だけがそこにある。術理の一端すら察せられない異質の歩法。
 しかし彼もまた熟練の兵士。長年染み付いた古強者としての強靱さで、驚愕に揺れる精神を立て直すと、冷静に状況を分析する。
 相手は丸腰。ただ己の間合いに空手で侵入してきただけだ。格好の獲物に過ぎない。

 最速の一撃を放つ。大地の地磁気を吸収し、体内に蓄えた地精の磁力と反応させる事で発動する神速の片手突き、電光ゾルニーツァ。よもや羅の如き超常の達人ならまだしも、この人間の子供如きに防ぐ術は無く。
 槍の穂先が、先に少年が自ら刺した心臓を再び抉るべく進み。
 とん、と。
 平らな柄の切断面が、軽くその胸を叩いた。

 両者の目前には、螻蛄首から切り落とされた石槍の穂先が浮かんでいる。
 残心の姿勢を取る日雨の右手。その掌からは、小太刀ほどの刃が生えていた。

「な……」

 五臓の凍る程の鮮烈な斬撃に、レフは放心する。

「……」

 そのあからさまな隙を、日雨は突かなかった。まるで何かを待つように、こちらの瞳を見つめている。

「……舐めるなッ!」

 レフは一声吼えて気勢を回復させ、足下の大地を操作した。
 突出する石槍は四。側面から挟み打つ二槍が先に届き、それを回避しても後方の一刺しが延髄を抉る。最後にダメ押しの一槍を、レフ自ら放つ。
 日雨は、水流の如く淀みなく動いた。
 側面の石槍を両手の手刀で切り落とし、後方の刺突は首を傾げるだけで躱す。
 三手最短の打ち筋で先行し、最後のレフの攻撃は初動にすら先んじた。掌から生えた太刀による斬撃は、槍の柄を根本から切断すると同時に、彼の胸を袈裟斬りに刻む。

「つぁ……ッ!」

 たまらずレフは後退する――強靱な竜種の中でも更に高位たる貴種の男が、人間の子供相手に策もなく撤退したのだ。

(なんたる不様か……!)

 傷口から燃え上がるように己を苛む屈辱に歯噛みするレフ。
 なんとしても、雪辱せねばならん――

かてーよ、石頭』

 煮えた彼の頭に、かつて拳骨と共に振り下ろされた言葉が蘇った。

(……ち)

 腹立たしくも、頼もしくもある飄々とした気風をいつも彼に見せつけていたリューリク。あの大きな男を護らねばならない。かつてあの男の翼の下で護られ、育った無数のつわものの一人として。
 己のプライドなど、犬の餌にでもしてしまえばいい。

(もう認識しろ……何をしたか分からんが、この小僧はケタ違いに強くなっている)

 人間と、劣等種と捉えているままでは、レフは何もできず敗北するだろう。

「シキシマヒサメ」

 レフはかつて聞いた子供の名前を呼ぶ。

(同格の敵と認める……俺は、全身全霊を以て、貴様を殺す!)
「――ゆくぞ」
「うむ」

 短く、両者は言葉を交わし合い。
 リング上の石材と上空に滞空する残った石錐が、全て日雨に牙を剥いた。全開の〝群狼〟。この圧倒的な物量で、相手を圧殺する。
 一斉に、小柄な少年へ向けて殺到する無数の石の刃。
 日雨はそれらを前に、一つ、呼吸する。
 じゃりっ!
 彼の肘から、掌から、前腕から、爪先から、足刀から、下腿から、刃が生える。髪の毛もまた小さい刃へ変化していく。

 真っ先に到達する左側面の石槍を裏拳で砕く。
 足下の石蔦を蹴り飛ばす。
 頭上の石錐を肘で斬り落とす。
 正面の石槍の群れを、振り乱した髪で吹き散らす。
 続けざま空中で回転し、全身の刃を使って全方位から迫る石刃を切り刻んでいく。

 レフの放った機密術〝群狼〟の攻勢は十秒、千に届く密度の攻撃を日雨に叩き付けた。十重二十重百重千重、交錯する石刃と白刃。舞い上がる火花と粉塵。一塊のかたまりと化した無数の剣戟の音響。
 もはやこの乱戦で、観衆には戦場を見通す事はできなかった。
 レフだけが、己の渾身の攻め手が一切日雨の命に届いていない事に気付いている。

「カァアアアアアアアアアッ!!」

 最後の、最大の魔力を練って打った一手。
 リングがうねるように形状を変化させ、日雨を取り囲むドームとなった。全体に高密度の霊子を通したドームは、爆撃にも耐えうる硬度を持つ堅牢な楯である。
 本来は守りの術だが。

「潰れろッ!」

 レフの指令に従い、ドームが瞬く間に内側へ縮んでいく。
 脱出不可能の石牢が狭まり、中の日雨を押し潰す――
 ぞるんっ!
 石牢の一部から、巨大な刃が突き出された。
 それを皮切りに、無数の剣刃が石牢を斬り裂き、砕き散らしていく。
 舞い落ちる石片の中心に、日雨は立ち――その周囲には、彼の身の丈を超える両刃の剣が滞空していた。

「馬鹿な……! それは、」

 レフは日雨の行使した術を悟り、呆然とした声を上げる。
 霊子支配による無詠唱、媒介不要で発動される超常現象。法外な霊格の持ち主である高位竜種にのみ許されるはずの、規格外の魔術。

「〝機密ミスティリオン〟……だと」





 気付けば、来賓席の椅子から立ち、手すりに身を乗り出してリングを見下ろしていた。
 かれた喉から、うまく声が出ない。どうしてこんなに身体から水気を失っているのか。――夜見は、自分が高熱を出していた事をすっかり忘れてしまっていた。
 変貌を遂げ、高位竜種を圧倒する自分の兄を見つめて、ようやく言葉を絞り出す。

「なんじゃ……あの術は」

 巫術に連なる系統の魔導である事は、巫女としての経験と感覚から理解できる。しかし。
 長きに渡る秋津洲国の巫覡の系譜に、あのような術は存在しない。しないのだ。
 彼女は、魔術について人類最高峰の才覚を持つ。ましてや同じ巫術の系統。一目見れば、その術理を看破する事も出来た。
 だから、分かる。
 あれは、あの術は、この世にあってはならないものだ。

「……誰が」

 憎悪を込めて、夜見はつぶやく。

「誰が兄様に、あのような邪法を教えたのじゃ!」






 観客席の最後部、座席後ろの通路にて。

「オーゥ、復活したサムライボーイの超絶パワーアップ。熱い展開ネー、お約束でゴザル、王道でゴザルヨー」

 ポップコーンの入ったカップに手を突っ込みながら、興味深げに試合を観覧しているのは、先日くららと遭遇した忍者女である。
 その隣で座席側の柵にのしかかっていた少女が、うんざりした目つきをしている。

「ねぇ〝ハーミット〟。キミがその手のステロタイプなドラマツルギーを愛好してるのを全身で主張するのは結構なんだけどさ……せめてボクと会話する時くらい昔のキャラに戻ってよ。たまらなく鬱陶しいよ」
「ハッハー、ソレばかりはたとえ太母グランマと言えど聞かザルヨ。ニンジャスタイルは今のセッシャのロックなアティチュードネ。クラスでオタクナードと蔑まれてボッチメシでも貫き通すショゾンヨー」

 ニンニン、と智拳印を結ぶ、ハーミットと呼ばれた忍者女。

「ソレに、キャラうんぬんを太母に言われたくないネ。ナニソノボクっ娘スタイル。一昔前の流行ヨ。サスガオオドシマ、手遅れな程にズレたセンスネー。ハハハハハハー」

 腹を抱えてバカ笑いするハーミットに、青筋を立てる少女。

「……これは、キミのおちゃらけた座興じゃなくて、ボクの仕様上不可避の事象なんだよアホ忍者」

 エルザ・フランケンシュタインと名乗っていた少女は言う。密かに、隠し持っていた鋏でポップコーンのカップの底を切り抜くという陰険な嫌がらせをしつつ。

「ムッ、おちゃらけた座興とは心外ネ。セッシャはポリシーを持ってやってるノニ」
「失敬致します――どちらも五十歩百歩におちゃらけておりますわ」

 と、二人の会話に口を挟む者がいる。
 レースのついた日傘を差して、コサージュをあしらった青を基調とするアフタヌーンドレスに身を包む瀟洒な美少女。淡い色合いのブロンド、空色の瞳。

「羨ましい事です。軍務でこの野蛮な蜥蜴共のひしめく地へ追いやられたワタクシには、アナタタチのように会話を楽しむゆとりはありませんわ。ああ……それにしても、なんて寒い場所なのかしら。カゼをひいてしまいそう」

 皮肉を並べたあと、けほん、と一つ咳払いをする少女。

「今日のおまゆうスレはここですかー〝カリオペ〟ちゃん。こんなバッキバキの腹筋させといて病弱な深窓のご令嬢キャラで通そうなんざ、厚顔無恥にも程があるでしょ」
「……コルセットですわ、これは。……旧世界の低俗なアングラの俗語を口にする歪んだ品性、よもや我らのガラテイア姫と同じ主機の一角とは思えません」

 こんこんと腹を拳で叩いてくるエルザから逃れながら、口元をハンカチで押さえて嘆かわしげに呟く、カリオペと呼ばれた少女。

「ああ、本当に……我が主機の喪失は、ワタクシども機傀悪魔全体の損失だったのですね。カタ・コスモーン機構の先行きの暗さに、悲嘆の海に溺れてしまいそう」
「はん。本当に――厚顔無恥にも程がある」

 芝居がかった仕草で述べるカリオペの横で、ぼそりとエルザは呟く。それを耳聡く聞いていたハーミットが、ぞわりとする程冷めた声音であった。

「――超常の御婦人と言えど、ご歓談を好む気質は変わらぬらしい」

 通路の壁際に立つ男が、差し込むように言ってくる。
 ローズウッドのような赤茶けた色合いの髪を持つ、軍人らしく鍛えられた肉体の美丈夫だった。藍色を基調とした華美な軍装を着込んでおり、瞳の色彩はみどりで。
 尖った耳を持っていた。

「アイザック様」

 取りなすような色を帯びた声を、カリオペは上げる。

「女のお喋りに気を悪くなされたのかしら? ああ、はしたない所をお見せしてしまったわ」
「いいや、カリオペ。たとえ機傀悪魔の応現体インカーネーションと言えど、女性の可愛らしさを忘れてはおらぬ事に、萌え立つような感動を覚えていたのだよ」
「ああ、ああ……なんとも凛々しい事を仰いますのねアイザック様。アナタ様のような御仁がパートナーで、ワタクシは他の女たちの羨望の視線に溺れてしまいそう」
『ブロードウェイ・ミュージカルも結構だが、聞くべき事があったのではないか、アイザック・キャベンディッシュ・ノーサンブリア』

 冷徹な声音でアイザックと呼ばれた男とカリオペのやり取りに釘を刺したのは、ハーミットと共にいた忍者男である。通路の壁に背を預ける彼は、英語を饒舌に操っていた。

「相変わらず、聞くに堪えん訛った〝米語〟を使うものだなカトー」

 目元に皺を寄せて忍者男――カトーへ当てこすりを述べるアイザック。

「……」
「……チ」

 皮肉に答えず、無言のまま瞑目を始めたカトーへ舌打ちをくれると、アイザックは言った。

「確かに、あの蛮族の少年の魔術には関心がある。聞けばあの少年には、〝花嫁ザ・メイト〟自ら薫陶を授けたとの事。単身で高位竜種と戦いうる力……連合王国の次期主導者にして我が友ルーラッハ殿下を葬った、我が国の仇敵たる彼に、我らすら知らぬ強力な術を与える意図をお教え願いたい」
「キミにとっちゃ、目の上のタンコブを取っ払ってくれた恩人、じゃないのかい」

 人が悪そうにほくそ笑みながらエルザは答える。

「……心外、とのみ申し述べておきます」
「あ、そ。――どーも理解しきれてないようだけど、ボクら〝カズム〟の機構における役割は、機傀悪魔とその保有者のコミュニティの調整役。いみじくもキミが言った通り、一国を相手取らなければならない状況下で、話にならない程脆弱なセイタン陣営に助力するのは仕事の範疇なワケ」

 突っぱねるような彼女の発言に、アイザックは不満げに黙り込んだ。
 それを面白がるように笑うと、エルザは告げる。

「ま、ちょっと天秤を傾け過ぎたかなとも思ってるよ。セイタンの鹵獲作戦に関わってケチのついたノーサンブリア州国の名誉挽回をしなければならないキミは、他人事じゃあいられないワケだしね。……侘び代わりに、〝裏鬼道〟について少し教えてあげよう」
「それが、あの少年の使っている魔術ですか」
「そ。秋津洲国ドラゴンフライ・ランド初代巫王、始馭天下之比売命が開発した魔術・巫術の系譜に連なる、自己改造術の究極系。〝類感〟の呪術を応用した模倣行為を呼び水に、ある特定の存在の霊子を取り込み、自身と同化させる」

 津波のように襲い来る石刃の群れを、全身を刀刃と化して斬り進んでいく日雨を見下ろしつつエルザは語る。

「自己を構築する霊子に、他の物質の霊子を組み込み、存在を変革するのさ。刀剣の因子を吸収した今のあの子は、言わば剣の精霊だ。保有する霊子の続く限り、体内から刃を生成できる」

 なるほど、と口元を手で覆い考え込むアイザックの横で、カトーがハーミットに向けて顎をしゃくる。
 彼女は呆れたように肩をすくめて、

「ミスターアイザックがイジメるカラ、ダンゾーがマナーモードに変わっちゃっタネ。……ダンゾーは、サムライボーイの肉体フィジカルじゃなく、技術アートが気になるようネ」

 そう――日雨の変化は、肉体の刀剣化だけではない。
 レフへ一瞬で接近した歩法。一瞬で起こる無数の攻防に、最短、最適効率の機動を取り続ける戦術眼。目標に確実に刃筋を立て、水を割るように切り刻む精妙な剣術。
 動きの質が目に見えて向上している。人類最高峰の武術家の一人、無號ネームレスこと羅虚虎とあるいは同格と呼べる程に。

「マルデ、一瞬で百年分の修業をしたかのヨウ。武芸家マーシャル・アーティストを自称するダンゾーとしては、ちょっとジェラシーみたいネ」
「取り込んだのが、剣の霊子だからさ」

 エルザは答える。

「今のあの子は人の形をした剣。剣を扱った武術の術理が、身体に染み込んでいるのさ。百年分の修業? ……人間が千年掛けても届かない領域に今、あの子は立っているよ」

 ついにレフの放った石刃を防ぎきった日雨へ、妖艶な視線を送る彼女。

(さぁ、もっとだ……もっと激しく、私の高ぶる程に。己を変革してみせろ、日雨)

 レフの奥の手が発動する。日雨は石のドームに取り囲まれ、押し潰されようとしている。
 殻を突き破るように飛び出す、巨大な鋼。
 エルザは舌で唇を舐め、語る。

「裏鬼道の遣い手は、取り込んだ霊子のもつれエンタングルメントを利用して〝ネットワーク〟を作る。それを介して、外界の事象を支配する。剣を媒介とする〝刃鬼〟は、戦場に滞留する残留思念と大地の金気を操作して〝剣霊〟を生成する事ができる。身体の刀剣化も含めて、これらは呪文の詠唱など一切の儀式を必要としない」
「それは、つまり……」

 彼女の語る言葉を理解したカリオペが、青ざめた顔をして口を開く。
 それを継いで、エルザ・フランケンシュタインは答えた。

「高位竜種の〝機密〟と同じ術理。裏鬼道は、つまり、人間を竜と同格の存在に作り替える事ができる」

 殻を斬り裂き、生まれ出るように外界に悠然と立ちレフと対峙する日雨を、彼女は熱のこもる瞳で見つめている。
 それは、あたかも。

「才能でも努力でも届かない、人類種に課せられた限界を超え、最強種と同列に並ぶ魔導。理不尽な程に法外な奇跡を与える、神への反逆……魔法」

 期待した成果を上げる、モルモットへ向けるような。

「アレは――それに成り損ねた、欠陥魔術の一つさ」





 全力を絞り尽くした術を、防ぎきられた。
 既に原型を留めていないリングの中央で、レフの〝群狼〟を全て制圧し、超然と日雨は立つ。
 その周囲に従属する〝剣霊〟は、レフの最高密度の魔力を込めた石牢を紙細工の如く斬り裂いている。最早地力においてすら、あの子供はレフの上を行っていた。
 指先のかすかな震えから、全身に伝播する――敗北の悪寒。
 詞木島日雨が攻撃に移れば、抗う術はもうない……

「……?」

 レフの顔色が当惑に染まる。
 当の日雨が、リング中央に立ち尽くしたままだ。後はレフ自身を切り崩すだけだと言うのに。

(余裕……めかしているのか)

 はらわたを煮え立たせる屈辱と共に、彼の行動をそう理解するレフ。
 今すぐにでも槍を手に突撃したい所であるが、あの子供を攻略する方法が今のレフにはない。
 今の、レフには。

(〝それ〟は……禁じ手だ)

 シヴィル・コサックの軍長、レフ・ニコラエヴィチ・カルピンスキの立場を思えば、決してしてはならない選択である。
 しかし。

(この二人の人間を、リューリクの前に立たせる訳にはいかない……!)

 詞木島日雨の法外な強化を経て、リューリク暗殺の脅威は二つとなった。なんとしてもここで食い止めなければならない。

(立場を放り捨ててでも、俺はあの男を護る!)

 巌に似た心で、レフ・カルピンスキは最後の攻撃を決断する。





 無防備に立つレフを見定める一瞬で、十三通りの首の落とし方が脳裏に思い描かれた。心臓を抉る手段は七十九。
 全身を輪切りにするイメージ、顎から脳天を貫き通すイメージ、腸を引きずり出すイメージ。
 イメージ。
 いめージ。
 イメェエエエエエエエジ。
 い  め え   じ。
 斬殺斬斬斬斬剪斬斬斬斬殺伐斬斬剪斬斬斬斬斬斬殺伐斬斬剪斬斬斬斬斬斬剪斬斬斬斬殺伐斬斬剪斬斬斬斬斬斬殺伐斬斬剪

(……消えろ!)

 湯水のように溢れ出る思考の奔流を、舌に噛みついて自制する。口の中に、生臭い血の味が沸き上がる。

(これが……裏鬼道の代償か)

 表面上、余裕を崩さず、しかし背筋に脂汗をかきながら日雨は密やかにうなる。
 思考のさざ波に耐える一瞬の隙に――戦況は一変しようとしていた。
 ぎぢり。
 レフ・カルピンスキの額から、肉の軋る音を立てて、水晶に似た半透明の角が生え出てくる。
 端正な相貌に生じた異形――しかし、霊視を持つものは〝その程度の変化〟に注目するゆとりは無かった。

 物理的実体の裏に存在する、意味の世界、アストラル相では、レフの周囲の霊子が嵐の如く渦を巻き始めている。
 そしてその中心のレフは、嵐を飲み込む怪物であった。
 闘技場の石、土が真っ白な灰と化していく。その構成する意味を奪い取られ、実体が変質してしまっている。

『聞け』

 多重に重なったような音声が、嵐の中心から響いてくる。

『このしわがれた声を。痛い程に尖った爪を見よ。生臭い吐息を嗅げ。――この、怪物の姿を知れ』

 嵐の中から、石の鱗に覆われた、巨大な腕が伸び来たる。
 人間であった時の姿からは想像もつかない、獰猛な獣の頭部が現れる。
 真の姿となった竜の圧倒的な凶暴性を正面から迎えて、日雨の胸に去来するのは恐れではなく、
 感動、であった。

(そこまでして……護りたいのか、リューリクを)

 サシチザーニイでは竜の姿となる事は禁じられている。一軍の長たる男が、自身の主催する大会で反則をする事の意味を、理解できない訳がない。
 レフ・カルピンスキは、リューリクを守護する為に、己の立場をなげうっている。

(そうか、それが……)
『怪物を殺す英雄となるか、小僧!』

 物思いを、レフの咆吼が遮った。
 竜化した右腕を振り上げ、こちらへ叩き付けようとしている。

「――いいや」

 日雨は口の端を吊り上げ、それに応じた。

「余のなるのは、王だ。レフ・ニコラエヴィチ・カルピンスキ!」

 一声吼えて、右拳を腰だめに構える。
 ――じゃりりりりりりりりりりりりりりりりりりりぃッ!!
 その日雨の背中に、彼の〝剣霊〟が、拳銃の装填のように並べられていく。

「この喧嘩、負ければ余の民となれ! 竜の将よ!」
『な……』

 日雨の発言に、レフは絶句する。ことこの土壇場で、そんな馬鹿げた言葉が口から出るのか、この小僧は。

『たわけた事を抜かすなバカガキがァッ!!』

 レフは激怒し――てらいもなく、かつてただ一人の若武者であった頃のような声を張り上げた。
 振り下ろされる、石の巨拳。
 それに応じて、日雨は弓のように振りかぶった拳を放つ――
 しかし、両者の交錯の直前――突如降り来たる隕石が、レフの腕を叩き落とした。

「……っ!?」

 振り上げた拳を止め、目を見張る日雨。
 大地に沈み、倒れ伏すレフは自分の腕の上に立つ男を見て、唖然とした声を上げる。

『……国父アチェーツ!? なぜ邪魔を……!』
「何故も何もねーだろバカ。お前の反則負けだ、レフ」

 突如戦いに乱入したリューリクは、呆れ顔で竜化したレフの顔を見上げて告げた。

『しかし……!』

 食い下がるレフに、リューリクは男臭い微笑みをかける。

「……ま、お前が我を忘れる程楽しんでた所だ。最後までやらせてやりたくはあったけどよ」
『……そういう訳では』

 レフの抗弁を聞き流して、彼は頭を掻きながら――大地に立つ日雨を見下ろす。
 遊び相手を見つけた、子供のような表情だ。

「悪いな。いつまで経っても、オイシイ所を他人に譲れねぇ男なんだよ、俺は」
「……リューリク」
「まさか、そこまで化けるとはな、坊主」

 すたん、と大地に降りて、無造作に日雨の方に近寄りつつリューリクは述べる。
 間近に立ち、日雨を見下ろしながら――彼は唐突に振り返り、東側の入場口を見て声を張り上げた。

「おーい、俺の次の対戦相手くん、ええと……ドミトリーだったかな?」

 呼びかけると、入り口の影に隠れていた男が一人アリーナに入ってくる。日雨も見覚えのある、サシチザーニイの出場選手で、準決勝に進んだ一人だ。

「……何か、」
「その、なんだ、悪いな。――次の試合、棄権してくれ」
「……は!?」

 唐突すぎる無茶な要求に、突然引っ張り出されたドミトリー氏は素っ頓狂な声を上げる。

「な、なぜ、」
「ああ、今の試合で、ちィと――テンションが上がり過ぎちまって」

 そう告げるリューリクの筋肉が、服の上からでも目に見えて膨脹する。
 彼の体温は大気を熱する程に上昇し、身体から湯気が立ち上っていく。
 リューリクは言う。

「加減できずに、殺しちまうからよ」

 その眼力で睨み付けるだけで、十分だっただろう。
 射すくめられたドミトリー氏は、言葉もなく何度も頷くと、逃げるように闘技場から走り去っていった。
 その様を一瞥すらせず、彼は日雨と、その肩越しの向こうへ佇む羅虚虎へ視線を戻す。

「明日だ。この面白くもバカらしい殴りっこも、それで最後。惜しむ気も無くなる程の戦いを、期待しているぜ、坊主、ロゥ」
「……ああ」

 万感を言葉に込めて、日雨は応じる。
 ――いつからか、この男と戦いたいと思い始めていた。
 一軍の長に、立場を賭して忠義を貫かせる程の漢。
 本物の王だ。
 そのなんたるかを、肌で、剣戟で、感じ取ってみたい。
 そう思うようになっていた。

「存分に戦ろう、リューリク・ジランタウ殿」



[40176] 11.人と竜(前編)
Name: 八目又臣◆aa87a973 ID:17b043ce
Date: 2014/10/12 19:31
 日雨が帰り着いた時には既に、ねぐらの倉庫はもぬけの空だった。
 居住部分である屋敷の居間には、作ってやった食事の盆や、ヒモで吊され部屋干しされたままの洗濯物が散乱している。部屋を覗けば、これまで片付けるたびに増えていた荷物がごちゃごちゃと床を埋めていた。
 それらの放つ寂しげな風情が、エルザはもうここに戻ってこないのだと予感させた。
 術を授ければ、もう日雨に用は無いという事か。あるいは裏鬼道の〝代償〟について問い詰められるのが嫌だったのか。

「まったく、魔女め。……飯くらい食っていけというに」

 頭を掻きながら、日雨は不満げに漏らす。

「別に……そなたを恨んでなどおらんぞ」

 そしてただ一人彼は、シヴィル・コサックで過ごす最後の一夜を、魔女と暮らした家で明かしたのだった。





 この日は、最低限の哨戒部隊を残して、コサックを含むシヴィル・シーチの全市民に公休が許可された。その内九割を超える竜の民が、〝牙の妻〟に集っていく。
 客席は満員で、通路まで観衆が埋め尽くしている。飛行能力を持つ竜は空を遊弋して観戦しようとする程である。
 ドームに切り取られた天空を、ゆるりと飛ぶ竜の群れ。
 竜たちの武祭サシチザーニイ。その決勝戦。

『このサシチザーニイは、五百と二十七年前に始まりました』

 実況ブースに座るウラジーミルが語り始める。彼は前夜ここで寝泊まりまでして決勝を待っていた。
 ただの格闘技オタクでしかない自分が、どこかの誰かの気まぐれでしかないとは言え、このような大舞台に役割を振られた。最初は緊張で口から心臓が飛び出そうだったが、一晩、歴史ある闘技場で一人過ごした後は、するすると言葉が出るようになった。
 かつてこの場所で戦ってきた竜たちの熱意は、今も確かにここにあった。それを実感できたから。

『中央の政局からはじき出された貴族たちの寄り合い所帯だったシヴィル・コサックの、欲求不満の解消、遠い南の地からの負け犬の遠吠えなどと揶揄されもしました。当初の規模は小さくもあり、身内の腕比べ程度に過ぎませんでした』

 親に連れられ最初の観戦をした少年時代、初代の参加者から聞いた昔話を語る。

『しかし、彼らがこの辺境で吼えていたのは、不満ではない。矜恃です。竜の本懐は強さであり、その点において我らは中央の貴族に負けてはいないと。その腕を常に磨き続けていると』

 おぉおおおおおおおおっ、と観衆の中からまばらに、しかしそれと分かる程の勢いで歓声が上がる。ウラジーミルの観戦暦の中で、彼と知人になった竜たちである。その数は、千にも届く。

『そして今、シヴィル・コサックは最強の遊撃軍に成長し、御国を支え続けているのです。彼らは正しかった。いつ、どこであれ、最強を希求する事には尊き価値がある! ご覧下さい! 自分自身を! 周囲の友たちを! 大海の如くひしめく観衆を! あなたたちは強さを追い求める猛き民だ!』

 彼の熱を込めた演説に押し上げられるように、歓声が闘技場全域に伝播し始める。

『そしてその極北に立つ漢たちが、今日最強を決定する!』

 歓声の海に飛び込むように、西の入場口からリューリクが悠然と歩いてくる。

『御国の開祖、皇国最強の漢、リューリク・ジランタウ陛下! 今回初出場ながら、常に王者の風格を漂わせ、迎え撃つかの如く出場闘士を退けてきました。それも当然、この方こそ王の中の王! 国家そのものを支え続けた巨きな漢が、相手を見上げて戦いに臨むなどありえない!』

 軍長レフ・カルピンスキが手ずから修復したリングに立ち、ウラジーミルの言葉通り相手を迎えるように待つ。
 それに応じて、東の入場口から日雨と羅が出てくる。

『対する挑戦者は、ヨシフ選手とヒメ選手。彼らこそ前代未聞! 初のタッグ出場であり、初の異種参加者! 彼らは竜ではない、人間なのです! 誰が予想し得たでしょう。彼らがこの決勝まで勝ち残る事を! しかしもう認めざるを得ない、彼らは場違いな乱入者ではなかった! 並み居る竜の猛者を退け、あのレフ・カルピンスキ軍長すらも降し、最強の挑戦者としてこのリングに立っている!』
「……最後まで名前を間違えおって、あの男」

 実況席を横目ににらみ、不満げに漏らす日雨。

「王族がほんみょうを呼ばれたがってんじゃねぇよ、還龍宮。――暗殺稼業の俺にしても、名前を覚えられていい事はねぇしな」

 毎度のように小馬鹿にした口調でこちらをたしなめてくる羅。
 毎度のように――そう感じる程に、この男と過ごしたという事だ。
 国の敵であり、母の仇であるこの男と。

(……しかし)

 この男は昨日、日雨を助けたのだ。レフ・カルピンスキの矢面に立ち、日雨が再び立ち上がるまでの時間を稼いでくれた。
 それが、何かの打算であるかとも思った。しかし、どう考えてもそこに合理的な理由を見出す事ができない。
 だから――日雨は今、この男を恨むべきなのか、迷っている。

『そして、両者は共に、優勝者へ与えられる戦利品に身内を賭けております』

 解説が続く――しかし、その声はウラジーミルの物ではなかった。

『このサシチザーニイ、人を賭けて開催される事は前例が無い訳ではありませんが、これまでは一人のみでして、人質用の特別席も一人用なのです』

 なるほど、確かに場内の北側に、他の客席から十数メートルは突出したブースがあり、豪華絢爛な玉座のような椅子が置かれている。

『実は先日、この〝囚われの美姫役〟を決めるコンペが主催者側と当の人質の女性四名の間で密かに催されまして。こじれた犯罪性をお持ちのウラジーミル氏は「幼い、幼い、幼い……推さない? ……いいや、推すね!」とかのたまい幼女二人をどうにか一人用の座席に詰め込む案をねじ込もうとしましたが、当の幼女二人が座席スペースを巡って争い始めたのと、石頭のレフ氏が「そもそも一人掛けの椅子に二人で座るのはルール違反だ」と唱えた為に却下』

 先程の全力投球の演説の直後に恥ずかしい性癖を暴露されて、この世の終わりのような顔をするウラジーミル。

『次に白羽の矢が立った少女は、見た目が地味過ぎると反対意見が出ましたが、しかし唯一絢爛豪華な胸部を強調する服を着る事でカバーできるのではないか、という意見もあり、衣装も用意したのですが、当人の強硬な拒否によってあえなくポシャりました。残念です』

 遠い来賓席から「一旦反対したのも、その後露出の派手な服を着ろと言ったのも、その服を用意したのもあなたでしょう! っていうか、あんな下着同然の服着て衆目に立てるわけないでしょ!」とか猛抗議が上がる。
 声の主は無視して続ける。

『という経緯で、渋々ながら私が、最後の試合に華を添える為、僭越ながらもひと肌脱ぐ事とあいなった訳にございます』

 慇懃とした言葉遣いで、しかし声の調子は遥か高みから見下ろすが如く語るのは、特別席にゆったりと腰掛ける女――だきにである。
 足を組み、頬杖を突く彼女には、傲岸不遜の女王、あるいは全ての黒幕らしきラスボスの風格が漂っていた。

『では、お三方、このか弱き囚われの美姫を巡ってご健闘を』

 超然とアリーナを睥睨しつつ告げるその姿に、囚われの美姫にあって然るべきか弱さはまるでない。

「……よりにもよって、一番助け甲斐の無い女が雛壇に立ちおった」
「……いや、ワリィ。会議の流れ上、どうしようもなくてな」

 気勢を削がれた顔つきでうめく日雨に、ばつの悪そうに謝罪するリューリク。

「ま、何にせよ、それぞれ女を賭けた戦い。男としちゃ燃えるシチュエーションだな。俺も、カワイイ孫娘を賭けてる」
「え゛。いやそれ、初耳なのだが」

 唐突な新事実に、日雨が目を見開いた。

「……別にいらんぞ、そなたの孫娘は」
「そう言うなよー。国一番の美人って有名だった俺のカミさんに似ててよー、将来有望だぜ?」
「なんか……押し売りされてる気分なのだが」

 リューリクの言葉に含まれた違和感を敏感に感じ取って、日雨は表情に疑念を乗せる。

「――その男が、孫を可愛がってるのは本当だぜ」

 気の抜けたやり取りに口出しするのを嫌って声を上げなかった羅が、そう言ってくる。

「蜥蜴爺……てめぇの孫のお守りにコサックの連中を駆り出しやがって。我儘にも程があるぜ」
「さて、なんの話かねー」

 羅の憎まれ口を飄々と受け流すリューリク。その両者の不可解なやり取りに、日雨は首をかしげる。






 ジュラヴリカは、筋骨隆々の無骨な男女が殴り合う野蛮な催しになどまるで興味は無かったが、優勝者の景品に選ばれてしまった以上最終戦の観戦に拒否権は無かった。
 数ヶ月ぶりに外に出て、闘技場の来賓席に腰掛けるまで無遠慮な大人たちの視線に晒され続けた。来賓の貴族らは彼女の〝事情〟を知っている。
 胃が溶けかけたように痛くなり、目眩がする程の道のりだった。

 ――あれが、皇室の恥部か。
 ――〝ラーストチュカ〟殿下は逆に、御国の誉れとさえ呼ばれているのに。
 ――皇族なのに、未だに角すら隠せていない。なんだあの不作法な姿は。赤子ではあるまいに。

「ぁ……ぁぅ、うぁ。あう……うぅ。うぅうううううう」

 喉が干涸らびたようになり、汗が噴き出し、視界が回転する。自分が立っているのかすら怪しくなっていく。
 ――忌子。
 致命的な言葉だった。
 ジュラヴリカの張り詰めた精神が決壊する――その直前。

「そちも来ておったのかくらげ」

 来賓席の柵にしがみついてアリーナを見下ろしていた夜見が、こちらを向いて声を掛けてくる。

「なんじゃその生まれたての小鹿のような怯えっぷりは。引きこもりが久々に衆人環視にさらされ対人恐怖症を発症しておるのか。ただ外を出歩くだけでさばいばる感を演出するとは、ずいぶんと面白い人生を送っておるのぉ貴様は」
「う、うるさいわねこのイカぁ~!」

 声を張り上げて怒鳴りつけると、立って歩く力が湧いてきた。

「あっ、こっちくんなよくらげ。そちはその辺の隅っこで普段通りのぼっちすたいるで観戦しておれ。わらわ、敵の孫と同席するつもりはないからの」
「こら、夜見ちゃん。そんな事言わないの。……ほら、ジュラヴリカちゃん? こっちこっち。試合が一番よく見えるよー」

 ムチの後の飴のように優しく手招きしてくるくららに、おずおずとジュラヴリカはそちらへ向かう。

「て、てゆーか、敵ってどういう事よ」

 隣の夜見に問い糾すと、彼女ははん、と面倒臭そうに鼻を鳴らして視線でアリーナの方を示す。

「我らの身柄を賭けて、わらわの兄がリューリクと戦うのよ」
「……………………………………………………はぁ?」

 その言葉の意味をただ咀嚼するのにも時間がかかった。事実と認めるのは、時間がかかるどころか絶対不可能な話だった。

「あ、ああ、あんたの兄って……人間って事でしょ?」

 今日はサシチザーニイの決勝戦。祖父と戦うのは、そこまで勝ち上がった闘士のはずだ。ジュラヴリカにとっては目にするのも怖い竜のツワモノを相手に、勝ち残る人間などいるはずがない。

「ホントだよ」

 夜見の向こうに立つくららが、ジュラヴリカの不信を見透かして言う。彼女の目は、リング上の一人の少年を真っ直ぐ見据えていた。

「彼……日雨くんはここまで勝ち上がってきた。そしてこれから、リューリクさんと戦うの」

 人間であるなら十を半ば過ぎた程度の、ただの小柄な子供だ。
 あんな少年が、これからあの無敵の祖父と勝負するのだと言う。
 とうてい信じられる話ではなかった。

「そ、そそ、そんなわけないでしょ……じ、じじいは、他の皇族だって怖くて喧嘩の売れない、すっごい強いじじいなのよ。か、勝てるわけないじゃない!」

 なんでそんな戦いに身を投じるのか。初めて見る夜見の兄という少年へ、心底不可解な視線をジュラヴリカは送る。
 絶対に勝てない勝負というのは、あるのだ。
 生まれつき決められた限界というのは、あるのだ。
 それに挑戦すれば、不様に地へ堕ちてしまう。二度と立ち上がれない程傷ついてしまうのだ。
 かつての自分と同じように。
 なぜ、それが分からないのか。

「日雨くんは、勝つよ」

 そう告げるくららの声には、鋼の確信が籠っていた。

「だからきみは、お祖父ちゃんを応援してあげて、ジュラヴリカちゃん」
「……そんなの、必要なわけないじゃない」

 他人の声援など、ましてやこんな落ちこぼれの声など、かの国父リューリク・ジランタウが必要とするわけがない。
 前から脳天気な所のある女だと思ってたが、この女は馬鹿なのだ。そうジュラヴリカは確信する。

「そう、かな」

 くららはそれだけ呟いて、眼下の光景へ専念する。
 そうして、少女たちの想いの帰結は――闘技場に立つ男たちに委ねられた。






 九つ鐘が鳴り始める。

「さて、坊主……これは俺の個人的な、お前と戦う動機なんだが」

 リューリクが、日雨に話しかけてきた。

「?」
「俺は、てめぇの〝器〟を計らにゃならん。――俺は強ぇぞ。死ぬ気で来い、秋津洲国、最後の王子よ」

 彼が何の意図でそれを言ったのかは分からないが、

「うむ。全力をぶつけ、そして勝つ。リューリク・ジランタウ殿」

 日雨は彼の深い青の瞳を見定め、そう頷いた。

「ロゥ」

 次にリューリクは、羅へ言葉をかける。

「……」
「敵と語らう口なんぞ無ぇ、ってか。……人間ってのは、大変だな」
「……何がだ」
「一本道以外、歩く寿命ヒマが無ぇってのはよ」
「……見下してんじゃねぇぞ」
ちげーって。お前に半殺しの目に遭って、すげぇな、と思ったぜ。だから――俺もお前を、敵と認めてやる。殺し合うぞ、人間」
「おセンチな物言いは好みじゃねぇよ。俺は仕事をやるだけだ――殺すぜ、竜の王」

 餌場を奪い合う獣の如く、両者は攻撃的な相貌で言い合った。
 最後に。

「……てめぇとの不本意な馴れ合いも、今日で最後だ」

 羅は隣の日雨に、そう語りかけてきた。
 しかし男は続く言葉を留めたまま、しばし沈黙し、

「……足、引っ張るんじゃねぇぞ」

 ただそれだけ告げた。

「……ああ」

 日雨も、それだけ返す。
 この男に対して、何を思えばいいのか。紛う事なき卑劣漢だ。殺人鬼であり、逆賊であり、得体の知れない組織に属する悪党だ。母の仇だ……
 それだけ自分に言い聞かせても、この男に並び立った時の感情を、憎悪一色に染める事ができない。
 答えを定めるには、九つの鐘は短すぎた。
 最後の鐘が、鳴る。

「――オォオオッ!!」

 一瞬でデモナイズ――から刃鬼化まで完成させ、日雨はリング西端に立つリューリクへ突貫する。

(全開で行く!)

 先制を取らねばならない――羅虚虎から。
 あの男の目的はリューリクの暗殺だ。それを果たさせるつもりは日雨には無い。あの男の介入する隙を作らせず、勝負を決める!
 レフ・カルピンスキが反応すらできなかった歩法で接近し、全力の拳を撃ち込む――
 リューリクは、半歩バックステップを踏んだ。
 そして、空間に残すように左ジャブを打ち下ろす。
 それは吸い込まれるように、日雨の顎に命中した。

「な……!?」
「無拍子、だろ」

 衝撃によろめく日雨に、放り捨てるように告げるリューリク。

「順体、無足、浮身、初動から終端までの等速度……諸々の術理を統合した結果、動きから〝区切り〟が消える、〝見えない動作〟だ。媒介者メディエーターの魔力で増強した身体能力でそれをやりゃあ、消えたようにも見えるだろうさ」

 日雨自身、師匠から概要を聞いただけ、刃鬼化するまでは実践できるとも思っていなかった術理をすらすらと彼は述べる。――なら、なぜその動作を認識できる!?

「観の目強く……全体を掌握するつもりで感覚していれば、捉えられねぇワケじゃあねぇからな。ナメんなよ坊主――こちとら一千歳超えてから、トシを数えちゃいねぇんだ」

 つまり、武術的な〝ひきだし〟も底なし、という訳だ。強靱な身体能力に頼った雑な格闘技しかできないと思えば、こうして痛い目を見る。

「忠告痛みいる……しかし」

 崩れた膝の感触を、即座に把握する。ちゃんと動く。先程のカウンターは、脱力し、首を回転させる事で威力のほとんどを殺している。

「御託を並べるヒマがあると思われるのは、噴飯物だ!」

 左のハイキックを放つ。下腿から先を刃化させ、鎌のようにして首を刈り取る軌道。
 リューリクは、身を沈める事でそれを回避した。
 日雨は、左足をそのまま振り抜き――軸足とした右足で、地を蹴った。
 空中で身体を捻り、沈んだリューリクの顎を、右足で下方から打ち上げる。

「……おろ?」

 アクロバティックな蹴りに不意を打たれてよろめくリューリク。これで、先のパンチの礼は済んだ。
 生じた隙に、右側面に回り込む。
 じゃりんっ!
〝剣霊〟を一振り、発生させて右肩に〝装填〟する。
 全力の右ストレートに載せて、拳から巨大な刃が撃ち出されリューリクの腹部を貫く――

「……!?」

 硬い手応えに、拳を押しきれない。
 リューリクは、左の掌で撃ち出した刃の切っ先を受け止めていた。

「ふーん……そのデカ剣を身体に直接憑依させて、体内で練り上げて撃ち出す……そいつがレフに喰らわそうとした、お前の必殺技かい」

 余裕めかした横顔を見せ、告げる、竜の武王。

「お前さん一人じゃあ、まだゴタクをしゃべくるヒマはあるってコトよ。――ナメんなよ、坊主」

 再び、しかし一度目と比べて遥かに重みを込めてリューリクは言った。

「俺の命を気遣って勝とうなんざ、ムシが良すぎるぜ。――ロゥと、二人で掛かってこいや」

 その言葉を口にするや否や、陰形で気配を殺して接近していた羅が、真正面からリューリクの目を払うように切り付けてきた。

「痛ってぇーっ!?」

 眼球からどろりとした水晶体と血液を拭きだして、リューリクは仰け反る。しかし。

「ッフ、フハハハハハハハハァーッ! この容赦のなさ、そうこなくちゃなァ!」

 身の竦むような左アッパーが、一瞬前に羅のいた空間を薙ぎ払った。
 左に飛び退いて躱した羅へ、追い打ちの右を打ち下ろす。リューリクの拳は身を捻って避けた羅の横を素通りして、リングに大穴を穿った。

「さぁ来い人間ども! 命懸けの喧嘩だ、存分に楽しもうぜ!」

 左右から挟むような位置に立つ日雨と羅へ、迎え撃つがごとく諸手を広げるリューリク。

「ボサっとしてんじゃねぇ!」

 羅の叱責。既にリューリクの斬り裂かれた両目は修復を始めている。付け込む機は今を置いて他に無い。
 こうなれば、ギリギリの一瞬で羅を出し抜くしかない――それまでは。
 じゃぎっ! ――手刀、掌、足刀、爪先、踵。日雨は肉体から刃を生成して臨戦態勢を取る。

「しっ!」

 噛みしめた歯の間から軋るような音を立て、日雨は右の回し蹴りを打ち出す。
 リューリクは、腕に目がついているかのような正確さで、爪先から伸びる剣の切っ先をブロックする。
 しかし、初撃は布石。日雨はガードしたリューリクの腕を踏台に更に身体を旋転させ、踵をこめかみに突き立てようとする。
 リューリクは、ブロックの為に畳んだ左腕を、パンチを打つ要領で、蹴りつけた日雨の身体ごと伸ばした。
 遠ざかる間合い。こちらの踵蹴りは宙を切る。
 が。

「シャアァッ!」

 日雨の攻めはリューリクの意識を空中に逸らす為の囮。地を蛇のように這い進んだ羅が、横薙ぎの斬撃を、肝臓ごと腹をなで切りにする軌道で放った。

「甘ぇ――」

 喪失した視力を他の感覚で補っているリューリクは、陰形で接近する羅の気配を捉えていた。 右腕でストレートを打つ。羅の刃が臓器を傷付ける程深く入るより先に、顔面を打ち抜ける速度だ。
 しかし。

「ぬぅッ!?」

 拳が何も無い空間を空振りする。そこには羅の苗刀のみがあり、
 剣の主は、リューリクの背後に。

「カァッ!!」

 肺腑から爆発するような雷声。リングの石材に広くヒビを入れる震脚。全身の勁を余す事無く使い、羅は鋼鉄をも撃ち抜く頂肘でリューリクの背を打った。
 その衝撃は、かの初代竜皇をも前倒しにしかねない威力を持っていたが、しかし。
 がぼッ、と口腔から盛大に吐血しながら、リューリクは踏みとどまった。
 倒れた方がむしろ打力は分散し、ダメージを内臓に残す事も無かったろうが。
 王者は倒れない――

「そういう事、であろ?」

 リューリクの前方に、日雨が拳を構えて立っていた。
 剣霊装填、体内鍛造――発剣!
 日雨の拳から打ち出された剣は、リューリクの腹筋に突き刺さり、その衝撃でリングの端まで吹き飛ばした。
 リューリクが、尻餅をつく。

「……おおっ?」

 彼の長い人生でも、先にダウンを取られた経験は数少ないのだろう。唖然とした声を上げている。
 地面に落ちた羅の苗刀を足の甲ですくい上げ、彼の手元に放る。
 ぱしっ、と羅はそれを受け止めて言った。

「ようやく、赤点よりはマシになりやがったな」
「ぬかせ」

 憎まれ口に、素っ気なく返す。
 ――客席中から驚愕に満ちた叫び声が上がる。
 実況ブースのウラジーミルが興奮と共に舌を回す。

『なんとなんとなんとォっ! 我が国でも最強と誉れ高い、国父リューリク選手、先制でダウンを取られました! ヒメ選手、ヨシフ選手、タッグとして参加しておきながら本大会初のコンビプレイですが、完璧な連携を魅せてくれました!』
『本来タッグマッチとは交代で一人ずつ戦うものなので、これまでのやり方が正しいのですけれどね。ああした攻撃はツープラトン、厳密にはルール違反です』
『え……ダキニ女史、なんで実況ブースに戻ってきてるんですか。囚われの美姫役は?』
『飽きました』
『……あんた自由すぎますよ』

 などと、ウラジーミルとだきにのやり取りはさておき。

「気ぃ抜いてんじゃねぇぞ」
「……ああ」

 羅の言いたい事は、確かめるまでもない。
 完全に治癒したリューリクのガンが、遠くからもこちらを射貫いてくる。
 相手はまるでダメージを受けていない。先ほどの剣霊による刺突も、筋肉の壁を貫いて内臓に届かせる事はできなかった。
 霊格が高すぎる。レフとは比べ物にならない内在霊力で強化された肉体は、刃鬼化した日雨の攻撃すら容易く防御してしまう。

 そしてその膨大な魔力の加護は、体内にも及ぶ。羅は不意打ちの浸透勁でリューリクの内臓に打撃を加えたが、もう同じ手は通用しないだろう。
 ここまでで決める事ができれば儲けものではあったが、さすがに甘い考えだったか。
 予定通りの攻略法で行くしかないようだ。

「あやつの〝虚〟……つけるのか?」
「出来なきゃ死ぬだけだ」

 日雨の述べる懸念を、にべもなく返す羅。
 魔力による身体強化といえど絶対ではない。
 それを構成する霊子は意識によりコントロールされるものであり、意識には〝虚〟、すなわち隙がある。リューリク程の強固な肉体の持ち主と言えど、そこに全力を注ぎ込めば突破できるはずだ。
 つまり、完全にリューリクの予想できない攻撃を打て、と言っているのだ、この男は。
 それがどれ程困難か、不満を言いたくはなるが。

(……そういう修羅場を幾度となく潜ってきているから、今のこの男がある、という事か)
「やってやろうではないか」

 羅よりも先にリューリクへと歩みだしつつ、日雨は言う。この男に遅れを取るのは、どうにも――許せない気がした。
 幸運なのは二対一である事だ。いくらリューリクと言えど、人体の構造上左右からの同時攻撃を一人で完全に対処できるはずはない。どこかで、期待する隙が生まれる可能性はある。

「おーおー、燃え盛ってやがんなぁ」

 尻をはたきながら立ち上がり、リューリクは茶化してくる。

「開幕早々、お前らには驚かされたぜ。……次は、お前らに驚いてもらおうかな」

 と、不敵な笑みを浮かべる。
 先と逆に、次は日雨が左側面、羅が右側面に立った。
 攻め口も逆。日雨が足を狙って飛び込み、羅は上段に構えて迫る。
 リューリクは悠然とそれを待ち構えている。

(いくらなんでも、受け身が過ぎるぞ!)

 こちらを舐めてかかっているのか、王者の矜恃か。どちらにせよ、後手に回るのなら楽な戦いになる――
 ぎょるんっ、と。
 左右の敵を捉えるリューリクの眼球が、別個の動きを見せた。
 まさか、視覚を左右で分割できるのか?

(器用な真似をッ!)

 こちらの動きを正確に捉えて放たれた右足の蹴りを避けながら、驚愕に唸る。羅の斬撃も同時に対応されていた。
 しかし、日雨の驚きはそれでは〝足りなかった〟。
 大地を踏むリューリクの両足が、どちらも外向きに旋転する。
 打ち放たれた拳が、日雨と羅の胸に突き刺さった。

「げうっ!?」

 数歩分の距離を吹き飛ばされ、肺から空気を吐き出しながら、日雨は戦慄する。羅も似たような表情を顔面に貼り付けている。
〝勁〟、つまり肉体の力と魔力の運用について知る彼らからすれば、驚天動地の事態が起きていた。
 今のリューリクの左右への同時攻撃。踏み込みから始まる体重移動、丹田の魔力の練り、呼吸による気息の巡り、腰から拳への力の伝達――〝全てが二分割されていた〟。

 リューリクは、半身を一個の独立した生物としているのだ。関節の構造もそれに合わせて最適化されており、丹田や呼吸の管理も分割されている以上、内臓の数も変化しているはずだ。
 あるいは、脳神経ですらも。

「はっはー、理解が早いな」
「実演してみせたからな、こいつらならすぐ分かるだろー」

 声質の違う二つの音声が、ほぼ同時にリューリクの口から吐き出される。

(……デタラメにも程があるだろう)

 冷や汗と共に、相手の理不尽さに恨み言めいた言葉を思い浮かべる。

「いや、むしろこれくらいやって当然じゃん?」
「〝俺ら〟は旧世界の人造戦闘生物の究極系、ドラゴン――紛う事なき、バケモノだぜ?」

 にぃいいい、と口腔を歪めて告げるリューリク。
 想定が甘かった事を思い知らされる。人体の構造上の限界など、この竜には当てはまらない。

「お前ら、二人掛かりで気が引けるだろ?」
「これで対等、二対二だな」

 言うや否や砲弾のようなストレートが左右に伸びる。
 前腕から刃を引き出し楯とする。
 拳が当たったとは思えない硬質の音響と、火花が散った。

「そらそらそらそらそらそらそらそらそらそらそらそらそらそらそらそらッ!!」
「ウラウラウラウラウラウラウラウラウラウラウラウラウラウラウラウラッ!!」

 ただ一本の腕で、ストレート、フック、アッパー、裏拳、虎爪、貫手と千変万化の打撃を打ち込んでくるリューリク。打ち合わせた刃と拳から火花が無数に散り、目を灼く程の光を発する。
 右側面の羅とも同じ攻防が繰り広げられているが、その影響で日雨の側のリューリクに隙が生まれる様子は無い。まさに二対二だ。
 あくまで人間こちらに合わせる気なのか、手足や頭部の数まで増やす事は――おそらくできるはずだ――しなかったが、それでも十二分に手を焼く。どうにか互角、という程度ではいずれ天秤は力の総量に勝るリューリクに傾く。

 この均衡を、早急に打破しなければならない――焦燥に駆られつつある、その時。
 羅の視線が、一瞬こちらを突き刺してくる。
 何かを、狙っている。
 あの男が考えそうな手立てを、剣戟の最中模索して、
 答えを出す。

「だらぁっ!」

 頭上に剣霊を生成して操作し、大上段に叩き付ける。
 リューリクは、腕を立ててそれを防御した。
 その隙に、懐に潜り込み――そのまま素通りする。
 右側面の、誰もいない空間に立つ。
 日雨の移動と同時に羅は、リューリクの背をかすめるように疾歩して左側面に位置していた。
 そして両者同時に、攻撃を再開する。

「うぉっ!?」

 リューリクが当惑の声を上げる。突然の相手の切替スイッチに、左右の半身が混乱を来している。
 動きに乱れが生じている。このまま二度、三度と立ち位置の入れ替わりを続けていけば、その乱れは致命的なまでに大きくなるはずだ。

(もう一回――)
「甘ぇ!」

 リューリクは大喝しながら――リングに手をついた。
 そして高く上がった両足を、鞭のようにしならせ蹴りつけてくる。

「がっ!?」

 前腕を立てて受けるも、その異常な蹴りの重さに戦慄する。これは、まさか。
 リューリクの手が、足の如く器用にステップを踏み、肘の捻りがその力を無駄なく伝達する。

(〝切り替えた〟!)

 彼は瞬時に上半身と下半身の体内構造を変化させ、機能を入れ替えたのだ。
 唐突な戦法の変化に、逆にこちらが翻弄される!

「格闘は芸術!」

 足で〝突き〟を連打しながらリューリクは喝破する。

「経験と閃きを肉体で表現する創作物! 戦いを愉しみ、悦楽し、そこに相手を沸かせる独創性が現れる! 勝利とは、そこから生まれる!」

 ぱしっ、という軽い音響と――足に絡み付く悪寒。

「こんな風にな」

 日雨と羅の足首を掴んだリューリクは、そのまま前転して、その勢いで両者を空高く投げ飛ばす。
 闘技場の観衆が豆粒ほどに見える程の高さ。
 高度に恐怖を覚える間もなく、自ら飛んだリューリクが追いついてくる。

「フ  フ フハ ハハハハ ハ    ハァ――――――――――ッ!!」

 喜悦に満ちた大笑と共に繰り出される、無尽の拳打、蹴撃の乱舞。
 日雨は落下しながら、必死に手足を繰りバランスを取りつつ応戦する。体構造を変化させられる相手の重心は自在。空中でも軽々と動き、どのような姿勢でも骨身に浸透する打撃を叩き付けてくる。日雨のリズムは、加速度的に崩れていく。
 致命的な隙を最初に作ったのは。

「……チィ」

 身体を泳がせた羅が、悔しげに舌打ちする。
 その胴体に、リューリクの放った爆撃じみた拳打が命中した。
 墜落するように羅の身体はリングへ激突し、その衝撃で石材を陥没させる。そのままぴくりとも動かない。

「ろ……羅っ!?」

 日雨が狼狽する、その隙にリューリクが踵落としを繰り出した。
 肩口を痛撃され、日雨もまたリングへ不時着じみた着地をした。

「ぐ……」
「ふむ……ちィとあっけねぇが、アイツだけナマの人間だしな。マトモに喰えばこんなモンか」

 リューリクは倒れ伏す羅をちらりと一瞥し、どこか落胆めいた顔をすると日雨の方へ向き直った。

「さぁて、残り一人になっちまったなぁ、坊主。どーするよ」

 体構造を一人分に切り戻しつつ、リューリクは問いかけてくる。
 降伏も、彼の問いには含まれていたが。

「……」

 日雨は迷う事なく、リューリクと己を結ぶ直線を踏み締める。

「……良い心意気だ」

 美酒を堪能するような声音でリューリクは言い、構える。右手を肩の高さ、左手を腰元に。それぞれ竜のあぎとの如く緩く開いている。これが、彼オリジナルの格闘の構えなのだろう。その姿勢になった瞬間威圧感が増し、まさに巨獣の気配を帯びてくる。
 しかし、退かない。
 せめてあの男の代わりに、一撃を叩き込むまでは。
 ずらり、と日雨は周囲に剣霊を展開する。

「オォッ!!」

 飛び上がり、右腕を振りかぶる。
 剣霊装填、体内鍛造――着剣!
 右手に纏わせた巨剣を振るい、リューリクへ叩き付ける。

「むゥんッ!」

 彼の右手が、噛みつくように斬撃を受け止めた。しかしその圧力に、身体が沈みその場に縫い止められる。

「行け!」

 その隙に、左右に滞空する剣霊がリューリクの胴体を挟むように突き出される。
 左手で一振り叩き落とし、右膝で一振り打ち上げる。
 ――更に二振り、上段から打ち下ろされる。

「手数で勝負か!」

 立て続けに繰り出される剣霊と日雨の斬撃を、硬化した手足で防御しつつ声を上げるリューリク。

「知略と技術の応酬も結構だが、こういう派手な喧嘩も――悪くねぇなぁあッ!!」
「オォオオオオオオオオオオオオオッ!!」

 鉄の音響轟き、火花散る剣戟を演じる両者。
 しかし、日雨の脳裏には一つの疑問が浮かびつつあった。

(なぜ……〝機密〟を使わない?)

 未だこの男は身一つで戦っている。レフのように、周囲の自然物を支配して己の武器とする事ができないはずはないのに。
 なぜ本気を出さないのか、答えの出ない疑問に囚われている内に。

「オラァッ!!」

 両拳をリューリクは打ち下ろし、左右から迫る剣霊を殴打する。
 強度限界を迎えて、剣霊はあえなく砕け散った。

(本気を出す……必要が無いという事か!)

 こちらを守る剣霊が消え、すかさずリューリクは右拳を振りかぶってくる。
 歯噛みしつつ、それに応じて剣霊を着剣した右手を突き出す日雨。
 剣拳交錯し、そして。
 日雨の顔面に、鉄の如き拳がめりこむ。
 先に届いたパンチの衝撃で、剣霊が逸れて何も無い空間を貫いた。

「が……」

 首ごと吹き飛ばしかねない打撃。意識がはじき出され、力を失った身体がずるりと倒れようとする。

(こ   の      ま ま)

 しかし――片足一本ぶん、残った執念が踏みとどまる。
 このまま、何もせずに。

「負けられるかぁああああああっ!!」
「何っ!?」

 技術でも知略でも力でもない――ただの意地。ただそれだけをリューリクは読み誤った。
 左手に剣霊装填。
 発剣!

「ご……っ!」

 不意を打たれたリューリクは、突き出された剣霊をまともに受けて吹き飛ばされる。地面を靴底で擦り、白煙を吹き出しながら滑り。
 そして踏みとどまる。
 日雨の渾身の一刀は、決め手とはなり得なかった。
 リューリクはさしたるダメージを受けず、愉快そうな面構えを崩す事も無かった。

「一本取られたぜ坊主。さて、もう一度同じ事ができるか――」

 口上を述べる彼の口が、不意に、開かれたまま止まる。
 リューリクの〝背中側〟の観衆が、悲鳴を合唱している。
 彼の背後に立つのは羅虚虎――凶悪な暗殺者。
 その手に握られた苗刀は、肋骨の隙間を正確に貫き通し、体内の奥深くに切っ先を届かせていた。

「てんめっ……死んだふりかよ」

 口から血泡を吐き出しつつ、青ざめた顔で背後の羅へ言うリューリク。

「所詮てめぇは喧嘩が趣味の猛獣だ。人間のプロなら、きっちり、俺が死んだか確かめてたろうぜ」

 捨て台詞を告げ、羅は剣を引き抜く。
 リューリクの巨体は、糸を切られたように力を失い、その場に沈んだ。



[40176] 12.人と竜(後編)
Name: 八目又臣◆aa87a973 ID:17b043ce
Date: 2014/12/01 20:03
 ずん、と巨木の倒れるような音響が観衆に染み渡ると、凶暴な罵声が一斉に羅へと向けられた。

『か、観衆の皆さん! 落ち着いて下さい! ――リューリク選手ダウン! これは完全に致命傷か!? しかし、ヨシフ選手のあまりに凄惨な手口に、闘技場はブーイングの嵐!』

 怒気の渦巻くアリーナの中心に立ち、しかし羅はどこ吹く風という風情で。
 再び剣を振り上げる。視線の先には、リューリクの首があった。
 ――振り下ろす直前、日雨がその間に立つ。

 ち、と憎々しげに羅は舌打ちする。この餓鬼が、そう出てくる事は分かりきっていた。本来ならこうなる前に排除すべきだったが、今し方取った戦法は、還龍宮がリューリクの注意を逸らす程の攻勢を掛ける事無しには成立しない。少年がそのくらいはできると踏んで打った裏技であり、そこまで――腹立たしい話だが――信を置ける遣い手の代わりはいなかった。
 短く、冷酷に羅は告げる。

「……これが俺の仕事だ」
「ならば、それを阻むのが余の役目だ」

 リューリクの身体を背に、日雨は刃を纏った腕で構えを取る。

「馬鹿が……! てめぇ、自分が庇ってる相手を分かってんのか!? 竜は、人類の敵だ!」
「この男を殺した所で、その敵対関係が変わるのか!」
「少なくとも敵が一人減る」
「互いのどちらかが滅びるまで喰らい合う気か! そんな戦いに、何の意味があるというのだ!」
「てめぇは、この世界の事を何も分かってねぇ……」

 なじりながら、羅は斬撃の目標を日雨に切り替える。少年の顔が、痛みを覚えたように歪む。
 しかし、〝あの女〟の魔術で強化されたこの子供を容易く排除できるとは、羅も思えない。

(間に合うのか?)

 羅には、日雨に語らなかった懸念がある。

(全身全霊の気を練った刺突で、死穴を突いた……運良く助かるにしても、三日三晩は目覚めやしねぇ)

 己の放った攻撃が、〝本来の条件〟通りなら、その予測に間違いはない。

「どけってんだよ、てめぇは――」

 怒鳴りながら、羅は違和感に気付く。
 観衆の罵声が、鳴り止んでいた。
 怒りすら忘れる巨大なものに、遭遇したかのように。

「危なかったぜ」

 日雨が、背後から発せられた声に振り返る。

「〝エンジンがかかり切るのがもうちょっと遅かったら〟死んでた。……ああ、〝お前の問題〟も影響してたかね」

 羅に向かって語りかけながら、ゆるりと立ち上がる、リューリク・ジランタウ。

「別に、今まで本気じゃなかったワケじゃねぇんだぜ?」

 その身体の異変は、誰の目にも明らかだった。

「これでもトシのせいで、あちこちガタが来ててよ……全力に耐えられる身体に変化させるにも、時間がかかんだよ」

 その肌は火山口を滞留する溶岩のように赤熱の色彩を帯び、発熱で蒸気を発している。

「こうなっちまったら、健闘までは期待しねぇ。せいぜい――原型が留まる程度に死んでくれや」

 日雨も羅も、反射的に彼と距離を取った。本能的な忌避感を催す程の、圧倒的な生物としての格の違い。それが今の彼から、はっきりと現れていると感じた。
 飛び退いて、着地する――
 その瞬間に、日雨の目前にリューリクが飛び出していた。
 これまでとは段違いの加速。砲弾の如き身体の速度。
 打ち下ろされた拳は、爆撃の如し。
 決死の心地で身体を逸らし、それを回避する――
 真っ白な閃光と音響が、間近で轟いた。
 爆風に吹き飛ばされ、ごろごろと転がる。耳鳴りに耐えながら、どうにか目を見開いて、

「な……んだと」

 言葉も無く、唖然とする。
 リングが無い。
 それのあった場所に、リングの直径より二回りは大きなクレーターができあがっていた。

「なんだ……この力は!」

 驚愕に叫ぶ。

『鋼鉄と炎、ですね』

 観衆も、隣のウラジーミルすら言葉も無い状況で、冷淡につぶやくのはだきにであった。

『竜種というのは、一種類の〝気〟……つまり単一波長の魔力をその身に宿らせていると聞き及んでおりますが、霊地ジランタウで誕生した皇族ならば、その制限が無いのではありませんか?』

 それは、クレーターの中央に佇むリューリクへの問いかけの形で告げられた。

『貴方の司る魔力元素は〝金〟と〝火〟。今の貴方は体内を巡る火精の燃エネルギーを使い、運動能力を爆発的に強化しており、そして身体を鋼鉄化させる事で膨大な熱量の封じ込めを行っている。つまりそれがエンジン、という訳ですね。今し方の本気パンチは体内で圧縮された炎熱を開放した一撃、といった所でしょうか』
「解説ごくろーさん、ダキニの嬢ちゃん」

 茶目っ気めかしてウインクをしつつ、リューリクは回答する。

「その正答に免じて、坊主が体勢を立て直す時間稼ぎまでは目ぇつぶってやるぜ」

 広くすり鉢状になったアリーナの傾斜に立つ日雨と羅を見上げ、リューリクは再び構えを取る。
 ――反射的に楯にした左腕に、猛烈な衝撃が叩き付けられた。

「がっ……!」

 吹き飛ばされる――対岸にいた羅と同じように。
 距離にして数十メートル離れた両者を、同時に殴り飛ばした。

(なんたる疾さ……!)

 そして、その速度を乗せた拳の威力も尋常ではない。へし折れた左腕の痛みに耐えつつ、それを自覚する。

「くッ!」

 剣霊を四振り生みだし、リューリクへ向けて射出する。
 準決勝にて、レフが渾身の魔力を練った石牢すら突破した裁断力を誇る太刀は。

「ぬゥウんッ!!」

 横薙ぎの裏拳でまとめて粉砕された。

「づ……ぉぁあああああああああああっ!!」

 更に日雨は、奇声を上げて自身を突貫させる。半ば、恐慌に駆られての事だった。相手の覇気はそれ程に強大すぎた。

「ち……クソガキが」

 羅もまた舌打ちしつつ、リューリクへ向けて駆け出す。
 上段を誘いに、三閃。斬りつける。
 リューリクは――人差し指一本でそれを防いだ。
 その瞬間に治癒した左腕で刃を生成し、二刀で無数の斬撃を繰り出す。しかし一本きりの指が、一枚の壁のようにそれを阻む。
 決死の集中で、その壁の穴を見つけた。
 そこに殺到するがごとく、斬撃を打ち込む。
 偶然にも、羅もまたその瞬間リューリクの身体に斬り込む隙を見出したようだった。

 それぞれ、無防備な胸、首へ向かう軌道。
 あるいは――偶然などではなかったのかも知れない。
 かの男は、偶然を演出して教えようとしたのかも知れない。
 人の奮闘など、強き事を運命づけられた種族を前にして無意味であると。
 ――叩き付けた剣が、硝子のように弾け飛ぶ。
 入れ替わりに打ち下ろされた両拳が、隕石の激突のように日雨と羅を叩き潰した。

「がはァッ!?」
「ぬぐッ!」

 化勁を用いて威力を殺しても、痛烈なダメージが内臓にまで浸透する。

「は  はは」

 獰猛、と呼ぶのすら生ぬるい攻撃性を内包した高笑いが上がる。

「はははは   は は はははははははははははははは      は ははははははは  は  は はは ははははははははははは         ははははははははは  はは  は は はははははははははははは」

 猛っていた。
 狂っていた。
 この男の表層を覆っていた理性は今弾け飛び、周囲の全てに凶暴性を叩き付ける怪物と化している。
 暴虐と破壊の王。

「がっ!?」

 頭部を掴まれ、引き上げられる。
 咄嗟に両手で守った胸に、鋼鉄の拳が叩き付けられた。

「ごぼっ!」

 鮮血が口腔から溢れ出る。
 その血を浴びながら、一瞬たりと躊躇する事なく、リューリクは同じ箇所への殴打を続けた。
 全ての魔力を防御に費やしても、身体を粉砕されないようにするのが精一杯の、圧倒的な力。
 骨が砕ける。
 肉が潰れる。
 臓腑が弾ける。
 ――凶笑が轟く。

「が……ふ」

 絞り滓のような吐息が漏れる。身体は襤褸の如く傷つき、今、両腕を上げる力すら失われつつ――

「こぉぉおああああああああああああああああッ!!」

 雷声。
 リューリクの背後で、激震が起きる。地脈を打ち、その震脚の勁力を呼び水に地精の助力を得、放つ靠撃コウゲキ
 八極に通貫する一打。
 ハンマーで鋼鉄を叩いたような異音が、闘技場の全員に聞こえる大きさで響いた。
 羅の渾身の一撃を受けたリューリクは、しかし。

「しゃら  く  せ   え」

 化物の妖声を上げて、羅の首を掴む。
 捕まえた二人を、叩き付けるように投げ飛ばした。

「ぐ……ぉ……」

 すぐ隣に羅のうめき声が聞こえる。日雨は、声を発する余力も無かった。
 腕の骨が砕けているのにも構わず、大地に拳を叩き付ける。

(勝てん……ッ!)

 腕力も、スピードも、魔力も、年功も。全ての要素が日雨を上回っている。
 いや――隣に倒れている羅虚虎も例外ではない。
 人間である限り、この強大な生物には勝てないのだ。
 なら、どうすれば、と。出口の無い迷路じみた思考が泡のように浮かび。
 ――一つの、光明を見出す。

(人間で、無くなればいい)

 ざわり、と、刃と化した日雨の髪の毛がざわめく。
 足りぬものがあれば補えばいい。力が無ければ剛力を、速さが無ければ最速を、魔力が無ければ怪異を、年功が無ければ知恵を。
 喰らえばいいのだ。鬼の如く。
 相手が最強であるというのなら、その更に上の強さを得て蹂躙し、その座に成り代わればいい。

(変わる……)

 己を変革せよ。人間などという脆弱な枷を解き放て――

「づぁっ!?」

 唐突な拳骨が、日雨の頭に振り下ろされた。リューリクではない。

「羅……何をする!?」

 殴りつけると、立ち上がった暗殺者が日雨を見下ろしていた。
 その顔に、思わず怯む程の怒気を湛えている。

「馬鹿が。同じ過ちを繰り返そうとしやがって」
「過ち……だと?」
「お前は、無思慮な化物になりたいのか」

 かつて、日雨を突き刺した言葉を再び羅は告げる。

「――お前は、人に生まれた事を嘆くのか」

 そして、折れた剣を手に、ただ一人竜の王へと立ち向かっていく。
 柄を握る手からは、血が滴っている。今打った靠撃の為だ。膨大な地精の気を透過させた影響で、羅の身体もまたボロボロだった。

「羅!」

 制止する日雨の声を無視して、前方の敵に集中する羅。
 ひゅぼっ――一瞬の閃光に等しい速度のリューリクの拳打。
 その一瞬で羅は、静かに、太刀をただ落とすように相手の拳の軌道に交差させた。
 力の流れをやんわりと逸らされたリューリクの拳が、ただ薄皮一枚を引き千切って空振る。

「――」

 日雨の、十歳より鍛練を積んできた武術家の部分――人の部分が、その業への感動に、震えた。
 力の抜け、呼吸、読み、機。全てが十全であり、完璧な調和を保っている。
 武を志すものが理想として思い描き、その多くが現実に屈して放棄してしまう、技芸の極みがそこにあった。

「……っ」

 拳を打ち抜いた姿勢のままのリューリク。その暴力に狂った瞳の色に、一かけの理性が混じる。
 続けて打たれる拳を、蹴りを、羅は紙一重で防いでいく。川の清流の如く澱みのない動きであった。
 術の華麗さと反比例する程に、羅の内奥の状況は惨憺たるもののはずだ。身魂を削るような攻防。脳髄は耐えず思考し、神経は最高速度の反射の繰り返しに磨り減り、精神は恐怖に脅かされ、筋骨は崩壊する。

 しかし羅は、それをただの一瞬たりと表に出さない。
 強大な竜の王へ、一歩も退かず戦う男の背中を、日雨は吸い込まれるように見ていた。
 その背の、なんと大きな事か。

「行け……」

 思わず、言葉が口をついてでた。
 あの男は、母の仇であるはずなのに。

「行けぇえええッ!!」

 声を振り絞って叫ぶ、と。
 無数の攻防の果て、ただ一閃。羅の袈裟斬りの斬撃がリューリクの身体に届いた。
 時間の間延びしたかのような一瞬の後、

「……チ」

 残心のままうつむいた羅の口元から、舌打ちが漏れる。

「一歩、足りなかったな」

 リューリクが告げる。彼は、酔いから覚めたような顔つきをしていた。

「レフとまともにやり合わなかったら、十分な余力を残していたら、あるいは今の剣、俺に届いていたかも知れねぇ」

 斬り裂かれたはずの胸は、ただ鉄の擦れたような跡があるのみ。

「……たらればに興味はねぇ。結果が全てだ」

 羅の言葉に、未練がましいものは全く伺えなかった。

「そうだな。……捨てきれなかった情も、お前の弱さだ」

 それだけ告げて――リューリクは拳を振りかぶる。
 火山の噴火にも似た強烈なアッパーが、羅の身体を紙細工のように吹き飛ばした。放物線を描いて飛び、無機物じみた落下をしてごろごろとクレーターの端に転がる。

「……っ!」

 言葉も無く、日雨は羅の元へと駆け出した。

「羅! 羅ッ!」

 男の身体は瀕死と呼ぶにも生ぬるい有り様だった。右腕は弾け飛んで、口腔、眼孔、鼻孔、体中の穴という穴から噴血している。
 だというのに。

「バカガキが……敵から目ぇ逸らすんじゃ、ねぇ……」

 全身を震わせ、羅は立ち上がろうとしていた。

「馬鹿は貴様だ! もう限界だ、分かりきっているだろう……!」

 唇を噛みしめて日雨が言うと、羅は牙を突き立てるような目線を返してきた。

「やっぱり、馬鹿はてめぇだよ……簡単に諦めて、ありもしねぇものに縋ろうとしてやがる」

 血で染まった左手で、日雨の胸ぐらを掴む。

「どんなに強い種であろうと、天地の理を揺るがす訳じゃねぇ。いかに強くなろうと、雷雨には、干天には敵いやしねぇんだ。弱い種である事を嘆いて、否定して、別のものになろうとするなど、愚かな事だ……」

 最強の力などというものに縋ろうとした日雨を、羅は何にはばかる事無くなじる。
 反射的に日雨は言い返した。

「なら、どうすればいいというのだ! 圧倒的なものと相対して、人はいかにすればいい!」

 羅は、血泡を吐きながら言った。

「耐えろ」

 強く血の香りのする程の距離に近付き、瞳に強靱な意志を込めて告げる。

「雷雨にも光明はある、干天にも慈雨はある。諦めず、耐えて、戦い続ければ、それは見つかる。それは……全ての命に、許された〝道〟だ。別の道など、探す必要は無いんだ」

 それは、鬼の道を行く事を課したエルザとは真逆の教えだった。
 人の道を歩めという、先達の言葉だ。
 その道がいかに苦難であってもいずれ、日と雨はやってくるのだと。

(……羅虚虎)

 この男は紛う事なき悪党である。軽侮すべき卑劣漢である。
 しかし同時に、武人としては――憧憬の念を禁じ得ぬ程に、目映い正道を行く漢でもあった。

「手を離せ、羅」

 日雨は胸ぐらを掴む彼の手を振りほどき、そして自分の右手で打ち鳴らした。

「余がリューリクと戦う。あの男を――倒す」

 立ち上がり、リューリクと対峙する。
 相手は遠巻きにこちらを伺うのみで、隙を突いてくる事は無かった。そのような決着は彼の望む所ではないのだろう。
 ――あるいは、〝別の理由〟もあるのかも知れないが。

「……」

 彼は、こちらの顔つきを一瞥しただけで構えを取った。あえて意思を確認するつもりも無くなったようである。
 ただ、肌を焦がすような闘気を叩き付けてくる。
 身体の具合を確かめる。表面上は治癒されているようだ。骨折は亀裂程度に留まり、内臓も半分は機能している。
 歩ける。戦える。
 ――ならば、行く。
 日雨は、致死の間合いへ散歩のような軽やかさで入り込んだ。
 瞬時に突き出された閃光の如き拳打。
 日雨は顔面の前に手を添え、相手の拳に触れると同時滑るように足を伸ばし、後転気味に顎を蹴り上げる。
 リューリクは左腕でそれを防御し――日雨はその瞬間には次手の挙動に入っていた。
 受け止められた右足から鎌状の刃を生やし、リューリクの手に絡み付くように突き刺す。
 そして引き付けるように飛び、左足の蹴りを相手の顎に叩き付けた。

「ぐむ……ッ?」

 かすかな動揺に、リューリクの瞳が揺れる。
 日雨はその間にも、絶えず動き続ける。






「あ……兄様、兄様ぁっ……!」

 再びリューリクに単身立ち向かう日雨に、夜見は取り乱していた。
 なぜ兄は戦うのか。邪法に手を染め、それでも勝てない相手にまた挑んでしまうのか。
 夜見たち仲間を助ける為だというのなら、もういい。兄の命と引替えに助かったとしても、またひとりになるだけ。その事に自分は耐えられない。

「もう、やめて……!」

 大粒の涙をこぼし、悲痛に吐露する。

「あ、あんた……」

 そんな彼女の様を初めて見るジュラヴリカは、慌てふためいている。
 助けを求めてくららの方を見る。彼女は試合開始から、来賓席の手すりに身を乗り出してただ「がんばれ」と繰り返すばかりだったが。
 彼女はアリーナを向いたまま、横顔で夜見へと語りかける。

「わたしたちが止めても、日雨くんは戦うよ」
「なぜ……!?」

 挑むような夜見の言葉に、彼女は一言応じる。

「打算があるから」

 それは、詞木島日雨という少年にはなんとも似合わない言葉だ。
 しかし、リングに立つ彼を見続けてきたくららは、彼の奥底に宿る思惑に気付いていた。

「ここでリューリクさんに勝てば、あの人に認められるという事。それって多分、ジラント皇国でも相当な影響力があるんじゃないかな」

 加えて、サシチザーニイを主催するシヴィル・コサックにも一目置かれるだろう。
 それは当初、夜見が自分の交渉力で実現しようとしていた事と合致する。カタ・コスモーン機構と拮抗する為にも不可欠であり、なにより日雨の目指す王の道に必要な事だった。

「身一つで国から飛び出した亡国の王子……しかも継承権もない私生児が、〝国〟に食い込める数少ないチャンスなの。だから、わたしたちの事がなくても、日雨くんには戦う理由がある」
「でも……!」

 反発心から、夜見はくららを睨み付ける。
 夜見の助けも及ばない圧倒的な窮地で、日雨はさしたる才覚もない凡人。その挑戦には確実な敗北と死が待っているというのに。

「認めてあげて」

 痛切な顔でアリーナを見つめ、くららは言った。

「彼は、自分の道に命を賭ける、男の子なの」






『攻める攻める攻めるッ! 復活したヒメ選手、怒濤の連撃! リューリク選手に反撃を許さない!』

 表面上、実況するウラジーミルの言う通りの展開がクレーターと化したアリーナ上で繰り広げられている。
 絶え間なく日雨は動き続け、上下左右、立体的に身体を使い千変万化の攻め手を打っている。リューリクはその対応に追われ、攻めあぐねていた。一見して、日雨が優勢にすら見える。
 しかし。

『防御です、あれは』

 熱狂する隣の男に一石を投じるような物言いで、だきには言った。

『日雨様は、常にリューリク殿の動きを封じる形で攻撃を仕掛けています。勝負手は一度も打っておりません』

 それは――現状、日雨の持ち駒に勝負手となるものが一つも無いという過酷な現実の為である。
 彼に出せる最大威力の攻撃は、剣霊を己の肉体に憑依させて放つ斬撃――その〝重ね掛け〟。竜化したレフに放とうとした技のはずだ。
 あのようなモーションの大きな技は、リューリク相手には出掛かりで潰されてしまうだろう。
 その上、仮に当てる事ができたとしても、リューリクの文字通り鋼鉄の肉体を突破する事は適わない。既に半分以上魔力を失った彼は、そんな大技を打てばたちまち枯渇してしまう。
 今の彼にできるのは、最小限の力で攻勢をかけ続ける事だけ。
 そして、その道ですら全く容易ではない。

『それにしても、なぜ彼は急にリューリク選手の動きについていけるようになったのでしょう?』

 丁度良いウラジーミルの質問に、だきには答える。

『彼は、リューリク殿の攻撃を先読みしているのです。自身の攻撃を命中させた瞬間、相手の筋肉の動きを把握して次手を予測し、それに合わせている』

 いわゆる、聴勁という技術だ。

『……それは神業ですね。なぜ彼は、最初からそれをしなかったのですか?』

 ウラジーミルの疑問に、あまりにも単純な解答をだきには述べる。

『博打だからです』

 聴勁を始めとして、デモナイズにより強化された五感で相手の動きを観察し、予測の材料を増やしているとは言え、絶対ではない。更に回答の猶予は一瞬に等しく、設問は、絶えず無数に提示される。
 誤答は、死に直結している。
 高速で爆発物を解体するのにも似た無謀。
 なぜそんなものに挑むのか、だきにには理解できない。
 つまり、主の兄は。

『男だから、という事なのでしょうかね』







 四肢を全速力で稼働させる最中、一秒の半分、盗むように呼吸する。
 半秒分の酸素。それを原資として思考に六割、行動に四割割り振る。二秒にやや満たぬ攻防を先読みし、左のフックと右ストレートをフェイント、本命は右の前蹴りと看破する。
 身を滑り込ませるように右側面に回り込み、肘を肋に叩き付ける。半歩の更に半分ほどずれたリューリクの立ち位置に飛び込むと、頭上を致死の暴風が掠めていった。

 極限の集中が、呼吸、肉体、間合い、魔力の単位を加速度的に細分化させていく。
 一秒は千分の一に分解される。
 風景は無数のピースで構成されたパズルとなる。
 一グラムを細胞の一塊として把握する。
 曖昧模糊としていた世界の構成要素を極小の集合へと還元し、再構築し、術理にはめ込む。澱まず、雑然を排し、精緻な武の極限へと加速する。
 その行為には、拷問にも似た苦痛を伴う。
 絶息の手前の呼吸を繰り返し、神経は激痛に苛まれ、脳は焼け付く。
 リューリクに打たれるより先に、身体が自壊しかねない。毛細血管が破れ、血涙を撒き散らしながら決死の攻勢をかけ続ける。

 既に観衆の声は脳髄に無用と排除され、それでもなお。
 一人だけの声が、聞こえる。
 ――がんばれ!
 おう。
 ――がんばれ、日雨くん!
 おうッ!






 縦横無尽に繰り出される、人間の子供の攻撃――それがいつか終わるものと、観衆は確信していた。
 燃え尽きる前の蝋燭、最後の悪足掻き。やがて国父の拳があの少年を打ち砕く。
 人間など、取るに足らない弱い種でしかないのだから。
 ただ、その予定調和のような結末を待ち続け。
 秒間十手の攻防が千を数え、
 万を超え、
 それが五度も繰り返された頃。
 竜たちは、二人の戦いから目を離せなくなっていった。
 





『お……終わらない! ヒメ選手とリューリク選手の攻防に、未だ決着がつきません! 明らかに異常な出来事が、アレーナで起きている!』

 ウラジーミルは気付かぬ内に、立ち上がって声を張り上げている。

『ヒメ選手の消耗は我々の目にも明らかです! なぜだ! なぜ人の身でそこまでして戦うのか……っ!』
『信じているからです』

 隣で、鉄面皮を保持して座ったままのだきにが言う。

『光明がある事を』

 そして。

『それは……本当にあったようです』

 傍目に戦況を見下ろしていただきにですら、今ようやく発見できたのだ。自身が戦うのに必死な日雨に、確信があった訳ではないだろう。
 ただ、か細い予感だけを胸に戦い続けた。
 そして今、たぐり寄せた。
 勝利への道を。

『時は……ある一面で、老練なる者を利するものです。培われた肉体、蓄えられた経験、霊的な存在であれば魔力の増大すら……それは若者には得られない力でしょう』

 彼女の視線は、リューリクへと向けられている。

『しかし、時は同時に、人から力を奪っていきます』

 ――がくんっ、と。
 リューリクの膝が崩れた。

「……っ!」

 険しく引き締められた口元。これは決して、フェイクの類ではない。

『――老いです』

 だきには告げる。

『あの若々しい外見ながら、彼は二千歳をゆうに越えている。年齢による肉体の劣化、今日までの激戦による霊魂の損耗……彼が全力を引き出して戦える時間は、大幅に制限されていた……今、その限界が来たようです』

 彼女の語る言葉は、必死で動き続ける日雨の耳には入ってはいなかったろうが。
 ただ彼は、乱れたリューリクの挙動だけを目で追っていた。
 一瞬の勝機に、食らいつく。

「オォォッ!!」

 ねじ込むような拳打を、相手の顔面に叩き付けた。
 更に懐に潜り込み、天空に突き出すような回し蹴りで腹を打ち上げる。

「ごぉ……っ!」

 唾液と共に、苦悶の呼気を吐き出すリューリク。
 初めて、この男にダメージが通った。

(畳みかける!)

 日雨は、四肢が個別に殺到するかの如くラッシュを叩き込む。
 高密度の魔力を通した鋼鉄の肉体は、打つ度に硬質の手応えを伝えてくる。十重二十重五十重いそえと重ね、それでも足りぬ。
 まだだ。
 もっと、もっと――!






(ぐ、ぬぅ……ッ!)

 打ち据えられながら、竜の王は唸る。
 手足は疲労で鉛の如く重みを持ち、未だ疾風怒濤の速度を保ち続ける少年の攻撃に対応し切れない。
 まさか、こちらの限界まで凌ぎきるとは。

(これが若さか……)

 息子に負けた瞬間から、自覚し始めた事だ。
 新しい世代が台頭を始めたのだ。
 己は、老いたのだと。
 そして、今別の実感も沸き始めている。

(これが、人間か――)

 あの機械仕掛けの悪魔に翻弄されるがままの、か弱い種にも、これ程の強さが芽吹き始めている。
 これから、この牢獄の如き世界は変わっていくのかも知れない。

(――だがよ)

 どるん、と炎の血流が巡る。
 鉄骨の心臓が轟く。

(小難しい事はさておき――俺様は、勝ちを投げたワケじゃねぇぞ)

 耳を澄まさずとも、聞こえる。
 試合場に降り注ぐ竜の民の声が。
 燃え上がる血と鋼を右の拳に注ぎ込み、握る。

(コイツが! お前の知りたがってた、王様ってヤツだ、坊主ッ!)







 日雨の腹に、巨拳がめり込んでいた。
 重竜車の激突にも似た衝撃に、血反吐を撒き散らしながら吹き飛ばされる。

「げ……ぶッ」

 決して油断していた訳ではない。集中を切らしてなどいない。
 何が来ても対応できるよう備えを尽くした。しかし、それをまるで小石のように打ち砕く、最高速度、最高精度の拳打が飛んできたのだ。
 完全に消耗したリューリクには、出せないはずの力だ。
 ――観衆から、一際大きな歓声が上がっている。
 アリーナに立つ漢への、信頼に満ちた声。

(……そうか)

 リューリク・ジランタウには民がいる。彼らの前で膝を屈する事は、己自身が許しはしない。その強固な我意が、限界を超えた拳を打たせたのだ。

(本物の王)

 まだその道を見つける事もできない日雨では、見上げる事も適わない頂きにかの男はいる。
 負けを認める訳にはいかない――しかし。
 立ち上がる術を、日雨は持たない。






「……っ!」

 リューリクの拳に打たれ、アリーナの端まで転がった日雨の姿に、夜見が声なき悲鳴を上げた。
 いよいよ、終わるのか。全てを出し切ってなお届かない強者に、兄は負けてしまうのか。

「――終わらない!」

 この少女は、誰の目にも明らかな光景を前に、なぜそこまで強く拒絶の言葉を発する事ができるのだろう。
 詩乃目くららが、怖い程に力のこもった瞳で夜見を見る。

「まだ、全部じゃない!」

 そう叫んで、彼女は――来賓席から飛び降りた。身体の大きな竜の観衆がひしめく客席をかき分け、進もうとする。

「夜見ちゃん――来て!」

 観衆の中から、手を、夜見の方へ伸ばして来るくらら。

「……ぁ」

 まだ一欠片の躊躇いがある。指先が震え、観衆の群れが荒波のようにすら見えた。
 しかし、その先に兄がいる。
 最後まで戦おうとする、兄が。

「――っ」

 夜見は手すりに身を乗り出して、跳んだ。
 たちまち人の波に巻込まれかける彼女の手を、くららが握る。汗みずくになり、肉の壁に押され、困難な呼吸にあえぎながらも必死に進んでいく。
 来賓席には、ジュラヴリカだけが取り残された。






 倒れ伏す日雨に止めを刺さんと、リューリクが歩み寄ってくる。あちらもまた、疲労で足ががくがくと震え、遅々とした歩みではあるが。それも敗北への猶予が多少長引いたに過ぎない。
 万事休す――
 その時、微かに声が響いてくる。

「……ぁっ!」

 観衆の大声にさらわれてしまいそうな、か細い声。しかし、確実にそれは日雨の耳を打った。
 彼女の、そんな声を初めて聞いた。

「――あにさまぁっ!!」

 客席の最前列に貼り付くように立つ夜見が、泣きながら日雨に声援を送っている。

「立ってっ、立ってぇっ! 負けないでよぉっ、あにさまぁ!」

 声の波長が、己の心臓の音に重なる。
 ――それは、ある種の男の全てが持つ感情だった。
 全ての兄が、父が、祖父が、生まれながらにして持ち合わせる、当たり前のもの。
 本物の王、なるものに比べれば、笑い出したくなる程安っぽいプライド。
 詞木島日雨が、その妹があまりに優れていた為に、表に出さず胸に秘め続けていたもの。
 先に生まれた男が、後に生まれた者へ向ける情動。
 妹に、頼られる兄でありたい。

「おぉおおおおぁああああああああああああああああッッ!!」

 破壊された肉体を強引に立ち上がらせて、拳を打ち下ろしかけたリューリクにカウンターを叩き込む。

「ぐぉ……っ!」

 うめいて、彼はたたらを踏む。
 そこに追いすがるように突撃を仕掛ける。

「まだ、立つのかよ坊主――と言いたい所だが」

 そう言ってリューリクは、豪毅に笑い、

「ああ言われちゃあ、立つより他にねぇわなァ!!」

 自身も憤然と前に出た。
 刃鉄はがねの拳と鋼の拳が激突し、血と炎と鉄片を撒く。
 亡国の王子と竜の王の闘いは、最終局面を迎えた。







 日雨がローキックで姿勢を崩し、返す刀のアッパーでリューリクの顎を打ち上げる。
 リューリクは、反り返った反動を使い両手鉄槌打ちを日雨の頭頂部に叩き付けた。
 日雨が肘打ちを肋に叩き込み、リューリクが膝蹴りで腹を突く。
 両者共に力の枯渇を目前としており、そしてその事実に同じ回答を出した。
 己を守らない。
 全ての力を、攻めに使い果たす。

 一撃が骨肉を打つ音が弾ける。何度も、何度も、何度も。
 鮮血が、花の散るが如く舞う。
 肉体を赤く染めながら、二人は打ち合う。
 ――ぉ。
 その闘いを見つめる観衆から、押さえきれない声が上がり始める。
 ――おぉおおおっ。
 ――おぉぉおおおおおおおおおおおおおおおおっ!!
 歓喜、そして羨望。
 その鯨波は、人である日雨にも向けられていた。
 絶対的強者を前に、種としての劣弱という大きなハンデを背負い、あの小さな少年は挑み続けた。

 何度打ちのめされても立ち上がった。勝利を諦めなかった。
 そして今、王と互角に戦っている。彼らがただ憧れるだけで、倒そうなどとは決して思えなかった漢と。諦めていた強さの象徴と。

『次は……私は、闘士としてここに立ちたい……』

 実況ブースのウラジーミルが、熱に浮かされたようにつぶやく。
 それを誰も否定しようとはしなかった。
 ――己もまた、あの子供のように強くありたい。
 あの背中を追い掛けたいと。

(聞こえてるかよ、坊主)

 観衆の気配の変化を敏感に感じ取ったリューリクが、声無く語りかける。

(お前は、自分の望む道の扉を開いたぜ)

 彼も、歓喜の笑みを浮かべて拳を繰り出す。この時間がもっと続けばいいと思えてすら来る。
 ――つまり、終わりが近いという事だ。
 じゃりんッ!
 日雨の背後に剣霊が生じ、彼の身体に憑依する。既に六振り目である。
 どるんッ!
 リューリクの鋼鉄の心臓エンジンが吼え、炎熱の血液を爆発的に供給している。
 並の攻め手では相手を仕留めきれないと、互いに理解していた。勝負を決める技を、両者は準備し始めている。そして。
 それはほぼ同時に完了した。

 ――示し合わせたように、互いに距離を取った。襤褸切れの如く成り果てた上着を脱ぎ捨て、静かに最後の戦闘態勢を形作る。
 合計七振りの剣霊憑依。今の彼の器に取り込める限界の力を蓄積し、拳を引き絞るように構える日雨。
 炸裂寸前の火精の気を体内に宿し、竜の顎(あぎと)の構えを取ったリューリク。
 御し斬れぬ刃の気が日雨の肩口から溢れ、白銀の照り返しを帯びる。
 鉄拳の炎熱の余波で、リューリクの周囲の大気に陽炎が生じる。
 自壊しかねない程の力は、維持するだけで自らの身体が傷ついていく。しかし決して敵への集中を切らさず、張り詰め続けている。
 地鳴りのような歓声すらも消え失せる、極限の世界の中で。

 最初に、日雨が動いた。
 無拍子の歩法で、リューリクへ接近し右ストレートを打ち放つ。この局面に至り、なお気負わず、無駄を拝した最高速度の動き。
 リューリクがカウンターを放とうとも、追いつけない。
 しかし――リューリクが狙っていたのは、自ら彼に向けて飛び込んでくる日雨の拳だった。
 包むように、左手を触れさせる。
 途端、日雨の体勢が崩れた。
 合気に似た力の操作、ジラント皇国軍制式格闘の技術だった。

「あまり趣味じゃねぇから使って無かったけどよ――この技の創始者は、俺だ」

 そのリューリクの技をもってすら、今の日雨の動きを封じるのは一瞬がせいぜいであった。彼らの闘いには、あまりにも十分な猶予。
 爆炎を封じた拳が、放たれる。
 日雨に躱す術は無い。
 迫り来る巨拳を――少年は、真正面から見据えていた。
 ――あの男の化勁は、敵の打ちを正面から受け止める事にその骨子がある。
 相手の勁道を受け流し、逸らすのではない。己の勁道と合一させ、自身の打ちの流れに乗せるのだ。意念の手綱を握られた敵は、その一打を察知する事すらできない。
 必中の業である。
 その実現に求められる要素は、勁道を把握する感覚と、精緻を極めた身体のコントロール。
 何より、致死の攻撃に正面から立ち向かう勇気の産物。
 究極の要撃術――羅式合掤勁。

「ご……っ」

 胸にめり込む拳の衝撃に、リューリクが苦痛の呼気を吐く。
 攻撃に集中した意識の虚、手薄になった守りを打ち込まれた。
 そして――

「つ  ら ぬ けぇえええええええええええッッ――!!」

 日雨の肉体に宿った剣霊が、解き放たれた。
 拳から放たれた巨剣は加速度的に伸長し、切っ先に突き刺さったリューリクの身体を闘技場のフェンスにめり込ませる。
 壁の粉砕音が轟き、土煙が上がる。
 そこで剣霊を維持する魔力が尽き果て、巨大な銀色の刃は自壊しばらばらに砕けて地に落ちる。

「づ……は……ぁっ」

 酸素を求めて日雨は喘ぐ。
 刃鬼化を維持する力もなく、ただの人間の姿に戻っている。魔力の枯渇の影響で視界が揺らぎ、今立っているだけでも途方もない労力が要る。
 リューリクが再び立ってくるなら、今度こそ打つ手は無い。
 そのまま寝ていろと、祈りにも似た気分で崩れたフェンスの奥の暗がりを睨み付ける、と。

「……ぐ」

 ゆらり、と。悪夢に見そうな銀髪が土煙から覗いた。
 リューリク・ジランタウは胸から盛大に血を流しつつも、なおのたりとした歩みでアリーナに戻ろうとしていた。
 まだ、相手には余力が残っている。

(余の、負けか……!)

 悔しげに歯噛みし、覚悟を決める。

「――オイオイ、何勘違いしてやがる、坊主」

 リューリクが告げた。
 重たい足取りで、アリーナの中央に立つと彼は口を開く。

「六つの心臓を五つまでもブッ壊されちまった。正直もうイッパイイッパイだ。だがよ――義務ってのがあんだよ、王様には」

 そう言うと彼は、大きな手で日雨の腕を掴み、高く掲げさせた。

「今回のサシチザーニイの優勝者を、人類種の少年、詞木島日雨とする」

 そして、足下を掬われたように仰向けにひっくり返った。

「俺の負けだ。最高の喧嘩だったぜ、坊主」

 その言葉の意味を、会場の全員が理解するのにはしばし時間が掛かった。
 やがてぽつぽつと歓声が上がり始め、そしてすぐさま爆発じみた大音声へと膨れあがる。
 それを受けて、日雨は、堪えきれぬ喜びに両腕を天空へ突き出した。

『――決着ッ!! 決着――ッ!! 我らが国父との激闘の末第六十一回サシチザーニイを制した闘士は――すいません! 今まで名前を間違って覚えてました――シキシマ・ヒサメ選手ッ! 会場の誰もが予想し得なかった結末……しかし、この試合を見て不服を唱える者はいないでしょう! ああッ、くそ……泣けてきたよ僕は!』

 思わず地を出しながら、声を張り上げる実況者。
 その隣は、いつの間にか空席になっていた。
 アリーナに飛び降りただきにが、静かに歩み寄ってくるのを日雨は目にする。
 と思った瞬間、背中に飛びつかれた。

「やったね! やったね日雨くん!」

 服に血糊がつくのも構わず、くららが日雨の身体を抱きしめていた。

「お……おぅ、その、なんだ、くららよ……あまりくっつかれると、余は落ち着かん。主に上半身の接触のせいで……ん?」

 彼女の、日雨の肩を掴む手がぎゅう、と強くなる。くららは肩を震わせ、俯いていた。

「ご、ごめん……全部終わったら、気が抜けて……っ」

 涙声であった。
 日雨が傷つく度に、泣き出したくなる衝動を彼女は堪えていた。耐えて、気丈に振る舞っていた。
 彼女もまた、戦っていたのだ。

「すまんの、心配をかけた……ありがとう」
「うん……」

 髪を日雨の胸にこすりつけるようにしながら、くららは言う。
 最後に――背後にもう一人、やや遠巻きにこちらを伺う気配に日雨は気付いていた。

「夜見」
「……なんじゃ」

 気後れしたような相槌を打つ妹に振り返り、日雨は告げた。

「最後、立ち上がれたのはそなたのおかげだ。ありがとうな」
「……っ、こそばゆい事を言うな、愚兄め」

 うつむいて、拗ねた声で憎まれ口を叩く妹に、気の抜けた微笑みを浮かべる。
 結局、さっきの言葉は彼女の気まぐれで、兄妹の微妙な距離には変化は無いらしい。
 けれど、それでもあの時日雨は、妹の願いに応える事ができた。
 なら、それでいい。

「――そうだ」

 不意に日雨は目線を逸らし、辺りをうかがった。

「羅! 羅虚虎!」

 彼の姿を探す。よもやあの達人が、今の闘いの巻き添えを食って死んだ訳はあるまい。
 日雨がここまで闘えたのは、彼のおかげだ。
 確かに、拭いきれない遺恨が日雨とあの男の間にはある。しかし、あの男にも確かに情はある。わかり合える余地がある。
 なら、それを無駄に摘み取る気は無い。
 あの、今はもう見慣れた赤毛の姿を、日雨は求めて歩き出した。

「――羅?」

 しかし、あの男はどこにもいない。



[40176] 13.凶人の道
Name: 八目又臣◆aa87a973 ID:17b043ce
Date: 2015/07/19 09:38
〝牙の妻〟エントランスホールには、翡翠製の巨大なオブジェが飾られている。吹き抜け天井の太陽光を吸収して、内部に液状化したかのような光を映し出す仕掛けは、先々代竜皇ミハイル・ニコラエヴィチ・ジランタウの設計によるものだ。彼はレフ・カルピンスキと同じく地竜の資質を持っており、鉱石への深い造詣があった。
 父称も同じ為に、レフはかの人物に自分でも勝手とは思いつつ親近感を抱いていた。

 武門の血筋に生まれた以上、軍人となるのは不可避ではあったが、若造の頃に一度舞踏の道を夢見た事もあった。この牙の妻を劇場としようとしたミハイル皇もまた、自分の未来を自由に決めたいと願った頃があったのではないか。
 考えても詮無い事ではある。既にレフは軍人の道を、戻るには遠すぎる程に歩きつめていた。
 その軍暦の始まり、新品少尉の頃の主であったのが国父リューリク・ジランタウだ。

 まさしく、無敵の男だった。時を経て老いに蝕まれ、息子である当代竜皇イヴァンの後塵を拝してもなお、その強さは天上の高みにある。
 かの男が人間に負けるなど、考えられない――が。
 遠いアリーナから響いてくる大歓声を聞くに、番狂わせが起きたようであった。
 にわかには信じがたい事ではあるが――

(……ありえない事では、無いのかも知れぬ)

 人から怪物の姿へ立ち戻り、迫るレフと真っ向から対峙したあの少年の目を思い出す。あの少年は自分の限界を超える存在を前にしても、退きはしなかった。リューリクは暗殺者には負けないかも知れないが、あのような目をする男になら――あるいは。
 現に、リューリクが敗北する所を見たくはないからこそ、己はこうして人気の無い場所で立ち尽くしているのではないか。
 彼は、馬鹿らしい感傷だと一笑に付すだろうが。
 ――歓声の明るさを見るに、人死には出なかったようだ。リューリクに笑われる機会は、失われはしなかったらしい。
 まったく、なんとも、ほっとする……
 ぽたり、と。
 ホールの床に、血が落ちた。レフの足下に。

「……?」

 鼻孔から出血していたのを確かめる、それと同時に。
 唐突に足から力が抜けた。
 受け身を取る余裕も無く、地面に激突するように倒れる。身体が極寒の地に立たされたが如く震えだし、咳き込む。その咳にも血が混じっていた。

「――〝あの時〟致命の点穴を突いた」

 驚く程の近さで声がした。足音など、まるでしなかったのに。

「一日遅れでてめぇの経絡を破壊するよう仕込んだのは、雇い主の事情でな……まぁ、個人的な都合もある。試合中に殺しちゃ、逃げるヒマもねぇ」
「馬……鹿な、貴様は……ッ!」

 粘った血が喉に絡み、かすれた声を上げるレフ。この男は今、決勝を戦ってるのではなかったのか!?

「言っただろう? ――てめぇは、不様に這いつくばって犬死にすると」

 羅虚虎は、冷却された鋼のように酷薄な視線をレフへ投げかけた。
 相手は満身創痍だった。右腕は切断され、出血を道術で抑制してもなおしたたる、どろりとした血液が床を汚す。
 しかし眼孔は手負いの虎のように獰猛で鋭い。
 その凶悪な殺意の矛先が自分に向いているとレフは知り――かの男の計略の全てを悟る。

「ぐ……ぅ」

 四肢の有無すら曖昧に感じられる程の痺れをねじ伏せるように、レフは立ち上がる。床石を操作し、武具を――短槍一本しか生成できない。全身を巡る魔力の経路を遮断されているようだった。
 あの、準決勝の時に羅から受けた一撃の影響である事は間違い無い。
 そしてそれは魔力の生成のみならず、体機能にも及んでいる。臓器のほとんどが正常な動きをしていない。レフはいわゆる多臓器不全に陥っていた。

「このまま放っておいても死ぬんだろうけどよ」

 羅はそう告げて、左手に握る、半ばから折れた太刀を振り上げた。

「キッチリ止め、刺させて貰うぜ」

 一閃の斬撃は、レフが咄嗟に持ち上げた短槍を軽々と斬り裂き、レフの肩口から胴体深くに潜り込んだ。
 身体から流れる血液の代わりに、寒気が襲ってくる。彼の生まれた極寒の永久晶原よりもなお寒い、凍れる死の風であった。






 決勝終了後の騒乱の最中、日雨たちは手分けしてレフ・カルピンスキの捜索にあたった。
 エントランスホールに最初に辿り着いたのは日雨で――その時全てが決着していた。
 ホールの中央には血塗れの羅虚虎が立ち尽くしている。衣服と身体を濡らす血は、自身の出血と、倒れ伏したレフから浴びた返り血であった。
 羅はこちらを一瞥すると、嗤った。
 残忍、酷薄、獰猛、全てをない交ぜにした凶人の貌。

「俺の本当の獲物がレフ・カルピンスキだったって事に、気付きやがったか」

 気付いたのは夜見だ。羅の突然の失踪から、彼の真の目的に思い当たったのは。
 ――このシヴィル・シーチで、最も〝戦略的な〟価値のある人物はレフ・カルピンスキじゃ。
 いみじくも、先日〝牙の城〟離宮の中庭で行われたリューリク、レフの会話で言及されていた事だ。
 リューリク・ジランタウはジラント皇国の初代竜皇であり、かつ現竜皇イヴァンの父でもあるが、別に院政を敷いている訳ではない。それどころか、息子の手により国政から完全に弾き出されている。権威であっても、権力は持っていない。

 無論、サシチザーニイの主催者として参画しているように、暗黙の影響力は大きいままであるし、カタ・コスモーン機構と長きに渡り相争ってきた歴史で恨みも買っている。
 しかし、彼の暗殺が機構にもたらす利益は、その実ほとんどないのだ。復仇、嫌がらせ。その程度のものでしかない。
 逆に、レフ・カルピンスキの暗殺には重大な利益が存在する。
 つまり――

「羅、お前の狙いは……シヴィル・コサックの壊滅か」

 ジラント皇国におけるコサックなる軍事組織の特徴は、高い独立性にある。その独立性は、指揮官の能力に依存する所が大きい。組織を深く知悉し、部下を掌握する経験と才覚が必要である。
 コサックの軍長という立場は、簡単にすげ替えが利かないのだ。その人物が欠けると、コサックの戦力は著しく低下する。

「俺、というか依頼主の目的だがな。連中は、軍長不在の機を狙ってシヴィル・コサックを陥落おとすつもりらしいぜ。将を射んとせばまず馬を、とは言うが、逆でな。シヴィル・コサックを崩すには、頭を潰すのが最善手……コサックっつう遊撃兵団はジラントの対機構戦略の〝要〟。中でもシヴィル・コサックの連中は一等邪魔な存在だった。――機構でも立場の弱い連合王国ヘプタ・アーキーの連中からすれば、喉から手が出るほど欲しい手柄だ」
「……そのような内実を明かして良いのか」

 皮肉を言いつつも、日雨は気付いていた。この男が饒舌にものを語った相手を、どうするつもりなのか。
 その行為に、日雨を例外にするつもりなどないのだと。

「知られて困る事は言ってねぇ――それに」

 羅の眼光が氷の冷たさを帯びる。

「ここでてめぇも殺しちまえば、関係ねぇ」
「……何故だ!」

 未練めいたものを覚え、声を思わず張り上げる。

「何故貴様は……人を殺すのだ」
「商売だ」
「違う!」

 日雨は、羅の言葉を否定する。利益によって人を殺すような男が、片腕を、リューリクとの戦いという単なる〝囮〟で使い潰すものか。
 この男の生き方は、釣り合いを決定的に欠いている。理解、しがたい――

「あえて問うような事でもねぇ。俺が、こういう人間というだけの事だ。……甘ちゃんが。この期に及んで、俺を理解しようとしてやがるのか?」

 纏わり付く羽虫を見るような、鬱陶しげな目線を日雨へと送る羅。

「もう分かってんだろ? てめぇをリューリクにぶつけたのは囮工作だ。あの薄らデカイ爺は、本来の目的の隠れ蓑には打って付けだったからな。レフ・カルピンスキも本当の狙いが自分だと気付きもせず、ノコノコ俺の前に立ちやがった。てめぇも、ちィとおだてたくらいでその気になって、俺がレフを殺す時間を稼いでくれたってワケだ」

 かかか……とホールに嘲笑が反響する。

「俺を仇と憎んでおきながら、その場凌ぎのお為ごかしに引っかかって、警戒を解きやがった。その結果がこれだ。てめぇは大間抜けだよ、還龍宮」
「……お為ごかしで、あのような事を言えるのか」

 何かに縋る心地で、血を吐くように言葉を述べる日雨――笑える程にめめしいと思いながら。

「俺は、できるんだよ」

 レフから流れる血液が広がり、羅の足を濡らし始める。

「〝あの女〟にだってな。それが、あの幽霊の住み処に骨まで浸った人間の凶気だ」
「あの、女……エルザの事か?」

 なぜ、今彼女の名前が出て来る? 呆けた顔つきの日雨を小馬鹿にするように、羅は告げる。

「あの女もまた、俺の雇い主だった事がある――依頼内容は、ある辺境の島国の転覆」
「……何?」
「秋津洲国は、あの女の指示で俺が滅ぼしたんだよ」

 羅の瞳はまるで、毒沼のようで。
 その口から吐き出された毒の真実に、日雨の手足は痺れる。
 彼の不様さを指差して示すように、羅は毒気の言葉を吐き続ける。

「てめぇは滑稽だ還龍宮。仁・義・礼・智……くだらねぇ王道思い込みに寄り掛かって、他人を枠に当てはめて陶酔してやがんだよ。だから、よりにもよっててめぇの仇に踊らされる。国の仇、母の仇――師の仇」

 最後の言葉は、日雨の心臓を一際大きく跳ねさせた。

「……何だと。何を、言っている?」
「疑いもしなかったのか?」

 本当に、滑稽、と嗤いながら、羅は言う。

「俺が、日向昴を知っている事に。俺が、ヤツとの関わりを明かさなかった事を」

 ああ――止めろ。
 これ以上のしんじつは、もう要らない。知りたくない。
 苦痛に藻掻き、足掻いて――何もかも壊したくなってしまう。

「――日向昴は、俺が殺した」

 その言葉を聞くか聞かぬかの内に、日雨は足を前に投げ出していた。放り捨てられていた、二つに割れたレフの槍を拾い上げて。

「あぁああああああああああああああああああああああああああああッ!!」

 羅へ、叩き付ける。理性的な技術など、忘れ去った粗雑な殴打。
 無論相手はそんなもの、火の粉程度の脅威とすら認識しない。日雨の股の内に足を滑らせ、横から軽く膝を小突くだけで姿勢を崩す。
 直後、激烈な蹴りを顎に喰らって日雨は吹き飛んだ。

「――はん」

 見下げた目線を送り、羅は折れた剣を軽く振ってこちらへ歩いてくる。
 相手は瀕死とも言える程の手負いであっても、極上の達人。日雨に刃鬼化する余力はもう残っておらず、対抗する術は無い。

(だからどうした!)

 殺す――殺す――殺すッ!
 この男が存在している事が許せない。羅虚虎という一滴の泥水がこの世界全てを汚している。なんとしてもこの外道を取り除いてしまわねばならない――
 ぐいっ、と。
 日雨の手の内にあった石槍が、ひとりでに動いて彼の頭を引っぱたいた。

「づっ!?」

 突然の珍事に動揺し、後ずさると。

「……子供は……すぐ、血気に逸り、周りが見えなくなる」

 何かを喉に詰まらせたような声が、かすかに聞こえてきた。
 うつぶせのままのレフ・カルピンスキが、青ざめた顔を日雨に向けていた。

「貴様の……すべき事はなんだ、シキシマ……勝ち目のない相手に、醜悪な激情を抱いて不様な特攻をしかける事か……」

 その瞳は、岩石じみた厳格さを湛え、槍より鋭く日雨を貫いた。

「貴様の道は、衝動で捨てられる程安いのか……!」
「……っ」

 言葉を呑む。
 レフの怒声は、百発殴られるよりも利いた。
 手元を見れば――彼の石槍は、片刃の剣の形に変化していた。瀕死の石竜の、渾身の力で行った魔術。
 煮えたぎっていた頭が、冷え込んでいく。

「……」

 日雨は石剣を正眼に構えた。
 勝てはしない。しかし、逃げる訳にはいかない。それではレフがとどめを刺されてしまう。
 羅虚虎を可能な限り足留めする。別個にレフを捜索しているだきにか、闘技場に急行しつつあるコサックの兵士の到着まで、ここを守りきる。それが今日雨のすべき事だ。
 それすらも、困難を極めるだろう。ただの人間のままでは凡庸な遣い手に過ぎない日雨と、達人である羅の実力差は明確である。
 片腕を失った影響をほとんど感じさせない、流麗な足捌きで羅が迫ってくる。

 首を狙って放たれた突きを――皮膚一枚かすめる程度に躱した。
 カウンター気味に放った逆袈裟の斬り下ろしを、羅は柄で弾く。
 その反動で身を旋転させて打った横薙ぎの斬撃が、羅の苗刀と噛み合う。
 鍔迫り合う距離で、かすかに羅の眼が驚きに収縮したのを見た。

(手負いの貴様なら……抵抗くらいは出来るさ)

 ――身体を砂の集まりと捉えろ。細かく、細かく、割って捉えろ。身体は雑に使えば砂のつぶて程度の力しか出せやしねぇんだ。
 ――心は水のように広く伸ばせ。てめぇの間合いで動く物の、波紋を感じろ。
 火花散らす剣戟の残響に混じって、男の声が聞こえる。
 羅虚虎の声。
 それと。
 ――意外と、偶然が勝負を決める事って多いんだぜ、日雨君。

「……ッ?」

 不意に、羅がかすかにバランスを崩した。
 彼の靴底にはレフの流した血がついており、それで足を滑らせたのだ。
 ――不意の幸運が訪れても驚かず、俺ってツイてるーッ、なんて、いけしゃあしゃあと勝ちを拾えるのも剣客の資質だよ。
 師匠の言葉。
 羅が体勢を立て直すまでの一瞬の隙を突いて、日雨は斬り上げを放った。
 かすかな出血が、宙を舞う。
 飛び退いた羅は頬を切り、浅く血を流していた。
 荒くなった呼吸を整え、再び剣を構える日雨。

「――ク」

 羅は、薄く笑い声を漏らした。

「ひ、ひ……ひゃはははは。ちィと、分が悪ィな。増援が来るまでに仕留められる気がしねぇ。この俺が、ガキ一人によぉ……ひ、ひ」

 愉快そうに哄笑を上げながら、剣を手にした腕をだらりと降ろし、二歩、三歩と後ろへ下がっていく。

「羅……」
「分かっただろうが、還龍宮」

 不意に、血臭の酔いから醒めたような目つきで羅は告げてきた。

「退っ引きならねぇギリギリの場所に立てば、もはや言葉も情も意味を為さねぇ。前に立つヤツを消すしかねぇのさ」

 きびすを返して、ホールの出口へ走り去っていく。

「次、そういう相手と出くわした時は……迷わず殺せよ」

 呪言のような、あるいは忠告であったかも知れない言葉を残し、暗殺者は影の奥へ消えた。

「……五月蠅い」

 極度の緊張から石剣を取り落としつつ、日雨はどうにか言葉を絞り出した。吹き込む風が、あまりにも寒々しかった。

「……やれば……できる、ではないか……」

 絶え絶えと上がる言葉に、振り返る。そうだ、レフを早く治療せねば。
 近寄り、うつぶせになった彼の身体を抱き上げ――絶句する。
 瞬く間に日雨の身体を濡らした、致死量の出血。

「悪くない、最後コーダの舞だった。もうしばらく見ていたい気もしたが……どうやら……幕引きレヴェランスの時間の、ようだ」
「待て、諦めるな……」

 言いかけて、それが余りに無為な言葉であるかを悟る。

「せめて、リューリク殿が来るまで耐えろ! あの男の忠臣なのだろう、そなたは! 遺す言葉があるはずだ……!」
「馬鹿め……何年付き合ってきたと思っている。辞世の言葉など、彼には必要ない」
(しかし、それでも、この腕で死なせるには不足だろう!)

 悔しげに歯噛みする、と。

「馬鹿、め」

 レフはもう一度、日雨を罵倒した。

「俺は、代々の竜皇全てに敬意を払っている。しかし……リューリクにだけは、忠誠を誓った。それは、あの男が初代の竜皇だからではない……」

 末期の吐息を惜しむように、彼は言う。氷雪の中にも似た寒気の中で、懐かしい言葉を思い出していた。
 ――ははッ。俺に喧嘩を売ってくる小僧っ子は久々だな。
 ――俺が勝ったら、お前は俺についてこいよ、レフ。

「……どこかで聞いたような台詞を、ガキの頃、言われたのさ」
(この俺が、まさか人間相手に、などと思いもするが)
「お前が代わりでも、存外、悪くない気分だ……シキシマ・ヒサメ」

 その言葉を最後、吹雪に埋もれるように、レフ・カルピンスキの魂は永久に覆い尽くされる。
 しかし、もう寒いとは思わなかった。



[40176] 14.鶴の子供
Name: 八目又臣◆aa87a973 ID:17b043ce
Date: 2014/10/26 14:08
 エントランスホールのオブジェに頭を向け、そこから漏れる光を浴びて眠るように死んでいるレフを、リューリクは見下ろしていた。
 背後に立つ日雨には、彼の顔を見る事ができなかった。

「……すまん」
「お前だけのせいじゃ、ねぇさ」

 吐き出される言葉は、平素とさして変わりなかった。

「俺たちを出し抜いたロゥのヤツが強ぇ。そして出し抜かれた俺たちが弱かった。そう考えるのが、竜種の流儀だ。喧嘩にうつつを抜かして、足下を疎かにしてた俺が、間抜けなのさ」

 肩をすくめる。あるいは、この男はレフの死を悼んではいないのではと疑わしくなる程の、気軽さ。

「――だがよ」

 彼の立つ床に、亀裂が走る。この巨漢を中心に、熱風が吹き込んでくる。

「落とし前は、つけねぇとなぁ……」

 駆けつけていたコサックの兵士の一人が、その時のリューリクの貌を見てへたり込んだ。それ程の激情を彼は発していた。
 しかしそれも一瞬の事で、振り返った彼の顔つきからは険が取れている。

「ま、それは〝いずれ〟の事だ。まずは今迫る危機に対処しねぇとならんな」

 そう、今このシヴィル・シーチには、駐留するシヴィル・コサックを殲滅する為のカタ・コスモーン機構の軍勢が迫っているのだ。

「シヴィル・コサックは軍制上、二人の師団長を次席として置いている。連中に指揮権を引き継がせて急ピッチで部隊編成に当たってる所だが……多少の遅延は否めねぇな」

 レフ・カルピンスキは個人的な戦闘力より、軍団を運営するに当たっての実務能力の面で評価されていた人物だ。作戦計画の立案から準備、そしてその実践に至るまで極めて堅実、何より迅速であった。軍団の能力を誰より的確に把握していた為だ。
 その知識と経験が欠落した今、全ての軍事行動にかすかな連携ミス、がたつきが生じてしまっている。歴戦の将兵はそれを最小限に留めてはいるが、総体的には決して無視できない遅れとなるだろう。
 それは、いざ決戦となった時、不十分な体勢で戦う羽目になる事を意味する。

 本来、軍隊とは最高指揮官すら代替可能である事を目指すものであり、シヴィル・コサックも非常時の引き継ぎの用意を欠かしてはいなかったが――それは、戦死、あるいは病没や事故を想定したものだ。
 暗殺による指揮官の欠落、そしてその直後の奇襲的な戦闘に対応する事は不可能である。

「――曖昧じゃな」

 巨漢の多い竜人の中で、あまりにも目立たなかった小柄な人影が前に進み出た。

「推論は微に入り細を穿つ事をもって良しとせよ。そうでなくば、策も出てはこんじゃろう」

 夜見は、周囲の巨人たちの視線を浴びながらも物怖じせず、どこまでも上から目線である。

「……何が言いたい? 嬢ちゃん。断っておくが、俺らはガキのままごとに付き合ってるヒマはねぇ、なんて台詞を吐くヒマも惜しい状況にあるんだぜ」

 リューリクの苛ついた物言いを受けても、特にひるみもせず。

「敵軍はどこから、いつ現れるかを予測する必要がある」
「……つってもな、連中はまだシヴィル・コサックの哨戒網に引っかかって無ぇ。それじゃあ計りようも」
「それでは遅かろう。後手に回れば戦は負ける。――推察の材料は、いくらでもあるわ」

 と、彼女はレフの遺骸の前に歩み寄る。リューリクの持ち込んだコートで胸の傷を隠されてはいるが、兄としては多少の遠慮はして欲しい所である。
 そんな日雨の心境はさておき、夜見は顎に手を当て彼の死に顔を見下ろすと。

「彼の暗殺が今日にずれこんだ理由は、羅が職業的暗殺者である点から明白じゃろう。雇い主の都合じゃ。ならその都合とはなんじゃ? ――今日まで、敵軍も出撃準備が完成しておらなんだのよ」
「我らは二十日も前に機動甲冑の軍勢と出くわしたではないか」
「それは、彼奴らの狙いがリューリク殿にあると思わせる為の囮じゃろ? コサックと真正面から殴り合える程の大軍の準備を整えるのとはまた別よ。 
 そもそも、連中は、どこからジラント皇国に侵入しておるのか? ここはこの国の南端近く、海岸も遠く海路は使えん」
「嬢ちゃん、連中にはちと奇天烈な軍勢の投入手段があってだな、」
「分かっておる。〝その経路〟も検討したが……そもそも、その手で来るのなら指揮官を暗殺するまでもないじゃろう。こすと故なのか、連中特有の事情なのかは知らんが、これまでも頻繁に使われてきた訳ではないのじゃろう?」

 日雨には夜見の発言の意味は分からなかったが、元竜皇がぐぬ、と唸った事から彼には通じているようだった。
 結論を述べる、と夜見は前置きして。

「山越えじゃ。連中は南方のカザクで部隊編成を行い、こちらへ北上してくる。編成に時のかかったのはその為よ。いくら大陸中の人類国家に影響力を持つカタ・コスモーン機構とは言え、表立って大陸中央部に異形の軍勢を行軍させる訳にも行くまい。部隊を目立たぬ程の小規模に分散させ、段階的に編成を完了させておったのじゃ」
「……あくまで予想に過ぎねぇだろ? 証拠は、」
「そなたが先日、ここより南方で機構の軍隊を待ち構えておった理由はなんじゃ? 連中はこれまで、南に現れておったのじゃろ?」
「……」

 歴戦の竜皇は、齢十の幼女にやり込められて言葉を飲み込んだ。

「さて、出所が割れれば次は刻限じゃ。シヴィル・コサックの哨戒網の南方からギリギリの位置に連中が待機しておるとして、羅の暗殺成功の一報が司令部に伝わるまでのらぐを考えると……ふむ、本格的な開戦はこれより四時間二刻後じゃの」
「ちょ、ちょっと待て。いきなりサラっと解答が出て来たが、根拠はなんだよ根拠は」
「あん? じゃって、南方の哨戒網の範囲は……こんなとこじゃろ?」

 背後に控えていただきにが広げた地図を指差し、シヴィル・シーチの南方一五〇キロ程度の場所を示した。
 リューリクはその場にいたコサックの将校に目配せして確認を取り――瞳に驚嘆の色を浮かべる。

「嬢ちゃん、どこでそれを知った?」
「知る訳ないじゃろう? 斥候たる飛竜の航続距離やら哨戒部隊の維持こすとやら、諸々の要素を勘案して、ざっと割り出しただけじゃ。
 敵軍の移動手段は、きゃたぴらっちゅー鉄の帯の付いた、機動甲冑を搭載できる大きさのぶーぶーなんじゃろ? 雪原の行軍速度なんて時速四〇キロ未満じゃ。なんじゃそなた、わらわを算数もできんお子様と思うたか?」

 口を尖らせる夜見に、「いや……」と声を詰まらせるリューリク。自動車の事をぶーぶーと発言するようなお子様相手に、既に反論する言葉が思い浮かばなくなりつつあった。
 彼女は更に続ける。

「で、それはレフの考える自軍の部隊展開の刻限でもある。この……ノヴォロクチ平原とやらに集結させ、戦闘態勢を作るつもりだったんじゃろうな。予測される遅延は如何ほどかや?」
「……三十分だ」

 将校から聴き取った情報を告げるリューリク。彼はこの小さい子供の言葉から、耳を離せなくなっていた。
 驚くべきは、夜見が自然とこの戦をシヴィル・シーチという堅固な砦に籠っての防衛戦ではなく野戦と捉えた事だ。
 近代以降の戦争は、火力の増大に伴い要塞の防御能力が無力化していく。機構とジラント皇国の戦争においても、その原則は変わらない。
 砦に立て籠もるなど甚だ無意味な行為なのだが、未だ白兵戦が主となる大陸の戦争ではむしろ籠城以外の防衛戦が想定すらされない。
 詞木島夜見は、たった数回のカタ・コスモーン機構との遭遇で、自分の生まれ育った文明レベルと比べて異質な程に発展した戦争の法則を見出していた。
 商才、魔術において天賦の才を持つ事は分かっていたが――軍事に発揮する才覚も、これ程とは。

「ならば、一個師団の配備を優先するがよい。一個軍になりきれぬ、がたがたの二個師団をぶつけるよりはマシじゃろ。シヴィル・コサックには地の利がある。地形を生かせば兵力が劣っても遅滞戦闘くらいは可能であろう。その間に残りの一個師団の準備を完成させるのじゃ」

 夜見の提案に、リューリクは数秒沈思黙考して。

「……俺からの助言の形で師団長に伝える。それでいいか?」
「うむ。妥当じゃの」
「お前さんが竜種なら、この場でレフの後釜に据えてた所だ」

 竜皇からの最大級の賞賛を込めた言葉に、「よせよせ」とつまらなそうに手を振って返す夜見。
 その光景を、日雨は呆れ笑いと共に眺めていた。まったく、この妹は本当に……

「なんだか、いつの間にやら絶好調ですね」

 いつの間にか隣についていただきにが、鉄面皮でそう言った。
 夜見は、からん、と言葉を句切るように雪駄で床を打った。

「それで勝てる保証はない。未だに負ける公算の方が高いくらいじゃ。――何より、将兵の奮戦ではどうにもならん問題がある」

 夜見の声音は、緊張に痺れていた。彼女はいつも、不安要素を誰よりも早く見出し、誰より先に陰鬱とする。
 彼女は言う。

「羅虚虎による暗殺など、軍が当てにするとは思えん。――レフ殿と、そしてリューリク殿の双方を排除する手段を別口で用意しておるはずじゃ」
「……機傀悪魔か」

 さすがに察した日雨が、口を出す。本来の姿となった高位竜種と戦うには、機動甲冑ではいかにも不足だ。同じく超常の存在をぶつけるしかないだろう。

(あるいは……)

 出てくるのか、彼女が?
 エルザ・フランケンシュタイン。今となっては、彼女がこのシヴィル・シーチに滞在していたのはただの偶然とは思えない。パートナーである媒介者の存在を確認できてはいないが、敵として立ちはだかる事は十分考えられる。

(敵……)

 ――秋津洲国は、あの女の指示で俺が滅ぼしたんだよ。
 羅虚虎の言葉が正しいのであれば、彼女こそが日雨の最大の敵だ。何かと世話を焼いて、竜種に対抗する魔術を授けてくれたのも、全て何かしらの計略という事である。
 苦いものを舐めたように、顔をしかめる。その計略にまんまと嵌って、日雨はレフを犠牲にし、シヴィル・コサックを窮地に追いやる作戦の一翼を担ってしまった。

「そいつは、俺が相手をする」

 日雨の内心の葛藤を余所に、会話が続けられていた。リューリクは断固とした口調で告げる、が。

「レフ殿と、リューリク殿の双方と言った。――敵は、一体のみではない」
「……」

 夜見の指摘に、さしもの彼も口をつぐむ。いくらこの男でも、機傀悪魔との戦闘は容易ならざる難事だ。ましてや、二体同時に戦うなど無謀が過ぎる。

「――じゃあ、わたしたちの出番だ」

 その時、一人の少女が前に進み出た。

「だよね、日雨くん?」

 うつむき加減の日雨の肩を叩きつつ、くららが言った。

「……くらら」
「……なんかさ、海千山千のツワモノにやり込められちゃった、って感じだよね。老獪な大人たちに騙されて、必死に頑張ってた所の足下をすくわれて、試合の勝ちを台無しにされちゃった」

 日雨の目を真正面から見据えて、彼女は言う。からかっているのか、と問い糾したくなるような軽い口調で。
 しかし彼女の目は、春の氷のように澄んでいて。

「ぶっ飛ばしちゃおうぜ」

 拳を突き出し、粗野な言葉遣いで告げるくらら。

「開戦まであと四時間。その間にあっち側の機傀悪魔を倒せば、連合王国の軍隊は逃げてくんじゃないかな」

 夜見の方を向いて問うような視線を送ると、彼女は頷いて同意してきた。先程言った通り、機傀悪魔の戦力は一般の将兵の奮戦程度でどうにかなるものではない。セイタンが勝ち残れば、連合王国の軍隊に目的達成の望みは無くなる。
 リューリクが口を挟んでくる。

「嬢ちゃん、分かってるのか。ここで戦えば、お前らは連合王国に確実に敵視されるぞ。あの国を倒すのが、お前らの目的じゃないんだろう?」
「その辺は、夜見ちゃんの手腕に期待しますよ」
「……全く、こきつかってくれるわ」

 苦笑する夜見に悪戯っぽく微笑み返して、くららは日雨に向き直る。

「最後に笑った方が勝ちだよ、日雨くん。訳知り顔の大人たちの企みを御破算にして、目に物見せちゃおう。子供だからって、やられっぱなしじゃないんだぞ、ってさ」
「……悔しいからやり返すなど、それこそ子供っぽいわ」

 毒気を抜かれた気分で、日雨もまた彼女へ笑いかけた。

「余と戦ってくれるか、くらら」
「うん。――当たり前の事、聞かないの」

 たしなめるかのような物言いをして、くららは頷いた。

「――ったくよ」

 後ろから、日雨の頭に大きな手を置きリューリクは言う。

「イイ女じゃねぇか、坊主」
「うむ」

 そう返す事に、何も迷いはなかった。
 リューリクは破顔一笑して、日雨へと告げる。

「派手にぶちかまそうぜ、坊主。今日まで散々戦ってきたがよ……次が、シヴィル・コサックでの最後の喧嘩だ」
 





 自動書記の式神が紙に筆を走らせる音が、既に一時間は鳴り続けていた。
 主人の脳髄とリンクし、並列処理にて膨大な計算を行う演算霊は、離宮最上階の広い空間を妖精のように舞っている。
 彼女の前方には大きな桶が置かれており、張り渡された水が一瞬ごとにオブジェのような立体の像に変化する。彼女独自の方法論で構成された、形象により莫大な情報量を表現する思考モデルは余人にはまるで理解できない。
 詞木島夜見の世界には、誰も立ち入れない。
 人類から隔絶したかのような知性の主は、ただ一人だけの種のように孤独であり続けていた。――ずっと、そうであると思っていた。

「じゃ、そろそろ行くね、夜見ちゃん」

 セーラー服の上に白いコートを着込み、毛皮の手袋とブーツを履いて出かける支度を済ませたくららが声を掛けた。
 背を向け、計算に没頭しているままの夜見はそれに応えない。くららは苦笑して、立ち去ろうとする。

「――一つ聞きたい」

 背中が、微かな声を発する。

「うん。なに?」
「かつて、わらわはそなたを化物と言うた」
「……うん」
「先日も、レフ・カルピンスキ相手の会談で、そなたをただの兵器と、便利な道具であるかのような物言いをした」
「……だね」

 その返事に、背中が物言いたげな沈黙をする。極限の神秘に挑もうとする幼女が、いかにも簡単そうに見える問題に懊悩している。

「怒ってないよ」

 くららが先に答えた。

「……なぜ?」

 おずおずとした問いかけに、くららは「えへへ」と面白がるように笑い。

「おねーさんとしては、ちっちゃい女の子が頑張ってたら、気をつかってあげないとね」

 なんとも、見当違いの事を言うものだ。
 詞木島夜見は天才であり、持てる才覚に伴う当然の義務として、それを発揮する事を求められているだけだ。頑張ってなどいない。ちっちゃい女の子などという、どこにでもある言葉など甚だ不当だ。
 ――そんな、甚だ不当な言葉を言った人間には、生まれて初めて会う。

「くららちゃん」
「なに?」
「わ、わらわの言ってたそれ……う、うそだからね。ぜんぜん、ぜんぜん、ほんとじゃないからね」

 自分を守る知性を放棄した、舌っ足らずな幼子そのものの口調で夜見は言う。

「うん」

 くららは微笑みを浮かべて、離宮から出て行った。

「録音機材が欲しかった所ですね」
「ううううるさい黙れぇっ!」

 気配を消して控えていただきにの言葉に、水晶玉を投げつけて罵倒する。彼女はあっさりそれを受け止め、手元に抱えた。
 夜見の感情の乱れを受けて、空中の演算霊やら水のモデルやらが崩れだした。それを自制し、彼女は計算を再開する。
 その最中で、従者に問う。

「だきによ。……わらわの竜種使役法が失敗したのは、なぜだったのじゃろうな」

 これまで一度も、夜見はだきににその相談を持ちかけた事はなかった。失敗は、自分の力で取り戻すつもりでいた。
 しかし、周りが見えるようになってみると――この式神が、答えを知っていそうな気がした。

「二つ、考えられます」

 だきにはそう口火を切る。

「一つは、〝始馭天下之比売命が使っていたのは竜種使役法ではない〟という可能性です。この地で竜なる種をつぶさに観察してみましたが、ただ一個人の霊的能力で、あれだけ霊格の高い種族を、しかも無数に支配するような魔術が存在するとは思えません。
 彼女の用いたのはもっと異質な、何かしらの〝能力〟であり、竜種使役法はそれを魔術として再現する事を目指した実験的なものなのでしょう。つまり、現在に至るまで〝竜種使役法なる術が成功した事はないのです〟」
「……ならば、我が国の開祖は」
「まぁ、そういう事なのでしょうね」

 二人は視線で推論の核となる事実を確認しあった。だきには無表情のまま、夜見は沈鬱と顔を伏せる。

「もう一つは、」

 だきにが続けて述べた。

「言うまでもないとは思いますが、これまで、何度も言及されていた事です。――人間という種族の限界です。いくらお嬢様が人類で最高峰の魔術的能力を持つ巫女であっても、人の枠に留まる以上は竜を支配する事は永遠に出来ません」

 そうやって手品の種のように明かされてみると、もったいつけた割りに大して面白みのない事実だった。こんな事も気づけなかったとは。
 詞木島夜見は、ただ自分がなんでもできると思い込んでいただけの、うぬぼれた子供だったに過ぎない。

「わらわには、竜種使役法を修得する事は出来ん、という事か」

 改めて問うまでもない事を口から上す、と。

「一つ、お尋ねしますが――貴女は、私を使役した事がありますか?」

 だきにが、そんな事を質問してきた。

「え、いや、だってそち、従者じゃし。わらわの作った式神じゃし」
「勘違いも甚だしいですね。――ぶっちゃけますが、私はあくまで、超わがままな幼女の身の程知らずな要望に、寛大にも付き合ってあげてるだけですよ」
「すっごい上から目線ー!」

 思わぬ告白を述べてきただきには、まるで格下の小動物を見るような酷薄な眼光を夜見へ送っていた。

「当たり前でしょう。知能の程はさておき、喧嘩の強さ、生活力、美貌、スタイル、運気、センス、その他諸々の総合力において、私がお嬢様に負ける要素は小指の先ほどにもありませんので」
「ぬ、ぐぬ……」

 屈辱にうなり声をあげる夜見に、だきには変化し、尾を見せびらかしつつ言う。

「私は、かつて秋津洲国に跋扈していた大妖をモデルに作られた式神です。――生みの親でも、気に食わない相手だったら即座に喰い殺していたでしょうね」

 冷酷な魔力を渦巻かせ、彼女自身も竜種に劣らぬ超越種である事を見せつける。
 しかしそれは一瞬の事で、すぐに人の姿に戻り、だきには鉄面皮のまま言った。

「ですが、どうやら、貴女はわたしにとって、気に食わない主ではないようです」
「……だきに」
「貴女が出した答えは、今作り上げようとしている〝その術〟は、正しいと私が保証して差し上げましょう。成功するか否かはさておくとして」
「……失敗するかも知れんのか?」
「当たり前でしょう?」

 自然の摂理を述べるような確信を込め、だきには言う。

「友達は、一人で作るものではありませんので」



   //////



 ジュラヴリカ・イヴァノヴナ・ジランタウの誕生は、万雷の祝福を以て迎えられた。
 ――飛翔能力を持つ飛竜の内、貴種アリスタクラートたる竜は敬意を込めて〝天竜〟と呼ばれる。
 その価値は極めて希少。科学という万能の鉾で長きに渡り皇国の民を脅かす人類の組織、カタ・コスモーン機構に対抗する力として、常に待望されてきた。
 ジュラヴリカは生まれる前より、歴代の皇族でも数少なかった天竜の資質を持つ事が判明していたのだ。

 皇都ノヴォ・モスクヴァの貴族たちは、美しき皇妃の胎に宿った姫に大いに期待をかけた。次代のツァーリは初の姫君がおなり遊ばされるか。アイザック暴風公、ボリス晴嵐公、そして御父君雷帝イヴァンに続く、空を統べる覇者……
 予定よりいささか早く皇妃が陣痛を訴え、後宮へ出産の準備に入った時も、彼らは輝ける未来を胸に秘め。
 ――その翌日に、期待は無惨に瓦解した。
 後宮は修復に数年を要する程に破壊されていた。破壊痕は、燃焼、凍結、石化、金属化と四種の怪異によるもの。

 ――忌子だ。
 複数の霊的素養を持って生まれるジランタウ一族の間に、稀に発現する障害であった。その身に宿す霊子が三種以上ある竜種は、体内の霊子が反発し合う。その制御は不可能と言ってもよく、その竜は能力を十分に発揮できない。
 当代竜皇イヴァンは、奇跡的な才能により三種の霊子を制御する事に成功したが、四種ともなれば望みは皆無である。
 出産の際、皇妃は重傷を負い失神した。その間に、ジュラヴリカは厳重な封印の施された部屋に隔離される。母娘は、互いの顔を見る事すらできなかった。
 十年間、自身の魔力で身体を傷付け立ち上がる事もできなかった。
 次の十年は、力を制御する為の拷問じみた修錬に費やされた。
 そして、初めて彼女が部屋の扉を開け放ち外界に現れた時――彼女が得るはずだった全てのものは、その手からこぼれ落ちた後だった。
 ほとんどの貴族たちは、二十年前に隔離された姫君の存在を忘れ去っていた。

 かつて彼女にかけられた期待を、体現する子供が既に産まれていた。
 第二皇女ラーストチュカ・イヴァノヴナ・ジランタウ。雷帝の才覚をそっくり引き継いだかのような至高の天才竜種。空で生まれたかのように、軽やかに舞う天女。
 外に出た初めての日、天空を踊る一度も会った事の無かった妹の姿を彼女は見た。
 恥ずかしかった。
 悔しかった。
 妬ましかった。
 ぎこちなく案内され、迎えられた宮殿で、初めて会う父親の顔を見るなり、ジュラヴリカは必死に懇願した。生まれて以来ろくに使ってこなかった言葉は、肉親に向けるにも不様でたどたどしかった。

 ――お、御父様。
 ――あ、ああ、あた……わたくしにも、機会をく、ください。

 彼女は物心ついた時から、隔離された自室の窓より自分の夢の世界を覗いていた。
 あの空を舞う為に、必死に自分の身体と力に向き合ってきたのだ。
 あたしにだって、飛べる――そう信じていた。
 竜の姿へ立ち戻り、宮殿の中庭にて上空を見上げ、羽ばたく。
 自分の身体が浮き上がるのを感じた。常冬の国の、鮮烈な冷たさの風を鱗で受けた。

(ほら……っ! あたしは、飛べるんだ……!)

 初めて体感する歓喜に、心が震えた――その瞬間に。
 自身から溢れる、己を縛る力を感じた。
 無きもののようであった重力が途端に身体を押さえつけ、空を彼女から引き剥がしていく。
 遠ざかって行く蒼穹を、彼女は涙混じりに見送って。
 墜落し、地に伏せる彼女を見下す人々の目。
 ――忌子。
 ――落伍者。

(あ、ああ……やめ、て、やめて……)

 圧力すら感じる目線に怯えて、折れた翼で這いずった先で――父の姿があった。

『弱い者は、必要無い』

 竜という種の不文律を以て、彼は娘を捨てた。
 外の世界は、地獄アートだった。
 



 
 
 シヴィル・シーチに敵の軍勢が迫りつつあるという緊急事態に、軍長レフ・カルピンスキの弔いは簡素化せざるを得なかった。牙の城の安置室に棺が置かれ、運び込まれた彼の遺骸が収められていた。

「……悪いな。この戦が終われば、もっとマシな葬式、上げてやるからよ」

 彼の死に顔を見下ろして、リューリクは告げ、そして途中で顔を苦笑させた。

「お前はむしろ、自分の死体なんてほっぽって早く戦いに行けって言うヤツだけどな。今こうしてても、起き上がって説教をかましてきそうだ」

 親しげに語らう祖父の背中に、ジュラヴリカは声を掛けるかどうか迷っていた。

(まさか、レフ小父様が……死ぬなんて)

 親しくしていた訳ではない。いつも、祖父と会話している横顔しか見た事が無かった。
 しかし、こうして死に顔を見れば恐ろしく、そして沈鬱としてしまう。
 レフの端正な顔は、石化しつつあった。既に、顔面の半分ほどが石に侵食されており、それは着々と進行している。まばらに肉眼が石像じみていく有り様は、見るだに痛ましかった。
 これが、竜の死だ。制御していた魔力の箍が外れ、自身の力に喰われていく。
 忌子の死に様は、特に恐ろしいものと聞く……

「――死ぬのが怖ぇか?」

 祖父は背中に目でもついているかのようにジュラヴリカの心中を察してきた。

「あ、当たり前よぅ……」

 想像するだけで足下が震えてくる。歩いて帰れるだろうか、などと見当違いの心配をしたくなる程に。
 敵が攻めてくるという。力のほとんどを発揮できないジュラヴリカからすれば、怪物の集まりとも言える同族たちの軍勢と、互角――むしろ勝ち越してきた人間の軍隊が。
 そんなものの前では、非力で矮小な自分の身など瞬く間に磨り潰されてしまうだろう。そんな間近に迫る悲惨な死が、怖くない訳あるか。

「う、うぅ~……よよよ夜逃げしたいぃ~、とんずらしたいぃ~」

 頭を抱えて、情けない事をためらいなく言い放ったジュラヴリカ。
 でも、この脳筋祖父は男気とかいう理解不能の世界観で、むしろ真っ先に特攻を仕掛けるような男で、彼の他に頼る当てのないジュラヴリカはそれに付き合わざるを得ないのだ。
 これまでずっとそうだった――

「……ったく、お前は竜種でも一番のヘタレだなぁ、ラヴリーチカ。言うか? 普通。んな事を、臆面も無くよ」

 罵る声は、なぜか穏やかで、祖父はジュラヴリカの頭に手を乗せて撫でてくる。

「そんな面倒臭ぇお前のメンドウを見るのも、結構楽しかったがよ……それも今日までだ」
「……え?」
「分かってんだろうが、サシチザーニイの戦利品にはお前の身柄も含まれてんだ。お前は今日から、あの坊主のモンだ」

 あの、坊主。
 決勝戦をリューリクと戦った、人間の子供。ジュラヴリカの居室に強制的に間借りしてきた、今となっては不倶戴天の敵とすら思っているあの幼女の兄。
 勝てるはずのない力の差を前に、決して諦めずに戦い抜き、無敵の祖父を倒してのけた少年。
 あの戦いは、ジュラヴリカに今まで経験したことのない感情を抱かせた。
 すました顔をした、理知的な幼女が必死になって声を張り上げる様。
 死闘を制した少年の、雄々しい立ち姿。
 ――動かないままでいた自分が、恥ずかしくなる気持ち。

「ね、ねぇ……じじいは、あ、ああ、あたしがあの時応援しても、意味なかったわよね。こ、こんなへたれの引きこもりで、一族の不良債権で、忌子で、何の価値もないゴミクズの声に、か、価値なんて」
「――そりゃあ、勝ったさ」

 彼女の自虐を叱りつけるように、リューリクはジュラヴリカの頭を軽く押さえた。

「あの時の勝敗は、紙一重の気合いの差だったんだ。カワイイ孫娘が応援してくれりゃあ、勝ってたに決まってんだろ。ったく、孝行のねぇ孫娘だ」
「……ぁぅ」

 真っ直ぐに向けられる愛情が眩しくて、信じがたくて、ジュラヴリカは祖父の笑みを直視できずに俯いた。

「ま、そこまで追い詰められたのは俺の力不足だ。悪いな、ラヴリーチカ。ホントは余裕綽々で優勝して、元鞘に収めるつもりだったんだがよ」
「……ど、どういう事?」

 問いかけると、リューリクはレフの棺を視線で示し、

「……こういう権謀術数のうずまく戦争だ。身内を狙うのは常套手段。俺は、お前の身柄を預けて事態を収拾しようと思った。……お前の生まれじゃ、シヴィル・コサックの兵士にお前の警護を納得させるのは難しくてな」

 後半を言い淀んだ彼の物言いで、ジュラヴリカは理解した。
 彼女が離宮の最上階に部屋を割り当てられたのは、サシチザーニイの戦利品として扱われるようになってからだ。
 皇族の権威などより力の有無を重視する竜という種族にとって、忌子は何ら価値のない存在だ。本来は、丁重に扱う理由が存在しない。
 リューリクは、ジュラヴリカを、シヴィル・コサックが自分たちの威信を賭けて主催するサシチザーニイの欠かせない要素とする事で警護せざるを得なくしたのだ。
 祖父に捨てられたと思い込んでいたのが、実は守られていた。

「……な、なんでよぅ」

 彼と出会って以来、何度も感じていた戸惑いを口にする。







 ジュラヴリカが祖父と会ったのは、皇都の空から墜落して数日後の事だった。

「ったくよー、イヴァンの野郎、孫が出来たってのに俺に報告一つ寄越しやがらねぇ。孝行のねぇ息子だぜ。なぁ?」

 父に国政から逐われて以来、大陸中を旅していたという国父リューリク・ジランタウは、厳格な父とは真逆の、びっくりする程軽い男だった。こんな男が自分の祖父、ジラント皇国開闢の祖だと言われても、にわかに信じがたかった。
 それでも貴族たちは、浮浪者同然の出で立ちの彼を宮殿にて出迎え、下にも置かぬ扱いをした。無遠慮に忌子のジュラヴリカを見下していた親族の視線が、強烈な畏怖心に凍り付いていた。どうもこの男は本当に、大人物なようだった。
 もっともその時は、そんな事はどうでもよかった。

「いやー、悪いなジュラヴリカ……でいいよな? 二十歳になる孫の存在すら今まで知らねーでよー。妹の方は噂に聞いてたんだけどよ、姉に関しちゃまるで耳に入って来なくてな。ま、当然か。こうして話しててもロクに視界に入らねぇもんなぁ、ちびすけ。ガハハハハ!」
「……るさい」
「あん?」
「う、うう、うるさいって言ってるのよぉっ! り、りりりリア充筋肉ダルマが、負け組一直線のあたしに構うんじゃないわよぅ! でかい身体でお日様遮って、余計あたしの日陰者感が増すじゃないのよぉ~っ! くそじじい!」

 周囲がどよめいた。慄然としていた。
 真っ正面からリューリク・ジランタウに逆らった竜は、息子である雷帝イヴァン陛下くらいのもの。ましてや、あれだけ口汚く罵ったのは前代未聞であった。
 それも、父に伍する力を備えていた現竜皇ならまだしも、無能者の烙印を押された忌子による国父の非難など言語道断であった。

「で、殿下! なんたる物言いですか! この方は〝貴女様のような者〟では本来口を利く事もおこがましい御立場の、」

 この数日、公然とジュラヴリカの無能を嘲笑っていた親族の男――その身体が一瞬で吹き飛び、宮殿の壁にめり込んだ。

「うるせぇぞ小僧。初めての祖父と孫の対面にしゃしゃり出て来んじゃねぇ」

 煙を上げる拳を掲げ、不機嫌そうに言い放つリューリクに、周囲の貴族たちは恐怖した。
 ジュラヴリカも大いにびびった。
 なるほど、この男はまさに竜の中の竜であるらしい。圧倒的な力をもって、余人を従わせる絶対者。

「お前も、俺が怖いか。ジュラヴリカ」

 山頂から吹き降ろす寒風のような祖父の問いに、彼女は足を震わせつつ応えた。

「こ、ここ、怖くなんかないわよぅ……あ、あたしが弱い者だからって、見下してんじゃないわよじじい……!」

 口から勝手に虚勢が立ち上ってくる。
 周囲の人間の、史上最低の愚か者を見るかのような目。その意味は自分でも分かっている。こんな事を言って、これから何が起きるか、恐ろしくてならなかった。
 でも、と強者に屈するのを己に許さない気持ちが、彼女にはあった。その正体を言葉にする術を持たない彼女は、ただ相手を睨み付けるだけしか出来なかったが。
 ――祖父は。

「そうかよ」

 とびっきりに面白いものを見つけたような顔をして、
 ジュラヴリカの小さい身体を小脇に抱えた。

「え、あ、えぇ……っ?」

 当惑の極みにあるジュラヴリカを無視し、貴族たちに悪戯っぽい笑みを振りまくと、祖父は高らかに言い放った。

「イヴァンに言っとけ! お前の娘、要らんのなら俺が貰ってくぜってな!」

 そして疾風の速さで、訪れたばかりの宮殿の門をわざわざ殴り壊して走り去っていく。

「ぴきゃあああぁぁ~っ!」
「まずは中原からだジュラヴリカ――ラヴリーチカ! こんなクソ狭い場所で落ちぶれた程度どうでもよくなるくらい、広い世界に連れてってやらぁ!」

 そうして、ジュラヴリカの次の十年間が始まった。




 
 

「な、なんで、いつもいつもいつもっ! あたしを守ってくれるの? 足、引っ張っても、許してくれるのよぅ……わ、分かんない、分かんないわよぅ……!」

 見上げた祖父の顔に、挑むように問いかける。
 理解できないから怖い。これまで捨てられたと思っていたのは、拾われる理由すら分からなかったからだ。祖父が目をかけてくれる程の価値を、ジュラヴリカは自身に一つも見出せないのだ。
 彼は、痛ましいものを見るような視線を孫娘へ向けた。

「……悪かった。十年もいて、気付かなかった」
「……?」
「お前は……無条件に自分を愛してくれる肉親ってヤツを、信じるどころか……最初から知らなかったんだな」

 鋼鉄の皇が、つい先程胸を大剣で突き刺されても苦痛をおくびにも出さなかったような男が、傷ついた表情を浮かべてこちらを見ている。

「その、呪いみてぇなモンを最後まで解いてやれなかったのは……祖父として、恥ずべき事だが」
「……行っちゃうの?」
「ああ。俺は、王者の義務ってヤツを果たさねぇといけなくてな」
「王者の義務って……も、もう、竜皇の地位は御父様に取られちゃったんだから、そんなのあるわけないじゃない……あ、あたしはまだ、おじいちゃんと、」
「ジュラヴリカ」

 鋼のような硬質の声で、リューリクは告げた。

「王ってのは、地位の称号じゃねぇ。レフだけじゃねぇんだ……俺の事を王と呼んで先に逝った友は、このジラントの氷雪スニェルニクの下に何人も眠っている。そいつらの顔も、名も忘れない限り、俺は王である事をやめられないのさ」

 彼の立ち姿は、鉄の墓標のように見えた。それが、それこそが――王だと言うのか。だったらそれは、なんて悲しい存在なのか。
 リューリクはジュラヴリカの頭をもう一度撫で、そして一歩後ろに下がる。

(……?)

 ずしん、と。いつも巨体に反して軽やかな足取りであった彼が、この時は重い足音を立てた。
 その意味を気付く間も無く、リューリクは言う。

「お前も、自分の足で歩いていくんだ、ジュラヴリカ。お前は天竜たり得なかった……臣民の憧憬を満身に浴びて飛翔する、輝ける星には。お前はこれまで、何者かであった事が無い」

 厳格な、突き放したような言葉。

「だから、探せ。俺が王であるように、お前を何者かに成さしめる友を。誰も、己を呼ばわる言葉無しに己を定める事は出来ないのだから」
「そ、そんなの……無理よぅ……! 忌子のあたしには、誰かが見てくれるような価値なんて、」
「そんな事ぁ、無ぇさ」

 一転して、祖父はいつもの陽気な笑みを浮かべた。

「お前には、お前だけの、他のどの竜にも劣らない価値を持ってる」
「そんな気休め……あたしは、どの竜よりも弱くて」
「それだ」

 リューリクは言う。

「竜は、強さを絶対の価値と信ずる種族だ。いつだって、自分を強ぇ強ぇと気負ってる連中だ。――その実、竜はそんなに強くねぇ」
「……え?」
「当然だろう? 竜がもし最強なら、何千年も世界の支配者の座を逃し、こんな極寒の僻地に押し込められている訳がねぇ。勝つよりも、負けた事の方が多かった。いつもギリギリで生き残って来たんだよ。どいつもこいつも、その事実を無視して自分の強さを主張する。そんなモンは、ただの虚勢に過ぎないってのによ」

 長年皇国において最強とされてきた始原の竜皇が、その歴史を正直に評価する言葉だった。こんな事は、臣民には一度も言えなかっただろう。

「お前だけだ。自分の〝弱さ〟を真っ向から直視して、無様にも卑屈にもなれるだけの〝強さ〟を持つなんて竜はな」

 だからよ、と彼は親指を立てて告げた。

「お前はいずれ、誰より強くてイイ女になるさ。お前流に言えば、「あたしはまだ本気出してないだけ」「明日から頑張る」ってヤツだ」

 立てた親指を握り、拳の形にして、首をしゃくってくる。
 それにジュラヴリカはおずおずと、自分の拳を合わせた。傷だらけで、固くて、大きな男の手だった。
 リューリクは破顔一笑すると、

「あばよ、孫娘。お前との旅は、この長い生の中でも、久々に愉快痛快なモンだったぜ」

 握った拳を開き、振って、ジュラヴリカに背を向けた。



    //////



 シヴィル・シーチから遠く離れれば、再び極寒の冷気が肌を刺す。貰った防寒着を着込んでいても、寒気が身体の芯まで届く。
 ノヴォロクチ平原。
 夜見が戦場と定めたその広い雪原の遥か後方で、配備を進めつつある竜の軍勢が。地平線の先ではカタ・コスモーン機構の軍勢が、それぞれこの戦いを目撃するはずだ。
 最初から最後まで観衆の元で戦う羽目になるとは、と日雨は苦笑する。

「さァて坊主、嬢ちゃん、今回は俺とタッグマッチだ」

 ここまで来るのに騎乗した軽地竜を逃がしつつ言うリューリクに、日雨とくららは頷いて返した。
 彼はここに来るまで存在を見せつけるように魔力を垂れ流しにしており、その結果――

「多少は、物の見えるケダモノのようだな」

 雪の交じった風をくぐるように姿を現わした男が、そう言ってくる。

「むしろ、見えてはいないのではなくて? アイザック様。我らの存在を知りつつ、逃げもせず迎撃に出るなど、自惚れ屋の竜種らしいですわ」

 役者のようによく通り、そして作り物めいた女の声が後に続く。
 藍色の軍服を着た、耳長の男と、それに寄り添うようにするブルーのアフタヌーンドレス姿の少女。
 その取り合わせには、既視感めいたものを感じさせた。

「もしやそなたら、ルーラッハ・ガルガンティン・マーシアの縁者か?」

 かつて戦い、倒した、連合王国の王子の名を挙げて問い糾す、と。
 男の方の口の端が歪んだ。喜悦、嫉妬、傲慢、種々の感情が入り交じった雑味のある笑みだ。

「そうか。君がルーラッハを屠ったセイタンの媒介者か。ああ……会いたかった、会いたかったよ……」
「復仇か?」

 情念めいたものをぶつけられ、当て推量するが――どうもそうではないらしかった。

「礼を言いたかったのだよ。目障りだった……あの男。選別で私に土をつけ、マモンを得て好き放題に振る舞っていた……君があの男を排除してくれたおかげで、私に次期上王ブレトワルダの目が出て来た」

 この手の男を、日雨は宮殿にいた時分に嫌という程目にしてきた。他人を利益の有無でしか判断しない、権謀術数の泥に肩まで浸かった典型的な貴族。
 ならば、礼を言いたいという発言も言葉通りではないだろう。

「更に、この地でセイタンを得れば私の地位は不動の物となろう。全く、君は幸運の黒猫だ」

 欲情を宿した目線をこちらに向けるアイザックという男に、日雨は顔をしかめる。

「ああ、ああ、アイザック様。ワタクシ以外の者にそんな熱い眼差しを向けられて。嫉妬を禁じ得ません」

 と、女の方がたしなめるような発言を口にする。

「おお……申し訳ない、可愛いカリオペ。どうかうわべの言葉に心を揺らさず、あくまで、君に向けるものだけが私の衷心である事を信じて欲しい」

 彼女の顎をくいと持ち上げ、視線で射貫いて告げるアイザック。

「……日雨くん。この二人、どっちも嘘つきだ」

 悪酔いしたような顔で、くららが呟いた。
 カリオペという少女もその実、アイザックを見ていない。彼女には彼女の思惑があり、パートナーをその為の道具として見定めているようだった。
 真実が欠片も存在しない人形芝居めいたやり取りに、くららは気持ち悪さを覚えたのだ。

「俺が今まで会った機傀悪魔と媒介者ってのは、大概あんなモンだったぜ」

 リューリクが一歩前に進み出て言ってくる。

「似非貴族。喧嘩は義理事、順序を守れよな。まずは俺の相手をしてもらわねぇと」
「……何だと?」

 似非貴族、という言葉に眉を吊り上げるアイザックに、

「お前の殺気の質、覚えがあるぜ。こないだ俺を撃ちやがった機動甲冑のパイロットだろ。てめぇから喧嘩を売っておいて、ケリもつけずに済ます気かよ? ……ま、旗色が悪くなりゃ我先に逃げるような似非貴族に、一度負けた相手にリターンマッチする度胸があるたぁ思えんがよ」
「連合王国の一翼、ノーサンブリア州国の第一王位継承権者にその言い草――高くつくぞ、蜥蜴の王」
「こちとら、喧嘩は借金しても買い叩くタチだぜ」

 アイザックの憤怒に、にたりとして返すリューリク。

「――カリオペ!」
「ふふ……獣の調教とは、胸が躍りますわね」

 ざわり、と髪の毛をのたくらせデモナイズを始めたアイザックの怒声に、愉悦を含んだ笑みを浮かべるカリオペ。
 その周囲に、轟と風音が奔る。

「《鉄筆を走らせよ芸神カリオペ! 理想の乙女の勇猛を記せ!》」

 暴風が白雪を舞い上げ、彼らの姿を覆い隠す。風は天上へと高く、高く昇っていき――

『〝Diabolus ex machina〟Type〝Avaritia〟『Seere』――顕現リアライズ

 蒼穹と色彩を同じくする飛鳥が、出現した。
 全長は三十メートル程か。機首をやや下に向けた流線型のボディに、刃の如き前進翼。内部に溜め込んだ熱量で大気すら歪んでいた。それを開放すれば、一体どれ程の速度で飛翔するのか。

「空戦特化型か……」

 呟くリューリクの声に――どこか、澱みのようなものを日雨は感じた。
 それを問う暇もなく、彼は前に歩き始めた。
 一歩、また一歩と踏み締める毎に、その立ち姿が〝低くなっていく〟。足下の雪が蒸発して、身体が沈み始めているのだ。
 蒸発した雪が霞のように彼の身体を覆っていく。
 ――その白雲を突き破る、灼けた鋼の色彩をした角。
 燃える瞳、蒸気を吐く口腔。
 五十メートルを越える巨体に無数に貼り付いた鋼鉄の鱗が、ふいごのように開閉し、熱気を吐き出していく。
 巨大な両腕の先端である掌には、砲口が開いていた。
 ――リューリク・ジランタウ。その異名を、鋼炎暴帝。

『剛ォォオオオオ羅ァァアアアアアアッッ――!!』

 彼は全身の鋼鉄を変異させ、無数の砲身を生成しながら、空中から見下ろしてくる〝セーレ〟へと突進していった。
 その直後。
 彼の立てた蒸気に、二人分の影が生じたのを日雨とくららは見た。

「じゃあ――コッチのお客サンはセッシャたちがオ・モ・テ・ナ・シするようネー」

 立ち上る軽い声は――予想したエルザ・フランケンシュタインの物ではなかった。
 意外にも、横目にしたくららの表情からして彼女にとっては既知の相手らしい。

「おや、スクールガール。あんまり驚いてないようネ」

 蒸気を割って進み出てくる、ショッキングピンクの忍者装束という奇天烈な格好の女へ、くららは呆れ混じりの微笑みを返す。

「そりゃあ、あれだけ思わせぶりに悪目立ちしてた人たちが、ただのにぎやかしだったらむしろ驚きですよ。……詩乃目くららです」
「コレはコレはごテイネイに……ハーミットよ、クララ」

 と、まずは女二人が名乗りを上げた。
 遅れて、ハーミットなる女の相棒らしき、こちらも忍者装束に身を包んだ巨漢が現れる。が、彼は沈黙を通した。

「ヘ、ヘイ、ダンゾー……ジンギを切るのはおヤクソクヨ。こういう時の為に用意してたカッコイイ口上があるデショ?」

 痺れを切らしたハーミットがそう促すも、彼は首を振る。

negative……本場ノ人間ノ目ニサラサレルニハ、少々練習ガ足リヌ」

 割とどうしようもない発言であった。

「おい、くららよ。誰だ、この……ええと、この……」
「ああ、うん……多分敵だから、それ以外には目をつぶってて……」

 じと目で言い淀む日雨に、頬に汗しながらくららが答える。

「シャイなダンゾーに代わって名乗らせて貰うネ、彼はカトー・ダンゾー・デンジャーデンヴァー、シノビのスピリットに生きるアツいオトコよ」
「……飛び加藤のオマージュですか?」
「オッ、目ざといねクララ。でもノンノン、カトーは本名。ケイトー、と呼んだ方がより正しい発音ネ。共和制ローマの政治家大カトーに由来する由緒タダシキ名前ヨ」
「……残りは?」
「ソウルネームね」
「……清々しい程、細かい所を無視して来ますね」
考えるな、感じるんだドント・シンク、フィール
「また胡散臭い似非外人発言を……言っときますけどハーミットさん、あなたの金髪が染めてるって、わたし気付いてますからね」
「……中々やるネ、クララ」

 ごくり、と唾を飲み込み無駄な緊迫感を出すハーミット。

「くらら……」
「分かってる、分かってるから……」

 予想していたのと百八十度違う、珍妙奇天烈な二人組の言動に置いてけぼり感を覚えた日雨に、くららは弁解めいた言葉を吐く。
 ハーミットも、おちゃらけた空気に限界を感じ始めたのか、肩をすくめてくららへ問いかける。

「で? どうやら、セッシャたちへの借りを返す機会のようだケド?」
「……すいません、ハーミットさん」

 その言葉を正面から受け止めて、くららは言う。

「あの時の恩、仇で返させて頂きます」
上等ジョウトウ――渡世の義理は条理に計りがたきモノ、こうして相対するのも宿縁ってヤツねクララ」

 そう告げると、ハーミットは蒸気の中に舞い戻ろうとする。
 その背に、日雨は声をかけた。

「そなたに勝てば――エルザ・フランケンシュタインに会えるか?」
「そーね、サムライボーイ。ココでセッシャたちを倒せば、あのヒトはまたユーの前に現れるカモね」
「……分かった」

 言葉はそれきり。
 ハーミットとカトーは蒸気の霧の中へ、その名の通り隠者の如く身を隠し。
 そして――音も無く、変異した。
 白霧を切り分け出現したのは、鋭敏なフォルムの人形ヒトガタ。体長は三十メートル程とこれまで遭遇した機傀悪魔の中でも小さい。青褐あおかちの装甲。豹の如き四肢。

『〝Diabolus ex machina〟Type〝Luxuria〟『Gaap』――顕現』

〝ガープ〟が軽く腕を振るう――すると、手品のようにクナイに似たナイフが両手の内に出現した。

「……よいのか、くらら。あの御仁……そなたと気が合うのではないか?」

 この期に及んで未練じみた事を問いかけると、くららはその弱気を茶化すように微笑んだ。

「言ったでしょ、日雨くん――ぶっ飛ばしちゃおうぜ、って」

 日雨は息を呑み、そして。

「そうだな」

 その身を機傀悪魔の操縦の為の形へと、変身させた。

「《時よ止まれ》」

 じゃぎっ!――氷雪を斬り割って出現する、無数の白刃。

「《きみは美しい》」

 剣はその立ち姿を歪曲させ、彼らの周囲へ集束を始める。鋼鉄の華を形作り、その内で誰の観測も許さぬ変異を開始した。
 やがて剣の蕾が開き――その内より立ち上がる、黒鉄の巨人。
 白の世界を侵食する漆黒の魔剣。

『〝Diabolus ex machina〟Type〝Ira〟『Satan』――顕現』

 詩乃目くららの声で、セイタンが産声を上げ、周囲に滞空する十二の巨剣の一振りを手に取る。
 純白の雪原にて、二つの死闘の幕が上がる。



[40176] 15.サムライボーイ&ソードガールvsニンジャマスターズ
Name: 八目又臣◆aa87a973 ID:17b043ce
Date: 2014/10/29 13:10
統合魔導コンバインド・ソーサリィ……フロート・スペル』

 軽度の浮遊魔術を機体に施し、脆い足場への負荷を軽減した上で雪原に立つ。
 敵機もまた、そうしているようだ。

「……小兵か」

 百メートル程間合いを取ってこちらを伺うガープの機体を観察する。体長数十メートルの機兵の大小を人間が論じるのもどこか滑稽な気がするが、相対的には敵機の体格はセイタンより一回り、二回りと劣る。これまでの乏しい戦闘経験では、マモン、ウェパルとこちらよりも巨大な相手と戦ってきたのだが。
 真逆の条件、どう出るか――
 ぎゅぱッ、と。
 雪原をかき乱して、一瞬でガープが間を詰めて来た。

「む……ッ!?」

 迫撃に放つ斬り下ろし。
 それを、足を雪に滑らすように流す事による急激な横飛びで躱すガープ。
 逆手に握ったクナイを、叩き込んでくる――
 周囲に滞空する十二の巨剣、セイタンの能力の核となる媒介剣の一振りが回り込んでその一撃を阻んだ。
 生じた隙にセイタンは踏み込み、すくい上げるような斬り上げを放つ。
 ガープは大きく飛び退り、斬撃を回避した。置き土産に投げ放ったもう一本のクナイが、同じく媒介剣に突き立つ。

「小兵の正攻法……小回りで攻める相手か。なら間合いから遠ざけるのが、」
『日雨くん!』

 焦燥にかられた、くららの警告に反応する間も無く。

『地遁十法之参――』

 ガープの魔力が、急激に増大した事を示すAR表示。
 その発生源は、媒介剣に刺さった二本のクナイ。

『火遁』

 雪原を猛火の朱が一瞬染め上げた。
 クナイが爆発し、媒介剣の一振りが断裂する。セイタンもまた爆風に吹き飛ばされた。

「づっ……!」

 胃袋を持ち上げられたような不快な浮遊感に、顔をしかめる。
 爆風を斬り割って、ガープが再度突撃してきた。その手には再び生成したクナイが握られている。

「仕込み発破か!?」

 牽制の斬撃を立て続けに放ち、敵機を遠ざけつつ声を上げるが。

『違う!』

 くららは強くそれを否定した。彼女の保有する演算領域には今、観測精霊が送信する膨大な情報が渦巻いている。

『あのクナイ、魔術を疎通してるんだ……霊子のもつれエンタングルメントを利用した遠隔操作、霊子通信技術……』
『そのトーリ! ……もう一発くらい隠し通せると思ってたケド、さっすが主機の一角ネ』

 通信に割り込んで来たハーミットが告げる。

『コレがセッシャの固有機巧マシーナリー、《E.P.R.Pダガー》ネ! ガチの戦闘から忍者ゴッコにまで重宝する便利な相棒ヨ!』

 忍者ごっこに使ってるのかよ、と日雨とくららは声に出さずつっこんだ。
 しかし、用途はさておき侮れない能力だ。機傀悪魔の一体一体が別個に備える特化機関、固有機巧。彼女たちはこの機能を基軸に戦術を組み立ててくる。
 貫通力の高いクナイを楔のように打ち込み、魔術を高速で伝導する攻撃。生身で受ければひとたまりもない。
 日雨は滞空する媒介剣を遠隔操作し、連続で斬りつけて相手を引き離す。刃鬼化した時に扱う剣霊はこの剣をモデルにしている。一度生身で操って、練度は上がっていた。
 このまま遠間から釣瓶打ちにする――

『フフ――コレはいわばゴアイサツ』

 軽やかなステップで媒介剣を回避するガープが、小妖じみた悪戯っぽさで告げる。

『忍者の本領は、天地人。状況を活かすコトね』

 と、ガープはその手に握ったクナイを――雪原に落とした。

(……ッ!)

 その意図に日雨が気付くや否や。

『天遁十法之伍――霧遁』

 クナイが急激に発熱し、氷雪を蒸発させる。
 白煙の如き霧に乗じて、媒介剣をすり抜けてガープが接近してくる。
 手にした媒介剣で、迫り来る影を横薙ぎに斬り払う。
 ぱきぃん、と。砕ける――氷像。

『天遁十法之拾、雪遁』
(か、変わり身の術だと!?)
『日雨くん! 後ろ!』

 相手の魔力反応を探知したくららの指示に、日雨は振り向きざま斬り下ろしを放った。

『既知、也』

 戦闘中に初めて発せられる、カトーの鋭利な声音。
 ガープの四肢が、精密に機動する。
 まず敵機は左手のクナイを放し、開いた左掌をセイタンの右手首に添えた。
 そのまま合気の要領で姿勢を崩し、右の肘関節に右手に握ったクナイを突き立てる。
 そして、中空に浮いたままの捨てたクナイを掴み、セイタンの腹部装甲を刺した。
 仕込みを終えると瞬時に飛び退き――

選可choose
「くッ……!」

 聞き慣れぬ言語だったが、その意味はあえて問うまでもない。日雨は迅速に機体の左手を腹部へと伸ばし、

『駄目っ!』

 脳髄のナノマシンを経由して、くららがその選択を否と断じた。
 咄嗟に腕に刺さった方のクナイを引き抜き、上空へ投げる。
 直後、腹部に刺さった方が爆砕、機体を遥か後方へ吹き飛ばす。

『っ……つぅ』

 セイタンの処理系のエラーが苦痛の情報としてくららを苛む。更にそれは日雨へも逆流し、脳髄の負荷に頭痛を催した。
 が。

『損傷軽微……戦闘続行に支障無し』

 爆煙が晴れる。セイタンの腹部は、装甲がひび割れてはいるものの内部機構へのダメージの浸透は見受けられなかった。

正解correct

 カトーが無感動に言う。それをハーミットが補足した。

『主機関部にも近く装甲の堅牢な腹部より、脆い関節部に食い込んだクナイを重視した……クレバーかつタフな選択ヨ』

 仮に片腕を捨てていたら、その後の戦況は圧倒的に不利になっていただろう。

『稼働期間は十数年程度の新米ニュービーと聞いてたけど、中々ドウシテ……クールな女ネ、クララ』

 深追いを避けて距離を取ったガープから、そう賞賛が投げかけられた。セイタンこちら側からすれば、余裕の証左とも取れる。

(強い……!)

 日雨は胸中で、戦慄と共に唸る。
 くららもまた同意見だった。魔術補助に特化した兵装、小規模の術ながらも極めて迅速に発動させ得る演算機能。ガープはああ見えて、魔術戦に長じたチューンの施された機体のようだった。
 それが、背筋の凍るような白兵戦を仕掛けてくる。
 機体性能によるものではない。パイロットの腕だ。
 魔術――遁術により敵の注意からのがれて、機敏に隙を突いてくる。先程の変わり身の術も、事前に自身には陰形を施すという芸の細やかさだ。
 機傀悪魔を自身の体のように扱う経験と技術に関して、相手は日雨の一つ二つ上を行っている。
 こうも簡単に接近を許しては、ARMS――大技を使う為の隙を作れない。状況の打開は困難を極める。

『日雨くん……〝本気で戦って〟』

 と、くららは静かに告げてきた。
 本気も何も、ここまで手を抜いて戦った覚えは全く――

『違うでしょ、日雨くん。今のきみの全力のかたちは、そうじゃない』

 そこまで促されてようやく気付く。

「しかし、今この場で変化したとて、」
『大丈夫。わたしが〝合わせる〟』

 強靱な意志を込めて放たれた言葉に、日雨は息を呑んだ。

「分かった」

 そう応じて、デモナイズした肉体を更に励起させる。魂魄に潜めた刀刃の霊体を解き放つ。

「まったく、女丈夫め。尻に敷いてくれるものだ」

 冗談めかして言うと、やけに大げさな反応が返ってきた。

『ひゃ、し、しししっ、お尻ってぇー! そんなんじゃないから! そういうつもりじゃないからぁーっ!』
「?」
『アララ……やっぱりウブなネンネちゃんみたいネ』

 ハーミットがからかうように言い、ガープが再度攻撃を仕掛けてくる。

「来るぞくらら!」
『う……うん!』

 刃鬼化を終えた日雨の叱咤に、くららが頷く。
 ――周囲の媒介剣が変形し、セイタンの機体に纏わり付いた。脚甲、手甲、胸甲を形作っていく。
 ――媒介剣《反転使徒anti-apostle》六番剣から十二番剣まで装着マウント。戦闘アルゴリズムを近接格闘戦CQC最適化オプティマイズ。ニューロフレームのリンケージを強化、オペレーターの思考トレース117%、確定未来値1.3secにて安定……
 くららは自身の演算能力を全力で傾注し、コックピットの中の少年の思考を、数手先の未来まで読み取っていく。
 日雨は彼女と、より深く接続された事を感覚する。

 ガープが迫り来る。
 セイタンは――自ら前に踏み込んだ。
 逆手に握られ、左右から挟みこむように振り下ろされたクナイを目前に、腕をクロスさせる。
 両腕の手甲から突出した白刃が、迫る刃を斬り裂いた。

ムゥッ!』

 微かに動揺しつつも、挙動には淀みは無く。ガープはその場で旋転した。再び振り返った時には既に、手品の如くクナイを生成し握り込んでいる。
 横薙ぎに脇腹を狙い突き出される左手のクナイを、左の手刀で切り落とす。
 初撃を誘いに、隠れるように首に迫っていた右手のクナイは、胸甲から剣山のように伸びた無数の刃が阻んだ。
 右前腕を串刺しにされつつも、ガープは怯まない。むしろ体重を掛けてセイタンを押し込み、そして――取り落とした左手のクナイを、足で掴んで回し蹴り気味に叩き込んでくる。
 セイタンはそれを、肘と膝で挟み潰して阻んだ。
 種切れとなったガープの機体から、無言の動揺の気配が発せられる。
 その隙を狙い、拳を振りかぶる。

『発剣ッ!!』
「おおッ!」

 放たれた右腕の手甲から、巨大な刃が突出する。
 ガープは咄嗟に生成したクナイでそれを受け止めるものの、衝撃を殺し切れず吹き飛んだ。
 ――今の攻防は、刃鬼化した時の迅速はやさ、精度、膂力、全てがそっくりそのままセイタンに投影されたかのようだった。くららは完全に、日雨の動きを再現している。

『……やるネ』

 火花を散らす右腕をだらりと垂らしつつ、ガープが立ち上がる。

『主機とは言え戦闘経験の浅い急造コンビ。連携に隙間があると思ってたケド……遣い手の急激な成長にすら即座に対応するセンス――いや、相手を深く理解したいッテ、乙女心かナ?』
『わ、わわ、あわわわわわわ~っ!』
「のぅ、くららよ。さっきから何を動揺している?」
『うぅ……にぶちん』
「?」

 抗議半分、安心半分を込めたなんとも複雑な非難を受け、日雨は首を傾げる。
 そんな二人のやり取りを眺めて、ガープが腹を抱えてくつくつと笑う。

『フ、フフ……ホント、可愛いコンビね。つい……見逃したくなっちゃう』
御前ごぜん……余は、大勢は決したと見ておるが」

 後半の不穏当な物言いに、日雨は言い返す。実際、勝勢にあるからこそガープの腕の修復を待った。
 刃鬼としての体術がセイタンでも扱える以上、白兵戦のスキルは圧倒的にこちらが上回っている。次の攻防では確実に致命の一手を叩き込む事ができるだろう。
 しかし、ガープの捕らえ所のない戦気は未だ衰えず。

『心こそ、心迷わす心なれ。心に心、心許すな』

 一転して、洗練された発音で告げるハーミット。

『覚えておきなさい、ぼうや。体技の強弱巧拙は目に見えて明らかなれど、心は常に肉体の内に忍び、我知らず移ろい続ける。君はその力を得た事で己が心に驕りを許した。――その慢心、高く付くと知りなさい』
「……何?」
『〝忍者ゴッコ〟はここまで、という事よ』

 そしてガープは、手にしたクナイを落とすように雪原に刺す。
 再び霧が生じ、敵機を覆い隠した。
 くららはすかさず観測精霊を集中させ、ガープの霊子パターンを補足する――

『!? 敵機の魔力反応……消失!?』

 その時幸運だったのは、セイタンが日光を背にしていた事。
 微かに足下に発生した影を、目視した事。

「……っ!?」

 日雨は咄嗟に身を沈め、強引に身体を捻る。
 首を過たず貫くはずだったクナイは、肩部装甲に突き立ち、

『火遁』

 爆砕。
 至近距離の爆風がセイタンを押し出し、横倒しにする――

『フライング・スペルッ!』

 その直前にくららが飛翔魔術を発動させ、致命的な隙の発生を防いだ。そのまま後方へ飛び下がろうとする、と。
 ガープの紫紺に輝く眼光が目の前にあった。

「何!?」

 高速で低空飛行するセイタンへ、難なく追いついてきた敵機に戦慄する。一体何なんだ、この――異常な速力はやさは!?
 刃を纏わせた左足による回し蹴りを見舞う。
 朧の如き影としか認識出来ない程の速度で敵機は動き――上空へ飛び上がった。
 宙転するガープ。
 陽光を受けて輝く――黄金の靴。

神話再現方式魔導兵装A.R.M.S、《天靴タラリア》』

 黄金の靴による蹴撃が、蜻蛉を叩き落とすように飛行するセイタンを打ち据えた。雪原に墜落し、回雪を巻き上げながら転がる。

『きゃあああああああっ!』
「ぐッ……!」

 転倒の衝撃にうめく二人。
 アクチュエーターを総動員して崩れたバランスを立て直し、即座に立ち上がる。直後、倒れていた場所にクナイが突き刺さった。

『雷遁、』
「づぁあッ!!」

 魔術の発動直前にクナイを引っつかみ、ガープへ投げつけた。
 相手はそれを指で挟んで受け止め、再び構え直す。

『よく、足掻くもの』

 余裕めかした物言いに、返す言葉もない。
 ガープのARMS――超常の神話を再現する事で、膨大な威力を発揮する兵器――の効能は明らかだった。セイタンのセンサーですら補足しきれない程の超スピード。
 ただ、ただ、ひたすらに速い。

(それだけでこうも、手に負えなくなるというのか!)
「くらら! こちらも速度を上げる!」
『う、うん……』

 返事に窮しつつも、くららは胸甲を変化させ翼とスラスターを形成する。飛翔魔術の重ね掛けにて、推力を倍加させるのだ。
 ぐん、と身体全体を押し込む圧力を感じつつ、日雨はガープへと突貫する。
 一瞬で敵機へ迫り、刃を纏った拳で殴りつける。
 朧霞の如く、ガープの姿が歪んで拳打はすり抜けた。

「何!?」
『成程、それは常套手段』

 背後に掛かる声に、急激に横飛びした。

最高速度トップスピードの点から言えば、セイタンの魔力を推力に注ぎ込めばこのガープに追従する事は可能。しかし――敏捷性アジリティの面から言えば、及ぶべくもない』

 語る声の元を辿って、絶句する。
 ガープは、セイタンの周囲の雪原を縦横無尽に疾駆していた。前にいたかと思えば後ろ、左にいたかと思えば右。残像が無数に生じ、軍勢の如くこちらを囲う。

「分身の術……だと!?」

 変わり身と同じく、秋津洲国において国家や豪商の抱える密偵に伝わる術ではある。……はったりの類として。
 人形、衣類の切れ端、同一の服装。奇想劇作では双子や三つ子がトリックの種であるなど。ともかく、それはある種の奇術に過ぎない。
 あるいは、先日戦ったウェパルのように幻術に特化した性能を持つ機体であるなど。
 しかし、このガープの行っている術は、ウェパルと比べてすら格が違っていた。
 おそらく術の肝は速度と、そして何より〝緩急〟。最低速度から一瞬で最高速度に遷移する事で、こちらの感覚を引き付け、虚像を錯覚させているのだ。

『ソロモン七十二柱におけるガープは、瞬間移動の異能を持つとされる悪魔。この機傀悪魔ガープとて、熟練の操手の術があればこの程度造作も無い』

 そうだ。
 媒介者の技だけでなく、機傀悪魔の機能のみならず、両者の力を巧みに掛け合わせる事でこの影を絶つが如き走法は実現している。
 ハーミットとカトー。この百戦錬磨の二人が合わさり、神速の悪魔ガープとなるのだ。

『故に、我らの前に道は無し』

 分身に幻惑された隙に、背後を取られた。
 ガープはセイタンの背に、己の背を合わせるように立ち、両手首を掴む。

「しまっ……」
『――飯綱落IZUNA-DROP

 カトーの声と同時に、両足を刈られた。重力の錨を強引に引き剥がされる。
 ガープはセイタンの関節を極めロックしながら飛び上がり、そして空中の一点を《天靴タラリア》で〝蹴りつける〟。途端、空気に壁があるかの如く、上昇は落下へ変じた。
 敵機はこちらの手首を掴んだまま身体を引っ繰り返し、足で首を極めてそのまま凍った地面へ頭を叩き付ける。

『――――――――――――――ッ!!』

 膨大な負荷に、くららが声なき悲鳴を上げる。逆流するエラーに日雨の脳髄もダメージを受け、視界が真紅に染まった。センサーの受信にも不具合が生じ、全天周囲モニタに投影される映像にノイズが走っている。

「ご……あっ」

 制御系を一時放棄したくららに代わって、強引に機体を操作し立ち上がる。

『好い根性……けれど、立っても抗う手段は無い』

 ハーミットの、冷酷な言葉。それは日雨ではなく、くららに向いていた。

『このガープの稼働期間は優に千年を超える。この海千山千のばけものに立ち向かうには、君達の絆は浅すぎる。……年功を越えるモノを、用意するしかないよ、セイタン』
(……? 何を言っている?)

 彼女の謎めいた物言いに訝しむ間も、恫喝なのか要求なのか分からない発言は続く。

『〝デュナミス・フェイズ〟のままでは私達に勝てない。君がその少年を想っているのは理解するけれど、全てを守ろうというのは、子供の我儘でしかないよ。機傀悪魔わたしたちの本領に沿いなさい』

 日雨にはやはり、その言葉の意味は分からなかったが。
 本能的なおぞましさを、覚えた。
 くららの返答は。

『な……に、言ってるのか、ぜんぜん、わかんない』

 制御系のエラーからようやく復旧し、たどたどしく彼女は言う。頭部のセンサーから火花を散らしながら。

『けど……上から、好き放題言ってくれるじゃない』

 その声音には、反骨と憤りが満ちていた。

カタ・コスモーン機構あなたたちがどういったものなのかは、わたしは知らない。でも……自分たちの都合で戦争を仕掛けて……日雨くんを、その為に利用して。わたしはずっと見てた……日雨くんは、必死に頑張ってたのに』
「……くらら」
『子供にだって意地があるんだから……それに賭けて、わたしたちは、あなたたちに勝つ!』

 くららの戦意に呼応して、セイタンの青い眼光が一際強く輝く。
 ――彼女の、扉の鍵が開いたような感覚が、脳髄のナノマシンを経由して日雨に伝わった。
 漆黒の装甲の内から立ち上る、暴力的なまでの魔力の奔流。

『四番剣《アンデレの飢餓》に形相原典アーキタイプロード……』

 周囲の媒介剣の一振りに、魔力が充填されていく。まさか、また新しい神器が使えるようになったのか?

『大人しく待つ程私は甘くないよ……!』

《天靴》の速力を再び発揮し、ガープが突進してくる。
 接触。雪煙が噴き上がる。

『外したか……!』

 手応えのなさに、ガープがうめく。叩き付けたクナイは、凍った雪原に突き立つのみ。
 上空を仰ぎ見て、太陽を遮る黒影を発見した。

『《群狼奔る町アシュート》――顕現リアライズ!』

 出現した神器は、柳の如き樹木で出来た矢であった。既に媒介剣の変化した弓につがえられている。

『撃って! 日雨くん!』
「応ッ!!」

 鉄弦を引き絞り、射る。

『その程度、躱せないと思ったか!』

 居所を察知された上で、芸のない一直線の射撃。それを侮辱と受け取ったハーミットが大喝し、難なく身を翻して射線から逃れる。
 柳の矢は、氷原に突き刺さった。
 ガープは跳び上がってセイタンを撃墜しようと踏み込み、

「〝みちなきみちウェプトアウト〟ッ!」

 樹箭を中心として、何か――波のようなものが雪原を奔る。

『……ッ!?』

 と同時、ガープの身体を縛る呪縛が生じた。走行速度が激減し、膝が崩れる。

(これ、は……磁場!? 磁力による運動阻害!)

 更に――後方に戦気の塊をハーミットは検知した。

『ダンゾー! 後ろよ!』
『遅いよッ!』

 くららの咆吼。
 爆発的に増加した速度で飛翔し、ガープの後背に占位したセイタンが後ろ回し蹴りを敵機に叩き込む。
 吹き飛ばされたガープは、火花を吹く脇腹を押さえて唸り声を上げる。

『敵機の運動阻害と……自機の運動補助か。まったく……そんな隠し球があるなら、始めから出しなさい』
『……今、初めて使えるようになったもので』

 正直にくららが言うと、ハーミットが苛ついた口調で返す。

『? 何を言っているの? 煙に巻いて時間稼ぎしても〝得をするのは我々と君は知っているでしょう〟?』
『……っ』

 彼女の不可解な発言に、くららが悔しげに息を呑んだ。

「くらら?」
『彼女を責めないであげなさいね、ぼうや。現状を知った時の君の動揺は、こちらにとって絶好の隙となっていたでしょうから』

 ハーミットはそうして、奇妙な余裕の気配を発する。

『そのARMSの機能があっても、まだ彼我の速度はイーブンになった程度。守勢に徹すれば間もなく情勢はこちらに傾く……』
「……くらら、あやつは、何を言っている」

 コックピットに漂う重苦しい空気を察して、日雨はくららに問いかける、と。

『……リューリクさんが、負けそうなの』

 これまで、観測精霊の送信する遠い戦場の情報を受け取っていた彼女が、ようやくその言葉を絞り出した。
 日雨は驚愕する。あの竜皇が、負ける?
 ハーミットが告げる。

『リューリク・ジランタウは機傀悪魔の撃破実績もある古強者よ。けど、彼女……セーレはあれで、マモンの第一の眷属機。中々の実力者なの』

 彼女の言葉は、冷えた刃物のようにこちらを刺してくる。

『重傷を負ったまま、戦える相手ではない』



    //////



 セイタンとガープの戦う戦場から数十キロ離れた地点にて。

『……がっ!?』

 雪原を覆い尽くすかのような爆炎の余波を受けて、リューリクが苦悶の声を上げる。
 上空を振り仰げば、滞空するセーレの腹部、兵装のマウントラックに再びミサイルが装填されていく所だった。地上への爆撃。それが敵機が有する、リューリクへの唯一、そして最適の攻撃手段である。
 対するこちらの手は、全身から生成した火砲による砲撃。
 しかし、こちらに届くミサイルを迎撃するくらいしか出来ていない。

『アッハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ!!』

 嬌した哄笑が空から降り注ぐ。

『馬鹿げた火力でゴリ押しする戦闘スタイル、あの憎らしいマモンを彷彿とさせる野蛮なやり口を叩き潰す機会と思って心躍らせておりましたのに、期待はずれも良い所ですわ! 貧弱、貧弱貧弱貧弱! マッチ棒でも投げつけられたかと思いましたわよぉ!』

 侮蔑に溢れた言葉に、言い返す事もできない。

(クッソ……砲弾の錬成が追いつかねぇ……弾幕を張れねぇ!)

 体内を巡る魔力が、本調子の半分……それどころか、四分の一未満である。
 理由は明らか――六つの心臓が一つしかまともに動いていない為だ。
 魔力を練り上げる為の重要器官である鋼鉄の心臓エンジンは、竜の治癒能力と言えど容易に再生の利かない複雑な臓器だ。かつて羅に三つ破壊された時は、半月かけて七割程度に戻せはしたものの、今回は更に数が多く、しかも直後の戦闘である。残り五つの心臓はハリボテに等しい。
 その負傷は、人間の少年と堂々仕合った結果のもので、むしろ誇りとすら思っていたが。

(マジで……ヤベぇな)

 獣の表情の内に、焦燥を貼り付けるリューリク。
 陸戦に持ち込めれば、少ない余力でもやりようはあっただろうが、相手は空を舞う猛禽。弾幕を張って撃墜するのが常道であるのだが、その火力がまるで足りていない。

『最も高齢にして百戦錬磨の竜種と聞いていたが、存外、つまらぬものだな』

 外部に音声を出力して、アイザックが落胆を交えて告げる。

『君は所詮、長く、しぶとく生き残ってきただけの蜥蜴だ。老いぼれた今、狩りに興じる魅力もない。さっさと始末して、次の獲物を探すとしよう』

 再び高圧の魔力をセーレは発し始める。
 まともにやりあって勝ち目は無い。だが。

(……勝つぜ、レフ)

 今自分が敗北すれば、セーレは次の目標をセイタンへ変える。ガープと二体がかりでセイタンを倒せば、次はシヴィル・コサックを叩く算段だろう。友の亡き今、彼の守ってきた将兵を活かす責任が自分にはある。
 何に換えても、この場でセーレを倒す。

(今生の別れ、みてぇだぜ……ジュラヴリカ)



[40176] 16.白銀の流れ星
Name: 八目又臣◆aa87a973 ID:17b043ce
Date: 2014/11/01 10:37
 べちゃり、と地べたにへばり付くように転んだ。
 膝が痛い。空気が冷たい。喧噪が五月蠅い。

「あぅ……あ」

 ジュラヴリカは唸りながら、震える足を掴んで無理に立たせる。ドレスは泥に塗れて、顔にもすり傷が出来ていた。
 彼女は、牙の城の中を走り回っていた。
 間近に迫る戦の準備で兵士達が行き交い、怒号じみた指示と応答が飛び交っている。豆粒のような彼女の身体では、ひき殺されてしまいそうで怖い。
 怖々と進み、か細い声を上げる。

「……た、助けて。助けて……」

 彼女は絶えず、そればかりを繰り返していた。そのあまりに小さい声音では、聞き届けるものは一人もいなかったが。

「お、おじいちゃんを……助けて……」

 ジュラヴリカは感じ取っていた。
 肌に慣れた魔力の波長。遠い戦場で戦う祖父、リューリク・ジランタウの力が刻一刻と減り続けているのを。強大な敵に、彼が滅ぼされかけている事を。

「だ、誰かぁ……っ」

 だから彼女は、助力を求めて城内をさまよっている。誰でもいい。誰か、祖父を助けてくれる者はいないのか――

「第十三補給中隊、竜転開始! 三番倉庫の輜重を輸送せよ!」

 営庭にてクリップボードに挟んだリストを片手に指示を飛ばす、灰色の野戦服姿の将校。
 混乱の最中にある城内では、幾分理性的に見える彼をジュラヴリカは頼った。見知らぬ人間に声を掛けるなど恐ろしくてならないが、勇気を奮い立たせて。

「あ、あああ、あのっ!」

 彼は刻一刻を争う鉄火場に紛れ込んだ幼女に、一瞬顔をしかめた。しかしジュラヴリカにとって幸運な事に、彼は国父がこの地に訪れた際に連れ込んだ子供の顔を記憶していた。

「貴女は……確か、」
「じゅ、ジュラヴリカ・イヴァノヴナ・ジランタウ、です」

 名乗る彼女へ、咄嗟に皇族への最敬礼を取ろうとした将校。じれったく思いつつも大柄な将校を見上げて懇願する。

「お、おじいちゃ……リューリク陛下が、敵軍の機人と戦ってるのは、知ってますよね?」
「はっ。国父はかの仇敵を前に、意気軒昂と要撃へ向かわれました」

 自信に満ちあふれた返事に、真逆の態度で告げる。

「へ、陛下が、その……ま、負けそうで! え、ええ援軍っ、出して……下さい」
「……は?」
「わ、分かるんです! そ、その、あ、あたし、孫だから! 陛下が今、苦戦してて、瀕死の状態なん、です……」

 初対面の相手にこれ程長く話すのは初めてで、そしてそんな時の自分の言葉がこれ程不様になってしまう事も初めて知る。
 相手は案の定、不信を顔に貼り付けている。

「お、お願いします。信じて……へ、陛下は」
「――信じましょう」

 彼は片膝をつき、ジュラヴリカの手を軽く握って勇気づけるように言った。表情は優しげに微笑んでいる。
 安堵に、ジュラヴリカの口からため息がこぼれる――

「信じましょう、殿下。国父の勝利を」

 彼は確信を込めて告げた。

「かのリューリク・ジランタウ陛下は常勝無敗、万夫不当の益荒男です。兵理も無視し、卑劣なる手練手管にてレフ軍長を殺害したかの敵へ憤激し、御自ら出陣なされたからには、かの機械仕掛けの魔女どもに必ずや膺懲ようちょうの鉄槌を下してくれる事でしょう。御令孫である貴女がそれを信じずに、どうするのです」
「……ぁ」

 流れるような弁舌に、ジュラヴリカは返す言葉を用意できなかった。
 肩を叩かれ、営庭の出口を指し示された。

「さ、お戻り下さい殿下。ここは危険です。貴女の部屋で、国父の帰りをお待ち下さい」

 そしてそれきり、ジュラヴリカの存在など無かったかのように作業へ戻っていく。
 引き留めようと伸ばした手は、途中で力が抜けて落ちる。
 違う。
 リューリクとて、無敵ではなかったのだ。彼自身がそれを知っている。でなくば、あんなふっきれた顔で自分の負けを認められるものか。
 負ける事のない生き物なんて、いない。
 竜だって、他の生物と同じようにか弱い。
 けれど、ここにいる竜たちはそれを決して認めようとしない。自分の強さを信じ、勝利を疑いすらしない。
 どうして、どうしてこんなにも自分と彼らは違うのか。自分は、彼らを説得などできないと悟って、こんなにも無力感に打ちひしがれているのに。

(きっと……あたしが、一番弱いからだ)

 生まれた時から弱さを強いられ続けてきた娘。空も飛べず、誰よりも劣り、大人の温情に守られながら引きこもり続けている。そんな者に、この状況に抗う事などできはしない。
 ただ、いつものように部屋に逃げ帰って世界を閉ざすだけしかできない。

(ごめんなさい……ごめんなさい、おじいちゃん……)

 疲労感に重くなった足を引きずるようにして、ジュラヴリカは離宮の最上階に辿り着く。

「う……あぁ……あぁぅ……ふえ」

 床にへたり込んで、幼竜のように泣く。
 そこに。

「――引きこもりが、この非常時に限って外に出払いおって……探したぞ」

 開いたままの扉から現れる黒髪の幼女。息も絶え絶えで、震える膝に手を突き喘いでいる。

「あ、あんた……」
「ちょ、ちょっと待て。あの長い階段を全力疾走はキツい。幼体に堪える……げほっ、げほげほっ、ごほんっ。げほごほほげふぅ」

 万年運動不足の幼女が失った酸素を求めてのたうち回る。

「うぅ~……死ぬ、死んでまう……捜索を手分けなんかするんじゃなかった……だきににおぶって貰うのじゃったぁ~……」
「な、何しに来たのよぅ……あんた、晴れて自由の身なんでしょ。こんな所、もう用ないじゃない」
「まだ……用はあるわ……貴様にの」

 汗を着物の裾で拭って立ち上がった夜見が、ジュラヴリカを指差して告げる。

「え、あ、あたし?」
「ああ、そうじゃ……」

 よろめきながら、彼女はこちらへ歩いてくる。

「急ぴっちで作っておった術が、ようやく完成しての……貴様に使う術じゃ」

 その様がやけに不気味で、ジュラヴリカは後ずさりつつ問う。

「術、って……竜種使役法とかいうやつ?」

 以前、彼女が夜な夜な研究に勤しんでいた魔術については盗み聞きして知っていた。人の身で竜を使役するなど、とんでもない事を思いつくものだと思ってはいたが、興味も無かったので黙っていたのだ。告げ口する程親しい相手がいない、というのが最大の理由だが。
 それを、ジュラヴリカに施すというのか。

「や、やめてよ……」

 いくらなんでも、他人に支配などされたくはない。それに。

「だ、だだ、第一、あたしなんて弱い竜を従えて、どうするってのよ……あたしは、本当に何の役にも立たないのよ。へ、へたれで、ひひ、引きこもりで、卑屈で……」
「――今まで、リューリク殿を助けてくれる者を探し回っておったのじゃろう」

 図星を突かれて、ジュラヴリカは口ごもる。

「必死に駆けずり回って……それでも、そんな者はいなかった。なら――貴様が行くより、他にあるか」
「だ、だから! あたしにはそんな力、無いのよぉっ! 戦うどころか、おじいちゃんの所へ駆けつける事すら、」
「わらわが、くれてやる」

 乱れた呼吸を吐きながら、夜見は言う。

「わらわが作ったのは、竜種使役法ではない」

 疲れで震える指を、ジュラヴリカに突きつけて、

「たった一つの事、たった一人の相手にしか用を為さない、些細な魔導……」

 竜種使役法なる巫術が全ての竜を従えるという汎用技術ゼネラリズムを目指す術であれば、その真逆。理念に逆行する完全な失敗作。

「そなたに、空へ飛び立つ力を与える術じゃ」

 ジュラヴリカというただ一個体の霊子能力を解析し、その能力を補助する事だけを追求した、それ以外の誰の役にも立たない単一特化技術スペシャリズム

「あえて名をつけるまでもない術じゃが……強いて言うなら、引きこもりのジュラヴリカちゃんをいい加減社会へ羽ばたかせる法~親御さんの為に~じゃの」
「そのネーミングに言いたい事は山ほどあるけど……え? あれ? あんた今、あたしの」
「……この一刻余り、このやたらめったら噛みそうな名前も噛まずに呼べるくらい、そなたの事を考えておったっちゅー事よ」

 頬を軽く朱に染めて、夜見は顔をそらした。
 ジュラヴリカは、鼻につんとしたものを感じた。苛立ちを声に乗せて、目の前の幼女へ問う。

「な、なおさら分かんないわよ……この土壇場で、あたしに的を絞ってそんな事する理由……あ、あんた、人間でもすごい出来物なんでしょ。ここには、他に強い竜はいくらでもいて、あたしなんて皇族ってだけの一等賞の落ちこぼれで……」
「だからなんじゃ」

 ただ一言、さぱりと切って捨てるように、黒髪の幼女は言う。

「……正直に、自分の話をするのは苦手なんじゃが」

 などと前置きして、彼女は語り始める。

「確かに、わらわは空前絶後の大天才よ。その学術は留まる事を知らず、巫覡の業は神秘の域。加えて一顧すれば城が傾き、再顧すれば国も傾く美貌を持っておるし、ちょっとだけ運動音痴である事もお茶目なちゃーむぽいんと。まさにぱーふぇくとろりと言ってよい」
「……何が言いたいのよ」
「よいから聞け。……そんなわらわじゃがな――夢っちゅーもんが、無いのよ」

 おずおずと、恥ずかしそうに、口から滑り落ちる夜見の言葉。

「国におった頃は、次期巫王なんぞと目されておったがそんなもん興味ないし、亡命後に豪商となったのも生活基盤を作る為、贅沢も別にしとうない。……力があっても、それを活かす意思に欠けるのよ。
 これまでは――目の前を突っ走る、非常に危なっかしい凡骨を守る事ができればそれで良かった。しかし……いつの間にかあの男は、わらわの手の届かぬ程、声を張り上げるしかできん程、前を走っていた」

 寂しげな声音。

「何も無くなったと思うた。竜種使役法の開発に失敗して、自分の限界を思い知った所にこの追い打ち。ずいぶんと堪えたわ。……もういっそここを乗っ取って、貴様に成り代わり引きこもり生活に突入しようかと本気で画策した」
「……なんてハタ迷惑な野心を抱いていたのよ」
「その時にの……リューリク殿から貴様の生い立ちを聞いた」

 夜見の気まずそうな言葉に、ジュラヴリカの顔に朱が刺す。彼女は「勝手に聞いてしもうて、すまん」と謝罪する。

「い、いいわよどうせ……つまんない話だったでしょ。それでぐずぐず未だに引きこもってる、負け組丸出しの女なのよ、あたしは……」
「ああ、なんとも情けない話よ」

 晴れやかな受け答えに、ジュラヴリカは息を詰まらせる。
 じゃが、と夜見は言った。

「普通の、いたってまともな連中は「向いてなかった」「こんなの大した事じゃない」と自分に言い聞かせてさっさと立ち直ろうとする。……高い木に生えた葡萄を酸っぱいとうそぶくようにの。
 しかし貴様は忌子と呼ばれてなお、空の広さを、高さを認め、空を自由にする者へ嫉妬し、そこを目指した。地に落ちてなお、敗北の重さを誤魔化さずに受け止めて自分に落胆し続けていた。空から目を逸らさず、頭を垂れてうつむく事で敗者たるを示した。
 そうじゃ、それが真っ直ぐに、正しく負けるという事じゃ。全力を傾けた大勝負に敗北すれば、人は本気で苦しむべきなのじゃ。進む事の叶わなかった道を貶める事で自分を慰める事は、卑怯じゃ。そなたは決して、それだけはしなかった。湿原を飛ぶ鶴の話をした時のそなたの目は、溢れる程の憧憬に輝いておった……」

 それは初めて、他人が、ジュラヴリカを認める言葉だった。

「地に堕ちてなお空に焦がれるそなたを、羨ましく、好ましく思う。……それで気付いたのよ、わらわは存外、自分の限界を無視して事に挑む無謀者に手を貸すという行為そのものを、気に入っておったのじゃと」

 そうして彼女は、華開くような微笑みをジュラヴリカへ向けた。

「力の有無など関係ない! わらわは、数多ある竜たちの中で、そなただけを選んだ! ただ一人、そなただけをじゃ、ジュラヴリカ! そなたはどうする?」

 左手をジュラヴリカへ差し出し、
 そして、右手は高い天空を指差して。

「わらわはそなたに、あの空をくれてやるぞ!」
「……っ」

 胸の内に降りてくる言葉が、あまりにも熱くて。
 ジュラヴリカの瞳から、雪が溶けるように涙が溢れてくる。

「よ、み……ヨミ……」

 たどたどしく、どもる言葉を繰り返して、正しい発音に近づけていく。

「――夜見! あたしも、あなたがいい! あなたに、空へ連れてってほしい……!」
「……うん」

 ほう、と安堵した息を夜見は吐く。彼女もまた、勇気を振り絞ってジュラヴリカに語りかけていたのだ。
 差し出された手を取る。
 夜見は右手の指をジュラヴリカの口元に当てた。
 口付けし、牙を軽く刺して僅かな血を吸う。
 そして、自分の人差し指も噛み切って夜見の唇に触れさせる。
 どくん、とジュラヴリカの心臓が、初めて正しく動作したかのような強い拍動を打った。外からの力で、自分の身体が急速に整えられているのを感じる。まるで新しい生き物に生まれ変わるように。

「あ、あの……一つ、断っておきたいんだけど」
「……この期に及んでなんじゃ、じれったい」
「だ、大事な事なのよぅ! ……何年か前、人間の世界を旅してた時、人の見てる所で元の姿に戻ったんだけど……す、すごい勢いで怯えられて……めちゃくちゃショックだった……その場に穴掘って潜って、おじいちゃんに掘り起こされるまで出てこれなかった……
 あ、あんた、あたしの元の姿見ても、怖がらないでよ。せ、せめて表に出さないで、あたしに全力で気を遣って! こ、今回あんたに拒絶されたら、い、いいいい一生涯ひきこもる自信あるからね!」
「なんつう後ろ向きな脅迫……安心せよ」

 呆れ顔から、挑戦的な笑みに転じて夜見は告げる。

「こちとら、史上最強の悪魔が義理の姉になるかも知れんのじゃぞ。貴様如きの元の姿なんぞ、恐るるに足りんわ」

 その憎まれ口が、最後の一押しとなった。
 彼女らの立つ離宮の最上階に、雪が生じる。白銀の、光り輝く霊子の淡雪。
 降り積もる雪の光がジュラヴリカの姿を覆い隠し――
 光の中から、銀の翼が突き出てくる。
 水晶の鱗。水流の如きフォルム。音も無く揺れる尾。
 時が停滞して感じられる程の、静謐な白に染め上げられた竜。
 夜見の口から、自然と、ため息が漏れる。

「無駄な予防線を張りおって、まったくめんどくさい奴じゃ……その名に違わぬ美しさではないか、ジュラヴリカ」
『……ほんと?』

 おずおずとした問いかけに夜見は頷くと、彼女の背に乗った。

「――おや、どうやら、収まる所に収まったようで」

 その時扉をくぐり入ってきただきにが、両者の姿を見て無表情につぶやいた。おそらく、これまで部屋の外で待っていたのだろう。

「ああ。ちと戦ってくる、従者」
「はい。ご武運を、お嬢様がた」

 簡単そうに言う彼女。心配一つしない。

(まったく――燃えてくるではないか)
「さぁ征くぞジュラヴリカ! 子供二人で、無鉄砲な大人どもの尻拭いでもしてやろうぞ!」
『ええ、夜見!』

 こあぁっ――
 白銀竜ジュラヴリカの尾に発生した二基の魔法陣が、目映い光球を生じ、
 炸裂。
 部屋の内装を猛烈な暴風で吹き飛ばし、生じた推力は二十メートルを越える竜の巨体を羽毛の如く軽々と押し上げ、天井を紙のように砕いてなお留まる事を知らず、蒼穹を引き裂いていく。
 ――その日、シヴィル・シーチに住む全ての竜が、天へ昇る白銀の流星を見た。




 
 

 中天から降下し、刻一刻と姿の膨らんでいくセーレに照準する。
 リューリクはその巨躯の内に掻き集めたありったけの魔力を流動させ、口内に溜め込む。
 ――竜吼砲ドラゴン・ブレス
 竜種の備える究極の攻撃手段。魔力の放出に最も適した口腔より、力の塊を直接投射する一撃。
 相手の爆撃に合わせ、その〝隙間〟を越えて直接相手に竜吼砲を叩き込むのがリューリクの最後の手である。
 乏しい火力をミサイルの撃墜に回すと考えているセーレの不意を突く、起死回生――起死回死の一手。

(この老体の地獄行きに、付き合ってもらおうか!)

 鱗が開き、悲鳴じみて甲高いジェット噴射の音が生じる。
 投下されたミサイルが、こちらに向けて直進する。
 こぉぉおおおおおおっ――!
 ピッチを上げて上昇機動を取るセーレの未来位置に向けて、吐き出される鉄芯混じりの熱線。熱量と鉄芯の速度で目標を灼き貫く必殺のブレス。

『――弱者の考える事は、全く読みやすいな』

 アイザックの声、と同時。

『……っ!?』

 セーレの機体が、〝右にずれた〟。物理的にあり得ない、推力と抗力を無視したかのようなでたらめな機動。
 リューリクの余力を振り絞った竜吼砲は、虚ろな空をただ通り過ぎるのみの結果となった。
 逆に――

『がっぁぁああああああああああああッ!』

 ミサイルはリューリクの間近に着弾し、爆炎が彼の身体を吹き飛ばす。
 雪原に横倒しになり、雪崩のような異音を生じさせた。右腕は千切れ、両足からは血が溢れている。

『ぐ、が……ぁ』
『さて、最後の足掻きを鎧袖一触にされた気分はどうだ? リューリク・ジランタウ』

 錬成魔術でミサイルを再び生じさせながら、余裕めかしてアイザックは問いかけてくる。

『笑えてくるね、小僧……』
『ああ、笑えるな。生ける伝説、最古の蜥蜴の王が、こうもみすぼらしく最期を迎えるとは』
『馬ァ鹿……』

 リューリクの嘲笑。相手は、眉根を引きつらせでもしたのだろうか。そう思えば更に愉快であった。

『こんな爺の首を取った所で、今更何の功名にもならんぜ似非貴族。てめぇのすぐ背中ん所にゃ、新しい時代が芽吹いてんだよ』
『……セイタンの事か? 馬鹿馬鹿しいな』
『ええ、ええ……貴方を始末したら、ガープと連携して即座にセイタンにも後を追わせて差し上げますわ。ワタクシのせかいで戦うならば、主機とて恐るるに値しませんもの』

 その濃紺の装甲の中に、歪んだ自尊心を湛える二人の男女の言葉。

『お前らは……竜種おれたちと同じだなァ……』

 その声には、哀れみすら籠っていた。

『もういい。君の冗長たる歴史も、ここで終わりだ』

 勘の気を刺激されたセーレは、マウントされたミサイルを投下する。
 迫り来る一塊の鉄と熱に、リューリクはただ獰猛な相貌のみで反攻を示し。
 ――横合いから飛んできた弾丸が、ミサイルを凍り付かせて撃墜する。

『……何!?』

 カリオペが動揺の声を上げて、観測精霊を駆動させて横槍の出所を探る。
 身内であるリューリクが、それより先に、急速に飛来する存在の魔力を感じ取った。

『…………………………………………マジかよ』

 セーレよりもなお、彼は驚愕していた。戦慄していた。空前絶後と、驚天動地と、どんな言葉でも足りぬ事態に忘我の縁に立たされまでした。ありえない。そんな珍事、同じ日に隕石が降ってきても帳尻が合わない。

『おじいちゃんをいじめんな馬鹿ぁ――――――――――――ッ!!』

 声と同時に擲弾された、雨の如き密度の魔導弾がセーレの背中に着弾する。

『がぁあああああああああっ!?』

 咄嗟に魔術で障壁を張るも、爆発の衝撃に悲鳴を上げるカリオペ。

『ぬるいぞジュラヴリカ。喧嘩を売るなら、言葉より先に手を出すものよ』

 セーレの頭上を取るように停止した白銀竜の背に、のし掛かるように騎乗する夜見が念話で告げる。鱗の変化した風防を守りとし、自身の魔術でも身体を保護しているようだった。さもなくば死んでしまうだろう――今の飛翔速度は、音速を遥かに超えていた。

『貴ッ様ァ……何者だ!?』
『おうおう……老人を虐待して悦に浸っていた、現代社会の病巣の象徴が如きおっさんと婆が睨んでおるぞ、ジュラヴリカ』
『こ、怖ぁ~……社会的地位を傘に着て人をストレスの捌け口にしようとしてるのね。ひきこもりもきっと攻撃対象なのよ夜見。ほんと恐ろしいわぁ、うるさ型のジジババって』

 わざわざ回線に割り込んで、聞こえよがしにアイザックとカリオペを罵倒してくる。この性根のひん曲がった二人の幼女、組めば更にタチが悪いようだった。

『バ、ババア……ですって……?』

 露骨な悪口雑言に、カリオペが声を怒りに震わせる。生身であれば、青筋の一つ二つも立っていただろう。

『小竜が、単騎でこのセーレに挑むというのか!』
『あぁん? 鈍いおっさんじゃのぉ。さっきのが開戦の狼煙と分からんのか』
『ふ、ふひ。目も悪いのね……あたしたちは、二人で戦ってるんだから』

 言うや否や、白銀竜の周囲に糸状の霊子が生じ、円筒形の弾丸を象っていく。

(竜種の力の範疇じゃねぇ……あの嬢ちゃんが、ジュラヴリカの魔力を流用してるのか!?)

 そんな魔術、見た事も聞いた事もない。かつて存在したどの人間の魔術師も、考えすらしなかっただろう。
 ――人竜共合法ドラゴン・ユナイト・ソーサリィなど!

『……想像を超えすぎだぜ、ガキども』

 傷の痛みを忘れて、リューリクがつぶやく。
 ――人を乗せた竜と悪魔が、同時にスラスターに点火する。超常の獣による空戦の、まさに火蓋を切る行為であった。



[40176] 17.DRAGON RIDER PRINCESS
Name: 八目又臣◆aa87a973 ID:17b043ce
Date: 2014/11/19 05:11
 鋼鉄の猛禽ラプターは、自儘に空を飛翔する。
 空力特性に優れた形状、剛性に富んだ装甲は音の壁を薄紙の如く突破し、魔術による流体制御と機体冷却により熱の壁すら越え、全長三十メートル程の巨体を極限速度の世界へ連れていく。
 このセーレの推進機構は機械と魔術の融合方式である。風精を操作しエアインテークに膨大な空気を呼び込み、圧縮し、火精により高音に燃焼させノズルから噴射させ推進力とする。タービンなどの内部機構は金精操作によって絶えず流動的に変化し、高効率の動作を実現している。
 昇降舵エレベーター補助翼エルロン方向舵ラダーと、上下表裏左右の操縦翼面の操作も魔術による形状変化で行う。
 セーレという機傀悪魔は機能の全てが航空戦闘に特化している。機体そのものが固有機巧〝航空支配スカイ・ドミネーション〟の発露した姿だ。

『現在、高度二万三千フィート。速度二一〇〇ノット』

 生身の人間では即死の世界を飛翔しながら、そこが安息のゆりかごの中であるかのように落ち着いた声音でカリオペが報告してくる。
 全く、化物め――密かに、常に抱いている意識をアイザックは反芻した。
 とは言え、この女は鋼と魔力で象られた人造の兵器、当然の性能を発揮しているに過ぎない。もっと腹立たしい存在は、別にある。

「竜は」
『……五時方向、七キロメートル程で、当機を追尾しておりますわ』

 彼女もまた、おぞましい物を覚えたような口調であった。
 現在の高度、気温を鑑みれば、セーレの速度はマッハ3を超えている。最大速度は更に上、極超音速マッハ5以上の領域にまで到達しうるが、戦闘機動コンバットマニューバを行えるのはここで限界である。
 つまりあの突如乱入してきた謎の竜種は、このセーレと、その専売特許たる空中戦で戦いうる性能を持っているのだ。生身の生物が! こんなデタラメな生き物が、存在していいのか!

「……奴は何者だ、カリオペ。ジラント皇国中央の天竜スカイドラゴンでも、この速度域に突入できる者は五指にも満たんはずだ」
『データにありませんわね……三年前の小競り合いで、北方方面軍相手に初陣を飾った〝ラーストチュカ〟とも違う……』

 白銀の翼、水晶のような半透明の鱗の竜をモニターに投影する彼女は、当惑が声に現れていた。

『そも、高位竜種としても異質ですわ。内在魔力と比較してのパフォーマンスが高すぎる……ほぼ全ての力を損失無く発揮している計算になる……』
「あの、子供の能力か?」

 竜の背面には鱗による土嚢のような盛り上がりがあり、その内部に人間一人分の生体反応がある。あの竜には、人が騎乗しているのだ。

『おそらくは。あの魔術師メイガスが外部から竜の魔力を制御し、効率的に運用せしめているのでしょう』
「……可能なのか? そんな真似が」
『……できている以上、可能であった、としか』

 自身が連合王国でも優れた魔術師であるアイザックの、知識と経験からくる言葉を、カリオペは悪し様に否定しなかった。彼女とてそれが人類に可能なレベルの魔術なのか判じかねているのだ。

『かの竜が如何に不可解であろうと、検討は後回しと致しましょう。事実、あの敵は〝いる〟のです』
「ああ……そして、我らを侮辱した」

〝許せるものか〟。

「許せるものかよ……」

 アイザックの表情が嗜虐に歪む。相手が子供の竜で、人類の子供も乗っていようと関係が無い。――むしろ子供であるからこそ度し難い。この騎士にして王者たる男の覇道に立ち塞がるなど、分を弁えぬにも程がある。
 か弱きものが己に逆らうなど、あってはならない。調教してやる、後悔させてやる。

「あの竜を撃墜おとすぞ、カリオペ」
『Yes,Sir Isaac』





『こっ、こここここここここここここここここ怖いぃいい~! 速い熱い高い死んじゃうおうち帰るぅ――――――――っ!!』

 セーレ側の戦々恐々とした評価に反して、当の幼女二人はしっちゃかめっちゃかだった。

「っだぁあああっ! 落ち着け馬鹿者! こっちの集中まで乱れるわ!」

 ジュラヴリカのいっそ見事ですらあるうろたえぶりを罵倒する夜見。その表情は緊張に凍り付いていた。
 超音速で飛行する高高度の空は、地表のどの場所と比べても過酷な極限の世界だ。薄い酸素、数百度に達する空気との摩擦熱。本来は、生物の生存を一瞬たりとて許さぬ荒ぶる神の支配圏。
 それを、生来魔力の制御が困難なジュラヴリカに代わって夜見が環境に適合させている。他者の魔力、しかも人間と比して遥かに膨大なものを繊細にコントロールするのだ。足の指で無数の針穴に糸を通し続けるのに等しい所行。
 一度しくじれば、ジュラヴリカ共々空中分解する。――内心、実際に飛ぶ彼女以上に、夜見は、

『……う、ごめん。あんたこそ怖いわよね』

 この状態の両者は、ある程度思考が共有される。夜見の恐れを感じ取ったジュラヴリカが、頭を冷やして声をかけてくる。

『だ、大丈夫なの? 身体』
「……そなたの魔力を流用して、いささか体機能を強化しておる」

 でなくば、この貧弱な身体はすぐにまいってしまっただろう。
 ――この巫術は、理論の大部分を開発途上であった竜種強化法から転用している。竜の魔力を借りての身体強化も同様の由来だ。
 ……故に、〝リスク〟もまた同様のものなのだが。

「そなたこそ大丈夫なのか。初めての空じゃろうが」

 内心を悟られるように話題を変えると、ジュラヴリカはしばし沈黙した。
 訝しみ始めた頃に、熱の籠った言葉が発せられる。

『飛んでる……』

 竜の幼子は、感極まっていた。

『飛んでる、飛んでるよ、あたし……怖い、けど、熱い、けど……空、飛んでるんだ……』

 生まれてきて、よかった。
 ぽつりと、彼女は呟いた。

『ど、どうしてなの? なんで急に飛べるようになったの?』
「ラムジェットエンジンじゃ」
『え、羊?』
「違うわたわけ。……そなたがこれまで飛べなんだのは、魔力の制御ができなんだのもあるが、何より風の霊子を内在しておらんかった為よ。天竜なるものは本来、あのセーレと同じように飛行するのじゃろう」

 つまり、風精を制御して能動的に空気を取り込み、圧縮する事。このプロセスを行う能力を、ジュラヴリカは持っていなかったのだ。
 その欠陥を補う術を夜見は模索し、そしてその解答を導き出した。

「まっは0.5以上の初速を確保できれば、後は速度による圧力で空気を圧縮できる。風を御する必要などない。むしろより効率よく飛行できる推進方式よ」

 風精の欠如さえクリアすれば、火精による空気の燃焼、金精による肉体の保護、形状の細かなコントロールが実現する高度な空力特性、水精による冷却、地精による各種化学物質の生成と、超音速飛行に必要な要素はむしろ十分すぎる程だ。

「後はそこまで一時的に達する手段さえあれば良かった。地精により推進剤を生成して、ぶーすたーとして一次加速を行う工程を挟んだのじゃ」
『なんか、ちんぷんかんぷんなんだけど』
「つまりじゃ」

 ジュラヴリカの鱗をはたいて、夜見は告げる。

「この超音速の世界を一番自由に飛べる竜は、ジュラヴリカ、そなたという事よ。びびるでない、どーんと構えておれ」
『……夜見』

 流入する彼女の感情から、恐怖が薄まってくるのを感じた。

「っちゅーか、びびっておる暇などあるか。――この空には、我らの敵がおるのじゃぞ」
『うぅ』

 前方の空を猛進するセーレ。カタ・コスモーン機構とジラント皇国の戦争から完全に引き離されていたジュラヴリカは、機傀悪魔という兵器を初めて見る。
 大昔の文明の遺産であり、自我を持ち、普段は美しい少女の姿で振る舞い、戦闘となれば巨大な機兵へ変異し無類の力を発揮する。不死の存在であり、数千年生きている個体もざらで、人とも竜とも異なる異質の精神、知性、経験の持ち主である彼女らが投入された戦場では、ほぼ確実に勝利を奪われたと言う。これまでジラント皇国側で彼女らを撃破したのは数える程、しかも下位の子爵級ヴァイカウント・クラス伯爵カウント・クラスばかりだとか。

 ジラントでは「いい子にしてないと天頂ジェニトから機人がやってくるわよ」というノリで扱われている、御伽噺レベルの存在だ。
 たった二人の初陣でそんなモノと戦うなど、与太話もいい所だろう。

「残念じゃが、与太話ではなく現実じゃ。夢オチもなし。我らが負ければキッチリ死ぬし、リューリク殿やら兄様やらくららちゃんも大ぴんち。シヴィル・コサックの連中も十中八九滅ぼされる――連中を、撃墜するしかない」
『じ、じじじじ上等。やったろうじゃない』
「悪くない啖呵じゃ。……まずは、一槍馳走するかの」

 と、告げるなり夜見はジュラヴリカの魔力を一部吸い上げる。
 翼の根本に霊子が集束していく。鋼鉄、燃料、火薬、感知式神信管探知式神シーカー……夜見が力のかなりの部分を傾けてそれを作っているのが、ジュラヴリカには分かる。
 錬金されたミサイルをセーレへ照準する夜見。周囲に演算霊が喚び出して、敵機との相対速度、高度、発生する電磁波など諸元を算出し敵機を補足する。
 こちらに尻を向ける猛禽と、意識の線が繋がれたのを感じた。

「短距離空対空魔導飛筒、発射ぁ!」

 ひゅばっ、と。ミサイルの尾部が火を噴き、セーレに向けて推進する。
 カウンターメジャー。セーレの背面装甲が開放され、無数の火精フレアが投射される。雷精チャフも発生し、シーカーの動作を妨害する電磁波を放出し始めた。

(そんな通り一遍の手管にかかるか!)

 無数のデコイを、ミサイルに搭載された探知式神は見向きもしない。セーレ固有の霊波のみを追い掛けて、直進する。

(直撃――)

 命中の直前。
 敵機が左に〝ずれる〟としか言い様の無い機動を取り、爆発の影響域から難なく逃れた。

『えっ、ちょ、よ、避けられちゃったわよぅ!』

 ジュラヴリカが動揺の声を上げる。

「いちいちうろたえるなアホ。ありゃ試金石じゃ」

 即座に物見の式神が受信した霊波パターンを解析しつつ、夜見が言う。

「まず一つ判明したのは――機傀悪魔なる存在は〝あーむず〟なる、規格外の能力を発揮する神器を所有しておると聞く。……セーレのそれは、おそらく、一時的に物理法則から機体を解放する類の物じゃ」

 飛翔体には重力、揚力という上下の力、そして推力と抗力という前後の力が発生する。旋回半径などは機体剛性とそれらの力との折り合いで導き出されるもので、この速度で真横に一足飛びするような真似をすれば本来機体が保つ訳がないのだ。
 セーレはその四つの力をコントロールする能力を持っているのだろう。
 ――夜見のこの予測は図に当たっていた。
 セーレのARMS《アルスヴィズ》は、北欧神話に登場する太陽を引く神馬をモデルとした神器。その意は〝あらゆる力の要求にこたえる者〟。飛行を完全なる自由とする能力。

『そ、そそそそんなんどうすればいいってのよぅ! やっぱ帰る! お空飛んでおうちに帰るぅ~っ!』
「……つくづくそなたは、芸人に優しいお客さん気質じゃのぅ。――その力を無制限に使えておったら、とうに我らは撃墜されておるわ」

 今しがたやったような無茶な機動マニューバは、一瞬しか維持できないと見ていいだろう。

「もう一つは、我らにもセーレは撃墜可能という事実よ」

 さもなくば、わざわざ神器を用いて回避などすまい。
 一発のミサイルを試金石に、予想通りの情報が得られた。上々の成果だ。

「これよりがこの戦の本領である。――巴戦どっぐふぁいとよ。彼奴の後背至近に占位し、隙を作って本命の一撃を当てる」

 緊張に渇く唇を舐めて、スラスターから炎を盛大に撒き散らす敵機を睨み据える夜見。
 セーレもまた本格的にやるつもりのようだ。攻撃された事が余程勘に障ったか、物理的な圧力として感じられる程の殺気を発している。

「ゆくぞジュラヴリカ! あの雌馬の尻の火を追え!」
『りょ、了解りょうかぁ~い!』

 両者の動翼が精密に駆動を始める。
 ――急旋回ブレイク交錯シザーズ
 一瞬たりとセーレとジュラヴリカは直進せず、噴出するヴェイパートレイルが子供の落書きじみた奇怪な描線を空に描く。
 空中戦は、位置エネルギーと運動エネルギーの熾烈な争奪戦の様相を呈す。高度を速度に浪費し、あるいは速度を対価に高度を得る。その繰り返しの果てに、後方象限トラッキング・ゾーンに機体を滑り込ませ、蜂の一刺しを加えるのだ。
 優位者は――セーレの側だ。

(ちぃ……)

 夜見は胸中で歯噛みする。
 速度で言えばほぼ互角。しかし、こちらが大きく劣る性能がある。
 旋回性。
 敵機は機体剛性から考えられる速度と旋回半径に〝釣り合いが取れていない〟。微々たるものだが、確実に条理と外れた飛行をしている。
 その術理は明白である。

(やはり……これが本来の使い方か)

 敵機は《アルスヴィズ》の能力を常時発動できるレベルに制限し、小規模な抗力抑制を行っているのだ。
 物理もののことわりなら夜見は誰より正確に計算し、対抗できる。しかし、その外側の力を使われてはどうともならない。詞木島夜見という人間の限界である。
 外側に大回りオーバーシュートして切り替えしで背後を取られる、といった不様をどうにかこうにか堪えているといった所。

(そして……〝そうなっていない〟という事は)

〝その気になればやれるはず〟と彼女は踏んでいる。しかし、そうなっていない。
 つまり。

(彼奴は、こちらの最も嫌がる手を打っておるという事じゃの)






 性能面で優位に立ちながらも、カリオペの内心は決して穏やかではない。

(……完璧に、背後を取れない)

 このセーレが全能を発揮して飛翔しているというのに、未だにあのただ一匹の小竜と一人の小娘を落とせない。
 超音速の速度域をあれ程自在に飛びこなす竜など見た事がない――竜でなくとも、その速度域で飛ぶ航空機なりをこうも的確に乗りこなすパイロットもまた。
 正確に運動エネルギーと高度を見切って、常に最適の機動を外さない。熟練の飛行テクニック、とも違う異質な能力。まるで〝機械わたしたち〟のような、事物に対する精密な把握力。
 そして相手の生体反応は、彼女が十歳そこそこの子供である事を示している。自機のセンサーの故障を疑ったのは今回が初めてだ。

(何者……?)

 彼女は正体不明の闖入者に、敵国の関与すら疑い始めていた。そう、敵国――〝第四帝国ダス・フィーアテ・ライヒ〟や〝無形なる国家インウィーシビリス・シーウィタース〟のエージェントが、連合王国の台頭を警戒しているのかと。
 あるいは〝カズム〟か。カトーを始めとした、あの組織の抱える異能の人材の新鋭と考えられないだろうか。
 今、かの組織は連合王国にすり寄っているはず。

(裏切られた……いえ、そう考えるのは尚早か)

 混沌の名を冠するあの連中の思惑は、容易には計りがたい。
 可能であれば捕えて尋問したい所ではあるが、高度二万フィートの空中でいかな手加減をしようと生かす事は難しい。何より、手加減できる相手でもない。

(それでも……本来なら、落とせない相手ではないのに)

 己の腹の内にある人間を意識する。憎々しげに。

『少し……消極的に過ぎるのではなくて? アイザック様』

 内心の苛立ちをどうにか抑制しつつ、彼へ問いかける。
 アイザックの取っている戦術は、〝負けない事〟に専念するものだ。追尾軌道パシュート・カーブにおいて常に余裕を持たせ、オーバーシュートや敵機前方にずれ込むリスクを決して取らない。だからこそ、ここまで無意味な均衡を保ち続けてしまっている。

「兵理だ、カリオペ。彼我の決定的な差を君は理解しているかね?」

 カリオペの声に、少量抑えきれず滲む侮蔑を感じ取ったか(この男は、そういう感性は非常に鋭い)、言い返す言葉には見下した響きがある。

『……と、おっしゃいますと?』

 胸中に煮え立つ感情を抑えつけ、カリオペが聞く。

「体力だよ。私は連隊で将校教育を受けた、精強な男。その上デモナイズの恩恵もある。相手はいかにも貧弱な幼女に過ぎん。――空戦機動に伴うGに先に音を上げるのがどちらか、考えるまでもなかろう?」

 血筋と軍暦と性別を自信の根拠とした物言い。それはこの男の慣れた病癖であり、今更腹も立たない。しかし。

『このセーレを駆っておきながら、そのような持久策に訴えると……?』

 己の性能への不信とも取れる発言は、決して看過できなかった。

「闘争は遊びではない。最も安全、確実な手段を執るのが兵理というものだよ」

 平然と告げるアイザック。――この男は、いつもそうだ。
 決してリスクを取らず、窮地には保身に走る。同量の心魂の歪みを持ちながら、ルーラッハ・ガルガンティン・マーシアに差をつけられたのはそこが原因だ。あの男は、勝利の為に迷わず命を投げ出す狂った勇猛を抱いていた。
 それに比べて――戦争に安全確実な勝利など存在しないと、この男は理解していない!

『セイタンとガープの戦いの趨勢如何では、こちらが劣勢に立たされる事も考えられますわ! 迅速なる勝利を! このセーレには、その力が十分にある……!』
「ならば尚更……! この高高度で超音速の空戦を行うセーレに、セイタンとて抗する術は無いではないか! 私の戦術を批判するのか!」
『それは……』
『――おうおう。犬も喰わぬ不味い痴話喧嘩の最中、まっこと相済まんのぅ』

 幽霊が背後から忍び寄るのにも似た、唐突かつ底冷えのする声。
 あの子供が、またしてもセーレの通信回線に介入している。

「何の用だ! 子供!」

 幼女の鈴の鳴るかの如き声色には、隠す気もない侮辱が含まれていた。それを誤解なく受け取ったアイザックが口舌を猛らせる。

『いやなに……この稚拙な鬼ごっこがあまりに退屈でのぅ……おしゃべりにでも興じようかと誘いをかけたい所であるのよ』

 稚拙? 退屈? この小娘、セーレの空戦機動を侮辱するのか?
 こちらの怒気を柳に風と受け流し、彼女は続ける。

『何せ、虐められ役の雄鶏の如き臆病者と、薄ら呆けた、とろい婆のつがいよ。若い我らとしてはどうにも張り合いが持てんでのぉ……』
『な……!?』

 蛇の絡むが如き口調で語られる言葉に、セーレの光量子演算回路が憤怒の感情を表現する。内燃機関の熱量が膨れあがっていく。

『き、さま』

 アイザックもまた、眉間にひび割れた石像の如き皺を作る。あの子供は、彼の最大の勘所を針のような物言いでほじくったのだ。
 彼女らの怒気を受けながらも、悠々と。悪童は聞き逃せない魔力を秘めたような言葉を撒く。

『さっきから腰の引けた動きばかりではないか。我らは、貴様らの如く無駄にだらだらと時を過ごすには、ちと心のゆとりを育み切れておらんのよ。全く、暇を持て余す。退屈退屈……まことつまらん相手よ』
『この……ワタクシが、退屈な相手ですって? 小娘……』
『勘に障ったかや婆様?』
『て、めェ……』
『おやおや、地金が見えておるぞ。老体の癖に無理をするから余裕を無くすのじゃ。大人しくお手玉やらおはじきで遊んでおれよ――のろまなぶぁ・ぶぁ・あ♡』

 止めの一言に、セーレの回路が盛大に焼き切れた。

『……テメ、ェ』

 熾火の如き声色は、彼女の激情を燃料に加速度的に燃焼していく。

『テメェェエエエエエエエエエエエッ!! ションベン臭いチビガキが、よくもアタシに上等コキやがった! 五体バラして犬のエサだ! クソにして地上にバラ撒いてやるよォ!!』

 狂乱を声に宿して叫び散らすカリオペに、アイザックからの制止がかかる。

「ま……待て! カリオペ! 挑発だ! 乗るんじゃない!」
『アイザァァアアアアアアアアアアッッック!! テメェが情けねぇチキンだから、このアタシまでナメられてんだよォ! こんな、こんな、こんなガキ共にィ! いつまでも湿気たライターみてぇに燃えねぇヘタレのせいで!』
「何……っ!?」

 鼻白むアイザック。しかし、彼女は一切の遠慮をしなかった。――本来の力関係を考えれば、もうこの男に気を遣う必要などありはしない。

『〝燃料〟が燃え尽きるのを惜しんでんじゃねェよォ! テメェの代わりなんざいくらでもいるんだ!』
「……っ、ぬぅ」
『ここで根性見せねぇなら、いい加減テメェに見切りをつける。困るよなァ? テメェは、アタシがいなけりゃ今の地位からもお払い箱だ。全部失うんだよ。全部、全部、全部だ!』
「……」
『イヤなら、アタシの思う通りに動け――あのガキを、死ぬ気で殺せ』
「……了解」

 恐怖と、折れた自尊心のない交ぜになった感情に歯噛みしつつもアイザックは応答した。肉体に纏わり付く神経接続網へ、信号を送る。
 セーレの空戦機動の質が決定的に変化した。
 螺旋状の交差を空に描画し続ける両者であるが――その角度がより際どくなっていく。

『どォしたよロリィイイイタ……あんだけデケェ口叩いておいて、ついてくるのでイッパイイッパイのようじゃねェの?』

 軋む竜の骨肉をセンサーで感知しながらカリオペは挑発を返す。

『……』

 相手は既に、答える余力も無くしているようだ。全く、生意気な餓鬼を凹ますのはなんとも気分が良い。
 少量の肉を食らったが如き、嗜虐心へのより強い餓えを感じる。この餓鬼共の仕留め方は、連中に最も屈辱的な方法でなくてはならない。

『アイザァァアアッック……?』

 媒介者の脳髄に常駐するナノマシンを介して、高速の暗号通信にて指示を送る。既に序列は見せつけた。相手は表情をひきつらせつつも頷く。
 ――一転、セーレがブレイク・ターンを行う。

『……っ!?』

 夜見の声音が凍り付く。
 セーレは、ジュラヴリカの進路上を塞ぐ軌道を飛んでいるのだ。
 唐突に目の前に差し出された餌に、彼女はジュラヴリカの余剰魔力により生成した魔導弾を速射する。セーレの機体を穴だらけにする威力は優にある――

『馬ァ~鹿』

《アルスヴィズ》を発動。機体を上方に滑らせて機銃を回避する。
 そしてセーレは機体をロールさせ、滑り落ちるように竜との交差軌道に入る。
 夜見は射撃に注意を費やして、一瞬判断を遅らせた。結果――
 彼女たちは、後背至近の間合いをセーレに強奪された。

『これで終わりだ! 青いケツをブッ叩いてやるよォ!』

 セーレが搭載した機銃とミサイルを撃ち放ち、竜と人の子供を空の藻屑へと変えようとする。
 その、直前。

『――川蝉を殺すには、魚を獲りに川へ潜る所を狙うものよ』

 正面を飛ぶジュラヴリカの面積が〝広がった〟と錯覚する。
 彼女は、前方に腹を見せるようにピッチを急激に引き揚げたのだ。全身で真正面からの抗力を受けて、速度が急落。セーレが彼女を追い越してしまう。
 まるで手品のように、両者の位置が入れ替った。
 アイザックが、怖気を催した声音でつぶやいた。

立首機動コブラ……だと!?」

 マッハ3以上の速度域で、そんな機体に負荷の掛かるマニューバ。体表を金精で硬化してどうにか耐えたのだろうが、魔力のコントロールをほんの少しでもミスしたらその場で砕け散っていたはずだ。
 この餓鬼は、命が惜しくないのか!?

『どうせ負ければ死ぬ勝負。ならば、勝つ為に命を賭けるのが道理というものよのぉ!』

 緊張に渇いた声ながらも、凄絶に告げる夜見。

『め、めちゃくちゃ怖い、けど……あんたたちみたいなリア充と違って、あたしは友達一人しかいないんだからぁ! ――たった一人の友達の無謀、全力で付き合うわよ!』

 震える言葉を吐きながらも、その身を炎の壁に叩き付ける事を一瞬たりと躊躇わなかったジュラヴリカ。
 二人の子供は、飛矢の如きひたむきさで突き進み、とうとう歴戦の機傀悪魔を目前に捉えた。
 ――てめぇのすぐ背中ん所にゃ、新しい時代が芽吹いてんだよ。
 アイザックとカリオペの脳裏に、リューリクの口にした言葉が響く。

『これで、我らの勝ちじゃ!』

 夜見が生成したミサイルは二基。一の矢を《アルスヴィズ》で回避しようとも、二の矢で刺す――
 だが。

『舐めてんじゃねェぇえええッッ!!』

 カリオペの罵声と共に、セーレの背面装甲が開放、中から球状の物体が無数に投射される。
 また熱源欺瞞フレアか? と夜見は目前に舞う球体を見定め、
 ――違う!
 戦慄し、彼女はジュラヴリカに念話でトラッキング・ゾーンからの離脱を通告する。
 その直後、球体が発光し――一条の光線を発射した。
 一基のミサイルは高熱の光に灼き斬られ、爆散する。その爆風に煽られて、残り一基がセーレの足下を虚しく通り抜けていった。
 回避が一瞬でも遅れていたらジュラヴリカ自身にも光線が直撃していただろう。

『レーザービットだァっ! ミサイルだの機銃だの、通り一遍の武装しか持ってねェとでも思ったかよ! このアタシが!』

 吼え猛り、再びジュラヴリカを追い詰めようと機動を開始するセーレ。

『アタシは機傀悪魔セーレ! 究極の兵器だ! 〝あの時〟計画、開発された兵器群の中で、最終的に戦力の中核として選ばれたのがアタシら機傀悪魔――テメェらは、生まれた時から落伍者だったんだよ!』

 無尽蔵に等しい魔力、疲労しない鋼鉄の機体、冷徹無比の演算装置こころ
 夜見たちに無いものを見せつけるように、圧倒的な神威を放ち追従する。鼠を追う獅子の如く、あるいは小魚を浚う急流の如く。
 レーザービットを牽制にジュラヴリカの進路を潰し、そして。
 難なく、再び彼女らの背後についた。

『吹き上がった雑魚が――後悔して死ね!』

 今度こそ、全火力を前方の竜へ放とうとするセーレ。夜見たちに、これを防ぐ術は無い。
 それ故に、セーレの攻撃を阻んだのは彼女らではない。

『――イヤハヤ、お取り込み中あいすまんネ』

 セーレの通信回線に、一度耳にしたら忘れがたい、無駄に特徴的な言葉遣いが飛び込んできた。
 ハーミットだ。遥か下方の雪原から、なぜ自身も戦闘中のこの女が通話してくる?

『ざけんなよテメェハーミットぉぉおお!! 今生意気なションベンクソガキをカタにハメてる真っ最中なんだよ! 水差してんじゃねぇ! テメェはセイタンと遊んでろ!』
『ヤヤ、ユーも〝お芝居〟をやめざるを得ないくらいに追い詰められたようネ。……レディース・ボーソーゾクの機嫌を損ねるようなコト言いたくないでゴザルけども』
『あぁ?』

 ハーミットは、遠慮がちに、という雰囲気を作った後に。
 あっけらかんと告げた。

『負けちった』
『……は?』

 今、なんと言った、この女は? 負けた? セイタンとの戦いに?

『てッ、テメェ! 何あっさりイモ引いてやがる! 〝レフ・カルピンスキの代わりに戦うセイタンは自分に任せろ〟とかフカシやがったのを忘れたのか! まさか手ェ抜いてたんじゃねェだろォなぁッ! 粘るくらいは出来るはずだろうが! テメェは稼働期間二〇〇〇年超のデュー……』
『アハハ、耳が痛いネ』

 怒鳴り散らすカリオペの剣幕を、悪びれもせず言うハーミット。更に怒号が飛ぶ前に、ささやくように。

『デモ――〝想定外の助勢〟があったら、にんともかんともイカンでゴザルよ』
『……想定外の助勢、だと?』
『コレは……ソチラの不敵際でゴザルよ、セーレ』





 雪原には無数の破壊されたクナイが突き立ち、戦場の無惨を見せつけている。
 しかし、韋駄天の神脚には何ら翳りはない。

「く……」

 神経の弛緩を一瞬たりと許さない繊細な操縦を要求され続け、日雨の疲労は限界に達しつつあった。元より、数時間前にリューリクとの激闘を繰り広げた後なのだ。
 その上、彼の心中には強い焦りが混入している。
 くららのセンサーは、瀕死のリューリクの加勢の為、夜見がジュラヴリカに騎乗して現れるという事態を感知し、日雨に伝えている。
 妹の窮地だ。すぐさまにでも飛んで助けに行きたい。
 しかし。

『……集中を切らさないで、日雨くん』

 こちらの内心を察したくららが、気遣わしげに忠告してくる。
 ガープの狙いはそれだ。言葉通りの時間稼ぎなど二の次。別の戦場を意識して散漫になった所を突き、こちらを撃破するのが本命の戦術。
 のらりくらりとはぐらかし、一瞬の隙を見出せば背筋の凍るような一刺しを仕掛けてくる。どうにか互角の攻防をするので精一杯だった。
 いたずらに過ぎる時間が、じりじりと日雨の精神を圧迫してくる。

(焦るな、とは言うが……!)
『お願い、今は耐えて……。――必ず、ガープに隙ができるから』
「……何?」
『きみは誰より知ってるでしょ? あの子が、とんでもないお子様だって』

 確信の気配に満ちた声が、コックピットに浸透する。
 ――雪原を奔るガープが、急転しこちらに蹴りを見舞ってくる。
 セイタンもまた回し蹴りを放ってそれに合わせた。豪快な金属音と共に両者の足が弾かれる。初撃を皮切りに無数に繰り出される拳足。

『さァさァさァさァ! まだまだ付き合ってもらいましょうか!』

 闘争の熱気に当てられたように、淫蕩な声を放つハーミット。

「……っらぁッ!!」

 裂帛の気合いを口から吐き出し、日雨は刃を纏った爪先を蹴り上げる。ガープはそれを紙一重で躱して、体勢を立て直す為に後方へ飛び退る。
 その時、

『――来る』

 くららが告げる。

『与一の扇落としよ。ハーミットさん』

 ガープは、気付かなかった。
 機傀悪魔の観測精霊は彼女らの意思で自在に半径と密度を変える。言い換えれば、彼女らの注意していない距離、方角からの脅威を感知できない。それ故に、ハーミットは見逃した。
 ガープの背後の遥か上空から飛来する、一基のミサイルを。
 ミサイルはガープの足下に突き立ち、同時に爆発。高高度からの落下エネルギーも加味した爆風が機体を大きく吹き飛ばした。

『なァ……ッ!?』

 突然の奇襲に驚愕の声を上げるハーミット。
 その演算が重ねて凍り付く。
 爆撃のタイミングを知っていたかのようにセイタンが飛び出し、ガープの目前に出現した。既に攻撃態勢にある。
 刃を纏った手刀が振り下ろされ、ガープの右肩からほぼ半身を切り離した。

『ぐうゥ……ッ!』

 制御系に直撃するエラーの波に、苦悶を吐き散らすハーミット。
 しかし、強靱な精神力で苦痛を自制し、即座に切り離された箇所に浮遊魔術を行使、バランスを保持して倒れる事だけは防いだ。

『な、なぜ……どこから攻撃が……』
『夜見ちゃんと、ジュラヴリカちゃんですよ』

 当惑の極みにある彼女に、解答を述べるくらら。
 ――セーレの後背を取った夜見たちが放ったミサイルは二基。
 一基は撃墜されたが、残り一基はそのまま飛翔し地上のガープを攻撃した。
 あの二基のミサイルは、セーレを攻撃する為のものではない。
 本来の意図は――セイタンを援護する航空支援爆撃。

『ば、かな』

 答えを明かされてもなお、むしろより深くハーミットは混乱した。自身もまた空中戦を行っている最中、高速で動き回るガープのみを狙った精密爆撃。その上、セーレに勘付かれればこちらに警告される。セーレ自身を狙ったものと誤解させるよう撃たねばならない。戦う四者の相対位置、速度、ミサイルの推進力、高高度からの狙撃に伴う諸々の障害……いったいどれ程の計算を行えば、ガープの背中にミサイルを届かせる事ができるのか。
 まるで未来予知の如き先読み。

(もはや人間に可能な技術では……あの、姫君……予想以上の化物!)

 この少年は太母の手助けがあったとは言え、ここまでの難敵に急成長した。それはそれで端倪すべからざる事実。
 しかし、あちらは何一つこちらの干渉を受けずに、機傀悪魔を出し抜けるレベルまで到達したのだ。

(セイタンに加えて……これでは、いかにも分が悪い)
『どうやら……ここまでのようね』

 ハーミットは呟き、コックピットのカトーに信号を送る。
 ガープが、両手を降参とばかりに高く掲げて、

『シカシ!』

 と、急に横に回転する。背中に隠した何十本ものクナイが雪原へバラ撒かれた。

『ニンジャはキッチンの黒くてニクいアイツと同じくシブといものヨ――――――――!』

 爆裂、放電、風乱、無数の魔術が炸裂して雪を舞い上げる。

『なぁ……っ!?』

 愕然とするくららの声。

『ハァ――ハッハッハァ――――――――!! シノビ・ネバー・ダイ! ニンジャは何度でも地獄のソコソコからリバースよ! ってワケでハスタ・ラ・ビスタねボーイ・アンド・ガール!』

 しゅばばばばば、と右手右足を失っているとは思えない身軽かつ奇天烈な動きで脱兎の如く逃げていくガープ。

『えぇええええ~……』

 鳩が豆鉄砲を食らったような感じで、機体の肩を落とすくらら。

『えっと……追う?』
「いや……なんか、戦意をごっそり奪われた」

 くららの問いかけに、半眼で彼女らの消えた方を見つめて日雨が応じる。
 エルザについて追求するのが、この戦いの目的の一つだったが――ここで深追いすれば、命のやり取りになる。

「ぶっとばしてやる、であろ? くらら」
『――うん』
「なら、〝そうしてやった〟。これでよい。今回は、殺しは無しだ。……ありがとう、くらら」

 ――退っ引きならねぇギリギリの場所に立てば、もはや言葉も情も意味を為さねぇ。前に立つヤツを消すしかねぇのさ。
 羅の言った言葉が、心の裏側にこびりついていた。くららはそれを汲んで、あのような言葉を言ったのだ。

『……うん』

 コックピットの中に、くららの声が降りてくる。
 彼女もまた、それをその場しのぎの欺瞞と気づいていた。
 しかし、今だけは。

「今は――この戦いの決着を、つけるとしようか」

 そう告げて、日雨は天空を振り仰いだ。






『……なん、だと』

 ハーミットから圧縮通信で戦況報告を受けたカリオペが、愕然とうめく。
 彼女もまた、ハーミットと同じ戦慄を味わっていた。完全な形で出し抜かれた。およそ人間になし得るとは思えない方法で。
 一体、何者なのだ? この子供は……!?

『おや……どうやら〝配達〟が届いたようじゃのぅ、その間抜け面を見ると』

 再三通信が入る。かの悪魔的な幼女の物言いはやはり、聞く者の神経を逆撫でする。
 ――くふ。
 漏れ出る童笑。

『くふ、くは、くははははははははははぁーっ! 笑え! ここぞとばかりに笑うのじゃジュラヴリカ! 調子こいたオバハンが鼻っ柱をへし折られて涙目じゃ~!』
『ふ、ふひひひひひひっ! そうねぇ夜見! みっともないったらありゃしないわぁ~! お嬢様キャラのメッキが剥がれたヤンキーババアがイケイケ(死語)で張り切っちゃった挙句に「……なん、だと(震え声)」だって~! 聞いてるこっちが恥ずかしいわよぅ!』

 幼女二人の、耳障りな甲高い高笑いが、セーレのセンサーを覆い尽くしコックピットにまで浸透する。
 ――ぶちっ。

『テメェエラァァアアアアアアアッ! よくもアタシをコケにしてくれたァアァッッッ!』

 激情を咆吼するカリオペ。
 アイザックにナノマシン経由で指示し、スラスターを吹かして猛追する。

『今! この場の状況は変わらねぇ! テメェらとアタシの性能差は! ココでテメェらをブチ殺せば、まだイーブンなんだよォ!!』
『はん……機械の癖に、なんとも粗雑な計算じゃのぅ』
『何だとォ!』
『状況は変わらん? 何を言うておる。既に地上の戦は決着し、五十三秒過ぎた。――これだけの時間〝あの二人〟を自由にしておけば、必ず何かを〝しでかす〟ぞ?』

 夜見の発言に、カリオペは取り合う価値すら見出さなかった。観測精霊の算出したセイタンとの相対距離は二十三キロメートル。あと数秒で撃墜可能なポジショニングのできる戦況で、連中の介入する余地など存在しない!
 ――はん。
 と、夜見は哀れみすら混じった嘲笑を投げかける。

『〝そなたら〟は、二人揃うた所でなぁ~んも変わらん。むしろ弱くすらなっておるようじゃ』

 致死の間合いにじりじり近付く敵機に、いかなる理由でこうも余裕めかしているのか。
 何の為に、勝利を確信できるのか。

『じゃがの――あの二人は、揃っておる時が一番強いのよ』
 




 

 セイタン自身による介入は不可能。
 媒介剣を三基用いてブースターに変化させれば、一時的には超音速どころか第二宇宙速度以上の速さで飛翔できるが、それはあくまで直線な進路を取った場合に限られる。彼女らの戦闘する空域に辿り着いた所で、飛行に特化した高い空力特性を持つ機体に追従できないのだ。
 加速に費やす時間も惜しい。何よりそこまでの魔力を発揮してセイタン自身が飛べば、セーレのセンサーに引っかかる。
 敵機に感知されない、超高速、かつ静粛な一撃が求められるのだ。
 その方針を定めた時、くららは言った。
 ――日雨くん、槍投げって知ってる?






「〝みちなきみちウェプトアウト〟」

 再び放った《群狼奔る町アシュート》を起点に魔術を発動。今回は〝方向〟を絞って運動補助の電磁場を形成している。
 雪原に、〝滑走路〟が完成した。
 その始点に立ち、セイタンは前屈みの姿勢を取る。
 そして、腰を吊り上げるように浮かし、指先を地面に接してクラウチングスタートの形へと変化させた。
 背面装甲には媒介剣の変化したブースター。右手には手甲を装着している。

『いくよ』
「うむ」

 くららの合図に応じると同時、ブースターに膨大な魔力が充填される。風精が風を圧縮し、火精が急速に加熱。収束する暴風が高音を立てて雪原に轟く。

『よーい……』

 機体のアクチュエーターが、全力稼働の前兆に唸りを上げる。

『――どんっ!』

 大地を、蹴った。
 疾走。
 人間というより、むしろ野性の獣じみた前傾姿勢で雪原を蹴散らし、機体を推し進めるセイタン。
 風が轟と渦巻く。
 ブースターの加速と電磁場による運動補助を受けた機体は、音の壁をあっさりと突き抜けて、なおも一瞬たりと留まりはしない。生じた衝撃波が、雪原に傷の如き痕跡を刻んでいく。
 一足踏み出す毎に砲弾の如く加速する。
 ――その時、奇妙な現象が起き始めた。
 セイタンの蹴り足が、雪を巻き上げなくなっていく。
 ――〝軽功〟という。

 日雨は、自身の走行を罵り、矯正するかのような羅虚虎の言葉を思い浮かべていた。
 ――全身の筋肉、接地面にかかる応力、抗力、全て計算して抵抗を最小限に抑える走りをする……達人にかかりゃあ、竜車の最高速度並のスピードで三日三晩走り続ける事も可能だ。瞬発的にはもっと速くもなれる……
 達人の術理をなぞり、走りの質を変えていく日雨の動きをくららは完全にトレースしていた。ナノ単位に独立したアクチュエーターを操作し、配列を最適化し、走行速度を極限の領域へ近づけていく。
 余人にはただ、黒い疾風としか捉えられない程の速さ。

 その最中にあっても、くららは演算を続けていた。夜見から送信される敵機との相対位置。大気の質量、重力、自転によるコリオリ力、風圧。修正に次ぐ修正。
 速力とタイミングが充溢する、ただ一刹那の瞬間。

『今!』

 セイタンが跳躍する。助走の力を余す事なく乗せて――

『発剣!』
「行ぃいけぇぇええええええッ!!」

 右手に装着した媒介剣を開放、投槍の形状にして投擲。
 手を離れた槍は、空気を引き裂いて高度二万フィートの空へ急進する――

『一番剣《ケファの不信》へ形相原典ロード!』

 そして、狙い澄ました一点で形状を変化させた。空間を言の葉で変容させる魔典へと。

『ARMS-01《ヴォルスパー》――顕現リアライズ!』
「〝うつろがみちるギンヌンガガプ〟ッ!!」

《ヴォルスパー》はその場で剣の形へ展開し、異能を発揮した。この魔剣が斬り裂くのは空間そのもの。そしてそれは急速に修正され――疑似ブラックホールへと変化する。
 超重力の影響範囲には――夜見たちを追うセーレがいた。

『なっ!? ガァァアアアアアアアアアアアァァァッ!?』

 全開の推力を発揮して、どうにか飲み込まれる事は防いだものの、致命的に機動を乱す。

『夜見ちゃん! ジュラヴリカちゃん! やって!』

 地上のセイタンから、くららの声が放たれる。







「ったく、よくもか弱いろりをこき使ってくれるものよ、くららちゃんめ――決めるぞ、ジュラヴリカ」
『了解!』

 地上からの要請に応じる二人。
 しかし、彼女らはセーレに背を向けて飛行している。
 彼女らに後方へ攻撃する手段など――

『……っ!?』

 超重力の影響で激震する機体を立て直しつつあるカリオペが、目前の光景を見て戦慄する。
 ――カリオペとアイザックは、彼らの敵が〝その機動マニューバ〟をできると考えて然るべきだったのだろう。超音速の領域で立首機動コブラをやってのけたこの二人であれば。
 奇しくもそれは、遥か古代、ジュラーヴリクの渾名で恐れられた戦闘機の代名詞とされる機動であった。
 コブラの発展系。
 高速飛行しながら〝その場で一回転する〟という、常識外れの神業。

『――クルビット……っ!?』

 竜の首が、セーレへと向けられた。

(生まれた時から落伍者なんて……あたしには、耳慣れた言葉よ)

 ジュラヴリカは、迫るセーレへ向けて言葉を投げ打つ。

(でも、もうあたしは飛び上がる事にする。空に連れていきたい友達がいるから――)

 魔力が集束される。
 水晶状の鱗によって周囲の光を取り込み、地精の磁気と火精の熱量を用いて加速と加熱を行い放射する一撃。その莫大な熱量に晒される肉体は、水精と金精の加護で防御する。
 竜種固有のスキル、竜吼砲。白銀竜の肉と霊の力を全て傾注した一吼え。
 ――フォトン・ブレス。
 こあぁああぁ――ッ!
 ジュラヴリカとセーレの擦れ違う一瞬、彼女の口腔から生じた一条の光線が敵機を射貫いた。

『づぁぁあああああああああッ!?』

 悲鳴を上げ、煙を噴きながら高度を下げていくセーレ。

『グ……っ!』

 屈辱と苦悶のうめきを上げて、アイザックがどうにか操縦を立て直し――遠ざかって行く。
 相手はこの場の敗北を認め、逃走しようとしていた。

「逃がすか!」

 夜見は獰猛に叫び、ミサイルの生成を開始する。
 が。

『――待て、夜見』

 地上から、念話を介して彼女の兄がそれを制止した。

『今回は、ここまででいい』
「いいわけあるか! 敵は殺せる時に殺しておかねば、後の遺恨に――」

 食ってかかる夜見に、

『分かっている』

 日雨は、重い口調で告げた。

『そなたはどんな決断も〝必要だから〟している事は。――次奴らがやって来た時は、余とくららがやる。だから……そなたには、最後の一線を越えてほしくはない。その力がある事を理由に、したくない事を無理にして欲しくはない。これは、余のわがままだ』
「……ぐ」

 兄の痛切な懇願に、彼女は反論を封じられた。
 彼女の相棒もまた、おずおずと言う。

『あ、あの、あたしも……あんたに、それはやって欲しくない……』

 ジュラヴリカにまで止められて、夜見は顔をしかめて懊悩し――

「……帰投するぞ、ジュラヴリカ」

 溜まっていた力ごと吐き出すようなため息をした後、手元の鱗をぽん、と叩いて言った。

『うん』

 ジュラヴリカは反転し、故国の雪原へと進路を取った。



[40176] エピローグ:Go WEST
Name: 八目又臣◆aa87a973 ID:17b043ce
Date: 2014/11/09 19:26
 竜の巷から十数キロも離れれば、再び寒波が顔を覗かせ始める。

「こうなると、シヴィル・シーチで頂いた野営の道具は随分とありがたいですね。寝袋も毛皮の内張りが縫い付けられております」

 竜の曳く幌付きの荷台の中身を点検しつつ、だきにが言う。出立に際して餞別として貰った竜車は、輓竜ばんりゅう二頭の質も高く荷台も寝床として使える程に広い。彼女の言う通り、冬営に慣れたシヴィル・コサックの提供する装備は極寒のジラント皇国領を西進するのに必要なものばかりだった。
 人に馴れないこの国の竜も、ジュラヴリカの言う事なら聞く。

「まさか、自分の孫で一国のお姫様を、こんな無鉄砲な旅に放り込むなんて……ほんと適当な人だなぁ、リューリクさん」

 外に出て、荷台に座りっぱなしで凝った身体をほぐしながらくららが呟く。ジュラヴリカを送り出した時のリューリクの物言いを思い出していた。
 ――ちぃとジュラヴリカの面倒見ててサボってたがよ、俺にもやるコトがあんだよ。コイツがめでたく独り立ちできそうで、よーやくソイツに取りかかれらぁな。
 ――っつーワケで、〝よろしく頼むぜ〟坊主。
 などと。

「まぁ、意外と肩書きはエラそうな面子が揃っておりますからね。貴女も位負けはしていないですよ、くらら様」
「……いや、そういう心配はしてませんから」
「えっ……新入りを相手に女のドロドロした骨肉の争いは繰り広げないのですか」
「繰り広げません。どこの昼ドラですか」

 じと目でだきにを睨みながら釘を刺すと、彼女は特に悔しげでもない無表情で「それは残念」とコメントする。

「しかし、そう余裕ぶっていてよろしいのでしょうか」
「……?」

 思わせぶりな発言に首を傾げると、彼女は荷台の片隅に置かれた諸々の道具に目をやる。
 そのラインナップは、防寒着や寝具、火打石、洗面用具などの実用品。ジュラヴリカの衣類。彼女の趣味に合わせたフリフリのロリータ物……と、なぜか、明らかに他人のものである年代物のドレス。それと箪笥。

「ん?」

 よく見てみると、妙に古くて高そうな品物が多い。宝石をあしらった懐剣、指輪や腕輪、ネックレスなどのアクセサリー、アンティークものの食器、茶器……
 既に、嫌な予感がし始めていた。

「この道具……誰が持ち込んだんですか?」
「リューリク氏ですね。いわく、「本国にはもっと由緒正しいモンがあったんだけどよー、手持ちのはこれくらいだわ。昔、娘がさばける時に渡したヤツだ。取っといてくれ」だそうで」
「……ええと」

 喉から出かかっている、明白な言葉。口にするのはどうしても躊躇われたが。
 だきには全く遠慮しなかった。

「嫁入り道具ですね」

 あっさりと解答を述べる彼女に、くららは冷や汗をかき始めた。

「……よろしく頼む、って日雨くんにやたら念を押してたけど」
「サシチザーニイの戦利品にジュラヴリカ様の身柄も賭けられてましたからね。あの脳筋おやじの思考回路からすれば、彼に勝利した日雨様に孫娘をくれてやるのは至極当然の成り行きなのでしょう――思わぬライバル登場ですね、くらら様」
「えぇぇぇ……」
「昼ドラ的女の抗争は?」
「しません! ……しませんけども」

 疲労感にがっくりと膝をつくくららに、だきには告げた。

「心こそ、心惑わす心なれ。心に心、心許すな――貴女はその豊かな胸囲ゆえに心に驕りを許しました。その慢心、高くつくと知りなさい」
「ハーミットさんがドヤ顔で吐いた決めゼリフを変なアレンジしてパクらないで下さい! 可哀想だと思わないんですか!」

 くららもいい加減言いたい放題である。

「……別に、明白に日雨くんとジュラヴリカちゃんに言い含めたわけじゃないんですし」
「まぁ、あのリューリク氏の事ですし、無駄に手の込んだジョークという可能性もありますが……彼の現状を見ると、どう転ぶか分かりませんよ」

 と、だきには雪原の一画を目で示した。
 日雨が火に晒した土鍋を見守っている。今回、なぜか彼が炊事を買って出たのだ。

「っていうか、料理できたんだ、日雨くん」

 シヴィル・シーチで食べた蕎麦も彼の手製だったらしい。つくづく自ら王子要素を削っていく男である。

「えっと……何を作ってるの?」

 くららが近寄って声をかけると、彼は向き直って「うむ」と力一杯頷いて、

「赤飯を炊いておる」
「……なんで?」

 問いかけると、日雨は空を振り仰いで遠い目をした。なんだか、無駄に慈愛に満ちた顔つきである。

「分かるであろう、くららよ」

 と、前置きして彼は一言。

「夜見が、友達を作った」

 言うなれば、古強者の猟師が数十年狙い続けた、山の主と称される大羆を仕留めた時――のような重苦しい感動を湛えた声である。

「あの偏屈極まりない妹が、自発的に友を得るとは……亡き母上もお喜びであろう。今となっては唯一の肉親である余が、これを祝わんでどうする」
「あ、うん……すごい喜んでるのは伝わってくるけど……夜見ちゃん的には馬鹿にされてる気分だろうなー」

 当人は至って真面目にやっているようなので、後半は聞こえないようぼそりと言った。
 日雨は空へ視線を固定したまま独白する。

「ジュラヴリカ殿か。リューリク殿も、夜見との友誼から御愛孫を預けられたのだろう。兄としては全力で世話をせねばなるまい、お守りせねばなるまい」

 丸っきり見当違いの理由であるが――彼は燃えていた。

「なんか、成り行き次第でコロっといってしまう感じですよね」
「……うぅ」

 背後から針でつつくように言ってくるだきにに、くららは頭を抱える。

「やりましょうよ、泥沼のキャットファイト」
「けしかけないで! やりませんから!」
「ちなみに、お嬢様は本来的な意味ではお赤飯はまだです」
「下世話な下ネタもいりません!」

 悪魔のささやきめいてきた言葉に、くららは耳を塞いだ。
 彼女をからかうだけからかって満足したのか(はた迷惑な)、だきにもまた昼食の調理に取りかかる。主菜や汁物を作ろうというのだろう。
 シヴィル・シーチで買い込んだのか、長熨斗やら鰹節やらするめやら、無駄に意味深長なラインナップだ。

「結納か!」

 つっこむ。

「なんか、今日はやたら絡んできますねだきにさん……もしかして、夜見ちゃんに友達ができてさみしいんですか?」
「……そんな事はありません」

 言葉にも表情がない彼女であるが、その後は無言で調理を始める。
 性狷介にして自ら恃む所すこぶる厚い幼女が友達を作ったという大事件は、どうも旅の一行に色んな意味で影響しているようだったが。
 そして、当の二人は。

「……なんであの二人、喧嘩してるんですか?」

 更に離れた雪原の一画で、黒髪和服幼女と銀髪白ロリ幼女がにらみ合い、言い争っている。ぎゃあぎゃあと甲高い声の応酬が耳に痛い。

「戦いの後、帰参した所で一悶着ありまして」

 だきにが横目に彼女らの喧嘩を見て、そう言った。

「くらら様はどうやらお忘れのようですが、安全運転とは程遠い空中戦を繰り広げたあのお嬢様は、本来――全ての乗り物に拒否反応を示す、ド貧弱な三半規管の持ち主です」
「…………………………あ~」

 納得した。

「し、ししし信じらんない信じらんないぃ~! 人の頭にゲロぶちまけるなんてぇ~!」
「仕方ないじゃろうが! 色々限界だったんじゃ! そもそもわらわとてあんな不様をさらしとうなかったわ! 貴様の乗り心地があんま良くないのが悪いのじゃ!」
「ひっ、人のせいにすんなぁ~!」

 ぎゃあぎゃあぎゃあぎゃあ……

「それと――竜の巨体に戻れば、必然的に着ていた服は破けるわけで。離宮に着陸したジュラヴリカ様が人型の裸をさらした時、お嬢様は見たくないものを見てしまったようです」

 と、だきにが続けて補足する。

「っちゅーか、貴様の肉体年齢八歳くらいとかゆーとったじゃろーが!」
「だ、だからなによぉ」
「なんでけっこう膨らんどるのじゃあああああああああああっ!」
「べっ、別にいいでしょぉ~! じじいの身体見れば分かるじゃない! ウチの一族は男女共にデカいのよ! 色んな意味で! む、むしろあたしが圧倒的にドベなんだから! ひがんでんじゃないわよぉこのつるぺたイカ!」
「ひっ、僻んでなぞおらんわこの水太りくらげ!」
「ふ、太……!?」
「引きこもり生活で蓄えた脂肪を胸に盛ったが如きで、調子に乗るでないわー!」
「ぴきぃ――――――――――――っ!」
「何度でもやっちゃるわこら――――!」

 とうとう雪原をリングに、三度目のマウントを取り合う幼女二人。泥沼のキャットファイトである。

「……まぁ、あれも一つの友情の形、なのかなぁ」

 くららは、なんかもうどうでもいいやという顔で呟いた。







「……ったく、暢気な連中だぜ」

 ジラント皇国から人界へ至る山脈の頂上で、視力を最大望遠にして五人の様子を伺っていたリューリクがひとりごちる。
 旅の仲間が一人増えた事に慌てふためくばかりで、行く手に待ち受けるものについて、今は考えもしていない。

「ま……そういうのも、強さの一つの形じゃあるんだがな」

 と、
 彼の身体のどこかから、演歌が流れ始める。「潮来笠」である。

「っとと」

 リューリクは衣服をまさぐり、荷物を引っ繰り返して音の出所を探す。滅多にかからないものだから、つい在処を忘れてしまう。
 ようやくバッグの底にしまっていたのを取り出した。
 スマートフォンである。
 しつこく鳴り続ける着信音に、彼は特に焦りもせず通話ボタンを押した。この御時世で電話をかけられるような存在はロクにおらず、またリューリクへ頻繁に連絡を取ろうとする者など一人しかいない。

「よー、息子」

 挨拶もそこそこに目的の質問をしてきたイヴァン・ジランタウに、「うるせえなぁ」と言い返して、

「そーだよ。ジュラヴリカは例の連中につけた」

 答えた途端、遥か彼方で遠雷が鳴った。

「……いい加減過保護やめろよな。旧世界には、可愛い子には旅をさせろって諺があんだよ。あいつは今日、他人に必要とされるようになったんだ。もう俺が何から何まで面倒見てやるこたぁねぇ」

 言い立てると、反論が帰ってくる。

「そりゃあ、命懸けの旅にはなるだろうさ……だが、アイツが人界の覇王となる人間と同行するのは、今後の竜族の未来に関わる事だ。八代目、これは親の情で判断していい話じゃねぇ」

 次のイヴァンの返答は、重石を貼り付けたような響きであった。

「ああ、そうだ。俺の意見は変わらん。――俺は、ジュラヴリカを九代目竜皇ツァーリにする」

 答えると、しばしの沈黙の後、一言だけ告げられて通話は切断された。息子の特異能力ゆえの通信なので、こちらから発信する事はできない。
 沈黙する画面を見下ろして、リューリクは苦笑いした。

「こりゃあ、また親子喧嘩をするしかねぇかもなー」

 つぶやいて、またバッグの中にスマートフォンを戻そうとした時。
 再び着信が鳴った。曲は「花街の母」
 しばし鳴り続ける電話を眺め、思案した後にリューリクは通話ボタンを押した。

「――はい」







 朦朧とした意識の中で、女が一人背を向けている姿を見る。
 随分と〝様変わり〟はしていても、忘れがたい。忘れようのない仕草がそこかしこに現れている。この男を捕えて、決して逃してはくれない呪いの魔女。
 かつてはその呪いに、幸福すら見出していた……
 全てが虚構と思い知らされた日は――ああ、もう十六年も経っている――それでも忘れられない――あの、全てを奪われた日を――

「うん、ご苦労さん……じゃあ、またね、陸番ろくばん

 女は、そう相手に告げて通話を切った。端末を懐に入れて、薄笑いを浮かべる。

「またぞろ悪巧みかよ、えぇ?」

 羅虚虎は、皮肉を顔に貼り付けた笑みでエルザ・フランケンシュタインに声を掛ける。肉体の状況を確認。薬を使われたのか、感覚がやたらと鈍い。その上首が固定されていて胴体以下を目視できない。四肢を切り刻まれていてもおかしくはない状況だが、それならそれで死ぬだけの事だ。そうでなければ、手を尽くして脱出する。本当に、ただそれだけの事。
 思考の最中に、女が近寄ってくる。その背景――白い壁。病院?

「いくらキミでも、まだ動けないよ羅。全身麻酔かけて、このボクの腕でも二時間たっぷりかかった大手術をやった直後だからね」
「ぞっとしねぇ話だな……これから脳ミソを改造する所かね?」
「あは。その前に脱出できたら正義のヒーロー一直線だ。――あまり邪険にしないで欲しいな」

 エルザは羅の視界の外で、彼の肉体に軽く手を添えた。位置的には、彼の右腕であろうか。

「軽く八割は死んでたキミを、ボクの保有する再生医療と魔術の粋を尽くして元の身体に戻してあげたんだから」
「……まだ、俺には利用価値があるって事か」

 つぶやくと、一瞬だけ彼女は顔を翳らせた。静かに問うてくる。

「……まだ、わたしが憎い? ――マシュリク」
「消えるような憎悪か、あれが――」

 怒鳴りつけようとすれば、肺が萎縮した。声は力無くかすれる。
 しかし、意思は伝わったはずだ。――それで、殊勝になるような女では決してないが。

「ああ……ならばお前はまだ、わたしのものだ」

 淫蕩を極め、ある種の神性にまで昇華した女神の如き表情を浮かべて、今はエルザ・フランケンシュタインを名乗る女が告げる。

「そうやって、全てを思い通りに操った気になってろよ。間抜けな、人形遣いの人形め」

 せめてもの抵抗に言うと、彼女はくつくつと嗤う。

「その、人形遣いの人形に手繰られた男の台詞かな?」

 返ってくる皮肉に羅は舌打ちする。彼女が、二年前の事を言っているのは明らかだった。

「……なぜ、〝てめぇの作った国〟を俺に滅ぼさせた」

 それは、この男にとっても屈辱の記憶だった。憎悪に目が眩み、彼女の思惑通りにあの国を崩壊させた。
 真実を知った後、彼女を追い続けて……レフ・カルピンスキ暗殺の仕事を請け負った折に、ようやく尻尾を掴んだ。
 その事もまた、彼女の弄した策の一部なのだろうが。
 おかげで、妙な餓鬼とまた関わり合いになってしまった。

「壊した玩具から、たまたま転がり出ただけの餓鬼に何故かかずらっている」
「それは……罪悪感から来る台詞?」

 ずるり、と。曲がった刃のような言葉を突きつけてくる彼女。

「……ざけんな」

 目を逸らして吐き捨てると、くつくつと笑い声が耳にへばりついてきた。
 それは段々、段々と高い哄笑になっていく。

「わたしを探ろうとするなよ。お前は、偶然あの子供だけが逃げ延びたと思っているわけではあるまい。落ち延びた先で、セイタンなどという危険な凶器を手に入れたあの子を……だからモクレントレイで、彼を始末しようとした」

 身動きの取れない今、その物言いからは、大蛇に絡め取られ締め付けられているような気分を催す。

「お前はこう思っている……もしや、〝あの子供こそが〟、わたしが秋津洲国を滅ぼした理由なのではないかと」
「……人間を軽んじている、てめぇららしいやり口だ」
「それは……心外だけれどね」

 彼女は短く、感情を読ませない口調でそう告げる。
 対する羅は、己でも自虐的になる程に分かりやすかった。

「てめぇは、ガキだろうが国だろうが、自ら作った物にも情を移さない女だろうが。始馭天下之比売命」
「……わたしの思惑が、お前の予想通りだったとして、ならばどうする? 次の殺しの標的をあの子に変える?」
「それも……考慮の内だ」
「できない事をうそぶくなよ。笑えてくる」
「……何だと?」
「お前は、殺せなかった。あの子を。ならばこの先もそうだ」
「舐めるな――」

 喉の張り裂ける程に怒号を叫ぼうとした所で、彼女が羅の胸に触れた。
 再生した右腕を覗けば、男はその経歴を示すように無数の傷跡が刻まれている。彼女は、それを愛おしむように撫でた。

「お前は、いい子だ……とうの昔に飽いた、古い玩具を壊してくれた」

 女の紫紺の瞳の更に奥には、闇が巣くっていた。生暖かく、形を持ち、流動し、人を絡め取る邪悪なものが。

「あの子も、いい子だ」
「てめぇは――あのガキにも、何かを壊させようというのか?」
「わたしが、じゃないよ」

 彼女の目が、震えた。そこに含まれる雑多な感情を探る――歓喜、官能、愉悦――
 恐怖?

「セイタンは、世界の破壊者だ。彼女を手にしたあの子は……いずれ、思い知る事だろう」

 傷跡から指を離し、数歩後ずさって彼女は言った。

「マシュリク」
「……その名で呼ぶんじゃねぇ」
「ならば、羅虚虎。覚えておきなさい。秋津洲国の崩壊は始まりに過ぎない。彼女が再びこの世に現れた以上、更に、更に。この惑星のあらゆるものが破壊される。まずは、弱ったものから。――まぁ、それも〝彼〟次第ではあるけれど」
「……何を、言っている?」
「なァに」

 古代より永きを生きる魔女は、呪詛を形にしたような笑みを浮かべて羅を――その横たわるベッドを指差した。

「この間までそこにいた男の話さ」







 連合王国が一翼、ノーサンブリア州国首都モロノエでは国費を湯水の如く投じたパレードが催されていた。
 催しの主題は、戴冠式。王権の証たる機傀悪魔の所有権が各国の王子に移譲され、世代交代の準備が進められてきたこの折、最初に王位の交代が行われるのだ。
 その栄誉に浴するのは、アイザック・キャベンディッシュ・ノーサンブリア。

「クソ、クソ、クソッ!!」

 しかし人生の絶頂とも言えるこの日、当の彼自身は癇癪を炸裂させていた。宮殿のバルコニーに通じる通路の中で、交響楽団が演奏するエルガーの「希望と栄光の国」に紛れて、毒気を口からバラ撒いている。

「貴様のせいだぞ、カリオペ! あの時負けさえしなければ、全てが上手くいっていた……!」

 顔を引きつらせ、震える指をブルードレスの少女に向ける。
 糾弾されるカリオペは、浴びる程の屈辱に苛まれた後の荒れた表情でそれに応じる。

「いずれ……雪辱は果たしますわ」
「それでは遅い! 負けてはならなかったのだ! 王権を握り、更に上を目指すこの時に……!」

 この日先王となる義父アルフォンスは、敗走して逃げ帰った義理の息子へ、失望を隠そうともしなかった。
 誰よりも先んじて自分が王位につき、残り六州国にノーサンブリアの世代交代が先んじていると示すべし、と説き伏せ、半年以上前から詰めていた戴冠の義の中止すら仄めかしたのだ。
 元より血の繋がっていない、手駒で最も優れた〝ハイ・ヒューマン〟であるというだけで結ばれた親子関係だ。こちらが弱味を見せれば見限る事に寸毫も躊躇いはすまい。
 高位竜種と比べても性能は隔絶しているはずの機傀悪魔を駆っておきながら、ただ一匹の竜に敗北したアイザックの評価は地に落ちたのだ。一時的に王位につこうが安心などできない。貴族院の重鎮に結託されれば、玉座の所有権などあっという間に右から左へ流れていく。

「此度の戴冠式が強行されたのは、ワタクシの進言あっての事ですのよ?」

 言い訳めいた事を抜かしてくるカリオペに、苛立たしげな一瞥だけ向けるアイザック。この女とて同じだ。先刻明言される以前より、代わりがいればあっさりそちらに鞍替えするつもりである事は承知していた。
 女の悪癖を体現したような尻軽ぶりなのだ! 機傀悪魔という魔女どもは!

(王権のある内に、即刻対処せねばなるまい……貴族院の老人どもを引き摺り下ろし、私を脅かす力を持ったハイ・ヒューマンも放逐する。……この際、殺してしまっても構わん)

 保身を是とする彼の思考は、末期的な専制君主の典型的なそれに変化を始めていた。

(……その為にも、今は権勢を確かとしなければ)

 平民に権威を誇示して、その支持を得る。移り気でものの見えない衆愚に媚びを売るなど噴飯物ではあったが、背に腹は替えられない。
 特にこの戴冠式は、その道への橋頭堡となる。決して失敗する訳にはいかない。

「貴様にも協力して貰うぞ、カリオペ。よもや、嫌とは言うまいな」
「……ええ」

 不承不承と、彼女は頷いた。







「国民の諸君!」

 バルコニーに出て、前庭に集う人々を前に語りかけるアイザック。その声は朗々と通り、将校教育の鋳型にぴたりとはまったような堂々とした立ち姿に一部の貴婦人は陶然とすらしていた。彼はこの手の仕事をさせれば十分以上の有能さを示すと、カリオペも認めている。
 宮殿の中庭に呼び集められたのは、下級貴族と平民の富裕層、知識人が半々といった所。賓客と呼ぶべき大貴族たちは屋内のサロンで酒宴やらティーパーティを楽しんでいる。
 これだけでも露骨に過ぎる区別だが、そもそも労働者の類は彼の政治感覚において眼中にすら入っていない。まるで旧世界の中世時代だ。しかしそれが――連合王国という歪な寄合所帯のよすがでもある。

「先王アルフォンス陛下の禅譲を受け、私アイザック・キャベンディッシュ・ノーサンブリアが今日より諸君らのさきがけとなる! これは言葉通りの意味だ! 私はノーサンブリアの、ひいては七州国の誰よりも戦陣に立つ覚悟で、この座に着いた!
 私はどのような犠牲を払おうともこの連なるしまを守るだろう! あらゆる海岸で、水際で、野で、街頭で、丘陵で戦う! 決して降伏はしない!」

 雄々しく、彼は言い放った。
 気前よく敢闘精神を謳う彼の意図を察し、カリオペの身に緊張が走る。

「そう! 我らに長年苦杯を呑ませてきたかの〝第四帝国〟〝無形なる国家〟への復仇を私は誓おう! 七国の力を結束し事に当たれば、決してかの悪の枢軸の打倒は不可能ではない! そして我らはこの星の正統後継者たるを示し、大陸を竜と、蛮族どもから奪還する! 真の主が留守の間に屋敷に潜り込んだ鼠どもは、断じて駆除されねばなるまい! 旧世界の文明を受け継ぎ、知性と貴顕において誰に劣る事もない我らは今日まで狭き島へ閉じ込められてきた……その屈辱を晴らす時が来たのだ!」

 聴衆のざわめきは波のように伝い、瞬く間に増殖を始めた。
 歓声が上がる。

「そう、我らは再び〝大英帝国〟の名を取り戻そう! 輝ける時代へ! 栄光の千年王国へ! その力は、私の手の中に――」

 潮目を読んで、アイザックはセーレのエンゲージ・コードを唱えた。嵐が渦巻き、宮殿の上空に蒼の航空騎兵が出現する。
 カリオペはアイザックをコックピットに収容し、光学センサーで眼下の聴衆を目視する。その表情は恐怖の色が濃い。機傀悪魔の存在は極力秘匿されてきて、一部の高級貴族、あるいは竜種と戦う最前線の軍人くらいしか彼女らの姿を見た事がない。
 あくまで、人類への干渉は必要最小限に留める。カタ・コスモーン機構の機傀悪魔に共通のルールから逸脱する行為だ――だが、背に腹は替えられない。マモン亡き今、主機を抱える外の国家と対等にやり合うには連合王国そのものをまとめ上げる力が必要だ。
 とは言え……

『少し……大きく出すぎではなくて?』

 と、カリオペは問う。アイザックの宣言は、確かにこの狭い島の連なりに長年汲々としてきた連合王国の民の悲願、あるいは共通の妄想である。
 しかし、実現するかは別だ。マモンがいた時代ですら、この国はその実現に至る無数の障壁を、一つ二つの時点で足踏みしていた。

「リップサービスだよ、カリオペ。急場をしのぐには丁度良い美辞麗句だ。馬鹿な連中が期待外れと喚く頃には、私は王位を不動のものにしているだろう」

 言い淀む事なく、あっさりと彼はカリオペの懸念をぬぐい去る。

『……そう、ですの』

 確かに、無謀な妄想に準じるよりは、そのリアリズムに同意する所だが――こんな台詞を臆面なく言い捨てる厚顔無恥さには、嫌悪感を覚えずにはいられない。

「そも、君にそう責められる筋合いはない。私の方針を消極的と蔑み、敗北したのは誰だ?」

 演説の反応に気を良くしてか、多少余裕めかした口調。しかし言葉からは自分の責任を省き、カリオペのみを糾弾する卑劣さがあった。

『……申し訳ありません』

 しかし、反論の言葉をカリオペは飲み込む。こちらに優勢の戦いで敗北したのは確か。それに、今の所彼が最も優れた機傀悪魔の媒介者である事には異論がない。
 利用し、利用される。合理のみが互いを繋ぐ糸。その糸でくくられた操り人形。
 それが、機傀悪魔と媒介者の関係だ。それ以外の何かになるなどありえない。

「……フン」

 優越感を湛えた笑みを浮かべ、アイザックは聴衆を見下ろす事に専念する。
 外部に音声を出力して、演説を再開。いささかケチはついたものの、成功しつつある晴れ舞台の出来映えに、彼の口調は蕩け始めていた。

『これがその力! 鉄騎兵を遥かに凌ぐ機傀悪魔デクスマキナである! このノーサンブリアで、私だけがその担い手なのだ! 民よ、我が奮戦に続きたまえ! このセーレの飛翔の跡には、栄光の道ができている!』

 おぉおおおおおおおおおお――!
 歓声を上げる観衆たちに、アイザックは性的な快楽すら覚えていた。

(ふ、ふふふ。ふははは……ああ、果てる、果てる……イ、く)
『私こそが連合王国の導き手! そう、私だ、あの落ち零れのルーラッハではなく――』

 ただ、一刹那。
 それだけだった――最も感覚の鋭敏なるカリオペですら、彼女の頭上を取る膨大な魔力の嵐を感知し、
 その存在が攻撃に移るまでの間は。
 致死の銃弾が無数に降り注いだ。
 口径五十ミリ、三キログラムの魔力付与弾頭は、その弾道に塵一つの存在すら許さない。直撃を受けたセーレは虫食いの如く装甲を削り取られていく。

『がっ、あがっ!? ひ、ひぃぃいいいいいいいいいいいッ!?』

 肉片をペンチで抉り取られる拷問にも似た銃撃に、カリオペは悲鳴を上げる。
 銃声は途切れない。無限の鉄量を、敵が屈してもなお叩き付けてくる。

「あ――ピ」

 とうとう装甲を貫通しコックピットに侵入した弾丸を受け、アイザックが肉片と散る。
 この圧倒的な力は、傲慢なる闘法は、慈悲の欠片もない連射は――覚えがある!

『あ、アァ――ま、サカ! 生ぎテいだぁぁあああああああああッ!!』

 制御系に耐えきれぬエラーが流入し、濁った声でカリオペは叫ぶ。刻一刻と消え失せる存在、しかし逆に満ちていく恐怖。
 疎ましかった、気に食わなかった――何より、恐ろしかった!

『ァ、ひ……』

 残滓の思考を恐怖に染めて、カリオペはその機能を停止した。
 粉々に打ち砕かれた青の破片の奥から現れる――真紅の機兵。
 強欲の機傀悪魔、マモン。








 獲物を仕留め、愉悦の唸りを上げて左腕のガトリング・カノンが停止する。

『〝僚機〟撃破。完全沈黙』

 そう冷酷にコックピットへ告げる、鈴の鳴るような可憐な声。

「……ふん」

 それを受けて、つまらなそうに鼻を鳴らす男。元の金髪を、デモナイズの影響で炎の色に染めた美丈夫。軍礼服の上に赤いマントを羽織り、酷薄な表情を常にその美貌に浮かべている。しかしその美しさは、右半分が黒い布で覆い隠されていた。
 髪に触れる耳は、常人よりも長い異形の形をしている。

『コックピットのみを狙えばよろしかったのでは? セーレはいささか反抗的ではあるものの、使える駒でした』
「一度決定的に敵対すれば、そんな評価に意味はない。断じて叩き潰すべきだ」

 ルーラッハ・ガルガンティン・マーシアは、残骸に成り果てたセーレに興味を持たなかった。ましてや、元はアイザックであった血煙になど。

「それに、主機が健在であれば眷属機の再生は可能と言ったのはお前だ、ガラテイア」
『確かに……しかし、人格は元より、戦闘経験も初期化されます。戦力の減退は避け得ません』

 可憐な少女の声の主――マモンの応現体、ガラテイアは不満含みで告げる。

「構わん。他の姉妹で穴埋めしろ」
『了解』

 彼女はあっさりと、ルーラッハの命令に従った。提言はしつつも、情の欠片も散っていったカリオペには向けていなかった。

「どちらにせよ、〝この国は終わりだ〟。アイザック・キャベンディッシュを取り込む余地は無かっただろう」

 あの〝VV〟時代の級友とでも呼ぶべき間柄であったが、さして懇意にしていた訳でもない。むしろ、入寮時には徹底的に苛め抜いてくれた男だ。
 そういう意味では復讐を果たした事になるのだろうが、ルーラッハの気分は、アイザックが恥知らずにも口にしたように、留守中に自室にもぐりこんだ鼠を叩き潰した程度のものだった。

「チャーチルの剽窃ひょうせつをするのは結構だが、保身に長けた男の獅子吼など滑稽なだけだな――本気でやるなら、行動に移した後に口上を述べるのが実際的というものだろうよ、アイザック」

 ――このように、な。
 そう告げて、ルーラッハは眼下の光景を見下ろす。
 マモンの銃撃の流れ弾を受けて、宮殿の前庭は動く物すら無くなっていた。ほぼ全ての人間が原型を留めない肉塊と変わり果てている。
 まるで台風の目のように、その周囲ばかりが騒然とし始めていた。城内を警護していた機動甲冑部隊が集結し、こちらへ銃撃を加えていた。
 痒い、とも感じない貧相な銃弾にガラテイアの侮蔑の気配がする。
 ルーラッハは機体を操作し、更に高度を上げた。
 マモンの背から生えたシリンダーが回転し、中に装填された術式封入弾頭を機体の内に打ち込む。膨れあがった魔力を糧に、マモンの手元に二器の神器が出現した。

『《ガーンディーヴァ》、《ヴァジュラ》、顕現リアライズ

 召喚された一張の弓に、黄金色の七鈷杵をつがえて引く――白雷が弦の如く両者を繋ぎ、獰猛な力を充填する。
 ルーラッハが、開放の呪言を口にした。

「〝再臨/大魔殺ヴリトラハン・サンサーラ〟」

 解き放たれた雷箭は目視不可の速度で地表に着弾し、炸裂する。
 白光が宮殿を染め上げ――
 それが晴れた時、宮殿を含めて御所の敷地のほぼ全てが更地と化していた。先王アルフォンス以下、ノーサンブリアの重鎮は塵すら残さず消え果てたのだ。

『数分で州軍本隊がノーサンブリアを包囲するでしょう。首脳陣を潰した以上、降伏勧告に応じる可能性は高いかと。我らの仕事は終わりました』
「ああ。……帰投するぞ、ガラテイア」

 今しがた行った破壊の規模に比して、ルーラッハの情動には微かな変化しか見出せない。

『……物足りないのですか、マスター』

 察し、問いかけるガラテイアに、彼の表情は引き攣れた。

「足りない」
『……近日中に、残り五州も貴方の隷下れいかに入るでしょう』
「それでも、足りない、足りない、足りない、足りない、足りない、足りない、足りない、足りない、足りない、足りない、足りない、足りない、足りない、足りない、足りない、足りない、足りない、足りない、足りない、足りない、足りない、足りない、足りない、足りない、足りない、足りない、足りない、足りない、足りない、足りない」

 奪った事で、更に餓えたかのように彼は渇望を唱え続ける。
 がり、と黒い布で覆われた右半分の顔を掻く。がり、がり、がりと。眼球のある場所を抉る程に強く掻きむしる。
 内に充満した憎悪が、はち切れそうだった。アイザックのような小物に、いくら弾丸を叩き込んだ所で慰みにもならない。

「セイタン……シキシマ・ヒサメぇ……!!」

 あの男を、殺す。
 その日まで、このルーラッハ・ガルガンティンという弾丸が留まる事は決して無い。



[40176] 第四章「戦火群島〝H〟を目指せ!」 プロローグ
Name: 八目又臣◆aa87a973 ID:17b043ce
Date: 2015/02/06 18:32
 焼け落ちて、外壁をぼろぼろと崩していく城の有り様は、鱗の剥離にも似ていて。
 彼はそのおぞましさに嘔吐感を覚えた。
 自分の身から鱗が剥がれ落ちていくような喪失感も覚えていた。あの城は、この町は、彼が生涯をかけて奉仕した、彼の全て。
 ――……よ、クサンティア鴨は群れで飛ぶ時必ず東へ進むというそなたの話、真であったな。
 この後の全ての生を賭けて見守ると誓った人もまた、あの炎の中に。

(ああ……王子、王子……)

 折れた足を引きずりながら、炎の中に飛び込もうとする。灼けた喉を引きつらせながら、叫ぶ。

「オレステウス……殿下ァ……ッ!」

 その時、ゆらめく陽炎の中に、巨大な黒影を見た。
 ゆらりと蠢動する、青く煌めく単眼の位置は三パーチにも届く。
 甲冑を着込んだ巨人ギガース
 炎の中の影が挙動する。手の内の斧を振り上げ、人を薙ぎ払い、家屋を引き裂いていく。

「ああ……ああっ」

 守るべき民が焼け焦げた肉片として大地に転がる有り様を目撃して、彼は悲嘆に唇を歪ませる。
 行かなくては、あそこに、なんとしても――
 火傷を負った手に槍を握りしめ、彼は猛火の内の巨人へと這いずっていく。
 その瞬間、火炎をまとった突風が彼へと吹き寄せ、その意識は暗幕の内に閉ざされた。





「――オイオリュコス様?」

 唐突な声と、吹き込む潮気混じりの風で彼は目を覚ます。
 悪夢の影響を表情に出さぬよう苦心しながら――就寝中にうなされていたのなら、なんとも滑稽な努力を声の主に晒す羽目になるが――ゆったりと身を起こす。
 初夏の乾燥した潮風と、強い日差しが窓から侵入してくる。言葉を掛けてきたのは、ベッドの隣に佇む少壮の男のようだった。

(オイオリュコス?)

 未だ夢の登場人物の気分が抜けきらない彼は、それが数十年前より名乗っている名前である事を思い出しかねていた。
 しかし、それも微睡みが失せると耳に馴染んでくる。もう、かつての名と同じ程度の付き合いがある偽名だ。
 手の甲を見下ろしてみれば、火傷の跡は消え失せており、枯木のような皺を刻んでいた。まるで……

(まるで、別人の手だ)

 落胆を覚えて、胸の内でつぶやく、と。

「オイオリュコス様、」
「聞こえているよ、ドメニコス。朝食の用意ができたのだね? その前に、手水ちょうずの桶を持ってきてくれないか」
「は」

 既に現実の己の役柄を思い出した彼は、奉公人の名を呼んで指示を出した。麻のシャツを着込んだ浅黒い肌の男は、開け放たれたガラス戸からテラスへ出ると、水桶を手に戻って来る。この奉公人は、彼が食前に顔を洗うかは気分次第である事を心得ていた。
 水桶を抱く手は、己の枯れた手よりもかつての自分らしかった。隣町の貧乏な家から口減らしに奉公へ出されたのを買った男。
 ベッドサイドのテーブルへ水桶を置き、そのまま主人の面倒を見ようとした奉公人を彼は手を上げて制する。

「いい。一人でやる。お前は戻っていなさい」

 は、と奉公人は頷いて立ち去っていく。彼は主について、必要な事を全て知っていた。主の懐深くに手を入れようとしたならば、自分が働き口を失ってしまう事も含めて。
 若い背中が扉の奥へ消えていくのを見送って――限界が来た。
 強い情動に苛まれて、彼は枯れた手で、胸を握り潰すように掴む。ぐぅうう、と脂汗を流して唸り声を上げる。眠りの中で見た情景が、脳裏で再生されていく。
 生まれ直したとすら言える程の時を経てもなお、未だなお、彼の過去は忘却を許してはくれない。

(記憶よ、もう私を苛むな……)

 眠れば悪夢の泥沼に浸かり、目覚めればその残滓を胸に活動する。
 この老人の一日は、常にそうしたものだった。





    //////





「うーむ、これは、このままでは走れんのぅ」

 竜車の底に潜り込んでいた少年は、外に出ると、背中の雪を払い落としてから周囲の仲間にそう告げた。
 十五、六程度の年若い見かけである。鳶色の髪と琥珀色の瞳からは、どこの生まれかの判別が付かない。生成りの木綿のシャツと小豆色の麻のズボンの上に、毛皮の内張をしたジャケットを羽織っている。今彼らのいる場所が北国の雪原である事を考えればなんとも軽装で、白く凍った息を吐いているが、格別に鈍感なのかのほほんとした表情には何ら影響が無い。

「……まだ、軽く十数里はジラント領内なのじゃぞ。よもや、このまま雪原を歩けという始末にはなるまいな」

 こちらはなんとも青ざめた顔で、小柄な黒髪の幼女が言う。黒い和服と雪駄姿で、こちらも上衣に毛皮のジャケットを羽織った上で、イヤーマフと手袋、マフラーと完全装備である。
 顔色の悪さは寒さよりも不安からか。その見かけは整った顔立ちも相まって雪女の子供じみていた。

「お嬢様、何を甘い事を言っているのです」

 その背後に幽鬼の如く立った金髪金眼の美女が言った。こちらは防寒着すら無く、白い和服姿であるが震え一つ催していない。
 なぜか無表情の瞳にうすらぼんやりした炎を灯し、竹刀を手にしている。

「我らの旅は一刻を争うもの。走るのです。昼夜問わず馬車馬の如く。あの夕日に向かって」

 今は朝である。

「その精神と肉体の挫滅するかの如き地獄マラソンの末に、お嬢様は輝かしい青春を手にしている事でしょう」
「いらんいらんいらん! そのようなおぞましいのを青春と呼ぶなら今後の十代で一度も体験しとうない! ――あだだだだっ! 尻を竹刀で叩くなぁっ!」

 鉄面皮のまま臀部を竹刀で殴打する金髪美女から涙目で逃げ惑う幼女。
 そして十数メートルも逃げぬ内に、彼女はべちゃっと転んだ。更に数秒の沈黙の後、憤怒の形相で立ち上がると足下の雪を掻き集め、雪玉にして金髪美女へと投げつける。長身で的の大きいはずの女は、ひょいひょいと身軽に雪玉を躱し続ける。

「それで、くららよ。お主の格好はなんなのだ?」

 その様子を呆れた面つきで眺めてから、少年は隣の少女へ問いかける。
 黒髪を三つ編みにまとめ、眼鏡をかけたセーラー服姿。オプションとして、学校指定のベージュ色のダッフルコートに赤いマフラーを巻き、ブラウンの手袋をはめている。足下はタイツ一枚では寒いのか、ややもじもじとさせていた。
 ここではないどこかで評するなら、典型的な文学少女の装いである。一部を除いて。
 彼女は、額に「今日はスポ根路線」と筆書きされたハチマキを巻き、手にやかんを持っていた。

「えっとね、だきにさんにやらされたんだけど……マネージャー役という事で」
「まね?」
「えへへー。わたしね、中学の時女バスのマネージャーやってたんだよー」

 にこにこと太平楽に語る彼女。少年に取っては耳慣れない単語であるが、その説明はしてくれないらしい。

「で、日雨くんお疲れさまっ。白湯どうぞ~」

 やかんから湯呑みにお湯を注いで、手渡してくる彼女――詩乃目くらら。
 少年、詞木島日雨はそれを「うむ。ありがとう」と受け取ろうとして、サスペンションの潤滑油で手が汚れている事に気付く。

「む……」

 油染みの手で、彼女の白い指に触れるのはなぜか気が引けた。足下の雪で洗い落としてから、受け取り直す。
 胃の腑に染み込むようなぬくさを覚えて、ほう、と息をつく。

「……ところで、ほんとにもう走れないの? この車」
「――いや」

 不安混じりの問いかけに応じる。

「滑走板……ええと、お主の言う所のスキー板が割れているのだ。無理をすれば走れるが、竜の疲労がきつい。進行速度は目に見えて遅くなるのぅ」

 竜車を引く二頭の白い毛皮の竜を見やる。軽地竜という分類の亜竜で、こうした運搬用の労働力に広く用いられる種だ。軽、という名称ながら体長は二メートルから十メートルと巨体で、馬力も相応――いや、霊子エーテルを活動に利用する魔導生物である竜種は、体格以上の力を発揮する。
 大陸全土に生息する精強なる生物、竜というだけはある。
 しかし彼らと言えども、疲弊という生物である以上当然の制約からは逃れられない。それは、竜車の車両のパーツが木材を用いて軽量化が図られている点を見れば言うまでもないだろう。――もっとも、その軽量化ゆえの故障ではあるのだが。
 どちらにせよ、破損して力の分散するようになった車を引いて、楽々という訳にはいかない。

「部品の交換……は無理にせよ、応急修理が必要だの」

 つまり、一行の旅程はここで一旦小休止、という訳である。
 大陸の東端から縁海を挟んだ向こうにある秋津州国あきずしまくに。その王子である詞木島日雨が故国の滅亡により大陸へ亡命して二年。彼と仲間たちは三ヶ月ほど前より大陸の西端にある海洋国家・ヘラスへと向かう旅をしていた。
 南海亜大陸の港湾都市・モクレントレイより始まり、中央部のバーブル帝国の地下坑道アガルタを抜け、今は北方の竜の国・ジラント皇国領内を西進して国境線付近に来ている。
 旧世界――詩乃目くららの生まれた時代の語彙で言えば、インドシナ半島からインドへ行き、北上してロシアからギリシアへ向かう所である。

 四千キロは優にある道程をたった一週間で走破した点(休息時間を除けばかつてのシベリア鉄道と大差無い速度である)はさすが竜、という所だが、先に車両の方が音を上げてしまった。
 残り数十キロでジラントの国境を越えるが、そこまでを繋ぐ分だけでも手当を行わねばならない。

「添え木を当てて……ううむ、アレがあれば楽なんだがのぅ」

 車両の中に入り込み、荷物を置いたスペースをまさぐる日雨(なお、女性陣の荷物は別の場所に配置してある)。

「アレ?」

 入り口際に立ち、首を傾げて問うくらら。

「うむ。隊商の竜車ならば必ず置いてあるものなのだが。なにせアレがあると無いでは修理の手間が段違いだしの。アレを積まぬと非常にアレがアレなのでアレらもアレするから、そやつらもアレと言わざるを得ぬので」

 ぽいぽいと、旅立ちの餞別のつもりで積み込まれた酒瓶(ジラントの強い酒は良い火種にはなったが)やらサイズの合わない防寒着やらを放り捨てつつ日雨はぼやく。――聞いててくららはめまいがしてきた。
 目的のものが用意されていないと悟ると、彼は腰に手を当て嘆息した。

「無い……となると、現地調達するしかないのぅ。少々面倒ではあるが」

 彼は亡命してからの二年間を、隊商の護衛を生業に生活してきたとくららは聞いている。その経験から、竜車の故障は初めてではない。つまりアレとは、修復に必要な材料の事なのだろうが……くららにはその正体が分からない。
 彼女が疑問符を頭上に浮かべるままでいる、と。
 くい。
 くららのコートの袖を引く、かすかな感触。
 振り返るとそこには誰の姿もなく、そして見下ろすと人形のように小さい銀色の頭がある。
 八歳ほどの幼女である――見かけの上は。

「ちょ、ちょっ……と~」

 どもりながらか細い声を上げてくる。この極寒の空の下でフリル付の白いドレス姿と、見ようによってはとてつもなくファッションに気合いを入れている子供と取れる。銀髪の巻き毛をヘッドドレスから零すように垂らし、瑠璃色の瞳を半月のようにじっとりした目つきに隠していた。小さな口から見える歯はぎざぎざと尖っており、頭部の両側面から角が生えている。
 そんな幼女が、猫背でくららにしがみつくようにしながら、何かを訴えかけていた。

「あ、れ。アレ~……」

 雪原の一画を指差している。どうにも指先がゆらゆらして、方角が定まっていないが。
 そこはかとなく真摯に意思を伝えようとする彼女の行為を、くららは全力で誤解した。

「日雨くん、なんかジュラヴリカちゃんが言いたい事あるみたいだよ」

 言うなり、足下の幼女が「ぴきっ!」と悲鳴を上げてくららの背後に隠れた。

「おお、ジュラヴリカ殿。いかがされた?」

 日雨の側からは雪原に映る影でしか判別できなくなった幼女、ジュラヴリカへ向けて彼は問いかける。
 数秒の沈黙を経てから、小さな指先がくららの身体からはみ出て、再び雪原の一画を指し示した。
 くららがそちらを見やり――ひくっ、と喉を引きつらせた。

「ど、動物の死体?」

 雪原を生々しい鮮血と臓物で溶かす、新鮮な野生動物の骸である。姿形、大きさからして水牛の類に見える。

「じ、ジュラヴリカちゃ~ん……お姉さん唐突なスプラッタはちょっと心臓に悪くて無理かなー……おちゃめな悪戯心はいいけど、もう少し難易度下げてくれると嬉しいなー……」

 頬をひくひくとさせながら、子泣き爺の如くしがみつくジュラヴリカへ猫なで声を上げるくらら。
 その背後の頭上から、

「おお、アレではないか!」

 日雨が歓声を上げた。車両から雪原に降り立ち、水牛の死体へ歩いて行こうとする。

「え、日雨くん、アレって……アレなの?」

 ジュラヴリカのように指差す気にもなれず、ぼやけた問いかけをする。
 彼は迷う事なく頷いた。

「うむ、アレだ。動物の骨や腱を湯で煮詰めるとアレが――にかわが取れる」
「にかわ? ええと、なんか聞いた覚えはあるけど……」
「――ぜらちんの事じゃ」

 雪合戦で完膚無きに敗北したのだろう、屈辱に満ちた顔つきで黒髪和服幼女――日雨の妹、詞木島夜見が会話に参加してくる。

「こらーげんを熱処理した接着剤じゃの。今代ではまだ一般的に利用されておる」

 彼女はくららが旧世界より持ち込んだ書籍、特に辞書については全文暗記すらしており、くららにも理解できる語彙に翻訳するのは容易な事だった。
 なるほど、と得心のいったくららが腕組み頷いていると、

「よく気がついてくれましたな、ジュラヴリカ殿」

 日雨がくららの身体越しにジュラヴリカへ声をかける。年端もいかぬ子供に見える彼女へ、ずいぶんと慇懃な態度である。
 竜の幼女はびぐんんっ、と飛び跳ねんばかりに動揺を示した。

「あ、えと、え~……ぅ」

 目を逸らし、脂汗をかき、もごもごと舌を動かし言葉未満の音を出している。

「あー……兄様よ」

 と、夜見が助け船を出した。――よもやこの幼女が、友情から自発的に行動するとは。

「こやつはの、つい先日までリューリク殿にくっついて大陸中を旅していたそうじゃ。旅人としてある程度の知識は持っておって不思議ではない」
「おー、それは大したものだ」

 日雨は脳天気な顔で感心を表わすと、

「今後、此方様より学ぶ事があるやも知れんの。その時はよろしく頼みますぞ、ジュラヴリカ殿」

 くららの背から飛び出した頭を無造作に撫でる。
 ぼふんっ!
 漫画のような赤面っぷりをジュラヴリカはした。耳から煙を垂れ流して、「ぴきぃ~……」と唸っている。

「ふふ、奥ゆかしい御仁だのー」

 ジュラヴリカ・イヴァノヴナ・ジランタウという人物について徹底的な無理解を示すと、日雨は水牛の死体へ向き直り歩いて行く。
 一行唯一の男がいなくなり、女のみになると、

「と、とととと年上の女性の頭撫でくり回すって、し、失礼じゃない? え、なに? 普通の男の子ってあんな感じなの? こ、怖。リアル男子怖ぁ~。やっぱ3D無いわぁ~」

 どもりつつではあるが、舌に潤滑油でも差されたように喋り倒すジュラヴリカ。
 その様子をじっとりと澱んだ蔑みの目で見下ろす彼女唯一の友人こと夜見。

「貴様……」
「な、なによぅ」
「――『おい、余所見してんじゃねぇぞ』」

 いつの間にかジュラヴリカの背後に立っていた金髪長身美女、詞木島夜見の式神ことだきにがぽつりと漏らした。顔面の無表情ぶりとは大層ギャップのある、情感に溢れた語り口である。
 それを聞くなり、びぐぅんっ! と銀髪の頭が跳ねる。
 だきには手に一冊のスケッチブックを持っており、描かれたイラストをくららたちに見せつけるようにしている。銀髪の小柄な(と言っても、ハイティーンくらいには見える)少女が、粗暴な風体の男(※イケメン)に頭を手で押さえつけられているシーンだ。
 だきには、イラストの周囲に配された吹き出しを読み上げる。

「『お前の顔は、俺の方だけ向いてればいいんだよ……』」
「ぴきゃ――――――――――――――――――っ!!」

 とうとう羞恥心に耐えきれず、ジュラヴリカは悲鳴を上げてだきにに飛びつきスケブを取り返そうとするが、先程の夜見の時同様するりするりと躱される。

「まさに内弁慶の極み、妄想の中では逆ハー天国で好き放題振る舞っているくせに、現実に立ち返ると祖父以外の男性とまともに会話すらできないという体たらく。嘆かわしいですね、ジュラヴリカ様」
「し、ししし仕方ないでしょぉ~! あたし、二十歳までは男の実物なんて見た事も無かったのよぅ!」

 ――この、ジュラヴリカの無惨なまでの男への免疫のなさには理由がある。
 竜種とは生まれた霊地によって、生来力の根源として保有する霊子の種類が定められる。
 一般的な竜は一種のみであるが、皇族であるジランタウ家に連なる者達は二種の霊子波長を備えている。
 二種の霊子を制御できるだけでも、弱肉強食を標榜する竜種の中で支配者層たりうる力を持つ。現竜皇ツァーリであるイヴァン・リューリコヴィチ・ジランタウに至っては三種の霊子を保有し、並ぶ者の無い至強の力を身につけた。

 彼の第一子、ジュラヴリカ・イヴァノヴナ・ジランタウの保有する霊子波長は四種――しかし、その膨大な力は一個人の制御下におけるものでは到底無かった。
 彼女の力は出産時に母を、そして以後十年彼女自身を傷付け続けた。人並の生活を送れる程度の力の制御を可能としたのは、更に十年後。
 生まれてより実に二十年の年月を、後宮にあてがわれた自室で、皇族の恥部として存在をひた隠しにされ、最低限の他人との接触のみの引きこもり生活を続けた結果。

「『待て! ラヴリーナはボクのものだ! 貴様のような野蛮な男に渡したりはしない!』『や、やめて! あたしの為に争わないで!』『フッ、私を差し置いて彼女を取り合うなどと、許される事ではありませんよ』……登場人物が増えたせいか、ちょっとコマ割りがごちゃっとして来ましたね。見せゴマを間に挟んでみるといいかも知れません」
「あ、ああああたしのプライベートな世界を冷静に批評すんなぁ~!」

 引きこもりを極限までこじらせた幼女(30)、ジュラヴリカ・イヴァノヴナ・ジランタウの今の姿がある。

「……て、てゆーか、いきなりシキシマ君みたいなのは難易度高すぎよぅ。無人島に放り込めば島の動物と友達になって帰ってくるタイプだわ……そういうとこ、うちのじじいとそっくり」

 戻って来るなり、不平を述べるジュラヴリカ。確かに、彼女と、日雨のような友人作りにひたすら長けた人種との相性は決して良くはないだろう。

「ううむ……兄様ものぅ、なんか妙にそなたに絡むというか、そなたにだけ態度が違うというか……」

 訝しげに首を傾げ、夜見は唸る。

「あー、それは、ねぇ……」

 彼の不可解な態度について、くららには心当たりがある。

「お兄ちゃんの振る舞いが原因で妹が友達無くさないように、って事なんだよね、たぶん」

 性狷介にして自らを恃む所すこぶるぶる厚い、天上天下唯我独尊幼女こと夜見が初めて自発的に作った友人がジュラヴリカなのだ。兄としては喜びもひとしおであり、その関係性への気の使い方もハンパではない。
 傍目には、ちょっと気を回し過ぎかも、と思えるくらいである。

「加えて、日雨様はジュラヴリカ様の祖父・リューリク氏を尊敬している節がありますしね。偉人の血筋への敬意というのもあるのでしょう」

 だきにが補足的な見解を述べる。
 態度はデカイが礼儀正しい、という男なのだ、あの男は。

「はん。こんなどこに出しても恥ずかしい深海くらげを丁重に扱いたいなどと、兄様も気心の無駄遣いをするものよ」
「な、なによぉ~!!」

 憎まれ口を叩く夜見に、ジュラヴリカは突っかかる。
 彼女は気付いていないが、その時の夜見の両耳はほんのり赤く染まっていた。
 その様をくららが微笑ましく見守っていた所で、

「たるんでますよ、マネージャー」
「んきゃ――――――――――――っ!?」

 後ろから伸びただきにの手に、脇腹をつままれて悲鳴を上げる。

「なにするんですか! あ、あと、わたしの脇肉は決してたるんでなどいませんからね!」
「必死ですね」

 我が子を守るが如く自分の脇腹を抱えるくららに、心なしか呆れた目線をだきには送る。

「その必死さが、恋の甲子園には全く活かされていないのが嘆かわしいですが」
「は、はぁ」
「そんな調子で花園へ行けますか」
「あの……いったい何の部活してる設定なんですか? わたしたち」
「ラ部です」
「うわぁー……」

 臆面も無く言っただきににくららがどん引いていると、

「幼女二人がほんのり百合の花を咲かせている程度で気を緩ませてどうします」
「おい、心の底から風評被害じゃぞ、それ」
「そーよぅそーよぅ」
「よいですか、くらら様」

 足下にたかりつつ抗議するちんまい生き物二匹を、だきには心底邪魔そうな目つきで見下した後黙殺する。うち一人は彼女の生みの親にして主であるのだが。

「女に好かれている男は、他の女にもよく見えるもの。今この場にライバルたり得る女性がいなくとも、今後の旅の道程で第二、第三の刺客が現れぬとは限らないのですよ。だというのに、三ヶ月も意中の相手と同道しておきながら、ただひたすらのんべんだらりと無為に時を過ごす貴女のカピバラの如き生態には、同じ女として憤懣やるかたない所です」
「かっ、カピバラ!?」

 未だかつて受けた事のない酷評に、くららは愕然とする。

「べ、別に……何も進展がないわけじゃあ……シヴィル・シーチでは、その、デ……デー……的な何かをしましたし」
「言葉を濁す辺り、どうせ犬の散歩だのなんだのと理由をつけて核心をはぐらかしたのでしょう」
「あなたはわたしの行状を監視でもしてるんですか!」

 子細違わぬ正答っぷりに思わず絶句する。

「中途半端な関係に終始するから不安要素が生まれるのです。蛹は蝶にならずばいられないのです。前進あるのみですよ、くらら様」
「だ、だって……」

 くららはうつむき加減で、唇を尖らせ言い返す。

「日雨くんにその気が無かったら……旅してる最中に色恋沙汰でもつれたら、絶対空気悪くなるし……」

 指先をつんつんと突き合わせながら、拗ねた声を上げる、と。

「知らぬは亭主ばかりなり、と……なんだか、阿呆らしくなってもきますね」

 ほぅ、と嘆息して、だきにはそんな事を言った。

「?」
「まぁ、私も近頃分かってきた事なのですけれどね。何しろ、当人に自覚が無さそうなので」

 不可解な彼女の発言にくららは首を傾げ、周囲に物問いたげな視線を送る。ジュラヴリカは「あ、えと……」と顔を赤らめ視線を逸らし、夜見は腕組みしてどことなくつまらなそうな面つきである。

「んんぅ?」

 そんな彼女らの反応がどうにも不可解で、くららは投げ首したままうろんな顔をする。
 ――女三人寄ればかしましいとも言うが、新たに一人面子が増えて四人になった事で、女性陣の会話は花盛りの如しである。画面一面花塗れでやかましいとも言う。
 だから、

「――ふむ」

 だきにが不意打ちのように会話の輪から外れ、一面の雪原に目線をやった事に残り三人は意表を突かれた。

「どうやら私も、たるんでいたようです。いえ、私の脇肉も決してたるんでなどいませんが」

 などと呟きながら――彼女は変異した。
 金髪の頭頂部が一部盛り上がり、狐の耳の如く変化し、着物の腰部に入った切れ込みから二本の尾がこぼれ出て、ばさりと音を立ててうごめく。
 内一本は瞬時に金属質のものへと変わり、薙刀を形成してだきにの手に収まった。

「っ……抜かった」

 従者の剣呑な態度に合わせ、即座に思考を切り替えたのは夜見である。

「え? え? どういう事?」
「あの水牛の死体、どう見ても死因は外傷じゃろうが。しかしこの一帯、蹴躓いて刺さるような尖った岩や樹木などもない」

 雪原に横たわる水牛の遺骸を見やれば、その傍らでナイフ片手に解体処理を行っていた日雨もまた立ち上がっていた。彼は……雪原の一画を見定めている。

「死体はまだ新しかった……あれを殺した〝もの〟が、この近くにいる」

 夜見の発言、それをきっかけとしたかのように。
 日雨の見つめていた雪原が、爆発じみた隆起をした。
 粉雪を巻き上げ――その内に、巨大な黒影を映す。

『ぼぅ……ぼぼぼぼぉぉおおおおぅ……!』
「えっ……!?」

 くららは絶句する。
 雪原に潜りひそんでいたのは、〝雪男〟だった。
 白い体毛、大木じみた手足。造形は、雑誌やテレビのUMA特集で紹介されていたものと極めて似ていた。相違点は、犬のように伸びた口吻、十メートル近い体長、〝晴天の中で〟その身体の周囲に降り積もる雪、そして。
 額から突出する、雪の塊じみた角。

「は、ははははは」

 気付けば傍らで、ジュラヴリカが声を上げていた。笑い声にしては、表情に宿る感情が正反対であった。

「はぐれ……っ!?」
「はぐれ?」
「――そう言えば、くららちゃんはアガルタでは見なかったのじゃの」

 問いかけるくららに答えたのは、ジュラヴリカの向こうに立つ夜見だった。声音は緊張と、そして恐怖に引きつっている。

「アレは、魔獣の性質を持つ竜種――魔竜よ」

 新世界――現在の大陸には、魔獣と呼称される〝人を殺す為の生物〟が広く分布している。
 旧世界の末期に造られた人造生物の内、戦闘用に調整された種族。ID登録されていない人間を敵性対象として抹殺するよう本能にプログラムされたもの。そして当然、旧世界より遥か未来である現在にID登録された人類などいる訳がない。
 それら生物兵器の中でも、最高峰の存在を竜種と言う。
 彼らの内、独立性の極めて高い個体――リューリク・ジランタウが人類の手から離れ、繁殖の手段を見出し、国を作ったのがジラント皇国の前身とされる。
 しかし例外として、機械的処置等で現在まで保存された個体や、先祖返りにより生物兵器としての攻撃性を強く持つに至った個体は無差別に人間を殺戮しようとする。
 そうした竜を、人類は魔竜と呼び天災の如く恐れていた。
 要は――彼女らは今、〝人間に敵意を持つ大雪崩〟に遭遇したに等しいのだ。

「く……なぜかような場所でいきなり魔竜と出くわすのじゃ!?」
「あ、ええと……うちの国って魔竜はぐれを外界に出さないよう封じ込め政策やってるから……けっこう国境線近くに、警備隊に締め出し食ったやつがいるのよね」
「――早くそれを言わんかタコくらげぇっ!!」
「タコとクラゲどっちかにしなさいよぅっ!!」

 目を逸らしておずおずと遅まきな告白をするジュラヴリカに、夜見は怒鳴りつけた。
 この幼女の心中は、焦燥で焦げ付いていた。かつて一度、この種の生物を打ち倒した事はある。しかしそれは十分な準備の元、更に神代旧世界の武具とその扱いに長けた助っ人の助力があってこそである。

(かように不意を突かれては……対処できるか?)

 このような強敵に遭遇した時の魔術を彼女は研究している。が、未だ途上である。アガルタの魔竜を倒した時と同じ試作品では役に立たない――速射性に著しく欠けるからだ。

(迷っている暇などあるか――)
「だきに、時を稼げ、」

 続く言葉を、夜見は呑んだ。
 白い魔竜の前に、ただ一人、己の兄が立ち塞がったからだ。

「何をしておる、兄様!? 無策で飛び込むなど、」
「――すまんの」

 日雨はそう、一言口にした。誰に向けたものか、判別の付きがたい声音だった。

「ちと、殺生をする」

 その言葉が口から上った瞬間、

『ぼ!』

 こちらの会話を立ち聞きして待っていた訳でもあるまい――獲物を品定めしていたのだ。
 そして今、魔竜は日雨に狙いを定めて右拳を振りかぶった。その手には、この獣の発する魔術の作用か、吹雪が纏わり付いていた。
 滑腔砲の如き直突きが迫り、
 ――中空に突如出現した巨剣によって、手の甲を雪原へ縫い止められた。

『ぼっ!?』

 驚愕の声を魔竜が上げるや否や。
 その下顎を、もう一振り出現した巨剣が貫き、脳天へ貫通した。額の竜角が砕け散り、雪片として舞い散っていく。

『ぼぅるぅうううう――――――――――――!!?』

 魔竜は激痛に悲鳴を放ち、その声量と魔力の乱れは周囲の雪原を震撼させた。
 舞い上がる雪の中に、既に日雨の姿は無く。
 巨獣の懐間際に、彼は飛び上がっていた。いつの間にか腰まで伸びた髪の色は鋼の色彩を帯び、丸腰であったはずの手からは、魔竜の腕を貫き、脳髄を破壊したものと同じ巨大な剣が〝生えていた〟。
 裏鬼道。彼がこのジラント皇国にて竜種に対抗する為に習得した、刀刃の霊子を取り込み、その性質を発現した〝刃鬼〟へと身体を変貌させる魔術。

「かぁっ!!」

 裂帛の呼気と共に日雨は大太刀を一閃し、魔竜の身体を腰部から両断する。
 激震を立てながら落ちる、巨獣の上半身と下半身。一際大きく雪が飛び散り、周囲を白く覆い隠した。
 吹雪じみた、雪をまとった風がくららたちの方へも吹き流れてくる。
 咄嗟に目を細めて、それを堪える。
 薄れた視界に、刀刃の精と化した日雨の姿を垣間見て、
 一瞬、その表情を見た。

(……あ)
「わ、わわ、すっご……」

 天災を容易く斬殺した戦果に、ジュラヴリカが驚嘆していた。

「シキシマ君って、ホントにおじいちゃんに勝ったのね……今更再認識」
「これまた分かりやすくパワーインフレしましたね。……ん? 我々もしかしてインフレ展開に置いてかれましたか? 今後は解説ポジションですか? それは楽そうでいいですね」

 至極張り合いのない結論に至り、変身を解きつつコメントするだきに。

「……」

 その傍らで、夜見が苦虫を噛み潰したような表情で異形と化した兄を見定めていた。

「無事か? そなたら」
「う、うん……」

 声をかけてくる日雨に、くららがおずおずと応える。彼はほぅ、と安堵の息をつくと、

「夜見、今の戦いでこの場の地勢が乱れたのではないか」
「お、おお……そうじゃの」
「ならば、他にも魔獣が寄ってくるかも知れん。竜車の修復を急いで、この場を立たねばな」

 と、日雨は手慣れた様子で作業を再開した。だきにに湯を沸かすよう指示し、解体した獣の骨肉を煮詰め、その間にも周囲を警戒する。
 隊商の用心棒時代の杵柄を活かして、せわしなく働く彼。
 まるで、

(なにかを、ごまかしてるみたい)

 くららは彼の背中を見つめて、胸中でつぶやいた。
 日雨が自分の事をどう思っているのかは分からない、けれど。
 彼が何を考えているのか、少しだけ分かるようになったのは、たぶん自惚れではないように感じていた。



[40176] 1.劣弱なる国の後継者
Name: 八目又臣◆aa87a973 ID:17b043ce
Date: 2015/02/10 11:53
 遥か未来の世界において、文明は一新され、地上の人々は未だ鳥より高みを飛ぶ生き物など想像すらしていない。
 だから、地上五百キロメートル以上の熱圏高度を周回する宇宙ステーションなるものは、まさしく過去の遺物であった。
 ステーション〝スペンサー〟の外観はスタンフォード・トーラス型――シャフトの真ん中から寸断された車輪の片割れ、といった例えがしっくり来る造形。ホイール部分、つまりトーラス構造の回転で遠心力による重力を発生させている。
 人間が滞在する区画は、そこに建造されている。

「――まずは、生還を祝福致しましょう、ルーラッハ・ガルガンティン・マーシア殿下」

 居住区の一画に設けられた議事堂。円形劇場型の議席の最前列に位置する女が告げる。ダークカラーのスーツに身を包んだ、男装の麗人。長身ゆえに高い位置にある銀髪をアップにまとめ、口元には涼やかな微笑を常に浮かべている。傍らには、白い修道服を着た美女を立たせていた。
 カタ・コスモーン機構加盟国、『無形なる国家インウィーシビリス・シーウィタース』代表ユリウス・ガイウス・カエサル・クゥイリーヌス・サテュリコン。

「ならば礼を言わせてもらおう。ユリウス代表インペラトール――あくまで互いに空疎な社交辞令を用いたに過ぎぬとしても」

 斜向かいに位置する座席に座り、傲岸不遜に肘をつき、手の甲に顎を乗せた姿勢の男が皮肉混じりに返した。
 真紅のジュストコールを羽織った貴族の正装に身を包む、美貌の青年である。燃えさかる火炎じみたうねりを持つ金髪、秀麗な顔立ち。
 しかし、全身から発せられる殺気じみた剣呑さが、他者にその美しさを楽しませる事を断固として拒絶していた。顔面の右半分を黒布で覆い隠すようになった今、その凶気はより色濃く気配を増している。
 彼もまた、傍らに赤いドレスを身に纏う人形じみた美少女を従えていた。

「そのような解釈は大変遺憾ですね。我らは同じハイ・ヒューマンではありませんか、仲間意識を抱く事は不自然ではありますまい?」

 ルーラッハと呼ばれた人物の剣呑さをなだめるような口調で、ユリウスは言った。
 二人には共通する身体的特徴がある。
 尖った耳と、翠色の瞳。

「産駒の違う競走馬に過ぎん我々に、そんなものが生まれるとでも?」

 鼻を鳴らしてルーラッハは応える。
 ふと彼は、蛇の舌なめずりにも似た音を聞いた気がした。無論、幻聴であると分かってはいた。この女がそんなあからさまな仕草をするはずがない。

「なるほど――同じ産駒でも相争っている貴国の現状からすれば、当然の解釈と言えましょうね」

 会話に生じた隙を一突きに刺すような言葉に、ルーラッハの目が細まる。畳みかけられぬうちに、防衛線を構築した。

「ノーサンブリア州国盟主・アルフォンス・ベケット・ノーサンブリアとその義子アイザックはクーデターによる実権奪取を企図していた。我々は体制側として当然の警察権を行使したに過ぎん」
「ほぅ――その結果が、ノーサンブリア州国の首脳部を実力で〝抹消〟した挙げ句の領地の強制接収ですか。これはまた、随分と穏やかでない始末となったものです。貴国の見舞われた悲劇に、哀悼の意を禁じ得ません」

 口を開けば、舌打ちが漏れそうだった――つい三日前に秘密裏に実行されたはずの襲撃を、子細くまなく把握されている。

「ノーサンブリアは災禍に見舞われた上、かくも貴国、連合王国ヘプタ・アーキーは政情不安に晒されている。我が無形なる国家としては、同盟国への慈愛の念から支援を惜しむつもりはありませんよ?」
「結構だ。事件は解決済であり、他者の容喙ようかいを必要としない」

 ルーラッハは断固とした拒絶の言葉を吐く。
 当然の如く、この女は鉱脈に忍び寄り銀塊を奪い取るつもりでいる。同盟国の政情不安を鑑みた〝人道支援〟――全く外交の常套手段だ。
 捏造したクーデター疑惑(実態はルーラッハの不在の隙を突き州国首脳陣を抱き込むという、内政に終始した手法であった)を理由にアイザックを始末する際、機傀悪魔マモンを駆り自国を攻撃するという過激な手段を用いてまで早期解決を図ったのはそれが理由だ。内乱が長期化すれば、ユリウスに軍事的な介入を許す事にすらなっていた。

(あの馬鹿の撒いた種が……なんとも祟る!)

 アイザックがノーサンブリア州国陸軍を率いてジラント皇国領内の自治軍事共同体、コサックの一つであるシヴィル・コサックへ侵攻したのが現在の苦境の元凶である。
 広大な国土を持つジラント皇国において、高い独立性と機動力を持つ遊撃軍・コサックは防衛政策の要であり、中でもシヴィル・コサックはとりわけ精強と雷名を馳せていた。知性を持つ竜種と敵対関係にあるカタ・コスモーン機構にとり、非常に高い戦略的価値を持つ目標ではある。
 あの男とその養父たるノーサンブリア州国の王は、シヴィル・コサックの殲滅を手土産に、よりにもよって目の前の魔女に後ろ盾を求めたのだ。

 土産の内容すら、ユリウスの意図に沿う形なのだろう。当時行方不明だったルーラッハに成り代わるつもりなら、力を示せなどとそそのかされたはずだ。
 機構の加盟国が、新世界の主導権を争う敵同士である事など常識以前の事実だ。隙あらば食われる間柄。その敵国に取り入ってまで上王ブレトワルダの地位を求めるなど。

(売国奴が)

 既に自らの手で肉片と散らせた男に、ルーラッハは怨嗟のうめきを漏らした。あの男が原因の面倒が片付くまでの間、あの無自覚な傲慢に満ちた顔を忘れられそうにない。
 ――そして、その面倒を片付けるのが最も至難であるのだが。

「ルーラッハ殿下、私の発言に誤解があるようです」

 ユリウスは、悠然とした微笑みをこちらへ差し向ける。よほどの陰謀家でありながら、この女は己の示すような人格の陰影を決して覗かせない。
 まるで、自分が相手より一枚二枚も上手であると告げるように。

「……なんだと?」
「事件は解決済――それを決めるのは、貴方ではないという事ですよ」

 手元の、水で満たされたグラスを飲み干して彼女は言った。傍らの従者が代わりを注ぐのを待って、続く言葉を吐く。

「連合王国の元首とはあくまで、七州国の合意により選ばれた上王であるという事は、わざわざ他国から指摘されるまでもありますまい? この宇宙ステーション〝スペンサー〟にて機構の会合に出席する者は、加盟国の利益代表者であって、国家元首と必ずしもイコールではありません。現に貴方は、未だ王太子の身分だ。ここにいるのは機傀悪魔マモンを早々に引き継いだというだけの事です」
「それらを別個の者が務めた事例はないはずだ。何よりマモンを引き継いだという事は、俺は既に上王に内定しているも同然だ」
「確定、ではないのでしょう? 王政を採用しながらも、その選定は可能な限り民主的である点は貴国の美徳の一つですよ」
「……っ」

 真綿を首に絡めるような言葉遣いに、ルーラッハは喉を引きつらせる。それは連合王国という国家の政体の弱味だった。
 連合王国元首である上王は、七州国の合意により選ばれる――言葉を返せば、七州国の合意が〝無ければ選ばれない〟。

「貴方の言葉は、連合王国の意思であるとは限らない」
「……何が言いたい」
「そうですね、」

 手遊びに、グラスを指で弾いてからユリウスは一刺しの言葉を放り込んでくる。

「貴方が体制の意思を執行するという名目で邪魔者を排除し、連合王国の全権を簒奪するつもりなら。貴方の発言は全て裏返る事になります。クーデターを企図しているのは貴方で、未だ連合王国は苛烈な内乱の只中にある」
「詭弁も甚だしい!」

 即座に、ルーラッハは反駁した。

「根拠もない言いがかりをつけ、我が国の内政に介入しようというのなら、こちらには応戦の意思があるぞユリウス・サテュリコン!」

 彼の放つ怒声を、滑らかな水のようにユリウスは受け流した。冷静に言葉を返してくる。

「根拠、ですか」

 彼女は一瞬、笑みの質を変化させた。含意、というべきものを覗かせるような。

「我ら政治家は民意を注ぐ空の器です。行動の根拠は民の声に他なりません。それは貴国も同じ事〝のようです〟」

 いかにも政治家らしい婉曲な表現を咀嚼して――ルーラッハは脳に痺れめいたものを覚えた。
 歯ぎしりの音を口内で隠し、針のような視線をユリウスへ送りつつ、言葉は胸の内に落とす。

(いるのか? まだ他に)

 ユリウスと、無形なる国家とよしみを通じている者が。その者を通して、ルーラッハを弾劾しうる立場――つまり、各州国の王太子たちが。
 その疑惑を否定する根拠を、彼は一つとして持てなかった。ある意味連合王国を形成する七州国は、機構の加盟国以上に利益の相反する敵同士である――それこそが王国の抱える最大の病根なのだ。
 各国の王太子ら個人の間柄にしてもそうだ。VV養成所、あの忌まわしき実験場時代に奴らはルーラッハを蔑み、見下し、否定し続けてきた。当時の遺恨は、彼が頂点に立った為に修復不能な歪みへと成り果てている。
 連中の誰一人とて、信用できはしない。

(いっその事、全て……)

 ルーラッハが、自身の抱える豊富な憎悪の行方を定めようとした所で、

「――歯の浮く美辞麗句を並べるな、気取り屋め」

 この会合に出席していながら、今まで一度も発言の無かった人物の声が発せられる。議事堂の構内によく反射し、誰もが聞逃す事のできない深いバリトンであった。
 ルーラッハ、ユリウスらと、三角形の頂点を形成する位置に座すその声の主は――声音の流麗さに反する醜怪嗜好グロテスクな風体をしている。
 髑髏面の男。墨で染めたような真っ黒な軍服に、金柏葉・剣・ダイヤ付十字章をはじめとした勲章を飾り立てている。
 そして黒い革手袋を填めた手に、ワインのグラスを持っていた。

「人が他人の意思の器になるなど傲慢にも程がある思想だな。何様のつもりだユリウス。人意の捌け口を務めうるのは国でしかない。国家とは、その為に作られた便利な道具なのだからな。そして我々の立場は、〝これ〟だ」

 と、髑髏面は仮面の下顎を開いて、見せつけるようにワインを飲み干した。
 その様を見るユリウスが、笑みを崩さぬまま問いかける。

「収奪こそが支配者の本懐だとでも? 第四帝国ダス・フィアテ・ライヒ総統、ザイフリート・ジンプリチウス・フォン・オイレンシュピーゲル閣下」

 ザイフリートと呼ばれた髑髏面は、鷹揚に頷いた。

「他に何がある? 民草の好意も、憎悪すらも我が糧だ。我らには個人的な好悪など必要ない。ただ他人のそれを奪い、食らい、楽しめばいい。その器量無くば王と呼べるか。えぇ?」
(……っ)

 ユリウスへの皮肉として向けられたように見えるザイフリートの発言の真意を、ルーラッハは誤解しなかった。
 ある意味、ユリウスにやり込められた以上の悔しさに歯噛みする。

「……今回、外野に徹するからこその酔漢ぶりと思っていたのですがね、総統」

 微かに、匂う程の不快感をさらしてユリウスが当てこする。

「ユリウス! ユリウス! こんなものは水だ。これは全く情けない事だぞ! 我らが仇敵、あの憎き蜥蜴どもはウォッカの臭気が充満した議事堂から、我らの攻め手を凌ぐ策を簡単にひねり出すのだ。対する我らはワインヴァイン一杯でも会議にならないと言う! 肉体の軟弱以前の問題だ! 人類は全く小胆な生物だなどと連中に言わせる気かね!」
「……貴女も同意見ですか、〝花嫁ザ・メイト〟」

 頭痛を覚えたようにこめかみを指で押さえて、彼女はザイフリートの隣を見やる。
 彼の傍らには、ルーラッハ、ユリウスと同じように人形じみた美貌の少女が控えている。ただしこちらは二人。
 一人は机に腰掛けて、飲み干した酒瓶と食い散らかしたソーセージヴルストやザワークラウトの皿を周囲に撒き散らし、まだ飽きる事なくワインを傾けている。酒の作用で、幼い顔に浮かべた淫蕩な笑みをより深くしていた。純白のドレスは着崩れて、まとめた金髪も所々ほつれている。
 もう一人は、彼女とザイフリートの好き放題を疲れた顔で見守る翡翠の髪色の少女。着込んだ道化クラウンの衣装が乱れているのは、白いドレスの少女に絡まれた為だ。
 白いドレスの少女の方が、呼びかけに応じた。

「にゃんらって?」
「……もういいです」

 全てを諦めたように瞑目し、ユリウスは唸る。今まで決定的に反目していたルーラッハですら、同情を覚える有り様ではある。

「ルーラッハ殿下、会議が茶番になりおおせた以上、これよりは蛇足に過ぎません」

 気を取り直して声をかけてくる彼女。酔っ払いどもの歓声を無視して、大真面目に物を語れる点はザイフリートの言葉に反して全く剛胆と言えた。

「しかし、肝に銘じておいて頂きたい。我らは新世界に生まれた幼き民の指導者であり、規範とならねばならない存在。その道を外れた友人を諫めるのも、友愛の道と言えましょう」
「……余計な世話だ」

 彼女の警告を叩き落とすように告げ、ルーラッハは席を立った。傍らの真紅の少女を連れ立って、議事堂を退出しようとする。
 その最中、声がかかる。
 相手は……従者の少女の方へ用があるようだった。

「ガラテイア」

 呼ばわったのは、ユリウスの隣に佇んでいた少女だ。水のように透き通り、染みる声色。

「ハダリー」

 ガラテイアと呼ばれた真紅の少女が、呼びかけに返す。
 ハダリーは、少女の見かけにそぐわない慈母めいた笑みを浮かべ、彼女へ告げる。

「主の旗幟きしは別としても、わたくしたちの間柄は変わらないわ。貴女が生きていた事、本当に嬉しく思います」
「……」
「いずれまた、お茶とお菓子を一緒に楽しみたいわ」

 羽毛で出来た腕で抱くかのような、安心を与える声に。

「――もう、そんな日は来ない」

 抜いた拳銃を突きつけるような、冷えた声音でガラテイアは応じた。

「私はルーラッハをマスターと定めた。貴女と相容れる事はないわ、ハダリー」

 傍らのルーラッハが、短く従者へ命じる。

「無駄話に付き合うな、ガラテイア」
「はい、マスター」

 最低限のやり取りを交わし、二人の男女は議事堂から出て行った。
 彼らは一度も、ハダリーの表情を見る事は無かった。




   //////




「お疲れ様でした、マスター」

 無機質なステーションの通路を歩く道すがら、ガラテイアが言う。
 その気づかいを、ルーラッハはうるさそうにはね除けた。

「余計な気回しは無用だ、ガラテイア」

 男女の間の甘さなど欠片も見出す事のできない、冷酷な声音である。

「お前はただ、必要な時に必要な機能を果たせば良い」
「これもまた、その一部です。操者オペレーターとコミュニケートを取る必要が無ければ、〝普段の姿〟はいかにも道具らしいものであればいい」
「……ふん」

 従者の反論に、つまらなそうにルーラッハは鼻を鳴らした。かつかつと、革靴が白い廊下を打つ音だけをしばし響かせてから、

「くだらん会合だった。……我々が、奪われる立場に過ぎんと確認するだけの」

 それが今の連合王国の姿だ。カタ・コスモーン機構の加盟国で、ただ一国の弱小国。二つの強国に収奪され続け、今もその最中にある柔弱な国体。

「俺は、居直る盗人に口喧嘩を仕掛ける事しかできんのだ!」
「先代までは、盗人に手心を加えてくれと〝懇願〟するのが関の山でした、マスター」
「それでまだマシだとでも言うのか!」

 癇癪を従者にまき散らし、拳を振り上げ――壁に叩き付ける。骨に残る痺れのおかげで、幾分冷静に話を聞く気分にはなれた。

「重要な事です。一歩前進したという事は」
「一歩だけでは足りん。この状況を脱するには、ただの一歩ではまるで」
「貴方は着々と歩んでいます」
「ああ……まずは、ノーサンブリアを手に入れた」

 他国の軍事介入の危険を犯し、一つ力を得た。そしてそれは、次なる力の呼び水となるだろう。

「帰国次第、〝次〟の獲物に取りかかるぞ、ガラテイア」
「承知しました」

 主従は頷きあい、そして急くように歩みを速めた。
 歩きながら、ルーラッハは今し方の会合を思い返していた。ある人物の、不自然な〝手助け〟を。

(どういうつもりだ? あの男……)
「――慌てるナントカは貰いが少ない、と申しますよ。ルーラッハ殿下」

 第三者の声は――彼らが〝通り過ぎた背後〟から聞こえた。

「……!」

 戦慄し懐の拳銃に手を伸ばしつつ振り返る、と。

「おやおや、申し訳ない。これは驚かせてしまいましたかな?」

 ルーラッハから五メートル程の距離を隔てて立つその男は、軍服をまるで執事バトラーの衣装のように着こなしていた。歳の頃は初老、白いものの混じった髪を後ろに撫でつけ、深青の瞳を稚気含みで輝かせていた。
 顔立ち、そして何より墨色に染めた不吉な軍服は、第四帝国、中でもあの総統の私用する特殊部隊に帰属しているものの特徴だった。

「噂に聞く『毛皮を纏った兵団ペルツ・イェーガー』か。俺に何の用だ?」

 問いかけつつも、当たりは既についていた。かの怪物どもは、政敵の暗殺に用いられる事もあったという。

「早合点は若者の欠点ですぞ、殿下。〝我々〟は仕事の際は仮面をつけて参ります。ほれ、このように」

 と、男は軍服の懐から白く塗り込められた仮面を覗かせてみせた。かつてヴェネツィアのカーニバルで用いられたのを、真似て作られたもののようだ。

我が総統マイン・ヒューラーは、遊びのある軍事行動こそ真の効率を得ると持論をお持ちで」
「戯れるな……ならば、最初の問いを繰り返すだけだ」
「ええ、ええ、それはもちろんお答えさせて頂きます……私、カール・〝H〟・グリムと申します」
「グリム?」
「はい。私の祖父は連合王国の出身でして。お恥ずかしながら、変節漢、裏切り者の血筋という訳にございます」
「だからなんだ。今度はこちらへ寝返ると言うのならお断りだ。貴様のような怪しげな男を信用などできるか」
「いえいえ、滅相もない。ただ、こう周りを見通せる年頃にもなると古巣への興味とやらが沸いて来ましてね。連合王国の次なる担い手はいかなる者か、この目で確かめたいという存念に御座います」

 慇懃無礼を絵に描いたような仕草で、カール・グリムは一礼した。
 怒気を抑えつつ、ルーラッハは告げる。

「他国の貴顕を物見遊山に詣でに来たと抜かすか。舐められたものだ」
「ふふ。刺々しくも精気に溢れた立ち振る舞い。旧世界の更に古き時代に勇名を馳せた、獅子心王リチャードを彷彿とさせますな」

 こちらの叱責を柳の如く受け流し、微笑みを浮かべるカール。
 その声の質が、一瞬で変化した。

「さて――その本質も獅子の如くありますかな?」

 ルーラッハは相手の物言いを端から信じていなかった。会話中、懐に手をかけたままであった。
 身を屈め、蛇のように突進してくる相手に一瞬でデモナイズを完成させ、抜き放った巨大な自動拳銃を照準、銃弾を三発浴びせる。
 脳髄のナノマシンで強化された魔力により、精度の上がった彼の視力は――銃弾を〝見て避ける〟敵手の挙動を見定めた。

「……っ!」

 そのまま視界から消える男。直後、背後に五臓を凍り付かせるような冷えた気配を感じて。
 迷わず、回避も防御も一切考慮せず、ルーラッハは脇下に銃口を振り向けトリガーを引いた。

「……ぬ」

 漂う硝煙を、ステーション内の空気清浄ダクトが吸引し晴らす。
 ルーラッハが振り返ると、何食わぬ顔で佇むカールの姿があった。
 その肩に、杭を打たれたような弾痕を残して。

「貴様、なぜ避けなかった」

 ルーラッハは、自身のコートの肩口が〝鋭利な何か〟で引き裂かれているのを観察しつつ問うた。かつても銃弾を見切る敵と戦った事がある。かの男の運動能力なら、至近距離であれ同じ真似ができたはずだ。

「〝悪戯心〟の侘びにございますよ、殿下」
「殺す気は無かった、とでも言う気か」

 疑わしげに言いつつも、内心は正反対ではあった。この男が本気であったなら、即座に殺されるとはいかぬまでも、今斬られたのが布一枚という訳にはいかなかったはずだ。

「信じて頂きたいものですな、獅子なる王子」
「世辞で身を買うか」
「滅相もない。今し方、我が身で体感致しました。貴方が統率する連合王国は、〝初めて〟我が第四帝国の敵たり得ると」

 そう告げると、カールはくつくつと含み笑いを漏らした。

「ハイル、マイン・ヒューラー……我々は、久々に退屈を感じない、良き時を過ごせますよ」
「一つ、疑問がある。……貴様の祖父が寝返ったというのは、一体いつの話だ?」
「はて、五百年程でしたか」

 ルーラッハの問いかけに、飄々と答える怪物の男。

「それでは、お暇させていただきますよ、殿下。ああ、貴族のお召し物を傷付けた弁償など、いち軍人には身に余る。――そのコートの代金は、我が総統にご請求下さいませ」

 そう捨て台詞を残して、カールは歩み去って行った。
 男の背が見えなくなるまで、ルーラッハは戸惑いに囚われていた。カールが個人的な理由で彼に接触したなどあるはずもない。今の台詞で彼自身が証言すらしてみせた。
 その行為の意味は理解できる。それが破格の持ちかけであるのだと。それ故に、困惑はより深さを増した。

「なんのつもりだ? ザイフリート・オイレンシュピーゲル……」







「なんのつもりだい? 総統」

 ルーラッハたちが利用しているものとは別の通路を歩みつつ、道化の装束を着た少女が問いかける。

「なんの話だね? ギニョール」

 水を向けられた髑髏面の男は、そらとぼけてみせた。

「……ハウンドフントを、連合王国の王子に差し向けた事だよ」

 見た目の滑稽さの割りに、誠実な苦労性めいた陰影を顔に刻んで道化の少女、ギニョールは言う。

「なんだ、面白い事になると思わないのか? 老いぼれた見てくれの癖に、よほど好戦的な男だ。あの餓えたウォルフのような若造とはさぞかし気が合うだろう」
「駄洒落てるつもりかい? 下手すりゃ国際問題だ」
「もちろん。我々為政者のやり取りは常に国際問題だ」
「駄洒落じゃないなら言葉遊び? ねぇ、おふざけも度が過ぎれば、」
「――あの男は馬鹿ではない」

 ザイフリートは、ギニョールの叱責を遮って告げた。

「カールを介した私の意図を明確に受け取っているはずだ。ルーラッハは借りを返せと言ってくるよ――あの男の念願叶って、連合王国七州を統一したその日に」
「……まさか」

 彼の言葉に、ギニョールの喉が緊張に震える。

「連合王国と手を組むつもりなのかい?」
「あの国の抱える最大の問題は、船を山に登らせる程の船頭の頭数――というより、利害関係の統一性の欠如だ。それが解消されたなら、その価値は十分にある」
「……三つ巴の意味を忘れた訳じゃないでしょう? 連合王国と合従するという事は、〝カズム〟と無形なる国家が合流するという事でもある」
「猪突猛進のジョンブルはまだマシだ。幽霊女バンシィ雌狐フォクスレインに比べれば、よほど」
「……簡単には、賛同できないよ」
「いずれ均衡は崩さねばならんのだ、ギニョール。いかに博打に見えても。その為に〝マギ・アルマキナ〟の配備を進めているのだろう」
「それは……」
「あの若造は、大陸の覇者の座を賭けた争いに少なくとも真っ当に臨むつもりでいる。得体の知れない、あのおぞましい連中とは違う。盟を結ぶに値する。最後の戦いの相手としても、期待できる男だ」
「……彼に自分の過去を投影するのかい、少尉」

 ギニョールの指摘に、少し喋り過ぎたとザイフリートは感じた。嘆息を挟んで、気を入れ替えて告げる。

「何にせよ、今は婉曲な手法で接点を作ったに過ぎない。ルーラッハが連合王国を強国に仕立てる為には、勝利せねばならない相手は無数にいる。――奴個人が報復せねばならない敵もな」





    //////




 

 ステーションの中心軸ハブエリア、入港口のある区画へルーラッハたちが到着した時、既に先客がいた。

「やーや。お疲れちゃん、王子様」

 先程の酩酊ぶりを名残も感じさせない気軽さで、ハブエリアの低重力空間を浮遊しつつ挨拶してくる〝花嫁〟。いつの間に先回りしたのか、なんとも面妖な話だが、近頃はルーラッハも驚かなくなっている。――既に、一年程も通じていた。
 ルーラッハが重傷を負った原因。長らく行方不明であった機傀悪魔の主機セイタンの発見を報じたのも、この女だった。

「ちょっとばかし、遅かったじゃん? 待ちくたびれたよ」
「勝手に待っていた貴様に合わせる義理などない」

 第四帝国の工作員と接触した事をわざわざ申告する愚を犯すつもりはなかった(戦闘の痕跡であるコートの破損は、うまく背中側に隠れてくれた)。
 協力関係があるにしても、一時的なもの。しかも相手の意図も知れない。〝カズム〟というカタ・コスモーン機構の抱える調停組織とはそうした謎めいたものであり、その長である〝花嫁〟はそうした奇怪性の体現者だった。

 胃の腑の浮き上がるような、むずがゆい浮遊感を覚えつつステーションのハブエリア、球技の大スタジアム程の広さの空間を歩む。宇宙港としてはいささか手狭であるが、スペンサーは機構の首脳陣による会合の為の設備。機傀悪魔の操手以外の入港を想定していなかった。
 だから、〝花嫁〟以外の人物の姿を見つけるのはそう難しくなかった。
 二人の人物が、〝花嫁〟からは付かず離れずの位置に佇んでいる。
 うち一人は、姿形を認めるのに唖然とするのを禁じ得なかった――その人物は、全身を黒い甲冑で覆い隠していたのだ。兜の奥の瞳すら、闇に閉ざされて伺えない。

 もう一人は黒甲冑より幾分まし――単なる程度問題であるが――な風体の女だった。黒い、肌にフィットするボディスーツの上にワインレッドのプロテクターで要所を防護している。黒甲冑の中世の鎧騎士ぶりに対して、こちらは〝宇宙軍の兵士〟とでも言うべきか。
 整った顔立ちを厳しく引き締めており、刃物のように真っ直ぐな黒髪を無造作に垂らしている。ひどく長身で、6フィート近いルーラッハよりも目線は高かった。

「……」

 気付けば、傍らのガラテイアが緊張に目尻を引きつらせている。それで、噂話の一つが疑問と結びついた。

「あれが、〝黒騎士〟か」
「そ。大道芸人でも、奇特な騎士道物語ヲタクでもないぜ」

 茶目っ気を含めてウインクしてくる〝花嫁〟。

「宇宙空間の航行能力を持ってる機傀悪魔なんてそうそういないしね。タクシー代わりに使わせて貰ってるんだわ」
「〝アバドン〟は貴様の眷属機ファミリアではないだろう。便利遣いするより、貴様自身が媒介者メディエーターを見つけたらどうだ」
「はは、そうしたいのもヤマヤマだけどね。ボクはお高い女なのさ。見合う相手が見つかりゃしない」

 この〝花嫁〟が、旧世界の終焉以来一度も主を持たなかったのは機構では知られた話だ。だから機構の加盟国は常に彼女に〝良縁〟を見つけようとしていた。この女を抱き込めば、機構の主導権を握ったも同然だからだ。
 あるいは、それが狙いかとも思える。壁の花を気取って男を手玉に取り、舞踏会を混乱させる毒婦の如く。
 それに、パートナーを得れば舞台に立たざるを得ない。彼女が独自に自身の操手たる媒介者を持ったならば、〝カズム〟は得体の知れない狂言回しから、明白な第四勢力となる。それはかの組織の本意ではあるまい。

 戯けた仕草の中に、極めて冷徹な思考を巡らせているのが〝花嫁〟という女だ。
 セイタンに撃墜され、瀕死の重傷を負ったルーラッハの治療を施したのも、数ヶ月の空席で目減りしていた彼の存在感をアピールする場として今回の会合を設けたのも彼女であるが、決して気を許していい相手ではない。

「それで、何の用だ。酒に付き合えというのなら辞退する」
「キミみたいな堅物を酔わせてみたくはあるけど……ま、予後観察さ」

 と、〝花嫁〟は中空を泳ぐようにルーラッハへと接近してきた。無造作に手を伸ばし、彼の右目を覆う黒布へ触れようとする。
 咄嗟に、手で払いのけた。

「やめろ。必要ない」
「……ふ」

 強張った声で恫喝するルーラッハに、桜色の唇は嘲笑を象った。

「何を怯えているのかな?」
「……何だと」
「言葉や仕草に棘を生やし、相手を刺すのは……怖がっている証拠さ、〝落ちこぼれ〟のルーラッハ」

 腸に直接手で触れ、かき乱すような言葉。
 否応無く生じた隙に、眼帯に触れられた。布越しに、その感触を確かめられる。

「ただ一度、マモンの全力の半分も発揮した程度で〝こうなる〟。――やはりキミは、魔導の世界では明らかな劣等者だ」

 そう〝花嫁〟が告げるなり、烈火じみた気配が間近で立ち上った。

「下がりなさい、淫婦。これ以上我が主を侮辱するなら、私はそれに銃弾で応える」

 瞳だけは凍り付く冷気を帯びて、ガラテイアが激昂の言葉を撒き散らす。

「ふぅん」

 呼ばわりを証明してみせるように、淫蕩を尽くした仕草で唇に人差し指を当てる〝花嫁〟。彼女は媒介者を持たない機傀悪魔。マモンに抗う術などない、が。
 ――無言で、甲冑の騎士と女兵士が進み出てくる。

「もちろん、二人はこういう時の護衛でもある。――さて、ガラテイア」

〝花嫁〟は標的をガラテイアに切り替えたようだった。蛇が虫に尾を絡めるような陰湿な目線を差し向ける。

「〝セイタンの眷属機〟は主機とすら渡り合える力を持つよう設計されている。そのアバドンを駆るのは〝旧世界最強の魔導士〟だ。キミに勝てるのかな、〝欠陥品〟の主機」
「……っ」

 握りしめたガラテイアの拳から、血が滴った。爪が手の平の皮膚を突き破っている。
 彼女は、煮えた溶岩にも似た屈辱に耐えていた。

「――下らん」

 一歩、ガラテイアに先んずるように歩みを進めたのは、彼女の主だった。
 酷薄を極めた口調で、己が従者へと告げる。

「自慰めいた感傷に溺れるな、ガラテイア。貴様は卑屈に過ぎる」

 きっ、と彼女は羞恥と怒気を目線に乗せて刺してくる。――そうだ、この女は従順な機械に徹する表面おもてづらの内で、決して俺に心を預けていない。

(それがなんだと言う)

 あの醜怪な髑髏男の示した訓戒が、少しばかり彼の気分を変えていた。久方ぶりに諧謔を覚えつつ、ルーラッハは続ける。

「今蔑まれている事を愉しめ。弱い事を、足りない事を悦べ。俺たちの力の根源は強欲たる事。断じて求め、欲するのだ」

 言葉通り、餓えた肉食獣めいた眼光を放ち、〝花嫁〟ら三人へ告げる。

「いずれ、貴様らの首も俺は欲しがるぞ」
「――くふ」

 炎のような害意を受け、しかしそれが至上の愉悦であるかのような淫靡な笑みを〝花嫁〟は浮かべた。

「これはなんとも。有望な子供が増えたものだ」

 これ以上、つまらない会話に付き合うつもりは毛頭なかった。ルーラッハは〝花嫁〟の横を素通りし、出立しようとする。

「――詞木島日雨とセイタンは、ヘラスに向かっている」

 すれ違う一瞬に、〝花嫁〟はそう囁いてきた。

「……なに?」
「余程モノの見える仲間がいるようだね。確かに、大陸から機構と接触しようというならあの国しかない」
「おあつらえむきだ」

 ルーラッハは獰猛に、口の端を吊り上げた。マーシア州国王太子、ルーラッハ・ガルガンティンなる個人、その双方が即座に葬らねばならない敵が同じ所に集まるとは。

「ヘラスの海を、奴の墓場にしてやる」

〝花嫁〟の側に連れ立つ黒騎士へと向けた言葉だった。
 甲冑の人物は、かすかにも反応を示す事は無かった。



[40176] 2.英雄を生む国
Name: 八目又臣◆aa87a973 ID:17b043ce
Date: 2015/03/04 11:32
 燦々と照りつける太陽は情熱の輝き、照り返す海原は宝石を敷き詰めたように煌めき、吹付ける潮風は爽やかに鼻孔をくすぐる。
 夏、それは誰もが活気に満ちあふれる季節――

「あづいよ~……」

 にケチでもつけるかのように、アメーバの如くだらりと寝そべり夏バテの倦怠感に呻いている詩乃目くららである。

「大丈夫か?」

 日雨は彼女の顔をうちわで扇ぎつつ、海水を濾過した飲用水の水筒を差し出す。

「……あぅ~、ごめんねぇ~」

 彼を相手にへたばった有り様を見せるのが恥ずかしく、顔を赤くしてくららは言う。水はぬるかったが、多少は火照りを冷ます効果があった。

「まったく、情けないのぅくららちゃん」

 波に揺られ、多少ふらつきながらも立って水平線を見つめていた夜見が叱りつけてきた。衣装を小袖から浴衣に着替えている。
 くららは彼女の様子が不思議でならなかった。

「……なんで夜見ちゃん、船酔いしてないの?」

 よく見れば顔色は多少青ざめている。しかし、かつて見せたような惨憺たる有り様とは程遠い。

「……こちとら先日超音速で曲芸飛行までやらかした身じゃぞ。さすがに慣れるわ」

 どうしてか不自然な間を挟んで、夜見は答える。
 そんなものかと、くららは納得したが。

「しかし、実際意外ですね。この環境の変化に真っ先に根を上げる軟弱ぶちスライムは、お嬢様の方だと思っておりましたが」

 もののついでで、くららをノーマルスライム以下の最弱モンスター扱いして大いに傷付けつつ、だきにが主をこき下ろしてくる。

「貴様らが無駄に強靱過ぎるんじゃ、人外どもめ」

 指差し罵られただきにとジュラヴリカは、夏場の熱気の中でも小袖とドレスを脱がず、汗もほとんどかいていない。
 ――ジラント皇国領を出るなり、気候は常冬の極寒から元の初夏へと立ち戻った。
 優に摂氏五十度ほどの変化である。体調を崩したのがくららだけであるのが、ちょっとした幸運とすら言える。

「あ、あのね、」

 ジュラヴリカが進み出て、発言する。

「〝あのひと〟、優しく運んでくれるって言ってるから……」
「だそうだ。まぁ、後一両日は船旅――と言っていいのか――よ。ゆっくり身体を休めておけ」

 彼女の言葉を引き継いで、元気づけるように日雨が微笑みかける。

「みー」

 ――一行を背に乗せ海原を泳ぐ、亀の如き生物もそれに同調した。

「よもや、野性の亜竜を使役できるとは。本当に便利な方ですねジュラヴリカ様」

 微妙に失礼な物言いで、だきにがジュラヴリカを賞賛する。
 彼らはジラントの隣国カフカスの海岸線付近に生息していた亜竜(海棲の竜はそのまま海竜と言うらしい)に乗竜し、海路にてヘラスへと向かっていた。竜を調達したのはジュラヴリカである。
 竜種は基本的に人に馴れない。一部の下等な種は輓竜ばんりゅうとして使役されるが、それにしても幼竜の頃から手厚く飼育する必要がある。

 唯一の例外として、巫術・竜種使役法という魔導が存在するが、それは先日大陸全土でも最高位の魔術師である夜見ですら失敗するという始末に終わった。実質再現不可能の技術である。
 竜の姫、ジュラヴリカがそれを実行してのけた事には驚きである。その成果も破格である。
 が。

「あ、や、やー……使役ってワケじゃ……亜竜は、霊格の高い同種にはそこそこ従順で……で、でも、話を聞いてくれるってくらいで~……」

 口ごもりつつ説明するジュラヴリカ。
 一同は彼女の「使役」を思い返す――泳ぎ去ろうとする海竜をおっかけて何度も波打ち際をすっ転び、「洗剤、洗剤つけるからぁ~!」「ウチの国のディナーチケットもプレゼントぉ~!」「お、おおおお願いじまずぅ~! 話だけでも~! 五分でいいでずがらぁ~!」と最後には泣きべそかきながら必死に説得する竜の姫の哀れな姿を。
 ともあれ、ジュラヴリカが自身のコミュ障をおして全力で頑張ったおかげで、海竜は自分の甲羅を掃除するのと引替えにヘラスまで一行を運搬する事に同意した。

「なんか、売れない新聞の勧誘みたいでしたね」
「ちっ、ジュラ公のくせに頑張って仕事するなど、なんと生意気な」

 鬼のようなコメントをする主従である。
 それにジュラヴリカは口を尖らせて反応する。

「そ、そりゃあ、じじいと一緒に旅してた時とは違うもの。ただ世話して貰うだけじゃ駄目だって事くらい分かるわよぅ」
(あれっ、なんかいじましい……っていうかカワイイ……)

 シヴィル・シーチで引きこもっていた性悪幼女時代とのギャップに、くららは萌えてしまった。そこそこ大きい人形サイズの彼女に手を伸ばして、すっぽり抱きかかえてしまう。

「うむうむ。まったく健気な御仁だのー、ジュラヴリカ殿は」

 日雨の方も感に堪えぬとばかりに、彼女の頭を撫でさすり始めた。

「ふぎゃーっ!! こ、こここ子供扱いすんなぁ~! あたしはもう三……ぐぅううう~、さすがに自分からは認めたくないぃ~!」
「よしよし」
「よしよし」
「ぴきぃ~っ!」
「――だぁああああああああっ! 極楽蜻蛉組が一瞬で籠絡されおってぇ~! 面白くない、面白くないぞッ!」

 和気藹々とした三人の様子に怨念すら込めた眼差しを送りつつ、夜見が地団駄を踏む。

「まぁまぁお嬢様、マスコットキャラ争いにおいてジュラヴリカ様に惨敗したくらいでご乱心なさいませぬよう」
「そ、そんなもんで競ってなどおらん!」
「――ちなみに私、その気になれば実年齢(五歳児)バージョンに変化できますので」
「参戦しようとするなぁっ!」

 絡んでくる従者に、夜見はぎゃあぎゃあと喚き返す。
 一しきり怒りをぶつけると、ふぅ、と息をついて告げた。

「……まぁ、実際良い仕事をしたと褒めてやらんでもない」
「素直じゃないなぁ、夜見ちゃん」
「う、うるさい! ――本来の予定ではカフカスからテュルキエへ南下し、ヘラスへと西進する予定じゃった。が、テュルキエとヘラスの関係は険悪じゃ。越境は一手間だったじゃろう」

 腕組みして語る夜見。
 その頃には、水分をとったのも手伝ってくららの気分はいくらか楽になっていた。嫌がるジュラヴリカを抱きかかえたまま問いかける。

「ヘラス、ってわたしの時代で言う所のギリシャだよね。どういう国なの?」
「テュルキエの国土と地続きの、弧状に広がる半島部と、南方のミノア諸島をはじめとした、周囲に無数に点在する群島から成る国じゃ。くららちゃんの言うギリシャとの違いは、クレタ島にあたる場所にそのミノア諸島がある所、そしてバルカン半島の北半分が存在しない事じゃの」
「前も聞いたけど……バルカン半島っていうか、ヨーロッパ大陸が丸ごと消えちゃってるんだよね」
「うむ。綺麗さっぱり。まるで〝元から存在しなかったかのように〟消えておる」

 くららの生まれた旧世界と、現在の新世界。どれ程の間隔が開いたのかは知れないが、一つの大陸が消滅しているなど。くららにとっては目眩のする事態だった。

(アメリカとかアフリカは……どうなってるんだろ)

 時折覚える疑問であるが、今は本題の方に集中して聞く。

「大陸への交易路をやくされておる関係で、かつてはテュルキエ――当時はパールスと言う国であったが――の半属国扱いじゃった。造船と航海技術の発達で海路より他国と貿易ができるようになってからは国力をつけ、その立場を脱してはいるが、それ故に仲は非常に悪い。
 が、交戦は独立戦争時の一度しかしておらん。鉄鉱石の鉱床が多く、軍事力を高める機会にも事欠かんヘラスが東征に乗り出さなんだのは、かの国が〝でもくらちあ〟だからじゃ」
「……なにそれ?」

「要は民主主義よ。ヘラスは国土の半分以上が離島である事から、島々に都市国家を打ち立て各々自治しておる。国として定めるべき事柄は都市国家の代表者を集めて民会なる議会を開催して決める」
「ええと……先進的だね」
「そう言ってもよいが、政治制度なんぞどれを選んでも一長一短よ。民主国家に暮らしておったそちなら、その問題点も分かるじゃろう」
「……ごめん。考えた事もないや」
「会議は踊る。されど進まず」

 夜見はただ一言でそれを表現してみせた。

「対テュルキエ政策で言えば、侵攻に意欲的な東側の都市国家群に対し西側の都市国家群は反対しておる。テュルキエを支配してうまみのあるのは国土を接する東側で、兵や物資の供出の苦労が大きいのは西側じゃからの。こういう時、こうした政体の国が出す結論は常に玉虫色よ。誰も彼もに配慮して、毒にも薬にもならん始末となる。
 ――結果として、戦争も、テュルキエと融和して通商を回復する事もできず、熾火の如き反感を互いに燻らせつつ問題を先送りにしておる」

 そう言って彼女は、口の端を子供らしからぬ形に吊り上げてみせた。亡国の姫君は、世情の皮肉に蔑みと愉快を感じていた。

「ヘラスがどういう国かは理解した……が疑問がある」

 と、日雨が挙手をする。

「幽霊国家……カタ・コスモーン機構とやらとヘラスが関係しているとする根拠はなんだ? いつぞや聞いた、紅毛人(※白人)が多く住んでいる、というだけの理由で、ものぐさなお主が大陸を東から西へ旅する気になるとは思えんのだが」
「物言いは気になるが……まぁ、その通りじゃ。――わらわがカタ・コスモーン機構なる存在を知った時、真っ先にその影響下にあると疑ったのはヘラスよ。それには〝歴とした〟裏付けがある」

 と、夜見は兄へと言い返してみせた。
 二度深呼吸をしてから、詩吟のように語る。

「かくして西の涯てより来たりし者のすえ、悪辣なる王を滅ぼし英雄とならん」
「……なんだ? それは」
「大陸中の各国の史書――というか、その事件をもでるにした物語じゃの――の多くが、この文句で結ばれる。
 この大陸全土の歴史には、ある共通した〝傾向〟があるのよ。一つの国の体制が硬直化すると、〝都合良く英雄が生まれ〟、〝あたかも天が味方したかのような都合の良さ〟で快進撃し、体制を打破して新体制を作り上げる。このような絵に描いたような英雄譚が、連綿と繰り返されてきた……兄様よ、我らには覚えがあるじゃろう」

 妹は名指しで、日雨に問いかけた。

「……ああ」

 彼は苦々しく、確信をもって同意する。彼らにはその傾向とやらを〝実体験〟する機会があった。
 ――秋津洲国の末期、まさに硬直化して腐敗した階級社会の中で、被差別民らが結成した〝苦鸞クラン〟という組織は瞬く間に台頭し、大衆の支持の元に秋津洲国を打倒した。
 その背景には、羅虚虎ロゥ・シィフゥと名乗る機構のエージェントの暗躍があった。つまりは。

「カタ・コスモーン機構は、大陸全土の国を定期的に滅ぼしているという事か」
「そうじゃ。……わらわとした事が、これまでこのあからさまな異常に気付けなんだとは」

 夜見は悔しげにうなるが、無理もない話ではある。機構の干渉は、おそらく新世界の誕生時点から続いていた。最初から空気のように存在するものに疑問など抱けるはずがない。

「西の涯て……その〝英雄〟は、現存する来歴を見る限りほとんどがヘラスを起源としておるのじゃ。さしづめかの国は、〝英雄を生む国〟といった所じゃの」
「英雄を……生む国」
「脚本に従って、お仕着せの衣装を着、黒子の助力を受け、準備万端用意された演出のもと光り輝く、そんな英雄様じゃがの」

 皮肉をたっぷりと込めて、夜見はそう言った。

「ヘラスは、機構の工作員を大陸全土に派遣する為の橋頭堡よ。必ず、彼奴らに繋がる手掛かりがある」








 一行は、一両日をかけてカフカスの西海岸に広がる大いなる海カラ・デニズを航行し、都市国家の一つ、サロニカへと到着した。弓なりの弧状半島であるヘラスの、丁度胴の部分に位置する地域である。

「ほ、わぁ~……」

 沿岸部の港町から乗り合い竜車に揺られて四時間ほど。降車するなり吹付けて来た爽やかな潮風を嗅いで、くららは間の抜けたため息をつく。
 日本の夏とは違って湿気のない風、目映く照りつける日差し、目の前に広がる内海から漂う潮の香り。

「ちちゅーかいだ……」

 感動に、呆けたようになってつぶやく。

「ちっ、無駄に爽快な気候じゃ。肌に合わん」
「ねぇねぇ、早く宿取りましょうよぉ~。日光浴びすぎて落ち着かなくなってきた……」

 ――その背後で、陰険・根暗の幼女二人が爽やかな町並みに不満たらたらであった。
 更に背後にはだきにが控え、ぼんやりと立ち尽くしていた。彼女はたとえ火山口でも氷河の上でも同じく、さして感慨を抱かずうすらぼんやりと佇む性質である。

「……日雨くぅ~ん」

 べきべきと意気を挫いてくる女性陣に恨みがましい目線を送り、救いを求めて声を上げるくらら。

「うむ」

 竜車の運賃を持たなかった為、夜見に走ってついてくるよう強いられていた日雨が応じる。数十キロを疾走して、ほんのり息を切らした程度である。

「……疲れてないの?」
「シヴィル・シーチで軽功なる技術を学んでの。――これくらいなら、まぁ」
「加速度的に人間離れしていくね、きみ……」

 呆れと感心を7:3程度混ぜ込んだ表情で、くららはコメントする。

「ともあれ、なんとも心地の良い潮風よ。これが西の海か。秋津洲とは一味違う興趣だのぅ」

 風下に立ち、潮風を受けて楽しげに唸る日雨。そういうリアクションを求めていたくららは思わず飛びつきそうになる――が気恥ずかしくて立ち止まった。
 誤魔化すように笑いかける。

「だよね、だよね~。あのね、わたしの産まれた時代でも地中海地方って人気の観光スポットだったんだよ~」
「ほ、ほう。そうなのか」
「うんっ。だからこの国を巡り歩くの、前から楽しみにしてたんだ~。あ、そうだ。後で海で泳ごうよっ。水着売ってるかなぁ……」

 旅先のテンションではしゃぎ気味に喋り倒すくらら。――それを受ける日雨が、顔面をやけに緊張させているのに気付いていない。

「……肌に合わん。全く肌に合わんぞ、この空気ぃ~」

 蚊帳の外感の溢れる距離を空けて、夜見が歯ぎしりしつつうなる。

「討ち入りですか、殿」
「誰が殿じゃ!」

 たすき掛けして、額に「青春☆ですとろい」と筆書きされたハチマキを締めて囁くだきにに夜見は怒鳴りつけた。

「ったく、遊びに来たのではないのじゃぞ、極楽蜻蛉どもめ。観光なぞしとる暇があるか」

 ふんす、と鼻息荒く二人の間に割り込んで、彼女は両者を睨みつけつつ宣告する。

「あ、うん……ごめん」

 くららはばつの悪い気分で謝罪する。確かに、遊びに来たわけではない。カタ・コスモーン機構の拠点とも言える場所で、彼らの目を盗んでその存在の手掛かりを、あわよくば彼らの本拠地を探ろうというのだ。緊張感をもって当たって然るべきである。
 彼女の申し訳なさそうな雰囲気を感じて溜飲を下げたか、夜見は景気づけるように微笑を浮かべ、今後の方針を述べた。

「さて、初見の土地じゃからな。まずは地歩を固める」
「というと?」
「わらわの知人に会いにゆく」

 と、夜見は言った。

「え、ここに知り合いがいるの?」

 つい数ヶ月前まで、ここと正反対の東の果てで生活していた彼女にくららが問うと、和装の幼女はにたりとして告げた。

「忘れておるようじゃの、くららちゃん。この超絶可愛い天才幼女・詞木島夜見ちゃんは、大陸全土で手広く商いをする大会社の社長様でもあるのじゃぞ」






「あら、あら、あのウカノミタマ商会の社長さんがこんな可愛らしいお嬢さんだとは思いませんでしたわぁ~」

 サロニカ市内、中心部からやや外れた商業区域にある二階建ての社屋に設けられた執務室に通された一行は、そんな間延びした声を耳にした。
 外を闊歩する、明快な気候の元育った闊達なヘラス人と比べ、やけに牧歌的な風情のある女だった。二十代とも三十代ともつかない、曖昧な顔立ちをしている。見えているのか疑わしい程に細められたまぶたも、その不明瞭な印象を助けていた。
 日々海の荒々しさと戦っている人種には見えなかった――夜見はこの人物を、サロニカ有数の海運業者の社長と紹介していた。
 彼女は窓際に用意された席に座し、机には花を生けた花瓶を数多く並べていた。椅子が身体に合わないのか、時折身を揺すって椅子を軋ませる。

「アルテミシア殿」

 夜見は一歩進み出ると、挑むような笑みを浮かべつつ女の名を呼んだ。

「北方のテルーニアなる村で葉煙草を栽培しておる地主に出資しておるな? 撤退を推奨する。あの地主、近々摘発されるぞ――芥子を栽培しておった」

 手札を切るようにまくし立てる彼女に、アルテミシアのなだらかな眉根が微かにひそめられた。

「あららぁ……裏を取ってみますわね~」
「うむ、そうしておくがよい」

 鷹揚に頷く夜見。――ヘラスに到着して半日もしない内に、彼女はだきにを使って、アルテミシアにとって価値のある情報を集めてのけていた。
 上等の〝手土産〟を差し出された彼女は、じっと目の前の幼女を見つめた。眼光から微かに鋭さが伺える――明確な警戒心を示した事で、子供扱いを詫びているのだ。

「ごめんなさいね~、ヨミさん。気分を害されたのなら謝罪致しますわぁ~」
「なに、慣れた事よ」
「この間は割の良い綿織物の輸入業者を紹介して下さって。おかげで儲けさせて頂きましたわ~」
「こちらこそ、真珠を高値で買い取って頂いた」

 改めて、挨拶を交わす二人。

「でも~、主に大陸東部で活発に動いていらした貴女が、唐突にこの国に訪れるなんて意外でしたわね~」
「……縄張りを荒らすな、という事かの?」
「いえいえ~、ただ……ひょっとしたら、宝探しに来られたのかもと」
「からかっておるのか?」
「滅相もありませんわ~。――本当に、そういう噂があるのです」

 彼女が言うには、このヘラスを構成する諸島のどこかに〝宝島〟があり、莫大な財宝が隠されているという噂を、昨今よく耳にするのだそうだ。
 海洋国家である以上、昔から海賊が珍しくもないこの国の事、そうした街談巷説もまた珍しいはずもないが。

「近頃〝ある理由〟で、噂に妙な裏付けができてしまって~、ここ数年は諸外国からの……冒険家さん? とでもいうような方々までやってくる始末で」
「それは苦労するの」

 一攫千金を狙って外国へ上陸する、そんな輩に品行方正などと期待するのも無理な話だ。観光収入を差っ引いても、地元の住民は迷惑をこうむっている事だろう。

「当然ながら、わらわにはそんなもの、興味がない」
「堅実に、地道に稼ぐのがわたくしどものやり方ですものね」

 そう言葉を交わすと、低俗な冗談を聞いたようにどちらも笑い声を上げた。
 笑いの発作がおさまると、アルテミシアは告げる。

「ではでは、先程早竜便で受け取った書簡で要請頂いた通り~、ヘラス逗留中の定宿の手配を――それと、偽造査証ビザも都合をつけておきますわ~」

 彼女の発言の後半部分に、夜見の目尻がひくりと痙攣した。彼女は、道すがら仕入れた情報を手渡した事で、こちらが北方から密航してきたのだと察したようだった。

「高くつくのじゃろうな」
「いえいえ。宿賃も含めて、お代は結構ですわ~」
「……なんじゃと?」
「手持ちのご資産を処分すればそれくらい都合がつくのでしょうけれど~、足のつくような真似は極力したくないのでしょう?」

 あくまで彼女はのどかな笑みを絶やさない。

「……そこまでして頂く理由がない」

 一見理由のないように見える好意ほど疑うべきものは、この業界には存在しない。夜見が温度の失せた口調で告げると、

「こちらにはありますわ――どうも、シキシマヨミに貸しを作っておく事には十分な見返りがあるようですし~」

 海の女は、快晴の空の下で航路を見定めるように言った。







「ふ、わぁ~……緊張したぁ~」

 アルテミシアのオフィスから退出し、街路を行く道すがら、くららがため息混じりに言う。

「なんか、雲の上の会話って感じだったよ」
「はん。むしろ穴蔵の狢の化かし合いよ」

 つまらなそうな顔を彼女に向け、そうコメントする夜見。
 その横では日雨が奥歯にものの挟まったような面つきで首を傾げている。

「どうしたの? 日雨くん」
「ん、いや……あの御仁。どうも商人らしく見えなかったのでな」
「あ、そうだね。なんかのんきな若奥様って感じ」
「うーん、そうではなく……むしろ妙に剣呑というか」
「剣呑?」

 くららは疑わしく聞き返した。確かに、夜見とのやり取りには油断のならないしたたかさを覚えたが、常時放っている雰囲気は剣呑とは真逆のものに思える。

「――ふむ」

 夜見が口を挟んでくる。感心を含んだため息を交えて、

「隊商護衛で培った目利きか。なかなかに鋭いではないか、兄様」
「どういう事だ? 夜見よ」
「ありゃ海賊上がりよ」

 日雨とくららが目をむくような事実を、彼女はさらりと明かした。

「元はテュルキエ出身の海賊一家で、代々商船からふんだくった金品とその過程で研鑽した航海知識を元手に、あやつの代で海運業に手をつけた。ヘラスは大陸屈指の海洋国家じゃ。個人の才覚で一から海に名を轟かせられる程甘くはない」

 日雨が嗅ぎ取ったのは、彼がやり合ってきた山賊連中と同種の匂いなのだろう。
 夜見はその経歴を知るが故に、裏社会にも通ずるであろうとアルテミシアを頼ったのだから、後ろ暗い事情があると察されて当然であった。最悪脅迫の一つもされると思っていたが、ごほうびとばかりに飴をくれるとは。脅迫されるより厄介だ。
 なんとも、渡世とやらは歯応えに事欠かないものだ。

「まぁ、今は真っ当な商い人よ」

 真っ当な、という言葉にたっぷりと皮肉を込めて夜見は言う。

「こちらが対価を示し続ける限り、面倒を見てくれるじゃろう。全ヘラスの海と島を知る、今の我らに最も必要な協力者じゃ」

 そう告げて――不意に腰に手を当て嘆息し、そして街路の端に置かれた樽を見やる。

「……で、そちは何をやっておるのじゃジュラ公よ」

 ジュラヴリカは大きめの樽の影に隠れ、辺りをおどおどと伺っていた。先程からずっと物陰をつたって一行についてきていたのだ。

「だ、だだだだってだってだって、ふ、不審がられるじゃない」
「全くその通り。今の貴様は挙動不審にも程がある」
「そ、そうじゃなくて~!」

 抗議の声を上げつつ、彼女は側頭部に生えた双角を隠すように両手で握り込んだ。

「尻尾はスカートの中に隠せるけど、角は……人里に竜の子供とか、絶対世にも無惨な虐待の対象よぅ~。石と生卵と牛糞を投げられ冒涜的な罵声を浴びせられて、さ、最後には誘拐されて見世物小屋行きぃ~……た、たたた助けておじいちゃぁ~ん……」

 とうとう涙目で泣き言を漏らし始めるジュラヴリカ。
 高等竜種でも力の制御に熟練した者は、ある程度肉体の構成要素をコントロールできる。完全な人の姿を取る事も可能で、それを角隠しと呼び成竜のバロメーターとすらしている。
 しかし彼女は四種の霊子を持つ事で、力の制御に先天的な欠陥を抱えている。角や尻尾など、竜の形質を多少残さざるを得ない。
 彼女の物言いは極端にしても、人間社会では確かに不審がられる風体である。
 ちなみに彼女が祖父・リューリクと旅をしていた頃は、彼が「細けぇこたぁ気にすんなよー」の一言で誤魔化していた。全くの力技である。他の誰にも真似などできない。

「じゃから、そちには陰形符をくれてやったじゃろうが」

 その対策として夜見は、他人の認識を阻害する軽度の陰形効果を常時発動する護符を彼女に渡していた。本来の姿を知る仲間達には通じないが、通行人の目なら十分ごまかせる。

「なんかうさんくさいぃ~」
「おい」

 真っ正直に本音を垂れたジュラヴリカに、夜見は額に青筋を立てる。

「だ、だってこんなお札一枚で角が隠れるとか言われても……ううっ、怪しげな通販に騙された十三年前の記憶が蘇るぅ~。パワーストーン、幸運の壷、持ってるだけでお金の貯まる財布……う゛あ゛あ゛あ゛あ゛ぁ~、なんであんなの信じちゃったのよぉ昔のあたし~」
「恥ずかしい人生経験に事欠かん女じゃのー」

 トラウマスイッチが入って過去の恥辱に悶えるジュラヴリカを、夜見は蔑んだ目で見下ろしている。と。

「――かくれんぼかい、お嬢ちゃん」

 いつの間にかジュラヴリカの背後に中肉中背の男が一人立ち、彼女に声を掛けてくる。妙に息が荒く、目が血走っていた。

「可愛いねぇ、本当に可愛い。綺麗な銀髪の幼女……ふひひ……誰にも見つからない場所があるから、おじさんと一緒に行こうか……」
「ぴきぃ――――――――――――っ!?」
「……だきに」

 主の言葉が発せられるや否や、そばに控えていただきにが、大陸全土に一定数分布するらしき特殊かつ重篤な病人に当て身を食らわせ失神させる。
 ジュラヴリカは樽の影から脱兎の如く飛び出し、くららの腰に抱きついてガタガタ震える。

「……まぁ、図らずとも符の効能が実証されたわけじゃが」

 しかし、新たなトラウマが彼女の人生に付け加えられもした。

「ともあれ、拠点も確保した。路銀も当面は困らん程度ある」

 モクレントレイで会社経営をしていた頃既に、夜見は資産の一部を各地の外貨に替えていた。ヘラスの通貨も含まれており、数ヶ月の滞在費を賄うには十分な額である。

「この後はどうするの? 宿に行く?」

 怯えるジュラヴリカをなだめつつ、くららが問いかける。

「いや、」

 夜見がそれを否定し、今後の方針を告げようとした所で――

「道を開けろ!」

 鋭い叱責が街路に響き、彼らも含め通行人全員がそちらを振り返った。
 あぶみくつわ、鞍に金細工の装飾を施した亜竜に騎乗した男が、街路の向こうからやってくる所だった。フスタネーラ――スカート付のシャツに豪奢な刺繍のベストを羽織り、房飾りのついた帽子フェズを被っている。麻のシャツにズボンという、夏場ゆえに軽装の通行人たちとは異彩を放つ。
 騎乗の熟練度から見ても、軍人であると察せられた。
 練り歩く程の速度で騎竜を進め、手にした旗竿を見せつけるように掲げている。

「手が疲れますね」

 よく見ると旗竿を手にした右手をぶるぶる震わせ、苦悶の脂汗をかいている男を遠巻きにだきにがコメントする。

「なんて書いてあるの? あれ」

 旗竿に書かれた文字を指差し、くららが夜見に問いかける。――国土が群島であるヘラスは、言語の共通性を自国のアイデンティティとしているので、商取引でもなければ大陸共用言語であるセール語が用いられる事はない。一行はヘラス語の短期集中講座を夜見から受けていたが、文字については十分な時間を取れなかった。
 質問を受けた夜見が、難しい顔で黙り込んでいると、

「本日、救国の英雄アキレイウス殿が来訪された! 諸君に憂国の志あらば彼の論説に耳を傾けるべし!」

 騎乗の兵士が口上を述べて、彼らの前を素通りしていく。――くららにはぴんと来るものがある。あの旗竿には、そのアキレイウスなる人物の名が書いてあるのだ。

「街宣カー? あ、いや、街宣ドラゴンかな」

 などと結論付ける。

「なんか、随分居丈高だったけど」
「勝ち馬に乗った気でいる大馬鹿者など、皆あんな調子よ」

 冷めた目で竜の尻と兵士の背を見送りつつ、夜見が言う。

「あれを追うぞ。どうやら我らの到着は、図らずとも時機に沿ったものだったようじゃ」








 サロニカの中心部に位置する広場アゴラ。本来は乗り合い竜車のターミナルであるらしき空間は、平時よりも人で賑わっているらしかった。今は仕事にならないと、竜車から降りて煙草を吹かしている御者が目立つ。
 逆に、金儲けの機会に目敏い飯屋は屋台を持ち込んでいた。香辛料をまぶして焼いた芋や魚の匂いが鼻孔を刺す。さすがは貿易大国というべきか、食事の種類が豊富だった。
 ただの祭りとでも思えてきそうな風景である、が。

「お初にお目にかかる、諸君」

 演台に立ち、朗々と語る男。
 英雄アキレイウスなる人物は、軍閥貴族なるものに典型的な、育ちの良さと獰猛さが奇妙に混淆した風体であった。己が男性的美質を強調する為に鍛えられた肉体、手荒くノミを入れたような顔立ち。
 発する声は、ざわめく群衆の中で不思議な程に響いていた。聴衆の中でも後方に並んでいた日雨たちですら聞き取れる。

「魔術じゃ」

 群衆に紛れてアキレイウスに注目していた夜見が、ぼそりと漏らした。

「風精を操り、拡声装置PAに似た効果をもたらしておる」

 男の声質は凡庸、少なくともそれだけで人を引き付ける類のものではないが、その魔術面の効果は巧みであった。無目的な祭りの空気を誘導し、男に対する注目へと切り替えている。
 音響設備の発達は、ナチスが演説時にこれを重視した事がきっかけとされている――ならばこれは、全く基本的な用法であった。
 彼女が説明する間にも演説は続く。

「此度はサロニカの名士、オイオリュコス議員のご尽力によりこうした場を設ける事ができた。まずは謝辞を述べたい」

 と、アキレイウスは演台からやや離れた賓客席に座す老人へ目礼する。身動きに震えを催す程の年頃に見えるが、背筋はしっかりと伸びて微動だにしない。細身の身体からは肉体の頑健さは伺えないので、普段の節制と――何より意思の力で衰えを制御しているのだろう。
 彼はゆったりと――老衰の影響を晒さないよう、慎重に立ち上がり声を上げた。魔術の影響下に無い為か響きは遠いが、しかし聴き取るには不都合のないはっきりとした声音。

「私こそ。先年のヘロゲイモスの内乱鎮圧、ナトゥスの海賊征伐と武名に事欠かない、パルテナの若き将を歓待する事は、ヘラスの民として全くの名誉である」

 きびきびとした口調で語る老人。
 アキレイウスは満足げに頷くと、再び聴衆へ目を配った。

「私はヘラスの更なる繁栄と安寧の道を民へ示すべく、遊説の旅の最中である」
「……はっ」

 日雨の隣で、夜見がこれ以上なく露悪的な嘲笑を浮かべていた。どうも早々に、演壇上の人物への評価を定めてしまったらしい。

「繁栄と安寧が両立などするか。繁栄とは即ち他者の資源の略奪であり、安寧はその放棄でしか成り立たん。富めば恨まれ、和を為せば赤貧に震える」

 痛烈に批評を述べて、

「これからあの男が何を言い出すか、明らかじゃな――あやつ、典型的な扇動者あじてーたーよ」

 彼女の言葉を実証するように、アキレイウスは高らかに言い放った。

「諸君、好機である! 〝東征〟を為すなら今をおいて他ならない!」

 くららが、慣れないヘラス語をどうにか聞き取り内容を吟味する。
 ――大陸への交易路を扼されておる関係で、かつてはテュルキエ――当時はパールスと言う国であったが――の半属国扱いじゃった。造船と航海技術の発達で海路より他国と貿易ができるようになってからは国力をつけ、その立場を脱してはいるが、それ故に仲は非常に悪い。
 夜見の言っていた言葉も思い出すと、彼がヘラスの民に何をさせようとしているのか、ようやく理解した。

「……あの人、戦争を煽ってるの?」
「我がパルテナを始めとして、ヘラスの主要都市国家では長年海軍力の増強に熱心であった。今では三百人の兵員収容能力を持つ軍船の開発まで可能となっている」

 くららの疑念に即答するように、アキレイウスは得意げに語り始めた。

「テュルキエは東部を除く三方面が、大きく伸びた海岸線により海洋と接する国家である。つまり我らは、かの国のあらゆる場所に上陸し、侵攻する事が可能なのだ。十万、いや二十万の軍勢を容易にテュルキエの国内に展開させ、内側から食い破らせる事ができる」
「皮算用にも程がある」

 夜見が嫌悪も露わに言った。

「ヘラス全土の軍船を掻き集めれば、確かにそれくらいの真似は可能じゃろうが……その船は各都市国家に散らばっておるのじゃぞ。それだけの軍船が一つ所に集結しようとすれば、半分も集まらんうちにテュルキエに察知される。そしてその時にはヘラス防衛に割ける軍船は無くなっておる。逆に上陸され、内陸を食い荒らされて終わりじゃ」

 仮に初動が首尾良くいったとしても、その後の計画も穴だらけであった。テュルキエは旧世界で言うアナトリア半島全土を占める広大な国土を持っている。大陸西部の大国として、内陸部での戦闘経験も豊富だ。十万、二十万と聞けば大軍に思えるだろうが、まるで足りない。少なくとも、短期決戦を期すのであれば。
 そしてヘラスには戦争を長期化できない理由がある。

(この国は、食糧自給率が低すぎる)

 ほとんどの土地が主食たる穀物の栽培に適さないのだ。どうしても輸入に頼るしかない。かつてはその弱味を握られ、テュルキエに隷属せざるを得なかった。海洋貿易でその解決を図ったものの、根本的な事情はまるで変わっていない。
 戦争が長引く程に、輸入頼みの兵糧は国庫を圧迫していくだろう。開戦すれば負けるわけにはいかないのだ。輸出国はここぞとばかりにふっかけてくる。
 ヘラスを構成する都市国家の一つや二つ、瞬く間に干上がっていくだろう。

 そもそも、海洋からの侵攻作戦となれば兵站線の維持は段違いに困難となる。テュルキエ側は至極基本的な兵理に則って対処すればいい――縦深防御戦術を採り、ある程度敵軍の主力が進行した所で、迂回した兵力に海岸に構築された拠点なり、輜重(※軍事物資)を積んだ輸送船なりを潰させればいい。広い国土、豊富な戦力、テュルキエにはそれを可能とする条件が十分整っている。
 ヘラス軍は他国の領地で進むも退くもいかなくなり、囲い殺される運命を辿るだろう。

(何より、)

 兵員はどうする? 外征経験は無く、大規模な防衛戦争も一度きりしか行わなかったヘラスには二十万の兵士などいないはずだ。高額の維持費を投資する事に意義を見出せない。〝デモクラティア〟であるこの国では、民衆の自立心が高い。強制的に徴兵する事も不可能だ。
 その答えは、今アキレイウスなる男が示している――この男は、ヘラス中の市民を煽り、自ら志願させようとしているのだ。
 あからさまに無謀な作戦を実行するのはただの素人、烏合の衆である。
 真っ当な軍人であれば、発案者を後ろから撃ってでも止める類の机上の空論。いや、子供の空想とすら言って良い。
 であるのに演壇上の英雄は、瞳に確信的な熱気を込めて持論をひけらかしている。

(ただの馬鹿なのか?)

 他人の命で丁半博打をやらかし威風堂々と振る舞える愚鈍さと、それを可能とする権力を持ち合わせてしまった、不幸にも時折世に出現する事がある最悪の愚者。
 そうかも知れない。しかし、あるいは。

(……根拠があるのか?)

 計画が子供の落書きのように稚拙であっても、実現できてしまうような魔法の〝仕掛け〟が。
 夜見が思考に没頭している間、演説は次の段階に入りつつあった。アキレイウスは己が演出する舞台に、新たな登場人物を招こうとしていた。

「この戦の勝利は〝確定〟している! 我がパルテナの巫女ピュティア・アルサンドラが神託を受けたのだ!」

 淡い金髪の、儚げな容姿をした少女である。一枚一枚は透けて見える程の薄手の布を重ねた衣を纏い、貴金属は一切身につけていない。衣類の耐久性ゆえか、あるいは周囲の感じる神聖性を強める為か。
 フードで身体を隠した従者に手を引かれ、じらす程にゆったりと、演壇のアキレイウスへと近付いていく。
 不可解な事に、聴衆は英雄とされた男よりも少女に熱気のある視線を送っていた。

「ヘラスはの、巫女の神託を異常に重視する気風がある」

 疑問を顔に出した他の面子に、夜見が解説した。

「為政者の善意などより、淡やかなまじないの方が民にとってよほど信ずるに足る。秋津洲も似たようなものだったじゃろうが、兄様。もっとも、こちらは繁栄を〝祈る〟、あちらは〝約束する〟のじゃがな」

 うさんくささは大差無い――技術として魔導を扱う立場にある夜見は、今の時代も少数存在する近代的思考の持ち主たちより、祈祷と託宣に否定的だった。
 彼女が語る間に、巫女アルサンドラは舞台の前方に辿り着いていた。かもし出す荘厳さは、世俗に塗れる事を厭わず、むしろ望んで半身まで浸かった詞木島夜見より、遥かに巫女らしかった。

「皆様、わたくしはデウスの声を聞きました」

 強いて声を張らない、か細い語り口であったが(巫女が大声を張り上げるなどあってはならない)、ヘラスの民が静かに巫女の言葉を聞く習慣である事と、アキレイウスが用いる魔術効果が彼女の声にも及んでいた為に後方の日雨たちにもよく聞き取れる。

「かつてテュルキエに虐げられた復仇を果たすのは紛う事なき正義であり、かの悪漢どもの征伐には神助が約束される、と。ピュラコス、アウトノオスを遣わし敵勢への尖兵と為さしめんと」

 彼女の言葉の後半部分を耳にした夜見が、眉尻をぴくりとさせた。

「ぴゅらこす? あうとのおす?」
「……ヘラスの古代史に登場する半神ヘーロースじゃ。〝鎧をまとった巨人〟の姿をしているとされる」

 彼ら一行だけが、その言葉に有意な直感を抱いた。

「……それって」
「兄様、くららちゃん。一つ尋ねるが、そなたらには、こう、同種を嗅ぎ分ける感覚なぞはないのか」

 舞台上の〝英雄〟と〝巫女〟へ尖った視線を投げかけたまま、夜見が問うてくる。
 彼女の言わんとする事は、両者も理解できた。

「……ごめん」

 くららはアルサンドラを見やって首を横に振る。日雨もアキレイウスを観察してみたが、同意見のようだった。
 元より夜見もさして期待して述べた発言ではない。彼女の目をもってしても、物理的、霊的の両面において〝変身前〟の機傀悪魔と媒介者は普通の人間にしか見えないのだ。
 しかし、状況から言えば第一候補の容疑者たちだ。
 ――夜見は、彼女たち巫女をカタ・コスモーン機構の工作員と考えていた。
 ヘラスの民が神託を過剰に信ずるのは、単純に〝当たる〟からだ。特に国事に関わる予言に関して外した記録がない。

 未来予知に関わる魔導の技術的困難さは計り知れない。気候状況からその週の天気を当てるにも十分以上の才覚と労力が必要となる。
 ましてや数ヶ月、数年に渡る長期間の未来を言い当てるなど。試みる事すら馬鹿馬鹿しい。
 あからさまな不可能が、どういうわけか可能となってしまっている――誰かが、何かの〝ずるチート〟をしていると見るのが当然である。
 あるいは〝筋書き〟と〝演出〟か。張り出した舞台で芝居がかった台詞を述べる男女をすがめ見て、皮肉が夜見の脳裏に浮かぶ。

「我らの征伐には正義があり、それ故に神助がある! 数年後、諸君らは東の肥沃な大地を手にしているだろう!」

 大きな手振りをまじえ、アキレイウスが聴衆へ言い放つ。

「欲しいだろう! 豊富な麦が! かの国は黄金の鉱脈もある――テュルキエの富を全て手に出来ると約束されているのだ! 立たぬ理由などない! 諸君らがヘラスの民らしからぬ怯懦を抱えてでもいない限りは!」

 彼の並べ立てる扇情的な言葉一つ一つを聞く度に、民衆の熱気が増していく。
 おぉぉおおおお――っ!
 とうとう、声まで上がり始める。集まる民衆のほとんどが熱狂を顔面に貼り付け、英雄への陶酔を唱和した。

「……ち」

 聞くに堪えぬ、としかめた表情で主張して、夜見は舌打ちする。

「――愚かに見えるか」

 彼女の顔を見ずに、日雨が問いかけた。
 彼の表情には、明らかな哀しみがあった。思わず隣のくららが案じてしまう程に。

「そなたは城下に出た事がないから、見てはおらんのだな……秋津洲国が滅んだ時も、こうであったよ」

 かつての秋津洲国は、硬直した階級社会の悪弊で末期的な状況にあった。
 そんな最中、困窮した民の前に、自信に満ちあふれ、裏付けられた力を持つ者がこう述べるのだ。

 きみたちは悪に害されている、と。
 声を上げ、剣を取り、悪を否定するのが正義なのだ、と。
 そうすればきみたちは、しあわせになれるのだ、と。
 その甘さと刺激を両立した言葉を拒絶する力を、彼らは持たない。
 彼らは力の無きが故に、自ら現状に抗う事ができないのだから。
 英雄が、全てを変えてくれると信ずるしかない。

「かつては余も、ああした者を信じかけた」

 それは日雨にとり恥ずべき告白であったが、ここにいる仲間たちには、明かす必要と信頼を感じていた。
 ――幸か不幸か、日雨が羞恥心の虜となる機会はその直後に奪われた。
 丁度、彼らの頭上数メートルほどを飛び越えていく飛来物を、日雨は発見する。

「ぁ――」

 小さい――何か――筒のようなものが五本――火花――

「――ッ!」

 瞬時に彼の表情が焦燥に染め上げられた。飛来物の軌道が壇上の人物へ届くものと悟りつつ、構えを取る。右手の人差し指、中指を左手で掴み腰だめにするという、奇妙な姿勢であった。
 指を振り抜くモーションと共に、指先から銀色をした糸状の何かが飛び出す。複雑な軌道を描き、遥か中空の飛来物を斬り裂いていく。
 焦りの為に、五本の筒の内一本だけ、理想の結果――筒先の火の付いた紐を正確に切り離す事ができなかった。筒そのものまで分解してしまい、内容物が種火に引火してしまう。

 ――空が朱色に染め上げられた。
 筒の内に満載されていた火薬が発火したのだ。
 突然の出来事に、聴取たちは遅れて、しかし絶大な反応を示した。悲鳴を上げて広場から逃げだそうとする。
 ぶつかってくる群衆を避けつつ、日雨は後方を見やった。
 群衆の輪の外、乗り合い竜車のいくつかが支道をばらばらに走り去っていく所だった。今の爆発に反応したにしては、いかにも早い。
 逃走する竜車の一つにあたりをつけ、追い掛けようとした所で。

「待て! 兄様」

 人波に揉まれぬ為でもあるのだろう、密着する程にしがみついてきた夜見が制止の言葉を吐いた。
 見れば、少し離れた所でだきにが無人になった屋台を確保し、その陰に他の二人を隠していた。
 気が急いていた日雨は、声を荒らげ妹へ告げる。

「今動かねば取り逃す――」
「無駄じゃ! これは、周到に用意された計画よ」

 同じく声を張り上げつつも、彼女の瞳には冷静に頭脳を回転させている事を示す冷たさがあった。
 謎の襲撃者が用いたのは擲弾。距離が開いていた事から、スリングショットのような道具を用いたと予想できる。その癖投げつけられた五本ともが正確に演壇へと向かっていた――練習したのだ。
 逃走の為の竜車を、広場の乗り合い竜車の中に紛れ込ませ、しかも囮まで用意するという念の入れよう。おそらく町の地理も知り尽くしている。日雨が運良く〝当たり〟を掴んだ所で追いつける公算は低い。
 何より、

「これ以上目立っては、我らの存在がカタ・コスモーン機構に露見する」

 一瞬、だからどうしたと日雨は反論しかけた。襲撃者を取り逃せば〝次〟がある。その時は、どこかの誰かが死ぬかも知れないのだ。

「兄様……っ!」

 しかし、夜見の顔つきは悲愴ですらあった。彼女は、兄の無謀から来る致命的な事態をなんとしても止めねばならないと決意している。

「……すまん」

 感じていた、腸を焙られたような不快な気分をどうにか押え込んで、日雨は妹に詫びた。彼女を抱きかかえ、仲間たちの待つ屋台の裏へと移動する。だきには既に退路に見当を付けている所だった。







 広場から少し離れた、薄暗い路地裏まで逃げ込んでようやく彼らは一息つけた。
 街路に立つ人々は、爆発騒ぎについてしきりに噂している。既に噂の内容は事実からかけ離れていて、彼らは千人からなる野盗の襲撃だの、近場の活火山が噴火しただの好き放題に言い合っていた。

「……急に、腑に落ちん展開になったな」

 先程の事態を思い返して、日雨は不可思議そうに唸る。秋津洲国では、カタ・コスモーン機構の援助を受けていた組織・苦鸞がテロ活動を行っていたのだ。機構と通じていると疑っていたアキレイウスが爆破テロの標的になるなど、理屈に合わない。

「秋津洲国の例を無理に当てはめようとすると足下をすくわれるぞ、兄様」

 夜見が叱りつけるも、事態が複雑化したのは確かだった。今後の立ち回りも、考え直さねばなるまいが。

「まぁ、手札が無いでもない。まだまだ、やりようはある……」

 出端をくじかれ鬱屈とした気分を入れ替えるように、夜見が手櫛で乱れた髪の毛を梳いていると、

「ね、ねぇねぇ、日雨くん」

 意を決したようにくららが声を上げた。彼女はさっきから、日雨の顔の右半分に妙に注目していた。

「その目と髪、どうしたの?」

 夜見をはじめとして、他の面子も気付いてはいた。彼は、右目と右側頭部の髪の毛一房ばかりが、白刃の色合いに変化していたのだ。

「ん。おお――完全に刃鬼化しては、目立つと思ったのでな」

 と、身体の異変の当事者である彼は気軽に応じてみせた。右手を掲げ、指を立てる。
 さら、と砂を流すような音を立てて、彼の指先から糸状の刃が流れ出てきた。

「こうして、力の一部だけを露出するように変化へんげした」

 そして、今更変身していた事を思いだしたのか、元の姿へ戻る。

「へぇー」
「随分と器用な芸当ができるようになったのですね」

 素直に感心するくららと、淡白な反応を返すだきに。

「――どうしたの? 夜見」

 その裏で、ジュラヴリカが夜見へと声を掛けてきた。彼女の友の顔つきは、爆発騒ぎを考察する時より複雑な色味を帯びていたから。

「……気にするな」

 そっけなく告げつつも、内心の世界では雨雲が覆い尽くしたかの如く暗澹としていた。

(加速度的、そう、加速度的に)

 図らずも、数時間前にくららが漏らした言葉を思い出す。

(加速度的に、力に馴れていっておる。……それも当然か)

 シヴィル・シーチで日雨にしつこく問い糾した裏鬼道なる術の本質を考えれば、そうなるのが自然であった。
 ――その事を思えば、内心の雨雲は簡単に雷雲へと化ける。

(エルザ・フランケンシュタイン……)

 夜見は、ジュラヴリカから顔をそらさねばならなかった。憎悪の虜になった表情を見られたくはない。
 兄にこの〝邪法〟を授けた女を、夜見は決して許さないと誓っていた。何と言い訳をされても、どんな謝罪があっても。
 もう――取り返しが付かないから。

「ねぇねぇ、夜見ちゃん」

 日雨の身体の異変に明確な回答が得られたからか、脳天気な顔に戻ってくららが呼びかける。

「……なんじゃ」

 今し方弄んでいた悪意の影響をどうにか打ち消して、夜見は反応する。

「これからどうするの? 宿に行くんじゃなかったら……もしかして聞き込み? なら任せてよ! わたし、高一の時西部○察を皮切りに刑事ドラマ十シリーズマラソンして、一ヶ月で完走したんだから!」
「だからどうしたというのじゃ……」

 根拠のあるようでまるでない自信を顔中に浮かべ、太鼓判を押すように胸を叩くくららに、夜見はうろんな眼差しを送る。

「そんな事はせん」

 きっぱりと告げる彼女。そして、続く言葉に――今度はくららの方が疑わしげな目つきをする羽目になる。
 なぜなら、それは夜見自身が一度否定した事のある提案だったからだ。

「これから、我らがすべき事は一つ」

 薄暗い路地裏からでも覗く、輝かしい地中海世界の太陽を見上げて夜見は言い放った。

「観光じゃ」



[40176] 3.何はなくとも水着回
Name: 八目又臣◆aa87a973 ID:17b043ce
Date: 2015/03/04 11:58
 ヘラスの内海は名を主海アルヒ・ペラゴというが、もう少し詩的な異名にアイゲウスの海イ・サラサ・エゲオなるものがある。誤報により息子が死んだと思い込み、身を投げたある国の王にちなんだものらしい。
 由来はともかくとして、美しい海だった。浅瀬は砂浜の白と混じって翡翠の如く煌めき、その向こうには空の青と伍する紺碧が広がる。初夏の陽気に暖められた砂浜は、決して不快ではない暖かさを足裏に伝える。風は湿り気が無く、颯爽と吹付け、そこにいるだけで気分が澄んでいく気にすらなれた。
 要は、ヘラスに来て海水浴を楽しまない手などないという事だ。

「貴っ様ぁ~……」
「あんたねぇ~……」

 ――だと言うのに、砂浜の上で竜虎の如く対峙し、楽しさとは正反対の顔つきでにらみ合う二人の幼女。
 彼女らがいるのは、サロニカ市街地よりいささか離れたビーチだった。いかにも観光客の誘致に熱心そうな風情で、あちこちに吹きさらしの食堂が並んでいる。彼女らの他にも、海水浴客がちらほらと水着姿をさらしていた(現在の大陸の文明程度は中世だが、どうも旧世界より早くこの手の発明をもたらしたものがいたらしい)。

 事の発端は、その片方、黒髪の幼女の従者の提案だった。
 ――未だ付き合いの浅いお二人の親睦を深める為に、一つ趣向を凝らしましょうか。
 ――これから私が皆様の水着を用立てる訳ですが、そのデザインについて、それぞれお相手のものを指示して下さい。友人の魅力を、貴女がたが演出するのです。
 自発的にこうした余興を催す事のない従者の発言を、疑ってかかるべきだった。
 あるいは、

 ――……ほほう、それは面白そうじゃな。
 ――そうねぇ。……相手に、似合う、水着、ね。
 それを受けて、どちらも底意地の悪い含み笑いを浮かべた時点で、その末路は予測されて然るべきだった。
 結果として、二人の親睦は深まるどころか、こうして不倶戴天の敵の如く相争っている。

「……ジュラ公よ、なんのつもりじゃ、これは」

 腕組みしつつ、夜見が相手へ問い糾す。
 細腕の中に隠そうとして、しかし胸一面に縫い付けられた大きさからどうしてもはみ出してしまっている〝名札〟には「ごねんいちくみ しきしま よみ」とある。
 彼女が身につけているのは、古式ゆかしい濃紺のスクール水着だった。白い水泳帽まで用意されるという念の入りよう。
 化学繊維の存在しない現在でありながら、どういうわけか一見して本物と見分けのつかない質感を備えている。だきにの奇天烈な手腕であった。

「文化的にこき下ろされた……」
「あ、あんたこそ~!」

 言われっぱなしではおけぬとばかりに、ジュラヴリカが抗議を返す。
 彼女はさっきから、両手で胸と股間を隠し、それでも顔を真っ赤にしてもじもじしていた。山賊の出没する山道を、木の棒一本で歩かされるのにも似た不安感をずっと感じている。

「こ、こここここれ、ほとんどすっぱだかじゃないのよぉ~!」

 ジュラヴリカに与えられたのは、ほとんど紐のような面積しかない純白のマイクロビキニ、いわゆるブラジル水着であった。
 現在のヘラスに水着で海水浴を楽しむ文化が存在するとはいえ、ここまで防御力の低いものを着用している人間はこの海岸に存在しない。周囲から浴びせられる好奇の目は、彼女にとってまさしく針のムシロである。

「ぐぬぬぬぬぬ」
「うぎぎぎぎぎ」

 お互い、相手を貶める意図以外に何も察するべきもののない水着姿のまま、憎悪の唸り声を上げ始める。
 ――というより、こいつらはなんでわざわざこんな恥ずかしい水着を着てしまったのだろう。
 逃げたら負けだとでも思ったのだろうか。

「はっ、貴様の如き恥ずかしい存在に似合いの、恥ずかしい装束を用立ててくれたまでの事じゃ!」
「な、なんですってぇ~! あ、あたしは、あんたみたいな老けに老けた立ち居振る舞いのガキが年齢相応に見えるよう、善意から用意してあげたってのに」
「出発点から悪意にまみれておるじゃろーが!」
「あんたが言うなぁ~!」

 要は、お互い様である。
 ――しかし、両者には実は明らかな格差が存在した。露骨なまでの優劣が。
 劣位たるものは痛烈にそれを自覚しており、優位者は彼女の態度に含むものからそれを悟った。

「ふ、ふひひ……読めたわよ、夜見。あんたの目論見が」

 不意に口の端を優越感に吊り上げて、ジュラヴリカは――全身を隠すのを止めた。
 なけなしの勇気を振り絞って、肌色面積の多すぎる水着姿を衆目にさらす。
 その行為が正解である事を示すように、「ぐぬぅっ!」と夜見がうめいた。
 彼女の視線は、ジュラヴリカの上半身の一部に釘付けになっている。

「あたしが恥ずかしがって身体を隠している限り、あんたは見ないで済むものね――あたしに明らかに負けてるバストサイズを」
「い、言いがかりも甚だしい……」

 反論する声は弱々しい。実際、誰の目にも明らかであった。夜見のスクール水着の胸部は大草原の如く平坦で、ジュラヴリカのそれは外見年齢からすれば十分以上の丘を形成していた。
 ジュラヴリカに痴女の如き水着を着せたのは、その格差を意識したくはないが故の、二段構えの作戦であった。自身の貧窮を悟ったが故の、苦肉の策だ。
 より夜見にとって悲劇的な事実は、身長では彼女の方が勝っている事――肉体年齢では二歳ほど上回ってしまっているのだ。
 当然、ジュラヴリカはそこをついてくる。

「ふひ……地味に乏しい不毛の土地だわぁ~。哀れ、哀れねぇ~。未来に絶望しかない事を思い知った気分はどうなのかしらぁ、夜見。ねぇ今どんな気持ち? ねぇ今どんな気持ちぃ~?」

 正直、その鬱陶しいドヤ顔に夜見は暴力に訴えたくなったが、今この女をぶん殴っても自ら敗北を認めるようなものだ。
 何より、彼女は策士である。知恵によって相手を打倒してこそ、本物の勝利と知っていた。
 そんな彼女が、二段構えなどと浅薄な手立てを打つはずがない。

「よいのか、ジュラヴリカよ……いつまでも、その恥ずかしい身体を晒したままで」
「全然~。だってぇ、あんたよりもずっとご立派ですもの~」

 にやにやと薄笑いで言うジュラヴリカ――直後、その顔は凍り付く事になる。

「そうじゃな、立派なものよ」

 夜見の顔はうつむいていた。さっきまで、ジュラヴリカの胸にばかり目線をやっていたのに。

「なんともご立派な――恰幅のいい腹をしておるではないか」
「ぴきっ!?」

 彼女の言わんとする事を察して、ジュラヴリカの顔面に再び羞恥の赤が宿る。
 銀髪の幼女の身体の前面には、胸部の双丘の他にもう一つのなだらかな丘が――腹部に生まれていたのだ。

「くふ、くふふふふ。くはははははは――っ! 引きこもり生活が仇となったようじゃな、ジュラヴリカ! 惰眠を貪り、浅ましく菓子を食い漁った――その腹に、醜悪な生活習慣が透けて見えるようじゃ!」
「あ、ああああんただって、お腹ぽっこりしてるじゃない!」
「馬鹿め。こりゃいわゆる烏賊腹。腹筋が未発達ゆえに内臓が下がっておる、つまり胃下垂よ。貴様のような脂肪由来のものではないのじゃ――でーぶ」
「子供か!」
「実際お子様じゃからのー。その胸にしたって怪しいものよ。単に余剰の脂肪が胸に寄っただけじゃろう、それ」
「ひ、一つの瑕疵からこじつけて全体の印象まで貶める。大した詭弁を使うじゃないの夜見!」
「貴様が言うなぁっ! まだ十歳に過ぎぬわらわの現状を見た程度で、遥か先の将来まで決めつけおって! ――わ、わらわだってこれからおっきくなるもん!」

 どうやら、夜見の体型の将来性への不安は、幼児退行してしまう程だったらしい。

「あ、あたしだってデブって程じゃないわよ~っ!」

 ジュラヴリカにしても、そこはまさしく逆鱗のようだった。
 互いにデリケートな箇所に触れた以上、後は戦うより他はなく。

「ぬが――――――――――――――っ!」
「ぴき――――――――――――――っ!」

 両者砂浜でマウントを取り合い、醜い争いを繰り広げ出した、その時。

「わぁ~、だきにさんって、ほんとスタイルいいですねぇ~」

 険悪な幼女二人とは別世界にいるかのように、脳天気な声が遠くから上がった。
 薄い青色を基調として星をあしらったビキニタイプの水着を着たくららが、砂浜を歩いてくる。普通の速度で歩行しているだけなのに、どことは言わないが、天変地異の如き躍動感を思うさま発揮している。
 隣のだきにの水着もビキニであったが、こちらは完全な黒一色であった。一点の洒落っ気として、髪をまとめる簪の他に、添えるようにハイビスカスの花一輪を差し込んでいるのが奇妙に艶めかしさを演出している。

「元から分かってたけど、水着姿だとまた新鮮……すっごく綺麗で、羨ましいです」
「自分の美貌に関しては、他人に認められるまでもなく自覚しておりますが」

 今日の天気を述べるようにそっけなくだきには反応を返し、

「くらら様、貴女も見事な姿態をお持ちでいらっしゃいます。私は、そうですね、脅威を感じておりますよ」
「え、えぇっ? あ、は……はい、ありがとうございます」

 だきになりの表現で、自分も同じような感情を抱いていると告げられ、くららは狼狽してしまう。

「実に脅威的です。それだけ派手な容姿を持ちながら、全体的な印象をとことん地味なものに変えてしまう貴女の人格面の凡庸っぷりが」
「あれー。全然褒められてなかったー」
「いえ、見てくれは本気で褒めてますよ。……むしろ嘆いているのでしょうか。なんといいますか、数億のタンス預金を一銭も使わず臨終しかけている老人を見たような気分です」
「うぅ……複雑」

 肩を落とし、歩調をとぼとぼとしたものに変えるくらら。
 などとやり取りする女二人の水着姿を、夜見とジュラヴリカは砂浜で組み合ったまま呆然と眺めていた。
 不意に、夜見がぽつりとつぶやく。

「のぅ、ジュラヴリカよ」
「……なに?」

 ジュラヴリカは感情を失ったかの如き無表情で聞き返す。
 同じ顔つきで夜見は言った。

「屈辱的な事に……さっきからずっと、脳裏で〝五十歩百歩〟とか〝どんぐりの背比べ〟とかいう心の声が聞こえるのじゃが」
「それ、あたしの国じゃ〝屑が埃を笑う〟って言うのよ」

 かくして、二人は急激に冷めた。

「――さて、お嬢様がた」

 二人のそばまでやってきただきにが、超然とした態度で告げる。

「強いて他人を貶めるのは貧しき者のする事。真に富める者は、他者を認めて心が揺るぐ事などないのです」
「ぬぐぐぐぐ……やはり、貴様の差し金かぁ~」

 最初の提案から彼女の罠だったのだ。策謀において従者に完敗するなど――憤死に相当する屈辱に、夜見は悶える。
 しかし今となっては遅い。幼女二人は醜い争いの末、塩辛い砂に塗れて地面を転がっており、長身・巨乳の大人二人は余裕の態度で彼女らを見下ろしている。
 実際は、くららの方は彼女らのいさかいに全く関心を抱いていなかったのだが。
 早速きょろきょろと砂浜を見回して、疑問の声を上げる。

「あれ……? 日雨くんは?」

 だきには日雨、子供組、大人組の順に水着を仕立てていったので、彼は真っ先に外に出ていったのであるが、夜見たちがビーチに辿り着いた時点でその姿は無かった。

「見当たりませんね……お嬢様がたの醜態は十分楽しめましたし、やはりシメは唯一の男性のリアクションを堪能したい所ですが」

 鍋料理の最後に雑炊を食べるようなノリで言うだきに。
 ――と、女四人が周りに目を配っていると。
 ざぱん、と海の一画の海面が盛り上がり、近くの海水浴客が悲鳴を上げた。
 顔を出したのは海パン姿の見知った少年で――肩に二メートルを優に超える巨大な魚を担いでいた。
 水面に照り返す太陽の光を浴びつつ、仕留めた獲物に満足げに微笑む日雨を見つめて、くららはなんともうさん臭そうな顔になった。

「……だきにさん。巨大魚を漁獲するって、週刊少年漫画の野生児キャラのフォーマットですよね」
「あの方には自分が王子である自覚が無いのでしょうか……彼も大概、自分の美質を台無しにする人格の持ち主ですね」

 などと、冷酷な批評を狩猟採集系王子に向けるくららとだきに。
 そんなやり取りをしている内に、日雨が彼女たちに気付いたようだった。空いた手を振りつつ、駆け寄ってくる。

「おぉ、待ちわびたぞ皆。これを見てくれ。今夜の晩飯に し   よ」

 数十メートル程の距離まで接近すると、彼は唐突に無言になった。
 ざっ、ざっ、と確実なリズムで砂浜を踏み締め、近付いてくる――くららの方へ。

「え? あ、えぇと、あはは……」

 妙な威圧感に、彼女が口ごもっている間に彼は目の前に接近し。
 恭しく膝をつき、仕留めた巨大魚を差し出した。

奉納させて頂く」

 眼光を見るに、本気のようだった。

「……あの男にとって、巨乳は神なのか? 崇拝の対象なのか?」

 初夏の日差しの下、真冬のような表情を浮かべた夜見が不満を漏らす。

「ふむ、こちらには何か言うべき事はないのですか? 日雨様」
「くっ……よかろう、持って行けい」

 ずい、と身体を差し出すように進み出ただきにには、腰に装備した魚籠を渡す。中には食いでのありそうな貝類が収まっていた。
 日雨の表情は、荒ぶる強大な何者かに供物を要求される哀れな村人の如きものである。

「私には生贄感覚ですか……まぁ、よしとしましょう。――今夜は魚介鍋ですね」

 序列がついた事にさして気にした風もなく、だきには魚籠を受け取った。
 ところで彼は、さっきから砂浜ばかりを凝視している。女馴れしていない初心な少年は、成熟した女二人の水着姿を直視する事ができないでいた。
 助けを求めるように視線をさまよわせ――夜見とジュラヴリカを発見した。
 緊張のほぐれたようなため息をつき、彼は相好を崩して声をかける。

「おぉ、夜見、ジュラヴリカ殿。中々似合っているではないか。可愛らしいぞ」
「ぐぅうう……普通に褒められておるのに納得が行かん」
「真っ当な人間扱いというか……」

 最初の二人が女神、悪神と続いてだから、天と地ほどに扱いが違うという事だった。子供組は辱められたとばかりに顔を逸らす。
 またしても目線の行き場を無くした日雨は、次に砂浜をぐりぐりとほじくるくららのビーチサンダルを見つけた。

「えっと。うー……なんか、なんかなー」

 こちらはこちらで、日雨の婉曲な賞賛表現が通じていないようだった。むしろ素直に褒められた子供組の方が羨ましくなっている。

「ぬ……」

 心技体は足運びに出る。日雨は彼なりの知見で、くららが機嫌を損ねた事を察したようだった。その理由を思い悩み、
 ――はいはいはい、女の子がおめかししたらまずルックスを褒めようね小僧っ子ー。
 ある女の、啓示のような発言を思い出す。

「む。すまん、くららよ。先程から目も合わさんなど、礼を失する行為だった」

 日雨はそこそこの勇気を糧に、視線を上げる。

「その、なんというか……新鮮な装いからか、そなたがいつも以上に華やかなのでな、目のやり場に困った」
「はにゃやかっ!?」

 不意打ちのように放たれた剛速球のストレートに、くららは一瞬で動揺の極みに達した。

「あ、あはは……お、お馬鹿な事をお言いなさんな日雨くん。さっきもあっしは地味川で産湯を浸かった生まれも育ちも地味山の地味子さんと言われたばかりで」
「なんだその口調は……卑下する事はあるまい。確かに宮殿の女官や都の町娘のように着飾ってはいないが……その、なんだ、不思議と……華やいで見える」
「ぁ、ぅ、ぁ」

 赤面しつつ、彼にしては珍しく言い淀んでの発言に、くららも言葉を無くしてしまう。
 溺れた人間が呼吸を求めるように、彼女も言い返した。

「ひ、日雨くんもっ! ご立派なお身体をお持ちで! その、なんと言いますか、見ててドキドキするであります……」
「……えっ? い、いきなり何を言い出すのクララは」
「字面だけ取れば痴女丸出しですね」

 浴びた者の意気を激しく萎えさせる桃色青春オーラを避ける為に、砂浜に蛸壺を掘って潜んでいたジュラヴリカとだきにが、頓珍漢なくららの発言にコメントする。
 夜見はと言えば。

「…………………………………………………………」

 世の全てを恨んでいると面相の全てで主張しつつ、シャベルを片手に黙々と砂のオブジェを制作していた。般若の面相をした鬼女が大蛇を鉈でなぶり殺しにする――まぁ、つまり、悪夢の如き像である。
 ちなみにこのオブジェは、近隣の者の目に留まり、波にさらわれるまでの数日間グロテスクかつ前衛的な美術品として畏怖されたという。
 そんな恐ろしげな光景も、褒め合ってはその度に呼吸困難になっている二人の目には入っていなかった。
 そんな、それぞれに奇行に耽る五人の男女を、地元の住民は不気味そうに伺っていた――







「……世を儚んで世界廃滅の旅に出る所じゃった」
「世を儚んだ末の結論が他人への害となる辺り、とてもお嬢様らしいですね……もぐ」

 芸術に情念を塗り込めて、どうにか冷静さを維持した夜見が呟くと、その傍らでだきにがやる気無さげに相槌を打つ。一人だけ日雨の収穫したホタテを焼いて食べている。

「うぅ……心臓に悪い」

 くららがやつれた顔でうめく。
 彼女と日雨は、なぜか互いの身体のどこがいいかを語り合い、しかし両者共に最も気に入ってる箇所(日雨は言わずもがなであるが、くららも実は逆三角形を形成する胸部に注目していた)について真っ正直に言及するのは問題だと思っており、枝葉末節ばかり議題に挙げ、そしてそれすらも段々恥ずかしくなってきて、暗黙の了解の末地元の名産トークへ推移させた。
 最終的に日雨はにしんそばを大絶賛し、
 くららは某福岡県産である事を都民の大部分に知られていない銘菓を一押しした。

「……何が言いたかったのだ? 我らは」
「ごめん……わたしにも分かんなくなってきた」

 などと、何もかもがグッダグダになった所で我に返り、現在に至る。

「ふむ、では、気を取り直して……遊ぶか」

 夜見が空気を入れ換えるように告げると、シャベル片手に砂の城を作り始める。
 そんな彼女に、しばし逡巡の末くららが声をかけた。

「ね、ねぇ、夜見ちゃん」
「ん、なんじゃくららちゃん――まさかそなた、わらわが泳げるなどと思うておるのではあるまいな」
「あ、やっぱり泳げないんだ……そうじゃなくてさ、その――もう三日もただ観光してるんだけど」

 彼女の声色には、戸惑いが聞き取れた。
 ――あの爆破テロ未遂に出くわして以来三日、ずっと一行は観光客としてサロニカを巡り歩くばかりだった。






 一日目は、食道楽に費やした。
 もっとも、多島国家であるヘラスの、多彩な食文化の奥義がたかだか一日で味わいつくせるわけではなかったが、少なくともその一部は堪能できた。海賊上がりの女番頭・アルテミシア女史がそれなりの食通であったおかげである。
 とりあえずお約束として、食堂の事をヘラス語で「食べるなタヴェルナ」と呼ぶ事実ににやりとし、紹介された料理店へ入る。
 出された料理は、前菜であるチーズ焼きサガナキ、マリネしたオリーブをはじめとして、タラモサラダ、羊のスープパツァス、魚介のウーゾ蒸し、デザートにバクラヴァ(フィロ生地の間にナッツ類を挟んで重ね、シロップをかけた菓子)などなど……夕食前に屋台で肉の串焼きスーヴラキをつまんだ一行でも、食欲を多いに刺激される内容だった。特に魚は漁場が間近にある地中海沿岸部ゆえに、申し分ないものだ。一同多いに満足した。

 ――食後に夜見は、給仕を呼びつけ料理の内容を褒めると共に、一つ質問した。視線は彼が片付けようとした皿に集中している。
 彼らは料理を平らげており、調理に使われた油のみが残されていた。

「この調味油は、なんというのか」

 三十路の坂を過ぎた世慣れた給仕は、夜見の態度をただ小生意気な子供のものと解釈しなかった。言動はいささかくだけたものながらも、素振りは貴人に接する時のそれである。

「オリーブの油ですよ。ヘラスの特産です」
「どの料理にも使われているように見える」
「良い舌をお持ちで――ヘラス人ヘレネスに一度飯を作らせれば、一升のオリーブオイルが消えているなどと他国に揶揄される程ですよ」
「これを」

 皿を指差し、夜見は問う。

「料理に使わない土地はヘラスにあるのか?」
「ありませんね」

 給仕は即答した。彼は口にするのを控えていたが、地元の料理の要とも言えるものがこの客の口には合わなかったのかと落胆していた。

「勘違いしないでもらいたい。大変美味だった」

 それを鋭敏に夜見が察して言うと、給仕は一礼して詫びた。
 




 
 

 二日目以降も似たような調子だった。
 行き先は基本的に夜見の意向で決まる。他の四人はヘラスについて知識すら持っていなかったし(リューリクの諸国漫遊に付き合ったジュラヴリカも、ここは訪れた事が無かったそうだ)、何よりこの幼女には、他人を従える才能というべきものがある。当事者の誰も(本人すら含めて)が不満を覚えるどころか、彼女の意のままにされてる事に気付きすらしないのだ。傍目には自然現象にも見えるほど。生まれつきの王女、というだけでは説明の付かない異常な能力である。
 と言うわけで、二日目は美術館巡りとなった。

「まさかお嬢様に芸術に興味を示す人間的な感性がおありとは」

 だのと毒を吐いたのはだきにであったが、他の三人も無言で驚いていた。
 彼らに恨みがましげな横目をくれてやりつつも、夜見は熱心に美術品鑑賞を続けた。
 特に関心を持っていたのは、ヘラスの風景画であった。更に言えば、写実的な絵画の前でのみ足を止めた。いくつかの絵を購入すらした。ここ数世紀のヘラスでは印象派が隆盛しており、それらの値段は基本的に割安だったが、画家の名声が価格に反映されたものもあった。
 そういったものも含めて、彼女は即金で購入した。
 宿に帰るなり、壁一面に絵画を並べ、にこりともせずああでもないこうでもないといじくり回す様に、兄の日雨ですら怪訝に思わずを得なかった。







 三日目は図書館を訪れた。
 これにはさすがに他の面子が辟易した。なにせ、夜見以外の誰もヘラスの文字で書かれた書物を読む事などできなかったのだ。
 が、そこは貿易で身を立てた国だけあった。サロニカの大図書館には、亡国である秋津洲国や、人界との交渉に特殊な事情を抱えるジラント皇国の書物まで蔵書されていたのだ。日雨好みの地本、つまり大衆向け読み物も豊富に揃えていた。
 くららにしても、日本とは違う秋津洲国の文化が気にかかっていた。彼の解説を受けつつ、洒落本や草双紙に目を通しただけで一日を潰す事ができた。

 夜見は彼らから離れて、ヘラス人すら近寄らない文物をひたすら読み耽っていた。漫画以外の読書に興味のないジュラヴリカが退屈混じりに何を読んでるのかと問いかけると、「風土記の類じゃ」と短く答えた。







 かくして四日目の今、文化系の観光に一行の脳味噌が程々に疲れた所で海水浴が提案されたのである。
 くららの遅まきながらの問いかけに、夜見は「あん?」と不可思議そうに反応すると、

「まだ、三日しか、じゃろ。土地の風物を見聞するのに三日程度で足りはせん。ほれ、くららちゃん、あの辺の海を撮れ。神代の秋津洲人は、その〝すまほ〟なる機械であちこちを無遠慮にぱしゃぱしゃやる蛮族じゃったと聞く」
「ば、蛮族って……」
「秋津洲国では、似姿を描く程度で魂を抜かれると言われとったからの。一説では、そのせいで写実画が流行らなんだと聞く……もう、我らにとってはいっそ呪術的ですらあるぞ、その道具」

 迫真の表情で述べ立てる夜見。
 呪術を用いる蛮族扱いはさすがに不満だが、確かにかつての日本の観光客にはそうした一面があったので真っ向から否定できなかった。不承不承適当な海景色をくららは撮影し始める。
 ちなみに、彼女が新世界に持ち込んでいたスマートフォンの使用環境、つまり電池切れの問題は改善されている。夜見がかつて開発した式神による人力発電は更に改良、小型化され、テーブルに乗るサイズとなり扱いが容易になった。新型発電式神こと「ナラカ学園ナラガク自転車競技部―GRANDE ROAD―」は時折卓上で鎬を削り、夜見に下卑た悦びをもたらしている。

「ふむ。では見せてみよ」

 などと、夜見が歩み寄ってくる。右半身が砂にまみれているのは、ジュラヴリカと砂の城に設けたトンネル内で手を繋ぎ――示し合わせたように互いの顔面を砂の城に突っ込ませようとして、両者共につんのめった為だ。
 くららが手を下げるのを待ちきれず、ぴょんぴょんと飛びながらスマホの画面を覗き込む彼女。今はスク水姿であるのも手伝って、くらら的に大変癒される仕草である。
 なので、むしろ手にしたスマホをより高く掲げてしまった。

「むきーっ!」
「ご、ごめん、つい」

 分かりやすく激昂した夜見に詫びつつ、画面を晒す。
 と言っても、くらら自身強いて乗り気でなかった為に、単に海向こうの島々が映るのみという無内容な写真ばかりである。
 だと言うのに、夜見は妙に熱心に写真を凝視している。

「ふむ、ふむ……」

 ぶつぶつと呟き、思考に没頭する彼女。
 こんな島ばかりが映っている画像の何が面白いのかと、くららも彼女に顔を寄せるように近づけ画面に見入る――

「くららちゃん」

 画面に視線を向けたまま、さりげない声音で夜見が言う。

「話がある。今夜、時間を作れ」

 表情には何ら変化がないのに、口調ばかりが有無を言わさぬものとなっていた。思わず、くららが怯える程に。

「……何の話?」

 声に緊張を宿して問いかけると、夜見は言った。

「兄様の話じゃ……兄様の、現状について」








 翌朝もまた、この三日間同様の始まりを迎えた。夜明けから数時間ほどでめいめい起床し、身支度を調えてホテルのロビーに出てくる。

「い、いだい~……」

 普段は誰よりも遅く起きてくるジュラヴリカが、ロビーのテーブルに突っ伏して存分に苦吟していた。どうやら肌の弱い彼女は、日焼けの痛みで眠れなかったらしい。
 日雨は宿の主と会話していた。支配人、という柄でもないだろう、額のずいぶん後退した中年男である。手にモップを持っているのは、朝に弱い妻の代わりに掃除をしていた為だ。
 丁度二階客室に通じる階段をくららが降りてくる頃に、彼は会話を打ち切った。くららの姿を認めると、挨拶してくる。

「おぉ、くらら。おはよう」

 彼の声を聞き、顔を見て――くららの喉がひくり、と一瞬引きつった。
 彼女は自分の気分の変化をどうにか自制して、「う、うん。おはよう」と返す。
 日雨は、彼女の態度に特に疑念を抱かなかったようだ。彼女がついたテーブルの向かいに腰掛けると、

「先日の爆破事件の事だが……まだ、下手人は見つかっておらんらしい」

 先程の宿の主人との会話は、それを聞き出す為だったらしい。
 ――聞くところによると、事件の直前くらいのタイミングでサロニカの地元新聞社に投書の形で犯行声明があったそうだ。
 彼らは「友愛の会フィリキ・エテリア」と名乗る組織で、近年ヘラス近海での海賊行為で悪名を馳せていた。海賊征伐で名を上げたアキレイウスと、その場にいた老人・オイオリュコスが標的だったらしい。彼も海賊の排除に熱心な政治家として知られている。

「あ、だから……」

 くららは、爆破未遂があったその時に、兄をなだめる為に夜見が言った事を思い返していた。
 ――しばらくは連中も過激な真似は控えるじゃろう。
 名指しで殺害予告をされた二人は今、自身の権力を振るって身辺警護を強化している。正規の兵団である。在野の海賊程度がどうにかできるとは思えなかった。

「……それはどうかの」

 その結論には、日雨は同意できなかった。
 連中はこの土地の地理に通じているらしく、そして守勢とはおしなべてどこかに穴があるもの。やりようはいくらでもあるだろう。――もしも、当事者たちが身辺を固めて安堵していたとしたら、危険はいくらでも増す。

「秋津洲国でもそうだった」

 母国が転覆する末期には、ほとんどの要人が警護を固めた屋敷に籠り、暗殺に怯え暮らしていたが、それでも彼らは殺され続けた。暗殺計画を主導した羅虚虎の手腕もあろうが、それよりも道理の問題であるように思えた――暗殺とは、〝いずれ成功するもの〟なのだと。
 腕を組み、思案に難渋する日雨に、
 不意に、ぽつりと呟かれた。

「なんとかしたい、と思うの?」

 くららの言葉だった。
 そう指摘されて始めて、その事を意識した風に日雨は目を見開いた。しばし言葉を求めるように表情を蠢かせて、ようやく口が開いた。

「それは……そうだ。人死にが出ようというのに、ただ手をこまねいているのも」
「――それって」

 彼の言葉を遮って、くららが告げる。

「力を、得たからなの?」
「……?」

 彼女の物言いの意図が掴めず、言い返せずにいると。

「ち……やはりここの太陽は目映すぎて好かん」

 寝起きの不機嫌な表情を貼り付けて、夜見がだきにを伴いロビーへ降りてくる。昨日はほとんどの時間を日傘の下で過ごしたので、あまり日焼けしていない。

「おはよっ、夜見ちゃん、だきにさん」

 ――さっきまでの会話を打ち切るように、明るく声を張り上げくららが挨拶した。テーブルから立ち、歩み寄ると期待感を込めて語りかける。

「で、今日はどこに観光行くの? やっぱり神殿とか遺跡系は押さえておきたいよね~。あ、ここじゃまだ現役なんだっけ」
「何を暢気な事を言っとるのじゃ、我らは遊びに来たのではないのじゃぞ、くららちゃん。この阿呆、たわけ、極楽蜻蛉」
「あれれー」

 初日と、昨日、そして今日と正反対の意見を行ったり来たりする夜見の返答にくららは困惑する。
 そんな彼女に、まったく呆れかえったと言わんばかりの態度で鼻を鳴らすと、夜見は。

「観光は終わりじゃ。そろそろ動く……まずは」

 ロビーに集まった一同を見渡して、告げた。

「先の爆破事件の首謀者に、会いに行こうかの」


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