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[3876] Muv-Luv Alternative 1991 『政戦両略の斯衛』
Name: 鹿◆15b70d9b ID:a605618e
Date: 2010/08/05 17:11
はじめまして、鹿といいます。

稀にコメントさせて貰う事はあったのですが、始めての投稿です。
初作品なので拙い所ばかりだと思いますが、どうぞよろしくお願いします。

近況等はブログに書いてますので、良かったHOMEから。


簡単に初期設定を書くと。

オルタ(僅かな変化)後の武がオルタ世界の1991年に目覚める話です。

オリキャラについては、できるだけ出したくないと思ってます。

戦略政略謀略が中心の話にしたいのです。

プロットは悠陽ルートになったっぽいかな?

設定資料集等の発売前に書き始めているので、それらの設定を無視している部分があります。

できれば長い目で見てやってください。



[3876] Muv-Luv Alternative 1991 第01話 二度目の逆行
Name: 鹿◆15b70d9b ID:a605618e
Date: 2010/08/05 18:40
????年??月??日 白銀家 自室


「んっ……」

 武は久しぶりに柔らかいベッドの感触を感じながら目覚めた。周りを見回すと慣れ親しんだ横浜基地の個室ではなく、懐かしさすら感じる自宅の部屋だ。

「戻って来たと言う気がしないな」

 暫く放心していた武だが、そう独り言をこぼした。

(正直懐かしさよりも、あの世界から弾き出された喪失感の方が大きい)

 純夏に叩き起こされたり、冥夜が隣りに寝ていたら、武の感じ方も違ったかもしれない。

(そういえば、なんで冥夜が隣りに寝ていないんだ? いや、変な意味ではなく)

 夕呼の説では、今日はBETAのいない世界の2001年の10月22日だから、冥夜が布団に潜り込んでいたはずだ。

(もしかして!!)

 どちらの世界か確かめたくなった武は、ベットから飛び起きたところで胸の上に有る物に気がついた。

(これは『皆琉神威の鍔』なんでこれがここに?)

 そして右手の指にも違和感を感じて見ると、武は右手の中指に指輪をしている。

(こっちは『煌武院の指輪』だ)

 どちらも桜花作戦の後に武が殿下から賜った物だ。元居た世界には持っていけないと思い、霞に預けたはずのこれらが有ることも、そもそもあの世界の事を覚えている事からして不自然に思った武は、念のために皆琉神威の鍔を確りと握り、期待を胸に家を飛び出し周囲を見回した。


????年??月??日 白銀家前



――廃虚じゃない。普通の家が並んでいる。



「BETAのいる世界じゃないのか」

 しかし、武は妙な違和感――視界が妙に低い――を感じた。階段を駆け下りた時にも感じた違和感は、外を見る事を優先して無視していたのだが、いい加減に現実を直視した武は、自分の体が盛大に縮んでる事実に気がついた。

(勘弁してくれよ……純夏)


????年??月??日 白銀家 居間


 とりあえず日付を確認しない事には始らないと思い直した武は、居間に有った新聞で確認した。

(1991年10月22日って、10年もずれてるじゃねぇかっ! 純夏よ。うっかりにも限度があるだろ。8歳のオレに何をしろと……。もしかして、精神年齢は二十歳を越えてるのに小学校に行く事になるのか? いや、確かにガキの頃の純夏への扱いを後悔したりもしたけどさ)

 その気持ちが武の望みと解釈されたのだろうか、暫く何も考えたくなくなった武は、手に持ったままだった10年前の新聞を読む事で現実から逃避した。当然ながら以前の武は、新聞どころかニュースすらろくに見てなかったので、知らない記事ばかりだろうと思って見たのだが……。



――BETAの東進止まらず。中国政府は国連軍の受け入れを決定。



 一面トップからして良く知ってる単語が載っていた。

(つまり……、ここはBETAのいる世界で、外が廃虚じゃないのはBETAに帝国が蹂躙されるより前だからか)

 そう理解した武は、深く息を吐き出した。

(正直ほっとした)

 もし武が戦いの記憶を持ったまま平和な世界に戻っていたら、平和な世界に適合するまでに、そうとうな苦労を重ねる事になったであろう。

(しかし、もう一度2001年の10月22日に目覚めるならまだしも、正直これだけ時間をさかのぼると戸惑うな。夕呼先生がこの時代のどこにいるかも分からないし……)


1991年10月22日 白銀家 居間


――ガチャ。


 武が悩んでるとドアの開く音がして、8歳らしい純夏が家に入ってきた。

「おじゃましまーす。って、タケルちゃんが起きてる!」

「純夏っ!」

「おまけに新聞を読んでるなんて、空からBETAが降るよ!」

 武は久しぶりに見る生身の純夏に、思わず純夏の頬――擬体と感触が違うわけもないのだが――を引っ張ってしまう。

「いたぁ! せっかく起こしに来てあげたのに、何するんだよっ!」

「空からBETAが降るなんて、不謹慎な冗談を飛ばすからだ」

 適当に誤魔化しながら、武は純夏が無事な理由に思い至った。

(そうかBETAの日本上陸前だからか、こんな大事な事にすら気がつかないなんて、驚きの連続でかなり思考力が鈍ってるな)

 2001年10月22日とは違い一日二日でどうこうという状況ではない事もあり、武は純夏を犠牲にしないで人類が勝利する方法をじっくり考える事にした。

「うぅ~、前にタケルちゃんが言ってたんじゃない」

(オレは、そんなこと言ってたのか……。ま、まあ、現在の日本には余裕があるって事だな)

 新たな疑問として、この世界の武は死んでいないようだ。この世界自体が新たに構築された世界ならば問題はないが、武が夕呼に聞いてた話とはかなり違う状況でもある。もしこの世界の白銀武を乗っ取ってしまったのならば、純夏を助ける事で許してもらうしかないだろう。

「いや、不謹慎な冗談は良くないと反省したんだ」

「タケルちゃん。自分だけずるいよっ!」

 その後なんとか純夏をなだめた武は、日曜だから遊びに行こうとの誘いを断り――理由は『二度寝する』で納得させた――ゆっくりと今後について考える事にした。


1991年10月22日 白銀家 自室


(大前提として、純夏がBETAの捕虜になるのは絶対阻止だ)

 これは何年も前から知っていれば、回避するのはそう難しい事ではない。問題があるとしたらBETAの日本上陸前に夕呼が未来を知り、意図的に歴史をなぞらせようとする場合だが、それもないだろう。一緒に捕虜になったはずの武の中身が変わってる時点で、どうやっても純夏個人の歴史はずれる。そして奇跡の生存にそんなずれは致命的だ。夕呼ならばむしろ積極的に保護すると思われる。

(できる限り純夏を、00ユニットにはしたくない)

 一番の問題は、必ずしも純夏が捕虜から生存した事で適性を得たとは限らず、今の時点の純夏ですら高い適性を持ってる可能性が濃厚な事だ。そして武の持つ情報がそれを証明してしまう。武が00ユニットになれば済む話ではあるが、どちらを00ユニットにするかは夕呼が判断する事で、夕呼は志願者だからといって適性の低い方に人類の未来を賭けるような人物ではない。

(理論については、並行世界に取りに行く必要はない)

 武は夕呼に因果導体について説明された後、ループの原因を取り除く前に死亡する可能性も考慮して、再び並行世界に迷惑を掛ける事のないようにと、理論に一番重要な核となる数式を夕呼から聞き出し、その一行だけは忘れないように必死で暗記したのだ。

(ちゃんと覚えてるから、忘れないうちにメモろう)

 これが無かったら元の世界で理論が完成する2001年末までは、00ユニットを完成させるのは不可能だった事になる。くそげーうんぬんのヒントを事前に伝えに行ったとしてもアイデアなんて水物で、逆に伝える事で理論の完成が遅くなる可能性すらある。最悪、元の世界の夕呼が思いつかなくなるリスクを考えれば、2001年末まで待つしかなかったはずだ。

(純夏の適正を隠し通せるか?)

 どう考えても難しい。武から夕呼に接触しない限りはバレる心配こそないが、人類勝利のためには00ユニットは必須であり、00ユニットを完成させるには武と夕呼の協力は絶対条件だ。霞がいる事も考えると、そこだけうまく隠しおおすのは不可能と考えるべきだし、霞を避け続けるような事が武にできるのかも疑問だ。

 しかし、接触が遅ければ遅いほど隠し通せる確率は増える。オルタネイティヴ4の打ち切り間際なら、さすがの夕呼も即戦力の武に飛びつかざる得ないので、高確率で武が00ユニットになれるだろう。しかし、時期が遅れる分だけ戦況が悪化しかねない。

(夕呼先生の立場でオレ達の適性を評価――捕虜にならなかった影響がないとして――してみよう)

・甲21号作戦:ハイヴからのリーディングに成功。擱坐した凄乃皇がG弾20発分として自爆。
・横浜基地襲来時:ODLの異常劣化で凄乃皇に未搭乗。反応炉からの情報漏えいを見抜く。
・桜花作戦:あ号標的を撃破。その直後に機能停止したので、リーディングデータの吸出しは不可。

 問題点も事前に改善が可能だし、別の世界とはいえ実戦証明されてるのは大きい。ただし、夕呼は軍人ではないので、因果率量子論的にどうなのかは武の想像の範囲外だ。オリジナルハイヴを落とした事で戦略状況は変化したが、夕呼は対BETA戦争の政略状況こそ変化させたがっていたので、上位存在からのリーディングデータが利用不可――再起動の可能性も僅かにあるらしいが――だった。という一点だけで、純夏を候補から外す可能性もある。

 そして武の適正として考えられるのは、実際に何度も世界を移動したりループした経験だろう。これは素人考えだと圧倒的に高適性のようだが、前の世界で夕呼がその可能性にまったく触れなかったのが懸念材料だ。もし因果導体が00ユニットになる過程で死んだ場合は、ループするのかどうなるのか、そもそも今の武は因果導体なのか、不確定要素が多すぎる。夕呼にとっても不確定かはわからないが、純夏との比較以前に武を00ユニットにできない理由が存在した場合は、武にはどうすることもできない。

(00ユニットが複数作れる可能性もあるんだよなぁ)

 そうなると、夕呼が純夏を00ユニットにしない理由は存在しない。強いて言えば、武が先に00ユニットになり、純夏を00ユニットにしたら反乱するとでも脅すか、純夏に夕呼には絶対に協力しないよう吹き込んどく手もあるにはあるが、武が00ユニットになった事を知れば、純夏は自分もなると言い出す可能性が高い。そして夕呼は絶対にそこを突くだろう。

(早速煮詰まったか)

 気分転換にそこらへんを見回した武は、キッチンに自分の朝食らしいサンドイッチを発見した。



――食べてみたら、ハム以外は天然食材だった!



(かなりうまい。これはBETAの日本上陸以前だから、だろうな……)

 武は当然のようにBETAの日本蹂躙を阻止したいと思った。しかし、オルタネイティヴ4の完遂を考えれば、明星作戦までの歴史を大きく変えるのは無謀だ。武でさえそう考えるほどなのだから、夕呼が未来を知れば絶対に明星作戦――純夏の保護とG弾への対処は別として――までの歴史改変は許さないだろう。

(無傷の反応炉を手に入れられるハイヴが、他に思いつかない)

 単純に製作直後のハイヴと言う事なら、まだ甲19号や甲20号は作り始めてもいないはずだが、製作されるのはオリジナルハイヴからの援軍を受けた大侵攻に伴ってである。製作にあたるBETAの数からしてすでに完全制圧なんて不可能なレベルだろう。それに比べ横浜ハイヴは佐渡島ハイヴと同時期に建造を行った為、BETAが数量を二分したので、近年で最もBETAの数が少ないハイヴだった。

 そして、それでもなお二発のG弾がなければ、無傷で反応炉を確保できなかっただろう事は、第四計画派も否定できない事実。ほかにも地形的に陸海の戦力が両方とも容易に運用できる場所であり、制圧後から研究完了までの防衛にしても、佐渡島ハイヴからの侵攻を想定した場合は上陸地点を挟んでいる事も大きい。帝都にも近い事から、帝国軍の防衛線を横浜基地の防御に完全利用できるのも魅力的だ。

(余りにも理想的すぎるぐらいだ)

 夕呼もBETAが意図的に人類に反応炉を渡した可能性――通信はともかくハック機能って全部の反応炉についてるのか?――を懸念していたが、これは武の情報により事前に対処する事が可能なので『横浜ハイヴ以外ありえない説』の補強材料になってしまう。

 そしてどの時点からか、明星作戦までの流れは米国も狙っていたのではないだろうか。明星作戦の結果、第四計画派は無傷の反応炉を得て、第五計画派はG弾の実戦証明を得た。米国の両派が一時的に手を組んだのならば、夕呼をして明星作戦にG弾が使われる事を知りえなかった要因になりうる。

 そもそも米国の撤退からして不自然だ。勝ち目のない戦いで戦力の消耗を嫌ったのなら、戦ってる振りでもしながら東北辺りまで下がるだけで十分だろう。それをご丁寧に、日米安保条約の破棄まで宣言して日本から総撤退した。これはある意味で正々堂々とし過ぎている。これで失った米国の威信と極東への影響力を考えると、撤退宣言で帝国を混乱させて、帝国軍を総崩れにするのが主目的だったのではとすら邪推できる。

(00ユニットは、反応炉と理論がそろえばすぐに完成するのか?)

 2001年末の時点で新理論以外は揃っていたようだが、夕呼が反応炉を手に入れてからに限定――反応炉を必要としない研究もあったろう――しても2年以上が経過している。その期間は実験してデータをそろえたり、他にも必要な物を多数開発していたはずだ。基地の建設期間とそれら研究開発に必要な期間は、占拠したハイヴを守りきる必要がある。例え政治的な事情を無視できると仮定して、大量のG弾を使って甲19号か甲20号の反応炉を確保しても、守り切るのはそうとうに難しいだろう。

 その場合の最大のリスクとしては、日本列島以外でBETAの東進を止める事になるので、前回の歴史ではシベリア方面に行くはずのBETAまでもが東進してくる可能性がある事だ。日本列島より東は海だから日本にハイヴを作った時点で、オリジナルハイヴからの大侵攻としての東進が止まったとも――あくまで可能性だが――考えられる。東北や北海道ぐらいはBETAにとっては誤差範囲の食い残しに過ぎない。

(考えれば考えるほど、歴史改変のリスクが見えてくる)

 しかし、ほうっておけば日本帝国は、3600万人以上の死者をだし、2500万人以上が避難のために大移動を余儀なくされ、国土の半分以上を不毛の地にされる。



――冥夜と殿下の思いに触れ、日本人としての立脚点を得たオレに、これが見過ごせるのか……。



「無理に決まってるだろうが!!」






[3876] Muv-Luv Alternative 1991 第02話 まりもと夕呼
Name: 鹿◆15b70d9b ID:a605618e
Date: 2010/08/05 18:40
1991年10月22日 白銀家 自室


「しかし、具体的にどうするかな」

 現状は死んだはずの不審者よりはマシでも、ただの一般人に過ぎない武は、なにをするにも何らかのコネが必須だ。

(いきなり指輪や鍔を使っての煌武院関係は却下だな)

 この世界には、この世界のそれらが有るだろうから、どうやっても偽者でしかない。なまじ本物と判別できない代物なので、背後関係を疑われて自白剤や拷問コースだろう。誰彼構わずに全ての情報を、吐き出させられるようなリスクは負えない。そんな状態では信用されないだろうし、もしも未来情報の的中で後々になって信用されても、情報の秘匿が手遅れになっているだろうから致命的だ。そもそも牢獄で何年も時間を無駄にできるわけもない。

(夕呼先生がどこにいるかは、一応心当たりを思い出した)

 武が初めてBETAのいる世界に来た時間軸では、夕呼は武を頻繁に呼び出して雑談に興じていた。その中で武が、元の世界では夕呼が学会に無視されていた。と、語ったところ。負けず嫌いの夕呼がオルタネイティヴ計画の責任者になる前にも、帝国大学に招聘されていたと自慢していたのを思い出したのだ。だめもとで帝国大学を尋ねる価値はあるだろう。

(オレと夕呼先生の利害が対立してる事が問題だ)

 なんとか武の目的を隠し夕呼を利用する必要がある。そう考えると夕呼の傍に霞がいたとしたら無理だ。そういう意味でも帝国大学にいる事を想定するしかない。霞が不在と仮定すれば、知能は圧倒的に不利だとしても、情報では圧倒的に有利ではある。しかし、霞のリーディングが有ったからこそ、最初にある程度の信用を得られたわけで、霞がいない想定だと信用されるのが難しい。もちろん対夕呼の最終兵器として数式はあるが、使いどころは見誤れない。

(オレが、この世界に来たのは初めてだと思わせれば、いけるか?)

 そもそもループしてる事が異常なのだ。未来を知ってるようなそぶりを見せなければ、想像すらできないだろう。因果律量子論でループを事前に推測し得たのなら、最初の世界で夕呼がそれを想定してなかった説明がつかない。事前予測と事後解釈では、天と地の開きがある。

(オレが並行世界の人間である証明と、夕呼先生以外のコネの構築。一挙両得の手があるにはある)

 どこまで望みに近い結果が出るかは未知数だが、一気に破綻する事もないだろうから、試してみる価値はある。もちろん夕呼が既に帝国大学を出た後なら、最初から方針の練り直しになるが。


1991年10月27日 白銀家


 武がこの世界に来てから一週間が経った。

「小学生のやる事なんて、どこの世界でも同じか」

 意外なほど問題なく日々を過せている。

(体を鍛えるのも8歳では限界があるな)

 脳が覚えてるからか、かなりのペースで体力は増えてるが、直に限界に達するだろう。この年齢で実機は無理でも、シミュレーターに乗れる程度の体力は欲しい。この体の戦術機適性については計測するまで確実ではないが、鉄棒で無茶をしてみた感じでは、おそらく以前と同じ適性があると思われる。手足の長さについては壬姫や美琴が問題無く操縦していたのだから、着座調整でなんとかなると思いたい。徴兵年齢が下がる前だとしたら、着座調整の自由度が低くて無理かもしれないが。

(とにかく、夕呼先生が帝国大学にいる――あるいはいた――事を知っている理由が必要だ)

 武はそれを一週間ずっと考え、図書館で調べたりもしているが、機密だったら知りえる方法はないし、そうでなくともこの世界は、一般への情報公開のレベルが低い。新聞に記事として載ってなかったらお手上げ状態だ。元の世界でも夕呼が東京大学にいた事にするにも、帝国大学は京都にある。この世界の東大に相当する場所として推理しても不自然ではないが、元の世界の夕呼の情報は正直に伝えないと矛盾を見抜かれるだろう。


1991年11月10日 桜並木の坂


――散々悩んだのがアホみたいだ。夕呼先生が目の前にいる。


 武は体力作りと図書館での調べ物を一日交代でしていて、この日は体力作りのために、前の世界では横浜基地の前の坂を走って上り下りしていた。今現在は帝国陸軍横浜士官学校が存在し、最初は門兵に声を掛けられもしたが、地元住民で将来は衛士になるために鍛えてると言ったら、好きに走って良いと許可してくれた。走るだけならどこでも良いとはいえ、かつて訓練した場所の近くで走ると実が入る。

 そして何回目かの坂を登っていたら、10年後まで会えないと思っていた人物が坂を降りてきた。

(まりもちゃん!)

 迷彩服に身を包んだ神宮司まりもは、当然ながら武が知っているより若々しい姿をしていた。

(年齢的に訓練兵かな、まりもちゃんもここの出身だったのか)

 武がすれ違う時に頭を下げると、まりもは武に向かって微笑した。

(まりもちゃんは、どの世界でも優しい人だな)

 武は坂を上るのをやめ、ふらふらと後を付けるように坂を降りてしまうが、坂の下まで来たところで我に返った。

(これじゃストーカーだな。ここで走ってれば、またすれ違う事もあるだろう)

 そう考えて踵を返そうとした所で坂の下に車が止まり、人が降りて来た。


――武が会いたくて堪らなかった香月夕呼だ。


「夕呼先生!!」

 望外の幸運に武は大声で叫んだ。その声に夕呼は眉を顰め、まりもは夕呼を武から隠すように移動した。

「オレは因果律量子論を実証しました」

 なんとか一瞬で落ち着きを取り戻した武は、準備しておいた夕呼のプライドを刺激する台詞を言った。さすがに驚いた顔をする夕呼に向かって武は更に続けた。

「科学者としてではなく、被験者としてですが」

 夕呼は、真剣な表情に変わり少し考えた後、口を開いた。

「まりも、そのガキのボディーチェックをしてくれる」

「了解」

 武はまりものボディーチェックに身を任せた。

「武器は持ってないわ」

「そこのガキ、車に乗りなさい。まりもは車の外からガキを見張ってて」

「はい」

「わかったわ」

(前の世界だと数時間も厳重チェックされたのにな。自分で車を運転して移動してるぐらいだし、今の時点では暗殺の危険はないってことか、権限の方も少ないのかな)

 そして二人が車に乗り込み、ドアを閉めたところで夕呼が口を開いた。

「被験者としてなら、科学者は誰?」

「並列世界の夕呼先生だと思います」

「あたし? 思います?」

「オレは10月22日に目が覚めたら、この世界にいたんです。そんな事がやれそうな心当たりは、夕呼先生しかいません」

 武は再びBETAのいる世界に来た原因として、少なからず夕呼を疑っているので、まるっきり嘘でもない。もちろん本当にそうだったら、感謝したいぐらいだが。

「あんたの知ってる香月夕呼について、知ってる事を全て言いなさい」

「夕呼先生はオレの高校の物理の先生で、因果律量子論って珍妙な理論を提唱していて、面白い事が大好物で主にオレを巻き込んだ騒ぎを起こします。オレのクラス担任のまりもちゃんとは学生時代から親友で、まりもちゃんに変わった服を着せて楽しんだり、恋愛関係でからかったりして、まりもちゃんをよく泣かせていました。愛車はストラトス。それに自分が担任をしているクラスの生徒を、本物の猫に変えた事があったんですよ」

 その他に武は、こまごまとした夕呼のエピソードも話した。

「ふ~ん。あんたは高校生ってわけね」

「真面目に勉強していなかったので、学力で証明しろと言われても困りますけどね」

「そんなのはどうでもいいわ。あそこにいた理由は?」

「オレの通っていた白陵柊学園は、あの士官学校の位置にあったんです。だからあそこら辺に足が向くんですよ。そもそも、オレの世界にはBETAなんて化け物は存在しません」

「BETAがいない世界?」

「ええ、新聞で知った限りでも、歴史が違いますね」

 その後も歴史や社会について夕呼が質問し、武が答える事をしばらく繰り返した。

「なかなか面白い話が聞けたわ。で、証拠は有るのかしら?」

 夕呼はニヤリと笑いながら聞いた。絶対にないと思っているのだろう。

「オレの世界から持って来たと言うか、ついて来た物品があります。この世界にある同じ物と夕呼先生が分析して比較すれば、因果律量子論でしか説明のつかない同一性を見つけられるのでは?」


>>香月夕呼:Side<<


「ええ、新聞で知った限りでも、歴史が違いますね」

(少なくても個人が考えた作り話の完成度ではないわね)

 創作だとしたらどこかの組織がバックにいるはずだ。因果律量子論に通じている上に、夕呼の性格を精密に分析できていなければ、この話は作れないだろう。夕呼以外にこれほど因果律量子論に通じた人間がいるのかと言う疑問はあるが、武の言う事を信じる根拠もない。それらは後で探らせる。

「なかなか面白い話が聞けたわ。で、証拠は有るのかしら?」

 もちろん夕呼は証拠があるとは思ってない。あくまでも優位に立つための質問だ。

「オレの世界から持って来たと言うかついて来た物品があります。この世界にある同じ物と夕呼先生が分析して比較すれば、因果律量子論でしか説明のつかない同一性を見つけられるのでは?」

(……確かに比較分析の結果によっては証拠になるわ)

 それを持つからと言って人間までそうとは限らないが、意思を持たない物品だけを移動させる事は不可能だ。少なくとも誰かが世界移動をした証明にはなる。そして武がそうではない場合でも世界を渡った人間を見つけるキーには違いない。もし物品が証拠になる物なら、武を確保しておいて損はないと夕呼は考えた。

(そういえば、急にまりもに会いたくなったのよね)

 夕呼は仕事でしばらく関東に滞在するので、都合の合う日にまりもに会おうとは考えていたが、普段ならさすがに訓練兵の立場であるまりもの都合を考慮するのに、今日に限って直前に連絡して会おうとした。


――もしかして、最良の未来を引き当てたのかしら?






[3876] Muv-Luv Alternative 1991 第03話 夕呼と初交渉
Name: 鹿◆15b70d9b ID:a605618e
Date: 2010/08/05 18:41
1991年11月10日 桜並木の坂の下 車中


「……物品って具体的に何?」

 さすがの夕呼も、証拠が有る事には驚いたようだ。

「因果律量子論でしか説明のつかない同一性を、見つける事は可能なんですか?」

「やってみないと、なんとも言えないわ」

 今までは、夕呼の質問にひたすら武が答える事で、会話の打ち切りを防いでいたが、武は夕呼がやってみる価値を認めたと判断し、多少は探りを入れても問題ないと判断した。

「因果律量子論でしか説明できない同一性が認められたら、因果律量子論の証明に寄与しますよね?」

「そうね」

「つまり夕呼先生に、メリットがあると言う事になりますね」

「残念ながら、既に因果律量子論は証明されてるから、メリットにはならないわね」

 夕呼はニヤリと唇を持ち上げた。

「ご冗談を、これまで観察したところ、両世界の人間は性格や適正等に大きな違いはないようです。いくら夕呼先生が天才でも、オレみたいなイレギュラーでもない限り、同じ天才の夕呼先生より10年も早く証明できたとは思えません」

 武は、実際に証明されてない事を知ってるので、強気で押せる。

「で、元の世界に帰るのでも手伝えって?」

 図星を突かれても、夕呼は余裕の態度を崩さない。

「この世界にはもう会えないと思っていた人がいるので、元の世界に戻りたいとは思ってません」

「ふ~ん、BETAはなくとも人は死ぬ。か」

 夕呼は帰還への協力を武への餌にするつもりだったので、面白くなさそうにつぶやいた。

「因果律量子論の証明。これに見返りを期待するのは間違ってますか?」

「舐めてるの? こっちはあんたの意思ぐらい無視できるのよ」

 夕呼は武を睨んで威圧する。

「逆ですよ。オレが世界移動した事が証明された場合は、オレの事を骨の隋まで利用しつくすつもりなんでしょ? 駒の用途を限定するほど、夕呼先生が甘いとは思えません」

 夕呼が現時点で武を00ユニット候補と考えてるかは別にしても、因果律量子論に関連した実験は、被験者の意思や双方の信頼関係が大きく影響する。つまり取引によらない一方的な収奪や強制をした場合は、それらの実験での成果が期待できなくなる。そうなれば夕呼にとって武の価値は半減だ。

「そっちのあたしにでも仕込まれたのかしらね。言ってみなさい」

「ある人に会いたいのですが、こっちの世界では一般人が会える人物ではないんですよ」

「もったいぶるわね」

「先に証拠になりうる物品の話からした方が、理解しやすいと思います」

 夕呼は顎で先を促す。

「オレの世界では、無現鬼道流という剣術流派の宝刀『皆琉神威の鍔』がソレです」

「あんたの世界のソレと、この世界のソレは両方揃ってるのかしら?」

「実はこの世界のソレがどこにあるか、分からないんですよ」

「あるかないかも知れない物を、あたしに探せって言うわけ?」

 話の底が見えたと思い、夕呼は落胆したような声を出した。

「この世界でも全く無名とは思えないので、所在だけは直に判明すると思いますが、問題は借りられるかです。高確率で煌武院家に関連する人間が所持しているでしょう。とりあえず、無現鬼道流について調べてみては?」

 時期からして所有者は、冥夜の剣術の師匠である紅蓮斯衛大将だろう。武は天元山の噴火救助をした世界で皆琉神威について聞いている。武が元いた世界では御剣家の宝刀だったので、冥夜は幼い頃から所持していたが、BETAのいる世界では無現鬼道流皆伝の証であり、元の世界で冥夜は皆伝から3年後に武に会いに来たので、BETAの脅威があったにしても修行期間を7年も短縮するのは無理だろう。冥夜が所持していたら複雑すぎる事になるので、武は慎重に検討した。

「煌武院ってどんな家か知ってるの? なんでそんな物をあんたが持ってるのよ」

「オレの世界でも、煌武院家は世界経済に影響を及ぼすほどの財閥でした。縁があった理由は、えーとまあ、夕呼先生はオレの事を恋愛原子核とか言って、まりもちゃんのために研究するとか言ってました」

 武としては御剣と煌武院は混ぜて説明するしかないが、もともと同じ家みたいなものだから矛盾はない。縁については武からしても不思議なぐらいなので、夕呼の理論である恋愛原子核を持ち出して補強した。並行世界の自分が名づけた理論なら感じる物があるだろう。

「つまり煌武院の関係者に惚れられたと、とりあえず現物を見せなさい」

「見た目からして値打ち物なので、家に置いてあります」

「そう、今からあんたの家まで送るから持ってきなさい」

 そう言った夕呼は車内にまりもを呼んで、武の案内で白銀宅前まで移動した。


1991年11月10日 白銀家前 車中


 武は急いで鍔を持って来て、手を伸ばしているまりもに渡した。まりもは受け取った鍔をしばらく調べて危険はないと判断したのか、夕呼に渡してから再び武のボディーチェックをした。そして武が車内に入ると、夕呼が興味深そうに鍔を見ている。

「ふ~ん。年代物っぽいし、因果が強そうではあるわね」

「分析比較が終わったら、ちゃんと返してくださいよ」

「いつになるか分からないけどね~。で、誰に会いたいんだっけ?」

「煌武院悠陽です」

「あんたの言う事が証明されて、あたしの研究に役立ったなら考えない事もないわ」

 夕呼は本当に楽しそうだ。武も覚悟していた事だが、望みを言う事は弱点を晒す事でもある。

「簡単には会えないでしょうが、どうしても忠告する事があります」

「この世界は、あんたがいた世界とは違う世界なのよ?」

 夕呼は世界の因果が近くて個人レベルなら忠告には効果があると考えたが、同時に逆効果の可能性にも思い至ったので、せっかくの餌を無意味にする必要もないと別の事を言った。

「BETAの有無で違う面も多いですけど、似ている面も数多くあります」

「言っておくけど、あたしにだって難しい事なのよ。あたしの権限が増せば楽になるけどね」

 夕呼は会いたかったら役に立ちなさいと言わんばかりだが、実際に会わせる気があるのか疑問だ。夕呼にしてみれば自分以外の権力者と武を会わせる事は、百害有って一利無しとしか言えない。武も現時点で夕呼に会わせる気がないのは覚悟の上なので、牽制の発言を放った。

「オレが痺れを切らして、無謀な行動にでないとも限りませんよ」

 そうなれば夕呼も、使える実験体候補を失う事になる。

「覚えておくわ。あんた名前は?」

「白銀武です」

「そう今日はもう良いわ。分析の結果によってはまた会いましょう」

「はい。なるべく早く再会したいです」

 そして夕呼とまりもが乗った車は走り去った。

(そういえば、まりもちゃんとは一言も話してないな……。夕呼先生との交渉に集中してたから仕方ないか。とりあえず、BETAのいる世界の未来を知ってる事は隠し通せたはずだ。隠し事を疑われてはいるだろうけど、BETAのいない世界の未来をこの世界に当てはめて、殿下を助けようとしてると誤解させれたのなら大成功だろう。夕呼先生を相手に油断は禁物だが……)

 武が家の前に立ったまま思索に耽ってると、後ろから大声がした。


――タケルちゃん!!


(ただでさえ生活習慣変えて怪しまれてるのに、純夏に高級車と迷彩服姿のまりもちゃんを見られたか……)






[3876] Muv-Luv Alternative 1991 第04話 夕呼の慧眼
Name: 鹿◆15b70d9b ID:a605618e
Date: 2010/08/05 18:42
1991年11月10日 白銀家前


「タケルちゃん。あの人達は誰?」

 純夏が珍しく真剣な顔で聞いてくる。

「衛士を目指してるって言ったろ? 衛士訓練生の人にいろいろ話を聞いてたんだよ」

 まりもとは一言も話してないが、武はしれっと言ってのけた。

「訓練生って、お金持ちさんじゃないよね。あの車は高そうだった」

 金持ちの訓練兵を何人か知っている武だが、高級車に乗らないという意味なら、純夏にしては賢い追求だ。

「あの車の持ち主は偉い学者さんだ。オレって理科や数学のテストで点数が急に上がっただろ? それで興味持って話をしに来たんだと。エリート養成学校に入らないかって誘われて、行こうかと思ってる」

 まるっきり作り話だが、8歳の武が夕呼を手伝いに京都に行くとしたら、転校という口実が最適だろう。問題があるとしたら悪乗りした夕呼が、本当にエリート養成学校を作りそうな事ぐらいだ。

「その学校ってどこにあるの?」

「それは、まだ聞いてないけど、たぶん遠くだろうな」

「嘘だよ」

「衛士になる一番の近道なんだ」

「本当なら、タケルちゃんが話してくれるはずない! へりくつでごまかすはずだもん!」

 相変わらずの武評だが、当たっている事も確かだ。

「オレだって大事な事は、ちゃんと話す事もあるさ」

「うぅぅ、変なタケルちゃんだけど、タケルちゃんだ」

「転校しても手紙は出すから」

「タケルちゃんが手紙って、想像もできないよ」

(そう言われれば、誰かに書いた事ってあったか?)

 それはともかくとして、武は純夏の周辺状況が気になるから、マメに手紙を出すつもりだ。

「いや、本当に出すよ」

「手紙は本当みたいだけど……」

 入念に準備して望んだ夕呼との交渉と違い。突然の事態に武はどう説得したものか窮してしまう。まだ8歳の純夏に慣れてもいないので、昔だったらどうやってたか思い出すのだが、思いつきだけで生きていた時代と同じ事をするのは抵抗がある。

「まあ、そういう事だから、おじさんとおばさんにも言っておいてくれ」

 とりあえず武は撤退を選んだようだ。説得も純夏の両親に丸投げしてる。実は昔と変わってないかもしれない。

「信じないから!」

 武は純夏の声を背中に家の中に入る。この年齢だと、この雰囲気でも追ってくる恐れがあるが、今回は追っては来ないようだ。

(親の説得は、どうせ徴兵されるなら、そういう学校を出た方が生き残る確率が高い。と言えばOKだろう)

 それよりも夕呼と接触した以上、いつの間に家捜しされているのか分かった物ではないと考えた武は、数式の書いたメモを最後によく暗記してから燃やして灰にした。情報はできることなら書いて残して置きたいのだが、安心できる拠点を手に入れるまでは何度も思い返して凌ぐしかない。指輪はお守りに入れ首から下げ常に携帯する事にした。


1991年11月15日 県立図書館


 武は夕呼と会えてからも、隔日で図書館に来ていた。

(とにかく今は“知らないはずの情報”を減らしたい)

 中国戦線の情報などは断片的なものしかないが、それでも分析すれば未来知識もあってそれなりに把握できる。

(そろそろ北京もやばそうだな。あと3~4年後ぐらいに、甲19号の建設がはじまるんだったかな)

 夕呼から連絡が来るまで焦っても仕方がないとはいえ、武がこの世界に来てもうすぐ一ヶ月になる。これは前回の世界ならば致命的な時間の消費だ。

(しかし、純夏の奴……信じないと言ってたくせに)

 武がおばさんに聞いたところ、純夏は必死で勉強しているらしい。その純夏の努力は……実る可能性が結構ある。夕呼の権限で可能になれば、エリート養成学校を本当に作ってしまう予感があるのだ。もしそうなれば武への牽制に当然のように純夏を入学させるだろう。そして武から言い出した設定だから文句も言えない。咄嗟だったとはいえ武が京都に行く口実は、夕呼から言わせるべきだったと猛省した。

 今現在、武が夕呼相手に安全を確保できてるのは、因果律量子論の実験に必要な自由意志と信頼関係を質に取ってる事が全てなので、武と夕呼の戦いは自然と心理戦の要素が強くなる。武が自業自得と思う事や仕方がないと思う範囲でなら、夕呼は武の意思を無視できるのだ。ならばその範囲を少しでも広げようとするのが香月夕呼である。

(救いがあるとしたら、夕呼先生は半端をしない事か)

 作るとしたら本当に良い環境を揃えてくれそうだ。そもそも武は純夏が衛士になるとしても反対しない。この世界この国の人間なのだから、BETAと戦う権利があり武に止める権利はない。状況が許すなら同じ部隊の方が安心できるが、武の手の届かないところで戦死したとしても、人間として生きて死んだのなら受け入れるしかない。

 実際にそうなった時に、武の精神がどうなるかは分からないが、それぐらいの気持ちでいないと夕呼に利用されるだけなのは確かだ。基本的には感情に振り回されないが、悠陽の事なら無謀に走ると思わせなければ、夕呼の方から悠陽と会わせる事はないだろう。武にとっての純夏の重要度は、できる限り低く見せる必要がある。


>>香月夕呼:Side<<


(面倒な資金集めも目処が立ったし、やっと自分の研究室に帰ってコレを分析できるわ)

 夕呼が東京に来ていた理由は資金集めである。オルタネイティヴ計画に関連する理論の内容は極秘とはいえ、利権になると思わせる事ができれば内容に関係なく資金は集められる。夕呼が自分で資金集めをしているのは、大学――帝国――の予算に頼っていては自由にやれないのと、帝国の紐付きだと思われては国連に認められ難くなるからだ。夕呼は国家に拘らない事を多方面でアピールする必要がある。

(それにしても、よりによって紅蓮斯衛中将が持ち主とはね)

 資金集めと並行して無現鬼道流と皆琉神威を調べた夕呼は、その相手の名前にため息をこぼしていた。確かに有名ですぐに見つけられたが、それだけに適当な理由で借りるのは難しい。

(相手が相手だし、正攻法しかないかしら)

 貸しを使った上で借りも作る事になるが、政府筋から夕呼に協力するよう話を通して置いてから、理由は機密としながらも礼を尽くして頼むぐらいしか方法はないだろう。しかし、より大きな問題は借りた後に来る。そもそも夕呼が刀――鍔だと余計――を借りる事が不自然すぎる。なぜ夕呼がそこまでして皆琉神威を借りたのか、煌武院家が調査しないわけがない。そして時期的に夕呼が東京に行った時が怪しいと考えるだろう。

(煌武院家の調査能力は、忍者を飼っていると噂されるほど)

 夕呼が東京で妙なガキと話していた事ぐらい楽に掴みかねない。夕呼がまりもに会いに行った事は、すぐに知れる事だし、武は横浜士官学校ではちょっとした噂になっている。娯楽に乏しい訓練学校の前で8歳とは思えない距離を走りこむ子供がいて、門兵と世間話もしていれば噂になるのは当然と言えた。訓練兵への罵倒――表のガキの方が体力があるぞ――に使う教官までいる始末だ。もちろん誇張だが。

(門兵にアレが、聞こえてた可能性があるわ)

 アレとは開口一番に武が夕呼の名を叫んだ事だ。そして門前の監視装置に記録が残っていればより最悪だ。そうなれば煌武院の方から武に接触する可能性すら出てくる。夕呼と繋がりがあると知れていれば、あまり強引な事はしないだろうが、それこそが武の狙いだろう。

(あたしの存在をお守り代わりにしつつ、接触ができない相手に向こうから接触させる。……本当に向こうのあたしは、やっかいな教え子を育ててくれたわ)

 大声については武の意図した物でないが、それ以外の武の狙いは概ね夕呼が考えている通りだ。そして気まぐれの来訪に偶然居合わせたとしか思えない――武に背後があるとは既に考えていない――のに、状況が武に都合が良すぎる事が、夕呼にとっては価値があり警戒すべき要素だ。

(最良の未来を選び取る能力。ずば抜けてそうね)


――しかし、あたしを相手にするには甘いわよ。


 それこそ夕呼が紅蓮から皆琉神威を借りなければ済む話なのだ。

(あんたは比較を強調しすぎた)

 夕呼は武から預かった鍔だけを分析して、世界を渡った物か判別する自信がある。もちろん他者を納得させるようなデータは取れないが、そもそも因果律量子論の本質は夕呼にしか理解できない。それに武が並列世界から来た事が事実なら、そんなデータは実験すればいくらでも取れる。問題は夕呼が納得できるかどうかでしかなかったのだ。


――あんたの望み通り早く再会できそうよ。ただ少し早すぎるかもね?






[3876] Muv-Luv Alternative 1991 第05話 帝国大学へ
Name: 鹿◆15b70d9b ID:a605618e
Date: 2010/08/05 18:43
1991年11月17日 白銀家


――武が小学校から帰ってきたら、家で夕呼が両親と話してた。


(凄まじく驚いた。たぶん母親の荷造り以外で、オレが何を持っていくかを見たいんだろう。おまもりの他は身一つで十分だ)

 夕呼は帝国大学に初等部を作ったらしく。武の両親との話し合いと、書類のやり取りは既に済んでいて、今日このまま京都に連れて行くと武に言った。父親は餞別だと、それなりに高そうな日本刀を。母親は荷造りをしていてくれて、純夏に挨拶をしてから行きなさいと武に言った。

(調べはついてるんだろうけど、夕呼先生の前で純夏を特別扱いしたくない。けど普段と違うのもあからさまか)

 武は夕呼にしばらく時間をもらい。純夏の家に行き、おばさんに純夏を呼んで貰う。

「純夏。今から京都の学校に転校する」

「学者さん来てるの? 会わせて」

(純夏って意外と賢いよな)

 武は困ってしまい、どうでも良い事を考えた。

「いや、本当に急ぐからそれじゃ」

 武はダッシュで出て行き夕呼の車に乗り込んだ。

「お待たせしました」

「あら、窓を叩いてる娘は良いのぉ?」

 夕呼は楽しくて仕方がないという風情だ。

「どうせ先生が入学させる気なら決定でしょ。純夏の書類はない様ですし、まだオレだけなんですね?」

「話が早すぎるのも味気ないわねぇ。それじゃ出すわ」

 そう言って夕呼は車を発進させた。


1991年11月17日 横浜から京都への途上 車中


「しかし、ずいぶん早く来ましたね」

「まあねぇ~。年代物の合金なんて理想的よ。まだ分析は終わってないけど、あんたを傍におく程度の結果は出てるわ」

「いえ、よくこんなに早く借りれたなぁと」

「借りてないわよ」

 夕呼は満面の笑みだ。

「そうですか」

 武は多少落胆した表情をした。

「あら、意外と冷静ね?」
「相手が夕呼先生ですからね」

 しかし、武は十分な対処をしてから借りる程度までで、借りないとは予想できなかった。

「さすがに因果律量子論で負けられないわよ~」

 今日の夕呼は楽しそうだからか、武も交渉時ほど緊張してないからか、夕呼の若々しさが目立った。

「どうしたの?」

「いや、十年前だけあって若いなぁと思いまして」

「今更ね」

「正直、十年後はちょっとケバ……」

 名状しがたい殺気を感じて武は黙った。

「その前の発言に免じて一度だけ許すわ」

「すいません。もう言いません」

 この歳で実戦経験のある衛士を本気で怖がらせる殺気を出すとは、さすが夕呼だと武は感心した。

「それにしても初等部ってよく作れましたね」

「そっちの世界のあたしと同じよ。総長と理事に有力教授。全員の弱みを握ってるわ」

(簡単に答えてくれるとは思わなかった。両世界の自分を同一視させて、無意識下の信頼を得る方針も作ってるのか? 残念ですがそれは絶対に成功しませんよ。元からオレはどの世界の夕呼先生も、信頼し尊敬してますからね。ただ利害が対立してるだけです)

「お役所はどうしたんですか?」

「榊文部大臣は、あたしのスポンサーの一人だから問題なし」

(委員長の親父さんとはこの頃からの付き合いなのか)

「生徒はオレ一人なんですよね?」

「綺麗な娘を大量に入れてあげても良いわよ」

(ここでお願いしますとか言うと、マジでやるのが夕呼先生だからな)

「いえ正直、小学生の生活は辛いです」

「ま、実質はあたしの専任助手ね。あたしの用がない時は大学の講義を聴いてても良いわよ」

「また、えらく待遇が良いですね」

「極端な話、あんたが不愉快な思いをするだけで、あたしが不利益を被るのよ」

(本当に極端な話だな。必要がある部分では容赦されないだろう)

「なるほど」

「それに因果律量子論を抜きにしても、あんたを高く買ってるのよ」

(正直、むちゃくちゃ嬉しい。冷静さを保たなければ……)

「これでも中身は18歳ですからね」

(本当は21ぐらいだけど)

「あら年上じゃない。教師の年齢を追い越した気分はいかが?」

「夕呼先生は年齢とか、そういう次元じゃないでしょ」

「それが分からない馬鹿が多くて困るのよねぇ~」

「オレも年齢では苦労しそうだなぁ」

「フフッ、年齢不相応の能力を持った苦労を知りなさい」

 車中の会話は終始和やかに進んだ。二人とも相手の腹を探り合っていたが、純粋に楽しんでもいた。


1991年11月17日 帝国大学隔離区画


「あの棟をあたしが丸ごと使ってるわ。あんたの部屋もあの中に用意したから、これID。網膜データは既に登録済みよ」

(いつの間にオレの網膜データなんて取ったんだ? さらっと恐ろしい事を……)

 帝国大学敷地内の奥まった所に夕呼の研究棟はあった。新築みたいな綺麗さだ。武が普通に尋ねて来ていたら、夕呼に会える可能性は極端に低かっただろう。警備が機械のみだから取り次いでくれる人がいない。例え銃を突きつけられるとしても、人がいる方が遥かにやり易いと武は思った。

「予想より良い住いですね。大学の研究棟って汚いイメージがありました」

「ま、一から作るぐらいじゃないと、あたしの研究には使えないわ」

「食事と洗濯は良いとして、掃除は自分達で、ですね」

「そーよ。本当に細かい事してくれる助手が欲しいわ」

(そういえば、ピアティフ中尉とは国連からの付き合いなのかな)

「今日は遅いから寝ていいわよ。子供は寝る時間だしね」

「夜中に叩き起こされても、文句は言いませんので」

「分かってるわ」


1991年11月17日 帝国大学隔離区画 武の部屋


 武は自室のベッドに寝転がりながら、これからの方針を考えていた。

(まず、夕呼先生が自発的にオレを殿下に会わせてくれる状況は、オレと殿下を会わせないデメリットが、オレと殿下が会うデメリットを越えた時だ。会わせないデメリットは、オレのストレスで計るだろうな。会わせるデメリットは、オレと殿下が会った後でも、夕呼先生に協力すると思わせられれば、かなり下がったと思わせられる)

 夕呼には下手な演技は通用しないし、ストレスについては自然体で、武は後者を考える事にした。


1991年11月18日 帝国大学隔離区画 リビング


「まだ、あんたにしてもらう事の準備できてないのよね。しばらく好きにしてて良いわよ」

(急いで呼んだのは確保を確実にしたかったからか? そもともオレの自由な行動を観察するのが目的か)

「わかりました」


1991年11月18日 帝国大学隔離区画 広場


 武は父親から貰った刀で、冥夜に教わった無現鬼道流の基礎訓練を行っていた。

「ハァッ! フッ! セイッ!」

 体力の限界まで訓練していると、夕呼が見物に来た。

「なかなか様になってるじゃない。あっちじゃ紅蓮中将の弟子だったの?」

「弟子と言う程でもありませんが、煌武院家に入るには必須だと基礎だけ」

「ふ~ん。そういえばまりもが、あんたと戦いになっていたら負けたかもって言ってたわよ」

「さすがに、それはないでしょう。夕呼先生を守りきれない事が負けって意味かと」

「なかなか謙虚ね。ここにいるうちは護衛も頼むわ」

「了解です」


1991年11月21日 帝国大学廊下


 武はここ数日、訓練をして体力の限界を感じたら、大学で講義を聞く毎日を送っていた。そんなある日、聞きなれた名前が耳に入ってきた。


――伊隅さん。






[3876] Muv-Luv Alternative 1991 第06話 帝大の生活
Name: 鹿◆15b70d9b ID:a605618e
Date: 2010/08/05 18:43
1991年11月21日 帝国大学 廊下


「伊隅さん。彼氏いないんだよね」

「それがなにか?」

「なら、俺と付き合おうよ。卒業までに結婚すれば免除継続だし」

「それとこれとは、別問題です」

 要するに伊隅大尉のお姉さんがナンパされてる。

(確か帝国内務省のエリートになるんだよな。毅然としてるから自力で断るだろうし、オレが関っても状況を悪化させるだけだろうが、コネを作りたいので介入しよう)

 武はもう横浜基地――今は士官学校だが――の桜並木には、顔を出さないと先任の面影に誓った。

(伊隅大尉のお姉さん見つけて、最初に思ったのが――利用できる――だもんな。それに敵対するようになってから、より夕呼先生が理解できるようになった気がする。地獄すら生温い道とはこう言う事か、立脚点さえ違わなければな……)

 武は、ナンパ男とやよいの間に入って言い放った。

「子供の前で、情操教育に悪い事を言わないで貰えますか」

 子供に生意気な口を効かれて、当然ナンパ男は不機嫌な顔になって言い返してくる。

「おまえ、香月博士のところに出入りしてるガキだな」

 やはり噂になっているようだ。夕呼以外に誰も入った事がないのだから当然だろう。

「絶縁体が金属になる現象について説明できるか?」

(突然そんな事を言われてもね)

「相手の専攻も聞かずに試すのは卑怯ですよ。あなたは漁業について答えられますか?」

 自分が原因だと思ったのか、やよいがフォローしてくれた。

「ちっ、おまえの専攻は何だよ」

「特にありませんね」

「やっぱりそうか、香月博士はショ……」

 そこまで言ったところで、武の掌打がナンパ男の鳩尾に減り込み、ナンパ男は気絶した。そしてその光景を絶句して見てる近くの男に向かって武は伝言を頼んだ。

「この人が起きたら伝えて下さい。あと一文字を口にしていたら、徴兵免除を取り消された上に、歩兵の促成教育後に最前線に送られていた……と。もちろん部隊の足手まといになるので到着後に射殺されます。命の恩人に感謝するのは人間として当然でしょう」

 たまたま近くにいただけの男は、ガクガクと首を縦に振る。

「オレの専攻は強いて言えば、香月博士の護衛です。二~三人学生の数が減っても大学は気にしません。こんな時代ですし噂話も命がけですよ」

 周囲にいた。やよいを含めた学生が真っ青になる。帝大総長でも道を譲ると言う、香月博士の助手の言葉だけに真実味がありすぎた。武がゆっくりと周囲を見回すと、蜘蛛の子を散すように学生が逃げ散った。責任感からか、やよいだけは残っていたので武は頭を下げた。

「かえって迷惑をかけてしまったようで、申し訳ありません」

「いえ……。その今の話は?……」

「できる事と、やる事は違います」

「そ、そうですよね」

 やよいはほっと胸を撫で下ろした。が、武は夕呼がやらないとは一言も言ってない。

「助けてくれて、ありがとうございました」

 人間ができてるらしい。子供相手にも丁寧だし、迷惑しか掛けてない武にお礼を言う。

(狙い通りなんだけどな)

「いえ、恋人が居ない事と好きな人が居ない事は、同じではありませんよね」

 武は伊隅大尉を経由した情報でインチキした。

「本当にそうですね」

 やよいは極度の緊張状態から解放され、尚且つ最も信頼する人間を連想させる事を言われて、否応無く武に強い親近感を持った。さらに三人の妹を持つやよいにとって、子供とは世話を焼いてあげる存在だ。

「しかし、どうしよう」

「どうかしましたか?」

「いえ、三枝教授の講義はどこでやってるのかなと」

「よろしければ、お礼にご案内します」

(子供だからか、やたらと上手くいったな)


1991年11月21日 帝国大学 教室


 そして流れで一緒に講義を聞いた後に、武がやよいに分からなかった場所を聞くと丁寧に説明してくれる。そのうち態度にも固さが取れてきた。

「つまり、肉の資源効率はとても悪いの。だから、最初に合成食材が開発されて、帝国でもかなり普及してるわ。でも、米国は未だに天然素材の牛肉を食べている。天然素材なのはともかく、豚や鳥に転換を推進してくれれば、穀物の輸出量が3%は増えるはずなのよ。それでどれだけ命が救われるか――」

 内政について無知な武には、最適の教師だ。

「合成食材にも問題がないわけではないわ。実質の栄養価が評価し難いのと、未知の病気を誘発する危険など、技術的に未解決の問題が多いままなのよ。合成食品の流通は運輸省ではなくて、内務省―検疫部門がない―が扱ってるのも妙だわ。このまま肉以外も合成食材になっていくと、軍の士気の低下や民心の安定にも悪影響が出てくるでしょうね。味については言うまでもないから――」

 そんなような話を2時間ほどしたので、かなり打ち解けた。

「それじゃ、武くん。またね」

「はい。お世話になりました」

(しかし、合成食材を開発したのってソ連だったのか、アラスカを買った金の出所がやっと分かった。10年後にあれだけ追い込まれても存在感が有るのは、ESP能力者開発のノウハウと合成食材のパテントか、いかにもソ連らしい技術だ)

 武としては、日本のためにも人類のためにも役立ってるので、ESP開発をいまさら否定する気はない。

(まあ、合成食材の材料ってBETAなんだろうな。少なくとも兵士級は人間を材料にしていて、人肉が食える以上は兵士級に食える部分があるはずだ。そして他のBETAも動植物を材料にしてるだろうから、食える部分はあるだろう。たんぱく質以下まで一度分解すれば元がなんだろうと同じ事だ)

 気分の問題を言っていられるほど、日本にも人類にも余裕はない。

(問題は砲弾の微細破片による重金属汚染だな。将来的には重金属中毒患者が大量に出そうだ。そうなると健康な人間ばかりの米国の一人勝ちになり、独善に拍車が掛りそうだ。まあ日本のために、人類勝利の可能性を消すかも知れない、オレが言えた事ではないが)


1991年11月21日 帝国大学隔離区画 リビング


 その日の夕食時に、夕呼がニヤニヤしながら武に話し掛けた。

「ご活躍だったみたいね」

「勘弁して下さいよ」

 コネ狙いだったとは言え、武には恥かしい事をした自覚がある。

「あなたが命を救った彼、自主退学したらしいわよ」

「本当に自主なんですかね」

 武は苦笑した。徴兵免除に拘っていた男が、大学を自主退学するとは思えない。

「さあ。それより、ああいうタイプが好みなのかしら?」

「分かってるんでしょう?」

「家庭教師ね。ずいぶんと優秀な成績よ。彼女」

「とても分かりやすい説明をしてくれます」

「その調子で好きに行動しなさいな」

 夕呼の思惑は今だ武には掴めないが、武としても毎日を遊びだけで――謀略に比べれば訓練と講義は遊びだ――過しているわけではない。さまざまな手段を検討中だ。


1991年11月22日 帝国大学隔離区画 リビング


 武は今日までに何の実験協力もしていないのに、夕呼が突然に提案した。


――あんたと彼女の誕生日。は、さすがに無理だけど、前日に彼女と会ってみない?


(さすがと言うべきか、夕呼先生に先手を取られたな)






[3876] Muv-Luv Alternative 1991 第07話 現状と計画案
Name: 鹿◆15b70d9b ID:a605618e
Date: 2010/08/05 18:44
1991年11月22日 帝国大学隔離区画 リビング


 思いがけない夕呼の提案に武はしばし思案した。

(まだ何の手伝いもしてないのに、殿下と会わせて貰うとなると、夕呼先生への借りが超過する事になるから、それで引き止める気なのか? もしくは殿下との会談時の条件を指定するのに使うのか)

 武側に期限がある以上は、いつまでも悠陽に会わせないわけにはいかない。ならば、先延ばしするよりも自分に有利な状況で会わせよう。それが夕呼の考えで、どちらかと言えば武の推理の後半に当たる。

(しかし、チャンスである事も確かだし、断ったら会わせない口実にされる)

「もちろん会いたいです」

「あたしだけならともかく、助手を同席させるのには苦労したのよ」

 確かに助手が同席する理由がないと相手に言われるだろう。夕呼が何と言って説得したのか謎だ。

「ありがとうございました」

「夜はこの世界の情勢を解説するから空けて置きなさい」

(殿下に会わせる約束をして心理障壁を解かせ、オルタネイティヴ4の必要性を刷り込む気かな? 殿下のためでもあると。しかし、元からオルタネイティヴ4自体には、賛成してるオレには無意味だな。むしろ夕呼先生が、オレがBETAのいる世界の未来を知ってると気がついていない証。いや、中途半端な情報を与えてから、それに関連する事を話す事で、与えていない情報をしゃべらないか、試されてる可能性も考慮すべきか)

「わかりました。オレも知りたいので、よろしくお願いします」

(それにしても、考えていた手段は全て廃案だな。多少もったいない案もあるけど、そういう未練は失敗の元だろう。殿下に会える事が決まった以上は、中止になる可能性は少しでも排除すべきだ。しかし、こちらの動きを封じる事も夕呼先生の狙いか)


1991年11月22日 帝国大学隔離区画 執務室


「――これが世界の各戦線の状況よ」

「西はイギリスで止まりましたか」

 武の記憶だと十年後でも健在なのだから、相当なものだ。

「次は自分達になるから、米国が力を入れて守っているのよ」

「でも、ノルウェーあたりにハイヴを作られたら」

「確かに、分布から言うと作ってもおかしくないわ。でも、今は東進がしたいんでしょう」

「アジアは徐々に押されてますね」

「人類が減らしてるBETAより、オリジナルハイブからの増援の方が多いのよ」

「今までと違って北京に近いところで核は使えない。か」

 いくら中国が焦土作戦を行っていても、未来の再建を考えれば首都近辺と海岸線は汚染できない。

「中国戦線が20年近く持ってきたのは核のおかげよ。もう、数年で抜かれるわね」

「そして朝鮮の次は日本ですか」

 歴史通りなら7~8年しかない計算になる。改めて詳細な情報に触れた武は強い焦りを感じた。

「今年から帝国軍も中国戦線に派遣されているわ。他人事じゃないのよ」

 夕呼の強い決意を感じると、協力できない事に罪悪感を感じずにはいられない武だった。

「帝国軍の戦績は――」


1991年11月28日 帝国大学隔離区画 執務室


「今日話す事は、機密中の機密に属する事よ。外で話せば、口にしたとたんに消されるわ」

「そんな事をオレに話して良いんですか?」

「あんたのお姫様なら知ってるだろう事よ。他に話す相手がいるの?」

「いませんね」

(オルタネイティヴ計画の事か、大よその事は知ってるだけに発言に気をつけないと)

 夕呼はこれまでの武との交渉から、悠陽以外に機密を漏らす事はないだろうと見定めていた。武はある意味で夕呼以上に機密を知ってるが、夕呼にすら話していないので、夕呼の見定めは確かだと言える。

「――以上が『オルタネイティヴ2』までの成果よ」

「人類との意思疎通どころか、BETA同士の意思疎通方法すら分からないんですか?」

「そうよ。それが分かっていたら、それを妨害して有利に戦えてるわ」

(なんとか波、みたいなのでBETA同士が交信していたら、ジャミングできるかと思ったけど、そう上手い話はないのか)

「今やってるのが『オルタネイティヴ3』これは来年に大きな事をして、駄目だったら打ち切りが決まるでしょう。その後にはじまるであろう『オルタネイティヴ4』あたしはこれの最高責任者を目指している。そして、あたしはこの計画で人類を救えると確信しているわ」

(3の大きな事って、霞の兄姉達のハイヴ突入か……)

「夕呼先生は、本物の天才ですからね」

「そうよ。この研究棟でやっている検証は、国連に認められるために必要な事なのよ」

 夕呼は武の目を見て真剣に語りかけてくる。武はやはり罪悪感を強く感じた。

(オレが未来の情報を知らなかったら、『なんでも協力します』って言っただろうな……)

「少し熱くなりすぎたかしらね。今日はもう良いわ。おやすみ」

 夕呼はバツが悪そうな顔をして目を逸らした。

「おやすみなさい」


1991年12月2日 帝国大学 教室


 武は大学内で避けられている。というか怖がられている。そして、それを心配してるのか、やよいが良く話し掛けてくる。相手が優しい女性の場合は、八歳という年齢はむしろプラスに働くようだ。

「この間、合成食材の問題点で『実質の栄養価が評価し難い』と言ったわよね。これをもっと詳しく説明すると、合成食材には本来のその食材に含まれる『主要栄養素』しか注入されていないの。サプリメントをイメージすると近いかもしれないわ。でも、サプリメントだけで栄養素を賄いたいとは思わないでしょう?全てが合成食材になるようだと栄養リスクが高くなるのよ」

 確かに、サプリとたんぱく質、サプリと繊維質だ、と考えると体に良い訳がない。

「それら極端な食材を摂取した、人間側の吸収の仕方がどうなっているのか、人体は極端な物を厭う性質があるから、調べたらあまり良いデータは出ないでしょうね。でも、注入する栄養素の種類を増やすと作業工程が複雑化してコストが上がってしまう。南アジアなんかは本当に苦しいから、単一栄養素の合成食材を作っているそうよ」

「東南アジアは豪州のために戦略的価値が高いけど、南アジアの戦略的価値は低いから、あまり援助して貰えてなさそうですね」

「見捨てられていると言って良いわ。元々人口密集地帯でもあったから、世界一の飢餓地帯になっているのよ」

 悲しそうな顔をして、やよいは語った。

「そうですか……」

(10年後はインド辺りどうなっていたかな。国連軍の基本戦略になかった気もする。横浜基地司令はインド人だったけど、どんな気持ちだったんだろう)

「暗い話になってしまったわね。そうだこの間、私の妹が――」


1991年12月5日 帝国大学隔離区画 執務室


――さて、10日後の事で交渉しましょうか?


(ついに来たか)






[3876] Muv-Luv Alternative 1991 第08話 夕呼と再交渉
Name: 鹿◆15b70d9b ID:a605618e
Date: 2010/08/05 18:45
1991年12月5日 帝国大学隔離区画 執務室


「なにか希望はあるかしら?」

「そう言われても、こちらにはカードがありませんよ。夕呼先生が具体的になにを望むのかも知りません」

 とんでもないカードを数枚隠し持ってるくせに、武はしれっと言ってのけるが、夕呼は一度も実験も検査もしない事で、武に望み――弱点――を見せていない。武が実は知っているのは、未来の知識があるからで、夕呼の責ではない。科学者として最高の実験体を前にしての自制。天才だからと言うだけでは説明の付かない、夕呼が後天的に手に入れた精神力という名の力だ。

 ただし、夕呼とて武との会話がこれほど楽しくなければ、実験の誘惑に打ち勝てたかどうか、自分でも分からなかった。ちなみに2001年は事情が違う。検証段階の現在こそ喉から手が出るほど実験データが欲しいのだ。そして2001年の夕呼が自制が効かない子供のように振舞っていたのは、単純に効率的なストレス解消方としてだ。はしゃぐ夕呼を後ろから見つめる冷めた夕呼が、ストレスの減少率を計算していたぐらいである。

「また、話が早すぎるのよ。言うだけ言ってくれても良いじゃないっ」

 怒ったふりも年齢が若いからか、ちょっとかわいい。

「そう言われましても、自明の事なので」

「仕方ないわね。あたしからの条件を言うわ」

 夕呼はふざけた雰囲気は消し真面目な顔になる

1:因果律量子論を含めて並列世界の存在を明かす事を禁ず。

2:『皆琉神威の鍔』は会談終了まで夕呼の執務室に保管する。

「破った場合はどうします?」

「その場で有り得ないと論破するわ」

「科学者としての信頼度。因果律量子論の知識。勝ち目がありませんね」

「そして、その場合はペナルティで鍔を没収」

「それぐらいは、当然でしょうね」

「あんたが十日も考えれば、並行世界の話なしで忠告する方法ぐらい思いつくでしょ?」

「まあ、可能です」

「それをあたしの方でも補強して、お姫様にある程度は信じさせてあげるわ」

「なるほど」

「それに向こうは、あんたに興味を持ってるわよ」

「へっ?」

 あまりに驚いたので、武は間抜け面をさらしてしまう。

「当然でしょ。自分と同い年の人間が、天才たるあたしの助手をしてるのよ。表面上だけでもあんたを知って、興味を持たない奴がいたら会ってみたいわ。誕生日が同じなのもある。それに向こうが興味を持ってくれたのでもなければ、次代の将軍たる煌武院悠陽様との謁見に、助手を連れて行けるもんですか」

 夕呼は最大の計算外で不確定要素だと、心の中で愚痴った。それと夕呼が無理をすれば連れて行けたので『無理をしないで連れて行けるもんですか』が真実。帝国政府は夕呼に近づきたくてしょうがないが、夕呼は国連招聘のために距離を取りたくて仕方がない。この状況は次代の将軍にすら影響を与える。

(赤い糸とか縁があるっての? 自説で説明が付きそうなのが、またムカツクわ)

「はぁ、そうなんですか」

 武はまだ帰ってきていない。

「そういうわけだから、これからも会えるかも知れないし、焦る必要はないのよ」

「なるほど」

 夕呼が重要な事を言った瞬間に、武は自失状態から一瞬で帰還した。

(そっちに持っていくのか、さすがは夕呼先生だ。『一緒なら何度も会える』か、リカバーが上手い)

「さて、十日後までに忠告を考えておきなさいね。おやすみなさい」

「おやすみなさい」


1991年12月6日 帝国大学 教室


 教室の隅に武が座っていて、となりにやよいが座り、周りの席は空いている。しかし、よく見ると教室全体の人口は明らかに通常より多い。

(なるほど、夕呼先生の言う通りだったか、怖くても興味はあるのな)

 やよいは、この状態をなんとかしたいようだが、武はこの状態こそ最適だと思っている。武が怖がられていない場合を想定して見れば良い。武は大学にいるはずのない八歳だ、容姿はまあまあ整ってる。士官学校の門兵と即座にうちとけるほど如才もない。

(つまり『かわい~』と言うしか脳のない女性が寄って来て、それ目当てでナンパ男がオレの友達の面をして寄って来る。と、年齢を越えた友情とかに弱い女性にアピールするにはもってこいだ。ここの奴らは徴兵免除を継続したいから、本当に結婚願望が強い。多産を奨励するなら、数年以内に子供とかも条件にしたらどうだろう。親失格でも訓練校で育て直して貰えるから安心だ)

 この玉石混合の中から、玉を見つけるメリットと時間消費のデメリットを検討してみた。

(そもそも、こいつらが使えるようになるまで何年かかる?政治家志望なら政務官まで20年、官僚志望でも局長クラスまで10年。学者志望なら研究室を貰えてない時点で先が見えてる。そして研究室棟に行く許可は貰ってない。やよいさんのように将来確実の上に現在も有用ならともかく)

 武は、外から見て暇そうな時が一番忙しい類の人間になってる。つまり思考を最優先してる。今は一分一秒が大事な時期だ。

(それにしても平均が低すぎる。実力で合格したか怪しい物だ。つまり不当な徴兵免除が蔓延しているわけか、ありがたい面もあるな。政敵を潰すのが楽だ。政治家どもはお互い様だから追求しないのだろう)

 と、ここまで考えたところで、武は榊首相の事を思い出した。榊首相に失脚されては困る。

(いや、もしかするとまともな思考力のある人間は、帝国と人類の命数が分かって志願するから、入試のレベルが無茶苦茶に下がってるんじゃないか?それなら不当とは言えないな。入学者の枠を狭くすれば済む事だ)

 どうも武の精神は軍人だからか、文民への評価が辛いようだ。それとも周りにいた文民が全て、極端に優秀だったからだろうか、人類有数の彼女達を基準にすれば、帝国大学ですら白稜以下に見える。


1991年12月12日 帝国大学 廊下


 武が廊下を歩いていると、やよいが女性二人と話してる。要するに二人がやよいを説得しようとしてる。武は気まずくなっても意味がないので立ち去った。

(実際問題、オレはやよいさんを利用しようとしか思ってないわけで、友人なら忠告するのは正しい。しかし、なぜ二対一で廊下でやるかね)

 人間と言うのは多対一になった時点で無意識に心理障壁を張る。場所も相手の部屋ならまだしも廊下。周囲に聞こえよがしの説得が成功するわけがない。とにかく説得だけを優先するなら相手に有利な状況が最適。故事で囚われた英雄が敵の武将を説得して助かる物が典型的な例。単身で乗り込んでの説得とかもだ。

 早い話、説得とは相手の隙を突いて、洗脳する事に他ならない。そして不利な状況で心理的間隙を晒す人間はいない。説得と脅迫を混同してる人間がなんと多い事か、脅迫とは交渉の一形態で説得より人道的な物だ。もちろん、武と夕呼のように説得と脅迫が多重螺旋構造を織り成してる場合は、全く別次元になる。

 それにしても、あの二人にしてもここの生徒達にしても、例えば武が英雄と言われるようになれば、同じ教室で勉強したと周囲に自慢する事だろう。


1991年12月15日 京都 煌武院の屋敷 応接間


――御二方とも、よくいらっしゃいました。






[3876] Muv-Luv Alternative 1991 第09話 謁見と情報戦
Name: 鹿◆15b70d9b ID:a605618e
Date: 2010/08/05 18:46
1991年12月15日 京都 煌武院の屋敷 応接間


 二十畳以上ありそうな応接間の上座に悠陽が座り、その斜め前に赤の斯衛服を着た。月詠真耶(マヤ)が護衛として座っている。

 夕呼と武はというと、悠陽から離れた正面に並んで座っていた。

「このたびは拝謁の栄誉を賜り、恐悦至極に存じます」

 夕呼がそう言って頭を下げたので、武も習って頭を下げた。

「世界有数の頭脳と名高い香月博士。一度はお会いしたいと思っておりました」

「恐縮です。こちらが助手の白銀武です」

「白銀武です」

 そう言ってから、武はまた頭を下げた。

「わたしくと同じ歳で、香月博士の助手を務めるほどとは、とても優秀なのですね」

 悠陽は武に微笑みかけた。

「香月博士の助手に選ばれる基準は特殊なので、一般的に優秀かは計りかねます」

 武はタイミングを計っているので、冷静に応じる。

「どのように特殊なのか、聞いてもよいでしょうか?」

 悠陽は夕呼の方を見て小首を傾げる。

「私と会話しても、退屈させない知性を持っている事ですわ」

「知性ですか?」

「はい。私の助手ながら、常に油断のできない相手です」

 夕呼は武を見ながら口元を緩めた。

(夕呼先生。しばらくお別れです。皆琉神威の鍔は預けて置きます)

 今しかないと思った武は切り出した。

「実は、煌武院様に見て戴きたい品が有るのですが、護衛の方からお渡しして貰ってもよろしいでしょうか?」

 夕呼は怪訝な顔で武を見たが、悠陽は断る理由もないので真耶に指示を出した。

「真耶さん。お願いします」

「はい」

 そう言って真耶は武の前まで来る。武は右手の中指に嵌めていた指輪――秘中の秘だけありボディーチェックの護衛も知らなかった――を外し真耶に手渡した。

 それを調べようとした真耶は、怪訝な顔になってから一転して驚愕の表情を浮かべた。

「これは……どうしてあなたが持っているのですか?」

 真耶は静かな殺気を向けて来るが、主人の客人には詰め寄れないのか、言葉だけで問い詰めてくる。武はこの状況こそ欲しかった。

 夕呼は武が隠し玉を出した事に気がついたが、真耶のこの感心の持ちようでは、とても流れを切れないので、介入の機会を伺うしかない。

「煌武院様にお見せ戴きたい。その後に説明します」

 真耶は悠陽を伺い悠陽が頷いたので、悠陽に指輪を渡した。

「これは、わたくしの指輪にそっくりです。どのような意味でしょうか?」

 悠陽も真耶も本物は別に有ると知ってはいるが、とりあず聞く体制に入ってくれたので、武はほっとした。

「その前に、お人払いをお願いします」

 しかし、この要求が護衛の真耶に受け入れられるわけがない。

「考慮する価値もありません。すぐに話してください」

「護衛の方、誤解を招いてしまい申し訳ない。香月博士に退席を促して戴きたいとの意味です」

「「「なっ!」」」

 武のこの要求には三人とも驚いた。夕呼もまさか自分に論破させないためとはいえ、助手が博士を追い出そうとするとは予想できなかった。

 なにより、悠陽がどうしようか悩んでいる。それもその筈で『煌武院の指輪』に関する事なら、驚いていて無関係らしい夕呼には知られたくないのだ。

 真耶としては、自分がいられて相手の人数が減るのなら、異存はないと言いたい所だが、香月博士を追い返したとなれば問題になる。

 しかし、あの指輪は自分をして見分けが付けられないほどの品であったので、煌武院家以外の者に聞かれては困る内容であろう事は予測できる。

 三人とも動けなくなり、状況を支配できたと判断した武が言った。

「人払い願いは取り下げます。今日の会談は元々、香月博士と煌武院様の物。私は添え物ですので、私が席を外したいと思います。護衛の方、別室にご案内戴けませんか?」

 真耶が悠陽を見ると悠陽は頷いた。残るのが夕呼だけなら、代わりの護衛が来るまでの間は問題ないだろう。そして真耶に連れられて武は部屋から出て行った。

「助手が、無礼な真似をして申し訳ありません」

 冷静さを取り戻した夕呼だが、正直に言って対処法が思いつかなかった。武がまだ並列世界の事を言っていないのに、この時点で悠陽にそれを信じるなと言うのは、いかにも不自然だ。

 結果的に夕呼の方が挙動を疑われる事になり、武の発言の信憑性を上げかねない。それに、自分が連れて来た以上は、武を異常者扱いする事も不可能だ。

 夕呼は武が並列世界の事を持ち出し論破する事になったら、御前討論だったと誤魔化すつもりだったのと、そもそも武が負ける勝負を挑む筈もないと考えた。それは正解だったが、武は勝負をしないで勝ちに来た。

 そして、武が夕呼のいない場所で悠陽と話す事は確実と見て良いだろう。悠陽が武の話を信じない事を期待するのは、自分が助手にした事で信憑性が増しているので危険だ。武にまだ隠し玉がないとも限らない。

「いえ、なにか複雑な事情があるのかも知れません」

 悠陽は武の話に興味があるのか、武をフォローする。

「……そうですね」

 夕呼をして相槌を打つしかなくなり、敗北を認めた。

「此度は斯様な仕儀になり、申し訳ありませんでした。本日は、此処までと致したく存じます」

「佳日まで、ご壮健で在られる事をお祈りしています」

 悠陽も引き止めはしなかった。


1991年12月15日 京都 煌武院の屋敷 別室


「ありがとうございました」

 武が案内の礼を言うと、真耶は武を睨みながら言った。

「この場なら言えるのですか?」

「ことが事ですので、煌武院様の前でお願いします」

「会談が終わるまで、私が見張ります」

「それはもちろんです」

 武としては、ほぼ理想通りの展開になった。いかな夕呼といえど、武があの『場』を完全に作り変えたので、どうしようもないだろう。


>>香月夕呼:Side<<


 夕呼は煌武院家の門前で振り返りながら考えていた。

(あの指輪が、そんなにとんでもない代物だったとはね)

 武があの指輪を出してから、完全に二人の感心は武に移っていた。むろん夕呼は武が御守りに指輪を入れていた事は気がついていたし、大事にしてる事からBETAのいない世界の物だとも予測していた。

 しかし、あの指輪について調べても何も出なかったので、個人的に武が悠陽に渡して、悠陽の死後に戻って来た物だろうと推測していた。

 これは現在の夕呼の情報収集能力の限界を示している。夕呼の情報網は有り余る資金で諜報関係者を大量に雇い、玉石混合の情報を大量収集させて、そこから驚異的な情報分析力で玉のみを取り出すというものだ。

 資金と頭脳のみが武器である現在の夕呼にとっては、最適の方法であろう。しかし、宝玉とでも言うべき情報を手にいれるのは不可能だ。

 2001年の夕呼は『現代の忍者。鎧衣左近』『心を読む少女。社霞』『未来を知る男。白銀武』『対BETA諜報員。鑑純夏』と、情報戦国士無双とでも言うべき陣容を揃えていたが、現在の夕呼には一人もいなかったどころか、そのうちの一人が敵だった。

 天才香月夕呼と言えども、諜報分野においては他者に頼る必要がある。そして情報が無ければ夕呼でも敗北するのだ。

(やはり全ては情報ね。オルタネイティヴ4への確信が深まったわ)

 多少負け惜しみの感もあるが、流石に夕呼だけあっていつまでも落ち込んではいない。煌武院家が武を囲い込めば、現在の夕呼が干渉するのは無理だろう。

 しかし、オルタネイティヴ計画の最高責任者になれば、第四計画に必須の人材として日本帝国に武の引渡しを要求できる。

 武が使えなくなったのはとても痛いが、なんとしても検証作業を終わらせて、国連に招聘されなければいけない。と、夕呼は決意を新たにした。


1991年12月15日 京都 煌武院の屋敷 応接間


――それでは、そなたの話を聞きましょう。


(やっと殿下に説明できる……)






[3876] Muv-Luv Alternative 1991 第10話 悠陽に説明
Name: 鹿◆15b70d9b ID:a605618e
Date: 2010/08/05 18:46
1991年12月15日 京都 煌武院の屋敷 応接間


 先ほどの謁見と基本的に同じ構図になった。しかし、武の隣りに夕呼はいない。

「まず私が、香月博士の助手になれた経緯から説明したいと思います」

 武は、それで良いか確認するように悠陽を見た。

「続けてください」

 悠陽がそう言ったので話し始める。さっきの理由が全てとは悠陽も考えていなかった。

「香月博士の提唱理論に因果律量子論という理論があります。そしてこの理論に基づけば他の世界――並列世界――に人間が移動する事もありえるのです。つまり、私はこの世界とは別のBETAが存在しない世界から、意図せず移動してきた人間です」

 ここで反応をいったん切って二人の反応を伺う。

「「BETAがいない世界」」

 やはりこの世界の人間にとっては、それが一番衝撃的のようだ。

「私が元にいた世界では、私は高校生で高校の物理教師であった香月夕呼の教え子でした。そして香月教諭は私の世界でも天才でしたから、私はこの世界の香月博士に助けを求めたのです。私の話を精査した香月博士は相手にする価値があると判断してくれたようで、いろいろな話を聞いて来て、最後に証拠があるのかと尋ねられたので、私は元の世界から一緒に移動して来た物品を渡しました」

 まだ皆琉神威の話は早いだろう。夕呼から取り戻そうとされても困る。

「その物品を分析した香月博士は、さらに私の話に信憑性を感じたようで、因果律量子論の検証作業に有用な存在と判断して、助手として帝国大学に連れて行ってくれました。私が高待遇を受けたのは、因果律量子論の実験には被験者本人の意思力が大きく影響するからです。それを質に取り私は香月博士と何度となく交渉を繰り返し、私を煌武院様に会わせると言う条件を飲ませる事に成功しました。そして今日の日を迎えたのです」

 そこで止めて、武は一気に喋ったせいで乱れた息を整えた。

「わたくしに会おうとした理由と言うのが、この指輪と関係するのでしょうか?」

 悠陽が真剣な表情で質問した。真耶は夕呼に条件を飲ませたの件に衝撃を受けた。

「はい。ここからは香月博士には意図的に伏せて来た情報です。私はBETAのいない世界で高校生でしたから、その世界は今から10年後の2001年でした。つまり私にとって基準となるのは2001年なのです。そして私がBETAのいる世界に移動したのは、はじめてではありません」

「もしや(まさか)」

「私はこの世界の十年後を知っています。その指輪は今から十年と少し経った。2002年1月5日に帝都城にて、日本帝国政威大将軍煌武院悠陽殿下より頂戴した物です」

 ここまで言って武は深く息をした。信じてもらえるか並の緊張感ではない。

「2002年……帝都城……将軍……」

 悠陽は考えを纏め様としてるようだが、なかなか難しいようだ。真耶は夕呼を同じ質問をした。

「証拠はあるのですか?」

「その指輪と煌武院様がお持ちの指輪を分析して比較してみれば、それが煌武院様のお持ちの指輪の十年後の姿であると、かなりの確度で分かるのではありませんか?」

 夕呼ほどではなくても、一定の信用を得られる程度の結果は出るはずだ。

「真耶さんどうなのでしょうか?」

「どこの国にどのような技術があるかも知れませんので、100%とは言えません。しかし、やってみる価値はあるかと」

「分析と比較お願いします。何れにしろそれ以外に確かめる術はないでしょう。一概に否定できる状況でもありません」

「ありがとうございます」

 武は深く頭を下げた。

「白銀。そなたの瞳の力は、未熟者のわたくしには強すぎます。話の続きは指輪の結果が出てからにいたしましょう。そうしなければ、指輪の結果に関りなく信じてしまいそうです。鑑定結果は冷静に精査したいと思います」

「感服しました。(やっぱり殿下は八歳でも立派だ!)」

 そう言って武は再度、頭を下げた。真耶も主君の立派な意見に感動した面持ちでいる。そして悠陽が鈴を鳴らすと暫くして、女中のような格好の女性が現れた。

「この者は暫しこの家に滞在します。客間に案内してください」

「畏まりました」

 そうして武は客間に案内されていった。

「真耶さん。内密に指輪の分析と、鎧衣に白銀武の調査依頼をお願いします」

「はっ! 全力を尽くします」


1991年12月15日 京都 煌武院の屋敷 客間


(まだ完全に信用されたわけじゃないけど、悪くない流れだ。むしろ殿下が立派で安心した)

 武は女中に持って来てもらったノートに、今まで書けなかった未来の情報を書き捲ってる。

(少なくともこれで、重要な部分を忘れる恐怖からは解放される。数式なんか忘れたら50億人殺す事になったかもしれない)

 書けば書くほど、武は肩の荷を下ろしてリラックスしてくる。武は、本当にストレスが溜まってたんだなぁと、しみじみ感じた。


1991年12月16日 京都 煌武院の屋敷 庭


 武は、客人待遇になった事で返却された剣で、無現鬼道流の基本を修行してる。

(監視されてるはずだし、これも傍証になると良いな)

 そして今日は、悠陽の誕生日だからか、屋敷中が忙しそうにしている。

(本当ならお祝いでも言いに行きたいけど、今の状態では我慢だな)


1991年12月23日 京都 煌武院の屋敷 応接間


――精査の結果を述べます。






[3876] Muv-Luv Alternative 1991 第11話 武の決意表明
Name: 鹿◆15b70d9b ID:a605618e
Date: 2010/08/05 18:03
1991年12月23日 京都 煌武院の屋敷 応接間


 武達は、前回と同じ構図で座っているが、左近が参加しているところが違う。

「こちらは帝国情報省の鎧衣左近です。わたくしが信を置く者ゆえ、同席させて構いませんね?」

 そう悠陽は武に聞いた。

「恐れながら、鎧衣さんのお役目を考えますと、私の秘密を知られるわけにはいきません」

 断れるとは思ってなかったのか、悠陽は意外な顔をした。そして左近が口を開いた。

「ほう。理由を聞かせてくれるかな?」

「いずれ鎧衣さんは、オルタネイティヴ4の最高責任者とも、直接交渉する事があるのではないですか? そしてオルタネイティヴ4は、オルタネイティヴ3の成果を接収しているはずです」

 夕呼と交渉する人間は、基本的に霞にリーティングされるのだ。武は夕呼に秘密を知られたくはない。

「なるほど。対ESP訓練ならしているが、それだけ重要な秘密だと受け取ろう。しかし、香月博士がオルタネイティヴ4の総責任者になると想定した上で、博士の重用を蹴ったとは驚かされる。悠陽様、私は席を外す事に致します」

「わかりました。鎧衣ご苦労でした」

 そういって鎧衣は退出して行き、悠陽も納得したようだ。

(対ESP訓練なんて物があるのか・・・。って、ドードー鳥がなんとかってあれだ! 意味のない事を言ったり考えたりして、重要情報を意識の表層に上げない事で保護するんだろう。霞もリーディングは万能じゃないって言ってたしな)

「では改めて、指輪を精査した結果を述べます。真那さん」

「はい。あらゆる角度から分析しても、白銀の主張と矛盾する点は見い出せませんでした。偽造防止の為に複雑化してある内部構造を完全再現しつつ、十年分の経年劣化を装う事は、現代の技術では不可能と判断します」

(完全に同じ物なら作れるのかも知れないのかな? 十年後ので良かった……)

「わたくしは、真耶さんの報告と鎧衣の報告を精査した結果、そなたの話を信じる事としました」

「はっ! ありがとうございます」

 武は安心と感激がいっぺんに襲って来て、涙腺が決壊して泣いていた。そして悠陽は武が落ち着くのを待ってから語りかけた。

「未来のわたくしが指輪を託した者へ問います。これから如何しますか?」

「この国を、日本を守ります!」

 それを聞いた悠陽は微笑んだが、すぐに真剣な顔になり武に尋ねた。

「十年後の戦況は、それほど悪かったのですか?」

「はい。東京以西は壊滅、横浜と佐渡島にハイヴを建設されました」

「なっ! そこまでとは……。それで帝都城だったのですか、もしやとは思っていましたが……」

 悠陽と真耶は目を見張ったが、ある程度は事前に覚悟していたのか立ち直った。

「1998年夏、重慶ハイヴから東進したBETAが日本に上陸します。そしてわずか一週間で九州・中国・四国地方に侵攻し、犠牲者は約3600万人以上。一ヶ月に及ぶ熾烈な防衛戦の末に京都は陥落。首都は京都から東京に移されました」

「あと六年と少し……。いったいどうしたら?」

 思いの他、近かったのだろう。悠陽は目に見えてうろたえ、真耶と武を交互に見た。まだ八歳なのだから当然と言える。真耶も何と言ってよいやら分からないようだ。

「私は2001年に、これらの事実を過去の歴史として知りましたので、これ以上の詳細を知っているわけではありませんが、この事実からでも推測できる事はあります」

 武が話し始めたので、悠陽はその話に集中した。

「まず初期の犠牲者数が多すぎるのは、事前の疎開政策が失敗した事を示していますので、これを解決する事を政略目標と考えています。そして事前の疎開が徹底された政略条件ならば、軍の取りうる戦略の範囲は飛躍的に広がります」

 戦略的自由度の違いは、勝敗を多大に左右する要素だ。

「民間人が残っている場合は、防衛線を死守する程度の戦略的自由しかありませんが、誰も残っていないなら焦土作戦とはいかなくとも、国土を縦深陣と見なしての遅延撤退戦から側面及び背面展開等が簡単に浮びますので、全く違った戦闘展開になるでしょう」

 武は、もしもの場合の焦土作戦も選択肢から消してはいない。この世界で核の入手は比較的容易だろう。

「また戦術面では、私の十年後の知識が役に立つかと思われます。もちろん私は技術者でも科学者でもありませんので、十年後の兵器等を作る事はできません。が、開発に協力させて貰えれば完成形を知っている分、開発期間の短縮に貢献できると思います」

 淀みなくすらすらと、政略戦略戦術を語る武の言葉を聞いて、悠陽も落ち着きを取り戻した。

「素晴らしいです! 香月博士がそなたの知性を称えていたよし、得心致しました!」

 どうして良いか分からない所に、一定の方向性が示されたせいか、悠陽はとても嬉しそうに武を褒め称えた。

「真耶さんもそう思いませんか?」

「はい。我が国の政治家を手玉に取る。香月博士を相手取るだけの事はあるかと」

 真耶もそれなりに感心したようだ。

「そういえば、白銀と香月博士の関係はどうなっているのでしょうか」

 悠陽が不思議そうに聞いた。

「香月博士は人類の勝利を、私は日本の防衛を第一としています。それが博士に未来の情報を教えられない理由です」

「人類の勝利と日本の防衛が相反するのですか……」

「オルタネイティヴ第四計画。この計画の完遂にはハイヴの中枢である。反応炉を無傷で手に入れる必要があります。そして私の十年後の知識を元に考えるなら、無傷で手に入れる事ができる反応炉は横浜ハイヴの物だけです。確実性の観点からも香月博士ならば必ずやそう判断し、横浜にハイヴが建設される状況を、変える事は許さないでしょう」

「それで香月博士を謀ってまで、わたくしの所へ来てくれたのですね」

「はい。しかし人類が勝利しない限り、いずれ日本の命運が尽きるのも確かです。私は日本の防衛が確実になり、横浜にハイヴが作られる可能性を消した後ならば、香月博士とも協力体制を作れると思っています。香月博士は十年後に第四計画の完遂によって、甲1号目標を落としました」

「「甲1号目標を!!」」

 悠陽と真耶が揃って驚いたのも当然だろう。軌道降下戦術も確立されていない現在では、遥彼方の敵の本拠地なのだ。

「香月博士こそ、人類を救いうる唯一の人間です」

 武は一片の迷いもなく言い切った。

「そなたと香月博士の関係は、とても複雑なのですね」

 悠陽は、いろいろと納得がいったようだ。

「あなたは、第四計画についてずいぶん詳しいようですが、もしかして?」

 真耶の呼び方が変わったのは、武が見直されたのだろう。

「はい。第四計画直属の即応専任部隊A-01に所属していました。『桜花作戦』に参加して、反応炉を破壊した一人です。その後になにかと縁の有った殿下から指輪を賜りました」

 謙遜する事に意味を見出さなかったので、武は自分の功績を語った。指輪の授与は冥夜の事が大きいと思うが、その辺は追々話すべきと武は判断した。

「そなたが反応炉を!! 未来のわたくしが指輪を託したのも道理ですね」

 そう言った悠陽だが、ふらついて倒れそうになった。真耶が慌てて支える。

「悠陽様、平気ですか?」

「えぇ。驚くべき話が続いたので、疲れてしまいました。まだまだ未熟ですね」

「煌武院様の体調も考えずに、申し訳ありませんでした」

 武は信じて貰えた事が嬉しくて、夢中で話してしまった事を反省した。

「必要な話をしたのですから、気にせずとも良いのです。ですが、続きは明日に致しましょう」

「はい」


1991年12月23日 京都 煌武院の屋敷 廊下


 武が廊下を歩いてると前から左近が歩いて来た。

「さきほどは、追い出してしまってすいません」

「なに気にするな。私も納得した事だよ。それより信用されたようだな」

「はい。とてもほっとしました」

「ならば、私も君に協力すべきだろうな。なにかないかね?」

「それは助かります。オレの幼馴染の鑑純夏って知ってると思いますけど、護衛をつけてもらえませんか?」

「自分の弱点を認識しているようだな。既につけてあるから安心したまえ」

「ありがとうございます。あとは帝大の伊隅やよいって人に、白銀武は元気だと伝えて下さい」

 まさか武が今更、帝大に行ける訳もない。

「お安い御用だ。他にはないのかね? もっと面白そうなものがいいのだが」

「今のところは、これといって、あぁ!」

「なんだね?」

 左近は身を乗り出してくる。

「オレの秘密以外でなら、夕呼先生の手伝いをしてあげてください」

「ふむ、元よりいずれはそうするつもりだったが、君が言うなら早めるか」

「もっとオレの認識する範囲が広まったら、いろいろ頼むと思います」

「では、それを楽しみにしていよう」


1991年12月24日 京都 煌武院の屋敷 応接間


「今日より、武殿と呼ばせてもらいます。私の事も名前で呼んでください」

 翌日の会談で開口一番に悠陽が切り出した。

「しかし、よろしいのでしょうか?」

「武殿のこの国を思う心。そして、わたくしに道を示してくださった事を考えれば当然です」

「では、悠陽様と呼ばせていただきます」

「ええ、そうしてください」

 昨日の会談で武は気に入られたのか、悠陽は楽しそうだ。

「昨日は途中までしか聞けませんでしたが、武殿は今後どうされるのですか?」

「まずは、今の自分に何が出来るのか、把握したいと思います」

「十も歳が戻っては、難儀でしょうね」

「はい。それでお願いがございます」

「わたくしにできる事でしたら、なんでも申してください」


――戦術機のシミュレーターを使わせてください。






[3876] Muv-Luv Alternative 1991 第12話 XMseries初案
Name: 鹿◆15b70d9b ID:a605618e
Date: 2010/08/05 18:05
1991年12月23日 京都 煌武院の屋敷 応接間


「では、わたくしに付いて来てください」

 それだけ言って悠陽は、武を先導して歩きだし真耶も付いて行く。行き先が分からない武は付いて行くしかない。

「この階段を下ります」

 そう言われて階段を下りていくと、地上の日本建築とは全く違う、基地施設に似た外壁を持つ通路や扉が有った。

「この部屋です」


1991年12月23日 京都 煌武院の屋敷地下 シミュレータールーム


 目的地の部屋には、シミュレーターの筐体が一つ置いて有った。それを真耶が解説する。

「悠陽様専用のシミュレーターです。着座調整と震動調整の自由度が高いので、丁度よろしいかと」

「せっかく用意して頂いたのですが、今だ神野無双流を修行中の身ゆえ、使う機会がありませんでした。こうして見ると、武殿に使って戴くために有ったような物ですね」

(なるほど、専用機があるぐらいだから、専用筐体があってもおかしくないのか、前の世界で実機に100時間近く乗ってたと言っていたから、シミュレーターはもっと乗ってたんだろうな。忙しいだろうから自宅にでもないと乗る暇がないか)

「強化装備の用意ができてませんので、今日のところは震動なしが良いでしょう」

「ありがとうございます。さっそく使わせて貰います」

 そう言って武はシミュレーターに乗り込んだ。

(機体選択は、撃震に陽炎に瑞鶴か、撃震は二年乗ってたし陽炎はシミュレーターで数回経験があるけれど、なにせ十年前だから中身が別物でかえって戸惑うかも知れない。それに斯衛の機体って興味あるから瑞鶴に乗ってみよう)

 後者の理由が大半で武は瑞鶴を選んだ。そこで真耶から通信が入る。

『難易度選択はどうしますか?』

「はじめての機体ですから、Aでお願いします」

『分かりました』

 そしてシミュレーターがスタートした。設定は世情を反映してか防衛線の守備任務で、迫り来るBETAをひたすら撃ち殺す物だ。武は機体の動きに慣れて来てから、腕が鈍ってないか試すように単独陽動のため単騎で突撃して、長刀で切りまくったりしたところ、かなりの違和感を感じた。

(シミュレーターも十年前って事か)

 BETAの動きのパターンが少ない気がするのだ。これは十年間で徐々に進化していったのだろう。シミュレーターの質は衛士の質に直結しかねないが、武がシミュレーターの開発に参加しても効果は薄そうだ。これは知識や経験より純粋なデータ量こそが重要だろう。武としては三次元機動をした時のレーザー属種関連が、忠実に再現されていたので満足する事にした。元が正確無比なだけに、多くのデータはいらないのかもしれない。

 そして言うまでもない事かもしれないが、各種設定はAランクにした事を考慮しても甘い物だった。十年後ですらBETAの総数を甘く見て痛い目にあっているぐらいなのだ。後方国家である現在の日本の状況を考えれば、数や密度や補給についての想定が甘いのも無理はないだろう。

 シミュレーターの結果は、武の単独陽動がBETAの圧力を減らし味方は戦線を守りきった。今回は震動なしだったから現役時代の実力が完全に出せたが、通常の震動だと辛いのだろうか、武だから平気なのか微妙なところだ。

「意外と感が鈍ってませんでした」

「十年後の衛士は、皆ああして跳んでるのですか?」

 真耶が唖然として聞いて来た。

「いえ、オレの機動は独特らしくて、部隊内で普及させたA-01ぐらいでしたね」

「舞うような動きでした」

 戦術機動は素人ながら、悠陽にも武の動きの無駄のなさは見て取れたようだ。

「この三次元機動はハイヴ内戦闘で特に有効です。オリジナルハイヴで実戦証明もしました」

 ある意味で、これ以上ないほどの証明だろう。別の世界でだが。

「真那が見たらどれほど驚くかしら……。私は技官ですので冷静に見れますが、正直に言って斯衛の機動を越えてます」

「いずれは斯衛に指導したいですね。この国の最精鋭部隊の強化は必須でしょう」

「お爺様のさえ推薦あれば、武殿を黒の斯衛として迎え入れられるのですが、実績重視の方ですので、功績を上げて頂いてから頼もうと思っています。衛士でない者を推薦するのは近年稀ですが、戦術機がなかった時代には先例があります」

 古い方に先例があるのだから、むしろ伝統的だと言うつもりだろうか、九歳や十歳は過去の例にもあるかどうか。

「ありがとうございます。まずは強化装備を着て、普通の設定で問題なく動ける必要があります」

「真耶さん早急に用意してください」

「畏まりました」


1991年12月25日 京都 煌武院の屋敷地下 シミュレータールーム


 武は午前中は体力作りに無現鬼道流の修行を、午後はシミュレーターという生活をおくっていた。

「白銀さん。強化装備ができました」

「ありがとうございます。早いですね」

「私が工場に出向いて自分で作って来ましたから」

「なるほど、ご足労をおかけしました」

 そして武は強化装備に着替え、通常設定でのシミュレーターを行った。

(これは期待したよりはキツイな。フィードバックデータの蓄積がない現状では機動に影響が出てる)

「どうですか?」

 武がシミュレーターから降りると真耶が聞いてくる。

「フィードバックデータを蓄積しないとなんとも」

「そうでしたね。焦らせるような事を言ってすいません」

「真耶さん。もしかして焦ってます?」

「はい。正直に申して、何かしていないと落ち着きません」

 真耶を目を伏せて答えた。

「そうですか、それなら頼みたい事があるのですが」

「なんでしょう?」

 そうして武は、XM3のダウングレード版として腹案にあった。キャンセルのみのXM1について真耶に説明した。むろん実戦で有効性は証明されているとも。

「なるほど、そんな単純な変更で効果が高いのなら、やらない手はありませんね。しかし、CPU換装を伴わないので、機能を追加した分の処理により、即応性の低下は避けられません」

「どのぐらい下がりそうですか?」

「その変更なら1~2%でしょうか、なるべく押さえるよう努力します」

「それならキャンセルの方が優先です。製作の方お願いします」

「任されました」

 最悪の未来を知るものは、みな焦りと戦わなくてはならない。武は自分にも覚えがあると感慨に耽った。


1992年1月5日 京都 煌武院の屋敷地下 シミュレータールーム


(これ以上は蓄積しても大差ないか、短~中時間なら全盛期と変わらなくなったけど、疲労が蓄積してある時から一気に動きが悪くなる。実機も乗れない事はないだろうが、疲労から事故に繋がる危険を考えれば避けるべきか、まあ八歳を実機に乗せてくれるわけもないが)


1992年1月6日 京都 煌武院の屋敷 応接間


 武が悠陽に謁見していた。

「己の現状を把握し終わりました」

「して、なにができると判断したのでしょうか?」

「現在開発中の不知火は2001年での愛機でした。実機に乗れない身では通常の参加は不可能だと思いますが、例え実機が一段落した後に登録されるシミュレーターのデータを使っての意見具申であろうと、開発期間短縮に役立てると考えます」

 悠陽は武の言葉を聞いて頷いたが、すぐにやや沈んだ顔になった。

「わたしくは、次期将軍などと言われていても、今だ煌武院すら継いでおらぬ身、人を紹介する事しかできません」

「それだけで、十分にありがたいです。夕呼先生に悠陽様を紹介して貰うのに、どれほど苦労した事か……」

 悠陽が落ち込んでいたので、武は慰めようと冗談めかして言った。

「ふふっ。鎧衣に聞きましたが、熾烈な争いを繰り広げていたようですね」

「熾烈と言えるかどうか、悠陽様が私の別世界で死別した恋人。と言う設定で夕呼先生を騙しきれたのは、情報量の差と運のおかげで、知略では到底及びませんでした」

「わたくしが武殿と恋人ですか?」

「申し訳ありません。あくまで話に整合性を持たせるための設定ですので」

 キョトンとした顔で尋ね返す悠陽に、武は慌てて頭を下げた。

「いえ、別に怒ってはいませんから、頭を上げて下さい。それで紹介する人なのですが――」

 やや照れた顔で、慌てて話を変える悠陽を見て、武は不謹慎にも新鮮だなと思った。


1992年1月9日 帝国陸軍技術廠・第壱開発局 応接室


 悠陽は護衛の真耶を連れて帝国陸軍技術廠に来ていた。応接室のソファーの向には瑞鶴の開発に成功した伝説のテストパイロットであり、戦術機開発に関して階級以上に大きな発言力を持つと言う。日本帝国陸軍少佐巌谷榮二が座っている。

「巌谷少佐。まずはこれを見てください」

 そう言って悠陽は、武のシミュレーターのデータを榮二に渡した。

「では、失礼して」

 そう断ってから巌谷はそのデータを手元の端末で見始めたが、すぐにその顔に驚愕が浮び、端末を食い入るように見つめ出した。巌谷がデータを見終わるのを二人は黙って待ったので、巌谷は何度も見返して気がつけば一時間以上経っていた。

「こっ、これは申し訳ない。煌武院様を一時間も待たす等、許されぬ事をしました」

 そう言って頭を下げる巌谷だが、意識はまだ端末の方に向かっていそうだ。

「良いのです。むしろ、それほどに興味を持ってもらい嬉しく思います」

 悠陽が武を紹介する相手として巌谷を選んだのは、データに興味を持ってもらうには衛士が望ましいが、ただのテストパイロットに、この頼みごとは手に余ると判断したからだ。その判断が間違っていなかったのだから、嬉しくなりこそすれ怒るはずもない。

「これは、いったい誰のデータなのでしょうか? 紅蓮中将とも思えませんが」

「この場では申せませんが、その方は不知火の開発に協力したいと仰ってます。その事を話すために一度、煌武院家に来てもらえないでしょうか?」

 巌谷は悠陽が名を明かさないのと、丁寧に紹介したことから高貴な相手なのか、と当たりを付けた。時に大きな危険が伴うのが新兵器開発であるから、高貴な身分の人間が表立って参加するには差し障りがある事は確かだ。

「承知しました。いつ伺えばよろしいでしょうか?」

 どのような事情を持った相手かはともかく、衛士としてこのデータの相手とは会って見たい。そう思った巌谷は即答した。

「そちらの都合さえよろしければ、今からでも」

「わかりました」

 そう答えた巌谷は内線で言付けると、悠陽達と供に煌武院家に向かった。


1992年1月9日 京都 煌武院の屋敷 応接間


 武が真耶に呼ばれて応接間に行くと、いかにも歴戦の軍人然とした人間がいたので、武は反射的に敬礼していた。巌谷は悠陽の前である事もあるから、座ったまま答礼した。

「こちらが件のデータの人物です」

 応接間に入って来た時点で薄々は気がついていた巌谷だが、さすがに武の余りの若さと言うか幼さに驚きを隠せない。

「白銀武です」

「事情は詮索しませんが、実際に操縦している所を見せていただきたい」

「当然だと思います」


1992年1月9日 京都 煌武院の屋敷地下 シミュレータールーム


 武の操縦を見て巌谷は再び衝撃を受けていた。しかし、それは武が思っているように三次元機動にではない。とにかく操縦のどれもが洗練されていて実戦的なのだ。教導隊でもここまでではないと巌谷は唸った。

 周りも同じだったので武に自覚はないが、教導団が開発した『高等操作技術』を、訓練兵時代から教わっていたのがA-01の衛士達なのである。任官時の実力やその後の伸びろしろが違ってくるのも当然だろう。そして十年前の現在から見ればその蓄積たるや恐るべきものがある。

 訓練教官が富士教導隊出身の『神宮司まりも』と言うのは、武が考えるよりもずっと贅沢な環境だったのだ。まりもは昔の伝手を使って最新の操作技術を仕入れて、自分なりに消化してから訓練兵達に教えていたので、まさに武の操縦には、十年分の教導団の努力が集約されている。

 ちなみに、三次元機動について巌谷はデータを見た時点では判断を保留していて、地上での有効性は今だに半信半疑だが、武のヴォールク・データでの進撃速度を見て、ハイヴ内戦闘での有効性は間違いないと判断した。しかし、これだけなら巌谷はここまで感心を持たなかっただろう。知らぬ間に恩師に助けられた武だった。

「凄まじい操縦技術です」

 武がシミュレーターから出てくると、巌谷はそう声をかけた。

「なんとか、不知火の開発に協力させてもらえないでしょうか?」

 それを聞いて巌谷は悩んだ。新戦術機開発は重要軍事機密なので、外部に協力者を持つのは好ましくない。しかし、あまりにも突き詰めた設計にしたため、不知火の最終調整が難航するのは予想がついてる。そうなると今年中の配備どころか九十三年中の配備も苦しいだろう。

「実は大陸の方に呼ばれていまして、私の抜けた後を考えると非常に魅力的な提案です」

「開発関係者が前線にですか?」

「戦況は、かなり悪いようで実戦経験豊富な指揮官を、なりふり構わず集めて送るようです」

 武が、どこの敗戦末期の国だと思って尋ねると巌谷は答えてくれた。巌谷はかつて瑞鶴の実戦証明部隊を率いた歴戦の指揮官でもある。敬語なのは武が何者か分からないからだろうか。

 大陸派兵はBETAの日本接近の阻止と、戦術機の実戦データ及び衛士の実戦経験、両方の蓄積のために決まった事だが、実戦データ以外は惨憺たるありさまだ。あまりに損耗率が高いので実戦経験を持つ前に死ぬか、持ってから死ぬかの違いぐらいで、全体の錬度が向上しようもない。初陣の中隊長が存在したり、大隊長クラスまでが実戦経験豊富とは言えないのが現状だ。

「ともかく、第壱開発局で提案してみましょう(部長も背に腹は変えられんだろう)」

「お願いします」


1992年1月11日 京都 煌武院の屋敷 応接間


 武は、悠陽に第壱開発局との話し合いで決まった事を聞いていた。

「まず、こちらは不知火の機密を守る。あちらは武殿の存在を秘す事となりました。そして実機を用意するのは無理なので、なるべく最新のシミュレーションデータを渡してくれるそうです。武殿の要望書はあちらの部長に直接渡る事にもなってます」

「理想的です。ありがとうございました」

「武殿の操縦技術が、認められた故ですよ」

 武は悠陽に礼をしてから、さっきから気になってる事を尋ねた。

「ところで、こちらはどなたでしょうか?」


――篁 唯依と申します。





あとがき

地下にシミュレータールームはフェイブルであったあれです。

巌谷は不知火の開発に関ってないとも思えないのに
設定がないので途中で抜けたのかなと妄想。
さらに大陸での勇戦とあったので抜けた理由はそれにしようと決定。
開発関係者を前線に送るなんて普通じゃないだろと思ったところで
まりもちゃんが九十三年に初陣で中隊長やった事を思い出した。
そこまでの戦況なら瑞鶴の実戦証明部隊とか率いてただろう
巌谷を引っ張り出す事もあるかなと考えたところで
じゃあ不知火の開発が終わっても生産配備が遅れたのは
巌谷が抜けたせいで最終調整に手間取った事にしようと決定しました。

最終調整まで終わって開発終了じゃないかって?そりゃごもっとも。
でも生産配備が遅れた理由ってどこにも書いてないので良いかなと。



[3876] Muv-Luv Alternative 1991 第13話 篁唯依の見学
Name: 鹿◆15b70d9b ID:a605618e
Date: 2010/08/05 18:08
1992年1月11日 京都 煌武院の屋敷 応接間


 唯依が名乗った後に、悠陽が詳しい事情を説明した。

「巌谷少佐の姪御で篁唯依さんです。少佐が後見人をなされているそうですが、大陸に赴くにあたり、当家で預かって欲しいと頼まれました。此度の件は少佐が全ての差配をしてくださったも同然なので、その恩に報いるために、お引き受けした次第です」

「そう言う事でしたか、私はこの家に居候させて貰っている白銀武です。同じ家に暮らす者どうし顔を合わせる事も多いと思うので、よろしくお願いします」

 そう言って武は唯依に頭を下げ、それを受けて唯依も頭を下げ返した。

「おじ様より伺っております。こちらこそよろしくお願いします」

 二人の初顔合わせはそれで終わり、二人が応接間を出たところで、武は唯依に声を掛けられた。

「あの……」


>>唯依:Side<<


(おじ様が私を煌武院家に預けて下さったのは、正直にありがたいです)

 唯依の篁家での立場は必ずしも磐石ではない。唯依こそ跡取だと指名してくれた父は既に亡く、分家から養子を迎え、男子を後継者にすべしと主張していた分家の者達は、後見人である巌谷が大陸に赴いて留守になれば、せめて婿を決めて置くべきだ等と干渉して来る事は目に見えている。

 自分を跡取にと指名してくれた父のためにも、それらの干渉に屈する気はないとは言え、唯依は好んで親族と争いたいわけではない。しかし、五摂家の一つ煌武院の跡取にして、次期将軍と言われる煌武院悠陽様のお傍に侍るとなれば、篁家にとってこの上ない名誉であり、分家も唯衣を跡取と認めない訳にはいかない。

(でも、どうすれば良いのでしょうか……)

 そう考えながら、唯依は巌谷の言葉を思い出していた。

『白銀武の操縦技術は洗練されていて実戦的だった。そして非常に独特な立体機動をしていた。前者はともかく後者は私の年齢では既に修得し得ないだろう。しかし、まだ戦術機について何も学んでいない、唯依ちゃんならば自然に吸収できるかもしれない。斯衛を目指すなら、この機会を無駄にするべきではないだろうな』

(確かにそうでしょうが……)

『なに、唯依ちゃんみたいに可愛い子が頼めば、見学ぐらいさせてくれるさ。そこから徐々に質問したりして行けば、何時の間にか教わってる状態になるって寸法だ』

(おじ様は、私がそういう事が苦手なのを知っているはずなのに……。だからこそなんでしょうか?)

 ともかく見学だけでも頼んで見なくてはと、武の背中に呼びかけた。

「あの……」


1992年1月11日 京都 煌武院の屋敷 廊下


「あの……」

「どうかしましたか?」

 武は、不知火関連が上手く行ったので機嫌が良く、爽やかな笑顔で唯依を振り返る。その表情に助けられたのか、意を決した唯依は話し始めた。

「よろしければ、貴方のシミュレーター訓練を見学させて戴けないかと」

「良いですよ」

 武としては自分の存在を知ってる相手に隠す必要もないし、巌谷に世話になった事を考えれば断る理由はない。

「ありがとうございます」

 ほっとした様子で礼を言う唯依を見て、武は引っ込み思案な子なのかと思ったが、武家の娘として秘伝の技術は秘すものと思っている唯依にしてみれば、簡単に承諾された事が信じられないほどだ。

「丁度、今から訓練するので、付いて来てください」

「はい。よろしくお願いします」


1992年1月11日 京都 煌武院の屋敷 シミュレータールーム


 唯依は武の機動を見た大方の人間と同じように驚愕した。戦術機についてまだ学んでいない唯依からしても、光線級の恐ろしさは聞き知っていた。頻繁に飛び跳ねる武がなぜ照射されないのか、事前に巌谷から聞いてなければ、シミュレーターの故障を疑っただろう。

 しかし、武としては頻繁に跳んでる意識はなかった。キャンセルがない状態では、確実に射線が塞がれている場所にしか跳べない。真耶が一生懸命にXM1の製作に当たってくれている事は疑いないので、それについては待つしかないと納得していたが。

 武の訓練が終わりシミュレータールームからの帰り道、思わず唯依は質問していた。

「いずれ実戦でも、あの機動をするのですか?」

 そして聞いてから唯依は直に後悔した。

(そのための訓練だろうに、正気を疑うと言ったようなものだ……)

 しかし、武は全く気にせずに答えた。

「そのつもりです。もっと突き詰めて初期照射でレーザーを避けれるようにならないと、支援砲撃なしで光線級を狩るのは無理でしょうけどね」

 支援砲撃が打ち漏らした光線級の小集団程度なら、中隊レベルでも連携さえ機能していれば、前衛が自動回避と蒸散膜塗装で耐えている間に後衛が狩る戦法で対処可能だ。

 しかし、いつでも支援砲撃が期待できるわけでもないのと、大侵攻でのBETAの数を考えれば支援砲撃でどこまで減らせるかも怪しい。武はより能動的にレーザーを無駄撃ちさせ、照射のインターバルを狙う機動の必要性を感じていた。

「レーザーを避ける……」

 自動回避は同じ場所を集中照射されないようにずらしているだけで、決してレーザー自体を避けれているわけではない。蒸散膜塗装面を消費する事で防いでいるのだから、概念的には盾をずらしながらの防御に近いのだ。

 そして武の『避ける』発言がそんな次元の事を言っていないのは唯依にも伝わったので、唯依は先ほどの後悔も忘れて呆然とつぶやいていた。

「今の機動は射線を見極めて撃たせていないだけですが、いずれ避ける場面をお見せします」

 武としては、XM3で斯衛は全員レーザーを避けれるぐらいになって欲しい。武がいずれ斯衛になるだろう唯依の見学を歓迎しているのは、武家の人間がどう思うのか知りたいと言う面もある。

 そして、斯衛にそれが向かないのなら別の精鋭部隊を作る必要が出てくるのだが、煌武院の影響力が強い斯衛で出来るに越した事はない。

「……」

(まあ、見ない限り信じられないのは当然だろうな)


1992年1月12日 京都 煌武院の屋敷 シミュレータールーム


 今日は武が真耶に製作を依頼した。動作キャンセル機能付きOS『XM1』のβ版が完成したお披露目で、内密の話もするので唯依には遠慮して貰ったが、かわりに悠陽がシミュレータールームに来ていた。真耶がOSのセッティングをしている合間に悠陽が武に質問する。

「武殿。動作中断の有用性は解るのですが、具体的にはどのような時に使うのですか?」

「あらゆる局面での対応力を高めてくれますが、最大の使いどころはジャンプキャンセルです。噴射跳躍からの反転降下が格段に早くなります。それこそ『レーザーを避ける』事が可能になるほどにです」

「レーザーを避けられるようになるのですか、素晴らしいです」

 悠陽は驚きはしたようだが、武と真耶を信頼しているのか疑っている様子はない。

「白銀さん。準備完了しました」

「真耶さん。ありがとうございました」

「いえ。まだβ版ですから、とにかく使ってみてください」

「わかりました」

 対レーザー属種訓練用のシミュレーションで武は、予告通りに何度となくレーザーを初期照射の段階で避けて見せ、単独でレーザー級を狩りまくる武の姿は、『XM1』の有用性を完全に証明した。そして動作試験が終わり筐体から降りてきた武は真耶を賞賛した。

「β版って事でしたけど、キャンセルは完璧に機能してます。流石です」
「プログラム自体は単純ですので、白銀さんの発想が全てです。後は今回のデータを元に即応性の低下率を押さえます。おそらくは現在の1.6%を1%以下にできるはずです」

 そうは言いつつも真耶もかなり嬉しそうだ。自分が作った物がこれほどの成果を出せば、技術者名利に尽きるだろう。

「真耶さん。ご苦労でした」

「は、ありがたき幸せです」

「本当にお疲れ様でした」

 喜び合いが終わったところで、悠陽は武に尋ねた。

「武殿。直にでも公表しますか?」

「いえ。XM1でレーザーを避けれるのは私ぐらいなので、現段階で公表しても効果は薄いです。それよりも不知火開発チームに信頼を得てからXM1のデータを提供する事で、OSが戦力に与える影響の評価を見直して貰い。将来的にXM2やXM3を搭載するための拡張性。大量のCPUを置くためのスペースの確保をする事が先決と考えます」

 武の機動とキャンセルが噛み合ってるからこその今回の結果であって、武の機動を簡易に再現するための『コンボ機能』が未実装のXM1を、武以外が使った場合では、大して戦力の向上に繋がらないだろう。

「不知火開発に関るゆえ、現段階では秘匿すべきと言う事ですか」

「はい。XM3搭載機ならば私以外の衛士でも、訓練次第でレーザー回避が可能になるでしょう。XM3かXM2の有用性で度肝を抜いてから、ダウングレード版としてXM1を撃震等にも配備する方が、実戦証明主義の現場衛士を納得させられると思います。現状のXM1は僅かとは言え通常OSより即応性が下がるデメリットがあるので、よほどのインパクトがないと受け入れられ難いです」

 武はXM1を使ってXMシリーズの理想形を見せる事で技術開発を加速させて、96~97年までには不知火にXM3を搭載したいと考えている。もちろん撃震も改修する事でXM3を搭載できるのなら、それに越した事はない。

「よくわかりました。前線の衛士には申し訳ありませんが、不知火の開発を優先すべきでしょう」

 悠陽はしばし黙考してから決断した。半属国化政策に晒されている帝国が、米国の横槍なしに純国産機を開発出来ているのは、米国の目が西方と南方に向いているからで、OSとは言え戦術機関連の開発で注目を浴びるのは、不都合だという事情もある。不知火の開発にも深く関るなら尚更だ。


1992年1月16日 京都 煌武院の屋敷 シミュレータールーム


 相変わらず午前は剣術、午後はシミュレーター訓練の毎日だが、武は不知火のデータが届かない事で焦ってはいなかった。むしろ直にデータが届くようならそれは以前に取った古いデータと言う事になる。最新のデータを取ってくれているからこその遅さだろう。巌谷がどうやって説得したのかは知らないが、向こうの本気が見えるのは喜ばしい事だ。

 そしてあれ以来、唯依は学校が終わって帰ってくるとシミュレータールームに来て、武の訓練を見学するのが日課になっていたのだが、見ているだけでは申し訳ないと管制役を買って出た。武としてはいなくてもできるが、いた方がやりやすいので任せてみたところ意外と様になっていて驚いた。

 武が見かけた『CP入門書』に噛り付いてる姿からして、よほど必死で予習をして来たのだろう。衛士とCPは密接に関る事になるだけに、CPについて学ぶ事は将来衛士になる上でも決して無駄にはならない。そう考えた武は今後も頼む事にした。

(涼宮中尉も、衛士訓練生だった経験を十分に活かしていた)

 相手の思考や立場が分かれば、当然それだけ情報伝達はスムーズになる。刹那の時間が生死を分ける実戦では、それに助けられる事もあるだろう。

 もちろん衛士技能の修得が優先される事は確かだが、まだ斯衛予備学校生の唯依は、戦術機にもシミュレーターにも触れられないのだ。普通なら同年代で、毎日シミュレーターを使っている武に嫉妬してもおかしくないが、そんな様子もなく管制役を確りこなそうとしている姿勢には感心させられる。

「今日は以前に約束した『レーザーを避ける』をやって見せます」

 そう言ってから武は筐体の中に入っていった。真耶の調整が終わって正規版XM1になったので、武は唯依の反応を見る事にしたのだ。そして武は悠陽の前でやったように初期照射段階でレーザーを避けてから、単独でレーザー属種を狩る姿を唯依に見せた。

「どうでしたか?結構、避けられるものでしょう」

 武はそう言って軽く話し掛けたのだが、唯依はいきなり頭を下げた。

「申し訳ありませんでした」

「えっと?」

「この間は失礼な物言いをしましたし、今の今まで信じていませんでした」

「見ても信じない人もいるぐらいの事でしょうから、気にしないでください」

「ですが……」

「それより、自分もああいう機動をしてみたいと思いましたか?」

「私が、アレを……出来る物ならばっ!」

 やはり武家の人間だけあって、使命感の強さは凄いなと武は感心した。最後の台詞を言った時の顔は、直前の気弱な顔とはまるで別人の様だ。

「このまま多少頻度を減らしたとしても、見学を続けていれば出来るようになりますよ。私の機動は概念的な物が大きいので習うより慣れろです。その年齢から見学していれば将来は、かなり再現できるでしょう」

「おじ様もそのように言っていました」

「なるほど。巌谷少佐が……流石ですね」

「今後ともよろしくお願いします」

「こちらこそ」


>>悠陽:Side<<


 悠陽は今の自分に出来る事を考えた結果。一刻も早く煌武院を継ぐ資格――祓正無道(ふっしょうむどう)の証である薙刀「煌奉如月(こうぶきさらぎ)」――を得るべきとの結論に達し、神野無双流の修行に今まで以上に熱心に、と言うか鬼気迫る勢いで取り組んでいた。それは師匠の志虞摩も感心するほどだったのだが、今日は修行に身が入っていなかった。

「悠陽。今日はここまでにします。心の迷いを晴らさぬ限りは、いくら修行しても無駄ですよ」

「はい。申し訳ありませんでした」

 悠陽が何を悩んでいるかと言えば武の事だ。武は悠陽にとって、はじめて出来た仲間とも友達とも言える存在だ。悠陽の事を敬ってはいるが、それも壁を感じるほどでもない。そして何より未来や他世界の秘密を共有している。その武が最近どうしてるかと言えば。

(唯依さんとずっと一緒です……)

 シミュレーターの筐体と管制スペースに分かれて、普段はこれといって会話もしていないのだが、八歳の悠陽が、初めての友達を取られたと思うのも無理はない。

(不知火のデータが来たら、武殿はそれに集中するでしょうから、わたくしとはますます疎遠に……)

「悠陽様」

「真耶さん」

「今日は1月の16日です」

「なにか特別な日でしたか?」


――先月の今日は、悠陽様と白銀さんの誕生日でした。






[3876] Muv-Luv Alternative 1991 第14話 悠陽との逢瀬
Name: 鹿◆15b70d9b ID:a605618e
Date: 2010/08/05 18:11
1992年1月16日 京都 煌武院の屋敷 武の客室


 武の夜は訓練の疲れを癒しながら、BETAの大侵攻を防ぐ為の大戦略を練る事に費やされている。はっきり言って、まともにやってはどれだけ備蓄して置いても砲弾が足りなくなるだろう。XMシリーズや不知火の早期開発も重要では有るが、所詮は戦術レベルの有効性である事は否定できない。

(本当に、XM3が完成した時の夕呼先生の気持ちが解るなぁ……)

 ちゃぶ台を引っ繰り返す戦略こそ必要で、その戦略を実行可能な政略条件が必須で、政略条件を整えるための謀略が肝心。そのために武は、BETAの日本上陸までの歴史と、本土防衛戦の概要を分析している。

(こうなるって分かってれば、概要以上に詳しく調べといたんだけどな)

 しかし、十年も前に戻るなんて事前に予想できる訳もないので愚痴でしかない。

(それなりに形にはなって来たけど、推測・推定の部分が多すぎる)

 とりあえずは、今の武にできる戦術レベルの強化をする事で、自分の煌武院家内ひいては斯衛での足場固めと、煌武院家自体の影響力強化を図りながらじっくりと考えるしかない。と、いつもの結論に達した所で部屋の扉――武は洋間を借りている――をノックする音がした。

「はい。どうぞ」

 武が答えを言い終わるかどうかのタイミングで扉が開き、外にいた人物は素早く室内に入ると後ろ手に扉を閉めてから、ほっと一息ついている。

「ゆ、悠陽様!」

 てっきりお手伝いさんだと予想していた武は驚愕して叫んだ。

「忍んで参りましたので、大声はご勘弁を願います」

「あっと、すいません」

「いえ、夜分に押しかけて申し訳ありません」

 そう言って謝りつつも、悠陽はとても楽しそうだ。

「その、何か御用でしょうか?」

「用がなくては、来てはいけませんでしょうか?」

 そう言って悠陽の表情が一転、消沈した物になったので、武は慌てて取り繕った。

「いえいえ。用がなくともいつでも来てください」

「ふふっ、冗談です。今日は何の日かご存知ですか?」

「今日は1月16日ですから……。降参です」

「今日は、武殿とわたしくの誕生日から丁度一ヶ月です。あの時は、それどころではなかったので、一月遅れのお祝いをしたいと思い伺いました。武殿、お誕生日おめでとうございます」

「そう言うことでしたか。悠陽様も、お誕生日おめでとうございます」

 そうして祝い合った後に、悠陽は後ろ手に隠していた物を武に差し出した。

「これは……。煌武院の指輪を入れてあった」

「誕生日のお祝いですから、ちゃんと中身も入っていますよ」

 悠陽がにこにこしながら箱を開けると、確かに煌武院の指輪が入っていた。

「これは、『今の』わたくしの指輪です。受けてくれますか?」

 未来の指輪はあれ以来、悠陽が預かったままなので、誤解のないように『今の』を強調したようだ。

「はい。喜んでお受けします」

 悠陽の信頼が何よりも欲しい武に断る理由はない。武はそもそも並列世界の話を、よく信じてもらえたものだと思った。考えられる最良の状況を整えたとはいえ、並列世界からの影響にすら期待したくなるほどの賭けだった。今はまだしも、当初の真耶は悠陽の判断を信じただけだろう。

「未来の指輪は、わたくしが引き続きお預かります」

 そこで武は悠陽に渡せるプレゼントがない事に気がついた。一ヶ月遅れの祝いは突発的なのだから仕方ないのだが、個人的な物を刀ぐらいしか所持していない事実に軽くへこんだ。

「えーと、その。本来なら私からも何か贈るべきなのでしょうが……」

「その事なのですが、お願いがあります。武殿が住んでいた世界のお話を聞かせて頂きたいのです」

 武が困る事は予想済みだったのか、悠陽はプレゼント代わりに提案をした。

「私の元居た世界の話ですか、何から話しましょう。お恥ずかしいのですが、元の世界にいた頃は自分の世界にも国にも感心が薄かったので、政治体制の違い等について説明できるかどうか」

「ふふふ。そういうお話も興味深いのですが、武殿がどのような生活をなされていたのか、身近なお話を聞かせていただきたいのです」

「身近な話ですか。――あちらの世界の私は高校生で、物理の教師だった香月博士の教え子であった事は話しましたよね。他にも、私のクラス担任は神宮司まりも先生だったのですが、神宮司先生は香月先生と親友でした。そして香月夕呼と神宮司まりもが親友なのは、この世界でも同様なのです。さらに2001年のこの世界で、私が衛士訓練生の時に指導教官を務めて下さったのは、神宮司まりも教官なんです」

「まあ、まさに似て非なる世界と申しましょうか、縁(えにし)は共通するのですね」

「はい。香月博士の言を借りれば因果が近い世界という事らしいです。この世界で目覚めてから直に京都に来てしまったので詳しくは確かめていませんが、隣りの家に住んでいる鑑純夏と幼馴染の関係にあるのも同様です。そして特に親しくしていたクラスメイトは、衛士訓練校での同期で任官してからも一緒に戦った戦友でした」

「本当に不可思議な体験をなされたのですね」

 二つの世界に類似性に感心しているのか、悠陽はしきりに頷いていた。

「そうですね。こちらは相手を良く知っているのに、相手からは初対面に見られるのは少し堪えました。っと、いつの間にかこちらの世界に話になってしまいました。元の世界の話に戻すと、高校三年の秋までは本当に平凡な高校生活を送っていました。クラスメイトと騒いでクラスメイトに怒られたりと、特に何をやっていたのか思い出せないほどです」

「お気持ちお察しします……。高校三年の秋に何かあったのですか?」

 悠陽は目を伏せて武の気持ちを想像してから、武に習って話を切り替えた。

「一人の転校生がやって来たのです。その転校生は『御剣冥夜』と名乗りました」

「っ! 御剣冥夜……ですか」

 武としてはなるべく悠陽の驚きが少ないように、話を組み立てたつもりだが無駄だったようだ。

「はい。悠陽様の双子の妹である事など大凡の事情は知っています」

「そうですか……。未来のわたくしが指輪を託したのですから、それも道理でしたね」

 既に武が事情を知っているなら、冥夜との関係を隠さなくても済むと悠陽は安堵した。

「冥夜と私は幼い頃に一度だけ公園で遊んだ事があり、別れ際に結婚の約束をしました。もちろん幼さ故に結婚の意味を知らなかったからなのですが、冥夜はこの約束を覚えていて私に会うために転校して来たのです。しかし、薄情にも私は冥夜の事も約束もすっかり忘れていたので、私の事を絶対運命で結ばれている相手だと言われても困惑しきりでした」

「その一時があの者にとりて、よほど楽しい一時であったのでしょう……。なんとなしに解る由がします。幼き日の思い出と武殿が忘れてしまったのも、また無理からぬ事なのでしょう。あの者は約束の事を武殿に言わなかったのですか?」

 約束を忘れていた事で、多少は批難されるかと思っていた武は驚いた。実の妹の気持ちのみならず、武の立場までも慮れるとは流石だと、武は悠陽に対する尊敬を深くした。

「それは御祖父さんとの約束で、言わない事になっていたそうです。その世界の御剣家は世界経済を左右するほどの大財閥で、冥夜は後継者でしたから色々と家の事情があったらしく、私が自力で思い出さない限りは口にしないとの約束で、私の通う高校に転校を許されたとの事です」

「得心しました。ところで、その世界のわたくしと武殿は、面識が有るのでしょうか?」

 面識が有る事を期待して聞いてくる悠陽に武は話すべきか悩んだが、ここまで話した以上は誤魔化すのは不可能だと判断して正直に話す事にした。

「その世界の悠陽様は……。幼い頃に、ご両親と供に交通事故で亡くなったと聞いています」

「…………そうですか、いろいろと得心が行きました。両親を事故で亡くしたのはこの世界も同様です。その時、わたくしは奇跡的に助かったと聞いております」

 別の世界とは言え自分が死んでいたと聞いても、短時間で立ち直る悠陽はどれほどの精神修養を積んでいるのだろう。

「不快な思いをさせてしまい申し訳ありません。あくまで別の世界の話ですので……」

「いえ。わたしくがお尋ねした事ですし、在りのままを話して頂けた方が嬉しいのです」

「誤魔化そうかとも思いましたので、ほっとしました」

「ふふっ、平気ですよ。その世界で武殿と縁がなかったのは少々残念ですが、この世界では天命に定められています」

「天命ですか?」

 普通に生活していては滅多に聞かない言葉だけに、武は鸚鵡返しに聞いてしまった。

「はい。煌武院の指輪を御揃いで持つ等、決してありえない筈の事が起こっています。これを天命と言わずして何と言いましょう。生まれ落ちた日が同日なのも、とても偶然とは思えません」

「確かに煌武院の指輪(と皆琉神威の鍔)と一緒にこの世界に来たのは、何か理由があるのかもしれません」

「わたくしと武殿を、引き合わせるために決まっています」

 武は思案顔で呟き、悠陽は胸を張って宣言した。二人の認識は世界的な事と個人的な事で微妙にずれていたが、この世界で二人の縁が強いのは間違いないだろう。


――トントン


 ドアをノックする音がしたので、武はこの場面を第三者に見つかったらどうなるのか、盛大に焦って冷や汗を流した。

『悠陽様。お時間です』

「あぁ、もうそんな時間ですか……。武殿、今宵はこれで失礼します」

 ノックの相手は真耶で、どうやら共犯らしいと知り武は心底から安堵した。しかし、真耶が切りの良い所でノックをできたのは、話を盗み聞きしていたからに他ならないのだが、武は気がつかない方が幸せだろう。

「はい。頂戴した指輪は大切にします」

「その……。また来月の十六日に忍んで来ましたら、迷惑でしょうか?」

 不安そうに上目遣いで聞かれた武は、また冷や汗を流す場面に遭遇しそうだなと思いつつも、悠陽を悲しませられる訳もなく二つ返事で了承した。

「歓迎します」

「ありがとうございます。では、名残惜しいですが、おやすみなさいませ」

「おやすみなさい」

 華が咲いたような笑顔で礼を言った悠陽は、名残惜しそうにしつつも部屋から出て行った。



>>悠陽:Side<<


 時間は悠陽が武の部屋を訪ねる前に遡る。

「先月の今日は悠陽様と白銀さんの誕生日でした」

「そうでした。お互いの誕生を祝う機会でしたのに、本当に惜しい事をしました」

 真耶の指摘に悠陽は残念そうな顔をした。

「今からでの遅くないかと存じます。一月遅れの祝いと言えば白銀さんは納得するでしょう」

「そういうものでしょうか?」

「そういうものです。尚、祝いの品はご自分でお考え下さい。そして白銀さんは用意が無いでしょうから、代わりに白銀さんの世界の話等を所望するのが、よろしいかと思われます」

「武殿の世界の話。――とても聞きたいです」

「その状況ならば必ずや話してくださるでしょう。そして次の約束をする事も肝要ですが、本殿を抜けて離れを訪ねるのは一月に一度が限度でしょう」

「一月に一度だけですか……」

 毎日のように会っている唯依と比較してか、悠陽は落ち込んだ。

「毎日会うのだけが芸ではありません。一月に一度の逢瀬故に貴重な時間となりましょう」

「考え様によっては、織姫と彦星の様ですね」

「ご明察畏れ入ります。注意点と致しましては、白銀さんの精神年齢は十以上も年長なので、あまり歳の差を感じさせてはいけません。妹的存在だと認識されてしまうと、非常にやっかいな事になります。常に思深い言動を心掛けてください」

「武殿がお兄様というのも心惹かれるのですが?」

 悠陽は小首を傾げて真耶に質問した。

「今はそうお思いになられても、いずれ後悔なさる事になります。ここは私を信じてください」

「わかりました。真耶さんを信じます」

 このようなやり取りが行われていた事も、武にとっては知らない方が幸福な事実だ。


1992年1月18日 京都 煌武院の屋敷 庭


 武が無現鬼道流の基礎修行を行っていると、背後に忽然と気配が発生したので思わず振り向きざまに切りかかってしまい、なんとか刀を止めて相手を確認したところ左近だった。

「ふむ、もう少し接近できると思ったのだが、気配感知はなかなかの物だな」

「反射的に攻撃してしまうようでは未熟です。すいませんでした」

「こちらも悪戯が過ぎたようだ。ところで、君のお待ちかねの品を持ってきた」

「件のデータですか」

 左近は機密情報の運搬を行う人材として、これ以上ないぐらい適任だろう。

「どうやったのかは知らないが、あちらは君にかなりの期待をしているようだ。それだけ焦っているとも言えるがな」

「帝国初の試みともなれば、方々からの期待も大きいのでしょう。データは真耶さんに渡してください」

 そう言って武は修行を再開した。

「承知した。早い段階で成果を出さねば、君への期待も失望に換わるだろうが、余裕があるようで結構だ」

 左近はニヤリと笑ってから去っていった。

(鎧衣課長の興味は、引けるだけ引いて置く必要がある)

 いずれヤバイ仕事を頼む事になるからなと、武は心中で呟いた。


1992年1月18日 京都 煌武院の屋敷 シミュレータールーム


 武がいつも通りの時間にシミュレータールームに行くと、真耶が筐体のセッティングをしている途中だった。

「もう少し待ってください」

「わかりました」

 暫くして真耶のセッティングが終わったので、武は不知火(仮)を使ってみた。

(やはり第三世代機は機動力が圧倒的だな。開発途中の段階でも現行機の性能を凌駕してる)

 そうして乗り心地を確かめた後に、真耶の管制で各テスト項目を計測して見たところ、実測値で計画理想値を上回る結果が出たので、武は自分の操縦技術がテストパイロットにも応用可能と知り安心した。しかし、テストで良い数値を出す事も重要だが、本命は完成形を知ってるが故のカンニングにある。

「未来で乗ってた不知火と比較して、足りない部分と違う部分を書き出せば良いんですよね」

「はい。白銀さんの要望が入れられれば、試行錯誤の手間が大幅に省けるはずです」

 どのような要望書を書けば開発方向を正解に誘導できるか、真耶に要望書の書き方を教わりながら、武は要望書を書く作業に入った。


1992年1月22日 京都 煌武院の屋敷 居間


 煌武院家の居間で、煌武院家の現当主である『煌武院雷電』と悠陽が向かい合っていた。

「悠陽よ。最近頓に活発に動いているようじゃな」

「はい。ご迷惑をお掛けしましたでしょうか?」

「よい。お前は何れこの国を背負うが定め、己の責任で事を成すならば早すぎる事はない」

「ありがとうございます」


――それはそうと、白銀武に指輪を与えたそうじゃな。






[3876] Muv-Luv Alternative 1991 第15話 不知火の開発
Name: 鹿◆15b70d9b ID:a605618e
Date: 2010/08/05 18:12
1992年1月22日 京都 煌武院の屋敷 居間


 雷電は、悠陽の覚悟を計るかのように鋭い眼光を向けていた。しかし、悠陽は怯む事も視線を逸らす事もなく答えた。

「はい」

「そうか」

 そのやり取りで満足したのか雷電は重々しく頷いた。そもそも当主と言えども指輪の授受に口出しはできない。しかし、八歳という若年で渡す例は少ないが故に、雷電は一時の気の迷いでないか確認したまでだ。

「武殿の逗留を認めてくださった事、改めてお礼申し上げます」

「鎧衣と月詠が揃って保証した上に、お前たっての頼みだ。認めぬわけにもいくまい。――少々の謎があろうともな」

 雷電としても武の経歴――突然に香月夕呼の助手になった子供――に疑問はあるが、思慮深くとも積極性に乏しいところのあった悠陽に、大きな影響を与えている事は確かなので様子を見る気になっていた。今後どう転ぶにしても、悠陽の成長に繋がるだろうとの予感がある。

「畏れ入ります」

 悠陽は、雷電に全てを話すべきか武と話し合ったが、現状で客人として置いてもらえている以上、急いで危険を冒す必要はないという結論に達した。しかし何れ雷電にも、未来の情報を信用してもらう必要が出て来るだろう。その時までに多くの実績を詰んで置く事が重要だ。


1992年2月3日 京都 煌武院の屋敷 シミュレータールーム


 最近の武は、不知火のテストに没頭していた。それと言うのも最初の各テスト項目の数値が良かった事と、第壱開発局から折角のシミュレーターテストなのだからと、実機では到底やれない内容のテスト依頼が大量に来たからだ。要求の厳しさは期待の大きさを示し、達成すれば信用に繋がると判断した武は張り切ってこなしている。

「CPよりシルバー1、反応が落ちている。休息に入れ」

「了解」

 そして武の張り切りすぎは、計測兼管制役の真耶が諌めてくれるので、武のテストパイロット生活は概ね上手く行っていた。しかし、やや別方面で新たな問題も発生していた。

「このペースでカリキュラムを消化できていれば十分でしょう。体力的に限界があるとは言え体力さえ回復すれば、再び搭乗できる戦術機適性は驚異的です」

「前はそれだけが取り柄でしたからね」

 この様に真耶とは気楽に話せているのだが、どうも最近は唯依の表情が硬い。

(大よその見当はつくがどうしたものかな)

 おそらくは不知火のテストに入ってから管制役をする事ができず、見学だけの身分に戻ってしまった事を気に病んでいるのだろう。しかし、現役の技官である真耶ならまだしも、賢い子供でしかない唯依に開発テストの管制が出来ないのは当然の事だ。

(正論で諭したら、余計に落ち込むタイプっぽいんだよなぁ)

 要点は、『役立たずになった』と言う唯依の認識をどうするかだが、子供は役立たずで当然と言ったところで、武を間近で見ている唯依には逆効果だろう。武の存在に嫉妬するのではなく、自省するのが生真面目な唯依らしいところではある。

(役割を与えつつ、自分にもオレより優れている部分があると解らせるか……)


1992年2月3日 京都 煌武院の屋敷 廊下


 シミュレータールームからの帰り道、本殿に向かう途中で真耶とは分かれたので、武は唯依と二人になったところで語りかけた。

「篁さん。ちょっと話良いですか?」

「っ!はい」

「いえ、歩きながらで良いですよ」

 慌てて直立する唯依だが、武がそう言ってから歩き出したので、唯依も付いて歩かざる得ない。立ち止まっているよりは歩いていた方が、運動により自然と緊張が解れる。

「レーザー属種を狩るのに、一番重要な能力はレーザーを回避する技術ですが、他に重要な能力は何だと思いますか?」

「他にですか……。――回避か攻撃かを選択する判断能力ではないかと」

 さすがに毎日のように見学しているだけあって、熟考した唯依はやや自信なさげながらも、高得点と言える答えを返した。

「確かに判断能力は重要ですね。良い答えだと思います。それに加えて剣技も重要だと私は考えてます」

「……剣技ですか?」

 褒められた事で安堵した唯依だったが、武の答えは余りに意外だった。毎日のように見学してる唯依からしても、武がレーザー属種を長刀で倒している姿は見たことがない。重レーザー級を倒すのにも突撃砲を使っていた。

「要塞級ってデカイのいますよね。あれはレーザー属種と移動速度が近いので傍にいる事が多いのと、まだシミュレーターでは再現されていませんが、レーザー属種を守るような行動を取るという報告が有ります。つまりレーザー属種狩りを邪魔する要塞級を、鎧袖一触にする剣技が重要だという事です」

「なるほど……。納得しました」

 BETAは単一種編成ではない。B時折に見せる絶妙とも言える連携に、人類は幾度も煮え湯を飲まされているのだ。

「そして、私は剣術に自信がないのです。それで良かったら、早朝訓練を一緒にやりながら助言しくれませんか?」

「……承知しました。ご一緒させていただきます」

 指導して欲しいと言うと恐縮されてしまいそうなので、武は一緒に修行して欲しいと頼んだ。しかし、剣術は基本しか知らない武と、物心付いた時から修行しているだろう唯依が一緒にやれば、自然と唯依が武に指導する形になり、唯依は役割と自信を得られるだろう。

(篁さんに躓かれては困る)

 篁唯依は、武がこの世界で最初に機動概念を指導――今は見学だけだが――している相手なのだから、優れた衛士になってもらわなければ予定に不都合が出る。


1992年2月9日 京都 煌武院の屋敷 武の客室


 その日の武は、約束通り純夏に手紙を書いていた。

『――と言うわけで、煌武院様の目に止まって、居候させて貰いながら斯衛を目指しているんだ。凄いだろ』

 書けない事も多いが、基本的にそれ以外は知らせて置くべきというのが武の現在の方針だ。第三者から嘘を指摘されれば疑心暗鬼の種を巻かれる事になるし、自分から遠ざける事で安全にしたつもりになるのは、ただの自己満足に過ぎないだろう。

 純夏の状況や心理状態をある程度は把握していないと、いざと言う時に危険を避けさせるための施策すら打てない。遠ざけるために連絡を取らないで放置なんてのは論外で、第三者に良い様に利用してくださいと言っているような物だ。

(手紙はこれで良いとして、問題はこっちか)

 手紙を退けた武が見ているのは、未来の情報が書かれたノートだ。

(普通に考えれば、悠陽様や真耶さんとも情報共有して三人で方策を考えるべきだ)

 しかし、武の状況は普通ではない。そして、この状況について一番知識を持つであろう夕呼は、前の世界で武の未来情報を直前まで聞かない方針をとった。

(今にして考えると、あの時に夕呼先生が言った聞かない理由はおかしい)

 問題があるかどうかわからない――適切な時期に聞くのとは影響が違う――にしても、脳のリソースと時間の消費にしても、未来の情報を早期に知りうるメリットに、釣り合うほどのデメリットではない。夕呼なら十分に制御できるレベルのデメリットだ。

(特にHSST落下事件の後は尚更だ)

 その前のBETA新潟上陸で武の未来情報の正しさは証明済みで、その後に危く未来情報が間に合わずに、全てが終わる可能性が有る出来事が起こったのだ。この事態を受けても、未来情報の開示時期を武に任せて置くなんて、確実性を重視する夕呼としては有り得ないだろう。

(それ以外に選択の余地がなかったとしか思えない)

 そこで思い出されるのが、数式を回収した世界の夕呼の発言だ。

――あんたはきっと、自分の意志で世界を変えてしまえる存在なのよ。

 これは単純に世界移動の事だけを言っていない響きがあった。この言葉を逆にすると『武以外は世界を変えられない』となる。例えば武以外が未来の情報を知りえても、利用――対処や考察――が直前まで出来ないとしたらどうだろう。

 つまり、武が呆れた『脳のリソース』発言が、言葉以上の意味を持つのではないか。『知っていても利用できない』それは気になって脳のリソースを大量に消費するのに、全く何の価値も生み出さない状態になる事であり、夕呼にとっては正に悪夢だ。

(夕呼先生が弱みを隠すのは当然だしな)

 さらに言えば、夕呼は武に未来情報への対処法を言わせ、何だかんだ言っても武の提示した対処法から大きく外れた対処法を取っていない。BETAの新潟上陸の時にA-01を派遣してBETAを捕獲したのにしても、武は横浜基地からの派兵を進言している。防衛基準体勢2にしても事前に帝国軍に知らせて行動させるという意味では、武の提案した水際作戦の範疇から逸脱はしていない。

(そう考えて見ると直前での利用すら微妙だ)

 それに、HSSTや天元山噴火への対処なんて、武の提案を丸呑みしたも同然だ。そして肝心要の量子電導脳の理論についても、武が『自分に聞いてくださいよ』と言った事が突破口になっている。これは単純に閃きの問題だったのだろうか?

(まあ、数日単位で行動していた前の世界と違って、この世界の問題は直前に知っても間に合わないので、あんまり関係ないけどな)

 武はどちらにしろ、悠陽や真耶が以前に与えた未来の情報をどう消化しているか、これを確かめる前に更なる情報を与えるのは危険だという結論に達した。悠陽や真耶が詳細情報を武に聞いて来ないのも変といえば変だろう。真耶ならこのノートを既に盗み見ていても不思議ではないが。


1992年2月10日 京都 煌武院の屋敷 応接間


 武は悠陽と真耶に、2001年を二度経験している事と、二度目の世界で夕呼が未来情報を直前まで聞かない方針を取った事を説明した上で、以前に話した未来情報をどう消化したのか尋ねた。

「わたくしなりに対策を考えましたが、纏まらずに己が至らぬ故と思っておりました」

「私も思考が纏まりませんでした。そして他の情報が知りたいとも思いませんでした」

 考えて見れば不可解だという顔で答える二人の状態は明らかに不自然だ。特に真耶が情報を知りたいと思わないのは異常過ぎる。武が昨日した考察は大よその部分で正解だったようだ。

「なるほど。難しいと思いますが、未来の情報については考え過ぎないようにしてください」

 二人とも自分の状態を自覚したのか、基本的に未来の情報は武しか利用できないと納得して頷いた。

「ですが、武殿一人に重荷を背負わせる事になってしまいますね……」

「私の案の問題点を指摘したり、補足的に追加する事は可能だと思います。私は未来を知っていますが、現在については疎いのです」

「ならば、わたくしと真耶さんは武殿の足元を固める事が役目と心得ましょう」

「は。心得ました」

「よろしくお願いします」

 そこで武はふと思った。

(未来情報の利用に制限があるのなら、現状で夕呼先生とも協力できるか?)

 しかし、武の説での制限は『未来を変える』方向のみに働く可能性が高い。夕呼が未来情報を知った場合の選択は『明星作戦まで未来を変えない』だから、やはり現状で夕呼に未来を知っている事を教えるのは危険だろう。完全に秘匿するならともかく、一部だけ教えて都合良く操るなんて夕呼相手には不可能だ。

(夕呼先生に頼りたい気持ちは、常に戒めないと不味いな。今は根本的な部分で敵対しているんだから)


1992年2月16日 京都 煌武院の屋敷 武の客室


 先月の約束通り悠陽が武の部屋に来たので、武は先月の続きを話をしていた。

「ある秋の日に目が覚めたら冥夜が布団に潜り込んでいて――。転校初日に教室で――。月詠さんが侍従長で、あっ真那さんの方です――。冥夜と純夏が弁当対決を――。三バカが――。公園を残して周囲の土地を買い占めて――」

「ふふふっ。世界や状況が違っても、あの者らしい所が見え隠れしていますね」

 やはりと言うか、悠陽は冥夜の話を聞いてる時が一番楽しそうなので、武は冥夜の話を中心にして話した。元々この時期の武は冥夜に翻弄されっぱなしだったので話のネタに困る事はない。そうしていると真耶が悠陽を迎えに来て、悠陽は来月の約束をしてから帰る。これが月課になりそうだ。


――悠陽様と冥夜の事も、できる範囲で何とかしたいな……。






[3876] Muv-Luv Alternative 1991 第16話 XM2の開発案
Name: 鹿◆15b70d9b ID:a605618e
Date: 2010/08/05 18:15
1992年2月16日 京都 煌武院の屋敷 武の客室


 武は、悠陽と冥夜の生き別れ状態をどうにか出来ないかと考えていた。

(チャンスがあるとしたら、やはり大侵攻の時だな)

 前の世界で帝国が完全に滅亡しなかったのは、BETAの侵攻がハイヴ建設のために止まったからで、それはBETAの都合でしかない。BETAの大侵攻時の戦力は帝国を滅亡に追い込むに十分だったはずだ。そして興亡が掛った戦が始った時点から、勝利に資する為ならば為来りや政治問題は相対的に些細になる。

(冥夜は軍事的に価値がある)

 大侵攻時の防衛戦は長期戦になるから、士気の維持が最重要で、士気高揚ユニットは多ければ多いほど良い。そして何より戦域がとんでもなく広くなるから、例えば中国地方と四国地方に同時に紫の機体が居て、双方の政威大将軍が激励の言葉を発していても、別の戦線なので戦闘中に気がつかれる事はまずない。戦後に将兵の間で噂になるだろうが、それはむしろ好都合だ。

(悠陽様が将軍になっている事と、冥夜の気持ち次第ではあるけど)

 政略条件を整える事を考えると、大侵攻前に悠陽が将軍になるのは方法は別にしても必須条件だろう。そして冥夜は、日本の為に戦える機会を与えられれば喜んで戦うはずだ。前の世界より三年と数ヶ月早い十四歳での初陣になるが、早期に戦術機の操作訓練を受け始めれば戦えぬ年齢ではない。

(冥夜の早期訓練は内密に行う必要がある)

 そして内密に訓練できる場所と言えば、煌武院家のシミュレータールームしかない。実機訓練と機体慣熟はコネを作っておく事で、機密性の高い技術廠のテスト場を使わせて貰おう。士気の維持が目的なので積極的に戦闘に加わる必要はないが、念のために確り鍛える必要がある。

(どの時点から可能になるかな……)


1992年5月23日 京都 煌武院の屋敷 シミュレータールーム


 武が第壱開発局の信用を得たと確信するまで、三ヶ月以上の時を要した。

 その間に、悠陽が毎月の十六日に武の部屋に忍んで来るのが恒例化した。この世界の未来の事はあまり話さない方が良いし、元の世界の話も徐々に尽きて来たのだが、悠陽はお返しにこの世界の事や自分の事を教える。と言ってあれこれと話す事で逢瀬を続けるつもりのようで、この世界にもこの時代にも疎い武には有り難い授業だ。

 また、武と早朝訓練を一緒にする事になった唯依は、剣術に関しては妥協できないのか、遠慮しながらも武に助言をするようになり、それなりに自信を取り戻したのか、硬さも取れて自然に話せるようになって来た。武は生身でも回避技術こそ高いが、刀を使った攻撃技術には疎いから唯依との訓練は実になっている。

 そして純夏とは文通状態だ。案の定と言うか純夏は武の影響で斯衛を目指しているらしい。武家の人間でない以上はまずは帝国軍衛士を目指すと言う事なので、国連軍に入ると斯衛になれないぞ、と念を押して置いた。

「このところ更新されて来るデータから見て、信用されて来ましたよね」

「白銀さんの要望が最優先で用いられるようになったので、そう判断してよろしいかと」

 此処一ヶ月ほど特に、不知火の開発方向が武の要望に添った物になって来ていた。XMシリーズの交渉は今までの概念に無い物を持ち込むだけに、事前の信用は有れば有るほど良いが、不知火が完成に近づくほど変更が難しくなる事も確かなので、武は真耶に相談して今の時期が頃合だと同意を得た。

 武は、XMシリーズの開発交渉は真耶に代理を任せると頼んである。年齢の問題を抜きにしたとしても、武では専門技術的な話はできない。そのためにXM2とXM3の要求仕様と概念について真耶に入念に説明した。

「つまり、キャンセルと先行入力の複合がXM2で、そこにデータを蓄積して反映した上での動作・姿勢制御命令を可能とする、所謂コンボを加えたのがXM3と言うわけですか」

「はい。XM2はまだしもXM3は現状では不可能でしょう。大侵攻までに間に合うかどうかと考えていますので、今回は可能な限りの拡張性を確保して貰えれば十分です」

「XM3には大幅な自動処理能力の引き上げが必要ですので、妥当な判断かと」

「全ては、このデータがOSその物に対する戦力評価を激変させ得る物か……ですね」

 武の言うデータとは、擬似的にXM1を搭載した不知火で行ったシミュレーションデータだ。レーザーの初期照射時点での回避や、三次元機動によるハイヴ内での高速進撃など、既存の戦力評価を打破するに足る物ではある。しかし、全てシミュレーターデータなので信用がなければ改竄したデータと見なされるだろう。

「全力を尽くします。お任せください」

「宜しくお願いします」

 簡単な交渉にはならないだろうが、武は真耶を信じて吉報を待つ事にした。


1992年5月30日 京都 煌武院の屋敷 応接間


 数日後、真耶は悠陽と武に交渉の結果を報告した。

「懸案だったデータの信憑性ですが、白銀さんの実績から信用を得る事ができました。そして自分達の作っている機体の限界以上の機動を目にして大変な衝撃を受けたようで、OS次第で従来より機体性能を引き出せるという認識が広まりました」

 不知火の開発は最終調整段階まで進みながら足踏みしていた。その状態の突破口になった武は第壱開発局で高く評価されており、当初は外部協力者に否定的だった者達にも信用されるに至っていたのだ。そして、OSその物に対する現場の認識を変えた事は大きい。

「まず、XM1については即決で採用されました」

 それを聞いた武はとりあえず安心した。XM1だけでも採用されれば、例え遅くなったとしてもXMシリーズの有用性は実証されるはずなのだ。それだけの物であると武は確信している。

「次にXM2ですが、第壱開発局の方から第参開発局に、不知火用のOSとして製作依頼を出すそうです」

 帝国陸軍技術廠は、第壱開発局が戦術機本体と全体のバランス調整を、第弐開発局が個別武装や跳躍ユニット関連を、第参開発局がOSや各種センサー等の電子関連を担当している。そして第参開発局が規模も予算も少ない傾向にあるのは、やはり見た目にも解り易い部分が優先されている面は否めないだろう。

「そして、拡張性は可能な限り全てのスペースを確保できました。XM2による即応性低下は、このCPUスペースの拡充で吸収できる予定です。しかし、XM3については有用性こそ理解されましたが、将来的な目標として以上の具体化はできませんでした」

 それも仕方ないと言える。XM2までと違って、XM3に必要とされる並列処理能力は余りにも高い。

「OSの戦力評価は見直されつつありますので、XM2の実戦証明が成された後にXM3を目標としてCPUの開発が加速する事は間違いないと思います。しかし、不知火に確保したスペースで、XM3を大侵攻に間に合わせる為には余程の集中投資が必要かと」

 不知火は、困難な要求仕様を実現するため突き詰めた設計がなされており、発展性のための構造的余裕についても極限までそぎ落とされていた為、可能な限り全てのスペースを確保したと言っても限界がある。

「予算についてはXM2が十分な戦果を上げて、不知火をベースに開発される機体に影響を与えられるかどうかですね。現状ではXM2に実戦証明の機会が与えられただけでも十分過ぎます。ありがとうございました」

「真耶さん。此度の働き見事でした」

「過分なお言葉を戴き、有り難き幸せ」

 武が真耶に礼を言って頭を下げると、悠陽も真耶を労わり報告は終わった。

(武御雷と吹雪をどうするかだな……)

 武の未来知識で、不知火をベースに開発された戦術機は不知火の技術を応用して開発された斯衛軍の専用機である武御雷と、不知火の原型機を量産パーツの流用を前提に再設計した高等演習機の吹雪だ。これらの開発計画にXMシリーズが影響を与える事で、武が介入できるように持っていく必要があるだろう。


1992年7月3日 京都 煌武院の屋敷 シミュレータールーム


 武は、XM2搭載型不知火のデータを持って来た左近に捕まっていた。

「いやはや。これほど簡易な変更で、戦術機の性能をここまで引き出すとは香月博士が助手にしたのも頷けると言うものだな。これは香月博士に秘密にした方が良いのかね?」

「いつまでも隠れていては何もできませんから、隠し切れないでしょう。この程度の事を知られるのは覚悟してます」

 並列世界の事を知っている夕呼なら、別世界人ならではの発想と、ある程度は納得するだろう。武の戦術機操縦技術は明らかに高すぎるわけだが、表に出るまでのタイムラグの関係で、いつの時点から一流の操縦技術を持っていたかは計れない。ならば、天才的に上達が早かったと判断するしかない。

「ふむ、この程度の秘密と言う事かね」

(しまった……。最近は緩みすぎだな)

 武にとって左近は味方ではあるが、出来るだけ情報を与えない方が良い相手なのは、何も夕呼と交渉する必要性からの霞対策だけではない。夕呼と違い帝国や将軍への忠誠心は十分に有るだろうが、人類勝利と比べてどちらを優先するか計れない人物なのだ。

 やばい仕事を頼む予定なので、常に興味を引いておいた方が良いとは言え、何の意味もなく気楽に秘密の程度を測られるような事を言ってしまうとは、夕呼の元にいた頃と比べるといろいろ順調になったせいか、武は自分が弛んでる事を自覚して反省した。

「香月博士の方に何か動きはありましたか?」

「先月の事だが、スワラージ作戦が発動した。表向きは印度・インド亜大陸反攻作戦と言う事になっているが、実質は第三計画の特殊部隊を送り込むための作戦だ。しかし、目ぼしい成果は上げれなかったようで、第三計画の中止は時間の問題だろう。第四計画がすんなり決まるとも思えんがね」

 あからさまに話を逸らした武だが、左近が何も言わずに乗ってくれたので助かった。

「つまり香月博士は、私を何れ第四計画の権限で召集するつもりなんですか」

 武は話の流れから、左近が自由のタイムリミットを示唆していると気がついた。第四計画に日本案が採用された場合、日本はあらゆる面で国連と第四計画に協力する必要がある。オルタネイティヴ計画の誘致国にも関らず、国連とオルタネイティヴ計画に非協力的と批判されれば、それこそ第五計画への移行理由にされかねない。

 未来のクーデターの折に榊首相が国賊と見なされたのも、強制力が弱い国連の要求に従い続ける理由を、国連の後ろにいる米国に従っていると見なされた為だ。オルタネイティヴ計画を巡る攻防を知らない人間から見れば、そうとでも考えねば理解できなかったのだろう。

 国連への提供戦力と影響力で米国が突出しているとは言え、それにしても過剰な日本人の国連と米国の同一視は、この辺から来ているのかも知れない。もちろん第五計画へ移行する口実を欲した米国が、国連経由で過剰な要求をした事もあるだろうが、面従腹背の有効性と危険性を考えさせられる事例だ。

「そのようだ。とても楽しそうな顔で、君をどうしてくれようかと言っていたよ」

「それは遠慮したいですね……」

「博士のような美しい女性を袖にしたのだ。自業自得と諦めたまえ」

 ニヤリと笑う左近に武は反論できない。夕呼の性格から言ってある程度は扱き使われてから出ないと、悠陽には会わせて貰えないだろうと思い込んでいたので、駆け引きの結果とは言え何の手伝いもしないうちに夕呼の元を去る事になるとは、武としても予想外も良い所だったのだ。

 しかし、千載一遇の機会を見逃す事が出来るはずもなかった。それに唯一の機会だったかも知れない。今更どうにもならないので、穏便に夕呼の召集から逃げる手段を考える必要があるのだが、そこで脳裏に夕呼のイイ笑顔が浮んだものだから、武は考えるのを後回しにして話を変えた。

「それはそうと、表向きの作戦の方はどうなったんですか?」

「インド亜大陸への戦力増強と、軌道爆撃からの軌道降下戦術の実証には成功したようだ。前者については中東奪還の第一歩を口実に、反米的なイスラム系兵士を厄介払いしたとも言われているがね」

 既に、東南アジアと分断されているインド亜大陸は海以外に脱出路が存在せず、対BETA戦の現実を考えれば死地と言える。

「フェイズ5ハイヴが二つもあるアラビア半島側から中東奪還を目指すよりは、いくらか現実的なんじゃないですか」

 米国の悪評を話した左近の目的は、武の対米姿勢を見極めたいが為と感じられたので、客観的に返す事で感情は二の次だと示した。

「確かにそうだな。東進への牽制にもなっていれば良いがね」

「それは疑問ですね。オリジナルハイヴから増援を送られる方向が侵攻方向とはいえ、逆方向の支配地域も着実に増やしている以上、人類の行動で侵攻方向を変えたりはしないでしょう。それこそ人類初のハイヴ攻略が成功でもしなければ」

「そういえばXMシリーズは、ハイヴ内でこそ真価を発揮するそうだね。XM3ならハイヴを落せると思うかね?」

「えぇ。帝国の備蓄砲弾全てと帝国軍の2/3を地上陽動に、斯衛全軍がXM3搭載の不知火でハイヴに突入すれば、フェイズ3の甲17号目標マンダレーハイヴなら落せます」

 もちろん損耗率を考えなければだし、マンダレーハイヴの反応炉を破壊した時点で、残存BETAが近場の重慶ハイヴに逃げ込むかも知れない。結果として、重慶ハイヴのBETA量が飽和量に達し日本に大侵攻して来る危険性もある。武が大戦略としてはリスクが高すぎると思っている案だ。

 悩ましいのが、重慶ハイヴからの大侵攻が南に向く可能性も十分にある事だ。例えマンダレーハイヴが奪い返されても大侵攻が数年単位で遅れるなら安い物。しかし、最大の問題点として重慶ハイヴからの大侵攻が、未来を知る人間以外には存在しない脅威だと言う事だ。

 存在しない脅威を取り除いても、それは第三者に成果と見なされる事はない。そして、多大な損失を出してせっかく攻略したハイヴを、簡単に奪い返されたと言う認識しか結果としては残らないだろう。これでは政治的に後が続かない。これは重慶ハイヴへの先制間引き作戦にも共通する問題点だ。

「えらく具体的な事を簡単に言うものだな」

「今までだって突入までは成功しているんですから、要は突入部隊の質の問題ですよ。そろそろ、ハイヴ内専用戦術機が開発されても良いと思いませんか? どう考えても上陸作戦専用の海神より、優先度は上だと思うんですけどね。やはり予算が縦割りだからですか」

 帝国海軍は、ユーラシア大陸内陸部が主戦場だった81年に海神を配備して、どこに上陸するつもりだったのか謎過ぎる。海神は専用の潜水空母を必要とする事を考えると、相当の予算を使った事だろう。

 要するに、陸軍への戦術機の導入で予算獲得競争に押された海軍としては、是が非でも戦術機を導入する必要があった。内部的には効率を最優先する軍だが、外部相手には組織維持の為に効率を無視する事はままある。

 もちろん、いずれは必要になる機体だから早めに導入して錬度を向上させると言う考えもあるのだが、ここで問題にしているのは優先度だ。しかし、適正な時期に導入しようとした場合に、既に予算が縮小されていて不可能だったとも成りかねないので、海軍が悪いという話でもない。

 つまり、軍には予算の弾力的な配分は期待できないと言う事だ。そうなると、武が未来の知識や経験から新しい開発計画を立ち上げるなんて事は、現状では夢のまた夢で、既存の開発計画への介入にしても、最小限の変更で最大限の効果を得る必要がある。

「海神についてはその通り。しかし、ふむ、ハイヴ内専用戦術機か……」

 武の思惑通り、左近はかなり興味を引かれたようだ。


――その事に関連して、いろいろ調べて欲しい事があるんです。具体的には……。






[3876] Muv-Luv Alternative 1991 第17話 武の斯衛任官
Name: 鹿◆15b70d9b ID:a605618e
Date: 2010/08/05 18:17
1992年11月20日 京都 煌武院の屋敷 シミュレーションルーム


 さらに四ヶ月以上の月日が流れ、ついに不知火は実戦テストの段階まで漕ぎ着けた。

 その後ロールアウトして生産ラインが整えられ、量産機が生産され型番が付くのにまだ数ヶ月は掛るから、この世界で不知火の型番はTYPE93になる。TYPE94だった前の世界と比べて丸々1年短縮できたわけではないが、武の介入によって半年以上は短縮出来た。

 実戦テストの段階まで行けば、さすがに武にできる協力はなくなった。とはならずに、武は不知火の基本操縦マニュアルの作成を手伝っていた。XMシリーズについて武以上に理解している人間がいないのだから、その部分の記述を武が担当するのは当然と言えば当然なのだが、基本操縦マニュアルの『基本』という部分が曲者だ。

(従来の動作の効率化は当然としても、概念機動はどこまでが基本に入るかだ)

 あくまで基本操縦マニュアルであって、武が直接教えられるわけではないのと、武の機動を簡易に再現するためのコンボ機能が未実装であるXM2が前提なので、あまり奇抜な操縦方法を書いても混乱させるだけで良くない。

(ジャンプキャンセルを含めたジャンプ後の軌道変更や着地直前の軸移動、この辺はいけるかな)

 これらの操縦方法は最初のこの世界で、模擬戦のために慧と千鶴に教えた経験があり1―2日で修得してくれた。この時はノーマルOSだった事を考えれば、直接教えた事と二人が優秀だった事を差し引いてもXM2なら基本として修得できる範囲だ。

(起きジャンプ、振り降ろしキャンセルからの射撃、空中二段ジャンプ、ジャンプキャンセルからの反転噴射降下、空中攻撃キャンセルからの逆噴射着地、この辺になると厳しくなってくるのか?)

 武なら全てノーマルOSでも可能な機動だが、概念が理解できなければXM2で難易度が下がっていても難しい。ともかく、武はマニュアルを作る立場の真耶と、マニュアルを読む立場の唯依にも相談して記入する操縦方法を絞る事にした。


1992年12月23日 京都 煌武院の屋敷 応接間


 不知火の実戦テストは無事に完了し、後は生産ラインと量産機の完成を待つばかりとなったので、不知火の開発計画は終了した。帝国初の純国産機、それも第三世代機とあって開発成功は大々的に報じられ、不知火に箔をつける意味もあってか次期将軍を輩出する煌武院家の協力があった事も宣伝された。

 同時にXM2の実戦証明でもあったわけだが、不知火の影に隠れて世間的にはあまり話題になっていない。しかし、その費用対効果の高さは開発関係者に衝撃を与えた。戦況を変えるほどではないにしても、前の世界より衛士の死傷率は確実に下がるだろう。

 そんなわけで、今後の行動を決める為に三人は応接間に集まって相談していた。

「武殿は十分な実績を上げましたので、御爺様に斯衛への推挙をお願いしようと思います」

「とても有り難いお話なのですが、やはり衛士訓練学校を卒業していないのは問題では?」

 武としては一刻も早く任官して表でも動けるようになりたいが、そのために悠陽に無理をさせる事は避けたい。そこで懸念を表明したところ真耶が内幕を暴露した。

「摂家の方々は訓練校に通われませんので、斯衛軍はその辺の既定が曖昧なのです」

 そして悠陽が悪戯っぽい笑みを浮かべて言った。

「斯衛の資格は、殿下が認めて下さるかが全てなのです」

「なるほど」

 一応納得した武だが内心では、暗黙の了解のような物を破るリスクについて考えていた。そんな武の内心を悟ったのか真耶が補足した。

「不知火の開発に無官の民間人が関った事は公式にはできませんが、今の時期に煌武院家の推挙で異例の任官ともなれば、誰だって大よその事情は察するでしょう」

 つまり、武の不知火への関与と功績を公然の秘密にするには、逆に異例な任官の方が異例なだけに推測を呼ぶので好都合と言う事らしい。

「当面はわたくしの近侍と言う事でよろしいでしょうか?」

「はい。宜しくお願いします」

 真耶と同じ近侍なら、悠陽の許しがある限り拘束されずに自由に動けるから武にとって理想的な立場だ。その武の返事を聞いて悠陽は内心でほっとした。悠陽としても武が認められて任官するのは自分の事のように嬉しいが、武が部隊配属を望めば離れ離れになると不安だったのだ。

「それで、今後はどのように動かれるおつもりですか?」

「斯衛軍の次期専用機が配備されたのは、前の世界だと2000年なんです。この世界でも大侵攻に間に合う見込みが無いので、斯衛軍への不知火配備を働き掛けたいと思っています。鎧衣さんに調査して貰ったのですが――」

 前の世界で、武御雷が京都防衛戦に間に合わなかったのは結果論とは言えない。専用機制度による機種転換の非効率性が顕在化した事例だ。瑞鶴が悪い訳ではないが良く言って1.5世代機である事は確かで、京都が陥落した時に『斯衛軍に第三世代機が有れば』と思った斯衛は多かっただろう。


1993年1月12日 京都 煌武院の屋敷 大広間


 この日は、武の斯衛任官が将軍に認められての任官式だが、五摂家の当主は将軍の代理で任官式を行えるので、煌武院家の大広間にて煌武院家党首の雷電が武の任官状を代読する。将軍が直々に任官式を行うのは白以上との事だ。

「上意。白銀武。この者、篤実忠良足ると認め斯衛軍少尉に任ず。日本帝国政威大将軍、九條隆徳」

「はっ、有り難き幸せに存じます。全身全霊を尽くし、この国の為に働く所存です」

 武が雷電に平伏し終えたところで、悠陽が近づいて来て黒の斯衛軍服を武に渡した。

「武殿。任官、おめでとうございます」

「御二人の推挙のお陰です。ありがとうございました」

「不知火の開発促進に加え新OSで性能を向上させたのだ。斯衛に任じられるに十分な実績と言えよう」

「は、勿体無い御言葉です」

「それより悠陽によると、わしに折り入って話があるとか」

「はい。次期斯衛軍専用戦術機についてお話があります。まずはこの資料を見てください」

 真耶が武から資料を受け取り雷電に渡した。その資料は武が鎧衣に調べて貰ったもので、斯衛軍専用機の開発計画に水面下で干渉した勢力の情報だ。帝国軍上層部と帝国議会の一部が動いた事が伺える。

「この資料は鎧衣が調べた物だな」

「はい」

「お主はこれをどう見る」

「は。性能の為に生産性を犠牲にすれば配備数は削減され。整備性を犠牲にすれば前線から遠ざけられ。帝国を象徴する機体ともなれば傷つける事を許されずに儀杖兵として扱われる。総じて彼等の意図は斯衛軍の縮小化に在ると考えます」

 帝国軍と斯衛軍の関係は、現場レベルでは良好と言って良い。黒の斯衛として登用される事は、帝国軍人なら誰しも一度は夢見る憧れだ。しかし、帝国軍上層部にとって斯衛軍の存在は、予算と人材を攫って行く目の上のたんこぶでしかない。

 そして、帝国議会の民主主義派(親米派含む)にとっては、個人の専有武力と言う物の存在自体が許容できないのだろう。

 それに両者とも将軍を蔑ろにしている自覚があるので、斯衛軍の蜂起を警戒すると同時に恐れてる事も大きい。帝国軍の首都守備部隊が、対戦術機戦闘において優秀な人材を集めているのは、国内に存在する他国軍への備えである事も確かだが、斯衛軍への対抗戦力という側面もある。

 もちろん、衛士達は在日米軍を意識して対戦術機訓練を行っているので、実際は斯衛ひいては将軍の動きを牽制する為に自分達が配されていると知れば激怒しそうだ。未来のクーデターに帝都防衛軍の大半が参加していたのは、どこかの誰かがこの事を教えた結果かもしれない。

「しかし、今から開発計画を変更するのは容易ではないぞ」

 雷電は渋い顔で唸った。計画段階とは言え金も人も既に動いているのだから、それも当然だろう。

「要求仕様も配備計画も、変更する必要は無いと考えます」

「では、どうする」

「斯衛軍専用機と言う名目を、ハイヴ突入部隊専用機に変更する事を提案します。ハイヴ突入部隊は量より質が肝要なのと、ハイヴ突入部隊専用機を配備する事で、斯衛軍をハイヴ突入部隊と位置付ければ、前線から遠ざけられたとしても決戦には参加できます。またハイヴ突入部隊専用機を開発する事で、帝国に大陸奪還の意思が在ると世界に示せます」

 生産性や整備性の悪い機体は、戦略的には使い難いが、反応炉を破壊できるかどうかに全てを賭けるハイヴ突入作戦では、戦略と戦術の重要度が部分的に逆転する。さらに武は、『日本国を象徴する機体』に代わる政治的な意義も提示した。

「斯衛の専用機制度を廃止せよと言う事か」

「はい。専用色のみで十分かと」

「斯衛への不知火配備と、XM3の開発促進も狙いだな」

「ご明察畏れ入ります」

 専用機制度が廃止されれば、帝国初の純国産第三世代機を斯衛に配備しない理由はなくなる。そして、斯衛軍の予算でハイヴ突入部隊専用機を開発するならば、ハイヴ内戦闘での有効性が認められるXM3には斯衛からも予算が周る事になる。

「…………元枢府に計ってみよう」

 雷電は熟考の末に決断した。


1993年1月25日 京都 煌武院の屋敷 シミュレータールーム


 最近のシミュレータールームは、武と左近の密談場所になっている。

「どんな状勢ですか?」

「今回の首謀者達は、専用機開発計画を逆用して斯衛軍の規模縮小に繋げようとしたわけだが、元々は斯衛軍の専用機制度に批判的だった立場だ。元枢府が専用機制度を廃止すると言うのに反対はできんさ。城内省にしても、専用機制度に固執して斯衛軍が縮小されては本末転倒だ」

「名目を、ハイヴ突入部隊専用機へ変更できそうですか?」

「通常この手の事で一番やっかいなのは『決まった事だから変更しない』と言う意見だが、XMシリーズを開発計画に組み込む為の変更は避けられないところに、斯衛軍の専用機制度その物がなくなるのだから計画を存続させる為にはそれしかないだろう。それに香月博士も動いているから問題ない。博士から仕様について君の意見を聞いて来るように言われたが?」

 ハイヴ突入部隊専用機の開発は、G弾抜きのハイヴ制圧を目指す第四計画(日本案)と利害が一致する。夕呼が武に希望ではなく意見を聞くと言う事は、この件については貸し借り無しと言う意味だろう。しかし、夕呼が動いていると聞いて成功を確信するのは少し複雑だ。

「意見ですか……。主脚走行の速度を乗り手を選んでも上げるべきと伝えて下さい」

 どんなに高性能の跳躍ユニットが有っても、反応炉までの道のりは主脚に頼る時間が最も長い。そして主脚走行は最も揺れが酷く衛士に負担を掛ける機動だ。戦略的には乗り手を選ぶ兵器なんて有り得ないが、ハイヴ突入部隊に関しては、戦術機も衛士も訓練も専門化すべきと武は考えている。

「君の意見にしては平凡だな」

「そう言われても、ハイヴ内は直線が短いので燃料効率の悪い飛行しかできませんからね。航続時間を考えれば浮遊が最も有望で、ローターならば燃料電池の電力で回せるので、支援兵器として小形ヘリに近い形はどうかなと思ったりもします」

「ふむ、一応それも博士に伝えておこう」

「香月博士に無理なら誰にも不可能な案ですよ」

 武は大して期待していない風に笑い、左近は何時ものニヤリ笑いを返した。まだ第四計画の責任者に決定していない夕呼では、捻じ込める意見にも限度がある。

「違いない。他に聞きたい事はあるかね」

「軍需産業の方はどうですか?」

「軍別が用途別になるだけで、開発計画の数は減らない上に、どちらも両軍に売れるようになるから歓迎する向きが強い。一部では既に不知火の生産ラインを増設しているぐらいだ」

 この動きの速さは、不知火の開発計画に武と言うか、煌武院家を関与させる時点で、不知火を斯衛に売りたいとの思惑もあったのだろう。開発が行き詰まっていたとは言え、外部協力者を受け入れた一因が判明した。もちろん巌谷の後押し無しには有り得なかった事ではある。

「気が早いと言うべきか、頼もしいと言うべきか。不知火の生産ラインってどこに作ってるんですか?」

「主に東海地方だな。元々は航空機生産の中心地で、現在では戦術機生産の中心地になっている。琵琶湖運河が開通すれば物流が向上して今以上に生産と輸送の効率が上がる予定だ」

「なるほど(それでか)」

 武はずっと2001年で不知火の配備数が少なすぎる――生産開始から七年以上経ってるのに――事が疑問だった。しかし、巨費を投じて整えられた生産ラインが、BETAの本土侵攻で東海地方ごと壊滅してしまっては数を生産できなかったのも当然だろう。

「あとは現場の斯衛がどう出るかだが、そちらは君に期待するとしよう」

「やはりそうなりますか」

「なるだろう」


1993年2月4日 京都 帝国陸軍技術廠 シミュレーターデッキ


 武は雷電に『ついて来い』と命令されて、技術廠のシミュレーターデッキに連れて来られた。もちろん、大凡の事情は察しているので、強化装備は持参している。

 そして、武の目の前には予想通り斯衛軍の強化装備を来た衛士が五名。赤が一人に黄色が一人に白が一人に黒が二人いるので、それぞれの色で名うての精鋭――赤は紅蓮だ――なのだろう。


――白銀。不知火にて、この者達を打ち破って見せよ。






[3876] Muv-Luv Alternative 1991 第18話 専用機の真実
Name: 鹿◆15b70d9b ID:6e92a67f
Date: 2010/08/05 18:18
1993年2月4日 京都 帝国陸軍技術廠 シミュレーターデッキ


 五人の斯衛を前にして、武は思案していた。

(五対一は無理だけど、一対一ならブランクと連戦の疲労を考慮してもいけるか?)

 さすがに斯衛が新任少尉相手に五対一はないだろう。対戦術機戦はこの世界に来てから初めてなのと、連戦の上に最後の相手が紅蓮らしい事を考慮しても、この状況なら相手の搭乗機は瑞鶴だと思われるので機体性能の差は明らかだ。XM2搭載の不知火で負ける気はしない。

(むしろ、問題は紅蓮大将――今はまだ中将か――に勝ってしまう事か)

 紅蓮は、帝国最強の衛士と言われる斯衛軍を代表する存在だ。その紅蓮が同じ斯衛とはいえ九歳の新任衛士に破れたとなれば、斯衛軍全体の権威に傷が付く事にもなりかねない。技術廠内部の事だから勝敗を機密にする事も可能だろうが、それでは斯衛に不知火を認めさせると言う目的が果せなくなる。

 そもそも雷電は、武が紅蓮に勝つと想定しているのかどうか。雷電の目的も不知火を斯衛に認めさせる事のはずだが、雷電の想定している落しどころが見えずに困惑する。しかし、いかに相手が斯衛の精鋭でも、瑞鶴相手に負けるようでは不知火の評価を落す事になる。まずは、勝つしかないと心に決めた。

「顔合わせは済んだな。では、白銀と一番手は筐体に入れ」
「「はっ!」」

 雷電の言葉に答えて武と黒の斯衛が筐体に入った。とりあえず、五対一は回避したと安心した武だったが、筐体に入った瞬間に重要な事を忘れていた事に気がついた。

(やばっ、足届くか?……助かった。92式戦術機管制ユニット準拠だ)

 92式戦術機管制ユニットは前の世界でも武達が使っていた管制ユニットだ。さすが東西両陣営で使用されている国際共通規格品だけあって、既に92年の段階で女子供が戦術機に乗る事が想定されている。

 後方国家である帝国の93年2月時点なら、筐体まで92式戦術機管制ユニット準拠に換装している所は少ないはずだが、XM2対応の筐体に換装する時ついでに92式準拠にする事になったので、XM2が使える筐体ならば92式準拠と言う状態になったのだ。XM2の地味だが重要な恩恵を受けた武だった。

(ともかく、最初の相手が紅蓮中将でなかったのは助かった)

 一年数ヶ月ぶりの対戦術機戦で、初戦の相手が紅蓮ではどれだけ機体性能に差が有っても万が一がある。


――そして、武は紅蓮を残した四人抜きを成功させた。


 ブランクから危い場面があったがXM2で切り抜けられた。また、一対一の戦いで撃ち合うには機動力の差が大きすぎるのと、瑞鶴が撃震の近接戦強化型で斯衛衛士が得意とするのも近接戦と、相手に近接戦を挑まざる得ない理由が揃っていたので、短い時間で勝負を決められたのも大きい。

(次はついに紅蓮中将とか、帝都城以来だな)

 武は桜花作戦の後に、真那の案内で帝都城に行った時に紅蓮や真耶とも出会っている。紅蓮には皆琉神威の鍔を得る資格があるか試す――明らかに口実――と言われ模擬戦に付き合わされ、それで気に入られたのか案内役の真那も巻き込んでの酒盛りにも連行された。

 しかし、酔った真那に絡まれて武が延々と聞かされた愚痴が、この世界で斯衛軍縮小の動きを知る為の情報元になったのだから、世の中何が幸いするかわからないものだ。前の世界で真那に愚痴をこぼされるほど信用されていなければ、情報不足から武はもっと苦労する事になっただろう。

「最後は紅蓮じゃな。先達としての意地を見せよ」

「はっ!」

 どうも、ここまで武が勝ち抜くのは雷電の想定通りらしい。そうして武と紅蓮の対戦が始ったのだが、武は紅蓮の機体を見て雷電の考えを悟った。


――紅蓮の選択した機体は不知火だったのだ!


(そう言う事か落し所がやっと見えた)

 瑞鶴に乗った斯衛の精鋭が四人抜きされて、斯衛を象徴する衛士である紅蓮が機体選択で不知火を選んだとなれば、この時点で斯衛の衛士は瑞鶴から不知火への転換を認めざる得ない。そして同じ機体なら連戦の疲労が響くので、紅蓮が勝って最終的に丸く収まると言うのが雷電の思惑だろう。

 しかも、紅蓮の動きは不知火とXM2にそれなりに習熟している様子で、少なくとも初めて乗ったとは思えない。武は、短期戦を四戦しただけでブランクが解消されたとは到底言えない上に、疲労もどんどん積み重なって来ている。この戦いは勝ったら不味いのだけれど、もはや本気を出しても勝てないだろう。

(勝っちゃう心配がなくなったので、遠慮なく本気を出すか)

 そして武と紅蓮は不知火とXM2の性能を余す所なく見せつけるように、遠距離戦・中距離戦・近距離戦と激しい戦いを行い続けた。その結果は――。

――紅蓮機、頭部・左腕破損、中破と認定!

――白銀機、胸部コクピットブロック破損。致命的損傷により大破と認定!

 白銀機の長刀は狙いをずらされ、紅蓮機の頭と左腕こそ切り落としたが、紅蓮機の長刀は白銀機のコクピットを刺し貫いた。

「皆の者ご苦労だった。最終戦の戦闘映像は斯衛軍内にて公開する事とする。解散!」

「「「「「「はっ!」」」」」」

 雷電の号令一括、紅蓮以外の斯衛がシミュレーターデッキから出て行ったところで、紅蓮が雷電に上申した。

「雷電様、白銀を少し借りても宜しいでしょうか?」

「うむ、わしは先に戻る」

 そう言って雷電も出て行ったので、その場には紅蓮と武だけが残った。

「見事な腕であった。鎧衣より忠告とデータを受け取っていなければ、あの状況で有っても儂が敗れたであろう。何れ万全の状態のお主と制約なく戦ってみたいものだ」

「は、過分な評価を戴き光栄です」

 紅蓮が不知火とXM2の慣熟訓練をしていたのと、三次元機動への対応が初見と思えなかったのは、どうやら左近がいろいろと提供した影響らしい。それがなければ武は態と負ける事になったかも知れないから、武の衛士としての矜持は左近に救われたと言える。

 もちろん武は必要なら態と負ける事も辞さない。しかし、紅蓮に対して無礼になるので本気でやれるに越した事はないのだ。雷電の武に対する評価は、斯衛の精鋭を四人抜けると見積もっただけで十分に高いと言えるが、同じ機体なら紅蓮が負ける事はないとの至極真っ当な前提だったのだろう。

「それはそうと、専用機制度の廃止について礼を言おう」

「礼ですか?」

 紅蓮なら、大局が見えている筈だから恨まれるとまでは思っていなかったが、それでも専用機制度を廃止して礼を言われるのは意外だった。

「うむ。元々専用機制度は斯衛が望んだ物ではない。斯衛軍は伝統的に独自の正面装備を調達しているが、それは主に帝国軍と予算系統が違う事を意味する。改良し意匠を施した小銃程度ならまだしも斯衛軍専用戦車なんて代物が存在した例はないぞ。戦車よりも巨額の開発費を必要とする戦術機なれば尚更だ」

「では、城内省が望んだのでしょうか?」

 専用機制度の存在は専用機の開発計画を保証して、その為の予算も保証する事になるので、城内省にとっては最大級の利権の一つだった。

「中途よりそうなったが、始まりは瑞鶴の配備数が制限された事にある」

 瑞鶴は斯衛軍専用の少数配備故に生産効率が高められず、斯衛用のハイチューン故に整備性も問題になったが、これらの問題は帝国軍にも瑞鶴を配備すれば自然と解決した。瑞鶴は通常運用なら撃震と同程度の生産性と整備性を維持できた上に、撃震を上回る格闘性能を実現した改良機なので、瑞鶴の開発を成功に導いた巌谷と唯依の父親は伝説とまで言われているのだ。

「……ライセンスの問題ですか」

「そうだ。撃震の代替機となれるが故に問題とされたのよ。しかし、改修機も作れぬようでは技術蓄積など覚束ぬ。そこで時の政府は苦肉の策として配備数を制限する条件にて、米国側と部品のライセンス契約で合意に至った。そして斯衛軍専用機とする事で、瑞鶴の配備数が制限されている事実を隠したのだ」

 撃震に国産技術を加えて改良した瑞鶴は、米国が権利を保有する技術の使用比率が低くなり、ライセンス料もそれだけ下がる事になる。米国から見れば瑞鶴の開発は、ロイヤリティの値切りに等しかったのだろう。米国が巨費を投じて戦術機の基礎を築いた事は確かなだけに、一概に米国が悪辣だとも言えない。

 使用する技術を減らしても、ロイヤリティを変えない契約は議会に対して説明が付かないので無理だ。そこで斯衛軍の独自調達の伝統を理由に専用機とするこで、斯衛軍の定数――予備機込み――以上に瑞鶴が配備されなくても誰も疑問に思わないという状態を作り出した。

 当時の状況を想像するに、改修や新型の開発は米国に任せてライセンス生産に徹するのが効率的とする勢力や、蓄積技術の裏づけも無しに行き成りに純国産機を作ろうとする勢力等が散在していたのだろう。その状況での対応として、今日の不知火完成を見れば苦肉の策は妥当だったと言える。

「その時は、それが帝国の限界であったのでよい。だが、一度制度として定まれば時を経る程に伝統・利権と絡み付き変え難くなる。さらに多くの血を吸ってしまえば、流血なくして変更できぬ様になったであろう。なればこそ廃止に動いたお主に感謝するのよ」

 確かに前の世界では、本土防衛戦で多くの斯衛が『斯衛軍専用機・瑞鶴』で戦い命を落としていた事を考えると、あの世界で専用機制度を廃止しようとすれば流血沙汰は避けられなかった様に思われる。本土防衛戦より早く武御雷も計画段階だった今の時期が、穏当に廃止する最後のチャンスだったのかもしれない。

 そもそも技術蓄積の手段として生れた専用機制度が、帝国初の純国産機である不知火を斯衛に配備する妨げになっていたとは、なんとも皮肉だったと言うしかない。斯衛軍の縮小化を防ぐ為とは言え元枢府があっさりと制度の廃止に動いたのも、その辺のもろもろが関係しているのだろう。

「そう言う事情でしたか、誤解していました。申し訳ありません」

 専用機制度に深い事情があったと知り、武は専用機制度を非合理的だと決め付けていた事を謝罪した。瑞鶴が配備され始めてから既に十年以上。おそらくこの辺の事情を知る者は、斯衛軍衛士の中でも古参の極一部なのだろう。年齢的に真那や真耶も知らないと思われる。

「よい。XMシリーズの発案者であるお主から見れば、頭の固い集団で在ろう事は確かだからな。MX2の新機能と跳ぶ事を恐れぬ立体機動、さらに操作方法まで新しいとくれば、初見では度肝を抜かれたわい」

「XM3は私の機動を他者が再現する為のOSと言えます。よろしければ開発推進にお力添え戴けないでしょうか」

 そう言って豪快に笑う紅蓮に手ごたえを感じた武は、XM3開発への助力を頼んだ。

「うむ。城内省への働きかけには労を惜しまぬ」

「よろしくお願いします」

 力強く頷いた紅蓮に、武は頭を下げた。


1993年2月5日 京都 煌武院の屋敷 応接間


 前日の連戦で疲れていた武だが、何故か真耶に有無を言わさず応接間に連れて来られた。

「武殿はわたくしの近侍なのに、御爺様が無断で連れて行くなんて!」

 珍しくと言うか、悠陽が不機嫌でいる姿を武は初めて見た。

「申し訳ありませんでした」

 武としては、想定通りだったのでほいほい付いて行ってしまったが、本来なら悠陽に許可を求めてから行くのが筋だった。

「武殿を責めているのではありません。摂家の当主に反問できずとも致し方のない事ですから、悪いのは御爺様です! わたくしも連れて行って下されば、武殿の雄姿を見る事が叶いましたのに……」

 悠陽は模擬戦を見逃したのが、よほど悔しい様子だ。

「結局、紅蓮中将には及ばず、負けてしまいましたので……」

 武は敗戦を見られたくなかった。と、言う含みを持たせて悠陽を宥めた。

「そうでしたか……」

 悠陽としても、武にそう言われては矛を収めざる得ない。が、そこで真耶が真相を暴露した。

「白銀さんは、紅蓮中将と戦う前に斯衛の精鋭を相手取り四人抜きを達成しています。中将との戦いも紙一重の結果でした」

「まあ! さすがは武殿です! ――ですが、見逃したのが尚の事くち惜しくてなりません」

 瞬間的には喜んだ悠陽だったが、不満はより増したようだ。

(真耶さん勘弁してくださいよ……)

 せっかく丸く収まりそうだったのにと武はゲンナリした。そもそも真耶は何で詳細に結果を知っているのだろうか。

「悠陽様、ご安心ください。技術廠の伝手より五戦とも映像を入手してあります」

「本当ですか!」

 最終戦の映像以外はあえて公開しないだけで、機密に指定されたわけではない。しかし、技術廠内部での事は公開する物意外は原則的に非公開だろう。どうも真耶は技術廠にかなり強力な伝手を築く事に成功したようだ。XM1の完成品と、XM2・XM3のアイデアを無償同然で提供したのだから当然かもしれない。

「上映の準備も万事滞りなく整っております」

「そなたに心よりの感謝を」

「は、ありがたき幸せと存じます」

 武の疑問は氷解したが、今回は伝手を無駄使いをしている気がする。しかし、悠陽が喜んでいるから問題ないのだろう。

(やっぱり従兄弟だけあって、こういうところは月詠さんと似てるな)

 BETAのいない世界で、真那がやっていた無茶の数々を思い出して苦笑した武だった。

「こほんっ、不知火を斯衛に導入する話は一段落付いたようですね。武殿、次はどうなされますか?」

 望みが叶って落ち着いたのか、自らの醜態に気がついた悠陽は咳払いしてから話を変えた。微妙に頬が赤いのは興奮と羞恥からだろうか、真面目な話に入ったので武も表情を引き締めて答えた。

「足場が固まって来ましたから選択肢が増えてきました。できるだけ同時にこなしたいと思います。まずは、高等演習機の開発に介入するつもりです。こちらは鎧衣さんに調べてもらっています」

 主機の出力が低く、必然的に加速圧が低い演習機なら今の武でも問題なく――揺れは平気なので――実機に乗れる筈だ。吹雪の開発には不知火の時より直接的に関与できるだろう。そして、武がこの世界で最初に乗る実機として、吹雪はいろいろな意味で相応しい機体だ。

「次にXM3を、現在でもシミュレーター上でなら再現できないかと考えています。シミュレーター上とはいえ性能を見せる事ができれば、より多くの予算が獲得でき開発を加速させられると思います」

「相応の予算を用いれば再現は可能でしょう。実機搭載の為に必要な技術水準の見極めにも繋がります。第参開発局との交渉はお任せください」

「よろしくお願いします」

 真耶の交渉能力は前回で証明済みの上に、強力な伝手を築いている事も先程判明した。

「それと、昨日の模擬戦で気がついた事なのですが、私の操作方法の中にはこの年代には存在しない物が含まれているようです。おそらく現在から2001年までの間に考案された操縦技術でしょう。それらをなるべくなら広めたいのですが、どうしたものかと思っています」

 武は昨日の模擬戦で相手の操作方法を妙に感じた。そして、操縦技術も幾多の犠牲の上に進化して来た事を悟った。これまで対戦術機戦闘の機会がなかったとは言え、他の事例から類推できなかったのは間抜けと言えば間抜けなのだが、本人が当たり前だと思っていると気がつかないものだ。

「なにか問題があるのですか?」

「やはり教導関連には、階級と年齢の壁が大きいかと」

 派手な四人抜きをした上に紅蓮と互角の戦いをした武だが、それで教導官にしてくれと言って通るものではないだろう。正直、訓練兵を鍛え導き調整する訓練教官ならまだしも、正規兵に応用操作技術を教えるのには衛士としての腕が全てだと思うが、指導者に求められる建前を無視できるものでもない。

 それに武はXM3や吹雪の開発を優先するから、専任の教導官に任命されても困る。と言う事情もある。そんな我侭が軍隊で通る筈もないので、操縦技術の伝播については後回しにするか。と、武が結論付けようとしたところで、じっと考えていた悠陽が口を開いた。


――わたくしに考えがあります。






[3876] Muv-Luv Alternative 1991 第19話 篁唯依の煩悶
Name: 鹿◆15b70d9b ID:6e92a67f
Date: 2010/08/05 18:20
1993年2月5日 京都 煌武院の屋敷 応接間


 教導に対する悠陽の考えとは、紅蓮を戦術機操縦技術指南役として煌武院家に招く傍ら、武が内密に応用操作技術を指導する事で、武から十年分の応用操作技術を習得した紅蓮が、斯衛軍内にて広めると言う物だった。

 次期将軍への戦技指南は斯衛の任務として優先度が高いので、こちらの都合に合わせて呼び出せるらしく、武の都合に合わせる事が可能だそうだ。しかし、いかに有用とは言え、指導に行く名目で指導されに行くのは普通なら屈辱に感じてもおかしくはない。

 紅蓮の性格と言うか、器の大きさなら平気だろうが、やや気が引ける武だ。また公式記録には残らないので、武の功績に成らないという問題もある。それでも、他の方法では数年単位で後回しにするしかないので、この方法が最良になるだろう。あまり贅沢も言えない。

 そして、先日の模擬戦の上映会が行われる事になり、後学のため唯依にも参加して貰ったのだが――。


1993年2月13日 京都 煌武院の屋敷 道場


(あれから篁さんの様子が微妙だ。焦ってるのかな)

 対BETA戦を見て衛士の実力を測れるのは、対BETA戦の現実を知る人間に限られる。巌谷から聞いた話や予備学校で得た知識からして、武の実力が相当な物だと知っていたとしても、斯衛の精鋭と紅蓮という比較し易い対象との戦いを見たことで、改めて武の実力が遥に遠いところにあると実感したのだろう。

 武は言うまでもなく異常な存在だ。元々戦術機の操縦技術が天才的だった上に合計で十三年近くも逆行しているから年齢と実力のバランスはぶっ飛んでいる。ここまで異常な能力――しかも専門分野が同じ――の持ち主が同年代で傍にいるとなると、普通は自分と別種類の人間として考える以外ないものだ。

 しかし、焦るという事は無意識にでも対抗意識を維持しているわけで、芯が強いと言うか責任感の賜物と言うか意外と負けず嫌いなのか、武としては尊敬ならまだしも崇拝でもされたら困ると思っていたので、この歳で武家の当主をしてるだけは有り見かけによらない精神力だと感心した。

 先日の模擬戦で、武が四人抜きした斯衛にしても武の異常な実力に対する疑問や、子供に負けた事による屈辱など内心は複雑だった筈だが、シミュレーターから出て来た時点で冷静さを取り戻していた。摂家の当主である雷電の前で動揺した姿を見せるのは斯衛の誇りが許さなかったのだろう。

(だてに精神修養していないと驚かされる)

 前の世界で、斯衛軍が真に畏怖される存在になったのは一ヶ月にも渡る京都防衛戦に置いて、それまで任務の特殊性から実戦の機会には恵まれず衛士の大半が初陣だったにも関らず、戦争神経症の発症率が圧倒的に低く『斯衛に死の八分無し』と言わしめてからだ。

 そういう事情なので、現在では帝国の最精鋭部隊と言われながらも、斯衛軍の実戦能力は未知数と見なされている。しかし、物心付く前から武人として育てられて来た人間と、民間人が志願するか徴兵されてから数年間鍛えた場合とでは、技能よりも精神耐性の面でより大きな差が出る。

(それはそうと視野が狭くなったら困るな)

 武の訓練を見学するのは個人技術の面で言えば勉強になる。が、それ以外の面ではあまりよろしくない部分もある。単独訓練しか出来ない事情も有り、どうしても単独陽動に類する行動が多いし、多少の危機は自力でなんとかしてしまうのも、真似しない方が良いと言うか、普通は真似できない。

 そもそも、若いと言うか幼いうちから武の機動概念に馴染む為に見学させてる訳だが、それ以外の部分についても幼いうちは早く馴染んでしまう。それで万が一にも、妙な意識が刷り込まれて個人戦闘能力至上主義にでもなってしまったら、唯依本人はもちろん巌谷にも申し訳なさ過ぎる。

(ちょうど良い機会だ……そろそろ話しておくか)

 そう思い立った武は、朝の鍛錬が終わったところで唯依に大切な話があると切り出した。

「私の訓練を見学させているのも、先日の模擬戦を見て貰ったのも、実は篁さんに期待している役目があるからなんです」

「私の役目ですか?」

「えぇ。私独自の機動概念の有用性は紅蓮中将にも認められました。しかし、いかに有用でも一部の人間しか扱えないないようでは効果は限定的で、現在の戦況を変えるほどの物には成り得ません。よって多くの衛士に浸透させる事が重要なんです」

 元々XMシリーズは、武の機動概念を体現する為に作られた物だ。既存の概念で扱っても有用ではあるけれど、概念を理解して扱うのとでは効果に雲泥の差がある。

「XMシリーズの開発で、新しい機動概念を機械的に普及させる目処は立ちました。これは真耶さんがXM1の現物を作ってくれたのが本当に大きい。そして人的な方面で概念の普及を考えると、教育は総監部の管轄ですから、そちらを納得させれる実物が必要です」

 技術廠を納得させるには技術的な裏付け、総監部を納得させるには人的な裏付けが必要になる。

「概念の早期修得がXMシリーズへの適応性を高めると実証できれば、教習過程に概念教育を組み込む余地が生まれます。そして、多くの戦術機にXMシリーズ配備され多くの衛士に新概念を浸透すれば、帝国の戦力を格段に向上させられるのです」

 唯依は武の話が大きすぎて戸惑っているが、武は構わず話を進めた。

「自分が編み出した概念を他人が修得できるか、こればかりは自分では証明のしようがありません。篁さんに頼る他ないわけです」

「つまり、私が修得できるかに掛かっているんですか……」

 唯依は今まで、見学は個人的な事だと思っていたのだから驚くのも無理はない。

「九歳の時点から私の機動を見学してる篁さん以外には不可能です。この件に限れば紅蓮中将や巌谷少佐でも無理でしょう」

 それこそ幼児や赤ん坊の内から新概念を教え込む必要が有るのなら、人的普及は現実的でない事になる。

「……白銀少尉は私に修得できると思いますか?」

 他の誰にも出来ないのなら唯依が責任から逃げる事はない。しかし、それでも不安が大きいらしく武にすがるような声で質問した。

「思います」

 唯依の質問というより保証を求める問いに武は即答した。そもそも無理だと考えるなら本人に話したりしない。

「……微力を尽くします」

 暫く伏し目がちに悩んでいた唯依だが、武の保証も後押しになったのか緊張した面持ちながらも目線を上げて答えた。

「期待してます」

 この件は唯依にとっては重荷だろう。それでも、自分にしかできない事があるというのは支えにもなるのだ。そして結局は唯依に個人能力を求めてもいる。しかし、最終的な目的が概念の普及という広い範囲に影響を及ぼす事だと知っていれば、唯依本人の意識は全く違って来るだろう。

(それにしても、神宮司教官の偉大さを今更ながら実感するな)

 素直な唯依一人に関るだけでもこれだけ気を使うのに、よく問題児ばかり何人も一人前に育てたられものだと武はまりもに対する尊敬を新たにした。


1993年3月1日 京都 煌武院の屋敷 シミュレータールーム


 武は左近から模擬戦後の状勢を聞いていた。

「制度廃止による斯衛衛士の反発は最小限に抑えられたと言って良いだろう。君と紅蓮中将の模擬戦データ公開もかなり効果が有ったようで、斯衛から不知火の早期配備を求める声も小さくないほどだ」

 あの模擬戦での二人の戦いは、衛士なら自分も不知火に乗りたいと思わせるだけの物だった。それに斯衛衛士からしても、帝国初の純国産機である不知火への心象は良いに決まってる。

「既に斯衛で、白銀武少尉の名を知らない者は居ないな。あと一ヶ月もすれば帝国の衛士で知らぬ者は居なくなっているだろう」

 年齢に不知火とXM2との関係と話題性は十分すぎる。そして、娯楽の少ない軍内部では誰の腕が良いだのという噂話は直に広まるのだ。

「データの件ありがとうございました」

「達人でも、想定できない奇襲には破れると言うので、万が一の備えだったのだが。手の内を知られた上でも互角に戦う君は、香月博士に改造でもされてるのかね?」

 左近は顎に手を当てながら武を観察してる。

「もしそうなら今頃、香月博士は量産にかかってますよ」

 武としては苦笑するしかない。

「香月博士にそのような動きはないな、残念だ」

 左近がどこまで本気で言ってるか謎だが、武並の衛士が量産できれば戦況が変わるのは確かなので、あんがい本気で残念がってるのかも知れない。

「ところで帝国軍の配備計画ですけど、不知火と陽炎の争いはどうなりました?」

 もろもろの理由で、主力機が撃震なのは当面動かないが、新鋭機である不知火と陽炎は、国内のシェアを奪い合う関係だ。運用実績や費用対効果の議論もあれど、純国産機の不知火と、イーグルのライセンス生産機である陽炎の争いは、どうしても政治的側面が強くなってしまう。

「最近まで拮抗していたが、先ごろ国産派が圧勝して陽炎は近く生産停止が決まった。XM2の評価や斯衛軍に配備する事での効率化もあるが、帝国軍が中心になって開発した不知火の配備で斯衛に遅れを取る訳にはいかないと、軍部が議会に圧力を掛けたのも大きいな」

 つまり武が拮抗していたバランスを崩した事になる。方針が早く決まったのも生産機種数が絞れたのも、純軍事的には良い事だが、政治的には問題をはらんでいる。米国側から見れば、イーグルのライセンス生産は不知火開発の踏み台にされた上に、大して利益を上げなかった事になるからだ。

 依然として帝国軍の主力機は、ファントムのライセンス生産機である撃震だが、今後のライセンス契約等にこの件が与える影響は少なくないだろう。ちなみに前の世界では、論争に数ヶ月を費やした上に陽炎の生産それ自体は、段階的に縮小されながらも継続されていた。

「高等練習機開発計画への影響はどうでしょうか?」

「第三世代練習機の需要が伸びた事は間違いない。これが頼まれていた要求仕様だ」

 武は左近から受け取った書類をその場でざっと流し読みした。

(相変わらず、練習機とは思えないほど贅沢な仕様だな)

 吹雪は帝国軍がF-15陽炎のライセンス生産で培った技術を基に、第三世代機の基礎技術研究の為に発展量産化した高等練習機だ。不知火の量産パーツ流用を前提に再設計され、前の世界では97年に正式配備となる。

 元不知火の開発実験機で有り直系にあたる為、吹雪を帝国初の純国産戦術機であるとする軍関係者も多い。練習機という扱いながらその性能は撃震に勝り、機体表面には不知火と同レベルの対レーザー蒸散塗膜加工が施されている。

 主機出力こそ低めではあるが、武装を施せば実戦での使用にも十分耐えられる。2001年には、耐用年数が迫った撃震の代用機として主機を換装して実戦配備する計画もあり、そのため主機を換装した吹雪が少数ながら試験的に実戦配備されていた。

(この実戦配備計画は、開発段階から狙ってたんだろうな)

 そうでもなければ、練習機に不知火と同レベルの対レーザー蒸散塗膜加工を施した高級装甲はありえない。不知火との規格統一による効率化を計算にいれても、訓練兵が使いまわす練習機の装甲表面は破損率が高く、練習機としてだけで評価すると高コストだと言わざるを得ない。

 他の部分も、『練習機は非常時に補助戦力として使えるようにする』の範囲を逸脱している。本音は最初から不知火の廉価版として開発・配備したいのだろうが、撃震の代替機として主力機の座を狙っているとなれば、計画段階で潰されるのは目に見えているので、練習機開発計画に偽装しているのだろう。

 実戦配備計画の要である主機の換装にしても、最初から意図して開発しなければそうそう上手く行くはずもなく、機体の再調整が必要になるようでは話にもならない。それでも、撃震に耐用年数が迫るまで日の目を浴びなかった訳だから、あらゆる意味で撃震の壁は厚い。

(開発期間の短縮はもちろん、実戦配備計画も早期に実現したい)

 生産性と運用面で撃震が優れている事は確かだが、吹雪も第三世代機としては十分に生産性が高いのだ。主力機として大量生産する事を前提にすれば不知火以上の費用対効果が望める。しかし、現時点で大量生産体制が整っていて整備部品も豊富で、衛士と整備兵も扱いなれている撃震の優位はまだまだ大きい。

 それに対抗する為、計画には練習機として配備数を増やし運用実績を積むという意図もあるのだろうが、前の世界のように2001年から配備を開始するのでは遅すぎる。帝国に最も戦力が必要なのは、1998年~2002年である事を考えると、武としてはできるだけ早く実戦配備したい。

 もし主機の換装コストが問題にされたとしても、これから開発される吹雪はXMシリーズに対応できるので、撃震をXMシリーズ対応型に改装する場合のコストと比較できる。それにXMシリーズとの親和性による性能向上率は、第一世代機と第三世代機では後者が圧倒する。

 そして、主力機に採用された後なら実戦用の主機で生産できるのだ。主力機と練習機で主機以外は同一の機体を使う事になるので、実質的に機種数を減らせるのでコスト削減に繋がる。さらに吹雪と不知火の量産部品は共通しているので、不知火と吹雪(実戦機)と吹雪(練習機)の三機は部品を使いまわせる。

 ちなみに吹雪と不知火の使い分けを考えて見ると、大量生産が可能な吹雪を主力機として防衛線構築の為に配備して、700km/hを超える速度で長距離噴射を可能とする不知火は、精鋭部隊に重点配備しての遊撃任務――機動防御等――だろう。両機は運動性能こそ同等だが価格の差は機動力に現れている。


――性能評価はXM3を突破口にするとして、やはり問題は政治要素か。






[3876] Muv-Luv Alternative 1991 第20話 吹雪増産計画
Name: 鹿◆15b70d9b ID:6e92a67f
Date: 2011/09/18 18:20
1993年3月1日 京都 煌武院の屋敷 シミュレータールーム


 武は、吹雪の要求仕様を読みながら思索に耽っていた。

(主力機を変えるとなると、影響が大きすぎるのが問題だ)

 米国よりな民主派が反対するのは当然として、不知火と吹雪の開発を推進した保守派にしても、陽炎の生産停止とは影響額の桁が違うので、金(ライセンス料)の切れ目が縁(日米同盟)の切れ目に成りかねないと、撃震の耐用期限が近づくまでは動かないだろう。

 国産派の多い軍部と協力する手もあるにはあるが、これほど影響力の高い案件で軍部に議会を押し切らせてしまえば、軍部が議会に対して優位に立つ事になり、軍部による統帥権の確立に寄与してしまう。将軍復権に統帥権の奪還が不可欠である事を考慮すれば、優先順位からいってこの手は使えない。

 それに、不知火と同じく発展性の為の構造的余裕が少ない点を突かれると苦しい。通常主力機は十数年に渡り改修しながらの運用を考える物だ。帝国と人類にとって最も戦力が必要なのは1998年~2002年で、その時期に全てが掛かっていると言っても過言ではないが、未来情報の常として証明には使えない。

 そもそも、現状で人類に残された時間は十数年しかない。この認識が共有できていればマシなのだが、現状でそこまで認識できてるのは夕呼レベルの人間だけだろう。そうなると吹雪を主力機にするには発展性の問題を補うための要素が必要になる。そして、そんな便利な物はXM3しかない。

(XM3の完成もまだ先だし、現状では手に余る事を認めるべきだな)

 早期に実現した方が効率的とは言え、足場が固まっていないのに無理して失敗しては目も当てられない。まずは吹雪の開発期間を短縮するために開発衛士になる事だと、武は書類から顔を上げて左近に向き直った。

「計画段階からXMシリーズ対応型になってますね」

「不知火で結果が出ているからな、今後の国産機は全てXMシリーズ対応型になるだろう」

 対応型と言ってもCPUのスペースを多く取る程度なので、開発初期段階から意図していれば予算も手間も掛からない。

「ところで、開発衛士の方はどうなりました?」

「どうも先方に裏があるようで、難航している」

 いかに武が、不知火開発で実績を上げたXMシリーズの発案者でも、実戦配備計画の秘匿を考えれば外部の人間を開発衛士に加えないのは当然だ。

「ああ、その辺はたぶん――」

 主機を換装しての実戦配備計画があるだろう事を、武は左近に説明した。

「なるほど、そういう事ならやりようはあるな」

 左近の交渉能力を考えれば、既に知られているなら引き込んだ方が得策。と相手に思わせる事が可能だろう。

「お願いします」

「お願いされよう」


1993年7月14日 京都 帝国陸軍技術廠 第参開発局


 その後、左近は直に交渉を纏めてきたのだが、肝心の機体が今だ組みあがっていないので、武はその間にXM3の開発を軌道に乗せて置く事にした。

 XM3をシミュレーター上で再現する試みは、紅蓮のお陰で城内省からも予算が出始めた事もあり、真耶の更なる予算増加の為にとの交渉が実り第参開発局の総力をあげて行われた。

(それにしても、とんでもなく扱いが良いと言うか、子供なのに最敬礼されまくる)

 もちろん斯衛の少尉で悠陽の近侍なのだから、表で馬鹿にする人間は居なくて当然なのだが、ここの人間は本心から武を尊重していると感じる。まあ、理由は大よそ想像できるし、人間関係が上手く行って悪い事はないだろう。

(今まで、予算とかで苦労してたんだろうなぁ)

 帝国では地味な電子兵装の評価は相対的に低く、第壱開発局と第弐開発局に予算が優先的に回されていた。その認識を完全に覆した上に、下手したら機体性能自体よりもOSが重要だと示したのが武なのだ。正に第参開発局にとっては救世主である。

 ちなみに対人類戦争が前提なら、電子兵装の重要度はずっと高いし評価も高い。しかし、大味な行動しか取らないBETA相手に繊細なセンサーが必要な場面は少ない。もちろん震動探知等は例外なのだが、それにしても火力や機動力が足りなければ発見しても飲み込まれるだけだ。

 そして肝心のXM3の試作品はと言うと、即応性の30%UPは最初から諦めていたので、それ以外は前の世界のXM3と比較しても遜色なく、予算倍増は間違いなしと言える物が完成した。試作品という事でコストとサイズは無視され、機能の再現だけ目指した『搭』とでも言うべき代物ではあるが。

(八年も前だという事を考えれば、即応性以外を再現できただけでも凄いと思うべきか)

 元々武がXM3の再現が可能と判断したのは、未来に置いてのXM3がオーバースペックだったからだ。即応性の30%UPと言うのはXM3の機能を完全動作させた上で、それだけの余裕が有ったと言う事に他ならない。改めて、夕呼と第四計画専任技術部の力を思い知らされた武だ。

 そのような事を考えつつ搭を眺めながら、武は隣りにいる真耶に尋ねた。

「97~98年までに製品化は間に合いそうですか?」

「不知火にという事でしたら、今後の予算増加を見込んでも不可能かと」

 気休めか展望か判断できない素人としては、希望的観測を言わない真耶の態度は助かる。

「どこを削るべきだと思います?」

「最も負荷が掛かっている『コンボの自動学習機能』を削り、コンボの登録はシミュレーターで行ってから、機体側に姿勢制御情報を移す事にしてはいかがでしょう」

「なるほど、良い案だと思います。それでいきましょう」

「シミュレーターと実機の差異は、できる限り補正するプログラムを組みます」

「その辺は全てお任せします」

「お任せください」

 XM3は何としても大侵攻に間に合わせる必要がある。戦力としてはもちろん『大侵攻を防いだOS』という付加価値を持たせる事で、外交カードしても商品としても最高の物になるからだ。通常規格と違うのは本来マイナス要素だが、十分な実績があれば対応機ごと輸出する理由になってむしろ好都合。

 一部からは技術流出を懸念する声も出るだろうから、武は帝国の最強機である不知火を避け、量産機である吹雪の輸出を予定している。実際的な意味でも量産機の方が輸出に適しているのは言うまでもない。そしてXM3は基本的に新品、(姿勢制御情報抜き)にする。

 XM3の技術情報で最も秘匿すべきなのは、武の機動概念による姿勢制御情報で、こればかりは元々この世界に存在しないだけに、どうやったとしても他国は真似できない。それだけに厳重な対策をしたとしても、提供する相手の判断は慎重にしすぎるに越した事はない。

 相手の足元を見るようだが、各国が独自に姿勢制御情報を蓄積したとしても、従来のOSとは比較にならいほど戦力が向上する。その辺りも含めて考えると、機能的な部分を商品として売る事で財政に寄与し、姿勢制御情報の方は政治カードとして活用する事になるだろう。

 大侵攻後の財政状況を考えると、輸出はできるだけ早く始めたい所ではあるが、既存の常識を覆すほどの実戦証明が無いと、OSだけならまだしも、米国の独占状態にある戦術機輸出市場には食い込めないだろう。さらに経済面でも米国との対立が決定的になるので、将軍の復権後でないと政治的に厳しい。

 それでも、独自に第三世代機を開発している国への輸出は難しいだろう。が、吹雪はハイローミックスに使いやすい機体だし、今後Fー4とFー5の代用機が必要になってくるのは日本だけではない。吹雪を一定数以上購入すれば、独自機に積むためのXM3を単品でも売る等すれば対応できる。

 例えば欧州でなら、XM3搭載のタイフーンやラファールと、XM3搭載の吹雪によるハイローミックス体制を構築させる事に成功すれば、双方共に相当の利益が望める。そうなれば、欧州とは末永く良い関係を築けるだろう。

 できれば、吹雪は練習機としても採用して欲しいところだ。ハイヴ攻略を目指す欧州ならば、運用思想的な問題もないと思われる。他の前線国家にも練習機としても吹雪を売り込みたい。もちろん先程述べた通り、BETAの大侵攻を相手にして大戦果を上げる事が絶対前提条件だ。

 全ては無理にしろ、戦争と言う物は最低限度の戦費回収について、最初から目算を立てて行わなくてはならない。戦争に勝っても財政破綻なんて事になれば、それは政治的な意味での戦争に勝ったとは言えない。

(それでは負けなかっただけだ)

 BETAの大侵攻を前にして、それを利用して儲けてやろうと計画できるのは、情報を事前に知っている事も大きいが、一度BETAに勝っている事で精神的な優位――武視点で――に立っているのが最大の理由だ。BETAの恐怖を刷り込まれた人間では、こんな発想は持てない。

 武が、合成食材の材料として直にBETAを思い浮かべたのにしても、格下であるBETAは捕食対象として見なす事が出来るからだ。勝った経験を精神が覚えているというのは、BETA相手にする上で非常に重要な『余裕』――油断は論外――となる。


――防ぐだけでは帝国に先はない……必要なのは逆用だっ!!


 さすが師弟と言うべきか、BETAから鹵獲した技術で人類の勝利を目指す夕呼と発想が同じだ。そして、最も効果的なタイミングでカードを切るのも夕呼に学んだ手法だろう。早いだけより、遅くとも衝撃的である方が効果的である事は多い。





あとがき

次回から作中で外国の地名が数多く出てきますので
ブログの方ではgoo地図も使って表現してます。
結構評判が良いので見に来てくれたら嬉しいです。

URLの表示は全面禁止になったようですね。業者除けかな?
検索サイトなどで「鹿の庵」を検索すれば出ると思います。



[3876] Muv-Luv Alternative 1991 第21話 大連の不知火
Name: 鹿◆15b70d9b ID:6e92a67f
Date: 2010/08/05 18:24
1993年8月21日 京都 煌武院の屋敷 シミュレーションルーム


 XM3の開発は軌道に乗って、予算交渉も実り偶に顔を出せば良い状態まで持っていけた。そして吹雪が組みあがるまでには時間が掛るので、武は悠陽に紅蓮を呼び出して貰い未来の応用操作技術を伝える事にした。

「白銀少尉。今日はよろしく頼む」

「はっ、精一杯努めさせて頂きます」

 流石に、紅蓮中将を相手に指導となると緊張を隠せない武だ。

「ふっ、そう硬くなるな」

「はっ」

 そう言われて緊張が解けるなら、緊張する人間はいない。

「さっそく始めるか、お主は始めれば緊張など解けるだろう」

「了解しました」

 そこで紅蓮と一緒に来ていた悠陽が、武に尋ねた。

「武殿。わたくしも見学して良いですか?」

「もちろんです」

 悠陽は紅蓮から戦技指南を受けているはずなので、別の場所で家人に見られては少々やっかいだろう。それに悠陽も何れは戦術機に乗って戦場に立つ――立つだけに越した事はない――身なのだから、応用操作の教導を見学して置いて損はない。

「ここの――が――で――なんです」

「ほう――か、なるほどな」

 紅蓮の言った通りで、武は実際に戦術機の操作をし始めたら緊張は解けた。流石は中将というべきか、相手がどういうタイプの人間か見抜くのが早い。

 悠陽は、二人の様子を真剣に見つめ耳を傾けながらも非常に嬉しそうな雰囲気を発散していた。まさか、その『管制スペース』から見学したかったのだろうか? 武に言えば、いつでも見学させて貰えただろうに奥ゆかしい事だ。

 そして機動概念とは違い、元々この世界の人間が操作方法を改良進化させた物なだけに、紅蓮は僅かな期間で順調に技術を修得していった。このまま定期的に指導を続ければ、斯衛軍にはそう間を置かずに普及するだろう。

 それに一方的にとは言え、人材交流がある帝国軍にも時間は掛っても普及する筈だ。


>>悠陽:Side<<


 武と紅蓮の二人が戦術機を操るのを見ていると、悠陽は先日『上映会』をした時の事を思い出す。真耶が用意をして悠陽と武は当然として、後学の為にと武が誘って来た唯依も参加した。

「結果は聞き知っていると言うのに、とても緊張いたします」

「楽しんで戴ければ幸いです」

 悠陽は緊張4割に楽しみ6割といった風情だ。もう武としては、悠陽に楽しんで貰え少しでも普段の恩返しになれば本望だと思った。ちなみに唯依は大人しく座っている。

「悠陽様。準備が整いました」

「真耶さん。お願いします」

 そして上映が開始される。最初の相手は黒の斯衛で機体は当然のように瑞鶴だ。

「まずは撃ち合いですか……あっ!っと、今のはどうなったのでしょう?」

「最初は、子供にしては操縦が上手い程度を意識して撃ち合いました。そして隙を突いた瑞鶴が、撃震より強化された加速力で距離を詰め、長刀で切りかかって来るのは予測していたので、位置を入れ替えるように躱してから突撃砲で仕留めました」

 最初の相手にしか使えない手ではあるが、遠距離戦で不知火と瑞鶴が勝負になる訳もないので、例え誘われている事を見破ったとしても、その罠を食い破るぐらいの気持ちで突っ込んで来るだろう。とにかく武は短時間で決着の付く形の勝負に持っていきたかった。

「相変わらず、舞っているかのような動きですね」

「ありがとうございます。唯依さんはどう見ました?」

 そこで武は話に加わって来ない唯依に話を向けた。

「……躱した時の動きは概念機動ですよね。連戦ですから秘匿した方が良いのではと」

「それも一理ありますが、手の内が知られる事より連戦の疲労を重視しました」

「白銀少尉でも疲れるんですか!?」

 唯依は本気で驚いているらしい。確かに武はシミュレーターなら一日中に近い時間を乗っていられる。しかし、それは戦術機適正が異常なのであって疲労には弱いのだ。これもシミュレーターではあるが、大事な模擬戦であるから緊張感が違う。それに人間相手は腹の探り合いも疲れる。

「私は揺れに強いだけで、体力は年齢相応なんですよ」

「そうだったのですか、てっきり体力で乗り切っておられるのかと……」

 武は体力ではなく戦術機適性が異常なのである。貧弱だった最初に転移した世界であっても、シミュレーター訓練は全く苦にならなかった。そして、それが武の成長速度が早い理由でもある。一日当たりに訓練できる時間が長いのだから当然だ。

 もちろん物理的に一日中使える環境なのが大前提になる。教官から設備――これは両世界共――まで、至れり尽せりの環境だったんだなと武は回想した。それにしても唯依もだいぶ打ち解けたようだ。以前ならば慌てて謝っていただろう。

「はは……」

「武殿、次が始りますよ」

 武が乾いた笑いを出すと、悠陽が遠慮がちに声をかけて来た。そこで、武は軽くだが悠陽を無視する形になってしまっていた事に気が付いた。武には唯依が初めての教え子だという意識が有るので、育てられると思う場面では、つい構いたくなってしまう。

 だが、唯依への質疑応答は明日でも出来るのだから、この場は悠陽への解説に集中すべきだろう。そして師弟関係を見せ付けられた悠陽は、時期が来たら絶対に自分の戦技教導は武にやって貰おうと決意した。

「あれは――で――でした」

「まあ、流石は武殿です」

 そうこうしている内に最後の紅蓮戦になっていた。斯衛達は機体の問題もあってか武の体力を積極的に削っては来なかったが、手の内はかなり曝け出された。それに全て短期戦で終わらせたと言っても集中による疲労は蓄積している。

「なんと! 紅蓮も不知火だったのですかっ!」

「はい。この時点で不知火の問題は解決したと判断しました」

「紅蓮は斯衛の象徴ですから、道理ですね」

 そして画面では、武の不知火と紅蓮の不知火が高機動戦を繰り広げていた。お互い最速に近い速度で動き回りながら突撃砲にて長距離射撃の応酬である。

「この戦闘映像は公開されると予測が付いたので、なるべく不知火の性能がアピールできるように戦いました。もちろん紅蓮中将の協力が有っての事です」

「双方とも、本気で戦っているように見えますが?」

「そのような戦い方を選択したのみですから、全力を出して戦っています」

「そうですか……よい戦いですね」

 武はシミュレーションばかりで飽きていたので、確かにこの戦いは楽しかった。それを感じ取った悠陽は自分の事のように喜び微笑んでくれた。

 そして戦いは中距離戦から近距離戦へと推移したが、記録映像の結末が変わるわけもなく紅蓮機の長刀が武機のコックピットを貫いた。

「同条件どころか不利な条件で、紅蓮と是ほどの接戦を演じるとは素晴らしい技量です」

「ありがとうございます。私の能力は、全て帝国の為に使うと改めて誓います」

 当初の武は、人類も帝国も救いたいとある意味で曖昧な気持ちでいた。しかし、これほどに煌武院家に世話になり、遂に斯衛となったからには日本帝国を最優先として仕える決心を固めている。もちろん悠陽こそが次代の将軍だからというのが一番大きな理由だ。

「帝国はもちろん……わたくしは果報者です」

「私こそ、悠陽様のお傍に仕えられる事を誇りに思っています」

 武は先程のお詫びの気持ちも込めて悠陽から目を逸らさなかった。そうして二人は見詰め合っていたので、唯依の顔色が優れない事に気が付けなかった。

(ですが、あの後に武殿が解決したのでしょうね)

 昨日に悠陽が見かけた時は、唯依の顔に強く浮んでいた焦りのような物が薄くなっていた。

(流石は武殿です。しかし、不覚を取った記憶のはずなのに胸が熱くなってしまいます……)

 悠陽としては、近侍見習の不調に気が付かなかった事を悔いているのだが、あの時の武を思い出すと嬉しくなってしまう。ともかく、悠陽は武と紅蓮の訓練を見学する事に集中した。


1993年9月6日 中国大連北方 九-六作戦発令地域


 舞台は、日本から遠くとは言えないまでも離れた中国に移る。甲18号ハイヴよりBETAが大連に向けて大規模な侵攻を開始した。これを察知した中韓連合軍は九ー六作戦を発令。日本帝国にも側面支援の為に参戦を要請した。

 それを受けた日本帝国大陸派兵軍は、戦術機甲部隊の実に九割を出撃させる。その中には初陣のまりもが中隊長を務める部隊も含まれていた。新兵の精神状態を考慮して同期で構成された中隊である。連携訓練を一緒に積んでいるというのも大きい。

 それでも通常ならば指揮官か副指揮官にはベテランを当てるべきなのだが、そもそもベテランを育てる為の大陸派兵であるからして、新兵の中隊へ人材を回す余裕は全くないのだ。結果として、まりも達は後方警戒任務とは言え新兵のみで作戦活動を行っていた。

(失恋したらしい……。――これが私と新井らしい会話なのだ)

 作戦行動中ではあったが、まりもは無し崩し的に副隊長の新井と会話になった事で、新井の戦う理由を知ると同時に、自分が新井に思いを寄せていると認めた直後に失恋した事を知った。そして、戦友としての関係を再構築したところで周辺に異常が現れた。

 ここはBETAとの戦場なのだから、異常と言えばBETA出現の確率が圧倒的に高い。そして今回も確率に裏切られる事はなかった。しかもレーザー属種が混じっているとは、数自体は少ないにしても新兵にとっては荷が重過ぎる相手だ。

「……ぅ…ぁ……」

「――神宮司ッ!!」

「……あ……新井……!?」

「――増援を要請してくれッ!!敵の数が多すぎるッ!!」

 混乱するまりもを余所に新井は落ち着いた判断をしている。その姿に己の不甲斐なさを覚ったまりもは中隊長としての務めを果たそうとした。

「――わ、わかった。全中隊、楔参型隊形で後退ッ!!」

 現状では後退しつつ応援要請が最善だろう。

「――ブレード1よりCP! コード991発生!! 繰り返す、コード991発生!!」

 大隊本部との距離は近いはずなので、これで”直に来てくれる”とのまりもの期待に反してCPは沈黙を守ったままだ。

「ブレード1よりCPッ! 大隊本部応答せよッ!――くそッ、誰でもいいッ、応答してくれぇッ!!」

 こと此処に至ってまりもは、大隊司令部が全滅したと悟った。部下から指示を求める声が聞こえるが、有効で具体的な命令は全く思い浮かばない。それでも何も命令をしない状態は混乱を加速させるので、”陣形を整えろ”と、その場凌ぎの命令だけでも搾り出した。

 中隊は完全に混乱状態に陥った。そもそも新兵の中隊がレーザー属種をどうこう出来る方がおかしいのだ。そこで新井が作戦案を提案してまりもはこれを承認した。そして、これから反撃だと言う所で、まりもはレーザー属種に見つめられている様な…………。











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「そこの新兵ども! 邪魔だから動くなッ!!」

 まりもが、撃たれると覚悟する一瞬前に通信機から仲間以外の怒号が響いた。

「前衛はレーザー級を引き付けろッ!! 奴等は少数だッ! その間に狩り尽くすぞッ!!」

「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「了解ッ!」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」

 有無を言わさぬ指示に硬直するまりも達の横を見慣れない二十以上の機体が通り過ぎて行く。そして前衛は速度を落とさずにBETAに躍りかかり、他の機体はブレード隊の前方に戦線を構築した。まりもが助かったのかと安堵したところで、相手部隊の指揮官から通信が入った。

「こちらは司令部予備・第一大隊長のケベック1だ。ブレード1は部隊を纏めて援護射撃しろッ!」

「……はッ! ブレード隊、鶴翼壱陣ッ! 全機兵器使用自由ッ! 援護射撃だッ!!」

 まりもは、上官から命令を与えられた事で精神的再建――条件反射は訓練の賜物――を果たした。そして自分と新井を含めて5名にまで減ってしまった部隊に指示を与える。ケペック1の一見無茶な指示はニアミスを避ける為だけではなく、ブレード隊の思考を一度まっさらな状態に戻す為だった。

 そうして落ち着いて見ると、BETAの数が思った程ではなかった事にも気が付く、初陣でレーザー属種に遭遇するという不運に全員が冷静さを欠いていたのだろう。もし敵の数が多かったら最初の混乱中に全滅していた。

 戦闘の結果は謎の部隊による縦横無尽の攻撃と、精神的に立ち直ったブレード隊の援護射撃によりBETAを短時間で殲滅する事に成功した。そこで、まりもは部下と自分を救ってくれた事に礼を述べようとするが……。

「いいか? ここに居れば後退して来る本隊が拾ってくれる。下手に動くなよッ!」

「えっ……ぁ……」

 それだけ言い残して謎の部隊は凄まじい加速で去っていった。まりもが呆然としていると新井が発言する。

「不知火……あれは噂の新型装甲かっ!」

「あれが第三世代機の機動力……」

「本隊の司令部に一個大隊が配備されたって噂だ」

「さっきの部隊は21機だったな……こちらはもっと酷いが……」

 新井は、一瞬レーザーを食らったように見えた前衛が無事だった事に驚愕していた。不知火に施された対レーザー蒸散塗膜加工による防御である。理論値で4秒間――後の実戦計測値では3秒――の連続照射を受けなければ耐えられる。もし新井の撃震であったのなら即座に撃墜されていただろう。

 まりもは咄嗟に不知火の被害を計算した事で、自部隊の被害に目を向けざる得なくなった。自分と新井と含めて5人の仲間しか残っていない。謎の部隊が来てくれなかったら確実に全滅していたろう。自分の未熟が招いた事態に消沈するが、あの指揮官のように成りたいとも思った。


>>巌谷:Side<<
 

 巌谷の部隊は、安全圏に抜けてからフルブーストで基地を目指している。現在の最優先任務は『先行量産型・不知火』とその『実戦データ』を持ち帰ることだ。先程まりも達を助けたのは、少数BETA集団の割に光線級が混ざっていたので、回避するより殲滅した方が確実だと判断したにすぎない。

(BETAの奇襲で15機やられた……いや、部下はよく戦った)

 片割れの大隊司令部が壊滅する規模の奇襲を受けて、この程度の被害で済んだのは確かに敢闘だろう。そして、BETAの奇襲を直下に受けながら戦った実戦データの価値は計り知れない。過去に取れた事のない――通常は全滅する――データとも成れば重要度は全く違ってくる。

(それにしても、XM2の緊急対処能力は群を抜いている)

 次々と地面からBETAが湧き出してくる状況下に置いて、先行入力とキャンセルの組み合わせは抜群の効果を発揮した。現状でも評価の高いXM2だが、このデータが分析されれば更に評価は高まるだろう。余談だが、不知火は思わぬ友軍救助で高機動戦力としての評価も高めた。


――俺の人を見る目も捨てたものではない……なぁ? 唯依ちゃんよ。






[3876] Alternative 2004 政戦両略の外伝 桜花の残滓
Name: 鹿◆15b70d9b ID:6e92a67f
Date: 2009/04/23 22:43
2004年12月24日 横浜基地 香月夕呼の執務室


 横浜基地。現在では、国連太平洋方面軍総司令部と言うべきか。そして中将に昇進し、総司令官を務める香月夕呼は、執務室にて技術大尉になった霞に対して話していた。が、問題は夕呼の格好である。ミニスカサンタ服としか言えないような衣装を着ている上に、鼻メガネを掛け大吟醸と書かれた酒瓶を握っている。

「やってくれたわ!!」

 どうやら、あまり良い酒ではないようだ。ことの始まりは2003年の7月7日にある。甲20号目標(鉄源ハイヴ)の攻略成功から、数ヵ月後の七夕にそれは起こった。突然、地球上の全BETAが活動を停止したのである。その日から全人類は歓喜に包まれた。ついに人類はBETAに勝利したのだとっ!!













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「逃げられたのよ!それも勝ち逃げよ!!!!!」

 BETAが逃げたとは、一体どういう意味であろうか。

「ユーラシアの資源、特に化石燃料とウランは全滅。根こそぎ掻っ攫われたわ!」

 中東はもちろん、中央アジア、カスピ海と黒海に沿岸地域、ご丁寧に北海まで、BETAは化石燃料を総ざらいにして行った。ウランについては既存の鉱床はもちろん、人類が未発見の場所までやられたと見るべきだ。

「二回目が、アサバスカに落ちた時から疑うべきだったわね……」

 カシュガルに次いで、アサバスカに落下して来た着陸ユニット。二回目である以上は、一度目より精密な情報に基づき、狙って落下してきたと思われる。そして、BETAの関心は人類より資源にあり、アサバスカには、世界有数のオイルサンド(タールを含む砂)地域がある上に、ウラン鉱床もある。

「チベット水源も、どうにもならないか……」

 高原地帯がBETAに削られ過ぎて、標高が低くなってしまった。チベット水源は世界三大水源の一つであり、南アジアはもちろん。東南アジアや中東の一部地域の水需要を賄い。中国や中央アジアも依存率は高かった。水がなくて、どうして復興できると言うのか……。

「G元素を残らず打ち上げられた上に!アトリエと反応炉は全て自壊!ハイヴすら倒壊したと来てる!!」

 BETAが宇宙に、何かを打ち上げているのは既知の事である。それは恐らく地球上で精製したG元素であろう。地球上での活動分を除いて、本星にでも送っているとの見方が有力だ。それを全て、活動に必要な分すらも打ち上げたので、BETAが活動を停止した上に急速に劣化したのだ。

「BETAにも、最低限の機密保持プログラムは有ったと言う事ね……」

 ハイヴの倒壊も急激な劣化によるものだ。大半が人類建造物で再構成された横浜ハイヴ以外は、人類が苦心して攻略・確保した物も含めて、全てが土砂の下敷きである。発掘が終わる頃には、全てのサンプルが腐り落ちているだろう。つまり、光線属種のレーザー技術すら得られなかった。

「やりたい放題にやられて、BETAから人類が奪えたのは、各国が保有する僅かなG元素だけ」

 人類の生存と存続を目的とした。種族間防衛戦争としては勝利であっても、政治・外交の延長線上にある戦争。として見た収支結果は、史上に類が無い程の大敗北になる。そして、夕呼にとっても痛恨事である。

「G元素の!人類を馬鹿にした発電効率が!人類復興計画の……『オルタネイティブ第六計画』の柱だったのにっ!!」

 夕呼はなにも、単純にBETAの戦略・戦術情報を得る為や、オリジナルハイヴを落とす為だけに、『00ユニット』を作った訳ではない。真に欲したのは、G元素精製方法などBETA由来の技術を含む、『政略レベル』の情報である。

「BETAが消えた以上は、民間へのエネルギー制限は解除せざるを得なかった……」

 軍でこそ、最低限の電力は確保されていたが、民間では燃料節約の為に燈火制限までしていた。それも当然で、”食料がないのに燃料はある”という事は基本的に有り得ないのだ。ある程度以上の効率を考えれば、農業にも漁業にも畜産にも燃料は欠かせない。

「いくらBETA大戦が終結して、軍での消費量が減ったと言っても、直に限界に達するわ」

 消費量が減っただけであり、無い物が沸いて出てくる訳ではない。改良が著しい燃料電池とても、資源(ヨウ素)を必要とする以上は限界がある。そしてユーラシアの現状が知れ渡り、将来的にも手に入る見込みが激減したとなると……。

「第二次世界大戦前の比じゃないわね」

 当然のように、奪い合うしかないのが人間である。BETA相手の歴戦で、鍛えられた各国政府と軍の動きは素早く。半年程度で対人類戦争の体制に移行しつつあり、いつ戦争が始っても不思議がない情勢を、国連が必死に抑えていた。これには、軍縮を急に出来る訳がない事情も影響している。

 この混乱で最初に発火したのが、躍進が著しかったアフリカ連合だ。アフリカ各地では、BETA大戦の終結により、移民して来ていた欧州系の人間が、祖国に近い地域に再移動を開始していた。当然、それには資本の撤退と資金移動も含まれる。

 その結果として、好調だったアフリカ諸国の経済は急速に失速した。それでも、アフリカ諸国は今や有数の資源国である。地道に復興する事ができれば、以前以上の経済力を得れた可能性は十分にあった。

 しかし、BETAの存在が抑えていたもう一つの要素、民族紛争が経済混乱の影響もあって一気に拡大。複数の国が戦争状態に陥った。これにはBETA戦争終結による軍縮を恐れた、多国籍軍産複合体が関与した疑いが濃厚だ。あまりにも拡大が早すぎる。

「全てが、自国利益の為だったとは言わないわ。しかし、想像力が欠如していた……」

 この混乱が、第三次世界大戦の引き金を引く事を懸念した米国は、国連の制止を振り切りアフリカ紛争に介入。それ自体はまだ良かった。より問題だったのは、停戦監視の方法だ。

「宇宙軍による軌道上からの監視……天空の高みから威圧される恐怖…………」

 米国の名誉の為に言うならば、彼らは人類相手に宙対地攻撃をする気は全くなかった。地上軍を送る事でゲリラが跋扈し、戦闘が泥沼化する事を避けようとしたのだ。しかし、BETA大戦で威力を示した宇宙艦隊による間接飽和爆撃の可能性は、アフリカ諸国に限らず全ての国家に恐怖を与えた。

「そして……国連宇宙総軍は、桜花作戦の損耗により再建途上だった」

 桜花作戦では、国連米国の両軍共に軌道降下戦力の大半を失う結果になった。どちらの損害が多かったのかも、今となっては誤差のようなものだ。しかし、問題は宇宙艦艇の損耗率だ。国連宇宙総軍はA-01及びA-02の盾となったが為に、実に艦艇損耗率七割。とても数年で再建できる物ではない。米国宇宙艦隊への抑止力は不在だった。

 そして、自国独力で宇宙艦隊を編成できる国は、米国のみなのだ。さらに米国は、ラプター不用論が優勢になってから、G元素研究と共に宇宙戦力の増強に力を注いで来た。これにより、”米国は嘗てから宇宙戦力による人類支配計画を練っていた”と、多くの人間を本気で信じさせる事になった。

「それでも、一時的に情勢は安定したのよ……あの日までは……」











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――2004年9月11日・国際宇宙港への爆破テロ事件発生・宇宙港は周辺衛星を道連れに爆散。


 被害はそれだけに留まらない。補給停泊中の米国第一宇宙艦隊までが、巻添えを食らって同時に全滅した。その上、オルタネイティブ第五計画の名残であり、月攻略を見越し宇宙港にて、移民船団から航宙空母に改装中だった巨船団をも消滅させる事になる。これらの連鎖爆発が、周辺の人工衛生まで含めて全てを吹き飛ばしたのだ。

「米国はテロを甘く見ていたわね。そして、宇宙艦艇の運用効率は半減以下になった」

 実行犯こそアフリカ系であったが、国際宇宙港への上位アクセス権限を持つ、主要国の関与は明らかだろう。それこそ犯人はどこの国でも不思議はない。主要国の多くが共謀した可能性もある。しかし、証拠は宇宙港と共に宇宙の塵だ。

 宇宙艦艇の運用に置いて最も難しいのは補給だ。相応の設備を置いた基地以外で不可能なのはもちろん。宇宙では国際宇宙港が唯一の補給先だった。つまり国際宇宙港さえ潰せは、宇宙艦隊は強大では有っても、絶対無敵の存在ではなくなる。

 それもそのはず、補給に降りる必要が発生するならば、降下中も上昇中も無防備で狙い放題だからだ。着陸が不可能な程に加速しなければ、の話ではあるけれど。

「もはや、どこが最初に攻撃するかって段階ね。実質的に戦争状態だわ」

 当然のように米国人は激昂したし、国際宇宙港には多種多様な人種がいた。米国から自国人ごと爆破したと疑われた各国の方も黙ってない。もはや到底、国連に抑えきれる段階を超えている。疑心暗鬼と相互不信は限界を突破した。

「そんな事をしている場合じゃないってのに……対宙監視網が崩壊したのよ……」

 国際宇宙港と周辺の人工衛星は、月面及び火星方面監視の要だった。

「BETAの撤退が、一時的な『雨宿り』かもしれないと、なんど言えばっ!!!!」

 上位存在の言に拠れば、人類の抵抗はBETAにとって気象災害と考えられている。雨が激しくなったので、一度戻って雨宿りしてから雨が止んだ頃――もちろん例え話だ――に来ようと考えている可能性もある。自己増殖型のプログラムであるBETAが、末端のセルを切り捨てるにはその程度の理由で十分だろう。

 そうでなくとも、単純に化石燃料を使い果たしたら、また来るかもしれない。有機物の化石である化石燃料は、宇宙的に見てもそれなりに珍しい存在であろう。むしろ、それが故に気象条件――BETA視点――の厳しい地球で、今まで活動を続けて来ていた可能性もある。

 現状で人類には地球しかないが、宇宙には無数の惑星が有り、BETAにとっての選択肢は広大だ。領土拡大が目的ではなく資源回収が目的なら、初回以外は確実に着陸ユニット(G元素搭載)を迎撃していた地球に拘る必要は少ない。もちろん、総なめにするプログラムの可能性もある。

 どちらにしろ、早急に対宙監視網を再建する必要がある事は間違いない。戦争はそれからにしてくれと言うのが、夕呼の言い分である。現在、国連で再建計画が話し合われるが、開戦前夜に共同事業が成立するわけもなく……。











********************************











 電子音が鳴り、夕呼が通信を開くとピアティフからの報告だった。

「そう……わかったわ……。着陸ユニットの迎撃に失敗、ソ連東部に落ちる見込みよ」

 BETAの再侵攻で、G元素精製技術を手に入れる可能性が戻った……。なんて情勢では全くない。前回の時は世界大戦の後で、冷戦状態だったから成立させられた協力体制を、現在にも作れる見込みは少なすぎる。今にして思い返すと、あの完全とは言えない協力体制すら、素晴らしいものだったように思える。

「しかし、よりにもよってソ連東部とはね……」

 陥落したのが比較的に後なのと、桜花作戦後にソ連が奪還した事もあり、化石燃料は地下に残っていた。その為、BETAがそれを狙って来たとしても、そう不思議ではない。そして問題は、場所や資源より政治的な意味だ。

 そこで、また続報が有ったようだ。さすがの夕呼も口調が重くなる。

「米国によるユニット着陸後の核攻撃を懸念したソ連が、米国に先制核攻撃を開始したわ……」

 自国でやるならまだしも、今の情勢で他国に攻撃される可能性を黙って見ている国はない。しかし、カナダの件で前科があるとは言え、米国にソ連東部のユニットを核攻撃する理由は少ない。ユニット搭載の初期戦力だけが相手なら、現在の人類は問題無く駆逐できる戦力を持っているからだ。

 ソ連もそう考えたからこそ、自国へ核攻撃をする気も、米国にさせる気もなかったのだが、”相手もそう考えて自省するだろう”と思えるような信頼関係は既に存在しなかった。逆に”米国はユニットを口実にして核を撃ってくるに違いない”と考えたので、先制核攻撃に踏み切ったのだ。

 さらに、ソ連を過剰防衛に走らせたのは、”着陸ユニットを無傷で確保できるかも知れない”と言うチャンスが転がって来たからでもある。G元素はもちろん、上位存在を確保できれば、他国に対して圧倒的な優位を得られるのだ。彼らは、それを邪魔される事を何より恐れた。

 冷静に考えれば、カナダと違って核保有国であるソ連に、米国とて核攻撃が出来るはずはない。しかし、上位存在の存在価値は、ソ連から冷静さを奪うには十分であった。また、ソ連の懸念通りに米国から冷静さを奪った可能性も少しは存在する。

 もし、核の打ち合いになった場合の事を考えると。核の数と質とG弾の存在もあり火力に勝る米国を相手に、ソ連が互角にやり合うには警告なしの先制攻撃しかない。”米国に警告したら米国に先制攻撃された”と言うような事態も、ソ連側から見た想定としては有り得るのだ。

 そして、米国から見れば、”ソ連がユニットを口実にして核を撃って来た”であり、当然のように撃ち返す――これにはG弾も交ざっていた――事になった。そうなれば、もうユニットはそっちのけで、お互いの主要都市や軍事施設が目標になる。

 それは結果的に、ユニットの初期戦力を駆逐すべき、ソ連軍を崩壊させる事になり、BETAは地球上に再度ハイヴを建設する事に成功した。米ソ両国は核の応酬により共倒れ、この状況から、第二次BETA大戦を戦えるのだろうか?核の灰が各地に降り注いでいた……。

「詰んだわね……」

 ソ連のハイヴも問題だが、対宙監視網の早期再建が消し飛んだ。次々と着陸ユニットに落ちてこられては、対処の仕様が存在しない。敵が戻って来たので、監視網の再建計画は纏まる可能性も出てきたが、米ソ抜きでの再建にどれだけ掛かるか……。

 夕呼は大吟醸をコップに空け、次々と飲み干して行った……。

「キャハハハハハハハ。今の私を、あいつが見たら何て言うかしらね。ん?あいつって誰だっけ?」

 その後も酒瓶を空けていた夕呼だが、暫くして飽きたのか、霞を置いて執務室を出て行った。

「………………白銀さん」

 夕呼の話をずっと黙って聞いていた霞だが、夕呼の”あいつ”との言葉に武の事を思う。あれから数年が経っている事もあり、今でも詳細に観測できている訳ではない。

 伝わってくる感じでは、楽しいだけの生活――大学生?社会人?――ではなさそうだが、霞は武がこの世界に残らなくて良かったと思った。こんな人類の自滅を武に見せたくない。












********************************










 そうして霞が物思いに耽っていると、夕呼が戻って来た。予想外な事にいつもの軍服に白衣で、酔いもしっかりと抜けているようだ。

「社。最後の希望は……鑑よ」

「……再起動実験ですか?」

 今まで何度も試みて失敗した実験を繰り返すのだろうか……。

「それは諦めるわ。データは全て破棄、鑑の深層意識に呼びかけなさい」

「純夏さんに……何をですか?」

 上位存在からのリーディングデータを破棄とは、凄まじい決意を感じる。再起動の確率が低いとは言え、それさえ読み出せれば、人類の抱える大半の問題が解決するのだ。そこまでしてやる事とは……。

「白銀よ。白銀武……さっき思い出したわ」

「白銀さんを、また戦わせるのですか……」

 夕呼は楽しそうな顔で武の名を呼ぶが、霞は沈痛な面持ちで発言した。

「社の知ってる白銀は、こんな結果に納得する奴なのかしら?」

「…………」

 夕呼は霞を挑発するように言うが、霞は無言だ。

「別に楽しくやってる白銀を呼ぶわけじゃないわ。白銀が元の世界に帰った瞬間に干渉して、別の時間軸に飛ばしてやろうって事よ。白銀も、この世界に残りたがっていたでしょ?」

「あの時に、別の時間軸ですか……」

 霞から見ても武は、この世界に残りたがっていた。

「そうねぇ。いっそ景気良く。十年ぐらい戻して見ましょう」

「そんなに……」

 十年も戻したら、武は小学生だ。霞は驚いて、ウサ耳がピコピコしている。

「上位存在に勝てたのは、鑑が命を使って成し遂げた奇跡のお陰よ。そして、奇跡頼りのリーディングに全てを掛ける訳にはいかないわ。白銀には、世界情勢も変えて貰いましょう」

「白銀さんがですか?」

 上位存在には戦意が全くなかった。その状態であっても奇跡を必要としたぐらいなので、主広間に到達する戦力を増やした程度では、安定して勝てるとは限らない相手だ。そして、霞の認識では武は衛士であり、例え十年前に戻っても世界情勢に関与できるかどうか……。

「あいつが十年も前に戻ったら、BETAの日本侵攻から止めに掛かるはずよ。それに成功すれば世界情勢は激変する事になる。日本の国力が温存されるのは大きいわ」

 日本の国力が残っている場合は、むしろ早くから世界情勢が悪化する事になる。それはオルタネイティブ計画を巡った争いが激化するからだ。この世界では日本の国力が低下していたから、第四計画が採用された後でも米国に余裕があり、その結果として米国内にも第四計画派が存在したのだ。

「日本が国力を保持した状態で、第四計画が成就したらと米国は恐れるはずよ。そうなったら日米対立は待ったなし、日本を中心とした強力な国家連合を作る以外で、第四計画を完遂する方法はないわね」

「難易度を上げて、どうするんですかっ」

 楽しそうに語る夕呼に、霞はジト目で詰問する。

「これを達成できれば、今のような状況にはならないのよ」

「それでも、難しすぎると思います」

 米国だけが悪いとは決して言えないが、米国の国力だけが突出している状況では、このような世界情勢になる確率が高いのも事実だ。しかし、霞の言う通り難しすぎる課題でもある。

「そうね。あっちの私は現状を知らないから、協力しないと思うし。苦労しそうねぇ~」

「……白銀さんになら、できるんですか?」

 夕呼があまりに気楽なので、霞とウサ耳は困惑気味だ。

「できるわよ。白銀は、無数の並行世界から因子を集められた可能性と才能の卵なのよ。因果律量子論で言えば、全ての因果を内包した存在。理論上は白銀武に出来ない事はないわ。問題は精神面だけど、それなりに成長したでしょう?」

「とても……強い人になりました」

 前半はともかく、夕呼の後半の意見に霞は力強く頷いた。ウサ耳も同意している。

「それに、何も手助けしないわけじゃないわ。白銀から預かった『皆琉神威の鍔』と『煌武院の指輪』は持っているわね?」

「はい。それを送るんですか?でも、それだけでは……」

 霞は、まだ不安そうだ。

「まあ、向こうの私が積極的に邪魔すると難しいから、ついでに『信頼感』でも送っておこうかしら?」

「信頼感ですか……ついで?」

 夕呼の言う事に引っかかりを感じた霞が訪ねる。

「G元素は鉄源から運んだ奴が有るけれど。問題は十年の逆行を可能にする『負のスピン』よ。都合の良い事に、次世代戦術機用のダイレクト・リンク・システムが試験段階だし、私の負の感情を使うわ」

「それは……私の感情も使って下さい」

 地獄すら生温く感じる道を歩み続けて来た香月夕呼と、人間の感情を読み取り続けてきた社霞。二人の負の感情を合わせれば、十年の時間軸に相当する負のスピンを作り出せるかもしれない。

「一応、言って置くけど……死ぬわよ?」

「構いません」

 ダイレクト・リンク・システムは、現状では未完成も良いところの上に、本来の用途外に使うのだから、安全性の保障なんて存在する訳がない。しかし、夕呼も霞が意見を変えるとは思ってないので、ただの確認だ。そして霞の返答も淀みないものだった。












********************************










 二人は『鑑純夏』が、安置されている実験室への廊下を歩いている。

「社も向こうの自分に何か送り……言うまでもなかったわね」

「…………」

 夕呼の言葉に赤くなって下を向く霞。夕呼は楽しそうに霞をからかった。

 そして実験室のドアが開き、二人は命を使って奇跡を成し遂げようとする。

 純夏は静に眠ったまま、二人の意識がリンクされるのを深層意識で感じる。そして流れ込んで来る記憶から、二人と別れ際の武が、この世界に残りたがっていた事を知った。











********************************











――武ちゃん。この世界に残りたかったんだ。押し付けてごめん!

――香月夕呼。そいつは人類の救世主よ。信頼なさいっ!

――過去の私。その人は私の大切な人の……私の好きな人です!







あとがき

この外伝は第00話と言うべき位置付けでもあり
予告編に近い構成でもあります。
この話で提示された問題点を解決していくのが本編です。

最近ブログに嵌ってますので良かったHOMEから来てください。
近況などはマメに書いてます。



[3876] Muv-Luv Alternative 1991 第22話 統帥権の推移
Name: 鹿◆15b70d9b ID:cccc3cef
Date: 2010/08/05 18:26
1993年9月22日 京都 煌武院の屋敷 廊下


 吹雪の組み立て終了が見えて来たようなので、武は技術廠に行くまでにやって置く仕込みに奔走している。そんなある日、煌武院家の廊下を帝国軍の将官が歩いて来るのが見えたので、武は脇に避けて敬礼した。それを受けた将官は答礼してから擦れ違い、去って行くかと思いきや立ち止まった。

「失礼だが、少尉は何歳だったかな?」

「はっ、今年で十歳になります」

 相手の様子は、年齢が若い事で嫌味を言おうとしている風ではない。

(と言うか、帝国陸軍の彩峰萩閣中将……。彩峰の親父さんだ)

 悠陽から軍学を師事する事になったと聞いていたので、武は直に相手が解った。

「そうか、娘と同い年だな。うむ、丁度良い。少し意見を聞かせてくれ」

「はい、構いませんが」

 武と慧は確かに同い年だが、それが何なのだろうか。

「来週が娘の誕生日なのだが、何を送ったものかと思ってな」

「お嬢様ならば、男の私の意見では不適では?」

「娘が活発なのもあるが、娘と同年代の知人はいなくてな」

 と言うか、軍には武しか居ないだろう。

「それでしたら、同い年で女性の適任者がいます」

「ほう、誰かな?」

「悠陽様です」

「…………ふむ」

「相談なされたら喜ばれると思いますが?」

「そうだな……。雑談の機会を頂ければ、お聞きしてみよう」

 彩峰中将は少し考えた風だったが、やがて表情を和らげ頷いた。

「君の活躍は聞いている」

「恐縮です。閣下」

 不知火とXMシリーズの戦果は、軍高官なら知らぬ者はいない。

「少尉の名声は悠陽様に必要だ。今後も精励したまえ」

「はい。やはり悠陽様は、近侍の件で無理をなされたのですか?」

「些か強引ではあったろうな」

「そうですか……」

 武の斯衛任官はまだしも、将軍や次期将軍の近侍に黒の斯衛がなった例はない。武としては、無理をしたのなら教えて貰える方が有り難いのだが、10歳の悠陽にそこまで割り切れと言うのも酷だろう。そして真耶は悠陽に口止めされていた。

「だが、現在は慧眼と称えられている」

 その言葉を聞いて武は胸を撫で下ろした。XMシリーズは、武が発案して真耶が基礎を築いた煌武院家の近侍による合作であり『煌武院製OS』とも呼ばれる程で、武を近侍として召抱えた悠陽の正しさを証明する物にもなったのだ。

「しかし、例外的な評価は一変し易い。油断するなよ」

「はっ、肝に銘じます」

 その答えに満足したのか、彩峰中将は頷くと今度こそ立ち去った。


1993年9月22日 京都 煌武院の屋敷 自室


 武は近侍任命の時に与えられた自室で、昼間に出会った彩峰中将の事を考えていた。おそらくは武を見極めるのが主目的だったのだろう。そうでもなければ、唯依に相談しないのが不自然すぎる。個人的な会話をする関係――帝国軍の将官と斯衛(武家)――ではないという条件は二人とも同じだ。

(彩峰中将は、帝国軍内部の親将軍派閥『将道派』の中心人物)

 将道派は大戦での敗戦以来、久しく開かれていない『御前会議』を復活させる事で、将軍を軍の最高司令官として復権させようとしている帝国軍内の派閥で、参謀会議を重視し参謀本部を中心とした軍による統帥権の確立を目指す『統帥派』と対立している。

(だからこそ、悠陽様の教育係に選ばれたのだろう)

 もろもろの理由で、勢力的には将道派が劣勢に立たされているが、衛士や兵隊の多くが潜在的に将道派なのと、帝国軍内の対立を歓迎する勢力の存在もあり、一定以上の勢力を維持し続けている。だが、将来この膠着状態を崩す事件が起こる。それが『光州事件』だ。

(国際問題にもなったけれど、国内的にも大きな影響が有った)

 将道派の重鎮である彩峰中将が、不名誉極まりない敵前逃亡罪により投獄・銃殺刑になった事で帝国軍内の勢力バランスは激変。程なくして将道派は派閥としての影響力を失う。これにより帝国陸軍を掌握した統帥派は、政府と議会を引きずるまでに影響力を拡大して行った。

 そして将道派の残党は、政府の対米政策への不信とも相まって思想を先鋭化させ『将軍親政』を求めるようになる。後のクーデター未遂事件で、彼らの矛先が統帥派により構成される軍上層部よりも政府に向いたのはこれが原因だろう。

(現状で統帥派が有利な理由も理解する必要がある)

 前述した”もろもろの理由”について述べるならば、参謀本部直轄の国内展開専任部隊である本土防衛軍の存在は外せない。そして本土防衛軍の設立経緯を語るには、大東亜戦争の終結直後まで遡る必要がある。何故に参謀本部直轄なのか、何故に防衛軍を新設するのか……。

 敗戦後の帝国は、当然のように米国から民主化を要求されていた。しかし、民主化の重要な柱である『文民統制』を明文化するには憲法における『将軍大権』の改正が必須であり、これは事実上の不可能を意味する。国民投票は言うに及ばず、強行しようとすれば選挙で立ち直れない程の大敗は必至だ。

 このように、米国の民主化プロセスが”最も民主的な手段である選挙によって阻まれる”という。ある意味でお決まりのパターンに陥ってしまったので、議会により将軍の権勢に一定の掣肘を加える為に在った法律を拡大解釈する事により、事実上の影響力を削ぎ落とすまでが限界であった。

(原爆が落とされてないのも大きい)

 大東亜戦争の敗戦で、日本帝国政府と大本営は降伏こそしたが条件付き降伏だった。それ故に別世界とは違い、降伏条項に拠る連合国最高司令官の制限下での憲法改正は行われず、日本帝国憲法は終戦後も保持されている。この憲法の違いこそが、武の知る日本と日本帝国を最も違える要素だろう。

 そのような訳で、文民統制の確立は法律の明文化が成し得ずに頓挫した。その為に帝国の統帥権は長らく曖昧なままに置かれる事になる。軍の指揮命令系統の頂点が定まらぬままという異常事態が放置され得たのは、米軍の半属国化政策と東西冷戦構造が重なった特殊事情が在ればこそだ。

(そこにBETAが来た)

 その状況に変化を齎したのが、BETAとの遭遇に始る一連の事態だ。隣国である中国で対BETA戦争が始った事で統帥権問題は再燃した。この期に将軍の復権を求める動きも出始めるが、それを予期していた米国と議会民主派は将軍への制限法を更に拡大解釈する事で封じる。

 しかし、冷戦とは違い対BETA戦争の戦端は既に開かれている。この状況で統帥権を店晒しにする事はもはや不可能だ。そして権限を封じられた将軍に見切りを付けた参謀本部に、自分達で統帥権を確立しようという動きが生まれた。これが後に統帥派と呼ばれる派閥の誕生である。

 この時期の帝国内は、”対BETA戦争を戦う為には統帥権を明確化する必要がある”との見解では完全に一致していた。だが、本来の持ち主である将軍を復権させれば日米関係の激変は避けられず、米国に対BETA戦争の援護をして貰いたい状況では選べない選択肢だ。

(国を守る為、という所までは同じでも方法論が違ってくる)

 戦術機の導入に始まる対BETA戦略により拡大し続ける軍――特に陸軍――に危機感を持っていた議会は、統帥派の動きをむしろ歓迎した。それを利用して、肥大化の著しい陸軍を分割する事が出来ると考えたのだ。さらに新設軍は、設立法により定める事で軍政権による文民統制が可能になる、との目論見も有った。

 そして誕生したのが『参謀本部直轄の帝国本土防衛軍』であり、参謀総長の人事権を持つ政府――国防大臣――の文民統制下に置かれる予定だった。しかし、この企みは完全に裏目に出てしまい”軍部に国防大臣人事へ干渉される”という政府にとって正反対の結果を招いた。

(大陸派兵の検討に伴い新設するのが、本土防衛軍ってところからして既に怪しい……)

 当初は派兵軍を新設する予定だったのだ。しかし、周辺国に対する政治的配慮や国民への聞こえの良さから防衛軍に変更される事となる。この理由は、派兵先との関係を考えれば理解できるし嘘ではなかった。だが、それだけでもなかった。事実上の徴兵逃れに使おうとしたのである。

 政府の統制下にある軍が防衛軍ならば、有力者の子弟を本土の安全な地域――関東等――の安全な任務――安全な部隊を新設――に付かせる事も可能で”軍歴付きの徴兵免除”とも言える。政府が本土防衛軍設立に成功した要因として、この利権を有力者達に用意した事は大きいだろう。

(徴兵逃れはまだしも、さらに軍歴まで欲しがるってのが……)

 大陸の戦況から状況の推移を見れば、学徒動員まで含めた状況になるであろう事は当時から予測できた。つまり、若い世代の大部分が軍歴を持つ事になる。そして徴兵免除をした場合はもちろん軍歴を持てないので、その情勢下では将来的に子弟が不利――特に政治家――になると考えたのだ。

 そうして本土防衛軍には多くの有力者の子弟が配属された。が、これこそが政府側の致命的な隙になった。参謀本部は配属された人間の経歴や昇進を人質に取ったのである。元々名聞を考えての軍歴なのだから、有力者達からすれば昇進はまだしも経歴に傷を付けらては堪らない。

(大勢を動かすのに利権が便利なのは解かるけれど、それに足を掬われたな)

 さらに参謀本部は、統帥派に協力的な人間の子弟は優遇する飴と、事を明るみにすると脅す鞭を使い揺さぶりを掛け、参謀総長が罷免されるどころか逆に『軍部大臣武官制度』を復活させる。ただし、流石に当初要求していた『軍部大臣現役武官制度』から”現役”の文字を抜かれはした。

 これは軍部大臣が武官であれば良い制度なので、政府には予備役や将道派から国防大臣を選ぶ選択肢もある。そうでなければ政府側の足並みが乱れる事はなかったろう。しかし、軍人が一丸となれば国防大臣人事への干渉が可能となったのは事実だ。以後、政府は軍部の分裂を維持する事に注力する。

(徴兵免除だけなら、榊首相の例も有り全てが私利私欲とも言えない)

 この事例は特殊にしても、軍部が徴兵権や人事権を乱用して政治に介入しようとする事は間々有る。国連重視で帝国軍と折り合いの悪かった榊首相が、娘の千鶴を帝国軍に入隊させなかったのは政治的判断だろう。そして、それを私利私欲と区別するのは非常に難しい。

(どちらにしろ、統帥派の影響力は一気に拡大した)

 政府が本土防衛軍を文民統制する試みが失敗した事で、参謀本部直轄という命令系統が優先される事になる。これにより従来から帝国軍内で大きな権力を持っていた参謀本部が、直属の実戦部隊まで得る事となり、既に参謀本部で圧倒的多数派を占めていた統帥派が伸張したのは当然だった。

 さらに言えば、本土防衛軍が国内展開部隊で尚且つ首都防衛軍だというのも大きい。状況によってはクーデターすら起こし易くなったのだから、自業自得とは言え政府と議会へ掛けられる圧力は以前と比較にならない。そういう情勢だから光州事件は切欠に過ぎず、統帥派が陸軍を完全掌握するのは時間の問題だったとも言える。

(光州事件と言えば、当時の極東国連軍もきな臭いんだよな)

 単純に彩峰中将が、民間人を助ける為に命令違反を犯したのなら指揮官を変える――方法や調整はともかく――だけで防げる。しかし、大東亜連合と方針対立してまで迎撃作戦に拘った上に大敗した当時の極東国連軍司令部が、誰かに責任を擦り付けようとしたとしても不思議ではない。

(後者の可能性も考えると、抜本的な対策を打つべきかも知れない)

 武としては、最もな忠告をしてくれた彩峰中将が国際的にも国内的にも大混乱を起こすような命令違反を犯すとは考え難い。桜花作戦後はレポート作成の為に夕呼より高い情報権限を与えられていた武だが、この件に関しては国連のデータベースそのものが信用に値しないだろう。

(どちらにしても、まだ時期ではないけれど)

 光州作戦が5年も先なのはもちろん、将道派と繋がりを深くするにしても時期尚早だ。今の状況で手を組むと悠陽が将道派の傀儡に見えてしまう危険性がある。それ故に現状では、武が前面に出て功績を積み上げる事で間接的に悠陽の存在感と影響力を高めているのだ。

(しかし、意外と夕呼先生の助手だったのが利いてる)

 当然のように夕呼は帝国内にも敵が多いので、”香月夕呼の助手を奪い取り、帝国に多大な利益を齎している”という図式は、夕呼にしてやられている人間から見れば痛快で爽快感が有るらしい。さらに、”人材を見出し活用する統べこそが将軍に求められる資質”として、悠陽の類稀な将器を示す事にも繋がる。

(暫くはこの方針として、協力の得にくい方面に手を打って置くか……)


1993年9月26日 京都 煌武院の屋敷 地下倉庫


 武と左近の密談場所は、更に怪しい場所になっていた。シミュレータールームに人の出入りが多くなって来た事もある。が、今後は軍事機密以上に危険な情報をやり取りするからである。


――この手紙が榊文部大臣に直接渡るようにして下さい。






[3876] Muv-Luv Alternative 1991 第23話 HIVEの新設
Name: 鹿◆15b70d9b ID:cccc3cef
Date: 2010/08/05 18:28
1993年9月26日 京都 煌武院の屋敷 地下倉庫


 話は、武が左近に手紙の受け渡しを依頼する直前に遡る。

「ほう、榊大臣と香月博士の関係かね?」

「はい。スポンサーなのは知っていますが、力関係はどうなんでしょうか?」

 榊首相とは繋がりを持ちたいが、夕呼の言いなりになる人物では困る。

「力関係か……。榊是親は次期総裁として有力視されている。だが、誰が首相でも次期オルタネイティヴ計画で帝国案を推す事には替りなく、その意味では博士にとって必須の存在ではない。しかし、榊是親ほどに上手くやれる人間が他にいるかとなると、何処にも居ないだろう。それは博士も承知している筈だ」

 夕呼でも、そう無碍には出来ない相手ということか。

「なるほど、それでは会談する場合はフェアな条件で?」

「随行は護衛のみになるだろう」

 要するに、夕呼の側まで出向く立場の左近とは違い、榊首相が霞にリーディングされる心配は基本的――夕呼が特別な目的で仕向けなければ――に無いようだ。榊首相の政治能力も併せて考えれば、自身から話そうとしない限り秘密が洩れる事はないと思われる。

「参考になります。ありがとうございました」

「なに、君には楽しませて貰っているからな」

 左近はそう言って馴染みのニヤリ笑いをする。と言うのも、武が左近に調査を依頼する時に渡す基礎情報は、価値や精度の高さに加えて未来を見通すかのように『活きた情報』だ。そのくせ比較的簡単に知れる情報を知らない等アンバランスでもあり、左近でなくとも面白いだろう。

「依頼ですが、この手紙が榊文部大臣に直接渡るようにして下さい」

「先程の話から察するに、香月博士に知られては困る内容かね?」

「はい。ですので……」

「承知している。私も中身は見んよ」

 武としては左近をどこまで信用するかも悩みどころだが、現状の武が帝国にも人類にも大きく貢献している事は確かなので、余程の理由がなければ完全に夕呼の側に付く事は無いと判断している。どちらにしろ、左近以外にこの手の仕事を頼める相手は居ないのだが。

「よろしくお願いします」

「君と榊大臣は、帝大初等部編入の件で縁もある。簡単なお使いだよ」

 確かに、夕呼の依頼で帝大に初等部設立許可を出した榊首相が、その後の武に注目していない方が不自然だ。悠陽の近侍でもある武からの密書を無視する事はないだろう。もちろん、協力者である夕呼にも内密にしてくれるかどうかは、中身をどれだけ重視して貰えるか次第になる。


1993年9月26日 京都 煌武院の屋敷 自室


 武が出した手紙の内容は単純だ。ある情報を書いた上で、自分との繋がりを夕呼に内緒にしてくれるのなら、今後も情報を提供するとの文面にした。簡潔な内容にしたのは、百の言葉を費やして説明されるよりも、人間は自分の想像の方に信憑性を感じるからだ。

(情報が情報だから、いろいろと推測せざる得ないだろう)

 早い話が、甲19号目標・ブラゴエスチェンスクハイヴの建設時期と予定地の座標を書いて送ったのだ。未来情報から見て今年中に建設される事は確実で、武の介入による誤差も一週間にも満たないと思われる。場所については、BETAの目的が資源である以上は寸分の誤差もないだろう。

(俺が夕呼先生の助手だった事から、因果律量子論に行き着くはず)

 ハイヴの建設時期と場所を予知する等、そうそう信じられる事ではないが、実際に的中してしまうのだから原因を考えざる得ない。そして通常は予測できるはずがないと散々に証明されている。そうなれば尋常ならざる手段として、対BETA諜報を主張している夕呼の理論に行き着くだろう。

(未来の事を言わずにBETAの本土侵攻を信じて貰うには、何か科学的手法でBETAの動きを察知していると思わせるしかない)

 何の信頼関係もない状態で、平行世界やループの話が信用されるか試すのはリスクが高過ぎる。それよりも、実際に的中したという結果だけを与えてしまってから、信憑性を感じられる理由は”自分で考えて貰う”という方法が最も信用される確率が高いと判断した。

(これを夕呼先生に知られたら、一発で未来を知っていると見破られる)

 そうなれば夕呼の事だから、武が自分に全面協力をしない理由にまで当たりを付けて、大よそ全ての事情を把握しかねない。そして現状でそうなってしまえば、横浜ハイヴ建設の流れに持っていかれる事は避けられない。それでも、そのリスクを犯してでも榊首相の協力は必要だ。

(夕呼先生とは、別ルートの情報源と見なされれば上出来だろう)

 榊首相は夕呼のスポンサーとして、ある程度の研究内容や判明した情報について報告を受けているだろう。そして、まさかBETAのハイヴ建設に関する情報を助手だった武が知っていて、世界的権威の夕呼が知らないとは考えまい。必然的に夕呼は情報を隠していると思われる。

 そうなると、夕呼の研究に対する評価は跳ね上がるが報告に対する信用は下がり、別ルートの情報源として武が重要な存在になる。この状況下で榊首相が武との繋がりを夕呼に曝す手はない。致命的な齟齬が生まれるまでは、どちらとも繋がって置くのが常道だ。

(今回は良いとしても次回はズレが大きそうだ)

 左近が手に入れた大陸の戦況によると、既に先行量産型の不知火・XM2搭載型が実践投入されて活躍したらしい。現在の大陸では中国軍と韓国軍の連合軍が主力で、帝国軍は援軍に過ぎないので誤差の範囲内だが、流石に三年四年と経てば無視できない変化を齎すだろう。

(あまり大陸の戦況が良くなり過ぎると、マジで困るんだよな)

 戦場で必死に戦ってる衛士や兵士には申し訳ないが、これが武の偽らざる本音である。それと言うのも、現在の大陸派兵軍が戦ってる相手は甲18号目標・ウランバートルハイヴから出陣して来るBETAで、日本本土に大侵攻して来るのは甲16号目標・重慶ハイヴのBETAだからだ。

 甲一号からの援軍が多いとは言え、間引き作戦の理屈で考えれば出陣元ハイヴに最も直接的に影響を与えるのは明らかで、18号からのBETA相手に健闘し過ぎると、18号に大きな負担を与え16号には小さな負担を与えることになり、それは前の世界とのズレを生むことになる。

(朝鮮半島と日本本土へ、同時に大侵攻という可能性も出てくる)

 何せ18号から朝鮮への大侵攻が1998年の春で、16号から日本への大侵攻が1998年の夏なのだ。丁度良い感じに数ヶ月ずれる確率は無視できない。そして光州作戦と日本防衛作戦を同時展開するのは人類に不可能。光州作戦への不参加理由にはなるが、そういう次元の話ではなくなる。

(大侵攻の間隔が数ヶ月だっただけで、奇襲に感じたらしいしな)

 いろいろと困る理由は別個にあるのだが、一番大きいのが心理的な問題だ。現在の日本人は、朝鮮半島が落ちるまでは安心だと思い込んでいる。これが一番やっかいで、もし朝鮮より先に日本へ大侵攻があったりしたら民間人どころか、政府も軍もパニックになりかねない。

(鉄源ハイヴが建設されてから、本土侵攻までの期間が長いほど良い)

 結局は、鼻先にハイヴを建設されないと本当の意味で本気には成れないのだ。後方国家の人間はBETAの大侵攻に危機感が持ち難いらしく、事前の疎開政策が成功した例は少ない。もっとも、戻れる見通しはなく疎開先での生活も苦しいとなれば、現実感を持ちたくない気持ちも解かる。

(政治的に許されるなら、大陸派兵軍は縮小したいぐらいだ)

 考えるまでも無く政治的に不可能なのだが、日本への大侵攻が例え一ヶ月早まったとしても、鉄源ハイヴが二ヶ月早く建設される方が政略的に有利なのだ。鉄源ハイヴが作られる前と後では、確実に物事の進み方と理解のされ方の速度が違って来るだろう。

(今後は、功績の為でも大陸の戦況を改善するのは控えよう)

 上記は最悪な事例を挙げただけで、不知火の配備が半年早まったのとXM2だけならば、そこまで戦況に影響を与えないとは思う。しかし、戦術に拘泥して政略を疎かにするのは愚の骨頂だ。足場固めも順調なのだから、今後は戒めた上で逆の事も考える必要がある。

(ハイヴ建設と言えば、新設直後が狙い目とも限らない)

 ハイヴ内でBETAが生産され続けている以上、新設直後の個体数が最も少ない事は確かだ。そして、BETAの最大脅威は物量と言われている。だが、より正確には”物量に由来する密度”こそが脅威なのだ。即ちハイヴが”狭い”というのは非常に恐るべき要素になる。

(フェイズ1が落とせない理由を考えれば解かる)

 大前提として、人類が”ハイヴ建設を意図した大侵攻”を止める事が出来たのは数例だ。そして、フェイズ1とは大侵攻して来たBETA群が密集して地上にいる状態なのだ。それと戦うには大侵攻を止める規模の戦力が必要だという事で、そんな戦力が有れば建設させていない。

 もちろん、意図的に大侵攻に対する対処を行わずに戦力を温存する事でフェイズ1の攻略を狙う手もある。と言うか、横浜ハイヴの事を知ったら夕呼は間違いなく狙うだろう。けれども、BETAの大侵攻による被害は大きすぎる。人類的には最良でも国家としては自殺に等しい。

(総合的に考えると、フェイズ3に近い状態が落とし易いかな)

 間引きや攻略作戦が成り立つのは、”初期兵力を分散した上に戦力の逐次投入を行う”という具合に、BETA側が戦略的に致命的な失策を犯してくれるからであり、フェイズ1はもちろん個体数の割りに密度が高くなる初期のフェイズ2は、決して攻略が楽なハイヴではない。

(さらに言えば、ハイヴの建設妨害も成功した例がない)

 ハイヴの新設方法は、基本的に甲1号が建設された時と変わらない。ハイヴから降着ユニットが打ち出され、目標地点に着弾した後に反応炉が地下へと設置される。ただし、月から地球までと比べて圧倒的に短い飛行距離と、目標地点及び航路をBETAに確保されている点が大きく異なる。

 核で迎撃しようにも、発射から到着までの数秒で軌道を算出するのは技術的限界を超える上に、軌道算出に成功して迎撃ミサイルを発射したとしても、航路の安全を確保をしているレーザー属種に打ち落とされるのは確定事項だ。重金属雲を発生させる時間的猶予はない。

(つまり現状の人類が知り得る情報では、どうにもならない)

 十年前の人類とて遊んでいた訳ではない。現時点で取り得る対策は全て行っている。従って武が考えるべきなのは、オルタネイティヴ4で知り得た知識をどう使うかなのだ。未来の情報以外は凡人――本人主観――に過ぎぬ武としては、その活用に的を絞る事こそ義務である。


1993年9月29日 京都 煌武院の屋敷 応接間


 不定期に開いている方針決定会議――参加者は武と悠陽と真耶――にて、武は提案した。


――雷電様に全てを話すのは、今が最適だと考えます。






[3876] Muv-Luv Alternative 1991 第24話 武の戦略案壱
Name: 鹿◆15b70d9b ID:cccc3cef
Date: 2010/08/05 18:30
1993年9月29日 京都 煌武院の屋敷 応接間


 武の提案に対して、まずは悠陽が問いかけた。

「この時期を選んだ理由はなんでしょうか?」

「最大の理由はハイヴ新設が近く、二ヶ月以内に証明できるからです」

 何時の時代にあってもBETAの動き。それもハイヴの新設を予見したとなれば、未来を知る証拠に成り得る。

「確かに道理ですね。他の理由はなんですか?」

「香月博士が第四計画の総責任者に就任するのが95年ですから、博士に余裕のない94年に動きたいとの考えも有ります」

 94年中の夕呼は国連に召集され、米国でG弾派と全面的に遣り合う事になるので、日本に気を回している余裕はなくなる。その間がチャンスなのだが、武が煌武院家の近侍である以上は、頭首である雷電の許可を得ずに政治活動は出来ない。

「香月博士と言えば、オルタネイティヴ計画権限による召集を防ぐ手はあるのでしょうか……」

「そちらは、条件交渉で時期を遅らせる所が限界だと思いますが、それで十分でもあります」

 夕呼と煌武院家が本気で武の取り合いをすれば、オルタネイティヴ計画権限を持つ夕呼が勝つのは当然だが、夕呼としても避けられる争いをして敵対者を喜ばせるのは御免であろうから、条件交渉の余地は十分に有るはずだ。そして武としては、夕呼と協力できる条件が整うまでの時間さえ稼げれば良いのだ。

「何れは、其方に行かれてしまうのですね……」

「移籍ではなく、斯衛からの出向となるよう手を尽くしましょう」

 数年後に武が召集される事を想い、目に見えて落ち込んでいる悠陽を真耶が慰める。武に対して少々の依存傾向が見られる悠陽だが、その小さな肩に重過ぎる未来を背負ったのだから無理もない。その重荷を背負わせてしまった武は、これから悠陽を支え続ける事を改めて誓う。

「自身が何処に在ろうと、私の忠誠は帝国と悠陽様の元にあります」

「武殿……」

 どうやら武の想いは伝わったようで、悠陽は感極まった様子だ。


1993年10月1日 京都 煌武院の屋敷 大広間


 大広間に居るのは武と雷電の二人だけである。出来ればと悠陽に話を通して貰い、一対一の会談が実現したのだから、それなりの信用は既に得られているのだろう。

「まずは、お主の話を聞こう」

「はっ。事の起こりは――」

 そして武は、BETAのいない世界の出身である事、最初に転移したのがこの世界から見て未来であった事、ループした結果としてオルタネイティヴ4を完遂した事、原因不明の要因にて十年前に戻った事、そこから夕呼に出会い助手になった経緯と、悠陽の元に身を寄せた理由を話した。

「……今に成り、わしに話したのは何故だ?」

「それは――」

 この時期を選んだ理由として、悠陽にしたのと同じ説明をした武に雷電は疑問を呈した。

「ふむ。だが、それだけではあるまい」

「……開発衛士が内定した身なれば、との考えも有りました。申し訳有りません」

 最悪の展開として武が雷電に危険視されたとしても、重要な任務が控えている武を即座に処断するのは難しい。数日で技術廠に出向する為に家を出て行くのだからと様子を見て貰えれば、二ヵ月以内にハイヴの新設を予知した証明だけは自動的に出来るとの保険だ。

「よい。その程度の用心を持たぬようでは頼むに足りんわ」

「畏れ入ります」

 ある意味で雷電を信用していないとも取れる武の考え方だが、慎重さとして評価されたようだ。そういう意味では、失敗したら後の無かった――時期を選ぶのが難しかったとはいえ――悠陽の時は賭けの要素が強かった訳で、武には無意識レベルで悠陽ならと頼り甘えている部分がある。

「その話だが、当座は信じたものとして扱おう。お主が二ヶ月で知れる偽りを申すとも思わんがな」

「はっ。有り難き幸せに存じます」

 頭ごなしの否定はされなかったので、武はとりあえず安心した。情報通りにハイヴが建設されれば、未来情報についても齟齬が出ない限りは信用を継続して貰えそうだ。

「して、策は有るのか?」

「試案ですが、第一案と予備に二つ案を考えてます」

 第四計画に参加した事で多くの重大情報を得た武だが、桜花作戦が終わった数日後にはこの世界に移動してしまったので、それら重大情報のうち多くが未検証段階なのだ。その為に不確定要素を削った予備案も作成する必要が有った。

「まずは聞こう」

「はい。第一案の根幹は、2001年12月25日に実行された甲21号目標攻略作戦に置いて、結果的に佐渡島諸共に甲21号目標を破壊する事になった後、残像BETA群が元は甲22号目標であり、研究用に反応炉を保存していた横浜基地を襲撃した戦いで得られた情報に有ります」

 雷電は”佐渡島諸共”の件で一瞬目を剥いたが何も言わず、ともかくは聞きに回るようだ。

「大部分の残存BETAは朝鮮半島の甲20号に向かい、これは反応炉を失ったBETAは、別の反応炉を求めて移動するとの事前予測が裏付けられたに過ぎません。重大なのは丸一日間の横浜基地防衛線の後にBETAの多くがエネルギー切れにて活動停止した事です」

 横浜基地防衛線が終わったのが30日なのだから、五日前後でBETAの活動エネルギーが切れた事になる。

「横浜基地を襲撃したBETAが最後に補給した日時は不明ですが、過去の大侵攻に置いて数ヶ月に渡って活動し続けた例と比較すれば、大侵攻前に限界まで活動エネルギーを溜め込んでいると仮定しても、通常時の活動エネルギー量とそこまでの差が有るとは考え難いです」

 個体に限界近くのエネルギーを溜め込む事に何らかの問題――効率の悪化等――が有るにしても、補給の頻度が多ければその為の消費も馬鹿にならない筈で、通常時と限界時の活動エネルギー保有量が、数日と数ヶ月もの差が有るというのは非効率に過ぎるだろう。

「これにより”特定の状況に拠りBETAは短期間で活動を停止する”との仮説が成り立ちます。問題はその『特定状況』ですが、反応炉の予期せぬ消滅――BETAから見て――から起った事を考えるに、従来の大侵攻時には存在する要素が横浜基地襲撃時には欠けていたと思われます」

 つまり、その要素を取り除く事に成功すれば、通常の大侵攻時にも横浜基地襲撃時と同じ状況を作る事ができる。

「その要素ですが、結論から言えば『前線補給基地』の存在と考えます。ですがご存知の通り、これ自体は目新しい推測では有りません。存在すると目され人類は常に捜索して来ましたが、未だ発見どころか2001年にも影すら掴めていませんでした」

 長々と語ったが、この推測自体に新鮮味はない。需要なのは、横浜基地襲撃の顛末により、『前線補給基地』の存在がより具体的になった事だ。

「この人類が未発見という部分ですが、私は第四計画による桜花作戦にて甲1号に潜った事で、2001年時点でも未発見であった新種BETAを数種目撃しました。この中で特に注目すべきなのが『母艦級(仮称)』の存在です」

 BETA相手では、人類が発見していないから存在しないとは言えない。ちなみに、この時の武は戦域情報欺瞞によって騙されていたが、実は珠瀬機とも鎧衣機ともデータリンクは正常に機能していたので、凄乃皇のレコーダーには母艦級の姿から何から正確に残っていた。

「この母艦級は全長1800m全幅全高共に176mで、大深度地下を移動する超大型種であり、音響解析によれば過去のBETA侵攻時にも存在していたにも関わらず、桜花作戦の折に私の所属部隊が遭遇するまで未発見でした。これは現状の衛星偵察体制の限界でしょう」

 ランドサット(資源探査衛星)は大深度地下をも探査する能力を持つが、元々が動きのない資源を捜索する為に開発された物なので、時間当たりの探査範囲は広いとは言えず、反応炉の様な静止目標の監視には適していても、大深度地下を移動する物体を発見するのには向いていない。

「私は、この母艦級こそが、『前線補給基地』の正体だと考えています」

「ぐぬぅ、BETAは地下を移動する補給基地を持つと言うのか……」

 それと言うのも、母艦級の主要な役割がBETAの運搬だとは考え難いのだ。母艦級は個体として見れば確かに巨大だが、要塞級その他を搭載しての運用を想定しているにしては小さ過ぎる。正味のところ搭載可能のBETA数は中隊規模が限界だろう。

 もちろん、中隊規模のBETAでも大深度地下からの奇襲戦力として見れば恐ろしいのだが、BETAが奇襲を実行するのは00ユニットからの情報流出後なので、時期的に見て奇襲戦力の運搬用に母艦級を新造した可能性は限りなく低い。

 そして横杭の製作や、大深度地下を侵攻する際に削岩してBETAを先導する為ならば、中心が空洞である必然性がない。敢て運搬能力を持たせた事にはBETA成りの合理性が有る筈で、運搬対象はBETAに限らないと考えられる。

「反応炉の運搬は大きさ的に厳しいでしょうが、第四計画により反応炉はメインコンピューターや通信機の役割も兼ねている事が判明していますので、補給に特化した仮に『補給炉』とでも呼ぶべき代物ならば、反応炉よりも小型で運搬が可能でしょう。そして母艦級の主要な役割が、それだと考えると多くの辻褄が合うのです」

 横浜基地襲撃時にも母艦級は存在したが、突然にハイヴが消滅した為に補給炉の準備――反応炉や補給炉の運転にはG元素が必要だろう――が間に合わずに、大深度地下の削岩役をするのが精一杯だったと思われる。

「更に反応炉と補給炉には『遠隔補給能力』も有ると思われます。その根拠は、横浜基地防衛時に00ユニットの諜報によりBETAのエネルギー保有量が残り4時間分と知れたのにも関わらず、実際には4時間以上の活動を行ったからです。この余剰分は遠隔補給により得たとしか考えられません」

 BETAの活動限界が4時間だとの情報は純夏経由だから確実で、反応炉から直接補給したBETAは爆破で消え去ったのだから、間接的にもエネルギーを補給できると考えなければ、BETAの活動時間が延長された理由を説明できない。

「また、BETAが反応炉に張り付いて補給している場面を目撃しましたが、その際に観測できる物質のやり取りが無かった事も、接触性が必須ではない裏付けに成ってます。大雑把な分類ですが、人類のマイクロウェーブ送電技術に近いのではないかと」

 マイクロウェーブ送電構想のように衛星軌道から地表へなら兎も角、大深度地下から障害物を挟んだ地上へ遠隔でエネルギーを送っている時点で、人類の常識では考えられない超技術だが、BETAの技術が異常なのは今更だろう。

「これらを統合すると、母艦級はBETA群直下の大深度地下を併走していると推測できます」

「それが数ヶ月に渡る侵攻の秘密という訳か……。しかし、大深度地下では手が出せんぞ」

 雷電が指摘したようにそこが問題なのだ。大深度地下どころか余程地表に近くなければ、戦術核弾頭のバンカーバスターを使っても破壊できる可能性は限りなく低い。それでも、付け入る隙は十分に有ると考えるのが第一案の要諦になる。

「仰る通りですが、BETAの行動から見て近いほど補給効率が良い事は疑う余地がありません。要しますに”活動エネルギーを圧迫する事で母艦級を大深度地下から誘き寄せ撃破する”と言うのが第一案の趣旨になります。そして、その相手として最も適しているのは光線属種になります」

 光線属種がレーザーを撃てば活動エネルギーを消費するのは確実であり、レーザーの発射条件はパターン化している。だからこそAL砲弾による戦術が可能なのである。重金属雲を発生させるのと目的こそ違うが、意図的に迎撃させるという面では同じ発想が流用可能だ。

「砲弾を意図的に迎撃させる手法はAL砲弾と同じですが、BETAの殲滅を副次目的ともせず、レーザーを撃たせる事のみが目的です。その為に砲弾の威力は無視できるので、一照射辺りのコストを抑えられます」

 だが、威力を犠牲に出来るとは言っても、射程距離は絶対に維持しなければならないので、砲弾のコストも重量も言うほど簡単に落とせる物ではない。いっそレーザーの迎撃高度以前に砲弾を爆破する事で、破片を全て迎撃させる等の方が効率は良いかも知れない。

「推測の実証や、母艦級を地表に誘き寄せれた場合の撃破方法は、朝鮮半島への大侵攻時に観察と実験をして得るつもりです。しかし問題は、朝鮮半島への大侵攻から日本本土への大侵攻までの間隔が数ヶ月しかない事で、それ以前から準備を始めなければ間に合いません」

 武は衛士の常として母艦級の基礎的な情報なら暗記していたが、レコーダーのデータから夕呼が計算していた詳細な性能に関する数字の羅列までは覚えていない。朝鮮半島への大侵攻時に再発見して観測データを得る事で、対策を講じられるようにするしかないだろう。

 第一案の難点は情報の実証前から予算を使って準備を始める必要がある事だ。いくら上手く行けば史上最小の被害で大侵攻を防げる策とは言え、未検証の情報を元に多くのリソースを割く訳にはいかない。そこで重要になって来るのが、早期に検証できる情報で構成された予備案だ。


――これを補う為、第二案と第三案は確実性を重視しています。






[3876] Muv-Luv Alternative 1991 第25話 武の戦略案弐
Name: 鹿◆15b70d9b ID:cccc3cef
Date: 2011/09/19 23:17
1993年10月1日 京都 煌武院の屋敷 大広間


 武と雷電が話し合いを始めてから、ずいぶんと時間が経ち既に昼食の時間も過ぎているが、人払いをしてあるので呼びに来る者はいない。

「第二案ですが、結論から言えば『降着ユニット迎撃作戦』です。従来の迎撃作戦の失敗要因は、御存知のように降着ユニットの空路算出が非現実的で有る事と、光線属種による正確無比な対空迎撃ですが、ハイヴ建設位置を事前に知り得ていれば少なくとも前者の問題は解決します」

 武は座学で習った全ハイヴの座標――現状では予定座標だが――を丸暗記しており、空間飛翔体を射出可能なフェイズ5ハイヴの数は限られている事から、降着ユニットの空路パターンを事前に算出して置く事は可能だ。

「光線属種による対空迎撃には航路算出を利用して、事前にAL砲弾等を使った緻密な計画を練る事が出来れば、従来の迎撃作戦とは比較に成らない高確率で降着ユニットを撃墜できると考えます」

 この第二案は絶対確実とは言えないが、そもそも大侵攻相手に絶対確実の案など存在しない事を考えれば、保険としては分が良い方になるだろう。

「次の第三案については、第二案の迎撃作戦が失敗した場合の更に保険ですから、確実性を最重要視した『設置反応炉即時破壊作戦』です」

 一見、それが出来れば苦労はしない的な案だが、前提条件によっては十分に可能である。

「これは第二案と同じく、ハイヴ建設予定地を事前に知っている利点を活かした物です。概要としては事前にハイヴ建設予定座標直下に高威力の爆弾を埋設し、降着ユニットから反応炉が下ろされた直後に起爆する事で、フェイズ1時点で反応炉を遠隔破壊します」

 フェイズ1の時点で主縦杭の深さが200mを超える事はまずないので、爆弾の埋設は人類の技術力で可能だ。反応炉との間に誤差分の地層とハイヴの外壁を挟む事になるが、反応炉の直下はODLラインが集中する脆い接続部なので、真下から強力な爆弾を用いれば一撃で決められる。

 外壁に電波が阻害される可能性が有るので、起爆を時限式――建設前のカウント開始と作戦中止時の解除は遠隔――にする必要等の問題点はあるが、BETAにハイヴを完成させない為の最終手段として最も確実だろう。

「甲19号ハイヴの座標が寸分違わぬようなら、両案の前提情報は証明されますので、第一案の前提になる推測交じりの情報が全て誤っていたとしても、最低限ハイヴの完成だけは阻止できる保障になります」

 人類の行動でハイヴの建設座標が変化するなら、武が大陸の戦況に僅かなりとも影響を与えた以上、甲19号ハイヴの座標に誤差が出る筈だ。逆に寸分違わぬようならば、資源を基準に建設座標が決定されている確率が限りなく高く、佐渡島ハイヴの建設座標が変わる確率は低い。

「最大の問題としては、第二案の迎撃ミサイルには核弾頭が、第三案の埋設爆弾には核地雷が妥当だと思われる点です」

「核か……」

 雷電は渋面で呟いた。国土の人口比が高い日本で核使用の代償は大きすぎる。この世界では米国に原爆を投下されなかった日本だが、大東亜戦争が長引けばドイツに続き日本に投下された確率は高いと思われ、核を嫌悪する国民感情も無視できない。

 しかし、海上で空中目標を狙った起爆や、離島での地中起爆ならば、地上目標の広域殲滅を狙った形の起爆とは異なり、放射能の照射範囲は限定され、放射性降下物――汚染された塵や灰――の飛散範囲も段違いに狭まる。

 そして第二案及び第三案が実行される想定状況は、ハイヴが建設される直前かされた直後である事も大きい。国内にハイヴを抱える事態はなんとしても避けるべきであるし、その想定状況さえ作られなければ核は使用されないとして、核使用反対派に対して説得の余地を残してある。

「最終手段としての保険であり、香月博士を説得する為に必要な最低条件でもあります」

 不確定要素の多い第一案に夕呼が納得する可能性は皆無だ。と言うより武の知識から確実な第四計画の完遂が伺える以上は、帝国が単独で甲22号目標建設を阻止できる状況を作る以外、夕呼に横浜ハイヴの反応炉を諦めさせる方法はないだろう。

「お主の存念は第一案の成功にあるのだな?」

「はい。BETAを佐渡島まで侵攻させるつもり等、毛頭ありません」

 第二案や第三案では、全人口の三分の一が死亡した上に全人口の三分の一に近い避難民を、残った三分の一程度の国土に配分した前の世界よりはマシとは言え、事前の疎開政策が成功したとしても、残った半分程度の国土に全人口の半分に近い避難民を配分しなくてはならない。

 しかし、第一案を成功させる事ができれば、全人口の三分の一に近い避難民を、守り切った三分の二の国土に配分できる計算になる。避難民の生活面を考慮すれば限界ギリギリの線だろう。歴史を変えてまで救おう等と傲慢な決意をした以上は、命さえ無事なら良しでは武自身が納得できない。

「ならば……よい」

 武の決意を聞いた雷電は重々しく頷いた。如何に効果的な作戦案を提案したとしても、雷電にしろ帝国の民衆にしろ現実に今を生きているのだから、前の世界より被害が少なければ良い程度の考えでは信頼されなかったろう。

「全体を通した作戦の流れとしては、日本海沿岸の広い範囲から上陸してくるBETAに対して、水際防衛は戦闘開始当初のみに限定し、その後は帝国軍による遅滞戦闘に切り換える事でBETAの侵攻速度を遅らせ、この間に海軍の支援を受けた斯衛軍により第一案を完遂する、と成ります」

「お主は第一案の完遂までに、どこまで食い込まれると見る?」

「最終防衛線は、京都の兵庫側府境から和歌山沿岸にかけてを考えています。恐らくは最終防衛線での攻防も必要になるでしょう」

 ちなみに第二案及び第三案ならば、京都を放棄して琵琶湖運河沿いに展開する事で、BETA群の切っ先を奴らの目的地である佐渡島方面に逸らし、東海地方を死守するのが最善になる。最初から京都放棄前提は表向き不可能なので、万が一の備えとして内々にだが……。

「そこまでか……。博多は無理でも広島は何とかならんのか?」

 この辺は根本的な状況認識が違うから仕方ない。如何に雷電が聡明でも、京都以西を放棄せざる得ない状況を簡単に想像できる訳がない。むしろ武の不吉すぎる予測を聞いても、冷静に話しを続けられるだけで大人物と言える。

「全軍を磨り潰せば可能かも知れませんが、常道に外れようとも戦力を温存せねばならぬ理由として、補給炉を破壊した後のBETAの行動が問題です」

 国土を犠牲にする時点で外道だが、止むを得ない事情が有る。

「そのまま活動エネルギーが尽きるまで進み続けるのならば、活動エネルギーが切れるまで護り切れば良いだけですが、反応炉破壊時の例から考えるに最も近いエネルギー補給地、つまり朝鮮半島の鉄源ハイヴに撤退する可能性が高いのです」

 場合に因っては大戦の歴史上、最悪のシナリオが到来する。

「出発地が重慶ハイヴで退却先が鉄源ハイヴになりますと、残存BETA群が加わる事で鉄源ハイヴが飽和に近づきます。鉄源ハイヴが建設される時期は帝国本土侵攻の数ヶ月前ですから、一気に飽和量に達する可能性は低いと考えますが、出来るだけ速やかに間引き作戦を実行する必要性が生じます」

 さして間を置かないBETAの連続大侵攻……正に悪夢。

「間引き作戦には他国の助力も請うにしても、朝鮮半島防衛戦から間が無い事も有りますので、帝国が纏まった戦力を供出せねば作戦実行は覚束ないと考えます」

 それに防衛戦や間引き作戦より、補給炉を破壊してからの追撃戦の方が遥かに効果的なので、なるべく鉄源ハイヴに入るBETA数を減らす為には、追撃用の戦力までを磨り潰す訳には行かない。もちろんBETAが撤退しない場合には投入するが。

「その為には、九州と西日本を犠牲にせねばならぬのか……」

 連続大侵攻の脅威を考慮しても、惜しい物は惜しいのだろう。

「一時はBETAに占拠されようとも、国土が荒野と化さぬ僅かな期間ならば戦後復興は可能だと考えます。最長でも一ヶ月以内にBETAを本土から叩き出して御覧に入れる所存です」

 そもそも一ヶ月以上掛かるようなら第一案は失敗だ。

「建築物は破壊されても、大地を穢される前に奪還できる……か」

 BETAに占拠された土地は最終的に、山や川を平らにされ表土までも奪われる。しかし、そこまでするのは如何にBETAであっても年単位の時間を要するので、土地を明け渡す期間が戦闘続行中の一ヶ月未満で有るならば、植生まで破壊され尽くされる可能性は低く、ある程度は自然回復も期待できる。

「はい。そして最も重要な国民の生命と財産は、事前の疎開政策に掛かっています」

 これに失敗すれば民間人の死者が激増するどころか、帝国軍の作戦展開にも支障を来たす。遅滞戦闘を行うのには素早い後退判断が求められるが、それは民間人の避難状況を気にしながらでは到底望めない。

「疎開政策か……それすらも容易ではないな」

 現在の帝国の政治状況が頭によぎったのか、雷電は苦く呟いた。

「疎開政策を実現する為の政略としましては――――」

 政略条件が整わなければ戦略的自由は無いに等しい。武の提案した政略は未来情報を元にしているとはいえ強引な上に、交渉や調整を雷電や榊首相に丸投げした物だったが、武の情報や予測が正しく機能している限りに置いては、その方向で進める許可を煌武院家当主である雷電から得る事が出来た。

(……これで榊首相と直接交渉できる)

 ここで雷電の説得に失敗して何とか悠陽にフォローして貰っても駄目なようなら、それこそ煌武院家を出て榊首相の所にでも転がり込む――受け入れて貰えるか怪しいが――しか無かったろう。武がいくら未来を知っていると言っても、権力者に信用されなければそれまでだ。

 一手を間違うだけで容易く積んでしまい、それが帝国の命運すら左右してしまう状況に、武は十分に鍛えているはずの胃が痛くなるのを感じた。夕呼の指示に不満を持ちながらも従って居た頃の何と楽だった事か、今は全て己が主体的に動かなければ成らず重圧は段違いだ。


1993年10月2日 京都 煌武院の屋敷 自室


 その日も政戦両略に頭を悩ませていた武の部屋に、珍しく真耶が命令を携えて来た。

「技術廠に出向するまでの間、私に代わり悠陽様のお傍役に就いて貰います」

 悠陽の近侍として傍仕えは当然の任務で、今まで免除されていた方が異例なのだが、真耶と一緒にではなく代わってというのが少し不自然だ。真耶が態々外れる理由が思い浮かばない。

「私だけで、ですか?」

 聞けばXM3の調整で技術廠に出向く必要が有り数日は外せない、との事だ。真耶が悠陽の傍仕えより優先するとは意外だが、XM3の重要度を考えれば仕方ないかと納得した。それに武を信頼しているという証でも有るのだろう。

「しかし、問題はないんですか?」

 摂家の傍仕えは赤だと思われている所に黒が居れば、悠陽と会うなりする相手が軽んじられたと感じる可能性は否定できない。その辺を気にして確認した武だが、ここ数日の予定は私的な物――完全に公でないとも言えないが――と聞いて安心した。

「それでは、くれぐれも宜しくお願いします」

「はい。全力を尽くします」

 と言っても気を抜いて良い役目ではないので、真耶の確認に武は神妙に頷いた。


――それにしても京都交響楽団か……どこかで聞いた事があるような?






[3876] Muv-Luv Alternative 1991 第26話 出向前の日常
Name: 鹿◆15b70d9b ID:cccc3cef
Date: 2010/08/05 18:33
1993年10月5日 京都コンサートホール 大ホール三階の貴賓席


 武が悠陽の傍仕えを始めて数日、この日は京都コンサートホールの完成披露公演を観覧に来ていた。

 京都コンサートホールは、平安京建都1200年記念事業の一環として、三階建ての大ホールとアンサンブルホール、その二つホールを備えた演奏場として1995年の竣工が予定されていたが、戦況悪化で予算確保が難航した事も有り、計画は三階建て大ホールのみに縮小された。

 それに加えて大陸からの帰還兵を慰撫する施設としても活用する為、竣工時期は前倒しされ1993年の九月中に完成した。完成披露の初日は皇帝陛下と将軍殿下も臨席の上で公演が行われ、大陸からの帰還兵は無料で招待されている。

 私的名目で悠陽が観覧しているのは、同席している将兵に対して労いの気持ちを表すのはもちろんとして、現在のような情勢下では娯楽要素の含まれる行事を、自主規制する風潮が生まれかねないので、日本帝国は次代にあっても音楽を含む文化の振興をし続けると示す為でもある。

 こういう一見正論に聞こえる事を声の大きな人間が言い立てると、前線の兵士に対する罪悪感から多数意見ではなくとも主流になってしまう危険性が有り、それを防止する為に悠陽は様々な文化行事に出席する事で、主催者には大義名分を、参加者には免罪符を与えている。

 他と違い音楽には軍歌が有るので、その物自体をどうこう言われる事は少ないが、逆に士気高揚に繋がる曲に限定すべきだとする意見は出易い。しかし、前線の兵士が求めるのは勇ましい曲ではなく、悲しい曲や故郷を懐かしんで泣けるような曲で、帰還兵が求めるのは寂しい曲や穏やかな曲だ。

(苦しい時こそ心の安寧が第一ってのは、俺にも言えるわけか)

 強張った心を揉み解してくれるような演奏を聴きながら、武はしみじみと思った。考えてみれば桜花作戦の数日後にこの世界に転移して来て、それから休みなしで未来を変える為に奔走していたのだから、武の精神状態が大陸からの帰還兵と大差なくても不思議はない。

(二人に感謝しないとな)

 何故か悠陽の隣に武の席が取ってあった事からして、根を詰め過ぎている武を休息させる為に、傍仕えの件は悠陽と真耶が計ったのだろう。傍仕えが最後の盾であることは確かだが、基本的には秘書的役割が主で護衛は他にも居るので、二人の意を酌んだ武は演奏に聴き入る事にした。

「生で聴くのは初めてですけど、なんと言うかスゴイですね」

 オーケストラの演奏なんて日曜日にテレビで見かける程度で、それもチャンネルを直に変えていた武だったが、コンサートホールで聴けば流石に迫力が違う。御剣財閥の絡みでも何度か演奏を聞いた気もするが、落ち着いて聴いていられない状況ばかりだったのでノーカウントだ。

「強引だったかと気を揉んで居ましたので、安堵いたしました」

 二人が座っている場所は周囲から離れた貴賓席なので、演奏の合間に小声で会話する程度は問題ない。武の感想は表現力に乏しい素人らしいものだったが、それでも感謝の気持ちは十分に伝わったようで、悠陽は安心したように微笑んだ。

「最近は行き詰まり気味でしたから、良い気分転換になりました」

「そうでしたか、それならば何よりです」

 その後は悠陽があれこれと演奏の合間に武に解説して、普段ならこの手の高尚な話は勘弁して欲しいと思う武だが、聴く直前直後に分かり易く話されれば興味を持って聞ける。つまり並んで座って歓談しながら演奏を聴いているのだが、状況がデート同然とは思い至らないのが武だ。

 両者の想いに若干のズレは有れども、二人は楽しい時を過ごし全ての演奏が終了した。今後の予定としては公演を行った楽団の指揮者とその家族が挨拶に来て、暫し悠陽と歓談する事になっている。



 余韻を味わい終わった頃合に、護衛が伊隅夫妻を先導して来た。

「伊隅一家をお連れしました」

 夫妻に付いて来たのは娘のやよいで、武の方は想定していたが。

「武君っ!? ……失礼しました」

 無理もないが、やよいの方は完全に予想外だったようだ。

「構いません。武殿、お知り合いでしょうか?」

「はい。帝国大学初等部に在学中、お世話になりました」

 態々振り返ってから問う悠陽に対して、武は気軽に答えた。

「そうでしたか……。武殿に助力して下さったのならば、わたくしからも礼を言うべきですね。感謝致します」

「いいえ、とんでもございません」

 悠陽が丁寧に礼を言ったので、やよいは恐縮しきりだ。そして会話が途切れた所で、やよいの父親が助け舟を出すように口上を述べる。

「この度は煌武院様に御臨席戴き――」

 それから家族の事を簡単に紹介すると、悠陽とクラシック談義を交わして歓談は無事に終了した。



 伊隅一家が退席した後、悠陽は目を伏せて呟く。

「わたくしは未熟者です……」

 そして何かを振り切るように目を開けた。

「わたくしは暫し休んでおります故、武殿は久方振りに再会した様子の方と、旧交を温めて来られては如何でしょう?」

 逡巡した武だが、悠陽が先の対応を後悔しているようなので頷いた。

「……すみません。直に戻ります」

「急がずとも、よいのです」

 その言葉に反して悠陽の声は寂しげだった。


1993年10月5日 京都コンサートホール エントランスホール


 武が伊隅一家に追い付いたところ、夫妻は気を使ったのか会釈だけして立ち去り、やよいとはエントランスホールのソファーで話す事になった。

「挨拶もなく帝大を辞めてしまい、すいませんでした」

 事前に予告できる状況になかったとはいえ、世話になって置いて無言で去った事は謝罪すべきだ。

「いいのよ。ちゃんと言付けは受け取ったわ」

 そう言いつつも、やよいが苦笑しているところを見ると、どうも左近本人が伝えに行ったようだ。その際に左近がどんな振る舞いをしたのかは想像に難くない、武は普通の相手への使いとしては人選を誤ったかと後悔した。

「その、他に伝言を頼める人がいなかったもので……」

「ふふっ、いろいろ……有ったみたいね。任官おめでとうございます」

 武の年齢で任官は志願意外に有り得ない――武は志願年齢にも達していないが――ので、やよいは祝いの言葉を述べながらも複雑そうだ。

「ありがとうございます。そちらの皆さんは変わりありませんか?」

 やよいの妹は前の世界で散々世話になった上官なので、武としても近況は気になる。

「ええ、お蔭様で家族はみんな元気よ。そうそう、妹の誕生日が13日で簡単なホームパーティーを開くのだけれど、良かったら武君も来てくれないかしら? 妹達に武君の話をしたら興味を持ってしまって」

 興味云々の理由も嘘ではないのだろうが、やよいは武の事を心配して誘っていると思われる。

「残念ですが、数日後から長期の任務が有るので行けません」

 武としても息抜きの重要性を実感したばかりだし、現在のみちるに会って見たい気持ちも有るのだが、13日では既に技術廠へ出向している。

「……そう、残念ね」

 誕生会の誘いを断っただけにしては、やよいの表情がやけに暗くなったのを見て、武は誤解させてしまった可能性に思い至った。任務内容は言えないにしても、この誤解は解いて置くべきだろう。

「えーと、国内の任務です」

 やよいは明らかにホッとした様子なので、やはり誤解していたらしい。

 帝国は九-六作戦での被害を受けて、大陸派遣軍の再編成を実行中だ。この演奏会からして帰還兵の慰撫が目的であり、少し考えれば帰還した人数分は新たに出征する人間が必要だと察せられる。この状況で長期任務と言えば、大陸への出征だと誤解されても仕方ない。

(周りに気を使われてばかりだ。そんなにオレって疲れて見えるのかな?)

 そして悠陽が気がかりになって来た武は、話を切り上げる事にした。

「それでは、また機会があれば誘って下さい」

「ええ、またね」

 武が一礼して言うと、やよいも察したのか明るく送り出してくれた。


1993年10月5日 京都 煌武院の屋敷 悠陽の居室前


 武は貴賓席で待っていた悠陽と合流して、その後の予定を消化してから煌武院の屋敷に戻って来たのだが、アレ以降の悠陽は精彩を欠いているように見える。

(真耶さんだったら上手く慰められるんだろうけど……)

 そして武は悩みながらも良案が浮かばず、終点である悠陽の居室前に着いてしまった。

「本日も傍仕えの任、大儀でありました」

 僅かに寂しさの滲む微笑みを浮かべながらも、自分に労いの言葉をかけてくれる悠陽の姿を見て、どうせ器用な真似など出来ないのだからと、武は直球勝負に出る事にした。

「悠陽様に気掛かりがあるのならば、なんでも言ってください」

 悠陽は唐突な申し出に驚いたようだが、熟考してから意外な質問を口にする。

「……武殿は、齢幾つになりましょうか?」

 こうして神妙に尋ねる以上、肉体年齢の事ではないだろう。

「年齢ですか……。正直なところ、自分でもハッキリしないんですよ」

 武は苦笑しながらも、なるべく誠実に思いを打ち明けた。

「主観時間では23年近く生きてる計算になりますけど、前の世界では同期と同い年のつもりでいましたし、特別に意識しない限りは先任の事も年上だと認識していました。現在は自分を9歳だと思ってる訳ではありませんが、かと言って二十歳を超えた実感もないので、精神年齢は18歳辺りで止まってるような気がします」

 年月分の成長をしていないようで情けないが、偽らざる本音である。

「……ではっ! わたくしが武殿に追い着く事が叶うのですね!」

 その意味を理解したらしい悠陽は一転して顔を綻ばせる。

「むしろ追い抜かれそうな気がします」

「ふふ、武殿と同い年と成れば十分ですよ」

 何はともあれ、武は悠陽の翳りを拭う事に成功したようだ。

「時に武殿、今後は軽々しく“なんでも”等とは仰らないで下さいね?」

「いや、あの……わかりました」

 交友関係で進退窮まる事態に遭遇すると、気軽に『なんでも言う事を聞く』を使ってしまう武だが、妙な迫力を醸し出す悠陽に気圧されたのと、似たような注意を以前にも誰かにされたような気がして、理由は判然としないないながらも素直に頷いた。


>>唯依:Side<<


 唯依は京都駅の六番線乗り場で舞鶴からの電車を待っていた。他にも出征から生還した将兵を出迎えようと、それぞれの家族が大勢詰め掛けている。しかし、場の雰囲気は喜び一色とは言えぬ複雑なものに成らざる得ない。

 中には紙切れ一枚の死亡通知では納得し切れず、この場に一縷の望みをかけて来ている人もいるのだ。その人々の切迫した顔を目にしてしまえば、いかに嬉しくとも浮かれる気には成れない。

 やがて目当ての電車が到着し、唯依の待ち人が降りてきた。


――叔父様っ! ……お帰りなさい。






[3876] Muv-Luv Alternative 1991 第27話 次席開発衛士
Name: 鹿◆15b70d9b ID:cccc3cef
Date: 2010/08/05 18:35
>>唯依:Side<<


 巌谷の帰還祝として唯依は、篁の家で手料理を振舞っていた。

「うむ、美味い! 料理上手になったな唯依ちゃんよっ!」

「あちらでは難儀されたでしょう、お代わりも有りますよ」

 前線の食事は合成食材で、雑に調理された物と相場が決まっている。

「遠慮なくいただくさ。これなら将来は婿を捉まえ放題だなっ!」

「巌谷の叔父様っ! からかうなら御代わりをお出ししませんよ」

「ふはははは、すまんすまん。兵糧攻めは勘弁してくれや」

 唯依はそっぽを向いて拗ねた振りをしながらも、巌谷が豪快に料理を平らげていく様子を横目で楽しげに見ていた。

 帝国初の国産改造機である『瑞鶴』の開発主査(チーフエンジニア)だった父親が亡くなり、後を追うように母親も亡くした唯依にとっては、母の兄であり父の親友だった巌谷は唯一残された家族であり、無事に再会できた事が嬉しくて堪らないのだ。

「ん、唯依ちゃん。髪紐を変えたのか?」

 唯依がそっぽを向いた際に見慣れない髪紐が揺れ、それを目に留めた巌谷が尋ねた。あの髪紐は唯依にとり母親の形見とも言えるもので、そうそう他の物に代える事は有り得ない。

「……あれは稽古中に切れてしまったので、今は仕舞って有ります」

「そうか、また同じような事がないとも限らんから、その方が良いかもな」

 元々母親の形見を肌身離さず身に付けて居る為に、唯依は形見である着物の帯締め紐を髪紐として使っていたのだが、並の布よりは遥かに丈夫とはいえ布製の紐である以上は、激しい動きに耐えられず切れてしまう事もある。

「あいつは、そういう帯締めも持っていたのか」

「その、あの、これは、母の物ではないのです……」

 巌谷が妹の趣味とは違う気がする帯締めを見て呟くと、唯依は顔を赤くして急に慌て出したので、その様子を見て巌谷はピンと来た。

「そういえば、手紙に同居人――これは白銀武だな?――と一緒に朝稽古をしていると書いて有ったな。さては……その時に紐が切れて、責任を感じた白銀が代わりの紐を寄越した。ってところだろう」

 姪をからかう為に巌谷が働かせた推理は、完璧に正解である。おまけに、武が唯依に代わりの髪紐を渡した日は3月13日であり、偶然にも唯依の誕生日だったりする訳で、もう流石は恋愛原子核と言うしかない。

「はい……贈って頂いたのに、その……付けないのも悪いかと」

「そうかそうか、まあ仲良くやっているようで、何よりだ」

 唯依の事だから武に責任を感じさせない為、髪紐が母親の形見とは言わなかったなと巌谷は中りを付けた。だからこそ武も気軽に代わりをと贈ったのだろう。唯依らしい自爆だが、悪いことではないと巌谷は思った。

「はい。皆さん、とても良くして下さいます」

「もう分家と揉める事もないだろう。あの二人も安心してるはずだ」

 将軍の世俗への影響力が薄れているとは言え、武家社会が将軍家を中心に成り立っている以上は、武家社会に対する摂家の影響力は未だ絶大である。

「全て叔父様のお蔭です。ありがとうございました」

「なんの、俺はお前さんの親代わりだぞ? 娘の面倒を見るのは当然だ」

 そうして巌谷は豪快に笑ったので、唯依はテレながらも微笑んだ。

「白銀武と言えば、その後、見学の方はどうなっている?」

「毎日のように見学させて頂けています。それと――」

 巌谷は軍人の顔になって尋ねる。検閲されて当然の前線基地への手紙では詳しく書けなかったので、武に概念機動教導のモデルケースになるよう望まれて、それを承諾した事を唯依は説明した。

「そうか……あの年齢にしてあの才気ならば、己の技量で有用性を証明しようと考えそうなものだが、既に普及を考えているとは……本物だな」

 年齢が一桁の人間が考える事ではないと、巌谷をして唸らされる。

「だてに摂家で、下にも置かれぬ扱いをされては居ないという訳か……」

「ですが、武家で白銀家とは聞いた事も有りません。斯衛軍服も黒でした」

 武の正体に話が移ったので、唯依も疑問に思っていた事を呟く。

「出自を隠しているのかもな……まさかっ! 煌武院家の双子っ!?」

「そういえばっ! 白銀少尉の誕生日は悠陽様と同日らしいです」

 どんどん二人の推測が在らぬ方向に流れているが、なまじか類似性が有る上に、よほど真実の方が数奇なので仕方ない面もある。男女の双子で片割れを養子に出すならば、武家の常として男の方を残しそうなものだが、そこは“知り得ない事情が有った”と考えれば憶測は可能だ。

「……邪推は止そう。俺は黒の斯衛軍少尉として扱う事にする」

「はい……私も近侍の先輩とだけ考える事にします」

 触れては成らない部分と考えた二人は疑問の追求を止めにした。ある意味で勘違いが固定されたのかもしれないが、武の事を探らない方が良いのは正解ではある。どんな出自だとしても相手が隠しているなら、軍人としての付き合いは階級基準で問題もない。

「唯依ちゃんの婿候補にどうかと思っていたので複雑だが、先はどうなるかも知れんから芽は有るな。お前さんも憎からず思っているのだろう?」

 手紙の行間を読めば、唯依が武に好意を持っているのは明白だった。

「それは、お世話になっていますし、立派な方だとも思いますが……」

 自分の方が年上だし等、唯依は否定的な事をぶつぶつと並べている。

「おいおい、唯依ちゃんよ。さっきから、ずっと髪紐を弄っているぞ?」

「――っ! これは昔からの癖ですっ!」

 巌谷が笑いを堪えながら指摘した己の状況に対して、唯依がムキになって反論した癖は本当だが、頬を染め俯きながら武から贈られた髪紐を弄っていれば、唯依の本心は誰の目にも明らかだろう。

「まあなんだ。世話になっているのなら、一度礼として手料理でも食わせてやればどうだ? 俺もあちらではXM2のお蔭で命拾いしたしな」

 お蔭で命拾いしたとは、新兵器に対する最大級の賛辞である。

「叔父様が、そこまで言われるほどの物だったのですか?」

 今や武の事も尊敬している唯依だが、さらに敬愛する相手である巌谷が手放しの称賛をした事には驚かされた。

「XMシリーズは国産……いや、いずれは全ての戦術機に影響を与えるまさに革命的なOSだ。俺の予想より半年以上も早く不知火の調整を仕上げた事といい、末恐ろしくも頼もしい人材だな」

 神妙な顔で話していた巌谷だが、一転して破顔すると唇の端をあげた。

「そういう訳で俺としても、白銀武との繋がりは太くしたい」

 つまり恥ずかしいのならば、自分を出汁にしても構わないという意味だ。

「あの、その、えぇと、出向直前でお忙しいようですから……」

 巌谷は出向前だからこそ強い印象を与えるべきだと思ったが、いっぱいいっぱいになっている唯依を見て潮時を悟った。武家の人間は15歳で元服して任官するとはいえ、この手の事で唯依は年齢以上に奥手なのだから、けしかけるのにも限界が有る。

「そういう事なら仕方ないな(競争率が高くなる前にと思ったのだが)」

「はい。いずれ機会が有りましたら、叔父様がご一緒の時にでも」

 明らかにホッとした様子で自分も誘う唯依を見て、巌谷は先が思いやられるなと密かに嘆息した。そして思い当たった事例に考えを巡らす。

(白銀武の技術廠出向と言えば、いわく付きで高等練習機の次席開発衛士になったと聞く。練習用の主機と実戦用の主機の両用・両立とは、いつも通り上は無理難題を軽く言ってくれる。不知火の原型機を元にしているとはいえ、調整に何年かかるか知れたものではないぞ。しかし、開発衛士が白銀武なら或いは……)

 その後は食事をしながら、唯依は武の概念機動を見学した感想について、巌谷はXM2を体験した感想について詳しく話した。その結果として二人の武への評価は、本人の認識を置き去りにするほど上昇した。


1993年11月17日 京都 帝国陸軍技術廠 第壱開発局


 武が第壱開発局に出向してから、一ヶ月と少しの日数が経過した。

「はあ……はあ……ぜはあ……はあ……はあ……ぜはあ」

 高等練習機の次席開発衛士を拝命した武が現在なにをしているかと言えば、実験機を操縦して試験項目の消化……ではなく、ハンガーで走り込みと腕立て伏せをしていた。何故に開発衛士が訓練兵のような真似をしているのか、もちろん相応の理由が存在する。

(考えが甘かったな……)

 真耶から開発衛士が必要とする技術知識を学んでいた武だが、その程度の付け焼刃は専門の開発衛士から見れば無知同然だ。必然的に何度となく“こんな事も知らないのか”となり、その度に帝国陸軍所属で主席開発衛士の長瀬大尉からは、体力強化系の罰を与えられている。

(これほど体力で苦労するのは、初めて訓練兵になったころ以来だ)

 この世界に来てから鍛え続けているとはいえ、年齢的な限界から武が体力不足なのは確かで、長瀬大尉は体力作りを必要な事と考えているのだろう。しかし、武の目的は未来情報を活かしたカンニングであり、真っ当な戦術機開発ではないのだから、これでは先が思いやられる。

(皮算用をし過ぎていたか……)

 不知火の時は途中参加の上に外部からのシミュレーター開発で、開発期間を半年以上も短縮する事に成功したのだから、最初から実機で開発に関われる吹雪でなら、年単位で開発期間を短縮できる可能性も有ると踏んでいた武だが、出向で実機という点を甘く考えていた。

(オレにも一応は言い分が有る)

 武の知識経験体力が不足している事なんて、本人も含めて技術廠全体が先刻承知している。だからこそ武は不知火での実績を考慮され“次席”開発衛士に任命された。知識経験体力が豊富な主席が開発全体を主導して、特殊な才能を持つ次席が補佐するというのが上の意向だ。

(ただし、そう現場は思っていなかったりするんだよ)

 結論から言えば武は不知火で結果を出し過ぎた。原型機を同じくする吹雪の開発であるから、当然のように多数の技官が不知火開発時と同一人物であり、武が不知火で成し遂げた奇跡的を体験している。その経験から技術者陣は、武が主席開発衛士で有るかのように扱うのだ。

(そりゃ長瀬大尉も、主席扱いされるなら相応しい能力を持てと思うだろ)

 さらに人間関係を複雑化する要素として、件の長瀬大尉も不知火開発からの継続組みであり、不知火の主席開発衛士をしていたのだ。武の活躍で停滞状態を打破した事実について、技術者達は武を手放しで賞賛する事が出来たが、同業者である開発衛士達の立場は……。

(親しくしてくれる整備兵に聞いたけど、散々言われたらしい)

 大人が雁首揃えて足踏みしている状況を、子供が出て来て簡単に解決してしまったのだから、役割の違う技術者達は兎も角として開発衛士達は当然“今まで何をやっていたんだ”と言われた。実情を知らず考えもしない人間から見れば、不知火の開発衛士達はとんでもない無能になる。

(これを完全に割り切れと言うのは、人間の限界を超えてる)

 開発初期の危険な状態から最終調整まで漕ぎ着けたのも、最終調整が終了した後に大陸で実戦証明をして来たのも、全て不知火の正規開発衛士達であり、武は未来知識で功績を掠め取ったに過ぎない。もし介入しなければ、前の世界と同様に彼らが不知火を完成させたはずだ。

(知りよう無い後半はともかく、前半だけでも憎まれて当然だ)

 今まで人も羨むエリートコースを歩んで来た長瀬大尉は、ここぞとばかりに手酷く誹謗中傷されたようだ。英雄の誕生に犠牲は付き物とも言われるが、結果的に彼は、白銀武を世に知らしめる為の生贄とされた。この前提を念頭に置けば、長瀬大尉の言動は十分以上に理性的と言える。

(夕呼先生に言わせれば、これぐらい温い方なんだろうけど)

 最も優先されるべきは、長瀬大尉の立場でも武の罪悪感でもなく、吹雪の開発を一刻も早く完了させる事だ。第三世代練習機の早期配備による訓練効率化と、吹雪の実戦配備計画が衛士達の生命を左右する事はもちろん、開発期間を短縮できれば国民の血税を大幅に節約できる。

(オレが長瀬大尉と話し合うと、状況が逆に悪化しそうなんだよな)

 必死に理性的であろうとしている相手を刺激するのは危険だ。しかし現在の武には、実機搭乗以外に体力を使う余裕など欠片も無いので、どんな手を使ってでも早急に問題を解決する必要が有る。どれほどに理不尽だとしても、吹雪の完成形を知る武以上の開発衛士は存在しない。


――新任の第壱開発局副部長に呼び出されたのは、そんな最中だった。






[3876] Muv-Luv Alternative 1991 第28話 国産戦術機論
Name: 鹿◆15b70d9b ID:cccc3cef
Date: 2010/08/05 18:36
1993年11月17日 京都 帝国陸軍技術廠 第壱開発局


 武は第壱開発局・副部長からの出頭命令を受け、第7ブリーフィングルームに来ていた。

「白銀 武少尉、ただいま参りました!」

「うむ。久しいな白銀少尉、まずは任官おめでとう」

 武の敬礼に答礼する新任の副部長は、巌谷榮二その人だ。

「は、ありがとうございます」

 再会の挨拶が終わると、巌谷は眼光を鋭くして単刀直入に切り出した。

「貴様も知っての事だが、高等練習機開発計画は議会承認を得る為の方便に過ぎず、帝国軍の一部は撃震の代替機として実戦配備を目論んでいる。だが、俺には無謀な計画に思えてならん」

 巌谷が実戦配備計画について軍の一部はと言ったように、軍内部には吹雪の両用計画を疑問視する声も当然のように存在する。そして巌谷は自身もそうだと明かしたのだ。こと戦術機開発に関して、巌谷の影響力は帝国内で隔絶している。そこに思い至った武は肝が冷えるのを感じた。

「そこでだが、貴様に幾つか問いたい事がある」

「は!」

 ここで受け答えを誤れば吹雪の実戦配備計画その物が頓挫し、開発方針の変更すらも有り得るだろう。武は自分が次席開発衛士になって開発を促進するだけならば、吹雪の開発計画は前の世界と同じ路線で進むと思い込んでいたので、またしても己の見通しの甘さを痛感した。

 この件に関する前の世界からの変化は、XM2が搭載された事で不知火の評価が高くなった事だ。その結果として、軍上層部の関心と優先順位に変化が有り、前線指揮官の不足よりも新兵器開発促進の方が優先されるようになったので、巌谷の帰還と技術廠復帰が年単位で早まったのだ。

「まず最大の問題は、開発期間の延長により高等練習機の配備が遅れる危険性だ。教育総監部からは一刻も早い練習機の配備をと、非常に切実な要望が来ている」

 実戦機と練習機の最も重要な差異とは主機の燃費にある。訓練時の扱い易さや部品の磨耗を抑える目的も有るが、低出力主機を使う最大の理由は消費燃料を抑制する為だ。全国の訓練校で行う実機訓練の燃料調達に、総監部が四苦八苦している現状を鑑みれば切実さは窺い知れる。

 一度実機での操縦感覚を身に付けてしまえば、以後はシミュレーター訓練を中心に、感覚が鈍らない程度の実機訓練を行えば良いのだが、その感覚を掴む為、教習の最終過程では徹底的に実機訓練を行うので、訓練兵が教習を終えるまでに消費する燃料は凄まじい量になる。

「訓練兵の教習に使うのはもちろん、今後各地で行われる事になる不知火への機種転換訓練にも使いたいとの事だ。俺自身も機種転換には梃子摺ったからな、間に第三世代の高等練習機を挟むのは有効だろう」

 超一流の衛士である巌谷が梃子摺ると言う事は、一般的な技量の衛士にとり不知火への機種転換は、世代を跨ぐだけにハードルが高い。現在は陽炎に乗っていたエース級か、瑞鶴に乗っていた斯衛衛士を中心に配備されている不知火だが、何れ一般化する為にも練習機が必要だ。

「次に実戦配備計画の実現性が疑問だ。例え実現するにしても撃震が耐用年数に迫る時期となれば、主機を換装してまで実戦配備する相対的価値が残っているのかには……不知火と共通する拡張性の問題もある」

 既に不知火系列の拡張性を問題視しているとは、流石は巌谷榮二だ。

「これらの問題を総合的に勘案して、高等練習機の用途を訓練に絞るならば、開発期間の短縮から早期配備に繋がり、実戦想定装備が不要になり生産性も向上する。更に訓練専門機なら拡張性も問題にならない。これだけの要素が揃い政治的な軋轢を承知で、貴様は実戦配備に拘るのか?」

 前の世界で吹雪が辿った未来を正確に予測した上で、巌谷榮二は武に問うている。両用機の完成品に搭乗していた経験が有るので、訓練専門に変更した方が調整に時間を費やす事になると言えれば楽なのだが、巌谷に対して武は、未来情報を抜きで答えなければならない。

「まず開発期間に付いては、不知火の開発協力時と同等の成果をお約束します。次に実現性ですが、性能評価面ではXMシリーズが突破口になると考えています。政治面の考えも有りますが現状ではお話できません。拡張性の問題は、性能向上面だけを考えた場合で有ろうと愚考します」

 前半は大よそ予想していたのだろうが、巌谷は後半に興味を示した。

「ほう……面白そうな話だ。詳しく聞かせて貰おう」

 巌谷は楽しそうでは有るが、下らない話なら許さんと目が言っている。

「はい。開発中の高等練習機は実戦と練習の両用機として、運用コスト面で優れた機体に成り得ますから、直接的な性能向上が難しくとも、生産性や整備性を改善する事で、費用対効果を上昇させる改良は可能です。将来は第二世代機並みコストで製造できる、第三世代機にと考えています」

 第二世代機を準第三世代性能にアップグレードするフェニックス構想とは真逆だが、それだけに発想としては近似している。同構想は機動力を強化する事で展開能力を向上させる有用性の高い物だが、XM3搭載を前提とした戦線構築機には第三世代の運動性能こそが求められる。

 フェニックス構想と武の発想は、どちらの方が優れているという話ではない。高速展開能力を得て援軍の到着速度を優先するか、援軍の到着まで耐えうる運動性能と総力戦状態での戦力を優先するかであり、どちらの立場になる場面が多いかに拠る米国と帝国の運用思想の違いである。

「ふむ、そこまで言うなら輸出も考慮の内だろう。食い込めると思うか?」

 大風呂敷を広げた甲斐も有って、武は巌谷の興味を引く事に成功した。

「手前味噌ですが、それだけの価値がXM3には在ると愚考します」

「試作品は俺も使ってみたが、確かにアレを実機に詰めればな……」

 現在の戦術機輸出市場は米国産機による独占状態であり、他国の戦術機は軍事援助的な輸出か、隙間産業的な輸出以外は成り立っていないのが実状だ。この寡占市場に食い込もうと思えば、それこそXM3のような奇跡に頼る他ないが、成功した時の利点は売却益だけではない。

 シェア拡大によるスケールメリットは絶大な物があり、例えばFー15の異常な発展性の高さにしても、交換部品の安定供給を含む整備性や豊富なアフターパーツに裏打ちされている。更に実機の配備数と生産ラインの数が増えれば、比例してトレードオフする改修費用額も増大するのだ。

「小官は第三世代機だからとて、全てが高機動である必要は無いと考えています。BETAの奇襲は恐るべきものですが、最も恐るべき物量に対しては戦線を構築して塞き止める必要が生じ、その場に求められるのは運動性能と瞬発力です。同機は巡航速度を削りコストを抑えた最適と言える戦線構築機であり、XM3を搭載すれば費用対効果は世界一と考えます」

 全軍を高機動機で揃えるのはコスト的に不可能だし必要もない。戦術機には全天候性と、多目的任務への適応力が求められてはいるが、武からして見れば戦術機なんて立って歩くだけで奇跡みたいな代物だ。ある程度は用途を絞った上で、計画を練るのが当然だと思っている。

 何処にでも戦線を構築できる能力、何処にでも急速展開できる能力、どのフェイズのハイヴでも突破力を発揮できる能力、これらの中から一つの機能に絞った方が陸軍機は効率的である。しかも前者二つは部品が共有できる同系機で、後者は別途運用であるから尚更だ。

「XM3の性能で関心を集め、両用機である事を目玉に輸出攻勢を仕掛け、各国でハイローミックスのローを担当させるのが狙いか……」

 ハイに当たる高機動機には当然、地下奇襲を初めとしたBETAの奇襲に対応する緊急展開能力や、戦線の脆い部分を補填する機動防御に必要な高い機動力が求められるので、それこそ巡航速度は幾ら有っても足りない。この辺は将来的に不知火では物足りなくなるだろう。

 ただし不知火の問題点には歴とした理由が存在する。不知火に極めて困難な仕様を要求したのは軍部だが、94年までの納期を絶対厳守させたのは政府である。理由は極秘ではあれど単純で、その時期からオルタネイティヴ計画の本部招致レースが始まるからだ。

 同計画に関わる装備は現地政府の調達が原則である為に、“第三世代機を実戦配備した”との事実は、同計画の招致活動に少なくない影響を与える。帝国政府が最優先すべきは日本案が採用される事であり、通常兵器に過ぎない不知火の発展性とでは、重要度が比較に成らない。

 また97年にAー01が発足した時点では、実戦配備されている最高性能の機体であり、仮に専任部隊に配備されたのが陽炎であったなら、任務を達成できたかは疑問だ。前の世界で不知火は徹頭徹尾オルタネイティヴ計画の為の機体で在り続け、第四計画の完遂に大きく貢献して役割を果した。

 それに戦術機の拡張性は戦闘機ほど絶対ではない。戦闘機と違い戦術機は、配備機体の大半が改修までに撃墜され再生産されている。それでも生産ラインや運用体制の切り替えには多大なコストが掛かるので、拡張性の重要度は高いが、損耗率の低い戦闘機と同列にまでは語れない。

 拡張性とは余剰スペースの事でもあるので、実際に改修するまではデットウェイトでもある。対BETA戦争では、改修するまでに国が滅ぶ事すら有り得るので、即戦力としての評価基準も存在する。特にハイローミックスのロー機では、即戦力の機体を買い替え前提で配備するのも有りだ。

 例えば拡張性に優れているF-15系列は機体が大きいと有名で、運動性能や機動力に問題がある訳ではないが、レーダー反射面積(RCS)の大きさは克服不可能な難点だ。F-15系列に各種ステルス性能を付与しても、高いステルス性が得られるかは極めて疑問である。

「ハイヴ突入部隊専用機なんて発想が、帝国の何処から沸いて出たのかと思っていたが、その発想からして貴様の発案だな?」

 戦術運用面から開発の方向性を考える発想は、どちらも共通している。

「はい。ハイヴ突入部隊は少数精鋭に成りますし、稼働時間の関係から軌道降下戦術での運用が前提になりますので、ハイヴ突入部隊専用機の開発に当たり生産性と整備性の優先度は低いと考えました」

 再突入型駆逐艦での運搬を前提として、突入部隊の本部はリニアカタパルトが有る航宙軍の基地に置くので、その基地に専用機の整備を完全一元化すれば、前線基地での整備が不要なのはもちろん、単一基地での整備としてワンオフにすら対応可能になる。吹雪とは真逆の開発方針だ。

 基本的に帝国産戦術機は、腕次第でカタログスペックを超える性能を引き出せる代わりに、通常性能の発揮にも高い錬度が求められる。これは量産機としては欠点と言うべき傾向だが、衛士の錬度を機械的に引き上げるXM3の搭載を前提すれば、その短所は逆転して長所に変わる。

「と言う事は……専用機制度の廃止を仕掛けたのも貴様かっ!!」

 巌谷が突然にくわっと目を見開いたので、武は驚いて仰け反った。

「ふはははは、良くやった! 見事だ! 瑞鶴には俺も関わったからな。何とかしたいと思いながらも、長く果せずに居たのだ」

 これ以上に愉快な事はないと言った態で、巌谷は破顔一笑した。

「斯衛軍から専用機を廃した貴様が言うのならば、両用機の早期実戦配備も可能だと信じよう」

 輸出計画についての評価は保留と言ったところだろう。未だXM3も完成とは言えない段階だし、現段階では明かせない要素も有るので仕方ない。吹雪の開発方針が維持される事で満足すべきだ。そう考えた武が一安心したところで、巌谷は更に切り込んできた。

「だが期間短縮に付いては、同等以上の成果が出せるのではないか?」

 武が同等の成果と言った原因を、巌谷は既に把握している。

「開発環境を預かる副部長として、貴様と長瀬の問題は早期解消が不可能と判断する。そして両用機開発には、極僅かな遅延も許されん」

 開発速度と個人間の問題とでは、最初から重要度が比較にならない。

「今週中にも長瀬を開発計画から外し、主席開発衛士を貴様の特性が活かせる人間に変更するのが、開発方針会議の最終結論になる」

 訓練兵時代の千鶴と慧の対立とは状況が違う。個人間の確執を解消する為の時間が与えられるなんて事は、先ず以って重要任務中には有り得ず、今回のように徹底して結果だけを求めた対処がなされる。この処置により長瀬大尉の未来は、前の世界とは完全に変わってしまった。

 武の主観ではカンニングをした自分が評価され、カンニングをされた長瀬大尉が罰せられたのだ。逆行絡みだとしても操縦技術のように実力なら兎も角、未来知識で結果を先取りしただけで他者――それも有能で人格者――を追い落とした事に、武は自責の念を感じざる得ない。

「貴様は紛う方無き天才だ。その自覚を持ち、貴様にしか出来ぬ任務に専念する事こそが、天武の才を持って生まれた者の責務というものだ」

 確かに武は吹雪の開発以外にXM3の調整任務も有る。ハイヴ突入機の方でも、XMシリーズへの最適化をする為に発案者として助言を求められている。時期がXM3の教導と被りそうなのと、武御雷に搭乗経験が無いので開発衛士は断るつもりだが、基礎研究への協力は必要になる。

「凡人の相手は凡人に任せておけ。なに、悪いようにはせんさ」

「はっ、よろしくお願いします」

 この件で武に出来る事は何も無いどころか、余計な事をすれば逆効果になるだろうから、長瀬大尉へのフォローは巌谷に任せるしかない。自分に出来る事は己の存在が異常だと自覚した上で、やるべき事をやり続けるだけだと、武は改めて思い知らされた。


1993年11月28日 京都 帝国陸軍技術廠 第壱開発局


 巌谷の予告通りに吹雪の主席開発衛士が交代した。新任の主席開発衛士は、巌谷が率いていた先行量産型・不知火の運用試験部隊の元隊員で、XM2を発案した武には最初から好印象を持っており、おかげで関係は上手くいっているが、結局は巡り合わせなのだろう。

 どちらかと言えば実戦衛士よりの人物であり、開発衛士としての能力は長瀬大尉に及ばないだろうが、自身は体力を要する繰り返し必須の試験項目を積極的に消化しながらも、微妙な判断を必要とする部分は武に任せてくれるので、未来知識に拠る吹雪の開発は一気に加速した。


――だが、武が技術廠に篭っている間にBETAの東進も激化する。


 12月初頭にBETAはソ連領極東方面に大侵攻を開始、中旬にはブラゴエスチェンスクハイヴの建設が開始される。そして座標から武の未来情報が証明された。





[3876] Muv-Luv Alternative 1991 第29話 半島情勢考察
Name: 鹿◆15b70d9b ID:fd91d2b5
Date: 2010/08/05 18:38
雷電:Side


 武が技術廠で開発に没頭しているころ、煌武院家の大広間では雷電と悠陽が真耶から報告を受けていた。内容は建設中の甲19号目標についてだ。この場にいる人間は、既に武の実績から逆行を疑ってはいなかったが、それでもハイヴの建設時期と座標の的中には衝撃を受けた。

「――報告は以上です」

「そうか……白銀の言に誤りは無かったか」

「…………」

 報告を終えた真耶は、表情を硬く引き締め何かに耐えているかのようだ。重々しく頷いた雷電の声にも苦渋が滲んでいる。武の正しさが証明された事を嬉しく思う悠陽にしても、帝国に迫る脅威が確定した事に慄く。武を信じてはいても、心のどこかで情報の誤りを期待していたのだ。

 未来情報の利用には制限――因果律――が存在するので、本土進攻への主体的な対処は武に任せるしかない。つまり煌武院家の面々は、破滅的な危険を知りつつも積極的に動く事が出来ないのだ。そこから生じる焦燥感たるや並大抵の物ではない。

「事前に知れただけ……いや、比類なき僥倖じゃ!」

「はい!」

「御意!」

 雷電は途中で言葉を飲み込んで言い切った。それに続き悠陽と真耶も何かを吹っ切るように答える。“まだマシ”等と言う己への慰めは、力無き者ならまだしも、将軍家に連なる人間には許されない。ましてや“知りたくなかった”の如き現実逃避は論外である。

「これ程の天佑を得たのじゃ、最善を求めずして何の為の摂家ぞ。此れより煌武院家は……全面的に白銀武を後援するっ!」

 煌武院当主としての雷電の宣言に、悠陽と真耶は低頭する事で応じた。


是親:Side


 首相官邸の執務室では、日本帝国総理大臣榊是親が電話を掛けている。

「内閣広報室の――君に繋いでくれ」

 几帳面に整理された執務机の中心には、書類束が一つと一通の手紙が置かれ、是親の鋭い視線はその両者に注がれている。書類は新設されたハイヴに関する資料であり、手紙はソレ以前に鎧衣左近を介して手渡された物だ。

 両者に書かれている座標は、寸分と違わず一致していた。

(当てずっぽうでは……あり得んな)

 是親が内心で独りごちたところで、目当ての人物に回線が繋がる。

「……私だ。例の法案を見据えての少年志願兵との面談だが、一人加えて欲しい人物がいる」

 例の法案とは、帝国議会で審議中の徴兵年齢の引き下げを柱としたものだ。後方任務に限定するとの文言が含まれるとはいえ、戦況が悪化すれば済し崩し的に、実戦にも投入されることは明らかだと、学徒動員――志願は建前――には反対意見も根強い。

 そこで僅かでも学徒動員への忌避感を払拭する為、首相との面談イベントを通じて少年志願兵達の存在をアピールし、現在でも志願と言う形で未成年が軍務に着いている現実を広く国民に示すことで、現状を追認させる為の政治宣伝が必要となる。

「技術廠に出向中の斯衛軍少尉で、氏名は白銀武」

 是親が武の名前を挙げたのは第一に、武と不自然でない形で会談する為だが、純粋な適正だけ見ても悪い人選ではない。やはりテストパイロットと言うのは少年にとり憧れの的であるし、その危険性は一般には知られていないので、教導隊と並ぶ後方任務の花形的存在だ。

「あぁ、摂家には私の方で了承を取る」

 そして電話を切った是親は、ひとりごちた。

「次期将軍殿下の忠臣か妖臣か、全ては会ってみてからだな……」


1994年4月16日 京都 帝国陸軍技術廠 某所


 武が技術廠に出向した後も、左近との接触は続いている。

「極東国連軍は十年、朝鮮半島を持たせるつもりですか……」

 国連太平洋方面第11軍の防衛計画に目を通しながら、武は呟いた。

「北欧国連軍が、スカンジナビア半島で十年以上持ち堪えたからな。そちらへの対抗心が強いようだ」

 1981年の北欧圏侵攻と、ロヴァニエミハイヴ――甲8号目標――の建造開始から、1993年の全欧州大陸放棄までの間、ボスニア湾など半島特有の地形を最大限に活かし、北欧戦線で最後まで抵抗を続けた北欧国連軍の国際的な評価は高い。

 対して極東国連軍は、核兵器使用権の関係で中国軍に極東アジア戦線の主導権を握られていたから、戦線が中国国内から朝鮮半島に押し込まれた事で、主導権は極東国連軍に移ったばかり。半島防衛という共通項がある北欧国連軍を意識するのも解るが……。

「同じ半島とは言っても、かなり地形が違いますよね」

 どちらの半島も海峡を利用すれば、多方面からの圧力を軽減できる利点は共通していても、スカンジナビア半島の広大な山脈に比べれば、朝鮮半島の山地は随分と見劣りする。

 スカンジナビア半島は、海岸近くの平野部を除く広範囲に山脈が連なっており、その地勢に特化したスウェーデン王国製の戦術機――北欧国連軍の主力――は、NOE(匍匐飛行)能力が重視され、手足の付いた戦闘機とも言われるほどだ。

 そして、スウェーデン王国サーグ社製の第三世代戦術機であるグリペンは、実質的にスカンジナビア諸国(スウェーデン、ノルウェー、デンマーク)の共同開発であり、特に莫大な埋蔵量を誇る油田を持つグリーンランドを領有する、デンマークからの資金提供は必須だった。

 ちなみにグリーンランド油田の埋蔵量は中東並とも言われているが、厚い凍土に覆われた大地は地下資源の採掘が困難で、採算性が悪い為に開発は遅れていた。しかし中東地域の失陥以来、人類の石油に対する採算性の基準が激変したので、急ピッチで採掘が進められた。

「それもあるが、組織の成り立ちの方が深刻だろうな……」

 元々欧州には、経済的な連合体である欧州共同体(EC)という枠組みがあったところに、BETAの地球侵攻の影響で、政治的・軍事的な連携を含めた欧州連合(EU)を結成する動きが加速し、これには北欧諸国も含まれた。という歴史的経緯がある。

 だからこそ欧州全域に置いて、EUには政治から軍事まで一貫した権限が与えられ、政戦両略の方針を合致させることが可能だった。加えて北欧は人口密度が全体的に低く、戦線の後退に連動した疎開政策が比較的スムーズに進んだのも大きい。

 ただし全てが上手くいっていた訳でもなく、フィンランドはモスクワ陥落に伴うソ連の東方退避までの間、その勢力下に置かれていた為、ECにもNATOにも参加できず、EUへの加盟も随分と遅れたので、北欧諸国内で微妙な立場になってしまった。

 フィンランド人のイルマ・テスレフ一家が、北欧圏の避難先であるアイスランドやグリーンランドやカナダではなく、米国に移民して市民権を欲したのも、その辺の国家関係が遠因だとしたら、過去の歴史を含めて大国に隣接した小国の悲哀を感じさせられる。

 そんな欧州と比べて極東アジアは、その手の枠組みが無かった――APECの創設は1989年で、この世界には存在しない――上に、東欧諸国が壊滅したのに対して、中ソ両国は今だ影響力を残しているので、東西両陣営の勢力争いも収まってはいなかった。

 そして極東国連軍の主体は在日在韓の両米軍だから、戦力的には相応でも、極東地域の事情よりも本国の意向を優先するのが当然で、後の光州作戦の時に、極東国連軍と大東亜連合軍の意図するところが食い違ったのも必然だった。

 光州作戦は朝鮮半島撤退支援作戦なので、祖国を追われた後も国を纏める困難を痛いほど知る大東亜連合は、政治的な理由で脱出を拒む現地住民の避難救助を優先したが、国土喪失の危機から縁遠い米国にとっては人事で、その辺の温度差は如何とも埋め難い。

 国家統合の基盤である領土を失った上に、脱出を拒んだ住民は見捨てましたでは、亡命政権を組織したところで直に空中分解だ。未来に希望を持てないから、せめて故郷で最後を迎えたいと願う人間には迷惑な話だとしても、去り際ともなれば美談の一つや二つは必要になる。

 その是非は兎も角、極東国連軍と大東亜連合軍が戦略目的を一致させられなかった時点で、光州作戦の失敗は決定的だったのだから、両軍の板挟みになっていた彩峰中将の命令違反だけに敗因を帰すのは、明らかに問題の摩り替えであり矮小化だ。

 しかし、バンクーバー体制の不備で大敗したとなると、元々自国軍が国連統合軍の指揮系統下に編入されるバンクーバー協定への反発は根強いので、今後バンクーバー体制を継続する上で不都合が生じてしまう。下手すればバンクーバー体制の崩壊もありえた。

 そしてオルタネイティブ計画にとっても、世界中の軍隊を動員できるバンクーバー体制は必要――桜花作戦とか――だし、抗弁すれば第四計画の失速は必至だったが、逆に帝国軍が泥を被る形でバンクーバー体制の存続に寄与すれば、それは国連への貸しになる。

 榊首相が土下座して彩峰中将に説いた日本の未来とは、榊政権が誘致した日本主導の第四計画達成に他ならない。だからこそ笑って人身御供を快諾した彩峰中将に対して、榊首相は陰ながら涙したのだろう。

(極東国連軍の総司令部に、第五計画派が多いのも厄介なんだよな)

 来歴からすれば当然の話なのだが、夕呼が再三要求した横浜基地所属の駐留国連軍の戦術見直しを握り潰されたり、HSST落下事件等の妨害工作がされ易いのも、所属軍の上層部で敵対派閥が主流なのと無関係ではない。

「何にしても、出来るだけ持たせて欲しいものです」

 帝国の半島への影響力からして知れたものである以上は、現状で武に出来る事は、初陣の戦死者がXM2の効果で減る事を祈るのが精々だ。戦訓を得る前に戦死されては、経験も力量も蓄積しようがない。

「それはそうと、あちらで香月博士はどんな様子ですか?」

 今年に入って早々、夕呼はニューヨークの国連本部に招聘されている。

「各国とも必死だからな。離合集散と権謀術数が繰り返され、流石の博士もお疲れのご様子だよ。此方での工作を私に任せるほどね」

 高度情報化社会といえども、距離的な制約は馬鹿に出来ない。そして米国が一枚岩ではないように、今の所は後方国家である日本帝国にも、親米派を中心に米国案を押す声は少なくないので、肝心の本国を自国案支持で固める事は重要だ。

「そして君は、鬼の居ぬ間にといったところかね?」

「まさか、TVに出る事になるとは思いませんでしたけどね……」

 既に武は、面談イベントに参加するようにとの命令を受けている。武がTVに映っているのを見たら、両親や純夏達はさぞ驚く事だろう。

「君の年齢からして、榊首相の狙いは徴兵年齢の引き下げというより、女性徴兵への布石だろう。全国のお姉様方が、君を前線に出さない為に戦ってくれる。と、なんとも頼もしいな」

 少々あざとい手だが、武のような子供を戦わせたくない思った女性の志願兵が増えれば、女性徴兵へのハードルは下がる。

「現実に人材が足りてないのなら、頼りにする他ありませんよ」

 年齢や性別で区別してくれる相手ではないのだから、皆が生延びる為には武器を取って戦って貰うしかない。

「同感だ。さて、そろそろ本題に入るかね」

「えぇ、お願いします」

 長い前振りは、これからする話がそれだけ重要だという証左である。


――帝国本土防衛軍、生物化学研究部、後藤部隊の調査結果だ。






[3876] Muv-Luv Alternative 1991 第30話 国内選考秘話
Name: 鹿◆15b70d9b ID:1ecc873d
Date: 2011/09/18 20:54
1994年4月16日 京都 帝国陸軍技術廠 某所


 世界各国でオルタネイティヴ計画誘致の動きが活発化した際、日本帝国もオルタネイティヴ計画招致委員会を設立、国連に提出する日本案を決する為の国内選考は十数年に渡り、その選考過程で激しい競争が行われた。

 その候補の一つだったのが、対BETA生物兵器の研究であり、ずっと秘密裏に地下で行われて居たわけでも、天才の頭脳に降って湧いたものでもなく、結末はともあれ初期は真っ当な、国防大学校・研究科のBETA生体研究から派生した案である。

 これに対するのが、帝国大学・応用量子物理研究室の非炭素系疑似生命創造案であり、どちらを日本案とするかで長年競っていたわけだが、当然の如く帝大と防大の学閥争いから、帝大案を推す政府と防大案を推す軍部の主導権争いに発展、泥仕合の様相すら呈していた。

 そんな状勢であったから年功序列は一時脇に置かれ、17歳当時の夕呼の論文が、オルタネイティヴ計画招致委員会に認められもした。政府に設立されたオルタネイティヴ計画招致委員会としては、帝大案を有利にするためなら藁にも縋る思いだったのだろう。

 一先ず政治的要素を抜いて防大案を評価してみると、膨大な物量を武器とする一方で、多様性に乏しい面のあるBETAを相手に、自己増殖能力のある細菌・ウィルス兵器を用いる。という方向性自体は悪くない、BETAの構造的欠陥を突いた良案とすら言える。

 だが最終的に国連の場で米国案と競うことを考えると、戦略・戦術兵器という、G弾と同じ区分で比較検討されれば不利は否めず、例え有用性で勝ることができたとしても、日本と米国の国連への影響力を考えれば、同じ土俵で勝負すれば勝ち目がないのは明らかだ。

 そこで夕呼は、帝大案と防大案の単純比較ではなく、最終的に国連で採用される可能性が高い案を選ぶべきと主張。実現可能性の部分で防大案に押されていた帝大案を勝たせるため、国内の支持固めではなく、国外からの支持を集めることで本選考に置ける優位性を示した。

 具体的には、オルタネイティブ計画が当初の目的である“BETAとのコミュニケーション方法を模索する”から外れ、目の前の敵を倒すことを目的化した軍事計画になることに反発する勢力――交渉派――を、自派のスポンサーとして取り込む事に成功する。

 交渉派の主張は、勝敗に関わらず外交交渉が行えない限り、BETA大戦の終結は有り得ないというもので、これは別に国際法の精神や観念論ではない。一部の技術格差を考慮すると、例えば“BETAに勝ったと思った瞬間に地球が爆発した”なんて可能性すらあるからだ。

 そんな漫画でもあるまいしと思う人間が多いだろうが、オリジナルハイヴの地下に“地殻を貫通可能な自爆装置が設置されて無い”とは、未来情報を知る武以外の誰にも保証できない。皮肉にも人類が開発したG弾の存在が、G元素の破壊力に際限が無いことを実証してしまった。

 他にも、相手が恒星間航行能力を持つ以上、宇宙規模で何をして来るかも解らない。“技術的に月を地球にぶつけるぐらいは可能”とする推定もあり、はたしてBETAは、“やれない”のか“やらない”のか、為政者には最悪の想定をも考慮する義務が在る。

 だからこそ、最低限の情報が出揃うまで決定的な行動は控えるべき、として来たのが第三計画までのオルタネイティブ計画で、その直系である帝大案も、対BETA諜報を主軸に交渉方法を模索するものだ。夕呼が言っていたように凄乃皇の実用化はあくまでオマケ。

 けれども戦況の悪化に伴い、直接的な成果の乏しい学術研究より、戦況を好転させ得る兵器の開発にこそ注力すべし、とする勢力――決戦派――の勢いが増し、G弾の集中運用が前提のバビロン作戦を筆頭に、各国から国連へ様々な決戦案が提出されるに至った。

 それだけ各国内で決戦志向が強まって来たわけだが、主要各国の決戦案が乱立したことで、逆に一本化が難しくなったとも言える。翻って帝大案は各国内で劣勢となった交渉派を糾合し易い。この辺は方針が規定路線だからこその強みだろう。

 その過程で、科学者とは思えない政治力を発揮したのが香月夕呼だ。

 応用量子物理研究室の霧山教授らを差し置いて、夕呼が二十歳そこそこで第四計画の総責任者になれたのは、この国内選考を勝ち抜くに際して示した実力と実績があればこそで、国際的に帝大案の推進者は夕呼だという認識を定着させてしまったのが大きい。

 夕呼は擬似生命プログラム、人格数値化、並列処理コンピューターの理論検証、などの分野でも功績を挙げているが、研究成果だけで日本の年功序列を打破できるわけがない。世界中の交渉派コネクションの中心に己を置いたからこそ、余人に変えがたい立場になれた。

(先生のことだから、絶対に狙ってやったんだろうなぁ)

 このような顛末で、オルタネイティヴ計画招致委員会は“防大案を日本案として国連に提出したところで埋没するのは明白、国連で日本案を採用させるためには、実現可能性が低く見えようがなんだろうが、帝大案しかない”との最終結論を導き出せた。

 この答申を受け入れた政府は、帝大案を日本帝国案として正式決定。

 しかし、防大案を推していた人達がすんなり納得するかと言えば、そんなことは先ず有り得ないわけで、武が左近に依頼した調査とは、国内選考が終わった後の防大案関係者の動向だ。前の世界で得た情報の中に思い当たる節が有り過ぎた。

「対BETAウィルスの開発って、意外と進んでたんですね」

「だからこそ、諦めようにも諦め切れなかったのだろう」

 左近の入手して来た極秘資料を読みながら、武は軽く驚きながらも話し始めた。左近の返答が関係者の苦渋を慮ってる様子なのは、人生経験の差というものか。数十年の歳月を注ぎ込み、正に人生を捧げた研究、それが否定された気持ちなんて若者には想像のしようもない。

 軍部としても、オルタネイティヴ計画招致委員会は露骨に政府側に肩入れしていたし、国際政治力学に拠って退けられただけで“軍事的合理性が否定されたわけではない”との想いが強かったから、研究予算の大幅削減に伴う、基礎研究部門以外の凍結に反対する声は根強かった。

 特に対BETA生物兵器が完成した暁には、管理・運用する予定だった陸軍の反発は苛烈を極め“軍事素人の政治判断だ”と、陸軍内での統帥派の勢力拡大に一役買ったぐらいだ。帝大案が常人には理解し難かったのと、計画全体の機密レベルが高すぎたのも仇となった。

「研究用のBETA、どうやって調達したのか不思議でしたが」

「結果が書類と一致さえしていれば、あまり過程は気にせんものだ」

 つまり、規模縮小で廃棄するはずのBETAや設備が横流しされた。

「新規調達に比べたら、足のつき難さは段違いってことですか」

「加減さえ間違えなければな、これはかなり抜いているが……」

 一旦言葉を止めた左近は、僅かに苦い顔をして続けた。

「軍内部では同情論が大勢だったこともあり、残務処理に違和感を感じた程度では追求し難い、と言う空気があったのだろう。サボタージュとも見なせる態度だが、人間の組織である以上は避けられん」

 見て見ぬふりの機密保持に占める比重は、意外と大きかったりする。

 研究続行に必要な人材については、国防大学校の後藤教授他BETA生体研究の専門家が、政争に敗れての都落ちを装い――防大内で帝大に敗れたことを批判されていたのは事実――地方の研究所に移籍し、陸軍研究本部の第二研究課からも人員が供与された。

「活動資金は陸軍の機密費で、所属は帝国本土防衛軍ですか」

「陸軍の機密費を防衛軍へ支出する形だと、防衛軍設立の政治的経緯もあり、政府側からは手を出し難い一種の聖域になる。軍閥化の端緒だな」

 こうして後藤部隊は、帝国陸軍白陵基地の地下で産声を上げた。

 対BETA生物兵器を完成させる上で必要な構成要素とは、第一に感染したBETAへの致死性、第二に他の生物への無害化、第三にBETA間での感染拡大能力、第四に保険としてのワクチン開発、これらが揃って初めて兵器として実用化できる。

 第一条件の致死性に関しては、十分に満たしたと言える成果が出た。

 後藤部隊が確保に成功したBETA――要撃級、突撃級、戦車級、闘士級――に対して、ウイルスが感染した場合の発症率は極めて高く、致死率は90%以上にも達した。驚異的な恒常性維持機能を持つBETAを相手に、これだけの効力を発揮させたことは称賛に値する。

 ちなみに要塞級は捕獲も維持も実質不可能と言われており、光線属種については、よほどの好条件が揃わない限り捕獲が難しく、貴重なサンプルはレーザー原理解明の方にこそ必要なので、他のBETAでも代替できる生物兵器研究へは回って来ない。

 続いて、当初は最難関と思われていた第二条件についても順調だった。

 ウイルスの遺伝子を組み換え、特定の細胞だけを感染・死滅させる技術により、感染対象を制御することで、BETAにだけ作用する特殊ウイルスを開発中。既にBETA特有の通称『B細胞』は特定済みで、他細胞への転移防止技術の確立も時間の問題だ。

 このように着々と課題を克服して来た後藤部隊だが、第三条件で思わぬ壁に突き当たった。

 一次感染の為の運用方に懸念は無い。空気中への散布や装填した弾頭を打ち込まなくても、適当な容器にウイルスを込めて放置すれば、後は勝手にBETAが巣まで持ち帰ってくれる。害虫を巣ごと駆除する毒餌剤を思い浮かべれば解り易いだろう。

 ここまでは確実でも、その後ハイヴ内にウイルスが蔓延し、大量のBETAが死滅してくれなければ意味は無い。滞りなく進んでいるかに見えた研究は、致死性や感染制御、ワクチンの開発と比較すれば、相対的に容易いと見込まれていた二次感染の分野で躓いた。

 それと言うのも、BETAの特異な生態と行動様式に原因が有る。

 ウイルスの感染経路を列挙していくと……。

・経口感染

 ウイルスを封入した容器は捕食するのだから、ウイルスで死亡したBETAの屍骸さえ素直に摂取してくれれば全て解決する。だがBETAは仲間の死体に対して無反応。捕食の優先順位が著しく低いなど、共食いを忌避する習性があるのかは不明。

 世界的にも、BETAが仲間の死体を食ったという事例は報告されていないが、複数回突入したハイヴなどで、BETAの死体が片付けられた形跡は見つかっている。地上の死体は放置されて腐敗するか、人間の居住地に近い場合は人類側が処理しているのが現状。

 そもそもBETAの捕食に見える行動も、実態は一時的に収納しているだけに過ぎず、消化器官自体が存在しない以上、能動的な体内への吸収は望めない。それでも内部にウイルスが充満することは確かなので、他の感染経路と比較すれば感染率は格段に高い。

・飛沫感染

 水の存在しない環境へも適応しているからか、水分を排出・吸収するような粘膜が無いので、飛散物は皮膚に付着するだけで吸収されない。更に汗腺や皮脂腺も無いので、保菌BETAがウイルスを体外に排出・拡散してくれるようなこともない。

 拡散>吸収>感染>発症>増殖>排出>拡散のサイクルが不成立。

・空気感染

 空気が以下略。肺も無いし、皮膚呼吸も含めて呼吸自体をしてない。

・接触感染

 完全に統制されたBETA集団の行進や、レーザー照射時の連携を思い出して欲しい。閉所に複数のBETAを閉じ込めても、突発的な要因を与えない限りBETA同士は全く接触しない。空間を徐々に狭くする実験の結果からしても衝突回避は徹底している。

 例外は要塞級が小型種を格納することぐらいで、これだけでは感染機会が少な過ぎるのと、遠征時だけの特殊行動だと思われるので、日常的に行われている可能性は低い。なお母艦級を考慮に入れても、遠征用な時点で感染範囲は限定的と推察される。

・介達感染

 小型種以外のBETAの足先は蹄のような形状をしていて、独立した構造の鉱物で出来ているし、小型種も足の裏の表皮は特に分厚い。例えばハイヴの床なりを汚染したとすれば、足の裏を介した汚染域の拡散は期待できるだろうが、踏んだ個体に感染しない限りは直に頭打ち。

・ベクター感染

 小動物や昆虫を媒介にしてウイルスが広まるベクター感染は、状況次第では凄まじい速度で広範囲に拡散するから、感染拡大には最適解の一つなのだが、肝心のハイヴ周辺は一面が砂漠化しており、BETA以外の生物が激減している上に、ハイヴ内に至っては何故か虫一匹いない。

 意図的に保菌させた生物を送り込むなど、運用次第では望みが有るけれど、ハイヴ周辺や内部に適応した生物でないと、感染を拡大するより先に保菌者の方が死滅してしまうので、保菌させる生物自体を品種改良などで作り出す必要が有るだろう。

 最大の問題は保菌者を作り出すために、ウイルスをB細胞以外に感染させた場合、他生物への感染リスクが激増することだ。他の感染経路にしても、感染する細胞の種類を増やせば間違いなく感染率は上昇する。が、それは前提条件すら覆してしまう諸刃の剣だ。

 これらの理由で、対BETA生物兵器の開発は暗礁に乗り上げた。

 それにしても、ここまでことごとくウイルスの侵入門戸を絞られていると、創造主の意図を感じざる得ない。むしろ人類のような知的生命体との戦争より、過酷な自然環境への適応や、未知のウイルスとの戦いをこそ想定して、BETAはデザインされているのだろう。

 宇宙規模で拡散するBETAが、創造主にとっても未知のウイルスに遭遇するのは必然で、最初から万全の免疫系を備えること不可能。けれど感染範囲を局限できる体制を構築して、短期間で全滅する危険性さえ排除すれば、その間に重頭脳級がワクチンなりを生み出せる。

 ウイルス対策を重視していると考えれば、同種の死体に対して慎重なのも理解できる。そういう意味では最も危険な物体だし、ハイヴ内にはBETAの死体を回収する専門のBETAがいて、特殊な処置をしているのかも知れない。

 何にしろ、後藤部隊の面々はBETAの出鱈目さに頭を抱えた。

 科学者達が雁首揃えて事前に気付かなかったのは、間抜けといえば間抜けだが、細胞単位のミクロな方向に意識が集中していると、マクロな方面に気が回らなかったりする。兎にも角にも現状の感染力では、劣化ウラン弾を撃ち込んだ方が早くて確実で効果的。

 そんなわけで俄然、重視されるようになったのが第四条件だ。

 最大の障害がBETAの生態と行動である以上、いくらウイルスを改良したところで限界は見えている。だが、ワクチンの完成度次第では運用面の制限を緩める口実になり、感染制御の縛りを解くかは別として、遠慮なく大量に撒けるのなら戦果も違って来る。

 これに拍車を掛けたのが、生きたBETAサンプルの枯渇問題だ。

 感染実験には多数のBETAを使うので消耗が激しく、もちろん補充の当ては無い状況に、今は仕様を引き下げてでも完成を急ぎ、実戦証明で効果さえ示せば、開発環境は格段に向上するはずだから、それから本来の仕様を目指せば良い。と言うような意見が主流を占め始めた。

(自らハードルを下げちゃったか、段々落ちぶれて来たな……)

 とは言え、未来の訓練兵達に噂として流れていたような、“追い詰められた人類の狂気が発露”とか“なりふり構わないもの”ではない。手順は通常の新薬開発と同じく、動物実験で安全性と有効性を認めてから、人間に投与する臨床実験へ移行した。

 そもそもワクチン開発は、対BETAウイルスに対する保険として必要なのは勿論、同時に研究の表向きの顔でもあったので、ウイルスの出所こそ伏せているものの、治験志願者の募集方法から、リスク説明を経ての意思確認までは正規の手続きが行われている。

 研究所の建前としては、一度でも人工ウイルスを生み出した以上、計画を完全凍結する前に、ワクチンだけは完成させないと危険だから、残務処理の一環として開発する。と言うものだから政府側も黙認していた。余談だけれど、日本案候補時代からの繰越金で運営されている。

 言うまでもなく、生物兵器開発は続行されているから、そのための人体実験だと暴露すれば研究は潰えるが、噂で言われていたような死者は出ていないし、BETA戦争勃発以来、医学の発展に犠牲は付き物との風潮もあり、トカゲの尻尾切りで終わってしまう可能性は高い。

 主要な科学者は表側の研究所に属していることになっているし、軍上層部からの援助も、そちらを通して行われているから、何人か生贄を出した上で、生物兵器開発の継続は一部の独断だったと強弁すれば、計画を主導した御偉方までは累が及ばない仕組みになっている。

 巨大な組織の内部に巣くった、特定の集団だけ狙うのは至難の業。

 大事にして関係者を吊るし上げるだけなら、ベクター感染の研究を曲解して“BETAが優先して狙う人類を保菌者にして、感染拡大を目指す悪魔の計画”とか、“正に人間兵器”とか、センセーショナルな形で情報を流布すれば可能だろうが……。

 結果的に、帝国軍全体への国民の信頼をも大きく損なってしまう。

 全国規模の徴兵拒否運動などが起こっては困るし、この手の危険な治験は報酬で難民を釣ってる事例が多いので、難民開放戦線にテロの大義名分を与えることにも成りかねない。交渉のブラフに使おうにも、国益を考えない扇動者だと看做される悪手だ。

 武が欲しいのは、もっと一撃で肺腑を抉るような鋭利なカード。


――この件の核心は、代謝低下酵素の入手経路にこそある。





[3876] Muv-Luv Alternative 1991 第31話 会談事前準備
Name: 鹿◆15b70d9b ID:1ecc873d
Date: 2011/10/18 18:39
1994年4月16日 京都 帝国陸軍技術廠 某所


 BETAの休眠状態を維持するために必須である、BETA用不活性化ガスを精製するには、第二計画の成果である代謝低下酵素が不可欠だ。けれど、オルタネイティブ計画絡みの物質だけに管理は厳しく、入手方法は政府が国連に申請しての購入に限られる。

 そして消耗品なので例え余っていても廃棄されることはない。そもそも生物兵器開発の凍結で、少なくない犠牲を出して捕獲したBETAの余剰分を廃棄したのは、代謝低下酵素の消費量を節約するためだ。BETAは捕虜にしても維持費が嵩む金食い虫である。

 もっとも、政府からしか入手できないことは確かでも、逆に政府からでさえあれば日本政府からでなくても良い。無論、その辺の金に困ってる亡命政府から買えるほど簡単ではないが、そこは蛇の道は蛇という奴で、こういう場合に都合の良い取引相手がいたりする。

 オルタネイティブ計画の関係者は各派閥共に、十分な準備――詳細については議論が分かれる――が整うまでは、オリジナルハイヴに手を出さない方針だから、早期の喀什攻略を望む勢力にとっては、オルタネイティブ計画自体が目の上のたんこぶになっている。

 特に喀什が自国領土に近い中東や南アジア辺りは、作戦自体が国土奪還にも繋がるし、攻略に成功しさえすれば、戦局の挽回に繋がるのは確かなので、たとえ成功の見込みはほとんど無いと言われていても、乾坤一擲みたいな願望が強くなるのも無理はない。

 オルタネイティブ計画は、そういう暴発を押さえ込むための抑止力でもある。

 それ故に言動を縛られていると感じる為政者も多く、計画と不可分な関係にあるバンクーバー体制に反発する軍人は無数におり、今はまだ緩い連帯ながら、数年後には『反オルタネイティブ計画派』と、呼ばれることになる集団は既に世界規模で広がっていた。

 帝国内でも、政府が帝国軍施設を国連軍に開放することを“軍の切り売り”と見る向きもあり、特に統帥権の確立を旗印にしている統帥派は、当然のように反オルタネイティブ計画派と繋がりを持ち、代謝低下酵素はそちらから購入――もちろん正規価格より高く――した。

「第四計画招致の正念場だってのに、これは完全に一線を越えてますね」

「日本案に採用の芽があるとは、夢にも思っていなかったのだろうな」

 統帥派だって別に馬鹿じゃないから、日本案が第四計画に採用されると判っていたら、反オルタネイティブ計画派と深い繋がりを持ったりはしなかったろう。けれど、その可能性を端から除外していたどころか、門前払い同然の扱いを受けると決めて掛かっていた。

 これは帝大案が日本案に選ばれたことへの反発だけではなく、驚くべきことに防大案でも落選を前提としていた節がある。対BETA生物兵器を独自開発して帝国の切り札にすることで、他国の案が採用された状況下でも、国連軍相手に発言権やらを確保するのが狙いだったらしい。

「なんか発想が後ろ向きと言うか、"国連に日本案を採用させて他国軍を便利に使ってやる”ぐらいの気概は無いんですかね」

 まずもって保身が先に立ち、挑戦しようという意思がまるで感じられない。

「大東亜戦争での敗戦以来、日本国自体が主体性を喪失した状態にあったせいもあるが、上に年寄りが多過ぎるのかも知れんな。戦時であることを口実に何時までも居座られては、人事が硬直化して敵わんよ」

 現役年齢制限制を超えるようなお歴々に居残られていると、上層部の世代交代が甚だしく滞る。徐々に入れ替わってる中堅はまだしも、未だに旧時代の概念を引きずっている将官もいて、そういう人間は新機軸への理解も浅く、一から勉強し直すような意欲にも乏しい。

 空軍パイロットからの転換が失敗に終わり、衛士への教育改革が叫ばれたとの同時に、指揮運用側もドクトリン変更に伴う再教育の必要性に迫られた結果、若手に対する再教育制度は充実した。しかし、地位もプライドも高いお偉いさんに再教育の強制は出来なかった。

 兵器は交換すれば良いけれど、人はそう簡単には変われないもの。

 年齢的に新しい事を覚えるのは辛いというのなら、速やかに後進に道を譲るべきであるのに、困った事にそういう時代遅れの人間ほど、引退後に自分の方針が否定されることを恐れて、地位にしがみ付くことで路線変更を抑えようとする傾向がある。

 帝国軍に撃震が導入されてから20年近く経ち、押しも押されぬ戦場の主役と見做されている戦術機だが、兵種としてはまだまだ若く、中堅層ですら他科からの転属組みが多いぐらいで、上層部に戦術機畑の生え抜きは驚くほど少ない。

 もちろん中には、新兵器である戦術機への造詣を深めるため、上級士官中途教育制度――資格所得のために各種学校で学び直せる制度――を利用して衛士訓練校に入校し、自ら望んで新兵と同じ操縦訓練課程を受け、正真正銘の衛士徽章を獲得した彩峰中将のような傑物もいるが。

 そもそも戦術機の導入からして一悶着があり、所属兵科――機甲科に属するか戦術機甲科を新設するか――を巡る綱引きは凄まじかった。なまじ戦術機が多用途なこともあり、現在ですら運用思想面での黎明期を脱したとは言い難い。

 戦術機関連は未だに、上から下まで個人の力量が物を言う段階だ。

「この際ですし、足を引っ張る人達には隠居して貰いましょう」

「どうするつもりかね?」

 左近の問いかけには、武を試すような響きがある。

「招致への影響を考えれば決定まで使えないのはもちろん、その後も外患援助罪などの大事にはし難いですから、『陸軍機密費横領事件』辺りが落しどころですか。どちらにしろ私の手には余りますので、行使についてはプロに委ねるつもりです。丁度良いお土産にも成りますしね」

 このカードは鋭すぎて、専門家でもなければ到底扱いきれない。

「妥当だな、帝国内のパワーバランスも多少は改善するだろう」

 統帥派を叩き潰せば良いわけではなく、必要なのは適切な均衡だ。

「それにしても、よくこれだけ確たる証拠を押さえられましたね」

 左近は苦笑しながら、大戦果の理由を武に説明する。

「施設の場所、研究の概要、技術責任者の名前、これだけの情報を事前に教わっていればな」

 どんな隠蔽工作も、最初からそれと知っている相手には無意味だ。

「おまけに基地施設明け渡しの可能性まで聞いていれば、その隙を突くのは容易い」

 榊政権は第四計画の招致に成功した場合に備え、帝国陸軍白陵基地に同計画直属の衛士訓練学校の設立を予定。帝国陸軍に対して同基地の引渡し準備を命じ、政府側は狙ってやったわけでもあるまいに、図らずも後藤部隊を隠れ家から押し出す結果となった。

「何かを失敬するのに引越し時ほど楽なものはないよ。それが夜逃げ同然なら尚更だ」

 どこに重要な情報が隠されているのか、相手が自ら教えてくれる。

「あやふやな話だったので、上手く行くか不安だったんですけどね」

「なに、もう慣れた。大枠さえ教われば後はこちらで絞るさ」

 なんだかんだで二人は、既に三年以上の付き合いになっている。

「ところで、今後、後藤教授が亡命する可能性ってありますか?」

 ただでさえサンプル不足などで研究に限界を感じていたところに、白陵基地の接収で止めを刺された格好なのだから、引越し先の開発環境も高が知れている。後藤教授が研究を最優先に考えるならば、日本では開発が継続できないと判じて、他国に身を寄せようとしても不思議はない。

「ふむ……、一先ず未完成の兵器は置くとして、『ウイルスを特定の細胞だけに感染・死滅させる技術』は、癌治療の分野に応用できれば画期的な治療法に成り得る。これを手土産に亡命を申し出れば、どこの国でも諸手を挙げて受けいれるだろう。帝国との関係悪化を考慮しても十二分に魅力的だな」

 中ソ両国の核兵器使用は言うに及ばず、BETAの侵攻に原発の停止が間に合わなかった事例、劣化ウラン弾の世界規格化など、世界規模で放射性物質がばら撒かれている影響かは不明だが、世界中で癌患者は増加の一途を辿っている。

 もし効果的な治療法を確立できれば、国の財源の一つに成り得るレベルだ。

 特に北米大陸で戦略核の集中運用を行った米国は、政治的にも喉から手が出るほど欲しい技術だから、後藤教授が生物兵器開発の支援などを亡命の条件にしても、最大限可能な限り飲むだろう。それに完成の見込みが薄いとは言え、生物兵器の方にも見るべき点はある。

「それなんですけど、月面での運用が前提なら、どれだけ危険なウイルスでも躊躇わずに使えますよね」

 月攻略作戦なら戦略兵器を使い放題というのは一般的な認識だが、核兵器は地表にいるBETAの殲滅には効果的でも、下方に対して威力が弱いという爆弾の性質だけはどうにもならず、ハイヴを攻略するのに有効な兵器とは言い難い。

 そこに、効果範囲内なら地面だろうと何だろうと構わず抉り取る、G弾の圧倒的な優位性があるわけだが……、重力が地球の六分の一しかない月でG弾を使用した場合、重力異常の影響度も格段に高くなるだろうことが懸念されている。

 もし月が公転軌道を外れて地球に接近して来たら、衝突回避のために月を迎撃するなんて笑えない事態になるし、逆に地球から離れて行く場合でも、潮汐力が激減して深刻な環境問題を引き起こす。

 こうして並べてみると、月攻略に生物兵器というのは十分に有望だ。

「できれば、亡命は自主的に思い止まって貰いたいんですけど」

 前の世界で最終的に亡命した人物だとしても、やむにやまれぬ状況に追い込まれてのことかも知れないので、そのことだけを持ってして売国奴とは断じられない。言うまでも無く、巨額の国費を費やして開発した技術の流出は見過ごせないが。

「この流れだと、後藤教授は遅かれ早かれ証拠隠滅を図る統帥派に切り捨てられる公算が高い。国外への亡命を決意するとしたらその前後だろうから……タイミングを見計らって此方で保護し、その時の条件次第と言ったところか」

 かなり先になるとはいえ、帝国でも生物兵器に未来があること、元々医学博士なのだから、暫くは斯衛医務官として医学分野で実績を積み、いずれ政治環境が落ち着いたら帝国軍の軍医総監にでも推すので、それから凍結された開発計画を復活させれば良い、辺りか。

 加えて、摂家が後ろ盾になれば簡単に手出しはされないし、ライバル関係だった相手の軍門に下るぐらいなら死んだ方がマシな人でも、将軍の膝下に入る形ならプライドは保てる。古来より時の権威は、寝返りの口実として便利に使れた来た実績がある。

「これで駄目そうなら、鎧衣さんの判断に任せます」

「了解した。確かに失うには惜しい人材だからな」

 説得の条件には雷電と悠陽の許可が必須だし、後藤教授に対する交渉の成否は不確定だが、首尾よく運んだ場合の利益は大きい。少なくとも最悪の事態は防げそうだ。榊首相との会談前に強力なカードを得られたのも好都合なので、今回の情報交換で得たものは破格だった。

 そうして武が満足していると、左近が楽しそうに語りかけてくる。

「まったく君は、神の御業か悪魔の力か……そのどちらかでも所持しているのかね?」

 これだけ何度も未来を見通しているかのような依頼をしていれば、常識外の要素を疑われても仕方ない。しかし、前の世界では夕呼にした質問を武にしたと言うことは、それだけ武の能力を左近が認めている証拠でもあろう。

 同時に、夕呼も武への疑惑を強くしているとの警告でもある。

 制限時間までに夕呼と交渉できるだけの下地が整うかは、全て榊首相との会談に掛かっている、と言っても過言ではない。そこで左近を相手に隠し通す段階は通り過ぎたと判断した武は、秘密の堅持よりも会談の成功率を上げる方を優先したのだ。

 もはや惚ける必要がなくなった武は、敢えて気軽に答える。

「どちらかと言えば後者ですが、今後ともよろしく」

「勿論だとも、頼もしい限りだ」

 二人共、どんな種類の力だろうと使えるものは使う主義だ。


1994年9月11日 京都 首相官邸 総理執務室


 帝国議会では現在、徴兵対象年齢の引き下げ及び、学徒志願兵の動員を可能とする法案が審議されている。新徴兵制度が施行された場合、徴兵対象年齢は18歳から40歳に、後方任務に限定した志願兵の受付開始年齢は16歳からとなる。

 そんな議会情勢の最中、首相官邸にはマスコミと十数人の志願兵が集められていた。男女の内訳は半々で、女性志願兵達の年齢構成は18歳から20台半ばまでと幅広く、男性志願兵達は18歳と19歳の集団に、一人で平均年齢を引き下げる武が混じっている。

 斯衛は男女ともに16歳での志願が通例だが、年齢規定が存在しないので制度的な問題はない。しかし、こうして他の志願兵と一緒に並ぶとかなり目立つ。もし武が既に実績を挙げている開発衛士でなければ、政治宣伝の意図が露骨に成り過ぎたことだろう。

 榊首相と若年志願兵の対談イベント自体は、武は十数人の内の一人でしかないので、二言三言の受け答えをしただけで終わった。その後の個々人へのインタビューは、レポーターに質問される形で、志願に至るまでの経緯や意気込みなんかを語るのだが……。

 やはりと言うか、当たり前のように武の来歴だけ突出している。

 公式記録に記載されている文面では、夕呼に見出され帝国大学の初等部に編入、悠陽に面会した折に新概念OSのアイデアを上奏、それを元に煌武院家が製作した試作OSが技術廠で評価され、XMシリーズは戦術機用OSとして正式に採用された。

 然る後、新概念OS発案の功績を煌武院家に認められ、黒の斯衛軍少尉として抜擢任官、悠陽たっての希望で近侍に取り立てられる。そして現在は、新概念OSを発案したことから適正を見込まれ、次世代の高等練習機である吹雪の次席開発衛士として技術廠へと出向している。

 不知火開発に関わったのは任官前なので非公式だが、それを抜いても十分過ぎるほど異常な経歴だ。ここまで行くと完璧過ぎて反感を買いそうなので、武は小学校時代は平凡な子供だったことや、『チョップ君』に似ていると言われたことがあると答えたりして笑いを誘った。

 そのせいか後日、予想以上に名前が売れてしまい驚くことになる。

 武がいた小学校を取材すれば、イタズラ小僧だったのは直ぐに知れることだし、チョップ君はヘタレで有名なキャラクター。つまり悪ガキが人類の危機に一念発起して猛勉強、偉い人達に引き上げられて~と、大衆受けし易いストーリーが自然に出来上がってしまった。

 それはまた別の話として、マスコミからの取材が終わった武は、首相補佐官に連れられて総理執務室へと案内された。さっきまでのは余興みたいなもので、ただ広告塔になりに来たわけではない。これからが本番だと武は気を引き締める。


――日本帝国内閣総理大臣、榊是親との会談が始まった。




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