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[38563] 化物語SS こよみサムライ 第二部
Name: 3×41◆ecb68eaf ID:b0318dc4
Date: 2014/09/28 21:31
・これは化物語の2次創作です。
・原作と雰囲気が違うかもしれません。
・原作にいないキャラクターが登場します。

つたない文章ですが小温かく見ていただけるとありがたいです。


09/28 
 エピローグをしめまで書いてから投稿しようと思っていたのですが、キリがあんまりよくないのですが投稿しておこうと思いますorz



[38563] エルザバード001
Name: 3×41◆ecb68eaf ID:b0318dc4
Date: 2013/09/23 20:40
 001 



 エルザ・フォン・リービングフィールド
 僕が彼女に出会ったのは、高校三年の6月上旬のことだった。

 この名前を聞くと、日本人ではないのか、はたまた一般的な日本人が中学二年の時分に罹患する気の毒な病の類かと思うかもしれないが、幸い彼女はイギリス人である。

 というか中二病なのは僕だった。それはそれとしてここで自虐的になっても気分が落ち込むだけなので話を進めよう。

 彼女に出会ったのは何も僕だけではない、僕が通っている私立直江津高校の生徒全員が彼女に出会っているわけで、
 つまりは彼女がこの6月上旬に転校してきたのだった。

 彼女が所属することになったのは僕や戦場ヶ原、羽川が所属するクラスのひとつ隣で、したがって僕と彼女の接点はまったくありはせず、
廊下を歩いているときにふと彼女の明らかに日本人とは異なる銀色がかった金髪を目にする程度だった。

 アッシュブロンドというのだろうか、腰まで伸びるその髪は、
ちょうど戦場ヶ原や羽川と、まぁ羽川はいつも三つあみにしているが、同じくらいの長さだった。
 だからということもあるのだろう、校則にわざわざ反発してみせようなどと考える生徒が少ないこの進学校で、髪といえば黒な人だかりの中で、彼女のアッシュブロンドの髪はまるで暗闇の中にともる蝋燭のようにとにかく目立った。


 というのが僕、阿良々木 暦(あららぎこよみ)が廊下で彼女を見かけたときの簡単な感想だった。気のせいかもしれないが僕が彼女を見たとき、ちょうど彼女も僕のほうを見ていたように思うのだけど、まぁそれはやはり気のせいだろう。

 思春期特有の勘違いである。もうこの時分というのは少し気立てのいい女子と見れば、何かにつけ自分に好意があるのではないかと望むあまりに、ほんのわずかな挙動であっても、それが目があったのではないかという勘違いでさえも、自分への好意だと変換してしまうのだった。
 
 ちょっと気立てのいい女子でそれである、それがいきなりこの学校に彗星のごとく現れた絶世の美女といわれても誰もが納得してしまうような異国の少女であったとすれば、それはもう自明の理というものである。

 少し冷静になってみればわかりそうなことだ。
 彼女はこの学校に転入してきた初日から、友達1000人できるかなという勢いで、
瞬く間に学校に溶け込んだ、溶け込んだという表現ではなまぬるい。
頂点にたったと言ったほうが的確だろう。
 彼女のことを知らない人間はもはやこの学校にはいないし、彼女を嫌っている人間も、一部の嫉妬深い人間を除いては、まぁいない。

 彼女、エルザ・フォン・リービングフィールドの、リービングフィールドという姓は母方のもので、本当はノイマンという姓らしかったが、そのフォンという部分は、イギリスではいわゆる貴族の称号らしく、彼女はそのイギリス貴族の中でも社交界の星であったというのだから、こんな日本の片田舎の一高校の人間たちの心をつかむなど、朝起きて寝ぼけ眼で歯を磨くよりもたやすいことなのだろう。

 そのイギリス社交界の星、私立直江津高校の頂点、なんだか自分の母校ながらイギリス社交界のあとに並べるのもおこがましい気がするけど、そんな彼女が、僕のようなほとんど友達もいない、特にぱっとしない、帰宅部の、こんな僕を気にかけることはありえそうにない。

 そう、こんな僕にわざわざ付き合ってくれる人間がいるとすればよほどの奇特者か、菩薩のような人間くらいなのだ。



「ほんとに私は菩薩のような人間だわ」

 放課後の教室で、僕が座る机の前に陣取った少女、戦場ヶ原ひたぎがそういった。

「学校が出した、脳が半分寝ててもとけるような宿題に苦戦してしまうようなあららぎ君に、わざわざ同情してこうして手伝ってあげてるんですもの。あららぎ君、あなたは今日寝る前に私に手をあわせて三回は拝み倒さなくちゃ不敬というものよ」

 そういって机に開いたノートを指さして、ポイントを解説する、その彼女は、
明らかに菩薩というには不遜にすぎるので、奇特者ということになる。

 入学当初のある事件から、羽陽曲折を経て、ほんとうにいろんな事件を経て、
僕は今彼女とお付き合いをさせてもらっている。
 いや、日本男児がそのような奥手な物言いを言うのはやめよう。
 戦場ヶ原ひたぎ、彼女は僕の彼女だった。したがって、奇特者の中の奇特者、僕にとっては世界一奇特な人間である。

「それじゃあ阿良々木君、ポイントは解説したから、この問題は、そうね、5秒で解いて頂戴」

「グッ・・・」

 たとえ自分の彼女であっても、僕は今ガハラさんに宿題を見てもらっているわけだから、このような無理難題を暇つぶし程度に課されても、とりあえずはしたがうしかなかった。
 日本男児は恩に弱いのである。

「っていってもガハラさん。5秒って全速力で手を動かしてもそんな短時間じゃとけないだ…」

「はい5秒たちました。あららぎ君、あなたには失望したわ」

 僕の言葉をさえぎって彼女は涼しい顔でそういった。

「別に宿題を早く解く必要はないだろ。だいたいこんなのどうやって5秒でとくんだよ」

「え、それは…」

 彼女は思案顔になる。

「シュシュシュっと解けるわ」

「急に抽象的にしないでくれよ」

「じゃぁザク、ズシュっととけばいいじゃない」

「急に猟奇的になった!?」

 しかも投げやりだ。
 しかし彼女の解説は的確だったし、早く説く必要はないがとりあえず期限にまではやってしまわないといけなので、とりあえずノートの上にシャーペンを走らせていく。

「そうだあららぎ君、それが終わったら、帰り際にマスタードーナツにでもよりましょう」

「ああ、僕はかまわないよ」

 ん?マスタードーナツ?

「はぁ、せっかく私がボケてあげたのにつっこめないなんて、あなたに少しでも期待した私がおろかだったわ」

「自分で振って勝手に失望しないでくれよ…それに突っ込んでほしいならもうちょっとわかりやすく言ってくれ」

「女の子に突っ込んでほしいなんて、セクハラで訴えようかしら」

「そういう意味でいってねぇよ!」

「あららぎ君は普段から女の子に突っ込むことばかり考えてるくせに肝心なところで使えないのね」

「僕ってそんな変態だと思われてるの!?」

「じゃぁ考えてないの?」

「・・・」

「まったく汚らわしい変態だわ」

 しまった、一瞬迷ってしまった。
 まるで道ばたのゴミを見るようなガハラさんの視線がそこにはあった。
 というかその視線を向けられているのは僕だった。
 一応僕にだって本能と理性の区別くらいはある。

「僕だって思春期の健全な男子なのは認めるが一応知性のある人間だよ」

「あららぎ君の変態趣味を健全な男子の妄想だとはずいぶんよく言ったものね」

 別に僕はガハラさんの言うような変態趣味は持ち合わせていない。
 一般的な健全な男子高校生の持つ範疇の中のものだと自負している。

「それであのお店、今キャンペーン中でクッションがもらえるじゃない?」

強引に話を戻された。

「ああ、わっか状のクッションだろ?あのライオンのタテガミみたいなところのやつ」

 ちょうど月火ちゃんがほしがっていたのだった。
 たしかポイントでもらえるんだっけ?

「あれってほら、あららぎ君の頭につけたらとてもよく似合うと思うのだけれど、二人で通えばすぐもらえるわ。私も協力を惜しまないと約束しましょう」

「勝手に僕が乗り気なことにしないでくれよ。それに僕に似合うって絶対悪い意味で言ってるだろ」

「あら、そんなことはないわ」

 ガハラさんは意外そうに驚いた風な表情をした。
 もしかして本当に僕に似合うと思っているのだろうか、僕にはよくわからない感性だ。

「でもライオンモードになったときは私の近くを歩かないでね」

「やっぱり悪い意味じゃないか!!」

 というかライオンモードってなんだよ。僕にそんなモードはない。
 まぁいいや、とりあえずさっさと宿題をやってしまおう。

 僕は机に向かってカリカリとシャーペンを動かし続けた。
 教室の窓から夕日が入ってくる。
 ちょうど教室の入り口から見たら僕たちの姿は黒いシルエットのようになっているかもしれない。

「そういえば、彼女、いまやすごい人気よね」

 戦場ヶ原がポツリとつぶやいた。

「ああ、エルザ・フォン・リビングフィールド、さんのことだろ?すごいよな。もうファンクラブまでできそうな勢いらしいぜ。聞いたことはあるけどさ、まさか自分の学校に誰かのファンクラブができそうになるなんて思わなかったよ」

「あら、私、ノイマンさんのことだなんて一言も言ってないわよ」

 そうだった。
 ガハラさんがこちらを見ているのがわかる。
 僕はノートを見ているから直接見てはいないけど。
 しかし今学校で話題になっていて、大人気で、そんな彼女といえば、誰だってエルザ・フォン・リビングフィールドの名前を挙げるのではないだろうか。

「あららぎ君もやはりああいう女性が好みなのかしら?ああいう金髪で、見目麗しくて、ボンキュッボンで、バインバインな、ああいうタイプ」

 戦場ヶ原が両手を胸のところにやってバインバインと揺らしているのがわかる。
 なんておっさん趣味なジェスチャーだろう。
 いや、僕はノートを見下ろしてるんだけど。

「そんなことはないよ」

 とりあえず否定しておく。

「かわいいというか、綺麗だと思うし、学校中が夢中になるのはわからないでもないけど、ほら、やっぱりクラスが違うしさ、リビングフィールドさんが光とすると、僕なんてまぁ影みたいなもんだし、まるで別世界って感じで現実感がないっていうかさ」

「それはあららぎ君が根暗で卑屈で友達のいない日陰者だから彼女と引き合わないととってもいいのかしら?」

「どんだけ僕は自虐的なんだ」

「それにあららぎ君は決して影なんかじゃないわ」

「そうかな。別になぐさめてくれなくてもいいんだぜ」

 現に僕に学校で友達がほとんどいないっていうのも事実なんだし。
 正当化というわけじゃないけど、それは僕個人が抱える事情と、自分自身その必要があると思わないというのもありはするんだけど。

「あえて言うなら無ね」

「影ですらない!?」
 
 余計に悪かった。

「彼女、単に社交力が尋常じゃないだけじゃないのよ。この前の学期テストだって、羽川さんとタイでトップだったわ」

「へぇ、あの羽川と同点なんて、頭までいいんだな」

 羽川翼、委員長の中の委員長、委員長界の頂点に立つ存在だ。
 そんな世界があるのかはしらないが、僕たちのクラスの委員長で、
学校の規則を完全に遵守する彼女はその頭脳も明晰で、
入学してからこれまであらゆるテストというテストで
トップを独走し学力において孤高にして絶対の存在だった。
 
 普段からそうとう勉強しているのだろうが、
先日授業で聞いたことはほとんどそのとき頭に入っているといっていた、
 なんていう理解力と記憶力だ。
 
 まぁそれはそれとして、そんな学生超人羽川翼に並走できるとは、エルザ・フォン・リビングフィールド恐るべしだ。

「それだけじゃなくて、スポーツまでできるそうよ」

 ガハラさんは机にひじをついてそういった。
 特に嫉妬のような響きもなく、スーパーで大根が80円で売ってたのよ、と
同じようなニュアンスだ。
 戦場ヶ原もテストでは毎回上位10以内に確実に入っている、これはもっているものの余裕というものなのだろうか。人間がみんなこうなら世界ももう少し平和なのだろうが、
 しかしそれだと僕が存在できるスペースもなくなりそうだから悩ましい。

「ああそういえば校庭で体育の授業をしてるとき見かけたよ、彼女の金髪は目立つからね」

 エルザ・フォン・リビングフィールドは運動性能まで突出しているようで、
 いろんなクラブで引っ張りだこになっているらしい。
 おまけにヴァイオリンの腕まで相当なものらしかった。
 天は人によっては二物も三物も与えるらしい、実際のところ、その本人の努力がまったく介在していないかのようなそのものいいはあまり好きではなかったのだけど。
 一般論として、もはや天才、ギフテッドと言わざるをえないような人間は存在するといわれている。

 イギリス社交界の星にして私立直江津高校の話題の中心、彼女、エルザ・フォン・リビングフィールドは僕のような一般人から見ればまさしくギフテッドといってもいいのじゃないだろうか。



 僕は話しながらカリカリとシャーペンを動かし続けた。
 ええと、ここはグラフ化して閾値の最大値と最小値で評価すればいいのか?

 それにしてもわからないのは、そのイギリス社交界の星が、
なんだってはるか極東の、それもその中でも片田舎の中にポツリと立っている
この私立直江津高校などに転入してくることになったのだろうか。
 彼女ならホームのイギリスで華々しくしかるべきルートをひた進めるはずなのである。
 まぁそんなことを極東の片田舎でつつましく生きている僕が考えても仕方のないことか。

「ほら、あららぎ君、また考えてる、あのイギリス少女」

 戦場ヶ原が窓の外を見ながらいった。どこか遠くでカラスが鳴いているのが聞こえた。

「エルザ・フォン・ノイマンさんのこと」
「エルザ・フォン・リビングフィールドのこと?」

 違和感。
 僕の耳はどうかしたのだろうか、ガハラさんの声がダブって聞こえる、
いや、ダブってるなら少なくとも同じ言葉が聞こえるはずだが、
その言葉も途中で違っている。

 僕と戦場ヶ原はほぼ同時にはっと声のするほうを見た。

 そこには、腰まで伸びる金髪、僕を見下ろす青い目、均整のとれたプロポーション、イギリス社交界の星、エルザ・フォン・リビングフィールドの姿があった。

「私はノイマンより、リビングフィールドって苗字で読んでもらえるとうれしいよ。戦場ヶ原さん」

 あっけにとられる僕をよそにリビングフィールドは言った。

「そう?ではお言葉に甘えて、リビングフィールドさん」

 ガハラさんが言った。少し防衛モードになっているような気がするのは僕の気のせいだろうか、まぁ彼女はここ最近まではずっとこうだったから、これが自然と言えば自然なのかもしれない。

「ありがとう戦場ヶ原さん。あ、でも私のことはエルザって読んでくれていいわよ。だってリビングフィールドって長いでしょう?私は気に入ってるんだけどね」

 そういって彼女は僕のほうを見た。
 深い青い瞳にハッとしてしまう。
 彼女が僕を見ながらその整った唇をひらいた。

「あなたもエルザって読んでくれていいわ。阿良々木 暦くん」

「え、あ…」

 何も言い返せなかった。彼女、エルザは人をよせつけない雰囲気が、微塵もなかった。
 異国から来た外国人であるにもかかわらず、これは僕自身驚くべきことだったんだが、懐かしさのようなものまでこのとき感じていた。

「わかったよ。エルザさん、ありがとう」

 何をお礼を言っているんだ僕は。
 このときの僕は、彼女の風変わりな容貌と、それにまったく似つかわしくない親しみやすさにどうも完全に呑まれてしまっていた。

 その当人は、泡を食う僕をよそに、僕とガハラさんが囲んでいる机を見下ろしていた。
 彼女の金髪が少し彼女自身の顔にかかって、それがまた目を引いてしまう。

「阿良々木君は宿題をやってたんだね。それで戦場ヶ原さんが宿題を手伝ってあげてたんだ」

「ええ、そうよ」

「戦場ヶ原さんは優しい人なのね」

「ありがとうございます」

 うわぁ、ガハラさん、とりつくしまもない、という感じだ。
 もともと彼女は人見知りなほうなので、こんなこと本人にはいえないが、基本的にこんな反応なのだ。
 しかしむしろそれは慈悲といってもいいかもしれない。
 ガハラさんの言葉責めは心に刺さるんだぜ。
 逆に最近なんだか悪くない別の感情が呼び起こされる気さえする。
 いやだ、僕はティーンのうちからそんな感情に目覚めたくはない。

「阿良々木くん、私も手伝ってあげようか?ちょうど今手がすいてるし、
私と戦場ヶ原さんがセコンドについたらすぐ終わるわよ」

「え、・・・いいのか?」

 ガハラさんとエルザさん。ともに学年テストで上位10位以内の二人である。
 その二人に宿題を見てもらうなど、野良犬に三ツ星レストランのフランス料理フルコースが振舞われるくらい、それはもうどうしようもないほどもったいないことのように思われた。

「ごめんなさいエルザさん」

 戦場ガハラが言った。
 見ると、彼女は席を立って、右手に鞄を持っていた。

「私たち、そろそろ帰宅する時間なの、ねぇあららぎ君?」

「あ、ああ」

 とりあえずあわせておく、ガハラさんの目が怖いし。
 そんな時間だったかはわからないけど、まぁ戦場ヶ原がそういうならそうなのだ。

「あら、それは残念ね」

 小さくため息をつくエルザをよそに、
 戦場ヶ原は僕の隣にたっていった。

「それじゃぁあららぎ君。校門前で待っていてくれる?私はお花をつんでからいくわ」

 エルザが頭の上にハテナを浮かべるように疑問の表情をしている。
 お花をつむとはつまりトイレにいくということなのだが、イギリスから転入してきてすぐの彼女にはそこらへんの語彙はまだないようだった。

 戦場ヶ原が僕の耳元に顔をよせてささやくようにいった。

「お花っていってもあっちの花じゃないわよ」

 わかってるよ!ていうかその情報って今いるのか!?
 そんなことを表情で主張している間に、彼女は教室の扉を出て行ってしまった。

 教室には僕とエルザさんだけが残されてしまった。
 僕もノートを鞄にしまって、鞄を右手に持って席を立った。

「それじゃぁ僕もいくよ。エルザさん、ありがとう、気持ちだけうけとっておくよ」

 エルザさんは、僕がそういうと、まるで花のように可憐に笑った。
 僕はその表情を見てハッしてしまった。
 それはそれはもう、可憐な、綺麗な、美麗な微笑みだった。
 イギリス社交界の星と言われる彼女の、人々の心をつかんではなさない、そういう笑みが僕に向けられていた。

 彼女は笑い、窓から教室に入る光に彼女の綺麗な髪を金色に輝かせて、その整った唇を開いて、ゆっくりと、確かな口調で言った。


「阿良々木くん、あなた、私の奴隷になりなさい」


 それが、僕、阿良々木 暦と、
 彼女、エルザ・フォン・リビングフィールドとの
 最初の出会いだった。



[38563] エルザバード002
Name: 3×41◆ecb68eaf ID:b0318dc4
Date: 2013/09/26 18:44
「えっ…」

 夕方の放課後、夕日がうす赤く照らす人気のない教室で、
僕は文字通り固まってしまっていた。

 奴隷?僕は奴隷になれと言われたのか?
 奴隷って、あの奴隷だよな。いわゆるスレイブ。
 人権が制限された、主人に絶対的に服従し、一切の反抗を許されない、はるか数世紀前に終焉を迎えた、歴史の教科書にしか登場しないあの概念だ。

 僕は振り返った格好のままかたまったように、目の前の美少女、
イギリス社交界の星、私立直江津高校の頂点にして話題の的、
エルザ・フォン・リビングフィールドに釘付けになっていた。

 その彼女はというと、その整った唇から発せられた物騒な言葉とは裏腹に、彼女はまるで「子犬ってかわいいわよね、私も好きなのよ」とでも言うかのような表情で、麗しい笑みを僕に向けていたのだった。

 瑞々しい笑みだった。見るものを安らがせ、魅了し、篭絡する。
 いや篭絡するというのは表現が適当ではなかった、彼女、エルザからは、彼女から人を篭絡しようという意思、そういうベクトルはまったく感じられない。
 それはあくまで受け手の印象であって、こちらがかってに虜になってしまう、というのが実際のところだろう。

「僕、もういかないと…」

 かわいた口でそういった。
 エルザは僕がそういうと、こちらに向き直って、
微笑をたたえながら青い流し目で僕に目をやった。
 スイスかどこかの山奥の、まだ誰も見たことがない湖のような、そういう澄んだ青い瞳だ。
 まるで彼女の目から僕の目に何か流れ込んでくるかのようだった。
 やめろ、そんな目で僕を見るな、奴隷にでもなんでもなってしまいたくなっちゃうだろ。

「奴隷…」

 エルザがポツリといって、その言葉にビクっと僕の体がはねてしまう。
 彼女は少しうつむいて、彼女の白い右手をアゴにあてるようにしてそのかわいらしい唇におしあてて思案顔をしている。

 そして沈黙。

 ちょっとして彼女がパッと顔を上げて、僕を見ていった。

「奴隷、奴隷って言葉が好きじゃなかったの?じゃぁ使用人、小間使いはどう?」

 それは同じことなんじゃないだろうか、いや、厳密には同じと言うことはないのだけれど、
一人の高校生が、一人の高校生の奴隷でも、使用人でも、小間使いでも、そうなるというのは同様に、少なくともこの日本の文化ではありえないことだ。

「い、いや、僕もういかないとさ、戦場ヶ原を待たせてるんだ」

「校門で待ち合わせなんだったっけ、でも彼女、お手洗いにいってるならまだ校門にはいないんじゃないかしら?」

 どうやらお花摘みの意味は知ってたらしい、じゃぁなんでわざわざお手洗いをお花摘みというのかということに対して疑問そうな表情をしていたようだ。
 戦場ヶ原は濫読家で、古今東西いろんな本を読んでるから、それもあってなかなかの語彙力を持ち合わせているのだった。
 
「いや、でもさ…」

 とりあえず食い下がってみよう。今日び奴隷になれといわれてはいわかりましたと即断するような奴隷根性の塊などいない、いてたまるか。
 というかそんな人間はおそらく過去にもいないしこれから先もいるわけがないのだ。

「奴隷でも小間使いでも使用人でもなんでもいいよ。仮にそうなったとして、僕はいったい何をすればいいっていうんだ?」

「特別なことは何もしなくてもいいわよ。ただ私と一緒に暮らして、私の言うことを何でも聞いてくれればいいだけ、あ、その場合あららぎ君に拒否権はないわね」

 普通にヘビーだった。

「一応念のために聞いておきたいんだけどさ、その、小間使いっていうのは、ほら、エルザさんはイギリス育ちなんだろ?日本人の僕とはニュアンスがもしかしたら違うんじゃないのかなって思うんだよ。それはつまり、英語で言うとどんなニュアンスになるんだい」

「slave」

 やっぱり奴隷だった。彼女は確かな口調で、流暢なイギリス英語のアクセントでそういったのだった。

「朝はあららぎ君が起こしてね」

 まいったな。僕は朝が苦手なんだよな。
 いや、僕はなんで奴隷になる前提で考えてるんだ。

「お風呂のときは私の背中を流すのよ」

 いいんですか!?

 いやいや、違うだろ阿良々木 暦。
 やはり彼女の作る空気に呑まれているようだ。
 僕は彼女、エルザ・フォン・リビングフィールドの奴隷になどならないし、たった今校門前に戦場ヶ原を待たせてしまっているのだ。

 そうだ、ガハラさんを待たせてしまっている。
 これ以上彼女を待たせた上に、出会いがしらにエルザさんの奴隷になることになりましたなんていった日には僕は翌日から行方不明になってしまうことうけあいだ。

「悪いエルザさん、その冗談の続きはまた今度聞かせてくれよ。戦場ヶ原を待たせてるんだ。きっともう校門で僕を待ってるころだろうしさ」

 僕は少し固まってしまった体を強引に動かして、急ぎ足でエルザの隣を横切った。
 横切り際に何かの花のような香りが花をくすぐった。

 香水とは違うように思われる。もっと自然な、バラのような、いや、ローズマリー?よくわからない。なんというか、とにかくいいにおいだったのだ。

 なにはなくとも今は校門へ急ごう。

「あなたは私の奴隷になるわよ。阿良々木 暦君」

 心臓がはねる。
 教室を出る僕の後ろ姿を、きっと彼女はあの深い青い目で見つめているに違いなかった。

「今までもそうだったもの。これからもそうだし、あなたもそうなるわ」

 教室を出際に、僕は教室の中のエルザに振り返った。
 すると彼女は微笑んで右手をヒラヒラと僕に振っていた。
 僕もつられて、ぎこちなく右手を上げて彼女に挨拶を返してしまうのだった。






 戦場ヶ原は学校の校門によりかかって僕を待っていた。
 いつもの癖なのだろうが、鞄から取り出した書籍を片手で広げてそこに目を落としていた。

「ごめん戦場ヶ原、少し遅くなったかな」

 声をかけて彼女のほうに駆ける。
 彼女は僕のほうを横目に見て、フゥと小さく息をついて、右手に持った書籍をたたんだ。

「ちょっと遅刻よあららぎ君。でも私は寛大だから、今なら市中引き回しの上打ち首獄門でチャラにしてあげるわ」

「求刑がすでに振り切れてるじゃないか!」

「何?まさか私の申し渡しに反抗しようとでもいうの?私の右肩の桜吹雪を見ないと納得できないのかしら?」

 どこのお奉行様だよ。

「今私の桜吹雪を想像したのでしょう?あららぎ君は本当に変態ね。石畳もプラスするわ」

「誘導尋問的に罰則を増やされた!!」

 寛大さのかけらもなかった。

「寛大よ?寛大に決まってるじゃない。これが私じゃなかったら、あららぎ君はどうなっていたと思う?」

「どうって、やっぱり謝罪くらいはするべきだと思うよ。でもそれぐらいが妥当ってもんだろ?」

「いいえ、禁固4000年よ」

「そういうのは無期懲役っていうんだ!」

 というか打ち首獄門はそれより寛大ということになるのだろうか、
あまりに尺度が大きすぎてよくわからなくなってきた。

「まぁいいわ、はやく帰りましょう?あららぎ君」

 それには賛成だ。
 途中までやった宿題も終わらせたいし。
 そういえば途中でなんとかドーナツに寄ろうといっていたのだった。
 そしたらガハラさんにもう少し宿題のアドバイスだってしてもらえそうだ。
 戦場ヶ原が歩道を歩き始め、僕は少し早足で彼女を追った。

「クッションのポイントは100円につき1ポイントで5000円分のポイントでもらえるそうよ」

「いや、だから僕は別にライオンクッションがほしいなんて思ってないんだけどな」

「遠慮しなくていいわ。あららぎ君は本当に慎み深いのね。でもいいの、あなたがライオンクッションを頭につけて、パン一で人語をしゃべらない縛りで街を闊歩したいという目標には私も協力したいと思っているの」

「そんな願望をチラリとも考えたことはねーよ!」

 この街の警察と全国の世論を敵に回す自信がある。
 しかも敵に回った世論の先頭のほうに戦場ヶ原がいそうだから救いがない。しかもおそらくその理由はなんとなくおもしろそうだったから、だろう。
 まぁでもせっかくもらえるというのなら、月火ちゃんにあげれば喜ぶだろうか。

「やはり何回か通う必要があるわよね」

「んー、まぁそうだな。一回で5000円分もドーナツなんて食べれないしな」

「私の体重は53万キロです」

「体重の話はしてないよ。というかどんな照れ隠しだよ」

「初めてだわ、私をここまでコケにしたおばかさんは。いい?あららぎ君。一回しかいわないからよく聞きなさい、私は大事なことはたった一回だけしか言わないの」

「念を押さなくても僕は聞いてるよ」

「私は自分の体重に一切やましいところはないわ」

「私は自分の体重に関してやましいところは微塵もないわ」

「・・・」

 二回いいやがった。

 いや、そんなこと僕だってわかってるよ。
 戦場ヶ原は、僕が言うのもなんだけど整ったプロポーションだと思うし、
仮に戦場ヶ原が自分の体重を気にするのだとしたら、それは「軽すぎた」ということだけであって、それだって過去形の、ちょっと前までのことだ。

 僕たち二人が歩道を歩いていると、道端に下校途中のうちの学校の生徒が数人しゃべっているのが横目に入ってきた。
 通行の邪魔になるほどには広がっていないので、僕が少しガハラさんのほうに体をよせて通り過ぎる、
通り過ぎ際に生徒たちの話題があのエルザさんのことだったから少しドキリとしてしまった。
 いや、僕には何の関係のないことなのだからそういう反応をするのはどうにもおかしいことなんだけど、
そういえば学校の靴箱あたりでもそういう話をしてるのを聞いたっけな。
 その話では男子が複数人彼女に特攻をかけ、つまりは付き合ってほしいともちかけてはやんわりと断られてを数回繰り返したということで、その度胸には敬意を表したいが、それは猪突猛進にすぎるというものなんじゃないかと思ったりもする。あくまで僕の個人的な感想でだけど。
 それは当たって砕けた男子たちには少々申し訳のない話かもしれないが、彼女、エルザ・フォン・リビングフィールドはイギリス社交界の中心であった少女なのだ。
 それだったら、当然イギリスの上流階級のとんでもない地位のよんどころのない男性が彼女に求愛してきたことも間違いないだろうし、現在エルザさんに彼氏がいないということはそういう男性たちをも袖にしてきたわけだから、こんな片田舎の男子高校生なぞいわずもがな、というものなのだ。

 どうも彼女の一挙手一投足が直江津高校の学生たちの話題をにぎわしてしまうようで、それならいっそのこと彼女専門の新聞でも作れば今の学校新聞の軽く100倍は部数を伸ばせるのではないだろうか。しかし本当にそんなことをいうとうちの学校でせっせと新聞を作っている方々に少々失礼なものいいになってしまうのでそれを僕個人の想像にとどめておくのはもちろんのことである。

 戦場ヶ原の隣を僕が歩く、少し手持ち無沙汰だ。
 そういえば、昨日月火ちゃんと火憐ちゃんと話していたときに上がったことがあったんだったっけ。
 ふとそれを思い出した僕はその話を隣を歩く戦場ヶ原にもちかけた。

「あ、そうだ戦場ヶ原。今日の夕飯さ、僕のうちで一緒に食べないか?」

「え?」

 ガハラさんが短く言って。少し考える。

「いや、親はいないんだけど、月火ちゃんと火憐ちゃんはいるし、二人も戦場ヶ原を呼ぶことには大賛成なんだよ。もし戦場ヶ原の親父さんの帰りが遅くなるんだったら、4人で食卓を囲むのもいいんじゃないかなって思ってさ」

「ふぅん」

 戦場ヶ原は歩きながら、しばし黙って考えているようだったが、
 しばらくして、顔をあげた。

「そうね、本来ならこういうことはしかるべき手順を踏んであと30年はしないほうがいいように思うのだけれど」

「なげぇよ!ていうかそれはどういう計画なんだ」

 遠まわしに拒否されているのだろうか、それにしてもずいぶんと遠まわしだ。
 特別の他意もなく何気なく言ってみたことだったんだがおかしかっただろうか?

「冗談よ。ではありがたくご相伴にあずかることにするわ」

「ああ、よかった。じゃぁ月火ちゃんに連絡しておくよ」

 何か買ってきてほしい食材があるかもしれないし。
 携帯電話を操作して、月火ちゃんにメールを送る。

「それじゃぁお返しというわけじゃないけれど、今日の宿題がおわるまで、あららぎ君に付き合ってあげるわ」

「ああ、ありがとう戦場ヶ原。それは助かるよ」

「今夜は寝かせないわよ」

「そんなに時間かかるの!?」

 じゃぁ早く宿題を終わらせてしまおう。
 一高校生が、親しく付き合っているものを夕食に呼ぶのは、それだっておこがましいことなのかもしれなかったが、それだって家で一人夕食を食べるものと、妹たちに囲まれて少し肩身を狭くして夕食を食べるものとの間がらである。たまには、ほんのごくたまのことならいいのではないだろうか。
 僕たち二人はとりあえずの計画をたてて、よどみなく、少し早足に帰路を歩いていったのだった。



[38563] エルザバード003
Name: 3×41◆ecb68eaf ID:b0318dc4
Date: 2013/09/26 18:45
「ただいまー」

 とりあえず自宅についた。
 月火ちゃんに今日戦場ヶ原をつれて帰ると連絡してから、ノータイムで返信された、じゃぁスーパーでひき肉とトマトを買ってきてというメールを確認し、戦場ヶ原につれられてドーナツ屋で新作のドーナツを注文して、少しばかり宿題を進め、
帰り道のスーパーでひき肉とトマトともろもろのものを買ってから、
夕日がそろそろ地平線に沈んでしまいそうな時刻になっての帰宅である。

 玄関口から廊下に向かって帰宅を告げると、
ちょうど向かいの右手のドアから月火ちゃん、僕の二人の妹のうちの一人がひょっこりと顔を出した。

「おかえりおにいちゃん。いっておいたものは買ってきてくれた?もし忘れたってことだったら、夕食のメニューをちょいちょいっと変えちゃうから気にしなくても大丈夫だよ」

 なんで僕が頼まれ物を忘れてる前提で話が進むのか若干の疑問を感じながら、右手にもったスーパーの袋を少し持ち上げて見せる。

「忘れてなんかないよ。月火ちゃん。それじゃぁ戦場ヶ原、上がってくれよ。たいしたおもてなしもできなくて申し訳ないけどさ」

「お気遣いなく、ではお言葉に甘えてお邪魔します」

 と、戦場ヶ原がそういったところで、戦場ヶ原を見る僕の視界の隅っこから、それは月火ちゃんが顔を出していた扉から、何かが飛び出してきた。

 飛び出してきて、こちらにむかって全速力で走ってくる。
 そして全速力で走ってきた火憐ちゃんが、頭からキャノンボールよろしく僕の丹田めがけてめり込んできた。

「おかえりにいちゃーん!!」

 砲弾が腹で爆発する代わりとでもいうかのように、そう叫んで飛び込んできた火憐ちゃんの運動エネルギーは一足先にほとんどすべて僕のほうへと移っていたわけで、
ちょうどビリヤードの玉が別の玉にあたったかのように、
火憐ちゃんは水平に直立したようなポーズのまま停止して、
代わりのボール、その場合はつまり僕のことなのだが、
は肺から空気を吐き出しながら後ろに吹き飛び、
ゴロゴロ後ろに転がりながら、
サっとよけるガハラさんを横目に玄関を飛び出し、向かいの道路の石垣にぶつかって停止した。

 そうしている間に、月火ちゃんがたったったったと玄関まで歩いてきて、僕の手から零れ落ちたスーパーの袋を手に取った。

「ひき肉に、トマトに、あ、卵もあるね。戦場ヶ原さん、それじゃあ上がっちゃってください。今夜はロコモコハンバーグにしますねー」

「じゃぁ遠慮なく、ありがたくご相伴にあずからせてもらうわね。さすがあららぎ君の妹さんだわ、とてもよくできてるのね」

 その僕がちょうど今ありえない勢いで突き飛ばされたのを見てそのセリフかよ。
 僕はちょっとふらつきながら改めて帰宅した。

「いやー、ごめんよ兄ちゃん。兄ちゃんの彼女が来るって聞いたらどうもいてもたってもいられなくってさ」

 火憐ちゃん、気持ちはわからんでもないがだからと言って僕に人間玉突きをしてしまうのはお門違いというものだぜ。

「気にしないで、ここ一月で一番心躍る見世物だったわ。これが日本のおもてなしの精神なのね」

「こんなおもてなしがあってたまるか、というか心躍るっていったのガハラさん!?」

「仲良きことは美しきことかな」

「仲良しカテゴリにおさめられてるー!?」

「え、そうだった?じゃぁ結果オーライってことで、よかったよかった」

 火憐ちゃんは両手を頭の後ろに回してニヒヒといたずらっぽく笑っていた。
 戦場ヶ原も火憐ちゃんも喜んでいるっていうのはいいんだけどこれじゃ僕の体が持たない。
 さすがにこういうおもてなしは二度とごめんだぜ。ってこんなのはおもてなしじゃねぇよ!!


 家の中で立ち話もなんだったので、とりあえず戦場ヶ原をうちのリビングに通して、テーブルのイスに座ってもらった。

「それじゃぁ戦場ヶ原はこっちに座ってくれよ」

 それでその隣が僕で、向かいには火憐ちゃんと月火ちゃんが座ればいいわけだ。

「ありがとうあららぎ君」

 戦場ヶ原はそういって、慎ましやかに僕がうながした席に腰をおろした。

「それじゃぁ失礼して、よっこらせっくす」

 といいながら。
 ガハラさんガハラさん、今日はなんだか下ネタが多くありませんか?
 僕は別にかまわないけどさ、うちの妹はまだ中学生だし、ちょうど夕食前だぜ。
 イスに座ったガハラさんはそんな僕の頭によぎった考えを直接見たかのような表情で涼しい顔で口を開いた。

「あらごめんなさい、つい普段あららぎ君に言わされてることが口をついて出てしまったわ」

「自分の身を削ってまで僕を攻撃した!?」

 捨て身である。

「って僕がそんなこと言わせてるわけないじゃないか!!」

「うわー兄ちゃん引くわー」

 向かいに座った火憐ちゃんが素直に軽蔑したような視線を僕に向けていた。
 しまった、発言の信憑性においては僕より戦場ヶ原のほうが圧倒的に上だった。
 月火ちゃんが料理を作るためにキッチンにいるのがまだ救いである。

「違う!僕はそんなことを普段から言わせてはいない。だよな戦場ヶ原?」

「そうね。そうだったかもしれないわ」

 そこをあいまいにしないでくれ。

「ごめんなさい。妹さんを前にしていつもよりちょっと強気なあららぎ君」

「僕の心理を読むのはいいけどそのまま口に出すのはやめてください!」

「わかったわあららぎお兄さん」

「なんで戦場ヶ原が妹口調に!?」

 毒舌の妹とか倒錯的すぎるだろ。

「それで火憐ちゃん。今日は学校はどうだったんだい。変わったことはなかった?」

 麦茶を飲んで、僕が火憐ちゃんにたずねた。
 火憐ちゃんはテーブルの上空に今日の出来事の記憶を探すように目線を遊ばせると

「そうだなー。学校では特に変わったことはなかったかなー。私が体育の授業で先生をぶん投げたことぐらいと、月火ちゃんが男子から告白されたくらいでさ」

 火憐ちゃんは相変わらずなにか事件はあったかとゆっくり視線を泳がせている。
 おいおい。それらは大事件とはいかないまでもそこそこには、少なくとも中事件くらいには事件性があるんじゃないか?
 というか月火ちゃんにはすでに彼氏がいるだろう。僕はまだその男を認めちゃいないが、
月火ちゃんに告白をしてきた男子というのはそれを知った上でのことだったのか?
 略奪愛なんて最近の中学生はませてるなぁ。

 大体略奪愛なんていうけれど、それって本当にそのような単語そのままに成立するんだろうか?
 だってすでに相手がいる女の子に自分との交際を迫るわけで、それはもちろん相手の仲を裂くことになるわけだし、
よしんばそれで今相手が付き合っている男子よりも自分が幸せにできるのだと分析したとしても、
彼女はその過程で一度明確に裏切りをはたらかなければならないのであって、
それは健全な作法としてカウントしていいものなのかというのはそもそも疑問なんだよな。
 だから月火ちゃんがその男子を振ったというのは至極納得の行く話である。
 まてよ、月火ちゃんはその申し出を断ったんだよな?僕はその部分をまだ聞いてないぞ。

「そんなことより私たちの放課後の話を聞いてほしいね!」

 火憐ちゃんが目を輝かせる。

「栂の木二中のファイヤーシスターズですものね。私も話には聞いてるわよ」

 と戦場ヶ原。

「戦場ヶ原、あんまりこいつらを持ち上げるのはやめておいてくれよ。あんなのはこいつらの中二病的なごっこ遊びなんであって、それだって僕は実際のところあまり感心してはいないんだよ。危険なことに首をつっこんでほしくないっていうのはごく一般的な感情ってもんだろ?」

「中二病とは聞き捨てならねーな兄ちゃん!私たちは私たちの正義にしたがって行動してるんだよ。事件を解決したらしたでちゃんと感謝もされてるんだからな」

 ガハラさんはというと、何か意味ありげな視線を僕に向けている。
 ふぅん、あららぎ君がそういうことを言うんだとでもいうかのような視線だった。
 あれ?もしかして火憐ちゃんと月火ちゃんのそれはいわゆる血というやつなのか?
 いやいや、そんなことはないはずだ。

 火憐ちゃんが言っている途中で、月火ちゃんがキッチンから夕食を運んできてくれた。
 今日の夕食は予告どおりのロコモコハンバーグだった。
 あとはトマトとレタスとたまねぎのサラダに、カットされたフランスパンがそえられている。
 低炭水化物なメニューだった。そういえば最近はやってるんだっけ。

「ほら、最近でいったら」

 月火ちゃんが一指し指をピンとたてて言った。

「うちの中学含めて3つの中学でちょっとした抗争みたいなことがあってね。結論から言うと、
結局全員火憐ちゃんがのしちゃったんだよね」

「あららぎ君に聞いてるわよ。火憐ちゃんは空手を習っていて、すでに有段者で有望株なんだとか」

「いやーなんだか照れちゃうなぁ。でも私もまだまだお師匠にはかなわないからね、精進あるのみだよ」

 火憐ちゃんは右手で頭をかくようにしてニヒヒと笑っていた。
 いや、どんだけ強いんだよそのお師匠とやらは。
 というか裏を返せばそのお師匠さん以外にはかなうととれるんじゃないか?

 火憐ちゃんは自称ファイヤーシスターズの戦闘担当である。
 しかも中学生にしてしっかりと実力がともなっているのが余計にたちが悪かった。
 月火ちゃんのつきだした人差し指はそれ自体が意志を持っているかのように、どうだといわんばかりにグイーンと胸を張っていた。

「それはそれとしてさ」

 さっき気になったことを聞いておきたかった。

「月火ちゃん。火憐ちゃんの話では、彼氏以外の男子に告白されたんだってね。いや、もちろん断ったんだと思うんだけど、そこらへんのことをちゃんと聞かせておいてくれよ」

 半熟卵の乗ったハンバーグを口に運んでいた月火ちゃんが
 気がついたようにハッした表情になる。

「そうだねー、私としては好きだといってくれるのはうれしいから、本当はそういう人たちみんなとお付き合いしてあげたいって思うよ」

「月火ちゃん、それは博愛主義が強すぎるってもんだぜ」

 というかはぐらかさないでどうだったのか教えてくれ。

「そういうときは自分とタイマンして勝ったやつと付き合うっていうのはどうだい?」

「火憐ちゃんは闘争本能が強すぎるよ!」

 というか中学生で、というか中学生のくくりがなくても火憐ちゃんに勝てる男子なんてそこらにいるのだろうか。いるとしたら豪鬼とかそういう類の人間なんじゃないだろうか。

「それより男たちを殺し合わせて生き残った一人を選べばいいんじゃないかしら」

「戦場ヶ原は猟奇性と残虐性が強すぎるーっ!?」

 というか僕の彼女だった。

「ちなみに生き残った男が気に入らなければそいつも殺すわ」

 そうかよ。
 というかそれだと僕は少なくとも戦場ヶ原に気に入られてはいるってことなんだよな。
 もしそうだとしたらそれは光栄というかなんというか。ともかくありがたいことだ。

「それに中二病とあららぎ君は言うけれど、実際のところ私たちも中学生のときはそうだったと思うわよ?」

「いやいや、僕は中学時代にファイヤーなんとかなんていって手当たりしだいに事件を解決しようなんてしてなかったけどな」

「そうね、あららぎ君は今だって現役バリバリだものね」

「そうかな、僕はこの二人のような括りで動こうって気はこれまでも微塵もなかったぜ」

「ふぅん、あららぎ君ってそうなんだ」

 少し笑ったような目で見られると、なんだかむずがゆくなってしまう。

「私だって一昔前は、かわいい人語をあやつる動物を服従させたり、重力を自在にあやつれたりしないかなーって、思ってたことがあるわよ」

 それは意外だな。戦場ヶ原といえば、3歳を過ぎたあたりからサンタクロースの不在を看破し、
夜中に自分の枕元に現れる不審な人間など逆に罠にかけて捕獲して問答無用で警察に突き出してやろうくらいのことを考えるくらい、クレバーなやつって印象だったけど。

「あららぎ君だってそうだったんじゃないの?鬼の力を手に入れたいとかそういうことを考えてたんじゃないかしら」

「どうだったっけな。よく覚えてないや」

 それはなかなかにギリギリな質問だ。実際のところそういう力みたいなものに思いをはせたことはあるが、
事実、本当に不本意な経緯を経てだが鬼の力は僕の体に宿ってしまっていた。
 自然に少し目が泳いでしまう。

「兄ちゃんは小学生のころはよくわからないおもちゃのベルトを巻いて走り回ってたよな」

「それで結局火憐ちゃんにジャンプしてからの斜め45度のキックを食らって甲高い声を上げて倒されてたんだよね」

「僕の恥ずかしい過去をさらりと暴露するのはやめてくれ!」

「いいえ、あららぎ君なら鬼の力よりも、透明人間になりたいなんて思ってたんじゃないかしら?」

「えー!お兄ちゃんそんなこと考えてたの!?」

 月火ちゃんと火憐ちゃんがそろって両手で自分の体を抱きしめるようにしてかばった。
 ちょっと待ってほしい、それに関する僕の異議申し立てはふたつだ。
 まず僕が仮に透明人間になったとして、なぜそれを女体をのぞきみようというエロ方面に集中的に使うだろうと思われているのかということ。
 つぎに火憐ちゃんと月火ちゃんは普段からわりとそこそこきわどい格好で家の中をうろついているということ。
 ついでに三つ目は男なら誰だって一度は透明人間になりたいと思うってことだ!!
 それは偏見ではないと思いたい。

「そういえば私たちにも兄ちゃんの学校の話は耳に入ってるよ」

「ん?なんだい火憐ちゃん。もしかしたら詳しく話せるかもしれない」

「ほら、あの人だよ。イギリスからの留学生の、エルザ・フォン・リビングフィールドさんだよ」

 ドキリとしてしまった。

「お兄ちゃんの高校ではすっごい人気者になってるんだってね、でもそれはお兄ちゃんの高校にとどまらないよ。うちの中学でも結構話題になってるもん」

 と月火ちゃん。

「そうなのかい?まぁ彼女は目立つからね。金髪だって珍しいしさ」

 どうやら彼女の話題というのはうちの高校にとどまらず、妹たちの中学にまで伝播しているようだ。
 火憐ちゃんが思い出したように話を続けた。

「そうそう、そのエルザさんも片手間で学校外のごたごたにちょいちょい首を突っ込んだことがあるらしくってさ、それも即解決しちゃうんだって。なんでも市長にも顔が利くらしくって、あの手この手で大体のことはちょちょいとやっちゃうって話だよ」

 市長に顔が利くって、僕は市長が誰かさえもよくしらないぞ。
 そういえば彼女はイギリス貴族の中では社交界の星とまで言われていたらしいけれど、もしかしてそれはイギリスの政界にだって顔が利いたりするのだろうか?
 それだったらこんな辺鄙な片田舎の一市長にホットラインを設けることも不可能ではないのかもしれない。

「ねぇねぇ、エルザさんってどんな人なのさ!!教えてよ兄ちゃん」

 火憐ちゃんが目を一段と輝かせている。
 でも僕は彼女とクラスが違うし、そこまで接点があるわけじゃないんだよな。

「んー。ほとんど話したことはないけど、いい人だと思うぜ」

 というのは火憐ちゃんと月火ちゃんも想像のつきそうなことだった。
 二人はさらに立ち入って聞いてきたのだが、結局僕も二人以上に何か知っているわけではないので、隣のクラスの生徒がちょっと見かけて、ちょっと知っているだけのどうでもいい情報が挙がるばかりだった。

 夕食を食べ終わって、僕と戦場ヶ原はテーブルのそばのソファに隣に腰掛けていた。
 火憐ちゃんはテーブルで携帯電話を操作し、今日の食事当番の月火ちゃんは夕食の後片付けをしてくれていた。

「ねぇあららぎ君、さっきの話だけれど」

「さっきの話って、どの話だよ?」

 そういえば結局月火ちゃんは別の男子の告白をどう処理したのか聞けていなかった。

「ほら、透明人間になれたらって話。あららぎ君は、もし本当に透明人間になる能力があるとしたら、どうする?」

「え、どうするって…」

 どうするだろう。男のロマンをそのまま行動に移すだろうか?実際のところ、透明人間になったらどうしますかといわれて、すぐどうするってことはあまり思いつかないな。

「私のシャワーシーンをねめまわすように凝視しようだなんて、あららぎ君はつつましい変態なんだから」

「そんなことは一言もいってないぞ!それに変態につつましいと一見人のよさそうな形容詞をつけたところで逆にただの小さい印象のやつになってるだけじゃないか!」

 そう、そんなことは一言も言ってはいない。
 チラリと頭をよぎったとはしても、だ。

「でも結局、あららぎ君は私のシャワーシーンをのぞくことさえできないと思うわ。小さいから、あららぎ君は」

「どうせ僕は度胸のない人間だよ」

「あら、私はほめているのだけれど、あららぎ君の素敵な小ささについて」

「まったくほめられてる気がしないぞ」

「だってそうでしょう?普通の人間が、透明人間になったとしたらどうすると思う?予想でしかないけれど、きっとあららぎ君が想像したような欲望を実行にうつしたり、誰かにいたずらをしたり、そういうことをするんじゃないかしら」

「うーん、そうなるのかなぁ」

 でも実際そうなのかもしれない。透明になれるという能力は、基本的には日常生活において必要とされない能力ということになるのだろうか。

「つまり人間っていうのは、本質的にはアナーキーなのよ、いろんなものに縛られているから、一見人畜無害なようであって、もしかしたらそれはそうせざるをえないからそうだというだけかもしれないじゃない?でもあららぎ君はそうじゃないのよね」

「どうかな、それだってわからないぜ。だって僕は実際透明人間になれないからそう思うだけでさ、もし本当に透明人間になれたら戦場ヶ原にあんなことやこんなことをやっちゃうかもしれないぞ」

「いやだわあららぎ君。子豚が狼のふりをするとあまりに滑稽だわ」

「どうせ僕は小さい人間ですよ!」

「でもあららぎ君は透明人間にこそなれないけれど、それと等しい、いえ、それ以上の力を持ってる、ともいえるじゃない?」

 ん?そうかな?そういうことになるのだろうか。
 確かに僕の体は普通の人間のそれではない。
 僕の体は、半端に吸血鬼のそれだった。
 もとをただせば、世界をほろぼすことだってできる、怪異殺しの力である。

「でもあららぎ君は、それでもやっぱりあららぎ君なのよね」

「そうかなぁ。僕だって戦場ヶ原や、忍や羽川や、忍野や何やに監視されてるようなところはあるだろうさ」

「それだって振り切ろうと思えばやってやれないことはないでしょう?」

 そういうことになるのだろうか。まぁそうかもしれない。

「だから私はあららぎ君のそういう小さいところをちょっと好ましく思ってるのよ」

「いいことなのかわるいことなのかわからないけれど。うれしいよ戦場ヶ原、ありがとう」

「いいのよあららぎ君。だってあららぎ君のあまりに数少ない美点のひとつなんだもの」

 ほめながらけなされると倒錯した気分になるもんだ。
 それは戦場ヶ原流の照れ隠しだと思いたい。
 9割以上の確率で素なんだろうけどさ。



「あー!兄ちゃん!月火ちゃん、ちょっと出かけてくるよ!!」

 携帯電話をいじっていた火憐ちゃんが急に立ち上がって出立を告げた。
 僕が火憐ちゃんのほうを振り向いたときには、
もう火憐ちゃんは玄関に走り出していて、
僕にはリビングの扉から出て行く火憐ちゃんの後ろ姿が見えただけだった。

 月火ちゃんが台所からいってらっしゃーいと声をかけ、
火憐ちゃんは足早に玄関から飛び出していってしまった。

 相変わらずミサイルみたいな妹だった。


「それじゃぁあららぎ君。私たちはまだ残っている宿題をやってしまいましょうか」

「あ、ああそうだな。助かるよ。さっさと終わらせてしまおう」

「できるものならやってみなさい。そう簡単にはやらせないんだからね」

「戦場ヶ原はどっちの味方なんだよ!?」

 僕は戦場ヶ原に促され、彼女を案内して二階の自室に向かった。

 月火ちゃんは、キッチンで大体の後片付けを終えたようだった。

 玄関はやはり火憐ちゃんが飛び出していったようで、
火憐ちゃんの靴だけ見当たらなかった。


 そこまでは日常的な光景だったが、勢いよくどこかへ走っていった火憐ちゃんは、
しかし、その後家に帰ることはなかった。
 その一日後も、三日後も、ただいまと、この家に帰ってくることはなかったのだ。



[38563] エルザバード004
Name: 3×41◆ecb68eaf ID:b0318dc4
Date: 2013/09/29 09:23
僕の大きいほうの妹、阿良々木 火憐は、
いってきますと勢いよく出立を宣言し、僕の家で僕の隣に座っていた戦場ヶ原にゆっくりしていってねと笑顔でつげ、それから弾丸よろしく玄関から飛び出していったあと、家にもどってくることはなかった。

しかしそれだって初めてのことというわけではない。
火憐ちゃんが数日家を留守にするということは、それ自体は今回が初めてではなく、それは家出や友人に起きた小さい事件に首をつっこんでのことではあったけれど、ああまたか、あとで帰ってきたら文句を言ってやろうと思う程度のことだともいえた。

しかしいつもと違う点もあった、火憐ちゃんは家を長く留守にするような場合は、家出の場合は荷物も何からもっていくし、そうでなくてもしばらく家を留守にすると、置手紙、携帯電話を使うようになってからは少なくともメールくらいは残していっていた。

今回はそれがなかった。
火憐ちゃんは、火憐ちゃんがちょうどちょっとコンビニにいってくるくらいの勢いで家を飛び出し、その日も、そしてその四日後の今日も帰宅することはなかったのだ。



「どうしたのだ阿良々木先輩。どうにも浮かない表情をしているじゃないか」

「ああ神原か、お前は相変わらず元気そうだな。うらやましいよ」

「ああ、おかげさまでな。元気テカテカだ!阿良々木先輩と話ているだけで私はさらに元気になっていく心地だぞ!!」

「やめろよ。勝手に僕の元気を吸い取っていくんじゃない」

なるほど確かにこいつの表情は太陽のようだけれど、それをいうならサンサンといったほうが適当なのではないだろうか。

「加えて昨日、実によいBL本を読み終えたのでな。今日の私の活力は主にその二つによって支えられているのだ!」

「お前が昨日読んだBL本と僕を同じカテゴリでくくるんじゃない!!」

 相変わらずのポジティブシンキングだった。まるでこいつが触れるすべてのできごとはその良しあしに関係なくこいつのエネルギーになってしまうかのような、ポジティブシンキングというよりむしろエコロジーシンキングだ。
僕に真似できるとは思えないし、真似したいとも思わないけどな。

 それは学校の廊下を歩いているときのことだった。いつものように疾風のように現れた神原だったが、しかし僕が少々気のない挨拶をしたことで、いつもとの心境の違いを気取られてしまったらしい。
 いろいろと詮索される前におとなしくことの次第を話しておくことにした。とはいえ火憐ちゃんが家を出たときに戦場ヶ原が居合わせていた事はいわなくてもいいだろう。

「ふむ、委細承知したぞ。しかし阿良々木先輩、彼女が家を長期間留守にするということはこれまでにも何度かあったことなのだろう?」

「ああ、確かにそれはそうなんだけど、それでも昨日くらいには帰ってくるものと思ってたし、これまではメールで連絡するくらいはしてたんだよ。今回はそれもなかったから、さすがに気になるんだよな」

 ふーむ、神原はそういって先ほどの皮の下に全部元気をつめこんだような表情から一変して、信憑にうつむいて黙考した。
 自分の妹のことで煩わせてしまうのは少々申し訳ない気がしてくる。

「もし仮に阿良々木先輩の妹さんの宿泊先で、かなり濃厚な百合が展開しているとすれば、外界とのかかわりを一切絶ってしまいたくなる心情は理解できるのだが…」

「僕の妹は百合じゃねーっ!!」

 というか神原が百合だった。なんだその純情恋愛路線を一直線にひた走っているように見せといて実は目的地がエロ同人誌の即売会でしたみたいな歪んだ推論は。
 僕の妹は女二人で世界のすべてを形成してしまうようなディープな同性愛者だったのか?
 もちろんそんなことはない。妹は百合ではないし僕だって決してぜんぜんそれはもう一切の疑いの余地なくBLではないのだ。
 大体火憐ちゃんには彼氏がいるらしいしな。それだって僕は認めちゃいないのだけれど。

「もちろん冗談だよ阿良々木先輩。先輩の妹さんにかなりの素質があると思うのは本当だが、どうか肩の力を抜いてほしい」

「肩の力を抜けと言っておいてさらりと聞き流せないことをつけくわえるんじゃない」

「ああ、それに関してはマイケルジョーダンやロナウドクラスだといっておこう」

 世界クラスだった。というか世界クラスの百合っていったいどんなものなんだろう。
 少し気になるがこれ以上踏み込むといろいろおかしいことになりそうなのでひとまず置いておこう。
 加えて火憐ちゃんが百合に進みそうになったら全力で阻止することを心に刻んでおく。
 とはいえ今はその火憐ちゃんが不在なのだった。

「となれば妹さんが、そのときどこに向かっていたのかというのが重要なてがかりになるんじゃないだろうか」

 と神原。

「ああ、確かにそれは一理あるな。それに関してはあいつが家を出る前に、携帯をいじってたからどこかから連絡が来て、それを見て出て行ったんだと思うんだけど、その携帯は本人が持って行ったし、その内容は僕にはさっぱり見当がつかないから、まずはそこからってことになるな。ひとまずもう一人の妹に何か知らないか聞いてみることにするよ」

「ふむ、流石は阿良々木先輩、私の考えることなどすでに検討しつくしたあとだと言うわけだ。重ね重ねおそれいる」

「そんな大したことじゃないよ」

 というかこれは今朝戦場ヶ原が言っていたことだし。

「ところで阿良々木先輩。私もつい先日部活の試合を終えて、今は自主トレ期間で手があいているのだ。そこで是非私も力を貸させてはもらえないだろうか」

「いや、それはありがたいんだけどさ、これは僕の妹のことだしあまり迷惑をかけるのも気が進まないんだよ。でも、そうだな、とりあえず何か気がついたら教えてくれると助かる」

「ああ、承知した。もとより私は自主トレでランニングをかねてそこそこ走るからな。ほかならぬ阿良々木先輩のためだ、力の限り協力させてもらいたい。がんばる駿河ちゃん出動だ!」

「いっとくけどな神原、そのあだなはたぶんはやらないぞ」

「別によいのだ。実際のところこのあだなを披露しているのは高校に入ってからは阿良々木だけだしな」

 そういって神原は行ってしまった。
 僕はそんなに気のない顔をしていたのだろうか。
 とりあえず戦場ヶ原にも同じことを言われないようにもう少し明るい表情を心がけよう。


 その日は学校全体の清掃があった日だった。
 僕は昼休みに戦場ヶ原と昼飯を食べて、不自然な笑顔は気持ちが悪いと戦場ヶ原になじられた後、午後の授業を終えて僕に振り分けられた清掃区画である体育館で作業をしていた。

 今日は体育館で1年か2年か、あるいは学生とは関係のないイベントがあったらしく、体育館には簡易のイスが敷き詰められていた。

 体育館の清掃班は、といっても100人近くいたのだけど、とりあえずはそのイスをえっさほいさと片付けて、そののちに体育館周辺の清掃計画を立て始めたのだ。

 それがまたおっくうで、生徒の自主性を育てる方針なのかなんなのか、直接聞いたわけじゃないが、その清掃の分担は生徒たち自身で決めることになっていたから場はちょっとした騒ぎになっていた。
 10人程度の班ならそれでもすんなり事は運ぶのだろうけど、なにぶん人数が多すぎた、
 人だかりがコピーされた体育館の図面に向かって角砂糖に群がる蟻のようにごった返していた。
 まぁなるべくやりたくないところにはいかないようにしたいのはわかるんだけどさ、
僕は僕でとりあえずあまったところに行けばいいやくらいの感覚でその人だかりの外のほうで早く決まらないものかと手持ち無沙汰に待ちぼうけだった。

 体育館の二階の清掃とか、体育館倉庫の整理とか、体育館周辺の掃除とか、体育館横の庭の清掃まで含まれていて、あーだこーだと遅々としてしか進まないようでこのまま進むと清掃時間よりもむしろ作戦会議の時間のほうが長引きそうな感さえある。

 僕が横目にどこでもいいから早く決まってくれないかと人だかりのほうを見ていると、その人だかりが体育館の入り口のほうから静まり返っていくのが察せられた。

 それはまるで水面に落ちた水滴の波が伝播するかのように、体育館の入り口の人だかりから静寂が伝播して、ちょうど群集の反対側の僕のほうまで静かになった。
 ついでその群集がまるで海がわれるかのように体育館の入り口のほうから一直線に割れていくのだ。
 なんだ?と思って僕がそちらを向いた一足さきに、僕にも見えるところにひとだかりを割って現れたのは、あのイギリス社交界の星、エルザ・フォン・リビングフィールドだった。

……

 彼女はモーセか何かなのだろうか。
 エルザさんが人だかりを割って現れ、体育館の図案に目を落とした。
 彼女は体育館の清掃班に入っていなかったように思うんだけど。それを僕が知っているのは単に彼女の名前はえらく目立つからだ。

 彼女が言ったことは三言だった。

「みなさんごくろうさま。体育館の清掃のことだけどよかったら私にも手伝わせてもらっていいかしら?」
 簡単に了承された。というか大歓迎といった雰囲気だった。

「それじゃぁ私は体育館倉庫の清掃を担当させてもらってもいいかしら?」
 それは大変なほうの部類だと思ったけど特に誰も反対しない。
 自ら大変な役割を引き受けるとは、どうも彼女は強い奉仕精神の持ち主らしい。

「そうね、あと一人誰か手伝ってほしいかなぁ…」

 体育館の図面に目を落としていた彼女だったが、そういって不意にその顔を上げた。
 顔を上げた彼女の目は僕に向けられていたものだから、反射的にのどをならしてしまった。
 清い湖畔を思わせる、あの青い目に僕が映りこんでいる。

「それじゃぁそこにいる阿良々木くん、私とあなたが体育館倉庫の担当ということでいいかしら?」

 僕にそれを拒否する理由はなく、そういうわけで少なくとも体育館倉庫の清掃は僕を除いて満場一致の様相で可及的速やかに決定してしまったのだった。



 体育館倉庫はなかなかの広さだった。二人でやるには広すぎるんじゃないだろうか。
 エルザさんに言われて、僕は床の掃除をして、彼女は備品の移動と整理を行っていた。

 僕が床をサッサと掃きながら横目で彼女を見ると、
ちょうど高めの棚にバトンセットやメガホンやらが入った箱を直している最中だった。
 軽く背伸びをする彼女もどこか絵になるように思った。ここが体育館倉庫であるにもかかわらずだ。

「どうしたのあららぎ君、手がとまってますわよ?」

 その通りだった。何気なく彼女を見てほうけたようにそのままかたまってしまっていたのだ。
 彼女が含み笑いをしたように僕と視線を合わせた。
 それにしても手がとまってますわよとはお嬢様言葉だったが、彼女が言うとおさまりよく聞こえるから不思議だ。

「ご、ごめんごめん。ちょっとボーっとしててさ」

 謝って再び箒を動かそうとすると彼女はフフフという声でコロコロ笑った。

「あはは、やっぱりますわよっておかしいわよね。あららぎ君、あなたは日本でのお嬢様言葉って、どうするべきだと思う?なになにですわ、とか、もしくはなになにですわよ、っていう言い回し」

「え、お嬢様言葉か…そうだなぁ。実際のところ本当のお嬢様学校なんていうところではそういうしゃべり方が主流なんだって話を聞いたことはあるけど、そういう場合をのぞいたら砕けたしゃべり口調のほうが普通だと思うかな」

「やっぱりそうよね」

 エルザさんはそういって、別の用具に手を伸ばした。そもそもイギリス貴族である彼女にこのような雑用をやらせてしまっていいのだろうか。

「日本に来るときにじいやの一人が最初に教えてくれたのがお嬢様言葉だったのね。だから私も最初はやんごとないしゃべり口調だったんだけど、日本の映画やドラマを見てみたら、そんな口調いっさいでてこないじゃない?そのとき私がどれだけ驚いたかきっとわからないわよ」

「ああ、そりゃぁそうかもしれないね。それだったらお嬢様言葉だって一種の方言っていえるだろうし」

 ん?じいやの一人?じいやの一人って、じいやオブじいやズ?
 じいやってあれだよな、いわゆる執事というやつだ。
 じいやなんて普通いないけどいるとして高々一人だろう。なんだか本当に別世界と言う感じだ。

「じいやたちからしたら、ノイマン家の格というものが大事なのかもしれないけど、わざわざなじみのない言葉で話しても仕方ないじゃない?こっちでの住居だって私はもうちょっとこじんまりしててよかったんだけど、結局町外れの洋館を借り入れちゃって、気持ちはうれしいけどもうちょっと肩の力を抜いていいと思うわ」

 この街外れに洋館なんてあったのか。
 そういえばこの人、学校の近くまで黒塗りのリムジンで送ってもらっているらしい。
 彼女の言うノイマン家の格については想像もつかなかったが、エルザさんのじいやとやらはもしかして日本の上流階級についてある種の偏見を抱いてるんじゃないか?
 まぁ僕も詳しく知ってるわけじゃないけどさ。

「あとね、こんなこと表立って聞いてもいいのかわからないんだけど」

 にわかに神妙な顔つきだった。

「あの、忍者ってどこにいるのかしら?やっぱり影のものだから、表には出ないものなの?」

「いや、僕も実際見たことはないんだけど、その、たぶんいないんじゃないかな」

 エルザさんにもなかなかにたちの悪い偏見があるようだった。
 やはり隠しているのかといぶかしむ彼女のそこらへんの誤解を解くのに苦労することになった。

「ほんとうに?でも日本の忍者が実在することは歴史書にもあることなのでしょう?」

 それはそうなんだけどエルザさんのいう忍者はなんというかおかしな進化をとげてるそれであって、それは当時の忍者の方々に話せば、いや、それはないわと即否定されてしまうものなのだ。
 後学のために彼女が日本文化を勉強したというはた迷惑な映画とドラマを教えてほしい。

 体育館倉庫の外ではやっと清掃の分担が決まったらしく、ガヤガヤと別の賑わいが察せられた。

「阿良々木君、この脚立を押さえておいてくださらない?」

 エルザさんが、体育マットのとなりに脚立を立てかけていった。
備品を高さのある棚にしまうためだろう。

「ああ、かまわないよ。代わりに僕がやろうか?」

「ありがとう、でもそれだと二度手間だから私がやるわ」

 僕が脚立を支えると、エルザさんはカタカタと脚立を上っていく。
 ここまで彼女に近いと、いつぞやの香りに鼻腔をくすぐられた。
 どうも香水じゃないんだよなぁ、もしかしてイギリス人ってみんなこんなにいいにおいがするものなのだろうか?
 それとなく勝手にノドが動いてしまう。

「あ、エルザさん気をつけてくれよ。高いところで体を伸ばすと不安定になるからさ」

 思い出したように僕が見上げてエルザさんにそういったとき、すでに彼女は足をすべらせた状態で僕の頭上からふってきていた。


 そこからは矢継ぎ早だった。
 僕が驚いたまま動けずにいると、彼女は当然そのままふってきて、僕が頭からやわらかい感触に押しつぶされてバランスを崩すと、ちょうど体育館倉庫の地面に置かれた体育館マットの上に二人して倒れこんでしまった。

「あっつ…エルザさんは?」

 彼女も怪我はないようだった。というかエルザさんは僕の上に覆いかぶさって、至近距離から僕の顔を覗き込んでいた。
 あの青い目だ。今は青じゃなくてにわかに金色がかって輝いているように見える。
 心臓がわしづかみにされているように収縮するのがわかった。
 直接息がかかりそうな距離だ。僕の息はあらくなってないだろうか?

「あの、エルザさん…」

 彼女が覆いかぶさって身動きがとれなかった。
 彼女は至近距離から僕の瞳を覗き込むと、その整った顔のきれいな唇をゆっくり開いた。

「阿良々木、この前のこと、考えておいてくれた?」

 ひときわ強く心臓がはねた。

「な、何のことを…」

「ほら、阿良々木が私の奴隷になるって話だよ」

 彼女の金色がかった碧眼が僕をのぞきこんでくる。
 まぶしい光を当てられたかのように僕の目は細まり、頭にモヤがかかったようにぼうっとしてくる。

「ぼ、僕は…」

「僕は?」

 おぼれるように空気を飲み込んだ。
 花のような香りが鼻腔に充満する。
 心臓ははやがねのように、飛び出しそうなほどにのたうちまわっていた。

「僕は…」

「いーけないんだ。何をしているの阿良々木君?」

 聞きなれた声にはっとした。
 はねるように首を横にして体育館倉庫の入り口を見ると、そこには戦場ヶ原ひたぎが、底冷えするような目線で僕を見下ろしていた。

 見下ろしていたというか、見下していた。
 非難めいた意思をありありと察することができる。

 僕はまな板の上の鯉のようにじたばたもがき、僕の上に覆いかぶさったエルザさんがぱっとのくと僕はすぐに立ち上がった。

「戦場ヶ原、これは違うんだよ。もしかしたらさっきの状況を見ると一見なにかやましい不健全なことが行われようとしていたかのように見えるかもしれないけれど、これは単にエルザさんが脚立にのぼって僕がそれを支えていたら、偶然バランスが崩れてこうなったというだけの極めて健全な事故にすぎないんだ」

「へぇー」

 戦場ヶ原はそれだけいうとまた黙ってしまった。

 さっきとは違う意味で心臓がバクバク言っていた。
 まるで凍った手で心臓をサンドバックのように殴られているかのようだ。
 戦場ヶ原はしばらく僕を見ると、口をひらいた。

「本当にそうなの?エルザさん?」

 戦場ヶ原に尋ねられたエルザさんは、あどけない笑顔でいった。

「そうね。そういうことにしておきましょう」

 え?なに?なんで真相は違うけどとりあえず話をあわせておこうかな的なニュアンスがありありと現れているんですか?

「ちょっとした吸った揉んだがあっただけよね」

 ちょっと待ってくれ。
 仮にエルザさんが日本語に不慣れなイギリス育ちで特に他意のない発言だったとしても、今その言い回しは危険すぎる!!

 僕の疑問をよそに、エルザさんは戦場ヶ原の脇を通って体育館倉庫を出た。
 そのでしなに、彼女は振り返って蠱惑的な笑みを僕に向けた。

「そうだ阿良々木君。今度私の家に遊びにこない?無駄に広くて一人じゃちょっと寂しいのよね」

「あ、うん、そそそそうだね。かか考えさせてもらおうかな」

 キョドりまくりだった。
 僕が言うと彼女は手をふって挨拶をして行ってしまった。
 体育館倉庫には僕と入り口に寄りかかって僕を見る戦場ヶ原だけがいた。ガハラさんの視線が怖い。

 バタン。

 扉が閉められる。
 扉の前には戦場ヶ原。

「あららぎくん。ほかになにかいいたいことはある?」

「いや、戦場ヶ原、ほんとうに何もなかったぜ?」

 少なくとも戦場ヶ原が想像しているかもしれないようなすったもんだなど誓って皆無だ。

「わかりました。一応は信用しておくわね」

 戦場ヶ原は僕を一瞥すると、何かを持った右手を僕のほうに向けていった。

「あららぎくん。これなーんだ?」

「それは、コンパスだけ…」

 言いかけたところで、口の中に強烈な違和感を感じた。
 気がつくと戦場ヶ原が僕の目のすぐ前で僕の瞳を覗き込んでいた。
 まるで僕の瞳の奥に何か探すかのようにまっすぐ見つめられる。
 そして戦場ヶ原の右手のコンパスは、僕の開いた口の中に突っ込まれていた。

「あららぎ君、これは仮定の話なのだけれど」

 戦場ヶ原が僕の口にねじこんだコンパスの針で、僕の口腔の裏をなぞっていく。僕は戦場ヶ原の視線と口の中に金属の針をねじこまれているという事実に微動だにできずにいた。

「もし、もしあららぎ君が、私の存在を忘れて、ほかの女とくんずほぐれつ二人大プロレス大会でも始めようということだったのなら」

 戦場ヶ原が僕の耳元に唇を近づけて、ささやくように優しい口調でつげた。

「絶対に許さないんだからね」

 ゴクリ、とのどを鳴らしてしまう。

「あ、ふぁふぁっへふよへんひょうはひゃら」

 わかってるよ戦場ヶ原。
 わざわざ僕の口にコンパスなんて突っ込まなくても、僕と戦場ヶ原はお付き合いをしてる関係なんだぜ。
 お前はおもい、というかかなり、っていうかめちゃくちゃ重いやつだけど、最近はその重さもちょっと好ましく思ってさえいるんだよ。
 それはそれである意味恐ろしいことのようにも思えるけどさ。





[38563] エルザバード005
Name: 3×41◆ecb68eaf ID:b0318dc4
Date: 2013/09/30 07:23
 僕と戦場ヶ原は学校から自宅への道とは別の道を歩いていた。

 さきほど月火ちゃんにしたメールの返事がきていた。
 火憐ちゃんがどこにいったかの心当たりについてたずねたメールである。

 いわく二人はまたしてもそこそこの小事件に首をつっこんでいたらしい。
 いま向かっている地区のヤンキーというかチンピラというか、そういうちょっとした無法者集団が最近勢力を増しているという話なのだ。

 それは本来警察に任せればいいのではないかとまず思うのだが、実際のところ警察はそのようなグレーゾーンを処理するようにはできていないらしかった。
 そもそもヤンキー集団というのは基本的にそれぞれの派閥の力関係が均衡している限りは大それた動きは見られないということらしい。
 だが、どうにもそのヤンキー集団が勢力を増して、火憐ちゃんたちの栂の木二中の生徒たちも含めその被害に巻き込まれだしたことを受けて栂の木二中のファイヤーシスターズ出動ということになったのである。

「まさか返り討ちにあったんじゃないだろうな」

 にがにがしげにひとりごちてしまったが、おそらくそれはないだろうと思われる。
 腐ってもファイヤーシスターズの戦闘担当、そこらのチンピラなど100人相手にしても大丈夫というくらいの頑強さを備えている火憐ちゃんだ。単に腕っぷしで負けるようなことは考えにくい。

 やはり直接聞いてみるしかないか。
 そこらの中学生を毒牙にかけようなどという輩を相手にするのはそもそも気が引けるが、あの夜火憐ちゃんがすっとんでいったのがそいつらのところなんだから仕方のないことだ。

 さしあたった問題は、涼しげな顔で僕の隣を歩いている戦場ヶ原だった。

「なぁガハラさん?やっぱり一緒に行くっていうのは気が引けるんだけど」

「おやさしいのねあららぎ君。私のことを心配してくれるなんて。それとも相手が雌だったらどんな人間でも、犬でも猫でもカタツムリでもそんなにやさしいのかしら?」

 なんだろう。口調がいつもより若干トゲトゲしい。
 といってもいつも戦場ヶ原はトゲだらけだからいまさらそのトゲが一つ増えたところでそんなに気にならないといえばならないんだけど。
 ついでにカタツムリは雌雄同体である。

「そりゃあそうだよ。当然だろう。ミスタードーナツに行くのとはわけが違うんだぜ。言ってみれば飢えた虎の群れに飛び込もうとしてるわけで、本当なら僕一人でいくところなんだから」

 本当なら僕一人でだって行きたくはなかった。
 それにチンピラ集団というと男だらけで構成されていると相場は決まっているのだ。
 そんなところに何を勘違いしたのか男女のカップルが飛び込んできてすいません僕の妹を知りませんかと言ったとなるとこれはもうどうにも心証が悪いことこの上ないのだ。

「なぁ戦場ヶ原、やっぱりお前は、せめて工場前で待っておいてくれないか」

 戦場ヶ原が意外そうな表情でこちらを見る。

「あら、意外だわあららぎ君。私たちはそんなところに行こうととしていたの?右下腹部に激しい痛みが襲う寸前の場面になんて」

「それは盲腸前だ。僕たちが向かっているのは工場前だ」

「さすがの私も学校のトップを前にしてあなたを待つのは気が引けるのだけど」

「それは校長前だ。うちの校長だって忙しいだろ」

「朝起きてすぐでいいのかしら」

「朝飯前だ!頼むから話を進めさせてくれよ」

「いいじゃない。私だって場合によっては役にたてると思うわよ」

 いや、僕が一番心配しているのはむしろその戦場ヶ原が役に立ってしまう場合のことなんだけどなぁ。
 最悪死人が出なければいいんだけど。いやいや、決して彼女に殺人の前科をつけさせるわけにはいかない。
 結局僕は戦場ヶ原もゴロツキ集団もどっちも守らなければならないんだろうなぁ。

 例の集団はこの先の廃工場あとをたまり場にしているらしかった。
 おそらく火憐ちゃんもあの夜この道をいつものようにミサイルダッシュでかけていったに違いない。

 ちなみに道中「あれ、何良々木さんじゃないですか」と、一瞬阿良々木と読めてしまいそうで、実は僕が何種類かいるかのような名前で声をかけてきた八九寺とであったのだが、あいつが戦場ヶ原を見たとたん突然に火急の要なるものを思い出したらしくそそくさとどこかへ行ってしまった。

 僕と戦場ヶ原が廃工場の巨大な煙突が見える道路を歩いていると、ふいにちょうど僕たちの後ろから黒い車が走ってくるのがわかった。

 あまりに見慣れないマットブラックだったので、振り向いてよく見ると、それは黒塗りのリムジンだとわかった。

 はてこの街にこんなリムジンに乗るような人間が一人でもいるだろうか、いたらそりゃあそうとうなセレブで、こんな辺境の街とセレブっていうのは、サハラ砂漠とシロナガス鯨くらい相容れない組み合わせだ。

 そんなわけで、こんなリムジンに乗っている人間で、僕の脳裏に出てくる人間は一人だった。

「ハロー、阿良々木君」

 リムジンの後部座席の窓が開き、思ったとおり、エルザさんが顔を出したのだった。
 リムジンの黒と彼女の金髪はどうにも色あざやかである。

「こんなところで会うなんて奇遇よね。こっちってあなたの自宅の方向じゃないわよね?なにか楽しいことでもしてるのかしら?」

 エルザさんは僕の隣の戦場ヶ原にも気づいて笑顔でヒラヒラ手をふると、戦場ヶ原が軽く、手短に挨拶を返した。
 というかよく考えたらこの人僕の自宅とか把握してるんだろうか。
 いや、学校からの帰り道の最初らへんを知っていたというだけのことだろう、たぶん。

「ああ、うん。ちょっと野暮用でね」

「野暮用?それはなかなか意味深ね。このあたりは治安があまりよくないのよ。阿良々木君はヒーローごっこは小学生で卒業したんでしょう?」

 なかなか痛いところをついてくる。
 しかしさすがにその治安の悪さの根源に今から行こうとしているとか、それが僕の妹が四日前から行方が知れずその手がかりを探しに行こうとしているとか、さすがにそういうことをここで言うのもはばかられる。

「ちょっと家の用事でね。まぁつまらないことだよ。気にしないでくれ」

「ふぅん」

 そういって、彼女はサッと僕の目を覗き込んだ。
 彼女の碧眼が僕の瞳の中から何か手がかりでも探そうとしているかのようだった。
 たまらずちょっと目をそらしてしまう。

「まぁいいわ。会えてうれしかったわよ、阿良々木君に、戦場ヶ原さん。それじゃぁまたね、ごきげんよう」

 彼女はそう別れをつげて、運転席のほうをチラリと向いてじいやだしてちょうだいというと、再び窓を上げて黒いリムジンは行ってしまったのだった。

「あららぎ君はモテモテ大魔王なのね。うらやましい限りだわ」

 背後から戦場ヶ原が言った。

「別に僕はモテモテでもないし、大魔王でもねーよ。だいたい大魔王っていうなら戦場ヶ原のほうがよっぽどしっくりくるぜ」

「私は魔神よ」

「魔神!?お前神様だったの!?」

「申し遅れていたわね。ちなみに閻魔大王ともツーカーの関係なのよ」

 うっ、あれあれーなんだか今日はチクチクくるなぁガハラさん。
 しかし僕は今現在特に閻魔大王様を前にしてやましいところはなんらない、ハズである。

「鼻の下の長さが2cmになっているわよ」

「えっ、うそっ!?」

 あ、よく考えたら僕の鼻の下の長さは常日頃から2cmはあった。
 テンパる僕をニヤつきながら見る戦場ヶ原にすこしバツが悪くなってしまう。

「とにかく。それじゃぁ行くぞ」

「私は死なないわ。あなたが守るもの」

「命のやり取りが想定されてるー!?」

 そして僕がその盾になる想定らしかった。
 ならなおのこと戦場ヶ原は外で待っていてほしかったのだが、そこはどうにもならないとあきらめて、僕と戦場ヶ原は古びた廃工場の敷地へと足を踏みいれ。
 その中へと入っていった。





「だれかいないのかな?今日は留守なのか?」

 工場跡はかなりの広さがあり、そこかしこに倉庫や建物があった。
 火憐ちゃんは夜中によく一人でこんなところに乗り込めたものだ。

 戦場ヶ原も僕とつかず離れずの位置からあたりを見回している。

 ふいに、下のほうから、具体的には僕の影から声が聞こえてきた。

「なぁお前さま、ここはどうにもくさいのう。できれば早く場所を変えてはくれんかの」

 僕の吸血鬼の根源である、大元の吸血鬼の忍という少女である。
 もっとも今はある事情からその力のほとんどすべてを失って僕の影に潜んでいるだけである。
 しかしそんなににおうだろうか?特にさきほどと違うようには思わないけれど、吸血鬼の嗅覚というやつか?

「ここは結界がはっておるぞ。おまえさま、それもおおぶんにお粗末、素人仕事じゃな。よどんだ力の濁流が鼻にきてかなわんのじゃ。ああくさいくさい」

 結界?まじないの類だろうか。
 そういえばここのグループが最近急に力を伸ばしていると、月火ちゃんは言っていたが、それはそのお粗末ながらどうやら機能はしているらしいそのまじないが関係しているのだろうか。

「そういえばおまえさまは人を探しておるんじゃったか。それならはようしてくれ。ほれ、そこの正面をずずいといった右手の倉庫に力のゆがみが複数集中しておるぞ。まぁくれぐれも気をつけてのう、かかか」

 忍はそれだけいうと、再び影の深くにもぐったようで、気配が感じられなくなった。
 友好的な人たちだったらいいんだけどなぁ。




 忍がいった倉庫に入ったあと、結論から言うと僕はグルグル宙を舞っていた。
 暗く広い倉庫がクルクルと視界の中を回転する。

 そして急に無重力になったかと思うと、僕は宙を滞空して、倉庫のちょうど真ん中にいた戦場ヶ原の足元に胴体から突っ込んだ。

 ヤンキー集団はいたにはいたが、ぜんぜん友好的ではなかった。
 倉庫に入るなりその倉庫の中にいた20人ほどの人間に囲まれてしまっていた。

 そして目の前の男が一人こちらに近づいてきたものだから、僕が戦場ヶ原をかばうようにしてそいつのほうに歩くと、パっと手をつかまれて持ち上げられたあとグルグル振り回されて、ぶん投げられてこの体勢になっていた。

「カッ…がはっ…!!」

 体をしこたまぶつけて肺が引きつってしまう。
 それを見て周りの不良たちがゲラゲラ笑い声を上げた。

 あからさまにメンチを切るものもいれば、声を出して威嚇するものもいる、
 とりわけ

「クヒヒ、女、女…」

 などと言っているちょっとシャレにならないようなノリのやつまでいるから笑えなかった。

「あーあ」

 せきをしながら立ち上がる僕の隣で戦場ヶ原が言った。

「もしかしたら私はあららぎ君以外にもとても口に出せないようなあーんなことやこーんなことをされちゃうのかしら、あららぎ君ってそういうのでも興奮できるタイプだったりする?」

 僕だって戦場ヶ原に口に出せないあんなことやこんなこともしてねぇよ!!
 あとそんな倒錯した性癖もないわ!!

 しかし、しかしだ。人一人を片手で持ち上げてぶんなげるとはいったいどんな力なのだ。
 誰もおかしいとは思わないのか。
 不良たちを目をこらしてよく見てみると、肩口あたりから何か黒いゆがみのようなものが立ち上るのが見える。
 おそらくあれだろう。おまじないが作用し、吸血鬼の鼻についたものである。
 となると、単に20人の不良に囲まれている以上にことはやっかいだということになる。

「こりゃ人の行方を尋ねる場合じゃないな。逃げるぞ戦場ヶ原!」

 戦場ヶ原の手をとると、勢いよく反転し、倉庫の出口のほうへと駆け出した。
 だが、それを察知した不良たちが出口のほうにまわりこみ、逃げ道を封鎖してしまった。

 出口をふさいだ不良たちは、まるでネズミを追い詰めでもするかのように笑っていた。
 なんとも楽しそうだな。

 どうにも鬼ごっこが好きらしかった。
 それなら僕も鬼ごっこをしなければならないだろうか。
 忍に血を吸わせたのは二日前だったっけ。

 ならばそこそこの力は出せるだろう。
 とはいえ単に力でいうならさっきは結界だかで強化されたであろう人間にあんなに軽々と投げ飛ばされて、さらにそんなのがほかに19人もいるのでは、具体的にも骨が折れそうだ。

 やはり吸血鬼の力を動員してどうにか逃走を図ろうと画策していたとき、ふいに、それは本当にふいなことだったが、聞いたことのある、だからといって戦場ヶ原のものとは違う声をかけられた。

「こんにちは阿良々木君。さっきぶりね」

 僕と戦場ヶ原のちょうど目の前に、彼女、エルザ・フォン・リビングフィールドの姿があった。

「あっ…えっ…あっ…」

 どうしてここにいるのか、とかここは危ない、とかいろいろいいたいことはあったが言葉にならなかった。
 一番気になったのはいつそこに出現したのかということだ。
 本当に気がついたらそこにいた。

 あっけにとられる僕に、彼女は無邪気に笑っていった。
 
「こんなところで鬼ごっこ?それはそれで阿良々木君の趣味なら文句は言わないけれど、それなら私の屋敷に遊びにきてくれたっていいじゃない?阿良々木って意外といけずなのね」

 いけずとは古めかしい言い回しだが、今はそれどころではなかった。
 二人で逃げようというところが、三人になってしまった。
 おまけに戦場ヶ原もエルザさんも美少女だときて、逆に僕に対する風あたりは今年最高風速を記録しそうだった。

 僕と戦場ヶ原とエルザさんを包囲した20人の不良が薄笑いを浮かべながら近づいてくる。
 時間がない。

「よし、僕が囮になるから、二人はここから逃げてくれ。そしたら警察に連絡するのでもなんでもいい、とにかくこの場を離れてくれ」

 とにかくこの二人が逃がせればそれでいい。その間僕が死ぬほど殴られるかもしれないけれど、幸か不幸か僕は半端に不死だ。三日三晩殴られ続けてもその間に警察がくればさすがにかたがつくだろう。
 今はそれが良策だと思われる。

 覚悟を決める僕にエルザさんがキョトンとしていった。

「逃げるの?別にかまわないけれど、わざわざそうする必要もないでしょう?」

「なんでもいいから!頼むから逃げてくれ!!」

 不良たちが三人を逃げ場のないほどに囲いはじめている。

「阿良々木君がいうならそれでもいいけれど、それも二度手間だもの」

 エルザさんが僕から目線をはずし不良たちのほうを見た。
 男たちは今にもとびかかろうと両手をつきだすように上げていた。

「だから私がやるわ」

 彼女がつぶやくようにそういった、瞬間薄暗い工場倉庫が白く光に照らされた。

 次の瞬間、僕たち三人を囲んでいた不良たちが一斉に、同時に宙を舞った。
 宙を舞ったというより、吹き飛ばされた。
 僕たちを中心に同心円状にまるで花火のように19人の男たちが空中を高速で疾走して
 倉庫の壁やらコンテナやらに突き刺さった。

 吹っ飛んだ男は19人、残った一人は、エルザさんの正面で呆然と立ち尽くしていた。
 というかあの吹っ飛び方は大丈夫なんだろうか?くだんの結界によって死んではいないだろう、と思いたい。
 残った男は僕と同様にいったいなにが起こったのか把握できていないようで、僕たちとまわりを交互に見回している。

「こちらを見なさい」

 エルザさんの声に、その不良がビクっとエルザさんのほうを向いた。
 最初に僕を投げ飛ばしたやつだった。
 エルザさんはその男のほうに1歩、2歩と歩み寄ると、その男のほうを向いたままいった。こちらからだと、ちょうどエルザさんのモデルのような流れるアッシュブロンドの後ろ姿と、ほとんど錯乱しながら彼女に釘付けになる不良の顔が見えた。

「私の目を見なさい」

 彼女が言うと、男は口をパクパクさせ、しかし言われたとおりに彼女の目に釘付けになった。

「阿良々木君が用事があるらしいの。それを聞きなさいな。いいわね?」

 男はあえぐように息をすると

「えっ…あっ…」

 とまどったようにつぶやくと。

「あっ…はい」

 と、思ったより素直に承諾したのだった。



 結局、大した情報を得ることはできなかった。
 いわく、火憐ちゃん思しき少女は確かにこの工場に来たそうだが、不良の人数に形勢不利と見るや、すぐにこの場を去ったらしい。
 ただの男20人ならば火憐ちゃんが遅れをとることはなかっただろうが、この工場をおおっている、らしい、結界の異様を察知したのだろう。
 それは我が妹ながらいい判断だといえる。

 エルザさんは工場を出ると、工場の前に待たせていたリムジンに乗って彼女の屋敷へと車は走っていった。

 しかし、なんだったのだろう。
 一瞬にして大の男20人近くを行動不能にしてしまった。あれをやったのはおそらくエルザさんなのだろう。
 それはもう、結界とか、おまじないとか、そんな域を超えて人間技だとは思えなかった。あれはなんだったんだ?

「なぁ戦場ヶ原」

「なぁに?あららぎ君」

「エルザさんの、あれはなんだったんだろう?」

「私にもさっぱりよ、あららぎ君」

 だよなぁ。
 あの不可思議な、ほとんど怪奇現象は少なくとも僕たち二人には皆目見当がつかなかった。
 あれはもう、その筋の専門家の分析を待つほかないように思われる。
 あいつならわかっただろうか。春先に二言三言軽口を残し、軽々にこの街を去ったあの男ならば。


 右ポケットが振動する。
 それと同時に携帯電話の着信音がなった。

 見ると、神原からの電話だった。
 そういえばあいつもランニングがてらにいろいろ調べてみようと言ってくれていたんだっけな。

「阿良々木です。すまないな神原、もしかして何かわかったのか?」

 僕が携帯電話を耳にあてると、しかし、その内容は思っていたよりも相当に意外だった。

「はっはー!阿良々木く~ん。えらくしんみょうな声色じゃぁないか、何かいいことでもあったのかい?」



[38563] エルザバード006
Name: 3×41◆ae1cbd1c ID:b0318dc4
Date: 2013/11/18 23:45
 驚いたことに、神原からの電話に出ると聞こえてきたのは神原の声ではなく、
軽快な、軽薄な、剽軽な男の声だった。
 この春にこの町を出た。僕を半端な吸血鬼に変え、戦場ヶ原が重さを取り戻すきっかけを作った、忍野メメ、怪奇譚収集家、この世の怪異に近しいあやしげな男である。
 
『はっはー!驚かせちゃったかな阿良々木くぅ~ん。鳩が豆鉄砲食らったような声じゃぁないか!』

 ぐっ。お前は鳩が豆鉄砲食らった声を聞いたことがあるのかと聞きたかったが、どうでもいいのでおいておこう。問題はどうして忍野が神原の携帯を持っているのかということだ。

「おい忍野。ちょっと待てよ。お前まるでちょっと疎遠だった男女がちょっと気が向いて電話しちゃいましたみたいなノリだけどさ。どうしてお前が神原の携帯を持ってるんだよ」

 携帯電話に向かってたずねると、再びあの飄々とした声が返ってくる。
 
『なぜって?そりゃぁそうだろう阿良々木く~ん。君は僕のことをどう思ってるのかしらないけど、僕だって一応文明人のはしくれなんだぜ?そりゃぁ電話くらいつかうさ。そういうもんだろう?おっと電話は使えても携帯電話は使えないような老人のカテゴリにはまだ入れないでくれよ。とは言ってもこの携帯電話はここにいる元気っこちゃんに通話ボタンっていうのかい?それを押してもらったあと貸してもらったというわけなんだけどね』

 借りた?ああそうか。神原は前にいっていたとおり、ランニングがてらおそらく町中を走り回っていたに違いない。
 あたりをその現代社会においておおよそ必要とされないような驚異的な視力でなめまわすように見回していたのだろう。
 捜査においては重要なことだ。捜査をするにあたってはまず足からというからな。
 しかし幸運にか不運にか、神原は火憐ちゃんを見つけるかわりに、この30代のひょうきんな中年男を発見してしまったらしい。

「ん?てことは忍野。お前いまこの町にいるのか?」

『うん?この町っていうのは、阿良々木君が住んでいるあの町のことだよな?もちろんそうさ。そうに決まってるだろう?僕がこの元気っこちゃんに携帯電話を借りてるってことは、もうそれ意外にないだろう』

 元気っこというのは神原のことだろう。
 
「ならちょうどよかったよ。お前に聞きたいことがあるんだよ。お前さ、20人の強化人間に襲われて、そいつらを一瞬でのせるか?のすっていうか、その前に一瞬ひかって、次の瞬間には全員をふっとばす、みたいなことがさ」

 聞くと、携帯電話の向こうでうーんとうなる声が聞こえる。
 やはり忍野でもこの程度の材料ではあの現象を説明するのは難しいだろうか。

『そうだなぁ、その強化人間って単語には少し興味ひかれるけどね、阿良々木君がビビりまくってるくらいなら僕にも難しいかもしれないな。いや、というかさすがにその人数は厳しいだろう。僕だって別に基本的にはごく一般的な人間なんだぜ。わかるかな?一般的な人間の身体能力で強化人間だったっけ?それを20人、それも一瞬でだぜ?金光鳥じゃぁあるまいし、一般的な人間にそれを求めるのはいささか過分な芸当というものさ』

「そうだよなぁ」

といっても忍野がどの程度一般的な人間かってことは僕はよくしらないんだよな。
それにしても一般的な人間か、では彼女、エルザ・フォン・リビングフィールドは一般的な人間ではない、ということになるのだろうか。
それをいえば、本当なら僕だって、この電話の主の忍野だって厳密には一般的な人間だとはいえないのだろうけど。

「ん?ちょっと待てよ忍野」

 こいつ今何か言ってなかったか?
 頭にひっかかってる単語を思い出してみる。
 
「お前今なんか、金光鳥?とかいってなかったか?そいつならそれができるってことなのか?」

『はっはー!』

 携帯電話から聞こえてくる軽快な声が続ける。

『まぁ具体的には金光鳥と同化した人間ってことになるかな。あれはそういう怪異だからね。まぁそもそも西洋、詳しく言うとヨーロッパあたりの怪異だから、この日本であれにお目にかかることなんてよっぽどないと思うけどね。ただあれもなかなか難しいところがあるからあったら注意が必要だぜ。うん、阿良々木君はただでさえただの人間じゃないんだ。ヨーロッパ旅行になんて行くときにはそこらへん注意しとくといいんじゃないかなぁ』

「具体的に教えてくれ。あと。そうだ忍野、お前人探しって得意か?」

 もしかしたら忍野なら、行方知れずのままでいる僕の妹を見つけることができるんじゃないだろうか。そしたらこいつはもしかしたらそれにもまた正当な代価というものを求めるかもしれないが、それはいたしかたないことだ。

『ん?人探しかい?まぁできないことはないかな、人並みにだけどね。まぁそれも時間はかかるけどね。あ、そうだったそうだった』

 忍野は携帯電話のむこうで何か気がついた様子で続けた。
 
『僕はこの町にそう長くいれるわけじゃないんだったよ。というか用件が終わったらすぐ出て行かなくちゃぁならない。よそでちょっとごたついててね。それでもちょっとこっちでも大変らしい様子だから急いで戻ってきたってわけさ』

 本当だろうか。まさかそうやって成功報酬の引き上げでもたくらんでるんじゃないだろうな。いっとくが僕はたいして金銭を所持してはいないんだぞ。言わなくてもしってるだろうけどさ。
 携帯電話の向こうで忍野が軽快にわらった。まったく、相変わらずひょうひょうとしてつかめないやつだ。戦場ヶ原はというと、僕のとなりで手持ち無沙汰にしていたが、どうやら電話の相手が忍野だということには気づいているらしく、何を促すでも退けるでもなく、どうやら中立を決め込むつもりらしかった。

『というのも、この町の裏山さ。聞いてたよりもだいぶ力がふきだまってるんだよ。忍がこの町にきたときの倍以上だ。ぶったまげたよ』
 
 忍野いわく、この町の裏山に怪異に近い力の流れがかなり集中してしまっているらしい。
 忍、僕の影にひそむかつては世界一の怪異である鉄血にして冷血にして熱血の吸血鬼、今は幼女の姿だが、こいつがこの町にきたときもだいぶ力の流入があったそうだ。
 今またそれをはるかに越える力のふきだまりができてしまっているらしい。
 
 それを聞きつけて急いでこの町にもどってきたということらしい。
 本当だろうか?どうも口調が軽いからどこまで本気かわからないんだよな。
 
『はっはー!ことは急を要するよ阿良々木君。ここまで力のたまり場ができると、この町に影響が出始めるのも時間の問題だ。もしかしたら阿良々木君はその影響の一端をもう見ているんじゃないのかい?ほら、くだんの強化人間とかそれっぽいじゃないか』

 強化人間。あの廃工場の不良たちにまとわりついていた黒い影である。あれもその影響だったのだろうか?忍はあそこにほどこされた結界はいわく素人仕事だと言っていた。

『素人仕事?そりゃぁ通常気にするようなもんじゃぁないよ。なぜなら機能しないからね。ただしだ、近くにこんな力の集合体があれば話は別だよ。はっはー!この町にはそういうやっつけのまじないの類ははいて捨てるほどあるだろうよ。これはなにも阿良々木君にも無関係な話じゃないんだ。だからってわけじゃないけど阿良々木君、ちょっと僕に手を貸してはくれないかな』

 意外な申し出だった。

「え、僕が、か?」

『何も大したことをお願いしようってわけじゃないよ。何せ僕は急いでるんだよ。さっきもいったけどね。今は猫の手でも借りたいのさ。そもそもこれは君の町のことだぜ?ならむしろ君が一人で解決したっていいことなんだ』

 こいつの言い分はどこまでも軽薄だったが、忍野の言うことにも一理あるように思われる。
 
「くそっ、わかったよ!じゃぁそれが終わったら火憐ちゃんの足取りの捜査にも協力しろよ!」

 しぶしぶだが承諾せざるをえない。
 この町があの廃工場の不良のような人間であふれかえるのはごめんだった。
 
『うん?そりゃぁ無理な相談だよ阿良々木君。まぁニ、三アドバイスくらいはできるかもしれないけどね。繰り返すけど僕は急がなきゃならないのさ。それじゃぁあとはメールで連絡するから、携帯電話の電池は十分あるかい?今から裏山の言われた場所まで移動してくれ』

 言って電話は切れてしまった。ていうかということは神原は連れて行くってことか?
 忍野はたいしたことじゃないっていってたけど本当に大丈夫なんだろうな。
 
 プルルルル、プルルルル
 
 着信音。しかし僕の携帯じゃない。見ると戦場ヶ原が携帯電話を取り出して彼女の耳におしあてていた。

「はい、ええそうです。」

 どうやらまたしても忍野かららしい。
 戦場ヶ原に僕についてきちゃいけないと念を押してるらしかった。
 戦場ヶ原は最初抵抗していたようだが、彼女はやつに精神的な借りがあることもあってか最終的には承諾した。

「ああ、あと阿良々木君、忍野さんから言づてよ」

 戦場ヶ原がこっちを見て続けた。目がやさしく笑っている。ちょっとめずらしい表情だった。

「久しぶりにあうのだから、阿良々木君の秘蔵コレクションを持ってきてほしいらしいわよ。女子高生のパンチラ写真集なんかいいね、だって」

 戦場ヶ原のすずやかな声にとたんに僕の体がにわかに硬直し青ざめてしまう、気持ち冷や汗までかいてきた。
 あの野郎、戦場ヶ原になに注文させてるんだ!
 戦場ヶ原は携帯電話を切ると、笑った目のままで僕を見て言った。
 
「あららぎ君。私のパンツ、見る?」



-----------------------------



 ガハラさんとちょっとしたすったもんだがあった後、僕は一人で裏山に入り、
 忍野からのメールに言われるままに林に入って獣道を進み、
 小さな鳥居のようなものがある野原の石の上に腰を下ろしていた。
 
「いいわ、あららぎ君。次会うときはいままでの私じゃないわよ」

 それが去り際のガハラさんの捨てセリフだった。
 
「ドぎつい黒レースのパンツをはいておくわ」

 どんな捨てセリフだよ…しかもどうせ見せてくれないんだろうなぁ。いや、別に見たいわけではない。見たいけど。別にパンツが好きで戦場ヶ原といるというわけではないのだし。好きだけど。

『はっはー!悪いね阿良々木君。指定した場所にはついたかい?あとパンチラ写真集は持ってきてくれたかな?』

「うるせぇよ、持ってきてるわけないだろ。それで次は何をすればいいんだ?」

『とんがってるなぁあららぎ君は。何かいいことでもあったのかい?はっはー!それにしても写真集を受け取る時間もどうやらないらしいよ。とりあえず忍にいくらか血を吸わせてやっておいてくれるかい?』

「なっ、危ないことはないって言ってたじゃないか」

思わず驚いた声が出てしまった。
携帯電話から忍野が忍といったのを聞いたのか、石に座る僕の影から
ひょっこりと忍が顔を出した。長い金髪の8歳の幼女の姿である。
元吸血鬼のこの幼女が僕の血を吸うと、吸った量だけ僕は吸血鬼に近づく。
それが必要になるということは、どう考えてもこれから危ないことをしようとしているとしか思えない。

『いやーごめんごめん。あれは嘘だよ阿良々木。というか言葉のあやといったほうがいいだろうね。まぁまぁ、町のために体を張るなんてカッコイイじゃないか、きっと君たちのためにもいいハズさ、といっても実際どっちに出るかはわからないからね。もしかしたら無駄骨になるかもしれないよ』

 無駄骨?どういうことかと思っているうちに忍野が説明を続けた。
 
『力のふきだまりをどう鎮めるかってことなんだけど、今回はシンプルに退治することにしたんだよ。つまり力を凝縮して具現化させようって腹さ、でもそこで問題がひとつあって、どんなにしぼってもその出現場所が2箇所になっちまう』

「ああそれで、つまり忍野がいる場所にそれが出たら忍野がそれをやる、僕のところに出たら僕がやるってことでいいんだな?」

『ものわかりがいいね阿良々木君。こういうときには君はやけに往生際がいい。それじゃぁそういうことだから、もう少ししたら始めるよ。それじゃよろしくちゃん』

 そういって電話は切れてしまった。相変わらずいい加減なやつだ。やることはきっちりこなすやつではあるが、それ以外は本当に適当だった。
 とりあえず忍を呼ぶ。
 
「なんじゃおまえさま?またあの男に使われておるのか?かかか。難儀じゃのう」

 忍は言って、カラカラ笑った。
 確かに、そう思ってため息がでた。

「まったくだよ。とはいえ、今回はこっちのために忍野が動いてるってことだから、まぁ仕方ないといえば仕方ないよ。とりあえず何が出るのか言ってなかったし、いつ出るのか、こっちに出るのかってのもアバウトだったから、一応僕の血を吸っておいてくれ」

 僕がそういうと忍は石に座る僕のひざによじ登り、だっこする格好になると、そのまま僕の首筋にかじりついた。
 噛み付いて、そのまま吸い上げる。すると僕の首筋からスルスルと血液が抜かれていき、忍はそれをコクコクと嚥下していった。
 次第に血液が沸騰するように熱くなり、目が少しずつ赤らんでいくのがわかった。
 
「忍、あまり吸いすぎないでくれよ。血液の回復にも時間がかかるからな」

 いいながら、血を吸う忍の背中をさすってやる。
 そうすると忍はせかされたようにさらに吸引を強めるのだった。しまった、逆効果だったか?

「ぷはっ、ご馳走様。この程度すうておけば、まぁよいじゃろ」

 忍が言って、僕の首筋から口をはなすとそのままピョンっと飛んで地面に降りた。
 こいつ結局吸血できる最大量の1/3は吸いやがった。育ち盛りかお前は。
 いやまぁ見た目は8歳のそれだから育ち盛りの年頃ではあるのだが。
 いくら血をすわせても忍が身体的な成長を見せることはない。生命維持のための食事なのだ。
 
「すまんかったのう。つい吸いすぎてしもうたわい。しかしこれは、どうかのう。もしかすると吸い足りなかったかもしれぬぞお前様よ」 

 忍が幼い視線を横に向けた。
 どうやら「当たり」を引いたらしかった。
 あのとき廃工場で見た不良の肩から湧き上がる黒い影、
 それが小さな鳥居の周囲から沸きあがり、次第に黒い人型を形成しはじめていた。
 
「お、おいおい。こんなに出るなんて聞いてねぇぞ…」

 黒い人影はひとつ、ふたつ、どんどん増えている。

「お、おい忍。逃げるぞ」

「おぉ、逃げるのかおまえさまよ。ふむ、まぁ妥当な判断じゃろうな」

 忍が僕に手を伸ばして、僕が抱きかかえる、
 その間にも、最初に出てきた黒い人影が、ゆらりと揺れると、
 はねるようにこちらにダッシュしてきた。

「お、うわああぁぁぁぁああ!?」

反射的に岩から立ち上がって横っ飛びした。
黒い人影が振り上げていた右拳がさっきまで僕がいた場所に振り下ろされる。

バキィ

炸裂音がして、僕が座っていた岩が真っ二つに爆発するように砕き割られた。
忍野め、あのアロハシャツ野郎、やってくれやがった!

「ちょっとシャレになんねーよ!」

見ると出てきた黒い人影は全部で8体はいた。
岩を割った黒い人影の横から2体の人型が腕を振り回しながら走ってくる。
正直めちゃくちゃ恐い。

「いいいぃぃぃぃ!!?」

人型が拳を横にふりかぶり、僕の頭に全力で、おそらくだけど、振りぬいてきた。
吸血鬼の超反射でしゃがんでかわす。
次に上から降ってきた拳を横っ飛びでかわした。

そのときには三体目の人型が放っていた横なぎの拳を
上にジャンプして空中で回転し、後方に着地してかわした。

吸血鬼の身体能力はどうやら健在である。

ブシュッ!!

破裂音、前言撤回しておく。
どうやらさっきの攻撃で肩にかすったらしく、
それでも僕の左肩から鮮血が噴き出していた。

「おーおー、もったいないのう」

僕に抱きかかえられた忍がものほしそうに言った。
なんで楽しそうなんだよお前。

前を向くと、今度は黒い人型が8体全部、腕を振り回しながらこちらに走ってきていた。

「無理だこんなの!逃げるぞ!!」

そう叫んでくるりと振り返ると、
一目散に走り出した。


吸血鬼の筋力で、走る。
あんな化け物8体も相手にできるかっつーの。
後ろを振り向くと、あいつら全員僕を追ってきていた。
これはやばいな。
しかし同時に、よかったとも思う。
あんなのが町に下りていかなくてよかった。
もしそんなことになってたらと思うとそちらのほうが身の毛がよだつ思いだった。

走る。走る。
裏山の森の木々が前から後ろへと高速ですぎさっていった。

「おーおー、逃げっぷりは堂に入っておるのうおまえさまよ。しかしどうするのじゃ?このままでは埒があかんではないか?」

具体的な方策はなかった。
後ろからバキバキと木がなぎたおされる音が聞こえる。
あいつら木をなぎたおしながら追ってきてやがる。
とりあえずこのくそ広い裏山のどこかにいる忍野が自分を見つけてくれることにでも期待しようか。
忍野の野郎逃げてないだろうな…

「ふーむ、しかしお前さまよ。このままではおまえさまはあの影どもに殺されてしまうのではないかの?」

「そ、そうかもな。とりあえずは幸運を期待するよ」

忍は僕の苦し紛れの発言を聞いてカカカと笑った。

「カカッ、こんな状況にはまっておいて幸運も何もあるものか」

まったくその通りだよ。
でもあれを町にまでいかせるわけにはいかないし、とりあえずは逃げ回るしかない。

「仕方ないのうおまえさま。おまえさまにしなれてはわしも困る。あれらはわしが片付けることにしようかの」

走る僕の腕に抱かれた幼女が言った。
その顔は笑っていた。忍のとがった歯がヌラヌラ光っている。

「片付けるって、どうするんだよ!?いっとくけどお前の身体能力は8歳児のそれなんだぜ?
小学生レベルの身体能力でどうしようっていうんだ」

すると忍はまたしてもカカカと笑った。

「カカカ、お前様よ、早合点をするでない。まぁこれだけの力の場がたまっておれば、一回くらい使えるじゃろう」

そういった忍は、この山全体を見回した。

「よしお前さま、わしをおろせ」

むちゃくちゃな注文だった。それじゃ殺されてしまうだけだ。

「あとはおまえさまよ。ちょっと時間を稼いでくれ、これを使うのには時間がかかるのじゃ」

重ねて無茶をいいやがる。
走る僕の腕の中で忍が続けた。

「それしかあるまいて、おまえさま。わしらが死んだら次は街のものどもが餌食になるのじゃぞ?それを思えば少し時間を稼ぐことぐらいなんてことはあるまいて」

 言われて、走りながら考える。
 後ろからはなおも黒い人型が8体全部こっちに全力疾走中だった。
 
「くそっ!わかったよ!」

そういって忍を前方に放り投げると忍は空中でくるりとまわり、
後ろの黒い人型たちのほうを向いてストンと地面に着地すると、
両手を忍の体の前方に組んでなにやら集中しはじめた。

僕もそれを見るとすぐ反転してこっちに走ってくる8体の人型に走った。

「早くしろよ!僕が死ぬ前にな!!」

叫んで、黒い人型に走る。
一番先頭の黒い人型に狙いをつけて、
走りながら腕を振りかぶり、
こちらに走ってくる人型の頭部に全力でたたきつけた。

人型の上半身が衝撃でそりかえる。
吸血鬼の身体能力を乗せたカウンターの一撃だった。

が、しかしその人型は霧散もすることなく、
下に振りかぶった右腕を僕の胴体に叩き込んできた。

「うっ、ぶぁ…」

バキボキといやな音がする。
あきらかに骨の折れる音だった、

忍に1/3ほど血をすわせただけでは骨折の治癒も瞬間にというわけにはいかなかった。

砕けた腹をおさえて血をはきながらたたらを踏む僕に、
ほかの黒い影が殺到してきた。

黒い人影が降りかぶった右手が僕の頭部に振りぬかれる。

「ぐっ、ううぅうぅ」

うめいて左手を上げ、黒い右手をかかげた左手で受ける。

バキボキボキ

左腕がペシャンコにされ、威力が軽減された
拳が僕の頭部にめりこんで、
そのままふっとばされた。

10メートルほど近くの木につっこんで、木をひしゃげさせて体はとまった。

どうやら死んではいないようだ。

「うっ、うおおおおおおお!!!」

叫んで力を振り絞り、
こちらに走ってくる二体の黒い人型に走っていった。

僕に近いほうの人型が僕に右手で殴りかかってきた。
その手に左手を乗せ宙にういてそのまま右足で人型の頭部を蹴りつける。
同時にもう一体が滞空する僕の胴体を殴りにきている。くそいそがしい。
人型の頭部をけりつけた右足を今度は下に力をこめ、
もう一段階空中に浮いて渾身の右ストレートから逃れる。
あんなもんもらったら胴体が真っ二つになりそうだ。

とそのとき一体目の人型が下からアッパーを振り上げ
宙をまう僕の腹部に突き刺さった。

バァン!!と炸裂音がして僕の体がはるか上空に打ち上げられた。
遠くからこの光景を見るものがいれば思わずたまやと叫んでしまうかもしれない。
15メートルほどうちあげられて、
しこたま地面に打ち付けられる。

「カっ…カハッ…」

もはやバトル展開などというものではなかった、これでは一方的なリンチである。
地面に横たわりながら見上げると、8体の黒い人影がこちらに走ってきていた。
さすがに死を予感する。最後にガハラさんのどぎつい黒レースのパンツを拝みたかった。

「何かいかがわしいことを考えておるのうお前様」

なんだよ。死の間際の僕の願いを読むんじゃない。
血をはきながら忍のほうを見ると、
忍の前で合わせられた忍の両手のまわりに赤く輝く霧のようなものが漂い始めているのがわかった。

「久しぶりに使うからうまくいくとよいがのう」

忍と横たわる僕の前方からは黒い人型が8体、腕を振り回しながら全力疾走でこちらに走ってきていた。
見ると忍は赤く輝く霧に覆われて祈るようにあわせられた両手を、
短くさけんで迫る黒い人影のほうへむけた。

「カァッ!!」

その瞬間、忍の両手にただよう赤く輝く霧が前方の人型たちに疾走した。
その輝く霧は8体の人型たちに殺到すると、その体や手足を絡めとり、
まるで忍の腕から伸びた赤く輝く霧の縄が8体の人型をしばるかのように
すべての動きを一瞬に封じてしまっていた。

「ふーむ。どうやら成功したようじゃのう。この山に立ち込める力を使ってやっと使えた一回じゃ」

そういう忍の腕はまるで抵抗を受けるかのようにカタカタ震えている。

「さすがにこの体では縛封の制御も容易ではないのう。どれ、はようすうてしまおうか」

言って忍の瞳が赤く輝いた。
すると忍の両手から黒い人影までをただよう赤い霧がさらに輝き、
黒い人型をそのまますいつくすかのように、
人型たちの姿形がどんどんと小さくなり、やがて霧散してしまった。

「ふぅー。ご馳走さまじゃ」

忍は満足そうに言って、両手からあたりにただよう赤く輝く霧を両手に引き寄せると、
その霧は忍の両手に入るように消えていった。

そしてあたりには静寂だけが残った。
そして半死半生でヒューヒュー言う僕の息の音だけだ。

「ほれお前さまよ、すっきりと片付けてやったぞ。わしに何か言うことはないのか?」

僕は地面につっぷしながら虫の息で忍を見上げた。
忍はどうだといわんばかりに8歳児のドヤ顔で僕を見下ろしていた。

「ああ、ありがとう忍。助かったよ。あとでいくらでも頭をなでてやるよ」

そういうと忍の笑い声があたりに響いた。

「カカカカ、よいよい。おまえさまよ、わしとお前さまは一心同体じゃ。この程度のこと物の数でもあるまいよ」

ただしあとで頭はしっかりなでてもらうがのう、と付け加える。
しばらくして僕の傷が吸血鬼の治癒力でもって治りきったころに、
それを待っていたかというタイミングで携帯電話がなった。

「はい。阿良々木です」

『はっはー!あららぎく~ん。どうやらうまくやったようじゃないか、いやーよかったよかった。一時はどうなることかと思ったよ』

「おいてめぇ忍野。やってくれたな。危うく死ぬところだったんだぞ僕は」

『どうしたんだいあららぎ君。何かいいことでもあったのかい?』

 あいにくお世辞にもいいことがあったとはいえない。
 
『でもよかったじゃないか、これであららぎ君の言うところの素人仕事のまじないが本当に効力をもつなんてこともなくなるわけさ。僕も安心してまたよそにいけるってもんだ。あー、いいいい。今回のことはサービスってことにしとくよ』

「なんで僕がこのことでお前にお礼を言いたい感じになってんだよ。ほかになにかやりようがあったんじゃないか?」

『ん?そりゃぁないことはないさ、そりゃそうだろう?やり方っていうのは二つ三つ、それどころか十も百もあった。でもそれだとかかる金額も違ってくるしエコに越したことはないだろうと思うんだよ僕は』

「おかげで僕が地球のサイクルに組み込まれるところだったわ!」

『はっはっは、元気そうで何よりだよあららぎ君。まぁそれでお礼といっちゃなんなんだけど、気になったことをいくつか話しておこうと思うんだ』

「ああ、そのことだよ。それって火燐ちゃんのことや金光鳥って怪異のことか?」

『それだけじゃぁないけどだいたいそんなところさ。繰り返しになるけど、僕はすぐに戻らなくちゃならないんだ、それにだ。もし金光鳥が人と同化してるってことなら、それについてあまり突っ込んだことはいえない。それはフェアじゃぁないからね』

 そういえばこいつはこういうやつだった。
 
『さすがに裏山の力のたまり方がすさまじかったよ。忍がこの町に来たとき以来じゃないかな。それにさっきのあららぎ君の口ぶりからすると、もしかして金光鳥がこの町に来てるのかな?だとしたらえらく珍しいことだね。デズニーランドが日本にできるくらい珍しいよ』

「都合よくなまってるんじゃねぇよ。大体それは実際に日本にあるから例としてわかりにくいだろ。その金光鳥って怪異はどんなものなんだ?あと火憐ちゃんが4日前から行方知れずなんだよ。それについて何か思うことはないか?」

『はっはー!せっかちだなぁあららぎ君は。それじゃぁ女の子に嫌われちゃうよ~?』

「余計なお世話だ。時間がないんだろう?さっさと話を進めてくれ」

 第一忍野が使ってるのは神原の携帯だしな。ちゃんと通話料払うんだろうなこいつ。

『ああそうだったそうだった。妹ちゃんの失踪についてはちょっと見当がつかないね、わからないってことじゃなくて候補が多いんだよ。それはあららぎ君のほうでがんばってくれ』

「候補が多い?」

どういうことだ?もしかして人攫い集団でもできたのか?
ていうかそれじゃぁ警察沙汰だぞ。

『まぁおそらくだけど命に別状はないと思うよ。いずれにしても無為に傷つけられるようなことはないだろう』

「ああ、それならひとまずは安心だ。忍野、その金光鳥って怪異のことも教えておいてくれ」

『そうがっつくなよあららぎ君、もしかして欲求不満なのかい?そうだね。金光鳥っていうのは』

忍野が金光鳥なる怪異について説明を始める。
つまりはあの廃工場での怪現象のことである。

『最初にいったとおり西洋の怪異だよ。あっち風にいうなら精霊といったほうがいいのかな。洋名はヴィゾープニル。太古に世界樹の頂上で世界を照らしていたといわれる光の鳥さ。僕なら絶対に相手取りたくはないね。金光鳥、ヴィゾープニルは世界を照らす光の鳥という伝承どおり、光の概念の怪異だ。その移動速度はまさに光速なんだよ。もちろんそれを宿した人間もそうだ。だってそうだろう?光の速度で動ける人間なんてどう考えても相手にしたくないよ』

 そりゃもっともだ。Mrマンハッタンもビックリだ。
 ということは、廃工場のアレは、おそらく、つまりそういうことだったのだ。
 20人の不良がとびかかってくるのと同時に、瞬間にして、光の速度で殴打したのだ、一人一人を、一瞬にして。だから僕の目には瞬間に不良が全員爆発したように吹き飛ばされたふうに見えたのだ。

『これは人によって解釈が異なるだろうけど、世界七大怪異のひとつといってもいいと思うね、ほかには黒魔王とか鷹揚木や六魂幡なんかがいるけど、まぁそこらへんはどうでもいいか、それとその頂点にはハートアンダーブレード、つまり吸血鬼がいたわけだけど、今はその面影もないね。おっと話がそれちまった。でも金光鳥が人につくなんてめったにないはずだぜ。それこそよほどの立ち場のある人間にしか興味をしめさないからね』

 そういうものなのか。でもそれならおそらく最初から条件を満たしていたのだろう。
 
『金光鳥は金咬鳥なのさ、価値あるものへの欲求がえらく強い怪異だ。それに金光鳥は人の魂や記憶までからめとるからね。やっかい、というかえらく難しい怪異だよ』

「ふぅん。確かにただごとじゃない感じはしてたよ」

『はっはー!まるで見て来た様な物言いじゃないか。まぁそうだな、もし金光鳥と同化した人間にあって、その人間の目が金色に光ったら、注意するといいよ。それはその人間の中で金光鳥がある程度以上強い位置をしめている証拠だ。対応を誤ると、あららぎ君』

忍野は最後に、えらく軽快に、軽薄に、ひょうきんに言った。

『そうじゃないと、あららぎ君。奴隷にされちまうぜ』




[38563] エルザバード007
Name: 3×41◆ae1cbd1c ID:b0318dc4
Date: 2013/10/07 18:25
 僕は忍野との通話を終えて、裏山をくだり、町から自宅への帰り道を歩いていた。
 あたりはもう日がどっぷりと落ちてしまっていて、暗い道を街頭の光が照らしていた。
 
 電話を切り際に、神原が『すまないが横から話は聞かせてもらっていたぞ。阿良々木先輩私は忍野さんにもう少し話を聞いてみるよ。なぁに私だってここまで付き合ったのだから話を聞く権利くらいあると考えていいだろう』と言っていたのだが、正直なところのぞみ薄だった。

 それにしても相変わらず火憐ちゃんの行方はわからないままだった。聞いたところによるとあの廃工場に火憐ちゃんが行っていたのは間違いないのだが、その後の行方がわからない。
 あの裏山の力のふきだまりに関係しているのだろうか?まさか火憐ちゃんが廃工場の結界の源を看破して裏山にむかったとはさすがに考えにくい。

 それらのことをしばらく考えながら帰り道を歩いていると、ふと気がついた。
 僕は裏山から家への道を帰っていたはずで、考え事をしていたこともあって、もう家についていてもおかしくない時間がたっていた。
 しかしどうだろう、僕は今、裏山から町に入る道にたっていたのだった。
 
 どういうことだ?明らかにおかしい。時間間隔でも狂ってしまったのだろうか?
 怪しみながら今度は帰り道に集中して歩いていった。
 
 30分後、僕はまたしても裏山から町の入り口にたっていた。
 
 わけがわからなかった。確かに町に入ることはできたし、そこから自宅への帰り道へも進むことができた。しかし気がついたら町への入り口にたっていたのだ。
 これはあきらかにおかしかった。明らかに「何か」されている。
 
「…なんだよこれ」

 再び町への道を歩いていく。
 もしかしたらまた裏山の道にたどりついてしまうのか。
 一体何が起こっているのか、忍なら何かわかるかもしれない。
 
「なぁ、忍。これが何かわかるか?」

 返事はなかった。どうやら裏山でのアレで疲れて眠ってしまっているらしかった。
 こうなると忍に話を聞くこともできそうにない。
 携帯電話も見てみたが、残念ながら圏外になっていた。街中で、だ。
 
 そのとき、道の向こうに人が立っているのが見えた。
 それは見間違うはずもない。
 アッシュブロンドの金髪にどこまでも澄んだな碧眼。
 イギリス社交界の星にして私立直江津高校の頂点、エルザ・フォン・リビングフィールドその人だった。

 「グッドイブニング、あららぎ君。今時間はあるかしら?といっても、それしかないわよね。ここからでられないんだもの」
 
 その後、僕はエルザさんに促されるままに、近くにとめてあったあの黒塗りのリムジンに乗り込んでいた。
 窓から街頭の光が交互に前から後ろへと過ぎ去っていく。
 
「お嬢様、申し訳ありません。やはりまた同じ場所に戻ってしまうようです」

 運転席でリムジンを運転する老人が申し訳なさそうにいった。彼がエルザさんが言っていたじいやだろうか?
 
「そう、でもじいやのせいじゃないから気にしないで。結界だもの、仕方のないことよね」

 エルザさんはそう彼女の執事にいった。
 彼女のいった結界という言葉が気になる。
 
「なぁエルザさん。これっていったいどういうことなんだ?その、僕にもわかるように説明してもらえるとすごくうれしいんだけど」 

 たずねると彼女は涼やかな流し目で僕の顔をちらりとのぞいた。
 そしてポツリといった。

「エルザ」 
 
 え?何?

「私はあららぎ君に私のことはエルザって呼んでっていったのに。あららぎ君、ずっとエルザさん、エルザさん、って。あららぎ君は私に遠慮してるわ」
 
「え、そうかな。いや、でも日本ではそれが普通というか、そういうもんだというか。別に遠慮してるとかそういうことじゃないんだよ」 

 これは半分はうそだった。そもそもイギリス社交界の星だといわれるような美少女にどうして遠慮しないでいれようか。

「ふぅん。まぁいいわ、今のところはね」

 彼女はいって、楽しそうにクスクス笑った。
 まったく、つかみどころのない人だ。
 改めてエルザさんに尋ねてみる。
 
「で、結界っていうのは?」 

「あら、そうだったわね。一定範囲から出られなくする種類の結界だと思うわ。私たちも出られなくなってるの、たぶん私を狙ってのことだと思うんだけど。ごめんなさい。あららぎ君もまきこまれてしまったようね」

「それはつまり、エルザさんは誰かに狙われてるってことでいいのかな?」
 
 それは知らなかった。知る由もない。しかしそれもやり方がまわりくどいように思われる。
 普通人を狙うというと不意をついて襲うというのがセオリーなのではないのか?
 それはノイマン家のセキュリティと彼女の特別な事情に起因するものなのだろうか。
 
「なんにせよ、あららぎ君が無事でよかったわ。それじゃぁ向かいましょうか」

 エルザさんはそういうと、車中を見回し始めた。それはまるで、車中というより車中を越えて遠くを見回すようなしぐさに見える。
 ふいに彼女が指を指した。
 
「じいや、あっちに向かってちょうだい」 

「はい。お嬢様」
 
 黒塗りのリムジンは、エルザさんが言ったほうへと進んでいった。
 しばらく右折左折を繰り返した後、少々意外な場所に到着した。
 それは昼間の、あの廃工場跡だった。
 
「ああ、やっぱりここだったのね。きっと昼間のアレで場所が見つかったんだわ」
 
 エルザさんはつぶやくようにそういうと、続いて僕に彼女と一緒に車をおりるようにいわれた。
 
「じいやはここで待っていて頂戴な。向こうが用があるとしたら私のハズだもの」
 
「わかりました、お嬢様。お気をつけて」 


 廃工場の中をエルザさんに連れられるままに歩きながら、エルザさんの言う昼間のアレ、について考えていた。
 昼間のアレというのは、おそらく不良たちとの一件だろう。
 それで見つかったというのは、彼女は、あるいは彼女らは誰かに捜査されていたということだろうか。
 
 考えていると、廃工場跡の真ん中でエルザさんが歩くのをやめた。
 
「さぁ、来てあげたわよ。でてきなさいな」

 エルザさんが誰もいない工場跡の中で叫んだ。
 その耳に心地のいい波長の声は、むなしく工場の空に響いた。
 そう思ったのだが、それは実際には僕の早合点だった。
 彼女が叫んで、少ししたあと、工場の建物の影から、あるいは建物の屋根に人影が姿を見せた。
 
「まったく、手間のかかることをするじゃないの?素直に屋敷を訪ねればいいじゃない」

 エルザさんがすこし非難がましくいった。
 現れた人影は全部で六つだった。暗くてよくわからないが、確かに人間の格好だ。
 
 その中には女性も混じっているようだった。
 その女性がまず口をひらいた。

「ああ、憎い憎い、妬ましい妬ましい」

 のっけから危ない女だった。
 黒いウェーブした髪が腰の辺りまで伸びており、目は赤く充血している。

「その碧眼が妬ましい、その金髪が妬ましい、そのでかい乳が妬ましいいいいい!!」

「あら、お褒めにあずかり光栄だわ」
 エルザさんが耳ざわりのいい声色で答える。

「ほめてねぇぇぇぇええええ!!」
 
 いや、どう聞いてもほめてるだろ。
 あらわれた人影を見回すと、ほかには丸々太った大男や、明らかに年端のいかない少年や、どう見ても刀をぶらさげている白髪の男などが、全部で6人いるようだった。
 
「エルザさん。この人たちは知り合いなのか?どうも日本人ではないようだけど」
 
「この人たち?友人というわけじゃないけど、ちょっとした顔見知りね。この人たちは、私を捕まえにきたのよ。そうよね?」 

 そういって彼女は横目で6人の西洋人のほうを見た。
 その流し目は少し金色に輝いて見えた。
 
「捕まえるとは人聞きが悪い。われわれはあなたに、われわれの仲間になってもらいたく参上したのであります」

 刀を帯びた白髪の男が答えて続けた。
 
「否、エルザ・フォン・ノイマン殿におかれましては、我が教団の教主となっていただきたく」 
 
 いって、白髪の男はうやうやしく頭を下げた。
 その隣で地面に寝転がってる少年が突然ガバっと体を起こした。
 
「っはっ!?めんどくさい、めんどくさすぎて息もしたくない。でもそれで死ぬところだった!!」
 
「あいにくだけど、私はそういう趣味はないから。悪いけどお断りするわ、ごめんなさいね」
 
 まるで街で声をかけてきたナンパをかるくいなすような口調でエルザさんは断った。
 さっきの少年がめんどくさそうに口をひらく。
 
「だからさっさとさらっちゃおうよ、めんどくさい。めんどくさいけど、ミスノイマンがうちにくればもっと楽になる。だからめんどくさいけどうちにきてもらうよ。ああめんどくさい」
 
 ついで屋根の上の丸々太った巨漢が叫んだ。
 
「ああぁぁぁああ!!あの子供、うまそうだなぁ。あいつは、いいのか!?」 
 
 屋根の上から大口を開けてよだれをたらしながら叫んだ。
 
「あいつは食ってもいいのか!?」
 
「ああ、妬ましい、お前の食欲まで妬ましい。見たところただの人間じゃないようだが、たいしたことはない木っ端のようだし、好きにしな。ただしまずはノイマンだ。ああ、あの耳に心地のいい声まで妬ましい」
 
 なんだこいつら?どうもその口ぶりから狙いはエルザさんであるようだが。
 困惑してる僕にエルザさんはフフフと笑って説明した。
 
「彼らはなんというか、日本で言うところのエクソシストの集団みたいなものなのよ。その教団のトップの七大罪という集団よ。それぞれ憤怒、暴食、嫉妬、怠惰と七大罪になぞらえた性格を無理やり演じてる残念な人たちよ」

 彼女はそういってコロコロ笑った。どうにも緊張感のない人だ。
 
「まぁ正確に言うと、七大罪の概念を身にやどして人間性を代償に力を得ているのだけれどね」

 ということは、つまり彼らも怪異側の人間ということか。
 僕や忍野、エルザさんと同じ側なのだ。
 しかしそこであることに気づいた。
 
「なぁエルザさん。七大罪というわりには、あの人たちは6人しかいないみたいだけどもう一人は欠席なのかい?」

「あら本当ね。もしかして風邪でもひいたのかしら?」

 エルザさんが言うと、黒髪の嫉妬女が体をわなわな震わせて叫んだ。

「お前が!!お前が兄さんを食っちまったんだろうがああぁぁぁぁ!!」

 食った?食ったとはどういうことだろう?まさか人間を、食事として食べてしまったということか?

「あら人聞きの悪いことをいわないでくれる?私は彼には指一本触れてないわよ。色欲のエレールさんだっけ?」

「ああ、妬ましい。兄さんの心を奪ったこの女が妬ましい。本当なら殺したい!!」
 
「もうよかろう。交渉は決裂しておるで、はようにはじめてしまえ」

屋根の上の銀髪の男が始めて口を開いた。

「どうせい我ら七大罪が出た以上にはやつもしまいよ」

「そうね。あなたたちは残念な人たちだけど、腕は確かだもの。並のエクソシストなら裸足で逃げ出しちゃうんじゃないかしら?」

 フフフとエルザさんがコロコロ笑った。

 彼女の笑い声に共振するように、嫉妬女の黒髪が逆立ち、人食い男がよだれをあふれはじめ、筋肉男が体から赤い蒸気を発し始める。
 それに呼応するかのように、エルザさんの波打つアッシュブロンドの金髪も金に輝き始める。
 
「いや、ちょっと待ってくれ」

 僕はそういって、エルザさんと6人の間にたった。
 
「さっきから話は聞いてたけどさ。さすがに1対6は卑怯ってもんじゃないか?」
 
 僕の言葉に黒髪女が反応した。
 
「あぁ?なんだぁお前は?下がってろよ三下ぁ。ああ妬ましい。ナイト気取りの男を連れてるあの女が妬ましい」

「あら、いいのあららぎ君?やさしいのね」

「いや、僕は普段はへたれで通ってるけどさ、これはちょっと口出しさせてくれよ。なぁ、あんたら!!」

 殺気立つ6人のほうに向かって叫ぶ。

「あんたらの中から一人出てきてくれよ。それで僕と勝負しろよ。それで僕が勝ったらそっちの負けだ。それでいいだろう!?」
 
 いわれて、6人の男女はしかし表情がまったくよめなかった。
 
「ああ妬ましい。あんまり妬ましいから、なら私が潰してやろうか」
 
 さっきの嫉妬女が一歩前に出た。
 女の目は充血して赤く、黒い波打つ髪はざわざわと揺れている。
 
「あららぎ君。ファイトー」

 僕の後ろからエルザさんが声援を送ってくる。
 一応あんたは身柄を狙われてるんだけどな。

「彼らのことについて教えておくわね。だって初見じゃあららぎ君が殺されちゃいそうだもの」

 やりあう前にエルザさんがあいつらについてざっくりとした説明をしてくれた。

「あの女は魔女髪のフルエ、嫉妬に人間性を捧げてるわ。彼女は自分の髪を自在にあやつれるから注意してね」
 
 ほかにも説明を受ける。
 筋肉の男は憤怒を宿した赤のグレイン。体を赤熱化させて強化した身体能力で戦うらしい。
 僕を食いたいといっていた太った男は暴食のバアル。食ったものを自分のエネルギーに変える、加えて右手も口になっていて、左手は食べたものの能力を移せるそうだ。出てきたのがあいつじゃなくてよかった。
 刀を持った白髪の男は轢剣のヴァレリア、強欲の性質、刀だけでなく鞘も空間を操作する怪異を宿しているらしい。
 白銀の髪の男は銀のエニェ、大罪は傲慢、左手の指にそれぞれつけた銀の鎖と先端の銀球は彼の自在に操作できるらしい。おまけに右手の手首につけた鎖つきの銀球は大きさが自在に操作できる一撃必殺の武器だとか。
 最後に地面にねっころがっている少年は結界のペルシド。いわれなくても見た感じあいつが怠惰だろう。僕たちを閉じ込めた結界を作ったのはどうやら彼らしい。

 と、大体そんな感じらしい。エルザさんはこんなやつらに狙われて今までよく無事だったものだ。
 それはイギリスの大貴族、ノイマン家のセキュリティによるものだったのだろうか、だとしたら彼女が日本を訪れている今、彼らには好機だといえるのだろう。

「あららぎ君。あなたからのせっかくの申し出だから素直に受けたいけど、手をかしてほしかったらすぐいってね」

 後ろでエルザさんが笑っていった。

「一応あの人たち、1万人以上いるエクソシスト教団のトップの戦闘員だから」

 おいおいマジかよ。
 いや、気をしっかり持とう。僕だって一応は元世界一の怪異殺しの眷属だ。
 格というものがあるとすれば、そう劣ってはいないはずだ。
 
 黒髪をざわつかせる女のほうを向いてつげた。

「それじゃぁ、はじめようか」

 そういった瞬間。腹部に違和感、見ると、そこには拳の形をした黒い髪のたばが突き刺さっていた。
 
「おせぇよくそがきぃ…」

 目の前にあの魔女髪のフルエが肉薄していた。
 彼女は彼女自身の髪を自分の体に全身スーツのようにまきつけて、その拳を僕の腹につきたてていた。
 それはもはや人間の身体能力ではなかった。
 内臓がぐちゃぐちゃになったかのような激痛が走っている。
 
「ぶぁっ…」

 激痛に身をよじりながら、しかし吸血鬼の治癒能力によって回復してもいっている。
 逆にいえば相手から近づいてきてくれたのだ。
 吸血鬼の利点はこの驚異的な回復能力だ。
 目の前の嫉妬女に右手を振りぬく。
 
「があああぁぁぁ!!」

 振りぬいた右手はかわされてしまった。
 ついでよけた魔女髪のフルエに左手を振りかぶり殴りかかる。
 だがそれも距離をとられてしまった。
 距離をとったフルエが髪の全身鎧をふるわせながらいった。
 
「ふぅん。あんたやっぱただの人間じゃないね」

 5Mほど向こうでフルエが両手を振りかぶった。
 なんだ?そう思った次の瞬間。
 フルエがそのばで両手を目の前の空間を殴るように数度動かした。
 すると彼女の腕の黒髪が、そのまま伸びて、拳の形のまま僕の体にいくつも突き刺さった。
 それはもう、効果音があればドドドドドドドドというくらい何度もである。
 
「あっはっはっ、よぇぇぇえええ!!その弱さでナイトを気取る能天気さが妬ましいわ!!」
 
「げぇっ…ぐっ、おおおおおおぉぉぉ!!」

 血ヘドを吐きながら、フルエに向かってダッシュする。
 吸血鬼の脚力で一瞬にして距離をつめる。

「!?」

 吸血鬼の脚力をはじめて目にしたフルエは虚をつかれたのか、大きく目を見開いた。
 両手を振りかぶって、フルエに向かって量拳を乱打する。
 
 ガガガガガガガガ
 
 打撃音が響く、手ごたえがあった、が、しかし僕の両拳はひとつとしてフルエの黒髪の鎧にすら届かなかった。
 
「残念でしたぁ。その程度の筋力で私の魔女髪の盾は抜けねぇよ、雑魚がぁ」

 フルエが顔をゆがめて笑った。
 僕の拳を阻んだものは、僕とフルエの間の空間に出現した黒髪の盾だった。
 それが僕の拳の軌道上にいくつも出現し、ことごとく拳の進行を阻んだのだ。
 
 おそらく目に見えないほど細い黒髪が目の前の空間で束になりあの黒髪の盾を形成しているのだろう。
 
「かぁっ!!」
 
 僕は短くさけんで、右足を振り上げ、フルエの胴体をけりつけた。
 
「あははっ、おせぇおせぇ、盾を使うまでもねぇ」

 フルエは黒髪の全身鎧をビキビキと音を立てて緊張させ、上空に飛んだ。
 それはもう飛んでいった、10Mほど上空のフルエを見上げたとき、フルエは右肩あたりの空間に、彼女自身の黒髪でもって、巨大な拳を形成していた。
 
「潰れろぉっ!!」

 フルエが右手を振りぬくのに連動するかのように。
 フルエの右の空間に形勢された巨大な黒い拳が降ってきた。
 その巨大な拳にペシャンコにプレスされ、肺までつぶされ空気が押し出される。
 
「うばぁっ!!げ、げぼぁっ…」
 
「フン」

 フルエが地上に降り立ってペシャンコになった僕を見おろした。
 
「ああ、妬ましい。こいつの再生力がねたましい。こいつ、ずいぶんとできそこないだが、もしかして、なにかの怪異か?」

 ドキリとする。フルエがペシャンコになりながら再生する僕を見てそういうと、そのはるか後ろで叫び声が聞こえた。

「あああぁぁぁああ!!食いてぇ!!いつまでも食える!!何回も食える!!」

 不吉なことを言っているのは暴食のバアルだった。
 そして同時に、その近くの礫剣のヴァレリアとかいう白髪の帯刀男が進み出た。

「食えねーよ。どうせお前は我慢できずに全部くっちまうんだろう」
 
 毒づくフルエに白髪の男が言った。
 
「フルエ、ちょっとかわってはくれぬか。満たされぬのだ、私の闘争欲が」

 フルエはいわれて強欲男に振り向くとチッとしたうちをした。
 
「ああ、妬ましい、お前の闘争欲まで妬ましい。しかしまぁ、かまわんよ。1対1には変わりない」

 さっきから思うんだけど、この魔女髪のフルエの嫉妬はあけっぴろげすぎてむしろ気持ちがいい気さえする。
 いや、そんなことを言っている余裕はなかった。
 やっとこさたち上がる僕の目の前から白髪の帯刀おとこが走ってきている。
 そして走りながら、抜きやがった、ギラつく白刃が右手にもたれる、そして左手には鞘を持ち構えていた。
 
「くっそおおぉぉぉ!!」 
 
 叫びながら突き出した右拳は、しかしあっさりと白髪男に交わされ。
 かわりに一閃。
 
 一太刀あびせられた、と思った。
 しかしそうではなく、体中が切り裂かれ、鮮血が勢いよくあふれだした。
 
「ふむ」
 
 白髪男はいうと、体中を切り裂かれてふらつく僕にまったく興味を失ったようにくるりときびすを返した。
 
「もうよい。礫剣を出すまでもない。これ以上欲は満たされん。あとは好きにしろ」
 
「がっ、ぶあっ…」
 
 血液を撒き散らしながら地面に仰向けに倒れこんでしまう。

「じゃぁ!お、おれ!おれ!!1対1だから!!1対1で食えるから!!」

 あいつだ。仰向けのまま顔だけそちらを見ると、まるまる太った大男がよだれをまきちらしながらこちらに進んできていた。
 正直身の毛がよだつ。
 僕はちょうど後ろのエルザさんのほうを見た。
 
「エルザさん。ちょっと…がはっ、力が及ばなかった。悪いけど、逃げてくれ」 
 
 見上げたエルザさんはあの青い瞳で僕を見下ろしている。
 
「いやよ。それに忘れたの?私たちはもう結界の中にとらわれてるんだし。ねぇあららぎ君、私はあなたに手を貸すことならできるわよ?」 

「ま、まず、か、肝臓!肝臓にする!!肝臓から食べる!!」

 僕が怪異としってか遠慮がない。
 僕を牛か何かとしか見てないのだろうか、外国の倫理観がよくわからなかった。
 
「じゃ、じゃぁ頼むよエルザさん。手を貸してくれ」

 そういうと、彼女はニコリと笑っていった。またしてもあの蠱惑的な笑みだ。

「エルザ」

「え?」

 思わず聞き返してしまった。
 
「あららぎ君。私のことエルザさんって呼ぶもの、エルザって呼んでくれたらいいわ」 
 
 彼女はいたづらそうな微笑みで僕を見下ろしている。
 勘弁してくれよ。もうあの大食い野郎の荒い息遣いまで聞こえてくる。
 
「も、もう我慢できなぁい!!」
 
 突然、暴食のバアルが走り出した。
 その口はおおよそ人間にはありえない大きさに開かれている。
 人間のサイズなど一度に丸呑みされそうだ。
 一気に肝が冷える。
 
「わかった!エルザ!エルザ!手を貸してくれ!!」
  
 僕が叫ぶと、彼女はフフと笑い、彼女の金色の髪が、さらに金色に輝き始めた。
 
「わかったわ、あららぎ君」
 
 エルザがそういったとき、彼女はすでに、暴食のバアルの後ろに滞空していた。 
 
「!!?」  

 バアルが突然のことに右を振り返ろうとする直前に、エルザの光る左足が、回し蹴りでバアルの右側頭部をとらえた。
 
 轟音。
 
 エルザの光速の回し蹴りをもらって、バアルはそのまま大きく吹き飛び、地面を水面をはねる飛び石のように高速ではねると遠方につんであった鉄のコンテナ群に突っ込んだ。
 
 「やられた!ああ妬ましい!!全員でいくぞ!!」
 
 どうやら僕には少なくとも囮の効果はあったらしい。
 それを皮切りに、魔女髪のフルエ、憤怒のグレイン、礫剣のヴァレリア、銀のエニェ、結界のベルシドがそれぞれ戦闘体制に入った。
 
 憤怒のグレインという筋肉がすごい巨漢がまずとびだしてきた。
 全身が赤く赤熱し、背中から炎を吹き上げてジョット機のように加速し、エルザに肉薄した。
 
 グレインは赤く赤熱する両手を振りかぶり、エルザにむかって長身から拳を乱打した。
 
 エルザはそのどの燃える拳にも当たらなかった。
 すべて寸前でかわしていく。
 
「下がれ!グレイン!!」

 銀のエニェが叫び、グレインがはねるように後方にとんだ。
 そのときすでに、エルザの上空にはエニェの右腕から伸びる鎖につながれた、直径20Mほどに巨大化した銀球が振り下ろされていた。
 
「これで潰れろぉっ!!」 

 エルザの眼前に巨大な球体が迫る。
 そのとき、エルザの右足が金色に発光し、彼女はその右足を巨大な銀球に向かって蹴り上げた。
 
バァン!!

 轟音とともに銀球がねじまがり、高速で上空へと飛んでいく。
 ついでエルザは右手を振りかぶると、その右手が黄金に輝き始めた。
 
「くそっ!!」

 30メートルほど先で毒づくエニェの眼前に、拳大の光る力場が疾走していた。
 それがエニェの顔面をとらえ、衝撃とともにエニェの体を吹き飛ばした。
 
「がああああぁぁぁあああああ!!!」

 憤怒のグレインが雄たけびを上げ、再び背部の炎の爆風の超加速をしたとき。
 すでにグレインの顎先に下から黄金に光るエルザの右掌底が発生していた。
 
 エルザの掌底がグレインの顎に突き刺さり、グレインが真上に吹き飛んでいく。

 そのとき、突き上げたエルザの右手に立方体のような結界が発生した。
 その半透明の立方体はエルザの右手を包むと彼女の右手をその場に固定した。
 
 「よくやった!!ペルシド!!」

 それは結界のペルシドが生成した結界だった。
 工場のたてものの影でペルシドが右手を突き出している。
 
 魔女髪のフルエがエルザに走る。
 
「その妬ましい顔面をぐちゃぐちゃにしてやるわあああああぁぁぁ!!」

 次の瞬間、エルザの右目が黄金に輝き、
 その目でもって結界のベルシドを見た。
 
「ダメだ!!目を見るなベルシド!!」

 フルエの叫び声はしかし遅かった。
 エルザの輝く目を見たベルシドは、まるで魂が抜かれたように体を震わせ、
 気を失ってしまった。
 
 エルザの右手が自由になる。
 エルザはその右手に、輝く光球をいくつも発生させ、
 それを左手から迫る黒髪の鎧に身をまとったフルエに疾走させた。
 
 光速の光弾がフルエの魔女髪の鎧ごと撃ちぬいた。
 
「かっ!!がはっ!!ね、妬ましい…」 
 
 いってフルエは地面に倒れこんだ。
 
「別にあの結界も壊そうと思えば簡単なんだけどね。あの女もこれじゃまだ死んでないでしょう」

 そのとき、最初に吹き飛ばした暴食のバアルが突っ込んだコンテナ群が爆発したように散乱した。
 見ると、頭をひしゃげさせたバアルが、右手に何か金属を持っている。
 そしてそれを口にいれ、食べ出した。
 
「タングステンを取り、こんだ。これで、、かたいいいいい!!!」

 タングステンは聞いたことがあった。たしか戦車砲にも使われてる、かなり質量がある金属だ。
 そのタングステンを取り込んだバアルの体は金属質に変質し、
 そのままバアルはエルザに向かって突進をはじめた。
 
「食ううううううううう!食わせろおおおぉぉぉおおおお!」

 エルザは突進してくるバアルに、発光する両手を振りかぶり、
 黄金に輝く力場を立て続けに射出した。
 
 光速で疾走した力場は、しかしバアルのタングステンの体を貫くことなく、
 バアルはそれにかまわず前進してきた。
 
 と、突然エルザが横にとんだ。
 するとさっきまでエルザがいた地面が縦にひび割れた。
 
 その縦のひび割れの元は礫剣のヴァレリアのものだった。
 白髪男が空間に力場を発生させる鞘で縦に斬撃を放ったのだ。
 
 ヴァレリアの攻撃はそこで終わらなかった。
 横っ飛びをしたエルザに、抜き身の白刃でもってすでに切りかかっていた。
 同時にタングステンの体のバアルが肉薄する。
 
 ヴァレリアの白刃がエルザの左肩に迫ったとき、
 そこに突然金色の長方形の盾のようなものが発生した。
 ヴァレリアの縦に振りぬかれた白刃が、
 その黄金に輝く盾に吸い込まれると、
 吸い込まれた白刃がそのまま金色の盾から飛び出してきて、
 それがそのままヴァレリアの体を縦に切り裂いた。
 
「くわせろおぉおぉぉぉぉぉおおおお!!」
 
 バアルが飛び込んでくる。その体はタングステンの超硬度である。
 そのときエルザの右手の手のひらが発光し、
 黄金の光の刀が出現。
 
 エルザはそのまま空中に飛ぶと体を横にして一回転し、
 刀状の光の束でバアルを斬りつけた。
 
「ぶあああっ!!」
 
 バアルの体が切り裂かれ、鮮血が噴き出す。
 太った大男はそのまま地面につっぷした。
 
 暗い夜の廃工場跡に、静寂だけが残った。

「ふぅ、いい運動になったわ」

 彼女はこともなげにそういったのだった。
 
「立てる?あららぎ君」

「ああ、ありがとう。」

「ありがとう?」

 彼女は何か先を促すようにいった。
 
「ありがとう。エルザ」

 そういうと、彼女はニッコリ笑って僕の手をとったのだった。
 

 
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 工場跡の周りの結界はすでにとかれたようで、僕たちは
ループしていた区画から出ると、僕は一人家への道を歩いていた。

 しかし、エルザはやっぱり僕が怪異側だということを知っていたんだな。
 でなければ、僕が普通なら何度も死んでる状況を見て平然としているのはちょっとありそうにない。
 それにエルザの持つ怪異が欧州七大怪異だったっけ?の金光鳥だということもほぼ確信が持てた。
 異常な能力だった。忍野が相手にしたがらないのも今なら理解できる。
 あの集団が教主にと迎えたい気持ちになるのもわかろうというものだった。
 というかあいつら本当にこれで帰っていくんだろうな?大丈夫だという話だったが。
 
 今日は散々だった。不良とのいざこざにはじまって、裏山の脅威を沈めて、よくわからんエクソシスト集団にボコられた。
 しかし火憐ちゃんの行方はまだわからなかった。
 体がきしむ。さすがに帰って早く眠りたかった。

 家に向かって夜道を歩いていると、携帯電話がなった。
 見ると神原からである。もしかしてまた何かわかったのだろうか。
 
「はい。阿良々木です。神原か?」

 携帯電話から聞こえてくるのは、思ったとおり、神原の声だった。
 中年のおっさんの声じゃなくてどこかほっとした。

『ああ、私だ阿良々木先輩。妹さんのことなんだがな』

 神原が切り出してきたのは火憐ちゃんのことだった。
 いったいなんだろうか。
 
「火憐ちゃんのことか?何かわかったのか?」

 いかん。火憐ちゃんと言ってしまった。
 
『ああ、そうなのだ。というか、あのあと忍野さんに二、三話を聞いてな。ほぼ核心をつかんだと言える』 
「本当か!?妹はどこにいたんだ?」
 
『それは言えない』 
 
 言えない?火憐ちゃんの失踪の核心をつかんだ。そう神原は言っていた、言えない?
 
『私は確証がほしかったのだ。だからまずは自分で確かめたかった。それでこの結果になってしまった』
 
「いや、どういうことだよ?今どこにいるんだ?もし大丈夫なら今からそっちにいくよ」 
 
『いや、いいんだ阿良々木先輩。私が阿良々木先輩に電話をかけたのはただ一言あやまりたかったからなのだ』
 
 え?何を言っているんだこいつは?
 僕は別に神原に特別何かされた心当たりはないぞ。
 
『すまない阿良々木先輩。私はしくじってしまった』 
 
 そういって神原からの電話は突然切れてしまった。
 それから僕がいくら電話をかけなおしても、電源が入っていないか圏外かとアナウンスされるだけだった。
 そして次の日から神原が学校に来ることも、自宅に帰ることもなかった。
 



[38563] エルザバード008
Name: 3×41◆ae1cbd1c ID:31c4df78
Date: 2013/11/10 16:50
 翌日、登校する前に神原の自宅を訪ねてみたが、やはり神原は昨日から帰っていないという話が聞けるだけだった。

 あの尋常ならざる運動能力を持つ神原は、しかし昨日僕に電話をしてきて一言謝罪したあと、まったく消息をたってしまっていた。

 これはちょっとデジャブを感じた。それはもちろん6日前の火憐ちゃんの失踪である。
 神原は忍野からなんらかの話を聞いた後、火憐ちゃんの手がかりを一人で探してそのまま消息を絶ったのである。
 偶然だろうか?それよりは同じ原因によるものだと考えるのが自然だろう。
 
 その点について、忍野は危害を受けることはないだろうと推定していた。
 だからといってほうっておくことはできなかった。
 火憐ちゃんは自分で招いたことだとしても、神原の失踪については、僕たちに助力をしてしまったことによって招いたものなのだ。

 とりあえず学校が終わったら町中を調べまわってみよう。
 神原も足を使って手がかりを得たわけだし、僕には神原ほどのスタミナもないけど、とりあえず動けるだけ動いてみよう。

 学校の授業は安穏に過ぎていった。正直少し心配していたのだ。もしかしたら学園もののお約束のように先日のエクソシスト集団の嫉妬女あたりが転校でもしてくるのではないかとヒヤヒヤしていた。
 エルザの言っていたとおりに、彼らは手を引いたということなのだろう。
 正直あんなんがいたら風紀委員が何人いても足りなそうだったし、僕も重要参考人にされそうだったからな。くわばらくわばら。

 昼休みが過ぎたあとの午後、諸般の手続きが急ぎだったことによって遅れてあの魔女髪のフルエが転校生としてうちのクラスにやってきた。エルザは隣のクラスだぞ。転校してくるならそっちにしろよ。ていうかこいつ僕と年同じだったんだな。そこらへんは偽造可能だったのかもしれない。

 転校生といわれてフルエが教室に入ってきた瞬間。僕はまるでお約束をなぞるように反射的に席をたって、次に生存本能によって教室を抜け出し廊下をダッシュした。
 しかし廊下の角を曲がったところでフルエの黒髪に絡め獲られた。
 
「なに逃げてんだおいぃい?これからの学校生活よろしくねぇあららぎくぅ~ん」

 フルエが褐色の瞳を僕の瞳にくっつきそうなほど寄せてきてそういったのだった。
 こいつらの目的はエルザの懐柔である。実力行使はこれ以上ないほど完膚なきまでに失敗したので、次は友好に訴えようというわけらしい。普通は順序が逆だと思うんだけどな。
 もしかしたらエルザに食われたというこいつ、フルエの兄がその役を担っていたのかもしれないけど、さすがにあの嫉妬女にそれを聞くのははばかられた。僕の身が危険だったからである。
 まぁそもそもあれは彼女らとエルザの問題なのだから僕が介入するようなものでもないし、僕にまで影響が及ぶ


 放課後、僕は町中をひとりとりあえず歩き回って、何も見つからないのを確認したあと、町でひときわ高い観光ビルの空中公園に腰掛けて町を見下ろしていた。
 空中公園は閑散としていて、ここから町の道路に車が走っていったり、太陽光を反射したビルの窓がキラキラ光って見えた。ここから火憐ちゃんや神原の姿が見えないだろうか。

 僕は空中公園から町を望む展望台の手すりをつかんで叫んだ。
 
「おおおおおおおおおおおおおおおい!!」

 別に返事を期待したわけでもない。何も返ってこない。ただのストレス解消だった。
 あいつらどこにいるんだよ。

「ああビックリした。それって流行ってるの?あららぎ君」

 背後で驚く声が聞こえた。僕がその声にまた驚いて振り向くと、そこにはくだんのエルザ・フォン・リビングフィールドがこちらを向いて立っていたのである。その両手にはカンジュースがあり、片方こちらに向けられている。

「ちょっとお話しない?あららぎ君。これはおごるわよ」

 彼女はそういってフフフと鈴がなるようにコロコロ笑うのだった。
 
 僕とエルザは空中公園のベンチに腰掛けた。ジュース缶を傾けると、オレンジジュースがつぶつぶ食感の何かと一緒にのどに流れ込んできた。それがなかなかのどに気持ちよかった。

「私、イギリスではお父様の研究を手伝ってて、それで支払われた給金でこの缶ジュースも買ってるのよ。そういえば私が人に何かおごるのなんてはじめてかもしれないわ」

「へぇ、そいつはすごいね。エルザのお父さんって、じゃぁ研究者なのか?学者とか?」

「あら、あららぎ君、私のことエルザって呼んでくれるのね。私はそう呼んでくれるほうが好きだわ」

 彼女はそういってフフフと笑った。
 
「そりゃエルザがそう呼べっていったんだろ?いや、僕もこっちでいいけどさ」

「でも誰でもってわけでもないのよ。親しき仲にも礼儀ありって、日本の言葉にもあるでしょう?でもそれも両極端な話よね。フルエちゃんなんて私のことをミスノイマンとしか呼ばないわ。私はリヴィングフィールドのほうが好きだっていってるのに」
 
 少しすねた表情をするエルザだった。

「そういえば、魔女髪のフルエだっけ?けっきょくのところはあいつはなんで転校なんてしてきたんだ?それも昨日の今日でだし」

「さぁ?」

「さぁって…」

 あいつのフルネームって確かフルエ・ノースホワイトだっけ、あの人となりでホワイトとは名前詐欺もはなはだしかった。ていうかフルエちゃんってガラじゃないだろ明らかに。

「私は興味ないもの、あの人たちにも、あの人たちの活動にも。各地で起こる怪異事件を解決するのも、いつか訪れるアルマゲドンに備えるのも、それは結構なことだと思うけど。私の領分ではないわ」

「そういうものなのかな。まぁ一般の学生がやることではないかもしれないって気はするけどさ。それにあんな異常な連中に囲まれてたら息がつまりそうだよな」

「フフフ、そう言ってあげないであららぎ君。あの人たちはあれで悪い人たちじゃないのよ」

「いや、僕食われそうになってるんだけど…」

 でもまぁそれは彼らが力の代償として捧げている人間性によるもので、それ以外の彼らは割りとまともってことなんだろうか?罪を憎んで人を憎まずなんて言葉があって、人の悪徳はその人ごと憎まれてしかるべきと思わなくもないけれど、この場合に限ってはそれが適用されることになるのかもしれない。
 あれはおそらく病みたいなものなのだ。彼らはその制約の代償に力を得た。
 
「それに異常といえば、異常なのはあの人たちだけじゃないわ。あなただって十分異常よあららぎ君」

 彼女はそういってジュースの缶をあおった。
 ジュースを飲む彼女ののどがコクコクと動く。
 そして缶をおろすとエルザはそのジュースのラベルに目を落とした。気に入ったのだろうか。
 気に入ったならにゃっちゃんはスーパーで安く売ってるぞ、1リットル150円だ。
 
「だってそうでしょう?あのときあなたは、ああ昨日の夜のことね、あなたはあの大男に食べられちゃいそうになったときなんていったか覚えてる?」

「え、なんだっけな」

 記憶をめぐらせてみる、あのときは何せとんでもなくあわててたしな。
 別に僕が特別あわてる性分だってことじゃなくて、普通人食い男に大口あけて走ってこられたら誰でもああなるだろう。
 ああ、そうだ思い出した。
 
「ええと、確か手を貸してくれ、エルザ。だったっけな」
 
「ブッブー。外れよあららぎ君。ボッシュートだわ」
 
 それはテレビで毎週いってるだけで別に日本の慣用句じゃないぞ。 
 
「そうとも言ったけど、あなたはそのひとつ手前で逃げろって言ったわ。私はあのときとても驚いたのよ。だってああいうとき、普通は助けてっていうわよ。それをあららぎ君は逃げて、って。そもそもあなたは当事者ですらなかったのに」

「いや、悪かったよ。勝手に首を突っ込んだことは申し訳なかった。でもその、事情をよくしらなかったしさ」

 そう、知らなかったんだよな。一体なんであそこで対峙してたのかも、金光鳥を宿したエルザがどの程度強力なのかってことも。

「いいのよ。そのことについて言ってるんじゃないわ。だって私うれしかったもの。あららぎ君は本当に正義マンなのね。きっと世の中で正義を行いたくても必然的な帰結としてそうできない人たちのかわりにあなたが正義を執行してるんだわ」
 
「そんなことはないよ。僕だってそんなに向こう見ずってわけじゃないんだぜ」 
 
 そうだ。本当の正義マンっていうのは羽川みたいな、もっと抜き身の、自らの傷を恐れない、恐れないどころか自分が傷つくことをはなから認識すらしていないような。そういう危うさをはらんでるものだ。
 それをいえば今回の僕にしたってそうだったかもしれないけど、千石の一件のときは神原に守る相手を見誤るなといわれ、結局は見殺しのようなことをやっている。それはそれで間違ったことではないと思うけど。とにかく僕はそうせざるをえなかったからそうしたというだけで、そもそも正義を行おうとしてそうしたわけじゃなかった。と思う。
 
「ところであららぎ君はなんだってひとりでこんなところにいるのかしら」

「え、そりゃぁ、まぁ、なんというか、あれだよ」

 ごまかしたほうがいいかと思ったけど、いまさらそれも気が引けるし素直になることにした。
 
「人を探してるんだ。エルザは2年の神原駿河って知ってるか?あいつが今日学校に来てなくてさ、家にもいないっていうんだよ。それでどこにいるのかって走り回って休憩してたんだ」

 実際のところ探していたのは神原だけじゃなくて火憐ちゃんもなんだけど、そこまで言う必要もないだろう。
 というのはひとつは格好がつかないし、ひとつは気をもませると悪いと思うからである。

「神原さん?もちろん知ってるわよ。有名だもの、彼女。それだったらうちの学校の運動部は全部大慌てかもね」

 神原はその性格のディープな部分は一般には知られておらず、その卓越した機動能力を買われてさまざまな運動部に助っ人として参加しているのである。そういうレベルなのでエルザも神原を知っているのだろう。もしかしたらどこかの部活で実際に会ったこともあるのかもしれない。

「がんばるするがちゃん、きっとまたがんばっちゃったのね。それであららぎ君、するがちゃんは見つかったのかしら?」

 エルザの問いに、僕は軽く両手を振って答えた。
 
「いや、残念ながらまったくだ。われながら自分の非力さがうらめしいよ」

「フフフ、あららぎ君は非力じゃないわよ。あららぎ君がそれを言うなら私だって非力だわ」

「エルザが?冗談はやめてくれよ。僕が余計みじめになっちゃうだろ」

 そりゃそうってもんだ。羽川に勝るとも劣らないような頭脳で、神原並みに運動部から引っ張りだこ、イギリス社交界の星にして、おまけに米軍を相手にしてもなんか勝っちゃいそうなエルザに同情されても、そりゃもうどうしようもないくらい月とすっぽんだった。いや太陽と子コウモリかなにかだった。
 僕がエルザにそう返答すると、エルザは今度は笑わず言った。
 
「私だって、非力だわ。お父様の前では何もいえないもの。私はねあららぎ君。お父様の前でもきちんと彼を見据えたい。それだけでよかったのよ」

「ふぅん、エルザでも二の足を踏むなんて、よっぽどすごいんだな親父さんは」

 僕もエルザにもらったオレンジジュースを飲みながら言った。
 エルザは
 
「ええ、とっても」

 と短く言って。

「それはまたいずれ話すわ」

 としめくくってしまった。
 気になる話ではあったが、エルザがそういうならそうでいいだろう。
 僕も休憩にしては少し長くなってしまった。
 
「さて、それじゃぁそろそろ行くよ。ジュースありがとうな。今度僕からも何かおごるよ」

「あら、いいのよあららぎ君。無理をしなくても」
 
 エルザはまたコロコロ笑い、涼しい笑顔でもって僕の目を見て続けた。
 
「私としては、あららぎ君があららぎ君自身を私にくれればそれがいいわよ」
 
「おいおい、簡便してくれよ。それじゃぁ行くよ。また学校で」
 
「フフフ、またねあららぎ君。私たちまた何度でも会えるわ」
 
 そういって、エルザが右手を彼女の整った唇にあてて投げキッスを僕にやるのに少しドキリとしてしまったあと、僕はその公園を離れて再び人探しに街に向かった。






「ちっくしょう。やっぱりみあたんねぇな」
 
 街を歩きながら火燐ちゃんと神原の姿を探しても、いっこうに、まったく何も見つからなかった。
 神原の家には、どうも少し家を留守にするという連絡が入っていたそうだが。そのあとの神原の行き先は知らないということらしかった。
 火憐ちゃんに関してもどうようだ。忍野はきっと怪我なんかはしてないだろうとは言っていたが、だからといってもう結構日数がたって、彼女の家出最長記録を塗り替えてしまいそうだった。

 と、そのとき背後から僕を呼ぶ女の子の声が聞こえた。

「あれ、パパパ木さんじゃないですか」 
 
 幼女の、いや、小学生高学年の女子の声だった。
 僕はその声に振り向いて、背後から僕を見上げる八九寺に言った。
 
「おい八九寺、僕を年齢36歳、美人な母親に娘が二人、休日は家族サービスで疲れがとれないがでもそこそこ充実している人間みたいによぶんじゃない。僕の名前はあららぎだ」
 
「失礼、噛みました」
 
「違う、わざとだ」
 
「噛みきりますよ?」

「いったい僕の何を!?」
 
 僕の身長の半分くらいのところでニシシと笑う八九寺だった。
 
「ちなみにあららぎさんのその家族構成の場合、休日に家族サービスで疲れるなんてことはありませんよ」
 
「そうなのか?なんかよくわからないけど、それならそれでゆっくりできてよさそうだな」

「ええ、だって娘さんたちは8歳程度にしてお父さんを蛇蝎のごとく忌み嫌っていますからね。家族サービスしたくても、させてもらえないんですよ」 

「なんだその早すぎる反抗期は!」
 
「ちなみにお母さんもあららぎさんのことを気づかっているようで、あららぎさんのあまりの加齢臭にちょっと距離をとっています」 

「余計傷つくわ!」
 
「ところであららぎさん、さっきからここらいったいをうろちょろしているようでしたが、いったいどうかされたのですか?」 
 
 強引に話題を転換されてしまった。
 というかこいつ、さっきから僕がここらへんを歩いているのをどこかから隠れて見ていたらしい。
 
「ああ、まぁな。ちょっと探し物みたいなもんだよ」
 
「探し物?何か参考書でも落とされましたか?」
 
「ああ、それだったらよかったんだけどな。もっと大切なもんだよ」
 
 参考書を一冊落とした程度なら、あきらめだってつくってもんだしな。
 
「じゃぁもしかして、本屋の帰りに女子高生パンチラ天国を落としてしまったとか?」

「違うわ!というか何でおまえ僕がその雑誌買ったの知ってるんだ!!」

「もしよろしければ、私もあららぎさんのお手伝いをして差し上げてもかまいませんが?」

「うーん、そうだなぁ」

 これだけ調べて何も出ないのに、二人で調べても同じことなんじゃないだろうか。
 八九寺がそういってくれるのは正直言ってありがたかったんだけれど、それでは逆になんだか悪いような気もする。

「お前みたいな幼女が僕の後ろについてきたところで何がどうなるとも思えないしな」

「体は子供、頭脳は大人ですよ?」

「すげぇ、なんか急に頼もしくなってきた!?」

「真実は、人の数だけそれぞれあるんですよ…」

 神妙な表情で言う幼女の姿がそこにはあった。
 ていうか幼女名探偵としてはそれじゃだめだろ。

「愛っていうのは、世界の隅っこでそっとささやくものなんですよね」

「ただのポエマーじゃねぇか!!」

「それで、どうします?」

 八九寺の問いに、僕はアゴに手をやってしばし考えた。
 空はすでに赤く染まってきているし、そんな遅くに幼女を引き連れるというのも絵柄としてどうなんだろうと思わないでもなかった。
 
「そうだな、八九寺。せっかくの申し出だけど今日はもう遅いから遠慮しておくよ。僕も今日は帰ろうと思う」

「そうですか、遠慮深いんですねぇあららぎさんは、あと根性なしです」

「うるせーよ」

 僕は八九寺に別れをつげて、彼女の言葉に少しムキになったこともあって深夜まで街を探し回ってから帰宅したのだった。
 それでもやはり消えた妹と彼女の友人の姿を見つけることは、残念ながらできなかった。




[38563] エルザバード009
Name: 3×41◆ae1cbd1c ID:31c4df78
Date: 2013/12/09 19:07
このタフさだけはできそこないの吸血鬼の体質のありがたさだといってもいいのではないだろうか。
 部屋の窓のカーテンの隙間から日差しが差し込むころに目が覚めて、そそくさと学校に行く準備をして、いつものように朝食を書き込んで、鞄を持って玄関で靴に両足をねじ込んだ。

「お兄ちゃん」

 物静かな。聞きなれた女性の声に振り返ると、僕の妹であるところの月火ちゃんがドアから頭を出して「いってらっしゃい」と短く僕に行った。

「ああ、いってくるよ月火ちゃん」

 そういって、玄関のドアに手をかけた。
 僕に出かけの挨拶を交わしたのは月火ちゃんだけだった。火憐ちゃんの声もなければ、その姿すらなかった。
 それは当然である。火憐ちゃんの姿がないのは今日に始まったことではなく、もう1週間にもなろうかという以前から姿を消していたのだ。



 #
 
 
「おかえりお兄ちゃん」

 昨日、僕が八九寺に煽られて、ムキになって夜遅くまで街中を走り回ってから帰宅したときのことである。
 僕が家の玄関をくぐると、ちょうど玄関に月火ちゃんが迎えに来てくれた。
 いつになく殊勝な妹ぶりである。もしかしたらすでにダイニングには月火ちゃんの手料理がほかほかと湯気を立てているのではないかと思われた。
 まぁそこは実際はポッキーが、しかも食べ残しが4,5本ほど机の上に無造作に並べられていただけだったのだがそれは別に問題はない。先日のロコモコハンバーグのフルコースはどうしたというレベルではあったが。まぁ寝る前にそんなに食べてもちょっとどうかと思うし、だからといってポッキー5本もないのだけど、とりあえずそのポッキーを一掴みにしてまとめて口に入れると、キッチンにある何かしらの食い物を取り出して無造作に胃に放り込んでおいた。

「お兄ちゃん」

 そのときである。ダイニングの机で一人さびしく夕飯を取る僕の正面に月火ちゃんが、まるで通りすがりにちょっと一声とでもいうかのように声をかけた。

「うーん、別に特に気になるわけじゃないんだけどさ。今日はずいぶん遅かったんだねお兄ちゃん」

「え、うーん。まぁそうっちゃ、そうかな。そうかもしれない」

 ふと壁掛けの時計のほうを見ると、すでに11時を回っていた。ずいぶんと時間がたってしまっているんだなと自分でも思ったものの、一方で月火ちゃんも今はもう寝ている時間なんじゃないかと思い出した。

「月火ちゃんも今日は遅いじゃないか。もしかして僕の帰りを待っててくれたとか?」

 たずねると、月火ちゃんは天井を見上げるようにして、うーん、と考えるそぶりをした。
 
「お兄ちゃん。それはずいぶんとおもしろい推理だね。でもその推理には何の証拠もないよ。ただのいいがかりにすぎないんじゃないのかな」

「う……」

 ていうか、いいがかりなのかよ。兄が妹にちょっと希望的観測で予想をたてるのが、ともすれば軽い罪悪感を感じさせる。ちょっとくらい甘い妄想に浸らせてくれてもよいではないか。

「そういうのがセクシャルハラスメントの温床になるんだからね。私は例え相手がお兄ちゃんでも一切の呵責なく警察に届け出る心づもりだよ」

「おいおいまじかよ。月火ちゃんお前そんな心づもりだったのか」

 危うくお縄を頂戴するところだった。
 
「まぁ別に、今日はたまたま、なんか寝ようって気分にもなれないだけだよ。たまにあるんだけど、いつもはお兄ちゃんは寝ちゃってるから気づかないだけなんだよね」

「へぇ、そういうもんか。まぁそういうこともあるのかもしれないな」

 思春期の女子というものなのだろうか。よくわからないけど。
 
「それでお兄ちゃんは、今日は何でこんなに遅かったのかな?お兄ちゃんって帰宅部だったよね」

「ああ、うんまぁ。ていうか部活って言い方もどうなんだって気はするけどな」

 部費もでないし。
 
「補習が立て込むにしても、さすがにこんなに遅くはならないよね。いやでもなぁ……」

「おい言ってもいいものかみたいな感じで悩むなよ。さすがに補習で24時までまわることなんてないぞ。どんだけ課題積まれてるんだよ」

 実際家で宿題やってれば立て込むこともあるにはあるけど。補習となれば教師のほうが音を上げるだろう。

「じゃぁやっぱりお兄ちゃんは彼女さんと個人的な運動部的な活動に精を出してたんだね。なんかスッキリしたよ」

「してねーよ!勝手にすっきりしないでくれ!」

「こんなに遅くなるなんて、何ラウンドもの激戦だったんだね。まったくもう、学生の分際で不謹慎なんだから」

「1ラウンドもなんもしてねーよ!」

 イスから立ち上がって必死に否定する男の姿がそこにはあった。まぁ僕だった。

「ムキにならないで、むっつりすけべぇお兄ちゃん」 

「冤罪でうっかり八兵衛みたいななじみそうなあだ名をつけるんじゃねぇ!」

 急転直下。まずい事態だった。月火ちゃんにあらぬ疑いを持たれてしまった。これがただの妹であれば、まぁただの勘違いだと放っておいてもなんにもならないだろうが。あってもまぁ後日友達との話の種になってボヤで終わりである。しかし僕の目の前でわけしり顔に「いい、いいんだよお兄ちゃん」となんか逆に僕をいさめているうざいことこの上ないノリのこの妹は、何の因果か栂の木二中のファイヤーシスターズなのだった。
 この妹にあらぬ疑いを持たれたとあっては、こいつらのファイヤーシスターズネットワークという無駄な口コミ網でもってまたたく間に燃え広がってしまうことうけあいなのである。下手をすれば明後日の午後あたりには僕の高校でも、僕が5人や6人の女性と大運動大会がひらかれていたとかおおよそありえない尾ひれまでついてささやかれ倒しそうなのだ。
 僕一人ならおおよそありえないこっぱずかしい噂に身を小さくしていればいいだけのことだが、僕の彼女であるところのガハラさんにも関わってくることだし、第一にガハラさんに知られては真っ先に僕がどうにかされてしまうかもしれない。となればやることは一つだった。僕が今ここで、なんとしてもこの疑惑を解消せねばならない。

「は、ははは。おもしろい冗談だな月火ちゃん。でもそれは単なる推理、空想でしかない。そ、そうだ!証拠、証拠はあるのか証拠は!?誰もが納得する証拠を出してもらおうか!?」

「まぁ冗談はおいとこうかお兄ちゃん」

「え、あ、うん」

 梯子をはずされてしまった。まぁ結果オーライというやつだ。

「いや、別に大したことじゃないよ。学校からの帰りに小5くらいのクソガキに絡まれてさ。ちょっとムキになって張り合ってたら遅くなってしまったってだけのことだよ」

「そうだったんだ。まぁ私はそれもどうなのかなぁと思うけどね」

 読めない表情でそういう月火ちゃんだった。
 実際のところはもうちょっと内容にはズレがあったけれどもそこらへんのことを言っても意味のないことだしな。

「まいいや。おかげで疑問がとけてすっきりしたよ」

「そうかいそうかい。それなら重畳。僕もうれしいよ」

「それでさぁ。火憐ちゃんのことなんだけど」

 少しドキリとした。月火ちゃんはというと、最近読んだ本がちょっと面白かったといったような世間話の様子ではあったけれど。

「また何も言わずに飛び出しちゃって帰ってこないけど。お母さんに言い訳するこっちの身にもなってほしいもんだよ」

 月火ちゃんは声に少し不機嫌そうな色を含ませてそういったが、すぐにケロリとした様子になった。
 この山の天気と秋の空と女心を全部混ぜたようなテンションの切り替わりぶりには毎度のことながら振り回される。

「まぁそれはそれだよ。私たちファイヤーシスターズのチームワークってもんだよ。そう思わない」

「僕はそのファイヤーシスターズって何のためらいもなく自称してるとこなんてどうにかならんもんかと思うけどね」

「お兄ちゃん。それは残念な偏見ってもんなんじゃないかな。みんな空気読み過ぎ過ぎなんだよね。空気読み過ぎ過ぎの、悪を放置し過ぎ過ぎなの」

「なんの杉だかしらないけどさ」

「そっちのほうはいまさらだよね。それでお母さんに言い訳する分には私と火憐ちゃんでお互い様だと思うよ。私だってそういうときがあるし。でもさ―」

 月火ちゃんはうーんとうなって、右手の人差し指を自分の額にグリグリ押し付けていた。
 
「今回はさすがに長いんじゃないかなぁ。私の言い訳だって2、3日だからまだきくんだよ?もしかしたら火憐ちゃん、起こられちゃうかも」

 あくまで月火ちゃんは世間話ののりだったが、ちょっとした愚痴のようなものを心配も含めて吐露したわけだった。
 とはいえ、それもどうかというのが僕の感想だった。

「それは僕に言われてもどうしようもないな、火憐ちゃんに直接いいなよ」

「だっていつまでたってもその火憐ちゃんがいないんだもん」

 なるほどそういうことだった。その後、あまり長引くようだと、警察に届けたほうがよいのではないかという話になった。
 しかしながら、仮に警察に行方不明で届け出たとして、警察が一体何をするだろうか。
 調書をとって、風体を確認して、そこそこに情報を拡散したあとそのまま引き出しの中ほどに眠ってしまうのではないかと思われる。やらないよりはましかもしれないが、だからといってなにかしらの本格的な捜査が行われるというわけではないだろう。
 
 
 
 #


―――まぁ火憐ちゃんが明日になっても帰らなかったら警察にも届けることにするよ。
 そういって月火ちゃんとの話を終えてそのままベッドに直行して眠ったあとの今日だった。
 僕はさきほどドアから顔を出した月火ちゃんと挨拶を交わして玄関を出た。
 
 家を出て、とりあえずは学校に向かった。とりあえずはというのは、今日は学校を休むつもりであったからだ。休むといっても別に遊ぼうというわけではなく、行方不明の友人とついでに妹を探そうというわけだから大義名分はなんとかたつはずである。今日探してみつからなければ、不本意ながら警察に届け出るほかない。

 
 #
 
 
「すいませーん。この子を見ませんでしたかー?すいませーん」
 
 僕の腕時計は正午を回っていた。とりあえず僕は朝自宅の玄関を出てから私服に着替え、羽川に体調が悪いから休むと告げて、火憐ちゃんが出没する可能性の高い場所をめぐっては、火憐ちゃんの写真で聞き込みを繰り返していた。
 どうにも泥臭いやり方である。先日くだんのなんでも知っているのではないかという勢いの博識超人、羽川翼に失踪した妹についてたずねてみると、捜査の手順としては写真を使って目撃情報をさらうものなのではないかといわれたので、素直にそうしてみることにしていたのだ。
 残念ながら、羽川にも火憐ちゃんと神原の行方はわからないらしく、僕自身、羽川に対していささか過分な期待をしすぎてしまったことを反省した。
 しかしながら行方知れずで警察に届け出ても、おそらくこのような捜査が行われることはないに違いなかった。
 
「すいませーん。この子を見ませんでしたかー?」 
 
 街を行く人の群れは、しかし僕の姿など目にみえないかのようだ。向こう側から歩いてきては、何も聞こえない見えないかといったふうに反対方向に通り過ぎていった。
 たまに僕が差し出した火憐ちゃんの顔写真を見る人もいるにはいたが、一瞥すると興味がなさそうに顔を背けていってしまう。それならそれできっと知らないということなのだろう。
 ちなみに顔写真は火憐ちゃんのものを使っているのだけど。火憐ちゃんに関しては自業自得というものなので僕の知ったことではない。むしろ火憐ちゃんはそれで多少顔が知れても気にはしないだろう。

「どうしたんだい?この子」
 
 しばらくそうしていると、初老のおじさんがそう聞いてきた。
 朝からずっとスルーされていたこともあってか、なんだかそれだけで少しうれしくなってしまう。
 
「はい。数日前から家出をして、それで行方知れずなんですよ」
 
「へぇ、大変だねぇ」
 
「そうなんですよ。残念なことに」 

 おじさんは写真をよく見て、ゆっくりと首をひねった。
 
「うーん、ちょーっと見たことがないねぇ。すまないねぇ」

「いえそんな。どうもありがとうございます」

 おじさんはそういって行ってしまう。それにしても親切な人もいるものだ。
 その後も場所を変えては火憐ちゃんの写真を道行く人に見せては地味に悪目立ちの知名度を上げていた。
 いやいや火憐ちゃんと神原の行方を探っていたのである。
 しかしながらたまに写真を一瞥する人がいるだけで、そのまま行ってしまう人ばかりだった。
 まぁそれも仕方のないことかもしれない。そもそも、通りで目に付いた他人を覚えているということもなかなかないのではないだろうか。
 時計は午後2時、収穫はほとんどなかった。
 これではどうにも火憐ちゃんと神原を見つけることはできそうにないな。

「すいませーん。この子を見かけませんでしたかー?」

「見たことがあるわよ」

「えっ……」

 若い女性の声に、そしてその内容に僕は驚いて振り返った。
 途端に、振り返った僕の顔を細い手がつかみ、両ほほをアイアンクローの要領で締め付けたので、口がアヒルのように突き出す格好になった。

「一週間前に、あなたの家でね。何をしているのあららぎ君」

 そのアイアンクローの主は戦場ヶ原ひたぎだった。

「ふぇ、ふぇんひょうふぁふぁらほうふぃてふぉふぉへ……?」 

 戦場ヶ原は僕の両ほほにアイアンクローをかましながら、あどけない表情で言った。
 
「何を言っているのあららぎ君?どんな言語を使っているのかわからないわ」

 いや、それはガハラさんが僕の顔をロックしているからでしょう。
 
「どうしたのかしら?まさか口をおさえられているから声が出せないなんて、あららぎ君。それじゃぁまるで人間じゃない」

「ふぃやふぃんふぇんひゃよほふは!」

 顔を左右に振ってもガッチリホールドされて戦場ヶ原の右手がいっこうにとけない。
 しばらく顔を左右に振っているとやっとのことで解放されて一息つくことができた。

「人間だよ僕は!僕はいままでどこから声を出してる設定だったんだよ。それに戦場ヶ原、こんなところで何をしてるんだよ」
 
 午後2時である。今日は学校は4時くらいまで授業があったはずである。
 
「あらあら奇遇ねあららぎ君、それはまさしくこちらのセリフというものだわ。学校をさぼって、あなた一体何をしているのかしら?」
 
「いや……」 
 
 どう説明したものだろうか。
 
「実はさっきから遠目にあららぎ君を見ていたから。大体の見当はついているのよ」
 
 まじかよ。ていうかさっきから見てたって、いったいいつから!?
 
「あそこの立体交差点の上から30分くらい前から見ていたわ」
 
 そういって戦場ヶ原が指差した先にはちょうどよさそうな立体交差点があった。特等席だ。
 あんなところから30分も見られていたなんて、なんか急にめちゃくちゃ恥ずかしくなってきた。
 
「写真もとっておいたわよ。これで二人の思い出がまた一つ増えたわね」

「そんな思い出はいらねーよ!」
 
 ただの黒歴史だった。
 しかし戦場ヶ原は普段から準備よくカメラを持っていることなどなかったように思うのだけど。
 
「確かにカメラは持ってないわね。今はやりの脳内フォルダに名前をつけて保存というやつよ」
 
「はやり!?はやりでそういうことできるようになるの!?」
 
「ちなみに名前はあららぎ君の黒歴史173よ」
 
 必要にして十分な名前だった。
 ていうかやはり黒歴史だった。173ということはそれ以前に172の僕の黒歴史が記録されているということらしいが、それをつつくと無駄に火傷しそうなので触らないで置こう。 

「まぁ、お察しの通りだよ。神原と、ついでに火憐ちゃんを探してたんだよ。火憐ちゃんにいたっては行方知れずになってから一週間になるしさ」

「なるほどそれはわかったわ。でもあららぎ君。二人を探すために自分は留年してもいいだなんて向こう見ずさも過分というものだと思うわよ」

「えぇっ、僕って一日学校休んだだけで留年しちゃうの!?」

 それはさすがに予想外だった。

「その可能性は決して低くはないと私は見ているわ。でもあららぎ君に留年されてしまうとあなたの彼女である私もちょっと被害を受けるというものだから、仕方がないから今度の土日は私が今日の授業の分は教えて、それで埋めてしまいましょう」

「本当かい?それは素直に助かるよ。ありがとう戦場ヶ原」

「次やったら殺すわよ」

「ええぇっ!? 僕それだけのことで殺されるの!?」

 相変わらず量刑の基準が振り切れていた。とりあえず今後は戦場ヶ原にまず相談することにしたほうがよさそうである。

「それで戦場ヶ原のほうはどうしたんだよ。今2時だからまだ学校はやってるだろ?」

「そのことなら、心配には及ばないわ。私は午後からの授業くらい、あとで自分で自習すれば補えるもの」

「そういえばそうだったな。優秀なやつはうらやましいもんだよ」

「あららぎ君が、私に何も言わずに羽川さんに学校を休むとだけ告げていたものだから。昼休みにあららぎ君のお宅に電話をかけてみたのよ。案の定誰も出なかったから、またよからぬことでもたくらんでいるのだろうと思ってこうして探しにきたのよ。私に何も相談しないものだから」

 なんだかちょいちょい棘の含んだ言い回しだった。

「それについては悪かったよ。二人を探すにしても、とりあえず納得のいくまでやっておきたかったんだ。今日でだめなら警察に届け出て吉報を待つことにするよ」 

「なるほど、あららぎ君は、行方不明になった神原と妹さんのことがあまりに気になるから、いてもたってもいられなくなったということなのね。勘違いしないでほしいのだけれど、私はあららぎ君のそういう正義マンなところを意外にけっこう好ましく思っているのよ」

「いや、別に正義感に駆られてやってたわけじゃないんだけどな。むしろ妹に関しては僕がこの手で探し出してお灸をすえてやろうって気持ちのほうが大きいくらいでさ」

「変に強がらないであららぎ君。学校を休んで街中で妹の写真を見せびらかしている小さいあららぎ君が余計小さく見えてしまうじゃない」

「ちくしょう!!穴があったら入りたい!!」

「それであららぎ君。肝心の首尾のほうはどうだったのかしら?」

「いや、そっちのほうはまったくだったよ。朝からいろんなところで聞いてみたけど、誰も火憐ちゃんを見かけたなんて人は見つからなかったよ」

―――そう。戦場ヶ原はそういって目を落とした。何か考えをめぐらせているのだろうか。

「朝から聞き込みを続けてみたけど、やっぱり僕みたいな素人が行方不明者を探し当てようなんてどだい難しい話だったんだよ。とりあえず調べるだけ調べたら警察に届けておとなしく帰ることにするよ」

「あらあら、それはいささか早計というものなのではないかしら。あきらめるのはまだ早いわよ」

 そういわれて僕はあらためて戦場ヶ原の顔を見た。彼女の顔は、不敵な笑みをたたえている。
 
「どういうことだよ戦場ヶ原、あきらめるのは早いって……」

「あららぎ君。どうやら私の灰色の小さな脳細胞が活動を始めたようよ」

 戦場ヶ原は彼女の右ポケットに手を突っ込んだかと思うと、そこから大きめの虫眼鏡を取り出して不敵に微笑んだのだった。


 #
 
 
「まいったわね。手詰まりだわ」
 
 僕と戦場ヶ原は件の工場跡の前まで歩いてきていた。
 先ほどから30分ほど後のことである。
 僕と戦場ヶ原は工場跡の入り口前で立ち尽くしていた。
 そのとおりは閑散としていて二人以外には誰もいない。
 
「いやはえぇよ!さっきの灰色の脳細胞とかはなんだったんだ」

「まさかここまで手がかりがないとは、さすがの戦場ヶ原もこれには苦笑いよ」 

「どんなキャラだよ。まぁ手がかりがないってのは同意するけどさ」

「妹さんがこの工場跡に来たというのは間違いないのよね」

「ああ、話を聞いた限りではそうらしいな」

 手がかりといえば、それくらいである。
 数日前にこの工場跡を訪れたときに聞いた話では、火憐ちゃんは夜中にこの工場跡を訪れて、すぐにどこかに行ってしまったということらしかった。
 戦場ヶ原はというと、あたりを見回したあと、工場跡の破れた建造物を見上げて何か考えているようだった。

「それで?このあたりの目撃情報はあったのワトスン君?」

「いや、あららぎなんだけど」

 ついでにお前の彼氏なんだけど。
 とりあえずこの工場跡の周辺の目撃情報を思い出す。というか、思い出すまでもない。

「このあたりでも目撃情報はなかったよ。というか街中探したけど、火憐ちゃんを見たって話は聞かなかった」

「ふぅん」

 戦場ヶ原はそういって、少し黙ってしまった。何か考えている様子である。何かひっかかる、といったような。
 
「あららぎ君。妹さんが例の夜にこの道を通ったというのは本当なのでしょう?なのにこの周辺でも目撃例がまったくないというのはどうも納得いかないのだけれど」

「ん、そういえば、そういうものなのかな」

 確かに、火憐ちゃんがこの工場跡へと続く道を通ったのであれば、その目撃情報くらいあってもいいものだというのはなるほど理屈ではある。言われて見ると、どうして思いつかなかったのか不思議に思えるものだ。

「いや、たぶんここらへんはそもそも人通りが少なかったんだ。もともと治安が悪いところらしいからな」

 ここらは、不良のたまり場ということもあるし、不良のたまり場になるような場所ということもある。そもそも人が好んで通ろうという場所ではないのだ。

 ちなみに、ここに来る途中に「あれ、ホモモ木さんじゃないですか」とあらぬ疑いをもたれてしまいそうな危険な噛みかたで僕の名前を呼ぶ八九寺に遭遇したのだけど、気持ち八九寺が戦場ヶ原を見たとたんに、なにやら火急の用やらを思い出したとかで足早にどこかへいってしまった。意外に忙しいやつだ。

「なるほど。それでこの近辺で目撃情報がなかったわけね」

「ああ、それどころかほかのところでも同じなものだからまいるよ」

「そんなことはないわよ。ここで目撃者がいないというのは裏づけに欠けるという点ではあららぎ君がまいってしまうというのもわからなくはないけれど、ほかの場所では話が違うわ」

「そうなのか?」

「私にはそう思うけど。ほかの人通りがある場所で目撃情報がないということをそこに妹さんが行かなかったと解釈すれば、むしろそれは調べる場所を限定する手がかりになるわ。ほかのすべての場所で目撃されたというよりも、すべての場所で目撃がなかったというほうが朗報というものよ。それなら消去法で、妹さんは、目撃例がないほど人通りの少ない場所しか通らなかった、と考えることができるわ」

「確かに一理あるな。と、いうことは、この工場跡から人通りのない場所を探せばいいわけだな」

「そういうことになるわね。さぁ、次はどこに向かえばいいのかしら」

 戦場ヶ原に促されて、鞄から街の地図を広げる。
 ここから人通りが少ない道はというとどこになるだろう。
 一応、まんべんなく証言を取ってみたつもりだが。
 
「戦場ヶ原。ここから続く道はどこも人通りが多い道ばかりだな」

「なるほど」

 戦場ヶ原はそういって、またうつむいてなにやら考えているようだった。
 今彼女の小さな灰色の脳細胞とやらは、次の手がかりを発見するべくフル回転しているのだろう。
 そしてしばらくすると、戦場ヶ原は顔を上げて言った。
 
「あららぎ君。どうやら手詰まりのようね。これにはさすがの戦場ヶ原も苦笑いよ」

「やっぱりかぁぁぁぁ!!」

 そうなんじゃないかと思っていたんだよな。
 火憐ちゃんが通ったという工場跡へと続くこの道は、どうやら袋小路であるらしかった。



  #
  
  

 その後、僕と戦場ヶ原は街の裏山に位置する北白蛇神社への長い階段を上っていた。
 さっきいた廃工場跡は街の裏山に近く、廃工場跡の周りは人通りの多い道しかない。唯一残っているのは、人通りがまったくといっていいほどない裏山から続くこの神社への道だけだった。
 さすがにここに火憐ちゃんが来たとは思えなかったが、もしかしたら何か火憐ちゃんの持ち物が落ちているかもしれないし、足跡でもあるのかもしれないということで、一応調べて見ようと足を運んでいるところなのだった。

「そういえば戦場ヶ原。学校の様子はいつもと違ったことはなかったのかな?」  

 行方不明になっているのは火憐ちゃんだけでなく、うちの高校の運動部のホープである神原もまた姿を消していた。
 神原はうちの高校でも割りと重用されている人間なので、もしかしたら軽い騒動になっていないといいのだが。
 
「そうねぇ。神原に関してはあまり表立った動きはなかったようね」

「そうか。それならよかったよ」

 それに関しては、時間の問題であるような気もするけど。
 
「そういえばあの英国っ娘の周りはちょっとした騒動になっていたようね。彼女のクラスで、今度の学期テストで1位をとった人は彼女と一日デート権を得られることにしようって」

「へぇ、なんていうか平和だなぁ」

「そう提案した男子が袋叩きにされていたわ」

「あっ、そう……」
 
 存外殺伐としていたようである。
 というかよく考えたら学期末テストの一位は順当に考えればいつもどおり羽川だろうしな。

 僕と戦場ヶ原の二人は北白蛇神社へと続く長い階段を登り終えると、赤い鳥居をくぐって北白蛇神社の境内に入った。
 石畳以外の土の部分を観察してみたものの、火憐ちゃんのものと思しき足跡が発見されることは、残念ながらなかった。
 神社の周りをつぶさに調べて見て、火憐ちゃんの持ち物が落ちている、ということもなかったのである。
 やはり火憐ちゃんがこの神社を訪れたと考えるのは無理筋だったのだろうか。
 
「そっちはどうだったあららぎ君」

「いや、何もなかったよ。残念だけどさ。火憐ちゃんはここに来てなかったってことかな」

「妹さんがここに来た、という証拠はないけれど。逆に来てないと確定させられる証拠もないわ。可能性はなくはないと思うのだけれど。目撃情報という点から考えるのだとすれば、妹さんがここに来たなら、今もここ、あるいはこの近辺にいるということになるから。ここにこなかったと考えたほうがいいかもしれないわね」

「この近辺か、それはさすがになさそうだな。だいたい1週間にもなるんだから。少なくとも食料は調達する必要があるし」

「はぁ。また振り出しか」

 僕は心なしかトボトボと赤い鳥居のところまで歩いて、山の下まで続く長い階段に腰掛けた。
 腕時計は午後6時を指し。山の間に沈みかけた太陽は赤くあたりを照らしている。
 階段に座った場所からは眼下に街の大体の全貌が開けている。この街のどこかに火憐ちゃんと神原がいるんだろうなぁ。といっても、それも確証のないことだった。
 
「あららぎ君。お茶でも飲む?」
 
 いつのまにか僕の隣の階段の石に腰を下ろしていた戦場ヶ原が鞄から取り出した水筒を持ってそうたずねた。
 
「いいの?じゃぁ遠慮なくお願いするよ」 
 
「それじゃぁダメよ。お願いしますご主人様。でしょう?この豚」
 
「僕と戦場ヶ原ってそういう関係だったの!?」 

「そうよ。あららぎ君は彼氏以上豚未満よ」

「意外と豚の位置が高いっ!?」
 
「それにこんながっついたあさましい豚と人気のない神社に二人きり、一体なんのためにこんなところにつれてこられたのか。身の危険を感じざるをえないわね」 
 
「僕そんなにがっついてる!?ていうかここに来ようっていったのは戦場ヶ原だろ!?」 
 
 がっついてるかな。むしろ思春期の呪いに対してよく自制しているほうだと自分で自分をほめてやりたい気もするが、そこそこ思い当たる前科もひとつふたつ、どころではなく思い当たるのでなんともいえないのが辛いところであった。

「そういえばこの豚、さっき穴に入りたいって言ってたわね」
 
「そういう意味で言ったんじゃありませぇぇぇぇん!!」
 
 なぜか敬語だった。
 
「冗談よあららぎ君。はいこれ」
 
 そういって戦場ヶ原が緑茶の入った水筒のコップを差し出してくれた。
 
「あららぎ君。そのお茶には一切の毒物はまったくぜったい少しも入っていないから安心して頂戴」 
 
「なんか逆に危険な感じがするんだけど」

 とはいえ一応多少の毒物は大丈夫なんだけど。
 水筒のコップを口につけて一息に飲みほす。そういえば朝から水分をとってなかったからいっそう喉を気持ちよくうるおしてる感じがする。というかこの水筒、戦場ヶ原も使ったのだろうか、だとすると間接的なアレになるのかな。

「ねぇあららぎ君」

 戦場ヶ原に水筒を返して、一息ついたときに戦場ヶ原がそう口をひらいた。
 
「妹さんと神原を探すのは、それはそれで結構なことだと思うわ。でも二人を探すのはいいけれど、それであららぎ君まで消えてしまわないように、一応注意するように言っておくわね」

「え、ああ。それはまぁ……」

 そういえば。そういうこともありえるのか。火憐ちゃんが消えて、それを探していた神原が消えた、そしてそれを探す僕もまた消えてしまう。その可能性は、残念ながら普通にありえる。

「あららぎ君の人生は、まだギリギリそこまで悲観するようなものではないはずよ」

「いやそこはあんまり思いつめてないんだけど……」

 そこで気がついた。僕が消える可能性。確かにそれはなくはないだろうけど。同時に戦場ヶ原が消える可能性もあるのではないだろうか。
 むしろそっちのほうが、可能性としてはありえるのではないかという気がする。

「戦場ヶ原、それは戦場ヶ原についても同じことだろ?戦場ヶ原も何も言わずに神隠しにあうなんてことがないようにしておいてくれよ」

 そういうと、戦場ヶ原はちょっと僕のほうを見て、なにか意味ありげにニヤリと笑った。
 
「どうかしら。あららぎ君がそれで必死になるならそれも悪くないのではという気もするわね」

「簡便してくれよ」

「わかってるわよ。心配しなくても、私はもともとそういうことには気をつけているもの」

「そうか。それだったらよかったよ」

 ここらへんは男子と女子の意識の違いというものだろうか。
 しかしながら女子だというなら姿を消した火憐ちゃんも、神原も女子である。もしかすると、気をつければ防げるという類のものでもないのかもしれない。
 
「そういえば戦場ヶ原。もし仮にだけど、僕が消えたってことになったらお前どうする?」

「意外とセンチメンタルなことを聞くのね。ヘソで茶を沸かしそうだわ」

「仕方ないだろ。実際ありえるかもしれないってことなんだから」

「あららぎ君はどうしてほしいの?」

「え、僕?そりゃあ、危険なことには首をつっこんでほしくないよ。いつまでも僕が帰らないようなら、僕のことは忘れて……」

 言いかけたところで、僕の口がうまく動かなくなった。戦場ヶ原がすばやく僕のほおにアイアンクローをかましていた。僕の口はアヒルのおもちゃのように突き出した格好でパクパク動くだけだった。

「は?なにそれありえない。もちろん探すわよ。どんな代償を払ってもあららぎ君を探し出して、あなたを殺して私も死ぬわ」

「ふょ、ふょうひゃほふぁ……」

 そうだよなぁ。不可抗力で殺されてしまうのはあんまりだけど。だからといって僕が消えれば僕がそれを止めることもできないということになる。
 前門の行方不明に後門の戦場ヶ原。なかなか悩ましい組み合わせだった。
 なら二人を探すのをやめるのかというとそれだってお断りである。
 
「なぁ戦場ヶ原。とりあえずここにはめぼしいものは見当たらないみたいだし。そろそろ降りようか」

「豚ごときが人間に指図するとは耳を疑うけれど。ちょうど私もそう思ってたところだからそうしましょう」

 その設定はまだ生きているようだった。
 とりあえず僕と戦場ヶ原は太陽の光が消え行く長い階段の道を、日が落ちきる前に下り始めた。



 #



「結局見つからなかったなぁ」

 僕と戦場ヶ原は山を下った後、戦場ヶ原の帰り道の途中で戦場ヶ原と別れ、その後、僕は暗い夜道を一人歩いていた。
 消えた火憐ちゃんと神原を一日中探したけれど、二人を見つけることは結局のところできなかった。
 戦場ヶ原と別れたあと、例の廃工場へもう一度向かって、廃工場の前で暗いあたりを見回して、やはり何も見当たらないことを確認してから歩道をトボトボ歩いていた。警察署へと向かう道である。

 ここまで見つからないとなると、僕個人の力では見つけることはできないように思われた。
 警察に届け出たところで、行方不明程度のことで警察が具体的に捜査をすることはないだろうけど、だからといって届け出ないよりかは幾ばくかはマシなはずである。

 そもそも、火憐ちゃんはあの夜、あの工場跡からどこへ向かったのだろう。普通は帰宅するのではないのか?だいたい、火憐ちゃんの腕っぷしは、かなり、いやめちゃくちゃ強いのである。それこそあいつの通っている道場の師範でもなければ歯が立たないというくらいの触れ込みである。その火憐ちゃんが強制的に捕獲されてしまうということはありえるのか?
 まぁそれも徒手空拳の場合の話で、やりようによってはいくらでもやることはできるだろう。
 
 ポケットから携帯電話を出して確認してみると、羽川から何かわかったかとメールが来ていた。特に何もと返事を返して携帯電話をポケットにしまう。
 
「はぁ……」

 ため息をついてしまう。
 考えても有効な結論を得ることができず、街灯の照らす夜道を一人歩いていた。

「おや、そこを歩いているのは魔羅々木さんじゃないですか」

「おい、八九寺……」

 後ろから聞こえた小五女子の呼び声に振り返ると、すぐ後ろにツインテールの体格と同じくらいのでかいリュックをせおったこじんまりした少女が僕を見上げていた。

「僕を、ちらりと頭をよぎっても、いろいろひっかかりそうだししょうもないからやめておこうと思うような性欲の塊、歩くわいせつ物陳列罪みたいな名前で呼ぶんじゃない。僕の名前は阿良々木だ」

「失礼、かみました」

「嘘つけ、わざとだろ」

 ついでに満面の笑みだった。
 
「つまらないことに執着するのはやめましょうよ。笑ってください。スマイルですよ、アハハ木さん」

「笑うついでみたいな名前で呼ぶんじゃねぇ!」

「ところでこんなところで何をしていらっしゃるんですか?阿良々木さんのような少年が、こんな人気のない夜道を一人歩いているなんて、正直なところ私はあまり感心しませんよ」

「いやお前に言われたくねーよ小学生」

「小学生、ですか……」

 八九寺はそういってちょっと目を伏せるようにした。似合わない態度だ、と思う。
 
「阿良々木さん。私の体格はそんなに幼女幼女していますかね。いい加減私は心外なんです」 

 言って八九寺は背負っていたでっかいリュックを地面に下ろした。
 
「私もこう、このようにちょっとポージングをして、しなでも作って扇情的な目線を作ればそこそこいけるのではないかと思うのですが」

 八九寺はいいながら右手を頭の後ろに回して、左手を腰にまわしちょっと体をひねって見せた。
 扇情的なポージングというやつなのだろうか。
 
「かねがね、思っているのですが」

「いや、ぜんぜん?」

 そこにはちょっと体をくねらした幼女の姿があるだけだった。
 おそらくめちゃくちゃ冷めた目線の僕が適当に言い放つと、八九寺ははっとしたように目を見開いて、そして気を取り直したようにリュックを背負いなおすと挑戦的な目線で僕を見上げた。

「いいんです!阿良々木さんにこの魅力がわかるとは思っていません!」

「誰にもわからんと思うけどな」

「私の魅力はそれだけではないんですよ。重要なのは内面です!外見なんて30までです!」

「そのセリフ小学生の口から聞きたくねぇー」

 それに30は早すぎる、いやそういうことじゃなかった。
 八九寺はフフンといった様子で人差し指を突き出した。
 
「教えてあげましょう。私の魅力その一です!私の記憶力は抜群なんです。一度聞いたこと、見たものは決して忘れないんです!このほかに類を見ない記憶力こそ私の一つ目の魅力なんです!」

「それは素直にすごいな。ていうかかなり意外だよ」

 見た目が見た目だし、そういう風に見ようとしたこともなかったし。
 八九寺はさらに指を二本たてた。

「私の魅力その二です!二つ目の私の魅力は……」

 もったりぶるような数拍の間が流れる。
 
「えーと、なんでしたっけ?」

「いや記憶力はどうしたんだよ」

 僕の指摘に八九寺ははっとしたように上空を仰ぐようにした。
 
「やってしまいました!いつもの癖でついふざけてしまいました!」

「こんなこというと何かもしれないけど。八九寺、そういうところが子供っぽいとか言われるんじゃないの?」

「もういいです!阿良々木さんはもう家に帰って壁にかけてあるカレンダーを見て、いい暦ならそのまま目を噛み切って死んでください!」

「……」

 なんでこんなことでここまでボロクソに言われないといけないの僕?

「ところで阿良々木さんというと、今日は朝からあちらこちらで通行人に写真を見せつけてまわっていましたね」

「なんだよ見てたのか」

 それなら声をかけてくれればいいのに。
 というかこいつはちょいちょい隠れて僕を監視でもしているのだろうか。
 
「はい。しかし迂闊に近づいて卑猥な写真を見せつけられてはたまらないですし、邪魔をするのもなんだかはばかられたので声はかけませんでした!」

「そんな写真見せ付けてまわってたら僕捕まっちゃうよ!」

「そうだったんですか。でしたら一体何をしていたんですか? 私、気になります!」

「……いや、いいけどさ」

 気になるんならいいけどさ。気になるんだから仕方がない。
 
「あー、いや、たいしたことじゃないんだよ」

「阿良々木さん、余計な気をまわすのはやめましょう。邪念を抱くのはやめてください。私は人の善意は信じますがね、やられたらやり返す、パイがえしです!」

「パイがえし!?その小さな胸で!?」

「失礼、噛みま…… 小さな胸!? もう許せません! 阿良々木さんには100パイがえしです!!」

「100パイがえし!?つまり二つで50回!?50回ナニをどうするんだ!?」

 その後ちょっと落ち着いた二人だった。

「それで阿良々木さん、一体何をしておられたんですか?私でよければ相談に乗りますが」

「そうだなぁ。いやでもいいんだよ。どっちかっていうと僕の気をすませるためだったようにも思うしさ」

 幼女に話してどうにかなるものでもないし。

「煮え切らない人ですね阿良々木さんは!水臭いです!あと汗臭いです!ついでに童貞臭いです!この童貞!!」

「童貞は別にいいだろ!ほっといてくれよ」

「まったくです。あなたが童貞だろうが、水虫だろうが、私には関係のない話です!」

「いや僕は水虫ではないんだけどさ」

「私は終日街中を歩き回るようなことがあるのに、私に何も相談してくれないということに異議をとなえているんです!」

「それは僕の個人的な問題なんだよ。変に心配させるのもアレだしさ」

 そこで何か悟ったように八九寺がさささと身をかばうようにする。

「ま、まさかまたエロ本関係で!?」

「違うわ!エロ本ぜんぜん関係なし!」

「じゃぁ話してください!」

「いやでもなぁ……」

 なんて話せばいいのか。
 
「わかりました!じゃぁ私が絶体絶命のピンチに陥っても絶対に阿良々木さんには何も言いませんからね!化けて出てやります!」

「いや、うーん……」

 その脅しってなんか違うような。
 それに化けて出るのは今まさにそういう状態なんじゃないかと思うんだけど。
 
「まぁ、たしかにな、悪かったよ。ふたり、人を探しているんだよ、一人は恥ずかしながら僕の妹で火憐ちゃん、この子だよ」

 ポケットから火憐ちゃんの写真を見せる。
 八九寺はその写真を見て難しい顔をして首をひねっている。

「もう一人は神原駿河、うちの高校の後輩で、ショートカットに左手に包帯をしてる。そいつらが家出か何かで連絡がつかなくて、それで探してたんだよ」

「なるほど、そうだったんですか。私もこれで結構歩き回りますからね!」

「ああ、どっかでこの火憐ちゃんを見かけたら、僕に教えてくれよ。一応、これから警察に届け出て、僕も探すには探すけどさ」

 といっても、目撃情報はなかったし、それも望みうすではあったのだが。
 八九寺はそれを知らず、元気な声で言った。
 
「わかりました!阿良々木さん!!」

 言って、僕の持った写真を指さす。
 
「私、この写真の方を一週間前に見ましたよ」

「ああ、そうか……」

―――え?
 聞き流したが、今八九寺なんて言った?
 
「ええと、ちょうど近くの廃工場の近くでしたね。どなたかと一緒にいました」 

「ちょっと、八九寺」

 僕はつい、八九寺につめよって、彼女の肩を両手でつかんでしまった。
 
「その話、詳しく聞かせてくれよ」

「そうですねぇ。確か車に乗り込むところだったかと思います」

 車か。どおりで目撃証言がないはずだ。通行人で、わざわざ車の中を見る人間はなかなかいないだろう。

「黒塗りのリムジンで、印象的だったからよく覚えています。そのお連れの方ははじめてみる方でしたが、阿良々木さんの高校の制服を着ている方だったと思います」

「八九寺、おい……」

 それはうめくようにつぶやく声だった。八九寺は一週間前の記憶を思い出すようにして続けて言った。

「でも特徴的な方だったので容姿は覚えていますよ。きれいな金髪で、西洋の方でしたかね。阿良々木さんの妹さんと話し込んでおられるようでした!」

 そこで八九寺は、気づいたように沈黙した。
 
「阿良々木さん? どうかされましたか?」

 おそらく、僕の様子を見てそうなったのだろう。このときの僕はえらくほうけたような顔になっているに違いなかったからである。

 突然、僕のポケットの携帯電話から呼び出し音が鳴った。
 僕がその携帯電話をとって、画面を見ると、知らない電話番号だった。
 その電話の通話ボタンを押して、耳に当てる。携帯電話から朗らかな声が聞こえてきた。
 
『グッドイブニング。阿良々木くん』 

 電話の主は、エルザ・フォン・リビングフィールドだった。イギリス社交界の星にして、直江津高校の頂点。金髪の、西洋人。うちの高校で唯一の、である。
 電話の向こうのエルザは、話を続けて言った。

『前に言っていた私の屋敷への招待なんだけど。ちょっと急かもしれないけど今日の夜なんてどうかしら?今日は屋敷は私以外誰もいないのよ。フフフ、ちょうどいいと思わない?』

「ああ、わかった」 

 隣で、不思議そうな表情で僕を見上げる八九寺をよそに、携帯電話の向こうのエルザ・フォン・リビングフィールドに言う。

「ちょうどよかったよエルザ。僕もお前に連絡しようと思ってたんだよ」



[38563] エルザバード010
Name: 3×41◆ae1cbd1c ID:31c4df78
Date: 2013/12/09 20:07
「それで、どうする気なの阿良々木君」

 僕はエルザと彼女の屋敷を訪れる約束をした後、戦場ヶ原にことの成り行きを説明して、とりあえず戦場ヶ原の家に来るように言われ、言われるがままに戦場ヶ原の家を訪れて、今はちゃぶ台を囲んで正面に戦場ヶ原が座っていた。

「ずいぶんと回りくどい手を使ったものね、あの英国娘の目的はなんなのかしらね」

「それは僕にもわからないよ」

「彼女の屋敷に行くのでしょう?」

「そのつもりだよ」

 戦場ヶ原ははぁとため息をついた。
 しかしながら、その選択肢しかない。向こうは火憐ちゃんと、神原の身柄を預かっている。ならばはなから僕に拒否権はない。

「でも阿良々木くん?行ってどうするの?ほかに誰もいない屋敷に二人きりで」

「そうだなぁ。とりあえず言って、交渉してみようと思う。エルザの目的がなんなのかわからないし、それにもよるかもしれないけど。少なくとも神原は取り戻せるようにするつもりだよ」

「エルザ?あらあら、仲がよろしいこと」

「あ、いや……」

 エルザの目的。それは今はわかりかねた。彼女は僕に奴隷になれと、そう言っていたが、それが意味するところのものはなんなのだろう?そうすれば二人は返してもらえるのだろうか?

「でも阿良々木君。交渉するのはそれでいいと思うけれど、成立するにせよ決裂するにせよ。交渉が必ず交渉で終わるとは限らないわよね。端的に言うけど、暴力ごとに発展することだってありえるわよ」

 戦場ヶ原は、冷静な目でもって僕を見て続けた。
 
「そのときは勝算はあるの?」

「勝算、かぁ…… 僕はその手のことに関しては完全に素人なんだよなぁ……」

 言って畳に両手をつきながら、先日の廃工場のことを思い出す。
 エルザはその身に西洋七大怪異である金光鳥、ヴィゾープニルを宿し、光と化したその体は光速、光の速さで動くことができる。
 その戦闘能力は、正直戦車だろうが戦闘機だろうが勝てるとは思えなかった。
 
「ちょっと勝てる気がしない、けど。その道のプロなら何かわかるかもしれない」

 そう、忍野メメのような。しかしやつは今この街にいないし、連絡を取る術もない。おまけに人質のようなものまでとられて時間もなかった。
 忍野メメのような、その道の、対怪異のスペシャリスト。
 それにはもう一人、正確には6人の心当たりがある。しかしそのうちで連絡がつくのは一人だけだった。
 
『はい。ノースホワイトですが?』 

 僕が耳に当てた携帯電話から、条件反射で背筋が凍りそうな声が返ってくる。
 
「よぉフルエちゃん。ちょっと聞きたいことがあるんだけど、今時間いいかな?」

 電話越しにたずねると、電話の向こうの嫉妬女、フルエ=ノースホワイトは「あー」とけだるそうな声を出して少し考えるようにした。

『おーい!ペルシド!ちょっと来い…… いいから来い!!』

 電話越しに叫び声が聞こえる。それからしばらくしてボソボソ何か聞こえたが、その声まで判別することはできなかった。しばらくしてフルエの声が返ってくる。

『あぁ、阿良々木くんだったなぁお前。今戦場ヶ原ってやつの家にいるようだが、浄化してほしいにしてはまわりくどいことするじゃないか。えぇ?今すぐ行くからまってろ』

 やばい。殺気MAXだった。どうも思った以上にフルエちゃんと呼ばれることが気に障ってしまった。
 
「すまんノースホワイト…さん!エルザがそう呼んでるって言ってたからちょっと出来心だったんだよ!!」

『おーぃヴァレリアァ~。ちょっと怪異ころしてくるわー』

 携帯電話の向こうから不吉な内容が聞こえてくる。やばい殺されてしまう。どうにかしないと。

「ちょっと待て!…… そうだお前らエルザと懇意にしたいんだろ!? 僕を殺したらその目的から遠のくことになるぞ!! いいのか!?」

 あんまりなはったりだった。
 しかし携帯電話の向こうでしばらく沈黙があったかと思うと

『そういえば、お前はミスノイマンの気に入りだったか。ああ妬ましい。なにか用件があるとか言ってたな? さっさと話せ』

 どうやら僕を浄化する気はなりをひそませたようだ。
 対怪異の専門家である彼女に尋ねる。
 
「それなんだけど。そのエルザ・フォン・リビングフィールドと、僕が1対1で戦ったとして、どうかな、僕に勝ち目っていうのはあるかな?どんな方法でもいいんだけど」

 携帯電話の向こうでしばしの沈黙。
 僕の目の前では戦場ヶ原が僕を見つめている。
 
『あのな阿良々木君』

 フルエが携帯電話越しに答える。かわいた声である。
 
『わかりやすく説明するが、もし私とお前が戦ったとして、1対1で私の圧勝だ、それは知ってるだろう?お前が100人で1対100でも私が余裕で勝てる』

 先日の廃工場での出来事を思い出す。僕はフルエの魔女髪を前に、ひたすら一方的に殺されるだけだった。一瞬で2、3回致命傷をもらったことをおぼえている。

『その私が、信じられないことだが七大罪の一角である魔女髪のフルエが、ああ妬ましい、私が100人で束になってもミスノイマンには傷ひとつつけることもできずに瞬殺されるだろうよ』

「あ、そう」

『そういう奇跡みたいな存在なんだよ、ヴィゾープニルを宿したあのミスノイマンは。いいか、今度ミスノイマンにあったら私がお前によくしてやったことをよく言い含めておけよ』

「あ、うん」

 なんか必死だなこいつら。
 まぁ確かに、1万人以上いるエクソシスト集団をたばねるらしいこいつらが必死になる価値は、あるのかもしれないけど。

『そういうことだ。用件はそれだけか?』

「ああ、うん。一応聞いておこうと思ったんだよ」

『ところでお前、この電話番号をどうやって入手した?』

「それなら学校の連絡網だよ。一応同じクラスだからな」

『チッ。じゃぁ電話切るぞ。じゃぁな』

 それで通話は切れてしまった。
 電話をはなすと、何も言わずに僕のほうを見ていた戦場ヶ原が相変わらず僕のほうを見つめていた。

「どうだったのかしら阿良々木君」

「それなんだけど、専門家に意見を仰いだ結果、絶対に交渉で終わらせるという結論に達したよ」

 その後、僕は戦場ヶ原と少し話して、その後ひとりで戦場ヶ原の家を出た。
 家を出ると、家の前の道路に一台の黒塗りのリムジンが止まっており、その前に正装をした老人が一人たっていて、僕に向かってうやうやしく頭を下げた。

「阿良々木暦さまですね。エルザお嬢様がお屋敷でお待ちです。どうぞこちらに」

 その人は先日エルザにじいやと呼ばれていた老人だった。
 彼があけた車のドアに僕は礼を言って乗り込んだ。
 そのこの街にはいささか場違いの黒塗りのリムジンは僕を乗せるとすぐにこの街の北西の屋敷に向かって静かに走りだした。





[38563] エルザバード011
Name: 3×41◆ae1cbd1c ID:31c4df78
Date: 2013/12/14 08:02
 
 
 この街に不似合いな黒塗りのリムジンに乗り込んだあと、僕はそのリムジンの後部座席に座り、窓の外で流れる景色を所在無さげに眺めていた。
 車の中は静かで揺れも少ない。運転席の老執事は、イギリスの大貴族であるというところらしいノイマン家の名にふさわしい能力を持っているのだと推察できた。何でも一流なんだな。

 気に入らないな、と思った。生まれながらに貴族で、すべてを持っている。にもかかわらず、今僕たち庶民を手のひらで転がしている。
 だからといって、僕にどうすることができるというのか、社会の縮図だ。この世の強者の前に、弱者はただひれ伏すしかない。ないしは、ただ抗議を声を上げるしかない、それが受け入れられるかどうかは相手の気分次第だ。

 では革命にでも訴えてみようか。貴族の横暴に苦しむ民衆が武器をとって立ち上がる。
 車の後部座席で乾いた笑いをもらしてしまう。
 それこそ不可能だ。彼女が大貴族であることや、それに付随する権力を持つことや、イギリス社交界の星であることなど実のところたいした問題ではない。問題は数万人の群集が武器を持って押し寄せても紅茶を作る片手間にすべて叩き潰してしまえるような圧倒的な武力にある。
 だって光速で動けちゃうんだぜ。1秒に地球を7周半、タングステン合金もたやすく引き裂く。お手上げだ。

 じゃぁせいぜい交渉でなんとか落としどころを探るしかないではないか。それにしたって、パワーバランスが大きく傾いてる状況で交渉なんてものが成立するかはわからないが、やれるだけやってみよう。

 車は街の西方面、ノイマン家の日本における臨時的な別荘に向かっている。羽川に聞いたところによれば、一世代前に、金を余らせた成金が気まぐれで立てた屋敷だということらしかったが、気まぐれで建てられて、気まぐれに使われなくなり、誰も住みてがいないまま不動産屋の登記帳に眠り続けて今ノイマン家に一時的にでも、ちょうどよく使用されるにいたったというわけである。聞いた話だけど。

「阿良々木様、何か不自由ございませんでしょうか?」

 リムジンの運転手席から老執事が言った。
 その声はすこしかすれているが、なにやら格調のようなものを感じさせる。
 
「ええ、はい。丁寧な運転で、助かりますよ。あと阿良々木様なんてやめてください。僕なんてリムジンに乗れることもない小市民ですよ」

 実際に運転の丁寧さとかよくわからなかったけどとりあえずそう言ってしまった。
 老執事はゆるやかにハンドルを切りながら答えた。

「そうはまいりません。エルザお嬢様の大切なご友人ですので」

 大切な友人。そうなのかなぁ、はなはだ疑問である。
 
「そういえば、なんで僕が戦場ヶ原の自宅から出てくるってわかったんですか?」

 それは誰にも教えてないことだった。
 戦場ヶ原の家を出て、自転車でエルザの屋敷に向かおうと思っていたのだが、道路に出たところにこの車とこの人がいたものだからえらく驚いたのだった。驚いたけど、車に乗ってくれといわれて断ることはもちろんできず、そしてこうなっているのだった。

「わたくしは、何も。お嬢様にそう申し付けられましたので」

「あ、そうですか」

 沈黙。そういえば、彼女は常人離れした異能の戦闘能力だけでなく、いわゆる千里眼のような能力を見せたことがあったのだった。そういう能力でもって、僕が戦場ヶ原の家にいることを遠視した。そういうことだったのだろうか。
 もしかしたら、エルザは今もこの車の僕たちを見ているのかもしれない。
 
 僕の沈黙をよそに、車は立体道路を走り続けている。
 
「阿良々木様、よろしければ少し昔の話をさせていただいてもよろしいでしょうか?」

 運転席でハンドルを操作する老執事にふと言われて、僕はもちろんどうぞとお願いした。
 老執事は、後ろからだと流れるような整った白髪しか見えないけど、車の前方の道路を見ながら話を始めた。

「つまらないわたくしごとで恐縮ですが、わたくしはもともと、軍属でありました」

 軍属、軍属というと、いわゆる軍隊である。
 
「イギリス空軍に所属し、10年と少しつとめましたあと、SATという特殊部隊に配属されました。そのときエルザお嬢様のお父様にはじめてお会いしました」

「エルザ、さんのお父さんですか」

 ここでエルザと呼び捨てにするのは少々気が引けたので一応さんをつけておく。空軍というと僕のような素人にも軍人の中でもエリートだと知り及ぶところである。
 SATというのはなんなのだろう?もしかしたらエリートぞろいの空軍のさらに生え抜きということになるのかもしれない。

「お嬢様のお父様である、わたくしの旦那様ですが、当時からイギリス国内において大変高名であられました。わたくしは時折、SPとして旦那様の警備を担当しておりました」

 僕が黙って聞き入っていると、話は次に進んでいく。
 
「当時、恥ずかしながらわたくしの家庭はうまくいっておりませんで、妻は軍務を第一にするわたくしに愛想をつかしていましたし、一人娘はというと母親についてしまって距離はひらいて冷め切っておりました。わたくしは軍務を優先したことを後悔はしておりませんし、そのときもむしろそれによって軍務により入れ込んでおりました。ちょうどその折、政府に旦那様の殺害予告が送られました。わたくしはその警護を任されておりました」

 テロリズムというやつだろうか。国家紛争なのか企業テロなのかわからないけど。一体どういう経緯だったんだろうか。
 エルザの話によれば、エルザの父親は現在も存命であるようだから、たぶんその計画は失敗したんだろうけど。  

「結論から申させていただくと、その殺害計画はすんでのところまで進みましたが、なんとか阻止することができました。わたくしはそのとき銃弾をひざに受けまして、SPとして動くことができなくなりました。しかし、軍の上層部は殺害計画をすんでのところまで進行を許したことに責任を求め、その矛先はわたくしに向かいました。誰かが詰め腹を切る必要があったのでしょう」

「それは、ちょっとひどいんじゃないですか?体を張ってエルザの父さんを守ったんでしょう?それなのになぜ責任を取らされる必要があるんですか?」

「同様のことを、当時のわたくしも考えましたが、過ぎたことですな。その経緯の後で、妻が離婚を申し入れ、娘も妻と一緒にわたくしの元を離れました」

 それは、日本の言葉で言えば泣きっ面に蜂みたいなもののように思われた。そういうときって普通元気付けたりするもんなんじゃないのか?そりゃ人によって、関係によっていろいろあるのかもしれないけど。この老執事から受ける印象はそうされる資格がないとは思えなかった。

「そういう時期です。軍の上層部にも、妻にも、娘にも見放されたわたくしに、旦那様がノイマン家の執事にならないかと申し出てくださいました。わたくしには軍属として生きるか、旦那様にお仕えするかという選択肢が与えられましたが、わたくしは旦那様に仕えることを選びました」

 そこで老執事は少し言葉を切った。
 
「ノイマン家の屋敷に入ったときにエルザお嬢様とはじめて出会いました。お嬢様は6歳でした。そのときから、わたくしはエルザお嬢様の専属執事として今日まで仕えてまいりました。お嬢様は当時よりお優しいお人柄で、度胸がおありなのか向こう見ずなのか、当時の人をよりつかないわたくしにも屈託ない様子でいらっしゃった。数年後には社交界でも頭角をあらわしなさりはじめました、将来的には貴族界の大部分を掌握されるやもしれません。それからさまざまな出来事に見舞われましたが、仮にそうでなくても、忌憚なく申し上げさせていただくのならば、エルザお嬢様はわたくしのすべてです」

 僕は何もこたえることができなかった。
 車はおおよそ道程の半ばを過ぎて走っていた。
 運転席の老執事からは、それらの話はただの世間話のように、何の圧もなく話されるものだった。額面どおりに受け取っていいものかは僕にはちょっとはかりかねた。
 
「阿良々木様。今宵はどうぞお間違えのなきよう、申し添えさせていただければ」

 僕はあいまいに返事をした。それはどうとでもとれる返事だったが。老執事はその後は何も言わずに車を運転し、ほどなくかなりの時間走り続けていた車は街外れの大きめの門の前についた。



 #



 車から降りると、目の前に大きな門があり、その扉は開け放たれていた。
 ここまで僕を車で送ってくれた老執事は「では阿良々木様、どうぞお気をつけて」といって車に乗ってどこかに走り去ってしまった。お気をつけて、か。
 なるほど、エルザは二人だけで会いたいといっていた。
 ということはこの屋敷に今いるのはきっとエルザ一人だけに違いない。
 
 門をくぐるときに心に戒める。今から入るのは、敵地だ。
 相手は交渉相手である。少しも気を許すな。気を許せばその分身を危うくする。
 
 門をくぐると、だだっぴろい中庭の先にえらくでかい屋敷が見える、石畳で続く道を、庭園やらよくわからないオブジェのようなものをチラチラ見ながら歩き、屋敷の玄関までたどり着いた。街のはずれだからってレベルでもなくでかすぎる庭だった。

 玄関は玄関で、2.5mほどの高い扉に細やかな細工が施されている。 
 インターホンを探してみるが、扉にとりつけられたわっかのような呼びガネが気になって、それを手に持って2回ほどカンカンとならしてみた。

 それですぐに、まるで扉が痛覚か何かを持っているように、驚いて飛び上がったかのように扉が開いた。
 しかし、それは扉がひとりでに開いたのではなく、開かれた。その主は、この屋敷の主であろう、エルザ・フォン・リビングフィールドだった。
 私服姿の彼女は、まるで僕の来訪をどこかで見ていたかのように、さっと扉を開けると、驚く僕に柔和に微笑みかけた。

「ようこそいらっしゃい、阿良々木君。待っていたのよ、本当にずっと待っていたんだから」

 驚く僕の顔をのぞきこんで笑うエルザはふわりとした髪になにやらこわく的な香りをただよわせている。私服姿は肩から胸元までわりとひらいたワンピース調のドレスというんだろうか、白い素肌が軽く上気しているように見える。かわいらしい花弁のような唇に、陶器のようなほおに健康的な赤みがさしている、その上の彼女の目は透き通るような青に少し金色がかって僕の目を覗き込んでいた。

 心を奪われるというか、何も考えられなくなっていた。さすがエルザ、先ほどの気を許すなという戒めがすでになきものになってしまっていた。

「あ、あぁ。なんていうのかな、今日は呼んでもらってありがとう」

「今夜はディナーの用意ができているのよ。阿良々木君は食べられないものはある?ベジタリアンじゃないわよね?」

「あ、うん。特には」

 エルザはコロコロ笑って身をひるがえすとでかい玄関から奥へ長く続く廊下を歩きはじめた。
 
「フフフ、よかったわ。それじゃぁあがって頂戴な」

 僕がその屋敷に足を踏み入れると、エルザが頭を振り向かせて僕に言った。
 
「早速ご飯にする?それともお風呂に入る?フフフ、それとも阿良々木君、私に食べられてみる?」

 振り向いて僕を見る彼女の目は屋敷の廊下の照明でかいっそう金色に輝いて見える。

「エルザ、その前に」

 僕はエルザのえらく綺麗に光る目をのぞき返して言った。
 
「火憐ちゃんと神原を返してくれ」

 そういうと、エルザは僕を見ながらいたずらそうに目を細めた。



[38563] エルザバード012
Name: 3×41◆ae1cbd1c ID:31c4df78
Date: 2013/12/19 19:29


「さぁて、どうしたもんかなぁ」

 僕は一人天井を見上げてそうつぶやいた。
 部屋は湯気に包まれて、見通しが悪かった。体にお湯の熱が伝わって心地よかった。
 
 僕は結局、とりあえずエルザの勧めもあってノイマンの屋敷の客人用のお風呂を使わせてもらっていた。
 何を悠長に風呂になど入っているんだと思われるかもしれないが、エルザに進められては僕にそもそも拒否権がないので、もうしかたがなく体を温めているのである。
 着替えはどうするのかと思ったけど、ご丁寧にこちらで用意してくれていたようで、サイズまでピッタリだった。すごいおもてなしの精神もあったものである。

 風呂釜は円形で体を広々と伸ばすことができた。
 今の僕の姿勢は風呂釜のふちに背中と両腕をあずけて、足を前方に大きく伸ばす格好だ。
 
 風呂のお湯の中には、なにやら綺麗な草花が束になって浮かんでいる。
 その花や草からそれらの香りがお湯に溶け出して不思議な匂いを作り出していた。
 エルザのさせていた匂いはこれと同じものだな、風呂につかりながらぼんやりそう考えた。
 これらの草花を毎回使うのはきっとそれなりの金額がかかるに違いなかったが、イギリスの大貴族ともなればそのようなことは気にならないらしい。

「それで、どうするのじゃ?お前様よ」

 僕以外の、幼さの混じった声。
 僕が気がついて天井あたりに泳がせていた視線を前方に向けると、円形の風呂釜の向こう側に、普段は僕の影の中に潜んでいる吸血鬼、もとい金髪幼女の忍野忍が僕とちょうど同じ体勢で湯に使っているのがわかった。
 その幼い体形ではやや体がプカプカ浮いてしまっている。
 ちなみにいつくすねたのか、体にはバスタオルを巻いていて、体のラインがわかるだけだった。別にわからなくてもよいのだが。

「どうって、どうするかな。何かいい方法はないか?」

「ふむ、お前様が儂にそれをたずねるのか? カカッ」

 忍は風呂の向かいの僕を見ながら、顔を上げてカカカと笑う。
 この状況を打開する方策を尋ねてみたが、忍はおもしろそうに僕の顔をまじまじ見つめているだけだ。
 
「それについてなら、この屋敷に来る前になにやら別の女と話こんでおったようじゃがのう」

 忍の言う別の女とは、戦場ヶ原のことだろう。
 もしかして妬いているのだろうか?
 
「それはそれさ。もしかしてお前妬いてるのゴボォッ!?」

 言っている途中で忍の足が風呂の中で僕の腹に突き刺さった。
 忍は少しジト目ぎみに僕の腹に刺さった足をグリグリえぐってきた。
 
「まぁなんじゃ。全盛期のころの儂ならばともかく、今の半端な状況では戦力は比にならんじゃろう。うまく話をすすめるしかまぁあるまいな」

「まじで!? 全盛期のお前なら、金光鳥を宿した人間に勝てるっていうのか?」

「やったことがないからなんとも言えんがのう、お前様。まぁしかし負けはせんじゃろうよ。吸血鬼の強みはその不死性にある、しっておるじゃろう?」

「なるほどな。じゃぁ今の状態じゃ難しいな」

 忍と僕、吸血鬼の力を共有するこの状態は、決して全盛期の忍の力の半分を使えるというわけではなかった、おそらくその1割もない。不死性だって、単に死ににくいというだけだ。

「10秒もつかわからんぞ、カカッ」

「そんなこと前向きに言ってんじゃねーよ」

 再び上を向いて笑う忍に不満をこめて非難する。
 
「忍お前、速く動ける方法とかないのか? ほら、エンカナッハドライブとか使えないのかよ」

「使えん。そもそも重力操作は儂の領分ではないからのう」

「そうだよなぁ。いや知ってて聞いたんだけどさ」

 ちょっと思いついたように、忍は続けて僕に提案した。 
 
「あの英国娘はお前様に奴隷になれとゆうておるのじゃろう? なってやればよいのではないか? 儂はこの洋風の住居も嫌いではないのじゃが?」

「馬鹿なことをいうなよ。そしたら戦場ヶ原が黙っちゃいない。僕、バーサスエルザが戦場ヶ原、バーサスエルザになるだけだよ。承服しかねるね」

「おーおーおやさしいのぅ。カカカッ」

 今度は忍は僕の顔を見据えたまま乾いたように笑った。

「よいしょっと」

 次に忍は出し抜けに風呂から出て、近くのお湯のシャワーの蛇口をひねった。
 忍が座ったイスの上からお湯のシャワーが降って忍は小さな体をそのお湯のほうにもっていって、シャンプーを使わず綺麗な流れるような金髪を両手をあげてワシワシと洗い始めた。

「お前様もよく体を洗っておくことじゃのう。ほれ、首を洗ってなんとやらということわざがあったじゃろう」

「縁起でもねーな」

 さはさりながら、一応僕も風呂を一度あがって、忍の隣に腰掛けて頭を洗い始める。
 
「ところでお前様よ、シャンプーはどれじゃ?」

「これだ。ほれ」

 蛇口の近くにあったシャンプーを忍に手渡してやる。忍は「ん」とぞんざいに返事をしてシャンプーを受け取ると適当にポンプをポンポン押してそれでまた頭をワシャワシャやり始めた。
 忍は泡だらけの髪をワシャワシャやりながら出し抜けに隣の僕に言った。

「お前様。あの英国娘は人間ではないぞ」

「ん?人間ではないって、エルザのことか?」

 少し驚いて聞き返す。人間ではないというだけのことなら、僕についても少々怪しいが。
 
「それだったら僕だってそういうことには一応なるんじゃないかな」

「しかしお前様は儂とは別個じゃ。あの娘は半身金光鳥と思っていいじゃろうな。おそらく精神の半分もそうじゃ」

「そうなのか?」

「せいぜい気を抜かんことじゃ」

 そういえば忍野がそんなことを言っていたような気がする。
 忍がシャワーで髪の泡をすべて洗い流すと、そのまま立ち上がって再び広い風呂に飛び込んだ。
 風呂の水面が揺れてお湯がちょっと外にあふれ出す。
 しばらくして僕も体を洗うと再び風呂の湯に身を沈めた。
 
「忍。一応僕の血を吸っておいてくれないか、いっぱいまで」

 風呂にプカプカ浮いていた忍がそれを聞いて僕のいるほうまで泳いでくる。
 
「なんじゃ、結局やる気なのか? 交渉に持っていくとゆうておったではないか?」

「もちろんそうするつもりだけど、一応だよ。逃げることになるかもしれないしな」

「カカカッ、逃げおおせるとも思えんがのう。まぁよい、ではじっとしておれよお前様」

 忍は言うと僕のところまで泳いできて風呂の中で僕のひざに乗ると、おかまいなしに首筋に歯を埋めた。
 とたんに体が燃えるように熱くなる。忍がノドを鳴らし、血が抜き取られていくのがわかる。
 僕は血を吸う忍の頭をポンポン撫でながら、浴室の湯煙にかすむ天井を所在無くながめていた。



 #
 
 
 
 忍が再び僕の影に潜み、風呂から出て服を着たあと、浴室の外のだだっぴろい廊下を歩いていく。
 廊下には絵画やら、全身鎧のオブジェやらで目うつりがしてしまう。この巨大な屋敷が今二人しかいないのだと思うと少し薄らざむい。足音がさびしく響くように聞こえた。
 
 そして1階のダイニングへと入ると、部屋には明かりが入っているのがわかり、そこには10mほどの長い装飾が施された木彫りのテーブルと、その上座にエルザが座っていた。
 僕が部屋に入るとエルザは僕に微笑みかけ、次にテーブルの反対側の席へ僕を促した。
 
「お風呂はどうだった阿良々木君?」
 
「あ、うん。いいお湯だったよ。個人の家とは思えない浴槽だな」

「フフフ、それはよかったわ。それじゃ食事にしましょう?そちらへどうぞ」
 
 エルザが手をやったほうに言われたままに歩き、テーブルのイスを引いて腰掛ける。
 目の前のテーブルにはすでに料理が並べられていた。
 スープやら肉料理やらサラダやら、すでからして輝いて見える。またえらく豪勢な料理が並んでいた。
 そのテーブルの10m向こうにはエルザが座っている。長テーブルのちょうど向かいに座っていて二人の距離は結構にあった。しかしこのくらいの距離がむしろちょうどよいように思われた。

 僕が料理に手をつけずにいると、エルザは目の前の肉料理を右手のフォークで突き刺して自分の口に入れて見せた。

「どうぞ阿良々木君? 毒の類なんて入ってないわよ?」
 
 その必要もないだろうしな。エルザが食べた肉料理を口に運んでみる。
 
「うわ、おいしいな」 
 
 それは豚肉でも牛肉でもないようだった。
 口の中で溶けるようで、肉汁が舌の上でうまみをしたたらせながら転がされる。しかしくさみやしつこさはなかった。

「お口にあったならよかったわ。この料理はすべて私が作ったのよ」

「本当か? すごいな。いい感じのレストランでも開けると思うよ」
 
「フフフ、阿良々木君、うそぴょんよ」
 
「……いっとくけどその言葉ふるいからな」
 
「本当はさっきシェフを二人招いて作ってもらったの。今はもう帰ってもらったけど」 
 
 僕はサラダを口に入れてモグモグ咀嚼しながら話を聞いていた。
 
「だからこの屋敷にいるのは私と阿良々木君、二人だけよ」
 
「……」 
 
 そこで口の中のものを飲み込んで、水を一口飲んでから口を開いた。
 
「じゃぁ遠慮する必要はないな。エルザ、お前が隠してる僕の妹と、神原を返してくれ」
 
「単刀直入に言うのね」 
 
 エルザは言って、水の隣のアップルジュースの器を傾けた。
 
「いつ気づいたの?」 
 
 カップを置いてエルザの光る瞳が僕の顔を覗き込む。
 その彼女の表情から内心を読むことはできなかった。 
 
「今思えば、お前は僕にそれとなく気づかせようとしていたんだな」
 
 エルザは黙って僕の話を聞いている。
 
「空中公園でお前に会ったとき、お前は神原のことをがんばるするがちゃんと言ってたよな。あれは神原は高校では僕にしか言っていないあだ名だって言ってたし、よく考えたら僕を正義マンだと言ったり、その由来を知っている人間なんてかなり限られているからな」
 
「フフフ、阿良々木君は意外と察しが悪いところがあるのね」 
 
「エルザお前、火憐ちゃんと神原の記憶を奪ったな」 
 
 金光鳥は人の記憶を食える。忍野がそういっていたのを思い出していた。
 僕にそういわれたエルザは、しかし表情をまったく変えず僕の顔を見返している。
 逆に僕のほうが追い込まれるような気持ちになり、思わずつばをのんだ。
 
「もちのロンよ阿良々木君。きっと今の私は火憐ちゃんよりするがちゃんより、戦場ヶ原さんより、誰よりあなたのことを知っているわ」  
 
「おい、まじかよ……」 
 
 じゃぁ僕の黒歴史とか若さゆえの過ち的なことまで把握されてる可能性があるじゃないか。
 やばい、頬が赤くなりそうだ。
 
「阿良々木君。私の奴隷になりなさいな。もう私は我慢できなそうだわ」 
 
「はっ!」 

 照れ笑いぎみに、乾いた笑いを向ける。
 
「僕を奴隷にしたいなら、イギリスの女王様でも連れてくるんだな。そしたら考えてやるよ」

「まぁ阿良々木君。叙述詩のプリンセスのようなことを言うのね。日本なら、かぐや姫かしら?」

 エルザは微笑み顔で返した。
 
「そうね。イギリスに帰ってからなら、内務省のおじさまに話を通せばいいでしょうね。わかったわ」

「まじで!? できるの!? いや、ダメだ。今のナシ!!」

 あわてて腕を振って前言撤回した。
 そういえばエルザは貴族界で顔が利くらしいことを忘れていた。
 
「なぁんだ。フフフ、でもいいわ」

 エルザは楽しそうにコロコロ笑った。
 逆に僕は固くなってしまっている。

「その気になれば、実力行使だってできるんじゃないのか? なんでこんな回りくどいことをしたんだよ。なんで火憐ちゃんと神原を巻き込んだ?」 

「そうね、それは可能だったけど、あなたのことを知っておきたかったのよ。いいでしょう? 私だってシモベの具合は知っておきたいもの。それに阿良々木君はこうして私の屋敷に来てくれたわ。この街の人口をすべて傀儡にして、私は一番高いビルの最上階で街を見下ろしながら阿良々木君を襲わせるでもよかったけれど、それじゃ二度手間だものね」

 そういってエルザはパンを口に運んだ。
 夕食の話題としてはあまりに物騒だったが、エルザは普通の世間話のようにそれらを話していた。
 
「そりゃ、そっちの手じゃなくてよかったよ。だいたい、なんで僕なんだ? 僕がエルザの奴隷になってなんのメリットがあるんだよ」
 
 エルザはパンを飲み込んで、飲み物を一口飲んでから話を再開しはじめた。
 
「阿良々木君、少し昔話をしていいかしら? 前に私のお父様の話をしたわよね?」 
 
「え? ああ、確か研究者をやってるって親父さんだったっけ」 
 
「ええ、そうよ」 
 
 話が意外なほうに飛んで、ふいをつかれてしまった。
 それとこれと、関係があるのか?
 思いながらエルザに続きを促した。
 
「私のお父様はジョォン・フォン・ノイマン。聞いたことはあるかしら?」
 
「うーん…… すまない。僕はちょっと知らないな」
 
「そう、でも学会でお父様の名前を知らない人はいないでしょうね。世界でも指折りの研究者で、イギリスでは悪魔の頭脳といわれているわ」
 
「すごい人なんだな」 
 
「ええ、とっても。子供のころは世界史の図書を一目でおぼえてしまって、まわりに暗唱して聞かせてあげていたそうよ。大学でも教授をこえるくらい頭がきれていたそうだし、あるときほかの有力な研究者と、一人は計算機、一人は計算尺、そしてもう一人のお父様は暗算で大容量の計算をしたら、お父様が一番早く正答したらしいし、コンピュータの製作でも中核的な技術を開発して、自分の次に頭のいいものができたと喜んだらしいわ」 
 
「そりゃぁ……」 
 
 すごすぎる人だった。おそらく、天才の中でも頂点に君臨するような天才だろうと思われた。
 僕は今までこの世の天才というのは羽川のような人間のことを指していると思っていたし、実際羽川は天才の部類だと思うけど、そういう枠でくくれるものではないようだった。

「あるとき高名な数学者がある予想を半年考えた末にやっと解決したらしくって、お父様に聞いてもらおうと論文の冊子を持って屋敷に訪れたのだけど、そのときの彼の顔はとてもうれしそうだったからよく覚えているわ」

 エルザは昔を懐かしむように器のみなもを少し揺らした。

「お父様はその予想の概要を聞いた後、しばらく考えちゃって、2、3分で『君の言いたいことはつまりこういうことかい?』といってその予想を証明してしまったわ」 

「そ、そりゃぁ無慈悲すぎるな」

 それを話した数学者が気の毒すぎた。

「お父様は思ったことをそのまま伝えただけくらいにしか思っていなかったのよ。お父様の頭脳に比べれば、社交界の星といわれても、高々一般人の優秀な頭脳だといわれても、何ほどのものでもないのよ」

「そりゃぁ、そう思うかもしれないけど。でもそれは相手が悪すぎるんじゃないか? 比べることでもないんじゃないかなって思うけどさ」

「そうかもしれないわね。でもお父様は悪魔の頭脳だなんて言われているけど、人格はとても優しい人なのよ。お父様の人間離れした頭脳を妬む人こそいても、それ以外の人はお父様にあったらみんなお父様のことを好きになってしまっていたわ。それは私だってそうよ」

――でも、お父様は優しすぎた。そうエルザが続けていった。

「あるとき、ノイマンの屋敷にある夫婦がやってきたわ、お父様の遠縁の親戚らしくって、お父様はその夫婦を屋敷に招きいれて生活させはじめたわ。二人はお父様にとても感謝して、私や私の妹にもよくかかわっていたわ」

「エルザは一人っ子じゃなかったんだな」

 妹がいるというところにひっかかってそれが口に出た。
 
「ええ、かわいい妹よ。今はやせているけど、当時は太っていたわ、その遠縁の夫婦が来てからよ」

 そこでエルザの口調が少し圧を帯びたのに気づいた。

「最初はただの親切だと思っていたわ、その夫婦は私や妹にケーキやクッキーをよく食べさせようとしたわ。私はあまり食べなかったけれど、妹は夫婦に強く勧められて断らなかった、それでどんどん太っていっていたわ。それだけじゃなく、夫婦は妹に堕落的な遊びを教えて、妹はそれにおぼれていた。私はその夫婦にそんなことはやめるように言ったけれど、その夫婦はそれをやめるかどうかは妹しだいだと言って聞かなかった。私もそれは彼女らなりの親切かと思っていたけれど、そうですらなかったわ」

 エルザはそこで言葉を切った。彼女の口ぶりからその遠縁の夫婦に対していい感情を抱いてはいないようなことが察せられた。

「あるときじいやに頼んで、その夫婦が使っている隣の部屋に、ベランダまわりに入れてもらえるようにしたのよ。そこで私は壁越しにその夫婦の部屋に聞き耳を立てていたわ。何が聞こえたと思う?」

「見当がつかないよ」

「その夫婦は笑っていたわ。すっかり太ってしまって、堕落した遊びにおぼれる妹を。いい気味だと喜んでいたのよ。利得のためでもなんでもなかった。夫婦がくれたケーキやクッキーは食欲を増す薬草類まで混ぜていたともいっていたわ。それで次はどうやって妹や私やお父様を陥れてやろうか、そういう相談を楽しそうにしていたのよ」

「……」

 なんといえばいいのかわからなかった。そもそも屋敷に人を招きいれるということ自体が想像がつかないことだし、その夫婦の心理も理解できなかった。

「その夫婦は、私たちを壊すということそのものを快楽にしていたわ。私はすぐにお父様に彼らはよくない人たちだと言ったわ。でもお父様はそれを聞き入れてくれなかったし、そういわれて、私は何も言えなかった。でもそれだけじゃなかったわ。その夫婦は、次の快楽を求めてブードゥーにまで手を出したわ」

 ブードゥー。それはいわゆる西洋の呪術の類だと、以前忍野が言っていたことがあった。
 
「その夫婦は、屋敷の外でブーディストと関係を持つようになり、そのブードゥー自体にも実効が発現したわ。それは妹だけじゃなく、お父様にまで及んだわ。お父様は、あの夫婦の嫉妬や快楽のために損なわれていいものではないのに。でもそれでもお父様は私の言葉を聞き入れてはくれなかったし、私も二度訴えることはできなかった。お父様はあの夫婦をむかえるべきではなかった」

 そこで、エルザの言葉から感じていた圧のようなものが心なしか少なくなった。
 
「お父様も病床に伏せってしまった。私は私で対抗するしかなかったの。だから私もブードゥーに手を出したわ。それでこの子が私の前に現れた」

 そういうと、エルザの髪が一瞬金色に輝いた。
 僕がそれに目を見開くと、その光は一瞬でなくなってしまった。
 まるでその存在がここにいると示すような所作だった。
 
「ヴィゾープニルは私がブードゥーに手を出さなくても1,2年後には私の目の前に現れる予定だったらしいのだけど、事情が事情で、少し早く私の前に現れて、私はそれを受け入れたわ。この力で、お父様ののろいは簡単に打ち消すことができた。もちろんお父様にそれを話すことはできなかったけれど」

「そ、それで……」

 それで、その遠縁の夫婦はどうなったのか。
 それを聞くことは僕にはできなかった。僕が聞けずにいても、エルザのほうから話そうともしなかった。
 
「妹も、快方に向かったわ。でも最初から、妹だって、お父様だって、蝕まれる必要はなかったのよ。それにもしかしたらそのままだったかもしれないもの。私はとても悲しかったわ、私はお父様に、何も言えなかった。お父様に向き合って言葉を発せられる人間でありたかったわ」

 そこでエルザは僕の目を覗き込んだ。
 エルザの青い瞳は、いまや金の燐光をあふれさせるように輝いている。
 
「だからあなたがほしいわ。阿良々木君。あなたの力を私に頂戴な」

「エルザ……それは……」

 それは、矛盾しているように思われた。どこか飛躍している。
 
「阿良々木君の言いたいことはわかるわよ。でもヴィゾープニルの意思と、私の意思が混ざって、もう私には自然なことなの。あなたの、ヴァンパイアの力がほしいわ」 
 
 なるほど。つまり僕を使役して、僕が忍をそうしたように。
 この吸血鬼の力をその身に取り込みたい、そういうことなのだ。
 
「それで火憐ちゃんと、神原がかえってくるなら、僕だってそうしたいよ」

「いいわよ? 神原さんも、興味を引く力を持っているようだけど、ヴィゾープニルはあなたしか見えていないみたいだもの」

「それでも、戦場ヶ原は首を縦に振らないよ。それなら僕もそうはできないさ」

 エルザは僕の言葉に少し間をおいてからたずねた。
 
「戦場ヶ原さんが? それなら阿良々木君。そうでなければ、あなたは私のものになるのかしら」

「そうする可能性はあっただろうな。そもそも僕なんて人間は、なにかしら価値があるように思ってないんだ。求められる分マイナスから0に近づくってもんでさ」

「そう……」

 エルザはパンを一口食べて、飲み物を一口飲んでいった。
 
「なら阿良々木君、交渉決裂ね」

「そうなっちゃうかな、エルザ。残念だけど」

 エルザは、その後何もいわず、長テーブルの向かいで立ち上がると、エルザの隣の食事を運ぶカートの、下段から何かを取り出してテーブルの上においた。

 それはスポーツウェアのようだった。スパッツのようなパンツと、同じく動きやすそうな上着。
 それをテーブルの上において。次に右手を彼女の胸元にやって、シュっと胸元のリボンを解いた。
 
「ちょっ……エルザ!?」

 彼女の服が脱げようとする寸前で、あわてて目線を下にやった。
 僕が下を向いている間にも、エルザが服を脱ぐ衣擦れの音が聞こえてくる。
 
「どうしたの阿良々木君? 別に見てもいいわよ? これでも人に見せて恥ずかしくない身体だって自負はあるのよ」

「そういうのは、ここらの風習にはないんだよ!」

 下を向きながら言う。それを言っている間にもエルザはシュルッという音やススっという音をさせながら着替えを進めていった。

「着替え終わったわ。顔を上げていいわよ阿良々木君。それじゃぁはじめましょう?」

「あ、ああ……」

 僕がエルザの声に顔をあげる。するとすでに僕のすぐ目の前に金色に光るエルザのこぶしが肉薄していた。

 身体の血液が急激に沸騰し、光るエルザの拳が直撃するすんでの僕の目が赤く変色し、僕の顔に肉薄したエルザの光る拳の間に僕の左手が割って入る。

 次の瞬間、轟音。
 それとともに、屋敷の壁がその轟音とともに吹き飛び、夜の闇に包まれた屋敷の外庭に僕の身体は吹き飛ばされた。

 状況がわからなかった。エルザの拳を阻んだ僕の左腕は、粉々に砕けていた。粉々に砕けてはいたが、僕が吹き飛ばされて屋敷の壁をぶち破り外庭に突っ込む間にすでに再生している。

 辺りを見回すと、石畳や庭園、それに暗闇があたりを包んでいる。
 
 そしてふいに暗い空が強く金色に輝いた。



[38563] エルザバード013
Name: 3×41◆ae1cbd1c ID:31c4df78
Date: 2013/12/22 00:37

 僕がたぶん戦車砲とならべるんじゃないのってくらいの打撃を受けて屋敷の外庭にぶっとばされて、前後不覚なまま状況確認をしようとしていた。
 外は夜がふけて真っ暗だった。ちょうど天頂くらいの月が薄明かりを照らしているばかりである。
 僕はというと外庭の芝生に突っ込んで草まみれだった。
 
 エルザはどこだ?あいつの光る左腕の拳撃でここまで吹き飛ばされたんだった。
 それを受けた左手は瞬時に粉々になったが、屋敷の壁をやぶって吹っ飛んでいる間にすでに再生している。
 再生しているが、ずっと再生するわけではないのがつらいところだ。中途半端な吸血鬼である僕の再生力はやはり中途半端なものにすぎない。

 忍野のいうところによるとあいつの宿した怪異、金光鳥は光の概念の怪異である。光化したエルザは高速で動けるということらしい。今すぐにでも目の前に出現するかもしれない。

 芝生に転がって体勢を立て直しながら急いであたりを見回す、が、あたりには暗闇とそれに続く芝生があるばかりだった。
 それと同時に、黒い空が強く金色に輝いた。
 
 同時に、僕が倒れている芝生一帯に金に輝く光弾が雨のように降ってきた。
 
「嘘だろ……」
 
 それは僕にはスローモーションに見えるようだった。このときの僕の赤い瞳は極限にまで引き絞られていたに違いない。
 そらから光弾の雨が放射状に広がるように降ってくる。どうみても逃げ場がなかった。
 
「があっ!」
 
 響くうめき声、何の音かと思ったら僕自身の身体から搾り出されたものだった。
 光弾の嵐が地面に着弾した。左足とわき腹に1発ずつもらってしまった。
 被弾部はまるで爆発したように被弾部分を中心にサッカーボール大に消失していた。
 
 エルザは僕に光速の拳打を見舞ったあと、吹き飛ばされる僕を狙い済ましながら上空に飛んだに違いなかった。そこから展開した光弾の嵐を僕のいる地面に降らせてきた。
 半端な吸血鬼である僕は霧にも闇にもなれないしそこまで早く動くこともできないのだ。
 痛みに身をよじると、その間にも傷は回復していっていた。相変わらずあきれるほどの回復力だった。
 
 僕が立ち上がると、パっと、目の前にその髪を金色に輝かせたエルザが突然出現した。
 その目はもはやあふれんばかりに金色に輝き僕を飲み込むように覗き込んでいる。
 
「阿良々木君、あなたの抵抗力は相当なものなのね。だから少しその回復力を削るわ」

 言ったエルザの両手が輝き、それでもって僕に肉薄してきた。
 
 どうやら僕の吸血鬼の力はエルザの金光鳥の能力に対して抵抗力があるらしい。
 それでエルザはその力、抵抗力を弱めるつもりらしかった。
 くそっ、手を抜いてやがる。戦闘力に差はありすぎたが、同時に腹立たしさも覚える。
 折らずに、削る。そういうことらしい。
 
 僕が気づいたときには、エルザの光る両腕が3回僕の身体に突き刺さったらしかった。早すぎて気づくのが攻撃を受けた後になっていた。打撃をうけた胴体部の3箇所が爆発するように後ろに吹き飛んだ。

「かっ……」

 声が漏れてたたらを踏む。
 そのときすでにエルザが僕の目の前にその顔を近づけていた。
 身体の回復とともに、回復力が削られるのがわかった。
 心臓はディーゼルエンジンのように震えていたが、目の前のエルザの顔は、やはり美貌だという印象を想起させた、その唇が柔らかくひらいて言った。

「私を受け入れなさいな、阿良々木君。そうすれば話は早いわ」

「くそっ、だれがっ!!」

 たたらを踏む足を踏みとどまって、両拳を握り、目の前のエルザに両足をけってダッシュした。
 
 ダッシュしながら右手、左手を振りかぶって殴りつける、だがエルザは笑い顔でそれをかわした。
 僕の左手を紙一重で交わしながらエルザは光る目で僕を見つめた。

「フフフ、速さが足りないわね、鳥がとまるわよ」

「うるせぇよ!」

 さはさりながら半端ながらも吸血鬼の力を引き出した拳撃は鉄板だって貫通する威力があるはずだ。
 さらに右手を振りかぶって全力で突き出す。

 今度はエルザはよけなかった、代わりに全力で突き出された僕の拳とエルザの間に金色に輝く壁が出現し、その光る壁面に腕が吸い込まれると、そのままその光壁から突き刺したはずの僕の腕がこちらに飛び出してきた。
 僕の拳が、僕の顔にめり込む。その威力で後ろに吹き飛ばされた。
 
「ちぇぇぇあああああ!!」

 その僕の背後から、僕の影から飛び出した忍がジャンプし僕を飛び越してエルザに足蹴りを放った。
 
 エルザはその蹴りをなんなく交わした。
 
「フフフ、かわいいお嬢さんね。この子があなたの宿した怪異なのね」

 忍をかわしたエルザの回避動作が終わる前に、僕が飛び込む。
 僕の両手の乱打を、しかしすべてエルザはかわしてしまう。
 
 そこに横から忍が突進して、ジャンプから放った回し蹴りをエルザは伏してかわし。 
 
 エルザの上空を反対側にとおりすぎた忍が空中で反転し、遠ざかりながらエルザに両腕を向けた。
 
「かっ!」

 忍が短くさけぶと、忍の両腕から発生した赤く輝く血の霧がエルザに疾走した。
 怪異を縛封する輝く血の霧である。
 しかしエルザは身体を光らせて光速で回避、その疾走した血の霧のはるか上空に出現した。
 
「ちぃっ! 捉えられぬかっ!」 
 
 反対方向に着地しようとする忍を見ながらエルザが瞳を強く輝かせた。

 滞空体勢の忍にエルザが放った数多の光弾が疾走する。
 が、忍はすんでのところで再び影に入り込んでそれをかわした。
 エルザあいつ忍を殺す気かよ!一応しなないかもしれないが。幼女姿の忍にまったく容赦がなかった。あるいは忍を完全に怪異として見ているのか。

 再びエルザの身体が光と化して光速で移動した。
 瞬間に消失したエルザが再び現れたのは、僕の真下だった。
 
「阿良々木君、空を飛んでみる?」
 
 声と同時に僕の身体に衝撃が走った。
 目がチカチカしてどうなっているのかがわからなかった。
 
 再び視界を認識したとき、僕はエルザの屋敷の外庭から、はるか上空に打ち上げられていた。
 というかめちゃくちゃ打ち上げられていた、たぶん7、800Mは上空だ。下を見ると、街が小さい楕円のように密集した光の塊になって見える。

「綺麗でしょう? 私はこの眺めも好きだわ」

 再びエルザの声。見ると、僕の隣に光速移動で出現していたエルザが光る右足を僕に向けていた。
 
 また戦闘機にでも衝突されたような衝撃が走り、今度は横に向き飛ばされる。
 そしてしばらくしたら次は反対から衝撃がきた、反対方向にまわったエルザが再びけり返したのだ。
 そしてまた衝撃、再び衝撃。
 
 僕は上空で球の中を跳ね返るように蹴り飛ばされ続けていた。
 蹴られるごとに消失する僕の身体が吸血鬼の回復力を使って瞬時にもとにもどる。
 
 あまりの衝撃の連続に何が起こっているか半ば把握さえできてなかった僕が、その衝撃から解放され辺りを見回すと、僕の真上でエルザが身体を横にしながら光る右足をグルリと回転しながら下に打ち下ろそうとする寸前だった。

「阿良々木君、私のものになりなさいな」

 エルザが言って、僕の胴に光る右足が突き刺さった。
 
「げはぁっ!!」

 今度はそのまま真下に加速して落下しはじめた。
 
「やべぇ死ぬっ!!」

 高速落下しながら頭をよぎる。上空800Mから人間が落下したら、粉々だ。やったことないけど粉々になって再生ってできるのか?できたとしても力のほとんどはなくなるかもしれない。
 そこまで思ったときにはすでに地面が200Mに迫っていた。
 
「お前様!ワシの影に入れ!」

 忍の声。気がつくと僕の身体にできた影から現れた忍が耳元で叫んでいた。
 次に忍が僕の上にまわって僕の身体を土台にしてジャンプした。
 迫る地面に忍の作った影が映る。
 
 僕は高速でその影に突っ込んだ。
 まわりが真っ暗になる。おそらく死後の世界でなければ、忍の影の中に入ることに成功したのだ。
 そこですぐさま気づく、すぐに忍が地面に落下してくる。今度は僕が影を作らなければならない。
 
 上空から影に入り、すう瞬でその影から飛び出して斜めにさす月明かりで作った僕の影に忍が飛び込んだ。
 なんとか着地することができた。
 
「残りの再生力はどれくらいかしら」

 再び屋敷の外庭にたった僕のすぐ隣でエルザが言った。鳥の怪異を宿したエルザに落下のダメージなどそもそも気にする必要もないらしい。

 エルザの身体が再び発光する。
 それを見た瞬間に全力で頭を下げた。
 それで僕の頭部へのエルザの攻撃がからぶった。
 
「へっ、当たらなかったな。速さが足りないんじゃないのか?」

 それで一矢報いた気になった僕に笑みを浮かべる余裕ができた。
 
「手加減したのよ。死んでほしくはないもの」

「僕を、吸血鬼の力を取り込んでも、お前の親父さんはきっといい顔しないぜ」

「かもしれないわね。でもどうかしら、お父様は鹿狩りで私が鹿をしとめたら喜んでくださったわ」

 エルザは何を思ってか、目を細めてわらった。
 エルザの半身は金光鳥だ。忍野の言っていたことによると不完全な融合で精神に金光鳥が割り込んでいる。
 そのエルザには、もう僕の吸血鬼の力を取り込むことが、人間が食べ物を食べるのと同じくらい自然なことに思えているに違いなかった。
 
 次の瞬間、エルザの右手に光る刀剣が出現。その次の瞬間には僕の肩口から縦に切り裂かれていた。

「かっ……」

 斬られながら、踏みとどまる。
 
「僕は鹿じゃねぇよ!!」

 忍に呼びかけて僕の影から放られた長刀、心渡を手に取り目の前で光剣を振り下ろしたエルザに向かって横なぎに振りぬいた。

 それは予想外の攻撃だったらしい、が、エルザの太ももを掠めただけで、彼女の太ももを薄く切っただけだった。その傷口も、金色に輝きすぐにふさがれてしまう。再生能力まであるらしい。

 真っ暗な外庭で、後ろにとんだエルザの左手が金に輝き、その左手のまわりに発生したいくつもの光弾が疾走し、僕の身体をズタズタに打ち抜いた。

「がぁっ、かはっ……」

 その衝撃に吹き飛ばされる。
 僕を貫通したいくつもの光弾はそのまま後ろの屋敷の壁を融解させ吸い込まれた。
 
 僕も吹き飛ばされて心渡を持ったままゴロゴロところがり、屋敷を背になんとか立ち上がった。
 
 たった僕がエルザのほうを見ると、エルザは空中に飛翔し、全身を強く輝かせてエルザの身体を中心に数百の光弾を滞空させているところだった。
 僕をそのまま消失させてしまいそうな密度である。
 僕は心臓を凍った手でつかまれるように思いながら叫んだ。
 
「戦場ヶ原ぁぁぁ!」

 空中に滞空しながら僕を見下ろすエルザがはっとしたような表情をした。
 なぜ今僕が戦場ヶ原の名前を叫ぶのかと思ったのかもしれない。
 それがなぜなのかはすぐにわかった。
 
 僕が戦場ヶ原の名前を呼んだのと同時に、僕の後ろの屋敷のすべての部屋の明かりが、一斉に点灯した。
 この屋敷にいるのは、僕とエルザの二人だけではなかった。先刻からこの屋敷に忍び込んでいた戦場ヶ原が、いったん屋敷のブレイカーを落として部屋の明かりのスイッチを入れ、そして今ブレイカーを入れてすべての屋敷の明かりをつけたのだった。

 それはエルザにもわかったに違いない。
 僕の背後の屋敷の明かりがすべてついた。
 
 重要なのは、それで僕の背後から刺す光によって、僕の影が前方へ長く伸びていることだった。
 エルザにとって僕の動きは遅すぎるものだったかもしれないし、僕の攻撃はすべてなんなくかわされるものだったが、この影が伸びる速さは、エルザと同じ光の速さだ。

 エルザが気づいたときには、空中のエルザの背後まで延びる僕の影から、両手を組んだ忍がすでにあらわれていた。忍が組んだ両手からは赤く輝く血の霧がただよっている。

「かぁっ!!」

 忍が至近距離から不意打ちで放った輝く血霧は今度は数瞬反応が遅れたエルザの身体を捉えた。
 赤く輝く血の霧がエルザの身体をつかみ、縛った。
 
「今じゃお前様!!」 

 忍が叫ぶ、その反対方向から、すでに僕は上空で赤い血の霧に縛られたエルザに、長刀心渡を両手で振りあげて、吸血鬼の脚力で高くジャンプしていた。

「おおおおおっ!!」

 ジャンプした僕の眼下で、身動きがとれなくなったエルザがその光る瞳で僕を見つめ、目を見開いた。

「斬れぇお前様!!」

 忍の叫び声が聞こえる。
 ジャンプした僕の眼下でエルザがゆっくり近づいてくる、吸血鬼の神経系は集中しまるでスローモーションだった。
 そのエルザの口角が、硬く持ち上がった。
 
 両手で真上に振りかぶった心渡がピクリと反応する。
 
 このままエルザを斬ってもいいのか?
 一瞬のうちに思っていた。
 心渡は人を斬らず怪異だけを斬る刀だ。だからエルザが斬れることはない。そう思っていた。
 だがさっき心渡がエルザの足をかすめたとき、エルザの足は切れて血が流れていた。
 
 もしかして、金光鳥が身体の半分であるエルザは、心渡のダメージを身体に受けるのではないのか?
 
 その考えが頭をよぎると、力をこめた両腕につかまれた心渡が動かなくなってしまっていた。
 しかし目の前のエルザはじょじょに肉薄してくる。
 
「ちっ、主様め躊躇しおった!」

 遠くで忍の声が聞こえる。
 僕が接近していたエルザは、血の霧に身体を縛られながら、僕のほうへ両手を伸ばしていた。
 
 僕はそのままエルザに突っ込んで、空中でエルザに抱きとめられてしまった。
 心渡が僕の手を離れ、下方の地面へと落ちていった。
 
 次の瞬間、身体が燃えるように熱くなる。
 僕を抱きとめたエルザの、僕と接触している部分が金色に輝き、僕の身体を取り込もうとしていた。
 
「お前様! 離れろ! 取り込まれるぞ!」
 
 遠くでそう忍が叫ぶ声が聞こえた。どうやら僕の抵抗力はかなり弱っていたようで、無理やり取り込めるようになっていたらしい。
 僕は離れようともがいたが、エルザの両手に抱きしめられて離れることができない。
 僕の身体は光るエルザの身体にすこしずつ吸収され始めていた。
 
 戦場ヶ原も屋敷から見ているのだろうか。
 ちくしょう。こんなところまで見せたくはなかった。
 遠くで再び忍の叫び声が聞こえる。
 
「噛め! お前様!」
 
 噛め? 噛むって何を噛めばいいんだよ。
 自問自答のように考える。
 
「その娘を噛め! ヴィゾープニルの力を吸うんじゃよ!!」
 
 その娘。それは目の前のエルザだろう。
 エルザの綺麗な顔が眼に入る。
 そしてその首のしたの綺麗な首筋も。
 
 忍の声と、吸血鬼の本能も手伝ってか、半ば衝動的に歯をむき出し、エルザの白い首筋に歯をうめた。
 
「んぁっ……」
 
 僕がエルザの首筋に歯をうずめると、エルザが息を吐くようにうめいた。
 口の中に血液があふれ出てくるのがわかり、エルザを強く抱きしめたまま、僕はむさぼるようにそれを吸い、飲みこんだ。
 
「あっ、ああっ……」
 
 僕がノドをならすのと同期するようにエルザの口から声が漏れる。
 そのまま血をすい続けると、しだいにエルザの目の金色の光がおさまっていった。
 
 エルザの血をすい続けるにしたがい、エルザの身体を覆っていた金光は薄まり、しだいに消えてしまった。
 
 僕とエルザを空中に漂わせていた赤く輝く血の霧は、二人を地面におろすと忍の手へとひいていった。
 
 エルザの首筋にかぶりついて、いつまででも血をすっていたかったが、エルザを包む光がほぼ完全に消えうせたところで、エルザの首筋に食い込んだ歯を離した。

 僕が顔を上げてエルザを見ると、エルザはけだるげに僕のほうを見た。その目は透き通るように青かった。
 
 抱きかかえられたエルザの身体が再び弱く金色に輝き、エルザの背中の発光部分から何かが出てきたと思うと、それは人間で、火憐ちゃんと、続いて出てきたのは神原だった。気を失っているらしい二人は、エルザの身体の発光部から出現すると、そのまま庭の芝生に投げ出された。
 
「阿良々木君、半分ははじめましてになるわね」
 
 エルザを見る僕に、エルザはゆっくりと口を開いていった。
 
「改めて自己紹介するわね。ノイマン。エルザ・フォン・ノイマンよ。それでよかったのよ。最初から、それでよかったんだわ」 
 
 それだけ言って、エルザは気を失ってしまった。
 それを確認して、僕はエルザを芝生に横たえて、自分も芝生に転がったのだった。



[38563] エルザバード014
Name: 3×41◆ae1cbd1c ID:31c4df78
Date: 2013/12/21 23:24


 土曜日の午後、僕は一人自転車で川沿いを走らせていた。
 天気は半分くもり、日差しがきつくなくて助かった。
 川がキラキラ反射している。近くの水辺でどこかの飼い犬が水をパシャパシャやっていた。

「吸っていたわね。阿良々木君」

 時を少しさかのぼった土曜の午前、僕の部屋で勉強を見てくれていた戦場ヶ原が、休憩に入るなりそういった。
 
「吸ってたって、何をだい?」

 戦場ヶ原の唐突な言葉に思わず聞き返す。

「あら意外。この後に及んでとぼける気なのね。ほら、あのイギリス娘のことに決まっているじゃない」

「んん?」

「吸ってたっていうか。むしゃぶりついていたように見えたのだけど」

 戦場ヶ原は、犯罪者を問い詰めるような圧を帯びているものだった。
 こいつは先日のエルザの屋敷でのことを言っているようだった。

「いや、まぁガハラさん? 吸うには吸ったけど、あれはもう不可抗力ってもんなんじゃないのか? だってそうしないと僕消失してたんだぜ?」

「彼女の首筋のお味はどうだったのかしら?」

「いやいやいやいや、それを聞いてどうするっていうんだよ。こんな話は無意味だね! 僕は断固黙秘するぞ!」

「それに揉んでもいたわ」

「まじで!? そっちはぜんぜんおぼえてない!!」

 そういえばあの時はエルザに必死に抱きついてたからな、どこかひっかかりのあるところをつかんでいたかもしれない。ぜんぜん覚えていなかった、僕はなんて愚かなんだろう。

「そっちは? ふーん……」

「あ、いや」

 なんだか語るに落ちた感のある僕であった。
 戦場ヶ原が何かさぐるように僕の目を見ている。たまらず右にそらしてしまう。
 
「まぁいいわ。それじゃぁ今日から寝る前に一時間、ノートに戦場ヶ原様と書き続けてから寝る。そういうことにしましょう」

「ぜんぜんよくねぇよ! いやちょっとまて、今日からってどういうことなんだよ」

「どういうことって、今日から36回、分割でそうしようということよ。浮気性な阿良々木君に、やさしい私は今だけ限定ニコニコ分割払いで罪をあがなわせてあげようというわけなのよ」

「それのどこに僕がニコニコできる要素があるんだよ」

「何を勘違いしているのかしら? ニコニコするのは私の役目よ」 

「だと思ったわ!」

「おっと、ちょうどいいころあいね。休憩は終了よ、机に向かいなさい」

 微妙に休憩の意味が変わっていた。
 でもそれはそれとして、戦場ヶ原が勉強を見てくれていること自体はとてもありがたい。
 彼女の見ている前で別の女と吸った揉んだしてたというのは、内容に検討の余地はあると思うけど特別な事情もかんがみて今のやり取りで清算されたってことで、いいんだろうか。まぁそういうことにしておこう。

   
 
 #



 そういうわけで、午前はガハラさんに勉強を見てもらい。午後はガハラさんを家に送ったあと、こうして川べりの堤防を自転車を走らせているというわけである。

「のうお前様よ、ワシへの埋め合わせはいつになるのかのう」

 影の中から忍が問いかけてくる。
 
「え? そういうのっているのか?」

 だって僕と忍は一心同体なわけだし、運命共同体だったんだしさ。
 
「はぁ!? いやじゃいやじゃ。なにかしろ! どんな小さなことでもいいんじゃ!」

 ヘソを曲げはじめた。
 まぁ、ちょっとしたことくらいなら別にいいけどさ。

「んー仕方ねぇなぁ。じゃぁ何がいいんだよ」

「ワンハンドレッドエイトアイスクリームの新作が出たらしいぞ! それも含め全部食べるとしようではないか!」

「しねーよ。てか108個も頼んだら1個100円としても1万800円になるじゃねーか。せいぜいいつつぐらいにしてくれよ」 

「まぁまぁ、よいじゃろう。カカッ」

 そういって忍は再び影の奥にもぐっていった。
 
 自転車を降りて、しばらく歩いていると、ふとまた別の声が僕を呼んだ。
 
「阿良々木君。フフフ、こんなところで会うなんて奇遇じゃない?」 

 聞きなれた声だ。
 振り返ると、くだんのエルザ・フォン・リビングフィールドが僕に微笑みかけていた。
 いや、今はノイマンって呼ぶのがいいんだっけ。
 
「いいわよ。リビングフィールドで、私はそっちのほうが語感が好きだわ」

「それに奇遇って言うけどさ、お前は僕がここにいることを知ってたんじゃないの?」

 僕が軽口で問いかけると、エルザはコロコロ鈴が鳴るように笑った。
 
「どうかしら? フフフ。でもね、阿良々木君のおかげでヴィゾープニルを正しく宿せたから、もう眼は使えないのよ。ちょっと残念だけれど」

「でも結局、僕はそれでよかったんだろうって思うよ」

「ええ、それはもちろん私もそうだわ」

 隣を歩いていいかと聞くエルザに僕が承諾をして、自転車を押す僕の横をエルザが歩いていた。
 
「なぁエルザ、もしかしてお前、僕にお前を斬らせようとしてたんじゃないのか?」

 歩きながら出し抜けにそうたずねた。
 エルザはこちらをちょっと見て、目線で続きを促した。
 
「お前はヴィゾープニルと不完全に融合してたんだろ? だからヴィゾープニルの意思と矛盾しない形で、僕に始末をつけさせようとしたんじゃないのか? 僕を殺さないように手加減したんじゃなくて、エルザ自身を殺させるためだったとか」

「フフフ、どうかしらね。いいじゃない。こうしてうまく運んだんだもの」

「捨て身なことするよな」

「でも仮にそうだとしても、誰でもそうしたわけじゃないのよ。阿良々木君、あなただからそうしたのよ」

 エルザに吸われてしまうか、エルザを斬るか、エルザの血を吸うか。
 それにしたってかなり可能性として賭けになる部分は多かったように思うけど。
 
「じゃぁエルザ、おまえもう光速で動けたりってしないの?」

「動けるわよ? モチのロンよ」

 言ってエルザの綺麗な髪が軽く金色に輝いた。
 
「あ、そう」

「あくまで眼が使えなくなっただけよ。あれはヴィゾープニルの領分だから」

「ふーん」

 つまり人の記憶を食べたり、傀儡にしたりってことはできなくなったということらしかった。
 それはイギリス社交界の星というエルザの人間としての領分にも影響するのかと思ったが、どうもヴィゾープニルを宿すずいぶん前からそういう立場にあったらしくそこらへんは関係ないらしい。
 僕の隣を歩くエルザは、今見ても息を呑むくらいだった。
 エルザが僕の視線に気づいてこちらを見返す、その眼は透き通るように青く、その瞳の中で泳げそうな感じさえする。
 
「ねぇ阿良々木君」

 エルザが僕を見たままいった。
 
「あなた、私の彼氏になりなさいな」

「はっ?」

 思わず自転車を押すのをやめてしまう。
 
「え? い、いやいやいや。 だって僕、彼女いるし!」

 キョドりまくる僕を見て、エルザは楽しそうにクスクス笑った。

「そうなの? でも阿良々木君、私といるときにいやじゃなかったでしょう? 見えてたもの」

「いや、そうだけど! いやそうっていうか!」

 ヴィゾープニルの眼を通してそこまで見られていたらしい。
 自分で何を言っているかわからなくなっていた。

「阿良々木君のおかげで、私のここ、こうなってるのよ?」 
 
 そういって、エルザは髪をちょっとつかんで見せた。
 エルザの白い首筋に、ふたつの穴のあいたあとが残っている。
 僕がエルザの血をすったときに残ったあとだった。
 
「おいおい! 何で残してるんだよ! お前たしか傷なおせるんだろ? 恥ずかしいから消してくれよ!」
 
「フフフ。いいじゃない。貴重な経験だったもの、記念にしばらくこうしておくわ」
 
「とにかくだ。彼女とかはダメだよ。僕にはもうお付き合いしてる彼女がいるんだから。エルザの気持ちはうれしいけどさ」

「あらそうなの」

 エルザがきょとんとした様子で、しかし続けていった。
 
「それだったら、側室ということでもいいわよ」

「一夫多妻制!?」

 とんだ戦国武将だった。
 その後、僕はエルザに今の日本ではそういう制度はもうないということと、そんなことしたら戦場ヶ原に二人とも殺されてしまいかねないことなどもろもろ納得してもらうのにしばし奮闘することとなったのだった。




[38563] こよみサムライ001
Name: 3×41◆ae1cbd1c ID:31c4df78
Date: 2013/12/22 22:21

「ねぇ阿良々木君、サムライってなんなのかしら?」

 ちょっと突拍子もない質問だった。サムライとはなんぞや。日本に生活していながら、しかし日本のどこにも接点はなく、さりとて世界中で日本の代名詞のように扱われるサムライ。その概念について、いやに神妙な顔つきで僕に問いかけているのは、エルザ・フォン・リビングフィールドだった。

 僕はこのイギリスからの転校生に、先ほど帰り際の廊下でつかまり、ちょっと気にかかることがあるといわれて、いったい何事かとにわかに構えてエルザの教室へと連行されて今そういう話になっているのであった。

「ていうか、気になることってそれだったの?」

「え、なにが?」

 エルザに質問した僕に、エルザはきょとんとした様子で聞き返す。
 夕日に差し込まれたエルザのその表情すらも、人心を虜にしてしまうようなこわくてきな魅力を備えていた。
 
「いやエルザお前、気になることがあるって僕を呼んだじゃん」

「ああ、それについてはもういいのよ。ドント、マインドよ」

「もしかして僕釣られた?」

 彼女は鈴がなるようにコロコロ笑った。
 一杯食わされた。僕はまたエルザがやけに神妙だったから、何か突拍子もない事態でも発生しているのかと正直肝を冷やしていたのだ。
 たとえば陰湿なストーカー被害にあっているとか、クラスでいじめにあっているとか、文房具を紛失したとか。
 それならまだいいくらいで、エルザがその身体に宿した怪異、ヴィゾープニル、和名で言うところの金光鳥が再び暴走しはじめたとか、そのエルザの尋常ならざる戦力を狙って、よくわからないふざけた、本人たちはまじめなようだが、エクソシスト集団に襲われているとか、そういうことなんじゃないかと思って僕は人知れず腹をくくってさえいたのだ。
 だからそのエルザに神妙な顔つきで「気になることがある」とか言われたら、僕はもう話を聞かざるをえないのである。
 その言葉はさながら、ドラクエでいうところの霜降り肉、ポケモンでいうところのマスターボールの如し、である。いやいや誰がモンスターなんだよ。僕は半分人間だ。
 半分は吸血鬼だけれど。

「フフフ、いいじゃない。それとも私に呼ばれていやだった?」

「いや、いやじゃないけど」

 ていうかうれしいけど。
 その様子を見るエルザが楽しそうに目を細めた。
 なんだか居心地が悪くなってちょっと居住まいを正してしまう。
 
 それで、サムライである。
 
「といっても、サムライなんていうのは400年前くらいの江戸時代のことだから、その400年後に生まれた僕にはもう別の世界のものといっても存外差し支えはないんだよな」
 
「じゃぁニンジャは知らないの?」 

 言ってエルザが両手を組んでニンニンとやっている。それあんまり人前でやらないほうがいいぞ。
  
「ニンジャもたしか同じくらいの年代のものだから。見たことはないな。どこかに観光事業としてそれっぽいのが残ってるらしいけど」 
 
「そうなの。一口に日本文化といっても、いろんなものがあるのね」 
 
 エルザが少し寂しそうな表情になった。
 まるで僕がそうさせたみたいじゃないか。知らんぞ僕は。僕が自国の歴史についてよく知らんということは僕の過失とはいえないはずだ。
 
「じゃぁきっとスシも知らないのね。日本に来たら食べて見たいと思っていたんだけど」 
 
「いや、それなら昨日食べたけど……」 
 
 安いパック寿司みたいなやつだけど。
 
「たとえばサッカー選手のチームなんかだと、サムライジャパンなんていうじゃない? ということは、彼らはサムライの集団ということなの?」
 
「うーん、どうなのかなぁ」 
 
 それならナデシコジャパンはナデシコの集団ということになる。なるだろうが別に本人たちには自分たちがナデシコであるという自覚はないどころか、下手をすれば僕と同じようにナデシコとはなんぞやということにすら興味はないだろう。

「たとえばさ、イギリスにも中世に騎士って概念があっただろ? それの日本版がサムライってことだってのはどうかな?」
 
「武装していたというところは類似点かもしれないけれど、それでもイギリスではナイトという概念がサムライと同格に扱われてはいないはずだわ」 

「うーん、サムライの定義かー」 
 
 考えて見るとなかなか難しい。戦士でも、ナイトでもない、サムライをサムライたらしめる構成要素。ちょっと面白い思考に思われた。
 そこでちょっと気になったことをエルザに聞いて見る。
 
「ところでエルザ。お前なんでそんなこと気になってたんだ?」
 
「え? なんでって、阿良々木君と話がしたかったからよ」 
 
「そんだけ!?」 
 
 身も蓋もなかった。
 
「単なる話の種だわ」
 
「さっきの話の高尚さはなんだったんだ!」 
 
 日本の精神の中核、日本の魂といわれたサムライの心。
 それが今では単なるにぎやかしの種となっていた。
 まぁ、そんなもんなのかもしれないけど。
 
「よく考えて見ると、この状況はよくない」
 
「フフフ、何がよくないのかしら?」 
 
 エルザがコロコロ笑ってたずねる。
 この状況とは、なにあろう放課後の教室で僕とエルザが話しているというこの構図である。教室の前を通り過ぎる人間など、この時間帯まずいないだろうから。発見されることを心配する必要はないのかもしれないが、さはさりながら、可能性としてやはり誰かに見られることがありえないとはいえないのである。

 これが僕と戦場ヶ原ならさしたる問題はない。僕と戦場ヶ原がお付き合いをしているということは、直接聞かれることはないにしても、僕のクラスのやつらはそれとなく察して、ああ、あの影の薄い、ええと誰だっけあの男子と、誰とも口を聞こうとしなかった深窓の令嬢がなんの拍子か気があって類が友を呼んだ結果、つまり類友的に付き合ったんだなくらいの、生暖かい察しようはあった。
 だから放課後僕と戦場ヶ原が話し込んでいるところを誰かに見つかったところで、それはその目撃者に基本的にはなんの感想も抱かせない。
 
 しかしそれがエルザとなれば問題だった。ていうか大問題だった。
 戦場ヶ原と付き合っている僕が、別の女と教室で話している、これだけであらぬ邪推を招きそうな上に、エルザがイギリスからの留学生で、イギリス社交界の星といわれるような容姿とスキルを兼ね備えそのノリでペロリとこの高校の頂点に立ってるみたいになっているから始末ができない。
 いや、そのエルザと僕が二人っきりで仲良く話しているところがたちの悪い男子にでも見つかれば、下手をすれば始末されるのは僕である。
 
「フフフ、それは過分な心配というものじゃないかしら? この学校の人たちはみんな公平で優しいわよ」
 
「そりゃエルザから見たらそうかもしれないけどさ。日本人がみんな勤勉で優しいなんて一面的な見方ってもんだぜ。裏ではけっこう湿っぽかったりするのが普通だと思うけどな」 
 
「それは阿良々木君が隠れて遠くの本屋でパンチラ写真集を買ってるみたいにかしら?」 
 
「ちょっと待ってなんでお前それ知ってるの!?」 
 
「フフフ、ヴィゾープニルの眼で偶然に見えちゃったのよ」 
 
 始末の悪すぎる怪異だった。
 
「私は気にならないことだわ。阿良々木君がどんなにスケベでも好ましいと思うもの」
 
「やめろ! なんか二重に恥ずかしいから!」 
 
 褒めながらなじられる。新たな扉が開かれそうだ。全力でその扉を押さえておかないと味を知ってしまってからでは遅い気がする。
 なんとなく。

 とはいえ、ヴィゾープニルの目は千里眼のようにそこらじゅうをみまわせるらしい、実にやっかいな能力である。
 僕は知り合いに見咎められないように毎回がんばって遠出をしているのに、それすら見破られては僕はエロ本すら買うことができないではないか。
 そういう意味では、エルザがヴィゾープニルとすっきり融合できて、眼にまつわるヴィゾープニルの領分らしい能力が使えなくなったということは、まことに慶賀すべきことだった。

「まぁそういうわけなんだよ。だからエルザと話せるのは正直楽しいけど、場所を気にする必要はやっぱりあると思うぜ。僕が暗殺される可能性があるじゃないか」
 
 ないしは闇討ちにあうか、敵意を向けられる。
 
「それならいっそのこと、私も阿良々木君の彼女になれば解決だわ」 
 
「それは前に説明したじゃないか。エルザ、僕にはもう彼女がいるんだぜ」 
 
「なら側室ということにしましょう。それで阿良々木君の身はひとまず安全だわ」
 
「うーん」
 
 エルザの提案に、僕はいろいろ思案して、とりあえず重要な問題点をポツリと言った。
 
「一夫多妻制は滅びた制度とか、問題点はいろいろあるけど、第一にそれだと僕とエルザが二人とも戦場ヶ原に殺されると思うぜ?」
 
「それもそうね。フフフ、でも私が阿良々木君に好意を向けること自体はかまわないのでしょう?」

「えーと、それはまぁ、うん」 
 
 というわけでこの問題は保留となった。
 戦場ヶ原は僕がほかの女子と楽しくしゃべるくらいなら、むしろ勧めるくらいだろうが、本気になることは許さない。
 戦場ヶ原は許さないし、僕もそうする気はないわけである。
 
 ちなみにこのときエルザが気にしていたサムライとはなんぞやという、いわく茫漠たる根源的な問いは、この話とは、実はまったく関係がない。
 関係がないし、というかサムライすらでてこないし、僕がサムライになるわけでもまったくない。
 まぁあえてサムライになぞらえるとするならば、その昔本当のサムライが振るったとされる日本刀を、僕が僕の手にとったというそれくらいのことである。ようは単なるこじつけだ。

 ではなぜ僕がそんな物騒な装備を一瞬だとしても手に取らなければならなくなったのかというと、それは一人の童女の誘いに端を発することになる。
 
 
 
 #



「イェーイ。鬼のお兄ちゃん。かわいい僕が登場したよ」

 その声が僕を呼んだのは。僕がちょうど横断歩道の信号が赤から青に変わるのを待っていたときである。
 普通は、鬼のお兄ちゃんといわれて自分のことかと思うことはないだろう。むしろなんだろうと振り向くだけのことである。
 しかしながら、それは僕には心当たりのあることで、僕を鬼のお兄ちゃんと呼ぶ「もの」についての心当たりも、また「ひとつ」しかなかった。
 
「イェーイ。鬼のお兄ちゃん、ピースピース」
 
 僕の隣で、真顔で目の横にピースをかぶせて僕に呼びかけているのは、見た目は7~8歳の童女だった。
 僕は彼女を知っている。名前を斧乃木余接(おののき よつぎ)という。
 彼女は少々ファンシーな格好に、頭に目のプリントのついた帽子をかぶっている。
 どこからどうみても童女。童女オブ童女ズ。
 
「どうしたのかな? 鬼のお兄ちゃん。もしかして僕のこと忘れちゃってるのかな?」

 しかし彼女を一般の童女と分けるのは、彼女が式神であるという点である。
 このおののきちゃんは、怪異の専門家である影縫余弦(かげぬいよづる)という女性が使役する式神なのだ。
 人間に似て人間と非なる存在。
 
「それともかわいい僕に会うことができて、言葉もでないのかな? だとしたらそれは仕方のないことだよね。だって僕はかわいいんだもん」

 そして今は人間より若干うざい存在のようだった。
 
「いや、なんていうか。突然のことになんてリアクションしていいのかわかりかねていただけだよ。おののきちゃん、それにしても久しぶりだね。今日はあの人とは一緒じゃないのかい?」

「うん、今日はおねえちゃんは一緒じゃないんだ」

「じゃぁ今日は幼女がこんなところを一人で歩いているのかい?」

「その物言いはずいぶんと剣呑に思えるけれど、そういうわけなんだよ」

 この童女。おののきちゃんの言うお姉ちゃんとは、影縫さんのことを指す。どうやら今日は一人でいるらしかった。
 しかし幼女が一人出歩いているという言葉を剣呑とは、あまりに無作法である。無作法であると言わざるをえない。無作法と言わせていただきたい。
 誘拐事件と物騒な話題がニュースに上る昨今である。幼女とは貴重なのである。

「なんだよあぶないなぁ。ここら辺だってもしかしたらあぶないやつがいるかもしれないんだぜ?」
 
「うんそうだね。それは今しがたヒシヒシ感じ始めている気がするよ」

「よかったよおののきちゃん。そりゃ重畳ってもんだ。んじゃここで立ち話もなんだし、うちに来るかい? 一緒に部屋で遊ぼうよ」

「悪いけど遠慮しておくよ。鬼のお兄ちゃん。確かに僕はかわいいけれど、そう暇ってわけでもないんだ」

「そうなのかい?」

 横断歩道の信号が青になった。
 とりあえず立ちっぱなしもなんなので、横断歩道を二人で渡り始める。
 
「そうなんだよ。鬼のお兄ちゃん。といっても、鬼いちゃんの誘いの半分は、僕も考えていたことなんだ」

「誘いの半分?」

「そうなんだ。実は鬼いちゃんにお願いがあるんだよ。明日からたしか3連休なんだよね?」

「え? ああ、そうだよ」

「鬼のお兄ちゃんは友達がいないから、暇だよね?」

「ああそうだよ!」

「あ、ちなみに僕にも鬼のお兄ちゃんと同様に友達と呼べるものは決して多くはないけれど、僕はそれに関してまったく問題にすらしていないんだよ。僕はかわいいからね」
 
 なんだかまたちょっとキャラがかわっているおののきちゃんだった。
 
「それでものは相談なんだけど。鬼のお兄ちゃん、明日からの三日、ちょっと僕と一緒にあるところに旅行をしてほしいんだよ」
 
「旅行? そうだなぁ」 
 
 旅行というと、ツアー、トリップ。
 おののきちゃんと二人。幼女と二人。
 というか僕の影に潜んでいる幼女も含めれば幼女二人と僕一人である。
 どうしたもんだろうか。確かに明日からの三連休、予定はまったくたてていない、空白である。
 それが旅行という楽しげな単語でうまるというのは、正直やぶさかではない。
 
「かわいい僕との二人の旅行だよ? 鬼のお兄ちゃん」
 
「うーん。まぁ実際暇だから、それ自体はかまわないんだけど、それでおののきちゃん、旅行ってどこに行くんだい?」 
 
 遠出になれば、旅費だってかかるわけだし。
 
「それについては気にしないでくれて大丈夫だよ。旅費や食費は、こっちで持つから」
 
「まじで!?」 
 
 ずいぶんと太っ腹な話である。いや、この場合はおののきちゃんのお姉ちゃんであるところの影縫さんが、ということになるのかもしれないが。

「承諾、ということでいいのかな?」
 
「そうだな。そりゃあ僕だって望むところだよ。それで僕とおののきちゃんはどこに行くのさ?」 
 
「まぁまぁ」 
 
 おののきちゃんは、表情を変えずにそういった。
 まぁおののきちゃんが表情を変えたところなんて、見たことはなかったんだけど。
 
「それはおいおい話すことにしてもいいかな?」
 
「ああ、僕はぜんぜんかまわないよ。それじゃぁとりあえず家に帰ってから、準備して連絡するよ。連絡先とか教えてもらっていいかな? 僕の携帯電話の番号を教えておこうか?」 
 
「そうだね。鬼のお兄ちゃん。それじゃぁ、とりあえず僕の身体につかまってもらってもいいかな?」 
 
「おののきちゃんの身体にかい?」 
 
 7、8歳の幼女の身体に。
 公道で。
 
 おののきちゃんにそういわれて、僕は無意識にあたりを見回して見た。
 まっすぐの道には、僕とおののきちゃん以外誰もいない。
 
 そしておののきちゃんが必要だといって抱きつけといっている。
 これはもう、抱きつかざるを得ないではないか。
 
「こ、こうでいいかな?」
 
 僕は恐る恐る、おののきちゃんの後ろにまわって、彼女の両手のしたから腕を回しておののきちゃんの身体を抱きしめた。
 こうすることで、何か大事なプロセスを踏むことになるのだろうか?
 
「なぁおののきちゃん。これって必要あるの?」
 
「そうさ、大切なことだよ。ところで鬼いちゃんは、やっぱりいい筋肉をしているね。腕の筋肉も、胸板も」 
 
 おののきちゃんはそういって、おののきちゃんを抱きしめる僕の両手をつかんだ。
 
「それじゃぁ行こうか。『アンリミテッド・ルールブック・離脱版』」 
 
 人気のない公道で7、8歳の式神の童女、おののきちゃんが無表情でそういい、そこで僕の意識は途絶えた。




[38563] こよみサムライ002
Name: 3×41◆ecb68eaf ID:31c4df78
Date: 2013/12/27 00:03
 目を覚ますと、僕はベッドの上に横たわっていた。
 目を開けると、部屋の天井が目に入ってくる。
 よくわからない細工がほどこされた、しかしそこらへんの機微に関してまったく素人でしかない僕にも、それはおそらく立派なものであろうということくらいは推察できるものだった。
 かなり高いその天井は、しかし僕の部屋でもないし、また今まで見たどの天井にも該当しないようだ。
 
―――どこだろう?
 
 記憶をたどって見る。そもそも僕が意識を途絶えさせる直前には何があったんだっけ。 
 そうそう、僕は人気のいない公道で童女に抱きついていたのだった。
 
 その文面だけ見ると、すぐさまお上のお世話にならなければならないような、のっぴきならない事態であるように思われるかもしれないが、この場合はそうではない。そうではなく、僕がその童女にそう頼まれて、そうしたのである。
 齢7、8歳の童女に抱きついてくれと請われては、それはもう抱きつかなければ礼を失するというものではないか?
 むしろそれを断るほうが、僕の中では罪が重いように思われる。だから僕は童女に抱きしめろといわれたら、もう選択の余地なく抱きつかざるをえなかったのだ。そこらへんの法解釈については諸説あろうと思うのでここでは割愛しよう。

 その童女、おののきちゃんが僕が抱きついた瞬間に、僕の筋肉に言及し、そして次に『アンリミテッド・ルールブック』なる彼女の、まぁ必殺技のようなものを発動したのだ。
 おののきちゃんがそうつぶやいた瞬間、彼女は、その外見7,8歳の童女ははるか上空に急上昇したのだ。
 具体的にはそれは彼女の脚部を巨大化することによる爆発的な跳躍力によるものだが、それは跳躍なんてレベルではなく、ドラクエでいうところの『ルーラ』のような、それはもうバビュンバビュンとSEがついてもなんの不思議もないほどの大跳躍なのである。
 
 その跳躍時の衝撃は、いわゆる式神であるおののきちゃんには造作もないことに違いないようだった。
 しかし、おののきちゃんに抱きついた僕は、まごうことなき人間であり、人間であるがゆえにその衝撃はまったく破壊的なものだった。
 僕の身体はそれに耐えられず、僕は自分の意識を保つことができずに失神したのである。
 
 鼻の下を伸ばしながら……
 考えて見ればずいぶんと情けない気の失い方だった。
 
 まぁそれはそれとして、そのおののきちゃんはどこにいるのだろう。そしてここはどこだ?
 
 僕がベッドから身体を上げてあたりを見回すと、そこは広い寝室だとわかった。
 
 ベッドはキングサイズで、えらく高さのあるものだった。
 僕の下半身は、半分ほどベッドに沈んでしまっている。
 
 これ、すごい高いやつなんじゃないかな……
 
 その寝室は寝室で、またえらく広い。
 間接照明が壁面を柔らかく照らしており、ベッドの横にはソファーが置かれ、その向こうには暖炉がある。
 
 ん? 暖炉?
 
 あまりにナチュラルにそこにあったので違和感に気づくまでにしばらくかかったが、暖炉である。
 暖炉というと、日本発祥のものではなく、西洋、それもおうおう気温が低いことが多い北国のものである。
 
 旅行と聞いて、僕はホテルにでも泊まるのだろうと思っていたのだが、暖炉のあるホテルというのはなかなか聞いたことがない。
 いや、まったく聞いたことがないではないが、一部のホテルのほとんど最上階あたりに調度品として、しかしながら実際に使うこともできるように備え付けられているといったようなものしか知らない。
 ではそのスイートルームに放り込まれているか、あるいはどこかの一軒家にでもいるのかということになるのかな。
 
 部屋の端っこには、気づかれない程度に外に出る扉があった、バスルームへと続く扉以外は、その扉しかない。
 僕がベッドから降りて、それも高さがあるので少し気をつけなければならなかったが、その扉まで歩いていってドアノブを開くと、そこは先ほどの寝室よりも、さらに広いリビングに続いているのがわかり、そしてそのリビングにある巨大な窓からは広い空が開けていたので、それはかなり高い位置にあり、今僕がいる部屋が地上一階の一軒家ではなく、高層ホテルの上のほうであることがわかった。

 リビングルームは、これまたえらく広かった、部屋の中心にはソファがいくつもおかれ、高い天井からシャンデリアがおろされている。
 小市民である僕はその光景を見ただけで少し薄らざむくなってしまった。
 
 窓辺のソファには、いくつもの人形が置かれていた。
 毛むくじゃらのクッキーモンスターみたいなやつや、くちばしのとがった巨大なペンギンのようなやつや、頭に目玉プリントの帽子をかぶった子供のやつや、まぁいろいろだった。 
 そこでちょっと目がかすむ。それはついさっき失神した際の衝撃による後遺症ではなく、単に起きぬけだからである。
 
 また部屋を見回して、奥手にまたたいそうな洗面場があったので、そっちに歩いて顔を洗った。
 顔を洗って目の前の鏡を見ると、いつもの僕の顔が映る。少々陰気なようにも思えるその顔は、しかしいつもどおりだった。
 つまり大ジャンプによるダメージを特段負ってはいないようだった。いや、大ジャンプの大ダメージから回復したのかもしれないけど。
 
 とにもかくにも、おののきちゃんが言っていた、二人の旅行というやつの宿泊先に、今僕たちはいるようだった。
 
 そこでちょっと考えが飛ぶ。おいおい、ちょっと展開が速いんじゃないのか?
 もっと言葉遊びとか羽陽曲折、各論踏まえるアンビグラミィな文豪が書けば、このくらいでも100Pはいくはずだ。
 それがどうだ、今ページに直したら2Pとかそこらなんじゃないのか?
 ハードボイルドと内容の薄さを混同してはならない。分量と内容を適度な尺度で解釈しても、どう考えても早すぎる、これでは急展開のそしりを免れないではないか。
 おまけに旅行先っていうくらいだから、僕の住んでいる町からかなりの距離があるはずである。で、あるならば、それは自然、戦場ヶ原や羽川ともそれと同じ距離にあるわけで、あいつらとの絡みも起こりえないということである。
 おいおいおいおい、これは嘆息混じりに蛇足であると、大仰に、声高に宣言せざるをえないではないか、しかし、事実そうなのだから、それはそれで仕方がないのである。
 事実は小説よりも奇なり。あまりに奇怪な急展開もまた、むしろリアリティを増すといえるのではないだろうか?
 そのあたりの小説解釈には諸説あると思うのでここでは割愛しておこう。

 旅費をおののきちゃんの、というかおそらくおののきちゃんの使役主であるところの影縫さんが持ってくれるということだったので、思わず安請け合いしてしまったが、それでとまる部屋がこんな半端のないグラシアスな部屋なのでは、むしろ僕にはデンジャラスなのである。危機感を抱かずにはいられない。
 本当にいいのか? 何か裏があるんじゃないか?
 そういう邪推を、小市民的な哀愁を伴って、してしまうのだ。
 
 そもそも、明日からの2泊3日、家を留守にするということをまだ妹に伝えてすらいないのだ。
 とりあえずあとで電話ででもそこらへんのことを伝えておかなければならないだろう。
 
 僕は顔を洗い終えて、心なしか顔面をすっきりさせると、再びだだっぴろいホテルのリビングルームへと引き返し、そして巨大な窓に向かっておかれているソファーへと向かった。

 そのソファには、先ほどと同じ大小さまざまな人形が置かれていた。
 
「おののきちゃん。いろいろ聞きたいことはあるんだけど、とりあえずまずひとつ、僕たちは今どこにいるんだい?」

 僕が言うと、そのソファの上の大小さまざまの人形、その中で同じように人形然としていた、憑喪神人形、斧乃木余接が表情をそのままで、目線をこちらにやってその口をひらいた。

「遅いよ、鬼のお兄ちゃん。僕はまた、このままずっと無視されるんじゃないかと内心冷や冷やしていたよ」


  
  #


 おののきちゃんは、人形ばかりのソファから、ピョコンと降りてリビングルームの床へと降り立つと、クルっとまわって僕のほうを見た。
 不死専門の怪異退治師、影縫余弦の憑喪神人形、斧乃木余接が僕を見て、次に右手を彼女の小さな身体の中ほどに上げて、ピースにした。
 
「イェーイ」

 しかしながら無表情で、おののきちゃんはそういった。
 僕はそれを、上から、冷ややかに、冷淡に、何の感情も交えない目線でもって見下ろしていた。
 
「さて」

 おののきちゃんは、僕の無言の反応を確認すると、右手のピースサインをそのままに
 
「それじゃぁ鬼のお兄ちゃん。ニュースが二つ、あるんだけど。ひとつはいいニュース、もうひとつは悪いニュース。どっちから聞きたい?」

「え、ニュース?」

「そう、ニュース。何度も言わせないでよね。鬼いちゃん。それで、どっち?」

「どっちって、うーん」

 いいニュースはまぁいいんだけど、悪いニュースがあるというのが気になりすぎた。
 そもそもおののきちゃんと旅行に来て、目が覚めてすぐ悪いニュース、である。
 それなら、早めに聞いておきたいというのが人情というものだった。後回しにしておきたい気もするけど、とりあえず先にすませてしまいたい。
 
「それじゃぁおののきちゃん。ここは悪いニュースのほうから教えてくれよ」
 
「ご意見は承りました。それじゃぁいいニュースのほうから言うね」 
 
「おいちょっと待て、僕悪いニュースのほうからって言ったよな。なんでいいニュースを話しはじめてるんだよ、ていうかなんで僕に意見聞いたんだよ」 

 とりあえず抗議してみたが、しかし、というかやはりその抗議はむなしかった。
 おののきちゃんは、ピースサインのまま話を進め始める。
 まぁ結局どっちのニュースも聞くんだからいいか。
 
「とりあえず二人の旅行の行き先なんだけど、実は日本じゃないんだ」 
 
「え?」 
 
「それでたぶん鬼のお兄ちゃんは、もしかしたら鬼いちゃんが気絶してから目覚めてすぐだと思ってるかもしれないけど、実はすでに一日たった朝、つまり連休の初日なんだよ」 
 
「んん?」 
 
 話を飲み込むのに数瞬かかる。ここは日本ではなく、そして一日たっている。
 ということは、僕はおののきちゃんの超ジャンプで気を失ってから、そのまま一晩気を失い続けていたということになる。
 
「それじゃぁおののきちゃん。今日が連休初日だっていうのはわかったけどさ。それなら僕らはどこに来てるんだよ?」
 
 おののきちゃんは僕の質問を受けて口を開いた。おののきちゃんの右手は以前ピースを作ったままだ。
 
「端的に言うと、オランダだよ。鬼のお兄ちゃん。僕たちは昨日空港に飛んで、そのまま飛行機にのって飛んできたのさ」 
 
「えええぇぇぇっ!? オランダって、あのオランダ!? ヨーロッパの!? 内陸の!? あの長靴みたいな!?」 
 
「そう、そのオランダだよ。ちなみにオランダは内陸じゃなくて、海洋に接してるし、長靴みたいな国はイタリアなんだけどね」 
 
 くっ。あまりの驚きに地理の弱さを露呈してしまった。
 しかしこのおののきちゃん。昨日僕が気を失ったのを、心配するどころかむしろこれ幸いとそのまま飛行機に放り込んで地球を半周してきたというのだ。

 なんか急にむちゃくちゃ怖くなってきた。
 オランダといえば、標準言語は、何になるのだろう? 少なくとも、もちろんのことだが日本語では絶対にない。
 異言語の、地球の裏に、僕とおののきちゃんの二人、ともすればそのまま消え入りそうな、漠然とした危うさが僕の身体を弱く蝕んでくる。
 
「まぁ使ったのは自家用機だから、細かいことは気にしなくても大丈夫だよ。鬼のお兄ちゃん。むしろ運びやすかったといってもよかったから、気絶させる手間が省けたよ」 
 
「ていうかどっちにしろ気絶させる前提だったのかよ……」 
 
「場合によっては、ということさ。ほら、窓の外を見てみなよ」 
 
 言われるままに、人形だらけのソファの面した窓に歩き、足のほうから高い天井まで続く巨大ガラスを覗き込んだ。
 
 すると、はるか眼下に巨大な街のだいたいの姿を見ることができた。
 どうも海に面しているらしく、そこそこ近代的なその町は、しかし古風な町並みもところどころに残しており、それはまさしく西欧風の町並みである。
 その近代と中世の入り混じる街並みを、何十階はあろうかという高所から見下ろしているのだった。
 
「なかなかいい街でしょ? 実はこの街でしばらく5年大祭っていうお祭りが開かれるんだよ」
 
「お祭り?」 
 
 おののきちゃんのほうに振り返って尋ねる。
 
「そうそう。でもただのお祭りなら、こうして僕が呼ばれるということもないんだよ。実はこの街は、ハーレンホールドっていうんだけど、それはまぁいいか。とりあえずここは、ヨーロッパでも有数の霊脈の集合地なんだ」
 
「霊脈っていうと、うちの街みたいなもんかい?」 
 
 霊脈、霊的な力の流れる道のようなものである。僕の街もそうらしいが、霊脈の集合点とは、少々やっかいなものらしく。それはときとして人間にも有利に働くのだが、しかしながら同時に怪異についても効力を発揮するらしい。
 京都や江戸城もそういう場所にあるらしく、陰陽道や風水的な処理を街全体にほどこしているのだと、忍野が言っていたことがある。
 
「あの街どころの騒ぎじゃないよ。それで今やってる5年大祭だけど、実はこのお祭りは霊脈の周期的な励起に連動して、それにあわせて開かれているそうだよ。僕もおねえちゃんに聞いた話なんだけどね」
 
「へぇー」 
 
 そういえば、この高所から眺めるとはるか下方の街のとおりはえらくにぎやかで露天のようなものが連なっている。
 
「じゃぁおののきちゃん。もしかして影縫さんももうこっちに来てるのかい?」 
 
「いいや。そこが鬼いちゃんを連れてきた理由でもあるんだけど、実は最近こっちの業界でもいろいろ怪情報が出回っててね」 
 
「怪情報っていうと。つまり怪異に関することのことでいいのか?」 
 
「普通はそうなんだけど、今回はもうちょっと作為的だね。いや、人為的な痕跡がある、ってお姉ちゃんは言ってたかな。それでこっちもいろんなところに人員を配置する必要があって、このハーレンホールドには僕が振り分けられたってわけさ」 
 
「このかわいい僕がね」とおののきちゃんが続けたセリフは無視しておく。

「イェーイ、ピースピーふにゅっ」 
 
 しゃべる途中のおののきちゃんの頬を僕が右手でわしずかみにした。
 それでおののきちゃんはしゃべりきれずに恥ずかしい語尾を発することになったわけだ。へっざまぁみろ。
 おののきちゃんは僕の手を振り払って表情そのままに言った。
 
「……やめてよね。鬼のお兄ちゃん。かわいい僕の顔をさわりたいのはわかるけど、お触りは厳禁だよ。現金をとるよ」
 
「うるせぇよ。いいから話を進めてくれ」 
 
「仕方がないな。まぁいいよ、今回は鬼いちゃんには同行してもらってることだしさ」 
 
 おののきちゃんが警戒するように僕から一歩下がって話しを進める。
 
「でもいくら僕がかわいくても、さすがにこの姿で一人小旅行をするには、いささか都合が悪いというものなのさ、だから誰かもう一人ついてきてくれる人が必要だったんだよ。それで鬼のお兄ちゃんに頼んで見た次第なわけだよ。快諾してくれてよかったよ」 
 
「まさか気絶させられるとは思わなかったけどな。まぁ大体のことはわかったよ。今日が一日経過した連休の初日だってことも、ここが昨日一晩飛行機を飛ばしてオランダのよくわからん街につれてこられたってことも。今日から3日、幼女と二人っきり仲むつまじく一緒にすごせるってこともわかった」 
 
「いや、一応行動はともにするけど、鬼いちゃんが期待するほど距離が近いかは同意しかねるよ」 
 
「僕たちが一緒のベッドで眠るってこともわかったよおののきちゃん」 
 
「いや、僕人形だから。寝る必要ないし」 
 
 連れない童女だった。
 しかし実際のところ、半ば強引だったにせよ、こうしてえらく豪華なホテルに宿をとってもらって5年大祭だかの祭の街で三日すごせるというのは貴重というか、少々、一高校生である僕の身に余る旅行である。
 ならば、とりあえずは楽しませてもらおう。
 そういえば宿題は、カバンの中にあるか。
 連休ということでそれなりの分量の宿題が出ていたが、しかしながら家でやっても空いた時間ができないほどではない。
 ならばさっさと済ませてしまえればいいんだけどな。でなければ戦場ヶ原にしかられてしまう。
 
「あ、そうだおののきちゃん。一応妹に3日間家を留守にするって伝えておかないと。電話ってどうなってるのかな、国際電話でもいいから使わせてもらえると助かるんだけど」

 僕が訪ねると、おののきちゃんはしばし考えるような間をあけて小さくうなずいた。
 
「うん、かまわないよ。一応こちらから手紙で伝えてはいるハズなんだけど、一応そうしてもらったほうがいいだろう。説明の手間もはぶけるし」 
 
 おののきちゃんはそういって、僕に携帯電話を手渡した。
 
「これを使ってくれていいよ。お姉ちゃんが持たせてくれたんだけど、地球のどこでも衛星経由で電話できるんだってさ」 
 
「ありがとうおののきちゃん」 
 
 そういって、携帯電話を手にとって、自宅の電話番号をかける。
 僕の妹たち、火憐ちゃんと月火ちゃんは、こういうことに意外とうるさいからな。
 自分たちは好き勝手やるくせに。
 
 自宅の電話番号を入力して、耳に当てるとプルルと呼び出し音が聞こえてきた。
 どうやら自宅の電話とつながって呼び鈴を鳴らしているようである。
 
 その僕の目の前で、おののきちゃんが右手にピースの指を二つたてたまま口を開く。
 
「それじゃ鬼のお兄ちゃん。もうひとつのニュースをお伝えするね。まぁ話半分に聞いておいてよ」
 
「ああ、うん」 
 
 同時に耳元で電話の呼び出し音。ふいにその呼び出し音が途切れ、携帯電話から声が聞こえてくる。
 
『はい。阿良々木です!』
 
 元気な声が聞こえてくる。この声は僕の大きいほうの妹である火憐ちゃんだろう。
 
「よくないほうのニュースだけど。よくないというか、ちょっと説明しにくいことなんだけど」
 
 僕の目の前でおののきちゃんが説明を続ける。
 それを聞きながら、火憐ちゃんにことの次第を告げる。
 
「火憐ちゃん? 僕なんだけど」
 
『僕? 僕ってだれですか!?』 
 
 僕で伝わらなかった。ちょっと恥ずかしいじゃないか。
 まぁオレオレ詐欺なんてある昨今だし、いいだろう。この程度の警戒感が、むしろ望ましいのであって。
 別に僕が気づかれなかったということではない。そういうことにしておこう。
 
「僕だよ。阿良々木暦。実はちょっと今日からの3日間家を留守にすることになってさ」
 
『え? 兄ちゃん?』 
 
 ちょっと恥ずかしい目にあった僕の目の前で、しかしまったくそれを気にする様子もなくおののきちゃんが説明を続けている。
 
「端的にいって。僕と鬼のお兄ちゃんは、僕と鬼いちゃんではあるけど、でも僕でも鬼いちゃんでもないんだ」
 
 ちょっと引っかかる。
 まぁそれは聞き続けるとして、とりあえず火憐ちゃんに留守を伝えておく。
 電話の向こうから火憐ちゃんの声が返ってきた。
 
『え? 兄ちゃん? 違う』
 
「んん?」 
 
 火憐ちゃんの声に、僕も聞き返してしまう。
 
『誰ですか? 兄ちゃんじゃない。あなた誰なんですか?』
 
 違和感に、にわかに僕の目が開いた。
 その僕の前ではおののきちゃんがなに食わぬ顔で続けている。
 
「僕と鬼のお兄ちゃんは、斧乃木余接でもないし阿良々木暦でもない」
 
『誰だ!? あ、わかったぞ! さてはオレオレ詐欺だな!? いや、ボクボク詐欺だろ!? 私はだまされないぞ!!』 
 
「ど、どういうことなんだよ。おののきちゃん」 

「うかつだったといってもいいだろうね」
 
 携帯電話から聞こえてくる火憐ちゃんの声を聞き流しながら、おののきちゃんに尋ねる。
 おののきちゃんは、あっけにとられたような表情をしている僕に、右手にピースサインをしたままで、無表情のままで言った。
 
「鬼のお兄ちゃん。僕たちは、もう僕たちとして存在していないんだ。すでに僕たちの存在を奪われてるんだよ」
 



[38563] こよみサムライ003
Name: 3×41◆ecb68eaf ID:31c4df78
Date: 2013/12/27 07:18
「どういうことなのじゃ? はように説明せんか、ワシらが存在を奪われたというのは」

 そうえらく上から尋ねたのは僕ではなく、だからといっておののきちゃんでもなく、ついさきほどまで僕の影に潜んでいた元吸血鬼の金髪幼女、忍野忍(おしのしのぶ)である。
 この部屋のリビングルームの中央に置かれた3つの横長のソファのうちのひとつにすわり、大仰に足を組んで軽く見下すような顔の角度でそうのたまう様は、かつて世界最強の怪異殺しといわれた吸血鬼の異様をかすかに残している。
 今は幼女だけど。
 
 かつて冷血にして熱血、鉄血にして豪血といわしめたこの元吸血鬼の幼女は、しかしある事件を経て僕と一心同体になるにいたり、というか転落したといったほうがいいかもしれない、その力の99.99%くらいを失っていた。
 今ソファに座る金髪幼女は、以前はそれなりの大人ボディにすさまじい力を秘していたらしい。
 でも今は幼女だけど。
 
 別のソファに座りながらそう思っていると、忍が横目でこちらをにらんできた。
 しまった考えが読まれたか?
 
 忍は僕のほうを軽くにらみ、しかしすぐさま忍が座っているソファの対面のソファにちょこんと座るおののきちゃんに視線を戻した。
 
「で、ワシらが存在を奪われたというのは?」

 今は部屋の中心におかれた3つのソファに、ひとつに僕、ひとつに忍、そしてもうひとつにおののきちゃんが座る格好になっていた。
 僕もまた、忍と同様の問いをもって、無言のままおののきちゃんに視線を向けていた。

「存在を奪われたというのは、言ったままの意味さ。鬼のお兄ちゃん。今の僕と鬼いちゃんは、僕と鬼いちゃんであって、しかし僕と鬼いちゃんではない。以前の僕たちとしての存在を別に移されているんだよ」

 おののきちゃんが言う、その表情は無表情のままだった。まぁおののきちゃんが無表情以外の顔を見せたことはないのだが。
 そこで忍が口をはさんだ。

「おい貴様。何を二人で世界を作っておるのじゃ。貴様に質問をしたのはワシじゃろう。ワシの存在を無視するでない」

 おののきちゃんが、顔は僕のほうを向けたまま、目線を忍のほうに向け、右手を目にやり。
 
「いぇーい」

 と横ピースした。
 
「ほう?」

 忍はそれを挑発ととったらしく、じりと身構えた。
 
「おい。今はやめてくれよ忍。ただでさえわけがわからない状況なんだから、これ以上こんがらせないでくれ」

 忍はこちらに目線だけやって、再び赤いソファに深く座った。
 
 あれから、あれからというのはおののきちゃんに貸してもらった携帯電話でここオランダのホテルから地球の反対側の日本にいる火憐ちゃんと通話しているときだが、火憐ちゃんに僕のことをしゃかりきに伝えたが、しかし火憐ちゃんが僕を阿良々木暦と認めることなく、最終的に少々の憐憫の色をこめてあやまられながら電話を切られてしまった。妹に。

「無駄だよ」

 僕が電話越しに火憐ちゃんに説明しているときにも、おののきちゃんは僕にそう言い加えていた。
 
「鬼のお兄ちゃんの存在は、別の存在に移されてるんだよ。だから今までの鬼いちゃんの存在を知っている人は、その存在として鬼のお兄ちゃんを認識することはできないんだよ」

―――幸か不幸か。おののきちゃんはそういっていたが、これは普通に考えて幸せということにはまずならない。
 もしかして戦場ヶ原や羽川も、僕を僕と認識してはくれないのだろうか? 
 電話をかけてその事実を確認したい欲求にかられたが、だがしかしあいつらに「あなた誰ですか?」と言われてはあまりにショックが大きく、火憐ちゃんに十分にそれを証明された後となっては加えて電話をかけようという気にはなれなかった。
 「あなた誰ですか?」ショッキングな言葉である。まぁ戦場ヶ原にはたまに言われてるけど、それはあくまでジョークだということを前提として言われているからまだ心の捻挫ですんでいるのであって、本気でそういわれてはちょっとした致命傷だ。

「ちょっと待ってくれおののきちゃん」

 そこでこちらを見ているおののきちゃんに、さっきのおののきちゃんの話でひっかかったことを確認してみる。
 
「おののきちゃんは、僕たちの存在を移されたっていったよな? 移されたってことは、僕たちの存在を移した主体がいるってことか?」

「察しがいいね。そうだよ。存在移し、あるいは、存在使い。それがそいつの名前だよ。僕たちの界隈ではそう呼ばれてる」

 忍がその言葉に反応した。
 
「存在移し? そいつがワシらの存在を奪ったやつの名前か。で、そいつは人間なのか? それとも怪異か?」

「……」

「おいちょっとまて貴様。貴様さっきからワシを無視しておるじゃろう? 主様のほうばかり見るな。こっちを向けわらべ」

「それでだよ鬼のお兄ちゃん」

「おいこら小童」

 忍の声を、まったく聞かないように、しかしその質問には応えておののきちゃんが話を続けた。
 僕に向かってだけど。
 
「その存在移しだけど。実は人間なのか、それとも怪異なのか、それともそれ以外の何かなのか。実は僕たちにもわかっていないんだ」

「わかっていないって、それは影縫さんでもそうなのか?」

「そうだよ。お姉ちゃんも、かわいい僕もそれがなんなのか知らない」

 おいそれは危ない発言だぞ。いや、影縫さんはかわいいというより、美人なお姉さんだけど。
 まぁ、今はその発言を影縫さんに認識される心配もないわけか、おののきちゃんの存在もまた、他人にはおののきちゃんとして認識されていないのだから。

「でも存在移しっていう主体としてはわかってるんだろ?」

「まぁそうだけどね。実を言うと、その存在移しは何回も、いや何十回もつかまってるんだけど、でも一回もそれがなんなのかわからなかったんだよ」

「んん? 捕まえたんだろ? その存在移し」

「捕まえたよ。聞いた話だけどね。いぇーい」

 そこで横ピースがガッツポーズのノリで加えられる。
 
「ピースピース」

 そのピースをこちらにズームさせてくるが、しかし僕は何も見ていないようにじっとおののきちゃんを凝視し続ける。
 しばらくするとおののきちゃんは何もなかったように話を再開した。
 
「つまり、捕まった存在移しは、存在移しではなかったんだよ。その姿は、毎回人間ではあったんだけど、その人間もまた、存在移し自身の存在を『移された』まったくの他人だったんだ」

「な……」

 その把握に数瞬を要してしまう。
 
「ってことは、全員冤罪だったってことか?」

「そういうことだよ。しばらくして、それはかなり時間がかかることもあるけど、結局そいつが存在移しではない誰かだってことがわかるんだよね。そういう意味ではお手上げだよ」

 急に、無実の人間が、存在移しなる罪状で捕まる。
 正直、ゾっとする話である。
 自分が捕まったことはわかるが、なぜ捕まったのかもわからない。
 しかも、自分が別の存在として、過去の知り合いにもまったくの他人として扱われる。
 
「その」

 そういう僕の口は、軽く乾いてしまっていた。
 一度つばをのみこむようにして再び口を開いた。
 
「その奪われた僕たちの『存在』は、どうやったら元に戻るんだ?」

「さぁ?」

 おののきちゃんは、あっけらかんとした様子で、無表情でそういうだけだった。
 しかしおののきちゃんは常に表情がないので、それがどの程度の緊迫感を持って発せられている言葉なのかはわかりづらい。
 
「その存在使いが僕たちの『存在』を手放せば、それはたぶん僕たちに戻ると思うよ。明日かもしれないし、もしかしたら1年後かもしれない、もしかしたら、存在使いが死ぬまで、このままかもしれないけどね」

―――存在移しが死ぬのだとしたら。おののきちゃんはそう付け加えた。
 これは、自分の「存在」を失ったこの状況は、状況を自覚するにつれて半端のない孤独感を招来していた。
 世界に自分だけしかいなくなってしまったような感覚。いやもっと悪い。
 まるで自分だけが透明人間になって、あたりではみんな日常を送っているかのような、孤独感。
 
「問題はそれだけじゃないんだよ。鬼のお兄ちゃん」

「おいおいまだあるのか」

「というか、こっちのほうがむしろ問題だと思うよ。つまり、なぜ存在移しが僕たちの『存在』を奪ったのか、ということだよ」

「そういえば……」

 そういえば、そうだ。僕たちの存在を奪ったというその存在移しは、今僕やおののきちゃん、阿良々木暦や斧乃木余接として認識されている、ということになるのだろうか。

「そうだよ。かわいい僕だと認識されていることだろうね。存在を奪われた僕たちからは、だからこそ僕は鬼のお兄ちゃんを鬼いちゃんとして認識できるんだけど、それをそうだと認識できないから余計にたちが悪いんだけど、ただの一般人の存在を奪ったのならともかく、僕と鬼のお兄ちゃんの存在を奪ったということは、目的があるんだと思う。たぶんこの街の、ハーレンホールドの商工会に食い込もうとしてるんだと思う。それから何をしようとしてるのかは、さすがにわからないけどね」

「ちょっと待ってくれよ。そういえば、僕とおののきちゃん、二人分の存在が奪われたんだよな。ということは、存在移しは複数いるのか?」

「いや。たぶん存在移しは一人だと思う。でも協力者がいる可能性はかなり高いね。だから二人以上で商工会、たぶんその自警団に入り込もうとしてるんだと思う。僕がそこに一時的に配属される予定だったから」

「おののきちゃんが?」

「いぇーい」

 肯定する代わりに横ピース。若干うざかったけど続きを促す。
 
「まぁ具体的には商工会の自警団の上位組織の山犬部隊ってところに組み込まれる予定だったんだよ。ハーレンホールドっていう場所が世界有数の霊脈の集合地点だってことはさっき言ったけど、それに比例して怪異の事件がかなり強いレベルで発生するんだよ。だからそれを解決するためにハーレンホールドの商工会がその財力に物を言わせて自警団を組織しているんだよね」

「なら、その商工会に行けばいいんじゃないのか? 僕たちがそこに行って、阿良々木暦や斧乃木余接として扱われてる人間を見つければ、そいつが存在移しか、その関係者ってわかるだろ?」

 そいつらを捕まえることができれば、少なくとも存在移しへの手がかりになる。
 それなら今すぐその商工会へ向かいたかった。
 
「それは難しいだろうね。鬼のお兄ちゃん」

 しかし、おののきちゃんがそれを否定して続けた。
 
「商工会の自警団は、僕を組み込めるくらいそれなりにちゃんとしてるんだ。特に山犬部隊は、僕と同レベルの人材で占められてるんだよ。あ、それはかわいさではなく、単純な戦闘力という意味でだけど」

「わかっとるわ。いいから続けてくれ」

「連れないなぁ。それでそのくらいの部隊だから、当然秘匿性もそれなりに強いんだよ。そこに正体不明の高校生と、かわいい幼女が来て、すいませんそこの部隊にこれこういう人たちがいませんでしたかって聞かれて、どうなると思う?」

「……素直に教えてはくれないかな。やっぱり」

「下手をすれば捕まるよ。自警団の平均的な団員なら僕が実力行使で捕まるとは思えないけど、山犬部隊が複数いたらどうなるか未知数なんだよね」

「そりゃあ本当かい? じゃぁちょっと難しそうだな」

 おののきちゃんは、不死専門の怪異退治師というだけあって、かなり強い。
 この子の必殺技、「アンリミテッド・ルールブック」なら、一般的な人間として、僕の上半身を簡単に丸々消失させるくらいの威力がある。
 自分を尺度にするのもなんか気が引けるけど。

「特に山犬部隊の隊長は、お姉ちゃんくらい強いかも」

「ああ、じゃぁ絶対やめとこう」
 
 さっきまでそのハーレンホールドの商工会にダッシュで突っ込みたいくらいの気持ちだったが、もう絶対に近寄りたくないくらいの気持ちになっていた。すりこみって恐ろしい。

「じゃぁどうするんだ? 存在移しは、この街の自警団に入り込もうとしてる、もしかしたらもう入り込んでるかもしれないんだろ?」

 それも僕とおののきちゃんの存在を使ってである。正直いい気はしない。
 
「うーん。そこなんだけど、一から自警団にもぐろうと思うんだよね」

「え? やっぱり自警団にいくの? でも一からっていうのは?」

「うん、つまり僕、斧乃木余接としてではなく、一般人、まぁ流れ者の怪異退治とでも言おうかな、そういう人間として自警団に入り込めないかと思ってるんだよ」

「うーん」

 頼りがいのある、自信に満ちた口調である。
 だがそれを話すおののきちゃんの姿は、誰がどうみても8歳そこらの幼女だった。
 これはどうなんだろう?
 おののきちゃんの実力は確かなものとしても、正直5分5分なんじゃないかって気になってくる。
 
「あと鬼のお兄ちゃんに頼みたいことがあるんだけど、鬼いちゃんにはハーレンホールドの高校にもぐりこんでもらいたいんだよ」

「え? 僕が?」

「うん。というのも、もともとそのつもりだったんだけど、鬼いちゃんが楽しいかなと思って、こっちのレメンタリー・クアッズっていう高校の、といっても場所が場所なだけにエクソシストの養成校でもあるんだけど、そこに体験入学してもらおうかなと思って手続きはすませてたんだよね。授業の参加は完全に自由なんだけど、こっちは可能性はそこまで高くはないにしても存在移しかその関係者が入り込んでるって可能性があるからね」

「そうだな、僕はかまわないよ。存在移しがいる可能性があるんだったらそっちにはむしろいますぐ乗り込みたいくらいだよ」

 と、僕はおののきちゃんの提案を快諾したのだった。
 エクソシストの養成っていう言葉もちょっと気になるし。
 それに、すでに僕ではない阿良々木暦という存在が入り込んでいるかもしれないとなればさらにだ。
 
「鬼いちゃんについては申し訳ないと思うよ」

 そこでおののきちゃんが、居住まいを正してそういった。
 
「実際ちょっとした旅行を楽しんでくれればいいと思ってたけど、こうして鬼のお兄ちゃんを巻き込んでしまった。それに関しては僕のミスだよ。ごめんなさい」

 それはさきほどまでと打って変わって殊勝な態度だった。
 
「おののきちゃん。いや、いいんだよ。気にすることないとはいわないし、僕がいえたことじゃないかもしれないけど。でも僕はこれでよかったんだと思うぜ? こんな異国で、しかも一人で存在を失っちゃったらもうやってられないだろ。僕たち存在こそ失ったかもしれないけどさ、存在を失ったもの同士二人でいれるっていうのは、怪我の光明っていうか、ちょっとマシだと思うぜ」

 実際にそれは本心だった。
 おののきちゃんが、この式神の少女が、たとえ式神の少女でも、異国の地で一人存在を失うことを思えば、存在価値そのものがマイナスみたいな僕だってそばにいることくらいはできる。

 おののきちゃんは、僕がそういうと、少し視線を天井あたりに泳がせて。
 
「まぁ、それもそうだよね。かわいい僕と一緒にいられるんだし。鬼のお兄ちゃんにはむしろごほうびだよね」

 と言った。
 いや、まぁいいんだけどさ。
 
「いぇーい、ピースピーブフッ」
 
 おののきちゃんが横ピースをしてそういっている途中で、横からクッションが飛んできておののきちゃんの顔にポフっと命中した。
 
「お主ら、ワシを無視するんじゃないっ!」
 
 クッションを投げたのは、おののきちゃんが座る向かいのソファに座っている忍だった。
 ていうか気持ち半泣きになっていた。すげぇかわいそう。
 
「あのさぁ、今僕と鬼のお兄ちゃんが二人の世界を作ってたんだから、後期高齢者は引っ込んでてくれないかな?」
 
 うわ、クッション投げを食らったからか、かなり刺のある言葉をおののきちゃんが返した。
 
「年齢は関係ないじゃろうが! ぶち殺すぞわっぱ!」
 
「やれるもんならやってみなよ。ていうかそんだけ年とってたら、もう存在がどうとかどうでもいいんじゃないのかな。存在とかあってないようなものでしょ」 
 
「やかましい! ワシと主様は一心同体なんじゃっ!」 
 
「ならいいんじゃないの。僕と鬼いちゃんが二人の世界を作ってれば。一心同体ならいいでしょ?」 
 
「うっ…… うぐぐっ……」 
 
 見かねて僕も口を挟む。
 
「わかりやすくどもってんじゃねーよ。忍もおののきちゃんも、別にいいじゃないか三人で」

「僕は8歳、鬼のお兄ちゃんは17歳、あなたは?」

 おののきちゃんが忍に尋ねる。
 
「わ、わしも8歳っ!」

 と忍は間髪要れずに答えた。
 
「いやいや、サバを読むのも大概にしなよ。読んでも200歳とかでしょ、いやそれも200歳以上サバを読むのもどうかなと思うけどね」

「うがーっ!!」

 忍が叫んでソファに立ち上がり、向かいのおののきちゃんに飛び掛った。
 その忍の殺気すらこめられた突進は、おののきちゃんの右手でポフっととめられ、忍はそのまま頭をおさえられながら腕をグルグル振り回していた。
 その光景に、僕は不覚にも少しなごんでしまうのだった。

「まぁあれだ。指し当たって予定がないのなら、とりあえずはここの祭でもぶらついて見るのはどうかな?」

 と、少々気の抜けた質問ができるくらいには。



[38563] こよみサムライ004
Name: 3×41◆ecb68eaf ID:31c4df78
Date: 2013/12/29 11:21



 おののきちゃんに誘われた小旅行。
 怪異退治である彼女のことだから、どこか日本の奥地に行くのかもしれないと思っていたら、霊脈の密集するオランダの都市だった。
 旅行というものだから観光したりゆっくりできたりするものかと思っていたら、存在移しなる怪異みたいなものに僕、阿良々木暦とおののきちゃんの存在が奪われ、その存在を使って存在移しとその協力者たちがこの街、ハーレンホールドの内部に入り込んでいるということらしい。
 日本の裏側のオランダで、自分の存在すら失って、もうやばいくらい孤独だった。いや実際にやばいんだけど。
 とにかく、存在移しを見つけなければ、そして自分たちの存在を返してもらわなければどうしようもない。
 今の僕は妹である火憐ちゃんや、月日ちゃんにとっても他人だし、戦場ヶ原にも「あなた誰ですか?」という存在になってしまっている。

 僕とおののきちゃんと忍はこの緊急事態において、しかしハーレンホールドの観光を断行していた。
 とりあえず偵察がてらに祭の様子を見て見ようと、まぁそういうわけだった。
 
「ふんふんふんふ~ん」

 と、鼻歌混じりに歩いているのは金髪幼女の忍である。
 オランダの街頭では、黒髪のジャパニーズである僕より、むしろ忍のほうが街に溶け込めるように思われた。
 僕は僕の隣で鼻歌混じりに歩く忍に、ややあきれ気味に
 
「ていうかお前、なんで浴衣姿なんだ?」

 と尋ねた。
 
「ん? この姿か? ええじゃろう? せっかくの祭じゃし、気分のもんじゃ」

 と忍は語尾に音符でもつきかねない調子で答えた。
 忍は普段はワンピース姿だが、今はピンク地の浴衣に髪をまとめてかんざしにさしている。
 それで下駄をカランカランとやりながら歩いているからなかなかの念の入りようだった。
 というか緊張感のないやつだった。
 
「あ! お前様、リンゴ飴じゃぞ! あれをこうてくれ!」
 
 忍が街の露天のひとつを指差して僕の服を引っ張った。
 このハーレンホールドの街は5年に一度の大祭であるというだけあって、露天であふれ人は川のようだ。
 
「しかたねぇなぁ。すまんおののきちゃん、あの店によらせてくれ」

「僕はかまわないよ、鬼のお兄ちゃん」

 僕は忍に引っ張られるままに、近くの露天にいって、リンゴ飴を二つ注文した。
 忍はリンゴ飴を渡すと、キラキラした目でそのリンゴ飴にかじりついた。
 
「半端なく美味じゃの!」 
 
 こいつほんとに旧怪異の王だったのかとめちゃくちゃ怪しくなる挙動だった。
 そしてもうひとつのリンゴ飴をおののきちゃんに渡すと
 
「いいの? なんか悪いね。ありがとう鬼いちゃん」

 といっておののきちゃんはそのリンゴ飴をペロリとなめて
 
「うん、おいしい」

 と簡単な感想を言った。
 
 ちなみに、オランダの大都市であるらしいハーレンホールドの通過は、もちろん日本円ではない。
 僕は手持ちが5000円しかなかったが、高校生にはそれでも大金なのだが、それをおののきちゃんに頼んでユーロに両替してきてもらっていた。この海外地でおののきちゃんはめちゃくちゃ頼りになっていた。

「5千円とははした金だけど、まぁかまわないよ。僕はこのとおりかわいい身なりだからね。両替の人も嫌な顔はしなかったし」

 とおののきちゃんはユーロなる奇怪な通貨の紙幣を僕に渡してくれた。
 ついでに
 
「今は日本の金融緩和に加えてECBが金融引き締めしてるからけっこう円安になってるけどね。それでもここらへんは物価が安いからそこそこの手持ちにはなるだろうよ」

 とわけのわからないことを言っていたけど、まぁそこそこの手持ちになるならそれでいいわけである。

 そしてもうひとつ、オランダの言語はもちろん日本語ではない。ないのだが
 
「あ、ところで鬼のお兄ちゃん。一応鬼いちゃんが寝ている間に、意思疎通の術式を施しておいたから、まぁそこらへんは深く考えなくていいけど、一応口頭での話は通じるようになってるよ」

 とおののきちゃんが説明してくれた。
 具体的には僕のうなじの辺りになにか術式を彫りこんでいるらしく、強くこすらないように注意された。
 おののきちゃんも同様の術式を使っているのかと聞くとおののきちゃんは、
 
「あ、ちなみに僕はここらへんの言葉もしゃべれるから問題ないよ。現地では現地の言葉で、が基本だからね。すごいでしょ? かわいい上にすごいってもうすごすぎるよね。いぇーい」

 と言って横ピースしてこちらを向いたが、それは僕には本当にすごかったのでもうぐうの音も出なかった。
 

 しばらく人ばかりの街を歩いていたが、ちょうどよい公園を見つけたので、その広い公園のベンチに3人で腰を下ろした。
 ベンチに腰を下ろして、先ほど買ったフライドポテトを口に放り込む。ほくほくしてて美味だった。
 ベンチの周りには、小さな子供が数人で遊んでいたり、近くの砂場で城のようなものを作っていたり、家族連れが歩いていたり、男女が話していたりしていた、その光景は、あまりに平和で、あまりに日常だった。僕もこれで存在が奪われていなければ普通に楽しかったんだろうけど。

 忍は僕の隣で座りながら先ほど買ったポップコーンをほおばりまくっている。
  
「ていうか忍お前食いすぎだろ、いつから食いしん坊キャラになったんだよ」 

 僕が言うと、忍はポップコーンをつかむ手を止めてこちらをいぶかしむように見た。
 
「なんじゃ? このポップコーンはわしのものじゃ。わしの所有物じゃ。食いたければもう一袋こうてくることじゃ」

「別にいらないけど……」

「じゃぁ食うぞ? 食うてしまうぞ!?」

 忍は念を押してまたバクバクやりはじめた。
 こいつ本当に緊張感ないな。
 というか、もともと400年も生きてるから、忍と誰かという関係性はもうほとんどない。
 だから今さら存在を奪われてもあまり影響がない、ということなのかもしれなかった。
 そういう点では、ホテルでのおののきちゃんの指摘は的を射ているのかもしれない。
 
 午前の11時くらい、オランダという場所で緯度が高いだけあってか日差しがきつくないのはありがたい。
 しばらくベンチで座っていると、西洋人の、それは当たり前なんだけど、子供が3人僕の前に来て
 
「がおー! お化けだぞー!」 

 とちょっと大きな声で言った。
 
「え、うん?」

 ちょっとあっけにとられたように返答する僕に見かねたようにおののきちゃんがいった。
 
「鬼のお兄ちゃん、それはハロウィンみたいなもんだよ。時期がずいぶん早いけどね」

「へぇ、そうなのか。おかし上げなきゃいだずらしていいんだっけ?」

「いやそれはいたずらされるんでしょ。鬼いちゃんの願望をさらりと口に出さないでよね。警察に突き出すよ」

「ちょっと間違えただけだって、いや本当だよ?」

 とりあえず僕の目の前の3人の子供たちに手持ちのフライドポテトを分けてあげた。
 そういえば子供たちはそれぞれ角のようなものをつけたりマスクをかぶったりそれぞれ楽しげな仮装していた。
 お菓子をあげると、子供たちはそれでお礼を言って走り去ってしまった。 

「がおー! ワシもお化けじゃぞー!」

 今度は忍が僕の前に立ってそう叫んだ。
 というかこいつは吸血鬼だった。
 
「しっとるわ。お前はポップコーンがあるだろうが、これは僕の分だ」

 100円くらいのものだけど。
 ちなみに物価が安いというのは本当のようで、100円の割に結構なボリュームがある。

「お前様は意外とケチじゃのう。そんなんではモテんぞ?」

「うるせぇよ。どんだけ適当なこと言うんだよ」

「よし、ではワシのポップコーンと交換しよう。フライドポテトをひとつよこせ」 

「ああ、それならいいぜ。僕もちょっと食べたかったし」

 忍が口を開けて、そこにフライドポテトをくわえさせてやった。
 忍はそれをモグモグやって、代わりにポップコーンを僕の手のひらに一粒置いた。
 
「って一粒だけじゃねぇか!!」

「フライドポテトひとつにポップコーンひとつ。等価交換の原則に従ったまでじゃ」

「それは錬金術の原則だろ! ていうかこれは等価交換でもないわ!」

「よいではないか。ワシとお前様は一心同体じゃ。ワシが食べたものはお前様が食べたも同然じゃろう?」

「同然じゃねぇよ。全然同然じゃねぇよ。完全にお前がおいしくなってるだけじゃねぇか……ぐはっ!?」

 僕が言いかけた途中で忍が僕のわき腹に拳を埋めた。
 それで横隔膜が収縮して息が吐き出されてしまう。
 
「何するんだよ!」

「おやおやお前様、怒るというのがおかしいぞ」

 僕が抗議すると忍がニヤリと笑った。邪悪な笑みである。
 
「お前様はワシで、ワシはお前様じゃ。ワシがお前様の腹をついたというのは、お前様がワシの腹をついたというのも同然じゃ。それと同様、ワシがフライドポテトを食べたということは、お前様がフライドポテトを食べたも同然というわけよ」

「いやさすがにごまかされないけど、もうそれでいいや」

「カカカ、しめしめ」 

「念のためにいっとくけど騙されてはないからな」

 そこで、それまで忍とのしょうもない攻防で気がつかなかったが、僕の前にさっきの少年少女とは別の子が立っているのに気づいた。
 今度の子供は忍やおののきちゃんよりちょっと大きいくらいで、左目のまわりに星、右目の下には水のしずくの絵が描かれていて二つのコーンの帽子をかぶっている。
 さっきまでそばの砂場で城を作っていた子である。特になにも言われてはいないがその子に僕のほうから
 
「あ、君も食べるかい? 結構分量があるからさ」

 と言うと、
 その子は、ちょっと不思議そうに僕の顔を見て

「いいの?」

 と少し遠慮気味に言った。

「ワシも食べるー!」

「忍は黙ってろ」

 その子供は少し迷っているようだったが、しばらくして口を開けた。
 そこで僕も気づいた。砂遊びをしていたその子供の手は砂で汚れていて、自分でポテトをとることができないようだった。
 僕がポテトを食べさせてやると、その子供はモグモグとやって
 
「おいしい」 

 とつぶやくように言った。
 
「ああ、そりゃよかったよ」

「なんだか、もらってばかりじゃ悪いナ」

 子供はそういって、さっきまでいた砂場のほうを振り返った。
 その砂場には、その子供が作った砂の城のようなものができあがっていた。
 
「あれ、君がつくったんだろ? 器用なもんだな」

 実際それはよくできていて、そこそこの大作なようだった。
 
「うん。みてて」

 その子供はそういうと、砂だかけの手をポケットにつっこむと、ポケットから大きめの石を取り出して、それをその砂の城に向かって放り投げた。

「あっ」

 子供が投げた石はきれいな放物線を描いて、その砂の城に衝突して、砂の城を、突如襲った隕石のごとく崩落させた。
 砂の城は粉みじんになり、なだらかな山のようになってしまった。

「……よかったのかい?」

 僕がその子供に尋ねると、その子供は化粧された顔をほほえませて
 
「うん、よかった」

 と言った後にうなずいて
 
「どうせすぐに崩れるもの。それにこういうものって壊れるときがきれいでしょ?」

 と続けた。
 
「まぁわからなくもないけどさ」

 その子供がうれしそうだったので、僕も少し笑ってそう答えた。
 その子供は「じゃぁね」といって走っていってしまった。

「子供はみんな仮装してるね。けっこう楽しいでしょ?」

―――存在を奪われていなければね。と無表情のままおののきちゃんが言った。

「それじゃ鬼のお兄ちゃん。自警団にいくのも、レメンタリー・クアッズにいくにも、もうちょっと時間があるから、次はオークションでも見に行ってみる?」



 #



 おののきちゃんの言うオークションは街のいたるところで何十箇所と行われているらしかった。
 僕たちはその中の一箇所を訪れていた、映画館のようなイスに僕とおののきちゃんが座っている。
 忍はというと、外の大食い大会が気になるとか言っていたのでしばし別行動である。
  
「5年に一度の大祭だからね。ハーレンホールドの警備力を頼ってこのときに大きいオークションが集中するらしいよ」

 僕の隣に座ったおののきちゃんが説明する。
 
「ちなみに場所が場所だけに、扱われるものはいわくつきというか、それなりのものがけっこうあるらしいよ」

「へぇ。まぁ一高校生には縁のない話だけど。見物するだけなら興味があるよ」

 話の種になりそうだし。
 存在が奪われているという現状を忘れているかのようにそんなことを考える。
 あたりには背の高い帽子をかぶった太った紳士や明らかに高級そうな装飾品をまとった婦人がチラホラ座っている。
 5年に一度のオークションだからだろうか。軽く殺気だっているような印象さえ受けた。
 
「あ、はじまるようだよ」

 とおののきちゃんがホールの前を指差す。
 そちらを見ると、ちょうど赤いこれまた高級そうな幕が上がるところだった。
 
 赤い幕が上がりきると、中年の男が台の上に置かれた刀を紹介した。
 
「レディースアンドジェントルメン! 次の品物は、知る人ぞ知る名刀! いやいや妖刀! 玉銀紗刀にございます!」

 マイクを握る司会の男が紹介したのは一振りの刀であるようだった。
 その説明で会場がどよめく。
 
「聞いた? 鬼のお兄ちゃん」

 僕の隣に座っていたおののきちゃんが僕に耳打ちした。
 
「あの刀、ようとうだってさ。僕にピッタリだと思わない?」

「そりゃ幼刀だろ。ていうか幼女用の刀なんてカテゴリなんてないよ?」

「しかたないなぁ。じゃぁちょっと僕の身体に触らせてあげるから」

「それはちょっと気をそそられるけど。残念ながら一高校生に日本刀なんてとてもかえないよ」

「ちょっと? これは鬼のお兄ちゃんにしてはずいぶんと我慢したものの言いようだね」

「ピックアップするのそこかよ。とにかくどうせ買えないし見るだけだよおののきちゃん」

 その後司会が説明を進めて、実際に触ってもいいとアナウンスされた。
 そのアナウンスで、まわりの年配の紳士や貴族階級的な淑女が席を立ってホールの前へと歩き始めた。
 
「鬼のお兄ちゃん、僕たちも行こうよ。触るのはただだってさ。僕はかわいいから触るのは有料だけどね」

「後半聞いてねぇよ。ていうか金出したらいいのかよ」

 とりあえずおののきちゃんに言われて僕も席をたってホールの先頭に行き、その刀の柄を握って見た。
 その玉銀紗刀という刀は名前どおり銀でできているらしく、すこし刀のギラつきが強かった。
 説明によれば、銀は鉄より柔らかいのが基本だが、この刀は鉄と銀の合金で、今は喪失された製法で鉄以上の硬度をほこる貴重な刀であるということらしかった。ダマスカス刀みたいだな。
 おまけに銀でできているので、アヤカシの類にも効果がある、らしい。
 銀である。少なくとも吸血鬼には効果覿面というやつだ。実のところ半身吸血鬼である僕が柄ではなく刀身を触れば肉がやけていることだろう。
 僕のふたつ後ろに刀を触った老人などは興奮して絶対にこの刀は手に入れると意気込んでいる。

 しばらくして全員がまた着席すると、少しもったいぶってオークションが開始された。
 
「それではまいりましょう! まずは1200万から!」

「たっかあぁぁっ!?」

 司会の声にホールの後ろで仰天した僕だった。
 1200万の刀とか誰が買うんだよ。
 
「へぇ、お手ごろだね」

 僕の隣でおののきちゃんが言った。
 こっちにきてちょいちょい思っていたんだけど、おののきちゃんは少々金銭感覚が飛び越えているようだった。
 影縫さんは不死専門の怪異退治師だということだったけど、そんなに儲かるんだろうか。 
 
「はい! 2400万! 3600万! どんどんまいりましょう!」

「まじかよ……」

 客席から手が上がり、司会がそちらを指差して進行していく。
 小市民に過ぎない僕には、それは別世界のできごとだった。
 一振りの刀がどんどん天文学的な値段に跳ね上がっていく。
 
「ちなみに指を半分まげて一本だすと100万上乗せで、二本まっすぐだすと二倍、三本なら三倍だよ。鬼のお兄ちゃん」

 おののきちゃんが僕に解説してくれる。
 
「そうなんだ。絶対使わない知識だけどありがとうおののきちゃん」

「まぁしり込みするならやめておいたほうがいいよ。こういうオークションは基本的に取り消しがきかないからね」

「僕は最初っから参加する気は微塵もないからそこは安心してくれよ」

「お姉ちゃんがいたら乗ってたかもね。結構手ごわい人たちもいるみたいだし、僕一人で来たのは正解だったかな」

「へぇ。じゃぁやっぱあの刀はいいものなんだな」

「うん、本物だよ。まぁ僕は『アンリミテッド・ルールブック』で事足りるから基本的には無用なんだけどね」

「ああ、まぁそうだよな」

 人間の身体を丸ごと消失させたりするし。あれは斬るとかいうレベルじゃないよな。
 そう思っているとおののきちゃんは右手を上げて
 
「いぇーい」
 
 と少々うざい横ピースをした。
 
「出ました! 8000万円!!」

「あっ……」

 おののきちゃんがつぶやくようにそういった。
 僕の心臓が丹田あたりに下がる心地になる。
 今、8000万円が出たとかいってたけど、僕ら関係ないよな?
 おののきちゃんは顔の横に指を二本立てた横ピースをしていて、心なしか司会の視線がこっちに来ているような気がするけど。

「……おおっと! 白髪の紳士が1億5000万だああああっ!! まだ上がる! あちらの老紳士が1億6000万っ!!」

「……」

 僕は息を止めたまま、その様子に耳を澄ませ。
 
「はぁぁぁぁぁっ……」

 としばらくしてから大きく息をついた。
 
「いやぁ、ちょっとあせったよ。危なかったね」

 とおののきちゃん。

「寿命が縮んだよ!」

「不死身のくせに」

「とにかく」

 そこで言葉を切って続ける。
 
「この会場では絶対に縦ピースも横ピースもしちゃダメだぜ」

「オーケーオーケー。かしこまりー」

 僕は無表情でそういうおののきちゃんに、先に外に出ておくと言って外に出た。
 オークションは先ほどの白髪の紳士と老紳士とやらの一騎打ちになっているようだったが、僕の心臓が持ちそうになかった。
 おののきちゃんはそれを最後まで見るということだったので、外に出た僕はさっき別行動をしていた忍を探すことにした。
 
 少し探して、大食い大会で忍を見つけることができたが、そこでも忍を見つけた瞬間心臓がワシ掴みにされる心地になった。
 あいつは大食い大会に参加していたのである。しかもそれだけではなく、大食いチャンピオン的な巨漢二人に混じってチャンピョンの座を争う感じになっていたのである。
 ほかのフードファイター的な人たちはいいけど、忍は外見が完全に8歳程度の金髪幼女である。誰がどうみても、今まで食ってきた容量がどこに消えたのか不思議なレベルだった。
 よくテレビの大食い番組でもこんな華奢な身体のどこにあんなに食べ物が入っているのかみたいなくだりはあるけど、その光景はもうそういう不思議感を圧倒的に凌駕しており、ちょっとしたマジックショーのようになっていた。
 観衆も本当は歓声を上げるところなはずだが、妙に静かになっており、僕の近くからも「あの娘なんかおかしくない?」的なささやき声が聞こえてくる。
 僕はあわてて群集をかき分けて会場に上がり、ホットドックをパクパク食べ続けている忍をひっつかまえて、司会にすいませんこいつ大食いなんでとか普通に見たらわかるよ的なことを言って急いでその場を離れた。

「ふぅ~美味じゃの~。ぱないの~」

「いやおまえだよ。一体なにやってんだよ」

 僕が非難めいて忍にいうと、忍はそれをまったく意に介さない様子で、カカカと、さめざめと笑った。
 
「なにをゆうておるお前様よ。ワシは元は怪異の王、怪異の中の怪異じゃぞ? どれだけ食そうが、この身体が太ることなど決してありはせんのじゃ。そこは安心するがよい」

「僕が心配してるのはそこじゃねーよ」

 どうやら忍はしばらく食いしん坊キャラで行くつもりらしかった。
 ここにきてやっと気づくことになったけど、この二人の幼女、存在を奪われるとかいう以前に今回なかなかトラブルメーカーだな。

「どうやら合流できたようだね」

 しばらくしてから遅れてきたおののきちゃんがそういって続けた
 
「あの玉銀紗刀は結局白髪の人のほうが競り落としたよ。おじいさんのほうもがんばってはいたけどね。最後の競り値はいくらだったと思う?」

「いや、僕は聞かなくていいや。心臓に悪いからさ」

「そう? まぁさすがにあそこまでいくとは、かわいい僕にも予想はできなかったけどね」

―――さて。おののきちゃんが言って僕のほうを振り向いていった。

「それじゃぁ僕はそろそろハーレンホールドの自警団に行ってみるけど、その前に鬼いちゃんはレメンタリー・クアッズに行こうか」

「ああ、ここの高校なんだっけ」

―――存在移しがいるかもしれない。エクソシスト養成の。

「うん、でもそれもちょっと問題があってね」

「この際だからどんなことでもそんなに気にならないと思うぜ」

「いや、それはたいした問題ではないんだけど」

 おののきちゃんは無表情のままちょっと手を振って続けた
 
「レメンタリー・クアッズはエクソシストの養成校ってことは先に言ってたけど、学年ごとに4つのクラスに分けられてるんだよね」

「ふーん」

「一番待遇がいいのは『ダイアス』で、本当は鬼の鬼いちゃんはここに入れてもらうことになってたんだよ」

「そこに存在移しがいるかもしれないってことだよな。というか、クラスごとに待遇とかあるのか」

「うん、まぁ階級制みたいなものだね、優秀な人間は基本的にダイアスに集められる、それで次に並んでルビウム、アクアマリンがあって一番下がトパンズなんだよね。んでおねぇちゃんの名前が使えないってことになると、入れてこのトパンズになると思う」

「ああ、そんなことか、それくらい全然かわまないぜ」

 すこし肩透かしにあった気になってしまう。
 もし存在移しがダイアスに所属したのだとすれば、別のクラスになって少し探しにくくなりはするかもしれないけど。
 
「せめてルビウムかアクアマリンにねじ込めればと思わないでもないけどたぶん難しいと思うよ。トパンズはあんまり待遇がよくないんだよね。僕もお姉ちゃんに聞いた話なんだけど、トパンズは別名で『トラッシュ』つまりごみくずって言われてるくらいでさ」

「ああ、まぁ、僕にお似合いなんじゃないの?」

「あまり自分を卑下しないことだよ。鬼のお兄ちゃん。たとえそれが事実だとしても、だよ」

「どんなフォローだよ」

「それじゃぁ行こうか」

 まぁそんなこんなで、忍は僕の影の中に入り、おののきちゃんと僕の二人は一路ハーレンホールドの北に位置するエクソシスト養成校レメンタリー・クアッズへと向かうことになった。





[38563] こよみサムライ005
Name: 3×41◆ecb68eaf ID:31c4df78
Date: 2013/12/29 11:21

 ハレンホールドの北に位置するエクソシスト校レメンタリー・クアッズは、高校という規模ではなかった。
 でかい校門をくぐるなり、最初の建物までかなりアスファルトが続いている。
 それはキャンパスといえるようなもので、建物も遠くまで点在している。
 
 そのキャンパスを僕はおののきちゃんに連れられるままキョロキョロあたりを見回しながら歩いていた。
 
「あ、それと鬼いちゃん」

 歩きながらおののきちゃんが説明した。
 
「もしかしたらこの学校でレオニード家の人間に会うことがあるかもしれないけど、もし会っても絶対にいざこざにはならないようにね」

「それはずいぶんと剣呑だねおののきちゃん」

「レオニード家っていうのはハレンホールドの盟主ともいえる家系でね、特にこの時期はその家系にまつわる特別な事情で厳重に守られてるらしくて、下手に手を出すとかなり重い罪に問われることになると思う」

「その特別な事情って言うのは今言えないのかい?」

「言えるには言えるよ。その筋のものならみんな知ってることだからね」

 そういっておののきちゃんがそのレオニード家について説明してくれた。
 
「レオニード家っていうのは、この街の始祖みたいなもので、レオニード家の開祖がこの地に安定をもたらしたっていわれてるんだ。それで、その安定をもたらした力が『レオニードの鍵』って言われてるんだよ」

「それじゃぁかなり歴史があるんだな」

「ほとんど世界最古の部類なんじゃないかな。その『レオニードの鍵』っていうのは、ハレンホールドの霊脈と同調する力のことである種の霊的なアルゴリズムみたいなものらしいんだよね。霊脈が励起してる今なら、レオニード家の人間が「レオニードの鍵」を通じて念じただけで相手の人間を殺せるくらいの力があるって話だよ」

「とんでもないな。でもそれって気まぐれで発動されたりってことはしないんだろ?」

「もちろんだよ。まぁそれがハレンホールドの警備力のひとつでもあるから、さっきみたいなオークションが集中する要員にもなってるんだけどね。でもレオニードの鍵のアルゴリズムが知れると、それが悪用されかねないから、特にこの時期レオニード家の人間は厳重に守られてるんだよ」

「だいたいわかったよ。まぁそもそも僕はそのレオニード家の人間に用があるわけじゃないからね」

 用があるのは存在移しで、そっちのほうがやっかいではありそうだけど。
 
「といってもレオニードの人間はクアッズではダイアスに所属してるはずだから、よほどのことがない限り直接接点を持つことはないだろうけど、一応用心しておいてね」

 おののきちゃんとそのような話をしながら学校の受付に行き、そこでおののきちゃんが手続きを済ませてくれた。
 なんだかおののきちゃんに頼りきりだが、いかんせんこの辺は勝手がまったくわからないので自分を容赦してあげたい。
 


 # 
 
 
 
「健闘むなしくトパンズです。鬼いちゃん」
 
 別れ際におののきちゃんはそういって僕に宿舎の地図と書類を渡してくれた。
 宿舎は数人で使う一軒家であるらしく、待遇が悪いと聞いていた割にはそれでもそう悪いものではないように思われた。
 
「ダイアスはタワーマンションらしいけどね」

 とおののきちゃんが付け加える。 
 
「ちなみに休むのはトパンズの宿舎でもいいし、もしアレだったらホテルのあの部屋を使ってくれてもかまわないよ。それじゃ僕はそろそろハーレンホールの自警団に行くね。鬼のお兄ちゃんの健闘を祈るよ。ピースピース」
 
 おののきちゃんはそういって街へと引き返していった。あの横ピースやめさせる方法はないかな……
 とりあえず僕はその地図を頼りに、学校の北西の宿舎区画のほうへと向かった。
 


 #


 
 おののきちゃんに渡された地図にしたがって向かった先は、一軒のログハウスだった。
 あたりにもログハウスが点在しており、そのログハウスにも人の気配がある。
 ちょっと緊張はしていたが、しばらくそのログハウスの手前に棒立ちして、そのあと意を決して扉をたたいた。
 
 コンコンコン 
 
「すいませーん。短期入学のものなんですがー」 
 
 そういってから、しばらく待ったが、反応がない。
 もう一度扉をたたこうと手を上げたときに、急に扉が開いた。
 
「……どちら様?」
 
 扉を開いたのは、背の低い女の子だった。
 栗色の髪にちょっとウェーブ気味に背中の中ほどまで伸びている。
 目は大きい二重で、少々あどけない顔立ちである。というかかわいかった。
 
「あっ」 
 
 ちょっとどもってしまった。
 
「すいません。僕は短期入学で、宿舎をこちらだと紹介された阿良々……」
 
 言いかけて口を閉ざした。
 扉を半分開けている女の子はいぶかしむような表情になる。
 
 うっかりしていた。
 今の僕は、存在を奪われた僕は、阿良々木暦ではなかった。そう自己紹介すること自体は可能なことだけど、もしそれで存在移しに僕のことが知れるというのはいいことではない。
 そこで思考をめぐらせ、目の前で疑惑の目を向けている少女に。
 
「……羽川暦です」
 
 と自己紹介をした。下の名前くらいはまぁいいだろう。
 なぜ苗字を羽川といったのかは、自分でも謎である。
 
「……ああ、短期入学の……」 
 
 その小柄な女の子がそこまで言ったところで、その後ろからもう一人別の人間が顔を出した。
 
「短期入学生かい!? いやぁ君は運がいいなぁ。なんてったって僕がいる宿舎に割り当てられるんだから! 僕の名前はサリバン・ワゾウスキ、君の名前は?」
 
「あらっ…… 羽川暦です。よろしくお願いします」
 
 あららぎといいかけて修正する。習慣とは簡単には直せないようだ。
 出てきた人は男性で、そこそこの背の元気そうな人だった。
 
「ささっ、立ち話もなんだから早速上がってよ。あ、ちなみにこいつはレミリア・ワゾウスキ、僕の妹だよ」

「うっさい。気軽に呼ばないで」
 
 さっきの少女はツンケンした様子でそういってさっさとログハウスの中に入ってしまっていた。
 
「あはは…… 妹は最近ちょっと反抗期でさ」 
 
 男のほうはえらく活発そうな印象を受けるけど、なるほど言われて見ると女の子のほうと目元が少し似ているかもしれない。
 あの時期の妹は、とかく兄に対してツンケンするものなのだ。
 なぜ僕にそれがわかるのかというと、火憐ちゃんと月火ちゃんがそうだからである。

「ほかにこの宿舎にはマットとメアリーの4人がいるんだけど、まぁそこらへんはおいおい紹介するよ。それじゃぁ上がってよコヨミ。あ、僕のことはサリバンって呼んでくれていいからね!」 
 
「あっどうも……」 
 
 いい人そうだけど。
 なんか近いなぁ、距離感。
 悪い人じゃなさそうだけど。 
 そういうわけで、このサリバンに勧められるまま、僕はその宿舎へと足を踏み入れたのだった。
 
 
 #
 
 
 
 そのログハウスは2階建てで、5人が寝泊りするにはかなり大きなつくりだった。
 僕はサリバンという生徒にログハウスの中へと案内され、リビングの大きい机のイスに座らされていた。
 
 目の前のテーブルにはコーヒー。
 その向かいのテーブルにはサリバンが座り
 
「マット! こっちにきてくれ! 転入生がうちにも来たんだって! レミリアもこっちに座りなよ。 メアリーは、まだ外かな」
 
 とほかの部屋に大きな声で叫んだ。
 すると、先ほどのレミリアという女の子と、もう一人は男性が出てきた。
 
 レミリアはサリバンが隣の席のイスを引くと、しかしそこをスルーして対面の僕の隣の席に座り、サリバンが引いたイスにはもう一人の男性がそのまま座った。先ほどであったばかりだがサリバンがちょっとかわいそうな感じだった。

「よし! とりあえずは自己紹介しようか! 僕とレミリアはさっき言ったよね。んで隣のこいつがマット! いいやつだよ」
 
「よろしく」 
 
 マットと呼ばれた男性は紹介されるとほほえんでテーブルごしにこちらに手を伸ばしてきた。
 僕も手を伸ばして握手を交わした。
 
「あらっ…… 羽川暦です。よろしく」
 
「ハハハ、そのあらっていうの、コヨミの国の挨拶か何かなのかい?」 
 
 サリバンが笑って僕に尋ねる。
 
「いや、ちょっと緊張しちゃって」
 
 僕はもともと人見知りなほうなのだし、そこらへんはしょうがないことである。
 握手しおわったマットが
 
「俺は哲学書が趣味なんだよ。ショウペンハウアーが好きなんだけど。コヨミは好きな哲学者なんているかな?」
 
 と聞いてきた。
 
「いや、特には……」 
 
 ていうか普通好きな哲学者とかいないだろ。
 羽川はわからないけど。それって日本だけのことなんだろうか。
 だとすればカルチャーショックである。
 
「マットは偏屈なところがあるからね! 気にしなくていいよコヨミ。それでこの僕、サリバンこそ何を隠そうトパンズ最強の男なのさ」 
 
「またその話?」 
 
 僕の隣でレミリアが両手を振っていった。
 その口調にはうんざりした様子がありありと表れている。
 
「事実だからいいだろう!? 僕はトパンズで、いや学年で唯一、ダイアス主席のルシウス・ヴァンデミオンに膝をつかせた人間なんだからね!」 
 
「でもサリバン、確かにお前の学力は学年トップレベルだけど、肝心のエクソシストの能力はまだないだろう」
 
「能力の目覚めは個人差があるのさ。その点僕は有望だよ!」 
 
 マットが指摘する。
 聞いた話では、ダイアスはこの学校では成績優秀なものが集まるらしいから、その主席というと学年トップクラスの人間だと予想できる。
 その人間からダウンを奪うとは、なるほどこの自信のある物言いも多少は理解できる気がする。

「そういうわけで、コヨミ、このサリバンと短期間でも一緒に生活できるってのは幸運なことなんだぜ? 僕は将来山犬部隊に配属されることになるかもしれないんだからね!」 
 
「ないない」 
 
 レミリアがどうでもよさそうに言った。
 
「山犬部隊はさすがに厳しいと思うぜ、サリバン。正直、ダイアスの主席でもなれるかどうかってレベルだろう」
 
「それなら僕にもチャンスがあるってことだろ? まぁ山犬部隊じゃなくても別に警護団でもいいんだよ。まぁ見てなって。そうなったらレミリアにもいろんな服でも買ってやるからさ」 
 
「別に頼んでないし」 
 
 レミリアが右手をヒラヒラ振った。
 なるほど反抗期である。
 次にマットがレミリアについて
 
「レミリアは雑誌のモデルなんかやってるから、服はいやってほど着てるだろう? 俺たち4人はもうずっと小さい頃からの付き合いだから実感ないけど、学園でもレミリアのファンクラブまであるくらいだからな、コヨミもレミリアのことが気になるんじゃないか?」 
 
 と急にこっちに振って来た。
 
「えっ? 僕? あ、うん。かわいいと、思うけど」
 
「ふんっ」 
 
 そういってレミリアは顔をそむけた。
 ツンツンしすぎだろ。
 
 というか、なんか僕がおいてけぼりだった。
 おいてけぼりというか、今まで会ったやつらとずいぶんと毛色が違った人達である。
 新鮮といえば聞こえはいいかもしれないけど。
 
「そうだ。メアリーの紹介がまだだな」 
 
 マットが気がついたように言って
 
「メアリーなら裏庭だろう」

 と続けてサリバンに言った。
 
「そうだ。そろそろ兄貴が呼ばれるころなんじゃないの?」 

 とレミリア。
 サリバンの様子が、さっきまで元気だった雰囲気が少し曇った感じだった。
 
「え、そ、そうかな。そうだコヨミ! メアリーも紹介するから一緒に裏庭にいこう!」

「え? あ、ああ」

 そうあいまいに同意して、僕はサリバンについてログハウスの表のドアから外に出て裏に回った。
 
 僕の先を歩いていたサリバンが、裏庭に向かって声をかけた。
 
「おーい! メアリー! 今日から短期入学で一緒に寝る生徒が来たよ! コヨミって言うんだよ!」

 僕もそちらに歩いていって裏庭のほうに目をやった。
 
 裏庭には、かなり広いスペースに、ところどころ丸太が立てに伸びていた。
 それは正確にはただの丸太ではなく、丸太の横から木の棒が飛び出した、いわゆるクンフー用の、木でできたサンドバックみたいなものである。

 そして、その丸太に囲まれて立っているのが、おそらくメアリーと言われる人だった。
 
 その人は女性で、僕よりもうちょっと背が高い感じだった。
 髪は白みがかったアッシュブロンドで、短めにシャギーがかかっている。
 
 体格は、かなり肉感的で、人世代前のゲームのストリートファイターみたいな感じだった。

 サリバンに呼ばれて、メアリーと名前を呼ばれた人がこっちを振り向いた。
 
「君が短期入学生か、私はメアリー・ロゼットハートというんだ。よろしくコヨミくん」

「ああ、うん。よろしく」

 彼女の声は、しかし見た目から思ったより、ずっと柔和な感じだった。
 アッシュブロンドの髪で瞳は褐色、整った顔はかわいいというよりはどこか猫科的な、猫というよりは狐のような健康的な綺麗さがあるといったほうがいいかもしれない。
 そのメアリー・ロゼットハートの顔が、僕のほうを見たままふいにほころんで、ニコリと笑っていった。

「それじゃぁ早速だけど、一勝負してみようか」





[38563] こよみサムライ006
Name: 3×41◆ecb68eaf ID:31c4df78
Date: 2014/01/21 22:14


 ここで状況を整理したい。
 僕がこのレメンタリー・クアッズという除霊師の学園に訪れたのは、別にエクソシストの世界に首をつっこみたかったからではなく、この高校に潜入しているかもしれない存在移しを探すためだ。

 その点、この宿舎のサリバンやマットはいい人そうだし、レミリアはえらくツンケンしてるやつだけど気にしなくてもいいだろう。

 しかし今この宿舎の裏庭で僕を探るように凝視する、ストリートファイター的な体格の女、名前をメアリー・ロゼットハートって言ったっけ、は会うなりいきなり勝負を持ちかけてきた。

 そもそもレメンタリークアッズとか言う学園に足を踏み入れるだけでずいぶん今までの世界観と違うのに、出会いがしら手合わせを要求してくるやつなんて現実で見たことがなかった。僕はそういうやつをポケモンの中でくらいしか見たことがない。

「あっ、あの……」 

 こういうときなんていえばいいのだろう。
 学校に転入して、宿舎に訪れて、その宿舎の人間に出会いがしら勝負をいどまれたときに言うべきフォーマルな受け答え。
 ……そんなもんねぇよ!
 
「どうしたんだい? コヨミ君?」

 メアリー・ロゼットハートは僕を見ながら、しかし少し疑問そうにした。
 彼女の服装は上着はシャツに下はスパッツとかなり簡単なものだったが飾り気のなさとは逆に肉感的な身体のラインがかなりくっきりとあらわれている。
 普通なのか? 海外では、というかこの学校ではこれが普通なのだろうか? 
 ならば僕も従わなくてはならないかもしれない、郷に入りては郷に従えという言葉がある。
 であるなら僕も目の前のアッシュブロンドの肉感的な女性に対して、寝技を中心とした戦術で……
 
「だいじょうぶかい? なんだかちょっと顔が赤いけど」

「あっ、いや……」

 くそっ、はなから呑まれてしまっている。というか僕はここにくるまで割りとハードボイルドな気持ちでいたんだけどな。
 
「はははっ、メアリー、たぶんコヨミはびびってるんだよ!」

 と、僕の後ろでサリバンが言った。 
 
「そうなの? 手加減とかはするつもりだったんだけど」

「はい?」

 僕が振り向いてサリバンを見ると、サリバンはしたり顔にウインクをして僕の肩にポンと手をおいた。
 
「いやいや、怖いなら仕方ないよコヨミ。大丈夫、普通の人間は僕みたいにそこまで勇敢にできてないからね! 気にすることはないよ! 臆病くらいがちょうどいいってもんさ!」

「……」

 こいつは僕をフォローしてくれてるんだろうけど。
 悪意がないのはわかるがこのしたり顔がムカムカくる。

「そうなの」
 
 僕を挟んだサリバンの対面のメアリーが言って続けた。
 
「初対面だから、実際に戦って見たほうがお互いのことがよくわかるんだけど。そんなに怖いなら仕方がないよね」 

「あのっ」 
 
「いいんだってコヨミ! 内心ブルっちゃってるんだろう!? さ、宿舎に戻ってコーヒーでも飲みながら話を聞かせてくれよ!」 
 
「いや、別に、ちょっとくらいならいいけどさ……」
 
 挑発に乗ってしまった。
 二人とも悪気はないのはわかっていたけど、この無用に哀れんだ腫れ物扱いが逆に引けない感じにさせていた。
 
「本当? じゃぁ早速やろうか」
 
 僕の後ろで、メアリーが早速、両手を軽く挙げて構えた。
 すでに眼光が鋭い感じで、獲物を狙う野生動物みたいな感じになっている。
 
「じゃぁ結界術式はトパーズの1階層結界で」 
 
「え? ああごめん。それってなんのことかちょっとわからないんだけど……」 
 
 結界術式? 聞きなれない単語である。
 僕が聞きなれない言葉に質問すると、サリバンが気がついたようにして言った。
 
「ああそうか! ちょっと待っててくれよ!」 
 
 サリバンは急いで宿舎に引き返して、しばらくするとまたもどってきた。
 見ると、サリバンの後ろにさっきのサリバンの妹、レミリアを連れてきている。
 
「ちょっと兄貴、自分でやればいいでしょ?」
 
 レミリアは引き連れられながら、非難めいた口調で言った。
 
「コヨミ! レミリアにチョーカーをつけてもらってくれよ。あと結界術式はレミリアがやってくれるよ!」 

「おいこら! 私はやるって言ってない!」

 少し声を荒げるレミリアに奥でメアリーが声をかけた。

「いいじゃないレミリア。この中ではレミリアが一番うまいんだから」

「うっ……」

 レミリアはそこでしぶしぶと、裏庭に棒立ちでそれを聞いていた僕のほうに歩いてきて、
 
「ちょっとじっとしてて、動かないでよね」

 といって僕の首に手を回した。
 
「えっ、何!?」

「ちょっと動くな!」

「はい……」

 強く言われて黙ってしまう僕だった。
 レミリアが僕の首に回した手を離すと、僕の首にチョーカーがまかれていた。
 手で触って確認していると、チョーカーの横のほうに小さな石があしらわれているようだった。
 
 一体なんだろう?
 僕が疑問に思っていると、宿舎のほうからマットも出てきてその疑問に応えてくれた。
 
「結局コヨミがやることになったのか。そのチョーカーはトパンズのクラス章みたいなものだよ。ダイアスはダイヤ、ルビウムはルビー、アクアマリンはアクアマリンと、それぞれあしらわれた石で区別できるようになってる。ちなみに、呪布の機能もあってね」

 そこで言葉を切って続ける。
 
「今レミリアが起動したのは単層結界術式だよ。身体に受けるダメージを肩代わりするやつなんだけど、一応クアッズはエクソシスト養成校でもあるからね、学生同士が勝負するときは、この単層結界をお互いがかけて、その結界をクラッシュさせたほうが勝ちってことになってるんだよ」

「へぇ……」

 僕がそう答えて確認すると、マットがちょっと茶化すような表情で言った。

「ところでコヨミ、レミリアがチョーカーをつけるとき鼻が伸びてなかったか?」 

「はいっ?」

 僕の目の前のレミリアが目つきを厳しくする。
 
「はぁ!? キモッ! キモい!!」

「いやいや誤解だよ。全然伸びてないよ! むしろ縮んでるよ!」

「余計キモい!!」

 よく考えればそれはそのとおりだった。
 このレミリアってやつは確かにかわいいけど初対面から壁がめちゃくちゃ高いな。
 
「これはコヨミもレミリアのファンクラブ入りかなぁ」 

 マットが半笑いで言うと、隣でサリバンが言った。

「おいおいコヨミ! レミリアはやらないよ!? もしレミリアがほしいならメアリーを倒してからにしなよ!」

「僕はなんにも言ってないだろ。なんで恋のための戦いみたいになってるんだよ。ていうか僕彼女いるしさ」

「そりゃ本当か? それは後で話を聞かなきゃな」

 とマット。
 しまった、余計なことが口をついてしまったようだ。

「コヨミくん、そろそろいいかな?」

 後ろで待ちかねたようにメアリが言った。
 
「ああ、うん。かまわないよ」

 そういうと、メアリは楽しそうに笑って両手を上げた。
 こいつなんでこんなに戦闘欲が強いんだろう。

「メアリーボコボコにしちゃえ」

 外野でレミリアがささやくようにいった。
 初対面でここまで言うか?  
 これが反抗期ってやつか。いや僕はこいつのお兄ちゃんじゃないぞ。

 そこで急に気がつく、メアリーがすでに僕の目の前に肉薄してきていた。
 
 メアリーの左手が僕に突き出されるが、それをスウェーで交わす。
 それが挨拶のジャブだということは僕にもわかった。
 僕がよけたところに右手のストレートが飛び込んでくる。
 
 ガッ、と音がして、僕が掲げた右手がそれをつかんで受け止めていた。

「へぇ……」

 僕にストレートを放ったメアリがつぶやくように言った。
 と言うかその口調は、驚きというよりうれしいといった感じだった、ちょっとは手ごたえがあるのかと気づいたような。 
 一応僕にだってそこそこの戦闘経験はあるんだぜ。でっかいほうの妹の理不尽な暴力には慣れてるんだぜ。いっててかなしくなってくるわ!
 
「やるじゃないかコヨミ!」

 外野でサリバンが声を上げる。
 その隣ではマットが口を開く。

「真の独創性は、言葉が終った地点からはじまる。ケトラーの言葉だ」

 マットの言う意味はわからなかったが、横目で見たマットは哲学家の言葉を引用して一人でうんうんうなずいている。
 
 メアリが右手を引いたところで、僕はそのまま距離をつめて左手を突き出した。
 メアリはそれをギリギリまでひきつけてから、すばやく左に交わすと、そのまま身体を1回転して回し蹴りを飛ばしてきた。

「がっ……」

 左から飛んできたメアリの脚を両手で受ける、しかし僕の身体はその衝撃で軽く持ち上がってしまう。
 高校生の男子を持ち上げるってどんな威力だよ。ガードしたメアリーの肉感的な脚は今は岩の衝突のようだった。 

「楽しいなコヨミ!」
 
 メアリが脚を引き、僕がたたらを踏んでいる瞬間にメアリーはそういって次の動作にうつってきた。
 
 たたらを踏んでよろめく僕にメアリが身体を回転させて上段回し蹴りをうってくる、僕がそれを身体をそらしてかわすと、次はしゃがんで水面蹴り、両足をへし折りそうな横蹴りをジャンプしてかわした。
 
「そこっ!」 
 
 僕が気がつくと、メアリは野生的な笑みのままジャンプする僕の真下から右足を蹴り上げ、その脚は僕の腹部に突き刺さって僕を次こそ上に打ち上げた。

「ぶあっ!?」

 腹から空気が搾り出されて、1メートルほど上空に滞空する。
 気がついたときには、空中で滞空する僕に横からメアリの回し蹴りが叩き込まれていた。
 
 僕はその威力で全力で蹴られたサッカーボールのように高速で吹っ飛ばされ宿舎の裏庭をごろごろ転がって、そこで脚を地面に突き刺してメアリのほうへと反転した。

 常人なら重量トラックに衝突されたような吹き飛ばされ方をしたら身動きがとれないかもしれないが、一応僕はできそこないの吸血鬼のフィジカルがあった。

「がああぁぁぁっ!!」

 僕は僕で熱くなってしまっていた。
 そのまままわしけりを終える前のメアリにダッシュして右手を振りかぶり、そのまま全力で振りぬいた。
 
 しかし、というかやはり、というかその渾身の右ストレートは何も捉えず、さっきまでメアリがいた空間には何もいなくなっていた。

「!?」

 同時に、顔を両側から圧迫される。
 気がつくと、それは地面に両手をついて逆立ちになったメアリが両足で僕の顔をはさんでいるのがわかった。
 太ももが両方から顔をしめつけてビクともしない。
 
 そのまま僕の身体は引っこ抜かれるように空中を舞い。そのまま頭から地面に叩きつけられた、地中に埋め込まれた僕の頭の視界は消失し、そこで僕の意識も途絶えた。



 #



「おーい。コヨミー? 大丈夫かー?」

 僕の名前を呼ぶ声に気がつくと、目を開けた僕の視界に心配そうなサリバンの顔が映った。
 
「うわっ!? なにっ!?」

「うわあああっ!?」

 僕が驚いてじたばたすると、サリバンも驚いてのけぞった。
 僕は、そうか。気絶していたのか。
 ていうかなんでサリバンのほうが驚いてるんだよ。
 
「ちょうとあそこで結界がクラッシュしたんだね! 慣れないとたまに気絶しちゃうんだよね。でもコヨミ、ナイスファイトだったよ!」
 
「ああ、そうかな」
 
 肩をポンポン叩いてくるサリバンにそう答える。
 その後ろでマットが言う。
 
「後悔する者にのみ、許しが与えられる。ダンテの言葉だ、コヨミ」
 
「どういう意味なんだよ……」 
 
 その向こうでは、メアリがレミリアに満面の笑みでハイタッチされていた。
 レミリアの笑みは小動物的なかわいさがあったが、僕がボコボコにされて喜んでいるのだと思うと素直に和めない。
 メアリが僕が意識を取り戻したことに気づくとこちらにかけよってきた。
 
「大丈夫だったコヨミ? でも楽しかったね! またやろうよ!」
 
「ああ、うん。まぁ、そのうちね」 
 
 さっきまでの獲物を狙うような眼光から一転、さわやかな笑顔だった。
 サッカーの試合を楽しんだあとのようなすがすがしさをたたえている。だがそのサッカーボールは僕だった。
 メアリが差し出してきた手をとって庭の芝生に立ち上がる。
 でもなんだか二人の間に友情のようなものが芽生えたような気がしないでもない。なんとも簡単な友情である。
 僕とメアリの横からレミリアが口を出した。
 
「そいつメアリのおっぱい見てたよ」 
 
「見てねーよ! 見てたとしても、それはスキを探るためだよ!」 
 
 たぶん。 
 そもそもそれでいけるとは思ってなかったけど、レミリアにはその言い分は通用しなかったようで
 
「変態だよ。変態がいるよ。キモッ」 
 
 とレミリアが光のないさめた目で僕を見下ろしていた、いや見下していた。
 しかし悲しいかな、普段戦場ヶ原に罵声という罵声を浴びせられている僕のハートはその程度の罵倒ではキズひとつつかないぜ。

 ……
 
 それは悲しすぎた。あまりに悲しい事実だった。
 その悲しい事実に裏庭で哀戦士が一人ただ立ち尽くしていた。
 どう考えてもそれは僕だった。
 
「おいおいレミリア。みんな仲良くしようよ!」
 
 そういって、サリバンが割って入ってきた。
 
「それでメアリ、コヨミはどうだった?」
 
 サリバンがメアリに尋ねると、メアリはちょっと間をおいていった。
 
「うん。手合わせしてみたところだと悪い人じゃなさそうだし、私はかまわないよ」

「肯定的な判断をしてくれたとこなんなんだけどアレのどこで人柄とかわかるんだよ」

「え? 拳には信念が宿るものだろう?」

 メアリはキョトンとした様子でそう答えた。

「それってそういう意味なの!?」

「俺もいいと思うぜ」

 とマット。
 それを聞いたサリバンが僕にウィンクしていった。
 
「じゃ決まりだな。君は今日から僕らの宿舎の一員だよ! よろしくねコヨミ!」

「ちょっと! 私はまだ何も言ってないんだけど!」

 レミリアが抗議する。
 その抗議をよそにサリバンが僕の背中をポンとたたいていった。
 
「じゃぁ宿舎に戻ろうぜコヨミ、今日は大講堂で全校の食事会があるからそれまでキミの話を聞かせてくれよ!」

「ちょっと私を無視するな!」

 レミリアが叫んでいるが、こいつが僕に肯定的なことは言いそうになかったのでもちろん僕もそっちに話は振らなかった。
 どうもメアリとマットとサリバンは僕を可と見てくれたようで、僕を宿舎に受け入れてくれる決断がなされたようだった。
 サリバンが僕に勧めて、5人はバラバラに宿舎へと入っていった。
 

 #



「それじゃぁ僕が短期留学できるかってまだ決まってなかったのか」

 僕とこの宿舎の4人はそれからその大きなログハウスに入って、リビングの広いテーブルを囲んでいた。
 目の前にはサリバンが入れてくれたコーヒーが湯気をたてている。 
 僕がそう尋ねると、向かいのサリバンが応えた。
 
「そうだよ。もしかして聞いてなかったのかい?」

 どうやら、この宿舎に入れるかどうかはまだ決まっていなく、この宿舎の4人が実際に僕に会って見て受け入れてもよいか決めるということらしかったのだ。
 今考えて見れば、それはそうかもしれない。
 おののきちゃんはそのようなことを僕に言ってはいなかったが、もしかしたらそっちのほうが緊張しなくてすむと判断してくれたのだろうか。
 サリバンが続ける。
 
「この時期はいろいろごたつくし、5年大祭だろ? クアッズの短期留学希望者も多くてね。キャパはいっぱいで、僕たちは留学生は受け入れてなかったんだけど、メアリーがとりあえず会って見ようって言うもんだから。まぁ一応ってことでね。でも大当たりだったよ! 僕はコヨミとは仲良くなれそうな気がするよ!」

「ありがとう。サリバンなら誰でも仲良くできるような気がするけどね」

 と僕は礼を言って返した。
 とりあえず、僕を宿舎に受け入れてくれたというのは素直にありがたいことだ。

「ハハハ! まぁそうっちゃそうだけどね! でもコヨミはアレだよね! 見た目に反して結構動けるじゃないか!」

 サリバンが言って、目の前で拳をシュシュっと突き出して見せる。
 その隣のマットが付け加えた。
 
「メアリーは学年でも格闘技はトップクラスなんだぜ。こいつに30秒以上持ったんだから自慢していいんじゃないか?」

「それを先に言ってくれよ……」

 確かに、もうあれは一般人の動きじゃなかったもんな……
 普通空中の人間を水平に蹴り飛ばしたりって見たことがない。
 僕は件のメアリーのほうを見てそう考えていると、メアリーの褐色の目が僕の視線に気づいた。
 
「ねぇコヨミ」

 メアリーが僕に声をかけて、コーヒーを一口飲んだ。
 
「ん? なんだいメアリーさん?」

「メアリーでいいよ。それでさ、コヨミは手を合わせた感じ、普通の人間と言う感じがしなかったんだけど、もしかして何か恒常術式でも使ってるの? それとも、何か怪異でも宿してるとかさ」

 ドキリとする。
 メアリはあの、獲物を見るような目でこちらをのぞきこんでいる。
 それは特にいぶかしんでいるという風ではなく、あくまで興味本位で聞いているようだったけど、彼女の全体的な雰囲気が僕にそう感じさせていた。

「あ、いや……」
 
 どう答えよう。
 ちょっと迷った僕は、とりあえずはこのことについては伏せておくことにして別の質問を切り出した。
 
「まぁそれはひとまずおいておかせてくれよ。でもちょっと疑問なんだけど、このトパンズのクラスは学校では待遇がよくないほうなんだろ?」
 
 マットが答える。
 
「そうだね。ダイアスの連中なんかは学校の近くのタワーマンションを一人一室使ってるしそこで出る学食もすごいって話は聞くな。話だけだけどね」 
 
「いやでもさ。今聞いた話だと、メアリーは格闘術に秀でてるし、サリバンも学力では学年トップクラスというじゃないか。それでなんでトパンズだってことになるんだ?」 
 
 もし成績で所属するクラスが決定するのであれば、彼らはこの一番待遇の悪いトパンズにいるのは少しおかしいことなのではないか?
 僕がたずねると、メアリがそれに応えていった。
 
「私はここが気に入ってるんだけどね。幼馴染のみんなと生活できるしさ。でもまぁ、コヨミがそう思うのは無理のないことだね。ダイアスやルビウムや私たちトパンズっていうのは、学力や運動能力も影響しないではないけど、基本的には除霊の能力で決定されるんだよ。それで私たち4人はトパンズに所属することになってるというわけなのさ。ねぇレミリア?」
 
「まぁね」 
 
 メアリがレミリアに振ると、レミリアはコーヒーのカップからスプーンを机において、そこに右手を掲げた。
 
「……?」
 
 僕がそのスプーンを見ていると、そのスプーンがゆっくりと宙に持ち上がった。
 
「ふっ、くっ……」
 
 レミリアは四苦八苦といったようすでスプーンを宙に浮かべていると、しばらくしてそのスプーンが突然糸が切れて机に落下した。
 レミリアは息をついていった。

「ふぅ…… 私はこんなところ。大してランクの高い能力じゃない」
 
 そこでサリバンが口を開いた。
 
「それでマットはあまり強くないダウジング能力があって、メアリーと僕にはまだ能力が発現してないんだ。でも僕はあのダイアスの主席に膝をつかせた男だからね。さしずめ眠れる獅子と言ったところさ!」   
 
「私は別に、異能のほうにはあまり興味がないんだよね。普通に戦えればそれでいいよ」

 とメアリーがつけくわえた。
 というか普通に戦うって現代生活におおよそそんなシステムってあるのかな。

 レミリアにマットが言った。
 
「ファンクラブの規模なら学園トップだけどな。学園の二大ファンクラブのひとつがレミリアのファンクラブなんだよ。外でレミリアといちゃついてみせるなよコヨミ。誰に何されるかわからんぜ」 
 
「ふーん」 
 
 確かにこのレミリアという少女はあどけなさを残してはいるけどかわいいのは認めざるをえない。雑誌モデルなどもしているということなら、そういう人気が出るものなのかもしれない。
 僕はマットの話を聞きながらコーヒーをすすっていると、そこでレミリアがワナワナした様子でこっちをにらんでいるのがわかった。

「はぁ!? なにいってるのよマット! 私がこんな変態と一緒に出歩くわけがないでしょ!」
 
「確かに僕は変態という名の紳士ではあるけどさ」

「うっさい! くだらない引用とかしてるんじゃないわよ!」

 横からサリバンが口をはさむ。
 
「ダメだよレミリア。コヨミはこれから僕らと生活をともにするんだから。仲良くしてくれよ」

「だから私は賛成って言ってないでしょ! メアリー!?」

 レミリアがメアリーに振ると、メアリーは涼しげに笑っていった。

「私は賛成だよ」

「そいつメアリーのおっぱい見てたわよ!? メアリーの巨乳をガン見してたわよ!?」

「してねぇよ。ガン見はしてねぇよ。チラっと目に入っただけで」

「ほら自白した! こいつ今自白したよ!? 僕は変態ですって宣言したよ!!」

「おいちょっと待てよしてねーよ。なんで僕が変態宣言したことになってるんだ。なんで初対面でいきなり変態宣言とかしてるんだよ」

「私はかまわないよ。戦うときは相手の全身に気を配るのが大切だし、コヨミのことは歓迎するよ。コヨミは悪くない体捌きをするからね。むしろ好ましい動きだね」

「判断基準そこぉ!?」
  
 とはいえ、それも妹との喧嘩と何回かの修羅場をくぐったというだけのものに過ぎないのだけど。できそこないの吸血鬼の反応速度でそこそこの対応ができたに過ぎない。
 ちなみにサリバンとマットとメアリーは僕と同じ歳で、サリバンの妹であるレミリアは二つ下らしいが、幼馴染であるという4人は特に上下関係なく話せる仲であるようだ。

「レオニードのやつも昔は仲良くしてたんだけどなぁ」

 マットがスプーンをくるくるまわしながらいった。
 そちらに意識をやってしまう。
 レオニードというと、おののきちゃんがしゃべっていたこの街の盟主的なレオニード家の名前だ。
 
「マット、僕にもその話聞かせてくれよ」

「ああ、かまわないよ。昔は、俺らが6、7歳くらいのときかな、僕とサリバンとレミリアとアイリー・レオニードって女子が仲がよくてね、ちょっとあとからメアリーとも仲良くなってんだけど」

「ちょうど入れ替わりくらいだったかなぁ」

 とサリバン、マットが続ける。
 
「アイリーはまぁ、レオニード家の娘だからいろいろしがらみも多くて、仕方なかったのかもしれないけどね。今ではダイアスに所属してるんだけど、まったく接点がなくなってしまったな」

 レミリアが付け加える。

「私はなんだか苦手になっちゃったなぁ。アイリー、昔とは人が変わったっていうか」

「まぁいいじゃないか。アイリーにはアイリーの生き方があるってもんさ。」

 サリバンが付け加えるように言い、続けてマットが言った。
 
「フリードリヒ・ネーヴェの言葉に、人は、常に前へだけは進めない。引き潮あり、差し潮がある。というものがある。人間近づくことも、離れることも同様にあるものさレミリア」

「それでもうひとつ聞きたいことがあるんだけど」

 僕はそこで、もうひとつ聞いておきたいことを質問した。
 というかそれこそここに来た目的なのだが。
 
「たぶんダイアスってクラスだと思うんだけど、そこに短期留学生で、『おののき』か『あららぎ』ってやつが来てるって話は聞いたことないかな?」

 僕が質問すると、4人はそれぞれ少し考えて。
 メアリーが
 
「ごめんねコヨミ。ちょっとわからないな。もともと、クアッズには結構な人数がいるし、短期留学生の名前まではちょっと把握しきれていないんだよ」

 と少し申し訳なさそうにいった。
 ほかの三人も特に心当たりはないようだった。
 おののきちゃんはこの学校に存在移しが入り込んでいる可能性は高くないと言ってはいたが、本当にここにはいないのだろうか、あるいは、4人が名前を見たことがないだけだろうか。

 そこでログハウスの玄関がコンコンとたたかれ

「すいませーん。新聞部のものですがー?」

 とドアごしにここを尋ねる声が聞こえた。
 それを聞いてサリバンが勢いよく喜色満面に立ち上がった。
 
「新聞部だ! 僕の武勇伝を取材させてほしいって連絡があったんだよね! ダイアスの主席、ルシウス・ヴァンディミオンに膝をつかせた男の武勇譚をさ!」
 
 サリバンはドアのほうにちょっと待っててと叫んでそちらに行ってしまった。
 
 マットがあきれ気味に僕に言った。
 
「まったくサリバンはその話が好きだな。まぁ別に害があるわけじゃないしいいんだけどさ。それじゃぁコヨミ部屋に案内しようか、部屋は二階だから俺についてきてくれ」 
 
 それにレミリアが付け加える。
 
「マット! そいつの部屋は私とメアリーの隣にだけはしないでよね! 絶対だよ!」




[38563] こよみサムライ007
Name: 3×41◆ecb68eaf ID:31c4df78
Date: 2014/01/01 18:11
 僕はマットにログハウスの二階の一室を案内してもらい、そこで二つあるベッドのひとつに腰掛けていた。
 どうもログハウスの部屋はすべて二つ部屋らしく、この部屋にもベッドが二つある。
 ほかの部屋はそれぞれサリバンとマット、メアリーとレミリアの部屋であるようで、そのどの部屋とも隣り合わせてはいない。
 僕は片方のベッドに座り、またその向かいにはいつのまにか人影があった。
 それはさきほどまで僕の影に潜んでいたもと吸血鬼の幼女、忍野忍である。
 忍は僕の向かいのベッドに座り、足をブラブラとやっていた。

「どうじゃお前様、存在移しは見つかりそうか? カカカ」

「カカカって、お前ずいぶんのんきでいられるよな」

「そうかの? まぁワシはもともとあまり人間関係がありはせんからのう。あのこぞうと、お前様くらいじゃ。あのこぞうだってむしろせいせいするくらいじゃわい」

「お前はまぁそうか。でも僕はそうはいかないんだよ。高校だって普通にあるし、戦場ヶ原だっているし」

「まぁまぁ、よいのではないか?」

「よいって、よくねぇよ」

「このまま、存在移しを探すのをやめて西欧の地を二人で旅するのも、わしには悪くないのう。あの女も忘れて、家族もわすれて、わしと二人で、いつかそうなることじゃろう?」

「冗談はよしこちゃんだぞ忍」

「またしょうもないことを言うのう」

 僕が仮に不老不死じゃないにしても、これから数百年生きるとしても、だとしても、やはり僕は阿良々木暦として生きたいし、生きるべきなのだ。
 僕がこのまま消えれば、目の前にいたとしてもそれが認識できなければ、戦場ヶ原は僕を探すだろうし、羽川も黙っちゃいない。忍野に借金もあるし、まぁそれはチャラになっていいかもしれないけど。 
 僕を探すあいつらをそばで見続けるなんてごめんだ。
 
「カカカ、まぁええじゃろう。どうせワシは400年生きておる身よ。しかしお前様よ」

「なんだよ」

「存在移しがワシらの存在を奪った目的じゃが、金銭目的というのはどうかのう」

「金銭目的か」

 そんなものは、存在を移せる存在なら、どうにでもなりそうなものだが。
 
「ん~金銭というか」

 忍が考えながら、ベッドの隣の僕の足にブラブラさせた足をバシバシぶつけてくる。
 
「この街では今大規模にオークションをやっておるじゃろう。いわくつきの品物も多いそうではないか? カカ、ならばその中の何かを狙っておる、と言う可能性はないのかのう」

「うーん。といっても僕はここでどんなものが扱われてるかって全然知らないし、知りようもないんだよな」

「まぁそうじゃろうのう。この街の内部にでもはいらんかぎりはの」

「そこはおののきちゃん待ちだな。あの子が自警団に入ればそこらへんのことが何かわかるかもしれないしな」

 ガチャリ
 そこでドアの開く音が聞こえた。
 僕と忍がそちらをサっとみると、部屋のドアを開いて、レミリアが顔を出していた。
 
「ねぇあんた、クアッズの見学のことなんだけ……」

 何気なく顔を出したレミリアの視線が固まる。
 そのレミリアの視線の先には、黙ったままでレミリアに顔をやる金髪幼女、忍がいた。

 パタン
 
 扉が閉まる。
 そしてパタパタと足音が遠ざかる音が聞こえて、またすぐパタパタと足音が近づいてくる。
 
 ガチャリ
 
 再び扉が開いて栗色の髪をのぞかせ顔を出したのは、やはりレミリアだった。
 しかし先ほどには何も持っていなかった手に、ドーナツを3つつかんでいる。
 
「あ、レミリア、この子は、あれだ、あの……」

 説明に窮する僕をよそに、レミリアは忍にドーナツを持ってちかずき、ドーナツをチラチラとやると、一発で忍がレミリアに飛びかった。
 入れ食いかよ。チョロすぎだろ忍。
  こいつ本当に元怪異の王なのか?
 
 ドーナツをバクバク食べる忍を抱きしめているレミリアが
 
「かっ、かっ……」

 とつぶやき。
 
「かわいいぃぃぃぃ」

 と感嘆した様子で忍に頬をこすりまくりはじめた。
 忍は気にせずドーナツをバクバクやっている。
 
「かわいすぎるうぅぅぅぅ!!」

 レミリアは顔を蒸気させて忍に顔を埋めているかと思うと、バッと僕のほうを向いていった。
 
「あんた、この子の名前は!?」

「あ、忍、だけど……」

 あと僕の名前はあんたではなく阿良々木暦なんだけど。
 
「忍! 忍ちゃん! かわいいぃぃぃ。私の妹になってよ!」

「おいふざけんなよ。忍は僕の……」

「何よ? 忍ちゃんがあんたの何なわけ?」

 僕の……
 金髪幼女、ロリ奴隷……
 
「僕の知人だよ」

 キリっとした表情でそういう僕だった。
 ていうか知人じゃ弱いだろ。

「じゃぁ問題ないわね。忍ちゃぁぁぁん」

 レミリアが言ってまた忍に顔を擦り付けるが、忍はドーナツを食べ終わって黙ったまま次はレミリアから離れようとじたばたしはじめた。

「どうしたの忍ちゃん? もしかしてドーナツがもっと欲しい? それならまだあるから後で私と食べようね」

 レミリアが忍にそういう言うと、忍はピタリと動かなくなりレミリアの抱きしめるに任せるようになった。
 こいつ、まじでチョロかった。
 忍はこんな食いしん坊キャラではなかったハズだ。僕の忍を返せ!

「ていうか、レミリアお前さぁ……」

「忍ちゃぁぁん。ん? なに?」

「もしかしてお前ロリコンなの?」

 信じられない。ロリコン、ロリータコンプレックス、日本語に直せば異常性幼児性愛、本来人間にあるべき愛感情がゆがんだ形で発現した業の深い変質性である、変態である。

「人のこと散々変態とか変態紳士とか言っておいて、お前も変態なんじゃねぇか。いやはやロリコンとはね、さすがの僕も驚かざるを得ないよ。僕も耳にしたことこそあれ、この世に本当にロリコンがいるなんてつい今まで見たことがなかったからな」

「はぁっ!? 違うわよ! 私は普通に小さい女の子が好きなだけよ! 普通のことじゃない!」

「いいや違うね。お前のその顔、完全に欲情してるじゃないか。ていうかレズだろ。レズビアンだろお前。レズビアンでロリコンとかクレイジーすぎるぞ。クレイジーサイコレズロリコンかよ。ほとんど怪獣みたいな字面じゃないか。ロリコンなんて業の深い病気は早めに直しといたほうがいいぜ。あとさっさと忍を返せ。嫌がってるだろ」

 言っている途中で忍が何か言いたそうにこちらを見つめているが、僕にはさっぱり見当がつかなかった。
 ともかく、忍の救出が先決である。このままでは貴重な幼女が簒奪されてしまう。

「うるさいわね。変態なのはあんただけでしょ! それに忍ちゃんは嫌がってない! ねぇ忍ちゃん?」

「……」

「ほら見ろ。無言じゃないか、怯えきってるじゃないか、怯えすぎて声も出せてないだろ」

「忍ちゃんドーナツ食べる?」

 聞かれた瞬間、ブンブンと激しくうなずく忍だった。
 
「ほら見ろ! 私と一緒にいれて喜んでるじゃない!」

「どこがだよ。釣ったじゃねぇか、今完全にドーナツという餌で釣り上げたじゃねぇか。忍はお前じゃなくてお前が持ってるドーナツと一緒にいれることに喜んでるんだよ。早くと忍を放せよクレイジーサイコレズ。CPRが」

「変な略しかたするな! ああもう!」

 忍が所在無しに足をブラブラさせていたので、レミリアは不承不承といった様子をありありとさせて忍を地面におろした。
 
「やっと魔の手から解放されたか、怖かったろう忍。さぁ僕に抱きついていいぜ」
 
 僕が忍に両手を広げると、忍はテテテとレミリアの後ろに回りこんで、レミリアの腰を抱きしめた。
 抱きしめて、忍はレミリアの後ろでニヤリと笑った。僕に向けられたさめざめとした邪悪な笑みだった。
 
 こいつ、ドーナツで寝返りやがった!
 刹那的すぎる。
 
「忍ちゃーん私を選んでくれたんだねー。あとで一緒にドーナツを食べようねー。それで一緒にお風呂に入ろうねー」 
 
「ちょっとまてよレミリア。ドーナツはいいけどお風呂は関係ないだろ。忍と風呂に入るのは僕だ」 
 
「こいつ何真顔で言ってんの!? やっぱり気持ち悪い!」 
 
 これはカルチャーショックというか、カルチャーギャップというやつだな、どうやらオランダには幼女と一緒に風呂に入るカルチャーがないらしい。 
 というか日本にもそんなカルチャーはないけど。
 
「そういえばレミリアお前、僕に何か用があって来たんじゃなかったのか?」
 
 忍をいろんな角度から嘗め回すように見つめるレミリアがはっと気がついたように居住まいを正した。
 
「ああそうだった。そろそろ新聞部の取材が終わりそうだから、学園をまわるって兄貴が伝えてってさ」
 
 そういえば、学園をみんなで周ろうという話になっていたんだった。
 
「そっか。すぐいくよ」

「ほんとめんどくさい」

「レミリアお前さ、僕は一応短期留学生なんだけど」

 3日間だけど。
 
「私はあんたのこと認めてないからね」

「はぁ、まぁ年頃の女の子だから仕方ないかもしれないけど。ところでレミリア、お前は『阿良々木』と『斧乃木』って短期留学生について本当に何か思い当たることってないかな?」

「え、うーん」

 レミリアはつぶやいて、記憶をさぐるように宙に視線を泳がせ、言った。
 
「やっぱり、心当たりないかなぁ。その名前」



 #



「いやぁ新聞部のやつらもいいとこに目をつけるよね!」

 僕を含めた宿舎の5人は学園のキャンパスを歩きながら話していた。
 レミリアが忍はどこかと尋ねたが、別行動だと言っておいた。
 実際は、僕の影の中に入っているけど、そこらへんのことを言うとややこしい。

「明日の新聞では僕の武勇譚が一面を飾るよ! どうだいレミリア!」

「私は別に……」

 レミリアがそっけない返事をかえした。
 それを見たマットが笑っていった。
 
「ハハハ、レミリアはそもそもこの学園の2大ファンクラブの一角だからな。もしかしていい気になってるんじゃないのか?」

 マットが冗談ぽく茶化すとレミリアがうんざりという風に手を振っていった。

「変に持ち上げられてどうしたらいいか迷うだけだよ。それにあんなの私の内面の何も出てないもの。それで人気って言われても、実感ないっていうか」

「まぁ僕らにしたらただの妹と幼馴染だけどね! 僕なんてレミリアのオシメ代えてたんだぜ!?」 

「2歳違いでそんなことされるわけないでしょ!」
 
 このレミリアがファンクラブを作られているというのは、レミリアの顔立ちはかわいいので納得できるし、キャンパスを歩いているとチラホラレミリアに対する視線やささやき声みたいなものがあったから、ファンクラブなるものが作られてしまっていることも本当なんだろう。
 レミリアがサリバンに突っ込むのを横目で眺めながら、ちょっと気になったことを聞いてみた。
 
「そういえばマット。この学園って2大ファンクラブがあるんだよな。レミリア以外にもファンクラブがもうひとつあるってことかい? もしそれがメアリーのファンクラブだっていうなら僕はそっちに入るね」   

 マットはカラカラ笑って答えた。

「まぁコヨミの言いたいことはわかるよ。メアリーも美人と言っていいだろうな、ただ起源的には実践は理論に先行するというのはフォイエルの言葉だ。メアリーは入学当初こそ男子にえらく人気だったが、告白してくるやつらに片っ端から勝負をいどんで叩き伏せるものだから男子が寄り付かなくなっちまったんだよな」

「残念だけど骨がないやつらばかりだったな、私は精肉機じゃなかったんだけどさ」

「一体どんなことをやったんだよ」

「ああ、精肉機っていうのは言葉のたとえだよコヨミ。もしかして私が男子たちをミンチみたいに細切れにしたなんて思った? だとしたらそれは考えすぎだね。学校では結界術式があるからギリギリ大丈夫だったよ」

「ギリギリなのかよ!」

「最近はミットにくるまったサリバンしか相手にしてくれなくなってね。コヨミが来てくれてとてもうれしいよ」

 明日もよろしくねというメアリーはぬけるように晴れやかな、爽快な、人懐っこくさえある笑顔だった。
 ただその内容が格闘訓練だった。闘争本能の塊みたいなやつである。
 
「ミンチにされちゃえばいいのに」 

 後ろでレミリアがつぶやくように言ってきたがスルーした。

 しばらく歩いていると、キャンパスの前から集団がこちらのほうに歩いてきた。
 集団と言ったけど、近くまで歩いてきてみると、その中心に3人が歩いており、どうやらその集団は、その3人を取り囲むようにしている。

 一人は学園の男子生徒、もう一人が女性生徒、そしてもう一人は大人のようだった。
 特にその大人は、異様な雰囲気だった。
 見た瞬間に、胃に何かたまっていくような嫌悪感、嫌悪感というより、危機感のようなものが身体の中でとぐろを巻き始める。

 隣でマットが人だかりの中心の男子生徒を指して僕に耳打ちする。
 
「あいつだよ。ダイアスの主席、ルシウス・ヴァンディミオンだ。学園の二大ファンクラブのひとつはあいつのだよ。もっとも構成は全員女だけどな」

 そのルシウスという男子生徒と女子生徒はそれぞれ首にダイヤがあしらわれたチョーカーをしていたので、女子生徒もダイアスの生徒であることは推察できた。

 それよりも、女子生徒のとなりの大柄な男のほうが気になった。
 それをマットに尋ねると
 
「ああ、あの人、コヨミは知らないだろうけど、彼が<山犬>だよ。山犬部隊の一人で、レオニード家のご息女を護衛してるってわけさ」

「あれが山犬か」

 あの異常なプレッシャーににわかに納得する。ということはあの男の隣にいる女子生徒、赤を基調とした軽いドレスの女生徒はレオニード家の、そしておそらくサリバンたちの幼馴染だったというアイリー・レオニードなのだろう。
 マットに尋ねるとマットはそれを肯定した。
 そして重要なことは、かなり高い可能性として、あの男が所属する山犬部隊に存在移しかその関係者が入り込んでいる可能性があるということだ。

「あらぁ、トパンズのワゾウスキさんじゃありませんの」

 その赤いドレスのアイリー・レオニードがゆったりとした感じにこちらに声をかけた。
 ワゾウスキという声は、サリバンではなく、ここではレミリアに向かっているようだった。

「この前の雑誌、見ましたわよ。綺麗にモデルをしていらっしゃいましたわねぇ」

「あ、どうも……」

 レミリアが簡単に礼を述べた。
 3人を囲んでいた集団は、ほとんどがダイアスの生徒で、ほかにはルビウムとアクアマリンの生徒がちらほらいるようだったが、全員の視線がこちらに向いていた。
 
「アイリー様」

 と、山犬が声をかけるが、アイリーと呼ばれた女子生徒は片手で山犬を制した。
 
「モデル雑誌にこうも出ているとさぞ報酬もよいのでしょう?」 

「いえ、私は報酬は学費にまわしているので」

 レミリアが小さな声で言うと、アイリーは声を明るくして続けた。
 
「まぁまぁ、そうですの。まぁトパンズですものねぇ。ンフフ」

 嫌な感じだと思った。
 レミリアはこのアイリーを苦手だといっていたけど、それは僕だって彼女を好ましくは思えなかった。

「やぁアイリー! ずいぶん久しぶりじゃないか! 僕だよサリバン、小さいころぶりだねぇ!」

「……」

 アイリーは、サリバンが割って入ってきて少し考えるようにして口を開いた。
 
「幼少期と現在は、もはや別物でしょう? 同じものとして扱わないでいただきたい。わたくしはダイアス、あなたがたはトパンズ、その差をわきまえなさいな」

「水くさいなぁ! いいじゃないかアイリー。僕たちの仲だろう? それにアイリーだってまだ能力が発現していないはずだぜ?」

 サリバンは明らかに高圧的な雰囲気を振りまくこの女に、しかし何の壁もないように歩み寄っていた。
 こいつの手放しのところはこの場合逆効果な感じもする。
 
 サリバンがアイリーに歩いていくと、途中であの山犬の男が無言でサリバンをさえぎった。
 
「……」 
 
「あ…… これは山犬さん。アイリーの護衛ですか、ご苦労様です」

 サリバンが山犬の男にそういうと、山犬の奥のアイリーが

「ンフ、ンフフ」

 と笑って続けた。
 
「あなたたちはご存知ないでしょうが、レオニード家の能力の発現はおうおうにして時期が遅いですし、第一、わたくしがレオニード家の人間として『レオニードの鍵』をこの身に宿しているという時点で、わたくしにはこれ以上ない重要性がありますのよ。トパンズのあなたたちとは違ってね」

「なんだよつれないなぁ」

 サリバンはしかし、気にしない様子であっけらかんとしていた
 このアイリーという、レオニード家のご息女は、僕にはあまり気にならなかった、問題はその女の前に立っている山犬のほうだ。もしかしたらこの人なら山犬部隊の内部にもぐりこんでいる可能性がある存在移しについて何か知っているかもしれない。もしかしたら接触したことがあるかもしれないのだ。

「やぁサリバン君。去年コロシウムで会って以来だね。僕のことでずいぶんと触れ回っているそうじゃないか」

「やぁルシウス!」

 アイリーの手前まで歩み寄ったサリバンに、横からさっきの男子生徒が話しかけた。
 たしかあいつはルシウス・ヴァンディミオンというダイアスの主席だ。
 
「サリバン君は今年もコロシウムに出るんだろう?」

「もちろんだよ! ルシウス、今年こそこのトパーズ最強のサリバン・ワゾウスキが君を倒すぜ!」

「ハハハ、いいよ。楽しみにしておくよ。ああ、メアリー君。この前のことを考えてくれたかな?」

 このルシウスというやつが僕の隣で黙っていたメアリーにしゃべりかけた。
 
「ダイアスに移籍してくるという話だよ。君は能力こそ発現していないが、その潜在能力なら十分ダイアスでやれると思うよ」

「せっかくだけど、私はいいよ。私はトパンズでいい」

 メアリーは簡単にしかしはっきりと断った。
 ルシウスはくびをふって少しうんざりした様子で言った。

「はぁ。それは彼らと一緒に生活できるところを重視しているのか? まったくもったいないと気づいて欲しい。それは才能の無駄遣いだよ」

「いいじゃない。それより、それならその才能を私に見せてくれない? 一勝負どうかな?」

 メアリーはまたしてもあの獲物を狩る野生の感でルシウスに持ちかけた。
 ルシウスはクックと忍び笑いをこらえるようにしていった。
 
「ハハ、いいや、やめておくよ。能力の発現してないトパンズの君を、ダイアスの主席の僕が、一方的に叩きのめしてしまってはむしろ僕の悪評になってしまうじゃないか」

「……」

 メアリーはそこで、何か含むものがあるように黙ってしまった。
 そのやりとりは、しかし僕の耳からは遠いものだった。
 僕はと言うと、このダイアスというクラスの人間を中心とした集団の中心でアイリー・レオニードを護衛する<山犬>に話しかけていた。

「あの、山犬部隊の方ですよね?」

「……」

 山犬の男は、僕が話しかけると、しかし沈黙でもって答えた。
 話しかけてみたものの、一体なにを聞くべきなんだろう。

 あなたの部隊に斧乃木余接が入り込んでいませんか?
 今この街に存在移しが目的にする何かに心当たりはありませんか?
 
 あまりよくない質問だ。おののきちゃんの言ったとおり、それでは捕まってしまいかねない。
 
 僕が迷っていると、サリバンが山犬に向かって朗らかに言った。
 
「山犬さん! 僕はサリバン・ワゾウスキといいます! 実は僕は将来山犬部隊に所属することを目標にしているんですよ! いや、まわりはとても不可能だと笑いますけどね。僕は気にしちゃいない! いつかあなたがたと肩を並べて見せますよ!」

 サリバンの壁の作らなさは、もはや僕の想像を超えていた。
 こいつは相手がアメリカ大統領でも、アルカイダのボスでもこのノリかもしれないなと思わせる。
 
「そこでどうです山犬さん! ルシウス・ヴァンデミオンに膝をつかせたこのトパンズ最強の男、サリバン・ワゾウスキと一戦交えていただけませんか!? もしそれで、まぁ僕が勝つことはないかもしれないけれど、見所があったら山犬部隊の隊長にお口添え願いたい!」

 サリバンのその言葉で、集団の面々が一気にざわつきはじめた。
 ハーレンホールドの自警団の上位組織、この学園のトップでもとても所属できないといわれる山犬部隊に、トパンズの一学生が勝負をいどんでいるこの状況は、確かに異常なのかもしれないと、よそ者の僕にもその空気からそれが察せられた。

 黙って答えない山犬の横から、先ほどのルシウスという男子生徒が続けていった。

「サリバンがそういうのなら、僕も手合わせ願いたい。ずっと申し出たかったんだ。ダイアスの主席として、権利があるとすればまずこの僕だ」

「……」

 山犬は、しかし何もしゃべらなかった。
 僕にはこの男の感情が少しにおってくるようだった。
 
 うんざりしている。子供の遊戯に付き合わされるのはごめんだと。
 もしかしたらいっそこの場にいる全員殺してしまおうかとすら思っているかもしれない。
 そういうネバついた、殺気のような、怒気のような感情が、この山犬の男の体から漏れ出しているようだった。
 
 その怒気にあてられて、自然に僕の息はにわかに速くなってしまっていた。
 
「いいじゃありませんの」

 そういったのは、山犬の後ろで彼に護衛されていたアイリー・レオニードだった。
 この女子生徒は、いまや赤いドレスに包まれた腕を組み、傲岸に、不遜に、高貴を装った態度で続けた。

「わたくしも護衛されているだけでは、いささか退屈というもの、それにレオニード家の護衛というものを皆さんに見せてさしあげなさいな」

「……」

 山犬は、しかし黙ったままだった。
 男が動かずにいると、アイリーというこの女子がじれた様子でおって言った。 

「このアイリー・レオニードが、レオニード家の名において命じますのよ!」

 アイリーが口調を強めて言うと、山犬はうんざりとした様子だったが、しかし軽く腕を振って口を開いた。
 
「……了解しました。レオニード様」

 山犬はアイリーに短くそういうと、今度はサリバンとルシウスのほうを向いた。
 
「サリバン君と、ルシウス君だったか、君たち二人が、俺とやりたいということだったな。かまわんから、二人できていい」

「いいんですか!?」

 ルシウスが驚いていった。
 隣でサリバンも続ける。
 
「山犬さん。ダイアスの主席と、トパンズ最強のこのサリバンが相手だということを忘れているんじゃありませんか?」 
 
 山犬はしかしそれに答えず、手合わせのルールを確認した。
 
「ルシウス君はたしか刀剣を使うんだったね。何でも使ってくれてかまわないよ。そこのサリバン君も同様だ。当然のことだが、俺の身体は君たちが剣を全力で振っても傷ひとつつかない。遠慮しなくていい。君たちが俺に一発でも有効だを当てれれば、隊長に口利きでもなんでもしてやる」

「それなら」

 そこで僕も口をはさんだ。
 
「それなら、僕も加えてください。山犬のあなたに聞きたいことがいくつかあります」

 山犬は何人でもかまわないと、つまらなそうにいった。 
 
 ルシウスが確認する。
 
「では僕と、それにサリバンは刀剣でいきます。ではあなたの獲物は? あなたも刀剣を使うのでしょう?」
 
 そこで山犬は、乾いたような笑いを響かせた。
 
「俺が? 君らに刀剣を? 怪異でもなんでもない子供相手に? ハ、ハ。そんなことをしては、俺が”豪胆”に殺されてしまう」 
 
「山犬部隊第二席、”豪胆”サー・バリスタン・セルミーですね」 
 
 サリバンが口添えしていった。
 
「では、あなたは拳で?」 
 
 ルシウスがくわえて確認する。
 
「ああ、まぁ、そうだな。俺は、これでいい」
 
 そういって山犬は右手を掲げ、さらにその右手の小指をたてた。
 
「この小指一本でいい。自己紹介しておこうか。俺は山犬部隊第七席、アルザス・クレイゲン。君たち三人、一度にかかってくることをおすすめする」
 
 
 
 #
 
 
 
 僕と、サリバンと、ルシウスというダイアスの生徒。
 その三人の目の前で、アルザスと言う山犬の男が、軽い様子で立ち小指を立てている。
 まわりではさっきまでルシウスとアイリーを囲んでいたダイアスやルビウムの生徒たちが距離をとり、しかしざわつきながら推移を見ている。

 サリバンとルシウスは、用意した刀剣を手にとり、僕はそういう心得はないこともあって拳でやることにした、いずれにせよ1発さえ入ればいい。

 この三人にたいして、山犬は右手の小指一本を突き出しているだけだったが、いまやその小指はビキビキと音をたてるくらい血管が浮き上がりまるで硬化しているような印象を与えた。

 うかつに飛び込んだら、すぐ殺されそうだ。
 実際に殺すつもりはないようだったが、山犬の発するプレッシャーににわかに動けなくなっていた。
 それはとなりのルシウス・ヴァンディミオンも同様だった。
 
「やああぁぁぁぁっ!」

 動いたのは、やはりというか、サリバンだった。
 刀剣を逆袈裟に持って山犬にダッシュする。
 ルシウスと僕もそれに合わせて山犬に殺到した。
 
 サリバンが全力で振った剣撃は、しかし、というかやはり山犬になんなくかわされてしまう。
 山犬は身体をずらし、刀剣を紙一重でかわした。
 
「があああぁぁぁっ!」

 そこに僕が叫んで突進した。
 回避後は次の回避が不利になる、はずだったが僕が繰り出した拳はどれも、まるでそこに誰もいないかのように空を切るだけだった。

 殴り続ける僕の拳をよけながら、山犬が右手の小指を掲げる。
 
 そのとき、僕と山犬の横からルシウスが刀剣を横一線に振りぬいた。
 
「えぇっ!?」

 それは僕の拳をよける山犬に回避させない一撃だった。
 そして刀剣の軌道は、山犬が一刀両断されれば僕まで切り殺される軌道だった。
 事前に剣撃が山犬にダメージを与えられないという説明を受けても僕のほうは反射的にぎょっとして叫び声がもれる。
 
 山犬は、その必殺の一撃の刀剣に対して、小指を高速の刀剣に添えて、そのまま刀剣の軌道を上にずらし、そのまま剣をグルリと回転させて、小指をそえたままルシウスのくびの根元に押し付けた。

 小指をそえられて押し付けられる刀剣にルシウスの両腕がカタカタと振るえ拮抗する。
 
「これで今君は死んだ」

 そうルシウスにささやく山犬に今度は後ろからサリバンが全力で振りかぶった剣を横なぎにした。
 
 山犬は振られる剣の根元のサリバンの拳に小指をあて、その剣撃をストップさせると、そのまま小指でサリバンの体勢をずらした。

「あぁっ!?」

 バランスを崩されたサリバンの身体が宙に浮き、そのサリバンの胴に上から山犬が小指を立てた右手を叩き落すと、その小指の腹がサリバンの腹部に突き刺さり、サリバンを地面にたたきつけた。

「えっ」

 僕が気づき、そうつぶやき声をもらしたときにはすでに山犬の右手が僕の眼前に出現していた。
 その小指は親指でギリギリと縮んだまま緊張して、デコピンの形で僕の額をたたきつけた。
 
 バァン!
 
 そうおおよそデコピンではありえないような炸裂音が響き、僕の身体は宙に浮き、そのまま後ろに吹っ飛ばされ、地面に跳ね返って20mほどゴロゴロころがってやっと停止した。

 やっと気がついて、僕が辺りを見回すと、メアリーがこちらにかけよってきていた。
 遠くでは、山犬がつまらなそうにレオニードの娘に尋ねていた。

「……よろしいですか?」

「ンフ、ンフフ。かまいませんわよ。よくやりましたわね。特にルシウスは無傷で、残りの二人は強く打ったのが気に入りました」
 
 アイリー・レオニードは満足したように笑うと、4人を遠巻きに囲んでいた学生たちに「それでは参りましょう」叫んだ。
 
「大丈夫かいコヨミ!?」
 
 メアリーが僕にかけよってきて、身体を抱えてくれる。
 僕はチカチカする視界にメアリーを見つけ
 
「いってぇ。悪いメアリー」
 
 とお礼を言ったが、そこでメアリーの表情に気づいた。
 
 笑っている。メアリーは、そのときうれしそうに笑っていた。
 まるでいいおもちゃを見つけたように、大物を見つけた狩猟者のような野生的な笑みだった。
 僕はその笑みに、ゾクリと、原始的な恐怖をあおられたように、身を縮める気持ちになった。
 メアリーは僕を抱き起こすと、すぐに立ち上がって山犬に言った。
 
「ねぇ山犬さん! 次は私とやろうよ!」
 
 山犬は、しかしうんざりとしたように、レオニードの娘のほうをチラりとみた。 
 
「ンフフ、やる必要はありませんわ。もう手合わせは終わりました。トパンズの能力のない人間がやっても仕方ありませんものね」 
 
 レオニードの娘は、短くそういって切り上げると、山犬をそばにつけ、居住まいを正したルシウスとほかの集団を引き連れてむかいのほうに歩いていった。
 
「残念だな……」 
 
 メアリは去っていく集団を見ながら、そっけなくそういったのだった。
 そしてサリバンやマットたちが集まってくると気分を変えていった。
 
「まぁ、いいか。それじゃコヨミ。学園の案内を続けるよ」 




[38563] こよみサムライ008
Name: 3×41◆ecb68eaf ID:31c4df78
Date: 2014/01/21 20:42


 山犬の一人との軽い、僕たちは本気だったけど、レクリエーションを終えて、小指のデコピンで何十メートルか吹っ飛んだ僕がメアリーに抱き起こされてサリバンのほうを見ると、サリバンはすこし錯乱したようすで、頭を髪ごと手で押さえていた。
 サリバンが震えたようすで口からもらした。

「まじかよ……」

 事実、このエクソシスト学園でもっとも優秀なダイアスというクラスの主席でも難しいといわれている山犬部隊の所属という話は聞いていたが、あまりに圧倒的な力量差は、もう納得するしかなかった。
 そしてサリバンは山犬部隊を目指しているらしかった、ならその衝撃は誰より大きかったに違いなかった。
 
「なぁサリバン」

 僕はそういったが、しかしそこに続く言葉はどういっていいかわからなかった。
 
「なぁ、さっきの見たかいコヨミ?」

 サリバンに聞かれて、僕はあいまいに同意した。
 震えるサリバンの隣で、レミリアは少しうんざりとした様子で、マットは少しばつが悪そうにしている。
 
「ああ、見た。でも気にすることないんじゃないかサリバン」

「すっげぇよ!! 見たかい!? 僕があの山犬部隊のアルザス・クレイゲンと手合わせをしたんだぜ!?」

「は?」

 僕がすっとんきょうにそういうのにかまわず、サリバンは飛び上がるように右手を振り上げた。
 
「信じられないよ! これで僕の武勇譚にまたひとつ付け加えられたわけだ! 僕は今ものすごく感動してるよ!」

「あ、そう」

 サリバンはどうやら、あまりの力の差に落ち込むなどということは微塵もない様子で、山犬部隊の人間と手合わせをしてもらえたという事実に、単純に喜んでいるようだった。
 前向きというか、まぁこいつがそれでいいなら、いいんだけど。
 
 サリバンは僕の肩に手を置いて、ウィンクしていった。
 
「まぁコヨミは、ちょっと残念だったね。攻撃を受けられることもなくデコピンでノックダウンなんて、まぁ落ち込まないようにね!」 
 
「おいちょっと待て、それはお前だって似たようなもんだっただろうが。何で僕だけ残念だった感じになってるんだよ」 

 しかもなんで慰められる感じになってるんだ。
 余計悲しくなっちゃうじゃないか。
 
「それじゃぁ案内を続けようか! まずは校舎でも見に行くかい? ハーレンホールドの古城を改修して学校にしてるんだよ。観光としてもきっと見る価値があるぜ!」 

「え、そうなの?」 

 それはちょっと興味があった。僕がマットのほうを見ると、少し首をかしげて見せた。まぁ気にするなよという合図なのだろう。

「兄さん。怪我はないの?」 
 
 サリバンにレミリアがそうたずねた。
 レミリアの表情には軽率な行動に対する非難の色と心配そうな色があらわれていた。
 
「ああ、心配してくれるのかいレミリア? 大丈夫だよ。ちゃんと結界術式も使ってたからね!」
 
「別に、兄さんが怪我したら治療代だってバカにならないんだからね!」 
 
「おいおい、このトパンズ最強の男がおいそれとキズを負うなんてことがあるわけがないだろ? まぁ山犬相手の怪我ならむしろ勲章になるだろうけどね!」 
 
「そういうことを言ってるんじゃないわよ! このバカ兄貴!」 
 
 サリバンはそこで肩をすくめて、フフンと笑った。
 
「そりゃぁ事実誤認ってもんだぜレミリア。 僕は学術では学年トップなんだからね!」 
 
「じゃぁ学術バカよ! バカ兄貴!」
 
 この兄妹が言い合っているのをよそに、マットが肩をすくめていった。
 
「なぁコヨミ。明確に問題を述べることが出来れば、すでに半分解決されたようなものである。というのはチャールズ・ケタリングの言葉だ。こいつらの喧嘩はいつものことだから、気にしなくていいぜ。学園の案内を再開しよう」
 
 
 
 #
 
 
 
 僕はその後、サリバンたちと、このエクソシスト学園、レメンタリー・クアッズを見て回ったわけだけど、もともと城だったということもあるのかもしれないけど、街の山のほうに位置するこの学園からは、ハーレンホールドの街を見下ろすことができた。
 校舎は当然のようにレンガ作りである。
 学園のキャンパスを歩いていると、首にダイアやルビーをあしらったそれぞれのチョーカーをつけた学生たちでにぎわっており、またレミリアがちょいちょい声をかけられたりしていた。

 僕は声をかけられて、留学生を案内しているというのを口実に別れを告げるレミリアにいった。

「レミリアお前ほんとにファンクラブとかあるんだな。疑ってたわけじゃないけど、ちょっと意外だよ」

「はぁ? キモ」

「一応僕おまえの宿舎の留学生なんだけど」

「言っとくけど、私はそれについて了承した覚えはないからね。勝手に同居人面しないでよね」

 とりつくしまもない。
 確かにこいつはかわいいけれど、こんなにツンケンしててなんで人気になってしまうのかは謎であった。
 まぁ、さっきから見ていると誰にでもこんなにあけっぴろげな態度をとっているわけではないようだから、おそらくこれはよそ者向けの、余所行きの態度なのだろう。
 
 どんな余所行きだよ。
 ほとんど武者装束である。

「レミリアはきっときれいな花嫁になるよ」

 サリバンがしみじみと、うんうんうなずきながら言った。

「そして僕は山犬部隊としてレミリアの結婚を祝福できれば最高だろうね!」

「ちょっと兄貴、勝手に私の結婚がどうとか言い出すな!」

 その隣のマットがアゴに手をやっていった。
 
「しかしレミリア、お前は学園の二大ファンクラブの一角なんだから、相手に困ることなんてないんじゃないのか? もしかして男の一人でももういるんじゃないのか?」

「そうなの? 一緒に暮らしてる私にも言ってくれないなんて水くさいじゃないレミリア」 

 メアリーがいたずらそうに笑って言った。
 レミリアは言われてあわてて両手を振った。
 
「はぁ? いない、いないわよ! 馬鹿なこといわないで!」
 
「そういえばコヨミにも彼女がいるんだったよね。その人は強いの?」 
 
 メアリーが僕に話を振った。
 
「僕にもって、レミリアに彼氏がいるみたいに言うなよ。あと僕の彼女の第一印象を身体的な強さではかろうとするな」
 
 まぁ、身体的な強さでなければ、かなり強いけど。
 強すぎて僕はよく振り回されちゃってるけど。
 それに、今はどうなのだろうか、阿良々木暦としての存在を奪われ、羽川暦である現在は、戦場ヶ原は僕の彼女だと、はっきり宣言することはできるのだろうか。
 人間としての過去を、他人からの認識を丸々失っている僕は、それらについて言及すると、あとあと困ることになるかもしれない。
   
「まぁ僕のことはおいおいってことでさ。だいたいメアリーお前もあぶねぇよ。普通あそこで山犬に決闘を申し込むか?」  
 
「え? そりゃぁそうでしょう? 普通そうするものでしょ?」 
 
 メアリーは、本当にさも当然というように、夜は寝るのが当たり前でしょというかのように言った。
 こいつが過去に告白してくる男子に全員決闘を申し込んでいたという話はあながち本当であるように思ってきた。
 生き方が刹那的すぎる。
 
「だいたい、勝てるようなもんじゃないだろ。この学園の主席でも、指一本であしらわれるんだし」
 
「それは認識不足というものだよコヨミ。勝てるかどうかじゃない、やるかどうかだよ」

 メアリーは平然としてそういった。
 その口調と表情から、やはり僕は野生的な闘争欲を見て取ってしまう。

 マットが横から言った。

「メアリーはクアッズに来てから水を得た魚のようだな。戦う相手にも困らないし、まぁ今は誰も相手になってくれなくなってるが、両親から離れて住めるしな」

 サリバンも

「ああ、メアリーの母親は、メアリーのことをよくぶってたもんなぁ。その点、僕ら幼馴染同士で同じロッジを宿舎にできたのは行幸だったよね!」

 と笑っていった。
 メアリーはうーんと少しうなって

「まぁ私は彼女のことについてはあまり気にならなかったけどなぁ。殴打も、ぜんぜん腰が入っていなかったしさ。あれじゃ効果的にダメージを蓄積することはできないよ。でもみんなと過ごせるのは私も運がよかったと思うよ」

「そういう問題なのかよ・・・」

 僕は僕で思わずそうつっこんでしまった。
 ていうか体罰でもなんでも腰を入れて殴打する親とかダメだろ。
 であれば体罰ということではなかったのだろうか。
 虐待だったならそれだって問題だ、それは体罰や、戦いとも、分けておかなければならないものだろう。
 いずれにしても、身体的にダメージがなくても子供には精神にダメージがあるんじゃないだろうか。

「どうしたのコヨミ? そんなの昔のことだよ」

 メアリーはキョトンとしてそういい、続けていった。
 
「それより最近ちょっと物騒だからね。私はそっちのほうが気になるよ。レオニード家のアレとか、交霊室のこととかさ」

「なにかあったのかい? メアリー。悪いけどそれだったら僕にもわかるように教えてくれよ」

 メアリーに尋ね返す。
 このハーレンホールドと、学園のことは存在移しを探す上で少しでも知っておきたい。
 メアリーが僕に答えて話し出す。
 
「ああ、交霊室のほうはたいした問題じゃないんだけど、レオニード家のほうはちょっと大変だったらしいよ。っていうのもね。レオニード家の筆頭執事が最近怪死したっていう話なんだよね」 

「怪死?」

「そうなんだよ。干からびて死んでいたっていうのかな、まるで体から血をすべて抜かれていたみたいになって絶命していたらしいよ。それで原因もわからないし、彼が殺された動機もわからないんだよ」

 サリバンが口をはさんでいった。

「あれは学園でもしばらく話題になってたよね。さすがに僕の灰色の脳細胞をもってしても真相を突き止めることはできなかったよ」

 メアリーが続きを話しはじめる。
 
「それで、彼の執事室には、いろいろ消されてるものがあったらしいんだけど、彼の日記の最後のページの『血は時として雄弁である』っていう言葉が残されてて、それがまた話題の的になってたんだよ」

「へぇ」

 血は時として雄弁である、か。
 彼は体の血を抜かれて殺されていたということらしいが、それと関係があるのだろうか。
 吸血鬼である忍になら何かわかるだろうか。後で聞いてみよう。
 
「それで、なんだっけ、交霊室のほうは?」

「そっちのほうはさっきもいったけどちょっとした不手際でさ、交霊室の鍵を間違ってかけたらしくって、中に人が取り残されちゃってたらしいんだよね。その人は自分の不注意だったっていってるけど、丸二日誰も気づかなくて、結構あぶないところだったらしいんだよ。困ったものだね、まったく危ない話だよ」

 メアリはーそういって話を結んだが、若干お前が言うな感があることは口にはださないでおいた。
 
 僕はそのほかに、存在移しが潜伏している可能性がある山犬部隊のことについても聞いておきたかったが、その前に僕たちが話しているキャンパスの芝生に設置されたテーブルに声をかける人間があらわれた。

「やぁトパンズの諸君。ごきげんいかがかな?」

 僕たち5人がその声に気づいてそちらを向くと、僕の目にはやたらと背の小さい、忍くらいの大きさの小男がいることがわかった。
 彼の首にはルビーをあしらわれた赤いチョーカーが巻かれていて、彼がルビウムの生徒だということがわかった。
 サリバンがその小男に返事をした。
 
「やぁティリオン。よかったら座りなよ。僕の隣でいいかい?」

「ああ、そういってもらえるとありがたいよ。俺の背は、見てのとおりだからね、椅子にでも座らなければテーブルに体が隠れてしまいかねない」

 どうやら、友好的な人物らしかった。
 ティリオンと呼ばれた小男は、サリバンの隣のイスに座った。
 そして僕に気づいて
 
「こちらのアジア人はどなたかな? 俺の記憶には、残念ながら残っていないようなんだがね」

 といった。
 サリバンがそれに答えて

「ああ、彼はハネカワ・コヨミだよ。大祭中の短期留学生で、僕たちの宿舎で一緒に過ごす予定になってるんだよ。これでも結構腕があるんだぜ」

「どうも、はじめまして」

 小男はこちらをじっと観察しているようだったが。
 しばらくしてふと口をひらいた。
 
「はじめまして、ハネカワ君。俺はルビウムのティリオン・ラニスターという。ラニスター家の次男だよ。この背を見てもらえれば長男ではないということはわかるかもしれないが、これでもサリバンやメアリーと同級生だ」

 マットがティリオンのことを紹介して言った。
 
「ティリオンは小男だが、思慮深い人は、決して敵を侮らない。というのはゲーテの言葉だ。彼は敵ではないけどね。まぁティリオンはこんな姿だが、恒常術式でえらい怪力の持ち主でもうひとつ軽い発火能力、パイロキネシストだ」

 マットに紹介されて、ティリオンがくっくとかみ殺すように笑った。
 
「どうも、紹介ありがとう。ハネカワ君、せっかくだが握手はやめておこう。君の手を握りつぶしてしまっては申し訳ない」

「よろしくティリオン。僕もそうしてもらえるとありがたいよ」

 僕がそういうと、ティリオンは小気味よく笑ってサリバンやメアリーのほうを見渡した。
 
「ハネカワ君もそう思うかもしれないが、俺は常々、トパンズの不遇を嘆いていてね、トラッシュなどとさげすまれているが、それはわれわれルビウムにもいるんだがね、俺は評価すべきは評価すべきだと思ってるんだ」

 ティリオンは回りに目配せして続けた。
 
「この面々を見てみろよ。サリバンは学園トップの頭脳明晰だし、レミリアはファンクラブまで作られるほどの美貌を備えているし、メアリーは高いフィジカルを持っているし、マットは、まぁいいやつだ」

「そりゃどうも」

 マットは肩をすくめて言った。

 ティリオンは少し同情の色を持ってレミリアに言った。
 
「しかしレミリアは少々気の毒だ、あのダイアスの七光り女、アイリー・レオニードに食ってかかられているそうじゃぁないか?」

「あの、別に私は……」

 レミリアは言葉を濁したが、ティリオンはかまわず続けた。
 
「やつはレミリア、君に嫉妬しているんだよ。自分ではなくなぜレミリアにファンクラブができるのかと悔しくてたまらないんだろうね。そりゃあそうだろう。それはレミリアのせいじゃない、アイリー・レオニードが自分の容姿と相談することというものだ」

 ティリオンはそういってくっくと笑った。
 
 あのダイアスの女王は、そういう事情でレミリアに執心していたのか。
 まぁ確かにアイリー・レオニードの容姿は、悪いけどファンクラブができるようなものではなかったかもしれないけれど、それはそこまで大事なことなのだろうか、ちょっと僕には理解のできないことだ。
 そもそも僕はファンクラブどころか友達も数えるほどしかいないのだし。
 
「レオニード家の威光を傘に着ても、人々の美意識までには訴えることができない。もうそれは仕方のないことだろう? その点俺はラニスター家でありながら、自分のこの姿をとっくに受け入れてしまっているよ」

 ティリオンはそういって、自分の小さな体を自嘲気味にすくめた。
 サリバンは自嘲気味に笑うティリオンを慰めるようにいった。
 
「僕は好きだけどね。それに君のラニスター家の威光だってとんでもないものだよ! なんてったってあの山犬部隊第三席のサー・ジェイム・ラニスターを輩出したんだからね!」

 メアリーもティリオンに言う。

「"天剣"サー・ジェイム・ラニスターだね。ねぇティリオン、君の兄さんと私が決闘できるように取り計らってくれないかな?」

「ちょっとメアリーは空気読んで静かにしててくれよ!」

 サリバンがメアリーに言った。
 しかしティリオンはティリオンでアゴに手をやって。
 
「どうかな。ジェイム兄さんも美人は嫌いじゃないから、メアリーならもしかするかもしれないな。まぁしかし山犬部隊とあってはよほどのことがない限り"豪胆"がそれを許さないだろうよ」

「はぁ、残念だなぁ」

「しかしまぁ、そういう意味でいうならその分野でもレオニード家はやはり抜きん出ているな」

 マットが会話に口をはさんで続けた。
 
「なんといってもあの"レオニードの剣"を輩出したんだ。このハーレンホールドの盟主であり、レオニードの鍵を持ちながらまさにとどまるところを知らない」

 ティリオンがそれを受けて

「まぁそういうことにはなる。だからといってあの女が調子付くのは業腹だがね」

 といって唸った。
 そこでティリオンが思い出したような顔をして

「ああ、そういえば君たちは知っているかな? われわれ三年は今夜の晩餐会の準備で招集がかかっているんだけど。そろそろ向かわなければ」

「あ、そういえばそうだったっけ!」

 サリバンがはっと気がついたように、僕に謝った。
 
「ごめんよコヨミ。ちゃんと案内してあげたいんだけど、僕とマットとメアリーはちょっと用事が入ってるんだ。だからちょっと頼りないかもしれないけど、レミリアに残りは案内してもらってくれよ」

「え、ああ、僕はそれでかまわないけど」

「はぁ!? なんで私がこいつを案内してやらなきゃいけないのよ!」

 予想通りレミリアが抗議していった。
 サリバンはどうもなれた様子で両手を広げてレミリアにいった。

「おいおいレミリア。それはまずいよ。僕たちトパンズの人間が満足に客人の案内もできないなんて表明する気かい? もし僕の手があいていれば僕が案内するけどさ。そうできないなら仕方のないことだろう」

「うっ、それは……」

 レミリアはサリバンに言われて、しぶしぶ了承した様子だった。
 そしてサリバンたちがティリオンと一緒に行ってしまうと、僕と二人取り残されたレミリアは栗色の髪をふり、整った目鼻を僕に向けて、その可憐な唇を小さくひらいてポツリと

「キモ」

 と言った。

「いや僕は慣れてるからいいけどそれだって客人をもてなす態度じゃないからな、いっとくけど」

「うるさい。じゃあさっさと行くわよ」

 そういって席を立つレミリアについて僕は学園の施設の見学を続けた。



[38563] こよみサムライ009
Name: 3×41◆ecb68eaf ID:31c4df78
Date: 2014/01/21 21:56
 僕とレミリアは結局二人でこのオランダの地方都市、ハーレンホールドのエクソシスト学園、レメンタリー・クアッズを見て回っていた。
 しかし、そりゃあヨーロッパの一都市なんだから、それなりの人間模様はあるだろうということはあっても、いろんな人や組織がいるものだと、そう改めて思うのだった。設定はピーキーじゃないほうが大衆性が出るんだぜって誰か言っていたけど。
 まぁそこらへんは、体重のない女の子が出てきたり、猫耳下着姿の女子高生が出てくる時点で、部分的にはそうそうにうっちゃられているという気がしないでもないのだが。

 まぁそういう雑感こそ抱きながら、とりあえずのところ僕といると常に不機嫌そうなこのレミリアと、学園の大体の施設を見て回ってはいたわけである。
 教室はえらく広く、やはり煉瓦作りだった。レミリアによると、この煉瓦はひとつひとつ今の校長が開発した恒常術式、まぁこれは長く発動し続ける術式なんだそうだけど、
 それによって夏は涼しく、冬は暖かくなるらしく、校舎の温度はいつも快適なんだそうだ。

 それはいまどきなかなかエアコンのひとつもつかないうちの高校からすればずいぶんとうらやましいことだったが、逆に少々の嫉妬心も手伝って、そんな温室育ちでいいもんかねと、そう思いもしたがやはり素直にうらやましかった。

 そのほかにもこの学校の地下にはシェルターまであるらしく、有事の際は生徒はそこに避難しているようにもなっているらしい、そのほかにも大食堂やら演説堂やら、なんともまぁいろいろな施設を案内してもらい、そして僕とレミリアはまことに遺憾ながら、今交霊室の一室に閉じ込められてしまっていた。

 そとから差し込む明かりこそあるものの窓は3mほど上部にあるのみで、しかもはめ込みであるようだった、扉は鉄製でビクともせず、どうやら外から鍵までかかっているようである。
 そしてこの交霊室に閉じ込められた僕とレミリアだが、そのレミリアはというと青ざめた様子でこういった。

「どうしよう。前門の監禁に、後門のコヨミなんて……」

「おい待て、なんで僕が監禁と同じレベルの脅威みたいになってるんだよ。違うだろ、この状況に共に立ち向かう共闘者だろ僕たちは」

「私のこと襲ったら、殺すからね。あと私も舌噛み切って死ぬから」

「じゃぁ二人とも死ぬじゃねぇか。大体お前自意識過剰なんじゃねぇの? まぁ確かにお前はかわいいし、僕だって異性としての魅力はあると思うよ? それにこの状況、どうせ餓死するならその前にという気持ちにもならないでもないかもしれない」

 あれ、考えてみると意外にこいつの認識は正しかった。

「ほら見ろ! やっぱりキモい!」

 しまった、共闘者であるはずのレミリアに余計な警戒心を抱かせてしまった。
 レミリアは、今や両手で自分の体を抱きしめて、監禁されているという事実よりも、むしろ僕に襲われる可能性のほうを心配しているようだった。

「ほら、あれだよレミリア、僕には彼女がいるし、お前にも手は出さない。約束するよ」

 僕が穏やかな声でそういうと、レミリアは涙目で、小動物のような感で僕を見ていった。

「じゃぁ私に手を出したら切腹する?」

「なんで微妙に日本文化のことに詳しいんだよ。誰がするか。そんなほいほい腹切ってたら日本人男性の平均寿命が半減するわ」

「やっぱりダメだこいつ! 今すぐ切腹しろ!」

「切腹させたいだけになってるよ!」

 その後なんとかレミリアをなだめて、少し落ち着きを取り戻したレミリアと、ていうか少ししか落ち着かなかったのだが、とりあえず二人で部屋を見回した。

「とりあえず、ここから出ることを考えなきゃな」

 そもそも、なぜ交霊室に二人で監禁される事態になってしまったのかというと、それは少し話がさかのぼることになる。



 #




「あんまり近づいて歩かないでよね」

「お前ほんとに案内する気あるのか?」

「ちょっと離れすぎないで! はぐれるでしょ!」

 サリバンたちと別れたあと、僕とレミリアは二人で学園内を案内という形で散策していた。
 レミリアは相も変わらずつんけんした様子で、僕を突き放しつつつなぎとめつつと、変な距離感で案内を続けている。
 学園のキャンパスは人がかなり多く、ところどころレミリアと一緒に歩いている僕を学園の男子生徒たちの殺気が混じった目線が突き刺した。
 
 ふつーにこえーよ。エクソシストの学生の殺気とか。

「そうだ、レミリア。ちょっと山犬部隊のことで気になることがあるんだけどさ」

「しゃべりかけないで、もう声がきもい」

「ああそうかよ。逆にレミリアの声はそれだけで僕のリビドーをかきたてるぜ」

「うわぁぁ! ほんとに気持ち悪い!」

「ほんとに気持ち悪いって、ほんとじゃない気持ち悪いとか素で言ってるんじゃねぇよ」

 しかし彼女は彼女で一応客人を案内しているという自覚はあるらしく、ぞぞぞっとした様子から立ち直ると、小さい声で何と質問を促した。

「あの山犬部隊ってさ、この学園の一番優秀な、ダイアスだっけ? ってクラスの首席でも難しいって言われてるんだろ?」

「そうよ。山犬部隊っていうのは、えりすぐりの中のえりすぐりじゃないとなれない、英雄の集団みたいなもんだって兄さんは言ってたけど」

「え、兄さん?」

 こいつサリバンのこと兄貴って言ってなかったっけ。

「うっさい!」

 歩きながら、レミリアは短く言い捨てて顔をそむけた。
 
「読めたぜレミリア、お前普段はサリバンのことを兄さんって呼んでるけど、周りには恥ずかしいから兄貴って言ってるんだろ?」

「うっ……」

 どうやら図星のようだった。
 それくらい僕にもわかることだ、なぜなら僕だって僕の妹たちにそうしているからだ。
 レミリアはつまった言葉を唇をとんがらせて

「うるさいわね! さっさと続けなさいよ! 答えないわよ!」

 と言った。
 答えてもらえないのは僕としても困る。

「ああ、ごめんごめん。それで、この学園のトップの成績でも入れないって、おかしくないか? そりゃもう、だってそうだろ? ここはエクソシストの学園だってことは知ってるけど、そのトップでもなれないなら、いったい誰が山犬部隊に入れるっていうんだよ。それじゃぁそもそも、部隊の維持ができないだろ」

「ああ、そのこと」

 レミリアは僕の質問を理解して答えて言った。

「エクソシストの育成っていうのは、そもそもこういう学園だけの形式じゃないのよ。エクソシストの上位層は、だいたい上位のエクソシストが、自分で素質のある人間を見つけて、その人間をスカウトして独自に鍛えて作り上げるの」

「へー、それでか、じゃぁあの”山犬”のアルザス・クレイゲンも?」

「そういうこと」

 なるほど、それなら納得もいくというものだ。
 つまり上位のエクソシストが、自分で才能のあるものを探し出してスカウトするということは、普通の生活をしている人間が、あるときそのエクソシストに突然来訪され、
 交渉を持ちかけられ、その人の弟子になり、鍛え上げられるわけだ。

「ちなみに、唯一の例外は山犬部隊の第三席。サー・ジェイム・ラニスターだけはこの学園の卒業者らしいわよ。なんでも、この学園の試験をすべてパーフェクト、ほかの生徒にトリプルスコア以上離してダントツで卒業したって話よ。特に剣術では、入学当初から教師でさえかなわなかったらしいわ」

 レミリアが補足していった。

「なるほど、それで”天剣”なのか」

「そ、まぁあとは山犬部隊がハーレンホールドの自警団からそれぞれ自分の小隊メンバーを選んで、それぞれ山犬小隊を作って動いてるってくらいかな。山犬部隊の首席と、第七席だけは単独で動くって聞いたけど」

「ふーん、レミリア。お前けっこう詳しいんだな」

 僕が何気なくそういうと、レミリアは、はっとした様子になって。

「ち、違うわよ! にいさ、兄貴がいちいち私に何度も聞かせるから覚えちゃっただけよ! 変な勘違いしないで!」

「いやもう兄貴とか言いなおさなくても、兄さんでいいだろ」

「うっさい!」

「いってぇ!」

 蹴られた。しかもレミリアの靴のヒールが太ももにクリティカルヒットして筋肉が軽く悲鳴を上げるレベルだった。
 僕はその傷害度合を伝えようとしたが、レミリアはぷりぷりした様子でさきさき歩いていってしまったので、僕もしぶしぶそれについていった。 

「でもさ、シェルターとか大げさなんじゃないか? 日本ならとても考えられないけどな」

 レミリアが学園の地下にあるシェルターを案内しているときに、僕がそういうと

「まぁそう思うのは当然かもしれないけど、校長の提案でね、っていうのも、70年前くらいにハーレンホールドをものすごい怪異が襲ったらしくって、そのときかなりの被害がでたらしいのよね。なんか、蛇の怪異だったって話だけど」 

「シェルターが必要になるくらいのか?」

「うちのおじいちゃんも、ハーレンホールドの自警団にいたんだけど、その時に戦死したらしいわ。それで兄貴は兄貴で自分も自警団に入るって決めちゃってるらしくって」

「そりゃ、それで立派なことだと思うけどな」

「兄貴は頭はいいんだから、医者か何かになるべきだわ。まぁハーレンホールドはもともと世界有数の霊脈の集合地だから、そういうレベルで怪異を呼び寄せることはあるから、それなりにこういう設備も必要になってくるのよね」

「ふーん」

 怪異側の世界にも、いろいろと事情があるようだ。
 僕の町は僕の町で、結構な霊脈が貫いていると忍野がいっていたが、しかしそれはどうなのだろう。
 特に設備とかないような気がする。それでいいんだろうか。もうちょっとなんかこうあったほうがいいのではないだろうか?
 いやまぁそこはそこで、それこそが忍野があの町を訪れ、その他もろもろの怪異側の人間が目を光らせているということなのかもしれないけれど。

 そのときである、シェルターの分厚い扉の前で僕とレミリアが二人で話していると、後ろのほうから僕たち二人を、いや僕ではなく、レミリアを呼ぶ声と、あわただしくこちらに走ってくる音が聞こえてきた。

「ワゾウスキさぁん。大変ですわよ!」

 妙にゆったりとした、しかし急いだ風なその声は、あのダイアスの女王、アイリー・レオニードのものだった。
 先ほど周りにはべらせていた大勢の学生や、護衛の”山犬”の姿もなく、今はただ一人でこちらにかけてきたのだった。

「レオニードさん。いったいどうしたんですか?」

 レミリアが、僕には決して見せない丁寧な口調で尋ねると、アイリー・レオニードは息を整えて口早に言った。

「大変ですわよ。あなたのお兄様が、事故で、大変なことに。交霊室にいますわ!」

「兄さんが!?」

 彼女の話を聞いて、レミリアは顔色を変え、レミリアと僕はアイリー・レオニードについて交霊室へと走った。

「兄さんはどこなんですか!?」 
 
 学園の交霊室の一棟に入ったレミリアは、広い交霊室を見回してアイリー・レオニードに聞いた。
 僕も交霊室に入って見回してみたが、おかしかった。
 
 どうみても、そこは無人だったからだ。
 サリバンの姿どころか、僕とレミリア以外誰もいない。

 困惑気味に僕が振り返ると、そこにはすでに閉じられた分厚い鉄扉があるばかりだった。

「兄さん!? サリバン兄さんは……」

 レミリアもまた、違和感に気付いたようだった。

「レミリア、ここにサリバンはいないみたいだぜ。それにたぶん、サリバンは怪我もしてないと思う」

 僕の言葉に、レミリアがおそるおそるといった様子で僕の顔を見返した。

「どうも僕たち、釣られちゃったかな」



 #



「どうやってここから出よう」

 僕は改めて広い交霊室を見回した。

「どうやって出るって、出れないわよ。出口のカギが閉まってるんだから」

 レミリアが横から言ってくる。

「いやでもさ、だからってずっとここにいるってわけにもいかないだろ。お前の念動力でなんとかならないのか?」

「ちょっと無理、念動力っていっても、私のはスプーンを浮かせるくらいだし、鉄の鍵なんてビクともしない」

 メアリーの話では、以前に交霊室に閉じ込められた人がいたって言ってたけど、その時は丸二日、誰も気づかなかったということらしい。
 おそらく、閉じ込められたその人間は脱出方法をさまざまに試みたには違いない。
 そして一方で、その人は交霊室に閉じ込められたのは自分の責任だといっていた、メアリーはそう言っていたが、それは本当なのだろうかと頭の片隅で疑問がよぎってもいた。
 もしかして、こんな風に……

「まぁ、でも何か方法があるかもしれない。僕だって丸二日とかここに閉じ込められるのはごめんだ」

「私だってそうよ! しかもあんたとなんて!」

 レミリアはいやそうな感じで、にくにくしげにそういった。

「あのさぁレミリア、ここは二人で協力しなきゃいけないんじゃないのか? もうそういうつんけんした態度はやめようぜ。丸二日だぞ? 考えてもみろよ。お前二日もトイレとか我慢できんの? 俺たちそういう仲になるかもしれないんだぜ?」

「言う!? 気になっててもそれ言うの!?」

 どうやらそっちのことはレミリアも気づいていたが、口には出さなかったらしい。
 しかし、トイレがどうとかいう問題だけじゃない。いやそれだって大問題なんだけど。
 僕はこの街で僕の存在を奪った存在移しを見つけなければ、どうしても見つけなければならないのだ。
 なら丸二日もこんなところに美少女と一緒に閉じ込められているわけにはいかないのである。
 もしかしたら、その間に存在移しはその目的を果たし、この街から離れるかもしれないのだ。
 そうなったら、おそらく僕の存在は永遠に失われるだろう。
 羽川暦として生きるしかなくなってしまうだろう。

「とりあえずここから出ないと」

「ただでさえ今は霊脈が励起してるから交霊室は立ち入り禁止なのよ。マットが、ダウジング能力があるから、それで見つけてくれるかもしれないけど、でもマットの能力はトパンズだし、そこまで強くないし」

「それは因果関係が逆なんじゃないか? トパンズだから異能が弱いんじゃなくて、異能が弱いからトパンズなんだろ」

「同じことよ」

 僕とレミリアは改めて部屋を見回した。
 暗い部屋は、しかし薄明りがさしている、それは交霊室の3mほど上の小さな窓から差し込むものだった。

「あの窓から外に合図を送れないかな」

「あの窓って、3mあるけど」

 確かに、僕の身長も、またレミリアの身長も、当然のことながら2mもない。
 以前交霊室に閉じ込められた生徒もあの窓ではどうしようもなかったに違いない。
 しかしその生徒と僕たちの大きな違いは、その生徒は一人で閉じ込められ、僕とレミリアは二人で閉じ込められているということだ。

「コヨミ、あんたひざまづきなさいよ」

 レミリアが冷静に、冷酷にそう言い放った。

「なんでもう決まっちゃってるんだよ」

「だって私あんたに乗られたくないもん。ぜったいにいや」

「それを言ったら僕だってそうだろ。いや僕はやぶさかでもないけど」

「やっぱりキモい! 乗るだけでもキモい!」

 心外である。
 なぜひざまづいて、上にのられるというのに、そのうえ罵倒までされなければならないのだろうか。

「わかったから、さっさと僕に乗れよレミリア。僕の背中を強く踏みつけろよ、それで外に助けを呼んでくれ」

「踏みつけ方とかいちいち注文つけるな!」

 いいながら、すでに僕は四つん這いになって窓のあるところの床にひざまづき、レミリアがおどおどと僕の背中に足を乗せた。
 
 靴を履いたままで。
 ヒールのある靴のままでである。

「イタイイタイイタイイタイ!!」

「えっ、なに!?」

 レミリアが驚いて僕の背中から降りた。

「いってぇよ! その靴を脱げよ! ていうかなんでヒールなんだよ! ヒールが骨にうまっちゃうだろ!」 

「仕方ないでしょ! モデルの仕事でもらったんだから!」

「いいから靴を脱げ! 僕が病院送りになるわ!」

 実際はたぶんすぐに治るとは思うけど。
 レミリアは靴を脱ぐと少し高さが減ると、こぼしていたが、しかし僕の必死の抗議でしぶしぶ靴を脱いで、四つん這いになった僕の背中に足を乗せた。

「どう?」

 僕が床を見つめてレミリアの体重を支えながら尋ねると、少ししてレミリアが答えた。

「うーん、ちょっとダメね、高さが足りない」

「よしわかった。じゃぁいったん降りてくれ」

 レミリアが僕の背中から降りて、僕も立ち上がって改めて考えた。

「よし、四つん這いでダメなら肩車にしよう。レミリアお前、僕の頭にまたがれよ」

「はぁ!? やだ!! ぜったいいや!!」

 レミリアは両手で自分の体を抱きしめてサササっと三歩後退した。

「いや、なんか僕が下心があるみたいなジェスチャーしてるけどさ、僕も仕方なしだからな、ここから出るためなんだから仕方ないと思っていってるんだぜ?」

「いや! 無理! キモい!!」

 レミリアは頑なに肩車を拒むつもりらしかった。
 だからといってこのままここにいるのも正直厳しい、僕の尿意だってすでに6合目くらいにきているのだ。

「もう仕方ねぇな。じゃぁ僕が頭入れるからそのまま足ひらけてろよ」

「いやだ! ちょっと来るな! いや! レイパー!!」

「誰がレイパーだよ。ちょっと後ろから入れるだけだろ。すぐすむから入れさせろよ」

「来るなー!」

 いや、僕は肩車をしようとしているだけなのだが、どうしてここまで嫌がられるのかはなはだ心外である。
 レミリアはしばらく逃げ回ったあと、荒れた息で僕に提案した。

「わかった! わかったから! じゃぁ私があんたを持ち上げるから!」

「お前が?」

 というか、どう見てもレミリアの体はかなり華奢なんだけど、こいつ意外と力があるように、も見えない。

「まぁそれで窓までいけるならそれでいいぜ」

「はぁ、はぁ。もう、じゃぁそこに立って」

 レミリアに言われるままに、窓のあるほうを向いて立っていると、後ろからレミリアが僕の足の太ももあたりを両手でつかんで、そのまま上の方向に力を入れ始めた。
 僕の足が少し浮き、そのまま前方に僕の体が倒れ始める。

「あぶないあぶないあぶない!」

 僕は全力で暴れてレミリアの腕を逃れて振り返っていった。

「なにようまくいきそうだったじゃない」

「どこがだよ! 今の諸手刈りだろ! 脳震盪おこすわ!」

「ならいいじゃない。気絶すればいいのに」

「よくねぇよ! 目的がすりかわってんだよ。僕をノックダウンしようとしてんじゃねぇよ」

 その後二人して考えたが、結局

「レミリア、ここはやっぱり肩車しかない。命には代えられないよ」

「んー……」

 レミリアはなおもしぶっていたが、観念した様子で、

「じゃぁ、しゃがみなさいよ。あと揺さぶったりしないでよ」

「ああ、もちろんだよ。僕はそういうことは幼女にしかしないからな」

「そこのきもい話も気になるけど、今はいいわ」

 僕が3m上の窓の前でしゃがんでいると、レミリアがおずおずと、ふとももの下の部分を僕の肩に乗せて、両手で僕の髪をがっしりわしづかみにした。
 思わず言葉がもれてしまう。

「おも……」

「重いっていうな!」

 レミリアに髪を引っ張られた。
 しかたないだろ。たとえ20キロとかでも普通に重いんだから。

「いやわるかった。ていうか人間の標準からいえば軽いほうだと思うぜ」

「いいから早く立ち上がって!」

「いやもうちょっとふとももの感触とか口述しといたほうが……」

「立てって言ってるでしょ!」

 レミリアが言いながら頭をばしばしやってくるので、僕もおとなしく、ふらつきながら立ち上がった。

「どうだ?」

 これならば、窓に届くはずである。
 しばらくして、レミリアから返事が返ってきた。

「届いたけど、でもここらは人通りがないみたい。誰もいない……」



 #



 まずい事態である。人通りの少ない交霊室に、男女が二人、しかも少なくとも男のほうは尿意が7合目くらいときた。
 絶対絶命、いや、絶対失禁である。
 なんだか急に緊張感が薄れた感もあるけど、もろもろよくないわけだ。

「ちょっとこれは気が進まないけど……」

 僕が黙って考え込んでいると、レミリアがそう切り出した。

「交霊術を試してみたほうがいいかも……」

「交霊術ってなんだい?」

 おうむ返しである。
 そういえば、そもそもここは交霊室という名前がついている。交霊室ということは、交霊を行うことができるということなのか。

「大体そんな感じ」

 とレミリアは肯定した。

「今はハーレンホールドの大霊脈が励起してるから、ほんとは禁止されてるんだけど、それしかないかも」

「それで誰かに僕たちがここにいることを伝えられるってわけかい?」

「うん、霊脈を媒介して意思疎通を行うこともできるから、成功すればたぶん……」

「でも大丈夫なのか?」

「一応禁止にされてるけど、それで事故が起きたって記録もないし、たぶん大丈夫」

 ちょっと離れてて、そういって、レミリアは広い交霊室の中央に行き、膝立ちになって床に手をつき、目を閉じた。

「……」

 レミリアがしばらくそのままでいると、しだいに部屋に変化があらわれはじめた。

「大丈夫かこれ?」

 広い交霊室に、床から青い燐光が発生し、大小の光球が浮かび上がりはじめた。
 
 それだけではなく、レミリアを中心として青い光が集中し始め……

 突然、部屋が青い光で満たされ、僕の意識はそこで途絶えた。
 僕の意識が途絶える瞬間、レミリアが気を失ったように崩れ落ちるのが見え、そのまま僕の視界は暗転したのだった。



 #



「大丈夫かレミリア?」

 僕が気を失っていたのは一瞬のことだったようで、すぐに目を覚ました。
 
 起き上がって部屋を見回すと、部屋の中心でレミリアが気を失ったまま横に倒れていた。

 僕は急いでレミリアのそばにかけよって、レミリアを抱きかかえて呼びかけた。

「レミリア? 大丈夫かレミリア?」

 レミリアは、しかし何も言わずぐったりとしていたが、しばらく呼びかけていると、うっすらと目を開いた。
 彼女の泳ぐ目が僕に焦点を合わせ、ゆっくりと口を開いた。

「なによ、コヨミ。気持ち悪い……」

「はぁ、大事なさそうでよかったよ……」

 結局、交霊術も失敗したようだった。

「ていうか、さっきのなんだったんだ?」

 僕がレミリアに尋ねても、レミリアも困惑顔で

「わかんない。私は目を閉じてたからわかんないけど、普通は交霊術で青い光が出るなんてことないし……」

 先ほどレミリアが目を閉じてしばらくすると、確かに部屋に青い燐光が満たされ始めて、それで僕とレミリアは気を失ったのだった。

「一応体の異常とか、あとで調べてもらったほうがいいだろうな」

「なんだろう。やっぱり霊脈が励起してるときにやったのがまずかったのかな」

「そこらへんは僕にはなんともいえないところだけどさ。でもまずはここから出ないと」

 依然として、僕たちはこの交霊室に閉じ込められたままなのである。
 そろそろ晩餐会も始まる時間なのではないだろうか、そもそも、夜まで、もしかしたら明日の朝までこのままかもしれない。

「どうしようコヨミ?」

 レミリアが思案気に僕に聞いてくる。
 しかし僕とて、妙案があるわけではなかった。

「そうだレミリア、お前のサイコキネシス、サイコレズにお似合いのサイコキネシス、それで鉄扉はどうにかできないにしても、鍵の内部を回転させることはできないか?」

「変な語呂合わせするな。私はレズじゃない」

 きっちりと否定したあとで、レミリアは首を振った。

「それも無理、鍵には簡単なサイコキネシスでどうにかできないように防壁術式が組んであるから……」

 レミリアはそういいながら、交霊室の鉄扉のところまでいって、一応手をかざして見せた。
 鉄扉は、しかし音ひとつしない。

「ほらね?」

 バァン!!

 轟音だった。レミリアが手をかざした鉄扉がひしゃげて、まるで大型トラックにでも突っ込まれたように形を無残に変えてチョウツガイから根こそぎ吹っ飛んだ。

「きゃぁっ!?」

 レミリアが驚いてビクっと体を震わせた。

「あ、あれ?」 

 僕とレミリアが見ると、
 交霊室の鉄扉は、今やくしゃくしゃにされた紙のように出口から吹き飛んで外に転がっていた。
 外の空気が交霊室に入り込んできて、新鮮な空気が鼻腔をみたした。

「なんか、開いたな、扉」

「う、うん。チョウツガイが壊れてたのかな。あはは」

 レミリアも、僕もいったい何事か見当もつかなかったが、
 しかし、とりあえず交霊室から脱出することができて、半ばそうせざるをえないといったこともあり、ひとまずはよしとしたのだった。
 



[38563] こよみサムライ010
Name: 3×41◆ecb68eaf ID:31c4df78
Date: 2014/02/03 18:32
「アイリー・レオニードのことを言うな?」

 僕とレミリアが交霊室からやっとのことで出て行くと、外はほとんど暗くなっており、
 大祭中だからだろう、遠くから、そこかしこで学園の生徒たちの歓声が聞こえてくる。
 
「あんたの言いたいことは大体わかるけど、あんたはこの学園のことを知らない。これは私の言うことにしたがって」

 レミリアは交霊室から出れたことで、少しほっとした様子で、しかし厳しい口調で僕に戒厳令を強いてきた。
 いわく、あのダイアスの女王、アイリー・レオニードが僕とレミリアを交霊室に閉じ込めたことについて、他言をするなということである。
 僕が懐疑的な様子でレミリアに聞き返すと、レミリアは小動物的な大きい目で、しかし強い意志をもって僕を見上げた。
 
「いいから! ここで騒いでも余計こじれるだけなの!」

「いや、そうはいうけどさ、これって結構、一大事だろ? もしかしたら僕たち命すら危なかったのかもしれないんだぜ?」

 僕はそこまで言ってから、頭によぎった疑問をレミリアにたずねた。

「なぁレミリア、お前もしかしてこういうことされたの、これがはじめてじゃないのか?」

「いや、ここまでのことは初めてだったけど……」

「はぁ。ならいいんだけどさ、いやよくないんだけどさ。これは場合によったら警察まで出てくるべき問題だと思うぜ?」

「じゃぁ何か証拠があるの?」

「は、証拠?」

「そう、あの人が、あんたと私を交霊室に閉じ込めたって、誰もが納得するような証拠」

 レミリアにそうたずねられて、僕はしばらく考え、首を振った。

「いや、ないけどさ。でもそれは明らかなことだろ? 僕とレミリアを交霊室につれてきたのはあいつなんだから。証拠なんてそれだけで十分なんじゃないのか?」

「そんなのただの言いがかりってことにしかならないわよ」

 レミリアは両手を振って、ためいきをついてから、その事情について僕に説明した。
 
「いい、彼女はアイリー・レオニード。レオニード家の令嬢なの。ハーレンホールドと、この学園では彼女の名前は絶対なのよ。その彼女に、なんの証拠もなしに交霊室に監禁されたなんて主張しても、誰も相手にしない。それどころか、逆に私たちが攻撃対象にされるのが落ちよ。いと高きレオニードの名にキズをつけようとする不敬者だってね」

「うーん。そういうもんなのか。僕にはそういうのよくわかんないけどな」

 何をやってもお咎めなしなんて、まるで王族だな。しかも暴君だ。

「あんたがわかろうがわかるまいがどっちでもいいわよ。とにかく、このことは他言しないで! 命令よ!」

「命令って、僕別にお前の臣下じゃないんだけど。何回も言うけど僕は一応短期留学生だからな」

「どっちでもいいから! 他言無用!」

 レミリアのあまりの剣幕に、僕としてもしぶしぶ了承せざるをえないところだった。
 なにせ僕もここにきて、まだ1日とたっていないのだ、郷に入りては郷に従えという言葉があるが、少なくとも郷に入って数日の間はそうしておいたほうが無難であるに違いなかった。そしてその相手が下宿先の同居人とあっては、信頼のしるしとしても、やはりそうすべきであるように思われる。

「ああ、わかったよレミリア。この件について学園側や警察に届け出るのはやめておくよ。でも一応、サリバンやメアリーには言っておいてもいいだろ? セキュリティ上の意味合いでもさ」

「絶対ダメ!」

 僕がそういった瞬間、レミリアは飛び上がるように、食ってかかるように語気を強めてそういった。
 
「兄さんやメアリーに言ったら、後先考えずにレオニードに食ってかかっちゃうかもしれないもの! みんなには絶対に言わないで!」

「いや、でもなぁ……」

 これはちょっと困った問題である。レミリアへの信頼のしるしに、他言無用を約束しようというものの、同じ同居人であるサリバンたちにこのことを言わずにすませるというのも、これはこれで信頼にもとるというものだ。
 どちらかを立てれば、どちらかに不敬というものである。どうしたものか、ちょっとしたジレンマである。
 
「お願いだから兄さんには言わないで! あんたそれで兄さんがレオニードに食ってかかって退学にでもなったらどうするつもりなのよ! なんでもするから絶対言わないで!」

「え、そこまでのことになんの? まぁ、そういうことなら…… ん?」

 そこで僕はレミリアの口から発せられた気になる言葉に気づいて聞き返した。
 
「レミリアお前、今なんでもするって言ったよな?」

「は、はぁ!?」

 それは僕としてはちょっと気にかかったので聞いてみただけだったのだが、レミリアは僕がそう聞くと、顔を赤らめて両手で自分の体を抱きしめて2,3歩僕から後ずさった。
 僕としては重ね重ね心外だった。
 
「そ、そんなの言葉のあやよ! なんでもはしないわよ! この変態!」

「いや、別に他意があって聞いたわけじゃないんだけどさ」

「くたばれ! 切腹しろ!」

「あーもうわかったよ。警察にも学園にも、サリバンたちにもいわねーよ」

「しんじゃえ!」

「目的が変わってるよ!」 

 テンションがおかしなことになって、具体的に行動にうつりそうだったレミリアをなんとかなだめた後、もうひとつのことについて話を切り出した。
 
 つまり、先ほどの現象である。
 僕が目の前の交霊室を見ると、その扉はなくなっており、外庭の遠くのほうにひしゃげたおした鉄の扉が、くしゃっとして転がっていた。

「何って、わかんないわよ。私にわかるわけないでしょ?」

「僕が見た感じ、あれってレミリアがやったように見えたんだけど」

 少々のタイムラグはあったように見えたが、あのとき、つまり交霊室の扉が外れたとき、レミリアが手をかざし、それからしばらくして交霊室の扉が吹き飛ばされたように、僕の目には見えた。

「はぁ? 違うわよ。私のサイコキネシスは、あんなに強くないわよ。スプーンを持ち上げるのがせいぜいだって、昼に見たでしょ?」

「うーん、まぁそうなんだけどさ」

 たしかに、スプーンを持ち上げる力というのは、100gを持ち上げる力にも満たない。そういう力では、あの分厚い鉄扉を紙を丸めるようにくしゃくしゃにしてちょうつがいから吹き飛ばしてしまうなどということは到底不可能である。
 しかし、現実に交霊室の鉄扉は吹き飛ばされ、僕たちは交霊室から外に出ることができたわけである。

「じゃぁ、あの扉を吹き飛ばした、あれはなんだったんだ?」



   #



 とりあえず、黒い帳の下りた学園のキャンパスを、まわりに学生たちの歓声を聞きながら、僕とレミリアは大講堂を目指していた。
 レミリアいわく、今夜は大講堂でこの学園の生徒たちが会して晩餐会が開かれるということである。日本ではちょっと見たことがないようなことだった。そういうパーティってあんまりしないもんな。仮にそういうパーティがあっても、たぶん僕は参加しないだろうし。

「それにしてもコヨミ。あんたは何か力があるの?」

 歩きながら、レミリアが聞いてきた。
 僕は周りの男子生徒の殺気のこめられた目線を見てみぬふりしながら答えた。
 
「力って、なんの力だよ」

「だってクアッズにこれるってことは、何らかの異能か、それに携わる勢力にいないと、できないことでしょ? でもあんたが何かの集団に属してるようには思えないし」

「うるせーよ。あえて所属してないだけなんだよ」

「じゃぁ何かの異能があるってことになるじゃない」

「んん……」

 ちょっと痛いところをつかれて、少し狼狽することになってしまった。
 どう答えればいいだろうか。素直に僕が半端な吸血鬼であることを言うか、それとも黙っておくのがいいだろうか。
 というか吸血鬼って言っても大丈夫なのか? 除霊とかされないだろうな……
 
「そこはアレだよ。この街に来てる連れがいてさ、その子が取り計らってくれたんだよ。僕自身は、そんなたいしたものじゃない」

「ふーん。まぁ短期留学のくせにトパンズにまわされるくらいだもんね。そりゃそうか」

 レミリアは僕の隣で勝手にうんうんうなずいて、再び口を開いた。
 
「で、その連れって誰? その子ってことはもしかして幼女?」

「なんだその質問は。別に僕の連れが誰だっていいだろ。ていうか変なところにアンテナが鋭いな、レミリアお前、やっぱりサイコレズじゃないか」 

「うっさい! 私はレズじゃないって言ってるでしょ!」

「いってぇ! また蹴りやがった!」

 バシッ、と僕の太ももにローキックが突き刺さった。なんでこいつはこんなに手が出るのが早いんだろう。
 絶対に客人に対する態度じゃないだろこれ……

「で、その子って誰? もし忍ちゃんみたいにかわいい子なら私にも会わせてよ。ていうか忍ちゃんをちょうだいよ」

 やはり、というかだいたいわかってはいたけど、誤魔化せなかったようである。
 あと忍はやらねぇよ。あいつは僕の金髪幼女だ。

「いや、えーっとだな……」

「それは僕だよ。栗毛のお姉ちゃん」

 それは、僕でも、そしてレミリアでもない声だった。
 僕とレミリアが声のするほうを振り返ると、そこにはずっと小さい、年齢にして8歳くらいの幼女、斧乃木余接が、右目に横ピース姿で僕を見上げているのだった。

「いぇーい。ピースピース」

 僕を見上げて、うざい横ピースをするおののきちゃんだった。
 彼女はこのハーレンホールドの自警団に入るために、学園の僕とは別行動をしていたのである。
 その横ピースをするおののきちゃんを、さっと黒い影が覆った。
 
「か、かわいいぃぃぃぃ! 誰? 誰この子!?」

 おののきちゃんを覆った影は、やはりレミリアだった。
 おののきちゃんが目に映るやいなや反射的に飛び掛りおののきちゃんを抱き上げたのである。
 
「……」

 おののきちゃんは、レミリアに抱き上げられ、頬ずりされ倒されながら、僕のほうを見た。
 
「あ、そいつはレミリアで、この学園の僕の同居人だよ」

「かわいいいぃぃ! かわいすぎるうぅぅぅ!」

 おののきちゃんは僕がそういうと、再びおののきちゃん自身の体に顔をうずめるレミリアのほうを見て、そして右手を掲げひとさし指をピンと立てた。

「おいちょっとまて、お前なにしようとしてるんだよ」

 僕が言うと、おののきちゃんは人差し指を立てたままピタっと体の動きをとめ、再び僕のほうを見て口を開いた。
 
「やだなぁ。鬼いちゃん。ジョークだよ。式神人形ジョークだよ。僕が僕の必殺技、このたったひとつのさえたやり方、"アンリミテッド・ルールブック"でこの美人のお姉ちゃんをどうにかしようなんて、そんなこと、この僕がするわけないだろう。やだなぁ鬼いちゃんは、発想が鬼すぎるよ」

「だいたい自白してるじゃねぇか。いいからその指を下ろせよ」

「いぇーい。ピース」

 おののきちゃんは、その右手の人差し指をおろすかわりに、横ピースした。

「かわいすぎるうぅぅぅぅ!!」

「おいサイコレズ。いい加減にその手を離せよ」

 僕がレミリアに言うと、レミリアはきっとした表情で、それでもかわいかったが、僕のほうを向いて、しかし我に返ったようで、口惜しそうにおののきちゃんを地面におろした。

「私はレズじゃない。それで? この子があんたの連れ? この子の名前はなんていうの? 忍ちゃんとこの子のどっちを私にくれるの?」

「どっちもやらんわ。えーと、この子は……」

 そこでちょっと言葉につまってしまう。
 この子は、僕とレミリアの目の前でうざい横ピースを飛ばすこの幼女は、影縫余弦の使役する、斧乃木余接。式神でつくもがみ人形である。
 しかし、僕と同様に、その"存在"を奪われた状態のおののきちゃんを、おののきちゃんとしてレミリアに紹介するというのは、あとあと禍根を招きそうではあった。
 なぜなら、おののきちゃんの存在を奪った"存在移し"が、その存在を使ってハーレンホールドの自警団に潜入している可能性が高いからである。

「僕の名前は影縫余接。プリティーかげぬいちゃんと呼んでくれてかまわないよ」

「影縫ちゃん? じゃ、ヨツギちゃんでいいかな? あーかわいい~」

 こいつ、さらっと自分の使役主の名前を騙りやがった。
 
「僕はかわいいから、プリティーかげぬいちゃんって呼ばれたほうがいいんだけどなぁ」

「ぜんぜんよくねぇだろ。で、おのの、いやヨツギちゃん。学園に来たってことは、そっちはそっちで何か進展があったのかい?」

 僕がそう尋ねると、おののきちゃんは気がついたように横ピースを下ろして話を続けた。

「あ、そうそう。かわいい僕が、このかわいさで自警団にはたらきかけたんだけどね。なかなかガードが固い。でもやっとこさなんとか取り付けたよ。今夜、自警団で、僕が自警団に入ってもいいか審議する"評議会"が開かれるらしいんだけど、僕一人でいくのもなんだか心ぼそいから鬼いちゃんにも一緒に来てもらおうと思って遠路はるばるここまでやってきたというわけさ」

「かわいい~、かわいすぎる~。ねぇヨツギちゃん、今から晩餐会があるんだけど、私と一緒にこない? ヨツギちゃんの食事も用意するから、一緒に食べようよ」

「レミリア、お前ちょっと静かにしててくれよ。あとで忍を好きなだけモフらせてやるから」

「えっ!? いいの!? う~ん、忍ちゃん、ヨツギちゃん、う~ん……」

 僕とおののきちゃんの横で忍をとるかおののきちゃんを取るか、究極の二択を悩み始めたレミリアをよそに、おののきちゃんと話を進める。
 
「"評議会"か。僕もいっていいのなら。もちろんかまわないぜ」

「即答だね。いくら僕がかわいいとは言え、命の危険もかえりみず即答しちゃうなんて、かっこいいんだから鬼のお兄ちゃんは」

「え、命の危険があるの!?」

 なら考え直すぞ。リスクとリターンを天秤にかけるぞ。
 心細い程度のことで無駄死にはごめんだ。
 
「冗談だよ。たぶん命の危険はないと思う、いいじゃないか、ただでさえ鬼いちゃんはそこらへん、どうでもいいことなんだから」

 レミリアの手前、おののきちゃんは濁しているが、それは僕が軽い不死であるということを言っているに違いない。
 しかし、あらかじめどういう危険度なのかはいっておいてくれないと、それによって心構えというものが違ってくる。

「まぁ、でもいくさ。いくけどさおのの、ヨツギちゃん」

「おのの? おののいもこちゃん? それは飛鳥時代の遣隋使でしょう、鬼いちゃん」

「なんで微妙に歴史に詳しいんだよ。そんな脈絡ないこといわねぇよ。ただ、その"評議会"に行く前に、サリバンたちに、僕の同居人たちに一言だけいっておきたいから、先に大講堂ってとこに行ってもいいかな?」

「ああ、それはかまわないよ。今生の別れになるかもしれないから、ゆめゆめよく言っておくことだね」

「だからいちいちこえーよ……」

 そういうわけで、僕は一人悶々と悩んでいるレミリアを我に返らせ、おののきちゃんもともなって晩餐会が催されるという大講堂へと向かったのだった。



 #



 レミリアに連れられて向かった大講堂は、ずいぶんと巨大な建物で、夜のハーレンホールドの空をその電飾で煌々と照らしていた。
 大講堂のまわりでは、レメンタリークアッズの学生たちでにぎわっていた。集団でガヤガヤと歓談している学生や男女で話している学生と、今このハーレンホールドは5年大祭というでかい祭のさなかであることを思い出させた。
 
「コヨミ、レミリア! こっちだよ」

 僕たち3人が大講堂に入って、またえらくだだっぴろい講堂内に並べられたいくつもの長い凝った装飾の長テーブルにそって歩いていくと、僕たちを目ざとくみつけたメアリーが僕たちに手を振った。

「遅かったじゃないか? 二人だけでずいぶん楽しんでたようだね」

 メアリーが茶化すように言うと、レミリアがプリプリした様子で抗議した。
 サリバンとマットはというとすでにテーブルに座り、二人で歓談しているところだった。

「だから俺は思うんだがサリバン、水には表面張力があるだろう? この引き合う強さがある水で人間の体の7割を構成している。人と人が引かれあわないはずがないのさ」

「いや、それは違うよマット。水の表面張力っていうのは、水素原子と酸素原子の陽子数と原子半径の差に起因する電気的な引力と分子構造のベクトル的な偏りによって発生する分子間引力によって発生しているに過ぎないから、人間の心情とはまったく無関係だよ!」

「まったく、サリバンにはこの哲学がわからないかなぁ」

 サリバンがなんかよくわからないことを言うと、マットは文字通り手を上げて首を振った。
 
 メアリーはまた、僕の後ろにチョコンとたたずんでいるおののきちゃんに気づいたようで
 
「コヨミ、その子は誰だい? いや、みたところ。ずいぶん強いね」

 といっておののきちゃんを見ながら野性的に目を細めた。
 その視線の先のおののきちゃんは
 
「僕のことかい? たしかに僕は強いよ、強い上にかわいいよ。いぇーい」

 といって横ピースをした。
 
「私の名前はメアリー・ロゼットハートという。きみの名前はなんていうんだい?」 

 おののきちゃんに興味を持った様子のメアリーを制して言った。
 ていうか僕が口をはさまないとこの二人が決闘でもはじめてしまいかねない。
 
「メアリー。お前また決闘でも持ち掛けそうな勢いだけど今は抑えてくれよ。このあと僕らはちょっと用があるんだよ」

「なんだ、つまらないな。じゃぁコヨミでもいいよ。あとでやろうよ」

「僕も一緒に用がある感じでいっただろ。どんだけ僕が眼中にないんだよ」

「そうなの? アハハ、ごめんごめん」

 そこで気がついたのだけど、どうも僕たちの座っているテーブルの近くで、喧騒が、ザワザワとした声と怒鳴り声のようなものが途切れ途切れに聞こえてきているのがわかった。
 僕が何事かと思ってそちらを見やると、テーブルに座っていたトパンズの学生たちが、ある大柄の学生に、よく見ると、アクアマリンをあしらったチョーカーをしている学生に怒鳴られているところであることがわかった。

「なんか、もめごとかな? どうしたんだ?」

 僕がそういうと、メアリーやサリバンたちも気づいた様子である。
 
「どうしたんだいコヨミ?」

「いや、あそこだよ。なんか喧嘩、ってほどじゃないけど。ゴタついてるみたいでさ」

 僕に尋ねるサリバンにそう答えると、ちょうどそのときアクアマリンの学生がトパンズの一人の学生の胸倉につかみかかったのが見えた。
 僕の出る幕ではないかもしれないが、乱闘騒ぎになってもまずいので、一応僕も席をたってそちらへ向かった。
 

  
 #
 
 
 
「いったいどうしたんですか?」 
 
 どうもゴタついているその場所まで行って、胸倉をつかむ大柄な学生にそう尋ねた。

「あぁん?」
 
 その大柄な男子学生は、険悪な様子でそう言い放つと、相手の学生の胸倉をつかんだまま首をぐるりと僕のほうにまわして、嘗め回すように僕をねめつけた。
 しばらくして、僕の大体の様子がわかったらしく、男はニヤリと顔をゆがめた。
 
「なんだ、お前も"トラッシュ"じゃないか。俺はまとめて出て行けといっているんだ」 
 
 男の口からはどうも刺激のある臭いがもれ出ている、たぶんアルコールだと思ったけど、ここって学生が酒を飲んでもいいのだろうか?
 異郷の文化はよくわからなかったが、どうも泥酔している様子で立ちが悪そうだということは察することができる。
 
「せっかくの5年大祭の晩餐会を、なぜアクアマリンのこの俺が、お前らみたいなゴミと一緒に迎えなければならないのか。業腹に尽きぬというものだ! わかっているのか!? "トラッシュ"どもが!!」
 
 男が語気を強めると、胸倉をつかまれたトパンズの学生がひっと小さい叫び声を上げた。
 
「そうは言っても、いいんじゃないですか? 見た感じ、机ごとに各クラスで分けられているみたいですし」
 
 僕がそういうと、男は赤ら顔をさらにゆがめて叫んだ。
 
「”トラッシュ”がアクアマリンの俺に意見をするのか!? 俺はな! お前らと同じ息をするだけで我慢がならんと言ってるんだ!! わかったらさっさと出ていかないか!!」 
 
 どうも聞く耳持つ気もないようだった。
 僕が返答に窮していると、後ろからサリバンたちもやってきたようで、サリバンが僕の前に出て目の前の大男に話しかけた。
 
「やぁやぁ、アクアマリンの、グィナスさんでしたね。ずいぶんご機嫌のようだ!」 

 サリバンはこの学園の全員の名前を覚えてでもいるのか、たまたま知り合いだったかは僕にはわからないが、その生徒の名前を呼んでなだめるようにそういった。

「ご機嫌!? ご機嫌に見えるか!? お前ら”トラッシュ”のせいで俺はいまだかつてないほど不機嫌にさせられている!!」

「それは意外だなぁ! この5年大祭にいったい機嫌を損ねて何の得があるというのか。もしよろしければ、その理由をお聞かせ願ってもかまわないでしょうか?」

「あぁぁ。よく聞け!! 俺は、アクアマリンのこの俺は、貴様らのようなゴミどもと同じ空間で5年大祭の晩餐を迎えることに我慢ができん! 貴様らはこの大講堂にふさわしくない! さっさとここを後にしろ!」

 サリバンは言われて、ハハと笑って言った。
 
「しかしながら、グィナスさん。これはすべての学生に、正統に認められた権利というものです」

「それがどうした! そもそも、お前ら"トラッシュ"に権利を主張することなどできん!」

「なるほど。確かにアクアマリンは粒ぞろいだ。そして何よりも名誉を重んじる」

 サリバンの言葉に、男はニヤリと笑って言葉を続けた。
 
「そのとおり、俺の名誉にかけて、貴様らとの同席は御免被る!」

「しかし残念だなぁ。そのとおり、われわれは名誉を重んじる。そしてその名誉は法によって担保されるものだ。ならばハーレンホールドの守り人たるわれわれが、どうしてその法をかるんじていいものか!」

「んん?」

 ふいをつかれたような男をよそにサリバンは両手を軽く開いて話を続けた。
 
「その法こそが我々の勇ならば、いささかの不機嫌よりも、学園に定められた我々の領分をこそ遵守するのがアクアマリンの気高い名誉に資するものでありましょう! いかがですか?」

 サリバンの、ともすれば大げさな演説は、確かに筋は通っている。
 それは泥酔した男にもわかったようだった。
 しかし、男は話は終わりだと言わんばかりに叫び声を上げた。
 
「う、うるさぁぁぁい! 出て行かぬのならば実力行使に出る!!」

「ごめんコヨミ。乱闘になるよ」

 論理矛盾に耐えかねて叫んだ男を前に、サリバンが僕のほうを見て小さく笑った。
 その間に、周りからはほかの学生たちは避難を終えていたようで、泥酔した大男は僕とサリバンを標的にしているのは明らかだった。
 サリバンはそれを承知でこうとりはからったのだろうか。確かにどちらにしても乱闘になるのなら、こちらのほうが被害が出ずにすむかもしれない。

「二人とも、面白そうなことしてるじゃないか」

 僕が声がする後ろを振り向くと、そこにはメアリーがあの野生的な笑みでそういい、その整った顔立ちにペロリと赤い舌の先をのぞかせた。
 うわぁ。やる気だよこいつ。
 というかメアリーが、この好戦的なバトルジャンキーが出てくると余計にめんどくさいことになりそうだった。

 しかし、そこで僕が心配しているような事態にはならなかった。
 
 気づくと、あたり一面が静まり返り、僕たちを囲んでいたアクアマリンやトパンズの生徒たちも誰一人口を開いていなかった。
 そして僕たちの目の前で泥酔した大男もまた、赤ら顔でさっきまでの様子とはうってかわって、口を横一文字に結んでまっすぐに気をつけの体勢になっていた。

 その原因は、すぐにわかった。
 僕がほかの生徒たちの目線の先をたどると、そこにはダイアスの生徒たちをまわりにはべらせた、あのダイアスの女王、アイリー・レオニードが立っていたからである。
 ダイアスの女王は、立っている、というよりは、立ち尽くしていた。
 その呆然とした目線の先には、レミリアの姿を捉えたいた。
 
「あなた……なぜここに……?」

 アイリー・レオニードは驚きをもった口調でそうこぼした。
 それはおそらく、今ごろ交霊室に監禁されているレミリアが、なぜここにいられるのか、という意味だろう。
 
 アイリー・レオニード以外、誰も口を開かないこの状況だった。
 さっきまで泥酔していた大男も、また酔いがさめたようで、起立したまま固まってしまっている。
 
 ならばそちらの問題はおいておいて、僕はアイリー・レオニードのほうに向き直った。
 
「そりゃぁどういうことだよ? レミリアが晩餐会にいるのは、至極当たり前のことだろ? もしかして、意外なのか?」 

 シーンと静まり返った晩餐会場でさらに続ける。
 
「なんで僕たちが交霊室にいないのかってことが?」

 僕がそう尋ねると、アイリー・レオニードはゴクリと喉を動かし、しばらくして、高らかに笑い出した。
 
「ンフ、ンフフフフ。何をおっしゃっているのかわかりませんが? トパンズのあなたが、このワタクシに、レオニードの人間に、何か言いがかりでもつけようと?」

「いや……」

 そこで言葉につまってしまう、確かに、このアイリー・レオニードが僕たちを交霊室に閉じ込めたという証拠は、僕たちの証言以外にはない。そして僕たちの証言は、この様子だとおそらく証拠として取り上げられることはないだろう。
 そして、アイリー・レオニードにそういわれた僕に対する、周りの学生たちの圧がにわかに高まっているのがわかった。その圧は、よそ者に対する敵がい心と、そんなことをしていいのかという恐怖心があるようだと察せられた。
 僕は僕で、だんだんと空恐ろしくなっていた。もし今このダイアスの女王が一声をかければ、ここにいる学生たちや、あるいは”山犬”まで僕に襲い掛かるに違いない。

「いや、そういうわけじゃ、ありませんが」

 僕がなんとかそう答えると、アイリー・レオニードは唇を笑い顔にゆがめて笑い声をもらした。

「ンフフ、ンフフフフ。そうでしょう、そうでしょうとも。このいと高きレオニードの人間に、まさかトパンズの人間が何か文句でもつけようはずがありません」

―――それではみなさんごきげんよう。
 アイリー・レオニードはそういってゆったりときびすを返すと、その場を後にした。
 他方で、すっかり酔いがさめた様子のアクアマリンの男は、さきほどのサリバンの論理を飲み込んだようで、ぶつくさと罵声をはきながら自分の席へと戻っていった。


「大丈夫だったかいコヨミ? さぁゴタゴタも片付いたみたいだし、僕たちもテーブルにもどろうよ! 今夜の料理は豪勢だぜ!」

「あ、ああ……」

 サリバンになんとかそう答える僕を、後ろのほうでおののきちゃんがじっと見つめている、その目線はそろそろ出発しないといけないという感じだった。

「なぁ、サリバン。悪いけど僕は急用が入ったから、晩餐会は4人で楽しんでくれ」

「用事?」

 サリバンは意外な風に僕に振り返って、さらに続けてたずねた。
 
「そりゃぁもったいないよコヨミ! 外せない用事なのかい?」

 僕はサリバンに小さく笑って答えた。
 
「ああ、悪いな。たぶん、命に別状はないと思う」

 実際のところ、そうあってほしいと僕が願っているだけだったのだけど。 



[38563] こよみサムライ011
Name: 3×41◆ecb68eaf ID:31c4df78
Date: 2014/02/03 01:47
「しかし、鬼のお兄ちゃん、僕がいない間にクアッズであんなかわいこちゃんたちと関係つくっちゃうんだもんなぁ。かわいい僕というものがありながら」

「関係作ってねぇだろ。一人には切腹をせがまれるし、もう一人には気絶させられてるんだぜ。ていうかおののきちゃんは僕の彼女的なポジションじゃないだろ」

「まぁまぁ、それは表向きの話じゃない。今は僕たち二人だけなんだしさ」

「前から愛人関係だった見たいに言わないでくれ! ていうか犯罪になるわ!」

 式神人形に法律が適用されるのかはわからないけど。
 僕とおののきちゃんは、街の丘の上に位置する学園から、ハーレンホールドの街へとおり、街の南西側の市街地を歩いていた。
 
 あたりはずいぶんと暗くなっており、通りにはちらほらと人通りがあるだけであった。
 どこかから、トランペットの陽気な音楽が聞こえてくる。
 
「それでおののきちゃん、評議会っていうのは、どこで開かれるんだい?」

「うん? 気になるかい鬼のお兄ちゃん」

「そりゃぁ気になるよ」

 最初、街を歩く僕はそこそこ楽しい気分だった。
 しかし、おののきちゃんに脅かされていたこともあり、だんだんと生命の危機に瀕しているような危機感がじわじわ体をむしばんできた。
 また、どうにも閑散とした住宅街を歩いているというのも、どうにも評議会という重苦しい単語とは似つかわしくないように思われて、もうひとつ腑に落ちないところがあった。

「まぁ、そりゃぁそうかもしれないね。でも僕も、もうひとつこの街に詳しいわけじゃないんだよなぁ」

 おののきちゃんはそういってぴっと一切れの紙片を取り出して見せた。
 
「ここだよ。その”評議会”っていうのが行われる場所さ」

 おののきちゃんに見せられた地図つきの住所を見てみたが、どうにもおかしい。
 それは、評議会がおこなわれるような特別な場所ではなく、どうも民家の住所であるようだったからだ。
 
「ここって、ただの民家じゃないのかい? ここでその”評議会”っていうのをやるのかい?」

「たぶん、そういうことなんだと思うよ。聞いた話では、まぁそうなるんだろうね」

 しかし、これはただお茶でも出されるような、そういう予想しかできないんだけど。
 ちょうど立体区画の3階の民家である。
 
 僕たちはすでに階段を上り、複雑に入り組んだ居住区へと足を踏み入れていた。
 階段がいたるところに伸び、ところどころに扉がある。
 
「あっちかな」

 おののきちゃんがある階段を指さして、二人で上っていく。
 しばらくすると、階段の上の踊り場に出た。
 
 そこには、井戸があり、その周りにイスがいくつも置かれ、周りにいくつも階段が続いている。
 
 その踊り場を地図にしたがっておののきちゃんと歩きながら、僕はつぶやくようにこぼして言った。
 
「しかし、あんなふうなもんなのかな…… あの学園ってさ」

「あんなふうなもんって、どんなふうなもんなのさ」

 それは、僕の感情としては、憤懣やる方なさからこぼれたものだった。
 
「いや、さっきの晩餐会でさ、アクアマリンってクラスのやつが、トパンズのクラスのやつらに食ってかかってたじゃないか。ああいうう階級性っていうのかな、日本にああいうのってあんまりないだろ」

 最初、晩餐会といわれて僕もけっこう、ウキウキしてしまっていたことを、ここで自白しておこうと思うけど、しかしだからこそ、ああも横柄に振舞う同じ学園の学生に少なからずショックを受け、だからこそついついでしゃばってしまったようなところがあったわけだ。

「まぁまぁまぁまぁ。鬼のお兄ちゃん、それはえらく狭い知見と言わざるをえないね。かわいい僕に言わせればさ」

 おののきちゃんは、僕の隣で地図に目を落として歩きながら、そのままに言った。
 
「まぁまぁ、日本こそ今では階級がほとんどなくなっているような部分はあるけどさ、昔は士農工商えたヒニン、結構ガッツリ階級で分かれてたんだよ。生まれたときからガッチリ階級さだまってたのさ。僕たちと違ってね」

「式神人形ほど運命定まっちゃいなかったと思うけどな。そういうものなのかな。たしかに僕の街は割りと平等主義なのかもしれないな」

 おののきちゃんは、地図から目を上げてある階段を指差した。

「あっちだよ。鬼のお兄ちゃんの言いたいことも、わからないでもないけどね、文化の違い、ってことでなんとか納得しておくしかないんじゃない」

 おののきちゃんの言うことはわかる、わかるけど、思わずため息を漏らしてしまった。

「はぁ。そういうもんか。でも、どんな階級に属しても、人柄っていうのは結構比例しないもんなんだな」

「そりゃそうだよ。階級を作るのは人間のごく一部の能力が反映されたにすぎないんだから、それでそこまで全能感もたれても困るよ」

「そういえばおののきちゃん、あの学園のレオニード家っていうのは、そんなに重要な家系なのかい?」 

「鬼のお兄ちゃん、その名前を出しちゃうんだ。そんなに気軽に口に出しちゃうんだ。ほんとに命が惜しくないんだなぁ」

「そんなに危ないの!?」

「もちろん冗談さ、名前を出すくらいじゃ殺されたりはしないから大丈夫だよ」

 さらりと言いやがった。
 ヒヤっとしちゃったじゃないか。
 
「レオニード家は、ハーレンホールドではどんな王族より権威がある家系だよ。それは名誉という意味合いでも、実際的な意味でもそうなのさ。特にハーレンホールドの大霊脈が励起している今は、レオニード家の人間と長く一緒にいることすら禁じられてるんだよ。レオニードの鍵に『当たる』からね」

「へぇ、なんかよくわからんけど。いろいろ大変なんだな」

「実はこの時期は、あの”山犬部隊”がレオニード家の人間を護衛しているくらいなのさ」

「ああ、それは知ってるよ」
 
「あ、そう。さすが鬼いちゃんは、情報通なんだなぁ」

「いや、実際に見たからね」

 二人でそういうことを話していると、やっとのことで土作りのレンガの何階かの扉の前に到着した。
 扉の向こうからは、特に何の音も聞こえてこなく、人がいるかどうかすらも察することはできなかった。
 
「ここだよ。お兄ちゃん、覚悟はいいかい」

「覚悟って、何の覚悟だよ」

「何の覚悟って、死ぬ覚悟だよ」

「だからこえーよ!」

 おののきちゃんは無表情だから、本気か冗談かいまいちわかりにくい。
 彼女が目の前の木の扉を、コンコンと叩いた。
 
 が、何の反応も見られない。

「おやおや、不在かな。ということは、出ちゃうかな。かわいい僕の、たったひとつのさえたやり方が」

「それ”アンリミテッド・ルールブック”だろ! ふっとばしちゃダメだぞ!」

 扉ふっ飛ばして入ってくるとか心証最悪だろ。僕は冗談なのか本気なのか、内心ヒヤヒヤしながら、おののきちゃんをさえぎりながらしばらく待っていると、目の前の木の扉が、ふいに、ギイっと開いた。
 扉の隙間から顔を出したのは、妙齢の女性だった。
 女性は全身に黒い布を巻いており、髪も、首もよく見ることができなくなっていた。
 
 女性は、あいた扉の隙間から、不審者でも見るかのように、僕とおののきちゃんを上から下まで、ジロっと見定めるように視線を泳がせた。
 おののきちゃんは、明らかに不審そうにするその黒尽くめの女性に対して。
 
「いぇーい。ピースピース」

 と横ピースした。
 
「……」

 女性は、しかし、というか当然なんだけど、何の反応も示さなかった。
 
「すいません。この横ピースしてる童女は、えーと、影縫ヨツギで、この街の自警団の”評議会”に参加するように言われて来たんですが」

「すまんね、鬼いちゃん」

 どんなキャラだよ。
 というか、どうみても、ここが”評議会”の会場であるというようには、僕には思えなかった、見た感じどう見てもただのレンガ作りの民家である。間違った住所を渡されたんじゃないだろうか。
 ならば、急いで引き返さないと、遅刻というか、”評議会”を逃すことになってしまいかねない。
 
 女性はしばらく考えるようにしておののきちゃんの顔をじっと見ていたが、しばらくしてポソリと言った。
 
「承っております。こちらへどうぞ」 

「え?」

 あっけにとられる僕をよそに、その女性は木の扉をギイっとあけて、僕とおののきちゃんの入室を促した。
 でも、明らかに民家なんだけど。
 しかし、僕の心配をよそに、おののきちゃんは
 
「では失礼」

 といって、民家の中にさきさきと入っていってしまい、仕方なしに僕もおののきちゃんについてその民家へと入っていったのだった。
 
 
 #
 
 
 おののきちゃんと僕が入っていくと、その、外からどう見ても民家にしか見えなかったその家は、やはり民家だった。
 僕が入った玄関の横では、ガスコンロにかけられたヤカンがシュポシュポと湯気を立てており、玄関のむこうでは、リビングではいはい歩きをする赤ん坊が、何事かといったようにこちらをじっと見つめていた。
 その向こうの窓はすでに暗くなっている。
 
「ほんとにここであってるのか?」
 
 いぶかしみながらの僕とおののきちゃんは、先ほどの女性につれられて、リビングへと通された。 
 しかし、そこはどう贔屓目に見ても、やはり一般的な家庭におけるリビングそのものだった。

「みなさまお待ちです。こちらへどうぞ」

 次に女性は僕たちを促して、リビングから横につながる扉に僕たちを呼び、僕たちがその扉の前に立ったところで。
 
「ではどうぞ。この扉をくぐった時から、”評議会”は開始されます」

 といって一息に扉を開けた。
 
 それは、異様な光景だった。
 明らかに家庭的な民家のリビングから続くその扉の先は、かなり広い空間だった。
 それだけではない、その広い空間は、黒い影、いや、黒い衣服に頭まで身を包んだ人、人、人で埋め尽くされていた。
 
「いくよ鬼いちゃん。呑まれないでね」

 おののきちゃんは、キリっとした風にそういうと、その広い部屋へと、”評議会”の会場へと足を踏み入れた。
 おののきちゃんに続いて、僕もその部屋に入ると、後ろでは先ほどの女性だろう、扉が占められてしまった。
 
 その広い部屋は、かなり湿気が強く、ムワっとした空気が皮膚を覆った。
 くらくらしてしまいそうな空気に、ややもすると平衡感覚を微妙に失いそうになる。
 
 黒尽くめの人間で埋め尽くされていた、”評議会”の会場であったが、僕とおののきちゃんが部屋に入ると、
 目の前の人々がいそいそと動いて、目の前にまっすぐの道が現れた。
 そしてその先には、ひときわ高く、ひな壇のような、舞台のようなものが見えた。
 
 おののきちゃんは、誰に言われるでもなくその人の道を歩いていき、僕もそれについていった。
 その途中で横目に黒尽くめの人間たちを観察すると、割と身長の高い男たちで占められているようで、僕たちを見るでもなく見ないでもなく、ちょっと遠くでは内輪で談笑しているような人たちまでいるようだった。

 その高台へつくと、その舞台はまわりより、演説台のように少し高くなっていて僕とおののきちゃんがその舞台に上がると、そこには一人の黒尽くめの人間が立っていて、僕とおののきちゃんを迎えた。

「ようこそ。我らがハーレンホールドの”評議会”へ」

 男の野太い声だった。
 頭の先まで覆う黒尽くめの男が、黒い服の下で両手を広げたようにした。
 その男に対しておののきちゃんは
 
「いぇーい。ピース」

 と、あの横ピースをしてみせるのだった。
 
「……」

 黒い男はしかし、というかやはりというか、それに何の反応も示さなかった。
 僕はそのちょっと高い舞台のうえから、回りを見回すと、いまや、数百人はいるだろう、の黒尽くめの人間たちに囲まれ、この舞台上からは広い部屋の隅まで見渡すことができた。
 部屋には薄くもやがかかっているように、遠くまで見ると視界がボヤけている。
 演説台の後ろを見ると、女神像のような、3mほどの女性の像が演説台を見下ろしていて、安心感より、むしろ今にも倒れてきそうな威圧感があるように思われる。

「カゲヌイ・ヨツギ。そなたは、その御身の異才によって、我らがハーレンホールドの自警団への入団を望んでいるということで相違ないかな?」

 おののきちゃんが騙っている偽名を読んで、目の前の男はその広い部屋に響き渡るような大声でそういった。
 もう”評議会”は始まっているのだ。
 
「ああ、そうだよ。この僕を、カゲヌイ・ヨツギを自警団に迎え入れていただきたい」

 おののきちゃんは、無表情で、しかしよどみなくそういった。
 その瞬間に、演説台の周りの数百人はいるかという黒尽くめの集団が一斉にざわつきはじめた。
 
「カゲヌイ・ヨツギ。その意思は承った。しかし、我らは納得してはいない。貴君は我々を説き伏せなければならない。この場で、我々のすべてを納得させよ!」

 目の前の男が言うと、さらに演説台の周りがザワツキの音を増した。
 
「それはかまわないけど。具体的にどうすればいいのかな。僕の実力は、そりゃもう折り紙つきだけど、あなたを倒せばそれでいいのかな」

「ならぬ! 我々の血の盟約の内に入りたいのならば、我々を傷つけては決してならない。貴君は、その口で、このハーレンホールドの女神の前で! 我々を納得させなければならん!」

 おののきちゃんの提案を、男はキッパリと拒否した。
 しかしどうすればいいっていうんだよ。
 この演説台で、僕たちを取り囲むこの数百人を説得しなければならないのか?
 
「どうしろっていうんだよ……」 

 僕には、それはどうにも途方もないことのように思われた。
 僕たちを囲む黒尽くめの男たちは僕たちを見ながらザワつきをまし、背後では巨大な女神像が僕たちを見下ろしている。
 横目でおののきちゃんを見ると、おののきちゃんは、しかし無表情だった。
 いや、僕はおののきちゃんが無表情以外の表情をしているのを見たことはないが、だからこそ、この状況をどう見て取っているのか、僕の目にはまったく読むことができない。

「まぁ、そういうことならそれでも僕はかまわないよ」

 おののきちゃんは、快諾してそういった。
 こういう”こと”に、慣れているのだろうか。僕には不死専門の怪異退治である彼女らが、普段何をしているかなんてさっぱり知らないし、見当もつかないことだった。
 おののきちゃんはそういうと、首をかしげて、演説台の奥で僕たちを見下ろす女神像に視線をうつした。

「でも、さすがにちょっとめんどくさいから、これで片をつけることにするよ。かわいい僕の、たった一つのさえたやり方」

 そういって、おののきちゃんは、僕たちの背後で僕たちを見下ろす女神像に首をかしげながら、右手を掲げてピン、と人差し指を突き出した。

「”アンリミテッド・ルールブック”」

 おののきちゃんが、無表情のままでそうつぶやいた瞬間、おののきちゃんが突き出した右手の人差し指が、まるで爆発するかのように前方に巨大化した。
 巨大化し、爆発的なスピードで疾走したおののきちゃんの右ひとさし指は、そのままのスピードで僕たちの背後にあった巨大な女神像を直撃し、その巨大な指の形そのままに、女神像の胴体を瞬間的に消失させた。

「なっ……」

 ガラガラと、崩れていく巨大な女神像を前にして、僕はそうつぶやくことしかできなかった。
 そして次に、周りの圧が瞬間に膨れ上がったことに気づいた。
 
 相変わらずザワザワとしている、僕たちを囲む黒尽くめの人々が、殺気を含んだ視線でもって僕たちを突き刺している。

 ゾっとしながら、おののきちゃんをのほうを見ると
 
「これでわかってもらえたかな、かわいい僕の、カゲヌイ・ヨツギの実力ってものを。僕があなたたちを傷つけてはならないのは了承するけど、そちらが襲ってくるのを迎撃する分にはその限りではないというのは、道理というものだよね」

 と、平坦な、しかしよく通る声でそう言ったのだった。
 
 目の前の男と、僕たちを囲む数百人の男たちは、いまや黒いうねりとなって、一気に僕たちになだれ込みそうな勢いすらあった。
 ちょっと、これはマジでやばいな。
 僕も、せめて自分の命は守ろうと身構えたとき、部屋の隅から怒号がとどろいた。

「静かに!!!」

 まるで、心臓をつかまれるような怒号だった。静かに、ビークワイエット、オランダの言葉でなんと言っているのかはわからないけど。そのように発せられた怒号は、瞬間的に部屋に充満した。
 しかし、それだけではなく、その声で、先ほどまでマグマのようにうねっていた男たちは、まるで誰もいないかのように静まり返り、全員直立不動の格好となったいた。
 そして、遠くの人だかりの中から、こちらの演説台に向かって、誰かが歩いてくるのが察せられた。

 人ごみを掻き分けて、いや、人々が自分で道をあけて、現れたのは、背の高い老人だった。
 その老人の顔は厳しい表情に深いシワがいくつも刻まれている。
 その大柄な老人が演説台に上がり、僕とおののきちゃんの目の前にたつと、誰からでもなく、一斉に、周りの数百人の男たちが叫んだ。

「サー・バリスタン・セルミー!! サー・バリスタン・セルミー!! サー・バリスタン・セルミー!!」

 男たちは、叫ぶと、再び誰もいなくなったかのように静まり返った。
 サー・バリスタン・セルミー。その名前には聞き覚えがある。”山犬部隊”第二席”豪胆”サー・バリスタン・セルミー。
 このハーレンホールドの自警団の上位組織、”山犬部隊”のナンバーツーである。
 
 この老人は、厳しい表情のままで、僕とおののきちゃんを見下ろし、そして訪ねた。
 
「この女神像を、このようにしたのは貴女かな?」 

 底冷えするような、ひしがれた声だった。
 老人に尋ねられたおののきちゃんは

「そのとおりだよ、山犬のおじいちゃん。この僕の必殺技、”アンリミテッド・ルールブック”でこうした次第だよ。もしお望みだというのなら、あなたもこうなってみるかい?」

 おののきちゃんが挑発をまじえてそういった。しかし、その言葉はその広い部屋に空虚に響いた。
 僕たちを囲む数百人の男たちはみじろぎひとつしていない。
  
「……」

 老人は、おののきちゃんの言葉にどう反応するでもなく、深いシワの刻まれた厳しい表情のままでオノノキちゃんを見下ろし。
 
「いいだろう」

 と言って黒尽くめの男たちに叫んだ。
 
「この少女を、このサー・バリスタン・セルミーの名において我がハーレンホールドの自警団への所属を認める!! ハーレンホールドの女神を破壊した罪、不問に臥す。異議のあるものは表明せよ!!」

 とどろくような大声が部屋に響き渡ると
 再び先ほどのサー・バリスタン・セルミーの三連呼で聴衆が答えた。

 セルミーというこの”山犬”はその後足早に、
 
「歓迎をしている暇は遺憾ながらない。ハーレンホールドの南東で大規模な問題が発生した。各員対応に迅速を期せ!」

 再びとどろくような号令を発すると、”評議会”の黒尽くめの男たちはいっせいに動き出し、複数ある扉から流れるように出て行った。
 しばらくして、広い部屋に僕とおののきちゃん以外の誰もいなくなると

「はぁ、まさか”山犬”のナンバーツーが出てくるとはね。さすがにかわいい僕でも予想外だったよ。命があってよかった」

「ええっ!? そんなに危なかったの僕たち」

「うん。さすがに山犬の第2席となると僕の手にもちょっと負えないからね」

「まじかよ……」

 おののきちゃんいわく僕たちは結構な危ない橋を渡ったあとだったようだ。
 彼女はしかし
 
「まぁでも、鬼のお兄ちゃんだけは僕の命にかけて守るけどね。お兄ちゃんをここに呼んだ僕の責任としてさ。僕はドヤ顔でそういった」

 と、無表情のままで言うのであった。
 正直かっこいいのか悪いのかよくわからない言葉だったが、どちらでもいいことでもある。
 おののきちゃんは次にスマートフォンを取り出して。
 
「お、話どおりだ。ハーレンホールドのデータベースにアクセスできるようになってるよ」

 と言って現代っ子っぽくスマートフォンを人差し指で操作しながら言った。
 
「でも、ちょっと気になるんだよなぁ」

「気になるって、何が?」

「うん、僕は、僕たちの存在を奪った”存在移し”が何を目的にしてるのか、僕なりに考えていたんだけどね」

 おののきちゃんはそういって、スマートフォンの画面を僕に見せた。
 画面にはハーレンホールドの大体の地図が映し出されている。
 
「さっきの”山犬”のおじいちゃんは南東で大規模事件が起こったって言ってたでしょ?」

「ああ、何の事件かは知らないけどさ」

 そういえば、ここにいた自警団の面々も、その対応のために足早にこの部屋を出て行ったのだった。
 
「ハーレンホールドのデータベースによると大規模の爆破事件で断続的に続いてるらしいんだけど」

「そりゃかなり大事件じゃないか」

 爆破事件って、普通にテロリズムとかそういうものなんじゃないのか。

「いや、でも問題はこっちなのさ」

 おののきちゃんが指さしたのは、爆破テロが起きている区画のちょうど反対側のハーレンホールドの北西部である。
 
「ここに自警団の本部があるんだけど、普段はかなり警備が厳しいんだよね。それでもし自警団の内部に入り込んでいるとしたら、この反対側の爆破事件っていうのは、ちょうどいい陽動になるんだよね」

「ってことは、”存在移し”が?」

 行動を起したってことか?
 おののきちゃんは首を立てにふって続けた。
 
「これが陽動として成立するのは、存在移しが内部に潜伏しているとあたりをつけている僕たちにしか予想できないことだ。あくまで可能性でしかないけど、だから僕はまずハーレンホールドの北西の自警団本部に向かおうと思う。僕はキメ顔でそういった」

 おののきちゃんはスマートフォンを僕に見せながら、やはり無表情でそういうのだった。
 
 
 
 #



「ほらね、やっぱり当たりだったよ。でも、これはちょっと予想外だったな」

 僕たちは、”評議会”の部屋から出た後、そのままハーレンホールドの北西の自警団本部へと向かった。
 自警団本部は、30階ほどあるかなりでかいビルだった。どうやら、僕が思っていた何倍もの規模の組織であるようである。
 
「なんだよこれ……」

 しかし、そのビルの様子は、異様そのものだった。
 おそらく、もともとこんな様子ではなかっただろう、そうであるわけはない。
 
 その巨大なビルは、太い根が張っていた。
 巨木の根のような、テレビでアマゾンの様子が伝えられるときに見るマングローブの太い根のようなものが、その巨大なビルをあますところなく貫いていたのだ。

 それはビルの中に巨大な樹でも発生し、その樹から伸びた根や枝が数百年、数千年たってそのビルを数百、数千にも貫いたような。巨大な根でビルがおおいつくされていたのだ。

「鬼のお兄ちゃん」

 その自警団本部ビルの異様に唖然としていた僕におののきちゃんが呼びかけた。
 
「これは、まずいかもしれないね。かわいい僕でも、こんなことができるやつを、僕は一人しか知らない。複数いる可能性はもともとあるとは思っていたけど”存在移し”だけじゃなかったみたいだ」

「それって、どういう……」

 そこで、その巨大なビルを見る僕たち以外の、近くにいた男が別の男に叫んで言った。
 
「”おののき”だ! 山犬部隊に配属されたおののきが、我々を裏切って暴走しやがった!!」

 その、おそらく自警団の構成員の叫び声を横に聞きながら僕も考えをめぐらせた。
 おののき、斧乃木余接。つまり、おののきちゃんの存在を、存在移しによって移された”誰か”があのビルをあんな異様な、異形へと変貌させたのだ。”存在移し”ではない”存在移し”の協力者。
 その樹木の根に幾重にも貫かれた巨大なビルはところどころから火を噴いてハーレンホールドの暗い夜空を赤々と照らしている。
 その赤い光に頬を照らしておののきちゃんは続けた。
 
「あのビルの中にいるのは”樹魅”だよ。鬼のお兄ちゃん」

「じゅ、じゅみ……?」

「ああ、そうだよ。おそらくあのビルの中の人間は、全員殺されてるだろうね」
 
 平坦な声で、感情のない声で、恐ろしいことをおののきちゃんは、やはり何の表情も交えずに、そう言ったのだった。



[38563] こよみサムライ012
Name: 3×41◆ecb68eaf ID:31c4df78
Date: 2014/02/05 02:15
「鬼のお兄ちゃん」

 おののきちゃんが僕の名前を呼ぶのが聞こえる。
 僕はというと、目の前でハーレンホールドの自警団本部であるという巨大ビルが巨木の根が貫き、張り巡らされている異形にしばし呆然としてしまっていた。
 これは、間違いなく怪異側の力であると断定できる。そうでなければこんなことができるわけがなかった。
 一体、何をどうすればこんなことになるのか、怪異という未知の領域に背筋が寒くなるような、床が抜けるような平衡感覚の喪失みたいなものにこのとき僕は呑み込まれていた。

「鬼いちゃんってば」

「あっ、ごめん、なんだいおののきちゃん」

「まったく。でもまぁ呑まれないで、っていうほうが無理な話だよね。これは完全に、僕たち『専門家』の領域だ。その専門家でも、相手が”樹魅”となっては、呑まれるなというほうが無理な相談というものさ」

 おののきちゃんは、僕を見上げながら、しかし、何の感情も交えない表情でそういった。
 僕はしばらく呆けた様子でいたに違いない。
 
 僕たちがいたのは街の大通りだが、付近の一般人はすでにどこかへと逃げ去っていた。
 もしかしたらすでに”結界”のようなものがこの場にはられているのかもしれない。
 近くでは、おそらく自警団の男が何か叫んでいるようだった。
 
 やっとのことで、現状を認識して、おののきちゃんに尋ねた。

「”樹魅”。そいつがこれをやったのか? それは、何かの怪異なのか?」

「そうさ。鬼のお兄ちゃん。怪異ではあるけど、おそらく”樹魅”は人間がベースだって言われてる、年齢はさすがにわからないけど、結構な歳だと思うよ。あのビルを見てもらえればわかるだろうけど」

 おののきちゃんは自警団本部のビルを促して続けた。
 
「”樹魅”は木に属する怪異だ。まぁそれも予想でしかない話なんだけどね。でも僕たちの界隈ではそういわれている。あんな桁外れのアナーキストが、かわいい僕の”存在”を移されてるんだ。存在移しはこのハーレンホールドに特大の爆弾を、トロイの木馬を送り込んだようだね。まいっちゃうよなぁまったく」

「予想でしかないって? 聞いた感じだと相当危険なやつみたいだけど」

「予想でしかないのは仕方のないことだよ。だって今まで”樹魅”を見た人間は全員殺されてるんだからね。死人に口なし、状況証拠的におそらくそうだろうと言われているに過ぎないんだよ」

 ゴクリ、と音がしたのは自分の喉が鳴った音だとわかった。
 おののきちゃんはかまわずに続けた。
 
「正直言って、僕は今すぐこの場から逃げる選択肢もかなり有力だと思うよ。だってそうだろう? 確かに”樹魅”は”存在移し”とつながっているだろうけど、僕たちの命がなければ意味のないことなんだからね」

 おののきちゃんが、僕に警告するように言った。
 この場から逃げる。確かに、そんな途方もない怪異がすぐ目の前の樹木に貫かれたビル内にいるのだとすれば、一刻も早く退避するべきだというのは僕にもわかる。というか、僕自身も今すぐに逃げ出したかった。
 しかし、今にもひとりでに逃げ出しそうな両足に力を入れて、恐る恐るおののきちゃんに尋ねた。

「そしたら、もし僕たちが逃げたら、退避したら、僕たちの”存在”は、どうなるんだ?」

「たぶんだけど。その場合は僕たちの”存在”は失われる可能性が高いだろうね」

 やはり、というか、おののきちゃんの答えは僕の予想通りだった。

「じゃぁ、逃げられねぇよ。行くしかないじゃないか」

「即答だね。そんなに前の”存在”に未練タラタラなのかい? 鬼のお兄ちゃん」

「ああ。僕の命100個でも1000個でも天秤にかけれないよ。おののきちゃんは、避難してくれてかまわないよ。あのビルには僕一人で入るよ」

 今ここで僕が逃げたら、僕はいつか、戦場ヶ原の手で殺されるに違いない。いや、それすら起こらないのか。戦場ヶ原に殺されるなら、きっとまだ幸せなほうだ。

 おののきちゃんは、右手の人差し指で自分のアゴを押し上げてしばらく考えていると。
 
「見くびらないでほしいな、このかわいいボクを。鬼のお兄ちゃんが行くというなら、ボクも行くに決まってるじゃないか、鬼いちゃんをこの街につれてきたのは他ならぬこのボクなんだからね。ボクは決め顔でそういった」

 そういうわけで、僕とおののきちゃんは、目の前で火煙を上げる、あの巨木の根に貫かれ、張り巡らされたビルの中へと入っていくことになったのだった。



 #



「あまりその”木”に触れないほうがいいよ、いくら不死身だといってもね」

 僕とおののきちゃんが自警団本部のビルに足を踏み入れると、外から見てビルを覆っていた木の根はビルの中まで縦横無尽に走っていた。丸太ほどの太さのその根に注意をとられている僕におののきちゃんが言った。

「え、そうなのか? もしかしてただの木の根じゃないのかい?」

「たぶんその通りだよ。ただの木の根なら、”こんな”風にする必要がそもそもないからね。たぶんこのビルの結界はこれで破られたんだとおもうよ四方八位結界。並の結界師なら数十人単位で束になっても破れるものじゃないんだけどな。あとその”根”、たぶん触れるだけでソウルスティールされるからね。常人なら触っただけで死ぬよ」

「まじで!?」

 思わず、目の前の木の根から後ずさってしまう、すると僕の後ろにも木の根が張り巡らされていて、さらに跳ね返るように飛び上がってしまった。

「うわぁぁっ!?」

「はぁ、何をやってるんだい。鬼いちゃんは……」

 おののきちゃんに無表情のままでため息をつかれてしまう。
 普通に恥ずかしかった。
 僕とは対照的に、おののきちゃんは、平然と、一切の恐怖心も顔に出す様子はなかった。
 いや、いつも表情はないんだけど。
 
「僕だって、一応気は張っているんだよ。このビルのどこに”樹魅”がいるのかわかったものじゃないからね」

「そうだな」

 怪異の専門化、おののきちゃんをして、超ド級の怪異とされる”樹魅”。それが、もしかしたら僕たちのいるビルの廊下の影にいるかもしれない。
 そう思うと巨大な木の根で張り巡らされたこのビルの廊下が、さらに異様な空間になったように思われる。
 
 しばらくビルを登っていると、やはり、おののきちゃんの言っていた”もの”が散見されることになった。
 
「全員、”樹魅”にやられたのか?」
  
 僕はカラカラになった喉でそう搾り出した。
 ビルの通路のそこかしこに転がっているのは、ハーレンホールドの自警団の人間の死体だった。
 
 あるものは木の根に全身を貫かれ、あるものは体がバラバラになり、あるものは水分がすべて抜き取られたかのようにミイラのように成り果てていた。
 おののきちゃんは、ビルの人間は全員殺されているだろうといっていたが、実際、人の生気は一切なく、ビルの中は死で充満していた。
 その光景を間近で見ると、胃から何かがせりあがってくるような、周りの空気が僕を食い尽くしてしまいそうな、そういうおぞ気に全身が満たされるような気分になった。
 そのビルの廊下をおののきちゃんは、しかし何もない通路のように、スタスタと歩いていく。
  
「でもたぶん、今までの傾向から考えて”樹魅”がいるのは38階の”オークション”倉庫なんじゃないかな」

「オークション倉庫? ってことは、5年大祭のオークション品が狙いなのか?」

「金品目的ということはないだろうと思うよ。いまさらすぎるし、手間がかかりすぎてるからね。ハーレンホールドのオークションともなると、霊的な品物もずいぶんと取り扱われるんだよ。禍つ蛇のミイラとかレメゲドンの涙とか、だからこその四方八位結界のこの本部ビルにおさめられてたんだけど、中でも、賢者の石とかね、いかにも”樹魅”が狙いそうなものだよ」



 #
 
 
 
 38階。自警団本部ビルの最上階の二つ下、オークション倉庫へつくと、分厚い扉の向こうから、断続的な金属音と、叫び声が聞こえてくるのがわかった。

「おい、おののきちゃん」

 僕がそういうと、おののきちゃんはコクリと首を縦に振った。

「うん、まだ誰か生きてるみたいだね。急ごう」

 僕とおののきちゃんが、目の前の分厚い扉を開けると、部屋の中から、熱気と充満した血の臭いが流れ出してきた。
 その熱気を振り払って巨大な部屋の中を見ると、そこはもはや地獄のようだった。
 
 ところどころに、オークションの品が、柱の上におかれるように配置されているが、それ以外は、あの樹の根が部屋の壁のいたるところから飛び出し、その部屋の中では数十人の人間がすでに絶命したあとだった。

 バラバラになっているものや、血がすべて抜かれたようなものや、巨大な樹の根に体が半分埋まったまま絶命しているもの、オークション倉庫は、人の死であふれていた。

 ギン! ガキン! という音をさせていたのは、部屋の奥、血煙でかすんだ部屋の向こうの二人の人間だった。
 
 片方は左手に剣を持ち、その剣をもう一人の人間に振るっているところだった。
 しかしその剣はすでに停止していた、もう一人の人間の右手から生えた”樹”がその黒い枝を盾にして剣撃を遮っていたのである。

 おののきちゃんがその光景を見てつぶやいていった。

「うわ、あれが”樹魅”だよ。はじめてみちゃったな。しかももう一人は”天剣”じゃないか」

 おののきちゃんがそういうのを聞いて、僕もふたたび目をこらした。

 ”天剣”。確か、”山犬部隊”第三席、サー・ジェイム・ラニスターである。
 そしてもう一人が”樹魅”。腕から樹生えているのは見てわかるが、そのほかにも体の回りに樹のようなものがフワフワと漂っているように見える。

 その剣撃を腕から生えた”樹”に遮られた山犬は、次の瞬間、すでに”樹魅”の斜め後ろで左手の長剣を振りかぶっていた。
 その動きは、吸血鬼の目でもとらえることができなかった、そして長剣が振りかぶられたその左手も、次の瞬間にはとらえることができなくなっていた。

 しかしその剣撃が”樹魅”を捕らえることはなかった。
 樹魅の周りをフワフワ漂っていた樹がその長剣を受け止めたかと思うと、急に、爆発的に膨れ上がり、その長剣から根を走らせ、天剣の左腕を刺し貫いた。
 その浮遊樹は、手を刺し貫いただけではなく、急激にその手の血液を奪っていた。
 天剣の左手が瞬間的にミイラのようにカラカラになってしまった。
 そのままでは、全身が乾いていただろうが、その樹の枝が貫いた天剣の左腕は、すでに肩口から切り落とされて左腕単体になっていた。

 長剣を右手に持ち替え、浮遊樹に血液を抜かれきった左手を、その長剣で切り落としたであろう”天剣”は、すでにその動作を終了していた。
 右手の長剣が振りぬかれたかと思うと、右手の長剣を振りぬいた天剣の正面で、その瞬間に、樹魅の身体が40個ほどの肉片にバラバラに切り裂かれた。
 
 その光景を見て、おののきちゃんが部屋の中に向かってダッシュした。
 
「おののきちゃん!?」

 バラバラに切り裂かれた樹魅の身体は、しだいに樹へと、樹そのものへと姿を変え始めた。
 それは、樹魅ではなく、樹魅の身体の形を正確に、精巧に模した模造樹だと僕が気づいたときには、天剣の左手側から飛び出していた巨木の根からさきほどの樹魅がまるで水の中から出るように姿をあらわし、右手を天剣の背中に押し付けた。

「ブッ……ウグッ……」

 その次の瞬間には、天剣の身体から数十本の樹の根が飛び出し、天剣は口から血を吹き出してその場に倒れ、そのまま絶命した。
 天剣が地面に倒れるのとほぼ同時に、樹魅の背後の左上あたりに滞空していたおののきちゃんが、樹魅の背後から右手ひとさし指を突き出していた。

「先手必勝、”アンリミテッド・ルールブック”」

 僕の目の前のはるか先で、おののきちゃんの一刺し指が、瞬間的に、爆発的に巨大化し、樹魅に疾走した。
 
 ドォン! と巨大な鉄球が衝突したような爆音と、衝撃波が広い部屋を揺らした。
 
 おののきちゃんの放った巨大な人差し指は、しかし樹魅を貫けなかった。
 樹魅が後ろ向きに右手を掲げると、その右手から樹の枝が伸び、樹魅とおののきちゃんの巨大なひとさし指の間で黒く変色、さらにビルを貫く巨木につきささり、樹木の盾となっておののきちゃんの必殺技”アンリミテッド・ルールブック”を防いでいたのである。

 おののきちゃんは、その状況に、しかし動じることなく、無表情につぶやいていった。
 
「へぇ、硬いね。僕の”アンリミテッド・ルールブック”鋼鉄くらいなら紙みたいに貫けるんだけどなぁ」

 おののきちゃんが滞空したままそういうと、後ろ姿の”樹魅”はそのままで、話した。
 かすれた、耳から脳を貫くような、しかし美しいといえるようなそういう声色だった。
 
「アマルファス、というものがある。ダイヤより硬く、鉄より靭性がある、炭素構造、私の”樹”はアマルファス構造に転換される」

「ふぅん。やるもんだね」

 おののきちゃんがそう軽口を言うのと、「そして」と、樹魅があの底冷えのする声で言うのは、ほぼ同時だった。
 
「そして、私の”樹”に”素手”はよくなかった。アア……」 
 
 ”樹魅”がそういい終わるのと遅いか早いかだった。
 おののきちゃんの”アンリミテッド・ルールブック”を受け止めた黒い樹から根が伸び、おののきちゃんの巨大化した指を貫き、そのままおののきちゃんの身体を何十本もの樹が貫いてその小さな身体から飛び出した。

「あ、アアアァァァアアアッ!?」

 叫び声、それは僕のものだと気がついた。
 おののきちゃんが、あのおののきちゃんがいとも簡単に殺されてしまった。
 そして気がついたときには、その僕の叫び声はかすれているのに、同時に気づくことになった。

「アアァアッ!? アグッ…… カハッ!」

 僕の口から、胃からせりあがった血液が巻き散るのがわかった。
 見ると、部屋の向こうの樹魅が右手に握った黒い、アマルファスの樹剣が樹が伸びるようにして伸長し、その黒い刃で僕の心臓のとなりを貫いているのだった。

「アッ…… グッエアッ……」

 うめき声にならないうめき声をもらして、膝の力が抜け、オークション倉庫の床に膝をついてしまう。
 気がつくと、ダイヤより硬く鉄より強い、黒い樹剣で僕を貫いた”樹魅”が僕の目の前に立って、僕を見下ろしているのがわかった。
 その左手には、赤い、かなり大きい宝石が握られている。
 
「小さな子よ。小さな子は生きたいかな?」

 樹魅が、あの耳を刺し貫くような声で尋ねてきた。
 あやすような、だますような声だった。
 僕はその声だけで気を失ってしまいそうだった。
 
「僕の、僕の”存在”を返せよ……」

 かすれる声で、そう返すのが精一杯だった。
 ”樹魅”は僕がそういうと、一泊おいて。
 
「ではお子が”アララギコヨミ”か、アア……」

 その名前を聞いて、心臓がひときわはねた。
 
「返せ!!」
 
 再度要求する。
 それは嘆願だった。懇願だった。哀願だった。
 自分の命をいくつ天秤にかけても帰りたい場所への、かけねなしの願いだった。
 僕のかすれながら叫んだ口から飛び散った血が、樹魅の靴にかかった。
 目の前の、この”怪異”に、僕の懇願を察することはなかっただろう。
 
「生きたければ、お子の”故郷”を教えたまえ」

 ”樹魅”は再び、僕に尋ねた。
 
「は? 何を……」

「教えれば、少し生きる。教えなければ、今死ぬ。お子にはわかるだろう。ア、アア……」

 もうひとつ、会話がかみ合わなかった。
 こいつは、何を言っているんだろう。一体何が目的なんだ?
 
「教えねぇよ…… 誰が売れるか」

 いずれにせよ、この”樹魅”に、このビルを死で満たした怪異に自分の故郷を教えても、いい結果には絶対にならないと、そう断定できた。
 すると樹魅は、今度はその右手で、僕の首をやさしく握った。
 
 瞬間、痛みのない、しかし明らかな違和感が身体に走った。
 ”樹魅”の右手から発生した”樹”が、ボクの身体に入りこみ、今心臓のまわりを囲んでいる。
 だがしかし痛みはまったくない。
 それらのことを僕が飲み込むと、再び樹魅は口を開いた。
 
「お子はわかっていないようだ。不死性など、どうとでもなる。永遠に血を吸われ続けるか? この心縛樹は、すぐにもお子を枯らすだろう。故郷の位置を、私に教えれば生きられる。ア、アアア……」 
 
 こいつは、僕の身体の不死性を、当たり前のように看破していた。
 それでもやはり僕には、樹魅のいっていることがわからなかった。
 しかし、その意味は次にすぐにわかることになった。
 
「お子の故郷を消せば、お子は声を絞るだろう。ア、アアア…… 美しく響くだろう」
 
 その言葉を聞いて、”樹魅”の樹に囲まれた僕の心臓は、さらにはねることになった。
 
 こいつ、僕の故郷を、街を、消し去るつもりなのだ。
 戦場ヶ原を、羽川を、妹たちを、学校も、家ももろもろすべてを。
 本当にとんでもない”怪異”だった。災厄を気が向いたままにまくような。
 
 目を見開く僕に”樹魅”はなだめるように口を開いた。
 
「さぁ……」 
 
 おそらく、こういうやり取りはこれが初めてじゃないに違いなかった。
 樹魅のしわがれた、しかしみずみずしい表情からは何の感情も読み取ることができない。
 僕は震える体で右手を顔の前に上げて、それを自分の胸に当てて、精一杯にこわばった顔で言った。
 
「……悪いな。謹んでお断りするよ」 
 
 ”樹魅”は、しかし何の感情も見せず、しばらく僕の顔を見つめて
 
「では、私の”樹”が、お子をあますところなく貫く、永久に死に続ける」 
 
 僕の視界は赤くなっていたが、僕はこわばった笑顔から、震えながら口を動かした。
 
「へ、ファック・ユーだ」
 
 瞬間、体中に激痛が走った。
 
「がああぁぁぁぁああっ!!」
 
 肺がつぶれ、空気が押し出される。
 
「あああぁぁぁっ!! がっ……ああああ!!」

 樹魅の樹が、僕の体中を刺し貫き、肺をやぶり、体液を奪い、
 そのまま僕の視界は真っ暗に塗りつぶされたのだった。 



 #



「お前様、お前様よ」

 それからどれくらいの時間がたったか、さっぱりわからない。
 僕は、僕を呼ぶ忍の声で、再び目を開くことになった。
 
 まぶたに白い光が差し込む、それは、先ほどのオークション倉庫の蛍光灯だった。
 そして肌が、あの血煙のただようムっとしけった空気の嫌悪感を伝えてくる。
 
「忍、か…… 僕は?」

 ”樹魅”の樹に身体を幾重にも貫かれていた身体を、起すことができた。
 僕が身体を起こすと、僕の目の前に、金髪幼女、そして吸血鬼の忍の姿を見ることができた。
 
「お前様、ワシがおらんかったら永久に血を吸われ続けるところじゃったのう。カカカ。お前様に根を張っておった樹は、ワシが”エナジードレイン”ですべて頂いてしもうたぞ。まさか叱りはせんじゃろうな? カカカカ」

 忍は、その童顔をボクに近づけ、とがった歯をキラキラさせながら、さめざめと笑った。
 
「ああ、あとでいくらでも頭をなでてやるよ。あいつは? ”樹魅”は?」

 僕はそういって、おそるおそる樹がはりめぐらされた広い部屋を見回した。

「”樹魅”ならいないよ。鬼のお兄ちゃん」

 そういったのは、式神人形の斧乃木余接であった。
 おののきちゃんを刺し貫いていた木々はどこにも見当たらず、その傷口もなんとかふさがれているようである。
 
「後期高齢者の世話になってしまったよ。たまには役にたつもんだなぁ」

「ハッ。助けてもらってその物言いかい。教育がなってないのう」

「言っちゃなんだけど後期高齢者もあの場所に居合わせればボクたちと同じようになっていたことうけあいだよ」

 言い合う二人を制してたずねた。
 
「あれからどのくらいの時間がたったんだい? ”樹魅”はどうした?」

 言い合っている二人だったが、それは中断し、おののきちゃんがこちらを振り向いた。
 
「たぶん、僕たちが殺されてすぐだよ。”樹魅”はたぶんもうこのビルにはいないよ」

「追えるか?」

「耳を疑うよ。鬼のお兄ちゃん。”樹魅”を追うのかい?」

「ああ、追うよ。追うしかないじゃないか」

 

 #



 樹魅は、しかし、すぐに見つけることができた。ビルを出た大通りの先である。
 まわりには誰もいない様子で、殺したのか、退避したのかはわからないが、樹魅の身体にまとわりついた血の臭いをおののきちゃんが追って、ビルから出た僕たちが大通りを走ると、ほどなくして黒い帳が下りた人気のない大通りに、”樹魅”が立っているところにたどりつくことができた。

「……」

 樹魅は、僕たちの存在には当然気がついているだろうが、しかし何も話さなかった。
 しばらくすると、僕たちの後ろから増援を受けた自警団が到着するところだった。
 
 樹魅は、しかしそれに何の反応も見せず、左手の赤い石を転がしているだけだった。
 
 おののきちゃんがその赤い石を見ていった。
 
「あ、あなたが欲していたのは、やはり賢者の石だったんだね」

 おののきちゃんが、そういうと、”樹魅”はこぼすように、ポツリと言った。
 
「しかし、不完全、偽者だ。アア…… それは、美しくはない」

 ”樹魅”は左手に賢者の石なる赤い輝石を転がしていたが。
 ふいにその石がとまった。
 
「ならば、作るしかない」

 樹魅がそうこぼすと、樹魅の左手で転がされていた石が、白く発光し、まるでロケットのように、その左手から空に急加速して疾走したかと思うと、しばらくして、はるか上空に飛んでから、大爆発した。

 それは、はるか上空でなければ、このハーレンホールドをすべて包むような大爆発だった。
 不完全、そう樹魅は言っていたが、到底納得ができない規模だった。
 
 空が明るく照らされ、白く赤い爆炎がうねりながらさらに空に伸びていく、次に衝撃波で大通りの建物が激しく揺れはじめた。

 長い、大規模の爆発が終えると、あたりは静まり返るようだった。
 僕が気がついたときには、さっきまで目の前にいた”樹魅”の姿がどこにも見当たらなくなっているのがわかった。

「おい、見当たらないぞ。”樹魅”はどこに行ったんだ?」

「街の中心地にいったということはないはずだから、たぶんハーレンホールドの北西の山間の森に逃げたんだろうね。いや、逃げたんじゃなくて、移動したっていったほうがいいかな。むしろ僕たちが逃げるべきなんだし」


 そのあと、上空の大爆発から立て直した自警団が50人ほどでこちらにかけよってきた。
 自警団の面々は落ち着きを失っているようだが、しかし状況確認のために僕たちを尋問した。
 その質問はいくつもあった。  
   
「あのビルはどうしたんだ」

「本部には、”山犬部隊”の三席と八席がいたはずだが」

「”おののき”はどうした」

 それらの質問に、おののきちゃん、彼らの前ではカゲヌイヨツギだが、と僕で答えた。
 あのビルの異形、あれをやったのは”樹魅”で、山犬部隊の第三席がやられたところは僕たちが目撃したが、ほかが全員ころされていたところを見ると山犬部隊の第八席はすでに殺されていたに違いない。
 山犬部隊第三席、”天剣”が殺されたことを伝えると、自警団の面々は信じられない様子だったが、その後に”樹魅”の名前を出すと、それぞれ、確認は必要だという声もありながら、なんとか納得したようだった。

 自警団の男が次に聞いてきた。
 
「それで、”樹魅”は? おののきはどこへ?」

 そのとき、”存在移し”のことは告げてはいなかった。
 樹魅は森へ入り、存在移しについては今は混乱を生むだけだと思ったからだった。
 
「”樹魅”は北西の森に入ったようです」

 僕が言うと、おののきちゃんがそれを受けて言った。
 
「いや、追うしかないだろうね。それは自警団として、殺されないように”樹魅”の足取りをつかんでおかなければならない。もともとの僕の役割としても、それはやらなくちゃならないことだよ」

 目の前の自警団に面々いわく、このハーレンホールドの自警団の上位組織、”山犬部隊”の第三席”天剣”サー・ジェイム・ラニスターをやれるとなると、もう”山犬”の主席、第二席でなければ”樹魅”を殺すことはできないということだった。それは僕も納得できる、少なくとも自警団では傷ひとつつけることはできないだろう。

 しかし、”樹魅”の足取りを追うことくらいなら、できるハズである。”樹魅”の「作るしかない」とはどういうことかわからなかったが、あいつの足取りを追うのは、自警団としても、そして僕個人としても目的の合致するところである。

「おののきちゃん」

「なんだよ鬼いちゃん。まぁ何を言いたいかっていうのは大体推察できるんだけど」

「それは重畳だ。僕も一緒に捜索に加わらせてくれよ。ダメだっていっても、一人でもやるからな」

「はぁ。いっとくけど、”樹魅”にはその後期高齢者のこともバレてるだろうからね。同じ手は通用しないよ」

「死んだら死んだだよ。どの道死んでるようなもんなんだし」

 そういうわけで、自警団の面々と忍を影に潜ませた僕とおののきちゃんは、見失わないうちに急いでハーレンホールドの北西の森へと向かったのだった。




[38563] こよみサムライ013
Name: 3×41◆ecb68eaf ID:31c4df78
Date: 2014/02/07 02:08

 ”樹魅”は北西の森へ向かった。
 おののきちゃんは僕にそう告げた。
 僕たちは今、ハーレンホールドの自警団50人ほどと一緒に、街から北西の森へと向かっていた。

 おののきちゃんは、ひとつは自警団として、そもそもこのハーレンホールドに来たのは、怪異の専門家として、実際には不死の怪異の専門家らしいが、その違いは僕にはもうひとつよくわからなかった、この街の異常事態に対応するということがあったからだ。
 そしてもう一つは、おののきよつぎという存在が、存在移しによって、あの樹魅に移されているということがわかったからである。

 そしてそれは僕にも同じことが言えた。
 あの巨木の根に幾重にも貫かれた自警団の本部ビル内で樹魅は確かにアララギコヨミと言ったのだ。
 
 知っている。もうそれは間違いのないことである。
 あの大災害そのもののような怪異は、僕が存在移しによって、その存在を奪われたことを、そしておそらく、その存在が移された先を知っている。
 ならば僕は、どうしても、なにをかけてでも、樹魅を見つけ出す必要がある。

 ハーレンホールドの南東部では、未だに爆破事件が続いているらしい。
 同時に、この緊急事態においても、レオニード家の護衛は最優先されるということらしかった。
 自警団の男いわく、この混乱に乗じて、レオニード家の人間が殺される、あるいはレオニードの鍵が盗まれることがあってはならないということである。
 自警団は、樹魅だけでなく、その爆破事件にも対応する必要があるらしく、しばらく増援は見込めないようだった。

 今僕たちと同行している自警団の面々も、ピクニック気分とはいかなかった。
 あの桁外れの怪異、”樹魅”に自警団の本部ビルを落とされ、ビルの中の人間は数百人単位で皆殺しにされていた。
 そしてこのハーレンホールドの最高戦力、山犬部隊の第三席、天剣が樹魅に殺された以上、僕たちや自警団では束になっても樹魅に傷一つつけることができないだろうというのが彼らの見解だった。
 僕たちが束になってかかっても、無駄死にするだけだ。
 しかし同時に、樹魅の足取りを追う。それだけが僕たちにできる現状、もっともらしい手だった。
 ほかの山犬部隊が樹魅を見失わないよう、樹魅の足取りにくらいつく。
 自警団の面々は、それぞれに恐怖と怒りをないまぜにしたような決然とした表情で森を目指していた。

「怖いかい? 鬼のお兄ちゃん」

「おいおいおののきちゃん。もしかして僕が怖がってるっていうのか? 僕の怪異のもとは、もともと夜が得意なんだぜ。そこらへん鑑みてほしいもんだよ」

「なるほどね。で、本音はどうなのさ」

「正直めちゃくちゃ怖い」

 ハーレンホールドの北西の森は、それはもう完全な森だった。
 いや、僕が知っている森と違うのは、その木々の太さだった。それぞれの木の間隔は数メートルはなれて、一本の直径が5メートル10メートルという単位の巨木が続いている。
 夜ということもあり、その巨木の森は、ちょっと先は暗闇で見通せず。自警団の面々が手に持ったライトや古めかしいカンテラでぼやっと照らされた視界だけが頼りである。

 おののきちゃんいわく、樹魅のまとった死臭は森のずっと奥へと続いているということだった。
 しかし、もしそれがフェイクだったら、その可能性は十分にある。
 もし樹魅が僕たちを待ち伏せしていれば、それだけで終わりになる。僕たちは10秒もかからずに殺されるだろう。
 そう思うと、もう森の暗闇にあますところなく刃が潜んでいるような錯覚にとらわれて、気が遠くなる心地だった。

 だからといって、ここで退けない。退くことはできない。
 おののきちゃんはよくても、忍がよくても、僕は僕の存在を、あららぎこよみとしての未来を、過去もふくめて、喪失することはできなかった。できてたまるかという話だった。 

 僕がいなくなったら戦場ヶ原はどうするのか。以前、戦場ヶ原にそう聞いたことがあった。そのとき戦場ヶ原はずいぶんセンチメンタルなことを聞くものだと僕を煽って笑っていたが。実際のところどうするんだろうな。

 いや、この命がかかった局面でそんなところに考えがいくのは、願望と逃避によるところのものだろう。

 そういえば、僕はこの真っ暗な巨木の森を、樹魅の残した死臭を頼りに薄明りのライトを頼りに進んでいく自警団の面々をちらっと見やりながら思った。彼らは、いったいどんな決意で樹魅を追えるのか。仲間が殺されたからだろうか、街を守るためだろうか。彼らの表情には、明らかに恐怖が張り付いている。全員、怖がっている、できることなら今すぐ逃げ出したいに違いなかった。しかし逃げ出さない彼らは何に突き動かされているのか、一時、森を進みながらそういうことにぼんやりと思考が行く。

 そういう僕の考えをさとってかさとらずか、僕の隣をいつもの無表情であるくおののきちゃんが言った。

「へぇ、鬼いちゃんも、やっぱり恐怖心っていうのがあるんだね。ほら、ボクって付喪神人形じゃない。恐怖とかそういう感情っていうのが僕の中にないんだよね。それが役立つ場面っていうのもこれまで何回もあったけどさ、正直ちょっと面白いよ」

「ぜんぜんおもしろくねぇよ。人の恐怖心をなんだと思ってるんだよ」

「スマイルゼロ円なんて言うけどさ、人の笑顔がただなんて、あまっちょろい幻想だと言わざるをえないね。逆に鬼いちゃんの恐怖にひきつったその情けない表情だって、僕には貴重品なのさ」

「ひきつってねーよ。内心怖いのは認めるけどそんなにありありと表情に出してねぇだろ」

「鬼いちゃんのビビり顔、10円」

「点数つけるみたいに言うなよ。ていうか安すぎるだろ、僕のビビり顔。いやビビり顔してないけどな」

「なんじゃ情けないのうお前様。夜の森くらいでビクつきおってからに、それでもこのワシの主様か」 

 そう言ってきたのは、いつのまにか僕を挟んでおののきちゃんの反対側をテクテクと歩いていた金髪幼女、元吸血鬼の忍野忍だった。
 暗い、いや黒い森の中では忍の金髪はライトに照らされてボウっと金色の燐光につつまれているようだった。

「お前までおののきちゃんとタッグ組んでんじゃねぇよ。これは人間の当り前の感情ってもんなんだよ」

「ところでお前様、ワシは腹が減ったんじゃが? 空腹なんじゃがの?」

「忍お前、どんだけ脈絡ねぇんだよ」

 しかも上から言ってきやがる。

「しかたないよ、鬼いちゃん。そいつは後期高齢者なんだから、空腹の判断つきかねるんだろうよ。めんどくさいから、さっさと影の中にしまっちゃったら?」

「おいお前、聞こえておるぞ。いっとくが今のワシのスペックは8歳児のそれじゃとゆうておるじゃろうが」

「ならなおさら役に立たないじゃないか。どだい一人で影の中にいるのが怖くて出てきちゃったってところかな」

「違うわ、全然違うわ。ワシもと怪異の王じゃぞ? こんな森が暗いだけで怖いわけないじゃろ。心外、ワシ完全に心外じゃわ」

「あ、熊だ」

「クワウッ!」

 おののきちゃんが忍の後ろを指さしてそういった瞬間、忍は飛び上がって振り向いた。
 いや、別に何もいないんだけど。

「ほらみてごらんよ。クワウッ、だってさ。大体クマでビビるって、ありえないよね。だってクマって、動物だよ。怪異ですらないよ。完全に一般ピーポーじゃないか」 

「ありえんくない? こいつマジありえんのじゃが。ワシはお前の命もしかたなーしについさきほど助けてやったばかりなんじゃが?」

「それはそれで感謝したじゃない。でもそれとこれとは別問題だよ。動物にビビる金髪幼女なんて、完全に護衛対象増えちゃってるよね。後期高齢者のおもりは僕の役目じゃないんだよなぁ」

「よし、殺す」

 忍はそういって、僕をみながらおののきちゃんを指さして小さな体でアゴをしゃくってみせた。

「やれ、お前様」

「いや、やらねーよ。ていうか僕じゃおののきちゃんにかなわないし。だいたい、今はそれどころじゃないだろ、静かにしておかないとあとで頭をなでてやらないぞ」

「なっ!?」

 忍は、大仰に驚いた様子で、2、3、歩のけぞると、絞り出すようにいった。

「くっ、仕方がない。命びろいしたようじゃな」

「はいはい、そりゃどうも」

 そのときだった、急に、急激に、あたりの湿気が増したのを僕の吸血鬼の皮膚が知覚した。
 ちょっと遅れて僕の鼻腔に血の臭いが充満した。
 次の瞬間、自警団の男が叫んだ。

「か、かまえろぉ!!」

 異常事態、しかし、それは樹魅のものではなかった。
 血の臭いのもとは、すぐにわかった。
 自警団の隊列の、先頭の男たち、その3人の上半身が、きれいにそろって消失していたのだ。
 3つの下半身から血が盛大に吹き出し、あたりに血の臭いを充満していた。

「なんだ!?」

 3人の上半身は、見渡しても、どこにも見当たらなかった。
 しかし、そのかわりに、森の先に明らかな異物を見て取ることができた。
 僕は、自警団の面々は、それにくぎ付けになった。

 それは、巨大な蛇だった、この森の巨大樹に、負けず劣らずの巨大な蛇、直径は8,10メートルはあろうかという異常な規格の大蛇だ。
 巨大樹の森の先から、1匹の巨大な蛇が大口を明けてしゅるるる、と僕たちをにらみつけていたのである。

 一斉に、自警団の面々は、しかしまばらに、剣を抜き放った。

 しかし、おかしい。
 自警団はおそらく、間違いなくそれぞれ結界をほどこしているハズだった。
 それは森に入る前に自警団の面々が結界を施す所作をしていたのを僕自身でも見ている。
 たとえ、巨大な蛇といえども、その咬撃で上半身を消失させられることになるわけがない。

 僕が問いたげな表情でおののきちゃんを見ると、おののきちゃんは目の前に人差し指をたてて言った。

「このタイミング、樹魅が放ったんだろうね。”祟り蛇”まで使役してるなんて、やってくれるよ」

「祟り蛇、あれも怪異か?」

「そうだよ。鬼のお兄ちゃん、でなければ自警団の6重積層結界をああも簡単に突破することはできない。先に言っておくけど、絶対に”祟り蛇”の目を見ないでね、アレは、それだけでパラライシスの効果があるからね」

「ああ、なるほどな」

 納得したような僕の声色に、おののきちゃんが少しだけこちらを見上げた。

「え、もしかして……」

「ごめんおののきちゃん、ぜんぜん体が動かない」

「あ、それワシも」
 
 僕と、そしてついでに忍も目の前の巨大な”祟り蛇”を見たまま、体が硬直し、まったく動けなくなっていた。
 僕たちだけじゃない、自警団の50人のうち、35人ほどが祟り蛇の、あの緑に鈍く光る瞳を直視してしまったらしく、直立のままかたまってしまっていた。

 僕たちが、動けず驚愕の表情にかたまっているままに、祟り蛇がかまわず動いた。

「シュルッ!」

 祟り蛇は短く音をさせて、その巨体に理屈がつかないような猛スピードで目の前の自警団5人を通過すると、動ける1人はそれをよけたが、残るパラライシスを受けた4人は全員祟り蛇に飲み込まれた。
 祟り蛇の巨体がうねり、その轟音が森の空気を揺さぶった。
 祟り蛇の口へと消えた自警団の男たちの血しぶきが森にまき散らされ、再び新鮮な血のニオイが鼻をついた。

 しかし、それだけだった。

 祟り蛇のパラライシスにかかった僕と忍を含めた自警団の過半数は、微動だにすることなくそれを見ているしかなかった。
 そのまま時間が経過すれば、全員がああなる。

「仕方ないなぁ、鬼いちゃんは」

 その光景を見ながら、おののきちゃんは無表情に言った。

「じゃぁそこで見ていてよ、かわいい僕が戦う姿をさ」

 そういっておののきちゃんは目の前で自警団を食い続ける祟り蛇へと走って行った。
 その数瞬前に、祟り蛇の咬撃をかわした自警団の男が雄叫びを上げた。

「ぜああああっ!!」

 男は叫ぶと、自分の身長の何倍もある祟り蛇の巨体へと両手で持った刀剣をたたきつけた。

 ビシュッっと音がして、祟り蛇の巨体に刀剣が埋まり、浅黒い血液が飛び散る。
 その瞬間、刀剣が埋まった祟り蛇の傷口から、その傷口の大きさの新たな蛇が這い出してきて、その傷を埋めたかと思うと、そのままその蛇は祟り蛇を斬った男に失踪し、その首から上を消失させた。
 男は首を消失させ、血を撒きながら森の地面へと倒れこんだ。

「なんだ!?」

 祟り蛇の巨体から新たに蛇の頭が出現した。
 その光景を見て、動ける別の男が叫び声をあげた。

「祟り蛇にあんな能力は聞いたことがない!!」

「ジアアアアッ!!」

 祟り蛇のうなり声とともに、男のその叫び声が終わる間に、また5人自警団の男たちが直径8M以上もある祟り蛇に呑まれた。
 僕は地面にそのまま飲み込まれそうなくらくらする、気絶寸前のようにショックに打ちのめされていた。
 それは僕や忍の数瞬後の姿だ。
 
「”アンリミテッド・ルールブック”」

 いつのまにか、祟り蛇の巨体の、さらに上空に滞空していたおののきちゃんの小さな身体から、右手ひとさし指が爆発するように巨大化し、すさまじい速度で空気を震わせながら祟り蛇の巨体へと疾走した。

 ブシュッ!! と水が爆発するような音が響いて、祟り蛇の巨体がおののきちゃんの巨大なひとさしゆび分、どでかい風穴を開けた。

 が、さきほどと同じことが起こった。

 おののきちゃんが開けた風穴から、再び巨大な蛇の群れがはいだしてきて、傷を埋め、上空のおののきちゃんへと殺到した。

 巨大な蛇の群れがおののきちゃんに迫った。
 そのおののきちゃんはというと、やはり顔色ひとつ変えず、小さくつぶやいた。

「”アンリミテッド・ルールブック・離脱版”」

 言った瞬間、おののきちゃんの左腕全体がグンと伸び、はるか遠くの巨木におののきちゃんの左手の五指が突き刺さると、そのまま左腕をちじませておののきちゃんの小さな身体が森の上空部を疾走し、殺到する蛇の群れをかわした。
 そのままおののきちゃんは僕の隣に着地した。

「ふう、どうだった? 僕の戦いぶり」

「え、いや、すごかったけど、でもさ」

 そういって再び目の前に意識を戻す。

 今や蛇の巨体から何本も巨大な蛇の体を生やした祟り蛇が、動ける人動けない人かまわず食いまくっていた。
 あたりに断末魔の悲鳴が響き渡っている。

 血の臭いと、悲鳴と、絶望が満ち満ちている。

「おかしいなぁ」

 その様子を見ながらおののきちゃんがつぶやく。

「祟り蛇は大物の怪異だけど、それでもあんな、まるで不死みたいな再生力ないはずなんだけど。再生どころか、新しい頭を生やしてくるなんて、あんなの、このボクでも聞いたことがない」

 すると、前方で祟り蛇のパラライシスでかたまっている自警団の男がいった。

「おい、あの蛇、ハーレンホールドの大霊脈と同期してやがるぞ。おかしいじゃないか。そんなことできるのは、”レオニードの鍵”を持ってるやつだけのはずだ!」

 言って、その男も祟り蛇の巨大なアギトに呑まれた。

「こ、こんなの……」

 パラライシスになんとか口だけ動かしてつぶやいた。
 こんなの、どうすりゃいいんだよ。

 動けないし、いや、動けても。不死で、一撃必殺のアギトを持つ何又にも頭を生やした祟り蛇を、どうにかできるのか?

 祟り蛇が出現してから1分とちょっとで、すでに自警団の半数は絶命し、動ける人間は5名ほどしか残っていなかった。 

 悲鳴がとどろき、血煙で満たされた森に、祟り蛇の複数の頭から発せられる地鳴りのような鳴き声が響き渡る。
 
 そのとき、ちょうどかたまっている僕のななめ前くらいに、ドンッ! ドンッ! ドンッ! と、三つの落下音が響いた。

 それは三人の人間だった。
 そしてその中の一人には見覚えがある。僕の横に着地した一人は、あの”山犬部隊”の第二席”豪胆”サー・バリスタン・セルミーだった。

 その深いシワが刻み込まれた表情が、次に口を開いた。

「オーンッ!!」

 心臓をつかまれるような、”豪胆”の叫び声が空気を轟かせて巨木の森にひびいた。
 瞬間、自警団や僕たちにかけられていた祟り蛇のパラライシスがとけ、僕は糸が切れるようにその森の地面に尻餅をつくように座り込んだ。

 パラライシスがとけた。
 僕が見上げると、すでに”豪胆”やもう一人の人間が刀剣を抜き放っており、残るもう一人は両手を軽く持ち上げている。

「皆はここを離れてよい。わたしたちでやる」

 ”豪胆”が静かな、しかしどこまでも響くような声で言った。
 自警団の面々が、はじかれたように今まで来た道を引き返し始める。
 僕はあわてて叫んだ。

「気を付けてください。あの”祟り蛇”は不死性を持っています!」

 僕が叫んだのと同時に、祟り蛇の巨体が”豪胆”に殺到した。

 豪胆は目に見えない右手の剣撃で目の前の祟り蛇の巨体を縦に裂くと、その縦に裂いた傷口から、新たな祟り蛇のアギトが出現し”豪胆”にせまった。

「ヌン!!」

 ”豪胆”が剣を持たない左手をその祟り蛇の頭に向けると、瞬間に祟り蛇の頭がはじけとんだ。
 それはもう、粉々に吹き飛んだ。
 しかし、その根元からいくつもの蛇の頭が出現し、”豪胆”を襲った。

 しかし、さきほどまで”豪胆”がいた場所にはすでに誰もいなくなっており、10Mほど離れた場所に”豪胆”が立っているのを遅れて発見した。

「鬼のお兄ちゃん、僕たちも退くよ」

「いや、でも!!」

 来た道を戻ろうとするおののきちゃんに叫ぶ。

「祟り蛇がいるんじゃ、樹魅を追うことができない。そしてあの人たちが祟り蛇を、少なくとも追い払えなければ、このハーレンホールドの誰にもそれはできないだろう。山犬部隊の”豪胆”それに、山犬部隊首席、”白犬”ダンドリオン・ランドール」

 おののきちゃんが言った先の、人間は、掲げた両手に、何か白く輝く霧のようなものをまとわせていた。
 それはまるで両腕のまわりで巨大な手のようになり、”白犬”がその巨大な白い霧の右腕を振りかぶって突き出すと、爆発するような超スピードで伸びた巨腕が遠方の祟り蛇の巨大な横腹をとらえ、そのままのスピードで森の奥へと吹き飛ばした。
 
 そして僕が気が付いたときには、”山犬”部隊の三人はすでに姿を消していた。
 おそらく、森の奥に吹き飛ばした祟り蛇を追ったに違いなかった。

「退くよ、鬼いちゃん。あの規模の戦闘に割り込んでも、邪魔になるだけだよ。なんだっけな、”白犬”のあの技、絶対停止の塵アクタ”ダイヤモンド・ダスト”っていったっけ」

「ああ、わかったよ。仕方がないのは僕にものみこめた」

 もし僕たちが追っても、邪魔だといって僕たちが先に殺されてしまう可能性すらありえそうだった。
 僕とおののきちゃんと忍は、そのまま森を引き返し、最初にこの街で使っていた、高層ビルのホテルへと向かったのだった。



 #



「鬼のお兄ちゃん」

 おののきちゃんの呼び声が聞こえたのは、それからしばらくしたあとだった。
 ベッドルームで眠れぬまま横になる僕に、おののきちゃんがあのだだっぴろいリビングルームから姿を現したのだった。

「大丈夫かい? 今夜は眠れそう?」

「悪いな気を回させちゃって。でも、ちょっと眠れないかもしれない」

「だと思ったよ。あれだけのことのあとでスピスピ安眠されたら、そりゃもうよっぽどのコアラだと思うしかないよ」

「コアラなんだ……」

「仕方がないなぁ、鬼いちゃんは。あんまり仕方がないから、今日は僕が一緒に寝てあげるよ。あと寝れるようにちょっとした呪いを使ってあげようじゃないか。かわいい僕の、よく効くまじないをね」

「そりゃ、なんか至れり尽くせりだな」

 あ、でも一緒に寝たりしたらあとあとまずいかな。
 悩む僕に、おののきちゃんが続けていった。

「どうやら、”山犬部隊”が祟り蛇を、一時的にでも追い払うことに成功したらしいよ。樹魅は未だラインを越えてないから北西の森のどこかに潜伏してるって話だよ。何が目的かわからないけどね。それで自警団は、自警団本部ビルに残されてた樹魅の痕跡で、樹魅を呪殺することに決めたんだよね」

「呪殺? できるのか? そんなことが」

 呪殺。殺すことが、できるのか? あの怪異を。

「”レオニードの鍵”を使えば、このハーレンホールド内なら誰でも呪殺することができる。それくらいとんで

もない霊紋なんだよね、あれは。殺せないのは同じくレオニードの鍵を持ってるやつくらいさ」

 僕はゴクリとのどを震わせて続きを待った。
 あの祟り蛇が脳裏をよぎる、不死の祟り蛇。

「まぁ、結果は見事に呪詛返しされちゃったみたいだよ。呪殺を行ってた自警団の呪術師は、10人全員その場で即死だったらしい」

「じゃぁ、もしかして……」

 おののきちゃんは、やはり、無表情のままで、コクリとうなずいていった。

「うん。たぶん、鬼のお兄ちゃんのご案内のとおりだよ。”樹魅”はどうやら”レオニードの鍵”を持ってるようだよ。かなりおかしな話だけどね、事前の報告ではレオニードの鍵は絶対に流出してないはずなんだけどな」



[38563] こよみサムライ014
Name: 3×41◆ecb68eaf ID:31c4df78
Date: 2014/02/08 03:52
「おはよう。鬼いちゃん」

 おののきちゃんの声が耳から僕の意識をつついた。
 僕が目を覚ますと、僕はベッドに包まって、目の前で忍が寝息を立てているのがわかった。
 
 昨日、悪夢のような事件から命からがら、一度は命を落としながらも、なんとか生還した僕たちは、主に僕が心的な傷によって眠れないことから、眠れるまじないをかけてもらうという名目でおののきちゃんと同じベッドに入り、それに異議を唱えて出てきた忍も、結局一緒に寝るということで話は落ち着いたのだった。

「ああ、おはよう。おののきちゃん」

 おののきちゃんが開けたベッドルームの扉からは、薄くやわらかい光が差し込んでいる。
 この子は、昨日の今日で、まるで何事もなかったかのように、平穏な一日がはじまったかのように、平然としていた。平然としすぎている。
 それは僕の隣でベッドのシーツにくるまってスピスピ寝息を立てている忍だって同じことがいえるかもしれないけれど。
 なんだか、この空間にいるとむしろ僕のほうが神経過敏なんじゃないかと思えてくるくらいだった。いや、絶対にそんなことはないんだけど。

 おののきちゃんは、ベッドルームに少し入ったところで、そんな僕の自虐みたいなものを、知ってか知らずか、あっけらかんとした様子で言うのだった。

「鬼いちゃんは、昨日はよく眠れたかな? ちょうど今、朝ごはんを食卓に並べ終えたところさ。せっかくだから、腕によりをかけておいたよ。鬼のお兄ちゃんは、卵とか、牛乳とか、即時性も遅延型のアレルギーもないよね?」

 僕は起きぬけのボーっとした頭で答えようとした。
 朝食か、そうだ。朝起きれば朝食を食べる。そういうものである。
 そういえば、昨日結局晩餐会に出席することができなかった、そんな場合じゃなかったということは確かにありはするけれど、サリバンたちには少し悪いことをしたと、罪悪感のような感情を否定しきれない。
 あとで謝っておかなくちゃな。
 
「ああ、僕はアレルギーとか、そういうのは大体大丈夫だよ」

 かすんだ目でおののきちゃんを見ながら続けた。
 
「ていうか、おののきちゃんは料理もできるんだな。変な意味じゃなくって、結構意外だよ」

「うん? そうかな?」

 式神の憑喪神人形。この整った顔立ちの童女は、その戦闘能力においては非凡なものだということは、今までに十分すぎるほどに見てきている。
 逆に一般的な、端的に言えば料理とか、そういうものができるというのは普段のことから考えると結構、青天の霹靂というか砂漠に咲いた一輪の花というか、このあまりに当たり前のような生活観にむしろ新鮮味を感じてしまうのだった。

「味のほうなら保証するよ。かわいい僕は戦闘のプロであるというだけでなく、料理だってそつなくこなすし、マルチリンガルだし、サバイバルもお手の物なんだよね。そういうわけだから、僕のことはオールラウンダーおののきちゃんと呼んでくれても、僕は一向にかまわないよ」

「逆に長いだろそれ。まぁ、うん。顔を洗ったらすぐいくよ」

「オッケー。それじゃぁ早く来てね。うれしいなぁ、鬼いちゃんと一緒に朝ごはんなんて、ルンルン」

 おののきちゃんのその言葉は、やはりあまりに平坦だったので、文面ほどのうれしさは伝わってはこなかったのだけれど。
 僕は、しかし、いそいそと身体を起こしながら、さくじつの悪夢から、朝食の、こんがり焼けた小麦やコンソメやたんぱく質のにおいに、なんとか強引にテンションを上げながら、おののきちゃんにもうひとつ質問をした。

「ねぇおののきちゃん」

 おののきちゃんは、首をカクンとかしげて答えた。
 
「なんだい? 鬼いちゃん。かわいい僕に、まだ何か質問でも? 朝ごはんを食べながらでもいいんじゃない?」

「あ、いや。それでもいいんだけどさ。おののきちゃん、何で裸エプロンなんだい?」

「え」

 そういって、おののきちゃんは何か意外とでもいったように自分の服装に目をやった。
 おののきちゃんは、このベッドルームに入ってきたときから、僕には正面からしか見えなかったけれど、それでも明らかにエプロンだけつけて、それ以外は何も身に着けていないようだった。肩とかふとももとか、明らかに何も着てないとわかるような露出の仕方だ。

「いや、ちょっと元気のない鬼いちゃんが、これで元気になってくれればなーと思ってさ」

「おののきちゃん。僕が8歳の少女にごはんだよって朝起こされてしかもその童女が裸エプロンで余計に喜んじゃうなんて、それじゃぁ僕が人類史上稀に見る希代のロリコン。社会の敵。幼女の味方。変質的幼児性愛者みたいじゃないか」

「え、実際そのものなのでは……」

「うるせぇよ。まぁ、でも気持ちはうれしいけどさ、そんなところにまで気を回してくれなくてもいいんだぜ」

「そういうなって。世にもめずらしいオンリーエプロンおののきちゃんなんだしさ。ちなみに、もちろんブラジャーもつけていないよ、まぁこっちは、いつものことなんだけどね。いつもどおりの、ノーブラジャーおののきちゃんなんだけどね」

「ふ、ふーん。いや、別に僕は何も聞いてないけどね。おののきちゃんが一方的にしゃべってるんであって、僕がおののきちゃんの下着について、気になっちゃって根堀葉堀聞き出してるわけじゃないからね」

「おやおや、そんなこといって内心鼻の穴ふくらんじゃってるんじゃないの。やっぱり鬼いちゃんに、かわいい僕の裸エプロン、この判断は間違いではなかったようだね。ちなみに一応パンツははいてるんだよね。そこはオンパンティーおののきちゃんではあるんだよ」

「なんだって!? そんなの邪道じゃないか!」

「あ、でも今はボクはカゲヌイ・ヨツギだからなー。やっぱりここは統一して、ノーブラジャーカゲヌイちゃんって呼んでくれたほうがいいかな」

「やめろよ! 危険すぎるわ!」

 そんなこんなで、ちょっと元気の出た僕であった。

「あ、一応後ろ姿も見ておくかい? かわいい僕の背な姿をさ」

 そういって、おののきちゃんが軽く片足をけって、その場でクルンとまわった。
 自然、それはもう生理的な反応だから仕方がなかったのだけれど、僕の目は見開かれてしまっていた。
 
 おののきちゃんが四分の一ほど回転し、横向きになったところで、しかし、目の前が、僕の視界が真っ暗になってしまった。

「おいお前様よ。一体朝から何をしておるんじゃ?」

 それは、先ほどから僕の隣で寝息をたてていた忍だった。
 おののきちゃんが丁度横を向いたところで、金髪幼女、忍の両手が後ろから僕の目をおおったのだった。
 
「なんだ、起きちゃったのか。後期高齢者だけあって、朝起きるのだけは早いんだなぁ」

「早くないわ。ぜんぜん早くないじゃろうが。ていうかこの中でワシ、一番起きるの遅かったじゃろ。8歳児のスペックそのものじゃろうが」

「しっ忍!? その手を離せ!! 後生だから!!」

 ジタバタする僕に、しかし忍は後ろで僕の背中にガッチリと羽交い絞めになって両目を押さえつけ続けた。

「カカカッ、誰が離すか。おいお前、ワシの主様に不健康なものを見せようとするのではない。青少年育成法にひっかかるじゃろうが」

「それはいまさらすぎるのでは」

 おののきちゃんは、誰も反論できないグゥの音もでないことを言って、しかし
 
「まぁいいや。それじゃぁ鬼いちゃん。はやくリビングに来てよね。せっかくだしさ、冷める前に食べちゃってよ」

 とおののきちゃんの声が聞こえ、次に真っ暗な視界の僕に、パタンというベッドルームのドアが閉まる音が聞こえたのだった。



 #



 ガチャリ
 
 そうドアのノブを回して、ベッドルームからリビングルームへと出てきた僕は、しかしその視界は閉ざされたままだった。
 リビングルームを歩く僕の背中に張り付いた忍が後ろから手を回して僕の目をふさいでいたからである。
 
 僕がリビングに入ってしばらくしていると、リビングの様子を確かめた忍が、
 
「ふむ、まぁいいじゃろう」

 といって、僕に肩車をされながら両手を外した。
 ちょっとまぶしい光に目を細めると、そこには窓から朝日を入れるだだっぴろいリビングと、その片隅のテーブルにところ狭しといった様子に並べられた朝食に、おののきちゃんが正面にチョコンと裸エプロンのままで座っていたのだった。

「鬼いちゃん、こっちに座るがいい」

「どんなキャラだよ」

 おののきちゃんは、よくわからないキャラで僕を促した。
 僕も僕で、正直テーブルの朝食はおいしそうだったし、よく考えたら昨日の晩御飯は何も食べていない、というか食べられなかったので、空腹感も手伝ってそそくさとおののきちゃんの正面に座った。
 おののきちゃんは、エプロンだけでガッツリ露出した右手を伸ばして促した。
 
「どうぞ召し上がってよ」

「あ、じゃぁ。いただきます」

 と、僕。

「よかろう。どれどれ」

 と、忍。
 
「別にあなたには言ってなかったんだけどね。まぁ、別にいいけどさ」

 おののきちゃんの料理は本当に上手だった。
 出しの効いたスープとポタージュ。こんがりやけたクロワッサンやトーストやミューズリーブレッド。サラダなんて皿に九つくらいに分けられて、それぞれのソースに、丁度あった野菜が和えられてある。ちょっと手がこみすぎというくらい、豪勢で、多彩で、豊かだった。昨日の惨状も一瞬忘れるようである。

「これ、すごくおいしいよおののきちゃん。料理の才能があるんじゃないか」

「まぁそこまで手放しに賞賛されてもなんだかこそばゆいけどね。オールラウンダーおののきちゃんの名前はダテじゃないんだよ鬼いちゃん」

「ガブガブガブッ!」

 僕の隣で忍も、まるで流し込むようにおののきちゃんが作ってくれた盛大な朝食を食いまくっていた。
 
「それで鬼いちゃん、昨日のことを受けてなんだけどさ」

 僕がグレープジュースを飲んでいるところで、おののきちゃんがそう切り出した。 
 昨日のこと、おそらく”樹魅”か”祟り蛇”のことだろう。

「祟り蛇は、山犬部隊の主席と次席と五席でひとまず森の中へ退散させたんだけど、いかんせん”不死”だからたちが悪いよ。それに、呪詛返しされたってことは、ほぼ間違いなく”樹魅”は”レオニードの鍵”を持ってるってことになる。それでハーレンホールドの自警団から何から大混乱だよ」

「”レオニードの鍵”って、えーと、あのレオニード家が持ってるってやつだったっけ?」

 僕がそう聞くと、おののきちゃんはコクリと首を縦に振った。
 
「そうだよ。でもおかしいのは、間違いなくレオニード家から”レオニードの鍵”は流出してないってことなんだよ。なのにレオニードの鍵がなければ絶対にできない呪詛返しが行えたんだよね。”樹魅”は”存在移し”と手を組んでるってことを僕たちだけが知っているけど、それでも正直はかりかねるね」

「おののきちゃん、ちょっと根本的なことを聞いてもいいかな。その”レオニードの鍵”っていうのは、一体どんなものなんだい?」

「モグモグモグ、うん?」

 パンをほおばっていたおののきちゃんが、それにこたえて続けた。
 
「なるほど、まぁもっともな質問かもしれないな。”レオニードの鍵”っていうのは、霊脈と同期するための霊紋、キーの役割を果たすようなものなんだよ。そしてそれはレオニード一族が、あの一族にだけ代々発現するものなんだ」

「なるほど、それで”レオニードの鍵”か」

「まぁ正確には、ログインのナンバーの、かなり高次なものだととらえてくれたほうがいいかもしれないよ。そしてそれはレオニード家の人間によって、指紋みたいに少しずつ違うんだけれど、問題なのは、呪詛返しで使われたレオニードの鍵が、絶対に現存の28人のレオニードの鍵とは違うってことなんだよ」

「例えばだよ」

 思いつきの推論を話してみる。
 
「”樹魅”がレオニード家の人間ってことはないのかな? ずっと過去の分家の人間とか」

「残念だけど、それもないね。レオニードの人間の家系っていうのは、ものすごく厳重に管理されてるから、漏れもないだろうよ」

「んん。じゃぁ違うか」

「それともうひとつ、今日の夜、ハーレンホールドの上層部はすべての主席から9席まで”山犬部隊”をかり出して”樹魅”が潜伏してると考えられてる北西の森で”山狩り”を行うようだよ」

「”樹魅”を捕まえられるかな?」

 僕のその問いにおののきちゃんはリンゴをパクリと食べた後にこたえた。
 
「どうかな。さすがに4席以下じゃすぐ殺される可能性のほうが大きいと思うよ。ただ実際に”白犬”や”豪胆”があの桁外れの怪異を相手にどこまでやれるかなんて、実際やってみないとわからないかな。もちろんボクとしても、一応”おののきよつぎ”の存在が移されてるだけに、無事に捕まってほしいって気持ちはあるけどさ」

「僕もそう思うよ。ただあいつらの戦闘に介入できる気がしないんだよな……」

「ちなみにハーレンホールドの南東で起こってた爆破テロは、一応収束したらしいね。犯人は不明だってさ。よかったよ」

「よかったって、何がなんだい? もしかしたらそれが”存在移し”だったかもしれないじゃないか」

「いや、存在移しならなおのことつかまらないよ。でも逆に、それで捕まった犯人が”アララギコヨミ”の存在なんか移されててご覧よ、鬼いちゃんは凶悪テロリストとして国際指名手配だよ」

「うお、結構やばかったんだな……」

 爆破テロで国際指名手配。懲役10年やそこらですむわけがなかった。
 そこでホッと胸をなでおろす心地だった。犯人が捕まらなくて本当によかった。

「まぁそういう意味では”アララギコヨミ”が”アララギコヨミ”として何かやらかす前にその”存在”を取り返さなくちゃならないわけだよ。なかなか難易度が高い」

「そうだね」

 なんだか気が重くなってきたというか、緊張感が増してきた。
 ミニキャベツとトマトのオニオンソース和えを口に運んでいると、おののきちゃんが続けていった。
 
「鬼のお兄ちゃんには、すまないことをしたと思うよ。申し訳なかった。完全に巻き込んじゃったよ。ボクにできることなら、どんな償いでもさせてもらうつもりだよ」

「……」
 
 おののきちゃんはそういって、しかし無表情に、テーブルの朝食に目を落とした。
 その表情から、やはり僕はどのような感情も読み取ることはできない。
 僕は口の中のトマトとミニキャベツを急いで飲み込んで言った。

「おいおい、みずくさいこと言わないでくれよ。たしかに異常事態ではあるけど、僕はこれでよかったと思ってるんだぜ。こんな遠いところで一人で”存在”を失うなんて、孤独すぎるもんな。おののきちゃんが一人でそんなことにならなくてよかったよ」

 一度怪異に触れたものは、怪異にひかれやすくなる。
 それが元とはいえ、忍のような、旧キスショット=アセロラオリオン=ハートアンダーブレードなんて怪異なら、なおのことだろう。
 しかし、それでも、僕はこの目の前の童女のせめて朝食の相手にでもなれることについては怪我の光明くらいには思っていることをなし崩し的ではあったけれど表明することになった。
 おののきちゃんは、やはり無表情だったが、小さくため息をついた。
 
「はぁ。ほんとうに正義漢なんだなぁ、鬼のお兄ちゃんは。だがそれは同時に理想論でもあるとボクは思うよ。でも、まぁそういってもらえると、ボクもうれしい気持ちはちょっとあるかな」

「そうかい? そりゃ重畳だよ」

 僕とおののきちゃんの隣では、相変わらず忍がテーブルの朝食群に手を伸ばしまくっていた。
 確かに怖いし、孤独感も半端なかったが、おののきちゃんのそれを幾分かこちらに持ってこれていることについては、ほとんどそれだけが唯一よかった点だといえる。
 とまぁ、とりあえずそういう感じで僕とおののきちゃんは手を取り合うことを確認しあったわけである。

 そういって、鮭のあぶりソテーをつっついていた僕の前で、おののきちゃんがすっと立ち上がった。
 
「鬼いちゃんのその気持ちに何かお返ししてあげたいんだけど、残念なことに、今はこれがかわいいボクの精一杯さ」

 といって、おののきちゃんは立ちあがり、僕が見ている目の前でエプロンの紐をシュルっとといた。
 瞬間、僕の目が見開かれてしまう。
 おののきちゃんの、両肩のエプロンのひもがほどけ、おののきちゃんのエプロンが重力にしたがって、自由落下運動をはじめようと、ちょうどゆっくりと落下しはじめた。
 
 その落下運動の初動を見守っていた僕の視界だったが、しかし、おののきちゃんのエプロンが動き始めた瞬間にその視界は真っ暗になってしまった。
 すばやく僕の頭に飛びついて、後ろから僕の両目を押さえた忍の小さな両手が、僕の眼球を眼底にまで押し込む勢いでギリギリと押さえつけられ、そのだだっぴろいリビングルームに僕のか細い悲鳴が響き渡ったのだった。


 その後、話し合いで決まったことでは、おののきちゃんはハーレンホールドを自警団を中心に情報収集をし、僕はレメンタリー・クアッズで存在移しの痕跡を追うということである。



[38563] こよみサムライ015
Name: 3×41◆ecb68eaf ID:31c4df78
Date: 2014/02/12 05:46


 結局、僕は忍に目潰しをされたまま服を着たおののきちゃんとホテルのエントランスで別れ、一人でハーレンホールドというこの巨大都市を北に向かい、けっこうな坂を登ってくだんのエクソシスト学園、レメンタリー・クアッズへと向かった。

 学園の門をくぐって、サリバンたちの宿舎があるトパンズの宿舎区画へと向かう。
 ちょうど朝日が半分ほど出かけているころで、学園をランニングしている学生とチラホラすれちがった。
 
 昨日、北西の森へと姿を消した樹魅は、今だその姿を見せる様子はなく、また北西の森からさらに抜けてどこかに消えたということもないらしいので、おそらく森に潜んでいるのだろうと思われる。
 そしてもうひとつ浮上した”不死の祟り蛇”である。
 山犬部隊のトップがその不死性まで含めて捕獲を試みたが、このハーレンホールドの大霊脈をその巨体でバーストさせ、さらに幾重にも複数の蛇に分かれてはつかみどころがなく、祟り蛇を北西の森へと追い返してその後は厳戒態勢を強いているということである。
 朝日と薄い霧のキャンパスの街路樹を横切りながら、昨日の血煙を帯びた森が脳裏によぎる、確かに、あの祟り蛇がハーレンホールドを襲えばどれほどの被害がでるのか、にわかに想像もつかない。
 しかし、祟り蛇をどうにかしようにも、おののきちゃんいわく”レオニードの鍵”によって不死性を得た祟り蛇は現状手に余る。
 おののきちゃんは、そのレオニードの鍵の流出についても何か手がかりをつかまなければ、不死の祟り蛇を処理しきれないと見てもいるようだった。
 なぜ完全にこのハーレンホールドに君臨するレオニード家にして門外不出である”レオニードの鍵”を”樹魅”が持っているのか、そしてそれはどこからだ?
 それはそれで僕自身も結構考えはしたが、残念なことに、やはり見当がつかなかった。
 
 学園から北東へと入り、並木道を抜けると次は大きめな湖畔をよこぎった、サリバンたちの宿舎村はその先だ。
 その間もけっこうランニングをする学生とすれ違った。
 やっぱりエクソシスト養成校というだけあって、体が資本みたいなところもあるのだろうか?
 結界術や交霊術なんかが僕の中で目立っていたけど、結構アナログなところも重要であるようだった。
 
 しかし、それも今はおそらく物の数ではないだろう。あの”樹魅”や”祟り蛇”は、学園の学生が全員でかかってもどうにかなるとは思えない、本来なら避難、それこそ昨日レミリアに案内されたシェルターにでも入るべきだろう。
 現行、そこらへんは戒厳令が敷かれているらしく、自警団が問題の処理に当たるということらしかったが、たしかにこのハーレンホールドの自警団は大戦力だというのはわかるけど、それでどうにかなるだろうか? おそらく、山犬部隊の主席か二席が”樹魅”をしとめることができなければ、あとは太刀打ちできるかすら微妙なところだった。
 さはさりながら、僕は僕で”存在移し”の痕跡をつかまなければならない。



 #
 
 
 
 やっとサリバンたちの宿舎の一軒立てのロッジが見えてきた。
 そのロッジへと歩く僕の目に入ったのは、ロッジの玄関の前にある野ざらしのテーブルで飲み物のカップを所在無さげに傾けているメアリーの姿だった。
 そのストリートファイターな豊満な短髪アッシュブロンドの女の子は、近くまで歩いていた僕の姿を見ると、ロッジのほうに
 
「コヨミだ! みんなコヨミが帰ったよ!」

 と叫んで次にこちらにかけよってきた。
 かけよってくるメアリーに僕も右手を上げてこたえる。
 
「よお。おはようメアリー」

 言いながらチラっと頭をよぎる、いつもはロッジの裏庭で木偶人形を相手に格闘訓練をしているらしいメアリーが、なぜ今日は表で所在なさげにしていたんだろう。
 
「メアリーさ、お前もしかして僕のこと待っててくれたのか?」

「ああ、そうだよ」

 僕のその問いに、メアリーが人懐っこい、しかしどこか狩猟者のような印象の笑みでもってそうこたえた。
 よかった、僕の自意識過剰でなくて。
 内心ほっとする僕にメアリーが続けた。
 
「ほら、昨日コヨミが晩餐会を抜けてから、街で爆破テロがかなり大規模に起こったって言うし、コヨミは帰ってこないし、みんな心配してたんだよ。でもよかったよ、どこも怪我がなさそうでさ」

「ああ、ありがとう。幸いにその事件があったとこにはいかなかったんだよ」

 まぁ、怪我はしたんだけど。というか、一度命すら落としている。
 ただ、僕の体に宿る中途半端な吸血鬼の不死性によってなんとかリカバリしただけであって、それも忍がいなければ、僕の体を幾重にも刺し貫いた黒い樹に回復のしようもなかっただろうな。

「どうしたんだいコヨミ?」

「あ、いや。なんでもないよ。とにかく僕は無事だよ。そこは見てのとおりだ」

「なんだかちょっと元気がないんじゃない? 一回やるかい?」

「なんで格闘訓練で元気になるのが共通認識みたいになってるんだよ。それはあとででいいだろ」

 っと、昨日の悪夢に少し気が遠くなってしまい、メアリーにも少しそれが気取られたようだった。
 僕が毒気を抜かれたようにそうこたえると、メアリーは快活にアハハと笑った。快活というか、エネルギーあふれすぎである。
 僕とメアリーが少し話している間に、ロッジの扉を開けてサリバンやマットやレミリアが僕に声をかけた。
 
「おはようコヨミ! いやぁよかったよコヨミが無事でさ! メアリーなんかコヨミを探しにいくって学園飛び出しそうだったんだぜ!?」
 
 と、サリバンが言うとマットが続いて
 
「無知を恐れるな。偽りの知識こそ恐れよ。とはパスカルの言葉だがね。学園側が外出禁止を出してたのにあの意思の強さはどこから来たものか。俺たちがメアリーを止めるのも一苦労だったんだぜ」

「そ、そうだったのか。よくとめてくれたな」
 
 ていうか僕のいたとこまで来たら下手すれば死んでたぞ。
 なんて抜き身な女だ……
 サリバンとマットの言にメアリーが言い返した。
 
「サリバンだってちょっと乗り気になってたじゃない。コヨミは私たちのクラスメートに真っ先に助けに入ってくれたじゃないか」

「あ、いやあれは僕がそうしたかっただけというか……」
 
「私はさ、サリバンやマットやレミリアを家族だと思ってるけど、きっとそこにコヨミも入ってもらえると思うんだよね」 
 
「おもっ! 重いわ! 僕ら会ってまだ一日とちょっとだぞ!?」 
 
「それに昨日コヨミを追っていれば、何かおもしろいことに出くわしたかもしれないしさ。そうじゃない?」  
 
「そっちが目的かよ……」 
 
 まぁ確かにメアリーの予感は、大当たりというか、大当たり過ぎなのだが。
 カラカラ笑うバトルジャンキー女の隣でレミリアが言った。
 
「まぁいいじゃない、私としてはこの変態がピンピンしてるのもちょっとアレなんだけどね」 
 
「レミリアお前、昨日から思ってたけど同居人にとる態度じゃねーだろ。お前は僕をお兄ちゃんか何かと勘違いしてるんじゃないのか? なら変態じゃなくてコヨミお兄ちゃんって呼んでいいんだぜ」 
 
「うるさい変態!」 

「とか言ってるけどレミリアも昨日は心配そうにしてたんだぜ?」

 マットが言うと、レミリアがプリプリして語気を強めた。
 
「ちょっとマット! そういうこと言わないでよ!」
 
「まぁそこらへんは宿舎の中で話そうじゃないか! 今日は短期留学生も受けられる自由参加型の授業もあるし、校内新聞が出る日でもあるしさ! 楽しみだなぁ!」

 そういいながら宿舎へと歩いていくサリバンに続いて、マットやメアリーもしゃべりながらロッジへと向かった。
 しかし、レミリアは3人をよそに声を潜めて言った。
 
「ねぇあんた。今からちょっと時間ある? あるでしょ、あるに決まってる。ちょっと私に付き合いなさいよ」

「僕の予定のなさを確信してんじゃねーよ。え、なに? 付き合うって?」 
 
「いいから、こっち」 
 
 といってレミリアの小さめの手が僕の服の袖を引っ張った。
 僕とレミリアの様子に気づいたメアリーが冗談めいた口調で声をかけてくる。
 
「おやおや、レミリアも色恋沙汰には億手かと思ってたら、もうそんな年頃なのか。優しくしてあげてよコヨミ」
 
「は、はぁ!? 違うわよメアリー! 変な勘違いしないで!」 
 
「え、そうなの? お前の気持ちはうれしいけどさ、僕にはもう彼女がいるしさ……」 
 
「うるさい! さっさとこい!」 
 
 ボグ! と僕の太ももにローキックが突き刺さった。
 
「いってぇ! ああ、わかったから次のローキックの動作に入るのはやめろ!」 
 
 結局、僕はレミリアに連行される形でロッジの裏庭のさらに林に連れて行かれることになったのだった。
 メアリーは僕に、レミリアに優しくしてくれといったが、当のレミリアがまったく僕に優しくない。優しさのキャッチボールがまったく成立してない。
 優しくほうった僕のボールは全部デッドボールで返ってくる感じだ。それでもなんだかかわいく思えてしまうから卑怯だった。なんか、僕の性癖なんだろうか。
 
「で、なんだよレミリア。こんな人気のないところに連れ込んでさ。さっきもいったけど、僕には彼女がいるんだぜ。まぁ、どこかに遊びに行くくらいならかまわないけどさ」
 
「いってないでしょ! ぜんっぜんいってないじゃない! 何かってに勘違いしてんのこの変態!」 
 
 ちょっと軽口をいったのにこの反応である。
 
「へいへい。それでどうしたんだよ? もしかしてアイリー・レオニードにまた何かされたのかい?」 
 
 それなら問題である。
 先日の交霊室の件も、転び方によってはしゃれにならないところだった。
 しかし、レミリアはその問いにも首を振った。
 
「違うわよ。んー、なんていえばいいのかなぁ……」
 
 レミリアの様子は、見た感じだけど、どこか楽しそうだった。
 まるで旅行に行く前のような、好物を食べる前のような。
 もしかしてメアリーがいったように、僕じゃないにしても誰かに思慕の情でも芽生えたのだろうか?
 いや、それで僕に相談とかしないよな……
 レミリアは、しばし悩んでいるようだったが、思いついたようにすると。
 
「よし! 実際に見てもらったほうが早いわよね」
 
 と言って、静かに目を閉じた。
 そして、はかりかねている僕の目の前で、突然、レミリアの小さな体が、フワっと、宙に浮き上がったのである。
 
「え、お前。なんだそれ?」
 
 目を閉じたレミリア。完全に浮いている。その細いスラっとした足は、芝生から50センチほど離れて、空中にふわふわと浮遊している。
 ふとレミリアが目をあけて、明るくはずんだ、うれしそうな声でしゃべりかけた。
 
「ねっ? ねっ? すごいでしょ? サイコキネシスで飛べるなんて、聞いたことないよ!」
 
「ああ、レミリアお前、完全に浮いてるよな…… うわっ!?」 
 
 すっとんきょうな声を上げた僕が、再び状況を確認すると、地面が少し遠くにあるのがわかり、僕まで宙に浮いていることをやっと確認した。50cmほど浮いているだけなのだが、普通に怖い。

「うわっ! ちょ、なになになに!? レミリア!?」
 
「あはは、じゃぁちょっと行くよコヨミ」 
 
 行くよ? 二人とも地上50cm浮いたままで、どこへ行こうというんだろう?
 ポカーンとした僕をよそに、レミリアは小さく微笑むと、レミリアと僕の体が、はねるように動き、はるか上空へと疾走していった。
 
 まるでロケットかなにかのように地上から上空へと飛び立った二つの人体は、もしそばで見ている人間がいれば鳥か何か、それ以上に速い何かに見えたに違いない。
 
 すばやく高度を上げていく僕の体は、しばらくすると白いもやが体を包み、それが雲なのだと認識したころには、その雲を飛びぬけて、朝日が晴れやかな上空へと飛び出した。

「ほらコヨミ! ハーレンホールドが見渡せるよ!」
 
 レミリアはどうやら、上空に飛ぶのはこれがはじめてではないらしく、はるか上空からの景色に楽しそうにしていた。
 一方僕はというと、生身で、何の装備もないまま上空800メートルやそれ以上を飛行させられて、めちゃくちゃ怖かった。
 まるで飛行機から生身のままで放り出された感覚である。レミリアの前でなければ絶叫していたに違いない。
 
「ちょっとレミリア!? こええよ!! 怖い怖い怖い!!」
 
 無重力感を感じながら上空を漂う僕は、手足をバタつかせながら結局叫び声を上げるように言った。
 その僕の様子を見たレミリアは
 
「すぐ慣れるわよ。あはは、バーカ」
 
 といって楽しそうに笑っていた。
 
 断言しておくが、急に上空800メートルにサイコキネシスで浮遊させられたら、誰でもこうなるハズである。
 僕が特段へたれだからということではないはずだ。
 今腹を抱えて笑っているレミリアだって最初はびびっていたことうけあいなのである。しかし今それを言うと何をされるかわかったものではないので口には出さないでおいた。
 
 僕とレミリアは、というかレミリアのサイコキネシスなんだけど、しばらく水平移動し、雲を突き抜けたりハーレンホールドのどこまでも続くような街並みを眺め、またしばらく遊覧飛行を続けた。
 
 それをしばらく続けたあと、レミリアは僕とレミリア自身を先ほどの宿舎の裏の林に移動させ、僕が地面に着地してドスンと全身の力が抜けたように地面にへたり込むと

「これ、なんだろ?」
 
 と聞いてきた。
 
「いや、僕にわかるわけないだろ。こっちがききてーよ」 
 
「私のサイコキネシス、こんなに強いわけないんだけど……」 
 
「うーん、確かに一理あるかな。スプーンをやっと浮かせられるくらいのサイコキネシスだろ?」 
 
 そこで、昨日のことが脳裏によぎる。
 交霊室、その扉、レミリアが手をかざし、数泊おいて叩き潰されたように吹き飛んだあの鉄扉。
 
「もしかしてレミリアのサイコキネシスがかなり強くなってるのか?」
 
「そう、なのかな……」
 
 レミリアが自らの両手に目を落としてつぶやいた。
 レミリアの異能が成長した。いや、成長したというような表現は生ぬるいかもしれない。鉄扉をひしゃげ、自らの体を飛行させるほどの、変貌である。
 
「それ、もうサリバンたちに言ったのか?」 
 
 僕が尋ねると、レミリアは首を振った。
 
「言ってない。だって、こんな力があるってわかったら、クラスを移されるかもしれないし……」
 
「そこかよ。でも、サリバンたちになら言っておいてもいいんじゃないか?」 
 
「ダメ! これを知ってるコヨミにしか聞けなかったんだから!」 
 
「いや、でもさ。これって……」 
 
 いいかけたところで、僕の体が再びふわりと宙に浮いた。
 僕があわてながら正面のレミリアのほうを見ると
 
「このままひねりつぶすわよ?」
 
「いや、怖いよ! さっきと違う意味で怖い! わかった! わかったってば!」 
 
 そういうと、レミリアははぁとため息をついて僕を地面に降ろした。
 
「はぁ。あんたが話がわかるやつでよかったわ」
 
「いやお前完全に脅迫したよな」 
 
「はぁ? なに?」 
 
「なんでもないです……」 
 
 このごろの女の子は難しいようである。
 
「はぁ。でも、なんだろこれ。交霊室の”アレ”かな」
 
 交霊室の”アレ”。交霊室に満たされた青い燐光のことだろう。レミリアの力は、それが原因なのか?
 ここで僕とレミリアでその結論を出すことはできなかった。
 結局、このことは保留ということで僕とレミリアはロッジへと戻ったのだった。
 
 
 
 #
 
 
 僕とレミリアがロッジに戻ると、サリバンとメアリーとマットの三人は一階のリビングのテーブルでコーヒーを飲んでいるところのようだった。
 玄関から入るとメアリーが左手にコーヒーのカップを持ったままで右手でヒラヒラと手を振った。
 
「二人ともお帰り、内緒話はうまくいったかい?」
 
「ああ、レミリアもとうとう僕の手を離れるのか。なんだろうなぁ、うれしいような、さみしいようなこの気持ちはさ!」 
 
 とメアリーに続いてサリバンが言うと
 
「そ、そういうんじゃないわよ! バカ兄貴!」
 
「心外だなぁレミリア! 僕の学術はクアッズでもトップなんだぜ!」 
 
 とまた言い合いをはじめたので、僕は僕で気にせずリビングのイスに腰を下ろすと、メアリーが尋ねた。
 
「ねぇコヨミ。午前はクアッズで自由参加型の授業があるけどコヨミはどうする? 私たちはその授業に出席する予定だよ」
 
「ああ、そうだな」 
 
 午前は、特に予定はない。
 ちなみに午後はおののきちゃんと合流して、ハーレンホールドのことについていろいろ調べる予定にはなっていた。
 そこでちょっと気になったことをメアリーに尋ねる。

「ちなみにその授業っていうのは、トパンズだけじゃなくて、別のクラスも混じるのかい? 例えば、ダイアスなんかも?」
 
 ダイアス。この学園のもっとも優秀なクラス。そして”アララギコヨミ”が所属するハズだったクラスだ。
 
「ああ、そうだよ。自由参加型だから、特例っていうのかな、クラスの垣根もなしってことになってるみたいだね」
 
 テーブルの端ではサリバンとレミリアが言い合いを続けていて、マットは涼しげにコーヒーを飲んでいる。
 メアリーがそう答えると、僕も思案に数泊置いて答えていった。
 
「そっか。実は午後はちょっと予定が入ってるんだけど、午前は僕も予定があいてるから、僕も是非参加させてくれよ」 
 
 実際、僕個人としても興味を引かれるところではあった。
 そんなこんなで、今日の午前の予定は決まったわけだった。
 




[38563] こよみサムライ016
Name: 3×41◆ecb68eaf ID:31c4df78
Date: 2014/02/18 21:16



 この街を訪れて二日目の午前である。
 午前はこのエクソシスト学園における公開授業があるのだそうで、サリバン、メアリー、マット、レミリアはその授業に出席するということらしく、同時にその公開授業にはほかのクラスとの混合でもあるらしかった。
 僕としても、授業そのものにも少々の興味はあったし、ダイアスというクラスに所属しているかもしれない”存在移し”を探すという点でも、なかなかに都合がいいように思われ、僕もその自由参加の授業に参加したいと申し出た。

「ああ、もちろんだよコヨミ! せっかくクアッズに来たんだから、5年大祭だけじゃなくて学園でも有意義な時間を過ごしてもらいたいもんさ!」

 一軒立てのロッジ内の一階のテーブルで、僕が尋ねると、レミリアと口論をしていたサリバンが顔を輝かせながら笑顔で答えた。
 
「ああ、そりゃありがたいよ。でも大丈夫かな? 僕はなんか、エクソシストの予備知識とかほとんどないんだけど……」

 僕がそういうと、テーブルの向こうでコーヒーを飲んでいたマットがあいたほうの手を振りながら言った。

「まぁ、単に知識だけでいうなら、サリバンがほとんど把握しているから、この宿舎でも十分なんだけどな」

 それを受けてサリバンが、
 
「大丈夫だと思うぜ、もしわからないところがあれば僕がフォローするしさ、第一、実際に術式の実演なんかになると先生にやってもらったほうがいいからね。そこらへんは肩の力抜いてくれよ!」

「でも操作ミスったら爆発しちゃうかもね~」

 横からささやき声が聞こえてくる。
 僕がその声に反応してそちらのほうを向くと、レミリアがそっぽを向いているだけだった。

「はは、レミリアお前、そんなおどしで僕がビビるとでも思ってるのかよ? でもまぁ、あんまり専門的なこと学んでも仕方ないかもしれないし遠慮しとこうかな……」

 と、その時点でやや心が折れかけていたが、右手のほうでコーヒーのコップを傾けていたメアリーがフォローした。

「大丈夫だよコヨミ。今日の授業で爆発するようなものは扱わないからさ。レミリアはコヨミのことが気になって逆にいじわるしたいだけなんだよ。大目に見てあげてよ」

「え、そうなの?」

「はぁ!? 違うわよ!! そんなわけないじゃない!!」

 さっきまでそっぽを向いていたレミリアがはっとしたように立ち上がっていった。
 他方でマットも席を立って、
 
「許してやれよコヨミ。失うことを恐れるあまり必要なものを手に入れることも断念するという人は、理屈にも合わないし、卑怯である。というのはプルタークの言葉だけどな。レミリアはまだ好意をどう表現していいのかわからないだけなんだよ。それじゃぁそろそろ俺たちも教室に向かおうか」

 と言っていったん自分の部屋に向かって階段を登っていった。
 サリバンもメアリーもテーブルを立ち簡単な準備をはじめ、再びリビングに集まって、玄関のドアを開けて外に出て行き始めた。
 
「絶対にそういうんじゃないからね!!」

 とプリプリとした様子で言っているレミリアを適当にいなしながらである。
 いや、僕も別にレミリアが好意とか持っているのではなく、単にスキンシップ的な感じでつっかかっているようなのはわかってはいるんだけど。
 どうもレミリアは、こいつが本当に僕に好意を持っているということになっていると思っているようで、それを否定しようとやっきになっていた。しかしそう思っているのはこの5人の中でレミリアだけである。
 途中でレミリアがキッとした感じで僕をにらんできたが、そもそも上目遣いでかわいい感じになっているだけだった。
 
「フグッ」

 思わず僕が吹き出してしまうと、ボグッ! と僕の太ももにレミリアのローキックが突き刺さった。
 
「いってぇ!」

「フンッ! くたばれ!」

 レミリアはそういい捨ててさっさと玄関を出て、栗色の髪を左右に振りながら先に歩いていっていたメアリーの隣へと行ってしまった。
 僕もはぐれないようにしないように、サリバンたちを追って少し早足で宿舎を出た。
 
 
 
 #



 教室は、トパンズの宿舎区画から出た先の本校舎の一室であるようだった。
 一軒立てのロッジを出て、トパンズの一軒立てのロッジが遠めに密集する宿舎区画の林を出て、朝もやが晴れた広めの湖畔を大きくまわり、北東の宿舎区画から学園のキャンパスに入って、巨大な城然とした校舎へと5人で入っていったのだった。

 今頃おののきちゃんは、ハーレンホールドのことをいろいろと調べているに違いない。僕も午後からはそちらに合流することになっている。

「こっちだよコヨミ」

 前を歩くメアリーが後ろを見て僕に声をかけた。
 本校舎に入ると、かなり広いエントランスに入った、入り口の上のステンドグラスからは、グラスの色を帯びたとりどりの太陽光がエントランスの床を照らしており、クアッズの生徒たちと短期留学の学生たちでひしめいている。

 その人の波をややかき分けるようにして階段を登り、レンガ造りの廊下を進むと、木製の扉に突き当たった。
 ガチャリ、と前の四人が扉をくぐり、僕も入室すると、そこは500人収容ほどの大教室が目の前にひらけた。
 相変わらず、室内はレンガ作りだが、教室の後ろから前へと階段を下るようになっていて、横長の机が段々に備えられている。
 サリバンに促されて、僕も前から8列目くらいの席に4人と一緒に座った。
 
「本当に全部のクラスのやつがいるんだな」 
 
 僕がその大教室を見回すと、ルビウムやアクアマリンなど、首に巻いたチョーカーでそれとわかる、このエクソシスト学園において4つに大別される全クラスの学生がこの教室に混在していることがわかった。ただ、ルビウムはルビウム、アクアマリンはアクアマリンで固まって席を取っているようではあった。

「でも、それぞれのクラスで固まっちゃいるんだな」

 僕がそうつぶやくと、机の上にノート類を広げたマットがそれに気がついて
 
「それは正論だが、5人で固まってる俺たちが言うことでもないんじゃないか? コヨミも一人で席を取ってみるかい?」

「確かに…… というかこの中で僕一人だと心細すぎて干からびちゃいそうだよ」

「それにクアッズではダイアス、ルビウム、アクアマリン、トパンズそれぞれで仲間意識が強いんだよ。クラスごとの成績で次の年の予算が決まったりするからな。まぁ、結局優秀な生徒が集められたダイアスが優遇されることになるんだけどな」 

「へぇ、競争心の刺激っていうのかな? けっこう大変なんだな」

 同時に、その大教室の学生たちの視線がときどきコチラに向くのが僕にもわかった。
 その視線の向く先はレミリアである。そういえばこいつファンクラブとかあるんだっけ。
 レミリアはというともはや慣れてしまっているのか特に気にしない様子でメアリーと話している。
 
 しかし、この様子をまたぞろあのダイアスの女王、アイリー・レオニードに見つかりでもしたら何を思われるかわかったものではない。
 それでまた教室を見回してみたが、どうもアイリー・レオニードはこの授業には出席していないようである。
 もうひとつ、ルビウムのティリオン・ラニスターの姿も見ることができなかった。山犬部隊、第三席”天剣”サー・ジェイム・ラニスターの弟である生徒である。
 昨日の事件、事件というかほとんど悪夢だったように思うけど、あれは戒厳令が敷かれているとはいえ、あの災厄そのもののような怪異”樹魅”に”天剣”がやられたというのは、ティリオンは聞き及んでいるのだろうか? ”樹魅”については聞かされなくても、”天剣”のことについては何か知らされているかもしれない。だとすれば、とても授業に出てこようなどとは思わないに違いない。

 同時に、それらについて、僕はサリバンたちに話すべきか否かということもそこそこの悩みの種ではあった。
 サリバンたちは先日、ハーレンホールドの南東で爆破テロが発生したことまでは知っているようで、それだって大事件ではあるのだが、一方でハーレンホールド北東の自警団本部ビルが全壊し、ビルの中にいた数百名の自警団は惨殺されつくしていたことは知らない。
 自警団は戒厳令を敷いたまま解決することを決めているらしいが、今だってかなり危険な状態であることには変わりがないのだ。
 しかも”樹魅”にはほぼ間違いなく”存在移し”がついているのだ。
 もし仮に、別の存在を移された”樹魅”が今、この3百から4百人がひしめく大教室にまぎれこんでいるとして、”樹魅”がその気になれば一瞬で全員が皆殺しにされるだろう。

 しかしそれを話したところでどうなるものでもない、というか、メアリーなんかはむしろ”樹魅”を探しに向かいさえしそうであった。それだと余計に話してはならない気分になる。僕の身も危なくなりそうだし。

 おののきちゃんは、別に存在が戻らなくてもこのまま怪異退治の専門家として別の存在として生きればいいとも言っていたが、当然のことながら、僕のほうがそれを了承することはできない。

「レミリア・ワゾウスキさん? もしよかったら、俺たちと授業を受けませんか?」

 僕が考えていると、聞きなれない男の声がレミリアの名前を呼ぶのが聞こえ、そちらを見ると、レミリアにルビウムの生徒が3人、声をかけているのがわかった。
 たぶんレミリアのファンクラブの会員なんだろう。祭りの高揚感も手伝って大胆な動きに出たのか、そもそもこの学園ではこういうノリなのかは僕にはわからなかった。

「あ、あの、私は…… ええと」

 レミリアは、しかし、伏し目がちに言葉を濁してしまっていた。
 こいつ、僕にはズケズケくるくせに、どうも学園の生徒には丁寧に対応するよな。
 言葉をつまらせているレミリアの隣のメアリーが野生的に微笑みながら言った。
 
「私ならいいんだけどなぁ。できれば、その後に一勝負お願いできればありがたい」

 ルビウムの3人の男子生徒たちは、それでうっとのけぞるようだった。
 メアリーのショートの銀髪を揺らした野生的な微笑みは、僕から見れば息を飲むような健康美をともなったものだったが、同時に、この男子生徒たちにはメアリーのバトルジャンキー的な側面も知れているらしく、メアリーがそう誘いかけると、逃げるようにそそくさと退散してしまった。それを見送りながらメアリーは「残念だなぁ」とつぶやいて肩をすくめた。

「レミリア、お前本当に人気があるんだな」

「はぁ? うるさいんだけど」

「でもなんか、それだけ人気だと逆にめんどくさそうだよなぁ」

 後ろの席に座っているレミリアの二重人格のような軽いジャブにも動じなくなった僕はそう続けた。
 レミリアは少し肩透かしをくらったような表情をしながら
 
「でも、仕方ないじゃない。やめてっていってもやめてくれるようなものでもないし。ところでコヨミ、今日は忍ちゃんはいないの? 忍ちゃんは?」 

「どんだけ必死なんだよ。忍は今日は…… ええと、別行動で5年大祭をまわってると思うぜ」

「なんでこっちに連れてこないかなぁ。忍ちゃんのいないコヨミなんてソバのないザルソバみたいなもんだわ」

「はいはい悪かったな。ってちょっとまて、ソバのないザルソバってただのザルじゃねーか。ただの忍スタンドみたいになってるじゃないか」

 実際に忍は今も僕の影の中にいるので、それはあながち間違いでもないのだが。
 ちなみにその場合奇妙なスタンド的なのは忍である。

「はぁ…… 一晩中忍ちゃんをモフりたい……」

「願望が口に出てんだよサイコレズ。ちなみに僕は昨日忍と、イヤ……」

「私はレズじゃない。それで? 昨日忍ちゃんとどうしたのよ?」

「いや、なんでもない。それじゃぁこの話はここで終わりだ」

 昨日一晩中忍と同じベッドで寝た。
 そんなことを言ったらレミリアに何をされるかわからないからな。
 話を打ち切って教室の前を向いていると、突然後ろから野球ボールをぶつけられたような衝撃で、軽く前方につっぷしたようになってしまう。
 僕が驚いて振り返ったが、特に何かぶつけられたものが床に落ちた様子もない。
 ただレミリアが笑いを我慢してる感じでそっぽを向いているだけだった。

「おい、レミリアお前だろ。バレてんだよ」

「は? 何? 私が何かしたっていうの? プククッ」

「笑ってるじゃねぇか。笑いをこらえきれてねーんだよ」

「私のサイコキネシスで何かできるわけないじゃない? バカなんじゃないの?」

「ああそう。そう出るなら僕は別にかまわないぜ。なんかレミリアのサイコキネシスがなんかえらく強く……」

「わーっ! わーっ!」

 僕がいいかけたところで、レミリアが大声を出して身を乗り出して僕の口を両手でふさいだ。
 
「もう、わかったわよ。悪かったわよ」

「へっ、わかればいいんだよ」

「あとでひねり潰すからね」

 レミリアが僕の口から手を離すところでそうささやいたが、冗談だよな?
 僕たちの周りは、レミリアが大きな声を出したので、視線が少し集まったが、同時に僕に殺意のような眼光が複数突き刺さるのを感じたが、また霧散するようにそれぞれの会話に戻っていった。
 レミリアもまた注意を引いてしまったことがわかったようでつぶやくようにいった。
 
「はぁ、でも、ファンクラブなんてないほうがいいのに…… 別の存在にでもなれればいいんだけどなぁ……」 

「いや、それはよく考えたほうがいいと思うけどな……」

 僕がすかさずそういうと、レミリアは少し不思議そうな表情をした。
 まぁ、自分の”存在”を失うことのやっかいさというのは、実際にそうなって体験してみないとなかなかわからないことかもしれない。
 レミリアがそういったのをマットが受けて言った。

「名前を変えたところで、レミリアはレミリアだしな。メアリーも名前は変わったけど、結局はメアリーに違いはないし」

「えっ、そうなの? そういうことってできるもんなのか?」

 僕が少し驚いてメアリーに聞くと、メアリーはしかしあっけらかんとした様子だった。
 
「ああ、実はそうなんだよ。私の家庭がそもそもちょっとゴタついてたのはコヨミも知ってると思うけど、それで結局、家庭裁判で保護をする上で戸籍を分けることになって、そのときに名前を変えられるってことになったんだよね。それで、もともとはマリー・ロアートって言う名前だったんだけど、今のメアリー・ロゼットハートに落ち着いてるんだよ」

「へぇ、自分で名前をつけていいのか、僕の国ではあんまりなじみがないなぁ」

 感心したかんじでいうと、サリバンが言った。
 
「確かコヨミってジャパンから来たんだったよね? それだったら時代によってはそういう文化はあったと思うぜ。確か、安土桃山時代の三英傑といわれる豊臣秀吉なんかも木下藤吉郎、木下藤吉郎秀吉、羽柴秀吉、豊臣秀吉って感じで名前が変わっていってたと思うよ!」

「あー、そういえば、そうかもな。そういえばファーストネームとかセカンドネームとかって話も聞くし、結構そういう文化もメジャーなのかもなぁ。ていうかサリバン、僕より日本文化に詳しいかもな……」

 それにしても、虐待家庭から保護されて、名前まで自分で変えて、しかし、メアリーはそういった陰的な雰囲気をまったく感じさせない。
 過去のことは過去のことだから。そういうことで、割り切れるものなのだろうか。
 もしかしたら、僕にはできないかもしれない。それは僕が実際にそれを体験してないからわかりにくいということなのだろうか。
 
「なんだろうなぁ。でも、私はけっこうこの名前が気に入ってるんだよ。私はどうも自由を好む性分らしくって、でもサリバンたちとの生活は好ましいと思ってるんだけど、それ以外は、将来も世界を放浪できたらいいと思ってるんだよね」

「おいおいそれは吹っ飛びすぎじゃないか? 結構根無し草なやつなんだな」 

「あはは、そうかもね。コヨミも一緒にくるかい?」

「僕はひとかけらも同行したい的なことは言ってないよ! 受け答えまでフリーダムかよ!」

 僕が言うと、メアリーはかみ殺すように笑いをもらした。
 サリバンいわく、怪異退治の専門家になればそういう生き方も余裕だということらしかったが、そのためにもしっかり鍛錬しなきゃねということらしい。

 話していると、再び、レミリアが別の生徒に話しかけられているところであることに気がついた。
 ただその相手は、あのダイアスの主席の男子生徒であった。ルシウス・ヴァンディミオンだっけ、後ろにダイアスの男女生徒が5,6人くらいが立っているがアイリー・レオニードはここにはいないようだった。

「どうかな? レミリアさん。この前の話は?」 

「あの、まだ、結論が出ていないというか……」

 レミリアに何か尋ねるルシウスに、レミリアは先ほどと同じように答えにつまっているようだった。

「まぁ、じっくり考えてくれればいいよ」

 一方でルシウスは大仰に右手を振った。
 今度は単に一緒に授業を受けようといった話でもないらしい、こいつら一体何の話をしてるんだ?
 ちょうどそこで教室が入り口のほうから静かになり、教師であると思われる男が教室に入ってくるところであった。
 ダイアスの生徒たちもそちらで固まっている席へと向かい、レミリアが聞かれていたことについては、結局プライバシーだとかだということで、僕たちも授業を受けるために前方の教師と壁にかかった巨大な黒板のほうを向いた。



 #



 500人以上を収容できる大教室の前方では、一人の男性の教師が、天井まで続く巨大な黒板の前に立って、右手に分厚い教科書を持って対面で座る3、4百人の生徒のほうを向いて授業を始めるところだった。
 教師の男は、ガッシリとした体系のゆるくウェーブした黒髪の風体で、しかめ面で教科書のページをめくりながら言った。
 
「あー。私はルビウムの結界術の教師をやっている、イングリット・ポートマンだ。短期留学生に関しては会うのは今日だけになるだろう。名前は覚えなくていい。授業の内容を参考にしてくれ」

 その教師は巨大な黒板にチョークで文字を書き込んでいく。
 
「まず結界術の初歩で行うのは単層物理結界だ。単層物理結界について説明できるものは?」

 その教師は静かに尋ねると、その大教室を広く見渡した。
 3、4百人の生徒たちは、少しシンとした様子で、しかしルビウムの生徒たちがチラホラと手をあげている。
 そして僕たちの近くでは唯一、サリバンだけが喜色まんめんに右手を高く掲げている。
 教師の男は、しかし、前のほうで手をあげるサリバンには目線も合わせず、ルビウムの生徒の一人を指摘すると、その生徒が立ち上がっていった。

「単層物理結界は、クアッズにおいて最初に習得する結界術です、最初はチョーカーの魔術回路を補助にオドをくみ上げ、皮膜結界として身体にまといます。この結界術は物理攻撃に対して、結界のオドを集中して空間を固定化し、反作用力で衝撃を拮抗させることによりダメージを軽減します」

「結構。つまり、この結界は、基本的に鎧のようなものだと考えてよい。これを二重、三重にしていくと強度は上がるが、同時に回路の作成技術も乗数的に増す。では実際に見せてみよう」

 教師がルビウムの男子生徒を一人指名すると、その男子生徒が立ち上がり、教室の前のその教師の隣まで歩いていき、教室の隅から刀剣を一本取り出してきたものだから、その教室の、特に短期留学生たちを中心として少し騒然としはじめた。
 その教室のちょっとした騒乱に教師は少しわずらわしそうに言った。

「静かに、次うるさくしたものは減点する。といっても、短期留学生には意味のないことか」

 教師は言うと、隣で長めの刀剣を握る生徒に合図した。
 すると、その男子生徒は小さくうなずき、ゆっくりとその刀剣を振りかぶると、フッと息をはきながら目の前の教師の男にたたきつけた。

「ッ!?」

 それを見ていた僕も思わず息を呑んでしまっていた。
 しかし、それはやはり言われていたとおり、教師のわき腹に丁度当たる格好のままで、ギリギリと震えながら、しかしその衣服を裂くことすらなく停止していた。
 教師の男が男子生徒に合図して続ける。
 
「今のは3層連結物理結界だ。まぁこの程度の衝撃なら、オドを練れば単層でも十分に防ぐことができる」

 僕が説明を続ける教師の話を聞いていると隣でサリバンが小さい声でいってきた。
 
「今ポートマン先生が何をしたかわかるかい? 僕たち学生はチョーカーの術式回路補助を得て単層物理結界を張るんだけど、今先生は何の補助もなしで、一瞬で三層物理結界を張ったんだよ。プロの結界術師でも熟練者にしかあんなことはできないよ」

「へぇ、でも、あれがあれば防弾チョッキとか必要ないな。しかも全身だし、ちなみにオドっていうのはなんのことなんだ?」

「おいおい。コヨミは何にも知らないんだなぁ!」

「なんにも知らないわけじゃねぇよ。知らないことだけだ」

 どんな切り返しだよ。おっと自分で突っ込んでしまった。
 そう思っているとサリバンが補足して説明してくれる。

「オドっていうのは、術式を練る上での力のもとみたいなものだよ。ほかにもマナとか、チャクラとか、いろんな呼び方で呼ばれているね」

「ふぅん」

 僕にもあるのかな、そのオドってやつ。
 サリバンいわく、人間の誰にでもあるものだが、訓練を経ないと絶対量が足りないということらしい。
 サリバンが補足し終わったところで、刀剣を持っていた生徒を席に帰した教師の男が次の質問を投げた。
 
「では、結界術の種類について体系的に説明できるものはいるか?」

 尋ねて、教師は大教室中を静かに見回した、教室内では、今度はルビウムの生徒たちも誰も手を上げる様子がないようだった。
 ただ、さきほどと同じようにサリバンだけが、やはり右手を高く上げている。
 
「誰もいないのか?」

 教師の男は、しかし、やはりサリバンを指名することはなく、特にルビウムの生徒たちに向けてそう回答を促したが、しばらくしても誰も手を上げないことを確認すると、少し嘆息気味に言った。

「では、サリバン・ワゾウスキ君」

「はい。結界の種類は、基本的に攻撃に対して身を守るものであるので、攻撃の種類と同じだけの結界が開発されてきたと言うことができます。我々がクアッズでまず習得するのは、物理結界ですが、対怪異のエクソシストとしては、それ以外にも、対術式結界、概念結界、空間結界、攻性結界、それに、人払いのための認識結界も習得すべき重要な結界としてあげることができます。我らがハーレンホールドの自警団においては、自警団に配布される血盟の指輪を補助霊装として、6連直列結界を貼ることができ、特に対霊に威力を発揮します。さらに”山犬部隊”では、最低でも17層結界を霊装なしで即時発動できるというような噂を聞きますが、さすがにこの真偽を確かめることはできませんでした」

「もういい。座りたまえ。君は学術だけはできるようだな。おおむね正しいが、残念ながらハーレンホールド自警団の上位部隊である”山犬”たちがどんな結界を使っているかは、機密情報であり授業で教えることはできないし、一学生に知られるようでは大問題になってしまう」

 教師が右手でいさめるようにサリバンの着席を促した。

「しかしながら、空間結界や概念結界については、結界師の中でも複数で組める人間すらも希少だ。いわんや学生に使えるどころか、そもそも知識が必要かどうかすら疑わしいが、一応素養として身に着けておいてもかまわないだろう。それでは生徒の諸君からここまでで質問はあるかな?」

 教師の男が質問を許すと、教室がにわかにざわつきはじめ、生徒たちがチラホラと手を上げて質問をはじめた、教師は、仕方なしという様子で質問に答え、補足していく。
 僕もその様子をわりと真剣に聞き入っていたが、ふと気になったことがあったので前に出過ぎない程度に手を上げると、しばらくして教師の男が僕を指名した。

「あ、はい。あの、これは人づてに聞いた話なんですが、四方八位結界っていうのはどういうものなんでしょうか?」

「……」

 教師は、先ほどまでとは打ってかわって何も答えなかった。
 それどころか、少し目を開くように僕を観察し、あきらかに警戒の圧力を増した。
 
 しまった。と思った。
 四方八位結界。おののきちゃんが言っていたハーレンホールドの自警団ビルを守護していた結界である。
 
「君は、短期留学生だな。なぜ、”四方八位結界”なんだ?」

「いえ……」

 なんて答えればいいだろう。
 この様子だと、ハーレンホールドの自警団本部ビルにこの結界が使われていたことは知っているのだろう。
 おののきちゃんいわく、戒厳令が敷かれているということだったが、それ以上は知っているのだろうか?

「ふむ。四方八位結界については、詳しい説明はここでは省いておくが、一流の結界術師が16人、4人で1方、計四方で術式を立てて二日二晩をかけて展開する。仮に自警団で使う6層直列結界をアリだとするなら、四方八位結界はビスマルクやティルピッツといったような超ド級戦艦、あるいは超ド級空母を想像すれば最低限のイメージはできるだろう。いわば鉄壁であり、難攻不落であり、空間的に断絶したものだと考えてよい」

「な、なるほど……」

 僕がどもりながらそういうと、教師の男はそれを気にせず続けた。
 
「もし、もし仮にだが。四方八位結界を破れるような怪異に対面したとすれば、速やかに、なにをおいてもその場から退避することだ、もっとも、退避することができればの話ではあるが」

 その教師の言には、おさえがたい圧があり、その大教室はしばし静まり返ってしまったが、教師の男がさらに説明を続けると、再びもとの授業の様子のままでその後は穏やかに過ぎて行った。



 #



「どうだったコヨミ? しかし結界術の授業でまだよかったよなぁ! 退魔術の授業だったらきっとちびってたぜ!?」

「そんなのまであるのか。そりゃぁ運がよかったんだな……」

 サリバンに僕はそう返したけれど、そもそも”存在”が奪われている時点で運勢は大凶だった。
 授業が終わり、教室を出て、僕たち5人がキャンパスを歩いているところだった。
 
 それにしても、エクソシスト、いわゆる怪異の専門家の世界も結構複雑なようである。
 まぁ、怪異というと、基本的に攻撃的なものも少なくはないだろうから、それに対する防御みたいなものは、必要だといわれればそのとおりなのだろうけど。
 ていうかああいう結界術のひとつでも使えれば、ボクシングや総合格闘技で余裕でチャンピオンになれそうな感すらあったのだけれど、それは厳重に監視され、禁止されているようだ。なんかもったいないな。
 ああいう技術が世の中に蔓延するのも確かに怖いんだけど。
 
 前を歩いているメアリーが歩きながら軽く振り返っていった。
 
「でも危なかったねコヨミ。ポートマン先生、明らかに気をもんでたもんね。クアッズの学生だったら絶対に山積みの課題を出されてるところだよ」

「まじかよ。やっぱり蛮勇は身を滅ぼすな、気をつけないと」

「教室のクアッズの学生はみんな内心ハラハラしてたんじゃないかな。下手したら全員巻き添えを食らいかねないからね。でも私はコヨミのそういう向こう見ずなところも好ましいと思うよ」

「お前が抜き身すぎるんだよ! やっぱり気をつけることにするよ!」

 いいながら今さらな気もするけど。
 続いて僕の隣のサリバンが
 
「それにしてもコヨミ、四方八位結界なんてよく知ってたね! 僕でも古文書の隅にあったのをちらっと覚えているくらいだよ。そもそも使い手がいないし、禁術に指定されてるくらいの結界術なんだよ」

「あ、まぁ、人づてにさ……」

 僕があわてながらごまかしていると、キャンパスを歩く僕たちに3人の男子生徒が声をかけてきた。
 その男子生徒は、僕たちというより、メアリーが目当てであるようだった。
 
「僕たちは短期留学の学生なんだけどさ、君は名前はなんていうんだい? よかったら一緒に大祭をまわらないかい?」

 どうやらその三人の短期留学生の学生はメアリーを誘っているようだった。
 
「へぇ、私でいいのかい?」

「そりゃぁもう!」

「ふぅん」

 メアリーはそういうと、野生的に目を細めて笑顔を返した。
 ああ、まずいな。というのがそのときの僕の率直な印象だった。
 確かに、メアリーは外見は相当な美人だと僕も思う、しかしその内面をこの3人の学生ははかりそこなったのではないか。
 いや、それはもちろん悪いやつということではないんだけど。
 
「ああ、私はかまわないよ」

「本当かい?」

 メアリーが柔和な感じで快諾すると、3人の男子学生は喜色満面に湧き上がるようだった。

「僕たちは幸運だよ。この5年大祭を君みたいな美人と一緒にまわれるなんてさ」

「あはは、おだてても何も出ないよ。それじゃぁ校舎の裏にでも行こうか。君たち単層結界は使えるよね?」

 メアリーがそういうと、喜びに沸く3人の男子学生たちと一緒に校舎の横手へと消えていった。
 僕たち残された4人のうちで、マットが口を開いた。
 
「人は道を進むために勇気を要するが、同時に蛮勇はその身を滅ぼしかねない。彼らは身をもってそれを俺たちに教えてくれた」

 そういって、冗談めかして大きく十字を切るのだった。

「先にロッジに帰る?」

「ちょっと待っておこう。せっかくだしみんなで戻ろうよ」

 とレミリアにサリバンが答えた。
 そういえば、そろそろおののきちゃんと合流する予定なのだった。ちかくの時計を見ると12時40分。もしかしたら、もうすでにおののきちゃんが学園の校門前に来ているかもしれない。
 レミリアに見つかると、またぞろあいつまでついてきかねない。単に大祭をまわるのであればそれがさして問題ということにもならないのだが、”存在移し”や”ハーレンホールドの鍵”を調べるということだとそういうわけにもいかない。
 うまいこと離れないとな。
 
「そうだ、そういえばサリバン」

「ん? なんだいコヨミ?」

 僕はさっきちょっと気になっていたことをサリバンに尋ねてみた。

「サリバンお前さ、”賢者の石”って知ってるか? その作り方とかさ」

 賢者の石。昨日、あの悪夢のようなビルの中で”樹魅”がその手にとり、偽者だと看破するやいなや軽々に捨てさってしまったものだった。そして去り際に作るしかないと漏れ聞いたのだけど。

「ああ、もちろん知ってるさ! 割りと有名な霊具だからね!」

 サリバンが表情を輝かせながら説明してくれた。
 
「賢者の石っていうのは、世間一般では鉛を黄金に変える触媒っていう風に言われているけど、エクソシストの界隈では、エリクシル、フィロソフィアズストーン、東洋では仙丹とも言われていて、膨大な霊力と術式回路素地を持ってるといわれていて、不老不死や超越者の力を与えるとも言われているものだよ。ここだけの話、ハーレンホールドの自警団本部ビルの最深部に強力な結界に守られて保管されてるって噂もあるんだけどね、おっとこれは他言しちゃダメだぜ!」

「あ、ああ。もちろんだよ」

「作り方は、今のところ確立された方法はないと言われているね。今のところ成功か失敗かを考慮しなければそれと思しき方法は三つ、ハージャス・ローリングっていう大魔術師が僻地の村落をまるごと小さな石にしたとか、大怪異ジーンムルガルドの心臓を変換したとか、大霊脈そのものが結晶化したって記述があったけど、でもそのあとの賢者の石っていうのは、どれも消失されたものとされているからね。本当にそれで賢者の石が作れたのかっていうのは少々疑わしいものだよ」

「なるほどな」

 しかし、それでもどうにも雲をつかむような話である。
 
「それにしても、サリバンはなんでも知ってるよな」

「まぁ一度読んだものだからね!」

「んん」

 瞬間記憶力ってやつだろうか。うらやましい能力である。
 
「ちなみにさ、サリバンは賢者の石を作るとしたらどうする?」

「賢者の石をかい!? そりゃぁ魔術師たちが長年追い求めてなお実現できていないことだぜ? さすがに僕の灰色の脳細胞をもってしてもポンと思いつけるようなことじゃないと思うぜ!」

「んん、やっぱそうか」

 僕たちが雑談をしていると、しばらくして、先ほどの校舎の裏からメアリーが戻ってきた。
 校舎の横から出てきたところでメアリーの姿を僕が確認すると、メアリーは満面の笑みで手を振ってきた、どことなくエネルギーを充填した感じでテカテカしているような印象がある。さきほどメアリーについて行った3人の男子生徒の姿は予想どおり見当たらなかった。
 
「ごめんごめん、待たせちゃったかな」

 メアリーがかけてきてそういうと、マットが肩をすくめるようにして言った。

「いいや、気にするなよ。それでどうだった?」

 マットが尋ねると、メアリーは右手で頭の銀髪を軽くクシャっとするようにして
 
「うーん。やっぱりもうひとつだったかなぁ。結界術式にもなれてないみたいだったから3人とも気絶しちゃったよ」

 メアリーはちょっと不満そうにそうこぼした。
 こいつ、やっぱり僕たちが全員予想したとおりに、あの3人の男子学生を校舎裏に連れ込んだあと、格闘戦を申し込んで僕たちがちょっと話している間に全員の防御結界をクラッシュさせて気絶させてしまったようである。
 こいつ、いいやつなんだけど闘争欲が半端なさすぎるな。
 メアリーは野生的な笑みを僕に向けて言った。

「やっぱりコヨミくらい動いてくれないと、そうでしょコヨミ?」

「いや僕に同意を求めるなよ。しらんけどな、格闘戦の楽しさ加減とかさ」

 そろそろおののきちゃんが待っているであろう学園の校門前に向かわなければならない。
 どうもこのままでは明らかに動き足りない感を隠さないメアリーに決闘でも持ちかけられそうだった。
 それを制すようにこの後待ち合わせがあることを告げて、4人と別れて校門へと向かったのだった。
 



[38563] こよみサムライ017
Name: 3×41◆ecb68eaf ID:31c4df78
Date: 2014/02/18 21:18



「悪いおののきちゃん。ちょっと遅れたかな」
 
 僕がかけあしで、このエクソシスト学園、レメンタリークアッズの横広の校門へと向かうと、そこにはいつもの格好のおののきちゃんが、一人でチョコンとたっているのがわかった。
 校門の周りも学園の学生がたくさん往来していて、その中に混じって一人8歳ほどの背丈の童女がいるとなかなかに浮いて見える。
 
「そんなことないよ、鬼いちゃん。僕には鬼いちゃんを待つ時間すらも楽しいものだよ」
 
 僕が声をかけると、先ほどまで微動だにしていなかったおののきちゃんが僕をやや見上げ気味にするようにしてそういった。
 
「別に僕たち恋人じゃないけどな。あんまり待たせてなかったようならよかったよ」 
 
 忍はどうやら僕の影の中でまた眠ってしまっているようである。
 僕とおののきちゃんは、そのまま二人で坂を下りハーレンホールドの街へと向かった。
 
「鬼のお兄ちゃん、何か言いたそうだね。遠慮せずに言ってくれてかまわないよ」 
 
「え、そう?」 
 
 ハーレンホールドの街は、5年大祭で相変わらずにぎやかだった。広い街道には露天がひしめき、僕とおののきちゃんの隣を子供たちが大騒ぎで走って通り過ぎていった。
 通りの向かいでは、ピエロに扮した芸人のような人たちが通行人たちにおどけながらねりあるいている。
 昨日爆破テロなどがあったのをものともしないようだった。人的被害はかなりおさえられていたようではあるのだが。まぁ、そういうものなのかもしれない。土地柄っていうのもあるかもしれないし。

 おののきちゃんは、午前中はハーレンホールドの街を調査していたハズである。
 一方僕はレメンタリークアッズで”存在移し”の痕跡を探ってみたが、どうも自由参加授業に”存在移し”が現れた様子は伺えなかった、一応、耳をすませてはいたのだが”アララギコヨミ”の名前を聞くことはなかった。
 
 おののきちゃんは、僕と隣に歩きながらいった。
 
「いや、鬼のお兄ちゃんが言わなくても、だいたいわかるよ。なんで僕が裸エプロン姿ではないのか、そういうことが言いたいんだろう?」 
 
「いわねーよ。僕はどういうことで頭がいっぱいなんだよ」 
 
「え、違うの? そんな、バカな……」 
 
「まじめに愕然としないでくれよ。傷つくだろ」 

「そうはいっても、鬼いちゃんがどうしてもやれというのなら、泣いて頼むのなら、今からでも裸エプロンになるのもやぶさかではないんだけどね」

「意外とハードル高いぞそれ。ていうか街角で幼女が裸エプロンなんてしてたらすぐ警察がすっとんでくるよ」

「かわいい僕はその点もぬかりがないのさ。そういう場合は、鬼いちゃんを速やかに突き出すんだけどね」

「いや僕捕まってるじゃん! 牢屋にぶち込まれちゃってるじゃん!」

「まぁまぁ、それも貴重な経験ってことでさ」

「そんな経験はないに越したことはねぇよ!」

 ていうかどんな罪に問われるんだろう。
 街頭で幼女を裸エプロンにする罪。
 いや、絶対に僕自身が確かめたいとは思わないけど。
 
「そうじゃなくてさ。おののきちゃん。”レオニードの鍵”のことや”樹魅”のことだよ。レオニードの鍵をなんであいつが持ってるのか突き止めないと、”祟り蛇”がどうにもできないんだろ?」

「いきなり核心つくじゃないか。確かに、不死の祟り蛇がハーレンホールドを襲うなんてことになったら、どれだけ被害がでるかわからないよ。でもだからって避難命令を出すということにはなってないみたいだ。そもそも、防衛戦力においてこのハーレンホールド以上に確かな場所なんてよっぽどないからね。ハーレンホールドの威信にかけても防衛しきるというのが上層部の決定だよ。まぁもともと外部と隔絶しちゃってるから、それしかないっていうこともあるんだけどね」

「へぇ、それで団結できるなんて、信用されてるんだな。信じるものは救われるみたいな価値観っていうのかな」

「一応、それだけ戦力を集めてる場所だからね。でもボクは信じるものは救われるなんて価値観のほうは信じないかな。信じるものは救われるということは、逆に言えば信じないものは救わないってことだよ。そんな狭量な巨視的な存在はずいぶんと矛盾してはいないかい。まぁボクは憑喪神人形だから、そもそも神が救う救わないどうのっていう枠外だろうけどね」

「そういうもんかね。まぁハーレンホールドの自警団がかなり大規模だってのはなんとなく僕にもわかったよ」

「北西のハーレンホールド本部ビル周辺は、認識結界で付近に近づけないようになっているようだよ。そこらへんはさすがに対応が早いよね。”樹魅”のほうは、やっぱり北西の森に相変わらず潜伏しているらしいね、こっちは今日の夜に”山犬部隊”が山狩りを行うから、とりあえずそっちに期待ってところかな」

「ハーレンホールドの本部ビルを壊しただけじゃないのか」

 思わずため息がもれる。
 しかし、それで姿を消されないということは、僕たちが”存在”を取り戻すチャンスがあるということだ。
 
「そういうことだね。北西の森で”樹魅”は何かやっている。あるいは何かを待っているのかもね」

「しかも”祟り蛇”まで森のどこかにいるんだよな」

 あの森には絶対に近づきたくねぇ。

「もうひとつ、”レオニードの鍵”についてだけど、こっちは相変わらずお手上げだったよ。ハーレンホールドの自警団でもこれは最優先事項として調査されてて、現存のレオニード家の28人にもストレステストっていうのかな、改めてレオニードの鍵が流出した形跡がないか入念に調べられたそうだけど」

「ああ、それでかな。学園のほうでアイリー・レオニードを見かけなかったよ」

「でも、やっぱり誰の”レオニードの鍵”も流出してないってことがわかるだけだったんだよね」

「でもさ、樹魅はレオニードの鍵を持ってるんだろう?」

「ああ、それはもう間違えのないことさ。”祟り蛇”を不死たらしめて、レオニードの鍵を使った呪殺まで呪詛返ししたんだから、そうだとしか思えない。幸い、レオニード家の秘中の秘だという呪殺の組成式までは知らないみたいだから樹魅が呪殺まで使えないっていうのはまだましだといえるけどね」

「そこはたいした問題じゃないような気もするけどな。もうかなり殺されてるよな」

「そうだね、自警団の発表では384人やられてるってことだよ」

「とんでもないな」

 昨日一晩でそれである。
 自警団の本部ビルが、一夜にして樹木の根に幾重にも貫かれ、その中の人間は一人残らず殺されつくした。
 もう今すぐにも逃げ出したかった、しかし”存在”なしにそれはできない。
 こんな状況でも、表情ひとつ変えないおののきちゃんがいつにもまして頼りがいがあるように思えてくる。
 
「え、なに? 鬼のお兄ちゃん、なんだか目線に熱がこもってるように思うよ」

「そうかな? まぁ正直言うと結構期待しちゃってるんだろうな」

「仕方がないなぁ。まぁ僕はかわいいからそれもわからないでもないけどね。でも夜まで待ってよ鬼いちゃん」

「たぶんおののきちゃんが思ってることと違うと思うぞ! いや絶対に違うね!」

 変にキョドりまくる男子高校生の姿がそこにはあった。
 完全に僕なんだけど。
 
「それで、これからの予定とかってあるのかい?」

「ああ。まぁ雲をつかむような話ではあるんだけど、とりあえずレオニードの鍵について探る必要はあるから、レオニード家の周辺を探りを入れてみようと思うよ。だからこれからレオニードの屋敷に向かおうと思う」



 #
 


 レオニードの屋敷に向かう。
 そういったおののきちゃんが向かったのは、しかし、このハーレンホールドの中央部だった。
 僕はかすかな疑問を抱きながらおののきちゃんの隣を歩いていたが、最終的にハーレンホールドの中央に立つ100メートルくらいありそうなビルへとたどり着き、そこがレオニードの屋敷なのだと伝えられた。

「や、屋敷?」

 屋敷というから、僕はまたえらく大きな敷地の中の由緒正しい木造の屋敷を想像していたのだが、おののきちゃんが入っていくこのレオニードの屋敷は、屋敷というか、完全にビルだった。このビルがすべてレオニード家の所有物なのか?

「どうしたの鬼いちゃん? 一応、許可はとってあるから入っても銃殺されないから安心してよ」

「あ、うん。ていうか今の話で逆に不安になったけどね」

 レオニード家はこのハーレンホールドにおいて絶対だというのはどうやらダテではないらしい。
 このハーレンホールドの中心部に位置するレオニード家のビルは、やはり厳重に守られており、自警団でもなければ入ることもできないようであった。

 警備員が二人で囲んでいる入り口のエントランスから入ると、一階の広いロビーに入った。
 その広いロビーの中央には、3メートルほどの高さの男の石造があり、右手に大理石でできた槍をかまえて僕たちを向かえた。
 
「あ、その石造動くからね」

「えっ、まじで!?」

「うっそぴょーん。いぇーい、ピースピース」

 と言っておののきちゃんは横ピースしてみせる。もううざいとか通り越して心臓に悪い。
 
「あ、でも動かないのは僕たちが許可をとっているからであって、緊急時には動くよ」

「やっぱり動くのかよ……」

 その石造の両脇の壁には、肖像画が並べられている、おののきちゃんはそれをさして
 
「あの肖像画は、レオニード家の歴代当主のものだね」

「へぇ……」

 レオニード家は3千年から続く家系だということらしかったが、その広い壁にかけられたレオニード家の頭首の肖像画は最初はシロクロで、途中から油絵になり、最後のあたりは写実的な絵画となっていた。
 最初のほうはシロクロだからわからなかったが、レオニード家の頭首はだいだい白髪であるらしい。
 
「でもレオニード家の家系の最初のあたりには、赤い髪の頭首もいたそうで、その人たちは中でも特に霊力っていうのかな、そういう力に秀でていたらしいよ」

 おののきちゃんが補足して言った。
 そういえばレメンタリークアッズのダイアスの女王、アイリー・レオニードは赤い髪だったことを思い出した。わざわざ”山犬”の護衛がつくのもそういった事情もあったのかもしれないな。

 一階のロビーでしばらく待っていると、しばらくして黒いスーツの老人が歩いてきて僕たちをエレベーターへと通してくれた。
 エレベーターが上昇する加重感にしばらく浸っていると、隣でおののきちゃんが

「とりあえず、ちょっと前に怪死したっていう筆頭執事の部屋でも調べてみようかなってことでさ。正直いまさら何か出るとも思えないんだけど一応ね」

 とこっそりと伝えてくる。
 エレベーターの入り口のところに立っている老執事は、しかし何の反応も見せる様子はない。
 
 チン。とエレベーターが指定の階についたことを告げると、エレベーターを出てその老執事に、怪死したという筆頭執事の部屋へと案内してもらった。
 エレベーターから出ると、装飾華美な廊下には赤い絨毯がしかれ、ところどころに彫刻やら壺やらがおかれている。まるで王族か何かである。こんな家に住んでる人間なんてビルゲイツかジョージソロスかなんとかみたいな大富豪とかくらいだと思っていたけど、いや正確にはそこまで思ったこともなかったが、レオニードは資産においてはおそらくそういう範疇なのだろう。

 老執事に通された部屋は分厚い木彫りの扉だった。
 その扉を開けると、しかし、それまでの様子と比べるとややこじんまりとした、しかし十分に広い部屋に足を踏み入れた。
 ここが、数ヶ月前に怪死したという筆頭執事の部屋であるということである。
 
「というか、よくそのまま部屋ごと保存しておこうって気になるよな」 

 部屋を見渡しながら一人つぶやく、広い部屋には、割と古めかしい丁度や、本棚に上から下まで羊皮紙の本から最近の本までそろっている。
 部屋の隅にある木製の大きな机は、レオニード家の筆頭執事が使っていた机だろう。
 
「レオニード家の屋敷だからね。そもそも部屋なんて有り余っているんだろうよ」

 おののきちゃんがそういって、部屋のソファにポフポフと座った。

「いい椅子使ってるね」

 ここでレオニードの筆頭執事が怪死していたとのことである。
 
「なぁ、おののきちゃん。その筆頭執事はどうやって死んでたんだっけ」

「うん? たしか、この部屋で全身の血をぬかれたように、干からびて絶命していたということだよ。それこそ、吸血鬼に血を吸われたようにね。密室の状態だったらしいよ」

「吸血鬼か……」

 吸血鬼でも、あるいは可能だったかもしれない。吸血鬼でも、なかでも上位のものになれば、霧になることも、影になることも、闇になることもできる。
 それならばこのような木製の扉であっても、それこそザルを通り抜ける水のように突破することはできるだろう。
 
「とはいっても、ただの扉でもないんだけどね。ここがレオニードの屋敷だということを忘れないでね。この扉にだってそれなりの結界は張られてるんだよ」

「なら窓からとかはどうかな?」

「それもどうかな。狙撃にだって気をまわしてるからね。コウモリが窓のそばまで来たからと言って、素直に招き入れるってこともないと思うけどね」

「んん、そうか……」

 つぶやいて、おののきちゃんが座る反対側のソファに身を沈めた。確かに座り心地がよかった。
 この部屋でその筆頭執事が怪死していたのである、全身を干からびさせて。
 ソファに身を沈めて天井をぼんやりながめながら、昨日の悪夢が脳裏によぎった。あの自警団本部ビルの死体。
 
「なぁおののきちゃん。このレオニード家の筆頭執事、”樹魅”が殺したって可能性はないかな?」

「うん? あのファッキンアナーキストがかい?」

「あんまり汚い言葉を使うのはよくないよおののきちゃん」

「ごめんごめん、大目に見てよ。ここはノー罰金でお願いするよ」

「うまいこと言おうとしてんじゃねぇよ。ていうか僕らの間で罰金とか初めて聞いたわ」

「見てご覧よ。この部屋はいいものしか使っていないよ。そういう意味ではノー百均だよね」

「無理矢理だぁぁぁ!!」

 話の腰を全力でサバ折りされた感じだ。
 
「それで鬼いちゃん。何を言おうとしていたのさ。続きをどうぞ」

「あ、ああ、”樹魅”だよ。全身を血を抜かれたように死んでいるっていうのは、昨日自警団のビルで見ただろ? そういう殺し方なら、吸血鬼だけじゃなくて、”樹魅”にだってできたはずだ」

「確かにそれは可能だろうね。でも問題なのは、レオニードの筆頭執事が殺されたのが、まさにこの部屋だってことだよ。”樹魅”についてはわからないことのほうが多いのは事実だけどさ。あいつにレオニードのビルのこの部屋の前まで、誰にも見つかることなく忍び込むことができるかな?」

「ああ、確かにそりゃそうだな。いや、でもさ。”存在移し”が力を貸していたらどうかな?」

「ん。その可能性があったか」

 おののきちゃんは、ソファに座ったまま、人差し指で自分のアゴをつつくようにして、天井あたりにしばらく視線を泳がしたあと続けて言った。

「例えば”樹魅”がこの屋敷の執事の誰かの”存在”でも移されて、この筆頭執事の部屋の前まで来て、あいつのあの”樹”を扉の前からこの部屋の中に伸ばして、筆頭執事の体液を吸い尽くした。なるほど、いろいろ気になるところはあるけど、可能性として不可能ではないかもね」

 あくまで可能性でしかないが、もしレオニード家の筆頭執事を殺したのがあの”樹魅”だとすれば、あの怪異は数ヶ月前から計画を進めていたということになる。
 しかし、それならその理由はなんだ? なぜレオニード家の筆頭執事は殺されなければならなかったんだ?



 #
 
 
 
 僕とおののきちゃんは、その後レオニード家の屋敷、というかレオニード家のセントラルビルを出て、しばらく5年大祭でにぎわう街頭を二人で歩いているところだった。
 おののきちゃんが尋ねたところでは、数ヶ月前から複数人の使用人の出し入れはあったらしく、存在移しが介入することは比較的容易であると推察されるということだった。
 しかし、レオニード家の筆頭執事が殺された理由はもうひとつわからなかったし、レオニードの鍵をどうやって樹魅が入手したかもいまだにつかめていなかった。

 ただ二人で歩くにはせっかくのお祭り気分だったので、近くの露天でりんご雨を二つかって一つをおののきちゃんに渡し、もうひとつを僕がかじりながらそこらへんの話をしていたのだった。

「悪いね、鬼いちゃん。でもここらへんでフランクフルトやチョコバナナを渡してこないところは詰めが甘いよね」

「お前は僕をどんなやつだと思ってるんだよ」

 そこらへんでちょっと迷ったけど、どうせ突っ込まれるのであえてりんご飴を選んだことは言わないでおいたのだが。
 というかおののきちゃんの思ってるままのやつだった。あえていうなら僕の気の小ささを勘案していなかったというところである。

「しかし、やっぱりもうひとつ決定打に欠けたよね。ここは今夜の”山狩り”に期待を寄せてみようか」

「あ、ああ。そうだね」

 このハーレンホールドの北西の森である。そこに潜伏していると思われる”樹魅”をこのハーレンホールドの自警団の上位部隊”山犬部隊”が総出で狩り出すということだが。

「おや、ハネカワ・コヨミ君じゃないか」

 どこかから、僕を、いや、僕の偽名を呼ぶ声、その声がするほうを見ると、少し目線の下から僕の名前を読んでいたのは、レメンタリークアッズのルビウムの男子生徒、ティリオン・ラニスターだった。
 僕がちょっと声がするほうを探して、背の低い彼を見つけて目線を下げると、ティリオンは薄く、自嘲気味に笑った。
 
「正直、君のことを探していたんだよ。もしよければでいいんだが、これから少しいいかな。おごらせてもらうよ」

「え? 僕に? ええと、それは……」

 おののきちゃんのほうを見ると、おののきちゃんはちょっと考えて、
 
「ボクのことならかまわないよ。それじゃぁ、鬼いちゃんに携帯電話を渡しておくから、それで連絡をとってくれればいいよ」

「ああ、了解したよ」

「聞いていると、どうやら大丈夫そうかな?」

 横からティリオンが尋ねた。
 
「ああ、付き合わせてもらうよ」

「それじゃぁ立ち話もなんだから、近場のカフェにでもいこうか」



 #
 
 
 
 おののきちゃんと一時分かれて、このルビウムの男子学生、ティリオン・ラニスターとカフェテリアに入店し、奥の席のテーブルに着席すると、しばらくしていったん席を立っていたティリオンが戻ってきて席に座った。
 ティリオンの背丈は、相変わらずおののきちゃんの背丈よりもさらに小さい。イスの背もたれに隠れながらティリオンは軽くイスを引いてそのイスに座った。
 
「さて、ハネカワ君。このハーレンホールドはどうだい? 楽しめてはいるかな?」
 
 ティリオンは注文して運ばれたコーヒーをスプーンで混ぜながら言った。
 
「もしかしたら、ハーレンホールド、クアッズの風土には多少のカルチャーギャップのようなものを感じているかもしれないと俺なりに危惧もしているんだよ」 
 
「そうだったのか。心配してもらって痛み入るよ。でもいいところだと思うよ」 
 
 僕がコーヒーを飲みながら言うと、ティリオンは片まゆを持ち上げて乾いた笑いをもらした。
 
「ハハハ、それはありがたい。ここは俺の故郷でもあるのでね、そういってもらえると正直悪い気はしない。それにハネカワ君は、存外胆力もあるようだ。ハーレンホールドはいい土地だ。それも平時においてはもちろんそうだろう。しかしそれは自警団の本部ビルが半壊した今でもそう思ってくれているのだな」 
 
 僕のコーヒーを持ち上げていた手がピクリと止まる。
 クアッズの生徒たちは、それを知らないようだった。しかしこの目の前の小男は、どうやらそれを知っている。
 ティリオンはそういう僕の内心を察したようで、
 
「ハネカワ君のいいたいこともわかるよ。確かにハーレンホールド中に、昨夜の事件の真相については徹底して戒厳令が敷かれているし、半壊した自警団本部ビルには認識結界が今もはられて関係者以外立ち入れないようにすらなっているそうじゃないか。まったく恐ろしい話だ、俺がラニスター家の人間でなければ、やはり今頃、アホ面さらして5年大祭の熱気にうかれていたに違いないのだ」
 
「なるほどそうか、あなたのようなラニスター家の人間のような一部は例外なんだな。もしかして、昨日のことで僕に何か用でもあったりするのかい? でも悪いけど、あんまり役には立てないんじゃないかな」
 
 僕が言うと、ティリオンはくっくと忍び笑いをもらしながら、右手をあげて僕を制するようなそぶりを見せた。
 カフェテリアの店内はオレンジのやわらかい光に、店の手前では多くの人がにぎわい、店員がせわしなく店を行きかっている。
 
「いいんだ、いいんだ。どうか気をもまないでくれよ、親愛なる君。正直なところ、俺はこのことについて誰にも話すことができなくてね。実際けっこう寂しい思いをしているんだよ。俺の小さい体はこれ以上身を小さくしようもないのにね」 
 
「ああ。それもそうか。本当なら大ニュースになってるようなものだもんな」 
 
 ティリオンはイスに座った小さい身体で、コーヒーのカップを傾けると、そのコーヒーの苦味を少し舌の上で転がして話を続けた。
 
「大ニュース。ラニスター家はそれどころではないよ。なにせラニスター家の”天剣”がやられたんだからね」 
 
「ああ、そうなのか。ティリオン、なんていえばいいのか……」 
 
 ティリオンの小さな身体からは慙愧の念が隠さずもれだすようだった。
 僕はそれになんと言えばいいのかわからない。そして同時に、ティリオンの兄であるという山犬部隊第三席”天剣”サー・ジェイム・ラニスターが”樹魅”にやられたということのどこまでを知っていることにすればいいのか、内心で注意しなければならない。

「ジェイム兄さんは、そこらの天才のくくりで捉えられる人ではなかった。一匹で小さな街ひとつを消し去ってしまうような悪鬼を100体相手にしても、傷ひとつ受けずにすべて切り伏せてしまった。あの兄さんがやられるなんて、実を言うと俺は今日まで想像だにしたことがなかったのだ。まったく、世の中には知らないことばかりだよ」

「ああ、僕もそう思うよ」

 知らないことばかりだ、ティリオンの言うとおりだ。
 そして僕や目の前でスプーンを握るこの小男がやはり知らないことがこのハーレンホールドを訪れてもいる。
 ”樹魅”、”不死の祟り蛇”、”レオニードの鍵の流出”、”存在移し”、そしてさらにそれ以外。ティリオンはどこまで知っているのだろう?

「本当のことを言うとだな、俺はこの手でジェイム兄さんをやった”もの”を八つ裂きにしてやりたいと思っている」

 ティリオンが右手に持ったスプーンは簡単に粘土のようにひしゃげてしまっている。
 
「だがしかし、兄さんがやられるようでは、おそらく俺が数万の怒れる津波となってその”もの”に殺到しても、平穏な波のように乗りこなされてしまうのだろうな」

 そういって、ティリオンは自嘲気味に肩をすくめ、そこで右手のひしゃげたスプーンに気づき、
 
「おっと。これは弁償しておかなければな」

 とこともなげにつぶやいた。

「ティリオン君。彼がそうか?」

 ティリオンを呼ぶ声は、しかし別の誰かだった。
 ティリオンが彼を呼ぶ声に気づいて後ろを向いて席を立って、そちらを確認し次に僕にいった。

「ハネカワ君。君は嫌いではないが、実は俺は君を探していたんだよ。ちょっと頼まれてね。俺のほうは、神にかけて君を疑う気持ちは微塵もないのだが。少しこの方の質問に付き合ってほしい」 

 席をたったティリオンと入れ替わるように、ティリオンの横に立った男は、40歳前後くらいの紳士的な笑顔で僕に小さく頭を下げた。僕もそれにあわせて、「あ、どうも」と応えた。
 その様子を見て横からティリオンが加えていった。

「ここは俺が紹介するべきかな。彼は”山犬部隊”第四席、ヴァルツ・K・ランダ大佐だ」

「……」

 僕は、たぶん外見では平静を保っているハズだったが、内心では心臓が飛び出しそうだった。
 ”山犬部隊”が僕に一体何の用があるというのだろう。
 ランダと紹介された”山犬”の男は、おどけたように両肩をすくめた。
 
「アハハ、大佐はやめてくれたまえ。今は軍属ではないのでね」

「これは失礼。しかし”山犬部隊”がじきじきに彼にどのような質問を?」

 ティリオンがランダにそう尋ねると、ランダは先ほどまでの笑顔から、真顔になってティリオンを見下ろした。
 
「ハーレンホールドの一介の学生が、”大佐”に質問をするとは耳を疑うが、それは私の神経過敏か?」

「いや、失礼した。どうやら俺は退散したほうがいいようだ」

 そういってティリオンは僕に小さな手をふると、ヒョコヒョコとした歩き方でその場を後にした。
 後に残されたのは、僕”ハネカワコヨミ”と軽快な様子で笑い顔をしている”山犬”の男である。
 ”大佐”はテーブルの前で立ったままで、しばらくそうしていると、出し抜けに先ほどまでティリオンが座っていた席をしめしていった。

「もしよければ座っても?」

「あ、ああはい。それはもちろん」

「ハハハ、それはご親切にありがとう」

 大佐が僕の席の正面のイスに座ると、女の客員がやってきて、メニューを差し出した。しかし、大佐はメニューを断り
 
「あー、ええと。なんといったかな、ハネ、ハニ?」

「ハネカワです。ハネカワ・コヨミといいます」

 僕が大佐の言葉を補うと、大佐は驚くような表情で、

「あーそう。ハネカワだ。実にいい名前だ。ハネカワ君は、この店のシュトルーデルはもう食べたかな?」

「シュトルーデル、ですか? いいえ、食べたことはありません」

 というかシュトルーデルが一体どんなものかもわからないのだけど。
 そういうと、大佐は満面の笑みで右手で僕を指さした。
 
「では是非食べてみてほしい。もちろん私がご馳走しよう。私と彼にシュトルーデルを、それに私にはエスプレッソを頼むよ」

 首を伸ばすようにしてウェイトレスに注文し、ウェイトレスがいってしまうと、次にスーツの内ポケットからシガレットケースを取り出した。
 
「ああ、タバコを吸ってもいいかな?」

「ええ、どうぞ」

「ありがとう」

 ランダ大佐はニッコリ笑うと、棒タバコに古めかしいマッチで火をつけて、2、3回スパスパと煙を吸い込んだ。
 しばらくすると、煙の甘い香りが僕のほうにも漂ってきた。
 
「それで、ムッシュハネカワ? ティリオンとは、どこで知り合ったんだ?」

「ティリオンですか? 彼とは、ここに来るまで知り合いではありませんでした、彼の家柄も。レメンタリー・クアッズの中で、偶然に」
 
「ハネカワ君。邪魔してすまないが、あまり緊張しないでくれ。私はただ単に、このハーレンホールドの治安をあずかるものとして、君に二、三、形式的な質問をしておきたいだけなんだよ」

「そうなんですか。それはなんというか、ご苦労さまです」

 言いながらチラっと思う、それならそれで、わざわざハーレンホールドの上位組織である”山犬部隊”の人間がそれを行う必要があるのだろうか。

「アハハ、まぁそういうことだ。ハネカワ君はハーレンホールドにはどのような目的で? やはり観光かな?」

「ええ、そうです。友人の誘いで、ハーレンホールドの5年大祭にレメンタリー・クアッズの短期留学生として来ました」

「ハッハッハッハ、それは結構なことだ。楽しんでもらえているかな?」

「ええ、それはもう」

 それはもう。もうたくさんだというくらいにである。
 そこで、先ほどランダ大佐が注文したシュトルーデルというサクサクとしたパイのような菓子とエスプレッソがやってきた。
 ランダ大佐は、しかし右手を振って
 
「ああ、クリームを注文するのを忘れてしまっていた。すまないが、シュトルーデルのクリームを二つと、この店で一番大きいパフェを頼むよ」

 ウェイトレスは、注文を受けてまた店の奥へとその場を離れた。
 僕の目の前にもシュトルーデルが置かれている。
 一緒に配られたフォークをもって、その何層もかさなったサクサクした生地をつつこうとすると、ランダ大佐が片手で制して
 
「ノンノンノン、クリームを待ってくれたまえ」

 ともったいつけるような笑顔で言うので、言われたとおりに僕もフォークを下げた。
 ランダ大佐は次にエスプレッソを飲み、ゆっくりと煙草をひと吸いして、その余韻をすこし楽しむようにしてから尋ねた。
 
「ではハネカワ君。説明してくれ。なぜただの未成年が、レメンタリー・クアッズに短期留学としても入り込むことができた?」

「は、はい」

 ”大佐”の言っているのは、エクソシストの学園に、どのようなツテで席を置くことができたということだろう。
 
「僕自身は、特別にツテを持っていたわけではありません。ただ、僕の友人がそこらへんのことに通じているようで、手続きはそちらでとりはからってもらいました」

「その友人というのは?」

 そこでちょっと間が空いてしまった。彼女は、本来の名前はオノノキ・ヨツギだが、今その名前をそのまま言うわけにはいかない。
 今、オノノキ・ヨツギは”樹魅”なのだから。

「カゲヌイ・ヨツギという、怪異の専門家です」

「ふむ。たしかにこちらの調査と一致するようだ」

 ランダ大佐は、取り出した紙片に目を落として、次に僕のほうを見て笑顔を作った。
 ちょうどそのときに、さきほどのウェイトレスがやってきて、僕と大佐のシュトルーデルにクリームをスプーンで乗せ、次にパフェを持ってきますといって再びその場を後にした。
 ウェイトレスが行ってしまうと、ランダ大佐は人差し指で念を押して言った。

「これがおいしくてね。どうぞ召し上がってくれ。クリームをたっぷりつけてね」

「はい。いただきます」

 言われたとおりに、クリームをつけて、サクサクした生地をフォークでわけてシュトルーデルなる菓子を口に運んだ。
 
「どうかね?」

「あ、はい。おいしいです」

 それは確かにおいしかった、のだと思う。
 ただ僕のほうはというと、緊張でその味がほとんどわからなかった。

「アッハッハ、そうだろう? 私はこれが好きでね」

 ランダ大佐は笑ってシュトルーデルを二口食べると僕にニッコリ微笑んで見せた。
 次に、店の奥からウェイトレスがガラスの大きな器にパフェを持って運んできた。
 ランダ大佐は遠めにそれを見つけると
 
「ああ、あのパフェだ。ハネカワ君」

 彼はそういって、僕の視線を促して遠くからこちらに歩いてくるパフェを持ったウェイトレスに向かって右手を上げると、その右手をゆっくりとひねった。
 そしてそのまま次にパチン、とスナッピングをした。

 すると、そのまま、ズル、と50センチほどのパフェのガラスの器ごと、中ほどが真っ二つに両断されたように、上の器ごと切り落とされてトレーにごとんと落ちた。
 ランダ大佐はちょっと距離のあるところで驚くウェイトレスに言った。
 
「そのパフェと器の代金は、”山犬部隊”に好きなだけ請求しておいてくれ。ああ、好きなだけといっても、良識は守ってくれたまえよ」

 そういってウェイトレスが逃げるようにその場を後にすると、ランダ大佐は次に僕の方を振り返って言った。
 
「今見せたように。もし君がこの場から逃げ出せば、その瞬間に、あのパフェのように君の首を落とすことができる。質問を続けてもいいかな?」

 ゴクリ、と口の中のシュトルーデルを飲み込む。逃げれば首を落とすといわれて、質問を拒否することはできなかった。
 
「ハネカワ君。説明してくれ。昨日、ちょうど爆破テロと、本部ビルの事件が起こる直前に君たちは審議会を開いていた、それを陽動だったと決めつけるのは私は反対なんだが。一応君の出自について尋ねておこうか。君の家族は?」

「それは……」

 それは、今の僕にとってはどう応えればいいのか、悩みどころだった。
 とりあえず、日本の僕が住んでいる街の所在地を話す。
 しかし、家族について、なんといえばいいのか、アララギコヨミとしての家族構成を話していいのか?
 
「家族は、4人家族で父と母と、姉が一人います。ハネカワツバサという名前の」

「なるほど」

 結局、僕はハネカワ・コヨミの偽名にしたがって話すことにしたのだった。羽川翼が聞いたらまた説教だろうけど、緊急なので仕方がない。
 ランダ大佐は、右手にタバコを持ったまま、じっと僕の顔を見つめ、次にふっと笑い、次にポケットから携帯電話を取り出した。
 
「では、電話してみてくれたまえ」

「はい? 電話ですか?」

「その通り、何か問題でも? 安心してくれていい、電話番号はこの場で消去しよう」

「は、はい」

 僕にとっては問題はそこではなかった。
 ランダ大佐に携帯電話を渡される。僕はその携帯電話を見つめながら、しばし逡巡した。
 どうする? ここで、電話を断るのは、あきらかにおかしい。今日は休日だ、羽川は家にいるだろうか? いなければ留守だったですむ。確率は低くはない。
 
 ピ、ポ、ピ、とボタンを押して、結局電話をかけるしかなかった。幸い電話番号はなんとか思い出すことができた。さすがに自宅の電話番号を覚えていないというのは通らなかっただろう。
 僕が電話番号を入れ終えると、ランダ大佐は笑顔で携帯電話を取り上げ、その電話を耳にあてた。
 
「んー。呼び出し中だ。今日は留守なのかな?」

 ニッコリとしてランダ大佐が言う。
 
「え、そ、そうですね。両親やお姉ちゃんは結構フットワークが軽いので」

「あー。ハネカワさんのお宅ですか?」

 やばい。どうやら電話がつながったようである。
 ランダ大佐がはっとした様子で、電話の向こうに日本語で話す。
 
「おねえさんですか? いや、お宅の弟の、ハネカワコヨミ君のことなんですがね」

「……」

 心臓の鼓動が大変だった。周りに聞こえているんじゃないかというくらい、タイコのように鳴り響いている。
 羽川、家にいるようだった。休日は外出することが多いんじゃないのかよ。
 ランダ大佐は、耳に携帯電話を当てたまま、笑顔でええ、ええと受け答えをしばらく続け
 
「わかりました。ご親切にどうも、マドモワゼル」

 といって電話を切り、携帯電話をポケットにしまって、無言の僕に、ニッコリ笑っていった。
 
「確かに、間違いなく君はハネカワ家の弟らしい。出自のほうはけっこうだ」

「え、そう、ですよね」

 携帯電話をしまった大佐は、しかし、僕がハネカワ・コヨミだと納得した様子だった。
 おそらく、羽川である。あいつが突然の電話に、おそらく僕が何かの事情でそうしたことを、察しがよすぎるくらいに察して話を合わせてくれたに違いない。
 それはもう、あいつの行き過ぎた察しのよさが今の僕には九死に一生のありがたさだった。

 ランダ大佐は、タバコをもう一本取り出して火をつけ、ゆっくりと煙を吸い込むと、
 
「フー、ほかにも、君に尋ねたいことがあったのだが……」

「な、なんでしょうか?」

 大佐は、タバコをくゆらせながら、僕の顔をまっすぐ見つめ、次にニッコリと微笑んで
 
「……何を聞こうと思っていたのか思いだせんよ。たぶんたいしたことではなかったのだろう」

 といって、右手に持っていたタバコを、半分まで食べたシュトレーゼルのクリームに押し付け、さっさとスカーフで両手を拭くと、すぐにイスから立ち上がりその場を後にしたのだった。

 テーブルには、僕一人と、僕のシュトルーデルの皿と、タバコが刺さった半分のシュトルーデルが残った。
 僕はランダ大佐がどこかへいってしまったことを念入りに確認したあと。
 
「ハアアァァァァァ……」

 と深く息を吐いてイスに深く沈みこんだ。

 しばらくして、携帯電話に連絡があった、おののきちゃんは、もう少し調べたが、やはりめぼしい情報は見つからなかったらしい。
 もうほとんど日はくれようとしている。
 とりあえず”山狩り”の推移を待つ、というのがその後の僕とおののきちゃんの結論だった。
 
 僕はあれこれの連絡をおののきちゃんと取ったあと、そのカフェテリアを出て、一路レメンタリー・クアッズの宿舎へと向かった。




[38563] こよみサムライ018
Name: 3×41◆ecb68eaf ID:31c4df78
Date: 2014/03/06 01:01



 日はすでに西の森から街を赤く照らしていた。
 再び僕は、ハーレンホールドから学園へと続く坂を登っていき、大きなキャンパスを一路、サリバンたちのロッジへと向かっていた。
 街は昨日の騒動があったというのに、まるで遠い世界の出来事であったかのように、にぎやぎ、おどりうねっていた。
 
 正直、うらやましかった。
 僕だって、存在を奪われることなく、あのハーレンホールドの5年大祭をおののきちゃんたちと楽しめていればどんなによかっただろうか。
 一方で、この街で起こっている事件のことを何も知らずにいたということについては、なんとも言いがたいところがある。それにサリバンたちにも会うことはなかったかもしれないし。もしかしたらまたぞろメアリーあたりはあいつの嗅覚のようなもので、やはり街のどこかで出会っていたかもしれないけれど。
 難しいものである。

 他方、おののきちゃんと街を調べ歩いてわかったことは、あまり多くはなかった。
 その中での収穫はとりあえずそこそこのものをあげると二つだと言っていいんじゃないかと思う。
 
 ひとつは、レオニード家の筆頭執事の怪死である。まぁレオニード家っていうか、完全にビルだったけど。
 決め付けるのはよくないと思うけど、“血は時として雄弁である”と日記に残して死んだというレオニード家の筆頭執事を殺した犯人は、あの規格外のアナーキスト“樹魅”が“存在移し”の協力を受けて行った可能性があるということである。
 しかし、仮に樹魅が犯人だったとして、なぜあいつがレオニードの筆頭執事を暗殺まがいのように殺す必要があったのかというのは、おののきちゃんと話しても結局見当がつかなかった。

 結局それについてわかったのはそこまでで、”樹魅”が使っていると思われる”レオニードの鍵”がどこから出てきたのかということはまだわかっていない。
 もし今、あの不死の祟り蛇が街に降りてきたらと思うと身の毛がよだつような思いだった。

 もうひとつは、あの山犬部隊の第四席であるという”大佐”である。正確には今は大佐じゃないということだったけど。
 彼が昨日の自警団本部ビルの崩壊事件について調査していたということは、おそらく存在移しの行方はまだつかめていないのだろう。
 それは僕にとっては僥倖としかいいようがない。もし存在移しがつかまりそうになった瞬間に僕の”存在”をこっちに戻したりなんかしたら、今度は僕が国際的テロリストとして追われることになってしまうだろう。
 つまり、自警団や山犬部隊より早く”存在移し”を見つけなければ、僕の余生は檻の中、下手すれば死刑になってしまうということだ。気が重くなってきた。

 歩いていると、キャンパスから居住区へと続く道から、大きい湖の横道に差し掛かっていた。
 わき目に湖をながめると、澄んだ水面に、遠めに向こう岸の針葉樹林が映りこんでいる。
 
 歩きながら日本が懐かしかった。
 帰巣本能、ホームシック、そういったものなんだろう。
 今の僕のそばに戦場ヶ原がいたら、きっと僕に優しい言葉をかけてくれるに違いないのだ。
 
『気落ちしないで、私がいれば、ほかの人のあららぎ君に対する存在なんてどれほどのものかも疑わしいもの』
 とか
『あら、どこにいるの? そもそもあららぎ君の存在が薄すぎて認識することができないわ』
 とか
 
 ……
 
 うーん。
 いや、それでもこの際むしろ懐かしんでしまっているのだ。
 僕はどんだけ戦場ヶ原に飼いならされてしまっているのだろう。
 仕方がない。断じてマゾヒストだというわけではないのだ。
 
 そういえば、キャンパスを歩いていると、ルビウムやアクアマリンの生徒が新聞っぽいものを読んで驚いたり笑い声を上げていたけど、おそらくサリバンが言っていた、5年大祭中の学内新聞が出回っているのだろう。
 ロッジにもどったら、またぞろ話を聞かされそうだなぁ。
 
 心外ながら、それもどこか楽しみに感じているのである。
 地球の裏側で存在を失って、どうやら僕はめちゃくちゃ乾いてしまっているらしい。
 やむにやまれぬ事情があるとはいえ、人とかかわると人間強度が下がるとか言っていたのがちょっと懐かしかった。
 まぁ仕方がない。

 北西の森に潜伏した樹魅が何をしようとしているのか、可能性のひとつとして、やつが”賢者の石”を作ろうとしている可能性もある。
 今夜英雄の集団といわれる山犬部隊が総出で“山狩り”を行うということだったが、どこまで期待していいのだろう。
 一流の結界師が数十人束になっても破れない、自警団本部の四方八位結界を単独でやぶり、ビル内部の300人以上の自警団員を皆殺しにし、山犬部隊3位の”天剣”も殺された怪異である。まして森の戦闘で”樹魅”がやれるのか?

 とりあえず、それはそれで”山犬”の人たちに期待を寄せるとして、僕は僕で存在移しのほうを探さないと、おののきちゃんの言うように”樹魅”から逃げるとなっても、”あららぎこよみ”の存在なしにそれはできない。
 このハーレンホールドのどこかにいると思われる”存在移し”。そいつはどこにいるんだ?
 とりあえずダイアスのことについてもう少し聞いてみよう。
 
 湖を横切る僕の歩く先にはトパンズの宿舎区画へと続く並木道が見えてきたところだった。
 
 
 
 #


 サリバンたちのロッジが見えてくると、前のようにロッジの前のテーブルでメアリーが頬杖をついているのが目に入った。
 フワリとしたアッシュブロンドのショートカットが微妙にかしげてちょっと絵になる感じだった。
 しかし、やはり裏庭ではなく玄関先にいるのはどうしたんだろう。
 
「メアリー。どうかしたのか?」
 
 僕が声をかけると、メアリーはこちらを見上げて優しく笑った。
 
「ああ、おかえりコヨミ。今日の夜はコロセウムの広場でキャンプファイアーをやる予定なんだよ? コヨミも参加するかい?」

「キャンプファイアー? なんだかずいぶん牧歌的だな」

「そこは否定しないけどね。人間には原始的な欲求ってものがある、大きな炎が燃えてるのを見るとメラメラ闘志がわいてくるんだよね」

「いや、普通は闘志はわいてこないけどな」

「そうかい? そういえば、誰かに聞いたことはなかったな」

 そういって、少し考えるような表情をするメアリーだった。
 
「いや、それはまぁ僕が保証するよ。誰かにいちいち突っ込ませるのもなんだかしのびないし」

「コヨミも参加するなら、一緒に踊るかい? 私はどうも男子が取り合ってくれなくてさ。相手がいないんだよね」

 メアリーはそういって小さく笑い声を出した。
 正直、メアリーは野生的な感じだけど美人だと思うのだけど、たぶんこの学園の男子は踊りながらまたぞろ決闘でも持ちかけられるほうを避けているのだろうと思われた。

 キャンプファイアーか。
 存在移しは現れるだろうか?

「それならお願いしようかな。サリバンやレミリアもいくのかい? みんなで行ったほうがいいだろ?」

「ああ、それなんだけどさ」

 そうたずねたところで、メアリーが言葉をとぎらせた。
 ん? なんだ?
 メアリーは言葉を途切れさせたまま、目線を落としたままでつぶやくように口を開いた。
 
「サリバンは参加しないかもしれないな、たぶん」
 
 
 
 #
 


「ああ、コヨミ。おかえり……」

 僕がメアリーと一緒にロッジに入ると、ダイニングのテーブルでサリバンが僕を迎えた。
 サリバンの隣にはレミリアが、その斜め向かいにマットが座っている。
 サリバンの声には、どうもいつもの元気がないように思われた。
 
 テーブルの上には、校内新聞と思われる紙面が広げられている。
 
「ただいま。晩はキャンプファイアーがあるって聞いたんだけど? みんなはいかないのかい?」

「ああ、僕かい? 悪いけど、そういう気分じゃないな」

 サリバンが沈んだ声で答えると、その向かいでマットが肩をすくめて言った。
  
「なぁ、サリバン。気持ちはわからないでもないが、そう落ち込むなよ」

「そうだよ兄貴、気にすることないじゃない」

 と隣のレミリアが言った。
 
 どうしたんだ? 疑問顔の僕にサリバンが机の上を促した。
 
「見てくれよ。校内新聞の一面さ。僕はクズだったんだ。“トラッシュ”さ」

 言われるままに、テーブルの上の紙面に目を走らせた。
 校内新聞か。
 
『特集。ダイアスの英雄、ルシウス・ヴァンディミオンとトパンズのサリバン・ワゾウスキの決闘の真相』
 
 そういえば、サリバンがそんな話をしていたことを思い出した。
 昨日、この相手のルシウスという男子生徒にも会っている。
 紙面の文字は本文へと続いている。
 
『昨年の対人試合、コロセウムの闘いは、学園生徒には記憶にあたらしいだろう。この決闘の一幕において、トパンズのサリバン・ワゾウスキが、ダイアスの主席、ルシウス・ヴァンディミオンから誰もなしえたことがなかったダウンを奪うという快挙を成し遂げた。これは今まで、トパンズはおろか、アクアマリンやルビウム、ダイアスですら誰もなしえなかったことである。この事件ともいってもいい出来事は、サリバン・ワゾウスキ本人はおろかトパンズの学生全員の誇りとも言っていいまさに偉業である』

 その内容は、サリバンの話していた内容と大体一致する。
 
『しかし、その真相は実にお粗末なものであった。サリバン・ワゾウスキが奪ったとされるルシウス・ヴァンディミオンのダウンは、実はスリップだったのだ。ルシウスは、それがダウンをとったと思われていたということすら、最近まで知らず、それでトパンズの生徒たちが意を強めていたことに、少々心外にすら思っていると、当新聞のインタヴューに答えている。ルシウス・ヴァンディミオンがスリップしたあと、試合はすぐにルシウスの勝利で終わった。トパンズはやはり“トラッシュ”でしかなかったのである。さらに噂によれば、彼の妹がルシウスに相談し、手心を加えるように依頼したという話まである。しかしわれわれがダイアスに関係のない“トラッシュ”のゴシップについてこれ以上追求する意義も価値もないだろう』 

 これか。
 僕がそこまで読んで顔を上げると、サリバンは力なくハハハと笑った。
 
「そういうことさ。ごめんよコヨミ。君を案内してあげたいけど、笑いものと一緒に歩くのも本位じゃないだろう? あげく、妹にまで気を使われていたなんてさ」

「違うわよ! 兄さん、そんなんじゃ……」

「いや、いいんだよレミリア、口についちゃっただけさ。気にしないでくれ」

 レミリアが言いかけたところで、サリバンがさえぎった。
 どうもサリバンはずいぶんとこたえているらしく、明らかに落ち込んでいた。
 レミリアやマットの様子を見ると、もしかしたらそこらへんのことを知っていたのかもしれない。
 でも言えなかったというか、わざわざ言う必要がなかったというのが実際のところだろうか。
 こんなに落ち込むのでは、それも仕方のないことかもしれない。
 
「善が強く、悪に対しても強いのが真に強い人であるというのは、メイナード・クインズの言葉だが、だから俺は新聞部のやつらの取材なんて受けるべきじゃないと言っていたんだ。あいつらがトパンズに好意的な記事なんて書いたことはなかったんだから。まぁ、今言っても仕方がないか」

 そういってコーヒーを飲むマットに続いて僕もサリバンに言った。
 
「僕は気にしてないぜサリバン。案内してくれよ。僕もみんなで歩いたほうが楽しいしさ」

 そういうと、サリバンは力なく笑って首をふった。

「いや、いいんだよ。実のところ、僕がその気がないだけなんだよ。宿舎でおとなしくしていることにするよ。こんな“トラッシュ”の僕なんてね」

 サリバンはそれだけ言って、イスから立ちあがると、小さく手を振って2階へと続く階段を登っていった。
 サリバンがいなくなると、マットはため息をついてコーヒーをあおり、レミリアは雑誌を広げた。
 ちょっと空気が重い。
 
 実際のところ、どうなんだろう。
 勘違いなら勘違いで、それがえらくわるいということはないはずだが、サリバンの気の落ち込みようを見ると、そういう風に片付けることもできないらしい。
 もしかしたらトパンズの生徒たちも同様なのだろうか。
 
「ねぇコヨミ……」

 後ろから僕を呼ぶ声に振り向くと、メアリーが続けていった。
 
「もしよかったら、ちょっと付き合ってくれないかな?」



 #



 メアリーにそういわれたあと、僕とメアリーは二人で宿舎の裏庭に行き、二人で対面で格闘訓練をはじめていた。
 あの単層結界というものを事前にかけてもらっていたので、打撃のダメージ自体はかなり減らせている。
 
 あたりはだいぶ暗くなっていた。結局、キャンプファイアーには参加せず、裏庭の脇につけた焚き木があたりを煌々と薄赤く照らしている。
 
 メアリーの肉感的な体躯から繰り出された突きを、頭を振って右に左へとかわすと、すぐそばでゴウッと風を切って拳打が通り過ぎ、はからずもなんだかいいにおいが鼻腔をくすぐった。
 結界があるので、僕も気兼ねする必要がなく、打ち返した拳打をメアリーが手を添えてそらせると、そのまま回転して回し蹴りが放たれ、それを横脇ごしに両手で受け止めた僕の体が軽く宙に浮き、すぐ着地してトトッとたたらを踏んだ。

「精力的なことだな」

 横から声をかけてきているのは、ルビウムの生徒、ティリオン・ラニスターである。僕たちが裏庭に出たあたりで、ちょうどたずねてきたティリオンは、そのまま見学のような形で裏庭の箱に腰を下ろして一人で感想をもらしている。
 どうもさきほど、僕を山犬部隊に引き合わせたことについて、少し後ろめたい気持ちがあったということで、改めてこの宿舎を訪ねてきたのだという。

「ねぇコヨミ。人間ってなんのために生きてると思う?」

 突きや蹴りを繰り出しながら、メアリーが聞いてきた。
 流す程度の動きで、僕もそれを受けたりかわしたりしながら、なんとか返答ができるくらいだった。

「なんだよ急に。マットの哲学が移ったのか?」

 言ってまわしけりを放つと、メアリーはジャンプしてかわし、空中でくるりと回転すると、少し後ろに着地してまた向かってきた。
 
「子供っぽいって思われるかもしれないけど、本当に小さいころから私はそう思うんだよ。人間っていうのは、人生の奴隷みたいなものなんじゃない? 望んでないのに生まれてきて、死ぬ恐怖にしばられて、死ぬまで生きざるをえないんだ。だとしたらそこに自由なんてないんじゃない?」

「まぁ、そうかもしれないけどさ。あんまり気にしたことなかったな……」

「人は、人に、組織に、倫理に、神に、束縛されるしかないのかな? 私はそういうものから自由でいたい。子供っぽいといわれるかもしれないけどさ、できないことでもないだろう?」

「そういえば、世界を放浪するとか言ってたな。僕がどうこう言えることじゃないな。まぁ、メアリーがそう思うのなら」

「そうでしょう? 私は縛られたくないんだよ。でもサリバンやレミリアやマットはちょっと別だけどね。どこにいても、ちょいちょい帰ってきて、みんなとは会いたいものだよ。みんなといるときは、私の心は自由になれる」

「言っとくけど僕はついていかないからな」

「そう? あはは、残念だなぁ」

 言って、非難がましい感じでメアリーが横なぎに3回ハイ、ロー、ハイの蹴りを放ってきたが、スウェーとジャンプでかわす。
 
「ハネカワ君。“大佐”との話は大事なかったかな?」 

 近くで座ってこちらを眺めていたティリオンが聞いてきた。
 メアリーの攻撃を受けたりかわしたりしながら横目に見ると、薄く笑いながら頬杖をついてこちらを見ている。
 
「あ、ああ、もちろんだよ。そもそもなんで僕だったのか検討もつかないね」

「そうか、それならよかった。正直、あの“大佐”から話を持ちかけられたときは俺も何事かと探りを入れたくなったぐらいでね。取り越し苦労、まぁよくあることだ。それならなおのことすまなかったね。心から謝るよ」

「僕はかまわないよ。シュトレーデルとかってお菓子もご馳走になったしさ」 

「君はその小さい体で、存外器が広いようだ。まぁ体のサイズに関しては、俺ほどじゃないがね」

 言ってティリオンは自嘲気味にくっくと笑った。
 勝手に笑うティリオンをよそに目の前で蹴りを繰り出しながらメアリーが
 
「ねぇ、コヨミってエッチしたことある?」 

「はいっ? うぶっ!?」

 あまりに唐突だったので、一緒に飛んできたメアリーの蹴りが浅いガード越しにわき腹に突き刺さった。
 次に飛んできていた左足のハイキックをしゃがんでかわす。
 
「僕? え、それ僕? 僕に聞いてるの?」

「そうだよ。それしかないじゃないか?」

「一応俺もいるんだけどな」

 僕とメアリーのわきでティリオンがこぼすように言った。

「そうだったよ。悪いねティリオン」

 拳打を返しながら言う。

「またずいぶんと話が飛んだな」

 というか、僕としてはちょっと意外でもあった。
 このバトルジャンキー女だと思っていたメアリーが、割りと俗っぽいことを言うものだと、このときの僕はメアリーから見ればハトが豆鉄砲くらった顔というやつになっていたに違いない。

「ちょっと気になってたんだよね。クラスの女子はちらほらそういう話を聞くし、でもレミリアにはちょっと聞けないしさ。やっぱりそういうのってもうすませてるものなのかな?」

 それは、なかなかにセンチメントな話だったけれど、それは拳打と蹴りの嵐とともに投げかけられる質問だった。
 その手と脚をよけたり受けたりにあわてながら答えなければならなかった。
 ていうか普通に聞けよ。照れ隠し? これって照れ隠しなのか?
 よくわからない。

「こっちの土地のことはよくわからんけどさ。僕は一応彼女がいるけど、そういうことにはカケラほどもいたってねーよ」

「ふぅん」

 言いながら、3連続でまわし蹴りが放たれる。
 それをさばきながら、なんとか言葉を返した。
 
「そういうのって、人それぞれ個人差があるっていうか、変にまわりに合わせる必要もないんじゃないのか? 結婚するまでそういうことしないことにしてるってやつだっているって聞くし。まわりに縛られてりゃそれこそ自由じゃないだろ」

「そりゃぁそうだね。でもコヨミが経験ないってわかってちょっと元気づけられたよ」

「僕の猥談で元気づけられてんじゃねーよ」

 意外と年相応な悩みも持ってたりするものである。まぁ僕の話で元気が出たならそれでいいだろう。やぶさかではない。

「コヨミって童貞っぽいもんね」

「ほっとけや! 童貞最高!」

 アハハ、とメアリーがいたずらっぽく笑い、いきなり束縛がとかれたように、ギアの一段上がった右足の蹴りが僕の左脇をとらえ、なんとかガードしながら体を宙に持ち上げられると、次に返す刀で左後ろ回し蹴りが一段深く衝突し、そこで結界がショートしたらしく、またしても僕の意識は途切れたのであった。



 #
 
 
 
 僕が気絶から目を覚ましたあと、汗ばんだ体のままで、僕とメアリーと、そしてティリオンで宿舎区画のはずれにある温泉へと向かった。ティリオンによれば、ルビウムの宿舎区画はバスルームが広く、温泉など誰も使わないのでそもそもそういう施設がないらしく、メアリーはトパンズの宿舎区画の利点だと笑って言っていた。
 温泉は、ちょうど5年大祭で人が出払っていることもあってか無人だった。ちなみに、当然だが男女は別で分けられていた。
 
「なりゆきでついてきたが、ルビウムの俺がこんなところにいるのが見つかったらちょっとした騒ぎになってしまうだろうな」 
 
 裸の付き合いである。腰にタオルを巻いたままで、湯船につかるティリオンの近くで僕も湯に身を沈めた。
 温泉の熱が体に染み込んでくるようだった。
 露天風呂になっているので、暗くなった夜空には星空が個々に輝いて見える。
 
「そういえばそういうのがあるんだったな。ティリオンたちも結構大変だよな」

「まぁ、ラニスター家の人間に正面切って文句が言える人間なぞ、そうはいないがね」
 
 ティリオンは湯につかりながらこともなげに言った。
 木の壁を隔てた向こうではメアリーが湯船に使っていることだろう。
 
「ハネカワ君。あの壁の向こう側がどうも気になるようだが、俺の勘違いかな?」
 
「は? そ、そんなことないよ」 
 
「昼間の謝罪もかねて。今ならのぞいても俺は見なかったことにしておいてやるがね」 
 
「え、マジ? いや、のぞかないけどな!」
 
 あわてながらなんとかそう答えると、ティリオンが壁の向こうの女湯に向かって大声で言った。
 
「おおいメアリー! ハネカワ君がきみの裸体に興味がおありのようだぞ!」 
 
「な、なにいってんだよティリオン!」  
 
 しばらくすると、女湯の向こうから。
 
「そういうのは二人っきりのときに言ってくれないと困るよ!」 
 
 とメアリーの声が返ってきた。ていうか二人っきりのときならいいのかよ。いやいや、そういう冗談なのだろうということはわかっているんだけど。
 大声で僕がのぞき魔になる可能性がないことを告げて、しばらくしてからティリオンが続けた。
 
「しかしメアリーはいい女だ。あの性格さえなければ、あの野性味のある挑発的な整った顔立ちに、乳はでかくてくびれた腰のあの体つき、俺でも放ってはいないだろうよ」
 
「ん。まぁ僕も否定はしないけどね」 
  
「ずいぶん距離を置いた物言いをするじゃないか? ハネカワ君。彼女に上に乗られて腰を振られるなんて、けっこうなことじゃないか?」
 
「そんな話乗れるかよ! 僕は彼女いるし! あくまで健全なお付き合いをしてるからね!」 
 
「ははは、そいつはすまなかった」 
 
 ティリオンが冗談っぽく大声で笑うと、同時に上から冷水の雨が降ってきた。
 それと一緒に壁の向こうからメアリーが
 
「聞こえてるぞティリオン!」 
 
 と叫んできた。
 
「これは失礼! ほめ言葉だとうけとってくれたまえよ!」
 
 と返して、冷水を浴びた体をいっそう湯船に沈めた。
 
「まぁメアリーのやつの性分も、ハーレンホールドの風土のものといえなくもない。自由と博愛。そもそも3千年前にこの土地にどこかから現れたレオニード家の開祖が、大霊脈を平定して人が息づける土地にしたことが起源なのだから。存外アメリカのような俗っぽい起源を持っているわけだ」

 ちょっと間をおいてティリオンが続けていった。
 
「俺はねハネカワ君。実は俺は猥談や人様の醜聞も、たしなむ程度には好ましく思ってるんだよ」

「なんとなくそういう印象はあるよ」

「君は人を見る目もあるようだ」
 
「いい性格してるよな」 
 
「しかしながら、学内新聞のやつらのやり方はあまり好ましくないと俺は思う。そうじゃないか?」

「ああ、まぁそうだな」

 校内新聞のことはティリオンもどうやら聞き及んでいたらしい。
 5年大祭のこの時期にやることでもないのではないかというのが率直な僕の感想である。
 いや、普段ならいいということでもないのだけど。
  
「まぁサリバンのことはあいつが勘違いしてたところもあるから、自業自得といえる部分もなくはないのだろうがね」
 
 ティリオンが、しかし平坦な様子でそういった。
 その言い分もわからなくはない。
 しかし落ち込んだサリバンの様子やレミリアやマットの様子は、やはり新聞部連中の悪意といってもいいような感情が起因しているのである。単に自業自得と片付けられることでもない。
 僕が温泉の揺れる水面を見つめながら考えていると、ティリオンが続けていった。
 
「しかし、サリバンは明日のコロセウムはどうするのだろうなぁ。ルビウムの連中からはまたやつがずいぶん張り切っていたと聞いたが」 
 
「そういえばティリオン。そのコロセウムってなんなんだ?」

「ああ、そういえば君は短期留学なのだったな。あれは言わば馬上試合のようなもので、学園の生徒が1対1で魔術無差別戦でトーナメントを行うというものだ。優勝者は1年間“花の騎士”という称号を与えられるわけだよ。昨年はルシウス・ヴァンディミオンのものだった。レメンタリー・クアッズ最強の称号というわけだよ」

「へぇ。ちょっと興味があるな」

「サリバンなら出ないよ」

 僕たちが湯船に使っている温泉と女湯を隔てる木の壁のすぐ向こうでそういうメアリーの声が聞こえてくる。
 たぶん木の板のすぐそばで湯船につかりながらそういったに違いない。
 
「サリバンは出ないって言ってたってマットが言ってたよ」

 木の板の向こうからメアリーの声がそう続けた。
 それを聞いてティリオンが低くうなった。
 
「ふぅむ。まぁそれならそれで、仕方あるまいよ。ここで出て行っても、笑いものになるのが落ちかもしれないしな」

「いや、出るつもりだよ」

 再び木の板の向こうでメアリーの声。
 僕がメアリーの声にそちらに振り向くと、その声が続けて言った。
 
「コロセウムには、サリバンのかわりに私が出るよ」



 #
 
 
 
 その後、壁越しにメアリーに温泉から出る旨を告げて、出口で待ち合わせて僕とメアリーとティリオンで宿舎へと向かった。
 
「ああ、そういえばさ、メアリー。レミリアのことなんだけど……」
 
 宿舎への暗くなった夜道を歩きながら、メアリーにレミリアのことについて話をした。
 レミリアにはとめられていたけど、あいつがアイリー・レオニードにちょいちょい絡まれているということである。
 メアリーはそれを聞くとにわかに驚いた様子だった。
 
「本当? ぜんぜん気づかなかったな…… なんで私に言わなかったんだろう」
 
 その横でティリオンが言った。
 
「レオニードの人間は霊脈の励起に干渉されやすいという話は聞いたことがあるが、その様子だと霊脈の励起は関係ないようだな」 
 
「霊脈のことはわかんないけどさ。一応気にかけといてやってくれよ」 
 
「もちろんだよ。帰ったら話を聞いてあげないと……」 
 
 三人が宿舎につくと、僕とティリオンを残してメアリーが先にロッジに入っていった。
 
「今日は付き合わせてわるかったなティリオン」

「うん? そもそも俺が望んで来たんだから、そういう物言いをするものではないぞハネカワ君。まぁ何かあったら俺を頼ってくれていいぞ。短期留学の短い間だけになるだろうがね」

「本当かい? そういってもらえるとありがたいな」

 僕とティリオンが話していると、玄関からメアリーが再び現れていった。
 
「コヨミ。レミリアがいない。一人でどこかへ行ったみたいだ。私に何も言わずに」

 メアリーの声には、にわかにあせりの色を帯びている。
 レミリアがメアリーに無断でいなくなるということはかなり珍しいらしい。
 
 メアリーがそういうのを聞いて、次にティリオンを見ると、ティリオンが片眉を上げた。
 
「ハネカワ君。俺は何かあったら頼ってくれていいと言ったが、すぐにもそういうことになりそうだな」





[38563] こよみサムライ019
Name: 3×41◆ecb68eaf ID:31c4df78
Date: 2014/03/10 02:02
 レミリアがいない。
 それがロッジの玄関を開けて僕とティリオンの前に現れたメアリーの第一声だった。
 曰く、リビングにも、自室にも、裏庭にも、どこにもレミリアの姿がないということらしかった。
 
「あいつがいないって、キャンプファイアーにでも行ってるんじゃないか?」

 僕はメアリーがにわかに浮き足立っている感を察して、落ち着かせる意味でもまず順当な予想を立てたが、メアリーにすぐに指摘された。
 
「いや、あの子はサリバンが落ち込んでるようなときに一人で遊びに行けるような子じゃないんだよ。それに、こんな時間に外を出歩くなら私に何か言うのが普通だし、書置きすらないなんてちょっと普段では考えられないよ」

 確かに、それは僕にもかなり妥当なように思われる。時間はすでに夜の9時を過ぎているのだ。5年大祭という、かなり大きい祭りであるとはいえ、女子が一人で、しかも無断で出歩く時間帯でもないか。
 しかし、今だってこの学園のキャンパスにさえ、学園の生徒たちでごった返しているであろうこともまた事実だ。その騒乱のどこかにレミリアが消えたということだった。
 
 あの学園の中では小動物みたいなレミリアが。
 同居人に何も告げずにである。
 そんなことありえるのだろうか? 考えていて自信がなくなってくる。
 
「もしかして空でも飛んでるのかな……」

「コヨミ。私はけっこうまじめな話をしてるんだよ?」

「あ、悪い、そういうつもりじゃないんだよ」

 ポツリと考えていたことがつい口に出てしまった。
 メアリーがあっけにとられたようにして、軽く呆れ顔をされてしまう。
 しかし、変貌をとげたといってもいいレミリアのサイコキネシスによる飛行。それもロッジの誰にも言わずにやることでもないだろう。
 もしかして、またぞろあのアイリー・レオニードに手を出されたのか?
 
「もしかして、またアイリー・レオニードか?」

 嫉妬からか単純な悪意かなにからなのか、どうもちょくちょくレミリアに手を出しているあのダイアスの女王、アイリー・レオニードがレミリアをどこかに連れ出したのだろうか? 可能性としてなくはない。
 だとすれば、昨日の降霊室のこともある。早くレミリアを見つけないと。
 彼女の名前を口に出してしまったところで、それはまずかったと悟った。
 
「あの売女……」

 底冷えのするような声でそうつぶやいたメアリーがにわかに怒気を発散していた。
 まるで臨戦態勢のハンターのような表情のメアリーに、思わず寒気を感じてしまう。
 もしかしたらレミリアが言っていたように、メアリーに言うべきじゃなかったかもしれない。メアリーがアイリー・レオニードに食ってかかって、もし万が一不況を買って停学や、ましてや退学処分になどなってしまっては今度は僕がレミリアに殺されるような気がする。
 そのときは僕が止めなきゃな。どっちにしろ命がけだ。  
 
「それはないと思うがね」

 にわかに怒気を発散しながら、扇情的にペロリと舌を出すメアリーと、それをいさめようとする僕に、玄関先で考えているようだったティリオンがそう告げた。

「あのダイアスの女王なら、今夜はレオニードのセントラルビルの展望階で、やつの主催でパーティーを開いているはずだ。ダイアスの生徒中心でな。この時間にこんなトパンズの宿舎くんだりまでくることはあるまいよ。おっと失礼、それはあくまでやつの価値観でいえばということだ」

 ティリオンにそういわれて、メアリーが、肩透かしをされたように、安心したようにため息をついた。
 少し残念そうな感があるのは僕の気のせいだろう。いや、そうであってほしい。
 次に、もうひとつ思いついたことをメアリーにたずねた。

「なぁメアリー。レミリアの携帯に電話はしてみたのかい?」

「いや、あの子は携帯電話を持ってないんだ。あれでなかなか節約家だからね。そこそこだけど貧乏してるんだよ」

「じゃぁそれも無理か……」

「それじゃぁ、ささやかながら俺も友人たちに聞いておこうか。レミリア・ワゾウスキを見なかったかということでいいかな?」

 ティリオンが、おもむろに携帯電話を取り出してカチカチメールを打ち出した。
 
「そういえば、マットやサリバンにはこのことは?」 

「いや、言ってない。マットのダウジング能力は、そこまで強くないし、まだ言うこともないだろうからね。それに、わざわざレミリアが何も告げずに出かけたのは、たぶん何か理由があるんじゃないかと思うんだよ。だからできることならサリバンとマットには知らせないでおきたい」

「うーん。確かにな。正直僕もサリバンにアイリー・レオニードのことを話す気にはなれないよ。でも、頭数が必要になったら、そうしたほうがいいと思うぜ」

「ありがとう。私もそうするつもりだよ」

「話がついたところでなんだが、ちょっといいかな?」

 僕とメアリーのしたのほうから、ティリオンが声をかけ、僕たちがティリオンのほうを向くと続けて言った。
 
「レミリア・ワゾウスキの行方だがね、ルビウムの生徒がどうやら見かけたらしい。さすが我らが学園のファンクラブの1角ともなるとどうしても目だってしまうようだ」

「本当? レミリアはどこにいるの?」

 メアリーがせかすように尋ねると、
 
「ふむ。どうやらレミリアは、学園のキャンパスから北西の森に向かったらしいぞ。あそこは今、立ち入り禁止令が出ているはずなんだがな」

「北西の森? 北西の森って、あの巨大樹の森か?」

 僕が食いつくように尋ねると、ティリオンは片眉を上げて
 
「うん? 確かにそのとおりだが。あそこは普段はダイアスの連中が穴場のように根城にしているんだが」

「いや、そんなこと関係ないよ」

 ティリオンが、意外そうに僕を見上げた。
 僕のほうは、レミリアが北西の森に向かったと聞いて、すでに気が気ではいられなかった。

 北西の森。直径5メートル以上からなる巨大樹で覆われる樹海で、そして今、あのにはハーレンホールドの自警団を数百人惨殺した怪異“樹魅”が潜伏し、“不死の祟り蛇”を放っている。
 いかに驚異的なサイコキネシスの成長を遂げたレミリアでも、“祟り蛇”や、ましてや“樹魅”に遭遇すれば命はない。

 メアリーは、どうも様子がおかしい僕を察して、黙ってそれを推し量るようにしている。
 僕は僕で、少しかわいたようになった喉をしぼるように言った。

「急がないと、すぐレミリアを連れ戻さないと、レミリアはもう戻ってこないかもしれない」



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 走る僕の目の前から建物が後ろにすばやくすぎさっていく。
 はねるように、学園北東の宿舎区画から、ダッシュで北西の森へと走っている道中だった、隣では僕と同じくメアリーが併走している。
 ティリオンは、ルビウムの生徒が北西にレミリアが消えるのを見たという情報を僕たちに伝えて
 
「詳しいことは、聞けないようだが。どうやら俺が協力できるのはここまでだな。北西の森にはおそらくダイアスの生徒たちもいるだろう。ルビウムの人間として、ダイアスといさかいを起こすとやっかいなことになるのでな」
 
 といって、ロッジを飛び出す僕とメアリーを見送ったのだった。
 
「それでコヨミ。どういうことなの?」
 
 走りながら、メアリーが尋ねてくる。メアリーとしても、レミリアがもどらないかもしれないということになっては、北西の森が今どうなっているのかということを把握しておきたいのだろうということは、僕にも理解できる。
 しかし、それをどこまで言っていいものかはわかりかねた。
 
 どこまで言っていいものだろうか?
 メアリーにも、学園の北西の森が立ち入り禁止に指定されていることはわかっているだろうが。
 怪異のことについてまで話すと、またぞろむしろ探しに行ったりしないだろうな……

「あれだよ…… 学園も北西の森への出入りは禁止してるだろ? 聞いた話だけど、霊脈の関係だかなんだかで、かなり危ないらしいんだよ」
 
「ふぅん……」 
 
 走りながら、メアリーはそういって何か考えているようだった。
 
「……僕の考えすぎなら悪いけどさ、その原因を探そうとかしないでくれよ?」
 
「それはさておき、とにかく今はレミリアを連れ戻さないと」 
 
「レミリアを連れ戻すのは賛成だけど、さておいてるんじゃねぇよ。絶対ダメだからな」 
 
 すでにキャンパスを出て北西の森へと走る僕とメアリーの足元は、すでに土の道になっていて、すぐ先に巨大樹がまばらに見えてきた。
 足元には、往来が繰り返された道に大小さまざまな足跡があるようだったが、この中にレミリアの足跡もまじっているのだろうか。

「コヨミ、何がくるかわからないから、一応注意しておいてくれよ」

「わかってるよ。メアリーも、とにかくすぐ逃げる準備をしておいてくれよ」

「私が逃げる? ダイアスの連中。レミリアに少しでもケガさせてたら、刺し違えてでも殺してやるよ」

「大げさすぎるだろ! できるだけ穏便にだぞ」

 すでに僕とメアリーは北西の森へと足を踏み入れていた。
 巨大樹や、そのそばに群生する木々にも注意をはらいながら、神経をすませる。
 メアリーの横で、夜の森を走りながら思考をめぐらせていた。

 しかし、この5年大祭の夜に、ダイアスの連中はこの森で、どういう理由でレミリアまで呼びつけたのだろうか。
 ダイアスの女王、アイリー・レオニードの淫蕩な笑みが脳裏をよぎる。彼女は今頃、ハーレンホールドのセントラルビルで盛大なパーティーを催しているという話だったが。

 一応、忍に血を吸わせてやれば、僕の身体能力をかなり高めてやることはできたが、同時に吸血鬼としての妖気のようなものが高まれば、何に見つけられるかわかったものではない。
 幸い、夜目はそこそこ効くし、相手がレメンタリークアッズの生徒たちなら、言葉が通じる分目があるといっていいだろう。
 
「止まってコヨミ」

 横でメアリーが言って、その言葉にしたがって走っていた足を止めた。
 メアリーが見ているほうに僕も目をやると、巨大樹の脇から3人の人影が姿をあらわした。
 その場に足を止める僕とメアリーにその影が言葉を発した。
 
「誰だ? 招かれざる客だな」

 僕は一瞬身構えたが、その影はダイアスの生徒たちだとわかった。3人の男子生徒である。
 一様に、からかうような表情を浮かべていて、その中の一人はあきらかに泥酔しているようで、足取りこそしっかりしているものの赤ら顔にニヤケ面でこちらを見やっていた。
 その三人の男子生徒たちにメアリーが尋ねた。

「ここに、レミリア・ワゾウスキが来たって話を聞いたんだけど、それは本当かな?」

「おいおい、トパンズの連中じゃないか。ハハハ。また何か“勘違い”してこんなところまで来たってわけか?」

 メアリーの質問に、しかし答える様子もなく、男たちは一同に笑いあった。
 
「僕たちは急いでるんだよ。それにこの森は学園から立ち入り禁止にされてるんだぜ?」

 僕がそういうと、ダイアスの男子の一人が大げさに肩をすくめて、二人の男たちが口々に言った。 
 
「レミリア。レミリアちゃんね。通ったかなぁ。通ったとして、お前らに何の関係があるんだ?」

「誰に口を聞いてるんだ? ダイアスの人間が、なぜ少々の危険に身をひそめなければならない?」

 少々の危険か、まぁお前たちが勝手に死ぬ分には好きにしたらいいけどな。
 男たちを見ながら頭のわきでそういう考えがよぎる。
 そしてもうひとつ
 
「通った? レミリアは、この先にまだ進んだってことか?」

 メアリーは、レミリアがここに来たかと質問したが、彼らは通ったか通ってなかったかと答えた。
 これは、やはり当たっているかもしれないな。
 僕が頭でそう思考をめぐらせていると、先ほどの赤ら顔の男がふいに叫んだ。

「うるさいぞ! この“トラッシュ”どもが! さっさとどこへでもゴミの行くべきところへ行け!」

 そのときである、ダイアスの生徒たちを見ていた僕の目が大きく見開かれた。
 さきほどまで僕の隣にいたメアリーが、いつのまにかダッシュして跳躍し、さけんでいた赤ら顔の男に膝蹴りを肉薄させていたのである。

「!?」

 赤ら顔の男は、ぎょっと表情を緊張させながら、右手を反射的に掲げてメアリーの右ひざを防ぐと、振り払うようにザザッと後退した。
 男があらためて見たメアリーはハンターのように男たちをねめつけ、準備運動のように首をかしげながら野生的な笑みを浮かべていた。
 
「急いでるって言っただろ? そんな風に煽らないでくれよ。殺したくなるだろ」
 
 男たちは一瞬驚いていたようにしていたが
 
「殺す? トパンズの女が一人で俺たちを?」 
 
「コヨミ」 
 
 メアリーは、しかしダイアスの生徒たちには反応せずに僕の名前を呼び、続けて言った。
 
「この人たちは私が相手するからさ。コヨミはこの先を見てきてよ」 
 
「いいのか?」 
 
 僕がチラリと目の前の3人の男たちを見ると、彼らは何かを言おうとしたが先にメアリーが制していった。
 
「怖いの? 私一人に相手されるのが?」
 
 メアリーがクスクス笑うようにそういうと、男たちは一段トーンを下げて、首元のダイヤがあしらわれたチョーカーに手をやり、一様に腰に指していた刀剣を抜き放った。
 男子生徒の一人がメアリーを指差して言った。
 
「結界がショートしたら、お前は俺たちの“ディナー”だ」 
 
「できるものなら」 
 
 メアリーはこともなげに言うと、次に僕のほうを見て
 
「コヨミ、先に行っててよ」
 
「でもさ……」 
 
 もう一度目の前を見ると、刀剣を抜いた男が3人、メアリーは一人、素手である。
 先に行けとはいうが、僕にしてみればなかなか承服しかねる。
 逃げるだけでも、逃げ切れるものか?
 僕が逡巡していると、メアリーがさらに
 
「私もコヨミのことを信頼してるんだ。コヨミもそうしてよ」
 
 と言ってきた。
 
「ケガするなよ」
 
 僕もやむにやまれず、そうメアリーに言ってから、3人の男たちの横を回り、手を振るメアリーにその場をまかせ、つまりその場に残して、一人で森のさらに奥へと走ったのだった。
 
 
 
 #
 
 
 
 それから10分ほど走っている道中だった、森の先へは確かに何度も往来があったように草が踏み潰されている、いわゆる獣道のようなものが続いていた。
 そもそも、ダイアスの連中がここらを根城にしているのもわからなかったが、なぜレミリアがこんなところに来なければならなかったのかももうひとつわからない。
 もう森の中へはかなり入り込んでしまっている。他方で後方でダイアスの生徒を3人相手にしているメアリーも気になった。
  
 しばらく進むと、獣道は少しくぼみへと入って行き、小さな谷の間を進むようになった。
 僕はまたぞろ誰かに見つからないように獣道から少し離れた林の間を走り、そして谷が奥まったところで、人の気配を察知することになった。

 そこは、広いホールのようになっている谷の終着点だった。
 谷の終着点の壁からは洞窟が伸び、その向こうまでこぎれいに整えられているようだ。
 巨大な竪穴のようなそのホールは松明などではなく紫からオレンジのカンテラで柔らかく照明されている。
 
 そしてそのホールには数名の人間がいるようだったが、その中で栗色の少し巻いたような髪質の、思案顔をしているレミリアの姿を見つけることができた。
 ほかのやつらは、どうも全員ダイアスの人間らしい。そしてその中の一人は僕にも見覚えがある、ルシウス・ヴァンディミオンだった。 
 
「レミリア」 
 
 そこまで確認して、少々意を決してその谷あいのホールへと足を踏み入れた。
 レミリアを含めた、その場にいる全員がこちらを振り向く。
 そして僕の姿を確認したレミリアが目を見開いた。
 
「コヨミッ? なんでいるの?」
 
「それを教えたらお前も同じ質問に答えてくれるのかよ?」 
 
 レミリアが無事であることに安堵して、少し笑い顔になってしまいながらそう答えた。
 逆に、レミリアをのぞくダイアスの連中は、招かれざる客の感をありありと出して僕に対する圧を強めた。
 
「君を招いた覚えはないが、一体何をしにきたのかな?」
 
 ホールへと踏み込んだ僕にそういったのは、先日のルシウス・ヴァンディミオンである。

「何って。ちょっと頼まれてさ。レミリア、メアリーが心配してたぞ」
 
「あっ……」 
 
 レミリアが気がついたようにそう声をもらした。
 
「とにかく」
 
 僕とレミリアをさえぎるように、ルシウスが続けた。
 
「人の求愛の邪魔をするのは、どうにもいただけないけどね?」
 
「は?」
 
 あっけにとられて、つい声がでてしまった。
 こいつら、こんなとこくんだりで一体なにをしているのかと思ったら、レミリアと親交を深めようとしていたのか。
 考えていると、ルシウスがこちらを見つめながらアゴに手をやって思案顔で言った。
 
「いや、君はハネカワ・コヨミといったか、自警団本部ビルにいたという? 叩けばホコリがでそうな君か」
 
 ギクリとしてしまう。僕が昨日、自警団本部ビルにいたことはごく一部の人間しか知らないはずである。
 自警団や、ティリオンのような名家の人間。もしかしてルイウスのヴァンディミオン家もかなり顔が利くのか?
 
「そういうのはやめてって言ってるでしょう? コヨミは関係ないじゃない」
 
 僕のそばにかけよってきていたレミリアが、ルシウスに抗議するように言った。
 レミリアがそういうと、ルシウスは得心げそうにした。
 
「わかってくれるかい? もし君が僕と付き合ってくれるのなら、僕は明日のコロセウムでも、恋人のお兄さんをひどく傷つけすぎることもない」
 
「それは……」 
 
 レミリアはそれだけ言って、黙ってうつむいてしまった。
 何を黙ってるんだよ。
 
「レミリアお前、サリバンや僕のことでこんなとこまでホイホイ一人で来たのか? 僕はそんなこと頼んでないし、サリバンだってそういうと思うけどな」
 
「うるさいバカ……」 
 
 レミリアはうつむき気味に、小さい声でつぶやくように言った。
 僕はルシウスのほうを向いて、しかし落ち着いた声で言った。
 
「おいおい。求愛ってお前は言うけどさ、これじゃ脅迫なんじゃないか?」
 
 言うと、ルシウスはクスクス笑った。
 
「僕は手段は選ばないんだ。欲しいものは手に入れる。学園の二大ファンクラブを作る二人が付き合うんだ、これ以上の抱き合わせはないだろう? 物事にはおさまりというものがある」 
 
「ルシウスさん。今日はちょっとおかしいよ……」 
 
 レミリアが恐る恐るといった風に言った。
 ルシウスは、笑い声をもらして答えた。
 
「そうかもしれないね。僕はアイリーと普段から一緒にいるから、彼女の“レオニードの鍵”に当てられたのかもしれないな」
 
 そういって、「どうする?」とレミリアにさらにたずねた。
 ルシウスだけではなく、周りにはべっているダイアスの生徒たちもレミリアを注視しはじめた。
 ダイアスの主席、ルシウス・ヴァンディミオンに見初められたレミリアを、祝福すらしている感があった。
 
「レミリアはどうしたいんだい?」 
 
 僕がレミリアを見ると、軽く目をそらした。
 どうも、というかやはり、乗り気ではないように見える。
 そもそも、色恋沙汰を始めるのならば、こんななし崩しである必要すらないだろう。
 
 と、なればやはりさっさと連れ帰ってしまうのが上策である。
 
「まぁそこらへんは帰ってから聞かせてくれよ。おいルシウス!」 
 
 そう前方のルシウスへと叫び、次に目の前のレミリアに手を伸ばしてぎょっとするレミリアの肩を抱き寄せて言った。
 
「悪いけど僕の女はやれないな! レミリアは連れて帰るよ!」
 
「は、はぁっ!?」 
 
 あたりがざわつくなか、そう叫んだのはレミリアだった。
 肩を抱かれたレミリアから見上げる僕の顔は、近くで見ればいたずらそうに笑いをこらえているのが察せられたに違いない。

 それは完全にでまかせである。
 ただそういうことで、向こうがあきらめてくれればそれでいいし。
 もしそれが嘘だとバレたところで特に問題はない。 
 
「レミリアさんが、君の女? 付き合っているのか?」
 
「ああ、一緒に暮らしてたら、えらく気があったんだよ。そういうわけだから、ルシウスの申し出を受けることはできない。もう帰ってもいいだろ? いこうレミリア」 
 
「うっ……あっ……」 
 
 驚きすぎて声になってないレミリアを促して、来た道へと向かう。
 すると後ろから
 
「待て」 
 
 とルシウスの声が僕たちを呼びとめ。
 僕がルシウスのほうを振り向くと。
 
「決闘だ。ルシウス・ヴァンディミオンはこの場で君に決闘を申し込む」
 
 そういって、腰からギラリとぬめるように輝く大振りの刀剣を抜いた。
 
 
 
 #
 
 
 
「まさか逃げることはあるまい? ヴァンディミオン家の影響力を見誤らないことだ」
 
 決闘を申し込む。ルシウスはそういって、右手に長剣を持ち、柄を握りなおした。
 横から、レミリアがあわてたような口調で
 
「コヨミ、もういい。もういいから」
 
 と言って身をゆすった。
 僕は、しかしレミリアの肩を放さず、ルシウスにたずねた。
 
「僕たちがこのまま逃げたらどうするんだよ?」
 
「そもそも、逃げることもできないだろうね。それにこのハーレンホールドにいる限り、ダイアスを中心にした僕の友人や、ヴァンディミオン家の影響下から逃れることはなおのことできない。君はレミリアさんを賭けた決闘を受けなければならない」 
「……」 
 
 僕は聞きながら思考をめぐらしていた。
 逃げるか? このまま僕とレミリアが走ってこの場を離れて、逃げ切れるだろうか? 
 ちょっと厳しいな。少なくとも、姿を隠せる間が必要だ。その時間は与えてもらえないだろう。
 
 では決闘を受けて、ルシウスを退けることができるか?
 聞いたところによると、あいつはダイアスの主席で、去年のコロセウムでは優勝の座を勝ち取り、学園最強の花の騎士の称号を与えられたということである。これも難しい。

「コヨミ。いいから……」

 レミリアがそういって再び身をゆすった。
 
「よくねぇよ。アイリーのことはもっと早くメアリーに話しておくべきだったんだ。そしたらこんな事態にも、たぶんならなかった。そこは僕にも責任があるし。そもそも僕もサリバンもお前にそんなことさせたいだなんて思ってないんだよ」

 レミリアにそういって、次にルシウスのほうを向いて言った。
 
「わかったよ。その決闘の申し出を受ける」

「ほう? 獲物はどうする? 誰か貸してあげようか?」

 ルシウスは、決闘を持ちかけた時点で逃げるだろうと予想していたのか、少し意外そうにした。
 こっちとしても、賭けには違いない。
 ルシウスが右手の長剣を持ち直し、その刀身がホールの光を反射してぬめるようにギラついた。
 
「忍。心渡を」

 ルシウスの前まで歩いていき、しゃがんで僕自身の影に手をやると、影の中から妖刀、心渡の長い刀身の、むき出しの柄が差し出され、それを手にとって一気に影から引き抜いた。
 僕の右手に持たれた長刀にまわりが驚いたようなうなり声を上げる。
 目の前のルシウスは、しかし片眉を上げただけだった。
 
「ほう。“精製”とは、トパンズの留学生にしてはなかなかの術式を使うじゃないか。だが素人が術式精製した刀剣で、我がヴァンディミオン家の名剣バゼラードに太刀打ちできると思わないことだ」

 どうやら彼らには影の中から刀を出したのではなく、刀を作り出したように見えたらしかった。

「お手柔らかに頼むよ。お互いの結界がショートしたほうが負けでよかったかな?」

「いいだろう。しかし単層結界でバゼラードの剣撃が防ぎ切れればだけどね。多少怪我をしても文句はいわないでくれよ」

「そりゃおっかないな」

 実際のところ、多少の怪我をしても僕の分にはそう問題ではなかったのだが。
 
「ではいくぞ」
 
 そういってルシウスがバゼラードと読んだ刀剣を構えた。
 僕は、しかし戦闘態勢になったルシウスに心渡の長い刀身を差し出して見せた。
 
「……?」

 ルシウスはその意図を測りかねているようだった。

「刀当てだよ。決闘をはじめる前の礼儀として、僕の文化ではこうするのが決まりなんだ」

「かまわないよ」

 乗った。
 ルシウスが僕の説明に納得して、差し出した心渡にバゼラードの刀身をカチリと当てた瞬間である。
 
 バチン!と電気が破裂するような音とともに、ドサリ、とルシウスがその場に崩れ落ちた。
 結界のショートと同時に気絶したらしく、目を閉じたまま動かない。
 
 それは心渡の能力によって起こったことだった。
 心渡は人間の体は切らず、怪異を斬る妖刀である。
 怪異に対して絶対の威力を持つ心渡は思ったとおり結界に対しても効果があったわけである。
 刀を当てた瞬間に、心渡が瞬時にルシウスの結界を破壊しショートさせたのだ。
 
「僕の勝ちだな」

 そういって、まわりを見ると、ルシウスの勝利を確信していたであろうダイアスの生徒たちは、何が起きたのか不可解そうに浮き足立っていた。同時に、僕に向かって刀剣を抜きかねないようなやつまでチラホラいる。

「ルシウスの結界はショートした。決闘は僕の勝ちだ。それでいいだろ? それに僕が今何をやったのかわからなかったのなら、うかつに僕に手を出すべきじゃないぜ」

 
 実際のところは彼らが結界を使わずに僕をおさえようとすれば、心渡は使えないからおそらく僕だって逃げ切れないはずだった。
 しかしそういわれて、血気にはやっていた数名も手を出せないようだった。
 僕はそれらを確認してから、同じく何が起こったのかはかりかねて困惑しているレミリアのほうへ小走りにかけていき
 
「それじゃぁ帰ろうぜ。お腹減っちゃったよ」

 と生返事をするレミリアを促してそのホールを後にしたのだった。
 



[38563] こよみサムライ020
Name: 3×41◆ecb68eaf ID:31c4df78
Date: 2014/03/10 01:29
 
 
 
 
 谷間の“ホール”を抜けたあと、僕はレミリアを連れて、獣道から外れた道を、メアリーとはぐれた場所へ向かって迂回していた。
 森の入り口のほうからダイアスの生徒がこないとも限らないし、後ろから追いかけてこられるかもしれないからである。
 一応、“ホール”の生徒たちにも早く森から出るようには言っておいたけど、気絶したルシウスを起こす時間を考えても、あの場を離れるまでもう少し時間がかかるだろう。

「ねぇコヨミ。あのとき何をしたの?」
 
「え、いや、何って……」 
 
 レミリアが先ほどのことを聞いてくる。しかし素直に答えることもなかなかできないわけで。適当にはぐらかしながら、巨大樹と草木に囲まれた森を歩いていた。
 一方でダイアスの連中が追ってこないように気を配りながら、一方で“祟り蛇”のような怪異がどこからでてくるか気を配りながら、である。

「でもお前だって、なんでサイコキネシスを使わなかったんだよ。鉄の扉をひしゃげさせれるくらいだから何とか逃げるくらいはできたんじゃないのか?」

「そ、そんなの使えるわけないじゃない。バレたらどうなるかわからないし……」

 そういうもんなのかな。

「早くもどろう。メアリーのことも気になるしな」
 
「メアリーも知ってるの? 兄さんは?」 
 
「サリバンには言ってないよ」 
 
「はぁ。よかった」 
 
 歩きながら、安堵の表情を浮かべるレミリアだった。
 暗い森を、僕は半端に吸血鬼であるおかげで夜目をきかせながら、レミリアはライトで照らしながら、迂回して森の出口を目指す道中である。
 
「よかったのはこっちのセリフだけどな。何事もなくてさ。ルシウスとは以前からああなのか?」
 
「今日みたいなのははじめて……前からちょくちょく声はかけてもらうんだけど」 
 
「うん? やぶさかでもなさそうじゃないか。もしかして僕わるいことしたかな?」 
 
「ううん。正直言うと助かったよ。あの人のことは、別に嫌いだったわけじゃないけど、特別好きなわけでもないし」
 
 それならよかった。もしルシウスとレミリアが相思相愛の関係だったとしたら、とんだピエロを演じることにならなくてよかったと、ホっと胸のつかえがとれた心地だった。
 そしてもうひとつ気になっていたことをレミリアに言っておく。
 
「あ、そうそう。あのとき僕がさ、お前を僕の女だって言ってたけど、あれは便宜的にというか、あの場を切り抜ける嘘で言ったんだからな。変な勘違いしないでくれよ。僕彼女いるし」 
  
「は、はぁぁぁぁっ!? わかってるわよそんなこ……むぐっ!」 
 
 言いかけたレミリアの口をふさいだのは僕の手である。
 もう片方の手でシーと、静かにするようなジェスチャーをし、近くの木の影に二人の身をひそませた。
 
 何かいる。半端だが、しかし吸血鬼の感覚器官が異常をとらえた。
 
 木の影で、モゴモゴと何か言おうとするレミリアに口元を近づけて耳打ちする。
 
「静かにしてくれ。誰かいる」
 
 そのときの僕の五感は、そのときすでにそちらのほうへ集中してしまっていた。
 
 
 
 #
 
 
 
「止まれ。ここまでだ」
 
 その声は、僕とレミリアがいる地点から、さらに西の森の奥、800メートルほど向こう側だった。
 暗い森で常人の視力ではそれは見えなかっただろうし、聴覚がとらえることもできなかっただろうが。
 吸血鬼の能力はその範疇におさまらなかったようで、そちらに視覚と聴覚を集中すると、そこに数人の人間がいるのが見えた。

 あれは、“山犬部隊”である。ハーレンホールドの北西の森で“山狩り”を行っていた山犬部隊に800メートル向こうで鉢合わせたようだった。
 
 しかし、様子がおかしいようだった。
 “止まれ”そういった人影は、しかし、山犬部隊ではないようだった。
 巨大樹の山間で山犬部隊の面々に対峙する小さい影は、しかし800メートル此方のここからではさすがに完全にとらえることはできない。
 その影が、目の前の山犬部隊たちに向かって言った。

「やっぱリ。これだけではいそうですかと言って帰ってハくれないよネ」
 
 山犬部隊には、あの“大佐”や第七席のアルザス・クレイゲンや、“豪胆”主席の“白犬”まで、おそらく山犬部隊の全員がそろっていた。
 小さな影のはるか遠くのその声は、それにしてもところどころひずんで聞こえる。
 
「森の奥に、確かに“樹魅”はイる。しかし、明日までは、彼の邪魔をさせたくハなイんだヨ。こういえばわかってモらえるカナ?」
 
 そしてその小さな影は、平然とした、しかしところどころひずんだ口調で続けた。
 
「あタシは“存在移し”だ」

 その800メートルこちら側で、それを聞いた僕は、まるで心臓を揺さぶられるようだった。
 
「はっ……あっ……」

 心臓の鼓動にあわせて、息がもれるようだった。
 しかし、それは800メートル向こうに存在移しがいるからだけではなかった。
 
 ザスッ。と小さな音が耳に入ってくる。
 見ると、“存在移し”がそういった次の瞬間には、あの“山犬部隊”のアルザスクレイゲンの長剣が“存在移し”の胸部に深々と突き刺さっていた。

 そして次の瞬間には、“大佐”のスナッピングと同時に、“存在移し”の首と両手両足がちぎれとんだ。

 それは、まさに瞬殺といっていい速さだった。
 遠目だが、アルザス・クレイゲンが視界に入ったときには、すでに“存在移し”の心臓を貫いた後だった。
 
 しかし、奇妙なことが起こった。
 心臓を貫かれたハズの“存在移し”の体が、いつのまにか巨大樹の幹へと姿を変えていたのだ。
 
 それに気づいたアルザス・クレイゲンが、巨大樹の幹からすばやく長剣を引き抜いた。
 巨大樹の幹には、“大佐”のスナッピングの衝撃で、切り傷が5本貫通しているようだった。
 そして数泊おいて、今度はどこからともなく先ほどのひずんだ声が響いてきた。
 
『わかってなイなぁ。君たちは“存在を移す”ということヲ、見誤ってイルよ?』 
 
 僕も目をこらしたが、しかし800メートルむこうで“存在移し”の輪郭を見つけることはできなかった。
 
『アタシは存在を好きに移すことができる。今みたいに木かもしれないし、葉っぱかもしれないし、空気かもしれない。あたシ、“存在移し”の絶対回避は誰ニも捉えられなイ』
 
 そして、と言って“存在移し”の声だけが続けていった。
 
『そしてもシかしたら、今アタシは、誰かのそばにいるかもしれナイ。首もとニナイフを突きつけていルかもしれないし。爆弾を仕掛けているかもしれナい』
 
 “存在移し”がそういっている途中で、山犬部隊主席の“白犬”と呼ばれていた男が、両手を掲げて、そこから白い粒子を霧状に発生させはじめた。
 すると
 
『お前だ“白犬”、そして“豪胆”』
 
 と、“存在移し”が山犬部隊の主席と第二席を名指しした。
 
『お前たち、“おののきよつぎ”に触れられなかったカ? 例えば、握手のヨうな。接触があったダろう? もう察していルだろうガ、あれはアタシが存在を移しタ“樹魅”だ。お前たちはすでに“樹魅”に触レられた時に、“種子”をうえつけられているんダよ。今頃は心縛樹になっテ、心臓を縛っていることだろウよ。すでに死んでいるんだお前たちは』
 
 そういうと、“白犬”は動きをとめて、中空をじっと見るようにした。 
 次に口を開いたのは“大佐”だった。
 
「それで? 一応要求だけは聞かせてもらえるのかな?」 
 
『話がわかルじゃないか。うん、それでハ、ちょっと場所を変えルとしようカ』 
 
 すると、“存在移し”が、おそらくはまたダミーだろうと思うが、姿を現して、森をさらに西の奥へと姿を消し、山犬部隊の面々もそちらへ消えていった。たぶん追いつけないし、この森で追うのは危険すぎる。
 “存在移し”と“山犬部隊”が森の奥に消えたのを確認して、それまでこらえていた息がもれだした。
 
「っはぁ! はっ、はっ……」
 
 呼吸を整えながら考える。
 というか、落胆していた。800メートル先に、“存在移し”がいたのだ。
 場所と、山犬部隊がそろっているというような状況がなければ、全速力で向かっているところだった。
 しかし、“存在移し”は明日までと言っていたな。“樹魅”は何かやる気なのか?
 
 そこまで考えたところで、もうひとつ気づいた。
 それは樹の影に押し込まれて、顔を赤くしてワナワナと震えるようにこちらをにらんでいるレミリアだった。
 やばい。それまで“存在移し”のことに集中して、完全に忘れていた。
 
「あっ、レミリア。落ち着けよ、これは別に他意は……」
 
「落ち着くのはあんただこの変態!!」 
 
 レミリアが僕の前に手をかざすと、大槌でもぶち当てられたような衝撃で吹っ飛ばされた。
 地面にゴロゴロ転がった僕の胴体をレミリアが足蹴にしてゲシゲシと踏みまくってくる。
 
「違う! 違うんだって! 別に何もしようとしてねぇよ!!」
 
「うっさい! このっ! このぉっ!」 
 
 その後も必死に抗議したが、しかしやはりしばらくレミリアに足蹴にされることになったのだった。
 
 
 
 #
 
 
 
「ああ、よかったよレミリア」 
 
 僕とレミリアがメアリーがいた森の入り口付近に行ったときには、メアリーは近くの中くらいの岩に腰掛けて僕とレミリアに手を振った。

「うん、メアリー、その……」

「無事でほっとしたよレミリア」
 
 言いよどむレミリアをメアリーが抱きしめてそう言うのだった。
 レミリアは抱きしめられながら、メアリーの胸の中でモゴモゴと何か言っているようだった。
 メアリーはレミリアに手を回しながら僕を見ていった。
 
「コヨミも大変だったんだね。そんなにキズだらけになって……」
 
「いや、これはそこのサイコレズにやられたんだけどね……」 
 
「私はレズじゃない」 
 
 レミリアはメアリーに抱きつきながら短くそういった。
 メアリーは少しキョトンとしている様子だったが、
 
「あはは、そこらへんの話はあとで聞かせてよ、早く宿舎に帰ろうよ」
 
「それは賛成だ。今日はクタクタだよ」
 
 そこで、ちょっと気になったことをメアリーに尋ねた。
 
「それにしても、お前こそ大丈夫だったのか? ダイアスの3人はどうしたんだよ」 
 
「うん? ああ、あの人たちなら先に帰ったんじゃないかな」 
 
「ってことはもしかしてあいつらの結界を全部ショートさせれたのか?」 
 
「どうかな。まぁ彼らはなんだったのかわかってないと思うけどね」 
 
 メアリーは、どうにもはぐらかそうとしているようだった。
 とりあえずのところその場では宿舎に戻ろうということで話は打ち切られたが、その森の辺りの木の焦げるようなにおいが鼻に残ったのだった。
 
 
 #
 
 
 宿舎に帰ったあと、僕とメアリーとマットとレミリアで、裏庭でささやかなキャンプファイアーをすることになった。
 サリバンはと聞くと、あいつは出てこないらしかったが、マットがフォークギターを鳴らして、昔からこうして間接的に励ましてやることがあるのだと教えてくれた。

 僕は僕で、裏庭の切り株の上に座って、マットの鳴らすギターの音色を聞きながら、揺れるキャンプファイアーの炎を所在無く、じっとながめていた。

 しばらくすると、レミリアが僕のところに来て声をかけてきた。
 
「ねぇコヨミ。これ食べる? 晩御飯まだでしょう?」
 
「んん? そういえばそうだったな。今日の晩御飯はなんだい?」 
 
「晩御飯は改めて作るけど、これでちょっとお腹のたしになるんじゃない」 
 
 レミリアが言って差し出したのは、おにぎりの乗った皿だった。
  
「ライスが安かったから、お昼のうちに買っておいたのよ。おむすびっていうんでしょ? うまくできてるかわかんないけど」
 
「大体こんな感じだよ。ありがたくいただくよ」 
 
 ヨーロッパでおにぎりというのは、多分なじみのない食べ物であるには違いない。
 おにぎりの具は昆布とシャケで、なかなかしぶいチョイスだったが。
 レミリアが作ったおむすびを食べながら、ちょっとした郷愁というか、孤独感が少し埋められるような感じだった。
 
「おいしいよ。レミリアはきっといいお嫁さんになるな」 
 
「はぁ? 何大げさなこと言ってるのよ」 
 
 レミリアはそう言うと照れたように笑った。
 その後、しばらくマットの演奏に耳を傾けたあと、宿舎のダイニングでサリバンも交えて夕食を食べ、夜が更けてそれぞれベッドルームに向かったのだった。



 #
 
 
 
 ベットルームに引っ込んだあと、僕はベッドに腰掛けて、僕の影から出て向かいのベッドに座った忍に見つめられながら、おおのきちゃんに渡してもらった携帯電話を耳にあてていた。
 電話の相手は、もちろんおののきちゃんである。
 
『鬼のお兄ちゃん。悪いニュースと、すごく悪いニュースがあるんだけど。どっちから聞きたい?』
 
「どっちもいやなんだけど…… じゃぁ悪いニュースからお願いするよ」 
 
『オッケー。かっしこまりー』 
 
 電話の向こうから、平坦な声で楽しげな返事が返ってきたが、無言で続きを促した。
 
『ひとつは、山犬部隊が“山狩り”の結果、北西の山に“樹魅”はいなかったって結論づけたってことだよ。さすがにハーレンホールドから離れたとは考えにくいけど、可能性がないでもないね』
 
「それについては思うところがないでもないけど、もうひとつは?」

『もうひとつは、山犬のおじいちゃん、つまり“豪胆”が死んだってことだよ。その場にはボクもいたんだけどね。自警団に向かって何か言おうとして、そしたら胸から“樹”が生えてきて、“豪胆”の心臓を破壊しつくしたんだよね。たぶん』

「ああ、“樹魅”がやったんだよ」

 おののきちゃんの言葉を引き継いで言った。
 おそらく、“豪胆”は“樹魅”に都合の悪いことを言おうとしたのだ。おそらく、それに樹魅が心臓に忍ばせた心縛樹が反応したに違いない。
 携帯電話の向こうのおののきちゃんに続ける。

「おののきちゃん、僕からも悪いニュースがあるよ。たぶんだけど、“山犬部隊”はハーレンホールドを裏切って“樹魅”についたと思う」



 #



 その後、おののきちゃんに森で見たことを話すと
 
『なるほどね。委細承知したよ。ボクは明日、一応ギリギリまでその方向で調べてみるから、鬼いちゃんはそれまで大きい動きは控えておいてね。でないと指一本伸ばしちゃうよ。その指めちゃくちゃでっかいから覚悟しておいてよね』

 と言って通話を終えたのだった。
 
 その後ベッドに入ってしばらく天井を眺めていると、ベッドに忍が入ってくるのがわかった。
 
「のうお前様よ。今日は眠れそうかの?」
 
「ああ、悪いなお前にまで気を使わせちゃって。ありがとう」 
 
「フン。そんなんじゃないわい。しかしありがたいというのなら、ワシの頭でもなでてはくれんじゃろうか」 
 
「かまわないぜ」 
 
 忍の言うように、ベッドの布団の中でモゾモゾと体勢を変えて、忍の頭に手をまわしてきれいな金髪ごしに頭をなでてやる。
 レオニードの鍵の出所や、樹魅の動き、存在移しの目的、わからないことは多い。 
 忍の頭をなでながら、忍にしゃべりかけた。
 
「なぁ忍。聞いた話じゃ、明日“樹魅”は何か動くらしい。僕はなんとしてでも“存在移し”を見つけて僕の存在を取り返さなくちゃいけない。お前には何の利益にもならないかもしれないけどさ」
 
 言いかけたところで、忍は布団から半分ほど頭を出したままでさめざめと笑った。
 
「カカカ。言いということじゃ。頭をなでられながら頼まれては、ワシとて力をかすのはやぶさかではない。ワシとお前様は一心同体じゃ。死ぬなら死ぬで、それまでじゃろうよ」 
 
「ああ、すまないな」 
 
 そういうと、忍はまたカカと笑って返事をして
 
「それならばお前様よ。早く寝てしまうことじゃな。このままワシをなでておればそのうち寝てしまうじゃろうて」
 
 といって布団の中でモゾモゾと小さな体を寄せてきた。
 僕も最後になるかもしれないと、忍の頭を丁寧になでてやる。サラサラした金髪が手に心地よかった。
  
 しかし、うれしげな忍をよそに、僕はベッドから飛び起きることになったのだった。
 
「コヨミ。寝る前にホットミルクでもどう? メアリーもそうしてあげてって……って……」 
 
 ガチャリとドアを開けて部屋に入ってきたのは、手に湯気をたてるホットミルクの器を持ったレミリアだった。
 レミリアが言葉を途中で区切り、僕が寝ているベッドに釘付けになる。
 僕と、僕の隣で抱きしめられている格好の忍の姿にである。
 
「なっ……なっ……」 

 レミリアの右手からホットミルクの器が地面に落ちる。
 しかし、そのコップが途中でビタっと止まり、レミリアのサイコキネシスで数滴のミルクを宙に浮かせながら滞空する。
 
「いや、違うんだレミリア。これはこういう決まりというか、風習というかだな。その地方独特の、よその風土からは一見想像もつかないようなそういうしきたりのようなものが……」

 僕が必死になってそういっている途中で、僕の体が宙に浮き始め、ついで部屋の窓がガチャリとひとりでに開いた。
 忍は、しかし何も言わずに眠そうに僕のほうを見つめるだけだった。
 
「待てレミリア! 話せばわかる! だから僕を放してくれ! 放してください!」

 空中に浮いてジタバタともがきながら年下の少女に懇願する男子高校生の姿がそこにはあった。遺憾ながらそれは僕だった。
 しかし、僕の懇願もむなしく空中に浮いた僕の体は、急加速し、そのまま窓の外に疾走していった。
 
「何やってるんだこのへんたいいぃぃぃぃぃ!!」

 レミリアの大声とともに僕の体は2階の窓から発射され、そのまま夜の宙を舞って宿舎の前方50メートルにある湖畔の上を水切りのように2回跳ねてそのまま湖に沈んでいった。

 ちなみにその後、僕の部屋でひとつのベッドでは僕が、もうひとつのベッドでは忍とレミリアが眠ることになり、しかし毒気が抜かれたのかしばらくしてすぐに眠りに落ちることができたのだった。



[38563] こよみサムライ021
Name: 3×41◆ecb68eaf ID:31c4df78
Date: 2014/03/16 09:10


 朝である。
 このハーレンホールドに来てから三日目の朝だった。
 ロッジのベッドの中でまどろみながら上半身を起こすと、広めの部屋に窓から朝日が差していた。
 
 結局昨日はレミリアのサイコキネシスで湖畔に投げ込まれたあと、ロッジに戻って軽くシャワーを浴びたあと、レミリアに忍を取り上げられて結局一人で寂しく眠ることになったのだ。いや、普通は一人で寝るもんなんだけど。

 ベッドの上で少しおきぬけのけだるさを感じながら隣を見ると、レミリアの逆方向を向いてスースー眠る忍をレミリアがガッチリホールドして健やかに寝息を立てていた。

 ていうかこいつ、何の警戒心もなくよく男の部屋で眠れるよな。
 まぁ僕がレミリアに何かすることなどまずないし、仮に万が一手を出したところでまたぞろ窓から吹っ飛ばされるのがオチである。
 ベッドから抜け出して、隣のレミリアの寝顔を見ると、忍の金髪に顔をうずめながら、まるで桃源郷にでもいるかのような至福のニヤけた寝顔である。

「やっぱりサイコレズじゃねぇか……」

 僕は寝息を立てる忍とレミリアのそばで一人でそうつぶやくと、次にちょっとはねた髪をなでつけながらドアに向かった。
 ドアのほうに歩きながら、忍とレミリアの眠るベットの足のほうの掛け布団が乱れているのに気がついた。
 忍は体が小さいのでまだ体は布団に覆われているのだが、レミリアはというと布団がはだけてふくらはぎまで見えてしまっていた。
 
「ったく、風邪ひいちゃうだろ」

 別に冬季というわけでもなかったので、それほど問題ということでもなかったのかもしれないが、そこはけっこうキッチリしいの僕である。
 しかたなしという風に微笑しながら、布団を持ち直すと
 
「んんっ?」

 ちょっと布団を上げるときにレミリアの膝まで目に入ったのだった。ふくらはぎからして、スラっとした、健康的な細足である。
 そういえば昨日からレミリアはショートズボンだったのだった。
 その健康美的なレミリアの足に思わず目を奪われてしまう。
 
「なるほどなるほど?」

 そこからは興味本位である、布団を賭け直すついでに、布団をペラペラとめくっていくと、やわらかい膝から、ほっそりと、しかし肉付きのいいふとももがのぞき、そして。

「あ、あれ、ちょっと」

 気がつくと、布団をペラペラ少しずつめくり上げていた僕の体は、部屋の中空にフワフワと浮かび上がっていた。
 僕は体をジタバタさせるが、ばたつく脚は床にかすりもしない。
 僕が顔を上げると、ベッドの上のほうで目を覚ましていたレミリアが、掛け布団を胸元まで引き寄せて、ワナワナとした表情で僕を強く見つめているのだった。これはまずい。

「おい、レミリア。ちょっとまてよ。落ち着け。別に他意はないんだ、布団をかけ直そうとしただけで」

 そういいながらも自分でもそれは無理のある申し開きだと、そう自覚せざるをえなかった。右手にパンツをつかんで無実を叫んでいるようなものだった。レミリアはおきぬけにもかかわらず、今にも噴火しそうな様子で。

「朝から何してるんだこのロリコンやろおぉぉぉぉ!!」

 と、ほかの誰に言われてもお前には言われたくねぇよというようなことを叫びながら、僕の体はひとりでに開いた窓から高速で射出され、今度は50M先の澄んだ湖畔に3回ほど水切りしてゴボゴボ沈んでいったのだった。



 #



「あはは、朝から水泳なんてコヨミは元気だなぁ」

「ま、まぁね。元気が有り余っちゃってさ」

 その後、湖から上がってシャワーを浴びたあと、メアリーに誘われてロッジの裏庭でレミリアの格闘訓練に付き合っていた。
 
 今日はこのエクソシスト学園、レメンタリークアッズの生徒たちのトーナメント戦、コロッセオが行われる日である。
 メアリーは、意気消沈してコロッセオを辞退しようとするサリバンに代わってコロッセオに出場するということだった。なのでその準備運動も兼ねてである。

「大丈夫なのかよ。ほかの学園生たちは剣とか獲物を使うんだろ?」

「そうだね。とはいえ私も手甲や脚甲はつけるよ」

「まぁそれならいいっちゃいいもんなのかな。でも結界だけで肉弾戦で勝算とかあるのかな」

「どうかな。でも勝つか負けるかじゃない。やるかやらないかだと私は思うよ」

「そういうもんかね。気持ちはわからんでもないけどさ」

 僕とメアリーは拳打や蹴りを応酬しながら話していた。昨日の新聞は、サリバンだけではなくトパンズの生徒たちにそこそこの精神的なダメージを負わせているらしい。メアリーはサリバンの代わりにその雪辱をそごうとしている。それ自体は僕も応援している。

「しかしお前は結構情に厚いところがあるんだな。僕はてっきり戦闘のことしか頭にないんじゃないかと思ってたけどさ」

「うん? だいたいそうだけどね」

 メアリーは僕のハイキックを左手で受け止めながら、キョトンと意外そうな顔をして続けた。
 
「正直、ほかの人間なんてどうなろうがどうでもいいんだよ私は。あんまり他人に入れ込みすぎると身動きが取りづらい、それは自由じゃないからね、好ましくないと思うな。でもサリバンたちは特別なんだよね。私は勝手にあいつらのことを家族だと思ってるんだよ」

 他人に入れ込みすぎると身動きが取りづらいか、それは僕にも大いに納得できることだった。友達を作ると人間強度が下がる、このバトルジャンキー女との意外な共通点だった。
 確かにな、昨日の夜を思い出しながらそう思う。もしメアリーがところかまわず友人を作っていたら、もしかしたら何かのいさかいをきっかけに誰か殺しちゃうかもしれないもんな。まぁこの学園においては結界術があるのでそういうことにもならないんだろうけど。レミリアがメアリーに秘密をもらさないように言っていたのも今なら同意できる。

「僕もいいやつらだと思うぜ」

「そうでしょう? コヨミもどうだい? レミリアなんて、義理の妹にしたい人は学園にもたくさんいると思うよ」

「え? 僕がレミリアを義理の妹にかい?」

 あのクレイジーサイコレズのレミリアである。
 まぁ確かに学園内でのあいつの小動物ぶりや、外見的なかわいさは学園の生徒たちにファンクラブを作らせてしまうのはわからないでもなかった。
 それに悪いやつでもない。メアリーはサリバンやマットやレミリアにえらく入れ込んでいるが、あいつらが愛される資格はあるといってもいいんじゃないかと思う。
 しかし、レミリアにそんなことを言うのはどうにも照れくさいことだ。
 メアリーの問いに、僕は冗談っぽく笑って答えた。
 
「レミリアが頼むんなら僕はやぶさかでもないけどね。でも僕からはやめとくよ、身が持ちそうにないしな」

「だ、誰が頼むかっ!!」

 ロッジのほうからそういう叫び声が聞こえ、ついでボコっと僕の頭におたまがヒットした。
 調理器具のおたまである。
 メアリーと僕がそちらを振り向くと、おたまを投げ終わった体勢のレミリアが目に入った。
 
「メアリー! そんな変態ロリコン野郎におかしなこと持ちかけないでよね! そんなの私だってお断りよ!」

「またまた。そんなこと言ってまんざらでもないんじゃないの?」

「そんなわけないでしょっ! 今朝ご飯作ってるから、もうしばらくしたら切り上げて戻ってきてよ!」

 レミリアがロッジの裏口のそばで、メアリーにそう強く言った。
 メアリーがわかったよと応えると、レミリアの後ろから忍がひょこっと顔を出し、こちらにとことこ歩いてきた。
 すると、それを引き止めるようにレミリアが

「忍ちゃん。今おいしいポトフを作ってるんだけど、一緒に作らない? 味見とかしてよ」 

 と言うと、忍は無言のままで綺麗に反転してレミリアと一緒にロッジに入っていったのだった。
 あいつめ……

「コヨミ。まだやれるかな?」

「ん? ああ、ぜんぜんいけるよ」

 その後も、僕とメアリーは格闘訓練をしばし続けたのであった。



 #



「ふ~っ。お腹減っちゃったよ。レミリア?」

 僕とメアリーは、その後しばらく格闘訓練を続けたあと、時間を見計らっていったん休憩を入れ、ロッジのダイニングへと入っていった。
 メアリーがそういってレミリアを呼ぶ。
 ダイニングには、レミリアの姿はなく、ダイニングのテーブルで二つおかれた朝ごはんの片方を食べようとする忍の姿があった。

「おい待て忍。どう見てもそれは僕の分だろ。どう考えてもお前は味見しまくってるんだから僕の分は残しとけよ」

「……」

 忍は僕のほうをしばらくじっと見ていると、次に再びポトフにスプーンを運んだ。
 僕は機先を制してその手をガっとつかむと、両手をつかんでイスから引き剥がした。
 
「レミリア? レミリアー?」

 メアリーはダイニングから入って、姿のないレミリアを探して階段のほうに頭が隠れている状態だった。

「のうお前様よ」

 忍が興味なさそうにイスに座った僕に声をかけてきた。
 テーブルでは、パンやサラダが並べられており、ポトフがホカホカと湯気を立てている。
 
「どうした? いっとくが半分までしかやらんからな。そこは僕の絶対防衛ラインだ。譲れないね」

「違うわい。あのレミリアとか言う娘、先ほど玄関のほうから誰か男が尋ねてきて、一緒にどこかへ行ったようじゃったぞ。まぁワシにはどうでもいいことじゃがの」

 ゾワリ、と喉が緊張するのを感じる。
 昨日の今日で、レミリアが誰かに連れ出されたのか?
 それも、メアリーに何も言わずだ。有無を言わさずレミリアを連れ出したとしたら
 
「なぁ忍。その尋ねてきたやつはどんなやつだったか覚えてるか? 何を言ってたかわかるか?」

「うーん」

 急かす僕に、忍は思い出すようにうつむき、はっと何かを思い出したようにして顔を上げた。
 
「そうじゃの。確か言葉端にアイリー・レオニードがどうとかと聞いたがの」

「まじかよ……」

 それを聞いて、僕は手付かずの朝食を置いてダイニングのイスを立った。
 
 
 
 #



 忍が言うには、そのほかに、科学棟、と言う言葉も漏れ聞こえたらしい、できれば忍には、その男が尋ねてきたときにレミリアをとめて欲しかったけれど、さすがにそれは無理か。
 ダイニングの席を立った僕は、忍にそこまで聞いて、レミリアがロッジにいないことに気づいたらしいメアリーと一緒に、しかしアイリー・レオニードの名前は出さずに学園の科学棟を訪れていた。

 まだ早朝ということもあり、校舎の周りには生徒はほとんどいなかった。僕とメアリーがここまで来るのにランニングする生徒に2、3人すれ違ったばかりである。

「レミリア! レミリアー!」

 科学棟の近くまで来たところで、メアリが大きな声でレミリアの名前を呼んだ。
 もしかしたら、またあの交霊室のようなことになっているのだろうか。
 
 いや、考えながらその疑いは却下した。
 今のレミリアなら、あのサイコキネシスを使えばあいつをどこかに監禁することはおそらくできない。
 
 では、レミリアはどこにいるのだろうか?
 そもそも、なんでこんな時間にレミリアが呼び出される必要があるのだ。
 叫びながら歩き回るメアリーの隣で昨日のことが思い出される。
 
 北西の森のあの“ホール”で、ルシウス・ヴァンディミオンはレミリアに求愛した。
 結果的にそれは不調に終わったが。それをあのダイアスの女王、アイリー・レオニードの耳に入ったとしたら。
 夜があけてすぐのこの時間帯だということは、焦燥感をにわかに募らせた。
 
 しばらくレミリアを探しているときである。
 科学棟の中庭を歩く僕とメアリーの行く手に人影がさえぎった。
 
「あらぁ。トパンズのみなさまではありませんの。ンフ、ンフフ」

 ゆったりとした口調に淫蕩な笑い声。
 その顔を確認するまでもなく。そこにいたのはアイリー・レオニードである。
 なんでお前がこんな時間にここにいるんだ。
 僕がそう尋ねる前に、僕の隣にいたメアリーが飛び出した。
 
「ひぃっ!?」

 アイリー・レオニードが短く悲鳴を上げた。その間にもメアリーはさらに地面を強く蹴ってアイリーに疾走する。
 僕はメアリーに彼女のことは告げていない。
 しかし、レミリアが何も告げずに消えた点、こんな早朝にレミリアが消えた科学棟にアイリー・レオニードがいる点、もろもろ考え合わせると、やはりそのピースの交差点上に彼女が浮かび上がらざるをえない。

「おい、メアリーやめろ!」

 あわててメアリーを静止する。
 その声は届いただろうがメアリーは止まらなかった。走りながら、すでに左手を振りかぶっている。
 
 しかし、メアリーのこぶしはアイリーを打たなかった。
 アイリーに肉薄したメアリーは、しかし、その直前でピタリと動きをとめていた。
 
 見ると、メアリーの首元に、朝の陽光を反射してギラつく白刃が突きつけられていた。
 いつのまにかに、本当に気がついたときに、そこに急に出現したかのように、あの“山犬部隊”の第七席、アルザス・クレイゲンがメアリーの目の前に立ちはだかり、抜き去った長剣をメアリーの喉下に突きつけたいたのだ。

 それ以上進めば、メアリーの首ははねられていたに違いない。
 
「メアリー。やめろ、ひけ。証拠もないんだ」

「……」

 僕もメアリーをなだめるようにそういった。
 “山犬”アルザス・クレイゲンは、何の感情も見せず、しかしメアリーを厳しくねめつけている。
 メアリーは、しかし、数拍の間をおいて、ザッザと後ろに下がった。
 その状況を把握したアイリーが笑い声をもらした。
 
「ンフ、ンフフ。よかったですわね。あなた。もし私に手を出していれば、それこそただでは済ませなかったでしょうね」

 クスクスと笑うダイアスの女王に、メアリーの代わりに僕が尋ねた。

「なぁアイリーさん。あんたがこんな時間になんでこんなところにいるのかは、この際いいとして、僕らはレミリアを探してるんだよ。あんた、もしかしてレミリアがどこにいるか知ってるんじゃないか?」

「レミリア? レミリア・ワゾウスキさんですの?」

 ダイアスの女王は、僕の質問をはぐらかすようにクスクス笑い。
 次に科学棟の一角を指指していった。
 
「ンフフ。そういえば、011室あたりで、彼女を見たような気がいたしますわ」

 011室。中庭から、アイリー・レオニードが指差したのがその部屋なのだろう。

 僕とメアリーが、アイリーが指差したその3階くらいにある011室を遠目に見たとき。
 それにちょっと間が開いたあと、アイリーが指差したその部屋の壁面が轟音とともに大爆発した。
 
「なっ!?」

 その轟音と、その部屋の爆発で壁が吹き飛び、朝の空に立ち上がる爆炎に思わず身構えて声が絞り出された。
 遠目にその部屋の壁を全壊させメラメラと巨大な炎が噴出している。
 
「まぁ~」

 僕ははっとしたように、目の前のアイリー・レオニードを見た。
 彼女はその炎を驚いたように見ると
 
「なんでしょう。でも、とても美しいですわねぇ」

 と、まるでウットリするようにその炎を見ながら言った。
 
 ちょうどそのとき、僕の近くで炎のような熱気が発生したかと思い、次にメアリーがいないことに気づいた。
 あたりを見回していると、次に、その教室からメアリーの叫び声が聞こえてきた。
 
「コヨミ!! 救急車を呼んで!! レミリアが、救急車を!!」

「わ、わかった! 番号を教えてくれ!」

「ンフ、ンフフフフ」

 どうもその爆発が起こった教室にレミリアがいたらしい。しかも、状況はよくないらしかった。
 急いでズボンのポケットを探る僕の後ろで、アイリー・レオニードの淫蕩の笑い声があたりに響いていた。



[38563] こよみサムライ022
Name: 3×41◆ecb68eaf ID:31c4df78
Date: 2014/03/16 10:03


 科学棟の爆発。その部屋にどうやらレミリアは居合わせたらしく、メアリーに言われて要請した救急車にレミリアが運ばれたあと、街の病院で治療室に運ばれ、そのあとレミリアは病院の病室へと運ばれた。
 命は助かったというのが、医者にまず告げられ、僕がほっと胸をなでおろした点である。
 
 病室には、ベットに寝かされたレミリアと、僕が隣に立っているだけだった。メアリーは今は宿舎のサリバンとマットを呼びに行っている。
 医者の先生によれば、あの規模の爆発で命が助かったのは、完全に奇跡だということだった。その男の先生は、どうにも不思議そうに、しかし僥倖であるとその話を締めくくったのだった。

「あんまり……ジロジロ見ないでよ……」

「ああ、ごめん……」

 レミリアのかすれる声に、素直にあやまるほかなかった。
 なぜレミリアの命が助かったのか、僕には想像がついたことだった。おそらく、科学棟のあの部屋で爆発が起こったときに、レミリアはとっさに自分のサイコキネシスでガードしたのだろう。それでなんとか命は助かったのだ。

 しかし、そのガードはとっさのもので、不完全だったには違いなかった。
 レミリアの両腕は、爆発の炎に煽られて、包帯でグルグル巻かれるほどに火傷してしまっているし、レミリアの右目には包帯と眼帯で強く押さえられている。

「でも命があってよかったよ」

 僕が力なくそう言うと、レミリアは左目を伏せるようにした。
 
「よくないわよ。この治療費だけでどれだけするか……」

「そっちの心配かよ。命が助かっただけで奇跡なんだぞ」

「兄さん……」

 レミリアは、話の文脈を無視してそうつぶやくと、何か考え事をするように次の言葉を発することはなかった。

「悪いなレミリア」

「ん……」

 僕がレミリアにそう謝ると、レミリアは小さく返事をしてそれを認めた。
 だがなんで僕が謝意を伝えたかったのか、きっとレミリアにはそれがわからなかったに違いない。
 
 僕は、半端ながら、しかし吸血鬼だ。
 僕の血か、唾液でも、レミリアの傷をある程度治すことはおそらくできるはずだった。
 しかし、今はそれはできない。
 
 “あららぎこよみ”の存在を取り戻す前に、吸血鬼としての存在を表に出すことは、存在を取り戻す道を遠ざけるからだ。

 目の前で精神的にも身体的にも傷ついているレミリアに僕は謝ることしかできなかった。
 自分の身がかわいかったのだ。日本の故郷に帰ることを、戦場ヶ原たちとの生活を、遠ざけることができなかった。
 
 だからである。僕はただ、その後ろめたさを埋めるために、レミリアに謝ることしかできなかった。
 
 他方、あの爆発の原因である。
 レミリアは僕にもそれをかたくなに言わなかった、もしかしたら僕がメアリーに、レミリアのことを部分的にでもしゃべってしまったせいで、それを言えなくなっているのかもしれない。
 しかし、あの宿舎で漏れ聞いた話では、アイリー・レオニードの名前が使われたということには間違いがないのだ。もし、やつがかかわっていたのだとすれば、あいつがレオニード家の血筋だとか、学園の女王だとか、関係のないことだ。やつは報いを受けるべきだ。
 だが、その証拠は見つかってはいない。
 結局、不審な爆発事件、あるいはおとといの爆破テロとの関連を疑われるのみですまされてしまう可能性のほうが強かった。

 コンコン
 
 そう、ふいに病室のドアがノックされた。

「レミリア、来客だ。いいかい?」

「うん」

 誰だろう。サリバンやマットをメアリーが連れてきたのだろうか。
 僕が病室のドアの前まで行き、ドアを開くと、そこに立っているのは、サリバンでもメアリーでもなかった。
 そこに立って淫蕩な笑みをこちらに向けているのは、あのダイアスの女王、レオニード家の血族、アイリー・レオニードだった。

「ンフフ。ごきげんよう」

「あいにくだけどお前ほど機嫌はよくねぇよ。何の用だ?」

 優雅に笑ってあいさつをするアイリー・レオニードにつっけんに返す。
 余裕の表情のアイリーはしかし、なんの反応も見せずに続けて言った。
 
「かまいません。たまたま、事故の現場に居合わせたものとして慰留をと。有象無象はしばらく席をはずしなさいな」

「面白い冗談だな。お断りだ」

 今度は、ピクリ、と。彼女は僕をにらむようにした。
 どうやら、部屋のレミリアとアイリーを二人きりにしろと、そういうご命令だそうだが。
 あいにくそんなことさせるほどに僕は能天気ではない。それでも、それまで能天気だったことには変わりはないが。
 アイリー・レオニードは強い口調で命令をつっぱねた僕に、若干の圧を強めて再度警告した。
 
「あなた。私を誰だか知らないのですかしら? 私は 」

「レオニード家のアイリー・レオニードだろ。知るかよ。僕は短期留学生なんでね。いちいちこの土地の支配者にへつらう必要なんてないんだよ」

「……」

 それで、彼女もこれ以上言っても無駄だと悟ったのだろう。
 かまいません。そういって彼女は病室に入室した。
 そして、レミリアを見てにわかに驚きの表情を見せた。
 
「あ、あなた……なぜ生きてるんですの……?」

「……」 
 
 アイリーの、質問というよりは、独り言に、レミリアは何もいわなかった。
 確かに、医者もレミリアが助かったのは奇跡だと言っていたし、あの爆発を見れば、その部屋にいる人間に命があると想像する人間はまぁいないだろう。
 アイリー・レオニードは、次に何を思ってか、笑いながら続けた。
 
「ンフフ、しかし。あなたは、いいえ。ワゾウスキ兄妹はおしまいですわね。あんな事故を起こしては、もはや学園にとどまることはできませんものね。ルシウスをたぶらかした罪もかみしめればよい」
 
「ちが、違います…… 私はあんなことしてません」

 レミリアが、力をこめようとして、しかし力が入らずかすれたような声でそう答えた。
 アイリーは、そのレミリアの様子に吹き出したようだった。
 
「ンフ、アハハ。違うことなどありませんわよ。わたくしは、レオニードの人間としてその罪を見過ごすつもりはありませんわよ。捜査にも強く影響しますわ。あの部屋の修繕にはいくらかかることでしょうかしら。何千万、億までいくかもしれませんわねぇ。ンフ、ンフフ」

「違う…… 私は…… 私じゃない……」

「おい、お前なにいってんだよ、」

 僕がアイリー・レオニードにそういおうとしたところで、彼女は真紅のライトドレスをひるがえして、ではごきげんようと、その場を後にしたのだった。
 その後も、違う、私じゃないと、誰にでもなくそうつぶやくレミリアに、僕はなんと言えばいいのかわからなかった。



 #



 その後しばらくして、病室にメアリーがサリバンとマットを連れてきた。

「レミリア。無事でよかった」

 そういってサリバンがレミリアの手をとった。
 実際のところ、命はあるものの、レミリアはほとんど満身創痍だった。
 サリバンもレミリアを見てそれがわかっていたのだろう。
 レミリアに添えた手もほとんど力をこめずに、本当に添えただけだった。
 
「うん。兄さん、ごめんなさい。私……」

「レミリア、何を謝ることがあるんだよ。お前は気にしなくていいんだ」

 アイリー・レオニードとレミリアのやり取りは、メアリーたちには僕からあらかじめ伝えておいた。
 レミリアがうつむくと、サリバンは励ますようにレミリアを抱きしめるようにした。それもレミリアが痛まないように、ほとんど触れないようにである。

 その様子を見ながら、メアリーが僕に提案した。

「うん、コヨミ。あいつ殺そうよ」

「僕にもちかけるのはやめろよ。ていうか証拠もないし無理だろ」

「うん? どうしたんだ二人とも?」

「い、いや。なんでもないんだよ、ただの冗談っていうかさ」

 マットが思案気に僕とメアリーに聞いてくるが、適当にはぐらかすしかなかった。
 メアリーもそれは同じであるようだった。
 特にサリバンにだけはそれは伝えることができない。
 メアリーも、自分のことは省みないほど抜き身な様子でいて、サリバンを危険にさらすのは反対なようだった。どうにもジレンマな性分だ。
 そういえばメアリーはそろそろ開かれるコロセウムに出場する予定だったが。

「なぁメアリー。お前コロセウムはどうするんだ? やっぱり欠場するかい?」

「うん? いや、出るよ」

「出るのかよ」

 僕がややあっけにとられたようにそういうと、メアリーは笑って、しかし好戦的に言った。
 
「ああ、病室にいても、仕方がないからね。思うに、自由っていうのは、力で勝ち取るしかないんだよ」



 #
 
 
 
 コロセウムの会場があるのは、学園の南西部だった。
 世界史の教科書かなにかでみたような、天井が開いた円形のリングをレンガ作りの円形の観客席が何十にも取り囲んでいる。
 丘の上の学園に作られたコロッセウムからは、ハーレンホールドの巨大な街が見渡すことができた。
 
 結局、サリバンとマットはレミリアの病室に残ると言っていたのだが、レミリアがメアリーを応援したいと言い出したので、レミリアを車椅子に乗せて、コロッセウムの観客席の一角に陣取ることになっていた。レミリアは立てるから車椅子はいいと言っていたが、立って見せたレミリアは明らかにふらついていたので、どうしても行きたいなら座れと、無理やり車椅子に押し込めてつれてくることになったのだった。

 コロッセウムに来る途中は、トパンズ以外のクラスの生徒たちからは、半分は嘲笑され、半分はレミリアに対する憐憫があった。
 サリバンは大丈夫だろうか?
 そう思って僕がサリバンのほうをチラリと見ると、サリバンは肩をすくめた。
 
「まぁ仕方のないことだよ。気にするべきじゃないんだろうね」

「ああ。そうだよサリバン。人の噂も75日って僕の国のことわざにもあるしさ」

「ハハハ、そりゃいい言葉だね」

 言いながら向かった観客席からは、眼下に闘技場のリングを見渡すことができた。
 サリバン曰く、退魔術の授業では、このコロセウムを使うこともしばしばあるそうだ。
 僕たちの観客席はコロセウムの南で、コロセウムの東の観客席にはルビウムのティリオン・ラニスターの姿も見え、西のはあのアイリー・レオニードの姿とそのそばに護衛としてひかえているアルザス・クレイゲンの姿も見えた。
 
 もちろんコロセウムにはダイアスの主席、ルシウス・ヴァンディミオンもこのコロセウムには出場していて、早々に初戦を突破したらしい。

「ねぇ兄さん。次はメアリーだって」

「ああ、僕たちも応援しよう」

 レミリアにサリバンがそう答え、リングに視線を集めていると、男子生徒が一人、そして反対側から女子生徒が一人闘技場へと姿を現した。その女子生徒がメアリーだった。
 それとほぼ同じく、場内にアナウンスが流れる。

『次のトーナメントカードは、ダイアスのクェンティン・マーテル! そしてトパンズのメアリー・ローゼットハート!』

 アナウンスとともに、歓声がコロセウムに満ちて、花びらが空に舞った。
 歓声と花びらを背にしながら、ダイアスの男子生徒と、メアリーが向かい合い、男は刀剣を両手もちに構え、鉄製の手甲と鎧のような鉄靴を履いたメアリーが構えた。

『それでは、はじめ!』

 アナウンスの試合開始の合図とともに、ダイアスの男がまずメアリーに突進した。
 両手を上げて構えるメアリーに、両手で持った刀剣を上から全力で叩きつける。
 結界でお互いが守られているとはいえ、僕には心臓の縮むような光景だった。
 
 ガキン!!
 
 あたりに金属音を響かせて、メアリーが鉄の手甲をつけた右腕でそのうちおろしを防いだ。
 術式によってか強化されたその剣撃は、土の地面にメアリーの両足をめり込ませる。
 
「せああぁぁっ!!」

 メアリーが怒号とともに、受け止めた刀剣を打ち上げ、そのまま体を回転させて、目の前の男に回し蹴りを放った。
 男の頭を狙ったその回し蹴りは、すんでのところでかわされた。かのように見えた。
 
 しかし、男の眼前を轟音とともにメアリーの後ろ回し蹴りが通り過ぎると、男がフラリとバランスを崩した。

「当たったのか?」

 いや、当たったんだろう。たぶん、メアリーの回し蹴りが男のアゴ先をかすめたに違いない。
 結界で守られていても、物理的にアゴを捉えれば脳が揺れる。
 男は今、脳震盪で平衡感覚を失っているのだろう。
 
 その男の顔を上から影が覆った。
 
 そして次にメアリーの鉄靴のかかと落としが男の顔面を捉え、全力で打ち下ろされたかかと落としが男を地面に叩きつけた。

『そ、そこまで! メアリー・ローゼットハートの勝利!』

 そのアナウンスに、コロセウム南側のトパンズの観客たちが声援に沸いた。
 ダイアスはこの学園でもっとも優秀なクラスであるらしい、それはなかなかの番狂わせであったようで、トパンズの生徒たちは喝采し、ルビウムやアクアマリンの生徒たちは拍手を送り、ダイアスの生徒はコロセウムで伸びた男の生徒にブーイングを飛ばしている。
 メアリーは退場口にスタスタ歩いていて、結界がショートしたダイアスの生徒のほうには救護班がかけよっている。

 僕は僕でほっと胸をなでる心地だった。
 レミリアのこともあったし、とりあえず大事がなくてよかった。
 観客席でレミリアたちも
 
「メアリー。よかった……」

 と、メアリーの無事を喜んでいたり、サリバンはさすがにおとなしかったが、マットは腕を振り上げてメアリーの健闘をたたえていた。
 しかし、メアリーのフィジカルは相変わらず非凡なものがあった、以前、ダイアスに誘われるようなことがあったのも納得できる。出力ではあのダイアスの生徒に勝てないかもしれないが、それなら技でねじふせることにしたようだった。

「こりゃもしかしていい線いくんじゃないか?」

 僕がサリバンたちに言うと、マットが小さくうなって応えた。
 
「ううん。どうかな、トーナメントの組み合わせにもよるだろうが。どうもめぐり合わせがよくないな。次のメアリーの相手はあの花の騎士様だぜ。ルシウス・ヴァンディミオンだ」



 #



『鬼のお兄ちゃん。まだ調べてる途中なんだけどね。どうもやっぱり“樹魅”は北西の森を出ていないと思うよ』

「ああ、やっぱりか」

 そのあと、コロセウムの内部でおののきちゃんと通話している最中である。
 
『もう少し探りを入れてみるけどね。最悪、ボクと鬼いちゃんで北西の森を捜索ってことになっちゃうかもね』 

「そりゃぁぞっとするな」

『そのとおりだよ。珍しく意見が合ったじゃないか。森で“樹魅”とやりあうなんて、考えただけで、まぁ、なんの感情もわかないけどね。そこはさすが式神人形のボクだよね。いぇーい』

「うるせぇよ。ていうか別に僕とおののきちゃんは意見がめったに合わない感じでもなかっただろ」

 またちょっとキャラがぶれているおののきちゃんだった。
 思うに、キャラがもうひとつ弱いとキャラがピーキーになるんだよな。そうすることによってキャラクターというものを模索しているんだろうか。

 結局、おののきちゃんがもう少し探りを入れてみたあと、要相談ということだった。
 コロセウムの試合はかなり進んでいるようで、次はメアリーと、ルシウス・ヴァンディミオンの試合である。

「ただいま。まだはじまってないよな?」

「ああ、今二人とも入場したところだよ」

 観客席に戻って尋ねた僕にマットがそう応えた。
 会場は、すでにファンクラブの一角であるルシウスに、会場から黄色い声援が飛びまくり、その反動でか、男子がメアリーを応援するというような、いわくなんとも言いがたい構図が微妙に出来上がっていた。
 マットがルシウスを指さして言った。

「あいつの刀剣、ヴァンディミオン家に伝わる名刀らしいんだがな、並みの刀剣じゃ2、3度打ち合えばひしゃげるし、霊的な攻撃力までかなり精錬されてて、結界もそう持たない。しかもそれでなくてもルシウスは強いからな。正直厳しいと思うぜ」

 マットの説明に、僕も思わず思案気にアゴに手をやってしまう。

「まぁそれならそれで、気楽に戦えるってもんじゃないか? とりあえずメアリーには無事にもどってきてほしいけどな」

 そういうと、マットは笑って言った。

「アハハ、俺たちはそりゃそれに越したことはないけど、メアリーはどうかな。あいつは適当にやって負けようなんて思うガラじゃないぜ。知ってるだろ」

「ああ、わかってるよ。でもだから心配なんだよ」

 コロセウムの中央のメアリーを見ながらそう応える。
 しかし、なんだろう。何か違和感があった。
 
「どうしたコヨミ?」

「いや、なんだろうな……」

 僕の様子を察したマットがそう尋ねたが、その原因が僕にも見当がつかなかった。
 目を凝らして、コロセウムにさっさと視線を泳がせる。
 
『それでは…… 両者かまえて……』

 アナウンスが、コロセウム中央の二人に、開幕の合図を告げようとしていた。
 同時に、僕も自分が持っていた違和感に気づいた。
 
 コロセウムの観客席の西側席である。
 電話をする先ほどまでは、あそこにはアイリー・レオニードとその護衛アルザス・クレイゲンの姿があったはずだが、今見ると、そこにその姿がなかった。
 ダイアスの主席、ルシウス・ヴァンディミオンの試合である。アイリー・レオニードも興味がある試合のはずだ、しかし、その試合であの女がいないのはなんでだ?

 僕は、そこではっと気がついて、近くのさっきまでレミリアが車椅子に座っていた場所に振り返った。
 しかし、というかやはり、そこに先ほどまでいたレミリアの姿はなかった。
 喉元に、いやな感じが、グルグルとぐろをまきはじめるようだった。
 
 その隣で、コロセウムを固唾を呑んで見つめているサリバンに急いで尋ねた。
 
「な、なぁサリバン。レミリアはどうした? あいつがどこかに行ってるんだけど」

 僕が尋ねると、サリバンは不思議そうに応えた。
 
「うん? ああ。レミリアならさっきアイリーに何か言われて、二人でどこかへ行ったみたいだよ」

「なっ」

 そうだった。サリバンとマットは何も知らないのだ。
 うかつだったと呆然となる僕をよそに、アナウンスが言葉を発そうとしていた。
 
『それでは、ダイアスのルシウス・ヴァンディミオンと、トパンズのメアリー・ローゼットハートの試合……』

 そして、それはあまりに出し抜けだった。突拍子もなく、何の予兆もなく、そのハーレンホールドの北の丘の上に作られたコロセウムを、少なくとも僕の視界中はすべて、突然の津波が襲ってきた。


 津波がコロセウムを襲い、覆い、轟音が響き渡った。
 試合の開始を告げようとしていたアナウンスは、代わりに甲高いハウリングを響かせた。

 混乱から、僕はやっとのことで立ち直ってよく見ると、その津波は、正確には水ではなく、巨大な樹木の波濤だとわかった。コロセウムの吹き抜けの天井を覆い、コロセウムの中にまで根をはらしている。
 しかも、その範囲はおそらくコロセウムだけではないに違いない。おそらく北西の森から、ハーレンホールドをすべて飲み込むような、巨大樹の津波が……

 コロセウムは、いまや混乱のるつぼだった。
 怒号や悲鳴に混じって、学園の教師がシェルターへ避難しろと叫んで生徒を誘導している。

「い、いや。今はレミリアだ! サリバン! レミリアはどこだ!?」

「えっ? コヨミ?」

 サリバンが応える前に僕はコロセウムから外へと走った。
 
 



[38563] こよみサムライ023
Name: 3×41◆ecb68eaf ID:31c4df78
Date: 2014/03/16 10:16
 
 
「はぁっ、はぁっ……」

 コロセウムから外に出ると、そこからハーレンホールドの街が一望できた。
 
「まじかよ……」

 ハーレンホールドの街は、今や樹木の津波に完全に飲み込まれていた。
 5メートルから、何十メートルにもなるような樹木が、急速に伸びたそれがまるで津波のように街を襲い、ビルや家屋にその根を貫き、どこまでも伸び、ハーレンホールドの街すべてを飲み込んでいる。

 こんなことができるのは“樹魅”しかいない。
 あいつ。北西の森でこれを狙ってたのか?
 いやそれより今はレミリアを。
 
「すいません、レミリア・ワゾウスキを知りませんか? レミリアを」

 コロセウムから出る途中から、そう聞き続け、シェルターへと逃げる学生たちと逆方向に、目撃したという言葉をたよりに進んでいく。

「なんだ? レミリア? 彼女ならアイリー様とあっちのほうに」

 そういって、名前も知らない生徒がシェルターのほうへと走っていった。
 その生徒が指した方向は、コロセウムの裏庭だった。
 
 
 
 #
 
 
「はぁっ……はぁっ……」 
 
 コロセウムの裏庭に向かうと、その曲がり角の手前に、アイリー・レオニードの護衛、“山犬部隊”の第七席、アルザス・クレイゲンが建物を背もたれに立っていた。
 アルザス・クレイゲンは、僕を視界に捕らえるようにジロリとこちらを見た。
 
「ここは誰も通すなと、そう言われているんだがな」

 アルザス・クレイゲンは、それだけ言って、つまらなそうに宙に視線を泳がせた。
 この樹の津波にも、興味はなさそうである。こいつ、このことも知ってたのか?
 僕は息を整えながらその山犬に言った。
 
「そりゃぁ、あんたはハーレンホールドに命令されて、いやいやでもあの女を護衛しなきゃいけないかもしれないけどさ。でも、あの女の命令まで聞く必要はもうないんじゃないのか? “豪胆”はもう死んだんだろ?」

 そういうと、アルザス・クレイゲンはもう一度こちらをジロリと見て、少しいぶかしむようにすると
 
「それもそうだな」

 そういって再び視線を宙に泳がせた。
 
「通るぞ?」

 僕はおそるおそる、そう確認したが、“山犬”は、しかし何も応えなかった。僕はそれを暗黙の承認と見て、山犬の前を通り、コロセウムの裏庭へと回った。
 そして、その角を回ったときに僕の目にはいったのは、車椅子から立ち上がって逃げようとするレミリアと、そのレミリアに、ナイフを持って襲いかかるアイリー・レオニードの姿だった。

「死ねえええぇぇぇぇ!!」

「きゃぁぁぁっ!?」

 アイリー・レオニードが叫びながらレミリアにナイフを突き刺した。しかし、そのナイフはレミリアには届かなかった。

 バァン!
 
 そうはじけるような轟音とともに、レミリアがとっさに張ったサイコキネシスの障壁が、アイリーの持ったナイフを弾き飛ばし、弾かれたナイフは吹き飛ばされ、アイリーの右ほほを薄く掠めて茂みに飛んで言った。

「な、なんで、シェゾズナイフが……?」

 アイリーが、呆然としたようにそうつぶやいた。
 レミリアは、ナイフを弾き飛ばすと、火傷と裂傷でおおわれた手足で、力なくその場に倒れた。
 
「レミリア! レミリア!?」

 僕がレミリアにかけより。おそるおそるレミリアの上体を抱きかかえる。
 一方、アイリーはやっと自分の頬から流れる血に気がついたように、その切れた頬を手でなぞり、それを目の前に持っていって、彼女の目を見開いた。

「ち、血が、私の、レオニードの高貴な、血が……?」

 呆然とその事実を飲み込めないようでいるアイリー。
 そこに遅まきにサリバンやメアリーが走ってきた。
 
「レミリア! コヨミ!」

 そういって来たのはメアリーだった。見ると、マットも一緒である。なんと、メアリーと試合をする直前だったルシウス・ヴァンディミオンも一緒だった。
 サリバンは
 
「二人とも、無事でよかった」

 と言ったあと、そこから見下ろせるハーレンホールドの街を見て
 
「なんだ、これは……?」

 と、力なくつぶやいた。
 マットが僕たち全員に向けて言った。
 
「おい、みんな早くシェルターに向かうぞ。街に“祟り蛇”が出てるらしい。学園生ははやくシェルターに向かうように命令が出てる」

「アイリー。君もシェルターへ」

 ルシウスがアイリーに呼びかけた。
 しかし、アイリーは
 
「血が、高貴な血が……」

 と、その場に立ち尽くしたのみである。
 
 動いたのは、サリバンだった。
 サリバンは僕たちに
 
「みんなレミリアを頼む。僕は街に向かうよ。街のみんなを守らないと……」

 そういって、サリバンは街に向かって走り出した。
 マットがハーレンホールドへと向かおうとするサリバンに叫んだ。
 
「おい、待てよサリバン! “祟り蛇”だぞ!? 死にたいのか!?」

「あぁ! 僕は街を守りたくてこの学園に入ったんだ。僕のじいちゃんもそうして死んだ! この剣にかけて、それで死ねるなら僕は本望だ!」

 そういって、サリバンは走って行ってしまったのだった。


 そして後に残った僕たちで、次に口を開いたのは、アイリー・レオニードだった。
 
「殺せ……」

 小さい声で、つぶやくようにそう言った彼女は、次に叫んだ。
 
「レミリアを殺せ! アルザス・クレイゲン!」

 その瞬間。アイリーの前にアルザス・クレイゲンが空中から跳躍して表れ、そしてレミリアをにらみながら、腰の長剣を抜こうとした。

「いやっ……!!」

 レミリアが、逃げるように立ち上がり、アルザス・クレイゲンのほうに両手をかざすと、アルザス・クレイゲンは後方に跳躍した。おそらく、レミリアの未知のサイコキネシスを警戒してのことだ。それにかまわず、アイリー・レオニードが叫んだ。

「何をしている! やつを殺せ! 見ろ! やつは私を傷つけた! レオニード家に対する反逆者だ! やつも、やつの兄も殺せ! お前たちは終わりだ! アハ、アハハハ!」

 やらせるかよ。僕はそう思ってレミリアの前に立ったが、次に後ろを見ると、レミリアの姿はそこにはなかった。
 レミリアは、そのサイコキネシスで空中に浮かび上がっていた。
 
「もう、終わりだわ。私たちは……」

 いいながら、レミリアが反転してハーレンホールドのほうを向いた。
 レミリアの包帯をしていない左目からはポロポロと涙がこぼれているのが僕にも見えた。
 こいつ、街に行く気だ。それを察して、空中に浮かぶレミリアに叫んだ。
 
「レミリア! だめだ行くな!」

「兄さん。サリバン兄さん!」

 レミリアは、しかし僕の声は耳に届かないように、そのまま宙を加速して、巨大な樹の津波に飲み込まれたハーレンホールドへと飛んで行った。

「ど、どういうことだ?」

 そう言ったのは、マットだった。
 メアリーも目を丸くしていた。
 なぜレミリアが、あんなことができるのか、想像を絶する驚きだったに違いない。僕だって、妹たちが急に空に浮いたらきっとこうなるだろう。

「殺せ! レミリアを! サリバンを!」

 そう叫んだのはアイリーだった。それも片手に携帯電話を持ちながらである。おそらく、ハーレンホールドの自警団に伝わったに違いなかった。
 アイリーの隣で彼女をなだめるようにしていたルシウスが言った。

「アイリー。落ち着け、とりあえずシェルターに行こう。僕も向かうから」

 そして、なおも激高さめやらず叫ぶアイリーに寄り添いながら、僕たちのほうを、正確には、僕たちの後ろを見て、出し抜けに、心臓が飛び出しそうな単語を発した。 

「あぁ、あららぎ君。君も早くシェルターに向かったほうがいい。ここも危ない」

 ルシウスが言ったとき、僕の目は、瞳孔は、これ以上ないくらいに引き絞られていた。
 はねるように、後ろを振り返ると、そこには確かに、一人の人間が立っていた。
 
 ちょうどおののきちゃんほどの背丈である。
 顔は祭りの化粧のようなものをしているようで、目には大きく星の模様が書き込まれている。
 
 “あららぎこよみ”その名前で呼ばれる人物。それは僕の存在を移した人間に他ならなかった。
 
 僕は、自分の意思と関係ないように、その人間に向かって全力で走っていた。
 その小さい子供のような人物の両肩に手をかけ、膝立ちになって言った。
 
「頼む! お願いします! 僕の、“あららぎこよみ”の存在を返してください! お願いします!」
 
 懇願だった。そうするしか、頼み込む以外に、もうそうするしかないように思われた。
 おそらく、こいつが“存在移し”だ。その気になれば、こいつがこの場から消えることなど造作もないことだろう。もしそうしろといわれたら、僕は地面に頭もこすりつけるし、靴だってなめるに違いなかった。

「あア、かまワないよ」

「え?」

 そう言われて、顔を上げた僕の肩に、“あららぎこよみ”は、ポンと手を乗せて言った。
 
「はい。こレで戻ったよ。“存在”がなじむまで、12時間くらいかかるだろうね。それまでに身辺整理を済ませて、この街を離れルといいヨ」

「え、は?」

 困惑する僕に、“存在移し”が続けて言った。
 
「もう、その“存在”ハ必要ないものだかラね。もうアイリー・レオニードを監視スる必要もなくなった。“おののきよつぎ”の存在も、今頃は元に戻っていルだろう。もっとも、あっちは無実を証明するたメにちょっともめルかもしれないけどネ」

 戻った? 戻ったのか?
 “存在”が? あららぎこよみの存在が戻ったのか?
 僕が後ろを向いて、メアリーやマットを見ると、二人は僕を見て不思議そうにしていた。事情を知らないのだから当然だ。
 “存在”がなじむまで12時間、“存在移し”はそう言っていた。それまでに、僕は完全に“あららぎこよみ”になり、“ハネカワコヨミ”ではなくなるということだろうか。

「それジャぁ。早く逃げルことだネ。その“存在”と、命がアる内に」

 そう声がした、“存在移し”のほうへ向き直ると、そこにはもう誰の姿もなかった。



 #
 


「じゃぁ、俺はシェルターへ向かうぞ」 

 コロセウムの裏側でマットが言ったところである。 
 そして、次には空から何かが降ってきた。
 それは、“おののきよつぎ”の存在を取り戻したおののきちゃんだった。

 今度は何かと身構える一同にかまわず、おののきちゃんは僕に言った。
 
「やっほー。鬼いちゃん。どうやら“樹魅”がやってくれたようだね。さすがにこれは手に負えないよ」

「おののきちゃん。いいニュースがあるぜ。僕とおののきちゃんの“存在”が戻ったよ」

「やだなぁ鬼いちゃん。わかってるさ」

 実感はないが、とりあえず、もう必要ないと、半分破棄される形で僕たちの“存在”はもどった。
 これで街にもどれる。また戦場ヶ原と話せる。

「無事に“存在”が戻ってよかったよ。それじゃぁ鬼いちゃん。早くこの場を離れよう。人命優先だよ。うん? 鬼いちゃん?」
 
 しかしこのときの僕はおののきちゃんには応えず、黙ってしまっていた。 
 マットが僕たちに向かって言った。

「おい。ここは危ないって言われただろ。早くシェルターに行こう」

 マットは僕とメアリーにそう言ったが、二人とも何も言わなかった。
 耐えかねるようにしてマットが続けて言った。
 
「偉大なことを欲する者は、心を集中しなければならない。制限の中に初めて名人が現れる。というのはゲーテの言葉だ。今は身を守ることを考えるべきだ」

 マットはそう言ったが、それに対して特段の感想は抱けてこない。
 
「君子危うきに近寄らず、撤退も兵法のうちと言うだろう?」

 マットの言葉は、しかし、僕にまったくといっていいほど刺さってこなかった。おそらく、それはメアリーにとっても同じだったに違いない。
 マットはしばらくして説得をあきらめると、
 
「すまない。じゃぁ俺は行く」

 と行って、シェルターへと向かい。
 ルシウスは激高するアイリーを押さえながらシェルターへと向かった。 
 
 振り向くと、ここから、ハーレンホールドの街が見下ろせた。
 巨大な樹木の根が張った街はなんとも異様に見えた。そしてどこかに不死の“祟り蛇”まで放たれているという。あれが自警団にあれがどうにかできるのだろうか。

 僕の隣ではメアリーが連れて行かれるアイリー・レオニードを見ながら、ポツリと言った。
 
「あの女、あの母親とそっくりだなぁ……」

 あの母親、メアリーの母親のことだろうか。
 ぼんやりメアリーのほうを見ると、メアリーの銀髪がかすかに風に揺れて見えた。
 そこで、はっと気がつくことになった。
 
「お前か、メアリー。いや、違う……」

「ん? どうしたんだいコヨミ?」
 
 メアリーが不思議そうにこちらを振り向いた。
 どうやら、僕の“存在”はまだ切り替わっている途中であるらしく、まだ僕をハネカワコヨミとして認識できるようだ。
 僕は、頭の思いつきに、呆然としながら、しかし、目の前の女を見ながら言葉の続きを発した。

「メアリー。いや、違う。お前は、メアリー・ロゼットハートじゃない」



 #
 


「え? 何? 何か言った?」

 コロセウムの裏庭で、僕とメアリーと、そしておののきちゃんが取り残されていた。
 その中のメアリーが、僕にそう聞き返した。彼女の褐色の目が、獲物を狙うように僕の目を見つめている。
 僕はその問いに応えて自分の考えを言った。
 
「レオニードのビルで。僕とおののきちゃんが見た肖像画。あれもそうだったし。レオニードの筆頭執事の“血は時に雄弁である”と残した怪死。それもそうだった。あの肖像画のレオニード家の党首たちは、全員が白髪、そして銀髪だった。お前みたいな」

「え? どうしたのコヨミ?」

 メアリーは、心配そうにそう言ったが、僕はかまわず続けた。
 
「そうなんだろ? サリバンは言ってた。6歳のころまで、お前たちとアイリー・レオニードは仲がよかったと。お前、そのときにすでに合ってたんじゃないのか? あの“存在移し”と」

「……」

「だとしたら、“レオニードの鍵”も、見つからないはずだ。どこを調べてもでてこないはずだよ。だってあの女はもともと持ってないんだから。6歳のとき、お前たちがレオニード家の女と離れる前に、お前は“存在移し”と取引して、マリー・ロアートと“存在”を取り替えたんだ。そのときに“存在移し”は“レオニードの鍵”を奪ったんだ」

「言うな……」

「お前が本物のアイリー・レオニードだ」

 
 
 #
 
 
 
 僕がそう言って、しばらく、彼女は何も応えなかった。
 だから、僕が言葉を続けた。
 
「知ってるか? 今ハーレンホールドを襲ってる“祟り蛇”は、“樹魅”って怪異が、お前の“レオニードの鍵”を使って、不死性を与えられてるんだよ」

「そんな……」

 彼女は、そう言って言葉をとぎらせた。
 
「だとしても、じゃぁ6歳のアイリー・レオニードはどうしたらよかったんだい? 私は自由が欲しかった。あいつらと離れたくなかった。そうしたかっただけなんだよ」

「今のアイリー・レオニードは、それでよかったかもな。きっと6歳のころの記憶だから、もうすっかり忘れて自分がレオニードの人間だって思い込んでるんだろうな。たぶん、そのときから、“樹魅”と“存在移し”の計画は始まってたんだ」

 おののきちゃんがそれを補足して言った。

「“祟り蛇”だけじゃないね。“樹魅”が賢者の石を作ろうとしてるなら、今ハーレンホールドを覆っている樹海も、おそらくは“レオニードの鍵”で、ハーレンホールドの大霊脈とリンクしているはずだよ。そしてたぶん、それだけじゃなくてハーレンホールドの住民の命をすべて吸って、賢者の石に作り変えるつもりなんだろうよ」

「そんな…… 私のせいなのか? ねぇコヨミ? 私のせいなの?」

 それは、どう思って発せられた問いなのか、僕にははかりかねた。
 慰めがほしいのか、事実が知りたいのか、なんなのか。でも、それは正直に答えるべきだろうと思われた。

「ああ、そうだ。全部じゃないかもしれないけど、部分的には、お前がやったことだよ」 

「私のせいで、レミリアやサリバンが危険な目に合ってるの? じゃ、じゃぁ私は…… 私はどうすればいいんだよ?」 

 彼女はそう言って僕を見た。
 その表情は、笑ったような、泣いたような、感情が混乱した表情だった。
 
「それを僕に聞くなよ。僕にわかるわけないじゃないか……」

「そうか、そうだね……」

 そういって、彼女は次に目を閉じて、そして出した。
 
 ゴウ、と、炎が吹き上がった、それは彼女の両足からである。
 彼女の両足が、真っ赤に赤熱して、まるで両足が炎と化したかのようだ。
 そしてその霊力からか、彼女のきれいな銀髪は、輝くような緋色が走っている。
 
 その様子に、僕はおそるおそる尋ねた。
 
「お、おい。大丈夫なのか?」

「“緋斑狐”っていうんだ。私の両足に憑依して同化させてるんだよ。人に見せるのは初めてだ」

 そういって、少しかがんで
 
「私はメアリーだ。メアリー・ロゼットハートだ。私がケリをつけないと……」

 そういって、あたりに炎が巻き上がり、再び彼女を僕の目が捉えたときには、メアリーはすでに燃える両足で強力に跳躍し、高速で疾走しながらハーレンホールドの街へと向かっていた。サリバンとメアリーを守るためだろう。

「鬼のお兄ちゃん。それじゃぁ。僕たちもここを離れよう。僕は鬼いちゃんを日本に無事に連れて帰らなきゃならない」

「帰る? 日本にかい?」

「ああ、そうだよ。それでいつもの生活に戻れるよ。はーあ。ボクもほっと一安心さ」

 さぁ。そう言うおののきちゃんをよそに、僕はハーレンホールドの街を見下ろしていた。
 火の手があがり、樹海の張り巡らされた街を。
 
「おののきちゃん。帰国はやめだ」

「やめ? 鬼いちゃん。あんなに“存在”を取り返したがってたじゃないか。やっとそれが叶ったんだよ」

 おののきちゃんにそういわれながら、僕は応えていった。

「いいんだ。あいつらは僕なんだ。僕が行ってやらなきゃどうするんだよ」

 そして、自分の影の中の忍へと呼びかけた。
 
「忍。“心渡”を出してくれ」






[38563] こよみサムライ024
Name: 3×41◆ecb68eaf ID:31c4df78
Date: 2014/03/16 21:58

 そのあと、僕は忍から受け取った心渡を右手に、ハーレンホールドへと続く坂を走っていた。
 その少し後ろにはおののきちゃんが続き。背中には忍がおぶさっている。
 僕は忍を背中に乗せたまま走りながらに言った。
 
「忍。僕の血を吸え、めいっぱいだ」

「ワシはかまわんが、お前様はそれでいいのか?」

「ああ、もう僕の“存在”は取り戻した。めいっぱいやれ」

「カカカ。では遠慮なく」

 走りながら、左の首筋に熱が走る。
 忍が僕の首筋に噛み付き、血を吸い始めたのだ。
 しだいに目が熱く、赤く染まりはじめ、走る僕の速度が速まっていく。
 
 走りながら、目の前の街でところどころ爆発が起こるのがわかった。
 その距離の開きから考えると、おそらく時限爆弾だろうと思われる。
 
「鬼のお兄ちゃん。一応ボクも手を貸すけどさ。ここからはちょっと別行動をさせてもらうよ。下手すれば今ボクは“樹魅”だと判断されかねないからね」

「ああ、わかった」

 おののきちゃんはそう言うと、一息にジャンプして、というか“アンリミテッドルールブック離脱版”で街へと入って行った。

 僕もそろそろ街へと入れそうだった。
 メアリーを、そして“処刑命令”が出ているレミリアとサリバンを探さないと。
 
 
 
 #
 


「メアリー!」

 僕が街に入ってしばらくして、メアリーはすぐに見つけることができた。
 そこでメアリーとは合流することができた。メアリーの両足は相変わらず炎そのものになったかのように、脚の形に燃えて見える。その靴部分の下あたりが車輪のように回転し、バーニアのように移動できるらしかった。
 メアリーは僕の声に、こちらを振り向いて驚いた様子で言った。
 
「コヨミ!? なんで来たんだ……」 
 
「いいだろ。僕の勝手だ。僕の人間強度もずいぶん下がった。それで、レミリアたちは?」 
 
「二人とも見つからないんだ…… “祟り蛇”までいるっていうのに……」

「あいつらどこに行ったんだよ……」 

 そのとき、僕の吸血鬼の聴覚が、パトカーのサイレンの音をとらえた。ここから南東の方角である。
 僕の左手には10階建てのビルが建っていた。
 
 いけるだろうか? いや、いけるはずである。
 
 僕はそのビルを向いて、助走をつけて、全力で地面を蹴った。
 するとそのアスファルトの地面にヒビが入り、吸血鬼の強化された脚力でもって跳躍した僕は、そのビルをはるかに飛び越えることができた。
 そのまま上空に滞空しながら、南西方向に目をこらした。
 
「……見えた!」

 そこで数キロ先に、空中を飛ぶ人間を見つけることができた。
 そして同時に銃撃音が聞こえ、そらを飛んでいたレミリアが地上に降下していった。
 心臓が縮み上がったが、僕の吸血鬼の視力にも、レミリアが撃たれたようには見えなかった。とすれば、撃たれたのはサリバンか?
 滞空しながら、地面を見ると、10階のビルにメアリーも一足飛びで登ってきていた。彼女の火脚に驚きながら叫んだ。

「メアリー! レミリアが見えた! 急ぐぞ!」
 
 あいつらには、この街の盟主であるレオニード家から殺害命令が出ているのだった。
 だが、やらせるものか。
 
 
 #
 
 
 
 僕とメアリーは街を駆け抜け、2キロメートル先にサリバンとレミリアの姿を捉えたときには、3台のパトカーの前でサリバンが両手を突き出し、その後ろでレミリアが地面に倒れていた。

 レミリアは、被弾こそしていないようだったが、あいつはそもそも瀕死の重傷なのだ。サリバンのところまで、サイコキネシスで飛んでいって、そのまま地面に倒れてしまったに違いない。

 そのレミリアの前のサリバンは、わき腹から出血していたようだった。
 本人は何がなんだかわからなかったに違いない。街を守るために飛び出して来たのに、警察が弾丸を放ったのは自分に対してだったのだから。
 サリバンはわき腹から血をにじませてフラつきながら、二人の前にいる警官たちに叫んだ。
 
「やめてくれ! 僕たちは何もしない! 撃たないでくれ!!」
 
 サリバンは警官たちに両手を突き出して叫んだが。
 次の瞬間には警官の一人がピストルの引き金をしぼり、その弾丸がサリバンの右手に着弾した。
 
「あああぁぁぁああぁぁっ!!」
 
 サリバンはその痛みに右手を抱えてたたらを踏み、よろめいた。
 そして次に放たれた銃弾がサリバンの左肩を撃ち抜いた。
 
 そしてその後ろでフラフラと立ち上がっていたレミリアが、両手を警官たちに掲げて叫んだ。
 
「私たちに近づかないでぇぇ!!」 
 
 叫んだレミリアの両手から爆発したような衝撃が発生し、その衝撃波が目の前の警官を吹き飛ばし、3台のパトカーを宙に舞わせた。
 パトカーが僕たちのほうに吹き飛んでくる。
 僕とメアリーはそれをかわして、レミリアたちに走った。
 
「レミリアァァ!」
 
 叫んだのはメアリーだった。
 しかしレミリアはそれに気づかないように、
 
「ああぁぁぁああっ!」
 
 と叫び、道の横手に止めてあったもう一台のパトカーのほうを向いて、まるで素振りのように右手で目の前を殴りつけるようにすると、次に轟音を響かせてそのパトカーがひしゃげ、吹き飛んで向かいのビルに突き刺さり、爆発、炎上した。

「レミリア! もうやめてくれ! 私がいる!」
 
「もう終わりだ…… 私たちは……」 
 
 レミリアは、メアリーの声に、しかし耳をかさない。
 
「そんなことないよ! 私たちは家族になれる!」
 
「私たちのことはほうっておいてよ!」 
  
 レミリアはそうはっきり拒絶すると。血を流して倒れているサリバンのほうに駆け寄り、抱きかかえるようにすると。

「兄さん、サリバン兄さん……」
 
 そうつぶやくように言って、サリバンを抱えて二人で浮き上がり、次にすぐさま加速して街の中央のほうへと飛んでいった。

「コヨミ、二人が……」

 メアリーが力なく言ってくる。
 レミリアのサイコキネシスによる飛行は、障害物がないだけに僕やメアリーよりもずいぶん早かった。
 
「追うしかないだろ。あいつらを止めないと」



 #
 
 
 
 街の中心部へと走りながら考える。
 
 おそらく、レミリアのあの能力は、“レオニードの鍵”に当たって発言したのだろう。もちろん、メアリーのそれにである。
 6歳のころから、これまで、ずっとメアリーと一緒にすごしてきたのだ。
 それが、ああいう形で発現したのだと言う可能性はかなり高いように思われた。
 
「私の、私のせいなのか……」 

 街を疾走しながら、吸血鬼の聴覚を持った僕の耳にメアリーのつぶやきが漏れ聞こえてきた。
 街の警察にもレミリアたちの姿は捉えられているに違いない。
 そのほかに、どんどんとパトカーの音が増えてきている。
 
 レミリアは、僕たちの5キロメートル先の空を飛んでいた。
 あいつは、それでなくても瀕死の重傷なのだ。
 フラフラと蛇行しはじめたレミリアは、その先の広場へと高度を下げて行った。
 
 
 
 #
 
 
 
「はぁ…… はぁ…… 兄さん、サリバン兄さん……」
 
 ゴロゴロと、街の真ん中のビルに囲まれた広場に墜落したレミリアは、墜落してフラつきながらいっしょに投げ出されたサリバンのほうへと、フラフラ歩いて行っていた。

 そして、広場の前方には、すでに20台以上のパトカーが停まり、中から40名以上のマシンガンで武装した警察官たちが降りてきた。
 その広場まで4キロの距離だった。僕はメリメリと、脚がちぎれるほどに力をこめてその広場へと走った。
 
 
 
 #
 
  
 
「はぁっ…… あぁ…… うう……」 
 
 広場で、地面に倒れて血を流すサリバンの前で、レミリアがフラフラと警官たちのほうを見ながら立っていた。
 レミリアの両手の包帯はいつのまにかほどけ、火傷して出血した赤い両手がむき出しになっていた。
 
 そして、警官たちの40以上のマシンガンの銃口がレミリアに向けられている。
 
「あぁ、兄さん……」
 
 そして、その数多の銃口が一斉に火を噴いた。
 
 数百の弾丸が、まるで暴風雨のようにレミリアとサリバンに向かった。
 
 レミリアはその前に両手をマシンガンのほうに突き出した。
 
「ああぁぁぁぁああああああ!!」 
 
 真っ赤な両手を掲げながらレミリアが叫び声を上げる。
 
 マシンガンから吐き出された数百の弾丸は、レミリアの目前ですべて静止していた。
 レミリアのサイコキネシスが、次々に弾丸を停止させているのだ。
 際限なく吐き出される弾丸が次々にレミリアの両手の前で停止していく。
 
「ああぁぁぁああぁぁぁ!!」
 
 叫びながら弾丸をとめるレミリアの右鼻から、ツーと赤い血が流れ始めた。
 そして次にレミリアは両手を押し出すようにして叫んだ。
 
「放っておいて!!」
 
 次の瞬間、爆音とともに、レミリアから発せられたサイコキネシスによる衝撃波が広場の前方のパトカーと警官をもろとも吹き飛ばした。
 警官たちはゴロゴロ吹き飛ばされ、パトカーは特に強く衝撃波を受けて宙を舞い、その後ろのビルへと突っ込み突き刺さった。

「あああぁぁ…… あああぁぁぁああああ!!」
 
 レミリアは警官たちを吹き飛ばすと、そのままうなりながら両手を肩口あたりに掲げるようにした。
 するとその広場自体が次第に振るえはじめ、まわりのビル中がビシビシとヒビわれ、そして瓦礫が宙へと浮き始めた。

「やめろ! やめろレミリアアァ!」

 その広場へと向かいながら、メアリーが叫んだ。

 そのときである。
 
「あっ……?」
 
 レミリアが、気がついたように、つぶやくようにそう言った。
 その瞬間には、レミリアのそばに、自警団の男が二人肉薄していた。
 一人は右手に白刃をかまえ、もうひとりは両手をレミリアの首へとかけているところだった。
 
 その二人の男が腕に力をこめる瞬間に、上空から僕がレミリアの首に手をかけた男に心渡を振り下ろし、もう一人の男にメアリーの火脚が突き刺さり地面を割ってめり込ませた。
 僕の心渡は峰打ちで自警団の結界をショートさせ、メアリーの火脚はその威力で結界を破壊したようで、地面にめり込んだ男はピクピクと追撃している。

 レミリアが僕の顔を見て驚いて言った。
 
「ん? コヨミ? なんであなたが……?」
 
 “ハネカワコヨミ”としての“存在”が薄れつつあるのか、レミリアは虚ろな表情でそう言った。
 そんなことは僕の知ったことではない。
 僕はふらつくレミリアを抱きしめて、頭ごしに言った。
 
「いいじゃないか。レミリア、お前は休んでろよ。あとは僕たちがやるからさ。少し眠ってろ」
 
「え? 何? あっ……」 
 
 レミリアはそう言ってビクンと体を震わせた。
 レミリアの後ろには、忍がレミリアにおぶさり、そしてレミリアの肩口に歯をたてていた。
 そしてレミリアをエナジードレインする。一時的にでも、力の源泉を枯らせていく。忍にエナジードレインされるのなら、こいつも文句は言わないだろう。
 
 「かっ…… あっ……」

 レミリアはそう虚ろに言いながら、忍にエナジードレインされて、気を失った。
 レミリアが僕に体重を預けると、僕はそのままレミリアを地面に横たえ、そして後ろを振り返った。
 僕の後ろには、すでに体勢を立て直した警察たちと、刀剣を抜いた自警団の人間たちが間合いを図っている。

「お前ら、僕の妹に何してくれてんだよ……」
 
 僕は心渡のむきだしの柄を右手に握ったまま、にらむような表情でそちらに体を向けた。


 
 #



 そうしてすぐに、刀剣を抜いた自警団の人間が三人、こちらに飛びこんできた。
 僕の後ろでメアリーがサリバンとレミリアを抱えていった。
 
「二人を隠したい。時間をかせいでくれる?」

「ああ、かまわないぜ。早く二人を運んでくれ」
 
 そう言うのと同時に、目の前に三人の自警団員が肉薄していた。
 
 振り下ろされる白刃を、ガキンと心渡で受け止める。
 バチバチと結界が拮抗するのがわかった。
 自警団にもなると、刀身があたっただけで結界はショートできないらしかった。
 
 ギリギリと刃を合わせ、次に吸血鬼の膂力で刃を上に弾くと、そのまま横一線に心渡の腹で目の前の男を打ち払う、今度は心渡が結界をとらえたらしく、男は吹き飛ばされながら結界をショートさせた。

 次に横から飛び掛ってきた男から振り下ろされた白刃に左手を掲げる。
 
 ブシュブシュと、男の刃が僕の左手にめり込みそして途中で止まる。
 
「ぬううぅぅぅぁあぁああああっっ!!」
 
 そして左手の筋肉を絞めて刃を固定し、右手の心渡で男を打ち払い、僕の背後から刃を横なぎにしてきた男に、空中に飛んでその刃を交わし、上から心渡を叩き付けて結界をショートさせる。
 切り裂かれた左腕は、吸血鬼の回復力ですでに再生していた。

 それと同時に、広場の前方から、マシンガンの銃弾がこちらに放たれ、その数多の銃弾が僕の体を貫いた。
 その衝撃に声が肺からしぼりだされる。
 
「がああぁぁっ!!」

 左手も、足も、腹も被弾してたたらを踏む。しかも傷の治りがおそい。
 どうやらやつらの銃弾には銀が混ぜてあるらしい。 
 そしてその斉射にあわせて自警団が二人こちらに突進してきた。くそっ、何人いるんだよ。

「おおおっ!!」
 
 叫びながら、僕は二人の自警団の一人目の刃をかわして逆袈裟から斬り上げ結界をショートさせると、次の白刃を心渡で打ち払って太刀筋をそらせ、その瞬間に上から心渡をその男に叩き付けた。

 男が倒れる、その向こう側で、こちらに狙いを定めた30以上のマシンガンが同時に火を噴くところだった。

「まじかよ……」

 銀弾のマシンガンが30以上の銃口から吐き出される。
 肉片にでもなってしまいそうな量の弾丸が僕へと疾走していた。
 さすがに耐え切れるか確証がなかった。
 
 しかし、その弾丸の嵐が僕に到達する前に影が覆い、僕の前にメアリーが立ちはだかった。
 
「おいっ!?」

 思わず僕の口からそう漏れた。
 しかしマシンガンから斉射された弾丸の嵐は、メアリーの眼前にあらわれた炎の壁にことごとく跳ね飛ばされ、融解した。
 “火斑狐”メアリーがそう読んでいた狐火が、メアリーの眼前で数百の銀弾の嵐をすべて防いだのだった。
 そして、メアリーは次に炎と化した右足を振りかぶり、
 
「ぜああぁぁぁっ!!」 
 
 という声と一緒に横から前方へと蹴りつけた。
 
 その瞬間。轟音とともに、メアリーの右足が爆発したように前方に膨張し、横向きの柱のような業火が広場の前方の自警団と警察の2/3を飲み込んでその後ろのビルの中ほどまでをドロドロに溶解させた。
 容赦ないな。ていうかあれで警察とか自警団は大丈夫なのか? 
 
 メアリーは目を見開いたままの僕に振り返ってその状況にビビったような表情の僕を察した様子で
 
「大丈夫だよ。火力は押さえたからね。ギリギリ結界が持ってるだろう。コヨミ。ここを離れよう」

 と言ってきた。あれで加減してるのかよ。レオニードの鍵を持った人間の力が実感できるような心地だった。
 レミリアとサリバンは、おそらくどこかに隠せたのだろう。
 となれば、僕もメアリーもやつらを相手にする必要はない。
 
 僕とメアリーはみぎてのビルの屋上へと跳躍し、追跡を逃れた。
 
 そしてしばらくしたところで、空から降ってきたお面をかぶったおののきちゃんと合流した。
 
「よかった。おののきちゃんも無事だったのか」

「一応、お面をかぶってみました。いぇーい。ピースピース」

 そういって、おののきちゃんは僕とメアリーにお面ごしに横ピースをして、状況を説明した。
 
「“樹魅”はたぶん、この街のどこかにいると思うよ。そこで賢者の石を作るつもりなんだと、ボクは予想しているよ。後もうひとつ厄介なのが“祟り蛇”だ」

 おののきちゃんが言っている途中で、はるか遠くから、自警団が祟り蛇だ!と叫ぶ声が聞こえてきた。
 
「あいかわらずあれは“不死”のようだよ。嫌になっちゃうよね。それに“樹魅”を早く押さえないと、このハーレンホールドの大霊脈と街の住民もろとも賢者の石に変えられちゃうよ。“樹魅”の居場所に心あたりはあるかい?」

「いや、ぜんぜん見当もつかないけどな」

 “樹魅”のいる場所か。どこだ?
 やつがこの街のどこかで賢者の石を作ろうとしている。
 考え始める僕の横でメアリーが言った。

「レミリアとサリバンは、緋牢結界で守ってるから、きっと大丈夫なはずだけど」

 その言葉におののきちゃんが応えた。

「緋牢結界? ずいぶんとレアな結界を使えるんだね。それなら多分大丈夫なんじゃないかな。それに学園のシェルターに守られている生徒たちもね。でもそれ以外はたぶんだめだと思うよ。自警団の結界くらい張っていなければまとめてソウルスティールされるよ」

 メアリーは少し考えるようにして僕に言った。

「コヨミ。コヨミは“樹魅”を探してくれ。私は“祟り蛇”をなんとかする」

「って、いいのか? お前は見たことないかもしれないけど。めちゃくちゃでかいんだぞ。目を見たらパラライシスされちゃうしさ……」

「ああ、どの道そうしないとサリバンたちにも危険が及ぶからね。レオニードの鍵で不死性を持ってるのなら、そいつは私じゃないとやれない」

 メアリーは僕にそう言って、“祟り蛇”が出ているという街の南西へと向かった。
 一方僕とおののきちゃんは、このハーレンホールドの街を覆った樹の津波が巨大なソウルスティールを発動する前に、“樹魅”の居所を探し始めたのだった。




[38563] こよみサムライ025
Name: 3×41◆ecb68eaf ID:31c4df78
Date: 2014/05/02 12:17
 
 僕はハーレンホールドの中央部の広場からレミリアとサリバンを隠した後、メアリー、そしておののきちゃんと合流し、ビルの上を走ってその場から離れていた。

 ビルの下では体勢を立て直した警察隊が僕たちを追ってきているかもしれないが、ビルの上を三次元的に移動することができる僕たちに追いつくのは簡単なことではないだろう。

「“不死の祟り蛇”は私にしかやれない」そう言ってメアリーは、“祟り蛇”が暴れていると言われる街の北西部へと向かった。レオニードの鍵を持つメアリーなら、あの“祟り蛇”をなんとかできるのか?

 走りながら、ビルの屋上から目の前のビルにジャンプすると、ビルの間から遥か眼下に小さくなった車道が目に入り、しばしの滞空のあと、次に向かいのビルへと着地する。吸血鬼の体力があってできる移動方法だ。メアリーも僕の身体能力の異常には気づいていたが、むしろやはりという様子で何も言われることはなかった、
 北西の森での“祟り蛇”の姿が脳裏によぎり、あれを相手にするというメアリーと僕も一緒に行きたかったが、僕は僕で“樹魅”を探す必要がある。

「おののきちゃん、“樹魅”が賢者の石を作ろうとしてるってのは?」

「うん? それなら、もちろんそのとおりの意味だよ、鬼のお兄ちゃん」

 おののきちゃんが、ビルの上を移動する僕に平然と併走しながらそう応えてくる。童女の外見で忘れがちだけど、この子はこの子で怪異の専門家なのだということを、その童女にあまりににつかわしくない身体能力から嫌が応にもわからせられる。

「“樹魅”はこのハーレンホールドに余すところなく根を張って、一度にハーレンホールドの大霊脈と、このハーレンホールドの数十万の魂をすべて吸い尽くして、賢者の石を作ろうとしてるんだと思うよ。さっきはあの銀髪のお姉ちゃんの手前、緋牢結界なら大丈夫だろうと言ったんだけど、あれってレオニード家の固有術式なんだよね、つまり、あのお姉ちゃんって……」

「ああ、あいつが“本物”のアイリー・レオニードだ。いや、今はメアリー・ロゼットハートか」

 おののきちゃんも、それは予想していたことなのだろう。
 この童女は無表情に、やっぱりね、と言って続けた。

「ということは、銀髪のお姉ちゃんの“レオニードの鍵”を“樹魅”も使っているということさ。正直、同じレオニードの鍵を使った結界がちゃんと機能するのか保証できないんだよね」

「そうなのか……」

 ということは、やはりみんなこのハーレンホールドを覆う巨大な木々の根のソールスティールに巻き込まれる可能性があるってことだ。
 おののきちゃんは、その僕の表情を察してか、

「あ、そのことでボクを怒らないでよね。またいつものボクをヒイヒイ言わせる折檻はご勘弁願うよ。それに関しては、結局どっちだってやることは変わらないんだから、むしろああ言っておいた方が余計な力が入らないというものだと思うよ」

「別に僕がおののきちゃんをそんな風に折檻したことなんてないけどな。ていうか今はつっこむ気もないわ。僕もそれについては異論はないよ」

「そういえば、レオニード家で、だいぶ前に亡くなった女性の執事にロゼットハートって苗字のおばあちゃんがいたって調べにあったけど、そこらへんのこともあったのかな。まぁそこらへん式神人形のボクには理解ができそうにないけどさ」

「どうかな、それは僕にだってよくわからないよ、人のことだからね」

 そして僕はおののきちゃんを見ていた視線を、再び前方に向けた。

「とにかく、今は“樹魅”だ。やつの居場所がわからないと……」

 あいつはどこだ?
 どこかから、この根が及ぶ場所から、やつがこのハーレンホールドを丸ごと賢者の石に変えようとしている。

 そう考える数拍後、ふと、右前方のビルの屋上に立った人影が太陽光を反射してキラリと光るのが僕の視界に入った。かなり遠いので、もしかするとおののきちゃんには見えていないかもしれない。そしてなぜ今ビルの屋上に人がいるのかという違和感が、次に危機感になって僕の体をほとんど反射的に動かした。

「しゃがめおののきちゃん!」

 おののきちゃんが僕の声に反応するようにこちらに目線をやったときには、すでに弾丸は僕とおののきちゃんのすぐそばまで迫っていた。
 一手早く気づけた僕はなんとかまともに被弾せず、かすり傷ですんだ、それでも傷口がブスブスと煙を上げている、なんだこれは?しかしおののきちゃんのほうは比較的深く被弾したようで、さきほどまでおののきちゃんがいた場所からはねとばされるようにビルの屋上をゴロゴロと、その小さい体が吹き飛ばされた。

「くそっ!」

 早く樹魅を見つける必要があったが、遠方から攻撃を受けている現状はいかんともしがたい。
 僕は被弾を受けた瞬間にはすでに吹き飛ばされたおののきちゃんのほうに反転して走り、地面に伏したおののきちゃんの体を抱きかかえてそのままビルの合間に飛び込んだ。

「大丈夫かいおののきちゃん?」

 僕がビルの合間の道に降り立って、おそるおそるおののきちゃんにそう尋ねると、おののきちゃんはこちらを見返して

「うん、もちろん大丈夫だよ。ボクは付喪神人形だって、知っているだろう? この程度でくたばるようじゃぁ、式神なんてやってらんないってね。それよりも、ボクより鬼いちゃんのほうが気がかりだよ。大丈夫なのかい? その傷口」

「えっ?」

 おののきちゃんに言われて、気がつくように僕が先ほど被弾した肩口を見ると、その傷口は、しかしまだブスブスと煙をあげていた。
 それは、普通の人間ならいざしらず、今の僕の吸血鬼の回復能力をかんがみれば、異常である。被弾した数瞬あとに、こんな傷口はふさがっているハズだ。
 僕がその違和感の答えを求めるようにおののきちゃんに目線をやると
 
「たぶん、狙撃だね。しかもただの狙撃じゃない。相手は山犬部隊の第十席、シルバーバレット、“銀弾”だ。聞いた話では、やつは錬金術師だって話なんだよね」

「錬金術? 錬金術っていうと、昔の話に出てくるアレのことか?」

 僕は自分の知識の中から思い当たるその言葉について尋ねたが、おののきちゃんは首をふった。
 
「違うよ、鬼いちゃん。もっと単純な意味さ。錬金術、というよりは、やつのものは操金術、といったほうがいいかもしれない。“銀弾”は、やつの体の半径3メートル内の金属の位置座標を自由に操ることができるんだよ」

「なるほどサイコキネシスみたいなもんか」

「まぁそう思ってくれてもいいかもしれないね。でもこと金属系にかけては一般的なサイコキネシスのレベルじゃないよ。その半径3メートルの加速力で、弾丸を狙撃してるんだよ。しかもやつは対怪異に効果抜群な銀を好んで使うからね、あ、そういえば吸血鬼の鬼いちゃんには天敵かもしれないよ」

 銀か。ということは、さきほどの銃弾は、純銀の弾丸だったに違いない、だから、吸血鬼の僕の体でもいまだに傷がいえないのだ。

「しかし、どうしたもんかなぁ。“銀弾”は、ボクのような近接戦闘系ではなく、遠距離狙撃型だからね、めんどくさい相手だよ。しかもあいつの半径3メートル内では銀砂で防壁を張ってるだろうし。ねぇ鬼いちゃん、やっぱり逃げることにしないかい? 僕としては、鬼いちゃんに無駄死にをさせるわけにはいかないわけで…… うん? 鬼いちゃん?」

 おののきちゃんが疑問気に僕を見上げたとき、おそらくおののきちゃんには、僕の見開かれた目が映ったに違いない。そのときの僕はビルの合間の道から、ビルの表通りの道を滞空する銀弾が目に映っていた。
 まるで、左から右方向へと進行する車のような、しかしサイズははるかに小さい銀弾である。
 それは、そのままビルの表通りを通り過ぎるかのように思われたが、しかし、その銀弾の後部には、銀とは似ても似つかない、なにかプラスチック状のものがとりつけられているのが、ビルの間のこの道から、吸血鬼の僕の視力にはとらえることができた。
 あれは何だ?
 
 そう頭によぎったとき、まるでスローモーションのように、表通りを滞空する銀弾の後ろにとりつけられたプラスチック状の物体が爆発し、その銀弾が90度進行方向をこちらに変えて、ビルの合間のこの道へと疾走してきた。

「がぁっ!!」

 おののきちゃんを道のはじへと突き飛ばしたが、その銀弾は僕の左手に直撃した。
 その銀弾の運動エネルギーをモロに食らった僕はビルの裏手どおりの道をゴロゴロと転がる。
 見ると、僕の左手はコナゴナに吹き飛び、倒れた僕の視点から裏手どおりの暗い道のすみっこに僕の左手がゴロリと転がっているのが見て取れた。

「大丈夫かい? 鬼いちゃん。まぁ、吸血鬼の鬼いちゃんにそんなこと聞くのは野暮ってもんかな」

「はぁ、いや、めちゃくちゃいてぇよおののきちゃん。くそっ」

 銀弾に吹き飛ばされた僕の左手の付け根はジュウジュウと煙をあげていた。
 左手がない感覚、はじめてではないが、痛みよりも熱のほうが神経に訴えている。
 回復するのかこれ?

 道をはさんだビルを見ると、このビルにも、巨大な樹々の根が及んでいる。樹魅が放ったものである。このハーレンホールドが消えるまで、あとどれくらい時間があるのだろうか。

「おののきちゃんはここで隠れててくれ、あいつは僕がやる」

 左腕は失ったが、僕の右手はまだ動く。
 僕はおののきちゃんが何か言おうとする前に、右手に心渡を持ったままビルの表通りへと駆け出した。
 
 
 ビルの表通りに出た瞬間、僕の眼前にすでに3発の銀弾が飛来していた。
 僕はそれらを吸血鬼の視力でとらえ、僕の心臓へと向かっていた弾丸を心渡ではじきとばした。
 
 銀弾をはじいた心渡の刀身が細かく震えるのが右手に伝わってきた。
 吸血鬼の視力と筋力があってはじめてできたことだが、それでもはじける銃弾は1発が限界だった。
 しかし残る2発のうち1発は被弾せず、もう一発は左足をかすめただけだ。

「おおおおぁぁぁぁっ!!」

 叫び、両足に力をこめる。
 先ほどビルの屋上から見た銀弾の飛来元は、ここから北西に3キロである。
 
 両足に力をこめた僕は、しかし、そのまま走ることはしなかった。
 走ると言うより、跳躍である。
 表通りのビルの合間を、まるでピンボールが跳ね返るように、ビルの壁面に跳躍し、そして壁面をさらに蹴って、向かい側のビルに跳躍する。まるでビルの合間をはねる銃弾のように、そしてレーシングカーのように“銀弾”の狙撃地点へと向かった。

 僕の動きは、狙撃手からはかなり狙いにくかったようで、先ほどよりかなり着弾はバラついたが、しかし、それでもかなりの精度で銀の弾丸が飛び跳ねる僕の身体へと向かってきた。
 それを心渡ではじきとばしながら、さきほどの狙撃地点に接近する。
 
 ビルの壁面を蹴り飛ばして、ビルの屋上へと跳躍すると、ビルの屋上に中背の男とその周囲に漂う水銀のような金属の浮遊体を確認することができた。
 
 ダン、とそのビルの屋上に僕が着地した瞬間には、すでに僕の眼前には、数十発の銀弾が迫っていた。
 さすがにこの数を打ち払うことはできないし、銀の弾丸である、被弾すれば粉々に吹き飛んでしまいかねない。
 
「っぁぁぁぁあああ!!」

 ビルの上に降り立ち、目の前に迫る銀弾の嵐を確認したところで、僕はそのビルの地面に心渡を持ったままの右手の指を伸ばして突き刺すと、そのまま跳ね上げた。
 ビルの屋上のコンクリートが畳替えしのように跳ね上げられ、銀の銃弾の嵐を受け止め、壁面内部で停止させた。
 次に僕がそのまま右手を振りかぶって、そのコンクリートの壁を殴りつけると、粉々に吹き飛ばされたコンクリートの塊の嵐が“銀弾”の男へと殺到した。
 
 しかしそのコンクリの嵐は、今度は“銀弾”が周囲に発生させた水銀の壁でことごとく防がれる。そこまではおののきちゃんに聞いたとおりである。
 
 そのとき、コンクリの嵐と一緒に“銀弾”の前まで距離をつめていた僕は、右手に持った心渡をすでに振りかぶっていた。
 
「おおおおおっ!!」
 
 肺から空気を吐き出しながら、心渡を“銀弾”に向かって振りぬいた。
 怪異を斬る妖刀“心渡”はコンクリートと“銀弾”の銀の壁をも容易に斬り裂き、銀弾の体の前でピタっと止まった。しかし、それで十分だったハズだ。
 “銀弾”の周囲に張り巡らされた結界は心渡によってショートし、銀弾はその場に崩れ落ちた。
 
 しかし、こいつはそれで完全には気絶しなかったようだった。
 周囲に浮遊していた銀の液体が“銀弾”の右手に集まると、そのまま刀の形状へと変化し、その腕が振られ銀の刃が僕の首元へと迫った。
 
 僕はそのとき完全に油断してしまっていた。心渡の結界破壊が、“山犬”に対しては絶対ではないということに気がまわっていなかった。おののきちゃんがいなければ、多分そこで僕はやられてしまっていたことだろう。
 そう、おののきちゃんである。
 “銀弾”の、銀刀が僕の首に届こうとする前に、上から“銀弾”へと何かが高速で落下してきた。
 それはおののきちゃんの、巨大化した人差し指だった。おそらく、僕が“銀弾”をひきつけている間に上空に飛び上がったおののきちゃんが、上空から“アンリミテッド・ルールブック”によって右手の人差し指を高速で膨張させ、そのまま上から“銀弾”を押しつぶしたのだった。

「……はぁっ……」
 
 そのちょっとして、ビルの上空からおののきちゃんが降り立ってきたあと、僕はあやうく死にかけていたことと、それがなんとか回避されたことに息を吐いてその場にしゃがみこんだ。
 おののきちゃんは、地面にしりもちをついた僕をチラリと見て、次にビルの地面ごと押しつぶされ、しかし結界によってなんとか生きている“銀弾”に向かって右手のひとさし指を向けた。
 しかし、その光景を見てあわてて僕がおいすがるように言った。

「おい! ちょっと待てよおののきちゃん! 何する気なんだ?」 
 
「何って? とどめを刺すんだよ。この僕のひとさし指でさ。人刺し指だからね。獲物を前に舌なめずりなんて、三流のすることだよ。ましてこのかわいいボクが、そんな愚をおかすはずがないじゃないか」 
 
 何も殺すことはないとか、そういうことも言いたかったけれど、その前に僕はおののきちゃんを制して、虫の息の“銀弾”へとかけよった。 
 おののきちゃんの“アンリミテッド・ルールブック”が直撃して原型を保っていられただけでも、僕の目には奇跡的にうつったが、今重要なのは“樹魅”の居所である。
 
「おい、お前、“銀弾”とか言ったよな。お前も昨日の夜、北西の森で“樹魅”に会ってるんだろ?」
 
「かはっ…… 何を…… ?」 
 
 “銀弾”が咳き込みながら聞き返してきた。
 僕自身、あまり演技力があるとは思えないが、なるべく迫真に、そう思えるように言った。
 
「僕とおののきちゃん、二人がかりとはいえ、戦闘不能状態にまで追い込まれたんだ。“樹魅”はお前を許さないと思うぜ、きっとお前をむごたらしく拷問してから殺すだろうな。皮をはがれるかもしれないし、手足がつぶされるかもしれない、生きたままやつの樹に体を貫かれることになるかもしれないぜ」 
 
「え、鬼いちゃん、何を言ってるんだい?」 

「嫌だろう? でも僕が直接、お前を“樹魅”のところまで連れて行ってやるよ」
 
 横からおののきちゃんが疑問をさしはさんだが、僕はそれに応えず“銀弾”の顔を見つめていた。
 僕にそういわれた銀弾は、僕の顔を見返しつつ、しかし、チラリと、僕の後ろのほうに目線をやった。
 それを確認した僕は、跳ねるようにその視線の先を振り返った。

 “銀弾”の視線の先にあったのは、ハーレンホールドの中心、レオニード家のセントラルビルだった。
 この街を象徴するかのような高層ビルは、しかし“樹魅”の樹の津波に飲み込まれ、その頂上まで巨大な樹々の根が覆いかぶさっている。
 
「あそこか……」

 僕はそうつぶやき、次に右手に持った心渡をふるい、振り返りざまに“銀弾”の右肩に振り下ろした。
 銀弾は、心渡が右肩を通過すると、ビクリと体を震わせて、今度こそ結界を破壊されて気絶したが、しかし右肩に切り傷は残ってはいない。心渡は怪異しか斬らないからだった。

 そこまで見て、おののきちゃんが得心げに言った。

「なるほどね。おどしをかけて、“樹魅”の居所を示させようとしたわけだね。よくやるよなぁ。僕にはそういう人間の機微がいまいちよくわからないんだよね。あ、そうそう、鬼いちゃんの左腕、持ってきたんだけど、くっつけてみなよ。少しは早くなおるんじゃない?」

「え? そういうもんなのかな……」 

 おののきちゃんに手渡された僕の左腕を、左肩から少し再生しかけた腕にくっつけると、傷の治りは遅かったものの、しばらくすると癒着し、なんとかくっつけることができた。
 左手に力をこめると、グッグッと左手が握りこまれるのが自分でも確認できた。
 
「それで? 本当に行くの? 鬼いちゃん」

「ああ、そのつもりではいるよ」

「そのつもりって、ボクは今のうちにはっきりさせておくべきだと思うんだよね。鬼いちゃんは怪異の“専門家”でもなんでもない、ただの一般の吸血鬼にすぎないんだよ?」

 一般に吸血鬼っているのか?
 まぁ、おののきちゃんなら違うとも言い切れないけど。

「たぶん“樹魅”を相手にすれば、死ぬと思うよ。もしかしたら、死ぬだけじゃすまないかもしれない。それこそ、ひどく拷問される可能性だってあるよ。そうなりそうなら、先にこのかわいいボクが、鬼いちゃんのことを殺してあげるけどね。でも、それだってボクのこの一刺し指がそのとき使えればの話だよ」

「うん。なんか悪いなおののきちゃん、いろいろ気をまわさせちゃってさ」

「それはいいんだけどね。ほら、ボクってそもそも人形じゃない? 命だってあってないようなものなんだよね。でも鬼いちゃんはそうじゃない」

「そうかな。一緒のようなもんだと思うけど。ほら、メアリーが言ってただろ? 自分は自由でいたいんだって、でもあいつはサリバンたちのことだったら、あえて束縛の中に飛び込んで行ってる。そういうものがあいつの中にあるんだよ。それでたぶん、僕もそう言う風に感じてるんだろうね」

 おののきちゃんは、そして僕を見上げて、しかし平坦な声で言った。
 
「ボクは前から疑問だったんだけど、鬼いちゃんが友達を作らないのは、人間強度がどうとか言ってたけど、そういうことなのかなって、今ちょっと思ったかな。だってところかまわず友達を作ってたら、それこそ身が持たないもんね。鬼いちゃんのような正義感丸出しの吸血鬼ではさ。あ、それとも単に、作りたくても友達ができないってだけなのかな」

「うるせーよ。ほっとけや」

 おののきちゃんに、僕がそう応えたとき、街の南西側で巨大な爆発するような火柱が上がった。おそらくメアリーだろう。“不死の祟り蛇”と戦っているに違いない。
 街の北西部を向く僕に、おののきちゃんが制するように言った。
 
「鬼いちゃんがどうしようと、好きにすればいいけどね。でも、現実的に“樹魅”を優先するべきだと思うよ。“祟り蛇”は銀髪のおねぇちゃんにまかせるしかないと思うな。ハーレンホールドに張り巡らされた“樹海”がソウルスティールをはじめたら最後だよ」

 それはおそらく、妥当な分析と言えただろう。
 メアリーのほうも気になったし、できれば僕も加勢したかったが、こっちはこっちで樹魅の場所を特定する必要がある。
 おそらく、樹魅はレオニード家のビルの中にいる。僕にやつが止められるとは思わないが、せめて時間はかせがないと。

 “樹魅”おととい、ハーレンホールドの自警団本部ビルで会ったあの怪異、思い出しただけで体を貫いた木々の感触がよみがえる様だった。
 気がついたら、僕の自分の右手のこぶしが強く握られている。
 
「鬼いちゃん、今ならまだ間に合うよ。ボクのアンリミテッド・ルールブック・離脱版で、なんとか鬼いちゃんを逃がせると思う」

 痛々しいほど握り締められた右手を見つめる僕に、おののきちゃんがそう言ってきた。
 
「おののきちゃん。僕の命って、たぶんそこまでする価値はないと思うんだよ。メアリーだって戦ってる。僕はあいつも、サリバンもレミリアもマットも死なせたくなくなったよ。僕の命はくれてやる。でもそれ以外は許したくねぇよ」

「わからないなぁ。ボクは所詮、式神に過ぎないからね。まぁいいよ。付き合うよ。むしろ、ボクの本来の役割に鬼いちゃんが付き合ってくれてることになるのかな?」

 僕の返答に、おののきちゃんは無表情に、しかし理解できないと言った風に首をかしげたのだった。
 その後、僕たちがいたビルの屋上から、さらに跳躍し、レオニードのセントラルビルへと向かった。



[38563] こよみサムライ026
Name: 3×41◆ecb68eaf ID:a23a0029
Date: 2014/05/28 00:38
 未だにハーレンホールドの全市街は、当然のことながら、混乱のるつぼだった。

 そりゃそうだ。僕は僕の隣を並走するおののきちゃんと一緒に、レオニードのセントラルビルへと、ビルの屋上を人外の脚力でもって跳躍していたのだけれど、ちょうど跳躍した時に道路や遊歩道に所せましと巨大な根が張り、人々が倒れているのが目に入ってきた。

 おののきちゃんいわく、巨大な木々のソウルスティールの予備発動段階でこれなのだそうだ。
 これだけでも大災害だが、逆にまだこれだけで済んでいるともいえる。

 ビルの屋上を跳躍する僕とおののきちゃんの正面には、天を貫くようなレオニードのビルが近くに見え始めていた。



 #


「ここもひどいな」

 それは、レオニードのセントラルビルのエントランスに入った直後の僕の率直な感想だった。
 ビル内部にも巨大な木々が根を張っている。先日ここに来たときにおののきちゃんに教えてもらっていた巨大な石像は、これもまた巨大な木の根に貫かれてボロボロに朽ち果てていた。

 あたりを少し見回してみたが、ひとけはなく、静まり返っている。本当にここに“樹魅”がいるのだろうか?
 実のところ、もうひとつ確証もないのだが、可能性はなくはないというのも事実である。

「鬼いちゃん。まぁ想像つくと思うけど、やっぱりエレベーターは使えないみたいだね。ここでかわいいボクが提案する選択肢は三つだよ」

「ああ、どうするんだい?」

「一つ目は、やっぱりこの場を離れるって手さ。ていうか、普通そうだと思うんだよね。鬼いちゃん、お人よしにもほどがあるよ」

「それで、次の手は?」

「だと思ったけどさ。ていうか、いまさら逃げて、この樹海のソウルスティールから逃れられるかっていうのは、結構難しいような気もするけどね。二つ目は、階段を登るって手だね。エレベーターが使えないなら階段を使うしかない。まぁ当然っちゃ当然だよね」

「そうだな。このビルって、外から見た限りだと階数すごそうだったけど、今の僕の身体能力ならまぁ大した問題じゃないと思うぜ。で、三つ目は?」

「三つ目は、最期の時をかわいいボクとゆっくり過ごさない?っていう、ささやかな提案だよね」

「……」

「いぇーい」

 心なしか、しかし無表情に横ピースをしてみせるおののきちゃんをよそに、先に階段区画へと向かったのだった。

 #

「しかし、さっきも言ったけどさ、やっぱりボクには、鬼いちゃんの行動は異常と言わざるをえないね。まぁいまさらではあるんだけどさ」

 それは僕とおののきちゃんが階段を登っている時に、おののきちゃんの口から発せられた言葉だった。
 階段を登るときは、普通、一段一段登るか、ないしは一段飛ばしくらいがせいぜいだろうけど、このときの僕とおののきちゃんは、一回の跳躍で1階分の階段をすべて飛び越していた。

 僕がうん?と、心渡を右手に持ち、階段を登りながらにおののきちゃんのほうに注意を向けると、おののきちゃんは言葉を続けた。

「だってそうだろう? もし鬼いちゃんの同居人が仮に誰か助かったとしてもさ、その誰かは鬼いちゃんの存在を忘れちゃうんだよ? いや、正確には、鬼いちゃんと、羽川暦の存在を分離させてしまうんだよ。それって、でも忘れられるっていってもさしつかえないよね」

「ああ、それはそうかもしれないな。まぁでもそれはいいんだよ。だって仕方ないだろ? もともと僕は阿良々木暦の存在を取り戻したかったわけなんだからさ」

 そうだ。それ自体は、仕方のないことである。阿良々木暦と羽川暦と、どちらの存在で生きるのかと問われれば、迷うことなく前者を選ぶ。別にこの土地に骨を埋めようというわけではないのだ。結果的にそういうことになってはいるのだが。

「それならそれでさ、ここまでする義理なんて、ないんじゃないのっていうのが、極一般的な感覚だと思うけどね、何を彼らにそんなに入れ込むことがあったのかな? あ、これはボクの興味本位なんだけどさ」

「なんでって、そりゃぁ、それは……」

「もしかしてあの銀髪のおねえちゃんに惚れちゃったとか? それとももう一人のほうかな?」

「そんなんじゃねーよ。あいつらは、なんていうか、いいやつらなんだよ」

「いいやつら、って、それじゃ理由として弱いでしょ。鬼いちゃんがたまに正義漢やらかしちゃうって噂は聞いてたけどさ。それにしたって、いいやつらだからって会って数日の人たちのために命を懸けたりなんてしないもんだよ」

「いいだろ別に! じゃぁ一宿一飯の恩とか、そういうあたりにしといてくれよ!」

 僕自身、自分の心境について理解できているわけではないのだ。半ば、強引に質問を振り切るような僕の物言いに、おののきちゃんは、しかしやはり無表情で反駁するのだった。

「ふぅん。まったく、合理的じゃないなぁ。鬼いちゃんは。まぁそこらへんのこと、式神人形のボクにはわからないことなのかもしれないなぁ」


 #


 階段を上り始めてから、20階ほどを一息に登ってきた。階段を上る途中から、階段の近くに備え付けられているでかいまどから外の様子が見えていた。
 この中央ビル以外にも、ここはそこそこの高層ビル群が立ち並ぶ区画であるようだったが、その高層ビル群の合間から、はるか遠くのビルの影の後ろから火柱がほとばしるように上がっていた。あの炎は、メアリーの異能のものに違いなく、そしてあいつが相手取っているのは不死の“祟り蛇”に違いない。

 ていうか、あれはあれで、どうにかできるようなものなんだろうか。あの不死の“祟り神”潰しても斬っても、傷口が再生するどころか、新たに蛇の頭が生まれ出てくる。おののきちゃん曰く、あれはこのハーレンホールドの大霊脈とレオニードの鍵を介して同調させることでその不死性を獲得しているという話だったけれど、その霊紋を同じくもつメアリーだけがあの祟り蛇を滅することができる。そういう話だったが、あの巨大な蛇をメアリー一人に任せるのは、階段を上りながら、やはり気がかりだった。

 一方、僕は僕で、他に気がかりなことがあった。
 せめて最後になるなら、電話で戦場ヶ原の声を聞いておくんだったと、つい数日前にあったような戦場ヶ原との会話を強烈に懐かしんでいた。
 声を聞きたかったし、顔を見たかったし、なんだったら罵られたかった。
 だからといって、ここから逃げるっていう選択肢も選ぶ気にはなれない。しかし、このまま僕が“阿良々木暦”として死ねば、なんらか記録が残って、戦場ヶ原に届くだろう。そうなれば、あいつはあいつで自分の気持ちに整理をつける助けになるに違いない。行方不明者として永遠に失われるよりはずいぶんといいはずだ。まぁずいぶんと後ろ向きな観点ではあるかもしれないけど。

「鬼いちゃん。大丈夫かい?」

「あ、ああ。大丈夫だよおののきちゃん。丈夫さだけが吸血鬼の特性って言ってもいいからね」

「ならいいんだけど。とはいっても、どこにでもいる一刀流吸血鬼男子高校生に覚悟決めろなんて要求できないけどね。さすがのかわいいボクにもできないけどね。実際のところ、本当の吸血鬼の特性って丈夫さだけってわけじゃないんだけどね。でもまぁ、考えてることはわからないでもないよ」

「ああ、そうか。いや、いいんだよ。早くビルを調べないとさ」

「最後に、かわいいボクと熱いチューでもしておくかい? 鬼いちゃん」

「思ってねぇよ」

「え、思ってないんだ。でもさすがにボクもそれ以上を求められても、そこまで時間があるわけでもないし、困ったな」

「だから言ってねぇよ。思ってもないわ。ていうか時間があったらいいのかよ。大体僕に彼女がいるのはおののきちゃんだって知ってるだろ。なんでこの期におよんで浮気しなきゃいけないんだよ」

「浮気、浮気ねぇ」

 一緒に階段を全飛ばししながら頭をよぎったのは、おののきちゃんは、僕がいなくてもこうしたのだろうかということだった。
 ただ、おののきちゃんひとりでは、このビルにめぼしをつけることは難しかったかもしれないが、それでも、この子の役割はこの大霊脈の集合地、ハーレンホールドの守護、防衛だった。
 それならば、やはり単独でもこうしていただろうか、それとも、僕がこっちに来たから、付き合ってくれてるのだろうか。
 だとすればなおのことだけれど、いずれにせよ、僕はおののきちゃんもやはり死なせたくはなかった。それはおののきちゃんからすれば、怪異の専門家からすれば、もしかしたら余計なお世話どころか、ある種の侮辱にすら受け取られることなのかもしれないけれど。
 おののきちゃんは一足飛びに階段を1フロアずつ上りながら続けた。
 
「浮気というならだよ。鬼いちゃん。この状況だって、鬼いちゃんからすれば十分に浮気だといえなくもないんじゃないかな」

「うん? それはなかなか辛辣だなおののきちゃん。僕は別に、戦場ヶ原に対して、なにかしらの不義理を行ってるつもりはないんだけどね」

「だってそうじゃないか。普通なら、仮にこの街の住人だったとしても、こんな街自体が木々に覆われて丸ごとソウルスティールされそうな事態になったら逃げ出すのが合理的な判断ってもんだよ。それは責められるようなことじゃない。まして、鬼いちゃんは部外者だ、部外者どころか、日本に彼女を残してるってことじゃないか、なのに自分の命を投げ捨てるようなマネしてちゃ、そりゃボクとしては彼女への本気を疑わざるをえないね。まぁそれは、ボクの個人的な希望的観測を含んではいるけれどさ」

「まぁ、わからなくもないけどね。でもきっと、このまま逃げかえったところで、戦場ヶ原がそれをよしとするかはわからないぜ」

 いや、よしとするだろう。このとき同時にそうも考えていた。あいつはそれをよしとする。僕の逃亡を、保身の優先を、受け入れるだろう。むしろほめさえするかもしれない。よく自制したと。よく彼我の差を天秤にかけて、合理的な判断を下したと、よく生きてもどったと。罵倒でおおいかくしながら、しかしそういうことになる可能性のほうが大きい。そしてうやむやに、しかし確実にそれは許容されるに違いない。
 おののきちゃんは、僕の反駁を察してか否か、
 
「それにこの行為には何の見返りもないんだよね。いまさらいってどうこうなるわけじゃないけどさ。もう進むしかない。たとえ死ぬしかないとしてもね。でも、はなから誰の記憶にも残らないんだよ。鬼いちゃんと寝食をともにしてたあの4人の学生たちも、どうせ鬼いちゃんのことは忘れてしまうのに」

「……ああ、知ってるよ。でもいいんだよ。僕は別にあいつらになにかしら感慨を与えたいわけじゃないしさ。半分負け惜しみだけどさ、勝つか負けるかでも、生きるか死ぬかでもないよ。あいつらは僕なんだ。だからやるしかないんだよ」

 その言葉は、おののきちゃんにはおそらく半分も理解できなかっただろう。僕本人にすら理解できないんだから。そうしなければならないからそうしなければならない。そういう感情的なものだ。
 しかしながら、この場面における僕の意気込みのようなものは察してくれたようで、おののきちゃんは短く返事をして言ったのだった。
 
「ふぅん。まぁそれはそれとして、鬼いちゃん。そろそろビルの中位層だけど、気を張っておいてよ。何かいるようだよ」

 僕とおののきちゃんはビルの中位層への出口のすぐそばまで来ていた。目の前に階段の出口が見える。
 おののきちゃんはそういって、階段の出口のほうを向き、僕もその言葉に、右手の心渡を握りなおしてその階段の出口へと飛び込んだ。
 
 
 #
 
 
「当たりみたいだな」

「あはハ、きミが来たのかイ。理解でキなイな」

 階段を出た先は、このレオニードのビルの中位層の、展望フロアのようだった。
 えらく広いフロアに、全方位的に層ガラス張りで、このハーレンホールドが見渡せる。
 残念ながら、そこに“樹魅”の姿を見ることはできなかったが、
 そして、その中央のさらに上へと続く階段にいたのは二人、その一人は、先ほど僕にそう言葉をかけてきた“存在移し”、そしてもう一人階段に腰を下ろしていたのは、山犬部隊の主席“白犬”ランドール・ダンドリオンである。

 その男は、階段に座っていた状態から立ち上がると、顔の前に人差し指を持ち上げた。
 
「?」

 次に、その人差し指に白く光る粒子が発生したかと思うと、次の瞬間にはボクの目の前にそれが迫り、それとほぼ同時におののきちゃんの影が僕の視界を覆うことになった。

 ビキキ
 
 ヒビが入るような音が聞こえる。
 見ると、その白犬の、おそらく、攻撃を受けたおののきちゃんの左腕は肩口まで真っ白く変色していた。
 それはよく見ると、変色というより、凍結である。芯まで凍りついたような白い凍結色が肩口まで続き、肩口あたりで凍結色が行ったりきたりしている、それは凍結とそれを押し戻す力がぶつかりあっているかのようだった。

「おののきちゃん―――」

 大丈夫か? そういう前に、おののきちゃんは芯まで凍った左腕に気をやることもないようすで、フロア中央に立つ白犬に向かって右手の人差し指を突き出した。それはもう、純然と、淡々と、しかし明確な殺意を持ってである。

「アンリミテッド・ルールブック」

 おののきちゃんが言った瞬間、おののきちゃんの人差し指が爆発的に膨れて“白犬”に向かった、鋼鉄でもたやすく貫くおののきちゃんの唯一にして必殺の攻撃だったが、その高速の膨張は、しかし白犬の目の前に発生した白く輝く粒子の壁に接触した瞬間、ピタリと停止し、次に人差し指からビキビキと音を立てて凍結しはじめた。

 大丈夫なのか、あれ。

「あ、やば。両腕が逝っちゃった」

 どうも大丈夫ではないようだった。
 人差し指を元に戻したおののきちゃんの右手は、さっきの左手のように肩口まで凍結してしまっていた。
 あの白い粒子、あれがそうさせたのか?

 開幕数秒で、おののきちゃんが戦闘不能になってしまった。
 
「やつをなんとかできると思わないけど。鬼いちゃん。あいつの“アレ”は“スカラー物質”だよ。触れたら最後だ」

「スカラー物質? 聞いたことないけど」

「そうだと思うよ。あんなことできるのはあいつだけだからね。あれは触れたものの速度に干渉する霊子体だ。衝撃力に変換することもできると思うけど、あいつはもっぱら“停止”に使うみたいだね。分子運動の停止はこのとおり凍結に見える」

「そりゃすごいな」

 すごすぎて、手のうちようが思い浮かばなかった。
 さっきの僕への攻撃は、おそらく“白犬”の指先から“スカラー物質”を僕へと射出したに違いない。
 おののきちゃんがそれを受けなければ、今頃僕は全身凍結してしまっていただろう。いかに不死身の吸血鬼でも、芯まで凍ってしまっては死んでいるも同義だ。

 そして、僕がそのあまりにもあまりな戦力差を把握したときには、再び白犬が動作をはじめているのがわかった。
 
「待っテよ」

 その言葉に、白犬の動作がピタリととまった。
 それはその隣にいる“存在移し”のものである。いや、本当に存在移しがそこにいるのか、僕には確かなことは言えなかったが。
 
「あの男のほウは、ワたシが話しタい。もう1人のほウは殺しテもいイよ」

「……」

 白犬が何もいわずに、同意も拒否もせずにいるようでいると、それを制するように存在移しのほうが続けていった。

「忘れルなヨ。“樹魅”の課した“言葉”を言えばお前は死ぬンだ。心臓に埋め込まレた心縛樹があることを忘れるナよ」

「……」

 存在移しが白犬にそういうと、男は、すっと僕とおののきちゃんのほうを向いていった。
 
「恨むなよ。“樹魅”の拷問には誰も勝てない」

「そうかよ。それは気の毒だったな」

 やばい。つい強がりが出てしまった。
 肝を冷やすボクに、横からおののきちゃんがせっつくように言った。

「ねぇ鬼いちゃん。煽るのは勝手だけど、それで状況が悪くなるのは主にボクだってことを忘れないでおいてよね。あと、その妖刀でボクの両手を軽く叩いておいてくれない?」

「心渡でかい? かまわないけど」

「ボクの両手の凍結を抑えるのがそろそろ限界なんだよ。あ、刃のほうをあてないでね。ボクは斬れちゃうかもしれないから、峰のほうで、あ、強くはしないでね」

「いちいち注文つけてんじゃねーよ。これでいいかい?」

 おののきちゃんの言われるままに、右手に持った心渡の腹でおののきちゃんの凍った両腕に触れると、まるで力に拮抗するようにブルブル震えていた両手がピタリととまり、次に肩口のほうから凍結が、一瞬で溶けていった。
 そしてそれを確認するようにおののきちゃんが両手をグッグッと力を込めてみせて言った。
 
「オッケー。あの怪異殺しの持ち物にいいたかないけど、いい刀だね。それじゃぁ鬼いちゃん、グッドラック」

 そういっておののきちゃんは、にわかに両足を開いて白犬のほうを向いた。

「え?」

 おののきちゃんの言葉に、虚をつかれたような僕の目には、次の瞬間、スカラー物質を雪のように全身に球状にまとった白犬がおののきちゃんに高速で体当たりする瞬間が映った。
 おそらく、スカラー物質の加速作用のほうだろう。超高速でおののきちゃんにタックルした白犬と一緒に、おののきちゃんはその衝突をかざした左手で受けて、そのまま一緒になって後方へと吹き飛ばされ、ビルの壁面をたやすくぶち抜き、中空へと投げ出されたかと思うと、そのまま隣のビルへと突っ込んでいった。

 同時に、僕とおののきちゃんは分断されてしまったことを理解した。
 確かに心渡があれば、完全に凍結しないかぎりはあの白犬の術式を解呪できる。
 
「さテ、死ヌ前に、チョっと話デもしなイかい?」

 そして、このビルの展望フロアに残ったのは、僕と“存在移し”だった。
 ビルをぶち抜いて、おののきちゃんと白犬が吹き飛んでいった隣のビルからは、無機的な破壊音が断続的に響いてきていた。おののきちゃんもなんとか戦えてはいるようである。

 僕が“存在移し”のほうを見ると、少なくとも僕にはその位置にいるように思えるそれを見ると。
 “存在移し”は、素朴に、平常的に口角を上げて微笑んで見せた。
 
「せっかく、君ノ“存在”を返してあゲたノに、ドウして戻ってきテしまっタんだイ?」

「……」

 僕が何も言わずに、心渡を握りなおすと、機先を制すように存在移しが続けた。
 
「どチらでもかまワないケど、わタしを殺セるなンて思わなイことだヨ。どんな攻撃力デモ、わタしノ絶対回避を破ることはデキなイ」

 存在移しがそういい終わると、その姿自体が、軽く歪んで見えた。
 たぶん、存在移しがいるように見えるそこには、実体がないに違いない。僕があの存在移しの像を狙って斬りかかっても、実体をとらえることはまずできないに違いなかった。

「どうスる? 今スグにしヌかイ? それトモ、ハレンホールドが、こノ数千年続いた都市が崩れル様を見テかラ死ぬかイ? どうセ、“樹魅”が賢者の石ヲ手に入れレば、試し斬リで何かを潰シたクなる」

「それが僕かよ……」

 いや、それだけじゃすまないかもしれない。
 “樹魅”が殺人狂のきらいがあることは、以前の接触で十分に推察することができる。
 
 そして、存在移し。やつはこのハーレンホールドが、この数千年続いてきた都市が崩れるその様を明らかに楽しみにしているようである。そのためだけに樹魅に力を貸したのか? “樹魅”の異常さばかりに目を向けていたが、だとすれば、こいつもその類のケタ外れの怪異なのだとそう認識を改めざるを得なかった。

「どウせ死ぬなラ、その刀を置いテ、こノ街の沈ム様ヲ、こノ特等席デ眺メてもイイだロウ? そレとも、すグに殺さレるかイ?」

「そうはならんよ。いや、お前はそうすることができんじゃろうよ」

 その声は、しかし、存在移しに対する僕の声ではなかった。
 そのあどけない少女の声は、僕の影からその姿を現しつつある金髪幼女、忍野忍のものだった。
 
「おい、忍……」

 そういいかけた僕をキっと目で黙らせた忍は、眼前の存在移しに対して、傲岸な、不適な、さめざめとした笑みを向けていうのだった。

「お前、“存在移し”とかいうたかしらんがの。ワシの主様を手にかけようとはよくもまぁ不届きなことをぬかしてくれよる。カカカ」

 存在移しは、目の前の金髪幼女の出現に、しかし場数が違うのか、いささかも動じる様子がなく。
 
「こッチは殺しテいいノかナ? 貸し借リもなイし」

 と一人独白し、僕の肝を冷やした。
 その僕の動揺を、おそらく忍も感じていただろうが、しかし忍はそれに対しては何の反応も見せずに言葉を続けた。
 
「お前も知ってはおるじゃろう? キスショット・アセロラオリオン・ハートアンダーブレードの名をな? あれは何を隠そうこのワシじゃ」

「へェ?」

 今度は、存在移しがにわかに圧を強めることになった。
 僕には展望フロアの空気が圧力でよどむように感じられ、にわかに呼吸がしづらくなる。
 
「ハートアンダーブレードは、消エたと聞いテいルけどネ?」

 探りを入れるように、確認するように存在移しがたずねる。
 忍は尋ねられて、小さい声で高らかに、フロアを満たすように笑った。

「カカカカ。消えた、確かにワシは消えた、表舞台からはな。しかし現にここにおる。この小僧に封じられておるが、この小僧が死ねばワシは自由になる」

 僕は話を聞きながら、口を挟むことはしなかったが、忍の言っていることは9割ブラフだった。たぶん。存在移しがその気になれば、二人とも殺される可能性のほうが圧倒的に高い。
 存在移しは、しかし、そのようなことを考えている僕には気を向けずに、隣で両腕を組んで不遜な様子でいる忍に対して話しかけた。
 
「どうダろうね? 仮にあナたが元怪異の王だッタとしテも、樹魅が賢者の石を得レば、だとシても退けルだろウ」

「ふむ、かもしれんの」

 いや、かもしれねぇじゃねぇよ。僕は心中穏やかではなかった。
―――だがの。そういって忍はさめざめと笑いながら続けて言った。
 
「もしそうなったとして、我が主様が殺されたとしたら、わしはその時点でお前を殺すぞ。存在移し。絶対回避なぞ知ったことではない。全盛期の力を得たワシは霧になる、影になる、闇になる。ワシのもつあらゆる力を使って、ワシが死ぬまでに必ずお前を殺してみせよう。カカカカ」

「……」

 言葉を返さず、黙って考える存在移しに、忍は続けていった。
 
「どうする? ワシはどちらでもかまわんぞ? 好きなほうを選べばよい。ワシに殺されてもよいし、この場から引いても、それはお前の好きにすればよいことじゃ」

 忍がそう言ったあと、数拍おいてから、存在移しが答えた。

「そノ外見的特長、声の調子、吸血鬼的性質、どうもあナたガハートあンダーブレードである可能性は低くナいようだネ。致し方ナい。景観は劣ルが、場所ヲ変エることにスルよ。それジャあ」

 それじゃぁ。そういって、次の瞬間には、さっきまでそこにあった存在移しの姿が歪み、かき消え、そして静寂と、僕と忍の気配だけがその場に残ったのだった。

「ふぅ~。まじあせったわい。一か八かじゃったのう。クカカ」

「おい忍。おまえやっぱりハッタリだったのかよ……」

「うん? もちろんそうに決まっておるじゃろう? 今のワシなど、そこらへんの幼女と大してかわらんわい。樹魅がお前様を殺さず封じる手段もいくらでもあるじゃろ。しかし“存在移し”からすれば、うっかりお前様が殺されて、ワシの封がとける可能性も否定することはできんじゃろうからの。まぁそのときは10中8,9ワシも死ぬんじゃけどの」

「はぁ。よくやるよ。でも助かった」

 僕の感謝の言葉に、忍はあの底冷えのするような、さめざめとした笑みでこたえた。
 先ほど白犬とおののきちゃんが飛んで行ったこのセントラルビルの隣の高層ビルからは、今なお断続的に轟音が響いてくる。おののきちゃん、いったいどんな戦い方してるんだよ…… ていうか大丈夫なんだろうか?

「お前様。よもやあの童女を助けにいこうなどと考えるでないぞ。それは別にワシの好き嫌いでいうておるわけではない。今からじゃ間に合わんし、そもそもそれはあの童女の本意でもない」

「ああ、わかってるよ」

 おののきちゃんが、白犬に吹き飛ばされて、一緒になってこのビルの壁面から隣のビルに吸い込まれていく直前のおののきちゃんの言葉はグッドラックだった。僕の跳躍力でも、さすがにこのレオニードのセントラルビルから、数百メートルの距離がある隣の高層ビルへと飛び移ることは不可能だ。それはもう、本当に“怪異側”のあいつらのような存在にしかできることじゃない。
 今や僕とおののきちゃんは完全に分断されてしまっていた。僕は僕で、あちらに行くには物理的にも時間的にも不可能だ。しかもおののきちゃんは、それでいいと思ってるし、いちいち僕に釘をさしてきていたのだ。あの子は、あの怪異の専門家の童女は、しかし、自分の命を軽く見すぎている。

「のうお前様。この状況を鑑みるに、頼りになるのはやはりワシのようじゃのう」

「ん?」

 そういって忍がにわかにボクの隣で距離をつめてきた。
 それで軽く頭を振ってみせるので、
 
「ああ」

 と、僕は少し呆けたように気がつくと、ワシャワシャと忍の頭を少しぞんざいになでくりまわしてやった。
 しかし忍は、そうされて、明るいトーンでカカカと笑うと。
 
「カカカ、まぁワシとしては、我が主様にそこまでされては仕方あるまいよ。まぁ、悔いもないわい」

 展望フロアに残された僕と忍の目の先には、この中位層からさらにビルを登る中央階段がある。
 たぶんその先に“樹魅”はいるだろう。

「せめて一矢くらいは報いてやるよ。それができなくても、抗議のひとつくらいいってやる」

「おうおう。大きくでたのう。まぁ、たぶん一言も言う間もなく瞬殺じゃろうがの」

「ならひと睨みくらいしてやるわ」

「カカカ。ああ嫌じゃ嫌じゃ。なんでこんなんが我が主様なんじゃろうかの。まぁせいぜい気張れよお前様」

 そういって忍は再び僕の影に潜っていった。
 僕は僕で、隣のビルから響いてくる轟音が気にかかりはしたけれど、さはさりながら、心渡を右手に握ったまま、ビルの上層へつながる階段へと向かったのだった。




[38563] こよみサムライ027
Name: 3×41◆ecb68eaf ID:a23a0029
Date: 2014/06/29 11:52
 
 “樹魅”がいると思われるレオニードのセントラルビル、その中腹からさらに上階へと、おののきちゃんを欠いたまま僕は一人、正確には僕の中に忍が潜んだまま、階段を全段飛ばしで駆け上がっていた。あとどのくらい時間が残されているのだろうか。樹魅がこの巨大な街全体に覆った巨木の津波でもってライフスティールを発動させれば、その時点でこの街はただの搾りかすか何かになってしまうというのがおののきちゃんの話だ。

 他方でもうひとつの高層ビルへと抗争の場を移したおののきちゃんのことも気にかかってしかたなかったけれど、僕がそちらに向かうことは物理的に不可能だった。そっちはそっちでおののきちゃんにまかせるしかない。

 僕が登っていた階段は、10階ほど進むと、また左右にわかれ、今度は窓に隣接して上階へと続いていた。僕はさきほどおののきちゃんと白犬と呼ばれていた山犬部隊の主席とが突っ込んでいった高層ビルが見える階段へと向かい、再び空気そのものを揺らす断続的な轟音が耳を刺すことになった。

「あいつら一体何やってるんだよ……」

 そう思ったままの言葉をつぶやいて、気を取り直して上階へと向かう。さすがに他に伏兵がいるとは思えなかったが、それでも気を張らずにはいられなかった。
 階段を飛びながら、こちらのセントラルビルから見えるその高層ビルは、こちらのビルほどの高さではないものの、それでもかなりの高さがあり、もうこの位置からは地表はかなりの小ささで地上の木々に飲まれた車も豆粒ほどにしか見えない。

 しばらく階段を登っていると、ふいに、窓から見えるとなりの高層ビルの中腹から、轟音とともに円形の白い粒子が皿かなにかのように放射線状に放出され、次に、まるでその高層ビルが横から一刀両断されたかのように、ゆっくりと、しかし悲鳴のような破壊音を響かせながらその両断された上層部が地表へと落下しはじめた。

「おい、あれ大丈夫なのか?」

 その場には僕しかいなかったが、思わず誰かにそう尋ねるような言葉がもれてしまう。いかに怪異側とはいえ、そこまでやるか? まるであれ自体別の災厄じゃないか。
 そして、おののきちゃんは大丈夫なのか? あれをやったのがおののきちゃんなのか、白犬なのかといえば、おそらく後者だろう。おののきちゃんの技のレパートリーで、というか“アンリミテッド・ルールブック”でああいうことができるとは思えない。
 さすがに僕も呆然とその場に足を止めて窓の向こうで見えるビルの崩落に目を奪われてしまっていた。
 そしてほどなくして、先日おののきちゃんに渡されていた携帯電話から呼び出し音が鳴った。

「僕だ、阿良々木暦だ。おののきちゃんか?」

『そうだよ。鬼いちゃんのノーブラジャーおののきちゃんだよ。ピースピース』

 携帯電話から聞こえてくるおののきちゃんの声は、いつものように、やはり平坦だった。

「いやもうそういうのいいよ。大丈夫なのか? 今こっちからそのビルえらいことになってるぞ」

『うーん。端的にいって、絶体絶命ってやつだね。鬼いちゃん。そもそものところさ、さすがにこいつはさすがのボクにも荷がおもいよね。後生ってことで、こうして最後に鬼いちゃんの声を聞いておこうと思った次第さ』

 どうもおののきちゃんの口ぶりからすると、おののきちゃんの目の前には白犬がいるらしい。僕が言葉を発そうとすると、それを制すようにおののきちゃんが尋ねてくる。

『ボクが聞きたいのは、鬼のお兄ちゃんが、この街と何の関係もないお兄ちゃんがさ、なんでここまで入れ込んじゃってるのかってことだよ』 

「またそれかよ…… いいんだよ。メアリーたちはもう僕の中で居場所をしめちゃってるしな、あいつらにはそういう資格みたいなもんも、まぁあると思うぜ」

『でも、別に金がもらえるわけじゃないんだぜ、鬼いちゃん。ていうか傍目に見て、無意味に命を落とすだけだよ。えらく不合理というか、人間の生存機能から外れてると思わないかい? まぁ、式神人形のボクからこれを言われちゃ鬼いちゃんも人間の風上にもおけないってもんだけどね』

 こんな話に、何の意味があるのだろうか。疑問に思いはしたが、答えざるをえなかった。

「わかってるよ。別に大それたことをしたいわけじゃないんだよ。別に金もいらないし、命も地位も名誉もほしいわけじゃないんだよ。僕があいつらのことが好きだから、運命っていうのかな、それを共にしてやりたいだけなんだよ。よくわかんないけどさ」

『と、いうわけらしいよ。白犬』

 そこで突然おののきちゃんがそういった。そしてそれは僕に向けられた言葉ではなく、どうもおののきちゃんの目の前にいる白犬に向けられた言葉であるらしかった。
 そして電話の向こうで、僕とは関係なしにおののきちゃんの言葉が続いた。

『甘すぎるだろ? 笑っちゃうよな。こんなやつ、ボクたちの業界じゃ1日で命を落とすぜ。でもまぁ、そういうことらしいよ。本人はそれでいいみたいだ。それでものは相談なんだけどさ。樹魅の心縛樹にとらわれたお前を解放してやる方法を、ボクはしっている。このボクのたったひとつのさえたやり方だよ。まったく苦しませないから、安心してくれていいよ。樹魅がお前を解放するって保証もどこにもないんだぜ?』

 おののきちゃんの声が、電話越しにそこまで聞こえてきて、しばらく何のお音も聞こえてこなくなった。しかしすこし間をおいて。

『やれよ』

 と、おののきちゃんとは別の声が聞こえてきた。
 僕がその意図するところに気づいて、電話越しにおののきちゃんに呼びかけようとすると、その前に

『いい心がけだ。“アンリミテッド・ルールブック”』

 と、電話越しにおののきちゃんの声が聞こえ、そしてそれとほぼ同時に、窓の向こうの、上層部が崩落した高層ビルから、一度だけ轟音が響いてきた。
 虚脱感に襲われながら、

「お、おののきちゃん? 大丈夫か?」

 一拍おいて、返事がかえってくる
 
『うん。こっちは終わったよ。でも、ボクはちょっと動けないな。もう指一本動かないかもしれないよ』

「そうか。悪いな、なんか」

『何いってるんだよ、鬼いちゃん。これはもともとボクの役目でもあるんだからさ、気にしないでよ。まぁ、山犬のほうを相手にするなんて思わなかったけどさ』

「ああ、じゃぁ僕もいくよ」

『あんまり気張るなよ。鬼いちゃん。それじゃぁ地獄で会おうぜ』

「ああ、それならちょっとは楽しいかもな」

 その会話を最後に携帯電話を切ると、再び階段の踊り場から上階へと向かった。

 
 
 #



 高層ビルの階段を、ほとんど頂上まで登って行くと、最上階から程近い場所に、人とも異形ともつかない異様な圧を感じ取ることになった。吸血鬼の感覚だろうか。胃がグルグルとうねって全身が悲鳴を上げそうだった。

 心渡を握ったまま、暗い木々の刺し貫いた廊下を進み、突き当たりにえらくでかく分厚そうな扉を見つけることになった。

「いくか……」

その分厚い扉から、何が飛び出してきても驚かないように、それが無理でもせめてそういう心積もりでその扉を開けると、その先からはかなり強い光が漏れ出てきていた。

 そこはどうも、レオニードのビルの中でも特別重要な場所で、いわゆる宝物庫のようなものだった。金やら銀やらの貴金属類やそれを使った装飾品が、しかしぞんざいにそこら中にうずたかく積まれている。まるで大銀行の金庫の中のようで、それだけでいったいどのくらいの額になるのか想像もつかない、完全に1億や数億できくような量ではない、それがまるで獣が習性で貴金属を収集するかのようなぞんざいさで部屋のそこかしこに小さな山のように積まれているのである。

 そしてこの部屋には、同時に巨大な木々が天井から壁から、貫き、根をはり、集中していた。それこそ、まるでこのハーレンホールドの街に張り巡らされた樹海の木々が、ここにその先端を集中させているようだったし、実際そうに違いない。食虫植物なんて、そういうものを植物図鑑で発見してもぞっとした気分がするものだけれど、街ごと飲み込んでしまうような木々の終着点がここなのだと思うと、平衡感覚を失いそうな、恐怖や混乱がないまぜになった気分にならざるをえなかった。

 本当なら、僕の目は泳ぎまくっているところだろうが、しかしこのとき僕の目線は一点を向いていた、なぜならそこに人影が、いや、人の形をした怪異、“樹魅”がいたからである。

「ハッ、ハッ……」

 樹魅は、扉を開けた僕に、しかし何事もなかったように、その巨大な宝物庫のホールの天井を、何も言わずに見上げていた。そのひび割れたようなしわの顔やたたずまいはまるで一本の木がそこにあるかのようだった。それくらい、何の反応も示さなかった。

 一方の僕は、今や心臓が跳ね返ってしまって、その勢いで息が強くもれ出てしまう。いや、それも仕方なのないことだった。この場で失禁して気絶してしまわないだけまだマシだ。

「あ、アアァ……」

 次の瞬間にも殺されかねない僕が、何も言えずに“樹魅”の動きを見ていると、一拍おいて、気が向いたように樹魅が声を漏らした。

「アァァ…… お子か。よく来た……」

「……」

 どう反応すればいいのだろう。やはり樹魅にも僕が僕と認識できるようで、それは“存在”が入れ替わる期間のうちのものなのか、おののきちゃんが言っていた存在を移されたものはそれらを認識しやすくなることがあるというところによるものなのかはわからなかったが、右手の心渡を握る力を強めていると、樹魅が言葉を続けた。

「本当に…… 私は“感心”している。アァァァ…… あのエクソシストどもが、サリバンとか、レミリアとかいったやつらが、そんなに大事だろうか?」

「なっ……?」

 何で知ってるんだ? そう聞きたかったが。口が思うように動かない。まるで車に引かれる直前の人間のようだ。うろたえるようにおろおろ体を硬直させるしかない。
 しかし、その理由は樹魅のほうが話はじめた。
 
「アァァ…… 私は、私の“木”が張り巡らされた場所を緑視することができる。つまり、このハーレンホールドで起こるすべてのことは、この眼のうちにある」

「だからか」

 やっと口が動いた。
 この樹魅はおそらく、先ほど地上でサリバンやレミリアが殺されかかっていたことや、僕やメアリーが参入したことを、すべてその周囲の巨木の群れを通して把握していたに違いない。
 そしてそれだとすると、計算が狂う。僕が以前の僕と身体能力が異なることも、こいつは知っていることになる。
 
「アァ…… 大事か? あの兄妹が?」

「そうだよ。少なくとも僕にはそう思える。あいつらが命をかけるならせめて僕もそうしてやりたいくらいにはな」

「ならば」

 樹魅がいう。
 
「ならば…… アァァ…… 私の“木”があるところで、お子たちを隠すべきではなかった…… アァァァ…… いかに、緋牢結界でも、私にはないもおなじことだ」

 そういって、樹魅がその体に隠れていた右手を僕に見せるように持ち上げた。すると、樹魅の右手につかまれたものが僕の目に映った。

 それは二つの人間の首だった。無造作に髪をつかまれて、そこから人間の切り取られた頭部へと続く、その二つの首は、サリバンとレミリアのものだった。

「あっ……」

 僕がそうつぶやいた次の瞬間、その広い部屋に叫び声が響き渡った。それが無意識に僕自身の悲鳴だと自分で気がついたときには、右手の指が自分の手にめり込むほどに力を込めて心渡を握り、僕は樹魅に向かって全力で走っていた。

「あああぁぁぁぁぁああああぁぁぁあぁぁっ!!」

 殺す!! 殺す!!
 
 強烈な怒りと殺意が、樹魅に対する恐怖を塗りつぶしている。
 まるで目の前が真っ赤に染まったようだった。

「アァァァ…… アアァァァァ……」

 樹魅の姿がグングンと近づいてくる間にも、樹魅はまるで音楽でも楽しむかのように、僕の悲鳴に聞き入り、そして右手につかんだサリバンとレミリアの首をぞんざいに後ろに放り投げた。

「樹魅いいいぃぃぃっぃいぁぁあああ!!」

 しかし、同時に僕はさらに目を疑った。
 樹魅が二つの首を放り投げると同時に、その二つの生首が崩れ始め、徐々に木々になりはじめ、ボロボロと崩れだした。

 僕がそれに気づいたときには、すでに樹魅の左手が僕の顔に向かってゆっくりと伸びてきているところだった。

「アアァ…… アアァァァァ…… 実にたやすい」

 やられた。サリバンとレミリアの生首のように見えた“アレ”は、樹魅が模造樹で作った精巧なただのレプリカだった。
 樹魅にはほとんどお遊びのようなものだったのだろう。
 まるで赤子の手をひねるように懐に飛び込まされた。
 樹魅の枯れた左手からはすでにあの黒い木々の刃が飛び出していた。

 あまりに不用意に樹魅に肉薄してしまった。しかし、その瞬間に僕が殺されることはなく、いきなり樹魅がその場を飛びのいた。
 そしてその次の瞬間には、樹魅が先ほどまでいた空間に横から巨大な火柱が殺到し通り過ぎたのだった。それができるやつは、僕の知る限りでは一人だった。

「コヨミ! 無事かい?」

 横向きの火柱が殺到したほうを見ると、右足をこちらに向けたメアリーがそう僕の名を呼んでいた。
 見ると、メアリーの背後の壁面はドロドロに赤熱して溶解してしまっている。こいつ、どうやらビルの外から壁面を溶解させて入ってきたみたいだ。
 こいつこのビルの外壁を登ってきたのか?

「よく僕がいる場所がわかったな」

「今の私は“目”が効くんだよ。あいつが?」

「ああ、樹魅だ。“祟り蛇”は?」

「うん、なんとかしとめたよ。1回しにかけたけどね」

 まじかよ。ということは、やはりあの不死の祟り神はメアリーのレオニードの鍵といわれる霊紋を使っていたと見て間違いないのだろう。
 脳裏にそういう考えがチラリと浮かんだとき、メアリーが僕を蹴り飛ばしメアリーが逆方向に飛んだ。

 そしてその間を巨木がまるで蛇のように通り過ぎ。轟音を立てて後ろの壁に激突した。
 その発生源は先ほどのメアリーの炎をかわした樹魅で、狙いはメアリーであるらしく、メアリーが交わした黒い木の横から、まるで枝が伸びるように黒い木々がさらに発生してメアリーに殺到した。

「メアリー! 樹魅に結界は効かない!」

 急いで叫ぶ。するとメアリーは
 
「どうかな?」

 といって、次にメアリーの周囲に殺到する黒い木々の前方に炎の壁が出現し、炎が燃える音とともにそれらの進行を防いだのだった。

「どうやら攻性結界なら、威力の勝負のようだね」

「アァァ…… レオニードの特殊結界だからだ。アァ、次は破れる」

 蹴り飛ばされた僕とメアリーの向こうで、樹魅がいったのを僕の聴覚がとらえた。
 それはメアリーにも聞こえたようで

「やってみろよ」

 とメアリーが言うと、次にメアリーが樹魅に向かって左手を掲げると、その左手に炎状のナイフが3本出現し、その左手を前方の樹魅に向かって振ると、空中を火の刃が疾走した。

 ガンガンガンと、その炎の刃が樹魅の右手から発生した黒い木でできた網状の壁に阻まれる。
 山犬部隊の剣も、おののきちゃんの“アンリミテッド・ルールブック”もあのアマルファスだかといった黒い木々の壁は抜けなかった。

 そしてその瞬間には、メアリーは次の動作をすでに起こしていた。
 メアリーの右足を振りかぶり、彼女の異能によって右足を太ももまで炎化させていたのだった。

「おおおっ!!」

 メアリが叫びながら右足を振りぬくと、炎化した右足が、まるで横向きの柱が巨大化するように伸びて樹魅に殺到した。
 それを樹魅はかわそうとした、しかしあまりに巨大な炎の柱に、樹魅の右腕が飲み込まれ、そしてその右腕を黒い木の壁ごと消失させた。

 樹魅は自分の右手が焼失したのに気づいて言った。

「アアァァ…… レオニードの力は、すばらしい。それもすぐ私のものになる」

 そういうと、樹魅の右手の焼失部分から新たに木が生え、それがすぐさま腕の形を形成し、そして先ほどまでの樹魅の右手と遜色のない腕へと変貌した。こいつ、吸血鬼よりも不死身なんじゃないのか?

「私は、こんな力ほしくなかった」

「アァ…… そうだろう。だから存在移しの取引に乗ったのだから」

 樹魅の言葉にメアリーが口元を引き締めた。
 
 



[38563] こよみサムライ028
Name: 3×41◆ecb68eaf ID:a23a0029
Date: 2014/06/29 11:53

 
 
 
 そしてそのときにはすでに僕は右手に心渡を持って樹魅に肉薄していた。
 樹魅の向かって左側から心渡を振りぬく。
 
「っらあぁぁぁぁ!!」

 しかし、というかやはりなのかもしれなかったが、その刃は紙一重の合間で樹魅にバックステップでかわされてしまい。次に樹魅は右手に黒い刀を発生させていた。

 ゾクリ。といやな感覚が体に走る。あの刀は伸びる。それは先日一度樹魅に殺されたことでその身に刻まれている記憶だ。
 樹魅はすでに黒い刀を持った右手を振りかぶっている。
 
 それを見て僕は跳ねるように後ろにとび、心渡を体の左側に縦にかまえた。
 
 そして次の瞬間には、樹魅の刀が急激に伸びながら横なぎに振られ、僕がかまえた心渡に衝突した。
 ギィィィン、という金属音が響く。そして僕の吸血鬼の聴覚が樹魅の声を捉えた。
 
「アァァ…… その受け方は、よくなかった…… アァ……」

 気づいたときには、心渡で受けたはずの樹魅の黒い刀の刀身から、木の枝が生えるようにさらにいくつもの刀が発生しそれがさらに伸びて僕の体を刺し貫いた。

「ギアアアアァァァァッ!!」

 僕の肺から悲鳴と一緒に空気が搾り出される。
 僕の肉を肩から、首から、腕から、腹から、足から、黒い木の刃が貫き、体に根を張り、体の筋肉から腱という腱を刺し貫いた。

 それでも、僕は死ななかった、いや、死ねなかった。それは僕の吸血鬼性によるものであり、樹魅にもわかっているだろうことだった。

「まだ殺さない」

 肝が冷え切る心地だった。樹魅はそういうと、次にメアリーに言った。
 
「しばらく、お子も見ていろ。でなければ、あちらのお子が死ぬ。粉みじんに切り刻んでもいいし、食人植物に消化させてもいい」

「……」

 メアリーはその言葉に、黙り、しかし動かなかった。
 さすがにそこまでされれば、いかに吸血鬼の不死性があっても消滅するかもしれない。もともと不完全な不死性である。
 忍なら、この黒い刃を食うことはできるだろうが、しかし今出てくれば忍まで“こう”なる。
 
「ぐっ…… あっ……」
 
 僕のほうは、体中を体内から縛られ、声も出せなかった。心渡も握ったまま指も動かせない。
 それを試みている間にも、樹魅はゆったりとした歩調で部屋の中心へと歩いていっていた。

 そしてそれにあわせるように、天井の木々がとぐろをまくように樹魅の頭上まで降りてきて、樹魅の頭上で結集した。

「アァァ…… “賢者の石”だ。私のものになる」

 そういって、樹魅はその結集した木の根に向かって顔を上げ、大きく口を開けた。
 
 それでもメアリーは動かない。こいつの危ういところだった。こいつは自分の周りの、サリバンやレミリアやマットや、ついでに僕が無事なら、ほかがどうなってもいいと思ってしまいかねないところがある。

 その間にも、樹魅が見上げる木の束は、赤く輝きはじめていた。ハーレンホールドの巨大な街に張り巡らされた樹海が、いっせいにソウルスティールによって、この街の大霊脈と、そして生命を吸い上げている。

 そしてその木の根の先に、赤い結晶が結実した。あれがこの街の霊脈と数多の命を凝縮した“賢者の石”に違いない。
 それが天井から垂れ下がった木の束から落下し、樹魅の口へと落下しはじめた。
 
 パリン
 
 そして、その途中で賢者の石は粉々に砕け散った。
 樹魅と、そしてメアリーが一緒に僕のほうを見た。
 
 賢者の石を砕いたのは、僕が投擲した心渡だ。
 右手も腱や筋肉をしばられてはいたが、樹魅が把握していない吸血鬼の能力は“発生”である。しばられた腱と筋肉をよける形で、新たに腱と筋肉を発生させ、それによって手首のスナップで心渡を投擲した。それが空中を落下する賢者の石を粉々にしたのだった。

 僕はメアリーのほうに、縛られていない目の筋肉だけで目配せした。するとメアリーは僕の意を汲んだようで

「大丈夫だよ。あれならまだ人も霊脈も器は損なってないから、魂も霊脈ももどる。まだ街は死んでない」

 それはよかった。もう全身を貫く刃の傷みで気絶しそうだ。僕のちっぽけな命で、あまりに大きなおつりを得たようなものだ。

「おのれええぇぇぇぇぇぇ!!!」

 部屋に絶叫が響く。それは樹魅のものだった。
 樹魅が血走った目を見開き、こちらに走ってくる。
 十数年かけた計画を僕のような木っ端に邪魔されたとあっては心中穏やかでないのは察するに余りある。

 そして、僕に向かって疾走しながら、樹魅が首をかしげると、その首があった空間を回転しながら投擲された心渡が通り過ぎた。
 それは先ほど僕が投げて部屋の向かいに突き刺さった心渡を、そのそばの陰から姿を現した忍が再び投擲したものだったが、しかし樹魅は意外にも、というか実際のところ当然なのかもしれないが、それを冷静にかわし、僕に向かって走ってくる。

 今度こそ殺される。忍が再び影の中を移動しているのが、感覚的にも伝わるが、僕と忍が束になっても樹魅には物の数ではない。
 僕が気絶しそうな頭でそう考えているときである。
 
 黒い刃で磔になった僕と、こちらに全力で走ってくる樹魅の間に、メアリーが割って入り、彼女の右足を炎と化した。

「ぜああぁぁぁぁっ!!」

 叫びながら発せられたメアリーの巨大な炎の柱に、樹魅の体がすべて飲まれる。
 しかし、メアリーの炎が散らばると、そこから体を黒い木々で何重にも覆った樹魅が飛び出し、メアリーに左手を突き出し、その左手がメアリーのわき腹をとらえると、次の瞬間には樹魅の左手から伸びた黒い木々がメアリーの体を刺し貫いた。

「おおぉぉぉぉぉっ!!」

 その叫び声は僕のものだ。そのときの樹魅には、まるでメアリーの腹部から、心渡の刀身が発生したように見えたに違いない。
 メアリーが樹魅をひきつけたその一瞬の間隙をぬって、忍に僕の体を貫く刃を食わせ、そのまま心渡を持ってメアリーの背後から、完全に死角を突く形で心渡を振ったのだった。
 それがメアリーごと、メアリーの腹部から刃が出てくる形で樹魅に向かい、樹魅のわき腹を切り裂いた。

「ぐううぅぅぅぅっ!!」

 樹魅がうめきながら、2、3歩後退する。ボタボタと、浅黒い血がその腹部からあふれ出していた。
 しかしメアリーにはそうはならない。心渡は人を斬らず、怪異だけを斬る刀である。メアリーの体は無傷で通過し、樹魅の体だけを斬り裂くことができる。

 だが、メアリーの体は、樹魅の刃が幾重にも貫き、その傷口から赤い血を流しながら地面に崩れ落ちた。

「メアリー! おい!」

 言いながら、僕はメアリー床に転がって動かないメアリーに駆け寄った。
 そのそばで忍が樹魅に言う。
 
「引け。樹魅よ。心渡で負った傷は簡単には癒えん。賢者の石を作る術式を再び組むにも数日かかるじゃろう。それだけあれば、この街の外から怪異の専門部隊が複数おしよせるぞ? 手負いでそれらを相手にしながら術式を組めるかの?」

「アァ…… アアァァァァ……」

 樹魅はそれだけ言うと、驚くほどあっさりと、すぐに気配を消した。冷静な計算なのだろう。賢者の石を得る算段が困難になれば、もうここにいる必要はないのかもしれなかった。

 ただ、それよりも僕には目の前のメアリーのことだった。
 メアリーは僕のほうを見て口を何か動かしているようだが、声が出ていない。肺が動いていないのだ。樹魅の木に体を幾重にも貫かれては、むしろ生きているほうが不思議なほどだ。

「メアリー! メアリー! いくな!」

 呼ぶが、それでどうにかなるわけではない。
 そうだ。そこで思い出す。僕は吸血鬼だ、できそこないでも、この血には治癒効果がある。
 急いでメアリーの上に体をやって、右手を一息飲んで自分の腹へと突きたてた。
 
「ぐがああぁぁぁっ……」

 僕自身のうめきと一緒に、右腕に引き裂かれた腹からボタボタと血液がメアリーの体に滴り落ちる。滴り落ち、傷口にも流れ込んだ。強力な治癒効果があるはずだった。それで治癒されるはずだ。

 しかし、メアリーの傷は一向に、ピクリともふさがる気配を見せない。
 
「そんな…… なんでだ!?」

 さらにボタボタと血液を滴らせる。それでも何も起きない。
 見かねたように、横から忍が言った。
 
「のうお前様よ。もう血は十分すぎる。その娘が拒否しとる」

「な、なんでだよ。おい、メアリー!」

 とがめるように言うと、メアリーが再び口をパクパク動かし、かすれた声を出した。
 
「もういい…… もういいよ…… コヨミ。私は自由になりたい、そう思っていたけど。この世に自由な場所なんてなかった…… 人間は、生の奴隷だ。これ以上生きて、苦しいばかりなのに、何になるんだ? 私は…… 私はもういくよ…… いかせてくれ……」

 そういってメアリーは目を閉じた。

「なんでだよ…… ダメだ! そんなの! 治癒を受け入れろメアリー!」

「好きにさせてやれよお前様。それこそそいつの自由にすることじゃろう」

 横から忍が言ってくるが、そんなこと認める気にはなれなかった。

「そんなの、サリバンやレミリアだってきっと泣いちゃうぜ。あいつらのこと好きなんだろ? なぁメアリー。人は生の奴隷かもしれないけどさ。人間なんてみんな何かの奴隷なんじゃないのか? それなら立派に奴隷になってさ。えらくなって世の中変えてくれよ。自由を得るには力がいるって。お前言ってたじゃないか。そうだろ? また戦おうって言ってくれよ」

 もう聞こえているのかも僕にはわからなかったが、目を閉じたメアリーの頭を抱えて、言い聞かすように言葉を重ねた。

「サリバンやレミリアやマットの力になってやってくれよ。やなことあってもさ、元気ならいいだろ? なぁ、メアリー」

 その後も、僕は延々言い続けたが、メアリーは目を閉じたまま動かなかった。



[38563] こよみサムライ029
Name: 3×41◆ecb68eaf ID:a23a0029
Date: 2014/06/29 12:20
 
 
 
 翌日。僕はおののきちゃんに少し時間をもらって、エクソシスト学園の寮区画を訪れていた。
 大きな湖畔のわきの道をとって、サリバンたちの寮区画を目指す。
 昨日の今日で、さすがにランニングをする学生の姿を見ることはできなかった。
 
 おののきちゃんの話では、街は大規模な認識結界やら物理的な復旧作業でかなりゴタついてるし、しばらく続くという話だった。

「ただ、勘違いするんじゃないぜ。鬼いちゃん」

「うん? 何がだい? おののきちゃん」

 頭の中で、つい先ほどの会話がよみがえってくる。
 
「鬼いちゃんも、言っても高校生だからさ。なんか変に酔っちゃってるんじゃないかなって。変な承認欲求っていうのかなそういう俗物根性にひたってもあんまいいことないぜ。ボクにはよくわかんないけどさ。鬼いちゃんは所詮、友達のいない、ぼっち一刀流男子吸血鬼高校生に過ぎないんだから」

「僕を変な流派を使う悲しい剣士みたいに言うんじゃねぇよ。まぁ、わかってるよ。結局のところボクはただ死角から刀を振っただけだしな」

「いや、それもちょっと違うんだよね。結局のところ、そういうところまで見越して動いたこのボクの手柄みたいなところはやっぱりあると思うんだよね」

「さっきまでの話はなんだったんだよ……」

「イェーイ。ピースピース」

 激しくウザかったが、まぁそれはそれである。
 街の復旧や、おののきちゃんが存在を奪われていたことなど、そっちのことは、そっちでやるということらしい。

 林に入ると、しばらくして見慣れたロッジが見えてきた。そのロッジの玄関近くのテーブルには、サリバンが腰掛けているのが見えた。
 サリバンが近づく僕に気づいて気さくに声をかけてくる。
 
「やぁこんにちは。どちら様かな?」

「ああ、僕はアララギっていうんだよ。短期留学生でさ」

 サリバンは、ボクの様子を少しうかがうようにすると、

「そうかもね。その様子だと、アジア系かな? もしかして君も僕を笑いに来たのかな? まぁ、好きに笑ってくれよ」

「別に、笑ったりはしないけどさ」

 サリバンの表情は少し暗い。先日の校内新聞のことをまだ引きずっているに違いない。
 
「気にすることないんじゃないか? 勘違いなんて誰にでもあるしさ。それにその新聞を書いたやつら。その記事を書いてるときはえらく醜い面して書いてたと思うぜ?」

「……」

 サリバンは、少しポカンとしたように僕の顔を見上げると。
 
「そう思ってくれるかい?」

 といって控えめに笑った。
 
 僕とサリバンが話していると、それを聞きつけてか、一軒屋の寮の扉が開いた。そこから現れたのはレミリアだった。

「どうしたの兄さん。あれ、この人は?」

 レミリアが僕のほうを見て、次にサリバンにそう尋ねた。
 
「あぁ、アララギ君って短期留学生らしいよ。それにどうやらいい人みたいだよ」

「ふぅん……」

 レミリアは、しかしあまり興味なさげに返事をすると、再びサリバンに尋ねた。
 
「ねぇ兄さん。コヨミはどこに行ったのかしら?」
「あぁ。たぶん無事なんだと思うよ。メアリーの話では、急ぎで街を離れたって話だったしさ」
「うん。無事なら、別にいいんだけど」

 その会話は、僕にはなんだかむずがゆいものだった。もう僕には“阿良々木暦”としての存在が移されてしまっている。サリバンやレミリアが接してきた“羽川暦”とは別人なのだろう。

「そうだ。メアリーはどこにいるんだい?」

 僕が尋ねるとサリバンが答えていった。
 
「うん? メアリーなら裏庭だと思うよ。そういえば、今日来客があるかもしれないってメアリーが言ってたけど、それって君のこと?」

「ああ、うん。たぶんそうかもな」

 そうあいまいに返事をして、玄関のほうからまわって裏庭に向かった。
 
 
 
 #



 裏庭に回ると、芝生につきたてられた丸太の前に立つ女の姿をとらえることができた。
 ショートの銀髪が汗でぬれて湿っぽく光を反射している。
 
「おはようメアリー。体は大丈夫か?」

「うん? どちら様かな?」

「別にいいけどさ……」
 
 僕はそういって、ちかくにある木製のタルに腰掛けていると、メアリーは再び丸太への打ち込みを始めた。
 別に昨日の今日でトレーニングなんてしなくてもいいんじゃないかって思うけどな。
 存在移しにあった人間は、それを認識しやすくなる。そういう話はおののきちゃんにきいていたけど、今の反応を見てそれが当てはまってる感じはする。
 
「私さ、校長の弟子になることになったよ」

「校長っていうと、この学校の校長か?」

「そうだよ。先日まで出張してたけど、エクソシストの世界でも指折りの実力者なんだよ。私が校長のはじめての弟子になるんだそうだ」

「そりゃすごいんだろうな。僕にはわからんけど」

「どうかな。でも、一応レミリアの冤罪だけはそれでなんとか晴らせそうだよ」

「そうなのか?」

「あぁ。もともとアイリーが影響力を発揮しないと、あの冤罪は成立しえないからね。校長はかなり顔が利くし、私だって29人目のレオニードの人間だもの」

「そこらへんのことはその校長も把握してるんだな。まぁそっちのほうがいいか。アイリーはどうなるんだ?」

「あいつは、今更赤の他人でしたってやるのも混乱が大きいだろうし、一応レオニードの人間って扱いではあるだろうけど。正直興味ないな」

「興味ないって…… それでいいのかよ」

「私はあんまりそこらへんの倫理観がないんだよね。私は私の好きな人以外はどうなろうが知ったことじゃないんだよ」

「それもどうなんだよ。僕もあんま人のことはいえないけどさ。じゃぁまぁ、お前も大事ないみたいだしそろそろ帰るよ」

「ねぇコヨミ」

「なんだよ。僕はこれでもない時間をぬってきてるんだぜ?」

「もしさ。日本での生活がつらくなったら。いつでもこの寮に来てくれてかまわないよ。みんな歓迎するだろうし、私だってそうだよ」

「ああ、ありがとう」

 そして少し考えて付け加えた。
 
「でもたぶんそうならないほうがお互い幸せなんだろうな」

「そうかな。まぁそうかもね」

 それだけ言って、その寮を後にしたのだった。
 
 

 #
 
 
 
 朝方で寮へと続く道にはほとんど人気がなかったが、途中でおののきちゃんがこちらに歩いてきているのを発見した。

「悪いおののきちゃん。無理いっちゃってさ」 

「本当だよ。鬼いちゃん。ボクは鬼いちゃんの悪巧みに翻弄されっぱなしだよ」

「確かにその点では僕に非があることに間違いはないが、わざわざ人聞き悪く言ってるんじゃねぇよ」

 実際のところ、帰りの便の時間は結構ギリギリだそうらしかった。
 でもそこをなんとか頼み込んでここへ来れたことはおののきちゃんにも手間をとらせてしまった。
 
「うん? どうしたんだいおののきちゃん?」

 見ると、おののきちゃんが、いつもの無表情で、僕のほうに向かって両手を突き出していた。
 
「何って、ハグだよ鬼いちゃん。決まってるじゃないか。この難局を二人で乗り越えたわけだから。ここはハグハグして友情を確認することにしようよ」

「友情って……」

 この子にそういう感覚はあるのだろうか。しかし、である。
 人気のない道で、童女に両手を差し出されてハグをしてくれとせがまれれば、これはもうハグをしないという道理はないわけである。

「こ、これでいいかい?」

 そういいながら、僕がおずおずとおののきちゃんの小さな体に手を回すと、おののきちゃんもガッチリと僕の体をわしづかみにした。

「オッケーオッケー。これなら安全。振り落ちることもないよ。それじゃぁ鬼いちゃん。帰ろうか」

「え、何?」

 たずねる僕に、おののきちゃんは、しかし何も答えずつぶやくのだった。

「“アンリミテッド・ルールブック・離脱版”」

 急激な加速で全身に衝撃が走る、人間のスペックにもどってしまっていた僕は、その衝撃でたやすく気絶し、気絶したまま再び日本までの空路を輸送されることになったのだった。
 なんともしまらないが、この小旅行の顛末は、まぁこんな感じである。



[38563] こよみサムライ030
Name: 3×41◆d15ef5c3 ID:b9a96331
Date: 2014/09/28 21:24
 後日談。
 僕自身も蛇足かとも思うのだけれどもついでということで話しておこうと、気まぐれにそう考えたわけである。
 もともと蛇足といって語り始めたこの怪異譚のさらに蛇足とあっては、もはや何の役にも立たないがやたら珍しいことには珍しい蛇足にさらに足が生えたようなもので、一見ありがたみがあるように思えて実のところたいしたインパクトも楽しい感じもあるかわからないのだが、一応である。一応。



 その夜。

 僕が目を覚ましたとき、そこにはすでにおののきちゃんの姿はなく、僕はひとり北白蛇神社の境内で目を覚ましたのだった。
 あたりを見回してみても、暗闇と遠くにさみしく電灯の光があるだけで、あとは小さく虫の音が聞こえるだけだった。
 
「……おののきちゃん?」

 たずねるようにおののきちゃんの名を呼んでみたけれど、しかし返事はなかった。
 ことの推移を鑑みて、おののきちゃんが僕をこの境内に運んできたことはほぼ間違いないのだが……
 
 おののきちゃんの返事はなかったが、代わりに、僕の右手に何か握られているのに気がついた。
 
 それは、簡単なメモで、おののきちゃんからの言伝であることが察せられた。
 曰く、お姉ちゃん、これは影縫さんのことだろう、に呼ばれていて、早く戻らなければならないということらしかった。それは僕にも納得のできることで、ゆっくり僕とお茶でもしようというわけにはいかないだろう。怪異はやはり怪異側なのだ。
 そして簡単に楽しい旅行だったと、僕にもああいった事件がなければおおむね同意だが、しかしその事件ゆえにまったく同意できない感想が書かれていて、そして文章の最後には、この休日のことについては、決して他言しないようにと書かれてあったのだった。
 曰く、そのことについて他言すれば、それなりの“対処”をしなければならなくなる。ということらしかった。
 
 うわぁ…… 
 普通にこええな。今回の小旅行について、後悔はないし、まぁ文句自体もないわけで、いずれにせよ、僕自身みだりに言いふらしたりするようなつもりもなかったけど。
 
 北白蛇神社から境内の端へと歩いていくと、山から煌々とあふれる街の灯を見下ろすことはできた。
 僕は帰ってきたのだ。
 阿良々木暦として、阿良々木家の長男として、直江津高校の学生として、そして手前味噌ながら、戦場ヶ原ひたぎと付き合いのある人間としてである。

 
 #
 
 
 そういうわけで、さっさと下山である。
 3連休中の小旅行だったということだったけれど、結局、1日オーバーした4日後に帰ってくることになった。今日は普通に学校があったはずだし、直江津高校の生徒たちも普通に通学して、今頃は帰宅しているに違いなかった。
 一応、山を降りる長い階段を下りているうちに圏内になった自分の携帯電話から戦場ヶ原にメールはしておいたのだけれど、まだ返事はなかった。
 なんか、ソワソワするなぁ。浮き足立ってるんだろうか。
 
「オヤ、あら…… あらじおさんじゃないですか」
「うん?」

 聞き覚えのある声に振り返ると、誰もいない、と思ってその下を見ると、ツインテールがピコピコしている少女がこちらを見上げている。こいつも久しぶりである。

「おい八九寺。僕を太陽熱で蒸発結晶させた海塩を日本の海水で再融解して作られる調味料みたいに言ってんじゃねぇよ。僕の名前は阿良々木だ」
「失礼。噛みました」
「違う。わざとだ」
「じゃぁ、かけました」
「阿良々木とあらじおを!?」

 一体どんな共通点があるんだ!?
  
「それにしても、阿良々木さん。どうもさっきから見ていましたが、どうしてお一人で山から下りてこられたんですか?」
「え? あ、うーん。そうだな」

 どうやら八九寺はそこらへんのところから僕のことを見ていたらしい。
 僕は帰ってきたらまず戦場ヶ原に会おうと心ひそかに決めたりしてたんだけどな……
 数日来、久しぶりに会ったからか、どうも八九寺もうれしそうに見えるのは僕の気のせいかな?
 それどころか、八九寺の目がそれこそ口ほどに物を言ってくるかのようである。

「おい、八九寺、やめろ、よせ。そんな目で僕にせまってくるんじゃない。くそっ、迫られれば抱きとめざるをえない、だめだ八九寺」
「……阿良々木さん、何を一人で盛り上がっていらっしゃるんですか?」
「うん?」

 そこには一人で盛り上がる男子高校生と、それを冷めた目で見上げる幼女の姿があった。
 なんだ、僕の幻想か。
 疲れてるのかな?

「まぁ、なんていうか。ちょっとした野暮用だよ。聞いたってなんにもならないと思うよ」
「なるほどなるほど。まぁ私としては別に阿良々木さんがどんないかがわしいものを秘密裏に処分しようとも、いまさら引くような余地もないので心配なさる必要もないんですけれども」
「うるせぇよ。人聞き悪いわ」
「いいんですいいんです。最近は単純所持ですら危険だそうですからね。秘密裏になかったことにしておこうというお気持ちもわかろうというものです」
「お前がそれを言うと危険すぎるわ! ていうか違うっつってんだろうが」

 こいつ今日は踏み込んでくるな。二次創作でもギリギリだ。
 しかし、なんと説明すればいいのだろうか、そこらへんのことを他言すれば、“処分”しなければならなくなる。それがおののきちゃんの簡単な“警告”だったのだが、そこらへんのことが八九寺にまで適用されることになるのだろうか?
 まぁしかし、わざわざ言う必要もないことには違いない。

「まぁほんとにさ、野暮用だよ。それより八九寺こそ変わりはなかったかい? 僕がいなくなって禁断症状とか出なかったか?」
「出るわけないでしょう。あなたと一緒にしないでください。それに、そんなに久しぶりというわけではないでしょう。そもそも阿良々木さんと私は昨日だって会ったじゃないですか」
「は?」
「は? って、昨日ですよ。街のほうでしたっけね」

 八九寺は何を言っているんだ?
 僕はそのころ、この街に、というか日本にすらいなかったのだ。
 だから、1日前に、この街で僕が八九寺と出会えるなんて、そもそも有り得ないことである。 
 
 それなのに? 昨日僕と八九寺が出会っている?
 くらくらと、地面が解けてなくなるような平衡感覚の喪失をおぼえるようだった。
 唖然としたような表情をする僕に八九寺が言葉を続けた。
 
「まぁ、そういう冗談はさてオヒョフフェ……」

 笑顔で言葉を続けようとする八九寺の口を、両サイドからムニュっとつまんでアヒル口にしてやる。
 おかげで後半は何を言ってるかはわからなかったわけである。
 
「おい。ふざけんなよ八九寺。まじでビビっただろうが。そういうくだらない冗談言ってんじゃねぇよ」 
「ぷはっ。なんですか阿良々木さん。ただの子供のあどけないジョーク、幼ジョークじゃないですか」
「自分で幼ジョークとか言ってんじゃねぇ」
「ははぁ。なかなか厳しいですねぇ阿良々木さん。昨今の幼女規制が厳しいことは聞き及んでいましたが、まさかここにまでそのような余波があるとは」
「そういうことで言ってないよ!? いっとくがな八九寺、僕は常に幼女の味方なんだぜ? たとえ世界が幼女の敵に回っても、僕だけは幼女の側につく」
「いやその物言いもどうかと思いますけどね。しかし、本当に久しぶりですねぇ阿良々木さん。阿良々木さんこそお変わりはありませんでしたか?」

 急に話題を変える八九寺だった。
 しかし八九寺のような幼女に大事ないかと心配されるのも、なんだか立つ瀬がないって感じだ。
 
「ああ、まぁ結構いろいろあったんだけどな。ここ数日、ちょっと街を離れてたよ」
「だと思いましたよ。街のどこを歩いても、阿良々木さんの姿をお見かけしませんでしたから」
「じゃぁちょっとさみしい思いさせちゃったか?」
「いえいえ、そういえばこちらでは、どこぞの政治家の事務所に生卵が投げつけられるなんて事件が巷を騒がせていたようですよ。恐ろしい話です。テロリズムにしたって、実に中途半端ではありますけどもね」
「それはそれでちょっと悪質だな。まぁ平和といえば平和なのかもしれないけどさ」
「阿良々木さん、ここだけの話なのですが、その生卵はどこで購入されたんですか?」
「いや僕じゃねぇよ。なんで僕が数日この街から離れて事務所に生卵投げてんだよ」



「ははぁ、やはりそう簡単に尻尾を出すつもりはないようですね」
「人聞き悪いこと言ってんじゃねぇよ」
「ではここ数日、阿良々木さんがどこで何をしていたか、詳しく教えていただけますか?」
「うっ、それは……」
「ははぁ、これはますますあやしいですね」

 そういってしたり顔で笑う八九寺なのだった。
 というか僕のほうは僕のほうで言葉をつまらせてしまったけれど、とはいえ説明のしようもないしな。

 僕がしばしそういうことを考えていると、八九寺は少し不思議そうに僕の表情をうかがっていたのだが、そんなこんなでとりあえずは舗装された山道を僕と八九寺の二人で下山ということになった。


「そういえば阿良々木さん。数日街を離れていたとおっしゃっていましたが、どこかへお出かけだったのですか?」

 スタスタ歩く僕の隣でついてくる八九寺がそうふいに聞いてくる。
 
「ああ、一人だよ。いや、一人というか、一人と一体かな?」
「ああ、やっぱり」

 隣で得心げな八九寺だった。
 
「やっぱりってなんだよ」
「いや、なんだよっておっしゃいますけど。だって阿良々木さんは友達がいませんからね。だからといって、一人で旅行というのもなんだか趣というものがありますね」
「おいやめろよ、フォローするみたいに言ったら余計かわいそうな感じになっちゃうだろうが。まぁいいんだよ、別に僕は友達ができないんじゃなくて、あえて作ってないんだからな、いつか言ったかもしれないけど、友達なんて増えると人間強度が下がるんだよ」

 僕がそういうと、八九寺が歩きながらしたり顔でフフンと笑った。

「まぁまぁ、そういう体ってことで別に私はかまいませんが」
「だからフォローする感じで言うんじゃねぇよ」
「さながら、いち人の侍という感じですね!」
「僕のぼっち感を強調するな。それは七人いるやつだろ!」

 フォローされても遺憾だが、例えられてもグサっとくる。男子高校生は繊細なのだ。 したり顔の八九寺が言葉を続ける。 

「いやいやしかし、私は安心しましたよ阿良々木さん。もし阿良々木さんが、ほかのどなたかと連れ添って小旅行になど行ってしまわれては、残された戦場ヶ原ひたぎさんがどう出るものかさすがの私にも想像がつきませんからね」
「そういえば八九寺お前、なんで戦場ヶ原が一緒じゃなかったって知ってるんだよ」
「それはもう存じ上げておりますとも、つい先日、私がいつものように街角を歩いておりましたらおみかけしましたから」
「ああそれでか、戦場ヶ原は普段と変わりなかったか?」
「変わりなかったというか、道端で虫眼鏡を持ってかがみこんで、蟻の行列をご覧になっていらっしゃいました」
「戦場ヶ原、あいつ何やってるんだよ……」

 
 #


 山道から街へ入って、しばらく歩いてから八九寺と分かれると、そのまま自宅へと向かった。北白蛇神社で目覚めてそうしばらくたっていなかったけれど、空がすでに暗くなってきていた。どうも結構な時間が経過していたようである。

 時間だとすでに20時くらいだろうか、実のところ、戦場ヶ原の顔をはやく見たい衝動にはかられていたのだけれど、今から戦場ヶ原の家を訪ねるのはそれはそれで気が引けた。一応メールは送っておいたが、返事はまだない。

 そういうわけで、なにはなくともとりあえず自宅へと向かったのだった。
 小さな玄関口を通って、玄関の扉を開けると、
 
「ぐはぁっ!」

 突然腹に衝撃が走った。一体何だ?
 激しく泳ぐ目を自分の腹へと向けると、白い握り拳が僕の腹に突き刺さっている。
 
「でややっ!」
「ぐぇっ! ぐほっ!」

 僕のでかいほうの妹の声とともに続けざまに1発、2発と立て続けに腹に拳が突き立てられる。何してんだこいつ!
 しかし、それはまだかわいいほうだったかもしれない。
 玄関から2、3歩下がって、たたらを踏むと、火憐ちゃんの後ろから小さいほうの妹の叫び声が聞こえてきた。

「おりゃああああしねえええぇぇっ!」
 
 バールである。
 バールのようなものを持ち上げた月火ちゃんが火憐ちゃんの攻撃にひるんだ僕にかけてきて、思いっきり振り下ろした。

「うおおぉぉっ!?」
 
 さすがにシャレにならない。振り下ろされるバールをバックステップでかわすと、ドオンと音を立てて庭先に突き刺さった。
 月火ちゃんはいつからバールキャラになってしまったんだろうか。そんなことを思っていると矢次ぎ早に月火ちゃんの上をジャンプで飛び越えた火憐ちゃんが空中から蹴りこんでくる。

「おいっ! なにすんだよおまえら!?」
 
 眼前まで迫った火憐ちゃんの頭蓋骨を粉砕しかねない蹴りを寸前で頭を横に振ってかわす、実際にこの蹴りでコンクリートくらいは楽に砕く、すると着地した火憐ちゃんがはねるように裏拳をはなってくる。

「しっ! でやっ!」
「ちょっ! やめろ! どうしたんだおまえたち!?」 
 
 なぜ大好きなお兄ちゃんに、実際あまり仲がいいわけでもなかったけれど、どういうわけでこいつらはこのような暴挙に出たんだ。
 皆目見当がつかない、僕はただ普段から妹たちにキスをしたり、おっぱいをもんだり、ごく一般的なスキンシップをしているくらいなのに。
 
 家の前の道に出ながらそう考えている間にも火憐ちゃんの猛攻が続く。裏拳から左正拳突き、それを横にかわすと今度は逆方向から回し蹴りが飛んでくる。

「殺す気か!」
「問答むよう!」 
 
 どこで聞いたのか火憐ちゃんが何かのセリフのようなことを言いつつ、轟音をうならせながら頭部に疾らせる右回し蹴りを僕がしゃがむと、しゃがんだときにはアゴに左拳が下から迫り、ガンという音とともに軽く上に打ち上げられる。
 意識が飛びそうになるがなんとか持ちこたえる、しかし体が軽く浮いてしまい、身動きをとることができない。その瞬間にも、火憐ちゃんは肩口から背中を向け、力をためた左足で地面を蹴ってそのまま肩口を僕の胸部に叩き込んだ。

「うぼぉっ!」
  
 変な声が出て、ブワっと僕の体は宙を舞った。
 ひと気のない道路の上空を舞い、しばらくしてアスファルトに落下する。
 火憐ちゃん、一般人に鉄山功とかやってんじゃねぇよ。半分吸血鬼の半一般人でなければ病院送りである。
 
「ぐ、ぐはっ……」 
 
 僕が地面に激突して、身もだえしていると、玄関のほうから火憐ちゃんと月火ちゃんが駆け寄ってきて、もんどりうつ僕の様子をつぶさに観察して、

「なぁ、どう思う? 月火ちゃん?」
「んー、火憐ちゃんの攻撃をまともに食らってこの程度なら、たぶんお兄ちゃんなんじゃないかな? この丈夫さはなかなかいないよ」
「お、おまえら何を……」

 地面に寝転びながら息も絶え絶えに尋ねると、火憐ちゃんのほうが頭をかきながらいった。

「いやーすまねぇ兄ちゃん。実は兄ちゃんが留守にしてる間、兄ちゃんに似ても似つかない野郎から僕はお前らの兄ちゃんだーって電話が来てさー」

 月火ちゃんが続ける。

「私たち栂の木二中のファイヤーシスターズとしては、っていうかそうじゃなくても怪しいって思うじゃない? だから次お兄ちゃんみたいな人が家を訪ねてきたら、本当に私たちのお兄ちゃんなのか試してみようってことになったってわけ」
「いやでもさすが兄ちゃんだぜ。私の鉄山功を受けてその程度のダメージですむなんて、むしろ逆にちょっとショックだぜー」
「ていうか人間に鉄山功とかしてんじゃねぇよ」

 しかしながら、とりあえずは僕は本当にこいつらの兄ということを示せたようだった。
 息も絶え絶えに起き上がると、火憐ちゃんと月火ちゃんがこちらに手を差し出しているのに気がついた。

「え? 何? どうしたんだい二人とも?」

 僕に手を差し出した二人が口々に言った。
 
「え、何って、お土産だよ兄ちゃん」
「そうだよお兄ちゃん。私たちは旅行に行ったお兄ちゃんがどんなお土産を買ってきてくれるのか一日千秋の思いで待っていたんだよ? さぁ私たちがびっくり仰天しちゃうようなお土産を出してお兄ちゃん」
「あ、お土産はないよ。すまんな」

 僕の短い返事に、満面の笑みでこちらに両手を差し出した火憐ちゃんと月火ちゃんは互いの顔を見合わせた。

「なぁ、どう思う月火ちゃん?」
「そうだね火憐ちゃん。やっぱり私たちのお兄ちゃんじゃないかも」



[38563] こよみサムライ031
Name: 3×41◆d15ef5c3 ID:b9a96331
Date: 2014/09/28 21:27
 翌日。
 昨日小旅行帰りのお土産を用意していないことでブーブー言う火憐ちゃんと月火ちゃんをよそに帰宅し、簡単に晩御飯を食べて風呂に入って部屋にひっこんでから、自分の携帯電話を確認してみたが、僕の送ったメールへの返信はないようだった。

「うーん……」

 どうしたものだろうか。というのが昨日の僕の所感だった。
 このままにしておくのも、メールを送った手前なんだかおさまりが悪いし、だからといってまたメールを送るというのも二度手間である。というわけでどうせ明日学校で会うことにはなるのだから、その日はとりあえず携帯電話を枕元においてそのままベッドに潜りこんだのだった。

 そしてその翌日、月火ちゃんに目覚ましのバールで叩き殺されるのをなんとか回避してから枕元の携帯電話を確認したのだったけれども、やはり僕の携帯電話に戦場ヶ原からの連絡は電話も、メールも届いてはいないようだった。

 それで少々のれんに腕押し感のある登校路である。
 日光が、怪異性によってあまり得意でない僕はいつもどおり、少し早めに出発し、斜角のきつい朝日にしかしそれでも目をほそめながらいそいそと歩道を歩いていたのだった。

―――楽しみだなぁ。

 それがけだるげに登校路を歩く僕の素直な心情だった。
 たった三日、四日、僕にはそれ以上の時間の長さを感じてはいたものの、期間が開いてしまうと、毎朝教室で戦場ヶ原に会っていたとはいえどうにもソワソワとしてくる感情があることに少々驚きながら、だからといっていつぞや八九寺にひさしぶりに会ったときのように出会いがしらに抱きついて全身に頬ずりなどしてしまった日には僕は病院と警察をはしごすることになってしまうか、あるいはもっとひどいことになってしまうことは目に見えているので、あくまで冷静に再開を果たそうと肝に銘じてもいたのだった。

 ってこれから僕が会おうと楽しみにしている女はどんな女なんだよ……
 いや、言うまでもなくそんな女だった。
 
「おはよう。羽川暦君」
「うん?」

 呼ばれなれない、しかしつい最近までなじみのあったその呼び名に、少し心臓のはねるような心地で振り返ると、そこにはちょうどいい距離感でもって、笑顔の羽川翼が、狐につままれたような表情の僕に向かって手を振っていた。

「ああ、羽川か。おはよう。今日も早いな。あと僕はお前の弟になったつもりはないぞ」
「あれ? 先週末にそんな感じの電話があったんだよね。それでまた何かややこしい事情があるんじゃないかと思って口裏を合わせておいたんだけど、もしかして余計なことしちゃったかな?」
「ああそうか。いや、電話の相手がお前でよかったよ。助かったよ」

 でなければ、下手をすれば命がなかったしな……
 僕がそうお礼を言うと、羽川は僕の隣を歩きながら軽快な口調で言葉を続けた。
 
「いいってことよ。でも関心はしないよ。よそ様の苗字を勝手に使うなんて、私の苗字だからまだいいようなものだけれど」
「いやいやよくないだろ、それだってさ。まぁとはいえ、羽川の弟になれるってんなら実のところ僕だってやぶさかじゃないんだぜ。毎日一緒に風呂に入れるしな」
「え、本当? いや、ちょっと待って、なんで阿良々木君が私の弟になったからといって、毎日一緒にお風呂に入ることになるのかな? というか、阿良々木家ってそうなの? それってちょっと問題だと思うけど」

 怪訝そうな顔で僕を問い詰める羽川だった。
 しまった。迂闊な軽口で藪をつついたようだ。

「ま、まぁそんなどこにでもある些細な文化の違いはおいておこうぜ」
「ぜんっぜん些細じゃないと思うけど!?」
「いや、別に毎日ってわけじゃねぇよ。たまにだよ、普段は僕一人で入ってるよ。あとはまれに金髪幼女と一緒に入ってるだけでさ」
「ああもうなんかいろいろおかしいところがあるけど、とりあえず心当たりもあるからいいや。とりあえずあの子たちには私のほうからちゃんと言っておかないと」
「羽川はまじめだよなぁ」
「私がまじめすぎるみたいな風に言わないでよ。この場合常軌を逸してるのは阿良々木君のほうなんだからね」

 左手でこめかみを押さえる羽川だった。
 羽川の胸の内も察することはできるのだが、ただそれに関しては、小学生をあがるまで一緒に風呂に入っていたことはあったが、中学にあがってなくなり、最近はやむにやまれぬラノベ的な理由でそういうことになった、ということだけなのだということは申し添えておきたい。
 では羽川と毎日風呂に入れるうんぬんはなんなのだといわれると、それは単なる僕の願望なので言い訳は不可能である。煩悩とはかくも抗いがたいもののようだ。

「ああもう…… そうだ」

 羽川が思い出した風にそういって続ける。
 
「そういえばさ、阿良々君。ここ数日間、少なくともこの街にはいなかったようだよね。それについてはあえて聞こうとは思わないけれど、戦場ヶ原さんにはそのことは伝えてあるの?」
「戦場ヶ原に? そういえば、昨日こっちに帰ってからメールを送ったんだけど、いまだに返事がないんだよな」

 もしかして、何かあったのだろうか?
 
「私も詳しいことはわからないけど。土日の間、戦場ヶ原さんが阿良々木君のことを探してたみたいだよ。私のところにも戦場ヶ原さんからメールで連絡が来てたし……」
「え、マジで?」

 一応、おののきちゃんが数日間留守にするということを伝えてはいたはずなんだけどな。
 そういえば妹たちにも手紙のようなものが来ていたな。たしかカタカナで
 
 ス ウ ジ ツ カ ン マ チ ヲ ア ケ ル
 
 と定規でなぞったような直線で書きなぐってあったんだった。
 火憐ちゃんと月火ちゃんが普通に納得していたからそんなもんかと思っていたが、よくよく考えるとあれってかなり胡散臭かったんじゃないか?

「もしかしたら。というか普通に考えたら、よくないかもしれない」 
「もう、しょうがないなぁ。一応私も心配しすぎないようには連絡しておいたけど、もし言ってなかったんだったら、素直にあやまらなきゃダメだよ? 何かあったら私でよかったら相談に乗るし」
「いいのかい? 羽川。ありがとう、そう言ってもらえると心強いよ」
「いいのいいの、クラスメイトの恋愛相談も委員長の仕事のうちだし」
「そこまできめ細かいケアを当然の業務だと思ってる委員長なんて羽川くらいだと思うぜ」

 とにもかくにもありがたいことには変わりはない。
 その後は僕と羽川の二人で少し朝早い通学路を世間話などをかわしながら学校へと向かったのだった。


 #
 
 
 学校につくと、教室に入って、いつもなら人けのない教室にもう来ているはずの戦場ヶ原の姿を探してみたが、意外なことに戦場ヶ原の姿はそこにはなかった。
 僕と同じく羽川もその様子を察したようだ。

「いないね、戦場ヶ原さん。彼女に限って寝坊ってことでもないと思うんだけど」
「それには僕も同意だな。なんか用事でもあったのかな?」

 結局のところ、戦場ヶ原は教室に現れるには現れたのだが、始業ベルギリギリに到着してさっさと席についてしまったので、僕のほうから話しかけることができなかった。
 とはいえ、戦場ヶ原の姿を見れて少し安心できたし同じ教室にいるわけだから昼休みにでも話をすることができると安易な予想で、とりあえず始業ベルにほど近く教室に入ってきた教師の話に耳を傾けたのだった。



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