戦場の凪がおとずれた。飛び交っていた銃弾はなりを潜め、燃えさかる建物が砂漠の上に蜃気楼を作る。ゆらゆらと歪む空間は、まさにこの世界のありようを示していて、幻覚の上に成り立っている世界を暗示しているかのように嘲笑していた。
熱とは別な要因で、他の空間が歪み始めた。青白い発光を残して、そこから金属でできた巨人が二つ現れる。他にそこにたたずんでいた赤いフォルムの巨人と合流しようと、灰色のそれらはあたりを警戒するようにして移動した。
その巨人―ASと呼ばれる兵器は、<ミスリル>という秘密軍事組織に所属するもので、第三世代型のM9〈ガーンズバック〉という。赤いフォルムの方は、M9の派生型であり、バニ・モラウタという研究者が開発したあるシステム、
『斥力Λを駆動する装置』―正式には、『オムニ・スフィア高速連鎖干渉炉』という、人間の精神波を物理的な力に変更するシステムを搭載した、ARX-8〈レーバテイン〉と呼ばれる機体である。
「……こちらウルズ2。残存する敵機はなし。この基地も空っぽのようね。ウルズ6、7、現況報告。」
無線封鎖を解除したASの一機から、緊張を感じさせない口調で連絡が飛ぶ。戦場に慣れたもの特有の言葉だ。
「こちらウルズ6。まったくねーよ、姐さん。」
「ウルズ7だ。こちらのレーダーで把握できる限り、大丈夫だ。」
狙撃砲を構えるASと、赤いASから連絡の返事が来る。二機は連絡をとりつつ同時に背を向けながら辺りを警戒し、ブレードアンテナを装着したASのもとへと向かう。
「ここでも大した情報は得られなかったわね…いったいどういうこと?」
ウルズ2は〈アマルガム〉の執拗なまでの隠匿性に驚愕しながらそう言った。これまで4度強襲を行っているのに、未だに具体的成果が上がらないことはこれまでマオが参加した作戦ではなかったことだ。
「やっぱ、テッサの言ってた…えーと、なんだっけ…『高機能のノード』とかいう…つまりだ、ボスキャラがいなくて中ボスばっかっていう組織だからじゃねーのか?」
ウルズ6がよく分かっていない単語を用いながらそう話す。
「その議論は後回しね。まずはこの場から脱出しないと…今、ゲーボ4に連絡を入れたから、数分以内にヘリが来るわ。さっさと乗って、ダナンに帰還するよ」
「了解」
そう言ってマオは、ヘリパイであるゲーボ4を呼び出す。だが、無機質なノイズが耳障りな音をたてているだけだった。無線機はしっかりつながる範囲で動作しているはずなのに、なぜか交信できない。得体の知れない不安が増幅するなか、砂漠の上にたたずむ三巨人に、煌々たる太陽の光が降り注いでいた。
-強襲揚陸潜水艦〈トゥアハー・デ・ダナン〉-
あわただしい空気のなか、クルーが急いでキーを叩く音が響く。その横で、艦長席を立った少女が慌てた様子で中年男性の将校と話をしている。
「米軍の大陸間弾道弾の発射時間が大幅に変更された模様です。実験目標座標は例の基地です」
中年男性―リチャード・マデューカス中佐は、少し顔を青ざめさせながら報告する。3分前、作戦行動中の基地を座標に核弾頭ミサイルの爆発実験を行うとの連絡が来たことが、今の騒然たる艦内の原因だ。ミサイル実験は、ソ連の水爆実験に対抗して行われるもので、大気圏から難しいコースを多弾頭でねらい打つものだ。
「それって…サガラさんたちが危ないじゃないですか!すぐに迎えを送って下さい!」
半分悲鳴のような声を上げて、艦長のテッサが叫ぶ。
「無理です。こちらの解析も遅れたのですが、発射はあと数分なのです。今からヘリを送っても、爆発に巻き込まれるのは確実です。むしろ待機中のヘリを呼び戻さなければなりません」
マデューカスがそう伝えると同時に、通信士がヘリを呼び戻す。犠牲者を少なくするためにも、急いで退避させなければならなかった。助けに向かわせたいが、それそのものを助けなければならないパラドックス。
「……分かりました。では、発射が予想されるミサイルは?」
艦長席に悲しみをこらえて座ったテッサがそう言う。握られた拳はわなわな震えていたが、どこか毅然としているところが、将たる器なのだとマデューカスは思った。
「かなり旧式のサイロからの発射です。トライデント――MIRV弾頭かと」
データを分析していた男がそう語る。少し考えた素振りを見せたテッサは、一度閉じた目を再び開いた。
「分かったわ。では垂直発射セル1番・2番・3番にSM-3を装填。これより本艦は浮上し、実験核ミサイル迎撃措置をとります。」
有無を言わせぬ口調でテッサは言った。〈デ・ダナン〉には、ありとあらゆる状況に応じて作戦を行えるように、いろいろな兵装が用意されている。例えば、今挙げたSM-3――対空ミサイルや、ハープーンといった対艦ミサイル、マブロックといった対潜ミサイルなど、地空海どの戦域にも対応できるように準備されている。そして、SM-3とはミサイル防衛における迎撃ミサイルのことでもある。
「ミサイル発射予定時刻は?」
艦長席に座ったテッサが言う。
「あと227秒です。ですが、艦長。米領海内の浮上は非常に危険が……」
「分かっています」
マデューカスが言ったのは、浮上の危険性の危惧だった。トイ・ボックスと米海軍に呼ばれ、研究されてきたデ・ダナンは、今や米海軍の追尾対象であり、浮上することは非常に危険であった。
「でも、サガラさんたちが死んでしまっては、この後の作戦も遂行できないでしょう?」
浮上することの危険性、それは艦長のテッサが一番よく分かっていた。再潜行までの準備時間、隠蔽できない情報。潜水艦は浮上してしまえば、監視衛星というものに補足される。妨害はするが、完全に秘匿できるとは限らない。その情報からは、デ・ダナンの弱点が判明するかもしれない。あらゆることが不利にはたらく。
「分かりました。前進、3分の1、アップトリム5度!潜望鏡深度まで浮上」
マデューカスは、それ以上いうことなく命令を復唱した。テッサは、やるといったらやる。そういう思い切りのよさは、戦場ではプラスにはたらくことが多い。
「前進、3分の1」
「火気管制。装填完了までの時間知らせ!」
「FCO。あと32秒」
「ソナー。周囲に潜水艦及び水上艦のキャピテーション・ノイズは確認できるか?」
「ソナー。確認できません」
マデューカスと各員の間で密なやりとりが繰り返される。
「艦長、安全確認できました」
安全を確認したマデューカスがそう告げる。ありとあらゆる情報が、一応の安全を示している。
「では、フローティーク・アンテナを射出。まずゲーボ4に退避命令。その後にウルズ2との交信を開いてください。」
艦長の命令が伝わり、艦からアンテナが伸びる。ミサイル発射まで、あと150秒―無情なまでに短い時間が、モニターに映し出されていた。
「それで、さっきから連絡が取れなかったわけね」
ため息混じりにマオは言った。
「ごめんなさい、メリッサ」
テッサが申し訳なさそうに謝る。今から核ミサイルが飛んでくるというのだ。どんな謝罪も意味がないだろうが、それでもテッサは言った。
「大丈夫よ。まだこっちに核ミサイルが飛んでくるって決まった訳じゃないし、私たちにもやるべきことは残ってるしね」
マオはそう言いながら、モニターとにらめっこしてミサイルの迎撃シミュレーションをしている。
「テッサ、もし撃ち漏らしたら、最速でデータを送ってちょうだい」
「メリッサ、一体何をする気なんですか?」
「もちろん迎撃準備よ。野郎ども、準備はいい?」
困惑するテッサをよそに、マオは部下二人に声をかける。
「オッケーだ。今狙撃体勢に入った。ミサイル発射後、8秒で迎撃態勢に入れるぜ、姐さん」
「こちらウルズ7。最終防衛ラインについた」
交信越しに、マオ、宗介、クルツが絶望していないことがテッサにもはっきりと分かった。これまでも幾多とあった困難をくぐり抜けてきた三人だ。今回も、きっとくぐり抜けるのではないか、いや、私たちが彼らを留めてみせる―テッサはそう思った。
「艦長、ミサイル発射まであと50秒です」
マデューカスがテッサに告げる。
「では浮上します。すべての対電磁迷彩システムを最大効力」
「アイ・マム。ECCS最大効力。」
最大出力でECSに対抗するためのあらゆる電子装備が活性化する。浮上したデ・ダナンはその巨体を踊らせ、水しぶきを上げながら鯨のように海上に現れた。
「FCO。迎撃ミサイル発射シークエンス第三段階終了。第四段階開始」
「ミサイル基地の発射管開きました。ミサイル、レーダーにかかりました」
「監視対象アルファを敵に変更。全ての安全装置を解除。」
「安全装置解除」
モニターに映る黄色いマーカーが、赤色に変更される。微かな緊張感がブリッジに漂い、一刻一刻が時の砂となって流れていく。
「カウントダウン開始」
「誘導システムを活性化。発射シークエンス最終段階」
「ten, eight, six…」
カウントダウンを読み上げるAI〈ダーナ〉の合成音声が響き渡る。
「four, two, zero」
ゼロアワーが訪れると同時に、レーダー上に輝点が付いた。発射されたミサイルは凄まじい速度で上昇する。ブースト・フェイズに入ったところで、デ・ダナンのレーダーがECSを発動させたミサイルを完全捕捉(ロックオン)した。
「1番から3番の発射管扉を開放」
「1番から3番の発射管扉を開け」
「1番から3番開きます」
艦長、副長、FCOの順に命令が伝搬する。
「SM-3、全システム問題ありません」
「1番から3番発射」
「1番から3番撃て」
「発射します。」
同様に命令が伝搬され、開かれた潜水艦の発射扉から轟音を上げてミサイルが飛び出す。すぐに音速に達したミサイルは、そのまま核ミサイルを追尾した。
モニターに映し出された核ミサイルは、ミッドコース・フェイズに突入する目前で、輝点が二つに分かれた。一方を3本のSM-3が直撃し、その輝点は消えたが、もう一方は自由落下のコースで落ちてきている。
「……!?」
命中率の低いミサイルがしっかりと核ミサイルを打ち落としたが、何かがそのミサイルから脱落した。そのまま落下していくだけのように思われたその物体は、何か意志があるかのように軌道を修正している。ブリッジ中が困惑する中、そのミサイルは自由落下で加速しながら、徐々に角度を変化させ――巡航体制に入った。
「こ、これって……新型ミサイル!?」
「MaRV弾頭とは……」
即時にデ・ダナンから情報を得たマオは、即座に戦闘態勢(バトル・フェイズ)に入った。
「〈アマルガム〉の罠だった、って訳ね。いいわ、やってやろうじゃないの」
最も優れた電子装備をもつマオが、クルツ、宗介に情報を伝える。
「こちらウルズ6!ミサイルだろうがなんだろうが、狙い打ってやるぜ!」
狙撃体勢に入ったクルツが、レーダーの輝点であるミサイルを待つ。
「ウルズ7だ。クルツ、信頼しているぞ」
「誰に言ってんだ、タコ!」
軽口を言いながら、クルツは待つ。精密な射撃、それに必要な緊張状態を求める。
《警告。目標接近中。接敵まであと18秒。》
クルツ機のAIであるユーカリが告げる。その一方、宗介と宗介機のAIアルも独特のコミュニケーションを始める。
《軍曹。音楽でもかけましょうか》
「かけるな。」
《了解。しかし軍曹、過度の緊張はよくありません》
「俺は緊張などしていない」
《こうなった以上、神に祈るのみです》
「俺は無神論者だ。第一、機械が神に祈るというのはナンセンスだ」
そういうやりとりが続く間にも、核ミサイルは接近してきている。
《確実な照準です》
モニターにも点のようにして現れたミサイルをロックオンしてユーカリが告げる。
(まだだ……)
バイラテラル角を最小設定にし、風向きを考慮し、クルツは―僅かにコンピュータが示した照準とは右側に撃った。
狙撃砲が火を吹き、砲弾が空を切る。クルツの脳裏にぴったりあった軌道を描き―神のいたずらか、ミサイルの左方を突き抜けた。
「ちぃっ」
次弾を放とうとしたクルツの前に、宗介が飛び立つ。ゆるやかに空を切り、しっかりと大地を踏みしめる。クルツ機・マオ機をかばうようにして、ミサイルの前に立ちはだかった。
「クルツ、下がれ!」
《ラムダ・ドライバの完全駆動を確認。カウント開始、5。3、2……》
正面スクリーンにミサイルが飛び込んでくる。パシフィック・クリサリス号の時に魚雷を迎撃したときと同様、完璧にムードやテンポを合わせてカウントする。
宗介は大きく息を吸った。
「いま!」
揺るぎない拳が、ミサイルにぶちあたる。同時に発した青い閃光が、何もかもかき消すようにして、凄まじい爆発を包み込んで飛散した。
「反応消失っ……核爆発の反応、コンマ3秒検出し、消失っ!」
疑うような観測結果を読み上げ、振り向いたレーダー管制官は既に困惑しきった顔をしている。
「艦長、こ、これは……」
「……」
いたって冷静なマデューカスさえも、この現象には驚きを露わにした。この状況を説明できる人間などそこにはおらず、ただ冷え切った空気のみが時間の残滓の面影を示していた。