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[38235] 【習作】恋姫・偽史~微妙な人の転生話~
Name: 羽市◆b131e28e ID:9a9fd995
Date: 2013/08/10 20:06
初めまして、羽市といいます。

この作品はかつて『にじファン』で連載していたものですが、サイト閉鎖に伴い、筆を止めていたものです。

ですが、皆様から温かいお言葉を頂いたり、書くという行為が気分転換になることに気付いたり、やはり恋姫や三国志が好きだったりするので、この場を借りて書いていきたいと思います。

お付き合い頂ければ幸いです。



[38235] 1 洛陽の日々
Name: 羽市◆b131e28e ID:9a9fd995
Date: 2013/08/10 20:04
 後漢の首都、洛陽。
 政務に関心を持たない皇帝、外戚と宦官の権力争い、私欲に走る官吏、疲弊した国土、怨嗟を胸に抱く民。
 そうした問題を抱えつつも、大多数の者は、漢王朝の世がこのまま続くと考えていた……。

 洛陽にある大学の図書室で一人、青年は机に書物を何冊も広げ、紙に書き写していた。
 年の頃は十代の後半といったところか。長身ではあるが武人ほど鍛えられている訳ではない身体。平凡な顔立ちに茶色の髪。都の何処にでもいるような青年である。
「相変わらず、陰険そうな顔をしてるわね、伯業」
「……せめて、相変わらず真面目な顔をしてる、と言ってくれませんか? 孟徳さん」
「御免なさいね。私は世辞は言えない質なのよ」
 そう言いながら、曹操は冷ややかな笑いを浮かべていた。
 流石『治世の能臣、乱世の奸雄』である。曹操は青年より年下であるが、青年にはない風格を漂わせている。
「けど、折角学生という学べる身でありながら、そういった姿勢が見えない連中よりはましかもね。何処かの馬鹿女とか派手好きの高飛車女とか悪趣味の勘違い女とか」
「貴女が誰のことを言っているのか、おおよそ想像は付きますが、彼女は机で書物に注釈をつけるよりも別に学ぶことがあるんですよ」
 従妹の高笑いを思い浮かべながら、伯業と呼ばれた青年は苦笑いを浮かべた。
「政治にしろ軍事にしろ、彼女の立場では自ら思案する必要はありません。配下の意見を聞く耳と、人を見る目。その二つが備わっていれば問題ないわけですから」
「上に立つ者の一つの形ではあるわね。で、麗羽にその素質は備わっているのかしら」
 目の前に立つ曹操の口調は、明らかに青年の従妹にその素質はないと語っている。
 だが、青年は直接には彼女の質問には答えなかった。
「上に立つ者には二つの形があります。先ほど言ったような形の代表は高祖であり、自らが優れた政治家であり将軍である形の代表といえば光武帝です。貴女は明らかに後者ですね」
 目の前に立つ小柄な女性、曹操とはよく大学内で会うことが多かった。
 それは二人とも貪欲に何かを学ぼうという姿勢の現れでもある。
 それだけなら問題はないのだが、曹操は青年の姿を見かける度、こうして話しかけてくるのだ、挑発的に。
 単なる嫌みか気まぐれか、或いは何か思惑があるのだろうか。
 曹操、字は孟徳。青年の従妹である袁紹の友人である。
 曹孟徳と袁本初、この二人は何かにつけて張り合っている。決して仲が悪い訳ではないのだが、互いに意識しあっていることは青年も理解していた。 
 いや、それ以前に青年は、この二人か後年覇業を賭けて激突するという事実を知っているのだから。

 青年の名は袁遺、字は伯業、真名は恭介という。
 彼は幼くして両親を失ったが、漢王朝屈指の名門である袁一族に連なる者として、不自由のない生活を送っていた。両親を亡くした後は、叔母である袁隗の元に引き取られ、幼少の頃から書に親しみ、武芸に励み、自身を磨くことを欠かさなかった。
 当たり前である。
 何せ、今後世が乱れることを知っているのだから。
 最初は夢かと思った。
 それまで日本で普通に大学生をやっていた自分が、目が覚めると赤ん坊になっていたのだから。無論、そんなことを言っても誰も信じないだろう。
 そもそも自分だって信じない。
 荘子の有名な説話として、胡蝶の夢、というのが知られている。自分が夢を見て蝶になったのか、あるいは蝶が夢を見ているのが自分なのか、というヤツである。
 恭介には自分が夢を見ているのか、それとも日本で過ごしていた日々が夢だったのか、それは分からない。ただ一つ言えるのは、夢だと思っていたこの古代中国の生活がもう二十年も続いているということだ。
 それにしても、何故に曹操がこんなちんちくりんな金髪少女なんだ……。
 恭介が知っている曹操と、目の前に立つ曹操。
 背が低い、才気と野心に満ちている、という点ではイメージ通りなのだが、何故か性別が女性であるのだ。尤もそれを言えば、従妹の袁紹も袁術も、大将軍である何進も女性であるのだが。
 それに『真名』という存在も聞いたことがない。
 恭介は高校時代は世界史を学んだし、大多数の男子と同様に、日本では戦国時代、中国では三国時代の知識は豊富に持ち合わせていたが、『真名』などというものがあることに関しては全く記憶にない。
 『真名』とは、本人が心を許した証として呼ぶことを許した名前であり、許可無く『真名』を呼ぼうものなら、その場で叩き殺されても文句は言えないほどの無礼に当たるそうだ。恭介が真名を知る人物は、袁隗や袁紹といった一族と、ほんの僅かな友人達だけである。
 因みに恭介の真名は、彼が日本で過ごしていたときの名前そのままであった。そのせいか、どうも他の者に較べると、真名に関する認識が薄い。  
 と恭介が考え込んでいる間、曹操は俊介が机の上に広げた書物を勝手に手に取り捲っていた。
「農業書に土木書。こっちは韓非子と地方からの耕作の報告書。随分と手広く読んでいるのね」
「先ほど孟徳殿が仰ったように、学べる身である内に多くの事を吸収しておかねばなりませんから。こうして大学の書庫で本を読むような贅沢が許されるのはあと僅かだですから」
「『蒼天已に死す』。反乱の治まる気運がないものね。今までと違って、一つを鎮圧しても次から次へと反乱が起きている。つまり集団的な、本気で漢王朝を倒そうと考えている者がいると?」
「ええ。民衆が蜂起するのは政治に問題があるからです。少しでも歴史を知っていれば自明のことですがね」
「そのことは司徒である叔母様にお話ししているのかしら? 今の朝臣と宦官、外戚の醜い権力争いこそ、反乱の原因であり、漢王朝の危機であると? 代々三公に就いている袁家には、今の腐敗しきった朝廷に対して責任があるのでなくて?」
「叔母は理想より現実を優先する人ですから。現状では、まず反乱の鎮圧を優先するでしょうね。それに、過去朝廷の腐敗を改めようとした方々は、宦官によって粛正されていますから」  曹操は皮肉そうに笑った。
「確かにね。それで現在の袁家は宦官と表だった対立はせずに政権の中心に居座っている訳ね。宦官の孫としては、将来的にもそうあってほしいものだけど」
「大きな話は自分には分かりませんが、少なくとも孟徳殿と争う事態は避けたいですね」
「そうね。私も無駄な争いは起こしたくはないわ。貴男が我が覇道の前に立たなければね」
「覇道ですか……。流石、『乱世の奸雄』は仰ることが違いますね」
 暫し、二人の目線がぶつかり合う。
「まあいいわ。精々学んでおくことね。でないと、あの勘違い女の補佐など出来ないでしょうからね」
 そう言うと、曹操は図書室から出て行った。
 途端、恭介は溜息を吐く。
 金髪少女が放つ覇気は流石に英雄というべきか、恭介は自然と疲労を感じていた。
「……はあ。将来はあの人と戦う可能性が高いんだよねえ」
 その時、自分は生き延びることが出来るのか。いや、それ以前にこの後に起こる戦乱の時代を乗り越えられるのか。
 曹操や袁紹といった有名な武将は兎も角、今の自分、即ち袁遺という人物が今後どのような道を進むのか、恭介の知識に思い当たる節はない。
 その不安が恭介を学ぶことに駆り立てる。

 なお、後年曹操は、「大人になってもよく勤めて学んでいる者は、自分と袁伯業だけだ」との言葉を残している。



[38235] 2 友
Name: 羽市◆b131e28e ID:9a9fd995
Date: 2013/08/10 20:08
「黄巾族の勢いはいよいよ盛んだというが、このまま漢王朝を飲み込むと思うかい?」
「いや。黄巾族には、確固たる指導者がいない。それに彼等が行っていることは、自分達より弱い者への暴力と略奪だ。遠からず鎮圧される。ようやく朝廷も事態の重大さに気付いたみたいでね」
「へえ。いよいよ朝廷も本腰を入れて、賊徒討伐に乗り出すというわけかい、恭介?」
「ああ。既に各地に官軍を送る準備をしている」
 そこで恭介と酒を酌み交わしていた人物は薄ら笑いを浮かべた。
「それで僕を訊ねてきたという訳か。些か打算的過ぎると言わざるを得ないね」
「少しでも生き残る確率を上げるためだよ、翼《よく》」
 恭介の知るところ、目の前でだらしなく寝そべりながら酒を飲んでいる女性ほど、軍略に優れた人物はいない。
 法正。字は孝直。真名は翼。恭介と同じ大学で学ぶ学生である。
 短くまとめた黒髪がよく似合う中性的な顔立ち。女から見れば美青年に見え、男からは美少女に見えるだろう。
 その知謀の高さと性格の悪さは大学一だろうと、恭介は見ている。
 特に駒を兵士に見立てて競う(日本でいうところの将棋みたいなものか)机上演習において、大学で彼女に適う相手はいない。或いは曹操ならいい勝負になるかも知れないが、翼は曹操が苦手らしく彼女を避け続けているので、どちらが優れた軍略家なのかは分からない。
 翼曰く、「あの人はどうも危険な香りがする、性的な意味で」らしい。
 初めて大学で名を聞いたときは、法正といえば益州に居るべきだろうとか、年代的に違うんじゃないかといった疑問も抱いたが、どうもこの世界は、恭介の知る三国志と色々と差異が生じているようだ。
 まあ、曹操や袁紹が女性である段階で、大抵の違いには驚かなくなっているのだが。
 史実での法正は軍略に優れた反面、狭量な人格であったと伝えられている。恭介の見るところ、今の法正は無口で人付き合いを避けており、数少ない友人に対しては皮肉屋で毒舌家な一面を見せるだけで、少なくとも権力を笠に着て人を陥れるような性格ではない。
 もっとも、今後数十年、その才能を発揮する場が与えられないと、史実のような法正になる可能性は充分にあるが。
 幸い、今の自分はこの気難しい友人の才能を発揮する場を提供できるし、察しの良い友人も今夜の来訪の意味を察しているようだ。
「しかし、君が戦場に立つ姿は想像できないね。常々言っていたじゃないか、自分は大学の書庫で生涯を過ごしたい。出来れば司馬遷や班彪《はんひょう》のように、後世に残るような史書を残したいと」
「その思いは今も変わらないし、自分が軍事に向いているとは思えないんだが、叔母直々の命でね。養って貰っている身としては断れる立場にない。そこで……」
 恭介は身を乗り出して、椅子に寝そべっている友人の目を見た。
「是非、君に一緒に来て貰いたい」

 法正の恭介に対する第一印象は、「地味」の一言につきる。
 三年前、初めて大学で彼を見かけてときは、隣を歩く袁紹の従者かと思ったほどだ。嫡流ではないとはいえ、袁一族である。良くも悪くも袁一族は人目を惹く容姿や立ち振る舞いが見えるのだが(袁紹など正にその代表であろう)、恭介にはそうした姿がまるでない。自分と同じ十代であるにも関わらず、世代が一回りは違うような落ち着きを自然と身につけていた。
 つい興味があり、机上演習を申し込んだのは法正の方からであった。結果は自分の勝利であったが、恭介はこちらの誘いには全く乗らず、辛勝であった。その後も法正は度々恭介と机上演習を行い、大半は勝利を収めたが、伏兵や陽動、偽退却といった計略には殆ど釣られることはなかった。逆にこちらが拙い手を打つと、必ずその手から攻勢を掛け、勝利をものにする。
それだけ落ち着いて場を見ているということだろう。
軍略的才能というのは後学ではなく、持って生まれたものだと法正は思っている。勿論、努力と研鑽によってある一定の基準までは向上するが、それだけでは歴史に名を残すような軍師にはなれないだろう。
法正は、自分の軍略に関しては自信を持っていたが、人の好き嫌いが激しい上、一から十まで説明してければならないような輩など相手にしたくないので、果たして自分の軍才を活かせるような主君・上官に恵まれるかは疑問であった。
その点で言えば、目の前の友人は、極めて希有な存在であろう。
世間的には真面目な青年にしか見えない恭介だが、法正の皮肉や毒舌を受け止め、稀に彼女すら口にしないような毒を吐く一面も持ち合わせているのだから。
 あれはいつの日だったか、大学の生徒達が集まり盛んに宦官の害について熱く語り合っているとき、恭介はその輪から離れたところで一人書物に目を通していたことがあった。
「君は袁家の人間だ。皆の主張に賛同する所が多いのではないのかい?」
 そう尋ねると、
「口で言うなら誰でも出来る。問題はそれを実行できる勇気があるかどうかだ。そもそも宦官が宮廷でこれ程強大になったのは、皇帝が外戚を排除する際、官吏の類が全く役に立たなかったからだ。だが、宦官達は皇帝の意志を行動に移して外戚を排除してきた。玉なしと腐れ儒者、どちらがましだと思う?」
 小声ではあるが、明瞭な口調でそう言い放った。
 友人の言葉に法正は驚いた。世の学生達は、宦官は悪であり、自分たちや先人の官吏こそが正義であるという考えであるのに、恭介は違うようだ。
「宦官も用い方によって益をもたらすこともあれば害を及ぼすこともある。要は上に立つ御方しだいさ」
 恭介の言葉は、下手をすれば皇帝への批判に当たる。確かに同意できる意見ではあるが、それを口にするとは……。
 法正は、彼女にしては珍しくありのままに呟いた
「……君の口からそんな言葉が出るとは思わなかったよ」
「そうだね。どうやら友人の毒舌に感化されてしまったみたいだ」
 そう言って笑う恭介は普段の温厚な表情そのものだった。
 恭介は穏和で寛容で思慮深いが、それだけの人物ではない。
 彼なら、自分の才を活用してくれるのだろうか?
「恭介が配属されるのは、やはり袁紹の軍かい?」
「ああ。総大将が本初様。将軍に顔良と文醜が付く。だが、問題は軍師がいないことだ」
「その役目が恭介なんだろう?」
「まあな。たが、僕の軍才は良く言って中の上だ。反乱軍相手に不覚はとらないだろうが、被害も大きいだろうし、戦いに万が一はつき物だからね。それに当代随一の軍略の持ち主が身近にいるのだから、参加を願うのは当たり前だろう。それに君ほどの軍才の持ち主だ、いずれ何処かの将軍に声を掛けられるのは必須だよ。なら、うちの軍に来てくれれば僕も色々手助けが出来るし」
 法正はようやく起き上がると、恭介の顔を正面から見据えた。
 そして恭介に良く見せる、何か含んだような笑顔を向ける。
「僕は戦乱を避けて益州にでも移住しようと考えていた。その僕を懐柔しようとしてるんだ。もう少し素直で、僕の心に届くような言葉が欲しいと思うのは僕の我が儘かい?」
「……つまりだ。翼、君は自分にとって大切な友人なんだ。……これからやって来るかもしれない戦乱の時代、一度遠くに離れてしまえば、次に会える保証なんてない。だから、その……側にいてくれると、……俺も……、いや、俺が楽しい。だから一緒に来て欲しい」
 恭介が言葉を詰まらせ、それでも何か気の利いたことを言うとしているが空回りしている姿を見ていると、もっと困らせてやりたいと思うのは、やはり自分の性格に問題があるのだろうか?
 だが、恭介の言葉は、確かに心に届いた。
「分かった。こちらこそ、よろしく頼むよ」
 しかし、男女二人、真名で呼び合っているのに、話題が政治や軍事に関することばかりとは、色気ないことこの上ない。
 法正はそう自嘲した。

 後年、法正は「僕は知恵の立つ者だが、恭介の思慮深さには及ばない」と語ったという。



[38235] 3 袁家の人達
Name: 羽市◆b131e28e ID:9a9fd995
Date: 2013/08/11 12:17
「恭介さん! まだ出陣の準備は終わりませんの!」
「申し訳ありません、麗羽様。来週には出陣できるかと」
「遅いですわ! 孟徳さんは昨日出陣したじゃありませんの! 同じ日に賊軍討伐の命を受け
たにも関わらず、私があの小娘に後れを取るなど屈辱以外の何者でもありませんわ!」
 広大な屋敷の豪華な一室で、屋敷の主である袁紹は恭介に当たり散らしていた。
 どうも袁紹は曹操に対抗意識を持っているらしく、曹操に遅れを取っている現状が不満で仕方
ないらしい。
「はあ、申し訳ございません」
「何ですの? そのやる気のなさそうな顔は! 主将たる私の命なのですよ! もっと必死な顔
で働くべきではなくて!?」
「これは地顔ですから……。それに曹操軍と我が軍では兵数も違えば目的地も違いますから」
 曹操は予州での黄巾族へ、袁紹は冀州での黄巾族への討伐の命を受けている。
「麗羽様が率いる部隊は強兵であるのは勿論、優雅かつ華麗な部隊でなければなりません。麗羽様に相応しい部隊を作り上げるにはどうしても時間がかかるのです。今しばらくお待ち頂けないでしょうか?」
「……確かに、貧相な姿で慌てて出陣するのは、私には似合いませんわね」
 恭介の言葉に麗羽は少し落ち着いたようで椅子に座り直した。
 袁紹、字は本初。真名は麗羽。
 曹操と同じ金髪であるが、背は曹操よりはるかに高い。いかにも気の強いお嬢様、といった風貌の持ち主である。
 だが、それは悪いことではない。
 この時代は、人を評価するのに、外見というのも重視されていた。
 心の豊かさが外見にも表れる、ということなのだろうか。整った容姿、堂々とした体躯、或いは異相でもよい。常人とは違う姿の者はそれだけで評価されるのである。
 よって袁紹も、威厳がある人として評価されている。
「で、出陣の準備で忙しい身の恭介さんが、一体私に何の用ですの?」
「はい。昨日までの部隊編成の報告と、冀州での黄巾族の勢力についての報告書をお持ちいたしました。本日中までに目を通して頂くようお願い申し上げます」
「またですの。昨日も一昨日も同じような報告書を持ってきましたわね?」
「主将には最低限把握しておかなければならない情報です、麗羽様」
「……仕方ありませんね。ですが、軍を編成するのにはこれ程お金がかかるものですの?」
「一級の装備品を揃えましたから。軍を編成し、戦を起こすという行為は、莫大な消費
行動です。ですから、失敗は許されませんし、そもそもみだりに兵を起こすべきではない。それが為政者たる者の心得かと」
「おっしゃっていることは何となく分かりますけど、なんだが恭介さん、最近一段と難しいお話が多くなってませんこと? まるで田豊翁のようですわ」
「偶々機会があったのでご説明しただけです。それに田豊翁なら自分と違い何時間でも語りますよ」
 袁家随一の軍師である田豊は、病により体調を崩しており、この度の出兵には参加できない。 その為に袁隗《えんかい》が、
「麗羽にも一軍を率いさせましょう。軍師は恭介でいいでしょう」
 などと発言し、軍師に任命されてしまった。
 尤も恭介は己の軍略の才には見切りをつけているので、友人である法正に泣きつき、参軍してもらうこととなったのだが。
 今回の出兵の目的は勿論、黄巾の乱の鎮圧にある。だが、遠からず黄巾の乱が鎮圧されることを知っている恭介にとっては、戦よりも重大な目的が二つある。
 一つは、袁紹の教育である。
 今までの流れが続く限り、恭介は袁紹と動きを共にする可能性が高い。それは即ち『官渡の戦い』で曹操に破れ、滅亡するということだ。
 『官渡の戦い』でも、或いはそれ以前にも、袁紹は曹操を倒す機会は何度もあった。そもそも、曹操は袁紹の支援があったからこそ、群雄の一人に成り得たのだから。
 つまり、袁紹が曹操に勝利する為には、袁紹に曹操を倒す機会が訪れた際に、進言を取り上げてもらう信頼感と、進言を理解してくれる思考を備えてもらえねばならない。
 今のところ恭介と袁紹の関係は良好といってよい。幼いときから見知っている従兄妹同士というのも理由だろうが、真名で呼び合うということは、それなりの信頼を得ているといっていいだろう。
 自分の知識としてある袁紹。
 そして、共に生活してきた麗羽。
 この二つを合わせて考えて見ると、勇気があり、自己顕示の欲が強く、直言を嫌うという姿が見えてくる。
 また、猜疑心が強く、一部の人間しか信じないという一面も持ち合わせている。これは彼女が育った環境も関係してくるのだろうが。
「はあ。恭介さんは昔から大人ぶっていましたが、最近はもう老人みたいですわよ。いっそ田舎に隠居して塾でも開いたらどうですの? お金なら私が用意してあげますわよ」
「平和な世が来たらそうします。ところで、これから袁隗様の屋敷を訪ねるのですが」
「叔母上のところへ?」
「はい。よろしければ麗羽様もご一緒いたしませんか?」
「……結構ですわ。私は恭介さんから押し付けられた報告書に目を通すのに手一杯ですから」
 そう言った袁紹の顔は、どことなく不機嫌そうであった。
 やはりこの話題を持ち出したのは失敗だったか。
 恭介は一礼すると、袁紹の執務室から退室した。

 厩舎に向かうと、二人の将軍の姿が見えた。
「お疲れ様です、恭介様」
「アニキー、おつかれー」
 袁家が誇る武の二大看板、顔良と文醜である。
「麗羽様のご機嫌はいかがでしたか?」
「たった今、自分が損ねてしまいました」
「ったく、アニキは女心が分からないからな。また余計な事を姫に言ったんだろ?」
 文醜はゲラゲラと笑った。
「もう、文ちゃん。そんな率直に言ったら駄目よ」
 顔良は文醜を窘めるが、文醜と同意見らしい。
「だいだいアニキはジジくさいんだよ。姫のハートを掴むには、もっと甘い言葉を連発しなくちゃ駄目だぜ。第一、手ぶらでいくなんて論外だよ、論外」
「手ぶらじゃないですよ、ちゃんと報告書を持参しました」
「だから不機嫌になるんじゃなん? たまには花束とか指輪でも持参しろよ」
「猪々子さんはいったい何を言いたいんでしょう。斗詩さん、通訳をお願いしてもよろしいですか?」
「えっ? なんで私に振るんですか?」
「だって、斗詩さんは猪々子さんの保護者でしょう?」
 恭介の発言に顔良と文醜は同時に首を振る。
「違いますよ」
「そうだそうだ! アタイと斗詩は恋人同士だぞ!」
「それも違うから!」
 顔良と文醜の応酬を微笑ましい気分で見ながら、未だに恭介は信じられない思いがした。 
 曹操や袁紹が女性だと知ったときも驚いたが、顔良と文醜も女性、しかも美少女であるとは予想もしていなかった。
 斗詩と呼ばれている女性は顔良。黒髪のおかっぱがよく似合う癒しの美少女であり、袁家で結婚したい女性第一位、という噂である。
 猪々子と呼ばれたのは文醜。短く切りそろえた青髪と元気ハツラツとした美少女であり、彼女にしたい女性第一位である、但し女子からだが。
 恭介の頭の中では、顔良と文醜は武勇に優れた化け物じみた大男という想像をしていたので、初めて顔を会わせた際は飲んでいた茶を噴き出すという失態を演じてしまった。
 尤も、その初対面の滑稽さから親しみを抱かれ、こうして真名で呼び合える仲になったのだから、怪我の功名というべきか。
 二人とも美少女であり性格もよし。恭介に主人公補正があればハーレム状態に持ち込めるかもしれないが、悲しいかな、今のところ微塵も無い。
 現在編成している軍では、顔良には歩兵を、文醜には騎兵の指揮を委ねている。二人は過去に何度も盗賊退治の任に就いており、豊富な実戦経験を持っているので、この度の戦いでは自分より余程活躍してくれるだろう。
「で、アタイたちが出陣前の準備で忙しい中、アニキはどこに遊びに行くんだよ」
 顔良に向けていた視線を恭介に移して尋ねてくる文醜。
「袁隗様にお金の無心をお願いしにいくんです。何でしたら変わりましょうか?」
「イヤイヤイヤ、そんな大役アタイ達には無理ですから」
 文醜は大げさに手を振ると、顔良の背中に隠れた。
「ところで斗詩さん。軍の編成の進み具合はいかがですか?」
「全部隊の編成は完了いたしました。訓練に関しましてもほぼ完全です。問題は実戦でどこまで力を発揮できるかという点かと」
「袁家の私兵を中心に編成したとはいえ、にわか作りの官軍ですからね。そこは実戦で指揮を取るお二人に期待させて頂きます」
「はい、微力を尽くします」
「おう、任せときな」
 恭介の言葉に、実に対照的な返事をする二人であった。

 袁隗と袁紹は別々に屋敷を構えている。
 袁隗の屋敷は、袁紹の屋敷ほど派手ではないが広大という点では変わりない。
 恭介が来意を伝えると、直ぐに袁隗の元へ通された。
 袁隗、字は次陽。袁家宗主に相応しい金髪と美貌の持ち主。 
 恭介と袁紹の叔母であり、袁術の母であり、朝廷の司徒を務める女性。
 司徒は三公と呼ばれる朝廷の最高位であり、農業や財政の責任者である。
 つまり、現在の王朝の混迷の責任は彼女にもあるというわけだ。
 だが、世間はそう見ておらず、数少ない朝廷の善意の人であるという評価を得ている。
(そんな訳があるか)
 身内であるだけに、叔母がそのような簡単な人物ではないと恭介は思っている。
 そもそも袁隗が魑魅魍魎の渦巻く宮中において長く重職に留まっているのも、宦官と上手く付き合っているからであり、その一方では宦官により排除された清流派を自称する士大夫達を登用して彼等に恩を売り、自己の勢力を拡大している。
 叔母がどういった思想を持ち、何を目指して動いているのか、恭介には検討がつかない。だが、叔母は一族の長であり、自分は彼女の命に逆らう立場にはない。
 恭介も袁紹も既に親を亡くしており、袁隗が親代わりとなっていた。
「それで、今日は何の用かしら?」
「先日お願いした件の催促にまいりました」
 袁隗は呆れたような口ぶりで、
「恭介、貴方の要望書は読ませてもらったわ。しかし、求める資金も兵糧も桁が違うのでなくて? これは十万の軍勢を動かすのに必要な物資だわ。今回麗羽が率いる軍勢は一万でしょう?」
「ただの族退治ならこれ程の物資は必要ないでしょう。ですが、今回の出陣はそれだけが目的ではありませんから」
「……麗羽の人気取りに使うわけね」
「はい」
 今回の出兵での二つ目の目的。それは袁紹の名声を高めることにある。それには莫大な資金と兵糧が必要となってくる。
 そこで、気は進まないが、こうして叔母に頼み込んでいるのだ。
 恭介は言葉を続ける。
「麗羽様の人気はそのまま袁家への人気へと繋がります。叔母様にとっても悪い話ではないかと思われますが」
「しかし、随分とお金がかかるのね。貴男も朝廷の蔵には余分な財貨などないこと位知っているでしょうに」
「そうでしょうか? 確かに正規な蔵には余分な財貨はないでしょう。しかし、本来あるべきではない蔵には随分と財貨が積み上げられているという噂も聞きますが」
 国庫に財貨はないかもしれないが、貴女や宦官達が溜め込んだ財貨はあるだろう。それを出せ。 
 恭介が言っているのはそういうことである。
 普通の人物なら激怒するかもしれないこの発言にも、袁隗は反応をみせず、視線を宙に浮かべている。
 今、叔母は何を考えているのだろう。この投資がもたらす袁家への名声か。それとも何処から金を引き出すかの算段か。或いは恭介の任を解くことか。
 しばし沈黙の後、袁隗は口を開いた。
「分かりました。資金も兵糧も貴女の要望通りの物は用意しましょう。国庫から持ち出すとなると、身内ばかりを優遇しているという悪評も立ちますから、当家を含む有志からの私財の提供という形で構わないわね」
「はい。有難うございます」
 恭介は頭を下げた。
 誰の金や兵糧であろうと構わない。それで救える命があるのなら。
 話は済んだ。
 一刻も早くこの場から立ち去りたい恭介は、礼を繰り返した後、退出しようとした。
 そのとき、後ろから声がかかる。
「そうそう。この反乱が鎮圧された後、麗羽には南皮を治めてもらう予定だから。その点も考慮して動いて頂戴」
 どうやら叔母は、既に黄巾の乱を鎮圧した後に思いを巡らせているようだ。
「……民のため、全力を尽くします」
 王朝とも言わなかったのは、恭介のせめてもの意地だった。

 後に袁紹は、「恭介さんは、私が子供のときは大人で、大人になったときは老人でしたわ」と語っている。



[38235] 4 冀州に至る道
Name: 羽市◆b131e28e ID:9a9fd995
Date: 2013/08/10 20:47
 曹操軍に遅れること一月、袁紹軍は出陣した。
 大将に袁紹、指揮官に顔良と文醜、軍師に恭介、副軍師に法正。
 兵数は一万。袁家の私兵を中心に編成しただけあった士気も質も高い。
 黄金の鎧を身に纏い、精兵を率いる袁紹の姿は、洛陽の人々から大歓声を送られていた。
 まさに袁紹が求める「王道・華麗」の姿の実現であり、彼女は出陣に時間がかかった苛立ちを忘れ、馬上大いに満足していた。

 冀州に向かう道すがら、袁紹軍は何度か賊と刃を交えた。
 賊の数は五百のときもあれば三千の時も、頭に黄巾を巻いている賊が相手のときもあれば盗賊の群れのときもあった。
 しかし、黄巾賊の本隊と戦う前に、これほど戦うとは思っていなかった。都を離れ、冀州に近づくほど、賊の数は多くなり、それだけ大陸が荒廃していることを実感させられる。
 今日も進軍途中に遭遇した賊軍と交戦し、勝利を収めた後、袁紹の幕舎の中では顔良、文醜、法正、そして恭介の四人が集まり、主君を前に今後の方針を話し合っていた。
「いやー、今日もうちら大勝利じゃん? これで十五戦負け無し。袁軍の強さここにありって感じですよ、姫」
「おーっほほほ。私の軍隊がそんじょそこらの賊軍に敗れるわけがありませんでしょ、猪々子さん」
 上機嫌で笑いあう袁紹と文醜。
「ですが、こうも戦が続きますと、兵士の疲れが心配です。それに軍医や薬が充実しているといっても、戦う以上、犠牲は生じますし」
「そうですね。当面の目標は鄴の攻略ですが、それまでは無駄な戦いは避けたいところです」
 対照的に心配げな顔の顔良と地図を見ながら腕を組む法正。
 そんな四人の女性の中、唯一の男性である恭介は別のことを考えていた。 
 黄巾の乱は鎮圧される。自分はその事実を知っている。だが、自分が生き残れるか、共に戦う兵士達を、どれだけ家族の元へと返してやることができるのか、そこまでは分からない。
 この時代を生きていれば、否が応でも死体には慣れるし、死は鈍感になってしまう自分がいる。
 夢か妖術か妄想か、折角『これから起きる事』と『現代日本の知識』を持っているのだ。それを活かして、少しでも世の中を平穏にする。それが自分の天命かもしれない。
 そんなことを恭介は考えていた。
尤も、こんなことを発言した日には、張角と同じ怪しげな妖術使い扱いにされて斬首されるかだろうが。
 恭介は四人の女性に視線を送る。
 袁紹は曹操に敗れ、失意のうちに病死。
 顔良と文醜は戦死。確か関羽に斬られた気がする。
 法正は病没だが夭折。
 と、ここまで考えて恭介は気付く。
 皆、大なり小なり劉備に関わっていると。
 三国志一の疫病神こと劉備は、各地の群雄の保護を受け、彼らが破滅した後もしぶとく生き残り、とうとう蜀の皇帝にまで上り詰めたという恐ろしい生命力を持った人物だ。
 因みに恭介は、演義での去勢された仁者もどきの劉備よりも、正史の人間味溢れる劉備のほうが好きなのだが。
 果たして、この世界の劉備はどういった人間なのだろうか。場合によっては早めに殺しておいたほうが良いかも知れないな…。
 そんな物騒なことを考えているとは思いもせず、袁紹が恭介に声を掛けてくる。
「何ですの、恭介さん? そんなに眉間に皺を寄せて。貧相な顔がよけい貧相に見えますわよ」
「本初様、いくら事実でも、そのまま言えば彼も傷つくでしょう。もう少し言葉を選んで、『いくら憂いの表情をしても、お前に女は寄ってこないぞ、残念男』と表現を柔らかくした方がよろしいかと」
「そうですわね、孝直さんのおっしゃる通りですわ」
 袁紹と法正は笑い合った。
 当初心配していた、『人間嫌いの法正』のだが、今のところ周囲との関係は良好なようだ。恭介以外には毒舌と歪んだ性格を見せておらず、上手く猫を被っているのが功を奏しているようだ。
 尤も二人きりの際に、「上手くやっていけそうか?」と尋ねた際には、「取り敢えず、この乱が終わるまではね」と悪魔的な笑顔を浮かべて、恭介を不安にさせたのだが。
「ところでさ、アニキ。『天の御遣い』の噂って聞いた?」
 文醜の問いかけに、恭介の意識は現実へと戻る。
「ああ。『天の御遣いが現れ、乱世を終息に導くだろう』という話だろう?」
 軍略の全てを法正にまる投げしているので、物資や食料の補充、戦い終わった兵士達への手当て、そして情報収集等の後方支援を恭介は担当している。
 こうした職務は理論を知り、真面目に取り組めば着実に成果が出る。
 軍略と違って、それ程生まれつきの才で左右されないのが後方支援の特徴だ。そして後方支援の中でも、恭介はとりわけ『情報』に気を配っていた。何せインターネットやTV、携帯電話が無い時代だ。情報の伝達は遅いが、それ故に早く情報を手に入れることに多大な価値がある。
「僕も旅の商人から聞いたな。何でも北方の街から伝わった噂らしいよ。恭介はどう思う? 天の御遣いとやらが、この乱世を治めてくれると思うかい?」
 法正の笑顔には、何処か皮肉の色がある。
 おそらく法正の考えは、自分と同じなのだろう。だからこその表情。
「この王朝は、代々予言の類を好む傾向にあるからね。民も然りだ。だから乱世が終わってほしいという願いから生まれた『願い』だろうね。
だが、乱世を終わらせるのは日々汗を流し、努力する人間だ。天からやってきたなどという、得体の知れない他者に願うのは好ましくないね」
 まあ、自分自身、他人とは違うのでえらそうなことはいえないが。
 恭介の言葉に、袁紹が我が意を得たとばかりに、
「いい事をおっしゃいましたね、恭介さん。そう、乱世を収めるのは生きている英雄。つまり私ということですわね!」
 言い放つと、哄笑した。
 人によっては、馬鹿、傲慢、身の程知らずと言われそうな袁紹の態度だが、これが彼女の長所だろう。
「では、そろそろ、鄴に籠もる黄巾賊をどう始末するか、考えを聞かせてもらおうか?」
 恭介は法正を促した。
 冀州の黄巾族の拠点は、鄴と南皮である。洛陽から進軍すると、まず鄴を攻略しなければならない。
「鄴に籠もる黄巾賊はおよそ三万。総大将は韓忠という男だね」
「こちらの三倍の兵力ですか。籠城されると厄介ですね」
「顔良殿、敵が籠城策をとる可能性は極めて低いと思われます」
 皆の視線が法正に集まる。
「既に鄴の城内に間者を放っております。彼等には、『袁紹軍は莫大な財貨と兵糧を輸送している』との情報を流させております。元々黄巾賊が鄴を襲ったのも、財貨と兵糧が目的です。しかも間者の報告によると、城内の兵糧は不足気味とのこと。討って出て、我らを破り、財貨と兵糧を得ようと考えるのは間違いないでしょう」
「野戦なら、敵の数が三倍でも問題ないな。うちらの軍と賊軍じゃ、兵の統率も練度も違うし」
「文醜殿のおっしゃる通りです。ですが、無策でぶつかれば我が方の被害も無視できません。そこで……」
 法正は取るべき戦術を説明した。
 聞き終えた顔良と文醜は法正の案に賛意を示した。
「恭介さんはどう思いますの?」
 袁紹の質問に、恭介も「上策かと思われます」と答える。
「では、孝直さんの策を採用致します。各人、決戦に向けて支度を!」
 袁紹の言葉に皆が頭を下げた。

 三日後、鄴から離れた高原で、斥候から「黄巾賊が城から出陣し、こちらに向かっている」との報告を受けた袁紹軍は早速、打ち合わせ通りに陣をひいた。
 先方に顔良率いる歩兵隊、後方に袁紹が率いる弓隊と予備兵力である。そして法正は顔良の、恭介は袁紹の参謀として側に付く。
 布陣が終わるのと同時に、目の前の大地に砂塵が舞い、人馬のざわめきが聞こえてきた。
「放て!」
 本陣から敵軍にめがけ弓矢が、同時に敵軍からも弓矢が飛ぶ。
 そういえば、横山漫画の三国志だと、軍師は戦場でも鎧を着用していないことが多かったな。 だから龐統とか、ハリネズミになってあっけなく死んでしまうんだよ。
 漫画の教訓ではないが、勿論恭介は鎧を着込んでいる。袁紹とは違って本物の黄金ではなく、通常の鎧を黄色く塗った代物であるが。
「敵軍、来襲。顔良隊と交戦に入りました」
 伝令が本陣に駆け込んでくる。
「了解した。顔良隊は予定通り行動するようにと伝えよ」
 伝令に指示を与えつつ、恭介は袁紹の側に馬を寄せる。
「麗羽様、如何ですか?」
「如何とはどういう意味ですの? まさか私が臆しているとでも思って?」
 袁紹も恭介も、万の人間が激突する戦場は初めてである。しかも敵兵は味方の三倍。
 敵の弓矢の性能を考えると本陣は安全だろうが、それでも恭介には一抹の不安と緊張が残る。
「戦場で死ぬ覚悟が無ければ、初めから指揮官など引き受けていませんわ。それに私ともあろう者が、こんな場で死ぬわけがありません!」
 やはり麗羽様には、勇がある。
 普段より表情を強ばらせながらも、らしい言葉を吐く袁紹に、恭介は感銘を受けた。
「それでは当初の予定通り、徐々に隊を後退させ、敵の隊列を引き延ばします」
「ええ。ですが、そう上手くいくのですか? 敵に擬退を見破られる可能性はないのですか?」
「敵に優れた将がいればその可能性もあります。ですが、敵の攻撃を見る限り、まるで統制がとれていません。侮るのは危険ですが、まず問題はないかと。それに顔良将軍が指揮を執っているのですから、下手に見破られるような動きは見せないかと」
「分かりましたわ。では、そのように」
 本陣から伝令が走る。
 
 戦いが始まってから一刻が過ぎた。
「流石、顔良将軍ですね。隊列を崩すことなく、見事に後退しています」
 対して黄巾賊は隊列が伸びきっている。兵数が多いとはいえ、所詮は寄せ集めの軍隊だ。
「麗羽様、そろそろ頃合いかと」
「分かりましたわ。狼煙を上げなさい!」
 袁紹の下知が飛ぶと、本陣から狼煙が上がった。
 と、東側の森から、待ちくたびれたかのような勢いで、騎兵隊が駆け出し、黄巾賊の本陣を襲う。
 文醜率いる二千の騎兵である。
 敵本陣の「黄」の旗が次々と倒れていくのが本陣からでもはっきりと見える。
「やりましたわね、猪々子さん! 全軍一気に前進! 賊軍を蹴散らしなさい!」 
 袁紹の指示が飛ぶと同時に、兵士達から『応!』の声があがり、全軍が黄巾賊へと攻勢に移る。
 更に法正の策が狡猾な所は、後方の森にも伏兵を潜ませていたことである。数は数百と少数だが、旗印を多く掲げ、大きな勝ち鬨を上げさせることによって、大軍が控えているように見せかけ、敵軍から判断力を奪う。
「北へ逃げる敵は放っておけ! それ以外の敵は徹底的に叩き潰せ!」
「大人しく投降すれば命は取りません! 武器を捨て降伏しなさい!」
 怒声が飛び、黄色の布を巻いた兵士が退散する中、袁紹軍は敵軍へと突き進む。
「敵将韓忠、袁軍が将・文醜が討ち取ったなり!」
 文醜の大声が戦場に響いたとき、勝敗は決した。

 鄴の戦いにおける袁紹軍の死傷者は五百人。対して黄巾賊は、一万人が捕虜となり、残りの兵も離散した。
袁紹軍の大勝である。
そしてこの勝利は、袁紹にとって冀州に勢力を得る第一歩となった。

 史書には「戦場の駆け引きは孝直が全てを決しており、アニキの役目は自分にはよく分からなかった」と文醜との言葉の言葉が残されている。



[38235] 5 麒麟児
Name: 羽市◆b131e28e ID:9a9fd995
Date: 2013/08/10 20:22
 黄巾賊から南皮を解放した袁紹軍は、そのまま南皮に駐留した。
 戦後処理こそ自分の役割の能力を発揮する機会だ。何せ戦いにおいて法正が見事な策を示した結果、「ぶっちゃけさ、伯業様って、いらなくね?」という幻聴が聞こえてくるのだ。
 ここで、内政の手腕を見せることによって、幻聴と決別し、安眠を得る!
 そう決意した恭介は、いつになく精力的に働いた。
 壊された城壁を修復し、荒らされた街を復興し、領民に兵糧を配り、負傷者の手当を行う。
 都に留まり、他軍とは比較にならない程の物資を用意できた袁紹軍だからこそ出来る手段である。
 他の官軍は如何に多くの黄巾賊を倒すことを目標としている。それは反乱の鎮圧という意味では正しい。だが、今の王朝の有り様では、黄巾賊によって荒れ果てた地を復興することなどないだろう。ならば、戦時の混乱に紛れて、復興作業を行うしかない。それにより、袁紹と袁氏の 名声は高まるし、目的はどうあれ民は救われる。
 それに、『戦』に限ると、曹操軍や孫堅軍以上の戦果を袁紹軍が挙げられるとも思えない。
 そういった考えから、恭介は軍勢を南皮に留めて、復興作業に勤しんでいる訳だ。
 尤も、こうした方針は、性急な人間には不評である。そして、主将たる袁紹こそ、まさにそうした人物であった。
「恭介さん! いつになったら、南皮に軍を向けるのです!」
 今も恭介は袁紹の執務室に呼び出されて、出陣の催促を受けていた。
「現在、復興作業と同時に、兵卒の補充と軍の再編成を行っている最中です。義勇兵と、捕虜の志願者の中から、ある程度の武芸の腕を持つ者を選んでおり、元来の数と合わせて、一万五千の軍勢になるよう編成を急がせております」
「義勇兵や捕虜の方々はもっと大勢いたでしょう? その方々を組み込めば三万ぐらいの軍勢になるのではなくて?」
「確かに数は揃うでしょう。ですが、これ以上増やした所で、兵の質が落ちますし、統率が取れません。それに指揮する将も足りませんので、かえって弱体化するでしょう」
「……では、軍の再編成が済んだら、南皮に攻め入るのですか?」
「いえ。南皮に籠もる黄巾賊は十万です。いくら寄せ集めの賊軍でも、我が軍だけでは、到底勝負になりません。そこで援軍を求めようと思います」
「援軍ですって!? 何を言い出すのですか、恭介さん!」
 袁紹は大声で叫ぶと、恭介を睨み付ける。
「予州では、あの華琳さんが連戦連勝という話ですわ! あのちんちくりんが戦功を挙げているのに、私は兵が足りないと増援を求めるのですか! それでは、私の力量が問われます!」
 曹操が関わると、どうも袁紹は感情的になりやすい。同じような髪型に近親憎悪の念を抱いているのか。
 まあ、子供の頃からの知りあいであり、対照的な出自の二人だ。意識してもおかしくはないが。
 恭介は深く頭を下げる。
「確かに曹操殿のご活躍は、私も話に聞いております。ですが、予州の黄巾賊は数が多くはありません。黄巾賊の主力は冀州と幽州に集まっております。麗羽様が南皮を落とし、冀州を黄巾賊の手から回復させれば、曹操殿をはるかに上回る戦功となること間違いありません。そして、確実な勝利を得るためには、必要と思われる手は全て打たなければなりません。何より、援軍を得ることで、兵卒の被害は確実に減るのです。何卒、麗羽様の王者としての寛大なご判断を頂きたくお願い申し挙げます」
 軍略を一任している法正の意見は、「南皮の攻略? 今の戦力じゃ無理だよ」とのこと。
 ならば、取るべき方法は一つしかない。兵力の増強である。
 暫くの沈黙の後、袁紹が口を開く。
「援軍と申しましたが、誰に頼むおつもりですの?」
「孫堅殿にお願い致します。既に青州の黄巾賊を鎮圧したとことですし、幸い駐軍場所もそう遠くはありません。そして、あの御仁の性格なら、快く引き受けて頂けるかと」
 孫堅。彼女の戦歴の前では袁紹はおろか、曹操ですら遠く及ばない。黄巾の乱が起こる以前から各地の反乱や賊を打ち破り戦功を挙げてきた当代一の名将である。名門出身の袁紹や、宦官とはいえ権勢を持っていた祖父を持つ曹操とは違い、無名の家から身を起こし、一軍の指揮官にまでなった人物である。
「孫堅さんですか。……確かに戦上手ですわね。それに王朝への尊敬の念も強いという噂も聞きますし」
 どうやら孫堅の名前は、袁紹を不快にはさせなかったようだ。
「では、孫堅さんに使者の手配を。私は部屋で休むことにしますわ」
 恭介が再度頭を下げ、退出しようすると、
「……恭介さん。貴男が街の復興に力を入れているのは、黄巾の乱が鎮圧された後のことを考えてらっしゃるからかしら?」
 袁紹が声を掛けて来た。
「はい」
「そう。……叔母上は私を冀州に、美羽さんを汝南に置くつもりなのでしょうね」
 袁紹は俯いていて、どんな表情を浮かべていたのか、知ることはできなかった。そして恭介は、そんな彼女に何も言えずに、退室した。
 袁氏の地盤は汝南である。
 今回、袁紹を冀州方面へと派兵したこと、戦後に袁隗が姪を南皮太守に任じようとしていることを考えると、新たに河北にも勢力を築きたいと考えているのだろう。
 河北に袁紹を。
 汝南に袁術を。
 南北に力を持つことで、都に圧力を掛けるつもりなのだろうか?
 袁隗の思惑は分からないが、袁紹の気持ちは分かる。
 父親の身分が低い自分と、父親が皇室に繋がる娘。袁隗がどちらを重要視しているかは明白だ。だからこそ、袁氏の本拠地とも言うべき土地を、袁術に任せるつもりなのだろう。
 恭介は城から外の街並みを見渡した。
 兵士が木材を担ぎながら民家を修理している姿が見える。
 先の戦いで捕虜にした一万人の黄巾賊は、一人一人の罪状を詳しく調べ、街の住人を殺害した者や重大な罪を犯した者は斬首としたが、大多数の者は獄に繋がれることはなく解放された。賊徒の処分は、討伐軍の将の裁量に委ねられている。将の中には、捕虜を全て処刑する者もいるようだが、恭介が袁紹に強く進言した結果、袁紹軍での捕虜の処分はかなり甘いものとなっていた。
 略奪、殺戮、破壊。黄巾賊の行いは非道である。
 だが、彼等から田畑を奪い、流民に追いやり、挙げ句に黄巾の布を巻かせてしまったのは王朝ではないか。
 政が正常に機能していれば、彼等が賊徒になることはなかった。
 王朝が腐敗した結果、民が賊になり、彼等を殺すことが功績とされる。そこに正義はあるのだろうか。
 幼いときから都で過ごしてきた恭介には、今の王朝に正義かあるとはとても思えなかった。
 漢の命運はもう尽きる筈だ。
 その後、魏・呉・蜀の三国鼎立の時代が来るのか、それとも違う王朝が立つのかはまだ分からない。
 そして、民を救うことが、袁紹の、そして自分の将来にどう繋がるかも分からない。だが、権限を持っている以上、それを行使しないのは罪である。
 だからこそ、捕虜の大多数を解放し、彼等に街の復興作業を行わせている。勿論、賃金は支払っているし、希望するのなら田畑を与えてもよいと思っている。まずは冀州に平穏を取り戻し、街を復興させ、流民をなくすこと。
 それが当面の恭介の目標であった。

 鄴に孫堅の軍勢が到着したのは、援軍を要請してから十日後の昼のことだった。
「さすが、孫堅軍。進軍が速いですね」
「恭介さん。感心してないで、出迎えにいきなさいな。私は城内で饗宴の準備をいたしますから」
 顔良は街の見回り、文醜は兵卒の訓練、法正は部屋に籠もって南皮攻略の策を練っている今、恭介が出迎えに行くのは自然な流れなのだが、使い走りのような気がするのは何故だろうか?
 城を出て城門に向かって歩いていると、
「ねえ、そこの茶髪君」
 と声を掛けられた。
 振り返ると、一人の女性が笑顔で佇んでいた。
桃色の長い髪と焼けた薄黒い肌をした、はっきりとした顔立ちの女性。 背丈は恭介と同じくらいか。
「あそこの兵士達は、一体何をしているの?」
 女性が指を差す方向に目を向ければ、数十人の兵士達が大声を上げながら走っていた。
「あれはサッカーをしているんですよ」
「昨夏亜?」
「はい。球を蹴って相手の陣に入れる遊びです。蹴鞠《しゅくき》の仕組みを少し変更してみました」
 そう言うと、恭介は女性にサッカーについて説明した。
 勿論、この時代にサッカーという遊びは存在しない。だが、蹴鞠と呼ばれる、似たような遊びは存在していた。その蹴鞠に、恭介がサッカーの知識を組み入れたのがこの遊びだ。ボールは皮に動物の羽を詰めた物を使用している。
 この遊びを部隊内で大会として競わせ、勝利した部隊には賞金を与える。また、少額ではあるが、勝敗を賭け事の種にして、軍で運営をすることとなった。
 行軍中の娯楽と、仲間意識、連帯感。そういったものを目的としたこの思いつきを翼に法正に話した処、
「君はそういった、変なことばかりよく考えるね」
と半ば感心、半ば呆れられたのだが。
 サッカーについて説明すると、女性は「へえ」と感心したような声を上げた。
「面白そう! ねえ、私もやってみたい」
「えっ?」
 女性は好奇心満面の笑みを浮かべて手を上げた。
「やってみたいって。あそこで走り回っているのは兵卒ですよ。普通の女の子だと体力的に……」
「でも、あそこで相手を吹っ飛ばしているのって、女の子じゃないの?」
 女性が指さす方に目向けると、文醜が兵士にスライディングを決めて、相手を吹っ飛ばしてボールを奪っている姿が見えた。
「……彼女は、まあ特別ですから」
 そこまで言って、恭介は改めて女性に目をやった。
 よく観察してみれば、剣を身につけいるので、おそらく武人であろう。笑顔の奥の瞳は気性を表すように力強い。
ただ外見が美しいだけでなく、活力や生気といった内面の力が、彼女をより美しく見せているように感じた。
どこかの部隊の指揮官か、或いは有力な豪族の息女だろうか。
 本来なら名前を聞き、少し話をしたいところであるが、恭介には一刻も早く孫堅軍に挨拶をするという役目がある。
「残念ですが、私は今急いでいますので、ご自信で売り込んでみて下さい」
「えー、か弱い女の子を一人にするの、君は」
「申し訳ありません。ですが、孫堅様の軍が城外に着きましたので、ご挨拶に伺わなくてはならないのです」
「なら、問題ないじゃない。私の名前は孫策。母である孫堅からの使者よ」
 そう言って、彼女は悪戯っぽく笑った。
 これが恭介と、孫伯符の出会いであった。



 今回お話を書きながら調べたところ、サッカーらしきスポーツは中国では漢の時代にあったみたいです。時代と共に廃れていった様ですが。
あと『麒麟児』ですが、これは本来男子に使う言葉です。恋姫世界だと、男子よりも女子の方がこの表現が似合うのと、孫策といえば『麒麟児』と『小覇王』は外せないと思い、使用しました。



[38235] 6 江東の虎
Name: 羽市◆b131e28e ID:9a9fd995
Date: 2013/08/10 20:30
 ここ数日の間、鄴城内では二つの饗応が催された。
 一つは、孫堅を向かえての饗宴である。
 袁紹は終始上機嫌で孫堅とその幕僚をもてなした。
 仮に都にいたときの袁紹であれば、孫堅を「武勇だけの者」として軽視したかもしれない。だが、黄巾賊との戦いを経験した今、袁紹の価値観には変化が生じていた。
 即ち、前線で賊と戦う者は正義であり、後方で己の身の安全だけを図る者は悪である。
 極めて単純だが、明快な考えである。
 その価値観で判断すると、孫堅という武人は袁紹には実に好ましく映った。
『江東の虎』という渾名に相応しい体躯と鋭い目を持つ女性であり、戦場においては勇気を示し、民を慈しむ心を持ち、王朝に対する忠義を抱いている。
 配下の程普、黄蓋、韓当、祖茂。娘である孫策。いずれも主君に似た堂々たる勇者であり、都に巣くうような小人とは正反対の人物達であった。
 前線で黄巾賊との戦いに身を置く者同士、袁紹と孫堅、互いの幕僚達はすぐに胸襟を開き、互いの杯に酒を注いで語り合った。
「それで、サッカーはどちらが勝利しましたの?」
 袁紹が恭介に尋ねる。
「5対3で孫策殿の部隊が勝利いたしました。」
 あの後、孫策は恭介を引きずり自陣に取って返すと、すぐに手勢を集めて、文醜率いるチーム『死苦八駆』と対決、孫策は抜群の運動神経で、二ゴール二アシストを決めた。
 飲み込みが早く、何より自軍と敵軍の兵士が何処にいるのかを瞬時に判断する能力は見事としか言いようがない。
 この人は戦士としても指揮官としても優れているな。自分など、相手にならないだろう。
 恭介は自分より年下の少女の将器に恐ろしさすら感じた。
「文醜さんを破るなんて、流石、孫堅殿のご息女ですわね」
「いえ。確かには武芸に見るべきところはありますが、人の話を聞かない娘でして。第一、肝心の命令よりも自らの遊びを優先させるとは。どうやら育て方を間違ったようです」
 孫堅は苦笑しているが、その表情には娘への愛情が感じられた。
 恭介の知識では、袁紹と孫堅は同年代、寧ろ袁紹の方が年上だった筈だが、目の前の孫堅は袁紹よりも年上であり、寧ろ娘の孫策の方が袁紹とは年が近い。 
「策殿は気分屋だからの」
「その上、一度言い出したら聞かない。誰に似たのやら」
「間違いなく、殿のご息女ですな」
 孫堅の部下達の笑いも、主君の娘への敬愛が感じられた。
 そして噂の孫策といえば、文醜の席で笑いながら酒を酌み交していた。どうやら戦場の勇者である二人の間には、先の試合で友誼が生まれたようだ。
 恭介は席を立つと、部屋の隅で一人無表情に酒を飲んでいた法正の側に座る。
「相変わらず不機嫌そうだな」
「まあね。何しろ、賊軍十万に対する策を考えているのが僕一人だからね。本来、軍師は二人の筈なんだけど」
「……俺だって考えているぞ。けど、何も思いつかないだけだ」
「胸を張ることでもないだろう。まあ、多少は見えてきた部分もあるから、数日中には策として形に出来ると思うけどね」
「へえ。流石は翼だな。俺と同じ情報しか持っていない筈なのに、どうしてこうも差が付くのだろうな」
「慢心、環境の差ではないかな?」
 クククと、法正は喉の奥で笑った。
「最近、幽州では公孫賛が大活躍だそうだね。元々、精兵揃いのところに、随分と力のある義勇軍が加わったらしい。将の名は確か劉備といったかな」
「……ああ。その話は俺も聞いている」
 公孫賛と劉備は塾が同じだし、劉備は幽州の生まれだ。妥当なところだろう。曹操、袁紹、孫堅、孫策が女性なのだ。おそらく劉備も女性なのだろう。やはり関羽や張飛の女性なのだろうか?
 脳裏に一瞬、女性ではあるが髭面で筋肉隆々な関羽と張飛の姿が浮かんだ。
「どうしたんだい、恭介。変な顔をして。酒に毒でも入っていたのかい?」
「……いや。自分の想像力の豊かさが少し憎くなっただけだ」
 身近に顔良と文醜の例がある。もしかしたら、関羽と張飛も恭介の想像を裏切るような美女の可能性だってあるだろう。
「お二人さーん。何こそこそ話し合っているの? 愛の囁き?」
「孫策殿。随分と酔っていらっしゃるようですね。僕と恭介の何処にそのような雰囲気がありましたか?」
 いつの間にか、前に孫策が座っていた。勿論、杯は手放していない。
 なお、先ほどまで孫策の相手をしていた文醜は完全に酔っ払ったようで、顔良の胸に顔を埋めていた。
「……何だい、その羨ましそうな目は?」
「別に……。お前のその笑顔は怖いから勘弁してくれ」 
 法正が笑いながら人を刺す性格だと知っているだけに、むしろ不機嫌な表情の方が安心する。
「でも、男女の間で真名を呼び合うなんて、そういう仲なんじゃないの?」
「大学時代からの腐れ縁です。第一、恭介は童貞ですから」
 ブボッ!
 派手な音を立てて恭介は酒を吐き出した。
「汚いな。まともに酒も飲めないのか、君は」
「お、お前が訳の分からんことを言うからだろ!」
 法正は心外だと言わんばかりに、肩を竦めた。
「共に席を並べた学友のことだ。これ位は知っているよ。尤も、君が僕の知らないところで、いかがわしい店に通っていたのなら話は別だがね」
「へえ。都の人って、もっと遊んでいるかと思ったけど、違うのね?」
「孫策殿。こいつの言うことを真に受けないで下さい」
「じゃあ、やっぱり夜の街で遊びまくっていたの? 大丈夫よ。経験豊富な方が、いざという時、女の子に恥をかかせないですむから」
「何を言ってるんですか、貴女は!」
 恭介の抗議も何処吹く風、孫策は破顔しながら酒を煽った。
 これが揚州人の気質なのか、それとも孫策個人の性格なのか。
 とにかく孫伯符という人物が、天性陽気な女性ということをこの日の饗応で実感した。

 もう一つの饗応はそれから数日後に催された。
 都から、左豊という宦官が前線の視察にやって来た。
 本来、軍の指揮権は大将軍たる何進が握っており、袁紹軍も何進の元には定期的に戦況の報告書を送っていた。
 しかるに宦官がやって来たということは、大将軍とは違うルート、皇帝か朝廷を牛耳る十常侍の意向だろう。
 それが分かったのだろう、袁紹は「私は会いませんわ。大将軍の使者や勅使ならいざ知らず、宦官の相手をしている時間などありません!」と病気を理由に欠席し、代わって恭介が応対した。
「袁紹殿が病気とは。前線を預かる指揮官としてはいささか心許ないのではないかな」
「疲労が溜まっていたようでして。左豊様にはここまでご足労頂いたのに申し訳ございません」
 恭介は頭を下げる。
 宦官といえども、皆が腐敗しているわけではない。曲がりなりにも王朝が今日まで続いてきたのは宦官の力が大きい。宦官の中には気骨の志も居れば、清廉な者もいる。
そもそもこれまで皇帝は、宦官の力を借りて外戚を排除してきた。和帝は竇憲を、順帝は閻顯を、桓帝は梁冀を。いわば宦官は皇帝の手足である。良くも悪くも、王朝を支える手足である。手足に善悪はない。要は用いる皇帝の資質に問題があるのだ。
残念ながら、現在皇帝から信頼を得ている宦官達は皆、俗吏ばかりである。
 恭介の見たところ、左豊も同じ種の宦官だ。かといって、人の力というのは、能力ではなく、地位による。この左豊がどのような人間であれ、粗略に扱うということは、皇帝と宦官の不興を被るということだ。 下手に応対を誤れば、官職の罷免はおろか、獄に繋がれることもある。
 恭介は左豊に酒を勧めつつ、近々冀州の賊を一掃することを強調した。さらに孫堅軍の武勇を賞賛し、帰り際には、莫大な財宝を贈った。
上機嫌で都へと帰還する左豊を、恭介は城門の外で頭を下げて見送り、城内に戻る。
「見事な応対だな。戦しか能が無い私には出来ない芸当だな」
「孫堅様。これは随分とお見苦しい姿をお見せ致しました」
「そう卑下することもあるまい。彼等の機嫌を損ない讒言されてもかなわんからな。むしろ、我々の分まで面倒をかけたようだ。申し訳ない」
「こんな些細なことで孫堅様を失う訳にはいけませんから」
「そうか。なら、この借りは戦場で返すとしよう」
 孫堅は豪快に笑った。
「私は呉の生まれだが、長江の向こうは未だ蛮族の地と思っている者も多い。私は、故郷にも国のことを思う者が大勢いることを天下に示したい。そして、私が力を示せるのは戦場しかないのだ」
 そして表情を改めると、
「だが、戦場では死が当たり前だ。それに、幾ら戦功を重ねても、それが王朝の政治を改めさせることには繋がらないのが現実だ。娘には武勇だけでなく、袁遺殿のような機略を持ち合わせてほしいものだ」
「孫策殿には人を惹き付ける魅力が備わっていると感じました。間違いなく、将来は呉の名を大陸全土に知らしめることでしょう」
「そうか。人物眼に定評のある袁遺殿にそう評してもらえるとはな。楽しみにしておこう」
「いつから自分は、許子将のような人物批評家になったのでしょうか?」
「袁紹殿がそなたのことを『人の才を見抜く眼を持っている』と褒めていたぞ」
 それは単に『三国志的な知識』を持っているからですとは言えず、恭介は曖昧な笑みを浮かべた。

 軍議が始まった。
 袁紹軍からは袁紹、恭介、顔良、文醜、法正。孫堅軍からは孫堅、孫策、程普、黄蓋、韓当、祖茂が出席している。
 進行役は毎度の如く恭介である。
 南皮に籠もる黄巾賊はおよそ十万。対する味方は孫堅軍一万、袁紹軍一万五千の合計二万五千。
 基本戦略として、街と民に被害を及ばさないよう、また兵力差を埋めるために野戦が望ましいことを説明した。
「難しいな。黄巾賊とて、有利だからこそ籠城しているのであろう」
「それに兵糧の蓄えも十分とのこと。討って出る理由はないな」
 孫堅と程普の発言の後、場が静まる。
 黄巾賊が自らの利点を捨てて討って出るなど、まずあり得ない。とすれば攻城戦になるだろうが、四倍の兵力差である以上、そう簡単に城は落ちないだろう。
「黄巾賊を城外に誘い出す策がございます」
 沈黙を破ったのは法正だった。
 つい先日まで酒を飲みながら濁った目で部屋に籠もっていた法正の目に光が戻っている。
「幽州の戦況ですが、公孫賛が黄巾賊を次々と打ち破り、今彼等は薊に籠もっているとの情報が伝わっております。そこで、この戦況を利用致します」
 法正は机上に置かれた地図から薊を指さす。
「まず、孫堅軍には幽州へ進軍して頂きます」
「公孫賛への援軍に見せかける訳か?」
「はい。これで間違いなく南皮の黄巾賊は城から出撃し、孫堅軍を叩こうとするでしょう。そこで孫堅軍は反転し敵の正面を、そして袁紹軍は鄴からから出撃し、敵の後背を突きます。野戦ならば兵力差は問題ではありません。前後から挟撃し、主将を討ち、降伏を呼びかければ、すぐに離散するでしょう」
「ですが、そう簡単に南皮の黄巾賊が出撃しますか? 彼等が幽州の仲間を助けるために討って出るというのは、こちらの希望ではないですか?」
 顔良が疑問の声を上げる。
 元々黄巾賊は、各地の賊徒の集団であり、仲間意識は薄い。隣の州の黄巾賊が危機だとして、自ら危険を冒してまで出撃はしまい。通常なら。
「顔良殿のご懸念は尤もです。そこで……」
 法正は恭介に視線を移す。
 後を恭介に説明させて、花を持たせるつもりなのだろう。多分。
「既に南皮に多数の間者を放ち、幽州には張角が籠もっているとの情報を流しております」
「それは本当なんですの、恭介さん?」
「いえ。麗羽様。残念ながら捕虜の尋問や各地から情報を集めておりますが、張角の所在は不明です。どうやら、肝心の黄巾賊も、張角がどこにいるのか把握していないようでして」
「総大将の所在を味方も知らない。そんな馬鹿な話がありますか!」
 袁紹の疑念はもっともだが、事実だから仕方ない。
 張角。恭介の知識では、天候を操り、病人を直す妖術遣いのような人物で、民からの支持を受け信者を増やし、ついには王朝を打ち倒し、新しい社会を作ろうとした人物だと記憶していた。
 だが、この世界の張角の正体は、どうもはっきりとしない。情不老不死の仙人から、党錮の禁に連座した党人、果ては歌って踊れる旅芸人との噂まであり、正体が掴めない。ただ一つ確かなのは、黄巾の信者達からは絶大な支持を得ており、張角の為なら、信者達は自らの命すら惜しまないという点だ。
「麗羽様の疑問はもっともですが、幾ら調べ上げても、張角はおろか、二人の姉妹についても、何の情報はありません。ですが、黄巾賊の拠点は、もはや幽州と冀州南皮、そして予州の一部だけしか残っていません。このいずれかの地に隠れていることは明らかです」
「だが、南皮に張角が潜んでいる可能性もあるだろう? その場合、黄巾賊が城外から討って出るとは思えんが?」
 孫堅が恭介に問う。
「その場合は、逆に南皮に張角が潜んでいることが確実ですので、更に増援を増やし、南皮の城を包囲すればよいかと」
 恭介の言葉に孫堅は「ふむ」と頷いた。
「袁紹殿。私はこの策を採用すべきだと考えます。黄巾賊が討って出るかは分かりませんが、このまま城に籠もっていては腕がなまります。それにただ飯とただ酒を頂いてばかりいるのも居心地が悪い」
 孫堅の発言に、場内の将から笑いが起きた。
「そうですわね。このままではじっとしているのは性に合いませんし、折角孫堅さんにもおいでいただいたのですから、こちらから仕掛けるべきですわね!」
 衆議は決した。

「しかし、これだけ情報を集めても張角の姿が見えてこないなんてね」
「……もしかすると、張角なんて人物はいないのかもしれないな」
 恭介が執務室で部隊の編成について頭を悩ませていると、法正が入ってきた。
「へえ。どういう意味かな?」
「王朝に対する民の不満が産んだ幻。それが張角なんじゃないか? そう思っただけさ」
 恭介には『自分が知っている三国志』の知識があり、それが大きな武器となっているのだが、その知識故に、張角達が本当に旅芸人だとは考えてもいなかった。精々、女性かもしれないと想像していた程度である。
「へえ。……中々に個性的な意見だね。つまり、黄巾族と同じ考えてなんだね?民はもはや王朝を見放し、漢の命運は尽きようとしていると?」
 法正はからかうような声を、
「ああ」
 恭介はあっさりと肯定した。
「……恭介。……君は重大な発言を、随分とあっさり言うのだな」
「翼に嘘はつかない。その方が、翼も策を立てやすいだろう」
「……まあ、そうだけど」 
 人々の奥底には漢という王朝は滅びないという思いがある。
 漢王朝が王莽によって倒され、『新』が建つも、光武帝により再興された。高祖劉邦より四百年続くこの王朝が国家そのものだという考えこそがこの時代の常識である。
 だが、永遠に続く王朝など存在しないことは、現代日本で少しでも過ごせば分かることだし、この国はこれ以降、未曾有の混乱期に陥るのだ。
「では、恭介は今後、この王朝はどうなっていくと思うんだい?」
「そうだな。……黄巾賊を鎮圧したとして、王朝が政を改めない限り、今度は別の賊が生まれるだろう。そして王朝は、今回のように将才のある者に討伐を命じる。そうした者達がそれぞれの地方に勢力を持ち、王朝の制御から脱していく。そんな不穏な未来図を想像しているんだがね」
「では、今回やけに内政に熱心なのは、将来冀州を袁紹殿の拠点にする布石という訳かい?」
「戦後、麗羽様が南皮太守に任命されるのは既定路線だからな」
「成る程。……では、恭介のいささか豊かな未来予想図では、誰が勢力を保つのかい? 何進、皇甫嵩、朱儁、劉虞、董卓、袁紹、袁術、孫堅、公孫賛。そんな所かな?」
「それと曹操だな」
「ああ。あれは確かに今の王朝では扱いきれない人物だからね。で。恭介は誰が、覇者として新たな王朝を主催すると……」
 法正が口を閉じると同時に、執務室の扉が開かれた。
「あれ。お邪魔だった?」
「……仕事の、という意味でしたら間違いなく邪魔ですね、孫策殿」
「伯符でいいわよ。で、二人で何してるの?」
「今度の戦いでは、自分も一軍を率いることになるので、その打ち合わせをしていました」
「へえ。君って、実戦では弱そうだもんね」
 恭介の顔を見て笑う孫策。悪意がないだけに質が悪い。
「自覚しているとはいえ、欠点を人に指摘されるのは愉快じゃないですね」
 孫策は法正に視線を移すと、
「それで法正ちゃんが悪知恵を授けてる訳?」
「そうですね。ただ、僕も軍師の器であり、将の器ではないですから。出来れば、孫堅様の部隊から誰かお借りしたいところです。あと、その気持ち悪い呼び方はやめて下さい」
「まあ、うちの軍は指揮官だけは揃ってるからね。伊達に何年も賊退治やってる訳じゃないのよ。で、法正ちゃんはどんな助言をしたの?」
「……大したことは言ってませんよ。それに僕個人としては、正直賊が流言を信じて南皮を出るなら、追撃をしなくていいと思ってますからね。幽州は冀州より貧しいですから、大軍を維持するのは難しいでしょうし。この場合は公孫賛に苦労してもらうことになりますけど。あと、本当に気持ち悪い呼び方をやめてください」
「流石は法正ちゃん。悪知恵を考えさせたら、右に出るものはいないな」
 恭介が孫策の口調を真似た。
「……恭介、弓矢は常に前から飛んでくるとは思わないことだね」
「すみません、調子に乗りました。本当に反省してます」
 笑顔を浮かべる法正と、土下座する恭介。
 そんな二人を見ていた孫策は、
「いいな。君には頼りになる軍師がいて」
 羨ましげに呟いた。
「翼は袁紹軍の軍師ですよ」
「そう? 私の見たところ、法正ちゃんは袁紹ではなく、君に仕えているように見えるけど」
「孫策様も人を見る目はまだまだですね。あと、もう真名読んでいいですから、その呼び方はやめてください。お願いします」
 恭介相手には笑顔で脅した法正も、流石に孫策相手には身が危ないと考えているのか、怒りよりもお願いになっている。
「今回の遠征には参加していないけど、私にもいるのよ、軍師。正確に言うと、軍師候補かな。まだ口説き落とせてないの。機会があれば、引き合わせたいわね」
「そうですね。その前に、次の戦いで生き延びていればの話ですけど」
 そう言いながらも、恭介は黄巾賊相手に自分が討たれるとは思っていなかった。
 そう、戦いが始まるまでは。






 参考までに。

光栄の三国志11での能力値比較
   統率 武力 知力 政治 魅力
孫堅  93  90 74  73  91
黄蓋  79  83 65  65  81
程普  84  79 79  74  85
韓当  76  85 56  51  68
祖茂  70  71 62  53  65
孫策  92  92 69  70  92

   統率 武力  知力  政治 魅力
袁紹  81  69 70  73  90!
顔良  79  93 42  32  53
文醜  78  94 25  25  38
法正  82  47 94  78  55
袁遺  56  40 73  76  70

圧倒的じゃないか、孫軍は!(笑)
まあ、あくまで光栄基準ですか。
しかし、顔良の「知力34」って何処のネタなのでしょうね?
恋姫作中では普通に60~70ぐらいはありそうですが。




[38235] 7 名将を得る
Name: 羽市◆b131e28e ID:9a9fd995
Date: 2013/08/10 20:34
「ここまでは作戦通りですな」
「そうですね。どうやら黄巾賊は全軍が孫堅軍を追っているようです。上手く引っかかってくれました」
 斥候の報告により、孫堅軍の後を追うように黄巾賊が南皮から大挙出撃したとの知らせを受けた袁紹軍は、距離を置いて黄巾賊の追撃を開始した。
 孫堅軍は州境にある峡谷で反転、黄巾賊を迎え撃つ。そして背後から袁紹軍が黄巾賊を包囲殲滅するという作戦だ。
 この度の作戦では、恭介も一軍を率いることとなっている。
 自分が司令官として兵士を指揮するのは初めてのため、恭介は補佐役として経験豊富な人材を探し求めた。そして義勇兵の名簿から名前を見つけたのが高覧である。
高覧は元々鄴の守備隊の一員であったが、黄巾賊に鄴が落とされた後は、義勇兵を組織して黄巾賊への抵抗を続けていた。そして鄴を奪還した袁紹軍に自ら志願した。
 高覧といえば、吉川三国志で、顔良と文醜亡き後、張郃と組んで官渡の戦いで大活躍した武将である。その後、曹操の配下となり趙雲に一撃で倒されるが、そこはお約束といったところ。
 実際に対面した高覧は、壮年の髭が合う武人であり、戦場経験も豊富であった。そして、何より待望の男武将である。恭介は嬉々として高覧を副将に任じた。
 この抜擢に、袁紹は異を唱えなかった。
孫堅の言うとおり、本当に恭介には人物眼があると思っているのか、それとも些細な人事に興味が無いのかは分からないが。
 しかし、何故この世界では男性よりも女性が強いのだろうか? 一般の兵卒は男性が多く、飛び抜けた武勇を持つ者には女性が多い。
 人体の構造上、あり得ない状況。
 恭介は無神論者だが、何かの作為を感じずにはいられなかった。
「袁遺様、どうなされましたか? 難しい顔をしておりますが、何か戦況に不安でも?」
「……いいえ。自分の無力さを実感していたところです。高覧さんは、顔良将軍と勝負したら、勝てると思いますか?」
「まさか。十数合打ち合った後、叩き潰されると思います」
 高覧は苦笑いを浮かべている。
 見るからに勇将の高覧でさえ、顔良相手にはその程度なのか。孫堅軍も孫堅、孫策、黄蓋、韓当は女だしなあ。
 恭介がそんなことを考えていると、
「袁遺様、狼煙が上がりました」
 周囲から声が上がる。
恭介が顔を上げると、空に狼煙が上がっていた。同時に、遙か前方から、人の叫び声と馬の嘶きが聞こえてくる。
「どうやら、孫堅軍が戦闘を始めたようですね。当初の予定通り、我々も突撃しましょう」
 恭介の指示により、袁遺軍は進軍を速めた。
 袁紹軍の役割は、文醜が騎馬隊を率いて突入し、黄巾賊を混乱させる。
 その後、左側から恭介率いる四千の部隊、中央から顔良率いる五千の部隊が黄巾賊を包囲、殲滅する作戦である。右側には兵を置かず、敵の退路を用意しておく。そして、袁紹と法正は予備兵力の三千を率いて後方に本陣を構える。
 正に兵法に適った布陣だ。
「文醜隊、敵陣に突撃しました」
「弓隊、文醜隊を援護しろ。歩兵隊は文醜隊が開けた穴を広げろ! 敵は混乱しているぞ! 今こそ我らの故郷を荒らした賊徒共を討ち取れ!」
 高覧の指揮は見事であり、恭介はただ頷いていれば良かった。もっともただ見学しているだけでなく、後日のため、しっかりと部隊の指揮について学んでおかなければならないのだが。

 一方の黄巾賊は、今や軍勢の形を成していなかった。
 城外から誘い出された段階で勝機を逃したといえるが、正面から激突したのが孫堅軍というのが不運であった。
 この当時、孫堅軍は大陸一の精兵部隊といっても過言でもないだろう。十代の頃から二十年間、北は幽州、南は揚州、東は青州、西は涼州と各地を転戦してきた孫堅。その間、勝利もあれば敗北もあったが、怯懦であったことは一度も無い。兵卒達はその孫堅の姿に惚れ込み、進んで彼女の元に集まった者ばかりである。その軍が脆弱であるはずはなかった。
 大軍を展開できない峡間に布陣した地の利はあれども、孫堅軍は自軍に数倍する敵軍を圧倒していた。
 特に、先陣に立つ桃色の髪をした女性、孫伯符は全身に返り血を浴びながら、嬉々として剣を奮っていた。
 黄蓋は正確な弓で敵兵を次々と倒し、韓当は槍で敵兵をなぎ倒す。程普は前線部隊を的確に指揮し、祖茂は孫堅の横で全体の戦局を把握する。
「しかし、雪蓮は一人で先陣に立ちすぎるな。一軍の将としてはもう少し慎重さを備えて欲しいものだが」
「孫堅様が言っても説得力がありません。他の将からは、娘に先陣を取られた愚痴にしか聞こえないでしょう」
 祖茂の言葉に、孫堅は笑った。
 孫堅自身、戦いの場では常に先陣をきり、「大将たる者、それではいけません」と程普や祖茂に毎回苦言を呈される身である。
「袁紹軍の攻撃も順調なようです。予備兵力を投入して、一気に黄巾賊を壊滅させる機会かと」
 祖茂の言葉に、孫堅は頷いた。
 彼女が戦場で培った勘は、もはや勝敗は決したと告げている。
 その勘は正しかったが、後方では一つの誤算が生じようとしていた。

「どうする? どうやら敵は総攻撃を仕掛けてくるようだぜ」
「もう勝敗は決した。孫堅軍が総攻撃をかけてくる前に撤退すべきだ」
 黄巾を頭に巻いた大柄な少女が声をかけると、同じく黄巾を巻いた青年が静かに答えた。
「撤退か? なら袁紹軍の右側から逃げるか? おあつらえ向きに明けているぜ。そっから逃げろと言ってるようなもんだ」
「周倉殿。あそこから逃げても幽州には食糧がなければ、逃げ場もない。第一、本当に幽州に張角様が居るかどうかも分からないのだ。幽州に逃げるのはどうかと思うが」
「廖化さんは軍議でもそう主張してたもんな。敵が挟み撃ちにしてくるってことは、やはり幽州に張角様が籠もっているのも、奴等が流した偽情報って訳か」
「おそらくはな。ならば逆に予州に逃げるのが一番だ。それに味方は総崩れで、敵は勝利を確信している。こういう状況こそ隙が生まれるものだ。そこを狙う。後方の袁紹軍は我々を包囲しているが、軍勢は多くなく、包囲は薄い。突破も可能だろう」
 廖化はそう言うと、袁紹軍の陣に目を移した。
「どうやら、中央より左翼の敵の方が脆そうだ。左翼を突破し、そのまま退却しよう」
 廖化の言葉に周倉は頷くと大声で叫んだ。
「いいかお前ら! 生き残りたいものは俺たちに続け! 敵陣を突破する!」
「応!」
 
「そろそろかな」
「はい。黄巾賊の軍勢は統制を失っています。我先にと戦場から逃亡していますので、今が投降を呼びかける機会かと」
 高覧の言葉に恭介は頷いた。
 元々、敵兵はこちらの四倍である。殲滅することなど不可能だし、黄巾賊の大半は流民だ。戦意を失わせ、降伏させて捕虜とするのが袁紹軍の基本方針だ。
「では、降伏を呼びかけながら、軍を着実に前進させましょうか。くれぐれも顔良隊と歩調を合わせるように……」
「敵の部隊がこちらに突撃してきます!」
 恭介が指示を出そうとした瞬間、前線から伝令が息を切らして本陣に駆け込んできた。
「なんだと!?」
 高覧を初め、周囲の兵士が驚きの声を上げる。無論、恭介も例外ではない。
 わざわざ逃げ道を用意しているのに、何故こちらに突撃してくる?
 予想外の事態に恭介は驚いていた。
 やはり机上の兵法とは違う状況も起こりえるということか。
「敵の狙いは本陣を突破し逃走することだ。密集して防げ! 敵兵は決して多くはないぞ!」
 怒鳴り声で周囲に指示を出す高覧の声に、恭介は我に返った。
 そ、そうだ。まだ、慌てるような状況じゃない。
 それにしても、流石に戦場慣れしている者は違う。状況判断が速いし、兵の落ち着かせ方も手慣れた者だ。敵の兵数など分からないのに、敢えて多くないと断言することで、味方の動揺を鎮めようとしている。
 恭介は感心していたが、一度緩んだ士気は簡単には戻らない。次々と悲鳴が上がり、敵兵が本陣へと迫ってくる。
「袁遺様、お気を付け下さい。おそらく敵は本陣に到達するでしょう」
「分かりました。高覧さん、部隊の指揮をお願いします」
 前線で剣を振るったことのない自分より、高覧に指揮を任せた方が良いだろう。
 この世界に来る前に愛読していた小説に、『指揮官が武器を取るような戦いは負けだ』という台詞があったな。だが、あの話は近未来SFで、今とは状況が違う。
 恭介は従者から手渡された弓矢を引いた。
 一本、二本、三本。
 一本も敵兵には当たらない。
「やはり自分には弓の才能はないみたいだ」
 恭介は自嘲しながら、弓を投げ捨てる。
 既に黄巾賊は目の前に迫っていた。
 人数は少なく、敗走に入っている部隊だが、強い。生き残ろうとする 執念が彼等を強兵に変えているのだろう。
 恭介は槍を持ち、深呼吸をした。
 覚悟を決める。
 人と斬り合うのは初めてではないが、それは個人個人の争いであり、戦場という異常な状況ではなかった。
 まさか自分が戦場で槍を振るうことになるとは。一応、日々鍛錬しておいて良かったな。
 と、恭介が暢気なことを考えていると、黄巾を巻いた壮年の男が目の前に迫ってきた。男が剣を振るより先に、恭介の槍が男の胸を突き刺した。
 呆気ない死。だが、それを実感する間もなく、別の男が槍を向けてきた。
 相手は手傷を負い、動きが鈍い。
 恭介が槍を受け流すと、側に居た兵士が剣で男を突き刺した。
 自分の腕でも何とかなりそうだ。そう楽観した恭介だが、その希望を砕くような大声が響く。
「名のある敵将とお見受けした! その首頂く!」
 大柄な女性が恭介に怒鳴ると、槍を突き出す。 
 恭介は知らないが、彼女こそ周倉であった。
 恭介の実力にしては上出来であろう。何とか周倉の槍捌きを凌いでいたが、五合目で槍を弾かれ、六合目こそかわしたものの、次の一撃を胸に受け、転倒した。
 息が止まる。
 鎧にひびが入り、胸が痛い。骨が折れたかもしれない。
 まさか、俺、ここで死ぬのか? こんな呆気なく?
 呆然とする恭介目がけて、周倉の槍が迫る。
「させない!」
 恭介の横合いから槍が飛び出し、周倉の槍を弾く。
「引け、下郎!」
 倒れている恭介の前に立ったのは、短い髪の少女だった。
「ちっ!」
 周倉は舌打ちしつつも、本来の目的を思い出したのか、恭介達の横を走り去った。
 その後、数人の黄巾賊が恭介目がけ襲いかかってきたが、少女は一撃で賊徒達をなぎ倒した。
 やはり、この世界で卓越した武勇を持つ者は女性なのだろう。
 恭介は少女の槍さばきに魅せられていた。
「袁遺様、ご無事ですか!」
 他の賊徒と剣を交えていた高覧が慌てて駆け尽きてきた。先ほどと違い、高覧の鎧には返り血が付いている。
「……なんとか。敵の状況は?」
「大半は討ち取りましたが、一部の賊徒は陣を突破し逃走いたしました。追っ手を差し向けましょうか?」
「いや、死兵ほど手強い者はいません。逃げた者は構いませんから、まずは混乱している我が軍の再編成をお願いします。私は敵への降伏勧告を行います」
「はっ!」 
高覧は突然の戦闘で呆然としている兵達の再編成のため、一礼すると駆け出した。
恭介は周囲の兵に「自分は無事なこと」と「敵への降伏勧告を行うこと」を前線に伝えるよう命じた。
 兵士達は前線へ馬を走らせる。
「さて……」
 胸がまだ痛いが、我慢できないほどではない。
 恭介はようやく余裕も持って、自分の横で直立不動している少女を見た。
 金色の髪をした、小柄だが、精悍な顔をした少女である。年はまだ十代半ばといったところか。
「有り難うございます。貴女のお陰で命拾いしました。お名前を教えて頂きませんか?」
「はい。私は張郃。字は儁乂と申します。鄴の者です。義勇兵として参加いたしました」
「張郃!?」
 名前を聞いて、思わず恭介は大声を出した。
 三国時代を代表する名将じゃないか! それがこの少女か!
 一方で張郃は、何故恭介が驚いているのか分からないようで、こちらも驚いていた。
「あ、失礼しました。しかし、張郃さんは今回の義勇兵には参加していなかったのではないですか? 確か名簿には名前が載っていなかったと思いますが?」
 仮に名簿に張郃の名前があれば、恭介は嬉々として将として抜擢しただろう。
「はい。実は義勇兵には父が志願していたのですが。出陣の前日に体調を崩しまして。袁遺様には鄴を救って頂き、更に街の復興まで行って頂いております。少しでも恩返しをと考え、父の代わりに従軍致しました」
「そうですか……。本当に有り難うございます。貴女がいなかれば、自分はここで死んでいたでしょう」
 恭介は深く頭を下げた。
「そんな、おやめ下さい。袁遺様に受けたご恩に較べれば、このようなことは些細なことです」
 張郃は慌てたように声を上げた。

 この日の戦いにより、冀州から黄巾賊は一掃された。

 
 なお史書の張郃伝には、「年若いうちに伯業様に出会えたことは誠に幸運だった。お陰で生涯、主君を変えずに済んだのだから」との言葉が残っている。




 張郃さんといえば、「吉川的に三回死んだ人」は面白いので、オススメです。




[38235] 8 腹心二人
Name: 羽市◆b131e28e ID:9a9fd995
Date: 2013/08/10 20:36
 冀州から黄巾賊を一掃した都へ凱旋した袁紹は、その功績により南皮太守に任じられた。
 この時期、黄巾の乱はほぼ鎮圧されていた。
 幽州では公孫賛が、予州では皇甫嵩と曹操が黄巾賊を平定し、首領たる張角とその一党は予州にて討ち取られていた。曹操の報告によれば、張角達は首級を挙げられることを恥とし、炎の中へと身を投げたという。その為、とうとう死骸は見つからなかった。
 各地では黄巾賊の残党や新たな反乱が起きていたが、朝廷は乱は終わり王朝に威信が戻ったものだと盲信していた。
 黄巾の乱の鎮圧に活躍した諸将に対しての論功行賞は次の通りである。
 袁紹は南皮太守に。
 孫堅は長沙太守に。
 曹操は陳留太守に。
 公孫賛は北平太守に。
 なお、劉備は平原の相の地位を得た。
 彼女等は恩賞に相応しい功績をあげているのが、馬鹿馬鹿しいのは朝廷を牛耳る十常侍と呼ばれる宦官達である。
 彼等の強欲さと無能さがこの大乱を招いたにも関わらず、自分達に将兵達よりも多くの恩賞を与える始末。
 世を平穏にするためには、この種の寄生虫を駆除するしか道はないな。
 恭介はそう思いながら、袁隗の屋敷へと向かっていた。
 なお、恭介自身は未だ恩賞を授かっていない。おそらくは袁紹付きの文官として南皮に赴くのでないか、そう予想していた。
 自分が袁隗に呼ばれたのもその件だろう。

 恭介は、袁隗という叔母がどういう思考の持ち主であるか理解出来ていなかったし、個人的に親しみを持てる相手でもなかった。ただ、袁隗の屋敷は彼が幼少の頃から育った場所であり、そこに住む家人達や働く使用人達には親しみを持っていた。
 一族の者と挨拶し、顔馴染みの使用人達と会話を交わした結果、恭介が応接間に辿り着いたときには既に二人の先客が揃っていた
「あらー、袁遺さん。随分とお時間がかかったようで。先日まで戦地に居ただけあって、貴人への礼を失ってしまったのですか?」
「ええ。しばらく戦場で過ごしていた為、礼を忘れてしまったかもしれません。ですが、敵意には一段と敏感になったと思いますよ、張勲殿」
「あらあら。失礼ですが、いくら敵意に敏感になった所で、袁遺さんの腕では役には立たないと思いますよ。よろしければ、今度、私が稽古の相手をいたしましょうか?」 
「やめんか二人とも!」
 恭介と張勲の不毛な応酬を一括したのは、白髪の老人であった。
 張勲は横を向き、恭介は老人に頭を下げる。
「申し訳ございません、田豊翁」
 田豊は六十を過ぎた老人であり、袁家三代に仕えてきた人物であった。政略・軍略共に当代随一の人物であり、今日の袁家の繁栄は田豊の手腕にあると世間では評されている。
 袁家の一族である恭介も、田豊の前では小僧にしか過ぎない。
 一方、恭介の反対側に座る青髪の同年代の女性は張勲といい、袁術付きの将である。恭介自身にはそんな意識はないのだが、周囲から見ると、恭介は袁紹の腹心であり、袁術の腹心である張勲にとって恭介の存在は面白くないらしく、何かにつけて絡んでくる。
「それで、初めての実戦はどうだった、伯業殿?」
「はい。危うく黄巾賊に首を挙げられそうになりました。兵法は机上ではなく、実戦を経験しなければ役に立たないことを実感致しました」
 恭介の素直な言葉に、張勲は嘲りの表情を浮かべたが、田豊は頷いた。
「兵法に限ったことではないが、書物で学ぶことよりも、学んだことを如何に現実に応用するかが重要だからな。その点では負けること、挫折することは決して無駄ではない。最後に成果を残せればいいのだ」
 それきり田豊は黙り込んだ。
 恭介も張勲も、田豊が発する厳然とした雰囲気に圧され軽口も叩けない。
 結果、半刻ほどの間、三人は一言も話さなかった。

「先程まで大将軍と、立太子について話をしてきたところよ」
 外から戻った袁隗は三人を見渡す。
 現在の皇帝は、後年『霊帝』と呼ばれる男性である。年齢はまだ三十を過ぎたばかりであるが、近頃は病に伏せることが多い。何よりこの王朝の皇帝は、三代章帝から先帝の桓帝まで皆短命である。更に皇帝が代わる度に外戚と宦官の勢力争いが起き、朝廷が混乱するという事態が続いている。
 現在、文官としては最高の位についている袁隗も、仮に皇帝が崩御すれば、その地位が揺らぐ可能性もある。尤も、老獪な彼女が何の手段も講じていないとは思えないが。
 文官の頂点が袁隗ならば、武官の最高位は大将軍の何進である。二人は協力して政を行い、黄巾の乱にも対応してきた。更に宦官と対立することなく、彼等に排除されていた士大夫達を官職に復帰させるなど、その体制は概ね順調といってよい。
「陛下は公言しておらぬが、内々では協皇女を太子に立てたいとお望みのようだ。そこで、そなた達の意見を聞きたい」
 皇帝には二人の子がいる。
 長男で今年十五歳になる弁皇子。
 長女で九歳の協皇女。
 弁皇子の母は何進の妹である何皇后、協皇女は母を何皇后に毒殺され皇帝の母である董太后によって養育されている。
 長男であり、皇后と大将軍の後ろ盾がある弁皇子を太子に立てれば混乱は起こらないのだが、どうも皇帝にはそういった政治感覚が欠けているらしい。
「陛下の意に従うのが臣下の努めかと存じます。しかしながら、どなたを太子に立てるかは陛下のお決めになること。今の時点で、どなたが太子に相応しいか議論するのは臣下の分を過ぎていると思われます」
 正論を吐くことが己の存在意義と考える田豊らしい発言だ。
 袁隗は頷くと、恭介に視線を移す。
「王朝に混乱が続くのは、ひとえに年端もいかない御方を皇帝として即位させてきたことにあります。ここは年長の弁皇子を太子に立てて頂くのが筋かと。袁家と何家は良好な関係ですし、何より長子に譲るのが人の道ではないでしょうか?」
 張勲の視線を感じつつ、恭介は己の意見を述べた。
 皇室と同じく、袁家も同じ問題を抱えている。年長である袁紹と、年少である袁術、どちらに宗家を継がせるのかと。
 張勲はほんの一瞬恭介を睨んでいたが、すぐに作り笑いを浮かべると、
「そうですねー。私も弁皇子が太子として立てられた方がよろしいかと思います。弁皇子のご年齢を考えると、将来は美羽様が皇后に立てられる可能性もありますし」
 張勲の発言に恭介は絶句した。
 あの、我が儘放題に育てられた少女を皇后に!
 袁遺は恭介の反応に満足しつつ、言葉を続ける。
「袁遺さんはご反対のようですが、袁家の家柄を考えれば、皇后に立てられるのはおかしことではないと思いませんか?」
「……過去、外戚となった者が家を保った例はないと思いますが?」
 張勲の作り笑いと恭介の冷ややかな笑みがぶつかる。
 田豊はそんな二人を苦々しく、袁隗は無表情に見つめていた。
 やがて袁隗が口を開く。
「この問題はすぐに結論が出せるものではないでしょう。ですが、立太子についての議論が起こったときは、我が一族は団結して動かねばなりません。皆、それを忘れぬように。それと田豊翁」
 袁隗は田豊に視線を移すと、
「貴方は麗羽の代わりに南皮に赴き、太守の職務の代行をお願いします。麗羽には、都で別の任に当たらせる必要がありますので。それと恭介。貴男は明日、麗羽と共に大将軍の屋敷に参内しなさい」
 そう言い残すと、張勲を伴って部屋を出ていく。
「伯業殿。どうして伯業殿ではなく、儂が南皮に赴くことになったのか分かるか?」
「……なんとなくは」
 恭介で充分な役割に、あえて田豊を当てる理由。それは南皮を袁紹の地盤ではなく、袁家の地盤にしたいということだろう。
 つまり、袁隗は自分の後を袁術に継がせる気なのだろう。
「残念だが、この先袁家は本初様と公路様とに割れるだろう。今のうちに、己がどう動くか考えなければ、波に飲み込まれ、命を落とすことになる。よく考えることだ」
 近い将来、袁紹と袁術が反目し合うことを知っている恭介は、田豊の言葉に頷くしかなかった。

「袁紹様を都に残さない方がよろしいのでは? 正直に申しまして、袁紹様の名声はかなりのもの。都に居れば、美羽様が宗家を継ぐ際の障害になると思いますが」
「大将軍の希望なのよ。近々、陛下は直属の近衛兵をお作りになるおつもりのようでね。その指揮官の一人に、麗羽を登用したいと大将軍は考えているの」
「近頃は都の周辺にも賊が出没しますからねー。ですが、今の朝廷に、都に常備軍を置く余裕はあるのですか?」
「また官職を売りに出すのでしょう。金を払って官職を得ようとする俗人達は所詮無能者の集まり。私の地位を脅かすような傑物はいないでしょうから、悪い話ではないでしょう」
 袁隗は朝廷の良識人と目されているが、彼女の胸の奥底には薄暗い権力欲が渦巻いている。
「田豊様には河北での袁家の勢力を築かせ、袁紹様は大将軍への繋がりと都での軍事力の為に利用する訳ですか」
「ええ。それと恭介も大将軍に推薦するつもりです」
「袁遺殿に武官はいささか荷が重いのでは?」
「恭介とて、それほど無能ではないでしょう。それに、あれを自由の身にしておくことの方が危険だわ」
 表だって態度を表明したことはないが、恭介が美羽より麗羽を評価していることは分かる。
 既に袁術に後を継がせることを決めている袁隗としては、恭介の存在は目障りであるが、無能ではないので、手駒として効率よく利用したいところだ。
 別段、袁隗は美羽を愛している訳ではない。ただ、王朝に数十年仕えている彼女は、『漢』という王朝の寿命が尽きかけていることを実感していた。
 劉氏の次は袁氏が皇帝になって何が悪い。
 それが袁隗の思いである。
「張勲。先ほど、そなたは美羽を皇后にしてはと言ったわね」
「はい」
「皇后では不足よ。美羽には皇帝になってもらいます」
 袁術は驕児である。善悪の区別もなく、自分の欲しい物を欲するだけの子供だ。だが、そういった人物でなければ、劉氏に代わって皇帝にはならないだろう。
 麗羽は育て方に失敗した。覇者とは、もっと傲慢であるべきなのだ。
 袁隗はそう思いながら、袁術の部屋へと向かった。



[38235] 9 大将軍
Name: 羽市◆b131e28e ID:9a9fd995
Date: 2013/08/10 20:39
 武官の最高位である何進と文官の最高位である袁隗の協力体制は利害の一致によるものだが、何進と袁紹の関係は極めて単純であった。
 二人は馬が合ったし、何より袁紹にとって何進は恩人であった。
 何進は黄巾の乱を利用して、宦官に追放されていた官吏達や在野の士を役職に就けたが、その中には袁紹の知人や友人が数多く含まれていたからである。 
 何進は情の人である。
 際だった才があるわけではなく、元は街の肉屋の娘であった。妹が皇帝の寵愛を受け、その引き立ての結果、今日の地位まで上り詰めた。元々庶民の出であるので情に厚く、結果として人望を得ていた。尤も、袁紹のように純粋に好意を寄せる者がいれば、曹操のように利用しようと目論む者もいるのだが。
 その何進は袁紹と、一つの大事について相談していた。
「近々、陛下は近衛兵を編成なさる。ついては兵を指揮する人物が何名か必要だが、麗羽には心当たりはないか?」
「そうですわね。華琳さん。それと孫文台はいかがですか?」
「孫堅は是非とも起用したいが、あれが抜けると、南方での反乱を鎮圧できる将がいなくなるからな。残念だが、此度は見送るしかないな」
 黄巾の乱が鎮圧されたとはいえ、各地ではいまだ反乱が多発しており、孫堅は各地を転戦していた。
「近衛兵ということは、都の守護が目的なのですか?」
「ああ。黄巾賊は鎮圧したとはいえ、他の賊徒は今も無数に存在している。この洛陽とて、一歩外に出れば、身の安全は保証できない状態だからな。
 かといって、陛下と宦官達は大軍を編成して賊徒を討とうとは考えていないぞ。何しろ、王朝には金がないからな。精々一万人規模の軍隊になるだろうな。
 そして指揮官の一人は、麗羽、お前が就くのだぞ」
「私ですが? しかし私には南皮太守の任がありますが」
「それは他の者に代行させればよい。既に袁隗殿には了承を得ている」
「そうですが……。大将軍のご命令ならば喜んでお受け致します。それで最高指揮官はどなたですの?」
「……蹇碩《けんせき》だ」
「……はい?」
 苦い何進の声と、呆気にとられた袁紹の声。
「陛下直接の命でな、この近衛兵の最高指揮官には蹇碩が内定しているのだ」
「宦官が軍の指揮官なのですか!?」
 蹇碩は皇帝の寵臣であり、武略があるとの評されていたが、所詮は宦官である。
 宦官が軍を指揮するなど聞いたことがない。
「最高指揮官に最も信頼できる者を置く。当たり前の話だが、それが宦官というのが今の王朝の実情だな。だからこそ、麗羽に指揮官に加わってもらいたいのだ。幸い蹇碩以外の人選は私に一任されているので、信頼できる人物を当てたいと考えている。
 さて、そろそろ話に加わってくれないか、袁伯業?」
「……いえ、大将軍と麗羽様の会話があまりに自然で、自分が口を出す雰囲気ではなかったもので」
 それまで麗羽の後ろに控えていた恭介がようやく口を開いた。
 何進と袁紹の仲が良好なのは知っていたが、二人の関係は恭介の想像以上であった。
 まるで姉妹のような和やかさだ。
「袁隗殿の書状には、お主も指揮官として推薦すると書いてあったが、直接話したことはなかったからな。まあ、麗羽から噂だけは聞いていたが」
「どのような噂ですか?」
「冴えない、爺くさい、説教好き、それと……」
「よろしいではないですか! 今は恭介さんがどういった人物かを確かめたいのでしょう!?」
 面白そうに話す何進を袁紹が遮った。
「私が冀州の黄巾賊を鎮圧できたのも、半分は恭介さんのお陰です。恭介さん自身の才覚は武よりも文に向いているとは思いますが、近衛兵の指揮官という重責を意識し、行動出来る人物だと思いますわ」
「麗羽が人を褒めるのは珍しいな」
 何進は可笑しそうに笑うと、
「どうだ、袁遺殿。そなたも近衛の指揮官に任命したいのだが、受けてくれないか? そなたが側にいれば麗羽も色々と助かるだろう」
「大将軍!」
 袁紹は顔を膨らませているが、それは怒りよりも甘えに見える。
 恭介は黙り込んだが、それも長くはなかった。
「謹んでお受けいたします」

 その後も恭介は何進と袁紹の語り合いの場に同席し、屋敷に戻ったのは夕方を過ぎた頃だった。
 袁隗や袁紹と比較にならないが、恭介も自身の屋敷を持っている。使用人と護衛の兵士が合わせて十人ほど暮らす小さな屋敷だ。
「お帰りなさいませ、恭介様」
 庭で鍛錬をしていた張郃が笑顔で駆け寄ってくる。
 南皮を離れる際、恭介が頼み込んで部下になってもらった。歴史を知る恭介としては、何としても仲間にしたい逸材であるが、当の張郃からしてみれば不思議でしかなかった。
 何の実績もない小娘の己に対し、官軍の将が力量を認め、土下座せんばかりの勢いで仕官してくれるよう頼むのである。
 張郃は感激し、恭介に仕えると同時に真名を交換した。
「大将軍はどのようなご用件でしたか?」
「どうやら、都で一軍を預かる身になるようです。てっきり南皮に文官として赴任するものと思っていたのですが。出来れば火凛さんにはこれからも自分の仕事を手伝ってくれれば有り難いのですが、いかがですか?」
 張郃の地元は冀州である。このまま自分に従っていては故郷に戻れなくなるかもしれない。
 そう思い恭介は尋ねたが、
「勿論です。恭介様に仕える際、両親には『例え益州や交州であっても、恭介様に付いていく』と話していますから」
 張郃は迷いない口調で断言した。
「それは頼もしい。火凛さんもご存じの通り、自分は武芸が得意ではないので、色々と助けて下さい」
「はい!」
 張郃の明るい声に恭介は笑顔を浮かべ、屋敷に入った。
 台所に立ち寄り、酒を片手に自室に戻る。
 今日まで恭介は、自分は南皮に文官として赴任するものとばかり思っていた。軍事より内政こそ自分の力を発揮できるだろうし、その為に赴任したらどういった施策を取るかを日夜考え、書き溜めていたのだが。
 しかし、都に留まれるのは好機かもしれない。
 地方へ赴き、実際にその荒廃ぶりを目の当たりにした今、恭介の心境には変化が現れていた。
 今までは、漢が滅び三国時代に移る時代をどう生き延びるか。そのことばかりを考えていたのだが、今生きている民のことを考えなくともよいのか、という疑問が生じたのである。
 武勇も軍略も持ち合わせていない恭介だが、『こうなるであろう歴史』という知識は持ち合わせている。
 漢が滅び、三国時代が到来。司馬一族が台頭し、晋が大陸を統一。めでたしめでたし。
 では、終わらない。
 晋は僅か二十年で皇族達による内乱が勃発。そして異民族の侵略により大陸は蹂躙され、王朝の交代が繰り返される『魏晋南北朝』と呼ばれる時代がやって来る。『随』という王朝が再び大陸を統一するまで、実に三百年という長い歳月を費やすこととなる。
 恭介は酒を飲みながら、紙に思いつくまま考えを書き込んでいく。

一・何進暗殺を防ぎ、宦官を排除する
二・董卓が実権を握る前に袁紹と共に排除する
三・袁紹を河北の覇者にして、曹操を破る
四・あるいは曹操に仕え、赤壁の戦いを勝利させて大陸統一
五・いっそ孫堅か劉備に仕え、大逆転を狙う
六・田舎に引き籠もり、静かに暮らす

 尤も被害が少なく手間も掛からないのは、一の案だろう。宦官を排除した後、何進に実権と袁紹に委ねて漢を存続させる。実際に何進と対面し、彼女が『所詮は肉屋の出』と蔑まれる人物ではなかったことから急遽思いついた案である。この案が一番、簡潔であり争乱が少ない。宦官の排除など、千の兵もいれば事が成る。問題は、宮廷闘争になった場合の宦官達の底力に注意することだろう。
 二の案は次善策だ。何進と宦官が共倒れになった都に董卓が入洛した際、手勢は数千だった筈。それなら何進の配下だった兵や近衛兵の残兵を袁紹に糾合してもらえば董卓を討つことは難しくはないだろう。その後は袁紹と残った官吏で王朝を支えてもらえばいい。
 三の案までいくと、危険が伴う。そもそも、官渡の戦いまでに自分が生き残っているかどうかが分からないし、仮に曹操を破ったとして、その後には孫呉と劉備を相手に戦う可能性が高い。
 四の案。これは赤壁の戦いにさえ勝利すれば良いのだから、さほど困難ではない。ただし、自分と曹操の関係があまり良くない上、袁紹の腹心と思われている自分が曹操に受け入れられるのか疑問が残る。
 五の案に至っては、大陸統一への道筋を一から描かねばならない。孫家の場合、戦上手の孫堅や孫策が当主の場合はまだよいが、孫権の代になれば大陸の統一はまず不可能だろう。おまけに孫権は晩年は耄碌し、多数の重臣が報われずに死んでいった。自分がその一人に数えられるのは御免被りたい。劉備に至っては、流浪の果てにようやく蜀を得る有様だ。大陸を統一するなど夢のまた夢だろう。
 思考をまとめながら恭介は考え込む。
 やはり、手を打つなら早めの方がいいということだ。その為には都に留まり、ある程度の発言力を確保しなければならない。
 正直、自分には荷が重いが、これは義務かもしれない。
 一人、時代の解答を持ち合わせている者としての。
 努力した結果何も変わらなければ、六の案のごとく、竹林の七賢を気取って、酒に溺れながら書物の注釈に明け暮れればいいだろう。
 しかし、この時代の酒は濃度が低い。史書にはよく酒で失敗した人物の例が載っているが、この濃度で酔うとは、一体どれ程飲んでいたのだろうか。
 出来れば腕の良い職人に、現代日本の酒を造って欲しいところだが、生憎と俊介は酒の知識をそれ程持ち合わせてはいなかった。

 中平四年(188年)十月、皇帝直轄の近衛兵が誕生した。
 閲兵式が行われた場所は、宮殿の西園にある平楽観と呼ばれる演場である。
 その為、この近衛兵は西園軍<さいえんぐん>と呼ばれることとなる。
 皇帝は大将軍何進を従え、その場で八人の指揮官を任命した。

 上軍校尉 蹇碩(兼小黄門)
 中軍校尉 袁紹(兼南皮太守)
 下軍校尉 淳于瓊
 典軍校尉 曹操(兼陳留太守)
 助軍校尉 袁遺
 佐軍校尉 鮑信<ほうしん>
 左校尉 逢紀<ほうき>
 右校尉 張遼

 後世、この八名は西園八校尉として名を残すこととなる。
 平伏しつつ、初めて拝謁した皇帝は、病的なまでに青白い顔をしていた。
 もって年内ではないか。
 臣下の身でありながら恭介は極めて不遜な印象を抱いた。



[38235] 10 華の西園八校尉
Name: 羽市◆b131e28e ID:9a9fd995
Date: 2013/08/10 20:41
 西園軍及び八校尉の実質的な活動期間は極めて短かった。
 だが、その名が今日まで伝わっているのには二つの理由がある。
 理由の一つは、八校尉に名を連ねた者達が今後の乱世の中心人物となったからであり、もう一つは、皇帝直属の近衛兵という制度が次の王朝において完成され、軍の中心として機能したことである。
―『後漢雑記』より―

「暇ですね」
「ええ」
 宮中と大将軍府の間に設けられた、西園軍の屯所。各指揮官が集まる執務室で書類に目を通しているのは恭介と鮑信の二人だけだった。
 一万の兵士を集めて軍を編成・維持するということは、一万人の人間とその家族を管理し、衣食住を保障するということである。
 細かい作業は専門の文官が行うが、最終的に書類を確認し印を押すのは八人の校尉の仕事である。
 だが現在、執務室には二人の校尉しかいない。
 恭介と鮑信<ほうしん>である。
 世間からは西園八校尉と一括りに扱われるが、各人の地位にはかなりの差がある。
 筆頭である上軍校尉の蹇碩の力は絶大である。上軍校尉は西園軍のみならず大将軍や都の防衛を指揮する権限まで与えられていた。尤も、蹇碩がその権限を行使したとこで、何進配下の将兵は従わないだろうし、蹇碩自身も何進と対立するつもりはなく、相変わらず宮中で皇帝の側に控えている。
 次席である中軍校尉の袁紹は何進からの信頼を盾に、蹇碩から軍権を奪うべく積極的に動いていた。その袁紹の側から離れず共に行動しているのが逢紀だ。彼女は早くから何進の幕僚として招かれており、今回も何進の推薦により左校尉に選ばれた。本来は同僚である袁紹に家臣のように従っている。
 恭介の知識では、逢紀は『讒言軍師』であり、『出負け軍師』の郭図と共に袁家を滅亡に追い込んだ人物として記憶されている。
 出来れば袁紹から遠ざけたい人物だが、今のところ何の落ち度もない彼女についてそのような進言をすれば、自分こそ讒言を弄する奸臣になってしまう。今のところ逢紀は袁紹の意を汲んで尽くしているし、害はなさそうなので放置しているが。
 上に立つ蹇碩と袁紹がそのような有様なので、実際に兵士の鍛錬を受け持っているのは下軍校尉の淳于瓊だ。彼も何進の推薦で八校尉に選ばれたが、政治的な動きには無関心で職務に没頭している。実戦向きの、有能な指揮官といったところか。
 典軍校尉に任じられた曹操は、西園軍の職務よりも陳留太守としての職務に重要性を見出しているようで、必要最低限しか屯所にやってこない。そもそも太守が任地を離れ別の職務を兼任するのは異例のことであり、曹操には袁紹における田豊のような有能な代理がいない以上、仕方の無いことではあるが。
 右校尉の張遼は優れた武将であるが、兵士とともに刀を振るのに熱中している。
 結果、恭介と鮑信の二人が西園軍の事務仕事を処理するのが習慣になっていた。
 鮑信の家は代々儒者を出す一族であり、彼女も礼節を重んじている。勿論、八校尉に選ばれるだけあり、将としても優れている。黄巾の乱では、冷静かつ豪胆な指揮を見せ、何進に高く評価された。
 恭介の『三国志知識』に鮑信の名はなかったので、同じ八校尉に任命されたときは、『地味キャラ同志、仲良くしようかな』程度の認識であった。故に、共に仕事に取り組み彼女を知るにつれ、このような優れた人物が居たことに、驚きを隠せなかった。
 鮑信は武勇だけではなく優れた見識を持ち、また自分の才に驕ることなく日々真面目に職務に勤しんでいた。袁紹や法正には、是非見習ってほしい美点だ。
「どうしました、袁遺殿? 何やら考え込んでいる様ですが?」
 恭介の視線に気付いたのであろう、鮑信は顔を上げた。
 短い黒髪が似合う精悍な顔。知性と人を思いやる優しさが宿る瞳。
 そんな鮑信に見つめられ、恭介は動揺しつつ返事をする。
「あ、いえ、自分の友人や知人が鮑信殿のような人柄であればと、つい無益なことを考えていたところです」
「袁遺殿のご友人というと、法正殿や荀攸殿ですか?」
「他にも居りますが、才能と人格が伴わないという面では、二人はその代表でしょう」
「世の中には、才もなければ徳もない人間が大勢います。才だけでも優れていれば十分ではないでしょうか?」
 恭介の軽い口調にも、鮑信は真剣な口調で弁護する。
 彼女の美点がここにある。
「鮑信殿は、二人と面識がおありですか?」
「いえ、ありません。ただ、法正殿は大学でも一二を争う軍略家であったこと。荀攸殿も優れた才覚の持ち主だと聞いておりますが」
「そうですか。鮑信殿さえよろしければ紹介いたしましょうか? 二人は大将軍に仕えていますから、西園軍の報告も兼ねてご一緒に大将軍府に行きませんか?」
「それは、是非ともお願い致します」
 恭介と鮑信が何進に報告する為の書類を整理していると、一人の将が執務室に入ってきた。
「二人とも、少しは鍛錬したらどうや? そんなんやと、戦場で役に立たんで?」
 紫色の髪の毛を束ね、日に焼けた武人。張遼である
「私も剣を振るいたいのですが、生憎と日々机に書類が溜まっていく有様でして。もう一人仕事を手伝ってくれる人がいれば、鍛錬の時間も作れるんですが。張遼さん、どなたか心当たりの方はいらっしゃりませんか」
「……すんません」
 鮑信の柔らかな抗議に張遼は頭を掻く。
「生憎、うちは細かい仕事は苦手なんよ。そういう仕事は曹操や逢紀が得意やろ?」
「二人とも滅多に顔を見せませんけどね」
 恭介の言葉に張遼は溜め息を吐く。
「はあ。西園八校尉いうても、実質働いているのは四人やもんなあ。こんなんで、本当に軍として機能するん?」
「西園軍は賊を討つための軍ではないんですよ、張遼さん」
「そら、どういう意味や、袁遺?」  
「都に一万の兵がいるということが大事なんです。政治的な力として。ですから兵権を巡って、蹇碩と大将軍の片腕である麗羽様が争っているんですよ。兵権を握った方が、都での発言力が増しますからね」
「はあ…。そんな阿呆なことしとる暇があったら、賊退治に力を入れろや。うちが前に赴任してた涼州かて、未だ完全に鎮圧されてないんやで」
「高官ほど、宮廷が世の全てだと思い込んでいますから」
 殆どの校尉が何進の推薦だが、張遼は董卓の推薦である。西方で勢力を強めている董卓との連携を深めるため、また騎馬隊を編成するために、何進が董卓に依頼して八校尉に任命された人物である。
「ところで張遼さん、董将軍とはどういう方なのですか?」
 後に王朝を破壊し尽くす、三国志随一の悪役『董卓』。
 恭介はあらゆる伝手を使い、この世界の董卓について調べていたが、得られた情報は不自然なまでには少なかった。
 并州や涼州で長年異民族相手に戦ってきた将軍。それだけしか伝わってこないのだ。
 若き日の董卓を官職に推薦したのは袁隗だが、彼女に尋ねても「武勇に優れた男だった。何十年の昔の話だ。それしか憶えていない」との返事が返るだけ。
 辺境を数十年守り、異民族の侵攻を防いだのだから名将ではあるのだろうが。
「董将軍? ええ……どう言っていいんかな。まあ、人柄は悪くないで」
 張遼の言葉も歯切れが悪く、その話題に触れて欲しくないのは一目瞭然だ。
「袁遺殿、大将軍へお渡しする書類の準備ができましたが」
 鮑信は書類を整えると席を立った。
「そうですか。それでは行きましょうか? 張遼さんはどうしますか?」
「うちはもう少し鍛錬しとくわ。それに屯所に将軍がいないのも問題やろ」 

 鮑信の見るところ、八校尉には逸材が多い。
 まずは曹操。宦官の孫という家系と自信過剰に取られかねない態度には不評も多いが、傑物であることは間違いない。曹操はたまに屯所に顔を出すと親しげに話しかけてくる。それは構わないのだが、向けられる視線に、何というか性的なものを感じるのは気のせいだろうか。
 張遼は武芸に優れているが、指揮官としても優秀である。天性の明るさと優しさを持つ彼女の元で、兵士達は死力を尽くすだろう。
 袁紹の魅力はその名声にある。尊大に見える態度も、名門袁家を背負って立つ決意と思えば不快ではない。黄巾の乱でも戦功を立て、将帥としての器も証明してみせた。
 そして、横を歩く袁遺。
 袁紹の従兄であり、博識をもって知られる人物との評判を聞いたことはあるが、実際の袁遺の魅力はその点ではない。相手の身分に拘らず、常に親身に接し、およそ人を不快にさせることがない。学が有り、知恵に自信のある者ほど人の話に耳を傾けないというが、彼にはそうした点がまるで見えない。
 これは人物だ。
 後世、袁遺を最初に高く評価したのは鮑信だと言われている。それまでにも曹操や法正、顔良や文醜など、袁遺を評価していた人物もいたが、彼女等は長い付き合いを経た上で、袁遺の人格を第一に評価していた。それに対して鮑信は、僅かな付き合いで、人格は勿論のこと、『人の才を活かせる人物』という袁遺の本質を理解していた。
「あら恭介さんに鮑信さん。二人してどうなさいましたの?」
 二人が大将軍府に出仕すると、袁紹が出迎えた。
「大将軍に西園軍の状況について報告に伺ったのですが?」
「大将軍なら陛下の下へ参内して、今はお留守ですわよ」
 袁紹は八校尉の次席なのだが、西園軍の屯所ではなく大将軍府に詰めている。西園軍の兵権を握る手段や弁皇子を太子に立てる方策、政を壟断<ろうだん>する宦官の排除、今の袁紹に西園軍の実務に関わっている暇はないのだろう。
「袁紹様はお忙しいのです。この後は、最近評判の衣類店に足を運ばれるのですから、ご用があるのなら、さっさとすませて下さい」
 茶色の髪の毛を左右に装飾品で結んでいる小柄な少女が横合いから口を挟んでいた。
「……逢紀殿。今なんと言われましたか?」
「だから、袁紹様は多忙なのよ! 貴方たちの相手をしている時間は無いんだから、用件があるのなら早く終わらせなさいって言ってるのよ!」
 私が聞きたいのは忙しい理由なのだが。それにしても、逢紀のこの態度はまるで袁紹の家臣そのものだな。
 鮑信は呆れつつ、どうしたものかと隣に立つ袁遺の様子を窺った。
「麗羽様。西園軍の現在の状況をまとめましたので、ご確認をお願いいたします」
 袁遺が差し出したのはたった一枚の紙だった。文章も十行ほどしか書かれていない。
「分かりましたわ。それで、用件はそれだけですの? でしたら荷物持ちとして同行してもよろしくてよ、恭介さん」
「袁紹様。既に馬車と随員のご用意が出来ておりますので、荷物持ちは不要です」
「逢紀殿もそう言っておりますし、自分もまだ仕事が残っておりますので、残念ですが今回は遠慮させていただきます」
「そうですか。それでは今度は時間を作ってからいらっしゃい。たまには男性の意見も参考にしたいですからね」
 腰に手を当て高笑いする袁紹と、袁遺を睨む逢紀。
 袁遺は微笑を崩すことなく、鮑信と共に退出した。

「逢紀殿は随分と袁遺殿を嫌っているように見えましたが?」
「そのようですね。彼女は麗羽様に夢中なようですから、自分の存在が気に入らないのでしょう」
 袁遺は特に気にしていないようだ。
「それにしても、事前に要点をまとめておいたのは流石ですね」
「麗羽様とは長い付き合いですから。報告書は大将軍付きの専門家に任せればいいでしょう。その為に今日はやって来たのですから」
 袁遺に先導され府内を歩いていると、
「何ですか、この仕事量は! 尋常じゃありませんよ! 何故私がこんなに働かなければならないんですか!」
 と悲鳴が聞こえてきた。 
 袁遺は笑顔を浮かべると、悲鳴の聞こえた部屋に入る。
 そこは文官の執務室で、眼鏡をかけた憂鬱そうな青年と中性的な女性が座っていた。
「役職上仕方ないだろ。ただでさえ使える人材は西園軍や反乱鎮圧に取られているんだから」
 女性は読んでいる書物から顔を上げずに返事をする。
「なら法正さん、貴女も働いてくださいよ!」
「生憎だが、僕は今読書中なんだ。他をあたってくれないかい?」
「読書中以前に仕事中でしょう! 大体、この部屋には私と貴女しか……」
「相変わらず、苦労してるな、桂樹」
 袁遺の声に青年は顔を上げた。
「ああ、恭介君ではないですか。丁度良い。恭介君からも、法正さんに働くようにお願いして下さい」
「翼の上官は君だろう?」
「僕に上官としての威厳があると思っているんですか!」
「いや、そこは怒るところか?」
 青年の叫びは実に情けないが、鮑信の目から見ても、気弱そうな青年と不遜な空気を纏う女性では勝負にならないのは明らかだ。
「翼、君の上司である荀公達殿が、働いて下さいとお願いしているが、都合はどうかな?」
「先日入手した房中術に関する本が面白くてね。男女の交わりにも色々な方法があるようだ。中々に興味深い。そんな訳だから、悪いけど手一杯だね」
「だそうだ、残念だったな」
「何なんですか、そのやる気ない説得は? 大体法正さんには相手がいないんですから、房中術なんて必要ないでしょう!」
「そんなに怒ると禿げるぞ、桂樹。代わりに手伝うから、それで勘弁してくれ」
 そこで袁遺は唖然としている鮑信の方を振り返る。
「この頭が良さそうだけど弱気なのが荀攸。同じく頭が良さそうだけど愛想がないのが法正だよ」
「初めまして、佐軍校尉の鮑信です。お二人の話は袁遺殿からよく聞いております」
「「どうせ良くない話でしょう」」 
 荀攸と法正の声が重なった。
 荀攸の官職は黄門侍郎であり、法正の官職は議郎である。
 だが、二人の力関係は官職とは正反対のようだ。
 荀攸は青白い額に手を遣ると呟く。
「何で僕ばかりこんな苦労をしなくてはならないんでしょう。そもそも人手が足りないんですよ。大将軍が呼び戻しているとはいえ、未だ多くの優秀な人材は地方に残ったままですし」
「君の一族は優秀な人材が揃っているんだから、中央に呼んだらどうだ? 特に荀彧<じゅんいく>なんて、評判じゃないか?」
「彼女は非常に優秀ですが、いささか個性が強いといいますか。正直、一緒に仕事をするとなると三日で胃に穴があきます」
「……よく事情が分かりませんが、お困りのようなら、私も手伝いますが」
 鮑信が遠慮がちに声をかける。
 すると、法正も顔を上げた。
「荀攸は兎も角、客人にご足労願うのは心苦しい。僕も働くとするか」
「だったら、初めから働いて下さいよ!」
 荀攸の声など聞こえていないかのように、法正は書類の整理に取りかかかる。
 そして鮑信も袁遺と共に作業を手伝いつつ、二人と会話を交わした。
 法正も荀攸も確かに噂に違わぬ知略の持ち主だ。だが……。
 鮑信はふと隣で書類を読んでいる袁遺の横顔を見つめた。

 後に鮑信は末妹に「法孝直も荀公達も優れた謀臣だが、個性が強く、その才を活かせる器量を持つ者は少ない。恭介という友人を得たことは、二人にとって、そして天下にとって幸いであった」と語っている。



[38235] 幕間ー彼女がドリルになった理由ー
Name: 羽市◆b131e28e ID:9a9fd995
Date: 2013/08/10 20:42
本編前のお話です。
 今までと少し雰囲気が違うかもしれませんが、読んでいただけ幸いです。

 
 月旦評という言葉がある。
 後漢の許劭《きょしょう》が従兄の許靖《きょせい》らとともに、人物の批評を行う催しだ。
 その影響力は強く、称賛された者は実像以上に評価され、また批評されただけで一角の人物と噂が立つほどであった。
「全く、馬鹿馬鹿しい話だと思わないかい、恭介?」
 洛陽の外れの酒屋で、法正は恭介に語りかけていた。
 この時代の酒は濃度が薄く、かなりの杯をあけなければ酔う事はない。
 だが、酒に弱い法正は、僅かな量ですぐに酔う。
「確かに、人物批評は人材を登用する際の目安になるだろうさ。だが、他人を批評する連中に僕は問い詰めたい。お前はそんなに大した人物なのかと!」
 法正は杯を机に叩きつけた。
 すでにでき上がっています。いっそ、酔い潰れて下さい。
 恭介は黙って法正の杯に酒を注いだ。
「特に許劭の批評など、その人物の本質を視ていない。あの爺にとっては、その人間が儒教の精神を持っているかどうか、それだけが批評の材料なんだよ!」
「ひょっとして、月旦評に顔を出したのかい?」
 人と交わるのが嫌いな法正が月旦評に出席したとは意外だった。
「父に無理矢理連れて行かれたんだ。そこで許劭の野郎、なんて言ったと思う!?」
「さあ?」
 曖昧に返事をする。
「『知恵有れど、志が無い。歪んだ性格の持ち主として歴史に名を残す』だとさ。大きなお世話だ!」
 あれ、その批評、当たってないか?
 恭介は内心頷いてしまった。
「何だい、その『間違ってないな』的な顔は!」
 法正は恭介の頭を叩く。
 法正は酔うと途端に子供っぽくなる。その一面を知っているのは、恭介ぐらいだろう。
 なにせ、法正は他に友達がいない。 
「僕は現実主義者なんだ。腐れ儒者のように、理想を語るだけで現実の難問を解決できないような連中は大嫌いだ! 奴の名は僕の心の復讐帳に書き込んだ。出世したら、獄にぶち込んでやる!」
 だから史書に「優れた判断力と計略を持つ反面、徳性について賞賛されることはなかった」と書かれるんだよ、翼。
 そう思いながらも、結局恭介は法正が酔い潰れるまで相手をした。
 この時代、人材を登用する大きな物差として、批評家からの評価があった。
 現代日本に比べて圧倒的に情報が少ない時代、人材を見極めるのは極めて難しい。
 よって、著名な批評家から何かしらの評価を得れば、それが履歴書代わりになる訳だ。
 極端な話、批評の中身よりも、批評されたということが大事なのである。
 批評されるということは、善し悪しに関わらず、批評するに足る一角の人物として認められた証なのだから。

「……麗羽様、そのお召し物は、外に出歩くには些か不向きではないですか?」
 それ以前にその長スカートでどうやって歩くんです? 貴女のキャラじゃ自分でスカートの裾を踏んでこけるのがオチですよ。
 本当はそう言いたかったのだが、恭介は言葉を選んで苦言を呈した。
「恭介さん! 私は袁家の娘なのですよ! そんじょそこらの小娘と同じような格好で街を出歩けまして!」 
 だが、袁紹には通じなかった!
 漫画に描かれるフランス貴族が着るような派手なドレスを身に纏い、髪や指に無数の宝石を飾り付けている袁紹の姿は、名門の娘というよりも成金の娘と呼ぶに相応しい。
 叔母である袁隗は、こと服装にかけてはまともな感性の持ち主である。
 服装にしてもそうだが、どうも袁紹は叔母に間違った価値観を植えつけられ育てられたような気がしてならない。
 恭介は、前々から袁隗の教育方針に疑問を持っていた。
「麗羽様は着飾らなくても十分魅力的です。特に、その流れるような美しい金の髪の持ち主を、自分は他に知りません」
 袁紹は床に届くほど長い髪の持ち主で、袁家の人間の特徴である金髪が、まるで黄金が流れているように見える。寧ろ、その髪に宝石を飾ることは、彼女本来の美しさを損なっているのではないだろうか。
 しかし、袁紹は恭介の意見に何の感銘も受けなかったようだ。
「わ、私が美しいのは当たり前のことですわ。そして、持ち前の美しさに驕ることなく、更なる高みを目指すこの姿勢! これこそ袁家の人間に相応しいと思わなくって。ねえ、斗詩さん? 猪々子さん?」
「……は、はい」
「さ、流石、姫。誰も真似の出来ないその姿、そこに憧れるぜ!」
 顔良は愛想笑いを浮かべ、文醜は顔を引き攣らせながら、ちらちらと恭介へ視線を送ってくる。
 そもそも、この二人が袁紹の服装についてなんとかしてくれと泣きついてきたのが事の発端だ。
 袁紹の独特な美的感覚は今に始まったことではないが、最近は周囲の者にまでその価値観を押し付けてくるらしい。
「アニキ。何とかしてくれよ」
 文醜が泣きそうな顔で見せた愛用の剣の鞘には、まばゆいばかりに宝石が散りばめられており、更には黄金造りの蛇まで巻きついていた。
「こんな剣じゃまともに戦えないよ。第一、こんな剣を持って街中に出るなんて、恥ずかしいだろ」
「商家に持っていってお金に換えたらどうですか? 麗羽様には盗まれましたと言い訳すればいいでしょう」
「いいわけあるか! 第一、姫の護衛であるアタイらが、剣を盗まれるって、どれだけ間抜けなんだよ」
「じゃあ、賭けに負けて奪われましたとか?」
「真面目に考えてくれるよな……ア・ニ・キ?」
「……はい」
 額に青筋を立てて恭介の両肩を掴む文醜に続いて、顔良も困ったように言葉を続ける。
「正直、これでは護衛の任務に支障があります。それに麗羽様のあの格好は、襲ってくれといわんばかりですし」
 確かに袁紹を誘拐して身に着けている宝石類を売れば、一生遊んで暮らせるだろう。そして、袁紹を守るべき護衛の二人が、袁紹自身の嗜好のせいで役割を果たせないとなると本末転倒だ。
 人の嗜好に口を出すのは野暮というものだが、こればかりは仕方ない。 
 そんな訳で、まずは袁紹の装いを改めさえようと声をかけた訳だが、所詮は恭介。袁紹の女心を動かせる筈もなかった。
「大体、恭介さんこそ、もっと身だしなみに気をつけるべきですわ。外見が冴えないからこそ、服装でそれを補うべきでしょう。仮にも私の従兄なのですから、男女問わず浮き名を流して下さいませ。何なら今度、私が服を見立ててさし上げましょうか?」
 逆に説教される始末である。
「いえ、麗羽様にそのようなお手間を取らせるわけには……。申し訳ございません、友人との約束がありますので、失礼致します」
 とてもこちらの話を聞き入れてくれそうにない。
 恭介は退散した。
 
 さて、どう説得するべきか。
 恭介が考え込んでいると、
「何、逃げ出してるんだよ、アニキ」
「……見損ないました、恭介様」
 恨めしそうな顔をした文醜と顔良に追いつかれてしまった。
「そうは言われましても……、所詮自分には女性の気持ちを動かすことなど……」
 ……いや、女性の気持ちを動かすのは難しいが、人の気持ちを動かすというのなら。
 恭介の脳裏に一つの案が浮かんだ。
「斗詩さん、宝石を一つ頂けませんか?」
「へっ……」
「アニキ、女を口説くなら、普通逆だろ。それに斗詩はアタイの嫁だから」
「口説くつもりはないですし。別に猪々子さんでも構わないですから、取りあえず宝石下さい。それで何とかしてみますから」

 数日後、恭介は麗羽の部屋を訪ねた。
「麗羽様、月旦評というのをご存知ですが?」
「ええ。許劭とかがやっている人物鑑定のことでしょう」
 興味がなさそうに返事をする袁紹。
 既に袁家という家名を背負っている袁紹には、今更批評など必要としないのだから当然だろう。
「は。そこに先日孟徳殿が姿を見せたそうで」
「華琳さんが?」
 曹操の名前を挙げると予想通り、袁紹は食いついてきた。
 袁紹と曹操。顔を合わせば口論ばかりしている二人だが、互いに意識し合い、認めている仲である。でなければ、真名を交換する筈がない。
「祖父が宦官の華琳さんを、よく許劭が批評したものですわね」
「許劭も初めは無視していたらしいのですが、孟徳殿の挑発に乗って怒鳴りつけたそうです。なんでも『お前は治世の能臣、乱世の姦雄だ!』とか」
「能臣と姦雄。どちらにせよ、高い評価ではありませんこと?」
「はい」
 袁紹は面白くなさそうな表情を浮かべた後、起ち上がった。
「恭介さん、これから許劭の屋敷に行きますわ。供をなさい」
「本日は月旦評の日ではありませんが……」
「構いません。私は華琳さんと違って、人に噂されるために批評を受ける訳ではありませんから」
 袁紹はそう言って部屋を出て行った。

 突然訪問した袁紹に対し、許劭はあからさまに不愉快そうな表情を浮かべたが口に出しては何も言わなかった。
「初めまして。袁本初と申します。本日は許劭殿に……」
「心身に余計な物が多すぎる。大事を成せぬ者だな」
「なっ!?」
 袁紹の挨拶を最後まで聞くことなく、許劭は袁紹を評した。
「今のお主は、誇りと驕りを履き違えておる。史書に伝が立つとしたら、愚か者の代表としてだろう」
 許劭はそう言うと、もう話はすんだとばかりに書物に目を落とし、袁紹の方を見向きもしないかった。
「……むむむ」
 袁紹はしばしの間許劭を睨み付けていたが、許劭は何の反応も示さない。
「帰りますわよ、恭介さん!」
 そう吐き捨てると、袁紹は立ち上がり部屋から乱暴な足取りで出て行った。
「……あんなもので良かったのか?」
「はい。有り難うございます」
 恭介は許劭に頭を下げると、報酬を渡した。事前に袁紹が批評を求めてきたら、思う存分貶してくれと許劭に依頼していた謝礼である。この謝礼は顔良から譲ってもらった宝石を売って得た金である。庶人なら一年は遊んで暮らせるだろう。
「だが、儂は嘘を吐いた訳ではないぞ。袁紹は、このままでは愚者として名を残すだろう」
 許劭という人物は、案外本当に人を見る目があるのかもしれない。
 起ち上がりかけた恭介に、許劭が声をかける。
「お主は己を凡人と自覚している。だが、自覚できるということは……」
「何をぐずぐずしているのです! 置いていきますわよ、恭介さん!」
 袁紹の怒鳴り声に、恭介は苦笑し、再度許劭に頭を下げ部屋から出て行った。

「なんですの、あの爺は! 一目見ただけでその人間の価値など分かるはずないでしょう!」
 怒りが治まらないのだろう、袁紹の口調は刺々しい。
「麗羽様の仰る通りです。ですが、噂というものは内容に関わらず、勝手に拡がっていくものです」
「どういう意味ですの?」
「つまり『袁本初は大事を成せぬ者』という、本来の麗羽様とは違う評価が定着する可能性があるということです。孟徳殿の『治世の能臣、乱世の姦雄』という批評と較べると、かなり見劣りしますね」
「……ぐぬぬ。あの糞爺……」
 袁紹は暫し怒りに耐えていた帰路についていたが、やがて「……では、恭介さんはどうすればよいと思います?」と不安そうに尋ねてきた。
「許劭は『心身に余計な物が多すぎる』と評しました。まずはお召し物を変えてはいかがかと? 麗羽様は、その存在が既に美しいのですから、余計な装飾は必要ありません。その上で日々を過ごし、機会を見てもう一度許劭の批評を受ければよろしいかと」
 何か言いかける袁紹に対して、恭介は言葉を続ける。
「付け加えさせていただくなら、麗羽様の光り輝く黄金の髪は、麗羽様がお持ちのどの宝石よりも美しいと思います。それで十分ではありませんか?」
「……恭介さん。貴男……よくもまあ、そんな似合わない台詞を言えますわね」
 袁紹は恭介から視線を逸らし呟いた。
 その表情は決して不満げではなかったと思う。

 この一件以降、袁紹の服装は多少なりとも落ち着いたものになり、顔良や文醜の鎧や剣にも無駄な装飾をほどこすことはなくなった。
 そして、床に付くまで伸びていた長い髪を縦ロールに変えた。
「麗羽様、どうして髪型を変えたんですか?」
「常に前へ進み、邪魔する者は打ち倒す。私の心意気を表してみましたの!」
 恭介の問いに、袁紹は邪気のない満面の笑みで宣言した。
「……そ、そうですか。よくお似合いだと思いますよ」
 少し、ほんの少しだけ、その笑みに魅了されてしまった。

 後日、袁紹は髪型が被った曹操と一悶着を起こすのだが、それはまた別の話である。



後書き
 これまでの話とかなり毛色が違いますが、いかがでしょうか。
 恋姫袁紹とこの作品の袁紹のギャップを埋めるべく、今後もちょくちょくとこうしたお話を載せるかもしれません。
 元ネタは、史書の記述からです。
・袁紹は許劭から批判されることをおそれてその華美な装いを改めた。
・袁紹が帰郷の際に、「俺の車や衣服を許子将に見せるわけにはいかない」と一台の車だけで帰った。 
 このエピソードを使わせて頂きましたが、袁紹をおそれさせ、曹操を何時間も待たせるとか、許劭お前何様だよ! と突っ込みたくなります。
 この人は軍事的な才能はなかったようで、孫策にフルボッコにされて僻地で死んだそうですが。



[38235] 登場人物紹介 その1
Name: 羽市◆b131e28e ID:9a9fd995
Date: 2013/08/10 20:45
登場人物紹介

今後とも出番があるオリキャラを紹介していきます。

袁遺  字:伯業 真名:恭介
 影の薄い本編の主人公。
 史実では袁紹、袁術の従兄に当たり、山陽太守として反董卓連合に参加しています。後は、「長大にして能く勤めて学ぶ者は、惟だ吾と袁伯業とのみ」と曹操の自慢話に引用されています。
 本作では、現代日本で大学生として暮らしていたら、知らない間に恋姫世界に転生させられた、という設定です。 
 精神年齢が倍ですので、他の人物に較べて思慮深く、また寛容な人物だと思われています。


法正  字:孝直 真名:翼
 三国志マニアならご存じ、蜀の悪徳軍師です。
 正史では劉備から絶大な信頼を受けており、没後に唯一『翼侯』という諡号を受けています。関羽も張飛も諡号を与えられていない点を考えると、その信頼度がうかがえます。
 人格が歪みきっており、高位に上ると、過去に自分を批判した者や怨みを持つ者を勝手に殺害したりしています。 正史にも、「判断力に優れ、並外れた計略の所有者であった。しかし、徳性について賞賛されることは全然なかった」と書かれる有様。
 どう考えても、恋姫の劉備陣営とは相性が悪いと考え、個人的に好きな人物でしたので、主人公の参謀役として登場させました。
 なお、モデルは『涼宮ハルヒの憂鬱』に登場する佐々木です。

 
袁隗  字:次陽 真名:未定
 史実では後漢末期の代表的な政治家であり、袁紹・袁術の叔父です。
 恋姫では袁紹と袁術は従姉妹 の一言で片付けられていますが、二人は異母兄弟か従兄弟なのかはっきりしません。また、本家を継いだ家柄の良い袁術よりも袁紹の方が評判が良く、これによって二人は不仲になったとか、色々と説があり、正直、よく分かりません。
 本作では、袁紹の叔母であり、袁術の母親です。あと、袁術の父親は皇族という設定です。 


孫堅  字:文台 真名:大蓮
 他の恋姫SSにもよく登場している人ですが、確かゲームでは未登場の筈。
 皆さんのSSに登場するイメージ通りで、孫権よりも孫策の母といった感じ。
 正史の人物像、「勇敢にして剛毅であり、己の力のみを頼りとして身を立て、忠義と勇壮さを備えた烈士」であります。



張郃  字:儁乂 真名:火凛
 袁紹陣営が顔良と文醜だけではあまりに厳しいので登場。袁紹陣営ではこの後も田豊、沮授、審配、逢紀、郭図等が登場すると思いますが、 殆ど名前だけで、話的に重要な役目を担うのは、張郃ともう一人か二人だけの予定です。
 なお、真名を巡って、曹操さん達に因縁を付けられる予定です。
 モデルはPS2で発売された「Missing Blue」の神瞳かりんですが、知っている人は皆無かもしれません。全くの余談ですが、このゲームを作成した一部のスタッフが5pbに移籍し、結果として「Steins;Gate」が産まれたことは喜ぶべき事だと思います。


鮑信 字:なし  真名:理有
正史に伝が立てられておらず、字が不明な人。三国志マニアの中では有名な人です。自分は宮城○さんの小説の鮑信に惹かれました。
 息子には独立した伝がありますが、この親子は誠実・公正と似たもの親子ですが、主君の差というか、末路には随分と差があります。


逢紀 字:元図 真名:??
 袁紹の参謀というと田豊や沮授が思い浮かびますが、旗揚げ時からの古参の参謀は意外にも逢紀と許攸だったりします。
 本作でのスタンスは恋姫における荀彧→曹操、逢紀→袁紹といった感じ。
 つまりレ○で、男嫌いでプライドが高いです。
 主人公より余程参謀として活躍?する予定です


荀攸 字:公達 真名:桂樹
 荀彧の甥なのに年上、かつ曹操参謀の中では一番陰の薄い人。同格の荀彧、郭嘉、賈詡、程昱は恋姫に登場しているのに、一人無視された影の薄い人。
 実際の彼は董卓を暗殺しようとしたり、望んで蜀の太守になったりとかなり行動的です。また残された業績を見ると、政治は荀彧、軍事は荀攸が中心になって動かしていたようですが、その辺の業績も殆ど皆に奪われている可哀想な人です。
 本作では、ネガディブ思考のへたれ軍師として登場します。
 モデルは「さよなら絶望先生」の糸色望です。




[38235] 11 崩御と即位
Name: 羽市◆b131e28e ID:9a9fd995
Date: 2013/08/17 10:27
 中平五年(189年)四月四日の昼、後に霊帝と呼ばれる一人の男が死んだ。
 この日を境に、世の乱れは更に加速することとなる。

 袁隗は屋敷に袁遺と張勲の二人を呼び、皇帝崩御した情報を伝えた。
 流石に二人とも衝撃を受けたようで、顔が強ばっている。
「……その情報は、間違いないのでしょうか?」
 先に衝撃から立ち直った袁遺が確認を求めてきた。
「親しくしている宦官からの報せです。まず間違いなでしょう。尤も、いつ公表されるかは分かりませんが。付け加えると、この情報を伝えるのは貴方たちが最初です」
 袁隗は答えながら、二人の様子を観察する。
 麗羽の腹心である袁遺。
 美羽の腹心である張勲。 
 麗羽も美羽も謀《はかりごと》に長けてはいない。
 腹心の働きによって、今後の娘達の道が決まるといっても過言ではあるまい。
「もう一つ。陛下は蹇碩に協皇女に後を継がせたいと御遺言を残されたそうです」
 その言葉を聞いた袁遺は一礼すると足早に部屋を出て行った。
 一方で張勲は考え込んでいる。
「恭介は早速動くようですが、貴女はどうするのです、張勲?」
「……そうでうね。大将軍には袁紹さんが食い込んでいますから、私は別の方向から攻めてみようかと思います。つきましては、袁隗様に一つお願いがあるのですが?」

 恭介は足早に袁隗の屋敷を出ると、懐から紙を取り出し、『計画通り』と書き殴ると、護衛として控えていた張郃に手渡した。
「至急、これを大将軍府にいる翼か桂樹に渡してください」
「畏まりました。恭介様はどちらに?」
「西園軍の屯所に向かいます。まずは軍を掌握しなければなりませんから」
「どういうことですか?」
 不審そうな顔を浮かべる張郃に、恭介は顔を寄せて囁く。
「陛下が崩御なさいました」
「……っ!」
 絶句する張郃に、恭介は自らの唇に人差し指を立てる。
「時期的には最悪です。ですが、打つ手を間違えなければ、世の中を変革させる最大の契機でもあります。その為には入手した情報を、いち早く必要とする者へ届けなければなりません。頼みます、火凛ちゃん」
「はい、必ずや!」
 張郃は顔を強ばらせながらも、巧みな馬術であっという間に走り去った。
 西園軍が設立して間もなく皇帝は崩御する。それを恭介は『知って』いた。だから、どう動けば混乱が少なく、自分達が望む政権、即ち何進主導の下で弁皇子を新帝として即位させる計画を、法正と荀攸の二人と共に立ててきた。
 その為、大将軍府には、必ず法正か荀攸のどちらかが詰めている。でなければ、法正などは碌に出仕もしなかっただろう。
 張郃を見送りつつ、恭介も下手な手綱さばきで西園軍の屯所へと馬を走らせた。

 皇帝崩御。
 この事態を知るものは一部の宦官だけだった。彼等は情報を独占し、今後の方針について話し合っていた。
 皇帝は太子を立てることなく崩御した。
 有力な宦官達は顔を合わせ、次の皇帝に誰を立てるべきか話し合っている。
 宦官は皇帝に寄生してこそ生きられる存在だ。その為には新帝は宦官を頼らざる得ない人物が良い。
 大将軍と皇后を後ろ盾に持つ十六歳の弁皇子。
 有力な後ろ盾のない十歳の協皇女。
 宦官達から見れば、御しやすいのは協皇女である。だが、宦官達と大将軍と皇后は今まで対立することなく朝廷を動かしてきた。更に何進が持つ軍事力を敵にまわすのは避けたい。
 その為、弁皇子と協皇女のどちらを次の皇帝に即けるべきか、簡単に結論は出そうになかった。
 皇帝から内々に「協皇女を帝位に立てよ」と命じられていた蹇碩は、当初から協皇女を押していたが、話し合いが長引きそうになるのを察すると別室へ退き、三人の宦官に呼び命を下した。
 一人目には大将軍に宮中に参内すること、二人目には西園軍の屯所に向かい宮中の警護を命じること、三人目には宮中の警備兵を集め蹇碩の指示でいつでも動けるようすること。
 いずれも蹇碩ではなく、皇帝からの勅命として偽らせ、使者を向かわせた。
 何進を除けば、弁皇子の支持派は中心を失う。その上で西園軍の兵権を掌握すれば、協皇女を擁立するのは容易い。
 話し合いの結果など待っていられるか。
 蹇碩はそう判断すると、会議の場へと戻っていった。
 彼の判断は間違いではない。
 ただ、既に時期を逃していた。

 大将軍府を訪れた蹇碩の使者は、何進に参内を求めた。
「昨日も参内したのだが、何か火急の用件か?」
 何進は使者に尋ねたが、使者は何も伺っておりませんと答えるだけだ。
「では参内する。準備をせよ」
 何進がそう言うと、使者は小さく安堵の息を吐いた。
 側に控えていた荀攸が使者に尋ねる。
「陛下が連日の参内を求めたことはこれまでございません。地方で反乱でも起きたのですか?」
「……自分は何も聞いておりませんが」
「それは異な事を仰る。理由も知らず大将軍に参内を求めるとは。何か企みがあるのではないですかな」
「い、いえ、そのようなことは……」
「そうですか。では、警護の兵を千名ほど用意いたしますので、しばしお待ち頂けますか?」
「せ、千名! いや、そ、それでは時間が掛かりすぎます。大将軍には至急に参内せよとの陛下の命でありますので」
「至急の用件なのに、勅使殿は肝心の用件を知らないと。おかしな話ですな。第一、勅使の名をかたる不届き者の言葉に何故大将軍が従わねばならぬのか!」
 それまでと一転、荀攸は勅使に怒声を浴びせた。
「もうよい、荀攸。勅使を称する者よ、私は既に陛下が崩御されたことを知っているのだ。となると、貴様は誰の勅使なのだ?」
 皮肉めいた何進の問いかけに、勅使を称していた宦官は身体を震わせながら後退る。
「獄にでも放り込んでおけ」
 何進は側に控える武官に命を下すと、荀攸とその後ろに控えている張郃に声をかける。
「どうやら、陛下が既に崩御されたことは事実のようだな」
 張郃から報せを受けた荀攸は、「陛下が崩御されたとの情報があります。この情報が正しいのなら、すぐにでも宮廷から勅使を称する者が大将軍を宮中で亡き者にしようと参内を求めるでしょう」と何進に進言していた。
 荀攸の進言通りの事態となった今、皇帝が崩御したのは明らかだ。
「それで、私は今後どのように動けばよいのだ? 既にそなた達の間では計画が立てられているのだろう?」
 何進の言葉に荀攸は苦笑しつつも、
「はい。まずは王朝の重臣方に大将軍府に集まっていただきます。そして皇帝が崩御された旨を公表すれば、事実を隠す宦官達とは対照的に大将軍の公正さを皆が知ることとなるでしょう」
「そして、弁皇子を次の皇帝へ押す流れを作る訳か。……よし、すぐに主立った者達へと使者を走らせろ」
 何進はそう指示すると、
「それで、西園軍の方はどうするのだ?」
 荀攸に問いかけた。
「既に手は打ってあります。宦官の走狗となることはございません」
「そなたといい袁遺といい、よくもそう悪知恵が働くものだな」
「小人・悪人の考えることは同じです。ですので、我々が考えそうなことを予想して策を立てれば、まず間違えることはございません」
 荀攸は胸を張ったが、その言葉自分達を褒めているのか貶しているのか、何進には判断がつかなかった。

 同時刻、蹇碩から西園軍の屯所に派遣された使者は戸惑っていた。事前の情報では、屯所には袁遺、鮑信、張遼、淳于瓊程度しか顔を出していないとのことだったのだが、屯所にまるで待ち構えるかのように袁紹が居たからである。
 いや、正確に言えば、蹇碩以外の七人の校尉が屯所には揃っていた。これは非常に珍しい事態である。
 使者は気を取り直し、「蹇碩に従い、宮中の警備に当たれ」という勅命を伝えたものの、八校尉達の反応は実に冷ややかであった。
「勅命であれば従いますが、何故、上軍校尉殿が直々に来られないのですか?」
 鮑信の言葉に使者は一瞬言葉を詰まらせたが、
「蹇碩様は他の職務もございまして。それ故、私が代わりに勅使に任じられました」
「他の職務というのは、大将軍を暗殺する準備ですか?」
「なっ!」
 袁遺の言葉に、勅使は絶句した。
 瞬間、勅使の首が飛んだ。
「勅使を偽る痴れ者が。恥を知れ」
 鮑信はそう吐き捨てると、剣を仕舞う。
「麗羽様。やはり陛下が御隠れになったのは間違いございません。今頃、宮中では宦官達が己の都合のよい御方を帝位につけようと画策しているでしょう」
「俗物共が! これ以上この国を宦官の好きにさせておくものですか!」
 恭介の言葉に、麗羽は怒りを露わにした。
「陛下が御隠れになった以上、我々西園軍は主を失いました。八校尉の筆頭は蹇碩ですが、彼に従う者はこの場にいらっしゃいますか!」
 袁紹の言葉に、他の六人の校尉は沈黙を持って答える。
「それでは、次席の私が今後西園軍の指揮を執ります。すぐに全軍を集め、大将軍の元に向かいます。よろしいですわね!」
 袁紹の声に、袁遺、鮑信、張遼、逢紀が賛同の声を上げ、淳于瓊は大きく頷き、曹操は小さく舌打ちした。
 曹操としても袁紹の意見に異論がある訳ではない。
 ただ、袁紹がこれ程素早い対応をすることに驚くと同時に、「してやられた」と不満を覚えたのも事実である。
 それにしても、中身は兎も角、外見だけは一軍を率いる威厳があるわね。
 曹操は、袁紹に対する評価を少しだけ、ほんの少しだけだが改めた。

 夕刻、大将軍府には主立った朝臣たちが集まっていたが、皆不安げな面持ちで周囲と会話を交わしていた。
 霊帝、即ち暗愚な皇帝でも、王朝を支える柱であったことに違いはない。その柱が折れた今、急いで代わりの柱を立てなければ、『漢』という家が崩れかねない。この場に集まった誰もが、そうした危機感を抱いていた。
「陛下は後継をお決めになられぬまま崩御なされた。各地で反乱が起きている今、政治的空白を生じさせるべきではない。臣下の身として不遜であるが、一刻も早く然るべき御方に帝位を継いで頂かなければならん。皆の意見を聞きたい」
「長幼の序に基づき、速やかに弁皇子に即位して頂くのが、国家の為、そして民の為かと存じます」
 何進の言葉に、一人の老人が答えた。
 朝廷の重臣として名声を誇る王允である。王允の声に張温、楊彪といった重臣も賛意を示した。
 この王朝は呪われているといっていいほど、幼少・短命の皇帝が続いている。霊帝も十二歳で帝位に付き、三十代半ばで没した。
 霊帝は二人の遺児を残していた。弁皇子と協皇女である。二人とも幼少であり、現時点では皇帝の資質など分かる筈もない。
 だが群臣達としては、政の混乱を避けるためには少しでも年長の皇帝を戴きたかったし、何より弁皇子には何進という強大な後ろ盾が付いている。
「弁皇子に帝位に登って頂き、大将軍の後見の下で政を正すべきですわ! これを機に王朝の癌を取り除くべきです!」
 袁紹の発言はこの場に集まった者達の総意と言ってよい。
 霊帝、そして先帝である桓帝の三十年に及ぶ治世は、宦官が政を専横していた時代であり、彼等によって王朝が食い荒らされていく時代でもあった。
 豪族や官吏も、新帝の即位を契機に宦官を政から排除したいと考えており、その為には弁皇子の即位と何進の政を支持するのは自然な動きだった。
「では、早速、皆の意見を上奏しよう」
 何進の言葉に、「否!」と叫び声が上がった。
 皆が何者かと視線を集めた先にいたのは小柄な少女、曹操であった。
「大将軍。宮中は宦官の庭も同然。上奏よりも先に、兵を集めて宮中を押さえるが先決かと思われます」
「成る程、一理あるな。では、私の配下の兵と西園軍を集めるとしよう」
 何進は曹操の進言に頷き、配下の将に指示を出そうとした。
「お待ち下さい。大将軍」
 自分でも柄ではない、そう思いつつ、恭介は声を上げた。
「今は兵の数よりも時が大切です。兵を集めるのに時を費やすより、例え手勢が十人でも百人でも宮中を押さえることこそ重要です」
 兵の集結を待っていて、宦官に勅命を偽造される可能性がある。彼等は宮廷の謀略と保身の能力には長けているのだ。時間を与えてはならない。
 恭介の発言に、曹操、荀攸、法正が賛同の声を上げた。
「では、麗羽、鮑信、逢紀。そなた達は至急、この場の兵を率いて宮中を押さえ、皇子と皇后の安全と玉璽(ぎょくじ)を確保しろ」
「はい。必ずや役目を果たしてみせますわ!」
 真っ先に指名されて何進からの信頼を感じたのであろう、袁紹は顔を紅潮させ部屋を駆けだした。鮑信と逢紀が後に続く。
「曹操と袁遺は西園軍を出陣させろ。その他の諸将には、自家の兵を集め次第、宮中に向かっていただきたい」
 諸将の「応!」という返事は、大将軍府の外まで聞こえたと史書には残されている。

 西園軍の屯所に向けて、六騎が駆けている。
 曹操、夏侯惇、夏侯淵、恭介、張郃、法正である。
「貴男は、この事態をどう治めるのが最善だと思う?」
「麗羽様の仰った通り、大将軍の下、政を正すべきかと思いますが」
 曹操の問いに恭介は答えた。
「そう。私の考えとは違うわね。古来、王朝には寿命があるものよ。夏も殷も周も秦も。漢は一度滅びた後に再興したけど、もはや天運は尽きようとしているのは明らかだわ。多少知恵がある者なら、そう考えるのではなくて?」
 曹操は挑発するように恭介を見た。
 臣下としては実に不遜な発言である。恭介が訴えたら罪に問われるだろう。
 夏侯姉妹の気配が少し変わり、恭介の横を駆ける張郃も剣に手をかける。
 だが恭介は気にもせず、落ち着いた口調で返事をする。
「……典軍校尉殿のご意見には賛成ですが、あくまで『天運は尽きようとしている』というだけです。まだ、尽きてはいませんよ。ここで治療を間違えなければ、寿命はまだまだ延びるでしょう」
「その治療を施す名医が麗羽だと、貴男は言いたいのかしら?」
「名医の一人ではありますよ。勿論、曹操殿もその気になれば名医になれるかとは思いますが……」
「そう? でも生憎と私は医者で生涯を終える気はないわ」
 曹操はそう言って笑うと、屯所へと入っていった。夏侯姉妹も曹操に続く。
「返答次第では斬られていたんじゃないのかい?」
 皮肉めいた法正の言葉に苦笑いを浮かべながら、恭介も屯所へと入る。
 西園軍の屯所では銅鑼が鳴り響いている。非常時には銅鑼を鳴らして兵を集めることになっていたが、見たところ兵はまだ集まっていないようだ。時刻は夕方を過ぎ、大半の兵が帰宅し、或いは酒場に集まっているのだ。無理もない。
 鍛錬場では、張遼と淳于瓊が兵の出陣の準備に取りかかっていた。
 恭介が大将軍府での決定を伝えると、二人はすぐに賛同した。 
「張遼殿、今すぐ出撃できる兵はどれ程ですか?」
「歩兵が千、騎兵が三百ってとこやな。なんせ、一端解散させた後やからな、集まりが悪い」
「千人もいれば結構。私が指揮をして宮中に向かうわ」
「ええ、お願いします」
 曹操の言葉に恭介は頷いた。
 官位でいえば淳于瓊の方が上であるが、宮中を押さえるとなると、ただの軍人ではなく、曹操のように臨機応変に動ける人物の方が相応しいだろう。
「私は引き続き、集まってくる兵を編成します。人数が揃ったら、淳于瓊殿には増援に向かって頂きます。張遼殿は騎兵部隊をいつでも動かせるように準備していてください」
 日頃から西園軍の事務を執りしきっていた恭介に部隊編成の仕事を任せ、曹操、淳于瓊、張遼はそれぞれの持ち場へと駆けていった。
「いやに張り切ってるね、恭介」
 法正がからかうように声をかけてきた。
「ここで働かないと俸禄泥棒だよ。それに大将軍に政権を取って貰うのが、この国に取って最善な道だからね」
「だかね、恭介。武官の最高である大将軍も、文官の最高位である君の叔母上も、今まで宦官と歩調を合わせて朝廷を動かしてきたんだ。まして、大将軍は情の人だ。宮中から宦官を一掃できると思うかい?」
「別に一掃する必要は無いだろう? 賄賂を受け取り、必要以上に政に関わってくる者達だけを除けばいい」
「それが可能かな? あの場に集まった諸将達の熱気を見ただろう? 皆、数十年の恨みを晴らすべく、宮廷から宦官を一掃する気でいる。上と下の意思に差がある企ては失敗する可能性が高い。注意することだね」
 法正の忠告は、後に的中することとなる。

 勢いよく大将軍府から出陣した袁紹は顔良、文醜、鮑信、逢紀らと共に宮廷へと駆けつけた。
 付き従う兵は千に満たないが、彼女達には勢いがあった。
「宮廷に兵を近づけるとは何事か! 至急兵を退かせよ!」
 宮廷の警備を担当していた将の一喝に袁紹は言葉に詰まるが、すかさず鮑信が書状を示した。
「我ら西園軍が宮中の警護に当たる。これは勅命である!」
 それは蹇碩が西園軍に宛て偽造した書状であるが、勅命としての形式は整っていた。
「そのような話は聞いていないが……」
「この中軍校尉たる私、袁本初が勅命を受けて参ったのです! 邪魔立てするようなら斬り捨てますわよ!」
 普段の傲慢さを取り戻した袁紹は警護の将を一喝すると、顔良、文醜、鮑信、逢紀を引き連れて宮中へ突入した。
「鮑信さんと斗詩さんは弁皇子と何皇后の保護を! 猪々子さんと逢紀さんは玉璽を確保なさい」
 そう指示を出す袁紹に、逢紀が近づき囁く。
「袁紹様。これを契機に宦官を全て斬り捨てましょう」
 袁紹は驚いて逢紀を見かえした。
「何ですって?」
「皇帝はおらず、宦官も二派に分かれて争っています。宮中に入った今、我らの手勢だけでも宦官を討つのは十分です」
「……そうですわね。ですが……」
 逢紀の進言に袁紹は逡巡の色を見せた。
 袁紹は気運壮大であるが、決断力に欠ける。彼女が素早い決断を下すときは、感情に動かされた場合と、信頼する人物の後押しがある場合だけだ。
 袁紹個人としては逢紀の言を受け入れ宦官を一掃したいところだが、それは何進に与えられた命に背くこととなる。
「袁紹様。ここで宦官を討てば、貴女様は名実共にこの国の頂点に立てるでしょう。どうか、ご決断を!」
「あらあら、逢紀さん。袁紹さんに妙な考えを吹き込むのは止めて頂けませんか?」
 何処か間の抜けた声に袁紹と逢紀が振り返ると、いつの間にか張勲が立っていた。 
「袁紹さんが命じられたのは、弁皇子と何皇后の保護。それに玉璽の確保ですよ。宦官の皆さんとの交渉は、袁隗様から私が任じられましたので、袁紹さん達は与えられた任務をしっかりこなして下さいね」
 そう言うと、張勲はいつもの作り笑いを浮かべて、宮中の奥へと進んでいった。
「あの腹黒女狐!」
 逢紀は地団駄を踏んだが、袁紹は安堵の溜息を吐いた。
 宦官一掃という選択は確かに魅力的ではあるが、それは同時に自分が権力を握るという選択でもある。彼女には、何進の部下として王朝の改革を行うつもりであって、自分が何進や母の上に立ち、王朝を主宰する気はなかった。
 後日、袁紹がこの選択を後悔したか、史書には何も書かれていない。 

 結末は呆気なかった。
 袁紹、曹操、淳于瓊らの軍勢が次々と宮殿を包囲した結果、宦官達は雪崩を打ったように弁皇子を支持し、蹇碩は孤立した。
 そして宦官を代表する張譲《ちょうじょう》と張勲の交渉の後、蹇碩は仲間である宦官によって討たれた。
 その首は大将軍府に送られた後、街に晒された。
 宦官達も含め、皆が弁皇子の即位に賛同したことを受け、何進は文官武官を引き連れて宮殿に入り、弁皇子の即位を宣言した。
 後漢における第十三代の皇帝である。
 新帝即位に万歳を送る群臣のうち、誰がこの皇帝の在位が一年に満たないと想像しただろうか。



[38235] 12 去る者と残る者
Name: 羽市◆b131e28e ID:9a9fd995
Date: 2013/08/17 09:35
 朝廷の実権を握った何進が最初に手をつけたのは人事であった。
 即ち、袁紹を司隷校尉に、袁術を虎賁中郎将に、袁隗を太傅(たいふ)に任じ、袁家との協調姿勢を明確に打ち出したのである。
 袁紹が就いた司隷校尉は、都とその周辺地域に対する行政と軍事を司る職である。何進としては、最も重要な地位に袁紹を置くことで、彼女に対する絶大な信頼を示したといえる。
 袁術が就いた虎賁中郎将は宮中を守備する職である。非常に重要な職であり、袁術には荷が重いと何進は考えたのだが、袁隗の強い要請と張勲を補佐に就けるという条件により、袁術をこの職に据えた。
 そして、袁家の総帥であり他の文官達に強い影響力を持つ袁隗は太傅となった。それまで彼女が就いていた司徒は、三公と呼ばれる文官の実質的な最高の地位であった。それに対して太傅という職は、官位こそ三公の上に位置するが、幼少の皇帝に対する家庭教師のような役割であり、実権のある職ではなかった。
 これは二人の娘が武官として高位を占めたため、袁隗本人が司徒を辞し、何進に慰留された結果である
 そして、何進のこの人事は周囲に、今後は宦官ではなく豪族・官吏を中心とした政を行うと示したものとなった。多少なりとも時流が読める者なら、今後何進と宦官との間で権力闘争が起こると想像できる。都の豪族・官吏の大多数は何進を支持しており、彼女が政から宦官を除くことを期待、いや寧ろ熱病にかかったような勢いで後押ししていた。

 一方で、熱に浮かされることなく、都を離れようとする者もいる。
 曹操である。
 朝廷において彼女の異才を認めている者が少ないこと、才能を認めていても宦官の孫という出自が反感を買っていたこと、何より豪族や官吏達が進めている『宦官一掃』の動きに反対したこと。
 様々な理由が重なった結果、曹操が陳留太守の職に専念したいと申し入れると、何進はあっけなく了承した。
「それで、明日には都を離れるわけですか?」
「ええ。陳留太守の任を受けながら殆ど任地には居られなかったから、手をつけたい案件が溜まっているのよ」
 恭介が曹操の屋敷を訪問すると、屋敷では既に陳留への出発の準備が終わっていた。
 曹操の側には、珍しく夏侯姉妹が控えていない。彼女たちも色々と準備があるのだろうし、恭介が相手なら曹操を害することなど出来ないと判断したのだろう。実際、恭介の腕では曹操と討ち合ったところで、十合も持たずに胴から首が離れるだろうが。
「で、地方に引き籠もる私に、何の用があって会いに来たのかしら? 貴男は麗羽のお守りで忙しい身でしょう?」
「都を離れる友人に挨拶に来るのはおかしいことではないでしょう? これでも私と貴女は大学で共に学んだ仲ではありまえんか? この先、世が乱れれば、二度と会えないかもしれませんし」
「……貴男の口車に乗せられて、大学で麗羽達と一緒に学んだことは、私にとっては人生の汚点だわ」
 大学で、恭介は曹操や荀攸を誘い勉強会を立ち上げたことがある。勿論、代表は袁紹であり、彼女の人脈の強化と周囲の異才に感化されることを目的とした活動であった。学者を招いて講義を受け、自分達が官吏に就いた場合の施策を考えるなど、いかにも青臭い学生の日々を恭介と曹操は共有していた。
「酷い言われようですね。折角、餞別として当時の私たちの研究をまとめた『同人誌』を持ってきたのに」
「っ! 貴男、まだ、そんな本を持っていたの! 焼き捨てなさい、今すぐにっ!」
 曹操は慌てて恭介から同人誌を奪い取ると、今にも首を刎ねるとばかりの勢いで恭介を睨み付けた。
「焼き捨てるなんて勿体ない。美しき青春の思い出の一品ですよ。それに、この本が後世まで残ったら、皆の興味を惹くことは間違いないと思いますが」
 恭介の普段通りの落ち着きように、曹操は溜息を漏らし、力を抜いた。
 恭介相手に怒ることが馬鹿馬鹿しくなったのだろう。
「……まあいいわ。嬉しくないけど、一応は受け取っておくわ。その代わり、少し話に付き合いなさい」
 そう言うと曹操は侍女を呼び、酒の用意をさせた。
 かつて曹操は官吏として酒造に携わった時期があり、酒については随分と研究し、論文にまとめたことがある。
 その為、曹操が客人に出す酒は自家製であり、味は市販されている酒と比較にならないほど上手く、程よく酔うことが出来る。
 曹操は実に多才だ。敵に回すのは避けたいところだが、さて、どうなることやら……。
 恭介はそう考えながらも、曹操の酒を味わう。
 程よい甘さが堪らない。
「大将軍の周りはどう? やはり麗羽を中心に『宦官一掃』を声高に叫んでいるのかしら?」
「ええ」
「馬鹿な話だわ。謀とは少数で内密かつ迅速に進めなければ必ず失敗する。このままでは大将軍の首も危ないわね」
 法正も大将軍の身を案じていたが、やはり智者は同じ考えを抱くようだ。
 早く手を打たなければ。
 恭介は二杯目に口をつけながら曹操に尋ねた。
「一つ確認したい点がありまして。先日、大将軍と麗羽様に対して『宦官の誅殺など無用のこと』と進言したそうですが、その真意を教えて頂けませんか?」
「言葉通りの意味よ。古来より宦官は皇帝の手足として働いてきたわ。彼らは皇帝の望みを叶える為に存在するだけ。要するに、皇帝が賢明ならば、害を及ぼす存在ではないわ」
「ですが、一部の宦官は明らかに国家に害をもたらしています」
「張譲(ちょうじょう)や段珪(だんけい)のこと? 確かに彼らの存在は害悪といっていいわね。けど、軍を率いて討伐するような存在ではないでしょう? 大将軍と三公が死罪の書に印を押せば済む話だわ。刑吏が十人も居れば片付く問題よ」
 曹操の意見には理があり、恭介の考えとも一致していた。
「誠に曹操殿の意見は正しい。では、何故その意見を捨てて陳留に戻るのですか?」
「私は二度も忠告するほどお人よしではないわ。それに陳留太守の仕事は手付かずだし、西園軍は事実上何進軍になった今、私が居る必要はないでしょう」
「それだけですか?」
「どういう意味かしら?」
 ただでさえ鋭い曹操の目が更に細くなる。
「これからの乱世においては、官位など無意味。寧ろ、地方で力を蓄え、軍閥として独立し、乱世に覇を唱えるべき。そうお考えなのではないですか?」
 愉快なことを聞いた、そんな風に曹操は声をたてて笑った。
「貴男の言う通りなら、たかが一太守、しかも宦官の孫が随分と思い上がったものね」
「ですが、曹孟徳はそれだけの器量を持った人物だと、私は思います」
 曹操はしばらく恭介を見つめた後、
「貴方とは一度、本音で話し合いたいと思っていたのよ。こちらが真面目に尋ねても、誤魔化す、逃げる、隠れるの繰り返しだもの。餞別を送るつもりなら、私の質問に真面目に答えて欲しいわ」
「私はいつも真面目に答えているつもりですが……。そうですね、旨い酒と餞別代わりに、何でも正直に答えましょう」
「……正直にね。まあいいわ。それでは私も率直に尋ねるわ。貴男、この国に皇帝は必要だと思う?」
「ええ」
 恭介は即答した。別に保身のためではなく、この時代の人々に民主主義や共産主義を説明しても、理解できないだろうし、実情に合わないだろう。恭介が千年二千年先の知識を持っていようと、人々が理解し、実戦できなければ意味が無い。
「では、皇帝が劉氏である必要はあると思う?」
「……将来は分かりませんが、今のところは劉氏であるべきでしょう。人々は漢王朝に失望はしていても、絶望はしていませから」
「そうかしら? 人は老いて朽ちていくもの。王朝も同じよ。漢王朝は、もはや朽ち果て棺桶に片足を突っ込んでいる老人だわ」
 誰かが曹操の発言を聞けば間違いなく不敬の罪を問われ、首が飛ぶだろう。それを自分に話す理由が分からない。
 恭介の困惑に構うことなく、曹操は言葉を続ける。
「最早漢は、民衆を治めるに値しない王朝だわ。だから私は新しい王朝を立てる。例え何十年かかっても、後世から悪人と評されても。……天下を見渡しても、新しい王朝を立てられそうな人物は、私の他に見当たらないわ。ならば、私が動かねば、この国は、人々は救われない……」
 そう言い切ると、曹操は恭介を見つめた。
 笑いたいのなら笑え。
 曹操の表情はそう語っていた。
 曹操の発言は正に小娘の妄言としか受け止められないだろう。だが、彼女から発せられる威圧感は、例え曹操に関する予備知識がなくとも頷いてしまうほどの雰囲気を醸し出していた。
「それで、貴男はどう思う? この国の将来でも、私の覇道に対して冷笑を浴びせてもいいわ。ただ、私は貴男が今、何を思い、将来をどう考えているのか、それが知りたいの」
 その為に自分の本音を伝えた、そういうことだろうか。
 恭介には、どうして身が危うくなる本心を吐露してまで、曹操が自分の言葉を求めているのかが分からなかった
 ただ一つ確かなことは、相手が危険を顧みず本心を吐露した以上、自分もそれに応えなければならないということだけだ。
「私は出来れば大将軍の改革が成功し、漢王朝が続くことを願っております。おそらく、今回が、王朝を甦らせる最後の機会ですから。ですが、改革が失敗した場合、この国は長い戦乱に入るでしょう。各地に軍閥が乱立し、互いに争い、人は死に、土地は荒れる時代へと」
 恭介は三杯目の酒を飲み干した。
 曹操の発言と同じく、自分の発言も誰かに聞かれたら首が飛ぶなと思いながら。
「この国は全土を皇帝が治めた時代もあれば、七人の王が治めていた時代もあります。大陸は広く、北と南、西と東では、人々の食事も文化も考え方も違います。ですから、私は無理に国を一つにする必要は無いのでは、と思います」
「国を割るというの!?」
 曹操が驚いたように声を上げた。
「積極的に割るつもりはありません。ですが、今まで王朝は都のある中原だけを大地と思い、江東や西涼、関中や巴蜀から一方的に搾取するだけの存在でした。ですが、各地に群雄が割拠し国を興せば、今よりも地方が栄えると思います」
 恭介はそこで表情を崩すと、
「その一つに麗羽様の国があれば幸いですね」
 と付け加えた。
 曹操は暫しの間、珍妙な生き物を見るような目で恭介を見ていたが、やがて大笑いした。
「……やはり、貴男は変わっているわね。ねえ、私の下で働く気は無い?」
「非常に魅力的な提案ですが、貴女の下には、自然と人が集まってくるでしょう。風評に惑わされず、貴女を『乱世を治める英雄』と見る人々が」
 史実では、彼女は荀彧(じゅんいく)という王佐の才を得る。その他、曹操を支える人材の豊富さは三国一だろう。
 恭介は自己を過大に評価はしていない。だが、せめて自分ぐらいは麗羽の側に付いていようと思っていた。
「このままでは、貴男は己より器量の低い主の元で才を腐らせていくかもしれないのよ?」
「以前にもお話ししましたが、上に立つ者には、幾つかの型があります。自身が文武に優れた才を持つ貴女のような人もいれば、臣下に自由に才を振るわせる人もいるでしょう」
「そうね。確かに昔もこんなやり取りをしたわね。でも、私には麗羽がどちらにも当てはまるとは思えないけど。平時であれば三公や大将軍を務められるけど、乱世においてはどうかしら?」
「それは歴史が証明するでしょう。千年二千年の後、後世の人にどう評されるか楽しみです」
「気の長い話ね。……それにしても、どうして貴男はそんなに麗羽に親身なの? まさか惚れてるの? だったら、貴男の趣味については矯正が必要かと思うけど……」
 曹操は真顔である。
 曹操がどこまで本気かは分からないが、誤解もいいところだ。自分の理想の女性は、もっと賢く、武芸に優れ、慎み深く、それでいて……。
 恭介は頭を振ると、
「まさか、従妹ですよ。不遜な言い方をすれば、手のかかる妹といったところですね。子供の頃から緒に育った仲です。情が移らない方がおかしいだろうでしょう?」
「そう。まあ、趣味については置いておくとして、さっき言ったわよね、『乱世の時代、二度と会えないかもしれない』と」
「ええ」
「だったら、いい機会だわ。真名を交換しましょう。思えば、麗羽は真名で呼び合っているのに、貴男と呼び合っていないのはおかしな話よね、恭介?」
「……そうですね、華琳さん」 
 二人が出会って十年、ようやく真名が交換された。
 乱世が来るとはいえ、やはり曹操、いや華琳とは争いたくない。
 そう感慨に耽る恭介に、
「忠告しておくけど、真名を交換したからいって、貴男と私はあくまで『友人』だから勘違いはしないで頂戴ね」
 と無慈悲な一言が浴びせられた。

 恭介と曹操は、本人達の予想よりも早く、そして意外な形で再会することとなるのだが、当然二人は知る由もなかった。



[38235] 13 前日
Name: 羽市◆b131e28e ID:9a9fd995
Date: 2013/08/17 09:41
 恭介と曹操の二人は、宦官は悪ではなく、宦官に政を一任する皇帝にこそ問題があると考えていた。
 三百年前には、司馬遷が『史記』を残した。
 百年前には、蔡倫が紙を普及させた。
 五十年前には、孫程(そんてい)が外戚を討ち、順帝を帝位に迎えた。
 宦官の中にも優秀な人物、良心に従い職務に邁進する者も多い。
 だが、恭介や曹操の考えは少数派でしかない。
 ここ数十年の間、皇帝の寵愛を後ろ楯に政を専横してきた宦官達は、賄賂を好み、宮中の外の世界に関心を持たず、民が土地を失い飢え賊になる現実を見ようとはしなかった。
 その結果、宦官の腐敗を告発した結果、官職から外され弾圧されてきた豪族や官吏達は、新帝の即位を契機に宦官を一掃すべきだと熱を上げていた。
 今や大将軍府に集まる者達は、いつ何進が「宦官一掃」の命を出すのか、熱病にかかったように待ちわびていた。
 その何進は、未だ妹である皇太后を説得できずにいた。
 大将軍として名実共に王朝の頂点に立つ何進は、庶人の出である。元々は街で肉屋を営んでいたのだが、妹の美貌が宦官の目に留まり、後宮に入り皇帝の寵愛を受け、姉である何進も官職に就いた。
 つまり何姉妹にとって、宦官は恩人に当たる。
 尤もこの時代は、宦官と誼を通じなければ、朝廷で地位を保つのは難しい。袁氏も一族から宦官を輩出しているし、荀彧や荀攸が連なる名族の荀氏も宦官と婚姻を結んでいる。
「姉上、そもそも私たち一族が今日の地位にあるのは、宦官達のお陰でしょう。それに帝室は常に彼等によって守られてきました。それを排除するなど、正気の沙汰ではありません!」
 皇帝が成年するまでは、重臣たちが補佐しつつ、皇太后が代理として政務を行うのが通例である。よって何進としては、『宦官を討伐せよ』との勅命を妹から発してもらわなければ、宦官達を討ったところで私闘となる。それを何進は怖れていた。
 一方で、長年後宮で暮らしてきた何皇太后にとっては、宦官とは常に自分を助けてくれる者であり、彼らが外の世界でどれ程憎まれているのかを知る筈はなく、彼等を討つなどという勅命を出すはずもない。
「だがな、世間では特に悪質な宦官達を『十常侍』と呼び、憎悪している。逆に言えば、『十常侍』を除けば、王朝は民の信頼を取り戻すことが出来るのだ。そうすれば、陛下の治世も安泰となる。だが、このまま奴等を放置すれば、各地の賊を討つ前に、朝廷で争いが起きてしまうのだ」
「考え違いをしている者達を抑え、朝廷を押さえること姉上の役目ではありませんか。とにかく、何と言われようと私はそのような馬鹿げた勅命を出す気はありません!」
 皇太后は怒りで肩を震わせながら叫んだ。
 結局、今日も妹を説得することが出来ず、何進は宮廷を退出する。
 何進が去った後、皇太后の下へ張譲(ちょうじょう)、趙忠、段珪(だんけい)といった宦官達が集まってくる。いずれも世間で『十常侍』と称されている悪名高い宦官達だ。
「皇后様、大将軍の言われようはあまりに一方的でございます」
「我々はただ陛下や皇太后様の望むままに職務に務めているだけ。それをこのように中傷されるとは、無念でございます」
 宦官は生殖器を去勢された為、男でありながら髭はなく、声は甲高く、そして見るからに弱々しい。
 平伏しつつも涙ながらに訴える彼等が朝廷に害を及ぼす存在だとは、皇太后にはとても思えない。
「安心なさい。姉上が何と言おうと、そなた達が朝廷に必要である道理に変わりはありません」
 皇太后の言葉に、十常侍達は感動したような泣き声を上げ、地面に頭を擦り付ける。その為、皇太后は彼等の目に宿る不穏な感情に気付くことはなかった。

 恭介が曹操と酒を酌み交わし、真名を交換した翌日のことである。
 大将軍府の廊下では、従姉妹達が久々の対面をしていた。
 袁紹と袁術である。
「あら、美羽さん。貴女が屋敷の外に出るなんて珍しくなくて?」
「麗羽姉様。妾も官職に就いたのです。出仕するのは当然でありましょう」
 袁術は母や姉と同じく、美しい金色の髪をした少女である。
 幾ら袁家の者とはいえ、このような少女が近衛兵の指揮官とは。
 袁紹には、叔母が何を考えているのか分からなかった。
 否、一つだけ分かる。それは叔母が自分よりも美羽に袁家を継がせようと思っていることだ。
 久々の対面だというのに、二人はそれ以上会話を交わすことなく互いを見つめていた。袁紹の側に恭介は無表情で、袁術の側に控える張勲は作り笑いを浮かべて、互いの主を見守っていた。
 沈黙を破ったのは袁紹だった。
「……私、大将軍に呼ばれていますので、これで失礼いたしますわ」
 そう言うと、袁術の横をすり抜けていく。恭介は袁術に一礼し、主の後を追う。
 袁紹は年の離れた従妹を嫌ってはいないが、従妹の方は袁紹を侮蔑し嫉妬していた。
 父親が大した官職でなかった麗羽と、父親が皇族の自分。
 血筋では明らかに自分が優れているのに、世間では袁紹の評判が高い。袁術は幼少であり、黄巾の乱にも出陣していなければ、大学で学問も学んでいない。屋敷の中で我侭放題に育てられ、好物の蜂蜜水を飲むだけの日々を過ごしていた。これでは評判以前の問題であるが、彼女にはそれが分からなかったし、忠言をするような者もいなかった。
 結果、驕慢で己の欲望に忠実な、我が儘な少女として袁術は育った。いや、母と側近により、そう育てられたというべきだろうか。
 袁紹達の姿が見えなくなると、袁術は張勲に問う。
「のう、七乃や。麗羽の司隷校尉と妾の虎賁中郎将はどっちが偉いのじゃ?」
「勿論、司隷校尉ですよ、お嬢様」
 袁術は頬を膨らませた。
「妾腹の出なのに、妾より偉いのかえ?」
「仕方ありませんよー。お嬢様は出仕したばかりですから。これから出世街道まっしぐらです! 目指せ、頂点、至高の座!」
「だが、麗羽は大将軍のお気に入りじゃぞ? 卑しい出自同士、気が合うのじゃろうが、このままでは妾より麗羽の方がどんどん出世してしまうのではないか?」
「大丈夫ですよ、お嬢様。今まで権勢を持った外戚は皆さん排除されていますから。大将軍だって、例外じゃありませんよ」
 袁術を励ます張勲の顔は、笑顔に満ちていた。
 恭介が自然と成り行きで袁紹の側近となったのとは対照的に、張勲は袁隗からその謀才を見込まれて、袁術の側近として取り立てられた。
 張勲にとっては、国も民もどうでもよく、袁術の望みを叶えることが全てである。
 その有り様は、ある意味宦官に近い。
 張勲に関しては、孫策と法正の言葉が史書に残されている。
 孫策曰く「知恵は回るが小才子。主の為にしか動かず、善悪忠孝といった価値観を持ち合わせていない」人物であり、法正曰く「才は有れど心情卑しく、誠実という言葉を知らない」人物。
 殺人嗜好者と人格破綻者にここまで言われる時点で、張勲の人となりについては大体の想像がつくだろう。
 いずれにせよ、数年後に起きる袁紹派と袁術派の勢力争いは、恭介と張勲の知恵比べと言ってもよいだろう。

 何進は窮していた。
 彼女は都で最大の軍事力を持っているが、それを背景に宦官を討つので私闘であると考えていた。その為、皇太后たる妹の勅命を得るため、宮中に何度も参内しているが、一向に勅命が下る様子は無い。
 何進には、文も武も優れた才を持っているわけではない。ただ、庶人の出であるので、驕ることなく人に接し、宦官により朝廷から遠ざけられていた者達を『黄巾の乱』の混乱を利用して朝廷へと戻した。
 その結果、何進の人望は高まり、甥である弁皇子の即位にも異論が出なかった。
 だが、人望は武器である反面、弱点でもある。
 確かに何進の下には袁紹を初めとした有力な官吏、豪族が集まっていたが、大多数の者が、政を壟断<ろうだん>し、利を貪り、王朝を腐食させる宦官達を宮中から排除すべきだと主張し、先に述べたように悪質な宦官だけを処罰すればよいという曹操や恭介などは例外であった。
 そして声高に「宦官排除!」を叫ぶ者たちは、何進にその役割を担ってもらうべく、日々迫っていた。
 何進自身、政を正道に戻し、王朝の存続を図るには、十常侍らを処罰するべきだと考えている。だが現実は、皇太后である妹を説得できず、部下達は十常侍だけでなく宦官の一掃を求めている
 何進は情の人である。よって、自らを慕う部下の主張、妹の意見、王朝の存続、民の生活、全ての望みが叶う方法を模索していた。
 それは不可能というものだろう。
 今日も皇太后から『宦官排除』の勅命を得られず、大将軍府に戻った何進は、袁紹を傍に呼んだ。
「今日も勅命を頂けなかった。麗羽よ、何か妙案はないか?」
「……恭介さん、何か案はございませんか?」
 何進の問いをそのまま恭介に投げつける袁紹。
 信頼されているのか、はたまた便利屋だと思っているのか。
 判断はつかなかったが、恭介は何進と袁紹に向かって答える。
「行動に必要不可欠なのは、時機を掴むことです。大将軍が宦官を一掃するおつもりなら、今すぐ兵を挙げるべきです。名分は後で得ることが出来ますが、時機は失えば二度と得ることはできません」
 勅命に拘らず、兵を挙げるべし。 
 恭介の意見に袁紹は大きく頷いたが、何進は勅命なく兵を動かし宦官を討っていいのか、逡巡していた。
 大将軍は公人としては正しい。だが、餓え渇いた人間には、調理に時間がかかる豪華な食事よりも、すぐに食せる肉と水が必要ではないのか。
 恭介はそう思ったがものの、言葉に出すことはなかった。
 決心のつかない何進に対して、居合わせた逢紀が口を開く。 
「でしたら、各地の豪族に書状を出し、都へ集めましょう。そしてその兵力を持って皇太后を説得すればよろしいかと。あるいは大兵力に恐れをなして、宦官どもは仲間割れを起こすか、都を落ちる可能性もあります」
 自信に満ちた逢紀の言葉に、何進と袁紹は顔を見合わせた。何進はやや困惑気味に、一方の袁紹は気に入った、という顔である。
「成る程。雄大な策ですわね。では、その策で……」 
「お待ち下さい!」
 恭介の大声に、何進と袁紹は虚を突かれたような表情を浮かべた。
「それは愚策です。各地の豪族が必ずしも王朝に忠義を持っているとは限りません。兵力で圧力をかけるなら、今都に居る三万の兵に宮殿を包囲させれば十分です。好き好んで、野心家を都に呼ぶことはありますまい」
 恭介の脳裏には、董卓の名が浮かんでいた。
 史実では何進と宦官が共倒れした後、都に呼ばれた董卓が権力を握る。そして、漢の権威は地に墜ち、多くの罪なき人々が殺されるのだ。
 逢紀が憎悪の表情で睨み付けてくるが、恭介はそれを無視した。
「私も恭介の意見に賛成です。この度の改革は、あくまで大将軍と司隷校尉のお二人が中心となって行うべきでしょう」
 荀攸の発言に鮑信も賛同し、逢紀の献策は用いられなかった。
 その為か、大将軍府にいる間、逢紀は最後まで恭介を憎々しげに睨み付けていた。
 
 結局、この日も何進は結論を出せなかった。
 大将軍府を去る際、恭介と荀攸は口を揃えて進言した。
「幾ら皇太后様を説得する為とはいえ、宮中に足を運ぶのはご自重下さい。宮中は十常侍の庭も同然。大将軍に害する恐れもあれば、御用心をお願い致します」
「うむ。どうせ今のままでは参内しても無駄だろうしな。参内するにしても、十分な警護をつけよう」
 二人の進言に何進は深く頷いた。



[38235] 14 後漢のいちばん長い日
Name: 羽市◆b131e28e ID:9a9fd995
Date: 2013/08/17 09:45
 何進暗殺の最大の疑問。
 それは彼女が周囲から暗殺の危険性について再三忠告されていたにも関わらず、護衛も引き連れずに宮中へ参内したことにある。
 そこに、後世の我々には窺い知ることができない、何らかの事情があったのではないかと憶測するのは邪推というものであろうか。
                         ―袁沈・著『漢末異文』―より
 

 都の灯りが消えた夜分、恭介の屋敷の一室には五人の人影があった。
 一人は屋敷の主である恭介。
 残り四人は、法正、荀攸、鮑信、張遼である。
「では、夜分遅くに私達を呼んだ訳を聞こうか?」
「しかも、誰にも知られないように内密にとはね。一体どんな悪巧みを考えているんだい? それとも怪しげな道教にかぶれて乱交でもするのかな?」
 深夜だと言うのに疲れを感じさせない鮑信と、既に酒が入って顔が赤い法正が恭介に問う。
「男は俺と桂樹だけだ。とても、女傑三人の相手はできないよ」
「それ以前に、この酔っ払い女の発言を否定しましょうよ、恭介君」
 恭介の返事に、荀攸がうんざりしたような声を出す。
「まあ、どんな話かは知らんが、うちは旨い酒が飲めればそれでええけどな。袁遺の家の酒は、そこらの店の酒より余程旨いからな」
 張遼は上機嫌で酒杯を空ける。
 曹操ほどではないが、恭介も酒には多少のこだわりがあった。現代の酒の味を知っている恭介の口にはこの時代の酒は口に合わない。アルコールの度数は兎も角、口当たりの悪さには閉口したものだ。その為、専門の職人を雇い、日夜研究を重ねた結果、多少はましな酒をこうして客に出せるようになった訳だ。
「酔いが回って話の内容を理解出来なくなっても困ります。それに時刻も遅いですから、単刀直入に言わせていただきます。
 明日、兵を率いて十常侍を討とうと思います。そこで、皆さんに協力をお願いしたいのですが」
 突然の恭介の発言に、場が沈黙した。
 法正は酒に酔った顔で、鮑信は少しだけ口を開け、荀攸は顔を青白くさせ、張遼は面白そうな顔で、恭介を見つめていた。
「……本気ですか?」
 鮑信の問いに恭介は頷く。
「大将軍はあくまで勅命に拘るおつもりの様ですが、宮中闘争に関して我々は素人です。時を無駄に費やしていては、不慮の事態を招きでしょう」
 信頼できる人物に協力を仰ぎ、挙兵する。
 以前から考えていた案ではあるが、決心がついたのは今日の逢紀の発言だった。 
 今日、逢紀の口からこの案が出た際に恭介が強く反対したのは、一つには董卓を都に呼び寄せないこと、もう一つには各地の豪族が集まることにより圧力を感じた十常侍が何進の暗殺を図ることを恐れた為である。
 だが、恭介の知識では、各地の豪族を都に呼び寄せている最中に何進は暗殺された筈である。逢紀の策は採用されなかったとはいえ、時期的には何進が暗殺されてもおかしくはないところまで進んでいると考えるべきだろう。
 もはや何進の決断は待っていられない。
 今起たなければ、王朝は事実上滅びる。
 恭介は漢王朝に忠節など持ち合わせてはいないが、漢王朝が滅ぶ過程で失われる命の多さを考えると座視することは出来なかった。
「確かに、このままでは十常侍に足元をすくわれるかもしれません。しかし、宮中に攻め入るとなると、兵も萎縮するのではないですか?」
 荀攸は眼鏡を拭きながら、自らを落ち着かせていた。
「そこで桂樹に勅命を偽造してもらう」
「僕がですか!」
 恭介の言葉に荀攸は眼鏡を落とした。
「当たり前だ。だからこの場に呼んだんだろう。大将軍の側近であるお前なら、勅命を偽造しても怪しまれまい」
「い、いや、……でも、そんな大事を、ええと……」
 荀攸は優れた知略の持ち主だが、自ら決断するという種の人間ではない。主君や周囲から後押しが必要な人物である。それは学生時代から変わらない。
「私は賛成です」
 混乱している荀攸をよそに、鮑信は静かに、だが力強く断言した。
「ほ、本気ですか、鮑信さん? 失敗すれば、いいえ、失敗しなくとも逆賊扱いですよ!」
「他人がどう評価しようと、私は私の信じる正義を貫くまで。このまま十常侍が政を執るようでは、王朝は滅び、人民は苦しみます。ならば、例え逆賊になったとしても、彼等を斬ることを選びます。何より、私は現世より後世の名を惜しみます。『王朝が腐敗し朽ちる姿を為す術もなく見ていた』などと史書に書かれるのは御免ですから。法正さんはどうですか?」
 鮑信はそう言うと、隣で変わることなく酒を飲んでいる法正に話しかけた。
 法正は酔った顔を上げて鮑信に答える。
「皆は宦官を侮蔑しているが、かつて孫程達は二十人に満たない人数で外戚を討ち、順帝を帝位に即けた。ここで行動せず、ただ無駄に口を動かすだけなら、僕達は宦官以下ということになる」
 法正はついで恭介の方を向くと、
「むしろ、決断が遅い。やるなら先帝が崩御した際の混乱に乗じるべきだった。だが、まだ間に合うか」
「自分ら理屈好きやな。もっと単純に考えればいいんや」
 張遼はそう言うと胸を張った。
「うちも賛成や。なんか都に来てから、ろくに働いてないさかい。悪党を退治するのに理由はいらん。それにここらで一丁暴れたいところやったしな!」
「み、皆さん。そんなあっさりと決めていいんですか!? 第一、我々だけで如何ほどの兵を動かせます」 
 荀攸のもっともな疑念に恭介が答える。
「俺と鮑信殿に張遼殿。かつての西園軍の指揮権を行使して、三千といったところかな」
「敵の不意を突くのだ。それで十分だろう」
 鮑信の言葉に、法正と張遼も頷く。
 それを確認して、恭介は荀攸に向き合った。
「こういった計画は、時を費やし、人数を増やすと必ず失敗する。だから、君達以外に仲間を誘うことはしないし、明日に決行するつもりだ。だが、一人でも反対するのならば、この計画は白紙に戻す。これと見込んだ四人のから同意を得られない様では、失敗は明らかだからな」
 自分の意見を強く主張できない小心者ではあるが、荀攸の軍略は当代一だ。荀攸が賛同しないということは、この計画は失敗するである可能性が高いということになる。
 荀攸は落とした眼鏡をかけ直しながら、恭介を、そして鮑信、法正、張遼を見つめる。
 そしてしばしの沈黙の後、
「分かりましたよ。……ええ、もう、ここで断って皆に殺されるのも御免です! 勅命の偽装だろうと挙兵だろうと付き合いますよ!」
 やけくそ気味に叫んだ。
 ここに衆議は決した。

 恭介達が挙兵を決意した翌日、中平六年(一八九年)八月七日。天候は晴。
 この日、新帝が即位して四ヶ月余りしか過ぎていない時期に、都の政情は大きく変わろうとしていた。
「太傅が相談したい件があるだと?」
「はい。大将軍と二人だけでお話ししたいことがあるそうです」
 朝、何進の屋敷を訪ねたのは張勲だった。
「随分と急な話だな」
 何進は張勲について知ることが無かった。
 袁隗の信頼が厚く、袁術の補佐を任されている有能な人物。
 それだけが何進の知る張勲という人物であった。
「はい。袁隗様は宦官と官吏の対決を憂いておりまして、是非大将軍の意見を聞きたいと仰っております。初めは大将軍府を訪ねようとしたのですが、大将軍府は激徒が集まっているので、冷静な話し合いは出来そうもないと。それに実権を手放したとはいえ、大将軍と袁隗様が顔を合わせれば、何か重大な話し合いが行われたと噂を呼ぶことを恐れております」
「それで、宮中の太傅の部屋でという訳か。確かに宮中なら参内の陰に隠れて、太傅と会った件は秘密にできよう。だが、警護の兵はどうするのだ? 参内したところを宦官に殺されるという間抜けな事態は御免だぞ」
「ご心配なく。宮中を警備している兵士達は美羽様の指揮下にあります。もし、大将軍がその場でお命じになれば、宦官を一掃することも可能です」
「……そうか。ならばすぐに宮中に参ろう。太傅を待たせるわけにはいかんからな」
 それに時間をかけては大将軍府に出仕してくる者達に、何をしていたのか詮索される恐れがある。
 何進は珍しく即決した。
 
 同時刻、恭介と鮑信は西園軍の屯所に居た。
 西園軍は先帝の死によりその存在は宙に浮いていたが、屯所には常に千を越す兵が集まり、訓練に励んでいた。
 荀攸に偽造させた勅命を読み上げ、兵の士気と正義の意識を高めなければ、宮中に攻め入るなどという暴挙に兵は従わないだろう。なにせ、場合によっては宮中で戦闘になる可能性もあるのだから。
 宮中警護の実質上の指揮官である張勲がどう対応してくるか、恭介には今ひとつ確信が持てなかった。
「お顔の色が優れませんが、具合が悪いのですが、恭介様?」
 張郃が心配そうに声をかけてきた。
「……そんな風に見えるかい?」
「はい。他の方は兎も角、私は日夜恭介様の傍に居りますので。少し普段とは雰囲気が違います。何というか、緊張感があるといいますか」 
「それじゃあ、普段の俺は間抜けな顔をしてるということになるな」
 恭介は苦笑した。
「いかんなあ。本人に自覚がなくとも、根が小心なものだから、感情が顔に出てしまうようだ」
 昨夜皆の同意を得て挙兵を決めたとはいえ、恭介としては皆を歴史とは違う方向に動かそうとしている。それこそ、事が失敗した挙げ句、皆が逆賊の汚名を浴びながら死ぬ可能性もある。
 自分の考えにより、数千数万という人の命運を背負う責任。
 それを恭介は改めて実感していた。
「何しろ、身の程知らずな行動を起こそうとしているからね。雰囲気も変わるさ。まあ、俺には人の上に立つ器量がないということだね」
「いや、袁遺殿には人を安心させる力がある。だからこそ、普段のように悠然としていればいい」
 そう笑いながら、鮑信が話に加わった。
「『呆然と』の間違いではないですか。それに俺より鮑信殿の方が、よほど兵を率いるに相応しい威厳があると思いますが」
 黒髪碧眼の精悍な顔をした彼女こそ、まさに一軍を率いるに相応しいだろう。
「だが、堅物過ぎる。私では袁紹殿や法正殿と上手く合わせることは難しいだろう。その点、袁遺殿には誰とでも付き合える包容力が備わっていると思うが」
「そんな聖人じゃありません。せいぜい半数の人が味方してくれれば、という程度ですよ」
 二人がそう会話をしていると、屯所に早馬が駆けてくるのが見えた。
 荀攸からの勅命からと思い迎えに出ると、予想外の人物が馬上に乗っていた。
 法正と顔良の二人である。
「翼と、……それに斗詩さんがどうしてここに?」
 挙兵した後に袁紹に報せ、彼女の協力を仰ぐ予定だったのに、何故袁紹の側近である顔良がこの場にやって来たのか。  
 恭介の疑問の視線を受けた法正は、いつもの皮肉めいた口調に幾分深刻の要素を混ぜて言った。
「恭介、君の姫君が兵を率いて宮中へ向かったぞ」

  袁紹の朝は遅い。
 もともと低血圧であり、自己管理が出来なるような人物ではない為、決まった時刻に起床する習慣を彼女は持ち合わせてはいなかった。
 そんな主の習慣を無視するかのように、朝早く袁紹の屋敷に一人の人物が来訪した。
 袁紹配下の良識人、顔良は慌てて主の私室へと向かった。
「麗羽様、起きて下さい。お客人がお見えです」
「……こんな朝早く訪ねるような無粋な者など、会う必要はありませんわ。顔良さんがお相手しなさい……」
 そう言って再度夢の国へと旅立とうとする袁紹に、顔良は近づいて再度声をかける。
「お見えになったのは楊彪(ようひょう)様ですよ。私がお相手できるような方じゃありません」
「……はあ? どうして楊彪さんが私の屋敷を訪ねてくるのです……」
 楊彪は朝廷の高官であり、袁隗と親しく交わっている。
 また、彼の一族である楊氏は袁氏と並ぶ名家であり、楊彪の祖父も父も三公に就いていた。
 そのような人物が、わざわざ目下である袁紹の屋敷を朝早く訪ねてくるなどあり得ないことだ。
「……叔母上の屋敷と間違えているのではなくて?」
 そう言いながらも袁紹は寝台から身を起した。待たせて良い相手ではない。急いで侍女に身支度をさせ、楊彪の待つ客間へと向かった。
「このような朝早くから、いかがなさいました、楊彪さん?」
「はい。……実は良くない噂を耳にしまして」
 楊彪は顔を伏せる。
 同じ名家でもそれぞれに個性がある。
 袁紹や袁術の袁氏は常に朝廷の中心に有り、荀彧(じゅんいく)や荀攸の荀氏は見識に優れ、楊氏の楊彪やその子の楊修は学識に秀でていた。
 平素の楊彪はいかにも楊氏の官吏らしく落ち着いた人物であるが、今朝の楊彪は何処か落ち着かない様子である。
「良くない噂ですか? それは一体どのような?」
「……親しくしている宮中の者から、大将軍が供も連れずに宮中へ参内したとの報せを受けまして」
「な、何ですって! そんな馬鹿なことが……」 
 自ら死地に飛び込むようなものだ。 
 袁紹の眠気は一気に吹き飛んだ。
「信頼できる者ですので、間違いないかと。そこで、まずは袁紹殿にお知らせしようと……」
「斗詩さん! 猪々子さん!今すぐ大将軍府に出立しますわよ!」
 袁紹は楊彪の言葉を最後まで聞かず、礼もそこそこに、慌てて屋敷を飛び出した。
 その袁紹の後ろ姿を見ながら、
「袁氏も何をやっているのだか……。一族が力を合わせれば、すぐにでも政を正せように……」 何処か疲れたような声で、楊彪はそう呟いた。
 
 袁紹は急いで大将軍府に駆けつけたが、やはり何進の姿は見えなかった。
「荀攸さん、法正さん、大将軍をお見かけしまして!」
「え、袁紹様! ああ、いえ、その……」
 突然姿を現した袁紹に、荀攸は顔を青白くさせ、咄嗟に返事が出来なかった。今から勅命の偽造に取り掛かろうとしていたのだから、当然といえば当然の反応である。
 そんな僚友を愉快そうに眺めつつ、法正は普段と変わらない落ち着いた口調で答えた。
「大将軍はまだ出仕されていませんが、何か火急の御用でもおありでしょうか?」
「大将軍が護衛も付けずに参内したとの知らせがありましたのよ!」
「……何ですと?」
 だが、法正の落ち着いた態度も袁紹の言葉の前に砕け散った。  
 袁紹に遅れて出仕してきた逢紀、淳于瓊、王允らも袁紹の話を聞き、皆顔色を失った。
「い、急いで宮中へ向かいましょう。何もなければそれはそれで構いませんから」
 荀攸の進言に、袁紹は頷いたが、ふと周囲を見渡してある人物の不在に気が付いた。
「この大事なときに、恭介さんは何処にいますの?」
 言葉に詰まる荀攸に変わり、法正が何食わぬ顔で答える。
「既に変事を報せ、西園軍の屯所に向かいました。万が一に備えて兵を集めております。より詳しい状況を知らせる為、僕が向かいましょう」
「でしたら、顔良さんも一緒に同行したら如何ですか? 優秀な指揮官も必要でしょう」
 逢紀が袁紹に進言する。
「そうですわね。斗詩さん、貴女も法正さんに同行なさい。私は急いで宮中に向かいますわ。逢紀さんと猪々子、行きますわよ!」
 そう言うと、逢紀と文醜を連れて宮中へと向かった。

 法正から事情を聞いた恭介の脳裏に浮かんだのは、何進の首が胴から離れている姿だった。
 どうやら自分の決断は遅かったようだ。これでは史実の袁紹を笑えない。
「それで、今後はどう動く?」
 法正の言葉に、恭介は我に返った。
 先を越されて呆けている場合ではない。
 まだ何進が討たれたと決まった訳ではないし、例え討たれたとしても、その後の事態を好転させることを考えなければならない。
 恭介は深く呼吸し、自らを落ち着かせると、周囲を見渡した。
 皆、突然の事態に、どう動いていいのか迷っているのが見て取れる。
 恭介は、務めて冷静な口調で皆に話しかける。
「鮑信殿はこの場に留まり、周囲に知れても構わないので兵を集めて下さい。それと事情を張遼殿に知らせ、騎兵を使って、都の全ての門を塞いでください。翼は大将軍府に戻り、桂樹と共に情報の収集を、斗詩さんは自分と一緒に宮中に向かい麗羽様に合流しましょう」
 恭介の落ち着いた声と的確な指示は、皆の動揺を鎮めた。
「そうですね。私も手勢が集まり次第、宮中に向かいます」
 鮑信はそう答えながら、恭介の落ち着きぶりに感銘を受けていた。『歴史』を知っている恭介ならではの指示なのだが、無論鮑信がそれを知るはずもない。
 恭介は鮑信に後を任せ、屯所に集めっている千の兵を率いて宮中へと向かった。

「ここでお待ち下さい。袁隗様に知らせてきます」
 張勲は何進を宮中の一室に案内すると、そう言って立ち去った。
 参内の礼に従い、何進は武器を帯びていない。
 太傅には何か良案があるのだろうか。
 宦官は皇帝の手足としての自負があり、官吏や豪族は宦官に弾圧され続けた怨みがある。もはや宦官と官吏の対決は、どちらかが倒れるまで終わらないだろう。
 理屈ではなく感情になってしまえば、人は妥協することができない。
 それは他人も身内も同じことだ。
 現に自分は妹である皇太后を説得できずにいる。
 何進はふと、張勲が消えた方向に視線を移した。
 姉妹ではないが、麗羽と袁術の仲も上手くいっていないようだ。太傅は袁術に後を継がせたいようだが、名声は麗羽の方が高い。
 何進も二人と接してみて、麗羽の方が人の意見を入れる器量があると感じていた。袁術はまだ幼く、これからの成長次第だろうが、周囲の接し方を見ていると、将来に期待など持てるものではない。
 となると、麗羽の成長には、側近である袁遺の影響が大きいのだろうか。
 麗羽も幼少の頃は、袁術と同じような、名門の娘としての自意識が肥大した少女だったと聞いている。だが今の麗羽は、名門袁氏の出身に誇りを持ちつつも、周囲の意見に耳を貸すような人間へと成長した。その間、常に麗羽の側には袁遺が控えていたとも聞いている。
 何進は袁家の割には地味な印象の青年の姿を思い浮かべた。
 出来ることなら、宮中の掃除を終わらせた後は、自分の後を麗羽に継いでもらいたい。力を持ちすぎた外戚というのは、必ず滅びる運命にあるのだから。 
 ふと人の気配を感じ、何進は立ち上がる。
 瞬間、胸に激痛が走った。
 下を向くと、槍先が胸から突き出ていた。
「我々が引き立てた恩を忘れおって! 肉屋が政を握るなど笑わせるわ!」
 何進がゆっくりと振り返ると、張譲(ちょうじょう)達の歪んだ顔が見えた。
 何故十常侍達がこの場にいるのか、どうして槍が己の胸を突き抜けているのか、何進には分からなかった。ただ一つ分かること、それは自らの命がここで尽きようとしていることだ。
 それは本能か、それとも意地か。
 何進は自分の胸元から突き出ていた槍先を力任せにへし折ると、目の前の趙忠に投げつけた。
 鈍い音がして、槍先は趙忠の眉間に突き刺さり、趙忠は絶命した。
「………ひっ」 
 張譲達は、目の前で突然起きた仲間の死に、悲鳴を上げて後退った。
「……確かに、私は大将軍の器ではないが……貴様達の世も……永くはない……ぞ」
 そう呻くと、何進は自らの血だまりへと倒れた。

 何進が倒れた頃、宮中の外では袁紹と警護の兵が揉み合っていた。
「開門なさい!」
 袁紹の命令に、警護の兵は「兵を率いて宮中に入るなど」と反論し、両者は睨み合っていた。
 理は警護の兵にある。
「ならば警護の責任者を今すぐに呼びなさい!」
 だが、袁紹は怯むことなく声を上げる。名門育ちの慇懃さが、良い意味で度胸となっているのだろう。
 袁紹の左右には逢紀と文醜が、背後には武装した五百の手勢が控えている。
 まさに一触即発の事態であった。
 袁紹が更に口を開こうとすると、門が開き、兵に守られた一人の宦官が出てきた。 
 十常侍の一人、高望である。
 高望は顔を歪め、宦官特有の甲高い声で袁紹を怒鳴りつけた。
「逆賊何進は帝と皇太后を害しようとし、勅命によって誅された! 袁紹、貴様も何進と同心した罪により司隷校尉の任を解く。速やかに兵を退き、自宅にて謹慎せよ!」
「なっ!」
 絶句する袁紹に向かい、高望は勅命を見せつけた。それは宮中の役人を剣で脅して無理矢理書かせたものであるが、形式は整っている。
 高望は己の勝利を確信した顔で、
「そら、お前の主人の首だ。さっさと持って帰れ!」
 そう言うと、高望は袁紹に丸い物体を袁紹の足下に投げつけた。
 それは何進の首であった。
「大将軍っ!」
 目を見開いた何進の首を見た瞬間、袁紹は絶叫し、同時に少ない理性は完全に感情に飲み込まれた。
「……おいたわしや。さぞ無念でありましょう……」
 袁紹は跪き、何進の首を抱きしめて涙を流すと、高望を睨み付けた。
「大将軍を謀殺した上、勅命を偽造する不届き者が!」
 袁紹の一喝に、場は凍り付いた。
 袁紹の尊大な態度は、そのまま彼女の威に変わり、誰もが言葉を発せず、動くことも出来ない。
「逢紀!」
「……は、はい!」
 袁紹は逢紀に何進の首を預けると、そのまま高望に近づき剣を抜いた。
「え、袁紹。き、貴様、勅命に背く気か!?」
 袁紹の気迫に押され、高望は動くことが出来ず、ただ顔を蒼白にして叫ぶことしか出来なかった。
「お黙り、下種がっ! あの世で大将軍に詫びるがいい!」
 袁紹が叫ぶと同時に、高望の首は宙を飛んだ。

  恭介が宮中に駆けつけると、既に宮中の門扉では袁紹の手勢と宮中の警護兵が剣を交えていた。勢いは圧倒的に袁紹勢にあるが、警護兵は城壁を盾に守りを固め、宮中へ突入出来ずにいる様だ。
 恭介は、逢紀の腕に抱かれている何進の首に黙祷すると、自ら剣を奮い指揮を執る袁紹の下へと足を進める。
「麗羽様、この度はさぞがしご無念かと」
「……宦官どもを一人残さず殺しますわ。……恭介さん、何か策はあって?」
 袁紹は恭介の言葉を途中で制し、血涙をにじませながら問う。
 やはりこうなったか。
 或いは自分が早く挙兵していれば、何進の横死は防げたのかもしれない。ならば、この事態を収拾するのは自分に課せられた使命だろう。
 恭介は袁紹を見据えて言う。
「このまま時を無駄にしては、陛下を擁している十常侍が有利です。非常の際には非常の手を打つべきかと」
「……どんな手ですの?」
「宮中に火を放ちます」
「ほ、本気ですかっ、恭介様!」
 顔良が驚きの声を上げた。
 声こそ上げなかったが他の将も皆、恭介の発言に驚いていた。
 中でも驚いていたのが逢紀である。
 彼女が抱いていた恭介像は『袁紹に強い影響力を持つ良識人』でしかなかったのだから。
 逢紀は袁紹を崇拝していた。
 袁紹様の持つ優雅さこそ、この国を治めるに相応しい。
 そう思ったからこそ、良識人の顔良を袁紹の側から切り離し、猪武者の文醜と共に宮中へと向かったのだ。大将軍が無事ならばそれもよし、仮に殺害されていれば袁紹を煽り、宦官達を一掃しようと画策していた。
 だが、目下の処、自軍は宮中の壁を越えることができない有様だ。
 更に、常識人の筈の恭介が、『宮中に火を放つ』という、常識外れの策を示してきたのだ。
 認識を改める必要がある。それにしても忌々しい。袁紹様の参謀は私一人で十分なのに。
 逢紀は誰に聞こえるともなく舌を鳴らした。
「火を放つといっても、城門だけです。それに南宮には陛下はおりません。いるのは十常侍とその取り巻きでしょう。例え火が広まり彼等が焼け死んでも、寧ろ麗羽様の名声は高まりましょう。何より、大将軍を討った賊どもは決して許さないという意を内外に示すこととなりましょう」
 宮中は北宮と南宮に別れている。
 北宮は後宮であり、皇族や宦官しか立入りを許されてはいない。
 保身に長けた十常侍のことだ。おそらくは安全な北宮に皇帝を盾に籠もっているだろう。  
 恭介自身、宮中を全て焼こうとなど考えてはいない。あくまで門を突破する為の手段でしかない。だが、この暴挙ともいえる行動に十常侍は恐れ、どちらが勝つかと日和見を決め込んでいる者達は慌てて袁紹に味方するだろう。
「わかりましたわ。皆、門に火を放ちなさい!」
 例え皇帝がいなくとも、宮中に火を放つなど、並大抵の決意では行えない。
 おそらく恭介が同じ命を下しても、兵は従わなかったろう。
 だが、袁紹の持つ風貌、地位、名声、そして高望を斬り捨てた雄姿が、兵たちを動かした。
「放て!」
 袁紹の命の下、宮中へ向けて一斉に火矢が放たれる。
「ひいっ!」
「しょ、正気か、貴様等!」
 門を守る兵士達は、悲鳴を上げて逃げ出した。
 その後を、袁紹に率いられた千五百人の兵が門を破り突入した。
 そして、史上に残る大虐殺が始まった。 

 宮中を守る兵は宦官の私兵と袁術が指揮する近衛兵とに分かれる。
 そして近衛兵達は、袁術から指揮を預かる張勲の命により、一斉に宦官達に襲いかかった。
 外からは復讐に燃える袁紹の兵、内からは宮中を熟知している張勲の兵に攻められ、十常侍とその配下は成すすべもなく討たれていった。
 郭勝は文醜に胴を真っ二つにされた。
 孫璋は逃げ回った挙句、顔良に首級を上げられた。
 張恭は張郃に一撃で斬り捨てられた。
 宋典は兵士達にぼろ雑巾の如く切り裂かれたていた。
 今や宮中は怒声と悲鳴が入り混じり、一方的な殺戮場へと姿を変えていた。十常侍はもとより、宦官というだけで、罪の有無を問われることなく次々と惨殺されていった。髭の無い者、老人や少年、すこしでも宦官らしき風貌をしている者達は全て斬り捨てられた。
 中には、矢傷を追いながら宮中を脱出した者もいたが、彼等は兵をまとめて宮中を包囲していた鮑信によって斬られた。鮑信は宮中から上がった煙を見て事情を察し、集まった西園軍を率いて宮中の周囲を包囲していた。彼女の的確な判断と行動力は賞賛に値するだろう。
 ごく少数だが何とか鮑信の包囲を突破して門まで逃げ延びた者もいた。だが彼等も張遼とその兵によって閉ざされた門を見て、絶望し自決して果てた。
 荀攸と法正も、事態を黙って見ていた訳ではない。宮中から上がる煙と恭介からの早馬で事態を知ると、すぐに主だった朝臣を大将軍府に袁紹の行動に対して支持を求めた。
 王允、楊彪(ようひょう)、荀爽(じゅんそう)、張温(ちょうおん)といった重臣達は、温度差こそあれ、袁紹の行動を支持した。いや、既に何進が倒れ、宦官が殺戮されている以上、袁紹の行動を支持するしか選択肢がなかった、とも言うべきか。
 重臣達から支持を取り付けた荀攸は、ふと大将軍府に集まる文武百官を見渡して、あることに気が付いた。
「はて、太傅のお姿が見えないが、どちらにいらっしゃるのか?」
 
 十常侍の一人、段珪(だんけい)は宮中の袁隗の執務室へと逃げ込んだ。
「太傅!太傅! 貴女の一族の暴挙を今すぐ止めて下さい!」
 女のような甲高い声で叫ぶ段珪が見たのは、醒めた視線で自分を眺めている袁隗と、作り笑いを浮かべた張勲、そして武装した近衛兵の姿であった。
 この時点で、ようやく段珪は自分達が謀られたことを悟った
「……袁隗。貴様、始めからこうなると知っていたのか……」
「何進を討てば、麗羽が黙っている訳がないでしょうに。あれは、私より何進に懐いていたのですよ」
 袁隗は淡々と答えた。
 このままでは何進とその一派によって殺される。そう危機感を抱いていた段珪に、先日袁隗は密かにこう囁いた。「私が何進を宮中に呼び寄せるので、後は貴方達が好きにすればいい」と。
 段珪とすれば、袁隗の言葉から、彼女が袁紹達を抑えてくれるものと思っていた。
 だが、現実はどうだ。今も宮中では袁紹達が剣を奮い、段珪の同僚や部下を次々と殺戮している。
 ここにいたって、ようやく段珪は自分達が利用されたことを悟った。
 放心している段珪を一瞥すると、袁隗は張勲に視線を向けた。
「お役目ご苦労様でした~。それじゃ、サクっとあの世に旅立って下さいね?」
 笑顔のまま張勲は段珪の胸へと剣を刺し、段珪は蛙のような悲鳴を上げ、その場に倒れた。
「さて。後は……」
 そう言いかけたところで袁隗は顔を歪め、その場に崩れ落ちた。
 死んだと思われていた段珪が、最後の力を振り絞り、小刀を袁隗の太股に突き刺していた。
「こ、この死に損ないがっ!」
 張勲とその部下によって滅多刺しにされ、段珪は息絶えた。
「袁隗様、しっかりして下さい! 早く医者を呼びなさい!」
 計算外の事態に、流石の張勲も作り笑顔を捨て、声をうわずらせながら袁隗に駆け寄った。

 十常侍の中でも最大の権力を握り、霊帝に「我が父」とまで呼ばれた張讓(ちょうじょう)は、宮中の奥深く、まだ誰も足を踏み入れていない一室へと身を潜めると、衣服を女官のそれに改め、宮中の外へ逃げ出そうとしていた。
「見苦しいですわよ」
「え、袁紹っ!」
 張讓が振り返ると、袁紹が恭介と張郃を従え立っていた。
 袁紹の黄金に輝く鎧は、宦官達の血で赤く染まっていた。
「貴様等、己が犯した罪の重さを自覚しているのか! 我々は先帝より、いや王朝が成り立って以来、陛下をお護りするのを託された身なのだぞ! そ、それを、貴様は、こともあろうに……」
「お黙りなさい! 痴れ者がっ!」
 袁紹は怒鳴りつけると剣を抜いた。
「私が貴様等を討つのではありません。貴様等に陥れた人々の怨念が私に乗り移っているのです!」
「な、何を世迷言を。きゅ、宮中をこれだけ血で汚した、き、貴様に、天は決して味方せぬぞ」
「死ぬ間際になっても往生際が悪いですわね。今すぐ、その汚らわしい口を動かなくさせてあげますわ」  
 張譲に詰め寄るとする袁紹を、恭介が制する。
「麗羽様の剣をこれ以上汚すのは忍びありません。ここは私にお任せ下さい」
 袁紹に万が一があってはならない。それに、これ以上袁紹の手が血で汚れるのを見るのが嫌だった。
 近寄る恭介に、張譲は呻く。
「わ、我々を討つということは、王朝が滅びることと同じであると、何故分からんのだ!」
「……分かってますよ」
 恭介は呟いた。
 宦官を失った後、漢王朝最後の皇帝である献帝は、何度か曹操を除こうとして失敗している。無論、曹操の非凡さ故ではあろうが、皇帝の手足たる宦官に有為な人物を欠いていたことも原因の一つだろう。 
 王朝が始まった当初、宦官が政を私物化することはなかった。寧ろ幼少の皇帝が即位した際には、皇帝の手足となり、王朝から外戚という病魔を取り除いたことも一度や二度ではない。近年の皇帝が宦官という薬を服用しすぎた為、副作用が大きくなってしまっただけのことだ。
「良くも悪くも、今まで王朝を支えてきたのは貴方達でしょう。だからこそ、ここで退場してもらわねば、人々は納得しないのですよ」
 疲弊した世において、人々は常に分かりやすい悪を求める。
 それが十常侍に代表される宦官達であり、もはや宦官であることが罪であり、討たれる理由となっていた。
「民の不満を解消する為、死んで下さい。それは貴方達にしか出来ない役目です」
 それが張讓の聞いた最後の言葉だった。

 この日、王朝を支えてきた外戚と宦官という左右の柱が折れた。
 外戚の死者は何進一人だが、宦官の死者は三千人に及んだ。
 漢王朝四百年の歴史の中で、宮中においてこれほどの血が流されたのは初めてのことだ。
 何進こそ失ったものの、最悪の事態は防げたと言っていいだろう。袁紹は自らの手により宮中を押さえ、また鮑信と張遼の活躍もあり、少帝、協皇女、皇太后も無事保護することに成功した。
 後は袁紹を中心とした政権を打ち立てるだけだ。
 宮中の火を消すと、途端に周囲が暗くなる。
 とうに陽は落ち、時刻は夜となっていた。
 死体だらけの宮中を出た恭介は傍らに控える張郃に向けて声をかける。
「今日は疲れたでしょう。もう屋敷に帰って休みなさい」
 自分よりはるかに武芸に優れている張郃は、結果として十人以上の宦官を斬っていた。自分より若い少女の手を血で汚してしまったことに、恭介は自己嫌悪を覚えた。
「大丈夫です。それに私の役目は恭介様の護衛ですから、恭介様が休まれない以上、私も休みません」
 そう言って笑う張郃に、恭介はなんとも複雑な表情を見せつつ、頭を掻いた。
 既に袁紹は文醜に護られ屋敷へと戻っていた。恐らく今日は、彼女のこれまでの人生で、一番疲れた日であったろう。
 疲れているのは恭介も同じであったが、彼にはまだ成すべきことが残っていた。
 今後、如何にして袁紹を押し立てていくか。それを法正と荀攸に相談したかった。
 二人が残る大将軍府に馬を向けようとすると、向こう側から手勢を率いた鮑信がやって来た。
「鮑信殿。この度は助かりました」
 恭介の礼にも鮑信の顔は冴えない。
 やはり、一方的な宦官の殺戮に内心思うところがあるのだろうか。
 そう考えた恭介に、鮑信は暗い顔で恭介に言った。
「袁遺殿。実は都の城門に、多数の『董』の旗が翻っているとの報せを受けたのだが……」



[38235] 15 董卓
Name: 羽市◆b131e28e ID:9a9fd995
Date: 2013/08/17 09:49
「あ……ありのままに今起こった事を話すと、『宦官達を一掃したと思ったら、いつのまにか董卓がやって来てた』。……何を言ってるのかわからねーと思うが、俺も何が起きているのか分からなかった。騎馬隊だから移動が早いとか機を見るに敏だとか、そんなものじゃ、断じてない。もっと恐ろしいものの片鱗を味わったぜ……」
「何を言ってるんです、袁遺殿?」
「すいません。……いささか動揺しておりまして」
「……確かに、どうして涼州に駐屯していた董卓がこうも早く都にきたのか、不思議ではありますが」
 鮑信の言うとおり、董卓軍は異民族を防ぐ為に涼州に駐屯しており、何進も袁紹も上洛の使者など出していない。
 それが何故か、五万という大軍を率いて上洛し、一夜にして都で最大の実力者の地位を奪った。
 都の城門を警護していたのは張遼だが、彼女は元々董卓軍の一員である。争うことなく開門し、董卓軍は悠々と入京してしまった。
「いずれにせよ、董卓に会わなければ、何も分からないですね」
 今、恭介は董卓が滞在する屋敷に向かっている。袁紹の代理として挨拶をし、董卓の目的を探るためである。
 何進の仇を討ち、一躍名を高めた袁紹だが、事が終わると自室に籠もってしまった。姉と慕う何進の横死と宮中に兵を入れたことによる精神的な疲労から未だ回復していない為である。
 更に、朝廷で一番の実力者である袁隗は、宦官一掃の騒ぎに巻き込まれ重症を負い、寝台から立ち上がることが出来ずにいた。
 そうした事情から、袁隗、袁紹、そして董卓と、今後誰が政を主宰するのか、朝臣達は固唾を飲んで見守っていた。

 董卓は昨日まで権勢を誇っていた十常侍の一人張讓(ちょうじょう)の屋敷を接収し、滞在している。
 屋敷の内部に案内された恭介は、内部に充満する血の臭いに顔をしかめた。張讓(ちょうじょう)の一族は董卓によって皆殺しにされたらしい。自業自得だが、住人を殺害し、未だ血の臭いが残る屋敷で過ごす辺りに、董卓という人間の凄みが表れている。
 董卓の元へ通された恭介は、大いなる納得と少しの意外を持って、董卓に頭を下げた。
 曹操や袁紹、孫堅や孫策の例もあり、董卓も女性ではないかと疑っていたのだが、目の前に座るのは、無様なまでに太ったの中年の男だった。
 獣のような目と長年辺境を守っていた武人らしい風格が、悪い方へと形作られている。
 皆が想像する『悪』の姿そのものだ。
「助軍校尉の袁遺と佐軍校尉の鮑信か。袁紹の代理だそうだが、袁紹は何故姿を見せぬ」
 声は低く、そして相手を威圧する念が籠もっている。
 恭介は気付かぬ風に言葉を返した。
「司隷校尉は、昨日の闘争で疲労しておりまして。代わりに我等二人が御挨拶に伺いました」
「ふん。たかが十常侍を除くのにこれ程手間取るようでは、とても国政を担う人物ではないな、袁紹も」
 そう言うと、董卓は侍女の皿から果物を取ると、乱暴に噛み砕いた。
「董将軍は、涼州の守護を任されていた筈。何故、大軍を率いて都に上られたのですか?」
 恭介の言葉に、董卓は馬鹿にしたように大口を開けて笑った。
「袁氏も一枚岩ではないと見える。袁隗と袁術から書が来たのだ。『至急兵を率いて都に上るべし』とな。お陰で我が兵士達は大変疲れておる。その面倒は見てもらうぞ」
「はっ」
 頭を下げるが、董卓は恭介など眼中にない様子で、手を振った。
 この対面の短さこそ、董卓が恭介はおろか袁紹すら眼中にないことの証だろう。

「董卓という人物をどう見ましたか?」
 董卓の屋敷を出てしばらくの後、恭介は終始沈黙していた鮑信に尋ねた。
 董卓に面会すると決まった際、恭介は法正や荀攸ではなく、鮑信に同行を頼んだ。それだけ彼女の眼力を信頼していた。
 鮑信は淀みなく答える。
「あれは怪物です。速やかに除かなければ、王朝にも人民にも多大な不幸を招くでしょう」
「……董卓の涼州での評判は悪くなかったようですが?」
 恭介が集めた情報では、辺境を守ること十数年、異民族と融和した統治を行い、領地をよく治めたと聞いている。
「成る程。その話は正しいかもしれません。ですが、董卓は辺境に長く住む余り、漢民族の価値観より異民族の価値観に染まってしまったのではないでしょうか? ですから、異民族の評判が良くとも、中央の政が務める人物とは思えません」
 鮑信は恭介と違い、知識や偏見を持っていない。その彼女の言葉だけに重みがある。
「鮑信殿。董卓の側に控えていた宦官を見ましたか?」
「はい。あれは李儒ですね。討ち洩らしていたばかりか、董卓の側近になっているとは……」
 董卓の側に控えて終始恭介達に冷えた視線を送っていた痩せた男、それが宦官の李儒であった。十常侍ほど悪名が高い訳ではないが、知恵が回る。そして何より宦官を殺戮した自分達に対して怨みを持っているだろう。
 その李儒が董卓の側近になっていることも、董卓に対する不安の一つである。
「急ぎ袁紹殿に立ってもらわねばなりません。見込みはありますか?」
「……難しいでしょうが、説得してみます」
 董卓を呼び寄せたのが本当に袁隗ならば、袁紹が兵を挙げるのは難しい。袁紹は叔母から愛されていないが、叔母の意には従うだろう。
 恭介は明日共に袁紹の下に伺う約束をして鮑信と別れると、自宅へと馬を向かわせた。
 しばらく行くと、何やら前方の一角が騒がしい。
「董卓の兵が騒ぎを起こしていなければいいが……」
 恭介が馬を降りて近づくと、十名ほどの警備兵が一人の少女を囲んでいた。
「天下の往来で何の騒ぎか!」
 恭介の一喝に、警備の兵の視線が少女から恭介へと移った。 
「こ、これは袁遺様」
 警備兵の隊長らしき人物が頭を下げる。
「実はこの娘が、勝手に野犬を連れて行こうとしておりまして」
「野犬?」
 言われて恭介は少女に視線を移す。確かに少女は、犬と猫を十数匹ほど連れている。
 洛陽は大都市ゆえに、野良犬や野良猫が多い。動物愛護などという概念などないこの時代、こうした動物は捕縛され食材にされるか、その場で殺されるのが常である。
「はい。住人から苦情があり、処分しようとしたのですが、その娘が邪魔立ていたしまして」
 恭介は少女に近寄ると話しかけた。
「警備隊の言うことは本当かな?」
「……殺すの、駄目」
 ぼんやりとした雰囲気の少女が小さく返事をした。
「そうは言っても、野良犬や野良猫は、皆の迷惑になるんだよ」
「……私が……飼う」
「行いは素晴らしいけど、それだけの野良犬や野良猫を面倒みれるのかい?」
「大丈夫……。お金は、ある」 
 恭介は改めて少女を観察する。赤い髪をした、背丈が恭介と同じ長身の少女。
片手に大きな槍を持つあたり、武人なのかと思うが、見覚えはない。
「大丈夫ねえ……」
 恭介は頭を掻いて、少女を見つめた。
 少女は自分の後ろにいる犬や猫と同じ、小動物のような瞳で恭介を見返してくる。
 その瞳に保護欲が刺激されたのは、男として仕方ないことだろう。
 しばし迷った末、恭介は懐から紙を取り出して、そこに自分の官職と名、そして少女の動物保護の行いを承認する旨を記入し、少女に渡した。
「今度から警備の者に問われたら、それを見せなさい。少なくとも揉めることはない筈だ」
 恭介はそう言うと馬に騎乗しようとするが、身体が前に進まない。
「……うん?」
 振り返ると、少女が恭介の衣服の袖を掴んでいた。
「……ありがとう」
「いえ……どういたしまして」
「……恋」
「えっ?」
「名前……恋」
「ええと、恋っていうのが君の名前なのかな?」
 恭介の問いに少女、恋は頷いた。
「そう。ええと、俺は袁遺という。一応、都の役人なので、何か困ったことがあれば名前を使うといい。それじゃあ」
 恋にじっと見つめられ、顔が赤くなるのを感じながら、恭介は慌てて立ち去った。
 この出会いが後に自分の命を救うことになるとは、予想出来る筈もなく。

 屋敷に戻ると、顔良が恭介の帰りを待っていた。
「命じられていた董卓軍の情報です」
「ありがとうございます。流石、斗詩さんは仕事が速いですね」
 顔良が恭介に渡した紙は二枚だけで、大した分量ではない。だが、情報は速さが大事だ。詳細や疑問は後で調べればいい。
「兵数は五万。大半が騎兵で、その兵員は涼州人と并州人で編成されている、か。……仮に麗羽様が兵を挙げたとして、正面から戦えば勝てる見込みは少ないな」
 やはり策を弄するしかないか。
 恭介は二枚目の紙に視線を移した。
 そこには董卓軍の主な将の名が書かれている。
 李確、郭汜、張済、徐栄、華雄、呂布、張遼。
 いずれも武人であり、政の人材が見当たらない。つまり、董卓軍には政を司る能力が欠けているということだ。政を都の朝臣に任せるのか、それとも自分で政を見るのか。
「それにしても、呂布か……」
 恭介の知識では、呂布は董卓が上洛後に配下になる筈だ。だが、既に張遼が董卓の配下なのだ、呂布がいてもおかしくはない。
「それと、田豊様から書簡が届いております」
 顔良から渡された田豊の書簡を読む限り、南皮の統治は上手く進んでいるそうだ。そして書簡の最後には、「荀彧(じゅんいく)という優れた人物が仕官した」と書かれていた。
 恭介は昨日と今日とで大きく変わった都の情勢を、田豊への返書としてしたためると顔良に手渡した。なお、文末には『荀彧(じゅんいく)は若輩ながら王佐の才を持ち合わせているとの評判です。何卒留めていただくようお願い致します』と付け加えた。
「それでは私は麗羽様の下に帰りますが、恭介様はどうなさいますか? 
「今日は所用がありますので、明日伺させていただくと、麗羽様にお伝え下さい」
 本人がどう思っているかはさておき、恭介は袁氏の一族であり、大学で学び、朝廷から官職を与えられている。世間一般から見れば『名士』であり、それ故に各地の人物から多数の手紙が送られてくる。これにより、恭介は都に居ながら、各地の情勢を知ることが出来た。勿論、恭介も相手に対して自分が知りうる限りの情報を提供しているのであるが。
 曹操、孫堅、孫策。
 都での政変を知らせなければならない人物は多数おり、今日は手紙を書くことで一日が費やされるだろう。



[38235] 16 孫と曹
Name: 羽市◆b131e28e ID:9a9fd995
Date: 2013/08/17 09:57
 長沙郡は荊州の東に位置し、都からは遠い。
 よって、都とその周辺のみを天地と思う官吏達の関心は薄く、黄巾の乱が鎮圧された後も反乱が絶えなかった。
 そこで朝廷が太守に任じたのが孫堅である。
 孫堅は瞬く間に賊徒を鎮圧した。
 それも長沙だけではない。他の荊州の郡、更には揚州や交州にも兵を出し、ことごとく勝利を収めた。
 現地の太守に頼まれた場合もあるが、多くは彼女が勝手に兵を動かし、反乱を鎮圧した。
 その結果、孫堅は勇名とそれを慕う兵、そして周囲の太守からの憎悪を得た。
「なんと小人の多いことか」
 太守達が賊徒に怯え城に籠もり、民衆が苦しめられている。それを救うために兵を動かしたのに、彼等は職権を侵されたと怨みを抱く。
 ならば自分達で賊徒を討てばよいものを。
 孫堅はそうした太守を蔑視し、その声に耳を傾けなかった。そして先日も荊州南部で起きた反乱に対して、娘の孫策を遣った。 
 その孫策が、僅か十日で反乱を鎮圧し、長沙に帰還した。
「母様、只今戻りました」
「うむ。短期間で見事な戦果を挙げた様だな。……だが、せめて服を変えてから報告にくればよいものを」
 賊徒の血によるものだろう、孫策の服は所々黒い染みが付いている。
「うーん、なんか血の臭いがすると落ち着くのよねえ。着替えるのは勿体無いわ」
「……戦場に出してばかりだったせいか、どうやら私は娘の育て方に失敗したようだな」
 孫堅は娘の将来に一抹の不安を覚えつつ、娘の横に立つ女性に声をかけた。
「冥琳。色々と苦労しただろうが、よく雪蓮の手綱を握ってくれた」
「はい。有難うございます」
「ちょっと冥琳! そこは否定しなさいよ。それじゃあ、私が暴れ馬みたいじゃない?」
「そうね。雪蓮は暴れ馬ではなく、暴れ牛だものね」
 孫策の言葉に、少女は含み笑いで返事をした。
 冥琳と呼ばれたこの女性、姓を周、名を瑜、字を公瑾といい、孫策の軍師を務めている。
 孫策と同じ歳にして、同じく長身で肌が黒く、女性の魅力に溢れている。
 孫策と周瑜は幼い頃からの友人であるが、門地にはかなりの差があった。
 孫家は孫堅という傑物により名を知られるようなったが、それ以前は庶人でしかなかった。それに対して周家は過去に三公や尚書令(皇帝の秘書官のような職種である)を排出しており、周瑜の母も洛陽の県令を務めていた。
 本来であれば、孫家の配下になるような人物ではない。
 だが彼女は、孫策の強引な勧誘と、彼女が持つ魅力に惹かれて、軍師の任を引き受けた。 
 孫策と周瑜、形式上は主君と配下であるが、二人は親友であり、何より互いをかけがいのない半身だと思っていた。
 自分達はそれぞれ優れた才を備えているが、大陸には自分達に並ぶ、或いは超える者もいるだろう。だが、自分達ほど互いを認め信頼し合える者はいない。
 そう孫策は自負していた。
「しかし、反乱を鎮圧したのは良いが、また随分と降兵を連れてきたな」
 五千の兵を率いて反乱を鎮圧し、一万の降兵を連れてくる。
 その手腕は見事だが、兵が集まるということは、良いことばかりではない。
 まず、彼等を食べさせなければならない。
 降兵は各人の希望を考慮し、農民に戻りたい者は土地に戻し、商売で生計を立てる者は街に住まわせる。それでもこの乱世の時代、軍に己の生きる道を求める者も多い。
「申し訳ありません。他の土地では安心して暮らせないという者や、我が軍で戦いたいという者が多数おりまして」
「いいじゃない。それだけ私達の軍の評判が良いってことなのだから」
「だが、民も兵も、長沙だけで養うには限度があるぞ」
 楽観的な孫策と慎重な周瑜のやり取りを、孫堅は面白そうに観察していたが、
「もう少し辛抱すれば展望が開けるかもしれんぞ」
 そう言うと、孫策と周瑜にそれまで目を通していた手紙を渡した。
「袁遺殿からの手紙だ。都は随分と騒がしいらしい」
 手紙は二通ある。
 一通目は孫策が城を出た直前に、二通目は今日届けられたものである。
 孫家は後年孫子の末裔と称されるが、先ほど言ったとおり、ただの庶家である。その為、孫堅は朝廷の高官に知己が少ない。その孫堅の数少ない知己が恭介であった。
 冀州で顔を合わせて以来、恭介は朝廷の人事や政策、都での出来事をこと細かく手紙にしたため、孫堅に送っていた。 
 予断だが、恭介は孫堅の他に孫策にも別途手紙を送っていた。こちらは孫堅に対する手紙とは違い、日常の些細な出来事や都での流行にも触れた、友人に近い内容が多い。
 孫堅だけでなく孫策にも手紙を送る辺り、恭介の孫家に対する並々ならぬ好意が見て取れる。 この為、孫堅は遠く離れた長沙の地にいながら、ある程度は都の情勢を把握していた。
 もっとも、恭介の行いは、単純な好意だけではないだろう。
 孫堅の見るところ、目下大陸で強兵を誇っているのは、都の董卓、北方の公孫賛(こうそんさん)、そして自分である。その自分と親密になるのは利にも繋がると考えているに違いない。
 その恭介の姿勢に、孫堅も好意を持っていた。
 これからの時代、ただのお人好しでは生き残れないのだから。
 さて、手紙の内容である。 
 一通目には、何進の死と宦官の粛清、そして董卓の上洛について書かれていた。
 二通目には、董卓が三公の一つである司空の座に就き都の最大権力者となったこと、袁術が後将軍を拝命し、併せて荊州の北、南陽の太守に任じられたことが書かれていた。
 一読した孫策は小馬鹿にしたように笑った。
「あらあら、朝廷は腑抜け揃いなのかしら。勅命無く上洛した董卓を罰することどころか、司空に任じるなんて。それに袁術ちゃんて子供でしょ? いくら袁氏だからって、南陽のような大都市を任せるなんて。人事がまともに機能してないわね」
「董卓の兵力は圧倒的だ。都の官吏達は口を噤むしかあるまい。それに、袁遺殿は明言していないが、董卓には袁隗殿も協力しているのだろう。その見返りが娘の官職だ」
 孫堅の解説に周瑜が顔を上げる。
「南陽は人が多く、商業も栄え、土地も豊かです。そして何より、袁氏の地盤である汝南に近い。その地の太守になるということは、袁術こそ袁氏の後継であると認識させる。そういう狙いがある訳ですか?」
「……つまり、名声が高い袁紹に対して、土地で対抗させるつもり?」
 娘の言葉に孫堅は頷いた。 
 諸悪の根源である宦官を討った者として、袁紹の名声はこの長沙まで聞こえてくる。
 その声の広がりは早く、誰かが意図的に広めているのではと孫堅は推測していた。
「持つべき者は智に優れた側近だな……」
 いかにも文弱の徒といった恭介の姿を思い浮かべながら、孫堅は呟いた。 
 孫堅の言葉には実感が籠もっていた。彼女の下には勇将が集まるものの、政務を任せられる人材に欠けている。これでは一群を治めるのが精一杯だ。
 だが、一群の太守では救える民には限度がある。
 そして、董卓が権力を握り、袁氏も割れているこの情勢。
「そう遠くないうちに、大きな戦いが起きるかもしれん。それまでは、何とか軍を維持したい。済まないが、冥琳には一層苦労をかけることになる」
「構いません。雪蓮の面倒を見るより大きな苦労ではありませんから」
「何よ、私の面倒を見るのが好きな癖に」
「ちょっと! 離れない!」
「嫌よー。折角帰ってきたんだから、少しぐらいは二人でイチャイチャしようよ」
 孫策は周瑜に抱きつくと、その豊満な胸に顔を埋めた。
「……お前達の仲の良さは、金属をも断ちそうだが、親としては複雑だな」 
「どうして?」
 孫策が周瑜の胸から顔を上げた。
「孫の顔が見れそうもない」
「そういう人並みの望みは私ではなく、蓮華に期待してよ。私はあくまで壊すのが専門。創るのはあの子の役割なんだから」
 孫策は笑うと、孫堅に問う。
「母様は以前、董卓と共に戦ったことがあるんでしょう? そんなに危険な人物なの?」
「さあな。私は董卓軍とは共に戦ったが、董卓の顔は殆ど見ていないのでな。あの頃董卓は病気で殆ど戦場に顔を見せなかった。だが、配下の将と兵は精鋭揃いであることは間違いないぞ」
 
「都ではつれない態度だったのに、どういう風の吹き回しなの、鮑信?」
 曹操は皮肉めいた笑みを浮かべながら、都から落ちてきた鮑信と対面していた。
「故郷に戻るにあたり、袁遺殿から曹操殿にお会いして、都の情勢を説明して欲しいと頼まれましたので」
 鮑信の故郷である泰山と曹操が治める陳留は共に兌州(えんしゅう)である。
 その為、鮑信が都を去るにあたり、恭介は曹操宛の手紙を託し、併せて曹操の様子を見てくれるよう頼んでいた。
 その為、気は進まなかったが、こうして陳留までやって来た。 
 鮑信は曹操が苦手であったが、曹操の才に関しては高く評価していた。
 家柄や名声を抜きにすれば、恭介や袁紹よりも上であろう。
 また軍事と政治を考えると、恭介は政治に寄り、孫堅は軍事に才が傾いている。その点で曹操は、優れた軍人であると同時に優れた政治家でもあった。
 曹操が赴任して以降の陳留の賑わいと軍の規律の良さがそれを示している。
 曹操は恭介からの手紙を一読すると、鮑信に顔を向けた。
「結局、麗羽は兵を挙げなかったのね。ここで勝負に出れば天下を取れたかもしれないのに、勿体ない」
 今の袁紹には宦官を討ったという名声がある。例え虚名であっても、その勢いを活かせば董卓を討つことも可能だろう。そうすれば袁紹は王朝の頂点に君臨したに違いない。
 そう考えれば、曹操にとって袁紹が立たなかったのは寧ろ幸いであろう。
「袁紹殿も一度は起つ気でした。ですが、太傅から挙兵を止めるよう指示があり、迷った末に取りやめたのです」
 そして鮑信は都の情勢に失望し、また都に留まっていては董卓と交流を持たなければならない現状に危機を感じ帰郷を決めた。
 後世において議論されるのが、この時袁紹が兵を挙げた場合はどうなっていたかという点である。
 曹操の考える様に、袁紹の時代が訪れただろうか。
 これには疑問がある。
 袁紹が兵を挙げれば、何進に引き立てられた者達は協力しただろうし、董卓を討てたかもしれない。だが、叔母である袁隗が協力したかは疑問であり、そうなれば朝廷の高官も袁紹を支持したかは分からない。
 また、地方で軍閥化しつつある諸侯が、大人しく袁紹の命に従うか、これも疑問である。
 そう考えると、袁隗の反対によって挙兵を取りやめた袁紹の判断も分からなくは無い。
 何より、袁紹の腹心とも言うべき恭介が、袁隗が反対し袁紹が迷いの姿勢を見せると、あっさりと挙兵の案を取りやめた。
 後に鮑信が問い糾すと、「陰謀には勢いと強い決意がいる。宦官を討ったときの麗羽様には、大将軍の敵を討つという激情があった。だが、董卓に対してはそれがない。このまま挙兵を進めても失敗するだけだよ」と淡々と答えた。
 そして鮑信に、董卓に与しない以上、都に留まるのは自殺行為だと、帰郷を進めた。
 その意見に鮑信も頷き、彼女はこうして故郷へ帰ろうとしていた。
「では、何故あの男は都に残っているのかしら?」
「袁紹殿が残っているからではないでしょうか」
 鮑信のような小身の者なら兎も角、今や袁紹の名声は袁隗と肩を並べている。
 そんな人物が、勝手に都を離れられる訳が無い。
 それにこの時点では、董卓は自らを高位に付けただけで、具体的な行動を起こしてはいない。董卓に不安を覚えているのは恭介や鮑信など、一部の者達だけだ。 
 袁紹にしても、恭介が危機を訴えるからこそ董卓を除こうかと考えただけであり、彼女自身が強い意志を持って董卓を除こうと思った訳でない。だからこそ、叔母の制止に逡巡し、恭介も失敗を予感し挙兵を取り辞めた。
「まあ、あれのことは構わないわ。それより鮑信、私に仕えない? 私の領地は貴女の故郷に近いし、何より私は貴女を高く評価しているのよ。私に仕えてくれるなら、将来は一州を任せてもいいわ」
 つまり将来、曹操は州牧を任じる地位に就くと宣言している訳だ。
 鮑信は曹操の才を評価しているが、同時に曹操という人間が既存の王朝の器に収める人物ではないとも感じていた。
 董卓と違う意味で、曹操の存在は王朝にとって危険なのではないだろうか?
 それに、自分を見る曹操の視線は、明らかに私的な友誼を、いや欲望を求めている。
 鮑信の根本には儒教があり、何より同性愛の趣味は持ち合わせていない。
 顔色を変えることなく思考する鮑信を、曹操は舐め回すように見つめていた。
 曹操は夏侯惇、夏侯淵、許褚、典韋と優れた将を配下に持っている。一群の太守としては十分だが、彼女が目指すのは覇業であり、その為には人材が幾らでも必要であった。 
 また、配下の中で、行政能力を持つ者が夏侯淵しかいないのも問題であった。一群の太守である現在は曹操と夏侯淵の二人でも間に合うが、将来を考えれば、行政にも優れた者を得たい。
 曹操の見るところ、鮑信は個人の武勇もさることながら、指揮官として、また行政官としても優れた資質を持っている。何より凛々しい容姿と美しい黒髪、引き締まった体躯は、曹操の欲望を刺激してやまなかった。
「……有り難い申し出ですが、お断り致します」
 鮑信は曹操の申し出を丁重に断り、急いで故郷へと帰った。ゆっくりしていては、いつ曹操に捕まるか分からない。
 
 だが、鮑信の願いも虚しく、二人がすぐに再会することとなる。



[38235] 17 退席
Name: 羽市◆b131e28e ID:9a9fd995
Date: 2013/08/17 10:01
 この時期、袁術ほど明るい前途を持つ者はいないだろう。
 何の実績もない少女が、後将軍の官位を得、南陽の太守に任じられる。当然だが、四代にわたり三公を輩出してきた袁氏の栄光が少女にその地位をもたらしたのであって、少女の素質が評価されたわけではない。
 袁隗はこの人事によって、袁紹ではなく袁術こそが、袁氏を継ぐ者だと内外に示したことになる。それは焦りの表れでもあった。
「そなたが赴任する南陽の地は、かの光武帝ゆかりの地です。それを母の想いと考えなさい」
 袁隗の言葉に、袁術は首を傾げた後、無邪気に答えた。
「では母様。妾は皇帝になればよいのですか?」
「そうです。美羽、そなたは皇帝になるのです。最早、劉氏に天下に治める力はありません。そして、劉氏に代わって新たな世を作るのは、我等袁氏の使命なのですよ。そのことを忘れないように」
 袁隗は満足げに頷き、袁術の横に立つ張勲に視線を移す。
「美羽のことを頼ましたよ。他にも気の利いたものを何人か付けましたが、真にこの娘を託せるのは、そなた以外にはいないのですから」
「はい、お任せくださーい」
 張勲は薄い胸を張って答えた。
 実に脳天気な返事だが、張勲の策謀と忠誠心を袁隗は高く評価していた。後に袁術は大陸を二分する大勢力を築き上げることになるが、それは張勲の腹黒い頭の中から出た策によるところが大きい。
 そして、記念すべき妹の出立の日であるにも関わらず、従姉である袁紹は呼ばれていない。
 袁隗には野心がある。 
 祖母、母、そして自分。袁氏は朝臣として百年もの間、王朝に仕えてきた。その間、歴代の皇帝は幼児ばかりであり、政は外戚と宦官によって執り行われていた。その中で袁氏は、時に外戚、時に宦官と、常に有力者に協力し、実務を担ってきた。
 実際に政を動かしてきた袁氏が、それに見合う地位を求めて何の不都合があるのか。
 いつしか袁隗は、劉氏に変わり袁氏が皇帝となる夢を見るようになっていた。
 だが袁隗は高齢である。
 そこで彼女は、自分の一族に新しい王朝の始祖への夢を託そうとした。
 四百年続いた漢王朝に変わり、新たな王朝を打ち立てる。そのような行いは、余程に傲慢かつ無神経な者でなければ務まらない。
 袁隗はまず麗羽を驕児として育てようとしたのだが、横から出てきた恭介が知らない間に常識や礼儀を教えてしまい、高飛車で傲慢だが、根本は常識人という娘に育ってしまった。
 その反省も踏まえ、次女の美羽に関しては、張勲という共犯者を得、自分の思い通りにならないものはないという、驕児そのものに育てることが出来た。
 この娘なら、何の躊躇いもなく皇帝となるだろう。
 娘の成長に満足を覚えつつも、想像していなかった現状に、袁隗は苛立ちを覚えていた。
 当初の予定では、何進と十常侍が共に倒れた後、董卓の軍事力を背景に自らが権力を握り、美羽を皇帝の座へと近づける筈だった。
 だが、現実は袁隗の思惑通りには進まなかった。
 誤算の一つは、乱戦の中で負傷し病身となり、朝廷での主導権を握れなかったこと。
 もう一つは、辺境から呼び寄せた董卓が昔と違い、権力を求める俗人となっていたことである。袁隗の知る董卓は、あくまで武人であり、自らの地位を求めるような人物ではなかった。
 だからこそ、御しやすいと思い、都に呼び寄せたのだが。
 袁隗は不快そうに顔を歪めた。
 かといって、麗羽に董卓を討たれても困る。それでは麗羽の名声が益々高まり、美羽の存在は更に霞んでしまう。それ故、麗羽の挙兵を止めたのだが、果たして正しかったかどうか、確信が持てない。確かなのは、都は董卓と反董卓の対立が深まり混迷するということだ。そうなる前に、美羽に確かな地位と地盤を与えて、都の外に逃しておきたい。
 当初の予定を変更した消極的な策。
 怪我を負って以来、袁隗は気力と体力が衰えており、行動と思考に精彩を欠いていた。

 董卓が入京してから僅か一ヶ月しか経っていないが、もはや王朝が董卓のものであることは誰の目にも明らかだった。
 董卓は司空に就いたが、実務は王允や楊彪、荀爽といった名士に任せ、自身はもっぱら美女と財宝集めに耽っていた。ただ、その間に、何進が横死して以来空白が生じていた軍権の把握に務め、領地から連れてきた兵と合わせて、都合十万もの兵を董卓は手中に収めていた。
 その武力の前に、董卓に反対する者が表れる気配は無い。
 自身の三公就任にしても、董卓は自分の行為に対して周囲がどう反応するかを試した節がある。
 だが、内心はどうあれ、表だって反対する朝臣達はいなかった。
「都の人間は腰抜けばかりだな」
 董卓は嘲りの色を浮かべて李儒に語った。
 自分が辺境で泥水を啜りながら異民族や賊と戦っていた間、都の連中は暢気に詩を読み酒を飲んでいたのだと思うと、今すぐにでも首を刎ねてしまいたい思いに駆られる。
 だが、自らの感情のまま動く前に、片付けねばならない問題がある。
「李儒。そろそろ、例の件を進めるか?」
「はい。踏み絵としては丁度良いかと」
 腰抜け揃いの朝臣の中で、儂に逆らう者が果たしていようか。
 董卓は腹を揺らしながら哄笑すると、都で集めた美女達を連れて寝所へと消えていった。

 袁術が南陽へ向けて出立してしばらくの後、董卓は文武百官を招待し、饗宴を開くこととした。
 来訪した董卓の使いに出席の返事をした後、恭介は張郃を連れて袁紹の屋敷へと向かった。
 屋敷の中へ通されると、案の定、袁紹は不愉快さを隠さずに顔良と文醜に当たっていた。既に董卓の使者は帰った後のようだ
「あの田舎者は何様のつもりですの! この私を呼びつけるなんて!」
 袁紹は憤懣やるせない口調で叫ぶ。
「ですが、三公を始めとして、殆どの朝臣が出席すると思われます。麗羽様だけが欠席する訳にはいかないかと……」
「あんな豚男の機嫌を取れと言うのですが、恭介さんは!」
「そうは言いません。ですが、麗羽様は董司空と殆ど面識はございません。一度は招待を受け、相手の人柄を知るのもよいかと」
「……では、顔だけ見せてすぐに帰りますわ。当然恭介さんも同行するのでしょう?」
「はい」
 恭介は頷くと、張郃に何事かを話す。
 張郃は頷くと、部屋を出た。
「麗羽様、何晏(かあん)ちゃんが遊びたがっていますよ」
 いつの間にか、顔良が四、五歳の幼女を連れてきた。
 途端、袁紹の顔がだらしなく緩む。
「あらあら、そうでちゅかー? お姉さんと何して遊びますかー?」
「……麗羽様、顔が気持ち悪いです」
 恭介の呟きも聞こえないようで、袁紹は満面の笑みで幼女に頬ずりしている。
 幼女の名を何晏(かあん)という。何進の娘であるが、先の政変で一族が滅び身寄りが無いため袁紹が引き取り、実の妹のように溺愛していた。
 叔母や妹と愛を持って接することが出来ない袁紹の悲しい性、などと言えば悲劇的だが、幼女に悪戯する犯罪者のような表情を浮かべている段階で、ただの百合趣味と幼女趣味ではないかと思えてくる。
 今や、袁紹の機嫌が悪くなると、顔良や文醜が何晏(かあん)連れてきて誤魔化すのが恒例となっていた。
 恭介は顔良と文醜に小声で話しかける。
「今夜の饗宴は、ひょっとしたら一波乱あるかもしれません。お二人には麗羽様を頼みます」
「はい」
「おうよ」
 顔を引き締める顔良と不敵に笑う文醜。
 その後ろでは彼女達の主が何晏(かあん)に「おねえちゃん、だいしゅきぃー」と言われ、鼻血を出して倒れていた。

 恭介が予想した通り、饗宴には殆どの朝臣が顔を揃えていた。ただ、袁隗は病身の為、顔を見せていない。
 恭介は袁紹の隣に座りながら、自分の予想が外れてくれればいいと願った。
 だが、饗宴が始まってしばらくの後、主人である董卓が口を開くと、恭介の願いは無残に破られた。
 董卓は客人に出席の礼を述べた後、まるで料理の味を確認するような口調で話しかける。 
「先帝は協皇女を皇帝としたいと考えていた。それを一部の佞臣が、陛下の遺志を捻じ曲げ、弁皇子を即位させた。これは人臣として許されない行為である。更に言えば、弁皇子は暗愚であり、協皇女は聡明である。よって、弁皇子を廃し、協皇女を新たに皇帝として立てたい。諸君の考えはどうか?」
 今の少帝は、何進によって立てられた皇帝である。そして、何進は横死したものの、朝廷には何進の遺臣が多く、董卓にとっては邪魔な存在であった。それに較べて、協皇女には外戚も有力な臣もおらず、傀儡とするには丁度良い。
 そう進言したのは、宮廷に通じている李儒である。袁紹の宦官大虐殺で危うく命を落としかけた李儒は、袁紹を初めとした何進の遺臣に対しては怨みしかない。今の皇帝を廃することに何のためらいも無かった。
 董卓にしても、李儒の言は魅力的に思えた。
 それに、どうせ傀儡にするなら男より女のほうがいい。
 董卓の突然の発言に、集まった百官は顔色を変えたが、董卓とその後ろに控える武将達に睨まれると、俯くしかなかった。
 恭介は俯きもせず、かといって董卓に異を唱えるでもなく、周囲の様子を見物していた。嫌な予想というものは当たるものだと思いながら。
 この状況で董卓に対して異を唱えられる者は、よほど度胸があるが阿呆だろう。
 恭介がそう思った瞬間、
「卑しくも臣下の身でありながら、陛下の身について陰謀を巡らすなど! 恥を知りなさい、俗物がっ!」
 袁紹は立ち上がると、正面から董卓を睨みつけた。
 本当に嫌な予想ほどよく当たる。しかし、危ない。格好良くて惚れそうだけど、命が危ない。
「なんだと小娘がっ! 儂に異を唱えるつもりか!」
「当たり前です! この袁本初の前で、そのような陰謀が許されると思って!」
「陰謀だと! 儂の言葉はそのまま天下の言だ! それに逆らうとは、身の程を知れ!」
「天下の言! 笑わせますわ、ただの賊の戯言ではありませんか!」
「……よく言った。その大口に対して責任を取ってもらうぞ!」
 董卓が不快そうに怒鳴ると同時に、後ろに控えていた武将達が剣を抜く。
 同時に、袁紹の後ろに控えていた顔良と文醜も剣を構えた。
 他の者達といえば、事の成り行きに付いていけず、二人の争いを惚けた眼差しで見つめていた。
 恭介は周囲を伺うが、未だ自分が待ち望む人物は姿を現さない。
「お待ち下さい!」
 恭介はそう大声を出して立ち上がった。
 そして勢いよく転倒した。
 向かいの周秘(しゅうひ)の席にぶつかり、膳に料理を頭から突っ込んだ。
 董卓と袁紹が呆気に取られているにも構わず、恭介は頭から麺をかぶったまま董卓に向かうと、
「そのような大事な議は、我等小人には答えかねます。三公九卿の方々と図った上で、改めて決定すればよろしいかと存じます」
 頭を下げた。
 気勢を殺がれた董卓はしばらく黙っていたが、恭介滑稽な姿に耐え切れなくなったのか、
「そうだの。確かに貴様等小人の意見など必要ないわな」
 と嘲笑した。
「あらあら、何や場の空気が重いやないか? 酒の席はもっと賑やかでないとあかんで」
 そう言いながら饗宴の場に姿を現したのは張遼であった。後ろには張郃と、もう一人、長身の女性が控えていた。
「張遼、何をしに来た? お前には外の警備を任せていた筈だぞ」
「それなら恋と音々音に変わってもらいました。折角の饗宴の場ですので、董軍の剣舞を披露しようかと思いまして。都の方々は、うちらの武勇を知らないですから、いい機会やと思うんですが、よろしいですか?」
 張遼の言葉に、董卓は考え込んだ。
「……確かに、我が軍の武勇を見せるのは悪くないな。よし、張遼。そちの剣の腕を見せてやれ」
「はい。それじゃ華雄、あんたが相手しいや」
「何故私がっ!」
 華雄と呼ばれた艶色な女性が叫ぶ。
「并州人の武芸の腕を、皆に人間に知ってもらういい機会やん。都に来てから、腕を振るう機会がなかったやろ? うちに合わせられるのは、恋と華雄しかおらへんし」
「むむむ。……仕方ない。それでは相手をしてやろう」
 華雄と張遼が互いに剣を抜いた。
 二人の剣舞は荒々しく、この場が戦場であるような錯覚に陥らせる。それは人々を魅了するに十分であった。
 そして、皆が二人の剣舞に見とれている間に、恭介は顔良と文醜に目配せして、袁紹を退席させた。



[38235] 18 都落ち
Name: 羽市◆b131e28e ID:9a9fd995
Date: 2013/08/17 10:06
「一体どういうつもりですの! 恭介さん!」
 恭介に口を塞がれ、顔良と文醜に抱えられ、強引に屋敷へと帰宅させられた袁紹は顔を紅潮させながら、恭介に怒りをぶつけた。
 顔良と文醜は、部屋の外に避難していた。
 せめて着替えさせてほしい。
 そう思いつつ、恭介は濡れた衣服のまま答える。
「あのまま董卓と対峙していては、死人が出たでしょう。麗羽様も斗詩さんも猪々子さんも、あのようなつまらぬ場で命を落としてはなりません」
 顔良や文醜は一騎当千の猛者だが、警護の厳しい董卓を討つのは難しい。どう考えても返り討ちだ。
 袁紹もそう思ったのか、幾分声を落とした。
「……ですが董卓の非は明らかです。このまま見過ごす訳にはまいりません。今すぐ挙兵すべきでしょう?」
「無駄です。今や董卓の兵は十万を超えております。対して、麗羽様に従う兵は一万にも満たないでしょう。既に董卓を討つ好機は失われています。ここで兵を挙げても、董卓の前に敗れるだけです」
「ならどうしろと! このまま董賊の蛮行を見過ごせと言うのですか!」
 屈辱に身体を振るわる袁紹。
 袁紹は自信家だが馬鹿ではない。今の状況で董卓の非を訴えたとして、共に起ってくれそうな者が少ないことの判断はつく。
「都が駄目なら、他の地で董卓の非を訴えればよろしいかと」
「他の地?」
「はい。南皮に戻り、董卓の動きを見極め、その上で董卓に非があらば諸侯に檄を飛ばし挙兵すればよろしいかと。さすれば、河北、山東、南陽、江東の世を憂う者達も起ち上がるでしょう。その上で、大軍を率いて董卓を討つことこそ、王者の戦いと呼ぶに相応しいのではないでしょうか?」
 武力を持たない都の朝臣がいくら反感を抱こうとも、董卓は意に介さないだろう。
 力には力で対抗するしかない。 
「……そうですわね。では、南皮に戻り、大軍を率いて董賊の首を刎ねましょう」
「南皮では田豊翁の意見を入れて下さい。そうすれば間違いはありません」
「……もしかして、恭介さんは同行しませんの?」
「はい。私は都に残り、今しばらく情勢を把握したいと思います。陛下の身の安全も考えなければなりませんし、董卓に対して時を稼がなくてはなりませんから」
「……ですが」
 袁紹は廃帝に反対したが、それは彼女の常識が働いたからである。
 実のところ、袁紹個人としては今の皇帝に対する敬意は薄い。何進と妹である何太后は折り合いが悪く、何進が横死した一因は、何太后が宦官誅殺に同意しなかったことにある。
 更に何太后は、何進の遺族の保護に熱心ではなかった。結局袁紹が何晏(かあん)を初めとした遺族を保護したが、何太后に良い感情を抱ける筈も無かった。その何太后の子が、今の皇帝である。
 恭介も袁紹の心情は理解している。
 だが、皇帝が廃されれば、漢の威信は地に落ち、董卓の力が誇示されるだけだ。
「……私が南皮で兵を挙げれば、恭介さんの身は危険ではありません? それに……」
「はい。ですから、何事も田豊翁とよく相談なさって下さい。くれぐれも軽率な挙兵はお控え下さい」
 おそらく袁紹は叔母、袁隗の身を心配しているのだろう。
 少なくとも、袁紹の方は叔母を嫌ってはいない。寧ろ、両親を早くに亡くしている分、育ての親である叔母に認めてもらう為、今日まで励んできたといっていい。
 袁紹は血縁に恵まれていない。両親は既に無く、叔母は従姉を寵愛し、従姉は自分に嫉妬する。
 恭介が袁紹に信頼されている最大の理由は、幼少の頃から共に暮らしてる血族たからであろう。疑似家族というやつだ。
「それと、南皮には荀彧(じゅんいく)という、優れた知者がおります。荀攸の一族ですが、この者を是非とも用いてください」
 正直、恭介などいなくとも、田豊と荀彧(じゅんいく)の二人が付いていれば、袁紹が道を誤ることはない筈だ。
 袁紹が、二人の言を入れるのならば。

 袁紹の部屋を出ると、顔良、文醜、張郃の三人が恭介を取り囲んだ。
「アニキ、都に残るってホントかよ!?」
 文醜が詰め寄る。 
 どうやら袁紹の大声が部屋の外まで聞こえていたようだ。
「残らざるを得ないでしょう。麗羽様が都を出た後、董卓を誤魔化さなくてはいけませんから」
「ですが、危険が大きすぎませんか? 今夜の饗宴で麗羽様と董卓の衝突は避けられなくなりました。そんな状況で都に残るのは?」
「斗詩さんの優しさには感謝しますが、今の時点では董卓は麗羽様を討たないと思います」
「何故ですか?」
「饗宴での董卓の激昂、あれは半分演技ですよ。あの男は陛下の身を餌に、自分の意に沿わない者を見極めようとしただけです。
 もっとも、反感を抱いても、堂々と公言する者がいるとは董卓も予想してなかったでしょう。だからこそ、半分は本気で怒った訳ですが。
 董卓は圧倒的な武力を持っていますが、行政の実務を預かるのは大将軍、何進様に引き立てられた者達です。そして、何進様亡き後、その集団を引き継げる名声を持っているのは麗羽様だけですから、董卓の立場からすれば、麗羽様が都にいるより地方に出てもらった方が都合がいい訳です」
 そして、今の段階で何進派を刺激したくはないので、自分も害さないだろう。
 恭介はそう付け加えた。
「勿論、これは予測でしかありません。それに都に留まる以上、色々と立ち回り、卑屈に頭を下げ、賄賂も必要になるでしょう。そうした仕事をお二人に任せる訳にはいきません」
「けど、アニキがいないと、誰が麗羽様の面倒を見るんだよ?」
「それは斗詩さんと猪々子さんにお願いするしかありませんね」
「ムリ」
「無理です」
 二人は口を揃えて即答した。
 実に素直である。
「……南皮には田豊翁もおりますし、自分もなるべく早く南皮に行けるよう努力しますので、麗羽様のことをよろしくお願いします」
 恭介は二人に頭を下げた。
 二人は困惑の表情を浮かべていたが、やがて諦めたように口を開いた。 
「……分かりました。ですが、なるべく早く、南皮に戻ってきて下さい」
「しゃーないな。じゃあ火凛、アニキを頼んだぜ!」 
「はい! 未熟者ですが、命に代えても恭介様をお守り致します!」
 その言葉に、文醜は笑いながら張郃の頭を撫でた。
「何言ってんだよ、オマエの腕はアタイと斗詩に次ぐんだぜ。董卓の兵なんざ、敵じゃねえよ」
 張郃は文醜と顔良にとっては可愛い妹分である。
「火凛ちゃんは確かに腕が立つでしょうが、自分より遥かに年下の少女に守ってもらうのは、その、男として情けない気が……」
 恭介が複雑そうに呟くと、顔良が真顔で言う。
「つまらない矜持は捨てて下さい。恭介様と火凛ちゃんでは、洛陽と南蛮ほどに腕の差があるんですから」
「……はい」
 明日から武芸の稽古をしよう。
 恭介はそう心に誓った。

 袁紹の屋敷を立ち去った恭介は、急ぎ荀攸の屋敷へと向かった。
 学生時代から恭介達は何かあると荀攸の屋敷に集めるのが常であり、案の定、夜分にも関わらず、何業(かぎょう)、周秘(しゅうひ)、伍瓊(ごけい)といった面々が顔を揃えていた。
 彼等は後に袁紹の奔走の友(ほんそうのとも)として史書に名を残す。
 何業(かぎょう)は三十代前半の女性で、集まりの中でも一番の年長である。沈着な性格と剛胆な行動で知られ、宦官の不正を告発した結果、逆に官職を追われた。その後、黄巾の乱の混乱の際に、何進によって朝廷へと呼び戻された。同じ何氏だが、何進と血縁はない。
 周秘(しゅうひ)、と伍瓊(ごけい)は二十代の半ばの、如何にも文官といった面持ちの男子である。二人とも平凡な顔立ちだが、独創性はないが事務能力に長けているため、朝廷でそれなりの地位を占めていた。平時であれば優れた行政官として一生を終えられただろう。
 なお、恭介は内心二人を「背景コンビ」と呼んでいた。
 何業(かぎょう)は遅れてやって来た恭介が座るのを確認すると、口を開く。
「さて、諸君は董卓の行いに賛同なのか?」
「何を馬鹿なことを……。陛下の身を論ずるなど、臣下にあるまじき行いです!」
 珍しく荀攸が声を荒げ、周秘(しゅうひ)と伍瓊(ごけい)も頷いた。
「ふむ。では諸君はその意見を何故董卓の前で発しなかった? あの場で異議を唱えたのは袁紹だけだぞ?」
「それは……」
 何業の言葉に、皆が俯く。
「そう。所詮、私達が声を上げたとして、董卓は意に介さなかっただろう。何故なら、私達には武力がないからだ。そこで……」
 何業は恭介に視線を移し、
「袁紹と何を企んできたんだ?」
 そう訊ねてきた。
 袁紹を南皮に帰還させ、時機を見て各地の同志と挙兵させる。
 恭介がそう説明すると、何業も頷いた。
「しかし、董卓が袁紹を易々と帰還させるか?」
 背景コンビの左側こと伍瓊が意見を述べた。
「その懸念はもっともだが、おそらく董卓は邪魔をしないと思う」
 恭介は先ほど顔良達に説明した内容を繰り返した。
「だが、これはあくまで予測に過ぎない。そこで、皆に協力してほしい」
「協力?」
「ああ。まずは麗羽様について、皆の率直な意見を董卓に伝えて欲しい。自信過剰、高飛車お嬢様、勘違い女、お馬鹿、美的感覚がおかしい、髪型が変、百合趣味で最近は幼女にまで手を出している……」
「……恭介君。本音がだだ漏れですよ」
 荀攸が呟く。
「まあ、こんな感じで、董卓に『所詮、袁紹は小物だ。放っておけばいい』と思わせるように仕向けて欲しい」
「まあ、袁紹の欠点なら十や二十、すぐに思いつくからな」
 背景コンビの右側、周秘が頷く。
「だが、それだけでは董卓は兎も角、李儒(りしゅく)は納得すまい」
 何業の懸念に、恭介は頷くと、
「都には太傅を初め、まだ多くの一族や門人が残っている。それらの人々が都にいる限り、袁紹は逆らえない。そう進言すればいい」
「人質が。……もう一つ欲しいな。決して、袁紹が董卓に逆らわないであろうと思わせる手が……。袁遺、君も都に残るのか?」
「ああ。もう少し情勢を見極めたいし、情報も得たいからね。それに麗羽様は南皮太守だが、俺は南皮とは何の関係もないからな。付いていくと怪しまれるだろう」
「ならば、君が董卓に媚び諂い、靴を舐めるような態度で臣従すればいい。そうすれば、董卓や周囲も安心するだろう」
 何業は意味深な笑みを浮かべている。
「世間では、君と袁紹はただならぬ仲として噂されているんだぞ。董卓も、よもや袁紹が愛人を見捨てるとは思うまい」
「……勘弁してくれ。俺と麗羽様は同族だし、第一、俺の将来の嫁は黒髪の似合う淑やかな美少女と昔から相場が決まっているんだ」
「そんな夢ばっかり見てるから、お前は童貞なんだ。まあ、いい。では言い直してやる。袁紹の知恵袋にして手足のお前が都に留まっていれば、董卓も袁紹を疑うまい。これでいいか?」
「……どうでもいいわ」
 何業の取って付けた言葉に、恭介は投げやりに答えた。

 翌日、袁紹は都を去った。
 五百人に上る一団が、堂々と都から冀州は南皮へ向けて行進していく。袁紹と顔良、文醜の他に、八校尉の逢紀と淳于瓊が官を捨てて袁紹に同行した。
 董卓は袁紹の行動に激怒し、これを討つよう命じたが、周囲が口々に諌めた。
 周秘が言う。
「袁紹は名声こそありますが、中身がありません。例えるなら、装飾の豪華な鞘であり、何も斬ることは出来ません。どうして司空の敵になりましょうか」
 伍瓊が続ける。
「袁氏の地盤は汝南です。それが冀州に奔ったところで何が出来ましょう。まして、袁紹は一群の太守でしかありません」
 荀攸が述べる。
「それに都には太傅や袁遺が残っております。いわば人質のようなもの。袁紹が兵を挙げることなど出来ますまい」
 最後に何業が献策した。
「袁紹個人に力はありませんが、名声を利用しようと担がれる可能性はあります。念の為、適当な人物を冀州の刺史に任じて監視させればよろしいかと存じます」
 周囲の言葉に董卓は頷いた。
 もともと、董卓は他人を低く評価する癖がある。
 自分に堂々と反対する当り、気骨はあるかもしれないが、所詮は名門育ちの小娘にしか過ぎない。
 それが董卓の袁紹に対する評価であった。
 寧ろ、袁紹が去ることにより、自分に対する反対派は頭目を失い、力を失うと考えた。
「では、速やかに冀州の刺史を選べ」
 既に董卓の脳裏から袁紹の存在は消えていた。
  
 袁紹が去った僅か三日後、少年皇帝は廃され、協皇女が新たに即位した。後の献帝である。



[38235] 19 彼女達の憂鬱
Name: 羽市◆b131e28e ID:9a9fd995
Date: 2013/08/17 10:10
 相国(しょうこく)と呼ばれる官職がある。
 漢王朝四百年の歴史において、この地位に就いた者は二人しかいない。
 一人は漢の三傑と称された蕭何(しょうか)であり、もう一人は後を継いだ曹参(そうさん)である。余談ではあるが、曹操は曹参の子孫を自称している。
 二人とも漢王朝の歴史に残る名臣である。
 その地位に、四百年ぶりに就いたのが董卓である。蕭何や曹参が皇帝からその地位を与えられたのと違い、皇帝に任じさせたのが董卓である。
「あの男に何の功績があるのだ? 行ったことは、帝を廃したという大罪のみではないか?」
 心ある朝臣は顔を合わせればそう不満を漏らすが、董卓の前ではただ頭を垂れるしかない。
 董卓は朝議で廃帝について諮る前に、配下と血族である二人の少女を呼び、意見を述べさせた。
「……異存はありません」
「……同じくです」
 どう見てもそうは思えない表情を浮かべている少女達。
 董卓の軍の中にも、彼の行いに対して批判的な目を向けている者はいる。だが、所詮は少数。反旗を翻すことなどできないことを、董卓は熟知していた。
 呼びつけた二人の少女もそうだ。
 特に眼鏡をかけた小柄な少女の表情には、隠し切れない不満が見て取れる。
 だが、この二人も内心はどうあれ、自分に反対することなど出来はしない。呂布、張遼、華雄も同様だ。
 自分に敵対する気骨のある者などいようか。
 董卓の思いは慢心ではなく、事実であった。
 
 都からは活気が消え、人々の目から生気が失われていた。
 董卓の地位が高まるにつれ、彼の兵士による略奪や暴行が多発し、人々は怯えと恨みを抱きつつ、日々暮らしていた。
 恭介は目的地である酒屋にたどり着く前に、商家に略奪に入る董卓の兵の姿を目撃したが、制止することなく素通りした。下手に手を出したが最後、恭介の首は胴から離れるだろう。
 先日、都に雷雨があり、落雷により宮殿の門が一つ焼けた。
「これは朝臣の不徳が招いた事態である」
 そう董卓は言い放つと、三公の一人張温(ちょうおん)の首をその場で刎ねた。
 天災が朝臣の不徳の不徳というならば、責任は最高位の董卓に帰すべきだろう。
 だが、そのような正論を述べる者は居なかった。
 張温(ちょうおん)は、密かに董卓に反感を持つ者を集めていたとの噂があった。
 袁紹が都を去った後、かつての何進の部下達は、こぞって董卓に従っている。
 王允、楊彪(ようひょう)、荀爽(じゅんそう)、何業(かぎょう)、荀攸、周秘(しゅうひ)、伍瓊(ごけい)、そして袁遺。
 彼等は行政能力に長けており、名声も高い。そうした人材に董卓は政務を丸投げしていたが、決して信頼しているわけではない。そうした態度を、張温の首を刎ねることにより示したのだろう。
 恭介は己の無力さを実感しながら、それを表に出すことなく政務に励んでいた。そして政務を離れても、董卓やその配下の饗宴には必ず顔を出し、媚びを売り、時には袁家秘蔵の財宝を献上していた。その甲斐あって、董卓からは「使い勝手のいい者」との評価を得ていたが、精神の疲労と屈折は蓄積される一方であった。
 日々酒量が増え、しまいには張郃に酒瓶を取り上げられてしまう始末。
 そうした憂鬱な日々に区切りをつけたい。
 そう思いながら、恭介は都の外れにある酒屋に入る。すぐに店員が離れの個室へと案内してくれた。
「おう、袁遺。先にやってるで」
 部屋では既に張遼が酒瓶を空けていた。
 二人の官職に見合わない場末の店ではあるが、良い酒と肴を出す店であり、何より人目につかないという利点がある。
 恭介も張遼も、互いに接触を持っていることを知られたくはなかった。
 かつての西園八校尉の中で、今も都に残っているのは恭介と張遼の二人だけだ。
 何と時の流れの速いことか!
「遅くなりましたが、先日は麗羽様の危機を救っていただき、ありがとうございました」
 恭介が頭を下げると、張遼は笑った。
「ええって。それにウチが止めんでも、董将軍は袁紹に手を出さなかったと思うで。あの場にはうちも華雄も恋もおらへんかったからな。それで袁家の二枚看板とやりあう筈がないやろ?」
「万が一もありますから。しかし、お二人の剣舞を見られなかったのは残念です」
「あれは剣舞なんて上等なものじゃなかったわ。なんせ、華雄は猪やからな。饗宴の余興なんて考えは持ち合わせてへんから、お陰でただの打ち合いになってしもうたわ」
 張遼の笑い声はどこか空虚に聞こえた。酒の飲み方も、楽しんでいるというより、自棄になっているように見える。
「……先日、相国は廃帝を断行しましたね」
「……そうやな」
 少帝は弘農王に封じられ、新たに妹の劉協が即位した。
 後の献帝である。
 少帝は暗愚にして、献帝は聡明である。それが董卓の理屈であるが、成人に達していない者に対して、愚かも聡いもないだろう。
 単に献帝が、母親も外戚もない、御しやすい少女だから帝位に即けた、それだけだ。
 現に、少帝が廃させると同時に、母親である何太后とその一族、そして取り巻きの豪族達は一斉に罪を捏造された挙げ句に処刑され、その財産は没収された。董卓は廃帝である弘農王も殺害しようとしたが、荀爽(じゅんそう)と何業(かぎょう)の必死の直言により取りやめた。
 更に董卓とその一党は、都の豪商の倉を略奪し、宮廷に仕える女官を凌辱し、抵抗する者はその場で皆殺しにする毎日である。
 先日まで地方の一将軍にしか過ぎなかった董卓の専横を止められぬ朝廷。
 最早、天下に王朝の限界を示したといってよい。
「既に麗羽様を始め、袁術、曹操、孫堅、公孫賛、馬騰といった諸侯は反感を募らせています。いずれ、不満が爆発し、各地で兵が挙がるのは火を見るより明らかです」
「……かもなあ」
「仮に、相国と反相国の連合が激突するとなれば、大陸は一層混乱し、多くの者が命を落すでしょう」
「……」
 張遼は無言である。
 恭介の言は理解できるが、何故自分にそれを話すのだろうか?
 張遼がそう疑問に思っていると、
「何故、張遼さんほどの武人が董卓などに仕えているのです?」
 恭介は表情を改め、董卓を呼び捨てにした。
 久々に観る恭介の真面目な顔に、張遼は目を逸らした。
「……ウチは元々ただの一平卒やった。それを董将軍に抜擢してもらったんや。いわば恩人や。仕えるには十分な理由やないか」
「それは先代の董将軍であって、今の董卓ではないでしょう?」
 陶器が割れる音がして、張遼の手から杯が落ちた。
「……なんで、それを……」
「僕がただ享楽の為だけに、毎日董卓配下の連中の機嫌を取っていると思ったんですか? それに翼に涼州付近を調べてもらいましたから」
 袁紹が都を去ったのと前後して、法正は病を理由に帰郷していた。いや、正確に言えば、帰郷した後、故郷から西の涼州へと足を伸ばしていたのである。
「翼が調べた話では、羌族には、一族の長が代々名を引き継ぐという風習があるそうですね。そして話に聞く昔の董将軍は実直な方であり、今の董卓とはとても同一人物には思えません」
「……そんで、ウチに何が聞きたいんや?」
 恭介の言葉を否定せず、張遼は問いかけた。
「張遼さんが、董卓に従っている理由です」
 恭介の言葉に、張遼は目を閉じた。
 しばしの沈黙の後、張遼は鋭い眼光で恭介を睨みつけると、口を開いた。
「アンタはなんで袁紹に仕えているんや?」
「……なんだか、皆さん同じ質問をされますね? そんなに不思議ですか?」
「そらそうや。袁紹なんて欠点だらけの我侭お嬢やん。あんたかて、袁家の一員なんやから、自分で勢力を築くこともできるやろ」
 恭介は苦笑すると、
「人の上に立つ者は、余程の器量か無神経さがなければつとまりませんよ。それに、僕と麗羽様は子供の頃からの付き合いです。家族を守るのに、理由はいらないでしょう?」
「……そうやな」
 張遼はどこか納得したように頷く。
「なあ、袁遺。ウチと真名を交換せえへんか?」
「それは……」
「そしたら、ウチが何で董卓に従ってるか、教えたるわ」

 思い上がるな俗物!
 天下に英雄は貴様一人では無い!
 と、董卓に啖呵を切って南皮に奔った袁紹だが、現実は非情である。
 袁紹はこれといった動きを取ることも出来ず、日々を無駄に過ごしていた。
 袁紹の目の前では、今日も諸臣が今後の方針について激論を交わしている。
「諸侯に檄を飛ばし、麗羽様を盟主に連合を打ち立てましょう!」
 そう進言したのは逢紀である。
 彼女は元々西園八校尉の一員であり、袁紹とは同格であった。
 だが、進んで袁紹の配下となり、今では側近に収まり、真名を呼ぶことも許されている。
「言うは容易いが行うは難しだ。連合などそう簡単に出来るものではない。実力ある諸侯ほど野心も大きいのだ。檄を飛ばした麗羽様をそのまま盟主にするほど甘くはないぞ。それに我々は所詮、一群を治めるだけの勢力にすぎんし、洛陽は遠い。仮に挙兵したとしても、董卓の前に辿り着く頃には痩せ細っているわ」
 田豊の言は、袁紹の勢力の実情を表していた。
 袁紹には袁家の名声と宦官殲滅の実績がある。
 が、所詮は一群の太守であり、力が無い。
 仮に袁紹が檄を飛ばし諸侯が応じたとして、それをまとめる事が出来るのか。彼女に名声に伴う軍事力があればそれも可能だろう。だが幾ら南皮が豊かな地とはいえ、養える兵は三万が限度である。 
 それでは諸侯に対して主導権を握ることは難しい。
 そして三万の兵を飢えさせる事なく洛陽へ進軍させるのは至難の技であり、他の郡の太守や刺史が進軍を妨げる可能性もある。
「今度、冀州の牧に赴任するのは誰ですか?」
 袁紹の問いに、逢紀が答える。
「韓馥(かんふく)です。どうやら何業達が上手く運んでくれた様です。麗羽の敵にはならないでしょう」
 韓馥は元々袁家の門人であり、とても袁紹に対抗できるような人物ではない。都に残る何業達が、袁紹が与し易い人物を選んだ結果である。
「なるほど、確かに韓馥個人は袁家に恩があるかもしれません。ですが董卓の力の前には、恩も通じない可能性もありますぞ!」
 すぐにでも挙兵を薦める逢紀と、慎重な姿勢を崩さない田豊。
 他の者達も両者の意見に別れ激論を交わすが、袁紹はその姿を気乗りしない様子で眺めていた。
 議論に口を挟まず袁紹の脇に控える顔良と文醜には、主が挙兵しないことを既に察していた。
 都には袁隗と恭介、更に多数の一族と家人が残っている。仮に挙兵したとして、彼等が人質に取られれば、袁紹は成すすべがない。
 袁紹という女性が、実は情に厚い人物だということを二人はよく理解していた。
 だが、それは二人が長い間、袁紹と共に行動してきたから理解出来ることだ。袁紹に接したことのない者にとって、今の彼女の姿は、決断を下せないだけの優柔不断な人物に見えるだろう。 
 少なくとも、末席に加わる荀彧(じゅんいく)にはそう見えた。
 袁紹は恭介の言を入れ、新参である荀彧を会議に参加させていた。端から見れば、十分な待遇だ。
 だがこの処置が、荀彧に袁紹から離れる決意をさせたのだから、皮肉としか言いようがない。
 両者の不幸は、出会う時を間違えたということにある。
 例えば、都で出会っていれば、袁紹の宦官殲滅や董卓に異を唱える姿に感銘を受けたかもしれない。
 或いは、黄巾の乱の際に出会っていれば、時を重ねた信頼が生まれていたかもしれない。
 だが、荀彧が知っているのは、ぼんやりと議論を聞くだけで決断の出来ない袁紹の姿でしかない。
 更に両者にとっての不幸は、袁紹の陣営には、既に軍師と呼ばれる人材が揃っていた点にある。
 逢紀は兎も角、田豊は見識と才幹に優れ、自分にはない経験を持ち合わせている。自分が袁紹でも、自身より田豊を重用するだろう。
 荀彧は憂鬱そうに溜息を吐いた。
 更に今後は、袁遺や法正、荀攸といった面々が謀臣として加わる可能性が高い。そんな状況では、例え才があっても、一番の臣として用いられることはないだろう。
 白熱する議論を他所に荀彧は、群雄の中で、未だ軍師がいない人物について思いを馳せていた。



[38235] 20 七星宝刀
Name: 羽市◆b131e28e ID:9a9fd995
Date: 2013/08/17 10:15
この所、都では活発な人事が行われていた。
 即ち、兌州(えんしゅう)刺史に劉岱(りゅうたい)を、予州史に孔伷(こうちゅう)を、冀州牧に韓馥(かんふく)を、広陵太守に張邈(ちょうばく)を任命した。
 この人事を取り仕切ったのが、背景コンビこと周秘(しゅうひ)と伍瓊(ごけい)である。二人は恭介以上に董卓に媚びた結果、董卓の信頼を得、人事の一切を任されていた。
 二人は、董卓の名声を高める為と称し、名士を中心に各地の刺史や太守を任命した。この人事は董卓によって貴重な人材が害されるのを防ぎ、かつ地方に反董卓の勢力を増やすための施策であった。 
 その施策の一貫として、恭介が山陽太守に任じられたのは昨日のことである。
 董卓に不満を持つ袁紹と曹操の監視役として送り込む。
 周秘と伍瓊の主張に董卓は頷いたが、李儒は反対した。
「袁遺は袁紹の知恵袋です。あれを野に放つのは災いを呼ぶだけです」
 だが、李儒の進言を董卓は入れなかった。
 まるで自分の靴を舐めるかのように臣従している男に何が出来るというのか。
 多少なりとも董卓が警戒しているのは、涼州の馬騰、それと長沙の孫堅だけである。袁紹すら相手にしていない董卓が、その付属物である恭介に留意しなかったとしても不思議ではないだろう。
 現に、山陽太守の命を受けた恭介は、董卓に侮られるに相応しい醜態をさらしていた。
「た、太守ですか?」
「左様。相国に感謝するのだな」
 反応を見極めようと自ら使者に立った李儒の前で、恭介は暫し硬直していた。そしてようやく我に返ると、何度も李儒に礼を述べ、当然のように賄賂を渡し、自分が任地に赴いた後も董卓との間を取り持ってくれるよう、卑屈なほどに頭を下げた。
 対面を重んじる名士であれば、表面は従っていても、賄賂など渡しはしない。
 案外、太守の座を契機に、袁紹と袂を分かつ気かも知れぬ。そもそも袁氏はまとまりが悪い。袁紹から独立する野心を持っていてもおかしくはないだろう。
 李儒はそう判断し、冷笑しつつ、恭介の屋敷を立ち去った。
 李儒の姿が消えるまで頭を下げて見送った恭介が屋敷に戻ると、張郃が何ともいえない顔で恭介を見つめていた。
 文醜あたりであれば、「へたれ。情けな。玉なし、腰巾着」と口にするだろうが、心優しい性格の彼女は流石に口を閉じていた。
 そんな少女に向かって、恭介は言い訳をするように話しかけた。 
「火凛ちゃん、今日の稽古は中止にしてもらっていいかな。……決して、性根を叩き直す名目の元、滅多打ちにされるのを恐れている訳じゃないから……」
「……駄目です」
 張郃はにっこりと笑った。
 
 山陽太守の任を受けた恭介だが、彼がこの人事を喜んだのは、別の理由からである。
 何はともあれ、勅命を断るわけにもいかないが、人には器量がある。どう考えても、乱世の世において、自分に太守が務まるはずがない。
 そう結論づけると、恭介は法正と荀攸に自分と共に山陽に来てくれるよう泣きつき、二人もこの誘いに乗った。
 法正は既に官職を辞していたし、荀攸は都の状況に絶望し地方に逃れたがっていたので、恭介の誘いは渡りに船であった。
 文官については目処が立ったが、武官については伝手がない。現地に良い人材がいる事を祈りつつ、駄目元で袁紹に「誰か武官を下さい」と泣きつきの手紙を出す。
「はあ……。南皮で麗羽様や斗詩さん、猪々子さんと能天気に過ごす予定が……」
 まさか三馬鹿を恋しく思う日がくるとは。
 今の恭介は、袁紹の高飛車な笑い声と顔良のさり気ない心遣い、そして文醜の脳天気さに、自分がどれだけ救われていたかを実感していた。それだけ、今の都にいると気が滅入るのだ。
 そうして山陽へ赴任する準備を整えながら、恭介は袁隗に挨拶をする為に外出した。

 袁隗の屋敷に向かう途中、商家を略奪する兵士達の姿を目にした。
 最早、洛陽では日常の風景である。董卓軍の横暴を誰も止めることは出来ない。
 恭介も見て見ぬ振りをして通り過ぎようとしたが、目の前で年端も行かぬ少女が髪を掴まれ暴行を受ける姿に、流石に良心が咎めた。
「金銭や財宝ならまだしも、人を奪うのは流石に止めたほうがよいのではないですか?」
 恭介の制止に、兵士達が怒声をあげて恭介と張郃を取り囲んだ。
「嗚呼! 誰に向かって口をきいてやがる! 俺達は相国直属の者だぞ!」
 仮にも助軍校尉にして山陽太守を任じられた自分が、雑兵に囲まれて脅されるとは。
 王朝の権威などあったものではない。
 だがここで自らの名を明かし、董卓の耳に入る事態は避けなければ。
 背後で刀に手をかける張郃を制しつつ、どう切り抜けるべきか。
 恭介は窮していた。
「……乱暴は駄目」
 大きくはないが、人を従わせる声がした。
 恭介が振り向くと、いつかの動物保護少女が立っていた。そして少女の隣では、緑色の髪の大きな瞳をした幼女が兵士達を睨み付けている。
「何だと! ……っあ! し、失礼しました」
 荒くれだっていた兵士達は急に矛を収めると、逃げるようにその場を立ち去っていった。
 恭介が事態を理解出来ず呆然としていると、少女が話しかけてきた
「……大丈夫?」
「……おかげさまで。……ええと、恋さんだっけ?」
 恭介が少女の名を口にした瞬間、隣の幼女の蹴りが恭介のすねに入った。
「ぎゃ! ……おお……痛……」
「軽々しくその名を口にするなです! 全く失礼な男ですね。恋殿。早く帰りましょう。今頃皆がお腹をすかせておりますぞ!」 
「……うん。……じゃあ」
 恭介が痛みにうずくまっている間に、少女達は立ち去ってしまった。
「……な、なんだったんだろうな、あの娘達は?」
 すねを擦りながら恭介が呟くと、張郃が答えた。
「分かりません。……ですが、あの御仁。相当の腕かと思われます」

 董卓暗殺は曹操が起こすイベント、そう思っていた時期が俺にもありました。けど、都に曹操はいないし、機会が訪れた以上、避けるわけにはいかないでしょ?
「何をぶつぶつ言っているのです、伯業?」
「……いえ、つまらない独り言です」
 頭を掻く甥を、袁隗は不思議な生き物を見るような目で眺めていた。
 久しぶりに対面した袁隗は、顔色は土色で頬はこけ、使用人の手を煩わせなければ椅子にも座れないほど衰弱していた。
 こうして叔母と話すのは最後になるのではないか。
 ふと、そんな予感を覚えた。
「最近は何事にも疲れるの。だから、無駄な腹芸はやめにしましょう」
 袁隗の声は小さいが、瞳には強い意志が宿っていた。
「はい。では、単刀直入にお尋ねいたします。叔母上は、今の董卓が昔の董卓と別人であるということをご存知ですか?」
「……薄々は。面識のある私を不自然なほど避けておりますし、上洛してからの行動は、私の知る董卓とは明らかに違いますから」
 恭介は叔母に、張遼から聞いた話を伝えた。
 先代の董卓は昨年陣中で没したこと。異民族に対する警戒のため、また董卓の死により軍が解体されるのを恐れた彼の配下達が、弟の董旻(とうびん)を後継に立て、彼は異民族の風習を真似し、董卓の名を継いだ。そして、董卓の娘が成人した暁に、彼女が正式な後継者になるということを。
 勿論、その事実を知るのは、董卓軍の中でも極一部の者だけだ
「話は分かりました。ですが、元が弟であろうと、今はかの男が董卓であり、軍権を握っていることに変わりはありません。その話に意味はありますか?」
「はい。董卓の娘、名を董白(とうはく)といいますが、彼女にも勢力があります。呂布、張遼、華雄、賈駆(かく)、陳宮といった者達です。仮に董卓が死ねば、もはや年齢に関係なく、跡は彼女が継ぐことになりましょう。そして、彼女とその側近は、都の現状を憂いております」
「……成る程。ですが、普段の董卓は警護が厚く、暗殺するなど不可能に近いでしょう」
 過去、権勢を誇っていた者が一夜にして失脚、暗殺された例は多いが、その殆どは宦官の策謀によるものである。
 良くも悪くも宦官はこの王朝を動かしていた。そして彼等が一掃された今、董卓という怪物を倒すことは極めて難しい。
 だが、幸いにも好機は先方から訪れた。
「私が山陽太守を任じられたのは伯母上もご存知かと思います。そこで、董卓に礼として、袁家が誇る財宝、名刀を献上したいと思います」
 袁隗は目を細めた。
「そこで油断した董卓を斬るのですか?」
「はい。献上品としてなら、武器を持ち込むこともおかしくはありません。先ほど申しました董白派の諸将が協力を申し出てくれています。董卓を斬った後は彼女等と協力し、李確、郭汜、張済といった董卓一派を討ちます。同時に使者を出して麗羽様と袁術様に上洛してもらいます。さすれば、都の治安も戻りましょう」
「……そこで私に、董卓が喜びそうな財宝と名刀を出せということですか?」
 袁隗は苦笑すると、
「しかし、そなたの計画は運に左右されるもの。失敗する可能性の方が高くありませんか?」
「はい。ですが、他に方法はありません。仮に失敗しても、都を脱出して山陽に逃れればいいだけのことです」
「その前に捕まり殺される可能性もあるでしょう。無理に董卓を暗殺せずとも、このまま山陽に赴き、反董卓連合を呼びかければいいではないですか?」
 そこで袁隗は皮肉そうな表情を浮かべた。
「どうせ私は、放っていても今年中には朽ち果てる身。ならば董卓に殺されるのも一興です。そうすれば、娘達は、親の仇を討つという大義名分を手に入れることができるのですから」
 そう。袁紹を盟主とした反董卓連合を立ち上げれば、都に残る袁一族は人質にされる。まして世間の評判など気にしない董卓のこと、当代一の名士たる袁隗すら、何の遠慮もなしに害するだろう。
 だが、当の袁隗自身は自分の生死に関心がないようだ。
 それ程、病状が進んでいるのだろうか?
「多くの諸侯が集まる連合をまとめるのは至難の業です。それに大軍同士の戦いは犠牲も大きく、下手をすれば都を焼いてしまいます。それよりは、董卓一人を暗殺した方がよろしいでしょう?」
 恭介の答えに袁隗はしばらく黙っていたが、やがて口を開いた。
「そなたは今後も漢王朝が続くとお思いですか?」
 突然の話題に戸惑いつつも、恭介は答える。
「……光武帝という希代の英雄が蘇らせましたが、漢は一度滅んでおります。秦も周も殷も滅びました。不死の者がいないように、不死の王朝も存在しません」
 仮にも皇帝の師たる太傅と、その甥の会話ではない。
 だが、袁隗は恭介の返答に満足したように頷いた。
「人民を守れることなく、権力闘争を繰り返すだけの王朝など滅びるべきなのです」
「……そして、その後に袁氏の王朝が産まれる訳ですか」
 だが恭介は知っている。漢王朝が滅びた後に産まれるのは曹氏、孫氏、劉氏の王朝であることを。袁氏は歴史に『敗者』として名が残るのだと。
 それを知ったら、袁隗はどう思うのだろう。
 目の前にいる老いた女性は、新しい王朝が産まれることを望んでいるが、王朝の祖が誰であるかには関心が無いように思えた。

 帰り際、恭介は袁隗から袁家秘蔵の名刀を渡された。
 名を七星宝刀(しちせいほうとう)という。
 星のように巨大な七種類の宝石が鞘に散りばめられているその名刀は、まるで人の心を惑わせるかのように輝いていた。



[38235] 幕間―袁紹さんの人材活用法―
Name: 羽市◆b131e28e ID:9a9fd995
Date: 2013/08/17 10:20
 これはまだ、先の皇帝の時代、不安定ながらも王朝により秩序が守られていた時代の話である。

「あら、華琳さんじゃありませんこと?」
「……何、貴女も買い物、麗羽?」
 洛陽一の品質と価格を誇る洋服店『洛陽小町』、そこの店頭で二人は顔を合わせてしまった。
 互いの顔に「お前がこの店利用するんじゃねーよ、品位が堕ちるわ」という不快さが浮かんでいる。
 先に攻撃を仕掛けたのは、金髪の縦ロールを四本装備している女だ。
「……華琳さん。残念ですけど、このお店は大人の女性が着るに相応しい衣装しか扱っていませんのよ? 貴女のようなお子様体型の方には、十年ばかり早いんじゃありませんこと」
 縦ロール四本女、即ち袁紹は「おーほっほっほっ!」と甲高い声で嘲笑した。
 それに対して、同じく金髪のドリルを二本装備している小柄な女が、背後でいきり立つ部下を抑えながら言う。
「残念だけど、私は自分に合う大きさの服がないから特注したわよ。でも、それはこの店の衣装が好きだからだわ。わざわざ、店が扱ってない柄の衣装を作らせる誰かさんよりは理に適ってると思うけど?」
 ドリル女、即ち曹操は袁紹に対し呆れたような口調で答えた。
「ふっ。私のような優雅かつ華麗な淑女に似合う衣装はそうはありませんのよ! ですから製作を命じたまでですわ!」
 だったらこの店でなくともよいでしょう。
 曹操はそう突っ込みたかったが、路上を歩く人々の生ぬるい視線に気付き、不毛な論争を終わらせた。
「まあいいわ。けど、随分と余裕なのね。確か次回の研究発表は貴女の番でしょうに」
「……研究発表?」
 曹操の言葉に、袁紹はしばらくの間分からないといった顔をしたが、突如ぎょっとした顔になり、
「あ、当たり前じゃありませんこと! 私にかかれば研究発表の一つや二つ、一晩で片付きますわ!」
 笑いながら答えた。
 だが、その言葉に潜む嘘と欺瞞と見栄を、曹操は瞬時に見抜いた。
「そう。それじゃあ、次回の発表を楽しみにしてるわよ。忘れていないと思うけど、発表は明後日よ。今から楽しみだわ」
 曹操は皮肉に満ちた笑顔を浮かべると、後ろに控える夏侯姉妹と共に店へと入っていった。

「と言う訳ですの、恭介さん!」
「……全く意味が分かりませんが」
 自室で法正から借りた、というより押しつけられた、どう考えても偽書であろう老子著の閨房術(けいぼうじゅつ)の書を読んでいた恭介には、袁紹が何を言っているのか分からなかった。
「えーと、斗詩さん。三行で説明お願いします」
「えっ!? 恭介様、三行と言われましても、話すことと書くことじゃまるで意味が違ってくるんですけど」
 困り顔の顔良に、隣の文醜が答える
「あのなあ、斗詩。こういうのは大雑把でいいんだよ。アタイが手本をみせてやるから、アニキが納得したら、今夜はよろしくな」
 そう言うと、文醜は恭介に向かい、
「『曹操に会った。そんで課題どうよと言われて、もう終わってますわと答えた。けど、それは嘘なんでなんとかしろ』。どうよアニキ、完璧だろ?」
 ドヤ顔の文醜に、恭介は「まあ、大体の意味はわかりました」と答えた。
「よっしゃー。それじゃあ、斗詩。今夜は寝かさないぜ!」
「文ちゃん、私は返事してないじゃない! ちょっと、抱きつかないで……だめ、そんな……」
「ぐへへへ。斗詩の肌はいつ見ても白くて美味そうでたまらねー!」
 口では文句を言いつつも本気で抵抗してない顔良と、実に生き生きとした文醜を見て、どうして自分の周りの美少女達は百合ばかりなのだろうかと、恭介は残念であった。
 黒髪おかっぱ清楚美少女の顔良も、青髪ロングで活発系美少女の文醜も、恭介的には是非お付き合いしたい女性であるのに。
「因みに同じ百合系美少女でも、麗羽様や曹操さんは色々と面倒くさそうなのでお断りします」
「……何か言いまして、恭介さん」
「いえ、別に。つまり、次回の勉強会での研究発表は麗羽様の予定でしたが、残念ながら失念していたと。そこで、自分に手伝えと言うことですか?」
「最初かそう言ってるじゃありませんか!」
 言ってねーよ。
 てか、俺はドラえもんで、お前はのび太か?
 なんでもホイホイ頷くと思うなよ。
「それで、恭介さん。何かいい案はありますか?」
「そうですね。確か麗羽様の研究発表は明後日でしたよね」
 あれ、自然に答えてる。
 いかん、付き合い続けて十数年、知らない間に身体が飼いならされている!
 恭介は自己の習性に恐怖と情けなさを感じつつ、頭を掻いた。
 袁紹も曹操も恭介も大学に籍を置く学生である。
 この時代の大学は、簡単に言えば官吏を養成する学校といってよいだろう。
 袁紹は本人もよく自慢する四世三公の名門袁家の本流である(まあ血筋は、従妹である袁術の方が上だが)。大学など通わなくてもすぐさま推薦で官吏への道が開けるのだが、恭介はいつものごとく、袁紹を口八丁手八丁でその気にさせ、大学へ通わせることに成功していた。
 兎に角、袁紹には人間的に大きく成長してもらわなければ困る。でないと、自分も巻き添えで「おのれ曹操め!」と叫びつつ、無念の血を吐いて死ぬ可能性が高くなるのだから。
「先日華琳さんが発表した『孫子の注釈』より優れたものを、皆さんは期待しているでしょうから」
 袁紹が言った通り、曹操は先日の発表において、かの兵法書『孫子』に自己流の注釈を付けて発表した。級友の評価は「実戦を知らない机上の空論」といったものから「過去の戦史を元にした、極めて優れた注釈」と様々だが、皆の興味を惹いたことは確かだ。
 恭介は大学において、現代におけるサークルのようなものを作り、級友と共に勉学に励んでいた。ただし、この集まりの真の目的は袁紹を優れた人物達と交友させ、感化させるという点にある。
 サークルには恭介と袁紹、曹操の他に、張紘(ちょうこう)、張貌(ちょうばく)、荀攸、許攸(きょゆう)、何業(かぎょう)、周秘(しゅうひ)、伍瓊(ごけい)といった者達が顔を連ねている。ただし、法正は捻くれ者なのでいない。 
「残念ですが、ありません」
 恭介はあっさりと断った。
 というより、恭介の発想は現代日本の知識が元になっている場合が多く、その独自の理論には癖があるので、麗羽が恭介の案を発表したところで、元ネタは恭介だとすぐに気付かれる。
 結果、袁紹は級友達からは失笑され、その評価はガタ落ちになるのが目に見えている。
 だが袁紹は、恭介の懸念に構うことなく言葉を続けた。
「昔、恭介さんが偉そうに『陳平』の逸話を私に説いたことを憶えていて?」
「はあ……なんとなくは」
 陳平とは言うまでもなく、数々の謀略で劉邦の危機を救った腹黒軍師である。
 いつだったか、恭介は陳平が宰相の職にあった頃の逸話を袁紹に説いた記憶がある。
 時の皇帝に宰相の職務について問われた陳平は、『大臣がそれぞれの職務を果たせるように支えるのが宰相の役目』と答えた。
 過労死したどこぞの蜀の宰相に聞かせてやりたい台詞だ。
 それは兎も角、恭介が袁紹に説きたかったのは、有能な他者を使いこなすことの大事さだった。
 そもそも、純粋に個人の能力で競うなら、希代の英雄曹孟徳に敵う筈もない。
 だからこそ、自分にはない才の持ち主を活かす術の大事さを日々説いてきたのだが。
「恭介さんは有能な人物の才を引き出すことこそ王者の務めと私に説きましたわよね? ならば、恭介さんが今まとめている研究課題を私がそのまま頂くのも理に適っているのではなくて?」
 それは王者ではなく、略奪者、ジャイアニズムと言うべきだ。
 恭介がそう言うより前に、袁紹は恭介の手から書籍を奪った。その行為自体はよくあるが、生憎とそれは研究課題とは何の関係もない書籍であり……。
「あっ!?」
「なっ!?」
 袁紹の目に入ったのは、男女がくんずほぐれつ・複雑体位でエロいことをしている絵であった。
 まあ、閨房術(けいぼうじゅつ)の本だから当然ですよね。てか、俺の本じゃないし。
 そんな恭介の心の声が聞こえるはずもなく、袁紹は顔を真っ赤にして立ち尽くしている。
 部屋の隅でいちゃいちゃしていた顔良と文醜も、袁紹の後ろから本を覗き込むと、恭介に生暖かい視線を送った。
「……恭介様。特殊な性癖をお持ちなんですね」
「……流石のアタイもこれは引くわ」
 三人の少女の視線に居たたまれなくなった恭介は半泣きになりながら屋敷から逃げ出した。
 そもそも、自分にこんな本を貸した法正が悪い。ヤツに責任として、袁紹の課題について考えてもらおう。

「翼、お前の知恵を借りようと思ったんだが……」 
 恭介が法正の屋敷を訪ねると、法正は顔を上気させ、荒い息を吐きながら、庭をうろうろと歩き回っていた。
 明らかに尋常ではない。
「知恵? いいとも! 但し代価は貰うよ。そうだな、君に貸した閨房術(けいぼうじゅつ)の実演なんてどうだい?」
 そう言うと、法正は何がおかしいのか、大声で笑った。
 常日頃の皮肉な表情ではなく、
「……五石散(ごせきさん)か」
 そういえば、先日会った際に、今度試してみると言っていたな。
 それでこの妙な状態か。
 五石散(ごせきさん)とは、簡単に言うと麻薬である。虚弱体質の改善、疲労の回復、精神の高揚、不老長寿、美容に効果があるという謳い文句は、胡散臭さ満載である。
 なお、五石散(ごせきさん)は服用した後、身体を動かさなければ薬が体内に溜まり死に至る。 よって、服用した後は絶えず身体を動かして薬を発散させなければならない。これが『散歩』の由来だというのだから、地井武男が聞いたら激怒するんじゃないだろうか。
「どうしたんだい? さあ、早く実演しよう。そして快楽の果てにある真理へと共に旅立とうじゃないか!」
 法正は目を血走らせながら、恭介に近づく。
 こいつも黙っていれば美少女(又は美少年)なのに、どうしてこうも残念なんだろう。
 しかし、素面ならまだしも、目を血走らせ、口から涎を垂らし、似合わない笑みを浮かべている今の法正相手では、流石の恭介も色事に浸る気にはなれなかった。
 折角の脱・素人童貞の機会だというのに!
 恭介は法正を蹴り飛ばすと、脱兎の如く逃げ出した。

 法正はあの状態だし、手ぶらで屋敷に帰れる状況ではないので、恭介は荀攸の屋敷を訪ねることにした。
 あの小心者なら、まさか怪しげな薬を飲んではいないだろう。そう思い屋敷を訪ねると、まさに今、荀攸は丸い錠剤を飲み込んでいるところであった。
 目が合う。
「……よう」
「……ど、どうも」
 荀攸の視線は一度恭介を捉えた後、宙を彷徨う。
 明らかに挙動不審である。だが、法正のように、五石散(ごせきさん)などに手を出した様には見えない。顔色が悪いのはいつもの事だが、顔には冷や汗が浮かんでいる。
「ええと、……見ましたか?」
 荀攸の言葉に主語はないが、おそらく薬を服用したことを聞いているのだろう。
「ああ」
 恭介がそう答えると、荀攸は肩を落とした。
 そしてブツブツと呟く。
「……実は体調が悪いので、風邪薬を飲んだんですよ」
 それの何処に問題があるのか、そう問おうとして、恭介はあることに気が付いた。
「そうか、喪に服していたんだっけ?」
「そうです! 僕は母を昨年病で失っているんですよ!」
 この時代は儒教の影響が非常に強く、父母への孝というのが第一とされた。
 その一例が喪に服す、という行為である。
 特に名士である場合、自分の両親が亡くなれば数年は官職を辞して喪に服すのが当たり前という風潮があった。その間、子が自らを労わることなど論外であり、荀攸のように風邪を治すために薬を服用するなど外道行為だ。例えば荀攸が東大を優秀な成績で卒業し財務省に内定していた場合、内定は取り消しになり、ブログは炎上し、周囲からゴミを見るような視線を浴びること間違いない。  
「絶望した! 建前だらけの考を優先する世の中に絶望した! キャラが地味とか、荀彧の甥なのに年上とか、甥がツンデレというよりツンしかないとか、曹操の参謀の中で一番地味だなとか、そんな扱いに絶望した!」
 荀攸は頭を掻き毟りながら絶叫した。
「いや、気持ちは分かるが、俺は別に公言しないぞ。まあ、弱みを握ったら、今後活用することはあるかもしれんが……」
 てか、後半は意味不明、支離滅裂だ。
 そう思いながら、恭介は荀攸と法正、二人の駄目友人の姿から、一つの発想を得ていた。

 二日後の研究発表会の日、教室にはサークルの生徒が全員集まっていた。
 何といっても、あの袁紹の研究発表である。どんなお馬鹿な、いや、雄大な発表となるのか、皆が注目していた。
 周囲の注目を気にすることもなく、袁紹は颯爽と講義の席に付く。その堂々とした立ち振る舞いに、流石は袁紹だとの声が上がり、その声に曹操は不愉快そうに眉をひそめる。 
 人を外見や家柄で判断するこの悪しき風潮はいつまで続くのだろうかと。
 曹操の思いとは関係なく、袁紹は口を開いた。
「私の発表は、郷挙里選の制度を改めることです」
 その言葉に周囲がざわめいた。
 郷挙里選とは、この時代の官吏登用で、高官や太守、豪族などの有力者がこれはと思う人材を朝廷に推薦し、官職に就ける仕組みである。
「ですが、この郷挙里選はもはや形骸化しているのは皆さんも知っての通り。推薦といっても、過剰なまでの考を演出したり、有力者に賄賂を送ったりする者が多く、また推薦する側も自分にとって有利となる人材しか推薦いたしません。結果、朝廷に並ぶのは、物言わぬ人形ばかりとなってしまい、有為の際の人材が居ない事態を招いています」
 袁紹の発言に一同は言葉を失った。
 袁紹の言うことには一理あるが、現在の朝廷の要職を占める袁氏の代表である袁紹がこうした発言をするとは!
 大胆な発言に呆然とする級友達を満足げに見て、袁紹は言葉を続ける。
「そこで私は、『一芸に秀でた者を、別枠として登用する』ことを提案いたします。育ちが悪かろうと、考に薄くとも、道徳に問題があるとも、一つの才に優れていれば、官吏として登用すべきです」
 袁紹は級友達を見回して、
「例えば恭介さんのように冴えない顔の人物や、華琳さんのように卑しい家柄でも、才があれば推薦し、政に活かすべきと考えます」
 この発言は袁紹の思いつきだろう。
 余計なお世話だと思いつつ、恭介は周囲を見渡した。
 ある者は考え込み、ある者は隣の者と話し込んでいる。
 賞賛、思案、困惑。色々な感情が見て取れるが、否定や反発を感じている者はいない。上々の反応ではないだろうか。
 その中でも、曹操だけは皮肉めいた表情を浮かべていた。付き合いが長い彼女には、袁紹の発表が恭介の発案であることを理解したのだろう。
「けど、麗羽。その一芸に優れている人物をどうやって見分けるというの? 武芸や軍略なら兎も角、内政などは長い目で見なければ、成果は判断出来ないでしょう?」
 曹操の問いかけは予想されたものだった。その為に、採用した人物には試用期間を設けるという案を既に袁紹とは打ち合わせ済みだ。
 曹操の問いかけに、袁紹は自信満々の表情のまま答えようし、口が止まった。
「……そ、そうですわね」
 そして、ちらちらと恭介に視線を送る。
 麗羽様、打ち合わせの内容を忘れたんですね……。
 そう察しがついたが、恭介が口を挟むことは出来ない。
「あら、答えられないのかしら? いくら才に優れた人物を推薦しようとも、その人材についての判断ができないようでは意味がないのではなくて?」
 曹操の指摘に、袁紹は「ぐぬぬ」と顔を引き攣らせていたが、再び恭介と目が合うと、何か思いついたように笑みを浮かべた。
 打ち合わせを思い出したのか、袁紹は曹操を見据えて胸を張った。
「簡単なことですわ。人物の才を見抜く者を、登用の任に当てればいいのです!」
「……えっ?」
 お前は何を言っているんだ。
 曹操はそんな顔で麗羽を凝視すると、
「……では、その『人物の才を見抜く者』をどうやって登用するのかしら?」
 当然の質問を発した。
 絶対に答えられないであろうと踏んだ曹操の質問に、袁紹はあっさりと答えた。
「私は恭介さんに一任していますから」
 袁紹の言葉に、級友達の視線は一斉に恭介へと移る。
 どの顔にも興味深々の感情が浮かんでいる。
「やっぱ袁遺と袁紹って、付き合ってるんじゃ?」
「けど同族よ?」
「禁忌を犯すからこそ燃えるのよ!」
「袁紹の同性愛のカモフラージュだろ」
「身分が違うよ。主人と従者じゃない?」
「いやペットだろ」
 そして好き放題語っている。
「……いや、それは貴女個人の方法であって、普遍的な方法じゃないでしょう」
 曹操が呆れた様な声で呟いた。

「結局、研究発表はうやむやになりましたね」
「ですが、皆の注目を集めるという点では成功しましたわ。恭介さんは納得がいきませんの?」
 恭介の言葉に袁紹は不満そうに口を尖らせた。 
「いえ、麗羽様がご納得しているのなら構いませんが、曹操さんは呆れてましたよ」
「あのちんちくりん女は、将来官職に就いても、自分の職務を代行してくれる人材を得ることなど出来ませんわ。ですから既に恭介さんを得ている私に嫉妬しているのでしょう」
「そんな風には見えなかったですし、何かいい話にまとめようとしてませんか?」
 袁紹の言葉に答えながら、恭介は考えてみる。
 もしや、袁紹はこれだけ自分を信頼しているということを周囲に知らせたかったのだろうかと。
 恭介が袁紹を見つめていると、袁紹は顔を赤くした。
 あれ、もしかして自分が知らない間に高飛車お嬢様ルート突入!?
 なおも恭介が見つめていると、袁紹は小さな声で呟いた。
「……恭介さん。いくら一芸に優れているとはいえ、あまり特殊な性癖はどうかと思いますわよ? あの本は燃やしましたので、少し性癖を改めてください。でないと私が困りますわ」
 
 やがて皆の研究が同人誌としてまとめられ、曹操が己の黒歴史を葬ろうと回収に奔走するのは、また別の話である。



[38235] 21 月
Name: 羽市◆b131e28e ID:9a9fd995
Date: 2013/08/31 20:43
 四世紀初め、袁沈という人物がいた。彼は官吏として栄達したが、その一方で歴史家としても名を残した。彼の著した『漢末異文』や『三代記』は、漢末の乱世を知る上で非常に重要な資料として評価が高い。
 さて『漢末異文』には、袁遺が董卓を暗殺しようとする場面も書かれている。その日、袁遺は董卓と刺し違える覚悟を決め、もしも事を仕損じた場合の為に自決用の毒薬を所持していたという。
 『人民を救済する為、一身を投げ打つ姿は、正に義士と呼ぶべきであろう』
 董卓暗殺の場面に限らず、『漢末異文』は袁遺の行いに関して、終始美辞賞賛で埋め尽くされている。
 その真偽には言及しないが、一つだけ付け加えるなら、袁沈は袁遺の孫である。


 昼過ぎ、董卓は私邸にて恭介の来訪を受けていた。
 恭介は一室を埋め尽くさんばかりの金銀財宝を持参し、太守任命の礼を述べつつ董卓に平伏していた。
「それにしても、これほどの財宝があるとは。流石袁氏は名門だな」
 董卓は皮肉そうである。
 袁氏は四代に渡り三公の地位にあった。
 つまり、時の権力者に常に寄生してきた訳で、王朝の腐敗を招いた原因の一つではないか。所詮、名士などと称されている輩も自分と変わらない欲望の持ち主でしかない。
 それが董卓の偽らざる気持ちであった。
 恭介は恥じるように顔を伏せると、
「そう皮肉を言われては困ります。……ところで、この財宝の中でも、誠に覇者たる相国に相応しい一品があるのですが」
「ほう。それは気になるな。どんな一品だ?」
「はい。こちらでございます」
 恭介は積まれた財宝の中から、七星宝刀を取り出した。
 部屋には今、董卓と恭介しかおらず、董卓は完全に恭介を侮っていた。
 恭介は緊張で唾を飲み込みながら、七星宝刀を鞘から抜いた。

 同時刻、張遼も一人の人物を訪ねていた。
「月、おるか?」
「はい、なんですか霞さん」
 月と呼ばれた少女は、紫色の髪を長く伸ばし、小柄で愛らしく、儚げな雰囲気を醸し出している。
 月は眼鏡をかけた同年代の少女と共に書物を読んでいた。
 眼鏡をかけた緑色の髪をした少女は、月とは対照的に目に力が宿り、小柄だが険しい顔つきをしていた。   
「賈駆っちもおるんか。丁度いいわ」
 そう言うと、張遼は恭介が董卓暗殺を謀っていること、成功した場合は協力して都の董卓派を討つ事を提案した。
「……また随分と急な話ね」
「うちかて、さっき聞かされたんや。けど悪い話やないやろ。今のままだと、董一族は諸侯から袋叩きにあうで。何より、都の住人がどんだけ酷い目にあってるか、知っとるやろ?」
「それは……」
 黙り込む賈駆(かく)に代わり、月が問う。
「……霞さん、そんなに都の人達の生活は酷いのですか?」
 上洛してから、月は董卓の屋敷から外に出たことが殆どない。身に危険があってはならないという董卓の意向であり、彼女も慣れない土地の外に出ようという気にはならなかった。
 その為、月は都における董卓とその将兵の行いについて知ることが少なかった。
 月の親友であり、常に傍に控えている賈駆にしても、月に聞かせるには悪い話ばかりなので、殆ど伝えてはいない。
 そんな月にとって、張遼が語った董卓軍の行いは、余りに衝撃的なものであった。
 商家を襲い金品を奪い、逆らう者は首を刎ねる。
 農民が祭りを催しているのに怒り、村中の住人を煮殺す。
 宮中で皇帝に仕える女官を犯し、その日の気分で髪や舌、更には眼球を抜かれる。
 今や都は、董卓軍に対する怨嗟の声に満ちていること。
「……今の話は、本当なの、詠ちゃん?」
 初めて聞くおぞましい話に、月は顔を蒼白にさせながら友人に尋ねる。
 否定してほしいという月の表情に、詠は声を絞り出すように、
「残念だけど、本当よ。このままでは董卓という名は、歴史に悪名しか残らないわ」
「そんな……」
 少なくとも董卓は月にとっては優しい叔父であった。
 その叔父が、そのような非道な行いを……。
「せやから、ここで董卓を討って、月が軍をまとめるんや。重い役目だってのは分かる。けど、うちも恋も華雄も出来る限り協力する。だから頼むわ」
「……私も霞に賛成ね」
「詠ちゃん!?」
「これ以上、あの男に政務を任せていては、月まで巻き添いになる。切り捨てるなら今よ」 
 張遼と賈駆の言葉を受けて、月は顔を伏せ考え込む。
 しばらくの後、顔を上げると、 
「いけません。例え非道な行いがあったとしても、叔父上を討つなんて。私から行いを改めて貰うようお願いしますから、今すぐ、私を叔父上の所まで連れて行って下さい」
 彼女には似合わない、強い言葉を発した。
「……けどなあ」
「霞さん、お願いします!」
「……しゃーないな」
 張遼はあくまで月に従う臣である。
 心の中で恭介に詫びながらも、張遼は月の意志に従った。

 恭介が七星宝刀を鞘から抜くと、刃が美しく輝いていた。
「ほう……。このような美しい剣、見たことがないわ」
 董卓は剣の美しさに魅了されたように呟いた。ここにいたってなお、董卓は恭介の殺意に気づいておらず、隙だらけである。
 討てる!
 膝を突き、剣を献上する姿勢をとっていた恭介が立ち上がろうとした瞬間、
「叔父上!」
 扉が開くと同時に、見知らぬ少女が息を切らせながら部屋に入ってきた。
 少女の後ろには顔をしかめた張遼が立っている。
 すると、この少女が董白なのだろう。そして、彼女の協力を得ることが出来なかったということか……。
 瞬時に計画が破綻したことを悟った恭介の行動は早かった。
「相国、どうぞこの七星宝刀をお納め下さい!」
 少女が口を挟むよりも早く、恭介は董卓に刀を献上した。
「うむ。ありがたく貰っておこう。そなたの心尽くし、確かに受け取ったぞ。今後とも悪い様にはせん。安心して励むがよい」
「ははっ。この袁伯業、非才の身ではございますが、相国の為、尽力させて頂きます!」
 額を床につけ、董卓に忠誠を誓う恭介の姿に、月も張遼も唖然としていた。
「何やら、大事な話があるご様子ですので、私はこれで失礼させて頂きます」 
 そう言うと、月と張遼に頭を下げ、恭介は足早に立ち去った。
  
 董卓の屋敷を出た恭介は、緊張した面持ちで待っていた張郃に無言で首を振ると、馬に跨り南門へと走り去った。その姿を見送ったと、張郃は東門へと走る。
 既に恭介の家人や法正達は洛陽を立ち、近くの街で待機している。董卓暗殺に成功すれば急ぎ洛陽に戻り、失敗すれば山陽に逃げる手筈を整えていた。
 張郃ならばすぐに法正達に合流できるだろうし、既に稼いだ距離もある。問題はないだろう。
 問題があるとすれば、寧ろ自分だろう。
 武芸も馬術も人並みの自分が、無事に山陽にたどり着けるのか。
 そもそも董卓暗殺など、成功の可能性は万に一つしかない賭けであった。演義でも曹操が失敗している。そして曹操は故郷に奔り、反董卓連合を旗揚げするのだ。
 今の自分は、いわば都にいない曹操の代わりに狂言回しを務めているようなもの。とすれば、曹操と同じく、無事に逃げおおせることが出来るだろう。
 曹操と違う点は、小細工を弄したことだ。それが裏目に出なければいいが……。
「まあ、なんとかなるだろう」
 恭介はあえて楽観的に考え、自分を落ち着かせると、馬を走らせた。
 だが、結果として、恭介の小細工は見事に裏目に出た。
 
 この暗殺未遂は喜劇と呼ぶべきであろう。
 何故なら、当の董卓は当初、恭介の暗殺未遂になど気づいてはいなかったのだから。
 董卓がその事実を知ったのは、その日の夕方、周秘と伍瓊から注進を受けてからであった。
 話は朝に遡る。
 董卓を暗殺する。
 そう決めたものの、恭介はその大事を誰にも謀っていなかった。
 唯一、名刀を得るため袁隗に計画を明かしたが、既に精神が死人であった彼女はその事実を誰かに漏らすことはなかった。
 結局、恭介が計画を打ち明けたのは、法正、荀攸、張遼、張郃、何業、周秘、伍瓊の七人のみであり、しかも張遼には直前に、何業、周秘、伍瓊には当日の朝に打ち明けるという秘密主義であった・。
 恭介の口から『董卓暗殺』を打ち明けられると、根が小人な周秘と伍瓊は狼狽したが、何業は表情を変えなかった。
「無茶だ、成功する筈がない……」
 過去、何人かの義士が董卓暗殺に失敗しているのを見ている周秘が弱々しく呟いた。
「そうかな。今まで董卓を暗殺しようとした者達は、勇気はあったが卑怯ではなかった。要は、あの御仁が警護を連れず、武具も身に着けていない時に襲えばいいだけだ」
 そう言うと、恭介は太守任命の礼として財宝や宝刀を献上する際に董卓を討つことを説明した。
「幸い、俺は董卓に侮られている。わざわざ警護の兵などつけやしまいよ」
 恭介はこれまでにも董卓のの私室に呼び出されては諮問されたが、その際も董卓は警護の兵をつけていなかった。
「董卓暗殺が成功すれば問題はない。既に董卓軍の中でも、彼と意を異にする将達に話をつけている。彼女等と協力して、後は董卓の犬を打ち殺せばいい」
「……だが、失敗したら?」
 伍瓊の問いに、恭介は平然と答えた。
「その時は、俺に叛意有りと董卓に密告すればいい」
「……お前を売り飛ばして、自らの安全を買えということか?」
 何業の言葉に、恭介は頷いた。
「暗殺に失敗したら、俺はすぐさま山陽に逃げる。だが、董卓は俺のような小物が独りで暗殺を起こすとは思うまい。共謀者がいると考えるだろうし、諸君は俺の友人だ。当然、董卓に疑われる。その前に董卓に注進すれば、奴も諸君を疑うまい」
「山陽に逃げてその後はどうする? やがて董卓の軍がお前を討ちにやって来るぞ」
「その前に、諸侯と協力して、『反董卓連合』を旗揚げする」
「『反董卓連合』か……。皆、その構想は持っているだろうが、実現は容易ではないぞ。現に董卓に不満を持っている諸侯は多数いるが、誰も兵を挙げていないではないか?」
 友人達の中でも、特に年配の何業は冷静に物事を見ることが出来た。
 彼女の言うとおり、董卓の行いに皆が不満を抱いているが、その非を訴え挙兵した者は誰もいない。
「今の状況は、決壊する寸前の黄河のようなものだ。嵐がくれば洪水になる。誰かが先陣を切れば、あとは濁流が董卓を飲み込むだろうよ。だが、一つ心配がある。弘農王のことだ」
 弘農王、つまり先の少帝である。
「董卓が立てた今の陛下より、先の陛下こそが正当な皇帝である。そう思っている者は少なくない」
「ああ。そもそも私とてその内の一人だからな」
 何業が頷く。
「とすれば、『反董卓連合』が旗揚げされた際は、弘農王を帝位に戻すことが旗印の一つになるだろう」
「その可能性に気づいた董卓が、弘農王を害する可能性が高い、そう言いたい訳か?」
「ああ。だから、皆には『反董卓連合』が旗揚げされる前に、弘農王の保護と、自身の身の安全を図って欲しい」 
「無茶を言う」
 何業は笑った。
「で、何時ごろ挙兵するつもりなのだ?」
「三ヶ月後、十二月には挙兵する。例え俺一人でもだ」
 そう言いつつも、恭介は自分一人で挙兵することにはならないだろうと楽観していた。
 少なくと、曹操と孫堅は同調してくれる筈だ。
 董卓の屋敷に赴く前、恭介は何業達とこのような会話を交わしていた。
 だが、恭介は気付いていなかった。
 何業は兎も角、周秘と伍瓊は計画を打ち明けられ、すっかり怖気づいてしまっていたことに。
 彼等は優れた能吏ではあったが、何業のような勇気を持ってはいなかった。勿論、二人とも董卓の専横を憎んでいたし、恭介が董卓を討ったのであれば喜んで協力したであろう。
 だが、恭介から董卓を討ったという報せが届くことは無かった。
 董卓を討ちもらした際には、翌日に暗殺を企んでいたことを注進して欲しいと言われていたが、二人の神経は一日と持たなかった。
 結局、夕方に、二人は恐る恐る董卓の屋敷を訪れた。
 更に恭介にとって不運が重なる。
 丁度その頃、董卓は月から今までの行いについて詰問されており、宥めるのに苦労していた。軍には先代の娘である月を支持する一定の勢力があり、例え少女とであっても、その意見を無視することはできなかった。
 そこへ丁度よい来客である。
 董卓は普段見せない愛想を見せ、周秘と伍瓊を招き入れた。そして、月にはまた今度意見を聞くと宥め、下がらせた。
 屋敷の主が健在であることを知り、二人はまず落胆し、次に恐怖した。
 まず周秘が口を開く。
「相国、本日、袁遺が訪れたと聞きましたが?」
「ああ。流石、袁氏だけあって、莫大な財宝を持ってきたわ」
 伍瓊が言葉を続ける。
「その際、何か、不審な行いが目につきませんでしたか?」
「……どういう意味だ?」
 董卓の目が獰猛に光り、二人は震え上がりながら、恭介が太守任命の礼に乗じて暗殺を謀ったことを暴露した。
「小僧がっ! 目をかけてやった恩を仇で貸すとは!」
 二人の言をそのまま信じた訳ではないだろうが、董卓は月に長い時間責められ続けられており、非常に機嫌が悪かった。
 これも不運であろう。 
「すぐさま、追手を派遣しろ! どうせ奴は山陽か南皮に逃げたに違いない! その厚い面の皮を剥いでくれるわ!」



[38235] 22 檻車
Name: 羽市◆b131e28e ID:9a9fd995
Date: 2013/08/31 20:43
「随分とあっさり捕まるものだな……」
「ああ! 何か言ったか!?」
 兵士達の問いかけに、檻車の中の恭介は「何も」と首を振った。
 洛陽から山陽へと馬を走らせること五日、兌州(えんしゅう)に入る寸前で、恭介は付近を警護していた集団に捕まった。
 既に都からの手配書が各地の関所に回ってきており、恭介の首には莫大な賞金が掛けられていた。
 董卓の怒りの凄まじさが分かる。
 だが、恭介は冷静であった。
 何故なら、逃走中に捕まることも予想の範囲であったからだ。
 確か、董卓暗殺に失敗した曹操は、ここで警備隊の隊長である陳宮に助けられる筈だ。自分の役回りが曹操である以上、捕まるのも必然ならば助かるのもまた必然というもの。
 恭介は檻車の中から、賞金に夢を膨らませ、酒盛りを始めた兵士達に呼びかける。
「君達の隊長と話がしたいのだが、呼んでくれないか?」
「なんだ、今更命乞いか?」
 兵士達は嘲笑するが、恭介が頭を下げると、隊長を呼んでくれた。 
「貴様が相国の暗殺を企んだ不届き者、袁遺に間違いないな」
 兵士に呼ばれた隊長は、髭面の樽の様な男で、警備隊の隊長というより山賊の親分の方が相応しい風貌である。
「いかにも。自分は袁伯業である」
 恭介の態度は囚われの者とは思えないほど堂々と答えた。
「ほう。いい度胸だ。これから相国の元で皮を剥がされ、手足の腱を切られた後に首を刎ねられるというのにな。命がおしくはないのか?」
「命はおしい。だが、それ以上に、やるべき事がこの世にはある」
 生憎と、恭介の言葉は、男は感銘を与えなかったようだ。
「何を言っていやがる。まあいい。これで身元の確認は取れた。後はお前を都に護送して、賞金を頂くだけだ」
 そう言うと、男は恭介に興味を無くしたようで、背を向けた。
「待ち給え。私が名乗ったのだ、貴公も名乗ったらどうだ?」
「面倒くせえ男だな。俺の名は曹性だ」
「……えっ?」
 誰それ?
「……すいません、ち、陳宮さんは?」
「誰だ、そいつ。少なくともうちの隊にそんな奴はいないぞ」
 曹性は恭介を胡散臭そうな目で見ていたが、
「確か、相国の下に、そんな名前の奴がいたような気がするが。どちらにせよ、俺達には関係ない話だ」
 そう言うと、恭介の前から立ち去った。
「……あ、あれ?」
 恭介は気付いていなかったが、以前顔良に渡された資料の中には陳宮の名も載っていた。ただ陳宮は月派であり、呂布の副官的な立場なので、軍での地位は高くはない。よって、資料でも殆ど触れられておらず、恭介も見落としていたのだ。
「……ひょっとして、命の危機か?」
 このまま都に送られたら最後、手足を縄で馬につながれ八つ裂きにされるか、油で煮立った釜の中に放り込まれるか、或いは腹を裂かれて腸を食わされるか、いずれにせよ苦痛の果ての死が待っているのは間違いない。
「いやいやいや。そんなの聞いてないぞ! おい、陳寿(ちんじゅ)か裴松之(はいしょうし)か羅漢中(らかんちゅう)を呼んでこい!」
「……なんだ、あれ?」
「恐怖でおかしくなったんじゃねえのか?」
 それまで落ち着き払っていた恭介が、急に訳の分からないことを言い出しながら檻を掴んで暴れている姿を、兵士たちは薄気味悪く感じたようで足早に檻車の前から去っていった。
 恭介の目の前には誰もいない。夜の闇が辺りを包み、遠くから兵士たちの酒に酔った声が聞こえてくる。恭介を捕縛したことにより潤う懐を想像し、愉快に酔っているのだろう。
 どうしてこうなった? 
 考えてみれば、そもそも袁紹や曹操が女性だったり年齢が合わなかったり、自分の知る三国志とは違う点が随所にあった。つまり並行世界のようなもので、自分が知る三国志の知識は、目安程度にしかならないということを失念していた訳だ。
「いや、間違っているのは俺じゃない! 世界の方だ!」
 董卓を暗殺する流れがあまりに自分の知る知識と酷似していた為、捕縛されても陳宮が助けてくれると思うのは仕方ないだろう!
「……もしもし、そこの御仁?」
 どうすれば助かる? 董卓に命乞いするか? いいや、あの男が一度裏切った者を許すとは思えない。
「……聞こえていないのか? そこの御仁、話があるのだが?」
 警備の兵を買収するか? だが、先程金は全て取られてしまった。どうせ後で解放されるのだからと考えていたのだが甘すぎた。畜生、どうすれる俺! 落ち着け、俺!
「……」
 ガシャン
「うあっ!」
 檻車が揺れ、恭介はひっくり返る。
「な、何だ?」
 恭介が起き上がると、檻車の外に一人の女性が立っていた。
 どうやら、この女性が檻車を蹴り飛ばしたようだ。
 闇夜の中、何故か女性の姿がはっきりと浮かび上がって見えた。
 決して裾から覗く白い太ももに魅せられた訳ではなく、その女性から漂う存在感が、彼女を周囲の闇から浮き上がらせていたと言うべきだろう。
「やっと気づかれましたか。先程から何度も話しかけていたのですが、虚ろな目でぶつぶつ呟くばかりなので、気が触れているのかと思いましたぞ」
 女性は恭介と同年代か、或いは少し年下だろうか。生憎と女性経験の少ない恭介は、女性の年齢を見極める機敏に欠けていた。だた、青い髪から覗く力強い瞳からは、腕の立つ武芸者としての風格を感じる。
「……い、いえ。少し今後のことについて考えていただけです」
「今後? 都でどのような刑で殺されるかについてですか?」
 女性は小さく笑った。
「貴女も、警備隊の一員なのですか?」
「いえ、ただの通りすがりの旅の者です。先程の御仁との会話が偶然耳に入りましてな。相国を暗殺しようとしたお方と聞いていたので、どのような立派な方かと想像しておりましたが……。 戦場ではさして役に立ちそうもない方で、いささか驚いているところです」
「……率直に、剣の似合わない優男と言って下さって結構ですよ」
「いえいえ。外見で人を判断するほど、私は愚かではありません」
 そう言うと、少女は笑いを消した。
「差し支えなければ、なぜ相国を暗殺しようと思ったのか、お教え願いませんか?」
「……機会があれば、誰でもそうするでしょう」
「そうですか? 聞けば貴殿は相国に随分と優遇されていたとか。わざわざ暗殺を企む理由などありますまい。それに貴殿を太守に任じたのは相国ではありませんか?」
「自分を太守に任じたのは、董卓ではなく陛下です。袁氏は代々、王朝に仕えてきた身。涼州の野獣を打ち殺す任はあれど、野獣に従う理由はありません。第一、あの男が存在するだけで、罪のない民の命が消えていく。人としての良心があれば、董卓を除こうとするのが道理でしょう」
「……ふむ。袁遺殿は文弱の徒との評判ですが、心根は武人のようだ。残念ながら、腕が追いついていないようですが」
「余計なお世話です」
 女性と話しているうちに、恭介の気分は落ち着いていた。
 今は置かれている状況を嘆くよりも、どう切り抜けるかを考えなければならない。
「余計なお世話ついでにもう一つ。袁遺殿は、都を逃げ出して、これからどうするつもりだったのですか?」
「諸侯に檄を送り、『反董卓連合』を旗揚げします。それと、過去形にしないでいただいきたい。自分はまだ諦めていません」
「ほう。では、この情況から逃げおおせる算段がおありか?」
「……例えあっても、貴女に公言する必要は無いでしょう」
 算段などある筈もない。
 さて、どうやって逃げだそうか? 
 やはり、あの曹性という男を丸め込むしかあるまい。だが、どうやって。利で釣るにしても董卓以上の条件となると……。 
「いやはや。帳簿を付けているのが似合いな顔をしておられるが、気宇は随分と高いですな。そういうことでしたら、私がお助けしましょうか?」
「……は?」
「助けて差し上げましょうか、と言っているのですが?」
 恭介は女性をまじまじと見つめた後、思わず笑ってしまった。
「確かに貴女は腕の立つ武芸者の様ですが、警備の兵が百人はいます。貴女お一人では無理でしょう」
「既に兵の大半は酒で寝入っておりますよ。付け加えるなら、残りの兵は既に眠ってもらいました。現に先程から我々の会話を誰も咎めに来ないではありませんか?」
「……」
 女性の言う通り、いつの間にか、兵士たちの酒宴の声は聞こえなくなっていた。
「……あの曹性とかいう、いかにも強そうな隊長は?」
「あの御仁でしたら、この通り」
 女性は草むらの中からから、気を失い縄で簀巻きにされた男を引っ張り出してきた。
「一騎当千とは言いませんが、一騎当百程度の腕は持ち合わせております」
 そう言うと、女性は檻車の鍵を開けた。
 呆然と女性の動きを見ていた恭介が、何とか口を動かす。
「初めから、自分を助けるつもりだったのですか?」
「いえ。答えによってはそのまま捨て置くつもりでしたが、期待以上の答えが聞けたので、その礼です。ついでに、私をしばらく傍に置いてもらえませんか? 自分で言うのもおこがましいですが、中々役に立つと思いますぞ」
「……理由を聞かせて頂けませんか?」
「私は乱世を治める人物に仕えたいのですが、貴殿の傍にいれば、諸侯の器を知れる機会が多そうですので。一介の浪人では、中々諸侯と接することは出来ませんからな」
 願ってもない話ではある。正直、自分ひとりでは山陽まで辿り着けるか不安だ。
 だが、この女性が自分を董卓に売るとも限らない。
 一体、彼女は何者だろうか?
 恭介は奪われていた武器と銭袋を取り返すと、
「助けてもらった後で失礼ですが、お名前を教えて頂けませんか?」
「常山の産、趙雲、字を子龍と申します」



[38235] 23 陳留
Name: 羽市◆b131e28e ID:9a9fd995
Date: 2013/08/31 20:56
 趙雲に助けられて三日後、二人は兌州(えんしゅう)のとある村に向かっていた。
「山陽に向かうには寄り道になりますが?」
「山陽に向かう前に陳留に寄ります。また、陳留に寄る前に会いたい人物がいるので」
 趙雲の問いかけに、恭介は答えた。
「陳留というと、曹孟徳ですか……。『治世の能臣、又は乱世の奸雄』の御仁ですな」
「ええ」
 許劭(きょしょう)が曹操を評したこの言葉を、曹操は好んで広めていた。評価の内容もさることながら、当代一の人物批評家に認められたという事実は、何かと『宦官の出』の色眼鏡で見られる曹操にとって、格好の宣伝材料なのだろう。
「精兵揃いの董卓軍と闘うには、曹操さんと孫堅さんの参加が不可欠ですから、根回しは欠かせません。本当なら孫堅さんにも会いたいのですが、流石に長沙は遠いですので。
 ……しかし、自分は都の外に出るのは久々ですが、黄巾の乱が起きたときよりも、街が疲弊していますね」
 旅をして一番の驚きは、貨幣の信頼度の低下だった。
 逃亡という旅の性質上、都市ではなく、寂れた田舎町を通ることが多かったが、それにしても食事代も宿代も、貨幣で支払うと、価格が二割、三割は上乗せされた。
 貨幣の価値が下がっているということは、民が貨幣を管理する政府を信用していない証にほかならない。ここにも、王朝の滅び行く兆しが見て取れる。
「……随分と深刻な顔ですな。何か心配事でも?」
「いえ。それより趙雲さんは、諸国を旅してきたそうですが、やはり使えるべき主を捜してのことですか?」
「ええ。袁……失礼、陳寿(ちんじゅ)殿を目の前にしてこの発言はどうかと思いますが、漢王朝の命運は既に尽きています。であるならば、この乱世を治める王者が現れるのもまた必然。私はその方の槍となり、天下を平穏にしたいと考えております」
 陳寿というのは旅の間に付けた恭介の偽名である。
「それで、趙雲さんの眼鏡に適う人物はおりましたか?」
「いえ。所詮一介の浪人が諸侯と対面できる機会などありませんからな。実際に言葉を交わしたのは幽州の公孫賛殿だけです。ですが、諸国を旅していると色々な話が聞けるものですよ。例えば袁紹殿の評判などは中々良いようですな。それに続くのが袁術殿、曹操殿、孫堅殿ですかな」
 趙雲は微笑を浮かべながら、そう語った。
 どうも趙雲の会話は常にこちらを試しているような気がする。だが、不快を感じない。
 皮肉は言うが、言葉に毒を感じない。それは彼女の徳によるものだろうか?  決して、色香に惑わされている訳ではない、と思う。
 恭介は頭を振ると、趙雲から少しだけ馬を離した。

 鮑信の屋敷を訪ねたのは夕刻である。
 袁氏とは違い、豪奢ではないが重厚さを感じさせる屋敷。
 応対したのは初老の男性だった。
「主人は留守にしておりますが……。失礼ですが、袁遺様でいらっしゃいますか?」
「はい」
 恭介は躊躇なく偽名を捨てた。それだけ鮑信を信頼している証である。
 果たして老人は周囲に人気が無いことを確認すると、恭介達を屋敷に招き入れた。
「主人より仰せつかっております。もし袁遺様が訪ねられたら、自分が帰るまでおもてなしするようにと。どうぞ、今お部屋を用意いたします」
 老人は鮑信の家人であり、長年鮑家に務め、屋敷の管理を任されているという。そして老人の話によると、鮑信は近くの村へ子供達に勉学を教えに出かけており、夜には戻るらしい。
 恭介と趙雲は二階の客室に案内された。当然、別々の部屋であるが、隣同士の部屋である。
「ふう」
 室内の家具はいずれも質素であり、傷みが少なく、主人と家人の性格を現していた。
 恭介は寝台で身体を伸ばしながら、大きく息を吐く。
 都から逃亡して以来、久々に周囲を警戒しなくともよい状況に、あっという間に睡魔が訪れ、瞼が下がっていく。
 ……誰かが身体を揺らしている。
 恭介が目を開けると、趙雲が真剣な眼差しで見つめていた。
 いつの間にか、夕陽が沈みかけていた。
「袁遺殿。なにやら、物騒な会話が聞こえるのですが」
「……というと?」
「それはご自身で確かめられた方がよろしいかと……」
 恭介は趙雲に連れられて客室を出ると、足音に注意しながら下へ降りた。
 趙雲が恭介を案内したのは、屋敷の奥にある一室である。
 趙雲に促され、恭介はそっと扉に耳を当てる。
「これは大物だな。殺すとなると、手間がかかるぞ」
「せやから、仕留めがいがあるんやんか。ここは一つウチ必殺の……」
「駄目なのー。こういうのは、専門家の人に任せるのが一番なのー」
 なにやら物騒な女性達の会話が聞こえてきた。
「どう思いますかな、袁遺殿?」
「……どう、とは?」
「貴殿を殺し、首を役人に差しだそうとしている。そう疑うべきではありませんか?」
「……」
 兌州の事情はやや複雑である。刺史の劉岱(りゅうたい)を始め、董卓によって任命された官吏が多いのだが、かといって彼等が董卓に忠節を誓っている訳ではない。寧ろ、王允や周秘、伍瓊達は、董卓の専横に反感を持っている人材を多く任命していた。
 現に兌州に逃げ込んで以降、街や村で恭介に関する手配書を見かけることは少ない。
 そう考えれば、兌州は比較的安全な地であるが、それはあくまで官職に就く者の考えだ。その日暮らしの民にとっては、恭介に懸けられた賞金は、喉から手が出るほど欲しいに違いない。
「大丈夫でしょう」
 恭介はそう言うと、客室へと戻ろうと振り返った。
「鮑信殿の家人が、自分を裏切ることはありません」
「ほう……。何故そう言い切れるのです?」
「自分の知る限り、鮑信殿ほど誠実という言葉が似合う人物はおりません。その彼女の家人が、主人に影響されていない訳がありませんから」
 余談になるが、袁遺はその生涯において多くの友人を得たが、何れも癖のある人物ばかりであったと、『漢末異文』は記している。その中で、鮑信だけがその人格を賞賛されていた。
「自分は優れた才を持ち合わせてはおりません。だからこそ、人を信じなければならないと思っています。人が自分を裏切るのは構いません。ですが、自分が人を裏切るのは許せません」
「……随分と甘いお考えですな」
 やはり趙雲は微笑を浮かべていた。
 その笑みが苦笑なのか皮肉なのか好意なのか、判断するより早く、爆発音と共に屋敷が揺れた。
「えっ?」
「おや、爆発しましたな」
 先程まで様子を伺っていた一室の扉が吹き飛び、中から煙と怒声が溢れ出していた。
 
「なにやら、『全自動猪さばき機』なる代物が爆発した様です。お騒がせして、申し訳ありません」
 夜、帰宅した鮑信は恭介に深く頭を下げた。
 気を利かせたのか、趙雲は食事をすませると足早に部屋へと戻っていた。
「なんですか、その聞くからに怪しい代物は?」
 恭介の問いに、鮑信は苦笑した。
「教え子の一人に発明好きの娘がいるのですが、彼女が人の手で猪をさばくのは大変だろうということで、我が家に持ってきた物です。好意は有り難いのですが、どうも真桜の作る物は、殆どが爆発する。お陰で、客人を持てなすには、あまりに質素な膳となってしまいました」
 鮑信の言葉からは、その教え子に対する愛情が感じられた。
 鮑信は官途を辞して田舎に帰ったが、多忙である。
 村々で学問を教え、新しく刺史として赴任した劉岱に招かれ施策の相談に乗り、各地の情報を集め、曹操のしつこい勧誘を断り続ける毎日であった。
「それにしても、どうして僕が屋敷を訪ねて来ることが分かっていたのですか?」
「それは単純です。私が同じ立場でも、袁遺殿をお訪ねしたでしょうから」
 そこで鮑信は悪戯っぽく笑うと、
「先日、劉岱殿から、董卓から袁遺殿を捕らえよとの手配書が回ってきたが、どう対応すればよいかと相談を受けまして」
「どう答えたのですか?」
「董卓と袁氏、どちらに民の支持が集まると思いますか、と答えました」
 それで兌州では手配書の類を殆ど見かけなかった訳か。
「山陽の様子は耳にしていますか?」
「ご心配なく。既に法正殿と荀攸殿が政治を掌握しています。新しい太守が任命されたという話も聞きませんね。ところで……」
 鮑信は表情を引き締める。
「今後はどうするおつもりです? 当然、打倒董卓の旗を掲げるのでしょう?」
「はい。それについて鮑信殿と華琳殿にもご協力をお願いしたいので、陳留に同行してほしいのですが」
「私もですか?」
 恭介の言葉を聞いて、鮑信は少し顔を強張らせた。
「鮑信殿は、華琳さんが苦手なのですか?」
「苦手といいますか……。人物は評価していますが、あまり関わりたくないですね……。愛に性別はないかもしれませんが、それにしても……」
「ああ、なるほど……」
 聞けば、鮑信の元には、毎日のように曹操からの使者が仕官を求めてやって来るのだという。
 曹操は重度の性的倒錯者だ。鮑信程の美女かつ器量の主を放って置く筈はない。
 だが、儒家の鮑信としては、子孫を残せない同性愛を肯定するのは難しいだろう。
 子孫か。そう言えば、曹操と同じく同性愛の嗜好を持つ袁紹はどう考えているだろう? 思えば袁紹にこの件について訊ねたことはなかった。
 まあ、そう簡単に訊ねられる問題ではないのだが……。 
「ところで、袁遺殿」
「はい?」
「趙雲殿と言いましたか……。大層お美しい御方ですが。その……、旅の間、何か間違いは犯さなかったでしょうね?」
 鮑信の目が細くなった。
 流石、儒家の娘。倫理には一言あるのだろう。
「はい。残念ながら、自分は美人には縁がないもので」
 むしろ、『残念な美人』にしか縁がない、と言うべきか。
「……そうですか。……それにしても、曹操殿といつ真名を交換したのです?」
「都で分かれた際ですが……、それが何か?」
「いえ、別に大したことではありません」
 言葉とは裏腹に、鮑信の目が何かを考え込んでいる様に見えたのは気のせいだろうか?

 
 陳留の繁栄は兌州(えんしゅう)一である。
 曹操が太守として赴任して僅か一年足らずであるが、行き交う人々からは活気が溢れ、街が昨日より今日、今日より明日を目指して動いているのがはっきりと分かる。
「どうやら、曹操殿は良い太守のようですな」
 趙雲の言葉に恭介は頷くと同時に、疑問を口にした。
「それにしても人が多い。陳留はこれほど大きな街ではなかったと思いますが?」
 その疑問に、鮑信が答えた。
「曹操殿は近隣の賊徒を討伐すると、その兵と家族を陳留に連れて帰っているのですよ。勿論、賊徒の行いを調べた上ですが、大半は職を失い、食べるのに苦労して賊徒になった者達ですから。土地と農具、そして金子を貸し出せば、よろこんで働き手に生まれ変わります。かくて、陳留は短期間で兌州一の街へと変貌したという訳です」
「……つまり、曹操殿は賊徒討伐にかこつけて、人さらいを行っていると?」
 趙雲の身も蓋も無い言葉に、鮑信は苦笑する。
「まあ、他の州から無理矢理人をさらっている訳ではないですからね。とは言え、他の太守にしては面白い話ではないでしょうな」
 鮑信の言葉に、兌州の他の太守たちの苦虫を噛み潰した顔が浮かんだ。
 さて、政庁に寄ろうとした恭介だが、往来に見知った顔を発見し、思わず声を上げた。
「惇ちゃん! 惇ちゃんじゃないですか!」
 惇ちゃんと呼びかけられた女性は勢いよく振り返ると、
「袁遺! そのふざけた呼び方を止めろ!」
 鬼の形相で恭介たちの方へ近づいてきた。
「だって、惇ちゃんは惇ちゃんですから。他に呼び様がないでしょう?」
「貴様っ!」
 歯軋りし、恭介を睨み付ける女性・彼女こそ曹操の右腕、夏候惇、字を元譲その人である。
「……袁遺殿。その『惇ちゃん』というのは?」
 困惑した鮑信の声。
「いえ、かつて麗羽様と華琳さんの代理として互いに机上演習で勝負したのですが。夏候惇さんが『貴様ごとき戦の素人が私に勝つなど笑止千万! 万が一私が負けたら、何でも言うことを聞いてやろう!』と啖呵をきりまして。勝負は僕が勝ったのですが、何も要求するものが思い浮かばなかったので……」
「それで『惇ちゃん』と呼ぶことにしたのですか?」
「貴様が我が軍の補給線を絶った後、ひたすら土竜の様に陣から出なかったからではないか!」
「それが兵法というものでしょう?」
「黙れ! それに、先程『華琳さん』と呼ばなかったか、貴様!」
「ええ。曹操さんとは都で別れた際に真名を交換したので」
「何だと! ……ゆ、許さんぞ、貴様!」
 夏候惇の額の血管は今にも切れそうだ。
「夏候惇殿、落ち着かれよ。ここは天下の往来ですぞ」
「おお! 鮑信も一緒か。お主、ようやく華琳様に仕える気になったのか?」
「……いえ、今日は別の用事でして」
「鮑信、お主はいったい華琳様の何が不足なのだ?」
 心底不思議そうに首を捻る夏候惇に、鮑信は愛想笑いを浮かべながら、「いえ、その」と言葉を濁す。
「そちらの者は、見ない顔だが……」
「趙雲と申します。今は訳あって袁遺殿の護衛を務めております。以後、お見知りおきを」
 夏候惇と趙雲の視線が絡む。
 武人ではない恭介には分からないが、二人は瞬時に互いの力量を認めたようだ。
「ほう……。中々腕が立つようだな。こやつに仕えるより華琳様に仕えた方が世の為、己の為だぞ。どうだ、お主が望むなら、私が取り合ってやるが?」
「御好意は有り難いのですが、今はまだ諸国を旅し、見聞を広げている身でございますので。いつか機会があれば、その時はお願い致します」
「そうか。我が軍は実力主義だからな。力さえ伴えば、出自も門地も問わないからな。何処ぞの名門意識に凝り固まった一族とは違うぞ」
 夏候惇は恭介を挑発するように見ると、 
「ところで、指名手配中の貴様が、何故のこのこと陳留にやって来たのだ? さっさと山陽に逃げればよいものを」
「華琳さんにお会いするためです。という訳で、惇ちゃん、さっさと案内して下さい」
「……いつか殺すっ!」
 肩を怒らながら歩く夏候惇の後ろを恭介達は付いていく
「……袁遺殿、あまりいい趣味ではないかと思うのですが?」
 鮑信の言葉に、恭介は神妙に頷く。
「ええ。分かってはいるのですが、夏候惇さんみたいな人は、弄りたくなるんです。一種の愛情表現ですよ」
「袁遺殿の愛情表現も随分と歪んでますな」
 趙雲が同士を見つけたように微笑む。
 四人が政庁へと向かう途中、広場に大勢の人々が集まっている姿を見かけた。若い男達が中心で、目を血走らせ、怒濤のような歓声を挙げている。
「なんですか、あれは?」
 恭介の問いを夏候惇は無視する。変わって答えたのは鮑信だ。
「最近流行の三人姉妹の歌手です。若者を中心に、兌州一の人気を博しているようです」
「成る程。さすが陳留ですね。人が多ければ文化も栄えるという訳ですか」
 感心しながら人混みを過ぎる恭介達。
 まさか、彼女達が天下を騒がした『黄巾の乱』の首領だとは、神ならぬ身の恭介には知る由もなかった。

 曹操が恭介達を招いたのは謁見の広間ではなく、屋敷の狭い一室であった。
 夏候惇と趙雲は外の警護に回り、部屋の中には恭介と鮑信、曹操、そして一人の小柄な少女の四人が残った。
「この娘は私の軍師なの。恭介とは初対面だったわよね、桂花は」
「……はい。華琳様の軍師を務めています荀彧と申します。以後お見知りおきを」
 頭の上に猫の耳のような飾りを付けたこの少女があの荀彧?
 いや、それ以前に荀彧は袁紹の下にいたのではないのか?
 更に言えば、何故自分は初対面の少女に、憎悪の眼差しを向けられているのだろう?
 恭介の疑問が表情に出たのか、曹操が言葉を挟む。
「この娘、先日まで麗羽の下にいたのだけど、辞して私の下に来たの。尤も、麗羽は気にもしていない様だけれども」
「袁紹様の下には多種多様の人材がおり、私などは必要ではなかったので」
 荀彧はその能力は勿論だが、名士への人脈という点においても当代一である。
 袁紹が逃した魚は大きいと言わざるを得ない。
 恭介は内心舌打ちした。
「それにしても、陳留の賑わいは中々のものですね。これなら、かなりの兵を養えるのではないですか?」
「人口は増えたけど、それが税収に反映されるのはまだ先の話ね。現段階では四万の兵を養うのが精一杯よ」
 曹操はそう言うが、四万の兵は一太守が持つには強大な兵力だ。
 やはり反董卓連合には曹操の協力が必要不可欠だ。
 恭介は曹操に打倒董卓の挙兵計画を打ち明けた。
 即ち、都の東からは恭介や曹操等が、北からは袁紹等が、南からは袁術や孫堅等が、西からは馬騰等といった諸侯が一斉に挙兵し、董卓を包囲する。
 それは都で法正と荀攸と共に練り上げた戦略である。
 恭介の話を聞き終えた曹操は頷くと、
「そうね。単独で董卓を討てない以上は連合を組むしかないわね。問題は、連合を束ねる盟主の器量といったところかしら?」
 曹操は意味ありげな笑みを浮かべている。果たして袁紹に盟主が務まるのか、そう言いたげだ。
 恭介は曹操の笑みを敢えて無視すると、
「実は、陳留に寄ったのは、二つ目的がありまして」
「へえ。何かしら?」
「一つは陳留の軍事力の確認。これは満足すべき結果でしたが、もう一つは微妙でしたね」
「……微妙とは?」
「華琳さんの人望です」
「な、何ですって!」
 荀彧が大声で叫ぶ。
「陳留の民は、華琳様の治政に満足している筈です! 言いがかりはよして下さい!」
「……いえ、自分が言いたいのは、民ではなく、他の太守に対する人望ですよ」
「どういう意味です!?」
「これだけ治安も良く、余所から流民が大量にやって来るとなると、他の太守からすれば面白くはないでしょうね」
「だから何?」
「いえ。兌州は都に近いので、この地の諸侯は残らず連合に協力して欲しいのですが、その根回しに華琳さんには不向きかなと」
「そうね。そういう役割は私よりも鮑信に向いているでしょうね」
 不満げな荀彧を制して、曹操は頷いた。
「鮑信は私と違って、諸侯にも人望があるものね。是非とも、私の補佐をして欲しいのだけれども……」
 曹操の目が妖しく光り、荀彧の目が一層険しくなり、鮑信は目を泳がせ、恭介に助けを求めていた。
 三人の美少女に囲まれているのに、この居心地の悪さは何なのだろうか? 

 さて、『後漢書』の『鮑信伝』に、興味深い記述がある。
 この席で、袁遺、曹操、鮑信の三人はそれぞれ、尊敬する皇帝の名を上げたという。
 鮑信は、文帝の名を挙げた。
 文帝は漢の祖・劉邦の子で、外戚の専横と建国の臣との軋轢を乗り越え、漢王朝の基礎を築いた。何より、優れた治世と同時に、親への考で知られ、母親の食事の際には自ら毒味役を務めたという。
 恭介が挙げた名は、宣帝である。聞いたことがあるのではないだろうか? 市井で育った、俗に言う民間出身の皇帝である。専横を極め最愛の皇后を害した霍氏を、焦らず、しかし着実に追い詰めて破滅させた、極めて優れた現実主義者の皇帝である。その政治も、民間育ちだけあり、社会の実情に通じたものであった。
 そして、曹操が名を上げたのが、かの始皇帝である。中国を作り上げたといっても過言でない皇帝だが、何より前王朝の始祖である。
 話の真偽は不明だが、始皇帝の名が出る辺り、当時の曹操が周囲からどのように見られていたが分かるというものだろう。



[38235] 24 北と都と南と
Name: 羽市◆b131e28e ID:9a9fd995
Date: 2013/09/14 20:02
 董卓は都において皇帝の如く振舞っていたが、外界について無関心な訳ではなかった。
 王朝の混乱に乗じて国境を侵した異民族の黒山族を討ち、黄巾の残党である白波賊の反乱も鎮圧し、これを従わせた。
 武人である董卓は政より戦を好む。彼は内政を王允、周秘、伍瓊といった名士達に放り投げ、自らは戦いと欲望にだけ熱中していた。
 次に誰を叩きつぶしてくれよう?
 思案している董卓に対し、周秘と伍瓊がそろって献策した。
「ここは相国の恩を忘れた不届き者の袁遺を討つべきです。今すぐ山陽に兵を進めましょう」
 間諜からの報告によると、あの生意気な小僧は、のうのうと山陽に居座っているらしい。
 小僧の首を刎ね、袁紹に送りつけるのも一興か。
 二人の献策に董卓は頷きかけたが、李儒が反対した。
「袁遺など所詮は小物です。相国が軍を動かすまでもありません。兌州の劉岱、徐州の陶謙(とうけん)に討伐の勅命を与えればよろしいでしょう」
 結果として、董卓は李儒の策を入れ、出兵を見合わせた。
 董卓の権勢は圧倒的な軍事力によって支えられている。その軍事力が都を留守にしては不測の事態が起きるとも限らない。李儒はそう考えていた。
 事実、周秘と伍瓊はただ恭介を犠牲にし、董卓の歓心を買おうとしていた訳ではなかった。董卓が軍を山陽に向けた後、南陽の袁術を都に招き入れようと画策していたのである。
 二人の背後には袁術の腹心である張勲の影が見える。
 同じ袁姉妹の腹心であるが、恭介と張勲の資質にはかなりの違いがある。
 それは今後の歴史が示すだろう。
 ともあれ、袁術による洛陽占拠は幻と消えた。

 さて、長沙の孫堅の下には、山陽から法正が使者として訪れていた。
 自身は出兵準備で多忙の為に動かなかったが、右腕とも言える法正を使者に立てる程に、恭介は孫堅を重視していた。
 法正の口から、反董卓連合の参加を要請された孫堅は即答した。
「分かった。もとより私は一人でも立つつもりだったのだ。袁遺殿が立つというのなら、喜んで協力しよう」
 孫堅は愚直な人物である。
 董卓という人民の癌を無視できる筈もなかった。
 法正も多忙である。孫堅の饗宴を受けると、翌日には山陽へと駆けていった。
 城門からその後ろ姿を見送った孫堅は、小さく呟く。
「……この戦い、難しいだろうな」
「あら? どういうこと、母様?」 
 孫堅の独り言に孫策が反応した。
「大事を成すには、天の時、地の利、人の和が必要だ。果たして連合軍がその全てを揃えられるか、それが問題だ」
 孫堅は叩き上げの武人である。故に、大儀に酔うことなく、純粋な目で連合軍を軍事的に判断することが出来た。
 天の時は得ていると判断して良いだろう。既に人民の怨嗟の声はここ長沙にまで届いているのだから。だが、董卓が皇帝を擁している現状では、連合軍は賊軍ということになる。賊軍という呼称に躊躇う諸侯も出てくるだろう。
 次に地の利だ。確かに四方から董卓を包囲する策は有効だろう。だが、諸侯の足並みが揃わず、各個撃破される可能性もある。大陸は広い。諸侯が連携を密に取れるとは思えない。法正も言っていたが、四方から包囲し、兵糧を断つのが上策だろう。董卓は大軍を擁しているが、都では大軍を養えない。彼等が餓え、大地に溶けるまで包囲するのが上策だ。
 そこで人の和が重要となる。反董卓の旗の下に諸侯を糾合すると言えば聞こえはいいが、要は単独では戦えないので諸侯を寄せ集めたに過ぎない。これをまとめ上げるには、余程の器量が求められるだろう。
「少なくとも、私には無理だな」
 孫堅は自身を優れた武人であると自負していたが、自分が官職や門地が上の諸侯をまとめ上げ、指揮を執れるとは思っていなかった。
「じゃあ、盟主は誰になるの?」
「袁紹殿か、袁術殿だろうな」
「えー!? 袁紹は兎も角、袁術なんて子供じゃない」
「場合によっては皇帝の権威に対抗する必要があるのだ。袁氏以外に、それだけの名声を持つ者はおるまい」
「……何だが、どっちが盟主になっても、『人の和』とは縁遠そうね」
 正直な娘の感想に、孫堅は苦笑しつつ頷いた。
「じゃあ、母様は、連合軍が負けるというの?」
「さあな。だが、例え連合軍が負けようとも、孫家は負けん。さあ、出陣の準備だ! 相手にとって不足はないぞ!」

 孫堅の下へ法正が訪ねたのと前後して、幽州は北平の太守、公孫賛の下にも使者が訪れていた。使者は袁紹と恭介から送られていたが、史書にその名は伝わってはいない。
 決して公孫賛を軽んじたのでないだろうが、少なくも法正や田豊といった重臣が使者を務めた訳ではなく、それが孫堅との温度差を感じさせる。
 公孫賛は北方を守ること数年、主に異民族相手に国境を守り、勇名を轟かせていた。彼女は有能な指揮であり、その下には白馬を操る優れ騎兵隊が従っていた。その為、異民族は公孫賛を『白馬長史』と、そして彼女が率いる騎兵隊を『白馬義従』と呼び、恐れていた。
 公孫賛が挙げた武勲は董卓や孫堅に劣らないが、世間では二人ほどに評価されてはいなかった。
 それには理由がある。
 一つには、公孫賛に武勲を政治的地位に変える能力が欠けていたこと。そして、それを補う家臣も持っていなかった。
 もう一つは、中央に人脈がないこと。董卓は袁隗に、孫堅は袁紹や袁遺によって、その武勲が評価されたが、公孫賛はそうした人に恵まれていなかった。
 それが世間の評価に繋がり、更には使者の格に現れたといえる。
 もっとも、恭介や法正が描いている作戦において、公孫賛の役割は大きくはない。第一、彼女には異民族から国境を守るという役目があるのだ。それを放棄させる訳にはいかなかった
 よって書状にも、「共に挙兵し、董賊を討とう!」という勇ましい内容ではなく、「袁紹が挙兵する際は、これを援護し、国境を守護して欲しい」という要望しか書かれていなかった。
 公孫賛にはそれが不快であった。勿論彼女も異民族から国境を守る任務の重要性は理解している。だが、ここは世辞でも自分の力を借りたいと書くべきではないか? 
 それに国境を守り、袁紹の挙兵を援護したとして、そのような地味な功績を評価してくれるだろうか?
 公孫賛は使者を下がらせると、人を遣り、三人の人物を呼び出して、反董卓連合について意見を求めた。
「確かに董卓の専横は誰かが正さなければなりません。ですが、袁氏は勅命を受けた訳ではありません。これは私闘ではありませんか? であるならば、我々はどちらにも与せず、国境を守ることに徹するべきかと考えます」
 そう述べたのは左端に立つ男、弟の公孫越である。公孫越は目立つような才覚はないが、その実直さを姉から評価されていた。
「だが、お前の言う通り、誰かが董卓の行いを正さなければならんのだぞ。桃香はどう思う?」
「袁紹さんに賛成だよ。董卓って人のせいで、皆が苦しんでいるんでしょ。だったら、袁紹さんに協力するべきだよ。ううん、支援なんて言わず、寧ろ援軍を出すべきじゃないかな」
 中央の、桃香と呼ばれた公孫賛と同じ桃色の髪をした温和そうな女性が意見を述べる。
 彼女の名を劉備という。
 黄巾の乱の際に義勇兵を募り各地で賊を鎮圧したが、無名の士に朝廷の恩賞は薄く、兵を維持するのが難しく、旧友の公孫賛の下に身を寄せていた。
「兵を出そうにも都は遠い。とてもじゃないが、兵糧が足りない」
「……いや、兵糧は何とかなるんじゃないか?」
 公孫賛の言葉に、右端の男が口を開いた。
 彼は他の者とは明らかに違う出で立ちをしていた。何と表現するべきか、まるで「違う国、違う世界の装い」をしていた。年は十代から二十代の間といったところだろうか。
「国境の守りも大事だけど、このままここに篭っていたら、中央の連中は白蓮のことを評価しないかもしれない。少数でもいいから、連合に援軍を出すべきだと思う」
「だが、姉上が言うように兵糧の問題がある」
 公孫越が顔をしかめた。 
 幽州は土地が貧しい上、黄巾の乱の爪痕が残り、財政は決して豊かではなかった。
「桃香の軍を中心に少数精鋭で援軍を組めば、兌州までは兵糧も用意できるんじゃないかな。後は、連合を呼びかけている袁紹と袁遺に兵糧を提供してもらえばいい。袁氏は名門なんだろう? それ位の力はあるんじゃないのか?」
「……確かに、我々よりは豊かだろうが」
  公孫賛は腕を組んで考え込んだが、それも僅かな時間だった。
 このまま国境を警備しても、自分が評価されることはないだろう。彼女は過大な地位や名声を求めてはいないが、かといって働きが評価されないのも不満である。
「では、我々も連合に参加する。それも積極的にだ。本隊は動かせないが、桃香の軍を中心に軍を派遣したい。頼めるだろうか?」
「まかせといて。ね、ご主人様」
「ああ」
 ご主人様と呼ばれた男、北郷一刀は頷いた。 



[38235] 25 僅か五人
Name: 羽市◆b131e28e ID:9a9fd995
Date: 2013/09/14 20:06
 袁紹の大学での友人の中において、何業は異彩を放っていた。
 曹操は別として、他の友人達、周秘や伍瓊、張貌(ちょうばく)や荀攸といった面々は、優れた能吏としての面が強かった。
 一方何業は、高い見識を備えていたが、彼女の真の価値は強靭な意志にあった。

 都・洛陽において董卓に繋がる者とそうでない者を見分けるには、その屋敷を見ればいい。
 董卓に繋がる者の屋敷は来客で溢れ、部屋には財が高く積み重ねられている。
 そして、董卓と縁が薄い者の屋敷は、人影もなく、静寂だけが訪れる。
 その中でも、郊外にあるこの屋敷の寂しさは、洛陽一だろう。
 訪ねる者は誰もなく、屋敷の内外は武装した涼州兵が警備と監視を兼ね、屋敷の使用人達は怯えた顔を浮かべながら暮らしている。
 屋敷は広大であるが、それ故に寂しさが強調されていた。
 屋敷の主は少年である。
 外に出ることが叶わない少年は、ただ酒を飲み、日々を過ごしていた。
「陛下」
 虚ろな顔で酒をあおっていた少年に、女性が声をかけた。
「……何業か? どうやって屋敷に入ってきた?」
「門番を買収いたしました」
 何業は屋敷の使用人が着ている粗末な衣服をまとい、少年に対し平伏していた。
「そうか……そちも一杯どうだ? かつて父上が所有していた、皇帝しか飲めない酒であるぞ」
 少年、董卓に廃された先の皇帝である弘農王は、虚ろな笑いを上げながら何業に酒を勧めた。
 何業は遠慮することなく「頂戴つかまります」と杯を受け、一気に飲み干した。
「はっはっは。見事よな。流石何業だ。……して、我に何の用か?」
「はい。……実は年末にも反董卓の旗が挙がります」
 何業の言葉に、虚ろだった弘農王の瞳が、少しだけ理性を取り戻した。
「今の世に董卓に逆らう者がおるとはな……。袁紹か?」
 自分の廃立に対し正面から意を唱えたのは袁紹だけだったと弘農王も聞いていた。それに袁紹は、今は亡き叔母の何進と姉妹のような仲の良さだった。
「はい。袁紹を中心に、董卓に反感を持つ諸侯が挙兵いたします」
「そうか……」
 弘農王はそう呟くと、再び酒をあおった。
 董卓により帝位を追われた自分は、最早過去の人物である。これから起きる現象についてなど興味が持てるはずもなかった。
「それで、何業よ。そなたはそれを我に告げて、どうしようと言うのだ?」
「はい。袁紹が挙兵すれば、陛下は否応無しに選択を迫られる身となります」
「……どういう意味だ?」
「袁紹の挙兵は董卓を否定するものです。それは董卓によって立てられた今の皇帝陛下の否定に繋がります。それに董卓が気づいたとき、陛下のお命は危うくなるでしょう」
「今更我を殺すというのか……。何の力もない我を……」
弘農王が渇いた声で笑った。
「陛下の廃立に対し、内心では異を唱えている者は大勢ございます。それに陛下は董卓の横暴による犠牲の象徴でもあります。遅かれ早かれ、董卓の手が伸びましょう」
「それで、我はどうすればよいのだ?」
 自らの命運が尽きようとしている、そう言われても顔色を変えることなく、弘農王は問う。
 少年の精神は、帝位を廃されたときに死んでいた。 
「陛下には三つの道がございます。
 一つ目は董卓に頭を下げ、命だけは助けてもらうこと。例えば、自ら涼州にでも隠遁すると申せば、董卓も命だけは助けるかもしれません。
 二つ目は都から逃れること。しかしながら、臣もこの数ヶ月手を尽くしましたが、余程の運が味方しなければ、成功はおぼつかないでしょう。
 そして、三つ目は、命を捨てて、袁紹を支援することです」
「袁紹を支援? 何の力もない我がどうやって袁紹を助けるのだ?」
「董卓討伐の勅命を袁紹に与えれば、万の兵に勝る助けになるでしょう」
「……」
「いくら董卓の非道が知れ渡っているとはいえ、彼は皇帝を補佐する相国でございます。董卓を討つことは、形式の上では朝敵であります。当然、諸侯もためらいを感じ、挙兵に躊躇するでしょう」
「そこで、我の勅命が諸侯の背を押すというわけか?」
「御意。しかしながら、勅命を出せば最後、間違いなく陛下は董卓に殺されます」
「はっはっはっ。そうか、我は殺されるか」
 弘農王はそう言って笑うと、今までとは違う、熱の篭った口調で何業に語りかけた。
「我は既に死人だ。今の我は、ただ酒を飲み、歌を作り、あてがわれた女を抱く。それだけの存在でしかない。その我が董賊に一矢報いることが出来るならば、勅命など幾らでも出そうぞ」
「ご立派でございます」 
 何業は平伏しつつ、今年のうちに王と自身の命が尽きるであろうと確信していた。

 恭介が山陽太守として残した業績はあまりに少ない。
 それは彼が都合三ヶ月しかこの地に居なかったからで、この地はむしろ董卓との戦いが終結した後に栄えることとなる。
 太守として恭介が手をつけたことは、以下の事柄である。
 食庫を開き、飢えていた民に食料を分け与えたこと。
 農民に対し、農具や来年までの生活の手当てをしたこと。
 不正役人を罷免し、その財産を没収したこと。
 本来であれば、長期的な視野に立ち内政に取り組むべきなのだろうが、残り二ヶ月で董卓に対して兵を挙げる状況では、余裕がないのが現状であった。
 恭介が手をつけた政策は、所謂人気取りであったが、不正役人に対する取調べだけは苛烈を極めた。
 物事を偏執的なまでに調べる荀攸が証拠を集め、人を精神的に嬲るのが性癖な法正が取調べを行う。この、取り調べられる側にとっては最悪な組み合わせにより、役人の半分が官職を追われ、財産を没収された。
 民衆からの支持を得つつ、没収した財産を軍費に当てる。
 分かりやすいが効果的な政策により、恭介は二万の兵を得た。
 時を同じくして、南皮の袁紹より援軍が送られてきた。山陽の兵は戦に慣れていない。その為、部隊を率いる下士官を中心に袁紹へ援軍を頼んだのである。
 その数は千。部隊を率いてきたのは、黄巾の乱を鎮圧する際に共に轡を並べた高覧である。
「髭面の中年男の加入をそんなに喜ぶとは……。君の趣味はやはり歪んでいるな」
 法正は肩を竦めていたが、この世界において男の優れた将は貴重である。尤も、恭介が袁紹に援軍を頼んだのは、戦力の補強だけが目的ではない。
 事情により袁紹と離れ太守の任についているが、恭介はあくまで独立した勢力ではなく、袁紹と連携しているという宣伝も、この援軍は兼ねていた。
 袁紹は兎も角、その配下の中には、恭介が袁紹から独立するのではと疑心を抱く者も出よう。その手当ても兼ねていた。
 さて、恭介の手元には、董卓打倒に同心する諸侯からの手紙が三十通以上寄せられていた。特に人望の厚い鮑信の尽力により、兌州の諸侯の殆どが参加を約束してくれたのが大きい。都に隣接する兌州と予州、この二州を地盤にしなければ、兵站の確保すらままならないのだ。
 北は袁紹、東は自分達で問題はない。
 西は馬騰だが、彼女は都を攻める必要はない。都と董卓の本拠地である涼州の補給線を絶ってくれれば十分だ。
「……となると、問題は南だな」
 地図に目を落としながら呟く。
 恭介は今日も法正と荀攸相手に戦略を練っていた。
「董卓軍の精兵を圧倒できるとするならば、孫堅殿しかいません。問題は、袁術殿の動きですが……」
 荀攸の言葉はそこで途切れた。
 今回の挙兵について、恭介達は未だに袁術に対して使者を送っていない。
 それは恭介達が袁術、というより、その背後に控える張勲を全く信用していないからだ。
 諸侯の間に反董卓の流れを作り、有無を言わさず袁術をその流れに巻き込む。
 それが基本戦略であった。
「やはり、事前に使者を送ったほうがいいかな。万が一、敵対して孫堅軍と交戦されては困る」
 袁術など孫堅の前では木っ端微塵に砕かれるだろうが、孫堅には董卓との戦いの前に無駄な犠牲を出して欲しくはない。それに、孫堅の兵站が袁術によって絶たれる可能性もある。
「いや。袁術は兎も角、あの腹黒女を信用するのは危険だ。ここは当初の予定通り、挙兵した後、袁術に参加の使者を送るべきだろう」
 同じ類である法正の言葉は重い。
「しかし、袁紹殿と袁術殿が上手く連携すれば、この混乱も治まるでしょうに。何とかならないんですか、恭介君?」
「今更な話だ。それに、互いが独立している今となっては、和解など取り巻きが許さないだろう」
 少なくとも袁紹は袁術を嫌っていない。だが袁術の方は、皇室の血を引く己こそが袁氏を束ねる存在だと信じている。
「親の教育が悪かったな」
 いや、あれは確信犯だ。
 恭介が溜息をつくと、法正が問いかけてきる。
「その親である太傅だが、僕達の挙兵によって、身が危険になる恐れはないかい?」
「何を馬鹿なことを。太傅は董卓を官途に就かせた恩人ですよ。ましてや、朝廷での名声も比類ないお方です。董卓といえども、手を出すことは出来ないでしょう」 
 法正の懸念に対して、荀攸が一般論を述べた。
 自分を引き立ててくれた恩人に剣を向ける、この時代の常識ではあり得ないことだ。
 だが、董卓に対面したことのある恭介は、董卓がそのような常識に捕らわれるような人物とは思えなかった。
 第一、袁隗自身が殺されたがっているのだ。自身が董卓に殺害されることにより、董卓の悪名は高まり、袁氏は大義を得る。
 そんな袁隗の思惑を、周囲に伝えることなど出来るはずもななかった。

 十二月、反董卓の旗を挙げた諸侯は以下の人物である。
 山陽の恭介。
 陳留の曹操。
 泰山の鮑信。
 西涼の馬騰。
 そして、長沙の孫堅。
 僅か五人でしかなかった。

 早くも、反董卓連合の前途には暗雲が漂っていた。



[38235] 26 逢紀という女
Name: 羽市◆b131e28e ID:9a9fd995
Date: 2013/09/14 20:09
 反董卓の旗を掲げて挙兵した諸侯が、僅か五人であったことは先に述べた。
 このような事態になった原因は、一言に尽きる。
 即ち、南皮の太守、袁紹が起たなかったことだ。
 董卓の圧倒的な武力に対抗できるのは、袁紹の名声以外にない。
 反董卓連合の誘いを受けた諸侯は、承諾の返事をしつつも、袁紹の動向を窺っていた。
 袁紹が立つのなら自分も続こう。
 皆がそう日和見を決め込んでいた結果、今の状況である。

「何故挙兵しないのですか!」
 袁紹は、南皮で今日も家臣達に向け怒声を上げていた。
「韓馥(かんふく)殿が我らに同心しない以上、兵を上げることはできません」
 袁紹の怒りに他の臣が頭を垂れる中、重臣である田豊が答える。
 いくら名声が高いとは言え、所詮袁紹は一介の太守でしかない。
 そして、冀州を治める州牧は韓馥である。
 州牧である韓馥は、袁紹の上役にあたり、所有している兵力も兵糧も袁紹より多い。都に兵を進める以上、彼の協力が無ければ兵站を維持することは不可能であった。
「韓馥さんは挙兵に同意したのではなくて!?」
「一度はそう返事をしたのですが……ここにきて我らと董卓のどちらに味方するか決めかねているようでして」
「決断力のない男だこと」
 袁紹は吐き捨てた。
 韓馥は周秘と伍瓊の推挙を受けた州牧であり、都で董卓の専横を目の当たりにしたこともあり、董卓には反感と恐怖を抱いていた。
 袁紹に同心して挙兵するとして勝てるのか?
 先日まで都に居ただけに、韓馥は董卓軍の強さを知っていた。
「なら構いません。斗詩さん、猪々子さん。ぱぱっと韓馥さんの軍を打ち破ってきなさい」
「そうは言われましても……」
「姫、相手はうちの倍以上の兵力を動員できるんだぜ。そう簡単に勝てる相手じゃないっすよ」
 袁紹は歩兵四万・騎兵一万という巨大な兵力を擁していたが、韓馥は自前の兵力に、冀州の他の太守に対しても命を下すことが出来る。そう簡単に勝てる相手ではない。
 第一、州牧である韓馥と矛を交える大義名分がないではないか!
「それに例え勝利したところで、我が軍の損害も甚大になるでしょう。とてもその後に董卓と戦うだけの余力は残りません」
「それでは、私にこのまま南皮に留まれと言うのですか! 華琳さんや恭介さんが戦うのを、指をくわえて見ていろと!」
 田豊の言に、袁紹は怒りを爆発させた。
 董卓を討つという華々しい舞台に自分がいないことが、彼女には耐えられなかった。
「いえ、今の状況では伯業殿も曹操殿も正面からの戦いは避けると思います。董卓と対峙するのは、兵力が不足していますので。まずは韓馥を説得し、味方に引き込むことです」
「……では、誰があの腰の重い小物を起たせるのですか?」
「引き続き私が……」
「お待ち下さい!」
 田豊の言葉を、甲高い声が遮った。
「そのお役目、是非ともこの逢紀にお任せ下さいませ!」

 世にこれ程美しい人がいようとは。
 それが、袁紹を見た逢紀の印象であった
 逢紀は、荊州は南陽の人である。西園八校尉に選ばれるなど、朝廷での評価も高かったが、袁紹に従い南皮へと逃れた。
 この頃より、豪族や知識人の中にも漢王朝の威光を意にかけない者達が増えていくのだが、逢紀もその一人である。
 彼女は都で、硬直した王朝に失望し、新たな王朝の始祖を見た。
 それが袁紹である。
 貧相な体躯で容姿も平凡な逢紀にとって、産まれながらに人の上に立つ容姿と資質を持った袁紹は、崇拝の対象となった。
 恋に落ちたと言っていい。
 この御方の王朝の下で、功臣として史書に名を残す。
 それが逢紀の野望であった。
 袁紹から韓馥説得の任を受けた逢紀は、密かに冀州の州都である業(ぎょう)へ入ると、とある男の屋敷を訪ねた。
「おお、逢紀殿。策は順調ですか?」
「ええ。袁紹様は、私に韓馥の説得を一任されました。明日にでも対面しようと思うのですが、韓馥の様子は如何ですか、郭図(かくと)殿?」
 郭図と呼ばれた、長身で痩せた青年は、逢紀を屋敷に通すと、
「相変わらずです。朝に袁紹派の意見に賛同したかと思うと、昼には董卓派の言に頷いております。このままでは季節が変わっても結論は下せないでしょう」
 郭図は韓馥に重く用いられている冀州の官吏である。韓馥が冀州に赴任する以前より行政に携わり、その有能さを認められていた。
 だが彼は、韓馥という人物がこの乱世に勢力を保てる人物であるとは見ておらず、忠誠を尽くすつもりもなかった。
 そんな郭図を、密かに逢紀が訪ねたのは一月前のことである。
「貴男はこのまま無名のまま埋もれていくのですか? 新しい王朝の功臣として名を残すべ御方と思いますが?」
 逢紀はそう言うと、近々結成される反董卓連合の情報を郭図に伝えた。
「それで私にどうしろと? 袁紹殿に協力するよう主を説得せよと?」
「いえ、韓馥には、袁紹様に協力してほしくないのです」
 袁紹の臣とは思えない逢紀の言葉に、郭図は不審の表情を浮かべた。
「かといって、董卓に味方してもらっては困ります。つまり、韓馥にはしばらくの間、二つの勢力の間で揺れ動いてほしいのです」
「……それに何の意味があるのです? 袁紹殿のお立場なら、我が主が同心しなければ兵を進められますまい」
「となれば、袁紹様は韓馥に対して悪感情を抱くでしょう。郭図殿なら、私の言葉の意味がお分かり頂けると思いますが……」
 この女にとっては、董卓を討つことよりもその後のこと、袁紹が冀州を得ることの方が大事という訳か。
 郭図は逢紀の考えを即座に理解した。それは、郭図もまた、逢紀と同じ種の人間であると言うことである。
 現状に不満を抱く策謀家という種の人間。
「袁紹様には大陸を治める器量と、優れた家臣をお持ちです。ですが、その領地はたかが一群。せめて一州を得なければ、乱世をまとめることはできません。そして、冀州は、荊州や益州と並んで肥沃な地であります」
 荊州には袁術が居座り、益州はあまりに遠い。必然的に、冀州を得なければ、袁紹の飛躍は遠い。
 田豊と逢紀の違いはここにある。
 田豊はあくまで袁紹の手により漢王朝を立て直すことを考えている。途中で状況が変われば袁紹が皇帝になることに賛同するかもしれないが、逢紀のように最初から漢王朝を否定し、新しい王朝を建てることは考えてはいない。
 だからこそ、田豊は韓馥を味方にしようとし、逢紀は韓馥から冀州の地を奪おうと考えている。
 大体、韓馥の様な小物に冀州を治めさせるなど、馬鹿げた話だ。もし韓馥に僅かでも英雄としての資質があるのなら、今頃は自ら進んで兵を挙げている筈だ。
 周秘と伍瓊が董卓に推薦した官吏は同じ類が多い。
 即ち、治世においては能吏であるが、乱世には向いていない人物ばかりだ。董卓の専横を苦々しく思うものの、自ら挙兵する勇気を持つ者などいない。
 こんな連中を集めたところで、董卓に勝てるわけがない。
 寧ろ、袁紹が冀州を地盤に河北を統一し、その力を持って董卓と対決すべきだ。
 それが逢紀の描く戦略であり、曹操や恭介が画策している反董卓連合など、袁紹の飛躍のために利用するしか価値のない代物だ。
 しかし、山陽で動くあの男は、袁紹様をどう押し上げるつもりなのだろう。
 自分と同じく覇道に押し上げるつもりならば良い。だが、そうでないのなら……。
 逢紀は恭介の顔を思い浮かべつつ、郭図と今後について話し合った。

 翌日、逢紀が袁紹の使者として訪れた後、いつものように城内では、袁紹に付くべきか、それとも董卓に付くべきか、激論が交わされた。
 そんな中、これまでこの問題について口をつぐんでいた郭図が、初めて意見を述べた。
「袁紹殿は近く、董卓殿は遠い。よって、袁紹殿にお味方すべきかと思います。既に袁紹殿は兵を整えており、これ以上我等が返答を延ばせば、兵を向けてくるおそれもありましょう」
「だが、連合軍が敗北したらどうするのだ? 董卓軍がこの地に押し寄せる可能性もあるぞ?」
「はい。ですので、我々は後方に下がり、連合軍の補給を受け持てばよいのです。幸い、冀州は豊穣の地。連合軍の腹を満たすことも可能でしょう。戦火を交えなければ、董卓軍が勝ったとしても、申し開きができましょう」
 郭図の都合の良い意見に反対の声が上がる。
「そのようなどちら付かずの姿勢では、両陣営の不満を買うことになりましょう。董卓に付くにせよ、連合軍に参加するにせよ、方針をはっきりとすべきです!」
 だが、その意見は韓馥の心には届かなかった。
 自分に都合の良い意見ほど魅惑的なものはない。

 連合に参加すること、そして後方にあって補給を受け持つと韓馥に約束させた逢紀に、当然のことながら袁紹は信頼を深めた。その一方、優柔不断な韓馥に対して、不快と侮蔑を覚えたのは言うまでもない。
 今後、韓馥を攻める機会が巡ってきた際、袁紹は躊躇しないだろう。



[38235] 27 軍議は踊らない
Name: 羽市◆b131e28e ID:9a9fd995
Date: 2013/09/14 20:15
「やはり、この連合軍をまとめられるのは、袁紹殿しかおりません」
「同感です。是非とも、盟主の座に就いて頂きたい」
 諸侯が集まった席上で、当然の如く袁紹を盟主に押す声が上がった。
 その声に、袁紹は当然、といった様子で微笑を浮かべながら頷いている。
 口を開かなければ、人の上に立つ王者といった風格が漂う。
 袁紹の後ろには、文醜と逢紀が控えている。
 軍議を開いている天幕はあまり広くはないので、各諸侯共、随員は二人しか連れていない。因みに恭介は法正と趙雲、曹操は荀彧と夏侯淵を連れていた。
「皆さんの推挙はありがたいですが、私以外にも適任の方がおりましょう」
 袁紹は建前上、断ってみせる。
「……嘘つきなさいよ。自分が推薦されるのを当然と思っているくせに」
 恭介の右隣に座る曹操が小さく呟く。
「それでは、自分が華琳さんを推薦しましょうか?」
「冗談じゃないわ。こんな烏合の衆を率いて戦うなんて。それに家柄の良い彼等が、宦官の孫である私の指示に従わわけないでしょ」
 曹操の言葉に、恭介は軍議に連なる諸侯を見渡す。
 河内の太守、王匡(おうきょう)。
 兌州の刺史、劉岱(りゅうたい)。
 広陵の太守、張邈(ちょうばく)。
 東郡の太守、橋瑁(きょうぼう)。
 予州の刺史、孔伷(こうちゅう)。
 青州の刺史、焦和(しょうわ)。
 揚州の刺史、陳温(ちんおん)。
 といった、肩書きだけは錚々たる顔ぶれが並んでいる。
 また本人ではなく、代理として、
 孫堅の代理である孫策。
 馬騰の代理である馬超。
 韓馥の代理である郭図。
 袁術の代理である紀霊。
 公孫賛の代理である公孫越、そして……。
「翼、公孫越殿の後ろに控えている二人を知っているか?」
「胸の大きな女性が劉備。見慣れない衣服を着ている男性が『天の御遣い』だね」
 『胸の大きい』という言葉に、法正の憎悪を感じる。
「へえ、あの子が『天の御遣い』ねえ……」
 恭介の左隣に座っていた孫策が、隅の席に座る劉備達に興味の視線を向ける。
。袁紹に近い席に座っているか、それが各自の連合軍での地位を示していた。恭介や曹操、孫策は比較的袁紹に近い席が用意されており、公孫越達は遠い席に座っている。
 当然のように劉備も女であった。
 どうもこの世は、優れた人物は女性が多い気がする。ということは、この劉備も一角の人物なのだろうか。一度、機会を設けて話すべきだろう。
 恭介達が雑談を交わしている間に、諸侯が袁紹を盟主に押し、袁紹が儀礼的に断るという茶番劇が三度行われ、最終的に袁紹は盟主に就くことを承知した。
「これ以上皆様の声を断るというのも失礼ですわね。分かりました、盟主を引き受けさせて頂きますわ!」
 袁紹の言葉に、諸侯が拍手を送った。
 尤も、その拍手にはかなりの温度差があったのだが。
「それでは、私を補佐する軍師の役に、恭介さんを任じますわ。異論はありませんわね!」
 またもや温度差のある拍手の中、恭介は立ち上がり頭を下げた。
 嫉妬、羨望、信頼、同情、憐れみ。様々な感情が入り交じった視線を浴びながら、恭介は口を開く。
「山陽の太守、袁遺でございます。麗羽様の名により、非才の身ながら軍師を務めさせて頂きます。それでは、既に皆様には書状にて説明しておりますが、改めて連合軍の基本戦略を説明したいと思います」
 恭介は机に広がる地図を指さすと、
「今回の戦いは、持久戦となります。ご承知の通り、洛陽一帯は兵糧を消費する地であり、董卓の拠点からは離れています。そこで、都を四方から包囲することにより補給を断ち、董卓軍を自壊させます。
 東部はこの地に集結している我らが、北部は冀州の麗羽様を中心に、南部は荊州の袁術殿と孫堅殿を中心に、そして西部は涼州の馬騰殿を中心に担当して頂きます」
「董卓軍が出撃してきたら、どう対応するの?」
 孫策が問う。
「勿論、迎撃します。しかしながら、拠点を守り守勢に徹することが基本方針です。
 また、連合軍は董卓軍より兵数が多く、都には反董卓の勢力も存在していますので、董卓が四方へ同時に兵を繰り出すことは難しいでしょう。
 よって、董卓が一方に兵を向けている間、他の方面軍は進軍し、包囲網を確実に縮めること。以上を基本方針と定めます。
 何かご質問はありますが?」
 恭介の問いに、諸侯は賛同の意を示した。
 当然だろう。
 この基本戦略は恭介と曹操が、諸侯の「出来れば董卓軍と正面から戦いたくない」という意を汲んで練った戦略であるのだから。
 だが、袁紹は明らかに不満顔だ。これだけの大軍を擁しているのなら、何故正面から決戦を挑まないのか? そう言いたげな表情で恭介を見つめている。
 ここで袁紹に口を開かれては面倒なので、恭介は左手で頭を掻いた。
 それを見た袁紹は、不満顔を若干和らげると小さく頷いた。
 袁紹以外の諸侯達はというと、大半が安堵の表情を浮かべている。
 不満そうな顔をしているのは馬超、悪戯な笑みを浮かべているのは孫策、そして……。
「すいませーん。質問いいですか?」
 聞いたことない、何処か軽さを感じさせる声が上がった。
 恭介が視線を移すと、困惑した表情の劉備が手を挙げていた。
「……なんでしょうか、劉備殿?」
「ええと、都を兵糧攻めすると、都に住む皆さんにも被害が及ぶと思うんですけど?」
「そうですね」
「そうですねって……。皆さんは董卓さんの圧政に苦しむ人達を助ける為に挙兵したんですよね? なのに、都の人達が苦しむなんて、本末転倒じゃないですか?」
 劉備の正論に、諸侯は沈黙する。
 だが、それは必ずしも賛意を示すものではない。少なくもと恭介と曹操の沈黙は。
 恭介は務めて表情を消して劉備に答える。
「劉備殿のおっしゃることは誠に正論です」
「ですよね。だったら……」
「代案はあるのですか?」
「えっ?」
「今、私が示した策よりも上策があるのでしたら、是非伺いたい。私とて、いたずらに民を苦しめたくはないのですよ」
「それは……」
 困惑し沈黙する劉備に変わり、一風変わった服装の男が口を開いた。
「これだけの兵力が集まっているんだ、普通に都に進軍すればいいんじゃないか?」
「兵数は上でも、我が方は所詮寄せ集めに過ぎませんよ。正面から戦えば、董卓軍に敗れる可能性が高いと思われますが」
「だけど!」
「先程も申し上げた通り、私とていたずらに民を苦しめるのは本意ではありません。董卓軍の自壊を待つだけではなく、色々と手を打ちます。それでご納得いただけませんか?」
「……都には皇帝がいるんだろう? それを無視して兵糧攻めというのは……」
「よさないか、北郷殿」
 北郷の前に座る公孫越が北郷を一喝した。
 北郷と劉備は驚いた表情を浮かべ、そして周囲の空気に気付く。
 大多数の諸侯が、二人に冷めた視線を送っていることに。
「それでは、軍議はこれまでといたします!」
 恭介が似合わない大声を上げると、諸侯からは「異議なし」との声が上がった。

 あれが劉備と天の御遣いか。
 恭介は馬に揺られながら、先程の軍議を思い返していた。
 劉備に指摘されるまでもなく、この作戦が都の民に苦しみを与えることは承知している。だが、寄せ集めの連合軍で、まともに董卓軍と戦えるものか!
 それに、『天の御遣い』と呼ばれている北郷一刀。
 あの男は皇帝を呼び捨てにした。
 学生服を思わせる服装といい、天の御遣い云々は別にして、特殊な事情を抱えた男には違いない。
 さて、どう対処すべきか?
「おーほっほっほっ! まさに私が率いるに相応しい大軍ですわね」
 周囲を見渡せる小高い丘から全軍を見下ろし、袁紹は甲高い声で笑う。
 袁紹に命じられ、二人だけで全軍が見渡せる丘の上まで馬で上ったところであった。
「確かに……。予想以上に兵が集まりました」
 袁紹の横に立つ恭介の表情は、彼女とは対照的に曇っていた。
 この大軍を維持し、食わせなければならないと思うと、気が滅入る。
「劉備といったかかしら? あの娘も言っていましたけど、この軍を率いて一気に洛陽を突くのもよろしいのではなくて?」
 恭介が左手で頭を掻く。それは「後で事情を説明する」という昔からの、二人だけの合図である。
 軍議の最中、口に出さなかった疑問を袁紹はぶつけてきた。
 大軍を率いて、天下の雌雄を決する。それこそ袁紹が求める華麗な戦いというものだろう。だが、今の時点では袁紹の希望を叶えることは出来そうにない。
「残念ながら、この先にある氾水関は絶壁に囲まれた難所です。大軍を動かせる場所ではないですし、そう簡単に落とせるとは思えません。それに、大軍と言っても、その数に見合う力はありませんよ」
 袁紹立つ!
 その知らせを聞いた諸侯が我先にと連合軍へと参加した結果、諸侯の数は三十人を越え、この兌州の地には二十万という大軍が集結していた。
「しかしながら、諸侯の率いる軍勢は練度と士気に差がありすぎます。この地にいる二十万の軍勢のうち、まともに戦えるのは半数ほどでしょう。更に言えば、屯営を見た限り、華琳殿、鮑信殿、公孫越殿の軍ぐらいしか董卓軍と互角に戦えそうにはありません」 
「確かに、私の軍がいない軍勢など、大した役には立ちませんわね。……それにしても、すぐに冀州に帰れなければならないのは残念ですわ」
 そう言うと、袁紹は表情を曇らせた。
 軍議に参加する為だけに、袁紹は僅かな手勢を率いて兌州にやって来たのであり、終わればすぐに冀州に戻らなければならない。
 北に展開する連合軍のうち、まとまった兵力を有するのは袁紹と河内の王匡(おうきょう)しかいない。その為、袁紹は盟主であるのに関わらず、主力が展開する兌州を去らなければならない。
 それが袁紹には気に入らないのだろう。
 そして、恭介の不安でもある。果たして、総大将のいない軍がどこまで機能するか。
 だが、それを袁紹に話すわけにはいかない。話したら最後、袁紹は冀州に戻らないだろう。それでは北部の軍が手薄になる。
「ご心配なさらずに。董卓を討つ決戦の際は、麗羽様が指揮を執るよう計らいますので」
 恭介の言葉にも、袁紹の表情は晴れない。
「……太傅の身がご心配なのですか?」
「……そんなことはありません」
 袁隗は天子に匹敵する名声の持ち主であり、今後董卓が袁紹と交渉を持つのにも大事な人物である。害されることは、常識で考えればありえない。
 だが、董卓に常識が通じるかどうか。
「都に潜入し、太傅をお救いする部隊を編成いたしますか?」
「叔母上のことなど、美羽さんに任せておけばよろしいですわ!」
 その言葉が本心かどうか、幼馴染みの恭介にすら判断はつかなかった。
「そう言えば、恭介さんは孫策さんと随分親しそうにしていましたわね。軍議でも隣の席でしたし」
「はい。彼女は朗らかで、話していると飽きることがありません。麗羽様も出立前にご歓談されてはいかがですか? よろしければ私が席を設けますが?」
「……結構です!」
 袁紹は不機嫌そうに吐き捨てると、
「私は冀州に戻ります! 恭介さん! 貴男がここの軍をまとめ上げるのですよ!」
 そう言い残して、足早に馬を走らせた。



[38235] 28 天の遣いと地を這う人
Name: 羽市◆b131e28e ID:9a9fd995
Date: 2013/09/14 20:26
 北郷一刀の出自は謎が多い。史書には、生国の記載はおろか、誰の子供で何処に生まれ如何に育ったか、そうした記載がまるで無い。彼の名が初めて史書に表れるのは、黄巾の乱において義勇軍を立ち上げた際である。
 この時、共に立った劉備や関羽、張飛といった人物も、当時は無名の人物であった。 
 が、彼女等の逸話はその後の活躍により、真偽は兎も角、数多く発見されることとなる。
 然るに北郷一刀は、名を成して以降も、それ以前の逸話が発見されることは無かった。
 つまり、『天の御遣い』などという荒唐無稽な噂話は、彼の謎の半生から生まれたものだろうと思われる。
                      ―『漢末異文』著・袁沈―より


「全く、これだから童貞は使えない」
「本当ね。処女は大事にすべきだけど、童貞は早めに捨てるべきよ」
 自軍の本営に戻ると、昼間だというに毒舌家と殺人狂が酔いにまかせて暴言を吐いていた。
「……伯符、貴女は孫堅殿の使者なのですから、早く長沙に帰って軍議の結果を報告をすべきでしょう?」
「嫌よ。母様のところに帰ったら、自由にお酒が飲めないもの。もう少し帯陣するからそのつもりでよろしくね?」
 他軍の陣だというのに、我が物顔ではしゃぐ孫策。だが、それに不快を覚えさせないのが彼女の徳である。
「では孫策殿。酒代代わりに、この素人童貞不能者に、袁紹様が何故不機嫌になったのか、教えてあげてください」
 法正の机には地図と大量の酒瓶が転がっていた。
 大方、軍事について真面目に討論していたのは最初だけで、途中からはただの酒飲みの場になっていたに違いない。
「はーい。人生経験豊富なお姉ちゃんが教えてあげまーす」
「……いや、俺の方が年上だし」
「年なんて関係ないわよ。泣かせた人の数だけ、人は大人になるのよ!」
「雪蓮の場合は、物理的な意味で人を泣かせてるだけでしょう?」
「上手いこと言うわねー。翼ちゃん、よし、この長沙名産の酒を差し上げよう」
 この二人、いつの間にか真名を交換したようだ。
 確かに傍から見れば、自由奔放で傍若無人者同士、気が合うのかもしれない。
「雪蓮。恭介のあの顔は、間違いなく失礼なことを考えている顔ですよ」
「へえ。流石、恭介観察家の翼ちゃん。眉間の皺の本数で、恭介が何を考えているのか分かるのね。よし、私も見習うわ」
 孫策はそこで、どうでもいいかのように、
「あ、私、これから恭介のこと真名で呼ぶから。恭介も雪蓮って呼んでいいわよ」
 付け加えた。
「真名をこんな酒の勢いで交換するのはどうかと思うぞ?」
「勢いじゃないわよ。恭介や翼ちゃんとは、前々から真名を交換したいと思ってたし。第一『伯符』なんて呼ばれたら、親戚のおじさんから呼ばれてる気がするんだもの。それにしても、恭介って親しい相手には乱暴な言葉遣いになるのね?」
 そう言うと、孫策はにやりと笑う。
「今の言葉に、袁紹が不機嫌になった理由の手がかりがあるんだけど、分っかるかなー」
「……分かりませんよ」
 憮然した恭介の口調に、何が可笑しいのか孫策と法正はどっと笑った。
「ええい、この酔っ払い共が! こんな能天気に酒を飲んでいる場合じゃないと言うのに!」
 そう言いつつ、恭介も新しい酒瓶を空けると、口をつける。
「えー、これだけ諸侯が集まったんだから、勝ったも同然じゃない。何を心配してるのよ?」
 そう言いながらも、孫策の瞳の奥は全く酔っていなかった。
「はあ。そうやって、俺をからかって、酒の肴にする訳か?」
「違うわよー。連合軍の黒幕である恭介が、現状をどう判断しているか? それを母様に報告するという大事な役目が、私にはある訳よ!」
「……寝転がって、酒を飲みながらですか?」
「親愛の表れじゃないの、このー、このー」
 酒臭い息を吐きながら、孫策が恭介に抱きついてきた。
 ただでさえ露出度が高い上、乱れた衣装からは褐色の健康的な胸の谷間が……。
「今、恭介は『脳内に雪蓮のあられもない姿を想像して、今夜はこれで楽しむぜ!』と気色悪い想像をしています」
 法正は軽蔑しきった顔で、恭介を睨む。
「まじで?」
 わざとらしく驚く孫策。
「まじで」
 作った真面目顔で頷く法正。
「……これから孫堅殿宛てに、連合軍の問題点とその対策を書簡にまとめるから、それで勘弁してください。ていうか、お前ら、さっさと出てけ」

 恭介が酒飲み二人の肴にされていた頃、『劉』の旗を掲げた陣営の本陣では、酒の臭いなどしない真面目な口が議論を重ねていた。
「連合軍の総大将は袁紹に決まったけど、大丈夫か?」
 大まかな『三国志』の知識を持つ一刀にとって、袁紹という人物は『優柔不断で曹操に敗れた人物』という印象が強い。
 だが、そんなことを発言しようものなら、軍議の場から叩き出されていただろう。少なくとも、この世界での袁紹という人物は、巨大な名声とある程度の人望を持ち合わせているようだ。一刀にも、その程度の場の雰囲気は読み取れた。
 そして、袁紹や諸侯にとっては、劉備や一刀などは、公孫賛の属将という程度の認識でしかない。かろうじて軍議の末席に連なることができたが、明らかに発言など求められてはいなかった。
 その空気の中、あえて質問をぶつけた劉備は流石というべきか。
 一刀達は、公孫越軍の隣に陣を構えている。一刀達は、名目上は公孫越の属将なのだが、事実上別軍として存在している。
 公孫越から見れば、劉備軍の戦力は高く評価しているが、下手に戦功を上げててしまうと、姉の地位を脅かさすという、非常に扱いづらい軍隊であった。
 なお、公孫越は三千の兵を、劉備は二千の兵を率いている。
 一刀の問に、正面に座っていた二人の少女うち、明るい髪の少女が答える。
「消去法でいけば、袁紹さんしか総大将はいないと思います。袁術さんは幼少で実績もありませんし、曹操さんですと、能力は兎も角、他の諸侯からの人望がありませんから。
 後の諸侯にしても、名の知れた方々は多いですが、実際に戦場での経験は持ち合わせていません。寧ろ、連合軍の欠点は、総大将ではないと思います」
「どういうこと、朱里ちゃん?」
「はい。連合軍の最大の欠点は、主力の軍が兌州に集まっているのにも関わらず、総大将の袁紹さんが冀州に居る事です。寄せ集めの連合軍をまとめ上げる人物が、遠い冀州にいるようでは、董卓軍と決戦するのは」
「なら、袁紹もこちらに軍を移動させればいいだろう」
 長い黒髪をした、武将らしい鋭い目をした女性が疑問を呈す。
「愛紗さんの考えは、戦術的には正しいですが、戦略的には問題があります」
「どういうことだ?」
 関羽の疑問に答えたのは、長い帽子を被り、気弱そうな瞳をした少女だった。
「袁紹さんの軍がこちらにくれば、指揮系統は一本化されるでしょう。ですが、その結果、北部の軍が薄くなり、董卓軍が冀州に攻め込む可能性が高くなります。
 それに、兵站の問題があります。袁紹さんの軍は冀州から、この地の軍は兌州から補給を受けますが、袁紹さんの軍がこの地に移動してきたら、兌州の兵站が持ちません」
「雛里ちゃんの言うとおりです。今回、連合軍には予想以上の兵が集まりました。そして、その中には、私達のように自前で兵糧を調達できない部隊も多いということです。
 二十万という大軍を集めることは難しくありません。ですが、それを維持するのはとても難しいと思います。
「うん? それじゃあ鈴々達のご飯は何処から用意すればいいのだ?」
 今まで関羽の隣で黙って話を聞いていた少女が、兵糧の話になった途端に口を開いた。
「当面は持参した兵糧で問題ありませんが、早いうちに諸侯の中で兵糧を用意できる人にお願いしなくてはなりません」
「そうだね。朱里ちゃんと雛里ちゃんは、誰にお願いしたらいいと思う?」
 市井の出である劉備は、誰が力のある諸侯か判断する知識が無い。
 その点、朱里こと諸葛亮と、雛里こと鳳統の二人は、名士である司馬微(しばき)の教え子である。この地に集まった諸侯の評判は、一通り耳にしていた。
「そうですね。この地に陣を構える方でしたら、曹操さん、鮑信さん、袁遺さんでしょうか?」
「……曹操以外は聞いたこと無いな」
「私も」
 一刀と劉備は顔を見合わせた。
「曹操さん以外のお二人についてですが」
 知識の無い二人の主君に、少女軍師達が講義を行う。
「まず、鮑信さんも袁遺さんも、皇帝陛下の親衛隊である西園八校尉に選ばれていました。大将軍であった何進さんに繋がる方々です。
 この連合軍は何進様のご恩を受けた方々がたしゅ……多数いらっしゃいます。何進さんと袁紹さんとは実の姉妹のような仲でしたし、この戦いは、董卓派と何進派の争いといっていいかもしれません」
「へえ。よく知ってるな、朱里は」
 話を聞きながら、一刀は先程の軍議の雰囲気を思い出していた。言われてみれば、袁紹を中心に、既に一つの流れが出来ていたように思う。
「軍事については、……雛里ちゃん、お願い」
「うん」
 鳳統は頷くと、位置のずれた帽子を直しつつ、口を開く。
「軍事的能力については、今のところ判断が難しいです。ですがお二人とも『黄巾の乱』の鎮圧で功績をあげています。特に袁遺さんは、幕僚として法正さんと荀攸さんが付いています。今回の包囲作戦も、おそらくこの二人の意見が反映されていると思われます」 
「……少なくとも、無能者ではない訳か」
 民のことを省みない官吏ばかり見てきた関羽は、どうしても恭介のような名門に連なる官吏に対して、偏見が先立ってしまう。
「それじゃあ、兵糧を貰うなら、誰がいいと思う?」
 率直な劉備の言葉に、一同は苦笑した。
「曹操さんの場合、領地は豊かですし、兵糧の蓄えにも余裕があると思います。ですが、頼みごとをした場合、それ以上の代償を求めてくるような気がします」
「同感だ」
「なんでそんなに力強く頷くのだ、お兄ちゃん?」
「……勘かな」
 一刀の知る『曹操』ならば、生粋の人材収集家な筈。関羽は言うに及ばず、他の人材もこちらの弱みに付け込み、奪おうとするに違いない。
「鮑信さんは、徳の人として名高い人です。余裕があれば間違いなく援助してくれるでしょうが、残念ながら鮑信さんは領土を持っていません。
 今回の挙兵も義勇兵を率いての参加ですので、私たちを助ける余裕はないでしょう」
「……となると、袁遺に頼むしかない訳か」
「はい。総大将である袁紹さんの従兄であり、連合軍の軍師でもあります。他の諸侯に対しても交渉できるでしょうから、兵糧をお願いするのには最適な方だと思います」
「なら、早速袁遺さんに頼んでみよう!」
「桃香様、何の面識も無い私たちが行き成り訪ねても相手にされません。まずは手順をふみませんと」
 天幕から飛び出そうとした劉備を、諸葛亮が慌てて引き止めた。
 それを見て、再び笑う一同。
 一刀も笑顔を浮かべつ、自分が知る知識を懸命に思い出す。だが、『袁遺』という人物は記憶にない。
 一刀は先程の軍議の様子を思い返していた。 
 淡々とした口調で戦略を述べていた、自分より年上の男。
 果たして、『天の御遣い』という武器が通じる相手なのだろうか?

 「全く、我々が面会を申し出てから三日だぞ! 何処まで傲慢なのだ、袁氏は!」
 恭介から面会を承諾する使者が去った後、関羽は憮然とした表情で吐き捨てた。
「駄目だよ、愛紗ちゃん。袁遺さんだって忙しいんだから。それに私達はお願いする立場なんだから」
「ですが桃香様! 桃香様と御主人様のお二人だけを招くとは。何か企みがあるやもしれませんぞ!」
 関羽は忠臣である。常に主人の身を案じ、故に物事を見る目に主観が混じることが多い。
 関羽の懸念に対し、諸葛亮が答える。
「それはないと思います。今の袁遺さんにとって私達は大した価値のない勢力でしかありませんから。こうして三日間待たされたのが、よい例です。それに、袁遺さんは今後連合軍をまとめなければいけない立場。評判を落とすような行いはしないでしょう」
「そうだよ。何でも疑ってかかるのはよくないよ、愛紗ちゃん。それに、いざとなったら、御主人様が何とかしてくれるよね?」
「えっ?」 
 そんなやり取りの後、劉備と一刀は恭介の陣を訪れた。
「初めまして、劉備殿。山陽の太守、袁遺と申します」
 整っていはいるが、何故か地味な印象を与える顔立ちをしている青年。それが恭介に対する一刀の印象だった。
 長身ではあるが、体つきは細く、とても単身で董卓暗殺を謀った者には見えない。
「あ、は、初めまして。白蓮ちゃんの客将の劉備です」
「同じく、客将の北郷です」
「……随分と変わった服装ですが、貴男が噂の『天の御遣い』ですか?」
 恭介の隣には、中性的な顔立ちをした女性が座っていた。
 情報によると、袁遺軍には男女二人の軍師がいるという。つまり、彼女が法正という訳だ。
「はい。一部ではそう呼ばれています」
 『天の御遣い』という呼称は官吏達の心証を害するので、あまり名乗らないほうがいい。そう一刀に忠告したのは公孫賛だった。
 『天の御遣い』とは世を治めるもの、つまり今の皇帝に代わる者を意味するので、王朝に対して叛意を抱いていると思われても仕方ない。だから、あまりそう名乗らない方がいい。
 その公孫賛の忠告を受けてから、一刀は進んで『天の御遣い』と名乗らなくなった。
 だが、一度流れた噂はそう簡単に消えてないようで、先日の軍議の席でも、多数の諸侯から冷ややかな視線を浴びせられた。
「それで、今日はどのようなご用件です? まさか挨拶に来ただけではないでしょう?」
 法正の声に、一刀は我に返る。
「はい、実はお願いがありまして」
 劉備はそう前置きすると、
「私達は遠く幽州から連合軍に参加した為、持久戦に耐えるだけの兵糧を持ち合わせておりません。何卒、袁遺さんにお力添えをして頂きたく、お願いに参りました」
 恭介と法正に訴えた。
 法正は笑顔を浮かべたまま口を開く。
「それは、兵糧を売ってほしい、ということですか?」
「……いえ、私達には兵糧を買うだけのお金を持ち合わせてはいないので……」
「ほう? つまり、譲れと言うことですか? 確か劉備殿は二千の兵を率いておいでの筈。それを毎日食わせるとなると、かなりの兵糧を消費することになりますね。第一、劉備殿の軍にだけ兵糧を提供するなど、他の諸侯に示しがつきませんよ」
 法正の笑顔から発せられる容赦のない言葉に、劉備は「それは……」と言葉に詰まってしまった。
 その姿を見て、一刀は口を挟んだ。
「虫のいい話だというのは承知の上です。ですが、我が軍は、数以上の働きをすることを約束しますので、何とかして頂けないないでしょうか?」
 兵は少数でも、自分達には一流の将と軍師がいる。
 だが、一刀の言葉は、法正に何の感銘も与えなかったようだ。
「戦いは数でするものです。たかだが二千の劉備殿にいかほどの働きが出来るというのですか?」
「お言葉ですが、自分達は黄巾の乱で多少の戦功を上げました。兵士達も戦い慣れています。決して、無駄飯にはならないと思います」 
「食料は空から降ってくるものではないのですよ。我々とて余裕がある訳ではありません。そもそも、公孫賛殿には北方の守護をお願いしていた筈。勝手に兌州までやって来た挙句、兵糧を寄越せとは、随分な言い草ではありませんか? ああ、そうだ。貴男が本当に『天の御遣い』なら、天から食を降らせることが出来るのではないですか?」
 そう言うと、法正はくっくっくと笑いを漏らした。
 愛紗が一緒でなくて良かった。もし同行していれば、法正に切りかかっていただろう。
 一刀はそう思いながら、劉備を見た。
 劉備は法正の悪意に対して、語る言葉を持たず、ただ哀願するような表情で立ち尽くしている。
 やはり、自分が何とかするしかない。
 一刀が更に言葉を続けようとすると、それまで黙って事の成り行きを見守っていた恭介が口を開いた。
「北郷殿にお聞きしたい。貴公は『天の御遣い』と噂された人物だが、どこからやって来たのですか?」
「……遠く離れた『倭』という国です」
「『倭』に、それほどの衣装を作る技術があるとも思えませんが……」
 そう言うと、恭介は一刀の服装を見て首を傾げた。
 一刀が着ている服は、白い学生服である。材質は無論、装飾もこの時代の衣服とは異なる。
 相手が疑問を感じるのは尤もだろう。
 だが、自分は未来からやって来ました、などと言って信じてくれるわけもない。
 一刀は言葉に窮したが、恭介は衣装についてそれ以上興味がないのか、問いを変えた。
「そうですね。では、これから北郷殿に幾つか質問させて頂きます。その質問に『正直』に答えて頂けるのでしたら、兵糧を援助しましょう。如何ですか?」
 『正直に』の言葉を発する際、恭介の目が鋭くなった気がした。
 だが、どちらにせよ、一刀に選択権はない。
「……分かりました。『正直に』お答えします」
 一刀の言葉に恭介は頷くと、
「では、単刀直入に。この連合軍は董卓を討てると思いますか?」
「……難しいと思います」
「ほう。……何故そう思うのですか?」
 それは、自分がこの世界に似た『三国志』の知識を持っているからだ、などと答えられる筈ない。
 何とか理由を述べようとした一刀に構わず、恭介は言葉を続ける。
「まあ、理由までは答えなくて結構ですよ。あくまで『正直に』答えて頂けるのでしたらね。では、今後この国はどうなっていくと思いますか?」 
「……各地で、諸侯が独立し、群雄割拠の時代がやって来るのではないかと考えます」 
「成る程。……では、その中で誰が覇を唱えると思いますか?」
 相手は袁紹の腹心と噂されている人物だ。その人物に自分の知っている知識を答えていいのだろうか。
 一刀は迷ったが、あくまで『正直に』答えた。
「曹操、孫権、そして桃香だと思います」
「私!?」
 一刀の横で、劉備が驚きの声を上げた。恭介の横に座る法正に至っては、呆れ顔だ。
 だが、恭介は真顔を崩さずに、更に問う。
「この連合軍の盟主である麗羽様は、覇者にはなれませんか?」
「……申し上げにくいですが、袁紹殿は曹操に敗れるでしょう」
 斬られるかもしれない。だが、袁遺は『正直に』答えろと言ったのだ。
 一刀は目に力を入れ、恭介を見つめてはっきりと述べた。
 沈黙が場を支配する。が、それは十秒にも満たなかった。
「……中々に興味深いご意見だ。宜しい。劉備軍の兵糧は私が手配いたしましょう」
「えっ!? 宜しいんですか?」
「北郷殿が『正直に』答えてくれたのです。ならば、私が約束を破るわけにはいかないでしょう」
 驚いた劉備に、恭介は微笑した。

「演技ではなく、地が出ていたんじゃないか? 見事なまでの嫌味役だったぞ、翼」
「失礼だな。君が『いかにも嫌みな軍師役で』と言うから、仕方なく演じたんだぞ?」
 真性加虐嗜好者が何を言う。どうみても本性丸出しだろうに。
 そう思ったが、飛び火を恐れて恭介は口には出さなかった。
 変わりに出たのは、劉備に対する評価である。
「さて、翼はどう評価する。劉備殿という御仁を?」
「正直、測りかねるね。あれだけ挑発したのに、怒りの感情が表に出ないとは……。人が良いのか、鈍感なのか、それとも余程面の皮が厚いのか」
 法正は肩を竦めた。
「どれもが入り混じって、劉玄徳という人物が出来上がっているのだろうさ」
「まあ、別に劉備はどうでもいいよ。けど、あの北郷という男の意見はどうなんだい? 
 連合軍が負けるというのはまだしも、大陸の覇者が曹操殿と孫堅殿と劉備というのは、痴人の戯れ言としか思えないよ。
 確かに曹操殿や孫堅殿は一角の人物さ。だが、現状の勢力では、彼女達が覇者になるのは難しいだろう。
 ましてや、劉備など根無し草じゃないか?」
「さて、どうだろう。歴史の可能性は無限だよ。流民が天下を掴むことだってある」
 あの男が言ったのは、『孫文台』ではなく、娘の『孫仲謀』のことだろう。どうやら、『天の御遣い』こと北郷一刀は、三国志の知識を持っていると考えて間違いなさそうだ。あの学生服らしき服を見るに、高校にでも通っていたのだろうか?
「で、簡単に兵糧を援助すると請け負ったけど、大丈夫なのかい?」
「まあ。劉備軍だけならね。問題は、兵糧を確保できていない軍が、劉備軍以外にも多数いるということだよ」
 連合軍の目下の悩みは、増えすぎた兵を維持することにあった。
 袁紹の参加は、諸侯に予想以上の安心感を与え、結果として恭介の想定を遙かに上回る兵力が、ここ兌州の地に集まってしまった。そして、劉備と同じように当座の食糧しか持ち合わせていない軍の何と多いことか!
 劉備からの面会に対して返事が遅れたのも、兵糧の確保について諸侯の間を渡り歩き、調整を追われていたからに他ならない。
 なんとか、劉岱や孔伷といった地盤が近い諸侯に、前線に兵を出させないことを条件に全体の兵站を受け持ってもらうことを了承してもらったが、果たして、持久戦に耐えられるのか。
 近いうちに、曹操と基本戦略についての見直しをした方が良いかもしれない。
 そう考えつつ、恭介は法正に尋ねる。
「ところで、この三日間で劉備軍の陣を訪ねた諸侯はいたかい?」
 法正に軍略の他に、情報収集を一手に任されている。当然、他の諸侯の動きも把握していた。
「曹操殿、孫策殿、馬超殿の三人だけだね。大多数の諸侯は無視しているよ」
「だが、その三人は何れも人物だ」
「……つまり、劉備軍には、他軍にはない魅力があるということかい? 僕には曹操殿や孫堅殿、孫策殿とは違い、彼女に一軍を率いるような将器があるとは思えないが」
 恭介も法正の意見には同感だ。
 今の劉備殿は、万の兵はおろか千の兵を率いることも出来ないだろう。
 だが、数十万、いや数百万の民を統治する為政者としての器があるのではないか? 軍議の席では周囲の空気を顧みずに洛陽の民のことを考え、そして今も兵を食べさせるため、法正の悪意も耐え抜いた。
 問題は、劉備に変わり、誰が将としての立場を受け持つのかということだ。
 関羽や張飛の武勇は万騎に値すると聞くが、所詮は個人の勇に過ぎない。
 そこまで考えた恭介の頭に、ふと一刀の顔が浮かんだ。
「……今は人物批評などをしている暇はない。早く氾水関(しすいかん)に軍を進めなければ」
 恭介は頭を振って、思考を切り替えた。
 本来なら、軍議が終わり次第、早急に兵を進めるべきだった。
 だが、陣立てや兵站の問題など、諸侯の意見をまとめるのに時間を使いすぎていた。
 戦上手の董卓のことだ、既に氾水関(しすいかん)の守りを固めていることだろう。
「……何事も、思い通りにいかないものだ。一歩一歩、地を這うように進むしかあるまい」
 そう呟くと、恭介は立ち上がった。



[38235] 幕間―書を捨てて、町へ出れど、出会いが無いのは何故なのか―
Name: 羽市◆b131e28e ID:9a9fd995
Date: 2013/09/14 20:31
 兌州に終結した連合軍が、一番数が多く、そしてまとまりが無い。
 その為に恭介は、鮑信と共に諸侯の間を日々駆けずり回り、連合軍を維持することに労力の大半を割いていた。
 結果、恭介は名ばかり軍師となり、連合軍の軍略は、曹操と荀彧そして法正の三人が練っている。

「何暗い顔してるのよ、翼。さっさと座りなさい」
 自分の天幕に戻った法正の視界に飛び込んできたのはと、既にでき上がっていた孫策の姿だった。
「暗い顔に見えますか?」
 法正はうつ伏せに寝転ぶと、孫策から杯を受け取る。
「うん。いつも恭介を弄っているときと雰囲気が違うわ」
「先程まで、曹操殿の陣で、今後の打ち合わせをしていたので……、疲れました」
 法正から見ると、曹操軍は曹操という教祖に率いられた宗教のようだ。
 英明な君主と、それを補佐する才気溢れる軍師。命令を忠実に実行する武将と、一糸乱れることなく動く兵士達。
 時期を得れば、一気に覇者へと駆け上がれるであろう集団。
 だが法正は、曹操軍に漂う、『曹操に対する絶対的な忠誠』に馴染むことができなかった。
 なお、法正は中性的な顔立ちをしているが、同性を思慕したことはない。
「まあ、曹操の処は百合満開だからねえ。でも、翼だって、女の子にもてるでしょう?」
「同性に人気があっても、嬉しくありませんよ」
 そんな法正にとって、こうして孫策と酒を酌み交わしながら談笑することは、良い息抜きであった。
 法正が北の情勢や騎兵の指揮、大学で得た知識を話せば、孫策は南の様子や加水軍の指揮、日常の出来事で応じる。
 二人の歩んできた道程は交わっておらず、それ故に互いの話が新鮮であった。
「翼と恭介って、付き合い長いんでしょ?」
「そうでもないですよ。大学からの付き合いですから、六、七年といったところです」
「いや、十分だって。でさ、翼は恭介のことを『素人童貞』とか呼んでるけど、それって本当なの?」
「ええ。間違いないですよ。少なくとも、僕の知る限り、深い仲になった異性はいない筈です」
「えー、何で? 恭介って、顔はそこそこだし、気も利くじゃん。まあ、武芸は残念かも知れないけど、その分教養はあるし、家柄だって良いわよね。
 それなのに、彼女の一人もいないなんて……。ひょっとして同性……。やだ、だめだめ。でも、私も人のことを言える義理じゃないし……」
「雪蓮が何を考えているのかは別として、恭介はちゃんと異性に興味はありますよ」
 一人盛り上がる雪蓮に、法正は笑いながら言葉を続ける。
「だが、恭介にはちょっとした問題、いや障害がありまして……」
 
 袁氏は代々眉目秀麗な女と、平凡な顔立ちの男を生む血筋である。
 袁氏の次代を担う人物と周囲から期待されている袁紹は、美しい顔と黄金の髪、均整の取れた身体を持ち、その姿だけで人を惹きつける魅力を漂わせていた。
 一方、同じ袁氏でも男の恭介は、背丈こそ人並みより高いものの、髪の毛は袁氏の女性とはまるで異なるくすんだ茶色で、その手は剣よりも書物に馴染み、見る者の贔屓目によっては合格点を与えられる程度の、一言で言えば平凡な顔をしていた。
 時は霊帝の世、王朝の土台は腐りかけていたが、修繕すればまだ何十年と過せせると皆が考えていた時代のことである。
 都の中心部からやや外れた、安い酒と料理を程ほどの料金で提供する若者向けの居酒屋。
「ところで、皆は女性と付き合った経験はあるのかい?」
 その酒の席で、恭介は爆弾を投下した。
 荀攸、周秘、伍瓊は呆然とした顔で恭介を見つめた。
「……いきなり何を言うかと思えば。何か、気になる女でも出来たのか?」
 恭介の発言から真っ先に回復した周秘が、からかうような声をかけた。
「そりゃあ、俺だって健全な男子だ。女子に憧憬や劣情を抱くのは自然なことだろう?」
「……憧憬と劣情を同じに置くのは、どうかと思うんですが」
 荀攸がまっとうな意見を述べるが、恭介と周秘の耳には届かない。
「俺と同じく、家柄がそこそこで、ありふれた容姿をしている皆の交遊関係はどうなっているのか、ふと疑問に思ってさ。周秘はどうだ、気になる娘はいるのか? 将来を約束した仲の娘はいるのか? それとも色町で青春の劣情を解放しているのか?」
「……お前って、たまに、物凄く俗人になるよな」
「確か周秘の好みは、幼女だけど巨乳だっけ?」
「違うわ! あくまで、幼女のような外見をしたお姉さんだ! 勿論、胸は小振り、いや、寧ろ膨らんでいない方がいい!」
「そんな女性はこの世にいないから。伍瓊どうだ?」
 いいや、この世は広い! 俺だけの女神はきっといる! と喚きたてる周秘を無視して、恭介は伍瓊に話を振った。
「実は行きつけの酒屋の女給が中々好みで、彼女目当てで週に三回は店に通っていたんだが……いつの間にか曹操の野郎にさらわれていたんだよ! あの、悪趣味髑髏女が!」
 杯を持つ手を震わせながら、伍瓊は呻く。
 曹操の女好きは仲間内では有名であり、もてない男達(つまり恭介達のような凡夫)の妬みを買っていた。
「桂樹は……どうでもいいや」
「いやいや。僕にも聞こうよ!」
「だって、自分、女嫌いじゃん。寧ろ、男好きじゃん?」
「違います! 一族に、どうしようもない皮肉屋で、毒舌家で性格の悪い少女がいて、顔を合わせる度に、僕の心をずたずたに引き裂いて女性が苦手にはなりましたけど!」
「それで女って怖い。男の方がいい、って性癖が歪んだんだね、分かるよ。安心しろ、今の時代、同性愛は嗜みとして認められているから」
 古来より同性同士の付き合いは存在していたが、最近は一種の流行にもなっていた。
「違う! そんな哀れみの目で見ないで下さい! 僕はただ、傷ついた心を癒してくれる優しい女性を求めているだけだ!」
「けど、未だに巡り合わず、お付き合いもなしと」
 荀氏にはどうしようもない少女がいるのだ。まあ、自分には関係ないが。
 まさか、将来その少女が自分に立ちふさがる障害となるなど、この時の恭介には知る由もない。
「しかし、何故、急にそんなことを言い出したんだ?」
 ひとしきり、この世にいない理想の少女像を述べて満足した伍瓊が、恭介に尋ねた。
「実は、俺の女性の好みが、麗羽様とかぶるんだ……」
「はっ? ど、どういうことだ?」
「例えばさ、大学で『あの娘って好みだなあ』と思ったりして、何とかお近づきの機会を窺っていると、知らない間に麗羽様に持っていかれたりするんだよね……」
 恭介の言葉に、三人は黙り込む。
 曹操に負けず劣らず、袁紹の色好み(但し、同性に限る)も有名であった。
「……ま、まあ、袁紹が相手なら仕方ないだろ」
 伍瓊は、恭介の肩を叩いくと、
「因みに、最近気になる娘はいるのか?」
 尋ねてきた。
「そうだなあ。……顔良さんかな。最近袁家に仕官した人なんだけど、清楚な雰囲気と穏やかな性格がいいね。しかも、俺より腕が立つし」
「……いや、武人なら俺達より腕が立つのは当たり前じゃん?」
 周秘の的確な意見に、思わず四人は黙り込む。
 やがて、恭介がぼそっと呟いた。
「俺達、どうしてもてないんですかねー」
「ですよねー」

 恭介が男同士で飲んだ次の日のこと。
「斗詩さん、貴女、好いている方はいらっしゃって?」
「はっ? い、いきなり何でしょうか、麗羽様?」
 袁紹の私室に呼び出され、開口一番にこの問いかけである。顔良が戸惑うのも無理は無いだろう。
 だが、そこは袁紹である。顔良の様子などお構いなしだ。
「『はい』か『いいえ』で答えなさい。斗詩さん。あ・な・た、好いている方は、いらっしゃって?」
「い、いえ。そのような方はいらっしゃいません!」
 袁紹の同性好きは有名だ。もしかして、自分も気に入られたのだろうか?
 だが顔良は、袁紹の表情に、愛情以外の何か別の感情が混じっているような気がしてならない。更に、返事が一つしか許されていないことも伝わってくる。
「そう! ならよいですわ。」
 顔良の返事を聞いて、袁紹は甲高い声で笑った。
「今度、猪々子さんと一緒に可愛がってあげるから、楽しみにしてなさい。もう下がっていいですわよ」
「は、はあ」
 何が何だか分からないまま立ち去ろうとする顔良の耳に、
「……芽のうちから摘むことが大事ですから」
 袁紹の呟きが聞こえたような気がした。 
 
「……それって、恭介のお友達が、揃って袁紹に密告してたってこと?」
「ええ。利をちらつかせたのか、力で脅したのかは分かりませんけど……。そして、恭介が少しでも好意を抱いた娘には、袁紹様が先に手を出すか、或いはお金を握らせて遠くへ追いやるか。いずれにせよ、恋や愛に発展する前に潰しまくった結果、恭介は未だ彼女なしという訳です」
 法正の話を聞き、孫策は溜め息混じりに呟いた。
「……袁紹って、歪んでるのね。色んな意味で」
「そうですね。袁紹様の行いは、人としてどうかと思います」
「いやいやいや。気付いていのに放って置いた翼も同類でしょ!?」

 なお、信頼できる幾つかの資料によると、大学時代から山陽太守を務めた間、恭介が特定の異性と恋仲になったという話は見当たらない。



[38235] 29 贈り物、送り人
Name: 羽市◆b131e28e ID:9a9fd995
Date: 2013/11/16 19:53
 冀州と兌州で反董卓の兵が挙がったとの報せを受け、董卓は一瞬驚いた。何やら東の諸侯が騒がしいのは承知していたが、皇帝という大義とこの国最大の軍事力を持つ自分を討つような、気骨のある人物などいまい。
 そう見下していたのである。
「連合軍は、袁紹を盟主に三十万の兵を集め、北と東に展開しております」
「数だけは集めたものだ。それで、奴らの動きは?」
「東の軍が氾水関へ進軍しているとのことです」 
「ぐずな奴らだ。軍が集める前に氾水関を攻めればよいものを」
 東から洛陽に至るには、氾水関と虎牢関という二つの関を越えなければならない。そして、守りを固めた関を落とすことは非常に難しい。董卓であれば、守りが固まる前に速攻で関を攻めただろう。
 にも関わらず、連合軍は大軍を集めることを優先している。つまり、兵の強さに自信がないのだろう。
 人間としては欠点だらけの董卓だが、軍人としては優秀である。何よりその戦歴は、袁紹と袁遺、曹操を足した年数より遥かに長い。
 この時点で、董卓は連合軍の戦意の低さを見抜いていた。
「所詮、小僧と小娘の集まりだな。机上の兵法が通用すると思っておるわ」
 董卓はそう腹を揺らして嘲笑すると、二人の将を呼んだ。
 一人は張済、もう一人は呂布である。
「貴様ら二人は、急ぎ騎兵三万を率いて氾水関の防御につけ」
「……騎兵ですか? 関の防御に馬は必要ないと思いますが?」
 張済が確認する。
 彼は先代ではなく、今の董卓に重用されてきた将である。
 軍略に明るいとは言えないが、主命を愚鈍なまでに守る男であり、董卓からの信任は厚い。
「万が一、のろまな袁紹達の気が変わって、速攻で氾水関を攻められてはまずいからな。騎兵なら三日で氾水関に着く為だ。よいか、儂の命があるまでは、守りに専念しろ」
「御意」
 頷く張済とは正反対に、呂布の反応は鈍い。
 まあ、月が儂の手元に居る以上、裏切ることもできまい。
 一言も発することなく退出する呂布を、董卓は冷ややかに見つめていた。

 鎧を着た兵士達が慌ただしく行き来する中、二人の男女が都の往来を歩いている。
「どうして私がこんな目に……」
 平凡な顔つきをした根暗そうな青年が呟く。
「仕方ありますまい。私は都に知己がおりませぬ故」
 青年のぼやきに答えた女性は、服装こそ地味であるが、顔立ちといい、自然と漂う凛とした雰囲気といい、明らかにただの人物ではなかった。
 主人と従者に見えるこの二人は、趙雲と荀攸である。
 二人は恭介から二つの役目を与えられ、洛陽に潜入していた。
 一つには、都の情勢を調べ、朝廷内部で反董卓の動きが起きる可能性があるかということ。
 もう一つは、袁隗を訪ね、場合によっては保護することである。
 この役目を果たすには、都の地理に詳しく、官吏に伝手が有り、何より機転が必要となる。
 法正は軍略に欠かせず、張郃はまだ若い。よって、荀攸と趙雲が都に潜入することとなった。
 特に趙雲は、董卓暗殺に失敗した恭介が逃亡した際、様々な場で機転を見せており、こうした役目を果たすには格好の人材といえた。
「それで、どうやって太傅と接触するのですか、荀攸殿?」
「……往来で名を出さないで下さい。捕まったらどうするんです?」
「それは自意識過剰というものです。世間では、袁遺殿の軍師として名が上がるのは、法正殿です。荀攸殿の名など、道行く者は知りもしません」
 共に旅をして分かったことは、この趙雲という人物は、人を弄るのが趣味の、法正などと同種の人間だということだ。
 だが、武芸も馬の扱いに苦手な荀攸にとって、趙雲は命綱に等しい。
 こうして弄られるのは、その代償だと、荀攸は泣き寝入りをしていた。
「既に恭介君が手配してくれています」
 昨年の宦官掃討において負傷した袁隗は、その後衰弱が激しく、朝議にも出ることもなく、屋敷で静養していた。その為、屋敷には多くの医師が屋敷を出入りしている。
 恭介は都を離れる際、こうした場合に備えており、二人は医師の供として難なく袁隗と対面することが出来た。
「……久しぶりですね、荀攸」
 頬がこけ、身体が細くなり、寝台から起き上がれない袁隗の姿に、荀攸は衝撃を受けた。
 袁隗は五十代の半ばであるが、十は上に見える。とても昨年まで国政を取り仕切っていた政治家とは思えない姿だ。
「はい。……ご病気とは聞いておりましたが。お加減はいかがですか?」
「医者は色々と慰めますが、おそらく、近いうちに寿命が尽きるでしょう。……そちらの御仁はどなたです?」
「趙雲と申します」
「……貴女は伯業に仕えているのかしら?」
「はい、客将ではありますが」
「そうですか」
 自分で問うておきながら、袁隗の視線は趙雲ではなく、背後の窓を見つめていた。
 ここまで病気が酷いとは予想外だ。これでは宮中の動きなど把握してはいないだろう。
 荀攸は痛ましい顔で袁隗を見る。
 だが、袁隗はそんな荀攸の視線を無視して、窓の外の風景を見ながら呟いた。
「宮中の情勢は、何業に尋ねるとよいでしょう」
「……っ?」
「連合軍に呼応して、都で董卓を討とうとする者がいるか。それを知りたいのでしょう?」
 袁隗は荀攸に顔を向ける。
「私は軍事には疎いですが、伯業の性格は知っています。あれは、寄せ集めの軍隊で董卓軍に勝てると判断するような男ではありません。時折激情に駆られますが、基本的には慎重な男ですから。
 何業の屋敷には、我が家からの使者に混じって行けばよいでしょう。毎週のように見舞いの品を寄越すので、いつも返礼の使者を出していますから」
「はい」
 荀攸は頷きつつ、袁隗が都を脱出する意思があるのかを確認した。
 袁隗は目をつぶると、
「身体が衰えるというのは、悪いことばかりではありません。今まで見えていなかった物がよく見えるようになりました」
 問いかけに関係のないことを答えた。
 困惑する荀攸に構うことなく、袁隗は言葉を続ける。 
「麗羽も伯業も愚かなことをしたものです。董卓など放り捨て、河北の地盤を固めていれば良かったものを……。
 人にはそれぞれ役目があります。
 董卓には漢王朝を跡形残らず粉砕してもらわねばなりません。皇帝を飾りとし、この王朝の天命が既に尽きたと、誰もが劉氏の世を懐かしむことのないようにしてもらわなければなりません。そうすれば、自然と、袁氏に世を治めてほしいという民の声が上がるでしょう」
「……董卓が皇帝になるかもしれませんが?」
「王朝が変わるには、前王朝を終わらせる者と、次の王朝を始める者が必要です。秦の世を終わらせたのは項羽ですが、新しい王朝を始めたのは劉邦ですよ? 壊すことと作ることに求められる資質は違うもの。
 それに、董卓は放っておいてもいずれ自滅するでしょう。出来れば、多くの高官を道連れにして滅びてほしいものです。今の朝廷の官吏が死に絶えれば、次の世を開くのは地方の諸侯しかいなくなりますから」
 袁隗は淡々と語った
 この人の目は、最早今の世に向いていないのだ。
 そう感じつつも、荀攸は役目を果たすため、問うた。
「それでは、太傅は都に残るつもりですが?」
「私を殺せば、世の同情は袁氏に集まりましょう。それは麗羽や美羽にとって、何よりの後押しとなりますからね」
 想像通りの答えであった。

「随分と不愉快そうですな、趙雲殿」
「……ええ」
 荀攸と趙雲は、袁隗からの返礼の一員に紛れて、何業の屋敷へ向かっていた。
「あの方は、太傅という最高位の官職にある人の筈。それが、今乱れている世を改めようとせず、一族のことしか考えていないとは。世の混乱が続けば続くほど、多くの血が流れてくというのに」
 趙雲の静かな怒りを、荀攸は黙って聞いていた。
 各地を旅してきた趙雲には、その地で暮らしている人々の顔を知っている。
 だが、宮廷で政治を行ってきた袁隗には、民よりも国家、王朝の存在が近い。
 荀攸にしても、都で官職に就いていたときは『いかに王朝を再建すべきか』について頭を悩ませていた。だが地方に赴任して、そこで暮らす人々と接しているうちに、王朝の存在意義に疑問を持つようになったのだ。
 王朝を支える為に民が存在するのか、民を守る為に王朝が存在するのか。
 荀攸が考え込んでいると、いつの間にか何業の屋敷に着いていた。
「半年振りだが、相変わらず暗い顔をしているな、桂樹は」
「……考え事をしていただけです」
 久々に顔を合わせたが、やはり何業の佇まいには威厳がある。思えば、あの袁紹ですら、何業には敬意を表していたのだ。仮に彼女が連合軍に参加していたら、兌州軍の大将に推されていただろう。
 それ程の器量を持つ彼女が、何故に都に留まっているのか、荀攸には不思議だった。
「大将軍の恩を受けた者として、陛下をお守りせねばならぬ」
 荀攸の問いに、何業は迷うことなく答えた。
 彼女の言う陛下とは、昨年董卓によって廃された弘農王のことである。董卓によって擁立された今の皇帝を認めていない者は多い。横死した何進に恩を受けた者にとっては尚更だ。
「人にはそれぞれ役目がある。最後まで陛下をお守りするのが私の役目だ。そして、兵を率いて董卓を討つのは、麗羽や華琳の役目だろう?」
「……弘農王を、洛陽からお連れするのは難しいのか?」
「ああ。董卓とて、万が一陛下が連合軍の元へ逃れれば、連合軍の勢いが増すことは承知している。寧ろ、戦局が不利になれば、陛下を害そうとするだろう」
「まさか!」
「董卓は後世の評価など気にしない男だ。我々の常識で判断すべきではない。
 それと、朝廷内での反董卓の動きには期待しないことだ。反感を持っても表に出さず、有利な方に尻尾を振る。それが官吏というものだ。董卓が敗北を重ねれば動くこともあろうが、今の彼等には期待しないことだな」
 そう言うと、何業は一本の筒を差し出した。
「中に、さるお方からの書状が入っている。これを麗羽……いや、恭介に届けてくれ」
「さるお方?」
「いずれ分かる。そこの御仁、確か趙雲殿といいましたかな?」
「はい」
 それまで黙って二人の会話を聞いていた趙雲に、何業は頭を下げる。
「この書状は、非常に大切な代物だ。桂樹を見捨てでも、恭介に届けてほしい」
「はい。必ずや」
「……いや、何かいい雰囲気作ってますけど、何で僕を見捨てることが前提なんですか?」
「お前より趙雲殿の方が頼りがいがあるからだ。趙雲殿、もう一つ頼みごとを引き受けてはくれないか?」
「私に出来ることならなんなりと」
「うむ。実は、我が家の客人を都から連れ出してほしい。このまま都にいては、彼女達にも害が及ぶのでな。今、引き合わせよう」
 何業かぎょうはそう言うと、部屋を出て行った。
「いやはや、堂々たる女子ですな、何業殿は」
「大学の友人達の中でも、一番胆力がありますね。……死に急いで欲しくはないのですが」
「……ですが、あの御仁は都から離れますまい」
「ええ……」
 二人が暗い面持ちで話していると、何業が二人の女性を連れてきた。
「……おや」
「……あれ」
「……まあ」
 趙雲と二人の女性の驚きの声が重なった。



[38235] 30 酒
Name: 羽市◆b131e28e ID:9a9fd995
Date: 2013/11/16 19:56
 兌州の軍が氾水関に到着したのは、最初の軍議から二週間を過ぎた頃である。
 董賊を討つ!
 との勇ましいかけ声とは裏腹に、諸侯は董卓軍を恐れ、中々動こうとはしなかった。
「馬鹿馬鹿しい。時機を逃しては勝てないわ」
 恭介や鮑信が諸侯を説得するのを横目に、曹操軍のみが進軍した。
 だが、時すでに遅く、曹操軍が氾水関に着くと、関の上には無数の「董」の旗が翻っていた。
 遅かった、そう臍を噛みながら曹操は陣を敷き、味方の到着を待った。
 そして、一週間後、ようやく連合軍が氾水関に到着した。
 陣を訪れた恭介を「遅い! 今更来ても、氾水関の守りは万全よ!」と罵倒しようとした曹操は、思わず口を噤んだ。
 恭介の顔色は青白く、まるで病人のようだった。
 思えば、袁紹から軍師に任じられたものの、恭介より官職の高い諸侯は数多い。袁紹ならまだしも、恭介が彼等を動かすのは非常に困難だったのだろう。
 いち早く進軍した自分に問題はない。
 そして、諸侯の調整に骨を折っている恭介も、己の責務を果たしているだけだ。
 曹操は冷静さを取り戻すと、恭介と随員の法正に椅子を勧めた。
 曹操の横には荀彧が座っている。
「なんとか氾水関まで辿り着いたけど、見ての通り、守りが堅いわ。こちらの挑発にも一切反応なし。さて、どうするの?」
 曹操の問いに、法正が答える。
「軍を三つに分け、一日中攻撃を続けます。
 一つの軍が氾水関を攻撃している間、一軍は休み、もう一軍は休みつつも予備兵力として待機します。
 我が方の兵数は二十万。それに対して、氾水関を守る兵は三万ほど。軍を三つに分けたとしても、我が方の優位は動きません」
「それは、今の状況が続くと仮定してのことでしょ? 早く氾水関を落とさないと、敵の援軍が来るんじゃない? そうなれば、氾水関を落とすのは不可能よ」
「構いません。敵がこちらに援軍を送るということは、他の方面の戦力が薄くなるということです。
 調べたところ、董卓軍の総数は十五万ほどです。
 氾水関に三万、洛陽や他の拠点の守備に二万は必要でしょうから、董卓が動かせる兵力は十万ほどでしょう。こちらに兵を動かせば、それだけ北部の袁紹様や南部の袁術殿、孫堅殿が進軍しやすくなります。
 それに董卓自身が軍を率いてくるのなら、野戦を挑めるかもしれません」
 法正の理路整然とした答えに、荀彧は不満そうな表情を浮かべつつも頷いた。
「……そうね。氾水関の守りは堅いし、単純な力攻めだとこちらの損害も甚大だわ。着実に敵の力を削いでいきましょう。陣立てはもう決めてあるの?」
「はい。行軍中に諸侯から了承を取り付けました。このような形になっております」
 法正は一枚の紙を机の上に広げた。そこには、

第一陣:曹操、張邈(ちょうばく)、橋瑁(きょうぼう)、焦和(しょうわ)
第二陣:鮑信、公孫越・劉備、孔伷(こうちゅう)、陳温(ちんおん)
第三陣:袁遺、馬超、劉岱(りゅうたい)、張超(ちょうちょう)、

 と諸侯の名が記されていた。
 曹操はその紙を一瞥すると頷いた。
 彼女が他の諸侯に期待していないのは明らかだった。
「それでは、我々は他の陣も回らなければならないので、失礼いたします」
 法正は一礼し、恭介と共に足早に立ち去った。
 二人の姿が天幕から消えると、曹操は呟く。
「恭介も苦労している様ね」
 恭介達と入れ違いに、外を警護していた夏侯惇が入ってくる。
「華琳様、私にはよく分からないのですが」
「なに、春蘭?」
「はあ。総大将ではないとはいえ、あやつは全軍の軍師の筈。諸侯に対して、もっと強制的に命令してもいいと思うのですが?」
「そうね。……桂花はどう考える?」
「はい。この度の連合軍ですが、盟主にして北部の司令官は袁紹。南部の司令官は名目だけとはいえ、袁術です。この上、兌州で袁遺が上に立てば、世間はこの戦いを、董卓と袁氏の権力争いと見るでしょう」
「そうした批判を避ける為、あの男は表に立たないのよ。その分、色々と苦労を抱える羽目にになってるようだけど」
 皮肉気な笑みを浮かべる曹操。
 恭介が一言も口を開かなかった理由に、彼女はとうに気がついていた。
 
 曹操の陣から自軍の陣へと帰る馬上、恭介の身体は前後左右に揺れていた。隣で手綱を操る張郃が何度となく身体を支えていたが、あまりの無様さに、とうとう張郃は自身の背に恭介を乗せて馬を進めた。
「少女に背負われる一軍の将って」
 法正は背を丸めて「くっくっく」と笑う。
「……仕方ないだろ。酒が残っているんだから」 
 恭介の喉から出る声は擦れている上に、酒の臭いがした。
「諸侯のご機嫌取りは大変だね。今日の予定は?」
「……劉岱に招待されている。それと、予州からの使者が来ているので、それも饗応しなければならないな」
「毎日酒が飲める身分で羨ましいよ。僕も一軍の将になりたかったな」
「……」
 法正の皮肉に答える力もなく、恭介は張郃に背負われている。
 毎夜、色々な諸侯と酒宴を張り、各地から訪れた使者に応対する。それが今の恭介の仕事である。
 その為、自軍の指揮は高覧に一任していた。
 仮に連合軍が勝利を収めれば、今の董卓の地位に袁紹が就くことは確実だ。  
 既に諸侯の間では、既に戦後の猟官運動が始まっているのだ。なんとおめでたい連中だろう!
 しかし、袁紹が冀州の地に陣を張っている以上、彼女と接触することは難しい。ならばと諸侯は、袁紹への窓口として恭介を訪ねるようになった。
 恭介が袁紹を北部に置いたのは、第一に兵力、第二に兵站の問題だが、こうした諸侯からの接触を絶つ狙いもあった。
 恭介はあくまで個人の意見として、諸侯達の望む地位に対して尽力すると答え、彼等の機嫌を損なわないよう努めている。空手形の大振る舞いであるが、反故にしたところで、恭介が恨まれるだけで、袁紹に傷がつくわけではない。
「雪蓮は帰ったが、『彼女』は結局帰らないのかい?」
「……ああ。こうなれば、一軍として活躍を期待するか」
 法正のいう『彼女』とは、馬超のことである。
 孫策はあくまで孫堅の使者であり、連れてきた兵も百に満たなかった。だが馬超は一万の騎兵を率いて参加していた。それも、孫策のように使者ではなく、一軍として。
 そもそも、遠く離れた西涼からどうやって兌州までやって来られたのか?
 馬超が到着した際、そう疑問に思いつつも、恭介は挨拶に赴き、礼を述べた。
 あれから二週間、馬超の軍は当たり前の様に連合軍に参加している。
「西涼から圧力をかけてくれた方が余程助かるものを。これだから大局が見えない馬鹿は困る。第一、一万の兵と馬の食糧を誰が負担すると思っているのやら」
 馬超が到着したという報告を受けた法正は露骨に顔をしかめた。
「ですが、我々は騎兵の数が少ないのも事実。戦力としては有力ではないですか?」
 高覧は将としての意見を述べた。
 そして恭介は二人の意見を聞き、改めて連合軍の脆弱さを実感していた。
 古来より、『山東は官吏を産み、山西は兵士を産む』との言葉がある。
 肥えた土地で田畑を耕す山東の民と、痩せた土地で異民族と戦いを重ねている山西の民。兵士として、どちらが優れているかは自明であろう。
 となれば、兵糧の問題はあるにしても、馬超の兵はありがたい。
 酒が残った頭で恭介がそう考えていると、
「口数が減ったが、吐くのかい?」
 法正が真顔で尋ねてきた。
「……えっ? あ、いや。た、体調が悪いのであれば、無理をしないで下さい。馬を止めましょうか?」
「……いや、大丈夫だから」
 法正のからかいよりも、十も年下の、妹のような張郃からの気遣いの方が、恭介には余程辛かった。

「揺るぎもしないな」
 攻撃を終え、陣に引き返しつつ、一刀は溜息を吐いた。
 連合軍が氾水関への攻撃を開始してから四日が過ぎていた。
「当たり前です。こんな気のない攻撃で落ちるわけがありません!」
 関羽が怒りの声を上げる。彼女の怒りは、友軍に向けられていた。
 初日こそ、連合軍は城門まで押し寄せ氾水関を落とそうと攻めかかった。だが、守兵の強さと予想外の自軍の損害に、瞬く間に戦意は萎んだ。
 そして二日目以降は、城門に近づくことなく、遠くから弓矢を放つ攻撃へと変わってしまった。たとえ劉備軍が関を落とそうと突撃したとしても、僅か二千の小部隊である。味方の援護がなければ、瞬く間に壊滅してしまうだろう。
 その為、劉備軍も他の軍と同様に、遠くからの弓矢の攻撃に終始するしかなかった。
「氾水関は落とさなくていい。袁遺はそう言っていたが、この状態では落ちようが無いな。二人はどう思う?」
「損害は別として、一日中攻撃を仕掛けているのですから、精神的な疲労はかなり与えられていると思います。それに、氾水関を餌にして、董卓軍の本隊がやって来れば、それは袁遺さんの計算通りですから、決して無駄ではないと思います。ですが……」
 諸葛亮の言葉を龐統(ほうとう)が引き継ぐ。
「……仮に董卓軍の本隊がやって来たとして、連合軍が勝利することができるかという問題があります。連合軍は軍紀が緩んでいますし、総大将が不在です。二十万という数通りの力を発揮できるかは疑問です」
 諸葛亮は戦略面から、龐統は戦術面からの意見を述べた。
 劉備軍には諸葛亮と龐統という、当代一の軍師が二人も居る。
 本人が意識しているかは別として、二人とこうした問答を重ねることで、一刀の軍略の才は確実に成長していた。
「諸侯は毎日宴会を開いているそうです。奴等は何をしにここまで来たのですか!」
 関羽が唸る。
 袁遺達が毎晩宴会を開いているという噂は、一刀達にも聞こえていた。
「……だけど、俺達には兵力も発言する力もない」
 一刀は自分達の力の無さに拳を握ると、氾水関を振り返る。
 氾水関の城壁には、「董」の旗が変わらずになびいていた。
 
 その夜、恭介の陣に袁紹からの急使が訪れた。北で王匡(おうきょう)が、大敗したという報せを持って。



[38235] 31 記載の少ない死
Name: 羽市◆b131e28e ID:9a9fd995
Date: 2013/11/16 19:57
 正史には記載が少ないが、この時期、二人の諸侯が死んだ。
 一人は河内の太守、王匡(おうきょう)である。
 彼の死に関する記載が少ないのは、董卓に大敗し、生還できた兵があまりに少なく、状況が伝わらなかったことが大きい。
 もう一人、この時機に死んだ諸侯に、荊州刺史である王叡(おうえい)の名がある。
 が、正史はこの王叡の死についてはただ一行、『王叡は孫堅の進軍を妨げ、斬られた』としか述べていない。

 河陽津(かようしん)という港から黄河を渡ると、董卓の勢力圏に入る。
 圧力を掛けるのには絶好の場所であり、北の連合軍がこの地を抑えるのは当初の戦略であった。
 だが、予定通りに進まないのが作戦というものである。
 当初の予定では、王匡軍は袁紹軍と合流の後、河陽津に布陣する筈だった。だが、袁紹軍は韓馥からの援軍や義勇兵により膨れ上がり、再編成を余儀なくされていた。
 その報告を受けた王匡は、「ならば、先に進軍して河陽津を押さえればよい」と判断し、三万の兵を率いて河陽津に布陣した。
 単独で布陣した王匡が、武勲を挙げるという欲に駆られていたことは否めない。
 そこを見逃す董卓ではない。
 王匡が単独で河陽津に布陣している。次の手を考えていた董卓は、その報告を受けると直ちに軍を出陣させた。
 汜水関の連合軍は大軍であるが、河陽津の軍は三万程度。ならば、この軍を打ち破り、連合軍の士気を落とすべきだろう。
 董卓は即断即決の人である。すぐさま徐栄、華雄、張遼を引き連れ、河陽津に向かった。率いる兵力は王匡と同数の三万である。
 そして対岸に陣を敷いた董卓軍は、船から河陽津を落とそうと攻撃を加えた。
 兵力は同数、しかも相手は河を渡ろうしている最中である。
 勝機と考えた王匡は、董卓軍を迎撃した。
 渡河しようとする船に弓矢を浴びせ、董卓軍の船は港に近づくことも出来ない。
「火矢を準備しろ。奴等を船ごと燃やしてやる!」
 王匡がそう命令を下そうとした瞬間、右横の山脈から「張」の旗を掲げた騎馬隊が、疾風のように王匡軍へと突撃した。
 騎馬の数は僅かに百騎。王匡軍に気付かれるよう、少数を河陽津から離れた場所へと渡河させ、急行させたのである。
 馬を自在に操るのが山西兵の特長であり、山東兵が主力の王匡軍にそれを防ぐ術はなく、ただ狼狽するだけだった。
 張遼の率いる百騎は、王匡軍の陣を自由自在に動き回り、指揮系統を引き裂いた。
 そして、王匡軍の混乱が収まらないうちに、董卓軍の本隊が黄河を渡り、王匡軍へと襲い掛かった。
 数は同数だが、兵の質、士気、そして将は比較にならない。
 一方的な虐殺が展開され、僅か一時間で王匡軍は壊滅した。
 急報を受けて駆けつけた袁紹軍は、多くの友軍の遺体を埋葬したが、王匡の遺体は馬に踏み潰された頭部のみが発見されたという。
 使者からの報告を聞いた恭介は無言だった。
 代わりに法正が訊ねる。
「その後、董卓軍はどうした?」
「すぐさま都に引き上げました」
「勝利に驕って、そのまま袁紹殿と戦わなかったか。流石、戦慣れしている」
 法正はいつになく真面目な顔で恭介に進言する。
「どうやら董卓は、汜水関の軍の戦意が低いことを見通しているらしい。ここは多少の犠牲を覚悟しても、本気で汜水関を攻めるしかあるまい」
「それで汜水関を落とせると思うか?」
「難しいね。だが、このままではこの地の兵は囮にすらならない。董卓は僕達を無視して、北へ南へ軍を動かすだろう。それこそ、この地に集まった兵はただ飯を食い、酒を飲むだけの無意味な集団になるしかない。少しは戦果を挙げなければ、今後も戦いの主導権を董卓に握られたままになるよ」
 法正の進言に頷きつつ、だが恭介は思う。
 王匡軍が壊滅したとの報せを受けた諸侯が、果たして弔い合戦とばかりに士気を上げるのだろうかと。

 北で王匡が討たれ、東で恭介が憂鬱な表情を浮かべている頃、孫堅は天幕で一人文を読んでいた。
「大蓮殿、何の用じゃ?」
 孫堅に呼ばれた黄蓋が天幕に入る。
「先程、張勲から文が届いた。祭の意見を聞きたくてな」
 孫堅の言葉に、黄蓋は違和感を覚えた。
 自ら判断するか、或いは皆を集めて意見を聞くのが、孫堅の姿だ。一人で呼ばれ意見を求められるのは孫策だけだが、それは後継者教育の意味合いが強い。
 そう思いつつ、黄蓋は孫堅から渡された文を読む。
「……『荊州刺史の王叡(おうえい)が密か董卓に通じ、自分達の背後を狙っており、身動きがとれない。ついいては、孫堅殿の手で王叡を討ってくれないでしょうか』だと。何とも身勝手な話じゃな。王叡が邪魔なら、自ら兵を動かせばよいものを」
「そうすると、南陽を董卓に突かれるかもしれぬからだ。本当に王叡が董卓に通じていればだ」
 荊州刺史である王叡は、反董卓連合に参加を表明しており、先日兌州で行われた軍議にも使者を遣わしていた。にも関わらず、出兵することなく、城に籠もっていた。
「王叡はただの小心者に過ぎん。単に董卓が恐ろしくて兵を出せないだけじゃろ。張勲の狙いは明らかじゃ。我々に王叡を始末させ、荊州を袁術のものにする気じゃろ」
 連合軍の諸侯を陥れ、自らの利益を図る。しかも自分達の手を汚さずに。いかにも張勲の考えそうな、自らの手を汚さずに利を得ようとする策だ。
 黄蓋は汚いものを触ったとばかりに、顔を顰めつつ書状を机に置いた。
「……うむ。我らが王叡の跡を継いで荊州刺史を名乗っても、他の太守の反発を招く。その点、袁氏の嫡流である袁術なら、荊州を支配しても周囲も納得するだろう」
「普段の大蓮殿なら、このような文は破り捨てるだろうに。何故、儂を呼んだのじゃ?」
 黄蓋の問いに、孫堅は顔を上げた。
「私は、あえて張勲の策に乗ってみようと思う」
「……正気か?」
 黄蓋の問いに、孫堅は暗い顔で頷いた。
 目下、孫堅軍は洛陽を目指して、荊州を北上している。
 そして、明日には王叡の拠点に入る予定である。
「王叡が私を侮蔑しているのは明らかだ。今後、北上した後に、長沙を攻めるやも知れぬ」
「それは……そうかも知れんが」
 誰しも心に薄暗い感情を持っているものだ。
 王朝に忠義を尽くし、武に徹する。孫堅はそう己を律し、長きに渡り戦場に身を置いてきた。その結果、数々の反乱を鎮圧し、長沙の太守に任じられた。
 純粋に功績で評価すれば、一州を任せてもおかしくはない。
 だが、孫堅の出自が彼女に正当な評価を与えなかった。後年、正史に彼女の『伝』を立てる際、親の名前が分からなかった程、彼女の出自は低い。
 名の知れた先祖を持たず、名士との交流もない彼女に、王朝は冷淡だった。
 そして、大半の官吏達も。
 上司である王叡もその例に漏れず、普段から孫堅が長沙の外へ賊を討ちに行く姿を見ては、『闘いしか能の無い女だ』と侮蔑していた。
 負の感情は相手にも伝わる。
 自然、孫堅も賊を放置して城に籠もり、ただ税を徴収するだけの王叡に反感を募らせた。
 そんな関係から、孫堅は張勲の企みに気付きつつも、あえてそれに乗ろうとしていた。
 以下は余談だが、孫堅が恭介に好意的なのは、恭介が人物を家柄や世評ではなく、その人物自身の器量で評価している点にある。そして孫堅の名士への憎悪は、娘である孫策にも受け継がれ、結果として多くの血が流れることになる。
「……既に大蓮殿の腹は決まっているのじゃろ。何故故、儂を呼んだのじゃ?」
 あくまで張勲に騙されたふりを通せばよいのに、何故自分を呼んで話したのか。
 そう問いかける黄蓋の顔を、孫堅は真っ直ぐに見据える。
「私の行いを知っておいてほしかったのだ。今後も私は、こうした道理に合わない行動を取る場合があるやもしれん。そして、いつか報いを受けるだろう……。
 その時に、娘達に話して欲しいのだ。母の失敗を繰り返さないようにとな」 
 
 翌日、孫堅の軍は、王叡の城を包囲した。
 友軍だと思っていた孫堅軍に包囲され、城内の兵士達は抵抗すら出来なかった。
 そして、孫堅は『王叡は董卓に通じており、これを討つ』と城内に呼びかけた。
 孫堅の武名は天下に響き渡っている。王叡の部下達は戦意を喪失し、城内に孫堅軍を招き入れた。
 進退が窮まった王叡は毒を飲む直前、こう叫んだという。
「武を誇るだけの野人が! 貴様も項羽と同じ末路を辿るに違いないわ!」
 
 その後、南陽に着いた孫堅軍を袁術は盛大に歓待した。
 そして、孫堅は袁術の荊州支配を認め、袁術は孫堅の軍事行動について尽力を惜しまないことを誓いあった。
 ここに、袁術は労せずして一州を支配下に置き、孫堅も兵站を確保した。



[38235] 32 首の山
Name: 羽市◆b131e28e ID:9a9fd995
Date: 2013/11/16 19:57
 孫堅動く!
 その報を受けた董卓は、珍しく狼狽を露わにした。
 書生や小娘の集まりである連合軍において警戒すべきは孫堅しかいない。
 董卓はかつて孫堅と戦場を共にしたことがあり、彼女の力量を高く評価していた。
「孫堅はどこまで来ておる」
「南陽で軍を休めているとのことです」
 董卓は顔をしかめた後、怒鳴り声を上げた。
「孫堅へ使者を送れ! 奴の故郷の揚州でも荊州でも、望む地があるならくれてやるとな!」
 董卓の関心は、北にしかない。不毛な南の地などどうなろうと知ったことではなかった。極端なことを言えば、南を孫堅に与え、自分が北の地を治めてもいい。
 とは言え、孫堅が和議に応じる可能性は少ないだろう。
 ならば、連合軍を各個撃破するしかない。
「孫堅以外は屑の集まりだ。さっさと片付けなければならん。袁紹らを穴倉から出す手はないか?」
 初戦で董卓軍が完勝したせいか、北の袁紹軍も東の兌州軍も、進軍する様子を見せず、持久戦の構えを見せていた。
 南に孫堅が立ち、西では馬騰が董卓の拠点である涼州を塞ぎ、補給を断っている。
 洛陽は、食糧を消費するだけの土地であり、街道を塞がれては立ちゆかない街だ。
 既に食糧の価格は値上がりの気配を見せており、民の間には動揺が走っている。
 民などはどうでもいいが、馬と兵士に対する食糧を欠くことになれば、それは敗北への契機となるだろう。
 となれば、土竜(もぐら)のように陣に籠もっている連合軍を引きずり出し、野戦で討ち果たすのが上策である。
 問題は、どうやって連合軍を誘い出すかにある。
「賈駆。貴様、何か策はないのか?」
 董卓は居並ぶ将の中から、眼鏡を掛けた小柄な少女に問う。
 賈駆は無言で頭を振った。
「……ふん。貴様等の働きによって、あれの身がどうなるか分かっておるのだろうな!?」
 不機嫌そうに董卓は吐き捨てる。
 賈駆や一部の将が、自分ではなく姪の董白(とうはく)に心を寄せていることは知っている。現在、董白は『安全のため』という名目で、董卓の屋敷に閉じ込められていた。そして、此度の戦いでの戦功次第で董白を自由の身にすることを考えると、董卓は賈駆達に約束していた。
 その約束を疑いつつも従うしかないのが、今の賈駆や呂布、張遼、華雄達の立場だ。
 董卓の下には、将は居ても軍師は乏しい。
 どうやって、連合軍を誘い出すか、よい知恵が浮かばない中、一人の痩せた男が意見を述べた。
「少々手荒ですが、確実に連合軍を誘い出せる策がございます」
 発言の主、李儒は宦官である。幸いにも袁紹の宦官狩りの手から逃れたものの、袁紹や彼女に荷担する諸侯に対する憎悪は激しい。それ故に、董卓からの信任は厚かった。
 そして、李儒は政治や軍事の才は乏しいものの、陰謀を企むことには優れていた。
「ならば李儒に任せる。必ず連合軍を誘い出せ」
「はい。必ずや」
 董卓に平伏する李儒の目が妖しく光った。

 氾水関では、相変わらず実りのない戦いが続いていた。
 王匡の敗北をしった諸侯は、戦意を向上させるどころか、より董卓軍を恐れるようになり、恭介が提案した総攻撃も同意が得られなかった。
 結果、遠巻きに弓矢の応酬が繰り返されるだけの戦いが一月も続いていた。
 この間、戦意の高い劉備や馬超からは攻撃が手ぬるいと責められ、諸侯の一部からは当初の予定よりも兵糧の消費が多いと苦情を受け、曹操からは呆れと同情の入り混じった視線を浴びつつも、恭介は何とか連合を維持していた。
「当初の目的である兵糧攻めの目的は果たしている」
 都に放った斥候からの報告を受け、恭介はそう自分を納得させていた。
 しかし、董卓は愚将ではない。自軍が飢えて瓦解するのを黙って見過ごすはずはない。
 そう思案していたところ、都から荀攸と趙雲が帰還した。二人の客人を連れて。
「程立(ていりつ)と申します。見聞を広めるため、諸国を旅しています」
 何やら不思議な人形を頭の上に乗せた小柄な少女が頭を下げる。
 どういう仕掛けなのか、頭から人形が落ちない。
「郭嘉(かくか)です。風と同じく、見聞を広めるために旅をしている途中、何業様のお世話になりました」
 続いて理知的な顔立ちをした少女が頭を下げた。
 恭介は二人と挨拶を交わすと、洛陽やこれまで旅をした土地についての話を聞いた。二人は各地でこうして情報を提供する代わりに宿を借りて旅をしてきただけあって、こちらが知りたいことを的確に答える術に長けていた。
 一通り話が済むと、恭介は問いかける。
「お二人は今後、どうなされるつもりですか?」
「もう少し旅を続けてみたいと考えています。出来れば、しばらくはこの地に身を置きたいと考えておりますが……」
「そうですか。……私の友人に鮑信という人物がおります。優れた人物で、諸侯に人望もあります。お二人がよろしければ、しばらく彼女の世話になってはいかがでしょうか?」
 恭介の言葉に二人は礼を述べた。その際、少しだけ二人の顔が緩んだことに恭介は気がついた。
 案内人を付け二人を見送りと、趙雲が問う。
「何故、袁遺殿の軍で世話をしないのですか? 折角、面白い話と旨い酒とメンマを楽しめる機会でしたのに」
 その三つのどれが一番重要なだろう。
 一瞬、恭介の脳裏にそんな疑問が浮かんだ。
「お二人にとって、私の客になることはかえって迷惑になるからですよ」
「ほう。……それはどういう意味ですか?」
「お二人が各地を旅している目的は理想の主に仕えるためでしょう。仮に我が軍に滞在すると、周囲からは袁氏に仕えるものと思われますし、もし我が陣を去ることになりましたら、袁氏を見限ったという見方をされるかもしれません」
「それで、鮑信殿をお薦めしたと」
「ええ。彼女には徳がありますから。見返りを考えることなく、客人をもてなすには最適の人物です」
「成る程。しかし、袁遺殿。私にはそうした気遣いが足りないような気がしますが?」
「申し訳ありませんが、我が軍には軍師は兎も角、将が足りません。趙雲殿に逃げられては、行動が取れなくなってしまいます。酒とメンマは特上の物を用意しておりますので、今後も手を貸して頂けないでしょうか?」
 趙雲は笑った。
「そうまで言われては仕方ないですな。私もこの連合軍の行く末には興味がありますし、暫くはお仕えいたしましょう。……決して、物に釣られたわけではありませんぞ?」
「……ええ、分かっていますよ」
 一緒に旅をしていた間、あれ程酒とメンマについて語っていた癖に。
 恭介は眼を閉じる。
 程立と郭嘉。二人はこの時点では無名の存在であるが、勿論恭介はこの二人が優れた軍略の持ち主であることを知っている。出来れば袁紹に引き入れたいが、荀彧の例もある。
 かといって、自軍で遇すれば、一部の袁紹の家臣から不審の声が上がるだろう。
 恭介自身は袁紹の家臣のつもりだが、いまや身は一群の太守であり、兌州軍のまとめ役である。その上で、程立や郭嘉といった有能な人物まで自軍に招いたら、袁紹から独立する準備をしているとの噂が立つかもしれない。
 麗羽との絆は深いと自負しているが、かといって過信するのは禁物だ。何せ、今の自分と麗羽は距離が離れており、直接意見を述べることが出来ないのだから。
「……あの恭介君? 先程から、故意に無視してるのかな?」
「えっ? いや、余りに町民風な衣装が似合って背景と同化していたので気付かなかっただけだよ」
「それって、褒めてるんですか?」
 ぶつぶつと呟く荀攸を無視して、恭介は何業から託された筒を開封した。
「これは、絹か?」
 絹に文字を記すという時点で、この書状を差し出した人物の身分が高いことが分かる。
 三公からの書状だろうか?
 恭介は慎重に書状を開く。
 文章は、まず董卓の非道を糾弾した後、これを討つことを命じている。そして、袁紹を大将軍に任じ、連合軍を官軍として認めていた。
 そして、最後の署名を見て、恭介は思わず唸り声を上げた。
「……翼と鮑信殿を呼んできてくれ。それと、二人以外の者は、誰であろうと追い返すように!」
 珍しく、恭介は外に控えている兵士に怒鳴るように命じた。

「ふむ。これは有り難いが……」
「……扱いに困るね」
 鮑信と法正は書状を見て、同時に考え込んだ。
 今、天幕の中には恭介、荀攸、法正、鮑信の四人しかいない。
 趙雲は気を利かせたのか、「メンマが私を呼んでいます」と言い残し、去って行った。
「弘農王からの『董卓討伐』の勅命か。確かにこれがあれば、我々は官軍となり、兵の士気も上がるだだろう」
 反董卓連合に参加している諸侯の大半は、かつての大将軍何進に恩を受けた者が多い。その為、董卓に擁されている現在の皇帝よりも、何進の血縁である廃された弘農王こそが正当な皇帝であるという意識が強い。
 そういった意味では、弘農王の命は彼等にとっては勅命であり、官軍に任じられたことを伝えれば士気も上がるだろう。
「だが、この勅命を公表すれば、都におわす弘農王が董卓に害されるやもしれん」
 鮑信の言葉に一同は黙り込む。
 董卓に、一般的な常識が通じないのは明らかだ。
「麗羽様を大将軍にか……」
「浮かない顔だね。連合の総大将としてのお墨付きじゃないか。まあ、公表はできないけど」
 恭介の呟きに、法正は首を傾げた。
「……仮に公表できたとしても、麗羽様は一群の太守にしか過ぎん。そこへ大将軍の任が下りれば、嫉妬する者が必ず出てくる。それに今の麗羽様に大将軍の任は務まらないよ。力量に見合わぬ地位は身を滅ぼすもとになりかねない」
 尤も、現状では全て仮の話だ。
 四人が相談した結果、弘農王の勅命は現時点での公表を控えることにすること。自分達に万が一があった場合に備え、写しを曹操と袁紹の軍師である田豊に渡すこととした。

 己が知っている三国志と、この時代の三国志が似て非なるものということは分かっていた。 そもそも恭介が持っている知識は史実と物語が混じっているし、史実と伝えられたものが事実ではないことも多い。
 よって、持っている知識は「ないよりはまし」といった参考程度にしておくべきであり、物事を判断するのは、あくまで現在の常識を基準にすべきである。
 そう恭介は常に自身に言い聞かせていた。
 だが、董卓に常識は通用しない。
 理解していた筈なのに、この世界の常識に縛られていたのだろうか? 何処かで董卓と言う人間を甘く見ていたのかも知れない。
 その結果が……。
 
 都から届けられた生首の山を前にして、恭介は嘔吐した。
 その中には、多くの知人、友人の顔と一緒に、袁隗の顔の一部も含まれていた。



[38235] 33 冷静と激情の間で
Name: 羽市◆b131e28e ID:9a9fd995
Date: 2013/11/16 19:58
 袁隗の屋敷を董卓軍が襲撃した際、彼女は既に病死していたとも、毒を仰いだとも言われている。 
 事実は不明だが、屋敷を囲まれた際、彼女が既にこの世の人でなかったのは確かであった。
 だが事は袁隗一人では終わらなかった。
 袁氏の一族、門弟、使用人等。およそ三百人が首を切られ、屋敷は焼かれ、遺体は洛陽の広場に晒された。
 都での袁氏殺戮は、王朝の高官達を愕然とさせた。
 袁隗は董卓を王朝に推薦した恩人であり、その恩をこのような形で返すなど、彼等の常識では考えられないことであった。
 董卓はここまで残酷になれるのか。
 高官達は董卓に対する憎悪と嫌悪、そして恐怖を新たにした。
 一方で董卓は李儒の行いに満足し、首を百個ずつに分け、最後に袁隗の顔を三つに裂くと、三方へ贈るように命じた。

 最も早く首の山を受け取ったのは、南陽の袁術である。
 彼女は当初、積まれたそれが何であるか分からなかった。
 やがて、母親や一族の首と理解した途端、気を失い、床に伏せた。
 袁術はまだ子供である。董卓に対する憎悪よりも、母親を失った悲しみ、そして皇帝に並ぶ名声を誇っていた母親がこうも容易く命を失ったことに恐怖した。
 床に伏せ、悪夢にうなされ、泣きじゃくる。年相応の反応である。問題は、その袁術に張勲が付きっきりだということだ。
 元々、南陽の政務は一切を張勲が取り仕切っていたので、南陽の機能が麻痺した今、孫堅は洛陽までの兵站を確保することが出来ず、無為の時を過ごすこととなった。
「袁術には同情する。だからこそ、我々は一刻も早く洛陽に向かいたいのだが……」
 孫堅は空に向かって嘆いた。

 次いで、兌州の恭介である。
 彼は袁氏三人の中では、尤も感情にとらわれない人間であるが、流石にこの行いには平静を保てなかった。
 恭介は嘔吐した後、首を供養するよう命じると自らの陣に戻り、髪の毛を掻きむしった。
 彼にとっては袁隗個人の死よりも、共に書を読み談笑し、同じ食事を食べた家人や使用人達の無残な死の方が辛かった。
 そして、董卓への怒りを募らせつつも、これが連合軍を誘い出す手であり、袁紹が激怒して進軍することも予想出来ていた。
 恭介は董卓への怒りの感情を抑えつつ、袁紹へ手紙を書く。
 くれぐれも感情に任せて兵を動かさないこと。
 周囲の進言をよく聞くこと。
 いつか董卓との決戦の場を用意するので、それまで討って出ないこと。
 兄が妹を諭すような手紙を書きつつ、決して袁紹は納得しないだろうと恭介は予想していた。
 
 案の定、使者を送り出した次の日には、袁紹からの早馬が陣に着いた。
 どう考えても、自分の手紙が届く前に、董卓の行いに激怒した袁紹が使者を出したのであろう。
 予想通り、袁紹の手紙は何枚にもわたって董卓の非道を訴えていた。そして、すぐにでも決戦をしたいのが、周囲がこぞって反対しているので、策を出して欲しいという内容であった。
 どう袁紹を説得すべきか、手紙の文面を考えている間にも、袁紹の早馬は毎日のように恭介の陣を訪れていた。
「また麗羽様からの催促かい?」
 珍しく法正が困惑した顔をしている。
 彼女も恭介と同様に、現状の打開策を見いだせないでいた。
「……催促じゃない。脅しだよ。誰も賛同しないのなら、自分だけでも董卓と決戦すると言っている」
 袁紹の手紙は日を追おう事に過激さを増し、とうとう一人であろうとも出陣すると宣言していた。
 袁紹は従妹を寵愛する叔母に対しては屈折した感情を抱いていた。
 だが、どんな人物であれ、親代わりに変わりは無い。
 更に恭介と同様に、幼少の頃から世話していた家人達の無残な首が、彼女を激怒させていた。
 使者の話によると、出撃を唱える袁紹を、田豊、顔良、逢紀らが必死に制止しているらしい。
「それこそ董卓の思う壷ですぞ! 黄河を渡れば、そこは相手の庭! ご再考下さい!」
 と田豊が言えば、
「袁紹様のお怒りは分かります。ですが策なくては味方の被害が増すばかりです」
 逢紀も必死の形相で訴えていた。
 更には武官の代表である顔良までが、
「麗羽様。残念ですが、我が軍と董卓軍が正面から激突した場合、我が軍の勝算はありません」
 と反対の声を挙げていた。
 もう一人の武官の代表である文醜は意見を述べていないという。
 おそらくは、個人としては出撃したいという思い、そして指揮官としての勝算の間で葛藤しているのだろう。
「……では、どうすればいのです! 私に、一族の仇も取らない臆病者になれと言うのですか!」
 袁紹はそう周囲を怒鳴りつける毎日であるという。
「このままでは、麗羽様は間違いなく董卓に戦いを挑み、そして敗れる。翼、何か手はないか?」
「策なく董卓に戦いを挑むのは論外だけど、このまま静観しているのも意味がない。
 今、世の声は袁氏への同情に溢れている。だが、同情の声は同時に期待の裏返しだからね。このまま袁氏が董卓を恐れ、何も行動を起こさなければ、袁氏への期待は失望に繋がる。
 全く、人間とは勝手な生き物だとは思わないかい?」
 法正は皮肉めいた口調で語った。
「……つまり、麗羽様か、袁術、そして俺の誰かが、世間の期待に応えて動くしかない訳か」
「そうだね。そして、袁術軍は数だけの軍でしかなく、麗羽様は連合軍の盟主なので負ければ一大事だ。とんだ貧乏くじだが、僕たちが動くしかないだろうね」
「負けることが前提か……」
「先日から氾水関の応戦に勢いがある。洛陽から援軍が来たのは間違いないよ。攻城兵器すら持たない連合軍に、氾水関を落とす手段はない」
 法正の言うとおり、先日から氾水関からの反撃が激しくなっていた。斥候の持ち寄った情報を見る限り、氾水関に増援が来たのは間違いないようだ。
 そう言えば、増援と前後して、氾水関から『呂』の旗が消えていた。
 もし呂布が率いる騎兵が袁紹の陣を襲撃したら……。
 想像すると、恭介の背中に悪寒が走った。
「袁遺殿」
 天幕の外から趙雲の声が聞こえた。
「風と稟の二人が、袁遺殿に話があるというので連れてきたのだが、お邪魔してよろしいですかな?」
「構いませんよ」
 恭介が返事を返すと、趙雲が二人の少女を連れて天幕へと入ってきた。
 先日、都より脱出した程立と郭嘉(かくか)だ。今は鮑信の陣へ滞在しているが、恭介は多忙であり、二人と話す機会を持てなかった。
 二人を袁紹の軍師に加える。最悪でも曹操の下に行くのを防ぐこと。
 それも重大な案件だ。ただ二人を袁紹に引き合わせたところで、荀彧のように曹操に仕えるかもしれない。
 今のところ、恭介は二人を袁紹の幕下に招く有効な手段を思いつけないでいた。
 二人は袁氏の不幸について悔やみの言葉を述べた後、恭介に問う。
「やはり、袁遺殿が出陣なさるのですか?」
 やはり、という言葉を使う辺り、二人は袁紹と袁術が動けないことを察しているのだろう。流石の洞察力といったところか。
 郭嘉が言葉を続ける。
「我々は都から脱出してきた身。袁遺殿のお力になれるかと思い、意見を述べにまいったのですが……」
「それはありがたい。是非ともうかがいたいですね」
 部外者の自分達が意見を述べて良いのか。そう躊躇している郭嘉に対し、恭介は笑みを浮かべつつ席を勧めた。
 安堵の表情を浮かべ、郭嘉と程立は席に着く。趙雲は二人の背後に立ったままだ。
 郭嘉は机上に広げられた地図のうち、氾水関を指差すと、
「失礼ながら、現状の攻撃では氾水関は落ちないと思われます。もし落とすのであれば、内通者を作り、城門を開けさすしか手はありません」
「ですが、氾水関の守りを固めている将は、皆さん董卓の子飼いです。戦況が不利でもないのに、こちらに内通するとは思えません」
 程立が郭嘉の言葉を引き継いだ。
「おっしゃる通りです」
 恭介は頷いた。
「そこで、氾水関を正面から攻めるのではなく、背後から攻めるのはどうでしょう?」
「背後?」
「はい。氾水関を避け、南西に進むと山地が見えますが、その山地の一部に、人の通れる抜け道が存在します」
「私達はその道を使って逃げてきたのですよ」
「そのような抜け道があるとは、聞いたことがないのですが……」
 趙雲の言葉に、法正が怪訝そうに地図を見直す。
 程立は法正に分かるように、山脈の一部を指さした。
「地元の人しか知らない抜け道ですから、地図にも載っていません。ただ、人が一人二人通り抜けられる程度の広さしかないので、輜重(しちょう)隊を連れていくのは厳しいです」
「よって、兵站の確保は難しいです。しかし、抜け道を通り、背後から攻撃を仕掛けることが出来たら、氾水関が混乱することは間違いないでしょう。
 そして、後方からの奇襲と同時に、正面の連合軍が総攻撃をかければ、氾水関が落ちる可能性は大いにあります。
 ですが、失敗すれば、奇襲部隊は全滅するかもしれません」
「……博打だね。兵站が確保できない以上、短期決戦、負ければ壊滅だ」
 郭嘉の言葉に法正はそう呟くと、恭介の顔を見た。
 程立と郭嘉の示した策は、危険要素が多い。だが、危険故に成功した場合の戦果が期待できる。それに手詰まり状態の連合軍が、主導権を握り戦いを挑めるのは魅力的だ。
 そして何より、これ以上恭介が動かなければ、世間の袁氏への感情は失望に代わり、袁紹も暴発するだろう。
「まさか、この俺が先陣を切るとはね」
 猛将どころか、文弱扱いされている自分が連合軍の先陣を切るとは。
 恭介は苦笑するしかなかった。

 その後、法正と荀攸の二人と共に策を練ると、恭介は自陣に曹操と鮑信を呼び、意見を求めた。
 兌州には多くの諸侯が集まっているが、恭介が信頼しているのはこの二人だけである。
「このまま何もしないでいると、色々と面倒よね」
「賛成です。これ以上、董卓を放置する訳にはいきません」
 曹操は納得と皮肉を、鮑信は義憤のこもった声で、恭介の策に賛成した。
 即ち、恭介の軍を別働隊にして、氾水関を迂回して背後から奇襲、時を同じくして連合軍も総攻撃をかけるという作戦である。
「奇襲とはいえ、袁遺殿の軍だけでは少なすぎる。私も参加しましょう」
「それは有り難い申し出ですが、非常に危険な役目ですよ?」
「これは異な事を。危険でない戦いなどありますまい。それに、太傅は董卓にとって恩人であった筈。この度の董卓の所業は、人として許せませぬ!」
 鮑信は迷いなく答えた。
 利益に関心を持たず自身の主義と理想を第一と考える鮑信の顔は美しかった。
 思わず恭介は羨望の、曹操は欲望の眼差しで鮑信を見る。
「では、自分と鮑信さんで奇襲をかけますので、連合軍の指揮は曹操さんにお願いしたいのですが」
「他の連中が私の指揮に従うと思う? 宦官の孫である私の指揮に? 貴男が出陣前に、諸侯の腐った正義感を刺激するような青臭い台詞でも吐いて、お膳立てをしてくれないかしら?」
「……自分にそんな力があれば、毎日饗宴で機嫌取りなどしていませんよ」
 自分と鮑信が留守にした場合、果たして連合軍の指揮はまともに機能するのか。
 同じ思いなのだろう。三人とも黙り込んでしまった。
「きょ、恭介様!」
 そんな沈黙を破ったのは、常に恭介の身辺を警護している少女、張郃の外からの呼びかけだった。
「どうしました?」
「は、はい。その……え、袁紹様が、その……」
 張郃の声は何故かうわずっていた。
 大方、麗羽から使者がやって来て、火凛に高圧的な態度でも取ったとのだろう。麗羽の部下から見れば、火凛は陪臣でしかないのだから。
 恭介は優しい声で、張郃に答える。
「また麗羽様からの使者ですか……。いいでしょう、通して下さい。それと火凛ちゃんにあたるような使者は叱責しなければいけませんね」
 恭介の軽口に、
「何言ってんだよ! アタイが火凛を虐めるわけないだろう!」
 聞き慣れた声がしたかと思うと、懐かしい女性が天幕に入ってきた。
「い、猪々子さん!?」
 恭介は絶句した。
 文醜は顔良と共に、袁紹軍を指揮する将軍である。使者の役割を果たすには不釣り合い過ぎる人物だ。
「……ど、どうして、猪々子さんが使者に?」
「猪々子さんは使者ではありません。護衛です」
 そう言って、文醜の次に姿を現したのは、連合軍の盟主にして恭介の従妹、袁本初その人だった。



[38235] 34 出陣
Name: 羽市◆b131e28e ID:9a9fd995
Date: 2013/11/16 19:58
「麗羽様。どうしてこちらにやって来たのです?」
 曹操と鮑信が引き上げた後、恭介は唖然として袁紹に問い詰めた。
「知れたこと。董卓を討つ為に決まっているではありませんか!」
 袁紹は胸を張って答えた。
「周囲は皆、反対したのでしょう?」
「ええ。ですから、こうして猪々子さんの軍に紛れて抜け出してきたのですわ」
 周囲から出陣を反対され続けた袁紹は一計を立てた。
 まず文醜を使者に立てて恭介の意見を聞く事を命じた。
 文醜が軍を率いて兌州に向かうことを、袁紹の幕僚達は黙認した。戦好きの文醜とその軍が側にいては、いつ袁紹の出陣に賛成するか分からない。それを恐れた為である。
 そして、文醜が発った後には、唖然とした幕僚達が残された。
 袁紹は文醜の軍に紛れ、自軍を抜けてしまったのだ。
「きちんと手紙は残しておきましたわ。『ただ陣に篭るだけの軍の大将など、その辺から拾ってきた人形に任せない』と。
 それより、恭介さん。先ほど、面白い話をしていましたよね?」
「……さて、何のことやら」
 袁紹の力強い眼光に、恭介は目を逸らした。まるで浮気が発覚した男のような後ろめたい気持ちを抱いて。
「いや、アニキさ。もうあたいら奇襲作戦のこと知ってるんだよな」
 笑顔を浮かべた文醜が、恭介の背後に立ち退路を塞ぐ。
「着陣してすぐ、出迎えに出た荀攸を脅したら、あっさりと吐きやがったぜ」
 桂樹のへたれ野郎が。これだから頭でっかちの知識人という輩は!
 恭介は自分のことを棚に上げ、心の中で友を罵った。 
「恭介さんは、私に隠し事はしませんよね?」
「勿論です」
「そうですわよね。私、恭介さんを心から信頼していますわ。
 ですから、もし信頼を裏切られたら、恭介さんを刺し殺して、そのまま単騎で敵陣に飛び込んでしまうくらい取り乱すかもしれません。勿論、仮の話ですけどね」
「……自分が麗羽様の信頼を裏切るなど、華琳さんが帝位につくようなものです」
「ですわよね。有り得ませんよね? で、恭介さん。私、貴男の口から直接、『奇襲作戦』について聞きたいですわ」
 結局、恭介は先程心の中で罵った友人と同じく、袁紹に屈した。
 黙って暴走されるより、正直に話して対処を考える方がいい。
 それが袁紹と上手く付き合う方法である。
 長年の付き合いで、恭介は既に悟っていた。

 翌日、軍議に集まった諸侯達は、恭介を従えて座る袁紹の姿に驚きの表情を浮かべた。
 だが、袁紹が「軍議を始めます」と宣言すると、皆表情を引き締め、席に着いた。
 昨日までの弛緩した空気とのあまりの違いに、曹操などは呆れたような顔を見せている。
 確かに、諸侯は現金ではある。
 が、これこそが、袁紹の持つ風格を表していると言えるだろう。
 良きにつけ悪しきにつけ、袁紹の存在は場を支配していた。
「我々が挙兵したのは何の為です? 苦しめられている民の為でしょう! 董卓の非道に対し、自らの損得を考えている場合ではありません。すぐにでも氾水関を落とし、都の董卓を討つべきです!」
 袁紹の気迫の前に、諸侯は皆頷いた。
「では、恭介さん。皆さんに氾水関の攻略作戦の説明をお願いしますわ」 
「はい。では、麗羽様に代わり説明をさせて頂きます。
 まずは、これまでの包囲持久の姿勢を解き、氾水関を落としますことを目的にします。
 その為に、皆様には今までの遠距離からの攻撃ではなく、関を落とすような、激しい攻撃をお願い致します」
「力攻めで落ちるとは思えんが……」
「……例え落としたとしても、こちらの被害も甚大なものになろう」
 恭介の言葉に、諸侯の間から否定的な声が上がる。
「勿論、ただ正面から攻めるだけでは、皆様の言う通りで、甚大な被害を被るでしょう。
 よって、別働隊を編成し、迂回させて氾水関の背後に回り込ませます。
 そして別働隊が背後から攻撃を仕掛けるのと同時に狼煙を上げ、皆様にも総攻撃を加えて頂きます。正面と背後から攻撃を受ければ、いかに氾水関といえども耐えられぬでしょう」
 斥候がもたらした情報を照らし合わせると、氾水関に篭る兵は五万ほど。
 対する連合軍は二十万である。別働隊を編成する余裕は十分にある。
「別働隊は、抜け道を使い氾水関の背後に回りこみます。皆様には、氾水関を落とすのではなく、別働隊の動きを覚られぬ様、敵を氾水関に釘付けにする為の攻撃をお願いしたいのです。
 当然ですが、今までの戦いと違い、多少の犠牲も出るでしょう。ですが、このまま動かなければ、天下は我々を笑いましょう。一体、何の為に挙兵したのだと」
 恭介の説明が終わると、諸侯は互いの顔を伺っていた。
 皆、自軍に損害が出るのは避けたい。おそらく恭介の意見であれば、諸侯は賛同しなかっただろう。
 だが、総大将である袁紹の意見である。
 諸侯は、袁紹の機嫌を取ろうと、進んで賛意を示した。
 寧ろ、袁紹の勇気を褒め称え、直ぐにでも氾水関に攻めかかる勢いを見せていた。
 そんな空気の中、末席から手が上がる。
「あの、別働隊の編成はもう決まっているんですか?」
 劉備であった。
 自らの賛辞が中断され袁紹は顔をしかめるが、そんな感情に気付いていないのか、劉備は普段通りの邪気の無い表情を浮かべていた。
 この物怖じしない性格は、一種の才能だな。
 恭介はそう感心しつつ、不機嫌な様子の袁紹に代わり答えた。
「はい。大軍で移動すると発見される可能性が高いので、自分と鮑信殿の部隊で奇襲をかけます」
「あの、よろしければ私たちも参加させて頂けませんか?」
 劉備の問いかけは、非常に魅力的だった。
 兵数は少ないが、劉備軍の将は質が高い。奇襲部隊として最適かもしれない。
 だが、恭介が答えるより早く、袁紹が口を開いた。
「結構です。私からも援軍を出しますので、要らぬお世話ですわ。劉備さんには正面からの攻撃に励んでください」
 自らへの賛辞が中断されたからか、袁紹の声は冷淡だった。
「別働隊は少数精兵の方がいいわよ? よければ私の軍からも兵を出すけど?」
「……必要ありませんわ。華琳さんも正面からの攻撃に励んでください」
 曹操に答えた後、袁紹は何故か急に黙り込んだ。
 
 軍議が終わり天幕に戻ると、開口一番、袁紹が口を開いた。
「ところで、恭介さん。貴男、いつから華琳さんのことを真名で呼ぶようになったのです?」
 心なしか声音が低い気がする。
「ええと、華琳さんが都から離れる際に真名の交換をいたしまして……」
「華琳さんは学生時代からの知りあいでしょう? 何故今頃になって真名の交換などしたのです?」
「さあ。私には華琳さん……いえ、曹操殿の考えは分かりません」
 実は華琳さんから何度も配下になるよう誘われています。そう言ったが最後、何かとてつもなく恐ろしい事態に陥りそうな予感がする。
 袁紹の前で曹操の真名を呼ぶのは危険だ、そう恭介の本能が警告を発していた。
「しかし、麗羽様に来て頂いて助かりました。私の発案では、おそらく諸侯の賛同は得られませんでしたから」
 恭介は露骨に話を逸らした。
 だが、嘘偽りを述べている訳ではない。
 袁紹の『威』がなければ、軍議は今も紛糾していただろう。
「厚かましいお願いなのですが、しばらくこの地に滞在して頂き、諸侯の指揮を取って頂けないでしょうか? 軍師として翼を付けますので」
「何を言っているのです、恭介さん? 私も出撃いたしますわよ」
 さも当然のように答える袁紹。
「……は?」
「で・す・か・ら! 私が別働隊を指揮すると言っているのです! 安心なさい、恭介さんは私の隣に居てよろしくてよ」
 何を安心しろというのだろう?
 恭介は絶句した後、静かに反論を試みた。
「おそれながら、奇策とは成功する可能性が低いものです。そのような部隊の指揮を麗羽様がお執りになる必要はありません」
「それでは、恭介さんは自分が死ぬと思って出陣するつもりでしたの?」
「いえ。勿論、勝算がなければ行動は起こしません。ですが、これは賭け事のようなもので、多少の危険も伴いますので」
「なら、余計に見過ごせないぜ!」
 天幕の中に文醜が入ってきた。
「姫、文醜隊の出撃準備は終わったぜ。すぐにでも出発できる」
「そうですか。では、すぐに出陣いたしましょう」
「麗羽様!」
「……恭介さん。私にも面子があります。叔母上を殺され、一族を根絶やしにされて黙っているなど、私、袁本初に相応しくありませんわ」
 恭介の声に、袁紹は真剣な表情を浮かべて呟いた。
「お気持ちは分かります。ですが、代わりがいないのが総大将です。
 仮に自分が討たれたとしても、麗羽様の軍師は田豊様が務めるでしょう。そして田豊様が没したとしても、翼がおります。翼が素行不良で罷免されれば、桂樹が跡を継ぐでしょう。
 軍師に代わりは幾らでもおります。ですが、麗羽様の代わりにはおられないのです。ですから、どうかこの地に留まって頂けないでしょうか?」
 恭介の懇願に、袁紹は微笑した。
 それは久々に見る、子供の頃からの優しげな笑みだった。
「恭介さん。私にとっても、貴男の代わりはいないのですよ?」
 なおも恭介は袁紹の参軍を止めようとしたか、彼の謀臣である法正は反対した。
「いや。麗羽様には一緒に戦ってもらったほうがよい。この策で氾水関を落とした場合、恭介の名声は高まるだろう。そうすれば、君と麗羽様の間を引き裂こうと動き回る連中も出てくるに違いない。
 いつの世にも、人を陥れるのが性分な者はいるものだからね。
 それに、勝てば勿論のこと、例え負けたとしても、董卓に戦いを挑んだ将として、麗羽様の名声は更に高まるのだから、悪い話じゃない。
 第一、この程度の戦いで討たれるのなら、麗羽様もそこまでの人物ということさ。とても世を治めることなど出来ないよ。
 もっとも、麗羽様からは理屈では説明できない『運』を感じるけどね。負け戦で死ぬのは、君や僕のような、華がない人物と相場が決まっているのさ」
 恭介は自身よりも法正の知略を評価していた。その彼女が袁紹が指揮を取った方がいいと言うのだ。ならば従うべきだろう。
 それに、袁紹のあの笑顔は卑怯だ。
 恭介は何とも言えない気恥ずかしさを覚えながら、別働隊の編成に取りかかった。
 
 恭介の二万の軍勢と鮑信の一万五千の軍勢、そして袁紹が連れてきた五千の兵。
 合計四万の兵が、袁紹を総大将として出陣したのは翌日のことである。



[38235] 35 激突、そして……
Name: 羽市◆b131e28e ID:9a9fd995
Date: 2013/11/16 20:37
「なんや、思ってたより順調やん」
「苦労するのはこれからだぞ、真桜」
 紫色の髪を弄りながら笑顔を浮かべた少女に、銀髪の精悍な顔をした少女が応じた。
「これから先は、輜重(しちょう)隊が付いてこられない抜け道を進軍する。携帯できる兵糧は三日分が精々だ。その間に、我等は氾水関を落とさなければならないのだぞ」
「鮑信様は退却も考慮すると、一日だけで落とさなければって言ってたの」
 二人の少女の会話に、眼鏡をかけた少女がのんびりとした口調で割って入った。
「沙和はここに留まり、輜重隊を指揮するんだったな」
「そうなの。荷台は無理でも、人の手を使って少しでも兵糧を運びなさいって命令なの」
「兵站を任されるって、沙和は鮑信様に信頼されとるなあ」
「そんなことないの。それに鮑信様は『資金さえあれば、真桜に攻城兵器を任せられるのに』って言ってたし」
「そ、そうなん? ま、まあ、うちの改良した投石機があれば、どんな難所も落とせるけどな!」
「……まだ図面しか出来てないだろう」
 銀髪の少女が呆れた様に呟いた。
「仕方ないやろ。昔から発明家っちゅうもんは、有力者に資金を援助してもらうもんや。資金を稼ぐ才能は備わってないのが発明家の宿命やさかい」
「それは自慢げに言うことじゃないと思うの」
 後方を行く鮑信軍の中で、三人の少女が日常と変わらぬ言い争いをしていた。
 精悍な顔をした銀髪の少女が楽進、真名を凪。
 女性の魅力に恵まれた身体の、口調に特徴のある少女が李典、真名を真桜。
 眼鏡をかけ、二人に較べれば柔らかい表情をしている少女が于禁、真名を沙和。
 いずれも鮑信が地元で塾を開いていた際の教え子であり、この度の挙兵に対して真っ先に義勇軍に加わった少女達である。
 鮑信は義勇軍の兵士の中でも、楽進、李典、于禁の三人に将器を感じていた。
 そのことを副将である妹の鮑忠に語ると、
「袁遺殿といい、姉上はまだ誰も目を付けていない先物を買う癖がありますね」
 と笑われてしまったのだが。
 鮑信の軍勢は一万五千人だが、曹操や恭介と違い彼女は太守や牧ではない。その為、兵士の大半が、彼女を慕って集まった義勇兵である。
 如何に鮑信に人徳があったかの証ではあるが、彼女自身は集まる義勇兵に対しては寧ろ否定的であった。戦場に出るということは、命が危険に晒されることだ。自身のように一時でも王朝の禄を食んだ者なら兎も角、王朝の政(まつりごと)の犠牲者である民の命を戦場に散らせてよいものか。
 結局、鮑信は一度は参加者を諭し、それでも意思を曲げない者のみを率いて参戦することとなった。その為、鮑信軍は装備や錬度は他軍に劣るが、主将に対する敬意と戦意は非常に高い。
 本陣を出発してから一週間、別働隊は無事に山脈の間、目立たない場所に存在する抜け道へと辿り着き、行軍を開始した。
 
 董卓の元に、氾水関への攻勢が激しくなったとの早馬が入ったのは、それより三日前のことであった。董卓軍の兵士達はそろって馬の扱いが上手く、早馬や騎馬隊の速度は連合軍の想像より遙か上である。
「氾水関は小物ぞろいだが、兵数だけは多いからな。犠牲を厭わなければ、落とされるかもしれんな」
「ならば、至急に援軍を出さなければなりませんが……」
 李儒の言葉に、董卓は考え込んだ。
 氾水関の攻勢は擬態であり、増援を差し向けた途端、袁紹や孫堅が洛陽に攻め上がってきたら目も当てられない。
「袁紹と孫堅の動きはどうなっておる?」
「未だ陣より動いておりません。どうやら、諸侯の連携は上手くはいってない様子ですな」
「……ならば、速攻で氾水関の連合軍を討つ。儂の手でな」
「ですが、袁一族を処刑して以降、朝廷には我等に対して反感を持つ者も増えております。相国自ら出られては、都で反乱が起きるとも限りません」 
 自ら軍を率いようとする董卓に、李儒が懸念を口にした。
「都に残っている連中に、そんな度胸があるとは思えんが。……一応、袁紹と孫堅には備えるべきか」
 しかし自分以外に一軍を率いるだけの器量と、裏切る心配の無い将はいるか。
 考えた込んだ董卓の脳裏に、一人の女の姿が浮かんだ。
「徐栄を呼べ!」
 
 翌日、洛陽から三万の軍勢が出立した。 
「やっと戦えるぜ! 都の生活はもう飽き飽きだ」
 馬上の女性の声は実に楽しげな声を上げた。
「将軍は、先日の王匡軍との戦いに参加していましたよね?」
 徐栄の横に馬を並べているのは、軍師に任じられた賈駆である。
 なお、徐栄に付けられた武将は呂布、張遼、華雄といった一騎当千の猛者達であるが、いずれも董白の一派であった。董卓が扱いにくい武将達を押し付けたとも言える。
「ああ。あの戦いは実に味気なかった。何せ相手が弱すぎたからな。だが、今度の敵は我が軍より数も多いし、優れた将もいると聞く。今から戦うのが楽しみだ!」
 徐栄。
 年は二十台の半ばで恭介と同年代である。
 肩までかかる黒髪の似合う女性であるが、美女と評するにはいささか眼光が鋭すぎた。その目は常に獲物を探している肉食獣を思わせる。
「お前らだって、功績を上げて、月を開放したいんだろう。なら、俺の下知には従えよ」
 徐栄は董卓派でも董白派でもなく、ただ戦いを好む武人でしかない。王朝がどうなろうとも、董卓と董白のどちらが主になろうと、彼女の知ったことではなかった。
「しかし、なんで連合軍は急に氾水関に猛攻を仕掛けてきたんだ?」
「それは、やはり袁氏の報復戦だと思うけど……」 
「んな訳あるか。そういった義心で兵を動かすような奴なんて、世間には数える程度しかいないぞ」
 徐栄は賈駆の意見を鼻で笑った。
「じゃあ、将軍はどう考えているのですか?」
「今まで動かなかった軍が急に動き出した。何が勝機を見つけたんじゃないか? 内通者が現れたか、攻城兵器が用意できたか」
「そのような情報は入ってきてないけど……」
「ただの思い付きだ。つまり、何らかの策があるからこそ軍を動かしたってことだ」
「どういう策です?」
「俺が知るか。軍師なんだから、お前が探れ。探り当てたら、功績は全部お前らにくれてやる。俺はただ戦いたいだけなんだからな」
 そう言うと、体力が余っているのか、徐栄は何やら叫びつつ馬で駆け出した。
 残された賈駆は、諦めた様に溜め息を吐くと、来るべき戦いに思考を切り替える。
 徐栄と違い、彼女には功績を挙げなければならない理由があるのだ。

「全軍、無事に集結いたしました」
 人が横に並べない程の狭い抜け道を進むこと半日、別働隊は険しい山脈を越え、深い森を抜け、ようやく広い大地へと出た。
 後は氾水関を背後から強襲するだけだ。
 最早、時刻は夜であり、全軍は休息している。
 といっても、輜重隊が無い以上、天幕などなく、兵士達は身体を寄せ合って焚き火で暖を取りつつ眠っているのだが。
「恭介さん。ここから氾水関まで、どれ位の距離ですの?」
「夜が空けぬうちに出撃すれば、昼には攻撃できるでしょう」
「随分と慌しい進軍ですわね。まだ兵糧は残っているのでしょう」
「はい。ですが、氾水関の守りが堅固ならば退却も考えなければなりません。周囲の村に使者を送り、兵糧を譲ってもらうよう交渉はしておりますが、あまり期待はできません」
 恭介の返答に袁紹は「そうですか」と答えると口を噤んだ。
 周囲には他に人がおらず、ただ焚き火が燃える音だけが響く。
「……何か、お悩みですか?」
「……どうして、そう思うのです?」
「麗羽様はこうして無駄に時間を使う方ではありませんので」
 恭介の知る袁紹ならば、既に寝息を立てる筈だ。こうして、やることもなくぼんやりしているような人間ではない。
 袁紹は恭介の顔を見ると、一瞬の躊躇の後、口を開く。
「……恭介さん。私、叔母上が亡くなっても、あまり悲しくはないのです。ですが、世間は私に親と一族の仇を取ることを期待しています。おかしな話ですわ」
 袁紹の口調は普段の彼女に似合わぬほど淡々としていた。
「儒教では、親への孝が第一と言います。ですが、私は育ての親である叔母上よりも大将軍が亡くなったときの方が余程悲しかったですわ。……仮に、斗詩さんや猪々子さんにもしもの事があれば、やはり泣くかもしれません。親よりも血の繋がらない者を大事に思う私は、人として、何か間違っているのでしょうか?」
 この時代は、何よりも親への考が第一とされていた。
 この袁紹の発言を大多数の者が聞けば、彼女を罵るであろうし、名声は地に落ちるだろう。
 相手を信頼していなければ問えない問題である。
 ならば誠実に答えるしかない。
「よろしいのではないですか? 親が大事な人もいれば、友が大事な人もいる。或いは、恋人が一番大事な人も、子供が一番大事な人もいるでしょう。自身が大事だと思うものを大切にすべきだと、私は思います」
 果たして、恭介の言葉は袁紹の望む答えだったのだろうか。
 暫しの沈黙の後、袁紹は普段より力の籠もった声で宣言した。
「……ならば、私は私の思うままに振る舞いましょう」
 その言葉に込められた意味を恭介が知るのは、随分と後のこととなる。 
 
 翌日、夜が明けぬうちに進軍の命を下そうとした恭介の下に、慌ただしく斥候が戻ってきた。
「都方面から、董卓軍がこちらに向かっております! 数は不明!」
「……旗印は?」
「『徐』と『呂』の旗は確認いたしました」
 『徐』の旗ということは、徐栄であろう。
 この時、恭介の脳裏には、一つの場面が浮かんでいた。
 都・洛陽を焼き、長安へと引き上げる董卓軍を単独で追撃する曹操軍。そして曹操軍は待ち伏せていた徐栄に大敗し、曹操は命からがら戦場を脱出する。
 三国志演義のとある一場面である。
 まさか、曹操の役割を自分達が担うということか?
 恭介は不吉な予感を覚えつつ、すぐさま諸将を集めた。

「戦うしかあるまい」
 鮑信の言葉が全てを表していた。
 都からの董卓軍は氾水関への増援であろう。これを無視して進軍すれば、氾水関を攻撃中に背後を襲われてしまう。
「我々と同じく、抜け道を使い、本軍を奇襲する可能性はありませんか?」
「その可能性は低いでしょう。董卓軍の主力は騎兵です。少数ならまだしも、多数の騎兵で抜け道を移動するのは困難です。進軍の困難は勿論ですが、人と馬、二つの兵糧を用意しなければなりませんから」
 超雲の言葉に、法正は首を振った。
「けど、どうしてこの時期に董卓は援軍を派遣したんだ?」
 文醜が疑問の声を挙げる。それに答えたのは荀攸だった。
「おそらく、袁紹様が檄を飛ばした結果、諸侯はそれまでの戦意の低さが嘘のような猛攻を氾水関に加えているのでしょう。それこそ、氾水関が落ちるかのような攻撃を」
「その結果が、都からの援軍とうちらの鉢合わせかよ。意味ねーじゃん」
「……いえ、むしろ逆に考えましょう。氾水関に入られる前に敵を叩く機会だと。関に入れば、兵数以上の力を発揮されてしまいますから。
 麗羽様、この地で敵軍を迎え撃つべきかと考えますが?」
「結構です。董賊の軍など、我等の敵ではありません! 皆さん、よろしいですわね!」
「応!」
 袁紹の言葉に諸将は力強く頷いた。
 そして諸将が作戦を打ち合わせる中、恭介はそっと軍議の場から離れると、本陣に援軍を要請する急使を送った。

「将軍! 敵兵らしき部隊が前方に布陣しております」
「まさか氾水関が落ちたのか!」
「ど、どうなさいます?」
 先発隊から、連合軍が布陣しているとの報告を受け、徐栄の幕僚達は混乱の声を上げた。
「……見苦しい、黙れ」
 だが、徐栄が不機嫌そうに吐き捨てると、皆口を噤んだ。
 彼女が些細なことで機嫌を損ねる人物であることに気付いたようだ。
 戦いや流血を好むのは董卓と同じであり、異なるのは権力や金銭に対する欲の無さである。
「氾水関が落ちていようがいまいが、目の前に敵が布陣しているのなら、これを討つのが俺達の仕事だ。全軍、突撃の準備に移れ! 張遼は騎兵を、華雄は歩兵を率いて連合軍を叩き潰せ!」

 董卓軍が平原に姿を見せた頃、連合軍は既に布陣を終えていた。
 まず、主力の軍を二手に分けて、右側に袁遺軍、左側に鮑信軍が布陣した。  
 袁遺軍の指揮は高覧が受け持ち、補佐する軍師に荀攸を置いた。また超雲も将として参軍している。鮑信軍は、大将の鮑信と妹の鮑忠、それに楽進、李典が参軍。共に兵数は一万五千である。
 そして両軍の後ろの森の本陣には袁紹、恭介、法正、張郃が固め、遊軍として文醜が率いる騎馬隊を用意した。兵数は共に五千。
 前線部隊は董卓軍と交戦した後に徐々に後退し、董卓軍を森に引きずり込む。 そして騎兵の動きが鈍ったところを、本陣の長弓隊や弩隊で狙撃。そして董卓軍が混乱している間に、文醜の騎馬隊が背後に廻り、包囲殲滅するという作戦である。
 即効にしては出来のよい作戦だと、諸将も自信を持って董卓軍を待ち構えていた。
 だがこの時、袁紹は無論、恭介や法正も大切なことを忘れていた。
 相手が今まで戦ってきた賊徒と違い、戦歴豊富な董卓軍であるということだ。

 午前九時、両軍は正面から激突した。
 董卓軍の作戦は単純である。張遼の騎兵がその破壊力で連合軍に穴を開け、華雄の歩兵がその穴を広げるというものであった。
「迎撃せよ。いいか、まともに正面からぶつかるな。敵の力を受け流しつつ、まずは敵軍の強さを測れ」
 怒濤の勢いで突進してくる騎馬隊の姿に対し、袁遺軍の指揮官である高覧は動揺を隠しつつ配下の兵士達に命じた。
 が、槍を交えて一時間もたたないうちに、高覧は指令を撤回する羽目に陥った。
「将軍、敵の勢いが強すぎます!」
「先陣はほぼ壊滅!」
「鮑信隊から、撤退の要請ですっ!」
 早馬がもたらす報せは、圧倒的なまでの自軍の苦戦であった。
 一般的に、騎兵と歩兵では騎兵が圧倒的に有利と言われているが、連合軍と董卓軍の戦いは、まさにそれを証明していた。
「……仕方あるまい。予定より随分と早いが、撤退しつつ、敵を森へと誘い込むぞ!」
 高覧の見るところ、残念ながら兵の錬度は董卓軍が勝っている。その上で騎兵の有利さを武器にされれば敗北は明らかだ。
「こいつは、苦しいな」
 高覧が苦々しく呟いたのと時を同じくして、鮑信も自軍に撤退命令を出し、森の中へと退いて行った。
 
「こちらの予想より遥かに董卓軍は強兵だね」
「……徐栄に呂布。そして張遼と華雄。勇将揃いだ、苦戦するさ」
 本陣には前線や斥候からの情報が次々と集まっていた。
「敵軍の数はおよそ三万のようだ。我らは四万、数では上回っている。それに先に布陣し、地の利も得た」
「にも関わらず、この苦戦。ここは早めに手を打った方がいいね」
 法正の口調も、若干の苦味がある。
 恭介は今にも出陣したそうな袁紹に近づくと進言した
「予定通り、前線を後退させ、敵を森林に引きずり込みます」
「……まだ槍を交えてから一時間も経っていませんわよ? 随分と早いのではなくて?」
 袁紹は不満そうな顔を浮かべている。
「はい。敵軍の騎兵の数が予測より大分多いので、早めに馬を潰さなければなりません」
 騎兵の数だけでなく、錬度も予測より上であり、まともに戦えば勝ちようが無い。
 そこまで正直に言えば、激高した袁紹が自ら董卓軍に突撃する恐れもあるので、恭介は言葉を選んだ。
 尤も、本陣が後退の命令を出すより早く、前線部隊は後退を開始していたのだが……。

「連合軍が引いていきます」
「張遼隊と華雄隊、追撃に移っています」
 早馬からの報せに、徐栄は笑みを浮かべた。
「こいつは面白い展開だな」
「そう? 連合軍の撤退が早すぎるわ。僕達を森へと引きずり込み、騎兵の機動力を削ぐつもりじゃないの?」
 賈駆はそう懸念を述べたが、徐栄はその懸念を笑い飛ばす。
「んなことは分かってる。だがな、そんな小細工が通じるほど、俺達は弱いのか?」
 徐栄は獣のように笑った。

 当初の予定通り、連合軍は董卓軍を森へと引きずりこんだ。
 が、戦況は予想通りとは行かなかった。
 張遼が率いる騎兵は馬を降りて歩兵となったが、その強さは変わらなかった。
 更に華雄が率いる歩兵達は、主将と同じような猪武者振りを発揮し、連合軍の兵士達の槍を折り、剣を奪い、首を刎ねていった。そして連合軍が弓矢を浴びせても、当たりに転がる兵士の死体を盾にして、進軍を続けている。
 勿論、董卓軍にも損害がない訳ではないが、その足が止まることはなかった。
「立ち止まるな! とにかく動け! そうすれば弓矢も的をしぼれまい!」
 そう大声で命令を下しているのは董卓軍の勇将、華雄である。
 その声は遠く離れた袁遺軍の本陣にまで聞こえてきた。
「……単純だが、的確な指示だな」
「その無茶苦茶な指示に付いていける敵兵の体力に感心しますよ」
 高覧の声に荀攸が応じる。
「どうやら、個々の兵士の質では敵の方が上のようですな。高覧殿、ここは奇策を用いなければならないかと」
「趙雲殿、何か策がおありか?」
「策というほど上等なものではございません。敵将を討つ、それだけのことです」
 趙雲は事も無げに言うと、
「華雄は私が討ちましょう。皆様には、その間、他の兵士達が一騎打ちの邪魔をしないように抑えて頂きたい」
 高覧に提案した。
「無茶を言う御仁だ……」
 趙雲の乱暴な提案に、高覧は髭を擦りながら苦笑した。
 だが、そうした大胆な手を打たなければ戦況が好転しないことは、高覧も実感していた。
「では、我々は趙雲殿が一騎打ちを挑める舞台を作りましょう。ですが、状況から見て、一回が限度ですぞ?」
「承知」
 それで十分とばかりに趙雲は頷いた。

「……案外、粘るな」
 両軍が激突してから二時間が過ぎ、徐栄は意外そうに呟いた。
 彼女の予想では、敵が森に籠もろうとも問題なく撃破できると思っていただけに、連合軍の粘りは少々意外であった。
 辺境に在った董卓軍は異民族と激戦を重ねており、兵の練度は高い。対して連合軍は、農民上がりの賊軍としか戦闘の経験がない筈だ。
 だが、連合軍の兵士達は、味方の兵が倒れようとも、目に宿る戦意が衰えることがない。
「自軍に正義があると信じているのか。それとも将への信頼か?」
 弱将の下に弱兵はいない。とすれば、袁遺や鮑信は勇将ということか。伝え聞く話とは随分と異なるが。
「……一つ、仕掛けてみるか」
 このままではいったん部隊を下がらせて休ませなければならない。
 董卓軍は攻勢に強いが粘りはなく、長期戦は苦手であった。
 徐栄は傍らの賈駆に問う。
「賈駆、お前が敵将なら、どういった策を立てる?」
「……僕だったら、別働隊を編成して、前線部隊と本陣が離れた隙に、本陣を奇襲するけど……あっ?」
「気付いたか? 丁度、前線部隊と本陣がいい具合に離れている。仮に連合軍が奇襲をかけるなら今って訳だ」
 徐栄は好戦的な笑みを浮かべた。
「袁遺や法正、荀攸といった連中は、正面から挑むという戦いはしないだろう。なまじ頭が良いと、何かと策を立てたがる。だが、戦いって奴は生き物だ。想定通りに進むことの方が少ない。
 賈駆、お前は本陣に残れ。俺は騎馬隊を率いて、逆に奴等の本陣を奇襲する。奴等の陣が崩れたら、お前は張遼と華雄と協力して、敵を押し潰せ」
「騎馬隊って、千もいないじゃない?」
「馬鹿か。戦いは数でするもんじゃない。いかに先手を取るかだ。第一、こっちには呂布がいるんだぞ? こいつだけで一万人分だ。いくぞ、呂布」
 徐栄の言葉に、騎乗していた赤髪の少女は黙って頷いた。
 
「敵の騎馬隊が、こちらに突撃してきます。およそ千騎!」
 早馬の報せに、恭介と法正は顔を見合わせた。
「……森の中の軍を騎馬隊で攻めるなど、兵法に反するよ」
「同感だ。だが、放っておくわけにもいくまい。こちらの騎馬隊を当たらせるか」
 今から出撃させれば、森ではなく平原で互いの騎馬隊が激突することとなる。
 だが、千騎対五千騎の戦いだ。勝利は疑いない。
「文醜隊に、こちらに近づいてくる騎馬隊を迎え撃つよう伝えよ。ただし、深追いは禁ずるとな」
 
 同時刻、袁遺隊は反撃に転じ、短時間だが戦場の主導権を握った。
「無駄な抵抗を!」
 華雄は舌打ちするが、彼女に従う兵は一人また一人と、袁遺軍の兵士と剣を交え、華雄の周りから徐々に離されていった。
「そこにおわすは、華雄殿とお見受けいたす」
 戦場に、凛とした声が響く。
 同時に、一人の武者が自分へと向かってくる。
「貴様、何奴だ!?」
「常山が産、趙子龍! 一騎打ちを所望致す!」
「面白い。軟弱な山東者がっ!」
 華雄は大渇と同時に、渾身の一檄を放つ。
 華雄の槍と趙雲の槍が激突し、周囲の空気が震えた。
「ちっ!」
「やるっ!」
 力量は同程度だったのか、互いに衝撃を受け姿勢を崩す。
 が、二人ともすぐさま体勢を立て直すと、互いに槍を振る。
 五合、十合、二十合。
 二人が振るう槍により、戦場の中心に空白が出来た。
 互いの兵士は魅せられた様に手を休め、一騎打ちの行方を見守る。この戦いが、そのまま戦場の勝敗に繋がる予感を抱きながら。
「お主、やるな」
 華雄が口を開けば、
「貴公こそ。流石、董軍の勇将だな」
 趙雲も相手を賞賛した。
 趙雲の武芸は一流であるが、単純な力技では呂布は無論、関羽や華雄に劣るかも知れない。
 だが、彼女の武芸の特徴は、相手の攻撃の波長に乗せられないことにある。
 華雄が豪快な一撃を繰り出すのなら、趙雲は柔軟に攻撃を受け流す。
 が、互いの武芸が互角でも、戦場では董卓軍が優勢であることに変わりはない。
 今、この瞬間だけに、連合軍は気力を振り絞り、何とか董卓軍と五分に渡り合っているのだ。
 残念だが、いつまでも一騎討ちを堪能している場合ではない。
「名残惜しいが、ここで決める!」
 言うと同時に、趙雲は槍を華雄に投げつけ、剣を抜き華雄に迫った。
 趙雲の投げた槍を避けた華雄が見たものは、目前に迫る趙雲の剣。
「なっ!?」
 その声は誰が挙げたものであったろうか、華雄の首を落とす筈の趙雲の剣は、自身の頭部を弓矢から守ることに使われていた。
「悪いけど、そんな猪でも、ウチの仲間やからな」
 趙雲の視線の先には、弓矢を構えて不敵に笑う女性の姿があった。 
「霞! 余計な手出しはするな!」
「ウチが助けなかったら、アンタの首は地面に落ちてたで」
 霞と呼ばれた女性は、おそらくもう一人の将、張遼であろう。
 となると、自分に勝ち目はない。
「……残念だが、無駄死には私の主義に反するな」
 趙雲は周囲に「退け!」と叫ぶと同時に素早く身を翻した。
 
 趙雲の奇襲が失敗に終わった頃、連合軍の本陣は衝撃に襲われていた。
「……猪々子さんが負けた!?」
 騎馬隊からの報せに袁紹は絶句した。
 それは恭介と法正も同じで、二人は呆然とした表情を浮かべている。
「何を馬鹿なことを! 五千の兵が千の兵に敗れる筈がないでしょう!?」
 袁紹の怒声は、恭介の疑問と同じであった。
「……千の兵に敗れたのではありません。……一人に、敗れたのです」
 傷だらけの使者は搾り出すように答えると、その場に倒れ込んだ。

「いやはや、見事なものだ。流石は人中の呂布といったところか」
 徐栄は心底感心したような声を挙げた。徐栄自身もかなりの敵兵を討ち、鎧を大量の返り血で汚してたが、呂布の働きとは比較にもならなかった。
 呂布が槍を一振りするだけで、連合軍の兵士は十人単位で倒れ、瞬く間に連合軍は敗走した。 
 連合軍の将であろう青髪の少女も呂布と槍を交えたが、十合と持たず馬上から叩き落とされていた。
「……追撃、する?」
 五倍の敵を破った疲労も感じていないのか、呂布は変わらぬ口調で徐栄に問うた。
 徐栄と違い、返り血すら付いていない。
「ああ。敵が呆然としている間に、徹底的に潰すぞ!」
 徐栄がそう宣言した頃、前線でも戦況に変化が起きていた。
 それまで何とか持ちこたえていた連合軍が、ついに崩れ始めたのである。
 一騎打ちで指揮官を討ち取るという策が失敗した今、連合軍は木や岩といった障害物を利用して、何とか董卓軍を食い止めていた。
 このままでは負ける。
 前線も本陣も、思いは同じであったが、現状を打破する策が思いつかなかった。
 そこへ、文醜が率いていた騎馬隊が恐怖の感情を抱えて敗走してきたのである
 感情は伝染する。
 連合軍の戦意が低下する中、董卓軍は賈駆が率いる予備兵力を投入してきた。
 瞬く間に、連合軍の前線部隊は崩壊していく。
 開戦から四時間、連合軍は為す術もなく敗北した。

 古来より、名将と呼ばれた人のうち、天才は一握りに過ぎない。
 大半は多くの戦いを経験し、名将へと成長していくのである。
 戦国時代の趙括(ちょうかつ)、三国時代においては馬謖(ばしょく)の例が示すように、幾ら兵法書を諳んじていても、兵法書の通りに進まず大敗するのが実戦である。
 恭介が改めてそう実感していたが
「何ですの、この様は!」
 袁紹の怒声に、我に帰った。
「申し上げにくいですが、我が軍は敗北しつつあります。速やかに退却をした方がよろしいかと……」
 法正の言葉には嘘がある。
 連合軍は『敗北しつつ』ではなく『敗北した』のだ。
 だが、それを言えば袁紹の怒りは更に増すであろう。
「ふざけないで下さい! 私はまだ剣も抜いていないのですよ! それを負けたから逃げろだなど!」
 激昂した袁紹は剣を抜き叫ぶ。
 袁紹の言い分は尤もだ。彼女自ら命令を出していなければ剣も抜いていないのに、負けました逃げましょうと言われては、納得出来る筈もない。
 恭介は法正に並ぶと、同じく頭を垂れる。
「麗羽様、総大将が剣を振るうこと自体、既に敗北の証であります。ここは無駄死を増やさぬ為にも、退却のご許可を」
「なっ!」
 言葉を失い、屈辱に身体を震わせる袁紹。
 おそらく袁紹は勝ち鬨を挙げる己の姿しか想像していなかったに違いない。今まで敗北の経験が無かったのだから、それも当然だろう。
 だが、今回は賊軍ではなく正規軍同士の対決である。
 賊退治しかしてこなかった山東軍と、異民族相手に国境を守ってきた涼州軍では、兵士も将も軍師も経験が違いすぎたのだ。
 恭介は自分でも驚くほど、素直に敗北を受け入れていた。
 董卓の暗殺に失敗して逃亡した経験だろうか、いつの間にか恭介は物事が失敗した時は開き直り、次の構想を考えるべきだという柔軟性を身に付けていた。
 張郃は後にこの時の恭介について、『他の者が敗報に狼狽する中、顔色を変えることなく平素と同じ佇まいに感服しました』と述べている。
 張郃の贔屓目を差し引いても、恭介が落ち着いていたことは確かだった。
 恭介は言葉を続ける。
「敗北の原因は麗羽様ではなく、我々無能な幕僚にあります。麗羽様は戦場を離脱し、今度は御自身の兵と策で董卓に戦いを挑むべきかと存じます」
「……では、私はここまで何をしに来たのです! ただ敵に名を成さしめる為ですか!」
 袁紹がそう怒声を上げるが、周囲の喧噪にかき消される。
 恭介達は敵襲かと驚き剣に手をかけたが、現れたのは血と泥に汚れた文醜であった。
「猪々子さん!? ……良かった、無事でしたか」
「……すまねえ、アニキ。アタイ……」
 文醜は悔しさと無力さに顔を歪めながら口を開いた。
「いいえ。相手の力を正確に測れなかった我々が悪いのです。猪々子さん、怪我はありませんか?」
「ああ。……けど、騎馬隊は壊滅しちまった……。指揮官であるアタイの力不足で……」
「泣き言は結構ですわ、猪々子さん!」
 それまで黙って二人の話を聞いていた袁紹が側に寄ってきた。
「猪々子さん。戦場の借りは戦場でしか返せない。貴女もそうは思わなくて?」
「勿論です」
「なら結構ですわ。今すぐ準備をなさい。私と供に敵軍へと突っ込みますわよ!」
「……姫、すまねえけど、それは出来ねえ」
「い、猪々子さっ!」
 袁紹は最後まで言葉を発することが出来なかった。何故なら、彼女の意識はここで途切れてしまったからである。
「……よろしかったのでしょうか?」
 気を失った袁紹を支えながら、張郃が恭介に尋ねる。
「勿論です。麗羽様まで討たれたら、本当にただの敗戦になってしますから。
 勝敗は兵家の常であり、敗北から学ぶことも重要なことです。次に戦場に立つ時は、麗羽様は一回り大きく成長しているでしょう。
 しかし、猪々子さんはよく私の心に気付いてくれましたね?」
「アニキが負け戦に姫を出すわけねえだろ。それ位はアタイにだって分かる」
 恭介の目配せを受けて、当て身で袁紹を気絶させた文醜が苦笑した。
「では、猪々子さんは麗羽様を守って退却して下さい。早くしないと、董卓軍に抜け道の存在を気付かれてしまいます」
「アニキはどうするんだ?」
「残って敵を食い止めます」
「……それは、死ぬということかな」
 法正は目を細めて問うた。彼女の見るところ、このまま戦場に残れば死しか選択肢がない。
「そんな! 袁紹様には『敗北から学ぶことも重要』と言いながら、ご自身は死ぬおつもりですか!」
「アニキも一緒に退却するぞ。ここで死なれちゃ、後で姫に言い訳できねえ!」
 張郃と文醜が恭介に詰め寄る。
「別に敗北の責任を負って、敵陣に突っ込んで死ぬ訳ではありませんよ。ですが、責任は取らなければならないでしょう」
 そう、四万の兵を死地に赴かせ、何千という命を失わせた責任を取らなければならない。
「敗北に伴って死を選ぶことは逃げと自己陶酔に過ぎません。この場合の責任の取り方とは、これ以上味方の被害を出さないことです」
 恭介の言葉に法正、文醜、張郃の三人が怪訝な表情を浮かべていると、本陣へ一人の男が駆け込んで来た。
 荀攸である。
 滑稽なほど鎧姿が似合っておらず、思わず恭介の口から笑いが漏れた。
「何を笑っているんですか! 既に前線は崩壊! 高覧殿と鮑信殿が僅かな手勢を率いて、何とか敵軍の進行を食い止めている状態です。一刻も早く退却に移りましょう!」
「抜け道に兵が殺到しては、直ぐに董卓軍に発見されるぞ。あんな細い道じゃ、迎撃も出来ずに嬲り殺しにされるだけだ」
 恭介はそう答えると、
「幾ら我が軍が敗北していると言っても、敵兵の一人ぐらいは討ち取っているだろう?」
 と法正に訪ねた。

「……しぶとい奴らだ」
 徐栄は感心したように呟いた。
 既に勝敗の帰趨は明らかだが、それでも連合軍の士気は衰えず、全軍崩壊には至らなかった。
 このままでは自軍の損害も馬鹿にならないな。
 徐栄は戦狂いだが、部下の血を無駄に流させる愚将ではない。
 このまま戦闘を続けるべきか馬上で思考していると、配下の兵が駆け寄ってきた。
「将軍! 汜水関より使者が参っております!」
「……ほう。汜水関はまだ落ちていないのか」
 とすると、目の前の連合軍は何処からやって来たのか? 自分達の知らない抜け道でも知っているのか?
「まあいい。使者を通せ」
 やがて徐栄の下に、疲労の色が濃い青年がやって来て膝をついた。
 董卓軍の鎧を着た恭介である。
 馬上の徐栄からは武将としての威が滲み出ている。
 孫堅といい徐栄といい、やはり一軍を率いる将というのは、他を威圧する風格を備えているものだ。となれば、やはり自分は総大将の器ではないな。
 恭介は改めて実感しつつ、徐栄に向かって報告する。
「汜水関は連合軍の猛攻を受け、陥落寸前であります。一刻も早い援軍をお願い致します」
「……今まで怠慢だった連合軍が、どうして急に攻勢に転じたのだ?」
「はっ。敵陣に袁紹が姿を表し、諸侯を叱咤したとのこと噂があります」
「ほう? 袁紹が? とすると、逆に袁紹を討ち取るまたとない好機だな」
 徐栄は不敵に笑うと、
「ところで、お前。名を何という?」
「はっ。陳寿(ちんじゅ)と申します」
「涼州訛りがないが、何処の生れだ?」
「都でありますが?」
「そうか……。どうも私は貴様に見覚えがあるのだがな」
「同じ軍である以上、当然かと思いますが?」
「……だが、私が見覚えのある男は、同じ軍ではないぞ」
 徐栄が何を言っているのか分からない。
 そういう表情を作りつつ、恭介は内心の動揺を抑えていた。
 自分のような平凡な顔の男は、髪型を変え、肌を土で汚せば誰にも分かるまい。そう考えて、董卓軍の鎧を着て使者に成りすましたのだが、予想に反して徐栄は自分の正体に気付いているようだ。
 皆が言う様に、無謀な策であったかも知れない。
 だが、多数の兵を死地に赴かせ敗北した責任は、恭介を普段よりも大胆にさせていた。
 さて、どうすべきか? 駄目元で徐栄を討つか? といっても、おそらく片手で切り捨てられるだろうが……。
 そう恭介が次の手を考えていると、
「その人は汜水関の連絡将校……。間違いない」
 静かな声が徐栄に語り掛けた。
 恭介は振り向き、思わず声を上げそうになる。
 いつかの動物保護少女が立っていた。
「ほう。呂布はその男を知っているのか?」
 面白そうな顔をして、徐栄は呂布に確認する。
 呂布は黙って頷いて、徐栄を見つめる。
 あの都で野良犬や野良猫を保護していた少女が、あの呂布だというのか?
 恭介は呆然とした顔で呂布を見上げていた。
 と、そこへ新たな早馬がやって来る。
「将軍! て、敵の新手です! 数は少数ですが、我が方の兵士が次々と討たれております!」
「新手? 何処からだ?」
「分かりませんが、森の中から突如出現したとのことです!」
 徐栄は髪を弄りながら、
「まあよい。我々の目的は当初から汜水関の救援だ。局地戦での勝利ではない。全軍を撤退させ、再編編の後に汜水関に向かうぞ」
「この地の敵はどうしますか?」
「放っておけばいい。あいつらは死を覚悟しているからこそしぶとい。命が助かれば、一気に戦意を無くして弱兵に変わるさ。
 呂布! その使者の始末はお前に任せる。……貸しだぞ」
 徐栄はそう笑うと、全軍に撤退命令を出し、自身も本陣へと戻って行った。
 残されたのは恭介と呂布の二人だけだ。
「……逃げて」
「えっ? しかし?」
 この少女、確か恋と言ったか。
 彼女は自分の正体を知っているのだろうか? 
 恭介の困惑を余所に、呂布は言葉を続ける。
「徐栄なら大丈夫」
 何が大丈夫なのか、呂布の口数はあまりに少なく、恭介は彼女の意図が掴めなかった。ただ分かったのは、彼女が自身のことを覚えており、助けてくれたということだけだ。
「……ありがとう。助かる」
 呂布のことをもっと知りたかったが、今の恭介には時間がない。
 馬に跨がりながら、恭介は一つだけ尋ねた。
「……動物達は元気かな?」
 恭介の問いかけに、呂布は少しだけ微笑むと、立ち去った。




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