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[38166] メガテン系オリジナル世界観風?(ネタ・習作・リハビリ)
Name: navi◆279b3636 ID:b8538714
Date: 2013/07/31 19:08
 お久しぶりです。
 naviです。
 ホライゾンの方に手を付けたくても、原作が出るたびにプロットの書き直しをするはめになっているため一旦凍結します。
 あれ、もう三年近く前に書いた奴なんですよね。
 
 とは言え、しばらく二次創作から離れていたわけで、とりあえずブランクを埋めるために久しぶりに二次創作に手を付けようとおもいます。

 拙いですが、よろしくお願い致します。



[38166] 題名未定《序章・覚醒篇・1》
Name: navi◆279b3636 ID:b8538714
Date: 2015/01/28 13:20
 急激な頭痛とともに意識は浮上した。締め付けるような痛みにうめき声を上げ状態を起こす。
 肉体は汗にまみれていた。体に服が張り付いていて気持ちが悪い。
 ――シャワーでも浴びるか……。
 立ち上がろうとして、しかし崩れた。
 音を立て床に伏せる。声が出ない。まるで自分の肉体ではないかのように体のコントロールが覚束ない。
 吐きそうになる感覚を抑え、息を整え、力を入れて立ち上がる。
「うぅ……あ」
 うめき声、そこからさらに深呼吸。
 そして、ようやく男は違和感に気づいた。
「ここ、どこだよ」
 そこは見慣れた部屋ではなかった。
 鏡があった。
 顔を見る。それは見慣れた顔ではなく、誰か別の物だった。
 肌は艶がなく、青白い。目には生気がなく唇は乾燥しており、目元の隈がひどい。髪は乱雑に伸ばされているが手入れされた様子はない。
 総じて、不健康と言える。
 はは、と乾いた笑いが漏れた。
「なんだよ、これ」
 頭が回るまでは、数十分の時間を要した。



 部屋はこぎれいに片付いていた。おおよそにして八畳程度の広さの部屋だ。
 窓側に机が配置され、ドアの横に本棚がありその隣に服をかけるラックと箪笥があった。テレビ等はない代わりに、机の上に存在感を放つようにPCがある。私物や無駄なものが少なく簡素と言えば聞こえがいいが、どうにも生活感がなく不気味に思えた。
 脇には小さな目覚まし時計があった。時計はデジタル式で月と日付を表していた。時計は二000年六月二日金曜日、時間は十二時を示している。学生や社会人なら特別なこともない限り遅刻と言ってよい。
 制服には皺がなく、きれいなままハンガーに掛けられ、机の脇には埃のかぶった鞄がある。机の中はきれいに整頓されていたが、無造作に置かれた封筒には二十万ほどがない風されていた。すぐに戻し、見なかったことにする。
 そして、最後、目に付くPCがレトロな一品で九十年から二千年代最初期あたりに存在したであろう古い型のノートPCだった。
 男は、悪いと思いつつもノートPCの電源を起動させた。
 起動には五~六分程度の時間がかかったが、いくつかの情報もその間に手に入れることができた。
 この少年の本来の肉体の持ち主は浅木・湊(アサギ・ミナト)と言う。証明写真に写る写真は、鏡で見たよりも血色は良かったが、それでもあまり積極性のある顔には見えない。どちらかと言えば内向的な性格だと推測できる。
 年齢は十六、高校一年生。制服の胸ポケットから出てきた。家族構成は両親と妹及び姉が生徒手帳の家族覧に記載されていた。
 鞄の中には真新しいまま数ページ使われて放置されたノートがある。
 そして本来は学生であるはずの少年がこの時間帯に学校へ行っていないということはつまるところ、
「ひきこもり、ね」
 結局はそういうことだろう。
 ――何か事情があるのは確かだが。
 その事情までは特定できなかった。
 いくつか推測することはできる。
 まずは虐めが頭に浮かんだ。なんとなくだが、学生が学校に行かなくなる原因としてはもっとも考えやすい。
 次は湊少年の頭が残念で、勉強について行けなくなってドロップアウトしたという線。あまり、考えたいことではないが。
 と、音がした。PCの起動を認知させる音だ。
 ようやくか、と頭を掻きつつ、マウスに手を伸ばす。
「古っ!?」
 いわゆるそのOSは窓の2000。骨董品と言っても良いようなOSだ。
 息を吐き、手を動かす。
 何か手がかりになるファイルはないかと、手当たり次第に漁っていく。
 ほとんどがゴミのようなデータの中で、一つのファイルを男は見つけた。
 OS備え付けのメモ帳のあつまりで、内容は日記だ。
「ビンゴ」
 軽い手つきでファイルを展開していく。
 画面を埋めるようにいくつものウィンドウが開かれていく。最も古いファイルから読み進めていく。
 もっとも古いファイルは四月四日。最初のうちはただの日記だった。
 しかし、四月の十七日を境に内容は豹変していく。



 ――悪魔が、悪魔が僕を狙っている。



 そんな、不可解な、もしくは奇天烈とも言える内容。幻覚でも見てしまったのかと言うような妄言が日記の内容を支配するようになっていく。
 そして湊少年がひきこもり始めたのは四月の二十日。十七日からわずか三日後の話だった。
「悪魔、ね」
 湊少年の言う悪魔が何かは理解できないが、しかしそれが重要なキーであることはなんとなく理解できる。
 そして最後。一番新しい五月の最後、つまり一昨日の日記は既に何かをあきらめたかのようで、内容は遺書のようにも見えた。
 ――父さん、母さん、育ててくれてありがとう。僕は悪魔に食われて死んでしまいます。
 そんな内容。
「あまり、有用な情報ではないな」
 私見が多すぎて客観性にかけている。何が起きたかよくできないものを情報とする気にはなれなかった。
 とはいえ、いくつか推測できる情報はあった。
 まず、湊少年はおそらくバカな方の部類ではない、はずだ。入学して一週間と少し程度の時間なら、まだ慣らしとして中学の復習をしている時期だ。よほど頭のいい進学校なら別だろうが。
 虐めという線も考えづらい。制服はきれいで、傷がない。ノートや筆記用具を改めて確認しても壊された形跡がない。
「……」
 もしやと思い、服をまくる。アバラの浮き出た細い肉体には傷がない。痣や火傷跡、切り傷等も見受けられない。鏡を使って背中も確認したがその手の傷は一切確認できなかった。下半身も、その手の痕跡はない。
「さて、あとは何か有用な情報は――、そうだ」
 マウスを動かし、ふと思い出す。
 そういえば、まだ隠しフォルダを探していない。隠しフォルダを使っているかどうかは怪しいとしても、一応探しておくのもありだろう。
 先程まで消していたフォルダを再度立ち上げ、隠しフォルダを探していく。
「――!?」
 それは異質なフォルダだった。
『悪魔召喚プログラム』
 それが、隠しフォルダの一つに存在していた。
「――め、メガテン!?」
 よくプレイしたゲームを思い出す。一般的によくある現代ファンタジーではなく、ダークな雰囲気と設定からコアなファン層が多いRPG。
 そのゲームに出てくる用語の一つ。
 魔階に存在する悪魔を呼び出す儀式を簡略化させ、コンピュータの知識があれば魔術的素養及び生贄エトセトラがなくとも悪魔を召喚できるようになる。
「おいおい、なんでこんなものが……」
 薄ら寒いものが背に走った。
「まさか、まさか、な」
 日記に書かれている悪魔がこのプログラムによって"本当に"呼び出されたものだとしたら?
 そして意図してかせずしてかはおいておき、召喚した悪魔に喰われたとしたら?
「悪魔は――実在する……?」
 ひどい冗談だ。
 三文パルプにしても出来がひどすぎる。
「ああ、糞、冗談が過ぎる」
 乱雑に伸びた神をかきあげながら息を吐く。
 なんの因果で自分が、と悪態をつきつつ、しかし現実は変わらないと理解する。
 そうしなければ自分の心が壊れてしまいそうだからだ。
「とりあえず俺は『湊少年』になりきって情報収集かな」
 悪魔召喚プログラムの入った隠しフォルダを解除し、パソコンをシャットダウンさせた。



 リビングはかんさんとしていて、人はだれもいなかった。両親は共働きらしい。
 入ってすぐ、そこには台所があり洗われた食器や調味料が見える。そこからすぐ横にある居間自体はそれほど大きくなく、しかし小さいわけでもない。長方形のテーブルにござがしかれていて、座るときはあぐらか星座をする形らしい。テレビは懐かしい厚みを持ち、小さな観葉植物が置かれている。
 窓には白く薄いカーテンが柔らかく光を遮っていた。
 目当ての物はリビングの一角にあった。ダンボールの中につまれた新聞だ。まだインターネットが未発達の時代に多くの情報を得ることができる情報媒体だ。
 ここ数日の新聞を引っ張りだし、記事を探す。
 その新聞は一般的な地方新聞で、メジャーなものではなかったが地域ゆかりの情報も多く存在する。
「殺人事件多発、不可解な死因、悪魔絡みか?」
 多量の血痕は存在するが死体はなく、服は落ちているが血の跡はない。
「きな臭い、な」
 とは言え、まだ悪魔のやっていることとは断定できない。
 バラバラになった死体が何処かから出てきてもおかしくはないだろう。
「さて」
 気を取り直して記事を読み進める。
「多いな、殺人事件」
 数日前の記事だが、猟奇殺人やカルトによるリンチ、他にもいくつかの事件が掲載されている。
 この日本の治安はあまり良くないのかもしれない。
「ふう」
 息をつき、新聞を置いた。
「まだ、東京大破壊は起きていない」
 事件原因となった人物、ゴトウのことは記事には書かれていない。
 トールマンのことも。
 時間軸的に考えれば、デビルサマナーの時間軸と考えれるかもしれないが。
「そもそもまだ起きていない、という可能性も考慮できる」
 ならば、ならば、どうするか。
「方針を考えて、身の振り方を考える」
 それが、現在できる最善手。
 元の世界に戻ると考えても、死んでしまっては元も子もない。
 そして、
「悪魔に関して、だ」
 もしも悪魔が野放しにされているのならば、自らはどうすればいいのか。モラルとか、そういう次元の話ではなく、つまり、死なないために。
 家族と思わしき人物はまだ死んでいない。
 現れた食器や、パソコンの電源がついたこと、いくつかを総合してもそれが理解できた。だが、これからどうなるかはわからない。
 見ず知らずの人間が死んでも、きっと何も感じないとは思う。
「だけど、この肉体は高校生のもので」
 親がいないと、何もできない。社会的な信用、地位は未だに親へ依存する立場だ。悪い言い方をすれば、隠れ蓑として利用することになるだろう人間を見殺しにするのは分が悪い。
「まあ、高校生をやり直したいと、思わなかったといえば嘘になるし」
 それが他人のものとはいえ、青春を再度やり直せる。それが幾億の価値なるかは推して知るべしと言えた。
 不純な動機だ、と思うがこれくらいでなければやっていけない、とも思う。
「なんにせよ、情報が足りなさすぎる、か」
 主要企業、政治家といった一般的知識、地元付近についての知識、人間関係について、と不足している知識が多すぎる。
 まあ高校生だから政治だとかはおいておいても、この周囲一帯の地理すら知らないのはまずい。
「また、ネットだな」
 起動時間が長いパソコンに辟易する、溜息が漏れた。



 梓馬市(あずまし)。北に山、南に海が存在する地方都市。どちらかと言えば賑わっているほうで未だ過疎化の波は小さい。かげりは見えているが。
 北側に小学校から高校までが固まるように位置し、それゆえに交流も多くなるようなイベントも学校では多く行われている。
 駅、及び主要な施設は市街地のだいたい中央を通るように位置し、学生の多くはそこで時間を過ごすことも多い。
 浅木家は南側の駅寄りにあり、高校までは自転車で二十分程度の距離にある。
 梓馬高校は昭和初期から存在し、意外と由緒正しき高校らしい。有名人も幾人か排出している。校舎は古いが、無理矢理補強して使っている。格式の高さを表したいのだろう。
 地域密着型の企業も多数存在し、どちらかと言えば恵まれた都市、というのが表面上の情報だった。
 しかし、最近は殺人事件等の事件や、危険な噂も多く活気が薄れているという声もチラホラと存在していた。
「事件に関しては追々としても、まずは高校には行けそうだ」
 あとは、違和感なく振る舞えるかどうかだ。
 かつて明るかったとしても、引きこもっている間に性格が変わったとでも見てもらえるように動けば良かろう。
「交友関係がきになるけど、まあ、行ってみなければ分からないな」
 携帯電話があればアドレス帳で確認できたのだろうけれど、ないものは確認のしようがない。
 とはいえ友人なんているのか疑問だ。一週間と少しで学校から姿をくらましたのだから。
「さて、とりあえずは夜に家族の反応を確かめて、だ、情報があれば引き出そう。引きこもりが外に出ようと努力してると思えば、多少は会話も弾むよ、な?」
 そう思い、情報をまとめたメモ帳を保存して閉じ、パソコンをシャットダウン。
 ベッドに身を預けた。思った以上に体力は、なかった。


 
 夕食時、家族全員がリビングに揃っていた。そこに湊が降りてくると、何か珍しいものを見たかのごとく、目を丸くして、それから家族は予想以上の喜びようで湊を受け入れた。
 引きこもりの社会復帰は歓迎されるということか。
「湊、明日は学校行くの?」
 食事中に言われ、ぼそりと一言うん、と頷いた時は歓声すら起きるかと思うほどに喜色の笑みを浮かべていた。
 そういえば、と思い出したように、
「殺人事件って、今どうなってる?」
 問い方がわざとらしかっただろうか、と思うが、会話ができるというのが嬉しいのか、父親は知っているだろう情報を惜しげも無く吐き出してくる。
「ああ、殺人事件か。
 まあ今のところ学校の方に被害はないみたいだけれど、結構いろんな人が狙われてるみたいだねえ。うちの会社の後輩も一度襲われかけたみたいだし。
 警察も動いてはいるみたいだけど、足あとも指紋も残ってないから後手後手に回らざるを得ない感じかね」
 ふうん、と頷いて湊は食事を続けた。一気に飯を書き込んで、味噌汁をすすり、食器を流し台に持って行き、
「わ、俺、もう寝るから」
 社会人になり、頻繁に使うようになった私、という一人称を抑え、俺に言い換える。本来の一人称は僕、のはずだが、僕よりは使い慣れた俺という一人称に自然と変わってしまう。
 とはいえ、まだこの程度の口調の変化は問題のない範囲であろう、とあたりをつける。
 案の定、気にされることもなかった。
「ええ、お休み」
 嬉しそうにその後姿を家族は見ていた。



 部屋の扉を閉めて、ベッドに横たわる。
「本当にメガテン的な解釈をするなら、マグネタイトを奪おうとして人を襲うが、失敗。急いで補充したいが行動するためのマグネタイトの必要量をとれていないために、行動がままならない。さらに言えば、それゆえに人間を襲ってもうまく捕食できずに更に弱るという悪循環のループをしているといえる、かな?」
 とはいえ、それではすでに死亡している人間の説明がつかないので、悪魔が複数出現していることを念頭に置き、
「さて、寝るか」
 湊は、瞳を閉じた。
 すでに二回目の睡眠だというのに、やけに闇を心地よく思えた。



 未だ自らのみに起きうる変化に気づかずに、だ。



[38166] 題名未定《序章・覚醒篇・2》
Name: navi◆279b3636 ID:a080a83d
Date: 2014/12/27 01:59
 高校は山の上に存在した。自転車はあまりメンテナンスがされていないようで、動作が鈍い。
 また、湊自身も鍛えているわけではないので落ちた体力ではゆるい坂とはいえ、まともに斜面を登ることすらままならない。
 結果カバン以外に重い荷物を持ちながら斜面を歩くことになり、密かに肉体を鍛えることを決意した。
 高校はネットに上げられていた写真で見るより荘厳だった。木造の校舎は威厳をたたえている。
 大きめの土地の北東側に正方形を斜めに真っ二つにした形で配置され、その南には部活棟らしきものがある。校舎の西には倉庫とその下にはプールがあった。
 中央のグランドをまっすぐに抜け、校舎に入る。
 一年生の下駄箱は入って右側にあった。配置は名前で決まるらしくあ行の湊の靴は割りと簡単に見つけることができた。
 靴を履き替えて、生徒手帳に記載されていたクラスに向かう。
 一年のAクラス。別にランクではない。
 三階の東棟側にクラスはあった。小さなホールに面すように位置した教室に入る。
 未だに授業が始まらないクラスは、ざわついていた。
 他愛ないうわさ話が聞こえる。まだオカルト話が力を持っていた時代だからか、懐かしい話も聞こえてくる。具体的には口裂け女や赤マント、人面犬といった都市伝説の類。
 無事教室にたどり着き、たどり着いて自分の席がどこかわからないことに気づいた。
 さて、どうするか、と思う。
 引きこもりがうまく人に話しかけられるかといえば、そうは思えない。
 と、
「お? お前湊か?」
 声がした。男性の声だ。都市は同じ程度と推測できるが、低く威圧感がある。
 振り向いた。
 立っていたのは二人だった。
 一人は、人懐こそうな笑みを持ち、短く切った頭髪を持つ少年。体つきは大きく、筋肉質で健康そうな雰囲気をまざまざと見せ付ける。運動でもやっているのだろうか。
 もう一人は端正な顔立ちにぶっきらぼうな表情、少し長く伸ばした髪を持つ少年。そのたたずまいは、鋭利な刃物を思わせる。挙動は素人目にも洗礼されていて、美しい。
 どちらも背が高く、湊よりは大きい。短髪の少年が声を上げた。
「――あ」
「おいおい、俺達の事を忘れたか?」
 威圧しているような聞き方ではない。
 いじめという風にも見られない。友人だったのだろう。
 と、いうか、いたのか友人といったのが本音だ。
 何となく、理解はできる。自分から話上げたわけではなく、向こうから話してきたなんていうのは簡単に予想できる。
「……済まない。引きこもっているうちに名前が出てこなくなった」
 はあ、と息を吐いてから、短髪の少年は親指で自分ともう一人の少年を交互に指差しつつ、言った。
「高橋・崇平(タカハシ・シュウヘイ)と峯岸・誠一(ミネギシ・セイイチ)。思い出したか?」
「ああ、うん」
 本当かよ? と軽く訪ねてくるが、ああ、とだけ言っておく。
「――そういえば、俺がいない間に席替えとかはした?」
「ん? ああ、したな。お前の席はそこな」
 指さされたのは教師の目の前にある席だった。
「あー」
「まあ、しゃあないな。休んでたお前が悪い」
 そうだな、と頷く。ごもっともだ。
 教師の目の前、などというのはあまりにも目立つ。そんなところに立候補するような人物は目が悪い人物か、素行不良で教師に目を付けられている人物。
 ――そして、湊少年みたいに席替えの時点で休んでいた生贄に最適な生徒、ね。
「わかった。ありがとう」
「おう、それよりもさあ、なんでいきなり休んだん?」
 面倒なことを聞いてくる。
「まあ、いろいろあったんだよ」
 悪魔だなんだなんて言えません。まあ、悪魔かどうかも怪しい部分はある。
「いろいろねえ」
 そこで後方の誠一が声を発す。
 明らかに疑っている様子だった。
「やめておけ、聞かれたくないこととてあるだろうよ」
 嫌に古風な喋り方をする。しかし、ハスキーな声質と合っていて、様になっている。
「済まないな」
「気にするな」
 ちぇー、と崇平は言ってから、
「それより、そうだ、せっかくだし湊の復帰記念ということで今日は繁華街までいかねえ?」
「俺は構わないが、二人は、いいのか? その、部活とか」
「んー? 俺、帰宅部だし、誠一はあれだ、家が道場だから今更部活にも入る必用があるわけでもないし」
 ふうん、と頷いておく。
「なら、いい」
 そう言って小さく頷いておく。
 崇平は湊のことを怪訝そうに見た。
「お前、雰囲気変わったか?」
 中の人が違います、などとメタ発言するのは自重しておき、
「まあ、多少は変えてきた」
 せっかくの復帰だから、と付け加える。そんな湊に、
「ほー」
 崇平はに、と笑って、
「まあ、何かあるってんなら別にいいけどよ、今度はいきなり休むなんてやめとけよ?」
 港は笑って、
「ああ」
 そうとだけ返しておいた。
 心が痛む。
 


 高校の授業はつつがなく進んだが、残念ながらついて行けるとは言えなかった。
 中学から上がったばかりとはいえ復習を終え高校の授業に移行している時期を逃してしまい、勘を取り戻すことはできなかった。
 関数のやり方なんてもう忘れていて、頭痛を抑えるのが精いっぱいだ。使わなくなれば、劣化すると言うことを身にしみて理解させられる。
 湊がひきこもりをしていることを知っていた教師は、その姿を生暖かく見ていたのを湊は知らない。
 とはいえ、放課後だ。湊は幸いにも部活に所属していることもない。掃除を終えればすぐに解放される。今日は六月三日。土曜であり、授業は半日。普段はだらけながらやっているであろうほかの生徒も、今日は遊びたいがためにきりきりと掃除をこなしていき想定以上に早く終わりを迎えた。
「おーう、湊」
 ロッカーに掃除用具をしまったころ、後方から声がした。
 崇平と誠一だった。
「ああ、二人か」
 おう、と笑った。
「じゃ、繁華街行くか?」
 湊はああ、とうなずく。
 鞄を肩にかけ――、
「あー、ちょっと待った」
 女性の声がした。
 振り返る。
 いたのは長髪の少女。端的に言って美人だった。メガネをかけいかにも堅物そうな雰囲気。発育が良く、私服になれば高校生には見えまい。透き通るように白い肌。長い髪は後頭部でまとめられていた。鼻筋が通っていて凛としている。目は切れ長で人によっては威圧を感じそうだが湊はそれを美しいと捉えた。高校と言う浮かれやすい場の中で着崩しもせずにたっている姿には一種の畏敬の念すら覚える。
「誰?」
 あー、と少女は声を上げた。
「私は、あれだ。成田・秋乃(ナリタ・アキノ)。このクラスの委員長」
 口数少なく、すぐに数枚のプリントを渡してくる。それっぽいとは思ったが本当に委員長だったようだ。
「休んでる間のプリント」
「――ああ」
 受け取った。授業のプリントおよび、連絡のプリントだ。手に収まったプリント類はそれなりの質量があり、重さを感じる。
「すまない」
「仕事だ。気にしなくていい」
 そういって、委員長。秋乃は背を向けて、手を振った。
「用は、済んだか?」
 誠一が言ってくる。
「ああ」
 言いつつ、鞄にプリントを詰める。
「いつもの委員長じゃなあ、愛想っちゅうもんがない」
「ん? 崇平。そんな口調だったか?」
 そこから何かに気付いたかのように、
「ああ、しまった。もう直したと思ったんだがなあ」
 に、と笑い。
「小さいころは広島に住んでてな。つっても、本当に少しだからちゃんとしたあっちの方言はつかえねえ。時々語尾がそれっぽくなっちまうのさ」
 ふうん、と、頷く。
 崇平はじゃあ、と、
「行くか?」
 そう言った。



 繁華街は活気があった。
 スーツの男が、女が道を歩いている。学生の姿も多い。
 街道には多種多様な店がある。学生が使うであろう店は、本屋、喫茶店、定食屋、その他。
 風を切るように、歩く。
「聞いたか?」
「ああ」
「また、誰か死んだって」
「不審死? 最近よく聞くね?」
 噂話が耳に入る。
「暗い噂だな」
 湊が言った。
「眉唾だ」
 誠一が口を開いた。
「知っているか? 悪魔だそうだ」
「ああ……」
「どういうことだ」
 曰く、と、
「不可解な死因。服の身が残り肉体が灰になる。血液が全てなくなっている。心臓だけがつぶれて損傷がない。そんな、不可解な死亡原因で死ぬ人間が多く、悪魔の仕業と」
「成程」
 湊は頷きながら、しかし疑念を深めていく。
 ――本当に悪魔が、いるのかもしれない。
 そんな疑念。
「まあ、いいさ、早く行こうぜ?」
 崇平が空気を切り替えるように告げた。
 目的地はゲームセンターだった。
 中は喧騒であふれていた。学校帰りの学生と、仕事の合間に休憩を行っているであろうリーマン。多種多様の人間の歓声、悲鳴が折り重なり一つの"生命"とでも言う何かを作り出していた。
 奥に進んでいく。
「じゃあ、何するか」
 崇平が聞いてくる。
「格げー」
 端的に誠一が言う。
 湊は軽く目を見開いた。積極的に意見をするタイプの人間には見えなかったからだ。
 崇平は慣れたかのように、
「湊もそれでいいか?」
 構わない、と湊は頷いた。
 筐体は奥にあった。大きめの部屋に向かい合うように設置された筐体が八組ほどおかれている。向かったデモムービーには男性と女性が写っていた。
 座ったのは手前の筐体だった。1P側が壁側に設置されている。
「順番は?」
「俺が後でかまわないよ」
 湊は言った。
 言うと、崇平が1P側に座り、それを見るように湊が壁にもたれかかる。
 百円がスリットに落とし込まれ、ゲームが返しされる。
 レバーが縦横無尽に動かされる。湊はそれを腕を組みながら眺める。
 ――懐かしいな。
 かつての学生生活を思い出す。既に過ぎ去った思い出。もう戻らないと思っていた日常はひどく輝かしい。
 ふと、罪悪感を覚える。自分はここにいてよいのだろうか。そんな感覚。
 声が聞こえた。崇平の声だ。
「おい、湊、交代だぞ?」
 湊は分かったとだけ声を上げる。



 帰宅は六時頃になった。作り笑顔を親に見せてすぐ私室に向かう。鞄を机にかけて飛ぶようにベッドへ体を投げ出した。
 あの後、おそらく楽しい時間を過ごしたのだろう。しかしそれを理解することはできない。他人の人生で、やり直しをしているからだろう、と自らの心にあたりをつける。
 ああくそ、と。吐き捨てた。
 もやつく心と折り合いがつかない。ベッドに投げ出した身体は倦怠感を感じつつも、睡眠を欲しようとしない。
 寝返りを打つ。同時に見えたのはPCだ。ふと、思い出すのは悪魔召喚プログラムのことだ。
 数十秒ほどPCに視線を向け、体を起こす。自らを愚かだと罵った。あれだけ自らを責めていながら興味の対象が移ればすぐにそちらに意識を持っていく。言語道断だ。
 されど、既に肉体は動いていた。電源を起動、かつてに比べれば亀のような遅さにストレスを感じながらも、視線は画面に釘付けだ。長い起動が終わり画面にいくつかのアプリケーションが並んだ。ファイルを探し、開く。
 悪魔召喚プログラムを起動すると即座に画面が表示された。早すぎると思いもしたが、すぐにかぶりを振る。早いならば早いほうが良い。
 プログラムを起動すると、同時にネットへ接続された。私設回線なのか、とても早い。
 画面にはいくつかのバナーと、文字列が映し出されている。ヘルプに画面を移す。
 悪魔召喚プログラムにはいくつかの注意があった。
 召喚される悪魔はランダム。
 そして、交渉に失敗すると死ぬ。
 あとその他いくつか。大雑把にはそれくらいか。
 起動と同時にインストールされていたDDSを起動する。DDSはつまるところプログラム化された悪魔を保有するために必要なソフトである。拡張ソフトもあるが、今は必要がない。
 画面には六角形が回転しつつ六個表示されている。緑色のワイヤーで組まれている。これは、まだ六体の悪魔が入ると示されていた。
 再度ネットに目を移す。いくつかのバナーから目当てのモノを探しだす。
「あった」
 たとえば、と言ってもうかつに裏に入り込むことはできないが、何らかの理由で裏の世界に入り込まなければならないとする。偶然、復讐、継承、まあ理由は何でもいい。ともあれ、裏の世界に何らかの理由で入り込んだとき、まったくの0からの入門だとしたならば力はどこから得ればよいのか。
 コネがあるならばいい。武器が、知識が手に入る。しかし、本当にまったくのゼロならば、どうするのか。教えてもらう。その一点しかない。その利息が法外であれども、だ。
 DDSにはさまざまな人間がいた。共通しているのは裏にいる人間と言うことか。
 掲示板を開く。そこはまだネットの整備が粗雑の時代としてはにぎわっていた。それはあまりいい意味とは取れるわけではないのだが、しかし今の状況にはありがたい。
「――と」
 トピックスの中から必要な情報を探し出す。これがいささか面倒なのだが、そうは言っていられない。目を皿にし、画面を見つめる。
「あった」
 見つけたのは、探し出してから三十分後のことだった。
『初心者サマナーの集い』
 いかにもと言った内容だった。



 内容は現実的なものとは言いがたかった。よく分からない内容を日本語を使って掲示板に書きなぐっている。そう思えた。
 まず、支離滅裂な内容が目に飛び込んできた。初心者と言う意味をもう一度辞書で引きなおすべき、とでも言わんかのごとき専門用語の山。次に態度だ。質問をすれば誹謗と罵詈雑言で返答される。最初のうちは怒りもしたが、後からはもはや何も思えなくなった。
「結局は自分の力便り、か」
 召喚はランダム。基本的に下位の悪魔しか呼ばれないが、しかしそれでもただの人間にとってはそれでも十分の脅威となる。事故が起きて中位、上位の悪魔が来てしまえばなすすべはない。
 分かっている。震えが来る。しかし、手は動く。
 ――悪魔召喚プログラム・起動。
 ――サーバ接続確認・完了。
 ――術式確認・完了。
 ――構築・完了。
 ――魔界へ交信します、魔界へ交信します、魔界へ交信します。
 ――魔界との交信を完了。
 ――召喚します。――良い終末を。

 画面から光が漏れた。

 発光は凄まじく、目を腕で覆った。

 音がする。

 風だ。

 徐々にそれが消えていく。

 腕をよけ、周囲を見る。
 まずパソコンを確認した。いわゆる魔法陣が映し出されている。
 部屋を見た。風が吹いたと思ったが、変わったところはない。
「――これは……?」
『オマエガワレヲショウカンシタサマナーカ』
 声だ。後方から人の声とは違う、形容できない声だ。電子音と唸り声を混ぜ合わせ人の言語を喋らせたらこうなるのか? などと思うほどだ。
 身動きをせずに声を上げる。
『ドウシタ』
「……!! あ、ああ。そうだ」
『ナゼ、ワレヲヨンダ』
「力を借りたい」
『ワガチカラヲカリタイトイウノカ』
「ああ。あいにくと、俺には敵と戦う力が今のところ、なくてね。味方が必要だ。故に助力を願いたい」
『……イイダロウ。ダガ、オマエハワレニナニヲヨコス』
「何を望む?」
『ナラバ、マグネタイトヲイタダコウカ』
「今の俺の半分だ」
『――』
 数分の思考が起き、声。
『イイダロウ』
 煙がおきた。後方だ。すぐに後方へ視線を向ける。立ち上がった。
 黒煙が吹き荒れている。
 黒鉛は一定の法則で形を作っていく。
 出てきたのは、犬だった。顔の部分から火が噴出している。熱を感じた。
『ワレハヘルハウンド。コンゴトモヨロシク』
 ああ、と湊は言い返した。
『テヲ』
「ああ」
 手を差し出すと、丁度お手の形で前足が乗った。
「う、ぐ」
 何かが吸い出される。感触ではなく、確かに何かが抜け出しているのが理解できる。それは、到底言葉にはできない、一言で言えばわけの分からないものだ。
 終わる頃には足腰が崩れ、床に這い蹲る形になっていた。
『ブザマダナ』
「まあね」
 悪態の一つも返したいところではあるが、助力を仰いだのは此方で、それを損ねるわけには行かない。故に閉口。歯がゆい気分を感じた。
『ヒツヨウナラバヨビダセ』
 そんな姿を尻目に"妖獣"ヘルハウンドの姿は胡散した。光の粒子となってパソコンの中に吸い込まれていく。
 気だるい体を引き起こし、どうにか仰向けの姿勢まで持っていく。
「――は」
 対抗手段の一つは確保できた。あくまで確保できただけだから、楽観視はできない。それを理解しているから、ため息をつくだけにとどまる。
 まだ、足りない。
 足りないから、だから次へ、向かわなければならない。
 そう思い、まどろみに身を任せる。
 暗転。



[38166] 題名未定《序章・覚醒篇・3》
Name: navi◆279b3636 ID:917e82df
Date: 2014/12/27 01:59
 今日は日曜日だ。全国の一部を除けば多くは休日として暇な一日を享受しているだろう。
 湊は思想する。
 まず、と思う。優先事項はなんだろうか。
 ひ弱な肉体を鍛え上げるとして、これから悪魔へと挑むのに必要なのは――、
「まず武器、か?」
 カーテンが朝日をさえぎる中で湊は呟いた。素手で戦うと言うのはまず無理だ。無謀だとかそういうのを通り越して自殺行為と言ってよい。ならばどうするか。
「どこかで手に入れるしかないな」
 これに尽きる。繁華街には確か怪しい店もあったような気がするから、今度そこを見るなりすればいい。
 あとはヘルハウンドとのコミュニケーションをとり、少しでも信頼関係を気づくべきだ。
「あ」
 そう言えば、と思い出す。家にあるPCはノート型で持ち歩くことができるが。携帯性は最悪だ。どうにかして持ち歩きのできる物を確保しないといけない。今の時代なら、何があるだろうか、電化製品を探さないといけない。
 あれもこれも、と思うと気が重くなってくる。
 しかも、それらをそろえるとなれば元手が必要で、頭の中にはあてがあるが、それに手をつけなければならないと思うとさらに良心の痛みがさらにひどくなる。
 ふう、と息を整える。自分が行うべきことを整理するためだ。
 ――まず、自分はこれから悪魔に対してかかわっていくか。
 これに関しては是と反芻する。そもそも最早かかわってしまったのだから後戻りの仕様がない。
 ――ならば自分はどうする?
 どうにかしてコミュニティと連絡を取るしかない。それは、たとえばDDS-NETを通じてや、デビルサマナーをやっていれば同業者に出会うこともあるだろう。ならば、まずは悪魔に相対するための準備を怠らないことが重要である。
 ――結局行き着く先はそこか。
 頭に手を乗せ、乱暴に髪を掻く。心の中で懺悔し、湊は朝早くのリビングに足を向けた。



 湊を出迎えたのは両親の驚愕の表情からだった。それはつい最近まで引きこもりをやっていた人間が学校でもないのに一人で降りてきたからだろう。とはいえ、確かに驚愕ではあったがすぐに歓喜へと変化した。世間一般的には良い変化とされるからだ。
「おはよう湊」
 声をかけてきたのは母親だった。改めてみれば美人ではないが愛嬌があり、器量のよさそうな顔立ちをしている。彼女は嬉しそうに一声かけた後朝食の準備を始めた。それでも十分なご馳走に思える。
「珍しいじゃないか」
 自分の席に腰掛けたときに父親が話しかけてくる。
 なんと返せばいいか一瞬惑ったが、軽くうなずき、うん、と言う程度に留めておいた。
 すぐに朝食が運ばれてきた。焦げ目のついたトーストとマーガリン、ベーコンエッグ、後はちぎったレタス。飲料は牛乳。簡素だが、かつて一人暮らしをしていた記憶があり料理をあまりしなかった人間にしてみればそれでも十分なご馳走に思える。
 いただきます、と一言発してからマーガリンを塗ったトーストを口に運ぶ。硬質の食感が口の中に来ると同時にマーガリンのしょっぱさがアクセントを加える。ベーコンエッグは醤油で。あまりかけすぎないように調整しつつ、軽くたらす程度にとどめる。淡白な白身、濃厚な黄身、そこに濃い目の醤油はたまらない。野菜もベーコンと放り込めば脂っこさがいい具合に抜けて具合が良い。途中途中にはグラスに注がれた牛乳を含み、味と味の変化に緩急をつけていく。
 二十分程度で食事は終わり、人心地。吐息を吐いて、精神を整える。どうにも美味しいものを食べたはずなのにこの後を思うと気分が優れない。
 特に意味を成さないニュースを眺めてから意を決して顔を父親のほうに向けた。
「父さん」
 父親は軽い驚きからか少し目を見開いて、どうした、と、
「俺、欲しい物があるんだ」
 言った。父親は聞き返し、
「欲しいもの?」
 湊はうなずく。それは、と、
「PDAって言う物なんだ。ここ最近発売されている情報端末」
「パソコンとは違うのか?」
「うん。それよりももっと小型で、なんていうのかなパソコンを小さくした感じかな?」
「どうして急に?」
 当然、本当の理由など話せるわけもなく、白々しいまでの言い訳をつらつらと並べていく。
「最近インターネットの発達ってすごいじゃない。少し前までは電話線からダイヤルアップだなんだでつないで不便でしかもお金がかかってた。けど最近はそういうわずらわしさもなくなってきて接続時間もかなり早くなったでしょう? すごい進歩だって思うんだ。きっと、これからはその手の……、IT? が強くなってくる時代だと思うんだ。だから今のうち少しでもそういうものに触っておきたくて」
「湊はそういう会社にはいりたいのか?」
「まあね。今触っておけば、後々有利に成ると思うし、時代の先駆者っていつの時代も強いから」
 大嘘。確かに情報化社会は来るがその手の技能者はIT土方などと呼ばれ、過労だなんだときついものだという。湊はそんな仕事につく気はない。
 そんな内心を湊の父親が知ることができるわけもなく、むしろ先を見据えた将来設計に感動したのかうんうんとうなずいて、
「そうか、そういうことなら買ってやってもいいだろう」
 母さんはどうだい? と、父親が言えば、
「私は湊が将来のためにって、言うのならいいと思うわ」
 母親は特に気にした風でもなくそういった。むしろ声が弾んでいることを感じればどちららかといえば父親と同じように未来を見据える息子に感動を抱いているのかもしれない。
「ありがとう」
 湊はそう告げ食器を持ち立ち上がる。
「ご馳走様でした」
 うん、と両親はうなずいてから、
「じゃあ、今日の昼から出かけようか、久しぶりに外食でもしよう」
「そうねそれがいいわね」
 そんな声を尻目に、湊は食器を置いて水につけ、
「じゃあ、俺、部屋に戻ってるから」
 リビングを退室する。



 特に何があるわけでもなく、昼が来た。駅前のデパートだが食料品の買い物も済ましてしまうらしく、車で行くという。
 構成は両親、二つ上の姉、一つしたの妹、そして湊だ。
 湊が腰掛けたのは助手席だ。単に女性の中に混じるのが嫌なだけだった。
「準備は大丈夫か?」
 父親がかける号令に、特に誰かが異論を発することもない。ゆっくりと車が動き出し、徐々にスピードが乗ってくる。
 声がする。後方の女性たちが会話を始めたからだ。攻撃的なものはなく、どうやら表面上の仲は良いらしい。それにしても煩いと、湊は思う。女が三人寄ればなんとやら、と言うがどうやら本当のようだった。
「ねえ、湊、久しぶりの学校はどうっだった?」
 姉の声が、急に飛び火してきた。迷惑に思うが、答えないわけにも行かないから、
「特に」
 そう一言で返しておく。えー、と、追撃するように、
「そんなことないでしょう? 久しぶりの学校だよ?」
「そりゃそうだけど、まだ入学から二ヶ月しかたってないよ。うちでは大きな問題だったかもしれないけど、ほかの人たちにしてみればそれほど気にする物じゃない」
 ふーん、とつまらなそうに姉は切り上げ、すぐに妹や母親との会話に花を咲かせる。どうせならずっとそうしていて欲しいと湊は思った。
 特に会話があるわけでもなく、車は駅前デパートの駐車場に到着した。ほんの少しの時間とはいえ、車のシートは窮屈だった。伸びをして肉体をほぐす。筋肉の動きが気持ちよい。改めて空を見る。晴天だった。
 買い物は二つの組に分かれることとなった。両親と湊の家電製品を回る組、姉と妹の服を見て回る組の二つだ。
「じゃあ、渚と汐は服の売り場から動くなよ」
 父親の言葉を聴くが早いが、即座に二人は動き出した。今どんな服がはやりか、などと言い合いながらだ。
「俺たちも行こうか」
 湊は父親の言葉にうなずいた。
 休日のデパートは混んでいた。地方都市のデパートで、そこに行けば大体がそろうからだ。電化製品のコーナーは五階にある。エスカレーターを上り上層へ、それを数度繰り返し到着する。当然だが家電製品がおいてある。ただ、未来? とでもいうものを知っている湊にしてみれば懐かしさを覚える。最新と解説される大型のテレビは、分厚く花瓶どころか鉢植えすら置けそうだ。録画媒体はDVDが今丁度全盛期を迎えようとしているからか、DVDレコーダーが五万六万と値が張っている。何もかもが懐かしく見えてくる。
 目的の場はIT機器のコーナーだ。そこはエスカレーターを降りて右に曲がり、すぐのところにあった。ノートと言うには分厚すぎるノートPCや、大きくて場所をとりそうなデスクトップPCの近くの棚に存在した。
 PDA、後のスマートフォンやタブレットの前身とも言えるそれは、あらん限りの技術を詰め込まれた一品で、いくつかのメーカーが競合し、商品を出し合っている。
 複数を吟味し一つの端末を手に取った。手になじむ大きさで、使い心地も悪くないし、この時代にしては容量もなかなかある。通信アダプタをつければ低速ではあるがネットも接続ができるし、外付けのメモリーでさらに要領を増やせることも考えればよいものだと思えた。
 こんな小さなのが、などと呟いている父親にその端末を見せて湊は購入の意を伝えた。にべもなく、許可された。拍子抜けした気もしたがスムーズに進むならそれでよい。会計は父親に任せることとなった。ネットに関しての契約等は、未成年の湊にはまだ無理だったからだ。値が張るということを伝えたが、たまのわがままくらい聞いてやると父親は言った。思う。湊少年はどれだけ無欲だったのか、と。まだ16と言う年齢なんてわがままの盛りみたいなものではないか。
 ネットの契約には三十分程度かかった。既に十二時を一時間ほどオーバーし、一時を迎えている。
 姉と妹を迎えに行き、七階のレストランへ向かう。いくつかある中で入ったのはファミレスだった。女性と言うのはどうにも会話をしなければ死んでしまうのだろうか、未だに姉と妹は喧しい。
 メニューを開き、眺める。どれでも良かったから、一番安いセットメニューを頼んだ。もっと頼んでもいいんだぞ、と両親は言うが、それほど腹は減っていないから良いと遠慮する。
 二十分かけて姉と妹、そして母親はメニューを決めた。昼食と言うよりは早めのおやつとでも言うべき内容で、頼んでいた内容だけでも舌が甘くなり、胃もたれしそうだ。
「ねえ」
 声がかけられた。妹からだ。
「何?」
「お兄ちゃんって、今日何買ったの」
「PDA」
 何よそれ、妹は笑う。
「小型の携帯端末だよ。俺は、これからはきっとこういうのが主流になると思うよ」
 父親に目配せしてから、端末を箱のまま取り出した。箱には原寸大のデザイン画が乗っていて大体の大きさを予測できる。妹はふうん、と興味なさそうに、
「けど、こういうの使う人って、あれでしょ? こういう仕事する人だけでしょ?」
「どうだろうね。けど、今の技術の進歩はすごいから、誰でも使う日が来るかもよ」
 ないない、と妹は言うが、未来を知っている分その言葉を複雑に感じた。そうだ、この時代の人間にしてみれば未来に多量の情報が垂れ流され、その中から網ですくうように情報を得ているなんて考えられるわけがない。PDAはスマートフォンやタブレットに吸収されるなんて分かるわけがない。
 料理が来る。オムレツとミニパスタ、後はスープのセットだ。それなりに食べているように見えるが女性人に比べればいっそう質素に見える。
 レストランの料理らしく、均一な味でそれなりに美味しい。ただ、無感動な味でもあった。どうでもいいことだ。
「デザートはいいのか?」
「大丈夫」
 高い買い物をした後だからか、余計に遠慮してしまう。とはいえ湊の体自身が小食らしいから、どちらにしても入らない。
 それを見た、姉妹は湊の分も食べる、と声を上げた。当然のように却下された。



 食料品を買い込み、後は消耗品もいくつか購入し、終わると四時になっていた。
 即座に部屋に舞い戻り、PCの電源をつける。購入したPDAをPCに接続し悪魔召喚プログラムをはじめ、交渉用のソフトやソナーソフト等いくつかのソフトをインストールする。思ったより早い時間でそれは終わった。次はヘルハウンドのデータをPDAに移す。これも問題なく終わる。
 椅子にもたれかかった。息をつく。とりあえず今後の動きについて考える。まずは悪魔を召喚するためのマグネタイト――MAGを稼がねばならない。自分の体内から捻出すると言う手もあるが、危険だ。却下。ならば、どうするか。敵と戦ってMAGを得るしかない。湊はDDS-NETを起動し、梓馬市付近にておきている悪魔関連のニュースをあさった。いくつかのトピックを眺めてから、一つの記事を注視する。梓馬市の南側にある大型マンションの廃墟とそれにまつわるいくつかの事件だ。かつて富裕層向けのマンションとして周囲の土地を含めて開発されていたが、謎の事故が頻発し、開発は頓挫してしまったのだと言う。最近はそこで妙なうわさが流れ始めていて、それは悪魔の仕業なのだという。しかしあまり大きな被害があったわけではなく、依頼料は捨て値どころか二束三文で誰も受けようとしないとのことらしい。
 ふむ、とあごに手を置いた。あまり軽視するのは良くないが、とりあえずはこの廃墟を探索しようと当たりをつけておく。文書をコピーしメモ帳に貼り付けておく。
 DDS-NETを終了。シャットダウン。立ち上がると同時にベッドへ体を飛ばす。
 思考。それにしても悪魔召喚プログラムか、などと今更ながらに。
「この世界が、このまま平和に終わるわけがないよな」
 呟いた。それは自分に言い聞かせる意味もある。
 この悪魔召喚プログラムは作品によってはいろいろあるが、ものによっては無差別にばら撒かれたりする。どう考えても悪手だが、それを行った人間にしてみれば最善手だったのだろう。
 ――この世界は一体どういう位置づけなんだろう。
 女神転生の世界観においては、とりあえず正史とパラレルワールドに分けられる。いわゆる『女神転生シリーズ』を正史とするならば、だ。核の落ちていないこの世界はたぶんパラレルワールドに位置するのだろう。
 とはいえ、油断ができるわけでもない。そもそも悪魔召喚プログラムなんてものがある時点で既に安全も安心もあってないようなものであり、紙よりも薄い物に成り果てている。警察? 自衛隊? そんなものが悪魔に対してどれだけの抑止力となるのか。悪魔なんてものが公になった時点で現在しかれている秩序なんてまったく役に立たないなんて目に見えている。それに頼るくらいなら、自分で戦う力を持っていたほうがまだ安心だ。
「明日は自分で買い物か」
 ある意味自分で、ある意味他人。そんな人間の金を使っての買い物は罪悪感よりも不可思議な感覚を持つ。とはいえ、戦うと決めた以上武装は必須だ。PDAと違って両親や姉妹に怪しまれないわけがない。せめて刃物とか、防弾チョッキのようなものが欲しい。それがだめならなるべく自分のみを守れそうなものだ。
「なんで、俺なんだ?」
 声に出た。自分でも分かる。たぶん、自分である意味はない。誰でもいいから、そんな『誰か』の一部の自分が意味もなくこんなことになっているのだ、と自嘲した。
 意味が欲しい。自分がここにいる意味を、ここに存在する意義を、と思った。どうにも哲学的だ。くだらないことなのに。
 上体を起こした。窓を見やる。空は既に茜の色を差している。



 夕食を終え、自問自答を続ける。答えは出なかった。



[38166] 題名未定《序章・覚醒篇・4》
Name: navi◆279b3636 ID:17d1eb6e
Date: 2015/01/02 21:19
 学業は気分を省みない。憂鬱の様相を醸す学生諸子も多い。一部の例外を除いてである。
 浅木・湊はその一部の例外に含まれる一人だ。
 人は過ぎ去った者に価値を見出し、零れ落ちた事柄にこそ嘆きを要する。
 つまり、後悔先に立たずというわけだ。
 湊、と言うよりはその上書きされた人格にしてみればそれは取りこぼしたかつてを例外的に体験しているわけだから、その価値に気づかぬわけがなかった。
 あの時ああすればよかった、と擬似的にやり直すことができるのだ。既に就職し、社会の荒波にもまれ、親の庇護から独立したときに比べれば何十倍もの天国ともいえた。
 特に勉学は良い。老齢し、理解度の深まった感覚から言えばかつてのあくびの出るほどつまらなかった座学は百億の札束を目の前に置かれているかのようだ。
 ただ燻りがあるとすれば、それが本来自らの者ではなく、誰かが経験する時間であったと言うこと、その一点だ。
 何故、自分なのか、と問う。
 何故、自分なのか――、
「……」
 そもそも自分とはなんだったのか。馬鹿なことを考えている。理由は分かりきっていた、昨日のことだ。
 契約相手であるヘルハウンドは湊よりも当然だが強い。簡単に殺されてしまう。そんなヘルハウンドが契約の更新としてマグネタイトを要求してきたのだ。逆らえるわけがなかった。そもそもの話としてヘルハウンドにいなくなられたら戦力が低下するのは目に見えている。結局自らの中にある生体マグネタイトを代償として悪魔であり最初の相棒、妖獣『ヘルハウンド』に半分も渡した。馬鹿なことをしたものだ。悪魔がその半分という条件を守るか分からなかったのに。しかし、なんとか繋ぎ止めることは結果として成功。ただし肉体の疲労は猛烈なものになったのだが。
 ――畜生が。絶対に鍛えてやる。
 だが、肉体がまったくついていないどころか貧弱でひ弱な浅木・湊にはあまりにも厳しいものがあった。故に、泥のように眠り、朝が来ても肉体から気だるさは消え去りもせずに残っていた。足取りは最悪で硬くなった足はまるで木の棒のよう。それを無理に動かすのだからまた疲労がたまる。悪循環だ。
「おーい、湊ー」
 声。昨日に聞いたそれは、この肉体の元の主、湊少年の友人高橋・崇平のものだ。振り返る。視線の先には声の主とその横には峰岸・誠一がいる。
「あー……おはよう」
 気だるさを隠そうとしたが、無理だった。
 崇平は怪訝そうに問う。
「どうした、何かあったか?」
「久しぶりの外出だから、体がね」
 適当にごまかす形となってしまったが、それは受け入れられたようでなるほど、と崇平はうなずいた。そもそもなまっているのは事実だ。
 他愛もない会話、アイドル、ゲームのことなんかを話しつつ通学路を歩く。
 ふと声が耳に入る。先日も聞こえた噂話だ。
 ――さて、どうするか。
 脳を回転させる。偶然必然の是非は問わずとも、現実として自分は力を得た。悪魔を使役する力だ。
 おいそれと使ってよい力ではないだろう。
 とはいえ、今の状況をこのままにしておくべきかと言えば否、としか言えない。それは公共への奉仕心だとか義憤だとかではなく、次に悪魔のターゲットにされたくないう思考からだ。
 さて、どうするか、と湊は考える。結論は出ない。



 授業はつつがなく終わった。崇平は家の用事で、誠一は道場で稽古、故に今日は湊一人だった。足を向けたのは繁華街だ。
 改めて一人で訪れた繁華街は誰かと来るより、さらに鬱葱としていた。それは孤独感から来るものかもしれないし、違うかもしれない。
 ただ人の息遣いとでも言うものは前回来たよりも強く感じられる。
 大通りは混雑をしているわけではないが、しかし人が少ないわけでもない。どちらかと言えば勢いのあるほうだ。
 視線を左右に向け、少しでも目当てのものがないかを探す。今の時代のインターネットではまだそこまで情報を多く仕入れることができるわけではない。インターネットがまだ限られた人間が行うことだからだ。故に家でPCとにらめっこするよりははるかにましであろうと考えた。
 数十分程度の時間をかけて歩き、ようやく目当ての店を発見した。ミリタリーショップだ。看板には『梓馬キャロル』と書いてある。
 テナントの大窓から内装が見えた。厚手のコートや、バックパックなどが散見した。
 意を決し、足を踏み入れる。イラッシャイと大声が来た。気にせずに歩を進めた。立て札には米軍放出品、や自衛隊放出品などと記入されている。
 店内を見渡し、吟味。どれが良いか探す中、それは見つかった。
「――!!」
 それは軍服だった。否、ここがミリタリーショップと言うことを考えれば別におかしいことはないが、しかしそれを見て驚かないわけがなかった。否、それを見て驚けるのはいわゆるマニアとかそういう一部の人間だ。湊はその一部だった。
 第1SS装甲師団の軍服だ。一式そろっている上に状態の良いオーバーコートもついている。
 それもレプリカではなく本物らしい。値段は十五万五千円と偽者を疑うが、大きく値段とともに青いマジックで『本物』と書かれていた。
「お? お客さん、いいところに目をつけたね」
 店員が声をかけてくる。サングラスをかけた大柄な男だ。迷彩柄のシャツを着て、旨にはドッグタグ。外見は厳ついが、声色などはどちらかと言えばフランクで親しみやすそうだった。
「何故こんなものが? っていうか、本当に本物なんですか?」
「そうだよ。まあ、俺がドイツに知り合いがいるんだけどね? ほら、ドイツって言うか欧州ってナチスアレルギーだろ? 安く譲ってもらったんだ」
「そんなものを売りに出していいんですか?」
 しかも、こんなに安く、と続けた。
「いいよ? どっちかって言うと俺は米軍押しだからねえ。いや、そりゃ価値のある物だって言うのは分かるけどさあ、だったらちゃんと価値の分かる人に、ね」
 湊は叫んだ。
「これ、買います」
 店員は一瞬ほうけたが、すぐに、
「まいど」
 愛想の良い笑みを浮かべた。さらにアイクホン社のコンバットナイフBW-ACKも二本セットでつき、十九万と飛んで九千九百と言うぎりぎりで購入。
 これで湊少年が貯蓄していた二十万を一気に使い切ることとなり、部屋に戻ってから、自己嫌悪に陥ることになる。
 家に帰り、復帰には数時間を要した。他人の肉体を使い、他人の金で高い買い物をする。外道の行為だ。たまらなく自分が屑に思えた。実際やっていることを見たら屑そのものだ。
 何とか食事を取り、睡眠をとる。夜のためだ。
 電源をつける。PDAはCOMPにと姿を変えてた。画面を動かし、インストールされたDDSを起動。六つの六角形のうちの一つには妖獣『ヘルハウンド』が檻に入るように表示されている。
 画面を消しポケットに突っ込む。そのままDDS-NETを起動し、先日見たトピックスを開く。湊はそこに行く旨を書き込み、PCをシャットダウンさせた。
 昼の内に買った軍用品をバッグにつめて、静かに外に足を向けた。家族を起こすことはできない。階段を静かにくだり、玄関へ、ドアノブに手をかけ開くとドアがきしむ音がする。嫌な感覚が背筋を這う。何故今の時点でこのような感覚に陥るのかわけが分からない。
 問題なく外出に成功すると、路地裏をとおり目的地に向かう。迷いそうなことはあったが、たどり着くことは結果として成功した。
「マジで廃墟だな」
 大きく鎮座する大型の廃墟は、確か梓馬グランドといったはずだ。外枠は既に出来上がっているが塗装もされずにコンクリートがむき出しのまま放置されている。
 ふう、と一つ大きく息を吸い込んだ。
 怖いな、と思った。これからやるのは命がけの戦闘と言うやつでしかも相手は悪魔と来た。一歩間違えれば世間では行方不明扱いで、実際は死亡と言う笑えない現実が待っていることになる。だが、と心を奮い立たせる。もうやるしかないのだから、覚悟を決めろ、と。そもそもこんなところで躓いていたらこれからも戦っていけるかわからないのだ。
 湊は廃墟へと足を踏み入れる。
 廃墟はDDS―NETの予想通りに悪魔の巣とでもいうものになっていた。
「ここが、異界」
 COMPのエネミーソナーがそれを示すように激しく動く。それだけではない。肌でもここが『普通』とは違うことを感じている。具体的に説明はできないが、確かに肌、否、魂とでも言うべきものがそれを感じているのが理解できた。
 息を整えつつまずは第1SS装甲師団服に着替えた。次に黒のロングコートを羽織る。その上にバッグを背負い、ナイフシースを装着し途中で購入したミネラルウォーターを二つ入れておく。グローブをはめブーツを履く。蒸し暑いが我慢だ。COMPを腕に取り付ける。
 これで用意はできた。一本のナイフを抜刀し懐中電灯をつけ、湊は歩き始めた。



 ゲームでは3D表示のダンジョンが現実でもそうであると言うことはなかった。人間の視点は一点透視ではないし、視界は開けている。ゲームでは操作をミスすれば壁にぶつかることはあれど、実際に思考する人間はよほどのことがなければそのようなヘマをするわけがない。夜でもグラフィックでは視界が良かったとしても、実際に歩けば夜の廃墟はほとんどダークゾーンのようなものだ。前進してもゲームでは足音くらいしかエフェクトが出なかったが、実際は歩けば風化して崩れたコンクリートがいちいち耳障りだ。
 些細なことで、どうにもリアルを感じる。そしてそのたびにのどが渇き、集中力が欠けそうになる。だからと言ってすぐに水を飲めるかといえば否だ。水を飲むにはいったんナイフか懐中電灯を手から離さなければならない。その間に敵の悪魔から発見されるのは致命的だ。せめてヘルハウンドが召喚できればよかったものの、召喚するためのマグネタイトが足りないので、今は自分ひとりでの戦闘となる。ゲームでは意図的か無意識かはともかく省かれていた部分は、湊の精神を大きく苛んだ。
 時折腕のCOMPでソナーを確認しつつ、周囲を見渡す。メガテンと言うよりはバイオハザードのようだ。
 COMPのソナーが大きく動きを見せた。敵が近くにいる証拠だ。心臓が大きく跳ねた。いくつかの感情が絡まり、言いようのない感覚が生まれる。
 ナイフを構え、息を呑む。
 音が来る。それは自分が発したものではない。近づいてくる。
 だんだんと大きくなり、それはきた。
 二頭身程度の大きさの小柄な体躯。仮面のような顔だけを露出させを、体は大きな布で覆っている。異常なほどに細い足首が見えた。
 ノッカーと呼ばれる悪魔だ。
 湊の肉体が動いた。敵を発見すると同時に排除をすると言う命令が脳から発されたからだ。速やかに自分に来るであろう脅威を取り除くためにだ。すなわち、恐怖の排除と言う本能的で原始的なものから来る行動だった。腰付近にナイフを構え、走る。叫び声をあげようにも口が開かない。ノッカーめがけてただ走るのみだ。近づいた瞬間に手を伸ばした。湊の手に感覚が来る。何かやわらかいものにナイフが刺さった感触。似たものを思い出せば、それは魚を三枚におろしたときのそれに近い。ただ違うのはそこに嫌な抵抗感が付随するだけだ。
 湊は手元を見る。ノッカーの顔をえぐるように突き刺しているナイフと、それを持つ自分の手だ。
 ノッカーは悲鳴も上げずに絶命する。その小柄な体躯は融けるように消えていった。後にはマグネタイトが残るのみだ。
 一瞬の呆然とともに、湊は腰を落とした。尻餅が痛みを伝えるが、気にならない。
 


 手を握ったり、開いたりする。初めて何かを殺した感触を確かめるためだ。
「――」
 思ったより、何も浮かばないものだな、と湊は思った。妙な現実が現実感を失わせているのかもしれない。ただ分かったのは、案外悪魔と言うのはもろいものだと言うことだ。殺せば死ぬ。
 ミネラルウォーターのふたを回した。たっぷりと水の入ったボトルを傾けて、口とのどを潤した。体の熱が引いていくように思える。
「はは」
 急に笑いがこみ上げてくる。異常なはずのことをやっているのに、なぜかこの状況に安堵を覚えたからだ。否、なぜかではない。今、このわけの分からない状況に自分の存在価値を見出している。少なくとも自分ではそう分析できる、と湊は思った。実に滑稽なものだ。こんな異常事態に自分の意味を見出しているなんて。
 しかし、どうにも今、平和な日常よりこの血みどろの異常のほうがごく自然なことに思えてしまう。
「……行こう」
 湊は立ち上がった。



 騒音がする。叫び声と悲鳴が混ざった声だ。それは悪魔のもので、人間のものではない。おおよそ戦闘といえるようなものではなく、端から見れば弱いものいじめどころか虐殺にも見える。
 敵対悪魔はノッカーと呼ばれる悪魔の集団だった。しかしそれらは既に烏合の衆で、一人の人間と悪魔に良いように殺され統率の言うものは既にない。
「ヘルハウンドっ! ほかに敵は!?」
『イマココニイルテキダケダ! サア、ドンドンカルゾ』
 要するに悪魔のレベル差によるごり押しの上に、相性差も最悪だ。ヘルハウンドのファイアブレスはノッカーに対し良く効く。故に敵が今の時点で何体いようとも何の問題もなく倒すことができたのである。
「ヘルハウンド! ファイアブレス!!」
 その言葉に妖獣『ヘルハウンド』は一つの雄たけびとともに撒き散らすようにファイアブレスを放つ。炎は海のように広がり、有無を言わさずにノッカーの残りを焼き殺した。悲鳴とともに絶命していく。
 哀れとは思ったが、それ以上は何も感じない。
 COMPを確認し、湊は笑みを浮かべる。
「お、結構MAGがたまってる」
 結構な数のノッカーを虐殺したおかげだからだろう。ヘルハウンドをしばらく連れ歩いてもびくともしないMAGの数値が示されていた。
『ホウ、サマナー。ソレハヨカッタナ』
「まあね」
『キョウハコレデオワリカ?』
 否、と首を横に振った。
「まだ、この異界の主がいるはずだから、それを倒して今日は終わりだ」
『クク、ウデガナルナ』
 犬に腕なんてあったっけ? などと思ったがそんな無粋な突っ込みをするほど湊は野暮ではない。
「にしても、ノッカー……、というかノッカーだけがこんなに発生してるのか?」
『ソレハ、カンガエコムコトノホドカ?』
 ごもっとも。湊はうなずいた。
 衝撃が来る。
 地面がなるような衝撃だ。
 それは魚の顔を持っていた。青白い肌は怪しくぬめり、光を反射している。体の一部にはえらが生え、足には水かきが見える。半漁人とでも形容できる風貌だ。ただ、大きい。湊の背丈の二倍程度はある。
『ホウ、アズミか』
 妖鬼『アズミ』は此方を一瞥すると、怒りを発するかのごとくに雄たけびを上げた。
「こいつがこの異界の主かな?」
 湊は落ち着いた様子でそんなことを呟く。巨大な敵と言う絶望的な状況だが、ノッカーを虐殺したことである意味度胸がついてしまった。いい変化か悪い変化かは本人の心のままだが、そもそも変化しているのかはわからなかった。
『ナカナカウマソウダ』
 ヘルハウンドにいたっては少し大きめの餌にしか見えていない。
 先手を取ったのはアズミだった、大きく振り上げられた腕が湊を狙う。しかし、それを阻んだのはヘルハウンドだった。ファイアブレスによる妨害がアズミの腕を焼く。さらにそれはアズミの大きな隙となった。熱さに負け、腕ごと上体を大きくのけぞらせた。
 追撃するかのように、突撃する。ヘルハウンドは牙に魔力をこめて『かみつき』、湊はとにかく敵をめったざしにする。
 あっけがなかった。本来ならば畏怖し、慄くべき敵はまるでそこらの雑魚と同じように食いちぎられていく。
 荒い息をアズミが吐いた。既に虫の息。それもそのはずだ。本来得意のはずのブフを打とうにも、ヘルハウンドに食らいつかれ精神を集中できず、その間に湊に削られていく。
 かわいそうなものだが、仕方がない。現実はプレスターンバトルではないのだ。いちいち敵の手番など待ってやる義理がない。殺せるときに殺す。この一言に尽きる。
「ヘルハウンド」
『オウ』
 最後、既に光を失ったアズミをヘルハウンドのファイアブレスが飲み込んだ。
 消滅し、後に残るのはMAGだけだった。



 湊によるはじめての異界探索は山も谷もなく終わった。本来なら危険まみれの異界探索だと言うのに、おそらくは運よかったのだろう。
 しかし、この完勝とも言える勝利をもってして湊は今日を境に、裏の世界に入り込んでいくこととなる。



[38166] 題名未定《序章・覚醒篇・5》
Name: navi◆279b3636 ID:17d1eb6e
Date: 2015/01/07 05:44
 浅木・湊
 年齢は十六歳。誕生日は四月六日。浅木家の長男として生まれる。家族構成は父、母、姉、妹。過去に問題行動等を起こしたという記録は見受けられず、平凡な家庭で生まれ育つ。
「なんだかな」
 一人の男が紫煙とともにそんな言葉を吐き出した。
 男は梓馬周辺に存在するデビルサマナーのまとめ役だ。仲介所である、梓馬市のとある居酒屋で書類を見ながら頭を悩ませた。
 つい最近入ってきた新人サマナーの一人。高校生と言う若さだが別に珍しいわけではない。特にサマナーともなればコンピューターが出回ってから『とある』人物によってばら撒かれた悪魔召喚プログラムによって多少の素質があれば誰でもなれるようになってしまった。
 この少年も偶然だったのだろう。たまたま悪魔召喚プログラムを手に入れてしまった不幸な少年。
 プログラムを手に入れた人間は大別して二つに分けられる。生きる人間、死ぬ人間。冗談ではない。悪魔召喚プログラムはその名のとおり『召喚』することはできるが『制御』できるわけではない。悪魔なんて存在を呼び出した人間が前知識もなしに早々冷静に対処できるものではなく多くの場合、あっさりと餌になってしまうのが大半だ。
「どうしたんだい? おやっさん」
 失礼な、と男は返した。まだ男は三十の前半だった。腕が立ち、頭が回るからまとめ役なんてものをやっているだけで、前線に立つことだってまだまだある。
 おやっさんと声をかけたのは若者だ。二十台に入ったばかりの青年で整った顔立ちをしている。
 若者は男の手から鮮やかな手並みで書類を抜き去る。顔が曇った。
「こいつ、ね」
「そう言えばお前はこいつと組んだことが会ったんだな……どう思った?」
 口元に手を当ててから、吐き捨てた。若者の顔は歪んでいた。侮蔑、嫌悪、憎悪、恐怖、そんな悪感情をすべて混ぜ、煮込んだかのような歪な表情だ。
「異質だよ」
 何もかもが、と、
「あいつは何かに取り付かれている」
「お前の神通力で何か分かったのか?」
 ちがう、そうじゃない。
「どちらかと言えば心理学とかそっちの部類。オカルト的な知見で言えば、まったくの正常だ何かにとり憑かれているなんてことはまったくない。なんていうのかな強迫観念というか、どこから仕入れたか知らないけど無茶苦茶な『常識』を自分の中に作り上げてそれを実行しているって言うか――」
 若者は自分で言っていても馬鹿な話だ、と思った。
「そう、つまり――」
 思い出す。これは、その少年、湊と組んだときのことだった。



 期待の新人の話を聞いたのは、六月の二十一日のあたりだ。新人が最初にかかわった依頼は『梓馬グランド』の件についてだったはずだ。住み着いた悪魔たちはそれほど危険性のない悪魔と言うことだから後回しにされていたそれを解決したのだと言う。
 ただその程度では話題には上がらない。精々話にあがったとしても数日で消え去るようなレベル。特異とされているのはその事件を境に『単独』で多くの依頼を解決していることだった。
 普通悪魔の討伐は一人で行うことはない。少なくとも安全をとりどんな小さな異界であれ二人で行動する。宮内庁なんかに所属する政府お抱えの実力者ならともかく、地方都市に存在するような霊能者やサマナーなら基本的にはそうだ。
「ふうん」
 若者にしてみれば、ゴシップ記事の真偽を軽く確かめに行く程度の心持だった。聞けば最初の『グランド』の件では大半が火炎に弱い悪魔で、彼の仲魔も炎を操ると言う。それがたまたまかみ合っただけなのだ、と若者は考える。
 ――まあ、悪魔召喚プログラムなんてものに手を出して生きているのは褒めてやってもいいけど?
 上から目線だが彼は裏と呼ばれる業界で生き残る手腕があったし、多人数で組んでいたとはいえ少なくはない依頼を解決している。先達として上の視点としてみるのも別におかしい話ではない。
 何より誇りがあった。それなりに重ねた家系と才能そして学んだ技術がある、そこらへんで量産された紛い物とは格が違う。
 今日の依頼は梓馬市ではない、要するに新人のホームグラウンドとされている場所ではなかった。県内にある梓馬ではない中堅の都市でおきた怪事件の調査だった。
 いわく、とあるマンションで殺人事件が起きてからそのマンションでは夜な夜な化け物がでると噂になっていた。否、噂ではない。既に死傷者が出ており気味悪がった住人は既に全員が引越しマンション自体が既に閉鎖も同然となっているのだと言う。たまたま手の開いていた若者にしてみればその事件は新人を試すのにはもってこいだと思えた。殺人事件等でのこる残留思念は多くの場合無念や怨恨が絡む。そしてそんなものを好むのは大抵が悪魔の中でも凶暴なやつが多い。分類するならば邪鬼や幽鬼、あとは悪霊その他といったところか。そんな危険なやつら相手に新人がどう立ち回るのか興味があったし、駄目そうならば先輩として薫陶を授けてやればよい、そうなれば自分の名声も上がる。
 夜の帳を軽い心持で待っていた。待ち合わせ場所は駅前。既に時間は八時になり、帰宅する会社帰りのサラリーマンやOLの姿が見えた。
 声が来た。少年の声だ。
「貴方が――、ですね? はじめまして、私が浅木・湊です」
 ――なんと言うか、特徴ないなあ。
 初めて浮かんだ感想はそれだった。童顔をやや抜け出した顔、平均より少しだけ低い背、少し見ただけなら忘れてしまいそうだ。むしろ彼が背負っている大きな背嚢のほうが印象に残りやすそうに思える。
 ――おっと。
 本来ならすぐに挨拶を返すべきであったが、期待の新人の観察に時間を割いてしまい間が開いた。挨拶を返せない人間などと思われるのは癪だ。
「ああ、はじめまして。俺が今日君と組む新道だ。よろしく」
 友好的な笑みを浮かべて若者――、新道は手を差し出した。
「はい。若輩者ゆえにご迷惑をかけてしまうこともありますでしょうが、今日はよろしくお願いします」
 へえ、と新道は内心で評価を高めにつけた。礼儀をわきまえているのは良いことだ。特にぽっとでの力を手に入れてしまい増長するような人間も多くいる中でなら特にだ。
 新道は軽く咳払いし、
「じゃあ、今日やるべきことについておさらいしようか」



 自分のDDS-NETでいつものように梓馬周辺の事件をあさっていた時だった。唐突に見知らぬ相手からメールが届いた。DDS-NET経由でのものだったからおそらくは霊能者なんかのものであろうとはすぐに予測ができた。
 ――なんだろう?
 自分が何かしただろうか、と湊は頭をひねりつつメールを開いた。
「ほう」
 その文面は何かを咎めるものではなかった。先輩霊能者からのもので、内容は次の依頼を共同で受けないか、と言うものだ。
 ――自分も名前が売れた、と言うことか?
 ほんの少しだけ緩めた。ここ最近は梓馬周辺の依頼を積極的に受け、解決していた。もちろん自衛のためだった。悪魔の存在を知ってしまった以上、次に自分が餌食になりたいなどと思えるほど湊は酔狂ではない。少しでも自分に迫る危険を排除するため手を出せるならとにかく受けていたと言うわけだった。
「梓馬よりは少し離れているけど、申し出を受けないのは失礼かな」
 社会に出ていた頃は基本的に上を立てていた。それは当然のことだったし、『裏』でも当然であろう。そう思い、湊は返答の文面をしたため始めた。当然受ける方向で。そもそもここで受けずに先輩から睨まれるなんていう面倒はこうむりたくない。
 ――送信っと。
 失礼にならないように気をつけつつ文章を書き、それを送りだす。返答は数分で戻ってきた。日程や待ち合わせ場所、依頼の簡単な概要が書かれていた。依頼の日は六月の二十四日、場所は梓馬から六駅ほど離れた場所に位置する方城市、依頼の内容は悪魔退治。きわめてオーソドックスでありきたりなものだった。
 もう一度感謝をするためにメールを送信しつつ、湊は文章を眺めた。なんとなくだが、此方を試そうとしているように思える。と、なれば期待にこたえられるように気合を入れなければならない。
 そして、三日後。六月二十五日。約束の日が来る。



 話らしい話は精々依頼の詳しい概要を話すことで終わった。それ以外で特に話すようなこともない。本の少し前まで普通の家庭で普通とされる日常を送っていた少年と、霊能者の家系に生まれそうなるべく修行を受けていた人間では話す内容がかみ合わないから、当然と言えば当然だった。
「ついた」
 新道は一つのマンションの前で立ち止まる。四階建てのマンションだ。周囲が既に電灯の明かりが灯っているというのに、そこだけが暗闇だからひどく浮いているように見えた。新道は目を細める。一般人ではわからないだろうが、マンションからは瘴気とでも言うべきものが渦巻いている。悪意の思念がたまり行き場をなくし、溜まってしまっている。悪魔も湧き出てくるわけだ。
 ――じゃあ、行こうかね。
 新道は足を踏み出す。新人はその後ろを静かについてくる。
 当然、マンションは既に異界に変化していた。
「えっと、殺人事件が起きたのは最上階だったな」
 なかなかに骨が折れる。異界化した場所は例外なく内部構造が変化する。本来ならありえない場所に階段があったり、建物自体の大きさが概観より大きかったり、とさまざまなものだが総じて厄介と言うのは変わらない。
 どう攻略するか考えていると、唐突に話を振られた。
「ん? どうしたの?」
 いえ、と新人は告げてくる。
「持ってきた装備に着替えたいので時間を少しとらせてもらっても?」
「ああ、まあいいけど」
 ――サマナーが装備ねえ?
 基本的にサマナーは前衛に出ない。仲魔が存在するためだ。サマナーが後衛で仲魔が前衛、これがスタンダードのはず。
 ――まあ、防弾チョッキとかその程度かな?
 とはいえ学生服では防御の面で不安が残るのは理解ができるから、何か軽い装甲でも身にまとうのだろう、そう考えた。
 その考えはあっさり裏切られた。
 ナチスが現れたからだ。と言うか、SSとでも言うのだろうか。古いナチスの軍服に軍帽、背には背嚢と邪魔にならないようボウガンを背負い、腰の左にはボウガンのための矢と反対にはサーベルが収められている。唯一サマナーだと理解できるのは右腕に装備されたCOMPくらいしかない。
「お待たせしました」
「そ、それは?」
 間髪いれずにたずねると、新人は少し恥ずかしそうに、
「いえ、これがサマナーとして活動しているときの装備なもので」
 ――なんなんだ、こいつは。
 別に奇抜な装備で活動する霊能者がいないわけではないが、だからと言ってナチスとは。趣味をどうこう言うつもりはないが、あれだろうか、自分が軍人になりきることで戦えるように意識でもトリップさせているのだろうか? まさか自分で戦うわけもあるまい。
「では、行きましょうか?」
 新人がそういってくる。
「あ、ああ、そうしようか」
 新道はうなずき、歩き出した。
 マンションは四階建てのマンションだった。一フロアに七程度の部屋が存在。おそらくはいくつかの部屋にトラップがあることを予想できた。
 ――無防備に進むもんだね。
 前衛を担うのは湊だった。何の気もなしに進んでいる。不思議に思えた。何故、悪魔を召喚しないのだろうか? こんな、悪魔の巣窟の中で仲魔を召喚もせずにゆったりと歩いている。
 ――おかしい。
 彼は本当にサマナーなのだろうか? 青年は問う。
「ねえ」
「はい」
「君は仲魔を召喚しないのかい?」
 聞くと彼は不思議そうに、
「? MAGの無駄でしょう?」
 確かに不活性MAGは此方の世界において悪魔の肉体を構築するのに必要だが、命を守るためならばそれくらいは必要経費だろうに。何を考えているのだろう。本当に。
 ――お。
「来た……」
 悪魔の気配。
 ――どこから来る?
 それは何のひねりもなく、前方から来た。妖しく光り輝く双眸、膨れた腹、それと反比例するように手足は細くやせている。
「ガキ――」
 低級『幽鬼』の悪魔だ。数は六対程度。あまり強くはないが、数がいれば苦戦は必至。青年は内心で小さく笑みをこぼした。早くも新人の実力を確かめる機会が来た。
 ――どう動く!?
 悪魔を召喚するか、それとも道具か? サマナーである以上悪魔を召喚するに決まっているが――、
「!?」
 しかしそうはならなかった。
 新人は冷静に対処していく。慣れた様子でボウガンを構え、矢を番える。
 射撃。弾かれるように矢が空を切った。
 着弾する。吸い込まれるように一体のガキの頭に叩き込まれた。
 即座に次弾を番え、ぶちこんだ。さらに一体のガキが絶命する。ガキはあからさまに怯んだことを見て取れる。
 だからだろうか、新人はすぐにサーベルを抜いた。突撃する。踏み込み。近づくと同時に腰を据え、横に切り込んだ。ガキは真っ二つに落ちていく。
「待て――」
 ガキが逃走することは当然だった。左手をCOMPに伸ばした。指を幾度か動かし、起動させる。
 悪魔召喚プログラムだ。
 召喚陣が現れる。光。収束し、体が形作られている。
 まずは熱が来た。炎が噴出すように現れ、そこに影のように犬の顔が揺らいでいる。体は薄暗く、胸の部分は緑青。尾には棘のような物が生えている。
 妖獣『ヘルハウンド』
 さらにもう一体が召喚される。赤く毛羽立った肉体には、骨のような手足がくっついている。しかしそれよりも異様なのは顔だ。それは人の顔だった。髭の生えた男の顔だ。
 魔獣『ギャリートロット』
 二体の悪魔が新人の前に現れる。
「やれ」
 その声とともに悪魔たちは唸り声を上げた。獲物を見たときにあげるような。
 食らいつく。ガキが二体の獣を振り切ることができるはずもない。
 殺戮だ。思うように噛み千切られ、磨り潰され、焼かれ、死ぬ。
 戦闘は、終わった。それを戦闘と言えばいいのかは不明だが。
 新人が振り向いた。笑みを浮かべている。
「終わらせました」
 いかがでしょう、と。彼は問う。



 五体の悪魔が出たときはどうなるかと思ったが、どうにかなったな。そう湊は胸をなでおろした。
 初めての複数人での依頼だというのにヘマをするのは宜しくない。やはりやる気をもって行うべきであろう。
 仕事には誠意を持って。それがかつての世界での父より言われた言葉だった。
 誠意を持って行えば人からの理解はともかくある程度の評価をもらえるし早々恨みを買うこともないのだ、と。
 単独で依頼を受けているときも手を抜いたときはないが、他人の目があると言うのはやはり身が引き締まる思いがする。
「君、本当に新人かい?」
 新道は問うてくる。
「? ええ、まだ一ヶ月も活動をしてはいませんが」
 そうか、と彼は考え込む。
 ――何かまずいことをしただろうか?
 表情を見れば深刻そうであり、何かを深く考え込んでいる。
 もしかしたら対処がまずかったのだろうか。
 ――やはり五体程度ならば一人で対処するべきだったか?
 ここ最近肉体の調子が良かったしやろうと思えばできたはずだが、サマナーとしての姿を見せようと残りは二体の仲魔、『ヘルハウンド』と『ギャリートロット』に任せたのだが、先輩の霊能者から見れば五体如きに手を抜いたように見えたのかもしれない。
 ――どうにもわからないな。
 何せサマナー稼業をはじめてまだ日が浅い。ひよっこといわれても仕方がないと言える。上下関係や他者との機微つかむことができない。
 やれやれと湊は内心で息を吐く。
 今夜は長くなりそうだ。



「――そう、異常なんだ。物差しがずれている感じだ」
 青年は男にそう告げた。
「異常ねえ」
「狂っていると言ってもいいさ。なんにせよ、俺はもうあいつと組むのは嫌だよ」
 身震いをする。本気で嫌がっているように見えた。
「……お前さんが、そこまで嫌がるとはな」
「組めば分かるさ」
 だって、



「な、なあ」
「はい、なんでしょう?」
 青年は新人に対し、控えめに声をかけた。先輩が新人に対し声を控えめにするなど早々あることではないが、しかし目の前の異常な光景を見ればそうならざるを得なかった。
 彼はわざわざ一部屋一部屋丹念に調べ上げ、COMPにインストールされているであろうオートマッピング機能を使いマップを埋めあげていく。当然、悪魔が出たら皆殺しで例外はない。
「君はなんでこんな執拗に部屋を調べてるんだい?」
 エネミーソナーと呼ばれるソフトがある。いわゆる敵対する悪魔を探知するソフトであり、それを使えば悪魔が潜んでいない部屋など普通に理解できる。しかし彼はそれを使っていながらわざわざ敵のいる部屋にまで踏み込んでいく。異常だ。非効率極まりない。
 しかし彼は笑いながら、
「埋まっていないマップを埋めるのは当然でしょう?」
「け、けど、敵がいるんだぜ?」
 彼は怪訝そうに、
「あの程度の敵なら楽に倒せるでしょう?」
 馬鹿を言うなと叫びたかった。
 確かにこの異界にいる悪魔は弱いかもしれないが、だからと言ってそれを相手に戦えば『死なない』などと言い切れないのだ。中堅程度の実力を持つ霊能者でさえ気を抜いた瞬間に格下の悪魔に殺されることだって珍しくはない。基本的な戦闘力を悪魔に頼っているサマナーならばなおさらだ。一瞬の判断ミスで即死してしまう。それも複数の敵が並び、損耗を強いられるようなところにわざわざ入りたがるなんて気がふれているとしか思えない。
「君は、死ぬのが怖くはないのか?」
「この程度で死ぬことは早々ないように気をつけてはいます」
 気をつけて死なないならこの世で悪魔と敵対して死ぬ人間はいなくなるだろうよ、と青年は心の中で吐き捨てる。道理でこの短い期間に高い戦果を上げられるわけだ。自らの命度外視しない狂った戦法で戦い続けているのなら。
「そうかい」
 青年はもう言葉を投げかけることを諦めた。こんな狂った人間には何を言っても無駄だ。
「進んでも宜しいですか?」
 新人の声に青年は投げやりな声で一つ、ああ、とだけ告げた。
 進軍は続いた。新人の独り舞台で、部屋を調べつくすことを除けば何の支障もなく最奥の部屋に着き、『妖樹』ジュボッコを燃やし尽くして異界を終わらせた。何の危険性もない終わりだった。



「部屋の隅々まで調べたおし、出てきた悪魔は皆殺し、殺した総数は少なく見積もっても五十は超え、挙句に終わってみたら何の疲れも見せずに終了。さらに言うのならばDark系の悪魔を配下にしている。あんなのと組んでたら自分の命がいくつあっても足りなくなる」
 青年の話を聞いた男はふうんと一つ声を出した。
 実際に組んだ人間の話を聞くとひどくアンバランスだ。もともとは普通の少年でありながら悪魔との戦いにあっさりと順応し、類まれなる成果を挙げている。本来は話すら聴かないDark系の悪魔を使こなす。確かに異常と言ってもおかしくはない。
 上の人間は有望な新人としてはやし立てているが、男にはそう思えない。有能なのは認めるとしても、どこか危うい。
「さあて、どうするかねえ」
 男は一人、静かに目を伏せた。



 ――ナカナカドウシテ、ワルクハナイナ。
 一体の獣が笑みを浮かべている。『妖獣』ヘルハウンドは己の主の浅木・湊のことを思った。
 最初はこの世界でのMAGが足りず、肉体が『外道』スライムになりかけているときに出会ったはずだった。最早、意識を保ったまま何かを殺すことすら限界に近く契約も一時的なものとしてヘルハウンドはとらえていた。そうでなければ湊は既に餌食であり、この世にはいなかった。誤算だったのは契約の強制力が思った以上に強かったと言うことであり、本来は死ぬまでMAGを吸い取ってやろうとしたがそれは阻まれた。
 しかし今思えばそれこそ幸運であったと言えよう。
 この主は思った以上に良い。MAGをケチることなどしなければ、定期的に暴れる場所を提供する。味がわからないわけではないと言えば身銭を切ってわざわざ人間の食料を買い込み提供してくれる。週に一度は敵から奪い取った魔石を必ず此方によこす。至れり尽くせりと言えた。
 ――マア、カワッテイルノハミトメルガナ。
 普通の人間ならば、何かに取り付かれるでもなければハイペースで悪魔狩りなんぞしないし、単身で敵陣に踏み込むなどしない。いわゆる倫理とやらに縛られて敵を殺すことを躊躇うことだってあるし、命を懸けることなんて早々できるわけもない。
 とはいえ、ヘルハウンドはそれをわざわざ告げることはない。
 それを告げて、今の刺激的な日常が消えてしまうのは困る。だから、と思う。精々このサマナーについていってやろうと。死ぬまでついていき、死んだら捨ててしまえば良い。
 悪魔が、笑った。



[38166] 題名未定《序章・覚醒篇・6》
Name: navi◆279b3636 ID:17d1eb6e
Date: 2015/01/14 06:37
「おやおや」
 八畳程度の部屋に一人の男がいた。緩くスーツを着こなしハットで目元を画している。一見すればだらしないようそうだが、それは男の雰囲気とよくあっていた。
 暗い部屋だ。退廃的なバーを思わせる調度品や小物に囲まれ、室内自体がダークトーンで統一されている。
 男はダーツを手のひらで弄び、数瞬、予備動作もなしにそれをターゲットに投げつけた。写真がある。移っているのは少年で、視線がカメラを向いていないから盗撮だとすぐに理解できる。しかしそれは男にとってどうでもいいことだ。刺さった。顔面に吸い込まれるように、眉間の中央へ。
「浅木・湊君ねえ」
 黒いソファに深く座りなおし、ハットを手で押さえつけた。
 口元が見えた。笑っている。面白いおもちゃを見つけたときのような、子供の無邪気な笑顔だ。
「いいねえ、うん」
 今回の獲物はこの子にしよう。



 七月にもなれば、流石に暑さが強く身を苛む。道を行く人――、一部の奇特な趣味を持つ人間を除けば――、その大半は薄着となり少しでも涼しくあろうと涙ぐましい努力が見えた。
 その奇特な趣味もしくは異常者の一部の中に浅木・湊は存在した。半袖のシャツを着て歩く学生の中で一人ブレザーをきっちりと着こなし、あたかも暑さを感じさせない。ネクタイも生徒手帳に記載されているとおり、緩めることなどしない。
 鬱陶しいと思った。道を行く多くの学生が自分を見て何か噂話をしている。分からなくはない。社会人がスーツを着こなす。否、社会人ですらクールビズとやらで薄着をしているであろう中で厚着をしていれば目立たないわけもない。
(言いたいことははっきりと言えば良いだろうに)
 湊は鼻を鳴らした。
 こんな格好をしているのにはわけがある。
 浅木・湊は悪魔使いだ。馬鹿正直に誰かに言えば高校生にもなって中学生がかかるような疾患にでもかかったのかと白い目で見られるだろうが、事実なのだからしょうがない。
 なんにせよ普段は学業にいそしみながらも夜は梓馬市を縄張りに悪魔を狩る生活に身を浸しているのだ。
 が、そこには弊害があった。だんだん夜の生活に引きずられているのだ。
 要するに、少しでも身を守る衣服が厚く、硬くなければひどく不安になってしまう。戦場帰りのアメリカ軍人であろうか。ともあれ、そんな事情もあり湊は模範学生のごとく――、異常にも冬服のまま夏を過ごしている。
「よう、湊、今日も暑そうだなあ」
 声がかかった。低く威圧感があるが、それを感じさせないほどにフランクな口調。
「崇平か」
 後ろを振り向く。友人、高橋・崇平とその後ろには峰岸・誠一がいた。どちらも薄着で、軽い足取りだ。
「俺は趣味に難癖はつけないが、脱水症状にだけは気をつけろよ」
 誠一の言葉に少し目を丸くしつつも、ありがとうとだけ答えた。
 それにしても、と崇平は、
「湊、こんな暑いのによくまあ、汗一つかかないよな」
 そう、それは湊の異常さを際立たせる要因の一つでもあった。
 湊には心当たりがあった。夜のことだ。最初は湊も汗を流し、脱水症状で死に掛けることも多々あった。しかし日を追うごとに汗の量は少なくなっている。適応しているのだろう。悪魔との戦い、死の淵、生と死の境界線におけるギリギリで少しでも生存を望む肉体がより戦いに向くように変化しているのだ。それも、ただ変化しているのではない。悪魔を殺したときほんの少し肉体が軽くなる瞬間がある。予想はできた。MAGがCOMPに溜まるだけではなく、肉体にも少しだけ蓄積されているのだ。要するに経験値のようなものだと結論付けた。
 思わぬ誤算だった。別に悪い変化ではなかったので放っておいたのだが、他人にやたらと噂されるとどうにも鬱陶しい。
「まあそういうこともあるさ」
 なかなかどうして、着々と自分が人間を止めていると言うことを理解すると少しブルーになる。
(まあ、メガテンでも大体人間やめてる奴が大半か)
 まだ平和だった時期に落ちてたナイフで悪魔と渡り合い最終的にLaw・Chaos陣営どちらも相手取ったり、デビルサマナー時空ならば殺されかけた挙句肉体を取り替えられたと言うのに一瞬で順応し裏稼業にいそしんだり、と考えてみれば最初から人間から一歩踏み外したようなのばかりだ。
「まあ、あれだよなあ、体育の後で汗臭くならないのは良いよなあ」
 普通の人間からしてみればそう見えるのか、と湊は思う。そうだな、と相槌を打ち、少しだけ目線を揺らがす。
 見知った顔があった。黒く長い髪を後頭部で纏め上げた女、湊が所属するクラスの委員長、成田・秋乃だ。
 いつもは凛々しい顔を浮かべていると言うのに、どうも今日は様子がおかしい。
(どうでもいいか)
 しかしすぐに思考を打ち切った。考えてみれば接点なんて最初にプリントを渡されたくらいで、それ以降は特に接触があったわけではない。
 それよりも、と、
「そろそろ夏休みだな」
 湊はそんな話題を振った。崇平だけに話題を出させるのは悪い気がしたから、適当な話題を出そうとしたら自然と言葉が出た。
 乾いた生活をしている。せっかく擬似的に、否、他人の肉体に寄生してまで高校生活をやり直していると言うのに、新しい趣味を見つけたわけでもない。新しい体験と言えば精々悪魔狩りくらいであり、殺伐としている。
 この機会に何か新しい趣味でも見つけてみようか。
 声が来る。崇平だ。
「おお! そうだ、後三週間もすれば夏休みか!!」
 嬉しそうな顔だ。やはり学生には夏休みと言うのは楽しいことらしい。もう忘れてしまった感覚だ。
「中学と違って、高校ともなればいろいろできるようになるからなー! 湊はなんか予定はあるか?」
 海に行こうぜ海! とはしゃぐ友人を見つつ、
 ――悪魔狩りくらいしかないな。
 どうにも枯れた思考が思い浮かぶ。
 まあ、
「ないな」
 無難に告げた。
「よっしゃ、じゃあ海でキャンプしよう、キャンプ」
「テントでも張ってか?」
 誠一が声を上げた。おうよ、と崇平が嬉しそうに言う。
「そ、バーベキューもしようぜ、ほかには花火とか?」
「男三人でか?」
「……お、女は無粋だし――、良いんだって! 話が合わないのがきても萎えるだけだしよ!」
 別に女だけのことを言っているわけではないはずだ。湊を除けばそれなりに男子にも友人がいるであろうに。
「それよか、やるなら金策もしないと! バイトだバイト!」
「バイトか、あてがあるのか?」
 崇平は笑い、
「これが結構伝手がありましてねえ、そこそこ良い給料が期待できるさ」
「ほう、それは期待してもよさそうだな」
「ばっか、お前、誠一もなんかやるんだよ!」
「別にやらないとは言っていない……、湊はできそうか?」
「俺は――、まあできるだろうな」
 割と親ばかな湊の両親だ。社会体験の一環とでも言えばあっさりと許可するだろう。
 決まりだな、と崇平が声を上げた。
「じゃあやるとしたら八月の最後らへんだな! 宿題もそれより前に終わらせて気兼ねなく遊ぼうぜ!」
「まったく、お前のその言葉は聞き飽きたよ。一度も守ったためしがないだろう?」
 そんな騒がしい日常の中に自分はいるのだな、と湊は思った。
 ――悪くない、な。
 ああ、悪くない。



 奇異の視線に晒されながら学業終了の鐘がなるのを湊は聞いた。特に変哲もない六時間の授業をこなし、開放された多くの学生は笑みをこぼしている。これからは放課後の自由を満喫するなり、部活動に精を上げたりするのだろう。
 湊は今日掃除当番ではない。故に、すぐに鞄を持ち、クラスを出た。向かう先は図書館だった。足を向けるのはここ最近になってからだった。図書館は一階にある。湊のクラスは二階にあり、向かうにはクラス前、東階段から降りて西側に歩く。存在すると言うのに、無いかのように生徒たちは図書館の前を通り過ぎていく。入るのは湊だけだ。
 図書館に人はいなかった。掃除をするのは図書委員で月に一回十数人がかりでやるらしい。貸し出しをするためにいる中年の女性教諭を除けば湊くらいしか人がいない。読書家の一人二人いても良さそうだが、それならば近場には開放されている大学の図書館があるから大半はそちらに行く。
 湊は静かな空間を好んでいるからこの状態は都合が良かった。蔵書云々ではなく、一人で静かに本を読むのがすきなのだ。これでコーヒーがあればさらに良いが、飲食禁止なので我慢する。
 本をあさった。ここ最近の著者ではなく、少し古い作者のほうが好みゆえに自然と新書から外れたほうに目線が行った。
 本棚は六つに分かれていた。新書は入り口側に、次に歴史書が二つの棚を陣取り、次に語学の本、その他の雑多な本があり、最後に辞典のある棚と続く。
 歴史書の本棚には著名な作者の本も並んでいた。それはゲーテなりトルストイなり、あとは日本ならば夏目・漱石や芥川・龍之介と普通の学生ならば退屈そうなものばかりだ。
 どれをとろうかと悩んでいると、声がした。
「あ、先生ちょっと席をはずすから、本を借りたかったら、カードに書いて提出しておいてね」
 本の貸し出しは機械化されていないから、貸し出し用のカードに手書きとなる。
 はい、と湊は一声それに返した。すぐに、扉が開く音がして――、
「?」
 しかしすぐにまた扉が開いた。
 誰かが入ってくる。教諭の足音ではない。硬い靴底がリノリウムの床に当たるたびに高い音が反響する。
 ――革靴?
 少なくとも校内を革靴で歩くような人間はいない。いるとすれば一部の教諭くらいだ。
「お、いたいた!」
 男の声だ。しかし、それは聞いたことの無い声。見る。そこにはスーツの男が立っている。漆黒のスーツに黒いネクタイ、目元はハットを目深にかぶり隠されているが軽薄な笑みを浮かべる口元が特徴的だ。
 男はなれなれしく歩み寄り、
「やあ、君が浅木・湊君だね?」
 ――この男ッ……――!!
 嫌な予感が背筋を覆った。生理的な嫌悪と警戒。本能が警鐘を鳴らし、肉体が反射的に構えを通りそうになる。
 しかしそれを知ってか知らずか男は笑みを浮かべてままだ。
「うんうん。いいねえ、その警戒感。そそるそそる」
 ――危ない、この男は危ないッ!!
 後ずさる。後方が壁と言うのは分かっているが、しかし肉体は動く。
「あ、そうそう、そういや自己紹介してなかったねえ。僕の名前は――、うーん、そうだねえ、じゃあロートとでも読んでほしい」
 それと、と、笑みを深め、
「世間一般ではダークサマナーとも呼ばれてるかな? フリーのだけど」
 ――ダークサマナー!
 ますます嫌な予感が増していく。何かヤバイ物に意図せず巻き込まれているような。
「自分に何か……?」
「おお、そうだったねえ」
 ロートは笑い、
「つまりねえ、僕は遊びに来たのさ」
「遊びに?」
 湊は即座に理解した。これはもう駄目だ。回避不能。
「そうだよ、君と遊びに来たのさ」
 心の中で嘆息し、
「お断りします」
「それは無理」
 なけなしの抵抗は一瞬で引きちぎられた。
「僕みたいな人種はさ、常に面白いことに身を浸していないと新じゃ死んじゃうんだ。退屈を呪い常に刺激を、それこそが至高。そこそが究極――、理解できる?」
「思想としての理解はしましょう。ですが、理性としては否定させていただきます」
「そう? まあそんなことはいいか」
 本題を、と、
「ここ最近さあ、梓馬でたくさんの依頼をこなしているのは君だろう?」
「……そう、だと思います」
「うーん、自分のことってなかなか理解できない者なんだねえ。そうなんだよ」
 ロートは自らの胸元に一瞬手を入れて、何かを取り出した。それは一見ペンに見える。鈍い銀色、キャップ部分には紐をくくるための円があった。
 湊はそれを知っている。大正時代に使われた、悪魔召喚プログラムの前身だ。古き、悪魔を使役するべき魔具。
「封魔管――!?」
 お、と、ロートは笑い、
「こんなレトロな物を知ってるんだ? 通だねえ。――なんで知っているのかは分からないけどねえ」
 ――薮蛇だったッ。
 そうだ、自分は封魔管など知っていて良い存在ではないのだ。
「と、言うわけで、遊びのルールを説明しようか」
 ロートは封魔管を一度宙に投げた。封魔管は空中で数度周り、またロートの手に戻る。人差し指と中指の間に挟み、湊のほうへ突き出し、
「僕がこれを梓馬市に五個仕掛ける。君はそれを解除する――、簡単だろう? ルールはそれだけ。ああ、どんな手を使ってもかまわないよ? 代わりに僕も妨害させてもらうから」
 ふふん、とロートは鼻を鳴らし、
「期間は一週間、オゥケィ?」
 頭を抱えた。何故こんな状況に巻き込まれているのだ。自分が一体何をしたと言う。己にできる精一杯のことを行い、己のみを守ろうとしているだけではないか。何故、こうも厄介ごとが舞い込んでくるのか。
「一応聞きますが、一週間過ぎるとどうなるんですか?」
「まず、封魔管が壊れるね。もちろん、壊れたからといって悪魔が死ぬわけでもないから悪魔が野放しになる。それだけじゃないよ? たとえばそうだな。君ゲートパワーって概念は分かる?」
 人差し指を立て、教師が講義をするように、
「魔界が今僕たちが住んでいる現世とどれだけつながっているか数字に落とし込む概念なんだけど、それが一瞬だけ急激に上がるんだ。本来は出現しないようなレベルの悪魔に引っ張られてさ――、それが意味すること、分かるよね」
 わからないわけが無い。
「本来出現するべきではない悪魔が出現するようになる……」
「そ、普通ならゲートパワーの関係で『外道』スライムになるような悪魔が出現するようになる!」
 なんという厄介なことをしてくれるのだろうか。この目の前の馬鹿は。
 しかし、嬉しそうにロートはさらに告げる。
「基本的に、現政府はゲートパワーを平均3程度にとどめるように調整しているんだけど、この五個の封魔管の解除に失敗すると――」
 口でドラムロールを回しつつ、ジャンっ、と、
「なんと、一瞬だけどゲートパワーが最大40、最低でも20まで上がるのだぁッ!!」
 頭を抱えた。馬鹿とキチガイにつける薬は無いが、それでも欲しいと思うのは人情ではないだろうか?
 湊の心情などお構いなしに嬉しそうな笑いを上げ、しかしすぐに腕時計を見てから冷や汗を浮かべ、
「おっとぉ、そろそろ行かないとねえ、会合に遅れちゃう遅れちゃう。ヤバイヤバイ」
 ロートは背を港に向けて、最後に釘をさすように、
「そうそうもしもこれを誰かに他言するようなら、期間を待たずに封魔管はBAN! 仕掛けが解除されて悪魔が解き放たれちゃうからおきおつけあれ!」
 そういって彼は消えた。風が残る。おそらくトラポートかトラエストかであろう。
 残された湊は呆然と呟いた。
「厄日だ」



 いらいらとした面持ち、乱雑な歩みで、湊は人気の無い夜の通りを歩いている。電子音が声になり、湊の耳に届いた。『妖獣』ヘルハウンドのものだ。
『ククッ、アレテイルナ、サマナー』
「荒れずに入られるか、何故俺がこのようなことに巻き込まれねばならないんだッッ!!」
 静まり返る夜に湊の声が響き渡る。端から見れば独り言をPDAに叫ぶ痛い人だが、それすらも気にならないほどの荒れようだ。
 理由は、ある。昼間のロートの件だった。
 わけも分からず大事件を起こそうとする馬鹿に巻き込まれた挙句、援軍も期待ができない。失敗すれば死ぬだけではなく、さらにこの世界に悪魔が大量に解き放たれることとなる。悪夢だ――、否、覚めないから現実だが。
「畜生め、冗談は冗談だけで勘弁してくれ、クソッタレ!!」
『マア、イイデハナイカ! ソレヨリモイッポンクライワザトシッパイシテシマエバイイ! コノヨヲスゴシヤスクナルゾ』
 湊は鼻を鳴らし、
「馬鹿を言うな。そんな面倒な状況になってたまるものか。俺はそういう面倒が嫌だから、自分の身を守るために戦っているんだ」
 そうだとも、
「俺は御免だぞ、毎日悪魔に命を狙われながら生きる日々なんて」
『フン、ヤッテイルコトヲカクサナクテイイトイウノハラクダトオモウガナ』
 それはそうかもしれないが、命にかかわるよりはマシだ。
 それよりも、と気を取り直す。湊は今日こなすべき依頼を思い出す。COMPのメモにも概要は記載してあるが、記憶できないほどではない。
 今日こなす依頼は梓馬高校旧校舎の悪霊を退治するという依頼だった。
 梓馬高校の北側には、昭和初期から中期までにかけて使われた校舎が存在する。本来は早くに壊される予定だったが、地元の老人たちの反対にあい取り壊しができない状況に陥っていた。耐久性に不安があるから資料置き場としても使えない。それこそ維持費だけがかかるお荷物と陥っていたのだが、最近そこに妙な噂が流れ始めた。悪霊の噂だ。学校と言うコミュニティの中ではよく話の種とされるオカルトな噂だ。
 結果は当たり。噂話は現実で、実際に旧校舎には悪魔が出現しているのだという。例によって湊は立候補し、今日も悪魔狩りに勤しむこととなった。
 ソレニシテモ、と欠伸交じりにヘルハウンドは、
『オマエモリチギナオトコダナ。ワザワザコノヨウナトキニイライヲコナサナクテモイイダロウニ』
「それは無理だ。俺の信用問題にかかわる」
 『かつて』の記憶がよみがえる。社会に出ればできないという言葉は封殺される。やれと言われたら、我武者羅にでもこなさなければならない。それがどれだけ無茶なことであっても――、少なくとも日本では。
 ――そんなんだから日本にはブラック企業が溢れるのだがな。
 無茶を通して道理を無いことにする。仕事をすることは美徳、自分を殺し他社と迎合することこそ良しとする風潮。くだらない話だ。
 ――と、言うか俺は何でこんなことを考えているんだ。
 馬鹿な思考を振り払うように、首を振った。なんにせよ、ロートからの無理難題は今日を除けばあと六日間期間が残っている。その間でベストを尽くす。それ以外はどうにもならない。
「ギャリートロット。お前はどう思う? 俺は馬鹿か?」
 ギャリートロットは興味なさげに、
『ドウデモイイナ』
「そうかい……」
 マイペースなものだ。とはいえ、少しだけ心が軽くなる。と、言うか、自分がこんなことを考えていることが本当に馬鹿馬鹿しくなる。
 気合を入れた。くだらない話をしているうちに高校に上がる坂が見えたからだ。
「さあ、行こう」
 湊は坂を踏みしめた。



 狂いそうになるほど、今日の月は美しい。否、既に狂い始めたのだろう。
 それこそ、運命という物が。



[38166] 題名未定《序章・覚醒篇・7》
Name: navi◆279b3636 ID:17d1eb6e
Date: 2015/01/28 13:29
 旧校舎に入り、最初に感じたのは埃と黴臭さだ。何十年も使われていないことを感じることができた。床板が軋み、音を立てる。
「よくもまあ、こうなるまで放っておいたものだ」
 湊はそう思う。少しでも強く足を踏み込めばそのまま床を突き破ってしまいそうだ。
 光源は左手に持つライトのみ。先は見えにくく、奇襲に気をつけなければならない。
 動く。歩くような速度ではない。全力で前に。
 気配がした。悪魔のものだ。珍しい。いつもならば、もう少し深く入り込まなければ出てこないはずだ。しかし関係が無い、とすぐに思い直した。敵は殺す。そんなシンプルな思考を持って即座に抜刀。振りぬいた。



「なんでこんなことになってるんだよぅ」
 空き教室の一つ、窓側の壁に腰掛けながら少女は己の置かれている身を嘆いた。
 暗がりが余計に不安をあおる。既に夜になっていた。
 本来なら学生であろう少女は帰宅していなければならない。きっと、両親は既に自分の身を心配しているのだろう、そう思う。そして心配をかけていることを恥じた。
 ――何で、何で私がこんな事になっているんだ……。
 自分は何も悪いことなどしていない、と小さく口の中で転がした。
 ことの始まりはなんだったんだろう。
 ――たしか一ヶ月前だ。
 思い出したくも無い、と吐き捨てながらも少女は原因を頭の中に浮かべた。
 少女はクラス委員長でクラスの課題を回収することを義務として課されていた。宿題は学生ならば当然行わなければならないことだ。しかし、いつの時代も自分のこと『のみ』を優先させる人間は存在する。少女のクラスにもこの手の人種は存在していて、頭を悩ませた。
 仕事である以上そんな少女達に注意や苦言を呈し、どうにか宿題を回収しなければならない。それを少女は苦としたことはないし、仕事として役割をこなしていた。最初は注意しただけだった。一度二度ならばまあ、入学してすぐなのだから浮ついているのだろうくらいで済ませていた。だが流石に三度は許されるべきではないだろう。少女も既に何と言ったかは覚えていない。そうだ、確か課題を提出しなければ評価がどうのいのこりがどうの、と言った記憶がある。
 イジメ、と俗に言われるものが起こったのはその頃からだったと思う。その中心になったのはクラスでもあまり素行の良くない少女とその取り巻きだ。
 最初は陰口を叩かれていた。それを無視していたらだんだんと、エスカレートしていき――、腹に痛みを感じた。
 ――理不尽だ。
 無視していればいずれ終わると思い、無視を続けていたはずだが――、とうとう痺れを切らして直接行動にでた。典型的なもので人影の少ない旧校舎に呼び出され罵倒の限りを尽くし、最後は暴力を振るう。当然一対一なんてお行儀の良いことなんてあるわけも無く、複数人に囲まれてリンチだ。
「気持ち悪い」
 寒さを感じ、身震いをする。少女の制服は濡れていた。イジメの時にぶちまけられた物だ。夏だから、生乾きで気持ち悪さも倍に思えた。
「帰りたい」
 否、本来なら既に帰っていたはずだ。
 外に『化け物』が存在しなければ。廊下を出れば眼つきの悪い幽霊や、何に驚いているのか良くわからないほど驚愕の表情を浮かべている幽霊。左手に自分の足を抱えている足の無い幽霊、何故、こんなのが旧校舎にうろついているのだ。
 少女は天井を見上げた。思う。本当に何でこんな事になっているんだ。



 今日の異界はいつもに比べて妙に広い、と湊は思った。それなりにハイペースでマップを埋めているが、それでもなおマップが埋まりきることが無い。二時間かけてようやく一階のマップを埋めきり二階に上がり、現在ようやく三分の一のマップを埋めたところだ。
「旧校舎自体は三階だが、異界になっている時点であまり意味は無いか」
 建物が異界化すると、その空間そのものが捻じ曲がる。故に、階層と言う概念自体が意味が無くなる。
『ソレニシテモ、サマナー、ミョウナカンカクヲカンジルゾ』
 前方を歩いていた『妖獣』ヘルハウンドが鼻を鳴らしながら告げた。顔の部分で吹き上げる青い炎が揺らめいている。
「妙な感覚?」
『ウム、サマナーイガイノニンゲンノニオイダ』
 ――俺以外?
 依頼は徹底的に頭に入れているから、今日この旧校舎の依頼を受けているのは湊以外にいないことを理解している。故に不審を思う。
「敵、か?」
『サアナ、ソコマデハワカラン……、ギャリートロット、オマエハナニカワカルカ?』
 隣を歩く『魔獣』ギャリートロットにヘルハウンドは問う。ギャリートロットは興味なさそうに、
『シラン』
 一言で切って捨てた。要するにわからないということだろう。
 湊は頭を抱えた。このような状況ではどうすればいいのだろう? 連絡一つ入れない無礼者は後で報告でもすればいいだろうか? なんにせよ依頼の横取りを許すわけには行かない。
『ナンダサマナー? ヤルコトナドワカッテイルダロウ? テキナラバキレバイイ』
 まあ、それもそうかと湊は納得し、再度探索を再開する。
 歩く、暗闇と静寂のおかげか自らの足音が強く反響する。
「?」
 声が聞こえた。すすり泣く声だ。甲高く響くことから、どこと泣く女性であることを予想させる。
「これは、泣き声か?」
『アクマノモノデハナイナ』
『アアソウダナ』
 二体の仲魔が湊に同意を示した。
「だよ、な――、サマナーか?」
『ダロウナ』
 ヘルハウンドはつまらなそうに唸り声を上げる。先ほどから戦っている敵は一言で弱いと言い捨てることができた。『悪霊』ポルターガイストにクイックシルバー、『怪異』カシマレイコ、『幽鬼』ガキとグール、どれもこれも物理と炎でどうにでもなる敵しかいなかった。多少のレベル差なら相性でゴリ押しできる。故に、弱い者苛めをしてるようにヘルハウンドは思った。弱い者苛めも嫌いではないが喰らい甲斐のある敵を殺すのも大好きだ。
「――何が出てもいいよう今のうちに回復しておくべきだな」
 ポケットから二つの魔石を取り出しヘルハウンドとギャリートロットに与える。敵からの攻撃は一度も受けてはいないが、特技の使用で体力を削っていた。
 進む。すすり泣く声はさらに大きくなる。
「ここ、か?」
 立ち止まったのは一つの教室だった。未だすすり泣く声がとまることは無い。
 いつでもサーベルを抜刀できるように構えながら、扉に手をかける。のどが鳴った。何が出るだろう。マップを埋める作業を中断してまでここまで来たのだから、せめて損害が出るような状況にならなければいいのだが。思い、意を決し扉をゆっくりと開く。
 影、小さい。うずくまっているのが見えた。月の明かりで姿が現れる。予想通り、女性だ。
 問う。
「何者だ」
 少女が顔を上げた。
「え?」
 それは見知った顔だった。いつもならば凛とした表情を浮かべ、堅物な印象すら与えるが、今は見る影もない。
「委員長――?」
 湊としては精々最初に溜まっていたプリントを渡されたことと宿題の提出くらいでしか接点の無いクラス委員長、成田・秋乃だった。
「え、あ、浅木、君?」
「!!」
 月の明かりで此方の顔が見えて居のだろう。秋乃の目線が湊の顔に向いていた。
 即座に顔を手で覆った。あまりのことに気が動転していたが、顔を見られると言うのは余りにもまずい。
 ――どうして、この可能性を考えなかった!?
 自らの落ち度を湊は叱責する。最初から相手が霊能力者系列の人間だと思い、このような一般人が紛れ込んでいる可能性を最初から捨てていた。このところ巧く行き過ぎていたから気が緩んでいたのだろう。
「な、何で顔を隠すの」
 咄嗟の行動であった故だったが、意味が無いと言うことを理解し、手を下ろす。
 湊は息を吐き、
「……何故委員長がここにいる」
「それを聞きたいのはこっちだ。何で浅木君がここに?」
 どうでもいい、とばかりにヘルハウンドが声を上げた。
『サマナー、ミラレタノガマズイナラバコノオンナクッテモイイカ?』
 秋乃はあからさまにおびえ、
「い、犬!? っていうか、私を食べるって――!?」
「……安心しろ、食わせたりはしない」
 湊としても、流石にたいした接点が無いと言えどクラスメイトを殺すほど非道ではない。当然後で処置はするが。
「でも」
「ん?」
「よかった」
 一度とまったはずの嗚咽が再度始まり、また泣き声が起こり始める。
「な、何故泣く!?」
「だ、だって、きゅうこうしゃがへんなふうになっちゃってて、このままたすけもこなくて、しんじゃうかもしれないとおもって、けど、けど――」
「分かったから泣き止んでくれ」
 面倒なことになった、湊は思った。仕方ないとばかりに背嚢を下ろし、中をあさる。取り出したのは食品だった。二百十円で購入可能なブロックタイプの栄養食品と缶コーヒー。それを秋乃に差出し、
「とりあえず、食うか?」



 昼食を摂ってから何も食べずに既に八時間たっていることを知って、急激に秋乃は空腹を覚えた。
 差し出されたブロック食品を口に含む。味はフルーツ味で、噛むと硬さの違うクッキーが感触の違いを与え時折アクセントとなり、面白い。缶コーヒーはブラックで苦味が一気に来るが、口に含んだブロック食品を溶かすように飲むと苦味が緩和されて飲みやすくなる。
 一袋に二本入りだが、数回で食べきってしまう。
「足りるか?」
 ただ、首を振ることで不要の意を示す。空腹以上に、疲れが秋乃の肉体を支配している。
 不意に、声が来た。湊のものだ。彼は二体の不気味な生き物? に同じブロック食品を与えながら単調な声色で、
「それにしても、良く無事だったな。外の悪魔はここに入ってこなかったのか?」
「悪魔? あれが?」
「そうだ」
「架空の生物じゃないんだな」
「見てのとおり、存在する」
「そっか……」
「まあ、ここに悪魔が入り込まないなら問題は無い」
 湊は手に持っていたゴミを丸めて袋に捨て、リュックサックの中に入れて立ち上がった。
「え、あ、どうしたの?」
「委員長はここで待っていろ」
 端的にそんな言葉を告げ、部屋を出て行こうとする。
「な、なんで!?」
「……俺は依頼でここに来た。この状況を如何にかするのが俺の仕事だ」
「し、仕事って――、そうじゃなくて、こんなところに一人にされるとか私は嫌だ!!」
「後一、二時間もあれば、どうにでもなる。そうなれば、ここはもともとの、ただの教室に戻る。それまでの辛抱だ」
 そういうことを言っているのではない。
 と、言うか何を考えているのか。この状況で男性女性関係無く一人放置していくとか正気なのだろうか。
 あからさまに湊が頭を抱えるのが見える。
「ならば、委員長はどうするつもりだ」
「つ、ついていく」
「止めてくれ、足手まといは不要なんだ。この状況で戦えない人間を抱えていられるほど俺はまだ経験を積んでいない」
「や、やだ。私はついていくからな。たとえ危険でもこんなところに放置されるとか絶対に無理、嫌だ」
「無理ではない、やらねばならないんだ」
 言い聞かせるような声色がさらに秋乃の苛立ちを深くさせる。ならば逆の立場で平静でいられるのか、と問いたくなったが、いられると涼しげな声で言う姿が見えて言葉を飲み込む。
「そもそも君がついてきたところで何ができる」
「あ、悪魔が近づいてきたことくらい知らせることは」
「残念だが、それくらいなら俺もできる。そうでなければ既に死んでいる」
「軽い怪我の治療なら」
「それを行うための道具も持っているから不要だ」
「……――ああもう、と、とにかく私は君についていくからな!!」
「もう好きにしろ、そして勝手に死んでくれ」
 彼がこちらを見る目は、馬鹿を見る目と同じだった。



 厄介な荷物を抱え込んでしまったと湊は思った。まるでサービス残業だ。依頼料が上乗せされることも無い、完全な無料サービス。どうしてこうなってしまったのか。神様とやらがいるのなら――そう言えば普通に神族はいるし某四文字様の存在もあるのだった――、恨むほか無い。
 息を吐き、頭を切り替える。どうせいつかこういうことはあるかもしれないのだ、と。
 あの葛葉・キョウジでさえ人助けをしていたのだし、巻き込まれた一般人を助けるのは仕方の無いことなのだ、と。
 ――ああ、けどやはり置いていきたかった。
 あの部屋はおそらく結界になっていて、悪魔の存在が向こうが許容しない限り入り込めない仕掛けになっているのだろう。ヘルハウンドとギャリートロットは己の付随物として入り込めたのだ、と考察する。
「あのさ」
 声が来る。秋乃だ。
「? どうした」
「浅木君は、その、悪魔退治っていうのをやってるんだよ、な」
「……ああ」
「怖くないのか?」
「別段怖くは無い」
 そっか、と、小さく呟いたのが聞こえ、すぐに、
「すごいな」
「何故?」
「私は、怖いよ」
「物理で殺せるなら問題ないだろう? 怖がる必要性が無い」
 これがギリメカラのような物理反射持ちなら恐怖を感じて一目散に退散するところだが、ここらへんにはそのような手合いは存在しない。結論として怖がる必要性を感じなかった。
「そういうことじゃないよ――、私、イジメられてるんだ」
「急な話題変換だ。慰めて欲しいのか?」
 彼女は苦笑し、
「違うよ。違うんだ。クラスにほら、女子グループってあるだろ?」
「興味が無いから知らん」
「まあ、そういうのがあるの。それでさあ、そのグループでいわゆる、なんて言うのかな? クラスでも影響力のある女子グループに課題を提出しろって言ったら何を逆恨みしたのかイジメに発展したんだ」
「そうか、難儀なことだな」
「……真面目に聞いてる?」
「ああ」
 湊は逡巡するまもなく答えた。当然、ほとんど横から聞き流しているがかつての湊の記憶が思い浮かべ返答は嘘をつく。一応、前世とでもいえるプライベートで親交のあった女性は話を真面目に聞かないと不機嫌になった。それが生産性の無い、冗長で幾度も繰り返されたような話であれ。
「本当?」
「本当だ。受け答えはできているだろう? ちゃんと気は割いているから」
「そう……、それでさ、酷いんだ。宿題をするのは学生なら当然じゃない。だから、注意しただけなのに、何で私が虐められないといけないんだ」
「さあ。まあ、その手の輩は一定数いるから仕方ないんじゃないか?」
 手伝ってもらえること前提で仕事を進めるようなプランを立てた挙句、手伝わないと逆切れするような怠慢な馬鹿を思い出す。死ね。
「そうだよな。けどさ、今思い出せば私はクラス委員長に押しのだってあいつ等なんだ。面倒くさがって人に押し付けたのに、こっちが真面目に仕事をしたらそうやって邪険にする。本当に酷いと思わない!?」
「酷いとは思う。だから少し声のトーンを下げてくれ、今、悪魔が出てないとはいえ、よってこられたら面倒なんだ」
「あ、うん、御免。けど、浅木君はほら、こんな状況でも落ち着いてるし、私のいた部屋に来る時だって結構いろいろやっつけたんだろ?」
「まあ」
「じゃあ、やっぱりすごいよ、私はそんなのできない」
「なら、おとなしくあの場で待っていて欲しかった」
「それとこれとは別だよ」
「そうかい。まあ――、!! ヘルハウンドッ! ギャリートロットッ! 後方警戒!! 委員長、死にたくなければ俺のそばから離れるな!! 来るぞ!!!」
 ソナーの反応が急激に変化する。悪魔がちかづていることの証左。故に二体の仲魔に警戒を呼びかけ、戦えない荷物――、秋乃にはなるべく離れないように指示をする。
 突如、風が来た。群れだ。まず緑色の体をし、落ち窪んだ眼孔に、空洞の口、どこか呪術に使う人形のような雰囲気をまとう『悪霊』ポルターガイスト。何かを叫び、驚愕するかのような表情を浮かべ金切り声でも上げそうな『悪霊』クイックシルバー、そして釘や螺子を浮遊させて獲物を見るような笑みを浮かべる黄色い新手の悪魔『邪鬼』グレムリンの三種が群れを成してこちらに来る。
 まず、湊はどうするかを思考した。前方からは少なくとも十体以上。後方から気配は感じないから、二体を呼び戻し――、否、一体を後方の警戒につかせておくべきだと考え、声を上げた。
「ヘルハウンド! 援護しろ! 『ファイアーブレス』!!」
『チッ、マタザコガリカ、ツマラン』
 悪態をつきつつ、ヘルハウンドは即座にその身を前に走らせた。翻るように緑青の火の粉が散った。
 ためは一瞬。口元に炎が渦のように円を描き、それを思い切り吐き出す。
 炎は躊躇い無く悪魔の群れを飲み込み、大半の悪魔を焼き殺す。
 好機と斬り込んだのは湊だ。悪魔が秋乃を狙った瞬間後方に戻れる程度の距離を維持して斬撃、既に虫の息になった敵を殺すのはたやすくサーベルの一刺しで簡単に息絶えていく。
 不快な叫び声をあげて逃げようとする悪魔に追撃をかけるのは二体の仲魔だ。既にギャリートロットは前線に復帰、湊よりも高速で動ける二体は楽しそうに追撃を開始する。
 一体が逃走経路を塞ぎ、一体から即座に後方から追撃。前方に躍り出たのはギャリートロットだ。回転。前に出た瞬間、右足を軸にし、勢い良く一回転をぶち込んだ。それは瞬間ではあるが壁の役割を果たし、逃走を防ぐと同時に触れた敵を叩き潰す。
 後は消化試合に他ならない。傷つけ、嬲り、いたぶり、殺す。
 散々玩具にされた敵対悪魔は決まって最後に悪魔を見るような目で湊を見て、死んでいく。二体の獣型悪魔ではない。それに指示を出す人間を見て悪魔より、悪魔のような人間、と。
 湊は息を吐き出した。
「まったく、所詮は群れても雑魚は雑魚、か、楽なのは良いが、もっと頻度を落として欲しいな」
 MAGが溜まるのはありがたいが、頻出されると面倒だ。
『マッタクダ』
『ソウダナ』
 サーベルを納刀し、湊は秋乃を見やる。
「さて、さっさと行こう」
 秋乃は呆然とした表情を浮かべ、しかしすぐにおびえた声を上げた。
「い、いつもこんなことを、してるのか?」
「ああ、そうだ」
「し、し、こんなことしていたら死んじゃうだろ、いつか」
「委員長もそういうことを言うのか。まあ、良いさ。問題は無い。俺は死なないように気をつけているから、そう簡単に死にはしない」
 なにより、
「それこそ実力差を見誤って突撃はしない」
「わけわかんないよ」
「わからなくていい。それとも怖くなったなら、前の部屋に戻るか? 基本的にマップは全部埋めるから前の部屋に戻るルートもきっちり記録してある」
 秋乃は少しだけ迷いを見せた後、小声で、行く、とだけ告げてくる。湊としては戻って欲しかったが、仕方ないか、と頭を振った。
「ならば、早く行くぞ、この異界のマップも埋めないといけないからな」
 湊はCOMPを軽く叩いてみせた。



「な、なんで落とし穴なんかに落ちるんだ!?」
「落とし穴に落ちなければマップが埋まらないだろう」
「何で罠にワザワザかかるんだよ!!」
「コアシールドがあればよかったんだがなあ、生憎市場を知らないんだ」
「そういう問題じゃない!!」
「後ろから悪魔ぁ!!」
「そこの部屋に隠れていろ、ギャリートロットは委員長を守れ」
『ヤレヤレ』



「つ、疲れた」
 荒い息を吐き、体を上下させる。それを横目で見て呆れを見せたのは湊だ。
「だから待っていればよかったんだ」
「あの場所に一人でいる方が不安に決まってるだろ!」
 それで散々悪魔に追い回されたのだからご苦労なことだ。
「……さて、最深部に来たわけだが」
 COMPのマップを眺めた。旧校舎は三階まで存在した。構造は単純ではない。まず三階まで上り、そこから落とし穴で一度落ちてそこから幾度か階段を上下。悪魔からの襲撃を切り抜けること七度、そして最後は校長室を残すのみとなる。
 ――それにしても……。
 濃密な魔力とでも言うのか、校長室を隔てていても分かるその気配は無意識に生唾を飲ませる。
『ホウ、コレハ』
『フン』
「お前達も感じるか」
 ヘルハウンドは口角を上げ、ギャリートロットは面倒くさそうに肯定。
『イママデナイホドノテキダナ、クイガイガアレバイイガナ?』
『マタメンドウゴトカ』
「まあ、仕事だ。やるしかない」
 不安そうに声を上げるのは秋乃だ。
「わ、私はどうすればいい?」
 湊は考え込んだ。部屋の前に残していても悪魔はまだ沸いているだろう。部屋の前に残していたら食われて死んでいた、なんていうのは夢見が悪い。複数のリスクを天秤にかけて頭を悩ませる。
 ――ボス前だと言うのに仲魔を割く余裕は無い。だからといって委員長に戦うだけの力があるわけでもない。しかし――、だが、荷物を抱えながら戦うことができるほど自惚れは無い。だが――、ああ、くそ。
「委員長」
「あ、ん、何だ?」
「何があっても、何があっても無茶はしてくれるな」
「え、えっと?」
「悪いが、俺の手持ちにを割ける程戦力は無い。要するに、仲魔をつけて外に待たせていくことができない」
 だから、と、
「良いか、自分だけ何もできないなんて変な義務感に駆られて戦線に出ようなどとは思うな。逃げることと守ることだけ考えて後方に居ろ、俺もまだこの仕事を始めて二ヶ月程度だ。要するに守りながら戦うなんて器用な真似はできない――、そうだ」
 湊は背嚢を下ろし、コートを脱いだ。人に貸すのは癪だが死に安さを考えればやむを得ない。
「こいつを着ていろ、何も無いよりはマシだ」
「これ……」
「第1SS装甲師団のコートだ。知り合った霊能者に頼んで加護をかけて貰い霊装に仕立て上げてある」
「わ、分かった」
 秋乃は湊から受け取ったコートに袖を通す。
「結構大きいんだな」
「軍装だから、当然だ……、いいか、覚悟を決めてくれ、行くぞ」
 右手にボウガンを握りつつ、左手で校長室の扉に手をかけた。
 光が漏れる。目元を左腕で覆ってしまう。しまった、と思い直ぐに腕を退かして前を見る。
 いたのは男だ。
 やせ細った大柄な男だ。双眸は淀み怨念をたたえていた。しかしたたずまいはそれに反するように洗礼されたものだ。
 声が来る。
「ほう、このような辺鄙なところに来るとはなあ」
「貴様は何者だ」
 男は不機嫌そうに鼻を鳴らし、
「今時の若い者はこれだから困る。言葉遣いがなっていない」
「――失礼」
 湊はボウガンの照準を床に下ろす。しかしいつでも狙いを定められるように気をつけながら、
「私のは前は浅木・湊。サマナーをしております」
「警戒は解かない、か」
 内心で舌打ち。警戒がばれていることに対しさらに警戒度を上げつつ、
「失敬。仕事柄」
「フン、マアいい。どのような用向きでここに来た」
「この異界を終わらせに」
「下らないことをするものだ。何の意味も無いというのに」
 否、と、湊は言った。
「この異界により多くの人々が危害を加えられることになります」
「下らないな。ああ、まったくもって下らない!!」
 彼は演説のように仰々しく腕を上げた。
「忌々しい、今の世の人間にどれだけ守る価値がある。どれだけその身を裂いて助けてやる価値がある!!!」
 表情を憤怒に歪めながら、
「誇りを失い安寧に走った豚! 牙を失い鬼畜米英に伏すだけの下らない雄豚! 貞節を捨て快楽に走る理性の無い売女! かつて誇り高かった日本の持つ精神性をかなぐり捨てた今の下らない糞共の命にどれだけの価値がある!!」
 叫びを聞き、湊は思う。おそらくは嘗て、まだ日本が帝國を名乗っていた頃に兵士として戦っていたのだ、と。
 嘗ての兵士は今の日本になじめないこともあると聞く。
 つまり思想を拗らせた老人なのだろう、目の前の男性は。
 しかし、と湊は叫んだ。
「今、この日本に生きているのは嘗て貴方たちが守ろうとした民衆の子孫だ。貴方たちが必死をもってして勝ち取ろうとした平和に生きている」
「阿呆が!! 米国の口車に乗せられ誇りを失った屑が我等が守ろうとした物だと!? 認めるものか!! 御国を廃墟にした国に媚び諂う蛆虫などッッッ!!」
 絶叫が響く。
「今こそ叩き直さねばならないのだッ!! 皇国の持つべき魂をもう一度取り戻さねばならないというのだッッ!!」
「それは、まさか、貴方は悪魔の力を使うとでも言うのか!!」
「然り!! 悪魔、否、日本に住む神々の力を借りて今こそ日本に巣食う悪鬼共を駆逐し高潔なる日本を取り戻すのだ!!」
 叫びと同時に男の体は大きく膨れ上がった。
 服が弾け、中身が現れる。醜悪な肉には亡者の顔が張り付いている。どれもこれも憤怒、後悔、痛恨、怨恨、あらゆる負の感情を混ぜ合わせた形相を浮かべている。
「見ロォ、カツテ我ラ、誓イ合イシ、ハラカラタチノムネンノ姿ヲォォ!! 今コソ取り戻すゥ、有るべき日本ノ姿ヲォォ!!!」
 同時、腕が振り上げられる。
「散開!!」
 言葉を告げるや否や湊は前身。同時、射撃。巨大な体積を持つ肉体にたやすく吸い込まれるが、しかしそれは効いたように思えない。
 ――チィッ!!
 差があった。焼け石に水に思えるほどの差だ。
 叫んだ。
「ヘルハウンド! ファイアーブレス!!」
 肉の鞭を器用によけながら、声を聞いたヘルハウンドは大きく肉体を情報に跳ね上げた。
 轟音。
 莫大な量の火炎が渦を描き、肉塊を飲み込まんとする。
「甘ィイィィィ!!」
 何本かの肉塊を犠牲にし、それを防ぎきる。
 追撃。
『スクンダ!!』
 ギャリートロットの呪文が男を捕らえ、しかしそれが聞いた様子は無い。
『キカナイダト!?』
 肉塊は空に浮いた無防備なヘルハウンドの脇腹を捕らえた。
『ガッ!?』
 地に叩くつけられたヘルハウンドは大きくバウンドし倒れ伏す。
「ヘルハウンド!!」
『余所見をシテイラレルトデモ!!』
 肉塊が来る。抜刀、人間離れした動体視力は複数方向から向かい来る肉塊を斬り裂き、開いた隙間に体を滑り込ませる。
 前方へ。
 足を踏み出し、狙いは頭部。
 斬撃。
 腰を落とし、力を込め、首をはねる。
 ――殺った!!
 確信を持ち――、しかし悪寒。
 風が来る。それは上方。肉塊が此方を押し潰さんと迫り来る。後方へ飛んだ。追撃を弾き、ヘルハウンドのほうへ魔石を投げた。
 光が上る。瀕死だったヘルハウンドはその身を起こし、憎悪の視線を男に向けた。
『ユルサンゾォ!!』
 唸り声、咆哮、そして突撃。
 その小柄な身を鞭の合間に置くように、しかし確実に前方へ、
『クタバレェ!!』
 ヘルハウンドは男に齧り付き、即座に火炎を叩き込む。
 悲鳴が。しかし、死んだ様子は無い。
『貴様ラァァァアア!!』
 怒声が天を突いた。失いかけていた理性は既に千切れ、乱雑にただ肉を鞭として振り回している。
「いやぁ!?」
 声が来る。女のもの。
「委員長!!」
 湊は気づけば走っていた。
 それは義務感だった。巻き込まれた一般人を守らねばならない、という義務感。正義感などでは決して無い。
 身を飛ばす。秋乃を弾き飛ばす。
 衝撃。
 ――糞。
 それは肉塊からのものだと用意に想像できた。
 魔石を、と考えるが激痛が肉体制御を許さない。
 死を思うより先に、怒りがこみ上げる。敵への怒りだ。
 ――一太刀をッ!!
 湊はポケットに――否、胸元のナイフシースに手を伸ばす。



 秋乃は倒れ伏す湊を見て呆然とする。
 ――な、に?
 これは、何が起きているのか。混乱する中でわずかな理性的思考が総動員された。
 湊が倒れている。何故? 自分を守ったからだ。
 嫌だ、と思った。自らのせいで人が死ぬのは。憎まれ口を叩きながらも守ろうとしてくれた人が死ぬのは、嫌だ。
「イや」
 声が出る。
 死ぬのが嫌だ。死なせるのが嫌だ。まだ生きていたい。助かりたい。
「嫌」
 叫び。魂から秋乃はそれを望んだ。
「私は――」
 眼前を見る。
 肉塊があった。それを秋乃は敵だと認識できた。思う。あれを倒さねばならない。平和を乱す存在は、排除しなければならない、と。
「――戦いたい!!」
 生きたい、ではない。怖い、でもない。助かりたい、でもない。
 戦い、活路を見出したい、と秋乃は心から叫ぶのだ。
 故に、それは来た。
 まず秋乃の認識できる時間から秋乃は切り離された。白く輝く空間に秋乃はたっていた。
「ここは?」
 そこには扉があった。重厚な鋼の色をもち、無用の存在を阻む巨大なものだ。扉の前には黒いローブを着込んだ女がいる。
『貴女は私、私は貴女』
 声。掠れ、女とも男とも取れる声が秋乃の精神に響いた。混乱は無かった。予定調和のようにそれを理解し、ローブの人物の眼前に立つ。その人物は右の手を開き、その手の中にあるものを見せた。鍵だった。形の違う三つの鍵だ。
『選ぶ権利を貴女は擁する。一つは魔道、一つは魔法、一つは魔導』
 秋乃は迷わずに鍵を取る。魔法を示す鍵だ。
『其れは異界が用いし魔の力に通じし鍵。それを選ぶか――?』
「うん、今必要なのはきっとこれだから」
 秋乃はその言葉をローブの人物に返し、その横を通り抜けた。
『良い、運命を』
 言葉が来る。かすれた声は鈴の音なるような女の声に変わった。秋乃の声に其れは似ていた。
 振り向かず、扉を開いた。
 光が漏れ、世界が切り替わる。そこには先ほどまでと変わらない戦場が存在した。秋乃は眼前を睨みあげる。反撃の意思を込めて。立ち上がる。息を吸い、叫んだ。右手を眼前へ、そして左手で支えるように右手首を握り、
「アギッ!!」
 其れは炎の力を持つ言霊。火炎が舞う。それは肉塊を焼く。しかし致命傷にはなりはしない。だから、追撃とばかりにさらに気勢を上げて、咆哮。
「アギ!! アギ!! アギ!! アギィ!!!」
 火炎は直線を描き、敵を燃やし尽くさんとする。
『コチラヲワスレテクレルナヨ』
『キヲヌキスギダ』
 ヘルハウンドが援護をするようにファイアーブレスを、ギャリートロットが囮を買い陽動に、三方向からの連打は劣勢を覆す。
「もう、終われ!! アギィ!!」
 残っていた魔力を掻き集め、秋乃は火炎を収束させる。先ほどまでの火炎の比ではない、巨大な火炎の球体だ。
 轟音。
 火球は何もかも飲み込み、突撃。
『ガアァァ!!??』
 肉塊による防御は総じて無意味だった。炎はその男もろとも飲み込んだからだ。火柱が上がる。
「終わった!?」
 祈り、しかし、煙が晴れると同時にまだ姿は現れる。黒焦げの肉、最早人間とも見えないその醜悪な姿のうつろの目だけが敵意を持って秋乃をヘルハウンドをギャリートロットを捕らえている。
 ――嘘!?
 既に文字通り精も根も尽き果てたこの状況は絶体絶命で、
「ああ、終わりだ」
 声が来る。
 同時、何かが煌いた。其れは鈍い一条の閃光を描き、肉塊の額を思わせる部分に吸い込まれた。崩れていく。その肉体は既に構築の限界を向かえ、最後は灰のように。
「浅木、君?」
 唖然とし、視線を下方へ、湊も秋乃へ視線を向け交差。口角を上げて、
「良いところは頂かせてもらった」
 秋乃は笑みを浮かべる。
「馬鹿」
 と、しかし湊はうめき声を上げて、
「限界だな」
 震える手でPDAを操作。粒子になって悪魔が消えていく。
「悪いが、少し、寝る」
 湊は目を伏せた。
「え、あ? ちょっと!!」
 秋乃は叫んだ。



 心地よい、まどろみが湊を包んでいる。
 その闇はとても優しい。



[38166] 題名未定《序章・覚醒篇・8》
Name: navi◆279b3636 ID:17d1eb6e
Date: 2015/01/28 13:22
 まどろみが終焉する。光があった。
「……ん」
 急激な意識の浮上に感覚が追いつかない。目元を腕で覆う。月光を遮る為だ。肉体が硬くなっていることを湊は感じた。同じ姿勢で長時間いたからだ。何故、と考え、思い出す。異界で敵と戦い、主と思われる存在を撃破した。しかし消耗が大きすぎたが故に今自分は横になっているのだ。
 起きようと体を動かした。何かが横にずれ落ちた。見る。己のコートだ。寝ている間にかけられたのだ。腰に鈍い痛みが走る。ストレッチの必要性を感じ、立ち上がり腰を伸ばした。いくらか気分がよくなった。さらにそれを派生させるように全身へ。首、腕、指、足、脹脛、足首。首を回すついでに周囲を見る。古い机に空の本棚、大きさから見て校長室であることを理解した。魔力のようなものは感じられないから異界が消滅したということを察した。
「あ、おはよう。結構早く起きたな」
 女の声だ。直ぐ横からハスキーなアルトの声。
「まだいたのか」
 首を右下に向けた。クラス委員長、成田・秋乃だ。
 言葉をかけると秋乃は憮然とした表情をする。
「いちゃ悪いのか?」
 別に、と、
「あんな目にあったというのに、まだここにいるのが不思議なだけだ」
「命の恩人を放り出して帰るわけには行かないだろ? ……それとも私ってそんなに薄情に見えるか?」
「そうじゃない、一般的に見て奇妙な化け物の出る場所に居続けるとは思えないというだけだ」
「一緒に倒しただろ? 敵」
 豪胆な女だ。よくもまあいけしゃあしゃあとそんなことをのたまえたものだ。吐息を吐いた。PDAを確認する。
「11時か」
 ランニングと嘘をついて家を出たのが八時頃、もう言い訳が聞く状況ではない。早く繁華街に行き以来達成の旨を伝えて帰らねばならない。
 秋乃がポツリと、
「もう、母さん怒ってるだろうな」
「まあそうだな」
 普通の親ならこんな時間まで外を出歩いている子供を心配しないわけが無い。警察が動いていることも視野に入れなければならないことを思い、湊は頭を抱えた。また、隠蔽で金が飛ぶのか。鼻を鳴らし、
「秋乃」
「な、何」
「とりあえず、着替えるから出ていてくれ」
 そういうが早いが、秋乃は顔を赤くして校長室から出て行く。
「と、扉の前で待ってるから」
「余計な配慮だ」
 背嚢を開き、中からジャージを取り出す。伸縮性に優れ、ランニングをするのには丁度良い。戦闘用の第1SS装甲師団の軍服を脱ぎ、ジャージに着替える。
「きつくなってきたな」
 ここ最近のことだ。急激に身体が伸びている。己が入る前の貧弱とも言える体躯は戦闘に次ぐ戦闘で作り変えられて、身長は伸び筋肉がついた。特に筋肉はあばらが浮き骨が見えていた頃とは段違いだ。今は成長期とランニングの効果ということで誤魔化しているがそろそろそのごまかしにも無理が来るだろう。そろそろ筋トレも言い訳の視野に入れなければならない。
「また、衣服で迷惑をかけることになるな」
 父親は成長を喜んでくれてはいるが、雨後の筍のように伸びる身長は家計を圧迫しているのは間違いない。依頼で手に入る金を使えれば良いが、裏の仕事で手に入れた金などは使うことができるわけも無い。
 ジャージを上下ともに着用し終わり、戦闘服を背嚢にしまう。綺麗にたたむことがすべてをしまうコツだ。
「よし」
 呟いてから背嚢を背負う。重かったはずの荷物は今では軽く感じるまでになっていた。
 扉を開く。脇に秋乃が立っていた。
「着替え終わったんだな」
「見てのとおりだ」
 さて、と湊は秋乃を見据える。
「委員長」
「え、何?」
「悪いが委員長のことも報告しなければいけないからついてきてもらう」
「あ、うん。分かった」
 では行くぞ、と湊は告げた。



 一度駅によってから、サマナー用に隠蔽された貸しロッカーに湊は荷物を放り込む。帰り道は繁華街を抜ける。複雑に入り組んだ裏路地にはサマナーや霊能力者でなければ足を踏み入れることのできない結界が一部の道に敷かれているからそこを歩いている限り湊と秋乃は一般人に存在を察知されることが無い。二つの足音が響く。声。
「あのさ、報告って言ってたけどどこに行こうとしてるの」
「仲介所だ」
「仲介所?」
「ああ、俺みたいな駆け出しが直接依頼を頼まれることは無いからな。仲介所を介してじゃなければ依頼は受けられん。そこには梓馬付近に居るサマナーや霊能力者のまとめ役が居るから委員長のこともそこで報告することになる」
 ふうん、と秋乃は勝手に納得したらしい。
「見えたぞ」
 湊は指で目的の場所を指し示した。居酒屋の裏口だ。規模はあまり大きくない。青いポリバケツとはみ出た生ゴミが不快感を感じさせた。扉の前に立ち、ノック。
「どうぞ」
 しわがれた男の声とともに扉が開いた。声のとおりに草臥れ老齢の男性が腰を曲げて立っている。さらに声が続いた。
「そこのお嬢さんは」
「依頼中に保護した。だが、依頼中に覚醒したので報告もかねてついてきてもらった」
「なるほど……、お嬢さん名前は?」
「成田・秋乃です」
「成田さんね――、良いぜ、二人とも通りな」
 湊は一礼をして、男の脇を通り抜けた。
「浅木君、今のは……?」
「門番だ。腰が曲がっているように見えるがフェイクで、実際はかなり強いらしいな。又聞きだから信憑性は薄いがね」
「へえ」
 居酒屋の裏に入ると、酒の匂いがまず花につく。酔うことは無いがあまりいい気分にはなれない。右手側にある廊下に足を踏み入れた。電気は切れかけの蛍光灯がついているだけで、薄暗い。それを左折すると裏の人間だけが入ることのできる部屋がある。扉を開くと光が漏れた。
「こんばんは」
 湊が声をかけると、いくつかの視線が此方を向いた。数は四だ。
「おう、お前か」
 声がかかる。二十代後半の男性だった。ラフな格好をしているが鋭い目つきと常に探るような視線は長年裏稼業に勤しんでいたことを思わせた。
 湊は男の元へ向かい頭を下げる。
「こんばんは、佐藤さん」
 佐藤・隆一郎(サトウ・リュウイチロウ)。この店で霊能力者やサマナーを取りまとめる存在だ。
 隆一郎はまあ、座れよ、と湊に促し、それに対しもう一度頭を下げて向かい側に座る。
「そちらのお嬢さんも」
 緊張で強張っているのか、ギクシャクとした動きで秋乃は湊の隣へ座る。
「なんか飲むか?」
 隆一郎の問いに湊は一つ頷き、
「では、緑茶を」
「お嬢さんは良いのかい?」
「え、あ、私ですか……?」
 秋乃は目を泳がせてから、
「あ、なら、私も緑茶で」
「二人とも緑茶ね」
 意思を確認すると、即座に隆一郎は注文をとった。緑茶二つと追加のビール、そしていくつかのつまみだ。
「報告か?」
 隆一郎の問いに湊は頷き、
「今日の依頼達成の報告をさせていただきます」
 そう言ってから湊は今日会ったことを報告していく。報告を聞きながら顔をゆがめ、頭を抱える。
「つまり、ここ最近できた廃墟にやたら強い敵がいたってわけか」
「ええ、言葉を聴く限りでは旧日本軍の生き残りかと思われます。肉体は改造したのだと」
「そんなのが梓馬にねえ……、ったく、面倒ごとが増えたな」
「申し訳ありません」
「お前のせいじゃねえ、だが、しかし」
 隆一郎は唸りつつ何かを思案。おそらくはこの付近の霊能力者やサマナーに対してのことだ。数十秒の思案を終えたのか、一つ鼻を鳴らし、
「マア分かった。依頼のほうはご苦労さん――、で、次はそちらについての報告をしてもらおうか」
 隆一郎の視線が秋乃へと向く。湊はほんの少しだけ、言葉を選び、
「彼女は被害者です」
 言った。
「被害者ね」
 実は、と、
「依頼時にたまたま旧校舎にいたために、私の探索に巻き込まれてしまいました。その後、異界の主と交戦中に覚醒し、異界魔法に目覚めた、というわけです」
「なるほどね、まあ、異界だ悪魔だにかかわって能力に目覚めたって言うのは割りとある事例だからそれは良いが」
 どうにも今日は彼を悩ませてばかりだな、と湊は思う。考えていることは分かる。彼女の処遇についてだ。
「基本的に、霊能者の家系ではない、お嬢さんみたいな事例の子は世間的には事故なんかで死んでもらったことにして修業に出すことになるが――」
 秋乃はその言葉にあからさまに動揺している。無理も無い、要するに今の生活を共生的に捨てさせられるかもしれないのだ。
 隆一郎は思案しつつ、
「お嬢さんは、どうしたい?」
 問う。秋乃は声を震わせながら、
「わ、私は、できれば、今のままが、良いです」
 だよなあ、と隆一郎は呟いた。いつの間にか置かれていたビールを呷ってから、
「湊」
「? はい?」
「そのお嬢さんの面倒、お前が見ろ」
 湊はほうけた。何故だ、どうして急にそんな飛び火する。
「私も駆け出しなのですが」
「良いからお前が面倒見ろ、これはお願いではなく命令だ。やれ」
 権力の乱用だ。許されることではない。だが、それに反論できるほど湊は偉くは無い。故に、罵声を堪えながら、
「分かりました」
 こう答えるのが精一杯だった。
「なあに、すぐ慣れる。前衛はるサマナーなんてわけのわからないもんやってるお前だ。後方支援が居るだけでも良いだろ」
「まあそうですが」
「人を育てるのも経験だ。早めになれるほうが後々良いってもんだ。見知ってないわけでもないんだろう?」
 其れはそうだがいくらなんでも無茶苦茶な人事ではなかろうか。
「お嬢さんも、そっちのほうが良いよな?」
「は、はい!!」
 秋乃は当然乗り気だ。死んだことになってどこか見知らぬ地へ飛ばされるよりはよほど良いに決まっている。
「じゃあ、決定――、ほかに報告は?」
 湊はない、と言い掛け、
「あ、すいません」
「どうした?」
「明日からしばらく依頼を受けれそうに無いのでそのことについてだけ」
 天変地異でも起こったかのような表情を隆一郎は顔に貼り付けた。
「し、仕事の虫みたいなお前が?」
「仕事の虫って……、まあ良いですが、今日のことを持って修行に取り組もうかと思いまして」
「お、おう、分かった。――そう言えば報酬をまだ渡してなかったな、金は、この依頼は三十万だったな――、よし」
 鞄から十万円の束を三つ取り出し、それを湊に渡す。
「ほら、報酬だ」
「ありがとうございます」
 湊は頭をさげ、それを受け取った。
「じゃあ、解散だ。それともお前たちも何か飲んでいくか?」
「いえ、早く帰らないと心配をかけますので」
「偉いもんだね、俺なんか親に心配ばかりかけてたよ」
 隆一郎はビールを呷った。
 湊と秋乃は席を立ち上がる。
「委員長は先に入り口まで行ってくれ」
「あ、うん」
 先に出口まで向かう秋乃の背を見送ってから、湊は一人の男の下へ向かう。
 男は湊の姿を見て笑顔を浮かべた。小柄な男だ。笑みは卑小で、どこか鼠を思わせる。
「こんばんは慶介さん」
「おう、こんばんは。今日もいつものかい?」
「ええ」
 いつものというのは隠蔽のことだ。三島・慶介(ミシマ・ケイスケ)、情報収集や隠蔽工作、ほかにも妨害に記憶操作といったことが得意で湊がよく厄介になる。
 先ほど得たばかりの三十万のうち、十万を取り出し、
「宜しければ今日もよろしくお願いします」
 慶介はそれを受け取り、
「いいよ、いいよ俺にまかせなさーい」
 嬉しそうに相槌を打つ。軽そうな男だが優秀だ。このての工作の能力を有していない湊にとって慶介の能力はありがたい。
「ああ、そうだ」
「どうかした?」
 いえ、と。
「宜しければ明日から一週間程度修行をしようと行おうと思っているのですが、それについてのご相談が」
「へえ、そんな隠蔽しなければなんないことをすんの?」
「はい。明日からは夕方から広範囲での悪魔の運用を考えていますので。故に、三百万で宜しければ受けていただけると嬉しいのですが」
「おーけーおーけー、俺にまっかせなさい」
 大丈夫だろうか、と思うも今まで湊のことが表に露呈したことがないから信頼はできるだろう、と結論付けて頭を下げる。
「では後日料金は持って来ます」
「はいはい、じゃあ修行がんばってねん」
 湊は一度頭を下げて、退席した。



「なあ、隆一郎さん」
「なんだ?」
 一人の霊能力者が隆一郎に話しかけた。
「あの嬢ちゃん、あの男に任せてよかったのか?」
 あの男、というのは湊のことだ。異常なほどの探索をすることは周囲には有名な話だった。
 隆一郎は良いんだよ、と。
「だからこそあの坊主に任せたんだ。あの嬢ちゃんがブレーキになってくれりゃあいいと思ってな」
「そう巧くいくか? むしろあの嬢ちゃんの方があの男に染められちまうんじゃないか?」
 かもな、といってから、しかし、
「だが、そうなったら俺の差配がミスったってだけだ。それに――」
 あの嬢ちゃんの方はそういったのをちゃんと異常だ、と考えられる気はするしな。
 これも勘、とでも言えばいいのだろう、と隆一郎は思う。残り少なくなり、ぬるくなったビールを飲み干す。どうにもぬるくなったビールはまずい。
 男はあきれたそぶりを見せて、
「ま、あんたがそういうならそれでいいんだろうけど」
「ああ、それで良いのさ」
 隆一郎は酒臭くなった息を吐きながら、追加でビールを注文する。
 裏の住人たちの夜は、長い。



 裏口の壁に、秋乃がもたれかかっているのを湊は見た。待たせてしまったようだ」
「待たせたか?」
「い、いや、別に」
 そうか、と湊は頷き、
「なら行くぞ」
 歩き出した。既に夜も11時45分。良識のある親ならば怒り来るってもおかしくは無い。早く帰って弁明しなければ怒り心頭なのは確実だ。
「やっぱり、怒られるよな」
 湊は吐息を吐き出しつつ、
「……言い訳は考えてあるから、俺に合わせてくれ」
「本当か!?」
「まあ、な。巧くいくかは五分五分だが」
 こういう小細工はそれほど得意ではないんだが、と思うもやらなければやらなかったで此方が怒られなければならないのだから、
 ――まあ、苛めっ子たちには犠牲になってもらおう。
 因果応報だ。かわいそうではないが、ダシになってもらおう。
 そんなことを思いつつ、歩いて二十分程度のところに秋乃の家はあった。いわゆる普通の一戸建ての一軒家で、規模はそれほど大きくないが庭があるくらいは見て取れた。明かりが点いている。この時間ならまだ大人が起きていてもおかしい時間ではないが、十中八九秋乃のことを待っていることを考えれた。うめき声が秋乃からもれた。既に怒られることを頭に描いているのが良く分かる。湊は大丈夫だ、と、
「委員長」
「な、なに」
「なるべく俺に合わせてくれ。これがどうなるかで俺も家で怒られるかどうかが変わってくるから」
 少しの迷いを見せてから、頷き、
「分かった」
 そう告げてくる。
「なら、行くぞ」
 秋乃は湊の前に出て、チャイムを押した。呼鈴の音色がなり、此方に人が向かってくる。カメラがついているようなタイプではないから、ドアを開けて此方を確認しなければならない。扉が開いた。チェーンで扉をつないであるから、わずかにしか隙間ができない。それでも周囲を確認するならば十分だ。
 顔が見えた。男性だ。おそらくは秋乃の父親であることを理解できた。どこか焦燥した雰囲気を漂わせた秋乃の父親は此方を見て驚き、
「秋乃!!」
 大声、釣られるようにさらに足音。おそらくは母親の。チェーンがはずれ、ドアが開いた。明かりが家から外に漏れた。
 秋乃の父親は遅れるように後方に居る湊を視認した。どこか猜疑の表情で湊を見て、
「君は?」
 問うてくる。
「こんばんは夜分遅くに失礼します。私は成田・秋乃さんのクラスメイトの浅木・湊と申します」
「ああ、其れは良いんだが。その、何故君が秋乃と?」
「それについては今説明させていただきます」
 口を開きかけ、しかし声が来る。
「秋乃!!」
 次は女性の、秋乃の母親のであろう声が来る。
「こんな遅くまで何やってたの!!」
 秋乃の姿を見るや否や女性は秋乃へと抱きつき、
「馬鹿、馬鹿。心配したんだから!!」
「ごめんなさい。母さん……」
 秋乃もどこか涙を浮かべかけている。
 親子の微笑ましいワンシーンなのだが、取り残されている湊はどうすれば言いか分からない。
 その姿に秋乃の両親は気づき、少しばつの悪い表情を浮かべて湊に声をかけた。
「ええ、と、君は浅木君だったかな?」
「はい」
「今日、娘が何かあったか知っているみたいだけれど」
「はい、といっても全貌を理解してるわけではないですが」
「とりあえず、上がってくれるかな? 立ち話では落ち着いて話もできないからね」
「ご好意、ありがとうございます」
 失礼します、と声をかけてから秋乃宅へと湊は足を踏み入れた。
 リビングは家に上がり、廊下を直進しておくにある。リビングは小奇麗に片付いていて清潔な印象を受ける。奥側に備えられたテーブルの方まで促され、秋乃の父親は許可をだし湊を椅子へと座らせた。
 秋乃の母親は飲み物を用意しようとしている。長居しないためにとめるべきであろうが、好意を無碍にするのは良くない、と思い声をかけることを止めた。
 テーブルは、横幅に三人程度座れるもので、秋乃の父親が中央に座り、その隣に秋乃が居た。湊は父親の対面になるよう座った。秋乃の母親が湊の前に紅茶を出し、秋乃の父親の隣に座った。
 声を最初に上げたのは湊だった。
「改めて、夜分遅くに失礼いたします」
「いや、かまわない――、では説明してくれるね?」
 単刀直入だが、それだけ娘に愛情を注いでいるのだろう。
「では説明させていただきます。率直に言って、娘さんはイジメに会っておられます」
 即座、複数の感情が交じり合った表情が一気に噴出し、隣に居る秋乃を見た。
「本当か」
「その、うん」
 プライドや、なにやらない交ぜになっているのだろうが、嘘をつける雰囲気ではないのか頷いた。
「浅木君、だったかな。失礼だが何故、君がそんなことを知っているんだい?」
 虚偽は許さないとばかりに湊を見た。イジメに関与していないか疑っているのが分かった。まあ、当然であろう。
「今日、先ほど秋乃さんから伺いました」
「秋乃から――、君は秋乃と親しいのかい?」
「いえ、単なる一介のクラスメイトです。ただ、イジメの後ということで動揺されていたのでしょう。故に、話しているときにその話が」
「そうか……、では何故君が秋乃といるか説明してもらえるかい?」
 はい、と湊は頷いて、
「今日、日課のランニングを行っているときにたまたまというか気まぐれで学校まで足を伸ばしたのです。学校についてからはまだ取り壊されていない旧校舎があるということは知っていたので、あまり良くはないと思いましたが肝試しの気分で中に入ったのですが、そのときにクラスの一室で眠っていた秋乃さんを見つけ、それかからしばらく会話をし、夜も遅くなっていたので秋乃さんを送らせていただきました」
「そうか――」
 秋乃の父親は秋乃へと目配せ。秋乃は頷き、それが嘘ではないと肯定する。本当は悪魔がらみの事件があったわけだが、もちろんそこは隠して。

「娘が世話になったようだね、ありがとう」
「いえ、礼には及びません」
「謙虚だね、君は」
 そうだろうか、と湊は思うが、向こうがそう思っているのならばそれでも別にいいだろう。
「これ以上は私ではなく秋乃さんと会話したほうが良いでしょうから、そろそろ私は帰ろうと思うのですが」
「ああ、そうだね、もう夜も遅い。引き止めて済まなかったね」
「いえ、此方こそ。それと、その、家に連絡を入れておきたいと思うのですが、電話を借りても宜しいでしょうか?」
「かまわない――、いや、私のほうから連絡しよう。同じクラスならば連絡網に番号があるはずだしね。浅木君には娘が礼になったようだし、私が君のご両親に言い含めておけば浅木君が怒られることもないだろうから」
「お世話になります」
「かまわないよ、娘の礼にはね」
 そういって、秋乃の父親は立ち上がり、電話へ向かう。連絡網を確認してから電話に番号を打つ。数度のコールで電話に出たらしく、会話が行われた。五分程度の会話の末に、受話器が置かれた。
 それを見て湊は立ち上がり、
「ではそろそろ自分も帰らせていただきますね。成田さんから連絡してくださったとはいえ、両親を心配させるのは良くないので」
「そうだね、明日も学校があるのだから早く帰ったほうがいいだろう。浅木君、今日は娘をありがとう」
「いえ、お気になさらず」
 湊は頭を下げて玄関まで向かう。見送りには秋乃が来た。
「あのさ」
「何か?」
「今日は、そのありがと」
「気にするな」
「また明日、学校で」
「ん? ああ」
 湊は手を振って答える。外に出た。夏の鬱陶しい暑さと静寂がそこにはあった。



 湊は帰りがけに思案する。
 ロートと己のことを名乗った男性についてだ。
「面倒ごとだな」
 今更だ。
「さて、明日からはしばらく大変なことになるな」
 大変を通り越してもはやICBMか何かの瀬戸際だが。



 こうして、湊を取り巻く運命は徐々に変革し始める。



[38166] 題名未定《序章・覚醒篇・9》
Name: navi◆279b3636 ID:17d1eb6e
Date: 2016/03/28 07:39
 未だに高く日が昇っている。既に時間で言うならば夕方、だが夏はそれを感じさせない。
 三日たった。期限の日まで残りも三日しかない。
 調査に進展は無かった。その事実は湊の心に焦りを生んだ。昼夜を問わずに探し回ろうと、手がかりの一つも見つからない。
「糞」
 墓場の片隅、背をもたれかからせた木に拳を打ちつける。
「一体何が足りていない? 何を見落としている……?」
 汗を袖で拭った。暑さ程度で汗はかかないが、心理的な要因には容易く反応する。いやになるな、と湊は自重する。戦っている間、命のやり取りをしている間はそれほどでもないのに、こんな真綿で首を絞められるようなときには脅えてしまう。
 息を吐く。気分を入れ替えようとして、音を確認した。
『モドッタゾ、サマナー』
 生々しさと電子音を掛け合わせ、ミキサーでかき回して出来たような声。顔を、下ろす。
「ヘルハウンドか」
 青白い、幽鬼の炎を纏わせた大型犬がそこにいる。
 ヘルハウンドは鼻を鳴らし、
『サマナー、ザンネンダガ』
「そうか……」
 分かってはいたが、落胆する。この様子ならば、ギャリートロットのほうも手がかりは持ってこないだろう、そんな気がする。
「ヘルハウンド、もう三日しかないぞ、どうする?」
『ドウモコウモナイ、サガスシカナイダロウ?』
 ああその通りだ、と湊は肯定する。
「あの糞野郎め、見つけたら――、殺す」
 そこまで言って端と気づく。自分も物騒になったものだ。少し前までなら、こんなことは思うことも無かったのに。――今では命をどうこうすることに何のためらいもない。
 ふと思う。いつまで自分は『自分』でいられるのだろう、と。
 既に『かつて』を思い出すことが難しくなった。元の名前、元の家族、元の友人、元の生活。そして、元の自分。
 変わりにあるのは浅木・湊と言う人間の生活。
 人間の情と言うのは存外適当で、結局今の家族は自分の中身を見抜けない。引きこもりの期間を経て、性格が変わった。精々その程度の認識し化していない。
 漫画や小説のように、違和感から中身の変化を察知されることなど無かった。
 薄情なのか、実際この程度のものなのか湊には既に判断はつかない。
 数分後、ギャリートロットが戻ってきた。
 情報は無かった。



 夏の雑踏を秋乃は歩いていた。身体中を汗が満遍なく伝う。張り付いた布に苛立ちを感じさせながら、人ごみを掻き分けた。
 探している。相手はほんの少し前に知り合う中になってしまった男性。同い年でクラスメイトの少年、浅木・湊。
 悪魔なんてものにかかわって、いきなり非現実の世界に飛び込むことになってしまった秋乃にとっては先輩といっても良いだろう相手はこの三日間一度も顔を合わせてはいない。学校で話そうと思ったが、無理だった。第一悪魔のことについてなんてどうしろと言うのだ。
 それに、と、
「まだ、礼も言ってないのに――」
 呟きが雑踏の中に消えていった。
 そうだ、まだ自分は礼も言っていないのだと歩を進める。それは二つある。悪魔から助けられたこと、そして、『助けてもらった』こと。正確には助けてもらったとは言いがたい部分はあるが、それでも解決に向かったのは確かだ。



 学年集会が起きたのは二日後だった。それは当然イジメの件について。一年全員が学年用のホールに集められ、真夏の暑い中体育座りで延々と時間を無為に削り取っていった。それで解決すれば万々歳だろうが、そんなのはあるわけがない。古今東西、悪行がばれそうになった手合いがすることは唯一つ、報復だ。
 放課後に呼び出された先は、外にある倉庫。学校の行事用に使う農具等が収められた人気のない場所。園芸部は存在しないからよほどのことがない限り教師が来ることもない。精々見回りが来るぐらいか、その程度場所。そこで秋乃は五人の少女に囲まれていた。クラスでは目立つ、いわゆる中心側にいるグループ。
「あんた、センコーにちくりやがったろ!?」
 脅すようにがなりたててきた。
 程度の低い言葉遣いだ、と秋乃は目の前の女子を冷ややかに見つめた。着崩された制服、染められた後が見える頭髪、頭髪から除く耳にはピアスの穴が、爪は何十にも塗り重ねがあり、顔には化粧が見える。薄く、誤魔化す気はあるだろうが女性ならば気づく。目元にや口元に化粧品が塗られていた。当然校則違反だ。
 その女子は強く秋乃を睨みつけた。
 しかし、秋乃に聞くことはない。普通ならば萎縮してもおかしくはないだろう。とは言え、
 ――二日前に比べればなぁ……。
 笑いそうになるくらい、怖くはない。フィクションにあるような命のやり取りは秋乃の精神に変化をもたらした。少なくとも今自分を囲う集団に対して恐怖心を抱くことはない。
「聞いてんのか!! アァ!?」
 そんな叫び声もそこらの犬っころのわめきにしか聞こえない。
「聞いてるさ」
 聞いているだけだ。
「この……!?」
 つかみ掛かってくる。胸元を引っつかまれた。
 視線が合う。
 軽く睨む。
「――」
「――」
 秋乃は笑い、
「どうした?」
 挑発。小馬鹿にした態度がでてしまう。
 苛立ちが頂点に達したのか、手が振り上げられ、一撃。頬に痛みが来る。ほんの少しぼけた視線の先に、満面の笑みで笑う少女、その周囲ににやつきを隠そうともしない取り巻き、ああ、
 何て、
「何て」
 無様なんだ、こいつらは。
 笑みをこぼす。嘲笑が口から漏れた。あまりにも、馬鹿な女が己相手に勝ち誇っている。嘲笑せずにどうしろと言う。
 即座に痛みが叩き込まれる。笑ったのがばれたのか。
 四方八方から、取り巻きも混じって、蹴りが来る。
 ――痛い、な。
 だが、
 ――痛いだけ、か。
 身を切るような恐ろしさも、底冷えするような怖さもない。あるのは痛みと言うだけで、思うこともない。
 だから、と身を起こそうとして、衝撃。強く足蹴にされたらしい。咳き込む、それを見た相手が笑ってくるのも聞こえた。
 ――馬鹿め、
 精神が昂ぶった。思い出す。あの時、心の轍、そうだ、かまうことはない。ぶつける、口を開く、
「ア――」
 二の句を次げばそれで終わり。相手は消し炭になる。何、問題はない。自分の罪は立証できない。だから、踏み躙――、
「何をしている」
 詠唱が終わることも無く、ただ開いた口を間抜けに開いたまま、声のほうを見た。聞き覚えのあるそれ、
「お前」
 集団の一人が声を上げた。少年がいる。浅木・湊だ。
「あんたにゃ関係ないでしょ」
 ああ、と、一息、
「二日前、それまでは唯の他人だった」
「何よそれ」
「お前らのやり口を、ばらしたのは俺だ」
 空気が凍る。
「まあ、教師に言ったわけじゃないが、父親にばらしたのは俺だ」
 そういって手に納まる程度のレコーダーを取り出した。親指でボタンを押すと、音声が流れ出す。
『あんたさー、調子に乗ってるよね?』
『委員長だからってエラソーにしないでくれる?』
『私が委員長をやっているのはお前達が――ぁっ?』
 打撃音とうめき声、そして馬鹿笑い。
『うけるー、あんたさぁ、委員長に推薦した相手にさあ、敬意ってもんは無いの? けーい!」
『ない。そんなもの、ない。元はと言えば、お前達が――』
『うっせーんだよブス!! おめーは私達にへつらってりゃいーの』
『だからー、にどと私達に宿題出せとか言うんじゃねーぞ』
『せんこーにはー、適とーにー、ごまかしといてー』
 笑い声と水音が響いた。
 口汚く罵る声、そして再度鈍い打撃音が幾度も響き、
『あー、すっきりした』
『お前、お金ないの?』
『馬鹿、きこえてるわけないじゃん』
『こいつの金は私らのもんだからどうだっていーじゃん? ってうわ、三十円しか入ってない。しけてるー』
『つかえねー』
『明日はちゃんと五万くらいいれておけよ』
 笑い声とともに、声が遠ざかる。
 そこで音が切れた。レコーダーをポケットにしまって、
「よくもまあ、あそこまで品のないことが出来るもんだな」
「お前、それよこせ!!」
「かまわんよ」
 それを投げ捨てた。女子達が呆然とし、すぐに気づいてそれを掴み取る。
「馬鹿じゃねーの? ホントに渡すなんてさぁ」
 湊が溜息を吐き、
「それを言われてはお仕舞いだな、まあ、いいさ――」
 湊が歩いてくる。手を差し出して、
「保健室に行くぞ、立てるか?」
 秋乃は無言でその手を掴み取る。
「じゃあ、行くぞ」
 肩を組むように、担がれた。自分でも歩を進めるが、少しばかり引きずられてしまう。
 ――こいつ。
「腕に力はいるか?」
 ――結構、力があるんだ。
「おい、聞こえてるか?」
 声に気づいて、ああ、と、
「何とか、入る」
「ならいいさ、折れてないといいがね」
 秋乃は呆然とした視線を受けたまま、倉庫から出て行くことになった。日のまぶしさに、秋乃は目を細める。夏も深くなってきていることを感じた。
「なあ」
 ふと、気づいたことがあった。
「どうした?」
 そう言えば、
「さっきの録音、いつ取ったんだ?」
「ん? ああ、別に居合わせたわけじゃない。知り合いになった霊能力者に頼んで、いわゆる場の記録を呼び起こして録音した。あれだ、過去視とでもいうのか? そういうものだ」
「そんなことも出来るんだ、いや、けど」
「どうした?」
「あのレコーダー、渡しても良かったのか?」
 それか、と得心言ったふうに笑い、
「実は既に先生にもう一個渡してあるんだ。ま、それが駄目でも家には録音データがパソコンに入ってる、と、そうだ」
 これを、と、
「これ――」
「まあ、この時点でもう一個あるわけだ」
 左手でポケットをまさぐり、それを見せてきた。笑って、
「右手は動くか?」
「え? ああ、動く」
「そうか、なら、これはやるよ」
「へ? これで学校が動かなかったら親に聞かせて言えば良いさ、実は証拠のために一つ持ってたんだって」
 それを右手に握らせてくる。秋乃はそれをつかみとった。この炎天下にポケットへ入っていたからか、少しばかり熱がこもっている。
「あのさ」
「どうした」
 ふと、疑問に感じたことを口から発した。
「どうしてここまでしてくれるんだ?」
 精々縁といえば、二日前のことと、プリントを渡した程度の縁しかない。ここまでされるのは、少し変な感じがした。
 ふむ、と湊はうなづいて、
「どうして? まあ、面倒ではあるが、面倒を見ろといわれたことはあるから、かな」
「それだけ?」
「ああ、それだけだ。少なくとも、少なくとも自分にとってはそれで事足りる。口約束でも、何でも、約束したことは約束したことだ。それを違えるのは主義に反する」
 秋乃は唖然とした。そして、笑った。
「そうか、そうか――、そうだよ、な、約束を守るのは当然だ!」
「いきなり笑い出すな、俺まで変に思われる」
 気にするな、と、
「じゃあ、悪魔のことに関しては今日から?」
「不用意に口にするなよ、変人認定されるから。と、其れは今日じゃない」
「いつからになる?」
「さあ、な」
「なんだよ、そこまでやってはぐらかすなよ」
 結局、その後保健室につくまでのらりくらりとかわされて、保健室にいる間に湊は消えていたのだった。



 そして今日再度集会が行われ、イジメに対しての注意が行われた。苦々しげな顔が、記憶に残る。
 これで一応、イジメについての一連のけりはついたといってもいいだろう。
 ――だからこそ、
「礼をしないと――」
 イジメを終わらせたことに対してもあるが、何より、己に人殺しをさせなかったことが一番だ。
 あのままで行けばきっと秋乃はグループを皆殺しにしていたと確信する。
 だが、そうならなかった。もし殺していれば、自分はどうなったか、と秋乃は思い頭を振った。今はそこに思考を割くべきではない。
「ああ、もう、一体どこにいるんだ、あいつは」
 秋乃の呟きは雑踏に飲み込まれた。



 歩く、歩く、ひたすらに歩く。MAGを消費して仲魔を展開しながら、ひたすらに歩く。手がかりの無さに失意を覚えながら、唯、我武者羅に歩いていく。
 たどり着いた先は廃マンションだった。そこに湊は見覚えがあった。
「懐かしい、な」
 本当に懐かしい。そこは初めて悪魔を殺した場所『梓馬グランド』だった。
「まだそれほど経ってないのに」
 どうにも郷愁を感じた。もしくは未練だろうか――、
「馬鹿らしい」
 過去は、過去は――、帰ってこないんだ。
「何も考えないで、戦っていられたら楽だったのに」
 ええ、
「楽でしょうね」
 声が響いた。朗々と、重みのある声、そして其れは湊を握りつぶしそうなほどに重圧感を感じさせた。
 振り向く。男。白、唯それがあまりにも特徴的で、そして目を話せない。
 白いスーツ、白いワイシャツ、白い革靴、白い肌、白い髪、黒目すら薄い灰色。背筋に刃を突き立てて、抉りまわされるようないやな気分を想起させれる。
 声を絞り出す。
「一体、何方だろうか、何か御用ですか?」
「――なるほど、ロートが狙いを定めるだけはある」
「!! ロートを知っている」
「ええ、私の同僚とでも言いましょうか? 少々行動的過ぎるきらいはありますが、良い同僚です」
「……ならば、貴方から伝えてはくれまいか、この迷惑な仕掛けをはずしてくれ、と」
「其れは出来ない相談です」
 にべも無く、男は断ってくる。
「残念ながら彼の行動に私は干渉できないのです。いくら順番を守られずとも、其れはそれで仕方のない話である故、致し方ないものです」
「そうか、ならば、仕方がない」
「ふむ、諦めた、と言うわけではないようだ。なるほど、なるほど。ロートで無くとも、そう、私が目をつけて貴方に向かっていたというのは確かでしょうね」
「一体何を」
「ああ失敬、会話中に思案にふけるとは非礼が過ぎたようです、と、非礼といえば自己紹介がまだでしたね」
 優雅に、一礼、
「私の名はヴァイス、お見知りおきを」
「――ああ、覚えておこう」
「と、そうそう、今日、私は貴方に御用があってこちらに来たのですよ」
「用事?」
「ええ、知人が迷惑をかけてしまったことに対しての、そう、一つの謝罪を」
 そういって、男は湊に近寄り、
「これを」
 渡してきたのは金属で出来た飾り、とでも言うべき者だ。形状はそう、
「鍵」
 そう脳内に理解が来る。情報が流れ込んでくる、と言い換えてもいいだろう。
 ヴァイスは笑い、
「理解が早くて宜しい限り、それをお持ちくださいな。そうすれば、貴方の道しるべになるでしょう」
「――釈然としない部分はあるが、借り受けよう」
「それは『ノルンの鍵』、もしも貴方が選ばれしモノなれば、いずれ貴方を更なる位置へと導くでしょう」
「それは!!??」
 では、と、ロートは背を向けて、
「いずれ運命の交差にて合間見えたい、ぜひとも生き残ってくださいね」
 暴風と、光が吹き荒ぶ。眼前に腕を構えた。風がやむ、そして、後に残ったのは握られたノルンの鍵だけだった。



[38166] 題名未定《序章・覚醒篇・10》
Name: navi◆279b3636 ID:17d1eb6e
Date: 2016/01/08 01:18
 既に昼の帳は落ちかけ、夜の色が街都に差し込んでくる。境界線がある。昼と夜、二つが交わる唯一の境界線。
 湊は呆然と立ち尽くしていた。ほんの数瞬まで、眼前に相対者がいたとは感じさせない。そうだ、そこには何も居なかったとすら錯覚させた。
 だが、右手に握っている金属の感覚だけが否が応にも現実を理解させてくる。青。透き通るほど美しい青が、鍵の形を成して右手にある。偽物の可能性だって考えられた、だが、だと言うのに、これを偽物を思うことは不思議にも出来なかった。心の、魂の底からこれが本物であると理解してしまった。
 ノルンの鍵、女神の名を持つ鍵。これはとある物語において重要な柱を担った道具だ。明星の血を半分引く子供が世界を救う――否、選択をするために使った鍵。世界を廻り、世界の命運を決定付けるための鍵。
 何故、こんな、と湊は息を吐いた。どうして己がこんな大層なものを持っているのだ。
 これを使って世界を救えとでもいうのか――、
「馬鹿らしい」
 馬鹿の極みだ。
 だが、少なくともこんな物を渡してきた以上、何らかの意図があるのは明白である。
 何をさせたいのか、は理解できないとしても、何かをさせたいというのは理解ができる。ならば、
「やってやるさ」
 暗闇の中で、唯足をもがかせる時間は終わった。
 今、この手にあるものは浮草であるかもしれない、だが、それがどうしたという。零ではない壱ならば、やりようもあるというのだ。
 湊はCOMPに手をかけ、仲魔を強制的に引き戻す。
『ドウシタサマナー』
「ああ、手がかりがつかめた、と言えるかどうかはわからないが、少なくとも一歩は前に進んだろうよ」
『ホウ』
 こいつだ、と、湊はノルンの鍵をCOMPに収納してみせる。
『コレハ――』
「驚いたか? 俺もこんな物を渡されたときは驚いたよ」
『ドコデテニイレタ』
「さっき、な、ロートの仲間だそうだ。あんな破綻者に仲間がいたのも驚きだが、今はどうでもいいことだ。これを渡した男は、これを使えと言っていた」
『シンジルニハフカクテイヨウソモオオイガナ』
 ああ、と頷くが、
「だが、たとえ騙されていたとしてもやらないよりはマシだ」
『マア、サマナーガソウイウノナラバ、ヤラヌホカナイ』
 面倒くさそうにギャリートロットが言う。
「そう言う事だ」
『マア、ソレハイイガホウホウハドウスル?』
 阿呆が、と湊は呟き、
「今からそれを考えるんだ」
『バカカキサマ』
「何を言っている。お前達も考えるんだよ」
『……』
『――』
 言葉に、呆れと絶句が返答として戻ってくる。
「言いたいことがわからないでもない、が、言うだろう? 三人寄れば文殊の知恵――」
『ヒトリトニヒキノマチガイダ』
『サマナー、ヤスメ、サイキンキバリスギテアタマガクサッテイル』
 散々な言われようだが、知ったことではない。
「良いか? 時間がないんだ。ならやるしかない。それだけだろう?」
『アアダメダ、ホンカクテキニノウミソガヤケテシマッタ』
 煩い。
「年中顔を燃やしているお前に言われたくない、ヘルハウンド。さて、無駄口は終わったな? なら始めるぞ、『時は金なり』だ」



 夜、闇が光を消して、明りを灯した。ともすれば、その明りは文明の明りに他ならない。美しいか、そうではないかは人により意見が分かれるが、美しいとは思えない、秋乃はそう思った。祖母の家で空一面の星空を見たことがあるからか、それとも本質的に自然なものを好きになる気質か、其れは秋乃自身でも理解の及ばない部分だ。
「ああ、もう」
 何で自分はこんな夜も更けぬ町を歩いているのだろう、秋乃は思った。
 夕食を食べ、いつもなら宿題を行い、そして少しだけ美容のために部屋の中で出来る軽い運動をして一日を終えるはずだったというのに、今いるのは繁華街に程近い距離の住宅街だ。両親には散歩と言い含めてある。普段、行儀よく過ごしているから悪いことをするとは思われていないらしく、普通に了承を得ることができた。そうだ、だから何の問題もない、とは思うが、感情の面に暗いものを落としているのも確かだ。
 別に疚しいことをしているわけではない。むしろ、その逆、と秋乃は自分に言い聞かせる。だってそうだろう、ただ礼を言いたいだけなんだ、どうして疚しいと思う必要があるのか。だと言うのに、自分が行っていることはひどく悪いことに思えた。
「何でこんな――」
 細かいところばかりに気が向いてしまうのか。湊にあって、礼をして、終わり。それだけの簡単なことを、どうして難しく考えるのか。
「やっぱり、明日――」
 考えてみれば、こんな夜に出歩いてすることではない。むしろ明るいときにあって少しだけ時間をもらって後は礼をすればいいだけだ。
 そこで、見た。
 男の影だ。いつもならば簡単に見失ってしまいそうな影を、秋乃は即座に視界に納めた。
「あいつ」
 湊の影だ。確信する。
「何してるんだ、こんなところで」
 自分のことを棚に上げて、そう思った。
 腹が決まる、
「行こう」
 自分の大胆さに、少しばかり驚いた。ああ、しかしこれも、自分だ。
 秋乃は湊を尾行し始めた。



「ここか」
 湊が歩き、着いた先は市街の最北端に位置する電波塔だった。指し示すのはCOMP、と言うよりはそこに納められたノルンの鍵。理屈は分からないが、センサーの役割を示しているらしい。振動がそれを伝えた。目標の一定方向に進むと振動が大きくなっていく。
 ――拍子抜けだな。
 あっさりとたどり着いたことにほんの少しの違和感と――、小さな失望。
「馬鹿が……」
 期待をしていたとでも言うのか? 敵が出てくることに。
 ――言われたとおり、本格的に頭が腐ってきているのかもしれないな。
 大分、荒事になれ、思考がそちら側になってしまったとは言え、無駄な争いは本来ないに限るはずだ。
 まあ、いい、
「……魔のものに引き寄せられたのか?」
 どうだろうか、と思考する。そもそもこの鍵自体が魔に属するものだろう。関係ない、と湊は頭を振った。魔とかどうとか、そういったものは今関係がない。
 やることは唯一つ。いつもと同じだ。敵を斃す。礼をされるわけでも、褒め称えられるわけでもない、世界に理解されない場所でただ掃除をするように敵を殺すのだ。
 肉体に力を入れた。
 既に装備は身に纏っている。夜のための暗視スコープと、バックパックと、武器と、旧第三帝国SSの軍服。漆黒、闇を衣服にしたような、黒いコート。第1SS装甲師団の軍服。身体に良く馴染むほど、着慣れた。
「歌おうか」
 気分の高揚、何故これほどまで高揚するのかは理解できないが、
 どうしてこれほどまでに昂ぶるのかは理屈で説明できないが、
 ただ、声を上げたい。
 だから歌う。SS marschiert in Feindesland――親衛隊は敵地を進む――。
 親衛隊の軍歌を高らかに、そして音高く軍靴の足音を響かせて、そして制圧するのだ。
 翻るのは闇。黒いオーバーコートが、湊の後ろに闇を作り出す。



「ああ、当然のように異界化している」
 電波塔は有名な東京タワーのような観光資源ではないから、精々管理者が定時に入り、定時で帰るぐらいでしか人は入ってこない。とは言え、完全にコンピューター管理と言うわけではないから交代要員が存在する。
「まあ、死んでいるか」
 眼前に巨大な空間がある。外観を無視し、法則を捻じ曲げた。異界と言うにふさわしい。
 意識を尖らせ、一歩。
 音、音、音。
「手厚い歓迎だ。実に」
 闇から出でるのは、悪魔。強さはあまり感じさせないが、数はある。
「モコイ、ヒッポウ、それにオバリヨン、ペナンガルにアズミもいるか」
 闇から蠢いて、形を成してくる。
 馬鹿め、と湊は呟いた。
「数をそろえれば良い、と? 馬鹿みたいだ。いや、馬鹿にされているのか? どちらでも良いか」
 そう、どちらでもいいんだ。
 やることは唯一、
 手をかけるのはボウガンだった。何度も視線を潜り抜けた相棒だ。
 手に馴染んだグリップを手で包み、もう片方で矢を番える。淀みのない手際は何度も使い、使い慣れていることを証左する。
 照準を合わせ、トリガーを引いた。鎧袖一触、貫いたのは頭頂部。
「流石だな」
 DDS-NETで知り合った能力者に加護を与えられた、対魔の力を宿した矢は容易く悪魔を撃ち殺す。
 威圧が来る。当然だ、仲間意識があるかは別として、目の前で殺しが行われたのだ。理不尽に、命を奪われた。
 それをまだ行おうとしている輩がいる。生命として当然の意識。死への嫌悪。
 故、反撃を行おうとするのは当然の帰結。
 悪魔が湊ににじり寄る。四方八方、取り囲み、逃げられないようにして殺す。
 肉を裂き、腸を貪り、魂まで吸い尽くさんと、
 だが、湊はそれを意に介さない。
「阿呆、一思いに此方を殺しにかかればいいものを」
 湊が胸元から取り出したのは、手のひらより少しばかり大きい球体だ。球体の上部、留め金に湊は手をかけて引き抜く。
「やるよ」
 軽い調子で放り投げられたそれは死の匂いを一切感じさせないもので、――だから、悪魔達は対処が遅れた。
 光が、音が溢れた。強烈な閃光と炸裂の音が目を耳を、そして頭蓋に激震を叩き込んだ。
 何もが混乱する中で、影が動いた。倒れこむ、敵。おそらくはあまり光に強くない手合いが閃光に目を焼いたのだ。
 一息。そして、周囲を見やった。数だけは多い、と思う。
「選り取り見取り、入れ食いだ」
 機械的に、精密的に腕を動かしながら、矢を射る。芸術的にも思える動作を持って、ただ無意味に命を刈り取っていくその姿は、死神を想起させる。
 いな、今、ここで、湊は悪魔にとっての死神だ。
「そら、逃げねば死ぬぞ、俺が殺すぞ」
 余裕を持って敵を殺すから、声も弾み詩を韻ずるように高らかに、
「とは言え、時間もかけていられないか」
 腰元、COMPに手をかける。最早見もせずにその動作をこなすことができた。
「さあ、来いよ『ヘルハウンド』『ギャリートロット』」
 地に五芒星が二つ、発色する光が描かれる。暴風、円形の螺旋を描き砂塵が巻き上がる、やがて収束。また、悪魔が現れた。しかし、其れは湊を害するための存在ではない。
 首から上、青白い炎を上げる妖犬がいた。
 手に刺さるほど硬い毛を持つ人面の獣がいた。
 湊はその姿を見もせずに、一言、
「殺しつくせ」
 二つ、吼える声、ともに新たな暴力が場を荒らしだす。
 妖犬が飛び上がる。本来の犬ならば有り得ないほどの跳躍で、天井に衝突するほんのわずかの距離まで飛翔。口には青白い炎が渦を巻いていた。解き放たれる。炎が、敵を焼き尽くす。逃げられるものはいなかった。たとえあたらなかったとしても其れは逃げたとはいえない。ただあたらなかっただけであり、逃げたというには語弊があるからだ。そして其れが正解といわんばかり、追撃の火炎が所狭しと巻き起こる。絨毯爆撃に等しい火炎が敵の肉を焼き、骨を焼き、魂を焼いて回る。
『タイクツ、タイクツスギル』
 ヘルハウンドが吼えた。ちっとも楽しくない、と、不満を露にし、しかし湊はそういうな、と、
「いいじゃないか、MAGだってただじゃぁないんだ、こう雑魚が集まってくれるなら此方としても助かるだろう?」
『ゲンドガアルゾ、サマナー』
 呆れた声を上げるのはギャリートロット。ヘルハウンドほど戦いが得意ではないからだろう、弱っている獲物の喉笛を噛み千切り、止めを刺すだけにとどまっている。
「さ、無駄口を叩いていないで殺してしまえ、此方も時間がないんだから」
 数の暴力を、ただ無視して突き進む。
 確かに数は怖いかもしれないが、突き詰めてしまえば質の暴力が勝てないなどと言うこともない。武器も防具もない存在に、銃を向けるのと同じだ。
 だからきっと、これは戦闘とは口が裂けてもいうことは出来やしない。
 故にこれは虐殺――ホロコーストと言うものなのだ。



 悪魔には何が起きているのか、自問自答しても、その問いに正しい答えが戻ってくることは無かった。
 あるのは地獄と、痛みと、かき乱される心のみ。
「ううむ、そろそろ範囲攻撃の出来る道具を仕入れるべきか?」
『フツウニヤッテイテモ、カナリコロシテイルゾ、サマナー』
「だが、な、やはり効率的に考えれば今のままでは少し骨だ」
 ここは鉄火場のはずだった。だが、それを感じさせないほどに目の前の存在は悠長に構えてる。否、悠長なのは見た目だけだろう、肉体は熟練のそれのように動き続けている。
 ――ナゼ、
 薄れていく思考が再度、問う、
 ――ナゼ、オレガコンナメニ!?!?!?
 そうだ、どうして自分は倒れているのだろう。
 相手は、人間だ、人間のはずなのだ。脆弱である、惰弱である、脆く、儚く、そしてMAGを供給する餌でもある。そんな存在が、まるで己の上のように殺しを行うのだ。有り得ないではないか――、そうではない、『有り得てはいけない』のだ。
 其れは法則への反逆で、其れは定められた定理への否定である。
 だから、本来この構図はあるべきではない――、
 声、
「ようやく数も減ってきたな、まったく、矢とて金がかかるんだから、もう少しわきまえて欲しいものだ」
『ドウイウコトダ』
「ベストなのは、案山子のように突っ立ってくれているのが一番だ」
『バカヲイウノハヨセ』
「馬鹿とは何だ、馬鹿とは」
 ――アアソウカ、
 おぼろげな思考が一つの答えを思う。
 ――アレハ、ニンゲンデハナイノダ。
 人間ではない。ならば、あれは、なんだろう。
 ――バケモノ、
 人の姿をした、化け物だ。
 悪魔とも人間とも違う理不尽の権化。そもそも、あれからは熱を感じないのだ。感情の起伏、とでも言い換えようか、行動に伴う感情の熱量。きっと、殺すと言うことに何も感じていないか、それとも心の奥底では此方を殺しているという自覚がない。精々良くて自分達は的当ての的と同等くらいの物質程度にしか見られていないのだろう。だから淡々と此方を殺してくる。例え楽しそうに歌おうと、其れは薄っぺらい表面上のもの。歯車がかみ合ったとき生まれる摩擦熱、それと同じ。殺しに興奮しているわけでも、快楽を感じているわけでも、嫌悪しているわけでもない。当然だからそうしている。健常者が健常であることに無感動であることと同じだ。
 ――カテルワケガナイ、カ。
 そこで思考することを止めた。もうこれ以上何かを考えたところで何も好転することはない。
 ――アア、デモ、
 もしも次があるのなら、出来ればあれと敵対したくは無いな。
 勿論次などあるわけがない。今、ここにいる悪魔は所詮コピーでしかない。異界にある本体の写し。だが、ここに居る一体の『悪魔』の意識はここで死ねばもう蘇ることはない。だから、ここでこの悪魔の生命は終わる。
 ――ア、
 ふと、思った。悪魔の自分が、何かに祈っている、と。
 最後に少しだけ笑った後、悪魔の息は無くなった。
 死んだのだ。



「うう、何か、いやな感じ」
 湊の後をつけていた秋乃は己の身を抱いて怖気を抑えようとした。今は夏ではなかったのか。異常気象で真冬並みに温度が落ち込んだか、馬鹿なことを考えるものだ、と自嘲。気温じゃなくて心底寒気を感じているだけだ。
「やっぱり悪魔関係なのか?」
 常人には一笑を持って切り捨てられるだろうし、数日前ならば自分も切り捨てる側に存在だったのに、今は笑われる側の住人になってしまったことにどこか薄い笑いを吐き出し、しかし前に進む。
 そこは電波塔だった。何の変哲もないが、それゆえに普通であれば立ち入ることもない場所だ。
 悪いことをしている気分になる。
 ――怖気。
 扉を開き、中に、
 ――寒気。
 身を入れて、
 ――恐慌、
「なん、なんなんだよ、これ」
 立って居られなくなって、秋乃はしゃがみこむ。
 吐き気を覚え、胸が苦しくなるが、我慢。無理やり押さえ込む。荒い吐息、呼吸を落ち着かせ、
「何があったって言うんだよ」
 魂魄を掻き回されるような、いやな錯覚を覚え、当たりを見渡す。
 まず戦闘の余波があることを確認した。床が抉れ、壁に皹が大きく出来て、今にも崩れそうに思える。焼ける匂いもまた感じた。物体が焼け焦げて隅になる独特の匂い。気分が悪くなる。
「やっぱり、湊だろうなあ」
 思考の隅に帰宅すると言う項目が現れ、しかし、
「毒を喰らわば皿までだ」
 気丈に、前に進むことを決定した。子供のそれだった。大人なら手に負えないことはしない、適材適所とするだろう。だが、秋乃はまだ子供で、賢者には到底程遠い。大人になれば自分の限界を知りえるそれを、若さは可能性だからと見切ることができない。
 だから、無謀を承知で秋乃は進むのだ。其れはきっと意地。出来ることは何でも行おうとしてしまう可能性への挑戦で、愚かな選択肢。愚者のあり方だ。
 ふと秋乃は気づく。自分も結構馬鹿だな、と。



 異界の部屋、悪魔を殺しつくして無理矢理平和を確保した一室に湊は居た。電波塔の異界にある部屋はどれもコントロールルームの様相だが、画面はついておらず電源が入っていない。光源は持ち込んでいた懐中電灯のみだが、ほんの休憩をするのには丁度良かった。
 部屋は正面左右に画面が存在し、それに伴うように一つずつ、計三つの椅子があった。湊は椅子の一つを乱雑に動かし、扉の近くまで持っていき、乱暴に座る。
「拍子抜けだ」
 矢鱈に増え、行く先を妨害する一室。屍の山を気づきながら湊はそう呟いた。
 悪魔が弱いのだ。二級線の悪魔ばかりが徒党をなしてくるような、そんな感覚、
「気のせいならいいが」
 あっさりしすぎていることに、罠を感じてしまう。
「主が強い、と言うこともないだろうし」
 基本的に異界の悪魔の強さに突出する存在は居ない。異界の主も精々そこらの悪魔より強かったりする程度が基本だ。例外も存在するが、あくまで例外は例外でしかない。
「何が目的だ。何を考えているんだ」
 ロートについて思考する。
 狂人に対して考えることなど無駄の一言かもしれないが、それでも思わずには居られない。矮小な自身の枠に収めようとしているというのならば言えば良い、都合がよくてもいいから法則性の一つでもあれと思うことの何が悪いと言うのか。
 ポケットに手を突っ込む。携行食を取り出し、パッケージを開いて口に運ぶ。チョコレートとキャラメル、ダメ押しにクッキーとピーナッツバターも加えて構成されたカロリー過多のチョコレート菓子は普段ならば過剰な甘さに嫌気の一つも感じるが、煮詰まったときには逆に過剰な甘さが良い塩梅で口の中で融けていく。少しばかり蓄積していた疲れも、甘味に解かされ、次に感じたのは喉の渇きだ。ゴミになったパッケージを握りつぶして、ポケットの中に放り、代わりに取り出したのはブラックの缶コーヒー。一気に喉に流し込む。現代の技術力を持って、濃縮された苦味が下を通り、下っていく。
「苦い、な」
 コーヒー好きには認められないだろう、ただ苦いだけで味に深みも何もないブラックコーヒーを一息で飲み干す。しかしその苦味が心地よい。
「さて」
 COMPにあるMAPアプリケーションを起動した。道順を確認し、効率的な制圧を行うためだ。
 ――今のところ、漏らしはないが、
 とは言えここは異界であり通常法則は無視されるところだから、入りもらしかどうかはまだ分からない。
 現状、異界は三階まであった。部屋は一フロアに幾十も存在。助かるのは、入り組んだ構造ではないことだ。迷路のようになっていれば時間のロスは免れない。
 ――そう言えば、敵も弱すぎる。
 十派一絡げの雑魚が、乱雑に現れてくる程度。少し驚いたのは最初に物量押しできたことだが、それもどうとでも対処できるレベルの敵でしかない。
 ――何を考えているんだ、あの男は……???
 思い、歯軋りした。厭味な顔の男が目に浮かんだ。あの糞愉快犯め、と心の中で詰り斃す。思考がずれた。思考を修正。悪魔の弱さに関してはまだ次のことがあるから決定は出来ない。順繰りに強くなっていく仕様かもしれない。
「……考えても無駄、か」
 もう一度MAPを軽く確認して、閉じる。入り逃しがないのなら、今はそれで良い。
 立ち上がり深呼吸。
 小休止は、もう終わり、行こう。
 意味はないが、律儀に椅子を元の場所に戻し、外に出ようとして、足音。
 ――人!?
 悪魔が地を踏みしめる音ではない。
 ――能力者が調査に来たか……?
 会合に休暇を伝えているから、別の誰かがここを調査士に来てもおかしくはない。
 ――どうにかして帰ってもらうか。
 今、この状況でしゃしゃり出てこられても、困る。多少手荒になっても『誠意』を尽くして帰ってもらうほかない、と決定し。
 息を呑む、まず、呼吸を整えた。
 ――三、
 足元はどうにも素人くさい。戦闘をしているわけでもないのに気配を消す努力をしていない。強く言えば帰ってもらえる輩か、
 ――二、
 ならば、ボウガンを突きつければ問題はないか?
 ――一、
 多少、己の評判は落ちるだろうが、それを気にする余地はありはしない、殺せないほどの敵に跋扈されるよりはましであろう。
 ――零、
 思考はまとまった。
 ドアを蹴り飛ばし、外に出る。
「止まれッッッ! 動くと殺すッッッ!!!」
 一息に、吐き出す。
 だが、湊は即座に呆けた。目を疑い、相手が自分の知っている存在だと認識していた。
「お前は――、何故、ここに居るんだ!!」
 居たのは、女。
 自分が裏の仕事を教えるために預けられた、少女。
「秋乃ッッッ!!」
 情けなくも、半泣きの少女がそこに居た。



[38166] 題名未定《序章・覚醒篇・11》
Name: navi◆279b3636 ID:17d1eb6e
Date: 2016/03/28 07:40
 まず湊は頭痛を覚えた。何故、目の前に秋乃が居るのか理解できなかったからだ。自分がここに来ることなど一度も伝えていないはずだ。故に、
「何故、君がここに居る」
 問う。
「それは……」
 目の前の少女、秋乃は顔をうつむかせ、声を詰まらせた。湊は額を押さえ天井を向く。呆れた体を隠さずに息を吐いて、
「まあ、良い」
「何が」
「ここは三階だが、一階までのワープポイントがある。連れて行ってやるから、今日はもう帰るんだ」
 秋乃は頬を膨らませ、
「嫌」
 何故だ、と言う疑問と同時に苛立ちが起きる。ああ、面倒くさい。
「嫌も何もない、面倒だから言うが邪魔なんだ、帰れ」
「嫌だ!」
 まったく、
「何がここまで君を駆り立てる。態々危険な場所に来る必要もないだろう。此方に他者を守りながら進む余裕なんてないんだ」
「わ、私には魔法があるから――」
「大丈夫だと? ろくな訓練もしていないだろう?」
 正確に言うのなら、未ださせていないだけだ。無論、会合の長が言うことである以上面倒を見る積りはある。だが、今は駄目だ。
 ――皮肉だな。
 湊は内心で己を嘲笑した。自分だって訓練は実践以外では行っていないのに、相手には訓練を行っていることを求めるなんて。
「ともかく今回は無理だ。他人を同行させてはいけない依頼なんだ。約束を破るのは良くない」
 約束を破ればこの地帯は軒並み全滅と言う悪夢だ。嫌になる。
 そこまで聞いた秋乃は不満げに口を結んだ。
「馬鹿ッ……!!!」
 湊は頭を抱えた。どうして今自分が罵倒されているんだ、
「湊の、湊の、湊の大馬鹿野郎!!」
 眼前の秋乃がそうはき捨てて脱兎のごとく駆け出していく。あ、と、湊は手を伸ばす。
「そっちは逆だ、戻る先はこっちだ!!」
 ああもう、と、湊は駆け出した。



 秋乃も分かってはいた。湊の言うことが。自分よりよほどこの手のことをこなしている湊が駄目だというのなら本来は駄目なのだ。
 だからといってそれを納得できるかどうかはまた別問題の話だろう。秋乃にしたならば一つ礼をしたくて危険な中踏み込んできたのに、にべもなく帰れと言われただけだ。
 客観視すれば秋乃の方が無茶苦茶で、筋が通らない。だがその感情を納得して飲み込むには十代の少女にはまだ無理であるのも当然の話。良くも悪くもまだ視野が狭いのだ。
 ――あそこまで強く言わなくたっていいじゃないか……!!
 故に秋乃が行ったのは自己弁護だ。多少の非は認めつつも、自分は悪くない、と。
「っ……あう」
 唐突に衝撃。足元が不安定になり、転倒。まともな体裁きを学んでいるはずもなく、派手な音を出して倒れこむ。
「痛……い」
 小さく、声が出る。
 ――何やってるんだろう。
 痛みが思考を狂わせる。
 ――勝手にへんなことして怒られて――
 考えても考えても思考は纏まらない。
 ――馬鹿みたい……。
「う、うぅ」
 双眸に熱いものが伝ってくる。処理し切れなかった感情、行き場を失ったそれが涙として外界に排出されている。
「ぅぅぅううううう」
 子供みたいだ。もう高校生にもなってないてしまうなんて、でも、でも、
 ――仕方ないだろう。
 ここ数日張り詰めていた何かが切れかけている。普通の高校生が本来経験することもないことを経験して、それを共有できる人物には邪険にされ、自分の中だけで完結させることなんて出来ないし、それを行うだけの経験もないのだ。
 嗚咽。
 もうどうにもならなかった。決壊した堤防が水を堰き止められないように、涙と声が流れ出す。
 感情の、発露。



 新鮮な獲物がある、と一体の悪魔が思った。
 通常魔界ではなく現世において悪魔が肉体を持ち続けるためには生体マグネタイト――通称MAGと呼ばれる物質が必要になってくる。
 ならばMAGとはどのような物か、曰く感情が起きる際にできるエネルギーだと言う。喜怒哀楽だとか愛憎だとか、そういった感情から作り出される。
 悪魔にもMAGの好みと言うものはあるらしい。楽しいMAGが好きな者だとか、その逆であるとか。
 では人の恐れを好む悪魔にとって悲哀の感情はどう見えるだろう。
 ――ウマソウナ、エサダ、
 曰く、悪魔がもっとも手軽にMAGを回収する方法は――人を殺し、恐怖の感情を絞ることらしい。
 だから、と悪魔は思った。
 泣かせて、泣かせて、泣かせ続けた果てに殺せば、きっと上質なMAGが手に入るだろう、と。



「糞、どうしてこういうときだけ足が速いんだ」
 湊は走りながら悪態をはいた。
 秋乃が逃げるようにどこかに行き、それを湊が追いかける形になっているがどうにも追いつくことができないで居た。
 ――どういうことなんだよ。
 控えめに言おうとも、足の速さで言えば湊のほうが速い。悪魔を殺したときに奪取する不活性MAGの摂取量の違いのほか、男女の性差を含め、湊が秋乃に追いつけないということはまずありえない。
「まさか」
 故に一つの思考が湊の頭に浮かんだ。
「異界そのものが変化している……?」
 馬鹿馬鹿しい、と断じようとして、戸惑う。湊にとっての異界や悪魔についての知識は基本的にゲーム情報だ。
 薄れ掛けた記憶では絶えず変化する異界と言うのものはありえなかった。
 だが、今、ここは、
 ――現実、だ。
 荒唐無稽と切り捨てることなど到底できるはずがなかった。
 無論それ以外の考え方もある。だが、少なくとも現状においてそれ以外を考える余裕がなかった。
「ならどうする」
 その思考が正鵠を得ていたとして、ならばどう行動するのがよいか。
「考えろ」
 最悪のパターンは悪魔が出たときのことだ。
 自分はどうにでもなる。だが、秋乃はどうなる。まず生きられないだろう。魔法がどうとかではなく精神的な面での覚悟とでもいうもの。内面において確定付けられなければならない行動指針が未だ秋乃にはない。
 もともと巻き込まれただけの少女に戦う覚悟を決めろなどといえるはずもないし、そんなことをいえるほどたいそれた存在でも湊はない。
 しかし少なくとも湊には行動の指針が合った。基本的に殲滅、それが湊の悪魔に対しての行動指針だ。例外を除き、NeutraもLawもDarkも関係なくすべて敵として排除することが第一項に存在する。故に湊は迷わないし戦えるのだ。
 だが少なく見積もって、秋乃にそういった思考形態があるか考えたときそんなものはあるはずがないしあるほうがおかしい。
 故に現状で秋乃が悪魔と対峙したとき戦えるか否かで言えば、
 ――まず無理だな。
 戦えるような状態ではないはずだ。
「急がないと」
 湊は、走る。



 湊の思考には一つ抜け落ちているものがあった。行動指針ではない。思想の根幹、それがなかった。
 つまり芯がないのだ。機械人形をプログラムで動かしているのと大差がない。極論、歯車で構成された絡繰人形と同じといえた。
 本来人が己の大黒柱として持つ主体性がそこにはないのだ。
 人によっては悪魔を殲滅するという行為が湊の主体に見えるだろうが、否だ。例えば車を動かすとする。ハンドルを右に切れば車は車体は右に、左なら左に動く。だが、湊には何故車を右に動かすか、とそういった思考が抜けているのだ。信号があるから止まるとか、行き先が右方向だから右に動くとか、そういったものがまったくない状態で車を動かしている。故に現状湊はただなんとなくアクセルを踏んでいるだけの車と大差がないのだ。
 そしてそれに気付くのは――、



「は、は、は――」
 秋乃は駆けていた。もと来た道をただ真っ直ぐに。
 だが、その道筋に出口は見当たらない。
 後方からは怖い物が迫っていた。人は通称それを『死』と言う。恐怖の行き着く果て、終着点。
 人、否、生命を持つ存在は本能的に死を忌避する。もしも死を逃れようとしないならば、生き物は毒を平気で喰らうだろうし、怪我でもどうと言うこともなかったであろうし、そもそも恐怖と言う感情とは無縁だったろう。
 だが、生命は恐怖する。死を、終焉を。
 其れは暴力だった。圧倒的な力を持って秋乃を殺そうとする、純粋な暴力の塊だ。
 秋乃はそれを直視する余裕もなかったが、それでも少しだけ見えたのは、蛇の頭だ。一つではない、複数の蛇の頭。鈍く光る眼光が、唾液で光る牙が、秋乃を『死』に引きずり込もうと追い掛け回している。
 ――嫌だ、
 秋乃は思う。強く。
 ――死にたくない、死にたくないよ。
 もしかすれば、本来秋乃は死んでいた人間だったかもしれない。だが、今は生きている。
 折角つかんだ命を手放したいと思う者がどこにいるものか、
 ――誰か、
「助けて」



 悪魔の目論見は結果として正しく機能した。目の前の小娘は追い立てるだけで上質なMAGを放出している。
 ――ム……。
 だが、枯渇しない資源など存在しない。たとえそれが人の感情でも。小娘から悪魔の好きな感情の放出が少なくなってきている。
 ――シオドキ、か。
 もう少しだけ搾り取りたかったが、絞りすぎて滓になられても困る。諦めの果て死の恐怖すら捨てられても悪魔にとって良いことではない。
 何だかんだで一番なのは美味いところだけを食べつくす。これが最上だ。
 それにしても、と悪魔は思い返す。あの男は一体なんだったのだろう。この異界に存在する異物の片割れ、男の気配。
 正確に言うならば気配は男だが人と言うにははばかられる存在。
 ただ淡々と悪魔を狩り続けた気狂いとも言える存在。入り口付近で悪魔を嗾けさせたが、その感情に轍一つ起きない水平なままに異界を踏破せんと差し迫ってくる。悪魔にとって理解の埒外にある何か。
 ――ソレト、
 この力をよこしてきた存在も少しだけ気になるといえば気になる。
 異界への干渉とは難しい。そもそも異界化とは意図して起こる現象ではない。幾つかの条件が折り重なり、初めて異界は現れる。無論儀式等で異界化を促進する要素にはなりえることはなりえるが、異界へ干渉できるかどうかで言えば其れはほぼありえない。一部の上級悪魔ができるかできないかだろう。
 だが悪魔に渡された力はそれを可能にする力だった。異界そのものを作り変える力、とでも言い換えようそんな不可思議ではあるが、便利な力。それを簡単に渡せるほどの存在ともなれば気にはなるが、
 ――マア、ドウデモイイカ。
 結局のところ其れは思考を占めるほどの存在ではない。
 今は目の前の餌が重要だ。
 もう悪魔にとって小娘はほとんど好きMAGを吐き出さなくなっている。おそらくは疲れによる思考の麻痺、あとはだんだんと諦観が生じているか、だ。
 ――ソウダ!
 もう殺してしまってもいいだろう、と鎌首を擡げたところで悪魔は面白い事を思いついた。
 ――セッカクダ、サイゴマデオイシク。
 ほんの少しだけ希望を見せてやろう、と悪魔は笑った。



 ――これは!?
 湊は確かに感じた。世界が変革する感覚だ。
 ――異界が変貌した、のか……!?
 


 秋乃は疲労で頭が鈍りながらも、なんとなく体感した。其れは魔力を操る力を持っているからだろう。
 肌で、何かが揺らいで、消えた。



 悪魔の策は簡単だった。小娘にとって生存の希望を見出させ、それを奪うことで最後の仕上げと使用とした。
 故意的に引き合わせ、引き離す。単純で悪辣なやり口だ。
 ――アア、イイゾ。
 悪魔は策が成ったことを思い、喜悦を浮かべる。



「秋乃ォ!!」
 湊は叫び、手を伸ばした。眼前の少女に。
「え、あ――」
 少女――秋乃はそれに気付き手を伸ばす。
 そして――、その手の距離が遠ざかっていく。
 ――何が!?
 物理的に離れていく距離、顔が見えた。秋乃の顔だ。何もかもが無くなり絶望を浮かべている。
 声、
「湊――」
 かすれた声で、鳴くように、
「――助けて」
 小さく、声を上げた。
 ――分かっている。
 湊は思う。ふざけるな、と。
 極めて悪辣なやり方だ。卑怯と罵る積りは欠片もないが、秋乃が死ぬと困るのだ。約束を違えてしまうから。
 だから絶対に助け出さなければならない。
 ――畜生。
 だが、どうにもならない。慈悲もなく距離だけは離れていく。
 ――畜生。
 思考が廻る。ある種のトリップ状態。その思考の行き着いた果てに、思い出す。
 ――ノルンの鍵!!
 どうにか成るとしたもう、これしかなかった。悪あがきだ何て考えなくても分かることだった。だが困ったときの神頼みともいう。ならば運命の女神の名を関す鍵にすがるのは自暴自棄の行動として正しいのだろう。
 だから、叫ぶ。
「世界を救う鍵なら――、この程度の異界どうにかして見せろ!!」
 其れは無理難題だった。文章として曖昧で支離滅裂。それでももう湊にはそう叫ぶほか、思考を割く余裕などありはしなかった。



 本来悪魔と人間のハーフが持つべき道具の其れは、ただの人間でしかない存在の声に、確かに応えた。
 もともと人間の世界と魔界を繋ぐ力を持つ鍵、世界と世界の狭間を潜り抜ける力は限定的にだが、その力を発揮する。
 サークルゲート――、世界を繋ぐ門は存在せず魔界に通じる穴は開かないが、現時点でおきている空間の解れを正すことは出来る。
 ――世界を正しく――
 回さなければ成らない、と。それが世界の正しい在り方ならばこの世界を正しく書き換えなければならない。
 無論異界を元の世界に戻すことは出来ない、だが本来の異界の姿に戻すことは出来る。
 異界の上に書き上げられた異分子を解除、
 ――世界は正しく――
 回りだす。



 湊のCOMPが青白く光りだす。強く強く、世界を覆うほどに。湊は目をつぶる。



「ああ、選ばれてしまいましたか」
 白い男は虚空に呟く。普通ならば感じることもままならない波動を、肌で感じて。
「成程成程」
 ただ小さく、呟く。



 目を覆うほどの光、それが引く。湊は目を開いた。
 眼前に、
「秋乃!!」
 そこには座り込む秋乃が居た。
「み、な、と――」
 心底の恐怖と、それで歪んだ表情がほどけていくのを確かに湊は見た。
 だがそれとは逆に、
『ナニガ――』
 戸惑いを見せる存在がそこには居た。悪魔だ。黄色い瓢箪のような体躯から青い蛇が這い出ている。『邪龍』トウビョウ、そう呼ばれる悪魔だった。
「種は割れたみたいだな、悪魔」
 湊はトウビョウに殺意を向けた。ここまで梃子摺らせた礼はしなければならない。
「殺す」
 そう宣言した。



[38166] 題名未定《序章・覚醒篇・12》
Name: navi◆279b3636 ID:0421d24b
Date: 2017/08/15 17:49
 張り詰めた雰囲気が、狭い廊下を満たす。其れは人間から放たれた物だ。
 トウビョウ――蛇の形をした悪魔は背筋を凍らせた。
 其れはおおよそ人間の出してよいものではなかった。
 何だこれは、と逡巡する。殺気ではない、敵意でもない。ただ殺す、とその意思だけを向けてくる。
 トウビョウは改めて目の前の人間を見やる。顔立ちからしてもまだ二十を越えているとは思えない、子供。そんな存在が純粋な殺意をぶつけてくる。
 まるでこういっているようだ。お前は死ななければ成らない、と。
(コレハ――)
 感じているのだろうか、恐怖と言うものを。
 悪魔が、人間に向けられたさっきで、己が死ぬと、そう思って恐怖しているのか。
(アリエヌ)
 否、ありえては成らない。其れは摂理に反する行為。
 故にトウビョウは鎌首を上げる。
 殺さねば成らない。
 だが――、と、トウビョウは逡巡した。
 体が動かない。
〈ナゼ、ウゴカヌ〉
 ――心の隙間には彼は己の有様を理解していた。
 己は殺気におびえているのだ、と。しかしソレを認めることは悪魔の、強者のあり方が許さない。
 だからこそ、起きる齟齬だ。恐怖から逃れえたいと言う生命体の本能、強者が弱者に背を向けては成らないと言う思考。ぶつかり合い、そして肉体が混乱し、停止する。
 端的に言えばトウビョウは不幸だ。
 眼前の存在と己の力量差を比べ、自分を弱者と理解し、そして逃げることができないのだから。
 死ねば終わり、ただそれだけの理屈を理解し得なかったのだ。
 故に、
「どうした? 動かないのか? 動かないならソレも良い。だが、私はお前を殺す」
 底冷えするほどの、悪魔を凍らせるほどの殺気。
 あ、と、呻きがトウビョウから漏れる。
 理解したからだ。己が終わるのだ、と。
「ではさようなら」
 青い光が周囲を包む、極光。物理的な力は何も持たないはずの光が、浸食するように拡散していく。
 トウビョウは融けていくことを理解した。己が終わる瞬間を、ただのたうつ隙もなく。



 何故、『鍵』を使うことが出来るのか、そのことを湊はわからない。だが一ついえるのは本能で理解したということだけだった。この『鍵』は本来人の手にあるべきものではないのだ、と。
(無闇に使えば私が駄目になるな)
 そもそもこの鍵を使ったのは原作デビルチルドレンにおいて悪魔と人間の血を引くハーフであり、タイトルと同名の存在、デビルチルドレン。
 で、あるならばただの人間である湊に使える道理がない。では、何故己がこの『鍵』を使えるのか、其れは謎のままだった。
(元々鍵は七、だがゲームと漫画では設定に差異があったはず――、駄目だ、思い出せない)
 思考の奥底、嘗ての記憶を探るが思い出すことは出来ない。
(そもそもこんな物を渡してくるあの男、ヴァイス、ロートと同じ存在? のアイツは――)
 考察の海に沈む。
 それを引き戻したのは声だった。
「み、湊……?」
 秋乃の声を聞き、意識を現実に向ける。
 湊は秋乃を見た。
 湊のような例外を覗けば同年代にしては、大人びて見えるはずの顔に不安を貼り付け、体を震わせている。その姿は、親に咎めを受けるのを恐れる子供に見えた。
「あ、あの」
「何故」
「……」
 湊は問う。
「いや、説明を怠った私が悪かったか、済まない」
「それは……」
 秋乃が更に俯く。客観的に見ればどちらも非があり主張はある。しかし先手を打って湊が謝罪した故に、秋乃の罪悪感だけが煽られた。
「そもそもまとめ役に君の面倒を見るように言われている以上、説明を省けばどうなるか位は予想するべきだった。此方の落ち度だ、申し訳ない」
 湊は忘れていた、と思う。十代の行動力を。気になれば動き出してしまうエネルギー、どこからか溢れてくる気力。何より、魔法などと言う非現実に触れ、そして行使できるとなればいてもたってもいられないのは明白であり、其れは考慮しうるものであった。それが出来なかったのは一重に経験がそれを忘れさせていた。湊は厳密に言えば『浅木・湊』ではなく『浅木・湊の中にいる男』と言うのが正しい。中の男は既に成人であり、それ相応の視点を有している。十代の視点は当に失われていた。
(浅はかだったな)
 湊は己の短慮を恥じた。思考の差異、視点の差異、それらを理解できなかったこと。考え付かなかったことに。
 しかし、其れはそれであり、これはこれ。昔から小賢しい大人の理論であり、その代表を振りかざす。
「とは言え、此方にも事情がある。二度三度も奇蹟などは起きない――、今日のところは帰ってくれ」
 俯いたままの秋乃が、再度体を震わせた。
「なんなら入り口まで送るから――」
「嫌――」
 秋乃の口から出たのは拒絶の言葉、湊は頭を抱える。強情だ。
「いや、だから」
「分かってる、分かってるけど!!」
「ならば!」
「でも蚊帳の外にされるのは嫌だ! 自分の身の回りでワケのわかんないことが起きて! それを如何にかできるはずの力があって! でもそれに関わらないでとか! 出来るわけないだろ!」
「その考え方は早死にするぞ、そもそも知らなくていいこともだな」
「そうやってすぐにワケの分からない理論を振りかざして!! お前は私と同い年じゃないか! それなのに一人訳知り顔で! そりゃ私より先に関わってるし、何か凄い戦えるし!」
「いや、あのだな」
「私程度の力なんか、なんか? 必要ないかもしれないけど!? でもじゃあ、後でやるから、とか言われても結局期限も決めずに口で言われても動かないわけないだろ!!」
「あの」
「そうだよ! 子供の理屈さ! でも仕方ないだろ! 子供なんだよ! 周りが大人っぽいとか言うけどこっちは子供なんだよ! 理屈なんかで黙っていられるわけないだろ!!」
 一通り叫んで、そしていきなり泣き出す。
「うう、ひぐ、グス……、ああああああああああああああ!! なんなんだよなんなんだよ! 普通に過ごしてたら虐められて! ワケわかんない存在がいること知っちゃって! 実は世界が危険で! ああああああもう! ああああああ!!」
「何故泣くんだよ……、勘弁してくれ」
 女性経験は人生経験には比例しない。湊には泣いている女性を宥めるようなスキルを持ちえていなかった。
「ふ、ふふふふふ、ああもういい。分かった泣き止むまで待つ、それでいいんだ」
 何もかも諦めた体で湊は座り込み、壁にもたれかかる。普段の警戒心はどこかに捨て去った。
 結局、秋乃が泣き止むまで湊は途方にくれていた。



「ごめん……」
 泣き止み、涙跡を残しながら秋乃は言った。
「まあ、いいさ」
 湊がぶっきらぼうに返す。
「怒ってる?」
「怒ってない」
 そもそも怒る以前の問題だ。この手における男女の機微を経験し得ない湊には、とにかく現状の打破にのみ思考が費やされていた。実を結びはしなかったが。
「その、何だ、私に落ち度がある、否、あったのは認めるからもう泣かないでください」
「うう……、そんな別に私だってそう簡単には泣かな――、え、あ、でもこれで二回目……、な、なんだか情けなくなってきた……」
「人間なんてそんなものさ……、ま、いいさ、今日はもう帰ろう。私も戦える気分ではなくなった」
 湊が緩慢な動作で立ち上がる。
「うん」
 秋乃がそれに追随しようとし、
「おや、帰っちゃうんですか?」
 それを声が引きとめた。
 男がいる。白い男。闇に立つ、純白の男
「ヴァイス」
 湊に『鍵』を渡した男が、そこにいた。



[38166] 題名未定《序章・覚醒篇・13》
Name: navi◆279b3636 ID:0421d24b
Date: 2017/08/20 16:01
 白い男がいる。威厳はない、威嚇もない。ただ自然のまま、そうであるように。
 しかし、纏うものは既に人間のそれではない。濃密で取り込まれそうな魔力が空間を支配している。
 湊は距離をとりながらも対峙する。
「いやはやもったいない。ここまで来て帰ってしまうのですか?」
「ヴァイス――、何時の間に――、いや、人間の尺度で考えるのが間違いか」
「賢明ですね、素晴らしい。そう、私が人の姿をしていようとも、それが人間であるかは別の話で御座います」
 わざとらしい、鼻につく恭しい一例。腹が立つことを感じながらも、それを心の底で抑えた。
「おっと、失礼お嬢さん、私としたことが紳士としては真摯にあらず、紳士的ではありませんでしたね」
「え、あ、その」
「お名前を聞かせていただいても宜しいですか? お嬢さん?」
「成田・秋乃、です」
「秋乃さん、ええ、良い響きですね、ええ」
 そんなやり取りを見つつ湊は腸が熱くなってきてることを感じた。からかっているのか、それとも真面目なのか図りかねる態度に苛立っている。この男は一体何をしに来たのか、こちらをからかいに来たのか。からかいに来たならば帰って欲しいと願う。今、『鍵』の力を使い、尚且つ女性の相手をして心身に疲労を感じている。このような状況でおふざけに付き合えるほど湊も人間が出来てはいない。故に疲労で巡りの悪くなり始めた頭を回し、思考する。とにかくヴァイスはどこかに行けばいいと考えて。
「それでヴァイス――さん、貴方は何をしに来たのですか? 鍵を返せ、と言うのなら――」
「あ、其れは貴方のものですので別にかまいませんよ? 私がここに来たのは、ええ、其れは少しばかり『会合』にて新しい取り決めが出来まして、ね」
「取り決め」
「ええ、そうです。今貴方に課せられている条件についてです。そう、他者に話すことを禁じているというそれね」
「――」
「それについてですが、少しばかり条件の変更が行われた為に貴方に伝えに来た次第なのですよ」
 其れは、
「今、貴方は貴方のおかれている状況を他者に話すことはできませんが……、それに対しての緩和措置が行われました。嬉しいですね? ええ、そうです。一定条件を満たした他者にのみそれを話してよいものとすることとなりました」
「そんなことよりも、このおかれている状況そのものを取りやめていただきたいのですがね」
「其れは無理です。だって始まってしまいましたし? ええ、フライングで私の出番を持っていったロートに思うところは御座いますが、とは言え我々にしてみれば堰の外れた水流を止めるなど出来ない話であり、これはしたがって純然たる運命なのですよ」
「勝手に巻き込まないで頂きたい」
「残念ながら運命とは蹴り飛ばされた小石のごときものでして、どこに跳ね返るか、それとも誰かに当たってしまうのか、それを理解するは神のみぞ知る、そう全てを理解しうる神が! まあ、それすらも運命のうちなのかもしれませんが」
「迷惑な」
「迷惑ではない運命などないのです。努めて運命とは面倒で迷惑、人間をこれでもかと振り回してしまうこの世において最悪のもの。まあ、言い訳としては使いやすいでしょう? そう! 何でも運命のせいにすれば宜しい! 己の不運も、不幸も、不利も! 何もかもが運命だから仕方ない! だから諦めましょう湊さん、だって貴方は傍迷惑な運命の奴隷! そう運命に弄ばれる人形なのです!」
 慇懃無礼な物言いに、抑えている怒りが噴出しそうになる。一度深呼吸をし、湊はヴァイスを見据える。
「結局のところ、貴方は何を伝えに来たのですか」
「むう、貴方が話を逸らしたように思うのですが、まあ、いいでしょう。ええ、ええ」
「前置きはもういいです」
「ああ、つれない。無駄を楽しめるのが人間の醍醐味だというのに……、ああ、いえ、失礼。人間の寿命を考慮するのを忘れておりました。命短し戦え人間、とはよく言ったもの」
 そんなことは世間にて言われていない、という突っ込みを湊は我慢する。
「では、お伝えしましょう会合の決定を。浅木・湊、貴方は極近しい者にのみ、己の使命を伝えることを許す。以上です」
 湊は絶句する。
「――」
「おうや? どうしました固まりまして」
「いや、いや――」
「ああ、都合が良いとお考えで? そりゃまあ都合が良いとは思いますが、ほら、ね? 元々無茶振り投げたのは此方ですしぃ? 少しくらいは温情ありでもいいんじゃない? 的話になりましてね? あ、ロートはぼろくそに反対してきたんですけど――、あ、これはどうでもいいですか? そうですか? まあ、要するに巻き込む人間を選びなさいネ? っていう話です。あ、一応言いますけど巻き込まれた側がほかに流すのはNGですからね? ほらクズノハとかヤタガラスとか教会とか出張られると面倒くさいですし」
 そこまでヴァイスは一気に捲くし立て、では、と。
「あ、すいません、そろそろ私もお暇しますね? どうせ私も、私の同僚も何れまた合間見える運命ですからね」
 言い切り、高笑いを浮かべる。大仰な手振り、そこから頭を下げて、
「では――Auf Wiedersehen. 御機嫌よう。何れ七つの王冠が世界を滅ぼす前に」



 嵐のように現れ、花が吹雪くようにヴァイスは現れ、さっていった。残されたのは異界と、そこに湊と秋乃だけだった。唖然とした表情を互いに見合わせ、状況を思う。それにしても、湊は思う。なんと言う疫病神だろうか。何をしたというのか、己が。そもそもロート(赤)にヴァイス(白)などとあからさまに偽名くさい名を名乗るあたり、信用が置けない。無論人智を超えた存在なのは明らかだ。ノルンの鍵をこともなげに渡してくる存在が通常の理屈に当てはめていい存在ではないだろう。
「あ、あの」
 秋乃が湊に触れる、恐る恐ると言う体で肩に少しばかりの感触。湊はどうした、と問う。
「彼は――?」
「強いて言わなくても、私の疫病神だ」
「疫病神?」
「まあ、今更隠し立てする必要もない、か。まあ、何だ、極めて不快な話だが今私はあいつ等、今は居なかったがロートと呼ばれる存在にゲームを仕掛けられてな、あの存在はそのロートの仲間のヴァイス、と言うらしい。明らかに偽名くさいが」
「それが秘密?」
「本当は集められるだけ集めて人海戦術を取りたいところだが、向こうはそれを許さないらしい。まあ、能力者が束になって当たれば難易度は下がるだろうしな。ゲームの難易度を簡単に下げるのは向こうの思うことではないのだろうよ」
「それで、そのゲームって?」
「人類――、は、言いすぎかな? まあ最低でも梓馬は滅亡する素敵ゲームだ、クソッタレめ」
「め、滅亡って……」
「あの阿呆共はな、ちょっとした手管を使ってこの地に今私たちが戦っているような雑魚悪魔とは比べ物にならない強大な悪魔、それこそなんだ、ルシファー? アスモデウス? それともアーリマンかアマツミカボシかテスカトリポカかは知らないが、とにかく強い悪魔を呼び出し、この世界では暴れさせる、とか言う傍迷惑な計画を立てているのだ。そして、私はそれに巻き込まれた」
「な、何だそれ!! 無茶苦茶だ!!」
「怒るな、むしろ私が怒鳴りつけたい――、が、其れは意味がない」
「そして、それが言えないことだった?」
「そうだ。初期の条件において、プレイヤーは私一人で、他の人間に言えばその時点で仕掛けが作動し、ここらは吹き飛んでいただろう。だが、何の心変わりか私に仲間をつけることを許すと……、いや、本当に何を考えているんだ。狂人の思考回路など理解できるはずもないとは言え」
 秋乃がムウ、とうなる。
「そうか……、湊、御免なさい」
「どうした、いきなり」
「事情を知らないとはいえ、迷惑をかけた」
「何だ、そんなことか」
「そんなことって――、下手すれば皆死んじゃっていたんだぞ!」
「ま、そうだな。しかし私はそうならないように動いていたし、そうなったら玉砕覚悟で如何にかした」
「玉砕って!? 馬鹿野郎!! そういうことを簡単に言うな! 死んじゃったら何も出来なくなるんだぞ!」
 そういって秋乃は湊の胸倉を掴み上げる。振りほどこうと思えば簡単に振りほどけるが、湊にはそれを行うことが出来なかった。
「お前に助けられた夜、私は心細くて、本当に死んじゃうような気持ちだった――、虐められて弱っていたのもあるし、理不尽を嘆いていたのもある。でも、あの怖い化物と戦って、そして生き残って、帰ってきて、私は心のそこから生きていて良かったって思ったんだ。生きて帰ったからそう思えたんだ、玉砕なんて、簡単に死んじゃうなんて口にするなよ……」
 支離滅裂、何を言っているのか当人ですら意味不明であろうが、言いたいことはなんとなくだが理解できた。
 湊は溜息をつく。
「分かった、すまなかった。確かに簡単に死ぬなどと口にするのは宜しくなかった」
「あ、ああ、うん。その、それならいい」
 湊の言葉で一拍子置いたからか、クールダウンした秋乃が己の言動を振り返って恥ずかしそうに頬を染めていた。何を今更、と湊は思うがそれを言うほど野暮でもない。むしろ湊の頭を占めていたのはこれからどうするか、と言う思考だけだった。一、このまま進む。リスクは大きいが実際のところ湊に残された時間は少ない。時間は敵ではないが味方でもない。二、一端帰宅し、準備を整える。あの良く分からない力を使う悪魔トウビョウとの戦いで湊はいささか消耗していた。トウビョウには然程梃子摺らなかったが、あの良く分からない空間の仕掛けを解除する為に使った力が湊の体力を大きく削った。体の芯に力が入らない気分だ。さてどうするか、と湊は思う。事実として急務ではあるが、時間が残されていないわけではない。焦りは禁物だが同時にゆるりと動いているだけの余裕も存在しない。
「湊?」
「ん? ああ、済まない考え事だ」
 その思考を現実に引き戻したのは秋乃の声だ。そして一度唸ってから、答えを出す。
「ま、それも済んだ。帰ろう、今日は」
 自分一人ならば問題はないが、今は秋乃が居る。ならば無理をするのはいけないだろう、と結論付ける。むしろ明日にもなれば敵が異界に沸いているだろうから戦いをレクチャーし、戦力として鍛えるのが良い。彼女は魔法主体だったはずで、それをどの方向に導くかも考えなくてはならない。後は戦いに際しては自衛する手段を教えるのも必須だ。魔法が使えなくなったならば近接で戦えなければ何の意味もない。
 何より、今の秋乃の装備は貧弱だ。女性用ブレザーに無手と言う、餌にしかなれない状態でここにたっているのは極めてまずい。
「秋乃の装備も考える必要があるし、武器も必須だ。今のまま戦えば実際問題として秋乃はお荷物だ。言っておくが前回の戦いは幸運に幸運で、死んでも可笑しくないどころか死ななかったのが不思議なくらいだ」
「う、まあ、そうか……」
「何より錬度が足らん。まあ、明日にてみっちり仕込んでやるから覚悟するといい。悪いが私は私のやり方しか知らないし、それを曲げるつもりもない」
「望むところだ」
 強い瞳で秋乃は湊を見据えた。いい根性だ。期待が出来る。
「そうか、では帰ろう。かえってゆっくり体を休めて、明日に備える。それが今の最善だとも」
「分かった。経験者の言葉だもの、従うよ」
 秋乃の頷きに、湊は頷きで返す。



「はい、ただいま皆さんヴァイスさんただいま戻りましたよー」
 広めの部屋がある。ざっと見れば二十人くらい収容できるバーの雰囲気だ。薄暗い明かりと、酒のボトルが並んだカウンター、古めかしいレコードプレイヤーは一枚のレコードを回し、音楽を一つ流していた。ジャズだ、軽快なサックスが旋律を奏でている。
 ヴァイスの帰還を迎えたのは三人の男だった。一人はロート、一人は無精髭が目だつ黒人で黒いスーツに黒いワイシャツ、黒いネクタイをつけた黒い男、一人は青い男、蒼白な肌青いスーツ青いワイシャツ青いネクタイ、ひたすらに青い男。声をかけたのは黒い男だ。
「よう駆けつけ一杯」
 琥珀色の液体が満たされたグラスを掲げた。酒精の匂いが周囲に振り撒かれた。
「ああ、有難う御座いますシュヴァルツ、とは言え酒は後にしましょう――、ロート貴方も何時まで不貞腐れているんですか? 会合で決まったことでしょうに」
 別に、とかぶりを振ったのはロートだ。言葉とは裏腹に不平不満を隠しきれて居ない。
「そもそも貴方が独断でことを行ったから悪いのでしょう? 何故それを指摘されて怒るのですか」
「五月蝿え、そういう風に出来ているんだ。性だ、そういう性質だ」
 舌打ちで応えてからロートが言い放つ。湊に見せていた面はどこにもない。粗暴な一面だけが現れている。
「まーったく、彼もそんなんじゃいい迷惑ですよ。まあ、私も貴方の見識を疑うとは言いませんがね、だからと言ってそのような態度では」
「黙れよ、殺すぞ」
 一触即発の雰囲気が部屋を支配する。苛立つロート、冷徹な目のヴァイス。シュヴァルツは煽る。
 それを止めたのは青い男だ。
「そこまでだ双方」
 低い、しかしよく通る声がヴァイスとロートを沈静させた。
「……失礼、頭に上っていました」
「まあ、先走ったのは俺だ、ここで納めてやる」
 増上慢な態度のロートだが、言葉に勢いはない。
 それを見て青い男は言う。
「我々が成さなければならないことは一つに集約される。それまで空中分解は許されない。いいな?」
 三人が肯定。青い男は頷いき、それからヴァイスに問う。
「首尾のほうは?」
「問題ありません。まあ、割りと嫌そうでしたが投げ出すことはしないでしょう。責任感と言うよりは投げ出せない性格とでも言いますか?」
「そうか、試練がつつがなく遂行されるのならばそれで問題ない。駄目だったら――、其れは後の話。今どうこう言うものでもない。まあ、今回の試験が終わり、我々が真の試練を与えるに値すると思えたならば――、その時は全力でやろう」
 その言葉に、それぞれが声を上げた。
「ま、意義はありませんよ」
「俺の見つけた人間だ、この程度こなすに決まっているだろう」
「さあ、どうだろうね? ま、この程度ならクリアすることを祈っているよ」
 青い男が頷く。その瞳は青を湛えている。青い、海のそこのような青の瞳。
 その瞳がどこか憂いを持ちながら、しかし、どこか期待しているのを隠し切れなかった。



[38166] 題名未定《序章・覚醒篇・14》
Name: navi◆279b3636 ID:0421d24b
Date: 2017/08/24 18:31
 大き目の市街には必ず異能者の集会場がある。そこを基点として周囲に目を光らせる。そうなれば自然と『そういった』人間に向けての商売が行われるのは当然であった。
 梓馬市の繁華街の雑踏にその店はある。雑居ビルの三階、薄暗い明りの中、塗装された骨組みだけで出来たような金属の階段を上がればそこにある。一見すればただのミリタリーショップにしか見えない。店名は『梓馬キャロル』、品揃えはマニア向けで初心者には優しくないが好みに嵌れば御用達だ。ネットも発達していない時代だから長い期間希少な品物もおかれていることもあった。今日はそんなところに似つかわしくない客を連れてきた、と湊は思う。スタイルは周りに比べて頭一つ良く、顔も良く、性格――は知る限りでは几帳面な『少女』、大凡鉄火場には向かないだろうが、異能者で湊の後輩とも言える。
 声をかけてきたのは店主だった。
「よう、少年。女連れデートならここは向かないぜ?」
「茶化さないでくださいよ」
 それほど長く付き合いがあるわけではないが、極めて親密な親友のよう。ラフに挨拶。とは言え、湊はここの店主に極めて礼を尽くしていた。武器、ボウガンの矢、その他幾つかの霊的消耗品はここでそろえている。生命線とも言えた。
 店主は『少女』を見て、問う。
「そっちの子は? 新顔だけど」
「故ありまして指導することになりましてね――、挨拶を」
 湊に言われ、『少女』は前に出て、一礼、
「始めまして、成田・秋乃と言います。至らないところがあるかもしれませんが宜しくお願いします」
 堅苦しい風情に、一瞬だけ苦笑いを店主は浮かべるが、すぐに何時もの人懐こい笑みを浮かべた。
「良いよ良いよーそんなに堅苦しくなくても」
「は、はい」
 言われても堅苦しさは抜けない。それを見て、湊は次を促す。このままでは次に進まない。
「それで店主、予想はつくと思いますが」
「子のこの装備ってことね」
「ええ、予算は百万程度で防御機能優先で、あとは別途に消耗品をお願いします。このリスト通り」
 叫んだのは秋乃だ、
「ひゃ、ひゃくまん!?」
「これくらい当然だ。命を張る以上使うものは良いものを使う」
「で、でも」
「黙れ、学生としての自分ならば手段として会話をするが、異能者としての私は悪いが現状において君の意見を取ることはない」
 とは言え、と頭髪を掻き揚げて、
「それでも気にするのなら、一人で仕事を出来るようになってその報酬で」
「わかった」
「なら良い――、失敬店主、話が途切れてしまい」
 いいさ、と店主は手を振った。
「青春の一幕、美味しゅう御座いました」
「止めてくださいよ」
 冗談さ、と店主。
「ほいじゃ商談の続きだ――、そちらのお嬢さん用の装備を百万前後、君用の消耗品の補充、リスト見せて――、フムフム、何時もより消耗が少ないね、あまり依頼をこなしてない?」
「諸事情で」
「珍しいこともあるね、槍でも降るかな?」
「魔王が降ってくるかもしれません」
「そりゃ怖い。精々的にならないように気をつけようかな――、うん、これくらいなら在庫で賄えるね、オーケー用意しよう。で、お嬢さんのほうは少し時間貰うけど問題はない?」
「命を失うよりは、時間を失ったほうがましですから」
「はいよ――、じゃあお嬢さん此方のほうに」
 店主が親指で店の奥を指差した。
 秋乃が不安そうに湊を見る。大丈夫だ、行け、と合図。少しだけ震え、意を決して進んでいく。
「ではお嬢さん、怖がらないで、大丈夫。俺は命を助ける手伝いはするが投げ捨てる手伝いはしない、そう決めてるんでね」
「だ、大丈夫です。宜しくお願いします」
「お任せお任せ」
 店主の軽口も、なかなか固くなった少女には通用しない。湊は頭を抱えた。こんなので大丈夫だろうか。これからは命を懸けて殺しあう、それも人間ではない、人間の理屈も通用しない悪魔たち。魔界より出でる伝説の存在と刃を合わせることとなるのだ。この程度で硬くなっているようでは先が思いやられる。今の店主には自分も軽い口調で頼む程度でなければいけない。
(いや、私が間違っているのかな)
 そんな反論も心で浮かぶ。自分が偶々巧くやっているだけで、何も知らない状況でワケの分からない異形と関わることになればこちらの方が正しい反応なのかもしれない。
 そんなことを考えている間に秋乃は店の奥に消えていった。
 湊は時間を持余したな、と思う。仕方なしに店内を見回した。なかなかに面白かった。考えてみればそれほど時間をかけて店内を見回したことがなかったことを湊は思い出した。それなりに広い店内を歩きながら観察する。コルト、S&W、ブローニング、キング、ルガー、店主がアメリカ推しと言うだけあり、米国産の物が多く並んでいる。一応グロックやH&Kなどもあるがブースの片隅に纏めて置かれているだけだ。後は軍用のコートや放出品が置かれている。まずいと高名な米国レーションMREがコレクション品として陳列していた。しかも型番は初期のものだからまずい上に食べれば健康的にもどうなるか分からない代物だ。面白そうだと湊は手取った。重量はそれほどない。
「食べてみたいな」
 MREの正式名称Meal, Ready-to-Eatだが、Meals, Rarely Edible (とても食べられたものじゃない食物)や、Materials Resembling Edibles (食べ物に似た何か)と揶揄された凄まじい一品だ。ここまで揶揄されているのを見ると逆に興味がわいてしまう。購入の欲に駆られるが、目を伏せて一度思想、そして元の場所に戻した。人に指導をしようとしている人間が、食べ物で腹を壊して戦えません、などとは馬鹿らしすぎて反吐が出る。
「銃か」
 湊は再度店内を見回した。装備の刷新をするべきか、と考える。今使っているのはボウガン、ドイツ製の値の張るものだ。過去のものとは違い、なかなかに連射の効く良い物だ。しかしそれを加味しても銃は魅力的に見えた。男だから、と言うのもある。しかし携帯性こそがその真の魅力だ。ボウガンは嵩張る、取り回しも良いとは胸を張っていえない。連射が効くとはいっても最初からマガジンに弾丸が装填されている銃よりははるかに遅い。無論銃の欠点も存在する。劣化、ジャム(弾詰まり)、定期的なメンテナンス、値段等が分かりやすい。更に言えば威力を求めるなら拳銃で足らなくなる。
「欲しいなぁ」
 それでもケースに並ぶ銃を見ると欲求が鎌首を上げてくる。多少は収入があるのだからそれを使って購入すればいい、と。しかしそれをすれば今の戦闘スタイルを変えなければならなくなるから、それが困りものだ。湊は己を器用なほうではないと理解していた。ようやく染み込んできた戦い方を変えれば、戦闘における打撃力は激減することが予測できた。其れは避けたかった。
「まだ、時間かかるかな」
 時間がかかっても良い、と言ったことを湊は少しばかり後悔した。



 秋乃が戻ってきたのは三時間後だった。
「似合うかな?」
 戻ってきて開口一番に、そう聞いてきた。
 湊は秋乃をみやる。アメリカ陸軍装備を基調に、霊的装備を幾つか持っている。
「まあ、似合うかな」
「そ、そう?」
 軍事装備が似合うと言うのも変な話だが。それでも似合っているといえるのは、一般的に秋乃が美少女と呼ばれるカテゴリに属されるからだろう。これが残念な顔面造詣なら――まあ、軍用なら似合うだろう。どこぞの微笑みデブも軍装は似合っていた
「君は両親に感謝するべきだ」
「え、と、そりゃ感謝はしてるけど」
「見目良く生んでくれたことを」
「~~!! 気障野郎!!」
 顔を真っ赤にしてはたいてくる。確かに少し気障な台詞だったかもしれない。
「それよりも元の服に戻してきてくれ」
「このまま行くんじゃないの?」
「其れは夜だ。その装備は一度別のところに預けておく……、まさかその格好で家に帰るわけにも行かないだろう」
「ん、わかった。あの、店主さん」
「分かってるさ、あ、これ持っていきな、装備を纏める袋ね」
 有難う御座います、と秋乃は言って再度店の奥に消えた。店主がいやな笑みで此方を見てくる。。
「どうか致しました?」
「いや、仏頂面な君もそれくらいの台詞は言えるんだな、とね」
「私も木石では御座いませんので」
 少なくとも美的感覚は一般人と変わらない。グロテスクなものはグロテスクだと感じるし、美しいものは美しい。
「そーいうことじゃないんだけど、そういうことでいいよ」
「……追求は無駄でしょうね、ではそういうことにしておいて下さい――、会計を」
「はいはい、――えっと、お嬢さんの装備と君の消耗品、合わせて126万9505円ね」
「思ったよりはいかなかったですね――、はい、これで」
「君の消耗品がそれほどじゃなかったからね、ひいふうみい……、あい確かに。じゃあ今後もご贔屓に」
「ええ、そうさせていただきましょう」
 秋乃が戻ってきたのはそれからまた二十分してからだった。
 湊は秋乃を呼び、店を出た。
「なんと言うかその、軽い感じの人だったな」
 階段を下りながら、秋乃は湊に言った。
「厳つく見えた?」
「うん」
「見た目は、うん確かにそう見えるな」
 見た目だけならヤクザかマフィアか――、実態は異能者相手に商売を行うとある意味それ以上に恐ろしい存在だが。
「秋乃、異能者をやるなら敵にしてはいけない人間って言うのが確かに居る。彼もその一人だ、残りは追々教えるが、あの人は怒らせるなよ」
「怒らせると?」
「簡単だ、あの人は武器や防具、消耗品を取り扱っている。それを購入できないとなると?」
「成程、首を絞められるのと同じか」
「ああそうだ。ネット上で装備に加護をかけるように他の異能者に頼むことも出来るが、しかし物品そのものを抑えられればどうにもならん」
「手足をもがれるのとどっちが酷いかな」
「どちらも換わらん、死ぬだけだ」
「物を買えなくなるだけで?」
「異能者になるということは方々から恨みを得るものだ。たとえ裏から足を退いても、何らかの危険視を受けて消されることもある」
「大げさ――、じゃないのか」
「こんなことで嘘はつかない、事実だ」
「怖いな」
「君も災難だ。こんなことに巻き込まれるなんてな」
「仕方ないよ、生きていればこういうこともある。それにあの夜私は死んでいたかもしれないんだ、それを思えばこれくらい」
「強いな、君は」
「そう?」
「人間は男も女も弱いと思う。ただその個人が強いことはあるだろう。今、君は前を向いている。後ろを向いて詰まらない文句を言わないだけ、君は強いと思うよ」
 湊の忌憚のない意見だった。秋乃は少しばかり恥ずかしそうに頬染め、爪で引っかいた。
 帰りは繁華街からずれた道を歩いた。異能者用の貸しロッカーが存在し、そこに購入した荷物を預けるためだ。異能者向けの店から一定の道に沿って歩くと結界が張られている。認識阻害の結界だ。一般の人間から装備を隠したり、後をつけられないようにするためのものだった。
「結構複雑な道を歩くんだな」
「ああ、そうしないと変に一般人を巻き込むことになる」
 湊と秋乃はその道を並びながら歩いている。秋乃の手には幾つか厚手の紙袋が抱えられていた。秋乃の装備だ。
「これを着て、今日戦うんだよね」
「ああ、そうだ。それが君の命綱でもある」
「戦えるかな?」
「不安?」
「うん」
「なら、それを大事にしたほうがいいよ。不安とか、そういうこと考えられないと早死にする」
「湊も不安なの?」
「――さあ、ね」
 湊は言う。己は悪魔をどう思っているのだろう。湊は思う。
「私は良く分からない」
「自分で言ったのに」
「又聞きさ」
「自分の言葉で言わないと」
「そうだな、でも、分からないよ」
「不安とか、怖いとか?」
「ああ」
 ねえ、と、秋乃が問うて来た。
「湊は何で戦うの?」
「私が、戦うのか?」
「うん」
 そんなこと、と言いかけてから、湊は気付いた。
 何故、己は戦うのだろうか、と。
 湊は少しばかり、めまいを覚えた。


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