つい思いついたので。
世界観クロスですが、ARMS側の人は回想でしか出てきません。メインはFateです。このワカメはただのワカメではない、WAKAMEだ!ってなレベルで強化しております。
暇つぶしにでもなれば重畳なり。
◇
男は逃亡者だった。
より遠い、知の地平線の向こうを目指し、ただ己の論理で行動した。
堕天使エグリゴリの名を冠す組織に所属し、幾多の超能力者を作り、壊し、作り、壊した。レッドキャップスなどという異能者集団をも作り上げ、なお満ち足りない研究心。
男は道を外れに外れた科学者達の中においても一際異端だった。成果を出したのち、最早用済みとばかりにその組織から切り捨てられてしまう程に。
ただ、その異端者、己の命より研究が途絶してしまう事を恐れるような者でも、拾う者は居た。
キース・レッド。エグリゴリのエージェントにしてキースシリーズ中の欠陥品。己の運命にひたすら抗おうとするその男に、研究者の男は助けられ──
開示されたエグリゴリの中枢にさえ関わりのある情報、ARMS(アームズ)という存在は男の探求心に激しく火を点けた。
最高位の物理学者、サミュエル・ティリングハースト博士の秘された研究成果、キース・ホワイトの残した、本来キース・レッドが持ち出せるはずもない資料をも持ち出し、エグリゴリ全てを揺るがす秘密がオリジナルアームズ四体にある事を知り、その確保のために迂遠な手段をも用い──
全てが瓦解した。
「馬鹿だなあ、あんたは。俺が成果を上げるのを待ってりゃ良かったってのに」
かつてキース・レッドだった塵の山を前に白衣の男は独白する。口元には蛍のような光、夜の闇に煙草の紫煙が流れる。銘柄は、そう、キース・レッドが苦笑いしていた、希望という意味の煙草だったか。
レッドキャップス部隊の用いた作戦により、普段は活気溢れるだろう藍空市は騒然とし、そしてそれ以上に蔓延する暴力を恐れるように息を潜めていた。キース・レッドを倒したオリジナルアームズ適合者、新宮隼人はそれを捨て置いたらしい。空恐ろしい程の超科学の産物、エグリゴリの全ての研究の終着点でもあるそれ、放っておかれたアームズのコアチップ、傷ついたものの自己修復されたそれを無造作に白衣のポケットに突っ込み、男は夜空に一息紫煙を吹き付けた。
「こんなモン拾えば、追っ手はすぐに付くだろうなあ。理解のあるパトロンは死んじまったし、ブルーメンだかに身売りでもすっかねえ」
そんな事を言いながらも男にその気はない。ブルーメンは反エグリゴリに縛られすぎている。自由な研究が出来ないのであれば、それは男にとって死と同義だった。
「ああ、そうだ。この前拾ったガキ共にでも使ってみるか」
それはただの思い付き。何かの実験にでも使えるかと確保しておいた被検体のうちARMS適性因子を持つ子供達。九割九分以上の確率で使い潰す事になるだろうとも予測し、それでも追っ手が研究室に乗り込むまでのわずかな時間でもアームズの研究を出来るならそれでいいかと考え、男は白衣を翻し、その場を後にした。理解のあったパトロンには結局与えられる事のなかった希望、その名の煙草の燃えかすをそこに残し。
◇
間桐慎二には空白の一年がある。
穂群原学園に入り、弓道部に所属、じっとりとした梅雨の季節を迎えるようになった頃だ。
前触れもなく家出をし、一年間行方不明だった。
誰が知ろう、コンプレックスの裏返しから実の妹を陵辱しようとし、それすら踏み切る事ができず、逃げ惑った惨めな有様だと。狂おうにも理性的に過ぎ、ただ逃げる事を選んだ子供だったのだと。
魔術師として絶対に在る事のできない自分、魔術師として素養を見せる義理の妹。
彼はその優れた才覚を他人に認めさせながら、魔術師である自分の家族には決して認めさせる事が出来なかった。
蔑まれる事すら無い。
ただ諦念の顔と共に無視される日々。
間桐慎二は実の家でこそ、ただひたすらに孤独だった。
折れた心をさらにねじ曲げるように、義理の妹はただ「ごめんなさい」と言う。
鬱屈した感情のままに乱暴に犯してしまおうとした。
ただ、間桐桜、彼の義理の妹はそんな時でさえ、無感動な瞳で、ごめんなさい兄さん、と呟いたのだ。
訳の判らぬ感情を激発させ妹を殴りつけ、そのまま、彼は家を飛び出した。
ただフラフラと野良犬のように暮らした。
もう自分の生も死もどうでも良くなってきた頃、何かの組織めいたものに攫われ、監禁され、馬鹿げた手術を受け──
「……んむ」
まどろみから意識が目覚める。
冬空の雲一つない清浄な日光は実家の陰鬱な空気に染まっている身には丁度良く。
慎二は校舎の屋上、タンクらしきものの上で大きなあくびをした。
ウェーブのかかった髪を適当にかき上げる。
「……まだ昼か。もう一眠りするかね」
どうでもいいのだ。こんな聖杯戦争など。
魔術師っぽい気分を味わえるから味わっているだけの事。感傷めいた何か。
自身はあまりに魔術から離れすぎている。大した意味もない。
妹は妹で自分が居なくとも立派に衛宮に依存し、生きている。ならば良いじゃないかとも思い、自分の要素がこれっぽっちも含まれていない事に軽い自嘲の笑みを浮かべる。
「ライダー、鮮血神殿の用意はどうだい?」
慎二が何となくといった感じに懐に入れた本を触りながら言うと、隣に長身美麗な姿を晒した女性が淡々とした様子で喋った。
「三割といったところです、シンジ」
そうかい、とこれまた淡々とした様子で返し、ひらひらと手を振る。
姿を消さない借り物のサーヴァントに、少々の疑問を覚え、一秒ほど頭を動かし、ああと首肯した。
「吸っていけばいいよ、どうせ幾ら汲んでも尽きない命だ」
「──では、はい。頂きます」
魔性を封じる眼帯の下の目はどうなっているのか、慎二はそんな事を思いながら、自らの首筋を露出させ、血を吸わせる。
「どうしてこうも、味は平凡なはずなのに、病みつきになるのでしょう」
ちゅるちゅると、はしたない音を出し吸い付く唇、時折愛撫するかのように舌が首筋を蠢く。
これがまったく無意識の動きというからやはり淫婦の性を持っている、と慎二は溜息を吐いた。思春期は過ぎたといえ、本来収まりの効く年齢じゃないのだ。下半身がむず痒い。
「そりゃ、四十五億年前に分化した地球(ガイア)の兄弟姉妹みたいなモノに作られてるわけだしね、組成は僕の遺伝子のコピーとはいえ、起源はとびきりの古さだ。栄養も付くだろうさ」
「タルタロスの血を頂いているようなものですか……なるほど」
「……ライダー、僕は神話の話をしているんじゃないんだけどね」
まあいいか、と慎二は青い空を仰ぐ。
アリスの愛したという青い空。
彼等とは本来全く接点も無かったはずなのに、どんな奇跡か、あるいはジョークか。
「まったく、神様は諧謔がお好きだね」
慎二は目を閉じ、自分の血を吸うサーヴァントの事さえ忘れ、眠りともつかない、忘とした物思いの中に沈んだ。
◇
始点は少々派手な地獄だった。
痛く、熱く、焼け付くようで、己の体が違うモノに書き換えられていく苦痛。
馴染まぬアームズを暴走させ体を崩壊させる、どこから攫ってきたのかも定かではない少年少女達。
爆発音、地震、乱舞する炎。
「ハハハハ! まさかッ! たったの三十七体、たったこれだけで適合者が見つかるなんて! 驚いたか! 俺も驚いたぞキース・レッド! 調整していないのに適合する、限りない天然モノが見つかるなんて! ハハハハハ! なんて馬鹿な、なんて阿呆な! なんて確率だ! エグリゴリの連中は何をやっていたんだ! こんな素材をみすみす見逃していただと! ハハハハハ! 世界はこうも愉快に出来てやがるのか!」
科学者は笑う。狂笑をあげる。
そして次の瞬間、どこからか飛んできた弾丸により脳漿を弾けさせ、目の前で完成した最後の作品に覆いかぶさるように倒れ付した。キースシリーズの出来損ないが残したアームズのコアに完璧に、本来の持ち主以上に完璧に適合してしまった被検体、間桐慎二という少年に。
科学者の血と脳漿に塗れ、彼は生の叫びを上げた。
苦痛とえずき、鉄臭い、血の臭いから逃れるように、暴れた。
襲いかかってくる人とは思えぬ、鉄の巨腕を持つサイボーグ、人の数倍の機能を付加された強化人間、実験により産み出されたであろう発火能力者、研究者の立て籠もる研究所の制圧のため動員されたエグリゴリの工作部隊、そのことごとくをただ生の本能に任せ、赤子が手を振るように暴れるだけで、呆気なく殺し、破壊し尽くし、駆逐し──
燃え上がる研究所を記憶の端に留め、次に目を覚ました時には、彼はブルーメンという組織に保護されていた。
そこで明らかになった自身の事。魔術師の家に生まれながら、決定的にそれを扱う才能の無かった間桐慎二という少年は、全く逆方向を向いた、兵器としての才能だけは持ち合わせていた。
埋め込まれたグリフォンのアームズ、適応してしまった体。今の身は人間に見えてナノマシンの集合体、群体に近い。傷つけど傷つけど、空気中から窒素を変換し肉にする。死のうと思うまで死ぬことすらないだろう体。炭素生命を模倣した珪素生命。オカルトからSFへの方針転換、そんな壊れた、観客なんて呼べもしないだろう劇の上で惨めに踊るのが自分。
彼は笑うしかなかった。自嘲するしかなかった。
ただ惰性のように、ブルーメンの実験にも付き合い、アドバンスドアームズの強大な戦力から幾つかの作戦にも参加し、四人のオリジナルアームズ適合者達、彼等のブルーメン側の協力者ともなった。
ただ、そこに彼自身の意思は無い、斜に構え、よからぬ態度ながらも協力的、そんな表面は自分すら欺く擬態でしかなかった。ただ、無用の存在と思われたくない、そんな後ろ向きな思考。復讐なり、研究なり、義憤なり、金銭への欲求なり、戦士の誇りなり、それぞれ方向性は違えど、強い思いを持つ者達の中に居て、なお彼だけはぽつんと独りだった。
それでも救いの手を伸ばしてくれる者が居た。
ユーゴー・ギルバート。世界で最高のテレパシスト、その高すぎる能力ゆえにただ居るだけで人間の表層意識を否応なく読み取ってしまう存在。人の剥き出しの醜悪さと美しさの中で育った人間。天使(エンジェル)ユーゴーなんて安直な名前で呼ばれる事もある彼女は、間桐慎二のふと漏れた本心を知り、興味を抱き、内面を知ってしまった。
彼は一度たりとも家族から認められた事が無い。
彼を認めるのは常に他人であり、それがあまりに家族から受けるそれと違う事から、猜疑心をも育て、やがて他人すら信じられなくなった。
魔術という「特別」に固執していたのは何故だったか。
間桐慎二という少年はただ誰かに自分を見て欲しいだけの子供を心にしまいこみ、固く封をした存在。それを──
「私が見ていてあげますから」
ユーゴーの何気ない言葉は彼にとり、天恵とも言えた。
彼女はただそのままに間桐慎二という子供を真っ直ぐに見た。そして話して、認めた。
呆気なく、彼の心は封を解かれ、双眸からは涙が溢れる。
見守るユーゴーの前で、間桐慎二はやっと初めて間桐慎二となることができた。
間桐臓硯から見た「魔術師としては意味のない子孫」でもなく。
間桐鶴野から見た「できそこないの象徴」でもなく。
間桐桜から見た「兄さん」でもなく。
記号ではない間桐慎二という人間をそのままに見つけてくれた。
彼はこの瞬間にきっと、初めて恋というものをしたのだろう。それには饒舌さや、機転、広範の知識、全てが役に立たなかった。ひどく不器用に、ひどく不格好に、彼は意中のユーゴーを追いかけ、彼女だけの盾であろうとした。彼女だけの剣であろうとした。
「──大丈夫ですよ、隼人君も恵さんも、いえ、みんな生きて帰ってきますから」
子供ながらにして天才科学者、アル・ボーエンを彼女は優しく抱き、そんな事を言って、あやすように、二度三度を頭を撫でた。
ニューヨークの決戦、核すら取り込み、肥大化したジャバウォックの姿を前に、彼女は行くと言った。テレパシストでしかできない戦い方があると。
「そんなに高槻が大事なのかい?」
「……約束、しましたから。高槻君を殺してあげるって」
慎二は空を仰ぎ、一つ舌打ちをすると、上着を脱ぎ、アームズを発動させる。コアチップが脈動し、グリフォンのAIが慌ただしく肉体構成を変え続ける。
半瞬後、半鳥半人とも見える巨体がそこにあった。
「お姫様に乗騎が居なくちゃ格好つかないだろうしね、妬けるけど仕方無い、行ってやるさ」
そう言い、彼女を抱え上げた。
その背にアルが声をかける。
「間桐、いいか、お前のような馬鹿はどうなってもいいから体を張ってちゃんと守り抜け。それとユーゴー、帰るのはお前もだ。不本意ながらその鳥人間も……まとめて生きて帰ってくると約束しろ」
その言葉に、ユーゴーは微笑みを浮かべて返した。
◇
微睡みから冷める。
朱に染まる空がまず目に飛び込み、慎二はふと意味もなく右手をその空に突き出し、そして思う。
──間桐慎二は守れなかった。
体は傷一つつけさせはしなかった。
しかしユーゴーは、高槻との約束を果たし、そのまま逝ってしまった。
突き出した右手が力を失い、額に落ちる。
「昔からそうか、どうでもいい物は手に入るくせに一番欲しいものは決まって手から逃げるんだよな」
人智を超える、既存の兵器の存在を覆すほどの兵器は未だ慎二の中に息づいている。
プログラムの大本であるアリスが旅立っても、人為的に作られた形だからか、慎二の中に息づくアドバンスドアームズは消え去る去る事も無かった。無論モデュレイテッドアームズという、適性遺伝子が有れば定着する、量産型のコアも存在したが、ブルーメンの手により回収、破棄されている。
今の慎二がその気になれば、一分とかからずにこの冬木市を壊滅させる事も造作もなくやってのけられるだろう。そんな意味の無い仮定をぼんやりと想像し、鼻で笑い飛ばした。
ユーゴーを失い、失意の中、慎二の足はいつの間にか故郷に向けられていた。
一応捜索願いなんてものも出されていたようで、知り合いに見つかるや、あれよあれよという間に間桐家に戻され、学校へ復学させられてしまっている。
友人である衛宮士郎からは心配させられたからと一発殴られたが、間桐家の一応の祖父からは、やはり無関心を。義理の妹からは相変わらず兄という枠でのみ見られていた。
この家の者達にとって自分は興味を引くような存在ではない。相変わらずの空気に慎二は諦めの溜息を一つつき、そしてかつてのように煩悶し、苦しむ自分が無い事に気がついた。
当たり前の事、人として当たり前の事。
要するに間桐慎二は成長していたのだ。
幼児の心をそのままに残し、知性と体ばかり大きくなった少年はもう居ない。
そこに居たのは相変わらず斜に構え、シニカルな笑みを浮かべつつも、どこか放り出したような言い方をし、人づきあいを面倒臭げに避けるようになった姿だった。
復学したとはいえ、当然進級は出来ず、義理の妹と同学年となっている。
やがて蒸し暑い夏を終え、秋が過ぎ、淡々と過ごしているうちに冬となり──
義理の妹の手に花弁のような模様が浮き上がった。
聖杯戦争という魔術儀式、七人の魔術師と七騎の英霊を戦わせ、聖杯を争奪するという、そんな儀式が始まっていたのだ。
日も暮れた校舎の屋上から慎二は校庭で戦う赤と青、色も対照的な二体のサーヴァントの戦いを見ていた。
無論、魔術など使えない慎二にサーヴァントを通しての知覚共有などは出来ない。肉眼でだ。
魔術回路を持たない慎二は逆説的に彼等「魔」に生きるものにとって索敵の対象外、戦っている最中なら殊更だったのだろう。少なくとも、露骨に自分を知らしめない限り見つかる理由がない。
そして青い槍兵が禍々しい赤い槍を構えた時だった。
露骨に自分を知らしめてしまうような一般人が居たらしく、青い槍兵は飛ぶようにその場を後にし、一瞬遅れて赤いサーヴァントと、夜目にも赤い少女、遠坂凛が続けて走っていった。
「おいおい……まったく。こりゃ間の悪い奴も居たもんだね、こんな夜に巻き込まれてしまうなんて」
胡座をかき、頬杖を付きながら慎二は独白し、たっぷり五分ほど経ってからふらりと動き出す。
「ま、死に顔でも拝んでやるか」
慎二は知った顔であれば念仏の一つも手向けてやろうなどと思いながら校舎の階段を降りてゆく。
二階の廊下でぜえぜえはあはあ息を喘がせながら、まるで証拠隠滅でも図っているように廊下を雑巾掛けしている人影。月に照らされ、青白く映ったその顔は──とても知った顔だった。
内心でなんてこった、と呆然と呟き、不機嫌そうな顔に変え、階段に腰を下ろしす。
一連の作業が終わった頃を見計らい、慎二は声をかけることにした。
「それで、証拠隠滅は完了かい? 一体誰を殺したんだよ衛宮はさ」
「あ……え、慎二……? いや、殺してない! むしろ俺、が……げほッ」
激しくむせ込んでいる。その服にはべったりと血糊が付き、大きな穴が開いていた。後で飛び込んだ第一発見者が何かしたのだろう、と慎二は適当に当たりをつけ、まあいいか、と座っていた階段から腰を上げた。
「まあ、なんか面倒臭そうだし一々聞かないけどね。こんな遅くまで学校に居るのもどうかと思うよ」
「げほ……お前だって、そうじゃないか。こん、な、時間まで何やってたんだよ」
「ピーピングトムの真似事さ、最近クラスメイトから盗撮被害の話がちらほら出ていてね、犯人ならどういう思考をし、どの場所にカメラを仕掛けるのか、なりきって名推理を働かせていたってわけだよ」
「自分で、名推理って言うのはどうかと、思うぞ」
慎二は答えず一息で笑い飛ばして肩をすくめる。
「……で、そんなに苦しそうなら家に帰るまで肩くらいなら貸してやるけど?」
「む……すまん、頼む」
「血生臭そうだから貸し十で手を打つとするよ、利息はトゴの安心低率。良かったね衛宮、僕が闇金業者じゃなくて」
「闇金……より、ひどい、な」
力無く笑う衛宮士郎。
そうかい、と慎二は無造作に片腕を肩に乗せ、持ち上げる。
こんな時間まで何をやっていたのかと気になり道すがらに聞き出せば、何でもまたぞろブラウニーのごとく生徒会の備品の修繕に、所属している弓道部の片付けにとまめまめしく働いていたのだという。
「……相変わらずだね、衛宮は。そんな風に目の前の事だけ考えられるのも馬鹿というより才能のような気がしてきたよ、部活の片付けなんてそれこそ後輩にでも押しつけちゃえばいい話だろう」
「ひどい……言いぐさだ、大体慎二、お前も復学したんだし、また弓をやればいいのに、桜も居るし気安いだろ」
「ハ、僕にとっちゃ過ぎた道だね。ついでに言えば馬に蹴られて死ぬ趣味もないよ」
「……なんで馬が出てくるんだ?」
慎二は友人の自覚の無さに肩をすくめて軽く呆れた。
常に暗い瞳で静かに俯いている間桐桜、彼の義理の妹が表情を崩すのなんて、衛宮士郎の前だけだというのに。
二人がのったりのったり歩いて、衛宮家まで辿り着いた頃には既に日付も変わった頃だった。
「はあ、すまん慎二。やっとこ落ち着いたらしい。茶でも飲んでいくか?」
「衛宮……お前ってば……まあいいけど」
殺されかけたばかりというのに、暢気な事を言う友人。慎二は呆れの顔を隠さず、その和風の家に上がり込んだ。居間に行っててくれという家主に、慎二は居間ってどこだよ、と返す。
「ん……あれ、もしかして慎二はうちに来るのは初めてだったか」
「さあね、覚えていないって事はそうなんだろ。衛宮ん家は中央から離れすぎてたしね」
慎二の空白の一年があるとはいえ、四年来の付き合いにもなる二人。ただそれも間桐家に集まるのが常だった。
気を取り直したように居間に慎二を案内し、お茶を振る舞う衛宮士郎。冬でも暖かい冬木市としては異例の寒さの中を歩いてきたせいか、緑茶なんて……と一言文句をつけそうな慎二も黙って飲む。もっともそれは考え事をしていただけの事でしかなかったのだが。
突如、屋敷の天井にある鐘が鳴り響いた。
「こんな時に泥棒、いや」
「ああ、そうだよ衛宮。案外頭も働くじゃないか。大体僕が面倒臭い思いまでして送り届けたんだ、お前には死んでもらっちゃ困る」
「慎二、お前、あれが何か知ってるのか」
「質問は後、馬鹿にも判るように説明するのは骨なんだ。まず一番魔術的な守りの固いところに行って立て籠もりが上策だろうね」
いつもと変わり映えしない調子でそう言い、慎二は衛宮士郎を促した。ふと横を向き口を開く。
「ライダー、追ってきた奴を迎え撃て、時間を稼げばいい、そのうち片手落ちに気付いた奴が駆けつけるだろうさ」
「はい、了解しましたシンジ」
いつから潜んでいたのか、そこには紫の長く美しい髪を揺らせる影があった。ボンテージと見紛うばかりの扇情的な衣装、視界を塞ぐ眼帯。魔術師ではない慎二には理解できない感覚でも受けたのかもしれない、衛宮士郎は驚きに目を開き、何かを言いかけたかのように口を開いている。
ライダーがその場から消えると、衛宮士郎は我を取り戻そうというように首を振る。
「土蔵だ慎二、多少は持ちこたえられると思う」
居間の窓を開け庭を走る。少し離れた場所──玄関口の方からは激しい鉄と鉄を打つ音。すでに戦闘は始まっていた。
土蔵の扉を開け、駆け込み、扉を閉める。外からは苛立つ男の声と間断なく伝わる剣戟の音。
真っ暗な土蔵に明かりが灯された。古臭い照明、そこに照らされた雑多なモノの数々に慎二は溜息を吐く。
「衛宮……本当にここが一番堅固なのかい? 物置にしか見えないんだけど」
「う……面目ない、ただ一応、解析した限りじゃ守り系の陣が敷いてあるし、武器になりそうなものも──」
ふーん、と興味なさげに言いながらその照明に照らされた床を慎二は注意深く見、四方に残る朱色の痕跡を見つけ、指で擦る。
「色からして辰砂……? 硫化水銀か。こんなの御三家の中で使うのは錬金術のアインツベルン、あー。そういえば親父の日記にそんなのがあったような。そーかそーか繋がった。あの爺いがあいつにも異性の友達が必要だとか気持ち悪い事言うはずだね、僕は良い感じに使われてたって事か」
爺孝行な真似をしてしまったものだ、と慎二は肩をすくめる。
全く期待もしていなかった一般人の子孫が魔術などとは一切関わりのない所でアインツベルンの魔術師の息子と関わりを持っていたのだ。そうだろう、それは利用するだろう。それが魔術師だ。
──そして、と衛宮士郎の左手の痣を見る。
なるほど、と慎二は納得した。義理の妹が戦いたくないわけだ、と。
外では戦いの様相が変化している、鎖の音が間断なく響き、さらにはそれを引きちぎるような音。ライダーは善戦しているのだろう、本来のマスターではない為に起こるステータス低下、さらにはほとんど無い魔力供給。実のところまともに戦って勝てるわけがない。
土蔵の床に描かれたうっすらとした朱を見ながら慎二は思考を纏め、振り返り、真っ直ぐに見返す衛宮士郎の目を見て言った。
「衛宮、賭けだけど手がある、乗ってみるかい?」
その言葉に、衛宮士郎はどんな事になるかも判っていないというのに、我が身を省みないかのように、些かの揺らぎも見せず、頷いた。
まったく、ブレーキを壊した車かよ、なんて心の中で呟きながら、慎二はその知識を友人に教えた。
自分では絶対に使う事のできない知識。
それでもかつては認められようとして一心不乱に読みふけった魔術書のうちの一冊、聖杯戦争にまつわる三家の取り決め、本来の目的、召喚のルール、支配の仕組みを綴った知識の一片。
「いいか衛宮、一言一句とか考えなくて良い、忘我の淵で復唱しろ、僕には判らない感覚だけどそういうモノなんだろう」
そして言葉を紡いだ。
「──告げる」
到底魔術師とすら言えない衛宮士郎の作り上げた魔術回路、それを通しマナが、土蔵に刻まれた召喚陣に繋がり行き渡る。
「汝の身は我が下に、我が命運は汝の剣に、聖杯の寄る辺に従い、この意、この理に従うならば応えよ」
常人では知覚できぬ第五要素が渦を巻き集い、衛宮士郎はびっしり汗をかき、慎二はその知覚できない現象を前にただ淡々と言葉を吐き続ける。
「誓いを此処に。我は常世全ての善となる者、我は常世全ての悪を敷く者。汝三大の言霊を纏う七天、抑止の輪より来たれ、天秤の守り手よ──」
乱気流のごときエーテルが集い、形を成し──奇跡は顕現した。
汗だくで呆然とする衛宮士郎の前に姿を現したのはドレスに甲冑を纏ったかのような衣装に身を包む少女。感情を含まない、ネフライトのごとき瞳で目の前の少年を見据え、言った。
「──問おう。貴方が私のマスターか」
衛宮士郎は呆然としたまままばたきを二つ。
「え……マス……ター?」
問われた言葉をそのまま口にする衛宮士郎に、少女は一瞬瞑目した。
「サーヴァント、セイバー。召喚に従い参上した。マスター、指示と、状況を」
その言葉と共に衛宮士郎の手に刻まれる令呪、彼は痛みに思わず左手を押さえる。その模様と繋がりを確認したのか、少女はこくりと頷いた。
「──これより我が剣は貴方と共にあり、貴方の運命は私と共にある。ここに、契約は完了した」
「契約、か」
未だ目の前の光景が信じられないような様子の衛宮士郎を慎二は複雑な感情をもって見る。かつて魂にまで抉り込まれた古傷が疼き、痛み出す。自分が持ちえないもの、求める事さえ無駄と理解してしまった神秘。まざまざとそれを見せつけられ、平気でいられるほど慎二も大人びてはいない。ただ、過酷に過ぎた一年で、危急の時に感情を出す事の愚は嫌になるほど染みついている。一つの大きな嘆息でもって暴れる内面に折り合いをつけた。
「とりあえず、お前のマスターはこの通りだから僕が端折って説明する、現状はサーヴァントに襲われている、こちらのライダーが防戦に回っているけど、多分そろそろ無理」
魔術師とは思わなかったのだろう、まるで警戒していなかったセイバーの目が一瞬驚きに開かれ、不可視の何かを慎二に向け構える。
「落ち着けサーヴァント、コイツとは友人だ。後で戦う事があるとしても今じゃない」
「──その言は信用できますかマスター?」
話を振られた衛宮士郎は事態を飲み込めていないなりに理解したのか、首肯した。
「あ、ああ。召喚のやり方を教えてくれたのも慎二だ」
「……なるほど、協力者、一時的な同盟者ですか。理解しました。ではまず──」
言葉を言い切る前に土蔵の扉を突き破り、轟音をあげて慢心創痍のライダーが飛び込んできた。
否、吹き飛ばされてきた。
その後ろ、扉の目前で赤い槍を肩に担ぎ、月に照らされ笑う青い影。
「すいませんシンジ……守りきれませんでした」
「そうでもない。霊体化して休んでいろよライダー」
空に溶けるように消えゆくライダー。いかなる戦闘だったのか、衛宮家の庭は無惨に荒れ果て、自然を残しながらほどよく手入れされた景色は過日のものとなっている。
一夜にして庭をそんな光景に変えた下手人は、凶器をとんとんと肩に当て、空いた片手で分かり易く挑発していた。
お前は来ないのか? と。
「マスター、ひとまず敵を討ちます、詳細は後に」
「待っ……」
衛宮士郎の制止の一声さえ言い終えぬ間にセイバー、剣の英霊は飛び出し、槍を持つ痩身に打ちかかった。