二月を迎えたリリアン女学園。
そして二月といえば、女性にとって特別な日の一つ……『バレンタインデー』。
それは女子校のリリアンでも関係なく、胸にしまい込んだ想いや日頃の感謝の気持ちなどを差し出す絶好のチャンスである。堅物の教師達も、その日ばかりは寛容にならざるをえない。
二月十四日とはそういう日だ。
「バレンタイン企画?」
ポリポリポリポリ。
新聞部の部室で、部員達に混ざって節分の日用の豆をつまむ真耶。
誰もがバレンタインデーの事を考えている中、真耶は一人だけ大量の豆を用意していた。それは三奈子さま率いる新聞部ならば、このリリアンでそういう企画でもやるんじゃないか?と密かに用意していたのだが、見事にアテが外れたのだ。
流石の三奈子さまも、バレンタインデーを前に節分など眼中になかったようである。
やはり一般的に真耶は何処かズレていた。
一人では食べきれないので、こうして各所に配って回っている。
『カトリック系の学校だからといっても、日本独特の行事に対して敬う心を忘れてはいけないと思うんです。学校を挙げて行わないならば、せめて雰囲気だけでもお勧めしようかと』
そう言って主に教師側に配る真耶は間違いなく策士。少なくとも受け取った教師達が、『和』の心を忘れない今時珍しい少女と評価を上げたのは言うまでもない。一つ一つ可愛らしい袋でラッピングしたそれは、はたして節分の雰囲気を味わえるかは疑問だが。
ついでにと山百合会の連中にも、箱詰めでどかんと薔薇の館に置いて来てやった。差出人の名前には、『節分の鬼より豆をこめて』とシュールな一文をつけてある。まあ祐巳さんにだけはこっそり教えておいたので、後でそれぞれの反応を教えてもらおう。
さて、話がズレた。
「そう! 心の内に秘めた想いを、大切な人に打ち明ける為の素晴らしい日! そんな乙女達の一大イベントをこの私が、新聞部がみすみす見逃せるワケはない!!」
一人で全身を万遍なく使って、その感情を表現する新聞部部長。
両手を広げて宣言するその姿は、思わずノってしまいそうになるくらいに惹かれるものがあった。
しかしこの三奈子さま、ノリノリである。
「ふ~ん、中々面白そうな企画ですね?」
その企画書を見てメガネを光らせるのは、写真部のエースこと武嶋蔦子さん。
前々から思っていたが、カメラマンとして優秀な彼女と新聞部が提携しないのは勿体無いと思う。その事を突っ込んでみたのだが、どうも新聞部と写真部の仲はよろしくないらしい。
そこで真耶は一計を謀る。
『……三奈子さま、確かに双方仲がよろしくないのは分かりました。しかし写真部のエースを名乗る蔦子さんを、ただ放っておくのは下策です。新聞部のかわら版の注目を集めるのに、腕のいいカメラマンは必須の筈では?』
『でもねぇ、写真部だし……』
『それに何より三奈子さまの妹の真美さんに、もっと友達を作ってあげようとは思いませんか? 生真面目な性格を理解した上で、公私共に頼りになる友人を。その為になら真美さんの一友人として私も、可能な限りの尽力をしますわ』
最初こそ渋ったものの、やはり『妹の為に』という言葉には弱かった。
新聞部部長の了解を取った真耶はすぐさまに写真部の方も取り込み、そして今に至るというワケである。
部室こそ別れてはいるが、新聞部と写真部は完全に提携条約を結んでいる。つまり薄い壁に耳を当てて情報を入手することもなく、普通にそれぞれの部室に行き来しているのだ。
だからここに蔦子さんがいても、全くおかしくはないのである。
両方の部員でもない真耶がいるのはおかしいが。
ウァ……なんとかの贈り物? 第一話「バレンタイン戦争(企画)開幕」
相変わらず減らない豆をポリポリと食べながら、企画書の隅々まで目を通しながら真耶は考える。
この突拍子も無いこの企画……面白いかもしれない。
だがこのままでは、企画対象の山百合会にはけして通らないだろう。何せ穴が多すぎる。
「真美さん、この辺り……どう思う?」
「……確かにそうね。お姉さま? この企画書ですが、これだけでは山百合会に承諾を得るのは無理です」
企画書を立ち上げて有頂天な三奈子さまは、妹の指摘に眉を顰める。
「む、何処が無理だと言うの?」
「まずはゲームの景品が食べ物という事、これは衛生面で駄目出しが出ます。黄薔薇革命の時に知りましたが、黄薔薇のつぼみは趣味が家庭的だとか。まず間違いなく突っ込まれる事でしょう」
「あとこれは二年生からの情報ですけど、祥子さま……紅薔薇のつぼみは去年大量のバレンタインを全て突き返したそうですよ? これはまあ三奈子さまも知ってそうでしたけど、念のため。私にゃ分かりませんが、バレンタイン自体がお嫌いなんでしょうかね?」
まさかチョコレートが嫌いということはあるまい。
クリスマスの時に、令さまの作られたブッシュ・ド・ノエルを食べているの見ているから間違いない。
「じゃあ手書きのバレンタインカードなんてのはどう?」
「う~ん、カードですか? でもそれだけでは、今少し押しが弱いですよねー」
蔦子さんが突っ込む。
確かにつぼみ達の手書きカードだけで、一般生徒を多くは集められない。しかし余程その企画に執念でもあるのか、三奈子さまはいつもの三倍の高速思考で構想を組み直す。
「ならそのカードが副賞の引換券になっている、というのはどうかしら?」
「副賞というと?」
何か必死な三奈子さまを見ていて居たたまれなくなっていたのか、真美さんの声はずっと優しかった。
「――ズヴァリ、つぼみとの半日デート券!!」
そんな妹の可哀想な視線にも気づかず、三奈子さまはテンション高く宣言する。
ポリポリポリポリ。
うん、悪くない。
いや豆の味ではなく、三奈子さまの言い分の方。そのエサは確実に一般生徒達を釣るのに十分過ぎる。
しかしそれには厄介な懸念がついてくるのもまた事実。
「でも、お姉さま? 奥手な祐巳さんならともかく、令さま至上主義な由乃さんが黙っているとは思えませんが?」
「でしょうねー。絶対に『反対反対、絶対反対!!』とか言ってきますよ? 三奈子さま、そこはどうするんです?」
考え付くであろう問題をビシビシ指摘する二人……息の合ったコンビである。
指摘ばかりに三奈子さまも少しエキサイトしてきた。
「くっ……あなた達も少しは考えなさい!」
二人はそう振られるものの、具体的な代案が思いつかない。問題は指摘出来ても、実際に山百合会を説得するという交渉は簡単ではない。何故なら、相手は役員選挙を見事勝ち抜いた薔薇の後継者達なのだから。
部室に沈黙が拡がり、真耶の豆を食べる音が響く。
どちらにしても山百合会は全員一致で却下してくるだろう。
それをひっくり返すにはどうしたらいいか?
なに、とても簡単な事だ。
「……彼女達のお姉さまである、三年の薔薇さま方を誘っては如何でしょう?」
こういっては何だが、彼女達が全員揃おうとも薔薇さま方には敵わない。
そして薔薇さま方は、揃って面白いモノ好きなのだ。これ程の企画ならば、さぞ面白いとばかりに参戦してくれるだろう。あとは彼女らの協力さえ得てしまえば、今の山百合会など恐れるに足らず。
真耶の提案に三奈子さまは少し考える。
「でも、受験が忙しいかもしれないし……」
「あの方々に限って、学力的な心配するのは杞憂ですよ? それに企画自体に参加は無理でも、つぼみ達への説得の協力をお願いするだけでもいいんですから。そこまで手間隙かかるわけじゃないですー」
ここまでお膳立てしておけば、この企画はもはや確定事項といっても過言ではない。
真耶の提案に反対する者はいなかった。
普通の生徒には、薔薇さま方をこちらから利用するという発想は出来ない。生徒達の憧れである象徴を、自分達の都合の為になど……下手をすれば反感を買ってしまいかねないからだ。まあ、そこはしっかりと『協力』というスタンスを提示しておけば十分だと思う。
何とか納得したのか、三奈子さまは企画書を修正していく。
企画修正のついでという事で、真耶はある『お願い』を三奈子さまに持ちかける。
それは真耶から『ある人物』への贈り物の一つ。
「ところで三奈子さま。私から一つお願いがあるのですが……」
「――お願い? 色々手伝ってもらってるから、別に構わないけど……何かしら?」
企画書を修正しながら、三奈子さまは真耶に耳を傾ける。
言質はとったよ?
「その企画……私のお姉さまも入れてくれませんか?」
真耶のその言葉に、部室の中が『ザ・ワールド(時は止まる)』。
「「「は?」」」
呆気に取られたその顔は皆それぞれに面白い。
まるで幻聴を聞いたかのような動揺っぷりに、真耶は少し傷ついた。
その動揺から一番に復帰したのは、年の功か三奈子さま。
「ちょ、ちょっと待って。あなた……真耶さんにお姉さまが出来たの? いつ? というか誰?」
「ついこないだですねー」
誰?についてはまだはぐらかす。
続いて真美さんが復帰する。
「……真耶さん、企画は山百合会が対象なのよ? つぼみに匹敵する程の有名な二年生なんて……」
「いなかったかにゃー?」
冷静に分析しながら聞いてくる真美さん。
見た目こそ冷静だが、動揺が激しかったのかついこないだの出来事を失念している。
そこまで聞いてある事実を思い出したのか、蔦子さんが最後に戻ってきた。他の一般部員はこの際置いておく。
「もしかして……蟹名静さま? だったりしないわよ、ねぇ?」
それはないでしょう?的な引き攣った顔で訊ねる。
ふふふ、流石は写真部のエース。
それはまさしく『jackpot(大当たり)!』である。
「――YES,I AM!!」
チッ!チッ!と椅子から立ち上がり、人差し指を上から下へと振り下ろす。
どうでもいいが、答えになってない。
「――なっ! 何を言うだァーーーッ真耶さんッ!」
落ち着け、蔦子さん。
共に色んな意味の死亡フラグが立ちそうで困るから。
しかしまあ、彼女らが驚くのも無理はない。何せついこないだ山百合会のつぼみ達と、次期生徒会役員選挙を戦った相手なのだから。結果はつぼみ達の勝利で終わったが、実際はかなりの僅差だったとか。
そんなロサ・カニーナの妹ともなれば、新聞部が放っておく手はない。
真美さんと蔦子さんは詳細を早く教えろと言わんばかりの勢いだが、ただその横で一人複雑な顔の人がいる。
静さまと同学年である三奈子さまだ。
「……真耶さん、彼女の進路についてはご存知?」
「はい、もちろん知ってます」
「…………そう」
いつもなら率先してリポートしているだろう三奈子さまの異変に、事情を知らない二人は訝しかむ。
「如何いう事ですか、お姉さま? ロサ・カニーナの進路が何か……」
「――真美、それ以上いけない」
問い詰める真美さんに、三奈子さまはやや厳しい顔を向ける。
スクープを追っかけていても、何だかんだで彼女の心根は優しい。こういう所の気遣いが出来る三奈子さまを、真耶は実に好ましいと思う。その本来の軽快さからついついからかってしまっても、最終的には彼女が得するように動いてしまう真耶だった。
ある意味、祐巳さんと似たようなカリスマの持ち主なのだろう。
「大丈夫ですよ、三奈子さま。別に隠す程ではありませんから」
「真耶さん……」
平然と笑う真耶を、何処か無理をしているのでは?と三奈子さまは気遣ってくれる。
その優しさに、自然と真耶は頭をたれた。
それを了承と受けた三奈子さまは、妹とその友人に言い聞かせるように説明する。
「……いい、真美? 簡単に言うと静さん……ロサ・カニーナはこの春にイタリアに『留学』するのよ」
「「留学?」」
「そう。つまりは後一ヶ月ちょっとで、彼女はここリリアン女学園からいなくなってしまうの」
妹を残したまま。
三奈子さまはそれを先程から非常に気にしているのだ。
「……さっきのお願いは、もしかして静さんの為かしら?」
「そうですね、お姉さまには沢山の思い出を作って持って行って欲しいですから。ただ妹という私の立場は、一応オフレコでお願いします」
隠す事でもないが、妹を作っておいてイタリアへ行く酷い姉、と曲解する人がいないとも限らない。無駄に身辺を騒がさないように、真耶はきちんと注意を入れる。
三奈子さまも分かっているのか、それをしっかりと承諾した様子。
「――わかったわ、真耶さん。そういう方向性で、彼女も企画に組み入れて行きましょう」
丁度修正中だったので、それを新たに組み入れるのは難しくない。幸いに妹の協力がなくとも、静さまには頼りになるクラスメイト……いわゆるロサ・カニーナ派がいるので、人手に関しては問題はないだろう。
ようやく三奈子さまの真剣な顔の意味を理解した二人は、気まずそうに真耶を見る。
「ごめんなさい、真耶さん。そんな事とは知らず……」
「いやいや、真美さん。そんな気を遣わなくてもいいよ、私は平気だからさ」
「でも折角姉妹になったのに、少しの間だけで別れ離れになるなんて……」
いつも明るい蔦子さんも、とても気安く笑ってはいられないようだ。
真耶は軽く頭を掻くと、苦笑いを浮かべる。
「二人にそんな顔をして欲しくて話したんじゃないんだけどね。もし良かれと思うならさ、三奈子さまと一緒にこの企画が目一杯盛り上がるようにしてくれないかな? それがイタリアへ旅立つお姉さまへの、きっと一番の贈り物になると思うから、ね?」
「「真耶さん……!」」
そんな真耶の心意気に感動したのか、真美さん達は三奈子さまの両サイドにつき企画書の修正を手伝う。それは一般生徒も山百合会も関係なく、誰もが楽しめるバレンタイン企画を作る為に。
空気だった他の部員達もそれに従う。
かつてない士気の高揚に、みるみる企画書が修正され組み立てられていく。そして第一段階として、薔薇さま方への協力と学校側への企画の許可申請。多数の生徒が関わる企画である以上、教師に申請しておく必要があるからだ。
紅薔薇さまへは三奈子さま。黄薔薇さまには真美さんが。そして白薔薇さまには蔦子さん、これはクリスマスの時に指名された事から決まった。残りの部員達は全員が職員室へと向かう。
善は急げ、とでもいうべきか?
その勢いにより、あっという間に新聞部の部室には真耶しかいなくなった。
「……以外に熱い所あるのね、この部」
まるで誰かに「もっと熱くなれよ!」と唆されたみたい。いや、まんま真耶の仕業ではあるが。
ともあれ賽は投げられた。
役員としてのロサ・カニーナは成らなかったが、それが僅差だった事で彼女のクラスメイトは山百合会に不信感を抱きつつある。それは間違いなく黄薔薇革命の時と同様に根深い。
そんな禍根を残していくのは、静さまも本望ではないだろう。
かといって正攻法だけで、その双方のわだかまりを失くすのは難しい。故に新聞部の企画、という名目を通して互いを協力させるのだ。
企画を盛り上げる為に、つぼみの妹達には一般生徒側で参加してもらう。これにより本来アシスタントをすべき妹がいない事が、つぼみ達の仕事への負担を増やす。ただそれではつぼみ姉妹の仲が悪くなってしまうだけなので、特別ゲストのロサ・カニーナの出番となる。
妹達のいないつぼみ達のフォローに、ロサ・カニーナを支えるクラスメイト達に有志を募るのだ。おそらく嫌がるかもしれないが、イタリアへ旅立つ静さまへの思い出作りを思えばそれくらい我慢してくれるだろう。
『同じ釜の飯を食う』と言う言葉がある。
企画を進めていく中で、彼女達は何度も話し合いをする必要があるだろう。生憎と釜の飯を食べるワケにはいかないだろうが、薔薇の館での会議の休憩にティータイムは外せない。飯はなくともお菓子を一緒に食べる事は十分ありえる。
つまりはバレンタイン企画を共に行わせる事で、山百合会とロサ・カニーナ派の融和を図ろうというのが裏の狙い。
まあどちらにしても、最終的には全て静さまの為になる。
姉妹にはなったものの、表面的には全く変化を見せる事が無かった真耶。
しかし、実際はかなりデレデレだった。
三年の教室。
『新バレンタイン企画』を持ってこられた蓉子は、その内容に溜め息をつく。
そんな様子をビクビクと三奈子さんが見てる。ただでさえ上級生のクラスにおり、しかもその交渉相手は紅薔薇さまなのだ。かなりの緊張を強いられているようで、若干顔色が悪い。
心なしか室内の気温が下がっているのは気のせいだろう……多分。
「……あの~? 如何でしょうか、紅薔薇さま?」
「――悪くないわね」
そう、悪くない。
この企画が上手くいけば、『薔薇の館が生徒達で賑わうところを見たい』という蓉子の夢が叶う。山百合会と一般生徒との敷居の溝もかなり和らぐ事だろうし、良い事尽くしなのは確かなのだ。
しかし、何処か『上手すぎる』。
山百合会幹部だけでの企画なら気にしなかったのだが、そこにロサ・カニーナという名が記されていた。つぼみの妹達の代わりに、その彼女の取り巻きだった連中が仕事を補佐するという不自然。
だがそれも無事やり遂げた場合、不思議と話は変わってくる。
同じ職場で働く事による関係の融和、それは蓉子が身を持って証明しているからだ。主に聖的な意味で。
(そこまで考えている企画……三奈子さんにしては少々『出来過ぎて』いるわよね?)
となると考えられるのは一つ。
「ねえ、三奈子さん?」
「は、はい、なんでしょうか?」
こないだの選挙で手綱を操りきれなかった一人の生徒。
紅薔薇さまと呼ばれる蓉子に、『お礼』よりも『トラブル』を生んでくれるなと警告していった人物。
「――『山田真耶』さんは元気かしら?」
そこにいるのにそこにいない、底の見えない『黒幕』の姿。
蓉子はただ一人、それを予感していた。