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[36979] スレッショルドより愛をこめて MTG二次創作 現実+異次元ファンタジー
Name: hige◆53801cc4 ID:3c53feab
Date: 2017/07/31 12:16
このSSはハーメルン様にも投稿しています。

不快にさせる表現、展開が出てくる 可能性 があります。

Magic:The Gatheringの二次創作です。

たぶんMTGやってなくても読める、はず。マナとかアーティファクトとか意味不明だと思うけど、回を追って説明されます。はず。

構成を試しにいじってます。違和感を覚えたらそのせいです。意見があったらください、参考にします。


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スレッショルドより愛をこめて



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「なぜ、誰もおれの才能を認めようとしない」

かすれた声で一人、両親の建てた豪邸の一室でテーブルに突っ伏し、酒をあおる男。
彼の名前はロベス。ロベス・グラフロイ。ほんの少しばかりの魔術の才があった、それゆえに己を過大評価し、プライドが周囲との溝を作った。おれはすごいんだ、特別なんだ。過去を反芻する。

ガキの頃はよかった。ちょいと人差し指と親指の間で小さな雷を走らせてやれば、尊敬と畏怖のまなざしを向けられた。大人になったいま、そいつらは哀れみと嘲笑を向けてくる。生意気な、その気になればおまえらの手足の一本や二本……。

「誰が下っ街灯員なんてやるか、そんな現場仕事は学のないものがやる、やればいい」

ロベスはもういい年なのだが、職についていなかった。国立博物館の管理責任を任されている両親のすねをかじっている。もちろんその事実は彼のプライドを傷つけた、コンプレックスでもある。だから就職活動をしなかったわけではない。

『あなたの魔術を拝見させていただきました。なるほど、心得はあるようですね。ちょうど街灯員に欠員がでまして』 と、いかにも役人仕事な笑みで人事。

『他にはないのですかね。例えば――』
『例えば?』
『――例えば対魔術課とか、特別官務員とか』

その時の人事の顔を思い出して、ロベスはグラスに残った酒を一気にあおる。下っ端の無能力者め、マナを感じることすら出来ない劣等が。
彼は中毒患者のように貧乏ゆすりを始めた。思案するときの悪い癖である。明かりの蝋の火が大きく揺れた。
今から親父に言って博物館の職員にしてもらうか? だが頭を下げるのは癪だ、こいつは最後の手段だな。

息子なんだ。もちろん受け付けや、無知な連中に、いかにこのアーティファクトが貴重かを説明してやるような役職にはしないだろう。そうだな、まあ副館長あたりか。それならやってやってもいい。いや、親父も結構な年だからな。あとを継げというかも。

そう考えると少しいい気分になって、グラスにウィスキーを注ぐ。香りを楽しむ余裕も出てきた。
しかし姉がやっかいかもしれん。あれは劣等だが学は……まあそこそこだ。頬杖をつき、打算する。

親父はあいつに継がせるかも。でも所詮は女だしな。見た目もいいからそのうち嫁に行くだろう、仕事は勤まらん。

本当に、見た目がいいからな。頭はまあまあだが。
おれの顔も悪くはないがと、グラスの酒ににんにくのような鼻を映した。姉は本当に親父の子なんだろうか。おふくろは死んじまったからわからない。

今度はグラスをもてあそんで、水面の顔を歪ませる。きっと男を知っているに違いない、何人くらいだろう。体つきも、まったく、まるで娼婦のようだ。いくら地味な服装でうぶを装ったって無駄さ、いやらしさがにじみ出ていやがる。
ロベスはベッドに倒れこみ、空想の中で姉を犯した。むしゃくしゃた日にはよくあることだった。つまり日課だった。

手順はいつだってこう。まず、伝説に聞く凄まじい魔術で時を凍結して姉を剥く。次に時が解凍された時に、姉は羞恥に局部と大きな胸を庇うように座り込むが、 『そんな演技は無駄だ、なんだこの下着は』 とおれはまだ暖かさの残る小さな黒のレースの下着をつきつける。太い眉を八の字に、頬を朱に染め、涙を溜めてるのもみんな嘘。嘘つきの劣等に額をこすり付けて謝らせる、だが許さない。長い栗色の髪を引っ張りまわし、肉付きのよい尻を蹴り飛ばして覆いかぶさり、泣き叫んで許しを請う姉を強姦する。

あまりにもうるさいので、噂に聞く媚薬の魔術を流し込んでやる。すると一転して足を絡ませ、獣のように求めてきやがる。やっぱり薄汚い娼婦。おれは快楽にだらしくなくゆるんだ姉の顔にたっぷりと唾液を垂らしてやり、おまえがそこまで言うならしかたがないと孕ませる。

そうしてロベスは一人、精を発し、チリ紙で拭うと体を清めずに眠りについた。久々に満足して深い睡眠を得た。
翌日の一家揃った朝食、ふかふかの白パンと栄養たっぷりの卵を割った目玉焼き、サラダにスープ。みんなみんな、姉の手作り。
姉はロベスに毎回 「おいしい? 今日はうまくできた?」 と尋ねるのだが、彼は必ずケチを付けて少しだけ残す。

ロベスは父親に博物館の人手は足りているのかと、凄まじく遠回しに聞いた。父親は何度も、 「それはつまりこう言いたいのか?」 と確かめながら、最後には 「あるとも」 と、微笑んで言った。ようやく息子が働く気になったと喜んで。
「あるとも、おまえにちょうどいい役職がある。来館者に展示物の説明をする案内人が足りなくてな。おまえはほら、魔術の心得があるのだし、アーティファクトにも詳しいのだろう」

それを聞いた姉は、花のように顔をほころばせる。 「それはいいわね。ロベスにぴったり」

「うむ。しかしコネだけで入れるわけにはいかん。国に管理を委任されている民間とはいえ、半官務員なのだから。筆記試験はやってもらうぞ」
「大丈夫よ、お父さま。ロベスは賢いもの」

ロベスは家を飛び出した。胃の奥底、心臓の裏でドス黒い感情がとぐろを巻く。彼には、その筆記試験を通る自信すらなかった。昔は試験などはなかったらしい、王の権威が象徴化するまでは、グラフロイほどの家柄ならば何の努力もせずに国の中枢を担う仕事に就けたそうだ。それが今ではどうだ、人事課の連中がコネに目を光らせている。

その日。彼は父親を殺し、姉を嬲る計画を立てた。

ロベスは家族が寝静まった頃に帰宅した。よくあることだったので、台所裏の戸口はいつも開けられている。
音を殺して父親の書斎に忍び込む。デスクの引き出しの鍵に小さな雷を撃ち、ひき出しの中から博物館のマスターキー。それと戸棚に飾ってある、家宝のアーティファクトも。

書斎を出て、無防備に眠る顔を想像しながら、そっと姉の部屋の扉をにらみつける。想像しただけで昂ぶった。しかし先にあれを手にしてからだ。あれさえあれば、たとえ魔術課の連中を呼ばれたとしても蹴散らしてやる。

後ろ髪を引かれる思いで、街灯が並ぶ通りを経て博物館へ向かう。街灯は小さなハシゴが一体化したような造りになっており、深夜ということもあって、街灯員が一つ一つに吊らされている魔灯石に手をかざして、マナを補充していた。
ロベスは自分がその仕事についた姿を想像して身震いする。暑い日も、冬で凍えそうになりながら。熱く、冷たいハシゴをよじ登り、不恰好にマナを補充するなんて!
おれの仕事じゃない。

やがて博物館に到着した。大きな三階建ての、王権時代の残骸。
警備の目もあったが、父親の書斎には巡回の時間やルートなどの書類があった。
花壇の草木に身を隠し、裏口のドアを開けて進入したはいいが、薄暗い館内を巡回している者の一人に見つかりそうになり、魔術で昏倒させてしまった。内心で毒づく、足がついたかもしれない。

そもそも魔術を行使するためのマナすら感じられない者が多数を占めている世の中。したがって危害を加える攻性魔術を行使する者の特定は、一般犯罪に比べて容易だという話を聞いたことがある。もっとも、それを調べる魔術課の人数も少ないらしいのだが。

目的のアーティファクトのある場所まで足早に。室内にもかかわらず、月明かりがにじんでいる一角へとたどり着く。ガラスのケースに収められた、人の身の丈よりも長い、美しい銀の槍。
見とれている暇はない、すぐさまケースの鍵を外したが、そのとたん警報が鳴り響いた。槍を両手に、急いで裏口へと走り出す。途中で警備員が立ちふさがった。

ロベスは駆けながら周囲の場のマナを吸い出す。彼の周囲が陽炎のように揺らめいた。魔術師でなければ感知できない、六種類あるうちの一つ、無色のマナ、魔術を行使するためのエネルギー。劣等どもにはこれを感じ取れない、哀れだ。冷ややかに笑う。
そのマナをポケットの中に忍ばせていた家宝のアーティファクトに流し込み、起動させてから呪文を唱えた。

【万の眠り/Gigadrowse】

屈強な警備員は崩れ落ちるように、瞬間的に深い眠りへといざなわれた。



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しばらくして、王都からそれほど離れていない距離にある穏やかなエルフの森。外界への接点といえば、数ヶ月に一度ほど、人間の商人と物々交換をする程度。
木の上や、巨木の洞、簡素なテントに居を構え。猟犬を用いて狩をし、小さな農業を片手に森に感謝する生活。
その集落の一つ。子供がきゃらきゃらと追いかけっこをしていると、三人の人間が現れ、こう言った。 「エルフの女か子供をよこせ、三日後にまた来る。返答がなければ容赦はしない」

エルフは強靭な肉体を持つ種族である。ましてや生まれ、ともに育った森は庭のようなものである。すぐさま大人たちが駆けつけ、腰のナイフを引き抜き、三人の人間を追い払う。しかし三日後、そのエルフの集落は蹂躙された。

天使を従えたロベスと三人の盗賊によって。

翌日。木漏れ日がさし、小鳥のさえずりが耳を掠める穏やかな深い森の中。太い木の幹に身体を預けるエルフの男が一人。先日の、戦いにもならない虐殺を生き延びたうちの一人。種族特有の金の頭髪は泥にまみれ、色白の肌は病的に青く。赤黒い血液が腹部から滴る。

失血からか、男の視界はにじむ。

このままではいけない。このままではこの森のエルフの種の問題に関わる。おそろしいやつらだ。いかなる手段か、強大な天使を味方につけているようだ。集団で対処しなければ、一族としてまとまらなければならない。

自らを奮い立たせ、おぼつかない足取りで歩みを続ける。自分以外の仲間はみな、死んでしまったのだろうか。妻は、娘は無事だろうか。あの人間たちの欲望にたるんだ顔を思い出し、唇を噛み締める。くやしい、かなしい、涙がとまらない。
へんだな、森を感じられない。花の香りも、土の柔らかさも、木の雄大さも、大気の湿りも。

力なく膝をつき、そのわけを知った。柔らかい肥沃な土に吸われる血が、森を遠ざけているのだ。忍び寄る死が生命への認識を殺す。
男は前のめりに倒れこむ。伝えなければ、この緊急事態を。薄れるゆく意識の中、ふと気配を感じる。

最後の希望が男に力を与えた。歓喜が芽生える。

足音の軽さからやつらではなく。とすれば救援を求めるための、自分と同じ集落の生き残りか、他の集落のエルフがいたのだ! 男はかすれた声で、言葉を紡ぐ。

行け、わたしに構うな、わたしの目的は他の集落に危機を伝えることだ。天使を従わせる一人と三人の人間がわれわれを襲った。団結しなければならない――

苦しそうに一呼吸置き、男は続ける。

わたしのつけている指輪を持っていけ。古いお守りだ。もっとも、このざまでは加護は期待できないかもしれないが――

男は喉を鳴らして笑い、行け、と呟き、震える腕を動かして方向を示すと微笑んで死んだ。
それを聞いたエルフの女は、血に濡れた指輪をそっと抜き取り、駆け出した。
水と食料を捨てて。


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第一話 ロベスと三人の盗賊



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彼は太陽の日差しに意識を覚醒させられた。寝ぼけなまこを擦り、あたりを見回す。自然豊かな森の中。深い朝霧を吸い込むと鼻腔に若葉のみずみずしさを感じる。公園だろうか。大きな木の幹に背を預けて寝ていたらしい。

はやく帰らなければ。今日は実家に帰る予定だ。久々に愛犬の散歩に行ってもいい。凶暴なやつだった、実家からの連絡によると、泥棒を一人追い払ったらしい。おれを忘れてなきゃいいが。
立ち上がろうと思ったがどうも身体が重い。二日酔いだろうか。動くことはひとまず諦め、眉間を押さえて記憶を掘り起こす。
昨日は夜遅くまで友人宅でギャザをやっていた。途中から酒が入り、めちゃくちゃなプレイングになったがおもしろかった。

二人してコートやパーカーのフードをかぶり、さも魔法使いのように振る舞い、エンドカードにより場を制圧されれば 「なん、だと……それはまさか伝説の」 と驚愕し、ダメージを与えられるたびに苦しんだりした。
オーバーキル時に断末魔をあげ、大きく後ろにのけぞって倒れこんだ時は腹がよじれるほど笑った。いい年して何やってんだか。

苦笑して深緑のモッズコートのポケットをまさぐる。携帯、財布、タバコ、ライターはあった。
しかしデッキを入れていたリュックが見当たらない。そういえば友人の家に置いてきた気がする。どうだったか。

とりあえず友人に確認を取ろうと携帯を手に取るが、圏外。故障か? と、ついでに日付を確認する。まだ昨日の出来事のようだ。一応腕時計でも時刻を確かめた。
まあ、公園で無くなったとしたら仕方がない。戻ってはこないだろうし、悔しいが諦めるしかない。酔っ払った自分が悪いのだ。

なんとなしにふたたび周囲に目をやる。なかなかいい場所だ。近所にこんな公園があっただろうか? 奇妙にうねる花びらを咲かせる植物、美しい鳥、どんな味がするのだろう、まるまるとした実。そして――そして茂みからひょっこりと大きな蛇の顔。

目が合った。ちろちろと細長い舌を覗かせている。

彼は反射的に腰を上げ、身をひるがえして走り出す。でかい、成人男性のこぶしほどの頭の蛇なんて見たことがない。あるが、動物園でガラス越しでしか見たことがない。

身体の疲れを忘れ、昨日の酒とつまみを嘔吐するまで走った。
えずいて、気がつく。いつまでたっても歩道にたどり着かないばかりか、立って高い視線から周囲を眺めても外灯などの人工物を発見できない。それに、暑い。

運動による高揚でも、蛇の恐怖でもなく。気温のせいだ。おかしい、まだ肌寒い季節のはずだが、まるで春のように暖かい。
胃液のついた口元をぬぐい、彼はぽつりと。 「どこだよ、ここ」 脱いだコートを片手に歩く。どうか蛇には出会いませんようにと祈りながら。土のついたジーンズの尻をはたく。

それから約一時間ほど、とりあえず周囲の地形を確認しようと高所へと歩を進めた。

途中で大きな鹿と遭遇し、ひょっとしたら宮島かもしれない。酔って電車にでも乗ったか、いや時間からして終電は無理。始発で乗る頃には酔いもさめているはず。新米だが一応は教師のくせに、情けないものだ。

息を切らせて小高い丘を登る。彼はここが日本ではないかもしれないと、少なくとも自宅の近所でないと考えた。眼下の森はかなり広大で、その向こうには草原が広がっているようだ。町らしきものも見え、ひとまずそこを次の目的地にすることにした。
ここはどこだ。念のため、携帯の電子コンパスを使い、太陽の向きを確認する。おそらく正常に機能しているだろうが、より正確を求めるなら夕暮れの確認も必要だろう。回線が繋がらないので、当然GPSは機能していない。

ずいぶんと歩き、あいかわらず携帯も圏外。明らかに人はいないだろう。あんな大きな蛇がうろついている場所に住む物好きがいるものか。
どこかでなにかの遠吠えが響き、恐怖を覚える。犬とは違う。もっと鋭く、なにかに飢えているような。足を速める。枝にとまった真っ白いフクロウが、まるまるとした大きな目で彼を見ていた。

彼は急に孤独を覚えた。突然知らない居場所に一人、大自然で役に立ちそうなものは何も持っていない。人恋しく思った。せめて誰かと一緒ならば。
ブーツで柔らかい草を踏みしめる。唐突に風がそよいだ。むせ返るような濃密な花の匂い。

「おい、そこに誰かいるのか」

不意に投げられた言葉に彼は左方を見やる。まったく気がつかなかった。少し開けた場所に男が数人いる。
ああよかったと、しかし安堵は出来なかった。その男たちは赤いものがべったりついた姿で、同じ色の剣を片手にしていた。現実離れしたいでたちに彼は固まった。応答することが出来ない。

数秒の沈黙のあと、小太りの男がだみ声で言った。 「おう、こんなところでどうした? 迷子か?」
ついで長身の猫背が猫なで声で。 「腹は減ってないか、喉は渇いてないか」
最後に微笑みながら髭面が。 「近くの村まで送っていこうか」

待ちに待った人間だが、彼はきびすを返して駆け出した。吐き気をこらえる。二日酔いのせいではない。
男たちの足元には明らかに人と思われる死体。それに縄で捕らえられていた子供。異常だ。

後ろを振り返る余裕はない。ただただ祈るばかりだった。どうか追いかけてきませんように。くもの巣を避け、ツタをかいくぐり。
どれほどの距離を走ったのかはわからない。しかし疲労と空腹、何より喉の渇きから、彼はひとまず大きな木の根に腰を下ろした。

目的としていた方向を見失ってしまった。ぼうっと空を見上げる。いつの間にか夕暮れだ。あいかわらず、空はちっぽけな人間の危機などわれ関せずと広大だ。かいた汗が冷え、少し肌寒くなってコートを羽織る。
手持ち無沙汰からタバコを取り出そうとすると手の甲に痛みを感じ、見やるとどこで傷をつけてしまったのか。うっすらと血がにじんでいた。

意図せず先程の光景が脳裏に連想される。映画の撮影シーンでなければ地球ですらないかもしれない。
血溜まりは穏やかな大地にぽっかりと開いたような赤い口のようだった。そこに立つ男が三人、ハムのように縛られた子供。いまどき剣での殺人、誘拐だろうか……そんな野蛮な国があるとは、彼にはどうしても信じられないのだ。

それにあの男たちの姿。まるで中世ファンタシィに出てくるような、レザーアーマー。闇よ落ちるなかれ、だったか。中世だか古代にタイムスリップしてしまう主人公の小説を思い出し、小さく身震いした。

おれは過去にでも来てしまったのだろうか。SFの読みすぎか、ギャザのやりすぎだ。夢であってくれ。いや待て、たしかあの男たちは日本語で話しかけてきたような……
記憶を探るべく視線をさまよわせると、茂みに実がなっていた。艶やかで、つるつるのイチゴのようだ。腹の虫が鳴る。生唾を飲み込む。
誘われるように、彼はくたびれた身体を動かして実をもぎ取った。

香りを嗅ぐが無臭。そのへんの石で実をつぶすと果汁が飛び散った。中に虫などはいないようだ、トマトのような種があるだけ。この植物の種だと思いたい。もとより専門知識などないので毒の有無はわからないが。

新たにもいだ一粒を服の袖で拭い、食べさして、戸惑い、意を決して口に放り込む。
厚い皮を噛み潰すと口の中で果汁が飛び散った。眉をひそめるほどすっぱい。
美味しいとは言いがたかったが、彼は次々と口へ運ぶ。

なんでおれはこんなところで、一人ぼっちで、こんなわけのわからん物を食ってるんだろうか。
内心でひとりごちるも、まあ荒野や砂漠よりはマシであると前向きに考えることにした。ポジティヴな性格というより、適当に自分を慰めているだけだったが。食べ物がある森でよかったと感謝した。

口にした実はレモンのようにすっぱく、平時であれば食べようとなど思わないが、それでも彼は満たされた。
だから肩に手を置かれるまで、その者の存在に気がつけなかった。驚き、しりもちをつきつつ振り返ると、そこには薄い唇に人差し指を当てた女。もとより彼は声をあげて、口の中の自然の恵みを吐き出そうとなどは思わなかったが。

夕日の朱に照らされていてもわかる、稲穂のように美しい髪、りんごの果肉のように白い肌、蒼穹に澄んだ瞳。鈴の鳴るような声で小さく。 「静かにしてください」

瞠目する彼。それもそのはず、語りかけてきたのはのただの女ではなかった。細長い耳が横に突き出している。彼にとっては森に住む架空の生き物、エルフ。空想のはずの存在が目の前にいた。
彼がおそるおそる頷くと、左方を風切り音とともに何かが高速で通り過ぎ、背後で木材に釘を打ち込むような音がした。驚いて振り返るとそのとおり、木の幹に矢が刺さっていた。

一拍も置かずまた彼は振り返る。やはり何かの音に本能が反射したからだ。

その音が、地を駆ける足音と鞘から刀剣を抜き放つ音だと気づいたのは、背後から押さえつけられて地面に頬をこすりつけている時になってからだった。エルフと先程の男のうちの――小太り――が、それぞれ大きなナイフと棍棒で鍔迫り合いしている。

彼だけがワンテポ遅れて、やっと状況を認めたのだ。

エルフと小太りの男の技量は互角のようで。それを悟ってか知らずか小太りが数歩引くと、今度は木の陰から髭面が表れた。手足を折り畳むように縄で縛った子供を片手で、どのような縛術か、手提げ袋のように取ってがあり、まるでその辺の店で買ってきた商品のように掲げる。

「動くな」

しかしそれでもエルフは小太りへと踊りかかった。これには彼を含めた男三人組も虚を突かれたが。

「フイヤン!」 小太りが叫ぶと、すぐさま彼を組みふしていた猫背が加勢した。

重縛から開放された彼は立ち上がり、後ずさる。異常だ、逃げよう。冗談じゃない、エルフ……こいつはタイムスリップなんてもんじゃない。おれは――

精神と本能は命じたが、物質の反応は鈍い。恐怖の震えを克服できない。
多勢に無勢か、ほどなくしてエルフは棍棒の一撃を受け、よろめいたところを猫背のフイヤンに組みふされた。

状況にに満足したのか、子供を携えた髭面が彼に言う。 「大丈夫だったかい、にいちゃん」

大丈夫、ではない。混乱しているが、彼はうなずく。

「しかし人質を無視するとは、いかれたやつだよな」 続けて子供を地面に放る。 「なあ?」

「ジャコバン、そのガキだって金になる。丁寧に扱えよ。しかし今日はついてるな、エルフの女だ。ジロンド、縄をくれ」 エルフを組ふしているフイヤンが、髭面と小太りに言う。

猿ぐつわの隙間から苦悶の声をあげた子供の頬には、両の目から続く、うっすらとした悲憎の軌跡が残っていた。

今になって彼の口内の咀嚼しきっていない実が、ごくりと食道へ流し込まれた。
強い酸味が喉を焼いた。頭がぼうっとする。酒の酔いに似ているが、思考はクリアだ。凍った炎のよう。この矛盾した状態が気持ち悪い。

「おっとすまんすまん」 ジャコバンと呼ばれた髭面は鼻を利かせ。 「……しかしひょっとしてにいちゃん、そこに生ってる実を食ったか? 驚いたな。今夜は眠れんぜ」

彼は朦朧としたまま、誰へ語るでもなしに口を開く。恐怖はあるが、思ったことを口に出してしまう。 「その子供はどうしたんだ、どうするんだ。彼女は」

「エルフは高く売れる。物好きな金持ちに」
「非人道的だ」

視界の端で、エルフの女がジロンドと呼ばれた男に胸元をまさぐられている。猿ぐつわは既にされているらしく、くぐもった抗議の声がむなしい。
彼はジャコバンと面と向かって話しているにもかかわらず、自らの危機に手一杯にもかかわらず。フイヤンとジロンドにも同時に意識を向けていた。

ジロンドの太く、ひび割れた指が彼女の先端をもてあそぶ。するとまた別の感触もあった。首にかけられた紐に通された何か。――なんか持ってる。指輪かな?――

――金か? 銀か? いやそれよりさっさと縄をよこせ。口だけ塞いでもなんにもならん。腕が疲れる――
――いや、木だな。たいした価値はない。汚ねえな、血か?――
――なんだくだらん……いやだからはやく縄を――

「人間じゃないだけましだろう」
「ばかを言うな」
「そうかな。しかしにいちゃん」 ジャコバンは彼の頭のてっぺんからつま先までなめるような視線で。 「珍しい服だな」

やおら腰から棍棒を抜き、これみよがしにしごく。よく見ると打症を防ぐためか、先端付近に布が巻かれている。商品を深く傷つけないためだろう。

「前世紀的だ。おれにはエルフと人間の違いがわからん」

彼は平凡な現代人ではあるが、平凡なりに正義感はある。その平凡に伴う恐怖心もあったが、自然の恵みがもたらした興奮が、生の感情を口から垂れ流させた。

思考は別の生き物のように冷徹にめぐる。
相手は棍棒を持っている、剣もある。先の戦闘で使わなかったのは生け捕りにするためだろう。では男である自分には容赦などない。
しかも相手は追跡してきた。手がかりとなるのは足跡や植物を払いのけた痕跡から。ということは森での心得もあるということだ。素人ではない。逃げることは許されないだろう。

衣類を引き破る音がした。――だからジロンド、先に縄だって。ジャコバン、おまえからも言ってくれ――

「細長い耳があるのがエルフだよ、ママは教えてくれなかったのかな?」
ジャコバンはフイヤンの言葉を無視し、いやらしく唇を吊り上げる。

「身体的特徴の有無は種族の区別でしかない。生を蹂躙してもよいか否かの基準にはならない」
「ずいぶんと小難しいことを言うじゃねえか。まるで学府の連中みてえだ、一度しか拝んだこと」

彼は男へと殴りかかった。タイミングは賊の二人の意識が向いていない今しかない。素手だ。敗北の可能性は高いが、得物は使われないだろうと予測していた。

なぜこの男たちは自分を追ってきたのか。フイヤンの 「今日はついてる」 という言葉から、あのエルフの女と居合わせたのは偶然。

つまり最初から身包みを剥ぐ予定だったのだ。だとすれば男である自分が斬りつけられていないのも理解できる。生け捕りにしようとしたのも、摩訶不思議な格好をした人間への興味からか。金持ちと勘違いされて、身代金目当ての人質にしようとしたのかもしれない。

ともかく衣類が血で汚れるような戦いはしないはず。
棍棒も、こちらが素手であるのならわざわざ使う必要ない。殴打した懐に珍しい物があれば損だ。したがって狙われるのは頭部、鼻を打てば鼻血が出る、よって顎かこめかみ。それに気をつければチャンスはあるかもしれない。

そしてジャコバンの思考はまさにその通りだった。ひ弱そうな男など、軽く捻ってやればいい。見たこともない生地のようだし、今日はついてる。

彼のこぶしは半歩下がったジャコバンに空振り、返す刀に荒々しい腕が振るわれた。
彼のあごへと吸い込まれるように。一撃で昏倒させられることは間違いない。彼は最後に、窮屈に縛られている子供見た。目が合い、なんとなしに心で詫びた。

その瞬間、現象は発現した。突風のように流れ込んでくるわけでもなく、ミルクのように濃密な霧が瞬間的に、唐突に視力を失ったかのような錯覚さえ覚えるほどに広がった。

その場の誰もが動揺した。ジャコバンのこぶしは彼のあごをかすめ、なんとか避けようとしていた彼は転んだ。男たちの怒声と困惑の声が飛ぶ中、彼はぶざまに四つんばいで駆け、最後に見た子供が放られていた場所へと向かう。

確かこの辺りと地面を探る。温かく柔らかい感触に、食い込んでいる荒縄。片手で抱きかかえると驚くほど軽い。そして震えていた。

さてどうする、思案していると空いている腕を引かれる。

一瞬、身体をこわばらせるが。それに害意がないことからフイヤンに組みふされていたエルフの女だと理解した。混乱に乗じて拘束から抜け出し、男たちに反発していた彼なら子供の元へと行くはず、とあたりをつけていたのだろう。

根につまづき、転びそうになりながらも、まとわりつく霧の中をいざなわれるままに走る。途中でエルフの女が木や枝にぶつかるも足は止めなかった。五十メールほどだろうか、反転するように薄暗い森が現れた。粘質な霧を抜けたのだ。




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・登場カード紹介

カード名 万の眠り/Gigadrowse (まんのねむり)
マナコスト (青)
タイプ  インスタント
テキスト
複製(青)(あなたがこの呪文を唱えるとき、あなたがその複製コストを支払った回数1回につき、それをコピーする。あなたはそのコピーの新しい対象を選んでもよい。)
パーマネント1つを対象とし、それをタップする。

・知名度ではたぶん「ぐるぐる」のほうが上。どっちにしようか悩んだけど、シリアスだったのでこっちに。



[36979] 第二話 魔術を唱えたのは誰か
Name: hige◆53801cc4 ID:4152f619
Date: 2013/04/12 21:27
第二話 魔術を唱えたのは誰か



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追うか、報告をしにアジトへ戻るか。霧が晴れ、悪態をつくフイヤンとジロンドを尻目にジャコバンは思案した。
魔術。ジャコバンが聞くには、その『場』が発する、マナと呼ばれるエネルギーを引き出し、何かしらの現象を発現させる技術。才能。

したがって、マナの源である『場』自体が、人知を超えた自然そのものが不可思議を引き起こすという話を耳にしたことがある。地震、山火事、豪雨、嵐がその一例らしい。真偽はわからない。
しかし、先の濃霧がその自然現象だとは考えにくい。あまりにもタイミングが良すぎる。何者かの作為によって引き起こされた魔術とみていい。

魔術師は誰か。あのエルフどもではない。仮にそうなら、捕らわれるまえに魔術を行使しているはずだからだ。
となるとあの男。バカな、ジャコバンは唾を吐き捨てて毒づく。
魔術を扱えるほど学があろうものが、あれほどに中毒性のある実を口にするほどマヌケなのか?

どこかの旧貴族のボンボンがエルフ見たさか、ヤクの中毒に抗えずにふらふらと森にやってきたのだろうと検討していたが。どうやら魔術師の頭のできを買いかぶりすぎていたらしい。
しかし、呪文らしき言葉を聞いていない。魔術には不可欠だと思っていたが、ひょっとするとあいつの持つようなアーティファクトかもしれない。

「どうする、ジャコバン」 フイヤンが忌々しげにジロンドをねめつけて言った。縄をかけておけば、少なくもどちらかのエルフはこの場に残っていたはずなのだ。 「手ぶらで帰っちゃあ、あの陰湿魔術師に嫌味を言われるぜ」
「追おうぜ、エルフは二人がかりならなんとかなる。ガキはたいしたことない」 と、ジロンド。責任を感じるというより、一人で失態を償うことを恐れている。

「だがあの男は魔術師かもしれん」 顎ひげを撫でながら、ジャコバン。 「だとすれば脅威だ」
「フイヤンの奇襲に反応できなかった。追って、寝るのを待ってから仕掛ければいいさ。それにただの霧だったじゃねえか」
「まだなにかを隠し持っているのかもしれない。ジャコバン、おれはやはり……癪だが陰湿野郎の助けを借りるべきだと思う」

ふうむ、とジャコバンを目を閉じた。あの男は実を食べていた、信じられないことに生で。ジロンドは深夜を待とうというが、今夜は寝る方が難しいはずだ。

しかし上手くいけばおれの――

「やつらを追う。どうせ行き先はわかってるんだ。ガキを連れてんだ、すぐに追いつく」

あらかじめ、天使によって上空から点在するエルフの集落の場所は把握している。エルフどもが向かうとすればここから一番近い集落だろう。いちいち足跡を探す必要もない。



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濃霧を抜け、彼は一転して目に写る風景の鮮明さにたじろいた。肌寒い。先の霧の水分が肌や衣類に付着していた。
エルフの女が彼の手を離し、よこせという具合に右手を差し出す。
みればその姿は、暗がりのせいで泥だかかすり傷の血かわからないが、汚れてしまっている。

「なんだ? ああ、猿ぐつわで話せないのか。いや、子供はおれが持つよ」

もう一度手を差し出し、今度は森の方向を指差す。

「先に行けということか? ばかを言うな……」

いいさして彼は勘ぐる。このエルフの女はおれを囮にするつもりかもしれない。最初に声をかけたのも、その思惑があった可能性がある。
先に行かせて、適当なところで別れる。あの男たちが追いかけてきた場合、どう見ても森に詳しそうなエルフよりも、おれを追跡するほうが楽だ。もちろん男たちはおれとエルフがセットになっていると期待しているだろうが。

「……おれは戦えない。もしもあの男たちと戦闘になった場合はきみだけが頼りだ。だからきみの片手を塞ぐのは合理的ではない。もちろんきみがこの場でおれを殺して子供をつれて逃げるのもいいが、男たちの主目的がきみたちである以上、追撃は続くだろう。その場合、きみは子供をつれて三人を相手取らなければならない。だから、その」

言いよどみ。疾走の動悸から肩を上下させ、口に食い込む縄に息苦しそうに呼吸をするエルフに続けた。

「おれを見捨てないでくれ。前述の場合は互いにとって不利でしかない。頼む」

エルフの女は何か言いたそうだったが、その暇も惜しそうに、再び走り出した。数歩駆け、ぽかんとしている彼に手招きする。

子供を抱きなおし、彼も続いた。

日の落ちた森は予想よりも暗かった、月明かりはあるのだが、茂る木々の葉がそれを遮っている。その中を走るのだから、彼は何度も転んだ。そのたびに子供が傷つかないように背を下にしなければならなかったが、夜に目が順応しだしてからはつまづく程度になった。目の前をいくエルフの後を追えばいいのだから。

彼にとって不思議なのは、これほど全力疾走しているのにも関わらず、ほとんど体の疲れを感じないことだ。
極限状態による興奮か、ランナーズハイだろうか。どうもあの実を食べてから調子がおかしい。悪くはないのだが、良すぎるのが問題であると理性は告げる。麻薬のような効果があるのかもしれない。

しばらくすると、エルフの女の足が遅くなった。というより、左腕を庇うような走りになっている。ペースもかなり落ちてきていた。

「大丈夫か?」

エルフはそれでも先へ進む。

「待て、止まってくれ。だいぶ走った、距離はかなり開いた。先に縄を解こう、その口では効率的に酸素を……走りにくいだろう。ここで小休止して態勢を整えたほうが長期的に見て有利だ」

エルフの女が立ち止まり、振り返る。

「命令しているわけではないから、きみの意見を……いや、やはり意思疎通のためにも、せめて口の縄はといておくべきだ」

やはり何か言いたそうにして、エルフの女は周囲を見回し、近くに一本の巨木があるのを見つけた。手招きして彼をいざなう。
ついていき、なるほどと納得した。巨木には大きな洞があったのだ。大人三人も入れば窮屈なスペースだったが、ようやく人心地がつける。肉体的な疲労は感じないが、精神的にまいっていた。

「何か切るものはあるか?」

座らせるように子供を置き、呼吸を整えるエルフの女に言った。エルフの女は腰の裏の鞘を指差す。中身はなかった。先の戦闘の際に落としたのだろう。

「後ろを向いてくれ、ほどいてみる」

向けられた華奢な背に寄り、襟足あたりで固く結ばれている縄に格闘するが。そのたびにエルフの女は苦しそうにもがくばかりだった。
縄は木綿で作られた基本的なもののようで。撚り合わせている細い紐を少しずつ噛み切ろうと口をつける。柔らかい髪に顔をうずめる。いいにおいがした。なんだろうか、花のような、香水?
しばらく試したが、この様子だと夜が明けるかもしれない。それも歯と顎が正常であり続けるという前提で。

「なにか尖ったもの、があったらすぐに出しているよな」

子供にも目をやるが、頭を振るだけだ。

彼も洞に背を預け、一休みする。お手上げだ、クシャクシャになったタバコを咥え、ライターを点そうとし、こいつがあったかと、ぐったりとしているエルフの二人を見やった。

「火で縄を焼ききる。やけどするかもしれんが、我慢してくれ」

もしもの消火のため、土を一山用意し、女を寝かせ、肌を焼くよりはましだろうと後頭部で縄を慎重に炙った。暗闇に小さく柔らかい現代の灯りが揺らめく。
少し髪が焦げたが、ほどなくしてたっぷりと唾液にまみれた猿ぐつわが外れた。狭い空間に甘い蜜のような香りがたゆたった。

ライター片手に、続いて子供に寄ると身をよじって距離を置こうとする。

「こうでもしないと縄はとけない。悪いが少し我慢してくれ」

子供はエルフの女を伺う。小さく頷かれたので、観念したように彼に身を任せた。
複雑そうに縛られた縄だったが、よくよく見るとどこを切っても一度で拘束を解けそうだ。じっとしていてくれよと呟き、同じ手順で縄を焼く。すぐさま女が土でその付近を冷ます。

長い拘縛から開放された子供は少しずつ身体を動かし、慣らした。
これでひとまずと、彼は今度こそ一服しようとタバコを咥えなおしたが、臭いはあの男たちにとって追跡を有利にさせるかもしれないとためらう。

「あんたは、魔術師なのか」 と、手足を揉みほぐしながら、まだあどけない声色で、子供が物を置くような慎重さを含めて言った。

「いやおれは教師だよ」 ライターをポケットに戻して彼。 「理数系の……なんだって?」 口からタバコがこぼれ落ちる。
「魔術師だよ、さっきの霧はあんたがやったんじゃないのか」

彼はエルフの女を見やる。やはり、言葉を選ぶように。しかし子供よりも警戒して。彼にはそれが少し不自然に思えた。

「少なくともわたしやこの子ではないと思います。あなたがマナを扱ったのでは?」

彼はタバコを拾い、土を払う。魔術師? マナ? ギャザの世界じゃあるまいしと思考の一つが告げる。しかし別の思考が、これまでの非常識さと経験を統合し、理数教師らしいロジックでその可能性を考慮する。

Magic:The Gatheringの世界概念は、さまざまな次元が内包されている多元宇宙であり、限られた者はその次元間を自由に移動できる。したがってその多元宇宙の中に、彼のいた現代地球の、トレーディングカードゲームとしてMagic:The Gatheringが存在する次元が多元宇宙に内包されている可能性は、誰にも否定できない。なぜならば、それを否定するには多元宇宙内に存在するすべての次元を調べなければならない。

ある特定の雪の結晶の形が絶対にないと言い切るために、降り注ぐ雪の中から一つ一つの結晶を顕微鏡で調べるようなものである。多元宇宙はおそらく、無限の広がりをもつのだから。――もっとも、同じように多元宇宙が無限の広がりを持つことの絶対の証明をできるわけではないが――

彼にはもともと現実主義なところがあったが、異常な冷静も手伝い、理性は事態を受け入れた。
となるとおれはファンタシィな次元に渡ったのだろう。認める、ここは異次元だ。偶然か作為かはわからないが、おれは次元を歩いた。あるいは歩かされた。

しかしこれでは、まるで自分は小説の中の登場人物だと自嘲する。
元いた現実世界から見るエルフは空想の中のものだったが、いまや自分も空想上の存在と同じ次元に意識があるからだ。これは、この次元に存在する者からしてみれば失礼にあたるのだろうか? ようするに、おまえたちの次元は低次に位置すると言っているようなものだ。

「おれは魔術師じゃない。と思う」
「でもさっきの火はアーティファクトってやつじゃないのか?」 子供は油断なく、彼のポケットに視線を向けた。

「いやこれは……原始的な仕組みの発火装置だよ。誰にだって火をつけられる。ところできみは」
「おれは」 と、念を押すように。 「カル」

名前なのだろう。しかし、おれ、とは。なるほど買い手はその名のとおり、物好きな金持ちらしい。
意味ありげにカルを一瞥した女が次いで言った。 「わたしはオルレアです」

「魔術師はさっきのような霧を起こしたりするのか? その、マナを使って」
「あんたがやったんじゃないのか? 少なくともおれじゃない」
「聞くところによればそうらしいです。わたしでもありません、そもそもわたしたちは口を封じられていましたから」

「呪文を唱えられるのは、おれかあの男たちってことか」 彼は記憶をめぐらすが、やはり覚えがない。 「おれが呪文を唱えた? それらしき単語を口にしたか?」

あの男たちの中の誰かが唱えたか、誰でもない第三者があの場にいたのか。
彼は魔術についていろいろと尋ねたが、なにひとつとして満足のいく回答は得られなかった。魔術師でなければ詳しいことはわからない。学府とやらに行くか、魔術師に直接聞くからしい。
他にも聞きたいことは山ほどあったが、休憩もそこそこにオルレアは出発を促す。

その前に、左腕を見せてみろと彼。霧を抜けた直後の、カルを抱きかかえる動作と先に行けというジェスチャーは全て右腕で行われていた。

「なぜです」
「怪我をしているんじゃないか」

気まずそうに差し出された左腕をライターの火で照らし、症状を確認する。痣は見当たらないが、やはり左前腕がわずかに腫れている。

「痛むよな?」

オルレアは小さく頷く。

布を巻いた棍棒の打症なのだから、骨折とまではいかないだろう。せいぜいひびが入ったくらいか。今はまだ腫れは目立たないが、数時間後にはどうなっているかわからない。エルフの強靭さに期待したい。
彼とて骨折ていどの経験はある。生兵法だが適当な枝を折り、ロープを使って見よう見まねのギプスを作った。
エルフの前で枝を折るのは気が引けたが、彼に戦闘能力はない。オルレアが少しでも戦いやすくなるのならば、戦力にならない自分の腕の骨を折られてもマイナスにはならない。

彼が二人をおそるおそる伺うと、なんとも言えない表情を向けられていた。

「行きましょう」 と、オルレア。木の洞から抜け出した。彼とカルも続く。

そういえばどこを目的地としているのか、彼は聞いていなかった。しかしまあ知ろうと知るまいと付いていくことには変わりないのだと置いておく。それより考えるべきことはあった。
先程の霧。覚えがないわけではない。全ての戦闘ダメージをなかったことにする効果を持つ緑のカード。【濃霧/Fog】 あるいは同じ効果を持つ白のカード 【聖なる日/Holy Day】。

だが前者だろう。
カードは色によって区別されており、基本的には対応する色の『土地』という種類のカードから生み出した色のマナを使わなければならない。

緑のマナを生み出せるのは『森』。生長、本能、生命を象徴し、マナやクリーチャー、自然を操ることを得意とする。
赤は『山』。破壊、衝動、怒り。相対する者に直接ダメージを与え、土地やアーティファクトを破砕する。
白は『平地』。平等、平和、秩序。クリーチャーなどの一掃、傷を癒す。
黒は『沼』。死、非道徳、悲哀。殺し、奪い、死を冒涜する。

青は『島』。知性、文化、哲学。きわまりに至れば時空間を操り、深い知識は相手の呪文そのものを打ち消す。

先の霧は緑の十八番、自然現象であるし。逆説的にこの場所から唱えられるのも緑の呪文に限られるからだ。
もっとも、これは彼の持つプレイヤルール知識内の話であり。先の色の役割もほんの一例でしかない。色は単なる抽象的な指標であり、所詮は人間が超自然という異物に、無理やり自分たちの物差しを当てたにすぎないのだ。

人工物である教会が描かれたイラストの土地カードからもマナは出るし。平和を主とする白は、時として殺戮を好む黒よりも熾烈に敵を排除する。
それにこの次元の魔術師は、場所を問わずさまざまな色の呪文を唱える可能性はある。

普段は単純に手札から土地を出し、マナを支払ってカードをプレイしてきた彼だったが、そもそも魔術とは何なのかという問題はあまり考えたことがなかった。
ためしに何か唱えてみようと、なんとなしに前方を注視して意識を集中させ、緑の有名なカードである【飛びかかるジャガー/Pouncing Jaguar】の名を呟いてみるが、変化はない。

緑のマナが足りないわけではないだろう、【濃霧/Fog】と【飛びかかるジャガー/Pouncing Jaguar】は、同じ緑のマナ1つで唱えられるはずなのだ。

違いがあるとすれば、前者は相手のターンでも唱えられる一時効果のインスタント呪文で、後者は自分のターンにしか唱えられないクリーチャーを召喚する呪文だということくらいだ。
もしもおれが魔術を行使できるのならば、クリーチャー呪文を唱えたい。これほど切実に願ったことはない、なにせ自分の命がかかっているのだ。

クリーチャーカードにはパワー/タフネスというステータスがある。0を除けば最低の値の1/1でさえ、人間の新入り軍人相当なのだ。あの盗賊たちと同等はあれど、それ以下の強さではないだろう。

ゲームではクリーチャーを展開していき、相手を攻撃して20点のライフを0にすすれば勝ちとなるのだが。

ひょっとすると今は相手のターンという扱いなのかもしれないと同じインスタント 【芽吹き/Sprout】 という1/1クリーチャーを場に出すカードを口にするが、いっこうに苗木の化け物が芽吹く様子はない。

やはりおれは魔術師ではないのだろうか。

いったい誰が【濃霧/Fog】を唱えたのか。濃霧と、ここで口にすれば彼が唱えたのではないと確証を得られるが、男たちは当然に折れた枝や足跡から追跡しているだろうが、あの濃密な霧は自分の場所の更なるヒントを与えるようなものである。

それに、ルールが必ずしも現実に準用されるかはわからない。ひょっとすると、絶体絶命の状況下でしか唱えられないのかもしれない。なんだ、これでは結局なに一つとして明らかになっていない。

白いフクロウが木の枝にとまり。小首をかしげる。

二人のエルフは既知の仲のようだった。いくつかの応答が耳に聞こえたが、固有名詞が多く、彼にはよくわからなかった。
それよりも問題はオルレアの腕の具合だった。洞を出てまだ数分のところで、走る際の衝撃が骨に響くようだ。

今までは興奮状態によるアドレナリンから痛覚が麻痺していたが、時間経過と休憩による安堵が再びそれを思い出させる。
もはや彼らの逃走は、歩くよりも少し速い程度になっていた。

「大丈夫?」 と、カル。

彼も歩み寄る。
意外にも「痛い」と、オルレアは泣いていた。小さな背が震えている。

てっきりエルフは弱音など吐かないと思っていたが、それは彼の勝手なイメージにすぎなかった。
これまでが平穏な暮らしなら、骨の怪我の痛みは未知だったのかもしれない。命のやりとりも。考えてみれば、外見どおりの年齢ならまだ少女だ。
怖かったろうに。おれがこのくらいの年ならチビッてるかもしれないな。

「あまり無理しないでくれよ。なに、ひょっとしたらおれ一人であいつら一人くらいはなんとかなるかもしれない。駄目だと思ったら見捨ててくれ」

言って彼はそのへんの石を拾い上げる。こぶし大ほどだが、これで殴ればさすがにひとたまりもないだろう。当たれば。

「でも、魔術師じゃないんだろう」 カルが見上げて不安そうに言った。
「だが、教師だ」 彼は少し笑った。そういえばこの次元にきて初めて笑った気がする。

なんの根拠もなかったが、職業柄、年下の面倒を見ることにはそこそこ慣れている。もっぱら学業の面が主だったが、国家公務員として、それなりの責任感とプライドがある。

と、不意に草木を掻き分ける音がした。身体が凍りつく。矢がすぐ近くを通過した。この暗さだ、あたれば幸いのめくら射ちだろう。剣を構えた人影が飛び出してくる。
あまりにも早すぎる追撃だった。やつらはこちらの進行ルートがわかっていたのか?

オルレアがとっさに土を一掴み、迫るジロンドに投げつけ、ないよりましと鞘を構えて彼とカルの前に出る。
目潰しは前腕で防がれてしまうが。一度視界を塞いだせいか、ジロンドは慎重に距離をつめる。

後方からも草木を踏みしめる音。先程と同じやり方らしい。彼は石を握り締め、カルを庇うように振り返る。
二人に挟まれたカルは、オルレアに習い、両手に土を握りしめる。たぶん、たいした役には立たないだろうと感じてはいたが。

「おれたちはエルフに用があるんだ、あんたは見逃してやってもいい」

木々の向こうからジャコバンの声が響いた。
彼は油断なく黙す。冗談じゃない、最初からおれの身包みを剥ごうとしたくせに。

まだおれは何も知らない。この次元のことや、エルフのこと。魔術。わけのわからないまま死ぬのはごめんだ。
身を低くしたフイヤンが飛び出してくる。長身猫背とあいまって不気味な獣のようだ。構えた肉厚の短刀。

この危機的状況ならばどうだろうと彼は呟く。

【飛びかかるジャガー/Pouncing Jaguar】

だが変化はおこらない。なぜ、なにがいけない。
あの場には彼、オルレア、カル、フイヤン、ジロンド、ジャコバンの六人しかいないという前提のもと。消去法から考えてあの霧を創ったのは彼だ。

しかし彼もまた、呪文を唱えた覚えなどない。集中力が足りないわけではない、思考は絶えず不自然なほど澄んでいる。

カルが、彼の影からフイヤンの顔めがけて土を投げつける。だがフイヤンはとっさに駆ける前傾姿勢を正した。目潰しは膝に当たり、助走をつけた鋭い突きは目の前だった。背後からもジロンドが迫る足音を感じ取る。
石を持つ腕を振りかざした。たぶん、短剣のほうが先に刺さるだろうことは彼にもわかっていた。しかし助けを求めることはできない。オルレアは負傷しているし、カルは子供だ。武器もない。

死にたくない、助けてくれ。唐突に実家の犬を思い出した。大きくて元気なやつだった。
犬。旧石器時代から共存してきたといわれる種。現代でも猟犬から補助犬、警察、軍と、もっとも人間社会に密着している生物であると言っても過言ではない。
酒。昨日、いや一昨日。もっと上等なやつを空ければよかった。けちるんじゃなかった。あても安物。

迫る死に恐れおののいている自分を、冷ややかに分析する思考がもう一つあるような感覚。これが走馬灯なのだろうか。記憶がコマ送りに再生される。

目を覚ますと森の中、『どこだよここ』、血溜まりに立つ男、『近くの村まで送っていこうか』、拘束されたエルフ、『人間じゃないだけましだろう』、そして視界を白く塗りつぶした濃霧。
いや違う。

呪文を唱えたのは――
『身体的特徴【の有無】は種族の区別でしかない。生を蹂躙してもよいか否かの基準にはならない』
――おれか

彼は呟く。

【濃霧/Fog】

彼のあずかり知らぬ現象が引き起こされた。
マナは彼の持つ知識をリソースに再構築された。温度と反比例する、一定空間に存在できる水蒸気量の減少。それにより空間内に存在できなくなった水蒸気の凝結。夏に冷えたグラスの表面に露がつくのと同じ原理、露点温度へ到達し。草木に水滴が付着。その露点温度よりもさらに空気の温度が下がると、空気中で極小の水滴へと凝固。

彼の持つ、現代科学が暴露した自然の神秘、霧の発生プロセスは、現実に空気中の温度を変化させることなくエミュレートされ、結果のみが模倣された。

空間が白濁する。彼は背後へ倒れこむようにカルに覆いかぶさり、転がる。短剣が空を突く。小さなオルレアの足音。それに反応したジロンドが剣を振るが、手ごたえはない。

それ以降、誰もが身動き一つしなかった。動けば音で場所を察知される。

どうする。彼はカルの押し殺した息遣いを感じながら思案する。霧はもとりよ、この暗がりで矢は飛んでこないだろう。下手をすれば味方に当たる。ジャコバンだったか、あいつが後詰、リーダーなのか。
おれは呪文を唱えることができる。だが制限か、ルール以外の力、なにかしらの法則性があり、今は特定の呪文しか行使できない。

おそらく、この次元の魔術体系の影響だろう。あるいはおれ自身の未熟も考えられるが、【濃霧/Fog】が唱えられた以上、少なくともマナが足りないというわけではない。
【濃霧/Fog】は戦闘ダメージを軽減するだけの消極的な呪文だ。状況は変わらず不利。
やがて視界は色を取り戻す。彼は本能のままに別の呪文を口走る。理性の考察は情報不足で役に立たないと判断。

オルレアと対峙していたジロンドは瞠目した。エルフの女が見当たらない。小さな足音は一度だけ、この場から逃げるほどの移動はしていないはず。
彼女は霧が出た瞬間に木の枝へと跳躍していたのだ。あとは最後に見たジロンドの場所と、剣が霧を裂いた音を頼りに強襲。木の幹が揺れる音。鞘を逆手に、ジロンドの顔へ突き立てる。

霧が晴れたあとの彼の呪文を、フイヤンは聞き逃さなかった。
立ちふさがるように、一匹の大きな犬が現れる。

「おれたちを守ってくれ」 すがるように、地に腰をつけたままの彼。
フイヤンの行動は素早かった。この男は魔術師だ。臆していては死ぬ。

距離をつめ、犬の横腹を蹴り飛ばす。意外にもそこらの野良犬と同じような鳴き声をあげ、地を転がった。たいしたことはない、骨は内臓に突き刺さっただろう。経験から自信があった。多くの小動物がそうだったからである。
その間、彼は再び霧を出現させようとささやくが、今度は【濃霧/Fog】が機能しない。

フイヤンは短剣を振りかざす。せめて子供はと、彼はカルを抱き寄せてかばう。

その時、ジロンドの悲鳴が響いた。フイヤンが見やると、手で顔を覆っているようだ。エルフらしき女が腕をかばい、地面にうずくまる。あの時の棍棒の怪我か。
ジロンド、自業自得だ。さっさと縄を用意していれば。まあ、どうでもいい。余計な余裕をかけるからそうなる。おれは違う。魔術師めがけて短剣を逆手に振り下ろす。
何者かが地を蹴った、眼前を影が通り過ぎる、遠心力を感じない、腕が軽い。肉突き刺す感触が、いつまでたってもやってこない。

マヌケにも彼とフイヤンは一緒になって、両者の間を縫った影を目で追う。爛々と目をたぎらせた犬が、短剣を握りしめている腕を吐き捨てた。

フイヤンの叫びが響いた。
二人の悲鳴を聞き、ジャコバンは甲高い指笛を鳴らす。それが撤退の合図だった。マッチを点け、自分いる場所を二人に教えてやる。

ジロンドとフイヤンはそれぞれ顔と腕を庇いながらも、小さな灯りめがけて駆け出した。
追うべきかと彼が腰をあげると、やはり先ほど犬が飛び出す。今度はなんだと見やれば、弓を引かれていたのだと気がつく。犬は器用に矢を咥えた。
偶然だろうか。それともジャコバンはこの暗がりでも狙いをつけることができるのか。いやそれよりもとオルレアに駆け寄る。

「大丈夫か」

うずくまり、腕の痛みに震えながら、オルレアは頷き、鼻をすすった。涙が頬をすべる。「恐かった」 と、細い声をあげる。

「おれもだ」 彼も疲れて腰を降ろすと、さきほどの犬がすり寄ってくる。
カルはどこだろう。あたりを見回すがどこにもいない。一瞬背筋が凍るが、左腕の中にある感触を思い出す。アホらし。抱きかかえたままだった。

「……ごめん」彼の胸に顔をうずめたカルが消えいりそうな声で。
「なにがだ?」

彼は無意識に犬の首に空いている右腕を回してやり、喉をくすぐる。実家のやつもこうしてやると喜んだ。犬は目を細め、喉で鳴いて尻尾を振る。手に粘質な液体。ヨダレではない、たぶん血だ。
それとは別に懐かしい香り。子供の頃、下校中によく吸っていた花の蜜。たしかサルビアだったかツツジ。前者が赤で後者は薄いピンクの。花の中心をそっと抜き取ると内側にぽっこりと透明な蜜がついているやつ。
いい匂いだ。

「ごめん」

だから何が、言いさした彼は左腕がじっとり湿っていることに気がつく。そういえば猿ぐつわからも甘い香りがした。エルフ特有の体質なのだろうか。
カルを見やるが、当たり前だ。恥ずかしいに決まってる、顔をうずめたまま。

「いいさ、洗えばすむ」 彼は笑って頭を小突いてやる。 「やっぱりおれも、少しチビった」
「やっぱりって?」 目を赤くしたカルが見上げる。
「いやこっちの話」

しばらくするとオルレアが上体を起こし。「あの男たちは」 ぐしゃぐしゃに濡れた顔を拭う。
「逃げたよ、こいつが追っ払った」

オルレアは彼にお腹をまさぐられて喜ぶ大きな仰向けの犬を見て言った。

「魔術師なのですね」
「騙すつもりはなかった。おれもさっき知ったところだ」
「わたしたちは別の集落へ行かなければなりません。あなたは」 言って立ち上がり、彼を見下ろす。

「おれは……」
「この森は慣れていない者には危険です。夜は特に」

彼は青白い視線でオルレアを見上げる。小さな違和感。

「一緒に行こう、来ればいい」 と、腕の中でカル。

もとより選択肢はなかった。この次元についての情報を得なければ。

「いいのか?」 立ち上がり、カルを降ろし、オルレアに尋ねる。

「はい。カルもいますし、集落への話はつくでしょう」

わかったと彼は二人にについて行きながら。やはりルール外の法則性が干渉していると推察する。
その法則性を知るにはたぶん、この次元の普遍的な魔術体系を知らなければならない。

いまのおれはたぶん、やっきになって火を起こそうとしているが、なぜ点らないのかを理解できないでいる。可燃物質、酸素の供給、可燃物質の温度が発火点を超えるという、発火に必要な三つの基本的物理法則すら知らないのと同じだ。
しかし完全に影響下にあるわけではないように思える。その片鱗は先ほど体験した。大型犬とはいえ、さすがに大の男の蹴りを受けてピンピンしているのは不条理だ。なぜなら――

すぐそばに従うクリーチャー、【野生の雑種犬/Wild Mongrel】の、後ろになびいた細い耳の付け根をマッサージしてやりながら推論を続けた。

犬がどこを触られて喜ぶかということは、実家の犬でよく知っている。
彼は犬という存在がどういったものかについて、既知である。

ところどころで小休憩を挟み、やがて夜が白みだす。夜明けが近い。疲れから眠ってしまったカルを抱え、彼とオルレアは一つの美しい集落へとたどり着いた。

彼はその幻想さに感嘆の吐息を漏らす。



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退散した三人はアジトに向かうべく、森を進む。

「ちくしょう」 口元を押さえるジロンドが、うなる。前歯がほとんど無くなってしまったせいでうまく喋れない。
「大丈夫か」 フイヤンに肩を貸してやり、ジャコバンが言った。すぐ横で、色のない瞳をした顔が頷く。

フイヤンの腕は二の腕を縛る止血だけの応急処置が施されているだけであり、その効果も微々たる物だった。滴り続ける血痕の量からして、長くはない。
すでに痛みすら感じない。
フイヤンが呟く。「暗いな」

「心配すんな」 と、ジロンド。血だらけの口で笑って言った 「あの陰湿野郎に治してもらえるさ、アジトまでもう少しだ。おれは金歯でも生やしてもらう」
「いいな、それ……じゃあおれは、おれは……おれは定職につきたい」

フイヤンの言葉に、二人はぎょっとした。

「でも右腕がないからな……なあ、片腕でもできる仕事はあるかな?」
「だから右腕は魔術師に治してもらえばいいだろが。できるよな? ジャコバン、あいつなら。あんだけ威厳たっぷりなんだからよ」

ジャコバンは、きっとな、と答えることしかできなかった。
三人は薄暗い森の中を進む。
やがて四つのテントが見えてきた。

「フイヤン、もう少しだ。がんばれ……フイヤン?」

ジロンドの言葉に返事はなかった。

「おれ! あの野郎を呼んでくる!」

歯茎から血を撒き散らしてジロンドは叫び、駆けた。ジャコバンはそっとフイヤンを横に寝かせる。

その時、かすかに残留していたフイヤンの生命は、魂は、意識は見た。そして恐怖した。こちらを覗き込むジャコバンのほくそ笑んだ顔に。かすかな月明かりに照らされた脂ぎった皮膚、欲に弛んだ目じり、黄色い歯。
渾身の力を振り絞り、ジロンドを呼ぼうとするが、大きく吸い込んだ際の呼吸音から察したジャコバンが、大きな手で口を塞いだ。

伝えなければ、ジロンド、こいつは――

最後の力を振り絞り、身体をのたうたせる。失血が加速する、構うものか。意識がまどろみから開放され、痛覚が金切り声を上げる、構うものか。呼吸が苦しい、構うものか。しまいにはみぞおちを殴られる、胃から昼食がこみ上げる、くるしい、涙が、鼻水が、くさい、便? 暖かい、尿? 暴れる身体を押さえつけられても足掻く。左手で土を投げつける。ジロンド、気をつけろ――

フイヤンは動かなくなった。

わたしに治療の魔術は使えない、何度言ったらわかるんだ――
魔術師なんだろ? なんとかしろ。おれの歯は後回しでいい――
まったく、魔術師でない者は魔術が万能だと信じる傾向があると聞いたことがあるが、まさか本当だとはな――

ロベスを連れたジロンドがやってくる。ジャコバンは気を落として首を振った。

「あの野郎、生かしちゃおけねえ」

震えた声で、ジロンド。ロベスは一歩遠のいた場所でその光景を眺めていた、糞尿が臭うのだ。

「ああ、落とし前をつけてやらねえとな」

めずらしくジャコバンが泣いているところを見たジロンドは、二人で復讐を成し遂げることを誓った。陰湿魔術師は役に立たない。必ず、殺す。

「見ろよジャコバン。フイヤンのやつ、殺したやつを絶対に許さねえって面だ」

歯をむき出しにした大きな口、見開かれた細い目、刻まれた深いしわ。青白い顔とあいまっていっそう不気味だった。まるで別人のよう。

ジャコバンは涙を流した。フイヤンに投げつけられた土が目に入って痛いので。



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・登場カード紹介
カード名 濃霧/Fog (のうむ)
マナコスト (緑)
タイプ インスタント
テキスト
このターンに与えられるすべての戦闘ダメージを軽減する。

・強いかと聞かれれば強くはないが、じゃあ弱いのかと聞かれれば弱いわけではないというカード。そのつかみどころのなさはまさに霧。かもしれない。

カード名 野生の雑種犬/Wild Mongrel (やせいのざっしゅけん)
マナコスト (1)(緑)
タイプ クリーチャー — 猟犬(Hound)
テキスト
カードを1枚捨てる:野生の雑種犬はターン終了時まで+1/+1の修整を受けるとともに、あなたが選んだ1色の色になる。
P/T 2/2
フレーバ 犬に死んだふりの芸を教えるのが普通だが、こいつの場合教えるのは犬のほうなんだからね。

・最強の2マナ2/2クリーチャー。理論上、無限に手札を捨てると無限に強くなる。じゃあ以降はおれTUEEEEになるのかとか気になるかも知れんけど、そこらへんはまだ未知のほうが楽しいんじゃないかと思います。
不可思議を捨てるのはやめてください死んでしまいます。


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