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[36568] [R15]装甲悪鬼村正 守護者編[オリ主]本編後
Name: 空男◆ebc8efbe ID:300702e8
Date: 2014/03/29 19:38
前書きと自己紹介はこのページの下部にあります。
what's new
3/31 第弐幕Ⅲをup
1327 2296 3404 4318 5127 5772 6592 7517 8293 8954 9763 10300 11459 12331 13333 14021


物数寄のほねさん
今回もコメントありがとうございます。
はい、「もう何も怖くない!」
全くその通りで、そんなノリで書いてましたw
前にもあったことですが、やはり「読んでいただいている方に思い違いをさせてしまうような文章」というのは文章を書く側としては反省するしかありません。時間を空けてしまっているというのが一番の問題かもしれませんが。
言われて読み返してみると、自分でも不自然だなと思うところでありますが、あえて、このままにさせてください。取れた首のマ〇さんと、首のとれた〇ミさん。どちらが本体でしょうか?ということでお願いできると幸いです。
次回もコメント頂けると空男、大変喜びます。
僕の書く駄文に限った話であれば納得なのですが、この掲示板の人離れがあるとネットで見かけたので、心配な今日この頃です。
長くなり、すいません。次回もコメントお待ちしてます。



こんばんは、空男です。
今回は装甲悪鬼村正のssです。最近、減ってきましたよね。。。

長い作品なうえ、プレイしたのが随分前なので、間違いがあったら指摘してください。
オリキャラとオリジナルの剱冑が登場します。
それでも良い方は、本編へどうぞ!

今回もこの1ページ目をコメント返信に使います。コメント数で作品を選ぶ方への配慮ですので、ご理解いただければ嬉しいです。

※一話には村正要素が限りなく不足しています。二話を早く仕上げます。申し訳ないです。



[36568] 第一幕 Ⅰ
Name: 空男◆ebc8efbe ID:300702e8
Date: 2013/01/26 11:47
古びた匂いを放つ河原の草木。茜色の夕日が指した碧い草木は、その存在を塗り替えられたかのように、自身の色を変えている。
相対す二人の間に言はない。あるのは明白な殺気。そして、研ぎ澄まされた感覚。
一人は刀を中段に構える。誰もが見るなら感嘆の声を上げるほどの美しさ。ただ刀を構えるということが、これほど美しくあるものかと感じさせる、一点の曇りもない正道の構え。しかし、この場にそのような感想を抱く者がいないのもまた事実である。なぜなら、この決闘の観客は相対するもの一人のみ。
対するは、邪道。否、彼もまた正道を行くものだった。やや低く構えられた刀。それを右に倒し、刃を敵に向ける。剣の道をゆく者にしてみれば、邪道。異端の構え。しかし、彼が行くは剣の道に非ず。ただひたすらに目的を達するに特化した構え。ゆえに、正道。道は異なりしも、彼らは紛れもない正道を行くものだった。

お互いの息遣いを感じるほどに研ぎ澄まされゆく感覚。お互いの手の内を知り尽くしたが故の硬直。気持ちの昂ぶりとは相反して、頭の血が引いていくような感覚。両者が手練れであることは容易に見て取れる。

敵の狙いが見えている今、両者の間の駆け引きは、腹の探り合いとなっている。
前者が目指すは喉元への突き。喉をかき切る一突きにて絶命せしめようという腹。
対して後者が目指すは刀の奪取。敵の刀を弾きあげ、開いた胴を二の太刀で切り伏せようとする腹。
故に両者動けず。
突きを切り上げられたが最後。開いた胴をさらすことになる前者。
先に切り上げた刀を抑えられたが最後。開いた喉をさらすことになる後者。

徒に時が流れ――――――――
「・・・・・・・・・・・・・・・・・。」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・。」

両者の時は同時に動き出した。

喉への突きは正しく閃光。地面を蹴って放たれた突きは寸分違わず喉元を襲う。
それを払うべく放たれた薙ぎもまた、見事な三日月。切っ先が描いた軌跡が残像を残して目に映る。
二つの刀が交わった。
同時に両者が攻め手を変える。喉への突きは蛇行し、刀の柄へ。切り上げを抑えつつ、跳ね上がってくる手首を切り落とそうとする構え。それを読み切ったかの如く、右下段から迫りし刀が手首の力だけで左へと返った。途中で軌道を変えた突きは、軌道を変えた故に抜けた力のために、わずかにぶれる。
一瞬の後悔は、すなわち敗北への確信。再び刀を構える間もなく、刀を刀で“巻き取られた”。そう気づいた瞬間には目下に冷たい刃先を感じた。
勝負は決した。

「………流石だな、守道(もりみち)。」

「いえ、今回は偶然です。突きの読みが偶々あたっただけで……。」

河原へと座り込む。傍らには先ほど失った刀が力なく転がっていた。守道と呼ばれた青年は、それを拾い上げると左側に座り自身の右にその“刃のない”二本の刀を置いた。自身の右に刀を置くという行為。それは切りかかることの適わぬ位置取り。そして、いつ切り伏せられるか分からぬ位置取り。すなわち、忠誠の証だった。

「孝道(たかみち)兄さんの機転に、肝を冷やしたのは本当だよ。」

座ると同時にどこを見るでもなく、そうつぶやく。この兄は、二人でいるときは主従の関係をとることを極端に嫌う。ゆえにこの瞬間だけは二人は真の兄弟であった。夏の河原は優しげな風が吹いていた。そんな守道に孝道は笑う。

「あれほど見事に見切られて、そう言われても納得いかぬものよ。
 つくづく、お前が敵でなくて良かったと思うよ。」

日は傾こうとしている。それは兄弟としての時間の終わりを意味する。明日は大切な儀礼がある。その前にお前と真剣勝負がしたいと言って出たのは孝道だった。二人の手合せは今まで数えきれない。そのほとんどを、兄である孝道が勝利していた。しかし、と孝道は思う。この弟は兄を立てる術を学びすぎた。
勝負のほとんどに守道は手を抜いたように思う。それは、代々伝わる道場の主たる父の前での勝負では特に顕著だった。故に、成人を果たし、晴れて道場の主となる明日の儀礼に先だって、自身の弟の力を計りたかった。河原を選んだのは、観衆が皆無なため。そして、全力を出した自身の一突きを、見事なまでに鮮やかに無力化して見せた。
笑わずにはいられなかった。正規の学を受け、道場に伝わりし正道を学んだ。弟は自分から熱心に教えを乞い、又聞きの教えしか得ることができなかった。それなのに、守道に勝てない自分がおかしくて仕方なかった。
しかし、守道を憎むことはない。彼は、孝道にとって最愛の弟であり、明日からは最高の側近だ。そんな片腕の実力をねたむ気などなく、それ以前に彼は、弟の成長がただただ嬉しかった。二人は良き兄弟であった。

“霧島流合戦術”の総本山。霧島の本家に生まれた二人の出生はほぼ同時だった。すなわち彼らは双子である。一方は先に取り上げられ、他方は後に残され、数瞬の後に取り上げられる。この数瞬が彼らの人生を決めた。先に取り上げられた者は、兄として人に先立つようにと孝道の名を与えられ、後に取り上げられた者は、兄を守る影武者として守道の名を受けた。
元より、霧島流に二人の男児を持つ習慣はなかった。故に同時に出生した二人の存在は、霧島家の在り方に関わる問題となった。父は守道を守ろうと動いた。しかし父は主であっても長ではなかった。親戚の集まる議会は、その子を良しとはしなかった。長らく続いた議論の末、二人が18になった日に弟を切り捨てるべしという結論を出した。それはすなわち代用品として使う可能性も考慮してのこと。それを知って良しとしなかったのは他でもない孝道だった。10になると同時にその事実を伝えられた守道とは違い、孝道は18となったその日にそれを知ったのだ。明日へと迫った守道の切り捨てに先立ち、それを聞かされた孝道は激昂した。普段は最高の敬意を払う父の部屋のふすまを声もかけずに開け放ち叫んだ。
“二年もたてばこの家は俺の物だ!俺は家臣としてあいつが欲しい!”と。
それ以降、孝道の修練は厳しさを増した。兄が学ぶは、霧島流合戦術。その正道を行く武道。英才教育の末に孝道はそのほとんどを習得し、霧島家歴代最強の名を門下の者から受けるほどに成長した。その中にはもちろん剱冑の扱いもあった。その点でも彼は他の門下生を相手にしなかった。対する弟は、ただひたすらに護衛と暗殺の術を学んだ。その厳しさたるや、孝道に劣ることのないものだった。もとより、放任されてきた彼には厳しい学も、彼は音を上げることなくものにして見せた。故に孝道は守道を敬愛し、絶対の信頼を置いていた。
二人は良き兄弟であった。







「兄さん、食事の準備ができましたよ。」

部屋のふすまが開いた。入ってきたのは守道。食事の準備が整ったことを知らせるためだ。
顔を上げると、持っていた本を閉じた。それは、霧島流の武道を記したものだ。その教本は、どれだけ頁をめくられたか分からぬほどに皺が寄っている。愛読書の一つである。

「すまない、今行く。」

「父上もお待ちしていますよ。」

食事は三人だけで行われた。いつもは門下生も交えての食事だが、明日の儀礼に際して、三人で食事をとることになったのだ。決して険悪ではないにせよ、重い空気の中、食事は進んだ。明日の儀礼への緊張感も相まって、箸はなかなか進もうとはしなかった。食事が終わるまでには、いつも以上に時間をかけることになった。
目の前には女中が持ってきたお茶がある。食事を終えてしばらくの後、二人の父である霧島忠道(ただみち)は口を開いた。

「明日の明朝、予定通りに儀礼を行うことにする。
 だが――その前にお前たちには教えておかねばならぬことがある。
 南蛮者の話だ。」

南蛮者――それはGHQから派遣されたこの一帯を任された進駐軍の村での総称である。村の男どもを捕まえては金を巻き上げ、女どもを捕まえては犯す。彼らにこの村は苦しめられていた。六波羅がボロボロに崩れてからこちらは、彼らへの六波羅の目付けも甘くなり、彼らの非行が目立つようになっている。そんな彼らをこの土地を預かる者として、霧島家が許しておくわけにはいかず、彼らとのにらみ合いは日々続いていた。もっとも、剱冑を持つ彼らに、いくら修行を積んだとはいえ門下の者ですら太刀打ちできないのが現状ではある。逆に彼らも監視役としての立場を守るためにこの土地を預かる霧島には易々と手を出せずにいる。

「実は、戦争屋―――傭兵部隊を派遣してもらうことになった。」

「なっ!?」

思わず絶句する。横に座る弟も言葉は洩らさなかったものの同じ心境だろう。最近噂になりつつある傭兵部隊のことは話には聞いている。その噂は良いものばかりではない。いや、悪いものの方がよっぽどに多い。剱冑を持つ南蛮者達へ対抗するためには確かに有効な戦力ではあるが、その見返りが依頼者の命という噂は、小耳に挟んだことのあるものだった。

「なに、お前たちが気に病むことではない。
 もし仮に噂が本当だとして、差し出すのはこの老いぼれの命。
 ―――もとはと言えば当代頭首の俺が決着をつけるべき事項だ。
 お前たちの代へと持ち越すということは避けねばなるまい。」

そう父は笑った。

「所詮、風のうわさよ。そんなものに流されるわけにはいかぬもの。
 しかし、よからぬ噂があるのもまた事実。故に議会にもまだ話は通してはいない。
 ……………もしものことのため、お前たちには知らせておく。」

この話はここまでと言わんばかりに、ニカッと笑った父は、本題である明日の儀礼の話を始めたのだった。







話し合いは予定よりも長引いた。

「おやすみ、兄さん」

すっ、と心地良い音を立ててふすまを閉めた。守道は広い屋敷の中、兄の部屋まで主人を送り届けると、玄関まで向かった。今日中にもう一つ約束があった。静かに玄関を抜けると、村の中をしのびながら歩く。すっかりと現代化の波に乗った都方とは違い、こちらはまだ数えるほどの街灯が立つだけだ。向かう先は村の裏山だ。夏の蒸し暑く、しかし心地よい風が吹き抜ける村に、人影は当然少ない。途中何人かの村人に頭を下げられた。村の中でも一番の大屋敷である霧島家は、村内では当然有名で、そこの住民の顔は村人みなに知れていた。村人たちの盾ともなる霧島の名のために、村人は霧島を慕っていた。そんな人々に丁寧に一人ずつ頭を下げる。それは日ごろと変わらぬ光景だった。
待ち合わせの時間は少し過ぎてしまっている。申し訳なさを感じつつも、町はずれの山への最後の角を曲がった時だった。

「いやあ!! 止めてください!!」

女性の声を聴いた。急いで駆けつける。そこには三人の男と一人の女性の姿があった。男の一人が女性の手をつかんでいた。嫌がる女性を強引に捕まえ、ニヤニヤと下卑た笑いを浮かべている。どちらもこの町の人間らしからぬ出で立ちである。
男どもは日本人とは思えない深い彫を持ち、女性は褐色の肌をしている。
“山に蝦夷あり、不要には近づくな”
村の古くからの伝えである。南蛮者のほうは、村人からの取り立ての帰りだろう。都合よく見つけた獲物を犯そうとしているのは一目で見て取れた。南蛮者が女性を襲うということはこの世では全く珍しいものではない。たとえ妻が犯されようとも、その恐怖から何もできない者がいるほどだ。

つまりは、静観が吉。

この世を生き抜くための道理だった。それが蝦夷の女性とあれば、なおさらだ。しかし、今回はその限りではない。
手を取る男の後ろで見ていた二人の男の肩に手が置かれた。

「「あぁ!?」」

こちらにはとうに気付いていただろう。おそらくは気付いていながらも無視していたのだ。どうせなにもできないだろう、と。そんなかかしに肩をたたかれたのだ。彼らは怒声を上げる―――――

暇もなく地に伏していた。得物を取り出す暇もなく、首に手刀をたたきつけられた彼らは地に伏すほかない。慌てたように構えをとった残る南蛮者の顔面に肘を思いきり叩きつける。体が力を失い、操り糸を切られた人形のように膝から崩れ落ちた。

「守道様!」

それを確認するよりも早く蝦夷の女性に抱き着かれた。胸板に感じるその重みに、顔に朱が指すのを感じる。その着物の胸元がはだけ、褐色の肌が月夜に映えた。

「すまない、陽炎。こんなことになって。」

彼女が受けた辱めを考えると、こんな時間に待ちぼうけにした自分が恨めしい。彼女こそが今宵の待ち人、陽炎(かげろう)に他ならなかった。妙齢の女性の肌に荒くなる息を整えながら、彼女への謝罪を口にする。

「いえ、守道様とお会いできるのなら、この程度の辱め、いつでも受けられます。」

本心から放たれた言葉だろう、そう言う彼女の眼は涙がたまってはいるが真剣なものだった。健気という言葉ですら生ぬるい、彼女の想いをしっかりと受け止めつつ、その涙をぬぐった。
地主の家計の者が蝦夷と交友を持つなど言語道断。この世では当たり前の摂理だ。故の深夜の密会だった。幾日かに一度、この場所で彼女と待ち合わせをし、世の話に花を咲かせた。月明かりに照らされつつ、交わったことも数えるほどだがある。



彼女との出会いは同じ“ここ”だった。ちょうど二年前の今日だ。



ふらふらとした足取りで門をくぐった。
翌日に迫る自身の死は、八年前に受け入れたものだった。しかし、死を翌日に控えたその心情は予想もしないものだった。
何の為に生まれ、生きてきたのだろうか?
魂の火が消えかけ、目が曇っていくのが分かった。
やけに豪勢な食事が眼前に並んだ。父が用意を指示したと聞いた。おそらくは最後の晩餐を、という意図だったのだろう。それを終えた守道に外出の許可を出したのもまた、父の優しさだろう。あるいは、逃げろという意図があったかもしれない。その日、守道は同じようにこの村はずれの山のふもとまで至った。どう歩いてきたかは覚えていない。おそらくは失意の中にあったのだろう。それが失意と呼んでいいものだったかは今でも分からない。ただ、頭の中がぐるぐると回っていたことだけは覚えている。
「あっ、嫌あ………!」
そこで、彼女に出くわした。進駐軍の男が蝦夷の女性を襲っていた。服は半分脱がされ、豊満な胸が外気にさらされていた。褐色の肌には男が付けたであろう赤い傷が無数にはしっている。

“助けたい。”

胸の中に再び灯が宿るのを感じた。男が女性の着物を剥ぎ取り投げ捨てた。
瞬間、地を蹴った。素手での戦闘は得意とするところだ。
俺が18年で学んだ全て、今、彼女を救うために使おう!!

……………戦闘と呼べるものではなかった。

圧倒的なまでの地力の差だった。それも、当然。霧島流の教えを受けた自分に、力任せの攻撃はあってないようなものだ。すでに進駐軍は地面に伸びている。知れず、女性に目が行った。その裸体を思わず見とれてしまう。
美しい………。
女性が恥ずかしさから身じろぎをするまで、呆然とその裸体を見つめていた。しかし、その動きに焦るかのように我に返る。傍らに落ちている着物を手に取り、一度土を払うように広げると、恐れの色が混じる目をした蝦夷の女性の肩にかけた。

「あ、あのう。」

伏し目がちになった蝦夷の女性は、“ありがとうございます”と一言をくれた。それで自分の人生は報われた気がした。だから、彼女の手を取る。一度、ビクッと体を震わせた彼女だったがすぐに肩の力を抜いた。そんな彼女に恭しく首を垂れる。

「ありがとう」

存在した意義を与えてくれた彼女に感謝の気持ちを伝えずにはいられなかった。知れず、彼女の手を握る力が強くなり、頬を生暖かい涙が伝った。彼女は驚いたような顔をする。

「………どういうことですか、お武家様?」

「君に救われたんだ。……君に会えて良かった。」

彼女なら気を許せる気がした。月の高い夜。自分の身の上話を延々と話した。自身の心情を吐き出した。自分で話していて気付く。
“ああ、俺はこんなに生きていたかったんだ……!”
彼女はただうなずきながら聞いてくれた。そして、最後には抱きしめてくれた。
思えば、一目ぼれだったのかもしれない。

それが、守道と陽炎の出会いだった。




[36568] 第一幕 Ⅱ
Name: 空男◆ebc8efbe ID:300702e8
Date: 2013/01/26 11:47
ざわつく大広間に今日の主役が足を踏み入れた。長く伸びたその部屋を、二本の親戚の列の間を通り歩く。親戚の数はゆうに40を超える。その最前列で待ち構えるは父、そして祖父。その眼前まで歩き、身を翻す。

「本日より、霧島本家の当主を務めまする霧島孝道でございます。
 父、忠道を模範にし、霧島一族千年の繁栄のため、また、霧島流合戦術の伝承のため尽力していく所存にございます。」

「前頭首、忠道の頭首としての在り様。我が息子ながら実に見事であった。特に一年前の山火事。あれの功績と村人から得た信頼は大きい。よくやってくれた。隠居した後も霧島のため尽力してくれ。」

拍手が部屋の中で巻き起こった。
これから行うのは、霧島流を継ぐ者が初めに行う儀礼だ。幾人もの女中がお猪口と徳利を運び、部屋の中へと入ってくる。それを一つつまみ上げると、杯を交わすべく二本の列へと歩を進めた。







雑念を捨てる。すべては兄を守るために………。
守道はふすまの向こうで行われている儀礼を背に座禅を組む。
新しい頭首の顔見せとしての意味合いが強い今日の会合に私の居場所など在る筈も無し。
さみしいとは思わない。悔しいとも思わない。幼き日は自らの運命を呪ったこともあった。気付いたのは何時の事だったろう?
力無き者がこの世を生きる方法は二つ。自らが強き者となるか、強き者が救いを差し伸べ守るかだ。この命救いしは、我が兄。ならば、その為に生涯を捧ぐことに躊躇いは無し。
“ふう”と大きく息をついて立ち上がる。
ここに俺のすべきことはない。道場で竹刀を振るった方が、自身のためになるだろう。

襖が擦れる音がしたのは、背を向けて歩を進めた時だった。

「やはり、此処に居たか、守道よ。」

「兄上。……儀礼はどうなされたのですか?」

「厠へ行くと言って抜けてきたわ。」

そう言って手を差し出す。その手に握られるは……。

「酒、ですか?」

「そう。今日の儀礼は、頭首がこれから束ねる者達と杯を交わし結束を強めるのが目的。
 ならば、我が最愛の忠臣と杯を交わさぬ訳には行くまい?」

兄は良い言い訳を思いついたと言わんばかりに笑みを作る。
全くこの人は…………。
その手からお猪口を一つ貰い受ける。二人、杯を酌み交わし、一気に呷った。

「なあ、守道よ……。
 俺にこの家をまとめることなど出来るのだろうか?」

兄の口から洩れたのはおおよそ兄らしくない言葉だった。どう答えたものかと思案を巡らす。
そのような力、十分に備わっていると思うのだが……。真逆、そのような言葉を望んでいるわけではあるまい。ならば、俺に出来る返答など一つしか無い。

「兄上が望むのなら、障害となる者全てをこの守道が切り伏せましょう。障害となる物事全てをこの守道が解決致しましょう。反乱を起こす者、敵対する者。其の全てから御身を御守り致しましょう。」

それは、俺の決意でもある。兄が進むは、人の上を行く道。ならば、この守道が行くはその下、守る道。最早それを生まれもっての宿命とは思わない。自身の意思でこの兄を守る事は、とうに決意していた事だった。

「………っ!
 そうか………そうか……。」

「……………兄上、そろそろ戻らなくてはならぬかと。」

「おう、すまんな。この程度しか時間が取れずに。またの機会に二人で飲み明かそうな。」

襖の向こうへと去っていく兄の姿がどこか誇らしげに映った。







翌日の朝は更に早かった。
親戚も遠くから来た者達は客間に泊まっていったが、半分ほどは昨日の内に彼らの家へと帰っていった。そんな中でも孝道の朝は変わらない。朝目覚めると、枕の傍らに置いてある刀をとる。そのまま道場へと赴き、剣の修練をするためだ。道場のずいぶんと重くなった扉を開く。重い音がして戸が開いた。
まだ早い時間とはいえ、その中に先客がいるのは最早確認するまでも無い。道場の片隅。甲冑を纏った藁に向かって竹刀を振る者が一人。何度見ても息を飲むことを禁じ得ない程に磨き上げられた剣術。その竹刀は鎧の合間を縫い打ち込まれる。打ち込むたびに甲冑が軋みを上げ、藁が舞った。決して正道を行くとは言えない剣術。ただ、人を排除する事だけを目的にした剣。正に従者が振るうに相応しい剣術だった。
一つ打ち込みんだ際に首にあたる部分の藁が宙へと身を投げた。“フッ!”と力強く息が吐き出される。そして竹刀は、その藁を正確に捉え地面へと叩き落とした。

「お早う御座います。兄さん。」

その大きな背、肩から力が抜けこちらを振り返ると同時に、そう声を掛けられた。

「ああ、お早う。」

最早、此方の気配に気付いていたという事実など、この弟にしてみれば驚くに値しない。
この男が霧島頭首となっていればどうなったのだろうか……。
二人きりの朝の稽古は、門下生の一人が道場に訪れるまでの間続いた。



門下生、数十人と共に食卓を囲んだ。これも霧島の朝の光景の一つだ。そんな中、守道に話しかける。

「今日の正午過ぎ、父上と剱冑の間へ降りる。守道、お前も付いて来い。」

「しかし、兄上。あの間に降りる事が許されるのは……。」

「何、この現頭首孝道が許可を出しているのだ。よもや父上も反対されまい。」

剱冑の間。霧島には一両の剱冑が先祖代々伝わっている。それは、普段装甲するとうな数打とは違う。真打、それも、もはや出所が定かで無くなる程に遥か昔から継がれる業物だ。

昼過ぎ、存在は知りながらもくぐることは愚か、その鍵が開かれたという事も知らぬ門が開かれた。それは、霧島頭首が代々使ってきた一室の奥。この場に居るのは父と弟。思わず息を飲んだ。綺麗に清掃された父の部屋とは異質の空間だった。
この先に、真打が……。
目前に広がるは、地下へと続く階段。地下から魔物の類が湧き上がってくるかのように空気が押し出されるのを感じた。
足元を照らす光は手に持つ蝋燭1本のみ。

「我が霧島家は古来より武芸に秀でた一族であった。
 その頭首となった者は、軍の長として在ることを義務付けられ、1両の剱冑を与えられてきた。
 これが先祖代々霧島家の頭首が乗り継いできた剱冑だ。」

大きく開けた広間へと出た。あたりはまだ暗い。目が慣れてきたと言っても此処は地下なのだ。備えられていた部屋の隅の蝋に灯が灯る。
そこにあるのは感覚していた。“それ”が放つ空気は明らかに自分の知る剱冑で無い。
真打とは此れほどの違いがあるものだろうか。

「其の名を焔(ほむら)。古来より伝わりし、霧島の守り神よ。」

父の眼の先に其の名の通りに赤い狐が在る。赤ではなく紅。深紅ではなく紅蓮。圧倒する焔の様なその機体は崇め奉られるかの様に其処に在った。

「おお、此れが……。」

此れが俺の駆る剱冑か……。
胸の内に“焔”の一文字が浮かぶ。

「霧島の制約だ。此方からの戦闘は仕掛けない。敵が此方を侵害する場合のみこの剱冑で我が一族を守るのだ。」

此れを駆りたい。今まで装甲してきた剱冑は、所詮はGHQや六波羅の目を潜り抜けた型落ちの物ばかりであった。だが、此れは違う。そんなものとは比べ物にならぬ。その圧倒的な力を戦場で自らの物として騎行したい。
湧き出る感情は武者として抑え難い物だった。その高揚感を何とか押し留める。
帯刀の儀に、時間は掛からなかった。
その剱冑を駆る日が来ないことを願いつつ、また、心の何処かで来ることを願いつつ、剱冑の間を後にした。







「御堂、昼食の準備ができたわよ。」

「ああ、すまない、今行く。」

妙齢の女性が自身の一室まで食事の用意が出来たことを知らせに来た。手にしていた手帳を静かに閉じ、腰を上げる。
いただきます。
目の前に出された食事は、焼鰆、味噌汁、白米。
味噌汁に手を付けた。

「ほう、これは……。味噌を変えた……わけでは無いな。出汁の取り方を変えたというところか。」

「流石、御堂。これに気付くとは……。」

「これならば、あと2、3分出汁を採る時間を短縮すると良い。少し臭みが残ってしまっている。しかし、料理も随分と上達したものだな、村正。」

村正と呼ばれた女性は一瞬気の緩んだ様に、ぱあっと笑顔の花を咲かす。それも一瞬。何かに気付いたかのように表情を戻しそっぽを向くと、ぶつぶつと小声で呟く。

「この位、当然よ。良いじゃない。私だって日々努力してるんだからね。」

二人きりの食卓を悲しいとは感じない。この相棒が隣にいる限り、孤独は感じない。
人としての生命機関へと動力を送るのとは別に、この食事には意味がある。明日は、出撃が予定された日だ。今は、少しでも熱量を蓄えておきたい。

「御馳走様でした。」

「ええ、御粗末さまでした。
 ねえ、御堂。明日は私たちが出ないといけない程の依頼なの?」

席を立とうとしたところで村正に再び呼び止められた。

「明日は、GHQ進駐軍を殲滅、もしくは撤退させるまで戦闘。
 その後、村へ行って善悪相殺を完遂する。」

「そこよ、御堂。進駐軍が相手なら、他の人たちに任せておいても大丈夫なんじゃない?」

今までもそう言った事例は何件かあった。そのほとんどの場合、敵は数打――レッドクルスだ。其れらが相手なのであれば今の武帝軍が敗北する未来はない。

「否、今回危惧すべき相手は進駐軍ではなく、村人だ。あの村には一つ気になる言い伝えがあるのでな。大道場があるのだが、代々その主が真打の仕手であるらしい。」

食事とは打って変わって真剣な表情を作る景明。それにつられるかのように村正も一層表情を引き締める。

「成程、それが今回の私たちの担当ってわけね。」

「ああ、進駐軍の方は、他の者に任せることにする。何しろ相手は代々受け継がれた剱冑だ。用心に越したことは無かろう。」

「諒解。」

聞くことは全て聞いたと言うかのように、村正がお盆を持って身を翻す。その背中を見送ってから、景明も食卓を後にする。縁側から空を見上げながら息を吐いた。

“やはり、村正のエプロン姿というのは見ているだけで、なんというか……まずいな。”



[36568] 第一幕 Ⅲ
Name: 空男◆ebc8efbe ID:300702e8
Date: 2013/02/19 10:25

“其の眼前に屍は無く――其の道に残りしは聖者のみである”

あばら家、家と呼ぶことすら適わぬ様な廃墟の中で一人の女性―――陽炎は目を開けた。蝦夷らしく年齢は見た目以上に見えるが、彼女はまだ17の少女だ。時刻はまだ山の下の村に暮らす人々が起きるにも早い時刻。横にしていた身体を起こす。周りに広がる光景は目を閉じる前と同じもので、嘗て暮らした家は焼け崩れたままの姿を晒している。

時に一年前。村の山で火災が発生した。
原因は進駐軍の一人だった。村への徴収へと出かけた帰り、吹かしていた葉巻を一つ、火の付いたまま放り投げたのだ。特に何の意図もないその行動が、山に住む蝦夷たちの命を奪った。山は一晩燃え続け、村への被害こそ懸命の消火活動により小規模で済んだものの、蝦夷たちへの被害は避けられるものでは無かった。直後には、山の蝦夷への配慮の声もあった。彼らの安否を気遣う者もいた。しかし、その声は大となることなく、気づかれぬまま消えていった。
“山に蝦夷あり、不要には近づくな”
その理由も知れぬ古来よりの掟により、村人たちは此れに目を瞑ったのだ。

生き残ったのは家族で陽炎ただ一人だった。其れを知るのは鎮火した後、必死の思いで駆け付けた守道のみ。山の一部は禿げ上がり、今も青々とした木々の中央にクレーターを残している。この廃墟に屋根が備わり、雨露を凌げるようになっているのも、偏に慣れぬ大工作業を続けた守道の功績であった。

今日は、守道様と御逢い出来る。
其れだけで心が躍った。霧島守道。霧島の家系に生まれた者。
もしも、この世に運命、必然と言った物があるのならば、この二人の出会いは正にその類の物であった。







午前の修練が終わる。守道は何時もの様に振るった剣を置くと、剱冑の整備を始めた。八八式竜騎兵、それを多少、と言っても申し訳のない程度だが、改良したものが霧島家に在る剱冑だった。所詮は数打、所詮は老機。当然性能は高くなく、新型との戦闘には耐えられる物ではない。しかし、霧島流合戦術を学ぶ上では重要なものだった。
霧島流の合戦術は二つの伝承を受けている。一つは兄が学んだ武者としての立ち振る舞い。所謂、正道を行く剣術だ。しかし、兄の持つ教本とは別にもう一冊。これは孝道も知らぬところである。守道も霧島の合戦術の教本を持つ。その内容は、邪道。守道の扱う従者の剣術もまた、霧島流の一つである。そもそもこの教本自体が領主として、あるいは武者としての生き方に反するとして、霧島本家でも敬遠されてきた品である。それを守道の手にもたらしたのは父、忠道だった。相反する二本の教え。そのどちらもに共通して在る修練に剱冑の騎行がある。古来より剱冑を受け継いできた為、家系に武者が多かったのだろう。剱冑の騎行、その点に於いても霧島の合戦術は精通していると言って良い。その修練には当然、剱冑は欠かす事が出来ない。最早、相棒と言っても良い程に使い込んだ修練用の剱冑の手入れは手慣れたものだった。

昼食の後、家の門を潜った。今日は、外出の許可を孝道から得ている。陽炎との関係も兄は、薄々勘付いているだろう。近いうちに紹介するつもりだった。目的の山へと向かう。今日はまだ日が高い内の密会だった。目的は、廃屋の片づけ。陽炎一人では崩れた家屋の整理もできないだろうと少しずつ始めたことだったが、陽炎の住んでいた屋敷が広すぎた。今日で五度目の撤去作業だった。家では、頭首の入れ替えに際して様々なことが変化しつつあった。その引継ぎも着々と進められている。引き継ぎに追われる今の家に守道に居場所は無かった。

「・・・・・・・・」


その姿を見つめているものが一人。
孝道は門を潜るその姿を室内から見送ると、道場へと足を踏み入れた。おそらくは、此方が見ていることに気付いていただろう。本当にそう言ったところが鋭い弟であると、孝道は思う。少し重い戸を引くと、その音に反応したのだろう、道場内の視線が集まる。先に道場に入り修練に励む門下生が視界に映る。此方の姿を認めた彼らの動きが一様に制止すると、深々と頭が下がる。其れに軽く応えると、自らの修練の為傍らの竹刀を手に取った。

「・・・・・・・っ!」

力を込め、振り下ろす。
頭首の座を預かってまだ数日。その内にあるのは期待などではなく不安だった。霧島という大家を支えていくことが出来るのか。ただ只管に其れを自問した。思わず自嘲の笑みが零れる。その自信もなく家を継いだのか、と。
もう一度、竹刀が空気を裂く。空気が高い唸りを上げる。
思い出すのは弟の背中。その剣技。そして、先日の言葉。
本当に情けない……。
守道にばかり頼ろうとする自身に遣る瀬無さを感じた。しかし同時に自信を貰う。あの弟が居てくれるならば、頭首として皆の上に立つ事が出来るのではないか。

「あの……孝道様………?」

「ん………ああ。」

気付けばその場で立ち尽くしていたようだ。門下生の一人に声を掛けられる。少し考え事が過ぎたようだ。慌てて取り繕うと、何時もの様に竹刀を振るった。






時は夕暮れ。忠道は部屋の整理を進めていた。直に孝道へと部屋を譲渡さねばならない。目に入るのは懐かしき品々。此れと言った趣味のない忠道の荷物は少なくとも、武者として戦場を駆った在りし日の武装の数々を整理する。女中の一人に部屋の襖の向こうから呼ばれたのは、そんな時だった。

「旦那様、御客人が参られておりますが。」

「俺にか・・?」

「はい、頭首と御逢いしたいとのことで。
 孝道様ではなく、旦那様に御用の様子でして……。」

ふうん、と思案を巡らす。今日の予定に客人の応接といった物は無かったように思う。

「まあ、良い。通してくれ。」

「それが、此処で良いと仰り、門の前から中へ入ろうとなさらず・・。」

「……………。」

一層の不審感が募る。当然、村を収める者として来客の対応は慣れたものだ。しかし、客間へ上がらない客人など聞いたことも経験したこともない。暫し考えるも此れといって用心することも無かろうと立ち上がった。

門の前は人だかりが出来ていた。来客は全部で八人。その人だかりの殆どは村人だ。村に入るなり、霧島の本家の場所を尋ねた客に、何事かと見物に来た村人が数十人ほど。一団の長と思われる赤と黒を基調にした衣服を纏った長身の男は、村人の群れには一切の関心がないかの如く腕を組み、目を閉じている。その風貌は他と明らかに異質。唯一、一人の例外を除けば、その中で最も目を引くことに相違はない。

「失礼、お待たせした。
 私が頭首の霧島忠道だ。
 頭首、と言っても頭に元という字が付きますがな。
 …………さて、客人、失礼ながら御用件をお聞かせ願いたい。」

見るからにも不審な一団ではあったが、礼節を持った態度で当たるのが元とはいえ、一家の頭首としての在り様だろう。その言葉を受けた男が目を薄く開く。
…………瞬間、忠道は目を細め左足を半歩引いた。その眼が映すは虚空。暗く、重い眼差しに一種の殺気を感じる。半身をとったのは、刀を抜く構え。無意識の内の行動であった。長年の勘が警鐘を鳴らす。

「我が名は武帝。
 其方の要望―――進駐軍の殲滅を果たして来た。
 今日はその報酬を頂きに来た。」

眼と同じように低く、重い声だった。その声に感じるのは寒気。瞬間に理解できるほどの相手の力量。そしてその語った内容。
“依頼の代価として依頼者の命を奪う……”
嫌な噂が甦る。この男ならばやりかねない、そんな危うさを感じる声色。

「御要件、承った。
 しかし、その前に一つ。
 其方への遣いにやった男が、まだ松前大島から帰還しておらぬのだが。」

「ああ、殺した。」

「―――……なっ! ?」

その男は何の感情も出さず、今日の日和を話すかのような声色でそう口にした。否、その表情には少しの感情が滲み出る。それは人殺しを楽しむ悪鬼かのような……。

「貴様…………! ?」

「我らが掟は善悪相殺。
 敵を殺したのならば、同数の味方を殺すべし。
 憎しみをもって殺したならば、愛したものを殺すべし。
 故に、お前たちの依頼で当方が殺害した42名分の命を頂戴しに来た。」

そこで、初めて男は明白な感情を表に出す。やはり、その口に浮かぶは笑み。高々と手を掲げると、一言だけ呟く。

「往け。」

その一言で時が動き出す。
瞬時に彼の横で立っていた六人の武者が散開する。その手には刃。纏うは剱冑。
二人の様子を見つめていた人だかりは、瞬時に逃げ惑う民の群れと化す。
その光景は正に地獄。言葉にならぬ阿鼻叫喚の渦。

「………貴様ァ!!!!」

忠道は只管に地を蹴った。腰の刃が夕暮れの紅を弾く。
霧島流合戦術―――火花。
刀を構えた者に放ったのならば、致命傷を負わせ、刀を抜いていない者に放ったならば、その喉仏を間違いなく空洞と化してきた必殺の突き。忠道の本能がこの男に刃を抜かせてはならぬと告げていた。それは、その場に残った女の手で遮られる。
初めて目にした時から明らかに“浮いていた”。そう、彼女こそが唯一の例外だ。その女性、蝦夷の女性は、どこに隠し持っていたか分からぬ小太刀で此方の突きを弾いて見せた。

「なっ! ?」

驚愕だった。突きを止めるという行為がどれだけ難しいかを知らぬ忠道ではない。どれほどの強者・達人であっても、この突きはその防御を破って見せた。其れをこの女は、刀身の短い小太刀で難なく弾いて見せたのだ。

「御堂。」

蝦夷の女性が、短く呟く。それに応えるかのように、男が左手を前に突き出す。
その口元が醜く歪むと同時に言葉を紡ぐ。

「鬼に会うては鬼を斬る
 仏に会うては仏を斬る
 剱冑の理、此処に在り。」

剱冑を装甲する音。それは、紅い武者だった。その紅の深きこと。夕暮れに映る為か、此れまで斬ってきた者たちの帰り血か……………あるいはその両方か。発せられる禍々しきまでの威圧。歴戦の猛者でなければ震え上がるかのような圧倒。従えていた従者が足を竦ませるのを感じる。

しかし、――――霧島忠道は歴戦の猛者であった。

「千鳥っ!」

鳴り響くは大きな羽音。屋敷の屋根を飛び越え、突然に現れた機械仕掛けの翼。黒と白が為す羽ばたき。戦場に舞い降りるそれは、紛うこと無き剱冑。

「ひれ伏せ、傅け、跪け。
 我が往くは道は修羅の道。
天上へと続く修羅の道。」

装甲の構。幾つもの戦場を共に駆けたその剱冑を身に纏う。白の機体。その翼の節々に黒のラインが奔っている。双筒の合当理はさながら天を羽ばたく翼の如し。

「……………」
「……………」

地上での睨み合いは一瞬。二色の装甲を翻し、双筒の合当理に灯を入れる。時を同じくして、紅の武者も天へと駆け上がる。

<<初速では、此方が有利。
先ずは、頭を押さえるのが妥当かと。>>

既に聞き慣れた剱冑の声。人とするなら男性の声。それも凛々しく響く青年のもの。知れたこと。この千鳥、速度に於いては彼のオリハルコン製の武者にも引けを取らぬと自負している。上空にて大きく旋回。

<<敵機に会頭。敵機主武装は太刀と推定。>>

「先ずは、先手を取る。敵機の実力、見誤るなよ。」

<<承知! !>>

前方には野太刀を構える紅の機体。此方から、其れへの突進を試みる。
激突。
甲高い音――刃が交わる音が空高く響き渡る。
一の太刀で知れる。それは、千鳥も同意見だったようだ。

<<……敵機、相当の手練れと御見受けする。>>

金打声が木霊する。只の突撃とはいえ、全身全霊を込めた突きを容易に野太刀で払われたのだ。口から苦い声が漏れる。

<<……来るっ!>>

回頭した敵機が再び接近。先ほどと同じでは無駄。となれば………。

「霧島流合戦術―――――陰火“かげりび”!!」

衝突の後。斬りあった後の武者はすれ違いを起こし、再び浮上する。剣戟の後、そのすれ違いの瞬間、刃を後ろへと鋭く突きだす。即ち、追撃。背を狙った一撃。無論並みの速度では、過ぎゆく武者に追いつかない。そして、離れないために自身の勢いを殺すことになる。それは空中戦に於いては致命的。その太刀を避けられれば必然、頭を押さえられ、次の太刀にて打ち捨てられるが定め。

「……何っ! ?」

多くの武者は気付かれることなく串刺しにしてきた。また気付いたところで守る術のない背を無傷で切り抜けたものは無い。しかし、あろうことか紅の武者は此方の御株を奪うかのような急激な加速で突きを躱して見せた。瞬時、合当理に灯を入れ、速度を最高へと引き戻す。しかし、敵機の加速が速すぎる。完全に頭を押さえられた。

<<敵機、上方900。次の衝突は防御が妥当かと。>>

次の邂逅での負傷は避けられない。それは、剱冑も同意見なようだ。そして、敵機はその好機をみすみす逃してくれる程、甘い相手ではなかった。敵機下方から上昇する。敵機の構えは上段。刃の向きから恐らくは横ではなく縦の振りおろし。高さで劣るこちらは、エネルギーで負けている。故にこの一撃は凌ぐのが定法。道は、右か、左か、上か、下か。瞬間、刃の向きが変化する。正面に見据えていた刃先が、真横へと向きを変える。
“横薙ぎか……!!?”
上段からの切り落としと見せかけた横なぎ。即ち、回避の術は下への騎行。
“凌いだ……っ!”
しかし、激突の数瞬前敵機の頭が前方へと倒れこむ。刃先の変化が搖動だったことに気付いた時にはすでに遅い。

――――――吉野御流合戦礼法――“月欠”

そして、そのまま一回転し――上方からの加速による運動エネルギーに加え、回転による遠心力を乗せた一撃が迫る。

「―――千鳥っ!」

剣で受けるという選択肢は無い。あれを受けようものならば、その太刀ごと装甲を一刀両断にされる。

ドドドドドドッ! ! ! ! ! !

「……ぐっ…………っ。」

剱冑が大きく揺れる。躱した、と呼べるほどの物ではない。機体の進路を無理やり曲げて、急所を外すのが限界だった。しかし、受けという選択を瞬時に切り捨てたのが功を奏した。

「千鳥、当方の損害は! ?」

<<左肩に重傷。戦闘の長期化は当方に不利と判断。陰義の使用を推奨。>>

聞くまでも無い。左肩の感覚が殆ど無い状態だ。損傷を戦闘可能な状態で抑えられたのが不幸中の幸いと言ったところだろう。合当理による加速、旋回にも損傷が出ていることだろう。
しかし、退くという選択は在らず。再び、大剣を構えなおす。
唯一の朗報。斬りおろしの敵に代わり、当方が頭をとっていること。

「…………千鳥、煉獄だ。」

<<……諒解。>>
<<浮士節、不死武士、風子撫死 “ふしぶし、ふしぶし、ふうしぶし”
臥歩視、負奉獅、風刺舞死……! ! “ふしぶし、ふしぶし、ふうしぶし! !”>>

「往くぞ、我が地獄の舞、受けてみよ! !」

千鳥の陰義。それは空気の掌握。真空の発現。空中での戦いにおいて空気との摩擦によるエネルギーの浪費は少ないものではない。しかし、千鳥の陰義はそれを零にする。故に、千鳥の立ち上がりは素早く、旋回は鋭い。陰火という一種、悪手とも取れる技を放てるのもその陰義の為だ。即ち、加速と減速が異常に早い。
敵機が回頭し、此方に迫り来る。しかも、敵機は先ほどの加速を既に使用。速度では此方と同等、若しくはそれ以上を保っている。

「霧島流合戦術――――――“舞灯嘛”(まいひめ)が崩し―――――」

それは、霧島忠道という男が唯一我流を為した技。





霧島忠道という男は、才に恵まれなかった。幼少期を、その菲才から蔑まれて過ごし、それでも努力は誰よりもした。折れることの無い心で、自身に奢らず、只管に剣を振るった。剣の道に忠実であるという点で、彼ほどその名に見合うものは無い。何千、何万と繰り返された霧島流合戦術は、教本から出でたような精巧さを誇る。彼の努力の才が認められるようになるまで、長い時間を要しはしたものの以降彼を蔑むものなどいない。その彼が自身の剱冑を手にしたのはとある戦場でのことだった。自ら戦を行わぬ霧島も、友好的なとある流派が戦を起こした際に援軍として召集されたのだ。最前線の友軍の助太刀として駆り出されたその戦場は正に地獄だった。負け戦を認めることのできない頭領の為に、兵が塵のように消えていった。共に出陣した門下生の多くが屍となる中で先代より賜った“焔”を駆った。そんな戦場で一人の武者と出会う。互いの剣は互角。勝利は只、天運が忠道に味方したから受け取ることのできたものだった。武装を奪い、地に伏した姿を見てなお、その武者への敬意は変わらなかった。そしてそれは、その男も同じだった。その男は忠道の折れぬ心を賞賛し、敗北を認め、最期に歌い上げるようにこう言った。

「我、果てようとも、千鳥は鳴き止まず。
 この剱冑を貴殿に頼みたい。」

装甲を解いたその男は、両軍どちらの物とも分からぬ屍の上で正座する。

「敗者の戯言と聞き流していただいても結構。
しかし、願わくはこの首、貴殿に撥ねて頂きたい。」

敵に敬意を持ったのは初めてだった。白く美しいその剱冑を見やる。主人の意思を組んだかのように鎮座し、その場で飛び立とうとしない剱冑に大剣を寄越すように命じる。そしてその首を敬意をもって、賜った大剣で切り落とした。





「………煉獄っ! !」

元来、“舞灯嘛”とは弐撃決殺を体現する剣術。扇子を打ち煽ぐかの如く、鋭く往復する二本の軌跡。一つを打ち払われれば返す一撃で切り伏せる。必要なのは只管に速度。そして敵の剣に関わらず定めた軌跡を描けるだけの腕力。それらを可能にしたのは、積み重ねた修練である。
加えて“煉獄”は陰義の応用。二撃で済まさぬ。嘗ての千鳥の仕手が得意としたその場を鋭い旋回によって往復しながらの連続攻撃。一撃の邂逅を常とする剱冑の空中戦で、足を止めるという事実は無論自殺行為である。また、足を止めた軽い一撃では決定打にはなり得ない。まして、勢いを殺した振り返りの直後の太刀など、防ぐに値しない。しかし、この千鳥にその定石は通じず。旋回・速度・重さ。その全てを陰義で補う。即ち、名も知らぬ武士への敬意を体現した技―――。

邂逅の刻。

二両の剱冑は共に刃を上段に振りかざし、兜割の構えをとる。
力同士のぶつかり合いは、力で勝る敵機にしては必殺の一撃かもしれない。必勝の布陣かもしれない。しかし、此方には其れを覆す用意がある! !
瞬間、敵機の動きが鈍る。陰義の一つ。空気の圧縮。風の子に撫でられたかの如く、その身辺は空気が圧縮される。生身の兵ならば、内臓ごと潰れてしまうほどの力。如何に剱冑と言えど、その中で常のように動くことは適わぬ。

「………なんとっ……! ?」

しかし、そんな中でも敵機は此方の大剣を打ち払って見せた。だが、本命は此方ではない。陰義のもう一つの応用。即ち自己の敏捷性の増加。空気の波を利用しての旋回に次ぐ旋回。斬撃に次ぐ斬撃。二両の剱冑の周辺は嵐のように荒れ狂い、風が擦れる音が千鳥の鳴き声を上げるかの如く響く。先ほどの陰義を風の子に撫でられると形容するならば、此方は風を突き刺す。待つ未来は舞うように死ぬことのみ。敵機の動きが徐々に此方に追いつかなくなる。と同時に、次第に増していく速度に、剱冑の中で体が悲鳴を上げ始める。急激な圧力に、血管から血が弾けようと動くのを感じる。熱い。内から火にくべられたかのように、血が沸騰する。だが最早それも関係は無い。気圧で支えられた剱冑は、最早、中の自分がどうなろうと止まりはしない。
故に煉獄。敵機にとっても、当方にとっても、この技は煉獄そのもの。



<<磁装・蒐窮………>>

―――金打音。激しい打ち合いの続く戦場を、それに似つかわしからぬ重く、低い声が響く。

<<………見事だ、老兵。だが、此れまでだ>>

金打音が剱冑の中を反響する。次第に千鳥の音が軋みを上げる。雷を割いた伝説の如く、その速度を上げてゆく。それと同くして軋み音を大きくするものがある。敵機の太刀。それが、火花を散らし鳴いている。

<<敵機、陰義を使用したと推定。
早急なる撃破を、御堂! !>>

千鳥が声を上げる。危険は承知。しかし、今は離れれば勝機を失うのは容易に判断できるところだ。焦りを感じる。警鐘が頭の中で鳴り響く。

「霧島流合戦術――――炎柱(えんちゅう)! !」

放つのは上段からの一撃。霧島流合戦術の内、最も重い一撃。大きく胴を開く構えは、武者の好く処では無い。しかし、その威力は並外れ。隙を晒すだけの剣術も、この速度で放つならば、僅かな一瞬に打ち込めるものなどいない。陰義の重みも乗せたその一太刀が振り下ろされる。

<<電磁抜刀―――――――“穿”>>

陰義を止めた筈はない。ならば、敵機の動きが速度を上げることはありえない。そんな常識すらこの武者は打ち破ってきた。放たれたのは此方と同じ、上段からの一撃。加えて、此方の方が始動は先。なれば、此方が切り捨てるのが先。
必殺を確信して放った一撃は、文字通り目にも止まらぬ剣戟で弾き飛ばされる。

「……ぐ……うおおおおおおおおおおおおお……………お!!」

<<墜ちよ、美しき戦鳥よ……。>>

…………次の瞬間仰ぎ見たのは、野太刀を振り上げる悪鬼の姿だった。




[36568] 第一幕 Ⅳ
Name: 空男◆ebc8efbe ID:300702e8
Date: 2013/02/24 13:34
額に沸いた汗を、手の甲を使って拭う。少し長く伸びてしまっている前髪を、疲労を感じさせる表情でかき上げる。右手に持つのは焼け爛れ、雨水に打たれたことで、腐ろうとしている木片。一年半という長い時間放置され続け、もはや原型を留めていないが、そこは元々大きな屋敷だった。山奥の集落。ふたこぶの山の谷間にある集落に、以前の様な活気は微塵も感じられない。一度だけ訪れたことのある、在りし日のその村の姿をふと思い出した。
“山に蝦夷あり、不要に近づくな”
その言い伝えは、守道の住む村の村人ならば、物心つくころには掟として認識する程に徹底されてきた。数々の剱冑を打ち上げてきたその一族が迫害されるのは、何もこの村に限ることではない。風潮・雰囲気。そう言った実体のない物が、彼らを追いやったのだろう。守道自身も、その例に漏れることなく、山に近づくことを避けてきた一人だ。もっとも、それも二年前までの話で、陽炎と出会ってからというもの、そう言った偏見は消え失せてしまっていた。

村の様子がおかしいと気付いたのは、もう日が暮れようとした頃だった。村の至る所で煙が上がるのに先に気付いたのは陽炎だ。

「守道様、村の様子がおかしいと思いませんか?」

「煙?
 この時間ならば、炊事の煙だろうが……
 ………確かに此れは……火災か………! ?」

慌てたように目を凝らす。風が冷たくなり始めた夕暮れの中、確かに不自然な煙が村の随所で上がっている。思い出されるのは一年前の山火事。村から見上げた燃え盛る大火がフラッシュバックし、陽炎の家族を奪った光景が頭を掠める。

「村へ降りる、陽炎! !」

その手に持っていた焼け焦げた木材を放り出す。目を向けた先には、此方を真っ直ぐに見据えて頷いた陽炎。それ以上言葉を発することなく、陽炎を引き連れると、村までの帰路を全力で駆け抜けた。







玄関を出た先で見たのは、逃げ惑う民の群れだった。孝道は瞬時に危機を理解する。

「千鳥………………父上……っ! ?」

上空はるか高くを騎行する武者を二人視認する。その内の一つが良く知る千鳥であるならば、仕手は父に違いは無い。
それでは、もう一方の武者は…………。
しかし、自分のすべきことは此処で父の戦を傍観することでないのは容易に理解できる。
眼前に現れた光景は、この村を収める道場の現頭首として、到底看過できるものでない。地上、門の向こうでは、装甲した武者が丸腰の民の頭を撥ねる。胴を割く。五体を切り刻む――――。
頭の中で何かが音を立てて切れた。

「焔あ! ! ! ! ! !」

自らの内から湧き出る殺気と共にそう怒声を発した。

<<…………御堂……これは……! ?>>

女性の、女性にしては低く、くぐもった声が語りかける。金打音。家の中を駆け抜けるように現れた狐は、主に侍る従者の如く、孝道の真横に並び立つ。しかし、孝道の眼はそれを映さない。孝道の耳はそれを捕らえない。唯、隣に並んだことを感覚するのみ。その見据える先には虐殺を繰り返す竜騎兵。視認できるだけで3両の武者。父の助太刀という考えは最初から頭にない。それが父への最大の信頼の証だ。焔の言葉をまるで無視するかのように装甲の口上を口にした。

「我、刀なり! ! 我、剱なり! ! 我、汝が敵を屠る者なり! ! !
 其の眼前に屍は重なり、其の道に残りしは聖者のみである! ! ! ! !」

初めての装甲は予想よりも遥かに早くやってきた。
軽い金属音が体の随所で上がる。身に纏いしは、真紅の剱冑。双筒の合当理は唸りを上げ、引き抜かれた長刀は夕焼けを反射し紅く染まる。これから血で其の身を染めるのを予言するかのように……。

「霧島流合戦術“火花”が崩し――――“飛火”(とびひ)! !」

高速で放たれる突き。父が最も得意とする突きを我流に改良した突きだ。元は生身で放つことを想定されていた突き。腕を小さくたたみ、安定性を増すことで首をかき切るだけの威力を出す。しかし、其れを剱冑を装甲した速度で敵に当てるのは至難。しかし、そんな無理もおして通る。其の名の通り、大火の飛び火が如く速度で、数十メートル離れた敵に突きを放つ。当然、敵も木偶ではない。
敵機が途中振り返る―――目が合う―――。
それでも、“飛火”は突き進む。慌ててその手の刀で防ごうとした敵機は、すぐに自身の過ちに気付くかのように、防御から回避に行動を変更する。突きとは、当てることが難しい。ならば防ぐこともまた至難。されども、やり過ごす方法ならば、いくらでもある。そう、躱せばいいのだ。一点の突きなど、上下左右、どちらにも避けられる。この竜騎兵の判断は正しく、また、一瞬で正答に至った点では、優秀な武者であった。
しかし、飛火はその常識を打ち破る。
飛火が真に狙うは首にも心の臓にも非ず。其れが狙う先は、唯一点。“起こり”。敵機が躱すならばその足を。敵機が防ぐならばその腕を。敵機が打ち合うのならばその刃を。激突に一瞬先だって最大まで伸ばされた腕は、切っ先一点のみしか視認出来ない敵の距離感を偽る。刀を点でしか捉えることの出来ない敵機はその足からしか距離を測れない。途中、時間を早めたかの様に錯覚する程、突然眼前に切っ先がある。敵の見誤ったその一瞬先に敵の起こりを断つ。それが“飛火”。
何年もかけ磨いたその技は、剱冑を装甲してなおその鍛錬を意味ある物と証明して見せた。躱すことを選択した敵機が、焔の右脇に回り込もうとするその先に、刃を置くように差し出す。“トサリ”と軽い音を立てて、左腕だった肉塊が地面に落下する。突撃の力も込めた突きは腕を食い千切るに十分な威力だった。痛みに身を硬直させた敵機を、一切の容赦なく切り捨てる。敵竜騎兵が力なく崩れ落ちた。刀を引き抜くとそれを追いかけるかのように、鮮血が宙に放物線を描いた。
残る敵機が振り返る。共に同じ型の竜騎兵だ。

「一気に畳み掛ける。焔っ! !」

<<諒解よ、御堂>>

二両の剱冑に向き合い中段に剣を構える。剱冑を纏っていること以外はいつもと何も変わらない。門下生のただ一人にも負けることなく頭首としての威厳を守った。父との立ち会いも五分以上の勝利を収めた。自身は紛うこと無き現霧島最強の男であると自負している。その構えには力が溢れ、しかし一切の力みは無く。迫り来る二両の剱冑に相対す。一対二。数の差は圧倒的不利。百対百一とは訳が違う。踏込に力が入る。合当理を用いた、超低空での加速“ブースト”。“飛火”同様に剱冑との距離を一気に詰める。
剣術に限らず武術と呼ばれるものは須らく初の構えを有する。意を悟られては先の先を断たれるとは、この時代では武術の心得無き者も知る常識の一つである。故に同様の構えから繰り出す技の数は即ち、相対すことの出来る敵の数であると言っても良い。相性が勝敗を決することの多い拮抗した戦場では当然である。
最もオーソドックスな中段での構えから繰り出される技の数は、相手の虚をつく目的を度外視するならば、正しく正道を行く最強の構えに他ならない。

選択したのは薙ぎ。長身の刀が中段の構えから一文字を描く。剣戟の開始をどの技で“入る”かは、その勝敗を決する上で重要な因子となる。一撃の邂逅を基本とする空中戦以上に、地上戦ではその重要度が増す。放った後の此方の体制、敵方の構え。追撃に出る事が出来るか、防御に回らざるを得なくなるか、それを決定付けることとなる。
一両の竜騎兵が刀を受け止める。しかし、此れは想定通り。もう一方の竜騎兵は当然の如く此方の背後に回り込もうとする。一旦は其方を無視。眼前の竜騎兵に集中する。
初撃に薙ぎを選択したのは、“受ける”しかないからである。縦に長い人の姿からして、横なぎを受け流そうとすれば、其れは足なり首なりを撥ねる。躱すには後ろに退く必要があり、それでは突撃の勢いをつけた剱冑と、後退により勢いを殺した剱冑の間に、埋められぬエネルギーの差が生まれる。故に、受け止める以外の選択を禁ずる。
そして、鍔迫り合いからの剣戟に、孝道は絶対の自信を持っていた。間近で敵機を見据える。十字を為して交し合う二本の刀からは、双方を折らんとするかの様に火花が散る。

術は二つ………。
退くか、押すか。

短く息を吐く。時間にして数瞬。何百分の一秒にも満たぬ思考の果てに、孝道は“押す”ことを選択する。合当理が一層力強い音を立てて火を放つ。元より、突撃した自分と、受けた敵機では覆せぬエネルギーの差がある。素人が見るならば力任せの押し。達人が見るならば当然の押し。徐々に、と言っても数秒とかからぬ間だが、焔が押しきり始め、剣ごと竜騎兵を切り裂く。瞬間、バックステップを踏むと、目前で竜騎兵が爆散した。
その爆炎を盾に更なる戦闘に備える。煙の向こう側に立つはずの竜騎兵を睨み付ける。

<<……っ! ! 御堂! !>>

瞬間、煙が揺らいだ。
反応出来たのは、孝道の天性の、また弛まぬ努力により鍛え上げられた反射神経の為である。爆炎を盾に距離をとった焔に対し、竜騎兵は距離を縮めるための事象として爆炎を利用した。本来ならば倍以上あるはずの距離が、爆炎に隠れることで半分に縮まったのだ。孝道の御株を奪うかのような鮮やかな突き。竜騎兵とは思えない速度。右手で刀を逆手で持ち、左手でそれを支える。顔の高さまで掲げられ、目線に合わせられた切っ先は点。迫り来る突きに対し、間髪入れずに回避行動に移る。間一髪。目の先にその切っ先を感じながら、脇を潜り抜ける。躱した勢いのまま振り返り、通り過ぎていく敵機に向き直る。剱冑の上からとはいえ、はっきりとした怒りが見て取れた。

………同胞を二人も殺されたのだ。
それも当然か……。
…………だが、此方にも怒りはある ! !

再び、中段の構えをとる。竜騎兵も刀を中段に構えた。一目見ればわかる。敵機は手練れだ。構えに一切の揺らぎがない。怒りに任せた乱れが見当たらない。強敵だと賞賛すると同時に悔しさが頭を掠める。何故、此れほどまでの腕を持ちながら、このようなことに加担するのかと。思えば討ち取った二機もそうだった。その鍛え上げられた剣技は見ずとも分かる品だった。故に口惜しい。何故、道場で共に競い合う仲として対面できなかったのかと。

数秒間睨み合う。

仕掛けたのは同時。激しい打ち合いが生じる。ここは空中ではない。互いに示し合わせたように飛び上がろうとはしなかった。理由は一つ。先に飛べば、続く空中戦を有利に進められる。即ち、頭を抑えられる。しかし、共に手の内の一つを見せた。其れは、速度を上げた突き。直線の動きで敵機が此方を上回っていた場合、先に飛び立ち背を見せる行為は自殺に等しい。足を地に付けた斬り合い。一撃では剱冑の装甲を打ち破ること適わずとも、動きを鈍らせ騎行能力を低下させる事は出来る。その後に連続で打撃を加えれば、その装甲も打ち破る事が出来る。
敵機の刀が頬を撫でる。其れは、紙一重のところまで迫られているという事実と同時に、紙一重で躱す事が出来ることを示す。実力は互角か、やや不利。

<<此の侭では此方に不利。陰義の使用を推奨>>

焔から送られたのは当然の助言だった。陰義。真打と数打の決定的な違い。アウトロー。剱冑での修練を積んだ孝道にとっても未知の領域。
だから、どうした! ?其の様なことで怖気づく霧島孝道ではない! !

「往くぞ、焔! !」

<<諒解>>
<<纏うは焔。約束の焔。燃え盛れ。焼き焦がせ。灰塵となり果て消え失せるまで! !>>

「真炎爆発! !」

巻き起こるは火炎。焔の名の通り、爆炎を撒き散らしながら身を包む炎。
敵機も此方の陰義に反応して、身をさらに深く沈める。そして、地面を蹴って間合いを詰める。
迫り来る竜騎兵。二度目の衝突。振り下ろされた刃には、しかし先ほどまでの重さを感じない。
焔の陰義。其れは、火炎操作。霧島の人間ならば、知らぬ者は無い。身に炎を纏う。敵機の刃はその焦熱によって勢いを失い、此方の刃は其れによって勢いを増す。正に、焔の鎧。極めて、強力な陰義。爆炎を纏いながら立つ焔に敵機がさらに警戒を強めた。

「霧島流合戦術――――――“炎柱”! !」

振り上げた刃。其れを渾身の力を込めて振り下ろす。其れは一度竜騎兵に撃ち止められ、徐々に押し切っていく。受け止めた敵機の刃が沈んでゆく。力に任せた一撃。圧倒的なまでの熱量の差を見せつけるかのような兜割。
焔の鎧による推力を得た太刀は―――遂に竜騎兵の刃を砕いた。
正に一刀両断。纏いし炎の熱エネルギーを、一転、運動のエネルギーへと変換し剱冑の兜から股を縦一文字に切り裂いた。

額に汗が浮かぶ。初めて使用した陰義による熱量の消費は想像を超えるものだった。体が鉛の様に重く、瞼を閉じれば落ちるように意識を失いそうだ。風にさらされて蝋の日が消える様に燃え盛っていた焔の鎧も姿を消した。
その場に転がる人間だった肉の塊に目をやる。
………此れが………人を殺めるという事か…………。
まるでこの手、血に染まりし赤ではないか…。
つるぎの赤が無性に恐ろしく感じる。火の付いた家屋がパチパチと音を立てながら燃えていた。

<<御堂、上! !>>

耳に聞こえしは、刃が空気を斬る音。瞬時に刀を構えなおし上空を見据える。まず目に入ったのは飛来する一本の太刀だった。其れは重力に任せて落下し、孝道から数メートルの地面に突き刺さる。
白い太刀だった。刃は鋭さを見せつけるかのように眩く光り、柄は純白の翼を思わせるほどに白い。
―――――――――父の太刀だった。

「貴様ァァァアアアア! !」

再度見上げるは遥か上空。此方を見下す紅の武者。そして落ちて往く白の鳥。
重い体に再び力が宿る。怒りが熱量に変換されるのを感じる。
再び合当理が唸りを上げた。砂埃が舞いあがる。

「うおおおおおおお! !」

強く地を蹴り上空へと飛翔する。
夕日も力を失うように山影へと向かう。次第に薄暗さを感じるようになる村の上空に二本の光が尾を引いた。



[36568] 第一幕 Ⅴ
Name: 空男◆ebc8efbe ID:300702e8
Date: 2013/03/03 23:51
数多の屍が見上げる空。双輪懸の軌跡が尾を引く。

<<先の陰義の使用で此方の熱量は少ない。早期の決着を>>

「応! ! 霧島流合戦術――――――“炎柱”! !」

まだ何度も聞いていないはずの剱冑からの助言をさも当たり前のように感じる。体中が悲鳴を上げ、心の奥底が警鐘を鳴らす。それでもこの武者だけは倒さなくてはならない。
邂逅――。
互いに切り降ろしにて刀をぶつけ合う。強い。今まで相対してきた門下生よりも、師として仰いだ父よりも、先ほど殺めた竜騎兵よりも。
だからどうした?
手にした太刀を構えなおし、敵機へと回頭する。同じように振り返った武者と目があう。合当理が熱を噴射し再び推力を得る。どんな剣も受け止められるという確信。場数の違いを感じずにはいられない。20年で学んできた剣術の全てを、この男は既に経験しているという錯覚に陥る。其れほどまでに危なげなく此方の剣を受ける。糠に釘を打つなどという生ぬるい感覚ではない。岩壁に、或いは城壁に木槌を打つような無力感。必殺の一撃は尽く退けられた。









<<………御堂! !>>

「応! !」

ギリギリのところで刃を退ける。刃の交わる音だけが響く戦場。村正の声に反応して、敵機の剣を退ける。
強い。金打音から察すればまだ若い兵。真打を所有している事実からすれば、霧島本家に属する者だろう。その年齢からは考えられぬほど太刀は重く、己の立ち会いを確固たるものにしている。見事だ。実に見事。あと二年、戦場での経験があれば、或いは、俺を落とすことが叶ったかもしれない。しかし―――若い。
先ほどの白き武者の様な経験がない。死線を潜った経験が圧倒的に不足している。本当に幸運から命を救われた感覚を知らない。一手の間違いで負った重傷を知らない。技量も力も凄まじいものがある。ただ、其れだけが不足していた。其れこそが、村正と焔の違いだった。

<<武帝様、申し上げます>>

突如に響いた金打音。戦場に於いて邪魔になる他者からの介入。此れに反応するだけの余裕が景明に存在していたのもまた事実だった。武帝軍の一人からの通信だった。

「………どうした?」

<<42名の殺害を確認。善悪相殺は完遂いたしました。此方の損害は三機。剱冑による物だと思われます>>

目の前から向かってくる赤い武者。その太刀を野太刀にて受ける。報告は終わった。あとは目の前の武者を屠れば今日は終了する。

「村正、レールガンの使用は可能か?」

<<一度が妥当。威力を抑えればギリギリ二度目は可能だけど>>

「了解した」

構えは上段。武者としての敬意。其れをもって上段の切り落としを選択した。









敵の構えた野太刀が悲鳴を上げている。右肩にかつがれたその太刀は眩い光を放ちながらその存在を主張する。

<<敵機、陰義を使用! !>>

「此方も陰義を。其れしか手は無い! !」

危険も承知。無理も承知。しかし、あの太刀を受けるには陰義しかないことは明らか。再び焔の鎧を纏う。体が軋み、全身をひねり上げられたかのような痛みに歯をかみしめる。燃え盛る鎧が再び辺りを照らし、村は太陽に当てられたかのように明るさを取り戻す。

<<御堂、陰義の使用はおそらく一撃が限度>>

「……ああ………! !」

短い返答を返す。
そんなことは自分が一番わかっている。故に選択する剣術は一つ。

「霧島流合戦術“火花”が崩し――――――――“飛火”! !」

渾身の突き。最も得意とする技。しかし、先ほどとはまるで速度が違う。焔の鎧に推力を授かり、闇を斬って突き進む。迫る敵機は斬りおろし。狙うは一点その手首。流星の様に闇夜を切り裂いた飛び火は、唸りを上げて曲がる。切り降ろされる手首に向けて、突きが方向を変えた。





「―――ッ何! ?」

突然のことに表情が歪んだ。切っ先を向けることで距離を偽る術は、経験済みの物だった。問題はその次。加速した突きと、曲がった突き。状況は不利。行動は反射。瞬時に導き出した打開策。その距離、刀一本分。

<<御堂! !>>
「電磁抜刀――――――“穿”! !」


――――――間一髪。光速の切り降ろしが、突きの到達する前にその刃を叩き落とす。武者を一刀両断にするはずだった抜刀術は、瞬時にその目標を目下の刀へと変更する。短い金属音が響いた。焔の手から零れ落ちた刀は、真っ二つに砕け、重力に任せて落ちていった。





合当理の音が響く。景明は地に落ちる焔を上空から見ていた。その隣、一機の竜騎兵が村正に並んだ。景明は何も発しない。逆に竜騎兵の方が通信を送った。

<<武帝様、この小林、今後の御武運を願っております>>

小林と名乗った男は、その竜騎兵の持つ刃を上空から手放した。景明は見向きもしない。しかしその右腕は脇差へと向かう。

“ヒュン”

空気が摩擦する高い音が鳴る。今日は既に、霧島忠道を殺めている。善悪相殺。その理に従って、首を痛みも感じぬほどの速度で切り捨てた。しかし、これで終わりではない。まだすべきことは残っている。地に膝を折る赤の剱冑。それに向けて合当理に灯を入れた。





目の前に立ちはだかるは紅の武者。剣を無くしたこの手にそれ以外の得物は無く。ただ、その足音が近づくのを聞いている。地に落ちた自身の身体は、先まで騎行していたのが嘘の様に重い。熱量欠乏が目の前なのだろう。視界がところどころ白黒に映る。ゆっくりとこちらに向いていたその足音が止まる。何故か。決まっている。其れはこれ以上近づくことの必要ないところまで来たからである。最期に敵機を見据えようと決めた。憎い敵であった。恨みもある。しかし、負けたという事実がそれ以外をどうでも良いものにした。

――――――顔を上げた。

<<貴様、何者だ?>>

同時にそんな声を聴いた。視界に映った光景は予想していたものとは違うものだった。目の前には、対峙する二人の男と一人の女性。一方は先ほどの武者。もう一方の男は良く知る顔だった。

<<お前、……守道! ?>>

「兄上、御無事でしたか! ?」

<<……止せ、来るな! !
 お前のどうこう出来る相手じゃない! !>>

「どうこう出来る相手であるかは関係ありません。
 この守道は、唯、兄上を守るのみ! !」

守道と武者の距離は20間ほど。武者が脇差に手をかけた。守道は其れを冷静な目で見つめている。

「守道様、………いえ………御堂。装甲を………」

初めて女性が口を開いた。此処を絶体絶命の戦場であることを感じさせぬ様な、ゆったりとした落ち着きのある声色だった。守道が頷く。
そして、―――――その口が装甲の詩を紡ぎだす。

「我、鎧なり! ! 我、鋼なり! ! 我、汝を敵より護る者なり! ! !
 其の眼前に屍は無く、其の道に残りしは聖者のみである! ! ! ! !」

光を帯びる女性。其の身が硬化し、砕け、守道の元に纏われる。兜には一本の角。両の肩には二枚の装甲。腰回りは太く無骨。二本の鞘を腰に有し、双筒の合当理が唸りを上げる。刀を抜き、代わりに地面に刺さりし純白の刃をそこに収めた。

<<守……道……?>>

眼前の剱冑を俺は知らない。見た目が焔と似ている、それでいて、焔以上の存在感を放つその剱冑に目を奪われる。次の瞬間には確信する。焔に似ているのではない。焔が似ているのだ、と。

<<あれは………神代…………っ! !>>

焔の発する言葉に理解することもできず、呆然とその光景を眺めている。
兄にすら存在を明かしていない。この世の誰にも自分が武者であることは伝えていない。装甲せしは、金色の機体。其の名を――――――

「往くぞ、陽炎!!!!!!!!!!!!!!」

<<諒解! !>>

紅き武者に向けて機体を奔らせる。手にするのは太刀。野太刀に分類されるほど長く巨大な太刀。再び、二両の剱冑が上空へと舞い戻る。先ほどよりも大きな双輪懸。

<<御堂、この位置取りでは村に被害が。
山の向こう、海岸へ出るのが良策かと思われます>>

その声に従い、山を斜面に沿って駆け上がる。幸い、紅い武者も着いてきている。速度を上げ、海岸を目指す。この剱冑が力を発揮すれば、直下の村など、一瞬で焼き払われる。其れだけは避けなくてはならなかった。山を一つ越えるのに数分とかからない。嘗ての蝦夷の里を抜け、その向こう、海岸へと到着した。


海岸線を眼下に臨む。暫し距離を取り、互いに睨み合う。先の状況からして、敵機は戦闘後の可能性が高い。ならば、畳み掛けるのが定石。

「陽炎! !」

一気に焔の鎧を纏う。陽炎の陰義もまた、火炎を操る。金色の鎧に赤と青の焔が映り、その存在を一層に際立たせる。
先に動いたのは守道だった。
正面に見据えた敵機に向け合当理に灯を入れる。本日三度輪を結ぶ、双輪懸。二両の剱冑の衝突に海水が波紋を打った。








<<………御堂………>>

村正の気を配るかのような声が上がる。一日に三度の連続戦闘。陰義の使用に次ぐ使用。そのために消費した熱量は並みの物ではない。それでも立っていられるのは、村正が自然熱量消費を抑えてくれたからだった。また、三度に渡る強敵と言って良い敵との戦闘は熱量消費の面だけでなく、精神的にも消耗を深刻な物にしていた。

「……大丈夫だ」

目の前に太刀を構えるは金色の機体。闇夜に在りて、その輝く装甲と纏いし炎が辺りを照らす。扱う剣術はおそらくは白き剱冑と同じ系譜。扱う剱冑は先ほど落とした紅い武者と酷似している。それでいて、どちらもそれらに負けぬ物を誇る。否、どちらの点に於いても勝っている。正に強敵。

「……だが、……………」

そう。だが、負けるわけにはいかぬ。自身が武帝で在り続けるために。
野太刀を握りなおす。再び上段の構えをとる。

「村正、あと一撃だ。残りの熱量、全て注ぎ込め! !」

<<諒解! !>>
<<蒐窮開闢。終焉執行。虚無発現――――>>

振るうは蒐窮一刀。一刀にて切り伏せる。敵機の構えは中段。合当理が唸りを上げる。

「磁気加速―――辰気加速」

加速に加速を重ね、速度を上げる。磁気と重力。二重の加速に推力を授かり、金色の剱冑に奔らせた。





目の前で火花を散らす紅の武者の野太刀。陰義の使用は目に見えている。次の一撃が山場となるのは間違いない。再度、太刀を握りなおす。

「陽炎、敵情を」

<<敵機との距離600>>

距離は在る。構えを変える。刀を下す。刃を上に向け、狙うは払いあげ。炎の鎧が輝きを増し、合当理が唸りを大にする。敵機と同様に速度を上げ、続く邂逅に備えた。
そして、――――邂逅の時。

「霧島流合戦術――――――――“合火神(あわせかがみ)”」
「吉野御流合戦礼法「迅雷」が崩し――――――――電磁抜刀“穿”」


元来、切り上げと切り降ろしでは圧倒的に切り降ろしが有利である。“重力”という重さが加わることに加え、人間の構造上、切り降ろしの方が長けている。霧島に伝わりし、剣術の内でも異端。兄の知らぬもう一本の剣道。其れが切り上げ“合火神”。下からの切り上げは、タイミングを計るのが至難。しかし、其れさえ満たせばあらゆる斬撃を防ぐ盾となる。狙うは受け流し。力での勝負ではなく、力の向きを変える。
極め続けた剣術。あらゆる敵に対し、主を防衛することを目的とした従者の剣術。

上下を鏡で反転したかのような軌跡で、二本の太刀が交わる。激しい衝突。
炎と雷。
異なる源から同等の出力を得て、二本の太刀は突き進む。
予想通り、払いあげることは叶わない。腕力では敵機が上。その野太刀を受け流すべく刃の向きを変える。敵機の切り降ろしは此方の刃をなぞるように左へと軌道を変えた。半身をとるようにして右に重心を変更する。その目の前を敵機の刃が降りて行った。あとは、勢いを殺せぬ間に首を獲る! !

<<………御堂! !>>


短く響く警告。警告することに何が在る?敵機の刃は今完全に躱した。目の前にさらされたのは無防備な首。そして、切り降ろし終えた野太刀。

唸りを上げて響く物があった。其れは躱した野太刀に非ず。其の武者の右手は、左腰に在り。
それは――――――――脇差。


「電磁抜刀―――――――“禍”」

腰の鞘から抜かれる脇差。斬り降ろし同様に光速の刃。其れは、焔の鎧を押し切り、遂に陽炎の身に届いた。

「ぐおおおおおおおおおおおおおおおおおおお! ! ! ! ! ! !」

数十メートルを弾き飛ばされる。体の制御が効かなくなる。意識が体と共に落ちて往く。

<<………道様!……………守道様!!!!!!!>>

「ぐ………剱冑の状況を」

<<損害甚大。これ以上の戦闘は不可能でございます>>

かろうじて意識をつなぐのは陽炎からの呼びかけ。なんとか海面に落ちる直前で体制を立て直す。見上げた敵機は当然、健在。陰義の連続使用による熱量損傷は激しいだろうが、それでもその身に大きな傷は無い。対して此方は、既に纏いし炎の鎧は鎮火している。
ふ、と別の疑問が浮かんだ。

ならば、何故こうまでも辺りは明るい………?

空に一つの光源在り。それは剱冑。名を――――――――焔。

<<兄上! !無茶です! !止めてください! !>>

弟の声が金打音として耳に届く。しかし、取り合わない。既に視界に色は殆どなく、熱量欠乏による寒気が全身を襲う。
今、燃やしているのは命の焔。焔の陰義。熱量を炎に変換する。その間に熱量の保存則は無く、燃え上がる炎は尋常でない程に大きい。

「守道よ、今まで世話になった。」

恐らく最後になるだろう弟への言葉をそう残した。
操るは焔。そして、炎。体中の熱量を、ありったけの生命力を炎に変換する。次第に唸りを上げだす変換回路。其れは、留まることを知らず、熱量欠乏という名のリミッターを突き破る。其れは狂った暴走回路。此れこそが焔の真の陰義。

「済まぬな、焔よ。最期まで付き合ってくれ」

<<私は、霧島を、貴方たち露払いの一族を守る者。最期まで…………共に往きましょう>>

目の前には先ほど敗れた紅き武者。此れは武者としての争いではない。其れであるならば、既に此方の敗北を認めている。力・技。そのどちらもに敗北した。
だが、此れは兄の戦い。弟を守るのが兄。この身に引き換えようともこの守道のみは生きて帰す。

「我、豪炎・焦熱とならん! !」

<<燃やすは命。逆巻くは焔。万物焼灼。灰塵滅却>>

「爆炎暴発ッ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」

体中の機能が炎を上げるためだけに働く。此れはそういう術だ。周りの物全てを焼き尽くす。陰義という名の変換路を借りることで、自身を爆発の源にする。体の表面が熱い。正に焦熱地獄。其れと反して、身体の内は冷え切り急激にだるさが襲ってくる。装甲ははがれ、焔も元来の姿を保ってはいない。だが、最早その全てがどうでも良いことだった。

響く轟音、吹き荒れる暴風、巻き起こる爆発。海面の水が蒸発し、さらなる爆発を生む。

巻き込まれた二両の剱冑が、合当理での制御を失い、上空遥か高くへと攫われた。
戦闘での消耗も合わさり、両仕手の意識はそこで途絶えた。


第一幕――――完



[36568] 第弐幕 問悪鬼編 Ⅰ
Name: 空男◆ebc8efbe ID:300702e8
Date: 2013/03/09 21:32

目の前には燃え盛る炎。遠く離れているにもかかわらず、耳を打って止まない轟音。風に乗った炎は瞬く間に山を駆け巡る。
周りには何十もの村人。皆が村を心配している。祈るように腰を折る者が目につく。村への害は無さそうだという事に一安心しているものが少数。
そんな中、必死の声で叫ぶ。

「あの山には里があるんだ! !
 知ってるだろ! ?
俺はあそこへ行かなきゃならないんだよ!!!!」

救いたい里があった。救いたい人がいた。山へと駆け出そうとする身を大勢の者に取り押さえられる。
手と体を引き留められ身動きできない自分が悔しい。
その手が、求める者を探すように空を切った。







重い重い瞼を開けた。
天井を見上げ暫し呆然とする。体は言う事を聞かず、起き上ることもままならない。
生きている…………のか…………?
記憶を辿る。
俺は紅い武者と戦闘していたはずだ。場所を海に変え、幾度も衝突し、お互いに陰義を使用し、そして敗れた。
――――――その後。
燃え盛る炎―――焔。兄の声が聞こえて――――――。
瞬時に頭が回転を始める。先ほどまで重かった体が撥ねるようにして起き上る。

「お気づきになりましたか、守道様………?」

「……陽………炎……………っ」

視界に映ったのは、はらりと額から落ちた手ぬぐいと、陽炎の姿だった。自分が布団に寝かされていたことを再認する。陽炎は、その隣で水の付いた手ぬぐいを絞っていた。

「お早う御座います。
 御身体の調子はどうでしょうか?」

普段と変わらぬ様子の陽炎に一先ずは安心する。頭に手をやると再び記憶を辿る。陽炎には聞かなければならないこともあった。

「あの後……あの戦闘の後、俺たちは………?」

「孝道様の使用された陰義で海へと投げ出されました。
 それでこの島に流れ着き………命を救われたので御座います」

そこで一度言葉を切る。陽炎の表情が少しだけ陰り、手にしていた手ぬぐいから雫が一つ零れた。

「孝道様と敵機がどうなったかは定かではありません」

兄の安否が分からない。その言葉にも、守道は取り乱すことは無かった。代わりにその右手が握りしめられ、赤く変色する。小さく振り上げた拳が布団を強くたたく。怒りを自身に落とし込む。決して大きく外に漏らすようなことはしない。
涙は出なかった。
感覚が麻痺しているのか……それとも、受け入れられぬだけなのか。
自身に問うも、当然、答えは無い。だが心の何処かで察する。恐らくは、覚悟が出来ていたのだ。あの炎を見た瞬間から。兄が真炎と化したその瞬間から。だから胸にあるのは、悲しみや怒りではない。守れなかった自身への無力感のみ。

“スッ”と襖の開く音がする。目をやる先に立っていたのは年老いた男だった。年齢は60を超えたあたりだろうか。髪は白髪。細い目は優しげに緩み、腰は緩やかなカーブを描く。その割に、広い肩幅と高い身長は若かりし頃の屈強な姿を想わせた。

「おや、目が覚めましたかな、御客人?」

「……この度は命を救っていただいたと聞いております。
 なんと御礼をいたして良いものやら………」

「なに、礼ならそこの陽炎殿に申されよ。守道殿と言いましたかな?そなたが目を覚まさぬ間、付ききりで看病なされたのですから」

ひどく眠気を誘う声色だった。その姿同様に優しさというものが溢れ出ている。自然、陽炎に目を向け、礼を言う。

「失礼、挨拶が遅れました。自分は霧島守道に御座います。此方の女性は陽炎。
失礼ながら、御老人。お名前を御伺いしても宜しいでしょうか?」

「ほう、此れは失礼。儂は、遠藤。この島に先祖より移り住みし一族の末裔。この島は大和の端も端。名もなき孤島で御座います」

遠藤と名乗った老父は丁寧に頭を垂れた。

「何も無い島に御座いますが、御身体の休まるまで何日でも御ゆっくりとなさってください」

目覚めたばかりの此方の身体を気使ってだろう。そこで言葉を切ると“それでは”と残し立ち去って行った。


暫し二人きりの沈黙が流れた。話すことがないわけでは無い。開け放たれた襖の向こうには縁側が続いている。日はもう高く、風は涼しげに庭の木々を揺らしている。霧島本家にも劣らない屋敷だった。何処かで薪を割る音が小気味良く響く。
ふ、と気になり自らの寝巻を確認する。見慣れぬ寝巻に身を包んだ胴を見下ろす。恐らくは、家主が貸してくれたのだろう。

「………俺は、どれだけ寝ていた?」

「ここに運ばれてから、二日間で御座います。あの夜の戦闘からは三日目ということになりますね」

「お前の身体は大丈夫なのか?」

「陰義の使用後のあれだけの衝撃。現在修復中ですが、装甲できる状態になるにはあと五日はかかるかと」

そうか、と息をつく。お互いに視線は交わらせない。少なくとも、守道は外を見ていた。もしかしたら、陽炎は此方を見ているかもしれない。
今は隣に陽炎がいる。其れだけが気持ちを満たした。







少しの微睡を終え、守道は立ち上がった。体の節々が少々痛むがそれも止むまい。手を差し伸べようとする陽炎をやんわりと断る。目指すは音の元。先ほどから軽快に音を響かせている薪割を手伝うべく、陽炎と二人襖へと向かった。
守道も一応は人並みに家事の心得を持っている。家に泊めていただいた恩。何らかの形で返す気でいた。その手始めにと薪割を選択したのだ。襖を超え、縁側を進む。部屋の中から見ていた時も感じたが、実に見事な庭だった。塀が低いのは、此処が武家屋敷ではないからだろう。その中でも存在感を放つのは小さな道場である。霧島本家を思わせる光景が暖かな陽気と相まって自然口元が緩んだ。

縁側の角を曲がる。その先では一組の男女が共同で薪を割っていた。男が薪を割ると、すぐに女性が次の薪を差し出す。時計の針が音を立てるかのように、一定のリズムで音を上げる。暫し、その光景を見つめていた。

「お早う御座います。御体の方は大丈夫でしょうか?」

ふいにそう声を掛けられた。いつから気付いていたかも分からない。低く、落ち着いた声だった。その声の後、二つ目の薪を割ったところで二人は此方を見た。一人は長身の男。
もう一人は―――蝦夷の女性だった。
そのことに少なからず驚きを覚える。

「ええ、この度はお世話になりまして」

その言葉に男の頬が緩んだ。

「いえ、私たちもこの家に居候させて頂いている身でして。
 失礼、申し遅れました。私は湊斗 景明と申します。此方は村正。
 訳ありまして、数日前からこの家に厄介になっている次第です」

その場で座っている女性を指しながらそう言った。低く、落ち着いた声だった。同時に、自分たち以外にも居候がいたという事実に驚きを感じる。

「そうでしたか。それは失礼しました。
 我々もこの度、この家に居候させていただくことになりまして。
 短い間でしょうがよろしくお願いします」

背筋を伸ばし一礼する。相手も同じように礼を返してくれた。隣では、彼らと既に面識があったのか陽炎が昼時の挨拶を済ませている。ひとしきりの挨拶を済ませたのち、その場にあった草履を借りて庭に降り立ち景明の隣に立つ。

「良ければ、薪割のお手伝いいたします」

そう言って目を村正に向けた。彼女の役目をかって出ようというつもりだった。整った顔立ちに熟れた身体。陽炎が静の美女だとすれば、村正殿は動の美女。美しい女性だというのが村正への第一の印象だ。

「平気よ、このくらい。
 まだ身体も完治していないでしょうし、休んでていいわよ」

そう気さくな物言いで断られる。しかし、その口調に反して表情からは棘のある物を感じた。思えば、陽炎と会話していた時もそうだった。表情はにこやかなだけに少しのえも知れぬ不安を感じる。
それも仕方あるまい。蝦夷とは、虐げられし一族。他者に良くない印象を持っていようと、さして不思議ではない。同様に蝦夷である陽炎にまで冷たいとなると、相当な苦労をしてきたのかもしれない。そう思った時もう一度目があった。
…………気のせい……だったか?
其処に在ったのはただ優しげに、此方を気遣うように微笑む村正殿の姿。先ほど感じた様な棘のある表情からは程遠い美しい笑み。
内心、少しだけ胸を撫で下ろす。

「大丈夫ですよ。それに女性に力仕事を任せるというのも気が進みませんので」

そう言って、右腕を差し出す。これも何かの縁。親交を深めたいと思う。足が固まっているのを、最大限表に出さないように気を付けながら、まだ割られていない薪を手に取った。

「村正、お前も疲れただろう。御言葉に甘えて陽炎殿と話でもして来てはどうだろうか」

其処を自身の居場所だと動こうとしない村正に、景明のそんな言葉がかけられる。その言葉に村正も腰を上げ、尻についた砂利を払うように二度たたく。
既に割られた薪を退けると、その場に座り込む。景明殿のタイミングに合わせて薪を差し出した。





「御二人はどうして居候に?」

縁側に腰掛けた村正に、陽炎はそう問うた。陽炎と村正が話をするのは二度目の事だ。最も、一度目は守道が床に伏していたこともありまともな会話はしていない。故にお互いの事情は全く知らないでいた。両手を膝の上に重ねておいている陽炎に対して、村正は砕けた姿勢で手を縁側に付き、両足を宙に浮かせている。

「私たちは旅をしているの。それでこの島のことを聞いて興味を持ったの」

何でもないようにそう言った。実際、そう言った目的でしか訪れるようなことの無い程に此処は辺境と言って差し支えない場所だった。“貴方たちは?”と目で問いかける村正に陽炎も返答すべく口を開く。

「私たちは別の島に行く途中、船が事故を起こし遭難いたしました。その後、偶々我々は此処に漂着致しました次第です」

半分は真実。半分は虚実。此処で自分がつるぎであると明かすこともできず、かといってこの女性に嘘を述べるのも躊躇われた。村正の方も納得した顔で此方を見つめている。
その時、二人の間に“コトリ”と盆が置かれた。乗っているのは二つの湯呑と茶請け。其れを持つ腕は遠藤のものだった。

「おや、守道殿にまで手伝って頂いておりましたか。此れは湯呑をお持ちいたさねば」

そう言って、微笑む遠藤。ゆったりとした足取りで今来たであろう縁側を戻ると、少しの間を置いて新しく二つの湯呑と茶請けを持って現れる。其れに気付いた景明と守道は一礼すると、作業に戻った。きりの良い所まで終わらせるつもりだろう。遠藤が村正と同じように縁側に腰掛ける。二人は勧められるままに湯呑をとった。香ばしい香りが鼻孔をくすぐる。煎茶の類であることは、茶に詳しくない陽炎でも一目で分かった。一口口にして分かる。良い葉を使っている。
薪割の音をバックに“ズズズ”と茶を啜る音が鳴る。

「………して、御二人。御二人とも、彼らとは夫婦の関係で宜しかったでしょうか?」

ブブウウウウウウウウウウウ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

「突然、なんてこと聞くのよ!!!!」

口に含んでいたお茶を盛大に吹き出し、噎せ込む村正。目には涙がたまっている。対して、陽炎はゆっくりと盆に湯呑を戻した。隣では微笑ましく見守る遠藤が笑い声をあげている。

「おや、何か拙いことでもお伺いいたしたでしょうか?」

そう気遣いの言葉を述べるものの、目は笑っている。
先に口を開いたのは陽炎だった。

「私たちは、違います。生まれも育ちも異なりすぎましたから。
 それでも……いつかはそうなれればと思っています」

儚い笑みだった。しかし、決意の籠った瞳だった。その言葉に促されるように呼吸を取り戻した村正も答えを出す。

「私たちは、まあそんなものね。夫婦の契りは交わしていないけど、これからもずっと一緒にいるでしょうし」

此方は何でもないように視線を左右に動かしながらの答えだった。其れを当然の様に思っていることが良くわかる。二人の関係が良好であることは火を見るよりも明らかだ。
陽炎はそんな二人を少し羨ましく思う。私も守道様と………と考えて、その考えを放り出した。其れよりも、守道様に迷惑となることの方が私には辛い。

「御二方とも、仲の好さそうで結構ですね」

遠藤がそう笑い声をあげた。

先ほどよりも一つ高い音を上げて、最後の薪が割れる。薪割を終えた景明と守道が縁側へと向かってくる。余程気があったのか、楽しそうに話をしている。
村正は一つ息をつく。
お互いに互いを考える性格である点で、似た者同士なのかもしれない。守道に向けて笑顔を見せる御堂を見る目に憂いが混じるのを自覚する。
私さえ治らなければ、直らなければ、彼はこんな生活を続けることが出来るかもしれないと。
遠藤を交えての五人での会話はその思いを助長するに足るほど楽しいものだった。



[36568] 第弐幕 問悪鬼篇 Ⅱ
Name: 空男◆ebc8efbe ID:1604b45f
Date: 2013/03/31 00:10
昼食の後、陽炎が村正と片づけを終えるのを待ち、散策へと家を出た。
細い道を歩く。まだ日の高い日中。子供たちが声を上げながら駆けていく。
右を見れば畑。左を見れば田。長閑な風景が此れでもかと広がり続ける。
隣には陽炎、一人。半歩後ろをその距離を全く乱すことなくついてきている。民家が疎らに見えるが、そこに見える人影はない。代わりに田畑で汗を流す農民たちの姿が見えた。

小さな広場に出た。男女五人の子供たちが、竹刀を持って戯れていた。少年が三人、少女が二人。仲好さそうに笑い会いながら剣を振るう。皆が10を超えたくらいだろう。剣の腕は皆がそれほど変わらぬと見える。喧嘩というほど一方的でなく、かといって試合と呼ぶほど緊迫したものは無い。正に剣術を楽しんでいるかのようだ。道端に備えられた手頃なベンチに腰かけると、暫しその様子を見守る。

「えいっ! !」

「イッテえ!!!!」

一人の少女の面が見事に少年の頭を捉えた。防具もろくに無い状態で脳天に竹刀を受けたのだ。その場で座り込んでしまう。だが、少年の方は目に涙をためるだけで、ニコリと笑うとすぐに立ち上がった。

「負けちまった……。良し、今日の大主(おおぬし)様は弥生で決まりだな」

その言葉で、彼らが何かの役を取り合っていたことに思い至る。今日、一番の剣術を披露した彼女……弥生と呼ばれた少女が、今日の大主様役なのだろう。
彼らによる寸劇が始まる。

「おい、お前たち、悪さをしてはいけないぞ! !」

たどたどしい様子で少女はそう台詞を発する。しかし、その顔には満面の笑み。

「へっ! !なんだかしらねえが、望むところだ! !」

そう言って二人の少年が抜刀する。最もそれは演技で、実際はその刀に刃などないが。その後は少しのチャンバラが続く。先ほどの様な全力の立ち会いではない。云わば八百長。初めから弥生が勝つことが定められた寸劇。
大主様たる弥生と、その護衛たる少年が三人の悪者を成敗する。そんな内容だった。

数分の後、この劇は最後に大主様という名の英雄が正義の名のもとに勝利を収めて終わりを迎えた。

「見事なものですね」

後ろからの声に振り返る。いつの間にか、景明と村正が後ろで立って同じように劇を眺めていた。全くもって同じ感想を持った。確かに八百長、確かに小芝居。されど、その剣は紛れもない筋入りの物。齢を考えれば、見事というべき太刀筋だった。
二人に会釈を返すと同時に陽炎が拍手を始めた。短い劇を見せてもらった礼なのだろう。守道も同じように手を打った。村正は変わらず胸の下で腕を組み、景明は一呼吸遅れて拍手を送った。
その音で此方に気付いたのだろう。五人は我先にと此方へ駆けてくる。

「御兄さんたちは、遠藤さんのところに居候に来てる人?」

珍しい来客なのか、その眼が珍しいものを見た喜びで輝いている。何分小さな村だ。彼らが自分のことを知っていてもおかしくは無い。

「ああ、遠藤様の家に住まわせてもらっているよ」

その答えに満足したのか、少年たちは外の世界のことを聞きたがった。
どんなおいしい物があるのだとか、どんな面白いことがあるのだとか。その一つ一つに丁寧な答えを返してゆく。その殆どが島の外に出れば何でもないことだったが、彼らは嬉しそうに耳を傾けた。

「………さっきの劇は皆さんが考えたのですか?」

一通りの質問が終わったところで、陽炎がそう少年たちに聞いた。一瞬何のことか分からぬ様な顔をした五人は互いに顔を見合わせた。

「御姉さんたち、大主様の話を知らないの?」

そう、当然の様に言ったのは一人の少年だった。その顔は怪訝の色で染まっている。彼らにとってその物話がいかに当たり前であるかが窺い知れた。

「……ええ。教えてもらえるかしら?」

少年たちはもう一度顔を見合わせ、我先にとその物語を語りだした。


昔、二つの一族があった。一方は村の主として長くに渡り村を率いてきた一族。もう一方は彼らに仕えた側近の一族だった。彼らの村は周りの村に幾度も戦を仕掛けられたが、それらの一族は正義の名のもとに戦い、一度も村の方から戦を仕掛けたりはせず、そして一度も敗れなかった。其れは、二つの一族の類稀なる能力によるものだった。主たる一族は兵を見事に纏め上げ、その側近たる一族はあらゆる難敵から主を守り通した。村人は、主を大主と呼んで称え、尊敬し信愛していた。

「ね?かっこいいでしょ?」

少年たちはそう言って話を締めくくった。村に伝わる伝記なのだろう。彼らの中で大主なる人物が正に英雄であることは容易に想像できた。陽炎はその話に感じ入るように考え事をするそぶりを見せる。景明と村正は黙ってその話に耳を傾けていた。その眼から何を想うかは察すことは出来ない。

「…………そろそろ稽古に行かないと」

一通り話し終えたところで、先頭に立っていた少年がそう口を開いた。他の子供たちもその言葉に同意する。

「これから遠藤さんの道場で稽古がありますので………」

弥生がそう説明する。五人の内でも最もしっかりとした言葉づかいをする少女だった。目は艶のある黒で、其れと同じ色をした髪は肩口を通り過ぎたくらいで揃えている。妙に大人びた少女だった。成熟した後の美貌が今でも窺い知れる。

「私たちも御一緒してよろしいですか?」

その声は後ろからかけられた。今まで押し黙っていた景明がそう声を掛けたのだ。少年たちの顔が戸惑いの色に変わる。そんなことを言われたのは初めてだったのだろう。しかし、すぐに笑顔を見せると快諾を寄越した。
行きは二人だった道を九人の大所帯となった一行は歩き出す。子供たちは陽炎の事が気に入ったらしく、しきりに話しかけている。時折此方にも質問を寄越す子供たちに景明は丁寧に返答を返す。そんな様子を一番後方から村正が見つめていた。
微笑ましいその光景を見つめるその瞳に悲しみが混じるように感じたのは気のせいだと自身に言い聞かせた。







道場には既に十数人の子供たちが来ていた。合計で二十人ばかり。男女入り混じるその集団はそろって竹刀をとった。小さな村にしては此れだけの数の子供がいることに少しの驚きを感じる。師範は遠藤、その人だった。
その様子を自分たち四人は道場の脇で正座し、その様子を見守っている。
指導というほど厳しい物でなく、丁寧に太刀筋を教えていく。少年たちも素直で覚えがいい。見本を見せると言って剣を振る遠藤の姿は正しく剣豪。老いてなおぶれぬその太刀筋から、若かりし頃の勇姿が見て取れる。
身体の奥底で感じるものがあった。思わず剣を振りたいと思う守道の武者としての性だった。

「御相手いたしましょうか?」

声を掛けたのは景明だった。予期せぬ方向からの問いかけに一瞬返答に詰まる。顔を見ると微笑みを向けられた。此方の心中を見透かしたように竹刀を手渡される。同じようにして竹刀を手にし、立ち上がった景明は軽く振って見せる。まるでその手で振られるのを喜ぶかの様に竹刀が見事な軌跡を描く。その剣捌きに胸の内をもう一度叩かれた。目で構えることを促される。



周りは自分の剣技に驚きを隠せない様子だ。自身でも何故こんなことを言い出してしまったのかと少しの後悔がよぎる。武人として遠藤の見事な剣技に当てられたのも事実。しかし、それ以上にその剣を見ていた守道の瞳に思い出すことがあった。
――――――――――光。
武の道を往き、自身を高める。その意欲が溢れんばかりの瞳。その目に思わず声を掛けてしまった。村正も驚いたようにこちらに目を向けている。その目に真剣にならないことを約束する。相手は一度剣を交えた敵。命のやり取りをした敵だ。そうと知れれば何時戦いとなるやも知れない。加えて此方の手の内をいくつか見せている。感づかれることがあってはならない。村正の呆れと承認の入り混じる顔を確認した後、竹刀を握りなおした。
決心したのか守道が腰を上げる。その竹刀がゆっくりと剣先を此方に向ける。構えは中段。あちらも全力を出すつもりはないらしい。
子供たちは自分たちの稽古を止め此方を見ている。遠藤もその竹刀を止め、目を細めて見守っている。村正は相変わらず呆れた表情を崩さず、髪をかき上げるようにして此方を見ている。陽炎は正座の姿勢を崩さない。

「では、参ります」

景明の声と同時に打ち合いが始まる。否。打ち合いではない。景明が一方的に打つ。其れを守道が捌く。竹刀がぶつかる高い音が道場内を木霊する。
上段からの切り降ろしは小さな剣先の返しだけで進行方向を変え、脇からの胴への薙ぎは最小限の動きで剣の軌道上に現れる竹刀に受け止められる。剣のみに向けられた意識が揺らぐことは無く此方の竹刀は打ち払われてゆく。自然、剣速が上がる。止まっていた足は頻りに軽快なステップを刻みだし剣に緩急を与える。
流石だ、強い…………。
何より巧い。
胸の内で漏れるのは確かな感嘆の声。捌き捌き、捌く。集中は決して緩みを見せず、只の一太刀も通さない。此方の剣もそこらの武人と比べても見劣りしない程度には速度を上げているはずだ。先日の戦闘が頭をよぎる。此方の光速の太刀、電磁抜刀を軌道を変えるまで完璧に捌ききったのだ。此れほどのことは最早驚くに値しないかもしれない。
口元が緩むのを感じる。久々の胸の高揚。殺し合いではなく純粋に剣を競う打ち合い。そんなものへの楽しみはとうにこの胸から消え失せたとばかり思っていた。
自然と打つ剣を止めた。其れを一瞬だけ訝しげに見た守道が今度は攻勢へと転じる。逆に其れを捌いていく。そう、この感覚を体は覚えている。若き才ある者と、その成長への感嘆を胸に宿しながら打ち合う。其れは、正しく光と共に剣の鍛錬に励んだ日々の一コマそのものだった。
竹刀のぶつかり合う音だけが響く。それ以外には何も聞こえず、頭の中は目の前の者のことで埋め尽くされだす。それでも、確かな会話が其処に在った。剣を通した会話。両者の感嘆の響き。其れが竹刀の音に乗る。
名残を惜しむように両者が、決めの一撃を放たない。その実放てない。“獲りに行く”ほどの隙が無い。そんな中、打ち合いを終わりへと導いたのは景明の方だった。
半ば強引な上段。剣を捌かれたことにより僅かに姿勢が揺らぐだけの守道に対して竹刀を高々と振り上げる。その剣に意思が宿る。この一撃で終わらせると。
其れを感じ取ったかのように守道もまた構えを引き締める。振り下ろされる竹刀。兜割の一撃。其れを捌ききるべく守道の竹刀が軌跡を追った。
獲った………。
それは確信。此方の剣が一瞬速い。そのタイミングで防がれたところで押し切る事が出来る。胸の内で勝利を確信する。しかし、決してその確信に奢ることは無い。
振り下ろされる刃は速度を上げ―――――――その切っ先を止めた。
守道が驚いたような表情を浮かべると同時に、彼の竹刀が其れを弾き、手から竹刀をかすめ取るかのように巻き上げられる。思わず、手を離すと竹刀が宙を舞った。

身を投げた竹刀が地面に落ちる音が立ち会いの終了を知らせた。

同時に子供たちから賞賛の拍手を送られる。

「御兄さんたち、すげえ!!!!!!」

彼らの見たこともない剣戟だっただろう。二人を取り囲むように輪が出来た。
まだまだ自分を捨てきれぬか………。
そんな中、その言葉も聞こえぬ様子で立ち尽くす。放った兜割は正しく全力の物だった。打ち合いに高揚し、要らぬ力を入れてしまった自身を戒める。村正に目を向けると、やっぱりこうなったと言わんばかりの呆れ顔を見せつけられる。弁明の余地もなかった。

「景明殿………」

守道の声に視線を戻す。

「……見事な剣捌きでした。完敗です、守道さん」

怪訝な顔を浮かべる守道にはそう返した。守道の顔が一層曇る。

「……今日は、そういうことにしておきます。
 いつか全力の立ち会いを」

小声で一言を付け加えた守道に、しかし無反応を貫いた。






夕食を終え、縁側に座ると、夏が過ぎようとしているのを感じさせるような涼しげな風が髪を撫でた。守道が思い返すのは先ほどの立ち会い。明らかに獲られた一太刀だったと思う。其れをあえて此方に勝ちを譲渡したとしか考えられなかった。

「おや、こんな処にみえましたか。守道さん」

後ろからそう声を掛けられる。思いめぐらせていた人物、景明その人だった。いつも隣に居る村正の姿は今は無い。柔らかく微笑んだ後、景明は此方に近づいてくると、隣に腰を下ろした。
この場には陽炎もいない。今頃は二人で夕食の片づけをしている頃だろう。二人きりとなるのは初めての事だった。一段と空気が冷えるのを感じた。
沈黙は短くなかった。だが、不思議と不快には思わなかった。
ぼそりと、口を開いたのは景明だった。

「先程の子供たちの話、どう思われましたか?」

「………どう…とは?」

問われたのは予想外の事だった。突然のことに応えに詰まる。口に出たのは質問の真意を問うべく問いだった。景明も数瞬言葉を詰まらせる。恐らく良い言葉を探しているのだろう。

「正義とは何でしょうか、と言い換えられるかもしれません」

その眼は此方に向いてはいなかった。目の前の暗闇をそこに何かの実態があるかのように凝視している。そこに立つのはあるいは景明自身なのかもしれないと漠然と感じた。

「村を守るために兵を退ける。確かに正義の行いなのかもしれません。
 では彼らが殺めた兵の死を悲しむものは居なかったのでしょうか?
 彼らが殺めた悪とは、彼らに都合の悪い“悪”だったのではないでしょうか?
 …………彼らが英雄と尊敬する者達は果たして彼らの言うほど正しい者なのでしょうか?」

「それは……………」

言い淀むほかなかった。思い出すのはいくつもの情景。汚れ役を引き受けてきた自身の過去。18になった時には、その手は既に血で汚れていた。隠密な任務は少なからずこなしてきた。その中で血に染まる自身の手を見続けてきた。
全ては兄と一族の為。
それが正しいと自身に言い聞かせる一方で、間違っているのかもしれないという不安を抱えていたのも紛れもない事実だった。子供たちが語った物語は自身に当てはめる事が出来る。ならば、其れを否定することはできなかった。

「………いえ、伝承にとやかく言うのも野暮というものでしょう。
 どうか、忘れてください」

沈黙してしまった此方の様子を不安に思ったのだろう。景明がそう話題を変えた。その眼は間違いなく此方を見ている。その眼はいつも通り優しげに曇っていた。今日の話はもう終わりにしましょうと景明は立ち上がる。縁側を彼らの部屋へと歩きだした。
景明は振り返ることなく角を曲がり消えていった。
問いの真意は結局分からずじまいだった。



[36568] 第弐幕 問悪鬼篇 Ⅲ
Name: 空男◆ebc8efbe ID:300702e8
Date: 2013/03/31 10:48
陽の上りきらぬ朝方。いつも通りの時間に目を覚ました守道は道場へと向かうべく身を起こした。横では陽炎が寝息を立てている。睡眠をとる必要はないのだが、意識を沈めているのだろう。此方に気付く様子はない。彼女に気付かれぬように部屋を抜け出す。
道場の使用許可は昨日の内にとってある。備え付けてある竹刀を一本手に取ると幾度となく繰り返してきた修練を始めた。
一時間とかけずに一通りの修練を終える。昇りきった陽射しが道場の中にも指し込み、そのまぶしさに目を細めた。体から湧き出る汗が、陽を反射し輝いた。いつもならばそこで朝の修練は切り上げるところだった。その手に掴む竹刀をじっと見つめる。思い出されるのは紅い武者の光速の斬り降ろし。そして、景明の兜割。大上段に構えた、自分の剣道には無い純粋な力の技。連想されるは霧島流合戦術“炎柱”。兄と父の用いた霧島に伝わりし上段の斬り降ろし。
目の前には甲冑を纏った藁。意を決したように其れを見つめた。剣を構え、中段に取る。一呼吸。息を止めて放たれるは上段よりの斬り降ろし。一段と振り上げた竹刀をその兜に向けて振り下ろす。短く重い音を上げて藁が舞った。
道場内に響いたその音の余韻が消え去るのを待って、構えを解き再び息をついた。自身を見失っている。そんな自分を心の内で嗤う。其れは自分のすべき事ではない。此れは俺の剣術ではない。家族の剣に憧れたのか、強敵の剣に臆したのか、景明の剣を妬んだのか。いづれにしても気の迷いだった。
そんな自分の間違いを正すように竹刀を下す。刃に想定される部分を上に向け、力を抜くようにして体幹に力を込める。自身の剣とは何なのか?その答えを体現するかの如く放つ切り上げ。“合火神”。刃を防ぐことに特化したその剣は、刃の代わりに鎧の胴を打った。





朝方とは違い、道場は活気を帯びていた。時刻は正午を少し過ぎた頃。修練にと集まった昨日と同じ面々。そして遠藤の姿があった。子供たちは試合と称して互いに竹刀をぶつけている。昨日の立ち会いから図らずも人気を集めることになった守道と景明は、剣についての子供たちの質問に答えて回っている。陽炎と村正は道場の外で話をしている。互いに気が合ったのか、二人で話に出る事が多くなった気がする。
一通りの指導を終え、守道は遠藤の横に立った。その存在感は十数センチの身長差も感じない程に大きい。老兵という言葉が良く似合う。特に剣を構えた時の風貌は父、忠道にも引けを取らぬほどだ。

「守道殿、何かお悩みかな?」

こちらに目を向けることもない。その視線が捉えているのは子供たちと、苦戦しながらもその指導をする景明の姿だ。細められた目からはその考えを読む事は出来ない。そんな様子で発せられた此方の心中を完全に見透かしたような一言に思わず背筋が張った。
特に考えがあった訳では無い。ただ、何気なく隣に立っただけだった。しかし、そう言われると思い当たる節がいくつもある。この老兵の言葉には見透かしたような響きがあった。口が渇く。何とか一度唾を飲むと、遠藤同様に子供たちに目を向けながら口を開いた。

「遠藤殿は、正義をどのような物だと考えますか?」

「………ほう、其れはまた、難しい問いですな」

遠藤の目がさらに細められるのが見ずとも分かる。曖昧な問いへの返答を考えているのだろう。
思い返されるは景明からの昨日の問い。自分たちの為に剣を振るい、敵を殺めることに、はたして正義は在るのかという問い。自分が思い悩んだことを話すなど陽炎にしかせぬことだった。同時にこの老兵の出した答えに興味があった。
暫くの沈黙の後、遠藤が口を開いた。

「正義を、全てに正しい道だとすれば、それは存在しないかもしれませんね」

「この世に正義は存在しないと?」

「いえ、それでも信ずる物があるのならば、それはその人にとっての正義なのでは?」

「世界に於ける正義は無くとも、個人に於ける正義は存在する、ですか………」

なるほど、と思う。実に現実的。実に論理的。そうであれば、自分の行いは正当化されるべきである。しかし、その一方で相手の正義も正当化するという事だ。ならば、景明からの問いの返答にはなり得ない。何故なら、正義の道を往く敵を殺めることは許されぬからだ。
遠藤の方へと視線を向けると、いつの間にか、彼の視線も此方を向いていた。
その優しげな瞳に捉われる。

「守道殿がどう考えるかが重要だと思いますよ」

「………突然、妙なことを御伺いして申し訳ありません」

そう、自分の答えを探すしかないことは分かっていた。
その言葉を受け取った遠藤は返答の代わりにやはり優しげな微笑みを返してくれた。





村正は自室で自身の回復に努めていた。蜘蛛の待機状態をとり機能を修復に回す。ふいに控えめな足音が聞こえた。村正はその足音に心当たりがあった。与えられた和室の障子。その向こうに影が映り、入っても良いかという女性の声がかけられる。その時にはもう、村正は人の形をとっていた。

「どうぞ」

短い返事に応え、入ってきたのは、予想通り陽炎だった。その手にはお盆。二つの湯呑と茶請けが乗せられていた。
自分と同じ褐色の肌。白髪は薄く灰色に見える。顔立ちは整い気品を感じさせ、熟れた体は女性の自分から見ても美しい。
性格も大和生まれの女性らしく品があり、好意すら抱いている。

もし別の形で出会っていたならば良い友人になれたかしら?
ふいに浮かんだ考えを馬鹿馬鹿しいと否定する。
彼女もまた自分と同じ存在で在ることを知っている。その実態を目の前で見せつけられたのだ。主の声に応えその身を装甲へと変えるその姿を。自分と同じように姿を変えているのか、茶々丸と同じように生ける剱冑リビングアーマーで在るのかは分からない。ただ、その美貌が彼女本来の姿でないことは明白だ。

「お茶をお持ちしました。
 御一緒してもよろしいでしょうか?」

同じ蝦夷で在るという事実が心を緩ませているのだろう。陽炎は此方に警戒する様子もなく二人きりになることが多い。
景明と守道が図らずも友好的な関係になったことで、二人でいる時間が増えたのもまた確かな事実だ。

「昨日、守道様から伺ったのですが……」

向かい合うようにして腰を下ろした陽炎は、お茶を差し出しながらそう切り出した。

「景明様より、正義とは何か?という質問を受けたと聞いております。
 村正様はそのことについて何か景明様より何か伺っておりませんか?」

「へえ、あの人がそんなことを………。
 申し訳ないけど、彼の真意は私にも分からないわ」

半分は真実。半分は虚言。
御堂がそんなことを問うなんて………。
景明の答えを自分はもう知っている。この世に武を正当化する正義などない。武とは悪。正義という言葉は、其れを誤魔化すための偽りの言葉に過ぎない。
唯、何故守道に其れを問うたのかが分からない。まさか、武帝軍に引き入れるためでは?と考え、即座に否定する。一度命のやり取りをしている相手であることを考えればありえない。

「そうですか。突然、変なことを御伺いしたことをお詫び申し上げます」

丁寧に頭を下げた陽炎の態度が、この話題の終わりを告げていた。





夏とはいえ、夜は気温が落ちる。寝苦しい程度には暑さを感じるが、軽装で縁側に立つ分には肌寒さすら感じた。月は満月。空には星が散りばめられ、街灯の明かりなしにも目先の闇に困ることは無い。
故に、景明が隣に座る男を守道であることを把握するのは容易いことだった。

「どうされましたか?」

「いえ、少しお話をしたいと思いまして」

聞きたいことは分かっている。悩んでいることも検討が付いている。其れは自分が問うたことであり、かつて自身が悩んだことでもある。とはいえ、この若武者が自分と同じ答えにたどり着くなどとは思っていない。しかし、問わねばならなかった。この問いの答えこそが今の自分であり、武帝としての在り方であった。
思えば、理解されたかったのかもしれない。技を認め、心を認め、力を認めたこの男に。自分が認めたこの男に。自身を認めさせたいなどという人間らしい、悪鬼らしからぬ欲望が顔を出すのを感じた。

此処に座っていたのは、守道を待っていたからだった。

「昨晩の問い。景明殿の答えをお聞きしたい」

だからこの言葉も予想の範疇だった。否、むしろ待ち望んだ言葉ですらあった。
そうして悪鬼は、その悪鬼たるが所以を語った。

「私は………、この世に正義は存在しないと考えています。
 正義とは武を正当化する偽りの呪術です。武とは手段であって、目的ではない。
 “武”自体に良きものなど無いのです。
 その武を正当化する正義こそが争いの種になっている。
 故に、この世で武を為す者には悪鬼しかいない。其れは、私も、貴方も同じです」

守道は黙って聞いていた。此方に目を向けようともしない。その眼は固く結ばれた両の手を見つめていた。返答までには時間がかかる様子だった。

「……それでは………」

いくらかの時間が過ぎ、ボソリとつぶやきが聞こえた。ともすれば夏風に揺れる木々のざわめきにかき消されるほどのよわよわしい言葉だった。おおよそ普段の彼からは想像も出来ない。

「それでは景明殿は何のために武を為すのですか?」

「己の信じた道を往くために」

即答だった。言葉の尻にかみつくような速度で淡々とそう答えた。短い答えだった。しかし其れが自分の全てだった。
自分は悪だ。悪鬼だ。其れにもう一切の言い訳は無い。自分は決して英雄ではないのだ。

守道はもう何も言わなかった。問うことも、応えることも無かった。その無言を景明は受け止めるしかない。かける言葉は無い。
夏風は、身体しか冷やしてはくれなかった。





最初に“其れ”の姿を確認したのは農作業に勤しんでいた農家の主の一人だった。

「おい、あれはなんだ?」

「……さあ?」

上空。雲が流れゆく晴天の空に、虫が食ったかのような黒い点があった。飛行機などが上空を通過することは経験したことがない。鳥が飛ぶにしては高度が低すぎる。
列をなして3。その三つの黒点は、次第に速度を上げながら、降下してきた。その姿に居合わせたもう一人の農民の表情が凍る。

「あれは………武者か?」

気付くのと、走り出すのはほぼ同時だった。先ほどまで農作業で流していたのとは全く異質の嫌な汗が噴き出す。目指すは遠藤、村長の家。必死で走る。この事実を知らせる必要があった。村の一大事であることは直感が告げていた。
その背中から飛来した銃弾が、男の胴から左足を切り離した。





「あんなにあからさまに逃げられるとねえ。
 後ろから狙い打ちたくなるってもんジャン! !」

軽い口調で男が口を開いた。剱冑を纏い高度を保っている。今、弾を打ち出した銃口に向けて冗談めかした様子で息をふく動作をする。

「よせよせ。今回の仕事は剱冑狩りだぞ。
 相手は彼の有名な真打様って可能性もあるわけだ」

「ないない。今までどれだけのガセ情報に踊らされてると思っているんだよ! ?」

“ははは”と三人の男たちは笑い声をあげる。その眼下には左足を探し求めて芋虫の様にはい回る男の姿があった。



三人が村の中でも目立つ大屋敷に目をつけるのに時間は掛からなかった。
急降下し、その門の中に降り立った。

「招かざる敵、というやつですかな?」

既に人だかりができている遠藤の家の門の前。その中には最初にその姿を確認した農夫の姿があった。
そして、その中央。一人の老人が凛とした、たたずまいで立っている。
遠藤だった。

「これはこれは御老人。俺たちは六波羅。此処に剱冑があるって聞いてきたんだが?」

剱冑狩り。六波羅に刃向う力を削ぎ落とすための政策だった。
周囲の様子が一変する。村人の殆どが集まっているだろう。その大衆にどよめきが奔る。
しかしそれは疑いを掛けられたことへの戸惑いではない。どうして、知られたのかという疑問。

俺達の事では………ない………?
守道ははじめ、自分たちのことを言っているのかと考えていた。しかし、村人たちの動揺は、村に別の剱冑があることを明らかに示していた。
この村のどこにそんなものが?
遠藤も村人も昨日までそんなそぶりは見せなかった。


「おいおい、ビンゴかよ!!!!」

「神様も俺たちのことを見放してなかったようだぜ!!!!」

男たちはそれぞれに喜びの声を上げる。まだ若い声だった。

「じゃあ………そいつを俺たちに寄越せ………っ!」

其れは依頼でも懇願でもなく命令だった。押しつぶされるように村人たちの声がトーンを落とす。そんな中、遠藤がもう一歩前に進み出る。

「どこで其れを知った?」

「情報というより逸話だな。
先の大戦で六波羅も大分兵を消耗したからな。それを埋める為に剱冑が必要だった。
 そこで逸話にほんの一縷の希望を込めて、俺たちが回収に上がったってわけよ。
 まさかこんな島があるかどうかすら怪しかったんだが………」

そこで男はクツクツと笑い出す。よほど機嫌が良いのだろう。その口は饒舌だった。

「そうか………。
 しかし、それは出来ぬ相談だ」

「ああん?」

遠藤の声にいつもの優しげな響きは無かった。
途端に男の顔が曇る。喜びに細まっていた目はぎろりと遠藤を見据えている。
対する遠藤も一歩も引く様子はない。そこに在るのは意固地な老いぼれの姿ではない。信念を守る男の姿だった。
一瞬構えをとった男たちだったがすぐに刃を下ろす。その姿からは余裕が滲み出ていた。この状況をどう愉しむかだけが頭の中を巡っているのが見て取れる。

「俺たちは別にこんな村なんかどうなっても良いんだ………ぜっ!!」

言うのと同時に手にしていた刃が振るわれた。空を切る高い音と共に、村の男の悲鳴が上がった。大の男が喚き散らしながら地を這っている。
その右腕は在るべき場所には無かった。

「待て!!!!」

間髪入れずに飛び出していた。一瞬だけ遅れて皆の前に躍り出た陽炎をちらりと横目で確認する。遠藤や景明、村人たちに隠していたことに少なからず引け目を感じていた。
この身が武者であること。陽炎が剱冑であること。できれば知ってほしくは無かった。平和な村に訪れた一人の旅人でいたかった。だが、それは先ほどまでの話。
今はこの村を守るために刃をとる時。

男たちの目が一斉に此方を向いた。恐怖は無い。あるのはほんの僅かな迷い。即ち一昨日の問い。自身の正義を信じ、敵を切ることは果たして許されることなのだろうか。
答えは無い。それでも、この村の人々を守りたいと思った。其れだけの為に剣をとる覚悟を決めた。

「我、鎧なり! ! 我、鋼なり! ! 我、汝を敵より護る者なり! ! !
 其の眼前に屍は無く、其の道に残りしは聖者のみである! ! ! ! !」

陽炎がその姿を鋼に変える。金色の機体。彼女も真の姿に還るのだ。
遠藤や景明は驚きの表情を浮かべているに違いない。
振り返ることは無かった。
合当理に灯を入れると、そのまま空へと駆け上がった。



[36568] 第弐幕 問悪鬼篇 Ⅳ
Name: 空男◆ebc8efbe ID:300702e8
Date: 2013/05/12 14:30
視界に映るのは眩く輝く太陽と、薄らと空にかかる少しの白い雲。
天に向けて一筋の軌跡が描かれる。機体に浴びるは真昼の陽ざし。
数にして3対1。加えて、眼下には傷つけられぬ村人たちが数十名。状況は正に圧倒的不利だった。

「陽炎、機体状況は?」

先の戦闘による損害を短く確認する。装甲に際して目立った違いは感じられなかったが、修繕が完全とは言えない今、剱冑としての性能が低下している可能性は否定できない。

<<大分回復は出来ています。戦闘は可能。しかし、陰義の使用は最短でお願いいたします>>

陽炎からの報告はおおよそ予定通り。無言で頷くのを唯一の返答とした。

ふいに鳴り響く甲高い音。
雲をめざし駆け上がる剱冑の後方に、敵機が付けてきたという警告音。その音に眉間に皺を寄せずにはいられない。機体情報の確認は終了。これから気にかけるのはただこの戦闘のみ。
此方の思惑を悟ったように、陽炎が口を開いた。

<<敵機、右下方より飛来>>

「数では此方が不利。一気に片を付けるぞ!!!」

<<諒解! !>>

数で劣る敵。更に此方の機体状況は万全ではない。出来る事ならば早く戦闘を終えたかった。故に陰義の使用を選択する。
金色の機体が唸りを上げて燃え盛る。今しがた使用時間を制限された焔の鎧をその身に纏う。此方が敵機に向けて殺気を放つと時を同じくして焔の渦が唸りを上げた。
後方より追ってきた三機と目を合わせる。

刀の柄に手をかけた瞬間。ちらりと景明の顔が頭を掠めた。
――――抜刀。
その扱いを確かめるかのようにその場で振りぬく。元よりその刀は陽炎の物に非ず。手にした刃は純白に輝き、陽と火の輝きを鋭く映し出す。
銘を白沙耶(しろざや)。嘗て父が振るった剣。千鳥の振るいし純白の太刀。
その純白の刀身が紅に燃え盛る炎を反射し、紅蓮へと色を変える。唸りを上げていた焔の鎧も、取り巻くようにその身に静かに纏われている。

真炎爆発。元より、熱量を多大に消費する最奥の奥義。されど、その威力は絶大。

<<ははっ・・・はははははっ! !>>

金打音として、敵機の叫び声が空に木霊する。殺すことを娯楽とするものの雄叫び。歓喜の叫び。ひどく不快に感じた。
あくまで此方を見下したように、狩人が得物の逃げるさまを楽しむように、三領の剱冑からは笑い声のみが漏れている。
横一線。その姿とは裏腹に見事な統制を保ちつつ、上空へと駆け上がってきた三領は、その進行方向を分かつ。
一つは右へ。一つは左へ。そしてもう一つは直進。此方に向かい、一直線最短距離を駆ける。

「陽炎、まずは直進してくる敵をやる。焔の鎧は推力に回せ!!!!」

<<諒解! !>>

目前、一片のためらいもなく直進してくる敵機を正面に見据える。
ここにきて初めて敵機の得物に疑問を覚える。その刃は両刃造となっていた。大和の武者に珍しい刃の形状。やや太めの刀身がその両側に白銀の刃を主張する。峰が無いという事実は、その動きから刃の軌道を推測し難くする。しかし、其れだけを心にとどめておけば恐れるに足らず。

この場面で必要なのは一撃決殺。戦闘を長引かせることは、敵情、此方の機体状況、あらゆる面で不利に進ませる。今は数を減らすことが優先事項。その意味で、敵機が多方向からの攻撃を狙い、分散した今は好機。

構えをとる。敵機は下方より飛来。其れに対し、此方は上方からの応戦が可能。此れにより導き出す構えはすなわち上段――――――。
対する敵機も上段の構え。恐らく狙うは此方の下方を通り過ぎる際の斬り降ろし。逸早くその判断を下し、構えをとった敵機を武者であると再認識する。彼らは獣に非ず。行動だけを見れば暴徒の類。理性を持たぬ獣。しかし、相対しその実態を感じずにはいられない。即ち、彼らは狩り方を心得た狩人に他ならない。
互いの構えは上段対上段。
速度を上げ、互いに必殺の一撃を加えんと、空を駆ける。

敵機は目前。互いの距離は間違いなく縮まっている。

振り上げた刃に父と兄を想った。
今自分立つ、敵を屠る道こそが彼らが歩んできた道なのだろうか。今、自分は何のためにこの刃を掲げるのだ?
盲目なまでの忠心によって追いやられてきた当然の疑問。自らの意思を持たず人を斬ってきた自分の咎。全ては兄、父、ひいては一族の為と考え、直面することを避けていた根本に在るべき問い。
………いや、だめだ。
雑念を振り払う。そう、此れは雑念だ。意識の内に入れるべきは敵機の姿のみ。身を刃として初めて剣を振るえる。今までがそうだったように。これからもそうであるべきだ。

掲げた刃は陽炎の姿を更に大きく見せる。迫りしその姿は正しく鬼神。
速度を上げ、エネルギーの差に任せた一撃を放つ。
敵機が此方同様に速度を上げ、衝突への構えを引き締める。互いの合当理の唸りがドップラー現象を引き起こし、その音階を変化させる。
衝突は目前。自身の間合いまでの距離を正確に測り続ける。刹那、敵の振り下ろしが此方よりも一足先に始動した。
否、早すぎる……!!
無理だ。届くはずがない。此方の速度。敵機の速度。刀身の長さをどう考慮しようと、まだ仕掛けるタイミングなどではない。

<<御堂! !>>

衝突の直前―――――。しかし突如耳に届くは陽炎の警告。敵機は振り上げていた刃を振りおろし―――――――その刃を手放した。
次いで訪れたのは大きな衝撃だった。

「ぐっぐうう………っ」

敵竜騎兵は上段からの斬り降ろしのはず。其れを、敵は――――。

「刃を投げただとっ! ?」

斬り降ろしはフェイント。上段から、切り降ろしと同じ型“フォーム”で手にした刃を投げつけたのだ。
所詮は投擲。威力で言えば手にした斬り降ろしに遠く及ばぬはず。しかし、その衝撃は一瞬意識が飛びかけるほどだった。
剱自体が重すぎる。恐らくは、元々投擲を前提に製作された剱。邪道を往く者であると自負する守道をして、邪道と言うを禁じ得ない外法。しかし、其れに不平を言う気も、言えた義理もない。今は、戦闘可能な状態にある幸運に感謝すべき。
虚を突かれながらも致命傷を受けなかったことは正に奇跡。

推力に焔の鎧を回していたことが仇になったか………。
しかし、防御に集中しても埒が開かぬのも事実。元より、攻撃と防御では防御に特化した剱冑故の威力不足が否めない。

「陽炎、機体状況は?」

<<左腕に損害大。戦闘の続行は可能。しかし…………>>

<<はっはっはっ………はははははははは!!!!!!!!!>>

戦闘狂いの獣たちが一斉に雄叫びを上げる。
そう、気を抜く暇はない。両サイドから二領の剱冑が迫る。陽炎の言葉を半ば聞き流し、次なる敵へとその刃を向ける。
先刻の奇襲の為に、此方の体制は先ほどよりも圧倒的に不利。勢いを失い敵機よりも下方に回らざるを得なかった。二領の竜騎兵は此方よりも僅かに高い高度を保ちつつ接近。このまま、高度によるエネルギーでも不利な状況で打ち合うのは絶望的。
先ずは高度で優位をとる。その後、一機ずつ仕留めるしかない。

<<だから、其れじゃあめえんだよ!!!!!>>

今度は会頭した直後。上空へと駆け上がる為、足を止めた一瞬を狙い、二機は構えられた二本の刃を先ほどの武者と同様に投げつける。
上下左右。どの方向にも避けることの出来る投擲という術は、本来空中戦では誉められた戦術ではない。加えて、得物を失うという点でも、その後の戦闘を不利にしかねない。故に使われることなど殆どない未知の戦術。
唸りを上げて二本の刃が迫る。両側に刃を持つ刀。剱冑の腕力を以て放たれた其の速度は正に流星。
弾くという選択は無い。その実、此れは勝機でもある。弾く一瞬を省略し、回避すらも惜しんで敵機へと接近できれば。
今の敵は得物を放棄した木偶。ならば、今こそが勝機。二度目の奇襲は最早意味を成さぬ。

迫り来る刃。其れの軌道を寸分の狂いなく見極める。慣性に任せて機体が止めた足を、焔の推力により無理やりに上空へと向ける。合当理が唸りを上げると同時に体が軋みを上げる。奥歯をかみしめると、くぐもった軋み音が口の中で反響した。
時が制止したかのように此方の身体は鈍間だ。時間の感覚が拡張されたように刃もゆっくりと迫る。

………………躱したっ!!

間一髪。交差する二本の軌跡を尻目に見ながら、刃を投擲した剱冑へと迫る。其の竜騎兵は次なる刃を抜き放つべく腰に手を。
此れで勝負は純粋な力比べ。小細工なしの力技。仕手の能力がいくら高くとも、敵機は竜騎兵。陽炎の推力をもってして、打ち合いに敗北するとは思えない。

ガギイイイイイイイイイイイイイイイイイイイン!!!!!!!!!!!!!!!!!!

敵機を切り裂くべく刃を放った、その直前。再び流星が目の前を奔る。今度は投擲に非ず。
敵機は脇に差した二本目の刃を見事なまでの抜刀術で抜き放ったのだ。
まさか、先ほどの投擲は囮か………!?
此れほどまでの抜刀術。考えられるのは此方が本命であるという事。そう思うまでに、両刃刀の刀は一切の淀みなく放たれた。

<<さあ、捕まえちまったぜ!!!!!!!!!!!!>>

歓喜の雄叫びが金打音として空に響く。敵機の数は三。鍔迫り合いの中、後方より二機が迫るのを感じる。
推力、力。どちらにおいても此方が上。ならばこの鍔迫り合い、負ける道理はない。しかし、敵機もまた強者。簡単には押し切らせてはくれない。否、おそらく敵機の狙いは此方の刃を抑えること。この鍔迫り合いを長引かせることに在り。
背後に影が迫る。
どうする?
此の侭では、背後からの斬撃になすすべなく切り捨てられるのみ。

「……………陽炎、鎧を防御に!!!!!!!!!」

瞬時の策は苦肉の策。脇を通り抜けるように刃を受け流しに往く。当然、敵機は其れを許さない。傾けた刃に向きを合わせ、強引な鍔迫り合いを続ける。
元よりそれも予想済み。時間は無い。負傷を覚悟でその刃から強引に刀を退いた。
合わせていた刀を失い、敵機の刃が空を奔る。その先には当然陽炎と守道がある。
左腕に鈍い痛みが走る。思わず苦悶のうめきが漏れる。重なる左腕装甲へのダメージ。覚悟していた一撃とはいえ、焔の鎧をもってしても、損害無に切り抜けることは叶わない。
あえてその刃を身に受け、竜騎兵の脇をすり抜けた。直後、背後に一筋の剣筋が奔るのを、肌と耳とで感覚した。

肺を圧迫されたように重い息が漏れた。
拙い。打つ手が無くなっていく。此方の損害は蓄積するばかり。対して、敵機への損害は、投擲に用いられた刃が初めから消耗品として考えられているのであれば、ゼロと言って良い。依然三人の武者は高度の優勢を保ちつつ、此方をうかがっている。

<<………守道様>>

陽炎も重い空気で守道の名を口にする。それ以上の事が出来ないでいる。
最早、一領ずつ相手取るなどという甘い策が通じるとも思えない。ならば、残す道は真っ向からの打ち合い。それも、鍔迫り合いを禁ずる一瞬の斬撃。其れが如何に難しいかを理解できない程、守道は楽観的でも無能でもなかった。
腹の奥が捻じれるような痛みを覚える。押し殺していた感情がゆっくりと姿を現す。それは恐怖。そして絶望。息は次第に荒くなり、口はだらしなく開いて閉じようとしない。瞼が妙に重く感じ、何度も瞬きをした。
敵機が遠くへと遠ざかるかのような、世界が自身から離れて往くような感覚。

―――――そんな中で、兄の声を聴いた。
“守道!!!!兄さんな、初めて父上に剣術を教わったんだ!!!!”
遠き日の一コマ。まだ齢二ケタを数えていなかったように思う。嬉しそうに目を輝かせた、幼い兄の姿が瞼の裏に像を結ぶ。自分が教わることの無かった霧島の剣術。幼い心がチクリと痛んだ。其の教えを受けることが許された兄を羨ましく思った。
そう、そして次の兄の言葉はこうだ………。
“守道にも兄さんが教えてやるからな!!!!”

意識が戻る。現実に引き戻されると同時に、敵機との距離が急速に縮む。目が焦点を合わせるという機能を取り戻し、ぼやけかけた視界が戻る。
敵機との鍔迫り合い無くして、一撃で葬る斬撃。そうだ。俺は其れを知っている!!!!
この技は本来、自分の物ではない。兄が俺に与えてくれた剣術。振るうことは愚か、知ることも無かったであろうその斬撃。
嘗て手に収まる純白の刃が、その軌跡を辿った姿が眼前に甦る。兄の放った決殺の一撃。父が放った必殺の一撃。
刀を“中段に”構えた。
カチリ、と音を立てて構えが定まる。陽炎の意識を感覚する。此方には何も問いかけてこない。おそらく俺の状況が分かっているのだろう。
この技を放つのは数年ぶり。兄への服従を誓うとともに自らに禁じた技。
睨み付けるような視線は敵機に。体温とは反対に、頭の中の温度が急激に冷えてゆく感覚。
そしてその口が、その技の名を紡いだ。

「霧島流合戦術―――――“火花”!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」

合当理に灯が灯る。
機体、高度。状況面での圧倒的不利は揺るがず。
しかし、この突きは、幾度となく敵を切り裂いたこの突きは、全てを否定するかのような速度で空へと舞いあがる。
閃光。そう評するに値する速度で守道は奔る。焔の鎧はその力の全てを推力の増加に使っている。これだけの速度。敵機の斬撃を浴びようものならば一瞬で砕け散るのが定め。
敵機が刃を鞘へと納める。やはり得意は抜刀術。自身の間合いへと迫り来るものに対して抜刀術は圧倒的有利を誇る。だがそんなものは最早関係ない。相手の刃よりも速くその腕を切り裂き、その首を斯き切り、その心臓を貫くだけのこと。

先ずは一機目。放たれた抜刀術には気を留めもしない。一瞬の間合いの誤り。この速度で騎行する武者を相手取りながら、自身の間合いを譲らなかった敵へ、敬意の念すら抱く。しかし、その間合いでこの突きは留められず。抜刀された刃が降りぬかれたときには、その頭には一本の溝が出来ており、豪雨の後の用水路のように真っ赤な液体が溢れだす。

間髪入れずに二機目へと。先ほどの攻防を見ていたのだろう。僅かにはやくその抜刀術が繰り出される。完璧だ。心の内で、冷静な自分がそう呟いた。敵機の刃は寸分の狂いなく、寸刻の誤りなく、此方を切り裂くだろう。“だから”足を止めない。此方には元より防ぐ手立て無し。なれば、その刃を凌ぐのではなく勝るよりほかにない。迫る刃。その描くであろう軌跡に突きを“乗せた”。此方の切っ先が敵機の刃に乗る。そのまま、刃の上を突きが滑る。ピタリと前へ出なくなる敵機の刃。此方の突きは抜刀されし刃を押さえつけつつ前へ。時間にして数瞬。だが、それだけの遅れがあれば、この突きは正確に心臓を貫く。
串刺しにした敵機の絶命を確認することもなく振り払う。鮮血が視界の隅で撥ねるが、そんなものに焦点が合うことは無い。

そして、三機目へと。突き刺したことにより、此方の勢いが落ちている。が、それにも構う暇は無い。此れも見事なまでに狂いなく放たれた抜刀術。しかし、三度、目にしたその剣術に翻弄される自分ではない。軌跡は完全に見切った。そして結論に至る。
躱せない。そして此方の突きよりも早くこの身を切り捨てる。
最早推力は最大。此れから描く軌跡も、此れから描く運命も変えられぬ。
だとしても、この突きは、父と兄のこの突きは突き進む。
鮮血に彩られた白沙耶は突進の際にその身に付いた血を風で撒き散らす。その姿が正に白沙耶が火花を散らすように映えた。
敵機の刃が此方の右腕を捉える。装甲の上からであるというのに、その冷たさを感覚した。
腕の一本、くれてやる!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
それに遅れることコンマ数秒。火花が敵機を捉え、―――――――――貫いた。



[36568] 第弐幕 問悪鬼篇 Ⅴ
Name: 空男◆ebc8efbe ID:300702e8
Date: 2013/05/12 14:30
三度貫いた敵機は右肩から先と二つに別れ、自由落下を続けている。

右腕から鈍い痛みが駆け上がった。惨状を見る事すらも躊躇われたが、意を決して右腕に視線を向けた。辛うじて繋がっているものの、骨に到達しようかというほどに肉が抉れている。一瞬吐き気を覚えるが、次いで訪れた眩暈がそれを掻き消した。痛みと同時に意識が遠のいてゆく。先ほどの様な絶望からの感覚ではなく、安堵によるものだった。先ほどの突きの際の騎行が嘘のように体は重くなり、合当理を吹かしているのがやっとだ。今はひどく眠い。肉体の消耗。陰義の使用。とうに限界は超えている。

<<守道様………>>

陽炎が心配そうな声をあげた。金打音。機械質なその声にも確かな気遣いの色を感じた。其の身に纏う陽炎を感覚する。冷たい鉄から確かな暖かさを感じた。陽炎に抱かれている。そう錯覚する程に。
再び意識が遠のく。達成感と安心感。白く明るい光が身の内を満たす。二つの暖かな感情が胸の内に溢れだし、重力に任せるように機体を地上に向けた。

熱が脳の内をゆったりと上がっていく。思考が頭の頂点を通り越して抜けていく。気持ちよさすら感じるそんな感覚の中、誰でもない、自分自身の声を聴いた。

“人を………殺した。”

途端に血の気が引いた。体を満たしていた心地よさは波にさらわれたかのように消え失せ、代わりに視界がはっきりと開いた。胸の内のその感情は次第に体中を汚染し、収まることの無い震えをもたらす。触覚を含む感覚が麻痺してゆくのを感じた。
今、自分は自分の都合で人を殺めた。兄の為でも父の為でもなく、自分の意思で。そうだ、自分は今まで人を殺したことが無かったのだ。影での仕事では何度かこの手を血で染めている。だが血で染まったのは手だけだった。父や兄の所為にして逃げていたのだ。
寒い。とにかく寒気がした。命を奪うという事の重さに身が押しつぶされそうだった。気付けば身を丸めていた。自身の身体を抱いていた。
怖い。人を殺めた自分と、先ほどまで戦っていた彼ら。一体何が違うのだろうか。己の満足の為に人を殺す行為にはたして善悪など決めつけられるのだろうか。村人を守るなどという言い訳をして、人を殺すことに正義は在るのだろうか。
景明の姿が脳裏に浮かぶ。正義は存在しない。武を為し、人を殺める者。其の全てが悪鬼である。ならば俺は………悪鬼に他ならない。

半ば崩れ落ちるように地上に降りた。自分の足で立てる気がしない。膝をつき、地面に手を置いた。はっきりとする意識とは裏腹に、周りの視界は霞み始め、村人の群れがそこにいることはぼんやりとしか分からない。その代わりに三領の剱冑が鮮明に目に映った。自分が先ほど殺めた竜騎兵だった。一領は眉間から上を抉られ、両の目がありえない程に遠ざかっている。一領は心臓を貫かれ、池程の血だまりを作る。そして、足元に先ほど自分で切断した肩から先の片腕を見つけた。
眩暈がした。胃の中から生暖かい物が込み上げた。必死でそれを押さえつける。口の端から、溢れ出た液体が顎へと伝った。思いきりぶちまけたかった。内臓ごとぶちまければ、自分の中の黒い感情は、このうねりは一緒に消え失せてくれないだろうか。痛みは無い。もう感じない。その代わりにひどく気持ちが悪い。体の中をミキサーでかき混ぜられているようだった。




ふ、とした瞬間だった。




目の前でよろめきながら進むものがあった。ぼやけた視界の中でそれを確認する。何度も目を細め、焦点を其れに合わせた。


それは…………………竜騎兵だった。


瞬間、全ての感覚が繋がった。外れていた体中の接続が回復する。痛みは甦り、身体の感覚は元に戻る。それと同時に村人の悲鳴を聞いた。武者の雄叫びを聞いた。右腕を穿たれてなお、その竜騎兵は立っていた。

<<あああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!>>

苦悶とも怒りとも取れる雄叫び。左腕に両刃造の刃を手にし、剥がれた兜の下からは血走った目が覗いている。此方には気付いていないのか。それとも、もう認識できないのか。村人たちの群れに向けて進む。逃げ惑う村人。女子供も構わず、逃げ出す人々。人々に押された一人の女性がその場で転げた。

竜騎兵が笑った。

頭の中を警鐘が鳴り響く。ギンギン五月蠅い程に喧しく体を急かす。残る全ての力を使って合当理に灯を入れた。感覚のない右手に代わり、左手に刃を握りなおす。

「おおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」

気付けば叫んでいた。刃を前に突出し、只突進した。それ以上の方策が思いつかなかった。幸い、敵機は此方に気付いていない。
今ならまだ………間に合う!!!!!

“人を………殺した。”

再度、耳を打ったのは自分の声だった。ピタリと突進が止まった。壁に押し当たった感覚がした。手足が震え、前に進まなかった。切っ先はわなわなと震えだし、白沙耶が手をすり抜けた。

「……あっ………」

漏れるように声が出た。呼吸を忘れた。竜騎兵は刃を振り上げている。女性は腰を抜かしたのか立ち上がれない。竜騎兵は一層笑みを浮かべ、血走った目が見開かれる。


そして、刃が振り下ろされた。


刹那、女性の姿が消えた。否、女性を担ぎ、その場を逃れた者がいた。体を抱え、身をころがし、女性を守って見せた彼は素早く立ち上がると竜騎兵と正対した。しかしその眼は、竜騎兵では無く其れ越しに此方を見据えていた。

「守道殿、自身の命を賭してでも、この方を守りたいですか?
 貴方にその覚悟がありますか?」

景明だった。女性をその身に隠すように立ち、竜騎兵に正対する一方で、その視線は間違いなく此方を射抜いていた。逃げ惑う民。阿鼻叫喚の渦の中にあって、彼の声は別次元から届くもののように鮮明に聞こえた。
まるで悪魔との契約だった。
咄嗟の問いに、一瞬の躊躇いもなく答えた。

「ああ、この命に代えてでも!!!!」

これ以上、人の死を見たくなかった。救える命を救いたかった。それ以上の思考は無かった。
気付けば、村正が景明の隣に立っていた。その眼は明らかな悲しみをたたえている。世界から音が消えた気がした。世界が暗転した。代わりに悪寒がした。なにかとてつもなく悪いことが起こることを察した。先ほどまでの寒気とはまるで比にならないほどに震えがした。二人から目が離せなかった。
景明はもう此方を見ていない。竜騎兵を見据えていた。温かみのあるいつもの目ではなかった。底冷えするように冷たい目。それでいて何かに歓喜する目。

先ほどの竜騎兵のようだった。

女性を殺し損ねた竜騎兵が再び雄叫びを上げた。怒りに任せ、その刃を握りなおしている。何故かその雄叫びは耳に入らなかった。そんなものよりもはっきりとした、呪いの詩が聞こえた。

「鬼に逢うては鬼を斬る。
仏に逢うては仏を斬る。
――――――剱冑の理ここに在り」

村正はその美貌を無骨な紅い蜘蛛へと変えた。ひどく美しい光景だった。その身が砕け、景明の周りを漂う。そして、吸い寄せられるように、纏わりついていた紅の鎧がその身に纏われた。

一瞬。刃が空を斬る音がした。其れで終わりだった。其れが全てだった。装甲が崩れる音が遅れてやってきた。
右腕と頭を無くした竜騎兵だったモノが地面に横たわっていた。

「あっ……あっ……」

口から情けない呻きが漏れた。その姿を見間違う筈も無かった。兄と父を落とした武者。憎むべき敵。しかし彼は友好を深めた者。思考が上手くまとまらない。口から洩れる言葉は意味を成さぬ呻きばかりだった。
景明は首を撥ねた刃を鞘に納めると、此方に向かって歩きだした。

<<守道殿、昨晩の問いに答えましょう。
俺は悪鬼。武を為すもの。
天下に善悪相殺の理を布く者。
悪意を以て敵を殺したならば、善意を以て同数の味方を殺すべし。
これこそが武の在り方であり、我が布く理なり。
故に“守道”。貴様の命を以て善悪相殺を完遂しよう>>

此方に向く足取りは一片の躊躇もない。対して此方の足は動いてくれようとはしない。
確かな憎しみがあった。主と定めた兄を殺されたのだ。
確かな友情があった。短い間とはいえ共に過ごしたのだ。
そして、確かな確信があった。この男には勝てないと。
武術での話ではない。自ら正義の答えを導き、武のなんたるかを悟り、はっきりとした意思を以て此方を見据える景明をこんな自分が倒せると思えない。迷いの混じる刃は決して彼に届かない。
恐怖が身を強張らせ、目が此れでもかというほどに見開かれた。次第に呼吸は荒くなり、彼の姿だけを両目が捉え続けた。陽炎が何かを叫んでいるが、何を言っているのか聞き取れなかった。彼の歩く度に軋む装甲の音と姿だけが世界の全てだった。





「止まれ、景明殿!!!!!!!!」





そんな世界に第三者が介入してきた。
――――遠藤だった。
その声にハッとなり、状況を確認する。景明と自分との距離はまだ随分とあり、その間を割っているように、遠藤が姿を見せた。

「守道殿、逃げなさい。この方角に真っ直ぐ飛べば、貴方の元いた村に戻れます」

遠藤が此方に背を向けたまま、右手を真っ直ぐに掲げる。其の手には何の得物も持たれてはいない。否、いくら遠藤が強者としても、あらゆる得物が剱冑の前では無力。

<<これはこれは、遠藤殿。
申し訳ないが、俺は後ろの守道に用があります故。
其処を退いて戴きたいのですが>>

「はて、恩着せがましい爺と罵って戴いて構いませんが、儂は景明殿に宿と飯の恩が在る筈ですが?」

<<其れ故に殺したくないと申しているのです。
さあ、其処を退いてください>>

口調こそ丁寧なものの、明らかに見下した物言いだった。景明と遠藤。お互いの間を明確な敵意が交差していた。

<<無茶です、遠藤殿!!!!
相手は剱冑です!!!>>

僅かに残った理性がそう叫んだ。

「喧しいわ、小童が!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
儂は逃げろと命令しておるのだ!!!!!!!!
お前たちを守るのが我が運命“さだめ”!!!!!!!!」

遠藤とは思えぬ物言いだった。気圧されるような響きが其処に在った。言葉に詰まる。体は今すぐにでも逃げ出そうとしていた。小さなプライドが口に出させた言葉だった。其れを否定された。
ほら、遠藤殿もこう言っているだろう。
自分の中で甘言が反響する。もう逃げ出せば良いじゃないかと。一方で其れを言い訳にする自分を戒める自分が居た。
最期の勇気と気力を以て立ち上がった。遠藤の隣に立つ。そして、村正を見た。

瞬間、我を失った。ぼんやり見ていた先ほどとは違う。圧倒的な存在感。肌に感じるほどの威圧感。其処に在るのは一領の剱冑ではなく、最早なにか巨大な別物だった。

「分かったろうに。
 お主に景明殿の相手はまだ早い。
 今逃げることを恥と思いなさるな。
 次の機会に勝てば良い。其れまでに自分の答えを探し出すのですよ」

先程とは打って変わった優しげな声だった。肩を一つ叩かれた。にこりと微笑まれる。皺の寄った深い笑みだった。決壊したように涙が溢れた。

そして、我を忘れたかのように背を向けると、一目散にその場を逃げ出した。
後ろに気配を感覚する。遠藤の気配が離れていった。
自分を罵倒した。自分を蔑んだ。知り得る単語全てを使って自分を貶めた。
それでも真っ直ぐ飛んだ。今できる最大の速度で、この島を飛び立った。







<<して、遠藤殿。
真逆、御身一つでこの村正の相手をしたとして、時間稼ぎになるなどと甘い夢を抱いておりますまい>>

背を向けて飛び立った金色の機体を眺めている背中にそう声を掛けられた。その言葉に、視線を戻した。優しげに揺らいでいた瞳が細められた。

「若造が、生きがるなよ」

おどけた様な言いざまは普段の遠藤通りだったが、目は鋭く景明を見据えていた。
景明の目には老木の様に映った。
音を立てて、木々が揺れた。そして、風を切るようにして姿を現したものがあった。



――――――青い狐の姿をした剱冑だった。



<<よお、御堂。久しいじゃねえか! ?>>

「ふっ。申し訳ないですが、再び装甲することが必要とされましたので御呼び立てさせて戴きました」

大男を思わせる、低い声だった。遠藤の隣に並んだ狐は、先ほどまで遠藤がしていたように、たった今飛び去った金色の機体の行方を目で追った。

<<遂に神代に魂を宿したか………>>

「彼らを逃がすため、御手をお借りしたいのですが」

<<ふん。露払いの一族を守るのは我らの運命“さだめ”でもある。聞くまでも無かろう。
そんな事より御堂。老いて、腰抜けになってやしないだろうな……?>>

「其れこそ愚問。但し、敵機も相当な手練れ。全力で参りましょうぞ」

仕手と剱冑。二対四つの瞳が敵を捕らえた。景明は最早何も口にしない。ただ黙って鞘に手をかけた。それは合図。戦闘を、殺し合いを始めようという申し入れ。
呼応するように遠藤の口から装甲の口上が放たれた。絡み合った因果の一つが解けた。

「我、鎧なり! ! 我、鋼なり! ! 我、汝を敵より護る者なり! ! !
 其の眼前に屍は無く、其の道に残りしは聖者のみである! ! ! ! !」

其の身に纏うは青の剱冑。双筒の合当理に灯が灯る。腰の鞘から刀を抜き放ち、地上で睨み合う。景明がジワリと身を屈めるのに呼応して、遠藤は空へと駆け上がった。

<<この炎道 文(えんどう ふみ)、纏う剱冑は二代目焔!!!!!!
其の名に懸けて貴様を討とう、景明殿!!!!!!!!!!!!!!!!!!!>>



[36568] 第弐幕 問悪鬼篇 Ⅵ
Name: 空男◆ebc8efbe ID:300702e8
Date: 2013/07/06 20:18
先手を打ったのは景明だった。野太刀“虎徹”を掲げると一気に詰みよる。

<<御堂、最初から気を抜かないで!
 余裕を見せていて落とされるなんて洒落にならないわ>>

「当然だ、わかっている。
 あれほど流麗に剣を操る姿を見てしまっていては、此方とて加減の仕様があるまい」

遠藤の剣捌きを一度とはいえ見ているとはいえ、手を抜ける相手でないことは重々承知。むしろ見てしまったからこそ、全力の彼の腕がどれほどの物なのか見当がつかぬ。追いかける背中を見据える。
恩もある。義理もある。しかし、その全てを今は忘れる。
当方は悪鬼故。
振り返る遠藤。双筒の合当理。肩部の装甲。そして、一本角。間違いなく、先日合い見えた二領の剱冑と同じ系譜。ならば陰義は――――――。

<<敵機周辺の温度が上昇>>

炎の鎧。青い機体が太陽の陽ざしと焔の揺らめきを受け、蒼銀と緋色の二色に映える。その力は今更この身を以て確認するまでも無い。
遠藤が手にするのは腰まで程の長さを有する刀。特徴に乏しく、ありふれた形状をとるものの、業物であるのは疑いようのない事実。
初撃は上方からの斬り降ろしを選択したか……。
ならば、此方はあえて其れを受ける。高さの差で並び立つために、敵の攻撃を利用させてもらう。斬り降ろしを捌き、勢いを殺すことなく双輪懸を結ぶことが出来れば、高度の差は詰められる。
構えは中段を選択。一撃を浴びせるわけでなく、捌くのであれば此方の方が御し易い。

「磁気加速(リニア・アクセル)………辰気加速(グラヴィティ・アクセル)……! !」

速度を上げ、位置エネルギーの差を運動エネルギーで埋める。刃を掲げた遠藤が猛然と迫り来る。
敵機までの距離はもうない。
斬り降ろしか……それとも薙ぎか……!?
合当理の音が意識の隅に追いやられ、全神経が遠藤の動きを観察した。

「………………………っ!!!!!?」

刃を掲げ突っ込んできた遠藤は、しかしその刃を振り降ろすことなく此方の脇を通過した。すれ違いざまに小さな笑いを零したのが剱冑を越えて伝わった。
全て、見抜かれていた……。


「…………村正、俺が甘かった。電磁抜刀(レールガン)を使用する」

<<…………ええ。私も此処までなめられたのは久しぶりだわ>>

此方に攻撃の意思がないことを読み取り、その上で追撃や不意打ちを仕掛けず位置的優位のみを保った。紛れもない余裕の表れだ。
思えば此方が講じたこの策も、より安全に勝とうとしての物だった。知らず見下していた自身を戒める。
大きく旋回し、再び見えた敵騎はやはり余裕を見せつけるかのように刃を軽く振って見せる。
カチャリと音をたて、虎徹を握りなおした。

再び遠藤が刃を掲げた。先ほどと同じ。全くの再現(リプレイ)を見ているかのようだ。
相変わらず、人を食った御方だ……。
だが、此方は先ほどとは違う。まずは、敵機の動きを見極める。必殺の電磁抜刀故に、無駄打ちもできぬ。

即座に敵機に肉薄。先ほどと同じ中段の構え。刃を迎え撃つでなく、今度は此方から堕としに往く。

邂逅の瞬間。またも遠藤の刃は此方を見ていない。此方の刃だけをいなし、受け流す。
必墜を期して放った一撃が苦も無く流される。
機体性能の差は恐らくは此方が上。村正に勝る剱冑はこの世にそうはない。その差を剣技と読み合いで埋めている。自身の凡才さを感じずにはいられない。唯一の救いは敵騎が陰義を使用しているのに対し、此方は電磁抜刀(レールガン)を使用していないこと。
正に天才の類。唯二度の衝突でそれが知れる。しかし、それも勝敗に関わる物ではない。俺はこんなところで死んではならない。
さらに言えば、此方は最上級の天才を、湊斗光を相手どった経験がある。

<<流石に見事な腕前ね>>

「此れだけの差を見せつけられるとな」

<<なら、あの子たちと一緒に稽古でも付けてもらったら?>>

「悪い提案ではないが……。尤も、この場で打ち倒すべき敵でなければの話だがな………」

<<じゃあ、下剋上と行きましょうか! !>>

いつも通りに軽口を叩き合う。当然この中でも敵騎の姿は目に捉え続け、隙を窺っている。
勝つために刃を握る。そう、勝てば良いのだ。村正の力を借りようと、それで力関係が覆るのであれば其れに躊躇いは無い。

三度目の邂逅。
だが、瞬間の隙を突かれたのは此方だった。
まずい、潜り込まれた。此方は上段を選択している。このままでは斬り損じる。性懲りもなく上段の構えをとり続ける敵機には最高の位置取り。
躊躇う暇はない。即座に剱冑を上下反転。此方の刃の軌道上に敵騎を乗せる。“霞返し”。吉野御流の一芸だ。

<<なかなかやりおるのう。景明殿!!!!>>

脇をすり抜けた遠藤が金打音でそう零す。素直な賞賛と余裕が交じった口調だ。

「今の返しを読んでいたわけでもなく弾く貴方の方が尊敬に値するというものです」

そう。霞返しは躱す技ではない。斬り伏せる技だ。其れを難なく凌ぎ、かつ余裕を見せる遠藤の方が驚嘆に値する。
互いが互いを牽制し合う。こと腰回りに関して言えば、村正が敵機に劣るとは思えない。ならば、旋回性能で敵機を圧倒する。
大きく輪を描いた敵騎に対して、此方は即座の反転を試みる。高度ではやや不利。その不利を加速の長さで埋める。
数瞬遅れて反転し敵機は刃を下ろした。上段を解き、右脇中段へ。薙ぎの構え。構わず、上段にて、敵騎下方へと潜り込む。此れで斬りきれぬ筈。

<>

短い警告。敵機の刃は此方が潜り込みを選択すると同時に、共に下段へと降りていた。
しまった、陣取りに気をとられ過ぎた。

<<………合火神(あわせかがみ)>>

強烈な切り上げが前方から迫る。眼前に迫った刃を払うのに反射的に刃を突き出した。火花を散らし弾かれる虎徹。肩口を深く抉られた。

「ぬう………」

<<ほう、良く今のを躱しましたな……>>

速度を失いながら旋回する此方に遠藤の言葉が掛けられる。腕一本で済めば安い一撃だった。完全な敗北。心臓を抉られていても不思議ではない一撃。寸での処で差し出した虎徹が野太刀であったのが功を奏した。長く、重い刃が多少なりとも軌道を逸らしていた。

「………村正、電磁抜刀だ」

最早、此れ以外の方策が通じるとも思えない。此れ以上此方の手の内を晒すのは時間と熱量の無駄でしかない。

<<………諒解。死を始めましょう>>

俺から些かの焦りを感じたのか、村正がやや迷いの後に返答を寄越す。恐らく村正もこれ以外の打開策が見つからなかったからこその答えだ。

「磁波鍍装(エンチャント)―――蒐窮(エンディング)」
<<蒐窮開闢(おわりをはじめる)。 終焉執行(しをおこなう)。 虚無発現(そらをあらわす)>>

鳴き始める虎徹。火花が散り、青白い光となって空を舞う。
必殺の一撃を放つには早いのは重々承知。それでも、この一撃を今放つ必要がある。敵騎も此方の出方を窺っている今この時に。
時間を掛ければ、遠藤が此方の太刀筋を読み切るのは目に見えている。その前に、終わらせる。

<<陰義………ですか………>>

遠藤の声だけが空に木霊する。高度優勢は相変わらず遠藤。上空からこちらを見下ろしている。
その口元が明確に吊り上った。

<<ならば此方も少し全力を出す必要がありますかな?>>

全力?全力では無かったというのか?陰義を、炎の盾を纏ったその姿が。そうだ。目の前では今も燃え盛る鎧を纏った遠藤の姿がある。それ以上があってたまるか。

瞬間―――――――
蒼穹を背景に立つ遠藤の紅の鎧が消えた。

<<此れは………ッ!
御堂、敵騎周辺の温度が更に上昇。あれは陰義を消したんじゃない。
あれは…………!>>

「完全燃焼の炎…………か」

<<その通り。酸素供給を上げた場合、炎はその色と質を変える>>

青の機体に、蒼穹の背景。炎は消えたのではない。見難くなったのだ。紅い炎は通常、完全燃焼を果たしていない。酸素の供給が不十分なのがその多くの理由だ。酸素の供給を十分に行い、完全燃焼を果たせば、焔の色は青くなる。

「………村正……ッ!」

村正へ呼びかけることで自身を保つ。敵騎の底が知れない恐怖を腹の底に落とす。振り切ったように目の前だけを見つめ速度を上げた。二つの加速を重ね掛け、遠藤へ向けて突き進む。構えは上段。対する敵騎は刃を中段に構える。

「電磁抜刀(レールガン)“穿”!!!」

青白い火花が二領の剱冑の間を行き来する。虎徹はガタガタと震え、しかし行く先にある青い炎の盾を打ち破れない。
対する炎の盾も揺らめきはするものの、決してその場を譲らない。

「そんな………。レールガンを止めただとッ!?」

真っ向勝負。遠藤が翳した刃の先に青い壁が張られている。

<<体を覆っていた鎧が無くなってる。一か所に集約したものと推定>>

視認できるほどの炎の盾。其れが虎徹の往く先を止めていた。
電磁抜刀は必殺の剣。必墜の太刀。
躱されたことはある。受け流されたこともあった。しかし、彼は在ろうことか受け止めて見せた。
………否。まだだ。まだ受け止められただけ。押し切れば問題ない!

「村正ッ!次の陰義の使用は考えなくて云い。この一撃を……押し切るッ!」

<<諒解、御堂!!!!>>

村正の返答に呼応するかの如く、軋みが音を更に大にする。それでも、蒼炎の盾は頑なにそれ以上の侵攻を許してはくれない。
腕の力が限界に達し、緩みを見せ始めるのを奥歯を噛み締めて押し戻す。

「ウオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!!!!!!!!!!!」


そして、ふいに、盾は途切れた。

「………………!?」
<<………………!?>>

押していたものを急に奪われ、重心が移る。標的を失った虎徹は、轟音を上げて空を裂く。機体のバランスを崩しかけるのを、持ち前の足腰を使って立て直す。押し切った感覚も無ければ、切り伏せた感覚も無かった。慌て、遠藤の姿を探した。
あれは………何故?
地表へ向かって落下して往く者があった。遠藤は、地面へと向かっていた。





田畑へ続く道の中央。降り立った場所に不満は無い。両端に植えられた木々が木漏れ日を落とし、その葉が風に揺られてざわめいた。装甲を解くと、どっと疲れが噴き出す。何年振りの装甲だったろうか?何年ぶりの戦闘だったろうか?鍛錬に鍛錬を重ねたこの剱冑とも、十度に満たぬ装甲で縁を切ることになる。

「私の我が儘を聞いて戴き、感謝の言葉もございません」

<<なに、お前がこうすることはなんとなく分かっていた。俺は剱冑でしかない。仕手の考えを尊重しよう。
海の果てへと流されようと、我が一族に尽くしてくれたその忠義。
真、大儀であった>>

上空から景明殿が降りてくる。陰義を使ったせいか、その佇まいに疲労を感じた。

<<訳が分からぬ故、理由をお聞かせ願いたいのですが?>>

装甲を解き、地面に正座した私に向かって、地に降り立った景明はそう聞いた。驚くのも無理は無かろう。先ほどまで殺し合いをしていた敵が、敗北を認めたわけでもなく突然眼前で膝を折ったのだ。

「景明殿の掟は善悪相殺と伺った筈ですが?」

<<それで………?>>

「竜騎兵を殺めた生贄にはこの遠藤 文がなると申して居るのです。
 どうしても守道殿を殺させるわけには往きませんでした故、時間を稼がせていただいたまで
 言った筈ですよ。食事と寝床の恩が在る筈だと。其れでは不満ですかな?」

ニカッと笑ってみせる。実に自分らしい物言いだと思う。
最初から、景明を斬るつもりは無かった。ただ守道が逃げおおせる時間さえ稼げれば其れでよい。この命に最早未練など無い。

<<………良いのですね?>>

「ああ」

齢60。人生をその使命を全うすることに費やした。ならば、最後の死が、若きものの為であるというのもまた定め。
目を閉じ微かに微笑む。最期に見たものを瞼の裏で思い描く。
遠藤の最後の記憶は、木々を背景に佇む青い狐と、刃を振り上げる真紅の武者だった。

<<御堂………>>

村正が疲れた様な声を此方に向ける。そういう自分も相当に疲弊している。

「ああ、あのまま戦闘を続けていれば、負けていたのは俺だったかもしれない」

想ったことを口にした。本心からの言葉だった。海の向こうを見やる。その先へと飛び立っていった守道の姿は、村正の視界強化をもってしても全く見えなかった。

<<追う気?>>

「まさか………。唯、放っておいても向こうから会いに来るだろう。今度は俺を殺すために………」

村正が憂いを帯びた表情を作ったのは、見なかったことにした。

第弐幕 問悪鬼編 了



[36568] 第参幕 問英雄篇 Ⅰ
Name: 空男◆ebc8efbe ID:300702e8
Date: 2013/07/06 20:15
山に囲まれた小さな集落。名を島塚村。古くから神を崇めることで農作物の豊作を願った大和の国らしく、小さな村とはいえ民家よりも一回り大きな寺が存在していた。村はずれに建つその寺の、砂利の敷き詰められた境内が細かく音を上げた。
時は夕刻。紅に姿を変えた太陽が、山の奥に消えて往こうとしている。長く伸びた影がひとつ。
守道は、只、沈みゆく太陽を見つめていた。

俺は何者なのか?
自分の都合で人を殺し、自分を守るために人を殺させる。
狂ってしまえば良かった。初めて人を殺したあの時に。あの竜騎兵の様に人を殺すことを快楽に変え、高らかに笑い声を上げながら、命を奪えるほどに。
悟ってしまえば良かった。自身は悪鬼だと。人を殺めることを快楽とする、正義や正道とは程遠い存在だと。あの自身を悪鬼としながらも、躊躇わずに首を撥ねる彼の様に。
自分はなんだ?
何をするために生かされた?遠藤殿は何故俺を生かした。
何度も死のうと思った。だが、遠藤の背中が其れをさせてはくれなかった。彼が救ったこの命を自ら断つことなど出来ようもない。
しかし、俺に景明殿を殺せるか?
否。
到底、無理な話だ。
刃を向ける事すらできはしない。向けたところで、一太刀にて首を撥ね飛ばされるのが関の山。彼にこの迷いを帯びた刃は届かない。
それどころか、この腕は二度と刃を構えることすら、叶わぬのではないか?
理由なく、自身の都合で、人を殺めることが出来よう筈もない。
この村に留まって、まるで進歩もなく、戦いから身を遠ざける自分がひどく小さく情けなかった。


「守道様、食事の準備が整いました」

その背中に声がかかる。後ろから伸びた陽炎の影が視界に入った。



二人、静かに食事を進める。話すことも無いが、気まずさも無い。そうしているのが当然なように、淡々と進んでゆく。
あの島から帰った守道は霧島家には戻らなかった。父も、兄も居ない霧島家に帰る理由が無かったからだ。傷ついた体と沈んだ気持ちを引きずり、歩いた先にあったのがこの集落だった。貧しい村人たちは、しかし、この寺とほんのわずかの食料を与えてくれた。今は、雨風を凌げるというだけで文句も在る筈が無かった。
食事を終え、手を合わせると、陽炎がその食器をもって部屋を出た。修行僧が暮らすことの出来るように作られたはずの人が生きるための施設が、今の守道を救っていた。



廊下を歩く。村の家に比べれば一回り居大きいとはいえ、陽炎が嘗て暮らした家からすれば小さな寺だった。部屋も、大広間を含めて3つしかない。その内の一つは修行僧たちが食事を作るための物であるので、実質は2部屋だ。その一つを雨水を凌ぐためにと使用の許可を貰っていた。
たどり着いた村は、貧しさをうかがわせていた。どの家にも二人の旅人を招く余裕は無く、せめてもと、この寺を貸してくださったのだ。
守道の待つ部屋へと戻る前に陽炎は一度嘆息する。本人は隠そうとしているが、守道は明らかにやつれていた。以前に比べ少し痩せ、夕暮れ時になると、夕焼けを凝視することが多くなった。その先にあの島があるからだろうか。あるいはその紅があの武者を思い起こさせるからかもしれない。
力になりたいと思う。だが一方で慰めの言葉は通じない。守道様がそれを望むとは思えない。決して私に心配を掛けまいと隠し通してしまう。

だから…………。

陽炎は静かに襖を開いた。中には座り込んでいる守道。何を見ているのか判断がつかぬほどに一点を凝視していた。突然の襖の音にピクリと反応を見せる。ゆっくりと視線を動かし、此方を確認すると静かに立ち上がった。

だから、私に出来ることはこんなことしかない。

大股の足取りで此方に歩み寄ると目の前に立った。強引に肩を掴まれる。小さな痛みを感じるが決して彼に感づかせはしないように堪えた。
ここ数日で何度目の事か分からない。それでもこれが、守道様の唯一私に見せてくれる弱さだから。唯一、私を頼ってくれることだから。
守道様の視線は私の目には向かない。見ているようで見ていない。唇同士が触れ合う。歯と歯が当たり、高い音を上げた。薄く目を開く。その先にあるのは、獣のような目をした守道だった。



涼しげな風に目を覚ました。辺りはまだ暗い。明かりを落とした部屋の中では、目の前も確認できない。次いで暖かな物を左頬に感じた。それが何を意味するのか、思い至るには時間はいらなかった。

「目を覚まされましたか?」

優しげな、ゆったりとした声が上方からかかる。陽炎だった。
何も答えられない。腹の底を突き破るように自責の念が湧き出た。嘗て抱いたことの無い程の怒りの矛先は、誰でもない、自分自身だった。気を紛らわすが如く、陽炎を犯した自分が許せない。陽炎の優しさを利用する自分が許せない。自分という存在がこの世で最も穢れた存在に成り下がってゆく感覚に胃の中をかき乱されるようだった。
身体に掛けられた布団。ぼろぼろの扇子で此方に風を送りながら、肌蹴たままの着物で膝を貸す陽炎。目を合わせる事が出来ない。
代わりに、

「………すまない……」

そんな形だけの謝罪が口を突いて出た。
何が“すまない”だ。
日々の生活の迷惑を押し付け、好き勝手に体を弄び、それで出た謝罪が“すまない”だと?
虫が良いにも程がある。吐き気がする。
酷く気持ちが悪い。

「…………守道様……良いのです。
 陽炎は貴方に抱かれることに喜びを感じております。
 守道様のしたいようになされば、私には何の不都合もございません」

そういうと陽炎は身を前に倒した。右肩に暖かな膨らみを感じる。いつの間にか風を送るのを止めていたその手が、ゆっくりと胸板を撫でた。陽炎の吐息には明らかに熱がこもっていた。
………また、気を遣わせる。そう、俺は知っている。此れだって俺の責任を減らそうとしてくれている陽炎の気遣いでしかない。
陽炎の無償の愛を踏み躙る自分が許せなかった。
俺は陽炎に何をした?恩を受けるだけで何もしてはいないではないか?
だというのに口から零れるのは、変わらず弱気を伝えるものだった。

「陽炎……俺は如何したら良い?」

その問いに驚く様子もなく陽炎の手が止まった。胸板を撫でていた手が、ゆっくり動くと、頭を撫でた。その様子には先ほどの様な艶やかさは無い。熱を持っていた先ほどとは違う、しかし暖かな手だった。

「守道様の信じた道を往って下さい。
 私は其れにどこまでもお供致します」

“それでも信ずる物があるのならば、それはその人にとっての正義なのでは?”
“己の信じた道を往くために”
島で出会った、二人の男の言葉が脳裏をよぎった。皆が自分の信じる道を持っていた。だが、今の俺には其れが無い。
霧島を守る道も途絶えた。人を殺めることももう出来ない。そんな自分の貫き通せる道。
身体を起こす。
初めて目があった。

「私の望みは、ただそれだけです」

………違う。一つだけあった。俺に残された最後の、最愛の人。守りたい人。幸せになってほしい人。
前に倒れている陽炎の身を抱き寄せた。膝枕が解け、陽炎も自分と同じように身を横にした。互いの首が互いの肩に乗り、頬同士が触れ合った。背に手を回し、軽く力を入れる。

「…………陽炎。
 明日、町に出よう。このまま此処に居るわけにもいかないからな。
 まだ暫く此処の世話にはなると思うが、此れからの事も決めて行こう」

何故気付かなかったのか。俺の生きる意味は此処に在ったのに。こんなにも近くにあったというのに。
首を肩に乗せたまま、目を合わせるでもなくそう口にした。

「…………………畏まりました、守道様」

静かに陽炎がそう答えた。その顔は柔らかく微笑んでいた。
暑い夜だった。それでも、陽炎の温もりは安心する、心地いいものだった。





朝、目を覚まさせたのは小鳥の囀り等ではなく、鳴り響く雨の音だった。昨日、抱き合って眠ったために、身を起こす事が出来ない。だが、陽炎は此方が目を覚ましたのに気付いたかのように身を起こした。

「お早う御座います、守道様」

微笑んだ陽炎を守ろうと、心の内でもう一度誓った。
一度両手に力を入れなおした。
そして、朝の修行へと、枕元にあった刀を手に起き上った。





意識してこの村を歩くのは初めてだ。最初この村にたどり着いた時もこの村中を歩いて回ったが、そのときのことは殆ど記憶にない。
覚えているのは貧しさを窺わせる雰囲気だけだ。緩やかに蛇行する道に沿って民家が並んでいる。まだ朝早いというのに、何人かの住民が鍬を持って田畑へと足を向けていた。
すれ違う度に村人は此方に挨拶をし頭を垂れた。その度に立ち止まると、感謝を述べて、道を進んだ。
途中、見覚えのある顔に出会った。後ろで結んだ白髪に顎下の髭。長い顔と、痩せた頬。目は細く横に伸び、その手には他の村人たちと同じように鍬が握られている。寺を貸し与えてくれた人。村の村長だった。

「おや、御客人。お早う御座います。
 お出かけでしょうか?」

「ええ、少しこれからの事も考えようと思いまして。
 もう暫くあの寺を貸して頂きたいのですが………」

しわがれた声の問いだった。だが、温もりと思いやりが感じられる優しげな声色だった。


「どうぞ、構いませんので御使い下さい。大した御持て成しもできず、申し訳ありません。
 町の散策でしたら、この道の先の小高い山の向こうに町は続いておりますので其方へ窺うのが宜しいかと。
 此方側には大したものはございませんが、東町であればそれなりに商店も栄えていますので」

村長は、道の先にある山を指す。山と言ってもさほどの大きさでは無く、超えるには苦もないだろう。

「此方こそ、なんの恩返しもできず、申し訳ありません。
 今度、何かお手伝いできることがありましたら、何なりとお申し付けください」

そう、口にすると深々と頭を下げ、その場を後にした。





……………確かに、山を越えた先は、同じ村とは思えぬほど、活気で満ちていた。
村の入り口には鳥を模した石像が建っている。
村に一歩入るなり、土だった道はコンクリートで固められた車道に姿を変え、畑もまばらにしか見えない。商店も立ち並んでおり、整備された街灯がこの村の生活水準の高さを窺わせた。
どこか霧島の村を思い起こさせるその光景に懐かしさを感じた時だった。

「あれ?東町?この村じゃないはずないんだけどなあ………?」

困ったような声が後ろで聞こえた。学校の制服に身を包んだ小柄な少女だった。肩口で切りそろえられた蒼い髪が特徴的だった。村の入り口にあたる看板を確認した彼女は、首を小さく捻って見せた。どうやら、彼女の目的の場所は此処ではなかったらしい。

「すいません。この辺で島塚村というところに用があるんですが、場所を知らないですか?」

目を向けた此方に気付いたのかそう、声を掛けられる。が、生憎と此方もそうこの土地になじんでいるわけでは無い。
どうしたものか………

「ああ、それなら、ここも島塚村だよ」

そんな困った俺に助け舟を出したのは見知らぬ男性だった。年齢にして20と言ったところか。自分と同じくらいだと思われるその男は、村の外からやってきて村の中へと俺たちを招いた。身長も体型も普通。並みの並み。そんな表現が合うような青年だった。

「ようこそ、島塚村へ。此処は東町って呼ばれてる場所で、山の向こうには西町って
呼ばれてるんだ」

看板の表記に目を移しながら男はそう答えた。

「ああ、ごめんね。僕の名前は東野 了(ひがしの りょう)。
 よろしくね」

歩き始めた彼の隣を陽炎と見知らぬ少女の二人と共に歩く。東野と名乗った男は歩きながら、気さくな物言いでそう自己紹介をした。にこやかにほほ笑みながら歩く彼の姿や言動から、育ちの良さが窺えた。
君たちは?と目で自己紹介を促される。

「俺は霧島 守道。こっちは陽炎です」

先に自己紹介をする俺に合わせて、陽炎が柔らかく頭を下げる。

「ああ、私は綾弥 一条って言うんだ」

次いで少女は自身の名をそう語った。

「へえ、綾弥ちゃんは、外国かなにかで育ったの?大和で苗字を先に名乗る人と初めて会ったよ」

「綾弥は苗字だ――――――っ!」

目を吊り上げて怒る綾弥さんと、そうなんだ、と笑う東野殿。二人の会話にクスリと頬が緩んだ。
街の大通りを四人ならんで歩く。道の両脇ではにぎやかな商店の従業員が客の出入りを見守っている。まだ昼前という事もあり、暖簾の出ていない店も多いが、その華やかさは十分に伝わってくる。
隣には、にぎやかな会話を続ける綾弥さんと東野殿。それに珍しく陽炎が加わり、談笑が漏れていた。

「だから、それは、――――――――つッ!」

東野殿への抗議だろうか、声を荒げた綾弥さんが、言葉の途中で険しい表情を作った。
その眼は一つの店を見つめている。
“ギリ”
音が此方まで伝わってくるかのように歯を噛み締めた彼女は、その店に向けて走り出す。
一歩遅れて、彼女に続いた。他の二人は呆然と出遅れているようだ。



「此れが、今月分です。どうぞ、お納め下さい」

たどり着いた店の前。そこには二人の男が居た。一人は身長の低い男性。この店の店主だろう。
もう一人は、六波羅の制服を身に纏った男性だった。背は高く、肉付きの良い身体が鍛えられているのは一目瞭然だ。店主は、厚い封筒を六波羅に支払っている。
六波羅…………。
先日刃を交えた三領の剱冑が頭をよぎった。焼けるような痛みが左腕で起こる。もちろん錯覚だ。そう分かっていても、あの武者とこの男は別の人間だと分かっていても、自然と顔が強張るのを察した。

「おい、てめえ! !
 何、やってんだ! ?」

一足早くその場に駆け付けた彼女はそう声を荒げた。先ほどまでの冗談交じりの声色でなく、その行為を心の底から憎んだような声だった。

「ああ、いえ………」

「あんたも男なら、文句の一つも言えねえのか! ?
 明らかにこんな大金、おかしいじゃねえか! ?」

確かに封筒は外からでも分かるほど分厚くなっていた。
弁護するような声を上げた店主の言葉にも耳を貸さない。六波羅の方も不満を隠そうとしない。二人の間で睨み合いが起きた。

その場の空気を変えたのは、店主の一言だった。

「ああ、東野さん………」

途端に六波羅の目が変わる。俺の方を、否、俺の向こうを見ながら、六波羅も頭を下げた。
其処には出会った時と同じように目を細める東野の姿があった。

「何事だい、修平さん?」

修平と呼ばれたのは六波羅の方だった。下げた頭を上げると、姿勢を正し、説明を始めた。

「いや、今日の分の徴収に来たんですが、この子が………」

修平はちらりと綾弥さんを見る。彼女はまだ修平を睨んでいた。困ったように言った修平に代わり、東野が彼女の前に立った。

「まあ、立ち話もなんですし、家へ来てください。
 ………と、その前に自己紹介を為直しますね。
私はこの村の東町を任された六波羅に属す一族、東野家の長で御座います」



[36568] 第参幕 問英雄編 Ⅱ
Name: 空男◆ebc8efbe ID:300702e8
Date: 2013/09/03 23:36
“六波羅”この時代の大和を生きる者達にとって決していい印象を与えることの無い名である。先の大戦では大和の国を売り、つい先日まで国の長として甘い汁を啜っていた。とはいえそれも、銀星号事件と呼ばれる一連の動乱により頭を失ったことで、緊迫した締め付けは無くなりつつある。

霧島の村では進駐軍が常駐していたために、彼らの力は及んでこなかったが、それでも進駐軍と手を組んだ大和人と言えば憎しみの対象となるのも無理はない。否、彼らとつながりを持っていた大和人と言う点では、他の物よりも憎しみを抱くべき存在かもしれない。加えて、先日、あの名もなき島を襲撃した三機の剱冑。守道にとって良い印象など在る筈も無い。

家へと向かうべく一歩目を踏み出す東野に、一瞬の警戒をするが、一条が後を追ったことで、その背を追うこととなった。先程と変わらない足取りで歩くのは東野ただ一人。連れ立って屋敷へと招かれた店の主も、うつむいたまま話をしようとはしない。一条は黙ってしまい、その眼つきは出会った時とはまるで別人だ。道端の小石を蹴っては、苦々しげに舌打ちを繰り返している。普段心情を表に出さない陽炎ですら、その表情に陰りが見える。自分も今どんな顔をしているのか想像できなかった。

暫くして一軒の大屋敷が目に映る。説明なくこの村一と分かるその大屋敷の主は、東野に違いなかった。門を開くと大きな庭が目に入った。
玄関には町の入り口同様に鳥の彫像。霧島の屋敷をも凌ぐ長い廊下。その内装は和風であるが、近代的な趣も携えている。磨き上げられた床は、陽を反射し白く輝いた。

「此方の部屋で待ってもらって良いかい?」

陽炎と一条、守道の三人を一部屋の客室に通すと、東野と店主は姿を襖の向こうへと消した。訪れるのは数瞬の沈黙。その後に、一条が先に口を開いた。

「あんたは、今のを黙って見ていられるんですか! ?」

たかが中学生に睨まれただけというのに、委縮する自分を感じる。この空気は一介の学生が発して良い物ではない。覚悟を決めた者の目。自身を定めた者の気配。
此方に向けられたのは、明らかな非難。それは、間違いなく正しい。常識を超える額の接収。民を苦しめるだろう其れを憎むのは正しく正義。
だが、世は正しいものが道を貫き通せるわけでは無いことを、嫌というほど知っている。
それは、GHQも然り、六波羅も然りだ。加えて、村の掟“山に蝦夷あり、不要に近づくな”。陽炎の一族を否定した掟が、その世の摂理を物語っている。
口を紡ぐほかない。此れまでの人生、その全てに目を瞑って生きてきた。村人を脅かしたGHQは、野放しにした。戦争屋を雇ったのは父だ。陽炎との関係も家には伝えなかった。否定されるからだ。

「いや…………」

だから、口から出るのは正義感が吐かせた弱々しい否定のみ。一条の純粋さに、己の根本が導いた答えを否定できず、かといって肯定しきることもできない。まだ子供だから分からぬのだと切って捨てることもできる。だが、この子の眼は其れを許さない。
尚もその視線を外さない一条に対し、守道もまた視線を外す事が出来なかった。

襖の向こうを幾つかの足音が通り過ぎる。小さな音がやけに大きく聞こえる中、最も大きな音は自身の心音だった。自身の内から、まるで自分を戒めるかのように鳴り響く規則正しい音は、次第にその間隔を縮めていく。
その終わりを告げたのは第三者の出す音だった。
何人目かの足音が襖の前で止まった。一瞬の間を置いて、襖の擦れる音。その音を追って、二人の視線は其方を向いた。

開いた襖の向こうには三人の男。一人は東野。二人目は、店主。もう一人は、見知らぬ男だった。
見るからに屈強。年齢はその見た目からは測れないがまだ若い。纏った六波羅の赤い制服の下からのぞく腕が、彼の腕っ節の強さを物語る。顔も強面。深いしわが刻まれた顔からは、いつもしかめ面をしているのではないかという印象を受ける。まるで石像。阿修羅の石像。
その男が部屋を見渡す。ぐるりと一周、遠慮することもなく視線を動かした彼は、ある一点で視線を止め怪訝な表情を浮かべた。視線の先には陽炎。この村に入ってから、彼女に向けられる視線は感じていたが、此れほどまでにはっきりと表情に出したのは、彼が初めてだ。

「おう、了。なんだって、また、御一行に蝦夷なんかが居るんだ?」

瞬間、彼を睨んでいた。見た目と同じく、ドスの効いた低い声。腹の奥に響く声が部屋に木霊する。其れを聞いた陽炎がピクリと反応を見せる。首をやや右に傾け、座っている状態から、彼を見上げている。そんな彼女を庇う様に数センチ、そちらへ身を移す。

「ああ、彼女も今日のお客さんの一人だよ、武(たける)。
 丁重に御持て成ししないと」

そうあっけらかんと言う東野の言葉に今度は一条が反応を見せる。“丁重な御持て成し”の意味するところを計れない以上、警戒するほかにない。一条は、座り込んだ状態から、足を組み換え膝をついた姿勢を作る。明らかな臨戦態勢を示している。守道も知らず、左足を半歩下げ、右手が左腰の刀に伸びる。場の気温が急激に冷える。天井を落として圧迫したかのように空気が重さを増す。

正に一触即発。

「ああ、待って、待って。
 ちゃんと説明するために此処に来てもらったんだから。
 武。君もちゃんと借用書を見せて彼らに説明しておくれよ」

此方の警戒をいち早く見抜いた東野がそう口にする。武と呼ばれた男はなにやら不満げな表情を作った。少しの間を置いて彼は手にしていた筒から一枚の紙を取り出した。

「此れが、我ら東野一族が彼に貸したお金の借用書だ。
 今月の支払いを貰ったところを、お前たちが食って掛かったそうだが、それが正規な額であることを示していることを確認してみろ」

部屋の中に入り此方の前で座り込んだ武は、そう言ってその紙を広げた。そこに記された額と先ほど目にした封筒。成程、金額に間違いは無さそうではある。
店主へと目を向ける。気付いた店主は、自身の借金が恥ずかしいのか、照れ笑いを浮かべながら、後頭部を掻いた。

「あっしは、この村への流れ者でして………
 店を開くのが夢でしたんで、東野さんに貸して頂いたんです」

今まで言えなくて申し訳ありませんでした。
力の無い息が口から洩れた。一条はポカンと口を開いている。自分の早とちりだったとここまではっきりと見せつけられては無理もない。
その様子を見た東野が満足げに笑みを見せた。

「それならそうと………」

「この借用書を見せるのが一番手っ取り早いと思ったからね」

視線を逸らし、恥ずかしげに呟く一条の言葉をつなぐように、東野が言葉を発する。その表情に疑われたことに対する怒りは見て取れず、その笑顔は次第に深まっていく。
むしろ其れを許さないと表情で口にするのは武。此方に向いた視線が外れない。

「それは……大変申し訳ありませんでした」

守道は東野に、と言うよりも武に向けて頭を深々と下げた。武からの返答は無い。代わりに東野が“気にしないで下さいよ”と笑った。
一条の謝罪はもっと大げさな物だった。勘違いという事で笑って済ませたい東野に対し、一方的に頭を下げ続けた。それは東野が頼むから止めてくれと懇願するまで続いた。



「先刻は本当に申し訳ありませんでした」

一条と武、陽炎と共に客室に留まることになった。あまりにも頭を下げる一条に、東野が申し訳なさを感じ、食事に誘ったのだ。一条は、仕事があると部屋を去った東野の代わりに、部屋に残った武にも頭を下げた。

「いや、別に俺もあんたがたにいやな思いさせてやろうと思ったわけじゃないんだ。
 ただ、了が慌てて誤解を解いてほしいなんて言うもんだから、どんな難癖つけられたのかと思って………」

此方こそ済まない。と言う武からは、出会った時の見た目通りの威圧感は消えていた。足を組みながら目を伏せる武に、そんなことは無いと皆が首を振る。

「そちらの女性、陽炎さんと言ったか……。
 貴女にも不快な思いをさせてしまって、申し訳ない」

相手は世で忌み嫌われる蝦夷であるというのに、なんでもないように頭を下げた武は顔を上げるとニカッと笑って見せた。その笑顔は如何にも豪快。

「別に蝦夷をどうこう言うつもりなんてねえんだ。
 この村の住人も多くは他の村で生活に苦しんだり、村八分にされた人が多くてね。
 そんな難民を、了が引き受けているってわけよ。
 実は俺も昔、他の村を追われた身でね。
俺もそんな人間の一人だから、むしろ仲間だと思ってくれよ」

過去をそう笑って語れるのは、今の自分に満足し、感謝しているからだろうことは、その表情から見て取れた。彼が怒っていたのは、東野を疑われたからであることを漠然と感じた。

「そんなことは無いですよ、御気に為さらないで下さい
 ………武さんは、優しいのですね」

陽炎は、薄く口を開き、優しげに微笑んだ。儚い花を連想させるような清楚な笑み。其れを見た武が口を開けて固まった。と、数瞬の内にみるみると顔を赤く染めてゆく。
厳格な大男という印象は消え去り、途端にあたふたしだす大男に、その場に居合わせた者が笑いを零した。



「守道さん方は如何してこの村に?」

陽も沈み食事を終えた後、最初に通された部屋で、一条と陽炎、東野と武を交えて、座り込む。目の前には湯呑が一つ。輪になって座った一同に最初の質問を投げかけたのは東野だ。

「いえ、自分たちは旅をしていまして。
 その途中で立ち寄ったまでですよ」

「そうなんですか!?
 どこか目的地でもあるのかい?」

その話にいち早く食いついたのも、また東野だった。もちろん目的地などない。これからのことも分からない。
彼らに嘘をつくことは躊躇われたが、本当のことを言うわけにもいかない。

「行く宛の無い旅でして………」

その言葉に東野は更に目を輝かせる。その眼からは羨望の感情が読み取れた。この若さでこの村の頭領としての役職を果たしている。それには、多くの努力と、労力を費やしたのだろう。自由奔放な旅に憧れるのは、そんな中で、息をつく暇が無かったからであろうか。

「東野さんは何時からこの村の長で?」

そう感じたからこその何気ない問いだった。
瞬間、東野と武の表情が曇る。
しまった、何か拙いことでも聞いてしまっただろうか。

「……いえ、先代………僕の父なんだけど。
 父さんがずいぶん前に戦で命を落として………
 最近までは代わりの人に任せてたんだけど、3年前に僕が受け継いだんだ」

もう自分の中では消化した話だ。此方に気を遣わせないよう、そう口にした。場の空気が重くなる。だが事実としてこの村の活気は昼に見たとおりだ。この村を三年もの間守る彼の手腕がいかほどかは、今更問うまでも無い。彼は良き先導者であることに間違いはない。

「それで、一条ちゃんはどこから此処に来たんだい?」

その様子を見かねた東野がそう言う。きっと此方に気を遣って話題を変えたのだろう。それは誰が見ても明らかで、しかし、その配慮に甘えることにした。

「あたしですか………。
………そうだっ!
実はあたしは西森って人に会いに来たんですが……」

彼女は自分の目的を思い出したかのように口早にそう言った。
途端、再び、東野の目が変わった。もともと細い目がさらに細められ、眉間には皺が寄った。武の表情の変化はもっと明らかだ。奥歯を噛み締めながら眉を寄せる。

「………如何して、彼に会いたいの?」

「実は、武術の心得のある人を探してまして。西森っていう人は剱冑の扱いも心得ていると窺ったので」

「あいつは止めておいた方がいい」

呟くように武が言った。その視線は変わらず下を向いたままだ。その言葉に続けるように東野が口を開いた。

「この村は東町って言ったよね。この島塚村の山の向こうには西町が続いてるんだ。
 西森ってのは、其処を取り仕切ってる六波羅の一族だよ」

西町という言葉に、向こうの村の村長の姿が思い浮かぶ。まさか、あの老人に武術の心得があるとは思えない。

「昔は、この村のことを島塚村って言ったんだけどね。
 大和が大戦に負けた時に隣町と合併することになっただ。
 西町の現状は知ってる?この町に比べたら生活も極貧なんだよ。
 民は土地を離れたがらない老人ばかり。それをいいことに重い税で甘い汁を啜ってるのが西森の一族だね。村長をはじめとして、村人も抵抗してるんだけど、彼らはその噂通り、武術に長けているものだから………。
 なかなか上手くいかないんだ」

そう聞いて納得がいく。村人たちの仕事ぶり。道の脇に連なった田畑の数々。そこに植えられた農作物。不作どころか、豊作を感じさせるその光景にも関わらず、彼らの暮らしは貧しさをのぞかせていた。それもその西森の一族の押収の所為だとすればすべてに納得がいった。

話を聞き終えた一条が再び怒りの表情を露わにする。東野の徴収に勘違いしていた時と同じ。悪を憎む瞳。犬歯を出し、のどを鳴らす狂犬を連想させる。

「それって、何とかならないんですか?」

出来れば、村人たちを救いたい。そんな心情から彼女はそう口にした。しかし、それにも東野はゆっくりと首を横に振るだけだった。

「彼らと争えば、此方の村のみんなにも被害が出るから。
 この村の長として、それは出来ない」

申し訳なさそうな物言いも、確固たる意志を含むものだった。この村の村人を守る、と。

その後もいくつかの話題が出たが、一条は終始表情を曇らせていた。何度か笑ってはいたが、そのことへの憂いが表情から消えることは無かった。

東野の取り計らいで、この家に泊まることの許可が下りた。東野は挨拶ひとつを残して襖の向こうに姿を消し、武も守道たちを部屋へと案内すると自室へ戻った。
辺りはもうすっかり暗く、最初、西町へと戻ると主張した守道たちだったが、東野に甘えることにしたのだ。部屋には一条と陽炎が取り残される。一条の部屋は隣の客室だ。
二人きりですべき話などない。武が姿を消すのを見送った後、一条も襖へと歩きだす。
何の気もない。強いて理由を挙げるならなんとなく気になったからだ。
守道は一条を呼び止めていた。陽炎が怪訝な表情を見せる。
一条は西森を探しているといった。武術の心得がある者を探していると。自分では力になれないだろうか?この正義感の強い少女の目的の為に、この守道の武道は力になれるのではないか?

「一条さん、貴女は何故、武術の心得がある者を探しているのですか?」

だから、此れは必然の問いだった。自分が手を貸すことの出来る事なのか否か。手を貸すにせよ貸さぬにせよ、それは確認しておかなくてはなるまい。
その問いに一条は手を止めた。いや、手だけでない。時間が止まったように体が動かない。何か思案を巡らすよう数瞬の硬直をとった後、此方を見ることもなく、背を向けたままで口にした。



「ある男を………湊斗景明と言う名の悪鬼を殺すために」





「ああ、此れだから森ってのは嫌いなのよ
 ………こんの、鬱陶しいツタね。打ち抜いてあげましょうか! ?」

「まあまあ、御嬢様。もう少しの辛抱ですよ。
 それにしても………ツタに絡まれているという殿方が興奮するシチュエーションだというのに、御嬢様の場合、全く“萌え”がございませんね」

「ああ、さよ!!!それは私に魅力がないと言っているんですの! ?」

「そういう、粗暴な物言いが殿方に受けないのを、そろそろ自覚なさっては如何でしょう?」

静まり返る森の中、二人の主従が村へと向けて迫っていた。その先の島塚村へと。



[36568] 第参幕 問英雄編 Ⅲ
Name: 空男◆ebc8efbe ID:f0e1f31e
Date: 2013/09/03 23:31

空の頂点へと昇りきろうかという太陽が、強い日差しを向けてくる。
東野から貸し与えられた部屋は、普段から空き部屋だったらしく、気が済むまで居ても良いと使用許可が下りた。住む場所に困るでもないが、いつまでのあの寺の世話になるわけにもいかないと考えていた守道にとって、正に渡りに船だった。少なくはあるが西町の寺に置いてきた荷物を回収すべく、今は西町へと向かっている。

陽炎は守道の半歩後ろを寄り添うように歩いていた。いつもと同じ位置から見る守道は、一点だけを見つめ、手を頻りに口元にやりながら黙々と歩く。いつも考え事をする時の癖だ。東野の屋敷を出るときに謝礼を口にしてから、ただの一言も口にしていない。多分、否、彼の考え事は景明と一条の事に違いない。結局、昨日の夜も寝つけていない様子だった。

彼の中での景明とは何者なのか。父と兄を殺した武者には違い無い。だが、そんな彼からも、景明への憎しみの言葉は聞いたことが無い。彼にとって、景明は友なのか、敵なのか。もともと、人を憎むことを憎む人だ。複雑な心情が在るのは知れど、自分が踏み入って良い領域なのか知る由は無い。普段、差し出がましい真似は決してしたくないと思うのは、彼に嫌われたくないと、自分の保身を思うが故。それでも今回は知りたいと思う。知らねばならない。彼らを敵とするのか、それとも友とするのか。それが自分たちの旅の目的となるのは明白だった。
自分は・・・。
迷い、悩み。それでも既に陽炎は一つの答えを出していた。

出来る事ならば、彼らのことを忘れ、別の道を往きたい。

彼らは守道の肉親を殺めた。ならば敵とせずにはいられない。
彼らと過ごした日々は紛れもなく良き一時であった。ならば友とせずにはいられない。
守道が元気を取り戻したのも、彼らとの日々があったからだ。無論、その原因自体は彼らであるが、そんな彼らを憎むことなど出来なかった。加えて、彼らを殺すことになれば、守道は再び思い悩むことになるだろう。それは陽炎にとって最も避けるべき事態だった。
愛し憎しみ、二つの感情を共存できないとすれば、もう関わらぬことしかできなかった。
だが、其れも全て自分の意見に過ぎない。全ては守道の決定を尊重する。自分は蝦夷であり、従者であり、つるぎである。意見を求められれば答える。しかし、主人の、仕手の考えが最も尊重されるのは当然のこと。
だから、今は待つ。守道が彼の答えを出すその時を―――。
目の前を歩く守道が答えを出すにはまだ時間が必要そうだった。



西町に入るころには、照り付けがさらにひどくなっていた。ろくに舗装されていない村の道が、陽を映し白く輝く。二度、訪れた西町はひどく寂れて見えた。知らず、東町と比較しているのだろう。
………否、それにしても静かすぎる。

「なんだ?」

この昼間に田畑に農民の姿が見えない。それどころか、道を往く者は自分と陽炎だけ。民家からも音は無く、何かを拒むかのようにどの家も扉を閉ざしている。

「いやあ、今月も豊作だねえ」

「ははは、優秀な農民に感謝だなッ!」

静まり返った村に二人の男の声が響いた。ちょうど、民家の影から姿を現した彼らは、両手に袋を下げている。この道の先にあるのは、村長の家。静まり返っていた村。身に纏う六波羅の赤い制服。短い髭を顎に茂らせ、汗で湿った赤黒い額が陽を浴びて光った。その手に持つ袋の中身など、最早何であるのか確認するまでも無かった。
彼らが東野の言う西森の一族であることは明らかだ。今日は徴収の日で、村人たちは其れを恐れて静まり返っていたと。
不快な気分を覚えながらも務めて自然に脇を通り過ぎる。東野の言う様に、此処で俺たちが彼らに文句を言うことなど出来る筈も無い。そうすることでのメリットがあまりにも少ない。それは殆ど、憂さ晴らし、自己満足にしかならない。
ただ一方で、他に人気の無い道で彼らの視界に此方が入らない道理もない。

「…………おい、見ない顔だな?」

「………どうも」

関わらないに越したことはないが、それを決める決定権はこの場では此方にない。規則正しく上がっていた足音が止まる。軽い返答と共に頭を下げた。いい気はしない。二人は同じように俺に一瞥をくれる。しかし、すぐさま陽炎へと視線を移した。見知らぬ者が、しかも蝦夷が、自分達の納める村を歩いていたとあっては当然だ。見慣れぬ蝦夷を少しの遠慮もなくじろじろと見まわした彼らは、揃って忌々しげな表情を作る。

「てめえ、蝦夷なんて村に入れやがって………チッ」

遠慮のない舌打ちが侮蔑の視線と共に俺に向けられる。別にかまうことは無い。その程度で済むのならば、俺のプライドなどくれてやっていい。
まあ、良い。もう行こうぜ。ともう一人の男が目で諭した。彼らも徴収と言う仕事がある手前、時間が無いのだろう。その言葉に男も振り返る。そしてその振り返りざま………

ぺッ!
陽炎に唾を吐きかけた。
生暖かい粘液が、放物線を描いて、陽炎の頬に浴びせられた。

何かが全身を駆け上がった。その後を追う様に頭に血が上っていく。一方で、体の芯。心の奥底が急速に冷え込んでいく。一瞬の硬直。憤怒による停止の後、全身が時を取り戻す。
………憎い。
一歩踏み出すその刹那。しかし、腕を引き留めたものがあった。陽炎が細い腕で、俺の右腕を抑えていた。そして、無言で首を横に振る。
今の俺はどんな表情だ?きっと怒りと戸惑いの混じった、恐ろしく間抜けな表情だろう。
彼らの背中が村の外へと消えていった後になって、二人歩きだした。すまないと呟きを漏らして。



「おやおや、連日の来客とはこの地を治める者として嬉しいね」

東野は、来客の知らせを受け、客間の襖を開けた。中には座り窓の外を眺める二人の女性の姿。
いつもと同じように、軽い口調の挨拶と共に微笑みかけた。一人は長く真っ直ぐな桃色の髪を持つ長身の女性。もう一人は老婆と言う表現が良く似合うブロンドがかった髪を持つ侍従。共に切れ目が印象的な二人だった。

「あら、丁重な御出迎え感謝いたしますわ」

細い瞳が弧を描いた。その笑みにザワリとした感覚を覚える。努めて笑みで。表情を隠し一つ頷くと、もう一度部屋を見渡した。否、一か所に目が行った。女性の身長ほどあろうかと言う大きな箱。
なんだ、あれは・・・?
なにか楽器のケースだろうか。
考えながらも、まだ聞かねばならぬことが他にある。二人に対面する格好で座敷に座った。

「申し遅れました。この地を収めている東野が頭首。東野 了で御座います」

「あらあら、ご丁寧に。
 私は、大鳥香奈枝と申します。
 GHQで一応大尉をしておりますわ」

「侍従のさよに御座います」

どうしてGHQがこの村に……?
疑問が浮かぶが、客人に無礼があってはならない。
心の内に不信を抱くが努めて表情に出すまいとする。
それ以上に何かがおかしいと心の奥が騒ぎ出す。

「GHQからとは、どういったご用件で?」

「この村で民への行き過ぎた徴収が行われているという話が出ておりまして。その調査に参りました。
…………そんなに構えないで下さい。
 別に獲って食おうなどとは思っておりませんの」

にこりと細められた目が弧を描く。その笑みは決して此方を安心させることは無く、寧ろその向けられた先の分からなさが一層の不信を駆り立てる。
そうだ、最初からおかしいのはこの二人。笑みを向けられているというのに、冷たさを感じずにはいられない。嫌な汗が着物の下で背筋を伝った。
どうでしょう、心当たりは御座いませんか?
そう続ける彼女の笑みが間接的に、あるいは直接的に、しかし明確に、口からの偽りを封じる。
話していて、此れほど不快に思う人間も無い。
さあ。と、そう急かすかのように一層深まった笑みに、西森について語るほかないことを悟った。



「なかなかに良い男では御座いませんか」

持参した給仕の支度を整えながら、さよがそう口を開いた。
和式の部屋。畳の上に一つの背の低い机。そして座布団が二つ。
大凡その場に似つかわしからぬティーカップに紅茶が注がれると、紅茶と畳の独特の匂いが混ざり合い、奇妙な香りを発する。
そのカップを受け取ると、香奈枝はゆっくりと傾けた。

「そうですわね。
 でも私には景明様がいらっしゃいますので」

二人は愛せませんの。
真っ白なハンカチを取り出すと、わざとらしく目元にやる。其れに対して、さよは取り合うつもりはないらしい。何も答えずに手元の使われていないカップを戻した。

「………ところで、さよ。
 外が騒がしくは在りませんの?」

ドンドンと廊下を歩く音が聞こえる。次第に大きくなるそれは足音の持ち主が近づいてきていることだけでなく、大手を振って歩いているその姿さえ思い起こさせる。
やがてその音が、ピタリと止まった。
場所は………おそらくこの部屋の前で。

「てめえ、こんなとこで何してるんだ!?」

ノックも、まして入出の許可をとることもなく引かれた襖の向こうで叫んだ少女が居た。
足は肩幅に開き、ビッと指をさし、顎が外れないかと心配になるほど口を開き、一条はそこに立っていた。

「あらあら、こんな処で御会いするなんて、奇遇ですわね」

「左様でございますね」

対する二人はニコリと微笑むと何でもないように紅茶を啜る。わざとらしく、音を立てて。その態度が癇に障ったのか、一条は一層目を吊り上げた。

「あんたが居るって事は………この村の統括者に問題でもあったのか………」

一条とて、香奈枝の仕事を知らぬわけでは無い。彼女が此処に居る以上、何らかの問題があったことは容易に想像できた。
そして彼女には思い当たる節があった。

「……もしかして西森って野郎のことか?」

鋭い目つきはそのままに、そう聞いた。

「あらあら、良くご存知ですわね」

そう肯定された。話だけしか聞いていないとはいえ、一条としても気に入らない一件だった。一般人の自分では力になれぬが、目の前の女はGHQの一員。
GHQとして、彼らの行いを正すというのであれば、彼女らがこの場に居ることは、寧ろ喜ばしいことだ。

そう、今回に限っては。

「あたしにも力になれることがあったら言いな。
 今回だけは少しくらい協力してやる」

そう言い放ち、踵を返す。彼女たちの事は気に入らない。だが、民を苦しめる六波羅はもっと気に入らない。来た時と同じように大きな足取りで部屋を出た。
取り残された主従は、顔を見合わせると、小さく微笑み合った。



「で、何故こんなことになっているのでしょうか?」

守道は動かせない右腕を見ながらそう言った。隣で東野が苦笑した。
西町から戻った守道と陽炎は、夕飯を食べていた。昨日と同じく円を囲んでの食事。
その中に見慣れない顔が二つ。一人は先ほどから此方に微笑みを向ける背の低い侍従、さよさん。
もう一人は……右腕に抱き着く、長身切れ目の女性。大鳥香奈枝さんだ。

「嫌ですわね、守道様。
 そんなに邪険になさらなくても」

出会って、話して、何故こうなった?
どうしてこうも気に入られた?
ニコニコと微笑みながら俺の腕をとる大鳥さん。正直に言うと、食事がしづらい。
そして、痛い。
何が?右腕ではない。
守道の左隣。香奈枝とは反対側に座る陽炎。此方の様子など気にすることなく食事をしている。………かのように見える。
怒っている、此れは、絶対、怒っている………。
彼女の纏う空気がひしひしと伝わってくる。正直、此れが一番痛い。

「そうですわ、私たち、明日西町へと出向こうかと思っているのですが、守道様、御一緒してはいただけないでしょうか?」

突然の提案だったが、昼間の一件を思い出す。此方の顔を向こうに覚えられているかもしれない。此処で揉め事は起こしたくはない。

「いえ………」

「このか弱い女どもをたった二人で、悪さをする六波羅の元へと向かわせるのですか?
 武術の心得がある守道様に御一緒して頂きたいのです」

切れ目に涙を溜めて上目づかいでそう言われては断ることもできない。ちらりと陽炎を見るが、やはり此方を見る気は無いらしい。
肩を竦めると、意図を汲み取ったかのように香奈枝が笑った。



「まったく、人の恋路を邪魔する人は馬に蹴られて何とやらですよ」

薄暗い廊下を、香奈枝とさよは自室に向けて歩く。やれやれと言った雰囲気を出しながらも、別段非難する様子は無い。そんないつもの調子で、さよは香奈枝にそう話しかけた。

「大体、何が“二人は愛せませんの”ですか・・・・・。
 思いっきり言っていることとやっていることが違うではないですか」

呆れた様子でそう付け加える。何がそんなに気に入ってしまったのかと。

「あら、さよ。
 守道様の良さが分からなくて?
 ……とても可愛らしいではありませんの」

にこりと表情が緩む。
………そして、彼女の口元が吊り上った。
さよでさえ気温が下がったかのように錯覚する笑み。
怪しさと艶やかさを併せ持つ、憎しみを宿したかのような微笑み。
心の中で小さく、はっきりと呟く。

あの表情、雰囲気。景明様とそっくりでは御座いませんの。





[36568] 第参幕 問英雄編 Ⅳ
Name: 空男◆8e753d7d ID:f0e1f31e
Date: 2013/11/17 01:38

夏が過ぎ去るのを感じさせるように、日中だというのにどこか肌寒い風が吹いていた。この山を歩くのも何度目の事だろうか。隣にはいつもの様に陽炎が歩いている。いつもと違う点はその逆隣りを二人の女性が共に歩いているという事だ。

「いやはや、守道様。
 このようなことに御付合い頂き、何と感謝して良い物やら」

さよがそんなことを言う。もちろん目指すは西町が長。西森の屋敷。昨日の陽炎への一件で、少なからぬ怒りを抱いてはいるが、だからと言って断るのは気が引け、結局は付いて来てしまった。
おかげで香奈枝は、鼻歌でも歌いだしそうなほど上機嫌だ。反対に陽炎は表にこそ出さぬが、少しばかりの不満を胸に溜めている。そんな表情を見せていた。
最近は色々な事が一度に起こりすぎた。其のことで一度心を閉ざしかけてしまっていた自分がいう事ではないのは重々承知ではあったが、御陰で陽炎との時間をなかなか取れていない。東野には申し訳ないが、この一件が終われば、暫くはゆっくりさせて貰おうと、そう考えていた。
が、とりあえずは目先の事だ。

「………今一度確認しますが、西森をいきなり捕らえるなどという事は無いのですね?」

何度も確認した今日の予定を確認した。香奈枝は当然という様に目を弓なりにした。聞けば、香奈枝も悪事を働いたからといって捕らえて罰を与えるのが仕事ではないらしい。あくまで事実の調査。そして、改善を促すこと。其れでも駄目な時の“処理”は他の者の担当で、彼女の担当すべきところではない。
いくらGHQ所属とはいえ、女性に其の様な事を担当させることは無いのだろう。

「今日の目的は守道様とのピクニックですから!」

………彼女は何時もの調子な様だ。また陽炎が無言の圧力を放つ。
……帰ったら、やはり陽炎との時間を増やそう。
さよもこの状況をただ愉しむように、微笑みを向けているだけだ。完全に二人のペースに乗せられている。
一体、俺の何処に其の様な扱いを受ける理由があるのだろうか?
女性から好意を向けられることなど、陽炎を除けば人生で経験したことが無かった。道場の主の家系として、尊敬の眼差しを受けることはあっても、熱の籠った視線など、向けてくる者は居なかった。
そんな物より、親戚からの、忌々しい物を見る視線の方に敏感になっていたことを、守道自身は自覚していない。御陰で、幾つかの女性の恋心に気付かなかったことも。
故に、守道にとってはある種、新鮮な感覚であり、また、陽炎が居ればこそ、迷惑な物であった。

思えば、香奈枝は出会った時からこんな様子だった。
昨日、西町から衣服を入れたいくつかの袋をぶら下げ帰った守道たちを、二人は待ち構えていた。
許可をとって玄関を潜ると、出迎えた女中の手伝いをやんわりと断り、自分たちに与えられた部屋へと足を向けていた。その途中。襖が静かに開く音がして、桃色の髪の女性が姿を現した。見覚えの無い女性だった。美しく伸びた髪に一瞬、目を奪われる。長く引いた一本の直線を思わせる姿。真っ直ぐで、ぶれることの無い印象。
彼女も突然の対面に驚いたようだが、すぐに女性らしい柔らかな笑みを浮かべた。そんな彼女からの自己紹介が守道を現実へと引き戻した。

「あら、初めまして。
 今日からこの屋敷に泊めて頂きます、大鳥 香奈枝と申しますわ。
 此方はさよ。私の侍従をしていただいています」

「え、ああ。
 霧島 守道と申します。此方は陽炎。故在って、この御屋敷に居候させて頂いております」

「ええ、存じておりますわ」

え?と思った。
俺の事を知っているという言葉に、不可解を感じずにはいられない。

「綾弥さんから話を伺っておりますの」

そんな此方の疑問も察したような言葉に此方も納得するしかなかった。
じろじろと嘗め回すように全身を見られたと、瞳を覗き込まれる。

「あの……」

加速する動悸に思わず、声を上げた。彼女の切れ目の奥からは意図は読み取れない。
そうして、納得したように頷いた香奈枝は、にこりと微笑んだのだった。
なんでも、一条から話を聞いて、俺達に興味を持っていたそうだ。一条とも以前からの知り合いということで、昨日一日でも何度か二人で話しているのを見ていた。
尤も仲が良いようには見えなかったが。

………思い返してみても平凡な出会いしかしていないように思う。ならば何故?と言う問いの答えを、守道は持ち合わせてはいなかった。
考え事をしたせいで沈黙があったようだ。風の音と、それに揺れる木々の音。少しの動物たちの声。其れがこの森の音だった。
相変わらず、変わること無く足音を刻む三人の女性に少しの居心地の悪さを感じた。
だからかもしれない。
少し考えれば、こんな問いは飲み込んでいただろう。何か話さなくては。という思いの元、一条という名前から連想される、一人の男。

「そういえば、最近、武帝と呼ばれる集団が世の中を騒がしているそうですが、GHQの対応はどうなるのですか?」

ピクリと陽炎が反応した。此方を見たのは、俺の様子を窺ったというより、俺を心配しての事だろう。そんな彼女に大丈夫だと目配せしてやれない程に、焦りが胸の内を占めていた。
言って気付く。最近の流行の殺人鬼の話をするのとは訳が違う。守道自身、彼には好意と恨み。そのどちらもを抱いており、また、どちらともを捨てきれずにいる。
故に、それを聞いてどうするのだ?
どうなって欲しいのかという答えは、守道の中に無かった。

「あら、景明様の事を御存じなのですね」

だから、景明という名前が、すんなりと彼女の口から出たことに驚きを感じた。慌てて彼女の横顔を確認するが、相変わらず愉しそうに前だけを見つめ、視線は此方を向いてはいない。
その笑顔の向こうの表情の読めなさに冷や汗を感じる。

「………いえ、其の様な事は無いのですが」

「旅の途中で少し耳に致しましたので」

詰まりかける言葉を、代わりに陽炎が続けてくれた。
寸での所で、表面に出さぬように平静を装う。声が上ずっているのに気付いたのは陽炎だけだろう。
情けないな、全く………
その言葉に納得したように香奈枝が頷いた。なんとか話題を変えなければ。
ここでGHQである彼女に景明や村正と共に生活していたことについて言うのは気が引けた。彼女たちの出方が分からない以上、余計な情報を与えるのは回避するべき事態だ。

「そうですわね……。
 まだ、そう大きな規模にはなっておりませんので、GHQとしては今のところは何も………
 このような島国の事、上は此方の兵を使って、些事だと片づけるつもりなのでしょう」

それを聞いて、一つ安堵の息を漏らす。すぐさま、彼らと戦争が起きることは避けているようだった。
だが、もしそうなったら。世界と彼らとで戦争が起これば、俺は果たして、どちらにつくのだろうか?
彼らに死んでは欲しくない。だが、この気持ちがまだ景明が父と兄を殺した者だという事実が認められないからではないかという疑念が払えなかった。
答えは出ていそうで、決めることなど、出来なかった。



西町のはずれ。農民たちの家とは、少し隔てた場所に、その屋敷はあった。
4人1列に並び、無言で通された廊下を歩く。縁側に沿った廊下に出ても、景色は決して良い物ではない。小高い場所に建ってはいても、その姿が確認しにくいように工夫がなされている。山を背にした造りも、敵を考慮してのことだろう。

通された先には襖。それを、先頭を歩いていた香奈枝がゆっくりと開けた。守道が後に次ぐ。
決して豪華とは言えない部屋。豪壮というより、寧ろ、武術を学んだ者が好む印象。一面の畳の先に、一本の刀が唯一無二の存在感を放ちながら飾られている。
ちらりと見えたのは、中に座り込む一つの影。
薄暗い部屋の中で、男がにやりと笑った。

「これはこれは。GHQの御一行ですか
 こんな辺鄙な村までご苦労なことです」

馬鹿にしたような声色。豪勢。大雑把。そんな印象を受ける挨拶だ。
気を抜けば飲まれそうになるほどの威圧感。微笑んではいるものの、対峙すると感じる圧迫感。
そう口にした男は、また、言葉通りの人間だった。歳は40といったところか。六波羅の着物を着こなし、長く伸びた髭が顎を覆う様に茂っている。彫が深い顔立ちで、額には二本の皺が横に奔っていた。

「労い、感謝いたしますわ。
 私は大鳥 香奈枝。彼女は侍従のさよで御座います。
 彼らはこの度、お供をお願い致しました守道様と陽炎さんです」

香奈枝が手早く自己紹介を済ませた。
その挨拶に西森は一つ頷く。

「それで?そのGHQさんがどういったご用件で?」

「村人への高い税金が話題になっておりますの。
 心当たりは御座いませんか?」

挑発的とも取れる西森の姿勢にも躊躇いなく香奈枝がそう返した。それが気に入らなかったのか、一瞬、西森の表情が曇る。しかし、直ぐに両手を広げ、ヒラヒラと振って見せた。

「いやあ、うちはちゃんと決められた税を課しているつもりですがね」

何の根拠を示すこともなく、彼はそう言った。
守道は黙って見て居た。が、その言葉に思わず自身の顔が強張るのを感じた。恩を受けた村の農民たちの事を思い出すと、手に僅かに力が籠った。

「………そうですか。では、また日を改めてお邪魔すると思います」

だが、香奈枝はあっさりとそう言った。深く追求することも、糾弾することもなく座りもしなかったその場で身を翻す。あっけにとられたのは守道と陽炎。そして、西森だった。

「おいおい、良いのかい?」

「私にも事実は分かりませんもの。
 今日は挨拶に伺っただけですので」

そう言って、にこりと微笑む。そんな彼女をじっと見た西森は、立ち上がると、飾られた刀へと足を進めた。

「あんた、GHQってんだ。少しくらい武術の嗜みは在るだろう?
 せっかくだ、少しは手合せしないか?」

その日本刀を手に取ると手首で軽く振り回して見せる。しなやかに回る刃先が空を斬る高い音を発した。

「いいえ、私は調査が専門ですので。
 生憎、箸よりも重い物を持ったことが御座いませんの」

首だけで振り返りながら香奈枝はそう言った。それに対する西森の反応は、言葉ではなかった。
綺麗に弧を描いた刃先が頂点を通り越し下へと潜る。
その瞬間。西森はその手首を鋭く返し、刃を手放した。
逸早く気付いた守道が陽炎をその刃が迫り来るだろう範囲から手を引き遠ざける。が、その刃の行く末は、間違いなく香奈枝のもと。
まずい、と感じたその瞬間。香奈枝の髪を僅かに揺らし、刃は耳元を通り抜けた。

「あら、レディに向かって随分ですわね」

その西森に向かっても、香奈枝は相変わらずといった調子でそう言った。ここまで来ると、守道も黙っていられなかった。陽炎を背に一歩踏み出す。それを押し留めたのもまた、香奈枝の一言だった。

「大丈夫ですわ、守道様。彼は、私に当てる気なんて御座いませんでしたから」

ほう、と息をついたのは西森だった。一瞬鋭く目を細めた後、納得したとでもいう様に笑い出す。

「俺のところにどんな女を寄越したかと思ったが、すまんな、思い違いだったようだ
 どうだ?最近、ウチも仲間を戦で何人か失ってな。今日の晩餐でも一緒に取らぬか?
 持て成しをしよう」

「……いえ。東町の方で泊めて頂く約束をした方が御座いますので。
 せっかくですが、またの機会にでも」

そう言って香奈枝が襖に向き直った。守道も一歩踏み出した足を戻す。
本人がそういうのならば、引き下がるよりほかない。西森を睨みつけたまま香奈枝を追って振り返った。

「おい、そこの兄ちゃん」

西森だった。振り返った先で、西森がにやりと笑った。

「良い眼するじゃねえか。
 機会があれば手合せしたいもんだ」

「……そのような事態にならぬことを願っております」

努めて冷静に。努めて礼儀正しく。
深々と礼をした守道は部屋を出た。
握った拳は紅く変色していた。






海上特有の波風を剱冑の装甲越しに感じた。傾きかけた陽が海面を緋色に染めている。視界に映るのは只管に海。この海の果てがこの度の目的地だった。
ただ一人、武者の男は黙々と其処を目指す。聞こえるのは合当理が吹かす音。この世界に在るのはそれだけだった。

「………この先に何が在るんだ?」

もう何度もした問いを剱冑に投げかけた。勿論、それに対する答えに期待などしてはいない。

<<ごめんなさい、私の口からは言えないの。
其れが許されたのは海の果て。そこに流れた我らが同胞だけ。
でも、貴方にはそれを知る権利がある。忠道の代わりに私が出来るのは導くことだけ>>

紅の機体から返答が返ってくる。それは何度目の問いかけでも同じものだった。
息をつき正面を見据えると速度を上げた。怪我―――火傷の跡が疼いたが、それも気になる事ではない。この先に我ら一族の秘密がある。

「焔、直に日も落ちる。其れまでには到着するぞ」

<<……諒解>>

短いやり取りの後、再び騎行に集中した。見据えたその先、水平線の遥か彼方に小さな島が姿を見せていた。



[36568] 第参幕 問英雄編 Ⅴ
Name: 空男◆ebc8efbe ID:f0e1f31e
Date: 2013/11/24 09:54
東野屋敷。
最早、慣れ親しみまでも感じるようになっていた。どこか心休まる場所を手に入れた気すらさせる。
屋敷へと戻った守道と陽炎は、自室へと向かうべく、廊下を進んでいた。長い通路の先に見知った顔を見つける。用があるのは自分達だということは一目で分かる。

「戻ったか。
何事もなかったか?」

腕を組み、何かを考えるかのように壁にもたれ掛っていた男、武は、その身を起こすように壁から離れた。
此方が心配だったのか、わざわざ出迎えに待っていたようだった。香奈枝とは既にわかれており、彼女は与えられた自室に居る。

「いえ、特に危害を加えられるようなことはありませんでした」

チラリと西森の屋敷での一件が頭を過るが、激情に駆られたのはその場でだけだ。
これが打ち合わせ通りの答えだった。香奈枝と今日の事は穏便に進んだという方向で口裏を合わせることにしていた。確かに、此れから何度か足を運んで事実を調査しようというのに、危害を加えられそうになったとあれば、無用な心配を招きかねない。守道自身も香奈枝の身の安全は心配ではあったが、本人が波風を立てるなと言うのに、話を大きくすることも憚られた。

その返答に、武の顔が緩む。心から安堵するように溜息をついた武だったが、直ぐにその表情は引き締まった。明らかに憎しみを湛えた顔だった。

「それならいいんだが…………十分に気を付けてくれ。
 あいつら、何をしでかすか分かんねえからな」

何故、そこまで西森を嫌うのか?
並々ならぬ感情が其処に在るのは容易に見て取れる。と同時に、そう軽々と聞いてよい話でないのは彼の表情から明らかだ。

「ありがとうございます。
 忠告、心に刻んでおきます」

詮索されたくない過去と言う物が人にはある。東野の話によれば、この町の人々は特にそういった方々が多い。武もその例外でないとすれば、易々と踏み込むべきではないだろう。一言の礼と、一つの返答。其れだけが守道の持ちうる返答だった。





時を同じくして東野の屋敷。
襖の前に立った屋敷の主は、その部屋を貸し与えた女性に入室の許可をとっていた。

「あら、東野様?
 どうかなさいましたでしょうか」

控えめな声で了承を得た了は、香奈枝の前へと進んでいた。
部屋の中でさよの淹れたお茶を飲みながら了を迎えた香奈枝は、はてと首を傾げた。その斜め後ろではさよが怪訝な表情を浮かべている。
備え付けられた机の香奈枝の対面にあたる場所で腰を下ろす。

「西森の事ですが………
 できれば、武の前ではあまり話さないようにしてやってはくれないでしょうか」

控えめなトーンで、そう口にした。誰かに聞かれるのを恐れるような振る舞いだった。彼女たちには、一度伝えておかなければならないことだった。

「……分かりました、心に留めておきます。
ところで、何か理由でもあるのでしょうか?」

自分で表情が曇るのが分かる。果たして、自分の口からこの理由を話しても良い物だろうか?
僅かな迷いが生じる。
何故、非常にプライベートな問題であるのだ。

「実は、武は西町の生まれなのです。
 彼らは武術の心得を持つ武を嫌っておりまして、そのせいで村を追い出されたのです」

この町には他の村の出身の者が多いとは聞いていたが、まさか隣町からの住人がいるとは思ってもみなかった。
しかし、考えれば難しい話ではない。自分の領地に自分を脅かす危険性のある者が存在するならば、事前に排除してしまえば良い。まして、武術にものを云わせて村を支配する一族ならば尚更だ。実に理に適った選択だろう。
だが。
だからこそ、香奈枝には疑問が残った。

「……では尚更、私どもの行動は彼にとって良い知らせなのでは?
 彼は西森を恨んでいるのでしょう?」

「……そうかもしれませんね。
 ですが、彼は復讐や報復は望んでいないと思います」

了は本心からそう口にしていた。武がそんなことを考えるとは到底思えなかった。
詳しくは聞けないまでも、以前の村での境遇は多少は話に聞いている。耳を塞ぎたくなるような仕打ちもあった。
だが、今の彼は前を見据えて歩んでいる。だからこそ、この屋敷で暮らし、自分の側近を任せている。

「本当にそうでしょうか?」

「ええ、間違いありません」

はっきりと言い放った。
瞬間、背筋に冷たい物を感じた。武者としての勘。
戦場で出会ったならば、思わず一歩後ろに跳び下がるような悪寒。
この感覚……。何処かで………。
ふいに思い出したのは、丁度この部屋。初めて彼女に会った時の事だった。恐ろしく冷たい何かをあの時も感じた。
目の前に座る女性に然したる変化はない。いつも通り、長く伸びた桃色の髪が見事なまでに一直線に流れている。
そんな香奈枝が口元を緩やかに釣り上げた様な気がした。

「分かりました。
………ねえ、東野さん。
 少し話を変えても宜しいでしょうか?」

再度、身体を冷たい何かが駆け上がった。此れもやはり初めて香奈枝と会った時感じたものと同じだ。

「東野さんは、お父様を戦で亡くしているのですわよね。
 ならば、何故、その時の相手へ復讐をなさらないのでしょうか?」

振るえるように駆け上がり、重力に逆らうかのように駆け上った血が急激に降りてゆくのを感じた。それほどまでに“その問い”は了を冷静にさせていた。
問われたのはこの数年で何度も考えた問だった。
彼女は知らない。この問いの答えが簡単な物でないことを。どれだけ僕が、その“彼”を憎んだかも。
父の死を知った時、悲しみよりも先に出た感情は恨みだった。何度も何度も彼らへの報復を考えた。父の無念、村人の悲しみ。
それを後押しする物はいくらでもあった。
必ず見つけ出して殺してやるつもりだった。見当もつかない相手だったが、この手で殺そうと心に決めた時期もあった。
だが……

「いえ、其の様な事をしても父は戻ってきません。
 それに、それが果たされた処で、また、その一族が私に復讐を果たすため立ち上がるでしょう。
 あとはそれの繰り返しです。その先には何もないとは思いませんか?」

そう。此れが僕の答え。この思いは連鎖してはいけない。
村人も家族も、父を思ったからこそ、復讐を唱える者は居なかった。彼がそんなことを望むはずがないと。
父が死んだのはつまらぬ政治の争いの一端だったと聞いている。互いがつまらぬ意地を張り合い。兵を退く時期を見誤り。最期には互いの軍がほぼ全滅するまで戦い続けた。
その兵も、圧力をかけて招集した武術者が殆どだった。事実、父もそんな利権の争いに興味などなかったのだ。そんな中で父も死んだのだ。悔しい思いは勿論この胸の内に在る。だが、其れまでだ。それ故に何かをしようなどとは思っていなかった。
否、思ってはいけない。

「……死んだ人間は戻らない」

ボソリと香奈枝が呟いた。聞き間違えではないかと思うほど小さな呟きだった。
一瞬、意味が分からず困惑するが、咀嚼すれば自分の考えと同じだ。
死人は戻らない。ならば、復讐など無意味だ。

「復讐は果たして、許されざることなのでしょうか?
 殺した罪は死ぬことでしか償うことは出来ない。
 殺したからには、殺されるしかないのではないでしょうか」

言葉とは裏腹にひどく落ち着いた声色だった。事実だけを告げるような、其れが当たり前であるかのような物言い。
そして自分の考えを真っ向から否定するものだった。

「だから人は殺す。殺さなければならない。残されたものが、殺すことでやっとゼロに戻る」

なにか呪文の類のようだった。忘れていた憎しみが、地の中、奥深くへと埋めて隠した憎しみが、固い地表を破って外に出ようとしていた。
此れ以上はいけない。
体中がそう悲鳴を上げていた。

「おい、西森のやつはどうだった!?」

その呪文は第三者の介入によって打ち切られた。許可をとるわけでもなければ、ノックの一つもない。開け放たれた先に立っていたのはもう一人の居候人。一条だった。

「あら、相変わらずですわね」

此方を向いて離さなかった香奈枝の瞳が、一条の方へとそれていった。
了は立ち上がると、襖の方へと向き直った。此れ以上彼女と一緒にいるのはまずいと、そう思った。
伝えるべきことは伝えた。目的は果たしたのだ。だが、この胸の内の暗く粘質な感情はなんだ?最愛の父。その死は乗り越えたはずだ。
そう自分に言い聞かせるようにして部屋を出ようと踏み出した。
自分が部屋の中に居たことに驚いたように、一条が申し訳なさそうな表情を作り、道を譲る。
その背中に、

「東野さん。先ほどの話。しっかりと考えてみてくださいね」

何を考えているのか分からない。そんな風な明るい声が掛けられた。



夜。日が落ちた島塚村は冷え込んだ。香奈枝がこの村を訪れてから一週間が経とうとしていた。この日も食事をとった守道は陽炎と共に自室へと引き上げる途中だった。
縁側を通る際、ふと周りが明るいことに気付く。見上げると其処には満月があった。隣を歩く陽炎が同じように空を見上げる。香奈枝が来てからと言うもの、陽炎と二人きりという時間は殆どなかった。西森との話に関わってしまった以上、護衛として幾度か西森の屋敷まで出向いていた。結果は、白。だがそれが、限りなく淀んだ黒の上から、白いペンキをぶちまけた白であることは、誰から見ても明らかだった。其のことを西森は別段隠そうともせず。また、香奈枝も気づこうとはしなかった。
つまり形だけでは調査はほぼ終わりを迎えていた。
一息つくことが出来るタイミングだったからか。それとも満月が人を狂わせたのか。
陽炎は、ゆったりとその身を守道に預けた。程よい重みに守道もまた陽炎の腰へと手を伸ばした。

「守道様、この後は如何するおつもりでしょうか?」

この後。其れが意味するのは、西森の件が終わった後か。それとも自室へと帰った後か。
どうでも良いな。そんなことを思いながら、守道はその問いを聞いていた。そんな事よりも、すぐそばで感じる陽炎の熱い吐息に心を奪われていた。
“カタ”
何時もならば聞き逃していたかもしれない音だった。だが、熱に呆けそうになる頭にはその戸をあける音はしっかりと届いた。
脳内が急激に冷えるのを感じながら、そちらに目を向ける。そこは門。屋敷の門から一人の男が出て行く姿だった。
武殿………?
門を潜ったのは武だった。いつも通りに着物を着て。だがその行動は誰にも悟られぬようという警戒が滲み出ていた。
悪い予感がする。
視線を落とすと、同じように武に気付いていたのか、陽炎が此方の意を悟ったように頷いた。
後を追おう。そう思った時。

「守道さん、ちょっと良いですか?」

何処から現れたのだろうか。視界の外からかけられた声に振り返ると、一条が佇んでいた。西森との件については、よほど西森が気に入らなかったらしく、ことあるごとに、何かあれば自分に言ってくれと繰り返す彼女だったが、折り入って話があるとすれば何のことなのか見当がつかない。
ふと門を見ると、武の姿はもうなかった。

「……どういった御用件でしょう?」

向き直ってそう問うも、一条は暫く黙ったままだった。やがて、ぽつりと絞り出すように言った。

「守道さんは、武術の心得があるのですよね。剱冑の扱いについても。
 実は……今、私は仲間を集めているのです。今回、島塚村に来たのもその為で。
 西森に力を借りようとして……」

それで迷って東町に来てしまったというわけだった。
彼女が仲間を求めるその理由。守道には一つだけ心当たりがあった。そして、出来れば外れていてほしい心当たりだった。

「それは……景明殿を殺すためですか?」

一条の肩がピクリと揺れた。だが、次の瞬間には此方を見据え、深くうなずいていた。それは少女の表情では無く、決意を込めた武者の面構えだった。
答えは持ち合わせていなかった。代わりに、どうしてもこの因果からは逃れられぬという確信めいたものを感じた。殺すにせよ、見逃すにせよ。
彼を乗り越えなれば、自分に未来は無いのだと。一条から見えない位置で陽炎が、着物を掴んだ。心配そうな表情をくれる陽炎に大丈夫だと笑って見せた。

「もう少し、時間をいただけませんか?
 彼との因縁もあります故、簡単には決められないのです」

本心からの言葉だった。だが、逃げの言葉ではなかった。むしろ逆。しっかりと向き合うことを一条と約束したつもりだった。
一条も、其の意思を汲み取ったかのように、もう一度深く頷くと、
“良い返答をお待ちしています”
と言葉を残し、彼女の部屋へと消えて行った。
守道も、陽炎へと手を差し出すと、同じように自室へと入っていった。

それを見計らったと様に、香奈枝が姿を現した。その後を追う様にさよが縁側に立つ。
二人の会話は全て聞いていた。一条の目的についてはなんとなく察していたし、兵が足りないとあれば、自分にもその懇願は向けられるとさえ考えていた。

「……ですが、そう考える時間は無いのですよ。
 守道様……」

そう口元を釣り上げた。その視線の先は、西町の方へと向いていた。





[36568] 第参幕 問英雄編 Ⅵ
Name: 空男◆ebc8efbe ID:f0e1f31e
Date: 2013/12/21 14:38

ハッ……ハッ!
闇夜を駆ける。
見慣れたはずの路地を回り、人気の無い道を選んで。
武は一心不乱に足を進めた。急ぎ走る胸は息切れからか、短い間隔で鼓動を刻んでいる。何故だろうか。心臓が口から出るかのようなそんな圧迫感が込み上げる。
右手には刃。復讐を遂げる刃。
あるいは銅鑼。開戦を告げる銅鑼。
駆け抜けた路地の先。東町への入り口。嘗て初めてここを通った時のことを思い出す。
涙に崩れ、彼に肩を抱かれながら俺はこの町へと足を踏み入れた。
ふと足を止める。
その先には鳥の像。
この村への来客を歓迎するその鳥は、あの日の俺も迎え入れてくれた彼の姿を思い出させる。
東野 京(きょう)。了の父にして、武の恩人。
あの日彼は、自分が復讐に捉われた殺人鬼となることを止めてくれた。だが、自分は今日、復讐者として刃を振るう事を決意してしまった。
彼への想いだけが胸の内のしこりとして残る。じっと彼を象徴するかのようなその鳥を見つめた。
だが、其れまでだ。この決意は変えられない。それでも遂げねばならぬ。
歩みを進め、その脇を通り過ぎる。
“申し訳御座いません”と。そう呟いて。
――――――――あの日果たせなかった復讐を。





東町の朝は活気づいている。勤め先へと足を向ける人々の群れ。その中に守道と陽炎の姿があった。家事とまではいかないが、居候の恩を返すため食事の準備をするべく街に繰り出したのだった。
幾つもの並んだ朝市には新鮮な野菜を始めさまざまな食糧が積まれている。大勢の主婦がその品定めに夢中だ。

「あら、霧島さん。お早う御座います」

此処に住み着いて数週間。もうすっかり顔も覚えられたようで、何人かの主婦が守道たちに挨拶をし、自分が品定めをした野菜を譲ってくれた。露店の商人たちも東野の家の遣いだと言えば、今日一番の品を笑顔で差し出した。此方が財布を出そうものなら、慌てて止められてしまう始末である。

「しかし、この村の東野への信頼はすごいな」

「そうで御座いますね。
 先代への恩がある方が殆どだ武様が仰っていました」

手にいくつもの袋を持ち、帰途についていた。勿論、隣には陽炎が歩いている。その手にも食材が入った袋。俺が持つと進言したが、少しは運ばせてくれと頑なに守られてしまった。
ごく平凡な一日が、景明や霧島の事の傷を徐々に癒してくれている。
と同時に昨晩の一条からの問いへの返答を考える余裕も出来つつあった。
何時までもこの村に留まる事は出来ない。しかし、この村を出たあとも少なくともしばらくは平穏な毎日を陽炎と送ろうと考えていた。其れほどにこの毎日は魅力的で、そして何よりも自分の役割は、兄を失ったことで終わったのかもしれないと、そう考えるようになっていた。
この世に在って、武術で負け命を落とした者の復讐という話は少なくない。寧ろ、普通ともいえる。だが、霧島の家訓には自ら攻め込まぬという、無暗な殺生を禁じる誓いがあるのも事実だ。其れを身内の為に犯すことがあっていい物なのか、また、兄と父はそれを望むのかという疑問も残る。

「おい、あれ見ろよ」

ふいに道を往く一人が空を見上げた。つられるように一人、また一人と西の空へ目を移す。
その先には黒い影。最初は鳥かと思った。が、近づくに連れてその影は形を変えていく。
人の形に、武者の形に。
次第に近づいた合当理の音。それは加速を続け、上空を飛び越える。その先に在るのは東野の屋敷。
嫌な汗が背を伝った。飛来した方向。それが示すのは、彼らが西森の武者であるという事。

「陽炎!」

短く叫ぶと、屋敷の方へと駆け出す。道往く人の合間を縫って、元来た道を駆け抜けた。




「突然、どういった了見だい?」

珍しく了は声を荒げた。庭に飛来したのは西森の武者。数は4。慌てて知らせに来たのは、同じく庭で稽古の為に竹刀を振るっていた一条だった。彼女は今にも飛びつきそうな様子で、彼らを睨み付けている。

<<………昨日、何者かに此方の村の見張り人が殺された。
 どういうことか説明してもらおうか!?>>

………ッ!
了と一条の顔が強張る。それに構わず、もう一歩にじり寄る西森の武者。無言で斬りかかってこないのが不思議なほどの殺気を身に纏っている。
ふと、了はその場に武が居ないことに疑問を持つ。
真逆、そんな筈は………。
武が何かしたとは考えたくなかった。

<<無言は肯定ととっても良いんだな?>>

「待て、東野は一切関わっていない」

必死に言葉を取り繕うが、聞く耳もない。後ろに立つ一人が、高々と右手を掲げ、空に向けて煙弾を放った。高く高く上昇したそれは、風に流されながら白の狼煙を空に上げた。

バタンッ!
突然の音は屋敷の門が開けられる音。其れを開けたのは守道だった。目の前に広がる光景にいち早く状況を理解した守道は、了と武者との間に割って入った。

「東野殿、此処は俺たちが!!」

「………お任せ出来ますか。西森へ出向き、話をしてくるまでの間、時間を稼いでいただきたい」

チラリと目を移した先にはモノバイクが止まっている。恐らく使えという事なのだろう。

「……無茶な要求とは分かっていますが……出来れば殺さないで頂きたい」

「承知いたしました」

間髪入れずに短く返すと、了は一つ頷き振り返る。当然のこと、それを追おうとする武者。その前に立つ。了は振り返らない。小屋の中からバイクを取り出すと、飛び乗り走り出した。
その姿が小さくなるのを横目で見送り、再び武者と相対した。

「お前、西町で見た顔だな?
 この町の者じゃないなら引っ込んでた方が身のためだぜ?」

聞き覚えのある声。そうだ、あの日陽炎に唾を吐いたあの男だ。一瞬脳内が沸騰するが、それもすぐに押し留める。戦闘を前にして昂ぶった気持ちは、されど暴発することは無い。

「守道さん、剱冑を!」

一条が声を上げる。モノバイクまでは距離がある。急げという指示だろう。だが、俺には数打など必要ない。陽炎が居るのだから。

「我、鎧なり! ! 我、鋼なり! ! 我、汝を敵より護る者なり! ! !
 其の眼前に屍は無く、其の道に残りしは聖者のみである! ! ! ! !」

辺り一帯を炎が包む。炎に身をまかれるように陽炎が守道を包み込んだ。
西森の武者と、そして一条が息を飲むのが分かった。
腰に据えし二本の刃。その内の一つ。名刀“白沙耶”を手に取る。

「一条殿、下がっていてください。あとは俺がっ!」

振り返ることなく一条にそう言い放つ。東野殿は殺すなと言った。其の要求、必ず、実現して見せる。

<<中々に見所のある漢だとは思っておうたが、真逆真打を要しておるとはのう>>

今度は此方が驚く番だった。後ろから唐突に聞こえた金打音。どこからともなく姿を現したのは、天牛虫。その纏う雰囲気、当に天下の名物。

<<そして、その心意気、真、気に入った!我らも力添えをしようぞ、御堂!>>

「……ああ、其のつもりだッ!」

「世に鬼あれば鬼を断つ。
世に悪あれば悪を断つ。
剱冑の理ここに在りッ!!!」

濃藍の鋼が彼女を取り巻く。甲高い金属音を立て、藍い武者が姿を現した。その姿。待機状態でありながら放っていた威圧感は、それの比ではない。武者としての感性が告げる。紛れもない天下の名物であると。

<<守道さん、二人はお任せします。
後の二人は私たちが何とかします>>

言うが早いか、上空へと飛び出した。一瞬の後に守道もそれに続く。
景明殿を殺すと言っていたが、真逆、彼女の様な幼さで真打の武者とは………。
様々な思いが胸を過るが、今はそれどころではない。

同じく上空へと上がり、此方に向けて反転した剱冑と目を合わせた。一対多の戦闘は、遠藤殿の島で体験したとおりだ。ならば今回も、やはり突きで仕留めるのが上策。
白き名刀を中段に構え、迫り来る二領の剱冑に向けて合当理を吹かす。狙うは敵機の合当理。決して命を奪うことはあってはならない。敵機は数打。機体性能では圧倒的優位。
だが、もう一つ危惧すべき点がある。其れは戦場の眼下に広がるのが東野の町であるという事。村人たちが慌てふためく様子が、上空からでも見て取れる。

まずは戦場を移すべきか……。

敵機の選択は薙ぎ。襲い来る初撃は“払い”によって避ける。続く二領目の突きは脇を通り過ぎることでやり過ごす。その速度のままに西町とは反対の山へと突き進む。逆に一条は西町と東町とを隔てる山を戦場に選んだようだ。互いに背を向け、民衆に危害が及ばぬ場所へと戦場を移した。

追ってくる敵機を確認しながら、再度、策を練り直す。
敵機を落とすことなく戦闘不能にする。そのためには合当理の破壊が最良。そのための技も霧島の武術には備わっている。

「陽炎、“真炎爆発”を減速の為に一瞬だけ行う。
 ……出来るな?」

<<勿論で御座います。承知いたしました>>

狙うは“陰火”。すれ違いの瞬間に刃を後ろに突出し、その背後にある合当理を破壊する。そのためには、急激な減速が必要。そのためには、大きな推力を借りる必要がある。問題はそのあと。

「墜落した彼らの命はこの高度からでは無いに等しい」

<<接地戦を仕掛けましょうか?>>

「………否、彼らが其れに乗る理由が無い。幸い下は森だ。
陽炎、可能な限り高度を落とし、合当理への傷も浅いものにする」

<<諒解>>

直線に飛んでいた軌道を下に向けて潜るようにして敵機に会頭する。敵機は刃を収め、後を猛進してきている。即ち、勢いでは向こうが優勢。陰火は敵機との速度の差があれば使えない。

「次の一撃は避けるのが妥当か」

<<次撃に備えてタイミングを推し計るのが良いかと>>

「ああ、そのつもりだ」

ふと疑問が生じる。敵機は一向に刃を抜き放とうとしない。
距離は900と言ったところか。まだ彼らの刃を構えるには早い。しかし、刃を抜かぬ理由は無い。だが、抜かぬというなら、それも好都合。構えを見せぬ不安はあるが、初撃では何も出来ない此方にとって、容易に受け流せるのであればそれに越したことはない。
距離300。敵機がようやく手を刃に掛ける。

やや太めの刀身。抜き放たれる刃。
――――――その刃、両刃造。



「まずい!!!陰義を防御にッ!!!」

<<えっ!?>>

次いで閃光、奔る。太陽の光を受けたその刃が、武者の手から放たれた。
抜刀術、否、投擲術。嘗て相対した剣術が眼前で繰り出された。
ガガガッ!
剱冑が軋む音に、刃が鋼を削る音が重なり、不快な音が耳元で生じる。寸での所で発動した焔の鎧は、しかし、完全にその刃を遮断する事は出来ず。だが、其れも無ければ此方の兜は間違いなく砕けていたことだろう。

“ウチも仲間を戦で何人か失ってな”

西森の言葉が甦る。
真逆、西森の一族とは……!

<<この剣術は遠藤様の島の……>>

「ああ、そういう事らしい」

相対した二領目は刃を放ってはいない。一領目の剱冑は空いた手に予備の刃を収めていた。
以前、相対した三領の武者。島の人々を傷つけ、剱冑を探し求めていた武者。それが西森の一族だというのなら、俺は………! ! !
込み上げる怒り。一度は消そうと、胸の内でくすぶり続けていた怒りの焔。其れが再び顔を出す。今の自分の表情はまるで鬼のようであることは明白だ。
ギリッ
噛み締めた歯が軋みを上げた。
自然と刃が上を向く。一撃必殺の構え。其れに向けて構えが変容するのを、強い意志で留める。

<<守道様! !感情に流されてはなりません!!!>>

陽炎がその意思に添え木を当てるように言葉を寄越す。
鼻から息を吐き出すと構えを戻した。
そうだ。決して復讐者であってはならない。

再び会頭。敵機の携えし刃は三。その内一つを失った者が一。
先程、後に続いた男が今度は先頭に立ち此方に迫り来る。

「そう何度も奇襲が通ると思わないことだっ!」

彼らにとって奇襲であっても、此方からすれば、既に一度破った術。
焦りも怒りも無く。ただ冷静に、その二機を見据えた。あらかじめ、余裕のある速度を保ち、陰義の使用を前提に、刃から逃れる道をイメージする。
一領目。先ほどと同じように投擲を選択。今度は上段から放たれた刃を想定通りの道へと逃げ込む。

「陽炎、右下方へ向けて推力を!!」

<<諒解に御座います>>

空中で半回転するようにその刃を退ける。焦りが表に出た一両目は脇を通り過ぎるに留める。
狙うは二領目。此方の選択は抜刀術。鞘に納められたままの刃が唸りを上げて引き抜かれた。だがそれも既知の術。奇襲となり得ないその術はかえって好都合だった。刃の軌道が読み易い抜刀術は、押し留めるのもまた容易い。そして、押し留めるという術に置いて俺には絶対の自信がある。
横なぎの軌道上の敵刃に合わせるように白沙耶を差し出す。一瞬の鍔競り合いが起きるが、此方はそれに付き合うつもりはない。手首の力を抜き、刃を返すことで受け流す。

「陽炎ッ!!」

短く叫び、速度を急激に留める。後ろを確認するでもなく放った“陰火”。其れは、機体後方の合当理を傷つけた。
その確認もなく、再び上空へと速度を上げる。その後方で、煙を上げながらゆっくりと斜めに森へと墜落して行った。
残るは一機。此方の落ち着きに怖気づいたのか。その動きは意識が散漫としたものであることを思わせる。まだ若さを感じさせる単調な突撃。狙うは間違いなく抜刀術。此れならば、陰火を使うこともない。
邂逅の瞬間。
間違いなく見事と賞賛されるべき抜刀は、しかし――――――――

「霧島流合戦術―――“合火神”ッ!!!!!」

下方から現れし刃によって上空へと投げ出される。宙を舞う刃は風切り音を上げながら回転を続けた。勢いもなくし、刃もなくした敵機の後方に回り込む。
その合当理も、先ほどと同じように撫でるようにして切り裂いた。



[36568] 第参幕 問英雄編 Ⅶ ①
Name: 空男◆ebc8efbe ID:f0e1f31e
Date: 2014/03/23 17:35
<<御堂、しかし、殺さず捕らえるとなると少々厄介ぞ>>

迫り来る二領の剱冑。其れを前にして、一条は悩んでいた。敵の術は一に抜刀、二に投擲。幾度かの邂逅により敵機の術は把握済み。されど、斬り捨てるというのならばまだしも、捕らえるとなれば厄介この上ない。
今、すべきことは大きく二つ。
まずは接近。この時に投擲術が難となる。速度を上げれば上げるほど回避に手間取るのは自明。そうでなければ躱す事、打ち払う事も容易いが、それでは双輪懸の速度差で不利となる。
接近できたとすれば次は抜刀術が待っている。当然、昨日今日の付け焼刃でないそれは、脅威であることに変わりない。

最も簡単な回答は、殺害を前提の斬り合い。正宗の仕手として修繕・回復で人後に落ちるつもりはない。完全に投擲は躱すという選択を取る必要はない。所詮は投擲。斬り降ろしに威力で勝ることは無い。
ならば、一撃受けても良し。恐れるは、速度の低下。だがそれも、受けると割り切って受ければ、斬り合いに望めるだけの速度を保つこともできる。その後に抜刀術との立ち会い。此れも、力で押し切れると判断した。万が一にも、此れに斬られることがあろうとも、腕の一本があればそれだけで十分。
だが、それでは殺さぬという確証がない。刃にて“斬り合った”時点で、殺さぬことは至難。

「……あんまりやりたくは無かったんだけどな………そうも言っていられないか」

高さで優位を取り、再び回頭する。敵機の刃は三本。その内の一本が投擲によって失われている。構えは抜刀。先ほどはその構えから刃を放られた。

「まずは接近するッ! !」

急加速。体に重圧を感じながら徐々に速度を上げて往く。当然、最早投擲を防ぐつもりはない。致命傷さえ避けられればそれで良い。
凝視する先で敵機が刃に手を掛けた。此方の出方を見て後出しで投擲を選択したのは明白。続く二機目は逆に刃を抜き構えた。
だが………ッ! !

「正宗、やれッ! !」

<<応!!!!
正宗七機巧が一…………無弦十征矢!!!!>>

飛び道具には飛び道具で応えるまで。
敵機の顔面に向けて矢を―――自らの指を噴出。目指すは顔面。喉元を引き裂いたとあっては意味がない。目的は目くらまし。少しの動揺があれば其れで良し。

一瞬の間を置いて金属のぶつかり合う音。敵機が刃を用いて打ち払った音だ。だが此れで敵機に刃を抜かせる事が出来た。

「今だ正宗! ! やれッ! !」

<<拝領致す!!!>>

「正宗七機巧が一………割腹投擲腸管!!!!」
<<正宗七機巧が一………割腹投擲腸管!!!!>>

正宗の金打音が自らの声に重なる。
瞬間、腹部に強烈な痛み。当然だ。今、私は体の内側から内臓を抉りだされたのだから。体外へと投げ放たれた腸は敵機の元へと飛来。先の無弦十征矢を振り払った後では此れに対応できる筈も無し。
口元に笑み。しかし、込み上げる痛みの為に、笑い声を上げることは叶わない。
コポリと血が泡を作る。
長く伸びた腸が敵機一領目に纏わりつき捕縛。迫り来る刃はそれ以上の侵攻を許さず。抜き放たれることを禁じられた両刃の剣は意思なく宙を舞う。
更には続く二領目の敵。此方も目の前から放り出された縄にかかる他無し。
まとめて二領を捉えることに成功。次いで間髪入れずに旋回。
森の中に奔る一本道へと降り立つ。草木が揺れるのも構わずその場に二領を放り出す。驚いたように反転し起き上ろうとする。その腰に差された敵機の刃を力任せに砕いた。同じように足を奪うために合当理を切り裂く。これで此方と戦闘を行えるほどの推力を得ることは叶わない。唯の鉄屑と化した数打が音を立てて崩れ落ち、仕手が姿を現す。

「……いつもなら人の命を脅かした奴なんか切り捨ててやるんだが………。
 東野さんの頼みだ。命までは獲りはしない。此処でおとなしくしてやがれ!!」

<<妙な気を起こすでないぞ、小童共がッ
次に刃を向けるなら、この正宗、御堂の意思に反しても必ず首を掻っ捌いてやろう>>

仕手、剱冑の続く罵倒。此れに気圧されたようにへたり込む。これで、この場は良し。急いで西町に向かわねばなるまい。一時装甲を解く。この先に再び刃を見えることがあるとして、少しでも熱量を温存しておきたい。幸いなことに降り立ったのは、山を横断する一本道。其れを西町へと走り出す。
瞬間、激痛。如何に正宗が修繕に長けた剱冑と言えど、体内を引っ掻き回された仕手が、平然としていられるわけも無い。
情けない。
此れだけの剱冑を有しておきながら仕手である自分の不甲斐なさ故に目的遂行に支障をきたす。自嘲しつつもその場にへたり込む。酸素を求めるように地面に向けて大きく息を吐くと、唾液が宙を舞った。

「大丈夫ですか、一条殿! ?」

不意に差し伸べられる手。突然視界に現れた其れに思わず顔を上げる。眩い陽を背に此方を覗き込む男。
………湊斗さん…?。
その場に立つのは守道。隣には陽炎。成程、彼らも勝ったのか。心配していたわけでもないが、安堵が浮かぶ。

「大丈夫です。それよりも西町に」

顔を一度振ると、手を借りることも無く立ち上がる。大きく息を吸い、そして吐き出すと走り出した。
思考を振り払って。脳裏に浮かんだ優しく微笑む悪鬼の姿を掻き消すように

「あの……一条殿……」

不意に後ろから呼び止められる。

「西町は此方なのですが………」

「……………………分かってますよッ! !」

振り返ると今度こそ走り出した。





「勇(いさみ)様ッ! !」

屋敷の奥。自身の間にて瞑想をしていた勇―――西森 勇は部下の一言で目を開けた。

「その………東野の…………屋敷内に侵入を許し……えと…その………」

襖を開けたその男の額には汗。表情には焦り。碌に報告の体を為さない歯切れの悪い言葉を繰り返す。

「了が来たのだろう?
 お前たちでは傷一つつけることは出来まい。
 此処に通せ」

襖の間から隙間風。此れから現れる男の纏う気とでも言うかのように圧が押し寄せる。
程なくして多くの男の怒声を纏いながら東野 了が姿を現した。

「お前たちは下がっていろ。
 どうせまともに相手を出来る相手ではないわッ」

刃を構え取り囲むようにしながら部屋までついてきた何人かの部下に下がるように指示をだす。彼らで相手が務まるような相手であれば、此処まで無傷で辿り着くなどという事は出来る筈も無い。彼らの持つ刃がそれ以上、東野の身体に近づくことが無いことを西森は知っていた。

「勇、兵を引いてはくれないかい?
 今回の件。何が在ったは僕は知らない。だけど東野が無関係なことは保障する」

何時もと変わらぬ口調。しかし、紛れもない懇願。かつ強い語気。

「……とはいえ、昨晩、武がこの村に来ているのを何人もの村人とウチの人間が見ている。
 武を連れてこない限りは何も言えないな」

とはいえ、此方も数日前に三人の部下を失ったばかり。兵力の面でも、面子の面でも、此れ以上の消耗を黙っているわけには往かない。

「互いに譲るつもりも無いけど、戦うつもりもない、だろう?」

こういうところでこの男は人を食ったところがある。気に入らない程、現実を正確に把握している。全面戦争にて東の軍を滅ぼすことは容易いかもしれぬが、一対一の戦いでは此方の無術はこの了の前にあまりに不利。それを知っての発言だった。
だが……………………

「…………話にならんなッ! !」

話し合いはどうやら此れ迄。

「此方には証拠も揃っている。そっちは信じろの一点張り。これでは話し合いにもならんわ。
 ………日暮れまで待ってやる。屋敷に踏み込んだお前に、かかりきりになった御陰で此方の兵も東町に出てはいない。日暮れまでにこの場に武を連れてこい。其れから考えてやる」

「………分かった。すまない」

目の前で了が踵を返す。悟られぬように刃を持ち出す。一片の曇りもない流麗な動きでもって。
最早振り返ることも無く部屋を出ようとするその背に向けて、いつかの様に腰から抜いた刃を投げつけた。
唸りを上げて宙に直線を描いたその刃。間違いなく了の脳天を目掛けて奔ったその刃は、しかし、打ち抜くことなく失速し、壁に当たったかのように床に落ちた。

「………もしも間に合わぬようなら、戦争の準備でもしておくんだな」

予想通りとはいえ気に入らない現実にそう吐き捨てるように言う。その言葉への了からの返答は無かった。





西町と東町を隔てる山。そのけもの道を抜けた先には当たり一面を一望できる小高い丘があった。其処に座る男が一人。
其の手は紅い飛沫が後を残しており、鞘に納められた刃にもまた、同様の文様が出ていた。
……………飛鳥………、京様…………。
幾年の時を超えて果たされた復讐。その喜びと恩人への申し訳なさだけが昨晩からその胸を満たしていた。
その後方から二つの足音。振り返ることは無くともその主は知れた。

「気分はどうですか、武様?」

長く綺麗に伸びた桃色の髪。同じように細く伸びた切れ目は悪事を耳元でささやく小悪魔の印象を受けた。

「火種だけ落とせば戦争なんて何時でも起こせる。あんたの言った通りになりそうだ」

後悔は無い。
殺したいほど憎んだ者を討つ最良のタイミングが今だっただけの事。たとえ彼女が、大鳥香奈枝がこの町を訪れていなくとも自分はいつか復讐を果たしていた。
そう、それが今だっただけの事だ。

「………無粋を承知で問わせて頂きますが、其れほどまでに西森を恨む理由と言う物を聞かせては頂けないですか?」

とはいえ、最後の一押しをくれたのはまた事実だ。暫し考えこむ。今までに他人に詳細を離したことの無い話だ。このことを知っているのは今では西森と自分だけ。
しかし、共犯者としてそれくらいの事は教えるのが義理。

「聞いてもつまらぬ話だとは思うが………」

一つの前置き。次いで下を向いたままにぽつりと話し始めた。



 




武には、妹が居た。名を飛鳥(あすか)といった。両親は武が10にもならぬうちに他界した。其れが、貧困による飢えからの物だったのか、それとも心労によるものだったのかは当時幼かった武には分からない。だが、幼き日の四人での生活は貧しい物であったことは、幼心で理解していた。

「兄様(あにさま)。
 お早うございます。今日も西森様の処ですか?」

朝起きると必ず彼女は朝食を準備して待っていてくれた。そんな彼女の為にと、武術を学ぶために西森の屋敷に稽古に出かけるようになったのは12の時だった。
貧しい生活であったことは確かだった。だが、飛鳥は何時も明るく振舞った。農作業を手伝うこともままならない自分に代わって、畑の手入れを欠かさずに続けてくれた。そんな彼女は村人の中でも人気者であり、老いた村人の手伝っては良く褒められているのを見ていた。武にとっても自慢の妹だった。

そんな生活にも慣れた22のある日。
その日もまた、武は西森の屋敷へと足を向けていた。

「行ってらっしょいませ、兄様」

髪も伸び身体も成長し、すっかりと大人になった飛鳥がいつもの様に見送ってくれた。朝から気分が悪そうだった飛鳥は無理をしなくていいという武の申し出も断り、いつもの様に玄関を出て見送っていた。
武術を学び、仕事が得られれば飛鳥の生活も楽になる。その一心で磨いた西森流の剣術は、門下生の中でも頭一つ飛び出ていた。
その日の稽古でも、一対一の立ち合い、その全てを勝利で終えた後だった。
道場で水を浴びると、少し伸びた髪をタオルで拭う。また飛鳥に断髪してもらわなければ。
そんなことを考えていた。

「おい、農民様がまた居るぜ」

二人組の小さな話し声が聞こえた。これも気にすることは無い。いつもの事だった。門下生の殆どはもともと西森の一族に属する者で構成されていた。加えて武は農民の出身。
実力のある武を追い出そうとする動きは何時でも見え隠れしていた。

「おい、お前等。
 俺が欲しいのは百姓でも農民でも武士でもない。
 力のある男だ」

そんな男たちをそう言って黙らせたのが西森 勇(いさむ)という男だった。次期頭首にして、西森本家の跡取り。武の事を気に入り、12から育ててくれたのも、武術を教えてくれたのも彼だった。
裏での武を追放しようとする動きも、西森が発する鶴の一声で皆が口をつぐませていた。
そんな彼に武は感謝していたし、彼の力になりたいと願うのもまた当然の事だった。
いずれ頭首となる西森 勇の右腕となる事。それが知らずの内に武の目標となっていた。

「武、俺は今日は此れで終わるが、お前はいつも通りか?」

同じように稽古をしていたのだろう。彼は自分の隣に立つと、いつもの様な笑顔でそう言った。彼はたまにこう言って稽古を正午で切り上げていた。その豪快でさっぱりとした笑顔が、武は好きだった。

「はい。今日も日が落ちるまでは刀を振って往こうと思っております」

はっきりとした返事に西森も満足そうにうなずいて見せた。



それから一時間ほど汗を流した。まだ午後1時半といったところでいつもならばもう5,6時間は稽古を続けるのだが、今日の稽古は此処で切り上げようと考えた。朝、具合が悪そうだった飛鳥の様子がふいに気になったのだ。
いつも世話ばかりかけているからな。
兄として情けなくはあるが、彼女の御陰で生活が成り立つのも事実。こんな時くらいは何かしてやるべきだろう。
用具の手入れを手短に済ませ、風呂敷に包むと、屋敷を後にした。途中、村長に出会い米を貰った。これでたまには粥の一つでも作ってやろう。そんなことを考えていた。

何も無い道を駆ける。
道角を曲がり家の前に立った時、中から飛鳥の声が聞こえた。

「今日も……で御座いますか……」

苦しそうな声だったが、誰と話しているのか分からない。そっと中を覗き見た。
其処に立っていたのは予想外の人物だった。

「武が屋敷から追い出されることになるぞ?」

潤んだ目をした飛鳥の肩がピクリと撥ねた。
稽古を切り上げたはずの西森だった。いつもその腰にある二本の愛刀を床に降ろして、先ほど稽古をしていた時と同じ格好をした西森が、家の中で飛鳥と対峙していた。


「……はい。私を好きに使ってください……」

「……良い子だ」



[36568] 第参幕 問英雄編 Ⅶ ②
Name: 空男◆ebc8efbe ID:f0e1f31e
Date: 2014/01/19 04:39
妹が犯されている様をただただ見ていた。
何が起きているのか分からないわけでは無かった。
目の前で最愛の妹が犯されている。それは別世界の様に感じられた。
やけに目と口の中が乾いたが、その光景から一瞬たりとも目を離せなかった。
そして、西森が果てた瞬間、ダムが決壊するかのようにドス黒い怒りが湧き上がる。風呂敷を解き、中の刀を取った。
…………クソッ!!
鞘から抜き放とうと柄に手を掛けるが身体が思う様に動かない。怒りに震えた指先を押さえつけ、高い風切り音と共に抜き放った。
振り返るように戸へと目を向ける。心に在るのは憎悪。
………殺す、何が在ってもコロス。

殺す殺す殺す殺す殺す殺す

激昂する自分を冷ややかに見つめるもう一人の自分が、決意をしたように心の内でそう漏らした。
そして意を決し、戸へと手を掛けるべく、手を差し出した。

その数瞬前。コンマ以下の差。武の手よりも先にとの間をはしる物があった。
僅かに空いた戸の隙間。その間を縫うようにして現れた其れは直線軌道を描き向かいの家へと突き刺さった。見覚えのある刃。両刃の造りにやや大きめの刀身。西森の愛用する刃だった。

「武。盗み聞きとは趣味が悪いぞ。
 ………それと、刀を取るのに手間取りすぎだ」

角度の為に家の中は見えない。だが、中でもう一方の愛刀を構える西森は容易に想像できた。もう一瞬でも刀を取るのが早ければ、確実に第一の刃は自分を貫いていたことだろう。
怯むな!
自分に言い聞かせる。一瞬引いた手をもう一度差し伸ばし、戸を開け放った。

ぐったりとした様子で、虚ろな目を此方に向ける妹。その前に袴の身を身に纏って立つ西森。
その風貌、まさに鬼神が如し。
相対すことで分かる実力差。同じ武術を学んだ者として、また時には師として仰いだ彼との圧倒的なまでの力の差。だが、関係は無い。今、討つ。この手で必ずこの男を殺すッ

互いに手に持つは抜き放たれた一本の刃のみ。必然、投擲・抜刀は共に不可能。得物を失う事になれば、敗北は必至。唯一、使う事が出来るとすれば、必殺のタイミング。その一点に己が命を張れるその一瞬のみ。

床が軋みを上げるほどに強く踏み切る。一歩の歩幅で急激に詰め寄る。西森に動揺は無し。左から小さく、鋭い横なぎ。脇抉るようにして放つ一撃。
此れを止めるのは至難。
が、西森は切っ先を下ろすことで受け流す。しかし、それも予想通り。下がった切っ先。上がった手首。これでは細かい操作は叶わない。
瞬時に刃を放棄。西森の刃は受けに回り、振るわれることが無いのは明らか。
その場に刃が自由落下。と同時に左回転の回し蹴り。刃に守られた右脇をあざ笑うかのように、左わきに向けて蹴りを放つ。
手ごたえあり。蹴りが肉に沈む感覚。西森の巨体が右に二歩、三歩とよろめく。
勝機っ!
蹴りとは逆回転。先程放棄した刃を拾い上げる。狙うは投擲。身体の回転を加えた至近距離からの投擲。正に必殺のタイミング。
獲った! !

「………惜しいな。少し急ぎ過ぎたか」

放たれるはずの刃。しかしそれはリリースの直前に西森の刃に阻まれる。瞬時に身を起こし刃をせき止める為に接近されていた。
まさか、よろけたのも蹴りを受けたのも…………

「………罠かッ! !」

しかし、刃は最早手をすり抜けた。行く手を阻まれ、しかし、其の手から放たれた刃はあらぬ方向へと飛んでいき、回転を止め床に転がった。

最早為す術無し。
正面からの蹴りを何の手立ても取ることが出来ずに受ける。たまらずよろけ、後ろへと後ずさる。

「………惜しかったな。だが、其れを教えてやったのは誰だったか、忘れてやしないか?」

余裕の表情。構えられた刃。対する此方に刃は無し。
勝機………皆無。
背筋に寒気。死ぬのだという漠然とした感覚。
残りしは、飛鳥への申し訳なさのみ。
一歩にじり寄る西森。
刃がゆったりと上がり―――――細い腕が西森の巨体を抱き留めた。

「兄様、逃げてくださいッ! !」

瞬時、思考回路が再構成される。妹への謝罪の代わりに脳内を埋め尽くすもの。
“生き残りたい”
瞬間、踵を返し、走った。
闇雲に、どこまでも。
走り、走り、気づけば、西町と東町を隔てる山道へと入っていた。幸い追っ手は無い。
随分長い間走っていた。
木にもたれ掛ると肩で大きく息を吐く。
一つ、二つ。
気持ちが静まり、理性が感情に追いつく。
そして―――――――――

「ああああああああああああぁァァぁああああぁァァあッ!!!」

慟哭。
顔からあらゆる粘液が溢れだす。だらしなく歪んだ顔で雄叫びを上げ続けた。
やがて日が落ち、夜が来る。重い足取り。行く先は無し。いっそ死のう。そう思った。
山をさ迷い歩き、歩き、歩き、気づけば家の前に立っていた。

何時もと変わらぬその光景。中からは物音も無い。恐る恐る戸を開けた。中は闇に包まれ、明かりも音も無い。
火打ちの石を出し、震える手で明かりを灯す。

映し出されたその先。
横たわる裸体。切り裂かれた着物。
数々の傷跡。ところどころに残る粘液。其の手には指は無く。
顔は腫れ上がり。嘗て妹だった肉塊が横たわっていた。


何もせずに家を出た。何かを感じてしまえば自分が壊れてしまいそうで。否、壊れたからこそ何も感じないのかもしれない。
ただ歩き、歩き。

「おい、大丈夫か! ?」

その男と出会った。偶然にも西町での用事を済ませた東野 京だった。
その先の記憶は定かで無い。ただ泣き散らす自分を支え、東町へと帰り。何も話さない俺を黙って面倒を見てもらった。

それが数年前。東町へと初めて足を踏み入れた時のことだった。





ひとしきりの話を終えるまで、香奈枝は黙って聞いていた。そして話が終わると同時に口を開いた。

「復讐と言う物は果たされてしかるべきもの。奪われたならば奪わなければならず、殺されたならば殺さなければならない。
 貴方がしたことは正しいことだと私は思いますわ」

その一言に救われた気がした。恩人を裏切ったことで沈んだ気持ちが少し戻る。
思わず振り返った。この共犯者がいてくれたことに感謝を示したかった。
振り返った先。長身の彼女は優しげに微笑みかけていた。まるで自分が全て許すというかのように。

「………そして、殺したのだから殺されなくてはなりませんの」

え?
浮かび上がる無数の銃。操るのは弦。彼女の笑みが一層深まり、乾いた銃声が鳴り響いた。
鉛玉を受けた武が崩れ落ちる。

「此れで、この町の事件も片付きますかね?」

それまで一歩引いた位置からただ話を聞いていたさよが、そう問いかける。

「ええ、綾弥 一条に加え、守道様、東野様。戦力として西に勝ちはないでしょう」

その場に転がる死体にはまるで興味が無いという様に、会話を進める。

「今回は、楽な仕事でしたわね」

自分の手を使う必要が無かった。これであとは見守るだけ。勝手に事態は収拾を迎え、問題視されていた六波羅の一派は滅び、全ては内輪揉めの戦争によるものとして処理されるだろう。

「それじゃあ、さよ、お茶にでもしましょうか」

「畏まりました、御嬢様」

そうして彼女たちの優雅なお茶会(ティータイム)は、島塚村の戦争の開幕と時を同じくして始まるのだった。



[36568] 第参幕 問英雄編 Ⅷ
Name: 空男◆ebc8efbe ID:f0e1f31e
Date: 2014/02/28 16:32


「そんな……。
 じゃあ、武さんを日暮れまでに探さないと………」

「うん、戦争は避けられないだろうね」

西町から帰った東野と合流した後、屋敷へと場所を戻し、早急に今後の作戦会議が行われた。一刻を争う大事故に、兵の殆どは、既に武の捜索の為に屋敷を出ている。彼の失踪は事実。この事態に関与しているのであれ、そうでないであれ、放っておくわけにはいかない。

「武が何らかの関与をしているなんて考えたくもないんだけど………
 向こうもそうは思ってくれないから」

肩を落とした了がそう口にする。時刻は昼を回り、刻限の日没までへのカウントダウンは始まっていた。

「二人にはいざという時、手を貸してもらうことになるかもしれない。
 でも、此れはこの村の問題だ。それは本当に最後の術としたい」

「でもッ!!」

一条が声を荒げる。先の戦闘でも西の武術が秀でているのは明白。俺と考えは同じようだ。武力の差は圧倒的と言っても良い。東町の住民に武術の心得があるとは到底思えず。また、剱冑を駆る事が出来る者は多くない。一方で西森はもともと武術に秀でた一族。戦争の結果は察するに余りある。
しかし、その優劣を転じさせることの出来る駒が今、ここに二つある。勿論、俺自身と一条殿だ。
最後の術。その“最後”が如何なる状況を指すかは不明だが、この村への恩。巻き込まれた戦闘とはいえ、できれば力になりたいところである。
しかし、…………………。
俺は、人を前にして、刃を突き立てることが出来るだろうか?

「大丈夫。武を見つけて話を聞いて。それで解決できる」

半ば言い聞かせるように呟かれた東野の一言が虚しく部屋に響く。

「あたしは、この村を守りたい! !力が必要なら言って欲しい」

逆に、一条の言葉が鋭く空気を震わせる。しかし、その言葉への東野の返答は無かった。




自分にできることは何なのか?今までに何度も自分に問いかけてきた。
陽炎は一つ息を吐いた後、静かに立ち上がった。

武の捜索は土地勘のある者達で行われており、手持無沙汰となった為に、守道と一条は共に屋敷で待つこととなった。
傍らでは正宗が自己の修復に努めていた。

「正宗様。実はお願いが御座います
 ………私に、剱冑としての立ち振る舞いをご指導いただけないでしょうか?」

守道様の為に何ができるのか?
その答えは奇しくも悪鬼村正によって思い至るものとなった。彼らとの圧倒的な差。それは仕手である守道様だけの物ではない。自身と村正の陰義の間にも決定的な差は無い。また、守道と景明の剣術の間にもまた、決定的な差は無かった。
であるならば、剱冑としての差は何なのか?
その問いの先に思い至ったのがAIとしての自身の不甲斐なさだった。

<<………ほう?お主程の剱冑が教えを乞うとは?>>

正宗が怪訝そうに問う。この娘(むすめ)の真の姿。一目見れば如何なる銘物かは容易に見当がつく。一方で、その姿形。大衆に知れ渡る剱冑では無いこともまた明らか。無銘剱冑(ネームレス)ではあれ、その力は知れる。

「私は、まだ剱冑として日の浅い若輩者で御座います。
 仕手への負担の軽減の為にも正宗様からの御鞭撻を頂戴したく………」

<<あれ程までの威圧。あれ程までの風貌。
主はただの無銘というわけでは無さそうだが。
若輩者と申したな。剱冑に心鉄を打ったのは何時のことぞ?>>

「………一年程前に御座います」

その言葉にピクリと反応したのは正宗だけではなかった。一条が怪訝な顔を向ける。
そして、守道と目があった。
この事実を自分と守道以外に知る者は居ない。隠してきたわけでは無いが、問われて答える事でもないと、そう考えてきた。

「訳ありという様子ですが、聴かせて頂いても?」

一条の返答に一瞬言葉がつまる。主への許可を求めるために守道に視線を送る。
それと同時に守道が頷いた。
それを確認して陽炎もまた、同じように頷いた。



陽炎の一族は山奥に集落を作っていた。霧島の村の裏山。蝦夷で在る故に虐げられ、しかし其れに反乱を企てるでもなく。
“山に蝦夷あり。不要に近づくな。”
村に伝わる言い伝えを村人たちは守り、決してその一族と関わろうとはしなかった。故に一族はひっそりと山中で暮らしていた。

先祖を辿れば、剱冑打ちの名家。名こそ世に知れ渡るに至らなかったが、何代もの先祖が剱冑として心鉄を刻んだ。だがそれも昔の話。最早、剱冑を打つという慣習は廃れ、その技術と嘗ての伝説だけが知識として語り継がれた。
そして、一族には代々一領の剱冑が伝わっていた。否、甲冑という表現が適切だろう。その剱冑には心鉄が刻まれていなかった。その剱冑は細部まで磨き上げられた姿形をしながら、最後まで魂を宿らせることが無かった。
何時から伝わったものなのかはもう分からない。分かるのは、其れを最初に鍛えたのが一族を起こした頭首だという事だけ。金色の狐。焔を纏う金狐。この世のものとは思えぬほど磨き上げられたその御姿からは、初代の、そして先代達の技術の高さが垣間見え、魂を宿した時の武勇など、問うまでも無い。代々伝わる炎を操るという言い伝えは、果たしてどれほどの力を持つのか。其れを鍛えた全ての鍛冶師が夢に描いて止まなかった。

その一方で、もう一つの伝えがあった。
“決してこの剱冑に心鉄を刻んではならない”と

その甲冑は代々受け継がれ、その身を磨かれてきた。時が経ち、剱冑を打つ者が無くなっても、語り継がれた技術をもって、歴代によって甲冑に手を加え続けていた。
―――――そして、“その時”その役目を負っていたのは陽炎だった。

一年と少し前。霧島で山火事発生。

山は禿げ上がり、山中の集落で暮らしていた陽炎の一族の屋敷は全焼。燃え盛る炎にまかれた一族は数知れず。崩れ落ちる屋敷。そんな中で村の主は叫んだ。

“あの剱冑を絶やしてはならぬ”

用意されたのは祭壇。生き残る全ての一族がその場所だけを炎から死守。その役目から逃れた者無し。豪炎から身を挺してその場を守る。唯、剱冑と陽炎を守るために。
そして、燃え盛る屋敷の中で陽炎はその甲冑に自らの魂を刻んだ。
一族に伝わりし至宝を守るには其れしか手が無かったのだ。時が経ち、屋敷のいたる所が崩れ墜ち。陽炎が心鉄を打ち終えた時には全てが終わっていた。数多くの同胞は炭となり、嘗て暮らした屋敷は灰の塊。

そして、多くの命を奪った山火事は、陽炎が陰義を使うことで終結を迎えた。




<<つまり、その剱冑を打ったのは主では無く、歴代の剱冑打ちが技術を集めたものだと?>>

「その通りで御座います。
 私が為したのは心鉄を打ったことのみ。故に剱冑としてどのように守道様の御役に立てるのかが分からないのです」

<<…………成程。主の決意、この正宗、感じ入ったわい! !
承知致した。此度の一件が片付いた後には、この正宗が先代に代わり主に剱冑の何たるかを伝授してしんぜよう! !>>

正宗の快諾に陽炎の表情が緩む。同じように、一条も頷いた。

「あたし達も先日話した通り戦力を集めています。是非、力になりますよッ! !」

「………感謝いたします」

<<とはいえ、まずは此度の件。気を抜いていては話にならん。
分かっておろうが、西森も敵ながらなかなかにやりおるぞ>>

正宗の鋭い一言に再び表情が引きしまる。
そう、なにはともあれ、直近の事案を片づけぬことには話にならない。厳しい戦闘になるのは最早明白。そして、今、自分たちに出来ることは無い。となれば、今は回復に努めるのが先決。

スー―ッ
直後に襖が開く音。皆の視線は其方を向く。

「…………武が見つかったそうだ」

その先にあるのは肩で息をする了だった。





今日だけで何度目かになる山道を歩き、少し山奥へと踏み入った丘。其処が目的地だった。東野の兵の一人に牽引されて、重い空気の中山へと足を踏み入れる。鬱蒼とした木々の間をかき分け進む。木々の間からは木漏れ日が落ち、其れを頼りに足もとの悪い道を往く。
やがて、その先から人だかりが見えた。

そして、その開けた丘に出た瞬間、俺達はその光景を目にした。

視界の先には青と緑。そして――――赤。
飛び散る鮮血はまだ新しいようにも見え、山特有の湿った匂いに混ざり、生臭い血の匂いが漂う。その中心で倒れているのは間違いなく武だった。

「………どうして、こんなことに……」

隣で一条が苦々しげに呟く。皆が同じ思いに違いない。
その場には、一丁だけ落ちた銃。何発打ち続けたのだろうか。身体には無数の銃痕。
この銃は………
見覚えがある。否、以前に持ったことすらある。六波羅に属する一族が与えられるもの。霧島の屋敷にもいくつかはあったように思う。此れを所持しているという事は、犯人は六波羅。此れを置いていったのは宣戦布告とも取れた。

一陣の風が場を駆けた。一瞬、目を開いていることが出来ずに顔を手で覆う。
そして瞳を開いた時、真っ先に目に飛び込んだのは、東野の姿だった。ただじっと武の遺体を見つめている。
変色するまでに強く握られた拳。怒りに震える肩。
普段の優しげな温もりを完全に消した瞳。

「………全員、屋敷へ戻れ」

その口から静かに言葉が紡がれる。一瞬で喉元に刃を突きつけられたかのような冷たい感覚が体中を襲う。飲まれるほどの殺気。
その場にいる誰もが逆らうことなど出来ず屋敷へと歩みだす。

「………東野殿……」

「………守道さん、一条さん。申し訳ないですが力を貸して頂きます。
 …………必ず……………必ず、西森を殺す」

これは………誰だ…………?
―――――別人。
其処に居たのは俺の知る、東野 了などという人間ではない。彼は此れほどまでに殺気を表に出す人ではなかった。
ゆっくりと振り返り、此方の脇を通り過ぎて屋敷へと向かう東野の、その背を追う事しかできなかった。





屋敷に戻ると、戦力となる者が一室に集められた。その数は30と言ったところか。その中心にたった東野が静かに説明を始めた。

「我が軍は総員でこの村を守る。西は日の入りを刻限としてきた。夜間は村を死守。もし夜間に強襲があるならば全戦力を以て、此れを迎撃する。
 だが、本命は明日の日の出とともに攻め入られる可能性だ。此れについても東軍は総員で迎撃。ただし、日の出と同時に此方も強襲を仕掛けたい。
 守道さん、一条さん。御二人には山道から西町に向かって頂きます。此方への軍は我々で引き受けますので、敵兵が出払ったとあれば攻撃を仕掛けて頂きたい」

「ですが、それでは………」

一条が口をはさむ。当然の事だ。敵兵の数は此方の倍を超える。防衛部隊を残すとしてもその大半はこの村に押し寄せるだろう。そんな時に自分たちなしに守るのは至難。
俺と一条殿が居た処で守りきるのは五分が良い所だ。

「それに関しては心配ないよ。僕が居れば西森の剣術は殆ど役に立たない。こっちは守りきって見せる。其れよりも二人には決して無理をしないでほしい。場合によっては、一対多数の戦闘をしてもらうことになる。先の襲撃を守りきった二人なら心配は要らないかもしれないけど、無理だと思ったらすぐに退くこと。
 …………村の者でない君たちにこんな無理を言って申し訳ない」

不意にいつもの彼らしい言葉づかいが戻るが、語気が柔らかな物言いとは反対に、異論を認めない意思を伝えてくる。
このあっという間の作戦伝達は東野殿の軍師としての才を示すものか。それとも怒りを示すものか。いつもと同じように話しているように見えても、東野殿の怒りは嫌と言うほど伝わってくる。

「此れが最後だ。西軍を斬って構わない。殺して構わない。どんな手段を以てしても武の敵を討つ。
 これは弔い合戦だッ!!!!!!!!!!!!!!!!」

「「「「「「「「「「おおおおおおおおおおおおッ! !!!!!!!!!!!」」」」」」」」」」

屋敷に響く怒号。其れは戦の開戦を告げる銅鑼の様に村へと響き渡った。



[36568] 第参幕 問英雄編 Ⅸ
Name: 空男◆ebc8efbe ID:f0e1f31e
Date: 2014/03/23 17:37
「―――父上ッ! !」

「おお、了。少しの間、家を外す。
 村とみんなの事を頼んだぞ」

ほんの僅かな荷物だけを手にした父の後ろ姿を今でも鮮明に覚えている。
まるで町の市場に買い物に出るかのように、彼は玄関に立っていた。

「なあに、心配するな。すぐに戻ってくる」

「ポン」と頭に手を置かれる。『もう子供じゃないのに』等と言う文句が浮かんだが、其れよりもその手の温もりに安心した。
軽く右手を挙げながら村を出た父の後ろ姿。見送る事しかできなかった自分。

―――――――次に対面した「父上」は、首から上が無かった。


何故?
了は一人自室で考えていた。
何故、武がこんなことにならなければならなかったのだろうか?
思い出すのは武の亡骸。そして、父の亡骸。

「許さない、絶対に許さない……」

静かにそう告げる。自身に言い聞かせるように。
西が刻限とした日没は既に超えていた。此方の対応は、もう西も分かっているだろう。
予想通り、西は夜間の戦闘を避けてきた。
理由は二つ。
一つに戦力差。面と向かって戦いをしたとして、まず西の勝ちは揺るがない。戦力差の面では、あちらに分があるのは明白。ならばこそ、夜間の戦闘での奇策や奇襲、予想外の出来事を排除したいのだろう。
奇策とはリスクを背負う物である。
戦力で勝る戦において、わざわざ危険を冒すことも無い。
二つ目に、西の武術。即ち、投擲と抜刀術。特に投擲を生かすためには、視界の良さが求められる。街灯立ち並ぶ東の街を戦場にするとしても、光源が心もとないのは事実である。加えて、剱冑入り混じれる戦闘において、投擲は諸刃の剣になりかねない。味方への同士討ちなどを避けるためにも、視界が開いているに越したことはない。

だが、西は一つの思い違いをしている。
此方の戦力は、西に劣っていない。確かに東町の軍だけを見ればそうかもしれない。しかし、守道と一条が居る。彼等を遊撃部隊に選んだのは、西が彼らの情報を多く持たないことも一つの理由だ。奇襲とあれば多くの人員を裂くことで、敵に見つかる恐れもある。少数での施行は、戦力面での不安を残すが、その点でも実力者である彼らに不安は無い。一度もその戦闘を見たことは無いが、一対二の戦闘を、敵を殺さないという条件のもとで勝利したのだ。実力に疑いを掛ける点は無かった。

勝利するための条件は整えた。
「あの時」とは、父上の時とは違う。俺には今、力がある。そして、どうしても許せない敵が居る。武を殺した西森をけして許すことなど出来ない。

「………父上ッ……」

苦々しげに呟いたのは父の名だった。何故、俺はあの時、力が無かったのか。何故、敵を討ちに出なかったのか。大鳥中尉の言ったことは正しかったのだ。
殺されたならば、殺すしかない。復讐を遂げずして、前に進むことなどありえない。死した者のために在ってはならない。

夜明けまでに、まだ時間がある。だが、寝付くことなど到底出来そうも無かった。





酷く穏やかな夜だった。雲の狭間から月影が落ち、あたりを照らしていた。
だが、一方で守道の胸の内が晴れることは無い。座ったまま目を閉じ、明日の事を考えていた。傍らでは陽炎が寝息を立てている。
「守る」と決めた村がそこに在る。其の為に人を殺す。
刃に迷いを纏わせては、戦場での死に繋がりかねない。理屈で理性を抑え込む。動悸が少しずつ早くなる。息が上がる。苦しい。
――――――それでも、戦わなければならない。
そう、結論は出ている。あとはその結論へ至る「過程」を自分の中で組み立てるよりほかない。

「―――――守道様」

不意に陽炎の声がした。次いで体に微かな重みと温もりを感じた。彼女に抱かれたということはすぐに理解できた。
温かい。そう思う。心の中の靄が、陽を浴びて明るく光る。

「私の幸せは、守道様と共に在ることで御座います。
 この身に代えても必ず、貴方を御守りします。ですから、斬ってください。皆を、何よりも御自身を御守りするために」

「………だが、其れは許されることなのだろうか?」

「『私』が許します。たとえ世界の全てが貴方を責めようと、私だけはどんな時も、貴方の傍に居ります。
 そして、守道様が罰を受けると仰るのならその時は、地獄であろうと共に参りましょう」

決意。
彼女の中に俺に無い物を感じる。
身体を包み込む腕にかかる力が、少し強くなった。
いつの間にか呼吸は落ち着いていた。喧しく鳴り響いていた胸の鼓動は息を静め、代わりに陽炎の鼓動がゆったりと伝わった。心地よい鼓動だった。

「―――――――――陽炎」

短くその名を呼んだ。少しだけ顔を離した彼女の顔が視界いっぱいに映る。

「ありがとう。
 俺の幸せもお前無しでは有り得ない。
 ―――――必ず、守る」

決意を込めて、そう返す。戦える。俺は刃を取ることが出来る。
心の内の霧は晴れない。だが全体が淡く光り輝いていた。
―――――――――迷いも含めて俺だ。
目を逸らさない。この思いを凌駕した決意を胸に戦おう。
陽炎がゆっくりと微笑んだ。再び抱き寄せ唇を重ねた。

重なった陽炎の唇が、確かに『はい』と紡いだ。





早朝。
まだ日も明けぬ東野の屋敷にはずらりと兵が並んだ。緊張の面持ちを隠せないままに、それぞれが最後の確認をしている。その傍らにはモノバイク。数打が並ぶ。その隊列とは離れたところに守道と一条は立っていた。傍らには陽炎と正宗の姿がある。

「それじゃあ、二人とも頼んだよ。
 此方の状況が落ち着き次第、増援に行くから」

隊列に混じり話をしていた東野が二人の前に立った。それぞれの顔を見つめるとそう指示を出す。その表情には不安。そして、確かに戦果を期待する輝きが宿っている。

「しかし、本当に私たち無しで大丈夫なんですか?」

「大丈夫さ。心配しないでくれ。
 それよりも二人の方が。数で劣る此方の勝利には二人の戦果が最低条件だ。
 でも、あくまで目的は奇襲。敵戦力の分断だから。僕が応援に行くまでは騙し騙し足を止めて欲しい」

「いえ、大丈夫です。
 俺達で西に残った兵は何とかして見せます」

守道は、鋭くそう口にしていた。
驚いたように顔を此方に向けたのは東野の方だ。

「……正直、あまり気乗りしてないと思っていたけど………。
 そう言ってくれるなら有り難い。是非、信用させてもらうよ! !」

「パン」と音を立てて握手を交わす。
送り出す東野が力を込めて言った。

「互いの武運をッ! !」

「「はいっ! !」」

陽が昇り始め、街は太陽に照らされる。いつもと違うのは住民が避難したために何時もの活気が無いという事。
陽の光を浴びながら、そんな村の大通りを駆け、二つの影が屋敷を出て西の森へと消えていった。


「――――――――――来たぞッ! !」

その背をゆっくりと見送る事すら許さず、見張りに出ていた男が声を上げた。なるほど、日の出と同時の侵攻開始。流石、同じ村の一族。考えることは同じといったところか。

「総員に告ぐッ! !
 昨日も確認したが、皆にやってほしいのは足止めだ。止めは僕が担当する。勿論、出来るなら落としてしまって構わない。でも、無理をする必要もない。
 ………武の為にも…………必ず、今日の戦、勝利するぞッ! !」

「「「「「「「「「「おおおおおおおっ!!!!!!!!!!!!!!!!」」」」」」」」」」

西の空から飛来する敵機に向けて、一人、また一人と数打を纏い、空へと飛びだした。
東野は静かに息を吐く。
今日の戦、勝敗を左右する最大の要因は自分だ。それは十分に理解している。
さあ、武。お前の弔い合戦だ。

「さあ、往くぞ、烏丸(からすまる)ッ!!!」

何処からともなく鳴り響く羽音。機械仕掛けの翼。陽を浴びてその身を照らすは、黒一色の羽ばたき。戦場に舞い降りた戦鳥。

「ひれ伏せ、傅け、跪けッ! !
 我が往く道は破邪の道!!!!
 天下を統べる破邪の道ッ! !」

彼だけの剱冑。真打。銘を『烏丸』。翼を思わせる双筒の合当理。腰に据えし刃。その全てが黒一色。しかしその身は黒光りすることなく。寧ろ、陽の光を吸収しその身に沈めているかの如く深き黒。その姿、当に闇烏(レイヴン)。
「ゴウ」と音を立てて戦場へと舞い上がる。
その先で西の武者たちが陣形を変え、独特の形状を持つ刃を抜き放った。





山道を急ぐ。正宗も姿を現し三人と一領、否、二人と二領は山を駆けだしていた。

「…………あれは……………ッ! !」

上空を黒い影。西の軍が頭の上を掠め、行き違う。第二陣といった処か。無論、此方に気付く様子も無ければ、攻撃を仕掛けてくる様子も無い。一先ずは安心できそうだ。

「急いだ方が良さそうですね。
 思ったよりも数が多い。分断すると言っても此方が向こうに着くまでに全軍が出たとあっては意味が無い」

「そうですね。…………正宗、先に行って様子を見ておけッ! !」

<<承知致した>>

言うが早いか、濃藍の剱冑は三人を置いて飛び出した。「ザワザワ」と木々を揺らしながら西町への一本道を駆け抜ける。瞬く間にその後ろ姿が小さくなり、程なくして見失った。

「私ではお力になれず………申し訳ありません」

陽炎が小さく肩を落とした。彼女にしては珍しい動作だ。同じ剱冑として、やはりこういった事態で単騎行動できるだけの力が無いことを気にしているらしい。

「そんな…気にしないで下さい。それに、正宗を向こうへやってしまいましたからね。
 何かあれば頼りにさせて頂きますよ」

一条なりの気遣いに頭が下がる。守道としても、陽炎の傍らを離れることはしたくない。
それは昨日誓った戦う意味。自身に立てた制約。陽炎を守る。村を守る。
其の為に剣を取る。其の為に命を獲る。
そうまでして守らなければならない者の為に刃を振りかざす。
そうしなければ守れないのなら、守るために刃を振りかざす。
―――――――――正義の名のもとに。

ふいに横を走る少女の言葉を思い出した。
『湊斗景明を討つ為に力を貸してほしい』と。
今なら、討てるかもしれない。彼は悪鬼だ。世の人々を守るために。彼の前に為す術無く殺される民の為に。彼に刃を向けることが叶うかもしれない。其の為にこの手が血に濡れることなど厭わない。第一、この手は既に血で染まっている。
此れ以上失わないために。父を、兄を、恩人を彼の刃は切り裂いた。悪鬼を討つに相応しい理由が俺にはある。

「………守道様?」

黙り込んでしまったことで気を遣ったのか、陽炎が怪訝な表情を浮かべながら此方を覗き込む。そんな彼女に「大丈夫だ」と微笑んでみせると、顔を上げ行くべき道を見据えた。
西町はすぐそこまで迫っていた。





西町を通り過ぎ、村はずれの屋敷の前に立った。今のところ護衛の姿は無い。
以前に比べ、西の屋敷は静かだった。だが、同時に張りつめた空気を漂わせている。その雰囲気は正に戦場の其れだ。
初めて足を踏み入れることとなる一条は、一層の緊張の面持ちを浮かべている。

「…………良かった……。
………屋敷にはまだ何人か残っているみたいです」

正宗を通して得た情報を一条が静かに告げた。単騎屋敷の中に潜入しているのだろうか。此方からでは正宗の姿も敵兵と同様に確認できない。
あとは、潜入のタイミングを計るだけだ。
潜入と言っても、敵戦力の分断が目的である以上、『忍び込む』必要はない。可能な限り撹乱。それが出来なくなれば戦闘。この場で装甲し、城壁や屋敷を焼き払えば事足りる。

「…………一条殿、往きますッ! !」

一条が頷く。その隣で同じように陽炎が頷いた。
瞬時に正宗が主の元に姿を現す。一条が何かを祈るように胸の前で両手を結んだ。

「我、鎧なり! ! 我、鋼なり! ! 我、汝を敵より護る者なり! ! !
 其の眼前に屍は無く、其の道に残りしは聖者のみである! ! ! ! !」

「世に鬼あれば鬼を断つ! !
世に悪あれば悪を断つ! !
剱冑の理ここに在りッ! ! !」

藍と金色。二色の剱冑が面を上げる。
二領の剱冑は自らの刃を抜き放ち、合当理に火が灯る。足に僅かの溜めを作り、上空へと飛翔した。



「…………お前、この間のGHQの遣いと一緒にいた奴だな?」

唐突に空に声が響いた。屋敷の屋根の上。其処に立つ一人の大男。腕を組み此方を見下すように立つその男を俺は知っている。

「………西森……ッ! ! !」

「…………随分と嫌われちまったようだが………。
 まあ、了の考える作戦なんてのは御見通しってわけだ。
 お前とは一度やり合いたかったもんでなッ! !」

言うと同時に彼の周りに金属片が浮かび上がる。それが剱冑であることは確認するまでも無い。
その後を追う様に屋敷の奥から次々と武者が飛び出した。其の全てが守道を無視し、一条の元へと集まる。

「この量は……ッ! !」

「そうだ、そっちの武者にはウチの者の相手でもしてもらおうか! ?」

<<敵影………八! !
小癪な真似をしおって………! ! !
全て捻り潰してくれるわ!!!!!!!!!!!!!!>>

取り囲むように一条の元へ集った剱冑に正宗が鋭く吠えた。
拙い。流石の一条殿でも、一度にこれだけの相手をするのは不可能。
しかし――――――

<<どこ行こうとしてんだよ?
お前の相手は………この俺だろうがぁァァ! ! ?>>

装甲を果たした西森がその行く手を遮った。
手には西の象徴たる両刃刀。仕手を現すかのような巨体。やや紫がかった銀の鎧が鈍く光る。単筒の合当理が唸りを上げ、西の町での戦闘の開始を告げた。



[36568] 第参幕 問英雄編 Ⅹ
Name: 空男◆ebc8efbe ID:f0e1f31e
Date: 2014/03/29 19:29
不気味だ。それが、守道の最初の感想だった。
西森の纏う剱冑。其の姿形にあまりにも特徴が無い。オーソッドクスと言うべきか、簡素と言うべきか。数打であるか、真打であるか?其れすらも特定できない。否、真打であることは東野から聞いていた。そう知ってなお、改良(チューンナップ)した数打だと言われれば信じてしまいそうな風貌。しかし、武で名を上げた一族の主。そんな彼の剱冑が鈍(なまくら)であるわけも無し。
そうであるならば、自分に分からぬだけかもしれない。

「陽炎、敵情を! !」

<<それが……他の数打と比べても、特に差異を見受けられません>>

しかし、剱冑の陽炎も同じ感想を漏らす。
大した情報を得ることもできず、大きく旋回。此方が挑んだ双輪懸を、西森も受けたようで、共に一つの軌道に乗る。白沙耶を抜刀。父の愛刀を握りしめる。上方からの切り降ろしを選択した此方に対して、下方へと沈んだのは自信の現われか。とはいえ、情報の無い敵に対して高度有利で最初の立ち合いを挑めるのは好都合。
西森は既に刃を抜いている。とすれば、注意すべきは投擲。
互いの進路が一直線に交わり、西森と目があった。
重い。その姿からひしひしと重圧を感じる。研ぎ澄まされた刃の様に鋭い物ではない。例えるならば津波。全てを飲みこむ巨大な津波が押し寄せるように、西森の姿が近づく。

<<守道様、敵機の刃、一本しかないように見えるのですが?>>

最初にそれに気付いたのは陽炎の方だった。
三本の刃を腰に携えていた西町の武者とは違い、その腰にあるのは一本の鞘だけだ。これでは一度投擲術を用いてしまえば得物を失うことになる。となれば、一旦は投擲の線を捨てて良い。
西森の構えは下段。切り上げと切り降ろし。切り上げを得意とするからこそ分かるその難易度。
本当に、単なる自信の現われか、其れとも………?
高度優位、上段。有利を重ねた故に此方の術は決まったようなものだ。あえて其れを狙ったとしたら。心の内で微かな疑問が生まれるが、ここでこの優位を逃す手は無い。

「まずはこのままぶつかる。様子見な部分が多いだろう。
 焔の鎧は最小限、熱量を温存するぞ」

とはいえ、無論、此方の攻撃を西森がまともに受ければ、間違いなくその瞬間に勝敗は決する。
次第に西森の姿が大きくなり―――――衝突した。

「ウオァァアアアアアアアアアアアア!!!!!!!!!!!」

渾身の切り降ろし。それに対して西森は刃を突き上げる。切り上げと言うよりは薙ぎと言うべき軌道を描いて、両刃刀が白沙耶の行く手を阻んだ。
押し切れるッ! !
瞬時にそう判断し、焔の鎧を展開。刃にかかる腕力と推力を上げる。刃同士が火花を散らし、徐々に西森の刃が押されて往く。しかし、決定打になり得る瞬間を直前にして、衝突の時間切れ。下方から推力を保って上昇してきた西森は、まともにぶつかり合うことをあきらめ、此方の脇へと走った。直線的な推力を得たために、脇へと逸れるその動きに白沙耶は対応できない。半ば受け流されるようにしてすれ違う。
やはり様子見が目的だったのか。
すれ違った瞬間には、衝突と同時に高まった熱が瞬時に冷え、冷静な己が還ってくる。結果的に初撃から此方の手の内を晒すことになったが、同時に確信を得る。
この勝負、勝てるッ! !

次の衝突の策を思案し始めようとしたその刹那。
………………ゾワッ………
瞬間、背筋に汗。背後に殺気。此方に向けられた刃を感じる。

「陽炎、鎧を背後にッ! !
 この場を離脱ッッ!!!!」

経験がさせた反射と言うべきか。一瞬のうちに背中を焔の鎧が覆う。

<<諒解で御座います!!!>>

遅れて陽炎の返答。
しかし、その背後で西森は既に刃を向けていた。
斬り合いを受け流すことで保った推力。其れを利用して衝突の直後に反転。その勢いに任せて手に持つ両刃刀を守道の後ろ姿に向かい投げつけた。
『ゴウッ』と鈍い音をさせて大振りの刃が迫る。次の瞬間には焔の鎧に衝突。が、急に展開したその鎧が西森の一撃を防ぐ筈も無し。少しばかりの衝撃は緩和するも直撃を避けることは叶わず。

ゴゴゴゴゴゴゴッッッッ!!!!!!!

鈍い音を立てて、剱冑に刃が突き刺さる。左わき腹に突き刺さった其れは、そのままわき腹を貫通。血飛沫を纏いながら、この時初めて守道の視界に映る。

「……グッッ…………オオオオオオオ!!!!!!!!!!!」

吐血。内臓をやられたのか、痛みに斬られた部分の感覚が遠のく。ぐらりと音を立てて思考が揺らぐ。何とか上昇姿勢を保とうとするが、身体が言う事を聞かない。水平に飛ぶのがやっと。それどころか、何時墜落してもおかしくは無い。

<<守道様ッ………御身体が!!!!
腹部甲鉄に損傷、大!!!!
辛うじて戦闘継続は可能ですが……、その御身体では!!!!!!!!!!>>

陽炎の悲痛な叫びと機体の損傷報告に、少しの冷静さを取り戻す。成程、敢えて下方からの打ち合いを演じたのは、『衝突後の高度的優位』を欲したため。其の策に見事にはまってしまったという訳だ。

「………大丈夫だ。鎧を推力に回せ。治療と修繕は最小限で良い」

弱々しくもそう言い放つ。確かに損害は大きい。しかし状況は必ずしも不利とは言えない。敵は唯一の得物を放棄したのだ。いくら必殺のタイミングとはいえ、次に続く双輪懸を放棄したのだ。この暴挙による好機を見逃す手は無い。
じりじりと上がってくる痛みとの格闘。遅れてやってきた痛みに視界が歪むが、感覚が無いままにならないということはまだ大丈夫。そう自分に言い聞かせる。
機体を立て直し、上昇軌道に乗る。いつもよりも重く感じる重圧に、身体が悲鳴を上げるが聞く暇もない。最悪はこの場で西森を逃がす事。刃を回収されたとあっては目も向けられない。
機体を反転。再び西森と向き合う。当然、投擲の際に一度は足を止めざるを得なかった西森は推力の面で此方に劣る筈が、此方が意識を朦朧とさせているうちに立て直された。此れも痛手ではある。
…………どういうつもりだ?
背を向けていた西森は、そのまま刃を手にすることなく此方に向かい反転した。まず、第一に得物を手にするため、逃げるだろうと考えていたが………。
此方の損害の大きさを見て、勝負を仕掛けるべきだと考えているのだろうか?
揺れる意識の中で思考を回す。たどり着いた結論は、このまま双輪懸を継続することだった。

「陽炎、済まないが機体制御に自身が無い。鎧でフォローしてくれ」

<<……!!
承知いたしました!!!>>

反転後、高度の有利は、ほぼ無いと考えた方がいい。今選択すべきは切り上げ。『合火神』で決着をつける!!!
折り返しを終え、互いの剱冑が徐々に速度を増してゆく。
その中で、西森は、自らの左腰に手を添えた。

<<……………敵機、左腰に熱量反応!!!!!
此れは………あの鞘ですッ!!!>>

霞む目を凝らすと、確かに。光り輝くのは、その剱冑では無く鞘。次第に光は輪郭を纏う。その姿は……………

「真逆、奴の陰義は………!!!!」

<<そう!!
我が剱冑は刃を鍛造する。先ほどの一撃を耐えたのは見事だったが、此れで仕舞いだッ!!!>>

其の手には間違いなく柄。刃を抜き放たれその役目を終えていた鞘には、紛れもない刃が収納されている。瞬時に白沙耶を握りなおす。これで奴は丸腰の木偶ではない。迎え撃たれるは、紛れもない抜刀術。心して挑まねば、切り捨てられるのは必至。

「ウラァァァァァァァああああ!!!!!」

衝突。再び十字を描いて交わる刃。しかし、抜き放たれた其の刃、先ほどとは形が異なる。刃の中心に窪み。此れは、刃を折る為の……。
今度は此方が受け流すことを選択。このまま此方の刃が奪われたとあっては、最早それまで。其れだけは避けねばならない。

<<逃がすかよッ!!!>>

しかし、西森は巧みに刃を移し、此方の白沙耶を絡め取る。

「………なっ!?」

手首を返し抜け出そうとするが、絡め取られた白沙耶は手をすり抜ける。西森は、そのまま自らの刃ごと二本の刃を投げ捨てた。空中で二つに別れた二本の刃は風切り音を立てながら落下し、村の道に深く突き刺さる。

三度、双輪が描かれる。しかし、此方の手に得物は無し。西森は既にその鞘から新たな刃を抜いている。先ほどとは真逆の状況が展開されている。但し、此方には西森の様に新たな得物を創造する力は無し。
投擲と抜刀。あの剱冑が西森の一族に伝わったものだとすれば、この剣術の出生も明白だ。刃を無限に繰り出せる為に、投擲による得物の損失は無視でき、鞘から刃を鍛造する為に、瞬時に攻撃に移れるように抜刀を極めるは、実に理に適っている。

腰に、鞘に手を当てる。確かにここに二本目の刃が収納されている。
………しかし、この刃は……………。
父の刃を手にしたとき、代わりに一本の刃をその場に捨てた。あの時、捨てる事が出来なかった刃が此方だ。だが、其れは性能的な面が理由ではない。否、寧ろ性能で言えば、此方の方が下。
徐々に近づく西森。
もう迷う暇はないッ!!!!
素早く抜き放ち、再び下段の構えをとる。この刃でできる事と言ったら、精々次の策を練る時間を稼ぐことだけ。焔の鎧が一段と勢いを増し、白沙耶の損失を補う様に燃え上がる。
三度の衝突。敵機は斬り降ろし。しかし、此度は受け流すことに専念する。接触した瞬間、西森が眉をひそめるのが剱冑ごしに手に取るように分かった。
西森はその単調な斬り降ろしを放っただけで、次の双輪へと移行する。

<<てめえ………! !
それは、竹光かッッ!!!!!>>

怒号。其れは侮辱された者が発する怒り。当然だ。この刃、『神無(かんな)』は、彼の言うとおり刃の無い刃。竹光ととられてもおかしくは無い。そんなものを戦場へと持ち出したのだから、驚きと怒りはしかるべきだろう。
この刃の特徴はただ一つ。
抜いた瞬間に燃え上がった鎧が其れだ。熱量消費は変わらないままで、鎧の質と量が上がる。だが、決してそれも大きくない。刃同士の斬り合いが不能である点を考えれば、白沙耶の方が使い勝手がいいのは明白であった。
しかし、文句を言うのも、嘆くのも、今は時間の無駄にしかならない。手の内にある物しか使う事は出来ないのだ。

<<守道様、此処は一度退いた方が宜しいのでは?>>

「駄目だッ! !」

陽炎の声が響く。だが、其れが、一番とってはならない選択。今の傷を負った状態で西森から逃げ切れるとも思えない。第一、背を向けて飛んだ瞬間に、投げつけられる刃が追ってくるのは、火を見るより明らかだ。陽炎の言葉は戦術を提唱したというよりは、俺の身体を気遣ってのことだ。その思いは有り難いが、選択肢に入ることもない。

だからと言って他に良い案があるわけでもない。敵機は反転。此方と目を合わせている。
高度、不利。
刃、不在。
敵損失、皆無。
損失、大。
何一つとして良い報告は無し。このまま戦闘を長引かせるのは、不利を重ねるだけ。次の衝突で決着をつける策を―――――。
脳内を霧島の教本が駆け巡る。状況と術を照らし合わせ、最良を探る。
―――――――――――ある。
限りなく零に近い確率でそれでも一撃で落とすことが叶うかもしれない術が。
だが、これはどちらかと言えば生身で使う物。剱冑の速度で用いたとして、どのような結果になるかは見当もつかない。
だが、それでも。刃を無くした今取れる選択の中では最も現実的。

「陽炎、鎧を“全て”推力に回してくれ。
 防御も修復も――――治療も今は必要ない」

<<しかし、それでは………ッッ! !>>

分かっている。今、こうして戦えているのも、陽炎による治療があるからだ。だが、剱冑の装甲を打ち破ってこの術を為すには、ありったけの推力が必要。少しでも手を抜けばそれは致命的。術理を知られてしまえば、二度目は無い。

「………頼む」

苦々しく告げると、ズシリと体にかかる重力が増すのを感じる。と、同時にわき腹から強烈な痛み。先ほどまでとは異質の痛みが主張を増す。
構えは武者上段。刃の無い神無を高々と構える。

<<この期に及んで武者上段とは………
心意気は認めるが、其れで俺に勝つつもりかッ!!!!!!>>

西森が声を上げ、その構えもまた上段へと移行する。必要なのはタイミング。そして、寸分の狂いない太刀筋。
西森が迫り――――――――――今ッ!!!
刃の無い太刀を上段に構えた焔の化身が、急激に速度を上げる。

「霧島流合戦術“火熔狩(ほとけがり)”が崩し―――――――」

<<真逆、力比べなら勝てるなどと思ってはいまいなあ!!!!!>>

迫った焔の化身。西森は冷静にその太刀筋を見ていた。振り下ろされる。しかしその刃、恐れるに足らず。上段からの切り降ろしでは、致命傷を浴びることは無い。ならば、其の身に向けて刃を下ろす。多少の損壊を恐れることは無い。相手は最早、手足をもがれたに等しい。なによりも、身を守る術を持たぬこの木偶を、この衝突で殺してしまえば構わない。
―――――刹那、急激に速度を上げた。
獲った!!!!
慢心では無く、そう確信する。敵機が何か仕掛けてくるのは間違いない。そして、この加速は全く想定内の事態だった。大振りになりがちな上段を仕掛け、急激な加速による撹乱で崩す。確かに有用な術理かもしれない。
しかし、この西森には通じぬ!!!!
肘を曲げることで、手首だけを胸の前まで降ろす。その勢いをそのまま手首を返すことで前に突き出した。刃の軌道は最短距離を描く。当然、通常の斬り降ろしに比べれば威力は落ちるが、敵機が自ら速度を上げた今、絶命せしめるには十分。

振り下ろした刃。其れは肩口から敵機を切り裂き、腰まで一本の直線を描く。
――――――と、同時に機影が揺らめいた。手ごたえも薄い。

「――――――――――――――『火之珂具土(ひのかぐつち)』………ッッッ!!!!!!!!!!!」

揺らめいた機影の先。焔の化身のその先に、金色の機影が下段の構えをとっていた。

本来、『火熔狩』は下段から敵の喉元を狙う術。胸と顎の間を縫うように切り上げ、喉仏を狙う。剱冑での速度の中で其れを狙うのは至難。加えて顎の鎧の形状によっては、狙う事すら不可能な場合すらある。即ち、合火神のほうが遥かに有用。この術の真の利点は、喉元を潰すことで断末魔を上げることを防ぐところに在る。つまり、暗殺や潜入に特化した術。
喉仏を潰す事が出来れば、切り裂くことが出来無くとも殺害は可能。
加えて、“飛火”同様に距離を偽る。しかし、その術は真逆。鎧全てを前方に打ち出すことで敵機の空振りを誘う。“急激に進む”のではなく“急激に戻る”のだ。これで速度を落とす必要はない。威力は十分。

晴れた視界のその先。驚愕に上がった顎の僅かな隙間に、神無を差し込むようにして突き入れる。ここからが至難。僅かなズレがあれば装甲に阻まれる。正に針の穴に糸を通すが如く。
――――――――――確かな感覚。
切り裂くことは叶わない。だが、喉の骨を砕く手応えを手にその脇をすり抜けた。

ゆらり。西森の巨体が揺れ、勢いそのままに自由落下へと移る。天を仰ぐように反転したその身体は程なくして地面に当たり、大きく跳ねて停止した。







激痛。
わき腹に感じる痛みは、遂に感覚を麻痺させ始めていた。だが、其れに勝る達成感が心の内を満たしていた。敵を斬った。其のことへの後悔も胸の内に陰る。しかし、何よりも東町を、陽炎を守る事が出来たことへの幸福感。思えば、初めての勝利だったのかもしれない。誰かの為になったという事実が胸の内を熱くした。

<<守道様。直ぐにお休みになってください>>

慌てた様な陽炎の言葉を愛おしく聞いていた。治療を始めたわき腹からは、痛みに混じり、確かな温もりを感じる。安堵感から急激な疲れが襲ってくる。
しかし、それも束の間。まだすべきことは残っていた。一条の救援だ。
遥か先に目をやれば、敵機の数こそ減っているが、一条はまだ交戦中のようだ。楽勝と言うわけでは無さそうだが、苦戦しつつも敗北を感じることは無い。一人で任せても大丈夫だろうが、万が一にも彼女を失う訳にはいかない。

機体を急降下。目指す先には純白の刃。白沙耶。
丁度、村の道の中心に刺さった其れを回収するために一度地面に降り立つ。目の先、20メートルほどの処に太陽の輝きを反射しながら、白沙耶は突き刺さっていた。
…………その先。見覚えのある顔があった。
此方の救援に来たのだろう。モノバイクに跨った東野がそこに立っていた。

「……東野殿ッ!!!
 其方の首尾は如何でしたか?
 西森は討ち果たしました!!!!
 一条殿の救援を……………?」

如何したのだろうか?
自分でも分かる程に興奮していた。多少の恥ずかしさはあったが、口を止める事は出来なかった。しかし、早口で戦果を報告するが、東野からの反応が無い。勝利したというのに顔は俯いており、表情は見えぬが喜びの感情は感じられない。だが、この雰囲気。何処かで感じたことのある物だ。
此方に東野が来たという事は、あちらでの戦闘も粗方終わったという事だろうが、真逆…………何かあったというのか?

「なあ、“守道”…………?」

突然、“守道”と呼ばれたことに肩を震わせる。そして思い至る。その雰囲気。そうだ、これは武の亡骸を前にした時の…………。
反射的に身構える。やはり何かあったのだ。自分はどうすれば良い?
心の中に様々な思いが渦巻き、続く言葉を待った。
そして、気づく。彼は傾いているのではなく、白沙耶を見つめているのだと。

「…………お前、その刃をどうして持っている?」

「此れですか?これは死んだ父の使っていた刀で、形見に引き継いだのです」

「…………そうか、そうだったのか………………」

悪寒。興奮から急激に覚める。おかしい。彼の放つこの空気。此れは………此れは敵に向ける物だ。

「俺の父が死んだとき。その首は既に無かった。だが、無くなっていたのは首だけじゃない。剱冑も、“千鳥”も、その男は、父を殺したその男は奪った………!!」

………千鳥……………。父上?
瞬時に脳内が凍りつく。父上はどうして焔を繰るのを止めた?
新しい剱冑を手に入れたから。そして、その前の持ち主は…………。

「ひれ伏せ、傅け、跪けッ! !
 我が往く道は破邪の道!!!!
 天下を統べる破邪の道ッ! !」

森を越えて現れた闇烏。
東野は装甲の構えをとる。最早、語ることは無いとでも言うかのように。
目の前の武者。漆黒に映る戦鳥。その姿――――――――――――父上と同じ。

「よくも……よくも、父上をおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!!!!!」

東野の雄叫び。其の手には名刀。美しき黒。深く深く沈み込むような黒刀。
銘を―――――――“黒沙耶(くろざや)”

「殺す、貴様は殺すッ! !
 父上の敵いいいいいいいいいいい!!!!!!!!!!!!!」

反射的に白沙耶を拾い上げ応戦する。西に現れた黒き戦鳥は舞う様にして上空へと飛び出した。
東野 了の第二の復讐劇がここに幕を開けた。



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