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[3654] 中世な日々
Name: あべゆき◆43aa77d9 ID:b76e6f71
Date: 2008/07/30 02:20
王国暦 227年

 暗く、熱い感覚にドクンドクンと響く鼓動、そして雑音。
 何かに耐えるようにうずくまりながら、時を待つ。
 じわりじわりと、俺は何処かへ向かい、鼓動の音に混じって聞こえた雑音が段々濾されてクリアになる。
 俺はその雑音を聞き取ろうとするが、そのたびに押し潰されそうな圧力によって意識は霧散してしまう。
 不意に、一際強い圧力を感じると希望が満ち溢れるような冷たくも優しい空気、そして少しの虚脱感が俺を包み、紐を切るような音と同時に俺は、その希望を自分に取り込むかのように呼吸を行う。
――たったそれだけなのに何故か嬉しくて、俺は泣いた。

 柔らかい布にくるまれた俺は長く赤い髪の若い女性に抱かれ、俺に優しく喋りかけ、そのままのんびりと、理解のできない言語を子守唄のように思っていると、激しい足音と共に大柄な体躯に彫りの深い男が一人、息を切らせて向かってきた。
 しかし、あまりにも慌てていたせいか、側にいた、白衣のおっちゃんと優しそうなおばちゃんに注意され、男は女性に対して申し訳なさそうに視線を送り、それを見た女性がクスクスと笑う。そして宝物でも扱うような丁寧さで俺の体を男の手に抱かせて、ただ微笑んでいる。
 その男は嬉しそうに女性と会話をしていると、俺の体を宣言でもするかのように天高く持ち上げ、まるで英雄の一枚絵でもあるかのような状況でその男は言葉を発する。
 聞き流している頭とは違い、それは心に染み渡り――俺の、二度目の人生が始まった。


中世な日々~内政好きな現代人が異世界で中世な武門の名家に生まれたようです~


 赤さんとは、不自由なものだ・・・。そもそもとして親の庇護無しでは生きられない脆弱な生き物なのだ。後の英雄であろうが、志半ばで散る若者や王様であろうが、全てにおいて等しい。
 故に、中身が大人でも体が乳児ならば大人に頼って生きていくしかない。食事も安全も。言い訳なのはわかっている、しかし仕方なかった。どうしようもないのだ、たとえ、それが…っ!どのようなものであろうとも…っ!! 頼るしか…っ! 畜生…っ! 畜生…っ!! うわぁぁぁぁぁぁっ!!!1!1


『泣く・飲む・寝る・出す』
            ↑イマココ

やあ(´・ω・`)
ようこそ育児ハウスへ。
この泣き声はオムツだから、まず聞いて落ちついて欲しい。

うん、「また」なんだ。済まない。仏の顔もって言うしね、泣き止むつもりもない。

でも、このオムツを見たとき、君は、きっと言葉では言い表せない
「驚愕」みたいなものを感じてくれたと思う。
殺伐とした異世界の中で、そういう気持ちを忘れないで欲しい、そう思って
この泣き声を発動したんだ。

じゃあ、オムツ取替えの注文を頼もうか。





[3654] 王国暦229年~234年
Name: あべゆき◆43aa77d9 ID:b76e6f71
Date: 2008/11/19 02:59
王国暦229年
 俺、大体2歳と半分。する事が無い、嘘、できないです。
 最近、段々と覚え始めた言葉を音楽再生中にフリーズしたかの如く繰り返す俺を見た両親は、木でできた玩具や穏やかなメロディの子守唄を唄って俺を可愛がり幼児生活を満喫しているが、暇である。
 ただし、部屋の中で排便しちゃうしかない生活にはストレスが溜まるばかりでいつ禿てもおかしくない状況だ。下痢の時はもうね、ははは…笑うしかない。僕、跡取り、健康に人一倍ビクンビクンッな環境を提供されているので、後はお察しくださいって感じですよ。
 少し前から母は身重だったが遂に生まれたらしい。母譲りの真紅の髪がちょろっと生えているのを確認。名前はモニカと名づけられた。
 親父殿と母の夜の生活は大体週5~6だった。親父殿20歳、母19歳。若いね!
…あ、最後に一つだけ、メイドさん等、女性陣はパンツ 履 い て な い
 まあ、そんな日々過ごしてます。

王国暦230年
 俺、大体3歳とちょっと。
 乳母が煩い、何とかしてくれ。一人で歩き回ると叱られ、乳母と一緒に歩くと行儀が悪いと叱られ、落ち着いて排泄すらできないこの環境。勿論ストレスでお腹の調子は不調、いつ胃に穴が開いてもおかしくない。で、敏感環境のお陰で更に右肩下がりの悪循環。
 モニカの夜泣きが最近酷いが、元気な証拠ですよね。俺の夜泣きは色々な意味で緊急時のみなので、基本的に平和だったのだ。頑張れ。
 娯楽が無い、唯一の楽しみはメイドさんの長いスカートが風で捲れるのを待つぐらいだろうか、ブワっといくのは滅多に無い。だが、それがいい。いい年した乳母のなんか見た日にゃ…。
 夜の生活は週3~4。第三子も遠くない。
 まあ、そんな日々過ごしてます。

王国暦231年
 俺、大体4歳と少し。
 飯の味が単調・風呂入りたい・暇を持て余す。もう飽きた、元の世界に帰りたい。
 乳母の教育の成果が出てきた感じがする。最近叱られないので好きに出歩けるので気が楽だし、時々親父殿がチャンバラごっこをしてくれる。意外と楽しい。
 排便慣れた。いつでもバッチ来い、だ。最近この調子でいくと何時の日かスktrに目覚めそうで怖い。
 モニカが最近元気に走り回っている。そして乳母に叱られては泣く。その後俺が何とかするのが日課。
 夜の生活は週に0の時が多々ある。母の機嫌悪し。倦怠期?
 まあ、そんな日々過ごしてます。

王国暦232年
 俺、大体5歳を過ぎてますぐらい?
 大スクープ! クラウディア君は苦節5年目にして、ねんがんの こしつ をてにいれたぞ。
 今まで、乳母とか両親とかが常に部屋に居たからな…いや、まあ、それは良いのだが子供とは思えない言動がつい出ちゃうせいで、比較的怪しまれています(゚∀゚)
 最近、使用人の食事とか生活とかやっと知ったのだが、家令とか乳母等を除き、総じて酷かった。何とかしてあげたい。
 後、初めて屋敷外に出かけた。奴隷と見間違うばかりの賦役を課せられている領民を何とかしてやりたい。更に糞尿に満ちていた、思い出したくない。
 貴族様が偉いって事と隣に公爵様の領地が隣接していて、その反対側は敵がいる事がわかりました。
 排便はもう個室をゲットした俺に語ることは無い。強いて言うなら、おまるじゃなくて個室の水洗トイレ欲しいです。
 モニカ嬢、三歳。お転婆である、綺麗な真紅の髪がボサボサになっちゃうぐらい。そして乳母に叱られる→泣く→俺何とかする→甘やかしすぎと俺叱られる→その隙にモニカ逃げる→以下ループ。
 夜の生活、週4に増えた。昨夜はお楽しみでしたね。
 まあ、そんな日々過ごしてます。

王国暦233年
 俺、多分6歳。文武共に家庭教師ができた!
 学問を担当するのは、親父殿も世話になったという人、見た目が既に厳しそうなおばちゃんで雰囲気も厳しい。そして実際の勉強も厳しい。頑張ってます。
 武門は親父殿直々に。時々、家にくる変なオッサンに相手して貰っている。鍛錬とは言え、かなりの実践派で親父殿曰く「習うより慣れろ」だそうだ。木剣を使った素振りや型を一通り習うと即、模擬戦。頑張ってます…ッ!
 メイドさんや馬の世話役に代表される、所謂、下級使用人が諸々の事情で辞めたり、入ったり。正に、雀の涙と言わざるを得ない程のお給金のせいだと思う、うん。中にはずっと忠勤を尽くしてくれている人もいるけどね。
 所で下級使用人には退職金すら出ないってのは、どうかと思うね。他所よりは断然マシらしいが…、十分酷いだろ…jk。
 そして俺の評価が止まらないっ。本格的に怪しまれています(゚∀゚)
 モニカ4歳、語るまでも無く元気です。どうやら、体を動かすのが好きらしく、一度、勉強をさせてみたのだが直に出て行ってしまった。変わりに俺が稽古の時間には必ずと言ってよい程、俺の後をついてくる。で、俺が素振りや型を復習している間、モニカは親父殿を一方的に攻めている。…家族サービス、ご苦労様です。
 流石にもうどうでも良い。とりあえず母はご機嫌だ。…後はわかるな?
 まあ、そんな日々過ごしてます。

王国暦234年
 俺、七五三が糸冬了
 遂に 外 出 許 可 が出つぁdrftgyふじこlp!!!1! 条件は護衛を付ける事、城壁より外に行かない事と帰ってきたら泥とか埃とか汚れを落す事の三つ。許せモニカ、兄ちゃんもうお前に構えないかも。
 勉強は順調。文字関係は覚えました。でも、今は事情により先生が一時帰郷してるので止まっています。
 俺凄い、と胸を張って言いたい。最近まともに親父殿が振る剣筋がわずかに見えるようになってきた!
 親からは複雑な視線、賢いのか賢くないのかみたいな。決めかねている感じ。
 ついでに使用人からの評価は既に手遅れ、変人扱い。で、落ちるとこまで落ちたから遠慮なく開き直っています(゚∀゚) 
 モニカちゃん5歳。今日も親父殿を攻撃して、上機嫌のまま俺にまとわり付いてくる日々。こら、女の子が人の部屋で用を足すな、はしたないよ!
 両親? 何も言うまい。
 まあ、そんな日々を過ごしてます。
 

「ぼっちゃま、日が沈みました。そろそろお休みなされては?」
 時間は既に18時を回っているぐらいだろうか、優雅に水で希釈したワインが入っているグラスを傾けていた俺に乳母が告げてくる。
 つい先程までは夕暮れの街並みを眺めていたが、冬が近づいてきた為か日没が早いようだ。
 たとえ日が沈もうとも、部屋にある燭台には今も轟々と燃えている薪が部屋を照らしてくれているが、薪とてタダではなく結構な出費なので、無駄遣いをすると母が注意してくるのだ。
 故に日出と共に起きて、日没と共に寝る。それがこの世界での基本的な生活であり、夜型の生活をする人間は余程の金持ちか馬鹿。というのが相場である。
「これが飲み終わったら休ませて貰うよ」
 残りは少ないが、一気に飲んでも勿体無く、行儀もなっていないと叱られるだろう。
「そうなされた方が宜しいかと。それでは、お休みなさいませ」
 静かに退室した乳母を横目に、パチパチと音を立てる薪だけが部屋に残る。
 やれやれ…乳母の目が最近、騒がしいモニカに移ってから、楽になったもんだ。モニカは嫌がっていたけどね。
 明日は特にする事も無く、天気が良ければ出かけるか、そう考えながら空になったグラスを片付けてもらおうと部屋に備え付けられている紐を軽く引っ張る。
 この紐は、下の階にある召使の待機室に繋がっており、そのまま用事があるという信号を伝えてくれるのだ。今までは部屋に必ず一人は召使が控えていたが、俺のご要望によりこういう仕組みにしてもらったのだ。
 ちなみに、軽く引っ張るとどうでもいい用事だからゆっくりで良いと言いつけている。思い切り引っ張ったり何度も急かすようにする等、色々バリエーションもある。また、自分から呼んだ時はノックも必要無しとか…etc。
「お待たせ致しました、如何なさいましたか?」
「このグラスを片付けといてくれ」
 たった、それだけの為に人を呼ぶのは馬鹿らしいが、自分で片すと召使達が涙目で何が悪かったのですか、や、解雇しないでください…私の家は(以下略)と大問題になってしまった。
 で、それに懲りて今度は退室する乳母に、ついでに頼んだよろしく。と言うと召使の仕事を奪う気かとこれまた酷く叱られたのである。
「かしこまりました」
 恭しく頭を下げ、指示に従うメイドさんに俺は労いの言葉は言わない。
 親父殿と乳母による貴族的教育のせいではなく、一々言っても相手が恐縮するだけで迷惑だと気づいたからだ。
 だから俺は行動で示すのだ、こうやって――
「――俺を可愛がる権利を貴様にやる。存分に愛でるがいい」
 ビシっと決めたつもりだったのだが、返事が無い。
 既にメイドさんはさっさと退室していたのである。変人扱いは伊達じゃない。
 いや、寂しいとか悲しいとか無いから、ね、本当に、ね?
 な、泣いてないんだからっ! もういいよ、寝る!

――色々あるけど、それなりな生活。まあ、そんな日。




[3654] 王国暦234年~豊穣の季節①~
Name: あべゆき◆43aa77d9 ID:b76e6f71
Date: 2008/11/19 03:21
 太陽がゆっくりと山の方へとその身を落とし、赤い月と青い月がそれを追いかける様に徐々に美しい姿を見せ始める。空は蒼から茜へとその色を移し変え、つられて重く穂先を垂らした麦や、汗にまみれた農夫達の顔も染まってゆく。
 どこか幻想的なものを感じるこの情景も、ここに住んでいる者達からすればありふれた一日の仕事終わりの合図程度にしかならないらしい。先程までせっせと畑仕事に精を出していた者たちは、今日の愚痴と、刈り入れの段取りなどを話しながらゆっくりと帰路につく。人々の顔は明るく、段取りをつけている最中でも彼らの声はどこか弾んでいる。勿論、酒なぞ飲んでもいないし、依存症のあるお薬を皆で服用する決まりがある訳でもない。気を引き締めていなければ、つい今年の麦の出来のよさに頬が緩み、声が弾んでしまうのだ。
 地理だろうか気候だろうか、今までは領主に麦を収めればその年一杯生活できるかどうかの少量の麦しかとれなかったのだ。それがどうだろう、今年の麦は実がつきすぎて穂先が地面に着くのではないか、と言うほど垂れている。
 これだけ出来が良ければ、多少領主が多めに麦を持って行くだろうが、それでも例年と比べれば格段に楽な生活が望める。彼らの声が弾んでしまうのも無理のない話なのだ。
 そんな農夫達とすれ違うたびに魚を交易品に訪れた旅商人はあまりの豊作振りに今年のエールはきっと美味くなるだろうと、そしてそれを売れば幾ら儲かるだろうと眼をぎらつかせる。町商人との争奪戦は例年以上に盛り上がるだろう。
 そうした争奪戦を今年はどうなるのかと面白可笑しく喋りながら、獣肉の干し肉を肴に美味しいエールを飲ませてくれる酒場は騎士や傭兵がごった返し、喧騒は深夜になっても終わる気配が無い。
 そんな中、一人の騎士がこれからの幸運を得る為には女神を抱擁すれば良い、という傭兵の与太話を信じて女神に見立てた娼婦を酒場の2階にある部屋に引っ張り込み、周りの者も我も我もと騒いでいる
 嬉しい状況に店主は、笑顔を振る舞い過ぎて頬の筋肉の痙攣が治まらない。なんて下らない冗句を飛ばしては、皆から失笑を買っていた。
 農作物だけでなく、街中にも訪れる豊穣の季節。
 だが、光有る所に影あり。
 誰も彼もが恩恵に預かる訳がないのが罪深き人間社会。
 誰かが笑うと言う事は誰かが泣き、その逆もまた然り。
――ままならないものです。


中世な日々 王国暦234年~豊穣の季節~


「では、伯爵様…是非とも私共にお願い申し上げます」
 我が家に身なりの良い丹精な顔をした商人が来たのが半刻程前。
 家令が案内し、親父殿が張り切って客間の扉を開け、暫くするとその商人が立ち去っていく。
 既に2人目である。昨日が3人、まだ昼にもなっていないのでまだまだ来客が来るだろうと予測できる。
「ふむ、先程の奴がダカート1枚とドニエー13枚…か、最高額か? しかし、他の馴染みの…むう…」
 ぶつぶつと呟きながら、何やら真剣に弄くっている親父殿の手には、小さいコインが一枚チラチラと見えている。
 気になった俺は親父殿の手元、何枚かのコインの内、手垢で濁ったのであろう一枚に手を伸ばし、親父殿と同じように弄くろうとしたのだがどうにも、おかしい。コインにしては装飾が豪華のような…。
「駄目よ。それは玩具ではなくお金だからね、返しなさい」
 ピシャリと母に叱られた為、手渡そうとするが、其れを母の膝の上にいたモニカに取られてしまった。
 しかし、これがお金か、紙幣に慣れた身としては中世真っ只中のような貨幣を現物で見るのは初めてである。
「アレも、お金?」
 指差す先には先程の幾枚かのコイン。
 どれもこれも、汚れて元の輝きは見れそうにも無い。
「そうよ、例えばこれはドニエーという銀貨」
 先程、俺が持っていた貨幣、モニカは返して返してと手を伸ばしている。
「そして、これがペニー銀貨、こっちがエインハル聖堂銀貨…この一番小さいのがアス銅貨よ」
 指先をあっちこっちに指してくれる母に悪いが、そもそも、指先が既にどれを指してるのかがわからない。
 そして、モニカは貨幣を返してくれないので泣きそうだ。
「…47ドニエーと36ペニー…しかし、今後の価値が…おい、ローレンツ。書具モッテコイ(‘A`)」
 唸っていた親父殿が薄い石版と黒炭を持ち、サラサラと手を落ち着けなく動かしているのだが、どうにも顔色が優れない。
 そこで、母が手助けして同じように手を動かすが、段々と手の動きが遅くなり、最終的に親父殿に石版を押し付けると、モニカに構い始めた。
「…おい。ペニー銀貨230枚を、アス銅貨500枚以上確保して、残りをドニエー銀貨7割とエインハル聖堂銀貨残り全部に振り分け、来秋の収穫まで一月に使用できる金額を言え」
 そう、顔を伏せたまま呟くと、母は顔を窓に向け、家令は表情が硬くなった。
 誰も答えない、沈黙の部屋。どこか懐かしい、にほひですね。
 ああ…これはあれだ、学級委員決めに似ている。面倒なので誰もやりたくない委員会の仕事、先生が希望者を募っても誰も名乗り出ず、結局、強制的に決めるまで帰れない、終わりの会。
 そして、こういう場での発言や挙動は即ち、委員に任命されるという…!
 だが、早く帰りたい生徒諸君は誰でもいいから押し付けて帰るのだ…。そして押し付けるのは発言者自身よりヒエラルキーが低い、もしくは、頼りになる人物というのが相場であり、即ち――
「…ローレンツ、頼めるかしら?」
「……ッ!」
――憐れ、両方を兼ね備えた人になるわけなのです。
 現代も中世も、地球も異世界も変わらないですね。ある意味落胆、ある意味安心です。
 家令は苦い顔をわずかに出しながら、失礼します。と計算の為に石版を借りるのだが、遅々として答えがでず、親父殿は少々ご立腹の様子である。
 しかし、遅い。何故こんなにも時間が掛かるのか…親父殿もそうだが家令とて出来る筈なのだが…。
「無理なら、俺がやるよ?」
 その一言が部屋の空気を変えた。即ち、コレ無理…から、無茶しやがって…である。
「お前には出来ない。ローレンツ、続けろ」
「はいかしこました、しばらくおまちくだしあ(棒」
 俺を軽くあしらい、再び矛先はローレンツへ。
 親父殿は無能な上司の如く結果だけを求め、母はモニカに必要以上に構っている。モニカが泣きそうだ。
 面倒な事は誰もしたくない、多少の無礼も黙認だ。
「だから、俺がやるよ。まあ、任せといて」
 家令からひったくるように石版を取ると、そこに書かれていたのは三つの計算式。
・一番上の空白には母の綺麗な筆跡で500÷165=3~4 小数点ぐらいなんとかして欲しい。
・ど真ん中には親父殿の汚い筆跡で165+165+165+165=630 既に論外
・一番下には家令の細長い筆跡で165×4=  計算中ですね、お疲れ様でした。
「………俺、もう習ったけど。父さん達は?」
 なんでこの計算間違ってるの? 馬鹿なの? 脳筋なの?
「………父さんは少しだけ、苦手でな。た、戦いじゃ強いから問題無い」
 少しばかり居心地が悪そうな親父殿。
「………母さんも少しだけ、苦手なの。お、お母さんも、ね、実は王都の騎士団に所属していたのよ?」
 目線を逸らす母。
「………私はその…少々、年が年でして。こういう計算はその…じ、時間をかければ…」
 しどろもどろに答える家令。
「………(゚ω゚)」
 そりゃね、普段から親父殿の武勇伝とか家の歴史とか聞いてるよ。武門の名家だって、建国時の将軍だったって。
 凄かったんだろうね、うん、我が家の基本は大ふへん者ですね。わかります。
 さて、230ペニーをなんだっけ?
「父さん、230ペニーをドエニーとエインハルとアスだっけ? 後、両替した時が 1ペニーに対して教えて」
「あ、ああ…そうだ。1ペニーがドエニー銀貨で大体2枚だ、エインハル聖堂銀貨が大体3枚。アス銅貨が…」
 大体って何よ、これどうみても領地の租税だろ…。適当はいけないね。
「できるだけ正確な相場を言って欲しい、これ、家の予算だろ。しっかりしてくれ、父さん」
「面倒だぞ…? 1ペニーがドエニー銀貨で1.36、エインハル聖堂銀貨が2.12。アス銅貨で165枚だ」
 できるもんか、と高をくくっている親父殿にムカつきつつ、忘れないように端っこにメモをしておく。
「えっと、230ペニーの内、アス銅貨500枚以上だから…3枚じゃ足りない、4枚分いるね。…660と。残り226ペニー銀貨か。
それを7割だから226*0.7でペニー158.2枚、四捨五入で158*1.36と…。はい、ドエニー214.88枚、と。
で、残りをエインハル、ペニー68枚…68*2.12=と、エインハル144.16枚か。
とりあえず、これで計算をして、1年が10ヶ月、一月につきドエニー銀貨21.488枚・エインハル銀貨14.416枚にアス銅貨が66枚だね。
――ほい、できたよ。ついでに日単位で計算しようか? それともキリがいいように計算し直す?」
 こんなもん、すぐにできちゃうお。ゆとり世代なめるなだおwww⊂(^ω^)⊃
 僅か5分にも満たない時間を計算に費やした俺は、結果を書いた石盤を親父にどんなもんだ、と誇らしげに見せ付ける。
「…なんだ、これは」
 鳩が豆鉄砲を食らう顔を期待していたのだが、その顔はそれには程遠い、能面。
 親父だけでなく母も家令も皆一様に表情を無くしているが、そんなにも信用できないのだろうか?
「先に言っておくけど、正確だよ。試してみる?」
「どうやったら、このような、計算式になるのだ」
 そこかい。呆れた俺は四則演算の簡単な筆算を教えてやった。
 どうやら、筆算のような計算方法は無かったらしく親父殿や母は凄く驚いていたが、原理を理解すれば、簡単なので真綿に水を染み込むような感じに理解し、母は楽しそうに先程の計算をしている。基本的には頭の回転が速いのだ。
 親父殿? ははは、敢えて言うまい。
「他に有ったら計算するよ。あ、その前に果実水が欲しいな」
「ローレンツ! すぐに果実水を持って来い! 無ければ買ってこい!」
くらう が 賢い子供 に なった!

……
………
 母が自室に戻り、モニカも昼寝を堪能している最中であろう、部屋には親父以外には側仕えの女中が控えているだけ。
 鼻歌交じりにワインを口に含んでいる親父殿は俺に予想収入だけでなく、予想支出すらも任されていた。
 燃料代・食費代・交際費・人件費に不測の事態に備えた貯蓄等、領地経営と家政に必要な必要最低限の予算を抜き出し、残りの収入を必要に応じて振り分ける作業を終わらす。それを親父殿に解り易く工夫を施した所で提出する、先程から繰り返された作業である。
「素晴らしい。所でクラウ、この人件費だがこれだけ必要か…?」
 どうやら、人件費に多少の色をつけたのが気になるらしいが、親父殿が強く出ないのは偏に俺を怒らすと、仕事が相対的に増えるからだろう。
「人件費を下げるぐらいなら、このペニー銀貨で15枚分の謎の支出をなんとかしたほうがいいんじゃない?」
 我が家の総収入は聞く限りでペニー銀貨230枚程。
 一割にも満たない支出だが、銀貨一枚で大人が一年過ごせる事を考えると無視できない支出であり、用途を聞こうとも答えようとしない。
「これは必要な支出だと言っておるだろう? 冬も近い、体を壊すといけないから、この人件費を減らして燃料費に当てようではないか」
 まだ言うか、今でも十分以上に使っているじゃないか。それに子供は風の子、俺にはそこまで寒く感じないので問題無い。気候の関係上、寒いではなく冷たい感じなので楽である。
「自分達だけ使うの? 何に使うの?」
「それは、あれだ、暖房とか照明とか」
 しどろもどろに答える親父殿だが、異議ありと声を大にして言いたい。
 暖房に必要な設備は暖炉である。照明は薪を使っているため風通しの良い部屋。
 必然、女中さん達が使っている屋根裏部屋にはどちらも無い。
「屋根裏部屋で、暖かくて明るくなるんだねー凄いねー何処で燃やすのー?」
 動揺が顔に出ているが、父としての威厳だろうか低い声で、しかし、はっきりとした声で、
「む、決めるのは、父さんだ」
 と、暗にお前に決定権は無い、と。
 そっちがそうなら、こちらもカードを切らねばあるまい?
「じゃあ仕方ないね。そろそろ、母さんの所に行こうかな…」
 同じく、もう計算してやらねー、と意思表示。
「まあ、まてまて。お前も、美味しいもの食べたいだろ? 毎日一杯ご飯、食べたいだろう? な?」 
 これが効いたのか、譲歩案を出してきたがそれは受け入れられない。
 家令や乳母。更には家庭教師…これらを上級召使。馬係・庭師・女中さんは下級召使に分類され、待遇や地位が全然違うのだ。
 違いを簡単に纏めると上級召使は『給料凄い・主人が食った後の残った料理食える・個室有り・辞めた後退職金や土地を貰える』等。
 反面、下級召使は『給料酷い・食事酷い・重労働・屋根裏や地下室等、劣悪な環境の部屋に雑魚寝・退職金や特典無し』等。更に我が家ではありえないが、他の所ではここに伽も入るらしい。尚、女中長は中の下程度、普通より少し悪いぐらいです。閑話休題。話を戻そう。
「そうだねー、黒パン、萎びた野菜と腐りかけた乾し肉、捨てるのは勿体無いから仕方ないよね」
 自分達だけ良いの食べるんだろ? 女中さん達の食事は変わらないんだろ? ん、いうてみ?
 まあ、親父殿の沽券に関わるし、あえて言わないけどね。
 俺はあまり食べれないし、現代の料理と比べると全てにおいて悲しくなるので多少、質や量が落ちてもどうでもいいが…これが、和食なら俺は屈していた。

父「………」  俺「………」  メイド「……(; ・`д・´)」

――静寂。女中さんは自らに関わることなので既にガン見だ。
 そして、声を、発したのは…
「クラウは何時からこんな事をする子供になったのか…。10アス銅貨」
 嘆いた顔の割に続投。つまり、今のお給金に+10アスという事なのだろう。
 俺の目的は、女中さん達の待遇アップによる変人の汚名返上と、愛。
 親父殿の目的は、日常生活の向上。
――戦闘開始と、いきますか。
「…完全な余りが10ドエニー。下級使用人だけに対し、100アス。残りの三割を貯蓄、後は御自由に」
 戦争に完全勝利というのは無きに等しい。最も近いであろう、日本海会戦では、様々な要因が複合された結果に幸運がたまたま付いたにすぎず、常にそれを期待するのは馬鹿だけである。
 故に、妥協点を模索する。お互いが得するために。
「飲めないな、20アスだ。」
 それは当然だ。我が家にいる下級使用人は14人。合計でペニー銀貨約6枚分も増加するのだから。
以前まではペニー銀貨2枚程度、とてもではないが承諾できないだろう。
 そして、恐らく親父殿の妥協すべき金額はその程度。
「…40アスと貯蓄一割」
 一気に譲歩をするが、これは、交渉終結の合図。恐らく親父殿はまだまだ引き出せると思っている事だろう。
「駄目だ、20アスだ」
 そらきた、さて、次が妥協点かな。たった一つだけ持つ俺のカードをもう一度使おうか。
「下級召使に対し来年の今日まで、合計40アスと俺の手伝い。そして、緊急時の貯蓄一割。それ以降は、また別で交渉って事で」
 この辺で妥協するだろうよ、親父殿は、つまり来年まで俺を文句無く使えるのだから。
 そして、骨子が決まれば後は微調整のみ。
「もう一声」
「30アス、これ以上は無理だね」
 ここまで来れば最早、茶番である。
「乗った。さて、クラウ? 早速頼もうか」
「うい。で、次は何をすればいいの? あ、何か飲み物持ってきて」
 女中さんは嬉しそうな足取りで飲料を取りにいき、これを出会う他の使用人に伝えるだろう。
 親父殿も面倒な仕事から解放された為か嬉しそうだ。
 まあ、唯一の問題は、この溜まっていそうな仕事は何時ごろ終わるのだろうかって事。

 日が既に地平線の果てに沈み、夜空を照らす大小の二つの月が昇りきった時間帯、ようやく俺は親父殿の要望を終わらせた所であった。
 外にある水瓶に入った水を少しばかり拝借し、黒炭で黒くなった手をヒヤリと冷たい水が汚れと熱を落していく。
 まだ秋だというのに、この冷たさ…麦の収穫を終えれば、直に冬になるだろう。寒さに震えながら水仕事をする召使に比べれば、何と自分の恵まれたことか。
…以前は一人になると現代の事ばかり考えてしまったが、最近はめっきり少なくなっている。ここの生活に慣れたのか、それとも、諦めたのか…。
「若様? こんな所で座り込んでいたら、お体が冷えてしまいますよ?」
「え? あ…そうだな」
 どうやら結構な時間、一人で考え込んでいたらしく、手の汚れは完全に落ちていた。
「御手を洗われていたのですね。どうぞ、お拭きください。お召し物の方は、明日にでも洗濯しておきますので…」
 そういって、綺麗な布を差し出してくれるので有難く使わせてもらう。
 手だけと思ったが、服まで意外と汚れていたとは。暗いからわからん。
 しかし…最近本当に慣れたな。以前は遠慮しっぱなしだったのだが。
「あの…話は伺いました、その、ありがとうございます」
 急に礼を言われても、困るのだが心当たりが一つ。賃金の事であろう。
「その、一つだけ宜しいでしょうか?」
「ん?」
「何故、でしょうか…」
 自分はこんな子供に何を言っているのだと、言うように小さい声で俺に問う女中さん。
 わからないでもない。今の俺は7歳、小学生なのだ。
 しかし、子供でも貴族である。平民が貴族に問いかける等もってのほかだ、とも思っているのだろう。
 ここは、そんな世界。身分が全てなのである。
「んー…例えばさ、ちょっと手を見せてくれる?」
「…? どうぞ」
 そうして差し出された手は驚くほど冷たく、カサカサで、ヒビ割れた所もある。
「この手荒れは洗濯とかしているからだよな?」
 冷たい手を包み込むように温めてやる。小さい手だけどね。
「え、ええ、そうですが…」
「例えば俺達が着ている服が汚れたらどうだ? 洗ってくれているだろう。
どれだけ寒くても、どれだけ手が荒れようとも毎日丁寧に洗ってくれている。これだけ荒れていたら相当痛いだろうに、我慢して働いてくれている。
なのに、君達の服は毎日同じ服を着ている。洗えるときなんて休みの日だけだ。一部の使用人は、代わりの服すら持っていないというのに。
料理だってそうだ、俺達は毎日、新鮮な食材を使っている。その新鮮な食材を毎日、料理人達が頑張って作ってくれているからこそ、俺達は『おいしい』と言えるんだ。
だが君達はどうだ、萎れた野菜や腐りかけの肉、不味い黒パンばかり、ワインなんてもっての他、薪は高いからと白湯すら飲ませてくれないだろう?
俺達貴族は寒いからと薪をすぐ使うくせにな。
そんな状況でも頑張っている人に対して俺達は貴族だからと何もしない。
…俺達が悪くても『貴族だから』で済ませてしまう…馬鹿らしいと思わんか?
俺は、朝から晩まで休み無しで働けない。
俺は、手が荒れてまで綺麗に洗濯はできない。
俺は、ワインを造ることはできない。
俺には、美味しい料理は作れない。
『貴族』なのに、出来ないことだらけだろう?
だから、せめて――」
「………」
「――せめて、これぐらいはさせてくれよ、な?」
「…はい。若様…ありがとうございます…ありがとう…ございます…」
 そう言って、俺は部屋に戻ろうと屋敷に入ると、後にはすすり泣くメイドさんの声が聞こえてきた。

やれやれ…こうして変人の地位を固めていくんですね、わかります。




[3654] 王国暦234年~豊穣の季節②~
Name: あべゆき◆43aa77d9 ID:b76e6f71
Date: 2008/12/04 01:38
 森林が街周辺を生い茂りそこを切り開いたのであろう、道と呼ぶにはあまりにも粗末で踏みしめられただけの獣道が遥か遠い地平線まで届き、近辺には区分けされた田畑が都市を中心にグルリと広がっている。
 だが、簡素ながらもしっかりとした城壁内の家屋に比べ、外にある家々は酷く質素で老朽が激しい。そんな、家に寄り添うように大して広くもない畑が2~3、時には1つしか無い家もある。その中で一際目を引く、柵で囲まれた巨大な畑が我が家所有の、荘園である。
 荘園の収穫の為に集められた人手は70人程、それでも一日仕事になるそうだ。
 親父殿は嬉々として人々に指示を出しているが、親父殿の表情とは対照的に集められた、頬がこけ疲れた様子の男達の表情はどうにも晴れない。
 当然であろう、耕す所から始め、種蒔きから雑草取り、果ては収穫まで。一から十全て自分達がしたのに、全て荘園の持ち主が麦を持っていく。
 そんな重労働を無償で一年中しなくてはならないのだ、更には家の分の畑も同じことをしなければならないのだ。やる気が無くて当然だろう。
 だが、断ることは出来ない、断ると待っているのは良くて鞭打ちの上、強制労働…悪ければ見せしめの為にも命が無くなるかもしれない。
 親父殿も悪い人ではないのだ、生まれてこの方、ずっと背中を見ているのだから断言できる。
 しかし、誰かがやらなくてはならない、やらなければ治世上必要な事が出来ない。
 そして俺が、俺達がこの生活を維持できているのは彼らのお陰なのだ。
 助けてやりたくても、できない。
 俺には、そんな力も才能も無い…自分の器は自分が一番知っている。
 だからせめて、感謝だけは…彼らのお陰だというのは忘れない。

 それでも、何時の日か、必ず…――


中世な日々 王国暦234年~豊穣の季節②~


「どうだクラウ! この実りに実ったこの小麦を、これほどの豊作はそうそう無いぞ!」
 自慢げに、誇らしげに、俺に言うのだが現代の農業技術が無い、古来よりの農業は教科書に載っているようなモノではなく、真に貧相なものであった。
 水田は馴染み深いものだが、麦畑は稲作程、作物が密集しておらず、様々な条件下の下で収穫量が決まるのだ。
 そして親父殿が言う、実りに実ったとはこの麦穂の事なのか?
 俺には密度が薄く、まばらに生えた麦穂、たわわに実ったとは思えない貧相な実、実の数も多くも無く、とてもではないが豊作とは思えない。
 現代では例年以下、むしろ不作や凶作と言った所だろう。
「…そう? 所で、去年はどうだった?」
「そうだな、これより、少なかったな。うむ、例年通りだ」
 いや、あの、ソウデスカ…。
 色々と諦めた俺は畑で刈り入れ作業がどんなモノなのかいい機会なので見ておこうと、眼を向けると稲刈りに使う直線的な鎌ではなく、大きく曲がった大鎌のようなもので麦穂をガサリと集めて切っていた。
 やはり、作物密度が違う為か大きくなりがちなのであろうが、使うほうは溜まったものではないだろう。
 いや、稲刈りは稲刈りで腰とかに結構クルけどね?

……
………
 額に汗水垂らして大鎌を振っている農民達を親父殿とその部下であろう武装した兵士が監視し、早一時間程。
 依然として終わりそうに無いので、俺にも出来る事が有るなら手伝うか、と腰を上げた所で護衛さんに止められたのが10分程前。
 いい加減暇だ。
「なあ、子供のお守りなんぞして、楽しいか?」
「いえ、楽しいという問題ではないので」
 少しばかり頑固で無愛想なこの護衛さんの兵士は真に残念ながら職務に忠実であった。
 話しかけようとも、一言二言答えるだけで、暇を潰せそうにない。
「おいおい、もう少し表情をさ、向こうで収穫している一家みたいに……ん?」
 余りの鉄仮面に呆れた俺は荘園の近くにある田畑の麦を収穫している農民の家族を指差し、彼らの笑顔を見習えと、言いたかったのだがどうにも解せないことが。
 嬉しそうに笑いながら収穫している彼らとやる気無さそうにダラダラと収穫している彼ら。
 明らかに前者のほうが働き者なのだが、先程までは同程度だった刈り入れ後の苗が、今では自分達の荘園と比べ、随分と少ない。
「どうされましたか?」
「いや、向こうにいる、彼らの速さが我が家と違わないか?」
少しばかり考え込むと、質問の意図を理解したのか、淡々と
「農具が違うのでしょう」
 と、相変わらず一言。
 大鎌も小鎌も形状は似通っているのだが、どこかに違いでもあるのだろうか?
 両者共に見比べるが、やはり、農具の違い等わからない。
 強いて言うなら…切る時間が長いような…切れ味が悪いのか?
「クラウディア様、違いはわかりましたか?」
 珍しくも問いかけてくれるのは無愛想な護衛さん。
 残念だが、クイズの答えはわかりそうにない。
「切れ味が違うのだろうと思うが、それ以外はわからないね」
 きちんと研いでいるのか、と言いたいね。
「それはそうでしょう、切れ味が違うのは仕方ありません。
彼らは――鉄鎌ではなく木鎌なのですから」
――なんと前提が違っていた。

「あ…っ! あの…何か…っ、私達に、何か御用でしょうか…っ!」
 別段、俺が威圧した訳でも護衛さんが剣を抜いている訳でもない。
 鎌を見せてもらおうと、それだけだったのに。
 ただ、近づいただけで旦那さんが上擦った声で尋ねてきた。
「あ、いや、いいよ、そんな緊張しなくても。ちょっと鎌を見せて貰えないかな?」
 恐々と俺に鎌を差し出すと、旦那さんは少し離れて様子を見ている。
 邪魔して悪いね、ほんと。
 しかし、恐ろしそうに俺を見ている一家の視線に心が痛い。
「…これが木鎌か」
 鋭く削った刃の部分には焼きを入れて強度を上げているのだが、長年使っているのか、どうにも凹んでしまったり刃の部分が潰れていたり…これでは余程の力を入れないと切れまい。
 しかし、だからといってボロボロな訳ではなく、大切に扱っているようだ。
 それに木製とは言え、俺には少々重い。
「なあ、他の農具も皆、木製なのか?」
「鉄製の農具を使っているのは極一部の方だけです。鉄製は…彼らには届かない物です…」
 何かしらあったのだろう、少しだけ感情が出ている護衛さんの声だが、表情はやはり変わらない。
「…旦那、重ね重ね済まないが、鋤も見せてくれないか?」
 自分に言っている、と気づいた旦那さんは大慌てで小さい家から鋤を持ってきてくれた。
 これも鎌と同じく先端部分に焼きを入れているが、こちらは鎌とは違い所々欠けてあったり、割れていたりとボロボロである。
 こんなものでは、満足に耕せない。
 その証拠に我が家の麦と比べ、こちらの麦は少々貧相である。
「所で、家畜はいないのかい?」
「あ、いえ、私め達は飼っておりませんので…」
 居心地悪そうな旦那さんはそう言うのだが、成程、皆が皆、家畜に犂を引かせていると思っていたのだがどうやら違うらしい。
 確かに辺りを良く見れば、豚や牛を引き連れている農民は一部だけだ。
「家畜を飼えるのも余裕のある農民だけです、家畜そのものもそうですが、森にある木の実を食べさせる権利を買えませんので」
「はあ? 森の権利?」
 権利と言われても土地の所有権ぐらいしか思いつかない俺が居る。
 これだけ森が生い茂っているから気にせず、木の実を食わせりゃいいものを…。
「はい、クラウディア様。お父上様が森に関する権利を全て持っておられます」
「具体的にどんな権利を?」
「全てです」
………(;´Д`)
「…そんな父さんみたいなノリは要らないからさ、もっとこう…何々の権利がありますとかさ、列挙をしてくれ、列挙を」
 その言葉に少しばかり困った顔をする護衛は何と言えばいいのか困っているようだ。
「そうは言われましても…その…本当に全てですので、伯爵様に教えてもらったほうがお早いかと…」
 ゴニョゴニョと段々小言になっていく護衛。つまり、結論から言うと 知 ら な い 訳ですね。
 これは護衛も言ったとおり後で親父殿に教えて貰うほうが良さそうだ。
 だが、当面の疑問だけでも知りたいね。
「じゃあ、木の実を食べさせる権利っていうのは?」
「豚が食べる餌は木の実というのはご存知ですか?」
 牛や豚、鶏が何を食べるのかは知っているのでコクリと頷く。
 それ以外は多分、肉。そんな程度ではあるが。
「流石です、クラウディア様。その御歳で知っているとは…誰に聞いたのですか?」
「乳母」
 勿論、乳母がそんな事を教えてくれる訳がない。
 奴はただ礼儀関係とか貴族の心得とかそんな事しか言わないお局様なのだ。
「そうですか…では、木の実でしたね。豚の餌が木の実ですので、森に入らないといけません。
しかし、伯爵様の森に無断で入る訳にはいきませんので、伯爵様から森に入って木の実を貰う権利を買わなければいけません。
買う、と言っても彼らにそんなお金はありませんので家畜そのものを代金として支払っているのです」
 成程、それで我が家に豚肉が多いのか。
「ああ、そういえば牛は?」
 豚肉で思い出したが、牛肉を生まれてこの方食べていない事に今更ながら気づく。
 食事は肉より野菜だよ、兄貴。
「牛は冬場に回す牧草が有りませんのでこの地域一帯ではあまり見かけません」
 あー確かに。冬場は雪が降ってそのままだからねー。
 近畿地方南部生まれの俺には雪が残ったままなんてどれだけ遊べるんだと思うね、今はまったく嬉しくないけど。
 温帯と冷帯の間ぐらいかな? 海外旅行所か国内旅行すら余りしてないのが悔やまれる。
「なにより、領内には馬が多いものでして冬季意外に取れた牧草は全て馬に使われております」
「ということは、馬に犂を引かせているの?」
「いえ、馬は全て伯爵様や騎士階級の方々、後は商用にお使いになられておりますので。
そうですね…老いた馬程度ならば彼らにも分け与える事はありますが、管理もできず、またそう長生きもしないので…」
 馬は全て軍用か…勿体無い。少しは農業に回せばいいものを。
「…じゃあ全部、手で?」
「勿論です。…ご心配なさらず、クラウディア様の荘園は馬も使っておりますので」
 心配する所違うから…俺等ではなく彼等の心配しようぜ?
「…やっぱり木製が主流?」
「木製が殆どです。」
…おーいおい、どうする俺。まさか農法云々の前に農具が既に駄目とは。
 この世紀末で南斗の海の字を頂いている俺でも見通せなかったよ。
「鉄、なんとかならない?」
「はぁ…? なんとか…と申されましても、どうにもこうにも…」
 鉄製農具にしたい…彼らは金どころか明日の食料に困る有様で買えない・交換する品が無い=生産力の停滞
 金作るには作物売るしかない…小さい畑+木製農具+馬の労働力・肥料になる馬糞が無い=生産力の停滞
 今回の豊作…領主達が分捕る→僅かしか残らない→馬飼えない・鉄農具買えない=生産力の停滞
――投了じゃね?
 何か突破口無いかなー…。
 もう、荘園をさ農民に渡して、利益の一部を取る方向でいくね?
 駄目か、親父殿に何て言われるか…。
 結局の所、まずすべきは鉄農具の普及…鉄か…。
 鉄が高いっていう事はそれ程生産がされていないのか、もしくはできないのか。
「…鉄の生産不足、か」
「クラウディア様?」
 ポツリと呟いただけなのに、側に居る護衛さんには聞こえたようだ。
「いや、そんな鎧や剣に鉄を使うなら、農具に鉄を使えばいいのにな?」
「…そうは、いかないのでしょう。周辺の情勢も良いとは言えませんので」
 座り込んで考え込みたくなるが旦那さん一家が緊張した面持ちで立ちつくし、俺が去るまで農作業もできそうに無いだろう。
 とりあえずは戻って親父殿から森の権利とかを聞きださないと。
「行こうか。旦那、これ有難う」
「…っあ、いえ、そんな…っ!」
 鍬を手渡し、小さく頭を下げると彼等は呆然とした後、急に平伏をした。
 貴族が農民に頭を下げる等、思いもしなかったのだろう、どうすればいいのかわからなかったようだ。
 あー…親父殿にばれたら怒られるだろうなあ、ばれると何故奴らに頭を下げたと怒られるからなー。
 どうにも、頭を下げるなとは、俺には馴染まないね。
「…どうした?」
「……あっ、はい、失礼しました」

 そんな訳で荘園に戻ってきたのはいいのだが、農民達が汗水垂らして鎌を振っているにも関わらず、広々とした畑には手の付けていない場所が多々あり、刈り入れだけでもまだまだ時間が掛かりそうだ。
 脱穀等の作業は恐らく明日になるであろう。
「父さん、まだ終わらない?」
「まだまだ終わらんな…さては飽きたな?」
作業の様子を逐一眺めていた親父殿に話しかけると、俺が暇そうにしているのがわかっていたのかずばりと言い放つ。
 そして、強ち嘘ではないのだ。
「父さんも昔はすぐに飽きたものだ。だが大人になればわかるぞ、この楽しさが」
 収穫が楽しいのではなく収穫による金銭収入が楽しいのだろう、恐らくは。
「ところでさ、森の権利って何があるの?」
「森の権利? またクラウの知りたがりがでたか」
 呆れ顔の親父殿だがそう言わないでほしい。
 この世界を知る事は俺の数少ない娯楽の一つなのだから。
「護衛さんに聞いたよ、木の実を取る権利と他にもあるってね」
「はぁ…やれやれ…長くなるが、いいか?」
「勿論」
「だろうな…」
 以前まで簡単にサラサラと概要を説明されるだけだったのだが、そんな事では俺は満足できないのでとことん食いついていくと、いい加減親父殿も学んだのか最近はきちんと1から教えてくれる。
 親父殿は面倒そうだが、いつかは教えなければならない事なのだ、多少早くても問題あるまい。
「まず、森の権利は具体的には森の恵みに関する事だな。
例えば木を切って薪にする事だが、これは木こりが木々を伐採して、薪として売り、その売上金の一部を森の利用料として父さんは受け取っている…現物での、つまり切った薪を納める者もいるな。
家もそうだな、父さんの森から木を切らないといけないから父さんから権利を買わないといけない。
他にはお前が言っていた木の実だな、豚の餌にするために木の実を食わすのだが、それの代金として家畜を捌いたのを納めたりしている。
中には、代金となるべくものが無く…奉公に出たり、だな…まあ、なんだ、母さんが来てから縁が無いが…うん、お前にはまだ早い。
とにかく、それ以外にも狩猟や肥料としての森の土もある。
中でも狩猟はクラウ、お前がもう少し大きくなったら父さんと一緒にでっかい獲物を狩るぞ、楽しみにしておけ」
 確かに、森に関すること全てだったな…。
 森の土というのは腐葉土の事だろう、そういえばこれも一応肥料にはなる。
 しかし、狩猟なんて全然楽しみじゃありません。猪とか槍で仕留めるのか、それとも弓矢で仕留めるのか…できることなら後者をお願いしたい。更に言うなれば俺は家で朗報を待ちたい。
 所で親父殿、奉公云々の所をもう少しkwskお願いしたいところなのだが。
「結構、森って生活の一部になってるね」
「一部所か、殆どと言っても構わないだろうよ、ちなみに昔は小さい村が一つあっただけで殆ど森だったらしいぞ。
それを初代デーリッツ様が建国時の王家より領地を下賜されて以来、我が家が代々築いてきた街だからな、奴らなんぞに負ける訳にはいかん」
 鼻息荒い親父殿だが、一体全体、奴らってのはいつも言っている宿敵だろうか?
「奴らっていつも父さんが言っているフェルなんちゃら家?」
「そうだ、あの北の蛮族共め…いいかクラウ、奴ら…フェル=フラゴナール家はな、父さんの父さんと母さん、つまりお前の祖父と祖母の仇なのだ、祖父母だけではない、歴史を遡っていくともっとやられている。
更に仇だけじゃ止まらん…奴らには120年前にライン川以北を取られている。
何としても奪い返し、奴らだけは、シュバルツ家の名にかけて滅ぼさなければならない」
 というか親父殿がここまで言うとは、根が深そうだ…。
 俺に期待しないでよ? 俺多分、ムリだと思うよ?
「お前は誇り高きシュバルツ家を継ぐ身だ、父さんが戦場で倒れた時には…お前が 我が家の悲願を受け継げ…お前ならできると、信じているぞ」
「そんな…それじゃ、父さんではできないの?」
「それこそまさか、だ、それに父さんはまだまだ倒れる気がしないぞ、王家より授かった武勲の剣は伊達ではない。
だが、この世に絶対は無い…万が一が、あるのでな」
 何時にも無い真剣な親父殿…今まで考えたことも無かったが、このご時勢、戦場で朽ち果てる等珍しくも無いのだろう。
 我ながらどうして、平和ボケとやらが抜けていないらしい。
 それに俺には…そんな大それた事できないよ…。
「…せめて、いい貴族にはなるよ」
 できない、なんてそんな事は言えない…できる、とも…。
「今は、それでいい…」
 親父殿もわかってくれているのだろうか、頭を撫でてくれるその手は優しく、頼もしい。
 秋も深まり、肌寒い筈なのに、俺には暖かく感じるよ…父さん…。

 特に喋る訳でもなく親子二人、石の上に座り込み収穫を眺めていると城門のある方角より馬に乗った男と武装した兵士が数人、そして鎌をもった農民達が我が家の荘園に向かってきた。
 誰だろうと眼をこらすと、親父殿も気づいたようで目を細めている。
「あれは…ヴォルフか?」
ボソリと自分に確認するかのように呟くと、立ち上がりその男に向かい、俺はその後に続く。
「父さんの部下?」
「ああ、あいつはヴォルフという正騎士だ、奴の荘園は違う方角なのだが…今年も、か?」
 やれやれ、またか。と呟いている親父殿だが、詳しく聞く前に既に正騎士ヴォルフ御一行は既に近く、馬を降りていた。
「ご機嫌麗しく、オスヴァルド伯爵様、ご迷惑かと思われますが収穫の手伝いに来ました。
どうぞ、今年も奴らをお使いください」
 馬から折りて礼儀正しく腰を折る軽装の鎧に身を包んだ男はなんというか…
「いや、助かる。ああ…息子のクラウディアだ」
「お初にお眼にかかります、クラウディア様。私、正騎士の爵士を頂いておりますヴォルフ・ハイネマンと申します」
 そう…腰巾着のようだ。

 一言二言、親父殿と話した後、ヴォルフさんは数人の兵士と数十人の農民に指示を出しているのだが、どうにも農民のほうはガッシリとした体格の若い男が鉄製の農具を持っているだけで、他は木製であり、持ち手が年若かったり、年老いたりと多彩である。
 そうしてバラバラと行動している皆を見届けた後、親父殿と俺に対してヴォルフ宅に招待されたが、親父殿は責任者を連れてくるということで、先に俺だけ向かうことに。
「ヴォルフさん、爵位というのはわかるけど爵士って何?」
 道すがら、先導されるのはいいのだが特に話題もあるわけでもなく、ヴォルフさんからの益も何もないおべっかを貰うのにもいい加減嫌気が差してきたので、こちらから話題を振ることにした。
「爵士ですか、爵士には大騎士爵・正騎士爵の大きく二つに分かれます。
大騎士は戦場での大功を挙げた者が任命され、大体ですが農奴50人とそれに見合った土地が下賜されます。最も武功高い地位なので時には伯爵様に代わり指揮を執られることもあります。
正騎士とは、戦場で功を上げた者が領主様や大騎士より任命され、農奴20人以下と同じくそれに見合った土地が下賜されます。
彼等は規定の軍役に従い、戦の時には伯爵様の軍勢に参陣致します」
 ということはヴォルフさんの連れてきた農民は十数人…わざわざ全員連れてきたのか、律儀なこって…。
「ということは、ヴォルフさんは戦で武功を上げたのか…凄いね」
 俺には真似できないだろうな…。
「いえ、私は八年前に父が亡くなった際に受け継ぎまして…」
「あ…そうだったか、すまない」
「いえ、お気になさらず、戦の折にはクラウディア様の為に粉骨砕身、貢献致しますので」
 多少失敗した俺だったがヴォルフさんは表情も変わらずに笑顔のままである。
「はは…ありがとう」
 そんな雑談を交わしている内に城壁内の南東区画にやってくると、民家の中で一回り大きい屋敷が遠目に見える。
「あちらに見える建物が我が家です」
 指差す先にはやはり先程の一回り大きい屋敷で、近づいて見ると我が家と比べると小さいながらも庭と堀、馬小屋が完備されガッシリとした威厳を感じられる。
「クラウディア様は蜂蜜入りの果実水はお好きですか?」
 ん、あの甘ったるい水か、まあどちらかといえば好きかな…
「うん、好きだよでも、少し寒くなってきたからね暖かい物がいいな」
「では、そちらを申し付けましょう、それと胡桃入りのパンは如何ですか?」
「何から何まで有難う、ありがたく頂くよ」
 しかし、言葉で言うのは簡単だが、どれも中々値が張る物ばかりで、それだけでも俺への歓待ぶりがわかるな。
 これで親父殿が来たらどうなるんだ…。
「では、ようこそ我が家へ。歓迎致します」
 ヴォルフさんはそう言い、玄関のドアに向かうのだが護衛は立ち止まり、門の側に突っ立ったまま中に入ってこない。
「…あれ? どうした護衛さん、入らないのか?」
「えっ、あ、いや、私は…」
 話しかけられるとは思わなかったのだろう、護衛は急に狼狽し返答に困っているようだ。
「クラウディア様、兵士如きに過分なお言葉は勿体のうございます。どうか気になさらず」
ヴォルフさんは優しく諭すように言うのだが、こちらとしては無いわーという感じである。
 確かにそういう場面は何度も見てきたけど未だに慣れないし、招待されたのが俺と親父殿だけでも周りの護衛ぐらい一緒でいいじゃないか…。
「…そうか」
 まあ、他人の家だし仕方ないか…。
「ええ、ではこちらへ」
 ヴォルフさんが玄関のドアを開けた瞬間である。
「――ようこそ、お越しくださいました、クラウディア様」
…………え?
 使用人だろうと思われる見目麗しい女中さんが玄関口の両脇に2人づつ、続いて初老の男性が二人、一斉に頭を下げ俺に挨拶をしてきた。
 どれだけVIP扱いなんだよ…。
 というか、今日、俺が収穫に来るかもわからなかったのに、わざわざこの為に用意していたのだろうか。
 早馬が走った形跡は見てないので恐らくは我が家の人物に合わせて挨拶するように教育されていたのだあろう。
 成程、腰巾着である。
「客間に案内致します」
 ヴォルフはそんな使用人に気も留めず、俺を案内するのだが、俺はそんな事をされて普通に歩くなんて、できません。
 どうもどうも、と頭を下げながらヴォルフさんの後についていくしか無いのだが、やはり、変な顔をされてしまった。小市民で済みませんね。
 案内された客間は落ち着いた調度品が部屋を飾っており、お座りくださいとヴォルフ家の家令と思わしき男性に言われたとおり部屋にある最も貧相というか、日当たりが悪いというか…そういう椅子に座ろうとするが、家令が最も好条件の椅子をさり気なく引き、どうぞこちらへ、と目線を送ってくる。
 こんな風にされれば仕方ない。指定された椅子に座ると、ヴォルフさんも対面に座り和やかに話しかけてくる。
 暫く、和気藹々とした雑談に興じていると先程、玄関に集まっていた女中さん達が飲み物とパンを持ち静かに部屋に入室してきた。
 部屋が焼きたてのパンの匂いで包まれて、昼には少し早いがこの匂いを嗅ぐと空腹なのが嫌でも実感させられてしまう。
 それをテーブルの上に静かに並べられて、最後にヴォルフさんの前にはワインを置き、俺の前に湯気の立った飲み物を置いた時である。
「あ、――あちっ」
 緊張しているのか、それとも疲れているのか手元から離れたグラスがテーブルに倒れ、中の飲み物を零してしまったのだ。
 相手がメイドだけあって完全無欠もイイけど、これはこれでアリである。
――アリである。
 大事な事なので二回言いました。
「あっ、申し訳ございませんっ! 直にお拭き致しますので…っ!」
 震えながら、忙しなく濡れたズボンを布で拭いてくれるが、こんな事で激怒するような性格でもなく『そんなもん放っておけば乾くからいいよ派』の俺からすればどうでもいい。
 ちなみに怪我をしても『舐めとけば直るよ派』だ。どうでもいいですね、すみません。
「クラウディア様! お怪我はございませんか!?」
「ん、大丈夫大丈夫。あ、いいよいいよ、気にしないで君こそ大丈夫かい?」
 慌てて側に寄るヴォルフさんに返答し、泣きそうな顔で拭いてくれる女中さんに問いかけるが、聞こえていないようだ。
 そうしている間にも周りの使用人達が布を持ちズボンを拭いてくれるのだが…俺の周りに大人が何人も座って拭いているこの状況、第三者から見たらどう思うだろうか…。
「クラウディア様、なんとお詫び申し上げれば…」
 ひたすら低姿勢で接してくるが前述の通り別段俺は気にもしていないのでお詫びも糞もないのが心情である。
「いや、別にいいから…本当に、気にしないで…」
「いえ、大恩ある主筋にそんな事ではハイネマン家の名が廃ります、どうか、何卒…」
 ぇー…もういいじゃないのよ…僕気にしてない、君謝った、じゃお茶再開しようか、でいいじゃないか…。
「どうしても?」
「はい、何かお詫びをしなくては…」
 あー…そうだなあ…人様の家にとやかく言うのは気が乗らないけど…何でもっていうからいいよね?
「お茶を零した彼女は酷く怯えていた…ということは叱責だけではないだろう?」
「当然です、我が家の名誉にも関わる事ですので当然の処罰をすべきでしょう」
はあ…それぐらい、いいんでねぇの? と思わんでもないのだが…。
「では口頭叱責だけにしておけ、手を出す事や賃金等の他の処罰は許さん。いいね?」
「しかし、そんな事では…」
 まだ食い下がるヴォルフさんだが、他には…あ、そうだ。
「じゃあ、外で待っている護衛さんは収穫の時から俺の側にずっと居たから、喉が渇いている筈だ。
そんな忠勤を尽くしてくれている彼に温かいお茶の一杯でも出してやってくれないか? 
この二つを持って俺に対する侘びにしてくれ」
 丁度言い終わる頃には新しいお茶が俺の前にコトリと置かれ、乾いた喉を潤す為に一口。
 うん、美味い…以上、一件落着!
――めでたしめでたしってね

 空は既に夕焼けに染まり、親父殿がそろそろお暇しようか、と腰を上げた刻限。
 ヴォルフさんに庭先まで見送りに来てもらい、護衛が俺の乗っていた馬を連れてくると不思議そうな顔で問いかけてきた。
「クラウディア様が屋敷に入った後、何かあったのでしょうか?」
「何かって?」
 流石に一人ではまだ馬に乗れないので護衛が俺の脇を掴み鐙の上に乗せると、馬は慣れたもので人が乗っても多少身じろぎしただけで大人しいままである。
「いえ、クラウディア様がお屋敷に入って暫くすると、屋敷の中でお茶とパンを馳走されたので」
 護衛さんはこんな事は初めてです、と呟きながら馬の手綱を握り、馬を誘導してくれる。
「まあ、そういう事もあるんじゃないの?」
「…そうでしょうか?」
 未だに思案顔の護衛さんだが、親父殿の側に来たので護衛は口を噤んだようだ。
「うむ、毎年すまんなヴォルフ」
「いえ、好んでしていることですので、お役に立てれば幸いです」
 俺が準備できたと知ると、親父殿は馬を嘶かせ我が家に向け、歩いていく。
「ああ、ヴォルフさん『アレ』はきちんと守ってよね」
「わかっておりますとも、ではお気をつけて…いつでもお越しください、歓迎致します」
 ヴォルフさん以下使用人の皆が深く頭を下げてくれるのをこそばゆく感じながら「ご馳走様、ありがとう」と一言延べヴォルフ宅を出ると、民家の影が長く、月も少しばかり顔を出している、この様子では直に日も沈むであろう。
 暮れなずむ街並みを馬に揺られて進むと一日の疲れが出てきたのか段々と眠くなってくる。
「…疲れたようだな?」
「んー、そうだね。色々あったけど、うん、勉強になったよ」
そりゃよかった、と笑いかける親父殿も護衛も街並みと同じように夕日に照らされて赤くなっている。
「途中で眠ってしまって落馬してはいかんぞ?」
 流石にそれは無いよ、と言い返し我が家に続く坂道を上っていく。
 これを上がれば家にはすぐにでも到着する、そして、家の扉を開けるとどうだろう。
 晩御飯が出来ているだろうか? それともお転婆な妹が待っているのだろうか?
――願わくば、外出できなかったモニカが拗ねていないように。




































以下、NGシーン。 こんなのはいやだあああああああっていう人は見ないでください。



























①くらう君が鬼畜

「あっ、申し訳ございませんっ! 直にお拭き致しますので…っ!」
 震えながら、忙しなく濡れたズボンを布で拭いてくれるが、貴族なのである、俺は。
 そんなガタガタ震えられても、困るのである。
「ああん? 俺は親父殿の息子だぜ? その息子のムスコ♂が火傷したんじゃい、どうしてくれるんだ!」
「お…お許しを…」
 必死に謝りながらズボンを拭くメイドさんに俺は――
しゃぶれよ


②お父さんは疲れてます

 ヴォルフさん以下使用人の皆が深く頭を下げてくれるのをこそばゆく感じながら「ご馳走様、ありがとう」と一言延べヴォルフ宅を出ると、民家の影が長く、月も 少しばかり顔を出している、この様子では直に日も沈むであろう。
 暮れなずむ街並みを馬に揺られて進むと一日の疲れが出てきたのか段々と眠くなってくる。
「…疲れたようだな?」
「んー、そうだね。色々あったけど、うん、勉強になったよ」
 そりゃよかった、と笑いかける親父殿も護衛も夕日に照らされて赤くなっている。
「途中で眠ってしまって落馬してはいかんぞ?」
 流石にそれは無いよ、と言い返し我が家に続く坂道を上っていく。
 これを上がれば家にはすぐにでも到着する、そして、家の扉を開けるとどうだろう。
 晩御飯が出来ているだろうか? それともお転婆な妹が待っているのだろうか?
――願わくば、外出できなかったモニカが拗ねていないように、祈りつつも、居眠りして落馬する親父殿のその表情を俺は見逃さなかった!!!1




すいません、ハイ、就職活動とか色々ともう…働きたくないでござるっ絶対に働きたくないでござるっ!
これは、皆様方、見てもらっても感想欄とかに叩かないで貰いたいです、すみません…本当にすみませんorz



[3654] 王国暦234年~秋のとある一日~
Name: あべゆき◆d43f95d3 ID:7e84d488
Date: 2010/06/24 16:27
 我が家の家庭教師が実家の都合で里帰りをしてから幾ヶ月。
 流石にこれ以上遊ばせておくのは拙い、と親父殿は思ったのか、我が家の誰かが臨時の家庭教師となり、俺とモニカに学問を教えようという事が昨日の夕食時に決まったのではあるが、その翌日、今、現在問題が起きた。
 当初は親父殿が張り切って子供用にわざわざ編集したのか、汚い文字の教科書(のような物)で俺とモニカに教えていたのだが、モニカはまだ良い、嫌だ嫌だとゴネを捏ねながらも根が素直な妹は真面目に授業を受けていたのだから。
 だが、真に残念ながら俺には物足りず、予習復習すら必要の無い親父殿の講義を他所に、やる気なさげに景色を眺めている俺に対して親父殿から一喝されたので、反論を兼ねて親父殿の出す問題や課題を颯爽と解き終わり、俺が適当に考えた小学校高学年程度の算術問題を出すと二の句も継げず、傍の机でお茶を飲んでいた母に援軍要請。
 母も多少は苦労したものの、解答を出すと、今度は母の方から問題を出してきた。
 算術では適わないと見たのか、我が家の歴史と王国の歴史の関係性。また、王国における貴族に関する法を書け。等とふざけた問題を出し、そそくさと元の座っていた場所に戻ると、後は関与しませんとの如く、お茶を再開し始める。
 あまりの無茶な課題に俺は顔を顰める。国とか法以前に家の事も知らない俺にどうしろと言うのか。
 せめて、参考資料を出せ。と両親に抗議すると連れて行かれた先が我が家の書庫――書庫と言っても執務室についている沢山の本棚群ではあるが。
 流石に貴重な蔵書がある執務室に一人にできないのか、本を取る助手も兼ねて監視役として母がついてきた。
 ほら、無理でしょう。と言葉には出さずとも態度で表す母に、なんとかして一泡吹かせてやろうと意気込み勇んで本棚の物色を始める。
そんな感じに始まった勉強会。
 これは、母親に一泡拭かせようと、奮闘する息子の物語である――(嘘)




中世な日々 王国暦234年 ~秋のとある一日~


 まずは、王国の歴史から見てみようか、と一番近くの本棚を覗き込むと丁寧に項目別に分けられた蔵書…という名を借りた羊皮紙の束。
 それぞれの本棚を見ても圧倒的に多いのが、作りに違いはあるものの紐で縛られただけの羊皮紙群、そんな簡素な蔵書群の中、一際目立つのが金属で装丁され、綺麗に形も整えられた蔵書が並んでいる箇所にある百科事典程の大きさの本に、興味を持った俺は母に聞いてみると、王国に関する書物とのお言葉に、これは当たりだと思い立ったが吉日、適当に一冊取ってもらうと、普段、親父殿が座っていると思われる椅子に座り込むと、母が目の前にある机にその本を丁寧に置いてくれた。
「ここにあるのは全部、貴重で高価な物ばかりだから扱いに気をつけてね?」
 わかってる、わかってるとおざなりに返事をして、本に目を戻すと黒い布表紙に金糸で銘打たれた『王国記』という文字。
 とりあえず、適当に開き、そこに書かれている文章を一読してみる。
『前暦327年 ジグストゥス王率いる親衛軍一万余名と諸侯軍三万、コモンクルス平原にて陣を張る。我方は二万五千、数の上では不利なれど士気は天を覆うかの如く。
日の出と共に、敵将ヴェンフリートが前進、迎え撃つは三将軍が一人、ジークフリート也。奇しくも、血を分けた兄弟が決戦の幕開けになる…』
 文章はまだ続いているが、目についたのがジークフリートという人物。
 確か、親父殿が良く言う武勇将軍、シュバルツ家の始祖がそんな名前だった気がする。
「母さん、このジークフリートって人はご先祖様?」
「ええ、そうよ。後の武勇将軍、ジークフリート伯爵ね」
 自分の家のご先祖様が歴史に載っているというのは、何とも変な感じである。尻がむず痒くなるというか…。
 座る位置を修正して、つらつらと続きを読み始める。
『…ジグストゥス王が本陣を払い、王都へ撤退し篭城の構えを取る。
敗残兵や捕虜を吸収し王都に迫ったのは新秋の季節。城門は堅く閉ざされていたが、兼ねてより内応に従事していた者が城門を開放、市街戦となり数多の流血の末、王城を占拠。
ジグストゥス王を捕らえ、後日に王とその一族を斬首。ニーズヘッグ王朝滅亡、新たに国号をアスガルドと称し、初代国王にフリードリヒが戴冠せり』
『…フリードリヒ王が勲功有る者に叙爵。王弟に公爵位を授け、侯爵位には創設期より従ったブランケンハイム家となる。
伯爵位には栄光のグロスマン家、知略のユンカース家そして元は敵方ではあったが、その武勇・忠節を以ってして多大な貢献をした事を評価され、シュバルツ家が叙爵される。
以上を上級爵位と称し、広大な土地・莫大な恩賞金・勲章を下賜、国家の要とせり』
 読めない事はないが、達筆なのもあり、目が疲れてくる。
 休憩がてらに背凭れに体を預けて眉間を揉み解すと、母が微笑みながら問いかけてくる。
「ふふふ、クラウにはまだ早かったかしら?」
 まだまだ子供ね、と笑いながら本を片そうとする母をまだ読むからと、声を掛けてからふと思う事が。
 確か母の実家はどこかの子爵家だった筈なので、ここの続きに書かれているかもしれない。
「母さんの実家の家の名前ってなんだっけ?」
「あら、母さん悲しいわ? 忘れるなんて…」
 わざとらしく顔を手で覆い隠し、ヨヨヨ…と声をだすと、本のとある部分に指を向け、
「ここに書かれている子爵位の叙爵の部分の二番目よ」
二番目、ね…『子爵位にはハイゼンベルグ・ティルピッツ・キルステン・レプシウス・モルトケ・フォーゲルの六家に叙爵され子爵六家と称される。
男爵位にはオーガスト・ヴァレンシュタイン…(略)…以上、十八家に叙爵される。
以上を下級爵位と称し爵位とそれまでの功績に応じて土地と恩賞金を下賜、国家運営の一員とせり』
「いーい? クラウ、この貴族の方達の歴史を全部覚えなさい。無理なんて言葉は駄目よ。
仮にも血の繋がった親戚同士だし、貴族として相手の家の歴史等を知る事も貴族の義務だからね?」
 腰に手を当てて指をピンと立てる姿はお姉さん系とも言えなくは無いが、現実は二児の母親である。しかも実母。萎え。
 しかし母も無茶な事を言う。単純に考えて貴族だけで三十一家もあるのにそれを約200年間分の歴史を覚えろとな?
「所で…親戚って、誰が?」
「そうね、例えばお父さんのお母さん、クラウから見たら父方のお婆ちゃんね。ユンカース家のご令嬢だから、ユンカース家とシュバルツ家は親戚同士なの。
で、お母さんのお父さんはモルトケ家から婿に来ているからモルトケ家とも親戚…そうやって歴史を遡るとここの貴族家の大半は遠縁・近縁問わず、親戚同士なのよ」
今度、家系図を見せてあげる、きっと驚くわよ?」
 なんというヨーロッパ王侯貴族。つまり祖父祖母叔父伯父叔母伯母姪から甥まで何でも御座れってわけくぁ!
 いかん、頭が混乱してきた…。
 俺が本を閉じると、母はそれぞれ両手に新たな書物を抱えて、まずはこれを読みなさいと俺の前に積んでくる。
 タイトルがそれぞれ『王朝史記』『武勇将軍記』そして先程の『王国記』
 これだけの蔵書を俺が読むというのか。あまつさえ内容も全て覚えろとは言わないだろうね? 
 残念だが、俺はライトノベルを主食としているのであって、歴史書やらその類やらの重いものは胃が受け付けないのだが。
「とりあえず、これが最低限かしら…後はこの『シュバルツの系譜』と『上級爵位の手引き』、『伯爵三家』、『公・侯爵の名声』…」
 次々と机の空きスペースに積み込まれていく蔵書の数々が城壁と成し、視界を奪っていく。
 いくらなんでも無理があるとの事で、明日からでも読み始めて行くのでその時に。と母にその旨を伝えるとその時は親か家令に言いなさいと言い、蔵書の撤去作業を始める。
 漸く、気を取り直した俺は次なる標的を第二の課題に移して法律に関するものに頭を切り替える。
 世の中、お腹の膨れない歴史よりまだ役に立つ法律ですよ。はい。
 そして、改めて本棚を物色して目的のブツを発見し、適当な本を母に選んでもらうと、先程の『王国記』とは装飾やら何やらまでが違う分厚い本。
 鷹をモチーフにしたような紋章に『アスガルド国法規一覧』と銘打たれたタイトル。その厚さにテンションが下がりつつ表紙を捲ると丁寧にも目次が。
 これは有難い、逐一、あの箇所はなんだっけ。等と探し回る羽目にならずに済む。
 早速目次に目を通すとそこには、
『法律は逐次、必要に応じて変更され、それの変更権は国王にのみ在る。破りし者には磔刑が処され、その一族郎党全てを斬首とする。
但し、上級爵位を有する家には原典から逸脱しない範囲での変更権を持ち合わせている。又、変更された法と原典の法が被った場合は原典法が重視される。
下級爵位を有する家には原典に沿った範囲での変更権を持ち合わせている。又、変更された法と原典の法が被った場合は原典法で裁かれる。
王国全体に関する法 2項~
王家に関する法 10項~
貴族に関する法 100項~
平民に関する法 150項~』
 …どうして、なかなか、いきなりにも血生臭い表現が有ったが、優雅にスルーすると貴族に関する法とやらの所まで捲りだす。
 羊皮紙の不思議な感触を指に受けながらやってきたのは100ページ目の貴族法と書かれた項目。
『この章では爵位保持者とその一族に適用される法を著す。
――貴族には以下の三大義務がある。
Ⅰ. 貴族は王家の如何なる要請も原則的に断ってはならない
Ⅱ. 貴族は如何なる時も国家安定に貢献しなければならない
Ⅲ. 貴族は他国との婚姻や外交を許可無く行ってはならない
尚、 Ⅲを除き、領地が火急速やかなる時又は状況が許さない時は従う必要は無く、忠節を以ってして事に当たるべし。
――貴族には以下の三大権利がある。
Ⅰ.  王より下賜された領地内における自治権
Ⅱ. 重大案件を除く領地内での司法権
Ⅲ. 国家とその領地を防衛するために関する全ての軍事権
尚、 Ⅰ.Ⅱ.Ⅲ共に王国法と王家法に値するものは除外する。』
 ほうほう、中々の待遇ではございませんか。属国とまでは言いすぎでも自治国ぐらいの権力はありそう。
 更に詳しく調べようと、王国全体に関する法にまで戻り、読み始める。
『王国法 如何なる階級も問わず、適用される法を著す。
第一条 国王とその王家は神聖不可侵にして侵すべからず
第二条 如何なる階級も王国法に従わなければならない
第三条 国王を除いた如何なる階級も王国法を勝手に変更してはならない…』
 ズラリと箇条書きに書いてあるが、暫く読んでも一向に俺の求める箇所まで辿り着かない事に業を煮やした俺は、それらしい単語がありそうな所までパラパラとページを早々に捲るも徒労に終わる。
 もう諦めようと、本を閉じるとそれを図ったかのように母が口を開く。
「ふふ、無理よ、クラウ。少し読んだだけじゃ、全然わからないもの。全部読み終わって漸く何とか、わかるぐらい…。
まずは、貴族の三大義務と三大権利…『三務三権』って言われているのだけど、これの詳細は時間を掛けてでも絶対に覚えなさい」
 心持ち真剣な眼差しの母に頷くと母はお父さんでも覚えているからね。と笑いながら小さく言う。
 親父殿が覚えているぐらいだから余程重要なのであろう。いやはや、あの親父殿がねぇ…。
 足し算すら碌に出来ないというのに…いやまぁ、それは置いといて。
 じゃあ、そんな課題を出すなと、言いたくなる訳ですよ。はい。
「…わかったよ。所でさ、この最初に書かれている『原典に逸脱云々』はどういう事?」
 どうやらこれは説明しにくい物なのか、困ったような顔をすると、どうやって説明しようかと考え始めた。
「うーん…これはね、王国の定めた法をお父さんが統治している領土に合うように独自に解釈できるようにするもの…かな?
そうね…例えば、ここの『不敬に関する法』の部分を見て頂戴」
 母が『アスガルド国法規一覧』を手に取り、適当に捲った所を俺に見せてくる。
 そこには『平民法の章 不敬に関する法』と書かれて、
『王家又はそれに順ずる者に不敬な言動・行いを行った者はその度合いにより、以下の罰に処す
一、看過できない行いを行った者 実行者の磔、一族の斬首
一、看過できない言動を申した者 発言者の斬首、一族の国外追放
一、重度の行いを行った者     実行者の斬首又は国外追放、一族の30年の強制労働
一、重度の言動を申した者     発言者の国外追放又は50年の強制労働
一、軽度の行いを行った者     実行者の10年の強制労働
一、軽度の発言を行った者     発言者の3年の強制労働
尚、それに順ずる者とは他国の迎賓と爵位保持者に当たる。爵位保持者の親族は以下の無礼罪の項で著す』
 …俺は改めて元の世界との違いを知ってしまった感がある。
 元の世界では平気で皇族を罵る輩が居るというのに、この世界と来たら。
「でね、ここの『軽度の発言を行った者』がそれぞれ違ってくるの。例えば、ここが1年の強制労働と罰金とかね。
勿論、この王国法そのままの地域もあるわ。要はそこを治めている領主によって違いますよっていう事」
「成程、でもこれだと上級爵位保持者の『原典からの逸脱』、ではなく下級爵位保持者の『原典に沿った』じゃないの?
この逸脱というのはどこまで許されるの?」
 そう、これはあくまでも刑期を減らす代わりに罰金を取るだけで全体的には変わっていない、これでは、一体どこまでが『沿った』として見られるのか、どこからが『逸脱』したと見られるのか、その基準が欲しい。
「…賢いというか鋭いというか、お父さんの子供とはとてもではないけど思えないわ、やっぱり私の血ね!!」
 いえ、違うと思います。すみません。
「で、話を戻すけど、これは前例が無いからわからないの…一応、一度だけ昔にユンカース家が大幅に法を変えた事があったけど、それは国を挙げての戦時だったから参考にならないの。
それにある程度は許されているとは言っても、逸脱したと見なされたら、笑えないから誰もしないのよ。
だから、他の貴族の家でもしているのは『法に沿った』だけの変更というのが現状ね」
「ちなみに、もし逸脱したとみなされたら、何かあるの?」
「うーん…良くて権利の一部剥奪。悪くてお家お取り潰しかしら?」
 まあ、逸脱する程変更なんてしないわよー、と笑いながらそんな事は無いと手を振ると、丁度、授業が一段落したのか、モニカを連れて親父殿がやってきた。
「調子はどうだ、クラウ? ん? 無理だったろう?」
 頬杖をついた俺の姿を見て取った親父殿が余裕綽々に見下してくる姿に、軽い怒りが沸いてくる。
「そういう父さんは…っ!」
 その時、クラウの頭に電流走る――!
 こう見えて一家の長、上級爵位保持者であり王家の方とも大変親交深い御方なのである。つまり、逸脱の基準点をある程度知っているのかもしれない。
 親父殿なら…親父殿ならなんとかしてくれる…っ!
 そんな淡い期待を込めて、聞いてみる。
「いや、知らんな。こういうのは母さんのほうが詳しいから聞いてみろ」
 だが、親父殿は所詮どこまでいっても親父殿であった。親父株急降下。
 モニカ、お兄ちゃんと一緒に親父殿と剣の稽古でもするかい?

 一家揃って一時の談笑を楽しんだ後、丁度昼飯の刻限だったようで何時もの様に飯を食べていたのだが、我が家の可愛い可愛いプチ親父殿とでも言うべきモニカのご機嫌が宜しくない。
 原因は勉強の所為とわかりきっているが、一応は聞いてみようと声を掛ける。
「モニカ、どうした? 何か機嫌が悪いようだが?」
「別にわるくないもん」
 むっしゃむっしゃとパンを頬張りながら、無愛想に言うモニカ。これは間違いなく不機嫌である。
「モニカ、勉強って楽しいよな。この後も楽しい楽しいお勉強だな」
 俺は上機嫌にニコニコと笑いかけながら学問の素晴らしさを説こうと、話しかけるが、顔を背けたままこちらを見ようともしない。
 ほんと、モニカ弄りは楽しいな…俺にとって貴重な娯楽である。
「ああ、そうだ、父さん。ペニー銀貨の相場がアス銅貨だと160枚に落ちたけどドエニー銀貨30枚確保だっけ? 
ドエニー銀貨1枚で確か218枚…30枚をアス銅貨に換算したら何枚だっけ…父さんちょっと計算できる?」
 モニカを弄るのと同時についでとばかりにプスリと親父殿にも言葉の槍を突きつける。
 別段意味は無いのだが、久しぶりの学問の収穫に俺はテンションMAXなのだ。だからついつい親父弄りを始めても仕方が無い。これも俺の娯楽なのである。
「両手で掴めない位一杯あるぞ」
 むっしゃむっしゃと肉を頬張りながらぶっきらぼうに顔を背けたまま言う親父殿。これは間違いなく不機嫌である。
 ほんと親父弄り楽しいです 。
 割と親父弄りをしていると母もそれに追随してくる事が多く、また、母も親父弄りを始める時があるので俺と母はかなり気が合う。
 そんなこんなで俺と母が上機嫌に談笑しているとプルプルと震える大の大人が一人。だが、その大人は何も言い返せないのでそれを見た母がさらに猛追し、俺もそれに習う。
 大抵、親父弄りをすると、普段は後に剣術の稽古が始まり、一方的に俺が嬲られるだけなのだが、昨日の夕食時に『よーし、パパ明日は一日中勉強を教えてやるぞ』なんて事を言ってくれたものだから、気が楽である。
 ボコスカと散弾銃の如く言葉の弾丸を好き放題放っていると不意に親父殿が立ち上がり、クルリと後ろを向くと腰の後ろで手を組みだす。
 一体何事か、と一家全員、家令・女中含め呆然としていると、
「ロォーレェンツ! …俺の名を言ってみろ」
「…あ、はい。オスヴァルド・フォン・シュバルツ伯爵様で御座いますが…?」
 ポカンと口を空けていた家令が気を取り直すと親父殿の名前を言う、だが、親父殿は変わらずにまたもや、
「ロォォレェェンツ! …俺が誰だか言ってみろ」
「伯爵位をお持ちの名門、シュバルツ家当主で御座います」
 親父殿の質問に気を取り直した家令が華麗に答えるが、一体何が言いたいのであろうか?
「その通りだ…ローレンツ。俺は伯爵なのだ。俺は偉い! 凄い! 格好良い! の三拍子揃ったいい男…。
そこで、だ。そんな三拍子そろったいい男の素晴らしい所をクラウとエマに見せてやりたいのだが、如何かね、可愛い娘よ」
「やったー! お父様かっこいー!」
 その言葉にすかさず歓迎の意を示すモニカとは対照的に、俺の顔の温もりが一気に無くなる。
「え、私もですか? 暫く剣を握っていなかった物ですから、手加減してくださいね?」
 特に反論は無いのか、それとも母の深謀深慮で俺が嵌められただけなのか、定かではない、が、
「いやいやいや、父さん、昨日言ってたでしょ? 『明日は勉強日和だから一日中勉強尽くしだ、よかったなクラウ』って!!」
 そんな事より、今は稽古無しという俺のパライソを取り返す事が必要なのである。
 それはもう、抗議した。徹底的に抗議した。椅子に立ち上がって親父殿の貴族としてのあるまじき言動を糾弾する演説のような事までした。
 ええ、しましたとも。

 ~20分後~

「よーし、じゃあ今日の稽古を始めるが、何時も言っているが稽古とは言え、怪我をする事もあるからな。真面目にやるように!
まずは父さんと母さんが模擬戦をするから、良く見とくように!!!」
 場所は移り変わって我が家の中庭。妙に気合の入った親父殿がフンフンと鼻息荒く、母さんを指名して刃の潰した模擬剣を手渡し5歩分程の距離を開けるとお互いに剣を構える。
「エマ、久しぶりだな、こうして剣を交えるのは…何年振りかは忘れたが…手加減はせんぞ!!」
「ふふ、あなた…そんな事言わずに手加減してくださいな」
 母が先程から変わらない笑みを浮かべるのに対して親父殿は至って真面目な顔、両者の間の気温差に不覚にも笑いがこみ上げてくる。
 だが、親父殿と母がこうして剣を打ち合わすのを見るのは初めての事である。これは見逃せない――!
「お父様がんばってー!」
「父さん、ちょっと大人気ないよ?」
 俺とモニカだけと言うのもあり勝手気ままにシュプレヒコールを挙げると親父殿が真面目腐った顔で、
「クラウ、勝負は非情なのだ、一瞬の油断が命取りになる! モニカ! 父さんの勇姿を、その目に…焼き付けるのだぁ――!」
 言い終わるとジャリっという砂を踏みつける音。勝負が始まったようだ。
 親父殿が剣を右肩まで振りかぶると一息に踏み込んで母に向かっていく。
――うわ、予想以上に早い。
 普段は手加減されている為、本気の親父殿というのは見たことが無かったが…目にも止まらぬ速さの剣筋に相対する母はまるで固まったかのように動かない。
 それが油断か、余裕なのか俺には分からないが、とにもかくにもこのままでは母が怪我をしてしまうので思わず、止めようと身を乗り出したが間に合わな――
 親父殿と母がお互いに間合いに入った刹那に、大きく響く模擬剣同士が打ち合う甲高く濁った音。
 母は何時の間に動いたのか、剣を振り下ろした体勢のまま一向に動かない、が、幸運にも怪我は無いようで安心した。
 隣からは妹が驚いたような声を上げているのを見て隣を見れば、視線は両親とはまるで関係の無い場所へ向かっていたので、その先を探していけば――
「――ぇ」
 丁度、ガシャリと音を立て、地面に叩きつけられた模擬剣。チラリと視線を戻せば、母は剣を確かに握っている…という事はつまり…。
「お父様、かっこわるーい…」
 やがて、妹の言葉にショックを受けたのか、振り被った体勢のまま器用にもプルプルと震えだす親父殿。というより普段から耳が痛いくらいに剣を持つ手に力を入れろと言っているのに…その本人が剣を手放すなんて。
「…これで、638戦637勝1敗ね。ふふふ、元近衛騎士団・副団長『疾風のエマ』の名は伊達じゃなくってよ?」
 予想を裏切る母の勝利もそうだが、638戦も親父殿とこんな事をしているのに驚きであり…それだけの回数を行って一回しか勝てない親父殿に二度驚きを隠せない。後、恥ずかしい異名を堂々と名乗る辺り価値観の違いが浮き彫りになる。
「お母様、すごーい! どうやったの!?」
 まるで絵画の如く名乗りを挙げた母に妹が飛び掛るような勢いで抱きつく。どうやったのかは俺も知りたい所ではある。
「いいか? 戦いで負けても恥ではない…勝てないからと諦めるのは家畜にも劣る行為だ。その負けを糧として更に精進し、自らを鍛え…」
 一方、敗者になった親父殿は言い訳ポエムを妹に向け発信するも、母に質問攻めで忙しいらしく、まるで聞いてすらいなかった。げに恐ろしきは子供の無邪気さである。
「…つまり直接的な戦いだけでなく、心を鍛え、自らと向き合う事も重要だという事だ。わかったか? クラウ」
「え、あ…うん」
 なんという事でしょう、親父殿は妹が聞いていないと分かったのか、極自然に俺に矛先を向けてきた。しかも最初から俺に向かって言ってましたと言わんばかりの匠の技に親父殿の必死さが伺える。
「今回こそ、負け越してしまったが、普段の生活でもわかるように父さんのほうが総合的に立場が上で…」
 わかった、わかったから。そんな暗に、夜の生活は主導権握っているとかそんな情報まるで必要ないから。
「…所で母さんが『疾風のエマ』なんて名乗ってたけど、父さんも二つ名はあるの?」
 いい加減煩わしくなった俺はキリが良い所を見て話題転換してみる。ここで重要なのが、強いとかどうやったの? とかそういう勝負に関することは聞かない事だ。罷り間違って聞けばポエムが加速する事態になるのはわかりきっている。
「父さんは持ってはいないが…クラウは二つ名に興味があるのか?」
 ま る で あ り ま せ ん。
 が、とりあえず首は縦に振っておく事にする。
「ふむ…二つ名というのは早い話が『異端者』だな…ああ、そう驚いた顔をするな、悪い意味ではない」
 すわ、魔女裁判かと思ったが、どうやら違うらしい。 
「ちょっと言葉にし難いが…例えばエマの場合だと、素手で父さんと戦うとまるで戦いにすらならないが、武具を握った状態だと、途端に別人のように強くなる…そういう、なんだ、天才とも言うべきか特化した者と言うべきか…つまりはそういうことだ」
 なんというか、今一要領が得ない。親父殿もそれが分かっているのか困ったような顔で考え込んでいた。
「つまり、特定状況下において他者を圧倒する能力を発揮する…という事?」
「うむ、それだ。父さんはそれを言いたかった。
エマの場合は『武具を持ち、地に足をつけた状態』が一番強い。これが『馬上で武具を持った状態』だとエマの反則的な強さはある程度落ち着き…そうだな、熟練した騎兵程度の強さになる。
だが『武具を持たず、地に足をつけた状態』では普通の女と変わらないぞ…ああ、勿論、強くなろうと修練すればその分一般人と同じように強くなるが。大抵、二つ名持ちはそういう制約があり、エマの場合は『武具を持つ』という事が鍵になるな」
 成程…早い話が才能が突出している人間には二つ名が与えられる、もしくは自称するという事か?
「ちなみにそれは練習もせずに、強くなる?」
「うむ、まるで神が舞い降りたかのように別人のような動きをするものだから『異能者』や『異端者』『代理人』『精霊保持者』…地方によって色々あるが大体はこんなもんだ。ちなみに、この国では二つ名として呼ばれ、エマの場合は剣筋や間合いの取り方が凄まじく早いものだから『疾風』と言われる所以だ」
「へぇ…じゃあ父さんは母さんに勝った時はその条件を満たしてなかったの?」
「ふはははははははははっ! そんな卑怯な真似は父さんはしないぞっ! 正々堂々と、条件を満たしている状況で戦ったのだ! そう、あれはエマに翻弄されながらも一閃の元…」
 その言葉を待っていましたとばかりに、上機嫌に自分語りが始まった親父殿を見て頭が痛くなる。
 他にも聞きたい事が沢山有ったんだが…今の親父殿は聞く耳すら持たない用で、何を言っても聞いちゃいない。結局親父殿のポエムを延々と聞く羽目になってしまったのであった。
 
「ほらほら、話ばかりだと稽古ができないでしょ?」
 先程までずっと妹と遊んでいた自分の事は棚に上げて、少し怒ったような顔で俺と親父殿に注意をしてくる母。しかし、小一時間、延々と親父殿の自分語りを聞き続けた俺にとっては救いの女神である事に違いは無い。
 ちなみに妹は稽古を遊びの延長と思っているのか母の服を掴んで、早く早くと催促していた。
「そんなに焦らないの。今から稽古をつけてあげるから、ね?」
 その言葉に笑顔で溢れる妹と…親父殿。
 きっと心の中で汚名返上の機会とでも思っているに間違いない。
「よし、モニカ。どこからでも掛かってきなさい(キリ」
 少し大きめの木剣を構えて、妹に視線を送る親父殿ではあったが、
「お父様、弱いから嫌!」
 どうやら、妹はより強い母に対して稽古をつけてもらいたいようであり、親父殿の汚名返上の機会は訪れそうに無かった。
「……ッ!?」
 流石にその言葉は致命的だったのか、ノロノロと中庭の木陰になった部分に移動して体育座りをすると、小石を雑草にぶつけて遊びだす親父殿。もうこれ以上は親父殿を見るのは止めよう、涙無しでは語れなくなる。母も母で親父殿の姿を一瞥するだけで、それ以上は何もしない。我が家の女は皆シビアである。
「では、クラウ、モニカ。順番交代でお母さんに打ち込んできなさい? 今日はお母さんが鍛えてあげる」
 言い終わるや否や、早速モニカが子供用の木剣で母に打ちかかるが、その度に軽くいなされて翻弄されるモニカは、まるで水面に揺れる木の葉のよう。それでも諦めの悪いモニカは何度でも立ち向かうが、結局まともに打ち合えずに疲れ果てて座り込む。
 普段、親父殿が一方的にモニカの攻撃を防ぐだけで時々反撃するだけ、なんていう家族サービスをしているからここまで一方的にやられたのは始めてである。
 その為、母に敵わなかったのが余程悔しいのか、涙と鼻水で顔をクシャクシャにしながら、木剣を地面に打ちつける癇癪妹を、
「大丈夫、大丈夫、モニカは十分に強いからね、もう10年もしたらお母さんを追い抜かせるわよ。だからほら、泣いちゃ駄目よ?」
 と、母が褒めつつも優しく宥めるとあっという間に機嫌を取り直したモニカ。なんとも現金なものである。だが残念だな、妹よ。お前は母の特殊性を知らないのだ…精々、頑張ってくれたまえ。
 泣き止んだモニカにやれ剣の振り方をこうしたほうがいいとか、やれ足裁きはこうだ。と直すべき点を指摘すると暫くそれを反復練習するように申し付けた所でいよいよ俺の出番である。
「何時でもいいわよ、好きに掛かってきなさい」
 とのお言葉を戴いたものの、実は俺、攻め込むのは慣れていない。
 何分、親父殿がモニカには甘いが俺には厳しく、攻め込む暇どころか、息継ぎすらも与えないほどの常時無双乱舞状態。少しはサービス精神見せろと常々言いたくなる。
 故に俺が出来るのは、剣の防ぎ方と地面に突っ伏した際の緊急回避方法に投げ飛ばされた時の受身なんていう、防御型なのである。防御力をステータスにすると4である(最高値100)。
 兎にも角にも、このまま突っ立っているだけでは埒が無いので全く本気ではない、とりあえずの一撃。勿論、防がれる。
 しかし、母の剣も親父殿に似て、気を抜くと剣が弾き飛ばされそうになる。気を取り直して深呼吸を一つ、そして二撃、三撃と続けて振るうが、直後に剣を防がれるという情けない姿を晒すだけである。
「…クラウ、そんな遠慮していると稽古にならないわ。本気で来なさい」
 なんて怒られてしまったので、僅かばかりに本気を出すが、どうしても途中で剣を振るう速度を落としてしまう。
 いや、わかってはいるんだよ? 俺が本気で挑んでも母は難なく防ぐ、なんていう事は。だが、ちょっと考えてみて欲しい、木剣とは言え当たると勿論怪我をするし、場合によっては取り返しの付かない事にもなりうるのだ。しかも相手は母である、例え叱責を受けても本気を出す気にはならないし、攻撃側というのはどうもしっくりとこない。
「もう…仕方ない子ね。そんな事だと何時の日か命を落す事になるわ…本気で来なさい!」
「いやぁ、わかってはいるんだけど…、あ、そうだ、じゃあ母さんが俺に攻撃してきてよ」
 俺の普段の稽古を母に伝えてから、物は試しとの事で攻守を逆にして稽古を再開。流石に鉄製の模擬剣を木剣で受けとめる事は危ないので、母が手ごろな長さの棒でする事に…木剣ですらない辺りお察しください。
 そして、今現在、母の無双乱舞を受けている訳だが、もう剣筋とか威力とか速さとかもうね、親父殿程威圧感は感じないが…技術が半端無く巧い。これが二つ名持ちの技かと感心すら覚えるが、覚えた所で意味は無く、もう数えるのも諦める程のフルボッコ状態。
 結局、俺が力尽きた時には、全身に青痣や擦り傷だらけで地面に突っ伏していた。容赦ねぇっすね、母さん。
「クラウ、どうしたの。もう終わりかしら?」
 立っては倒され、立っては倒され、元より少ない気力も尽きた俺は母さんに対して、もう無理ですぅという顔を向ける。
「甘えないっ! 立ちなさい、クラウ!」
 …親父殿以上に容赦の無い母に、俺は鬼を見たのであった。

「モニカはその年にしては凄いわ、このまま鍛錬を続けるときっと強くなるわよ。
でも、もう少し、足裁きとか剣を防ぎ終わった後の反撃の方法を考えるべきね、これからはそれらを重点的に練習しなさい。攻撃ばかりではなく防御も大切なのよ?」
 要はバランスが大事なの、と母は締めくくり、素直な妹はコクンと首を縦に振る。
 元気が有り余るというのは子供の特長なのか、早速、模擬剣を手に親父殿に笑い声を上げながら突撃を敢行するのを見て、あれは理解してないなと確信…母も同じなのか少しばかり苦笑いしている。ちなみに親父殿は何時間振りかに構われて凄く嬉しそうである。
「次にクラウだけど、剣の防ぎ方や追い詰められた時の方法とかは凄く良かったわ…戦場では、いくら後方に布陣していても何が起こるか分からないから、この調子で長所を更に伸ばしなさい」
 母は具体例として、敵が居る中で落馬してしまった時の対処や囲まれた時の対処法、そして逃げる際のコツやちょっとした小技等、戦場なんて行った事も無いような容姿をしているというのに、歴戦の古参兵もびっくりな生々しく現実味溢れた薀蓄に俺は開いた口が塞がらない。
 しかし俺は一語一句間違わずにそれを吸収しようと耳を傾ける。学問や教養より学びたかった実践的な事を今講義されているのだから。
「ふふ…目を輝かせちゃって、クラウのそういう所も良い所ね。
クラウは賢くて、優しくて…さっきの稽古の時も剣がお母さんに当たる直前に剣速を落としてくれたり、不意を付く時にわざわざ防ぎやすい場所に剣を振ってきたり…隙をわざと作っていたのに一拍、時間を空けてくれたりと気を使ってくれてね、お母さん少しだけ涙が出たわ。
でもね、もっと攻撃的になりなさい、優しすぎるのよ、クラウは…このままじゃ戦場で命を落してしまうわ…お願いだからそれだけはやめて頂戴」
 流石に自分の身が危険な時はそんなことはしない、と母に主張するも、
「いいえ、クラウ…これはシュバルツ家の跡継ぎとしての心構えでもあるのよ。
人の上に立つ者はね、下の者に対しての優しさは忘れてはいけない…けど、時には非情な選択も強いられるものなの、例えば、お父さんとお母さんがどちらかが居なくなるとすれば、クラウはそれを選ばないといけないとしたら、クラウは選べるかしら?」
「……いや、流石に極論じゃないかな?」
 そんなカレー味のunkかunk味のカレーかみたいな子供のような事言われても…。
「…お父さんもお母さんもね、それらに直面して、心で涙を流しながら…精一杯生きているの」
「…うん」
「剣が強くなくても良い、弱いと馬鹿にされても良い…ただ、心を強く鍛えなさい。
そして何と言われようが、虚勢でも良いから胸を張りなさい…でないと、選ばれなかった人も報われないの…。
大丈夫、クラウは私達の自慢の息子だから、きっと悲しい事があっても乗り越えられるわ」
 例えばと母は言っているが、それが冗談のように聞こえないのは、その真摯な眼差しの所為なのか。平凡で牧歌的な…だが幸せな生活で忘れそうになるが、この世は現代のような安全が保障された世界ではなく、人の命が一山いくらの世界。
 今までも、そしてこれからもまだ、おんぶに抱っこな俺だが、もし、その選択に迫られると考えたら心が折れそうになる…きっと、母はそんな俺の為に覚悟しておけと言いたいのであろうか。俺の心中を理解されているのを知ってやはり両親は偉大だと実感した。
「大丈夫だよ、母さん。その時にはもう一つ選択肢があるよ」
「あら、参考までに聞こうかしら?」
 これを言ったら怒られるというのは分かってはいるのだが、こういう、しんみりとした話は少々苦手な性質なのである。
「僕自身を選択すれば、僕は悲しまずに済むと思うんだけど、どうだろう?」
 だからついつい、茶化してしまうのだが、後悔はしない。さあ、怒れば良いさ、覚悟は完了している。
「わっはっはーどうだ、モニカ! 父さんだって強いんだぞー!」
 隣では説教モードに突入した母を横目に、少し離れた所を見ると妹相手に親父殿が子供のようにはしゃいでいた。いやはや、どちらが子供か理解しかねる所だ…ついでに妹は妹でムキになって攻撃しているのを見てやはり、母の言葉は理解していなかったと確信した。
「クラウ! 聞いているの!?」
 聞いているとも、母よ。茶化してしまって申し訳ないが、先程の言葉に嘘は無い。
 まあ、俺も死ぬのは二度と御免だ…精々、そうならないように選択肢の幅を広げていってやるさ。
 

おまけ

究極の選択

親父殿「クラウ、跡継ぎとしての心構えを説いてやろう」
クラウ「(…さては、母にけしかけらたな?)」
親父殿「極論にはなるが…つまるところだ」
クラウ「うん」
親父殿「父さんと母さん、選ぶならどちらを選ぶ?」
クラウ「母さん」
親父殿「('Д`;)」

親父殿「こほんっ…モニカ、話がある」
妹「なーに?」
親父殿「父さんと母さん、どっちのほうが好きだ?」
妹「お母様!」
親父殿「(´;ω;`)」
 



[3654] 王国暦234年 Ⅰ
Name: あべゆき◆d43f95d3 ID:0480b5cb
Date: 2010/06/24 16:34
 季節は晩秋、舞い落ちる葉が日々を彩る毎日。
 気づけば、親父殿が商談を終わらせてニコニコしているのを見ると一層、親父弄りをしたくなる思いです。
 さーて、今週のクラウディア君は、
・ クラウディア、頑張る
・ 親父殿、使えない
・ 母、撤退
 の三本となっております(違


中世な日々 王国暦234年 Ⅰ
 
 
 
「若様、狩猟権の決算表です。ご確認を」
「有難う、次は採集権に取り掛かってくれ」
 差し出された計算表が正しいか検算をし、
「通行税と関税については如何いたしましょうか?」
「別々に計算して俺に渡してくれ、時間が掛かりそうなら関税の品目別を書いてくれ、後は俺がやる」
 不明な点には簡潔に指示を出し、
「申し訳御座いません、商人ギルドの件ですが…」
「ああ、それなら確かここに…」
 勝手知ったるとばかりに手馴れた手付きで机から書類を差し出す。
 当初は俺を猜疑の目で見ていた徴税官達も今では忠実な部下である。
 それというのも、時代の所為か世界の所為なのかは知らないが、画期的なのであろう筆算を教え、俺自身もその現代での教育の賜物を発揮したお陰で、何時の間にやら、下っ端が座る大人数用のテーブルではなく上座にある責任者が座る筈の一人用の執務机に座っている始末。
 勿論、ある程度のやんわりとした苦言が漏れたが、徴税官達も何時の間にやら俺を頼りにしているという状態。
 我ながら本当に何故こんな事になったのかは分からないが、分かった所で目の前の仕事が無くなる訳でもないので黙々と仕事をこなす。
 総じて現在の人員状況を言うなれば、俺を連れてきた親父殿はあまりの仕事量に既に脱落し、母も俺の能力を確認するや否や脱落。本来は助手や計算役程度で連れてこられた俺が指揮を受け継ぎ、親父殿の配下たる役人連中を率いているのである。
 さて、両親がそんな使えない――特に親父殿――状況においても真面目に仕事に取り組んでいれば、早々時間は掛からず――とは言うものの半日は掛かったが――収入計算が終わった所で本来の責任者に結果の書かれた書類を渡す。
「…ふむ、素晴らしい。今年の税収計算は予想外に速くて嬉しいものだ」
 親父殿が、目を落していた書類から嬉しそうに顔を上げるとそう呟く。
 書類の中身は勿論、先程から取り掛かっていた我が家の荘園の租税と各種権利の収入表。
 嬉しそうな親父殿とは対照的にこれを計算した俺を含めた各種スタッフは既に精神的に参っていた。暫くは数字を見るのも嫌になりそうだ。
 実際に親父殿が計算や検算をしたのは極初期だけであり、当初は俺が計算を担当し親父殿が検算を担当するという事になっていたのではあるが、肝心の親父殿がこれまた使えない。
 ここの計算が違う、と自信満々に言い放つ親父殿に本当かと全員で検算をすると親父殿の間違いと判明。その後も計算ミスを連発し、自分達の足を引っ張るばかり。
 この時点で戦力外通告が出され、監督するという名目の、ただ椅子に座るだけのエキストラになった窓際族に代わり、指揮を執った母――後に俺 ――のお陰で順調に仕事をこなしていたのだが、ここでまたもや親父殿無双が始まった。
 自身は暇なのかもしれないが、俺達は忙しいのである。それなのに、ペニーとエインハルをドエニーに計算しといて、とかやっぱりペニーでお願いしまつ、とか、アス銅貨も忘れずにとか、あまつさえ、やっぱ今の無しとか。とかとか。
 ああ、少しばかり感情的になってしまったので話を戻そう。
 親父殿のお陰で予定ではもっと早く終わる筈だったのに、気付けば日の沈む頃にまで延長戦となってしまった次第である。最も、通常では二~三日は掛かるらしいので大幅な進歩振りである。
「本当に若様、様々です」
「ええ、全くその通り、この筆算なるものをご教授してくれたお陰です」
 親父殿の言葉を受け、口々に俺を褒め称えてくれるが、俺としてはこの徴税官達を褒めたい所である。
 黙々と子供の言うことをこなし、文句も言わずに仕事に掛かってくれたお陰であろう。
「確かにそれもあるが、貴様らのお陰でもある。何時も済まないな、これからも頼りにしている」
「光栄です、伯爵様。何時でも私達をお使いください」
 労いの言葉を掛けようと口を開いた瞬間に親父殿に良い所を持っていかれてしまった…この振り上げた拳はどこに下ろせばいいんだい?
「…ん? どうしたクラウ?」
「え、あ、うん、何でもない」
「そうか、クラウ、助かったよ。父さん嬉しいぞ」
 そんな輝くような笑顔で言われたら本当にこの拳はどこに下ろせばいいんだい?
 べ、別に親父殿に褒められても嬉しくなんかないんだからっ!
 でも、今度からも手伝ってあげても良いとか、そんなことは思ってない7歳児(♂)なんだからね! 勘違いしないでよね!

 親父殿のこの働きに対する給金に期待しておけ、との言葉を皮切りに一言二言、挨拶をして帰っていった徴税官達を見送り、仕事後の一服の時だった。
 干し果物を口に入れてのんびりと口に広がる独特の甘味を味わっていると、親父殿が幾分、真面目な顔で切り出した。
「クラウ、見事だったな」
 計算なら任せといてと、もう何回目かもわからない言葉を吐きつつ二つ目の干し果物に手をつけると、
「それもあるが、違う。役人達への指示の出し方と仕事の役割分担、無駄の無い総決算までの各種収入計算の順番だ。
それと、実はわざと黙っていたのだが…最も、クラウの事だからわかっていたのかもしれないが…」
 モゴモゴと、少し罰が悪そうに口窄みになっていくと隣に座っている母がクスリと含み笑いをしている。
「関税と通行税は一緒のようで違うのは、クラウ、知っていたのか?」
「…? 通行税は向かった先の領地に全額家の利益に入るけど、関税は種類によるけど一部が王家に入るって事?」
 親父殿の意図がわからず、とりあえず王国法に書かれていた税に関する事をつらつらと述べてみる。只の暇つぶしに読んでいたのだが、意外と頭に入るものであり、それが役に立ったという具合だ。
「うむ、収入と一言で区切っても、色々有るからな…今日は我が家の収入だったが、この関税は別計算でな。間違えると王家から叱責が来てしまうから、クラウにそれを分らせようとな…」
 それは構わないのだが、それならそうと、事前に言っておくなりしてくれても良かったのではないだろうか。
 別段、隠す必要も無いのではないか、と親父殿に告げると母は肩を震わせて笑いを堪えていた。
「う、うむ、まぁ…なんだ…クラウ、お前は父さんの子供だからな…その…なんだ」
 まるで厨房の頃の恥ずかしい過去を思い返すような顔をすると、いよいよ笑いを抑えきれないらしい母が珍しくも大口を開けて笑っていた。
「あはは、お腹痛いわ…。今思い返しても笑えるわね…。お父さんね、昔これで、大失敗してるのよ。
お父さんがまだ、次期伯爵の時分にね、クラウと同じようにお父さんがクラウのお祖父さん、当時の伯爵様ね…に手伝わせたのよ。最初に注意を受けているのに、間違っていてお祖父さんに怒られてね。まあ、これが一回目」
 やめて、エマ、やめてくれ。なんて言いながら母の肩をガタガタと揺らすが、それを片手で振りほどき、異にもせずに続きを話し出す。
「二回目は丁度、お父さんが伯爵位についた年ね。『伯爵という責任ある立場についたからには』なんて言って周りの諫言を押しのけて、自分一人で全部計算したらしいの。
勿論、計算ミスは多いし関税も間違っているしで、王都から使者が来たのよ。お父さん、顔が真っ赤でね、大恥かいたらしいわ。
そしてお母さんがお父さんの所に嫁いで来た年が三回目。お母さんにいい所を見せてやる、なんて言ってね、計算とか頑張ったのよ。勿論計算ミスはしなかったんだけど、肝心の関税を忘れていてね、また王都から使者が来たの。大変だったわ、本当に…。お父さんが『猛将伯爵』っていう異名から、プフッ…『関税伯爵』っていう…プフフッ…。
コホン…で、四回目はクラウが生まれた年ね。丁度クラウが生まれて、二日後に収支決算の時期だったの、お父さん、クラウが生まれてすっごく舞いあがっちゃってねぇ、やっぱり間違っちゃったの。そして、四回目ともなると、使者の方も慣れたものでね…ふふ、何て言ったと思う?
『オスヴァルド様、何時もの所が間違っております』
って、一言だけ言って直ぐに王都に帰っちゃったのよ。だから、クラウも気をつけなさい? お父さんの子供だから、将来厳しくチェックされるわよ」
 王国の歴史を見ても二回まではあっても、四回はあなただけよ。なんて言いながら干し果物を口にいれる母の顔は笑顔で一杯、だがしかし、もうやめて親父殿は今にも泣きそうよ。
「…まあ、つまり、父さんの二の舞にはならんようにな、実地でわからせようと思って、わざわざ、役人達に協力するように頼んだのだ。
間違っていたら、厳しく言ってやれと。最もその必要は無かったみたいだが…。大体、そのお陰で国王陛下との面識が深まったのだから問題は無いではないか」
「クラウはね、あなたとは違うのよ、あなたとは」
「…うん。父さん、もう寝る」
 寝室| λ..... 正にこんな感じに部屋を出て行く親父殿に掛ける言葉が見当たらず、見送る事しかできない俺を許して貰いたい。
「もう、またいじけちゃって…クラウ、ご苦労様。これからもお父さんを助けてあげてね?」
 やれやれ、と言う具合に親父殿の後を追いかけて部屋を退室し、俺も残ったお茶を一息に飲み干すと片付けを女中に頼み、ようやく折り返し地点に入るか入らないか、という具合まで読み進めた王国法を開く。単純に暇つぶしという点もあったが、将来的には役に立つだろうと思ってである。そして、それは以外にも直ぐに役立つことになった

 明けて翌日、空は快晴、風に舞う粉塵に糞尿が混じっているなんて考えないようにしながら、カッポカッポと馬に揺られる事数十分。向かう先は製作物ならなんでもござれの工房である。
 勿論、目的は単純明快――そろばんである。
 これが完成した暁には炭で真っ黒になった石版を洗うなんていう手間も省けて、更に計算能力の向上が期待できるという一石二鳥。ローテクも捨てたものじゃない。
 最も、親父殿は工房に行きたい=玩具が欲しい、と解釈しているようではあるが…もう何も言うまい。代金は多少割高になるだろうが、まあそこまで高い物じゃないだろう。
「して、若様。工房に玩具を依頼しにいかれるのですか?」
 手綱を握った無口な護衛にまでそう疑われる辺り、俺はまだ子供なんだなぁと実感。
「いや、ちょっとしたアイデアがあってね…まあ、使い方によっては玩具にもなる」
 あのそろばんの珠を滑らせるのを『遊ぶ』という分類にすればだが。
 どちらにしろ、玩具じゃないと言い張った所で栓も無い事だ…現物を見せて、その効果を実証するのが一番だろうよ。

……
………
「こらっ! 危ないからここには入ってくるんじゃねぇっ!」
 敷地内に入って、職人を呼んだ結果がコレである。
 流石に、子供一人だと悪戯と思われても仕方ない事かと思う。護衛は現在、馬を繋ぎに行っているのでここには居ない。
「兄さん、悪戯じゃない。少々作ってもらいたい物があるんだが」
「わかったわかった…じゃあ親御さんを呼んできな」
 あーもう、子供というのはこのような時は不便である。俺は○7才だ、と声を大にして言いたい所である。
「…今は親と一緒ではないので、代わりの人物で良いかな?」
「じゃあ、そいつで構わないから連れてきな。ほれ、さっさと帰れよガキンチョ」
 確かに刃物を扱う中、俺のような子供が来たら追い返すだろう…俺でもそうするからだ。だからこそ怒るに怒れない。親父殿と一緒ならばもうこの時点で一悶着があるだろうしな…。
 というわけで、護衛を待つ事数分。
「…というわけで、依頼をしにきたんだが」
 背後に立つのは完全武装した護衛の兵士、目の前には先程の職人。
 少しばかり冷や汗が見えるのは俺がそれなりの家の出だと気付いた所為なのか。というか、服装で気付いて欲しい所である。
「…ご、ご注文はどのような品でしょうか?」
 やはりというか、なんというか…やりにくい事だ。
「済まないが、石版と墨を貸してもらえないだろうか? 少々、口では説明出来ない代物なんだよ」
「直ぐに持ってまいりますんでっ」
 早速借り受けた石版に簡単な図形を描きつつ、口頭で説明する事に。
「まずはこの図を見てもらいたい。長方形の枠組が一つあって、区切る列は21列…この中に小さい珠を合計5つ入れる訳なんだが、見ての通り、上に珠を一つ入れた後残りの4つの珠と区切るわけだが、ここまでは理解できただろうか?」
「…どうぞ、続けてください」
 さて、目の前の兄さんはまだ多少は萎縮しているものの、真面目な顔付きで絵を凝視している。
 根は真面目な性分なのだろう…子供の戯言と思わないその男に悪い印象は最早霧散し、好感しか抱かないようになる。
「うん、珠を入れる場所であるけど、それぞれこのように、一個分の移動スペースを残しといて欲しい…そうだな、珠の形は指ではじき易いように、形も工夫して貰いたい…例えば、円錐を二つ会わせた菱形のような形で。そして、棒の部分は綺麗に磨いて欲しいんだ、引っかかっては気が散るから。
で、更に細かい所としては、長方形の枠組み――これを僕は梁(はり)と呼んでいるんだが――の中心点を基準にまずは分かり易い様に小さい印を付ける、で左右とも端っこまで三列づつにこの印を付けていって貰いたい。これが今回、製作依頼したい代物なんだ」
「成程…わかりました、引き受けましょう。とは言うものの、直ぐには出来ませんので…一日…いや、半日程時間を戴きますが…」
「構わないよ、丁寧に仕上げてくれればそれでいい。ああ、言い忘れていたが、大きさについては強度を保ちつつ、大きくなりすぎない程度が嬉しい。子供が片手でも扱えるぐらいが一番良いね」
 石版に描かれた珠の図を指で弾く動作をすると、職人は完全に理解したのか胸を一つ叩き、周りの暇そうな職人達を集めて作業開始。
「…ああ、坊ちゃん。ちょいと代金の事についてだが、持ち合わせはあるのかい?」
 そう尋ねてきたのは眉間の皺が特徴的な一人の壮年の男性。恐らくはこの工房の棟梁のような立場なのだろうか。
「今はコレだけしか手持ちが無いので、足りない分はツケで頼みたい」
 手にはペニー銅貨が10枚。家を出る際に親父殿から渡された玩具代である。
「…保証人の名は?」
「オスヴァルド・フォン・シュバルツ伯爵…俺の身分証明は、これでいいかい?」
 名前だけでは勿論信じてもらえないので、護身用に持たされている我が家の紋章が刻印されたナイフを壮年の男性に手渡す。
「まあ、証明できなければ、それを質として預かっといてもらっても構わない」
 ナイフとは言え、鉄製品、木材加工の品より余程高価なので質としても十分に効果がある。
「若様、それは…!」
 流石にこの行動に護衛の兵士が慌てたような声で俺の行動を止めようと身を乗り出してくるが、それを棟梁さんが手で止める。
「待て…坊ちゃん、依頼は受け取ろう。だが、坊ちゃんの出自が出自だ…余計な面倒事を避ける為にも詳しい内容を聞きたい」
 面倒事ね…それについてはこちらも同感、それに完全に意思疎通する為にもとことん話し合うのも悪くは無い。早速、石版を手に俺はまた要求仕様を語り始めたのであった。

 さて、予定通り半日程してから届けられたそろばんを試しに下に向けたり、元に戻したりと何度か行う…珠が引っ掛かったり動きが鈍いという訳はなく、まずは基本品質は合格。次に珠に棘あったりしないか注意深く観察しても須らく滑らかで、形も注文どおりの円錐を二つ合わせたような形である。
 いやはや、棟梁直々に良く話し合ったお陰か、それとも職人達の腕がいいお陰か満足できるだけの出来栄えに俺の頬は緩みっぱなしだ。
 パチパチと馴染ませるかのように珠を弾いてみると、案外、滑らかに俺の指は動いた。やはり頭で覚えていると体が勝手に動くものなのだろうか。
「…さっきから触っている、それは何なんだ?」
 親父殿が先程から見ているのは分かったが、漸く玩具の類ではないという事に気付いたようである。
「これは計算機だよ。名前はそろばん…今までは筆算で計算してきたけど、これがあればもう石版も要らないよ」
「わかったわかった…で、それは何なんだ?」
 この親父殿、まるで息子を信用していないらしい。
「本当なんだって、じゃあ試しに何か計算問題を出してみて」
「ふーん…では、そうだな…2687+987-1523の答えはなんだ?」
 どうせ無理だろうが、と決め付けている態度の親父殿を一泡吹かせるべく、珠をパチパチ。
「…2151だね」
 流石に何年か振りに触るので若干時間は掛かったが、追々思い出していけばもっと早くなるだろう。
「ローレンツ、答えは合っているか?」
 予想はしていたが、親父殿本人は答えが解っていないのに問題を出したらしい。健気な執事もそれは理解していたのだろうか、事前に準備していた石版に筆算を使って回答を導いていく。
「オスヴァルド様…若様の答えは正解で御座います」
 その言葉に信じられないという顔をするが、親父殿は数字を見たくないのか石版を受け取ろうともしない。
「…それなら、ドエニー銀貨168枚を全てペニー銅貨に換金する計算はどうかしら?」
 177枚換算でね、と、今度は母が俺に問題を突きつけてきたが、生憎とそろばんは加減乗除の四則計算全てできるという優れものなのである。…計算方法、少し忘れかけているけどな。
「…あ、そうか、こうするんだったな…29736枚だね」
 危ない危ない…流石に計算方法を度忘れしました、では話しにならないが霞みかかった記憶を辿って計算方法を思い出し、答えに導く。
 勿論、計算役は執事であるというのは言うまでも無い。
「奥様…29736枚…若様と同じ計算結果が出ております」
 流石に信じられないのか母は執事から石版を受け取ると、自らが計算をしていき…答えが出たときには感心したかのように声を漏らした。
 だがそれでも親父殿は信じていないのだろう、猜疑の目で俺を見てくるので挑発するかのようにそろばんを振ってシャカシャカ音を打ち鳴らす事で対応する。
「……」
「……」
 シャカシャカシャカシャカ…珠の奏でるメロディが場の空気を支配する。詰まる所これは戦いであり、勝利を確信している俺に逃げるという選択肢は存在しない。
「……」
「……」
 経験上、ここらでそろそろ親父殿が仕掛けてくる筈だ…。
「……」
 ピクリと親父殿の眉毛が動くのを見て、攻撃を仕掛けてくると確信。
「……エインハル銀貨128枚をペニー銅貨に換算した後、一ヶ月分…一日何枚使えそうだ?」
 成程、乗除複合問題と来ましたか…甘い、甘いなぁ親父殿は…除算の計算方法を思い出している俺に対しては悪手の極みである。
 ニヤリ、と笑みを隠す事はせずに堂々と勝ち誇った顔でそろばんを弾いていく俺。残念ながら容赦はしない…何度か復習をしたお陰か俺は往年の動きを取り戻しつつあり、手早く回答を弾き出し、そろばんから手を離す。
「……」
 チラリと親父殿の顔をみるとニヤニヤと趣味の悪い顔で俺を眺めていた。恐らくは答えを言わない俺を見てギブアップしたのだろうと思っているに違いない。
――勝ちを確信した時には負けている。
 そんな言葉をどこかで見たが、正に親父殿はその通りである。テーブルに置かれた石版の表側に俺は答えを書き、それをわざとらしく、親父殿に見せてから石版を裏返し筆算を行う。やがて、計算を終えた筆算のほうの答えを表にして親父殿の目の前に差し出す。
 筆算を目で追っていた親父殿はやがて、石版を裏返し――
「……クラウ、詳しい計算方法を教えてもらおうか」
――その言葉を待っていたよ親父殿。
 我が家にそろばんが採用された瞬間である。


おまけ

親子の戦い~歴史の真実~

親父殿「詳しい計算方法を教えてとクラウに言ったけどな」
母「はい?」
親父殿「正直な話、クラウの筆算が合っているのかどうか全然わからんかった」
母「……」
親父殿「あれって計算合ってたのか?」
母「……間違っているのは私が嫁いだ先だと思うの」



[3654] 王国暦234年 Ⅱ
Name: あべゆき◆d43f95d3 ID:0480b5cb
Date: 2010/06/24 16:30
 例えば、普段頼りない人がいざという時に八面六臂の活躍をすると周りの人物はどう思うだろうか。
 例えば、親父殿がそろばん片手に歴戦の徴税官達に勝るとも劣らない速さで事務仕事をこなしていたらどう思うだろうか。
 嗚呼、そんな…『あの』伯爵様が…なんていう声がつい漏れたらしい。
 これは夢なのかと頬を抓った者も居るらしい。
 きっと間違っているに違いないと、休みを返上して全て検算した者も居たらしい。
 やがて、徴税官達がパチパチと音を出す不思議な物体に注目しだしたのは、当然の帰結と言うべきか。
 そしてその結果として何故俺が関わってしまうのかと考え、親父殿が面倒くさがったのだろうとと答えを出すのもまた当然の帰結と言うべきなのか。
 早い話、
「役人達がそろばんを習いたい、と?」
「そうだ。あの役人達の顔と来たら今でも痛快だ…本当ならば、ずっとこの優越感を味わいたいものだがな。それはとにかく、父さんの代わりに奴らにそろばんを教えてやってくれないか?」
 こういうことであった。

中世な日々 234年 Ⅱ

「…では最初の問題です。123+187…これを計算してみてください。ゆっくりで良いのでまずは確実に計算をしていきましょう」
 まるで学校のように規則正しく並んで座っている徴税官達を順番に回り、間違いが無いか、また、解らない所は無いかと注意深く観察していく。
 皆が皆、慣れぬ手付きでパチパチとしていると自分もこうだったんだなと、気分は正に親心。
「若様…申し訳御座いません、少々宜しいでしょうか?」
 一人の役人から声が掛かり、何かあったのかと見てみれば、どうやら先程の説明でもまだ理解しきれてなかったらしい。
 恥ずかしそうに顔を伏せている役人だが、別に俺は怒りもしない…親父殿にそろばんを仕込める程、俺の堪忍袋は強固…いや、核シェルター級と言っても過言ではないだろう。
「初めてですから解らないのは当然の事です。どんどん間違えてください、それが皆さんの成長に繋がりますからね。さて、安心する魔法の言葉を言いましょうか…あの父さんでも出来たんだ、貴方達が出来ない筈が無い」
 魔法の言葉に周りは笑い声が漏れ聞こえてくる。父さんには内緒ですよ、と釘を指して正しい計算方法を順次教えていく。
 勿論、初歩的な問題なので皆が加減算をマスターするのも時間はそう掛からない。
 次に乗除算の計算方法を解説して、問題を出していく…結局の所こういう反復練習が重要なのであり、習得するのはその人のやる気次第という訳なんだが、うん、やる気だけには満ち溢れている。それが親父殿に計算で負けるのが悔しいのか、それとも便利というのが解っているからなのかまでは解らないが。
「…では半刻程の休憩を取りますので、目と肩のこりを存分にほぐしておいてください。…ああ、済まないが皆にお茶を出してやってくれないか?」
 傍で待機している女中達にそう指示した後、周りの皆を見渡してみれば、これまた意外と面白い。
 ペアになって問題を言い合って復習を欠かさない者も居れば、子供達にも教えようかと談笑するグループも居る。勿論、こりをほぐす人も居る。
 とにかく、全員が基礎的な四則演算を理解しているので後は慣れの問題であろう…ああ、応用も教えなければと、先生の気苦労の一端を垣間見れる。
「お待たせ致しました」
「ああ、有難う」
 差し出されたお茶を一口含み、溜息を一つ。この、仕事後の一服という感じがたまらない。お茶菓子代わりにぱたぱたと動き回る女中達をぼおっと眺めて、目の保養というのも日常のルーチンである。
「でも、なんか違うんだよなぁ…」
 そう、何かが違うのである。具体的には清潔感が足りない。勿論、女中達が不潔という訳ではなく、服装が何というか年季が入っている所為でどうも萌えない。
 本来なら純白のエプロンの筈なのだが、長年の煤の汚れにより薄黒くなって元の白さはどこへやら、新しく買い換えるという勿体無い事も出来る筈も無いから仕方ないのだが…。
「薪じゃなければ良いんだが…」 
 炭じゃ駄目なんですか? 薪じゃないといけない理由はあるんですか、とは必殺仕分け人の言である。
「…薪以外となると油は如何でしょうか?」
「ん、いや、確かに便利だが…あれは高い。我が家の貴重な輸出品だからそうそう使えないんだよ」
 どうやら、独り言が近くの役人に聞こえたらしい。ああ、本当に明かり程度ならば油でいいんだが、目的が目的である、こういっちゃなんだが不純な動機なんだ。
 それに薪を燃やした灰だって肥料として使っているから、一概に薪が駄目という訳ではないんだよな…。
「うーん…では、どこかで聞いたのですが燃える黒い石があるそうです。それを使っては?」
 黒い石…ああ石炭か。
「あれは…燃やすと害になる煙が出るから今はまだ駄目だ。それに輸入する為の金がない」
 大体、室外ならともかく室内で使うとなれば、もっと酷い状況になるのはわかりきっている事だ。
「ほう…そうなんですか…いや、若様は博識であられる。息子も見習ってもらいたいものですよ」
「おいおい、俺みたいなのが何人も居てみろ…子供の笑い声が町から無くなるぞ?」
 俺の言葉に役人は苦笑い、正直で良いことだ…ちなみに我が家の子供役は妹に任せてある。
「それは置いといて…心当たりが無いわけでは無いんだよ」
 部屋にある暖炉に稀に出来る炭、それが心当たりの正体なのだが…流石に炭の製法を詳しくは俺は知らない。精々知っている限りでは、高温で焼きつつも酸素供給をなるべくしないという事ぐらい。ああ、そういえば木酢液もついでに取れたんだっけか…確か農薬で使った筈だが。
「流石は若様です。若様が動くとなれば問題は無いですね」
「…あー、その期待に沿う為には…その、先立つものがな」
 わかります、と役人も顔を伏せる辺り、皆金欠なのである。
「そういえば若様は『異端者』だと噂になっているのですが、本当でしょうか?」
「…なんでそんな噂が立っているんだ。いや、そもそもとして何を根拠にしているのか分からんよ」
「…いやいやいや、若様、何を仰られます事やら…若様の聡明さは市井で度々話題になりますし、筆算やそろばんを代表するように、まるで知能の神に祝福されているかのような事を発案してるじゃないですか…」
 OH...確かに、そう言われれば少々駆け足すぎたかもしれないが…それでも、俺はそんな変な人物じゃないと声を大にして言いたい。
「それに『異端者』が子供を生むと他よりも若干高い確率でその子供が『異端者』になるようですし、母君の事を考えれば、普通に有り得る話ですから」
「…その高い確率というのはどれくらいなんだよ」
 問題はそこである。通常より高いんですと言われても0.01%から0.1%に上がりました、なんて事は言わないだろうなぁ?
「いや、まぁ…そりゃ、そこまでは高くないですが…そういう説が有りまして…」
 何故目を逸らすんだい? めーん? 科学的根拠に基づいて理性的な反論を行ってくれると俺は信じているぞ。
「そ、そろそろ半刻立ちましたので私は戻りますね、後半もご鞭撻の程お願い致します、では失礼…」
 あ、逃げた…仕方ない、人の噂も75日だと言うし、それぐらいは我慢するか。
「――よし、諸君。十分に気分転換は出来たかな? そろそろ始めようと思うので準備してもらいたい」
 さて、最後の仕上げと行きますか。

 役人連中のそろばん教室が終了した後、俺は自室へ向かいながら首を回したり、肩を揉んだりとこりをほぐしていく。いや、実際全然こっていないのだが、流石に精神的に疲れたのである。
 客観的に見るならば7歳児に教えを請う中年親父達という図はいかがなものかと思わないでもない。だというのに、一部の役人はもっと教えて欲しい等と嘆願する始末…これ以上何を教えろと言うのか。そろばんは官品扱いにして支給したのだから、後は各自で頑張ってもらいたいものだ。
 そんな事を徒然と思い出しながら中庭に差し掛かった所で、鍛錬に精を出す親父殿とそれを見ている母を発見、恐らくは親父殿が子供の前で格好良い所を見せれなかったので次こそは、といった具合であろうか。全くもって微笑ましい…母の優しい顔付きにも納得がいくというものだ。
 ああ、そうだ…折角目の前に『異端者』足る母が居るのだから、暇つぶしも兼ねてちょっと聞いてみようか。
「母さん、ちょっと聞きたいんだけど」
 声を掛けると母も俺に気付いたのかこちらに顔を向ける。親父殿も気付いたのだろうか、剣の素振りのスピードが微妙に上がった気がする…親父殿って意外と見栄っ張りだよな。
「あら、そろばんを教えるのは終わったのね、お疲れ様。それで…何かしら?」
「母さんが『異端者』だって自覚した時はどんな感じだったの?」
「急にどうしたの? そんな事聞くなんて?」
 そのお言葉にざっくばらんではあるが、俺が『異端者』だと噂されている事、そしてそれが実際どういうものなのかを知りたいと訳を話す。
「ああ、そういう事ね。そうね…初めて剣を握ったのは12歳の時だったかしら…。お母さんのお父さん…お爺ちゃんと、お母さんの弟が剣の稽古をしていてね、ちょっとお母さんにも稽古をしてみるかと言われたのよ」
「うん、それで?」
「それでね、当時のお母さんは剣なんて握った事も無かったから、木剣で稽古してたんだけど…その時は何も感じなかったの。それで、稽古の終わりにお爺ちゃんの真剣を一度握らせて貰ったときにね、なんていうか予感がしたのよ…『あ、お母さんはこれを扱えるな』って」
 …じゃあ、何、前の稽古の時は『異端者』の条件を満たさない上で俺フルボッコされた訳ですか?
 そう考えると母も相応に努力しているのか…『異端者』だというのに、ご苦労な事である。
「例えば、『これは今日、雨が降るだろうな』とか『あ、こけちゃうよ、危ない』とか…そういう確信にも似た予感がしたわね」
「へー…」
 確信にも似た予感、ねぇ…結果を知っているのに予感も糞も無いのだが…強いて言うなら、親父殿がさっきからこちらをチラチラ見てくるのは構ってほしいんだろうなっていう、予感はする。
「お母さんの感想だけど、クラウの場合はそういうのじゃなくて…予感というより確信っていうのかな…答えを知っているような感じがするのよね」
 髪の毛をくしゃくしゃっと撫でる母の手。親父殿よ、そんな羨ましそうな目で俺を見るんじゃない。
 しかし母は鋭いな…一瞬冷や汗を掻いてしまったよ…。
「それに『異端者』は元々凄く少ないのよ? この国全体で見てもお母さんを合わせて二人しか居ないし…他の国でも似たようなものかしらね。クラウには残念だけど、『異端者』ではないと思うわ」
 そんな悲しそうに告げられても俺の脳内では、ふーんあっそう…といった具合である。ぶっちゃけ変な二つ名をつけられるより余程良い。強くなった所で別に荒事に突っ込みたい訳でも無いし。
「そして『異端者』っていうのは歴史上の人物も含めて全員、武芸とか騎乗とかそういう身体能力関係しか確認されてないの。だから知力強化とか未来予知とかそういう例はありえないし…仮にそうだとしたら、本当の意味で『異端者』なの…だからクラウ…そんな悪い『異端者』には、こうよっ!」
 がおー食べちゃうぞー、なんていう推奨年齢幼児以下の行為をしてくる母と、熱い視線を向けてくる親父殿…どうする、俺はどちらを選ぶべきか――母にする? 親父殿にする? それとも…逃げる? よし、逃げよう。
「逃がさないわよ、がおーっ!」
 しかし回り込まれてしまったorz
 がおがおと言いながら抱きしめてくる母、そして、フンフンと鼻息荒くジリジリと近づいてくる親父殿。後悔先に立たず…がおがおフンッフンッと揉みくちゃにされながら夜は更けていったのであった。

 そろばん教室を開いて早幾数日、徴税官は言うに及ばず他の役人にも教えを請われ、細々と講義を行うようになった俺。そしてそんな彼らから漏れ出た話に、市井では一瞬で計算をしてくれる精霊が居るという曖昧な与太話から凄い計算具が有るらしいと現実に迫った噂話までそんな話題に持ちきりになった頃である。
 算術に密接に関わる商人連中がその噂話に食いついたのは当然の事だった。実際に役人連中が声を大にして凄いと言うものだから、商人達の食いつきもまた相応に激しく…。
「…全く、今日で何人目だ?」
 と、親父殿がぶつくさと文句をたれる程までになっていた。
「クラウ、お前が口止めをしていなかった所為で、父さんはこんな面倒な事をしなければならなくなったぞ」
 あまつさえ、俺の責任とまで言っちゃう始末である。しかも罰として母に、今日は浴びるほど酒を飲みたいから説得してくれ、という情けない言葉付き。
「とにかく、だ。連中は揃いも揃って心付けを父さんに渡してきおった…受け取らんと言っても、しつこくしつこくとな」
「何も家にまで来なくとも、役人さんに聞けばいいのに…」
「勿論、尋ねたらしいが誰一人教えてくれなかったそうだ…何でも奴ら曰く『これだけの技術を惜しみなく与えてくださった若様は我々を信用してくださるからだ』…だそうだ、人望が厚いのは良い事だ、父さんも鼻が高いな、わっはっはっ!」
 ついでに言うなら、父さんと一緒で優越感に浸りたいだけだろうよ、と、一言多い親父殿。
「なら、別に受け取っても良かったんじゃない?」
 家計の足しにはならなくとも小遣い稼ぎ程度はできるんじゃないかと思うんだが。それにどうせ、技術というのはいつかは伝播するもんだし、早めに売ったほうが良いと思うんだが。特にこのような類の技術は。
「いや、父さんも受け取ろうと思ったんだが…どうせなら高値で売ってやろうと思って、一度断った訳だ」
「…それで次に来る時はもっと高値を付けるって事?」
「そうだ、良くわかっているな」
 別にそれはそれで悪くないのだが…それだけだと少々味気ないというべきか…『出汁』が利いていないのである。そして出汁を利かせる為には実際に『魅せる』事なのである。
「ついでに、商人にそろばんを打つところを実践するというのはどうかな?」
「…成程、確かに奴らは噂話ばかりで現物を見た事が無いからな。美味しい餌を目の前にぶら下げるのも悪くは無い…クラウ、良い機会だ…餌やりはお前がやれ」
 その言葉に俺はぽかん、と阿呆の子みたいに固まってしまう。
 一体全体どのような心境の変化なのだろうか、普段の公式的な場だと子供の関わる場所じゃないと放り出されるのだが。
「…貴族というのは上っ面の塊だ。いくら金が無かろうとも、立場がそれを許さない。切り詰め、切り詰め…どうしても無理な時には借金をしてまた、無駄遣いをする。勿論、返せるアテが無いと誰も貸してくれん…だから、貴族の特権を担保にするのだ。徴税権に始まる各種の権利を、貴族という看板を、奴らは虎視眈々と狙っている…だからこそ、商人連中に食い物にされる訳にはいかんのだ…分かるな、クラウ?」
 やれやれ、商人連中は海千山千の猛者、俺如きがどこまで通用する事やら…頭が痛い事だ。
「…とは言うものの、今回だと銭勘定しか存在感を示せないよ?」
「今回はそれだけで良い。どうせ、これからお前は父さんが連れまわすからな」
 良い暇つぶしが出来るぞー、と暢気に言いたい所ではあるのだが、どうやら本格的に後継者教育を始めるらしい。腹の探り合いとか美辞麗句に飾られた言葉の応酬は嫌いなんだがな…。
「父さん、お手柔らかに頼むよ?」
「任せておけ…期待しているぞ?」
 親父殿と視線を合わせて、お互いにニヤリ。
 その後は如何にして商人を丸め込むかを語り合い、あーだこーだと小一時間。どうせ、商人連中は俺達と同じような方法で稼ぎ出すだろうし、それも含めてちょいとばかり稼がせて貰うとしよう。

 次の日、商人に休むという概念は無いとばかりに早速、我が家を訪ねてきたらしく、物陰から見てみると今回は数で圧倒しようという魂胆なのか三人組でのご来客である。
 さて…これから、俺と親父殿はこの熟練したトルネコ達を撃破して何百ゴールドかゲットしなければならないのである。親父殿は失敗しても良いと言っていたが、こんな簡単な事を出来うるならば初手で挫きたくは無い。
「…緊張するか?」
 後ろから野太い親父殿の声。足音に気付かなかったのは思考の海に潜っていた為か、親父殿の言うように緊張している所為なのか。
「程々には。だけど最初だからこそ、勝ちたいね」
「その意気だ…そろそろ行くぞ」
 こくりと頷き、向かう先は執務室。普段は応接間で行うのだが、茶番劇を行う上で執務室にする必要があったのである。
 ドアを開けば、正面には親父殿の仕事机…そしてその隣、本棚の直ぐ傍に親父殿に顔が向くように置かれた俺の仕事机がある。先日の内に芝居用に置かれた机ではあるが、終わった後も撤去はされない…俺の仕事机だ。
 家令には応接間ではなく執務室に通すよう事前に伝えてあるので、そろそろ来る頃合であろうか。
 お互いの机には怪しまれない程度に散らばった羊皮紙、と、書き記す為の羽ペンとインク…今までがアレだったせいか、仕事という現実味が湧いてくる。
「――オスヴァルド様、商工ギルドの方がお見えで御座います」
 来た――親父殿がこちらを見ていたので、コクリと頷きを一つ。
 こんな茶番劇で失敗すると、この先、何をやっても駄目だと、自分に言い聞かす。
「――通せ!」
 よし――やるか。
「伯爵様…お目通り叶い、恐悦至極で御座います」
「何、構わん。しかし…今は見ての通り、少しばかり立て込んでいてな」
 乱雑に散らばる羊皮紙は実際にまだ手を付けていない部分なので嘘は言っていない。俺ができるのは計算関連だけだが、それでも十分に仕事がある。親父殿の所はそれ以外の仕事を割り振ってある。
「これは失礼をしました。所でこちらの御方は…」
「息子のクラウディアだ。少しばかり戯れで、任せてみたんだが…これがまた、予想以上に優秀だったのでな…それ以来、任せてある」
「おお…っ、評判は常々聞いております。私は商人ギルドのブルーノと申します…今後ともご贔屓の程お願い致します…」
 トルネコA改め、ブルーノ氏。ぱっと見た限り貫禄のある体に人を安心させるような微笑が印象的な商人だが…経験上、こういうのが一番性質が悪い。人の心を緩めさせるタイプだから気を引き締めねばな…。
「私めの店は、恐れ多くも武勇伯爵像に何時も見守られる場所に建てさせて戴いておりますので、お近くを通った際には是非お越しください」
 武勇伯爵像? …ああ、あの街の中心部の広間にある親父殿の銅像の事か。しかし、中心部近くの店という事はブルーノ氏は中々の規模を誇る商会なのだろうか。油断は絶対にしてはならないなぁ。
「ええ、その時はよろしくお願いしますよ」
 そんな簡単な会話も終わり、流れるかのように他の二人の自己紹介が始める。
「お初にお目にかかります、木工ギルドのダニエルと申します、職人達には伝がありますので、何か用入りの際は確実にご拝命を実行できます」
 うーん、さっきのブルーノ氏と違って真面目な大工さんという感じがするが…見た目に騙されては話しにならないし…『何か用入り』…そろばんを作れますって事だろうな。
「俺は新しい物好きな性質でしてね、文献しかり、道具しかり、入手するのを待っているだけなのは性に合わないので、ついつい自分で作ってしまうんですよ」
 遠まわしに自分で作る、と言えば、
「その時はうちの職人連中も使ってやってください…腕は確かですので、若旦那様の期待を裏切りません」
 …訂正、トルネコBでもなければ、真面目な大工でもない、狸だ。
「ありがとう、その時が来れば是非にでも」
 俺の中での『その時』は一生来ないと思っといて貰いたい。
「…鍛冶ギルドのグレゴリー…よろしく」
 ………え? 終わり? 
 なんというか、くたばりそうに無い寡黙な頑固爺という感じだが…ここまで見た目通りだと逆に素晴らしいな…。多分、敬語を使うのも嫌に違いない。
 だが深く刻まれた皺と手に無数の火傷後、そして今だ衰えを知らぬようながっしりとした体格は今だ現役というのが成せる業なのか。
「鍛冶ギルドには腕の良い職人が集まっているようですね、馬の鞍に所々細かい工夫をしているのを見ると良くわかります…これからもお付き合いの程をお願いしますよ」
 とりあえず、当たり障りの無い挨拶で場を濁しておこう…外面は頑固爺でも、内面が同じだとは限らない。
 さて、三人の自己紹介が終わった訳だが…最初に発言したり、三人の中で話しの流れを進めているのはブルーノ氏。恐らくは彼がリーダー役であろうか。
 …まあいい、今回の俺の役割はそろばんを打つ事と相応の知力を見せ付ける事だけだ。そうして、視線を書類に戻し、事務仕事を始めていく。
 親父殿とブルーノ氏が表面上は和やかな会話を横で聞きながら、俺は簡単な計算は暗算で、少々複雑なのはそろばんを使って計算をしていく。勿論、時々これみよがしに計算式を口に出すのはご愛嬌。
「父さん、王家に納める税金の申告書は終わったよ」
 会話が途切れるのを見計らい、俺は親父殿に書類を渡す。
「もう終わったのか…相変わらず早い事だな」
 感心したような声を出して、検算もせずに伯爵家印を押して決済完了。ブルーノ氏からすれば、親父殿は俺を信じ込む程に使えるという具合に受け取るだろう。
「それとついでにだけど、城壁維持予算を算出してみたんだけど、例年より劣化が激しいみたいで補修にそれなりの金額が必要だね、はい」
 おまけ、とばかりにこれまた余った時間で計算しておいた見積書を提出して、次の仕事に取り掛かる。全て、まだ手を付けていなかった事は相手も確認している筈だ…通常では考えられない速度に相手は面食らっている事であろう。
「いやはや、事務仕事が速いというのは良いことで御座います。私めも職業柄、書類には嫌という程向き合っておりますので…」
 そう一拍置いた後にブルーノ氏が居るであろう場所から、そろばんの珠が出す独特の音が聞こえてくる。
「クラウディア様の事柄については市井でも興味がお有りなのか、噂が盛んに飛び交っていまして…例えば、このような凄い計算具が有るのだとか?」
 目をブルーノ氏に向けてはならない…動揺は絶対してはならない。そろばんの姿形が出回っているのは予想してあったし、現物を持ってこられるのも想定の範囲内だ。それに実際の使い方が分からない内は転がすかマラカスにするかの選択肢が無い玩具。
「ああ、これのお陰で、我が家は多大な苦労から解き放たれた…このように、幾許かの時間があればすぐにでもな」
「はいこれ…今年度の人件費を職務別に月額で出しておいたから、勿論、あの約束の分も含めてあるよ」
 計ったかのようにタイミング良く書類を差し出す。約束というのは女中達の賃金UP交渉の時の事である。
「ご苦労…息子が賢いのは良いのだが、どうにも甘い部分があるのか使用人達の給金を上げろ、と煩くてな…全く、我が家もそこまでの余裕は無いのだが」
 これまた、ドンッと響く伯爵家印の音。決済されたのは確認したので、女中達は喜んでもらいたい。
「頭脳明晰に慈悲の心、そして伯爵様譲りの大きな体格…真に名君の素質を垣間見ましたとも」
「ははは…クラウも喜ぶだろう。それで、今日は何用かな?」
 漸く本題に入るのか…そともまだ序盤戦を続けるのか…。
「いえ…『私共』は相応に『忙しい』ので、暇を見つけて挨拶に参った次第でございます」
 まだ序盤、か…教えなければ、忙しいという理由で我が家に対する注文を何かにつけ、渋るつもりなんだろうな。わざわざ三人という団体、それも別の所属ギルドから連れてきたのはこの為のものだろう。
「それもそうだ、お互いそこまで『暇』ではないのでな…最近はフェル=フラゴナールの連中も騒がしい」
 それに対して親父殿はそのような行いをすれば、軍事権を発動すると暗に示す。勿論、お互いがお互いにこれは最終手段なので実際に行う事は無い。商人からすれば、大貴族を敵に回す事になるし、親父殿からすれば、領地の維持が出来なくなる。だが、お互いに武器を突き付けあう事で優位に立とうとしているだけなのだ。
「はい、ですので此度はこれで失礼致します」
「うむ」
 家令と共に退室するギルド連中。扉が閉じたのを見計らって溜息一つ。
「ご苦労だったな、クラウ。疲れたか?」
「狸ばかりで精神的に疲れたよ」
 あー、もう止めたいと少しばかり思っても仕方の無い事であろう。こんな事を日常的にこなして来た親父殿って意外と凄いのかも…。

 少しばかり時間が経った頃、執務室から場所は変わり、俺と親父殿が顔を突き合わせての反省会が始まった。
 例えば、あの時にこう言うのは良くなかったや、こうするべきだった、とかこれは良かった等々。
「交渉なんてそんなものだ…貴族の社交界というのはこれに大金を掛けた場所でやるような物だからな、金が幾ら有っても足りん」
 そりゃそうだろう…家計が火の車になるのも頷けるというものだ。『すべきでないは宮仕え』と言う言葉があるが…まさにその通りである。
「だが、クラウはそれをこなしていかなかければならん。辛いだろうが、欲深いギルド連中を引っ張っていかねばならない。見栄で貴族と戦って、金で商人と戦って、剣で敵とも戦わねばならん…貴族というのは戦いの連続だ。
それにクラウが12になれば王都にて暫く滞在する事になるのでな、それまでにお前が食い物にされないように叩き込む必要がある。それが家族の為であり、家の為であり…何より、自分の為だ」
 有り難い、と言っておこうか親父殿。しかし王都にねぇ…あーやだやだ、貴族連中とこんな事するとなると心が折れそうだ。
「で、100点満点中、俺は何点ぐらいだった?」
 と、聞くと、親父殿が渋い顔をして、
「ふーむ…まぁ…そうだな…3点」
 うわ、話にならねぇ…何がいけなかったのか。言葉使いか、それとも他の要因か。
「…納得がいかない顔をしているな? 理由を聞きたいか?」
 当然である。打ち合わせ通りに事が進んだ筈なのに何故こんな低すぎるのか理由をさっさと言ってもらいたい。
「まあ、理由は色々あるが…それらは全て小さい減点だ」
「…大きい減点の理由は?」
「ふむ…こういう事だ」
 パチンと親父殿が指を鳴らすと、勢いよく部屋の扉が開き、ドカドカと入り込んできたのは、
「クラウディア様、ご機嫌麗しゅう…またお会い致しましたな?」
「どうも、若旦那様…お久しぶりですね?」
「…ふん」
 ブルーノ氏以下、先程の連中である。ていうか、帰ったんじゃないの? え? 如何いう事なの?
 混乱した俺は親父殿を見てみるとニヤニヤと笑い、他の三人を見渡しても皆が皆ニヤニヤと…。そんな意地の悪い笑みに囲まれた俺は急速に一つの答えへと近づいていく。
「大きい減点の理由だったな…それは、仕組まれた交渉だと気付かなかった事だ」
 あ、ありのまま起こった事を話すぜ…。『芝居を仕組んだ』と思ったら何時の間にか『仕組まれていた』…な、何を(ry)という状態。
「え、えー…なんで?」
 と、親父殿に聞けば、
「クラウは確かに賢く優しい…だからこそ、お前は騙されやすい。お前が貴族として、相応の場に出ればこのような策謀が当たり前のように渦巻いているという事を教えたかった」
「だからって、何も…」
 親父殿がやらなくても、と口篭ると、
「騙されたと気付いた時にはもう手遅れだ…。正直な所、父さんはお前にこの事をずっと教えたかった…そろばんの収入なんぞより、余程、な。
何も、人を信用するなと言っているのではない、信用の度合いを考えろ、と言いたいのだ。父さんも何時かは死ぬ…その時になってクラウが一人で頑張れるように、幸せな人生を過ごせるように…その助けになるのならば、父さんは何でもしてやる」
 …最近年のせいか涙腺が緩くなってやがる。くそったれめ。
「本当に良いお父上様をお持ちで御座います。我々三人は自ら信用できる、とは口にはしません。結果で、クラウディア様を信用させていく積もりですので、どうぞ宜しくお願い致します」
 ああ、畜生、期待しているぞ。結果を出せ…結果を出せば信用してやるぞ!
「――さあ、今日は息子が歩き出した記念日だ! 酒を持て!」
 わらわらと、事前に用意されていたのであろう料理達が運ばれ、グラスには並々と注がれる酒。
 くそう、今日は飲んで食って不貞寝してやるぞ。
「――乾杯!」
 ああ、今日ばかりは親父殿に完敗だ。この素晴らしき親父殿に――乾杯だ!




[3654] 王国暦 234年 ―兄妹の付き人―
Name: あべゆき◆d43f95d3 ID:e14cd408
Date: 2010/09/19 00:22
――妹、大爆発。
 失礼、勘違いする言い方であった。何も妹がボンバーマンとかそういう事ではない。子供によくある癇癪の事である。
 勿論、今まで癇癪を起こさなかったと言えば嘘では無いのだが、唯でさえ遊びたい盛りの5歳児…そう、ぶりぶりザエモンとかやっちゃう幼稚園児と同い年だというのに、外出は許されず、関わる人物は皆全て大人――精神的には俺も含まれる――という、とてもではないが教育的にどうよ、と言いたい具合。
 今まで我慢できていたのはひとえに稽古というストレス発散の場があったに他ならないのだが、俺が親父殿と共に外出の回数が増えたことを受け、妹の持ち前の好奇心がムクムクと鎌首を上げたのである。
 無論、両親とてその気持ちは痛い程分かっている…分かっているのだが立ち塞がる疫病という悪意。町は色々と不衛生の極みである、規模に関わらず疫病が起きるのは夏の恒例行事と言っても良い。
 子供の願いは叶えたい、けど、もし…という葛藤の末に7年間軟禁された俺である。妹も俺に倣うなら@2年程自宅警備訓練を受けねばならないのだが…。
「よし、わかった! 明日、出掛けるから楽しみにしておけ!」
 両親も子育ての経験を積んだのか、それとも疫病の治まる季節に入ったお陰とも言うべきなのか。
 かくして、妹の初めての外出が差し迫った今日この頃である。俺が二年間大目に軟禁されたのは愛故にであろう、当時、暇すぎて奇行が多かった事については関係ないと俺は信じている。
 

中世な日々 234年 Ⅲ 


「フェリクス・トューダーです。以後よろしくお願いします」
 さて、少しばかりの説明をしよう。このトューダー家、爵位は男爵、領内荘園は最大級・仕えた年数=建国時、という我がシュバルツ伯爵家の重臣中の重臣であり、目の前の少年は快活そうな面持ちが魅力的なフェリクス君、御年9歳。その父にあたるエーベルハルト男爵は親父殿の幼少の頃からの付き人であったらしく、俺自身も何度か顔を合わせているぐらいである。
「えっと…ローラ・トューダーです。おねがいしますっ!」
 そして妹の対面に座っているローラちゃん、御年5歳。ちなみにローラちゃんの母であるオレリア男爵夫人は母の幼少の頃からの付き人という、これまた歴史的にも付き合い的に見ても親密な間柄。
 家柄は申し分なく忠誠心も抜群、更に両親が良く知っている相手ときたものだから、遊び相手兼将来の側近とでも親父殿は考えているのだろうか。
「じゃあクラウ達は向こうで遊んできなさい。父さん達は積もる話がある」
 と、言われ、親父殿の『所で最近、三人目考えてるんだが、そっちは?』なんていう、まるで積もってない会話を後に部屋を出たのは良い。好きなだけ雑談でも猥談でもしてくれ。
 広めのこれみよがしに玩具が置いてある部屋に通されたのも良い。許そうじゃないか。
 問題は、いきなり初対面で『友達同士になったから、後は迷惑を掛けない程度で遊べ』とか言われても困るっていう話ですよ。
「……」
 妹は始めてみる同年代のローラちゃんに対して怖気づいているのか俺の服を掴んで離さないし、ローラちゃんもフェリクス君の背中に隠れてるし…。
 これが普通の学生とかなら『何処に住んでるのよ』とか『あの女子おっぱいでかくね?』だの、まぁやりようが有るんだが…、生憎と餓鬼同士の頃はどうだったか、などまるで覚えていないのが現状である。ぶっちゃけ、その辺走り回っとけと言いたい。
「とりあえず、俺はフェリクスって呼び捨てにするからそっちもクラウディアなりクラウなり好きに呼んでくれていいよ」
「いえ、そう言う訳にはいきません。父上からもそう言われておりますので」
「そんな事気にするなよ。俺達友達じゃん?」
 こまけぇこたぁ良いんだよ。子供がそんな事気にする必要性はないのだ。
「ですが、節度は守らねばなりません」
「……」
「……」
 会話、終了。しかも、性質が悪い事に本気でそう思っているらしく、表情がピクリともしない。
「…あー、ローラちゃんも気軽にクラウお兄ちゃんとでも呼んでくれても、いいんだぜ?」
 もうスマイル大放出。フェイスランゲージで子供心を掴むんだ、とでも思っていたのに、
「…ぁ……」
 視線が合った瞬間にサッとフェリクス君の後ろに隠れてしまった。
 だがしかし、ここは押しの一手である。内気な子は引っ張っていけば笑顔になるのが漫画の定石なのだ。
「仲良くしよう?」
 ぐるりと回ってフェリクス君に隠れているローラちゃんにむかってエンジェルスマイル。自分で言うのもなんだけど、間違いなくスマイル0円の所よりいい笑顔…の筈なんだが、
「…ひっく…ぐす…」
 笑顔を向けたら泣かれたでござるの巻。
「あー、大丈夫だよ、痛いことも怖い事もしないからね、ほら泣き止んで…」
 こんな時に飴の一個でもあれば…と思わずにはいられない。全般的に甘みとは果実か野菜か蜂蜜かというのが相場である。
 しかも砂糖は、超々高級品であり、なんと薬品扱いである。俺ですら生まれてこの方食った事が無いと言えばわかってくれるだろうか。
「すみません、クラウディア様、内気な妹でして…」
「こっちもちょっと性急すぎたみたいだ…ごめんね、俺は怖くないからね?」
 とまあ、なんとかフェリクス君に助けもあり、泣き止みました、めでたしめでたし…とはいかない。
「――で、何かしたい事ある?」
「クラウディア様がしたい事があれば、僕は従いますよ」
「……従います…」
 うおーい、何か案出せよ。これだから主体性が無いとか言われるんだよ。
「モニカは?」
「お稽古がしたい!」
 やがて緊張も解れてきたのか何時もの調子に戻った妹の提案は稽古…勿論、生け花だとかお琴だとか雅なモノではない。
「駄目」
 何が悲しくてこんな時までチャンバラをしなきゃならんのか、しかも相手は大人じゃなくて子供だぞ…。
「…じゃあ、おままごと」
「駄目」
 一見、女の子らしい遊び代表のおままごとではあるが、駄目だしをしたのには理由がある。
 内容はよくある、『お帰りなさい→ご飯できてるわよ(泥団子)→いただきます』なのだが、文字通り泥団子を口に入れるまで退席は許さないという、鬼畜仕様。無理といえば泣く・暴れる・拗ねるの3HITコンボ。口に入れれば今度は噛めと仰り、噛めば今度は飲み込めという始末。俺はあの泥団子の味と噛んだ時のジャリジャリ感を生涯忘れないだろう。後、勿論飲み込んでませんから。
 …いや、少し待てよ、落ち着いて考えれば泥じゃなくて果物なり菓子なりで代用すれば―何も無いというのは妹的にNGらしい―問題ないじゃないか。
 ということで今まで見守っていた初老の男性に小さい菓子か果物を用意できるか聞いてみると、用意できるとの事で、餅は餅屋、幼女には幼女、妹とローラちゃんはおままごとをさせておくことにしよう。
「よし、じゃモニカとローラちゃんはあっちのほうでおままごとをしてきなさい。やり方は教えるんだぞ?」
「わかったー…いこ?」
「…うん」
 俺と視線が会うと怖がるローラちゃんだが、どうやら妹なら大丈夫らしい。
「…俺ってそんなに怖いかな?」
 フェリクス君に同意を求めてみるも、
「…僕にはわかりかねます」
 むぅ…。まぁ何時かは慣れてくれるかね…。

 妹達は小さいテーブルの上にこれまた小さい食器と着々とおままごとの準備をすすめる中、俺とフェリクス君はこの後どうするかを語り合っていた。
「ですから、外出は少々考え直して頂きませんか?」
「よしわかった、今回は諦めよう。機会があれば二人で脱走しようぜ」
「…その機会が来ないことを祈ってます」
 と、ある程度の会話をこなして面識を深めた後は何をしようか、と辺りを見回し、目についたチェス盤…いや、俺はチェスと呼んでいるが正式には『チェッツランジェ』というチェスに似たゲームである。違いは一部の駒の移動が違ったり、クイーンが無かったりする程度。
「とりあえず、これやらないか?」
「チェッツランジェですか…嗜み程度の腕前ですが」
「俺の家じゃ誰も相手してくれないんだよな」
 カチャカチャと木工細工の駒を丁寧に基盤に並べていく。玩具とはいえ、この類の駒や基盤は高価なので扱いには注意が必要である。
「そうなのですか?」
「うん、母さんは元々こういうのはしないし、家令は色々と忙しい。父さんは…これ以上負けるのが悔しいからやらなくなったんだろうな…」
 元々、チェスが大好きだった親父殿が俺に教えたのが5歳の時。で、初っ端の勝負から今に至るまで俺は負けた事が無いのである。いや、俺が上手いという訳ではなく、親父殿が下手の横好きという奴だったのだ。
「はは…ではお手並みを拝見致します」
「こちらこそ」
 遊戯とはいえ、礼で始まるのが貴族クオリティ。この辺り日本と被っている偶然と言うべきか。 
「個人的な意見なんですが」
 しばらくお互い無言で取ったり取られたりをしていると不意にフェリクス君が口を開いた。恐らくは妹がテーブルの上の食器等を避けてから『こんなごはんがたべられるかー』と、テーブルをひっくり返した事だろう。
「あれは『亭主関白』だな…多分次は『カカァ天下』になるけど物は壊さないように躾けてあるし、怪我をさせることも無いから気にするな」
 亜種として『浮気が見つかった』と『襟元にキスマーク』『間男発見(3人用)』等もある。
 おませなモニカは普通のシチュエーションはお気に召さないらしい。
「…違います、いや、それもありますが…。このチェッツランジェはどうもしっくり来ないのですよ」
「しっくりこない…とは?」
「歴史を紐解いて見ると当然のように裏切りや謀略そして中立という立場がある中、この敵・味方だけのチェッツランジェでは自分の視野が狭くなりそうなんです」
 父上や他の人からは教育の一環として進められてるのですが…とルークを進める場所を考えながらそう言うフェリクス君。
「つまり、物足りない、と」
「勿論、クラウディア様との遊戯が物足りないという訳ではないですよ?」
 チェスは現在、フェリクス君が若干優勢という事もあってかそう言ってくる。やはり親父殿と違ってちゃんと考えて駒を動かしている…。親父殿よ、チェスは勝率が高いとか言っていたが、どうみても接待プレイされてる事に気付いてくれ。
「なら、今度、将棋をやろう」
「将棋…ですか、一体如何いったモノでしょう?」
 一応、この世界にも将棋に似たモノがある、正式名称は『マケラン戯盤』と言う、南方発祥の遊戯だが、この世界のチェスの元になっただけあり、俺の知る将棋とは似て非なるモノなのだ。
「基本はキングを倒したら勝ちというのはこれと変わらない、が、取った駒は何回でも使えるのが特徴だ」
「使えるというと、自分の陣地に再配置可能という事ですか?」
「いや、どこにでも置ける。ただし、置くとそれで自分の番は終わる。中々に考えの幅が広がるからオススメしたいんだが、何分相手が居なくて困っていてね」
 相手が居ないのもそうだが。何より将棋盤も駒も無いからどうしようもないのが現状である。
「…良いですね…良い…是非やりましょうっ」
「乗り気になってくれて有り難いね。じゃ、用意はこっちでしておくからまた今度にでも」
 帰りにでもダニエルさんの所で注文出しておくか…。
「今度…ですか? 現物がどのような物か分かれば、用意させますが」
「今は何処にも無いし、誰も知らないさ、将棋なんて」
「…まさかご自身で考案されたとか?」
 んな訳ねーだろ、と言いたい所だがそんな事が言えるはずも無く、そんな所だ、と場を濁を濁しておく。むしろ考案者なんぞこっちが聞きたいぐらいだ。
 そんなトリビア的な事を思いつつ、妹達の様子を見ると『そこは、めぎつねの臭いがプンプンするのよ、どういうことっ。って言うんだよ』なんて妹がローラちゃんに向かって言っていた。ローラちゃんは困った顔をしているし、初老の男性は苦笑い…まぁうまくやっているようだ。
「クラウディア様…いいんですか?」
「良いんだよ。どうせ理解してないだろうしな、そういうフェリクスもそうだろう?」
「…まあ、ある程度の本質は分かりますけどね…」
 むしろ、『夜feat.両親』を教えてない辺り俺の自重っぷりを褒めて貰いたいくらいだよ。
 ちなみに、チェスの勝敗の行方ではあるが…。
「ま、参りましたorz」
「はは…良い勝負でした」
 後一歩の所で負けてしまった。残念。

 トューダー一家との顔合わせも過ぎ、そろそろお暇しようかという刻限になる頃には俺も妹も最早最初の余所余所しさは無く、妹に至っては帰りたくない、お泊りしたいと駄々をこねる始末。
 ローラちゃんも満更では無いようで、エーベルハルト男爵にもっと一緒に居たいと言い出すくらい仲が良くなったようである。俺? 目が会うと怖がられますが、何か?
「…はぁ、仕方ない奴だ。すまんが頼めるか?」
「光栄です、任せといてください」
 結局、妹に弱い親父殿はお泊り許可を出すのは必然とでも言うべきなのか、それとも、妹の喜ぶ顔を見たいが為に許可を出すのを焦らしたのかは分からない。
「クラウは泊まっていきたいとは言わないのだな」
「それでも構わないけど、用意しなきゃならない物があるから今日は止めとくよ」
 本当か? 仲が余り宜しくないんじゃないのか? という視線を向けてくるのをフェリクス君も気付いたのか、
「伯爵様、本当でございます…では、クラウディア様、期待しておりますよ」
「うん、2~3日ぐらいしたら恐らくは出来ているだろうから、その時にでも」
 と、まるで老人の次の同好会の集まりは何時なのか、とでも言う会話(約束)をしてえっちらおっちらと馬に乗る。
「次は僕がそちらに伺いますので」
「特に用事も無いし、何時でもいけるから好きな時に来てくれ」
 そうして手綱を握った所でローラちゃんと戯れていた妹が、漸く視線をこちら向けて、
「…お母様も帰るの? 一緒に泊まろうよ…?」
 そこはそれ、未だに一人では寝れない妹は寝る時は母と一緒か、俺と一緒というのが日常なのだ。比率としては母が7割、俺3割。親父殿は…鼾がうるさいから嫌らしい。
 親父殿と母は同室で寝ているが、ポジションとしては親父・母・妹の並びで寝ている。無論、俺と寝る時は…わかるよな? 閑話休題。
「あら…困ったわね…」
「どうぞ泊まっていってください。モニカお嬢様の為です」
 と、オレリア男爵夫人がさぁさぁ、降りた降りた、とばかりに馬を捕らえている。
 まあ、母との付き合いも深いようだし、オレリア男爵夫人も結構喜びの表情が顔に出てるし…。
「そう? なら、お邪魔してもよろしいかしら?」
「はい、さ、エマお嬢様どうぞこちらへ」
「…うーむ、まあエマが望むならそれでいいか…。エーデル、頼んだぞ」
 はい、お任せください、とエーデルハイト男爵がそう頷いた所で、今度はローラちゃんが、
「ゎ、…モニカ様…あれって『浮気』の場面なのかなぁ…?」
「違うよーあれって多分だけど、『若い燕』を気にしてるんだよー」
 全然違うし、二人共そんな事をここで言うんじゃないっ!
 見ろっ、男爵と婦人の目が点になっているのを…空気読めとあれ程言ったのに!
「……、ローラちゃん、それは誰か聞いたのかな? おじちゃん聞きたいなー」
「っ!? ぇ…モニカ様…です…」
 あ、やっべ。この流れやっべ。
「…モニカ、誰に聞いた?」
「お兄様から聞いたー」
 クラウディア、撤退しますっ!
「…んっう゛んっ…クラウよ、少々…っ、待てい!」
 待てと言われて誰が待つのか。時は金なりっ。
 というわけで、俺はすたこらさっさと皆を置いて逃げ出したとさ、まる。
 …
 ……
 ………
「…全く、余計な事を教えおって…っ!」
 拳骨を食らった頭を撫でながら、親父殿の説教を聞きつつ、馬はダニエルさんの居る木材加工所へと足を進める。
「…それで、結局、フェリクスとは上手く行っているのか?」
「割と上手く言ってるよ。年に見合わず中々に落ち着いてるし」
 正直、俺があの年頃の時は勉強よりゲーム、学校より放課後、みたいな感じだったが…それなりに推奨されているチェスで物足りないというのは中々に見所があるじゃないか。
「年…いや、まあいい。力の有る重臣と上手く折り合うのもまた必要だからな…それで、どこにいくんだ?」
「ちょっとした玩具を頼みに」
「また…玩具か。いや、お前が言うならそれでも構わんがな、あまり高いのは駄目だぞ?」
 そろばんの件以来、俺の言う玩具は玩具じゃないと学んだのか、何も言わなくなった親父殿だが、今回は本当に玩具なんだよな…。
 と言う訳で、到着しましたダニエル木工所。日が随分と傾いた刻限故か、片付けが始まっている。
 目に付くのはどうみても、そろばんの部品としか思えない木工細工…ここはそろばんを頼んだ場所じゃないのだが、どうやら、結構な繁盛をしているようだ。
「はい、いらっしゃい…と言いたいんですが、生憎店仕舞いでして…、あ、これはどうも伯爵様。何か御用で?」
「うむ…用があるのはクラウらしい」
 そう言って、俺に視線を向けてくる親父殿。
「若様、私の所では家から包丁の握りまで何でも承っておりますよ?」
 冗談で、ちょっと城建てて来いと言いたくなったが、それなら石工のほうかなと考え、思い直す。
 それはさておき、とりあえず石版セットを借りて説明開始。
「こういう…不均等五角形の、駒を…えーっと……合計40枚、大きさもあるからそれぞれ合わせて欲しい。次は…そうだねぇ、80アンス(30cm程度)程度の正方形の板を1枚用意してもらいたい。とりあえず、駒が9枚並べられる広さが必要かな? 板も駒も無地でいいけど、やすり掛けで磨いて欲しい」
 とりあえず、絵で察してくれとばかりに石版を手渡し、ダニエルさんは、ふーん、ほー等と呟く。
「…先に言っとくけど、これは本当に玩具だから、そろばんみたいに注文は期待しないほうがいいよ」
「えっ、いや、わはっ…わはははは、そんな事は思ってませんよ?」
 間違いなく、金になるか考えてたぞ…こいつ…。
「それで、これは何時ごろ出来そうかな?」
「この程度でしたら、明日か明後日には出来てますよ。完成しだいお届け致しますので」
 遅くても明後日ならフェリクス君が来た時に十分間に合うだろう。
「では、頼んだよ」
「はいはいー、お任せください」

……
………
「――それで、フェリクスはクラウからみて如何だった?」
「んー……」
 帰路の途中、親父殿の質問に俺は少し考え込む。
 如何だった、と聞かれれば落ち着いている少年であった、と答えるだろう。
 だがそれは、親父殿の質問の意図からしたら少し違うかもしれない。
 ならば、能力的な意味か…だが、一度会っただけで分かるほど人間というのは賢くない。
 それでも、たった一度で評価するならば、王道的な人物とでも言うのだろうか――博打を打つのではなく、確立で選ぶというような――ベストではなく、ベターを選ぶというような――優秀と前置きに付く模範的な人物。
 チェスの最中に少しばかり、穿った――抱える領内の問題――にもセオリーの範疇と言えばそれまでだが、それでも自分なりの現実的な回答をしていた。
 そういう意味では、たかだか9歳という年齢を考えれば十分だろうか。彼がこれからも努力するというならば、伸びるのは間違いない。
 だがしかし、もし、であるが、もし、俺がTOPに立った時に彼は、ついてこれるだろうか? 拙い穴だらけの理論とは言え、時代の変革についてこれるのだろうか?
 今は、わからない。だからこそ、
「もし、柔軟に何でも対応できるならば――いい相棒になるんじゃないかな?」
「…フェリクスはお前の噂で持ちきりになる前は、秀才と言われていた。トューダー家の皆が期待しているし、父さんもよく知っているつもりだ、この目で直接見てるだけにな。
だが、父さんから言わせて貰えば、クラウは過程を軽視しすぎている、フェリクスは過程を重視しすぎている」
 ああ、成程、確かにそう言われてみればそうかもしれない。特に俺なんて結果を知っているだけに尚更だろう。
「過程を軽視するという事は、それに関わる人々を無視しうるという事にも成り得る。過程を重視するという事は急がなければならない時に、急げない事にも成り得る。どっちが良いという話でも無ければ、中間ならば良いという事でも無い。
…二人共、急がなくてもいい、ゆっくりと寄り道して経験を積んで見ろ――今まで見えなかったモノが見えてくるぞ?」
 急ぎすぎている…か、そう考えれば、俺はこの世界の住人と自覚していただろうか。
 結局、まだまだ、分かっていないという事だろうか。
「…そんなものかな?」
「…そんなもんだ」
 不意に出会いがある事もあるんだぞ、と親父殿と母の馴れ初めを聞いたり、ローラちゃんに怖がられてる等と相談したり…。
 寄り道というのがどういうモノなのかは、もう忘れたが、偶にならこういう時間も悪くは無いね。
 



[3654] 王国歴 234年 ―『武』には『文』で―
Name: あべゆき◆d43f95d3 ID:e14cd408
Date: 2010/09/22 05:00
 カリカリカリ、と木と羽ペンが擦れる独特の音を聞き始めてどれくらい経っただろうか。
 10分かもしれないし、30分かもしれない、がそんな事はどうでもいい。
 『歩兵』と書く作業はもう飽きた、という事である。今は何枚目で、後何枚書けばいいのか…最早、香車と歩兵の駒の大きさ等どうでもいいとすら感じる俺が居る。
 まあ、それは置いといて、実際に文字を書き始めてから幾つか気付いた事がある。
 ①見たら分かるのだが、歩兵駒以外の裏の文字なんて覚えていない。
 ②フェリクス君は当然、日本語が読めず、チェスのように一目で分かる特徴というのが無い。
 ③そして、俺が日本語とこの世界の言語を使えるバイリンガルになっていたと自覚した事だ。
 それらを解消する手段として、①は素直に諦めた。覚えてないのに、思い出そうとしても思い出せる訳が無い。そこで、素直に『香車』ならば『成香車』、『飛車』ならば『成飛車』と『成○○』とする事にした。
 次に②ではあるが、当初はこの世界に当てはまりそうな事柄を――例として飛車という文字はやめてルーク等――書こうとしたが、早い話が、文字数over――いや、書こうと思えば書けるが、読めるか? となればまた別の話になる――だった。そこで、せめて分かりやすく、と表の文字は黒インクを、成り上がった裏文字には赤インク――動物の血という事もあり安価――で文字を書く事にした。
 後はもう、フェリクス君の努力に期待するという、捉え方によっては丸投げという形で可決された次第である。
 ついでに話が変わるのだが、親父殿が『銀将』という文字が気に入ったらしいので、二の腕に書いてあげると大はしゃぎで走り去っていった。可愛いものである。


中世な日々 234年 ―『武』には『文』で―


 場所は自宅、部屋は客室、時刻は昼前。登場するのは伯爵一家と男爵一家の男爵抜き。
 腕を組み、何故か袖を捲り上げ、これまた何故か『銀将』と書かれた腕を見せ付けるかのように斜めにポージングしている親父殿を背景に、将棋の基本ルールをフェリクス君に教えていた。
 フェリクス君を侮るなかれ、彼は並べられた将棋の駒を見た第一声が『これは文字ですか?』だったのだ。それに比べて親父殿と来た日には『何この落書き?』である。
 嗚呼、鋭きかな、フェリクス君。そうだよ、遥か天空の世界の青い星の東の島国の文字なんだ。多分。
 その俊英フェリクスを生んだ母親のオレリア夫人は母と子供そっちのけで、雑談に興じ、妹連中は俺が昔作った布を丸めただけのボールを投げ合って遊んでいた。こう見ると、途端、貴婦人から近所のおばちゃんに見えるのは俺だけなのだろうか。
「…で、この桂馬というのはチェッツランジェでいうナイトにあたる。但し、動かせるのは前方の、この場所だけ」
 トントン、と指先で指せる場所を教えていく。将棋が出来るならチェスが出来るし、その逆もまた然り。
 一通り説明が終えると、始まる勝負。こういう類はやって覚えろ、負けて覚えろが一番効果的なのだ。分からなければ聞いても良い。
 とは、言ったものの…フェリクス君は暗記力も良いらしい。予想していた『この駒はどうやって動くんだった?』とかはまるで無し。
 勿論、初心者のフェリクス君と勝手知ったる俺である。当然、勝つ。
「と、まあ…こんな感じの遊戯なんだが、どうだった?」
「…深い遊戯ですね。気に入りました、是非もう一度お願いします」
 ふむ、中々に気に入ったようだ。
「そりゃ良かった。これで無理なら、ダイスでも振って乱数を導入しなければならない所だよ」
「ダイスを、ですか?」
「現実には絶対というモノは無いだろ? 例えば、この将棋なら、確実に自分の番が回ってくる。攻めた相手は確実に討ち取れるし、逆もそうだ。
けど、ここでダイスを振る事によって、二回も三回も自分の番が来る事もあるし、攻められても引き分けや王が追い詰められた時に運良く逃亡、という事も有り得る…そういう不確定要素の為のダイスだよ。一言で言えば、運も実力の内って奴だ」
 実際問題、そんな事を導入すれば一局打つのに時間が掛かって仕方ないと思うが。
 というか、そこまでするならもっと本格的な物を探すなり、作るなりすべきだろう。
「――それも良いですね。どうです、やってみませんか?」
 だというのに、このフェリクス君、ノリノリである。
「準備出来てないってーの…それでも、やるというなら、色々と煮詰めないとな…。勿論、フェリクスも手伝えよ?」
「はは…お力になれるかどうかは分かりませんが」 
「それまでは普通の将棋で我慢しといてくれ」
 頭の運動にも良いだろう、と言ってそれからまたもや暫く無言でパチリパチリ。
「…やはりそうそう、簡単に成らせてくれませんね」
 幾度目かの、戦線突破を防いだ時である。
「そりゃそうだ。下手に強大化されたら手に負えないからな、事前に防ぐにこしたことはない」
「はは…だからこそ、成り上がり、ですか」
 うむ、そう簡単には行かないのが人生ってなもんだろう。仮に成った一枚が有れど、他の駒から孤立したそれは大抵、唯の的となる。戦争で良く言われる、個々の力量よりも連携が重要というのは、つまり、こういう事なのだ。
「まあ、元々は戦争を遊戯にしたものだからな。そう考えれば、駒それぞれに身代金額を設定して最終的に金額が多いほうが勝つ、というルールにしても良いかもしれない」
 そして、無駄にリアリティ出して見ました。
 高々身代金と馬鹿にするなかれ、中世欧州だけでなく果ては戦国時代の日本まで(奴隷市等)この身代金制度があり、重要な収入源の一つであったのだ。
「成程、名案です。それならば使える駒は元々自分の駒だけだったり、歩兵は金額次第で寝返り…というのも有りますからね」
「戦争に勝ちました。赤字でした。なんて事も有りうる…そこで、指し手を国家規模という設定にしてだな…」
「ならば初期配置を…」
「とすれば、外交というのが…」
「」
「」

……
………
 何故か無駄に盛り上がった現実的な将棋ルールを語りつつ、早5局目も終わろうかという所。これが終わったら一段落して休憩すべきだろうと、テーブルに置かれた蜂蜜の掛かった菓子がそう囁いている。
 いやはや、全く持って異論は無い。5局も打つと集中力が途切れるわ、考え疲れてくるわ…その癖してフェリクス君と来たら驚異的な速度で腕前が上がってくるわ、集中力が増してくるわで…今回も勝てそうではあるが、何度か肝を冷やした場面もあった。
「…詰みましたか。では、もう一度…」
「休憩しよう。な?」
 未だやる気に満ち溢れるフェリクス君に待ったを掛ける。
 そんな嘆願するような目で見られても俺は限界なんです。むしろ、ここまで良く頑張った俺。
「では、休憩した後にもう一度…」
「………」
 勘弁してください。

 さて、昼食後は恒例となった乗馬訓練である。内容は至って簡単、ポニー程度の大きさの馬に乗り、従騎士の誘導に従うだけの簡単なお仕事です。
 それはともかくとして、今回はフェリクス君も参加するとの由に、二人並んで訓練と言う名の散歩開始。ちなみに俺は手綱を引かれているが、フェリクス君は一人である。
「…しかし、相変わらず父さんの馬はでかいな」
 俺の前方で縦横無尽に馬を駆っている親父殿を見て、そう一言。馬がでかけりゃ、親父もでかい。ついでに息子♂もBIGと来た日には、遺伝に期待しても良いだろう? 日本人的に考えて。
「あの馬は特別ですよ。なんでも、遥か南方の砂の国から送られたとか」
 馬の事は良くわからないが、地球で言うアラビア馬とでも言うのだろうか、ずんぐりとした他の馬と比べて、現代の競走馬に似た体格(大きさは段違いだが)。素人の俺でも目を見張るのだから、別格とは正にこの事だろう。
「そうそう、で、父さんが国王陛下から下賜されたとか…酒に酔えばすぐその話になる」
「それもそうでしょう、僕が見ても神話の中から飛び出したとしか思えないぐらい、素晴らしい馬なのですから」
 うんうん…名前が『スレイプニル』だしな。わかるぜ、その気持ち。
 だがフェリクス君や、俺は一度乗せてもらった事があるが、でかすぎ、高すぎ、怖すぎで笑えなかったぜ…?
「あの馬の血族を伯爵様から下賜されるというのは、武門の誉れ。僕も何時かはあの馬に…」
 余談ではあるが、下賜された馬は2匹。雄馬が先程の『スレイプニル』雌馬が『アルスヴィズ』という名前で、我が家の生きた家宝でもある。現在絶賛、繁殖中。子馬が確か何匹が居た筈である。
「おー頑張れ、頑張れ、未来の大英雄。期待してるぞー」
 そして俺に楽をさせてくりゃれ。
「はは…とは言ったものの、そこまで武芸が得意という訳でも無いんですよ」
 多少の手解きは受けているのですが、と言うが、君の言う手解きは手解きというレベルじゃないからね。
「ハハハ、こやつめ」
「いえ、本当なんですよ。剣や槍より弓のほうが性に合うのですが、家の都合上、騎兵入りは確実ですから、もっと精進しないと駄目なんです」
 実を言うなら馬術も…と困ったように頭を掻くフェリクス君。
 乗馬すら許されない身分の者から見たら贅沢な悩みと思われそうだが、実はこれ、結構切実なのである。
 戦場の花形である騎兵部隊は貴族専用部隊と言っても過言ではない。だからこそ、フェリクス君のような家柄は若年であろうと――多少は実戦経験が必要だが――指揮官に任命される。無論、それでは問題が起きるので実戦経験豊富な人物が補佐という形で下に付くのだが、当然、下についた人物は面白くない訳だ。
 曰く、家柄だけで。曰く、邪魔以外何者でもない。等々。で、何故か後ろから矢が飛んで来るという『不幸な事故』が起きたりする。
 フェリクス君は我が家から見て数ある配下の家の一つであり、彼等から見れば、ちょっと自分の所より家柄が良い同業。人の数だけ意見がある、後は推して知るべし。
 しかも我が伯爵家は建国時の初代国王からの『武勇を持って国防の要とすべし』なんていう、真に素晴らしいお言葉付き。書籍にも載ってるし。で、トューダー家は筆頭配下であり、下手は打てないという倍率ドンの更に倍。
 これ等を黙らすとなると後はもう、一騎当千・万夫不当・百戦錬磨…力で黙らすしかない。いや、別に力で無くても良い、とにもかくにも、何か黙らすだけの材料が必要なのだ。
 無論、俺とて対岸の火事ではない。正直な話、妹という予備の後継者が居る中で俺がここまでチヤホヤされるのは、主筋という材料だけでなく、一騎当千・百戦錬磨の親父殿のお陰――影の支配者・母親含む――である。
 少々話がはずれるのだが、普段の親父殿は少々アレだが、案外、パネェのである。
 俺が生まれる少し前の事である。我が家の所属する国家『アースガルド』と因縁のあるフェル=フラゴナール家の所属する国家『ヨツンハイム・フランツ王朝』とで戦争が起き、国境に接していた伯爵領の中心部であるここ、『シュバルツシルト』が――王国のゴタゴタもあり――陥落するという事態に陥った。その時の攻防戦で伯爵一家は親父殿を除いて皆死亡し、単身、親父殿が戦場離脱に成功し、準備整った王国軍のその一隊を指揮して伯爵領を取り戻すばかりか、国境線である『キール川』を渡って逆侵攻を果たし、和平が結ばれたという、これだけで一冊の本が出来そうな勲歴持ち。で、当時、次期伯爵だった親父殿は和平と同時に伯爵へと正式に叙任され、母と結婚し、今に至ると…。
 と、まあ、チヤホヤされる理由としては親父殿の権威という面が多々あるのである。だがしかし、俺には親父殿のような事は出来ない自信がある。そこで俺は持ち前の『文』で持って親父殿の『武』に支えられた権威を継承しようと、若年ながら積極的に介入している訳でござぁい。あ、ちなみに、二匹の名馬はその時に下賜されました。
 いやはや、全く持って普段の親父殿からは想像できない姿である。俺が生まれて、ママのおっぱい吸ってる隣でおっぱい吸ってた、あの親父殿が、こんな立派なんて思いもしなかったよ。
「弓でも悪く無いんだけど、やっぱり騎兵といえば、衝撃力。俺も馬術に精を出さないとな…」
 まあ、俺の場合は7割ぐらい逃げる為というのがあるが。いや、勿論怖いけど、下手に逃げ出したらそれで俺の社会的地位が終わりそうな気がしないでもないし、何より追い詰められたら噛み付く為である。
 例えば、犬が人間に追い詰められると噛み付くというのに、人間が人間に追い詰められて噛み付かないというのは、犬畜生以下の人間と俺はこの世界に来て常々思うようになったのである。
 まあ…俺の場合はどちらかと言えば、総指揮官とかその辺だろうし、追い詰められたら、その時点で負けだろうが。
「学問に武芸に…時間はいくら有っても足りませんね」
「同感だな」
だがまぁ、親父殿じゃないが、俺達はまだ若い。
「――精々、助け合って切磋琢磨していこうぜ?」
「…有難うございます。では、これが終わったら将棋の一局でも…」
「oh…」
 その後、負けたのは言うまでも無い。



おまけ
『フェリクスの場合』

 さて、なんだかんだあって、フェリクス君の腕にも文字を書く事になった俺は、将棋の文字のどれが良い? と、聞くとどれも気に入らないらしい。
 そこで、俺は幾つかの候補を挙げてみた。
 『戦』は駄目だった。
 『肉』も駄目だった。
 『東京な』も駄目だった。
 そんな彼が選んだ文字がある。
――その日以来、彼の腕から『鬱』の文字が消えた事は無い。


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