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[36360] 【チラ裏より】えろくてんかとういつっ!! (ミスマルカ×マスラヲ&レイセン)
Name: 隣◆d5e42c83 ID:a025b578
Date: 2013/03/12 18:28
 それは、一匹の蛇の物語。
 策謀という名の毒をもってして自らの敵を翻弄し続けた、自由と平和を愛する蛇の物語。

 そんな舞台の陰……決して明かされぬ歴史の裏側に、二人の英雄が存在した。
 誰も口に出そうとはしない。しかし、誰もがその実在と功績を認める異質なヒーロー。
 真実を知る者は、彼らのことをこう呼ぶ。

 “ゼンラー”と“晒しし者”

 これは、二人の漢たちの物語。



               ①



 週末の午後。アパートの自室。
 特に目的もなく動画など見つつ、だらだらと。服装こそパジャマではないものの、限りなくニート時代に近い格好で。ヒデオは一人、休日を過ごしていた。

“ヒデオ、ヒデオ。外はいい天気よ? せっかくの休みだし、誰か誘って出かけましょうよ”

 そうは言ってもですね。最近、休みのたびに何かしら起こっている気がするのですよ。
 やれコンパだのサマーウォーズだの、毎週毎週そんなことに巻き込まれていてはとても身が持たない。
 そう。待ち受ける月曜日に向けて英気を養うのは、大人として当然の務め。体調管理もできなくて、何が社会人かと。

“とか言って、本当は断られるのが怖くて誘えないんでしょ”

 …………。
 ともかく。今日は、家から出ない。そう決めた。

“えー、つまんなーい。あ、そうだヒデオ。ならエリーゼでも喚んでみましょうよ。意外と構ってくれるかもしれないわよ?”

 死ねとおっしゃるのですか、闇の神よ。

“……まあ大丈夫じゃない? たぶん”

 たぶんで埋められる方の身にもなって欲しい。
 そもそも喚び出してみたところで、何のもてなしができるわけでもなく。かと言って気の利いた会話ができるわけでもなく。
 正直、相手がエリーゼじゃなくともいい気はするまい。それがわかっていて喚ぶというのも、なんというか、ちょっと……。

“そこで深く考え込んじゃうのがヒデオなのよねぇ……”

 呆れたようなノアレの声。
 なんかもう自分で言ってて鬱々とした気分になってきたヒデオは、せめて空気でも入れ替えようと立ち上がって窓を開ける。
 雲は白く、空は青い。確かにいい天気だった。
 大きく伸びをして凝り固まった筋肉をほぐすと、いくらか気分も晴れたような気がする。先程はああ言ったが、遅めの昼食ついでに散歩くらいは行ってみてもいいかもしれない。
 なんだかんだ言って、自分はもうあの頃のヒキコモリではないのだ。お金にもそれなりに余裕が出てきたことだし、買い物に行くのもいいだろう。
 とにかく、あれこれ考えていたところで何も始まらない。出かける意思が失せぬうちに外に出てしまおうと、ヒデオは手っ取り早く上着を羽織り、財布を持った。
 そして入れっぱなしだった電源を切ろうと、何気なくPCに手を伸ばして――


 瞬間。一つ数えるよりもはるかに短い間に。


 ヒデオの存在は、この世界から消え去っていた。



               ◆



 あまりにも唐突。予兆すらない突然の事態に、ヒデオはただただ困惑するばかりであった。
 いきなり脳裏を揺さぶられるような衝撃が駆け巡ったかと思えば、次の瞬間には周囲の景色が一変していた。
 あえて言うならば、隔離世に叩き込まれたときのような。いや、比べるまでもなく大きな衝撃と変化。
 ……どうやら自分は外に放り出されたらしい。かすかに聞こえる雑踏と、吹く風とでそれがわかる。
 だが判断できるのはそこまでだった。酷くのぼせたかのように視界が歪み、足元もおぼつかない。頭痛と吐き気が同時に襲ってくる。

「ヒデオ、大丈夫?」
「……っ、ノアレ、か」

 もはや立つことすらままならないヒデオの傍らに、ノアレが姿を現した。きょろきょろと周りを見渡しているようだ。
 しばらくして。
 徐々に視界がはっきりしてくると、ヒデオもようやく状況が確認できた。
 今いる場所は、どこかの路地裏らしい。左右には古びたレンガ造りの建物が並び、周囲に人影はない。

「これは、いったい……」
「強引に移動させられたわね。転移魔法か召喚か……方法はどうあれ、私には感知できなかったとしか」

 ノアレですら感知できなかった……?
 端末とはいえ、三千世界に亘る闇の一部。そんな彼女が対処どころか感知もできないとなれば、そう。それこそエルシアやみーこクラスの人物しか成し得ないことではないだろうか。
 ふふ、とノアレが楽しげに笑みを漏らす。

「ヒデオが巻き込まれやすいのは今に始まったことじゃないけど、今回は段違いね」
「段違い、とは」
「だってここ、少なくとも日本じゃないわよ。それどころか同じ世界かも怪しいレベル」
「別の……、世界?」
「ま、今の段階じゃはっきりしたことは言えないけどね」

 とりあえず自分で確かめてみなさいな、と言い残しノアレは消えていった。
 異郷の地に自分一人。役に立ちそうな物といえば……財布と、ギリギリで巻き込まれたのだろう、近くに転がっていたノートPC。なんとも心細い状況である。
 と、そこでふと思いついた。PCがあるならウィル子を喚べるのでは。

“ないんじゃない? 電波。路地裏だし、田舎っぽいし”

 ……確かに。一応確認してみたが、やはりネットには繋がらない。
 まあどちらにせよ、これで電波の届く場所を探すという当面の目的ができた。
 ノートPCを畳み、人の多そうな場所に向けて歩き出す。といっても当然、初めての場所なので方角は勘だが。
 しかしなんだろう……レトロというか、クラシックというか、そんな雰囲気が漂う街である。印象としては西洋の古都なんかに近いかもしれない。
 たまにすれ違う街の人々も、顔立ちや髪の色からして明らかに日本人ではなく、服装は妙に時代がかったもの。中にはドレスや本格的なメイド服を着ている者までいた。

“誰かに話しかけてみないの?”

 そんな積極性があったら誰がヒキコモリになどなるものか。というかそれ以前に、言葉が通じるかどうかも怪しい。

“……それもそうね”

 わかっていただけたようで何よりです。
 だが言葉が通じないとすると、まったくどうしたものか。見た感じ、無線LANスポットやネットカフェなどがあるようにも思えない。
 かといって、ほとんど話せない英語とボディーランゲージを駆使してコミュニケーションを取るなどという高等技術は自分には無理。
 いよいよヒデオが途方に暮れかけた、そんなとき。

“ちょっと見てヒデオ。あそこ”

 何やらノアレが発見したらしい。
 声に従って周囲を見回してみる。と、前方に男女の二人組。
 片やハンチング帽を被り首からカメラを下げた記者風の金髪美人、片や高級そうなスーツを着た青年実業家風。どこぞのオシャレな雑誌にでも載っていそうな二人だった。
 …………。
 あれを見てどうしろと。テロでも仕掛ければいいのだろうか。

“ヒデオが望むなら別にそれでも構わないけど……いいの? 日本語喋ってるわよ、あの二人”

 ……え?
 ヒデオが半信半疑で耳をそばだててみると。かすかにだが、二人の会話が聞こえてきた。

「あ、あの……やっぱりシャルロッテ様ですよね?」
「ですから! 何度も言いますが、私はシャーリーですってば!」
「いやいやいや。つい先日、定期舞踏会でお会いしたばかりじゃないですか。間違いないですって」
「……では逆にお聞きしますが、シャルロッテ様がこんな街中にいると本気で考えているんですか? 護衛もつけずに一人でうろつく理由なんてないと思いますけど!」
「そ、それは、確かにそうですが……」
「そうでしょう、そうでしょう。では私は取材がありますのでこれで――」
「わかりました。では違うとおっしゃるのならば、皇宮の方に確認してみてもいいですよね」
「えっ、ちょっ、待っ」

 会話の内容はよくわからないが、確かに日本語だ。しかし雰囲気からして揉めている様子。
 正直、首を突っ込むのはあまり気が進まないものの、今回ばかりは仕方ない。見知らぬ人に話しかけるのも怖いが、帰るのが遅れて出勤できず睡蓮にボコボコにされる方がなお怖い。
 というわけで、早速話しかけてみようと思うのですが。

“……が、何?”

 いえ、何かアドバイスのようなものがあればと思いまして。

“…………とりあえず、緊張しすぎて血に飢えたハイエナみたいになってるその顔をどうにかした方がいいんじゃないかしら”

 …………。
 少し死にたい気分になったヒデオは、半ばヤケクソになりながら二人に話しかけた。

「すみません。あの」
「ん? なんだ君、今ちょっと忙し……ヒィッ!?」

 振り向いてヒデオを見た男性が、小さく叫びながら後ずさる。
 ……まあ。そういう反応はもう慣れた。
 とにかく聞きたいことだけ聞いて、早くこの場を離れてしまおうとヒデオが口を開きかけた、その矢先。
 シャーリーと名乗っていた女性がやおらヒデオへにじり寄り、言った。


「もう、兄さんったら! 遅いじゃないですか、三十分も遅刻ですよ?」


 え? エ?

「……いや、違」

 ずどふっ。

 違う、と否定しようとした瞬間。突如、原因不明の腹痛を感じて、ヒデオの体がくの字に折れ曲がった。

「ああっ、兄さん。きっと急いで来たからお腹が痛くなっちゃったんですね」
「兄、ですか……? その男が……?」
「はい、兄です! ねぇ兄さん?」

 ことさら兄をアピールするシャーリーが、同意を求めるようにこちらへ視線を向ける。
 もちろん彼女の兄になった覚えなど一切ない。ないのだが、彼女の眼光の鋭さに、不思議と反論は喉の奥に引っ込んでしまった。
 まあ……ここまで必死になるからにはきっと何か事情があるのだろう。
 そう判断したヒデオは、ひとまず無言で頷いておく。

「いや、しかし。顔つきなど全く似ていな」
「あっ、待って兄さん! 彼はちょっと勘違いしてるだけですから、ね? この人は消しちゃダメですよ」
「…………」

 消すってなんだ。消すって。自分は殺戮兵器か何かか。
 しかしそんな脅しは中々に効果的だったようで、男性の顔は見ていて気の毒になるくらい青ざめていた。
 そしてトドメとばかりにシャーリーが満面の笑顔で、

「私がシャルロッテ様じゃないってこと、わかっていただけましたよね?」

 ヒデオとシャーリー、目つきが悪い二人の視線に射すくめられて、さすがに男性も心が折れたのか。
 猛然とした勢いで頷き、転がるように去っていった。
 ……何というか。
 自分は本当にこちらの味方をしてよかったのか、と今更ながら疑問に思った。
 見た目は綺麗なのだが……少なくとも普通の女性とは言えない気がする。
 ノアレが言った。

“何がすごいって、初対面のヒデオを見て平然と兄さん扱いできるあたり只者じゃないわよね”

 …………。
 ちょっと納得してしまったのが悔しかった。



               ◆



「ご迷惑をかけてしまいました! 本っ当にごめんなさい!」

 とシャーリーに謝られ、お礼ということで近くのカフェに連れ込まれ、そこで再度謝罪されて……今に至る。
 ちなみにカフェの店員も雑談している客も、普通に日本語で話していた。
 自分のあの頑張りは何だったのか。 

“結局ほとんど喋ってなかったじゃない”

 それはそうだが。
 見知らぬ他人に話しかけるというイベントがヒキコモリにとってどれだけ重大な行為か……とヒデオが持論を展開しようとする直前、シャーリーが言った。

「変なことに巻き込んでしまったみたいで……その、助けていただいたわけですし、何かお礼をしたいんですが」

 ……まあ。現在進行形でもっと厄介なことに巻き込まれている身なわけで。ついでに一つ二つ増えた程度、という話。

「それは、別に。僕が何をしたというわけでもないので。ところで、さっきのは」
「ええ、どうも人違いされていたみたいでして。よく間違えられるんです、私」

 困っちゃいますよね、と苦笑するシャーリー。
 よく間違えられる割には妙に慌てていたような。深く追求するようなことでもないかもしれないが……。
 彼女もそのあたりの事情にはあまり触れて欲しくないのか、話題を変えた。

「あの……実はずっと気になってたんですけど、それって」

 視線の先には、テーブルに置かれたノートPC。

「……? パソコンですが」

 広げてスリープ状態を解除し、シャーリーの方へディスプレイを向ける。

「パソコン…………ってやっぱりコンピューターですか!? しかも生きてる上に、ノート型……! ちょっと見せていただいても!?」

 特に断るような理由もなく。
 頷くと、シャーリーはPCを操作するでもなく、まじまじと画面に見入っていた。

“ヒデオ、どう思う?”

 PCを珍しがるだけならともかく、日本語を流暢に話す国の人が……というのはどうにも不可解だ。
 少なくとも、そのような地域があるという話は聞いたことがない。いったい自分はどこに飛ばされてしまったのか……。
 しばらくヒデオが考え込んでいると。
 十分満足したのか、シャーリーがPCをぱたんと畳んだ。

「ありがとうございました! あ、夢中になっちゃってすみません。職業柄、珍しいものを見るとつい」
「職業……ですか。新聞記者か、何かで」

 シャーリーはこほん、と咳払いを一つ。

「そういえば自己紹介もまだでしたね。私、ジャーナリストのシャーリー・ロッテと言います! 以後お見知りおきを!」
「ご丁寧に、どうも。川村、ヒデオです」

 綺麗な笑顔を見せて、彼女は言った。

「はい、ヒデオさんですね! あ、そういえば知ってます? 私も最近風の噂で聞いたんですけど、あの二代目聖魔王もヒデオって名前だったそうですよ。ちょっとした偶然ですね!」

 …………。
 ……………………。
 えっ。

「あ……あの。それ、は」
「えっと……? ご存知ありませんか? 二代目聖魔王」

 シャーリーがきょとんとして言った。
 いや、ご存知あるかどうかでいえば、当然ご存知なわけだが。

“よかったわね、有名人じゃない”

 よくない。というかなぜ、こんなわけのわからない場所にまで自分の名が浸透しているのだ。
 それを知ってるのは、ノアレとウィル子、マリアクレセルなどごくごく一部の者だけのはず。彼女たちが周囲に言いふらすとも思えない。

“あら閣下、覚えてらっしゃらない? 自ら聖魔王を名乗ったあげく、晒しし者になるとか言って私たちを脅したのはどこのどなたでしたっけ?”

 幾分か冷めたようなノアレの声。ふと思い出す。
 ……そういえば。
 以前海に行ったとき、二代目聖魔王にして魔眼の王! とか叫んだ記憶があるような。
 しかも天界魔界地獄界に向けて断言した、ような、気が。
 つまり、完全に自業自得だった。

“噂になってるってドクターも言ってたでしょ。っていうか別に知られたっていいじゃない。何が嫌なわけ?”

 いいか。社会で働くいい大人が、だ。
 魔眼だとか聖魔王だとか口に出すだけでも世間的にはかなりアレなのに……ましてや自分から名乗るなど。
 そういった世界と関わりのある者に知られるならまだいい。しかし噂が巡り巡って一般人にまで、ということもあるかもしれない。
 仮に同窓会で「よう魔眼王!(笑)」とか言われてみろ。恥ずかしさで死ぬ。

“同窓会なんて行ったことないでしょうに”

 ないけども!

“……人付き合いっていうのも難儀ねぇ。ま、知られちゃったものはしょうがないでしょ。私としてはこういう展開の方が話が早くていいのよね”

 何のことか、とヒデオが問うより早く。
 空いた隣の席にノアレが現れ、にっこりと。

「はぁい、お姉様。私、まどろっこしいのは好きじゃないの。だからお互い隠し事はナシでいきましょ?」

 対して、急に黙り込んだヒデオを怪訝そうに眺めていたシャーリーは。
 ノアレの出現に一瞬目を丸くして、しかし、次の瞬間には悠然とした微笑をその顔に湛えていた。
 なるほど、ノアレを前にしてこの反応。そして人格を丸ごと入れ替えたかのような、身に纏う雰囲気の変化。
 おそらくは彼女もまた平凡からかけ離れた存在なのだろう。手っ取り早く情報を聞き出すにはうってつけの人物というわけだ。

「……色々と。質問しても、いいでしょうか。シャーリーさん」

 シャーリーがすっと目を細め、値踏みするように視線を走らせた。

「私の命を狙うために近づいてきた……というわけではなさそうですね。結構。場所を変えて話しましょう」

 そう言って席を立ったシャーリーの後にヒデオも追従する。ノアレはいつの間にか姿を消していた。
 カフェを出た頃にはもう日没も間近。
 道中で会話を交わすことも特になく、夕暮れに染まった街を歩いてゆく。
 商業区を抜け、大きな屋敷が立ち並ぶ区画を通過して……たどり着いた先に。

「…………」

 何というか、どこぞの石油王でもさすがにここまでは……と思ってしまうくらいに巨大で豪奢な宮殿が、前方に鎮座していた。
 いや、遠くからでもかなり目立っていたし、こちらの方に向かっていることにも気づいていたのだが。まさか本当にこの宮殿が目的地だとは……。

「ここで少し待っていてください。すぐに迎えを寄越しますので」

 と言い残してシャーリーは一人で門の方へ。
 迎えを寄越すと言ってるあたり、ただの使用人などでもないのだろう。普通じゃないとは思っていたが予想をはるかに超えている。
 何だか少し不安になってきたヒデオの元に、一人のメイドがやってきた。

「ヒデオ様でございますね」
「そう、ですが」
「メイドのフォルゴーレと申します。ご案内致しますので、どうぞこちらへ」

 すらりとした銀髪の美人。常に微笑みを絶やさぬその姿は、立っているだけでどこか気品を感じさせる。
 もし彼女がドレスを着ていたとしても全く違和感がないだろう。言葉遣いといい所作といい、魔殺商会で見るようなメイドとは全くの別物だった。
 そんな彼女の後ろを追っていく。
 広大な庭園を抜けて宮殿内部に入ると、外観にも増して豪華な内装が視界に入ってきた。すれ違う人々も当然それ相応の格好をしている。ラフな服装のヒデオは明らかに浮いていて、何とも居心地が悪い。
 今更逃げるわけにもいかないので、大人しくついていくしかないのだが。
 ……それはそうと、ノアレさん。

“どうしたの?”

 もしかして。さっき急に出てきたのは、こういう展開になることを予想しててやったんでしょうか。

“まさか。私はヒデオが早く帰りたそうにしてたから、ちょっと手伝ってあげただけよ。実際、何の手がかりもないまま夜を迎えるよりは今の方がマシでしょ”

 面白い展開になればいいなぁ、とか思ってませんでした?

“思ってたけど?”

 …………。
 まあ、状況が少なからず好転しているのも事実なので、何も言うまい。
 そうこうしているうちに目的地に到着したらしく、フォルゴーレは足を止めた。
 目の前には立派な両開きのドア。彼女はノックの後、一呼吸おいて室内へ呼びかけた。

「ヒデオ様をお連れ致しました」

 ドアを開けたフォルゴーレに入るよう促される。
 ……さて。鬼が出るか蛇が出るか。
 ヒデオは覚悟を決めて、シャーリーの待つ部屋に足を踏み入れた。



――――――――――――――――――――――――
※挿絵的なモノを描いてpixivに置いておきました。
『えろくてんかとういつっ!!』でググるとたぶん上の方に出てくると思います。

3/12 ひっそりと絵追加



[36360]        1-2
Name: 隣◆d5e42c83 ID:a025b578
Date: 2013/02/22 21:14
               ②



 執務室にヒデオとフォルゴーレが入ってくる。
 手早く着替えを済ませたシャーリー改めシャルロッテは、いつになく気分が高揚するのを感じながら、じっとそれを見守っていた。
 傍らのユリカが僅かな警戒を含ませた声で囁く。

「姉上。あれは誰」
「きっとすぐにわかりますよ。中々……いえ、とても面白い人です」

 ふふっ、とつい笑みを漏らしつつ、シャルロッテはユリカの質問に答えた。
 ただの視察のつもりが、思わぬ拾い物をした。この男……いったい何者なのだろうか。
 シャルロッテは素早く思考を巡らせる。
 まず一つ。自分の正体を見破ったことについて。
 いかに慣れているとはいえ、顔を晒して街を歩くからには今日のように怪しまれることも少なくない。相手がよく会う人物なら尚更のこと。
 だが初対面、それも出会って数十分で正体を見破られたのは今回が初めてだ。
 確かに怪しまれる要素もあったし、相手が見知らぬ顔ということで自分にも油断があった。本当にただの記者なのか、と疑念を抱かれるのは仕方ない。
 しかし。
 この者の目は疑念などという段階を通り越して、間違いなく確信を抱いていた。
 というか、そうでなければおかしいのだ。あの生きたコンピューターは売るところに売れば一生遊んで暮らせるような代物である。
 ただの一般人相手に、盗まれるリスクを負ってまで見せつける理由など何一つとしてない。今思えば、あれは自分に対する牽制だった……ということなのだろう。
 それに加えてあの不思議な少女。当然あれもただ者ではあるまい。
 久しぶりに楽しく話ができそうな予感に、胸を高鳴らせながらシャルロッテが言う。

「まずは自己紹介を。グランマーセナル帝国第一皇女、シャルロッテ・アルセイン・マジスティアと申します」

 視線を向けると、妹もそれに続く。

「……ユリカ・美ヶ島・マジスティア」
「川村ヒデオと、言います」

 ヒデオは平然と一言。
 なるほど。帝国の最重要人物二人を前に、眉一つ動かさない……と。ますます面白い。

「ヒデオさん。お互い隠し事はしない、ということでしたね」
「それは、まあ。嘘をついても仕方ないので」
「結構。では単刀直入に聞きましょう。何者ですか」

 もちろん正直な答えなど期待していない。さあ、彼はどう出るか。
 そしてシャルロッテの質問に、ヒデオが口を開こうとしたその時。
 突如、目の前にあの少女が虚空から現れた。
 またしても唐突な出現。直前まで気配すら感じられなかった少女の登場に、ユリカとフォルゴーレが即座に反応して身構える。
 シャルロッテはそんな彼女らを手で制し、少女の言葉を待つ。

「ヒデオの正体? 変なことを聞くのね。お姉様が自分で言ってたじゃない」
「私が……というと?」

 少女は宙に浮いたままヒデオの背後に移動。首と口のあたりに手を回して抱きつくような体勢で、言った。

「だからぁ、聖魔王よ。このヒデオが二代目聖魔王本人なの。ねぇ、閣下?」

 ぽかん、と。
 そんな擬音が聞こえてきそうな雰囲気が部屋を満たす。三人が三人とも、呆気に取られたような表情で少女を見つめていた。
 一方、口を塞がれたヒデオはヒデオで声を出そうともがいていたのだが、さておき。

「ちなみに私はヒデオに召喚された守護精霊。闇理ノアレって言うの。ノアレって呼んでね♪」
「……守護精霊。そして聖魔王、ですか」

 思わず声をあげて笑いそうになった。
 聖魔王。よりにもよって聖魔王だ。
 世界を律する権利を持つと言われる存在。生ける聖魔杯とも称される伝説上の人物。
 それがまさかルナスに聖魔杯を取りに行かせたこのタイミングで出てくるとは、何たる皮肉。
 他人のオモチャを奪おうと画策した瞬間に、偽のオモチャを笑顔で渡されたようなものではないか。それも、こちらの動向を完全に把握した上で、だ。

(ルナスの動きが察知されるまでにはもう少し猶予があると考えていたのだけど……ちょっと甘かったわね)

 ではこの男はミスマルカからの刺客と見るべきか? いや、さすがに対応が早すぎる。宣戦布告からまだ二日しか経っていない今の段階では、人を送り込むことまでは不可能であろう。
 ならば共和国の“先読みの魔女”あたりの仕業? だがそれも不可解な話。共和国がこんなことをして何の意味がある。
 だとすると。

(本物の、聖魔王……?)

 …………いやいや、それこそまさかだ。名前が同じヒデオだというだけで聖魔王? 酔っ払いだってもう少しマシなことを言うだろう。
 そもそも、その名前の真偽すら不明なのだ。何しろ噂の出所が、旧文明時代の文献の片隅に書いてあっただとか、遺跡に現れる亡霊が言っていただとか、はっきり言ってどれも信憑性のないものばかり。
 自分がカフェで話題に出したのだって、たまたまそんな話を覚えていたからに過ぎなかった。
 ……まあいい。ひとまず話を進めることとしよう。

「それで。あなた方はどんな理由でこの国に?」

 ノアレが回した手を解き、ヒデオは何かを諦めるように嘆息を一つ。後、言った。

「……信じて貰えないかも、しれませんが。突然、気がついたらこの街に。ノアレの話では、転移魔法か何かかもしれない……と」
「転移魔法?」
「はい。もし、何か心当たりがあれば。教えていただきたいのですが」
「心当たりですか……ユリカ、魔法の専門家としての見解は?」

 ユリカは首を横にふるふると。

「無理。転移魔法はそんなに便利なものじゃない。他人を街単位の距離で移動させるなんて絶対に不可能」

 続けてシャルロッテが言う。

「私としても同じ意見です。どうしたらそんなことになるのか見当もつきません」
「……そう、ですか。ありがとうございました」
「いえ、こちらこそお力になれず。確認ですが、ヒデオさんはこの街に飛ばされた原因を探っていた、ということでよろしいですか?」
「ええ、まあ。そういうことに」

 ヒデオが首肯。対してシャルロッテは小さくかぶりを振った。

「おおよその事情は把握しました。ですが残念ながら、あなたが聖魔王という証拠がありません。ヒデオさんが何者なのか……私はそれがどうしても知りたい」
「……それは、しかし。こちらが証明しなければならない理由もないかと」
「確かに。では理由を作りましょう」

 シャルロッテは微笑を消し、指を鳴らす。

「証明できないのであれば、あなたを密入国の罪で処分させていただきます」

 直後。
 銀髪の侍女がヒデオの首にナイフを添え、闇の法王がロッドの先をノアレに向ける。一瞬の出来事だった。
 ヒデオたちは反応することもできず、ただ立ち尽くすのみ。……失望とまでは言わないが。少々期待外れではある。

「どうでしょうか? あなたが何者なのか、教え……」

 シャルロッテは言いかけて、はたと言葉を止めた。
 呆れたことに。
 事ここに至っても、彼の表情は微塵も揺るがない。揺らぐ気配すらない。
 反応できなかったのではなく、反応する必要がないと言わんばかりに。
 生殺与奪を握っているのはこちらなのにも関わらず、まるで自分が脅されているような感覚にさえ陥ってしまいそうだ。
 この若さでこのような目付き……いったいどんな経験を積んできたというのか。これに比べれば銀髪鬼や独眼龍の方がまだ扱い易い。

「やめておいた方がいいんじゃないかしら。特にユリカお姉様。私に対して闇属性は、ちょっと良くないわ」

 笑みを崩さずノアレが言う。
 彼女も彼女で相当な危うさを秘めていた。守護精霊という肩書き、伊達ではないということか。
 なるほど、この主従。
 期待外れなどとんでもない。当たりも当たり、大当たりだ。
 初対面で自分の正体を見破る慧眼、殺すと脅されても全く動じない胆力、そして帝国姫二人を前にして自ら聖魔王を名乗るという傲慢なまでのその態度。

「結構。大いに結構。ユリカ、フォルゴーレ。冗談はこのくらいにしておきましょう」

 シャルロッテは再び元の微笑みを浮かべて場を収める。ユリカとフォルゴーレは無言で一歩後ろへ。
 同時にノアレの姿が掻き消え、ヒデオは文句の一言も漏らさない。

「ここからが本題です。ヒデオさん、私と簡単なゲームをしませんか?」

 ヒデオが瞬きを一つ。

「……ゲーム、ですか?」
「はい。ルールは一つ。あなたが聖魔王だということを、私に証明してくだされば結構。それが出来ればヒデオさんの勝ちです。仮に出来なくてもペナルティはありません」

 これはそう。ちょっとした戯れだ。買い物帰りに気まぐれで宝くじを買ってみるような、それだけのもの。

「参加してくださるのなら、転移の原因究明について全面的なバックアップを約束しましょう。それなりの地位を与え、寝食も保障します。もちろん、暇な時はこちらの仕事を手伝っていただくことになりますが」

 しかも宝くじとは違い、ノーリスクハイリターン。
 もし彼が聖魔王じゃなくとも、召喚師という貴重な手駒が得られる。

 そして万が一、億が一。

 本当に彼が世界を律する聖魔王だったとしたら。

 そう――――大陸の覇権は我が物に。


「賞品は、この私。シャルロッテ・アルセイン・マジスティアがあなたのものとなりましょう」


 ならば、この身を捧げてなお。余りあるに、違いない。



               ◆



 ……神よ。我が神、闇理ノアレよ。
 何か突然すごいことを言い出したのですがこのプリンセス。

“ええそうね。すごく楽しいわね。うふっふふふっ……!”

 ダメだ。完全に楽しんでらっしゃる。
 というか前もこんなことがあったような。そして死にかけたような記憶が。

“エルシアお姉様の時は当事者だった私に、もう一回同じことを見せてくれるなんて。ヒデオったら優しいんだからぁ”

 別に自分が意図したわけでは……。
 むしろ原因はノアレではないか。せっかく気づかれてなかったのに、聖魔王本人だ何だとバラすから……。

“うふふ。うっふふふふふふ……”

 …………。
 もういい、この小学生には何も期待しない。 
 ……しかしアレか。自分自身を賭けるのが姫の間でブームになっているとでもいうのか。
 しかも今回はこちらにペナルティが全くないのだから逆にタチが悪い。
 いくらNOと言えないヒキコモリでも、負けたら目を抉るぞと脅されればまだ断りようがある。
 だがデメリットがないと言われてしまったらどう断れと。「賞品がちょっと不満ですね」とか言ったらきっと殺される。

“受けちゃえばいいじゃない。帝国の一番姫って言ってたし、将来皇帝になれるかもしれないわよ?”

 なってどうしろと。
 それに何か嫌な予感がするのだ。上手く言葉にできないのだが、シャルロッテを見ているとなぜか昼間の腹痛を思い出すというか……。
 脂汗をダラダラ流しつつ、ヒデオがどう断ろうかと思い悩んでいると。
 何やら会話が聞こえてきた。

「姉上……!? いきなり何を言って」
「控えていなさいユリカ。あなたが口を挟むことではありません」
「でもっ」

 どうやらあちら側も一枚岩ではないようだ。それはまあ、いきなりあんなことを言えば普通は揉めもする。
 ユリカの追求を振り切り、シャルロッテが言った。

「どうですか、ヒデオさん? 受けていただけるでしょうか」
「いや、その……」
「不服ですか。ならば賞品にユリカとフォルゴーレも付けましょう」
「あ、姉上っ!?」

 ユリカの叫びをシャルロッテは完全に無視。フォルゴーレは微笑みながら事態を見守っている。

「……そうでは、なく。人数などの問題では……」
「では脱がせたタイツやニーソックスを自由にする権利も与えます」
「乗った」

 ……。
 …………。
 ……………………あっ。
 あああぁああぁぁ…………。

「…………」
「…………」
“…………”

 冷めた視線がヒデオに突き刺さる。

“…………嫌な予感が何ですって?”

 いや。いやいやいや。
 あそこまで言われたら仕方ないではないか。むしろ断る方が失礼ではなかろうか。
 何しろ相手はお姫様。機嫌を損ねたら何をされるかわからないじゃないか。

“………………あ、そ。まあ私は楽しいからいいんだけど。頑張ってくださいね、閣下”

 いよいよノアレにも見放され。
 立ち尽くすヒデオに、シャルロッテがこくりと頷いて言った。

「では今日はもう遅いですし、このあたりにしておきましょう。お部屋を用意しますので、そちらでお休み下さい。フォルゴーレ」

 合図を受けたメイドがすぐさま動き出す。一切の動揺も狼狽も見られなかった。
 なんだかんだで彼女が一番すごいような気がする。

「お部屋までご案内致します。こちらへ」

 扉を開け、ヒデオと案内役のフォルゴーレが執務室を出ていく。
 部屋に残るは姉妹二人。
 ぱたんと扉が閉まると同時、ユリカが言った。

「あ、姉上っ、いったい何を考えて……! 姉上だけならともかく、なぜ私やフォルゴーレまで賞品にっ」
「……わかってないわね」

 え? と首を傾げたユリカに、シャルロッテが言う。

「召喚師よ召喚師。あんな面白いもの放り出してどーすんのよ。それに、あんなの所詮口約束じゃない。用が済んだら『約束? 何のことでしたかしらウフフフフ』とか言っときゃいいのよ」

 うわぁ……と声には出さないが、そのような顔でユリカが一歩引いた。

「それとあんた一番大事なことを忘れてない?」
「……大事なこと?」
「仮にあの男が私たちを娶ると言ったとして。お父様が許すと思う?」
「…………あぁ」

 それは、何というか。この上なく説得力のある言葉に、さすがのユリカもヒデオへの同情を隠せなかった。





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Name: 隣◆d5e42c83 ID:a025b578
Date: 2013/02/22 21:14
               ③



 通された部屋は、思わず目を見張るほどの立派なものだった。
 上質なカーペット、キングサイズのベッド、高級そうな絵画や陶器……などなど。一流ホテルのスイートルームと比べても全く遜色のない調度品の数々。
 もちろん部屋の広さもそれ相応。ヒデオの住むアパートも決して悪い物件ではないのだが、さすがにこれは格が違いすぎる。

「明日は朝食の準備が出来次第、お呼び致します。それではお休みなさいませ」

 丁寧に一礼して、フォルゴーレが部屋を出ていった。

「あら、いい部屋じゃない。見てヒデオ。あのベッド天蓋付きよ、天蓋付き」

 と同時に現れたノアレが、備え付けのお菓子を手に取りながら言う。
 確かにいい部屋だ。この分だと食事も相当豪華なものだろう。
 転移の原因を見つける手伝いもしてくれるようだし、勝負を受けて正解だったかもしれない。
 何よりエルシアの時と違って目を抉られる心配がない。素晴らしい。

「既に一回殺されかけたけどね。冗談とか言ってたけど、本心はどうなんだか」
「…………。」

 首に当てられたナイフの感触を思い出し、ヒデオの全身から大量の冷や汗が溢れ出てきた。

「忘れていたわね」

 その後のやり取りのインパクトが強すぎて完全に忘れていた。
 今から謝れば許して貰えるだろうか。いや、いっそ逃げてしまえば……。

「どっちも厳しいんじゃない? 何だか随分ヒデオにご執心みたいだし。でなきゃ一国のお姫様が自分を賭けるなんて言い出さないでしょ」

 ……確かにノアレの言う通りかもしれない。
 自分に、というよりは自分の肩書きにこだわっていた様子ではあったが。
 ……まあ。最悪、闇本体を喚び出せばどうとでもなる問題。さすがに彼女たちも認めざるを……。

「あ、それ無理」

 …………!?
 それは、「面白そうだからイヤ」とかそういった話ですか。そうやってまた契約をないがしろにするのですか……!

「違うから。違うから落ち着いてヒデオ。目が怖い」
「では、なぜ」
「ん~……ネタバラシはあんまりしたくないんだけど。ま、どうせすぐにわかることだし」

 そう言ってノアレがどこからともなく取り出したのは、一枚の地図。

「……地図なんていつの間に」
「ついさっき、お姉様の執務室を出る時に。ちょうどいい場所に置いてあったから借りてきちゃった」

 果たしてそれは借りたと言っていいのだろうか。
 必要なものには違いないので、ありがたいはありがたいが……後で返しておこう。
 さておき。

「ノアレとの契約と、この地図に。何か関係が?」
「まずは見てみなさいな。きっと口で説明するより早いから」

 促され、手元の地図に目を落とすと。

「これ、は……」

 真っ先に目に入ってきたのは、地図の右端に描かれた特徴的な形の島。間違いなく、日本列島。
 そして中央にはユーラシアの一部とおぼしき大陸の姿。
 ……あまりにもちぐはぐな雰囲気から、てっきりここは噂に聞く異界の類かと思っていたが。日本が存在する以上、その線はほぼ消えてしまった。
 ではここは元の世界かと問われると、それはそれで違和感が残る。まずグランマーセナルなどという国は聞いたことがないし、そもそも帝国など現代に存在しない。大会の時のような隔離空間である可能性は考えられるが……。

「隔離空間じゃないわよ。そうだったら本体を喚べないはずがないわ」

 と、闇がおっしゃるならきっと違うのだろう。
 異界でも現代でもないとすると候補はかなり限られてくる。
 一つは過去の世界。普通に考えればタイムトラベルなんて空想世界の話だ。されどあの大会以降に自分が経験した事を振り返ると、ありえないと言い切れないのが恐ろしい。
 案外いい線をついているような気はするが、しかし。もし過去なら自分の名を知られているわけがないので、やはり違う。
 ならばここは。この場所は。

「……未来の、世界」
「ご名答。幻覚でも見てるんじゃなければまず間違いないでしょうね」

 文明が一度崩壊した後の世界……昔そんな映画があったことを思い出す。
 言った自分さえ半信半疑だったものの、ノアレのお墨付き。ということは本当にそうなのだろう。
 ……なるほど。未来の世界であれば、人間の自分はとっくに死んでいる。つまりその時点で契約切れ。

「そうね、私もさすがに天界まで憑いていくわけにはいかないもの」
(…………)

 天界じゃなければ死んだ後も憑いてくるつもりなのだろうか。
 ……ともかく。何とも複雑な話だが、死んだはずの自分が契約者としてロソ・ノアレを喚び出すというのはさすがに無理があるらしい。

「そういうこと。だから今の私はただの精霊ってわけ。どうにかして本体を召喚すれば、もう一度契約できるかもしれないけどね」
「…………。君が、本体を喚んでみるとか」
「無理に決まってるじゃない。それが出来たらエルシアお姉様に捕まった時にやってるわよ」

 それもそうだ。
 ……まあ、闇本体を召喚できないと言っても、元々なかったものが使えなくなったというだけの話。
 少々不安ではあるにせよ、嘆くほどではない。つい最近までそんな力は持っていなかったのだから。
 それよりも問題なのは。

「どうやって……帰れば……」
「ふふっ、さあねぇ? 私にもわかんないわぁ」

 その言葉が真実か否か。
 ひどく楽しそうに笑いながらノアレが言い、ヒデオは頭を抱えるのであった。



               ◆



 明くる日。
 ユリカは帝国将軍である長谷部沙耶香に命令を下すべく、彼女の私室に赴こうとしていた。

(……姉上も酷。沙耶香にこんな任務を与えるなんて)

 メイドも伴わず宮殿の廊下をひた歩く。
 やがてたどり着いた将官用の一室。ノックをして、扉を開けた。

「はい、何か……って姫様? お一人でどうされたのですか」

 面食らった様子の沙耶香を置いて、ひとまず部屋に入れてもらう。
 他に誰もいないことを確認し、ユリカが一言。

「……極秘任務を伝えにきた」
「ごっ、極秘……!? それは、どのような……?」

 ただならぬ言葉に居ずまいを正す沙耶香。目つきが豪剣のそれに変化する。
 ユリカはゆっくりと息を吐き……言った。

「昨日、ある男がここロッテンハイム宮に来た。姉上が言うには、とても重要な人物。沙耶香にはその男を……誘惑して欲しい」

 沙耶香の真剣な表情が一瞬にして崩れ去った。

「ゆっ、ゆゆっ、誘惑!? なぜ私にそんな任務を!? 無理! 無理ですッ!!」
「これは、軍令本部長からの命令。拒否は許されない」
「な、何も私じゃなくとも! そのようなことならば、適任はもっと他にいるでしょう! ノアールローゼンにでも任せてくださいッ!」

 ……やはりこうなるか。
 しかしこれは予想の範囲内。ユリカはシャルロッテに授けられた言葉を、そのまま沙耶香に伝える。

「これは沙耶香にしか出来ないこと。強く、可憐で、誰よりも素敵な沙耶香でなければ…………と姉上が言っていた」
「え、あの……シャルロッテ様が……?」
「そう」
「いや、その、何でしょう……わ、私など別に、可憐などということは……」

 …………。
 帝国三剣の一人がこんなに扱いやすくて大丈夫か、とは思ったが。

「それに誘惑といっても、めろめろの骨抜きにしろというわけじゃない。良き友人として普通に仲良くしてくれればそれでいい。同じ極東出身同士、きっとウマも合うはず」
「はぁ……そのくらいならば私にも出来そうですが」
「では任せる。頑張って欲しい、清楚可憐で美しい長谷部将軍」
「も、もったいなきお言葉! 姫様がそこまで言うのなら不肖この私、任務をやり遂げてみせましょう!!」

 もういっそ可哀想になってきた。
 姉上も姉上だ。あの男を軍に留め置きたいとしても、ここまでする必要はないだろうに。まったく、何を考えているのやら……。

「相手はもうすぐ来る。それまで待機」
「はっ! かしこまりましたっ!」



               ◆



 ヒデオは見知らぬメイドに連れられて、広い廊下を歩いていく。
 朝食が終わった後、何やら呼び出されたのだが……どんな用かとメイドに聞こうにも、目すら合わせてくれないのでどうしようもない。
 ちなみに服装は昨日着ていた私服ではなく、仕事の時のような黒いスーツ。ただ、自分の持っているような安物ではなく、一目でそれとわかる上等なもの。無論借りた物である。

「こちらにございます。……では私はこれで」

 逃げるような早足でメイドが去っていった。
 ヒデオは少し切ない気分でそれを見送り……気を取り直して扉に向き直る。ここに入れということなのだろう。
 ノックすると、立派な部屋にそぐわぬ若い女の子の声が返ってきた。

「は、入っていいぞっ!」

 扉を開け、部屋に入る。
 部屋の中には二人の女性。一人は昨日も見た、アメジスト色の長い髪と赤い瞳が特徴的な魔導師風の美人。確かユリカという名前だったか。
 もう一人は初めて見る顔だ。長い黒髪をポニーテールにまとめ、その整った顔は少し緊張気味。
 そして何より目を惹くのは千早に緋袴の巫女姿。何というか……一言で表すと、睡蓮っぽい。

「あの……用、とは」
「そんなに緊張しなくていい。ちょっとした顔合わせというか、親睦会みたいなもの。とりあえずそこに座る」

 そういうことなら、まあ。特に断る理由もないのだが。

「沙耶香。自己紹介」
「は、長谷部沙耶香だ。よろしく頼む」
「これは、どうも。川村ヒデオと言います」

 …………。
 ……ん? 長谷部?
 …………長谷部家!?

「長谷部、とは……勇者の家系の?」
「おお、なんだ、そんな古い話を知っているのか。普通ではない目つきと思っていたが、なかなか見どころのあるやつではないか」

 緊張した様子から一転、沙耶香は機嫌良さげに微笑む。どうやら長谷部家というだけあって、翔希や翔香のように真っ直ぐでサッパリとした性格らしい。
 しかし、いきなり知り合いの子孫を見つけてしまうとは。運が向いてきたかもしれない。

「二人とも同郷同士。仲良くするといい」

 彼女と仲良くなって損はないはずだ。もちろんそうしたい。
 ……が、しかし。

「…………」
「…………」
「…………」

 そこで会話が止まってしまう。
 ヒデオと沙耶香は初対面。お互いがどんな人間かも知らないので、仕方のない話ではある。
 ましてやヒデオは下手なことを言えない立場。一歩間違えてこの宮殿を追い出されてしまっては行く場所がなくなる。
 そして何より致命的なのは、三人とも元々口数が多くないということ。ここにきて部屋は完全に沈黙で満たされてしまった。

「…………」
「…………」
「……沙耶香。ちょっとこっちに」

 ユリカが静かに立ち上がり、沙耶香を伴って部屋の隅へ。小声で話し始めた。

「沙耶香。親睦会なんだからもっと喋る」
「でも、その……こういう風に男と会話する機会があまりないもので、何を話せばいいのやら……」
「何でもいい。話すことがないのなら、お近づきのしるしと言って適当な物をプレゼントするとか」
「は、はぁ……ではやってみます」

 小声といっても、同じ部屋。
 会話がヒデオにも聞こえていた。適当な物をプレゼントされてしまうのだろうか。
 ……まあ、歓迎しようという気持ちだけは伝わってくるので何も言うまい。

「ヒ、ヒデオだったか。お前にこれをやろう。お近づきのしるしというやつだっ」
(…………)

 近づいてきた沙耶香が懐から古式ゆかしいガマグチを取り出して。
 得意気な顔で、言った。


「ほら、金だ! これでうまい物でも食うといい!」


「…………」
「…………」

 助けを求めてユリカの方を見ると、彼女は頭痛を抑えるように手を額に当てていた。

「ど、どうした……? いらんのか……?」
「…………沙耶香、ちょっと来る」

 またもやユリカが沙耶香を伴って部屋の隅へ。

「沙耶香。違う。それは違う。親戚のおじさんじゃないんだから」
「い、いやしかし、やはり男は金が一番だと侍従隊の連中が言って……」
「…………。とにかく。次はもっと女の子らしく」
「女の子らしく、ですか……」
「わからなければ身近な人を参考にしていいから。とりあえず、お金はない」

 当然のように会話は丸聞こえ。
 内心、いっそ応援するような気持ちでヒデオは次の言葉を待つ。
 せめてもう少しリアクションが可能な行動を期待したい。

「ヒデオ。さっきは沙耶香が失礼なことをした」
「いえ、それは。その……気にせず」

 戻ってきたユリカに謝られ、ヒデオは首を横に振る。
 慣れていないのならこういうこともあるだろう……などと思っていると、沙耶香が再度こちらへ。
 座る……と思いきや、突如ヒデオの胸倉を掴み。
 顔を赤くしながら、言い放った。


「いっ、いいかこのウジ虫野郎! こ、この沙耶香様とお話出来るってんだから泣いて喜んで這いつくばりなッ! 言われなきゃそんな簡単なこともできない、ふぁ……ふぁきん? 野郎は、いっぺん死んでから出直してくるべきだねッ!!」


「……………………」
「……………………」

 再び助けを求めるべくユリカの方を見ると、彼女は頭を抱えてうずくまっていた。

「あ、あれ……? 喜ばんのか……?」

 なんだ彼女は。魔王か。

「…………」
「ど、どうしたのですか姫様……」

 やつれた表情のユリカは無言で沙耶香を引っ張り、部屋の隅へ。

「沙耶香。誰を参考にした」
「は……はぁ、キャスティですが。あれが男と話す時はだいたいこんな感じで……」
「違う。何かもう根本的に違う。それで喜ぶのは特殊な嗜好の男だけ」
「た、確かに喜んでいる男はあまり見たことがないような……」
「…………」

 そしてアドバイスも尽きたのか、無言で帰ってくる二人。

「…………」
「…………」
「…………」

 もはや喋ろうとする気配すら消え失せたこの室内。
 自然と視線は会の主催者であるユリカに集まる。

「え、ええとっ。そろそろ二人の仲も深まってきた頃だと思う」

 仲どころか溝が深まってますが。
 ……などとは、相手が姫であるからして、おいそれと言えず。
 二人とも黙したままユリカの言葉を聞く。

「だ、だから、その。解散。今日は解散。続きはまた後日」

 またやるつもりか……とげんなりした二人を置いて、ユリカは足早に部屋を去っていった。というか逃げた。

「…………。」
「…………。」

 ――――親睦会、終了。



               ④



 翌日。帝都シューペリアにて。

「すまんな。待ったか?」
「…………いえ」

 何やら沙耶香に呼び出され、広場の噴水前で待機していたヒデオは力なく首を横に振った。
 シチュエーション的にはともかく、気分的にはカツアゲされる寸前のそれに近い。先日のトラウマが脳裏をよぎる。
 もしや親睦会の続きが開催されてしまうのか……と怯えるヒデオに、沙耶香は頬を掻きながら言った。

「その、なんだ……昨日は悪いことをしたな」
「……え? それは、あの……」
「後で冷静になって考えてみたら、あれはなかった。よりによってキャスティの真似なんて我ながらどうかしてたと思う。申し訳ない、許してくれ」

 まさか素直に謝られるとは思っておらず、どう反応していいものかと口ごもってしまう。
 そんなヒデオの心情を汲んだように、沙耶香はくすりと笑った。

「姫様にも散々説教されてな……。で、その、聞けば帝都には着いたばかりらしいじゃないか。謝罪がてら案内でもどうかと思って……ダメか?」

 これも長谷部の血の為せる業か、サッパリとした人好きのする笑顔で誘われてしまっては断れるはずもなく。

「いえ、いえ。ああいうのは初めてじゃないので、気になさらず」

 少なくとも初対面で人を殴っておいて悪びれもしないようなどこかの巫女よりは全然マシだ。
 プライバシーのため、誰とは言わないが。

「そ、そうなのか……? お前も苦労してるんだな」
「ええ、それはもう。そちらこそ、その若さで皇宮勤めとは。色々と苦労も多いのでは」
「わかるか? 実はそうなんだ……ああ、もっと楽に喋ってくれて構わんぞ。同郷のよしみだ、遠慮することはない」
「はい……あ、いや、わかった」

 妙な方向に意気投合した二人は、広場を離れて店の多い通りへ。
 あの店の料理が美味しい、あの鍛冶屋は腕が悪い、などといかにも彼女らしい案内を時折交えつつ、にぎやかな人の波を縫って歩く。
 現代ではあまり見られない、活気と笑顔に溢れた街だった。

「どうだ? いい街だろう」
「ああ。本当に」
「陛下や姫様たち、それに私が守る大陸一の都だからな」

 冗談めかしたような言葉だったが、そう言えるだけの自負があるのだろう。こんな風に自分が守る国を素直に誇れるのは、きっといいことに違いない。
 あんなに恐ろしかった彼女が今は輝いて見えるようだ。

“あらぁ、ヒデオってばもしかして巫女フェチなの? 今度私も巫女服着てあげよっか”

 ……なぜそうなる。
 別に好きとかそういう話ではなく。同じ国家に仕える者として感銘を受けただけの話であり。

“でも巫女服は好きなんでしょ?”

 …………。
 まあ、さておき。当初の印象と違って、彼女がいい人でよかった。

“否定しないあたり素直よね”

 何か言っているノアレは無視することにして。
 ヒデオは沙耶香の言葉に耳を傾ける。

「そういえばヒデオ。少し気になっていたんだが」
「……なんだろうか」
「名前からオオヤシマ出身だということはわかるんだが、帝国に来る前はどこに居たんだ? 姫様と直接会うくらいだ、きっとそれなりの経歴があるのだろう」
「…………」

 まさか未来からやってきましたと言うわけにもいかない。どこのネコ型ロボかという話。

「それは、あの、なんというか……」
「何やら見たこともないような旧文明の遺産を持っているらしいし、元冒険者か? となると、やはりオオヤシマあたり……いや、それほどの冒険者がいれば噂になるはず。それがないということは……まさか、西域か……!?」

 もちろん違う。そもそも西域がどんな場所かもよく知らない。
 が、下手に否定することで余計に追求されてしまうのも出来れば避けておきたいところ。
 わざわざ向こうから聞いてくるくらいだ。そういう流れかと、とりあえず頷いておく。

「……まあ、一応」
「なるほど……あんな場所で暮らせばそのような目つきになるのも仕方ないだろうな……。こちらの国に慣れていないのも、そういった理由があったのだな」

 途端に同情的な目でこちらを見る沙耶香。あたかも捨てられた子犬を見るかのような。

“ヒデオみたいになっても仕方ないって……相当よね、それ”

 ……同意したくはないが、かといって否定もできなかった。
 西域とはどんなカオスな場所なのか。というか、もしかして自分はとんでもないことを言ってしまったのでは。

「…………。」

 見えない場所に冷や汗を流すヒデオに、沙耶香が言った。

「その歳で西域暮らしとは不憫な……きっと生き地獄に等しい日々だったのだろう。……おお、そうだ。近くに日本料理を出してくれる店があるんだ。今から行ってみないか?」
「えっ」
「金の心配はしなくていいぞ。こう見えて私も帝国将軍だ。相応の給料は貰っているからな」
「いや……、その。違」
「なに、遠慮するな。少々値は張るがその分味もいい。久しぶりの故郷の味だろう?」

 今さら嘘でしたとはとても言えない雰囲気。ヒデオの汗の量が倍増する。

“こんなに素直でいい子を騙してご飯を奢らせるなんて……ヒデオ……”

 違う。違うのです。こんなことになるはずでは……!

「ほら、早く行こう。今日は好きな物を好きなだけ頼んでいいんだぞ」

 聖母のような笑みを浮かべる沙耶香に対し、顔面蒼白となったヒデオは為すすべもなく引っ張られていくのであった。





[36360]  第二章 偽りの勇者
Name: 隣◆d5e42c83 ID:a025b578
Date: 2013/03/08 16:20
               ①



 数日後。
 ヒデオは丁寧に頭を下げ、シャルロッテの執務室に足を踏み入れた。
 今度は呼び出されたわけではない。用件を伝えるため、こちらから出向いたのだ。

「さて、ヒデオさん。どういったご用件でしょう? 聖魔王だと証明するための準備が整ったのでしょうか」

 デスクに両肘をついた姿勢で、そう問いかけてくるシャルロッテ。ヒデオは俯きがちに首を振る。

「いえ……それは、まだ。今日は、転移の原因究明について。協力していただきたいことがあるのですが……よろしいでしょうか」
「ええ、もちろん。こちらから言い出したことですから約束は守りますよ。詳しく話してください」
「では。これと似たような物に、心当たりはないですか」

 片手に持ったノートPCを掲げるヒデオ。シャルロッテは訝しげな表情。

「コンピューターですか? それはまた、なぜ」
「こういった機械に、詳しい知り合いがいまして。彼女がいれば、色々と。情報を得られるはずですので」
「コンピューターのある場所を探せば、その彼女も見つかる……と?」
「はい、きっと」

 帰る方法を見つけるために、まずウィル子を探す。それがヒデオの出した結論だった。
 他の方法もあれこれと考えてはみたが、恐らくそれが一番確実な方法。

“確実って言うけど、もしこの世界にいなかったら? 神だって無限に生きるわけじゃないわよ”

 確かにそうかもしれない。神が不死だとしたら神殺しの血なんてものは存在しないだろうし、この未来の世界にどんな神がいるのかなど自分には知りようもない。
 だが、ウィル子だけは別だ。
 自分の中の何かが彼女の存在を訴えている。胸に感じる繋がりのようなもの。
 きっとそれは、唯一無二のパートナーとしての絆。大会の時と同じあの感覚が今も自分の内側に宿っていた。
 だからウィル子はまだ生きている。それだけは間違いない。

“ふ~ん。ラブラブなのね”

 …………。
 いや、あの、そんな風に表現されると何かすごく安っぽく聞こえるというか……。

“だいたい同じようなものでしょ。それよりほら、さっきの質問はいいの?”
(…………。)

 若干疲れたような顔になったヒデオが、ノアレとの会話から意識を戻す。
 シャルロッテが言った。

「心当たり、ですか……信憑性はあまり高くありませんが、それでもよろしければ」
「ええ。構いません」
「……旧文明時代の遺跡の中には、極少数ですがまだ生きている物もあると聞きます。それらを探し、一つ一つ調査してみればヒデオさんが求めるものが見つかるかもしれません」
「……その遺跡の場所は」
「今の段階では何とも。ご希望ならば調べておきますが……」

 間を取るようにシャルロッテが一息。
 意図を察したヒデオがすかさず言う。

「そちらの仕事を、手伝え……と?」
「話が早くて助かります。帝国の人員にも限りがありますし、大陸の情勢的にもこれからが大変な時ですので……手を貸していただけないでしょうか?」

 ヒデオはこくりと頷いた。
 仕事を手伝うのは最初から条件に含まれていたし、部屋と食事を用意してもらった上に調査までタダで……というのはさすがに気が引ける。
 自分が出来ることなど限られているが、仕事自体に異論はない。
 ヒデオの同意を得て、シャルロッテが続けた。

「すでに知っているかもしれませんが、先日ミスマルカを攻めたルナスが敗走しました」
「ルナス……様、とは。確か第三皇女の」

 ヒデオとてこの数日をただ寝て過ごしていたわけではない。
 大陸の情勢や歴史について調べていたので、ある程度の事情は把握しているつもりだ。
 迫り来る魔王という名の脅威や、それに対抗するべく人類を一つにまとめるという帝国の大義。そして統一のための戦争。
 反帝国連合の中心、ミスマルカという国へ聖魔杯を取りに行ったルナスのことも聞き及んでいる。

「はい。そしてその失敗により聖魔杯の防備はますます磐石になってしまいました。そこでヒデオさんにお願いなのですが、聖魔杯の情報について探ってきていただけませんか?」
「……探ってこい、と言われても。具体的には」
「今、ミスマルカでは聖魔杯復活のための選抜隊を募っています。対象は勇者のみ。その中に潜り込んできてください」

 実に綺麗な笑顔で、シャルロッテがすごいことを言う。

「……いや、あの。僕は勇者ではないのですが」
「偶然ですがここに勇者の紋章が一つ落ちていました」
「…………」

 いや。いやいやいや。常識的に考えてそれはマズいのでは。

「別に。勇者として、行かなくても」
「もちろん他の諜報員は送っていますが、もしかしたら選抜隊の勇者だけに与えられる情報があるかもしれません」
「なら他の勇者を」
「残念ながら帝国が飼っている勇者は全て弾かれるでしょう。無名の勇者なら潜り込めるかもしれませんが、それでは実力に欠けてしまう。全く顔を知られてない実力者はヒデオさんくらいしかいないんですよ」
「もし、選抜隊に入ってしまったら。こちらの探し物をする時間が」
「ああ、そこまで長居をする必要はありません。どうせこの紋章の効力はあまり長く保ちませんし」

 完全に論破されたヒデオがガックリと肩を落とした。

「……というか。そんな怪しげな紋章を使って、本当に大丈夫なのでしょうか」
「大丈夫ですよ。一部の枢機卿を買しゅ……じゃなかった、説得してありますので、しばらくは本物の勇者として活動できるはずです」
「……もし。バレたら」
「異端審問官に死ぬまで追われ続けるでしょうね」

 …………。
 ノアレ、異端審問官とは?

“ま、簡単に言えば異端認定された相手を排除する人間のこと。ヒデオの知り合いだと、クラリカが元異端審問官ね”

 ……マシンガン片手にエリーゼ興業へカチ込みをかけた、あの?

“そう。魔殺商会の屋敷でロケランぶっ放そうとしてた、あの”

 ……。
 …………。
 ……………………。
 ヒデオは半ば涙目で、シャルロッテの方に顔を向けた。

「勇者ヒデオ、がんばッ♪」

 たぶん、この世界に神はいない。



               ②



 ヒデオがミスマルカ城下にたどり着いたのは、選抜会を翌日に控えた夜のことであった。
 ここに来るまで散々迷ってしまった。元々土地勘がないところを、帝国から直接中原に入るのは危険ということで、大陸東部のヴェロニカを経由してやって来たのだ。
 もちろん現代のように便利な交通機関があるわけでもなし。帝国領内でこそ魔導機関車に乗ることが出来たものの、移動の大半は馬車と徒歩。むしろ間に合ったのが奇跡という他ない。
 とはいえ本当に大変なのはこの先である。明日の選抜会に備えるため、ヒデオは早速宿を取り、指定された部屋に入った。

“もっといい場所に泊まればよかったのに。帝国からたくさんお金貰ったんでしょ?”

 とノアレは言うが、そうそう無駄遣いもしていられない。
 いつどれだけ必要になるかわからないし、貰った金を使い込むのも何か悪いような気がする。

“真面目ねぇ……自分のお金じゃないんだからパーっと使えばいいじゃない。すっごい剣とか鎧とか買って、格好だけでも勇者っぽくしちゃえば?”

 現在のヒデオの格好は、旅用の衣服に胸当てなど最低限の防具を付け、その上に厚手のマントを重ねた冒険者風の旅装。勇者にしては少々地味かもしれないが、立場上あまり目立ちすぎても困る。
 そもそも使えもしない装備を買えるほどの余裕はない。

“つまんなぁーい……”

 というか、そこまで言うならノアレがそういうのを出してくれたらいいではないか。守護精霊から装備を授かるなんて、ファンタジーな世界でよくありそうな話だが。

“別に出そうと思えば出せなくもないけど”

 けど?

“だいたい呪われてるのよね。欲しければあげるわよ、手に取ったら発狂する剣とか”

 …………。
 戦闘のたびに発狂する勇者とか嫌すぎる。絶対いらない。
 と、そんな会話をしつつ、旅装を解いたヒデオは食事をとるため階下の食堂兼酒場へと向かった。
 夕食時ともなればどこの酒場も賑わうものだが、今日はいつにも増して人が多い。選抜会のために集まった勇者たちと、それを一目見ようとやって来た野次馬で溢れかえっていた。
 どうにか隅のテーブルを確保したヒデオは、パンとスープ、サラダという簡単なメニューを注文し、ようやく一息。
 明日のことなど考えつつ、黙々と皿をつついていると。前触れなくヒデオに声がかけられた。

「汝、悪いもの憑けてない?」

 半ば唖然としながら振り向くと、お下げ髪のシスターが据わった目つきでこちらを睨んでいた。

「あの……よく、意味が」
「何というかこう、汝から異端者っぽい雰囲気がするんだけど」
「……そんなことは、ないと。思いますが」
「そうかしら……。あたしの勘だけど、なーんか怪しいのよね……」

 むー……と唸りながら顔や肩をぺたぺたと触ってくるシスター。対するヒデオは動揺を隠すだけで精一杯。
 仮に新宿あたりで同じことを言われたらまず勧誘を疑うところだが、今回は事情が違う。心当たりがありすぎる。
 まさかとは思うが、彼女が異端審問官だったりするのだろうか。あのクラリカがそうだったというのだから、可能性としては十分にありえるかもしれない。
 そして通路を塞ぐようにシスターが立っているので逃げることも出来なかった。となれば、そう。言い訳するしかあるまい。

「何を馬鹿な。勇者である、この僕が。そのようなものを、憑けているはずが」
「あれ、汝勇者だったの? 見たことない顔だけど……神託を受けた年は? ランクは?」

 墓穴。
 自らの言葉によって完全に退路を断たれたヒデオが、いよいよ腹痛を訴えて逃走しようかと思い至ったそんな時。

「……おい、何やってんだ」

 仏頂面で割り込んできたのは一人の少年だった。
 革ベストに麻ズボンの粗末な身なり。そして右目と右腕が欠けた姿。
 完全な初対面なら違っただろうが、帝国で何度か噂を聞いていたヒデオにそれほど驚きはない。
 確か……彼の名はジェス。独眼龍と呼ばれる、救国の英雄。

「あ、ちょっと聞いてよ我が勇者。この自称勇者が怪しくて……」
「アホかてめぇ。怪しいも何も、本人が言うなら勇者なんだろ」
「な、汝ねえ……素直なのはいいけど、ちょっとは疑わないと。もし異端者だったらどうするのよ。汝、この男の顔知ってる?」
「知らねぇ」

 ジェスの言葉を聞いたシスターが、それ見たことかと胸を張る。

「ほらやっぱり怪しいじゃない。絶対に異端者よ異端者。あたしの異端者センサーに間違いはないんだから」
「いや。この酒場にいる勇者全員知らねぇ」
「…………。とにかく、一回確認を……」
「シスターなら汝疑う事なかれじゃねえのか。そもそも勇者の詐称なんて自殺志願者でもやらねえだろ」
「そ、それはそうだけどさ……」

 そうなのか。自分は自殺志願者以下だというのか。
 改めて異端審問会の恐ろしさを垣間見て内心で怯えるヒデオに、ジェスが言った。

「悪かったな」
「……いや」
「酔っ払いの言うことだ。気にしないでくれ」

 彼は最後にこちらを一瞥すると、まだ騒ごうとするシスターを強引に連れて自分たちの席へ戻っていく。

(…………。)

 金輪際シスターには近づかないことにしよう、とヒデオは決意を胸に秘めた。
 そして彼女が戻って来ないうちにと皿に残った料理を素早く片付け、人目を避けるように静かな足取りで階段を上がり、自分の部屋に戻る。さすがに彼女もここまでは追って来るまい。
 一安心したヒデオはとうとう疲労に耐え切れず、ベッドに倒れ込む。

(疲れ、た……)

 しかしそうも言ってはいられない。考えるべきことは無数にあった。
 明日の選抜会、シャルロッテとの勝負、ウィル子の居場所……そして、このミスマルカにあるという聖魔杯。
 おそらく。確証はないが、闇すら喚び出したあの神器のチカラなら元の世界に帰ることも可能なのではないだろうか。
 あるいは、聖魔杯のチカラで眠っている闇を喚び覚まし、再契約することが出来れば新たな道が開けるかもしれない。
 ……しかしそれは、この世界の人々が許さないだろう。そして、それ以前に自分が許せない。
 鈴蘭はかの神器を平和の象徴だと言っていた。
 争いが起きた時。奪い合いになった時。そのチカラのせいで悲しいことが起きる前に……割れてしまうように作った、と。
 彼女のそんな想いを知っているからこそ、聖魔杯には頼れない。自分一人のために奪うような真似は決して許されない。
 仮に自分が戦争を止め、魔王に打ち勝つことが出来たならば、改めて聖魔杯に頼ることもあるかもしれないが……それこそ夢物語。
 仲間という最大の武器を失った自分に、そんな大それたことが成せるはずもない。

(…………)

 旅をしてみて、改めて思う。自分は恵まれていたのだと。
 一人というのは想像以上に辛いものだった。かつてニートだった頃には何とも思わなかったようなことが、今では大きな重圧となって心身を苛んでいく。
 仲間に恵まれすぎたがゆえの弊害。結局自分は一人じゃ何も出来ないのかもしれない。

“……十分頑張ってるじゃない。それに……他の誰がいなくても、私がいるわ”

 ……ああ、わかっている。
 最近ノアレと話す機会が増えているのも、夕食前のからかうような会話も、自分を気遣ってのことだというのは十分すぎる程にわかっている。
 だからこそ、ヒデオは悔しかった。
 優しい少女に気を遣わせてしまう自分が……すぐ弱気になってしまう自分が、どうしようもなく腹立たしかった。
 もし自分がもっと強ければ。本物の勇者である翔希のような強さがあれば……そう思わずにはいられない。

“ヒデオ……”

 眠れない夜が、更けていく。



               ◆



「定時」
《こちら風一号。対象は宿に入った。出てくる気配なし》
《風二号。酒場で対象と独眼龍が接触。会話内容に問題なし。現在は部屋に戻った様子》
「噂に相違なしか」
《一号相違なし》
《二号相違なし》

 嘆息を一つ。

「……しかしあの監視対象の男、誰なんだろうな。見た目だけで判断するなら大量殺人者か、クスリの密売人か……」
《後者かもな。時々何もない場所を見てたりするし、自称勇者ってのもラリってるなら納得できる》
《いや、わからんぞ。本当に霊や何かが見えてるのかもしれん》
《おい二号……本気か? 意外と信心深かったんだなお前》
《……噂で聞いたことがあるんだ。人数が決まっているはずの定時連絡。他に誰もいないはずの通信。しかしよく聞いてみれば……そこには謎の四人目の声が……》
《おい馬鹿やめろ。そんな非科学的なことが起こるわけ……》

 …………。

「……なあ。それ、ただの特号じゃないか?」
《…………》
《…………》
「…………」
《案外空気読めないよな、お前》
《本当勘弁して欲しいもんだな》

 …………。

「……真面目にやれ、真面目に。麗しき皇女殿下のご命令だぞ」
《そうは言っても暇なんだよなぁ……久々の仕事がヤク中の監視じゃやる気も起きん》
《あのアホ王子も最近はずっと城にこもってるしな》
《せめてミスマルカにもお姫様がいれば、少しは気合が入るのに》
《だな》
「一応同意はしておくが……仕事だから仕方ないだろう。ヤク中の監視だろうが何だろうが仕事は仕事だ」
《でもなぁ……》
《だってなぁ……》
「ああ、もういいもういい。次の定時は二一〇〇。各員相違なしか」
《一号相違なし》
《二号相違なし》
「通信終わる」



               ◆



 その頃、帝都ロッテンハイム宮。

《姉上。ライン要塞に到着した》
「そう、ご苦労様」

 ユリカの報告を聞いたシャルロッテは、受話器に向かって返事を告げた。
 最前線であっても妹の声は相変わらず無感情。淡々と現地の情報が並べられていく。
 そして最後に。僅かに険を含んだ声でユリカが言った。

《……今度は何を企んでるの》
「何の話? はっきりと言いなさい」
《ヒデオのこと。わざわざミスマルカに潜入なんてさせたところで、あの王が勇者ごときに聖魔杯の情報を漏らすとは思えない。選抜隊に入れたとしても、結果はどうせ一緒》
「ま、そりゃそうでしょうね。聖魔杯の情報なんか初めから期待してないわよ」
《だったらどうして……》

 困惑したようなユリカの質問に、シャルロッテは簡潔に答えた。

「実力を測るために決まってるじゃない」
《……実力?》
「そう。どの程度の力があるのかを測るには、敵国に突っ込ませるのが一番いいと思わない?」
《それはいくらなんでも、姉上……ルナスじゃないんだから》
「単身で帝国に乗り込んで来た男よ? 中原に行った程度で死んでもらっちゃ困るし……仮に死んだら死んだで、その程度だったってことでしょ」

 生きて帰って来れば合格。そうでなければ不合格。
 実に単純明快、それでいて手間もかからない。

《でも。試すにしても、ただ偽の紋章で潜入するだけじゃあまりに簡単》
「ふぅん……私は結構難しいと思うけど。帝国の将軍クラスでも無事に戻って来られるか微妙なところじゃないかしら」

 そんなシャルロッテの言葉に、ユリカはいよいよ呆れたように。

《姉上。行って戻ってくるだけなら、顔さえ知られてなければ誰にでも……》

 と続けようとするユリカの言葉を遮って、シャルロッテが言った。

「あ、そうだユリカ。近々ヒデオがそっちに行くと思うからよろしくね」
《……どうして。ミスマルカに潜入してる彼がここに来るはずない》
「それがそうでもないのよ。逃げ込むとしたらそこしかないだろうし」
《逃げ……? ちょっと姉上、何を。勇者がどこの誰に追われると……》

 シャルロッテは笑う。

「ふふ、だって……」

 実に楽しそうに。普段は出さない、弾んだ声で。



「あの勇者の紋章――ただのオモチャよ?」
《………………えっ?》





[36360]        2-2
Name: 隣◆d5e42c83 ID:a025b578
Date: 2013/03/09 01:05
               ③



 最悪だ……!
 どうしてだ。どうしてバレた。
 ヒデオは自分の行動を顧みるが、大きなミスがあったとは思えない。選抜会場であるミスマルカ城に入るため、ただ紋章を城門の衛兵に見せただけだ。いったいどこに失敗する要素がある。
 だが現実は違った。ヒデオは怪しまれ、呼び止められ、そして追われていた。
 僅かな挙動を見咎められたか、事前からマークされていたか、それとも紋章自体に不備があったか。
 理由はいくつも思いつくが、特定には至らない。特定できたところで事態が解決するわけでもない。だからとにかく愚直に走る。南へ、南へ。

“ヒデオ。右前方の脇道から三人”
「……っ」

 急ブレーキ。
 少し戻り、左へ曲がる。自分が今どこを走っているかなど、とうの昔にわからなくなっていた。
 ただ方角だけは見失わぬように。遥か南の帝国領を目指して街中をひた走る。

“このまま行くと検問に引っかかるわ。路地に入って”

 速度を緩めず路地に飛び込む。
 いつまで経っても追跡の手は緩まない……どころか、次第に激化しているようにさえ思えた。
 しかも異様に人数が多い。兵士、勇者、果てはメイドまでもが執拗に追いかけてくる。
 そんな中、ノアレの誘導だけが頼りだった。もし彼女がいなければ自分はとっくに捕まっているだろう。

(……僕、は)

 任務一つこなせない。ノアレがいなければ逃げることさえままならない。
 仲間がいなくなった途端このザマだ。こんな自分がどの口でウィル子に会うなどと言えるのか。
 一方的に依存するだけの関係など、もはやパートナーでもなんでもない。相手に直接迷惑をかけないだけ、ニートの方がはるかにマシではないか。
 終わりの見えぬ逃避行は徐々に心を蝕んでいく。そして心の疲弊は体にも影響を与え始めていた。
 足が鉛のように重い。酸素をよこせと心臓が鳴り響く。頭は霞がかり、思考がじわじわと侵食されて…………。

“ヒデオ、後ろ……!”

 咄嗟に振り向き、伸びてきた手を払いのける。気づけば兵士がすぐ後ろまで迫っていた。
 気合を入れ直すと同時、どこか遠かった意識が引き戻される。
 そうだ、ノアレだけでも元の世界に帰さなくては。今も助けてくれている彼女に報いなくては、死んでも死に切れない。
 それだけを胸にヒデオは足を前へ動かし続ける。かろうじて兵士の追跡を振り切った先に、やがて見えてきたのは城下を囲む防護壁。そして南の中央部に設置された防護門。あそこを抜けさえすれば……!
 しかし微かな希望は即座に打ち砕かれる。

「っ……」

 門は、多数の兵士たちによって封鎖されていた。
 考えてみれば当たり前のことだ。厳戒態勢が敷かれているこの状況で、出入り口を開け放すバカがどこにいる。恐らく北の門に向かったところで結果は一緒だろう。
 ……仕方ない。ここは一旦引いて、機を見てあの門を突破しよう。
 何時間か、何十時間か。いつまでかかるか定かではないが、隙ができるまで待つしかない。
 ならば今は可能な限り人目につかない場所へ向かわなくては。往来の激しい防護門付近を避け、西の下町方面へ。
 ヒデオは長い時間をかけて慎重に進んでいく。途中幾度も見つかりそうになるが、ノアレのフォローでどうにかやり過ごす。
 迷路のような路地を進み、段ボールの家が立ち並ぶ区域を抜け、そしてたどり着いた最奥部。

(あれ、は……?)

 そこには一人の少年が壁を背にして、ヒデオと同じように息を荒げていた。
 彼はヒデオを見るやいなや、ぎくりと身をすくめて後ずさる。

「げっ、こんなところまで……! さすがにそれは予想外なんだけどな……!?」

 吊りズボンにつば付き帽子の、どこにでもいそうな姿をした黒髪の少年。
 それがなぜか自分の姿を見ただけでこの反応。……いや、当然か。今や自分は犯罪者なのだから。
 少年が呟いた。

「あはは、見逃してくれないかなー、なんて……」
「……見逃す?」

 彼の言葉に不自然さを感じる。
 どういうことかと考えていると、彼は何かに気づいたように目を丸くして言った。

「って君、もしかして噂の偽勇者? 朝からずっと逃亡中の?」
「……そうだと、言ったら?」
「ああ、勘違いしないでくれ。別に捕まえる気はないよ。……というか、こっちにもそんな余裕ないしね」

 よくわからないが、何やら向こうにも事情があるらしい。
 嘘をついている様子もないので、ヒデオは少しだけ警戒を解いた。

「それにしても、エーデルワイスの捜索から逃れるなんてやるなぁ。ただの犯罪者程度なら一時間も保たないはずなんだけど……」

 彼は小首を傾げて言う。
 と、その時。
 どこからか、バタバタと慌ただしい足音が迫ってきた。それも一つではなく、複数。

「うっ……お喋りしてる時間はなさそうかな。じゃ、君も捕まらないように頑張ってね」

 そう言って踵を返す少年。態度や行動から察するに、もしかすると彼も追われている身なのかもしれない。
 まあ今は考えている余裕など皆無。一刻も早く逃げ……。

「あ、そうだ。お詫びに一ついいことを教えてあげよう。夜になったら南門の封鎖は解かれるはずだよ」

 お詫び? とヒデオが問う暇もなく。
 少年は口に手を当て、大きく息を吸い込んで。

「偽勇者がいたぞ――――!」

 辺り一帯に響く大音声。
 と同時に、アパートの一室に逃げ込もうとする少年の姿が視界の端に映る。

「わはははは! せいぜいスケープゴートとして頑張ってくれ!」

 ………………はめられた!?

「あ、あれは王子の声!?」
「しかし偽の勇者がいたと……!」
「ええい、どちらでもいい! とにかく捕まえろ!」

 急速に近づきつつある追っ手の声。
 ヒデオはアパートに入っていった少年を追いかけようかと逡巡するが、もし鍵を閉められていたらお終いだ。結局諦め、再び全速力で走り出す。
 体力の残りは少なく、敵の数は増える一方。
 いつ終わるとも知れぬヒデオの逃亡劇は続く――――。



               ◆



 一方。もう一人の逃亡者である少年、マヒロ。
 アパート……ではなく、アパートのような外観の雑貨屋。その店内に逃げ込んだ彼は、スツールに腰掛けた。

「ああ疲れた……」
「やあ、遅かったね王子」
「それがだね、エミリオ。選抜会直前に偽勇者なんてものが現れたせいで、想定以上に兵士の配備が早くなってしまって大変だったんだよ……。余はもうへとへとです」
「そりゃまたタイミングの悪い。ま、日頃の行いじゃない?」
「君にだけは日頃の行いとか言われたくないな……」

 エミリオと呼ばれた金髪の少年は、涼しげな顔でコーヒーを一口。

「でも勇者の偽者なんて珍しいね。ミスマルカに現れたってことは、やっぱり聖魔杯狙い?」
「そうだとは思うんだけどさ……なーんか、様子がおかしいっていうか」

 腑に落ちない表情でマヒロが続ける。

「聞いた話だと、オモチャの紋章で城に入り込もうとしてたらしいんだよね。最初は酔っ払いか何かかと思ってたけど、それならエーデルワイスから何時間も逃げられるわけないし。もう何がなんだかサッパリ」
「ふーん……イカレてるだけじゃない? 王子と一緒でさ」
「失敬な、余もそこまで意味不明な行動はしません」
「僕から見れば似たようなもんだけど……まぁいいや。僕は出発の準備をしてくるから、夜までゆっくりしててよ。本当に帝国陣地まで行くんだったら、今のうちに寝ておいた方がいいんじゃないかな」

 ……まあ。あの男の素性や目的を考えたところで、どうにかなるわけでもない。
 マヒロはエミリオの申し出に従って眠ることにした。ソファの上に積まれたガラクタを適当に押しのけ、空いたスペースで横になる。散々走り回ったせいか、すぐに睡魔がやってきた。

「それじゃ、お休み」
「お休み、王子」



               ④



 ヒデオが追われ始めてから、三日目の昼。
 現在の居場所は連合側の最前線、ラズルカ。ここまで来るとさすがに捜索の手も緩くなっていた。
 ミスマルカ城下の時とは打って変わって、今は兵士やメイドに追われるようなこともほとんどない。

(ミスマルカ、か……)

 ヒデオは初日のあの夜を思い出す。果たして本当に少年の言った通り、日が落ちると防護門の封鎖は解かれていた。
 どうしてそんなことを知っていたのか、彼は何者なのか……謎は残るが、結果こうして無事に逃げてくることができたのだから、一応感謝しておくべきなのだろう。
 とはいえまだまだ油断はできない。何せこの先ほんの一キロ程度の場所には連合国陣地が存在するという話。
 それに加えて、今朝から勇者らしき人物の姿も頻繁に見かけている。どうにかしてここを抜けねばならないのだが、まだいい方法は思いつけていなかった。

(…………)

 いっそ今からでもヴェロニカに戻るか。……いや。下手に時間をかけてしまうと、神殿教団からの追っ手が来てしまうかもしれない。それが一番マズい。
 逃げるならば最短距離を。もはや帝国領は目前だが、間に立ちはだかるは十万からなる連合軍。
 いったいどうしたらいい。どうしたら……。

“……ねえ、ヒデオ。考え込むのは仕方ないけど……少し休憩したら? 酷い顔よ”
「……っ、あ、あぁ」

 ノアレの声で意識が引き戻される。
 思い返せばここ三日間、ロクなものを口にした記憶がない。溜まった疲労も限界に近かった。
 どこかで休憩を取らなければとは思うが、まさか店に入って悠長に食事するわけにもいかない。ヒデオはしばらく迷った末、露店の集まるマーケットエリアへ向かうことにした。
 露店の数もさることながら、遠目から見ても人が相当多い。上手く紛れ込むことができればいいのだが……。
 とりあえずマントで口元を隠し、適当な店を物色する。立ち止まったのは果物を置いた小さな露店。

「……すみません」
「ひッ……!? な、なんだアンタ!」
「…………いや、それを」
「こっ、これが欲しいのか? 金はいらねえ、持っていってくれ!」

 大柄で筋肉質な店主が、ただ一言声をかけただけでこの有り様。今の自分はどれだけ酷い形相になっているのだろうか。
 ……ともかく、今は誤解を解く時間すら惜しい。
 並べられた果物をいくつか手に取ったヒデオが、無言で通貨を置こうとしたその瞬間。
 ガッ、と。
 急に横合いから伸びてきた手に、ヒデオは腕を掴まれた。

「見つけたわよ……」

 尋常ではない気配に振り向くと、先日のシスターが薄ら笑いを浮かべてヒデオの斜め後ろに立っていた。

「勇者の詐称に恐喝の現行犯……もう言い逃れできないわね、この異端者め」
「…………」

 直感的にヤバイと確信した。
 何というかもう目つきが人に対するそれではない。

「大丈夫。今すぐ死ぬか異端審問会に引き渡されてから死ぬか選ばせてあげるから…………ってちょっと!?」

 掴まれた手を振り払い、全力で駆け出すヒデオ。
 冗談ではない。自分はまだこの世界に来て何もしていないのだ。それが、こんなところで。

(死んで、たまるかっ……!)
「我が勇者! それに護衛さんたちも、早く! こっちこっち!」

 シスターの声にいち早く反応した片腕の男はジェスか。
 後に続く三人も、身なりからして凡百の冒険者とは一線を画した歴戦の勇者、剣士。
 多少鍛えられたとはいえ、ヒキコモリとは元々の身体能力が違う。それに加えて連日の疲れもある。ノアレのナビという優位をもってしても、こればかりはどうにもならない。
 必死に逃げるもじりじりと追い詰められ、気づけば袋小路のような場所にまで。左右は高い壁、背後は固く閉ざされた扉。もはや逃げ道はどこにもなかった。

「ほら、あたしの言った通りでしょ。やっぱりこの男、異端者だったじゃない」
「そうだな」
「……我が勇者、ちょっとは申し訳なさそうにしなさいよ」
「ああ、悪かったな」
「あのねぇ汝……」
「早く捕まえなくていいのか。逃げちまうぞ」
「…………ま、それもそうね。さあ勇者シーナ、やっておしまいなさい」

 シスターに指名されたシーナというらしい女勇者が、辟易とした顔で言った。

「なんで私が……っていうかこの状況で逃げられるわけないでしょ。私と大陸最強のリーゼルがいるのよ? パリエルだって近衛騎士なんだし、偽者の勇者なんかに……」
「いや、油断しねえ方がいい」

 ジェスの炯眼がヒデオを睨め付ける。

「ああ、ジェスの言う通りだ。勇者の集まるミスマルカ城にたった一人で乗り込んできた男……警戒しておいて損はないさ」

 純白の鎧を纏った青年が一歩踏み出し、抜剣。戦闘に疎いヒデオでも明らかに雰囲気が違うとわかる二刀の勇者。
 先のシーナの言葉を信じるとするなら、彼がリーゼル……大陸最強、なのだろう。

「……うん、そうね。リーゼルがそう言うなら私も本気で行くわ」

 シーナは呟き、双眸を鋭く、警戒を強く。
 ヒデオも負けじと睨み返すが、臆する様子は欠片も見られず。やはり並みの相手ではない。
 そんな彼女に加え、対する敵は救国の英雄と大陸最強、中原の近衛騎士。
 もし彼らがその気になれば、自分など瞬く間に殺されてしまうのだろう。そして、そんなちっぽけな命でも奇跡なのだと教えてくれた仲間たちは、もういない。

「ちょ、ちょっと待ってよ皆。偽者っていっても、オモチャの紋章を出しただけでしょ? それはちょっと説教してやらないとなー、とは私も思うけど。ただの冗談かもしれないんだし、そんな殺気立たなくても……」
「ただの冗談じゃ済まないのよ。パリエル」

 シーナが言った。

「武器を持ったまま連合のトップに謁見できる。ただのお供ですら王城に入れてもらえる。それだけ勇者の称号は重いものなの。仮にこの男が爆弾でも抱えてミスマルカ王に近づこうとしていたのなら……」
「っ……」

 最悪の光景を想像したのか、パリエルと呼ばれた近衛騎士の表情が引きつる。

「それにわざわざミスマルカ城に潜入しようとしたんだもの。冗談や何かにしてはタイミングが良すぎるわ。あなた、どうせ聖魔杯を狙った帝国のスパイなんでしょう?」

 疑問、というよりは半ば確信を抱いたシーナの視線。

「…………だとしたら、どうする」

 ヒデオの言葉に、彼女は語調を強くした。

「どうする……ですって? 帝国なんかにどうして加担するのかこっちが聞きたいくらいよ! 彼らは人間を奴隷にしようと企ててるのよ!?」
「……待て、待ってくれ。人間を、奴隷に……? それは、いったい……」
「しらばっくれないで。今や誰もが知っている事実よ。そうでしょ、リーゼル」
「ああ、信じたくはないが……俺もそう聞いている」

 馬鹿な。
 帝国に居た自分だからこそよく知っていた。あの国では人間も魔人も一緒になって平和に暮らしていたではないか。
 あの皇女たちが、率先してそんなことをするような性格とは思えない。
 第一、人間であり長谷部の家系であるあの沙耶香が。そんな行いを見過ごし、帝国に手を貸すはずがない。
 彼女たちの言っていることは、つまり。

(……プロパ、ガンダ)

 自分の正義を持った者同士がぶつかり合い、争いになるのは仕方ないことなのかもしれない。
 そうすることで分かり合える何かもきっとあるのだと……自分はあの大会の最後に、そう思った。
 だが、こんなすれ違いで争いが起きるのは。互いの意思すらはっきりとしないまま、聖魔杯が争いの種にされるのは。
 それは……あまりにも。
 あまりにも悲しすぎるではないか。

「……その、程度か」
「なっ、突然何を……」

 ヒデオの眼光が鋭さを増す。

「その程度の勇者なのかと、言っている。人間を奴隷に? 何を、馬鹿な。君たちはその目で、確認したのか」
「そ、それはっ……でも、嘘だとは限らないじゃない……!」
「人間の僕が。こうして、自分の意思で帝国に手を貸している。三剣の一人だって、魔人ではなく人間だ。なぜ、疑問に思わない」
「そんな……だって……!」

 シーナは助けを求めるようにリーゼルに視線を向ける。
 しかし彼は、沈痛な面持ちで黙したまま。

「……帝国には、帝国の正義がある。彼らは、魔王に対抗するため。大陸の、人類の統一を目標に掲げた」
「……っ、もし、それが真実だったとして! それでも帝国が戦争を仕掛けてきたことには変わりない! どんな大義があろうと、戦争なんてっ……」
「僕だって……戦争が正しい選択だとは、思わない」
「じゃあ、どうして!? なぜあなたは帝国に手を貸すの……!?」
「……帝国が、聖魔杯のチカラを手に入れれば……きっと戦争は終わる。人類は、一つにまとめられ……魔王だって、倒せるかもしれない。少なくとも、今の状況よりは……」

 何もわからないまま、聖魔杯のチカラだけを求め。殺し合いを始めるよりは、よっぽどマシだ。

「っ…………!」

 シーナは反論しようと口を開き、しかし言葉が見つからなかったのか、唇を噛んで黙り込む。
 沈黙。
 長い静寂が続き……やがて、ヒデオが再び口を開く。

「……君たちは、なぜ」

 ヒデオは僅かな怒りを自分の中に感じた。
 それは、彼らがプロパガンダされていたことに対してではなく。

「今、僕が言ったことだって……全部デタラメかも、しれない。なのに、なぜ揺れる。なぜ迷う。君たちの正義はっ……そんな軽い、ものなのか……!」

 自分の知っている勇者なら。
 彼ならば、決して揺れも迷いもしなかった。己の正義にどこまでも純粋で、一直線で、時には我が身の犠牲さえ省みない、そんな勇者。

「…………」

 そして何のチカラも持たないヒキコモリで、逃げるだけが精一杯の自分だからこそ。
 勇者のチカラを持つ彼らが羨ましかった。憧れだった。
 そんな彼らが、自分の言葉程度で簡単に揺れてしまうことが無性に悔しかった。

「ああ、コイツの言う通りだ」

 ジェスが言う。

「帝国の事情なんざ関係ねえ。てめえらには守るもんがあるだろう。なら自分の正義に従って、ついでに勇者を騙る馬鹿を捕まえてやりゃいいだけだろうが」

 唯一、彼の隻眼だけは一切の迷いがなく。
 彼の言葉を聞いた他の勇者たちもまた、その表情に強い意志が宿り始める。

「……ああ、それでいい」

 それでこそ、争う価値がある。
 もはや言うべきことは言い尽くした。自分にできることは、血反吐を吐くまで逃げるのみ。

“ええ、閣下。逃げ道は私が作ってあげる。……でも気をつけて。ヤバいのが迫ってるから”

 そうノアレが言った、まさにその瞬間。
 ヒデオたちのいる袋小路へ、野太い声が投げかけられた。

「神威である」

 機械のように表情のない長身痩躯の大丈夫。
 男は美しく輝く長剣を抜き放ち、ゆっくりとこちらへ歩み寄ってくる。
 傍らには、厚手の鎧を纏いフードを被った若い女。白銀の戦槌を手に、淡々と言い放った。

「こちらは異端審問会第二部、アズレセウス・ラドル・キュリオン高級審問官。私はベルゼリア・ミラ・レカルネン一等補佐官。異端者の浄化を行います。そこを退きなさい、勇者たち」

 絶望が、幕を開けた。





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Name: 隣◆d5e42c83 ID:a025b578
Date: 2013/03/03 03:35
               ⑤



 凍りつくヒデオの下へ、異様な雰囲気を放つ男が近づいてくる。
 一歩、また一歩。
 感情を一切窺わせぬその姿はまるで幽鬼のごとく。圧倒的な威圧感だけを伴い、ヒデオの心を竦み上がらせる。
 シーナが声をあげた。

「待って! 彼にはまだ聞くことが……!」

 アズレセウスは歩みを緩めることもなく、ただ冷徹に告げる。

「我らは剣。話す言葉も聞く耳もなく、ただ振り下ろされるのみ。下がれ、勇者よ」
「なっ……」

 瞬間、放たれた殺気に勇者が気圧されて、ビクリと身を硬直させた。
 ……言葉すら。
 勇者の言葉すら一蹴されるというのであれば、異端者である自分の言葉など通じようはずもなく。

(っ……)

 これが異端審問会第二部。
 正直、油断していた。いかなる敵だろうと、相手が人間であるならば……と高を括ってしまっていた。
 この相手は……この相手だけは、マトモに戦ってはいけない。自分の勘がそう告げている。

“ヒデオ。合図と同時に後ろに走って”
「……しかし、後ろは」

 小声で言いかけて、口をつぐむ。
 何を動揺している。
 ノアレが道を作ると言い、方向を示したのだ。自分はただ信じて走ればいい。

「審問官アズレセウス。この男の浄化は私が」

 気づけば異端審問官の二人は既に目の前。
 傍らのベルゼリアが言って、ウォーハンマーを大きく振り上げる。
 アズレセウスは無言で一歩下がり静観の構え。周りの勇者たちも誰一人として動こうとはしない。
 そして、ベルゼリアがハンマーを振り下ろそうと力を込めたその一瞬。

“――今!”

 寸でのところでバックステップ。ヒデオはすぐさま方向転換し、ほんの一メートルほどしか残っていない背後の空間、袋小路の奥へと走る。
 まさかこの状況から後ろへ逃げるとは思いもしなかったのだろう。逃げ場のない袋小路という先入観が彼女を僅かに油断させた。
 ハンマーは狙いを外れ、地面の石畳を打ち砕く。と同時、固く閉ざされていたはずの背後の扉が弾かれたように開け放たれた。

「くっ……!」

 当然のごとく追いすがってくるベルゼリア。
 だがヒデオが飛びこんだ扉は独りでに閉ざされ、どれだけ力を込めようと開く気配は全くない。
 悪戦苦闘するベルゼリアに、アズレセウスが言った。

「下がれ」

 一閃。
 アズレセウスの長剣が、樫と鉄で出来た重い扉を音もなく斬り裂く。

「……追うぞ」

 そして走り出したアズレセウスのスピードは異常の一言。狭い室内を長剣片手に這うような前傾姿勢で進み、ヒデオとの距離を瞬く間に詰めていく。
 追われたヒデオが感じたのは、ただ恐怖。
 もはやなりふり構ってなどいられなかった。
 室内に並んだ棚や商品からして、さっきの扉は雑貨屋の裏口だったのだろう。突然の侵入者に驚く店主へ財布を投げつけ、ヒデオは片っ端から棚を倒しつつ正面出入り口を駆け抜ける。
 しかし敵も早い。
 障害物をアズレセウスが斬り払い、ベルゼリアが打ち砕く。更にはその後ろから勇者たちも追いかけてきた。

(こんな、ところで……死ぬ、わけには……!)

 気力を振り絞ってひたすら足を前へ。なるべく人通りの多い場所を選んで走るが、それでも距離は徐々に詰められていく。
 そしてヒデオの思惑と反するように、だんだんと街を出歩く人の数も減っていった。
 おそらく偶然ではない。教会の聖騎士たちが周辺住民へ注意を呼びかけているのだろう。

(…………っ)

 周囲を見回すが、追跡の邪魔をするための障害物が全く見当たらない。
 やむなくヒデオは足元の石を拾い、後方に向かって……。

“ヒデオ、それは……!”

 ノアレが言いかけた時には、石は既にヒデオの手を離れていた。
 気づいた時にはもう遅い。

「愚かな」

 凄まじい速度で振り払われたベルゼリアのハンマーによって砕かれた石は、無数の飛礫となってヒデオに襲い掛かる。
 ヒデオは全身を激しく叩きつけられ、転倒し、無様に地面へ這いつくばった。

「……、ぐ……ッ」

 すぐさま立とうとするが、意思とは裏腹に体が全く動いてくれない。
 足が、疲労が、限界を迎えていた。

「悪足掻きはここまでです。潔く死になさい」

 ベルゼリアの声にふと顔を上げると。
 ヒデオは異端審問官と集まってきた聖騎士によって八方を囲まれていた。その背後には勇者たちの姿。

「…………」

 アズレセウスが剣を引っ下げ、無言でヒデオの下へ迫り来る。
 きっと相手がその気ならいつでも殺せたに違いない。周囲に邪魔をされないために、この場所へ誘い込まれた。ただそれだけのこと。
 動け、逃げろと自分を叱咤し続けるも、アズレセウスが一歩近づくたびに気持ちが萎えていく。思考が絶望に覆われていく。

(なぜっ……僕、は……)

 なぜ自分はこうも脆いのか。
 どうしてもっと強くなれないのか。
 ……いや、そんなことはとっくに自分でもわかっていた。
 所詮、ヒキコモリはヒキコモリだった。仲間がいなければ何も出来ず、嘘とハッタリだけが得意な。どうしようもない人間でしかなかった。

(…………)

 長く、長く息を吐く。仰ぎ見た空は、夕焼けで真っ赤に染まっている。
 死を目前にしたヒデオは自然と呟きを漏らしていた。

「ウィル、子……すまない……」



               ◆



 ヒデオが追われる少し前。帝国軍令本部長、執務室。

「風より報告を。ヒデオ様の現在位置はラズルカ南部、連合軍陣地付近です。上手く逃げ回ってはいますが、これまでに戦闘行為は皆無。異端審問会が動き出したこともあり、おそらく緩衝地帯突破は不可能……捕縛されるのも時間の問題とのこと」
「そう。報告ご苦労様」

 シャルロッテは手元の書類をデスクに置き、フォルゴーレに視線を向けた。

「ただ一つ、不可解な点が」
「何?」
「此度の異端審問官の動き、少々早すぎるかと」
「ああ、それはそうよ。だって勇者の偽者がいるって知らせたの私だもの」

 これにはよくできたメイドもさすがに絶句した。

「…………ヒデオ様に対して少し厳しすぎるのでは」
「あら。聖魔王様なんだからこれくらいは軽く突破してもらわないと」
「……シャルロッテ様」
「まあそれは半分冗談だけど、ヒデオに期待してるのは本当。じゃなきゃこんなことしないわよ」

 嘆息。

「期待、してたんだけど。捕まるのも時間の問題……ねぇ」
「風の見立てです。まだ捕まると決まったわけでは」
「……ま、それもそうね」

 再び嘆息。
 ……そう、有り体に言えば。彼ならもっと面白いことを起こしてくれると思っていたのだ。
 もちろんこの状況から逃げて帰って来るならそれはそれで評価できる。ただ、それだけだ。期待通りとは程遠い。
 最悪なのが、このまま勇者や異端審問官に捕まってしまうこと。一応助けるための策は用意してあるが、それを使ったが最後。そんなオモチャにもう興味はない。

(ちょっと期待しすぎてたのかしら……)

 シャルロッテは背もたれに深く体を預け、そして。


「で、他人を死地に放り込んでおいて、自分たちは高みの見物ってワケ? はっ、いいご身分だこと」


 それは、決して聞こえるはずのない声。
 間違いなく二人きりだった執務室に何の前触れもなく現れた三人目。
 宙に浮かぶその姿は、明らかに人ではなく。

「ふん……調子に乗りすぎなのよ、あんたたち」

 白銀の乙女が、そこにいた。

「…………ふぅん。もしかしてあなたも精霊さん?」

 驚きを抑え、シャルロッテは問う。
 ノアレに続きこれで二度目だ。さすがに表情に出すような真似はしない。

「エリーゼ・ミスリライト。精霊さんなんて名前じゃなくてね」
「あらそう。それで、あなたはいったいどんなご用なのかしら」
「忠告しに来てあげたのよ」
「忠告?」
「ええ。後輩に頼まれたの、『マスターのことをお願いします』ってね。今の自分じゃチカラになれないからって、泣きながら何度も何度も……自分の状況の方がよっぽど酷いっていうのに、馬鹿みたいに繰り返すのよ。わかる? まぁわかんないでしょうね、あんたらにこんなこと説明しても」
「…………」

 エリーゼが鼻を鳴らし自嘲する。

「……ま、わたしもあの男には二度も救われたし。だからこうしてわざわざ来てやったってワケ」

 そして鋭い目でこちらを見やり、言い放った。

「いい? あんた、もうヒデオに手出しするのはやめなさい」

 棘のある声、表情。
 それはもはや忠告というよりは。

「脅迫……ってことかしらね」
「どう解釈しようと好きにすりゃいいけど、こっちはあんたらのために言ってあげてんの。こんなこと続けてたらいつか帝国ごと滅ぼされるわよ」
「そんな話を今ここで信用しろと?」
「別にいいわよ、信じなくても。バケモノどもの怒りを買って滅亡したいならどうぞご自由に」

 読めない。彼女の言っていることが真実か否か。
 読めないのだが……面白い。こうして真正面から自分を脅せるような存在がまだいたことが、何よりも。
 そしてこの事態の中心となっているのは、やはりあの男――川村ヒデオ。

「ほら、わかったらさっさと返事を」
「イヤよ」
「…………なんですって?」
「絶対にイヤ、つってんの。悪いけど私、諦める気なんてこれっぽっちもないわよ。ヒデオのことも、もちろん帝国のこともね」

 シャルロッテは口の端を歪めて笑う。
 こんなに自分を楽しませてくれるオモチャをどうして手放せるだろうか。
 それも、精霊とやらがこれほどまでに気にかける存在。ますます欲しくなってしまった。

「でも……ま、忠告はありがたく受け取っておこうかしら。とりあえず過激なことは今回限りにするわ。間違って死なせちゃったらもったいないもの」
「…………ふん、好きにしなさいよ。ただし何が起こっても後悔しないことね」

 こちらに引く気がないことを悟ったのだろう。エリーゼはくるりと背を向け、扉へ向かう。
 後を追わせてみようかとも思ったが、そもそも誰にも気づかれずにこの部屋に入って来るような相手だ。どうせ無駄に違いない。
 そんなことよりはヒデオの回収が先決。彼自身の実力については少々疑問が残るものの、死なせてしまうよりはマシだろう。

「フォル、風に通達。今すぐヒデオに救援を――」

 向かわせなさい、と続けようとしたシャルロッテの声を遮って。
 エリーゼが振り返り、言った。

「あんたヒトの話聞いてた? さっきの忠告はあんたらのためだって言ったでしょ。勘違いしてるようだけど、わたしはヒデオを助けろなんて一度も言ってないわよ」

 自信に満ちた表情。挑むような視線。

「あの程度で救援、ねぇ。ハッ……あんたたち、ちょっとあいつをナメすぎじゃない?」



               ⑥



 突然、懐かしい感覚が自分の中に流れ込んできた。
 それはきっと、彼女の見ている世界。
 そして同時に。記憶より少し弱々しく、しかし慈愛に満ちた……そんな声が聴こえた。


 ――マスターは、一人じゃないですよ


 たった一言。
 それでも繋がっていた。繋がって、今もこうして声をかけてくれた。
 ただそれだけの事実が……こんなにも心強い。
 現状が変わったわけでもなく、目の前の敵はいまだ健在だというのに。
 最愛の彼女の声は、ヒデオの心を再起させるには十分すぎた。

「…………っ」

 涙が頬を伝う。そして同時に、ヒデオは笑っていた。
 周りから見れば奇異な行為だと思うに違いない。死を前にして狂ってしまったのだと。
 しかしそれは確信だった。ヒデオなりの、勝利の雄叫びだった。

(……僕、は。僕は……、何を)

 全く、何を悩んでいたのだろう。
 自分が強くないことも。どうしようもないヒキコモリであることも。とっくに理解しているというのに、いつまでもウジウジと。
 そんなだから真実を正しく見定められなかった。気づいてみれば何のことはない、単純な思い違いをしていたのだ。
 そう、仲間は。
 仲間だけは……こんなにも近くにいてくれたではないか。

(…………そう、だ)

 きっと、決めつけてしまっていた。
 居場所もわからないウィル子は来てくれないと。ノアレだって、逃げ惑うだけの面白くない自分など本気で助けてはくれないだろうと。
 愚かで自分勝手な思い込みが、目を曇らせていた。
 だがそれも、もう終わりだ。

“やっと戻ったわね。待ちくたびれたわよ”

 力強い少女の声。
 やはり彼女は馬鹿な自分を待っていてくれたのだ。
 謝らねば……と思うが、その前に一つ。やることがあった。
 ヒデオはゆっくりと立ち上がり、目の前の敵と相対する。

「……どうした。まだ認められぬか、自分の失敗を。貴様は主に逆らったのだ。死は必然のこと」

 ……ああ、認めよう。
 自分の判断が甘かった。この敵は間違いなく強者で、自分にとって最悪に近い相手だろう。
 そして一度は心を折られ、殺されかけた。全て事実だ。

 だが、それがどうしたというのだ。

 言葉が通じない? そんなもの、ただの獣と同じではないか。
 獣ごときに負けるとは。つまり、今まで自分が戦ってきた相手を貶めると同義。
 エリーゼを。アーチェスを。ロソ・ノアレを。獣にも劣ると認めるようなものではないか……!
 ならば。

(……負ける、はずがっ。負けられるはずが、ないだろう……!)

 思い出せ。
 ヒントはあった。ミスマルカに、ラズルカに、勇者や異端審問官との会話に。あらゆる場面にちりばめられていた。
 この土壇場に来てやっと思考のエンジンがかかり始める。ようやく逆転への道筋が見え始めてきた。
 あとは、自分の勝利を信じるのみ。
 もう恐れることなど何一つとしてない。自分には最古の闇の精霊と最愛の電子の神がついているのだから。

“ええそうよ。始めましょう、閣下……!”

 アズレセウスの長剣がヒデオの目前でゆっくりと振り上げられる。首を狙い澄ました必殺の構え。

「さらばだ、異端者よ」

 だが今は恐怖も絶望も感じない。
 ヒデオは短く、しかし深く息を吸い。真正面をしっかりと見据えて。
 一言。
 それは目の前の異端審問官ではなく、背後の勇者たちに向けた言葉。

「僕は……王子の居場所を、知っているぞ」



               ◆



 反応できたのは二人。
 ジェスは男の言葉と同時に目の前の聖騎士を押しのけ、駆け出していた。
 傍らではリーゼルが同じように走り、同時に呪文を詠唱。

「ライトニング・エクスプロージョン!」

 威力は度外視。最速で放たれた光爆がアズレセウスの長剣を弾き、狙いを外させる。
 続けざまに繰り出された二撃目が男の頭を両断する寸前、ジェスは男とアズレセウスの間に潜り込み、長剣をナイフで受け流す。
 重い……が、かろうじて逸らすことに成功。剣は男の皮一枚を斬り裂くにとどまった。
 その隙にリーゼルがジェスの隣に駆け寄り、勇者二人とアズレセウスは無言で睨み合う。
 一歩間違えれば死んでいたというのにも関わらず、背後の男は身じろぎ一つしていなかった。

「ま、待って! 二人とも突然どうして……! それに王子の居場所を知ってるっていったい……!?」

 パリエルが叫んだ。
 男は冷徹な目つきでパリエルを見やる。

「君は……確か、パリエル……だったな。自分が言ったことを、よく。考えてみるといい」
「わ、私が言ったこと……?」
「本当に僕が。冗談や何かで、勇者を騙り……ミスマルカに、潜入しようとしていた、と。本気でそう、思っていたのか」

 そう。改めて考えてみれば、帝国のスパイがあんな不備だらけの作戦でミスマルカ城に潜入することなどあり得るのだろうか。
 もし……この男に別の目的があったとしたら。
 そして王子の居場所を知っているという言葉が本当だとすれば。

「て、めえ……! 囮か……!」

 ジェスの言葉に周囲がハッと息を呑んだ。
 この男が陽動して、その隙に他の者がマヒロを攫う……そう考えると辻褄は合う。合ってしまう。
 ここまで単身で逃げられる程の男が、わざわざオモチャの紋章を使ったことも。シスターなどに簡単に見つけられたことも。この状況を作り出すためと言われれば、全て納得できる。
 現に、大陸最強を擁したパーティがこうして足止めされているではないか。
 しかも異端審問官と対立するという最悪の構図付き。囮として、これ以上の成果があるだろうか。

「でも……王子がこれは選抜試験って! 逃げる自分を捕まえてみろって言ってたじゃない……!」
「最初に捕まえたのが帝国だったって話だ。別に不思議じゃねえ」
「それでも! 初めから王子は帝国陣地へ行くつもりだったんでしょ!? なら別に捕まったって……」
「マヒロが自分の意思で行くならな」

 ジェスは苦い顔で言った。

「罠に誘い込まれた形だと、どこに連れて行かれるかも、何をされるかもわからねえ。最悪……囮のこいつを殺したが最後、一生行方知れずになる可能性だってある」
「……ああ、ご明察だ。だからこそ……君たちは。僕を守らなくては、ならなくなった」

 この男は脅しているのだ。自分が死ねば王子の居場所はわからなくなるぞ、と。だから死の直前でもああして笑っていられたのだ。
 そして事実はどうあれ、可能性がある以上……異端審問官にこの男を殺させるわけにはいかない。対立せざるを得ない。
 勇者を騙ったのもこのためなのだろう。キリングマシーンと呼ばれる異端審問会第二部が来たからこそ、この対立は作り出された。ただの兵士や聖騎士相手ではこうはいかない。
 アズレセウスが言った。

「我らにそのような事情は関係ない」

 凄まじい速度で迫る長剣を、ジェスとリーゼルは二人掛りで押し止める。
 大量の火花と同時、あまりの衝撃に全身が軋みをあげ、あろうことか長剣の一振りは二人の体を弾き飛ばす結果となった。
 地に手をつき体勢を整えるジェスの視界の端には、戦槌を手に近づいてくるベルゼリアの姿。
 リーゼルが歯噛みした。

「くっ……シーナ! 頼む!」
「行動を阻害するならば称号の剥奪、及び異端者の認定を受ける可能性がありますが。よろしいですか」

 一度は動き出そうとしたシーナだが、ベルゼリアの言葉に身を硬直させてしまう。

「シーナ……! もしマヒロがいなくなれば聖魔杯の復活は……大陸の平和は潰えてしまう。あの男に言われたことを思い出せ!」

 リーゼルの視線がシーナを貫く。

「たかが勇者の称号と、人類の未来、どちらが大切なのか! 自分の正義がどこにあるのか、よく考えてみるんだ!」
「リーゼル……!」

 シーナの剣が真っ直ぐにベルゼリアへ向けられる。

「ええ、そうね。私は平和のためなら……そしてあなたのためなら! 勇者の称号なんて捨ててみせる……!」
「っ……、戯れ言を……!」

 そうしてシーナとベルゼリアが攻防を始めた一方、ジェスは内心で戦慄していた。
 リーゼルは何と言った? あの男に言われたことを思い出せ……?
 まさか。
 まさか……あの会話すら最初から計画の内だったというのか。行動どころか感情までもが、完全にあの男の手のひらの上だというのだろうか。
 しかし、それに気づいたところで今更どうしようもなかった。
 あの男の思惑通りなのだとわかっていても、もはやこの状況では乗らなければならなかった。
 ジェスはアズレセウスの容赦ない一撃をリーゼルと連携して受け流し、シスターとパリエルに視線を向けて叫ぶ。

「何してやがる! てめえらは早くその男を捕まえて逃げろ!」

 しかし同時に、周りを囲んでいた聖騎士たちが男の首を狙うために動き出す。
 自由に動けた二人も結局は聖騎士らの牽制に向かわざるを得なくなり。
 結果、包囲は崩れ……男の逃走を阻む者は誰一人としていなくなった。

「ノアレ。見せてやれ」
「ええ閣下。仰せのままに」

 男が言うと共に、虚空から少女が現れる。
 いや、それだけではない。周囲の空間から次々と黒いもやのような、ヘドロのような何かが湧き出してきた。
 それを見た聖騎士たちから短い悲鳴が漏れる。そしてシーナの呟き。

「暗黒魔術……!?」

 おそらくそれは邪霊、悪霊の類い。
 ここまで実力を隠していた男の目は、底知れぬ眼光に満ち溢れていた。
 あのような目つきの人間は西域暮らしの長いジェスですら見たことがなく。ただ一人に気圧されてしまったかのように、場は一瞬の静寂を取り戻した。

「……また、会うことも、あるだろう。その時は、きっと……」

 男が呟くように言った瞬間、大小様々な悪霊が津波のようにジェスたちの下へと押し寄せる。

「邪魔だ」

 神速の一撃。
 アズレセウスの長剣が、暗黒魔術に注意を奪われたジェスとリーゼルをまとめて吹き飛ばした。
 続けざまの斬撃は寄って来た悪霊を一薙ぎに消し飛ばし。その残骸から出てきた黒い霧が、辺り一帯を包み込む。
 猛烈な勢いで背後の聖騎士を巻きこみ地面に叩きつけられたジェスは、朦朧とする頭で思考していた。

(……、あの、野郎っ……)

 もしこのまま異端審問官と対立を続けていれば、自分たちは殺されてもおかしくなかった。
 何もしなくても勇者と審問官が潰し合ってくれるのだ。帝国にとっては大きなメリットだろう。それでもあの男は、今この場を去ることを選んだ。
 結局は、救われた……ということなのだろうか。そして、最後まで翻弄されてしまった。

(っ…………!)

 ジェスは歯噛みする。
 猛然と立ち上がり、鬱憤を晴らすように悪霊へナイフを叩きつける。
 そうして悪霊が一掃され、黒い霧が晴れた頃。当然のように……男の姿は消えていた。





[36360]  第三章 両雄、立つ
Name: 隣◆d5e42c83 ID:a025b578
Date: 2013/03/08 20:54
               ①



 危機的状況からどうにか逃げることに成功したのだが……なぜかノアレの機嫌が悪くなっていた。

“せっかく私を使ってくれるかと思ったのに、その辺に漂ってる雑霊を見えるようにするだけって……あんなの私のチカラでも何でもないじゃない”

 ヒデオがノアレに「見せてやれ」と頼んだのは、つまりそういうことだった。
 さすがは最前線の軍事大国と言うべきか、雑霊や思念体が多くて助かった。逃げる時間を与えてくれた彼らに感謝……というのもおかしな話だが。

“その雑霊だって、操るでもなくビビった聖騎士たちの方へ勝手に向かって行っちゃうし。ふ~んだ、やる気になってた私が馬鹿みたい”

 聖騎士と言えど、やはりああいったものは恐ろしいのだろうか。

“霊じゃなくて。ヒデオの顔にビビってたのよ”

 …………。
 その事実はあまり知りたくなかった。
 ともあれ、ノアレのおかげで安全に逃げることができたのだ。感謝しなければ。

“言葉だけなら何とでも言えるわよねー。あーあ、なんだか突然ダッツが食べたくなっちゃったなー。でも誰かさんが財布投げちゃったしなー”

 わかりました、わかりましたから。
 帝国に戻ったらいくらでも献上するので、どうか機嫌を直してください。

“何よ。そんな言い方だと私が聞き分けないみたいじゃない。大体ね……”

 と、むくれるノアレをなだめつつ、ヒデオは隠れていた段ボールハウスから出て立ち上がる。
 日はもうすっかり落ちて、満天の星空が顔を覗かせていた。
 夜ならばさすがに捜索者もいくらか減るだろうし、ノアレと話しているうちに体の方も歩ける程度には回復した。動くなら今だろう。
 問題は行き先だ。強引に緩衝地帯突破を図るか、異端審問官たちの意表をついて一旦別の場所に逃げるか……。

“あ、ヒデオ。後ろ後ろ”

 考えていると、唐突にノアレが言った。
 まさかもう追っ手が、と顔を蒼白にしたヒデオが振り返ると……意外なことに小さな女の子の姿が。
 黒目がちな瞳。青っぽい黒髪。そして五、六歳くらいの幼い肢体。


「満を持して登場なの」


 そんな言葉と共に現れたのは、リップルラップルだった。
 やや気が抜けると同時、追っ手の時とはまた別種の驚きに包まれる。彼女がこんな場所にいるということも驚きだが、まさかこの世界に来て最初に会う知り合いが彼女だとは全く思っていなかった。
 リップルラップルはヒデオがいた時代と全く同じ姿、同じ無表情。そしてこれもまた見覚えのあるバットをヒデオに突きつけ、心なしか満足気にこくこくと。

「さあ、敵とやらを出すの。文明が崩壊してもミズノの魂はいまだ健在なの」

 どこか遠い目で言う。

「……過去の私はミズノに多くを求めすぎていたの。打つ、叩く、殴る、破壊、殺害……その全てを一つに集約・特化し、更にミスリル準銀でリビルドされたこのミズノこそが過去最強の金属バットと言っても過言ではないの」
「……いえ」
「遠慮することはないの。いかなる敵がどれだけ来ようとも、このバットにかかれば造作もないことなの」
「そうでは、なく。戦闘のようなものは。ついさっき、終わったばかりですが」

 ヒデオが言うと、リップルラップルはほんの少し目を見張って。

「そう……ならば仕方がないの。この私がラスボスとしてヒデオの前に立ちはだかるとするの」
「お帰りください」

 つい本音が漏れてしまった。
 何しに来たんだ、という疑問は置いておくとして……そもそもだ。

「なぜ、ここに」
「見ればわかるの。助けに来たに決まってるの」

 ラスボスとか言ってなかったかこの人。

「っていうのは建前で、共和国の友達に会いに行く途中で寄っただけなの。面倒だけど頼まれたから仕方なく来てやったの。せいぜい感謝するといいの」
「…………」

 なんというか。
 こんな人だったろうかとヒデオは少し考え、ああこういう人だったなと納得し、深く考えるのはやめておこうと強く決心した。
 それにしても唐突な登場である。
 頼まれたと言っていたが、もしかしてその相手はウィル子なのだろうか。そうだとしたら、もう少しまともな人選があったのではないだろうかと思わなくもない。

「まあ敵がいないなら仕方ないの。代わりにこれを渡しておくの」
「これ、は……」

 リップルラップルが懐から取り出したのは、よく見覚えのある……しかしヒデオの持っているそれよりも真新しく、丁寧な作りの紋章。

「……もしかして。本物の、勇者の紋」
「ぶっちゃけ偽造なの」
「…………。」

 自分が。
 自分がどれだけ偽の紋章に苦しめられ必死に逃げてきたか、小一時間かけて念入りに説明してやろうかと。
 それかもういっそヒキニパ教の勇者を名乗ってアズレセウスに特攻してやるぞ、と。

「まあ、待つの」

 そんなヒデオの悪いオーラを感じ取ったか、リップルラップルがノー、ノー、と首を左右。

「人の話は最後まで聞くの。偽造は偽造でも、オモチャなんかとは違って聖四天と聖騎士長のお墨付きだから安心して使うといいの。たぶん教皇クラスじゃないと偽物だとは気付けないの」
「……それは」

 普通の紋章と同じように使える、と考えていいのだろうか。
 正直、かなりありがたい贈り物だった。これがあればもう逃げる必要すらないかもしれない。
 なんだかんだ言ってあのマリアクレセルの姉。聖四天だとか聖騎士長だとか何やら偉そうな名前がさらっと出てくるあたり、やはり凄い人なのかもしれないな……とヒデオは彼女への印象を改める。

「……すまない、助かった」

 ヒデオの素直な言葉に、リップルラップルは無表情のままこくこくと。

「この借りはいつか体で返してもらうの」

 …………。

「今、エロいことを思い浮かべたの」
「いえ微塵も」

 せっかく人が素直に感謝しているというのに、なんでこの子はこう……。
 というか、自分は断じてそんな趣味じゃない。

“……。ロリは最強じゃなかったの?”

 それはあくまでも一般論。全国六千万の紳士諸君の意見を平均したらそうなるというだけの話であって。

“それもまた酷い暴論ね……”

 ノアレを圧倒的な正論で黙らせ、ヒデオはリップルラップルから紋章を受け取った。
 失くさぬようにしっかり懐へとしまい込み、もう一度頭を下げる。

「……何で返すかは、ともかく。この恩は、いつか必ず」

 こくこく。

「これから色々と大変だろうけど、まあ頑張るといいの。陰ながら見守らせてもらうの」

 最後に何やら定年退職する上司のようなことを言って、リップルラップルは手をふりふり去っていく。
 予想外の出会いだったが、何はともあれ助かった。
 教団上層部の保証付きというこの紋章。これがあれば、もうあれこれと悩む必要はない。

(……行き先は、決まった)

 目指す先は連合国陣地。そしてその向こうの緩衝地帯へ、ヒデオはゆっくりゆっくりと歩き始めた。



               ◆



 星の明かりだけを頼りに、ヒデオは広大な平野を歩いてゆく。
 帝国と連合、それぞれの防衛ラインに挟まれた緩衝地帯。大ライン平原という名のこの場所は、静かな闇を湛えて視界のはるか彼方まで広がっていた。
 人の姿どころか虫の鳴き声すらない深夜は、どこか時間の感覚も遠く。
 どれだけ進んだだろうか。背後を振り返ると、既に連合軍陣地は見えなくなっていた。

(……よかった)

 ヒデオは静かに息を吐く。
 無事ここまで来れたことに。そして背後から異端審問官が追ってきていないことに、安堵する。
 防衛ラインを通過する時には怪しまれるかと危惧していたが、さすがに偽造や詐称にとんでもなく厳しいだけあって、本物と認められた紋章の効果は絶大らしい。これまでのトラブルはどこへやら、何事もなく通されてしまった。
 その後も休まず夜を徹して歩き続け、今に至る。
 この紋章があれば大丈夫だとは思うが、相手はあのアズレセウス。万一を考えてなるべく距離を取っておきたかった。

(…………杞憂。だろうか)

 考えすぎだと思う一方、どうにも拭いきれない不安が残っている。
 とりあえずあと少し歩いたら休もうと考え、重い足を引きずるようにして進み……木立に覆われたなだらかな丘陵に差し掛かった頃。
 ヒデオは足元に転がる何かに蹴つまずいた。

「っ!? ぐっ、ぐあああぁぁ……! 何するんだエミリオ、余を踏むなんて酷いじゃないか……!?」

 そして人のうめき声。
 何だ何だとよく目を凝らして見てみると、それは人の入った寝袋。
 とっさに逃げようとするも、近くにいたらしいもう一人が立ち上がりヒデオの進路を塞ぐ。

「……どうしたのさ王子。まだ暗いんだから大人しく寝て……ってあれ? なんで王子が二人……」

 いぶかしむような声。
 焦りに焦ったヒデオはとにかくこの二人から遠ざかろうと後ろに向かってダッシュ。
 そして当然のように再び寝袋を踏んでバランスを崩し、激しく転倒した。

「ぐえっ!? またか、またなのかエミリオ!?」
「だから僕じゃないよ……! 侵入者だよ侵入者、早く起きなって!」

 騒ぐ二人の声。
 一方、地面に転がると同時、硬い木の根で頭を強打したヒデオはついに立ち上がる体力も尽き。
 そのまま眠るようにして気を失うのであった。



               ◆



 翌朝。
 平原を爽やかな風が吹き抜けて、眠るヒデオの頬を撫でた。
 周囲は暖かい木漏れ日に照らされ、目を覚ました小鳥たちのさえずりが響いている。
 とても戦地とは思えぬ平和な光景の中、ヒデオは目を覚ました。

「おっ、起きたみたいだね。おーいエミリオ! 早く早く!」
「はいはい、聞こえてるから。今行くよ」

 少年二人の声。
 ようやく自分が今どんな状況かを思い出したヒデオは猛然と立ち上がろうとして、動きが取れないことに気づく。
 いつの間にか寝袋の中で寝かされていたようだ。

「別にどうもしないから逃げなくていいよ。ま、それだけ元気があるなら大丈夫そうかな。はいこれ」

 エミリオと呼ばれた金髪の少年が言って、ヒデオに何かを手渡した。

「……これは」

 棒状の携帯食料とペットボトルの水。

「朝食だよ。お金は後で請求するから安心してね」
「エミリオ……君にしては妙に優しいと思ったら代金取るのか……」
「当たり前じゃないか」

 有料のようだが……まあ、ありがたいと言えばありがたい。
 素直に受け取り、もそもそと口に運ぶ。

「昨日の夜は突然でビックリしたよ。元気そうで何よりだ」

 と笑うのは、どこか見覚えのあるような気がする少年……なのだろうか。
 声は少年だが、装着されたヒゲ眼鏡のインパクトが強すぎてよくわからない。なぜヒゲ眼鏡をかけているのかは、もっとわからない。

「やっぱり昨日無理やり飲ませた栄養ドリンクが効いたのかな。王子も風邪ひいてるし一本飲んでみる? 妙に安かったからタダでいいよ」
「ほう、じゃあ試しに一本……っておいエミリオ。何だこの毒々しい色の液体は。余を殺すつもりか」
「いやいや、オオヤシマの忍者の里から取り寄せた由緒正しい物だからたぶん大丈夫だって。色はともかく、効果はすごいって聞いたけど」

 ドリンク云々はともかく……風邪?

「……もしかして、僕のせいで風邪を」

 彼の寝袋を自分が使ってしまったのが原因だろうか、とヒデオは申し訳ない気持ちで一杯になった。

「ああいや、気にしなくていいよ。たった数時間のことだし、風邪って言っても軽いものだから」

 そう言って少年は屈託のない笑顔を浮かべる。
 ヒゲ眼鏡越しではあるが……きっと優しい少年なのだろう。そう思わせる笑顔だった。
 久々の人らしい触れ合いにヒデオが少し感動していると。

「っていうか、気絶してたことなんかよりもさ」

 エミリオが横から言った。

「あの結界に触れて無事だった方が驚きなんだけど……。敷いた僕が言うのもあれだけど、結構ヤバい結界だよ? きみ、もしかして高位の暗黒魔術師だったりする?」
「まあまあ、エミリオ。お互い色々と質問はあるだろうけど、歩きながら話そうじゃないか。時間はたっぷりあるわけだし、ね」

 不可解な言葉にヒデオが首を傾げると。

「だって、君も行き先は同じだろう?」

 まだ見えぬ帝国陣地の方を指差して、少年は言うのであった。



――――――――――――――――――――――――
ついに出会いを果たしたヒデオとマヒロ。いよいよ舞台は大ライン要塞へ。
果たしてヒデオのビッグガン・マグナムは火を噴くのか! そしてZの名を冠する彼の仮面に覆われた秘密とは!?
次回、とうとう脱衣界の両雄が激突するッ――!!


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