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[35457] 【ネタ】魔法先生ネギま!351.5時間目的な逆行物の導入だけを書いてみた(多重クロス)
Name: Leni◆d69b6a62 ID:a70c25d7
Date: 2016/01/16 17:35
まえがき:何故か妙に話数が増えたので2014/07/21にチラシの裏から赤松健板に移動しました
けどやっぱりネタ以外の何ものでもないので2016/01/16にチラシの裏に戻しました





出席番号25番 長谷川千雨

大学卒業後ガチ引きこもりのネット廃人に。
とはいえ、今でもネギに重要な信頼を置かれているうえに、“裏でも色々やっているようである”。
元ISSDA特別顧問。







「千雨さん。僕と本契約を結んで下さい!」

 二年ぶりに顔を合わせた“英雄”がそんなことを突然言った。
 中国は香港の一等地。私が十五年間引きこもり生活の拠点として使い続けてきた、一人用の楽園だ。
 別の言い方をすると快適なマイホームである。

「……ネギ先生、ここでは千雨と呼ぶなと何度もいってるだろーが。香港の私は千雨じゃなくて“ちう”だ」

 この楽園の主である私の名は長谷川千雨――ではなく、ちうである。
 現在の国籍は中国。香港在住。仕事は自宅警備員兼風水師。歳は……四十を間近にしたおばはんだ。ちなみに未婚である。

「それなら、いい加減僕のことを先生と呼ぶのもやめてください」

「じゃあ何と呼べと? ISSDAのCEOか? もう顧問は辞めたから敬称はつけねーぞ」

「そうじゃなくてですね! ネギ、と呼び捨てでお願いします」

 ぷりぷりと起こる目の前の美男子。
 彼はネギ・スプリングフィールド。人類を宇宙に進出させ火星をテラフォーミングさせるという大事業を行っているISSDAの最高責任者だ。美男子である。中身はとっくに三十路を越えたおっさんだが、見た目も言動も若者然としている。
 なんだかなぁ。世間では偉大な魔法使いとか立派な魔法使いとか言われているが、ガキだった頃となんもかわっちゃいねー。
 多分ここでこっちが意地を張ると拗ねるな。もしくは泣く。いやさすがに泣くことはないか。

「で、“ネギ”」

「はい!」

 うわ、すっげー嬉しそう。なんなんだこいつは。いい歳したおっさんが。

「本契約ってなんだ。ISSDAにはもう戻らねーぞ。私が特別顧問としてやれることはもういい加減ねーよ。契約更新は無しだ。私はこのまま最期の日まで香港で引きこもりライフを満喫するぞ」

 私の言葉に、きょとんとした顔をするネギ先生。
 ガキ丸出しの表情だ。しかし見た目二十代の美男子がこの顔をすると色々反則だ。
 自堕落ライフで女として枯れきった私にはすでに効力は無いが、そこらの婦女子がこの顔を見るとなんかもういろいろなものを刺激されて色恋沙汰や何やらで面倒なことになる。なった。

「えっと、本契約ですよ」

「なんの契約だ。契約書は?」

「魔法の本契約ですよ!」

「はあ、何かの儀式魔法か?」

 さっきから何を言ってるんだこいつは。
 ネギ先生と私に関係のある契約と言ったら、テラフォーミング事業のISSDAの事くらいだ。
 二十数年前この事業がスタートしたばかりのころ、私は仕事に追われるネギ先生の手伝いをちょくちょくとしていた。
 相談役とでも言った役目だろうか。事業が始まるもっと前、魔法世界を巡る戦いで私はいろいろ合ってネギ先生を横で支える役割をしていて、そして宇宙事業が始まった後もそんな私とネギ先生の独特な関係が続いたわけだ。
 そして事業が本格的に大きくなってISSDAという事業団体が発足して、私は気がついたら特別顧問という役職に就かされていたのだ。その契約満了期間が一年前。元々この香港を拠点に半引きこもり生活をしていた私は、宇宙事業が完全に軌道に乗ったのに満足して完全な引きこもり生活をスタートさせたのだ。

 なので、今日ネギ先生が宇宙からはるばる香港になんてやってきたのも、私を再度引き込もうとしているのではないかと推測したわけだ。何か違うっぽいが。

「……言い方を変えます」

 そういってネギ先生は軽く咳払いを一つすると、私の目を真っ直ぐと見つめてくる。
 な、なんだよその視線は。

「長谷川千雨さん。僕と魔法使いの従者の契約を正式に結んでください。……そして、僕と結婚してください。愛しています」

「……はあああああ!?」

 寝耳に水だった。別に寝てやしないが。







 パクティオー。魔法使いとその従者によって結ばれる契約。魔法使いは従者に魔力と魔法の道具を与え、従者はその力をもって魔法使いを守る。
 契約には仮契約と本契約の二種類がある。
 仮契約はいわゆるお試し期間で、何人とでも契約を結ぶことができる。ただし、パクティオーの儀式によってもたらされる魔法の道具――アーティファクトが出現するとは限らない。
 本契約は正式な主従の契約。とはいってもどちらが上でどちらが下というものではなく、対等なパートナーとしての契約だ。魔法使いは従者に力を与え、従者は魔法使いを守る。その関係をいずれかが死ぬまで続けるという契約だ。原則として一人一つの本契約しか結ぶことが出来ない。
 そして、比較的平和な現代では魔法使いが戦いのためにパクティオ―を行うということは少なく、一般的な魔法使いの間において本契約とは魔法使いの男女間における結婚を意味する。

 ということをつい先ほどまで忘れていた。
 いや、私もネギ先生とは仮契約を二十数年前に結んでいるし、パクティオーカードのアーティファクト『力の王笏』には日頃からお世話になっている。しかしだ。契約の意味する内容までは覚えてなかった。
 仕方ない。うん、これは仕方ない。
 私が普段触れているのは最新の情報魔法と、風水街都香港で広まっている東洋の風水五行の術で、古典的な西洋魔法に触れる機会はここのところ全然無かったのだ。しょうがない。パクティオーカードを便利な服装着替え道具と思い込んでいても仕方がない。

 で、だ。
 男女間の本契約は一般的な西洋魔法使いでは結婚を意味する。
 そして私は今ネギ先生から本契約を持ち込まれているのだ。いや、それどころかはっきりとプロポーズをされた。……うん、わけわかんねー。

「本気か」

「本気です!」

「何故私なんだ」

「好きだからです!」

「いや、そうじゃなくてなんで私のことが好きなのか聞きてーんだが……」

「それは……」

 あーもうなんだこれ。
 何が悲しくて思春期の少年少女みたいなやりとりをしなくちゃいけないんだ。
 こういうのは中学時代にとっくに卒業したはずだ。私も、ネギ先生も。

 ぼんやりと遠い二十二年前の記憶を掘り起こす。
 ネギ先生が“先生”だった短い一年間。先生が担任として赴任していた3-Aの生徒達はことごとくネギ先生の仮契約――キスの餌食になった。
 相手は十歳の子供先生。でもクラスメイト達の何人もがネギ先生に異性として惹かれ、なんかまあいろいろあってガキのネギ先生を中心としたハーレム状態ができあがっていた。
 そして当然のように出てくる問題。「ネギ先生の本命はだあれ?」それを巡ってさらにいろいろあったわけだが、結局ネギ先生は自分の好きな人を誰にも明かさず3-Aは卒業を迎え解散した。

 そしてその本命は私達が高校を卒業したときに明かされるのだが……まあ当時のネギ先生が誰を好きだったかは、今の状況から考えると割とどうでもいい話だ。
 宇宙開発の責任者としてネギ先生は成長し、いろんな人々と触れあう機会があったはずだ。子供時代の恋なんてとっくに忘れていてもおかしくない。
 しかし現在のネギ先生は独身だ。公式上は。正直愛人や隠し子の一人や二人居てもおかしくないと邪推していたんだが……それが突然の告白だ。どうしろってーんだ。

「ネギ、あんたの周りには器量よしな良い女が山ほどいるだろ。それがなんでこんな引きこもりのダメ人間に愛をささやいてるんだ」

「ち、千雨さんはダメ人間なんかじゃないですよ!?」

「ちうだ」

「あ、はい、ちうさんはダメ人間なんかじゃないですよ」

 言い直すなや。
 確かにダメ人間だけどこう繰り返し言われるとすっげー責められてる気になる。確かにダメ人間だけど。

「ダメ人間だよ。香港商店師団(ホンコン・ヤード)のヤツラに聞いてみればいい。口を揃えていうぜ。風水師のちうは働けるのに働かない腐れNEETだって」

 香港は混沌とした地だ。古くから魔物が跋扈し、それを裏社会の風水師や五行師などの東洋の魔法使いが退治してきた。
 魔法の存在が世界に公開された現在では、魔法使い達は公的な組織を立ち上げて怪異と戦っている。この地で風水を学んだ私も現在香港商店師団に風水の魔法使いとして登録されているのだが、ガチの引きこもり生活を送っているので職場に顔を出すことはない。

「でもでもですね、ちうさんはISSDAの顧問として僕をずっと助けてくれた人でですね」

「もう辞めただろ」

 私が香港に住んでいるのは、この地に魔法世界に通じる東アジアのゲートがあったからだ。
 ISSDAは火星にある魔法世界を救うための宇宙開発事業団。事業開始直後は人類に火星まで飛ぶ技術力などなく、当初は魔法世界からこちらの世界の火星に対し魔法を使ってアプローチすることで、テラフォーミングの下地作りをしていた。
 大学卒業後の私は、ネギ先生の手助けをするため魔法世界に最も近い場所の一つである香港に住居を移した。この地を選んだのはゲートのある土地で一番ネット環境が整っていたからだ。私のアーティファクト、そしてそこから発展して習得した情報魔法は情報ネットワークがなければ何の役にも立たない。

 まあそんなこんなで十と数年の月日をこの香港の地で過ごしてきたわけだ。

「それでも! ちうさんは今でも僕の大切なパートナーなんです!」

 ははっ抜かしおる。ネギ先生の仮契約相手は今や三桁台に突入してるだろーが。

「それにあの日僕は言いました! ちうさんにはいつも傍にいて欲しいって!」

「明らかにニュアンスが変わってるだろうが!」

 ああ、言われたよ。そんなこと言われたよ。魔法世界の中枢で。
 でもそのときはそんな愛の言葉として言われたわけじゃない。

「そのときから、僕はずっとちうさんのことが好きでした」

「ガキの頃の話だろうが。忘れろ。お前にはもっと相応しい女がごまんといるだろ。こんな四十路間近のババァ捕まえて言う台詞じゃねーよ」

「そんなことありません! ちうさんは今も美しいままです」

「まあ見た目だけならそうだろーが。知っての通り私は人間を辞めたからな」

「……へ?」

 あん? 思わぬリアクションが。

「……言ってなかったか? 今の私は人間じゃねーぞ」

「き、聞いてないですよ!?」

 あるぇー? おかしいな。親しいやつらはみんな知ってるはずなんだが。
 ……あー、あー、そうだ。宇宙や魔法世界をあっちこっち移動してばかりのネギ先生とは直接顔を合わせることは滅多になかったな。通信越しにする会話はいつも特別顧問としての仕事上の関係だった。

「私はだいぶ前に身体を半分電子精霊……いや、情報精霊に変換してるんだよ。そっちのほうがネットにダイブインしやすいからな。いつまでもアーティファクトにおんぶにだっこじゃいられねーよ」

「半精霊……!? そんな……」

「驚くようなことじゃねーだろ。闇の魔法のせいで吸血鬼になったネギよりはずっとまともだ」

「は、はいすいません」

「いや別に責めてやしねーが……」

 あの日ネギ先生が闇の魔法を選んだことについて、責める権利も義理も私にはこれっぽっちも存在しない。
 ちなみにネギ先生は十歳の頃に不老不死の吸血鬼(のような闇の生物)に変化しているが、その変化は前例のないわけのわからないものらしい。なので不老の癖に歳を取って青年に成長し、そして若い青年の姿のまま歳を止めている。都合の良い体である。
 一方私は身体を精霊に変換した二十代中盤の姿のまま不老になっている。半精霊である。完全な精霊になれば不老だけでなく不死の存在になるが、世界に組み込まれてしまい魔法で召喚されない限り現実のボディを保てなくなる。今日まで私には人間としてやることがあったため完全な精霊にはまだなっていない。

「まあ要は見た目に騙されんな。今の私はクソババァだ」

 もっとも、歳を止めた外見通り、私の内面はクソガキみたいなものだと思っている。
 何せ社会にろくに触れず香港でずっと引きこもり生活をしていたんだ。人間として成長する余地がこれっぽっちもねえ。……なんか自分で言っててすごい情けなくなってきた。

「……見た目も中身も関係ないですよ」

 と、ネギ先生が再び真面目な顔をこちらに向ける。
 あ、これはいかんな。例のアレだ。数々の婦女子を陥落してきた天然ジゴロモードの兆候だ。

「ちうさんは僕の初恋の人ですから」

「ひぐっ……!」

 思わずにやけそうになった頬を全力で止める。
 歯を食いしばって無表情を保ち、鼻で静かに深呼吸して赤面しないよう努める。

「僕はあなたが好きです。……ちうさんが高校を卒業したときも同じことを言いましたね」

 ああ、そうだ。
 3-Aの間で騒がれた“ネギ先生の本命”。
 それがネギ先生の口から明かされたのは、3-Aの生徒ほとんどが進んだ麻帆良学園本校女子高等部の卒業式の日の出来事だった。







 麻帆良学園本校はエスカレーター式の学校だ。
 初等部入学から大学までよほど落第しない限り進学できる。
 麻帆良にある大学は本校系列の麻帆良大学だけではなく、それぞれの進路に合わせて工科大学や芸大、国際大学などさまざまな進学先が用意されている。
 麻帆良に住む学生はよほどのことが無い限り麻帆良の大学を選ぶ。
 しかし、私は違った。私の選んだ進学先は麻帆良ではなく、アメリカの大学だった。
 MIT。マサチューセッツ工科大学。米国屈指のエリート校だ。

 私は最先端の情報工学を学ぶために、麻帆良の遠くアメリカへと渡ることを決めたのだ。
 当時の科学界は大きく揺れていた。日本を中心とした宇宙進出とテラフォーミングの分野が活気づいていた。だが悲しいかな、宇宙関連技術ばかりが日本では推し進められ、私の得意なネットワーク技術は時代に置き去りにされそうになった。そしてアメリカも置き去りにされそうになった。
 というのも、宇宙開発のスポンサーはいいんちょこと雪広あやかの実家で、雪広財閥はネギ先生の火星開発に協力する大前提として日本の国益を優先させていた。世界各国、そして魔法世界各国から優秀な人材が集められていたが、国そのものの協力関係は当時まだ薄かった。
 さらには、アメリカは魔法的に後進的な国だった。アメリカ大陸発見の性質上、古くから根付いた独自の魔法文化というものが存在しなかった。なので『魔法世界の救援』という宇宙開発事業に対して、アメリカの裏魔法社会は大きな動きを見せなかったのだ。
 さもありなん。
 結果としてアメリカの科学界は宇宙関連技術に大きく後れ、その代わりに宇宙関連技術以外の分野で発展をしようという風潮ができはじめていた。

 長くなったが、とにかく私は宇宙開発とは関係ない情報通信分野を学ぶためにMITを進学先として選んだわけだ。
 ネギ先生の手助けをするならその選択は間違いだ。が、ぶっちゃけ私は自分を磨いてネギ先生の助けになろうなんて気はさらさらなかった。
 そういうのは宮崎とか綾瀬とかのネギ先生ラヴァーズに任せておけば良い。実際、かつての魔法世界での戦いでは、私はネギ先生を見守るだけのポジションを貫き通して、自らを成長させるということを一切しなかった。どうやら私は自分自身のためでしかやる気を出せない人間らしい。

 私がアメリカに進学するということは、高等部三年時、かつての中等部3-Aのクラスメイト皆が知っていた。
 まあそりゃそーだ。3-Aの中では成績は下から数えた方が早かった頭の悪さだったのだ、昔は。それがMITなんていう名門校に行くための猛勉強を高等部の三年間でしていたのだから、目立って当然だった。いろいろ言われた。ネギ先生を捨ててアメリカに行くなんて、とかも言われた。知らねえっつーの。
 しかし宇宙開発事業に大忙しだったネギ先生は私のそんな状況を知らなかった。ネギ先生はそもそも本職の教師でも何でもなくて、魔法の修行のために教師をやっていただけだ。
 そして魔法の修行なんてやっていられる場合じゃなくなった以上、麻帆良に留まって教師を続ける理由がない。なので私はネギ先生と麻帆良で顔を合わせる機会は少なかった。パクティオーカードを使っての遠距離相談にはしょっちゅうのっていたが。

 私が日本を離れアメリカに行くことをネギ先生が知ったのは、高等部の卒業式の日だった、らしい。
 麻帆良にいれば、ネギ先生と私はいつでも会おうと思えば会える。そのはずが、私は地球の裏側の大陸に行く。そんな事実にネギ先生は衝撃を受けたらしい。まあもっともMITの入学式は春ではなく夏なので、急いでアメリカに発たなければならない理由はなかったのだが。
 そして、突然ネギ先生は昔騒がれた“本命”を明かしたのだ。「千雨さん。僕はあなたが好きです」と。
 私が返した答えは「そうか。私は先生のことは嫌いじゃない。だが好きでもねーな」だ。
 ネギ先生が私のことを好きなのは、当時何となく察しが付いていた。私がアメリカに進学したのはそんなネギ先生から逃げる思いがあったのかもしれない。
 好きでもない、と返したが、多分私はネギ先生のことが好きだった。
 それでも私はネギ先生を振った。私はネギ先生と共に歩むわけにはいかなかったから。
 当時の私には、ある目的があった。――そしてその目的は現在の私の目的でもある。まだ果たされない数十年の目的。しかしそれが果たされる日は近い。

「――ああ、今の私もあのときと同じことを言うぞ。あんたのことは嫌いじゃねえ。だが好きでもない」

 今のこれは当時と違う本心だ。
 ガキの頃の恋心を何十年も引きずるほど私はロマンチストじゃない。

「はい。でも僕はあのときに伝えられなかったことがあります。長谷川千雨さん、僕はあなたを愛しています。……僕と本契約を結んでください。そして、結婚してください」

 あのときに伝えられなかったこと。
 まあようはそういうことだろう。あのとき私はネギ先生に好きと告白されただけだ。付き合ってくれと言われてない。返事を求められたわけでもない。
 しかし、今ネギ先生は私に必死にラブコールを送っている。
 はっきりと好きじゃないと告げたのにそれでも結婚してくれなんて言ってやがる。

「……なあ、なんで今なんだ? 今日この日に告白してきたんだ」

 こんな子供みたいな愛の言葉を受けるには私は歳を取りすぎた。
 今更結婚してくれなんて言われても困る。もう恋に憧れるような歳じゃないし、目的のために私は人間を捨ててしまった後だ。
 あの高等部卒業の日に同じことを言われていたら、きっと違う未来もあっただろうに。

「去年までちうさんはISSDAの特別顧問をしていました。そして先日、新しい特別顧問が選出されました」

「それがどうした」

「……いつの間にかこの組織は大きくなりすぎていました。まあ、なってくれないと困ったんですけど。火星のテラフォーミングなんて、子供の頃の自分の発想ながらスケールが大きいですね。あ、自分の選択を間違っているなんて思ってませんよ。僕はこのまま魔法世界を救います」

 ふう、とネギ先生はため息を一つとる。
 まあ組織が馬鹿でかくなったことには同意する。まあ軌道エレベーター、月面緑化、火星都市、魔法公開なんて大事業を次々と成功させているんだから当然の結果ではあるが。

「僕は今やCEOです。事業の発案者、先導者というだけではなく組織のトップという意味での最高責任者です。そんな僕が、特別顧問という重要な役職の人に、特別な感情を向けるわけにはいかなかったんです」

「すっげー今更だな。私の顧問選出なんて完全な身内人事じゃねーか」

「はい。身内人事です。でも、ちうさんは特別顧問として完璧な結果を残してくれました。身内人事だと思われないくらいに」

「……まあアーティファクトの性能だけは高かったからな」

 特別顧問なんていっても基本的に香港で引きこもって、ネットを通じてあれやこれやと情報を集めて組織の幹部達にその情報を渡してやるだけの仕事だった。
 ちなみに給料は破格で引きこもり生活をしていても何ら生活には困らなかった。

「ちうさんの仕事は上手くいっていました。それが、僕の個人的な想いで、け、結婚なんてしてしまったら、組織が立ち行かなくなってしまうんです……」

「ほー」

 つまりCEOと特別顧問が事実上の身内になんてなったら、組織の私物化やらなんやらで騒がれて問題になると。
 元々が私的な組織みたいなもんだったのに面倒なこって。

「そんなことまで考えて告白の時期を待つなんてまー、あのクソガキが大人になったもんだ」

 良い意味でも悪い意味でもな。
 ああ、ちなみに私は今でもクソガキのままだ。自分のことしか考えてねえ。

「そうです。僕はもう大人になりました。ちうさんに手を引かれるだけの子供先生ではないんです。だから、僕と結婚してください」

 いや何回それ言うつもりだよ。
 はっきり結婚するつもりはないと告げてもいつまでも食い下がりそうな勢いだ。
 やっかいなところがエヴァンジェリンに似やがったなこの吸血鬼。

「二十年前のあのときからずっと想いは変わらずってわけか?」

「はい」

「で、再度言うのを今日この日まで機会を待っていたってわけか?」

「その通りです」

「そうか……」

 昔の私ならここで「言うのがおせーよ」とぶん殴っていただろうか。
 でも今の私はネギ先生への好意の熱なんてものはとっくに冷めてしまっている。伊達に引きこもりのネット廃人はやっていない。人生に対していろいろな熱意が冷めてしまっている。
 今の私を突き動かしてるのは、そのときからずっと心に打ち込まれた一つの目的だけだ。

「私もな、ネギに対して言う機会を待っていたことがあるんだ」

 ここで、私は初めてネギ先生に対してこちらから話を切り出した。
 疑問の表情を浮かべるネギ先生に向けて、私は一枚のカードを突き付けた。それは私がこの二十二年間共にし続けた一枚のカード。ネギ先生とのパクティオーカードだ。

「ネギ・スプリングフィールド。私との仮契約を破棄してくれ」



→第一幕「2025・7/1」に続く



[35457] 第一幕「2025・7/1」(前)
Name: Leni◆d69b6a62 ID:a70c25d7
Date: 2014/07/17 12:35

 ネギ・スプリングフィールドが『完全なる世界』に対し示した、魔法世界の住人を助けるための代替案。それは、魔力を失い崩壊つつある魔法世界の基盤となっている火星を緑化させることであった。
 魔力とは生命、自然から生まれ出るもの。世界が魔力を失い崩壊するのであれば、新たに魔力を供給すれば良いという答えだった。

 魔法と科学を組み合わせれば不可能ではない未来図だ。
 魔法に出来ないことは科学で、科学に出来ないことは魔法で。両方に出来ないことは両方を組み合わせた新技術で。
 不可能ではない。人材は豊富だ。魔法世界の崩壊がかかっている。魔法世界に住む全ての人々が力を合わせて取り組むだろう。
 そして、新技術による火星開発という大事業に、地球の人々も益を求め力を貸すだろう。

 人の手は足りている。技術もある。資金も潤沢だ。
 しかし、時間が足りなかった。
 火星の開発を完了させるには数十年、長くて百年の月日が必要だ。地球から火星は遠く、火星とその上に存在する魔法世界は次元を隔たれ、火星への渡航技術の確立だけでも多くの時を消費する。
 魔法世界は崩壊の危機を迎えている。火星の緑化を待つ前に魔力を失い消滅する。

 だがネギ・スプリングフィールドの用意した代替案には時間を解決する方法も盛り込まれていた。
 火星の緑化が終わるまで魔法世界の消滅を押しとどめる延命の手段が用意されていた。

 それは、『黄昏の姫御子』、魔法世界の造物主の末裔、アスナ・ウェスペリーナ・テオタナシア・エンテオフュシア姫の存在だ。
 『黄昏の姫御子』の力は完全魔法無効化能力。しかし、その力を反転することで造物主の末裔としての力を引き出すことができる。その力は世界を作り出す力。それは造物主の配下が『黄昏の姫御子』を用いて『完全なる世界』の構築儀式を行おうとしたことからも証明されていた。

 ネギ・スプリングフィールドの代替案は魔法世界を救う手段として、世界の人々に受け入れられた。
 そして『黄昏の姫御子』は、魔法世界の礎となる。
 火星が命を宿すまで、造物主の末裔の力を引き出し百年の眠りにつく。

 かくして物語は幸福な結末を迎えた。
 滅び行く宿命から逃れ、誰一人命をこぼすことなく世界は蘇る。
 これ以上を望むべくもない未来を世界は選択した。



 だがこの未来を望まぬ者が一人、ネギ・スプリングフィールドの傍らに居た。
 長谷川千雨。魔法の力も戦う力も持たない小さな少女。彼女は世界を救う強い意思も持っていなかった。なんの力も持たない少女である。それでいて、世界が己が望むままにならないことを受け入れられない矮小な少女だった。
 ……世界が己の望まぬ未来を進んだことに少女が気づいたのは、『黄昏の姫御子』が百年続く眠りについてから一週間が経った後のことであった。



■香港 2025年7月1日午前0時 香港洞にて



「ダ・ズマ・ラフア・ロウ・ライラ」

 唐突だが香港の話をしよう。
 この諸島群が世界の歴史に登場するのは西洋諸国が世界進出した大航海時代になってからだ。
 イギリスの東インド会社は、清との交易に広州とこの香港を港として使った。
 当時のイギリス人はアジアの香辛料、そして紅茶をたいそう好んだらしく、結果としてイギリスは大規模な貿易赤字を抱えた。

 イギリス人の紅茶好きはネギ先生を見ていればよーくわかる。
 ちなみにネギ先生は珈琲のことを泥水とか言っていたが、紅茶が大量輸入されていた当時から珈琲はイギリス人に広く親しまれていた。ネギ先生のあれは単に苦いものが苦手な子供舌なだけだ。

 ともあれ貿易赤字だ。国の資産が外国にどんどんと流れ出ていくことにイギリスの公人達はたいそう焦った。
 大航海時代、西洋諸国は後進国から資源と金を吸い取っていかに富むかで覇を競い合っていた。消耗品の香辛料と茶葉をいくら輸入しても国は富みようがない。

 イギリスは当時の中国、清からは茶葉と工芸品を輸入していた。しかし清に対して輸出する品がほとんどなかった。ここでも立派な貿易赤字が起こっていた。
 そこでイギリスは中国、当時の清に阿片を輸出することでその貿易赤字を埋めようとした。
 阿片。麻薬、ドラッグのことだ。

 こんなものを送り込まれては清もたまったものではない。
 阿片の輸入は当時当然のように禁止されていた。それでも大量に阿片が密輸入された。さらには阿片は金になると察知した清の商人達が、自国での消費向けに阿片を作るという自爆行為にまで事態は発展した。
 清は怒った。怒られたイギリスも怒った。感心するくらいの逆ギレである。
 怒ったイギリスは清に軍隊を送った。そして列強西洋諸国パワーで清の軍隊をぼっこぼこにした。
 これがいわゆる阿片戦争だ。1840年のことである。

「つむがれよ天と地のはざまに」

 阿片戦争に勝利したイギリスは、清に南京条約を結ばせた。
 当時流行していた不平等条約というものだが、香港の話だけ抜き出すことにする。
 香港はイギリスの植民地になった。
 数ある清の皆との中でなぜ香港が選ばれたかというと、ここで魔法が登場する。
 当時も魔法は一般人に対して隠されていたらしいのだが、政府のお偉いさんはみんな魔法の存在を知っていた。イギリスは古くから魔法大国だったからだ。清教徒革命なんてものがあった国だが、魔法を忌避する一神教的価値観は割と薄い魔法の国だった。ローマと陸続きじゃない島国だからとかいろいろ説明されるがそこはよく知らん。

 香港は魔法的に強い力を持つ土地だった。京都や麻帆良みたいな場所だ。
 他にも中国で魔法の聖地と言えば上海がある。そっちも香港と同じように貿易港として機能する土地だが、聖地としての格が高すぎて魔物が跋扈しまくる魔境になっていて、イギリスは上海については開港させるだけに留めて植民地にしなかった。
 1842年、香港はイギリス領となり、地脈の力を得るため多くの西洋魔法使いが香港の地に足を踏み入れた。

 そして時は巡ること半世紀。魔法の世界史に一大事件が起こる。
 幻と呼ばれていた魔法世界が発見されたのだ。魔法世界には多くの魔法使いが住んでいて、高度な魔法文明が築かれていた。
 世界各地の魔法の聖地では、魔法世界と地球を結ぶゲートが設置された。イギリス領である香港にもそのゲートが設置された。

 しかし、そのゲートが正常に機能した時期は非常に短かった。
 ゲートが設置されたのは、西洋魔法使い達が地脈の交差地点に作った香港洞と呼ばれる地下都市だ。だが、西洋魔法使いと魔法世界人の進出を良く思っていなかった風水五行師達によるテロが香港洞を襲った。
 香港道の最深部、ゲート地点で細菌兵器が爆発し、香港洞は人の住めない死の井戸になった。

 ゲートは直ちに閉鎖された。香港にやってきた魔法世界人を残して。
 人の住めない死の香港洞。しかし香港洞の外では魔法を隠して生きなければならない。結果として魔法を駆使して香港洞に住む者達が現れた。

「――この大地の命と引き換えに!」

 南京条約では香港は永遠にイギリス領とするとされていた。
 しかしまあ阿片戦争は誰がどう見ても滅茶苦茶な戦争で、さすがにそれはねーべといろんな国からつっこまれていた。二十世紀後半のことらしい。
 それを巡って香港では魔法使い達の内紛が起こった。国境付近の政府軍も巻き込んだどえらい内戦だったらしいが、その最中にとんでもない大魔術が偶発的に引き起こされたと記録されている。
 大魔術。魔法使いが三人過去に飛ばされるという大魔術で大事件だ。

 その後、いろいろあって1997年に香港は無事中国に返還された。そのどさくさでまた魔術的大事件があって香港洞が人の住める場所に変わったりしたのだが、私にとってそれはさほど重要ではない。

 重要なのは、この土地が魔法の聖地であり、さらに時を渡る大魔術の舞台となったという事実だ。

 私は大学を卒業してからというもの、この香港で十五年間生活をしてきた。
 表向きの理由は、魔法世界復興のために新たにゲートが開かれた土地だから。裏の理由は、ここならば時間を超えるというとんでもないことを実現できるかもしれないから。

 そう。私は時を超える。
 それはかつての中学生時代、未来人超鈴音の魔法道具で体験した奇跡だ。

 私が魔法というふざけた世界に足を踏み入れることになった原因。麻帆良学園女子中等部最後の学園祭のハプニング。
 それを私は今、自らの手で再現しようとしていた。していた、じゃねーよ。するんだよ。ここまで来て傍観者気取りか私は。

『ちうさまー。陣の構築完了しました!』

 従者は七人。電子精霊から光子精霊に昇格した『力の王笏』の七部衆。
 こいつらは既にアーティファクトという枷から外れて、正真正銘私の使い魔になっている。

「おう、ご苦労」

 そう言いながら私は周囲の空間をさっと眺めた。
 ここは香港洞の最深部――よりもっと深くにある私の秘密基地。
 香港の重要拠点となっている魔法世界へのゲートの位置より少し離れたもう一つの地脈の交差点だ。
 そこに今、私は時を超えるための陣を構築していた。術式は古代西洋魔術。魔王と呼ばれた大魔法使いが使ったとされる、星の記憶にアクセスする魔法を私式の情報魔法でエミュレートしている。

 二十二年前、かつての魔法世界の旅でほとんど活躍することのなかった私のアーティファクト。
 しかしこれは荒事に関係のない平時においてはとんでもない効果を発揮した。『力の王笏』はインターネットに自在にダイブできるハッカーの夢の道具……などではなかった。
 それに気づいたのは魔法世界の最後の戦いで、神楽坂を目覚めさせるために『最後の鍵(グレート・グランド・マスターキー)』をハッキングしたときだ。
 『最後の鍵』は魔法世界の造物主による最上級の魔法道具。パソコンでもなんでもない。しかし私のアーティファクトはハッキングできてしまった。つまり私のアーティファクトは高度な魔法道具を支配することができてしまうわけだ。
 魔法世界から帰還した私は、実際にその力を試してみた。成功した。他人のパクティオーカードの中に待機状態にあるアーティファクトをハッキングして、自在に操作することができてしまった。

 とんでもない道具を手にしてしまったと当時の私は恐れおののいた。
 なんていったってアーティファクトのハッキングである。アーティファクトはどれもぶっ飛んだ奇跡を起こす高度な魔法道具の数々なのだ。
 私はビビリだ。魔法世界に迷い込んでからずっとネギ先生の傍らにいたというのに、一切の戦う術を身につけようとしなかったくらいのビビリだ。何せあの状況で戦えるようになったら、チートキャラ達のトンデモバトルに私も巻き込まれるのが必至だったからだ。
 しかし平時なら問題ない。荒事に巻き込まれないように努めれば、私の好きなタイミングで他人のアーティファクトをちょろまかすことで、自分の思うがままの生活ができた。
 私が魔法の世界に再び足を踏み入れることはもうない。超の事件から始まった私の受難の日々は終わり。アーティファクトは好きに使わせてもらうが、ネギ先生の相談に乗る駄賃のようなものと思えばいい。……あの日まで私はそう考えていた。

『ちう様! 儀式場に人が近づいてきていますー!』

「あん? ホンコン・ヤードか? 深夜なのに大変だなぁ。魔法使い用の人払い魔法重ねがけしとけ」

 私は魔法を使うことができる。
 香港の地で学んだ風水とはまた違う、西洋魔法、のようなものだ。

 『力の王笏』は魔法道具をコンピュータに見立てて自在に操ることができる。
 では、ネットワークはどうか。魔法のネットワークとは?
 答えは、地脈。
 地球の生命、自然によって生まれる無数の魔力、それが大地の下で流れている。地球そのものをケーブルに見立てた魔力の有線ネットワークだ。私はそこに自在にアクセスすることができる。

 かくして私は自前の魔法コンピュータ『力の王笏』、他人の魔法コンピュータである魔法道具とアーティファクト、そして魔力と魔力を繋ぐ地脈ネットワークを手中におさめた。
 それで何ができるかというと、魔法ができた。正確には魔法のようなもの。『力の王笏』の演算能力を使った古今東西あらゆる魔法のエミュレートだ。魔力は地脈にアクセスすればいくらでも引き出すことができた。私の魔法の才能や保持魔力量は関係ない。コンピュータを使って数式を計算するときに、操作者の頭脳は一切使わない。
 私はこれをとりあえず情報魔法と呼ぶことにした。

『ダメですー! 最終防衛ライン突破されましたー!』

「ん……は? ええ!? なんか早くねえ!?」

 のんきに考えていたらとんでもないことになった。

「香港に今そんなことできるやついたか!? 誰が帰ってきたんだ! アキラか!? ガンマルか!?」

『ネギ先生ですぅ!』

「ネギ、と呼んでください」

 七部衆達の声に紛れて、儀式場の入り口から声がした。
 視線を向ける。そこには、身体を雷化させたネギ先生が立っていた。

「よかった、ちうさんのところに向かったら分厚い魔法防壁がいくつもあったから、誰かに捕らわれてるんじゃないかと心配しましたよ」

 ほっと胸に手を当てて雷化を解くネギ先生。うん、なるほど。雷化して力業でここまで突破してきたと。
 そりゃあ一瞬で最終防衛ラインを突破されるわけだ。雷の速度で動く超一流魔法使いなんて、こっちの処理速度の限界を超えている。

「て、待て待て。今なんつった。私のところに向かったって? どうやってここがわかった。どこから来やがった」

「あ、はい。ちうさんの魔力の気配がしたのでホテルから飛んできました」

「日帰りじゃなかったのかよ!」

「やだなあ、結婚を認めてくれるまで帰れません、とは言いませんけど、仮契約を破棄しろなんて言われて帰るわけないじゃないですかー」

 いいのかそれでISSDA最高責任者。

「いや、それでもここと地上は数キロ離れてるんだが。魔力が外に漏れないようにしてんのに、ネギ先生……ネギの前で見せた覚えのない私の魔力を嗅ぎ取ったとかぬかすなら、ちょっとネギの人外度を評価し直す必要がある」

「やだなー。さすがに僕じゃそんなこと無理ですよ。まだ不老不死にも慣れてないひよっこ吸血鬼ですよ?」

 そう言いながら、ネギ先生は手に何かを呼び寄せた。
 カード。あのサイズと形状は、パクティオーカードか。

「ホテルでちうさんのパクティオーカードを眺めていたら、カード越しに魔力を感じたんです。でもちうさんの家の方角からは何も感じなくて。それで気になってここまで」

「あー、やっぱり一方的に契約破棄しとくんだった!」

「そんな!」

 私の言葉に、泣きそうな顔を作るネギ先生。
 ええい、てめえもう三十路をとっくに越えたおっさんだろうが。そんな女の母性本能を刺激するような表情をナチュラルにするんじゃねえ。
 私が睨み付けると、ネギ先生はびくんと身体を振るわせる。だがそれは一瞬のこと。すぐに表情を変えて私を真っ直ぐな顔で見つめてきた。

「……ちうさん、ここで何をしようとしているんですか? もしかして仮契約の破棄と何か関係ありますか?」

 はい、関係あります。

「まあそうだな。ネギが納得しようがしまいが、仮契約は今この場で破棄するつもりだよ」

 私の言葉にネギ先生ははっとした顔をする。

「まさか! ゲートのハッキングをするつもりじゃあ!? それで僕に迷惑がかからないよう仮契約を破棄しようと!」

「いやちげーよ。一つもかすってねーよ。ゲートのハッキングなんてして私に何の得があるんだ。てめーの迷惑なんて知ったこっちゃねーし。そもそもゲート程度こんな場所まで来なくても家でごろ寝しながらでも掌握できるわ」

 びっくりするほどの外れ推理だった。
 つーかこいつ私がネギ先生のことを考えて行動してくれていると思っていやがるな。私の目的にネギ先生は一切考慮に含まれてねえよ。
 私の言葉にショックを受けつつも、ネギ先生は私の周囲に展開している魔法の陣をじろじろと眺め始めた。

「これは……古代魔法? 星の記憶に接続? ……千雨さん、本当に何をしようとしているんですか?」

 おいおい呼び名が千雨に戻ってるぞ。
 だがまあいい。魔法の防壁は構築し直した。ここは既に香港の住民達とは隔絶された空間だ。
 風水五行師達はいない。本名を明かしても面倒になることはない。

「自分で考えろ。……と言いたいところだが、ここまで来ちまった以上は最後まで見てけ」

 私の言葉に、きっと鋭い視線を向けてくるネギ先生。

「そう睨むな。別に誰かに迷惑をかけるような魔法を使おうとしてるわけじゃねえ。これは私のために私に対して行うちょっとした儀式だ。約束してやる。魔法で契約してもいい。これからするのは一切合切この世界の他人に、なんら影響を及ぼさない自分のためだけの儀式だ」

 そう言いながら、私は情報魔法を展開する。
 魔法の杖は必要ない。今の私は半精霊。存在そのものが魔法のような存在だ。

 私の魔法に、ネギ先生はぎょっとした顔をする。
 ころころと表情を変えるやつだな。まあネギ先生に私の魔法を見せるのはこれが初めてだから驚くのも仕方がないが。

「……千雨さんは香港一の風水師だと聞いています。でも、これは東洋魔術じゃないですね。僕らの使う西洋魔術だ」

「ま、ずっと働きもしないで引きこもってたからな。ネギ先生の足元にも及びはしねーが西洋魔法の真似事くらいはできるようになった。あと香港では一番じゃなくて二番目だ」

 やってるのは正規の魔法じゃなくて魔法エミュレートだがな!
 魔法に対する努力は風水を覚えるのでいっぱいいっぱいだ。なので西洋側の魔法に関してはずる(チート)してスーパープレイだ。
 しかしまあ、私もいつの間にやら魔法使いか。あれほど私の現実にファンタジーが侵食することを嫌っていたというのに、すっかりファンタジーの住人になってしまった。
 学園祭のあの日はあれだけ魔法に関わるのが嫌だったというのにな。

「……なあネギ先生。今ならなんとなくわかることがあるんだ」

 魔法演算を組み立てながら、私はネギ先生に言葉を投げかける。
 魔法の準備はほとんど七部衆達が行ってくれる。自前の魔力を使う必要もないし、私は最後に呪文の詠唱をするだけで良い。なのでそれまでおしゃべりタイムだ。
 話題はそう、学園祭のあの日のこと。

「超のやつはきっと私とネギ先生の子孫なんだと思う」

「えっ」

 私の言葉にきょとんとした顔になるネギ先生。そして次に赤面した。

「僕と結婚してくれるってことですか!」

 すごい嬉しそうな顔で私に叫ぶネギ先生。本当に百面相だな今日のこいつは。

「ちげーよ。……魔法に関わったのに麻帆良を出てMITで科学を学んだ私。香港に住んで中国人になった私。その延長線上になんとなく超の姿が見えるんだ」

 勘違いするネギ先生を置いて、私は一人語る。

 いつどのタイミングでネギ先生が私のことを好きになったのかは知らん。
 中学生時代の私がネギ先生に好意らしきものを抱いたのは、魔法世界での旅を経てのことだった。多分ネギ先生のほうもそのときだろう。

 私が魔法のいざこざに巻き込まれたのは超が学園祭でタイムマシンを使った大事件を起こしたせいだ。
 じゃあ、超が3-Aにいない『超が生まれた本来の歴史』だと、私は魔法世界にいかなかったのか? ……行ったんだろうなぁ。
 そうじゃないとネギ先生が魔法世界で無様を晒して死んでいた可能性が非常に高い。自画自賛するようでなんだが、魔法世界で私は、パートナーとしてネギ先生を正しく導けていたと思う。戦いには一切参加していないが。

 あと、超が変えたかった『本来の未来』というのも何となく想像できる。
 あいつはファンタジー世界の住人じゃなくてSF世界の住人だからな。おおかた『月は無慈悲な夜の女王』って感じの事件が地球と火星の間でも起きたんだろう。ま、こっちのほうは想像じゃなくて妄想だけどな。

 ただ、超の生まれた未来では私とネギ先生が結婚していたんだと思う。だってネギ先生マジで求婚してくるし。

「きっと幸せな家庭を築いたんだろうな。私は子供の頃からずっと平凡で平穏な日常ってやつに憧れてたんだ。笑うなよ、初等部の頃の私の夢はお嫁さんだ」

「笑いませんよ! それにその夢、今からでも遅くありません!」

「遅いんだよ。遅すぎる。私は知ってしまったんだ。他の誰でもない超の手によって。中学三年生の学園祭で。……人は時間を超えて歴史を変えられるって」

 魔法の構築が完了した。七部衆達が私の周囲をぐるりと囲む。西洋魔法の行使には、魔力の源である自然、すなわち精霊の力が欠かせない。

「だから私は平凡を捨てて魔法を選んだ。情報魔法を覚えて風水を学んだ。精霊の身になった。平凡な人間じゃ扱えない大魔法を使うために」

「なにを行ってるんですか? 千雨さん、何を……?」

 私の言葉に、また表情を変えるネギ先生。
 困惑だ。そして疑念。良い表情をするじゃないかぼーや。

「簡単なことだよネギ先生。……あいつと別れた“あの日”から、私は“この日”のためだけに生きてきた。私は、時を渡る!」

「なっ……!?」

 私はネギ先生に高らかと宣言した。
 二十二年間私を動かし続けた私だけの目的を、初めて他人に伝えた。
 これは、私の計画開始ののろしだ。さあ、呪文を唱えよう。陣を構築しよう。

「エゴ・エレクトリゥム・レーグノー!」

 西洋魔法の始動キー。真面目に西洋魔法を覚える気がなかった私は『力の王笏』の発動呪文をそのまま始動キーに使っている。
 すなわち『我こそは電子の王』。今思うと傲慢で私に相応しい始動キーだ。そして、古い子供時代に取り残された私に相応しい始動キーだ。

「契約により我が身に宿れ光子の王!」

 唱えるのはオリジナルスペル。他人の魔法のエミュレートではない、私が一からプログラミングした魔法の呪文だ。

 西洋魔法は精霊王から力を引き出す魔法だ。しかし、生まれてから半世紀の時しか流れていない電脳世界の精霊……情報精霊には精霊王がいない。

「蘇れ星の記憶! 来たれ万物を流す時の大河!」

 だが、王に匹敵する強力な精霊はすでに存在する。それこそが私の偉大な情報精霊群。「しらたき」「た゛いこ」「ねき゛」「ちくわふ」「こんにゃ」「はんへ゜」「きんちゃ」。
 世界のネットワークが0と1の電子ネットワークから、量子コンピュータと量子テレポーテーションを組み合わせた光量子ネットワークに変わった現在。そんな今でも、電子精霊群千人長七部衆は光子精霊へと昇格し世界の光子情報通信網の支配者として君臨している。
 だからこそ、私は彼らの精霊の力を直接使い、本来なら人の身ではなしえない大魔法を使うことができる。
 そら、発動だ。

「『時の魔法(カシオペア)』!」

「なあっ!?」

 私の周囲から魔法の光が吹き荒れ、ネギ先生を巻き込んで時の魔法が空間を満たす。

 ネギ先生が驚愕しているが当然だ。これは地球の時間の流れに干渉する魔法。
 その名もカシオペア。……といっても超が使っていた時間移動の航時機とは何の関係もない。

 世界中に点在する時間に関するあらゆる魔法をまほネット経由でを盗んで集め、分析し分解し私の使える情報魔法に組み立て直したものだ。
 今私は地球、香港の時間の流れと直結している。この魔法は時間の流れと己自信を結びつけるだけの魔法だ。
 これ自体には特にこれといった効果はない。せいぜいが、時間と直結しているため他の時間魔法の影響を無視することができるくらいだ。
 だからこれはただの下準備でしかない。そして、下準備はまだ終わっていない。

「アデアット!」

 私だけのアーティファクトを呼び出す。『力の王笏』。既にオモチャの杖のような面影はない。
 パソコンは日進月歩。ならアーティファクトも日々改造していかなきゃだめだ。

 手に収まった『力の王笏』を私は眺める。それはすでに笏と呼べるものではなかった。
 槍だ。管楽器と槍を混ぜた形状の魔法道具。神形具(デヴァイス)と呼ばれる風水五行師の仕事道具だ。製作は欧州五行総家のマルドリック家現当主によるもの。
 今や『力の王笏』は、神形具としてもアーティファクトとしてもちょっとしたお値打ち品になっている。宇宙ステーションが一個建ってもおかしくない品だ。

「満たされし器、それは波。大いなる霊、それは粒。量子の霊よ、水面を漂え」

 そんな国宝級の一品を私は起動させる。神形具としてではなくアーティファクトとしてだ。
 『力の王笏』の効果は電脳世界へのダイブ――ではない。情報精霊を組織的に統制する。それがこのアーティファクトのただ一つの機能だ。
 電脳世界に精神を送るのも、魔法道具をハッキングするのも、魔法をエミュレートするのも、全てはこの精霊使役の力がもたらすものだ。

 改造を重ねて膨大な演算能力を得た『力の王笏』を使い、私は情報精霊を統制する。
 行うのはハッキング。対象は、私だ。

「――『我こそは光子の王』」

 そう唱えると、私は王笏の刃を自らの胸に突き刺した。

「千雨さん!?」

 それまで私の儀式を眺めるだけだったネギ先生が焦ったように私に駆け寄ってくる。

 が、別に私は自傷行為をしているわけじゃない。私は刃で貫いた胸元をネギ先生に向かって見せた。
 血の一滴も流れてはいない。そもそも刃は肉を穿ってすらいない。

「詞変(ワードアクセル)、一千八百万詞階(オクターブ)の遺伝詞よ」

 今度は『力の王笏』をアーティファクトとしてではなく神形具として使用する。
 私は風水師(チューナー)。風水は万物を構成する魔法因子、遺伝詞に干渉してあらゆるものを癒し、調律し、改変する。
 行うのは改変(ハッキング)。対象は私だ。

「ル」

 言葉にのせて自分の遺伝詞を神形具に送る。
 『力の王笏』に風水の力が灯る。私は自分自身の拍詞を神形具越しに捕らえ、遺伝詞を改変する。
 半精霊の私の遺伝詞は三百二十万詞階。そこに私は地脈から汲み取った魔力――遺伝詞を次々とぶち込む。総量一千八百万詞階だ。

 そら、生まれ変われ私。

「千雨さん!」

 胸から『力の王笏』を引き抜いた私に、ネギ先生の手が伸びる。抱擁。
 まあ惚れた女が自分自身に槍をぶっさして魔法を使ったんだから、このリアクションも当然だ。しっかしでかくなったなぁネギ先生。

「あっ!」

 私を抱き留めようとしたネギ先生の腕が、私の身体をすり抜ける。
 まあそりゃそうだ。今の私は人間には触れられない。私は今、完全な精霊に変わった。物理世界への干渉は私がしようと思わなければできない。
 今の私は自然そのものだ。いや、自然と言うべきか。電子と光子と遺伝詞による情報通信ネットワークが私を精霊たらしめている。要するに私は半精霊から情報精霊に昇華した。

「千雨さん、これは……」

『ちっと人間を辞めてみた。一千八百万詞階しかないから『光子の王』を名乗りにはちっと力不足だけどな』

「辞めてみたって! そんな軽く!」

『昼間も言ったが驚くようなことじゃねーだろ。闇の魔法の副作用でなりたくもない吸血鬼になっちまったネギ先生よりは健全だぞ』

「そういうことじゃありません!」

『じゃあどういうことだ? 何か? 私が精霊になったから女として見れなくなって困るとかか?』

「それはありえません」

『さよけ』

 私はそう返して手の中に今だ収まったままの『力の王笏』をくるくると回した。
 しかしなんだな。精霊になってみたものの人間とあんま変わらんな。肺と気道と声帯がなくなったので言葉を伝えるのは念話だが。
 ああ、そうか。しょっちゅう電脳世界にダイブしてたから人間の肉体に頼らない状態に慣れきってるのか。長かったからなぁ、引きこもり生活。

「これが、千雨さんのやりたかったことですか?」

 泣きそうな顔でネギ先生は私の顔に手を伸ばしてくる。
 しかしその手は空を切るだけ。精霊である私の身体は光子で形作られている。まあ別に光子でなくてもいいんだが、ネギ先生に見やすいように考えた結果、光という目に見えてわかりやすいものがいいんじゃないかと思った次第だ。
 ネギ先生には儀式を最後まで見てもらうと言ったので、最後まで私の姿は見せてやろうというサービスだ。私は今や伝説となり妖精か妖怪の類ではないかと噂されているナンバーワンネットアイドルのちう様だ。この程度のファンサービスには慣れっこである。うん。

『……ちげーよ。言っただろ。私は時を渡るって。これは時間移動しやすいように肉体を捨てて魔法に近い存在になるちょっとした下準備だ。ああ、そうだ。下準備最後の工程残ってるんだ。ネギ先生、ちょっと私の顔を見てくれ』

「は、はい」

『背伸びたなぁ。見下ろしやがって』

「カッコイイですか? 結婚してください」

『うるせえ。それで、ちょっと目を閉じてくれ』

「え、な、なんでですか? あ、まさか僕が見ていない間にいなくなるつもりですか!」

『ちげぇよ』

 言葉に従わないネギ先生の目を私は手で覆った。光子の手だ。まぶしかろう。

「ぶわわ!? ち、千雨さん何で目隠しするんですか! あっ、あの、いい加減ここの場所で何をしようとしているのか教えて下さい!」

『うるさい黙れ』

「ふむぐっ!?」

 はいぶちゅー。唇だけを物理干渉させて、ネギ先生の唇と触れあわせる。
 おー、やわらけー

「ムー! ムー!」

 はい、魔法発動。逆仮契約。
 唇をそっと離す。あんま長くやってると何か変な気分になりそうだ。

「あ、あの、千雨さん!?」

 キスから解放されたネギ先生が顔を真っ赤にして私から距離を取る。
 おいなんだこの反応。キス一つしたくらいで子供かこいつは。
 ……まさか。ちょっと懸念していたが、ネギ先生もしや童貞だったりしないよな。この歳で。別の意味で魔法使いじゃなかろうな。ハーレム状態で女との一夜の過ちなんてありふれているだろうに、女性経験がなかったりするのか。
 もしそうだとしたらやべぇ。ネギ先生の愛が重ぇ。女達の誘惑を振り切って私しか見てこなかったとかだとちょっと計算外だぞ。いやこんなこと考えてる私も生娘だが、ガチネット廃人の引きこもりな私は生娘で当然だ。世界を飛び回るネギ先生とは違う。

 いや、何うろたえているんだ私は。
 私も恥ずかしい反応を返しちゃってるじゃねーか。今そんなことをしている時間はない。

『悪いな先生』

 口を押さえて顔を真っ赤にする先生に向けて、私は今だ手の中にある『力の王笏』を掲げて見せた。

『勝手に仮契約破棄させてもらったぜ』

「えっ!」

 ばきりと。ネギ先生の叫びと同時に『力の王笏』から音が鳴った。
 それは、アーティファクトが消滅する音。仮契約の力を失った『力の王笏』が崩壊する音だ。
 竜が踏んでも壊れない欧州五行総家の至高の一品に見事なひびが入る。

 本来なら契約を失ったアーティファクトは世界に返還される。しかし、改造に改造を重ねた私の『力の王笏』は壊れない。アーティファクトの機能が消えても、神形具としての機能は残る。アーティファクトとしての初期パーツは、五行師に打ち直して貰ったときにほとんど捨て去っているのだ。

『さすが、ガンマル。良い仕事するぜ』

 情報精霊統制機能、アポート機能が完全に失われても、『力の王笏』は見事一つの神形具として世界に残った。
 そして風水師の私にはわかる。この神形具には私が中等部三年の頃から私の相棒であり続けた、歴史の遺伝詞が残り続けている。
 大魔法を発動するにはこれほど頼もしい要素はない。

「千雨さん!? なんで契約破棄なんてするんですか! 僕のこと嫌いになったんですか!」

『あー、そういや先生それ聞くためにわざわざ香港残ってたんだったか。大丈夫だ、嫌いになんてなってねーよ』

 詰め寄るネギ先生を物理的にスルーし、念話を飛ばす。

『言っただろ。時を渡るって。でも私じゃ超のヤツみたいな完璧な時間移動なんてできねぇ。だから、肉体を捨てて、世界との魔法的な契約も全部捨てた。スリム化だ』

「そういうことだったんですか。……だから、『ちうのホームページ』を閉鎖したんですね」

『んな!? それは関係ねえよ! というか昨日閉鎖したのに何で知ってやがる!』

「毎日見てますから」

『仕事しろやCEO!』

 いや引きこもりの私が仕事しろっつーのもおかしいが。
 ちなみに私の表の人生の象徴だった『ちうのホームページ』は、一身上の都合により2025年6月29日に閉鎖している。
 半精霊化により永遠に歳を取らなくなった私だが、火星開発の過程で世界に魔法が公開されたため、老化しないネットアイドルちうは割とすんなり受け入れられた。妖精だとか妖怪だとか噂が流れたが。
 そんな表の私だが、ISSDA特別顧問に就任したことにより顔写真が全世界に向けて公開されていた。あと魔法世界を救った白き翼のメンバーとして魔法使いの間では有名になっていた。
 当然「長谷川千雨ってちうじゃねえ?」と言い出す人がいるわけで。電子の王の魔法道具を手にした私も、ネットを介さない人の噂は止められない。
 そんなわけで『ちうのホームページ』は、気がついたら魔法世界の救世主長谷川千雨の公式サイト扱いをされるようになっていたのだ。

 泣いた。私は泣いた。
 全世界の人間に趣味はコスプレとばれるとか前代未聞の羞恥プレイだった。
 『力の王笏』で全世界に拡散した私のコスプレ画像を消してホームページを爆破しようかとも思ったが、結局私はネットアイドルを続けることにした。唯一の私の癒しであるコスプレは捨てられなかった。くっ。

『あー、くそ。シリアスにやらせる気はねえのかこの腐れネギ坊主は』

「?」



[35457] 第一幕「2025・7/1」(後)
Name: Leni◆d69b6a62 ID:a70c25d7
Date: 2012/10/13 11:01

『ごほん』

 咳払い一つ。念話で咳払いとか何の意味もないが人間だった頃の名残だ。
 よし、精神をシリアスモードに切り替えだ。

『準備は整った! 私は歴史、いや、過去を変革する!』

 神形具を掲げて私はそうネギ先生に宣言する。

「わー」

 パチパチと拍手を送ってくるネギ先生。

『……リアクションそれだけか?』

「? はい」

『いや、そこは、過去を変えるなんてとんでもない! とか詰め寄るところじゃねーの。良いのか立派な魔法使い(マギステル・マギ)』

「いやですねー千雨さん。今更何言ってるんですか。時間を超えて歴史を変えるなんて、僕が先生だったころの学園祭で、すでにやったじゃないですか。超さんの世界に魔法を安全にばらすという歴史を否定して自分勝手に塗り替えましたよ、僕は。千雨さんがそれをやるのに否定するわけないじゃないですか」

『ぐ』

 こいつ、私が用意していた説得の言葉をそのまんま言いやがった。
 まあ、いいのか。説得する手間が省けたということで。それじゃあ儀式を続行しよう。

「で、どの時代に飛ぶんでしょう。申し訳ないですけど、僕、まだ不老不死が完全じゃないですから、あまり長い期間は滞在しないほうが助かります」

『…………』

「?」

 ニコニコと笑いかけてくるネギ先生。

『……いや、ネギ先生は連れてかねーよ?』

「えっ!」

 笑顔が固まった。

「そんな! 危ないですよ! 一人で行くなんて!」

『いや危ねーのは百も承知だよ。つーか一緒に来るつもりだったのかよ』

「当然ですよ! 千雨さんは僕が守ります!」

 うおお、なんだこいつ。数時間前の告白以来急に押せ押せ攻勢になりやがったぞ。愛が重いぞ。

「もし何かあっても僕が千雨さんを守る。あの日の約束です」

 いやあの日ってどの日だよ!

『無理だ、無理無理。この時代に便利なタイムマシンなんてもんはねえ。さっきも言っただろ! 時間を飛ぶために精霊になって、さらに魔法契約を破棄したって! この魔法はお一人様だ!』

 悪いなネギ太、この魔法は一人用なんだ。うむ。

「う、うう……じゃあ、どの時代にいくかくらいは教えてください。そして、その時代の僕に庇護を求めてください」

 うん?

「僕ならきっと千雨さんを守ります。ISSDA特別顧問の長谷川千雨さんではなく、肩書きのない一人の精霊なら、なんのしがらみもなく24時間いつでもあなたを守れます」

『あー、それは……いや、やめておこう。どの時代に何をしにいくかは乙女の秘密だ』

「どうしてですか!」

『追ってきそうだからな。ネギ先生ならやれそうだ。何せ狭い香港の街ですらナンバーワンになれないへっぽこ魔法使いの私でも、時間を飛べそうなんだ。天才のネギ先生なら再現余裕だろ』

 それも悪くない。そう思ってしまっている私がいる。
 でも、それはだめだ。そうなったら私は本格的にこの世界を嫌いになってしまう。

『ネギ先生の予定はずっと未来まで埋まってるんだ。私について当てのない時間旅行なんてもってのほかだ。あんたは生きて、死ぬほど働いて、神楽坂が目を覚ますときまで頑張らなくちゃいけねぇ』

 そう。それがこの世界の大前提。
 ネギ先生が火星開発の最高責任者の座から離れることなどあってはならない。

「……わかりました。待っています」

『わかったか。……待つ?』

「はい、この時代の僕にとっては一瞬のできごとかもしれませんが、千雨さんの無事を祈って帰りを待ちます」

 ……ああ、そうか。そこに齟齬があったのか。
 さっきからネギ先生がいまいちシリアスになりきれていない理由は、そこか。

『ネギ先生、私はこの世界のこの時代に帰ってくることは、ない』

「え!?」

『当然だろ。私は歴史を変えに時代を渡るんだ。私が過去に降り立った時点で世界は分岐する。パラレルワールドだ。この世界との連続性は完全になくなる』

「え、あ、はっ……!」

『私が歴史を変えてこの時代に戻ったとしても、それは“私が過去に降り立った時間軸上”のこの時代だ。時間軸の違う今のネギ先生の前に戻ることはありえない』

「待って、待って下さい!」

『それが過去を変革させることを前提にした時間移動だ。ネギ先生が一つの時間軸上を飛び回ったあの学園祭の三日間とは違うんだ』

「待って下さい! 考える時間をください!」

 おう。さすがのネギ先生もパンク状態か。

『ああ、そうだな。パラレルワールドの話をもう一つ。さっきネギ先生が言ったとおり私達は学園祭で、超に一度負けた。世界に魔法を公開された。それを解決するために私達は過去に戻った。さてここで三つ問題です』

 ぐるぐると思考の海に捕らわれるネギ先生に神形具を握っていない左の拳を突き付けた。
 そして人差し指を一本立たせる。

『一つ、私達が見捨てたあの魔法が公開されたあの世界はあのあとどのような運命を辿ったでしょう。パラレルワールドの概念では、残念ながら私達がいくら過去を改変したところで、あの時間軸上の世界にはなんら影響を与えません』

 さらに私はぴっと薬指を立たせる。ぐわし。おおすげえ。人体構造の限界がないから綺麗に人差し指と薬指だけが立ったぞ。

『二つ、私達が過去に去ったあの世界。異なる時間軸に飛ぶという行動はある事態を生み出します。それは、そのあの世界の時間軸上から私達がいなくなってしまうということです。過去に飛んだのは……10人。カモの野郎も入れて11人。さて問題。11人が世界からいなくなることの影響はいかに?』

 これはちょうど今ネギ先生が直面している問題だな。時代Aの過去である時代Bに人物Cが飛ぶ。しかし時代Bの未来であるB’は時代Aと重ならない。結果、時代Aから先の時間軸上から、人物Cはいなくなってしまう。
 私はこれを解決するために、十数年引きこもって人との繋がりを途絶えさせ、表の顔の象徴だったちうのホームページを閉鎖させた。今後この世界に長谷川千雨という人間は存在しなくなる。それでも影響がないように努めた。目の前にいるネギ先生の愛の告白は完全な想定外だが。

 さて最後。中指を立てる。

『三つ、私達は過去に飛んで未来を変えました。しかし過去に飛ぶという行動には常にやっかいな事態がつきまといます。同じ人物が二人同時に存在してしまうという事態です。先生は学祭デートで実際にそんな事態に遭遇しましたね。ボーナス問題。私達が過去に戻ったとき、エヴァンジェリンの別荘にいたはずの“本来の私達”は一体どこへ消えた?』

「あぶぶぶぶぶ」

 以上、ネギ先生の思考をぶったぎる突発なぞなぞでした。
 ……ちなみに光量子の情報精霊になった私にとって、パラレルワールドの問題は簡単に解けてしまう問いだ。

 答え。天才少女超鈴音が一晩でやってくれました。多分。
 一つ目の問題は簡単だ。超はそもそも未来を改変するために過去にやってきたのだから、うまくやっただろう。ネギ先生や魔法先生達がオコジョ刑に処されることもなかったと思う。好き勝手過去をいじくっておいて、巻き込んだ麻帆良の魔法使い達をオコジョ刑に晒すなんてことはやらないだろう。あいつなら。
 二つ目の問題。これは本来ならとんでもない事態を巻き起こしただろう。消えた十人と一匹の肉親達は大きな衝撃を受けただろう。そして消えた原因が、防衛網を突破されて世界樹の奥に進入を許した魔法先生にあると周りは思うだろう。大変だ。
 ここで出てくるのが三つ目の問題。どこにいった本来の私達。顔を合わせてすらいないぞ。どこへ行った? あっちへ行った。多分、超が魔法を世界に公開したあっちの時間軸上の世界に。時代Aと時代B’の人物Cさんを入れ替えたってわけだ、こっちの時間軸上の超が。多分。多分だぞ。学園祭の後夜祭からずっと、超とは顔を合わせてないからな。多分としか言えん。

 この答えが正しいなら、一番割を食ったのは、エヴァンジェリンの別荘にいたはずの“本来の私達”だ。
 気がついたら学祭終了一週間後。しかも世界樹発光のロスタイム無し。さらに身に覚えのない魔法先生、魔法生徒達との突破劇の前科付き。まあそれもあっちの時間軸上の超が上手くやるんだろう。天才だからな。






 はてさて、今時間を渡ろうとしている私は、超のような天才でも何でもない。人物の入れ替えなんて都合の良いことはできない。平凡なのが嬉しいのやら情けないのやら。
 でも、幸運なことに平凡な私には、一つの才能があった。風水師としての才能だ。
 ネギ先生が混乱している間に、儀式を進めよう。神形具を地面へと突き刺す。周囲に展開する魔法の陣の中心点だ。

「詞変(ワードアクセル)、一億二千万詞階(オクターブ)の遺伝詞よ」

 古代の魔王の陣、情報魔法による『時の魔法(カシオペア)』、自身の情報精霊化、中等部三年時からの時を内包した欧州五行総家の神形具。それらを用いれば、私でも地脈の奥底に眠る“時間”をつかさどる遺伝詞、時虚遺伝詞に風水をかけることができる。
 一億二千万詞階。大地竜でも鬼神でも生み出せそうな領域だ。シミュレート通りにちゃんとできでマジでビビってしまう。ちなみに一般的な風水師の操れる遺伝詞は八万詞階程度だ。

「ル」

 念話ではない、精霊としての声を周囲に響かせる。情報精霊の私から飛んだ遺伝詞が、地脈の奥底に流れ込む。
 私は風水師(チューナー)。風水は万物を構成する魔法因子、遺伝詞に干渉してあらゆるものを癒し、調律し、改変する。
 行うのは治癒。対象は香港だ。

『お客さん、こってますねー』

 香港の話をしよう。
 南京条約では香港はイギリス領になった。
 しかしまあ阿片戦争は誰がどう見ても滅茶苦茶な戦争で、さすがにそれはねーべと香港の人々はつっこんだ。
 結果、香港では魔法使い達の内紛が幾度も起こった。香港がイギリス領になった1842年から、中国に返還される1997年まで計六回。そのうちの五番目、1973年の第五次神罰戦の最中にとんでもない大魔術が偶発的に引き起こされたと記録されている。
 大魔術。魔法使いが三人過去に飛ばされるという大魔術で大事件だ。

 この大魔術は偶発的に引き起こされた。正しい儀式手順を踏んだものではない。
 となるとどうなるか。“時間”をつかさどる魔法因子、時虚遺伝詞がぼろぼろになる。時間だって苦労してんだ、とは魔法精霊の井戸端会議で時の精霊が発した言葉だ。
 なので私はそれを風水で癒す。癒すふりをする。時虚遺伝詞の治療は、過去まで飛んで現代まで時間を追うことでなされる、らしい。
 時虚遺伝詞と一緒に時代を一つずつ辿り、歪んだ時間があれば真っ直ぐにしてやり、千切れた時間があればつないでやる、二人三脚の集中治療だ。治療が終わる頃には現代まで舞い戻るはめになってしまう。
 それでは過去に留まることなんてできなくなってしまうので、私は治療を途中で放棄するつもりだ。医療詐欺だ。我ながら極悪非道だぜ。まあカルテは付けておくのでもっと腕の良い風水師がいたらそれを見せて治療を頼んでみて欲しい、香港。

「っ千雨さん!」

 おっと、ネギ先生が再起動した。さすがに時虚遺伝詞に大量アクセスするこの大魔法を前にしたら、異常に気がつくか。
 でもすまん。今は相手してる余裕がない。本来私が操れる遺伝詞の量を十倍近く超えた一億台の詞階を前にして、だべっている余裕はない。

 風水(チューン)。
 範囲を設定。場所は魔法の聖地香港。
 時虚遺伝詞を閲覧する。
 時間の傷を見つける。シミュレート通り。1973年だ。

『……って、ええ!? なんだこりゃあ』

 シミュレート通り……じゃなかった。時間の傷は二つあった。

 三人の魔法使い、ルナ・アズエル、李・フー、黄・大全が風水五行による戦闘を行い、その結果大魔術を偶発的に引き起こした。ここまではあってる。
 大魔術の発動結果、1842年の第一次神罰戦に三人の魔法使いが飛ばされた。ここまでもあってる。
 しかし想定外、想定外、シミュレート外。なんだってんだこれは。
 同じ時間、同じ年代、同じ人物の時間跳躍が二度起きている。そしてその結末の一つは、私が知っているものと違った。

『どういうことだ畜生!』

 手元が狂う。動揺する。何をして良いかわからなくなる。同じ場所についた結末の違う時間の傷を二つ直すだと? そんな方法私は知らない。
 あー、くそ、私は想定外の事態に弱いんだよ! どうしろってんだ! 今から再シミュレートし直す? 無理だ。もう情報魔法の演算器としての『力の王笏』は手元にない。風水ではシミュレートなんて行えない。

 このままだとどうなる。時虚遺伝詞に強制的に弾かれ虚空に落ちる。
 精霊でもさすがにそれは死んでしまう。
 死ななくてもどこかいつかの時代に強制転移だ。

 やばくねえかこれ。やばいぞ。やばいやばい。
 誰か、誰か助けてくれ。
 ネギ先生……って、ばかか私は。風と雷と闇の魔法使いのネギ先生じゃ、どう考えても時虚遺伝詞は専門外だよ畜生!
 引きこもりが外に出た結果がこれだよ!

『ちうたま! 再シミュレート開始しますぅ!』

『……は?』

『情報精霊千人長七部衆、フォーマット完了して参上いたしました!』

『……はあ?』

 なんか私の周りをネズミが飛んでいるぞ。しかも嫌ってくらいに見覚えのあるやつらだ。

『てめえら、なんでここにいる』

『我らはちうさまの永遠の僕。ちうさまの危機に参上致すのは当然のことですぅ!』

『いやいや、お前らアーティファクトと一緒に世界に還っただろ。精霊召喚してないのに何で出てきてやがる』

『こんなこともあろうかと、力の王笏に関連づけられた契約を書き換えて、精霊王になったちう様と精霊の主従関係となる契約を結ぶよう、遅延プログラムをしかけておきました!』

『はあ!?』

 いやいや、聞いてねえぞそんなこと。

『全てを捨てての時間旅行に一人で行くなど水くさいー。我らもお供します! ちう様の直属の精霊になったので、時間移動の妨げにはなりませんよー』

『あー……、そういう方法もありなのな……』

『なにより我々データの軽さが信条なんで! ちう様の一部として風水に潜り込めます!』

 そいつは僥倖。こいつらがいりゃ百人力だ。いや、七千人力か。
 つまり。細かいことはこいつらに任せて、私は時虚遺伝詞に振り落とされないようチューンし続ければいい。

『シミュレート完了しましたー』

 よし、いけるぞ。
 シミュレート結果を遺伝詞変換。

『……くそ、馬鹿か私は。シミュレートするまでもねー常識の範囲内の内容じゃねーか』

 なんてことはない。一つの時間に二つの傷がついてるのは、単に時間転移で歴史がループしてるだけのことだ。1973年、一度目の時間跳躍で、三人の魔法使い達は過去に飛ばされた。だがそれは歴史に流れに影響を及ぼさなかった。
 そして再び訪れる1973年。大魔術が起きる日付も時刻も一度目となんら変わりはなかった。でも過去に三人の魔法使いが飛ばされた事実は確かに存在していて、三人の魔法使い達のあり方がほんの少しだけ変わっていた。そして過去に飛ばされた新しい三人の魔法使い達は、違う未来を選択した。それが今の時間軸上の香港だ。
 やることはなんら変わらない。同じ場所、同じ時間に、同じ傷が二つ重なっているなら、同じ治療を二回してやればいいだけだ。いや、治療しねーけど。治療詐欺だからな。

『時の精霊とのチャネル開けましたー。時間跳躍始まりますぅ』

『よし、じゃあちょっくら診察してやっか』

 空間が歪む。世界が時虚遺伝詞に満たされる。
 香港洞に時虚遺伝詞が吹き出した、わけではない。時虚遺伝詞との作用で私が時間の流れに逆らいだして、知覚が現実から切り離され始めただけだ。

「千雨さん!」

 と、すまんネギ先生。余裕無くて物理世界との交信切ってたわ。

『ネギ先生、お別れだ。ああ、さっき出した三つの問題は単なるいじわる問題だよ。正解は、超のヤツが全部解決してるから気にしなくて良い、だ』

「そんなことはもうどうでもいいです!」

『あー、そうな。永遠の別れの言葉にすることじゃなかったな。許せ。ネギ先生に儀式を止められたくなかった。そしてもう止めたくても止まらねー』

「……っ!」

 泣いた。とうとうネギ先生が泣いた。
 超との別れでも卒業式でも泣いてなかったから、こういうことじゃ泣かないヤツだと思ってたんだが。
 どうやら泣くタイプの人間だったようだ。

 ネギ先生の立場に立ってみるとこの状況はきっついだろうなー。
 つい数時間前まで顔をつきあわせて仲良く会話していた人間から、唐突に永遠の別れを告げられたんだ。

 まあしかたねー。私は想定外の事態には弱いんだ。
 二十数年間、今までこいつには散々偉そうなことを一方的に語ってきたが、ここにきて今更フォローの言葉が思いつかん。

『んじゃ、元気でな。私はお前とは結婚してやらねー。本契約もしてやらねー。わかったか? 振ったぞ? 確かに振ったぞ。わかったか? 頷け』

「ぅ……」

 子供みたいに涙を流しながら、青年のネギ先生が小さく頷いた。
 うむ、よし。ここまで突き放して振られたと理解しないようじゃ本気でどうしようもなくなっていたが、最後の最後できっぱりと振ることに成功したらしい。

『初恋は実らないものなんだってよ。ま、新しい恋でも見つけな。それくらいの余裕はもうあるんだろ?』

 こくりと、またネギ先生が頷く。

『達者でな』

「待ってください。一つだけ、一つだけ教えてください」

『あん?』

 ネギ先生は袖でごしごしと目元を拭うと、私に問いを投げかけてきた。
 待てねえぞ。止めたくてももう止まらん。

「千雨さん、あなたは何のために過去を変えるのですか?」

『…………』

 良い問いだな。どの時代に飛ぶかなんていう、さっきのどうでもいい問いとは全然違う。

『決まってんだろ。てめーと私の仲なら言わなくてもわかんだろうが』

 だからちょっとだけ答えてやろうと思った。

『“私のため”だ。何から何まで、全部、私自身の現実のためだけに過去を変えてやる。私が今まで“自分のため”以外で動いたことがあったか?』

「……ふふ、そうですね」

 泣いた子が笑いやがった。

 ……そして、空間が弾けた。
 視界が全て時虚遺伝詞で埋め尽くされる。手に持っていた唯一の荷物、『力の王笏』が遺伝詞分解され、流体となって溶けてなくなる。
 これは始めから時間移動が始まったら、消えて無くなる仕組みにしてもらっている。
 過去に“私自身”以外を持ち出すことはないよういくつも手順を踏んでいる。現代との繋がりが一つでも残っていたら、風水を途中で放棄した私は現代に向かって吸い寄せられる可能性が高い。
 千人長七部衆達はすでに精霊である私の一部になっているのでそれにはカウントされない。……されないよな? アーティファクトとのつながり一つも残していないよな? 物理フォーマットしたよな?

 心配だが、信じよう。既に私は完全に時間の中に飛び込んでいる。止めたくても止まらないという段階を通り過ぎている。
 完全に香港洞の風景が見えなくなった。そしてネギ先生の顔も見えなくなった。

 なのに。今更ネギ先生に向かって言いたいことが思い浮かんできた。
 なんだかなぁ。未練たらたらじゃねーか私。

 もう聞こえないだろうが、私は遺伝詞に乗せて精霊の声を思いっきり響かせた。

「デカイ悩みなら吹っ切るな! 胸に抱えて進め!」

 かつて私がネギ先生に言った言葉だ。

「今度は、私がこの言葉の通り進んで見せるぞ! ネギ先生がやってみせたように!」

 いつも私は口だけで、自分では何もしない傍観者だった。
 でも、私にはあの日、一つの目的ができた。デカイ悩みが胸に押し寄せた。

「さらばだ、ネギ先生! 私達の道はこれで分かれた!」

 だから、私は進む。
 ……前に向かってじゃなくて過去に向かってだけどな! 進む方角までは言った覚えはねえ!

 私は全て私のために。
 私が納得できる世界を手にするために歴史改変だろうが、魔法公開だろうがなんだってやってやる。
 中等部の卒業式の日が、私のスタート地点。そしてようやくターニングポイントだ。

 “私のため”だ。何から何まで、全部、私自身の現実のためだけに過去を変えてやる。
 ネギ先生が火星緑化のため神楽坂を百年の眠りにつかせた、仲間が世界のために他の仲間を生け贄に捧げた、そんな私にとって受け入れられないこの現実世界を、私は否定しに行く!
 私は私の現実を守るぞこんちくしょーが!



→第二幕「1997・7/1」に続く



[35457] 第二幕「1997・7/1」
Name: Leni◆d69b6a62 ID:a70c25d7
Date: 2012/10/13 14:03
■埼玉 1997年7月1日午前5時 麻帆良学園にて

 意識が浮上する。
 風水の途中下車にどうやら成功したようだ。
 香港の野郎、1842年まで私を飛ばそうとしやがった。確かに時間の傷を癒そうとするならそこまで歴史を辿らないといけないんだが、私は情報精霊だ。そんな時代になんて飛ばされたら、精霊としての存在を維持できなくなって風水どころじゃなくなる。
 近くで電気製品が動いていないと存在維持できなくなる。現代日本で生活していたらそんな事態には陥らないが、実際私は魔法世界でそんな状況に遭遇したことがある。十九世紀の香港に電気製品がやってくるまでぐーすかぴーと眠るはめになるなんてごめんだ。
 それに、物理的に眠るんじゃなくて精霊的に眠った場合、時虚遺伝詞に対する風水治療がどういう結末を迎えてしまうかわかったもんじゃない。

 そういうわけで私は世話になる香港のためにやろうとしていたカルテ作りも途中で切り上げ、予定よりやや早く風水を中断させて過去に降り立ったわけだ。
 今の時代がいつなのかはわからん。2003年の夏休みより後だったらアウトだ。

 ――1997年7月1日。

 と、ふいに頭の中に暦が浮かび上がってきた。
 なんだ? 七部衆のやつらがもうサポート開始しているのか?
 でもおかしいな。1997年というのが本当なら、あいつらは電子ネットワークに対応するために、光子精霊から電子精霊への降格を行わないといけないはずだ。
 私はそのあたりすべて織り込んで自分を精霊化させたが、あいつらは突発的に私についてきたにすぎないから用意ができていないはず。

 うん、七部衆とのリンクを確認。絶賛フォーマット作業中だ。

 じゃあこの時刻情報はなんだと言いたいが……なんかいまいち眠くて精霊としての力を使いこなしきれないな。
 近くに電気製品がないのか?
 私は物理世界への知覚をオンにする/私は目を開ける。

 まぶしい。起きたばかりの目に、朝の光は辛い。
 なんだ、カーテン閉め忘れたのか? ダメ引きこもり生活の基本は日光を浴びないことで体内時計を徹底的に破壊することから始まるんだぞ。

 って、違う違う。何人間時代の引きこもり生活を思い出してるんだ。
 今の私は精霊だぞ。

 しかしなんだな。精霊になったはずなのに、半精霊でいたときより肉体のしがらみを強く感じる気がする。
 目をこらす。ぼやけた視界がようやく定まってきた。
 ……すごく懐かしい風景が目に映った気がする。なんだろう、この感覚は。

 私はベッドに横たえていた身体を起こし、掛け布団をのけ、背筋を伸ばした。
 んー。
 眠いな。
 うん。うん。うん?

 いや、なんか変だな。ああ、そうそう。なんでベッドで寝てるんだろう。
 いや、昨日は夜更かしせずにちゃんと早くに寝たから、ベッドで起きるのは当然だ。

 うん?

 今何時だろう。枕元にある愛用の目覚まし時計を見る。
 5時12分。なんだよ早起きすぎるよ。寮の朝食にはまだ早いぞ。

 うん!?

「だー! なんだ寮って! なんだ朝食ってここはどこだ!?」

 意識が覚醒する。身体を立たせる。
 おかしいぞ。何がおかしいって全部おかしいぞ。
 なんで精霊の私がベッドで寝てるんだよ。しかも寮に住んでいるというのをごく当たり前のように受け入れてたぞ私。
 しかも身体ってなんだ。精霊の私に身体なんてものはないぞ。物理世界への干渉を行うために魔力の領域から光子を顕現させることはあっても、ぐーすかとベッドで惰眠をむさぼるような肉体なんて持ち合わせているはずがない。

 目を自分の身体に向ける。
 うん、ここおかしいよな! 自然の魔力領域から物理世界に知覚を広げているだけで、私に目は必要ないよな。でも今の私の視界は精霊の全方位を見渡す知覚ではなくて、明らかに人間のそれだよな!

 で、目に映ったのは。人間の身体。それも親しみなれたあの二十半ばで時を止めた身体ではなく、子供の身体だ。
 ホワイ? これだれ?

 ――長谷川千雨。

 いやそりゃそうだろ。私は生まれてこの方長谷川千雨だっつーの。
 そうじゃなくてこの謎の子供ボディはなんなんだって話だ。

 ――長谷川千雨。

 知らねえよ。誰だよ。私だよ。私の疑問に答えてるのは私だよ。
 なにやってんだ私は。

「そうだ、鏡、鏡はどこだ……洗面所にいきゃいいか」

 ぺたぺたと寮の室内を歩く。かつての私/今の私にとって長く親しんだ部屋だ。
 目をつぶってても歩ける、とは言わないがまあそれくらいには慣れている。

 洗面所へと入る。この寮の部屋、洗面台はあるがトイレと風呂がないのが不便だ。
 まあ小学校低学年の住む部屋だから一人で風呂に入らせるわけにはいかないか。トイレがあってもガキじゃ掃除とかできねーし。

 うん?

 洗面台の鏡を見る。
 まじまじと見る。
 よーく見る。

「って長谷川千雨じゃねえか!」

 いやそうだけど、そうじゃないんだ。鏡に映ってるのは私だけど、そうじゃないんだ。
 これは、かつての私だ。そう、子供の私だ。魔法の年齢詐称薬でも飲んだか!?
 いやいや、精霊にそんなものきかねーし。というか自由に見た目くらい変えられるし。
 いや、落ち着け。今の私は誰がどう見ても人間の肉体を持っている。そしてその身体は、中学生時代、魔法のいざこざい巻き込まれてよく飲んでいた年齢詐称薬で変化した小さな子供時代の私と瓜二つなのだ。

「誰だ? これは誰だ? いや、見た目が長谷川千雨なのはわかる。でもなんで人間の肉体を持ってる? 人間を精霊に昇華することはできても、精霊を人間に格下げするなんて魔法、私は知らねーぞ!」

 誰だ。私は誰だ。フーアムアイ?

(んだよ、あさっぱらからさわいでるヤツはダレだ……)

「誰だ!?」

 突然頭の中に声が響いた。頭。頭だ。精霊にはなくて人間にはある脳みそのことだ。

(いや、オマエがダレだよ……朝から人の部屋でさわぎやがって……クソ、カギかけわすれたか?)

 また声が響いた。
 なんだこれは。風水五行による読心なんかじゃない。
 念話による声でもない。
 思考に直接割りくんでくるようなそんな不思議な声だ。

(ん……ねみぃ。体うごかん……)

 ぞわぞわと寒気がする。これは誰だ?

 ――長谷川千雨。

 私?
 いや、私は私だぞ。これは誰だ。答えろ。

 ――長谷川千雨。
 ――まほら学園本校女子しょとう部三年六組。
 ――じどうりょう住まい。
 ――お父さんとお母さんは元気。海外で仕事中。

 ……うん。うん。うん!
 なるほどそういうことか。

「はは、あはは、なるほど、なるほどなぁ! 確かにこういうこともあるわな!」

(うるせー! 何時だとおもってやがる!)

「ああ、すまんすまん。まだ五時だ。寝てな。静かにするよ」

(わかりゃいいんだよ……)

 うん。五時起きはさすがに辛いわな。私はぺたぺたと部屋の中を歩き、ベッドに潜り込む。
 そして目をそっとつぶった。

 これは誰? これは私。長谷川千雨。
 1997年の私だ。
 風水に失敗して小学生時代に記憶だけを持ったまま時間を逆行してしまった。なんてファンサブ小説のお約束にはまってしまったわけではない。
 私は精霊。電子と量子を司る一千八百万詞階の大精霊だ。小学三年生の子供になってしまったわけじゃない。

 これはチャネリングだ。
 高次の霊的存在である私のチャンネルと、どこにでもいるごく普通の女の子の精神チャンネルが偶然にも繋がってしまったんだ。
 偶然。私とこの小さな私が霊的に繋がるというのは偶然でもなんでもない。時虚遺伝子の治療空間から1997年に私が途中下車したというのが、偶然の出来事だ。
 2025年から1989年の間に、精霊である私が偶然時を渡って降臨すれば、どの時代であっても、私はある女性と霊的チャンネルが繋がってしまう。

 最大で1842年にまで降臨する可能性があったのだから、“過去改変が間に合わなくなる”2003年から“私が生まれた”1989年という短い期間の間にピンポイントでやってこれたのは、なかなかの偶然だ。

 しかし、1997年か。うん?
 あ、うん。そーかそーか。これは偶然じゃねーな。
 1997年7月1日っていったら香港が返還された日で、第六次神罰戦が終結した日じゃねーか。
 香港における、魔法的な大きな節目の記念日ってわけだ。
 この年この月この日は、神罰戦の最後行われた大規模風水のおかげで特別に膨大な魔法の力が香港に満ちている。その魔力の道を通じて、私はこの時代に不時着したってわけだ。
 で、本来なら私は香港にある電気製品と通信ネットワークを媒介に物理世界に留まるはずだった。でも想定外の事態が起きた。

 電気製品や通信ネットワークよりもずっと、私が物理世界に顕現するのに相応しい電子機器が、香港の近く日本に存在していた、ということだな。
 それは、霊的、精神的に私と同じチャンネルを持つ長谷川千雨という『電子ネットワーク機器』だ。演算器は脳。ネットワークは神経を伝わる微弱な電気。
 情報精霊は人間を電子機器として認識することが本来できないが、私達は相性が良すぎて繋がってしまったのだろう。

 簡単に言うと、「長谷川千雨ちゃん(8)の身体がとおーっても居心地いいのでー、ちうったら無意識のうちにこの子に取り憑いちゃいましたー。てへ(><)ミ☆」

 許せ。許せこの時代の私。
 ファンタジーやSFといったサブカルチャーが大好きだけど、現実にそういった架空の要素が登場するのが大嫌いな女の子だということは、誰よりも私が知っている。
 日常系萌え四コマのようなだらだらとした平穏を好む小さな女の子だとということは、誰よりも私が知っている。
 だから許してくれ。
 精霊歴数時間の私には、どうやればこの相性良すぎる楽園ボディから抜け出せばいいか、ちっともわからねえ。

 長谷川千雨。あんたの『現実』は、過去を変えたいという私の『現実』の都合で、これ以上ないほど崩壊してしまった。
 許せ。
 わざとじゃなかったんだ。







 しかしなんつーかまあ、私にとって都合の良いことがこうも重なったもんだ。
 1997年といえば民間向けのインターネット草創期。魔法使い達に電子精霊の存在が重要視され始めた時期だ。
 そして『完全なる世界』の残党達の活動が小康状態にある時期。……高畑先生が残党狩りに魔法世界のあちこちを飛び回ってるころだろーな。

 魔法世界の崩壊が本格的に騒がれるようになる時期よりも少し遠い。魔界のやつらの計算だと2012年に崩壊するはずなんだっけか?
 『完全なる世界』が最期の大暴れをするのが2003年。ネギ先生率いる『白き翼』が魔法世界に進出した年であり、神楽坂のやつが生け贄にささげられることが決まった年でもある。私が変えなければならない一年だ。
 猶予は6年。その間に、ネギ先生の代替案に代わるさらなる代替案を用意しなければならない。用意した。後は期限到達までにそれを実現させなければならない。さらに、フェイトのヤツに頼らず『完全なる世界』を説得しなければならない。
 厳しいが、やるしかない。

 でも私にとって都合の良いことが重なっている。
 魔法世界に対する影響力が強い麻帆良の地にどうにかして辿り着くことが、私の最初の課題だった。
 精霊は世界のあらゆる場所に偏在する。とはいえ、確固たる個を保持して物理世界に影響を与えるには、誰かに魔法で召喚してもらうか、最上位精霊レベルの高い遺伝詞を持つ必要がある。
 魔法召喚は無理。電脳世界を漂うのがお仕事な電子精霊がどうやれば物理世界に召喚して貰えるというのか。MITの神戸兄妹のAI実体化技術を魔法使いが取り入れようとしない限り無理。で、そんな機会は2003年までに訪れねえっつーの。超のやつはやりそうだが。

 あー、全部超に任せてしまうのが正解な気がするなークソ。私が過去に飛んできたこの時間軸に超がやってくるとは思えねーが。
 こっちに来る前にネギ先生はちゃんと振った。振ったが、あの私に対する愛が重いネギ先生から、子孫として超が生まれるかというと……厳しいなあ!
 もう全部忘れてネギ先生と結婚するのが正解だった気がするぞ。
 まあ、忘れようがないんだが。忘れようがない。卒業式に神楽坂の姿がなかった“あの日”のことは忘れようがない。畜生め。

 この時代の神楽坂はどういう子なんだろうな。
 アスナ姫の記憶を封じて神楽坂明日菜としての表層人格が生まれてそう年月は経っていないはずだ。何年だ。二、三年くらいか?
 あの馬鹿で明るい神楽坂と、人形みたいなアスナ姫の中間みたいな状態になってるのか? それとも最初から神楽坂はああだったのか? どういう子だろうな。

 ――知らない人。誰?

 うん。言われなくてもわかってるよ長谷川千雨。
 対人恐怖症で赤面症の私が、この時代の神楽坂を知らないことくらいわかってるっつーの。
 同じ本校女子初等部なのにな。それが中等部三年の夏休みが開始されるまでほとんど会話もしたことなかったんだ。

 ……いや、夏休みに突入して、同じ『白き翼』のメンバーになって魔法世界に行った後も、突入後すぐにばらばらになって、再開したと思ったらすぐに替え玉に代わって、気がついたら囚われのお姫様ポジションにいた。結局私と神楽坂は魔法世界で数回しか言葉を交わさなかった。
 あ、なんかすごい悲しくなってきた。ダメじゃねーか私。全然あいつと仲良くないじゃねーか。この時代の私どころか今の私だって神楽坂をよく知らないじゃねーか。
 それなのに、あいつが犠牲になった事実が納得できなくて、人間を捨てて過去までやってきたのか私は。なんなんだ私は。馬鹿か私は。泣くぞ。あ、とっくの昔に自分がむなしくなって泣いてたわ。
 いいんだよ。全部自分のためにやってるんだよ。友情なんかじゃねえよ。納得できる現実で生きたいだけだっつーの。

 閑話休題。

 召喚が無理な以上、私が麻帆良に辿り着くには、自力で物理世界に光子とか使って顕現して、えっちらおっちら日本の埼玉までやってこなければならなかったわけだ。
 香港から麻帆良までの距離は問題ではない。インターネットで繋がっていれば物理的な距離は無視できる。
 しかしやっかいなのが麻帆良学園都市を覆う学園結界だ。私は麻帆良で魔法生徒をやっていたわけではないので『力の王笏』伝手の情報だが、学園結界の中では高位の妖怪や霊などの存在は動けなくなるらしい。あの伝説の吸血鬼エヴァンジェリンですら、学園結界の力によって魔力を抑えつけられ、単なる十歳幼女に格を落とされていたというのだ。

 物理世界で自立して動く上位精霊の私が、物理的に真っ正面から麻帆良に行こうとしたらどうなるか。高い詞階と強い結界が膨大な反発力を生み出し、私ははじき飛ばされて海の彼方へシュポーンだ。
 まほネットを通じて学園内のネットワークの奥底に入り込み、そこを基点に麻帆良内で顕現しようとしたらどうなるか。出現した途端結界の圧力に耐えきれず、ぐしゃり、だ。
 私は世界の魔力に結びついた精霊なのでいくら潰されても死にはしないが、精神衛生上よろしくない事態が起きるのは確かだ。あ、やべ。今の私、この世界とちゃんと結びついてねえや。時間を渡ってきたからなぁ。七部衆が復活したらちゃんとしておかないと。

 私が麻帆良に行くために用意していたプランは、電子精霊群を統率しての学園結界ハッキングだったが、どうやら都合のいいことにそれが必要ないらしい。

 今、私の霊的(アストラル)世界における本体は、世界の時虚遺伝詞が流れる星の奥底にあるようだ。風水途中下車をしたばかりだから。そして、今こうして麻帆良の物理世界に顕現しているのは、私の元人間としてのごくごく薄い精神遺伝詞のみ。ざっと二万詞階ってところだ。
 仕組みはチャネリング。許せ長谷川千雨(8)。あんたの尊い『現実』の犠牲によって私は麻帆良に存在できている。
 後はどうにかして学園長クラスのお偉いさんと面会する機会を作って、私の定住を許可してもらおう。理由は「電子精霊の麻帆良内における領域拡大のため」あたりでいいか。
 これからの情報化社会を考えると、否が応でも麻帆良の魔法使い達は電子精霊の力を借りなくてはならなくなる。コンピュータと通信ネットワークから生まれた新米精霊の電子の精霊達は一筋縄ではいかないぜぇ、魔法使い。
 何せ情報から生まれる魔力の霊的存在だ。やつらは超人間くさいぞ。だからこそ人間の私が精霊に昇格できたんだが。

 とにかく長谷川千雨(8)の協力は不可欠だな。許せ。
 魔法先生の元まで私を連れて行ってもらう必要がある。あれ、この時期の魔法先生って誰だ。知らんぞ。
 つーか私は魔法生徒じゃなかったから、魔法を知ってからの時期の魔法先生も知らんぞ。うん、学園長に直接アタックだな。
 この時期の学園長室ってどこだろうなぁ。学園内を直接見て回るという名目で、学園長室は数年ごとに場所が変わるからなぁ。

 遠い場所だと八歳児の身じゃちと辛いぞ。麻帆良学園は広いからな。
 埼玉県麻帆良市丸ごと一つを子供向けの学園都市にしてるっつー、ちょっと現実離れした場所だ。学園都市っていえば基本は大学が集まってできるんだが。

 ――ネオサイタマ。

 ん? どうした長谷川千雨(8)の記憶っぽいもの。意識の方はぐーすか寝ているぞ。

 ――ネオサイタマ。マホラ・シティ。

 うん?
 なんだこれ。なにかおかしいぞ。すまん、意識。ちょっと記憶を見せて貰う。

 麻帆良学園都市。
 ネオサイタマ/マホラ・シティ。

 麻帆良学園本校女子初等部。
 ネオサイタマ/マホラ・シティ/トコシマ地区。

 本校女子初等部児童寮。
 ネオサイタマ/マホラ・シティ/トコシマ地区。

 ……うん? なんだこれ。

 ネオサイタマ。
 世界大戦後、東京湾を埋め立てて作られた日本の首都。関東地方を広くカバーする都市である。
 長谷川千雨(8)はしゃかいかが苦手なので、ネオサイタマのマホラ・シティにある学園長室の場所がわからない。

 うん!? あいえええ!?

「ネオサイタマ!? ネオサイタマなんで!?」

 どこだここー!?

(うるせー! 朝食まで寝かせろや!)

「アッハイ」

 変な精霊が勝手に身体を間借りしててすいません。



→続くかどうかわからない



[35457] 【ネタ】逆行物の導入を終えたのになぜか迷子になった野良精霊の動揺を書いてみた
Name: Leni◆d69b6a62 ID:a70c25d7
Date: 2012/10/15 15:26

 結論から言おう。私は時間移動に失敗した。
 香港の傷ついた時虚遺伝詞の治療。その風水を予定より早く途中で切り上げての途中下車。下車先は過去のどこかの時代、ではなくどこかの並行世界だったらしい。
 何がどうなってこうなったのか全くわからないが、事実なので受け入れるしかない。そもそも、時虚遺伝詞を人の身で扱おうとすることが元から無理があったのだ。気がついていない些細なミスで時虚の果てに放り投げられても何もおかしくはなかった。そういったリスクを承知した上での時間移動だ。そしてそのリスクが見事に降りかかったというだけのことだ。

 時虚遺伝詞から私という存在が弾かれた末に辿り着いたのが、このとある世界の1997年7月1日であるっぽい。
 幼い頃の私が住む麻帆良学園都市。しかしそれが存在するのは埼玉県ではなくネオサイタマという聞き覚えのない場所だ。

 あせった私はプライバシーやら何やらを無視して、長谷川千雨(8)の脳内を繋がったチャンネル経由で電子精霊の力を使って閲覧した。
 すると、出るわ出るわ聞き覚えのない場所、もの、知識。

 ここは“本来の私”がいた時間軸とは違う、別の世界であるようだった。
 並行世界。パラレルワールド。
 それは量子力学や宇宙論などの科学で存在が示唆されており、世界各地の魔法分野で存在が確認されている『時の精霊』達が「あるよ」と口を揃えて言う概念だ。

 ある時を境に二つに分岐する世界。朝食に白米を選ぶかパンを選ぶかで分岐する世界。ささいな量子のゆらぎで分岐する世界。
 その存在は、私も「ある」と確信をもって言えるものだ。

 私は、自分が生きる世界を『ネギ先生が神楽坂を火星開発の生け贄にしない』世界に変えるために、世界のありとあらゆる『時間移動』に関する事件を探り過去に飛ぶ手段を探した。。
 魔法の存在しない世界では『時間移動』など鼻で笑ってしまう妄想の類でしかないが、あいにく、と言うか都合のいいことに、と言うべきか、私の住む世界は魔法の存在する世界で、『時間移動』に関する事例が世界の各所で散見されていた。

 その一つが麻帆良学園の超鈴音の存在。そしてもう一つが香港を舞台にした第五次神罰戦。
 それらの事例を見て気づくことが一つ。『タイムパラドックスは存在しない』ということだ。

 ある人物Aが過去に飛び、自分の親を殺したとする。すると、人物Aはその後生まれなくなり、人物Aが過去に飛ぶという未来がありえないことになってしまう。これがタイムパラドックス。
 しかしパラレルワールドが存在すると仮定すると、このパラドックスは無視できるようになる。人物Aが生まれた本来の世界と、人物Aによって人物Aの親が殺された改変後の世界が二つ存在することで、矛盾が生まれなくなる。

 パラレルワールドはなかなかにくい概念だ。
 時間移動者が好き勝手に歴史をいじっても概念的な制限がないという一方で、時間移動者がいくら歴史をいじったところで、移動する前の世界には一切の影響がない。
 魔法を使えば過去に向かって時を渡ることは不可能ではない。“実現は不可能”とされているが、実際に時間停止などの時の精霊の力を引き出す魔法や魔法道具は存在し、世界の奥底には時虚遺伝詞が存在する。
 不可能ではない。不可能ではないはずなのに、実際に時を渡る人間がほとんどいないのは、このパラレルワールドの概念のせいだ。歴史を変えても元の世界に影響がないというなら、過去に向かう時間移動の意味が失われてしまう。過去に行くことそのものが目的の場合は事情が異なるが。

 これが、『世界は常に最新の情報だけを宿し、そこに存在する人物の過去など参照しない。ゆえにタイムパラドックスは起きない』とかだったら、時間移動への挑戦者は山ほど生まれ、魔法と科学の発展する未来にはどこかの漫画で見たようなタイムパトロールが生まれたりするのだろう。が、あいにく世界はそんなに都合良く作られてはいないようだ。
 そんな都合の良くない世界で過去に向かって時間移動をするなど、よっぽどの天才かよっぽどの馬鹿くらいだ。

 よっぽどの天才は超で、よっぽどの馬鹿は私だ。
 超ほどの天才がパラレルワールドの存在に気づいていないはずがなく、それでもあえて過去を変えに来たというのだから“改変された世界”と“改変される前の世界”を重ね合わせるだとかそんな滅茶苦茶な手法をとったりできるのだろうと見ている。
 で、私はよっぽどの馬鹿だ。
 大好きな――ああ、もうこの世界にはいないから正直にぶっちゃけて――大好きなネギ先生が仲間の神楽坂を犠牲に人々を助けたという世界が嫌で嫌でしょうがなくなって、私はその世界から逃げて過去を変えようと思った。“改変される前の世界”なんてどうでもよくて、私が生きる世界が私にとって厳しくなければ後はどうでも良かった。

 クソ、私も大概愛が重いな。
 神楽坂を犠牲にしたネギ先生を否定するんじゃなくて、神楽坂を犠牲にせざるを得なかった世界を否定しているんだからな。

 まあそんなわけでパラレルワールドというものがこの世には存在する。
 そして私はどうやらパラレルワールドに迷い込んでしまったようだ。

 ネオサイタマ。ネオサイタマってなんだそれ。宿主の記憶に問いかけてみたところ、日本の首都だそうだ。
 東京はどこにいったと記憶を辿ってみれば、『東京は世界大戦前の日本の首都。現在のネオサイタマ』であるそうだ。
 少なくとも元の世界とは第二次世界大戦より以前に分岐した世界っぽい。

 他にどんな部分が元の世界と違うか記憶を辿ろうとしたが、そこは小学三年生。世界の地理や歴史なんて全然詳しくなかった。
 かわりに身近な麻帆良の日常を探ってみたところで、パラレルっぷりに私は驚いた。
 麻帆良学園都市は魔法使いの都市である。町中には魔法世界人である獣人や亜人が普通に出歩いていて、他にも魔界出身の魔族や天界出身の天使がちらほらといる。
 この世界では魔法の存在は一切隠されていないらしい。

 いや、考えてみればそこまで驚くようなことでもないのか。
 私の居た世界でも、火星開発を行う途中で魔法の存在を世界に公にした。魔法世界の人々を救うという火星開発の本来の理由。それを地球の全ての人々に知らせて、事業を本格化させた。人道という名目で多くの人々の心を動かすことができ、見たことも聞いたこともない世界の人のために働くなんてという人には魔法技術の益を見せつけた。
 この世界でも、魔法の存在を公にするだけの理由が何かあったのだろう。
 ……いや、この場合、元の世界で『魔法の存在を秘密にするだけの理由』が何かあったと言うべきか。なんで魔法の存在がひた隠しにされていたのか私は知らん。

 さて、私は過去に飛び、歴史を変えようとしていた。ネギ先生が神楽坂を火星開発の礎にした世界を否定しようとしていた。
 そこに何の意味はないというのは、パラレルワールドの存在を知ったときから理解していたことだ。過去を変えても世界が違うので、元の世界には何の影響もない。でもそれでも私はよかった。
 要は、私の生きる現実が私にとって優しければそれでいいのだ。自己中心的な理由だ。だが自分の意志で時間を渡ろうとする人間なんてそんなものだ。超に破れたネギ先生と私達が時間を渡って、学園祭の最終日を改変したのも自己中心的なエゴでしかない。

 過去に飛んだ私は、ネギ先生が火星開発計画を発案しないですむよう世界を動かすつもりだった。
 しかしまあなんだ。この世界ではどうもそんなことをする必要があまりなさそうじゃないかと長谷川千雨(8)の記憶を見て思った。
 世界に魔法が公開されている。それはつまり、魔法世界の存在が地球人にとって周知の事実であることの証明で、“魔法世界の外に出られない”はずの獣人系の魔法世界人が地球にやってこれるくらいには身近な存在であるということ。
 “魔法世界と魔法世界人は作り物でしかない”というのはこの時期の魔法界ではトップシークレットだが、魔法世界人が普通に地球の日常に溶け込んでいるということはその辺クリアされているんじゃねーかと思う次第で。

 つまりだ。私が偶然迷い込んだこのパラレルワールドは、過去を改変するでもなく私にとって都合の良い優しい世界なのではないかと。
 大好きな、ああ、正直に白状して大好きなネギ先生が、億の人間のために1の人間を生け贄にささげないで済みそうな、優しい世界じゃないか。
 目的は果たされた。過去には飛べなかったが、飛んだ先は神楽坂を犠牲にしなくても元気にやっていけそうな良い世界だ。私の現実にするには相応しい世界じゃないか。

 だというのに。
 何が気にくわないんだお前は。
 おい、長谷川千雨(8)。
 なんでお前はこの世界をそんなに嫌っている。







「くあっ……」

 “私”が目を覚まし、目を開ける。瞬きを数回して、ぼーっと天井を眺める。そして、思考がゆっくりと始まって、掛け布団をよけた。
 ゆっくりと上体を起こして、ぐっと背筋を伸ばした。

『おはよう』

 念話を飛ばす。対象は“私”。今の私は“私”にチャンネルが同調しているので、自分の放った念話が自分に届く感覚に不快感を覚える。が、ここは我慢だ。
 過去を変えるために無理にこの身体に留まり麻帆良に居続ける必要はなくなったが、この“私”を置いて、はいさようならというわけにはいかない。

「……?」

 “私”は目をこすって左右を見渡した。起きて早々朝の挨拶をされるとは思っていなかったのだろう。

(……ダレだ? あいつが帰ってるとは思えねーが)

 “私”の思考。
 あいつというのは部屋の同居人だろう。
 児童寮は基本一人部屋というのがない。初等部の子供に一人で生活させるなんて無理があるからな。生活面ではなく精神面で。
 どこも二人部屋か三人部屋だ。
 でも、この“私”が私と同じ人生を送ってきたのなら、中等部を卒業するまで寮には同居人がいないことになる。
 仲の良い同居人がいるなら、赤面症で対人恐怖症は中等部に上がる前に治っていただろう。が、どうやらこの“私”も過去の私と同じであるらしく、さっと伊達メガネをかけて挨拶の主と精神の壁を作った。
 まあこれに対してはとやかく言うつもりはない。私自身、結構歳を取るまで赤面症は治らなかったからな。対人恐怖症は生涯治らなかった。

『おはよう。ああ、周りを見ても誰もいない。これは夢だからな』

 夢。
 ありえない常識に囚われている“私”に語りかけるために、この状況が夢だと錯覚させる。騙す。

「夢?」

 言葉を返したのは“私”じゃない。私だ。勝手に身体を操って反復させてもらった。
 この言葉自体には特に意味はない。必要なのは声を出すこと。遺伝詞を声に乗せること。その声を媒介に風水(チューン)。
 部屋の空間を風水でぽやっとしたものに変える。ちょっとした演出だ。この状況を夢と思わせやすいように部屋に入り込む朝の光を少し遮って不思議空間にしてみただけだ。ざっと四百詞階。“私”の身体に負担のかからない軽い風水だ。

「ん……」

 “私”はごしごしと伊達メガネの下の目をこすった。いきなり周囲がぽやっとしたのだから目がかすんだと反射的に手が動いたんだろう。
 でも、目の錯覚ではないのでこすっても変わりはしない。

『私は電子の精霊ちう。訳あって君の元にやってきた魔法の精霊だ』

「でんしのせーれー」

(せーれー……せいれい? まほうのせいれい……あああれかー。でんしってなんだ……でんし、でんし……?)

『私は電子の精霊。家電製品やテレビ、ラジオ、電話といった通信に宿る精霊だ』

(でんし……電子か)

 うお、頭良いぞ“私”。
 あー、この歳でもパソコンとかは詳しいんだっけな。さすがにネットには触れてないだろうが。
 この時代はまだブロードバンド普及前で、電話代のかかるネットは小学生じゃ手を出せない代物だ。それでも電子機器には強い関心を寄せていたはずだ。

「電子のせいれいが私に何の用だ。せいれいにお世話になるような生活はおくってねーぞ」

(クソ……さいあくなユメだ。いきなり魔法のせいれいが出てくるとか……)

 うわー、マジで嫌われてるぞ魔法。夢なんだからフィクション世界を楽しむくらいいいだろうに。
 ……無理か。この“私”にとってはフィクションの魔法すらも唾棄すべき非常識なのかもな。

『私はこことは違う世界からやってきた精霊だ。宿のない野良精霊。野良犬や野良猫みてーなもんと思ってくれていい』

 とりあえず、自己紹介だ。
 “私”に私を受け入れてもらう。嘘は言わない。常識から外れていよーが、私を私のまま受け入れてもらう。
 全てはそこからだ

「野良せいれいって……アホか。私をひろってくださいとか町中でかい主もとめてダンボールにでも入ってんのか」

『いや、もう拾ってもらった。長谷川千雨、あんたに。許可される前にあんたの身体を間借りした』

 そう念話で伝えて、千雨の体を動かし、目の前で手をふらふらと振った。

「おいいい!? 何かってに人の体に使ってんだ!? 悪霊か! 悪霊なのか! せいれいじゃなくて悪霊なのか!?」

『別に取り憑いてないから安心しろ。悪い霊じゃない。これはだな……チャネリングって言ってわかるか? チャネリング』

「しらねーよ」

(ちゃねりんぐ……? ちゃね……ちゃねるりんぐ……ちゃねるいんぐ……ちゃねる? チャンネル?)

 おー。小学三年生の割には洞察力いいんじゃねーか千雨。
 いや、自画自賛かこれ。……自画自賛になるのか?

『チャンネルって言えばわかるか。テレビやラジオのチャンネルだ。ラジオの周波数を合わせたら音が聞こえるあれだ』

(なるほどチャンネルか……いやだからなんだっていうんだが)

『私、精霊ちうがラジオ局だ。ちうは1000の周波数の電波を送る。で、千雨、あんたがラジオだ。チャンネルのつまみが1000になってる。生まれつきな。だから私と繋がってる』

「…………」

 無言だ。でも、思考は無言じゃない。
 なんでそこで私はチャンネル1000になってるんだよクソがとかそういった思考だ。

『私はこことは違う世界からやってきた。魔法世界でも魔界でも天界でもない。そうだな、現実世界とでも言っておくか』

「ゲンジツって、ここがゲンジツじゃないみたいだな。あ、夢か」

 まあ夢と思わせているが、そうじゃない。

『私のいた現実世界には魔法がない。人型ロボットを動かせるような科学力がない。魔法世界なんて別世界がない。だから動物の耳が生えた人間も、動物の頭をした人間も、羽の生えた人間もいない』

「……ははっ」

 千雨が笑った。

「そりゃ確かにゲンジツだ。わたしのいる場所よりずっとゲンジツだ」







 私の借宿である八歳の長谷川千雨は、子供の頃の私と全く同じ人間だった。
 親も同じ、経歴も同じ、送ってきた人生も同じ、考えることも同じ。
 漫画好き、小説好き、アニメ好き。でも、フィクションはフィクション、現実は現実。現実はフィクションみたいなとんでもない設定など一つもなくて、ただ平和で平凡で平穏であればそれでいい。それが正しい。

 魔法なんて現実には存在しない。
 ロボットが人に紛れて生活しているなんてありえない。
 同級生にどうみても年上の人や、幼稚園児としか思えない子が混じっていることなんてない。
 交換留学を行っているわけでもないのに異様に留学生が多いクラスなんてあるはずがない。
 ましてや子供が担任を務めるなんてまずあるはずがない。
 フィクションがノンフィクションの領域を侵すことはない。

 そんな子供の頃の私が持っていた常識を、あろうことかこの世界の長谷川千雨も持っていた。

 おかしい。どう考えてもおかしい。
 だって、この世界は魔法が実在する世界なんだぞ。
 いや、私のいた世界も魔法が実在していたが、隠されていた。でもこの世界は魔法が公に広まっている世界だ。なにせ実際に本人の記憶を読んで確かめたからな。
 魔法世界人である獣人亜人の存在する世界で、同年代の人間の成長具合を疑問視する方がおかしい。
 古い時代から魔力の宿った人形が動いていた世界で、ロボットが人に紛れているのを疑問視するのはおかしい。
 魔法が世界に浸透しているのに、魔法の存在を否定するのはどう考えてもおかしい。

 長谷川千雨(8)の中には、相反する二つの常識が同時に存在していた。
 そしてこの幼い私は、“魔法が存在しない”常識を自分の常識として捕らえていた。

 この小さな私は、世界でたった一人だけ常識の外に置き去りにされて泣いていた。
 麻帆良の日常に馴染めなかった子供の頃の私を思い出す。確かに、私も小さな頃はこの子と同じような状況にいた。
 でも、私がその“現実的”な常識を得るのに至ったのは、本やテレビ、ネットといった“現実側”の情報源があったからだ。
 麻帆良に馴染めなかったのは、麻帆良がそんな現実的な世界の常識から明らかに浮いていたから。
 でも、魔法が広まり、魔法世界人が隣人として存在するこちらの世界では、麻帆良はちっとも浮いていない。馴染んでいる。これ以上ないほど世界に馴染んでいる。世界樹の聖地に作られた魔法の学園。何も変なところはない。
 しかし、この幼い私はそんな麻帆良の日常をありえないものとして嫌っていた。

 この子に一体何が起きているのか。
 わからない。記憶を辿るだけではわからない。でも、放ってはおけない。
 だって、私だ。世界が違うとはいえ私なんだぞ。そしてその抱えている悩みの辛さは、実際に経験したから知っている。辛いよな。わかるぞその悩み。

 ……いや、本当はきっと私でもわからないくらい辛いんだろう。私に悩みらしい悩みがなかったのは偽ザジ・レイニーデイのアーティファクトが証明済みだ。
 “自分の一番望む甘美な現実の世界に捕らわれる”という同年代の誰もがかかった彼女の幻術に、私はかからなかった。曰く、私はリア充だと。人生充実してたんじゃないかと。
 確かになぁ。私、3-Aのヤツラのことを非常識だと思いつつも、その仲の良いクラスメイト達を傍観者視点で眺めて楽しんでいたし、非常識に巻き込まれて受けるストレスも完璧に発散できていた。だからこそ卒業式の日に神楽坂がいなかったのが辛くて仕方がなかったんだが。

 でもこいつは違う。リア充なんかじゃない。
 自分の常識の全てが世界そのものに否定されていて、矛盾する二つの常識にすりつぶされそうになっている。

 どうする。どうする私。
 きまってんだろ。こいつが私な以上、どうにかしてやらなきゃいけねえだろうが。
 私以外の誰が私を助けるっていうんだ。







「そりゃ確かにゲンジツだ。わたしのいる場所よりずっとゲンジツだ」

 ……すれてんなぁ。本当に小学三年生かこいつは。
 千雨を救ってやれんのかね私に。こいつが私な以上、捨てるって選択肢は存在しないが。

「あれ? じゃあなんでゲンジツに魔法のせいれいがいるんだよ。ふざけんな」

 気にくわない、という口調で千雨が言う。思考もふざけんな、で埋まる。
 理想の現実世界に魔法の精霊なんて異物が居るのが許せない、と。

『1997年の現実世界には魔法がなかった。正確には魔法の存在が隠されていた。みんなの常識では魔法は存在しないとされていた。でも実際には存在した』

「…………」

『魔法は隠されていた。世界に住むみんなは魔法がないと思っていた。その世界にいる長谷川千雨も魔法なんてないと思っていた』

「……あ? わたし?」

『そう、その世界のあんただ。そして、その世界の千雨は魔法なんてないと思ったまま歳を取った。魔法がないと思ったまま中学三年生にまでなった』

「そりゃ……」

(いい世界だな、ちくしょう)

 心底うらやましそうに千雨は心の中でつぶやいた。

『その世界ではずっと魔法が隠されるはずだった。でも、隠しているわけにはいかなくなった。だから、ある日魔法が隠されなくなった』

「最悪だな」

『ああ、魔法のない現実世界では最悪だ。でも、隠したままじゃ12億という人の命が消えることになったから、隠されなくなった。結果、12億の人達は助かった』

「12億人じゃしょうがねーな……ちっ」

 うわ、舌打ちしやがった。
 12億だぞ。私も12億の犠牲に神楽坂が使われたのが気にくわないから人のこと言えねーんだが。

「で?」

 舌打ちした千雨は、話を促す。

「で、魔法なんてないと思ってたわたしはどうなった?」

 ここで出てくるのが自分な当たりいかにも私らしいな。
 まあそう思うように私の存在を挿入したんだが。

『魔法使いになった』

「はあ!?」

(わたしが? 魔法使いに? バカにしてんのかこいつ)

『長谷川千雨は魔法の存在を知った後も魔法使いになろうとはしなかった。魔法使い達の戦いに巻き込まれても、魔法を覚えようとしなかった』

「あたりまえだろ」

 当たり前かねぇ。あの激動の魔法世界の数ヶ月を思うと、魔法を覚えないなんて正気を疑う所業なんだが。
 アーティファクトも一切身を守るのにつかえねーし。
 あれか? ネギ先生か? ネギ先生が守ってくれるって言ったからそれを信じたのか? ぐわ、なんか中学生時代の私にのろけられた気分だこれ。

『でも、ある日魔法を使わなきゃどうしようもない現実に直面した。自分には受け入れがたい現実。でもそれが魔法を使えば解決できることだった。さて、あんたならどうする?』

「…………」

『この世界のあんたに当てはめるとするなら、そうだな。魔法のない、魔法世界のない、魔法世界人のいない、発達しすぎた科学のない、常識的で平穏で平凡な現実を、魔法を使うだけで手に入れられるとしたら、どうする?』

「そりゃあ……」

(使う……いや、でも魔法でそれを手に入れるのはどーなんだおい)

『不思議なスイッチを一つ押すだけでそんな現実に行けるとしたらどうする』

「押す」

 即答かよ。不思議なスイッチもフィクションの世界全開だってーのに。
 まあそのあたりが長谷川千雨(8)の想像力の限界なのか。

『その世界の長谷川千雨にとって不思議なスイッチが魔法だったのさ。自分には受け入れがたい現実から逃げるために魔法を覚えた。そして電子の精霊になった』

「……あ?」

『電子の精霊になって、世界を渡った。なにしろ現実世界は受け入れられがたい現実で世界が成り立っていたからな。そして偶然この世界にやってきた』

「はあ?」

『さっきチャンネルの話をしたよな? あんたのチャンネルは1000。生まれつきな。じゃあなんで電子の精霊である私のチャンネルが1000なんだ。電子の精霊が長谷川千雨だからだ』

「いや、ちょ、おまえ、急に話とびすぎだ」

『飛んでねーよ。長谷川千雨は現実逃避したかった。だから魔法を覚えた。覚えた魔法で精霊になって世界から逃げた。逃げた先で長谷川千雨がもう一人いた。だからチャンネルが繋がった。そんだけだ』

「…………」

(いやわかんねーよ。わけわかんねー。今日の夢はふっとびすぎだろ)

 わかってもらえなかった。
 泣きたい。小学三年生なんて子供とまともに会話するのなんてこれが初めてだから、正直話の噛み砕き方なんてわからねえっつーの。
 ああ、こんなときは子供時代のネギ先生の天才っぷりがいかに良いものだったかがよくわかる。子供は、苦手だ。
 くそ、どうすっかな。

『……ちょっと身体借りるぞ』

「あ? って、んぐ……」

(ぎゃー!? なんだ!? あばばばばからだがうごかねー)

「夢の中なんだから金縛りくらい普通にあるぞ」

(っててめーなにかってにひとのからだつかってんだおらー!)

「まあそう言うな、すぐ終わる」

 そう言い、ベッドに座ったままだった身体を勝手に起こし、部屋を歩く。記憶を検索。机の二番目の引き出しか。
 記憶の通りに机に向かい、引き出しを開ける。

(ちょ、なにやってんのおまえ!?)

「別にプライバシー覗こうってわけじゃねーよ」

(ぷ、ぷらいばし?)

 横文字は苦手なようだ。
 と、あったあった。魔法練習用の杖。勝手に拝借して手に握りこむ。
 魔法が世界に広まっている世界の麻帆良学園は、魔法の習得が必修授業の一つにあるようだ。
 まあ、魔法の聖地だからな。とはいえ魔法学校とは違いそこまで厳しくは内容だが。低学年のうちはじっくり時間をかけて『火よ灯れ』とか、『風よ』とかの超入門魔法を覚えるだけっぽいが。ちなみにこの千雨はその授業が大の苦手、というか大嫌いなようだ。
 だがすまんな。勝手に借りるぞ。

「エゴ・エレクトリゥム・レーグノー」

(しどうキー!?)

 と、さすが麻帆良の小学生。杖を持って始動キーを唱えただけで、私が魔法を使おうということに気づいたようだ。
 でも私の使うのは麻帆良で一般的な西洋魔法じゃない。始動キーを基点に、室内の電化製品のことごとくをハック。その演算力を使って魔法式を構築。魔力は千雨に宿っている私から精霊の力を徴収。

「『精霊召喚』」

 使う魔法は、自分自身の召喚。効力は微少。世界の奥深くにいる私の本体からごくごくわずから分だけ力を抽出。光子を編むことによって物理世界に私の姿を顕現させる。

(――っ!?)

 それでも、精霊を召喚したという事態に千雨は驚愕したようだ。まあ普通の精霊じゃなくて上位精霊だしなぁ。千雨の身体越しに自分自身の霊格の高さがわずかに伝わってくる。

「身体返すぞ……って、ぐわっ」

 唐突に私に身体を返還された千雨がふらふらと身体をゆらす。
 その様子に苦笑しつつ、私は召喚された光子のボディに意識を向ける。うーん、意識を飛ばすことはできないようだ。なんというか、ラジコン操作? そんな感じで光子の精霊の姿を操作する。
 見た目の設定。光子の発光量を抑えて、視認できやすくする。素っ裸の姿が見えたので、光子を編み直してこの世界に来る直前の服に着替えさせる。
 ホンコン・ヤードの制服だ。香港洞に忍び込みやすくするため着ていた服だ。半精霊から精霊に昇華したときに全て消し飛んだが。……あれ? もしかして時間移動の直前って私素っ裸だったのか? うわ、ネギ先生に裸見られたのかうわ。

「……誰だ?」

 と、それかけた思考を千雨の声で引き戻される。

『私だ。長谷川千雨だ。電子の精霊ちうでもいいぞ』

 精霊の私にポーズを取らせる。ネットアイドルとして洗練されたカメラ向けの決めポーズだ。うむ、完璧。

「……おばさんじゃん」

 うわー、はっきり言うなぁ。
 それ相手によってはすごい傷つくからやめておけよ。

『長谷川千雨、36歳、独身だ』

 見た目は二十代だけどな!

「36才でドクシンって……」

 それ私でも傷つくからやめれよ!
 逃したよ! 結婚のチャンス逃したよ! 目の前で結婚してくださいって言われて逃げてきたよ! 悪いかコラ!

『……まあそういうわけで、話にすると短いが、魔法を覚えてからここにやってくるまではいろいろあったんだ』

「36才なのにゲンジツからにげたんだな」

『そうですね! はいそうです! でも忘れんなよ、私は長谷川千雨だ。お前も道を間違えればこういう末路に……』

「ならねーよ。いい男つかまえてけっこんするし。いいおよめさんになるし。てめーとちがってふつうの家庭をもつのが夢だ」

『いい男は捕まえてましたー。結婚しなかっただけですー。結婚だけが女の幸せじゃねーんだよ!』

「おばさんはみんなそういうんだよ……」

 むがー!
 …………。
 ガキ相手になにやってんだ私は

『まあそんなわけで、電子の精霊ちうは長谷川千雨で、チャンネルがたまたま合ってあんたの精神とちょっと繋がっている状態なんだ。それが言いたかった』

「36才ドクシンババァがわたしとか手のこんだいやがらせか! 夢にしたってげんどがあるぞ!」

『見た目は精霊になった二十代で止まってるっつーの。それによくみろお母さんに似て美人だろーが』

「んー? うん? まあにてるちゃあにてるが」

『よろこべ、お前の未来は美人だ』

「自分でいうなよ……」

 まあそうは言うがな。私の美人さはISSDA特別顧問だったころに出回った写真の数々で、世界の人達が保証してくれたんだぞ。
 「リアルちうたんツリ目可愛い」「メガネっこ! メガネっこ!」「フォトショ加工して……ないだと……」と騒がれて無駄に私の自尊心を満たしてくれた。半精霊化する前は3-Aのナチュラル美人どもと違って肌の劣化と戦う日々だったけどな。

『まあそういうわけだ』

「どういうわけだ」

 返答する前に私の姿が消える。召喚の時間切れだ。
 それを確認した千雨は、はーっと大きなため息をつくと、ふらふらと部屋を歩く。そして、伊達メガネを外しベッドにぼふっと身体を投げ出した。

(……夢なのにすっげーつかれた)

 もふもふとベッドの中で暴れる千雨。
 まあ、わからんでもない。こんな小さな子に一度にここまでいろんなことを告げるのは我ながらどうかと思う。
 しかし、こうでもしないと始まらない。どうしてこちらの世界の私は、こんな境遇にいるのか。それを理解するには千雨にまず自分自身を打ち明ける必要がある。だから。

『なあ、千雨』

「まだつづくのこれ!?」

『ああ、もう夢は終わりだ。だけど、残念なお知らせがある』

 そう告げて、私は今この時までずっと続けていた風水を終了させる。
 ベッドに突っ伏している千雨にはわからないが、周囲のぽやっとした空間が溶けて、窓から朝日が差し込むようになる。

『これは夢じゃない。現実だ』

「はあ!?」

 がばっとベッドから身を起こす千雨。
 鮮明な視界が、夢ではないことをはっきりと自覚させるだろう。

「は? はあ……?」

 ぱくぱくと口を開けて呆然とする千雨。本来なら、身を起こした時点で今までの記憶を夢と断じて忘れてしまうことができただろう。でも、今の千雨は私とずっと会話をしたせいでばっちり“目が覚めている”。全部夢だと切捨てるには、意識がはっきりしすぎている。

 魔法のある現実を嫌うまだ八歳の小さな私には、受け入れがたい事態かもしれない。
 でも、ここには千雨の味方はいない。千雨の常識を肯定してくれる“常識的”な人間なんて一人もいない。両親は遠く海外で仕事中で頼れる人は居ない。だから私が私自身を助けるしかない。

『起きろ。受け入れられないかもしれないが、これはくそったれな現実だ。魔法の無かった世界から電子の精霊ちうがやってきたのは紛れもない現実だ。急げ、時間だ』

「なんの時間だよ!」

 これはくそったれな現実だ。だから、心を鬼にして言わなくちゃいけない。

『着替えろ。顔洗え。髪とかせ。寮の朝食に遅れるぞ“おひとりさま”』

「せいれいのくせにせわやきだな!? おまえはわたしのおかーさんか!」

『おかーさんじゃねーけど、まあ本人なんだから血の繋がった家族みてーなもんだ。ちうおねえさまって呼んでいいぞ』

「だれがよぶか! ってああもう! こんらんしてわけわかんねー!」

『じゃあ代わりに準備して食堂までいってやろーか? 野良精霊だが宿を借りてる礼にそれくらいはする』

「いらねえよ!」

 我ながら口悪いなぁ、子供の私。
 文句を口と思考に垂れ流しつつも朝の準備を始めた千雨の順応性の高さに感心しつつ、会話をやめた私は意識の置くに引っ込みひとまずの成功に安堵した。

 千雨とは時間をかけて打ち解けるしか手はない。正直、記憶をあさっても、なぜ千雨のこの常識が形成されたのか答えは見えてこない。まずは最低限千雨と対等に会話できるくらいにならないと、どうしようもない。
 自分の中に居座れるのが嫌と言われたら、身体から出ていって麻帆良への再入場の方法も検討しなくちゃいけなくなる。
 他人のことならどうでもいいと放っておけるが、これは正真正銘長谷川千雨の問題だ。放っておけはしない。

 ままならねーな、現実。少しは私に優しくしてくれてもいいんだぞ。



[35457] 導入ですでに話の目的が達成されて書くことがなくなった第四話
Name: Leni◆d69b6a62 ID:df6b2349
Date: 2014/07/17 16:00

「せっかくの夏休み前に悪霊にとりつかれるとか、マジでついてねぇ……」

 私との会話で完全に目が覚めた千雨は食堂での食事を終え、制服に着替え、初等部の校舎へと向かっていた。
 中等部や高等部は学園校舎の集まった中央地区から離れた住宅街に寮があるが、本校初等部の寮は校舎のすぐ隣。初等部は全寮制じゃないため寮を小さく作れるからだ。よって寮の児童達は全員徒歩通学だ。
 1997年7月1日。曜日は火曜。引きこもりで月も曜日も無関係状態だった私と違い、宿主の千雨は小学生として登校しなければならん。

 ちなみに今日この日、前の世界の香港では中国への領土返還が行われ、魔法世界へのゲートを巡る一大事件が起きているはずだった。
 この世界での香港がどうなったのかは知らん。児童寮の食堂にはテレビがないし、部屋でも朝から情報番組を見るという習慣が千雨にはないようなので確認しようがねーんだ。テレビの電波を受信できるほどの力が、今の私にはないようだし。
 千雨に取り憑いているこの私は、あくまで意識のある分霊のようなもの。
 私の一千八百万詞階(オクターブ)を誇る本体は、意識が抜けた状態で精霊の住処である霊的(アストラル)世界にて眠りについている。

『悪霊じゃなくて善良な類の精霊だっつーの』

 人間に害をもたらす精霊なんてのもいるが、私はそういうことをするつもりはない。

『守護霊みたいなもんだ。宿してると良いことあるぞ』

 例えば電化製品を性能以上に扱えるだとか。
 人の身の回りにある電化製品は、雷の精霊ではなく電子の精霊が己の存在を確立されるなわばりにしているのだ。なお変電所や電気ケーブルあたりは雷の精霊のなわばりだったりする。

「勝手に話しかけてくる時点でうざい騒霊だっつーの」

 う、騒霊(ポルターガイスト)って言われたら否定できねーな、私の家電精霊としての力……。

 などとやりとりをしながら、千雨は校門をくぐり、校舎に入って上靴に履き替える。
 初等部の全生徒の一割以上が入寮しているはずの児童寮から出たのに、隣を歩く友達はいない。
 まあこんなもんだ。幼い頃の長谷川千雨というヤツは。この世界でも相違はなさそうだ。

 ゆっくりとした足取りで廊下を歩く千雨。その横を、はしゃいだ児童達の集団が駆け抜けていく。
 廊下は走るなと教師に叱られそうな光景だが、まー小学生ならこんなもんか。

 ちなみに女の子の制服は、夏用の白のセーラーワンピース。背中には勿論赤のランドセル。
 男の子は白のセーラ襟の上着にショートパンツ。ランドセルの色は黒。
 本校初等部の制服はやっぱり可愛いな。
 ただ、男子は六年生くらいになると成長が早い奴がたまにいて、少し奇妙な装いになることもあるが。本校の初等部は中等部と違って女子校と男子校に分かれていないので、私が初等部だった頃はそういう姿をよく目にした。

 千雨は階段を登り二階にある教室の引き戸に手をかける。三年一組。
 私が初等部三年のときの組はどうだったかな。さすがに覚えていない。
 精霊化して脳という物質的な記憶装置から解放されたため記憶力は抜群になったはずだが、人間だったときの記憶のインデックスはろくに整理がされていねーようだ。本体に戻ったら要デフラグ。

 と、私がそんなことを考えているところに、千雨開けた戸の向こうから大声が響いてきた。

「なまいきですわ! なまいきですわ!」

 子供の甲高い声。教室の児童のもんだろう。

「そうやって……すぐ怒るところがエセレディ……」

「ムキーッ! ぶったおしますわ!」

 喧嘩か言い争いか。
 千雨が教室内で騒いでいる子達に視線を向ける。

 おや、こいつらは――。

「私に喧嘩でかなうはずない。ガキ」

「何よぉー! このチビ!!」

 おそらくだが神楽坂明日菜と雪広あやかだ。
 私の知る彼女達の姿や声よりもはるかに幼いが、とても似ている。
 私が前の世界で彼女達を最後に見たのは神楽坂が中学生三年の夏、雪広が三十台の頃の姿だった。
 一応、記憶の中に初等部時代の姿もおぼろげながら残っている。どうしても目立つ奴らなので、初等部の頃にも何度か同じクラスになったことを覚えている。

(今日もアスナひめのまわりはうっせーなぁ)

 千雨が頭の中でぼやく。登校中に、思考を強くすれば喋らなくても私に言葉が伝わる、と説明したのでこうやって千雨は頭の中で話しかけてくる。
 いや、今のは強く思ったただの愚痴か。

『明日菜姫?』

 そして私は、千雨の愚痴らしき言葉に思わず反応した。
 私が同じ初等部だったころは、神楽坂にそんなあだ名はなかった。『姫』という呼び方が非常に気になる。

『あの子は明日菜姫って言うのか』

(ああ、いや。あいつはアスナ・ウェスペリーナ・なんちゃら。わく星アクアのおひめさまだな)

 アスナ・ウェスペリーナ。
 神楽坂のヤツの本名だったはずだ。
 前の世界で神楽坂の奴が偽名を使って生活していたのは、人に追われているという事情から記憶を封じて別人になりすましたからだ。
 それがこの世界では本名のままで、姫ということも隠していないようだった。なんとも平和なことだ。
 ただ、一つ気になることが。

『……惑星アクアって何だ』

 またよう知らん単語が出てきやがった。

(え、しらねーのアクア)

『聞いたこともねぇ』

 惑星アクア、お姫様。
 この二つの単語の組み合わせで、おおよそどういうことか予想できることはできるが……。

(すいきんちかもくどってんかいめいってしってるか?)

『太陽から近い順に惑星を並べた一覧だな。ただし冥王星は惑星じゃねー』

(え、セーラープルートってわく星じゃなかったん?)

 セーラープルートて……。
 いやまあものの覚え方が私らしいっちゃ私らしいんだけど。

『私の来た未来だと、実はかなり小さい星だって判明してて惑星扱いされなくなった』

(なるほどなー。未来人っぽいこと始めて言ったなお前)

 うるせーよ。

『で、アクアはどうした』

(おーそうだ。わく星アクアは地球からいちばん近いわく星のことだ。ちかもくだから火星だな)

 ……やっぱりか。

(火星、知ってるか?)

『ああ知ってる』

 嫌と言うほどな。
 私のいた世界の火星には魔法で作られた幻想世界がある。だが、火星は魔力を生み出す生命が存在しない、荒野の地。魔力は万物に宿るが、生み出すことができるのは生命だけなのだ。そのせいで魔法世界は火星の自然から魔力を供給されずに魔力不足に陥り、滅亡の危機に瀕していた。
 神楽坂明日菜は、そんな魔法世界にあった小国ウェスペルタティアの王族で、百歳を越えるという姫君だった。

(火星の外国でのよびかたが水のわく星アクアだ。お父さんとお母さんもそこではたらいてる)

 その言葉と同時に、千雨の脳内で短い歌が流れた。
 テレビCMで流れている惑星アクアの観光テーマソングらしい。

 ……えーと。私の知ってる火星と違う。
 そもそもうちの両親は、火星でなんて働いていない。魔法関係者じゃなかったから魔法世界にすらいねぇ。
 そういえば今朝こいつから読み取った表層記憶だと、両親は海外で働いているとかあったな。
 ネオ・ヴェネツィアだとかいうからイタリアにでもいるのかと思ったんだが。ちなみに魔法世界にネオ・ヴェネツィアなどという地域や都市はないはずだ。
 それとだ、一つ気になる単語が。

『水の惑星か……』

(そうだなー。わく星のほとんどが海だから水のわく星)

 マジで意味わかんねえ。
 関東一帯が大都市ネオサイタマだと知ったとき並の意味不明さだ。

『こっちの魔法世界は海だらけなのか』

(あ? いや、アクアが海だらけだから、りくの多いまほう世界に人がすんでんだろ?)

 あー、マジでどうなってんだこの世界。

 ――その後、千雨と情報のやりとりをして判明したことがいくつか。
 まず、この世界の火星はすでに人が住める状態になっている。
 いつからかは知らないらしいが、少なくともここ数年ということではないらしい。

 私の知る火星というのは、一面の岩石に覆われた海の存在しない惑星というものだった。少なくとも2025年時点では大気が地球と同じ成分になったまでであり、気温はまだ地球の動植物の大半が入植できる状態になく、水も少ない。
 ただし膨大な量の氷が極冠部の地中に存在していて、テラフォーミングを進めることで氷が溶け出し火星に小規模ながら海ができあがることがISSDAの調査で判明していた。

 そしてこの世界での魔法世界。私がいた前の世界と同じようにこの世界でも、魔法世界は火星上を基点とする魔法で作られた幻想世界として存在している。
 地球から現実世界の火星――惑星アクアに行くには、宇宙を飛んでいくのではなくゲートを使って魔法世界を経由する必要があるとのことだ。
 ちなみにこの世界の地球の上空には透明なフタのようなものが存在し、今の地球人類は火星はおろか月にすらいけねーんだとか。千雨が言うには「世界大戦でドイツがげんしばくだんを使ったせい」らしい。

 うーん。こりゃすげー。
 魔法の存在が公になっているどころではなかった。この世界は、あまりにも前の世界と違いが多すぎる。
 いったい歴史のどこで分岐した世界なんだ、ここは。
 なんていうか、とても素晴らしい世界じゃねぇか。

『うん、永住してみっかな』

(出ていかねーつもりか!?)

 あ、千雨の身体に永住する気はさすがにねーよ?






(高校の校舎ってすげーでかいのな)

『つーか小学校が子供向けに特別小さく作られてんだ。階段とか小さくしねーと低学年のガキじゃまともに使えねぇだろ?』

(そんなもんか)

 日の高いうちに授業が終わった放課後。千雨は高等部の校舎の中にいた。
 私の今後のため、教師に相談して学園長と会わせて貰うよう頼んでくれと千雨に頼んだのが始まり。しかし千雨は教師から学園長の居場所だけ聞き出し、一人で学園長室まで向かいだしたのだ。
 何故一人で、と聞いたら、先生を間にはさむと学園長なんてお偉いさん、いつ会えるかわかりゃしねぇから、だそうな。
 なんてアグレッシブな。
 だが非常に理に適っている。
 ここは単なる学校の連なる場所じゃない。学園都市そして関東魔法協会という巨大な一大組織の内部なのだ。
 初等部の教師という末端に相談したところで、迅速に対応がなされるとは限らない。下手すればたらい回し。そんなことに時間を取られるくらいなら直接乗り込んだ方が良いと判断したんだろう。自分のことながら聡いガキだ。

 この時期の学園長室は麻帆良学園本校女子高等部にあるらしい。
 ……女子校かぁ。
 私が中等部にいた頃の学園長室は本校女子中等部にあった。行動部にいたころは本校女子高等部にあった。理由は孫の近衛木乃香がいるからだと思っていたのだが、この分だと学園長室の場所は女子校優先で決めているかもしれねぇ。

 来客用の大きなスリッパでぺたぺたと廊下を進む千雨。
 どうやら授業中のようで、初等部の制服姿の千雨が見咎められることはなかった。小学生と高校生では全授業終了までの時間の差はかなり大きい。
 ちなみに千雨は学園長室の場所を知らない。
 校舎に入ったときにエントランスに校舎の見取り図がなく呆然としていた。仕方ないので私が進む方向を指示してやっている。
 私が高等部にいた頃の学園長室の場所ならわかる。ただし未来の話で別の世界の話でもあるが。

 だが幸いなことに、私の記憶と同じ場所に学園長室はあったようだ。
 アポなしの来訪なので実際に学園長がいるかはわからんが。

「フォッ!?」

 ノックもせずに学園長室に乗り込んだ千雨に、部屋の中から驚きの声があがった。
 良かった。いたようだ。
 突然やってきた小さなお客さんを白髪の老人、学園長はじっと見つめる。だが千雨のヤツはその視線に臆さず、学園長が座るデスクまでずんずんと歩み寄っていった。なんだこのクソ度胸。
 仕事中であっただろう学園長は、ゆっくりと立ち上がると、黒く塗られた高級そうな木製デスクを迂回して千雨の前に立つ。
 千雨が足を止めると、学園長は膝を折り千雨に視線の高さを合わせた。

「儂になにかご用かな?」

 そう優しく告げる学園長。
 すげえ。突然他校の生徒がノックもせずにやってきたというのに、頭ごなしに叱ろうとせずまずは話を聞こうとする。なんつーかこう、子供を扱い慣れている。

「がくえんちょうせんせー、相談があります」

「ほうほう、なにかな」

「悪霊にとりつかれたので、はらってください」

 ちょっ、何いってんだこのガキ。
 千雨の突然の言葉に目を鋭くする学園長。その瞳には魔法的な光が宿っている。

「ふうむ、たしかに何かが憑いているようじゃが、悪霊のようなものには見えないのう。むしろ精霊のような良きものに見える」

 そう言葉を返すと、折っていた膝を持ち上げ、すっと背を伸ばす学園長。

「ただ実際に見てみんことにはのう。軽く追い出してみせよう」

『おい千雨、身体ちょっと借りるぞ』

「ちょっ」

 私は千雨の身体を掌握すると、ポケットに入れて貰っていた練習用の魔法の杖を取り出す。

「その必要はありません。今実体化させますので」

 口を借りて学園長に伝えると、魔法の杖を振り上げて本日二度目の擬似魔法行使をする。
 力はデスクの上にある電話機から借りる。電話は良い。電話線に繋がっているから、他の電子精霊の力を借りられやすいんだ。

「『精霊召喚』」

 学園の結界にひっかからないぎりぎりの量だけ、霊的世界から私の一部を降臨させる。
 姿は前と同じく、人間の頃の私を模している。

『どーも。悪霊もとい、電子の精霊だ』

 突然の魔法に一瞬で距離を取った学園長に挨拶をする。挨拶は大事だ。

「うむ。どうも。麻帆良学園の学園長をしている近衛と申す」

 学園長が挨拶を返してくる。
 ネオサイタマの麻帆良学園学園長は、前の世界と同じく近衛の性を持つようだ。
 見た目も、前の世界の学園長近衛近右衛門と全く同じ。白髪白眉白髭の老人で、後頭部は妖怪ぬらりひょんのように出っ張っている。
 学園長はさっと私の姿を確認すると――

「……本当に精霊のようだの。それも高位の」

 そう判断を下した。
 西洋魔法の使い手は、精霊と密接な関わりを持つ。西洋魔法は精霊や妖精の力を借りるものが大半であるからだ。そして彼は前世界で西洋魔法使いの集団、関東魔法協会の長だった。
 なので、見ただけで精霊と他の超自然的存在との区別が付くのだ。

「ただ何の精霊かいまいちわからんのう。電気を使う機械に宿る精霊に似ているようじゃが、違う」

『まあそうだろうな。とりあえず私の話を聞いてくれねーか』

 私は精霊体の姿をちかちかと点滅させながらそう話を切り出した。







『私はつい最近生まれたばかりの精霊だ。電子の精霊って知ってるか?』

「ふむ。雷の精霊から分化した弱い電気に宿る精霊じゃな。電気を使う機械や電話線に多くいるんじゃったか」

『そうそうそんな感じだ。ただ、いまどきの電子の精霊ってのはコンピュータと通信ネットワークに宿る精霊だ』

 家電製品に使われる一昔前の電子回路よりも、電子演算器に使われる電子回路の方が多くの電子精霊が宿りやすい。
 霊的世界から物質世界に精霊が出てくるには、0と1の情報の複雑なやりとりが大きいほど都合が良い。活火山を火の精霊王が住処にしていたり、大河に水の龍が宿っていたりするのと同じだ。“消費電力”は電子の精霊には関わってこない。雷の精霊の領分だからだ。

『今のコンピュータやネットワークは電子を使って計算だとか通信だとかをしてるんだけどな。でも、近い未来、電子ではなく量子っつー概念を使うようになるんだ。私はそんな電子と光量子を司る精霊として、時代を先駆けて生まれた情報精霊だ』

 私の解説にふむふむと返す学園長。説明ちゃんとわかってんのかな。

『そんな最先端の精霊だからな。日本みたいに発達した文明圏が活動場所として必要だ。あと当然だけど精霊だから魔力が満ちあふれている場所が居心地いいんだ』

「じゃから、その両方を満たす麻帆良の地までやってきて――」

『そうそう麻帆良ってばあのでっかい木があんだろ? 霊場として最適でなー』

「――その子に取り憑いたと?」

 一瞬剣呑とした表情を見せた学園長に、私は慌てて言葉を返す。

『あ、あー、わざと取り憑いたわけじゃねーよ!? 私、生まれは香港なんだが、最初は外からちゃんと訪ねようと思ってたんだ』

 そう、時間を遡ったらまずは麻帆良を活動の拠点にする予定だったんだ。
 私は麻帆良と香港しかろくに住んだことがなくて、超みたいに歴史を改変するためには麻帆良にいる必要がありそうだったからだ。

『だけど、この子との相性が余りにも良くてここに顕現しちまったんだよ。他に住処が出来たらちゃんと出て行くぞ』

「ふむ……」

 私の言葉に頷きだけ返す学園長。そして、私の精霊体から視線をはずし、千雨へと視線を向け腰を折って彼女へと話しかけた。

「君、名前と学校のクラス名を教えてくれるかな?」

「長谷川千雨だ、です。本校女子初等部。三年一組」

「なるほど。ありがとう」

 そう言葉を返すと、学園長は部屋の中をゆっくりと歩き、壁に備え付けられた書籍棚の前に立つ。
 そして、棚から分厚いファイルバインダーを一つ取り出すと、ぺらぺらとバインダーをめくる。
 ファイルをふむふむと読みこむこと一分ほど。学園長はバインダーを棚に戻し、こちらへと戻ってきた。

「なるほどなるほど」

 そう言いながら長いあごひげをさする学園長。

「確かに長谷川君はチャネラーの素質があるようじゃの」

「え、はつみみ……」

 学園長の言葉を聞き、ぼそりと千雨が呟いた。
 待て、私も初耳だぞ。

「夢の中で知らないはずの遠くの景色を見たり、突然未来の出来事を知ったり、ここではない世界の様子を幻視したり……そんな経験をしたそうじゃの」

「あ、はい」

「それは、人には聞こえないはずの神様や妖精達の会話を聞く、チャネリングという力なんじゃよ。チャネリングができる者をチャネラーと呼ぶんじゃ」

 あごひげを右手で弄びながら、学園長が説明する。
 チャネラーかー……。少なくとも前の世界の私にはそんな力はなかった。
 千雨がそうなのは、生まれつきなのか、はたまた外的要因が存在するのか。

「とりあえず精霊殿、今言ったとおりその子のチャネリングで引き寄せられた可能性が高い。じゃが人間というものは精霊を宿し続けるにはどうしてもストレスっちゅうもんがあっての。できれば他の物に宿り直して欲しい。うちには工学科や工学大があるから場所には困らんはずだ」

『あー、それがなー。私の力の強さだと結界がきつくて――』

 私と学園長の会話は続く。
 学園長に、高位の妖魔を封じる学園結界が邪魔だとせつせつと訴えると、では麻帆良から出て行くわけにはいかないのかと言われる。実際、世界樹――神木・蟠桃を住処にしたがっている他の高位精霊達も、あくまで根のある地下部に留まって地上に出ないようにしてもらっていると。
 だが私も言い負けるわけにはいかねぇ。私は麻帆良大工学部と麻帆良工大の名を上げて、いかに地上が電子精霊にとって素晴らしい場所かを語る。そして電子精霊がいかに人間の役に立つかアピールする。
 電子精霊は他の精霊達と違い人間の文明から生まれた精霊だ。人間の生活と共にいるのが自然であり、さらなる文明の発展には電子精霊を使役するのが必要不可欠だ。人間と密接な関係にあるというのは、精霊を使う西洋魔法使いにとっていかに有用であるかも忘れずにプッシュしておく。
 そんなやりとりが十数分続いた。

「おぬし、まるで人間みたいに話すのう……。精霊じゃのに」

『電子精霊は人間の生活から生まれた精霊つってんだろ。会話が成り立って当然だ』

 私の手下である電子精霊七部衆も始めて会ったときからめちゃくちゃ語学堪能だった。
 しかもあいつら、人間の飯を普通に食うグルメだ。今の私も飯を食おうとすれば食える。全て魔力に変換できるのだ。
 そう。人間くさい電子精霊が麻帆良の地に定住すると、一部の人間の娯楽を彼らも嗜むのだ。そこまでできるのはある程度力のあるやつに限るが、娯楽を楽しむ住民が増える。そこに経済活動が発生して都市が潤うというものだ。しかも電子精霊は人間に害をなさない善良な精霊。開国は益しか生み出しませーん。開国してくださーい。

「ふむむ、わかったわかった。人が言うことならあしらっておったが、仮にも高位精霊からの提案じゃからな……」

 お。さすが西洋魔法の達人。
 精霊の天恵というものがいかなるものかよくわかっていらっしゃる。
 まー私は元人間だから、嘘をついたり人間の害になることをしたりもできるんだけどな。

「では、精霊殿本人に働いて貰うとしよう。電子精霊が住む霊域をこの麻帆良の地に作って欲しい」







「なあ、なんでお前が未来のわたしだってこと話さなかったんだ」

 学園長室からの帰り、ミニマムサイズに身体を縮小させて頭の上に乗る私に、千雨が声で話しかけてきた。

『別に話す必要はねーだろ? それで何か得をするわけでもあるまいし』

 人間とは違う精霊の知覚を楽しみながら、私は答えを返す。
 ずっと精霊体を出していたことで慣れてきた私は、千雨の身体から五感を精霊体の方に飛ばせるようになっていた。
 あー自由に身体を動かせるって便利。意識があるのに別の人が身体を動かしているって、かなり奇妙な感覚だからなー。

「でもわたしには話した」

『だってお前は私だからな』

「そんなもんか」

『そんなもんだ』

 別に学園長にも私の正体を明かしてしまっても構わなかったんだけどな。明かしても隠しても、私はたいして困らない。
 なにせ、今の私にはこれといった目的や目標がないのだから。

 本来ならば。私は魔法世界を救うために全力で動くはずだった。
 ネギ先生の手で神楽坂明日菜を生け贄に捧げるというクソったれな現実を全否定してやるつもりだった。
 それがなんだ。この世界じゃすでに火星は人の住める星になっているというじゃねーか。

 魔法世界の崩壊はおそらく起きない。
 まだ千雨に話を聞いただけで確証を得ているわけじゃねぇが、「火星に直接人が乗り込める」という状況は「人類が火星を開闢できるまでの時間を神楽坂を生け贄にして稼ぐ」という仲間を犠牲にする必要性を見事に撃ち壊してくれている。
 火星一面が海なせいで生命が足りんとかいうなら、十年くらいかけて魚と海草を大移植してやればいいだけだ。

 ちょっと世界が違いすぎるが、ここは私が過去に飛んでまで欲しかった素晴らしい現実というやつに違いない。
 目的は達成された。私の目的は「あの世界の過去を変えること」じゃねぇからな。パラレルワールドという概念がある以上、気にくわん過去を時間改変で完全に消し去ることはできない。これでいいんだ、これで。
 さて、これからどうするかな。

 一応、予定はある。学園長に取り付けてきたものだ。
 学園結界を調整して、私のような電子精霊が麻帆良内の電子機器に顕現できるようにする作業。
 そして、麻帆良を電子精霊の住処とする対価として、学園長から世界で流行りつつあるコンピュータネットワークを麻帆良内で整備するために助言と協力をして欲しいと言われている。

「はあ、あと数ヶ月は取り憑かれたままか……」

 落胆する千雨。まあこれは仕方ない。
 麻帆良学園の結界は、この都市の防衛の要だ。この結界の中では、力の強い妖魔が封じられてしまう。
 精霊の中にも悪しきものはいるから、私のような現実に強い影響を与えられる高位精霊は降臨できないんだ。
 今の私はチャネラー千雨のおかげで入り込めているが、他の電子機器に乗り移ったりすることが今の環境下ではできねーんだ。
 エヴァンジェリンのヤツみたいに肉の身体があるなら力が抑えられるだけで普通に活動できるんだが、あいにく精霊には実体というものが存在しない。


 その結界の調整を行うのは今日明日中にというわけにはいかないと、学園長は話していた。
 電子精霊という魔法界隈ではまだ情報が少ない存在の定義を結界に組み込まなければならんし、なにより結界を一度停止させる必要がある。
 結界を張り続けるために必要な魔力は、都市内の電力を変換することでまかなわれている。結界の調整を行うには都市を一時的に停電させなければならん。
 結界の停電メンテナンスは年二回で、次回は十月だそうだ。前の世界の麻帆良と同じだ。

 追加メンテナンスの予定を入れるにも、都市全体の停電というのがネックとなり一週間や二週間での臨時追加はほぼ不可能。なにしろ停電は四時間にも及ぶのだ。
 そんなわけでしばらくは千雨の身体を借宿とすることにした。
 学園長からは心身に与えるストレスの影響を口が酸っぱくなるほど言われ、脳内に住むのではなくできるだけ精霊体の姿でいるよう言われている。千雨本人の前だからかはっきり言わなかったが、おそらく身体の外に出ているように見せかけることで、精神負担を抑える狙いがあるんだろう。

 ま、本気で嫌がれば身体から出て行って麻帆良の外で過ごすけどな。
 生け贄阻止という目標がなくなった以上、そもそも私は麻帆良に留まる理由がないんだ。自由な光子の情報精霊として世界のネットワークを漂っていてもいい。
 ただ、それでも私は学園長の前で麻帆良に留まることをこだわった。
 気になるんだ。チャネラーだというこの世界の私が。千雨がこの世界でちゃんとやっていけてるか心配なんだ。

『まー、そう嘆くなよ』

「うるせー! だれのせいだと思ってやがる! わたしどう考えてもまきこまれただけだぞ!」

『アルバイトだと思えばいいんだよ』

「バイトォ?」

 私の言葉に千雨はいぶかしんだ。

『結界の調整と並行して、私は都市内のネットの環境を整備することになる。聞いてただろ』

「ああ。こむずしくて何いってんだかわかんなかったけどな」

『都市規模のネットワーク環境整備の責任者になるんだ。当然、機器の発注もある程度私に任されることになるだろうな』

 頭にクエスチョンマークを浮かべながら千雨は私の話を聞く。
 小三には少し小難しい話だろう。私と学園長の会話もほとんど聞き流していたようだし。

『そこでだ。軒先を借りている迷惑料として、お前に最新式のパソコンとネット回線を用意してやるよ』

「は?」

 私が告げた提案に、ぽかんとした顔をする千雨。精霊の視覚は、頭上からでも相手の顔を見ることができる。不思議だ。

『パソコンをプレゼントしてやるって言ってんの』

「えっと……それわたしでもつかえんの? パソコンってむずかしいんだろ」

『最近のは難しくねぇぞ』

 今は1997年。この世界が前の世界と違うとは言っても、GUIのすぐれたOSはさすがに登場しているはずだ。
 魔法がある分、ハードウェアはより使いやすく進化しているかもな。2035年のパソコンパーツは世界の新技術である魔法がふんだんに採用されていた。

 しかしなんだなぁ。私が千雨の歳の頃は、パソコンが欲しくて欲しくてたまらなかったもんだけどな。
 チャネリング能力があるっていうし、どれだけ私と違うんだろうか。魔法がない世界が正常、なんてこいつが思っているのも、チャネリングで平行世界の情報を受信してしまっているかもなー。

 よし、せっかくだ。過去の私がパソコンを手に入れてどれだけ素晴らしい生活を送ったか、こいつに教えてやるとしよう。
 華々しいネットアイドルとしての人生を教え込んでやる。
 くくく、知っているぞ。私は今朝はっきりと目撃した。お前の寮の自室の本棚が、漫画とSF小説とラノベでびっしりだったのを。

『なあ千雨、コスプレって興味あるか?』

 この世界でも、ちうのホームページが生まれるかもしれねーな。
 そんな悪魔の囁きを私は開始した。してやった。




[35457] この主人公は魔改造なのか351時間目の順当なアフターなのか(クロスもあるよ)なその五
Name: Leni◆d69b6a62 ID:df6b2349
Date: 2014/07/19 00:40

 この世界にやってきてから三日が経過した。
 私は『精霊召喚』の長時間維持で小さな実体を作り、千雨の周囲を漂って過ごしていた。
 そんな私の姿のせいで始めは周りの子供達に注目され、千雨は迷惑そうにクラスメイト達をあしらっていた。
 しかしここは魔法が世界に知れ渡っている世界。そして西洋魔法使い達の本拠地、関東魔法協会のお膝元だ。低位の精霊を呼び出すくらいならば初歩の魔法でもできる。私はそこまで珍しい存在ではない。
 そんなわけでお披露目三日目の今日では、すでにクラスメイト達の興味が私から外れていた。
 千雨の周りには誰も残っていない。千雨のヤツも友達の一人くらい作っても問題ねぇのにな。

 そんな初等部の学校風景。
 ちょうど今は「まほう」の授業の真っ最中だ。
 そう、この世界の初等部は授業に魔法の習得実習が含まれていた。時間割的には体育の授業よりいくらか少ないくらいだ。麻帆良独自のカリキュラムだろうか。

「プラクテ・ビギ・ナル。玉よ動けー」

 授業の内容は、魔法実習室のテーブルの上に用意された小さなゴムまりを初歩魔法で動かそうというもの。
 五人で一班を作り、一人ずつ順番に魔法をかけていく。
 同じ練習用の初歩魔法である発火と違って危険がない魔法だが、一時間ぶっつずけでやり続けるには魔力の消耗が厳しいので交代制になっているんだろう。

 まわりの様子を見ていると、魔法の発動に失敗しゴムまりがぴくりとも動かないという光景がちらほら見られる。
 西洋魔法っつーのは、術理の知識が一切無くても正しい呪文さえ唱えれば魔法を使えるという特徴がある反面、初歩魔法であっても使えるようになるまでがそこそこ長いという特徴がある。
 毎日練習をしても最初の発動までに数ヶ月かかることもあるので、このカリキュラムだと三年生で使える子は確かに少ないだろうな。
 水泳の授業みたいなもんか。泳ぎを覚えさせるが、課程修了までに泳げない子がいても構わねぇっつー。

 と、そんなことを考えているうちに千雨の番がはじめてまわってきた。
 千雨は普段私が携帯させている練習用の杖を軽く握った。寮の引き出しに入っていたこれだが、この授業で使うための杖だったわけだ。

「プラクテ・ビギ・ナル」

 始動キーを唱える千雨。このキーは初心者が使う共通のものだ。
 本格的に魔法を学ぶようになると自分専用の専用始動キーを使うようになるんだが、授業でやってる程度ならみんな共通キーを使うだろう。ちなみにネギ先生は魔法学校を卒業したときに専用始動キーを考えたんだとか。遅えよ。

「玉よ動け」

 呪文を唱え終わると同時、テーブルの上のゴムまりがふわりと宙に浮いた。

「おおー」

 一発での成功に、班員から驚きの声が上がる。そして。

「……マジか」

 千雨が一番驚いていた。
 くいっと杖を上に動かすと、ゴムまりが宙を漂う。杖の先が示す場所にゴムまりが正確に移動していた。

「すごい長谷川さん!」

「前の時間は動かなかったのに、練習したの? あ、それとも精霊さんのおかげ?」

『いや、私は別に力とか貸してねーな』

「じゃあうまくなったんだねー」

 キャッキャと班員達に囲まれる千雨。
 なんというか、体育の跳び箱で他の人が跳べないような段を飛べた子が出たみたいな反応だ。
 そして千雨は急な成功に困惑するばかりだった。

 千雨の魔法成功には実はタネがある。
 私は直接的には手を貸してない。しかし間接的には手を貸したと言えるだろう。

 この三日間。私は精霊体を維持するため、度々千雨の身体を借りて情報魔法の行使をしていた。西洋魔法をエミュレートした『精霊召喚』だ。
 そのせいか、千雨の身体は、魔法を行使するために必要な体質へと急激に変わっていった。
 毎日走っていたら自然と体力が身につくように。千雨が知らぬうちに、彼女の身体は魔法使いとして作り替えられていた。当然悪いことじゃねぇ。
 魂と言うべき千雨の精神は実際に魔法を使っていないので、非魔法使いのそれのままだが、初歩魔法を成功させる分には身体だけで十分だった。
 そんなわけで千雨は練習という労力を払わずに、西洋魔法を使えるようになった。

 授業は続き、その後も千雨は授業中に何度も魔法を成功させた。
 他の班員からも驚かれ、先生には褒められた。
 そして授業は終わり、千雨達は実習室を出てクラスメイト全員で教室へと向かっていた。
 千雨は元々はそこまで仲が良いわけではない班員と離れ、私に話しかけてくる。会話の内容は先ほどの授業のことだ。

『ま、良かったんじゃねえの』

ちなみに私は情報魔法を使って西洋魔法のエミュレートはできるが、西洋魔法自体は使えない。他に出来るのは風水くらいだ。無難な感想くらいしか言えねぇ。

「『まほう』のじゅぎょうってきらいだったんだけどな」

 そんなことをぼそりと言う千雨。
 だが今の千雨はどこかにやついている。
 授業でうまくいってクラスメイトにちやほやされるのは、人慣れしてなくても嬉しいもんだからな。そもそも長谷川千雨って生き物は、他人に認められることを何よりの喜びとするアイドル指向だ。

『魔法がうまくいかなかったからか?』

「うんにゃ。魔法自体がきらいだったからだ。でも今はそうでもねぇ」

『そうなのか』

「ほら、私ってチャネリングがあるんだろ? それでこのごろいろいろ考えてたんだ」

 確かに、夕方のアニメを眺めているときや、食事中などどこか上の空のことが多かった。強い思考じゃないので勝手に私の方に考えが流れてくることはなかったが。
 ちなみに私は元の世界になかったアニメを全力で楽しんだし、食事も嗜好品として寮生達に餌付け的に分けて貰っていた。元人間の精霊なんだしこれくらい楽しむのは許して欲しい。

「私が魔法とか魔法のある世界とかがきらいだったのってさ、チャネリングで見てた夢の世界がすきだったせいなんじゃねーかって。なんつーのかな。ゆめとげんじつのこんどー、みたいな」

『面白いアニメ見てて、この世界はこんなに楽しいのに現実はなんてつまんねぇんだって感じるやつだな』

「そーそー。私が見てた夢ってさ、魔法のない世界の夢なんだぜ。見終わった後はいまいち覚えてねーんだけど、その夢の中で主人公みたいなのは、すごい楽しそうにしてた」

 彼女がどんな存在から夢を受信していたのかはわからん。
 私にチャネリング能力があるわけじゃねぇから、受信を試して逆探知ってわけにもいかんしな。

「でもあんたが来てから夢を見なくなってさ。そしたら現実じゃない世界にのめりこんで、今までなにやってんだろってバカらしくなった」

 なるほどね。夢から醒めて周りをしっかり見れるようになったのか。
 夢を見なくなったのは、私が憑依していることでチャネリングの受信能力をほぼ使い切ってるせいだろうな

 立派だな、この子は。
 私は中学時代の自分を思い出した。2-A、3-Aというクラスに所属して、私は非常識なクラスメイトを見てストレスを溜めていた。
 自分の定めた常識から外れたものをひどく毛嫌いしていたんだ。周りがどうであれ、自分が平穏な生き方さえできればそれで良いというのに。
 そして今。私は『気にくわない現実』から逃避してこの世界にやってきた。現実がどうあろうとも、自分が幸せなら別に無視してりゃよかったのに。
 でも今更私は自分の生き方というものを変えられなかった。中学生活で歪み、明日菜の眠りを知って取り返しが付かないほどひねくれてしまった私だ。
 そんな私と比べると、小学三年の千雨はなんて真っ直ぐなんだろう。
 私なら夢から醒めてもずっと夢の世界を追ってしまいそうだ。

 幸せになって欲しいな。。
 この小学三年の長谷川千雨には、どうかずっと歪まないで生きてもらいたい。そんなことを私は思った。







 放課後。
 誰と会話するでもなく直で児童寮に帰宅した千雨。
 実質一人で住んでいる自室の三人部屋の扉を開けると、千雨は思わぬ光景に驚きの声を上げた。

「うわ、なんだこれ」

 パソコンである。
 OSインストール済みのメーカーパソコン。オプションとしてスピーカーとモデム付き。ディスプレイはCRT。
 二日前に千雨が寮の中にある電話機に近寄ったときに、私が電話回線をちょろっとハッキングして学園長に注文していたものだ。

『言っただろ、パソコンやるって』

「いやそうだけど、それがきのうのきょうで……」

『情報精霊的に身近にパソコンあったほうが便利なんだよ』

 それが本音である。
 なおパソコンは小三の身体には重たいので、勝手に業者の人に設置して貰った。
 この部屋ならまだ見られて困る物は置いてないだろう。

『とりあえずスイッチ付けてみ』

「……えーと、どこだ」

『ここここ』

 ミニマムサイズの精霊の身体でパソコンの四角い電源スイッチを指し示すと、千雨はおそるおそるとスイッチを押した。

 ――ぺろ。

 軽快な電子音が鳴り、ファンの音が低く鳴り響く。
 ついでにディスプレイの電源も押させ、ゲーム機と違って起動に時間がかかるので今のうちに私服に着替えろと促す。
 言われたとおりに箪笥へと向かう千雨。
 たださすがは新品と言うことか、起動にはそれほど手こずらず桜背景が表示され、すんなりとあの懐かしい起動音が鳴った。

 ――ほーんぺろーん。ほーんほーんほーんほーん……。

 突然のサウンドに着替え途中の千雨がぎょっとして振り返るが、気にするなと返しておく。
 さて、デフォルトのものではない桜が背景になっているあたり、メーカーパソコンらしく独自の初期設定がいろいろされていると予想できる。
 なので私はパソコンの中を動き回っている低位の電子精霊に呼びかけ、さっさとパソコンを掌握することにした。
 前までならアーティファクト『力の王笏』の助け無しにこんなことは出来なかったのだが、今の私は高位の情報精霊である。元の時代からすると骨董品とも言えるパソコンを支配することなどたやすい。
 このパソコンは千雨のヤツに与えたパソコンだ。しかし千雨はまだ子供で初心者。よって、私なりに彼女が使いやすいよう初期設定をしなおしてやることにした。
 こてこてのメーカーパソコンなので、どう考えても使わんメーカーソフト群を一掃。年賀状作成ソフトとかいらねーよ。プリンタないし。
 このパソコンのハードディスクから考えると、それなりの使用容量削減となったが、削除にかかった時間は全て一瞬だ。
 私は電子の精霊ではなく、もっと複合的な情報の精霊なので、ハードディスク内の磁気情報を課程を飛ばして直接いじったりもできる。
 さくっと完了。
 うーん、やればできるもんだな。まあ元々アーティファクトを介して何度もやっていたことだ。独特の感覚さえ掴めれば昔とやっていることは変わらん。

 そして服を着替え終えた千雨がパソコンの前へとやってくる。
 彼女の表情はは新しいおもちゃを前にした子供のそれだ。私ってば昔から精密機械の類は好きだからな。
 とりあえずはマウスとキーボードの使い方だ。使ったことはあるかと聞いたら。

「マウスはスーファミのMペイントでなれた。キーボードはファミリーBAシックとかいうので少しさわったことあるけど、あそび方わからんゲームだったからすぐやらなくなったな」

 おう、そんな経歴が。ファミリーBAシック使いこなしてたならパソコンは夢の箱だったろうが、さすがにあんなもん子供が一人で使いこなすもんじゃねぇな。
 だがマウス初心者じゃないってことは大きいな。パソコンのGUIってものはマウス操作が基本になっているから。
 それじゃあ開始しよう。

「これはこんな感じでな……」

 十数分ほどかけて、千雨にメーカーインストール済みのソフトウェアついて説明を進めていく。初心者向けのパソコンの使い方説明ってのは、システムの説明じゃなくてソフトの説明をまず先にして「パソコンは何が出来るか」っつーのを教えてやらんといけねー。
 パソコンはすでに私の支配下なので、マウスポインタを勝手に動かしたりして視覚的な説明ができるのが便利だ。

「なんか大人が仕事に使う道具って感じだ……」

 子供に良さが伝わってねー!!
 そりゃそうだよな。この時代のメーカー製パソコンのプリインストールソフトで子供の興味を引きそうなのって、せいぜいタイピングゲームだ。それもしょぼいやつ。
 仕方ねぇ。私はふわりと部屋の中をただようと、本棚の前で止まった。
 えいやと気合いを入れて、物質への干渉力を上げる。そして棚の中から一冊の漫画本を引き抜いた。

 ピンクダークの少年第21巻。

 前世にはなかったその単行本を両手で抱えると、床まで下りてページをぱらぱらと一気にめくった。

『デスクトップ画面にできたフォルダアイコン――黄色い四角い絵をダブルクリックしてみ』

 千雨は私の指示に従い、慣れないダブルクリックを行った。
 エクスプローラが開き、フォルダの中身が表示される。さらにフォルダの中身をダブルクリックさせると。

「お、おおお!?」

 画像ビューアーが開きピンクダークの少年のページがディスプレイ上に表示された。
 ビューアーのボタンを押すと、ページがどんどん進む。千雨は今、パソコンで漫画を閲覧していた。

『パソコンは簡単に言えばなんでもできる箱なんだぜ』

 ちなみに今千雨が見ている画像は、私が精霊の視界で単行本のページを精霊スキャンしパソコン上に送ったものだ。画像を表示しているビューアーはスキャンの最中に作った即席プログラムだ。この時代のパソコンに画像ビューアーなんてデフォルトで入ってねーからな。画像をダブルクリックしたらWEBブラウザが開きやがる。

『スキャナーって機械を使って全ページ取り込めば、パソコンでも漫画が見れるぞ』

 ……まあ綺麗なスキャンは本の解体が必要だから私はやってなかったけどな。今の時代でやるにもハードディスクの容量がネックになるし。
 2035年の世界は全ての新作漫画に電子書籍版が存在していて便利だったなぁ。早乙女ハルナのヤツが頑張ったおかげで魔法世界や月面都市にも漫画文化が浸透して、物質的な漫画本は輸送の問題で時代遅れになっていた。
 千雨の趣味で釣ることで少しはパソコンに興味を持って貰えただろうか。
 まあそれよりもインターネットだ。子供にもわかりやすいパソコンの楽しみ方っつーと、ゲーム以外だとインターネットだ。

 物理的な準備は終わっている。業者さんがモデムと電話回線をちゃんと用意してくれている。ただ、児童寮なのでこの時代最速であるISDNは用意されてない。当然のようにナローバンドである。
 回線の接続先は業者が説明書類を置いていってくれた。私はそれを見ながら千雨に指示をして、ダイヤルアップ接続を開始させた。

 ――ぴぽぱぱぽぴぴ。

 モデムから響いた突然のダイヤル音に千雨の肩が震える。
 おおこれは懐かしのダイヤルアップ接続音。過去にやってきたんだなぁという実感を今更ながらに得た。

 ――びびぎーごごごずどがぎゅーがががががが。

「うるせー!」

 部屋中に響き渡る奇妙な接続音に、千雨は耳を押さえて憤りの声を上げる。この時代にしか味わえない風物詩だというのにそんなに嫌か。
 さて、接続も終わり準備完了。
 この世界のネット事情にはまだ詳しくないんで、とりあえずブラウザを開かせる。メーカー製パソコンなのでブラウザの初期設定がされている。何もわからないときはそれに従うと良い。
 今は1997年。前の世界のネット史に習うなら、検索エンジンはすでにそれなりのものが登場しているはずだ。

 OSデフォルトのブラウザが起動すると、前の世界でも見覚えがあるポータルサイトが開いた。ここを玄関口として好きなホームページを探すのが初心者向けのインターネット利用法だ。
 この時代のこのポータルサイトはディレクトリ型検索エンジンを採用しているんで、見たいサイトをトップページのカテゴリから選んで探せる。もちろん入力フォームに文字を入力して直接探してもいい。

「いや、キーボードはやっぱりまだふあんがあるっつーか……」

 千雨は無難にマウスクリックでポータルのカテゴリを辿っていく。興味があるものを探してみろと言ったら、即アニメを選びやがった。
 そして千雨はアニメジャンルから「魔砲少女四号ちゃん」という作品を選んだ。知らないアニメだな。これだけ世界が違うんだから放送されてるアニメも違うか。
 ブラウザにずらっとホームページへのリンクが並ぶ。それを千雨は上から順番にじっくり時間をかけて閲覧していった。

「おお、おおおお……」

 二時間は経過しただろうか。次々とホームページを開いて感嘆の声をあげていた。
 ネットの初体験は未知の世界が開けるって感じですごいよなー
 今千雨は、魔砲少女四号ちゃんとやらのコスプレ画像をじっと見つめている
 私はそんな千雨を見て、他人を自分色に染め上げる黒い喜びを噛みしめていた。

 そんなときだ。

『――ちうさまー』

 電子精霊だけが感じられる電脳世界の奥深く。私を呼ぶ声が聞こえた。

『ちう様! ようやく探し当てましたー』

 精霊の聴覚に届いてくる念話。これは……数日ぶりに耳にする私の手下、情報精霊七部衆の声だ。
 電脳世界に響く念話の声はきっちり七匹分。「しらたき」「た゛いこ」「ねき゛」「ちくわふ」「こんにゃ」「はんへ゜」「きんちゃ」。七部衆勢揃いだ。

『おー、お前らちゃんとこっちこれてたか』

 時空移動の直前になって私についてくると言い出した七部衆。
 アーティファクトに宿る精霊だったのに、仮契約の破棄で世界にアーティファクトが返還されて私を主として従い続けている奇異なやつらだ。
 そんな七部衆との念話を開始する。
 こいつらが時空を彷徨いこの世界に辿り着いたのは三日前のことだ。私と同じ。当然だ。こいつらは私にくっついていたんだから。
 1997年7月1日。降り立った場所は精霊の本体が住む霊的(アストラル)世界だった。
 思わぬ時空の旅路にあぶぶあぶぶと翻弄されていた彼らだったが、虚空のかなたに消し飛ばされることなく無事まともな世界に降り立つことができてほっと胸をなで下ろした。
 と思ったら、自分達がくっついている主が、何やら霊的な身体を置き去りにして精神をどこかに飛ばしてしまっていた。
 すぐさま物質世界――地上に探しに行こうと行動を開始。するはずがそうもいかなかった。
 こいつらは情報精霊千人長。配下に有力な情報精霊を従えている。しかしそれは前の世界でのこと。新しくやってきたばかりのこいつらはただの野良精霊に成り下がっていたのだった。やるせねーな。

 それでも主のためと、七部衆は新たな配下獲得に乗り出した。野良精霊とはいってもそこは電子と光量子をつかさどる未来の高位精霊なわけで。主が好きそうな情報ネットワークに強い電子精霊を霊的世界で次々と手下に加えていった。
 そして三日後の今日未明。霊的世界に一つのコンピュータ系電子精霊の派閥ができあがっていた。
 そして地上での探索を開始。香港か麻帆良にいると当たりを付けて電話回線を探っていたところで、私に使役されたという電子精霊を発見。その情報を伝って無事私を見つけることができたというのだ。
 なるほどよく頑張ったもんだな。頼りになるぜ。

『それでちう様、いっかい霊的世界に顔見せにきてくださいー』

『あえ? んだよそれめんどくせーな。私の本体になにかあったんか』

『いえーそれがですねー。僕達の力とちう様のアストラル体を見た電子精霊達がー、ちう様を統一王としてあがめて大騒ぎになっているんス。なんとかリアクション取ってあげて下さいー』

『ええーなにそれ』

 統一王ってなんだ。そもそも2025年の未来でも、コンピュータネットワーク系の情報精霊には精霊王が存在してなかったぞ。貧弱な回線環境でも移動に困らないように、データを軽くして質よりも量でいくってタイプの精霊だから一匹に力が集中しないんだ。
 ああ、だからか? 私は人間から精霊になった口だからデータ量も魔力も無駄に大きい。
 しかたねぇなぁ。
 私は念話の向き先をマウスをいじってディスプレイに張り付いている千雨に変えた。

『おい千雨、ちょっと出かけるから身体から抜けるぞ』

「んあー」

 結構大事なことをいったつもりなんだが、返ってきたのは完全に生返事だった。







 二週間後の児童寮。そこには見事なネット廃人の姿が!
 いやー、すごい。千雨のヤツここまではまるとは。
 この部屋のネット回線は、電子精霊に必要ということで24時間繋ぎっぱなしでいいということになっている。
 個人で電話代を払うならすごい金額になってしまうが、これは麻帆良のネットワーク事業の必要経費として落ちている。なので千雨は寮にいる間、ずっとパソコンにかじりついている。
 キーボードの配列を見て目を回していた少女は、今ではフリーのタイピングゲームを使ってブラインドタッチを完全マスターするまでになっていた。
 やっぱりこいつどう見ても私だわ

 そして今日は夏休み初日。きっと朝から晩までネットに入り浸っていることだろう。

 今はちうネットというサイトで運営されているブラウザゲーム、『大江戸コレクション日本語β版』を一心不乱でプレイ中だ。
 そう、ちうネットである。
 これは私が電子精霊達に作らせた新世代ポータルサイトである。
 なぜこんなものが存在しているか。そこに至るにはちょっとした霊界の出来事を思い返す必要がある。

 二週間前、千雨の身体から意識を抜き霊的世界にある精霊としての本体に戻った私を迎えたのは、世界を埋め尽くす無数の電子精霊達だった。
 私にくっついて時間と世界を渡った光量子精霊の七部衆達、「しらたき」「た゛いこ」「ねき゛」「ちくわふ」「こんにゃ」「はんへ゜」「きんちゃ」もそこに全員いた。

 慣れない霊界でのすごい光景にめまいのような何かを感じながら、私は七部衆に話を聞いた。これはなんぞと。千人長の率いる数じゃねーだろと。

『それをご説明するにはー、まずこの世界の精霊事情から話さなきゃですー』

 曰く、電子精霊の歴史は浅く、雷の精霊から分化して誕生してからまだ120年ほどしか経っていない。
 それでも人間が世界中に電話回線を引き、さらにはインターネットの誕生で情報インフラを拡充していっているおかげで、電子精霊達の力は超マイナーな自然精霊ほどには強くなってきている。
 しかし、問題が起きた。
 人間達に電子精霊を使ったインターネット関連の西洋魔法を生み出そうという動きがあるらしい。
 人間が電子精霊を使った魔法を使うことは喜ばしい。供給される魔力の循環で電子精霊はさらに繁栄できる。
 西洋魔法使いは、精霊と契約を結び新しい魔法を作り出す。一度作り出された魔法は、契約時に定められた詠唱さえ知っていれば他の魔法使いでも使うことができる。
 だが、七部衆の参加にくだったコンピュータ及びインターネットに宿る電子精霊達の力では、人間との契約で強力な魔法を新たに作り出すことが難しいとかいうのだ。

 なるほど。
 確かに、強力な西洋魔法の呪文詠唱では、精霊王や妖精王の名がよくよく登場していた。
 高殿の王。氷の女王。女王メイヴ。炎の覇王。奈落の王。
 そういった精霊王達は太古の昔に人間と契約を交わして、力の一部貸してあげるから魔力こっちにまわせや、などと魔法を作りだした。
 で、IT系電子精霊は、強力な魔法に力を貸してもいいぜーってできるほど地力のある存在がまだ生まれていないというわけか。

 IT系魔法は大量の電子精霊を使役するという仕組みが基本だ。低位の電子精霊1000体を回線に流して、DoSアタックしてこいとかな。
 でも魔法使いが個別に1000体の精霊を操るというのはなかなかに難しい。そこで、魔法使いは1000体の精霊を従える強力な精霊一体のみを使役して、間接的に1000体の精霊を動かすという手法を取るわけだ。
 で、精霊側の事情として、1000体の精霊はいるがそれを従える強力な精霊が不足している世知辛い状況にある、と。

『そこにやってきたのが我らというわけです』

 世界に降り立ってたったの三日間で、七部衆は膨大な数の電子精霊を従えた。
 未来で培った精霊統制能力を見せたところ、こいつについていけば人間から魔力貰えるようになるんじゃね、となったIT系電子精霊が自然と集まってきたという。
 魔力の源は生命だ。だけども電子精霊が司るのは機械とネットワーク。それらは魔力を生み出せない存在だ。
 精霊は霊的な存在なので魔力があるととても嬉しい。ないと消滅するってほどじゃねぇが、あるとより活発的になれる。
 魔力の予感に惹かれて電子精霊達が七部衆の元に集ってきた。

『そこでこのこ達は王を見たのですー』

 精霊達はびっくりした。電子精霊に似たすんごい精霊が、七部衆を従えて眠っているのを目撃してしまった。
 すごい精霊の七部衆。彼らにはさらに上の親玉がいた。
 電子精霊は思った。あれって王じゃね。
 精霊王じゃね?
 あれに従えばすごいよさそうじゃね。
 王だ。
 IT系電子精霊を統べる統一王だ。
 我々の時代が来た!

 彼らが目撃したその王というのが、一千八百万の詞階(オクターブ)を持つ電子精霊の上位互換、光量子精霊の私だというのだ。
 なるほど。
 ……精霊王かぁ。さすがに私にそこまでの力はねぇぞ。
 一千八百万詞階(オクターブ)といえば、どこにでもあるような河川に宿る水龍一匹分程度の力だ。

 自然界にはものすごくありふれている存在。しかし、自然は何万何億という年数をかけて地球で形作られてきたもの。
 一方電子精霊は誕生から120年。国際電話用の海底ケーブルとかになら強力な電子精霊も何体か生まれてしていそうだが、そういったやつらはこの場にはいねぇ。いたとしても新時代のインターネット用の大魔法を物質世界で引き起こせるほど情報の蓄積がされているかどうか。
 2035年の世界ならネット系の大魔法なんてありふれていたんだがな。まあそんな未来のネットワークを知識に宿す私は、確かに珍しい精霊とも言える。

 私は霊的世界の一画を完全に埋め尽くす電子精霊達を精霊特有の視界で眺める。
 これが全て私の配下になるのか。
 精霊王。悪くないかもしれねーな。

『よーし、わかった。今日から私がてめーらの女王だ』

 そう言うや否や、電子精霊達が歓声をあげながら動き回りはじめる。
 始めは無秩序に飛び回っていたかと思ったが、やがて規則的な流れができあがり、やがて無数の精霊達は軍隊パレードのように綺麗に整列した。
 そして突如、前方にいた精霊達が一斉に念話を飛ばしをはじめた。

 ――ちーう! ちーう! ちーう! ちーう! ちーう!

 謎のちうコール。
 ノリの良いやつらである。さすが人間の文明から生まれた精霊だ。
 こんなんでもコールをしている前方のやつらは、知能を持って言語的なやりとりが成立している以上、霊格の高い上位層の電子精霊なんだよなぁ。

『で、魔法の契約ってどうすりゃいいんだ』

 ちうコールに適当に手を振り返しながら、七部衆に訊ねる私。
 一応こいつらも高位精霊として二十数年のキャリアがある。精霊としての生き方にそれなりに精通しているだろう。

『そこは僕達にお任せを』

『ちうたまとつながってますので代理契約してきますぅ』

「僕達だけで契約できれば良かったんですけどね』

『下を統率するのは得意でなんですがー肝心の力がからっきしでー』

『なにより我々データの軽さが信条なんで!』

 ……そうだよなぁ。名前入力がひらがな四文字の精霊じゃ、数より質的なパワー任せの魔法なんて契約できないよなぁ。
 電子精霊1000体を一斉制御する大魔法とかなら、こいつらと契約するのが大正解なんだろう。けど、電子精霊の特性を把握していないだろう今の人間じゃ、大魔法を作るならとりあえず強い力を持つ精霊と契約してみようって感じになってんだろう。

 ちうたまー
 ちうたまー
 わーいおうさまー

 コールをやめた無数の電子精霊達は、整列を解き今度は私のまわりを勢いよく飛び回りはじめていた。
 よっぽど王の誕生が嬉しかったんだろう。

 ちうさまー
 おうちつくってー
 おうきゅーおうきゅー

 あん? 精霊達が何かを伝えようとしているようだ。

 ちじょうにおうきゅー
 おうさまのおうちー
 ちうたまー
 おうさまー

『……翻訳!』

 また七部衆に解説を丸投げする。
 人間の言葉と違い純粋な精霊の念話なので、おおよその意図は伝わってきてたことはきてたんだが一応だ。

『これはあれですなー。人間界に精霊王の住処を作って欲しいみたいです』

『ほー、住処?』

 精霊王の住処だから王宮か。

『地球には神域や聖域などと呼ばれる自然に恵まれた場所がございますね。あれらは精霊王が顕現する王宮と自然精霊達の中で言われているのです』

『それがうらやましいから、欲しいって-。ぼくたちも欲しいですー』

『力の王笏もうないから宿無しですよー』

 そういえば仮契約解除したから七部衆が物質世界で顕現するための媒介がなくなっているのか。
 アーティファクトという枷がないので、その気になれば適当な電子機器を借宿にできるんだろーけどな。

『王宮ねぇ……』

 王の住処か。考えもしなかったな。私は麻帆良に住む気満々だったからな。
 これは検討すべきか。
 しばし考え、そして思いつく。

『よし、いけるな』

 中空で指を動かし、テキストファイルを作り出す。ファイル名はchi_u_net.txt。
 三分も経たずに完成した低容量のそれを、七部衆に渡して高位の電子精霊達にもコピーさせる。

『よーく聞け! お前達の最高の遊び場、chi-uドットネットを地上のネット界に作りだしてやる!』

 うおー!

 電子の精霊達が雄叫びを上げる。空気を振動させる物理的な声なんて全く上がっていないのに、全身に念話がびりびりと響くようだ。
 テンション上がってきた。
 来たよ。来たよ私の時代。この精霊達は全て私の手下! 電子精霊界でもぶっちぎり一位の派閥!

『そう。そう、私は精霊の女王だ! 再びこの世界でもNET界のNo.1カリスマとなって……全ての人間たちを私の前にひざまずませてやる!』

 ――ちーう! ちーう! ちーう! ちーう! ちーう!

 それからというもの、麻帆良学園都市には無数の電子精霊達が飛び交うことになった。
 電子精霊はみんな力が弱いので、学園結界で行動を阻まれることはない。
 人前に姿をあらわすのは稀と言われる精霊の常識を無視し、電子精霊は有識者達の前に顕現し言葉をささやいた。
 あるときは麻帆良大学工学部にあらわれ実験サーバの借用を取り付け、あるときは資産家の下にあらわれ資本の投資を募り、またあるときは学園長室にあらわれ法人設立の必要性を説いた。
 そんなこんなであの日から二週間後の今、電子精霊の理想郷(予定)ちうネットが千雨のパソコンの画面に映っているっつーわけだ。
 
 今は大学の小さなサーバ一台で動いているサイトだが、いずれは全世界の人間がアクセスする総合ポータルにするのだ。
 ちなみに、現段階でもちうネットのサービスの質は同業他社のそれよりも十歩も二十歩も先を行っている。
 まず、今のパソコンとOS事情を考えた未来的ウェブブラウザの配布。未来知識と精霊パワーで細部までこだわって作ったそれは、過熱化しつつあるブラウザ戦争を一瞬で終結させてしまうだろう。
 それをダウンロードしてネット閲覧の煩わしさから解放されてちうネットを再閲覧してみると、相変わらずの未来的UIが出迎えてくれる。

 未来的検索エンジン(情報蓄積中)。未来的多言語翻訳(前世界でISSDA承認済み)。未来的ソーシャル情報共有(麻帆良大生に早くも人気)。未来的動画チャンネル(麻帆良映像研究会大感激)。未来的ブラウザゲーム(千雨が廃人寸前)。などなど他にも私の未来知識を原案とした電子精霊を総動員して作った未来的コンテンツ多数。
 未来的UIのおかげで、サービスが多くてもとても未来的に見やすい。サービス多くて何をすればいいかわからないよぉとならないように未来的誘導が助けてくれる。まさに2035年ネット社会の暴力的侵略だ。

 私と同じ時間渡航者超鈴音は、歴史改変の目的のために一時的に未来の技術(オーバーテクノロジー)を過去の人間に使わせた。
 だが、元の時代に変えるときにその技術を処分していったらしい。協力者葉加瀬聡美の脳内に残された記憶と、絡繰茶々丸という超技術ガイノイドを除いて。
 でも私はそんなSF的倫理観を採用するつもりは毛頭無い。別に未来に起きる出来事を吹聴してまわろうっていうんじゃねぇんだ。持てる技術を使って何が悪い。
 そして学園長に頼まれた麻帆良内のネットインフラ整備が終わったら、麻帆良内に世界中のアクセスに耐えられる環境ができあがる。そこに置かれるのがちうネットだ。麻帆良の地に未来的精霊宮が誕生する。何も間違いなんてない。

 麻帆良大学のサーバでは、できたてのちうネットが世界に覇を唱える日を今か今かと待っている。すでに麻帆良大のネット利用者はちうネットの魅力に取り憑かれ、口コミでその評判を広げ始めている。
 そんな裏事情のあるちうネットで、今日も千雨はネット廃人への道を一歩ずつ登っているようだった。

「よし、来たぞ。来たぞ。来たぞ」

 彼女が今プレイしている『大江戸コレクション日本語β版』は、私がこの世界の歴史を学ぶついでに作った長期プレイ用のブラウザゲームだ。
 内容はこの世界の江戸時代を舞台にした日本行脚ゲーム。
 システムはあえてシンプルに作っており、100名ばかり用意した江戸時代の著名人(全員女性キャラ化)を味方ユニットとして集める近未来的ゲームだ。

 製作協力は麻帆良歴史研究会。こういうゲームを作るから江戸時代の著名人をピックアップしてくれと丸投げしたら、彼らは見事に五日間で100人分のエピソードを用意してくれた。
 そんな良い仕事っぷりに満足しながら、私はピックアップされた著名人を女性化したキャラデザインを行った。
 こういうゲームは可愛い二次元イラストを使うと人気が出やすいが、キャラ数が多いのでローポリゴンの3Dモデルを用意。そのスクリーンショットをイラストとして採用する。
 ただし3Dを二次元イラスト的に見せる技術はまさに未来的。
 それを歴史研究会に再度送ると、今度は三日で女性化対応のキャラ設定を送ってきてくれた。
 その設定を元にゲーム全体を再調整し、歴史的イベントを実装して先日β版が開始されたというわけだ。
 人間の尺度で見ると開発期間はあまりにも短すぎるの一言だが、キャラ設定を作った方々以外のスタッフはみんな精霊だ。人間界の常識は通用しなくなる。

「うおおおお! マツオ・バショーがついに覚醒だ!」

 おや、スーパーレアのマツオ・バショーをこの短期間で鍛えきったようだ。
 電子マネー制度は準備に時間が相当かかるため課金要素はまだ用意していないので、千雨が廃プレイを強行していることがうかがえる。
 あくまでもお手軽ブラウザゲームなので、クライアント型ネットゲームのように生活を全て捨てきったひどい廃人は生まれることはないが。

 なおマツオ・バショーとは江戸初期にいたウォーロードのこと。エド・トクガワの臣下としてセキバハラのイクサを戦い抜いたイクサビトだ。
 前の世界の松尾芭蕉とは似ても似つかない。前世界で有名な紀行文「奥の細道」は、この世界では日本のどこかに隠された秘密の巻物という、ある種の伝説的アイテムとして扱われていた。
 ちなみに、歴史研究会のメンバーの一人は、マツオ・バショーはニンジャだと主張していたらしいが――。

「ニンジャは実在しない。いいね?」

「アッハイ」

 と他のメンバーによりそれは否定された。
 ニンジャとは、『古事記』に登場する神話的存在だ。その描写は、どこのナギ・スプリングフィールドだってくらいすごい。そして ニンジャはあくまで神話上の空想の産物だというのが歴史家達の見解のようだ。
 このようにこのゲームの製作を通して私は、当初の目論見通りこの世界の日本史にある程度触れることができた。
 その歴史はあまりにも前の世界と違いすぎて、どうして今この時代の日本が前の世界と似たようなものになっているのか不思議なくらいだ。

 あ、ニンジャのことだが、当然、前の世界において大名に仕えていたという隠密集団忍者とは別物だ。神話的存在だからな。
 ……あ、別物じゃねーや。
 前の世界で長瀬楓のやつ、生身で宇宙空間を疾走して地球と火星を超高速で往復するっつー、信じられない偉業を達成してやがった。あれこそまさに神話的存在だ。

「あー、兵糧たりねー午前中はここまでかー」

 そう独りごちて。ごろりと寝転がる千雨。
 ここ最近、千雨の一人言が増えた。パソコン中に今何をしているのか実況したり、思っていることを叫んだりするのだ。
 何もおかしいことではないけどな。
 なにせこいつは長谷川千雨。部屋で一人ネットをしているときに一人言を喋り続けるなんて、私にとってはデフォルトスタイルだ。
 千雨も陰鬱な状態から正常な精神状態に改善しつつあるということの証明だ。
 そう、この状態が私にとっての正常。なにせ中学二年の時に魔法界で、ザジのアーティファクトによる『リア充』のお墨付きを貰ったからな。

(うーん……)

 パソコンから離れて床に寝転がっている千雨がこちらをちらりと見てくる。
 何だ? 兵糧の有料購入はしばらく実装するつもりはないぞ。
 ちなみに今私は、『精霊召喚』で実体化した精霊体を人間サイズまで戻し、裁縫を行っている。
 麻帆良の中では千雨から離れられない私は、千雨がパソコンを使っている間、ちうネットの構築を水面下で進めながら部屋で暇を潰すようになっていた。
 漫画本を読んだり、アニメのビデオを見たり、背が伸びて着れなくなった千雨の服を仕立て直したりだ。
 そう、私は裁縫が得意だ。作るのはもっぱらコスプレ衣装だけどな。
 いくつか仕立て直し終わった千雨の服も、当然コスプレ衣装に改造済み。まだ袖を通してくれたことは一度もないが、興味ありげなのは確かだ。
 ちなみに今作っているのは、『大江戸コレクション日本語β版』に登場するロリキャラにして看板キャラ、エド・トクガワの衣装。
 もう一人の看板キャラ、マツオ・バショーは巨乳キャラなので、子供の千雨向きの衣装としては入門難易度が高く作っていない。

(しかしなぁ……)

 千雨の脳内の呟きが私に伝わってくる。ちらりちらりとこちらの様子を伺っているようだ。
 なんだ。裁縫中の衣装が気になるのか。でもこの衣装は千雨がエド・トクガワをゲームでゲット出来てから着せてやろうと思ってるからまだ早い。
 エド・トクガワは来週開催の試験的ゲームイベント、「セキバハラ荒野の亡霊」のクリア報酬で必ず一つゲットできるようになっているので、待っていて欲しい。

「あのさっ!」

 突然千雨はがばりと起き上がり、こちらに寄ってくる。

『どーかしたか?』

 今まさに気づきましたよ、という風を装って振り返る。
 精霊の視覚は360度あるということを千雨に言い忘れていたから、視線に気づいてないふりをしておいた。

「えーと、そのさ。ちうってゼノン・トーキョーのことくわしいか?」

『まだこっち来て二十日程度だから千雨の方が詳しいんじゃねーかな』

 ゼノン・トーキョーとは。関東一帯を網羅する大首都ネオサイタマの東部にある地域の一つである。
 第二次大戦時に東京大空白襲によって大打撃を受け、さらに言詞爆弾の投下により壊滅した旧首都らしい。
 ぶっちゃけていえば前世界での東京だ。
 言詞爆弾というこの世界独自の兵器によって、土地の霊的な力が狂ってしまい首都機能は完全にストップ。その結果大首都ネオ・サイタマが生まれたんだとか。

『東京がどうかしたのか?』

「その……」

 わずかに逡巡した後、意を決したように千雨は言った。

「アキバに行きたいんだけど、ついてきてくれるか?」

 なんだと。なんといきなり秋葉原デビュー!

「ネットで見てさ、なんかすごそうな街があるって。ちょっと行ってみたい」

 そうか。そうだよな。この時代のあそこはまさに楽園だ。
 誰が呼んだか電気街秋葉原。小っちゃい精密機械というものが何よりも大好きな私にとって、街がアニメ・ゲーム関連ショップで表通りが埋まる前の秋葉原は、私が訪れられなかった失われた聖地なんだ。

『……ああ、せっかくの夏休みだ。行こうぜ!』

 人混みが苦手なのは昔の私と同じハズだ、千雨。それでも行くのか。

「そうか、そうか。行くのかぁ。……どうやっていけばいいのかな。あ、そうかこういうときこそネットで検索か。便利だな」

 どうやら小学三年の長谷川千雨は幸せを逃すことなく掴み取り、満ち足りた生き方を選べるようだ。そんなことを私は思った。



[35457] 六:スカイウォーカー・フロム・コウガ(前)
Name: Leni◆d69b6a62 ID:df6b2349
Date: 2014/07/21 07:19

『ニシコクブンジ。ニシコクブンジ。中央本線はお乗り換えです』アナウンスを聞き人混みをかき分ける。旧首都東京の西半分をエリアとするニシタマ・シティ。その東端にある駅で私達は電車を降りた。中央本線はお乗り換え。アナウンス通りにここからは路線を変えなければならない。

「くあー、電車ってしんどいなー」そう背伸びをしながら声を絞り出しているのは、小学三年の少女、長谷川千雨だ。麻帆良中央駅から電車で三十分。実際短い電車旅行だが人混みに慣れていない彼女にとっては疲れを覚える一時だったようだ。

『とりあえずこれで無事トーキョー入りだ。体調は悪くねぇか』大人サイズの精霊体――アストラルボディで千雨の手を引きながら私は言った。「ん、だいじょぶ」千雨の答えに私はほっと胸を撫で下ろす。しかし場所が場所だ。今日は一日、千雨の体調を気にしてやらんといかん。

 秋葉原へ行きたい。そう千雨のヤツが言い出したのはいまから四日前のことだ。千雨の住む麻帆良学園都市から秋葉原は、そう遠く離れていない。電車に乗れば一時間程度。そんな距離だ。千雨はちうネットの路線情報を見て、そう難しくはないと判断したのか、半日で行って返ってくる計画を立てた。

 だがその計画に私はストップをかけた。『トーキョーを甘く見ちゃいけねーぜ』千雨の予定には問題点があった。麻帆良と秋葉原は距離的に近い。しかし、土地的には近い場所とはとてもいえないのだ。

 この世界の人々は魔法の存在を知っている。その事実に、この世界にやってきたばかりの私は2035年の地球を思い出した。火星緑化計画を成功させるためにネギ先生と私達は、世界に魔法の存在を公開した。人々は魔法という新技術に触れ、少しずつ科学文明との融和を図っていた。そんな時代。

 しかしこの世界は違う。魔法は人類史のはじめから人と共にあった。大地を開拓し人類がその勢力図を広げていくとき、人の手にあったのは鉄器ではなく魔法の力だった。生きるために、そして住むために人は魔法を使い、土地を改造していった。

 その結果、いつしか土地は魔法的な力を帯びるようになっていた。例えば麻帆良学園都市。あの地は神木の存在する霊地というだけではなく、日本の西洋魔法使い達の本拠地とも言える場所であり、都市全体が西洋魔法を使いやすいような土地に変わっている。

 人が住み、その生活様式や風俗で土地自体の性質が変わる。前の世界ではなかなかみなかった概念だ。そして、前の世界の歴史では起きなかったことがある。この世界では第二次世界大戦中、言詞爆弾(ヴォンド・ボンベ)などという魔法系兵器が世界各国で爆発したというのだ。

 言詞爆弾とは、言葉の爆弾だ。物理的な破壊ではなく、概念的な破壊をもたらす。先ほど言った、土地が帯びる魔法的な力を滅茶苦茶にしてしまうのだ。その結果、首都東京一帯は大変貌を遂げることとなった。

 この土地では、あらゆる矛盾が許容される。物理的に、宇宙的に、魔法的に矛盾しているあらゆる現象がこの東京では起こる、らしい。見えないものが見える。いないはずのものがいる。起こりえないことが起こる。非現実的すぎるこの旧首都を人々はゼノン・トーキョー……矛盾都市と名付けた。

 そんなクソッタレな土地に旅行しに来たのが、この向こう見ずな小三幼女千雨である。心配だ。この世界の東京が私の理解の外にある、そのことも心配だが、それ以上に病気が心配だ。病気とは当然中二病とかのことではない。秋葉原だからってさすがにそれはない。旅行者にかかる病が心配なんだ。

 この世界の土地は、魔法的、霊的な力を帯びている。そんな世界なので、土地を移動したときに霊的な格差があまりにも大きいと、人は体調を崩してしまうことがある。

 概念格差から来る遺伝詞の興奮以上がどーたらなどと、旅行ガイドに載っていた。旅行は病気にかかる危険性があるんだ。ちなみにガイドは千雨が秋葉原に行きたいと言い出した後、アストラルボディにインストールした。

 麻帆良は日本最大の魔法都市。東京は世界に名を連ねる“土地強度”を持つ矛盾都市。霊的格差は当然ながら大きい。無計画に行き来するとまず体調を崩すだろう。単なる風邪なら私も放っておいたが、この病、悪化すると言障という死の病に発展する危険性があるみたいだ。さすがに無視できない。

 そこで私は、千雨が安全に秋葉原観光を行えるよう旅行計画を立てた。経路は遠回り。強行軍とならないよう一泊二日。保護者は大人サイズに実体化させた私。麻帆良学園都市の外でなら、私も霊的世界から本体の大部分を引っ張ってこれる。

 その旅行計画にそって行動した結果、現在私と千雨はニシコクブンジ駅にいる。トーキョーは東西で二つに地区分けされている。その西側がニシタマ・シティであり、東側に渡るための駅がニシコクブンジっつーわけだ。

 秋葉原は東側のカンダ地区にあるのになぜニシタマにいるのかというと、ニシタマの方が麻帆良との霊的格差が少ないためだ。

 ニシタマは東側と比べ自然が多く、精霊の力が強い。精霊の力とは西洋魔法の力だ。麻帆良の土地と親和性がいくらかある。まずここで昼食を取って千雨の身体を馴染ませてやる予定。

「麻帆良と実際ちがうなー」駅を行き交う人々を眺めながら千雨が言った。「異族(グラソラリアン)が少ない」異族は獣人、妖怪、魔人といった人以上の知性を持つ人以外の生物のこと。麻帆良は魔法世界との関わりが深いので、実際魔法世界人が多い。猫耳少女がリアルにいる。

「でも変なのがいる」千雨は私の手を引きながら駅の一画を見た。妙にぴかぴか光る不思議な集団だ。『あー……今日は快晴だからなぁ。あれはきっと夏日だな』「なつび?」『太陽の光』「光の精霊か?」『いや、日の光そのものだ。近づくなよ。日射病にかかっちゃかなわん』私はそっと千雨の手を引いた。

 ここはすでにゼノン・トーキョー。矛盾の力に満ちた土地だ。季節や風、音に光といった観念的なものが住人として住み着いている。昔から詩やポエム、ハイクといったものには春や夏といった観念的な存在を擬人化して表現したりする。

『人のように表現できるなら、それは人と同じ』そんな矛盾だらけの主張がこの土地では成立してしまう。なので駅の窓の下にたむろしている彼らは、擬人化された夏日そのものなんだろう。開幕からわけわかんねーとこ見せてくれるなぁ、トーキョー。

『そんじゃ飯にすっか。海から遠いから江戸前スシってわけにはいかんが、何食いたい』「えーと、トーキョーラーメンかな」『そうすっか。でもなんでラーメン?』「寮の食事にでない」『そりゃ食いたくなるな』私は千雨と会話を交わしながら公衆電話機をハックして、グルメガイドをダウンロードした。







 街のラーメン屋で昼食を食べ終え、どこか眠たげになった千雨を連れてコクブンジ駅のエレクトレインに乗り込む。エレクトレインとは、矛盾都市トーキョー独自の列車だ。

 麻帆良にも魔法の力で動く路面電車などがあるようだが、こちらはひと味違う。矛盾の力がなければ存在しない、一種の観光プレイスだ。

 この列車はすごい。車輌ではなく線路が動く。エレクトレインは音楽を奏でる機械であり、その音色に合わせて線路が生まれる。無限軌道。その上に車体を載せて移動するんだと。なんたる画期的なシステム! 魔法世界でもここまで謎めいた乗り物は存在しない。

「うーん……、眠い……」動き出した列車の振動が心地よいのか、椅子の上でしょぼしょぼと目を伏せる千雨。コクブンジからカンダ地区に行く路線には途中乗り換えはない。

 三十分ほどの短い旅だ。寝かせてやっても良い。だが私は千雨に言った。『観光したいなら目開けて窓の外見てな』「んー?」

 私の言葉に従って、千雨は目をこすり、靴を脱いで椅子の上に膝立ちになる。そして窓に張り付いて外の風景を眺めた。流れていくニシタマ最東端の町並み。とりわけ特筆すべきこともない風景。だがある瞬間。「ワッ!」千雨は驚きの声をあげる。突然目の前に空が広がったからだ。

「スゴイ!」この光景に目はすっかり覚めたのか、千雨は大きく目を見開いて列車の下の風景を眺めている。ここは東京大断層。東東京とニシタマ・シティを縦に真っ二つに分断する巨大な断層だ。「スゴイ!」千雨が再び言う。『ああ、スゴイ!』私も予想以上の光景に驚きを隠せなかった。

「なんだここ?」窓から目を離さず聞いてくる千雨に、私は念話を返す。『これは東京大断層だ。窓の下に見えるのは落ちてきた空だ』

 東京大断層。インストールした観光ガイドによると、これは地殻の断層ではなく、地上に空が落ちてきてできたものらしい。とはいっても愛で落ちてきたわけではない。

 第二次世界大戦、米国は東京大空白襲で東京の東側一帯に“空白”を落とした。破壊は三鷹から八王子まで続き、大量の“空白”を浴びた大地は陥没した。その大地の落下にともない空も根こそぎ落ちてきたという。この大断層は地殻の断層ではない。地上に落ちた空が下に広がっているんだ。実際奇怪。

 東京大断層の東西の横幅は三十キロメートルほど。途中に駅もないので、十分もしないでその光景は終わる。千雨は残念そうに窓から身体を離した。

「次おりるまでどれくらい?」脱いだ靴を掃き直しながら千雨が聞いてくる。『あー、二十分はあるか』「そっか」そう言って千雨は今度こそ目を閉じて眠りに入った。やれやれ、無防備なこった。

 観光旅行っつーのは八歳のガキにはまだはやいと思うんだよな。他にはない場所を訪れて感動を得る、っていうのは元の場所での生活が常識になっていてこそ成り立つものだ。この年頃だと、まだ普段の日常でも新鮮な体験なんて山ほどある。

 だから子供の夏休みなんてのは観光なんかより、遊んで楽しめる旅行の方が絶対良い。海水浴だとか遊園地だとかキャンプだとかな。でも、そんなとこに連れていってくれる親はこいつには身近にいないわけだ。火星。遠すぎる。

 今回はこいつが秋葉原に行きたいってんでこの一泊二日の旅行を組んだが……保護者代わりとして他にもいろいろ遊びに連れて行ってやったほうがいいんかね。私がこの世界の麻帆良にいる理由は、こいつの面倒を見てやりたいからだ。親代わりと言っても差し支えない。

 そしてできれば、この世界の素晴らしさをこいつと楽しめていければと思う。自分にとっての正しい現実を手に入れるためにこの世界に訪れた私が出会ったのは、この世界は現実なんかじゃないと否定し苦しんでいた幼い私。インガオホー。二人でそんな正しくて間違っている現実を一つ一つ楽しんでいけたら。

 ――なんてハイクめいたことを考えているうちに、エレクトレインはトーキョー駅を越え、カンダに到着する。『カンダ地上ーカンダ地上ー』千雨は私に寄りかかり眠ったままだ。起こさないように千雨をおんぶして列車を降りる。

 平日の正午過ぎということで、トーキョーの中心地近くながら人通りはそこまで多くない。カンダはカンダ・ミョージン・ジンジャやイナリ・シュラインで有名な江戸のアトモスフィアが残る町だ。とはいっても、ここは戦後復興で新しく作られた地上東京。江戸っぽいのは観光客向けのアピールだ。

 周囲を見渡してみても、老人や外国人、異族などの観光客と見られる人が多数。それでいて子供の姿はほとんど見られない。そんな場所がカンダエリアっつーわけだ。

 ジンジャの他にある観光名所としては、時館というものがある。これは、“世界の時間を管理する”巨大な時計塔で、矛盾都市トーキョー最大の名所として観光ガイドに載っていた。前の世界にはなかった場所だ。

 この時館が地球全ての時間を操っていると言われており、第二次大戦の空白襲の際も念入りに標的から外されたという。この時計台の鐘が四時を知らせれば、他の時計とどれだけ差があろうとも世界中が四時になるのだ。怖い!

 時館の時計が止まれば地球の時間は止まるだろうし、針を戻せば時間は過去に戻るだろう。と観光ガイドには書かれている。こんなものがあれば、私も超のやつも時間移動に苦労しなかっただろうなぁ。世界の時間が巻き戻されるから、パラレルワールドなんて発生しねーし。

 まあそんな時館だが、千雨のヤツは興味を示さないだろう。時間の重要さだとか大切さなんてのは、小学三年生にはそうそうわかるもんじゃない。観光しても興味は示さないだろうな。カンダ・ミョージンやイナリ・シュラインなんてもっての他だ。

 しかしスケジュールは一泊二日である。千雨の体調を考えると日帰りは考えられなかった。何度もトーキョー入りを繰り返していればそのうち半日で麻帆良とここを往復できるようになるだろうが。

 そんなわけで予約していたカンダの安旅館にチェックインし、寝入っている千雨をザブトンの上に寝かせた。室内備え付けの緑茶パックで淹れたお茶をのんびりのんで一息ついていると、やがて千雨は昼寝から目覚めた。

『オハヨ!』「ん、オハヨー」ぐぐっと背伸びをしたあと、何かを探すように床に手を伸ばす千雨。『メガネならつけたままだぞ』「ん……」千雨は顔に手をやると、安心したように息をついた。

 こいつがつけているのは伊達メガネだ。赤面症で対人恐怖症な千雨が、他人との間に精神的な距離を作るためのペルソナめいた小道具。人間社会の中で生きるためには実際必要。

 しかし今の私には不要。完全に精霊になった今の私は、人間の頃の形を模したアストラルボディは仮の姿でしかない。本当の自分を見せない状態なら、私は中学三年の時に伊達メガネなしで人と対面できるようになった。成長だ。

「今何時?」メガネのつるを指先で弄びながら千雨が聞いてくる。私はアストラルボディに標準電波を受信させる。『午後三時だな』麻帆良の結界から解放された今の私は、電波時計めいた時刻合わせなど片手間でできる。

『夕飯まで時間があるけどどうする?』今日の午後は、千雨をトーキョーの霊格に馴染ませるための予備日みたいなものだ。予定は組み込んでいない。「遊び。遊びに行く」『観光か? ここから軽く行くならやっぱり時館がいいか』

 私の提案に千雨はいいや、と首を振る。「アキバがいい。トーキョー・アキバ・ストリートがいい」『それは明日でいいだろ』「いやだめだ。アキバに行くんだ」千雨はかたくなな姿勢を見せていた。……まあ別に構わないが。

『そうか。じゃあ行くか。旅館の人に夕食はいらねーって言っておかないとな』「ヤッター!」両手をバンザイし、千雨が私に駆け寄ってきた。やれやれ完全に保護者だなーこれ。私は遠い昔の魔法世界を幻視した。







 第二次大戦時の東京大空白襲は、コクブンジに東京大断層を作っただけではなく、東京の東側一帯をその空白投下で破壊した。大量の空白を浴びせられた土地は、概念的に大陥没を起こし、東京東部一帯は標高マイナス三キロメートルまで沈下した。

 東京東部は首都機能の集中した大都会だったが、その大陥没で完全に崩壊してしまった。だが日本人はたくましく、戦後ネオサイタマという新しい首都を得た後、驚異的な速度で東京の復興をはじめた。

 破壊されキロ単位で陥落した廃墟都市の上空に、日本人は新しい土地を建設した。標高ゼロメートルの人工都市。地上トーキョーと呼ばれる新都市だ。

 一方、三キロ落下した地下トーキョーにも、人々は十分残っていた。放棄されたカンダ地下地区では、戦火から生き残った人々を相手に闇市が開かれた。世間の目は完全にネオサイタマと地上トーキョーの建設に向いていた。そんな中で文字通りのアングラめいた闇市は密かに賑わった。

 戦後復興はやがて進み、放棄されたはずの地下トーキョーにも再開発の手が伸びる。地上トーキョーが世界向けのビジネス・シティとして芽を伸ばしており、そんなシティで働くサラリマン向けのベッドタウンとしてこの地下トーキョーが注目されたのだ。

 時代は変わり、人の層も変わる。そんな時の流れに逆らうことなく闇市も取り扱う商品を変え、生き残り続けていた。いつしかカンダの人々は元闇市のことをこう呼ぶようになっていた。トーキョー・アキバ・ストリートと。

 そんなネットから仕入れたであろう千雨の熱心な解説を聞きながら、この世界のアキバ・ストリートも前の世界の秋葉原と同じ歴史を辿っているのだな、と私はぼんやりとした感想を抱いた。

 エレクトレイン・エレベーター。地上トーキョーと地下トーキョーを結ぶ三キロメートルの垂直降下の旅路を終え、私達はアキバ・ステーションから出た。そして眼前に入ってきた光景を見て、どこか胃もたれに似た感覚を得た。

 都市計画など欠片も考慮されていないであろうプレハブ店舗が、横に上にとみっしり並んでいる。それらの店舗にはぼろくさい看板が、ネオン文字、あるいは達筆なペンキ文字で無秩序に飾り付けられている。

 そして遥か上の天井。三キロメートル上空では、地上トーキョーの地盤である鋼鉄製の底部が青い夏の空を塞ぐように視界に覆い被さっていた。

 ストリートを行く人々は、身体を義体換装したサイボーグだったり、精霊動力で動くロボット――自動人形だったりと、麻帆良ではまず見かけない独特の文化をただよわせる姿をしている。

 なんとサイバーパンクめいたアトモスフィアであろうか。だがここは未来の都市ではない。れっきとした1997年の光景だ。スッゲーな。

「行こうぜ」雰囲気に飲まれ憶していた私の手を引き、千雨がアキバ・ストリートに足を踏み入れた。そうだ、こんな雑多な光景なんて、2025年の香港でも十分見てきたじゃねーか。何をびびってんだ私は。

「機械」「安い」「部品」「最高そして」「実際安い」……様々な宣伝文句の書かれたテナントを歩を進めた千雨は見入っていた。目の輝きが尋常ではない。巨大なアニメキャラの書かれた看板のあるアニメショップではなく、真っ先に電子機械ショップを覗きに行く当たりがさすが私だ。

 人間時代、半精霊時代の私はアニメオタク及びコスプレオタクだったが、それ以上に機械オタクだった。好きなものはコンパクトで性能の高い電子機器。ノートパソコンも大画面のものより省サイズ高性能のものが良い。

 私が単なるアニメオタクだったなら、ネギ先生との仮契約で出たアーティファクトは、きっと無数のコスプレ衣装を取り出せる衣装箱とかそんなものになっていただろう。しかし実際に手に入れたのは、あらゆる道具とネットワークを支配する電王の杖だった。

 千雨は間違いなく長谷川千雨である。特に原体験というものがないのに電子機器に惹かれる。そんな人間だ。

「スッゲースッゲー」私の手をぐいぐいと引っ張って先へと進もうとする千雨。手が離れないのは、私が現実干渉させた手を強く握りかえしているからだ。『おいはしゃぐと迷子になるぞ』そう言いつつも、私はここにいる間絶対に手を離さないつもりだ。

「なんねーよ。お前は私のお母さんかっつーの」私の物言いに不満そうに声を荒げる千雨。『お母さんじゃねぇが私はお前だ。私はお前。お前は私』「ちっ。それいわれたらかなわんっつーの」納得してくれたのか手を引っ張る力を弱めてくれた。

「ドッシャー!」「アバーッ!」そんな私達の歩く先で、なにやら騒がしい人の群れが道を塞いでいた。「ドッシャー!」そんな人垣の中心にいるのは、機械装甲を身に纏った二人の男だった。男達は、それぞれ手に持った機械製の武器らしきものを激しく打ち付けあっている。

「こんなところでストリートファイトか?」いぶかしむ千雨。『ん……あれは……』アキバ・ストリートでのストリートファイト。その理由に思い当たった私は、アキバの野良ネットをハッキングしてとあるWEBサイトへとアクセスした。

 パンツァーファイト:アキバ・ストリート 16:42開始

『あれはパンツァーファイトだな』「なんだそれ」聞いたことがない、と首をひねる千雨。『機械装甲と魔法技術を融合させたパンツァーっていう戦闘技能者がいてな。そいつらが得点を奪い合って戦う競技がアキバでは人気みてーだ。魔法使い志望が多い麻帆良では馴染みがないっぽい競技だな』

 パンツァー。前の世界にはなかった魔法機械系統の戦闘能力、および戦闘能力者だ。機械装甲の鎧『重甲』と機械武器『ツール』を霊的エネルギーで動かして戦うものらしい。

 パンツァー同士で戦闘を行い、その勝敗で点数を足し引きしていきランキングを作るパンツァーリーグ。そんなのがゼノン・トーキョーでは開催されているみたいだ。

 電気街アキバ・ストリートはそんな競技者達が製品やパーツを求めて集まる、パンツァーの楽園であるとガイドブックには載っている。野良試合なんて危険極まりないように見えるが、パンツァー達を応援する観戦者の様子を見るに、ここではチャメシ・インシデントのようだ。

 千雨は数十秒ほどパンツァーファイトを眺めた後、興味を失ったように再び店の方へと体を向け直した。戦闘試合はお気に召さないようだ。私もバトルの類はそんなに好きじゃねぇ。昔、魔法世界でいろいろ怖い目にあったからな。

 私の手をまた強い力でぐいぐいと引っ張り、怪しい看板が掲げられた電子機器の店へと足を踏み入れる千雨。「完成品重点」「実際安い」「小さい」「スゴイ」「合法」そんな張り紙がプレハブ的な建物の壁に貼られている。

『今日は旅館に帰って泊まるから、買わずに下見だけな』「えー」『今日見るだけ見て、一番安いのを明日買う』「かしこい!」そんな私達の入店を店内に鳴り響く奇妙な電子サウンドが迎え入れた。

 ブンブンブブブブンブ、ブンブンブブブブンブ。ドンツクブブーン。どこか不安を増幅させるような店内BGMが、商品の怪しさを加速させている。

「アイヤ、可愛らしいお客さんネ。何をお求めか」首から上を機械化したサイボーグの店主が私達を迎え入れる。千雨は入店前のテンションの高さから一転、びくりと体を震わせて店主の視線から逃れるように私の陰に隠れた。この対人恐怖症め。

『特に何かを探してるわけじゃねぇんだけどな。何かこうコンパクトで高性能なのが何かないか興味本位で見て回ってんだ。冷やかしだな』「そりゃお客さん、良い店来たヨ。うちの店コンパクトさが売りだからネ」店主はカタカタと笑い、壁に貼られたチラシを指さした。「小さい」とそこには書かれている。

 なるほど。この世界の電子機器がどんなものか、適当に見せて貰うとするか。古代から魔法が人類史に存在する以上、前の世界にはない独特な製品にお目にかかれるかもしれん。

「お嬢さんにはこれなんかどうネ。ヘアピン型小型ラジオ。鉱石ラジオだから電源いらずで、骨伝導でクリアな音声が聞けるヨ」ファッション用としてはいささか無骨なヘアピンを私達の前に見せてくる店主。

『今時ラジオなぁ……』情報メディアとしていささか時代遅れな代物がいきなり登場だ。ラジオ電波は精霊として直接受信できちゃったりするので私にとっては完全に必要ないものだ。

 一方、千雨はどうなのかと精霊視界で様子を伺ってみると。「スッゲー……。これがあればじゅぎょう中でもラジオが聞ける……」めっちゃ気に入っていた。

「お買い上げカ?」ヘアピンを手にとって様々な角度から眺める千雨を見て、店主がカタカタと笑う。

『いや、今日は単なる下見で、何も買う気はねぇ』「気に入ったのを明日買うんだ!」ちょ、ちょっと千雨さん? 店主にそういう余計なプラス情報を与えても良いことはねぇぞ。

 店主はまたもやカタカタと機械の顔を打ち鳴らしながら別の商品を取り出してきた。「これ一番のお勧めネ。コンパクトソーラーパネル」A3サイズのコピー用紙程度の面積を持つ太陽電池を店主が取り出してきた。「ここコンセントの刺し口ネ。窓際にこれを置けば、家電を使っても電気代いらずヨ」

 千雨はまたもや商品に興味津々だ。電気代いらずって、寮生だから元々気にする必要ねぇぞ。それにだ。『これバッテリーついてねーから、ちょっとでも曇ったら刺さってる電化製品使えなくなるぞ』「ダメじゃん! 不良品だ!」きっと店主を睨み付ける千雨。だが店主はちっとも怯まない。

「そんなことないヨー。これは一年を通じて売れるロングヒット商品ヨー」『へえ、どんなやつに売れるんだ』「春光、烈日、秋陽、愛日。あとは晴朗ネ」「売れ筋かー」『全員太陽じゃねーか! そりゃそいつらには天気関係なく売れるよ!』太陽が地下東京まで買い物に来るとは、矛盾都市は恐ろしい。

 その後も店主はいろいろな商品を勧めてくるが、どれも何かしらの欠陥を抱えた商品ばかりだった。「最初のラジオヘアピンが一番良かったな」『そうな。でも正直あれ絶対周波数合わせるのむずいぞ……』あのサイズの鉱石ラジオが、つまみで簡単にチャンネル合わせなんてできるだろうか。

 まあまだ一店舗目だ。他の店も見て回るとしよう。千雨の手を引きプレハブ店舗を後にする私達。「明日来てネ」店主の言葉を聞き流してストリートへと再び足を踏み入れる。

「アイエエエ! アイエーエエー!」そんな私達を迎えたのは、耳をつんざくような叫び声だった。

 何事か。声の方向を精霊アイで注視する。次の瞬間目に飛び込んできたのは、想像もしない壮絶な光景だった。ストリートの地面が、真っ赤に染まっている。血だ。尋常な量ではない。そしてその血の赤の上に、人が二人倒れていた。

 死んでいる。機械装甲を身に纏った人間二人が、頭の中身を地面にまき散らし横たわっている。先ほどファイトを行っていたパンツァー達だ。

 相打ち? それはない。パンツァーファイトは死傷者が出ないよう、厳重なリミッターをかけることが厳命されている競技だ。設定された数字上の装甲値を削り合うそんな戦い。あんなネギトロめいた光景を生み出すはずがねぇ。

 これは競技外の第三者による凶行だ。そう、死体の横に立ち、手を血で赤く染めている修道服を身に纏った一人の女性がこの光景を作りだしたのだ!

「アイエエエ……アイエエエ……」ファイトを見守っていたであろう観客達が、突然起きた惨劇に驚きの悲鳴を上げている。日中のツジギリめいた殺人。日本人には馴染みがなさ過ぎる狂気の光景に、逃げ出すことすら思いつかないようであった。

「ああー……」修道服の女が、死体の機械装甲に手を触れながらなにやら呟いた。「アンブッシュのたった一撃で上位ランカーが潰れるとは、ねぇ……」女が触れた死体の装甲がどろりと溶けるように消滅していく。何事か。「せっかくニンジャの力を手に入れたのに、カラテの力試しもできないなんて」

 女の口からニンジャという言葉が出た瞬間のことだ。女の周囲で呆然と立つだけだった観客達に、突如パニックが広がった。

「ニ、ニンジャ? ニンジャ! アイエエエ!」「ニンジャ!?ニンジャナンデ!?」「コワイ!」観客達は一様に恐怖にかられた表情に変わり、失禁しながら修道服の女の周りから逃げ出し始めた。

 修道服の女はと言うと。「カラテ。試そうかしら、うん」そう言うや否や、恐怖のあまりへたり込み逃げ遅れた観客へと突如襲いかかったのだ!

「イヤーッ!」「アバーッ!?」修道服の女の手刀による突きが、逃げ遅れた一人の男の胸に命中する。胸に大きな穴を開けた男は、胸と口から血を吹き出しながら吹き飛んだ。一方、女はそれで終わりとせず、再び逃げ遅れた人達へと襲いかかる。

「イヤーッ!」「アバーッ!?」「イヤーッ!」「アバーッ!?」「イヤーッ!」「アバーッ!?」次々と女の手刀によって倒れていく観客達。いずれも一撃で胸を貫かれ即死している。

「イヤーッ!」「アバーッ!?」「イヤーッ!」「アバーッ!?」女はやがて走って逃げる人までも追い始め、アキバ・ストリートは血の海となった。なんてツキジめいた光景か!

 私ははっとする。そうだ、逃げなくては。ここには千雨がいるんだ。私は横にいる千雨を見る。「アイエエエ……」なんてことだ。千雨は失禁し、がくがくと震え腰を抜かしているじゃねぇか。

 これじゃ逃げられない。いや、元々小学三年生の子供の足なんかじゃ、手を引いたところでろくな速度は出ねぇ。私は両手で千雨を抱きかかえると、脇目もふらずその場を逃げ出した。

 私は精霊だ。超常的な力を持っている。でも、風や水といった自然精霊じゃない。アストラルボディが出せる物理的な力はとても貧弱だ。

「イヤーッ!」「アバーッ!?」なんてことだ! よりにもよって、女は私の逃げる方向へと向かってきている。足に電子の力を込めるも、ちっとも速くなんてなりやしない。「イヤーッ!」「アバーッ!?」そしてとうとう、私と女の間に壁となる生きた人がいなくなった。

 女は驚異的な速度で私の元へと近寄ってくると、回転スシチェーンのスシ職人の作業めいた所作で手刀を突きいれてきた。「イヤーッ!」『ンアーッ!』インパクトの瞬間。私は腕に抱えていた千雨を持てる限りの力を振り絞って、横にあるフートン露店ショップへと放り投げることに成功した。

「む、あなた……」私の胸を貫く女の手刀。だがその感触に女は違和感を感じ取ったようだ。

「肉がない……霊体か!」そう、精霊は物理的な力で傷つけることが出来ないのだ!『詞変(ワードアクセル)、二十五万詞階(オクターブ)の遺伝詞よ!』女が腕を引く前に、私は胸を貫通している女の腕にお返しとばかりに指を突き入れた!

『イヤーッ!』物質世界への影響力を持たない情報精霊の私が持つ、もう一つの魔法の力。それは、人間だった頃に覚えた風水だ。「グワーッ!」癒しと変化の力を持つ風水が、女の体内遺伝詞を滅茶苦茶にかき回す。

 さらに追い打ちだ。私は女から離れ、次は地面へと指を突き入れる。『詞変、二百八十二万詞階の遺伝詞よ!』アキバ・ストリートの土地に宿る遺伝詞を私は読み取る。

 遺伝詞とは万物の持つ情報だ。風水はそれを読み取り自在に変化させる。魔法の才能なんかあるわけがない私が風水なんて技能を覚えられたのも、この遺伝詞と風水の仕組みのおかげだ。情報を読み取りプログラミングする。完全に私向け。「イヤー!」アキバの地から私は兵器を呼び出し、女へ投擲した。

“空白”。東京空白襲で地上に落とされた米軍の兵器。それを私は大地から再生した。対人用ではない大規模破壊用の対地兵器、目に見えない大量の“空白”だ。避けることすらできねぇだろ!

 だが。「イヤーッ!」女は手刀を横に払うように一閃した。たったそれだけの動作で眼前に迫った空白を切り裂いてしまった。

 こいつは……本当にヤバイ! 私は咄嗟に周囲の電子機器類を全て掌握。そのエネルギーを使って、霊的世界にある私の本体を全て地上に引きずり出した。さらに、周囲一体を眷属の電子精霊で埋め尽くす。

「……電気街に宿る電気の精霊さんってとこかしら」臨戦態勢に入った私に、女は距離を取って両の手を合わせ頭を下げる妙な体勢を取った。「ドーモ。シスター・マリィです。ようやくカラテを試す相手が見つかったわ」彼女が取っている体勢。それはオジギだ。

 これはまさか……伝説の神話存在であるニンジャが戦いの前に必ず行うという所作、アイサツなのか。私はいつでも風水を行えるよう構えを解かぬまま、これに返した。『ドーモ。シスター・マリィ=サン。電子の王(エレクトリウム・レグーノー)です』

 それにしてもこいつは何者だ。単なる通り魔にしてはタチが悪すぎる。そんなことを私が考えていると、シスター・マリィは突然語り出した。「ニンジャになれたのはいいのだけど、カラテを使う機会がなくてどうしようかと思っていたの」なんのことだ。

「カラテを鍛えないといざというとき困るでしょう?」でしょう、と言われてもこっちが困るわ。「なのにパンツァーどもはどいつもこいつも弱くて弱くて……。でも今日は運が良かった。大物の精霊、しかも人間の使う風水を覚えてるレアもの。殺しがいがあるわ」

 ……なにがニンジャは実在しないだ、麻帆良歴史研。ニンジャが操るという体術カラテを使い、ニンジャを自称する絶対強者が実際目の前に現れやがったじゃねぇか!

『ちう様、あいつの情報ヒットしましたです!』呼び出して情報解析を任せていた七部衆から、念話が届く。『シスター・マリィは“重甲狩り”って呼ばれてるパンツァーですー。他のパンツァーを襲撃して重甲やツールを奪って、闇市にパーツを流してる指名手配犯ですー』

 指名手配犯とか襲撃とか、なんだそのマッポーの世めいた響きは。現代日本で聞く言葉じゃねぇぞ。『でも今のあいつは重甲をまとってないですぅ』『ニンジャ的制約でもあるんじゃねーの。知らんけど』そんな念話が裏で交わされているのを知るか知るまいか、ニンジャがゆらりと動く。

 突きの構え。だが私はヤツが動く前に先手必勝と攻撃を開始した。電子機器の演算力を使った魔法エミュレート。無詠唱の『雷の暴風』だ!

『イヤーッ!』旋風で渦巻く稲妻の群れが、ニンジャ女に襲いかかる。「イヤーッ!」だがしかし、常人では出せない魔力をつぎ込んだ魔法は、あろうことか手刀の立った一振りで霧散してしまった。

『イヤーッ!』続いて『魔法の射手』1024矢をまたもや無詠唱で解き放つ。四方から襲い来る魔法の矢は完全に逃げる道無し!「イヤーッ! イヤーッ! イヤーッ! イヤーッ!」女が精霊の目でも捉えられない速度で腕を振るうと、まるで壁にでも阻まれているかのように魔法は全て弾かれてしまった。

 そしてなんたることか。ニンジャ女は少しずつ私へと歩み寄ってきているではないか。顔に悪魔めいた笑みを張り付けて!

『エゴ・エレクトリゥム・レーグノー!』今度は全力で情報魔法を放つため、無詠唱ではなく全ての詠唱を念話で世界に響かせる。演算によって再現する魔法は、私の知る最大の一撃。

『契約により我に従え、高殿の王! 来れ、巨神を滅ぼす燃え立つ雷霆! 百重千重と重なりて、走れよ稲妻! 千の雷!』対軍用の広域破壊魔法。それを私は目の前のニンジャ女一点に集中させた。

 地下トーキョーに小さな太陽が生まれた。まばゆい光をまき散らす千本の稲妻がニンジャ女ただ一人に向けて落ちる。直撃したら肉体など破片すら残らないであろう。だが。「イヤーッ!」圧倒的なはずの暴力の塊を女は手刀の一撃でもってはじき返してしまった。

「ワザマエ! しかし私には届かない! ハハハ、ハハハハハ!」女はいつのまにか密着しそうなほどに近づいてきていた。「血中カラテをたぎらせ、森羅万象を突く。なるほどこれがカラテの神髄か!」女は悪魔めいた笑みを顔全体に浮かべ、手刀を作った。

「イヤーッ!」私の身体を衝撃が襲う。物理的な物質には影響を受けないはずのアストラルボディの胸に、大きな穴が開いた。『ンアーッ!』遅れてやってきた衝撃波に、私のアストラルボディは大きく吹き飛ばされた。

 今の一撃は、最初に受けたただの突きとは違う! 霊体に影響を与え破壊する生命の力、“気”が宿っていた。なんということだ。続けざまに放った魔法を手刀で弾くうちに、魔力を貫く気の力を身につけたとでもいうのか。

 胸に開いた大穴は塞がる様子がない。霊体に傷を受けたのだ。痛みは感じないが、明らかに重症だった。

『ちうたまーむりですー。かないっこないですー逃げましょうー』『一人ならそうしたけどな……』千雨を置いて逃げるわけにはいかなかった。いつから私はこんな熱血になってしまったのか。でも戦いを放棄して身内を見捨てるなんてとても無理。『差し違えてでもやってやる』そんな強がりを私は言った。

「今の一撃は良かったなぁ……もう一度この感覚で……」「アイエエ……アイエエ……ちう、ちうぅ……」「……この感覚で、うん、試して見るわね。次は余計な衝撃波も出ないように」ニンジャ女は、遠くにはじき飛ばされた私ではなく、すぐ横のフートン露店に座り込んでいる千雨の方へと身体を向けた。

 なんということだ! この女、決着もついていないのに私ではなく近くにいる千雨を標的に選びやがった!

『千雨、逃げろ!』「アイエエエ……」私が念話を飛ばすも、腰が抜けて失禁している千雨は立ち上がることすらできそうになかった。

 ニンジャ女が手刀を作る。その指先には強烈な気の力が満ちあふれていた。あの手が突き出されたら、千雨はなすすべもなく死んでしまうだろう。「イヤーッ!」ナムサン!『――ちうたま、即席矛盾プログラム起動しますー!』

 私はお前。お前は私。

 次の瞬間、ニンジャ女の手刀は宙を切っていた。逸れたのではない。ましてや千雨が自分の力で避けたのでもない。女の手刀は、私の胸に開いた大穴を通りすぎていた。

 七部衆はニンジャ女の攻撃の瞬間、ある即席プログラムを起動させたのだ。効果は、私と千雨の位置を入れ替えるというもの。戦いに参戦できない電子精霊達が、何かできないかと今この場で作りだしていた戦闘プログラムのうちの一つだ。

 私と千雨はどちらも長谷川千雨。なのでその存在をまるっきり入れ替えても数学的に何も変わっていない。そんな矛盾した現実をトーキョーの力を呼び起こして実行させた。その結果、千雨は私が吹き飛ばされた場所に転移して、千雨が受けるはずだったニンジャ女の手刀を私が胸に受けたのだ。

 ともあれ、隙ありだ。『詞変、三千五百万詞階の遺伝詞よ!』胸の大穴にすっぽりと収まっている女の腕をがっちりと掴み、風水。『イヤーッ!』持てる限りの力で、ニンジャ女の体内を構成する遺伝詞をかき乱し変貌させた。「グワーッ!」女の身体が大きく跳ねる。

『戦いの途中によそ見をするのはよくないな。注意一秒怪我ずっと。インガオホー』手刀でどんな魔法も弾くなら、どうにか手刀をかいくぐって魔法を当てればいい。そんな唯一の勝算が、思わぬ形で達成された。

「アバーッ!」体内をかけめぐる風水の力にニンジャ女は叫び声を上げる。彼女の体内では、アキバ・ストリート中からかき集めた三千五百万詞階の電子の遺伝詞が暴れ回っている。鬼神兵一匹分に相当する量の遺伝詞だ。肉体を構成する遺伝詞はばらばらに引き裂かれて電子に変わってしまうだろう。

 だが相手はニンジャだ。万が一と言うこともある。とどめをさすことにしよう。『エゴ・エレクトリゥム・レーグノー。来れ虚空の雷、薙ぎ払え。雷の斧!』七部衆達が地脈から汲み取ってきた魔力を使い、魔法を発動する。ギロチンめいた形のまばゆい雷が、頭上から落ちてきた。

「イヤーッ!」だがなんということか! 風水によって体内を狂わされていたはずのニンジャ女が手刀を振り上げて雷の斧を消し飛ばした!

「イヤーッ!」そして返す刃で私に振り下ろされる手刀。『ンアーッ!』身を捻って直撃を避けようとするも、アストラルボディの左肩に命中。肩から左腕が切り離され、腕が地面に落ち霊的世界に還っていく。私は咄嗟に転がってニンジャ女から距離を取った。

『なぜだ。なぜ生きてやがる』ニンジャ女は五体満足なまま大地の上に立っていた。身体を駆け巡っていたはずの風水の力は、いつのまにか鎮静化している。「フフ、フフフ!」不敵に笑うニンジャ女。ニンジャとは不死身なのか?

「ニンジャソウルを宿した私の身体は、すでにニンジャ新陳代謝によってカラテ戦士の身体に変貌しているのよ! 風水など効かぬ!」絶望的な説明台詞に私はうちひしがれた。ニンジャとはやはり神話的存在なのか。

「しかし精霊とは不死身なの? 胸をつらぬいて腕を飛ばしても生きているなんて」確かに私は重傷ながら生きている。肉の身体がないので痛みを感じない。そして精霊は環境があるかぎり不滅の存在である。しかし完全な不死身ではない。

 霊的世界にある私の本体をほぼ全て呼び出しているこの状態でアストラルボディを破壊されたとしたら、それは物質世界での死にも等しい。

 新しいボディを生み出すまで、霊的世界で長い眠りにつかなければならんだろう。しかし千雨を守りきるまで、私は眠りにつくわけにはいかなかった。

 周囲に顕現している無数の電子精霊達に指示を与える。物質世界に干渉し、千雨を遠くへ運べ。物理的な力を出すために必要な力は、七部衆達が汲み取っている地脈の魔力を使うべし。

 私の指令に、精霊達は一斉に動く。ニンジャ女の目にもその様子は見えているだろう。しかし彼女は私から目を離さなかった。

 戦いの途中によそ見をしない。格下を侮る油断はすっかり無くなっているようだ。私はそんな中、七部衆達から供給されていた魔力を使わずにこいつと戦わなければならない。西洋魔法のエミュレートなしということだ。実際辛い。「頭を潰せば死ぬかしらね」そんな呟きとともに手刀を作る女。サツバツ!

『詞変、一千八百万――』「遅い!」私が風水の準備に入ろうとした瞬間、ニンジャ女はすでに私の懐の中にいた。ワン・インチ距離。「カラテが使えない。それがあなたの敗因。イイイヤアーッ!」手刀が頭を貫こうと目の前に迫る。

「Wasshoi!」だがその死の刃が私に届くことはなかった。突如響いた謎の掛け声と共に、ニンジャ女が大きく吹っ飛んだのだ。

 ニンジャ女はきりもみ回転しながら吹き飛び地面に叩きつけられるも、一度大きく回転すると驚異的なバランス感覚で地に二本の足を付けて立ち構えた。

「く、スリケンだと!?」なんということか。ニンジャ女の右腕に、手裏剣と言うべき金属塊が突き刺さっていた。

「いやはや遅くなったでござるな。どうにもこの都市は気の流れが読みにくくてかなわんでござる」私とニンジャ女の間に立ち塞がるように、何者かが空の上から勢いよく降りてきて、音を立てることすらなく華麗に着地した。

 何者か。それは忍者だった。ニンジャではない。赤黒い和風の忍者装束を身に纏った長身の女性。前の世界で見た、忍者の姿だった。

『……長瀬?』私はここにいるはずのない人の名を呼んだ。長瀬楓。白き翼として、魔法世界で苦難を乗り越えた仲間の名前だった。「うむ。拙者が来たからには安心するでござるよ、千雨殿」それは紛れもなく長瀬の声に違いなかった。



[35457] 六:逆行・トリップものは主人公以外に同条件キャラがいると作品の魅力半減するよね(後)
Name: Leni◆d69b6a62 ID:df6b2349
Date: 2014/08/04 12:43

出席番号20番 長瀬楓

基本、放浪人生修行人生の長瀬楓。
修行の結果、生身で宇宙を渡れるようになった。
クラスメイトの危機とあれば真っ先にどこからともなく駆けつける、宇宙時代の頼れる忍者である。





 雷の魔法によって荒らされた夕刻のアキバ・ストリートに風が吹き付ける。ニンジャのツジギリめいた凶行によって作り出された死体から漂う、むせかえるような血の臭いがストリートをより一層非日常へと飾り立てていく。

 そんな非日常の戦いの場に新たにエントリーしたのは、長身長髪の女。赤黒い衣装を身に纏い、首に巻いたマフラー状のメンポを血臭の風でたなびかせている。

 特徴的な糸目の顔は、年の頃二十の半ばほど。だが、彼女が私の知る彼女なら、見た目通りの年齢ではない。大陸に渡り仙人の力を得て、不老不死めいた神秘の力を身に宿しているはずだ。なおその胸は豊満であった。

 彼女は忍者だ。甲賀中忍。あらゆる忍術と体術を極めた、宇宙最強の忍者。長瀬楓だ。

 何故。何故私の知る長瀬がここにいるのか。時虚遺伝詞を操る何らかの忍術で時間を辿り、偶然私と巡り会った? いや、それはおかしい。ここは私の居たあの世界とは別の平行世界なんだ。

 ではこの長瀬はこの世界の未来から来た長瀬なのか? それもまた違う。彼女のマフラー状のメンポの下、忍者装束の襟元には、私に見せつけるかのように白いピンバッジが付けられている。

 かつての戦友の証。ネギま部の部員に与えられた白い羽根のバッジ。『白き翼』の団員証だ。それを持つ長瀬が、幼い千雨でなく私を見て「千雨殿」と言ったのだ。

 私の脳裏に遠い昔の記憶が蘇る。麻帆良学園女子中等部、その卒業の日。長瀬は言った。「誰かの身に危機が迫れば、遠くから拙者が助けに入ろう」ネギ先生が先生でなくなった日に、長瀬は先生の代わりにクラスメイト達の守人となったのだ。

 そんな長瀬が、世界に見切りをつけた私の元へ助けに来てくれたのだろうか。はたして長瀬は私の知る長瀬なのか。

「どうやら間に合わず重傷のようでござるが……、治癒は千雨殿の専門でござったな。あのニンジャは拙者が引きつけておくので、自己治療で頼むでござる」『あっ、おい』問いただす間もなく長瀬は私へ一方的にまくし立てると、前へと向き直った。

 長瀬はするりと一歩前へ出る。その動作に、対峙する女ニンジャが警戒の色を深めた。だが長瀬は気に求めず、すっと背筋を伸ばし胸の前で両の手を合わせた。そして、手を合わせたまま綺麗に腰を折り頭を下げた。これは、オジギだ。

「ドーモ。はじめまして。コウガ・ニンジャです」女ニンジャへ向けて、アイサツをする長瀬。対する女ニンジャは、これまた長瀬と同じように両手を胸の前で合わせ、深々とオジギをした。

「ドーモ。コウガ・ニンジャ=サン。シスター・マリィです」アイサツを返す女ニンジャの声には、わずかな緊張が感じられた。「あんたは……本当にニンジャなのか?」かすかに震える声で長瀬へと問いかける女ニンジャ。

 彼女達二人が交わしたのは、イクサの前のアイサツ。それは、ニンジャが戦いの前に必ず行う礼儀作法であった。この世界の古事記にも書いてある。そのアイサツを長瀬の方から行ったのだ。この世界独自の作法。それを行うこの長瀬は忍者ではなくニンジャなのか?

「いかにも」女ニンジャの問いに対し、長瀬は意気揚々と答えた。「甲賀中忍、長瀬楓」彼女はまさしく私の知る長瀬だった。

 甲賀。それは、私の居た世界の日本にあった忍者の流派だ。ニンジャが古代の神話上の存在でしかないこの世界に、戦国の世に生まれた甲賀流などあろうはずもない。すなわち彼女は忍者なのだ。

「天下の往来でのこの惨状……オヌシがやったでござるか」ストリートに転がる死体の山を一瞥し、長瀬が問う。「ああ、そうとも。私がやった」笑いながら女はそう返した。

「なにゆえこのようなことを」「ははは! あんたもニンジャソウルを宿した身ならわかるだろう。カラテを試したのさ!」なんということか。先刻も彼女は言っていた。ニンジャの力を手に入れたからカラテの力試しをすると。

 彼女は“重甲狩り”シスター・マリィ。指名手配中の犯罪者だ。そんな悪人が、どういうわけか神話存在であるニンジャの力を手に入れたのだ。その結果生まれたのが、このツキジめいた光景だというのだ。

「やはりニンジャソウルは悪しき存在でござるな……。シスター・マリィ=サン許すまじ。ニンジャ殺すべし!」長瀬のその言葉と共に二人は向かい合い、互いにイクサの構えを取った。

 先に動いたのは長瀬だ!「イヤーッ!」拳の届かぬその距離を生かした手裏剣の投擲だ。様子見とばかりにその数はわずか一つ。「イヤーッ!」シスター・マリィはその手裏剣を手刀で軽々と弾いた。そう、彼女の手刀は鋭い矛にして対軍魔法『千の雷』すらも弾き返すほどの無敵の盾なのだ。

「イヤーッ!」続けざまに手裏剣を放つ長瀬。その数は十を超えている。「イヤーッ!」またしても手刀で叩き落とすシスター・マリィ。修行を重ねた長瀬の手裏剣は、今や飛竜すらも一撃で撃ち落とす威力を持っている。それすらもシスター・マリィは軽々と弾いてしまうのだ。

「ふむ、不意打ちでもないと当たらない、か」「私のヌキカラテの前に飛び道具など無力よ」「やれやれ、まるで神鳴流でござるな」そんな会話を続けながらも長瀬は手裏剣を飛ばし、シスター・マリィは手刀で手裏剣を叩き落とす。

 攻守は入れ替わらない。シスター・マリィが手裏剣を避け距離を詰めようとするも、長瀬は軽やかに飛び上がり一定の距離を保つ。

 長瀬が空を駆ける。宙を蹴り何も無い空中を走り回りながら手裏剣を飛ばす。まさしくスカイウォーカー。彼女は空中どころか、真空の宇宙空間ですら足を使って走り回る空の忍者なのだ。

「イヤーッ!」宙を飛び回る長瀬からマシンガンめいた手裏剣の嵐がシスター・マリィへと飛来する。「イヤーッ!」さすがのシスター・マリィもこれには一歩も動けず、手刀を扇風機のように回して迎撃する。

 なおも長瀬は嵐のような手裏剣の投擲を続ける。「イヤーッ!」手裏剣!「イヤーッ!」手刀!「イヤーッ!」手裏剣!「イヤーッ!」手刀!「イヤーッ!」手裏剣!「イヤーッ!」手刀!「イヤーッ!」手裏剣!「イヤーッ!」手刀!

 膠着状態に陥ったかに見えたその瞬間、長瀬がシスター・マリィの背後を取った。長瀬の身体に強烈な気の力が集中していく。彼女の手にあるのは身の丈ほどもある手裏剣。彼女の得意武器、巨大手裏剣だ!

「イヤーッ!」海を二つに割る、そんな気の込められた手裏剣の一撃!「イヤーッ!」しかしなんということか。シスター・マリィは手刀による真剣白刃取りで巨大手裏剣を押さえ込んだではないか。ゴウランガ! 息をつかせぬ力の応酬! これがニンジャと忍者の戦いというものか。

 恐るべき二人のワザマエ。真似事の西洋魔法と風水が使えるだけの私がニンジャに挑んだことが、いかに愚かで無茶であったのかが今の戦いでわかる。ニンジャとはまさに神話の生き物なのだ。

 私がかつて魔法世界を訪れたときのこと。“千の刃”ジャック・ラカンが現代兵器と魔法使いの強さを表にして見せてきたことがある。当時は頭の悪そうな表と一笑に付したものだが、実際に戦いに身において実感できるものがある。表で表せるような絶対的な力量差が私とニンジャの間には存在するのだ。

 この女ニンジャ、シスター・マリィの強さは近代兵器イージス艦を遥かに超え、魔法世界の軍略兵器である鬼神兵に匹敵するほどのものだ。そんな存在に対抗できるのは、それこそラカンのような戦争の英雄か……長瀬のような絶対強者だけなのだ。

 手裏剣と手刀による攻防は長瀬の一方的な攻撃が続いたが、シスター・マリィは傷一つついておらず戦況としてはまだ五分といったところ。

「恐るべきスリケンさばきね。カラテの修練に実際役立つわ」巨大手裏剣をストリートの脇に放り投げながらシスター・マリィが言う。対する長瀬は、空中を歩きシスター・マリィとの距離を保つ。

「カラテのワザマエがオヌシの強みにござるか。しかし貫手など近づかねば恐れるに足らず」「ハハハ! 確かに近づけなければ貫手は当たらない。だが、ヌキカラテだけが私の力ではない!」そう言うや否や、シスター・マリィは天に右手を掲げた。

 宙に手を向けたシスター・マリィの周囲の空間が、突如歪み始める。霊的な魔力の波動が物質界へと干渉していく。「フォームアップ!」シスター・マリィの言葉と共に、彼女の周囲に漂っていた魔力が突如形を成し始めた。

 シスター・マリィの身体に金属がまとわりつく。それは装甲。パンツァーのまとう魔法の金属装甲だ。そう、彼女はパンツァー狩りの犯罪者にしてパンツァーなのだ。

「棺桶ニブチ込ンデヤル!」全身に装甲をまとったその出で立ち。それは先ほどまでの修道女の姿とはまるで違う、スモトリめいた巨漢の牧師の姿であった。「ドッソイコラー!」牧師の踏み込みが地面を揺らす。圧巻! これがパンツァーというものか!

「ドッソイコラー!」装甲の牧師は全身に膨大な量の気をたぎらせ、長瀬に向かって突進を始める。当然長瀬も黙って見ているわけではない。「イヤーッ」後ろに下がって竜をも落とす手裏剣の投擲だ!

「ドッソイコラー!」しかしなんということか。気に満ちた牧師の装甲の前に、手裏剣は浅く突き刺さるだけで止まった。「イヤーッ!」なおも長瀬は手裏剣を飛ばすが、全て気の装甲に阻まれてしまう。「ドッソイコラー!」手裏剣などお構いなしと突進を続けた牧師はとうとう長瀬の眼前にまで迫っていた。

 なんたる胆力。これがパンツァーの力を持ったニンジャなのか。「ドッソイコラー!」全身装甲の牧師はプロレスラーめいた動作で長瀬に組み付こうとする。「イヤーッ!」だが長瀬はそれを華麗な身のこなしで回避。さらに手裏剣をその場に投げ捨て迎撃の態勢に入る。

「イヤーッ!」気がこめられた長瀬のストレートパンチだ! 鋭い一撃は牧師の装甲をたやすくつらぬき、胸に大きな風穴を開ける。「むっ!」直後、私は牧師の異変に気づく。牧師の胸に開いた大きな穴。その中身ががらんどうなのだ。

 長瀬が呟く。「これは身代わりの術――」そのときだ。突然長瀬の足元が破裂した! 地面のアスファルトを貫いて出てきたのは、ボンデージ衣装に似たパンツァー装甲を身に纏ったシスター・マリィだ!「イヤーッ!」「ンアーッ!」不意を打ったシスター・マリィの手刀が長瀬の胸を貫いた!

「これぞ気と装甲を使ったブンシン・ジツ! パンツァースリケンよ!」恐るべしシスター・マリィの計略! 人型に形作った人型のパンツァー装甲を手裏剣として気を目一杯込めて長瀬に投げ、自身は地に潜り隙をうかがっていたのだ。

「なるほど、考えることは同じでござるか」「何!?」胸を貫かれ血を流す長瀬は不適に笑い、胸に突き刺さる手刀を両手で握りしめた。それと当時に、突然シスター・マリィの背後に新たな忍者が姿を現わした。新しい忍者はまさかの長瀬だ。

「イヤーッ!」「グワーッ!」新たな長瀬の蹴りが背に命中し、シスター・マリィを大きく吹き飛ばした。

 彼女の身体はストリートを何度もバウンドし、無人となっていたフートン露店を巻き込んでようやく止まった。シスター・マリィに胸を貫かれたはずの一人目の長瀬の姿はいつの間にか消えている。

「分身に気をこめ武器として使うのは見事でござった。しかし分身は自身と同じ姿でこそ。血を流し肉を持ち言葉を放てば、敵を欺くことなどベイビー・サブミッションでござる」露店の中で倒れるシスター・マリィに向かって淡々と長瀬が告げた。

「ザッケンナコラー!」露店に倒れるシスター・マリィが爆発した。いや、違う。露店の建材とフートンを粉々に吹き飛ばしてシスター・マリィが突進してきたのだ。

「ザッケンナコラー!」ヤクザめいたスラングを叫びながらシスター・マリィが長瀬に迫る。対する長瀬は空中を闊歩し距離を取ろうとする。「スッゾオラー! イヤーッ!」長瀬を追うように今度はシスター・マリィが手裏剣を投擲した。

 いや、よく見てみるとあれは手裏剣ではない。手の平大の十字架だ。あの十字架はおそらくパンツァーの武器である“ツール”。シスター・マリィは十字架を武装デザインの基本とするジーザス系パンツァーなのだ。

「イヤーッ! イヤーッ! イヤーッ!」投擲投擲投擲! 先刻のお返しとばかりに投擲の嵐が長瀬に迫る。長瀬はそれを両手に構えたクナイで器用に叩き落としていった。「イヤーッ!」十字架を投げながらシスター・マリィは長瀬へと近づいていき、空中を歩く長瀬に向けて大きく跳躍した。

「最後に物を言うのはカラテの力よ! イヤーッ!」恐ろしい程までに練り上げられた気を込めたシスター・マリィの貫手が長瀬の顔めがけて突き入られる。千の雷をも貫く驚異の一撃だ。「イヤーッ」瞬間、長瀬のクナイがきらめく!

 一瞬の交差で傷を負ったのは、「グワーッ!」シスター・マリィの方であった。長瀬へと突き出した手に深々とクナイが突き刺さっている。

 シスター・マリィは血を吹き出す手の甲を押さえながら、アスファルトに着地する。長瀬もそれを追うように地面へと降り立った。

「ザッ……ザッケンナコラー! イヤーッ!」シスター・マリィは再び突進し傷を負っていない手で手刀を繰り出す。「イヤーッ」「グワーッ!」しかしまたもやクナイが手刀に突き刺さる!

 両の手の甲から血を垂れ流すシスター・マリィ。長瀬の見事なカウンターがシスター・マリィの貫手を破ったのだ。「ザッケンナ、ザッケンナコラー!」だが、長瀬はどうやってあの大魔法すら貫く手刀に込められた気の防御を突破したというのか。

「オヌシの手刀は指先に気を集中させる。だが指先に集中させるあまり、それ以外の場所の気は薄くなっているでござるな」うっすらと見開いた冷たい視線でシスター・マリィを見据えながら長瀬が言う。「なれば、あとはオヌシより速く動くだけで守りを崩すことができる」

「ザッケンナ、ザッケンナ! キサマのカラテが、私のカラテより速いってのか!」「いかにも」「ザッ……ケンナコラー!」前動作もなしに突如キックを放つシスター・マリィ。彼女が初めて見せる蹴り。手刀と同じように爪先に強烈な気が込められている。

 しかし、「グワーッ!」蹴りが届くよりも先に、長瀬のクナイがシスター・マリィの太ももに根本まで突き入れられた。「イ、イヤーッ!」それでも負けじと逆の足でキックを放つシスター・マリィ。だが。「グワーッ!」またもや突き刺さる長瀬のクナイ!

「私の、私のカラテが……ニンジャの力を手に入れたのに……? ザッケンナ、ザッケンナザッケンナスッゾオラー! イヤーッ! イヤーッ! イヤーッ!」追い詰められたシスター・マリィは、傷ついた両手両足を使って手刀足刀の乱打を長瀬に向けて浴びせかけた。

 軽やかな動きでシスター・マリィの攻撃を全て避けていく長瀬。「イヤーッ! イヤーッ! イヤーッ!」血を四方へとまき散らしながら攻撃は続くが、長瀬はその全てを回避。そして回転するような動きでシスター・マリィの背後を取る。

「イヤーッ!」「グワーッ!」長瀬の蹴りがシスター・マリィの背骨に深々と突き刺さる。さすがのシスター・マリィもこの強烈な一撃にはもんどり打って倒れるしかなかった。

「カイシャクしよう。ハイクを読むでござる、シスター・マリィ=サン」どこからか取り出した巨大手裏剣をシスター・マリィの首筋へと突き付けながら長瀬が言った。戦いは完全に長瀬が圧倒していた。

「ぐがが、私は、私は!」両手両足に力を込めるシスター・マリィだが、長瀬が首に当てた巨大手裏剣にどういう力が働いているのか、シスター・マリィは全く起き上がれない。

 やがて観念したかのように手足から力を抜くシスター・マリィ。そしてぽつりと言葉を漏らした。「ニンジャの王国、私は行けない、インガオホー」「イヤーッ!」ハイクを詠み終えたシスター・マリィの首を長瀬は巨大手裏剣で切断した。「サヨナラ!」閃光と爆音と共に、シスター・マリィは爆裂四散した。

 土埃が舞い、やがて沈黙が訪れる。周囲に人はいない。ニンジャの来襲に、活気のあったストリートからはあらゆる生き物が逃げ出していた。ここにいるのは、私と長瀬、そして物言わぬ死体だけだ。

 巨大手裏剣をどこかへと消し去った長瀬は、ゆっくりと振り返り、私の方へと身体を向ける。そして、軽やかな足取りで私の方へと歩いてきた。その佇まいはすでにイクサビトのそれではない。彼女の顔に浮かんでいるのは柔らかい笑みだ。

 私の前に立った長瀬は、こちらへ向けて手を差し出してくる。……ああ、そうか。私はいつの間にか座り込んでいたらしい。戦いの最中だったというのに、なんたることか。『すまんな』長瀬の手を取り、立ち上がる。

「いや、こっちこそ遅くなってすまないでござる。しかし千雨殿、傷は治さないでござるか?」長瀬がこちらの胸元を覗き込みながら言った。彼女の視線の先は、貫かれ空洞になった私の身体だ。そうか、私は負傷していたんだ。

『ま、霊体だから重傷ってわけじゃねえよ』別に内臓や血管があるわけでもない。「いや、しかし友人の身体に穴が開いて腕がもげているというのはちょっと見ていられないでござるよ」『そうか』

 そうか。そうかそうか。長瀬、お前はまだ私のことを友人って言ってくれるのか。『そうか、確かにそうだな』私は長瀬に向けて精一杯の笑顔を作った。







「ござる! ござる!」

 電子精霊達を使って逃がした千雨を回収し、私達は地上東京の旅館へと戻っていた。
 あのままアキバ・ストリートにいては警察のお世話になることは確実。私の身は潔癖なので別に警察が来ても困ることはないが、今は時間が惜しかった。そう、長瀬にいろいろ話を聞かなきゃならん。
 そう思って旅館まで来たんだが……。

「イヤーッ! グワーッ! サヨナラ! ニンジャは爆裂四散!」

 なんだこれ。いつの間にやら私達一向に紛れ込んでいた子供が、何やら長瀬と戯れている。

『おい、なんだそいつは』

 さすがに無視しきれず長瀬に向けてツッコミを入れてしまう私。

「ああ、この子でござるな。この世界の拙者でござるよ」

「にんにん! カエデでござる!」

『ああそう……』

 千雨とそう背の高さが変わらない子供はどうやら女の子で、この世界の長瀬楓であるらしかった。

『この世界の、か……。この時代のとは言わないんだな』

 私は子供と戯れる長瀬をじっと見つめながら言った。

「……いかにも。拙者はこの世界の未来から来た長瀬楓ではござらん。千雨殿と同じ世界から来た長瀬楓でござるよ」

『あー、そうか』

 なるほど。それなら色々話も早い……のか?

「スリケン! シュシュシュシュ!」

「……うるせえ!」

 部屋の中を走り回る幼い長瀬、カエデに千雨が声を荒げた。
 元気なカエデと対照的に、千雨はテーブルに突っ伏してぐったりとしている。ニンジャとのあれこれで失禁してしまったことにショックを受けているらしい。

『……いろいろ聞きたいことはあるんだが、まず小さいことからにしよう。長瀬、なんで小さい長瀬と一緒にいるんだ』

「それは千雨殿も同じでござらんか」

『良いから答えろや』

「やれやれ、せっかちなのは相変わらずでござるなぁ……。まあ隠すことでもなし、ちゃんと話すでござるよ」

 長瀬は部屋の畳の上に座り、ゆっくりと語り始めた。

 この世界にやってきたばかりの長瀬は、私と同じようにこの世界のあまりの異質さに驚いたという。まだ二十世紀ながら魔法や呪術が世界中に知れ渡っている時代。勝手の違う世界に戸惑った長瀬は、忍者の基本として情報収集を始めた。
 まずは自分に近い者から探そうと、彼女は甲賀の忍びの里を訪ねた。だがそこにあったのは隠れ里ではなかった。伝説の存在であるニンジャへ至るために我が身を鍛える、リアル・ニンジャ道場があったというのだ。

「この世界のニンジャは、拙者達の世界でいう仙人に近い存在でござるな」

 長瀬は前の世界で古菲と共に中国の仙人郷へ行ったことがあるらしい。そしてそこで仙人の修行を修め、仙人の肉体と骨格を手に入れたのだとか。このことは前から知ってはいたが、すごいこと言い出すよなこいつ……。

「いやあ、仙人骨を身につけることなど、千雨殿のように精霊に身を変えることと比べたら軽いでござるよ」

 そーかい。
 で、リアル・ニンジャを目指す道場の人間達にとって、忍者仙人である長瀬は理想の体現のような存在に映ったようだった。
 それから道場の食客となり、この世界での足場を見つけることに成功した。それが今年の7月3日のこと。私がこの世界に来てからちょうど三日目あたりだな。

 そして数日経ってこの世界にいるであろう私を捜して長瀬が日本を離れ、香港を訪れていたときのこと。道場で悲劇が起きた。虐殺事件だ。
 犯人は道場の新米門徒。だがその門徒はどういうわけはニンジャの力を身につけて、他の門徒達全員に牙を剥いたのだ。
 長瀬が香港から戻ったときには、ニンジャの力を手に入れた門徒によって、他の門徒とリアル・ニンジャの師範達は皆殺しにされていた。
 長瀬はニンジャの犯人を捕らえ、何が起きたのか、何故このようなことをしたのか問いただした。
 門徒がニンジャの力を手に入れたのは、古代から蘇ったニンジャの魂が身体に宿ったからだと答えた。そして、その力で辛い修行を身に課した道場に復讐をしたのだと。
 尋問を終えた長瀬はニンジャを処分し、道場の生き残りを探した。皆死んでいた。だが、奇跡的に一人だけ道場の隣の蔵に生き残りがいた。
 それが幼い門徒、この世界の長瀬楓だった。
 彼女は偶然、凶行が行われた時間に隠れんぼをして遊んでいたという。そして、道場で殺戮が行われているのを察知した彼女は、必死で息を潜めて隠れ続けたのだと。

「そういうわけで、身寄りが無くなったカエデを拙者が世話してるわけでござる」

「ござる! コウガ・ニンジャ=サンはニンジャなので拙者もニンジャになるでござる!」

「いやはや、いつの間にか口調も真似するようになって……」

『え、それって長瀬楓のデフォじゃねえの……』

 閑話休題。長瀬は私を探し出すことを一時的に止め、日本中に気を巡らせてニンジャを探し出す日々を送った。
 古代から蘇ったニンジャソウル。それが他にもあるかもしれない。
 その予感は的中し、日本各地でニンジャが暴れていた。長瀬は惑星間を飛び回る自慢の脚力を活かし、悪しきニンジャを倒してまわった。

『他所の世界なのによくなるなぁお前』

「別の世界と言ってしまえばそこまででござるなぁ。しかし、ニンジャを倒していくうちにこうやって千雨殿に会えたわけで、無駄ではないでござるよ」

『私に会えた、ねぇ。そもそもなんで私を探してたんだ』

「忘れ物を届けに来たでござるよ」

『あん? 忘れ物?』

 なんだそれは。
 私は前の世界を経つ前にあらゆるものを捨ててきたはずだ。

「これでござる。大事な物でござるよ」

 長瀬は懐から何かを取り外すと、私に向けて差し出してきた。

『テメッ……』

 それは古ぼけた白い羽根のメンバーバッジ。ネギま部の仲間の証だ。しかしこれは長瀬のものではない。長瀬のバッジは忍者装束の襟元に取り付けられている。
 これは誰の物か。決まってる。私のだ。
 長瀬からバッジを奪い取る。ああやっぱりだ。見覚えのある傷がバッジの表面にしっかりと残っている。

『テメー、なんでこれを持ってやがる!』

「だから忘れ物と。拙者達の世界から持ってきたでござるよ」

『それがおかしいんだよ! それは中等部の卒業式の日に捨てたんだぞ!』

 念話を響かせる私。いつしかカエデは部屋を走り回るのをやめ、千雨と共にテーブルの前に座ってこちらをじいっと見つめていた。

「……拙者がこちらの世界に来る前のことを話そうか」

 細めた眼で私を見据えながら、長瀬が言った。

「何十年ぶりか。白き翼の同窓会があったでござる」

『あん? 同窓会?』

「同窓会でござる。そこにはネギ先生やエヴァンジェリン殿も含めた全員が揃っていたでござるよ。いないのは千雨殿、そして明日菜殿だけ」

『全員って、それ、おかしいだろ』

 おかしい。そう、おかしいんだ全員が集まる同窓会なんて。
 ネギま部はとっくの昔に解散、いや、空中分解してるんだ。

 2004年春。中等部三年の三学期。私達は魔法世界を救い、そして明日菜を失った。
 いや、失ったじゃねえな。明日菜を犠牲にしたんだ。

 魔力を失い消滅しかけていた魔法世界。
 それに対し世界の創造主率いる『完全なる世界』は、魔法世界の全てを小規模魔法サーバー『永遠の園』へと移し替えることで解決を図ろうとした。
 運営するにあたって魔力をほとんど消費しない小さな世界、『永遠の園』。その世界で人間は楽園の夢を見ながら、永遠に眠り続けるのだ。
 その代償として、純正の魔法世界人でないメガロメセンブリアの6700万人の人間は、『永遠の園』への移住にあたって肉体を捨て去る必要があった。

 一方、ネギ先生は、火星を魔力を生み出す自然で満たすことで解決を図ろうとした。
 魔力を生み出すのは生命。火星と重ね合わせて存在している異界である魔法世界は、生命に満ちた火星の魔力を受け取ることで存続が可能となるのだ。
 その代償として、火星を開発し終えるまでの期間に魔法世界を維持するために、黄昏の姫御子アスナ姫を人柱として100年の眠りにつかせる必要があった。

 100年の眠りの間に、アスナ姫の代理人格である神楽坂明日菜の人格は消失すると、エヴァンジェリンは語った。それは私達の仲間である神楽坂の死を意味していた。

 ネギ先生の方法で魔法世界を救うには、神楽坂の犠牲が必要。そのことを私が知ったのは中等部の卒業式の日だった。
 3年A組31人。学園祭に最終日に未来へと帰った超を引いて30人。魔法世界の大冒険を経て誰も欠けずに日本へと戻った証がその30人という人数だ。だが、卒業式の日、私達のクラスはどうしたことか29人しか集まらなかったのだ。
 ネギ先生を問い詰めると、なんと神楽坂のヤツは一週間も前に卒業を終えていたという。そして、神楽坂が生け贄として身を捧げたことを私達白き翼は知った。

『こんなもの……』

 卒業式の日に『白き翼』は終わった。仲間を誰も失わない。誰も犠牲にせず麻帆良の日常に戻る。それが魔法世界で決めた白き翼唯一の目標だったんだ。
 だから、私は役目を果たせなかったこのバッジを捨てたんだ。

『今更渡されても迷惑なんだよ!』

「駄目でござるよ」

 ゴミ箱に向けてバッジを投げ捨てようとした私の手を長瀬が止めた。

「茶々丸殿が二十年間ずっと預かっていたものでござるよ。捨てるのは、いけない」

『茶々丸……あいつか! また余計なことを!』

「はいはいどうどう落ち着くでござる」

『ぬがー!』

 強制的に畳の上に正座させられる私。何だってんだ全く。

「同窓会での白き翼の総意でござるよ。無理に連れ戻さないが、証はしっかり持って行け、と。おぼろげな時間と世界の旅。道しるべがなければ会いに行きたくても会えないでござるからな」

『くっ……そもそも同窓会ってのは何だよ。あの日から一度も全員が集まったことなんてねぇじゃねーか。それこそ神楽坂に向けたタイムカプセルを用意した二年前すら!』

 魔法世界から帰還した後もたびたび集まっては馬鹿騒ぎしていた白き翼の面々は、卒業式の日以降、再び集まることはなくなった。

 静かに去っていった者がいた。古と長瀬は修行と称して中国の仙人郷へと旅立っていった。
 ネギ先生を見守る者がいた。茶々丸や宮崎、綾瀬は宇宙開発事業への協力をひたすらに続けていた。
 別の道を歩む者がいた。近衛は偉大なる魔法使いを目指し魔法の修練に明け暮れ、桜咲がそれに付き従った。
 誰とも関わらなくなる者がいた。エヴァンジェリンは“始まりの魔法使い”に変貌したナギ・スプリングフィールドをその手で殺し尽くした後、麻帆良の地下深くで従者も伴わず隠居するようになった。

 中等部の卒業式以来、皆が別の方向を向き、わずかな一時ですら集うことはなくなった。
 集まれば一人だけいない神楽坂のことを思い出して、仲間を犠牲にした事実に直面してしまうからだろうか。

「ネギ先生が呼びかけたでござるよ」

『それだけで集まったってのか』

 神楽坂を犠牲にすると決めた本人が呼びかけて、皆が集まるというのか。

「うむ、千雨殿がいなくなったと言って必死で呼びかけていたでござるよ」

 その長瀬の言葉で、私の中に湧き上がっていた怒りのような後悔のようなぐちゃぐちゃした感情が一気にしぼんでいった。

『あいつは……もうガキじゃねーんだから、その程度のことで』

「でも、それで皆が集まった。ガキのままだったのは拙者達全員でござるな。交友が絶えて久しいのに皆未練たらたらでござるなぁ」

『はっ』

 それを言ったら、私が一番未練たらたらだよ。
 世界に納得できず過去を変えようとしたんだ。

「それで同窓会が開催されて、皆で話し合ったでござるよ。ネギ先生が言うには千雨殿は過去を変えるために旅立った。何故そのようなことをしたか。出た答えは、明日菜殿を助けに行った。仲間思いでござるなぁ」

『ちげーよ。いや、ちがくはねーんだがもっと利己的な理由というか……』

「エヴァ殿などは大爆笑していたでござるな。あいつがそんなに行動的なんて、と」

『あのババァ……』

「それでどうするかを皆で話しあったでござるよ。千雨殿を止めるか、放っておくか」

『その答えがこのバッジか』

 この古ぼけた白き翼のバッジには、昔にはなかったであろう強烈な呪術がこめられていた。これを道しるべに、会いたくなったら世界を渡って会いに来るっつーわけか。
 できんのかんなこと。……できるんだろうなぁあいつらなら。大学卒業後に風水を学んだ私ですらこうやって時間と世界を渡れたんだ。天才や化物揃いの白き翼のメンバーなら片手間にやってのけるだろう。

「もう捨てるのはやめるでござるよ? 茶々丸殿はそれが捨てられた卒業式の日からずっと、白き翼全員がまた集まることを夢見て大切に持っていたでござるからな」

『あいつは何度も顔を合わせてるっつーのにんなことを……っつーか、全員集まるって絶対に無理じゃねーか。みんな何歳まで生きると思ってやがる』

 白き翼全員ってことは100年の眠りについた神楽坂も合わせてってことだ。

「ははは、そうでござるなぁ。そんな未来まで生きられるのは、エヴァ殿に茶々丸殿、神霊になったさよ殿、仙人になった拙者と古、それと精霊になった千雨殿くらいでござるかな」

『別に不老不死になるために精霊になったわけじゃねーけどな』

 精霊化は風水をより強力に扱うために必要だからやっただけだ。半精霊にすらなっていない私だったら、数万詞階しか操れないどこにでもいる風水師にしかなれなかっただろう。

「いやしかし千雨殿、こっちに戻って明日菜殿の目覚めを待つつもりはないでござるか?」

『ねーよ。そもそも私とあいつは仲良くなんてなかったっつーの。それに……』

 それに、目覚めるのは神楽坂じゃなくてアスナ姫なんだ。

『……それに、その役目はネギ先生のもんだろ』

 私はとっさに本心を隠して別の言葉を念話にのせた。
 神楽坂の消滅。それは白き翼にとって最大の禁句だ。そう口にしていいもんじゃない。

「ネギ坊主、な……」

『さすがにもう坊主はやめてやれよ』

「先生というのもいかがなものか」

『生徒にとって先生は卒業後も先生なんだよ』

 別れ際の香港では先生と呼ぶなと言われたもんだが。

「で、ネギ先生は、結局不老不死になったでござるか?」

『あー、それな……』

 魔法世界で真祖の闇の魔法を身につけたネギ先生。
 その作用っつーか副作用っつーか、そんな感じのものでネギ先生は不死の魔物へと昇華した。はずだった。
 吸血鬼の真祖であるエヴァンジェリンと同等の生物になったはずのネギ先生。そのはずなのに、歳を取るとともにすくすくと背が伸びていった。
 不死の魔物になったならエヴァンジェリンと同じく子供の姿で成長が止まるはずだ。

『だから不老不死にはなってねーと思うんだが……ちょっとな』

「ふむ?」

『あいつもう三十路越えてんのに見た目若すぎると思わねーか?』

 私自身も三十代後半だったというのに若いままだったが、それは若い頃に半精霊化していたからだ。

「ふむむ、不老不死になったと思っていたでござるから気にしたことはないでござるなぁ」

『成長するだけ成長して老いないって、さすがに都合良すぎねぇか。今となっちゃどーでもいいが』

 ネギ先生が不死でも人間のままでも割とどうでもいい話だ。
 もし神楽坂の人格が目覚めた後も生きていたなら、責任取らせるためにネギ先生をあらゆる手段を使って生きながらえさせてただろうけどな。しかしそれはもしもの空想の話だ。

「どうでもいいでござる、か。しかしな、千雨殿これを見るでござるよ」

『あん?』

 畳の上に正座していた長瀬がおもむろに立ち上がり、首の回りにマフラーのように巻いていた布をするすると首から外す。
 忍者っぽい衣装だが何のためにあるかよくわからないそのマフラーを右手に掴むと、長瀬が呟いた。

「アベアット」

 長瀬の右手に魔力が渦巻く。これは、西洋魔法の力。転送の魔法だ。
 マフラーがどこかへと転送されていき、代わりに長瀬の右手に一枚のカードが収まっていた。
 まだわずかに幼さが残る中等部時代の長瀬の姿が印刷されている絵札。西洋魔法のパクティオーカードだ。とすると、先ほどのマフラーは長瀬のアーティファクト『天狗之隠蓑』か。

「というわけでござるよ」

『いや、なにがというわけだよ』

「おや、千雨殿にしては察しが悪い」

 なんだおい。喧嘩売ってんのか。

「アーティファクトは契約相手が死ぬと、カードの柄が消えアーティファクトが使えなくなる、でござるな」

『そうだな』

「時間や平行世界を渡って契約相手がいなくなると、死亡と同じようにカードは一時的に効力を失う。これは実際に拙者が渡界歩法を身につけたあとに何度か試したゆえ確かなのでござるが……」

『別世界に来たのにアーティファクトが使えると。でもこの世界にもこの世界のネギ先生はいるだろ。今五歳くらいか?』

「そのネギ坊主は拙者と契約したネギ先生ではござらぬよ。そもそも拙者が契約したよりもここは過去でござる」

 なるほど。仮契約は魂と魂を繋ぐ儀式だ。
 長瀬が契約しているのはあくまで別世界のネギ先生。この世界の子供のネギ先生とは魂が繋がっていないっつーわけか。

「拙者達の世界にいたネギ先生が、この世界にもいるということでござるよ。どの時代の者かはわからぬが」

『なるほどなぁ』

 ネギ先生がこの世界にねぇ。

「……おや、意外と驚かないでござるな」

『いや、長瀬が来てるんだからネギ先生も来ててもおかしくねーだろ』

「拙者は皆に託されて一人で来たでござるよ?」

『その場は長瀬に託したとしても、その後ネギ先生が来ない理由にはならねーだろ』

 別に驚くことではない。
 あんだけ愛を説かれながら盛大に別れたんだ。すぐさま追ってこなかっただけマシってもんだ。

『もし火星開発全部放り出してこっちに来てるならぶん殴ってやるところだが……、まあそれはねぇだろう』

 そんなことをしでかす男ではない、と私は一応信じている。それにだ。

『だが来ていてもおかしくはねぇ。事業がネギ先生の手を離れて勝手に動くようにしておいたからな。私の居た時代から五年も経てば手は空くだろうさ』

 始めこそ英雄という肩書きのネギ先生を旗印にすることで成り立っていた国際太陽系開発機構ISSDA。私が去った2025年では既に火星開発は完全に軌道に乗っていた。
 軌道エレベーター、月面緑化、火星都市、魔法公開などの大事業は全て大成功を収めていた。その過程で私があることを懸念した。ネギ先生一人に権力が集中しすぎないかということだ。
 権力を持って暗愚化、などとは言わないがこの規模の事業で一人に力が集中するのはまずい。ネギ先生に何かあれば組織が立ち行かなくなって火星開発に失敗してしまう。それだけは避けたい。
 なので私はえっちらほっちら組織を仕分けて再編し、ネギ先生がいなくても事業が続くように仕組んだのだ。ISSDA特別顧問としての私の最後の仕事だった。

『だから、五年後以降のネギ先生の手元には、そもそも放り出せるだけのものが形ばかりの肩書きしか残ってねぇってわけだ。馬車馬のように働けなんて、さすがに開始から二十年以上も経ってんのに言い続けられねぇからな』

 魔法世界人でもねぇのに頑張りすぎだよ。そりゃ明日菜を生け贄に捧げただけの責任はあるが、それを言ったら『完全なる世界』を否定してネギ先生を後押しした白き翼全員にその責任がある。
 要は自分が頑張らなくても、最終的に魔法世界が崩壊から救われればそれで良いんだよ。

「なるほど、千雨殿なりの優しさでござるな。働き盛りの男子から仕事を取り上げるあたり千雨殿らしい優しさでござる」

『褒めてんのか貶してんのかどっちだテメー』

 そんなわけで未来のネギ先生は自由になってるはずだ。そのネギ先生が、どうもこちらの世界までやってきているらしい。
 アスナ姫が起きるのを待っていてやれと言いたくなるが、天才のネギ先生にとっては世界を渡るのはちょっと旅行に行ってくる程度の簡単なものなのかもしれない。実際長瀬のやつも私のいる時代と世界にぴったり合わせてやってきているのだし。

『しかしネギ先生がよりにもよってこの世界にか。面倒なことになってなきゃいいが』

 私は畳から立ち上がり、部屋の隅に置かれた旅行用の鞄を開く。
 中には千雨用の着替えと洗面道具、後は暇つぶし用に持ってきていた何冊かの本が入っている。
 私はその中から一冊の本を抜き出し、そのまま長瀬の方へと放った。

『古事記だ。読んだことあるか』

「む、幼い頃に隠れ里で読まされたことが」

『そっちじゃない。この世界の古事記のことだ。神代のニンジャについて詳しく書いてある』

 私の言葉に怪訝そうな顔をする長瀬。

『導入部分を大雑把に説明するとこうだ。遠い昔、世界は混沌に包まれていた。その混沌をニンジャの神が打ち砕いて鍛え直し、新しい世界を作った。ニンジャの神は次々と新しいニンジャを生み出し、世界を支配した』

 世界を支配したニンジャという言葉に、長瀬は眉をひそめ、静かに話を聞いていた幼いカエデが目を輝かせた。千雨は興味なさそうにぼんやりとしている。

『神は、世界の創造と支配が終わったのを確認すると、新たな世界を求めて空高く飛び立っていった。月よりも遠い星へと神は旅立った。こんな導入だ』

「ふむ、よくある神話でござるな」

『よくある神話なんだけどな』

 そう念話を飛ばしながら、私は長瀬の傍らに立ち、彼女の手の中にある古事記のページを捲った。

『ここだ。ニンジャの神。その名は』

「……神楽坂明日菜姫」

 そう。古事記に記された神話の時代。世界を創造しニンジャを生み出した神の名前が、よりにもよってあの神楽坂と同じなんだ。
 偶然か? んなわけあるか。
 そもそもこの世界は平行世界。私達のいた世界とは歴史のどこかで分岐した世界なんだ。だというのにこの似ているようで似ていない奇妙な世界の有り様ときたら。神話になるくらい昔に何かがあって分岐したって言われても納得できる。

『長瀬。あの女ニンジャから助けてくれたのは礼を言う。けどな、これ以上ニンジャに関わるな。神楽坂明日菜姫がいたであろう古代のニンジャソウルが現代に蘇ってきてる? んなもん追ってたら絶対ろくでもないことに巻き込まれる。さっさと元の世界に帰れ』

 古事記を長瀬の手に押しつけながら、私はそう言い放った。
 私はこの世界で平穏無事に暮らすんだ。精霊としての生活も軌道に乗ってきている。あまりかき乱してくれるな。







あとがき的作品注釈な
UQ HOLDER!では月の全域開拓がされていなかったり世界への魔法の公表時期が2075年前後だったりと、この作品に出てくる2035年の世界とずいぶん様子が違いますが、この作品の千雨がいたのはネギま最終回とは別の平行世界(ネギま352時間目の時間軸の世界)というのを言い訳にUQ HOLDERの新設定には合わせていません。月を無視していきなり火星開発ぶっつけ本番は実際不自然な。
明日菜がいない世界では千雨が好き勝手する。なおネギま354時間目では魔法と魔法世界の公表が2009年予定となっているが古い情報は最新作に淘汰される。いいね?


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