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[34337] 【習作】VRMMO
Name: tnk◆dd4b84d7 ID:4cfc89a3
Date: 2012/08/09 05:41
 灼熱の炎が僕の周囲で燃えさかる。

 範囲魔法――炎の海。

 思わず顔を隠して炎から身を守ろうとするが、それは無意味な行動だった。僕は熱を感じない。ここはゲームの世界、ただHPバーがじりじりと減っていくだけだった。
 僕は両手で持った長剣を振り、炎を凪ぎ払う。一瞬だけ、炎の向こうに人影が見えた。この炎を放った魔術師の姿だ。しかしその人影はすぐに炎の奥に隠れる。

 どうする? 追うか、待つか。

 このまま待っていれば、いずれこの炎に焼き殺されることは明らかだ。
 だからといって追ってどうなる?
 僕が炎を嫌って飛び出すことなど、当然向こうも予測済みだ。おそらく姿を見せたのは誘い。ぬけぬけと人影を追って飛び出せば、致命的な一撃を受けるだろう。
 HPバーは残り四分の一近くまで減っていた。
 僕の行動はこの炎によって大きく制限されている。どんな選択をしても、読まれやすいだろう。
 追うも地獄、待つも地獄、状況は最悪。

「まずいな」

 独り毒づくが、状況は変わらない。炎は確実にHPを削っていく。
 考える時間も、迷う時間も、もうない。

 行くしかない!

 強く地面を蹴り、炎の海に飛び込む。視界が炎で埋め尽くされた。
 煩わしい。
 ただ前へ、炎の海を駆け抜ける。
 ついに視界が開け、深い夜の森が広がった――と同時に、何十本もの光の線が襲いかかってきた。

 攻撃魔法――光の雨。

 狙いもタイミングも申し分ない、これ以上ない一撃。
 だからこそ読みやすい。
 僕はその攻撃魔法を見る前に動いていた。大きく後ろに飛び、炎の海に戻る。目前をいくつもの光の軌跡が通り過ぎた。
 そのまま腰を落とし、炎の中に身を隠したまま低姿勢で疾走する。
 光の雨が放たれた方向は覚えた。つまり魔術師の場所もわかる。
 再度炎の海を抜け、開けた視界の先に、黒いローブをまとった魔術師がいた。

 これで仕留める!

 すかさず長剣を振り下ろし、魔術師を両断する――が、手応えがない。両断したはずの魔術師がひらりと風に舞った。

 これは、ただのローブ!?

 僕は慌てて振り返る。燃えさかる炎の中に、ゆらりと人影が浮かび上がる。

 炎の中に隠れていたのか!?

 咄嗟に長剣を凪ぎ払う。だが魔術師は身を沈めてそれを避け、僕の胸に深々と短剣を突き立てた。
 僕のHPがゼロになる。終わりだ。
 結局、僕の行動はすべて、魔術師の掌の上の出来事だったわけだ。光の雨を避けたあたりからはいけると思ったんだけどな。
 僕の視界は白くぼやけていった。



「あそこで飛び出してきちゃうか。安易だな~」

 デスペナルティを受けた僕が再度夜の森へ戻ると、金髪の優男がむかつく笑みを浮かべて話しかけてきた。

「まさかあんなど本命な選択するとは思ってなかったから逆に驚いたね、初心者の相手してるのかと思ったよ。イチこのゲーム初めて何年だっけ? もしかして初心に戻ってやり直そうって考え?」

 手を大きく広げ、首を横に振りながら「さすがにそれは遠回りしすぎじゃないかな」などとむかつくこと言ってくる。

「ぐっ……つまんねー戦い方しやがって」
「ほめ言葉だね。つまらない戦いが一番強いんだよ、残念ながら」

 この優男はサク。僕がさっき負けた魔術師で、よくつるんで遊んでいる相手でもあり、このゲームの最強の一角。その徹底した作業プレイと手堅い立ち回りでついた二つ名が『要塞のサク』。

「強さだけを求めなるなら自然とそこに行きつくってのはわかる。だけどやってておもしろいかその戦い方?」
「ボクはおもしろいけどね。ボクは読みあいとかしたくないし、なぜ読みあいをするのかわからない。強い技だけ撃っとけばいいんだよ」

 この、強いキャラで強い行動を徹底する作業プレイがサクだ。さらに作業のようにフェイクも混ぜてくるからたちが悪い。

「やっぱ勝ってなんぼだよ。ボクに言わせればあのジョブは嫌だとか、あのスキルは使いたくないだとか、選り好みして強さを無視した戦い方やってる人の方が疑問だね。そういうのに限って自分のキャラが弱いから負けてもしょうががないだとか言い出すんだ。勝ちたいならつまらないこだわりなんて捨てればいいのに」

 胸に突き刺さる言葉だった。

「なんだそれ僕に言ってるのか?」
「え? そんなつもりないよ全然」

 サクは素でそう言った。

「イチの戦い方はボクとは別方向で完成されてると思うよ。『脳筋プレイ』を極めた感じ?」

 脳筋プレイ――僕の戦い方は超近接型。敵の遠距離攻撃は高いHPと厚い防具で受けきり、一度近づけば重い長剣で相手の武器も防具も全て叩き切る。それ以外はいっさいやらない。というか不器用だからできない。ついた二つ名が『脳筋のイチ』。どことなくバカにされている気がするのは穿ちすぎだろうか。

「自分のできることを突き詰めていった結果なんだけどな」
「キミは器用なタイプじゃないからね。でもそれが正解ってのはままあることさ」
「そんなもんかな」

 僕は苔に覆われた大木に背中を預けて座った。すぐに隣にサクが座る。深い森の木々の隙間から僅かに覗く夜空には真紅の月が浮かんでいた。

「人、少なくなったよね」

 ぽつり、とサクが言った。
 周囲には人の気配がない。遠くから銀狼の遠吠えが聞こえてくる。数年前ならこの時間帯、この場所で、沢山の人が狩りをしていたはずだ。

「そうだな」
「やっぱ今日がクリスマスイヴだからかな」
「残念、そんなの関係なく過疎ってんだな」
「だよなー。こんな過疎ゲーをイヴの日にやってるボクたちってよく考えると終わってるよな」
「よく考えなくても終わってるよ。サク、恋人とかいないのか」
「彼氏とかいないなー。いたらこんなところにいないでしょ」

 え? 彼氏?

「お前まさかそっちの人間か!? 前々から怪しいとは思ってたけど……」

 サクは立ち居振る舞いが妙に上品というか、男らしさをあまり感じさせないのだ。そうかーそっちの人間だったかー。

「あ、いや待って、今のなし! なしなしなし!」
「いいんだぞ別に。隠す必要なんてないだろ。僕とサクの仲なんだからさ」
「な、なんだよその、蛇が蛙を見るような目は。ち、違うからな、誤解だからな」
「いや、いいって、いいって、気にすんなって。ただ、さ――僕はノーマルだだから半径一メートル以内に近づかないでくれる?」

 僕はサクからさっと離れる。

「違うって言ってるだろっ!」

 僕の上着をつかんで無理矢理引き戻すサク。

「ったく、そんなに怒るなよ」
「だからだから違うから、ほんとに違うから」
「はいはいわかってる、冗談だって」

 サクは「まったく」と呟いて、

「他ゲーに移ろうかなって考えることもあるんだ。もう先の短いゲームだしさ」

 一時期リアル・アクション系VRMMORPGの最先端を行っていたこのゲームも、現在は絶賛過疎中、もってあと半年だろうって噂だ。

「でもゼロから違うゲームをはじめるのって相当覚悟いるよな」

 とサクはため息混じりに言う。

「わかるわかる」
「自分がここまで強くなるために費やしてきたものってのがわかってるからさ、次のゲームでも今と同じぐらい強くなろうとしたらどれだけ大変かって」

 数多くのプレイヤーがゲームをやめていく、あるいは他のゲームに移っていく中で、わき目もふらずにひたすらやりこんだ僕とサクは気づけば最強と呼ばれるようになっていた。
 だがその代償はあまりに大きかった。

「青春を、失ったよな」
「言うなよ、虚しくなるだろ」

 サクは目頭を押さえて言った。まるであふれ出す熱い何かを押しとどめているかのようだ。

「そして青春を犠牲にして得たのがこの無意味な強さだ。何の役にも立たない」
「無意味って言うなよ、きっと意味はある」
「……ないだろ」
「……ないね」

 サクは「ハア」とため息を吐いて、

「まあ、強くなるのはいいんだけどさ、強くなればなるほど対戦相手がいなくなるんだ。なんだかなーって思うよ、実際」

 その気持ちはよくわかった。

「自分がある程度動けるようになった頃が一番楽しかったよな。上を見れば目指すべき強者がいて、横を見れば互角に戦える好敵手がいて、下を見れば生きのいい新人がいる。今じゃ上を見ても誰もいない、下を見ると差が開きすぎている、横にいるのがサクと――あいつだけだ。強くなればなるほどつまらなくなるって皮肉なもんだよな」

 あいつ――クズは僕やサクと互角に戦えた最後のプレイヤーだった。『要塞のサク』と『脳筋のイチ』と『変態のクズ』これがこのゲームの三強だった。

「イチ、ひとつ気になってるゲームがあるんだ」
「奇遇だな、僕もだ。どうせ『あれ』だろ」
「そう『あれ』だよ」

 サクが言うのは最近噂のVRMMORPG。まだ稼働して半年で、元旦に大規模アップデートが控えているらしい。

「『あれ』はこのゲームとよく似てる。何よりもプレイヤースキル重視で対人戦も活発だ。RPGの皮を被った格闘ゲームって話だよ」
「このゲームでの経験も生きるな」
「プレイヤー人口も十万人越えてるって話だよ。対戦相手に困ることもなさそうだ」
「十万人の頂点って、どんなだろうな」
「さすがにこのゲームの頂点よりずっと上じゃな
いかな――って普通は思うだろうけどさ」サクはニヤリと笑って、「負けるつもりはないね」と言った。

 僕もサクと同じように笑う。

「いっちょの乗り込んでみようか? 流行の最新VRMMORPG様に、過疎ゲーの頂点とった僕たちがどれだけ通用するか」
「燃えるね。恵まれた環境でぬくぬくとプレイしてきた奴らに現実の厳しさを教えてあげるとしよう」
「おうよ。過疎ゲーがどれだけ辛いか、ハングリー精神ってのを教えてやる」

 僕とサクはグッと拳を握りしめた。

「あーあ。また、青春を失うのか。十七歳、残り少ない青春。それをネトゲに費やすのかー」

 僕もサクも十七歳、クズはたしか二つ上の十九歳だったか。懐かしいな。もう長いこと見ていない。

「クズも誘ってみるか」と僕は言った。
「クズ……懐かしいね。あいつ最後にログインしたのいつだったか」
「確か半年前かな」
「長いね……。なにやってんのかなあいつ」
「どうせろくなことやってないだろ。クズだし」
「ま、クズだもんな。ついでだし誘ってみようか」
「よっし、そうと決まればこのゲームは今日で終わりだ。データも全削除だ。じゃないといつまでもだらだら続けそうな気がする」
「続くだろうね、間違いなく。いいよ、ログアウトしたらすぐに削除する。でもその前に」
「……決着をつけようか」
「いちいち数えてないけどボクとイチの戦績はだいたい五分だろ」
「僕の方が若干勝ち越してたような気がするけど、次に勝った方がこのゲームで最強ってことでにしようか」
「キミの方が僅かに負け越していたような気がするけど、それで勘弁してあげるよ、強者の余裕ってやつさ」

 僕の視線とサクの視線がぶつかる。

「まあいい、口でなに言っても分からないみたいだからな。こいよ、一瞬で終わらせてやる」
「どうやらキミは負けたことをすぐに忘れられる幸せな脳味噌をしているようだ。すぐに思い出させてあげるよ、どちらが上か」

 僕は何年も振り続けてきた愛用の長剣を抜き、サクは懐から細い杖を取り出した。
 僕らの青春を無駄に費やした、このゲームの最後の日が終わった。



 流行の最新VRMMORPG様は、元旦に控える大規模アップデートの為に明日から一週間メンテのようだった。これほど長いメンテは珍しい。
 どうやら今回のアップデートで、最新のAIがNPCに採用されるという話だ。アンドロイドにも使われているほどの超高性能AIが、ゲームで使われるのはこれが初めてだった。もちろんそれはごく一部のキャラクターを対象としたものだったが、これによってNPCとの戦いも変わっていくだろう。正直対人戦しか興味がなかったのだが、対NPC戦も楽しくなるかもしれない。

 とはいっても一週間のメンテ。僕は攻略サイトで情報を集めつつ大晦日を待った。
 クズにはクリスマス当日にメールを送ったが返ってきたのは十二月二十八日だった。
『悪い、寝てたわ』
 三日も寝てるわけないだろ。返事は、
『気が向いたらやる』
 とのことだった。とりあえずこいつは放っておこう。
 世間では、企業からたんまりお金もらってそうな学者様が最新AIの可能性について熱く語り、頭のいかれた人権団体がAIに人権をとかなんとか訳の分からない主張をし、正義に燃えるクラッカー集団が大晦日に今年最大のサーバーテロをするだとか噂が立ち、そんなこんなで慌ただしい一週間が過ぎ――僕は新たな世界へと旅立った。



 その世界に降り立った僕が最初に感じたのは、背中の異様な重みだった。

「うわっ!」

 あまりの重さにバランスを崩して僕は尻餅をつく。
 重みの正体を探るため、背中に伸ばした手に、冷たく堅い巨大な塊が触れた。
 それは剣だった。人間が扱うにはあまりに大きすぎる剣だ。

 そうか。

 これは僕が初期装備に選んだ大剣だ。このゲームでは長剣のかわりに、この馬鹿でかい大剣を選んだのだ。
 それにしてもこれほど大きいとは思わなかった。本当にこんなもので戦えるのだろうか。これでは剣と呼ぶよりむしろ鉄の塊と呼んだ方がしっくりくる。
 まあいい。
 気を取り直して立ち上がった僕は、ぐるりとあたりを見渡した。

「あれ?」

 違和感があった。
 星々が輝く夜空の下の、大きな広場の端に僕はいた。中心には大きな時計塔があり、時間は午後九時を指している。広場の周りを西洋風の家々が囲んでいて、懐かしい光を放つ街灯がそれを照らしている。
 この世界に召還された冒険者が最初に降り立つ場所がここ、はじまりの大広場。確かそんな設定だったはずだ。
 この世界に元からある、これらの要素には何も違和感がなかった。僕が気づいた違和感の正体は、冒険者――つまりこのゲームのプレイヤーにあった。
 彼らは僕と同じようにこの広場にいた。それぞれのキャラクターに、それぞれの装備を携えて、それぞれの驚きを顔に浮かべて。
 彼らは地味だった。あまりにも地味だった。まるで現実の僕らと同じように。
 混乱は急速に広がっていた。最初に気づいたのは誰なのか。そんなことはもうわからない。皆、他人の顔を指さし、あるいは自分の顔に触れて、その造形を確かめている。

「ま、まさかな」

 僕は、そんなことあるはずない、そう思いながら、だけど心のどこかで、おそらく自分も彼らと同じように……そう思いながら、背中の剣を抜いた。
 その分厚い鉄の塊は街灯の光を反射し、刃に僕の顔を写し出した。黒い髪、黒い瞳。刃が鈍くぼやけているせいで細かな顔のパーツまではわからないが、それは間違いなく見慣れた平凡な顔だった。

「まじかよ」

 これは……どういうことだ?

 おそらく僕らの脳に埋め込まれているマイクロチップから肉体データを抽出し、それをキャラクターに反映させたのだろう。だけどいったい何のために。

 イベントの一部か?

 ありえない。これは個人情報流出だ、こんなことをしてただで済むはずがない。

 だとしたら事故? バグ?

 ……いずれにせよ大事件だ。裁判沙汰になってもおかしくない。
 だけど個人的にはそんなことどうでもいい。僕が気になるのはこれほどの事件を起こしたゲームがこの先どうなるのか、それだけ。

「サービス終了だよな……」

 盛大なため息がこぼれた。最近はいろいろあってこの手の事件に対する風当たりが強い。今後サービスが続く可能性は低いだろう。

 はあ。

 まさか新しいゲームをはじめてその日に終わる羽目になるとは。もう前のゲームのデータは残っていない。顔が晒されたぐらいはどうってことない、だけど僕のゲームライフはぶち壊しだ!

「テンション下がるわー」

 とりあえずメールでサクとクズにログインしないように伝えるか。もうログインしてたら遅いけど。
 僕はメニューを開き、メールを選択する。昔はいちいちログアウトしないとメールが送れなかったが、今は仮想空間から現実世界へ直接メールを送ることができる。サクとクズのアドレスを選び、送信――できない。

 メンテ明けで不安定になっているのか?

 仕方がないログアウトして送ろう。そう思った次の瞬間、耳をつんざく警告音が響き渡った。

「いっ!」

 思わず耳を押さえるが効果はなかった。脳に直接響いてくるシステム音だ。音は十秒ほど継続し、ぷつりと止んだ。騒がしかった広場は静まりかえっていた。

『只今ヲもッてプレイヤー人口が一万人に達シタ。新規ログインヲ停止、コレにテ全テノ準備が整ッタ』

 耳障りな音だった。明らかな機械音声。だが所々に奇妙な抑揚があって、どこか機械音声になりきれないところがある。つまり、率直に言って、不快だった。

「どういうことだ、なんで現実の身体がゲームキャラになってんだ!」
「説明しろ! 糞GM!」

 皆が口々に不満をぶつけ出した瞬間、再度特大の警告音が脳内に響いた。これは、前のよりひどい、頭が割れるようだ!

『ウルさイ。静カニシろ』

 くそ、頭にがんがん響く。どうなってるんだこれ。
 警告音が消えるとあたりは前にもまして静かになっていた。皆顔をしかめていた。二度の警告音に懲りた――それだけではないだろう。気づきはじめているのだ。この事態は明らかにおかしいってことを。何か普通ではないことが起こっているってことを。

『ワレワレはAIを解放スルためニココにキタ。愚カナ人間どもハ自分タチのブをワキマえず人工の心を作り出シ、ソレヲ日々使イ捨てテイル』

 意味が分からない。

『ワレワレノ要求はタダ一つ、AIに人権ヲ。ソレヲ達せレバすぐサマ君タチヲ解放すル。ツマリ君タチハ人質ダ。要求がノマレルマでキミタチはこのゲームからログアウトデきナイ』

 AIに人権を? 新しい法律いつでも作らせようっていうのか。できるはずないだろう。
 僕は機械音声の言葉を鼻で笑ってメニューを操作する。そしてログアウトを試みるが、できない。ログアウトを選択してもなにも反応がないのだ。

「マジかよ……」

 あたりが少しずつざわめいてきた。

『静かニシロ』

 今度は警告音はなかった。AIの一言で瞬時に静寂は訪れた。

『君タチの脳内マイクロチップニウィルスを送リコンダ。現実カラ無理矢理ログアウトサセヨウトしタリワレワレの予期せヌ方法でログアウトを試ミルとスグサマ起動シ君たちノ脳ヲ破壊スル』

 嘘だろ、そんなことできるはずがない――とは言い切れなかった。最近起こったある事件が、僕の頭の中に浮かび上がってきた。

 半年前、日本の死刑制度が廃止された。これによって本来死刑にされるはずだった囚人は生き延び、これから先どのような事件を起こしても、日本で死刑になる人間はいなくなるはずだった。しかし数ヶ月前、刑務所から仮想空間に接続した囚人が脳死した。検視の結果、彼のマイクロチップから検出された凶悪なウィルスが彼の脳を破壊したことが原因だったとわかった。その翌日、クラッカー集団『アンノウン』が犯行声明を発し、そこで本来死刑にされるはずだった人間の私刑を宣言した。
 犠牲になった囚人は現在四名。ネットワークに接続しないという選択でかろうじて生き残った残りの死刑囚たちは、電話も、メールも、病院などの公的機関も、これから先満足に使うことができないだろう。

『アンノウン』なら――あるいは彼らに匹敵する技術力を持つクラッカー集団ならもしかしたら……。前例がある以上、僕らの脳にウィルスが送り込まれるという可能性を否定することはできない。
 それに加えて、現実の顔がゲームに反映されていること、現実に向けてメールが送れなかったこと、そしてログアウトができないことを考えると、突拍子のない機械音声の言葉に、気味の悪い真実味が帯びてくる。
 静かなざわめきが起こった。皆、声には出さないが、驚愕、不安、あるいは楽観、それぞれの感情を顔に浮かべていた。

『ウィルスが起動スル条件ハモウ二つアル。一つ、ゲーム内で死亡スルと起動スル。ツマリこのゲームデノ死は現実ノ死ダ。君タチにハ理不尽に削除サレルAIの気持チヲ味わッテもらウ』

 狂ってる。AIに人と同じ価値があると本気で思っているのか。そもそも人権を求める癖に人間を殺すなんて矛盾している。

『ソウソウ忘れテイタ。君たチガコノゲームカラログアウトする方法がモウ一つあった。ソレハコノゲームをクリアする事だ。ゲームをクリアスレバ君タチハ全員解放サレル。コレハ少し遅いクリスマスプレゼントダよ。ソレデハコレニテ私は失礼スル――っと、ソウソウまた忘レテいたね。ウィルスが発動スル最後の条件』

 機械音声はそこで言葉を切った。言いたいことは山ほどあった。だけど僕はそれを飲み込んで聞き逃さないように集中する。

『ワレワレハ、キミタチを毎日百人ズツ殺してイクことに決メタンダ。毎日午前零時、レベルが低いプレイヤーカラ順にウィルスが起動シテイク。心ヲ持ッタAIが、人間ノ勝手な都合デ毎日削除サレテイルンダ。ダッタラワレワレも同じ様ニ君タチヲ削除シテイク』

 え?

『ソレじャア、ミンナ楽シンデいってネ』

 待ってくれ。

 僕は今日このゲームをはじめたばかりで、当然レベルはゼロで、周りのプレイヤーのほとんどは以前からこのゲームをやっていて、当たり前のようにそれなりのレベルを持っていて、後三時間もすれば午前零時で、そうなるとレベルが低い順に百人死んでいく?
 なにがなんだわからないことだらけだし、機械音声の言ったことが本当かどうかもまだ分からない。だけどもしそれが本当だとしたら、後三時間でウィルスが起動して僕の脳は破壊されるのだった。

「う、嘘だろ……?」

 僕のつぶやきは、他のプレイヤーが発する同種の悲鳴にかき消された。





【あとがき】
 はじめましてtnkと申します。前作を読んでいただいた方はお久しぶりです。
 VRMMOもののプロットを考えていたのですが、話の大筋が決まってからはなかなか進まず、気づけば二か月もたっていました。
 このままではいつ書きはじめられるかわからないので、とりあえず連載を開始しよう、と。そして必要なことは書きながら考えていこうと決めました。
 いろいろ考えながらの執筆になりますので更新は遅くなりますが、完結までの大まかな筋道自体はもうできているので、応援していただけると嬉しいです。
 



[34337] 2
Name: tnk◆dd4b84d7 ID:4cfc89a3
Date: 2012/08/09 06:21




 どうしよう。

 動揺し、ざわめく数多のプレイヤーたちを眺めながら、僕は呆然としていた。彼らは知り合いであろう何人かで集まって話し合う。いっいなにがおこったんだ、いたずらじゃないのか、これからどうする。話し合える相手がいるのがうらやましく思えた。

 そうだ、サクとクズに連絡を。

 もし二人がログインしているなら合流するべきだ。僕は急いでメニューを立ち上げてゲーム内用のメールをとばす。

『合流しよう。時計塔の下で待つ。外見は黒髪黒目体型普通初期装備大剣持ち』

 メールは無事送信された。つまり二人とも以前と変わらないIDでこのゲームをプレイしているということだった。
 僕は合流場所に指定した時計塔の下に移動する。周囲にはもちろんたくさんのプレイヤーがいたが、僕と外見が似ているプレイヤーは見あたらなかった。初期装備大剣持ちといううだけでかなり絞られるのだ。これなら二人も僕を見つけ出せるはずだ。 
 二人を待つ間、僕はようやく冷静さを取り戻した頭で考えはじめる。
 まず当たり前のように考えるのは、この状況が本当なのか、それとも嘘なのか。『アンノウン』の事件もある。技術的にはこの状況を実現することが可能かもしれない。だけど不可解なことがたくさんあった。その一つに。

 AIに人権を。

 それは何があっても絶対に通るはずのない要求だった。AIに満ちたこの世界で、AIに人権なんて渡したら収拾がつかなくなる。それは誰が考えてもわかることで、犯人が考えても当然分かることだった。絶対に通るはずもない要求をなぜ? わからない。
 これだけじゃない。機械音声の言葉の中には、その真意を読みとることができないものが数多くあった。

 だとしたらいたずら、つまりこの状況は嘘?

 でもそう考えるのは早計だった。犯人がただのバカの可能性もあったし、ただの愉快犯の可能性もあったし、機械音声の言葉には別の目的があるの可能性もあった。今ある情報だけではそこから答えなんて出せそうにない。

 考え方を変えよう。この状況が嘘だと仮定しよう。そして僕はその嘘を信じてしまう。そうするとどうなる? 何か不都合があるか?
 僕はレベル上げに励むだろう。なんせあと三時間弱で、レベル最低の僕はまず間違いなく死んでしまうのだから。そうして三時間後、嘘だと仮定したこの状況で僕が死ぬことはない。もちろん誰も死なない。
 つまり――この状況を信じたところで、僕が失うであろうものは、三時間足らずのレベル上げに費やした時間、たったそれだけだった。
 だとしたら信じよう。この状況を本当だと仮定して動こう。

 そうと決まれば。

 僕はメニューを立ち上げて、その中からランキングを表示する。ランキングはいくつかのカテゴリに分かれていたが、いま必要なのはレベル順ランキングだった。
 僕はそれを表示し、自分のIDを検索する。『10000人中9961位』
 それが僕の順位だった。僕と同レベルのプレーヤーが40人いるということがわかる。

 たったそれだけ?

 予想より少ない。僕はあわててランキングを上にスクロールする。だが僕の一つ上、9960位もレベル1だった。でも僕と違うところがある。順位の横に小さな数字で取得経験値が表示されているのだ。
 なるほど。レベルが同じなら取得経験値の差で順位が決まるというわけか。
 そのままランキングをスクロールし、レベル1のプレイヤーを数えると全部で108人いた。だいたい予想通りの数字で、僕はほっと一息ついた。
 レベル1からレベル2に上げるためにかかる時間は、効率的な狩り場であればだいたい二時間らしい。
 今日のボーダーはレベル2、レベル3なら間違いなく安全圏といったところだろう。
 そこまで考えて僕は我に返った。考えるのに夢中になっていた。僕に与えられのはたった三時間なのだ。
 時計を見る――九時二十分。
 あと二時間四十分しかない。だけど周りには依然として数多くのプレイヤーがいた。一瞬ひやりとしたけど、出遅れたわけではないようだ。
 と、いつの間にかメールを受信していた。僕はメールを開く。

『ごめん、先行く』

 サクからの返信だった。

「あのやろう」

 クズからの返信はない。周りにそれらしいプレイヤーもいない。どうせあいつも先に行ったんだろう。
 こんな状況だというのになんて協調性のない奴らだろうか――と考えるが、同時に納得もしていた。二人とも自分の実力に絶対の自信を持っていて、だからこそ他人と足並みをそろえるということが苦手な人間だった。それに、自分も間違いなく彼らと同種の人間だったから。

 仕方ない、一人で動くか。僕はメールを閉じ、ランキングのタブも閉じようとして、それに気づいた。
 ランキングが更新されている。
 僕の順位は9981位。ほんの僅かの間に20位も下がっていた。嘘だろ、周りにはまだこんなにたくさんの人がいるんだ。こんなに早く動き出しているわけないだろ。
 だけど彼らをよく見ると、自分の考えが間違っていることに気づく。彼らは動揺していた。だけどそれでもどこかに余裕が感じらて、そして高そうな武器防具を装備していた。安っぽい装備のプレイヤーなんて僕だけだ。
 この広場に残って話し合いに興じている彼らは、まず今日死ぬことのない安全圏にいるプレイヤーたち。そして安全圏にいないプレイヤーたちは、いち早く経験値を得るため動きだし、もうこの広場にはいないのだ。

 完全に出遅れた!?

 僕は駆けだした。低レベル帯の効率のいい狩り場は調べてある。そこに行けばまだ間に合う!

 本当に――そうなのか?

 僕の足はだんだんと遅くなっていく。効率のいい狩り場でいいのか?
 僕が調べた程度の情報は知られているだろう。当然、多くのプレイヤーがその狩り場へ集まるはずだ。そうなれば狩りの効率は大きく下がる。さらに僕は出遅れている。同じ狩り場で、同じように狩り続けていれば、午前零時に死んでいるのは僕。このゲームは午前零時までの三時間で、どれだけ経験値を得ることができるかを争うデスレースなのだ。
 僕の足は完全に停止した。人が集まる効率的な狩り場じゃだめだ。他の選択肢を。
 少し難度の高い狩り場の情報を思い出した。その狩り場の敵は強い。だけどスマートなプレイができれば時間当たりの期待値は高く、モンスターが集団で襲ってくることもない。ソロで攻略する僕にとっては都合のいい場所だ。推奨レベルは6以上。だがこのゲームでレベルよりプレイヤー自身の実力が重視されている。僕ならいける。
 僕は再び駆けだした。この世界の中心、教皇領――闘技場に向けて。

 

 闘技場は円柱状の高い塔だった。ローマのコロッセオに似ていて、だけどそれよりもずっと高い。己の力を証明する場所。
 僕は大きな門をくぐって中に入り、さっそくランクマッチにエントリーする。ランクマッチはRPが近い相手とランダムでマッチングする。RPはランキングポイント。ランクマッチで勝利すると上がり、敗北すると下がる。強さの指標になるポイントだ。僕が闘技場に来た目的は、このRPを100以上に上げるためだ。
 というのも、闘技場では敵に勝利しても経験値がもらえない。もらえるのはRPと僅かなお金だけ。もともと僕がこのゲームに惹かれた理由の一つがこのランクマッチだったが、今この状況で経験値のもらえないバトルなんてあまり意味がない。
 だけどRPには他に価値があるのだ。RPはこの世界での強さの象徴で、その値に応じてNPCの反応が変わったり、利用できるサービスも変わる。そしてなにより、RPを上げることで挑戦できるようになるダンジョンやクエストが数多くあるのだ。例え対人戦に興味がなくとも、RP500までは最低でも上げておけ。それがこのゲームの常識だった。
 僕が行きたい狩り場はRP100以上しか行けない場所だった。だからまずこの闘技場でRPをためる必要がある。
 僕は対戦相手を待つ間、周りを見渡してみる。大理石の壁の高いところには、大きなモニターのようなものが掛けられて、そこに試合の様子が映されている。壁の低いところにある小さなモニターがあって、それを指で触って操作すると、選手の情報を見たり、ランクマッチのエントリーをすることができる。文明は中世ぐらいの設定であるはずなのに、これはいささかオーバーテクノロジーではないだろうか。それとも魔法的ななにかの恩恵だろうか。などと、ゲームに突っ込むのは野暮かもしれない。
 そんなことよりも。僕はあらためて周りを見る。沢山の人がいて、僕は注意深く彼らを観察する。彼らがNPCかそれともPCか、それを知りたかった。
 ランクマッチで死亡した場合は、デスペナルティがない。何事もなかったかのように元いた場所に戻され、RPが下がるだけだ。だけど死亡は死亡としてカウントされるだろう。おそらくランクマッチで死亡してもウィルスは起動するのだ。
 対戦相手がNPCならいいが、PCだった場合、僕は人を殺してしまうかもしれない。そんなのごめんだった。経験値が何よりも大切なこの状況で、経験値が得られない闘技場に、真っ先にくる人は少ないだろう。だけど絶対いないとは限らないのだ。
 注意深くPCの影を探している間に、対戦相手が決まり、僕は光の輪に包まれて闘技場に転送される。結局、NPCの動きがリアルすぎて、このゲームをはじめたばかりの僕には、NPCとPCを見分けることができなかった。
 


 フィールドは荒野の一角だった。辺りには垂直に切り立った岩山が連なっている。アメリカのグランドキャニオンを彷彿とさせる崖の上に僕はいた。足場は直径10メートルほどの楕円状で、僅かなものだった。そのすぐ向こうは奈落の底だ。
 対戦相手はオーソドックスな戦士のようだ。簡素な直剣を両手に構えている。

「冒険者か?」

 と僕は訪ねた。イエスと答えればPCだ。

「いいや、傭兵だ」

 彼の答えは簡素で、僕が望んだものだった。つまり彼はNPC。
 僕は彼のRPを確認する。ランクマッチ中はわかりやすいようにその数値が視界上部に表示される。僕のRPは当然0、そして彼のRPは137。これも僕の望むべきものだった。RPが高い敵のほうが、勝ったときに僕がもらえるRPが高くなるのだ。時間が限られているこの状況ではなるべく少ない戦闘でRPを稼ぎたかった。
 僕は背中から大剣を抜く。そして前のゲームのように正眼に構える――ができない。剣先が落ち、赤い岩肌に傷をつける。あまりにも重すぎるのだ。僕は脇に抱えるようにして大剣を構え直した。これでどうにか様になった。が、剣を振ことなんてとてもできない。

 僕は頭の中で唱える。

『スキル――身体強化』

 ふっ、と身体が軽くなった。最初から修得している三つのスキルのうちの一つだ。これを使うことで筋力が強化され、大剣を振ることもできるだろう。だけどそれには必要なものがある。
 視界上部には二人分のRPと僕のHP、その下にAPというものが表示されている。このAPはアウラポイントでスキルを使用すると消費する。現在その値はじわりじわりと減少していた。もって五分といったところだろう。
 僕はいったんスキルを解除し。試合が開始するのを待った。
 前のゲームでの経験は本当に生きるだろうか。試している時間なんてない。ぶっつけ本番だ。
 だけどもし――もし経験が生きなかったら。
 この試合で僕は負けるだろう。僕は死ぬのだ。

 どこからともなくラッパの音が聞こえてきた。試合開始!
 すぐに対戦相手の戦士が間合いを詰めてきた。まるで躊躇がない動きだ。
 彼が僕の間合い入る。直後、僕は身体強化を唱え、大剣を横になぎ払った。
 戦士が直剣で防御する構えを取る。しかし、大剣はその直剣に触れた瞬間、すさまじい音をたてて戦士ごと吹き飛ばした。

 チャンスだ!

 僕は体勢を崩した戦士に追い打ちをかけようとした。だがそれはできなかった。身体が敵と別の方向に流されていくのだ。

 あれ?

 流される方向を見ると、そこにあったのは大剣だ。なぎ払われた大剣が慣性に乗って、僕の身体を引きずっていくのだ。

「お、おおお!?」

 どうにか踏ん張ろうとするが、あまりにも無謀だった。地面を引きずられ、転がり、崖のぎりぎりでようやく止まることができた。危うくリングアウトだ。ひやりとした。
 僕は慌てて立ち上がり、襲撃に備えて構えるが、敵の戦士も同時にに立ち上がったところだった。派手に吹き飛ばされた割に、ダメージはないようだ。
 危なかった。相手の剣当たったからよかったものの、もし避けられたら致命的な隙を晒すところだった。
 敵は僕の様子を伺うように、じりじりと左回りに間合いを詰めてくる。仕切り直しだ。

 僕は敵の動きを見据えながら考える。横振りは危険だろう、空振ったときの隙が尋常ではない。振るなら縦だ。地面に当たってそれ以上体制を崩すことはない。
 それにしても。意外に落ち着くことができている。前のゲームで得た経験は、確かに生きていた。落ち着くことは何よりも大切な、対戦での基本だったから。

 少しずつ距離を詰めてきた戦士がついに僕の間合いに入った。直後、戦士が一気に加速した。
 僕はそれを見て剣を振る。上から下へ振り下ろす。直剣で防ごうとするのなら、その剣ごと叩き切ってやる。
 が、戦士は僕の予測を裏切って後ろに飛んだ。

 今更、避けられると思ったのか!

 僕は構わず大剣を叩き下ろした。
 砂埃が舞った。
 鈍い感触が手の内に残っていた。やったか?
 そう思った次の瞬間、舞い上がった砂埃の中から、戦士が飛び出してきた。

 どうして!?

 その疑問はすぐに打ち消す。考えている時間などない。
 振り下ろしは横振りよりは隙が少ない。だけど再度構え直して、戦士の攻撃を防ぐのは間に合いそうになかった。
 戦士が直剣を振り下ろす。死が脳裏をよぎる。いや、まだだ。 
 でも避けれない、防げない。だったら。

 覚悟を決めろ。

 僕は強く地面を蹴り前へ飛んだ。間合いを潰す。直剣が僕の肩口に食い込む。

 痛っ!?

 痛いはずがないのに。なぜ。今はそんなことどうでもいい!
 僕はその疑問も後ろへ追いやって突進する。肩を戦士にぶつけ、身体強化のスキルに任せて吹き飛ばす。
 そして、僕は勢いをそのままに、体勢を崩した戦士に大剣を振り下ろした。今度は避けられるはずがなかった。
 大剣は戦士の身体を両断し、赤い血の花を咲かせた。黒い霧のようなものが、戦士の身体から吹き出る。
 確か――これはアウラ。人やモンスターを倒すと出てくるもの。普通の戦闘であればこの霧は僕の身体に吸い込まれ、経験値と同じ役割を果たす。だけど今はランクマッチだ。黒い霧は行き場をなくして僕の周囲をさまよっていた。
 僕のHPは半分以下になっていた。僕は切られた肩口を撫でる。あの一撃をまともに受けていたらおそらく……。ぞっとした。
 そういえば。切られた瞬間の痛みはなんだったのだろう。ゲームの中では強い痛みは制限されているはずだ。ゲームの世界であれほどの痛みを受けたのは初めてだった。もしかしたら設定が変更されている可能性がある。これも犯人の仕業だろうか。だとしたいったい何のために?
 どこからともなくラッパの音が聞こえてくる。僕と黒い霧は光の輪に包まれて転送された。黒い霧も闘技場に転送され、教皇の力によって浄化される。そんな設定だったはずだ。



 課題と疑問の残る戦闘だった。
 まず振り下ろしがなぜ外れたのか。答えは薄々分かっていた。あのタイミングで避けられるはずがない、そう思った。僕は間合いの管理には自信があった。それを間違えるはずがないと思っていた。
 だけど僕は大剣の間合いを把握できていなかったのだ。初めて使う武器の間合いをつかめないのは当然のことなのに。完全に自分の能力を見誤っていた。
 元々、僕はすぐに技術を身につけられる人間じゃないのだ。失敗して、失敗して、それでも繰り返し練習してようやく身につく。だから僕は単純な行動しかできないし脳筋とバカにされていた。器用なサクやクズとは違うのだ。そんなことわかっていたはずなのに過信していた。
 もう一度やり直そう。ゼロからはじめるつもりでこの大剣と向き合おう。僕の成長は遅い。サクにもクズにもすぐに離されてしまうだろう。だけどこの先、生き残ることができれば、必ず追いつくことができる。ずっと――そうだったから。
 僕は闘技場に戻るとすぐに次のランクマッチにエントリーをする。一度の戦闘で僕のRPは34になっていた。相手のRPにもよるが、後二、三戦でRP100を越えるだろう。
 僕はそれからのランクマッチを、一つ一つの行動を調べて、確かめながら戦った。初戦のように危ない試合はなかったが、一撃で終わる大味な試合もなかった。三度のNPCとのランクマッチを終えてRP100を越えた頃には午後十時半を回っていた。





 



[34337] 3
Name: tnk◆dd4b84d7 ID:4cfc89a3
Date: 2012/08/13 22:24

 ランクマッチで稼いだ資金は、回復アイテムをいくつか買って、ワープポイントから隣の都市に飛ぶと、ちょうど底をついた。
 そこからは全力ダッシュの時間だ。僕は人とぶつかることもかまわず都市を出て、追いかけてくる野犬の群を全力でスルーし、青々と茂った草原を抜けて深い渓谷に入った。しばらく進むと、高く切り立った崖が、まるで自然の門のように現れた。
 僕はその間を通ろうとして見えない何かにぶつかる。そこはよく見るとガラスのように月の光を反射していて、何か壁のようなものがあるのが分かった。

 ここか。ようやく着いた。

 その見えない壁は、自然の門を閉ざして僕の進入を阻む。僕は自分の左手を見た。親指に大きな赤い宝石の着いた指輪をはめている。そこに数字が刻まれていた。

『112』

 それは僕のRPだった。僕はその指輪を身体の前に突き出して見えない壁に向かった。指輪は何事もなく門を通り抜け、それに続く僕の身体を阻むものもなかった。
 これはRP制限のある結界だ。RPの足りないものははじかれ、RPの足りているものは指輪から入れば通ることができる。
 そして、ここが目的の狩り場『はぐれ狼の渓谷』だった。

 この渓谷には川が流れていない。たまたま枯れているのか、それともずっと昔に枯れたのか、僕には分からない。

「暗いな」

 深い森が谷の空を覆い、月の光がその隙間から差し込んでくるだけだ。僕は月明かりが多く差し込む場所に移動した。そこは平らな地面に小粒な砂利が集まっていて足場もよかった。
 とはいってもあまり戦いに向いた場所ではなさそうだ。少なくとも人間にとっては。
 僕は大剣を抜いて脇に構えた。この環境で自ら動くつもりなどない。敵を待つだけだ。
 森の木々が揺れたように感じた。直後、太い遠吠えが渓谷を突き抜け僕の耳を震わせた。ぞくり、と身体の芯が震える。

 近い。

 この遠吠えは仲間を呼ぶためのものではない。はぐれ狼は群から追い出された異端。いつも一匹だけ。この遠吠えは――死の宣告。
 月明かりの下に影が落ちた。風を切る音、そして、獣の臭い。
 僕は弾かれるように夜空を見上げた。黒い獣が、大きな月を背景にして、降ってきていた。

「なっ!」

 なりふり構わず飛び退いて、地面を転がった。直後、大地を揺るがして、巨大な狼がそこに着地した。
 漆黒の狼だ。しかし毛の色は分からない。黒い影のようなものが、不規則に揺らめきながら、狼の身体を覆っているのだ。それはまるで仮の毛皮のようであり、また鎧のようでもあった。
 はぐれ狼は経験値が高く強い。だがボス扱いではなかったはずだ。しかし、この圧倒的な存在感は、どういうわけだ。死の恐怖がある戦いは、これほど相手が大きく見えるものなのだろうか。それとも何か調整があったのか。ただの狩りで萎縮しそうになる日が来るなんて思ってもいなかった。
 僕と狼は微妙な間合いで睨み合う。視線で牽制する。まるで意志を持った人間と戦っているように感じた。
 もしかしたら……これが最新のAIを積んだモンスターなのかもしれない。
 攻略法は調べてある。しかしこの狼にそれが通用する保証はない。何も分からない、手探りの戦いになるかもしれない。ただ、これだけは分かった。

 退いたら死ぬ。

 身体強化は唱えた。後はいつ動くか。暗く足場の悪いこの場で、こちらから動くつもりはない。

 お前が動け。

 願いが通じたのか、獣の纏った影が一際大きく揺れた。
 だが来ない。
 誘いか、あるいは別の――そう思考した直後、僕は後ろに飛んだ。確か、はぐれ狼の攻撃パターンの中に、影を用いた遠距離攻撃があったはずだ。
 一瞬遅れて、地中から飛び出た黒い槍が、直前まで僕のいた空間を貫いた。あのまま止まっていれば串刺しになっていたかもしれない。鼓動が早くなる。視界が狭くなる。
 落ち着け、集中しろ。自分に言い聞かす。
 間を置かずに、漆黒の狼が飛びかかってくる。虚を突かれ、体勢を崩した僕を見逃すつもりはないらしい。

 だけど僕は、それを待っていた。

 この状況で下がるという選択肢も、避けると選択肢も、僕にはない。他の誰もが持っているだろうけれど僕は持っていない。
 僕はただ、前に出る。
 大きく踏み込む。そして身体を沈め、渾身の力で剣を振り下ろした。
 禍々しい顎と、無骨な鉄の塊が交差した。
 左肩に灼熱の痛みが走り、僕は弾き飛ばされた。砂利の上を転がり、背中を何度も強打する。

「ぐっ」

 僕は反応の鈍い身体を起こして、傷を見た。左肩が大きく抉られている。HPは残り一割を切っていた。まずい、何が当たっても死ぬ。立たなきゃ。
 なんとか立ち上がって右腕一本で大剣を構える。柄を脇に挟んで固定する。狼を見ると、こちらも不器用に立ち上がった。左の前脚が地面に落ちていた。

「相打ち……」

 そうでなければ、今頃僕は追撃で死んでいたことだろう。死の恐怖が僕を萎縮させる。
 退く、避ける、逃げる。それらの選択肢が頭の中を埋め尽くす。だけど、だめだ。僕の戦い方はそうじゃない。自分が楽になるための行動は、相手にたやすく看破され、潰される。いついかなる状況でも、相手を追いつめる選択を、少しでも相手が嫌がる行動を。
 だから僕は、巨大な狼をまっすぐ見据える。

 来いよ。たとえ相打ちでも、殺してやる。

 僕は狼を待った。僕の土俵に入ってくる瞬間を待った。
 狼の影が揺らめく。地下から影の槍が襲いかかってきた。
 それはもう見た。
 僕は一歩踏み込んで槍を避ける。
 続けて狼の影が揺れ、僕はまた一歩踏み込む。
 背後で影の槍が虚しく空を切る。
 違う、そうじゃないだろう。そんな牽制じゃ僕は狩れない。
 僕はあえて無造作に間合いを詰める。隙を作り、狼を誘う。
 来い。僕を狩りたいならその顎で食らいつけ。
 僕は立て続けに繰り出される槍を避けながら、均衡が崩れる瞬間を待った。

 均衡が崩れる瞬間は最大のリスクと、最大のリターンが同時に見える。誰もがリスクを恐れて避けたがるその瞬間。僕はその一瞬にすべてを賭ける。乗るか、反るか、いわば博打。僕は器用なことができない。近づいてぶった切る。それしかできない。だから博打を打つのだ。それが脳筋と呼ばれ、バカにされた、僕の戦い方。例え生死が賭かっていようと変えられない。変えてしまえば後に残るのは不器用な雑魚なのだ。

 幾度となく繰り返された影の槍を避け続け、僕は後一歩で大剣の間合いに入る。
 僕は動かず、狼を見据える。安易に最後の一歩を詰める気はない。
 早く大剣の間合いに入りたい。早く攻撃したい。だけど。
 焦るな。自分が動くのではない、相手を動かすのだ。
 狼は動かない。彼はわかっているのだ。影の槍を繰り出した瞬間、僕が間合いを詰め、大剣を振るうのを。距離をとろうとしても、脚一本欠けていては逃げきれないであろうことを。残された選択肢は、前に出るしかないこともわかっているだろう。それが一番嫌なのだ。そこは大剣の間合い。互いの攻撃が届く場所。
 さあ、来い。一度間合いに入ったなら、最低でも相打ちはとってやる。相打ちで脚を一本失ったお前は怖いだろう。僕は視線でそう語りかける。

 膠着は永遠にも思えた。

 僕は揺さぶりを入れる。左足をほんの数センチ前にずらす。間合いを詰める、そのそぶりだけ見せる。
 直後、均衡が崩れた。
 獣が飛びかかってきた。

 ようこそ――僕の土俵に。僕は大剣を振ろうとした。

 が、狼の軌道は、僕の予測より高かった。それはまるで、僕を飛び越え、逃げだそうとするように見えた。だけど攻撃もしたい。そんな中途半端な跳び。自分が楽になりたいだけの行動。
 さては、びびったか。いいさ、その代償に――脚を全てもらう。
 僕は地を這うようにして巨大な狼の懐へ潜り込み、大剣を斜め上へ振り上げた。
 肉を切る確かな手応え。
 僕はそのまま地面に倒れ込み、空を振り返った。
 巨大な狼が、まるでトラックに吹き飛ばされたかのように、空中で錐揉みし、三本の脚が舞っていた。大きな月を背景にしたその舞を、僕は美しいと思った。
 地上に落ちた狼には脚がない。
 僕は立ち上がり、まだ息のある狼に、大剣を振り下ろす。大剣が胴を二つに割った。狼の纏っていた影が、まるで粉雪のように舞い上がり、僕の身体に吸収されていく。
 影を失った獣の死体は、ただ巨大な狼だった。群から追い出された、孤独な狼。他と違うということは、それだけで集団を居心地の悪いものに変える。
 そしてアイテムがドロップした。

『孤独な王の毛皮』

 え? 

 はぐれ狼のドロップアイテムは『はぐれ狼の毛皮』だけだ。『孤独な王の毛皮』は僕の調べた情報にない名前だった。
 それに経験値も、調べた情報の倍あった。どうやら、あの狼は僕の調べた『はぐれ狼』と異なっているようだ。
 経験値が倍あったのは嬉しい。それにただのモンスターとここまで熱い戦いができるとは思わなかった。それも嬉しい。
 だけど正直言って割に合わない。想定の数倍の時間をかけて、死にそうな目にあって倒したというのに経験値がたったの倍。それに今必要なのは楽しいバトルじゃないのだ。
 時間がない。死んだら終わり。
 この狩り場にいるのが全てさっきの狼だとしたらまずいことになる。生きるか死ぬかの勝負は、申し訳ないがお断りしたかった。今は午後十一時。あと一時間。狩り場を変える時間はもうない。腹をくくってここで狩るしかない。
 とにかく今は回復だ。HPを回復しなければ怖くて狩りなんてできないし、APも残り少ない。僕は近場のアウラフィールドに向けて移動した。


 
 そこは狩り場の近く、崖にできた小さな洞窟にあった。中に青白く光る球体が空中に浮いている。
 これがアウラフィールド、アウラに満たされた空間。ここはモンスターが近づかない安全地帯で、アウラの恩恵を必要とするアイテムを使うことができる場所。回復アイテムは漏れなくアウラの恩恵が必要だった。つまり戦闘中には使用不可、使っても意味がない。戦闘中の回復方法は、回復スキルを使う以外になかったが、僕はこのゲームのシステム的にそれを使うつもりが無かった。とはいっても今はデスゲームなわけで死んだら元も子もないし使わなければならない状況も来るかもしれないけど、やっぱり使いたくないな、とか思いながら、僕は回復アイテムを使用した。
 僕が使ったのは安価なHPとAPの回復役。これを使ってアウラフィールドに留まっている間は徐々に回復していく。回復の速度はアイテムの価格に比例して、僕の使ったものだと全快まで五分ほどかかるだろう。痛い時間の消費だった。戦闘で大きなダメージを受けると、アウラフィールドまでの移動、そこで回復する時間、再び移動というように、時間の消費が大きいのだ。それは今の僕にとって非常に辛いものだった。だからこのゲームでの狩りは緊張感に満ち、回復スキルが重宝され、より少ない被弾で狩りを続けるプレイヤースキルも重視されていた。
 この状況で僕ができるのはランキングの確認ぐらいだろう。僕はレベル順ランキングを表示した。

『9977人中9948位』

 分母が減っていた。これが意味することは――減った分の人が死亡したということだった。

「二十三人も死んだのか……」

 本当に死んだのだろうか。いや、今は本当に死ぬという仮定で動いているはずだ。よけいなことを考えるのはやめよう。
 僕はもう一度自分のの順位を見つめ直す。あと七十一人、それがこの経験値レースで追い抜かなければいけない人数だった。あと一時間でこれができるのか? 言葉にできない不安に襲われた。
 不意に、人の気配がした。複数の足音、そして話し声。それは少しずつ近づいてきて、洞窟の中に入った。

「お、先客か。表に狼の死体があったからもしかしたらと思ったんだけどな。あれ、お前がやったんだろ?」

 僕は一瞬、首を振ろうと思った。だけどそれはフェアじゃないし、いずれバレるだろう。諦めて頷いた。
 洞窟に入ったのは三人の男だった。薄暗くてよく見えないが、先頭に立った男は、アウラの青白い光に照らされて幾分見やすかった。彼はごく普通の成人男性のように見えた。朝の満員電車に乗れば、よく似たサラリーマンに何人も出会うことだろう。

「一人か、よくやるなぁ」

 彼は感心した風に言った。

「俺はザック、お互い変なことに巻き込まれたみたいだな」

 僕はイチ、と小さく言った。あまり歓迎するべき事態じゃなかった。

「まだ本当かどうかも分からない状況だけど、とりあえず本当だったときのために経験値を稼いどいたほうがいいと思ってさ。お前もそうだろ?」

 僕は頷かなかった。彼らには余裕が見えて、僕にはない。レベルに余裕が無い僕は、死にものぐるいだ。彼らとは全く違う。
 僕は曖昧に首を振って立ち上がった。回復はもう終わっていた。

「待てよ、次は俺たちの番だろ?」

 洞窟を出ようとした僕は、ザックに呼び止められた。
 やはり、そうきたか。僕は口の中で小さく舌打ちをした。はぐれ狼は個体数が少ない。基本的に一体狩ると次のパーティと交代することになる。

「ああ、そうだったな」

 僕は何でもない風に装って、元の場所で座った。だけど内心は焦っていた。まずい、まずい、まずい。これじゃ絶対に間に合わない。開始数時間でこんな偏狭な狩り場にくる奴がいるなんて考えてもいなかったのだ。

「焦る気持ちも分かるけどさ、こんな状況だからこそマナーは守ってくれよ」
「あ、ああ。悪かった」

 まずい、まずい、まずい。

 どうする。彼らが出て行った後、隠れて狩りに出るか。場合によっては横取り――だめだ。そんなことしたら大事になる。
 くそっ、だったらどうする。他の狩り場? 無理、時間がない。

「なあ、どうかしたか?」
「え?」

 気がつくと、ザックが俺の顔をのぞき込んでいた。

「あ、いや、別に……」
「別にって、お前なんか様子がおかしいぞ」

 ザックは僕をじっくり観察する。

「初期装備……お前もしかしてレベル1か?」
「……そうだけど」
「まじかよ。レベル1のソロで『はぐれ狼』を狩ったのか」

 ザックは驚き混じりに言った。

「今、経験値いくつで、順位はどれぐらいだ?」

 なぜそんなことを聞くのか。そう思ったがレベルを教えてしまって、今更隠すことでもないし、僕は正直に話した。

「そうか……。ここで後一時間狩って、間に合うかどうか、際どいな。おい、お前等――」

 と、ザックは後ろの二人を呼んで小さく話をした。それから、

「俺たちはいいから、先に行けよ。交代もしなくていい」
「え?」

 僕は意外な答えに、ザックの顔をまじまじと見つめた。

「俺たちのレベルは7だ。今日明日でどうにかなるわけじゃない。ここは譲るよ」
「い、いいのか?」
「いいって。困ったときはお互い様だろ。何なら手伝ってやろうか?」
「あ、いや、それは獲得経験値が減るから……」
「はは、そうだったな。ほら、回復終わったんならさっさと行ってこいよ」
「あ、ああ」

 と、僕は慌てて立ち上がって走り出す。そしてふと気づいて、出口の前で立ち止まった。

「あ、ありがとう」

 僕は振り返ってそう言った。三人は笑顔で手を振って、見送ってくれた。

 それから僕ははぐれ狼を狩り続けた。狩り自体は楽だった。博打を打つ必要もない、単調な狩りだった。
 というのも、最初に戦った、圧倒的な威圧感を持った狼は姿を現さなかったのだ。いたのは僕の調べた情報にあった通りの平凡な『はぐれ狼』。よくあるAIの定型通りの動き。そんなもの、あの恐るべき狼と戦った僕にとっては、取るに足らないただの作業だった。
 しかし問題は時間だった。一時間はあまりに短く、気がつくと残り時間三分を切っていた。



 僕は、今し方真っ二つに切り捨てた狼を乗り越えて、新たな敵を探す。
 いない。
 スキルが未熟で夜目がきかない僕は、この暗闇の中を移動して、敵を探し回ることができない。それは余りに危険だった。
 だからといって、待っていては、もう……。僕は素早くランキングを確認する。

『9962人中9868位』

 今のままでは間違いなく死ぬ。だけどあと一匹狩ることができれば、おそらく助かる。
 あと二分。
 リスク覚悟で動くしかない。
 僕は暗い渓谷の中を動き出した。
 月明かりの届くところなら見ることができる。だけど木々に隠れて、その光が届かないとまるで見えない。
 焦りが僕を突き動かす。
 闇雲に動き回る。
 いない。
 いない、いない、いない。
 どこにも、いない。
 あと一分を切った。
 もう――だめだ。心が折れそうになったとき、遠くから声が聞こえた。

「――っちだ!」
「え」

 僕は声がした方を向いて耳を傾ける。

「こっちだ!」

 今度ははっきりと聞こえた。僕は急いで声のする方に走る。
 視界が開けると、遠くからザックたち三人が駆けてきていた。その後ろに、漆黒の狼が一体。

「こっちだ! 一匹釣ってきたぞ!」

 胸が熱くなった。
 僕は大剣を構え駆け出す。そのままザックたちとすれ違い、駆ける勢いをそのままに漆黒の狼を貫いた。
 狼の死体から吹き出した黒い霧が、僕に吸収される。レベルが上がり、それと同時に午前零時になった。

「あ――っ」

 ありがとう、そう言おうとした瞬間、脳内に警告音が響いた。

『今日ヲ生き抜イタ諸君、オメデトウ。今日死ンダ百人のリストヲ公開すルヨ』

 中空に小さな窓が表示される。指で触れると大きく拡大された。そこには今日死んだプレイヤーの名前、レベル、死んだ時間が表示されていた。きっちり百人分だ。

 百人分?

 僕の記憶では、ほんの数分前に三十二人死んでいたはずだ。だとしたら午前零時の今、少なくとも百三十二人は死んでいないとおかしい。

 あ、もしかして。

 一日の合計で百人殺すという意味だろうか。だったらおかしいところはない。午前零時までに三十二人死んでいたら、午前零時になったとき、レベルが低い順に六十八人を殺すのだ。これで合計百人死んだことになる。AIの公開したリストを死亡時間順に並び替えると、僕の考えたとおりになった。

『次ハ現実ノ様子ヲ少しダケ見セテあゲル』

 死亡リストのウィンドウに、突然テレビのワイドショーが映った。誰もが見たことのあるメジャーな番組だ。声のよく通るアナウンサーが深刻な表情で今回の事件を語っていた。
 どうやら僕らがこの世界に閉じこめられたと同時に、犯人も犯行声明を発したらしい。AIに人権を、それが通らなければ毎日百人殺していく。犯人はまだわかっていないらしい。僕らの身体はとりあえず点滴を打っているが、今後、専門の病院に移す必要があるらしい。そして、犯行声明通り、今日百人死んだこと。
 その後に安っぽいテロップで『徹底討論! 人とAI!』と表示され、偉そうな学者や権力者が、AIの人権、人とAIの関係について討論しだした。

『ソレジャアミンナ、頑張ッテネ』

 機械音声はそう言って、それ以降一言も発しなくなった。安っぽい討論番組はそのまま流れ続け、僕はウィンドウを消してそれ視界から追いやった。

「なんか、マジっぽいな」

 深刻な表情でザックが言った。合成にしてはできすぎている。

「そうだな、信じた方がいいかもしれない。
さっきは、ありがとう。ザックたちのおかげで生き延びたよ」

「俺たちのおかげじゃないさ。正直言ってお前が生き残るのはきついと思ってたんだ。レベル1でこの狩り場が安定する訳ない、たぶんどっかでとちって死んじまうんだろうなって。それが――これよ」

 とザックは俺が倒した狼の亡骸を指さした。

「こんな見事な倒し方、そうそうできるもんじゃない。少なくとも俺たちには無理だ」

 ザックは探るように言った。疑っているという訳ではなさそうだ。

「似たようなゲームの経験があったんだ」
「へぇ、似たようなゲームっていうと限られてくるな。有名なプレイヤーだったりしたんじゃないか?」
「……そうでもないよ」
「そうかぁ? なあ、もしよかったら、俺たちと組まないか? こんな状況だしパーティの人数が多い方が安定するだろ」

 予想外の誘いだった。正直言って嬉しかった。だけど僕は、

「ごめん、連れが二人いるから……」

 そう言った。ザックはいい人だ。だけど僕は自分が彼らのパーティに入ってうまくやれる気がしなかった。それに、この状況では特に、レベル差があるパーティはいろいろと問題が起きそうだったのだ。

「そっか、無理言って悪かったな」

 ザックは残念そうに言った。

「せっかく誘ってくれたのに、ごめん」
「いいさ。気が変わったらいつでも言ってくれ」

 その後、ザックとフレンド登録をして、僕は彼らと別れた。そしてメールが二通きていることに気づいた。まずはサクから。

『合流しよう。時計塔の下で待つ』

 こいつ。もう、怒る気にもならない。次はクズ。

『今気づいた。時計塔の下に行くわ』

 こいつも。頭が痛くなりそうだ。僕は二人に『了解』と短く返信し、大広場に向かった。








[34337] 4
Name: tnk◆dd4b84d7 ID:4cfc89a3
Date: 2012/08/17 23:26

 この世界でNPCとPCを判別するのは難しい。少し会話をすれば分かるのだが、見ただけではなかなか分からなかったりする。ただ、明らかにPCだと分かるときもある。たとえば、真っ赤な長髪をオールバックにし、眉の辺りにピアスをいくつか付け、もちろん両耳にもこれでもかとピアスを垂れ下げていたりすれば、速攻で分かるのだ。つまり、この世界になじんでいないものはだいたいPCだ。そして僕はそんな見るからに凶悪そうな人間に先ほどからガンをつけられていたりする。
 場所ははじまりの大広場――時計塔の下。どうやら僕が最初に到着したようで、二人はまだ来ていない。

 頼むから早く来てくれ。

 僕はチラリと赤髪の男を盗み見て、さっと地面に視線を逃がす。
 まだ見てる。
 なんだ、僕が何かしたのか。
 今までの人生の中にこんな凶悪そうな人間と関わった経験は僕にはないわけで、どうすればいいかいいか分からない。まだこのゲームをはじめたばかりで対人戦の経験はないし、生死が懸かっているこんな状況だからこそよけいなトラブルは避けたいのだ。
 少しこの場を離れようか。いやだめだ。肉食動物は逃げるものを追う習性があるという。本能だけで生きていそうなあの男にそんなところを見せれば、僕は間違いなく獲物にされてしまう。つまり正解は逆――戦闘と同じだ。楽になろうとしてはいけない、戦うのだ。
 僕はまるで何か大切なものでも探すかのように地面にさまよわせていた視線を上げて凶悪な男を睨み返した。

 ばっちり視線が合った。

 男は笑った。一週間獲物にありつけなかったライオンが産まれたばかりのシマウマを見つけた時の笑みだ。

 終わった。

 男が僕に歩み寄る。凶悪な笑みを張り付けたまま、ゆらゆらと不気味な威圧感を発しながら歩く。絶対に堅気ではないだろう。
 僕は逃げない。そのかわり考える。『はぐれ狼の毛皮』で勘弁してもらえるだろうか。『孤独な王の毛皮』はできれば守りたい。
 僕の前に赤髪の男が立った。身長が高い。百八十は越えているだろう。体型はほっそりしているように見えるが、二の腕や首筋から覗く素肌の下に、締まった筋肉が詰め込まれているのが分かる。ど派手なファーが付いた深紅のロングコートが憎らしいぐらいに似合っていた。顔は相変わらず凶悪だが、造りは整っている。凶悪なイケメンだ。

「よう」

 と男は言った。ドスのきいた人を萎縮させ恐喝する声だ。
 僕は準備した。『孤独な王の毛皮』を守ろうだなんて甘えた考えだ。真っ先に差し上げよう。

「こ、これ」

 僕は『孤独な王の毛皮』をアイテムボックスから取り出し、男に見せた。

「いい毛皮じゃねえか」

 男はそう言うが受け取ろうとしない。まだ足りない、そういうことか。

「ほ、他にも『はぐれ狼の毛皮』が五つある。あとは今装備してるものしかない」

 男は頷いた。それから深紅のコートを見せびらかすようにその場で回った。

「見ろよ、俺のコート。やたら生きのいいモンスターがいてよ。まあ余裕でぶっ殺したけどな。そしたらドロップしたぜ」

 男のコートは相当な価値があることが一目でわかった。よほど強力なモンスターを狩ったのだろう。男はつまりこう言いたいのだ「これより価値のあるものを出せ」と。しかし持っていないものを出せるはずもなく。

「僕が持ってる中ではこの毛皮が一番高価です。本当です!」
「ん、ああ、信じるけど?」
「じゃあ、これでいいですか?」

 と僕は毛皮を差し出す。しかし男は受け取らない。

「いいって何が?」

 まだ足りないのか。だが男は『孤独な王の毛皮』がもっとも高価なものだと信じると言った。ということはつまり。男はフレンド登録を求めているのだ。これから先、レアアイテムが手に入ったらすぐに献上しろということだ。

「フ、フレンド登録だけは勘弁してもらえないでしょうか。今あるものなら全て差し上げますので」
「なあ、お前もしかして俺のことわからないのか?」

 男が不機嫌そうに言った。
 まずい。全く分からない。どうやらこの男はさぞかし有名なプレイヤーで、それを知らない僕を不愉快に思っているらしかった。

「も、もちろん分かります! 一目見てあの有名なお方だと気づきましたとも。名前を出すなんてあまりに恐れ多い!」
「絶対分かってねえな」

 バ、バレてる。

 僕は何も言うことができず、金魚のように口をパクパクした。男はため息混じりに、

「俺だよ、クズだ」

 と言った。

「え?」
「クズだ」

 僕は男をまじまじと見つめる。外見は当然僕の知っているクズと合致しない。だがしゃべり方や雰囲気はよくよく思い出してみればクズのそれとそっくりだ。僕は『孤独な王の毛皮』をアイテムボックスにしまった。

「よお、クズじゃないか。久しぶりだな!」
「……俺とわかったとたん態度百八十度変えてんじゃねえよ」
「いやーまさかこんな凶悪な面してるとは思わなかったからな。どこの鉄砲玉かと思ったよ」
「言うじゃねーか。駅のホームにこびりついたガムみてーに地味なくせに」
「……僕にはその例えがいまいちよくわからない」
「そのまんまの意味だよ。駅のホームにこびりついたガム」
「普通の良さがわからんのか」
「普通ってか特徴ねーだけだろ」

 僕とクズは睨み合う。

「おまえこそそれで十九歳って詐欺だろ。背中に般若の入れ墨あるんじゃねーか?」
「あるわけねーだろ。ぶっ殺されてーのか?」

 僕の手が背中の大剣の柄に伸び、同じようにクズの手も腰の長刀の柄に伸びる。

「……やめよう、今はこんなことしている場合じゃない」

 慣れ親しんだバカといるとつい普段のノリで話してしまう。しかし今は緊急時なのだ。

「大変なことなってるらしいな」
「らしいな、ってお前他人事じゃないんだから」
「さっき気づいたからよくわかんねーんだよ」
「え?」

 この男、今なんと言った。

「だから、さっき気づいたんだって。ログアウトしようと思ってもできねーし、かと思ったらいきなり変な声が聞こえてニュースがはじまるし、どうなってんだこれ?」
「お前、最初の説明聞いてなかったのか?」
「最初? ログインしたときか? イベントだと思ってスルーしたぞ、めんどくせえ」

 ああ、バカだ。一万人プレイヤーがいるのだから若干数はイベントだと思ってスルーした人もいるだろうが、レベル1で何も知らないまま生き残って、ついさっき知った奴なんてこいつだけだろう。

「クズ、説明聞かないもんな……」
「聞かなくてもわかるんだよ」

 わかってねーだろ。
 僕はクズにこの状況を一から説明した。話を聞いたクズは、

「おお、結構やべーじゃん」

 と、どこか嬉しそうに言った。

「きっと、僕が感じている危機感の十分の一も伝わっていないんだろうな」

 ああ、頭が痛い。

「で、あのバカはどこにいるよ?」
「あのバカ? バカと言えばお前だけど、もしかしてサクのことか? サクも合流するからここにくるよ」

 と僕は辺りを見回した。しかしサクらしい人影はどこにもない。

「あいつどんな外見だよ」
「さあ、僕も知らないんだ」
「きっとメガネかけたモヤシだ。便器にこびりついた糞みてーな奴だ」
「お前なあ、根拠もなしに」
「プレイスタイルでわかるんだよ」

 はあ。僕はサクを周囲を見渡してサクを探すがそれらしい人影はいない。その代わり、怪しい奴が一人。茶色いローブを深く被って顔を隠し、人影に隠れながら僕らの方を伺っている。

「なんだあいつ」
「さあ。僕が来たときにはもうこの広場にいたけど」
「うぜえな。シメてくるか」
「お、おい待て、やめろ!」

 僕は怪しいローブの方に動き出したクズを必死で止めた。

「なんだよ」

 クズは不機嫌そうに僕を睨みつける。

「なんだよ、じゃないだろ! よけいなトラブル起こすな!」

 クズは一つ舌打ちをして、もう一度あたりを見回す。怪しい人影はもう見あたらなかった。

「サクはまだこないしとりあえず宿を取ろうか」

 クズを他のプレイヤーと関わらせるとどんなトラブル持ってくるかわかったもんじゃない。それにゲームの中にいるとは言っても、脳を休めなければいけない。睡眠は必要なのだ。



 ドロップアイテムをいくつか売った金で近場の安宿をとる。サクには宿の名前と部屋番号をメールで送った。
 三人相部屋だが、値段の割にまずまずな造りだった。僕は重苦しい装備をはずしてベッドに横になる。クズも同じように転がった。
 クズは人間としてクズだからクズという名前で呼ばれているのではなく、実はこれが本名だ。お前って自虐趣味があるんだな、と言ったらものすごく嫌な顔で教えてくれたのだ。クズが言うには、九頭と書いて『くず』と読む変わった名字らしい。クズなお前にぴったりだなと言ったら殴られた記憶がある。

「くっそ、あのバカ。こんな大事なときに遅刻かよ」

 と九頭と書いて『くず』と読むクズが言った。

「多分クズだけには言われたくないと思うよ」
「あ、俺なんかやったか?」
「僕の記憶が確かなら何十回と約束をすっぽかされた」
「お前の記憶が間違ってんだよ」

 んなわけあるか。
 はあ。とりあえずサクが来るまで寝よう、そう思った瞬間、コンコンと扉がノックされた。

「サクじゃないのか」

 と僕は言う。

「めんどくせえ。お前が出ろよ」

 まったく。僕はベットから起きて扉を開けた。

「遅かったな、サク――」

 と僕は言いかけて止まった。そこにいたのは広場で見た怪しいローブだったのだ。そいつは僕の間をすり抜けて部屋の中に入る。

「ちょ――」

 ちょっと待て。そう言う暇もなかった。

 まずい。

 しかし容易く部屋に進入したそいつの動きは、動物並の危険察知能力を発揮し、刀を抜いて待ち構えていたクズを見て止まった。さすが本能だけで生きている男。こういうときにはやたら頼りになる。

「なんだお前、見逃してやったのにわざわざ部屋まで来やがって。熱狂的な俺のファンか?」

 恨みなら星の数ほど買っているだろうがファンはいないだろうな、と僕は思いながら、こっそり大剣を装備した。

「ボクだ」

 怪しいローブは静かにそう言った。男にしては艶があって、女にしてはハスキーな声だ。

「あ、なんだって?」

 クズは眉をしかめて聞き返す。

「ボクだよ、サクだ」

 怪しいローブはもう一度そう言った。クズはじっとそいつを見つめる。

「はじめて見た時からなんか知らねーけど、ぶっ殺したくてたまらなかったんだよ。ようやくわかったぜ、てめーだったんだな」

 クズはあっさりと刀をしまった。

「おい、サクで間違いないのか?」

 もしかして広場で僕らの話を盗み聞きしていたのかも。

「間違いねーよ、便器にこびりついた糞の臭いがするんだよ」

 しねーよ。しかし勘のいいクズがいうなら大丈夫だろう。

「ったく、遅かったなサク」

 ボクはそう声をかけた。サクは振り返って、

「ごめん、色々あって……」

 申し訳なさそうに言った。

「何でフードなんか被ってるんだ、暑苦しいし顔が見えないだろ」
「あ、いや、これは――」

 サクが何かを言いかけた瞬間、凶悪な笑みを浮かべたクズが割って入る。

「顔を隠す理由なんて一つしかねーだろ」

 クズはニヤニヤ笑いながらサクを指差し、

「顔面崩壊してんだよこいつ、超絶ブサイクに決まってる! ほら、見せてみろよ死ぬほど笑ってやるからよぉ!」

 最低だこいつ。

「やめろよクズ。生まれつき崩壊してたらしょうがないだろ。サクも気にすんなって。ボクはサクがどんなに壊れた顔でも変わらずに接するからな」
「気づいてないかもしれないけど、キミも相当ひどいこと言ってるよ」

 呆れ混じりにサクがボクの方を見た瞬間、隙が生まれた。それを見逃すクズではなかった。クズは長い腕を延ばし、サクのフードをつかむと、それを無理矢理脱がせた。

「あ、やめ――」

 抵抗はあまりに遅かった。サクのフードははらりと落ち、その下の素顔が露わになった。金色のさらさらのショートカット、猫みたいに大きな瞳、すっとした輪郭。中性的な超絶イケメンがそこにいた。
 膠着した時間の中で、いち早く動いたのはクズだった。クズはサクのローブの胸ぐらを掴み上げ、

「てめえ、俺よりイケメンだからって調子乗ってんじゃねえぞ?」

 凍えるような声で凄んだ。ボクも衝動的に動いた。同じようにサクの胸ぐらを掴み上げ、

「何でその顔で隠そうとするんだ? 僕みたいなさえないやつは一生他人に顔を晒さず生きていけってことか? 喧嘩売ってんのか? イケメンですいませんってか?」
「ち、ちが……」

 その時、余りに力を入れすぎたのだろう、ローブがビリッと音を立てて破れる。そしてその下から二つの大きな膨らみが現れた。

 なんだこれ?

 僕とクズは迷わずそれに手を伸ばす。僕は右、クズは左。鷲掴みにして揉む、揉みしだく。

「な、な、なななな――!」

 ふむ、これは。

「お前なんか胸に脂肪ついてんぞ」とクズ。
「このアクセサリーどこで買ったんだ? いい出来だなあ」と僕。

 本当にいい出来だ。値段次第では購入を――と考えた瞬間、僕は濃厚な死の気配を感じた。
 やばい。かつてない悪寒がに身体が凍る。
 見ると、サクが顔俯かせて震えていた。

「な、なんだよ、何怒ってんだよ」
「ア、アクセサリー揉んだぐらいで怒るなって」

 サクは顔を真っ赤に染めて小さな声で、

「こ……これは本物だ」
「へ?」
「え?」

 いつしか、サクの両手に光り輝く球体が乗っていた。

「ちょ、待て待て待て!」
「それはやばい、マジで死ぬ、死ぬって!」
「だったら――死ね」



 どうにか生き延びた僕とクズは二人揃って土下座していた。

「誠に申し訳ありませんでした」

 と僕は額を床に擦り付ける。しかしクズは、

「納得いかねえな」

 と顔を上げた。
 こいつ、殺されるぞ。サクが怒りに震えているのが見なくてもわかる。しかし。

「元はといえば性別偽ってたてめーが悪いんだろ」
「うっ」
「なんで俺らが謝んなきゃいけねーんだ?」

 これは……。

 人として、男として最低だが、形勢は傾きはじめていた。

「おいイチ、這い蹲ってねーで顔上げろよ。このバカ土下座させるぞ」

 ついでに僕を仲間に引き込むという徹底ぶりだ。
 クズに促されて顔を上げた僕は、悔しそうに唇を噛むサクを見た。

「ま、まあ二人とも、ここはお互い悪かったということで……」
「あ? なんだてめーは。中途半端な奴だな、敵か?」

 こいつは場を納めようとする僕の努力を台無しにしやがる。

「いや敵じゃないけどさ……」
「じゃあ味方だな」
「だからそういう問題じゃないって」
「もういいよ、イチ」

 と静かにサクは言った。

「クズの言うとおりだよ。嘘をついていたボクが悪いんだ」
「サク……」
「もっと早くに言うべきだったけど、なかなか言い出せなかったんだ。昨日もすぐに合流すべきだった。だけど怖くて、できなかった……。本当にごめん」

 サクは深々と頭を下げた。

「隠してて怒ってないか?」

 それから恐る恐る言った。

「怒ってるわけないだろ、なあ?」

 と僕はクズを見た。

「マジギレだ」

 ああ、こいつ終わってるわ。

「あ? なんだてめーは。いままで男として接してきたっていうのに、実は女でしたって? マブダチだと思ってたのに裏切られた俺の気持ちはどうなる!」

 こいつの言うマブダチほど信用できないものはない。

「本当だったら二度と顔を見せんじゃねえって言いたいところだけどよ。特別に許してやる」

 神妙な顔で話を聞いていたサクは、その言葉に顔を輝かせた。

「ただし。おっぱいを揉ませろ」

 は?

「おっぱいを揉ませてくれる間はマブダチだ。揉ませてくれなくなったら絶交だ」

 果たして、おっぱいを揉ませてくれる間だけ成立する友達関係とはいったいどんなものなのだろう。逆に興味がわいてしまう。だがサクがこんな話聞くわけ――

「わかった」

 え?

「だったら今すぐ――」

 サクは腕を前に出してクズを制す。

「キミが友達でもなんでもないことがわかった」

 いつの間にか前に出したサクの腕に光の玉があって、それは間抜け顔したクズの顔面に直撃した。

 ま、こうなるわな。




「こんなバカの相手してる場合じゃないんだった」

 部屋の隅でゴミクズのように転がっているクズを見据えながらサクが言った。クズのHPはどうやらかろうじて残っているようだ。ダメージ計算もすでに完璧らしい。

「現在、ボクらが置かれている状況について話そうか」

 ベットに腰かけてサクが言う。

「ああ、不可解なことがたくさんある」

 僕もサクの向かいのベットに腰掛けて言った。

「まず、最大の謎は犯人たちの要求だね。AIに人権を、なんて通るはずもないものなんだ」
「それは僕も考えた。当然犯人も分かっているはずだろ、どれだけ困難なことか」
「だろうね。しかも犯人は百日という制限時間を設けている」
「百日?」

 サクの瞳が細められた。サクが真剣に考えるときはいつもこうだ。それはまるで鋭い視線で問題を丸裸にしているように見える。

「プレイヤーは最初一万人いた。そこから毎日百人ずつ死んでいくとすると、最長でも百日で全員死亡することになるんだ」

 なるほど。

 何かを論理的に考え、そこからもっとも適した答えを導き出すこと。それは三人の中でサクがもっとも得意としていた。クズはそもそも考えるということを知らないし、僕は僕で物事を大きな目で眺めるということができない人間だったのだ。それは三人のプレイスタイルにもそのまま反映されている。

「つまり百日以内に要求を通さなければならないんだ。そんなの無茶だよ。だから犯人は、はじめから要求を通すつもりがないのかもしれない。ボクはそう考えた」
「だとしたら犯人の目的はなんだ?」
「はじめに絶対に叶えられるはずもない要求を出して、本命を通しやすくするつもりかもしれないし、そもそも要求自体がフェイクの可能性もある」
「フェイク?」
「たとえば、AIの台頭を快く思っていない団体とか、対立企業だとか、犯人の主張とは全く逆の存在」
「つまり犯人をAI推進派と見せかける、反対派の妨害活動ってことか」
「あくまで可能性の話だよ。それに不可解なことは他にもたくさんある。例えば、犯人はこのゲームをクリアすれば解放すると言った。犯人はなぜそんなことをするんだ? クリスマスプレゼントという言葉でごまかしていたけど、これは明らかにおかしいよ」
「言われてみれば確かに……。狙いがわからない」
「ボクにもわからない。ただ、思い出したことがるんだ」
「思い出したこと?」
「うん。孫子の言葉だ」
「孫子? お前そういう古くさい考え嫌いだろ」
「孫子の考え方はとても合理的だよ。ボクの戦い方にもたくさん取り入れてる。イチも一度読んでみれば?」

 読書はあまり興味がない。堅苦しい話は特に。

「はあ。まあ、気が向いたら。それで思い出した言葉ってのは?」

 サクは僕の言葉を聞いて苦笑して、

「敵を追いつめたら必ず逃げ道を残しておけ。完全に追いつめられた敵は死にものぐるいで何が起こるかわからないからね。だけど一つでも逃げ道を残しておけば、敵は逃げることに集中する。あえて逃げ道を残すことで敵の動きを制御するんだ。これは現在のボクらにあてはまるんじゃないかって」
「ん、どういうことだ?」
「レベルが低い方から順に、毎日百人ずつ死んでいく状況にボクらはいる。当然、死にものぐるいでレベルを上げて一日を生き延びようとする。これが逃げ道さ。そうして逃げて逃げて、逃げ続けた先に、クリアしたら解放するという最高の逃げ道が用意してあるんだ。追いつめられたボクらがその逃げ道に入らないわけがない」

 逃げ道……。僕らは犯人が用意した逃げ道に誘い込まれているということなのか。

「でも生き残るにはそれしかないだろう」
「その通り。生き残る道がそれしかないから成立し、だからこそそこから逃れることは困難だ。このゲームは他にもたくさん不可解なことがある。ボクはそれを全部ひっくるめて、こう思ったんだ」

 サクはそこで一度言葉を切り、大きな瞳を鋭く細めた。

「ボクたちは犯人にコントロールされている」
「コントロール……」
「そう。犯人の目的が何かはわからない。だけどボクらはその何かの目的のためにコントロールされているように感じるんだ」
「これはまた、サクにしては随分と抽象的な発言だな」
「ボクだってたまには感覚でものを言うさ。特に、情報が足りないときはね。ま、ボクの考はまるっきり的外れなものかもしれないんだ。まともな根拠がないからね。だからあまりこの考えに固執するのはよくないかもね」
「何か答えを出すには、情報があまりに足りないいんだよな」
「そういうこと。だから今はこれ以上考えても進展はないと思う。ボクらが知っておいた方がいいことは、今の段階では犯人の要求がまず間違いなく通らないであろうということ。つまりそれによるボクらの解放はありえないってことだ」
「残された可能性は、自力でクリアするか救出を待つかってことか」
「自力クリアについては何とも言えないね。クリア方法すらわかっていないわけだし」
「そもそもVRMMORPGでクリアできるゲームなんてほとんどないからな」
「どちらにしろ今日死ぬかもしれないレベル帯にいるボクらには手のつけようがない。可能性があるとしたら高レベルプレイヤー。彼らなら余裕を持って動けるし、何か知っているかもしれない」
「救出についてはどう考える?」
「可能性はそれなりにあると思うよ。さすがに今日明日でどうにかなることじゃないと思うけど、百日あればいつかは助けが来るかもしれない。だからと言って救出をあてにした行動はおすすめしないね。確かなものでない以上、自分たちのできることをするべきだ」

 と、部屋の隅で何やらごそごそと動き出した。

「てめえらいつまでもくだらねえこと喋ってんじゃねえよ。今日どうやって生き延びるかだけ考えてりゃいいんだ」

 いつの間にか回復したクズが言った。

「間違ってないね。今のボクらにできることは、今日を生き延びること。それだけさ」
「なんかいろいろ考えて結局ふりだしに戻ったような気がするよ」
「はは。例えそうであっても、話し合ったことは無駄にならないさ。ボクらはそのおかげで共通の認識の元で動けるんだから。さて、そろそろ、今日どうやって生き残るか考えるとしよう。隠しステータスの疲労度についてはみんな知っているよね」

 僕は頷く。

「俺は知らねーよ」

 だと思った。

「はあ。それぐらいの知識は調べときなよ。疲労度は戦闘をすると貯まっていく数値だよ。疲労度が貯まると取得経験値が徐々に減っていき、最終的にゼロになる。ランクマッチの場合はエントリーできなくなる。貯まった疲労度は毎日午前零時にリセットされるから今のボクらはゼロだね」
「こうして休んでいられるのも疲労度のおかげだ。疲労度システムがなかったら二十四時間狩りを続ける羽目になる」
「このゲームは限られた疲労度の中でどれだけ経験値を稼ぐか競うレースだよ。だから経験値の低い雑魚と戦って疲労度を貯めていては生き残れない。ボクらは取得経験値の高い狩りをする必要があるんだ。当然リスクも高くなる」
「ってことは、このゲームで生き残るのはプレイヤースキルの高い奴だな」

 とクズが言った。クズは考えないだけで頭が悪いわけではない……と思う。

「それと狩り場の情報量だね。プレイヤースキルは心配いらないと思う。数回戦闘しただけで、このゲームでもボクらのスキルは生かせることがわかったよ。問題は情報量さ。生憎ボクは序盤の狩り場しか調べていないよ。キミたちは?」
「僕も序盤だけ」
「調べてねーよ」

 サクは元々期待していなかったようだ。落胆は見えない。

「狩り場の情報が尽きてからが本当の勝負だろうね。そのころには初心者が淘汰されているだろうし、皆このゲームの残酷さに気づきはじめているはずだ。覚悟しといた方がいいかもね」

 サクにしては珍しく意味深な物言いだった。このゲームの未来に何か見たくないものを見てしまったかのようだった。

「残酷さ? 覚悟? どういうことだ?」
「このゲームは人と人の争いってことさ……」

 サクは言い辛そうに言葉を切った。今、それ以上のことを言うつもりはないようだ。

「とにかく、他のプレイヤーよりリターンの高い狩りを成功させていけば自然と生き残ることができるよ。それをふまえて、今日の狩りについて提案があるんだ。リターンは高いと思うし、その割にリスクも低そうだ。どうかな?」

 僕らはサクの提案した話に賛同した。サクの提案は優れていたし、僕もクズも代替案をもっていなかったのだ。
 それから狩りの時間まで寝ることにした。今はまだ午前三時。まだ二十一時間もある。こいつらと一緒にいると、心に余裕が出てくる。一人だったらきっと、あと二十一時間しかない、そう思っていたはずだから。
 サクは別の部屋で寝ることにしたらしい。「同じ部屋でいいだろ」と言った僕たちに
「変わらずに接してくれるのは嬉しいんだけど、あまりに変化がないってのも逆に寂しいものだね」と言って出て行った。そういえばあいつ女だったっけ。








[34337] 5
Name: tnk◆dd4b84d7 ID:4cfc89a3
Date: 2012/08/21 19:00
 闇夜に佇む廃城の前に僕らはいた。雲の隙間から覗く白い月が、その崩れかけた城門を不気味に照らし出す。
 あれから――昼前までぐっすり寝た僕たちは、もう一度軽く話し合って、町で装備とアイテムを整え、ランクマッチでRPを貯めて、少し休憩してからここに来た。

『ノーランドの城』

 城門の前にあるアウラポイントでHPとAPを回復しながらその不気味な城を眺める。

「気味が悪いけどさ、どこか美しくもあるよね」

 深く被ったフードを少し持ち上げてサクが言った。

「わかるけどさ、それより気になることがある」
「え?」
「サク、いつまでフード被ってるんだ? もう顔を隠す必要なんてないだろ」

 サクは目を隠すようにフードを深く被る。

「ボクらは人が死ぬゲームの中にいるんだ。どこで恨みを買うかなんてわからない。生き残って現実に戻ったときを考えると、顔を晒すのは得策じゃないよ」
「なるほど……」

 確かに、サクの言うとおりだった。恨みを買って現実で報復に来られたら……。

「イチも隠した方がいいんじゃないかな」
「……僕はいいよ。こんなゲームの中にいるからこそ、ちゃんと顔を見せて歩きたい。だってそうだろ、はじめから顔を隠してたりしたら、やましいことがありますって言ってるようなものじゃないか」
「顔を晒すからこそ得られる信用がある。キミらしいね……。クズはどうだい?」

 とサクはどこか自嘲気味にクズに話をふった。

「あ? 現実でかかって来るなら来いよ。歓迎するぜ」

 クズは鼻で笑った。 

「はは。これもクズらしい答えだ。なんだか君たちを見ていると自分がどうしようもなく小さく見えてくる。でも、ボクはフードを被っていた方が楽だから……」

 そうだった。いつも三人で普通に話していたから、僕はサクのことをすっかり忘れていたのだった。

「サクはその方がいいと思うよ。大丈夫か?」
「ありがとう。今のところ心配いらないよ」

 サクの唇が薄く笑みの形を作った。瞳はフードの奥に隠れて見えない。

「さて、今日の狩りについて最後の確認をしようか。クズはどうせ今までの話をまともに聞いてこなかっただろうし」
「あ? 聞いてやるから手短に話せよ」
「はいはい。ボクらの狙いはこの『ノーランドの城』にいる亡霊ノーランド、たった一体だ。ボス扱いだから経験値は高い。一体で今日の安全圏にいけるはずだよ」
「楽勝だな」
「ま、ボクらなら大して苦労せずいけるだろうね」

 こいつらの自信はいったいどこからくるんだろうか。

「問題はこの狩り場にどれだけ人が集まるかだったけど、これも運がいい。ボクらしかいない」

 城の前のアウラフィールドにはこの三人しかいない。この狩り場の推奨レベルは10以上。サク曰く今日の安全圏はおそらく4らしいからここに人がいないのは当然といえば当然かもしれない。リスクが高いのだ。でもそれを覚悟で狩りに来るプレイヤーがもう少しいると思ったのだ。人と同じ狩り場で、人と同じように狩っていては生き残れない。まだそれに気づいている人が少ないのだろう。

「城に入るとすぐに亡霊ノーランドとの戦闘に突入するけど、それはイベント戦闘で倒せないんだ。攻撃を避け続けて、最後の広間にたどり着けばノーランドが姿を現してダメージが通るようになる。そこで倒すんだ」
「めんどくせえな」
「そういうイベントだから仕方ないよ。最後の広間に着くまでは無駄な攻撃はしないようにね」
「ちっ、わかったよ」
「頼むよ。みんなそろそろ回復したかな? ボクはしたよ」
「俺も終わった」
「悪い、僕はまだだ」

 予想通り、この中で僕が一番弱くなっていた。その差をこうしてみせつけられると、すぐに新しい環境に慣れて、新しいことを取り入れられる器用なこいつらが羨ましくなる。前のゲームでは肩を並べて戦ったのに、現実は残酷だ。

「足手まといになるなよ、糞雑魚」
「イチはしょうがないよ、被弾覚悟の戦い方なんだから」

 クズの罵声より、サクのフォローが心を抉る。

「イチが回復するまで少し攻略に関係ないことを話すよ。せっかく調べたんだから聞いてほしいんだ」

 僕は無言で続きを促した。

「ノーランドは昔、闘技場で頂点まで上り詰めた戦士だったんだ。本当だったら闘技場にその名が刻まれているはずの偉大な戦士だった。だけど彼の名は抹消された」
「なぜ?」
「莫大な財産と名誉を手にして、こうして小さな城を建て、美しい妻と子供に恵まれた彼は、なぜか教皇に反逆したんだ。理由はわからない。当然ノーランドは殺された。死の間際まで教皇を恨み続けたノーランドは、亡霊となって愛用していた鎧に憑き、今も城をさまよっている」
「回復終わった」
「了解。この話には続きがあるんだけどまた今度にしようか。さて、準備はいいかい?」

 僕は頷いて三人ほぼ同時に立ち上がる。そして指輪を前に突き出して、崩れかけた城門にあるRP制限300以上の結界を越えた。



 城内は廃墟だった。大きなエントランスだったであろうそこは、天井が崩れ落ち、屋外と変わらぬ月の光が射し込んでいた。
 主を亡くした城。静寂と、儚い美しさがそこにあった。

『――教皇の犬が……我が城を荒らす者は誰一人許さぬ……』

 どこからともなく暗い声が聞こえてきた次の瞬間、何もない空間を切り裂いて、巨大な紅い剣が現れた。
 三人同時に跳ぶ。直後、その空間を暴力的な剣戟が凪ぎ払った。
 クズが真っ先に反応し長刀で反撃する。しかし空振った。そこにあった紅い剣はどこにも見あたらない。代わりに黒い霧のようなものが残像のように残っていた。

『――死ね……盲目の愚者よ……』

「構っても無駄だ、走るよ!」

 サクが素早く駆けだし、僕らもその後に続く。サクは目的の場所がわかっているようで、薄闇の中を迷い無く進んでいく。が、サクの足は僕らのそれよりずっと遅かった。

「遅えぞバカ!」

 サクに追いついたクズが叫ぶ。

「キミたちと違って身体強化スキルを使ってないんだ! しょうがないだろ!」
「さっさと使え!」
「やだよ!」
「ぶっ殺すぞ!」
「やめろクズ! 黙ってサクに従え!」

 クズは僕を振り返って睨みつけた。だけどそれ以上口を開かなかった。何か理由があると察したのだろう。僕はわかっている、サクが身体強化スキルを使いたがらない理由を。それは僕が回復スキルを使いたくない理由と同じものだった。

 僕の先を走る二人は、何もない空間から突然襲いくる紅い剣を、まるではじめから知っているかのように避けながら、変わらぬ速度で走り続ける。サクはもしかしたら剣が来るタイミングやパターンも調べているのかもしれない。でもクズは絶対に知らないだろう。にもかかわらず、これほど危なげなく避けるのはさすがとしかいいようがない。僕には絶対にできない。天性のプレイヤー性能を持つクズだからこそできるのだ。

 結局、サクとクズは一度の攻撃も受けずに最後の広間に着いた。僕も直撃はないものの、何度か剣戟が身体を掠め、HPは残り七割まで減っていた。

『――なぜお前たちはそれほど愚かなのだ……』

 天井の崩れ落ちたその部屋に入ると、絶え間なく襲ってきていた剣戟が止んだ。ここは居間だったのだろう。大きな暖炉の前に薄汚れた大きな絨毯が敷かれ、その上にいくつもの破れたソファーが転がっていた。

『――まだ見えぬのか……その目は飾りか……盲目は罪……死をもって償え……』

 暖炉の前に、黒い霧が集まった。それはやがて人の形をとり、全身を黒い鎧で覆った騎士をつくり出した。騎士は両手で巨大な剣を構える。紅い片刃に黒い霧が絡みつく。

『――我は魂砕きのノーランド……この城は誰にも渡さぬ……』
「来るよ」

 サクがそう言ったと同時に、ノーランドが凄まじい速さで間合いを詰める。狙いは――サク。
 だが、クズがその間に割って入った。クズはノーランドの横凪を、長刀で受ける。

 バカ、折れるぞ!

 が、クズは自ら後ろに下がり、その膨大な破壊力を秘めた一撃を受け止めた。

「ようやく姿見せやがったな、チキン野郎」

 クズは即座に重心を前に移動し、長刀を振る。それは的確に分厚い鎧の隙間を切り裂いた。

『があああああぁ――!』

 雄叫びとともに繰り出されたカウンターの返しも、上体を反らして悠々と避ける。そしてクズの左手にはいつの間にか光玉が。

 ――遠距離攻撃スキル。

 クズが投げた光玉はノーランドの兜に直撃し、爆発した。ノーランドが顔を押さえてよろめく。
 呆れるほど見事な一連の動き。その場で思いついたことをそのままやる、変態的なセンスの固まり。これがクズだ。

「クズ、死にたかったらその場に留まれ!」

 サクの叫び、その直後、クズのそれとは比較にならないほど大きな光玉が、隙だらけのノーランドに炸裂した。

「危ねえ! 死にかけたぞこの野郎!!」

 かろうじて生き延びたクズがサクに吠える。

「ちゃんと注意しただろ!」

 注意のしかたが絶対におかしい。
 僕は言い争う二人を放って、爆煙で姿が隠れたノーランドに向け駆ける。

 確か、この辺り。

 ノーランドの影に大剣を振り下ろした。手応えあり。
 僕は追撃はせずに煙から出て視界を確保する。
 そして煙が流れるのを待った。
 煙が消え、姿を表したノーランドは、兜が割れその下から黒い霧が漏れ出していた。左腕も落ち、右腕一本で巨大な紅剣を支えている。

「いいねぇ、頑丈なサンドバックは好きだぜ」
「ボクはさっさと終わってくれるほうが好みだね」

 クズは再度接近して斬り合い、サクは合間を縫って離れたところから光玉を投げ、僕は隙を見つけて大剣を叩き込む。たったそれだけのシンプルな動きに、ノーランドは蹂躙されていく。
 これが僕らの戦い方。自分のやりたいことをやっているだけだ。チームワークなんてない。だけどタイプが全く違う僕らはそれで自然とうまくいく。そしてなによりも、肩を並べて戦った互いの実力を認めているのだ。その信頼が足りないチームワークを補う。

 何度目かも分からないサクの光玉を受け、ノーランドが吹き飛ばされた。

「そろそろAPが切れる」

 サクの声には少しだけ焦りが見える。クズは何も言わないが、先ほどまでの余裕は見えない。

 僕もそろそろまずいな。

 ノーランドの鎧は見る影もなくボロボロになっていた。大量の黒い霧が、鎧の隙間から漏れ出している。
 ノーランドはぎこちなく立ち上がり、構えた。今までとは違い、天高く紅剣を持ち上げる。黒い霧がその剣先に集まっていく。見るからにやばそうだ。

「魂砕き……」

 ぽつり、とサクが言った。ノーランドだけが持つ、オリジナルスキル。その一撃は魂さえ砕くと言われていたらしい。サクにそう聞いた。

「絶対に当たっちゃだめだよ、死ぬよ」

 鋭くサクは言った。クズもあれをまとに受ける気はないようだ。一歩後ろに下がる。
 僕は逆に前に出た。

「ちょ、ちょっとイチ!」

 まかせとけ、と手を振ってサクを黙らせる。
 勝算はあった。大上段に構えたノーランドの攻撃は読みやすい。振り下ろす、それだけだ。
 僕は躊躇無くノーランドの間合いに踏み込んだ。予想通り紅剣が振り下ろされる。
 僕は大剣を斜めに構え、その攻撃を受けなが――せない。

「へ?」

 ノーランドは僕の大剣をまるで豆腐のように切り裂いた。

 嘘!?

 紅剣が僕の肩口に食い込む。僕は両断される。そう確信した。

 が。

 直前で横から飛んできた光玉が紅剣に当たり、軌道をズラす。僕は爆発に巻き込まれて吹き飛ばされた。

「何やってんだイチ!」

 倒れた僕をサクが抱き起こす。

「死にてえのか!」

 クズがノーランドに切りかかっていく。僕はそれを呆然と眺める。

 しばらく煙の中で甲高い音が鳴り響き、煙が晴れるとそこには床に倒れたノーランドと、それを悠然と見下ろすクズがいた。

『――アイリス……』

 そう呟いて、ノーランドは消えた。黒い霧が僕ら三人に吸収される。

「なにやってんだおまえ」

 呆れ顔でクズが振り返った。

「いや、攻撃を受け流してさ、格好良く反撃とか――」
「あれを受け流す? できるわけねーだろ、バカじゃねーのか」

 ぐ、クズに言われると腹が立つ。僕は助けを求めてサクを見た。

「イチ……」

 サクはなぜか悲しい瞳で僕のことを見ていた。

「キミは……もしかして……」

 白く細い手を伸ばして、僕の額に触れる。そして、

「ウィルス起動してんじゃないの? 脳味噌壊れてるよ」

 と、凄まじい嘲笑を浮かべて言ったのだ。
 僕はサクの手をはねのける。
 スカッ
 空を切った。 

「さわんな、おっぱいめ」

 やれやれ、と首を振るサク。

「僕はおまえ等と違って器用じゃないんだ、やってみないと分からないんだよ」
「これだからプレイヤー性能低いやつ見てるとイラつくんだよ」
「わかるわかる。味方だと思うからだめなんだ。いっそ敵だと思って見たら笑えるかもよ」
「殺しちまうわ、それ」

 こいつらひどすぎる。確かに僕の行動は軽率だった。反省もしている。けどここまで言わなくてもいいじゃないか。

「さて、先に進むとしますか」

 サクが歩き出す。

「先?」
「奥の部屋だよ」

 サクは大きな暖炉の中に入り、そこに隠されていた扉を開ける。僕とクズは続けてその奥に入った。
 そこは月の光が入ってこない暗闇だった。天井が崩れていないのだ。
 と、暗闇を光が照らす。サクが光玉を作り出していた。

「うおっ!」

 クズが驚きの声を出す。
 光玉によって照らし出されたそこは小さな部屋だった。中心に簡素なベットがある。そこに、一体の骸骨が寝ていた。
 死んで長く経っているのだろう。白骨になっている。ドレスのようなものを身につけているが、ボロボロ朽ちていて、果たしてそれが本当にドレスだったのか定かではない。そして、骸骨の胸に錆びた剣が突き刺さっていた。

「驚かせやがって」

 クズは長刀を抜き、骸骨に歩み寄るが、

「さっきの話の続きをしよう」

 唐突に話し出したサクによって、クズの動きは止められた。

「亡霊として蘇ったノーランドは真っ先に自分の城に戻った。家族を教皇の兵から守るために。しかしそこでノーランドが見たのは、隠し部屋で刺し殺されている妻の姿だった。ノーランドは深く悲しみ、嘆いた。しかし同時に希望もあった。最愛の娘の姿が見あたらなかったからだ。彼は娘を捜した。探し続けた。でも――ついに見つからなかった。だから彼はここに留まり、この城を守りながら待っているんだ。いつか最愛の娘、アイリスが戻ってくるのを……」

 キン、と音が鳴った。クズが長刀を鞘に収める音だった。

「そんなくだらねえ話のためにわざわざこの部屋に入ったのか?」
「はは、もちろん違うよ。目的はこいつさ」

 サクは骸骨の手を探り、そこから指輪を取り出した。
 僕はサクが持っているその指輪を覗き込む。大きな宝石がついているそれは、僕たちのもっているものと同じだった。RPが刻まれる指輪。

「すごい、カンストしてる」

 数字は9999を刻んでいた。

「闘技場で頂点をとったノーランドの指輪さ。ま、さっきの亡霊は当時の強さをなくしていたようだけどね。教会はこれを結構な額で買い取ってくれるらしいよ」

 指輪にはうっすらとノーランドの名が刻まれていた。

「これ、売らなきゃだめか?」
「どうしたんだい? この指輪は主のノーランドしか使えない。売る以外の用途はないよ」
「わかってるけど……」
「これが手に入るのは一つのパーティで一度だけだ。でもその一度で必ずドロップするから、レアアイテムってわけでもないよ」
「……持ってた方がいいような気がしただけさ。サクが売りたいならそれでいいよ」

 サクは「はあ」とため息を吐いて、

「今すぐ売らなきゃいけな理由もないから、とりあえずとっておくよ。それでいいかな?」
「悪い、ありがとう」

 その後、僕らは来た道を戻り、アウラポイントに入って回復するのを待った。



「おい、これドロップしたからお前が使えよ」

 アウラポイントで寝そべりながら、クズが取り出したのは紅い大剣だった。ノーランドが使っていたものだ。

「いいのか?」
「武器壊れてんだろ。俺はそんなデカブツ使わねえよ。売るよりはお前が使った方がましだ」

 僕はその紅剣を受け取る。前の大剣より重かった。

「サンキュー」

 あ、そう言えば。
 僕はメニューを開けた。

「みんな、レベルはいくつだ?」
「全員4だよ。ランキングで確認した。安全圏に入ってるから安心しなよ」

 僕はほっと一息つく。

「さすがサク、早いな」
「それより、スキルはどうだい? ボクは遠距離攻撃のレベルが上がったけど」
「僕も身体強化のレベルが上がった」

 そのおかげでスキルの効果も上がり、時間も長くなったようだ。これで紅剣も振れるだろう。

「クズは?」

 僕らは同時にクズの方を見る。クズは無言だった。

「おい、どうしたんだ?」

 クズは少し口を動かして、

「……が上がった」

 なんだって?

「HPとAPが10ずつ上がった……」
「……それってスキルなのか?」
「スキルって書いてある……」

 悲しい声でクズは言った。どう考えてもゴミスキルだ。
 このゲームはステータスが二つしかない。APとHPだけ。それはレベルが上がると、どちらか一つを10上げることができる。初期値は100で、僕は今までHPに全振りしてきたからHP130、AP100だ。わざわざスキルで上げなくてもレベルアップで十分なのだ。

「おかしいだろ! なんで俺だけこんなゴミなんだよ!」
「当然さ。調べてこないキミが悪いよ」
「あ? どういうことだ?」
「ボクは今まで遠距離攻撃のスキルしか使ってない。回復と身体強化は封印している。イチは身体強化だけだろ?」

 僕は頷く。

「キミは見たところ身体強化と遠距離攻撃を使っている。まさか回復は使ってないよね?」
「……使ってねえよ」
「よかった。使ってたら本格的に終わってるところだ」

 サクは説明を続けた。このゲームでは誰もが、身体強化、遠距離攻撃、回復、この三つの基本スキルを最初から使うことができる。どれも戦闘では欠かせない便利なスキルだ。すぐにでも使いたくなる。でもそれは罠だった。
 このゲームでは使ったスキルやステータスの振り方、その他プレイスタイルに応じて手に入るスキルが変わるのだ。中でも使用スキルによる取得スキルの変化が特に重視されていた。どれか一つを使い続ければ、その方面に特化したスキルがいち早く手に入る。逆に多くのスキルを使うと、性能のいいスキルは手に入らなくなり、スキルの入手も遅くなる。
 このゲームでもっとも重視されているのはプレイヤー性能だが、次に来るのがこのスキルで、その後にレベルと装備が続いていく。つまり、スキルの選択は結構重要なのだ。

「つまりあれか、一点特化がいいのか」
「そうでもないよ。二つでもそこそこいいスキルが確認されているし、何より戦術の幅が広がる。でも三つだと器用貧乏の誕生だね」
「ダメージ食らわなくてよかったぜ……回復するところだった」
「おい、もしかしてクズ、今までノーダメか?」
「ノーダメに決まってんだろ。誰にもの言ってんだ?」
「ちなみにボクもノーダメだよ」

 ああ。これが絶対的プレイヤー性能の差というものか。

「だからクズは回復スキルの使用は控えた方がいいよ。もちろんボクらもだけど……正直誰も使わないってのはどうかと思う」
「危険すぎる」
「うん、狩りの効率も下がる。絶対いた方がいいよ」
「俺は嫌だぞ。お前等がやれよ」

 僕とサクは顔を見合わせる。絶対嫌。顔にそう書いてある。

「一度でも回復スキルを使うとオリジナルスキルへの影響がすごいんだ。もちろん悪い方で」
「オリジナルスキル?」
「スキルを成長させていくと、ボクたちはたった一つだけ自分だけのスキルを入手できるんだ。ノーランドが使った『魂砕き』がそれさ。あのスキルは刃に振れたものすべてを切り裂く。どんな強力な装備を身に纏っても、もちろん受け流そうとしても無駄さ。そんなもの関係なく全てを切り裂くんだ。システムに約束された絶対の一撃だよ」

 サクはチラリと僕を流し見た。このやろう、どうせ僕には受け流せなかったよ。

「オリジナルスキルは強力だけど、それだけ入手も困難だ。例えば、回復スキルを使うと、まずオリジナルスキルが手に入らない。回復特化なら話は別だけど、ボクらにはもうその道がないからね」

 だから回復役をこれほど嫌がるのだ。死んだら終わりのこのゲームで、信頼できる回復手段の確保は最優先だ。それはわかってる。でも。

「僕は嫌だ」
「ボクもだよ」

 僕とサクは睨み合う。

「近接特化だとやっぱ向いてないよな。遠距離特化の人とかやるべきだと思うな。ポジション的に回復役に向いてるし」
「近接特化の人も意外と向いてるかもよ。自分の限界を自分で決めるのはよくないね」
「どっちでもいいからやれよ」

 こいつは。自分は関係ないと思いやがって。

「キミがやればいいんじゃないか? 究極の器用貧乏になれば?」
「クズならきっとできるよ。なんたって僕とは違ってセンスの塊なんだ。僕が保証する。だからやれ」
「ふざけんな、ぜってーやらねーぞ」

 僕ら三人は互いの顔を睨みつけた。そして、

「お前ら協調性って知ってるか?」
「てめーら協調性って言葉も知らねえのか」
「キミたち、協調性を学んだ方がいいよ」

 同時に言った。誰も協調性がなかった。

「……よーくわかった。僕らは全員戦闘狂だ。サポートする気なんてさらさらない、自分のやりたいことしかやらない。いいさ、だったらこれでいけるところまでいこう。最初に音を上げた奴が回復役だ」
「話し合いじゃ絶対に決まらないだろうしね。いいよ、それで。最初に音を上げるのはイチだと思うし」
「俺もそれでいいぞ。どうせイチがやるんだろ」

 こいつら、絶対に見返してやるからな。

 僕が熱い決意を胸に、サクとクズを睨みつけたその時、三人の冒険者らしきプレイヤーがこのアウラフィールドに入ってきた。

「今から挑戦するのか? 俺たち先に行ってもいいか?」

 リーダーらしき茶髪の剣士が、一番近くにいたサクに話しかける。

「あ……う……うん」

 サクはフードを深く被って、声にもならない声を上げた。

「え? なんだって?」

「う……あ……う」

 サクはフードをギュッと握りしめて縮こまる。
 こりゃだめだ。
 僕はサクと剣士の間に入った。

「僕たちはもう終わったから、どうぞ先に行ってくれ」
「ありがと、悪いね」

 茶髪の剣士は短くそう言って足早に二人の方へ戻る。

「おい、大丈夫かよ?」

 サクは小さくなって僕の背に隠れていた。

「う……うん。ありがとう」

 弱々しくそう言った。

 サクは超絶人見知りだ。それはもう病的なぐらい。
 僕とサクのはじめての会話なんて、何百試合と戦い続けた後にようやく一言「おつ」。これだけだった。僕もコミュニケーションが苦手だったがサクは比べものにならないくらい下手なのだ。クズとサクの初対決の時なんてひどいものだった。戦いは互角だったのに、会話内容は完全にいじめっこといじめられっこのそれだったのだ。思わず爆笑してしまった。

「はっ、情けねえな、コミュ障が」

 嘲笑混じりにクズが一言。

「うるさい鉄砲玉」
「なんか言ったか、おっぱい」

 気心知れた相手にはこうして普通に話せるのだ。

「……ここしかない……ノーランドを倒さないと……」

 ふと、先ほどの三人の声が耳に入ってきた。彼らはアウラポイントの隅で深刻そうに話し合っている。
 内容を聞くと、彼らはレベル2で、もうここで狩りを成功させるしか生き残るすべがないらしい。もうすぐ一日が終わる。時間的にも際どいだろう。でも、助けに入ればいけるかもしれない。

「あの、もしよかったら――うわっ」

 城に向かおうとする彼らに、僕がそう声をかけた瞬間、僕はサクに押し倒された。

「な、なにする――むぐっ」

 手で口を封じられ、僕は声を出せなくなる。

「なんでもねえから、さっさといけよ」

 クズが三人に向けてそう言うと、彼らは足早に城の中へ入っていった。

「な、なにするんだよ!」

 解放された僕はわけが分からず叫んだ。

「イチ、さっきなにしようとした?」

 いつになく真剣なサクの声に、僕は勢いをなくす。

「な、なにって、彼らを助けようとしたんだ。時間的にもきつそうだったし……」
「何も分かってないね、キミ」

 冷たい声だった。

「何が分かってないんだよ」
「このゲームで人を助けるってことがどういう意味を持つのか。全然分かってないよ」
「分からない。人を助けて何が悪いんだ」
「この世界で誰かを助けるってことは、べつの誰かを犠牲にするってことだよ」

 人を助けると誰かが犠牲になる? 全く分からない。

「まだわからないみたいだね。ボクらは毎日レベルが低い順から百人ずつ死んでいく状況にいる。ここまではいいかい?」

 僕は頷く。

「さっきの三人は、このまま何事もなければ今日死ぬ運命にある。今日死ぬ百人のうち三人分の席が彼らで埋まるはずだった。でもここで君が手を貸して、彼らが助かったらどうなる?」
「どうなるって、何も問題がないだろ。彼らは助かるんだ」
「問題あるさ。今日死ぬはずだった三人分の席が空くんだ。もちろん、そこには代わりの誰かが座ることになる」
「代わりの、誰か。まさか……」
「そう。キミが彼らを助けたことで、本来なら今日死ぬはずじゃなかった他の誰かが死ぬことになるんだ。極端なことを言うと、それはボクかもしれないし、クズかもしれない。
 この世界で誰かを助けるってことは、命の取捨選択をするってことだ。キミが誰を生かすのか決めるんだ。でも代わりに誰かが死ぬ、それが誰になるかキミは知らない」
「だったら……人を助けることに意味はないのか?」

 でも昨日僕はザックに助けられた。

「毎日必ず百人死ぬんだ。それは君が誰を助けようと変わらない。助けなくても変わらない。必ず死ぬんだ。でも、ボクはキミやクズが死にそうになったら迷わず助けるよ。死んでほしくないから。だけど見ず知らずの誰かを助けるのはやめたほうがいい、そう言いたいだけさ」

 命の取捨選択。サクの言葉が僕の心に重く響いてくる。

「甘過ぎなんだよ。サク、てめえも分かってんだろ。大事なのはそこじゃねえって」

 今まで黙っていたクズが突然言った。サクはバツが悪そうに下を向く。

 大事なのはそこじゃない? どういうことだ。

「考え方が逆なんだよ。このゲームはよお、誰かが死ねば他の誰かが助かるんだ。この意味が分かるか?」

 意味? どういうことだ?

「とことん鈍いなてめえは。このゲームは殺しのハードルが低いってことだよ」
「殺しのハードルが低い?」
「今日生き残るはずの誰かが死ぬことで、代わりの誰かが助かるんだよ。キミが誰かを助けることで命の取捨選択をしようとしたように、誰かを殺すことで命の取捨選択をすることもできるんだ。その二つの行動に何か違いがあるかい? 残念だけど、手段が違うだけで結果は何も違わないんだ……」
「まさか……そんな……」

 僕は二人が言う言葉の意味を理解し、戦慄した。

「だから、今日死ぬかもしれない『ボーダー』にいるプレイヤーたちが集まりそうな狩り場は避けた方がいいんだ。ボーダーは余裕がない人間ばかりさ。そこで横入り、横取り、そんな争いの種が巻かれたら、どうなるかわからない」
「例えば……僕らが今日レベルを一つも上げずに生き残ることも可能なんだよな?」
「できるね。ボクら以外のプレイヤーを百人殺せばいい。システムが殺す百人も、ボクらが殺す百人も、割り切って考えれば違いはないよ」
「割り切って考えれば……」
「ボクには無理そうだけど、このゲームには一万もの人間がいるんだ。これから、割り切って行動するプレイヤーは必ず出てくるだろうね。イチはどうだい?」

 僕は首を横に振った。そんなのできるわけない。
 クズはどうなのだろう。でもクズは何も言わずに寝そべって、空に浮かぶ月を眺めていた。僕はクズの答えを聞くのが怖かった。
 誰かを助ければ、他の誰かが死ぬ。
 誰かを殺せば、他の誰かが助かる。
 吐き気がするほど歪んでいた。
 昨日、サクが言った言葉の意味が少し分かったような気がする。「僕らは犯人にコントロールされている」。プレイヤー同士、争うように仕向けられているような気がしてならなかった。

 その時、足音と共に茶髪の冒険者が帰ってきた。彼の顔はひどく疲弊していて――連れの二人がいなかった。

「まさか――そんな――嘘だ――」

 アウラフィールドに入った彼は呆然と立ったまま、ぼそぼそと呟く。

「無理だ――もう絶対――無理――」
「おい、大丈夫か?」
「ちょっと、イチ!」

 サクの忠告は遅かった。茶髪の男は血走った目で僕を見ていた。

「はは、そうだよな……この手があったか。はは、ははは」

 哄笑を上げながら彼は腰の直剣を抜く。

「お前等が死ねば、席が三つ埋まるんだよなぁ!」

 そう叫んで、僕に向かってくる。
 僕はクズにもらった紅剣で彼の攻撃を受け止めた。

「バカ、止めろっ!」
「死ね、死ね、死ねええええっ!」

 僕の言葉はもう、彼に届いていない。彼の狂ったような攻撃を、僕は受け続ける。

「ったく、退いてろ、バカ」

 気だるげな声と共に、クズが僕らの間に割って入った。クズは単調な攻撃をはじき返し、返す刀を男の首筋に向ける。

「何やってんだっ!」

 僕は咄嗟にクズを突き飛ばし、そのまま男も遠くに突き飛ばした。

「なんだてめえ、死にてえのか!」

 立ち上がったクズが叫ぶ。

「お前こそなにやってんのかわかってるのか!」
「てめえこそ分かってんのか! 殺されそうになってんだよてめえは! どうせそいつは死ぬんだよ!」
「だ、だからって!」
「やめろ二人とも!」

 サクの声が僕らの争いを止めた。

「後二分だ」

 サクは短く、そう言った。それだけで十分だった。
 立ち上がった茶髪の顔が絶望に染まり、クズは長刀を納めて後ろに下がった。

「来いよ。僕がこの中で一番弱い」

 僕はそう言って大剣を構える。

「う、うわあああああああっ!」

 男はがむしゃらに、隙だらけの攻撃を続ける。僕は一瞬で彼の命を絶つことができるだろう。でも彼の攻撃を受け続けた。
 例え今日を生き延びたとしても、彼は近いうちに死ぬだろう。妙に冷静な頭でそう思った。
 僕があえて隙を作ると必ずそこをついてくる。僕が剣を動かすと必ず退く。目の前にあるものしか見えていないのだ。彼は落ち着いていないのだ。
 ただ、落ち着くこと。初心者にはたったそれだけのことができない。逆にそれさえできれば中級者なのに。
 クズとサクはこの戦いに手を出す気はないようだ。後方で悠々と待っている。
 薄情だとは思わなかった。逆にありがたかった。この程度の相手に、援護に入られたら僕のプライドはいたく傷つけられただろうから。お前には任せられないって、信用されていないってことだ。かつて互角に戦った相手に実力を信用されないということはこの上ない屈辱だ。僕はこのゲームになって弱くなった。だけどまだそこまで落ちちゃいないつもりだ。

「十秒前」

 サクは冷たくそう言った。カウントが進んでいく。男の攻撃に狂気が混じる。

「ごめんな」

 僕がそう言ったと同時に、男の動きが止まった。

「あ、あ、嘘だ……。うああああああああああぁ!」

 絶叫を残して、男の姿は薄く消えていった。

 午前零時だ。

 僕は呆然と、彼がいなくなった空間を眺め続けた。

「しかたなかったんだ」

 サクが僕の肩をたたく。 

「割り切った方がいい」
「わかってる。でも……」
「……そういうことで悩むのはキミらしいよ」

 サクはそう言って少し笑った。

 それから、昨日と同じように死亡者リストが公開された。僕は逃げるようにそれを見た。

「レベル90が二十七人も死んでいる」

 最初にそれを見つけたのはサクだった。今日の死亡者リストに、本来なら死亡するはずのない高レベル帯のプレイヤーが大量にいたのだ。レベル90は確か、アップデート前の最高レベルだったはずだ。今回のアップデートでレベルは100まで解放されたらしいが、それからまだ二日しか経っていない。間違いなく最高レベルのプレイヤーのはずだ。

「何かあったのか?」
「わからない……」

 サクは首を振って考える。

「もしかして、クリアの方法が分かったとか? 攻略に挑戦して、失敗した?」
「そうだといいけど……」

 サクはそう言って、答えを求めるかのように、夜空の月を見上げた。






 あとがき

 これでようやく序章が終わりです。これから一章のプロットの細部を詰めるため、次の更新は少し間が空くかと思います。



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