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[34283] [Z-E-R-O] (原作:ロックマンゼロ、ロックマンX)
Name: 村岡凡斎◆45ff140f ID:697d6d9c
Date: 2013/09/18 15:00
本作はロックマンゼロ、ロックマンXの二次創作作品です。
ただし物語は九割方オリジナルであり、別物です。
原作を愛する方々は「はじめに」に目を通してから読み進めることを推奨します。また、原作を知らない方でも読めるよう、最低限の知識についても解説を致しますので目を通していただければと思います。


※私が馬鹿な編集をしたのでCOMMENTARY 2から22nd STAGEへは「次を表示」では進めません。ご了承ください……。
※本版に移動してみました。よろしくお願いします(12/11/7)

※告知的なものを感想掲示板に追加しました。一読お願い致します。(13/9/18)



[34283] はじめに
Name: 村岡凡斎◆45ff140f ID:697d6d9c
Date: 2012/07/18 16:08

内容は「ロックマンゼロ」を下敷きとしたオリジナルストーリーです。
しかし、ゼロの人物像は大きく逸れたものとなっています。
他にも幾つか原作から外れた点があります。読む前に、以下の点に目を通しておいてください。


[知っておきたい知識]

原作とは多少違います。
本作品のみに適用される設定と考えてください。

・レプリロイド
簡単に言うと、感情を持ったロボット。人型のみならず、動物、植物等の形を取ったモノもいる。複雑な思考回路を持ち合わせ、ほぼ人間同様に考え、感じることができ、その表現も柔軟にこなす。
ただし、「涙を流す」という行為はできない。

・メカニロイド
一般的に現代社会で稼働しているロボットやその発展系。レプリロイドよりも単純な思考回路で、複雑な感情表現などはできない。基本的には、硬質な装甲で身を包んでいる。

・イレギュラー
電子頭脳や思考回路等に欠陥があり、他者(特に人間)を傷つけるロボットの総称。
つまりは、ロボット社会における犯罪者。

・イレギュラーハンター
イレギュラーを処分し、取り締まっているロボット警察の名称。物語の舞台となるN.A.暦124年における体制と、N.A.暦以前の体制は全く違う。
ちなみに、過去に存在したレプリロイドによる軍隊の名称は「レプリフォース」だが、こちらは既に存在しない。



[原作との相違点]

・キャラの性格等の設定を変更しています。特に、物語の中心として動いてもらう、ゼロは、言動等の違いが大きく目立つと思います。
※作者は岩本エックスの影響を多分に受けており、それが反映されている部分があります。ただし、それをそのまま真似ようと描いてはいません。

・それぞれの信条が原作とは異なっている場合があります。

・サイバーエルフに関する設定を変更しています。

・キャラのデザインを、変更しています。頭身はリアルサイズです。また、レプリロイドの姿形は生身の人間に近いものとなっています。

・作者は岩本先生版ロックマンXを崇拝しており、いくつか設定を借用させてもらっています。

・物語は原作の1と2を参考にしていますが、途中からオリジナル展開が色濃くなっていきます。

・ラストも、原作とは別のものを構想しています。




[34283] Prologue
Name: 村岡凡斎◆45ff140f ID:697d6d9c
Date: 2012/07/18 16:24

――――  0  ――――



気づけば目の前には荒野が広がっていた。どこまでも続く、寂しく乾いた大地。まるでこの世の果てだ。
ふと振り返れば、草原が広がっていた。蒼く茂った優しい大地。きっとこの先に楽園がある。

空を見あげれば、二色の空が天を覆っていた。
荒野の上には真紅の空。禍々しい色を放ち、中心には漆黒の太陽が見えた。
草原の上には紺碧の空。温かいぬくもりに溢れ、中心には眩い輝きを放つ太陽が見えた。

『どうしたの?』

ふと尋ねられ、彼は声の主を見た。声の主――――“彼女”は草原に立っていた。
穏やかな風が“彼女”の栗色の髪を揺らす。“彼女”の顔が彼には分からない。けれど“彼女”は確かに微笑んだ。

『……夢を見ていたんだ』

彼は戸惑いながら、“彼女”に話し始める。

『夢?』

『ああ』

『どんな夢?』

『それは――――』

思い返しながら、言葉を選ぶ。それを言葉にしてしまってよいものかと悩む。
だが、彼女に再び促され、彼はただ一言で、その夢について語った。


『それは……君を失った夢だ』


言葉と共に、一陣の風が吹き抜けた。












        [Z-E-R-O]



















  目覚めた時


  涙が頬を流れている気がして


  片手で拭ってみたが







  そこには何もなかった。










[34283] Waffle for Chapter
Name: 村岡凡斎◆45ff140f ID:697d6d9c
Date: 2012/11/07 01:25


第一章:覚醒編
(OPENING STAGE~9th STAGE)

    閉じた世界、涙の少女、目覚める英雄、物語の始まり――――

    救世主が統べる、輝ける楽園の傍らで
    人の手により作られた命たちが、無惨に散ってゆく戦場で

    彼は問う、過去の真実を
    彼女は願う、未来の温もりを

    それは途方も無い懺悔と、儚い祈りの始まりだったのかもしれない





第二章:激闘編
(10th STAGE~21st STAGE)

    死闘、暗闘、決闘、激闘――――

    戦いは闘いを呼び、果てることのない螺旋は続く

    お前は味方か
    あなたは仇か

    溢れる哀しみ
    湧き上がる憎しみ

    散りゆく命
    報われぬ愛

    護るべきは何か
    壊すべきは何か

    全てが入り乱れる戦場で、彼は一人呟く


    友よ、お前の見た夢の結晶は何処へ行ったのか





第三章:離別編
(22nd STAGE~FINAL STAGE)

    別離の詩を唄おう

    歓喜の時に
    悲哀の時に

    別離の言葉を贈ろう

    憎んだ人に
    裏切った友に

    別離の涙を流そう

    包んでくれた優しさに
    焦がしてくれた情熱に



    偽りの太陽

    儚い孤影

    揺れる朧月


    信じる空は、ただ蒼く

    終わりの時を胸に抱いて――――




    さあ



    別離の花を手向けよう

    小さな足で歩み続けた

    この世界に向けて




    精一杯の

    愛を束ねて。









[34283] OPENING STAGE 「涙の少女と寝起きのマルス」
Name: 村岡凡斎◆45ff140f ID:697d6d9c
Date: 2012/10/29 15:54











……



……………



…………………





………声がする


  名を呼ぶ声が


  助けを求め 救いを求め


  叫ぶ声が 


  聞こえる



  涙まじりの 少女の声が




  眼前に広がるは暗闇


  色もない 音もない


  触覚も 己の存在を確かめるもの全て


  何もない


  それでも 聞こえる……‥‥




――――…もう…いいよね?


(…誰だ?)



――――…君も十分休んだよね?


(…誰なんだ?)



  耳の奥で響く優しい声

  しかし、問い返した言葉は何もつかめず、暗黒に消える




――――…さあ、「  」。彼女を…


(……何だ?)


――――…「みんな」を、任せたよ……


(……)


  響きが遠ざかる
  そして、声は聞こえなくなる


(……待て……待てよ……おい…)


  慌てて呼びかける

  けれど、見えない声の主は離れてゆく

  不意に、彼は気づく



(…お前は…)




……お前は……?




(…………俺は……?)







     俺は









  繰り返す問い

  突き刺さる衝撃

  見つかりかけた答えを消し去るように


  鮮烈な光が


  闇を






  切り裂いた

















    「目覚めて」

























 第一部





   X〜エックス〜
















    覚醒編






















 OPENING STAGE




    涙の少女と
      寝起きのマルス
















 ――――  1  ――――



「――――現在、目標は遺跡内を逃走中。イレギュラー十二体に、人間一人」

管制室に早足で入ってきた彼に、オペレーターとして座っているレプリロイドの一人が状況を伝える。
薄暗い部屋を照らしているのは、遺跡内の映像を映す十数枚のモニターとコンソールのパネルの灯りだけだった。

「レヴィアタン様からの通信は?」

「はっ。『イレギュラーは即刻処分。人間は保護。逃亡中の“Dr.シエル”ならば、速やかに本国へ送還せよ』とのことです」

「了解した。――――しかし…解せんな…」

彼は訝しげな声を漏らす。

「なにが…ですか?」

「イレギュラー共に与する人間…。その小娘に執着する四天王…。そして…――――」

彼――――リーグがこの遺跡の警備隊隊長に任命されてから数年経つが、最深部については国家の最高機密として全く知らされていなかった。
四軍団が編成される前から、他の部隊により警備隊が組織されていたが、それに所属していた者たちも、一切の詳細な情報は知らされていなかったようだ。
ただ噂では、過去に破棄された研究施設があるという。とは言え、そんな場所にいったい何があるというのか。

――――命をかけてまで侵入する理由がそこにあるのか…?

眉間に皺を寄せながら、リーグはモニターに映る侵入者達の顔を睨みつけ、その理由について一人、頭を悩ませた。







飛び交う光。頬を掠めるエネルギー弾。遺跡の壁は抉れ、破片が散る。駆ける足は疲労を訴え、同朋の死は心を蝕む。
追うものと追われるもの。狩るものと狩られるもの。――――数億年前からこの世界を支配している驚くほど単純な構図は、栄華を誇った生物のほとんどが死滅したこの時代においてもほとんど変わることのない生命の摂理として存在していた。

もっとも、この場にいる中で真に生物と言えるのは、人間である「彼女」ただ1人。後は皆、人類が自らを模倣して生み出した疑似生命体、「レプリロイド」なのだが。



「ここは俺たちが引き受ける!」

「ミラン!シエルを頼んだぞ!」

貧弱なエネルギー銃を敵の単眼レプリロイド――――「パンテオン」の群れに向けて連射しながら仲間が叫んだ。
仲間に名を呼ばれたミランは、片腕を掲げ、力強い声で応える。

「任せろ!…行こう、シエル」

銃を脇に抱え、少女に声をかける。
少しだけ迷いながらも、仲間の期待に応えるべく、人間の少女――――シエルは頷いた。

しかし再び走り出した瞬間、シエルは遺跡の破片に躓いてしまった。「きゃっ」と声を上げ、倒れこむ。
その声を聞きつけたミランは慌てて彼女に駆け寄る。流れ弾が頬を掠めるが、微塵も気にする様子なく、シエルの肩に手をやる。

「大丈夫か!?」

「平気……っ!!」

立ち上がろうとしたシエルの足に激痛が走る。どうやら挫いてしまったらしい。無理もない。一時間以上も走り回っていたために、足に疲労がたまっていたのだろう。
まともに歩くことすらままならないことを察したミランは、携帯していた銃を捨て彼女を両腕で抱えて走り出した。

「ごめん、ミラン…」

申し訳なさそうな顔をするシエルに、ミランは前を向いたまま、優しく笑いかけた。

「心配するなよ、シエル。…俺はさ、“ネオ・アルカディア”にいた時は、ペット以下の扱いだったんだぜ?」

その言葉に、シエルは“人間”として胸を締め付けられる。
人間とレプリロイドの身分的格差。それはこの世界を取り巻いている新たなヒエラルキーを象徴していた。
だが、ミランが言いたいことはそういうことではない。

「それに比べりゃ、これくらいなんてことないよ」

己のために。みんなのために。そして、何より君のために。
そう思って自らこの道を選んだのだ。

――――後悔もしていない。

ただひたすら希望に向かって、走り続けた。








ミランとシエルが走り去る姿を見届ける間もなく、仲間たちはパンテオンの軍勢を先に進めまいと奮闘し続けた。

「これ以上先には行かせねぇぞ!」

「くたばれ木偶野郎共!」

「シエルの道を、希望の道を邪魔はさせない!」と言うように、一人、また一人と仲間が目の前でスクラップに変えられていくにも関わらず、彼らは決して怯えも、恐れもしなかった。
彼らは大いなる使命感によって支えられていたのだ。しかし――――

「…!?」

そうした使命感も、時に圧倒的な「力」の前ではいとも簡単にへし折られてしまうものだ。
遺跡の壁面をこすりながら近づいてくる巨大な影に、一人が気付く。

――――…あれは……!

識別すると同時に、彼の頬に生ぬるい疑似血液が飛び散った。
現れたメカニロイドは、そこにいた数体のレプリロイドを自慢の剛腕で丸ごと鉄くずにかえてしまった。

「ひっ…」

そのメカニロイドこそ、ネオ・アルカディアの番兵にして力の象徴――――「ゴーレム」

五メートルを越える巨躯で浮遊し、その威圧感で敵を圧倒。
特殊素材で組まれた超硬質なワイヤーは、その身から放たれた己の腕を一気に巻き戻す。次のターゲットに撃ち込むために。

「い…いやだ…」

幸運にも一人残された彼だが、逃れる道は最早どこにもなかった。腰が抜けたらしく、その場にへたり込む。

「やめて…くれよ…」

ゴーレムの腕がカシンッと無機質な音を立て、巻き戻る。
彼の顔が悲痛と恐怖で歪み、みるみる青ざめてゆく。

「頼む…。助けて…。助けてくれよ。なあ…。…死にたくない。死にたくないぃ」

傍に横たわる仲間の亡骸は微塵と化し、疑似血液やらオイルやらの混じったドス黒い液体がドロリと広がっている。それによって、地につけた手がじわじわと染色されてゆくのを感じる暇もなく、彼は懇願し続けた。
しかしそれに答えることもなく、代わりにゴーレムは再び拳を握りしめる。

「……いやだ…。いやだ…いやだ…いやだいやだいやだいやだいやだいやだっ!」

ゴーレムの巨大な腕が、壮絶な勢いで飛び出す。

「あぁあぁぁああぁあああぁぁぁぁぁぁぁぁああぁぁぁあぁぁぁ……っ!」


鈍い音が響き、残骸が散らばる。そしてまた、ドス黒い液体が更に広範囲に渡り流れ出る。
しかし、痛める心を持たぬ感情の無い兵隊たちは、それらの光景に、少しも反応を見せること無く、ただ静かに歩みを進めた。













「ここが…」

シエル達がたどり着いたのは、見上げる程大きな扉の前だった。いたるところで塗装が剥がれ、壁面にヒビが入り、すっかり劣化している。
だが、その扉から発せられる崇高な雰囲気が、その先にあるものの存在を物語っていた。

――――…この奥に、彼が…。

「ダメだ、ロックが掛かっている」

扉の開閉装置を少しいじってから、ミランは合図する。それを受けたシエルは、左腕に付けた腕時計のような装置に話しかける。

「パッシィ。お願い」

「任せて、シエル」

声とともに、腕の装置のエメラルドグリーンの部分が輝き、光る物体が現れた。
光る“妖精”、情報生命体「サイバーエルフ」のパッシィは電子ロックに直接アクセスし、ハッキングを開始した。
その間、僅か数秒。「カシャリ」とカギの開く音がした。

「オーケーよ、シエル」

「急がなきゃ……!」

駆け足で扉をくぐったが、あることに気づいて直ぐ様足が止まる。

「…ミラン?」

後に続くと思われたミランが、その場で立ち止まったままだ。それどころか、何かを考えているような表情を見せる。

「ミラン…どうしたの?」

不安の入り混じった声で問いかけるシエルに、ミランは決心したような声で答えた。

「…俺はここで時間を稼ぐ」

思わず「え?」と声を漏らすシエルに背を向け、ミランはパッシィに「頼む」となんの躊躇いも見せずに言った。
言葉の内に秘められた覚悟に、パッシィは頷く。理由も、その意図も理解できず――――いや、理解したくなかったシエルは只管「待って!」と声を上げるが、無情にも扉は閉じられてゆく。

「シエル。…今まで――――」

「 ミ ラ ァ ン ! 」

ミランの最後の言葉を遮るように扉は閉じた。
彼の名を呼ぶ少女の声は、ただ虚しくこだました。

「シエル……」

申し訳なさそうに、彼女の名を呼びながらパッシィが顔のそばに寄る。
だが、シエルはパッシィを恨むつもりも、ミランの決断を怒ることも無かった。そして、扉に両手を当てたまま、ポツリとつぶやき始める。

「…たくさん、殺されたわ」

そう、“たくさん殺された”。――――それは、今日の犠牲者だけの話ではない。これまで数千、数万というレプリロイド達が命を落としてきた。理不尽な法の前に、規則の前に、この世界の中で。
たくさん殺され、たくさん失った。指を咥えたまま、それを傍観し続けることに、彼女はもう耐えられなかった。だからこそ決めたのだ。

「でも……もう誰も殺させない」

それは確かな誓い。握り締めた拳に力が入る。

「そのためにも、[彼]の力が必要なの」

シエルはそう言うと、静かに振り返る。

その部屋は思った以上に広々としていたが、壁や床の塗装はところどころ剥げ、コードがむき出しになっている個所も見受けられる。
数代のモニターやらコンピューターやらも確認できるが、ほとんどが機能停止していて、まともに使えそうなものは見当たらない。

「……“忘却の研究所”」

養父から聞いたその名を口にする。まさしくこの場所を指すにふさわしい名だと思った。

その奥にポツンとあるのは数十本近くの太いケーブルに繋がれた、古びたカプセル。
中央には、内に眠り続ける戦士の名前が確かに刻まれていた。



     [ Z E R O ]




























 ――――  2  ――――



N.A.暦124年。

世界の壊滅を招いた「イレギュラー戦争」が終結し、僅かに残った人類が「ネオ・アルカディア」で暮らし始めてから一世紀以上が経過していた。
救世主と呼ばれるレプリロイド――――エックスにより建てられたその国で、人とレプリロイドは共に助け合い、平和に過ごしていた。
しかし、救世主エックスと一部の優秀なレプリロイド、また、人間による統治機関「元老院」は、下等なレプリロイドのイレギュラー化を懸念し、「人類保護法」、「レプリロイド審査法」を発布。
次第に人間は、自分たちに不都合なレプリロイドを不当にイレギュラー認定し、処分するようになった。その風潮はネオ・アルカディア全体を包み、いつしかほとんどの人間がレプリロイドをただの奴隷として見るようになった。
しかし、人間同様の感情と、より高度且つより合理的な知能を併せ持つレプリロイドは、その状況を黙って見過ごそうとはしなかった。
今や人間以上に数を増したレプリロイドたちは、それぞれの思想の下、集い、徒党を組み、ネオ・アルカディアに対するレジスタンス活動を行うようになる。
人間を守るべく戦う救世主エックスとその軍団。人間に抗うべく戦うレジスタンス。――――ここにイレギュラー戦争以来の、レプリロイド同士が血で血を洗う殺し合いの火蓋が再び切って落とされたのだ。

しかし、それは一方的な殺戮劇の始まりでもあった。

単純な戦力のみならず、情報力、技術力、組織力、そのどれもが勝っていたネオ・アルカディアは勝利を重ね、特にこの十年間はエックスの忠臣「四天王」とその四軍団により、各地のレジスタンスチームが次々と壊滅させられていったのだ。
廃墟と砂漠まみれの大地の上、さらに多くの屍が山のように積み上げられていった。




唇を噛み締めながら、シエルはカプセル制御用コンピューターのキーボードを叩いていた。幾重にも掛けられたロックを、その天才的頭脳は、異常なほどの速さで解除してゆく。
これだけ厳重なプログラムではサイバーエルフの力を借りるワケにはいかない。プログラムを解除できたとしても、場合によってはサイバーエルフのプログラムが犠牲になることもあり得る。情報生命体が故のデリケートさ。
しかし、共に過ごした日々を思えば、これくらいの苦労は苦労の内に入らない。

それに、償いでもあった。
今回の作戦を立案したのは彼女自身だった。シエルたちのレジスタンスチーム「白の団」団長であるレプリロイド、エルピスは、この作戦に反対していた。

『シエルさん。この作戦は無謀過ぎます。確かに、我々“白の団”含め、各地のレジスタンスチームは苦境に立たされています。そして、この現状を根底から覆してくれる救世主を誰もが望んでいる。これも事実です。――――しかし、いくら“伝説の英雄”と言えど、彼は百年以上昔のレプリロイドですよ?ネオ・アルカディアの“ミュートスレプリロイド”に敵うはずもありません。せいぜいパンテオン共十数機が関の山。犠牲を払ってまで封印を解きに行くなど、愚か過ぎます。いいですか、シエルさん。悪いことは言いません。作戦を撤回してください』

エルピスの言ったことは最もだった。「ハイリスク、ローリターン」という彼の言葉は的を射ているのだろう。
「救世主エックスとともに、イレギュラー戦争を終結に導いた百年前の英雄」とは言うが、百年という歳月がどれだけの進歩を生むのか。百年よりも遥かに短い人生しか過ごしていない彼女にも、それはハッキリ分かっていた。
しかし、このままの状態で戦い続けたとして、決して事態が好転するワケではないのもまた事実。虐げられているレプリロイド達はネオ・アルカディアによって虫けらのように消されていく。ただそれだけだ。

――――それなら……

動き出すしかないと思った。
何もしないで滅びてゆくだけなら、精一杯立ち向かって、砕けたい。圧倒的スコアで、己の無力を見せつけられたなら、諦めもつく。しかし、まだ無力だと決まったワケではない。
今はただ、非力なだけ。

――――非力は無力とは違う…。

昔、どこかで聞いたその言葉を胸に、彼女はこの作戦を強行した。

その結果、二十人ほどいたメンバーは自分とミラン以外は、おそらく全滅。
さらに、扉の前にいるミランも、シエルを抱えるために銃を捨て丸腰になってしまったし、自分に至ってはもとより武器を持つことすらできない。十四歳の少女の華奢な体に軍用エネルギー銃は重すぎたのだ。

――――だけど…。

ついにここまでたどり着いた。払った多くの犠牲を無駄にしないために、彼女はキーを叩き続けた。




タンッ、と最後のキーを叩く。解除完了を伝える文字がモニターに映った。
すると、カプセルの周りからなにやら低い駆動音が聞こえ始めた。それに続いて、豪快な音を立てカプセルから白いガスが吹き出る。
ヒンヤリと冷たいそれは、中に眠る「彼」の人工皮膚や疑似体液の鮮度を保っていたのだろう。

そして、間を置かず「バクンッ」という音を発してから、カプセルカバーはゆっくりと開かれた。




























――――  3  ――――




『友達は人間だから、傷つけちゃダメなんだって』

そう言って少年は、銃口を俺に向けた。

『でも、お前、レプリロイドだから、撃ってみてもいいよね。ね。試しにやらせてよ。いいでしょ。だってさ――――』



  どうせ壊れたって



  修理すればいいんだから





ずっと昔のような


忘れかけていた最近の記憶





「痛覚」を切ることは許されなかった。それどころか、感度を通常の数十倍に、強制的に設定させられた。

僅かな傷で激痛が走る。太股の一部が焼けただけで、脳の回路まで焼き切れる感覚がした。
一日で終わるハズもなく、少年は学校で嫌なことがあれば、必ず俺でストレスを発散した。
友人を招き入れ、どちらが一番面白い反応を俺にさせることができるか、競ったこともあった。
逆に、他のレプリロイドと並べて、リアクション大会などと称して競わされたこともあった。
あまりにヒドい反応をすれば、さらに惨い仕打ちが待っていた。


人間だったなら、何度死んだことか。いっそ本当に死ねたらと思わない日はなかった。


俺を買った人間は、その地区の有力者だった。
両親と子供二人の四人家族。飼っていたレプリロイドは動物、人型併せて十四体。豪邸とまではいかないが、それなりに大きな住宅に住んでいた。
子供が幼いうちは、まだマシな方だったと思う。「お馬さんごっこ」の馬役とか、「ヒーローごっこ」の悪役とか。言う通りに動けなければ直ぐ泣いて、その声を聞きつけた父親が俺を叱りつけながらステッキで思いっきり頭部を叩いた。

それでも、まだマシだった。

思い通りの動きをすれば、子供たちは笑った。
子供の笑顔というのは反則だ。つらくとも、自分がそれに貢献できていると思えた分、苦ではなかった。


しかし、子供が学校に通い出してから二年ほどで、暴力まじりの遊びが始まった。
何体かのレプリロイドは、事故的に「精神プログラム」が閉鎖して植物状態に陥った。そうなれば捨てられ、代わりに新しい仲間が買われてくるだけだった。

それでも、「ミズガルズ」に住む下層民に買われたレプリロイドよりはマシだっただろう。
下層階級の不満は、裕福な者のそれと比べものにならないハズだから。

そんなことを考えながら、死すら生ぬるい日々を送った。





そんなある日、俺は彼女に会った。

休日だった。市場へ買い物に遣わされた。(何を買いに行かされたかは忘れた。)
とにかく俺は、時間通りに戻るため、少し駆け足になっていた。買ったものをせっせと袋に詰め、市場を抜け、路地を曲がり――――そして、彼女にぶつかった。

彼女が手にしていたカバンが地に落ちる。

彼女は人間。俺はレプリロイド。

似たような事例で、「イレギュラー処分」を受けたヤツがいたのを咄嗟に思い出した。
即座に膝をつき、頭を地面にこすりつけ謝罪をする。

ゴメンナサイ、ゴメンナサイ、ゴメンナサイ。許してください。お願いです。イレギュラー処分だけはどうか…。どうか……。

必死で謝罪した。額の皮膚は擦り切れた。
惨めでもなんでもいい。



    「イレギュラー処分」だけは嫌だ!




そんな俺に、彼女は落ち着いた声でなだめるように、言った。

『…顔をあげて、大丈夫だから』

予想外の言葉に、硬直した。自分の耳を疑った。

『気にしないで、本当に。大したことないから。ね?』

優しい声で、少しだけ笑いながら彼女は、言った。


『お互い様でしょう?』


彼女にとっては何気ない一言だったのだろう。けれど、俺にとっては大きな一言だった。

「お互い様」――――同等の存在として自分を認めてくれた初めての言葉。
顔をあげてからしばらく、俺は彼女の顔から目を離せなかった。






―――― * * * ――――




ミランは自嘲気味に笑った。

――――あれはカッコ悪かったよなあ…

武器はすでにない。あるのは文字通り、“この身一つ”。緑色の戦闘服に包まれた、脆く、軟なボディのみ。まともな戦いなどできようもない。
しかし、自身のそうした危機的状況など、少しも気にかける事無く、扉の中にいる少女へと想いを馳せる。

――――…シエルはうまくいっているだろうか。

扉を閉じてからしばらく経ったが、かの“英雄”が目覚めて、自分たちを救ってくれるような気配は、一向に感じられない。
おそらくは、何かトラブルがあったのだろう。――――普通ならそう勘付いた者は、取り乱し、自らの役目を忘れてしまうだろう。しかしミランは違った。それでも、彼女が外にいる自分へ声をかけてこないのは、そのトラブルをどうにかして解決しようと苦心している証拠だと信じて疑わなかった。
きっと彼女はそのトラブルを乗り越え、目的を達成させる。そう信じているからこそ、「まあ、いいさ」とミランは微笑みながら首をふる。

――――…基地のみんなはどうしてるかな……

アルエットはシエルが心配で酷く暗い顔してるだろう。セルヴォはきっと、シエルの身を案じて慌てる団員たちの前でも、無理やり冷静を装っていることだろう。
コルボーなんかは飛び出そうとして、みんなに止められてるかも。アイツは感情的になりやすいからな――――……‥‥

ミランの脳裏に、多くの仲間達の名前と顔が溢れるように駆け巡ってゆく。そして、その仲間たちの今を等しく想像する。
それだけではない。基地で過ごした思い出が蘇る。幸せばかりではなかった。歓びばかりではなかった。戦いは苦しかったし、悲しみに身を焦がされたこともあった。けれど、あそこは温かい場所だった。

仲間たちの事を、自身にとってかけがえのない場所のことを思うと、また笑みが零れる。
そしてだからこそ、今再び誓うことができる。


――――シエルを……“希望”を守りたい


  この身が砕けようと

  この身が滅びようと

  「死」のその先も

  許される限り

  俺は彼女を守りたい




ミランは覚悟を決め、足を踏みしめ、誓いの言葉を心の真ん中に突き立てた。それは彼の中で太く、強く、煌々と輝きを放ち続けている。揺るぎない信念が、そこにある。

すでにパンテオンたちが彼を囲み、右腕に装備されたバスターの銃口を向けていた。
そこから放たれる光の弾丸が、身を抉り、骨を砕き、自身の命をいとも容易く奪い切ることだろう。しかし、それが分かっていても、不思議と恐怖は湧いてこない。

鋼の想いをそのままに、敵を強い眼差しで睨みつけ、そして――――笑ってやった。



激しい銃声が、遺跡内に轟いた。





























――――  4  ――――



カプセル内から伸びる複数のコードは束になり、両腕とうなじの部分に繋がって「彼」の体を支えていた。
シエルは「彼」に見とれていた。閉じられた瞼。整った顔立ち。何より注目すべきは、男性タイプとは思えない長さの美しく透き通った金髪。
まるで旧世紀に生きた稀代の彫刻家が仕上げた作品のように、「彼」の姿はまさに“芸術”だった。

「彼が…………」

そう、「彼」こそが、彼女が探し求めた“英雄”。皆が求めた真の“英雄”。

「――――ゼロ」

じっと彼の顔を見つめ、その瞼が開かれる時を待った。
彼はきっと今にも飛び起き、危機に瀕している自分たちの身を救ってくれることだろう。そうすればここまで命を懸けて彼女を導いてくれた仲間たちの“魂”も浮かばれよう。
シエルはただ黙って、その時が来ることを祈り、待ち続けた。しかし――――

「…どう…して…?」

おかしい。どれだけ待っても、彼は起きない。いや、それどころかその気配すらない。
瞼が開くでもなく。手足がピクリと動き出すワケでもなく。

ただ、何も起こらない。何も起こらないまま、更に数分の静寂が過ぎる。
だがそれでも、どんなに待っても、何時まで経っても、何も起こらないのだ。

「どうして…?」

阿呆のように同じ言葉を繰り返す少女。すると「シエル」とパッシィが重々しい調子で、彼女の名を呼ぶ。
その口からは信じられない事実が明かされた。

「このレプリロイド…。精神プログラムがロックされてる…」

瞬間、途方も無い絶望感がシエルを打ちのめした。

「精神プログラム」――――それは、レプリロイドの精神中枢。その人格や感情、精神活動を司る核。いわば、人間にとっての「魂」と呼ばれるものに等しい。
精神プログラムがロックされているということは、今の彼は生きているけれど死体同然の状態――――いわば“植物状態”であるということを意味していた。

「……どうして……どうしてなの………」

またも間抜けのように同じ言葉を繰り返す。しかし残念ながら、今はそれしかできない。
無論、ロックを解除する方法はある。彼の脳内に直接アクセスすればよいのだ。
だが、当然、レプリロイドの精神プログラムには強固な防壁が何重にも張り巡らされており、それなりの準備と設備がなければ、そうそういじれるものではない。
しかし、ここにあるコンピューターは、彼のボディスペックやコンディションを保つために作られた調整カプセルを管制する程度の作業しかできず、勿論そのような重労働に耐えられるだけのスペックを持ってはいなかった。

シエルは、もはやお手上げ状態となってしまったのだ。

「…いったい…何のために……」

何のためにこの作戦を強行したのか。何のためにあれだけの犠牲を払ったのか。何の為に皆、命を投げ打ったのか。
何のために。何のために。何のために――――……‥

自らを責めるような言葉だけが、沸々と湧き続ける。

「……シエル、落ち着いて」

パッシィは呆然とするシエルに再び声をかける。しかし何も言葉は返ってこない。
絶望と後悔に打ちひしがれるまま、まるで世界の終わりを目にしたような顔をしている。

――――シエル……

そんな彼女の顔をじっと見つめ、パッシィは考えた。
策はないのか。――――いや、ないわけではない。問題は、それに伴うリスクがどれだけ有るのかという点だ。
シエルがその方法を知らないわけがない。それでも敢えて口にしないのは、パッシィへの“気遣い”からだということに、当の本人も気づいていた。
しかしパッシィ自身、“それ”を行動として行うにはそれなりの覚悟が必要だ。間違いなく、自分は“消える”だろうから。

――――私は……

一人考えを巡らせた後、再びシエルの瞳を見つめる。絶望の淵に立たされ、希望を絶たれた彼女の瞳。暗く、哀しく、見つめるほどに自分の胸が苦しくなってゆく。
そしてまた考える。“どうしたいか”“どうすればいいか”――――それを考え続けることは無意味だ。そう気づいた時、道は一つに絞られ始める。

“今、何をすべきか”

窮地に立たされた大切な人を――――無二の親友を、救うために、自分は今何をすべきなのか。
そう、それ以外考える必要など無いのだ。ネオ・アルカディアという国を共に離れた時から――――彼女の理想を、夢を叶える力となろうと決めた時から、それ以外の道など歩む必要など無い。

そしてパッシィは、決断した。

「私が行く」

最初、何を言われたのか分からず、シエルは絶望に打ちひしがれた表情のまま、パッシィの方へ視線を向けた。
その様子に胸を痛めながらも、パッシィは再び「私が行くわ」と繰り返す。そこでようやく、「えっ?」という疑問符付きの言葉が返って来た。
だが、それでもシエルは理解をしていないようだった。いや、その言葉を聞くまいとしているようにパッシィには見えた。
しかし、決意を曲げるつもりは毛頭ない。パッシィは言葉を凝らし、想いを伝える。

「シエル、聞いて。……私が行くわ。私が、彼の脳内にダイブして、目覚めさせてみせる」

絡みあう視線。永遠とも思えるほんの数秒。
そしてパッシィの覚悟がシエルの心に突き刺さった時、呆然と開かれた口から一言だけ、掠れるような声で漏れ出る。

「ダメ……」

繋がる思考。全てを理解し、認識して、少女はぐっと唾を飲み込み、再び同じ言葉を返す。
先程よりも遥かに大きな声で、はっきりと、強く言い聞かせるように。

「 ダ メ よ ! 絶 対 に ダ メ !」

レプリロイドの脳内に侵入し、精神プログラムをどうにか弄ろうとすれば、その強固な防壁により確実に、サイバーエルフ程度のデータは容易に消えてしまう。
しかし、だからといって確実に目的が達成できるとも限らない。もしかしたらパッシィが消えてしまっても尚、彼は目覚めることなく眠り続けているかもしれない。
誰よりも大切に思っていた“親友”ただ一人に、そんなリスクを背負わせる訳にはいかない。
けれど、パッシィも強く訴える。

「私のことを信じて!シエル、私は、あなたが精魂込めてプログラムを組んでくれた特製のサイバーエルフなのよ!絶対に彼を目覚めさせてみせるわ!」

「それでも、あなたが――――!」

例え、うまく彼を目覚めさせられたとしても、きっとパッシィは消えてしまう。

この場所でたくさんの仲間が死んでしまった。自分の無謀な作戦に付き合ってくれた勇敢な彼らは、もう二度と帰ってくることはない。
それなのに、これ以上何を失えというのか。それも、一番の親友の命を賭けることなど到底できることではない。
そんなシエルの思いが、パッシィには痛いほど伝わっていた。それでも退く訳にはいかない。彼女もまた目の前の大切な“親友”を守りぬくために必死だった。
「お願いよ!」と何度も語気を強め、訴える。しかし、シエルは首を横に振り、拒絶を続ける。

「絶対に……絶対に許さないんだから!」

珍しく怒鳴り声を上げる。それでも、パッシィは負けじと声を張り上げる。

「私はシエルを守りたい!みんなのためにも!自分のためにも!絶対に守り抜きたいのよ!」

シエルはその迫力に気圧された。小さな存在からは、大きな決意と覚悟が溢れ出ていた。
「それでも」と言葉を返そうとした瞬間、シエルは言葉に詰まった。そして、不意に片手の甲を口に当てる。漏れ出そうな嗚咽を堪えるように。
それからまた、強く拒絶する。

「……ダメ……絶対に!絶対にダメなんだからぁ!」

その声に続くように、激しい銃声が轟く。同時に、息が止まった。
扉越しで様子が見えずとも、容易に想像がつく。外にいるミランがパンテオン達によって一方的に攻撃を受けているのだ。
丸腰の彼が、それほど持ちこたえられるワケがない。ここで本当に“英雄”を目覚めさせない限り、逆転のキッカケはあり得ない。そして、この状況を打開出来るだけの、即効性ある方策はただひとつ。
しかし、頭でどれだけ理解していても、シエルは頑として首を縦に振ろうとはしない。

「…そんなこと…絶対…」

言いかけてまた、言葉に詰まる。
そう、分かっているのだ。他に道は何処にもないことを。

そしてまた、目の前の小さな妖精の決意が決して揺るがないことを。


――――わかるけれど………‥‥



    わかるからこそ




気づけば頬に涙が流れていた。最初は一筋だけ。それから堰を切ったようにぼろぼろと、幾つもの雫が頬を伝い流れ落ちた。
そして、絞りだすように言葉を続ける。

「…………ダメ…」

すると突然、ガラガラと扉が崩れ落ちる。
ミランの善戦空しく、煙の中に揺らめく青い影は陣形を組み、彼ら特有のゆっくりとした足取りで研究室内に侵入してきた。
その群れを眼にしたシエルの体は、一瞬硬直する。

――――それでも…

涙は止まること無く、溢れ続ける。

「…ダメ…。ダメだよぉ……」

少女は嗚咽混じりに訴え続ける。

「…そん…なの……イヤ…だよぉ」

十四歳の少女は座り込んで手で顔を覆い、泣き続けた。
避けられぬ運命を、友の覚悟を悟りきった彼女は、ただ涙を零すしかなかった。
この状況で、その手しか無いことを頭では理解しているからこそ、彼女はその場で泣きじゃくっていた。しかし、その姿は歳よりも幼く見えた。

「…シエル」

少女の脆い一面を目にして、パッシィは再び考える。
今かけるべき言葉は何か。今伝えるべきことは何なのか。
そしてパッシィは、優しく語りかける。

「私たち…たくさんお話したよね」

その言葉に答えるように、シエルは弱々しく頷く。

「一緒にいろんな物を見て、一緒にいろんな場所に行ったよね」

ネオ・アルカディアで共に暮らしていた日々。共に国を出て、白の団として活動した日々。
パッシィが生まれてからこの方、誰よりも信頼の置けるパートナーとして、互いに支えあってきた。言葉通り、“ずっと”一緒にいた。

「つらいときも、悲しいときも。苦しいときも、悩んだときも。一緒だったよね」

シエルのつらさを、悲しさを、苦しみを、悩みを――――全てを知り、理解してきた。
本当の意味で“一緒”にいたのだ。けれど、それだけではない。

「楽しいときも、嬉しいときも。いっぱい。いっぱい。一緒にしたよね」

共に支えあった。共に笑いあった。共に喜び合った。
そう語りかけるパッシィの声に、少女は泣きじゃくりながらも、頷き続ける。

「一緒に泣いて。一緒に笑って――――」

「ずっと…一緒だった…よ…」

パッシィの言葉の続きを、溢れ続ける涙をぬぐいながら、シエルは代わりに口にする。
そうだ。今までも、これからも、ずっと共に過ごしてゆくのだと信じていた。二人は生命の枠を越えた「親友」であり、パートナーだった。
だからこそ――――……‥‥


シエルはうるんだ瞳でパッシィを見つめた。
パッシィもまた、シエルを見つめ返した。小さな頬を慰めるように擦り寄せる。
無論、触れることはできない。けれど、何処か優しいぬくもりが感じられた。

「シエル、お願い…泣かないで」

そう願う声に少しの遠慮もなく、無情に近づく足音の群れ。既に、赤く大きな単眼を持つ魔物の群れが彼女たちを包囲していた。
猶予はない。もう、“その時”が来たのだ。少しも惜しむこと無く、パッシィはシエルから離れる。そしてその小さな光は背を向け、優しく笑いかけた。




「シエル……大好きだよ」









        サヨナラ








誰よりも、何よりも大切な人を救うため、小さな妖精は光の海に飛び込んでいった。



















――――  5  ――――



「…どうしてよ…」

目と鼻の先に敵が迫っている。一番傍で支え続けてくれた親友はもうこの世にはいない。
それなのに、金髪の戦士は眠りから覚める、その気配すら感じさせない。彼女の命をくらい潰しても尚。

「どうして目覚めてくれないの…?」

少女の悲痛なつぶやきは、次第に叫びへと変わってゆく。

「……目覚めて!目覚めてよ!お願いだから!ねえ!助けてよ!お願い!助けて!私を……」

――――世界を………

しかし、少女の懇願虚しく、依然、英雄は未だ神話の中で眠り続けていた。
「どうして」ともう何度呟いたかわからない言葉を再び吐く。

数多くの大切な仲間達を失い、一番の親友までもが命を懸けたというのに、それでもまだ犠牲が足りないというのか。

不意に思い浮かんだ。これはもしかしたら自分に向けられた罰なのかもしれない。
すぐそこに、確かに見えている希望。それでもどんなに手を伸ばしても届かないもどかしさ。己の非力さへの苦悩、後悔、絶望。あらゆる想いが少女を黒く深い渦の底へと誘おうとする。


――――この歪んだ世界を……さらに壊し尽くしてしまった、私の……


    「悪意」を生みだしてしまった、私の……



今が“贖罪の時”だというのだろうか?
そしてまた、脳裏に「彼」の嘲笑が浮かぶ。想像の中で「彼」は冷たく笑っている。“私”が歪めてしまった「彼」の心が、鋭いナイフのようにして向けられている気がした。

気づけばパンテオンたちが、鈍く光る銃口を向けている。きっと「彼」の元にれてゆくのだろう。
このあとは、バスターショットの威力を最小限に抑え、四肢の動きを封じて彼女を連れ帰り、そして「彼」の前に突き出すのだ。

――――…全ては自分でまいた種…

分かっている。戦いの引き金を引いたのは自分。
そして、逃げ出してしまったのも自分だ。






    だから「彼」はきっと私を許さないだろう。










「…セルヴォ……アルエット…」

――――帰れなくてごめん……

「……ミラン………みんな………」

――――本当に赦して……


仲間たちの顔を思い浮かべ謝罪の言葉を繰り返す。
そしてついに「非力」が「無力」に変わる。

「…………パッシィ……」

親友の死を無駄にすることしか出来なかった自分。返せる言葉はただひとつだった。






――――ごめんね……





心の内側で呟くと、少女は瞼を閉じた。
もう暗闇しか見えなくなった。








――――  6  ――――



そして少女はその瞬間、何が起こったのか理解できなかった。
自らの自由を束縛する鎖を引きちぎり、飛び出した「ソレ」は、二人の青い兵隊の頭部を一瞬にしてもぎ取った。

閃光――――その動きを形容するには、この言葉がもっとも当てはまっただろう。

流れる金髪。両腕、両脚には真紅のアーマー。体にはぴったりとフィットした黒いアンダースーツをまとっているだけ。
ろくな得物も手にしていないというのに、何のためらいもなく敵の真っ只中に着地するその姿は、まるで古代神話の英雄。
呆気にとられるシエル。状況を整理できないパンテオン達。そして時が止まる一瞬――――

そのレプリロイドはゆらりと立ち上り、そして少々場違いなセリフを口から吐き出した。


「……俺様のすぐ傍でレディーを泣かせるとは、イイ度胸してるじゃないか……」


パンテオンたちは即座に彼の存在を認識する。が、即座にまた一体、頭部を粉砕される。
彼は掴んでいた首を投げ捨て、再び吐き捨てるように言ってやった。

「覚悟しろよ、ボンクラども」

その言葉を聞きとるが先か、パンテオン達は一斉にバスターを構える。
しかし、それよりも速く戦士が視界から消える。

――――上か?

頭上を見上げる。が、いない。

――――いや…

その影の一部をようやく単眼の端に捕らえる。

――――下!?

気づいた時には、足の裏がハッキリと見てとれた。強烈な蹴りの一撃。敵を確認した兵はエネルギー弾を連射しようとするが、その刹那、標的に後ろへ回り込まれ、たちまち後頭部を潰される。

埒が明かないと感じたのか、パンテオンたちは接近戦に移るべく装備を切り替える。バスターは変形し、電気をまとった金属の棒が腕から飛び出る。
陣形を整え、戦士の周りをぐるりと取り囲む。少女のことはひとまず置いておき、とにかく障害の排除を最優先事項と決定したらしい。

――――その様子を黙って眺める金髪の戦士。

その表情には余裕のようなものすら浮かんでいる。
それも当然だ。彼にとって接近戦は十八番なのだから。

それを知らないパンテオン達は、自分たちの優勢を信じて一気に襲いかかった。





目の前の光景に圧倒され、少女は息を飲む。そこで繰り広げられる戦闘は本当に、神話の世界のように思えた。
しかし、青い集団の中に飛び込んだ戦士は、英雄というより獣だった。


数の差を物ともせず、壊し、もぎ取り、引きちぎり、破壊を尽くした。
その様子は醜いだけの殺戮のようにも見えたが、その実、“獣”の動きの端々からは特有の華やかさが感じられた。

――――全ての暴力はこの“獣”のために在り、この“獣”が行使する全ての暴力は、その美しさゆえに肯定されるのだろう

そんな考えが、ぼんやりと少女の脳裏をかすめたが、あまりの事態に、深く考えるまでには至らなかった。





最後の一人が、壁に叩きつけられた。腹部には蹴り飛ばされた跡がはっきりと見てとれた。
叩きつけられた頭部からは煙が吹き出ている。

「…なんだ……もう終わりか?」

辺りを見渡し、戦士はやれやれとため息をつく。
これだけのことをやってのけても彼にとっては、まだまだ足りなかったようだ。

「…凄い…」

シエルはそれに驚くばかりだった。十機以上いたパンテオンを、ほんの一分もかからず、且つたった一人で薙ぎ払ってしまった。
地面に散らばる敵の残骸はどれも悲惨な姿をしている。

「…これが…“ゼロ”…」

シエルの呟く声が聞こえたのか、彼は振り向き、腕についていたコードの残りを引き剥がし、投げ捨て、近づいてきた。
鋭い眼差し。細部まで整った顔。揺れる金髪。その姿にシエルは無意識に顔を赤らめた。想像以上に全てが完璧な戦士だったのだ。
彼は直ぐ傍で立ち止まり、手を腰にあて、シエルをまじまじと見る。いったい何を語りかけるのだろうか。胸が高鳴り出す。


しかし、その口から出てきたのは、今までの光景よりもさらに想像を絶する言葉だった。



「どんな女かと思えば…。ただのガキじゃないか……」





シエルはしばらく彼の言葉を理解できなかった。









―――― * * * ――――



「何が…どうなっている……」

パンテオンのアイカメラから一部始終を眺めていたリーグは驚きを隠せないでいた。

「何者だ……あのレプリロイドは…」

突然目覚めては、ネオ・アルカディアの兵隊に恐れることもなく、素手で立ち向かい、あっさりと勝利を収めてしまった謎のレプリロイド。
もしやこれが、ネオ・アルカディアが自分たちにまで秘匿としていた最重要機密だというのか。

「どうします?」

オペレーターの一人が対応を問いかける。
彼は戸惑いをどうにか隠しながら、あごに手を当てしばらく考えた後、決断した。

「…ただちにゴーレムを向かわせろ」

たとえどんな機密であろうと、あの戦士は間違いなくネオ・アルカディアに仇なすものに間違いない。
彼の直感はそう告げていた。

「我々も現地に向かう。ナイロ、イーガ、来い。…それと、至急レヴィアタン様に報告」

「なんと?」

「『謎のイレギュラーを発見。危険と判断。ただちに処理に向かう』――――と」

部下を連れ、管制室を出る。そして廊下を駆け足で突っ切った。
しかし不穏な黒い影が、背後を通り抜けたことに、彼らが気づくことはなかった。




















 NEXT STAGE







        剣












[34283] 1st STAGE 「剣」
Name: 村岡凡斎◆45ff140f ID:697d6d9c
Date: 2012/10/29 15:58


  ―――― * * * ――――



「…おーい、そこの小娘。聞いてるかー?」

「ほえ??」

突然の出来事に呆然としていたシエルに、金髪の男が呼びかける。
我に返ったシエルに、男は「生きてるか?お前さん」と問いかける。瞬間、シエルは「きゃぁっ」と声を上げ、勢いよく飛び退く。
無理もない。男の非常に端正な顔が、わずか数センチという距離まで近づいていたのだから。
心臓が、周りに聞こえるのではないかというほどドキドキと大きく鳴るのを隠しながら、顔を真っ赤にしてシエルは叫ぶ。

「お…驚かさないでよ!」

「っんな!? ……失礼な奴だな。人が呼びかけてんのを無視してボケーッとしやがるくせして」

「あ…。ご…ごめん…なさい」

横目で見ながら「やれやれ」と肩をすくめる男の前で申し訳なさげに恐縮しながら、シエルは尚も胸を抑えている。
男は辺りの状況を見回してから、頭を軽くぽりぽりと掻き、話を切り出した。

「で…何がどうなってるんだ?」

「えっ?」

質問の意味がわからず顔に疑問符を浮かべる彼女に、男は「あのな」と呆れたように切り返す。

「『えっ?』…じゃないだろ。何がどうなってるんだ?こんな寂れた場所で、ガキが一人にレプリロイド…が数体。是非とも説明して頂けるとお兄さんは嬉しいのデスガ?」

最後の方はおどけたような口調にしているが、男の質問は実に的確である。

「そ…そうね…。ごめんなさい…ゼロ。ちょっと待って…。…いろいろあって慌てちゃって…。本当に…ちょっとだけ待って」

そう言ってシエルは自分の頬を軽くぺちんと叩く。何度か深呼吸して、胸を撫でるようにして落ち着かせる。
その間、男も、レプリロイドに必要なのかどうか分からない柔軟運動をしていた。端から見たら非常に滑稽な光景だったのだが、幸か不幸か、それを目にする第三者はこの部屋には今のところ存在しなかった。

最後にもう一度「ふう」と大きく息を吐き、シエルは男の方を向いた。とりあえずは、混乱していた頭を立て直すことができたようだ。

「えと、お待たせ。…それじゃ、まずは……」

「名前」

シエルの言葉を遮るように、人差し指を向けながら、率直に男が言う。

「まずは名前……それと身分かな」

「そうね」と男の要求を認め、シエルは自己紹介を始めた。

「私はシエル。ネオ・アルカディアの元科学者で、今はレジスタンス組織“白の団”のメンバーよ」

「ネオ…アルカディア…?」

聞き慣れない名前に男は思わず首を傾げる。すかさずシエルはフォローを入れる。

「分からないのも無理無いわ。あなたは百年以上、この研究施設で眠っていたんだから」

「…百年…」

少女が口にしたその数字に、男は僅かではあるが確かに驚きの色を見せた。
自分はそんなにも長く眠っていたのか。そう戸惑う彼に、シエルは「安心して」と微笑みかける。

「今の世界については、私がちゃんと説明するから。…それより次はあなたの番、でしょ?」

「あ…ああ、そうだな。相手に名乗らせておいて自分のは…ってぇのは良くないな」

そう言ってから、「さて」ともったいぶるように咳払いを一つする。それから徐ろに口を開き始める。

「俺は――――」

名乗りかけた瞬間だった。突然、男の様子がおかしくなった。
再び「俺は」と、今度は小声で繰り返し、そのまま口ごもる。だが、どれだけ待っても彼の口から自らを語る言葉は一行に出て来なかった。

「…俺…は…」

目を右往左往させる彼にシエルは「ゼロ?」と、彼の名前である筈の単語を口にする。
しかし、男の表情は決して理解しているように見えない。それどころか、その単語に眉をひそめている。

「そういや、さっきから言ってる…ゼロ…って…のは…」

男は一旦言葉を区切る。そして、またいくらか考え込んだ後、恐る恐る問い返した。



「…数…字…?」



それを聞いた瞬間、少女は言葉を失った。正直、彼が何を言っているのか、何を悩んでいるのか全く理解が出来なかった。
そうしてきょとんとする少女をよそに、男は頭を抱え悩み続ける。

「…俺は……」

次の瞬間、彼の口から飛び出た言葉に少女はそれまでの言動の全てを理解する。


「…俺は………“誰”だ?」



重い沈黙だけが、二人を包み込んだ。












 1st STAGE





       剣
















  ――――  1  ――――


シエルは愕然とした。

――――自分の名前を…知らない!?

思わず「嘘でしょ?」と疑いの言葉を漏らす。たった今彼は確かに、自分が“誰”なのかを、自身に向けて問いかけていた。それはシエルが全く予期していなかったトラブルである。
当然彼もまた、この事態に困惑していた。

「…俺の…名前…」

「…分からない…の?」

心配そうに問いかけると、男は黙って頷く。

「…分かることは? 分かることから整理していきましょう、少しずつ」

「あ…ああ…」

できるだけ優しく言葉をかけるシエルに、男はかすかに困惑の色を浮かべながら返事をする。しかし、二人の胸の内には、既にとある共通の不安が生まれていた。

「俺は…眠っていた。ここで」

「うん」

「そして…目覚めた」

「うん」

「んで………」

それからまた黙りこむ男に、シエルはオウム返しのように「『んで』?」と問いかける。
だが、しばらくして男の口を衝いて出たのは「分からない」の一言だけだった。おそらく、不安は的中してしまった。

「分からない。なにも…。自分が誰なのか…。ここが何なのか…。何がどうして、こんな所に眠っていたのかすら……」

「…まさか…記憶喪失……?」

彼の告白を聞き、シエルは思わず頭をよぎっていたその単語を口にしてしまう。途端に、男は「バカ言うな」と否定する。

「俺は……レプリロイドだぞ…」

それから眉間に皺を寄せ、頭をかきむしる。彼の胸の内を表すように、美しい金色の髪がぐしゃぐしゃに乱れた。

――――データが破損している?

そう、心の中で自ら問いかけた言葉に「違う」と首を振る。取り出せないだけだ。そこに“在る”のは分かる。
しかし、いくら検索をかけても、まるで靄がかかったように情報が引き出せない。

――――なぜだ?

己の身に降りかかったトラブルの原因を様々なパターンから考えてはみるものの、答えが見つからない。
「何故だ」と二度、三度と声に出してみるが、それに対する答えは一向に聞こえてこない。



  何がいったいどうなってるんだ?


  何がどうしていったい…?


  何がどうしてどうなった!?


  何が起こっている??????



考えれば考えるほど、深みにはまってゆく。
彼の頭をぐるぐると、同じような問いが駆け巡り、その言葉だけが埋め尽くしていく――――……


「ストップ!」


不意に突き刺すようなシエルの声が、暴走気味な男の思考を止めた。
しかし、無理やり割って入ってきた少女の声を、彼はとても不快に感じたらしく「なんだよ、小娘」と睨み返した。「思考の邪魔をするな」とその瞳で訴えかける。
だが、シエルにはそれを気にする様子が少しも無い。それどころか、真っ直ぐ、優しい大きな瞳で見つめていた。

「記憶…喪失なのね?」

心配と不安の入り混じった声で彼女は再度確かめる。
「記憶喪失」という単語に若干の引っかかりを覚え、彼は他に適切な言葉を探したのだが、ついには見つからず、観念してその言葉を受け入れた。

「……認めたくないが」

「そう…」

さて、どうしたものか。そう再び考え始めた矢先、シエルは突然、首を強く横に振り出す。

「ううん。…迷っている暇はないわ」

自分に言い聞かせるようにそう呟く。確かに、彼女には迷っている暇などない。今にもこの場所にネオ・アルカディアの増援が現れてもおかしくはないのだ。
シエルは男の目を見て、強く訴えかける。

「お願い、話を聞いて。大事な話なの」

少女の真剣な表情と焦りの混じった声に気圧される。
だがそれでも、己が何者なのか思い出せないというのに大事な話も何もあったものではない。

「おいおい…。他人にかまってられる状況じゃ…」

「あなたのことは私が教えてあげる」

突然の提案に、思わず「は?」と声が漏れる。一瞬、思考が止まった。
しかし、そんな男を無視して、少女は話を続けようとする。

「あなたは百年前の英雄……‥‥」

「ちょっ…待てって! 『私が教えてあげる』って……意味が…」

「いいから聞いて!!」

少女の小さな体からは考えられないほどの大声が、部屋中に響く。
普段では考えられないような自らの様子に、シエルは「あ」と声を漏らす。それから「ごめんなさい。急いでるの」と男に謝った。
焦りと苛立ちをなんとか取り繕おうとする、その様子から、事態が思うよりも深刻らしいということを男は感じ取った。
男は再び頭をくしゃくしゃと掻き、「仕方ない」と一言つぶやく。

「どうどう考え続けても何か変わるわけじゃなし。その“大事な話”ってヤツを聞いてやろうじゃないか」

男の了解を聞き、シエルは素直に感謝する。

「ありがとう、ゼロ」

「また『ゼロ』か。なんのおまじないだ?」

彼にとって、それはただの数字を差す単語に過ぎず、先程から繰り返されるその言葉に、またも首を傾げてしまう。
するとシエルは、「いいえ」と首を横に振る。

「まじないなんかじゃないわ。もちろん、数字でもない。……これは名前」

「名前?」

そう問い返す彼に、シエルは「ええ、そうよ」ときっぱりと返事をした。少女の顔は真剣そのものだった。
そして、声のトーンを落とし、強く言い聞かせるように、一つの事実を告げる。


「『ゼロ』――――それがあなたの名前よ」












  ―――― * * * ――――




時に21XX年――――。
レプリロイドと呼ばれる擬似生命体が生み出されてから、数十年という時間が経過していた。
発展した都市は快適な生活を提供し、情報は光の速さで世界中を飛び交い、張り巡らされた交通網はいかなる場所への移動も可能にし、高度に洗練された医療は生涯の健康を約束し、最新の技術は人々の持つあらゆる要望を実現していた。
そんな世界の中で人間とレプリロイドは共に支えあい、平和に暮らしていた。何もかもが満たされ、安らかな日々が人々を包んでいた。

しかしそんな平穏も、崩れてしまう時はなんとも呆気ないモノである。

ある一人のイレギュラーによるテロ事件が全ての幕開けだった。一部のレプリロイド達が、人類への反抗心から結束し、各地で大規模なテロ活動を行ったのだ。
その事件は、レプリロイドによる警察組織――――「イレギュラーハンター」の尽力により、数カ月程度で終息した。だが、そこから人類とレプリロイドとの間に生まれた亀裂はまた新たな争いを生み出してしまう。

今度はレプリロイドによる軍隊「レプリフォース」の反乱を皮切りに、レプリロイドによる人類への全面的な報復劇が始まった。人類は国連軍と、残ったイレギュラーハンター達を用いて対応。世界は戦乱の渦に巻き込まれてしまう。

両陣営の争いは宇宙空間に浮かぶスペースコロニー落下事件まで引き起こし、その結果、世界中は大混乱に陥り、それまで築き上げてきた豊かな文明は脆くも崩れ去ってしまった。
戦争終結後、残った人類は荒廃した地球の上で、互いに結束し、最終国家「ネオ・アルカディア」を設立。そこで新たな生活をスタートさせた。「レプリフォース戦役」から始まる一連の戦争は「イレギュラー戦争」と呼ばれるようになり、記憶と記録の隅に一つの歴史として追いやられていった。

それらの戦乱の中、人類を救うべく命を賭して戦った伝説のレプリロイドこそ、ネオ・アルカディアを創立した「蒼の救世主」――――エックスである。

そして、彼の戦友として共にイレギュラー戦争を戦い抜いたもう一人の英雄――――「紅の破壊神」こそ、最強のレプリロイドと名高い「ゼロ」、その者である。








  ―――― * * * ――――



「――――それがあなた」

「ほう」

ひと通り語り終えたシエルに、そう告げられる。だが男は軽い返事をするだけで、ハッキリと理解したような様子も見せなければ、驚いたような様子もない。
不安に煽られ「分かった?」と再度尋ねてみるが、「まあ一応」という男の曖昧な返事に、シエルは渋い顔をする。

「『一応』…って…。分かってないなら『ない』って言ってくれていいのよ」

「いや、だいたいは理解した。つまり俺は戦争を終わらせた救世主のお友達で、人間様方が崇め奉る伝説の英雄の一人、『ゼロ』――――ってことだろ?」

「……ええ、そういうことに…なるわね」

ひどくまとめ過ぎてはいるが、間違ってはいない。……たぶん。

「それで?」

次の瞬間、シエルは「はっ」と息をのんだ。
先程まで半分ふざけていたような目の前の男は、探るような鋭い目で、彼女を見つめていた。

「……その“英雄のゼロ”様に、お前は何をしてほしいワケ?」

少し口端を嘲笑うように歪めながら、けれど突き刺すような眼差しで見つめている。
そして、彼はまた問いかける――――




「…俺を目覚めさせて、どうしようっていうんだ…?」




  その英雄の力を利用して、お前は何を企む?



思わずシエルはゴクリと唾を飲み、その圧倒的な威圧感に負けまいと、心を引き締める。
そして、彼の抉るような問いに、身長に言葉を選びながら答える。

「……私たちに…協力してほしいの」

「…協力?」

「さっき言ったでしょう…。私はネオ・アルカディアに反抗するレジスタンス組織[白の団]の一員だ――――って…」

少女の言葉に「ああ」と理解した後、男は再び嘲るような目で見つめる。

「俺様にテロリストの一味に加われと?」

明らかな嫌味を含んだその問いに、シエルは臆す事無く、きっぱりと答える。

「ええ、そうよ」

確かに自分たちのやっていることは明らかなテロ活動である。それが分からないほど子供ではない。
無駄な犠牲を出したくないと願っても、きっとそう簡単にはいかないだろうし、そんな自分たちの戦いを絶対的に正しいと肯定できるワケでもない。
けれどネオ・アルカディアのやり方を許すことは、なによりできない相談である。

「ネオ・アルカディアは今、レプリロイドにとって地獄なの」

「人類保護法」「レプリロイド審査法」の制定により、レプリロイドは奴隷同然の扱いを受けている。
また、救世主エックスと人類、それらに従う一部のレプリロイドたちにより、一般のレプリロイドたちは「イレギュラー化の危険有り」という名目で迫害され続けている。

「私はそれが許せなかった」

だからこそエルピスと共に「白の団」を立ち上げ、ネオ・アルカディアと袂を分かつ決意をしたのだ。
自分を支えてくれたもの、自分を慕ってくれたもの――――あらゆるものを振り切ってまで。

「ネオ・アルカディアの現体制を変えたいの」

決してレプリロイドを奴隷のように扱うことのない世界に。レプリロイドが人間のパートナーとして再び認められるように。
人間とレプリロイドが共に支え合い、暮らしていた、かつての楽園を取り戻したい。
どれだけの血が流れようと。どれだけの傷みを受けようとも。

「――――そのためには……」

戦わなければならない。
全てを束ねている巨大な力と。荒廃しきった中、唯一残ったこの世界の常識と。そして何より、幾度もの窮地において世界を救ってきた人類の救世主と。

そのための力が――――……‥‥



「……『ゼロ』の力が――――救世主エックスと戦えるだけの力を持つ、あなたの力が必要なの」




そう言い放つシエルの体は、ほんの少しだけ苦しそうに強張ったのだが、そのことに目の前の男が気付いたかどうかは分からない。














  ――――  2  ――――



突然過ぎて、何が起きたのか全く分からなかった。
男が何か叫んだ次の瞬間、ガラガラと大きな音とともに壁が崩れ去り、彼女はいつの間にか宙に浮いていたのだ。――――分厚い装甲で包まれた、冷たくも重々しい巨人の指。それに体を絞められ、今にも砕けそうな少女の華奢な体。
部屋中に響き渡る、別の男の声。

「そこまでだ、イレギュラー!」

金髪の男にエネルギー銃を向ける三人のレプリロイド。――――その横にはゴーレムがシエルを握り、構えている。

「……派手にやってくれたものだ」

真ん中に立つ、リーダーらしき一人が部屋を見渡す。
男が破壊したパンテオン達の残骸が無残にも転がり、夥しい量の疑似血液がそこら中に飛び散っている。

「なんだテメェら……」

明らかな敵意をむき出しにし、男は睨みつける。
それに答えるように、真ん中の一人――――遺跡警備隊隊長、リーグは睨み返す。

「『なんだ』とはなんだ? それはこちらのセリフだ、イレギュラー。名乗れ! 貴様はいったい何者だ!? われわれ冥海軍団の持ち場で何をしてくれている!?」

「冥海軍団……?」

聞きなれない名前に、男は眉をひそめる。
おそらくは、リーグと名乗るこの男の所属だろう。となれば、先ほど少女が説明してくれたネオ・アルカディアの一部隊に違いない。
状況を考察している男を他所に、ゴーレムはシエルを下ろし、横にいたリーグの部下――――ナイロに引き渡す。

「…ゼロ……」

「お静かに、Dr.シエル。あなたの運命は今、我々の手にある」

「小娘をどうするつもりだ!?」

問いただす男に「動くな」と一喝して、リーグはエネルギー銃の引き金に指をかける。

「安心しろ。彼女は我々の大事な“手柄”だ。悪いようには扱わんよ」

そう言って「ふん」と鼻で嘲笑う。

「――――まあ、ここで死ぬ貴様には関係ないがな!」

その言葉とともに、ゴーレムの腕が勢いよく射出される。

「ゼロ!避けて!」と叫ぶ少女の声を聞くまでもなく、男は倒れこむようにして拳を避ける。
間一髪。その言葉通り。流れる金髪をギリギリかすめ、拳は破壊力を物語るようなひどい轟音とともに地面に突き刺さる。

「…なん…つぅ…」

床にできた大きなヒビと、巻き起こる風の強さから、その威力は容易に想像できた。当たっていたら――――などと考えたくもない。

「いきなりやってくれるじゃないの……。俺の話には聞く耳持たないってか?」

「ほう、どんな話がある?」

男の言葉に少しばかり興味を惹かれたらしく、リーグは問い返す。
すると、シエルは肩をつかむナイロの手を振りほどき、「彼は記憶喪失なの!」と声を張り上げた。

「な………おい!」

突然割り込んできたシエルの声を、男は遮る。敵にこちらの情報をわざわざ知らせる必要はない。それにより形勢がどのように傾くか分からないのだ。
だが焦る男を無視し、リーグはシエルの言葉に、更に興味深げに耳を傾ける。

「記憶喪失…?」

「そ…そうよ! 彼は自分が誰かも分からないの! だから…彼は…彼はイレギュラーじゃない!」

そう訴えかけるシエル。リーグは「ふむ」と再び考えるようにし、それからあたりを見回す。
目につくのは勿論、破壊されたパンテオン達の残骸ばかりだ。

「しかし…我々のパンテオンは……‥‥」

「私を助けようとしてくれたの! それだけよ! 意味も分からず戦ったの! あなたたちに反抗しようとしたワケでは無いわ!」

そう。記憶喪失の男は、ただ幼気な少女を助けるために戦ったのだ。なにも非難されるようなことはしていない。
シエルは男の無実を伝えようと、必死になって弁明した。
しかし当然ながら、リーグにはその弁明をただ素直に聞き入れるということができなかった。
この目の前にいる男が関係ないと言うのならば――――


「――――それならば、Dr.シエル。あなた方はいったい何のためにこのような場所まで、命を賭して足を踏み入れたのでしょう?」

「それは……!」

言い返そうとして、口ごもる。
核心をつくリーグの問いに、正直なところ返す言葉が見当たらない。どう説明しようと、不利になることしか考えられない。
リーグは険しい表情でシエルを追い詰める。

「隠そうとも無駄だ、Dr.シエル。この男の戦闘能力を、既に我々はこの目で見ている」

その目で確認し、全てを理解した。自分たちが守らされてきたモノ。
ネオ・アルカディアが隠し続けてきた“パンドラの箱”――――その中身。

そして、それがネオ・アルカディアの脅威となりうるものだと、彼は確信していた。

「――――それをみすみす逃してなるものか!!」

「ゴーレム!」とリーグが呼ぶと同時に、巨人が誇るもう片方の剛腕が、男めがけて撃ち出される。

「…っそぉ!」

男はまたしても寸前でかわし切る。僅かにかすめた脚部のアーマーから火花が散る。
ゴーレムが男に応戦している内にと、リーグはシエルを連れ、その場を離れようとナイロに促す。

「いや! 離して!!」

シエルが必死に抵抗しようとも、腕を引いているのはレプリロイド。力では勝てるハズもない。
その光景を目の端に捉え、男は少女を救おうと駆け出そうとした。――――その瞬間。

「…っ!」

ゴーレムの頭部から発せられた光が道を遮る。床から壁までを焼き切るように、激しい閃光が一気に走り抜ける。

「まず…っ!」

男が気づいて、声を発して時には、既に遅かった。レーザーが切り崩した壁の瓦礫がガラガラと大きな音を立て崩れ落ちてゆく。
その状況を目の当たりにしたシエルは、彼の名を叫んだ。しかし響き渡る少女の悲痛な叫びとともに、そこにいたはずの男の姿は、あっという間にかき消されてしまった。

「……いや…ゼロ…」

呆気ない幕切れに、シエルは言葉を見つけられずにいた。
その姿を鼻で笑いながらリーグは冷淡に言い放つ。

「当然の結果でしょう、Dr.シエル。たかがレプリロイド一人。我らがゴーレムに敵うはずもない」

そう、当然の結果だ。どこの誰が見ようと変わりようのない状況だったというのに、この少女は何を期待していたと言うのか。
たった一人のレプリロイドに、どんな希望を見出していたと言うのか。――――まあ、今となってはそんなことはどうでもいい。

「さあ、Dr.シエル。これであなたも諦めが付くでしょう。早くネオ・アルカディアへ参りましょう」

そう言ってリーグが差し伸べた手を、シエルは「イヤ」と声を上げ、払い退けた。

「…そんなハズない…! ゼロが…“伝説の英雄”がそんな簡単に負けるハズないでしょ!」

「何をバカな……。事実、ヤツはあの“ザマ”だ!」

リーグが瓦礫の山を示す。もちろん、シエルにも分かっていた。あれだけの攻撃を受けて無事でいられるものなどいるわけがない。
たとえ伝説のレプリロイドといえど、丸腰のレプリロイド一人がどうしてあのゴーレムに敵うというのか。しかし、それでも――――

「……諦められるワケない! 諦めるワケにはいかないの!!」

ここで諦めてしまえば仲間たちの、親友の死を全て無駄にしてしまうことになる。
それこそが彼女にとってもっとも受け入れ切れない現実だったのだ。だが、彼女の心にトドメを刺すように、リーグは声を荒げて問いただす。

「ならばあの瓦礫を掘り起こし、ヤツの屍をご覧に入れれば納得してくださるか!?」

思わず、シエルは絶句する。その様子を見るやいなや、リーグは追い討ちをかける様に、言葉を続ける。

「血まみれの頭部を差し出せば納得してくださると言うのか!? Dr.シエル!」

希望を棄てきれずにいるシエルに対し、リーグは怒りを顕に、冷酷な現実を突きつける。
リーグの痛烈な問いにシエルは言葉を返せずにいた。いや、言葉を発する気力すら完全に削がれてしまった。

「英雄は死んだのだ」と、はっきりと言われたのだ。

シエルの体から抵抗する力が失せてゆく。リーグが黙って彼女の手を引く。今度は払い退けられる事も無く易々と。
全て終わってしまったのだと、シエルは思った。
ここまで守りぬいてくれた仲間たちの命を無駄にし、命がけで英雄を目覚めさせてくれた親友の期待を裏切り、希望は呆気無く失われた。

絶望と後悔だけが、彼女の頭の中を埋め尽くしてゆく――――……‥‥






「…いか…s…な…い…」

突然、掠れたような声とともに、何かがリーグの足にしがみついてきた。

「何だ貴様!」

入り口の瓦礫の合間から、一人のレプリロイドの腕が飛び出てきたのだ。
その姿を捉え、驚きとともにシエルが彼の名を呼ぶ。

「ミラン!」

「…シエ…r…あ…k…らめ…ちゃ…d…メ…だ…」

パンテオン達に撃ち抜かれたボディからは疑似血液がどくどくと流れ出し、ところどころちぎれた人工皮膚からは人工筋肉や内部機関を司る機械部分が醜くむき出していた。
すでに機能が停止していてもおかしくない状態のハズだ。

「…かえ……るn…だ……き…み…は……k…なら…ず…」

――――みんなの元へ、帰らなくちゃいけないんだ。

すでに形を成していない唇から、ミランは想いを伝えようと言葉になりきらない音をつなげてゆく。

「この死にぞこないが!」

「やめて!」

シエルは咄嗟にリーグの手を振りほどき、エネルギー銃を瀕死のミランに向けるイーガを止めようとしがみつく。

「これ以上、彼を傷つけないで!」

「離してください、Dr.シエル!」

怒鳴りつけても、しつこくしがみついてくるシエル。イーガは「ええい、邪魔だ!」と無理やり突き飛ばした。
幼い少女の身体は容易に引き剥がされ、その場に倒れこんだ。

「シエ…ル………っ!?」

瞬間、三発の銃声が響く。
鈍い音と共に、シエルの息が詰まる。ミランの体から疑似血液が噴出し、宙を紅く染めた。

「無駄な手間をとらせてくれる……」

「…ミラ…ン……」

呼吸を取り戻すとともに、状況を認識したシエルはひたすら彼の名を叫び、駆け寄ろうとするが、ナイロがそれを許さない。

「放して! 放してよ!! ……ミラン! ミラン!!」

「落ち着いてください! Dr.シエル!」

「くそ! これだから子供は!!」

「いい! そのまま引きずって行け!!」

リーグの言葉通り、ナイロはシエルを無理やり引きずって行く。
このような乱暴な扱いをしたことが上に知れてしまえば、それなりの処罰は受けることになるだろう。だが、そんなことをいちいち気にしている余裕は無かった。

「……ミラン!?」

「な!?」

それでも尚、ミランは動いていたのだ。噴き出る擬似体液でドロドロの体を引きずり、立ち上がってきた。

「なんなんだコイツは!!」

「…い…k……せ…n…い………し…え…r…」

死体同然の彼の姿に、「もういいよ」とシエルは口に出してしまいたかった。これ以上傷つかないで欲しかった。苦しまないで欲しかった。
全ての希望が絶たれた今、彼の努力が報われる事など無いというのに。

それでも、それを口にすることができなかった。いや、口にしなかった。
涙をポロポロとこぼし、唇を噛み締め、彼の姿を目に焼き付ける。


――――神様、どうか神様……


どうか救って欲しい。死力を尽くして守ろうとしてくれる彼のためにも。
もはや頼るものがなくなってしまった彼女は、ただひたすら祈ることしかできなかった。――――しかし、それすらも叶わない。

「ガラクタはガラクタらしく眠っていろ!!」

すかさずリーグがミランに銃口を向け、引き金に指をかける。
結末を見ていたくなくて、現実を受け入れたくなくて、シエルは瞼を閉じた。










  ――――  3  ――――







――――なにが…どうなった…?

辺りは暗闇に包まれ、何も見えない。

――――たしか…緑の光が来て……

ゴーレムから放たれたレーザー光を思い出す。そして合点がいった。
ああ、そうか。そのまま崩れてきた瓦礫に埋められたのか。

――――ざまぁ無いな……‥‥

こんなこと、以前なら。――――そう考えた後で、ふと気づく。

――――……以前?

引き出せなかったはずの記憶のピースが頭によぎる。
脳裏に浮かんだのは、閃光を操り瓦礫を切り裂くイメージ。手にしているのは見紛う事無き――――……‥

――――…武器……

そう、武器。
確かにあった。持っていたハズだ。かつては。

――――…なら…どこに…?

かつてあったというなら、今はどこにある?
大切な力。戦うために必要な力。

――――…思い出せ……

状況を好転させる、たったひとつの可能性。

――――思い出せ。思い出せ!

このまま終わるわけには行かない。
己が誰なのかも忘れたまま、再び眠りに付くわけには行かない。ただひたすら己の中で念じ続ける。

――――思い出せ!思い出せ!思いだせ!………‥‥



‥‥……思い出せ思い出せ思い出せ思い出せ思い出せ思い出せ思い出せ思い出せ思い出せ思い出せ思い出せ思い出せ思い出せ思い出せ思い出せ思い出せ思い出せ思い出せ思い出せ思い出せ思い出せ!思い出せ思い出せ思い出せ思い出せ思い出せ思い出せ思い出せ思い出せ思い出せ思い出せ思い出せ思い出せ思い出せ思い出せ思い出せ思い出せ思い出せ思い出せ思い出せ思い出せ思い出せ!









    思い出せ!!











――――…あるよ

(!?)


  焦りを諌めるように

  不意に声が響いた

  頭の中で


(この声は…?)


  闇の中、聞いた声

  どこか懐かしい

  優しい声


――――武器ならあるよ。

(どこに…?どこにある!?)


  クスクス


――――本当に分からないのかい?

(笑ってる場合じゃないだろう!)


  必要なんだ

  どうしても



焦る彼に、声は静かに問い返した。

――――…何のために?

(…っ?)

――――何のために、武器が必要なの?

(……闘う…ためだ…)


――――じゃあ…


    それなら君は



    何のために闘うの?





(………)


即座に答えられず、言葉に詰まった。

(何のために?)


  自分が死なないため?


(それもある)


  あの少女を助けるため?


(それもある)



(だが…)


そう、理由がある。
全ての理由の上に、さらに理由がある。



(それは……)


――――それは…?






(……正義)



  いや




(……信念)



  己の信念を貫くため


  いや


(そんなカッコいいもんじゃない…)


  許せない者を許さず


  護りたい物を護り


  救いたいモノを救う


(俺の……‥)

男は自嘲気味に、けれど満足そうに笑った。
百年の時が経過しても尚、闘い続ける理由。

それは――――


(“ワガママ”を通すため…さ)


単純で飾ることのない真実の理由。
それこそが、“力”を必要とする理由だ。





――――…あるよ。

(………)

――――君は持ってる。

(……?)

――――…もう武器を持ってる。

(…どこに…?)


  かすかに聞こえる笑い声

  優しい響き


  全てを包み込む温かい流れを感じる



――――君の武器は



    いつだって



    君自身の中にある







それきり、声は聞こえなくなった。全ては沈黙に包まれた。

思えば、一瞬だった。しかし、何十分も何時間も話していた――――そんな気がした。
目の前は相変わらずの暗闇。だが、おかげで漸く思い出すことができた。



――――俺の……武器

  俺の“ワガママ”を通すための唯一の力



  許せない者を許さず、護りたい物を護り、救いたいモノを救う“力”



暗闇の中で、彼は左腕を前に出す。


――――俺の武器……‥‥


  封印されて久しい、俺の刃


左腕の真紅のアーマーに溝が走る。そこから鮮烈な光が溢れ出る。


――――俺の行く手を阻む

    全ての敵を両断する

    俺の剣



アーマーが開くと、そこには白い柄が見えた。
男はそれを、強く握りしめる。

血が滾るのを感じる。鼓動が大きく、激しく鳴り響いてゆく。体中に力が、満ちてゆく。
そう、それは彼の――――



――――俺の…‥“誇り”



    俺の写し身






    俺、そのもの!









神話の英雄は、光の剣を引き抜いた。













  ―――― * * * ――――



瓦礫の合間から光が溢れだす。同時に、一筋の閃光が空間を駆け抜けた。
リーグは構えていたエネルギー銃の引き金を引くこと無く、その光の行先に目を奪われた。
そしてその瞬間、誰もがその光景を疑う。

「…ゴーレムが…!?」

刹那の間に、その巨体は真っ二つに割れ、光を放った。
リーグが「伏せろ!」と叫ぶと同時に、イーガとナイロは身を屈める。そして巻き起こる爆発。激しい爆風で破片が周囲に飛び散った。

「くっ…何が起こった…!?」

「隊長!!」

ナイロに呼ばれて振り返る。その場にいたはずのシエルが忽然とその姿を消していた。

「どこへ!?」

事態が理解できない。いったいここで何が起こっているのか。なにもかもが唐突過ぎて、思考が全く追いつかない。
光が溢れた。ゴーレムが破壊された。捕らえていたはずのDr.シエルは姿を消した。そして――――

「…ガ…ッ……!!」

短く、鈍い断末魔が響く。気づけばイーガの首が宙に舞っていた。
切断面から疑似血液が吹き出す。

「…な…んだと…!?」

そこで漸く、リーグは目の端に真相の鍵を捉えた。
空を裂く緑の閃光。流れる金髪。そして、少女を片手で抱える一人の男。
シエルを抱きかかえながら、彼は悠々とそこに立っていた。先ほど、瓦礫の下敷きになったはずの彼が――――である。

「貴様…!!」

「『死んだはずだ』ってか?」

男は「ハハハ」と高らかに嘲笑う。

「なあに。たかが“瓦礫に埋まっただけ”さ。なあ、小娘」

呆気にとられるリーグとナイロを無視して、男は抱えていた少女を優しくその場に降ろす。

「ゼ…ロ…」

シエルもまた目の前の状況が理解できないでいた。それもその筈だ。
つい先程まで、全て諦めていたのだ。何もかもが終焉を迎え、希望は絶たれ、少女の世界は暗黒に閉じられてしまったのだと、そういう現実を突きつけられていたのだ。
だが、彼は生きていた。文字通り“全て”を諦めていた少女の前に、颯爽と蘇ったのだ。
喜ぶより先に、容易には理解しきれない現実だった。そんなシエルの表情を見て、男は「なんだよ」と口端を下げる。

「お前さんも俺が死んだと思ってたのか」

そう言って不満気にため息を漏らす。
正直、弁解のしようもない。シエルは「だ…だって…」と口篭る。

「もっと信用してくれてもいいんじゃないか? そうだろ? だって俺様は伝説の英雄――――“ゼロ”なんだろ?」

彼はそう得意げに言うと、不敵な笑みを浮かべた。

「ば…化物がぁ!!」

エネルギー銃を向けるリーグ。だが、銃口を向けたその一瞬で、既に男はそこから姿を消していた。――――いや、消えたのではない。

「…ァ…」

ナイロの首も飛ぶ。男の速度は、彼らの知覚を容易に超えていた。
次に鮮緑の刃が中に弧を描いた時、それを目にした瞬間、リーグは全てを悟った。

――――ああ…そういうことか……


自分たちがこれまで守ってきた本当の対象。己の存在意義。そのすべてを理解した。



  全ては、この怪物から

  ネオ・アルカディアの秩序を

  ネオ・アルカディアの平和を

  守るため




ミュートスレプリロイドでも無い一介のレプリロイドである自分に、四天王はそんな大役を任せてくれていたのだ。


――――……しかし、本当に残念だ



  己の死の間際にそれを知るとは……‥‥



悔やみきれぬ虚しさの中、彼の首もまた、呆気無く宙を舞った。











  ――――  4  ――――







気がつくと、一番会いたかった人の顔が瞳に映った。

「…s…エ…ル…」

右手に優しい感触。気がつくと、一番大切な人の温もりがそこにあった。

「ありがとう…ミラン…」

最期まで、命を懸けて護ろうとしてくれた。感謝の言葉は尽きない。
だが、シエルの言葉に、首を小さく横に振るミラン。

「お…れい……は…い…r…ない…」

――――感謝したいのは、俺の方だよ…

自分の存在を認めてくれた。

何度も立ち上がる勇気をくれた。

一番会いたいときに会えた。




気がつくと、一番大好きな人の涙が頬に零れ落ちていた。




「…やく…そ…く…して……k…れ…」

とぎれとぎれの言葉。それでも、自分の想いを、願いを、なんとか伝えようと、ミランは最期の力を振り絞るように言葉を紡ぎだす。


「…つく…って…く…れ…――――」




  未来を

  見せてくれ

  誰もが笑顔で暮らせる優しい未来を


  人間とレプリロイドが手と手を取り合い暮らす

  温かい未来を


  連れて行ってくれ

  みんなを


  いつか誰かが夢に見たような

  いつか誰もが望んだような





  “懐かしい未来”へ



「…お…れ……は……ずっと……」


――――見守っているから


「…約束する…。約束するよ…ミラン」


絶対にみんなを連れて行く。どんな困難にぶつかろうと、もう二度と決して諦めやしない。
今日という日を胸に抱いて、大切な仲間たちの死に顔を心に突き刺して、進み続けることを誓おう。


「…………シエ…ル…」


残った僅かな力を振り絞り、最期に願う。


「……シエル…笑って…」



微笑むミランの瞳に、最期に映ったものは――――……‥





何よりも優しい笑顔だった。










ミランが事切れてから、しばらく、静寂が二人を包む。
僅かに聞こえてくるのは、鼻を啜る音、堪えようとも漏れだす小さな嗚咽。

「……小娘…」

「待って…ちょっとだけ」

男の呼びかけに、シエルは背を向けたまま返事をする。
涙を拭い、息を吸い、心を落ち着かせる。

「…大丈夫。大丈夫よ…」

そう言って、シエルは振り返った。
泣いた跡がはっきりと赤く残っているが、シエルは力強い眼差しで男を見つめる。

「ありがとう、ゼロ」

「……礼なんざいらないよ」

「ふっ」と笑って歩き出す。その背中を見つめるシエル。

「…本当に良いの?」

はじめは渋っていた男が、今は自然と協力する流れになっていることに、シエルは少し不安になった。
先程の戦闘より、遥かに厳しい戦いが待っているだろうことは容易に想像できる。彼のこれからを思うなら、断られてもおかしくはない。
だが、男は苦笑交じりに答える。

「“乗りかかった船”ってやつさ。どの道、この場所だって快適な寝床とは言えなくなったしな」

遺跡警備隊を敵に回した今、ネオ・アルカディアの増援が来てもおかしくはない。この場所での安眠はもう期待できないだろう。

「さ、行こうぜ。いつまでもぼっとつっ立ってるワケにはいかないだろ」

そうだ。少女は先へ進まなければならない。大事な願いを託されたのだから。それを理解しているからこそ、彼もまた、覚悟を決めたのだ。
そうした一切を悟り、シエルは「うん」と頷き返し、彼の後ろについて歩き出す。

「ちゃんとベッドは用意してくれるんだろうな?」

「もちろん。……快適とまでは言えないかもだけど」

苦笑いを含みながら冗談めかして答える。彼もまた軽く微笑んだ。

そんな何気ないやりとりの後、ふと男が立ち止まる。
そして振り向くことのないまま、口を開く。それまでとは打って変わって真剣に。

「…もしも……」

一旦そこで言葉を切る。慎重に考え、それからまた続ける。

「もしも俺が…お前の言う“ゼロ”ってのじゃなかったら……どうする?」

突然の問い。場に緊張した空気が流れる。
シエルは黙り込んだまま、男の背中をじっと見つめ、それからほんの少しだけ目を閉じる。
そして、数秒も経たないうちに答えを見つける。

「そんなの、決まってるじゃない」

予想外の軽さに、男は驚きながら振り返る。
しかし、朗らかにそう言う少女の、真っ直ぐ向けた瞳に、迷いの色はどこにも無い。


「あなたが何者であろうと、私にとって、あなたはもう“ゼロ”なの」


そうだ、問われるまでもない。
彼の言う通り、真実など分かりはしない。だが、先程の彼はどうだ。
確かにその戦闘力の高さも証明のうちに入るかもしれない。だがそれ以上に、己の生命を危機に晒されながらも、シエルを救うために剣を振るい戦ってくれた、そんな彼の姿こそ、その答えに他ならない。だから、彼を信じる少女の心には一点の曇りもない。

「――――だから、あなたは“ゼロ”よ」

屈託なく笑って答えるシエルに、男は呆気にとられた。
やがて、おかしそうに「フフ」と笑った。


「……後悔すんなよ」

「しないわ、絶対に」





少女の揺るぎない言葉を聞き、ニヤリと笑って――――「ゼロ」は答えた。







「させないけどな」

















  ―――― * * * ――――





  管制室にはもはや誰もいない。

  先程まで動いていたはずの者たちは、物言わぬガラクタと化していた。

  部屋中に散らばる疑似血液。漂う特有の匂い(死臭と呼んで良いのだろうか)。



  そこにはもはや“誰もいない”。



  そして、静寂に満ちた廊下を黒い影が通る。





  そう、終わりでは決して無い。

  歯車は今、回り始めた。




  ゲームは始まったばかりだ。


















 NEXT STAGE








     星に願いを 夜空に問いを


















[34283] 2nd STAGE 「星に願いを 夜空に問いを」
Name: 村岡凡斎◆45ff140f ID:697d6d9c
Date: 2012/10/29 15:58


  ―――― * * * ――――


鉄の塊は空を飛ぶ。
装備された熱光学迷彩機能は、ネオ・アルカディアが設置した熱覚、視覚等各種センサーから身を隠す。
白の団が保有する旧レプリフォース空軍輸送機は、“伝説の英雄”と、その封印を解いた少女を運び本拠地へと向かう。

「名前は“白”ってくせして…戦闘服は緑ぃんだな…」

白の団の戦闘服に身を包み、伝説の英雄は言った。

「“白の団”っていう名称はね、エルピスが付けたの」

金茶色のかわいらしいポニーテールを揺らしながら、少女が彼に答える。

「『私たちは自由の翼をもっています。真っ白な優しい世界へ羽ばたける真っ白な翼。例えこの身が泥にまみれようと、胸の中にはいつもその“白”を抱いていましょう』って」

「……臭いな」

彼は苦笑いと共に率直な感想を返す。それに対し、少女もクスクスと笑う。

「まあ、自分では『私は皆さんのリーダーとして、このチームの象徴をまとわせていただきます』とか言って、白いコートを着てたけど」

「…んで、お前は“それ”か…」

少女の服は薄いピンクで、下は短めのスカート。動き易そうではあるが、世界の片隅で反攻作戦を行なっているレジスタンスの一員としては少々派手である。

「これもエルピスがくれたの。『せめて女の子らしい格好を』って。私、着るものとかあんまり気にしてなかったから」

「…あぁ…そう…」

エルピスという男の人物像を予想したのか、ゼロは苦い顔をする。どうにも苦手なタイプらしい。

「大丈夫よ。彼は信頼できるわ」

「……だろうな」

「え?」

「そんなバカを言うのはよほどの“良いヤツ”しかいないってことさ」

少女の顔には尚も疑問符が見える。幸か不幸か、彼のイヤミが通じなかったらしい。

「そろそろです。シエルさん」

パイロットが少女――――シエルに到着を告げる。
その言葉と共に、鉄の塊がゆっくりと高度を下げ始める。すると何も無いハズの砂漠が静かに揺れ始め、その場に突如として大型ハッチが出現した。

「…地下か…」

確かに、今や世界に一つとも呼べる国家に、愚かにも立ち向かおうとするテログループの本拠地が、堂々と砂漠のど真ん中にあるワケがないと分かってはいた。が、実際にその入り口を目にすると、驚かずにはいられなかった。

「むちゃくちゃしやがる……」

「旧世紀の遺産よ。…まあ、説明はあとでね」

そう言うと、シエルは伝説の英雄――――ゼロを紺碧の大きな瞳で見つめ、微笑んだ。



「ようこそ、白の団へ」

















 2nd STAGE








    星に願いを 夜空に問いを




















  ――――  1  ――――


N.A.暦124年――――救世主エックスにより建てられた、人間のための国「ネオ・アルカディア」はレプリロイドにとっては地獄でしかなかった。
その地獄に立ち向かうため、レプリロイドたちはそれぞれ組織を作り、レジスタンス活動を始めた。
そして、その数あるレジスタンス組織の内の一つが、シエルも所属している、エルピス率いる「白の団」である。

「救世主“エックス”……か」

ゼロは、シエルから聞いた事の次第を頭で整理しながら呟いた。

――――…親友……ね…

確かに、言われてみればどこか懐かしい名前ではある。
だが、もしそうだとするならば……――――彼にはどうしても気にかかる点があった。




戦いの後、ゼロとシエルは遺跡内を探索し、警備隊の物と思われる戦闘用エアバイク「ライドチェイサー」を奪取して輸送機との合流地点まで移動した。
不気味なことに、遺跡を出るまで追っ手がほとんど現れなかったのだが、無事に帰路につけたことを喜ぶことにした。

輸送機が着陸した格納庫から本拠地までは、数キロ離れており、車でそのまま地下を移動する。
「白の団」本拠地は、前世紀に使われていた旧レプリフォース地下基地を改造したもので、地下五階まである。
中央には各階を行き来できるエレベーターが五台ほど据えられ、ライドチェイサーの他、旧式ではあるが、機動兵器「ライドアーマー」用の格納施設も十分に整っていた。
実は、ネオ・アルカディアから抜ける前に、エルピスが独自調査し、秘密裏に整備していたのだ、ということもシエルはゼロに話した。先程搭乗していた輸送機も、ここの遺品だったわけだ。

本拠地に到着したゼロ達を待っていたのは、話に聞いていた通りに白いコートを羽織ったレプリロイド――――エルピスだった。

「シエルさん。おかえりなさい」

「エルピス。ただいま」

二人は微笑みあう。
エルピスのすぐ後ろについていた少々老け顔のレプリロイドもまた、シエルに優しく声をかける。

「無事で何よりだよ…シエル」

「……心配かけてごめんなさい。セルヴォ」

エルピスが若々しく上品な雰囲気を持っているのに対し、セルヴォと呼ばれたレプリロイドは理知的な中年男性らしい顔の作りをしており、非常に落ち着いた大人らしさを感じさせる。
シエルは彼らと一言二言交わしてから、ゼロの方に向き直った。

「ゼロ。彼はセルヴォ。武器やみんなのメンテナンスをしてくれる技術局の局長よ。それで、こっちの彼が――――」

シエルの話を途中で制し、エルピスは自分から前に進み出てゼロに手を差し出した。

「お初にお目にかかれて光栄です。“伝説の英雄”さん。私はエルピス。元々はネオ・アルカディアで研究者として働いていましたが、正義のために立ち上がり、今はこの“白の団”のリーダーを務めさせていただいております」

握手を求める手。しかし、ゼロはその手に応えず、言葉を返す。

「おしゃべりも馴れ合いも好きじゃないんだ。勘弁してくれよ“正義のリーダー”さん」

嫌味っぽく返すゼロの言葉に、エルピスの眉尻が僅かに反応する。二人の間に微妙な雰囲気が漂う。
だが、ゼロの挑発的な態度をエルピスはまるで気にしてない風を装い、シエルに「彼には、いったいどれくらいの事を?」と尋ねた。

「うーんと…そうね。ある程度の事は話したと思うわ」

「敵はネオ・アルカディア。俺が斬るのは救世主エックス――――」

二人の間に、ゼロが割って入る。

「そんだけ分かれば十分だ。そうだろ?」

「…まあ、そういうことです。……では、早速――――」

「待ってくれ。エルピス」

ゼロをどこかへ連れだそうとするエルピスを、今度はセルヴォが遮る。

「彼は戦闘をしてきたんだ。まずは、メンテナンスを――――」

「いらないよ」

全て聞き終わらない内に、ゼロは手をひらひらと振りながら断った。“メンテナンス”という語を聞いた途端に、嫌そうな顔をしている。

「他人に体をいじくりまわされんのは好きじゃないんだ。――――それに、俺様は好調そのものだぜ?」

「しかし」と心配するセルヴォを制しながらエルピスが言う。

「本人が大丈夫と言っているのです。信じましょう。――――さあ、ゼロさん。皆さんが待っています。急ぎましょう」

「……“皆さん”?」

その言葉の意味が解せず、ゼロは怪訝な顔をする。エルピスは得意げに「ええ、そうです」と説明をする。

「我々白の団のメンバーです。あなたにはとりあえず、今この基地内にいる全員の前で、挨拶と激励をしていただきたいと思っています。前線にいる部隊にも専用回線を通じてその光景は届けますが。まあ、早い話が――――」

彼の要求は、挨拶と激励。と言うことは……なるほど合点がいった。つまりは――――

「“演説”――――ってワケか」

「ご名答」


初めて顔を合わせるメンバーたちの前で、“英雄”らしく振る舞い、士気を鼓舞して欲しい――――エルピスが言っていることはそういうことだ。
ゼロは、セルヴォのメンテナンスを拒否した自分を呪った。そんなことなら、ベッドの上で身体を弄られたほうがまだマシだ。もっとも、たとえ受けていたとしてもわずかな猶予が与えられただけだろう。




ホールにはすでに、基地内に滞在しているほとんどの者が集まっていた。
「英雄」の登場に誰も彼もが興奮を隠せず騒いでいる。

エルピスの後に続いて、ゼロたちはエレベーターに乗りホールを隅まで見渡せるほど高さのあるバルコニーへと上がる。
騒ぐ声を聞き、ゼロの顔からは嫌そうな雰囲気が止めどなく溢れ出ていた。

ゼロたちを一旦後ろで待機させ、エルピスが前に出る。すると、それだけで皆が一斉に静まり返った。
なるほど、このリーダーは見かけ倒しではないのだと、ゼロは理解した。

「皆さん。今日は、ご存知の通り、我々に新しい仲間が加わりました」

待ちきれず声を上げる者もいたが、エルピスがそれを右手で制すると、またしても皆ピタリと止んだ。それから後ろに立っているゼロに、前に出るよう目配せをする。
嫌々ながらも、ゼロはそれに従う。

「紹介しましょう。旧世紀の“イレギュラー戦争”で活躍した“伝説の英雄”、ゼロさんです」

エルピスはそう言って、ゼロを手で示す。「おおーっ」と会場中が大声を上げる。盛り上がりは最高潮。
期待通りの反応にエルピスも満足げな顔をする。あとは「伝説の英雄」に、皆を奮起させるだけの言葉を発してもらえば全ては予定通り。
たとえ彼にそれなりの発言ができずとも、自分の能力を持ってすれば興冷めなどと言うことはありえないだろう。
しかし、そんな思惑が必ずしもうまくいく保証は無いのだということや、事態が思わぬ方向に行くこともあり得るのだということも、この時のエルピスにはまるで考えつかなかった。

「どうしました?ゼロさん」

エルピスが小声で尋ねる。隣に立ったゼロは黙り込んだまま一言も口を開こうとしない。
それどころか彼の表情は、先ほどまでとも、ましてやエルピスたちとも全く違うものだった。

――――これは…

ゼロは一目で、あることに気づいてしまったのだ。

「主役がしっかりしてくださらなければ、彼らも気にしますし、士気にも関わるのですよ」

エルピスは戸惑っているだけだろうと思い、ただゼロを急かす。彼の言葉通り、英雄の演説に期待していた団員たちはざわめき出している。

「……ゼロさんには今後、“紅の破壊神”の称号と共にネオ・アルカディア撃滅の作戦に率先して協力していってもらうつもりです。――――さあ、ゼロさん、挨拶を!」

エルピスが間をつなぎ、ゼロへ話をふる。しかし、ゼロはまだ黙り込んだままだ。
再度呼びかけようとして、口を開く。――――瞬間、言葉を失った。

気づけばゼロから冷たい視線を向けられていた。エルピスは凍りつく。その威圧感に気圧されて。
そしてゼロは自分から前に乗り出した。エルピスを鼻で笑いながら。

遠目で見ていたために、そんなやりとりを知らない団員たちは、進み出てきた「英雄」を見て安心した。ざわついていた場内も静まり始める。
彼の言葉に、その場にいた皆が期待した。シエルも、セルヴォも期待していた。新しい仲間の“誕生”に期待していたのだ。
だが、ただ一人――――エルピスだけが彼の違和感に気づいていた。
目の前にいるこの男は危険だと、彼の勘が言う。一言も話をさせてはいけないと直感する。

――――いけない…!

そう思い、止めに入ろうとする。
しかし、時既に遅く。英雄の演説は始まってしまった。

彼の壮大な高笑いとともに。





会場中が黙りこむ。しかし、それでもゼロは笑い続ける。
いったいなにがどうなってるのか誰も分からない。
状況が呑み込めないままシエルが、慌てて駆け寄る。

「ちょっと!何を――――……‥‥」

「いやぁ、すまんすまん。――――エルピスとか言ったっけなあ……お前」

ようやく笑い終えたゼロは突然、横にいるエルピスに、まるで小馬鹿にしたような口調で話しかけた。

「とんだ茶番だぜ。テメエらのレジスタンス“ごっこ”は」

ゼロの言葉に、エルピスは再び凍りつく。聞こえてくる言葉に、事態が呑み込めない団員たちはただそれを眺めているだけ。

「悪いが、俺様はこんな連中と『一緒に戦え』なんて言うのはゴメンだね。絶対に」

「こんな……連中…?」

「ああ。『こんな連中』さ。そうだろ?」

ホール中の団員に、殊更大きく聞こえるように声を張り上げる。

「揃いも揃って腑抜けた面した連中ばかり。“伝説の英雄”である俺様が、足手纏いにしかならんような雑魚共と轡を並べるなんて言うのはありえないって言ってるんだよ」

予想だにしなかった明らかな侮辱の言葉に、今度はエルピス以外のメンバーも一斉に凍りつく。

「いいかい?お坊ちゃん。この先全てのミッションを、俺様は一人でこなしてやる。誰の協力もいらない。たった“一人で”、だ。――――そうしてネオ・アルカディアとやらも、俺様が一人でたたき潰してやる。テメエら役立たず共は“伝説の英雄”様の活躍を、ただ指を食わえて観ていればいいんだよ」

「ゼロさんっ!」

エルピスが怒りの色を滲ませ、睨みつける。

「今の発言は聞き捨てなりません……。撤回してください!」

下からも抗議の声が聞こえてくる。「ふざけたことぬかしてんじゃねえぞ!」と声を荒げる者までいる。団員たちも怒りに震え始めていた。
だが、ゼロはそれを意に介すことなく、またも声を張り上げる。

「いっちょ前に吠えることはできるようだが、それだけならガキにだってできるってもんさ。なんなら今ここで俺様とやり合うか?――――まあ…」

とびきりの嫌味な嘲笑いを浮かべ言い放つ。


「――――テメエらがいっぺんに何人かかってこようが、俺様は負ける気がしないけどな」


その一言で全てが切れた。積もり積もった怒りの山が、一気に爆発した。
下に集った団員たちは、彼の挑発的な態度に怒りを露わに、拳を振り上げ、吠え続けた。

「ひっこめ!」「出てけよ!」「何が英雄だ!チンピラ風情が!!」「テメエなんかいらねえよ!」「降りてこいゲス野郎!」

口々に野次が飛ぶ。
あまりの興奮状態に、収集がつかなくなりそうだ。己が怒る間も無く白の団のリーダーとして、エルピスは「落ち着いてください」と叫ぶ。
シエルも自ら前に出て、「落ち着いて」とエルピスに協力する。だが、なかなかその声が届く様子はない。

「……ゼロ!?」

ふと気が付き呼び掛ける。その声を無視して、後ろに下がって行くゼロ。収まりつかない状況を気にも留めず、そのまま一人でエレベーターに乗り込む。

「ちょっと!待ってよゼロ!ゼロ!」

制止の声を上げてゼロを追うが、間に合わないうちにエレベーターは降りて行ってしまった。
ゼロは無言のまま、静まらぬホールを一人去っていった。











  ――――   2  ――――


ボタンを押すと丁度すぐに扉が開いたので、ゼロは中央エレベーターの一つに乗り込んだ。ホールへ向かう途中にセルヴォがくれたマップデータを脳内に展開する。現在地は地下五階。目的の場所が三階に在ることを確認すると、ボタンを押し、そのまま上へと上がっていった。
到着とともに扉が開き、足早に降りる。廊下の両側の壁には、いくつもの扉が並び、部屋番号を示すナンバープレートなどが提示されていたが、それらに彼は少しも目を向けること無く、ただ真っ直ぐに目的地へと向かって行った。
突き当たりで、シエルよりも小さな女の子が立っているのに、ふと気づく。犬だか猫だかよく分からないぬいぐるみを抱いて、じっとこちらを寂しげな目で見つめていたのだが、部屋のプレート同様、構わず無視した。
そして目的の場所――――データルーム前にたどり着く。中へ入ろうと電子ロックを操作しようとした瞬間、あるものに気づき、手が止まった。

小さな光が三つほど、扉の前で浮かんでいた。かと思うと、その三つはそれぞれ、彼の顔の周りを鬱陶しく飛び回り始めた。
頬を膨らませたり、舌を出したり、指で口を広げて歯をむき出しにしたり。とにかく、怒っているような、挑発しているような、そんな感じの仕草を見せる。

しばらくは我慢していたが、だんだん本気で腹が立ってきた。今にも怒鳴りつけようかと口を開く。
まさに、その瞬間だった。

「彼を…通してあげて」

息を切らしながら、シエルが駆けつけた。ホールの方はエルピスに任せてきたようだ。
シエルの言葉に、「ちぇっ」とか「べー」などと喚きながら、渋々三体とも退く。

「……こいつら、見えるのか?」

「えっ?」

ゼロが不意に尋ねる。

「普通の人間じゃあ見えないだろ?」

「ああ……」

普段から気にしていなかったので、すっかり忘れていた。

「……私は幼い時に、特殊な視覚素子を埋め込んでもらってるの。まあ、ネオ・アルカディアの研究者はだいたいみんなそうしてるわ」

自分から尋ねておきながら、ゼロは「へぇ」とあまり興味の無さそうな返事をして、そのまま部屋に入ってゆく。
その反応に渋い顔をしながら、シエルも後に続いた。

いくつも並ぶコンピューターのうちから一つを選び、その前に備え付けられた椅子にゼロは腰掛ける。シエルは隣の椅子に座り、それからなにか思うことがあったのか、椅子ごと後ろを向いた。
部屋の灯りを点けていなかったが、ゼロが起動したモニターの明るさと、扉から漏れてくる外の灯りだけで十分だった。機能的にも、気分的にも。
それからキーボードの音が無機質に響き始める。それ以外に音は何もない。シエルも、ゼロも、互いに何も口にすることはなかった。二人は沈黙の中。

ふと、シエルは扉から覗いているサイバーエルフ達に気づく。「おいで」と手で呼んだが、ニヤニヤと笑いながらどこかへ行ってしまった。シエルはよく意味が分からず、首を傾げた。
暫くの静寂の後、ゼロが突然切り出した。

「ここにいるレプリロイドは、全員、“非戦闘型”だな?」

シエルは思わず驚き、彼の横顔に視線を向けた。だが、ゼロは少しも気にすること無く、モニターを見つめ、キーボードを叩き続けている。

「……どうして分かったの?」

実際団服に身を包んだ彼らを、非戦闘型と見破るのは至難の業だ。見た目的には団服を身に着けているゼロと大した差はない。
だが、ゼロは彼なりの目線でそれを見破った。

「どいつもこいつもマヌケ面してたからな」

軽くそう言ってのける彼に、「そんなことで?」と問い返したが、「そんなことで」とオウム返しのように言われてしまい、思わず呆れてしまう。
だが、彼の言っていることはある意味で正しいのかもしれない。確かに戦闘型レプリロイドは、非戦闘型には無い、少し鋭い雰囲気がある。レプリロイドの持つ感情と、戦闘型としての自覚により発せられる雰囲気。
当然、ゼロも持ち合わせていた。まるで研ぎ澄まされたナイフのような。ただ、彼はその収め方も心得ているようだった。

それからまた互いに沈黙する。ゼロの方は自分の作業に集中し、シエルはどこか思い悩んでいるようだった。
そして、考えがまとまったところで、今度は彼女の方から切り出した。

「……本当に一人で戦うの?」

先ほど言い放った言葉が何処まで真実の気持ちなのか、それが知りたかった。
だが、ゼロは少しも表情を変えること無く「嘘言ってどうする」と、尚もキーボードを叩き続けながら答える。

「まあ、あのお坊っちゃんの作戦やらにはある程度付き合ってやるさ。あてもなく戦い続けるよりはマシだからな」

「仲間は……いらないの?」

「仲間?」

一旦手を止める。しかし、彼女の言葉に思うところがあって……というわけではない。ただ画面に出ているものをチェックしていた。
相変わらず顔色一つ変えずに、切り捨てるように言う。

「足手まといにしかならんヤツらを“仲間”なんて言えるかよ」

その言葉に、シエルの胸が少しだけ締め付けられる。
彼はミランの最期を目にした筈だ。死の淵にあっても尚、シエルを護ろうと戦った彼の姿を知っているはずだ。それなのに、ゼロはそんな風に言ってしまえるのかと思うと、些か以上に寂しい気がした。

「お前は、これ以上あいつらに死んで欲しいか?」

だが、彼女の想いを知ってか知らずか、ゼロは脅すような問いを突然口にする。さっと、シエルは彼の方を振り返る。
しかし、ゼロは何事もないように画面を眺めていた。

「『理想と自由のために命懸けで戦って、悔いの無い死を迎えた』――――なんて美談だけがほしいんならそれでもいいだろうな」

まるで神話の豪傑たちのように、戦士たちのように、英雄のように――――……‥‥そんな風に華々しく戦い、潔く散っていくだけで満足だというのなら、それでも構わないだろう。
勝てる見込みの少ない戦いでも、自身の生命が危ういと分かっていたとしても、それを望むというのなら止める理由はない。

「けどよ。お前たちの目的はそんなよくある物語のネタになることじゃ決して無いだろ。あの時死んだアイツも、そんなことに命を懸けたワケじゃないはずだ」

『あの時死んだアイツ』――――ミランを指していることはすぐに解った。
確かに彼の言う通りだ。
理想を遂げるために立ち上がったのだ。理想のためにと戦った勇姿を刻み付けることが目的では決して無い。
それはシエルにも理解できた。だが、それでも腑に落ちない。彼の言葉に納得できない。

「それでも“役立たず”扱いなんて酷い。まだ一度もみんなと一緒に戦ってないのに……」

「“やってみなきゃ分からない”――――なんて月並みなことは言うなよ」

シエルの言葉を、ゼロは鼻で笑いながら遮る。

「あいつらが今までどれくらいの戦いを掻い潜ってきたかは、見た感じでだいたい分かる。だが、俺に任される戦いは、これまであいつらが経験してきたものとは別格のものになる筈だ」

戦闘用というだけではない。“英雄”というレッテルへの期待の視線は少なからず感じられた。それが確かであるならば、間違いなくそれ相応の戦いがこの先に待っているはずだ。
だがその中で、ホールで目にした団員たちと共闘していくとなれば、間違いなく苦戦を強いられるだろう。

「“やってみたら”確実に何人かは死ぬ。それをお前は望むのか?」

答えは、問うまでもないことは本人も分かっていた。だが、それでもあえて口にしたのは、シエルの抱く想いと不安を、現実と向き合わせるためだろう。
しかし、今度は別の問いがシエルの口を衝いて出てくる。

「あなた一人なら大丈夫なの?」

確かに、非戦闘型の彼らを守りながらの戦いとなれば、厳しくなることは想像できる。
それでも、孤独を望んで進むというのはどうなのだろう。たった一人で戦った方が気楽にやれると言うのか。
そんな真剣な問いに、ゼロは軽く笑いながら答える。

「死んだとしても、俺一人だ。……まっ、そんな気は無いけどな」

「……その自信はどこから?」

「経験から」

その答えに一瞬、シエルは言葉を失う。そして理解すると共に、ゼロの方に思わず乗り出しながら、驚いたように大声で問いただす。

「記憶が戻ったの!?」

『経験』を糧とするならば、記憶が必須となる。だが、目覚めたばかりの頃、彼は自分が何者であるかすら分からない状態だった。そんな彼が『経験』を口に出した以上、驚かずにはいられない。
しかし、ゼロは平然としたまま首を僅かに横にふる。そして、休めていた手を再び動かし、キーボードを叩き始める。

「戻ったも何も、消えて無くなったワケじゃない」

「…えっ…?」

「記憶データを明確に引き出すことはできないが、“それ”は確かに俺の思考回路に反映されてる。だから分かるのさ」

記憶されたものはデータとして、思考、行動、言動に反映される。
明確な視覚、聴覚情報として引き出すことはできないが、脳内に蓄積された情報の欠片達は確かに存在し、彼の思考を手助けしているのだ。
これまで数多の死線を乗り越えてきた英雄としての経験。それが自信に繋がらないわけがない。
彼の言葉を理解しつつも、シエルは少しだけがっかりしたようだった。記憶の有無など、彼女にとってはどうでもよいと切り捨てても良いことだというのに。

そこでまた会話が途切れる。黙って作業をすすめるゼロの横顔を見つめながら、シエルは一人考えていた。
確かにゼロの言うとおり、彼の様な戦士にとって白の団のメンバーは足手纏いでしか無いのかもしれない。
正直なところ、ほとんどのメンバーは戦闘に参加すること無く、ここを生活の拠点として参加している程度にすぎない。戦闘に参加するメンバー達も、ある程度の成功率が見込めなければ出撃は見送っているし、それほど大きな打撃を与えられるような作戦を行ったことは一度もない。危険な任務に出向いていったチームは勿論、帰還することはできず、自身が目にした死線を伝え聞かせるものは一人としていない。
そういった事情が絡みあう事で、白の団のメンバー達はいつしか、戦いの中に身を置いているのだという自覚が薄くなってきている気がした。“マヌケ面”とゼロは評したが、それは安全地帯に身を寄せ、平穏な日々を過ごしすぎたメンバー達の表情を的確に表している気がした。
だが、それでも彼の言動を全肯定する気にはなれなかった。そんな平穏に酔いしれたメンバーばかりではないのだ。
そう、彼はまだこのレジスタンス組織のほんの一端しか目にしてはいないのだ。

「……ちょっと貸して」

シエルはあることを思いつき、唐突にキーボードを奪う。
ムッとしながらゼロは「おい、小娘!」と声を荒げるが、少女は真剣な表情だった。

「すぐだから!……あなたに見ておいて欲しいものがあるの」

その様子に「仕方ない」と肩を落とし、ゼロは彼女が操作している画面を眺める。
二十四桁のパスワードが二度打ち込まれ、一つのファイルが開かれる。そこに現れたモノは、なにかの設計図のように見えた。

「これは……?」

「ネオ・アルカディアの研究者達は、『現在使われているエネルギー資源、“エネルゲン水晶”はあと五十年足らずで掘り尽くされてしまう』という結論に達したの」

過剰なレプリロイドの処分、生産、そして人間たちの生活にかかるエネルギー。
鉱物資源であるエネルゲン水晶の量に限度があるのは当然のことだが、現代の営みに欠かせないものとなってしまった以上、それはただ数を減らしてゆくのみ。
エネルギー増幅装置などで寿命を延ばしたとしても、いつか必ず資源は底をつく。

「政府が研究者達に下した指令は、“無限エネルギー循環システム”の開発」

資源が底をつくとしても、エネルギーが無限に循環しさえすれば、確かに問題は無い。しかしそのような発明が実際に有り得るのか。
眉をひそめながらゼロは「夢物語だろう」と切り捨てる。それにはシエルも「そうね」と同意の声を返す。

「でも、“無限”とまではいかなくても限りなくそれに近いエネルギー循環システムを考案できれば?」

地球の寿命まで保つことのできるエネルギー循環システムができたならば、それで十二分に事足りる。
そこまでいかなくとも、もしかしたら地球復興を成し遂げた後、新たなエネルギーを発見する可能性もあるかもしれない。

「“未来”へと望みを託すためのキッカケでも良い。研究者達はその志の元、今もシステムの開発に勤しんでいるの」

「それで……これは…」

そこまでのシエルの話と画面の設計図とを照らし合わせる。彼女が言わんとしていることをゼロは理解し、思わず「まさか」と驚きの声を上げる。
シエルも、彼が理解したことを悟り、強く頷き返す。

「そう、これが私の設計している“準無限エネルギー循環システム”――――“システマ・シエル”よ」

ゼロは驚きのあまり声が出せない。

「――――とは言っても未完成なんだけど…ね」

少しはにかみながら、シエルはそう付け加える。だが未完成とはいえ、たった十四歳の少女がこれほどの大発明を成し遂げようとしているのは十分賞賛に値するものだ。
そこである疑問がゼロの頭に浮かぶ。

「なぜこれを俺に?」

そんな大研究をわざわざ自分に見せた理由が分からない。
そう尋ねるゼロに、シエルは少しだけ言葉に迷った後、正直な気持ちで答える。

「あなたは強い。人間の“小娘”なんかじゃ到底敵わないほど。そして、私は誰よりも非力……」

非戦闘型レプリロイドといえど生身の人間の少女一人に比べればはるかに強い。
そもそもエネルギーライフル一丁手にできない少女が、戦いに役立つことがあるだろうか。この白の団という組織において、彼の“役立たず”という言葉が最も似合う相手がいるとすれば、それはきっと自分のことだろう。
だが、“戦い”はそれだけではない。“戦場”は、前線だけの話ではないのだ。

「けれど、私は無力じゃない。この発明こそが、非力な私の唯一にして最大の武器。ネオ・アルカディアに対抗するための。これが私の“剣”」

ネオ・アルカディアの研究者達が手こずっている研究を誰よりも早く完成させ、レプリロイドの権利要求とともに突きつける。
人間の未来とともに、レプリロイドの未来を勝ち取る。そのための“剣”。それが“システマ・シエル”だった。
「だが」とゼロは切り返す。

「相手はその交渉を易々と受け入れるか?」

ネオ・アルカディアにも優秀な科学者はゴマンといるだろう。それなのに、レジスタンス側の要求を認めてまで、そのシステムに手を伸ばすだろうか。敗北を認めてまで縋りつく理由になるとは思えなかった。
しかし、そのことは彼女も、そして団員たちもよく理解していた。

「だからこそ、エルピスは白の団を結成してくれた」

こちら側が優勢になるまではいかなくとも、敵の戦力をある程度削ぎ、動揺を与えることができれば、交渉は有利に進められるはずだ。
シエルはぐっと息を呑み、口を結ぶ。そして、また静かに深い声で語り始める。

「私はね……。本当は、誰にも傷ついて欲しくなんかない。白の団の仲間にも。ネオ・アルカディアの人達にも……」

命を奪いあうことに、正義などありはしない。そして争いからは必ず悲しみが生まれる。彼女にとって、それはなにより耐えがたい苦痛だった。

「けれど、私は戦うと決めた。私なりの方法で。私にできることをやろうと決めたの。そんな私に、白の団のみんなは願いを託してくれた」

先日命を落としたミランも、他のメンバー達も、そして親友であったパッシィですらもそうだった。皆“未来”と言う名の願いを、少女の“剣”に託したのだ。

「そして、ずっと命懸けで戦ってる」

いつか願いが叶うようにと。いつか見た未来が、現実のものになるようにと。
そういう祈りと期待を抱きながら、前線に出てゆく仲間たちがいるのも事実なのだ。

「だから、お願い。ゼロ。みんなを悪く言うのはやめて。……あなたからすれば、確かに足手纏いになるかもしれない。けれど、みんな本当に命懸けで戦っているの!『レジスタンスごっこ』なんかじゃないわ!真剣なの!必死なのよ!――――だから……」

抑えていた気持ちが一気に溢れ出す。
だが、シエルは一旦呼吸をおき、なんとか自分を落ち着かせる。

「『役立たず』って言う言葉だけでも撤回して」

決して、誰一人として無駄な者はいないのだ。
少女の真っ直ぐな想いと言葉に、ゼロはしばし言葉に迷う。だが、やがて小さく微笑んだかと思うと、静かに口を開く。
だが、そこから発せられた言葉は、どこまでも現実染みていて、少しの容赦もない刃そのものだった。

「命懸ければなんとかなるってんなら、世の中もうちょっとマシだろうさ」

シエルが真摯に言葉を尽くしたにも関わらず、そんな冷淡な言葉を返して、さっさと画面へと向き直り作業を再開する。
「ゼロ…!」とシエルが思わず名を呼ぶと、「落ち着けよ」と言葉を返す。

「別に、本気で“役立たず”だと思っているわけじゃあない」

突然の弁明に、シエルは驚いた。だが、そこには謝罪の念は含まれていなかった。
彼にも彼なりの意図があって口にしたのだ。

「ただ、戦う力の無い者が“徒党を組めばまともな戦争ができる”と勘違いしているのが、俺としては気に食わなかっただけだ」

あのホールで見た集団はエルピスと言うリーダーに付き従い、軍隊のような体を装うことで、“まともな戦争”ができると思い込んでいるように見えた。
自分たちの非力さを認識せず、ネオ・アルカディアと言う国と“それなりの戦い”ができるだろうと誤解をしている。そして、「伝説の英雄」が来たことで、その勝利は確実なものであると妄信し切っていた。
極端に言えば慢心。個ならば感じることの無いそれを、集団となり、一つのチームとなることで皆得てしまっていた。己に向けられた視線からゼロはそれだけのことを読み取ってしまったのだ。

「『希望を持つな』とは言わない。だが、“希望に酔う”のだけはやめろ」

希望はあくまでも希望であり、決して自身の力を強くしてくれるわけではない。己の非力さを理解していない者が志だけでどうにかできるほど、戦争は甘くないのだ。
そう伝えるゼロの言葉は、シエルにはとても重く聞こえた。

「……それでも、言い方があるでしょ」

「至極分かりやすい言い方をしたつもりだが?」

シエルが食い下がろうとするも、ゼロはあっさりと、そして厭味っぽく言葉を返す。

「お坊っちゃんにも言ったが、馴れ合いをする気はないからな、俺は」

「馴れ合いなんて……」

「それに……」

突然何かを言いかけて、キーボードを叩く手が止まる。
言葉が続かないことを不思議に思い、シエルは伏せていた視線を上げ、ゼロを見つめる。画面を向いていたゼロの顔も、ゆっくりと彼女の方を向いた。



「ここにいる全員の期待を背負えるほど、俺の背中は広くない…」




見つめる瞳。交差する視線。――――沈黙。




「――――なんてな」

まるで誤魔化すようにそう言って、ゼロは画面に向き直る。
けれど、シエルは彼の横顔を見つめ続けていた。








「さてと」

しばらく経って、ゼロが立ち上がる。作業はあらかた終わったらしい。
何をしていたのかはシエルもさほど気にしていなかったが、眼の端に見えていた限りでは、現代の情報を整理していたらしかった。

「どうしたの?」

「ちょっくら出掛けてくる」

突然そんな事を言い出したので、シエルは呆気にとられたように口を開ける。

「古い方のお家に、ちょいと用ができてな」

「へっ?」

おどけた風に言うゼロだが、シエルはそれを相手にしない。扉に向かい歩き始める彼を、「ダメよ」と真剣に説得しようとする。
あの戦いの後だ、もしかしたら敵の増援部隊が集まっているかもしれない。だが、ゼロはそれを否定する。

「あんな所に敵さんがいつまでもいるワケ無いだろ。あそこには戦略的価値が無い。」

封印されていたゼロ本人があの場にいないとなれば、確かに、あの遺跡自体には何の意味も無い。
わざわざ部隊を送り込んでくることも無いだろう。

「それに、たった一体のレプリロイドをいちいち相手にしてたら、敵さんもキリが無いだろ」

「……それはそうだけど。でも、どうして急に?」

遺跡自体には何の意味も無いというのはこちらにとっても言えることだった。だが、ゼロは決して冗談で言っているわけでは無いらしく、彼の眼も真剣そのものだった。

「ここのコンピューターからじゃ、あそこのデータベースにアクセスできない」

「データベース…?」

あの場所のことを思い返す。使い古され起動しそうもないコンピューターばかりが目についた。そんな場所に一体何があるというのか。

「あそこにはカプセル以外に仕掛けがあった気がする」

「『気がする』…って、確かじゃないのに!?」

そう返すシエルだったが、ゼロの目は確信に満ちていた。
だがそれでも、安全の保証など何処にもない。なんとしても止めようと声をかけ続けたが、聞き入れてもらえる様子は無かった。

「落ち着けよ、小娘。…まあ、言わせてもらえば――――」

ゼロは扉の前で立ち止まり、疑問符を浮かべるシエルの方に顔を向ける。そして、着ている団服をつまみながら、苦笑交じりに言った。




「この“緑ぃの”はしっくりこないのさ」





それからゼロが部屋を出ていった後も、シエルはしばらく扉を見つめ、その場に突っ立っていた。



















  ―――― * * * ――――


部屋を出て廊下を歩いていると、来る途中で見かけた少女が道を塞ぐようにして立っていた。
先ほどと同じように、少し寂しげな目をしながら、こちらをじっと見つめている。
ゼロは面倒に思ったが、仕方なく声をかける。

「お嬢ちゃん。悪いけど退いてくんないかな?……俺に用があるんなら、もうちょっと大人のレディーになってからきなさいな」

だが、少女はゼロの冗談を無視して、真剣な表情のまま答える。

「わたしは大きくならないよ。レプリロイドだもの」

「あら?」と、思わず声を漏らす。落ち着いて識別すると、確かに言う通り、少女型のレプリロイドだった。

――――やれやれ、保けるにもほどがあるよな……

ゼロは決まり悪そうに頭を掻く。
そうしていると、少女は徐ろに口を開く。

「ここにいる人間は、シエルおねえちゃんだけだよ」

彼女はあまりにも自然に口にしたが、その突然の言葉にゼロは「え?」と驚いた。
「本当か?」と目で問い返すと、少女は小さく頷いた。だが、それでも信じきる事ができない。

「…親は………あいつの………?」

少女は少しも間を置くこと無く、首を横に振る。

「いないよ。本当におねえちゃん一人だけ」

信じられる話ではない――――が、信じるしかないと、ゼロは自分に言い聞かせた。嘘をつくメリットなど考えられないし、それ以上に、目の前にいる少女の瞳が真剣そのものだったのだ。
シエルが人間である以上、親は当然いるものだと思っていたし、たった十四歳の少女がこんな辺境に一人で生活しているとは思ってもみなかった。
いや、そもそもあまりにも自然に付き合いすぎて、あの少女の身辺事情を少しも気にかけることがなかった。

――――じゃあ…あいつは……

レプリロイドのために、たった一人で立ち上がったのか?
話の通りならば、国に保護され、ある程度裕福な生活を送れるはずの人間が。その人間の中でも幼いたった一人の少女が。

――――どうしてそこまで……

疑問は膨れるばかりだった。が、ゼロはある程度のところで考えるのをやめた。
それを知ったからと言って何がどうなるワケでもないし、何よりそんなものを詮索するのは野暮だと思った。

――――ただ分かっているのは……

確かな事実。彼女はレプリロイド達と共に、人間の世界と戦う決意をした――――ただ、それだけ。

「それだけで十分……か」

「シエルおねえちゃんは、わたしたちにやさしくしてくれる、ゆいいつの人間だったの」

ゼロの声が聞こえたか分からないが、少女は少しだけ俯き、呟くように語り始める。

「だから、わたしたちにとっては自分の命より大切なの」

何かを伝えようとしているのだと感じ、ゼロはただ黙って、彼女の語りに耳を傾けた。
少しずつ言葉を選びながら、口にしてゆく。

「だから、わたしたちが何人死んでも………おねえちゃんだけはだめ」

それから少女は俯いていた顔を上げ、ゼロの目を真っ直ぐ見つめる。
蒼く優しい色をした瞳が、儚げに輝いていた。

「だから……だからね……」

迷うように、口を噤んだ少女だったが、意を決し、再び言葉を紡ぐ。

「あなたがいったいどんな人かは知らないけど、おねえちゃんが帰って来たのは、まちがいなくあなたのおかげだと思うから――――」

少女はゼロに、小さな頭をぺこりと下げる。


「――――ほんとうにありがとう」


感謝を伝えるその声は、他に誰もいない廊下に何よりもはっきりと響いた。
しばらく黙り込んだあと、ゼロは少女の頭に手を優しくおいた。

「…名前は…?」

「…わたしの名前は“アルエット”」

「そうか…。アルエット……素敵な名前だ」

名前の響きを確かめるように呟き、アルエットの頭を撫でる。すると、アルエットは誇らしげに微笑みながら「でしょ」と答える。

「わたしもこの名前、気に入ってるの。シエルおねえちゃんがつけてくれたのよ」

アルエット――――とある国の言葉で“雲雀”を意味する名前。
もうその鳥をこの荒廃し切った世界で見ることは適わないだろう。しかし、小さな体で懸命に生きているこの少女の様は、確かにその名にふさわしいのかもしれない。

「このぬいぐるみも、おねえちゃんがつくってくれたんだよ」

とても嬉しそうな、それでいて誇らしそうな声。シエルに対する愛情、そしてまた、アルエットに注がれているであろうシエルの愛情が、その声の響きからゼロの心に伝わってきた。

「オーケー、アルエット」

ゼロはアルエットの背丈に合わせてしゃがみ込む。

「じゃあ、一つ約束だ」

首を傾げるアルエットに、ゼロは告げる。厳しく、それでいて優しく諭すように。

「『わたしたちが何人死んでも』なんて、二度と言うな。……いや、決して思うんじゃない。――――お前たちの内、誰が血を流したとしてもあいつはきっと悲しむ」

先ほどのやり取りで――――いや、仲間の死の間際において彼女が見せた表情で、その姿で、“そういう少女なのだ”とゼロはすでに理解していた。
その言葉に、アルエットは力強く頷く。ゼロの言葉が正しいことは、おそらく誰よりも理解していただろう。

「よし、いい子だ」

誉めるゼロに、今度はアルエットが尋ねる。

「…ねえ、あなたの名前は……?」

「ん? ああ、そうだったな。じゃあ、初めまして。俺はゼロだ」

「はじめまして。アルエットです」

ゼロに合わせて、アルエットももう一度自己紹介をする。そして二人は固い握手を交わそうと手を差し出す。
二回りほど大きなゼロの手は、幼さを感じさせる小さなアルエットの手を包み込み、そっと握る。――――確かに感じられたのは、優しい温度。

「じゃあ、アルエット。俺はちょっくら出掛けてくるから、また後でな」

「どこにいくの?」

「こっちに引っ越してくるのに、前のお家のお片付けして来なきゃなんないんだよ。だから……そうだな」

ゼロは小指を立ててアルエットに差し出す。

「俺が帰ってくるまで、小娘のことは任せたぜ」

やわらかく笑いながら、アルエットも小指を差し出す。

「まかせて。ゼロ」


二人は固い指切りを交わした。













  ―――― * * * ――――


シエルはゼロが去った後も、データルームの椅子に腰掛け、一人考え込んでいた。
「どうしたの?」と心配そうに尋ねてくるサイバーエルフのウィンキィに、シエルは「大丈夫」と笑って誤魔化した。
別に大した問題ではない。ただ、彼女はつい数分前の、ゼロとのやりとりを思い出していたのだ。

『ここにいる全員の期待を背負えるほど、俺の背中は広くない…』

つい先程、彼が放った言葉――――というより、その言葉を発した時のゼロの瞳が強く彼女の心に引っかかっていた。
けれど、シエルはついにたった一言、問い返すことができなかった。

『じゃあ誰なら、私たちの期待を背負えるの?』

“伝説の英雄”と称される彼にある程度の期待をしてしまうのは、残念ながら本当のことだ。それでも、全てを任せ、背負わせるつもりはない。そんな風に依存したいわけではない。
だが、その時のゼロの瞳を見たら問わずにはいられなくなった。けれどまた、それは少なくとも今問うべきものじゃないと思った。無闇に問うてはいけないものだと思った。――――だから彼女は飲み込んだ。思わず零してしまわないように。

――――あのゼロの眼……

シエルの方を見ているようで、彼の瞳は決して彼女を見つめていなかった。
誰かを――――そこにはいない別の誰かを見ているような眼。



  どこか遠くの


  愛しい誰かを



  懐かしい誰かを



  見ているような





――――……そんな眼


けれどその眼は、すぐに見ることをやめた。――――というより、きっと彼の見つめる先には“誰”もいなかったのだろう。
そう。見つけることができなかったのだ。追い求めた背中も、懐かしい姿も。誰も、何も、視線の先にはいてくれなかった。


ふと天井を見上げる。相変わらず灯りを付けないままでいるデータルームのそこに広がる暗闇は、まるで夜空を見ているようだった。
シエルもまた、探してみる。どこかに星はないだろうか。ゼロが見つめようとした“誰か”はどこにいるのか。想い、考える。
そして、ただひとつ確かな答えが心によぎる。


――――私があなたを必要としたように、あなたも“誰か”を求めているのかな。




独りぼっちの英雄が、いつの日か探し物と出会えるように。
少女は見えない星に願いを込めた。











  ――――  3  ――――


遺跡には、先日の戦いの後に、誰かが足を踏み入れたような形跡は無かった。
ゴーレムの放ったレーザーによる焦げ跡が壁に痛々しく刻みつけられ、ミランだった物も、ゴーレムの残骸も、同じようにそのままの形で残っている。足下にはパンテオンの首が転がり、疑似体液を垂れ流した首なしの体も横たわっている。
ゼロは「白の団」の戦闘服を脱ぎ捨て、黒いボディースーツのみの恰好でカプセルがあった辺りまで歩を進める。カプセル自体はほぼ粉々で、原型を留めていなかった。

――――この辺りだったか……

ゼロはしゃがみ込み、地面に散らばっている破片や残骸を手で払い退ける。

――――……あった

しばらくして見つけた、四角く細長い親指大の蓋を開き、姿を表した丸く小さなスイッチを押す。
すると、スイッチの向こう側の地面に正方形の溝がくっきりと刻まれる。そこから淡い光が漏れたかと思うと、ゼロの背丈ほどのロッカーらしき物が一気に飛び出してきた。

その戸を躊躇いなく開く。彼の目に飛び込んできたのは、裾が脛辺りまである真紅のロングコート。
腰にはベルトがあり、袖は無く、白い丸形のショルダーアーマーがついている。
それを迷いなく手に取り、取り出して着てみる。耐弾性、耐ショック性に優れた特殊素材で作られていながら耐ビームコーティングが施されているそれは、彼の身に安心感を与えるばかりではなく、逃れようのない事実を再び確認するきっかけにもなった。
『紅の破壊神』――――伝説の英雄「ゼロ」。二つ名にまでなった英雄のパーソナルカラーがその特別製コートを彩っている。そしてそのコートは、まるであつらえたかのように、彼の体にフィットしていた。

「やっぱり、俺は“ゼロ”………なんだな」

突きつけられた現実に彼は、怯えなのか高揚なのか自らにも良く分からない感覚が心の奥から湧き上がってくるのを感じていた。

それから周りを見渡し、部屋の隅の壁に目を向ける。瓦礫を乗り越え壁面に近付き、戦闘の被害が及んでいないことを確認してから、そこに隠されていたスイッチを探り当て、押す。
ロッカーの時と同様、スイッチの左側に溝が入り、正方形のシャッターが開いてキーボードとモニターが乗った台が飛び出た。
ゼロは自分のうなじに手をあて、接続端子付きのコードを取り出す。それをモニター横の壁に隠されていたインターフェースに接続し、キーボードを叩いて目的のものにアクセスする。

掛けられていたロックに対し、自分のDNAデータを照合させて解く。
「DNAデータ」とは、精神プログラムの基盤となる設計図のようなもので、レプリロイドの性格的差別化を容易に可能とした発明であり、個体の識別もこれで可能となる。これを応用したセキュリティプログラムは百年前から今日まで、広く使用され続けている。

データベースへのアクセスは完了した。あとは自分に関する戦闘記録等を得るだけ。自らがいったい何者なのか。それを掴むために、ゼロはわざわざこの場所まで出向いてきたのだ。
検索をかけると同時に、緊張が高まる。数秒と経たない内に、モニターに表示されたモノは――――……‥‥



[ E R R O R ]



「なっ!?」と思わず声を漏らす。データが存在しないことを告げる「ERROR」の文字列。戸惑うままに何度検索をかけても、何もヒットしない。
自分の記憶違いということも考えられないことはない。そもそも記憶は失われていて、「ここにあった“気がする”」程度の考えで足を運んだのだ。何も得られないとしても不思議ではない。
しかし、わざわざこのような隠しコンピューターを設置していながら、何も入力していないというのは考えられない。それならば何故このような仕掛けを用意する必要があったのだ。
行き着く考えは一つ。

――――削除されている……?

故意に? ――――だとしたら、いったい誰が?

どれだけ考えようと、記憶と同様にその答えは見つかるはずもなかった。
ただ一つ確かなことは失われた記憶を取り戻す手掛かりは、完全に闇に消えた。
もう、自分が本当は何者だったのか、どんな戦いをしてどんな出会いをしてきたのか――――それらを知る術はなくなってしまったようだ。


――――……そのハズなのに



      そのハズなのに



何故だか自分でも分からない。けれど、どこかでほっとしている自分がいるのに気づいた。






ゼロが感傷に浸りかけるのを遮るように、突然轟音が響き始めた。
何かが近づいてくる音が聞こえる。地鳴りを響かせながら。

――――…デカい……

ゴロゴロと大地を転がるような音。

――――近い!

その存在が間近に迫ったことを感じた瞬間、ゴーレムが開けた穴から、その球体は文字通り、転がり込んできた。
次の瞬間、二メートル以上の大きさであるそれは、ゴーレムの残骸に当たって宙に大きく跳ね上がった。

「のわっ!!」

自分めがけて落ちてきた球体を、叫び声とともにとっさに避ける。
球体が地に着くと、部屋中が大きく揺れた。床が大きく窪んだのが見える。下敷きになっていたら確実に潰されていただろう。

「…なんだ……コイツは……」

ゼロが訝しんでいるのもつかの間、球体から突如手足が飛び出るように生えた。そして、てっぺんからは鼻が長い、象を模して作られた頭部が同様に飛び出てくる。
謎の球体の正体はレプリロイドだった。

――――こいつは……

先刻、データルームで確認していたものを思い出す。
ゼロが見ていた現代の情報の中に記されていた、ネオ・アルカディアに立ち向かうために、レジスタンスが集めた情報の一端。そこに記されていたのは救世主エックスの元に集う、ネオ・アルカディア最強と誉れ高い「四天王」とその四軍団。そこに所属する特別なレプリロイド達。

「まろの名ぁは、マハ・ガネシャリフでぇおじゃる」

ネチっこく、鼻に付くような公家気取りのしゃべり方。ゼロは思わず舌打ちをする。

「もしかして、ミュートスレプリロイドってヤツか…?」

「いかにも。まろは冥海軍団所属ぅの情報処理、分析担当のぉミュートスレプリロイドでぇおじゃる」

冥海軍団――――四天王率いる四軍団の内の一つ。「妖将」――――「レヴィアタン」が率いる軍団である。
そして、ミュートスレプリロイドとは四天王の補佐として活躍するよう開発された特別製レプリロイド。
そのデザインは神獣がモチーフとなっており、他のレプリロイドとは別格の待遇を受けているとともに、それに見合っただけの能力を有している。
さて、そんな敵の幹部が何をしにこんな遺跡まで足を運んできたのか。

「……俺様のデータを回収しに来たわけか…?」

そう問い質しながら、ゼロはゼットセイバーを引き抜けるように、左腕を構える。

「ほーほーほーほー。なかなかぁに勘のいい男よのう」

愉快そうに笑う声が、やけに気に食わなかった。
ゼロは挑発するような嘲笑を浮かべて見せる。

「残念だが、そいつは無理だぜ。全部ロストしちまってる。テメエは骨折り損さ、鉄団子」

「親切にぃどうも。しかしぃ…鉄団子とは聞き捨てならんのぉ。……まあ、よい。丁度良く出会えたのも僥倖。おぬしにいい話を聞かせてやろ」

その提案が気になり、耳を貸す。無論、警戒は少しも緩めずに。

「どんな話だい?」

「おぬしぃ…。まろたちの軍門にぃ下らんかえ?」

予想だにしない提案に、ゼロは驚く。

「『ネオ・アルカディアに来い』…と?」

ガネシャリフは「いかにも」と満足気に体を揺らして、聞き苦しい笑い声を上げる。

「正直ぃなところぉ……おぬしぃのことはぁ噂程度にしか、まろたちも知らぬのよぉ」

百年前の伝説の英雄にして、救世主エックスの親友である――――そう言われる百年前のレプリロイドがこの地に眠っているという話は、一部の者達にしか知らされておらず、その詳細にいたっては、噂程度のレベルでしか話が流れていなかった。
実際、百年前のレプリロイドの話題など、誰が気にする必要があろうか。
科学技術が遥かに進歩したこの百年という時間の中で、とうの昔に“ロートル”と化したレプリロイド。たとえ、どれだけ優秀だったといえど、ネオ・アルカディアの軍勢の前では何の価値もないだろう。
だが彼は目覚め、たった一度の戦闘とはいえ、ネオ・アルカディアの兵隊をその手で蹴散らした。それも、たった一人で。
実力の底は知れぬが、全てを無視する理由もこれでなくなった。となれば、救世主エックスの親友として、ネオ・アルカディア側に招き入れるべきではないかという声が上がったのだ。その計画の一端として、彼の情報を収集すべくここに派遣されたのが、このガネシャリフだった。

「どうであろ? おそらくぅ……エックス様もぉおぬしの帰還を心待ちにしているとぉまろは思うがのぉ……」

救世主エックス――――シエルの話によれば、自分とともに肩を並べ戦場を駆け巡った無二の親友。
確かに、その話が真実であったならば、このレプリロイドの言うことは間違っていないだろう。

「『断る』…と言ったら?」

ガネシャリフは再度、いやらしい笑い声を上げながら答えた。

「まろが、おぬしぃの小綺麗な顔をぺちゃんこぉにつぶしてくれよ」

「ほーほーほーほー…」と、低い声でまた笑い出す。その声はゼロにとって不快以外のなにものでも無かった。

「実際、選ぶまででぇもないであろ? レジスタンスごとき、弱者の側ぁにおっても、おぬしに何の得があろ? 救世主がぁ為に――――いや、親友がぁ為に尽くすが最も得ぞ。どうであろ? まろたちの下にぃ来んかぁ?」

「確かに、そいつは素晴らしいお誘いだ」と、不敵な笑みを浮かべて返した。
ガネシャリフの言う事は、どれも間違ってはいない。今の自分は身の振り方が選べる。わざわざ苦労を背負い込むことなどない。
戦意の欠片もない誇大妄想家の集団と、圧倒的な武力をもった現代唯一国家の軍隊。
所属するならばどちらがいいか。どちらにつけば得をするか。そんなことは問われるまでもない。

「であろ?」

満足気にいやらしく笑うガネシャリフ。だが、それを見た瞬間、ゼロは「けどな」と、敵意を剥き出しに睨みつけ、声を張り上げる。


「損得勘定で動くんなら、ハナっから“英雄”なんて言う損な役回りを引き受けやしないんだよ」


予想だにしない返事に、ガネシャリフは怪訝な表情で睨む。

「つぅまぁりぃ…。断ると…?」

「当然だぜ、鉄団子。救世主だとか名乗るお山の大将なんぞの下に誰がつくか」

ゼロの言葉に、ガネシャリフは「なんと」と憤慨したように声を荒げて言葉を返す。

「まろのみならず、エックス様の事まで侮辱するとぉは…‥。まろもそぉろそろ我慢の限界であるがぁ…覚悟ぉはできているのかえ?」

だが、ゼロは少しも臆すこと無く、「それはコッチのセリフだ、長っ鼻」と挑発的な態度で吐き捨てる。

「胸くそ悪い喋り方しやがって。だいたいなんなんだ? 『まる』『まる』『まる』『まる』……‥‥――――テメエの体型がそんなに気になるってんなら、もうちょいスリムに改造してもらって来いってんだよ、糞玉野郎」

「ふーふーふーふーふー…。口も耳ぃも悪い男よ…」

ついに堪忍袋の緒は盛大に音を立てて、切れた。

「どぉおやら本気ぃで潰されたいみたいよのう…金髪小僧ぅおぉおぉぉおおぉおぉぉぉ!!!!」

繰り出されたのは強烈な張り手。唐突すぎてゼロは避けきれない。――――いや、避けなかった。
「バンッ」と大きな音を立て、一気に弾き飛ばされ、壁にぶち当たる。
しかし、受けることを想定とした防御の体勢と、なにより彼専用のコートがダメージを軽減した。コートの性能を試してみたのだ。

「……なかなかの…もんだな…」

敵の張り手も、自分のコートも。確かに並のレプリロイドなら粉々に砕けていただろう。
「ゲホッ」と一つ咳払い。しかし、当然ながら休む隙を与えてはくれない。目の前にはすでに“鉄球”が迫っている。

「ちぃっ!!」

予想よりも、攻撃の展開が速い。かろうじて避ける――――が、避けきれず、高速に回転する表面にかすって弾かれる。
ゴーレムの腕にやられた時よりも、さらに大きく飛ばされる。

「ぐぁっ!」

地面にそのまま落ちるが、痛みほど体にダメージはきていない。

――――こいつは、スゴい…な。

コートの性能に感心。
ガネシャリフの戦闘力は間違いなくゴーレムよりも高いが、生身でゴーレムとやり合った時よりも幾分気が楽に感じる。
しかしそうこうしている内に、鉄球はまたも潰そうとゼロに迫る。

「ええい! うざったいんだよぉ!」

両手を前に構え、敵を力づくで抑える。
しかし、その回転は留まること無く、迫りくる球体は山のように重い。踏ん張る足はずるずると後ろに圧されてゆく。

「こんのぉ……」

瓦礫に踵が当たり、それ以上後ろに下がらなくなる。しかし、ガネシャリフの体はじわじわとゼロの上体を仰け反らせてゆく。
このままでは押し倒され、そのまま潰されてしまうだろう。だが、この程度のことで諦めるつもりはない。

「っでぇえい!」

声を張り上げるとともに全力で一気に押し返す。わずかに敵を後退させ、体勢を直す。
そして横に素早く跳び退く。球はそのまま、瓦礫の角に当たり、真上に上がって、再びガネシャリフの姿に戻る。
着地するとともに、部屋が揺れる。ゼロは受け身をとって即座に起き上がる。その重量から、ヤツが直ぐに動き出すことは不可能。すなわち反撃の刻。
ゼロは左腕からゼットセイバーを引き抜いた。

「綺麗に掻っ捌いてやるよ!」

そう意気込み、素早く横一文字に斬りつける。――――しかし、その体は伊達ではなかった。

「セイバーが弾かれた!?」

確かにセイバーを振り切った。だが、ガネシャリフのボディの表面に触れた瞬間、粒子が霧散し、光の刃は形を崩し、敵の体を切り裂くことは適わなかった。

「ほーほーほーほーほー……」

再び轟く不愉快な笑い声。

「まろは“歩くデータサーバー”として、超高性能かつ超精密なコンピューターを内蔵しているのでぇおじゃる。そぉしてぇ、まろの体はそれを守るためにぃ、超重装甲でありながら、超上質の耐ビームコーティングが施されているのでぇおじゃる。つぅまぁりは、おぬしの貧弱なビームサーベルなぞ、痛くぅも痒くぅもないのでぇおじゃる」

なるほど確かに焦げ目すらついていない。
ゼロのゼットセイバーも並大抵のビームサーベルとは比べ物にならない出力を誇っているが、それすらも弾いてしまうガネシャリフのボディはまさに鉄壁といえるだろう。

「……ご高説ありがとうよ、“歩く鉄塊”様」

焦りを見せるわけにはいかない。ゼロは挑発的な態度を変えない。しかし、ガネシャリフは既に勝者の余裕を表情に表していた。

「ふーふーふーふーふー…。口の悪い小僧はぁ、しぃかぁとぉお仕置きせんとなあ……――――……なあぁ!」

高速で繰り出す張り手の連撃。その図体からは想像もつかないほどの勢いと速さ。
唯一自慢の愛刀を封じられたゼロは、防戦一方。手も足も出せない。

「なぁにぃを企んでぇもぉ…。無駄! 無駄!! 無駄ぁ!!」

トドメとも言える、ガネシャリフ全力の張り手をくらったゼロは、またも大きく弾き飛ばされ、壁に叩きつけられた。
先ほどよりも遥かに強い力だったため、体がめり込む。「ゲホッ」と咳をすると共に、そのまま地にずり落ちる。
ガネシャリフは満足げな笑い声をあげた。

「“伝説の英雄”がぁ! “紅の破壊神”がぁ! 聞いて呆れるわぁ!」

耳障りな高笑いはどんな雑言よりも、ゼロに屈辱を与える。
そこまでのレベルの差があるとも思えない。甘く見たつもりもない。――――では、勝負を分けたのは何だ?

――――いや……まだだ……

この程度で諦められるわけがない。ゼロはそう自分に言い聞かせ、痛む身体を押さえながら、何とか立ち上がろうとする。
だが、身体に力が入らない。ガネシャリフの攻撃を受けすぎた。既に身体中の駆動系が、神経系が、悲鳴を上げている。
ブランク。百年間の眠りと、技術の進歩の差。――――原因はいくらでも浮かぶ。それらすべてが言い訳のように思えて、ゼロはただ奥歯を噛み締める。
団員たちの前で啖呵を切ったものの、自分はこの程度の実力だったというのか。

「しかし分からん。まろにぃは分からんのぉ」

不意にガネシャリフはそう呟き、無い首を傾げる。

「こんな貧弱ぅなレプリロイドを“英雄”などと祀り上げる者どもぉももちろんじゃがぁ……」

「…何が…言いたい?」

侮辱と取れる言葉を平然と口にしたのも勿論だが、まるで勿体ぶるように先を言わないガネシャリフに、苛立が高まる。そんなゼロを「フフン」と嘲笑う。

「まろにぃは理解できんのでぇおじゃるぅ」

ネオ・アルカディアの救世主の親友ともなれば、それなりの待遇をもって迎え入れられるのは容易に想像がつく。それはネオ・アルカディア側の者たちだけでなく、当の本人自身も気づいていておかしくはない道理だ。
だがそういう選択肢を与えたというのに、それでもこの英雄はネオ・アルカディアに楯突く道を選んだ。途方もない困難な戦いの道を選んだのだ。
人間よりも合理的に物事を判断できるハズのレプリロイドが、なんの迷いも無く非合理的な選択をした。

「おぬしぃの思考は理解し難いものよ。――――英雄とは名ばかりの、愚か者ぉとしか思えんわぁ」

「当たり前だ……。達磨如きに…“英雄様”の思考がそうそう理解できる訳ないだろう…」

そう言いながらも、ゼロにもガネシャリフの言葉を完全に否定することが出来なかった。己の選んだ道が、決して正しいとは言い切れなかったのだ。
それは戦力的なものに限ったことだけが理由ではない。

ゼロはホールで見た集団を思い出す。望まずとも、英雄に対する期待を背負う事は避けられない。この先、自分たちの力量すら見抜けない弱者たちの為に、圧倒的強者に立ち向かわなければならない。
おそらく、自分を英雄として迎える彼らに、戦いに赴く彼の心情を理解されることはないだろう。

「……エックス」

親友と言われた彼の名を、静かに呟く。記憶を取り出すことは出来ないが、その名は彼にとってどこか温もりのようなものを含んでいた。

そしてその名と共に、継ぎ接ぎだらけの映像が脳裏に浮かぶ。
荒れ果てた街。幾体ものイレギュラーの残骸。同胞たちの亡骸の中、背中を合わせるもう一人の男。
顔だけはぼんやりと靄がかかって見えなかったが、そこには確かに背中を預けた相手がいた。

彼にとって一番の理解者。戦友にして親友。

そんな彼の元に行けば、失われた記憶のピース達を取り戻すことはできるだろう。そして、今己が求めるものは全て手に入るのではないだろうか。

――――…なのに何故……

俺はその道を選ばない?
先程、なんの迷いも無くガネシャリフの提案を断ったのは、間違いなく嘘偽り無い答えだった。けれど何故だ?

――――何故俺は……

迷うこと無くかつての友に、何よりも必要としている存在に剣を向けるというのか?
目を閉じ、暗闇の内に問いかけた。










親友の背中を遮るように、少女の震える肩が瞼に映る。








「小娘……」

呟いた瞬間、思わず「ハハ」と笑いが漏れた。
状況に似つかわしくないその声に、ガネシャリフはまたも無い首を傾げる。

「気でも触れたかえ?」

「バーカ。……そんなんじゃないよ」

そう否定しながら、足に力を入れる。話をしている間に少しだけ回復したエネルギーで立ち上がり、ゼットセイバーの切っ先をガネシャリフに向ける。
圧倒的に不利なこの状況。だが、それでもゼロは不敵な笑みを浮かべた。

「俺は許せない者を許さない。護りたい物を護り、救いたいモノを救う。――――どうしようも無くワガママなのさ」

そして、より一層声を張り上げる。部屋中に己の意志を響かせるように。遠くにいる、“あいつ”に届くように――――……‥‥



「幼気な少女一人泣かせてなんとも思わない下衆どもの仲間にも! その大将の親友なんてのも! こっちから願い下げなんだよぉ!」



幼稚すぎる回答に、ガネシャリフは堪えきれずに笑い出した。

「そぉれぇがおぬしの答えかえぇ?」

だが、ゼロの言葉は真剣そのものであった。

「残念ながらそういうことだ。……どうだい? テメエの低能なコンピューターにも理解できる至極合理的な話だろう? 鉄団子!!」

そんな幾度目かの挑発的発言を聞いた瞬間、笑いがピタリと止む。同時に、ガネシャリフは鬼の形相でゼロを睨みつける。

「ふーふーふーふーふー…。またも侮辱しおったなぁ……小僧…」

どんなに威勢がよくても戦況は変わらない。立ち上がることはできたかもしれないが、まともな戦闘ができるような状態でないことは分かっている。
だと言うのに、目の前の旧式レプリロイドの瞳は己の勝利を信じ、疑っていない。そしてその余裕すら感じさせる舐め切った態度が、ガネシャリフの怒りを再び爆発させた。

「その高慢な鼻っ面!今度こそぶっ潰してくれるわぁあぁぁあぁあぁぁぁあぁぁぁぁ!!!!!!」

球体へと変形し、押しつぶそうと転がり始める。文字通りの豪速球――――その速度には容赦など微塵も無い。
対するゼロの後ろは壁。体は立ち上がるのがやっとの状態。握りしめたセイバーの柄も、うまく振り切ることすら危うい。そのセイバー自体も、敵の体には弾かれてしまうのだ。打つ手など何処にもない。ある筈がない。
しかし、彼の目は勝機を見失っていなかった。
加速する鉄球。ゼットセイバーを残る力いっぱいで握りしめ、構えるゼロ。

『私は戦うと決めた。私なりの方法で』

脳裏に響く少女の言葉。
正直なところ、どうしてあの少女をここまで強く護りたいと思うのか、未だ自分自身にすら明確では無かった。

だが、先日の戦い。少女はミランと呼ばれた仲間の手を握り、約束を交わした。
未来を作る約束を。悲しみに胸を焦がしながら。大粒の涙を零しながら。
決して容易ではない道を進むことを誓ったのだ。たった十四歳という幼さで。仲間の遺志を無駄にはしないと、強い意志を掲げて歩んでいるのだ。
そして、そんな彼女の姿を見て、確かに思った。




――――お前がその道を行くと言うのなら



    茨の道を選び、歩んでゆくと言うのなら




突如として右腕に強大なエネルギーが高速で蓄積されてゆく。
何処に隠していたのかと驚くほどの驚異的なエネルギー量に「マズイ」と直感したガネシャリフだったが、加速のついた鉄球は容易に止まれはしなかった。
蓄積されたエネルギーが雷に変わってゆく。バチバチと音を立て、激しく輝く。


――――どこまでも単純な想いだけれど




    自分でも、笑いたくなるほど幼稚な想いだけれど






「貫き通してやるよぉ!」










   この剣に望みを懸けた





   その震える肩に





   応えたい












雷神、一閃――――……‥‥

「‥‥……ぎぃやぁあぁああぁぁあぁぁぁぁぁあぁあああぁぁあぁあぁぁぁあぁぁぁぁぁぁあぁあぁぁぁあぁぁぁぁぁぁあぁあぁぁぁあぁぁぁぁっ!!!!!!!!」

ガネシャリフのボディを、雷を纏った光の刃はゼロの咆哮と共に、一直線にガネシャリフの身体を貫いた。

「まぁあろぉおのぉぉおそぉおおうぅぅこぉおううぅがぁあぁああ!!!!!!」

稲妻が体中を駆け巡る。

「まぁあろぉおのぉぉおコぉおンんんんピュぅうタぁああがぁあぁああ!!!!!!」

回路はことごとく焼き切れてゆく。

「あぁあぁりぃいえぇえぇぇなぁあぁああいいぃい!!!!!!」

断末魔の叫びを上げるガネシャリフに、ゼロは「当然さ」と言い放つ。

「有り得ないことを起こすのが英雄ってもんだ! テメエご自慢のコンピューターに叩き込んどけ! インテリ鉄団子!」


「ぁぁあぁあぁぁぁあぁぁぁぁぁぁあぁあぁぁぁあぁぁぁぁぁぁあぁあぁぁぁあぁぁぁぁぁぁあぁあぁぁぁあぁぁぁぁぁぁあぁあぁぁぁあぁぁぁぁぁぁあぁあぁぁぁあぁぁぁぁ………っっっ!!!!!!!!」







命尽きた鉄塊は、そのまま転げ落ちた。感電し、体中が焼け焦げ、ピクリとも動かない。
光の剣を左腕に仕舞う。そして、呆気無く崩壊した鉄の塊に、紅の英雄は吐き捨てた。


「……焼き団子、一丁あがりだ」









  ――――  4  ――――


遺跡から出ると、入る前に傾き始めていた陽はすっかり姿を隠し、あたりはうっすらと紫色の空に包まれ、暗くなっていた。
作動させておいた時限装置により、ゼロは遺跡の内部を爆破した。万が一、自分のデータが残っていた場合、それをネオ・アルカディアに利用されたくはなかったのだ。
しかし、そのおかげで、彼は本当の意味で、過去とのつながりを全て失ってしまった。脆くも崩れ去ってゆく遺跡を眺め、その呆気なさに思わず苦笑した。

ミランの遺骸を回収しようかどうかは最後まで悩んだ。
だがそれを持ち運んだところで、何がどうなるというのか。ついにその答えを得ることが出来ず、回収することはできなかった。
もしかしたら、それを運んだことで少しは救われるものもあったのかもしれない。跡形もなくなってからそう思いついたが、時既に遅かった。

ふと、夜空を見上げる。




『レプリロイドは死んだらどこにいくんだろうね…』




微かに見え隠れする記憶の断片から、ようやく思い出した一つの言葉。
昔、そんなことを“あいつ”は言っていた。――――あの時よりも、辺りはずいぶんと暗いけれど。

「…エックス……」

再び“あいつ”の名を口にする。

友としての情は捨てたつもりだ。もう道は違えた。決別した。
ガネシャリフに放った言葉こそが今の本心だ。たとえ“あいつ”が手招きしようとも、あの少女を見捨てることなど絶対にできない。
弱者が挫かれ、強者が全てを握り、悲しみと傷みを容易に許容してしまうこんな世界を“理想郷”と名付け、その頂点に居座り続ける男を“親友”などと認めることはできない。

けれど戦いが終わり、再び思い返してみればその名はやはり、口にした彼に懐かしさと安らぎを感じさせるのだ。
なんと女々しいことだろう。これには苦笑すら出てこない。


“あいつ”と自分。共に戦った、親友。
背中を預け合った、共に支え合った、かけがえのない真の友。――――そうだったかもしれない、かつては。
けれど――――……‥‥

「……違う」

違うだろ。俺たちは。そんなヤワな繋がりじゃない。
“親友”だとか、“戦友”だとか。“ライバル”だとか、“パートナー”だとか……‥‥
そんな簡単な括りで説明できるような二人ではなかった。


「――――そのはずだ」




だからこそ、捨て切ることなど出来ないのだ。






停めていたライドチェイサーに跨り、ハンドルを握る。
そして、顔も声も忘れた“あいつ”の背中に、決して届く事のないであろう問いを、一言だけ静かに呟く。




「…なあ、そうだろう?」




ライドチェイサーの走行音が、暗闇の砂漠に虚しく溶けて行った。













  ―――― * * * ――――


「正気か、エルピス…?」

作戦の概要を聞いたセルヴォが、おそるおそる尋ねる。

「ええ、もちろんですよ。まあ、少々危険な任務ではありますが…」

あくまでも爽やかな笑顔で、エルピスは答える。

「英雄たる彼の力ならば問題ないでしょう」

「推定生還率はたったの15パーセント…ですよ」

金髪の女性オペレーター――――ジョーヌも、その作戦には反対のようだった。

「シュミレーションの数値は、確かに私たちの想定でしか無いですけど…。いくらなんでも一人でなんてとても…」

しかし、エルピスはそれを鼻で笑い一蹴する。そして「彼が言ったのですよ?」とまるで何でもないような顔で言い切ってしまう。
だが、確かにエルピスの言う通り、彼は自ら口にした。たった一人で戦うと。たった一人でネオ・アルカディアを潰すと。――――確かにそう言ったのだ。

「その発言が嘘ではないと証明するためにも、この作戦は必要なのです。――――詰まるところ、これは“テスト”なのですよ。彼が本当に伝説の英雄と呼ばれるだけの力を持っているのか。ただの“狼少年”ではないかどうかの、ね」

「テスト」――――そうはっきり言い切るエルピスに、セルヴォは少し戸惑った。
大事な仲間の命が懸かったこの作戦を、このリーダーは軽々とそう言ってのけたのだ。
ここにシエルがいたら、どんな顔をしただろう。そんな彼の心配を余所に、エルピスはミーティングルームにいる団員たちに再び、声高らかに作戦を告げる。

「目標はポイントB-38S。マークチームの救援です。ゼロさんには帰還後、直ちに向かっていただきましょう」



ポイントB-38S――――そこはネオ・アルカディア四軍団の一つ、塵炎軍団が勢力圏の真っ只中である。













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      包囲戦線















[34283] 3rd STAGE 「包囲戦線」
Name: 村岡凡斎◆45ff140f ID:697d6d9c
Date: 2013/11/25 19:59



  ――――  1  ――――



「…俺のことは…棄てて行ってくれ」

トムスが肩越しに弱音を吐く。
敵のレーザーに被弾した彼の脚部は、今や片方しかなく、コルボーが肩を貸してくれていなければ自力で立つこともできない状態だった。
しかしコルボーの体はトムスに比べ一回りも小さく、レプリロイドとは言え、重荷となっていることは明らかだった。
だが、それでもコルボーはトムスの肩を支えて歩き続けた。――――たとえ自らの命と引き換えにしても、仲間を捨てることなどどうしてもできなかったのだ。

体に疲労が溜まっているのは明らか。足元はふらつき、今にも倒れ込んでしまいそうであった。が、それでも気力だけで彼は――――いや、彼らは歩き続けていた。


ネオ・アルカディア四軍団の一つ、塵炎軍団の前線部隊にゲリラ戦を仕掛けるべく派遣された彼らは、僅かな連携ミスのせいで敵と正面からぶつかり合ってしまい、そして今ようやく追撃を振り切り帰路に着いたところだった。
とは言うものの、当初六十名程度いたメンバーも今では半数以下に減ってしまい、残った者達もほとんどが負傷していた。

しばらく歩き続けた後、手頃な岩場で休息をとることにした。隠れるように身を寄せ合い、腰を落とし、息を落ち着ける。

「…増援は来ないのでしょうか…?」

ふと、メンバーの一人が弱々しく問いかける。しかし皆、口を噤み、誰一人として答えようとしない。――――いや、答えるまでもないと分かっていたのだ。問いかけた本人までも。

増援は来ない。既にこの部隊は切り捨てられた。
当然だ。それも理解している。

「白の団」が行うのは、ゲリラ戦と言えどいつだって捨て身覚悟の博打に他ならない。元から天地程にかけ離れている戦力差。それを埋めるのは容易いことではないのだ。
もちろん、負け戦ばかりかと言えばそうではない。実際、マークが率いるこのチームも、既に幾つかのミッションを成功させてきた。
だが、どんなに優秀なチームでも、幕切れはいつだって呆気ないものだ。ほんのちょっとしたミスから、チームは一気に崩壊へと加速した。

そして、そんなチームにわざわざ救援を送るものはいない。

下手を打ったチームは速やかに切り捨てる。そんな一見冷酷にも見える方法こそが、「白の団」が今日まで体制を保ってきた秘訣でもあった。
敵の追撃を受けたチームを救援することはつまり、殆どの場合、敵部隊とほぼ真っ正面から対峙することを意味する。そんな無謀な戦いを、本来は非戦闘型であり、その上、戦闘のイロハも知らない素人である彼らがどうして行うことができようか。

それを理解しているからこそ誰も答えず、けれどそれが分かっていて尚、少しでも希望がほしいという気持ちがあるから、問いかけた。ただそれだけのことだった。


しばらくの重い沈黙の後、また別のメンバーが苦笑まじりに口を開く。

「…あの“英雄さん”は来てくれたりしないんでしょうかね」

その皮肉めいた発言に、ある者は同じく苦笑をこぼし、またある者は憤りの色を浮かべた。

『あの英雄さん』とは、作戦前、進行中に特別回線を通じて流された「演説」の中心人物を指していた。流れる金髪をなびかせる「伝説の英雄」。――――しかし、その口から発せられたのは、およそ英雄と呼べるには程遠い、傲慢で下衆な言葉だった。

「『たった一人でネオ・アルカディアを潰す』なんて言ってやがったが、どうだかな…」

嘲笑とともに、誰かが言う。そしてまた誰かが「やれるもんならやってみろ」と吐き捨てるように呟く。
今だからこそ身に染みて分かる。ネオ・アルカディアは強固にして強大だ。
とても正面から立ち向かってどうにかなる相手では無い。が、策を弄したとしても、五分に持ってゆけるとは到底思えない。
そう、今だから分かる――――

「………………」


それ以上、誰も“英雄”をなじることは出来なかった。
自分たちもまた、数時間前まではネオ・アルカディアと言う存在を有り得ないほどに軽視していたのだと、思い知ってしまったから。
この状況に陥るまで、彼らは信じていた。
どれほど脆弱であろうと、結束し、協力しあえば、レジスタンス側はネオ・アルカディアと五分に渡りあえると。いつか勝利を掴むことができると。レプリロイドの自由と権利を勝ち取る日が必ずや訪れるのだと。一寸の疑いもせずに信じていた。

そしてそれが全て間違いであったのだと、現実に打ちのめされた。
信じ続けたそれは、どこまでも激しく愚かな妄想だった。――――そんな妄想を声高らかに叫んでいた自分たちが、あの“英雄”の大言壮語をなじることがどうしてできようか。





そして皆、それまでの思考を全て中断し、即座に息を潜めた。

風とともに、どこからともなく冷徹な機械音が聞こえたからだ。
「ガシャリ、ガシャリ…」とゆったりとしたリズムで刻まれる独特の歩行音は、間違いなくパンテオンのそれである。

――――数は五……いや、十機…か…?

おそらく先程振り切った部隊の一部だろう。散開し、残党の捜索をしているらしく、足並みは揃っているとは言えない。
しかしやがて、それらの歩行音はひとつの場所に狙いを定め、直進し始める。如何にも“何者かが隠れていそうな”岩場を見つけたのだ。――――そう、マークチームが息を潜め身を隠している岩場を。

近づく足音。高まる緊張。迫り来る恐怖。
「ザッ…ザッ…」と砂を踏み締める音が、敵が直ぐそこにいる事を知らせる。

――――どうする…!? どうすればいい!?

リーダーであるマークも、この状況では普段の冷静な思考を発揮できずにいた。ただひたすら絶望の中、有りもしない希望を求め悶え続けるだけ。
負傷者ばかりのこの状況で、パンテオン達とまともにやり合えるわけがない。たった十機。されど十機。彼らの力では、結末が目に見えている。だがこのままここに隠れ続けて、やり過ごすことができるだろうか?打って出てみるべきではないだろうか?――――いや、このままやり過ごせるのではないか?
無駄に犠牲を払うよりも、おとなしく隠れ続けた方が生存率は上げられるのではないか?
マークの思考が堂々巡りを続けているうちにとうとう一機のパンテオンが、マーク達が身を隠している岩に手をかけた。その瞬間――――……‥‥

「うぁああぁぁあぁぁぁああぁぁ…っ!!」

「…っ!?……コルボー!!」

大声で叫びながら、コルボーは傍らにあったエネルギー銃を手に、岩場から飛び出し、パンテオンの側面に回った。
岩に手をかけたパンテオンの頭部に銃口を向け、引き金を引く。フルオートの銃から撃ち出された無数の光弾により、パンテオンの頭部は破片と擬似体液を撒き散らしながら数秒と経たず粉々に吹き飛ばされた。
そのまま崩れ落ちたパンテオンのボディ。コルボーは肩で息を切らしながら見つめる。

――――なんとか…一機……

しかし、そんな小さな勝利の余韻に浸る間などあるはずも無い。

「コルボー! 戻れ!! 早く!!」

既に他のパンテオン達がコルボーに狙いを定め、バスターの銃口を淡い光と共に向けていた。チャージショットの一斉射撃により、一度で仕留めるつもりらしい。咄嗟に状況を理解したコルボーだったが、それはあまりにも遅すぎた。

「うぁ……ああぁ……」

死への恐怖で顔が歪む。そしてまた、二度と戻れないであろう場所、会えないであろう仲間達に思いを馳せ、悲痛な声を漏らす。
だが、冷徹な兵隊達はそんなことを微塵足りとも気にかけず、ただ与えられた任務を遂げようとする。

「い…嫌だぁぁぁぁぁぁっ!!」

拒絶の叫びも虚しく、審判は冷酷に下された。




  視界を遮る鮮烈な光。

  飛び散る擬似体液。

  諸々の破片――――






――――だが、それらはコルボーの物では無かった。

「…………あ…れ……?」

自分の体はなんとも無い。意識はあるし、思考もできている。強いて挙げるならば、尻餅をついた時の痛みが僅かに響いているくらいだ。
咄嗟に眼前を覆った両腕を、恐る恐る下ろしてみる。するとそこには信じ難い光景が広がっていた。

辺りに転がるはパンテオンの残がい。首と胴を離されたもの。腰で上下を分かたれたもの。頭のてっぺんから股間までを見事に両断されたもの。――――そして最後の二機がちょうど今、鮮烈な光を放つ剣により目の前で瞬時に切り裂かれる。突如として現れた謎の男の剣によって。
その剣の軌跡は芸術と形容しても差し支えないほどに美しく、その場にいた者たちは彼の剣技にひたすら見とれてしまった。

圧倒的な戦闘――――というより殺戮に一段落ついた後、コルボーも、身を隠していたマーク達も皆、その場に現れた男に視線を集中させる。

「………あれは…」

そこに立っていたのは長髪の男。紅いコートに流れる金髪。

「…やれやれ……っと――――」

パンテオン達の残がいの中、ため息混じりに呟く。そしてこちらを振り返り、爽やかに問いかけてくる。

「――――無事か坊主?」

たった今、一人で十機ものパンテオンを、しかもほんの一瞬にして薙ぎ払ったとは決して思えないほど軽い調子で尋ねてくる。

「そっちに隠れているので全員か? …思っていた以上に残っているな」

皆、その男に見覚えがあった。彼こそ正しく、特別回線を通じ、一度だけ映像で見た――――「白の団」メンバー全員に暴言を吐き、このチーム内でも話題に上がった例の男。

「あなたは……」

思わず声に出したコルボーに男はまたも軽い調子で、得意げに答える。

「『伝説の英雄』様さ。……助けに来てやったぜ、坊主」

人呼んで「紅の破壊神」――――「ゼロ」。現れたのはその男で間違いなかった。








 3rd STAGE






      包囲戦線





















  ――――  出撃二時間前  ――――


「……道を開けてくれないか…?」

とうとう堪えきれず呼びかけたゼロだったが、目の前の男たちは聞き入れる素振りを見せようとしない。それどころか、ただ険しい表情で睨みつけてくるだけである。

――――…どうしたもんかな……

ため息と共に髪をかきあげる。
半分は自分でけしかけたようなものだが、このような反応が返ってくると少々呆れてしまう。





夜明け頃、遺跡から帰ってきたゼロを出迎えたのは、当然のことながら温かい眼差しではなかった。
前日の演説での宣言は、白の団に属するほぼ全てのメンバーが耳にしており、皆一様に憤りや怒りを感じていた。
そしてもちろん、ライドチェイサーの格納庫を取り仕切っている整備班のメンバーも例外ではなかった。彼らはゼロが帰ってくると、自分たちの憤慨を思い知らせるべく、直ぐ様周りを取り囲んだ。
無言のまま睨みつける整備員達。その眼差しはどれも、一方的な侮辱への謝罪を要求していた。

「……道を開けてくれ」

もう一度、わずかに苛立の色を含めて要求する。しかし、誰も答えようとしない。ゼロの口から望みどおりの言葉が出るまでこの状況を継続するつもりらしい。
自分に非があることは認めよう。何かしらの意図はあったにせよ、あれだけの侮辱をしておいて見逃してもらおうと言うつもりはない。怒るなら怒ればいいし、罵りたければ好きなだけすればいい。そういった反応の殆どを受け止めるつもりでいたのだから。
だがそれも、レジスタンス活動に対する信念故と理解できる範囲であればの話だ。

――――こんなことに時間を潰す暇があるってのか?

名誉を傷つけられたことに対し怒っているのだとしても、真に目指すべき大望があるのならば、それに少しでも差し障るような行動をとるべきではないだろう。彼らが立ち向かおうとしているのは、今や世界の中心となっている強大な国家のハズだ。嘘か真かも分からない英雄一人の戯言に付き合う時間も惜しむべきではないのか。
自分の言動のすべてを肯定できるつもりはないが、彼らの行動もまた、容易に認めてはいけないものだと感じた。だからこそゼロは、ただ道を開けるよう要求するだけだった。
もっとも、そうした思案の結果がこのような一触即発の状態を招いてしまったわけだが。

「……仕事を一つ片付けてきたんで、ゆっくり休ませてほしいんだが?」

再三の要求を無視し、整備員達は睨み続ける。しかしそろそろ耐え続けるのも限界だ。

――――このまま突っ切ってくれようか…

ゼロ自身、実際のところあまり気の長い方ではない。そのことについては本人にも多少の自覚はある。
このまま時間を潰していても仕方がない。ならば前進あるのみ。
たとえそれがどれだけ周りとの間の溝を深める行為になろうとも、自らにとってもっとも必要な事は急な戦闘に備えた十分な休息であり、それに向かって迅速に行動するべきだと判断した。

ライドチェイサーのハンドルに手をかける。それを目にした整備員達は、一戦やり合うつもりらしく、臆す事なく身構える。と、その瞬間――――


「なぁにをやっとるかぁっ!!」


場の緊張を一気に引き裂くように、怒号が飛ぶ。突然のことに、ゼロも、整備員達も身を震え上がらせる。
皆、恐る恐る声の方に目をやると、そこには豊かな口髭が目立つ、作業着を着た一人の老人型レプリロイドが立っていた。

「バカなことに時間を裂く暇があるなら、マシンの調整をしっかり仕上げんか!」

「待ってくれよ、ドワさん! 俺達はコイツを……」

整備員の一人が老人レプリロイドに訴えようとするが、それを全て言い切らないうちに、またも怒号に遮られる。

「ワシの言うことが聞けんのならそう言え! それなら構わん! まともに仕事ができんヤツはこの場から立ち去れ!!」

そう一喝されると、ゼロを取り囲んでいた整備員達は渋々その場から退き、それぞれの持場へと戻っていった。
一人取り残されたまま呆気にとられているゼロの元へ、老人レプリロイドが何事もなかったかのように近づいてきた。

「さて。ゼロ君と言ったかな?」

「ああ、そうだ。そう言うあんたは……『ドワ』…って呼ばれてたかな」

「如何にも、ワシがここの荒くれ者共をまとめている、班長のドワだ」

ドワは誇らしげに胸を叩く。

「ささ。挨拶も済ませたことだし、そろそろそいつから降りてくれないかね? 君同様、彼もお疲れだと思うからね」

「『彼』…?」

ドワの指差す方を見て、「ああ、こいつのことか」と呟き、腰をどける。

「ライドチェイサーと言えど整備を怠ってしまえば、どんな障害が起こるかも分からんからね。長く使いたいならそれなりに面倒を見てやる必要があるのさ」

ドワはそう言うとライドチェイサーを押して格納庫の奥に向かって歩き出した。と、呆然と突立ているゼロに向かって「君も来たまえ」と付いて来るように促した。





工具箱を開け、いくつかの工具を取り出すと、ドワはライドチェイサーの各部の点検を始めた。ゼロは壁に寄りかかり、その鮮やかな仕事ぶりを見物する。

「ここにあるマシンは、どれもワシらが管理することになっていてな」

徐ろにドワが語りかけてくる。

「突然、一台でも姿を消せば、そのことが気になっておちおちゆっくり眠りもできん」

苦笑交じりに冗談めかしてはいるが、何を言おうとしているのかすぐに分かった。

「…すまない、勝手に使わせてもらっていた。……足が必要になってな」

「まあ、マシンは使われるためにあるからのう。――――とは言うものの、これからは一言くらい声をかけてくれたまえよ」

そう言って快活に笑う。先程までの厳しそうなイメージとは打って変わって、言葉の端々からは親しみを感じられる。

「さっきはすまなかったね」

一転して出された謝罪の言葉に、ゼロは反応するまで少しかかった。

「ここには基地の中でも、ちょいと血の気の多い連中が集まっておってな。あんなやり方しか思いつかんかったのだろう」

先程の部下達の行動について、謝罪しているらしい。だが却ってその態度はゼロにとって疑問の種となり、そしてそれは直ぐに口を衝いて出た。

「…いいのか?」

「ん? なにがじゃ?」

作業を続けながらドワはゼロに問い返す。少し間をおいてから、ゼロは問い直した。

「あんたは……俺に対して何も思わないのか?」

怒りはしないのか?――――仲間を侮辱した、その当人を前にして、この老人レプリロイドは何故こんなにも平然としているのか。
ゼロにはそれが少し不気味に思えたのだ。だがドワは、少しぽかんとしたあと、またも快活に笑い出した。

「なにか、おかしかったか」

「いやいや、別にそういうわけではないがね」

尚も溢れそうな笑いを押し殺しながら、ドワは答える。

「つまり君は、ワシも彼らと同じように君を取り囲むものだと思っているのかな」

「…まあ……そういうことになるかな」

なんだかバツが悪い。ゼロは顔をそむける。

「そうさな。確かに、ワシにも君を怒る権利があるんだろうね。…だが、それはそれ。ワシに怒るつもりがなければ、その権利も使う必要がないわけだ」

「………」

「まあもちろん、君の言葉の全てを許せるわけではない。君は結局、ここに居る者達の想いの全てを理解しているわけではないし、それを知ろうとしているようにも見えない。だがね――――」

一通りライドチェイサーを弄り終えたドワは、立ち上がり、ゼロに向き直る。

「君の真意が何処にあるかは別にしても、“あの子”を無事にここまで連れ帰って来てくれたと言うだけで、ワシらは感謝こそすれ、怒ることはできんのだよ」

そう語ったドワの表情は、とても優しく温かいものだった。





「ゼロ! 帰っていたのか!」

そう声をあげながら、セルヴォが慌てた様子で駆け寄ってくる。と、ゼロの格好を見て、目を見開く。

「そのコートは……?」

「ん? ああ、これか」

遺跡で回収した真紅のコート。「紅の破壊神」の異名をとる伝説の英雄に相応しいそれを、ゼロは見事に着こなしていた。

「ちょっとした拾いもんさ。で、あんたは何をそんなに慌ててるんだい?」

「ああ、そうだった」と何かを思い出すと共に、ゼロの腕を掴み、強引に引っ張る。

「さあ、こっちへ来るんだ!」

「おいおい、なんだってんだ急に!?」

ゼロはセルヴォの腕を慌てて振り払う。慌ただしい状況に、ドワも心配そうに様子を伺う。

「メンテナンスだ! 百年も眠っていたボディにガタが来ていないか診させてもらうよ!」

「んな!? それこそ急すぎるぜ!! どこも悪いところなんか無いっての!」

「無くても診るんだ! 診ておくんだ!!」

「まあまあ落ち着け、セルヴォ。何をそんなに焦っているんだ? 君ほどの者がそこまで言うのは、何か理由があるのだろう? ゼロ君とてそれを話してくれれば、君の言う事を聞いてくれるだろうて」

とうとう痺れを切らしたドワが間に割って入る。なだめられたセルヴォは、一度息を落ち着け、理由を簡潔に話す。

「エルピスが君にこなしてもらう作戦を立案した。準備ができ次第、出撃してもらう」

「作戦?」

「そうだ。……敵陣に取り残されたメンバーの救出に向かってもらう。おそらく君一人でメカニロイドやパンテオン、ゴーレム併せて数十機以上とやり合うことになるだろう」

それを聞いたゼロは、それ以上何も言わず、ただ黙ってセルヴォの後について格納庫から出て行った。セルヴォの深刻な面持ちから、決して容易な作戦ではないと言うことが直ぐに理解できたのだ。
一人残されたドワは、小さなため息をつく。

「……無茶だけはせんでくれよ、ゼロ君。――――誰であろうと、何人だろうと、仲間に死なれるのは些か以上に応えるからの」

そう呟くと、そばに置かれたライドチェイサーのハンドルを寂しげに撫でた。







  ――――  2  ――――


「あな…たが………」

目の前に颯爽と現れた伝説の英雄に、コルボーはまともに対応できずにいた。
そんなコルボーに手を差し出し、ゼロは立つように促す。

「ほら、坊主。早く立ち上がれよ。――――もたもたしてる暇はないぜ。いつ敵の援軍が来るとも分からないからな」

「…だ…大丈夫です! 自分で立てます」

ようやく我に返ったコルボーは、差し出された手を払いのけ、慌てて立ち上がる。そして、目の前の男をジッと見つめる。

――――この人が……

二人は並んで、他のメンバーが隠れている岩場へと戻る。未だ呆気に取られている者たちを無視して、ゼロは簡単にあいさつを済ませる。

「司令官殿の命令を受け、救援に来たゼロだ。まあ、よろしく」

だが、誰からの返事も無い。皆、ゼロへの対応に戸惑っている様子だった。
無理も無い。先日の演説を見たというだけでなく、これだけ切迫した状況に送られてきた援軍が一人だけとあっては、冷静でいられるハズも無い。となれば、挨拶など呑気に交わしている心の余裕も無いのだろう。
そういった精神的な事情についてはゼロも覚悟していた。仕方あるまいと飲み込む。

――――とりあえずは俺が指示を出すべきか……

そう考えていると、一人の男が前に進み出てきた。

「このチームのリーダー、マークです。救援に来て頂き、心より感謝します」

「よろしく」と握手を求め、手を差し出してくる。
ゼロは正直、驚いた。この状況において、こんなにも落ち着いた物腰でいられる者がこの組織の中にいたとは。

――――…いや、違う……か

実際には、必死で自らを落ち着かせようと努めているのだと、ゼロはその瞳から読み取った。
なるほど、チームのリーダーを任されるだけあって、その責任感は大したものだ。チーム内の動揺をこれ以上大きく広げないために、気を張っているのだろう。――――こういった男をチームのリーダーに選び出すあたり、あのエルピスという男もそうそう無能ではないのだなと、少しだけ関心した。
マークの心意気に敬意を評し、ゼロは握手に答える。

「伝説の英雄様に、救援に来ていただけるとは光栄です」

「まあ、それほど大したもんじゃないけどな」

皮肉とも取れそうな言い回しではあったが、そういった類のものを感じさせないマークに、ゼロは少なからず好感を持てた。

「とりあえず、ここから離れるぞ。俺が先導する。ある程度動けるヤツらは後方に回って、負傷者達を挟むような形で動こう。何か異変があればすぐに報告――――そうすれば、高速で駆けつけてやる」

「了解しました。――――よし、それじゃあ皆。速やかに……‥‥」

「待ってくれよ、リーダー」

順調に運びつつある話を遮るように、メンバーの一人が声を上げる。その顔は明らかに不満の色を帯びていた。

「そいつの言いなりになっていいのかよ。そいつは…俺達を……」

そこで言葉を濁らせたが、はっきり口にせずとも、言いたいことは容易に想像が付く。「まあ、あってしかるべき反応だな」とゼロは心の中で呟く。
だが、内輪で揉めていられるほどの余裕がないことも確かであった。

「その話は後だ、ヘルマン。……今は一刻も早くこの場を離れよう。――――さあ、皆。俺達のホームへ帰るぞ。急いで動け」

マークの掛け声と共に、メンバーが一斉に動き出す。ある者は銃器を手に。ある者は傷ついた者に肩を貸し。不満も、戸惑いも決して無くなったわけではないが、リーダーであるマークの指示に従い、手早く支度を済ませる。ヘルマンも舌打ちをし、小声で文句を垂れてはいたが、マークの指示に従って動いている。――――マークのリーダーシップの高さを、ゼロは理解した。




旧世紀の遺産とも呼べる、砂に埋もれた廃墟群がたまに目の端に映るくらいで、他にこれといった物は見えてこない。一面、見渡すかぎりの荒地で、追手の気配すら感じられない。
まるで葬式の参列者のように、重々しい空気を漂わせ、ゼロ達の一行は重たい足を基地に向け動かしていた。
目の前を行く紅いコートの背中を睨みつけながら、それでも離されないよう、皆できるだけ急ぎ足で歩く。

「……コルボーよう、お前はどう思う?」

突然尋ねられ、コルボーは「何が?」と問い返す。

「あの英雄様だよ。……噂をしてたら本当に来やがったけど……」

そこで言葉を切るが、言いたいことはすぐに伝わった。

「…そりゃ、いい気分はしないよ」

多くの仲間達の犠牲の下、白の団は百年前の英雄を復活させた。しかし、その英雄は白の団のメンバー全員を役立たずと罵ったのだ。
そんな彼をここにいる誰ひとりとして、心から歓迎できはしなかった。

――――それは、マークさんだって同じはずだ……。けど…

確かにリーダーであるマークも、その不満を感じていないわけではない。だが彼は自分の「リーダー」としての立場をわきまえ、救援として死地へと送られてきた英雄を温かく迎え入れた。そして、その対応を見て、もちろん多少の小言を漏らす者もいたが、ほとんどの者は「自分も不満を抑えよう」と務めることにしたのだ。そうした気遣いの重なりから、チームはまともに機能し、行動することができた。

「マークさんが黙ってるうちは……俺達も我慢するしかないだろ……」

コルボーの横でトムスがそう呟くと、尋ねてきた者は顔をしかめ、口を噤んだ。
そうしたやりとりがチームのあちらこちらであったのか、ついに愚痴をこぼす者は一人もいなくなった。







  ――――  出撃一時間前  ――――


「ロシニョル、後は私がやるよ。ご苦労様」

セルヴォが労いの言葉をかけると、ロシニョルと呼ばれた女性レプリロイドはさっさと部屋から出ていった。
メンテナンスカプセルの制御用コンピューターを操作し、メディカルチェックと各部のケアを始める。

「この中身を覗かれてる感覚……気に入らないな」

カプセルの中に横たわったまま、ゼロは少し不快そうに顔を歪ませた。

「ほんの少しの辛抱だよ。……君には健康でいてもらわなきゃ困るからね」

苦笑混じりに返すセルヴォを見て、「…こいつもか……」とゼロは心の中で呟く。
先程話したドワもこのセルヴォという男も、決して心を許すべきでは無い相手の前で、何故こんなにも柔和で温かな空気を纏っていられるのだろう。

「さっきのジジイ同様、アンタもおかしなヤツだな」

「ん? ……というと?」

「先日のこと。忘れたワケじゃないだろう?」

セルヴォの態度を――――また、もちろんドワの態度も――――理解し切れずにいたゼロは、先程と同様の問いをセルヴォに向けて発した。

「あれだけ言ってやったってのに、他に思うことは無いのか?」

その言葉に反応し、作業をしていたセルヴォの手が止まる。そして、ゼロの方を見つめる。ほんの数秒。
それから、途中まで仕上がっていた作業を一気に終わらせると、カプセルの側の椅子に腰かけた。カプセルの方はと言うと、セルヴォの打ち込んだデータを元に、ゼロの体を解析し、ナノマシンを利用した修復作業を始めていた。

「『他に思うことは無いか』と聞かれれば、もちろん無いわけじゃない。私たちは“レプリロイド”。“考えるロボット”だからね」

他の団員やドワもそうであるように、セルヴォもまた、ゼロの発言を全て許すつもりは無い。仲間への侮辱には怒りを感じたし、その舐めきった態度には嫌気が差した。

「“それでも”だ。……あの子――――シエルが君を信じると言ったからには、私たちが信じないワケにはいかないんだよ」

「また同じようなことを言う……」

態度だけでなく質問への解答まで、まるで口裏を合わせたように、重なっていた。

「お前たちにとって、あの小娘は何だって言うんだ?」

確かに「レプリロイドのために」とたった十四歳の少女が、人間の中でただ一人立ち上がったことは、とても勇敢な決断だったと認めよう。
だが、やはりシエルは“少女”なのだ。どんなに崇高な理想を持っていようと、どんなに優秀な頭脳を持っていようと、シエル自身が認めるように、非力であることは変わらない。
それなのに、このセルヴォや先程のドワのような者たちにとっては、怒りや憤りの感情を抑え込み、寛容な心を持たせるだけの大きな存在として、その精神の中に根付いているらしい。

「あの小娘の何がお前たちをそうさせる?」

そう問われ、セルヴォは少し考え込む。だが、そう長くかからない内に、セルヴォは何か思いついたように言葉を返す。しかし、それは質問への解答ではなく、新たな質問であった。

「『システマ・シエル』の話は聞いたかい?」

「システマ・シエル」――――シエルがネオ・アルカディアとの交渉に利用しようと設計した「準無限エネルギー循環システム」のことだ。
ゼロは「ああ」と頷く。遺跡に向かう前、彼女の決意と共に知らされていた。

「それを交渉の道具として最大限に活用するために、お前たちは命を懸けて戦っている。そうだろ?」

「その通り。――――それじゃあ何故、あの子がそんな物を作ろうと考えたか…分かるかい?」

「それは、レプリロイドの権利を………」

答えかけて、口を噤んだ。
違う。レプリロイドの権利を獲得するための道具――――などと言う易い物ではない。この惑星の存亡を左右しかねない代物を作る理由が、ただそれだけであるハズが無いのだ。
危うく短絡的な解答をしてしまいかけた己を恥じる。
“レプリロイドの権利の獲得”を目的とするならば、例え「システマ・シエル」がどんなに有効な手段と成り得ようと、わざわざそんな大それた物を作る必要は無い。更に言えば、「システマ・シエル」には交渉が済んだ後も役目があり、それはレプリロイドのためだけのものとは決して言えない。――――ゼロは先日の会話を思い返す。

『本当は、誰にも傷ついて欲しくなんかない。白の団の仲間にも。ネオ・アルカディアの人達にも…』

そう言った少女の目指すもの。レプリロイドも人間も平等に慈しむ少女が掲げる理想。それは――――……‥‥


「シエルはね、未来を作ろうとしているんだよ」


セルヴォが聞かせた答えに、ゼロは思わず「未来……?」と聞き返す。するとセルヴォは「そうさ」としっかりと頷いた。
セルヴォが今口にした“未来”――――それは、レプリロイドと人間が共に支え合い生きてゆく未来。「システマ・シエル」は、そんな優しい未来を作るための道具なのだ。

「ここにいる連中が、いったいどれだけの仕打ちを受けてきたか……君には想像つかないだろう?」

一般的な虐待から、“死ぬことすら許されない”地獄を味わった者まで、程度で言えば様々な者たちがいる。だが、皆共通して言えることがある。

「誰も“未来”に希望なんか持っていなかったし、“未来”というもの自体、その存在すら描いていなかった。…シエルに出会うまでは、ね」

シエルという人間に出会ったことで、“未来”を知り、いつしか“未来”への希望を抱くようになった。
もちろん、全員がシエル本人に救われてきたワケではない。だから、シエルという人間の存在に疑問を抱く者もいる。だが、その優しさはまるで波紋のように周囲へと渡り、いつしか輪となり、多くの者達を繋げ、包んできた。
そして、白の団という組織ができたのだ。

「だから、少なくとも私やドワやアルエットのように、直接あの子と関わってきた者達は、あの子が作ろうとしている未来を信じ、命を懸けている。そしてだからこそ、その未来のためにあの子が信じる戦士のことも、疑うつもりは毛頭無いんだよ」

それがどんなに勘に障る相手だったとしても。
シエルが信じる者を疑うのならば、彼女が作ろうとしている未来を疑うも同然だ。
皆、あの幼い少女の理想に懸けたからこそ、ここで命を張っているのだ。それならば、彼女の想いを最大限に尊重し、信頼することこそ重要だろう。
それらの信念は言葉にするまでもなく、セルヴォ達は皆そのようにしてきた。そしてそれはこれからも変わらない。

そうセルヴォは満足そうに語り終えた。
シエルという存在が、自分たちにとってどれだけ大きな存在であるのか、きっと彼にも伝わっただろう。
どうか彼もまた、それを理解し、想いを重ねてくれればと、願わずにはいられなかった。そうすることこそが、彼がこの場所と、メンバー達に受け入れられる為の道となるのだから。




しかしそこで返された言葉は、セルヴォの予想と期待を呆気無く裏切るものであった。













――――  3  ――――


日が暮れる頃、一行は手頃な廃墟に身を隠し、休むことにした。まだすべて終わったわけではないが、ここまで敵に遭遇すること無く、無事に来れたことに安堵する。皆それぞれ腰をおろし、休息をとる。

「B-37Tにある旧塵炎軍団基地の空間転移装置を経由して本拠地周辺まで一気に飛ぶ」

ゼロがマークに今後の予定を語る。ここから数キロと離れていない旧塵炎軍団基地にある空間転移装置を使い、白の団本拠地周辺にある、別の旧ネオ・アルカディア軍基地へと飛ぶわけだ。無論、足がつかないように、サイバーエルフ達が空間転移装置のネットワークを管理し、情報を消去する手筈にもなっている。

「問題は、そこまで向かう途中で塵炎軍団とかち合うかどうか……ですね」

負傷者ばかりを抱えるこの状況では、通常よりも時間がかかってしまう。追手にはおそらく追いつかれるだろうし、また、行動を予測されれば先回りされることも有り得る。そうなればゼロが一人で時間を稼ぐことになるわけだが、決して無事に済むとは到底思えない。敵の数によっては、全滅の可能性も否定はできないのだ。

「……まあ、諦めるか腹括るかは各人に任せるさ。俺は、俺の仕事を済ませるだけだからな」

避けられない事態ならば仕方ない。それに備え、今は体を休ませるだけだ。だが、きっぱりと言い放つゼロの言葉に、またしても横で聞いていたヘルマンが突っかかる。

「何が『俺の仕事』だよ…」

苦笑とも、嘲笑とも取れる笑いを浮かべ、吐き捨てる。

「あんたにとっちゃ、本当は俺達の命なんざどうだっていいんだろ?」

「やめろ、ヘルマン」

「言わせてくれよ、リーダー!」

マークの制止も意に介さず、ヘルマンは不満をひたすら吐露する。険悪な状況に、誰もが狼狽える。

「いや、あんただけじゃねえ。エルピスさんにとっても、俺達個人の生死なんざどうでも良かったんだ。――――分かってんだろ? あんただって結局は切り捨てられたんだよ。『白の団にお前みたいのはいらねえ』って、エルピスさんが判断したんだ。へっ、『伝説の英雄』とか言われて天狗になってたんだろうが、それもお終いさ。残念だったな、英雄さんよぉ」

「いい加減にしないか!」

業を煮やしたマークがついに大声で怒鳴りつける。普段とは全く違う様子に、その場にいたメンバーは皆驚いた。しかし、ヘルマンは臆せず食い下がる。

「リーダー、あんたはこれでいいのかよ! こんな終わり方で、納得出来るのかよ!?」

そう問われ、言葉を返すことができない。――――実際マークにも、ヘルマンの言うことはよく理解出来ていたのだ。
この切羽詰った状況に救援が来ないことは、頭では理解していた。だが、どこかで可能性を棄てきれないでいた。希望を抱いていた。だが、送り込まれてきたのは実力の程も知れない件の英雄、ただ一人。この事実こそ、マークのチームが切り捨てられたというなによりの証であり、現実を否が応にも受け入れざるを得ない十分な材料となった。

納得出来るか?――――できるわけがない。
「レプリロイドの自由のために」という志のもと、白の団に尽くしてきた。危険も顧みず、任務をこなしてきたつもりだ。その終わりがこんなにも呆気ないものであっていいのか。そんなに簡単に切り捨てられるほど、自分たちの存在は組織にとって不必要なものだったのか。
マークチームのメンバー全員が、同じことを考えていた。
重くのしかかる空気。皆、ヘルマンの言葉が頭にもたれかかり、俯き、黙りこんでしまった。その瞬間だった――――……‥‥


「いいわけがないだろう!」


突然、マークがヘルマンの襟を掴み上げ、吠えるように言った。皆言葉を失い、彼に視線を集める。
そう、『いいわけがない』――――ヘルマンの悲痛な叫びに誰もが同じ思いを抱いていた。抑えるべき立場であるリーダーのマークですら。
「だけど」と言葉を続ける。その顔は苦悩に満ちていた。

「じゃあ……どうすればいいって言うんだ?」

逆にマークが問いかける。襟を掴んでいた手から力が抜けていく。次第にヘルマンは呆気にとられた表情のまま、地面に腰を落とした。

「納得しないで……できないで……それでどうすればいいんだ? 俺は…俺達は…?」

この状況を何とか打開したいという思いは、誰もが持っていた。生きることを、誰もが諦めきれずにいた。どれだけ切り捨てられようと、認められないものは認められない。
だが、だからと言ってどんな手があるというのだ。ここから生きて帰るだけの策も、力も持ってはいない。この終わりを納得出来ないからといって、どんな道があるというのだ。――――その問いにすら、誰も答えることが出来なかった。



「確かに、お前らが生きようが死のうが、俺には関係ないな」

重い静寂を裂くように、ゼロが唐突に呟く。

「そいつが言うように、あのお坊ちゃんは俺をとっとと捨てたいんだろうさ。“ガン”は早めに取り除いたほうがいいもんな」

言葉通り、ゼロという存在が白の団という組織を脅かす可能性も確かに否定出来ない。

「結局、奴は自分が天辺に居られる猿山を大事にしておきたいだけで、お前らみたいな“役立たず”が何人死のうが、正直どうでもいいんだろうよ」

「…あんた、いい加減にしろよ!」

「やめろ」というトムスを振りきり、コルボーが声を荒げる。

「演説の時からずっと役立たずだとか、勝手に決めつけやがって! 馬鹿にして!」

今まで抑えてきた感情が一気に溢れ出す。

「あんたなんかずっと眠っていただけじゃないか! シエルさんが……ミランたちが命がけで目覚めさせたから、あんたは此処にいるんだろ! 『役立たず』なんて言える立場かよ!!」

ゼロを目覚めさせるためにどれだけの命が消えていったのか。それを思うと、彼の言葉を決して認めるわけにはいかなかった。だが、怒鳴りつけるコルボーを、ゼロは「フン」と鼻で嘲笑う。

「勝手に利用しようとして、『命がけで目覚めさせたから』? 片腹痛いぜ。お前らの都合でやったことを恩着せがましく言ってくれるなよ。分かるだろ?――――言いたか無いがな、そういうのは『自業自得』ってんだよ」

言葉を返せない。認めたくないが、それは正論だった。
コルボーが自身で言ったように、ゼロはずっと眠っていた。この時代の戦争とは決して関係ない領域に身を置いていた。
それをこちら側に引きずり込んだのは、紛れもなく白の団のエゴであり、皆が胸に抱いていた“ゼロ”という英雄への幻想だ。
彼の発言を非難するのなら、彼を無関係の争いごとに巻き込んだ自分たちの行為もまた悔い改めるべきなのだ。


ヘルマンも、コルボーも、マークも、黙りこんでしまった。重い沈黙が、一同を包む。
その静寂を破ったのは、またしてもゼロだった。

「さっきも言ったように、俺にはお前らの命がどうなろうとどうだっていい。諦めるなら諦めろ。死にたい奴は死ねばいい。他人を気にするだけの広い心を、俺は持ち合わせちゃいない。――――けどな」

「けど?」と、皆、顔を上げゼロの方を見る。ゼロはただ言葉を続ける。


「俺はあいつに、お前らの命を託された。『必ず無事に帰ること』を約束した。――――約束した以上、それを違えるつもりはない。俺は生きて帰る。そして、今ここにいる連中も、全員、生きたまま連れて帰る。――――それだけだ」


それからは誰も、何も言えなかった。非難も、不満も、それ以上口にされることはなかった。
そしてその静寂は、とうとう夜明け頃まで続いた。











  ――――  出撃四十分前  ――――


「バカを言うなよ」

予想だにしなかったゼロの言葉にセルヴォは一瞬、身を強ばらせた。
正直、想定しきれなかったその言葉の意味が、初めは取れなかった。ようやく理解して彼を見つめると、今までに無い程に険しい表情で、セルヴォを睨み付けていた。

「あいつは、ただの“小娘”だぞ……」

ゼロはそのまま、上体を起こしてきた。止めようにも真っ直ぐ睨み付けられ、それどころではなかった。
そして、僅かながら怒りの色が滲み出す。

「“未来”だって…? お前らはそんな大層なもんを、あんな小さなガキに背負わせようって言うのか」

「…な……そんな…!」

ゼロに気圧されながらも、セルヴォは咄嗟に反論する。

「さっきも説明したように、あの子は自分で未来を作ろうと決意した。そしてその理想に私たちは救われ、共感して……」

「『…共感して』、自分たちの“未来”を託し、理想を重ねて、あの“小さな肩”に命を懸けているワケか。それが重荷になるとも考えずに!」

セルヴォはそのゼロの言葉に息を飲む。そのような在り方に、今まで自分たちは気づきもしなかった。

「本当にお前らはおめでたいヤツらだよ。そうやって他人を勝手に神聖化し、自分たちが一方的に理想を押し付けていることにすら気づかない。……よく分かったぜ。お前らにとってあの小娘が何なのか。どういう存在なのか…」

若干十四歳の少女にレプリロイド達は夢を見た。“未来”という名の夢を。そして命を懸ける。その理想が遂げられるようにと。端からは、少女の理想のために戦う美談にも映るだろう。
しかし、実際は若干違う。少女の理想に、レプリロイド達はそれぞれの理想を重ねていた。そして“それ”が遂げられることを願い、命を懸けているのだ。「彼女がきっと叶えてくれる」と信じ、自分たちの死すら理想の糧にすると信じ…――――まるで、解かれることの無い呪いのように信じ続けている。
そしてその呪いに、誰よりも他者を慈しむ幼い少女は囚われ続けるだろう。その理想を遂げなければという使命感に苛まれ続けるだろう。「仲間たちに託された理想のため」に、彼女は自由も幸福も省みず、進み続けるだろう。
それがいったい、どういう意味か――――……‥‥



「要するに、あいつはお前らの“理想の犠牲”だろう!」



ゼロの言葉に激しく打ちのめされ、セルヴォはぐうの音も出せない。
ようやく顔を上げても、真っ直ぐゼロの方を見ることができなかった。

「……返す言葉も無いよ」

なんとか搾り出した言葉。認めざるを得なかった。

「確かにその通りだ。全員とは言わないが…確かに私たちはたった十四歳の人間の少女に、自分たちの理想を背負わせている。――――けどね…」

「けど……なんだ?」

「…………君にも、直に分かるだろう」

弱々しく見つめてくる瞳。だが、その中にはある種の確信のようなものが見えた。

「シエルという少女に、私たちが理想を託してしまうワケを。――――言い訳がましいかもしれないが、あの子にはそれだけの器が確かにあるんだよ……残酷なことに」

思わず「バカな」と零す。怒りを通り越して、呆れすら感じた。たった十四歳の少女に、そこまでの幻想を抱いているというのか。
だが、それ以上は言えなかった。何故ならゼロは、確かに彼らよりもあの少女について知らなさすぎたのだ。
納得できてはいなかったが、とりあえずは気を落ち着かせ、カプセルに再び横たわる。作業中のエラーに戸惑っていたコンピューターも、対象を見つけ、なんとか作業に入り直すことができた。

「……それじゃあ、私からも聞かせてもらうよ」

気を取り直し、今度はセルヴォがゼロに尋ねる。

「君は何故戦う?」

「何故…?」

思いもよらない問いだった。

「君の戦う理由が、私たちにはどうしても分からないんだ」

自ら罵倒し、侮辱した連中の中に身を置いてまで、また、かつての親友を敵に回してまで戦う理由。

「ネオ・アルカディアの連中が気に食わない…ってだけじゃダメなのか?」

あの少女に涙を流させる、ネオ・アルカディアという存在が気に食わない。ガネシャリフ戦で見つけた一応の答えでもあった。

「あの小娘の力になりたいってだけじゃ、いけないのか?」

「『シエルの力になりたい』というなら、君は――――」

少し言葉を選ぶように迷う。そして、問いを続ける。

「――――君は、シエルの何に惹かれたんだ?」

「彼女の力になりたい」と思えるほどの何かを感じたのではないか。白の団のメンバー同様、ゼロもまた、彼女の何かに惹かれたのではないか。セルヴォの中にはそんな問いが生まれていた。

「『何に惹かれた』……か…」

ゼロは確かめるように問われた言葉を呟く。
それは偶然にも、先日、自分の中で保留していた問いとも一致していた。
ネオ・アルカディアという国が気に入らない。だが、この白の団というチームも好きにはなれない。だが、シエルの力にはなりたいと思う。

――――何故だ?

戦う理由は確かにそこにある。だが、その理由の根源は見つけられないままだった。
しかしこの時も、遂に答えを出すことは出来なかった。セルヴォもまた、無理に答えさせようと急かしはしなかった。




「ゼロ!」

勢い良く扉が開き、シエルとアルエットが駆け込んでくる。

「どうした小娘?」

血相を変えて飛び込んできた少女にゼロは驚く。何か悪いことでも起きたのだろうか。
だが、そんな心配は必要なかった。ゼロの顔を見て、シエルはほっと胸をなでおろしていた。

「すぐにメンテナンスルームへ連れて行かれたって聞いたから……」

「心配してくれたわけか…はは」

少し馬鹿にしたような笑いをこぼす。

「問題ないぜ。俺はこの通り、ピンピンしてる。ここのおっさんがちょこっと心配性だっただけさ」

そう言ってセルヴォの方に視線を送る。
「おっさん」という冗談めかしたゼロの発言に、セルヴォは不満気に言葉を返す。

「百年前のレプリロイドに言われたくはないよ」

ゼロもシエルも「確かに」と声を合わせて納得してしまった。





「エルピスから、次の作戦のことは聞いた?」

セルヴォが座っていた椅子に腰掛けるやいなや、シエルは不安気な声色で尋ねた。膝の上にはアルエットを乗せている。

「いいや。……まあ、一応セルヴォから軽くは聞いたが…。何でも“大層な歓迎パーティ”があるそうで」

冗談交じりに答えるゼロ。だが、シエルの目は相変わらず不安と心配が入り交じっていた。そしてまた――――

「…なにをそんなに申し訳なさそうな面してるんだよ」

ゼロを見るシエルの表情には、明らかに謝罪の色が浮かんでいた。

「ごめんなさい、ゼロ」

「なにが?」

「……私も、詳しく知らされてたわけじゃないんだけど……スゴく大変な任務なんでしょ?」

「『でしょ?』って言われてもな…。俺も詳しく知らされた訳じゃないし」

ゼロの言葉に「そうよね」と笑ってはみるものの、やはりシエルの表情は硬い。
エルピスが計画した作戦は明らかに過酷なものだった。メカニロイドやパンテオン、ゴーレム併せて数十機以上とやり合うことが予測された。また、シエルには「僅か」としか知らされていなかったが、オペレーターが出した推定生還率はたったの15パーセント。その確率が導きだす答えは単純明快、「帰れない可能性の方が圧倒的に高い」ということだった。

「初めての任務なのに……目覚めたばかりなのに……」

白の団としての初任務がこのような無理難題となるとは。たとえ「伝説の英雄」と言えど、決して無事に済むとは思えない。
そもそも、何故このような事態に巻き込まれることになったか。理由はよく分かっていた。だが――――……‥‥

「それ以上は言うな、小娘」

先を予知したように、ゼロが制止する。
言いたいことは分かる。けれど、それを言わせる訳にはいかなかった。何故ならそれは、彼女の行動の否定であり、そしてまたゼロにとっても心地の良いものではなかったから。
気持ちのやりどころをなくし、戸惑うシエルを見て、「やれやれ」と溜息をつく。

「『初めて』も糞もないだろ。俺が眠りに就く前、どれだけの戦いをこなしてきたか。……もちろん、覚えてるわけじゃないけどな」

しかし、経験として蓄積されている。「イレギュラー戦争」――――いや、それ以前から戦いの中に身を投じて生きてきた彼にとっては、この過酷な作戦も数百、数千の戦いの内の一つでしか無い。記憶がなくなろうと、それは変わりないことだった。

「それでも……」

「心配する必要なんか無い。お前はあの時みたいに、迷わず俺に頼み込めばいいのさ。『ネオ・アルカディアと戦ってくれ』ってな」

「ゼロ……」

無用な心配だと微笑むゼロに、シエルはようやく表情を緩めた。

「見ろよ、あのコート」

ゼロが目配せする。シエルはその視線の先を見る。
そこには壁にかけられた真紅のコートが、存在感を強く放っていた。

「……あれが…『カプセル以外にあった』物…?」

「そ。――――俺が“何者”であるかの確かな証拠さ」





しばらくしてメンテナンスが済み、カプセルから起き上がる。
かけてあったコートを、セルヴォが手渡す。そして、ゼロはそれを羽織る。その姿は、白の団の戦闘服を纏っていた時よりも、遥かに“らしい”格好だった。

「分かるだろ? 心配なんかいらないんだよ」

この真紅のコートが証明してくれている。

「なんたって俺は……」

「『でんせつのえいゆう』だもんね」

咄嗟にアルエットが決め台詞を掠め取る。
おかげでバツが悪くなったゼロは、仕方なく「その通り」と苦笑いを浮かべながら頭を撫でる。

その光景にシエルもセルヴォも、心が静かに安らぐのだった。











  ――――  4  ――――



「嘘…だろ…」

その光景を、その場にいる誰もが疑った。
休息をとった廃墟から歩き出し、ようやく目的地であるポイントB-37Tの旧塵炎軍団基地までもう一息と言ったところで、彼らの目の端に最悪の光景が飛び込んできた。
ライドチェイサーに跨るパンテオン。その支援用に配備されたメカニロイド達。併せて百は超えているであろうネオ・アルカディアの軍勢。そして、その後方で強い存在感を放つ五機のゴーレム。
マークチームのメンバーは、僅かに胸に抱き始めていた希望を一瞬で掻き消され、逃れようの無い絶望に再び飲み込まれた。

「はは…ははは……」

ある者は乾いた笑いをこぼし

「終わりだ…全部おしまいだ……」

ある者は気が狂ったように絶望の言葉を何度も口にする



「マーク……分かってるな?」

ゼロが確認する。

「俺がヤツらを引き止める。お前らは全力で逃げろ」

「ふざけんな! 無理に決まってんだろ!」

横で聞いていたヘルマンが、狂ったように喚きだす。

「どうせ死ぬんだ! 俺も! あんたも! みんな死ぬんだ!!」

ヘルマンが吐く諦めの言葉に、皆、頭を抱える。ゼロはそれを無視して、マークに促す。

「早く指示を出せ。……こんなヤツがこれ以上増えれば、取り返しがつかないことになる」

「けど無茶だ! いくらあんたでも、あんな数を抑えられるワケ無い!」

今度はコルボーが食ってかかる。ゼロはまたも無言であしらい、マークを急かす。

「早くしろ! マーク!」

しかし、マークから返って来た言葉は意外なものだった。

「ゼロさん、申し訳ないがあなたの指示には従えない」

「なにを……」

「“俺たち”が足止めをする。あなたは逃げてくれ」

その言葉に、誰もが絶句した。ゼロですら、その真意を理解し切ることは出来なかった。
何を口にしたのかマーク自身、ちゃんと理解しているのだろうか。
そのような策を取れば、間違いなくゼロ以外は全滅する。だというのに、彼は確信に満ちたような声でそう指示を出したのだ。

「ふざけんな……! ふざけんなよ、マーク!!」

マークの胸ぐらを掴み、ヘルマンがまたも喚きちらす。

「馬鹿言ってんじゃねえ! なんで俺たちがこんな野郎のために命張らなきゃ……」

「黙れ!!」

マークが一喝し、ヘルマンを突き飛ばす。前日以上の迫力に、ヘルマンを含め、皆嘆くことをやめた。ただ呆然とマークに注目する。

「…………ずっと考えていた。俺たちが生き残ることに意味があるのか…」

この先、ネオ・アルカディアとの戦いはさらに激しさを増してゆくだろう。死者は大勢出るだろうし、白の団の拠点も今のまま平穏無事でいられるとは限らない。しかしその時、果たして自分たちはどのような活躍ができるだろうか。

「ゼロさん、あなたの言う通りだ。……俺たちは非力で、なんの役にも立たない…………ただの役立たずだ」

たった十機のパンテオンとも、正面からまともに戦うことができない。その程度の力で、ネオ・アルカディアに勝てるハズも無い。

「けれどあなたは……俺たちよりも遥かに強いあなたは、この先の戦いで絶対に必要とされる」

“伝説の英雄”と呼ばれるレプリロイド。その実力は確かに、名に恥じぬモノだった。
だからこそ、その力はこんな場所で失われるべきでは無い。ここにいる二十名程度の“役立たず”たちの命に代えても、守りきられるべき尊い存在なのだ。

「……分かるだろ、みんな。俺たちとゼロさん、どちらがどれだけ必要とされるか。…俺たちの……シエルさんの理想のために誰が力になれるのか」

周りのメンバーに問いかける。誰も言葉にして答えようとはしない。だが、その静寂こそが答えだった。

「ゼロさん、お願いだ。あなたは生きてくれ。そして、シエルさんの力になってくれ。必ず」

それは文字通り、決死の覚悟だった。
マークのその言葉に、皆ようやく意を決した。ヘルマンも不満気ではあったが、マークの言うことにほぼ同意していた。
ゼロの道を守る。それは何よりも、シエルの目指す理想のために。寸分違わぬ覚悟を持って、チームは団結した。

「俺たちは命がけでヤツらを足止めする。……どんなに役立たずでも、最後くらいは役に立って――――」

「……却下だ」

しかしゼロは、首を縦に振りはしなかった。

「……ゼロさん! しかし…」

「『命懸ける』のと『命捨てる』のは……違うだろ」

静かに怒気を含ませる。ゼロの目はマークチームのメンバー全員を睨みつけていた。

「お前らは生きたいんじゃないのか? ……『理想が遂げられるなら死んでもいい』なんてそんな馬鹿げたセリフを本気で吐けるのかよ!」

ゼロの言う通りだった。誰もこんな辺境で命を落としたくはない。基地へと生還し、帰りを待ってくれている同胞たちと共に、また笑い合いたい。

「なら、生きるために足掻くんだよ! 足掻いて…足掻いて…足掻き続けるんだ!」

理想も、誇りも、命あってこその存在であり、決して命を捨ててまで貫くべき物ではないのだ。そう唱えるゼロの声は、チーム全員の胸に真っ直ぐ突き刺さった。
だが、覚悟を決めた矢先、その叱咤に従うべきか、誰もが迷う。マークの言う通り、白の団の――――シエルの理想には、おそらくゼロという戦士の存在こそ求められるのだろう。決して非力な自分たちなどではなく。

だが、そのゼロは「生きるために足掻け」と言う。
できるならばそうしたい。生きられるのならば、生きるために足掻きたい。けれど、その行為の結果が、この戦いの終りにいったいどんな形となるのか。自分たちが生き残り、ゼロが命を落としてしまえば、それは「シエルの理想のために」と戦う同胞たちに対する裏切りではないのか。そもそも、全員が命を落とす可能性は依然として薄れはしない……――――
あらゆる思考の下、マークたちは決断に二の足を踏み続ける。

しかし、こちらの様子を伺っているパンテオンたちも、「動かないのならばこちらから」と向かってくる空気を醸し始めている。実際、猶予など僅かもないのだ。
とうとうメンバーの煮え切らない態度にゼロは声を荒らげて怒鳴りつけた。短く、簡潔に――――……‥‥



「 走 れ っ ! !」



瞬間、皆一斉に地を蹴る。ゼロの迫力に気圧されたかのように、マークチームは全力でその場に背を向け、走り始めた。
同時に、ネオ・アルカディアの軍団も動き始める。こちらが逃亡を選択したことを確認し、追撃戦を行うことにしたのだ。
ふとコルボーが足を止め、振り返る。ビームサーベルを左腕から抜き出す紅いコートの背中が目に留まる。

「コルボー…どうした…?」

肩越しにトムスが尋ねる。

「なにしてる!? 早く走れ!!」

異変に気づいたマークも、コルボーに促す。

「いいんですか…? これで…」

敵の大軍へと向かう金髪の戦士。その姿を見送り、ただ情けなく震える声で問う。

「本当にこれで、いいんですか!?」

自分たちの非力を呪いながら、屈辱にこらえながら、マークが答える。

「そんなこと……分かるワケないだろう!!」

この行動が正しかったのかどうかなど、今考えることではない。

「とにかく走るんだ、コルボー。言いたいことは分かるけど……あの人がそう言ったんだ。今更迷っても仕方ないだろ…」

トムスがなだめる。コルボーは悔しさに唇を噛み締める。

「『生きるために足掻け』って……」

『命を捨てるな』と、そう彼は伝えてくれた、けれど――――

「あの人は、どうなんだよ!?」

そう一人叫び、力強く地を蹴り駆け出した。










メンバーの誰かが落としていったエネルギー銃を拾い上げ、遠方を走るパンテオンの頭部を正確に撃ち抜く。二機、三機と破壊した後、投げ捨て、目の前に迫るパンテオンに跳びかかり、首をはね、ライドチェイサーを奪う。ライドチェイサーに搭載されているビーム砲を撃ち、片腕でゼットセイバーを振り回し、敵を次々に破壊してゆく。
刹那、一気に飛び降りる。ゴーレムの剛腕により、乗り捨てたライドチェイサーが粉々に砕け散る。地を焼き、走るレーザーをかい潜りながら、飛び掛ってくるパンテオンやメカニロイドたちを斬り捨ててゆく。
一瞬の隙に息を整え、周りを見渡す。

――――囲まれた……か

マークチームの追撃を一旦中断し、行く手を阻もうとするイレギュラー――――ゼロを破壊せんと方針を切り替えたようだ。

――――約束したからな

必ずこの場を切り抜ける。でなければ、“約束”を守れない。

「“ヒーロー”がお子様との約束を破るわけにはいかないんだよな……。……分かるだろ?」

不敵に笑い、駆ける。握られた閃光が、宙に弧を描く。
火花が飛び、擬似体液が噴出し、鋼の部品が舞う。



そしてまた、斬り捨てた。











  ――――  出撃五分前  ――――



「作戦開始時刻まで、あと五分です」

オペレーターのルージュが冷静に知らせる。
ライドチェイサーに跨り、発進口の前で待機するゼロ。見送りにはシエル、アルエット、セルヴォの三人だけが現れた。

「ゼロ……無事を祈っているよ」

「そんな辛気臭い面で見送ってくれるなよ。……祈られなくても、無事に帰ってきてやるさ」

不安そうに言葉をかけるセルヴォに、自信満々に言って返す。すると、そこにシエルが言葉を付け足す。

「“絶対”よ。……約束して、ゼロ」

「おいおい小娘。……まだ“初出勤”だぜ? これから先、こんな重たい見送りを何度も繰り返すつもりかよ」

直前になって、セルヴォ以上に不安がるシエルの様子を見て、ゼロは呆れたように頭を掻く。

「でも……」

「約束するよ。絶対、無事に帰る。……そして、俺が着いた時に生き残っていたヤツらは、必ず生きたまま連れて帰る」

引き下がらないシエルの約束を渋々受け入れ、そこからまた、さらに自ら条件を付加した。
シエルは思わず口を開く。それは、この作戦の難度を考えれば、シエルからは言いたくとも切り出せなかった要望と、ちょうど一致していたのだ。
他人の、それも大勢の命を守りながら戦うことは決して容易ではない。ともすればゼロの命も、想定以上の危険に晒されるだろう。しかし、ゼロはシエルという少女の考えをよく理解し、彼女の言い出せなかった願いにすら応えるつもりだった。――――「誰にも傷ついてほしくない」という幼稚で、儚い願い。

「いいだろ? それで。――――まあ残念ながら、既に死んでるヤツらはどうやっても助けられないけどな…」

苦笑と共にそう言うゼロに、シエルは申し訳なさそうに、けれど嬉しそうに微笑んだ。

「ありがとう、ゼロ。……でも、無理だけはしないで」

彼女の願いは「“誰にも”傷ついてほしくない」こと――――それはもちろん、ゼロという存在に対しても当てはまった。

「任せな。約束は守る主義なのさ。その代わり――――」

そう言って小指を差し出す。

「帰ってきたら基地の設備を案内してもらうぜ。データでも見たが、一応、生で見ておきたいんだ」

「もちろん。約束するわ」

ゼロの小指に、自分の小指を合わせ、指切りをする。

「うそついたら、はり千本だからね」

アルエットが忠告する。「そいつは厳しいな」と笑って、ゼロはアルエットの頭を撫でた。

「時間です。作戦、スタート」

程なくして、作戦開始を告げるルージュの声と共に、ゼロはアクセルを絞る。走りだすライドチェイサー。

「行ってらっしゃい、ゼロ!」

小さな体が精一杯大きく手を振る。ゼロはそれに少しだけ視線をやり、片手で応えた。










  ―――― * * * ――――



「おい、あれ……」

監視カメラで周囲の警戒をしていたオペレーター達の目に、複数の人影が見えた。その人影はゆっくりとこちらに向かい、歩いている。
ネオ・アルカディアのレプリロイドであるならば、基地の所在が知られてしまった可能性がある。となれば、ここは間違いなく戦場となるだろう。この一大事をエルピスへ報告しなければと、一人のオペレーターが駆け出そうとした。

「待って! ……違う」

別の一人がそれを引き止める。
そう、それらの人影はネオ・アルカディアの軍勢のものではなかった。
先頭を歩くのは見慣れた男。いや、先頭だけではない。よく見れば全員見知った連中ばかりではないか。

「マーク……チーム…!?」

ふらふらと覚束ない足取りで歩く者。肩を借りてようやく立っている者。背負ってもらっている者。
状態は様々ではあったが、二十名以上のメンバーが生きて帰ってきたのだ。

「至急、司令に報告! 技術局長にも! それから負傷者搬入の準備を!」

指示が飛び、一気に慌しく動き出す。その場は驚きと、そして歓喜に包まれていた。












「ゼロさん、もうすぐです! 本部に……本部に帰って来れましたよ!」

肩越しにコルボーが叫ぶ。「ん」と疲労困憊した顔を上げ、ゼロが前を見る。

結局、旧塵炎軍団基地へ辿り着くと同時に、コルボーはトムスを下ろし、マークの制止も振りきってゼロの下へと駆け戻った。その頃には、戦いは既に決着しており、辺りには擬似体液と残がいだけが荒れた大地を覆っていた。
中心で倒れ込んでいたゼロを見つけた時、「時既に遅かったか」と、コルボーは絶望と共に膝を付いた。しかし、ゼロの腕がピクリと動いたことを確認するやいなや、彼の名を叫び、脇目もふらずに駆け寄っていた。
心配してあとから追ってきたマーク達数名と、ゼロを担いで旧塵炎軍団基地まで戻り、意識が回復したことを確認した後、空間転移装置を使って、予定通りのポイントまで移動した。
幸い、ゼロの体に致命傷はなく、自己修復機能もつつが無く機能し、大事には至らなかった。

「……ありがとよ。…もう…結構だ……」

ゼロはコルボーの腕を払い、借りていた肩から離れる。しかし、その足取りは明らかにふらついていた。チーム全員が不安気に目をやる。

「これ以上無茶しないでください!」

引き止めようと手を出すコルボーを、ゼロは片手で制止する。そして、ニヤリと笑って答える。

「英雄が…庶民の肩を借りてご帰還するんじゃ……カッコがつかないだろ…?」

それに、約束したのだ――――絶対、“無事に”帰ると。





マークチームの生還を祝うように、大型ハッチが駆動音と共に開いた。















 NEXT STAGE










       亡霊の影










[34283] 4th STAGE 「亡霊の影」
Name: 村岡凡斎◆45ff140f ID:697d6d9c
Date: 2012/10/29 15:59


  ―――― * * * ――――








  ひどく、ノイズが走る






――――なんだ……?




  聴覚に、視覚に


  ひたすら走り続ける




――――なにが……どうなっている!?




  気づけば、視界は染まっていた


  朱く、赤く、紅く――――――――……‥‥



  “全て”を塗りつぶすように


  まるで血の海を泳でいるかのように


  辺りは染まり切っていた




  そして突然、“全て”は暗黒に飲み込まれる

  なんの感触もない、漆黒の闇――――虚無の世界



  突然一点だけ、明かりが灯る




――――…………っ!




  そこには一人の女性が立っていた


――――お前…は……




  見覚えのある姿



  華奢な肩、揺れる栗色の髪、白い肌


  優しさと、愛おしさを感じさせる


  どこまでも見覚えのある存在


  けれど


――――…顔が……


  無い


  顔が無い


  思い出せ無い


――――思い出せ…無い…


  何故だ?

  どうしてだ?


  思い出したいのに


――――忘れては…いけないのに…



  大切な、記憶なのに……







  “ ひ ど く 、 ノ イ ズ が 走 る ”




――――…………っ!?



  不意に頭の中で声が響き始める



《俺ニ身ヲ委ネロヨ》



――――やめ…ろ



  どんなに拒絶しようとも、“声”はそれを受け付けない

《俺ニ全テ任セロヨ》

――――やめてくれ

  そして、要求する

《モット殺セ》

――――…っ!!

  気づけば体中が血塗れだった

  紅いコートはさらに紅黒く変色し

  掌はぬるぬるとしたおぞましい感触に侵食され

  決して振り払うことができない

《モット壊セ》

――――…黙れ

《モット破壊シロ!》

――――黙れっ!

《破壊シロ!》

――――消えてくれっ!!!

《破壊シロ! 破壊シロ!》

――――嫌だっ!

《破壊シロ! 破壊シロ! 破壊シロ!》

――――嫌だ…! ……嫌だっ!!

    俺は


    俺は……‥‥







  悶え苦しむ彼に向け、彼女が言葉を紡ぐ

――――ねえ……

  少しずつ近付き、彼女は手を伸ばす

――――……私…待ってるから……

  頬に触れる白い手

  優しい手

「…あぁ…」

――――…ずっと…ずっと…待ってるから…

  けれど、彼女の手もまた血に染まる

「あぁ…ぁあぁ……」

  分かっている

  その手を

  その肌を

  その心を

  紅く染め上げてしまったのは

  他の誰でもない



  “俺”だ



「あ あ ぁ ぁ…… あ ぁ あ あ ぁ あ あ……」








破壊シロ破壊シロ破壊シロ破壊シロ破壊シロ破壊シロ破壊シロ破壊シロ破壊シロ破壊シロ破壊シロ破壊シロ破壊シロ破壊シロ破壊シロ破壊シロ破壊シロ破壊シロ破壊シロ破壊シロ破壊シロ破壊シロ破壊シロ破壊シロ破壊シロ破壊シロ破壊シロ破壊シロ破壊シロ破壊シロ破壊シロ破壊シロ破壊シロ――――……‥‥



「あぁあぁああぁぁあぁぁぁあああぁあぁああぁぁあぁぁぁあああぁあぁああぁぁあぁぁぁあああぁあぁああぁぁあぁぁぁあああぁあぁああぁぁあぁぁぁあああぁあぁああぁぁあぁぁぁあああぁあぁああぁぁあぁぁぁあああぁあぁああぁぁあぁぁぁあああぁあぁああぁぁあぁぁぁあああぁああぁ―――――……‥‥



破壊シロ破壊シロ破壊シロ破壊シロ破壊シロ破壊シロ破壊シロ破壊シロ破壊シロ破壊シロ破壊シロ破壊シロ破壊シロ破壊シロ破壊シロ破壊シロ破壊シロ破壊シロ破壊シロ破壊シロ破壊シロ破壊シロ破壊シロ破壊シロ破壊シロ破壊シロ破壊シロ破壊シロ破壊シロ破壊シロ破壊シロ破壊シロ破壊シロ――――……‥‥
























 4th STAGE






       亡霊の影



















  ―――― 1 ――――



‥…――――あぁあぁぁっ!!」

絶叫と共に、ゼロは勢いよく起き上がる。

「……ハッ……ハッ……」

時刻は深夜3時過ぎ。代わり番で警戒している者ぐらいしか起きてはいない時間だ。

「…ハァッ……ハァッ……」

呼吸がうまくできない。落ち着かせるため深呼吸をすると、途中で思わず咽せた。

「ゲホッ…ガハッ…」

吐血でもしたかと、押さえた手を見てみる。が、何ともなかった。
そして、ようやく心を落ち着かせると、「ふぅ」と一息つく。

「またか」と眉をひそめる。昨晩も全く同じ夢を見た。マークチームを救出し、帰還した日の夜、“全く同じ”夢を見ては、“全く同じように”飛び起きてしまった。

「……馬鹿らしい」

「ははっ」と自嘲する。このような悪夢にうなされてしまうとは。――――いや、そもそもレプリロイドである自分が「夢」を見ること自体、どうかしている。
原因は不明。しかし、キッカケには心当たりがある。

「昨日の……あれか…」

百機以上のパンテオンとメカニロイドを破壊した昨日の戦闘。だが、ゼロの記憶はどこからか途切れていた。気づいたときには、目的の旧塵炎軍団基地内で横たわり、自分の顔を覗き込んでいたマークたちの顔が目の前にあったのだ。

――――記憶回路自体に障害が……?

だが、治療を受けた時も内部の重要な回路に問題は見受けられなかった。セルヴォが“ヤブ”でない限りは事実なのだろうが、それならば原因はどこにあるのか。健康体であるこの体のどこに異常があるのだろうか。
どれだけ考え込んでも答えを出せず、再び専用の睡眠カプセルの上で仰向けに寝そべる。暗い天井がやけに近く見える。

「あの女……」

ふと心をよぎるのは、夢に出てくるあの女性。彼女はいったい誰なのだろう。
どこか懐かしく、更には愛おしい感じがした。けれど、その正体を思い出すことがどうしてもできない。

「……欠けた記憶の一部…か…」

おそらく、引き出せずにいる過去の記憶が影響しているのだろう。もしこの推測が正しければ、あの女性はきっと、過去に何かしら関係があった相手に違いない。それもきっと、決して並々ならぬ関係が。
不意に、自分の頬に手を当ててみる。夢の中で彼女が触れた部分に。


「……お前は…誰だ…?」



あの柔らかい手の温もりが、少しだけ残っているような気がした。















  ――――  2  ――――



「ここが管制室。常時、二人以上のオペレーターが待機して、作戦行動中の部隊との連絡や周囲の監視等を行っているわ」

シエルがそう紹介すると、配置についていたオペレーター達がゼロの方を向き、軽く会釈をする。ゼロもそれに応えた。
怪我が回復したこの日、ゼロは朝からシエルとアルエットに、先日の約束通り基地内の案内をしてもらっていた。司令室や談話室、格納庫、演説に使った大ホールや、世話になっているメンテナンスルーム等、基地内の施設を隈なく紹介された。

「大きな作戦を行う時は、エルピスもここで指揮をとるのよ」

中央にある司令席を手で示し、紹介する。エルピスが足を組みながら、如何にも偉そうにふんぞり返る姿が、ゼロには容易に想像できた。
しばらく管制室全体をじっくり眺めていると、金髪の女性オペレーターが、おもむろに話しかけてきた。

「ゼロさん…ですよね?」

「ああ、そうだが……そういうお嬢さんはどちら様かな?」

尋ね返されると、“お嬢さん”は改まって敬礼をする。

「私、エルピス司令からオペレーターチームのリーダーを任されています、ジョーヌです。あの……握手していただいてよろしいでしょうか?」

「構わないぜ」とゼロが言うやいなや、ジョーヌは嬉しそうに声を上げ、ゼロの手を両手で握ってきた。

「百年前の英雄様と共に戦えるなんて! 本当に光栄です! これからもどうかよろしくお願いします!!」

「こちらこそ。こんな美人さんと一緒に戦えるんなら百人力さ」

ゼロの言葉にジョーヌはまたも嬉しそうに頬を赤らめる。すると、シエルがゼロのコートを引っ張る。

「ゼロ、次の場所に案内するわ」

「ん? …ああ。じゃあまたな、ジョーヌ。オペレーター陣は頼りにさせてもらうぜ」

そう言って軽く手を振ると、ジョーヌは尚も頬を赤くしながら笑顔で「はい」と元気に答えた。
廊下に出ると、シエルは先程よりも早足で歩き出した。歩調が上手くあわず、手を繋いでいるアルエットの足取りが覚束ない。

「おいおい、待て待て! アルエットが転んじまうぞ!」

「え?」とシエルが立ち止まると、その肩にぶつかってアルエットが尻餅をつく。それに引っ張られ、シエルも倒れる――――が、寸前でゼロが支えたおかげで、アルエットの上に倒れ込まずに済んだ。
体勢を立て直し、「ごめん」と謝りながらアルエットの手を引く。

「ったく……しっかりしろよ、小娘。大丈夫か、アルエット?」

呆れながらゼロが尋ねるとアルエットは首を横に振る。

「…べつにだいじょうぶだよ。……おねえちゃんこそ、だいじょうぶ?」

逆に心配され、シエルは「うん」と答えて苦笑いを浮かべる。

「何か考え事か?」

「あ……うん、そんなところ。本当にごめんね、アルエット」

そう言って、シエルはアルエットの頭を撫でた。

「…それにしても……ゼロ、“人気者”だね」

アルエットがそう言うと、ゼロ本人は複雑そうな顔をする。
実際のところ、握手を求めてきたのは先程のジョーヌだけでは無かった。廊下を歩く者や、談話室で寛いでいた者たちからも、決して多いわけではないがちらほらと握手を求められていたのだ。

「どういう風の吹き回しか…分かったもんじゃないけどな。まあ、悪い気分じゃあない」

例の演説で白の団全体を敵に回したつもりだったが、ゼロの予想に反して、彼に対し好意をもつ者たちも現れ始めていた。
それと言うのも、先日のマークチーム救出作戦の影響が大きい。本来ならば切り捨てられていたはずのチームを、たった一人で救出し、見事生還するという前代未聞の快挙を成し遂げたのだ。
白の団内では、現在ゼロに対して「活躍を認め、信じてみようと思う者たち」「未だ言動を快く思っていない者たち」そして、「信じるべきか否かを決め兼ねている者たち」という三つのグループに大別されるようになっていた。

「『悪い気分じゃあない』って……。素直に喜べばいいのに…」

少し呆れ気味に言うシエル。しかしゼロは「それこそ甘いぜ」と言葉を返す。

「ころころ態度を変える連中のちょっとした好意をいちいち鵜呑みにしてちゃ、それこそ“間抜け”ってもんだ。斜に構えてるくらいが丁度いいんだよ」

格納庫を案内された時、整備班員は、シエルの手前、先日のような荒っぽい手段に出ようとはしてこなかったが、終始ゼロを睨み続けていた。
ゼロにとってもそちらの反応の方がよく理解できたし、だからこそ、今は好意的にしている者たちも、何時そうした態度を取るようになってもおかしくはないと考えられたのだ。
次にシエルが案内したのは一般団員用の居住区画だった。ゼロは“英雄”という肩書き上、エルピスやセルヴォなどのリーダー格と同様の個室を与えられていたため、この場所に顔を出すのは初めてだった。

「白の団のメンバーも相当な数だけど、ここにはそれ以上の人数にも対応できるだけのスペースがあったの。エルピスが調査してくれたおかげよ」

これだけ大きな施設を秘密裏に探し当てたというのだから、エルピスは確かに優秀な男なのだろう。
しかし、ゼロはどうにも彼のことを好きにはなれなかった。その理由もまた、先日の救出作戦が関係している。あれだけ無茶な作戦を提案した彼の思惑がもしも、今ゼロが予想している通りの物だとしたら、エルピスという男は確かに一軍のリーダーとしては優秀と言えよう。だが同時に、信頼のおける相手とは到底思えない、ある意味危険な存在であるとも言えるのだ。

「……なあ、小娘。あまり、あいつのことは信用するな」

急な言葉にシエルは戸惑う。

「どうしたの、急に? ……ゼロがあんまりエルピスのことを好きじゃないのはなんとなく分かってるけど…」

「いや……そういうワケじゃないんだ。……というより――――…」

不意に口走った言葉が少々無責任だったかと思い、慌てて取り繕おうとしたが、うまい言葉が見つからず、ゼロは口を噤む。
少し考えた後、先程よりも重い調子で言葉を続けた。

「エルピスだけじゃない、俺のこともあまり信用し過ぎるなよ」

あまりにも不可解な忠告に「どういう意味?」とシエルは小さな首を傾げて問い返す。――――と、丁度同じ瞬間に、ゼロの名を呼ぶ別の声が聞こえてきた。

「ゼロさん! もう体は大丈夫なんですか!?」

声の主はマークだった。後ろにはコルボーとトムスを連れている。

「おお、久しぶり……って程でもないか。まあ、御覧の通りぴんぴんしてるよ。お前らの方こそ……特にトムスは、足の方は…大丈夫か?」

ゼロが救出に向かった時には、既にトムスの足は片方無くなっていた。

「おかげさまで、この通り。……こういう時だけは、自分がレプリロイドであることに感謝したくなりますよ」

トムスはそう言って、新しく備え付けられた足を誇らしげに見せる。
細胞レベルで不安要因が残る人間とは違い、レプリロイドの場合、神経系と疑似体液循環用チューブさえ繋げてしまえば他人のパーツであろうと、多少の違和感はあるかも知れないが、ほとんど問題なく移植することが可能なのである。

「――――とは言うものの……この足も死んだ仲間のものだったりするので、素直に喜べないんですけど…ね…」

「それでも、五体満足でいられるならそれが一番……だろ?」

「はい」と、少し苦笑いを浮かべながらトムスは答えた。

「……ゼロさん…あの……」

コルボーが何か言いたげに口ごもる。

「どうした?」

「ほ……本当にありがとうございました!」

そう言って深々と頭を下げる。しかしあまりに突然過ぎたために、ゼロも、シエルも少しだけ後ずさる。
そんな二人の様子も気にすることなく、コルボーは自分の想いを口にし始める。

「俺たち…生きて帰ってこれるなんて……本当に思ってなくて……」

確かに、マークチームのメンバーは皆、何度も死を覚悟した。コルボー本人に関しても、実際にパンテオンと向き合った瞬間、全てが終わるのだと確信した。

「でも……ゼロさんが命がけで俺たちを……」

今思えばなんと愚かなことだっただろうか。たった一人を残し、あの場から二十数名が一気に逃げ出すなど、とても褒められたものではない。結果としてゼロも無事に帰ってこれたものの、もしそうならなかった時は、自分たちはシエルになんと弁解するつもりだったのだろう。
しかし、ゼロは生きていてくれた。自分たちを護り、傷つきながらもこの基地まで共に帰って来てくれた。

「本当に……本当にありがとうございました!!」

更に深く、コルボーは頭を下げる。感謝しても仕切れない、その気持ちが溢れていた。
しかし、ゼロは「やれやれ」と半ば呆れながら顔を上げるように促した。

「それ以上頭下げてちゃ、ひっくり返っちまうぞ?」

人差し指で宙に円を描きながらゼロが冗談めかして言う。アルエットが可笑しそうに「クスクス」と笑うと、コルボーは恥ずかしそうに顔を赤くしながら「すいません」とようやく顔を上げた。

「まさか、“俺が前に言ったこと”を忘れたわけじゃあないだろう?」

そう問われ、コルボーは「あ」と声を漏らし、渋い顔をする。“俺が前に言ったこと”――――即ち、演説での台詞である。

「俺は今でも、お前たちに頼るつもりはないし、できるだけ一人でネオ・アルカディアを叩き潰す。その意志は変わらない」

たとえ、どんなに孤独な戦いになろうとも、その決心が揺らぐことはない。しかし、それからゼロは「けどな」とコルボーの肩を優しく叩く。

「『役立たず』ってのは撤回するよ。あれは確かに言いすぎだった」

そう言って、ゼロは微笑んだ。

「俺の方こそ感謝してるぜ、コルボー。――――お前が助けてくれなかったら、俺はあのまま砂に埋れてたかも知れないんだからな」

コルボーたちがゼロに命を救われたように、あの時、勇気を振り絞って一人引き返してきてくれたコルボーに、ゼロもまた命を救われたのだ。それに対する感謝の気持ちも、決して揺らぐものではなかった。

「だからよ……それ以上頭下げないでくれよ。――――お前がそんなんじゃ、俺だって頭上げてらんないだろ?」

ゼロの言葉に、コルボーは元気に頷き、笑顔を見せた。マークも、そしてシエルも、その光景を微笑ましく見守っていた。




 
 


「ねえ、ゼロ。さっき言ってたことだけど……さ」

マークたちと別れてからしばらくして、シエルが不意に立ち止まり口を開いた。

「『さっき言ったこと』…っつうと……」

「『あまり信じすぎるな』…って言ったでしょ?」

確かに先程ゼロは、そんな警告めいたことを口にしていた。本人も思い出し「ああ、あれな」ときまり悪そうに呟く。
どう説明すべきか迷い、頭を掻く。けれど、シエルはそれについて深く尋ねたいわけではなかった。

「どういうつもりで言ったのかはよく分からないけど――――…」

くるりと後ろを振り向き、胸をはる。ポニーテールが可愛らしく揺れる。

「私はやっぱり信じるよ。エルピスのことも、そしてもちろん、ゼロのことも」


そう言うシエルの笑顔があまりに眩しくて、ゼロは返す言葉を見失ってしまった。










  ―――― * * * ――――


「ね~~ぇ! ルージュ! 聞いてよ~! さっきゼロさんが来てくれてさ! 握手してくれただけじゃなくて、私のこと『美人さん』とか言ってくれちゃってさ~!」

「背中で聞いてたわよ、ジョーヌ。頼むから少し黙っていてくれない?」

提案された作戦のシミュレート結果をまとめている紅いカチューシャをしたオペレーター――――ルージュは、いつまでも惚気けているジョーヌを軽くあしらった。

「まったくもう…。ルージュも本当は羨ましいんじゃないのぉ? 握手くらいしてもらえばよかったんじゃない?」

「馬鹿なことを言ってる暇があるなら、あなたも自分の仕事を片付けなさい。リーダーを任されている自覚があるのかしら?」

「ちぇ~」と子どものように口を尖らせ、自分のデスクに戻る。――――が、まだぶつぶつと何か文句を垂れている。

「……そうだよね、ルージュは司令一筋だもんね…」

「ジョーヌ。――――それ以上何か無駄口を叩いたら、その司令に報告して、あなたを最前線に飛ばしてもらいますから、覚悟しなさい」

「はーい」と元気をなくした声で返事をし、ジョーヌはようやく仕事にとりかかる。
土壇場での判断力や決断力、また、作戦時と通常時との気持ちの切り替えの上手さを買われ、オペレーターチームのリーダーに据えられたジョーヌであるが、普段はこのように不真面目な点も目立ち、副リーダーであるルージュがそれを制御している面が強い。
しかし、互いに相手の能力については一目おいており、良きパートナーとして共に白の団オペレーター陣を支えていた。

「けどさ、ルージュ。あなた、本当にゼロさんに興味ないのね」

キーボードを叩きながら、ジョーヌが口を開く。とりあえず先程までの惚気は消え、まともな会話が出来る状態になったようだ。

「別に興味が全く無い…というわけではないわ。ただ、少し引っかかることが多いだけよ」

「引っかかること?」

尚も一定のリズムでキーボードを叩き続けながら、ルージュは答える。

「さっきの会話……彼がさり気なくだけど、『オペレーター陣は頼りにさせてもらう』って言ってたわよね」

「ええ、言ってたわ。けど…」

なるほど、ルージュは、ゼロがオペレーター陣限定のような言い方をしたことが気になっていたようだ。

「まあ、一人で戦うとは言っても、私たちのサポートくらいは無いときついって思ってくれたんじゃない?――――私たちとしてはいいことじゃない。頼りにしてくれるんだから」

「まあ、そう思えるならいいんでしょうけどね」

曖昧なルージュの言葉に、ジョーヌは首を傾げたが、それ以上深く聞くことはなかった。
確かに、言葉だけを素直に受け止めればオペレーターとしての役割を担う自分たちが頼りにされることについて、喜ぶべきなのかも知れない。
しかし、ルージュにはどうしてもそう思えなかった。

――――彼が必要としているのは……私たちではない

そう。百年の眠りから覚めたゼロが、現代の唯一国家であるネオ・アルカディアと戦う上で現実的に必要としているもの。それは他でもない、戦闘における情報である。
敵の能力、戦術、作戦の進行状況、トラブルへの対処等といった情報。それこそがゼロにとって重要なのであり、そしてそれを供給する媒体としてのオペレーターを、「頼る」「頼らない」の選択肢に関係なく、頼らざるをえないのである。

――――つまり彼には、ここに座って情報をまとめている者が、私たちではなく、なんの意志も持たないただのメカニロイドだとしても、一向に構わないのよ……


彼自身がどこまでそれを意識しているかは分からない。とは言え、そんな何気ない発言こそ、人の本心というものは映されるものだ。
ルージュには、例え潜在的にでも、そんな風に考えている彼を素直に認めることがどうしてもできなかったのである。











  ―――― 3 ――――


「これがゼロの身体データとメディカルチェックの結果、それに治療時の資料だ」

セルヴォはそう言って、記録ディスクを一枚エルピスに手渡す。早速エルピスがそれを再生機に挿入すると、三つの資料がデスクの中央画面に映し出された。
そしてそれらを眼にした瞬間、エルピスはあることに気付き、息を飲んだ。

「これは……」

「……そう、見て分かる通り……彼の内部構造の六割が現時点で技術的に解析不能。さらにその内の半分が……完全なブラックボックスとなっていた…」

「馬鹿な…」

百年前の技術で開発された筈のゼロの体が、現代の技術で解析できないなどという事実が信じられるワケがない。だが、セルヴォ程の技術者がミスを犯すとも思えないし、例えミスがあったとしても、このような結果が出た時点で何度も検証をし直している筈だ。

「素直に……信じるしかないのでしょうね…」

渋い顔をしながらも、エルピスは事実を受け入れた。セルヴォは説明を続ける。

「単純に解析ができない三割の部分については、“あまりに古過ぎる技術”のため解析できないという理由も思いつく。…しかし、ここに蓄積されているデータは“マザー”から引っ張って来たモノだから、残念ながらその可能性は薄いだろう」

過去、世界のネットワークを管理、統括していたスーパーコンピューター「マザー」。現在もネオ・アルカディアの中心区域「ユグドラシル」に据えられ、過去から現在までのあらゆる情報を蓄積、保存している。そこからデータを持ってきているということは、百年前のレプリロイドであろうと一般的な内部構造は解明できるはずなのだ。しかし、それができないということは――――……‥‥

「となると、最も高い可能性として考えられるのは、“現代に至るまで、他のレプリロイドに応用されてこなかった技術”――――つまりは、“より奇抜、あるいは高度過ぎる技術”を取り入れているために解析できないという可能性だ」

ゼロを設計、開発した者は当時では並外れた神経を持ち合わせ、現代においても考えられないような特殊な技術、あるいは、現代の科学者たちさえ凌駕する圧倒的に高度な技術を持っていたと考えられるのだ。だが、いかなる技術を持って作られたものとは言え目に見えぬ空間を操作しているわけではない。

「しかし、これだけならば時間と根気をかけて解析してゆけば、いずれ明らかにすることができるだろう。問題は、残りの三割――――完全なブラックボックスと化してる箇所だ」

画面上で、その問題箇所を示す。

「ビームサーベル収納部を含む両腕の八割、そして精神、記憶回路を含む頭部ユニット全般……これらについては如何なるアクセスも受け付けない、正に完全なブラックボックスとなっているんだよ」

ビームサーベルのエネルギー供給ラインも分からなければ、両腕にいったいどんな隠された武器やトラブルがあるのかも分からない。そしてもちろん、ゼロの記憶についてもほんの僅かなアクセスすらできない。

「このことを…ゼロさんには…?」

少し眼を伏せ、セルヴォは答えた。

「……まだ話していない。話すべきかどうか迷って…そのままだ」

話しても話さなくとも、何かしら不安を与えてしまうかもしれないと思い、悩んだ挙げ句、結局自分の中であやふやにしてしまったというのが実際のところだ。
だが、「そんなに悩まないでください」とエルピスはやけに涼やかな声で言った。

「賢明な判断でしたよ。……話していれば、絶対に余計な不安を煽っていたでしょうからね。ところでもう一つ」

人差し指を突き立て、エルピスが問う。

「これらの不安要因が、今後の戦闘に及ぼす影響は、どれほどのモノと思われますか?」

今後ゼロに作戦を指示する上で、それは確かに重要な問題だった。しかしセルヴォはため息と共に「残念ながら、不明点が多すぎて予測は不可能だ」ときっぱりと返した。
その答えにエルピスもすぐに納得した。彼も駄目もとで聞いてみただけだったのだろう。だが「しかし」とセルヴォは言葉を続けた。

「先日の戦闘から生きて帰って来れたことを考えると、あれほど危険な任務でない限りは十二分にこなせると考えていい筈だ」

率直な意見に、エルピスは「結構」と満足そうに答え、解説の続きをするよう促す。

「次に治療における問題点について説明する。――――これはゼロの……所謂“限界”に関する事項だから、よく頭に整理しておいてほしい」

そう、はじめに忠告され、エルピスは深く頷く。それを確認したセルヴォは解説を始めた。

「知っての通り、現代のレプリロイドの治療は三パターンに分けられる。まず第一に本人の“自己修復機能”を利用した治療」

あくまでも本体に備えられた自己修復回路を中心として、治療カプセルは本隊に内蔵された修復用ナノマシンへのエネルギー供給に徹するという方法。
外部からでは無く、内部からのアプローチによる治療のため、比較的早期に回復し、本人にかかる負担は少なく済む。

「第二に、自己修復回路がシステムダウンしている時に行われる、治療カプセルを主とした治療」

万が一、自己修復回路の一部、あるいは全てに問題が生じた場合、それをサポートするのではなく、本体の身体データを基に、治療カプセルがナノマシンをフル稼働させて自己修復回路自体と破損部位を同時に治療するというもの。自己修復機能が復旧すれば、前者のパターンに移行する。

「そして、全損した部位を他者の同じ部位で代用する方法」

トムスの足のように必要な回路さえ繋げば、他者のパーツであろうと元のモノと変わりない扱いができるようになる。

「これら三つの治療法が、標準的に用いられているわけだが……」

ここからが本題である。

「この中でゼロに適用できない、あるいは適用すべきでない治療法はどれか……分かるな…」

ここでエルピスは、何故セルヴォが、これら一般常識的な治療法について、元技術者である自分にわざわざ懇切丁寧に説明したのかを理解した。

「……最初の一つ以外は……不適?」

眉をひそめ、答えるエルピスに、セルヴォは「その通りだ」と解説を始める。何処か悔しげに。

「不明点の多いゼロの体は、本人の自己修復回路無しでは完治させることができないし、他者のパーツと付け替えたところで部位によっては、何のトラブルも起こらないという保証はできない…」

例えば腕部を全損し、失ったとして、誰かの腕部パーツを移植するとしよう。もしも彼の、元々の腕部の構造をはじめから熟知していたなら、どの回路をどう繋げれば、正常に機能するのか、すぐに分かるだろう。しかし、彼の元々の腕部はブラックボックスの塊である。故に、繋げてしまえばどのような不具合が起こるか不明な回路がいくつも存在しているのだ。
だが、これは必要最低限の回路――――つまり、腕部で言うならば手首や掌、指などを動かす回路だけに絞り込むことができれば、最悪、腕としての働きはつつがなく行えるだろう。そして、その回路を絞り込むのは、それほど難しいことではない筈だ。
問題はもう一方。自己修復機能が破損した場合の治療である。

「どのレプリロイドの自己修復回路も大抵、五割程度の破損までならば、自身の修復活動は可能だ。つまり、五割の破損までならば自己修復機能は復旧することができる。しかし、破損部位がその五割を超えた場合、自己修復回路は自ら復旧作業を行うことができない」

その場合、治療カプセルのナノマシンは自己修復回路を優先的に、復旧可能水準まで回復させるようにできている。――――しかしそれも、そのレプリロイドの自己修復回路のデータが明確にあればの話である。

「不幸なことに、ゼロの自己修復回路もまた、解析不能箇所の一つだったんだよ」

「つまり……彼が万が一、戦闘において大破し且つ、自己修復機能もダウンしてしまった場合……」

治療カプセルは自己修復回路を復旧させることができない。そしてさらに、ゼロ本体の身体データのほとんどが不明確であるため、代わりに傷を癒すこともできない。つまり――――…


「……ゼロはその時点で、“戦線復帰不可能”となる」


セルヴォが重い口調で、話を締めた。
しばらくの沈黙の後、エルピスが「ふむ」と声を漏らし、机を指でトントンと叩く。

「……出過ぎた発言かもしれないが、エルピス…」

セルヴォが再び重い口を開く。

「今後、作戦を立案するとき、これらのことをよく頭にいれてやって欲しい。白の団がネオ・アルカディアと戦う上で、ゼロは重要な戦力だ。たった一人で百のパンテオンに勝る力を持っている。それをみすみす、無茶をさせすぎて潰してしまうようなことは――――…」

「分かりましたよ、セルヴォさん。そこまで言わなくとも大丈夫です」

そう爽やかに笑いながら答える。何故かは知れないが、セルヴォにはその笑顔がどうにも信用できなかった。

「…しかし…厄介ですね。それだけ不安要素が残るようでは…」

「どうにかなりませんか」と目で問われるが、セルヴォには答えようがない。すぐにどうにかできるならば、このような相談を持ちかけたりはしない。――――いや一応、なんとかできる可能性もあるにはある。だが、どうだろうか。

「……シエルに……見せてみてはどうだ?」

迷った挙句、提案する。机を叩いていたエルピスの指が止まる。

「確かに、シエルさんならば解決できてしまうかもしれません。彼女はあの歳で、ネオ・アルカディア一と謳われた“おじいさま”の技術をほとんど理解し、習得しているのですから。ですが、彼女にはそんなことに時間を費やしている暇は無いでしょう」

白の団、最大の切り札となるはずの「システマ・シエル」の設計、シミュレーション。彼女は実際、その仕事で手一杯だ。かといって、自由な時間を潰させるわけにもいかない。

「それに、シエルさんはレプリロイドの修理やメンテナンスについては、何処か一歩引いている気がします」

それはセルヴォも同様に感じていることだった。彼女ほどの技術があれば、十分そういった面でも活躍できるはずだ。しかし、シエルはどうしてもそこに手を出そうとはしてこない。

「ゼロさん自身も体を弄られるのはあまり好きではないでしょうし……」

「それもそうだな」と苦い顔で頷く。あれだけメンテナンスを嫌がっていたのだ。そう何度も体の中身を見せてはくれないだろう。

「セルヴォさん。彼の体のことについては、とりあえずあなたにお任せします。じっくり打開策を考えてください。それと、このことは我々の胸に留めておきましょう」

「ゼロにも……シエルにもこのことは話すな…と?」

エルピスは「そうです」と深く頷く。

「やはり無用な心配は掛けたくないですからね」

それはセルヴォも同じ気持だった。だが同時に、自分の体について知らされないゼロのことを思えば、少し罪悪感のようなものを感じずにはいられなかった。
それから、あらかたの報告と相談を終え、セルヴォは退出しようと、扉を開こうとした。が、寸前であることが気にかかり、振り返って「エルピス」と声をかけた。

「どうしました、セルヴォさん?」

「ああ……」

しかし不意に思いとどまり、「いや、何でもない」と誤魔化してその場を後にした。










「浮かない顔してるな、どうしたおっさん?」

司令室から出て廊下を歩いていると、ゼロとシエル、アルエットの三人と顔を合わせた。

「ああ…ちょっとね。仕事疲れかな。誰かさんがボロボロになって帰ってきてくれたおかげでね」

冗談めかして皮肉を返すとゼロが渋い顔をして返す。「君たちこそどうした?」と問うと、アルエットが嬉しそうに答える。

「おさんぽだよ。ゼロがきちの中を見て回りたいっていうから…“あんない”してたの」

セルヴォは「そうか」と優しく微笑む。――――そう言えば、アルエットがこんなに嬉しそうに話すことも、それに、こんな風によく喋る事も今までにあっただろうか。左手に抱えられたぬいぐるみも、心なしか嬉しそうに見える。

「まあ、それは口実としてな。休める時くらいお子様たちの子守をしてやろうと思ってさ」

「うそいっちゃだめだよ、ゼロ! ゼロが“あんないしてほしい”ってたのんだんでしょ!」

「むー」と口を尖らせて、ゼロに抗議する。「はいはい、すいませんでした」と苦笑と共に、ゼロが謝る。それを微笑みながら、シエルが見守る。

――――ああ、そうか

納得した。この男が――――ゼロがそうさせてくれているのだ。この幼い子たちの小さな笑顔は、ゼロという存在がこの基地にいてくれることで、久しぶりに生まれるようになったのだ。
少しだけ胸の奥で何かが疼く。

「なあ、ゼロ。……最近、何処かおかしな点はないか?」

「は?」とゼロが聞き返す。セルヴォ自身も、何故そんなことを聞いてしまったのか分からない。慌てて取り繕う。

「…いや…一応、傷は完治したが…その後の経過はどうかな…ってね」

そんな苦し紛れの言葉に、少し考えてから、ゼロは笑顔で答える。

「心配要らないよ。この通り、元気にやってるさ。あんたの技術はたいしたもんだよ、セルヴォ」

「そうか。ならいいんだ。いや、そう言ってもらえると嬉しいよ」

素直に喜んだように笑う。だが、心中はいたたまれない気持ちで埋め尽くされていて、それを悟られまいとすることで精一杯だった。
それからしばらく談笑した後、別の仕事をこなさなければならないので、三人とはその場で別れた。アルエットが「またね」と大きく手を振るので、セルヴォも苦笑しながら小さく手を振り返した。
少し離れてから、セルヴォは振り返り、ゼロの後ろ姿を見つめる。そして、先ほどのエルピスとのやり取りを思い出していた。

『ゼロが死んでいたらどうするつもりだったんだ』と、セルヴォはエルピスに問いかけようとした。けれど、それが無意味であることに気づき、口を噤んだのだった。
実際のところ、たとえ前回の作戦でゼロが生きて帰ってこようが、死んでしまおうが、エルピスにとっては結局どっちでも良かったのだ。
ゼロが今回のように生きて帰ってきたならば、「自分の判断は正しかったのだ」と胸を張る。そしてもし死んでしまっていたとしても「英雄を過信しすぎた」と言い、ゼロの側に非があるかのようにすれば、己の指揮官としての資質が問われることはない。
詰まるところ、エルピスにとってゼロは英雄などではなく、白の団がネオ・アルカディアに対抗するための手段の一つであり、自分の手駒の一つに過ぎないのだ。
人格的には認めたくない。だが、その狡猾さは一軍の指揮を執る上で必要なものだろうと思う。

――――だが、やはり……

ゼロと共に笑いあうシエルの姿が目に入る。
仲間を心の底から慈しみ、信じ抜く彼女のことを思えば、その在り方は、そしてそれに従うだけの自分は、どうにも赦されないような気がしてならなかった。













  ―――― 4 ――――



最後のパンテオンを斬り伏せ、周りを見渡す。もう他に倒すべき敵はいない。

「オーケー、ミッション終了だ。これより帰還する」

そうオペレーターに告げると、ゼロはライドチェイサーを走らせ、その場を後にした。
怪我から復帰した後、ゼロは立て続けに三つ程作戦をこなした。作戦と言っても、基地周辺を哨戒しているパンテオンの部隊を殲滅するという単純なものだった。

――――まあ、腕慣らしにはちょうど良かった…かな

エルピスも「リハビリのつもりで」と言っていたくらいで、それ程歯ごたえのある戦いでは無かった。しかし、他の白の団団員からすればパンテオンの部隊を三つも、それもなんの奇策も無しに壊滅させてしまうゼロの力は、非常に偉大なものに感じられた。



基地に戻り、司令室へ戦果の報告に向かうと、エルピスが爽やかに出迎える。

「相変わらずお見事です、ゼロさん。流石は英雄と言ったところでしょうか」

「おーおー、お褒めの言葉傷み入りますよ、司令様。……実際、この程度の戦闘で音を上げてちゃどうしようもないだろ」

「その調子でこれからもよろしくお願いします。――――近々、“レプリロイド解放議会軍”を交えた大きな作戦も待っていますからね。ゼロさんにはそこで大いに働いて頂く予定ですので」

「レプリロイド解放議会軍」――――ネオ・アルカディアに対抗するレジスタンス組織の中でもトップ3に入る一大勢力である。元々はネオ・アルカディアにおけるレプリロイドの警察組織「イレギュラーハンター」の第弐部隊であったが、五年前、リーダーである「マゴテス」が部隊全てを率いて「レプリロイドによる議会の開催と、元老院へのレプリロイドの参加」を要求、反乱を起こし、そのままネオ・アルカディアを抜け、レジスタンス組織として活動している。
人数的には、白の団より遥かに少ないが、元々イレギュラーハンターであったため、戦闘用レプリロイドで構成されており、戦力的には十二分の実力を誇っている。また、パンテオンの脳をハッキングし、自軍の手駒として使うという荒業もやってのけている。

「“レプリロイド解放議会軍”ね……。本当に信用できるのか…?」

「五年もの間、ネオ・アルカディアと渡り合う強豪です。疑うべくもありませんよ」

疑ってかかるゼロを一蹴する。
そもそも、今話したいのはそんなことでは無い。「こちらの画面を見て頂けますか」と、エルピスが机のモニターを示す。
覗いてみると、モニターがいくつかに分割され、様々な情報を示している。しかしよく読むと、それらは全て、あるレジスタンス組織についての情報だった。

「“黄金の鷲”というレジスタンス組織がありました。我々と共同戦線を張り、友好関係にあった組織のひとつです」

引っかかる言い方をされ、すかさず追及する。

「『ありました』…ってことは………」

「ええ、壊滅しました。つい先日のことです」

その報せが届いたのは、つい昨日のことだった。「黄金の鷲はネオ・アルカディアの攻勢を受け、壊滅した」と、他のレジスタンス組織が情報を回してくれたのだ。

「……しかし、我々が敵のメカニロイドをハッキングして、基地周辺の映像を捉えた結果、奇妙なものが映ったのです」

あるモニターをタッチし、拡大する。霧がかっているらしく、ハッキリとは見えないが、数体のレプリロイドらしき影が群れで映っていた。

「パンテオン……じゃあ無いな」

「ええ、電波障害のため画像が鮮明ではありませんが、おそらくパンテオンでは無いでしょう」

パンテオン特有の機械的且つ無機質なボディには見えない。しかし、壊滅したレジスタンス組織の基地周辺を、パンテオンの上官クラスとして据えられるはずの通常のレプリロイドがうろつくだろうか。

「考えられることは二つ。黄金の鷲本拠地に何かネオ・アルカディアが気になるものがあるか。もしくは――――…」

「生存者がいたか…だな」

ゼロの言葉に「その通り」とエルピスが指を鳴らす。

「それらについて、ゼロさんには現地に向かい調べて来て頂きたいのです」

ただの調査だけならば、一般団員に向かわせても構わない。だが、そこにいったい何があるか不明確な以上、ネオ・アルカディアの戦闘員と鉢合わせする恐れもあるため、ゼロに頼らざるを得ないのだ。

「お願いしてよろしいでしょうか、ゼロさん?」

そう尋ねられ、ゼロは鼻で笑って返す。

「俺が断るのは、どうせ前提に無いんだろ? ――――行ってやるさ。それが仕事だからな」








司令室を出て廊下を歩く。調査は明日、向かうことになったので、今日はこのまま自室でひと休みさせてもらうことにした。
とは言うものの、本当に休めるかどうか、分かったものではない。ゼロは側頭部を右手で抑える。
あれから数日経つというのに、相変わらず悪夢を見続けている。それも毎晩、全く同じ悪夢を。そして必ずうなされて起き上がる。静かに眠れたためしなど無い。そしてまた、夢に出てくる「彼女」のことも思い出せないままである。

――――本当に馬鹿馬鹿しい……

夢を見るという事態も、それに振り回されている自分も、どう仕様も無いほどに馬鹿馬鹿しい。

そして次の瞬間、足が止まった。
ゼロは息を飲んだ。――――目の前に、あの女性の背中が見えるではないか。どこかぼんやりと霞んでいるが、確かに“彼女”の背中だ。栗色の長い髪が揺れている。

「……馬鹿な……」

思わず呟く。いったい何がどうなっているのか分からない。どうにも信じられない。
しかし確かに、“彼女”がそこにいた。ゼロの目の前に、“彼女”は姿を現したのだ。驚きのあまり、阿呆のように口を開いたまま硬直する。

「……なんなんだよ…………」

それから震える足で、恐る恐る“彼女”に近づく。――――確かめたいと思った。本当にそこにいるのか。その触感を確かめたかった。“彼女”が何者なのか。そして、その素顔を。ゼロはただ確かめたいと思ったのだ。
そうして手を“彼女”の肩にゆっくり伸ばす。

「こっちを…向け!」

“彼女”の肩を強引に掴み、振り返らせた。――――ハズだった。
しかし、気づけばそこには誰もいなかった。“彼女”の姿は何処にもいない。何処にも見えない。
まるではじめからそこに誰もいなかったかのように、その空間は空虚だった。

――――……確かにそこにいた…。気配があった……

その筈だ。触れられるような感じがするほど、“彼女”の存在には現実味があった。いや、実際に触れたと思った。けれど“彼女”は消えた。

「…ゼロ」

突然、後ろから女性の声に名を呼ばれ、ゼロは勢い良く振り返った。すると、そこにいたのは――――……‥‥







「小娘………か…。………どうした?」

それまでの動揺を、笑顔で隠し、取り繕いながらゼロは尋ねた。シエルは何処か怯えたような様子で立っている。

「ううん、何でもないの。………ただ、ゼロの様子がおかしかったから……‥‥」

「しまった」とゼロは焦った。どこから見られていたのだろう。だが、それについて問いただすのも、余計に不安を煽ってしまう気がした。

「いや……ちょっとな…体の調子が少しアレだったから………少し戦いすぎ…たんだろ、たぶん…」

しどろもどろに説明する。ちゃんと口は回っているだろうか。無理やり笑顔を作っては見たが、おかしくはないだろうか。正直、自分でも何を言っているのか分からなかったし、顔がひきつっているのも、笑い声が乾ききっていたのも分かった。
これ以上はいたたまれなくなり、ゼロは「じゃあな」とその場を離れようとする。

「なにかあったのなら、セルヴォに相談しなきゃだめだよ」

ゼロのコートを咄嗟に掴み、まるで懇願するような目でシエルが忠告する。不安で、心配で堪らないという瞳だった。
それを見て少し考えた後、「ふぅ」と深く息を吐き、ゼロは自分を落ち着かせる。

――――不安にさせてどうする……

そして弱めに拳を握り、シエルの頭を軽く小突く。「痛っ」と声を上げ、シエルが頭を押さえる。コートから手が離れた。

「子どもがいちいち心配するなよな。俺の立場がなくなるだろ?」

人差し指を立て、冗談めかして言う。大丈夫、今度はいつも通りに口が回っている。

「冗談で言ってるわけじゃないのよ……。本当に………心配してるんだから」

シエルは不満そうに口を尖らせる。こういう時、シエルは十四歳という年齢以上にとても幼く見えた。しかし、だからこそ――――……‥‥

「分かってるよ、それくらい」

今度は優しく頭を撫でる。そして静かな声で、諭すように言う。

「俺にはそれが耐えられないんだよ」

それ以上、シエルは何も言えなかった。ゼロの目が何処か悲しそうに見えてならなかったのだ。
それから無言のまま、ゼロは自分の部屋に向かい、シエルもそれについて行った。特に何か用事があったわけではない。けれど、側を離れたくないと思ったのだ。そんなシエルの気持ちを知ってか知らずか、ゼロは彼女に付いて来る理由を問おうとはしなかった。

「エルピスに頼まれてな。明日は、また出なきゃいけないんだ」

ようやくゼロが口を開いたのは、彼の部屋の前まで来た時だった。

「聞いてるわ。黄金の鷲の基地まで調査に行くんでしょ…?」

「ああ。まあ、だから何だってことはないんだが……」

それを伝えてどうしたかったのか、自分でも分からない。ただ、無言のまま別れてしまうのはなんだか良くない気がして、咄嗟に言葉を探しただけだった。けれど、シエルは何か納得したように頷く。

「大丈夫。――――何も心配しないで、待ってるわ」

笑顔を作り、そう言った。するとゼロもまた微笑んだ。

「…ああ、そうしてくれよ。小娘」


お互いに、それが“カラ元気”であることに気づいていたかも知れない。










  ―――― * * * ――――


「時間です。作戦、スタート」

いつも通り、ルージュの冷静な声でゼロは作戦の開始を告げられる。そしてアクセルを絞り、ライドチェイサーを走らせた。そしていつも通り、シエル達がそれを見送る。――――だが、シエルの胸中は決して“いつも通り”ではなかった。

「ねえ、セルヴォ」

「どうかしたかい、シエル?」

内心、不安でたまらないシエルは、どうしても誰かから答えを得ずにはいられなかった。

「ゼロは……なんともないよね…?」

「え?」

「何処か悪いとこ…ないよね?」

問いの意味がすぐに理解できなかったのか、そのまま少し黙ってから、セルヴォは答えた。

「大丈夫。私が見る限り、何も悪いところはないよ。――――急にどうしたんだい? 何か、気になることでも?」

だが、シエルは慌てて首を横に振る。

「ううん、そういうワケじゃないの。ごめん、変なこと聞いて……‥‥」

そうだ、何も悪いところはない。そう信じるのだ。――――シエルはそう決めた。
昨日見た、あの光景は自分の胸に締まっておこうと、きっと自分が心配性なだけなのだと、そう言い聞かせた。

昨日、廊下で見たとき、ゼロはただそこに立っていた。――――そう、ただ“立っていた”のだ。何もせず、何も言わず、名前を読んでも返事もせず、反応すらせず、ゼロはそこに“立っていた”。呆然と、まるで魂が抜けた抜け殻のように、立ち尽くしていた。
おかしく思ったシエルは何度も呼びかけた。そして、何度目かの呼びかけに、ゼロはようやく振り向いた。けれど、その時のゼロの顔は非常に険しく、それでいて何処か苦しそうで、いつものゼロではなかった。

――――まるで何かに取り憑かれているみたいな……‥‥

そんな印象を受けた。けれど、シエルはその考えに蓋をした。
それ以上、思い悩んでどうする。ゼロ本人も、セルヴォも、何も問題ないというのだからそれを信じるしか無い。ただ今は作戦の成功と、無事に帰還することだけを祈るのだ。

――――それに

分かっている。自分には赦されない。――――これ以上不安になることも、心配をすることも。彼の身の安全を祈ることだって、本当は赦されるはずがないのだ。そんなことをするくらいなら、最初から――――……‥‥
そこまで来て、それ以上は考えないことにした。途方も無い、懺悔のしようもない後悔しか生まれないのだと分かっていたから。

ただ、離れてゆくゼロの背中を、シエルは見えなくなるまで見つめていた。













  ―――― 5 ――――


カツン、カツンと無機質な音を立て、ゼロは荒れ果てた旧黄金の鷲基地の中を歩く。
ネオ・アルカディアとの戦闘の傷跡が生々しく、基地の至る箇所に見受けられ、そこは惨々たる状況だった。壁面は剥がれ、内蔵されていたコード類は垂れ落ち、床も決して歩きやすくはない。
ここでどれだけ激しい戦闘が起こり、どれだけの犠牲が出たのか、容易に想像しうる光景だ。
だが…………ゼロはある事について非常に奇妙に感じていた。

「ゼロ。ここが管制室だよ」

右腕に付けられた水晶のような装置が光り、サイバーエルフ――――デルクルが飛び出す。基地内の設備や記録を解析できるようにと、念のためエルピスから連れていくように言われたのだ。
ただ侵入させるだけならば本部にある、彼らの情報を収めたコアユニットからネットを介して行うことももちろん可能だが、その方法だと何処かで足がついてしまう危険性がある。そこで、サイバーエルフを一度実体化させ、回線に侵入させるという方法がとられるのだが、情報生命体であるサイバーエルフが実体化できる範囲には限界がある。コアユニットの周囲、またはそこに有線で直結した回線の周囲でなければサイバーエルフは実体化することはできない。だから小型のコアユニットに彼らの情報を移し、移送するという形が取られており、今ゼロの腕につけられている装置はその小型コアユニットというわけだ。

「ここもひどい有様だね」

デルクルの言うとおり、管制室内も惨たらしい傷がいくつも残っていた。こんな最深部まで敵の侵入を許してしまったのでは、壊滅するのは当然だろう。
しかし、やはりここにも“何も無い”。

「デルクル、早速この基地の回線に侵入して、何か情報がないか探ってくれ。それと、基地内の監視カメラの情報もよくチェックするように――――誰か生存者がいるかも知れないからな」

「探索深度は?」

「任せる。デリートの危険性が無い部分まででいい」

「了解」と言うと、デルクルはまだ息のあるコンピューターに一人で侵入していった。
それを見届けると、ゼロは少しだけ傾いた椅子に腰掛け、息をつく。
実際、自室に戻っても、少しも休めていなかった。悪夢に怯え、眠りに就くことすら拒み、ただずっと座り込んでいただけだった。

「情けないよな」と自嘲する。廊下で幻覚まで見てしまう自分の現状には不安を通り越して、嘲笑しか生まれなかった。
何より、シエルにあの姿を見られてしまったことが、ゼロにとっては一番の失態だった。いや、見られたこと自体は問題ではなく、本当に問題なのは彼女に心配をさせてしまったことだ。
あんな年端も行かぬ少女に、何もかもを背負わせたくない――――そう思っていたのに、自分が重荷を一つ背負わせてしまっては本末転倒だ。

「あいつがそういう人間だって分かってるハズなのに……な」

髪を掻き上げ、そう呟く。
その後で、ふとセルヴォの問いを思い出した。

『君は、シエルの何に惹かれたんだ?』

未だその問いに答えられない。あの少女のために剣を振るうと決めた理由。それは“直感”という言葉で片付けていいものでもない。

――――戦う理由……か…

過去の自分はいったいどんな理由を持って戦っていたのだろうか。それが思い出せれば、自ずと問いの答えも出せるかも知れないと思った。
そうこうしている内に、探索を終えて戻ってきたデルクルがゼロを呼ぶ。

「データをそっちに送るよ」

そう言ってコアユニットの中に戻る。コアユニットを通じて、デルクルが取得してきた基地内の情報がゼロの脳内に浸透してゆく。その全てを瞬時に閲覧し、必要な情報、不必要な情報を振り分けてゆく。

――――これといって、何か問題になるような事項はないな…

他のレジスタンス組織の配置などといったネオ・アルカディアのほしがりそうな情報は含まれておらず、エルピスがはじめに言った可能性の一つはほぼ消えた。もちろん、ネオ・アルカディアが情報を収集した後に、削除した可能性もなきにしもあらずだが。
しかしそもそも、ほとんどのレジスタンス組織は、たとえ協力関係にある組織であろうと通常は拠点の情報などを開示したりすることはない。黄金の鷲のような事になる危険性は十分にあり、その際に情報が漏洩してしまえば、協力関係にある組織全てが芋づる式に暴かれてしまう恐れがあるからだ。
今度はゼロの脳内に映像が流れ始めた。基地内の監視カメラが収めた情報の一部だ。だがほとんどのカメラは壊されてしまっているため、戦闘時以降の記録はほとんど見つけられなかった。予想はしていたが、これほどまで情報がないのは困る。

――――いや、待て

カメラが端で捉えた映像に注目する。格納庫のものだった。戦闘の中、破壊されてゆくライドアーマーや戦車。飛び交うビームを尻目に、物陰に隠れて進み、既に破壊されたそれらのマシンに乗り込む数人の影が見える。パンテオンたちは気づいていない様だ。カメラは次の瞬間、破壊されてしまってそれ以降の映像は確認できなかったが、ある可能性が出てきた。

「生存者がいるかも知れないな」

そう納得すると直ぐ様椅子から立ち上がり、歩き出す。デルクルが収集してきた基地内の地図を頼りに格納庫へと足を向けた。






「ねえ、ゼロ。なんだか不気味なほど静かだね」

格納庫に着いた時、これまでの道のりの雰囲気にデルクルがそう呟く。すると「お前もようやく気づいたか」とゼロが笑う。

「ああ、そうだ。ここには不気味なほど“何も無い”――――メカニロイド、パンテオンの残がいも……そして絶対にあるはずの、黄金の鷲メンバーたちの残がいも、“何もかもが無い”」

激しい戦いの跡が随所に見受けられるのに、肝心の遺骸がどこにもないのだ。まるで誰かが綺麗に掃除し尽くしてしまったかのように、誰の体も残っていない。

「この不気味な状況が例の問題の答えになるかも知れないな」

そう呟いた後、格納庫内を見渡し、そして声を張り上げる。

「俺は白の団から、エルピス団長の命令で調査に来たゼロだ。誰か生き残っているやつがいるなら返事をしてくれ。こちらで保護させてもらう」

声の残響が消えた後、またも格納庫内は静寂に包まれる。
呼びかけに応じてくれる者がいるかどうかは一つの賭けではあったが、ある程度の勝算があっての賭けだった。もし、生存者がいるならば、ここ数日身を隠していた分、精神的にも弱っているだろう。となれば、友好関係を持っている白の団の名を名乗れば、耐え切れず顔を出してくれるハズだと考えたのだ。そして、その予想は見事に的中する。
ガシャッと音が鳴る。キャタピラが崩れ、砲台が折れ曲がった戦車のハッチが開いた。恐る恐るこちらを見ながら頭を出してきたのは、赤毛を三つ編みした女性レプリロイドだった。こちらをじっと、警戒しながら見つめている。

「安心してくれ。さっきも言ったとおり、俺は白の団に所属しているゼロってもんだ。ここの生存者を保護しに来た」

そう言って、両掌を広げ、得物を持っていないこと――――戦う意志がないことを示す。すると彼女は戦車の中を見つめ、何か語りかけてからゆっくりと外に出てきた。そして彼女の後に続いて、二人ほど男性レプリロイドが出てくる――――だが、一人はどう見ても衰弱しきっており、もう一人が支えてようやく歩けている。

「白の団……の方なんですね…?」

女性レプリロイドが恐る恐る尋ねてくる。まだ警戒はしているようだ。

「そ。白の団の者だ。そう言う君たちは黄金の鷲のメンバーで間違いないかな、お嬢さん?」

軽い調子で尋ね返す。とにかく相手の警戒心を解きたかった。

「……けど…あたしたちが知っている白の団のユニフォームと違うんですけど………それは何かワケが?」

「ああ、これか」と自分のコートを摘んで見せる。
そう言えば、白の団の戦闘員は皆もっと地味な、深い緑色のユニフォームを纏っていた。しかし、ゼロのコートは派手に紅い。どう説明しようかと考えたが、答えはすぐに浮かんだ。

「俺はね、特別なんだよ」

「特別?」

「ああ。耳にしてないか? 白の団が“伝説の英雄”を仲間にしたって。“百年前の英雄”をさ」

あのエルピスのことだ。ゼロの立場を考えれば、白の団の宣伝に使っていないはずがない。ならば“英雄”の話は黄金の鷲の耳にも入っているだろう。
すると、支えている方の男性レプリロイドが女性レプリロイドに声をかけた。

「確かに聞いたことがあります――――『白の団がネオ・アルカディアの秘密研究所から“百年前の伝説の英雄”を復活させた』と。そう言えば“ゼロ”という名前にも聞き覚えがあります…」

「じゃあ…あなたが噂の………」

「分かってくれたかな、お嬢さん――――そんなところで一つ、君の名前も教えてくれないか?」

そう促すと、女性レプリロイドは自分の胸に手を当て、自己紹介をした。

「あたしの名前は“ティナ”。黄金の鷲のメンバーです。……今はもう、壊滅してしまいましたが。それと、あちら――――支えている方――――が“ダスティン”、もうひとり――――支えられている方――――が“チャーリー”」

ティナが紹介すると、ダスティンは軽く会釈をした。チャーリーの方はぐったりとしたまま、一人で何かぶつぶつと呟いているだけで、ゼロに対してはなんの反応も示さない。

「それじゃ、一通り自己紹介を終えたところで――――率直に聞かせてもらう。なにがあった?」

尋常ではない状態のチャーリーを指差し、ゼロが尋ねる。ダスティンは目を背け黙りこむ。ティナは少し言葉に迷ってから、ようやく問いに答えた。

「それが……分からないんです……」

「分からない?」

「はい……。恥ずかしながら、ご存知のようにあたしたちは戦車の中で戦闘をやり過ごしました」

事態が終息した頃、チャーリーは『基地内の様子を見てくる』と戦車を飛び出し、格納庫から一旦外に出た。そして、それからしばらくして帰ってきたときには既に――――

「この状態だったわけか……」

それだけの話で容易に納得出来るような、尋常な状態ではない。しかし、おそらくここにいるティナとダスティンにも、本当に何が起こったのか分からないのだろう。ゼロは無理矢理にでも納得するしか無いのだと、自分に言い聞かせた。

「仕方ない……。とにかく今大事なのは、事態の把握よりも安全の確保だ。とっととここを出るぞ」

「待ってください。まだ生き残りがいるかも…」

そう言って引きとめようとするダスティンに、ゼロはすかさず異を唱えた。

「生き残ったのはお前たちだけさ。……“基地内の映像データを見た限り”だが」

「それなら……‥‥」

「それに、まだ気がかりなことがある」

肝心な問題がまだ一つ残っている。

「今の今まで、唯一の生存者であるお前たちは戦車の中に隠れていた…――――つまり、白の団のメカニロイドが捉えた人影の正体については、未だ謎のままだ」

「人…影……って!?」

その言葉にティナとダスティンは衝撃をうける。その様子こそ、“それ”が彼ら以外の何者かであるという確かな証拠だった。

「詳しいことは道中、俺が分かる範囲で話してやる。分かったらさっさと来い」

そう促すと、ティナ達三人を引き連れ、足早に格納庫を後にした。生存者の安全を確保するという理由も勿論だが、何よりゼロ自身が、この不気味な場所から早く抜け出したいと感じていたのだ。
基地施設内の廊下を慎重に歩く。チャーリーが今の状態になった理由が分からない以上、警戒を怠ることは決してできない。

「……でも、本来の任務はその人影を突き止めることでしょ…?」

デルクルがおそるおそるゼロに尋ねる。確かに、エルピスがゼロに依頼したのは人影の正体を明かすことであって、人命救助ではない。

「だとしてもさ。この連中を抱えたまま、そんな得体の知れないモノを調べるのは御免だよ……」

後ろについてくるティナたちを親指で指し示し、小声で答える。
“それ”が敵の側にある物だった場合、戦闘は避けられない。そうなればティナ達を守りながら戦うことになる。

「可能な限り、リスクは抑えたい。不安要素が多い今、とにかくここから出ることを第一に考えるべき……――――…ッ!?」

瞬間、言葉を切ってゼロは急に立ち止まり、身構える。片手で制止するのに倣って、ティナ達も足を止めた。

「ゼロさん…なにが……」

尋ねてくるティナに向けて、人差し指を口に当てて黙るように注意する。
剥がれた床のタイル。剥き出しのコード。生々しい傷の残る、電気系統の不具合により暗闇に覆われた廊下。――――そこに一人のレプリロイドが立っていた。

「……誰だ…?」

静かに、しかしはっきりとゼロは尋ねた。腹部から下しか見えないが、どうやらパンテオンではない。それどころか、黄金の鷲のユニフォームを着ているようだった。
だが、様子がおかしい。共に生き延びた仲間と出会えた喜びを分かち合うという風でもなく、チャーリーのようにぶつぶつと何かを呻くわけでもなく――――それどころかゼロの問いに答えようとすらしない。
そしてまた突然の周囲の変化に、ゼロは息を飲んだ。

――――……霧…!?

施設内だというのに、もやもやと霧が立ち込めてくるではないか。

「絶対に離れるなよ……」

ゼロの声に、ティナは咄嗟に後ろにいるダスティンの腕を掴み、前に構えるゼロのコートの端を握りしめた。瞬間――――…


「…――――アァア在ぁ阿ァぁァ嗚呼ぁァァ厚唖々痾ァッ!!!!」


目の前に現れたレプリロイドは、尋常な言語とは取れない奇声を発し飛び掛ってきた。それをゼロは――――ティナが大声で叫ぶよりも早く――――左腕から抜き出したゼットセイバーで一気に両断した。
頭頂から股までを見事に引き裂かれたボディが床に崩れ落ちる。

「……デルクル、様子を見てくれ…」

あくまでも冷静に指示する。デルクルはゼロに従い、遺骸の側に寄った。

「……ゼロ! これ……!」

そのレプリロイドは確かに黄金の鷲メンバーだった。しかし、そのボディは銃痕と刀傷で幾重にも傷めつけられ、何より動力炉が大きく抉られており、とてもまともに動ける状態ではなかった。

「なんだコイツは……………ッ!?」

再び息を飲むゼロ。目を向けると、霧の中にまた複数の人影が見える。ゆらり揺らめきながら、こちらへと近づいてくる。――――だが、ゼロがもっとも驚いたのは“そんなこと”ではなかった。
左足に感じた違和感。そこに注目すると、その信じ難い異様な光景はすぐに視界に映った。
切断されたはずの右半身から伸びる右手――――いや、それだけではない。胴と繋がっていない片腕、頭部のないレプリロイドのボディ、そしてまたレプリロイドの頭部そのもの等、いくつもの残骸がゼロの足元に、まるで生き物のように群がっていたのだ。

「…っあぁぁあ!!」

叫びながら脚を振り、亡者どもを蹴散らす。その風圧で霧が散り、近づいてくる集団の様子がハッキリと見て取れた。
ティナは叫ぶどころか絶句し、ダスティンは震えるティナの腕を握り返す。ゼットセイバーを殊更強く握ったゼロは、思わず呟く。

「…なん……なんだ……コイツらは…!?」

首が無いだけならまだいい。四肢がもがれ、剥き出しのコードをだらしなく垂れ下げて、擬似体液をそこら中に撒き散らしながら、スクラップ同然のレプリロイド達がこちらに向かってその歩を進めてくる。
それも一体、二体という数ではない。数十体以上の群れが、その状態で動いているのだ。


そして次の瞬間、まるで生者の肉を求めるように、屍の軍団はゼロ達に向かって一斉に飛び掛ってきた。











 NEXT STAGE







       死屍軍団
















[34283] 5th STAGE 「死屍軍団」
Name: 村岡凡斎◆45ff140f ID:697d6d9c
Date: 2012/10/29 16:00


  ―――― * * * ――――


「…なん……なんだ……コイツらは…!?」

目の前に現れた異形の軍団に、思わず言葉を漏らす。
首が無いだけならまだいい。四肢がもがれ、剥き出しのコードをだらしなく垂れ下げて、擬似体液をそこら中に撒き散らしながら、スクラップ同然のレプリロイド達がこちらに向かってその歩を進めてくる。それも一体、二体という数ではない。数十体以上の群れが、その状態で動いているのだ。
そのグロテスクな光景に、レプリロイドでありながら吐き気すら感じてしまう。
そうこうしている内に、そんな敵かどうかも分からない屍の兵が、奇声と共に勢いよくゼロたちへと飛びかかってきた。

「黙ってろ!」

そう吐き捨てながらゼットセイバーを振るい、はねのける。しかし、どのように斬りつけられようと、彼らがその歩みを止める様子は無い。

「一旦、引き返せ!別の道を使う!」

ダスティンとティナに呼びかける。
あまりのショックからか、放心状態となってしまったティナをダスティンは引きずるようにして、今来た道を指示通りに引き返し始めた。
やがて霧を抜け出し、先ほどとは別の――――少しばかり遠回りになる――――道へと入った。無論、いつあの軍団と同様の輩に出会うか分かったものでは無いため、可能な限り用心し、慎重に進む。
談話室らしき部屋にたどり着く。ゼロは自分含めこの場にいる全員の精神的な疲労がピークにあることを感じとり、一度そこで休息をとることにした。

「早く抜け出す方がいいんじゃ……」

ダスティンがかろうじて声を絞り出し、尋ねる。

「できることならそうしたいが…な。そのお嬢さんがそこのポンコツみたいになっちまうのは避けたい」

ティナとチャーリーを順に示す。

「そのためにも、まずは状況の整理だ」

精神的な混乱を鎮めるためにも、この異常な状況を冷静に分析する必要がある。
ゼロは転がっていた椅子に腰掛け、一息つく。ふと気づけばこの部屋にも、何一つとしてレプリロイドの残骸がない。
じわりとこみ上げてくる言いようのない気味悪さに、ゼロは思わず椅子の肘掛けを強く叩いた。





















 5th STAGE






      死屍軍団
























  ――――  1  ――――


「まず…“ヤツら”は全員余すこと無く“スクラップ”…なんだな?」

確かめるように視線をやるとデルクルは小さく頷いた。
破損の程度に差はあれど、そのどれもが致命傷を受けたレプリロイドの“残骸”であることに変わりはない。少なくとも、逃亡直前にデルクルが確認した者は皆そう言う状態だった。そして、“そう言う状態”であるにも関わらず、“ヤツら”はゼロ達へと襲いかかってきた。

「つまり…『死んだハズのレプリロイドが動いてる』ってことですか…」

ダスティンが簡潔に整理する。ゼロは「認めたくないことだがな」と奥歯を噛み締める。

「差し詰め、“コレ”がこうなったのは“ヤツら”を見て、“精神的に耐えきれなくなった”ってとこか」

ゼロはチャーリーを示した。レプリロイドでありながら――――いや、心あるレプリロイド故にこのようなトラブルが起こったのだろう。
背にダスティンやティナがいたからこそ正常を保っていられたが、一人だったならゼロ自身でさえ――――チャーリー程とはいかなくとも――――正気を保っていられたかどうか定かではない。それ程までにショッキングな光景だった。

「何が……起きているのでしょうか…いったい…」

ダスティンが唸るように呟く。この場にいる誰もが同じことを思っていた。
動くはずのない、死んだはずのレプリロイドが、さも生きているかのように動く。普通ならば有り得るはずのない異常現象。いったい何がどうなっているのか。どうしてこうなったのか。いくら頭を働かせようとも答えは出てこない。ただひとつ分かったことは、おそらく白の団の監視用メカニロイドが捉えた人影の正体は“ヤツら”だったのだということだけだ。
しばらくして、部屋中を包む重い沈黙を裂くように「クク…」と不気味な笑いが聞こえてきた。その声の方に目をやると、虚ろな目をしたまま、チャーリーが口の端を歪めて笑っていた。そして頻りにブツブツと呟いている。

「……んだ…。…どうせ…死ぬんだ…。ここで…みんなみんな……あいつらと同じように……」

「クソッ」とゼロは悪態をつく。不快な気分に苛まれるが、気が狂ってしまったこの男に怒りをぶつけたところで、無駄な労力となるのは眼に見えている。――――いや、実際にはチャーリーの無意味な呟きなどはどうでもよかった。
どうにもならない、何も打開策を見いだせない事への歯痒さともどかしさ――――それらの狭間に陥り、抜けだせないでいる自分の非力に苛立っているのだ。

「……呪い…でしょうか……」

ダスティンが思わずそう言葉を漏らすと、ゼロは「馬鹿を言うな!」と即座に否定する。

「俺達はレプリロイドだぞ! ……だいたい“呪い”なんてふざけたもんが、この科学全盛の時代に通じると思ってるのか!?」

「けど、それならどう説明するんですか!? あんな動くはずもないレプリロイドの体が、しかも集団で動いているんですよ!?」

「それにはなにかトリックが………っ!」

自らの言葉に「ハッ」となる。――――そうだ、トリックだ。この異常な現象にも、きっと裏で何らかの科学的な力が作用しているに違いない。そしてそれを扱う何者かが存在しているのだ。
ゼロは、深く息を付く。「落ち着け」と自分に言い聞かせる。ダスティンの言葉に過剰に反応してしまったのも、どこかで自分自身も超常の力が働いているのではないかと思っていたからに他ならない。そう気づき、微かに自嘲する。

「……トリックだ。トリックなんだ……」

それがどういう類のものかは分からないが、絶対に“何者か”が、何か道具を使って裏で糸を引いているはずだ。そういう観点で考えるべきだ。

――――そういえば……何か…

“ヤツら”に気を取られすっかり忘れてしまったが、あの瞬間、他に奇妙なことが確かにあったはずだ。もう一つ、有り得るはずのない何かが……――――

「……霧…」

そう呟く声の方を見る。その主は、先程まで呆然と我を失っていたティナだった。
ティナは自分の言葉に頷くと、ゼロの方を向き尋ねるように言う。

「あの時……どうしてあんな霧が…出たんでしょう…」

視界を覆うほどに、ひどく濃い霧が廊下に充満していた。基地の中だというのに、何故あんなことになっていたのか。
そもそもこのような建物内で、あんな霧が発生すること自体がおかしい。そしてそのあり得ないはずの不可思議な霧の中から、あのあり得ないはずの軍団は現れたのだ。
その瞬間、二つのあり得ない事象が、ゼロの頭の中でうまく結びついた。

「…あの霧が何か作用して……あの軍団が動いていたと考えれば合点がいく」

「霧が…ですか…?」

訝しむダスティンに、ゼロは軽く笑いながら答える。

「ただの霧がこんな場所に発生するわけがない。とすれば、あれは“ただの霧”じゃない――――詳しくは分からないが、霧の様に見える“そういう”何かだ」

まだ繋がってる駆動系とか神経系とかに作用して、あたかも生きているかのように動かすことが可能な、そういう霧だったのではないだろうか。

「…ナノマシン技術の応用……でしょうか…」

ティナの発言に、すかさず「それだ」と声を上げる。

「ここにいる、もしくはどこか別の場所にいる何者かが、“ナノマシンの霧”を操作し、レプリロイドの残骸を操っていたと考えれば全て理解できる」

落ち着いて考えれば、その答えは単純だった。
そのようなナノマシンの開発、及びその操作に関して言えば、技術的には高度である。だが、ネオ・アルカディアの技術力を考えれば不可能な範囲のものではないだろう。
「死んだものが動く」という“言葉”によって思考が閉ざされてしまったことが、一番の問題だった。まんまと思考の穴に陥った自身を、ゼロは深く反省する。

「……でも、ゼロさんの考えが当たっていたとしたら………」

ティナが思わず濁した言葉の先を、ゼロが付け加える。

「その“何者か”がこの基地の内部、または周辺にいるはずだ…――――そしてそいつはおそらくネオ・アルカディアの側だろう」

先程の軍団の動きからして、その“何者か”がこちらの様子を伺える状態であるということは、言わずもがなだ。

「とりあえず……ここまで状況が掴めてきた以上、次は今後の行動について話し合おう」

「『今後の行動』……というと…?」

首を傾げるダスティンとティナに「おいおい」と呆れたように答える。

「脱出の方法、経路についての確認さ。……ずっとこの場所に隠れ続けていたいってんなら別だけどな」

それから室内の端末にコアユニットを接続し、再びデルクルを送り出す。今度は実体化し、基地内の様子を探索するためだ。無論、単純な脱出経路はマップデータで確認できるわけだが……――――

「できれば…あの軍団にまた出会すのは避けたい…ですね」

ティナがポツリと呟くと、他の二人も賛同する。

「全くだ。たとえ仕組みが分かったと言っても、“ヤツら”と顔を合わせるのは精神的によろしくない」

ゼロはそう言うと苦虫を噛み潰したような顔をした。
しばらく経って、デルクルが戻ってくる。ゼロのインターフェースを通して三人それぞれのマップデータに、現在の“ヤツら”の位置、予測進路、想定される最適脱出経路を示す。「上出来だ」とゼロが言うと、デルクルは微かにはにかんでみせた。
談話室を出て、暗い廊下を用心して進む。デルクルの情報が正しいとしても、例の“何者か”にこちらの動きを捕捉されれば、状況は再び一変する。
いくつか設置されている非常用の出入口にたどり着く。システムが完全にダウンしているので、手動で扉を押し開く。
開いた扉の外へと一歩踏み出してから、ゼロは「ちっ」と舌打ちして不機嫌そうに呟く。

「こんな状況にぴったりの“いい天気”だ。心底気分が悪くなるよ……」

どす黒い雨雲が空一面を覆い、大粒の雨がまるで機関銃のように荒れた大地を叩き続けている。
ぬかるんだ足元に注意しながら、一行は少しだけ急ぎ足で基地を後にした。































  ―――― * * * ――――


気象観測データによれば、ゼロが向かった「黄金の鷲」本拠地周辺は今晩から明日にかけて大雨に見舞われるということだった。
小さなため息をつき、シエルは背もたれに体を預ける。

「ゼロ……」

出撃前の様子が脳裏に焼き付いて離れない。おかげで不安が尽きることはない。
どんなに信じようと努めても、赦されないと分かっていても、心配せずにはいられなかった。

「おねえちゃん……だいじょうぶ?」

椅子の横からひょっこりと顔を出してアルエットが気遣う声をかけてくれる。
シエルは「大丈夫よ、アルエット」と笑顔を見せる。できるだけ不安な胸中を悟られまいと努めた。
それから「おいで」と両手を伸ばす。アルエットはそれに従い、シエルに抱きかかえられるようにして、膝の上に座った。
心安らかにさせる優しい温もりと重さが、シエルの両膝にかかる。

「ゼロは……だいじょうぶかな…?」

シエルの気持ちを知ってか知らずか、アルエットがポツリと不安な声で呟いた。
それに対し、できる限りの優しい落ち着いた声で答える。

「大丈夫だよ。きっとすぐに帰ってくるから」

膝の上で「そうだね」と微笑みながら返すアルエットを見つめながら、まるで自分に言い聞かせているみたいだと、シエルは我ながら思った。




















  ――――  2  ――――


一時間以上は歩き続けている気がするが、実際に体内時計で時間を確認すれば、基地を離れてから三十分ほどしか経過していない。こんなにも時間感覚が狂うのも、仕方ないことだとゼロは思った。あの光景からようやく立ち直れたとは言え、未だ、いつ同じような軍団に出会すかも分からない状況にあり、精神的疲労感は次第に高まっている。振り続く土砂降りの雨がそのプレッシャーに拍車をかけているのも明らかだ。だが、足を止めて休息をとろうにも、具合の良い岩場も、廃墟ですらも全く見当たらない。となれば、とにかく歩を進めるしか無いのだ。
足場はぐちゃぐちゃになり、まともな状態ではない。加えて、相当な雨量に小さな川までもができてしまっている。

「ダスティン、ちゃんと付いて来れてるか?」

「ええ、自分は大丈夫です。ティナさんの方を心配してあげてください」

チャーリーの体を支えながら歩いているというのに、ダスティンは弱音も吐かず、それどころかティナを気遣う言葉をかけるなど、非常に頼もしく感じられた。
しかしティナの方はというと、ダスティンの心配する通り、疲労はピークに達しているらしかった。
そうこうしていると、不意にティナがよろける。ゼロはすかさずその体を支えた。

「大丈夫か?」

「ええ…すいません…。ちょっと足元が…」

こんな状態ではこの先が思いやられる。「仕方ない」とゼロは腰をおろし、背中を向けた。

「なんですか……?」

「背負ってく。早く負ぶされ」

促すゼロにこれ以上「迷惑を掛けたくない」とティナは頑なに拒んだが、「そんな状態で歩かれたほうが迷惑だ」と言われ、渋々ゼロの背中に負ぶさった。

「すいません…本当に」

「別に気にするなよ。こんな美人を背負って歩けるんだから俺としても儲けもんさ」

冗談混じりに笑いながら返すと、ティナも少しだけ恥ずかしそうに笑った。

「ゼロさんって、お優しいんですね」

「ん? ……まあレディに対してはな。“野郎”の場合は別さ」

ティナはまたも「クスクス」と笑いを零す。そんな軽い態度で話すのも、精神的に弱っているティナの事を気遣ってのことだろうと思えば、素直に受け入れることができる。

「本当にお優しい……というか、凄いです」

「『凄い』?」

「はい。――――百年間眠り続けていたというのは本当なのでしょう?」

イレギュラー戦争より百年間、一度も目覚めること無く、そして誰にも目覚めさせられることもなく、秘密研究所で眠り続けていた。
何もかもが変わってしまった世界を突如として突きつけられた上、圧倒的弱者といえるレプリロイド達のレジスタンスに加わり、剣を振るう覚悟を決めた。

「そして今、こうして窮地に立たされていたあたし達を救ってくれている。――――凄いことだと思います」

「なんだか……ストレートにそう言われると、くすぐったいな」

今度はゼロが、恥ずかしそうに笑う。

「どうして…ですか?」

ティナの口を不意に衝いて出てきた問いに対し「『どうして』…?」と、ゼロは思わず問い返した。ティナの方も漠然と引っかかりを覚え、反射的にそれを言葉にしてしまっただけだったらしく、自分の問いについて自ら考え直していた。
やがて、その引っかかりの正体を掴めたらしく、改めて問いを投げかけた。

「どうして、戦うことを決意したんですか?」

「え…?」

それはゼロにとって不意打ちに等しかった。
「すいません」と詫びてから、ティナは質問の補足をする。

「ゼロさんの“英雄”という立場なら、きっとネオ・アルカディアにも悪い扱いを受けなかったと思うんです。私たちのように迫害されることなく、それこそ“救世主”と同格に扱われてもおかしくはない。けど、ゼロさんは私たち――――レジスタンスの側についてくださった。その理由が、少しだけ気になったんです」

その言葉を聞き終えた後、「またしても同じ問いが立ちはだかるのか」と、ゼロは心の中で苦笑した。
先日から何度も彼の前に浮かび上がっては、頭を悩ませていた問い。――――“戦いの理由”についての問いは、先日からしばらく彼の頭の隅に静かに居座り続けていた。

「戦う理由…か…そうだな…」

そう言って考え込む。即答されると予想していただけにティナは「不味いことを聞いてしまったか」と戸惑っているが、その様子を余所にゼロはただ黙って考え続けた。
ガネシャリフとの戦いの時も、セルヴォに問われた時も、遂に答えを出せなかった。――――だが、今回こそは無理にでも答えを出してみようと、努めることにした。たとえそれが真の正解でないとしても、手がかり位にはなるかも知れない。
ゼロは時を遡り、眠りから目覚めたあの日のことを思い出す。

――――目覚めてすぐ……

ネオ・アルカディアとの戦いに協力するよう頼まれた。しかし、すぐに快諾したわけではない。自分の記憶データの混乱に困惑し、それどころではなかった。

――――ゴーレムと遺跡警備隊の指揮官が現れて……

シエルが捕まった。それを助けようとは思った。けれど、その時は有無を言わさず戦いに巻き込まれたと言って良かった。
それからゴーレムの攻撃を食らい、瓦礫に埋められ…――――

――――“あの声”が聞こえて……

ゼットセイバーを引きぬき、戦いに勝利した。そう言えば“あの声”の正体についても保留してしまっていた。だが、あれから“あの声”はしばらく聞こえてこないし、害どころか窮地を救われたとあって、特に追及する必要もないように思えた。
それからまた、あの時の時系列を追っていく。

――――小娘を救い出し…

指揮官レプリロイド達を斬り伏せ、シエルを救い出した。そしてそのシエルは、瀕死の仲間と最期の別れを交わし……‥‥

「………泣いていた」

突然の呟きに、ティナは首を傾げる。
ゼロの中で、何かが繋がった。依然、漠然とはしているが。

「泣いていたんだ…小娘が」

「『小娘』…ですか?」

「ああ、そうさ。――――ただの“小娘”が…泣いていたんだよ」

自分の為に体を張って、挙句、命を落とした仲間のために涙をボロボロと零していた。直接それが“理由”に繋がるわけではない。けれどその時、確かに何かを感じた。その感じた何かのために、戦うことを決意した。

「その“小娘”が泣いていたから……ですか?」

「まあ、そういう事かな。――――すまない。実は自分でも上手く言えなくてな…」

そう言ってゼロは苦笑する。
小娘がシエルを指しているのかどうか、もちろんティナは分かっていなかったが、聞き出そうとはしなかった。それからその曖昧な答えにも、優しく微笑みかける。

「…いえ、いいと思います。『女の子の涙のために戦う』――――いかにも“英雄”って感じがして、素敵です」

なんの嫌味も含まずにティナがそう言ってくれたおかげで、ゼロもそれが今出せる答えとして十分に思えた。











次の瞬間、突如としてゼロはその足を止めた。

――――……まさか…

背筋に悪寒が走る。込み上げてくるのは、黄金の鷲基地内部で味わったものとは比べようのない、また別の気持ち悪さだった。降り続ける雨の中にゼロが見たモノ――――それは、間違いなく“彼女”の背中だった。
こんな時にまで現れるというのか、この幻覚は。……いや、果たして本当にただの幻覚なのだろうか。それすらも自信がない。だが、構っている余裕などは無い。先に進まねばならない。しかし――――…

――――足が…

動かない。石のように固まって、ピクリとも動いてはくれない。今度は近づくことすら敵わないのか。
戸惑うゼロ。そしてそれはさらに激しい動揺へと形を変える。驚くべきことに“彼女”の方から、こちらへと近づいてきたのだ。毎夜、頭を悩ます夢と同様に。

「……な…」

一歩ずつ、しっかりと地面を踏みしめ、ゼロのもとへと向かってくる。

「…来るな…」

やがて、目と鼻の先に“彼女”は立ちはだかる。依然として、顔は真っ白に抜け落ちたままだ。
そして“彼女”は手を伸ばす。ゼロの頬に触れようとする。

「来るな!」

叫び、拒絶する。

「来るな!来るな!近寄るな!!」

頼むから。俺に近寄るな。これ以上近づけば、剣を抜く。

「嫌だ…!嫌なんだ!!」


    もう二度と

    もう決して


「…失いたく…ない…」

掠れる声を絞り出し、懇願する。

「失いたくないのに…」

    それなのに、どうして

    どうしてお前は

「俺の…前に…」

――――ねえ……

不意に“彼女”の声が聞こえる。頭の中に、響く。

――――……私…待ってるから……

その言葉に、ゼロは奥歯を噛み締める。そして胸を締め付けられるような息苦しさを堪えながら、声を絞り出して問いかける。

「……俺に…どうしろと言うんだ……?」


    俺には斬ることしかできない。


    壊すことしかできない。

    殺すことしかできない。


    そんな俺にお前はどうしろというんだ。

    そんな姿になってまで、何を願うと言うんだ。




それでも、“彼女”はただ言葉を続ける。

――――…ずっと…ずっと…待ってるから…

「……………ぁぁ…」

    そういうことなのか

    斬ればいいのか

    目の前から消すためには

    斬り捨てて、壊し尽くせばいいのか

    立ちはだかる、いくつもの仇敵たちと同じように

    斬って、斬って、斬って、斬って、斬って、斬って、斬って――――…






    殺せばいいのか。






「……斬って…壊して…殺して…」

    大切な君を

「斬って…壊して…殺して…」

    誰よりも守りたかった君を

「斬って壊して殺して斬って壊して殺して…」

    誰よりも

    何よりも

    想っていた君を


    もう一度――――…


    斬って壊して殺して斬って壊して殺して斬って壊して殺して斬って壊して殺して――――…



    斬っ壊し殺し斬っ壊し殺し斬っ壊し殺し斬っ壊し殺し斬っ壊し殺し斬っ壊し殺し斬っ壊し殺し斬っ壊し殺し――――…




    斬壊殺斬壊殺斬壊殺斬壊殺斬壊殺斬壊殺斬壊殺斬壊殺斬壊殺斬壊殺斬壊殺斬壊殺斬壊殺斬壊殺斬壊殺斬壊殺斬壊殺斬壊殺――――…










斬壊殺斬壊殺斬壊殺斬壊殺斬壊殺斬壊殺斬壊殺斬壊殺斬壊殺斬壊殺斬壊殺斬壊殺斬壊殺斬壊殺斬壊殺斬壊殺斬壊殺斬壊殺斬壊殺斬壊殺斬壊殺斬壊殺斬壊殺斬壊殺斬壊殺斬壊殺斬壊殺斬壊殺斬壊殺斬壊殺斬壊殺斬壊殺斬壊殺斬壊殺斬壊殺斬壊殺斬壊殺斬壊殺斬壊殺斬壊殺斬壊恋殺斬壊殺斬壊殺斬壊殺斬壊殺斬壊殺斬壊殺斬壊殺斬壊殺斬壊殺斬壊殺斬壊慕殺斬壊殺斬壊殺斬壊殺斬壊殺斬壊殺斬壊殺斬壊殺斬壊殺斬壊殺斬壊殺斬壊殺斬壊殺斬壊殺斬壊殺斬壊殺斬壊殺斬壊殺斬壊殺斬壊殺斬壊殺斬壊殺斬壊殺斬壊殺斬壊殺斬壊殺斬壊殺斬壊殺斬壊殺斬壊殺斬壊殺斬壊殺斬壊殺斬壊殺斬壊殺斬壊殺斬壊殺斬壊殺斬壊殺斬壊殺斬壊殺斬壊殺斬壊殺斬壊殺斬壊殺斬壊殺斬壊殺斬壊殺斬壊殺斬壊殺斬壊殺斬壊殺斬壊殺斬壊殺斬壊殺斬壊殺斬壊殺斬壊殺斬壊殺斬壊殺斬壊殺斬壊殺斬壊殺斬壊殺斬壊殺斬壊殺斬壊殺斬好壊殺斬壊殺斬壊殺斬壊殺斬壊殺斬辱壊殺斬壊殺斬壊殺斬壊殺斬壊殺斬壊殺斬壊殺斬壊殺斬壊殺斬壊殺斬壊殺斬壊殺斬壊護殺斬壊殺斬壊殺斬壊殺斬壊殺斬壊殺斬壊殺斬壊殺斬壊殺斬壊殺斬壊殺斬壊殺斬壊殺斬壊殺斬壊殺斬壊殺斬壊殺斬壊殺斬壊殺斬壊殺斬壊殺斬壊殺斬壊殺斬壊殺斬壊殺斬壊殺斬壊殺斬壊殺斬壊殺斬愛壊殺斬壊殺斬壊殺斬壊殺斬壊殺斬壊殺斬壊殺斬壊殺斬壊殺斬壊殺斬壊殺斬壊殺斬壊殺斬壊殺斬壊殺斬壊殺斬壊殺斬壊殺斬壊殺斬壊殺斬壊殺斬壊殺斬壊殺斬壊殺斬壊殺斬壊殺斬壊殺斬壊殺斬壊殺斬壊殺斬壊殺斬壊殺斬壊殺斬壊殺斬壊殺斬壊殺斬壊殺斬壊殺斬壊殺斬壊殺斬壊殺斬壊殺斬壊殺斬壊殺斬壊殺斬壊殺斬壊殺斬壊殺斬壊殺斬壊殺斬壊殺斬壊殺斬壊殺斬壊殺斬壊殺斬壊殺斬壊殺斬壊殺斬壊殺斬壊殺斬壊殺斬壊殺斬壊殺斬壊抱殺斬壊殺斬壊殺斬壊殺斬壊殺斬壊殺斬壊殺斬壊殺斬壊殺斬壊殺斬壊殺斬撫壊殺斬壊殺斬壊殺斬壊殺斬壊殺斬壊殺斬触壊殺斬壊殺斬壊殺斬壊殺斬壊殺斬壊殺斬壊殺斬壊殺斬壊殺斬壊殺斬壊殺斬壊殺斬壊殺斬壊殺斬壊殺斬壊殺斬壊殺斬壊殺斬壊殺斬壊殺斬壊殺斬壊殺斬壊殺斬壊殺斬壊殺斬壊殺斬壊殺斬壊殺斬壊殺斬壊殺斬壊殺斬壊殺斬壊殺斬壊殺斬壊殺斬壊殺斬壊殺斬壊殺斬壊殺斬壊殺斬壊殺斬壊殺斬壊殺斬壊殺斬壊殺斬壊殺斬壊殺斬壊殺斬壊殺斬壊殺斬壊殺斬壊殺斬壊殺斬壊殺斬壊殺斬壊殺斬壊殺斬壊殺斬壊殺斬壊殺斬壊殺斬壊殺――――……









「ゼロさん!」

耳元で大声が響き、ゼロは「はっ」と我に返った。と、同時にこのような状況ですら幻覚に惑わされてしまった己を恥じ、小さく舌打ちをする。
だが、一瞬にして思考が切り替わる。我が身に起こったトラブルを二の次にし、今現在起こっているこの“異常な状況”に対して考察する。

「これは……!?」

気づけば辺り一面が霧に覆われてしまっていた。ゼロが幻覚に囚われている間に。いったいどれくらいの時間が経ってしまったのかは分からないが、そんなことを今悩んでも意味が無い。問題は既に起こってしまっているのだ。
幸いにして、“ヤツら”の影は見えない。このまま全速力で突っ切れば逃げおおせられるかもしれない。心を決め、後方にいるはずのダスティンに呼びかける。

「ダスティン! いるな!?」

「すぐ後ろに!」

「この霧を抜ける! 真っ直ぐはし……ッ!」

「走り抜けろ」と言いかけて、もうひとつの違和感に気づく。
走れない。左足になにかある。何かが触れている。いや、それどころか、何かが掴んでいる。間違いなく、この感触は――――…

「手……?」

自分の足元を見る。左足に注視する。――――確かに何かの手が見える。地中から突き出すようにして、ゼロの足を掴んでいる。

「しまった!!」

地中からレプリロイドが勢い良く飛び出て、襲いかかってきた。ところどころ生々しい傷が残る見慣れた青いボディ。それは正しく、“死んでいるはずの”パンテオンだった。
体にしがみつこうとして来た所を、足を蹴り上げて弾き返す。そのまま倒れたパンテオンの身体は泥の飛沫を上げた。

「ゼロさん! 大丈夫ですか!?」

ダスティンがゼロの方に駆け寄って来る。

「ああ、大丈夫だ…。それより、とっとと“これ”を抜けるぞ! “ヤツら”に囲まれる前に!」

そう言った矢先、またしてもパンテオンが飛び掛ってくる。今度は一体ではない。それどころか既に、周囲には別の影が見える。
ゼロはティナを優しく下ろし、ゼットセイバーを引きぬく。そして襲い来るパンテオンたちを跳ね除けた。

「ティナ、すまない。そのまま自分で歩いてくれ」

そう詫びるゼロにティナは黙って頷く。「道を開けるぞ」とゼロは片手でゼットセイバーを振り、もう片方の手でティナの身を守るように寄せながら前進する。次々に飛び掛ってくるパンテオンたちを鮮やかに斬り伏せ、足元で動く残骸を蹴散らしてゆく。
順調に進んでいる。これならすぐに霧を抜けられる――――かと思いきや、後方から耳をつんざくような叫び声が聞こえた。

「ダスティン!?」

声の主はダスティンだ。霧が濃くて姿が見えない。それ程までに離れてしまった。無理もない、疲労が溜まっている上に、チャーリーを支えながら歩いていたのだから。ゼロは自分の失態を呪う。

「ダスティン! もういい! チャーリーを棄てろ! 早く!!」

チャーリーのためにダスティンまでもが命を落としてしまっては本末転倒だ。しかし、時既に遅い。

「助けて! 助けてぇ! 助け…ぇっ!!」

鈍い音と共に声が途切れる。間違いない。ダスティンは惨たらしく殺された。
すかさず「いやぁぁぁっぁっぁあぁ……!!」とティナが叫ぶ。最後に残った僅かな仲間の死に、心は今にも折れそうだった。だが、それをゼロは叱咤する。

「喚いている暇があるなら、とっとと走れ!!」

またしても襲いかかってくる数体のパンテオンを、一撃で破壊する。そして硬直しかけていたティナの体を左腕で無理矢理抱き上げ、駆け抜けた。
止めどなく現れるパンテオンたちの軍団をやり過ごしながら、やがて、霧を抜ける。とにかくその場から離れようと、速度を落とさずにしばらく走り続けた。
ようやく霧から距離を取り、小高い土地で息を落ち着けた。そして、霧の方を眺める。

――――なんてこった……

その霧の範囲に、驚きを隠せなかった。間違いなく一キロ以上先まで続いている。その霧の中を、先程の軍団が蠢いていると思えば吐き気すら催す。
ゼロは覚悟を決め、腕に付いていたコアユニットを取り外し、ティナに手渡す。

「走れるな?」

ティナは泥に手をつき、震えながら弱々しく頷く。

「近くに空間転移装置がある。デルクルのデータを頼って、そこに向かえ。デルクルに従っていれば白の団本拠地周辺まで飛べる。そして白の団に匿ってもらうんだ」

「……ゼロ…さんは…?」

「俺は“ヤツら”を操ってる野郎をぶちのめして来る」

そう言って泥まみれの顔で小さく笑うゼロ。しかし、ティナは「無茶です!」とゼロの案を頑なに拒否する。

「“ヤツら”とやり合うってことでしょう! ゼロさん一人で! あれだけの数と!!――――それに…あたしだって……ひとりで逃げ切れるかどうか……」

次第に俯いてしまうティナの肩を強く掴み、「しっかりしろ」と励ます。

「“ヤツら”を野放しにしておけば、白の団―――いや、他の幾つものレジスタンスチームまでもが黄金の鷲のようにされてしまう。それだけは防がなきゃならないんだよ」

冷静に言い聞かす。それから「心配するな」と微笑みかけ、頭を優しく撫でる。

「俺は英雄だぜ? あの程度の連中に遅れを取るほどヤワじゃない。必ず後から追いかけるさ」

ティナの手を引き、立ち上がらせる。それから一旦強く手を包むように握った後、それを離し「さあ、行け」と促す。
決して振り返らずに。とにかく走れ。生き残るために。

「……ご武運を…」

無理やり言葉を振り絞り、ティナは背を向けて駆け出した。その背中が小さくなるまで、雨粒に霞んで見えなくなるまで、ゼロは見つめていた。

「……さてと」

ティナがこの場から去ったのを確認し、再度、霧の方へと向き直る。
デルクルが本拠地へと戻れば、万が一、自分の身に何か起きても、あの軍団の情報は白の団へと届けられる。そうすればエルピス、または優秀なオペレーター陣が打開策を見出してくれるだろう。

「なんて、弱気になってる場合じゃないよな」

しかし、それはあくまで“万が一”の場合だ。――――“そうなるべきではない”場合なのだ。

「必ず生きて帰る……なにがあろうともな」

ゼットセイバーを再び握り締め、雨でグチョグチョに泥濘んだ大地を蹴る。ずぶ濡れになった紅いコートは重みを増していたが、戦場へと向かう足は驚くほど軽い。
それでも、振り続く雨は更に激しさを増していった。















  ―――― * * * ――――


ゴリンッ…と言う鈍い音とともに捩じ切られた首が、虚しく地面に落ちる。

「…ぅ……あ…」

ドシャッ…と胴体が泥の中に呆気無く崩れ落ちた――――かと思いきや、腕がその体を支える。間違いなく、その体の主は死んだはずだ。それなのに、“まるで生きているかのように”それは再び立ち上がった。

「ああ……ああああ…」

それから死んだ筈の“それ”はズシャッ、ズシャッ…とぬかるんだ地面を踏みしめ、一歩ずつ確実にこちらへ近づいて来た。

「ああぁぁぁあぁ……は…」

        “死”

脳裏に浮かんだのはその一文字。
そう、自分は死ぬのだ。この訳の分からない集団の中で。生ける屍達の手によって。そうしてまた、自分もこの軍団の一員となり、生き続けるのだろう。

「ハハ……ハハハハハハハハハハハハハハハ」

笑いが溢れる。止めどなく。しかしそれは決して喜びからではない。
呪い――――無力な自分を、自分の境遇を、この世を、己も含めた全てを呪うように、ただひたすら笑い転げる。

「ハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ――――…グェッ!!」

チャーリーの首もまた、強引に捩じ切られ、泥の中に虚しく落下した。













  ――――  3  ――――


雨粒は弾け、飛沫に変わる。雲の合間から光が差し込むようならば、その飛沫に閃光が反射し、キラキラと特別綺麗に輝いたことだろう。その細かい粒の一つ一つに映る世界は、汚れのない、理想的で、幻想的なものに見えていたかもしれない。
しかし残念ながら、今この時、その飛沫に映る世界は、凄惨で、血にまみれた、さながらこの世の地獄とも言うべき舞台の一幕だった。

「ガラクタはガラクタらしく……眠ってろぉ!!」

斬って、斬って、斬って、斬って――――……また斬り伏せる。だが、どれだけ斬り刻もうとも、部位ごとに捌こうとも、何者かに操られたそれらは黙りこむこと無く、何度となくゼロに向かい襲いかかってくる。
ゼロもまたそれら全てを相手にはせず、できるだけやり過ごしながら、操り続けている“何者か”を探すべく霧の中を突き進む。
宛があるわけではない。だが、こちらの動向を伺っているのは確かだ。となれば、この軍団の何処かか、もしくはこれらを見渡せる、それ程遠くはない何処か。どちらにしろ、こうして戦い続ける者がいるとなれば、その“何者か”もいつまでも黙っているわけがないだろう。この状況は、おそらく相手にとっても予想外のはずだ。

「――――つっても……キリがなさすぎる…」

跳ねる泥に、紅いコートも、美しい金髪もすっかり汚されてしまった。
自分の考えが少々甘かったのかもしれない。ティナと別れてからしばらく経つが、一向に事態が好転する気配はない。苛立ちが焦りを生む。焦りが疲労に変わる。疲労は彼の心を蝕んでゆく。
不意に、視界にあの少女の影がちらつく。

「何処にいる!?」

声を張り上げ、叫ぶ。足をとめること無く。剣を止めることなく。けれど大声で叫び散らす。

「何処にいやがる!? 出てこい!!」

叫び散らす間も、あの少女の背中は何度も視界をよぎる。

「失せろっ!!」

そう吐き捨てるように言っては、またパンテオンの胴を断つ――――いや、パンテオンではない。別のレプリロイドの胴だ。軍団の中には黄金の鷲や、それ以外のレジスタンス組織のメンバーだったと思われるレプリロイドのボディーも確認できる。とは言え、そんなモノをいちいち気にしている余裕など無い。

「……自分は陰に隠れて人形遊びか、この陰険野郎!! 姿を現せと…………言ってるだろう!!」

ガムシャラに剣を振るい続ける。しかし、その声に答えるものは現れない。
そうしてしばらくもがき続ける内に、一つの不吉な予感が胸を貫く。「まさか」と思わず言葉にしてしまう。必死でそれを考え無いよう努め、声を上げては呼びかけるが、その予感はゼロの精神を蝕み、ブクブクと肥え太るように膨らんでいく。
「本当に呪いだったのでは?」という、極非科学的な予感。――――決して認めたくない予感ではあるが、それでは今の状況を他にどう捉えれば良いのだ。ゼロは次第に叫ぶことすら諦め、ただ我武者羅に刃を振り続ける。
その瞬間だった。

「クックックッ…」

不意に聞こえる笑い声が、迷走している思考を掻き消した。ゼロはゼットセイバーを強く振り、剣風で霧を裂く。そして声の方に視線をやる。
そこに、確かにいた。屍の軍団とは違う、傷にも泥にも何一つ怪我されることのないボディーを持った、全く形の違うレプリロイドがそこに仁王立ちしていた。
犬のような頭部を持ったレプリロイド。間違いない、ミュートスレプリロイドだ。
ゼロは足に力を込め、一気に飛び上がる。そして、そのミュートスレプリロイド目がけてゼットセイバーで斬りかかる。

「愚かな」

ミュートスレプリロイドはそう言って、不敵に嘲笑い、かろやかにゼロの一撃を躱すと、片手に持ったステッキでゼロの体を殴りつける。ゼロはその攻撃を片腕で防ぎ、力を受けた方向に身を翻すことで、ダメージを抑えた。

「テメエがこの人形ショーのプロデューサーってワケか……」

一旦距離をおいた後、ゼロはそう言って敵を睨みつける。だが、相手は相変わらず不敵な笑みを浮かべ、こちらに見下すような視線を向けている。
それから、対峙した二体目のミュートスレプリロイドは「その通り」と、己の正体を何の躊躇も見せずに明かしてしまった。

「我輩の名は“アヌビステップ・ネクロマンセス三世”。死を司るアヌビス神の具現よ!」

「死を司る……ね」

なるほど、レプリロイドの屍を自在に操るこの能力は、確かにその具現とでも言うべきものなのだろう。しかし、ゼロはそれを花で笑って返す。

「笑わせるなよ、ワンコちゃん。“よいこの人形劇”の間違いだろう?」

「それなら貴様は我輩の劇を盛り上げる“ゲスト”と言うべきかな?」

ゼロの挑発も意に介さず、アヌビステップは余裕の笑みを浮かべ続ける。

「そういうキサマは何者だ? 紅いコートの愚か者よ。――――我輩の軍団と対峙し、臆せずに闘い続ける男には、生まれて初めて出会った。そんな貴様の名前を覚えておいてやっても良いぞ?」

杖をゼロに向け、上から目線で問いかける。

「なんだ、知らないのか? ――――噂に聞いたことくらいあるだろう。百年前の“紅い英雄”の噂を…さ」

「成程。つまり貴様がガネシャリフの一号機を倒したと噂の“紅いイレギュラー”か」

「ふむ」と感心したような声を漏らす。その言葉から察するに、一体目のミュートスレプリロイドを倒した話はネオ・アルカディア側には既に知れ渡っているらしい。
アヌビステップのセリフ中で“一号機”という言葉が引っかかったが、ゼロはそれを思考の隅に追いやった。既に場の雰囲気が一変したことに気づいたのだ。

「よろしい、古き時代のものよ。ならば、手加減は一切なしだ!」

そう言ってアヌビステップは杖を強く振るう。それに従うように軍団が一気にゼロへと跳びかかった。

「永久の旅路へ向かう貴様の為に、我輩が祝詞をあげてやろう!」

「チィッ!」

舌打ちと共に素早く身を躱し、ゼットセイバーを振り回す。だが、次々と襲い来る敵は休む間を与えてはくれない。

「クックックッ。素晴らしいだろう? 死をも操る我輩の術。これぞ神の所業!」

「御託のうるさい野郎だ……」

神の所業? 科学の力を借りておきながら、平然とそのように宣うことができるのか。
だが言い返そうにも、その余裕すら生まれない。
しかし、その余裕は自分で切り開く以外方法は無い。ゼロは力を振り絞り、もう一度ゼットセイバーを強く振るうと、襲い来る軍団を跳ね除ける。そしてまた強く地面を蹴り、アヌビステップの頭頂部目掛けてセイバーを振り下ろす。

「ワンコはワンコらしく地べたを這いずり回ってろ!」

「後ろだ、紅いイレギュラー」

雨で視界がぼやけた一瞬が災いした。素早く後方へと回り込んだアヌビステップは忠告と同時に、ステッキでゼロの背を激しく殴りつける。
今度は受身を取る暇もなく、ゼロは直にダメージを食らい、泥の中に倒れこむ。

「地べたを這いずり回るのは貴様の方だ! 我輩の兵から逃れられると思うなよ!」

ぞろぞろと迫り来る骸の兵。ゼロは慌てて飛び起き、身体を掴もうと伸ばしてきた幾つもの腕を切り捨てる。だが、どれだけ剣を振ろうと、果ては見えない。
圧倒的優勢に、アヌビステップは「百年前の英雄とてこの程度!」と高笑いを上げた。

「今は塵炎軍団に身を置いてはいるが、いずれこの“死屍軍団”を率いて四天王共を駆逐し、やがてはネオ・アルカディアすら我輩のものとしてくれるわ!」

壮大な野望を語りながら、ステッキをまたしても大きく振るう。
ゼロは疲労により上手く回らない頭で打開策を練るが、防戦一方の状況から抜け出せない。振り続ける腕にも負荷がかかり、動きが鈍くなる。しかしそれでも、手を止めることはできない。休む間もなく襲いかかってくる屍の軍団。

「く…っそぉ…!!」

一筋の光明も見いだせぬまま、敵を斬り続ける。首を斬り落とし、胴を絶ち、頭頂部を切り開き、胸部を貫く。そうして斬って、斬って、斬って、斬り続け――――…





    不意に、ノイズが走る。





「何だ」と自身に起き始めたトラブルに反応する。だが、敵を斬る手は止めることはなかった。というより、止まることはなかった。
そしてまた、ノイズが走る。聴覚に、視覚に、ひたすら走る。目の前の軍団の姿も、アヌビステップの笑い声も次第に掠れてゆく。

――――なにが……どうなっている!?

その異常事態に、困惑する。
しかし、驚くべきことにゼットセイバーを降り続ける腕は止まる気配が一向に無い。それどころか右腕は酷くふわふわと、まるで自分の物ではないような感覚さえ感じる。
気づけば、視界は染まっていた。“全て”を塗りつぶすように。まるで血の海を泳でいるかのように。辺りは紅く染まり切っていた。

――――これじゃあ、まるであの夢の……

相変わらずアヌビステップは、己の軍団の中でもがき苦しむゼロの姿に高笑いをし続けていた。けれど、最早ゼロの耳にその声は届いていない。

代わりに、ひどくノイズが走る。
それから唐突に、頭の中で声が響き始める。

《俺ニ身ヲ委ネロヨ》

夢の中同様、その声は強く要求を突きつける。
ゼロはそれを心の中で拒絶する。だがどれだけ拒もうと、“声”はそれを受け付けない。

《俺ニ全テ任セロヨ》

そう、要求する。加えて、声は命じる。

《モット殺セ》

気づけば体中が血塗れだった。泥にまみれた紅いコートはさらに紅黒く変色し、ゼットセイバーを握る掌はぬるぬるとしたおぞましい感触に侵食され、決して振り払うことができない。

《モット壊セ》

――――…黙れ

《モット破壊シロ!》

――――黙れっ!

《破壊シロ!》

――――消えてくれっ!!!

《破壊シロ! 破壊シロ!》

――――嫌だっ!

拒絶の声を上げる。繰り返す。しかし、その声が収まることはない。

《破壊シロ! 破壊シロ! 破壊シロ!》

――――嫌だ…! ……嫌だぁっ!!








いつの間にか“彼女”が、目と鼻の先に立っていた。
悶え苦しむ彼に向け、“彼女”が言葉を紡ぎ出す。

――――ねえ……

少しずつ近付き、彼女は手を伸ばす。

――――……私…待ってるから……

頬に触れる白い手。優しい手。

「…あぁ…」

――――…ずっと…ずっと…待ってるから…

けれど、彼女の手もまた血に染まる。

「あぁ…ぁあぁ……」

分かっている。その手を。その肌を。その心を。
紅く。血のように染め上げてしまったのは、他の誰でもない。

「――――…俺だ」

頭が割れるような痛みと共に一際大きなノイズが走る。

「あ あ ぁ ぁ あ ぁ あ ぁ ……」








破壊シロ破壊シロ破壊シロ破壊シロ破壊シロ破壊シロ破壊シロ破壊シロ破壊シロ破壊シロ破壊シロ破壊シロ破壊シロ破壊シロ破壊シロ破壊シロ破壊シロ破壊シロ破壊シロ破壊シロ破壊シロ破壊シロ破壊シロ破壊シロ破壊シロ破壊シロ破壊シロ破壊シロ破壊シロ破壊シロ破壊シロ破壊シロ破壊シロ破壊シロ破壊シロ破壊シロ破壊シロ破壊シロ破壊シロ破壊シロ破壊シロ破壊シロ破壊シロ破壊シロ破壊シロ破壊シロ破壊シロ破壊シロ破壊シロ破壊シロ破壊シロ破壊シロ破壊シロ破壊シロ破壊シロ破壊シロ破壊シロ破壊シロ破壊シロ破壊シロ破壊シロ破壊シロ破壊シロ破壊シロ破壊シロ破壊シロ破壊シロ破壊シロ破壊シロ破壊シロ破壊シロ破壊シロ破壊シロ破壊シロ破壊シロ破壊シロ破壊シロ破壊シロ破壊シロ破壊シロ破壊シロ破壊シロ破壊シロ破壊シロ破壊シロ破壊シロ破壊シロ破壊シロ破壊シロ破壊シロ破壊シロ破壊シロ破壊シロ破壊シロ破壊シロ破壊シロ――――…‥


「あぁあぁああぁぁあぁぁぁあああぁあぁああぁぁあぁぁぁあああぁあぁああぁぁあぁぁぁあああぁあぁああぁぁあぁぁぁあああぁあぁああぁぁあぁぁぁあああぁあぁああぁぁあぁぁぁあああぁあぁああぁぁあぁぁぁあああぁあぁああぁぁあぁぁぁあああぁあぁああぁぁあぁぁぁあああぁああぁあぁあぁああぁぁあぁぁぁあああぁあぁああぁぁあぁぁぁあああぁあぁああぁぁあぁぁぁあああぁあぁああぁぁあぁぁぁあああぁあぁああぁぁあぁぁぁあああぁあぁああぁぁあぁぁぁあああぁあぁああぁぁあぁぁぁあああぁあぁああぁぁあぁぁぁあああぁあぁああぁぁあぁぁぁあああぁああぁ!!!!」










「なんだ!?」

叫びを上げたかと思うと、次の瞬間、“紅いイレギュラー”は周りの兵たちを大きく跳ね除け、高く宙へと舞い上がった。
アヌビステップはまたしても自分の方へと向かってくるのだろうと身構えたが、予想は外れる。“紅いイレギュラー”は逆に大きく距離をとった場所に着地した。

――――何をするつもりだ?

“紅いイレギュラー”はそれまで振るっていた剣を左腕に収納する。とほぼ同時に、彼の両腕に強大なエネルギーが高速で蓄積されてゆく。そのエネルギーの大きさはこれまで絶対的な優位を保っていたアヌビステップを、一瞬にして恐怖させるほど異常なものだった。

「待て……そのエネルギーを…どうするつもりだ……」

嫌な予感がする。そのエネルギーは明らかに、ここら一帯を吹き飛ばしても余るほどのものだ。
そのアヌビステップの問いに答えるように、“紅いイレギュラー”の腕部アーマーは一際激しい光を放ち、輝き出す。

「や…やめろ……貴様の体も…無事じゃ済まんぞぉっ!!」

恐怖に駆られ警告する。
しかしその声はまるで聞こえていないというように、“紅いイレギュラー”は少しも躊躇うこと無く、攻撃態勢に入る。そうして振り上げた両腕は唸りを上げた。

「頼む! やめてくれぇっ!!」

どれだけ喚き散らそうとも、意に介さない。飛びかかる骸の軍団に、臆す様子も見せない。
そして、アヌビステップの「助けてくれぇえぇぇっ!!」という絶叫が響くと同時に、ゼロはその両手を一気に振り下ろす。


解き放たれた破滅の光。
全てを塵に変えて膨らみ続けるその光に、雨雲を突き破ろうかという程大きな絶叫諸共、その場の文字通り“全て”が飲み込まれてしまった。
























  ――――  4  ――――


砂漠にいた屍の軍団は一瞬にして霧ごと姿を消し、大言壮語を吐いていたアヌビステップも塵となったようだ。僅かに残る残骸がちらほらと転がっている。
解き放ったエネルギーの反動は大きく、体中に激痛が走った。節々から疑似血液が吹き出し、両腕のアーマーにヒビが入る。
ゼロは両の膝をつき、そして泥の中へと俯せに倒れ込む。
力が入らない。音も聴こえない。世界は歪んだまま――――けれど色は消え、暗闇の中。
泥に顔を埋めている内に息苦しくなって、首を横に向ける。それが精一杯の動作だった。

――――…足…?

霞んだ視界に足の踵が見える。目線を上へと泳がせる。くびれた腰、小さな背中。

――――…あれ……は……‥‥

見紛う事無き“彼女”の背中。幾度と無く視界にちらついては、消えていった“彼女”の背中。
そしてその背中は、今にもその場から立ち去ろうと歩き出す。

――――……行く…な…‥‥

自分でも理解ができなかった。
あんなにも恐れていた“彼女”の姿だというのに、今は心の底から「引き止めたい」と願っている。
側にいて欲しいと、その手に触れたいと、その身を抱き寄せたいと、ゼロは願っている。
しかし、あまりのダメージに声を出すことすらできない。

――――行かないで………くれ…‥

どれだけ願っても、強く祈っても、“彼女”の背中は遠ざかる。

――――……たくない…

その背中はだんだんと、闇に向かって進んでゆく。二度と手の届かない、闇の向こう側へと。
それでも想うのだ。願い、祈るのだ。

――――…失い…たくない……



    失いたくないんだ




    ただ一人

    俺を


    包んでくれた人







    最愛の人――――……‥‥







――――…駄…目……か…‥

届かぬ想いを保ち続ける気力すら今はない。
それでも雨は激しく降り続く。視界はさらに歪み、次第に黒く染まり、意識は遠のいてゆく。
やがて全てが闇に閉ざされる。


――――……なのに


    それなのに

    全てが消えたはずなのに


    何故だろう……






    いつまでも


    ノイズが




    消えない


































  ―――― * * * ――――


「報告致します!」

「ああん?」

指揮官室へと訪れたオペレーターの声色に、眉をひそめる。察するに何かトラブルが起きたらしい。
まったく面倒くさいことだと彼は思った。
軍団を率いている自分の立場を思えば、確かに仕方が無いことだが、“闘い”にしか興味のない彼にとっては、それ以外の“雑事”は全て部下に押し付けてしまいたい邪魔な存在なのだ。そしておそらく、たった今舞い込んできた新たなトラブルもそう言った“雑事”に決まっている。
そう思い込んでいたが、事態は彼の予想を良い意味で裏切ってくれた。

「戦略研究所より発案されていた“アンデッド計画”、実験機第三号の反応消失を確認しました!」

「なにぃ!?」

「アンデッド計画」――――死んだはずのレプリロイドやメカニロイドの体を、統制用レプリロイドが専用の特殊ナノマシンによってあたかも生きているかのように操作し、それらを前線で部隊として活用することで、資源の削減を図るというもの。
彼はこの計画に不服だった。
闘いとは生者同士によるものだからこそ、血が滾り、心踊るものとなるのだ。だというのに、その舞台となるべき戦場に、屍共が死に切れずに彷徨うとあっては気分が悪い。だが、本国の戦略研究所はその計画を推進し、彼もまた立場上、それに協力せざるをえなかったのだ。

しかし、その計画において実験されていた統制用レプリロイドの反応が突如として消えた。

彼は考える。
たかが統制用レプリロイドと言えど、特殊部隊の長として活用するという理由から、それはミュートスレプリロイドとして開発されていた。
しかし、そのレプリロイドが死んだ。どこかの何者かによって破壊されたのだ。
いや、そう考えるのは早計かもしれない。もしかしたら、単純に通信機器が故障しただけかも知れない。

だが、彼はそこまで考えた後、「そんな面白くねえ話のはずがねえよなぁ」と呟き、ニタリとほくそ笑む。
そうだ、そのミュートスレプリロイド――――アヌビステップ・ネクロマンセスは死んだのだ。いや、殺された。何者かの手によって。何者かと闘って。
ふと、ガネシャリフが倒されたという話を思い出す。

「……面白くなってきたじゃねえか」

笑いが込み上げてくる。
ここ最近、いや、生まれて以来自分と対等に戦える者と出会ったことはない。もちろん仲間の中にはいるかもしれない。けれど、真に命を懸けたやりとりなどはできるハズがない。
しかし今はどうだ。ミュートスレプリロイドを二体も倒したという者が現れた。なかなかに骨のある者が、姿は見えずとも彼の前に現れたのだ。
無論、それが「一人である」かどうかは彼には分かる由もないが、それでも彼は「一人である」と決めつけていた。

「いかが致しますか……?」

「そうだな、とりあえずは……放っておけ」

本国に知らせろというわけでもなく、彼はただ放っておけと指示する。
思わず部下は「いいのですか!?」と素っ頓狂な声で問いただす。だが、彼は「構わねえよ」とあくまでも余裕を持って切り返した。

「もう少し様子見しようや」

彼は片手をひらひらと振りながら、そう答える。
そうだ、もう少し様子見が必要だ。対等にやり合える強者だと信じて飛びかかった挙句、ハズレくじという可能性も否めない。その者の強さが真であるかどうか、それをもう少し見極めたい。

「了解…しました。……烈空軍団、冥海軍団には…?」

「“ハル”と“レヴィ”? …言うな言うな! 面倒くせえ話になるに決まってやがる。何処にも漏らすんじゃねえぞ。勿論、元老院の連中にもな」

「ハッ」と威勢よく敬礼をして、オペレーターは指揮官室を去っていった。扉が閉まってから彼は呟く。

「さぁて…楽しみにさせてもらうぜ。“紅いイレギュラー”よぉ……」



抑えきれぬ高揚感に、“闘将”はしばらく一人で笑い続けていた。





















 NEXT STAGE







      キズダラケ













[34283] 6th STAGE 「キズダラケ」
Name: 村岡凡斎◆45ff140f ID:697d6d9c
Date: 2012/10/29 16:00


  ―――― * * * ――――


「ゼロ! しっかりして! ゼロ!」

傷だらけの戦士を乗せてストレッチャーは壮絶な勢いで走る。その車輪がガラガラと煩く騒ぎ続ける廊下全体に、少女の悲痛な叫びが響く。

「コンディションレッド! 非常に危険な状態です!」

「集中治療用カプセルを使う! ブラウン、先に行って起動させて来てくれ!」

「了解!」

セルヴォの指示に従い、若いレプリロイドが先行する。
突然の騒動に基地中のレプリロイドが注目する。少女同様顔を青ざめさせる者、心配気に見つめる者、冷ややかな視線を送る者、「それ見たことか」と鼻を鳴らす者まで反応は様々。
しかし、そんな周囲の反応などお構いなしに、少女はただひたすら叫び続ける。

「ゼロ! 返事をしてよぉ!」

血のように紅かったコートは、彼の血と飛び跳ねた泥に塗れ殊更生々しく濁った色に変わり、豪雨に晒された為に酷く濡れている。
美しかった金髪も、その輝きを失っていた。

「シーダ! シエルを抑えてくれ! 邪魔だ!」

「シエルさん! 離れて!」

セルヴォから指示を受けた女性レプリロイドが少女をストレッチャーから無理矢理引き離す。

「でも! ゼロが! ゼロが!!」

「どけ! 前に出るんじゃない! 聞こえないのか! どけぇ!!」

いつも冷静なセルヴォの怒号が飛ぶ。それに弾かれるように、ストレッチャーの前を行く者たちは皆壁際に寄り、道を開ける。
騒ぎ続ける車輪と共に、ストレッチャーはだんだんと小さくなってゆく。
その様子を潤んだ瞳に映しながら、少女はひたすら彼の名を叫んだ。


「ゼロぉーーーっ!!」


基地中に響き渡りそうな程の、悲鳴にも似た大声。
しかし、それに答えてくれる声は、遂に聞こえて来なかった。












 6th STAGE






     キズダラケ

















  ――――  1  ――――



白の団本拠地へと無事に到着したティナは、ゼロがネオ・アルカディアの軍団と戦闘状態にあることをエルピス達に伝えた。罠ではないかという意見もあったが、ゼロと共に出撃した筈のデルクルを連れていたことで、その問題はすぐに片付いた。
ゼロの支援、及び状況確認のために招集がかけられると、マークチーム全員がその作戦に立候補し、再び派遣されることとなった。
彼らが現場に到着した時には既に、全てが決着した後だった。敵レプリロイドの姿は残骸ですら確認できず、本当にその地が戦場だったのか、疑ってしまうほどだった。そして降り続ける雨の中、クレーターのように大きく窪んだ大地を歩き、ようやく見つけたのは泥の中、傷だらけで倒れていた英雄だった。



治療室のランプが消えると、セルヴォが扉から出てきた。
シエルはシーダに付き添われて待っていた。先ほどのように取り乱しておらず、一応は落ち着いて見える。横にはアルエットが寄り添い、サイバーエルフも三体ほど宙に揺れていた。

「ゼロ…は……?」

心配そうに、シエルが尋ねる。

「大丈夫――――とは言い切れないが、命に関してなら問題ないよ」

セルヴォが優しく答える。

「――――ただ…いったいどんなことをしたのか分からないが……外部も内部も損傷が酷い」

シエルの顔が更に曇る。しかしセルヴォは「心配しないでいい」と言葉を続ける。

「私が最善を尽くすんだ。必ず元通りにして見せる。――――…それとも、シエルは私の腕が信用できないのかな?」

「……でも」と不安げに言葉を続けようとするシエルに対し、セルヴォは頭を「ぽんっ」と撫で、尚も微笑みながら言う。

「物事はいい方に考えなさい。――――彼は生きて帰ってきたんだよ。約束どおりにね」

セルヴォの言う通り、確かに生きて帰って来てくれた。だが、その状態はどうだ。何一つ反応を見せることもままならないような様子で、決して無事などとは言えなかった。
それに、どれだけ『大丈夫』とセルヴォから聞かされようと、シエルは一向にその表情を緩めることはなかった。表に出すことはなかったが、普段以上に見せるセルヴォの微笑みがどうしても信用できなかったのである。

「中にはいっても、だいじょうぶ?」

シエルの不安を余所にアルエットが尋ねる。「何もいじらなきゃね」とセルヴォが返すと「わかった。行こ」とアルエットはシエルの手を引いて、治療室へと入った。
複数のコードが繋がれた治療カプセルの横にはロシニョルが座っていた。カプセルの中には傷だらけのゼロが仰向けで寝ている。その姿を見て、シエルの顔から血の気が引く。

「シエル。大丈夫かい?」

ロシニョルが心配して声をかける。

「平気……。大丈夫…よ」

――――ゼロに比べれば…。

改めて見ても、ゼロの損傷具合は尋常なものではなかった。
コートの下はまるで内側から何かが噴き出たように、惨たらしい傷がいくつも見受けられる。腕部、脚部のアーマーも、ヒビが入り、今にも崩れそうなほど無惨である。壁に掛けてあるコートも、鈍く変色し、本来の鮮やかさは少しも見受けられない。
まさに満身創痍。しかし、顔だけは安らかに眠っているようだった。

「ゼロ」と彼の名を呼びながら、シエルはカプセルの透明なカバーに手を添える。それからもう片方の手をアルエットが優しく握る。さすがのサイバーエルフたちも、いつものように騒ぎだすことはなかった。
突然ロシニョルが「ほらほら」と言いながら手を叩き、皆の注目を集める。

「せっかくだけど、みんな外に出ようかね。ここで見ていても、治りが早くなるワケじゃないよ」

アルエットはそれに従い、外に出ようとしたが、シエルが振り向きすらしない事に気づき足を止める。

「……おねえちゃん?」

「私……ここで待ってる」

振り返る気配も見せず、ただジッとゼロの顔を見つめたまま、シエルはそう答えた。
アルエットが「でも」ともう一度呼びかけようとすると、ロシニョルは肩に手をおき、首を横に振る。
「今はそっとしておいておあげよ」という言葉に、アルエットは渋々了解し、二人と三体はシエルを置いて部屋の外に出た。それから無機質な音と共に扉が閉まる。
誰もいなくなると、シエルはカプセルに体を寄せた。まるで心音を聴くかのように、カバーに頬をつける。表面はひんやりと冷たい。
聴こえてくるのは、「ゴウンゴウン」というカプセルの低い駆動音だけ。どんなに耳を澄ましても、決して声など聞こえない。
瞼を閉じると、うっすらと涙が滲む。

「………ごめん…ね……」

誰に向けたものか分からないその呟きは、悲しく光る雫とともにカバーの曲線を伝い、流れていった。











  ――――  2  ――――



「復帰は……不可能だ」

深刻な面持ちで、セルヴォはそう強く断言する。その表情には悔しさ、憤り、戸惑いと言った感情が入り乱れながら滲み出ていた。

「落ち着いてください、セルヴォさん」

椅子に腰かけたまま、エルビスはそう言ってセルヴォを諌める。

「まず現在、どういう状況なのか、詳しく説明していただけますか?」

冷静に問いかけるエルピスの声に、セルヴォもまた、至って冷静であろうと努めながら、ゼロの状況について説明を始めた。

「先日伝えたデッドラインについては覚えているな?」

自己修復回路の五割を超える損傷。解析不能箇所でもあるゼロの自己修復回路の著しい損傷は、白の団にある治療機器では対処することが適わず、完全な治療は望めないということをセルヴォは確かにエルピスへと伝えた。

「外部の損害箇所、損傷率、及び既に解析できている内部回路のそれらを照らし合わせた結果から推測したところ、ゼロの自己修復回路の損傷率は間違いなく五割を超えている。――――つまり、戦線復帰は不可能だ」

改めて、残酷な事実を先程以上にはっきりと言葉にする。無意識のうちに、セルヴォは奥歯を噛み締めていた。
だが、エルピスは尚も冷静に考察していた。

「その結果に間違いはないのですね?」

その問いにセルヴォが若干険しい表情をしたため、慌ててエルピスは意図を説明をする。

「別にセルヴォさんの目を疑っているわけではありませんよ。ただ、事を慎重に判断したいだけなのです。六割が解析不能でありながら、そんなにもハッキリと状態を断言できるのかどうか……」

「もちろん何度も確認したさ」

吐き捨てるように言う。

「ただ、それだけ体の損害が酷いということなんだよ。一体何をどうやったらあそこまで酷くなるのか…。それこそ見当もつかない程の酷い有様なんだよ。五割という数字だって実際には希望的観測で、もっと酷い可能性も考えられる」

その口調からは苛立ちを感じられた。しかしそれは、エルピスに向けたものでは決して無く、どうにもできない自分の無力さへと向けられたものだった。
再度「落ち着いてください」とエルピスが諌める。

「分かりましたセルヴォさん。そこまで言うのならば信じましょう。残念なことではありますが…ね」

セルヴォの鬼気迫る様子から、この最悪の状況が覆ることはないのだと、エルピスもまた確信した。「しかし」と、エルピスは言葉を続ける。

「だとしてもセルヴォさん。あなたには全力を尽くして彼の治療に当たってもらいます」

「言われるまでもないよ、エルピス。それが私の仕事だからね。しかし、元の健康体へと復帰させることは約束できない」

「元通りとは言わずとも、ある程度の行動は可能にできるでしょう。最悪、不具合は生じるかもしれませんが部品を交換すればよいでしょうし。とにかく、“戦えるかどうか”を差し置いても、彼が“この場にもう一度立てるかどうか”――――それこそが問題なのです」

セルヴォはエルピスの言動に、何処か歪んだものを感じた。何故そうまでして、エルピスはゼロの復帰にこだわるのだろうか?ゼロの無事を望んで…と考えることは確かにできるが、エルピスの口ぶりからはそれ以外の何かを感じてならない。
そう訝しんでいると、ある一つの予想が生まれる。そしてそれを確かめずにはいられなくなり、恐る恐るエルピスへと問いかけた。

「まさか、エルピス。ゼロをもう一度戦場へ向かわせる気か?」

「ええ、勿論です」

その答えはやけに短く、あっさりとしたものだった。途端にセルヴォが声を荒げる。

「バカな! 彼の状態は今伝えた筈だ! 戦線復帰は不可能だと!」

「確かに本調子での復帰は不可能でしょう。しかし、他のメンバーに劣るまでに性能が劣化するとは考えられません。故に私は彼が回復し次第、作戦に起用させてもらいます。もちろん使い方は変わってきますが……」

「ふざけないでくれ、エルピス!」

こらえ切れず、セルヴォは机を両手で強く叩き、怒鳴りつけた。

「あそこまで傷ついた彼を、もう一度戦場に戻そうだなんて……正気じゃない!」

「私はふざけてもいませんし、至って正気ですよ、セルヴォさん」

語気を強め、睨みつけるエルピスの眼差しに、セルヴォは息を飲んだ。静かに腰を上げ、エルピスも机に手を付く。

「あなたは何も分かっていない。これは戦争なんですよ――――我々の命運を懸けた、“戦争”なんです」

その迫力に、セルヴォは気圧され、思わず後ずさる。

「戦うことができなくなろうとも、彼が“英雄”であることに変わりはない。ならばそれなりの使い道は十二分に考えることができるんですよ。それなのに、あなたはその有用性すらも捨て去れというのですか?」

たとえ戦力として用いることができずとも、“英雄”であるゼロの利用価値は他にいくらでもある。戦場にただ立たせるだけでも、敵味方問わず、その士気に影響することは間違いない。

「私たちの相手はあのネオ・アルカディアなのです。この世界に残った唯一の国家を相手にしているのです。――――切れるカードの全てを用いても、理想を遂げられるかも分からない……そういう戦争をしているんですよ」

使える駒は使う。敵が強大であるからこそ、戦争に勝つためにどんな手段を用いることも厭わない。それはエルピスなりの覚悟だった。
思わず黙りこむセルヴォ。エルピスの言うことは、個人的には容認し難かったが、間違いなく正しかった。
しかし、どれだけ正しいと理解していたとしても、セルヴォにはどうしても受け入れられなかった。その理由は他でもない――――

「同じことを……シエルに言えるのか?」

セルヴォが思わず口にしてしまった名前に、エルピスは確かに反応した。
どれだけ傷つこうと、どれだけ苦しもうと、利用価値がある限りは“英雄”としてゼロを利用する。――――そんなことを、あの優しい少女に言えるのか。
少しばかり口を閉ざした後、視線を僅かに逸らし、先程までとはまるで打って変わった力無い声で、エルピスはその問いに答える。

「シエルさんなら、分かってくれます」

幼いといえど、彼女は聡明だ。この戦争に勝つことが容易でないことも、そしてゼロという存在に対する利用価値についても理解してくれるはずだ。
確かに、最終的にはそうなるだろうとセルヴォにも分かった。

「だが、それでも……いや、だからこそ惨すぎる」

ゼロを大切に思う気持ちと、戦争のための合理的な判断との狭間で彼女の心は苦しめられるだろう。現に今、彼女は治療中のカプセルのそばから離れず、寄り添い続けている。まるで何かの懺悔のように。
それからしばらく、二人は言葉を失った。場には重い沈黙が漂う。ようやく言葉を切り出したのはセルヴォだった。

「最善は尽くそう。だが、君がゼロをそういうふうに利用しようというのには賛同できない」

エルピスの目を見ずにそう告げると、セルヴォは背を向け、静かに部屋を出て行った。一人残されたエルピスは、椅子に再び深く腰掛ける。背もたれにその身を預け、眼を閉じる。
もう一度、頭の中で思案を巡らす。しかしどれだけ考えても、彼の答えは唯一つだった。



















  ―――― * * * ――――


基地内はゼロの話題で持ちきりだった。聞こえてくる声には同情的なものも確かにあったが、大半はその実力を疑う非難の声であった。普段はゼロを支持していた筈の者たちも、ほとんどが掌を翻したように態度を変えるばかりだった。

「何が英雄だよ、あっさりやられちまって」「あれだけ偉そうに言ってたくせに、結局これかよ」「あいつのために死んだ仲間が浮かばれねえな」

そんな声をいくつか耳にしながら、コルボーは居住区画の一画にある談話室へと入っていった。中にはマークとトムスがテーブルに着いて待っていた。

「全く……酷いもんですよ」

不満に鼻を荒々しく鳴らしながら、コルボーも席に着く。

「どいつもコイツも皆、自分勝手な非難ばかりで……ゼロさんがどれだけ俺達のために体を張ってくれていたのか、誰も分かっちゃいない」

「文句を垂れても仕方ないだろ」

トムスが宥めるように言う。

「言いたい奴には言わせておけばいい」

「けど!」

憤りを抑えきれないコルボーを、今度はマークが落ち着くようにと諭した。

「実際、理解されないのは仕方ないことさ。この基地にいるのは生き残った者たち――――つまり、作戦に成功し続けている者か、作戦に出ていない者しかいない。俺達のように、作戦をミスして死線をさ迷いながらも生き残った奴はいないし、まして、あの人の力で直接的に命を救われた者もいないんだ」

そう言って溜息をつく。悔しい思いをしているのはマークも同じだった。そして勿論、トムスも。そう理解すると、憤慨する心を何とか抑えつけ、コルボーは大人しく口を閉じた。

「しかし、あのゼロさんがあそこまでやられるとは……敵は何者だったんでしょうね?」

「四天王クラスか、あるいはミュートスレプリロイド……どちらにしろ、強敵であることは間違いないだろう。だがそれよりも、俺が気になったのはあの大きく窪んだ地面。明らかにあそこだけ何かがおかしかった」

ゼロを見つけたポイントは、確かに何かが違っていた。敵の残骸が見当たらなかったというのもあるが、それ以上に、その地形自体が異常だったのだ。

「元々ああいう地形だったとは考えにくい。……もしかしたら、ゼロさんの体があそこまで傷ついたのと何か関係があるのかもな」

地形を変えるほどの強大なエネルギーの放出があったならば、その主が敵であろうと、またゼロ自身であろうと、重傷を負った理由が説明付けられるかもしれない。

「まあ、どれだけ俺達が頭を悩ませても仕方ない。とにかくゼロさんが無事に復帰することを祈るばかりだよ」

そうマークが話をまとめると、どこからともなく舌打ちする音が聞こえた。

「あいつが無事に復帰したところで、どうにかなるのかよ」

声の主はヘルマンだった。その刺々しい言い方にトムスは不快感を感じて睨みつける。

「何が言いたい……?」

「勘違いしないでくれよ。別に、あいつのことを悪く言うつもりはねえのさ」

慌てて敵意はないことを弁明する。

「ただよ、実際の話、あれだけの力を持った奴が、ああも簡単にやられちまったんだ。ネオ・アルカディアの連中が本気になってかかってきた時、本当に俺達は太刀打ちできんのかって……お前らは不安にならねえのか?」

ヘルマンの言うことは尤もだった。どのような経緯であれ、ゼロがあそこまでの重傷を負わされるに至ったのは事実である。となれば、束になっても彼一人程の力にも満たない自分たちに、この先戦い続けてゆくことが本当に可能なのだろうか。

「それを考えちまうと、どうにも俺は不安でならねえんだよ。あの英雄が無事に復帰したとしても、いつまた同じような目に遭うかも分かったもんじゃねえ。それどころか、あれが敵にやられた傷だってんなら、あいつの力は、お前らがどんなにフォローしようが、他のヤツらが言うように見掛け倒しだったってことになるんだぜ?――――そう考えると、ヤツが復帰することに、本当に意味があんのか……俺は疑問で仕方ねえんだよ」

トムスもマークも、返す言葉が見つからず黙りこむ。考えたくはないことだったが、確かにその通りだった。
ゼロの力がネオ・アルカディアに通じないというならば――――いったい自分たちはどうすればいいのか。これからどう戦っていけばいいのか。答えが見つからない。

「……でも、俺は――――」

重い空気の中、静かに口を開いたのはコルボーだった。

「――――そういうの抜きにしても、あの人が無事に復帰することを願うよ」

嘘偽りない純粋な願い。つられて他の三人も頷いてしまう。憎まれ口を叩いていたヘルマンですら、本心では確かにゼロの無事を祈っていた。



















  ――――  3  ――――



それから二日が経った。
ゼロが目覚める気配は一向になかった。外傷の応急処置は済ませられたものの、未だ完全な治療の目処すら立たないまま、カプセルの中で眠り続けている。

「……おねえちゃん…ごはん…もってきたよ」

自動扉が冷たい駆動音を鳴らして開くと同時に、食事の乗ったトレイを持ってアルエットが治療室に入る。治療カプセルの側に座っているシエルは、僅かにアルエットの方を向き、力なく微笑む。

「ありがとう。そこに置いといて…」

一言だけそう言うと、またカプセルの方に向き直った。
アルエットは言われたとおり、横の机の上に優しくトレイを置き、そのまま部屋を出ようとした。
扉の前で、もう一度だけ振り返る。しかし、シエルがこちらを向くことはない。アルエットはそれを確認すると、静かに廊下へと出て行った。



三日目だというのに、シエルはカプセルの傍を離れようとはしなかった。何度かロシニョルやセルヴォが声をかけたが、中途半端な返事をするばかりでそこから動こうとしない。それどころか、非常に張り詰めた空気を纏っているせいで、他の者達もあまり強く言うことができず、結局そのまま見守るだけとなってしまっている。食事だけはなんとかとってくれているようで、それだけが救いだった。

――――おねえちゃん……大丈夫かな…

ただ哀しんでいるだけではない。明らかにシエルは何らかの、他の者達とは違う想いを持って、ゼロの傷と向き合っている。それがいったい何なのか、アルエットには勿論分からなかったし、だからこそ知りたいと思った。そしてそれをたった一人で抱え込んでしまっているシエルの力になれないことを悔しく思っていた。
両手で抱き締めるぬいぐるみも、なんだかいつもより元気が無いように感じられてならない。

「あれ? アルエットじゃん。何してんの?」

不意に軽い調子の声が聞こえた。シエルのことで悩みながら俯き加減で歩いていて気がつかなかったが、直ぐそこには五人ほどのレプリロイドがこちらに向かって歩いていた。基地内でも「悪ガキ」と有名な少年レプリロイドのメナートと、その取り巻き連中だった。
あまり得意ではない相手の登場に、アルエットは思わず半歩下がり、恐る恐る答える。

「……おねえちゃんにごはん…もって行ったの…」

いまいちピンと来ない顔をして、周りの仲間と顔を見合わせる。それからようやく「ああ」と理解する。

「そういやシエル、あの“英雄様”のトコにずっといるんだっけな」

皮肉めいた『英雄様』という呼び方に、どこか刺々しさを感じてならない。そしてその感覚は間違っていなかった。

「それにしても笑っちゃうよな~。偉そうなこと言うワリに、あっという間にこの様だぜ? な~にが英雄だよ。なあ?」

仲間達に、小馬鹿にしたような笑みを浮かべながら、同意を求めるように言う。仲間達も、それに合わせてニヤニヤと下卑た笑いを浮かべる。

「シエルもシエルだよ。あんなヤツに何をそんなに期待してるんだか」

やれやれと肩をすくめる。

「てか、可哀想じゃね? 絶対シエルも騙されてんだよ。『伝説の英雄』とか言う話にさ」

それからも連々と、メナートはゼロへの非難とシエルへの皮肉めいた同情を、語り続けた。その間もどこか可笑しいことを話すような笑いを浮かべ、取り巻き連中達もエスカレートしてゆくメナートの発言にだんだん笑いが大きくなる。
詳しい内容は耳に入らなかった。いや、聞きたくなかった。聞きたいと思えなかった。代わりに、ぬいぐるみを抱き締めるアルエットの腕に、少しずつ力が入ってゆく。

「……『いっぺんに何人かかってこようが、俺様は負ける気がしない』とか言ってたのが、コレだぜ~? てか、パンテオンの部隊を迎撃してたってのも、ホントはテキトーに逃げてただけだったりしてな。こっちじゃめっちゃ偉そうにしてたけど、敵の前じゃすげ~しょぼかったりして。直ぐ土下座とかして『命だけは~』みたいな。あ、そんなことしてちゃ殺されちゃうか……」

「……やめてよ」

小さいけれど、ハッキリと耳に届いたその声に、メナートは反応した。

「は…?」

「やめてよ……ゼロのこと…そんなふうに言うの」

メナートはそのアルエットの様子に少し驚いた。いつもは見せないような強い眼差しで、こちらをじっと見つめている。そして声も、いつも以上に語気を強めているのが分かる。

「ゼロのこと…どうしてそんなふうに言えるの…?」

取り巻き連中は訳がわからずポカンとした顔をしていたが、アルエットと視線をあわせているメナートには分かった。

「お前、なに……」

――――怒ってんのか…!?

今までに一度も、アルエットが怒ったことなど無かったし、見たこともなかった。だが、メナートは「ふん」と鼻を鳴らす。

「なんか文句あんのかよ?」

更に刺々しく、高圧的に問う。しかし、アルエットは少しも臆した様子を見せなかった。それどころか、その瞳は力強さを増してゆく。

「ゼロのこと…おねえちゃんのこと…何にも知らないくせに……」

半歩引いていたはずの足が、今度は前に出る。

「ゼロは…わたしたちのためにたたかってくれてるのに……!」

仲間達のために体を…命を張って戦って…そして傷つき、眠っているというのに――――

「かってなこと、言わないで!」

今までアルエットからは聞いたことのない、大きな声に、メナートたちは思わず後ずさった。
小さな肩が上下に揺れる。その時間違いなく、アルエットは怒っていた。しばらく言葉を失った後、「ちっ」と舌打ちをし、メナートは取り巻きたちに顎で促す。

「……行こうぜ」

目を合わせないようにしながらアルエットの横を通り、そのままどこかへ去っていった。
「ふぅ」と深く息を吐き、自分を落ち着かせる。冷静になると、アルエットはついさっきの自身の様子に自分で驚いた。生涯で初めて怒ったかもしれない。
それからふと、ぬいぐるみと顔を合わせる。猫のような犬のようなそのぬいぐるみの額に、自分の額を当てる、柔らかく、温かい。

「ゼロ……」

――――早く元気になってね

祈るように、心のなかで呟いた。

















  ―――― * * * ――――


廊下に響き渡る声に、思わずコルボーは足を止めた。

「彼の傷はいったいどうなっているんですか!? まだ治らないんですか!?」

「抑えてください! さっきから言うように、今それについては何とも説明できない状況なんです!」

耳をつんざくような二つの声。どちらも女性だ。片方は技術局に所属しているセルヴォの部下――――シーダであるのが分かったが、もう片方の聞き慣れない声の主が分からない。
尋常でない様子に、どうしてもそのまま放っておくことができなくなり、声のする方に足を向けた。

「なんとか答えてください! じゃないと…あたし! あたし!」

「とにかく! この場はもう下がってください! こう何度問い詰められても困ります!!」

技術局治療班の仕事部屋の入り口前で、シーダが見慣れない女性に詰め寄られていた。

「ちょっと二人とも落ち着いてください! 何があったんですか!?」

物々しい雰囲気の二人の間に、コルボーは割って入る。しかしその瞬間、聞き慣れない方の声の主は乱暴に身を翻し足早にその場を離れた。
微かに目に捉えた横顔に、若干の見覚えがあった事に気づく。確かあれは…――――

「“黄金の鷲”の生き残り……ティナさんよ」

思い出すよりも先にシーダが答えてくれる。
そう、ティナだ。あの日、雨でずぶ濡れのままこの基地を訪れ、ゼロが不利な戦闘状態に陥っていることを伝えてくれた女性レプリロイド。その報せから、エルピスはコルボーが所属するマークチームを招集し、ゼロの援護に向かわせたのだ。

「その……ティナさんが何を?」

「ゼロさんの様態についてよ。昨日も、一昨日も尋ねてきたの。あんな調子でね」

やれやれとシーダが肩をすくめる。あれだけの尋常ならざる様子で何度も問い詰められては、相当気疲れしていることだろう。

「……でも、実際のところどうなんですか? ……ゼロさんの様態は」

三日も経つというのに、回復の知らせは一向に耳に届いてこない。ティナだけでなく、他のメンバーも気にかけているのは当然だった。
コルボーの問いにシーダは思わず渋い顔をする。

「それが、私たちにも詳しくは知らされていないのよ。ゼロさんの治療経過についてはセルヴォ局長とブラウンの二人がチェックをしているんだけど……」

そのために、シーダはティナの問いに明確な返事をすることができなかったのだ。

「まあ、二人が見てる限り、悪い方向には行かないと思うから。時間はかかっているけど、直に良くなると思うわ」

そう行って話を纏めると、「それじゃ」と軽く手で挨拶をして、シーダは自分の仕事場へと戻っていった。
一人その場に残されたコルボーもそのまま自室に戻ろうと踵を返した――――が、不意に先程までここにいたティナのことが気になり始めてしまい、その場に立ち止まる。
先程までの様子を思い出すと、次第にどうにも心配で堪らなくなり、結局コルボーは基地内を捜し歩くことにした。

程なくして、肩を落としたまま廊下に佇むティナを見つけることができた。コルボーは半ば躊躇いながらも、思い切って声をかけた。

「ティナさん……ですよね?」

問いかける声に、少し驚きながらティナが顔を上げる。

「俺はコルボーって言います。――――ほら、先日ゼロさんの援軍に向かったマークチームの……」

「……どうも…はじめまして…」

そう言って、小さく会釈を返す。だが、すぐにティナの視線は目の前の扉に向かった。つられて、コルボーもそちらを見る――――そこは、ゼロが未だ眠り続けている治療室だった。

「まだ……治らないんですね」

しばしの静寂を破って、今度はティナが呟くように問いかける。「みたいですね」と短く答える。しかし、そのあとに「けど」と付け加える。

「あの人は、必ず元気になって戻ってきてくれますよ。……なんてったって、“伝説の英雄”様ですから」

苦笑いを浮かべながらも、決して嫌味ではなく本心からそう答えた。ティナもそう聞いて小さく笑うのだが、その顔は直ぐに曇ってしまう。そしてまた、扉の方を見つめるのだ。

「ティナさんはどうしてそこまで……ゼロさんのことを?」

思わず問いかける。先程からの様子や仕草、シーダを問い詰める姿など、余りに普通のこととは思えない。いったい何故そこまで、ゼロの治療経過を気にかけるのか。
しばらくティナは戸惑っているように、迷っているように、悩んでいるように……何度か扉を見ては俯くという仕草を繰り返し、それからようやく、まだ少しばかり躊躇いながらも問いに答えてくれた。

「扉を……開けたんです」

「扉を……?」

ティナは頷く。しかしその答えが、答えとしてまるで理解できず、コルボーは疑問符を顔に浮かべる。するとティナは、言葉を選びながら、慎重に続きを語ってくれた。

「ゼロさんの容態が気になって、中を覗いてみたんです――――そうしたら……少女の背中が見えました。とても小さな……背中でした」

シエルのことだと、コルボーは直ぐに見当がついた。そう言えばこの三日間、シエルはゼロに付きっ切りなのだと聞いていた。それこそ、周りが心配になるほど。
ティナが覗いた風景を想像してみる。コルボーには彼女の目に写ったその光景が容易に想像できた。――――傷だらけの英雄が眠る治療カプセルと、それに寄り添い続ける幼い少女の背中。

「ゼロさんは……あたしたちを守るために傷ついて……あんな事になってしまって……」

声が震え出す。シーダを責め立てていた声とは全く逆の弱く力のない声。
あの状況の中、自分は何一つ彼に協力することができなかった。ただ守られ、生かされ、味方を呼んだだけ。たったそれだけしかできなかったのだ。――――そしてその結果、彼はあれだけの重傷を負った。

「彼女に……申し訳なくて…」

彼に寄り添う少女の背中は、哀しみとも憤りとも取れぬ、何か重い空気に包まれていた。そしてそれを一目見ただけで、ティナは事の深刻さだけでなく、己の罪すら感じ、何か見えないものに酷く責め立てられた。非力であったこと。無力であったこと。彼が酷い姿で帰ってきた原因が自分にあるのだと思えば思うほど、胸が苦しくなって仕方が無い。
きっと、人間だったら涙を流していただろう。そんな顔をしていた。
その話のあと、コルボーは何も言葉をかけることができなかった。もしかしたら自分も同じ立場になっていたかもしれないと思えばこそ、掛ける言葉が見つからなかった。彼にできたことは、ただ、ティナが気持ちに区切りをつけてその場を離れるまで、傍に呆然と立ち尽くすことだけだった。










  ―――― * * * ――――


「局長!」

そう声をかけられ、セルヴォは勢い良く開いた扉の方へ振り向く。部下のブラウンが、解析資料を記録している平たい電子ボードを手に、セルヴォの仕事場である技術局長室へと駆けこんできた。
この三日間における、ゼロのメディカルチェックデータを解析していたはずだが、いったい何が起きたというのだろう。彼を呼ぶ声にどこか興奮した勢いがあることを感じ、セルヴォはなにか特別な事態が起きているであろうことを素早く察知し、席から立ち上がった。

「どうした、なにがあった?」

短く尋ねる。するとブラウンは一度自身の気持ちを抑えるために息を深く吸い、それを吐いてから、「これを見てください」とセルヴォに電子ボードを差し出す。
セルヴォは素直にそれを受け取り、画面に提示されている解析資料に目を通す。どうやら、ゼロの治療経過についての情報らしい。しかしそれは、いつも目を通している資料であり、セルヴォが期待したような特別なことは見受けられない。

「これが……どうした?」

肩透かしを喰らったような気分を抱え、問い返す。

「次のページです。早く目を通してください!」

そう急かされ画面をタッチし、次のページに目を通す。それはある一点に限った、修復状況を日毎の折れ線グラフに整理したものだった。

「……これは!?」

そのグラフから読み取れる驚愕の事実に、セルヴォは目を見開き、息を飲む。
そこに明かされた情報はどうにも信じ難く、けれど確かに希望と呼べるものだった。











  ――――  4  ――――



カプセルを覆っていたガラスカバーが、数人の治療班メンバーの手によって取り外される。「治療が順調に進み、回復が近いから」とセルヴォに説明を受けた。治療開始から四日目の晩のことだった。
ガラス越しに見ていた時と何らかわりなく――――いや、「忘却の研究所」で眠りについていた時とも寸分違わず、ゼロの顔は途方もなく安らかで、だからこそ、目覚める時がはるか遠い未来のように思えてならなかった。

「……ゼロ」

また独りきりになってから、彼の名を呼んでみる。しかし、それに答えてくれる声はどこからも聞こえない。どこか小馬鹿にしたようで、それでいて優しさと親しみを含んだあの声を、しばらく聞いていない。
椅子の上で、シエルはその小さな膝を抱える。
どうしてこんな事になってしまったのか。それは自分自身が一番よく分かっていた。

それからしばらくして、不意に誰かが扉を二、三度程、軽くノックした。しかし、シエルはそれに答えない。今は誰にも会いたくない。そういう意思表示でもあった。なんと子供じみた、我侭で傲慢な態度だろうと自分で苦笑しそうになる。
やがて、シエルの了解を得ないまま、扉が開かれる。けれど、シエルは振り向かない。聞き慣れた足音のリズムと、背中から感じられる雰囲気で誰が来たのかはすぐに分かった。

「シエルさん……もうお休みになってください」

ノックの主――――エルピスが、シエルを気遣い声をかける。だが、シエルは小さな声で「平気」とだけ答え、その場を離れようとはしなかった。
その様子に戸惑いながらも、エルピスはもう一度出来る限りの毅然とした態度で言葉をかける。

「レプリロイドならともかく、人間の……しかもまだ幼いあなたが、休息を取らずにいてはいけません。自室に戻ってください」

「……食事も睡眠もしっかりとっているわ。大丈夫よ」

エルピスの方を振り向くこと無く、シエルはそう答え、忠告に従う気配すら見せない。だが、エルピスもそう簡単に退こうとはしなかった。

「セルヴォさんが言うように、もうゼロさんは完全な回復に近づいています。あなたが見守っている必要も無いでしょうし……それに万が一、あなたが体調を崩しでもすれば、それこそ本末転倒というものですよ」

「そんなにヤワな体じゃないわ。知ってるでしょ」

遺伝子操作によって産まれたシエルの体は、確かに免疫力も高く、病気などになることも殆ど無い。だが、エルピスにとってそんな事実はどうでも良かった。彼女の、まるで八つ当たりのような態度に引っ掛かりを感じてならない。
めげること無く、三度説得の言葉をかけようと口を開く。だが、胸の内を覆う靄々とした想いが、喉を詰まらせる。彼女を気遣う言葉を飲み込み、代わりに、その想いが言葉となって漏れ出す。

「そんなにその男が大切ですか?」

唐突な問いに、思わずシエルはエルピスの方へ振り返った。そうしてようやく、二人の視線が交錯する。もちろんシエルも戸惑いの色を浮かべていたが、口を衝いて出たその問いにエルピス自身、戸惑いを隠すことはできなかった。どこか嫉妬じみた、無様な言葉であったと我ながら思う。弁解の言葉を探したが、それを見つけるより早く、シエルが答えを告げた。

「……大切だよ。みんな…大切」

そう言いながらシエルは微笑んだ。どこか空虚で、哀しい微笑み。
彼女がそういう少女であることを、エルピスも理解していたはずだった。仲間だけでなく敵の命すら愛おしみ、傷つく者がいれば心を痛め、死にゆく者がいれば胸を掻き毟られる、そういう少女だった。

「『みんな大切』というのであれば…――――」

けれど今の彼女の姿は、エルピスにはどこかいつもと異なっているように見えて仕方がなかった。

「――――…何故……その男にばかり…そこまで……」

他に傷ついた仲間はいくらでもいる。死んだ仲間も大勢いる。だというのに、何故、ゼロというただ一人の戦士が“重傷を負った程度”で彼女はここまで心を病んでしまったのか。エルピスにはそれが理解できなかった。――――いや、理解したくなかったのかもしれない。

「…エルピスの言うとおりね」

シエルは乾いた苦笑を浮かべる。

「私のやっていることはひどく不公平で……私の言葉は偽りに聞こえるかもしれない」

少しだけ俯き、足元を見つめる。言い過ぎてしまったかと、エルピスは何とか取り繕うための言葉を探したが、見つからない。そうこうしていると、シエルは言葉を続けた。

「多くの仲間が傷ついて、殺されて、死んでしまって……」

ミランやパッシィ、その他にも大勢の仲間が死んでいった。

「たくさんの仲間を失ったわ。この戦争で…戦いの中で……理想を求めて」

それでも尚、戦いは続く。ネオ・アルカディアとの激闘は続いてゆく。いつか信じる未来を勝ち取れるその日まで、決着することなど無いのだ。――――この先、どれだけ多くの犠牲を払うことになろうとも。

「けど」

そう言葉を切って、シエルは顔を上げる。そして、エルピスと再び視線を合わせる。その瞳は涙で滲んでいた。


「 ゼ ロ は …… 違 う ! 」


精一杯、語気を強める。その声は部屋中に響いた。

「ゼロは……! ゼロが戦う理由は……」

シエルが言い切る前に、エルピスはようやく全てを理解した。彼女が何を口にしようとしているのか。そして、彼女の真意がどこにあるのか。


「ゼロには……ネオ・アルカディアと戦う理由なんか無かった!」


その言葉を、それに続く台詞を口にさせるべきではないとエルピスが感じたときには既に手遅れだった。
シエルが抱えていた想いが、抑えていた気持ちが、堰を切って溢れ出す。

「だって…! だって彼は眠っていたのよ! ずっと! この世界とは関係の無い場所で! ずっと眠っていたんだもの!」

「忘却の研究所」と呼ばれた場所で、この世界の争いとは関係の無い場所で、彼は眠り続けていた。誰に出会うことも、誰かに侵されることもないままに、彼は眠り続けていた。もしかしたら、今もずっと眠り続けていたかもしれない。けれど――――

「それを…私が目覚めさせた……!」

大粒の涙が一つ、また一つと床に零れて弾ける。「もういいです」とエルピスは慌てて制止の言葉をかけた。しかし、その声はシエルの耳に届かない。言葉は溢れ続ける。大粒の涙と共に。

「私が英雄に縋ったから! 私がゼロを頼ったから!!」

救いを求めた。「英雄」という名の伝説に。自分たちの理想を遂げるための、手段として。無関係だった彼を、この世界に引きずり込んだ。

「それなのに、ゼロはそれを受け入れてくれた! ゼロは私の願いを受け入れてくれた! 戦ってくれた!! みんなのために! 私たちのために戦ってくれたのよ!!」

幼い少女が掲げる遠い理想を。弱者達が求める僅かな希望を。それら全てを受容し、彼は戦うことを承諾してくれた。かつての親友に刃を向けることすら、構わないと。そして剣を振るった。仲間を救うため。守るため。

「戦って! ……戦って! ……戦って……!」

そして今、彼は――――……‥‥


「もう、いいです!」


今度はエルピスの声が部屋中に響く。シエルは涙を流し続けながら、再び俯く。肩が震えている。
なんと言葉をかければいいのか、分からない。
どれだけ高度な頭脳を持っていようと、合理的な判断ができようと、気持ちに思考が追いつかなければ意味が無いのだとエルピスは気づいた。いや、もしかしたら、思考が進みすぎてしまったのかもしれない。気持ちを置いてきぼりにしたままで。
自責の念に駆られながら、エルピスは振り返り、部屋を出ようと足を扉へ向けて運び出す。扉の前に立ったとき、シエルがボソリと小さく呟く。

「目覚めさせなければ……よかった…のかな……?」

こんなにも傷つくならば。こんなにも苦しめてしまうならば。出会わなければ良かったのかもしれない。目覚めさせなければ良かったのかもしれない。そう思わずにはいられなかった。
扉の前で立ち止まったまま、エルピスは最後に一言だけ、言葉をかけた。

「彼のおかげで助かった者たちもいます。それは……確かなことです」

誰のためでもない、シエルのための言葉だった。
それから、無機質なシャッター音と共に、エルピスは部屋を出て行った。一人残ったシエルは、再び、ゼロの顔を見つめる。けれど、涙で滲んではっきりとは瞳に映らない。

――――分かってる

全て、理解している。ゼロのこと、そしてこの戦争が激化した原因――――どれもこれも、全て自分の責任であることくらい、彼女はとうの昔に理解している。
そして、その責任とまともに向きあうことすら出来ない弱い自分も、理解していた。だからこそ、想い、悩む。

――――どうして…私は……こんなにも…


どうしてこんなにも


愚かに生まれてきたのだろうか


胸が締め付けられる想いの中、嗚咽を堪えながら、シエルは咽び泣く。
後悔、贖罪、自責――――…様々な想いに苛まれながら、どれだけ泣こうとも枯れることのない涙を、流し続けた。






















  ――――  5  ――――



――――ここはどこだ……?

血のように染め上げられた紅の空の下、暗闇に蝕まれた大地の上、“彼”は立ち尽くしていた。

――――……たくさん…殺した

両の手は殺戮の感触が生々しく残り、目前には己が築き上げた屍の山が堆くそびえ立っている。


天に浮かぶ暗黒の雲と太陽。


きっとここは世界の終わりなのだろう。


――――俺がやったのか…?


しばらく立ち尽くし、考え込んだ後、確信した。

そうだ、俺がやった。

多くの者達を斬り捨て、なぶり殺し、破壊の限りを尽くしては、この地上を地獄へと変貌させた。

“俺”がそうした。

憎むべき敵だけでなく、途方も無い数の同胞の亡骸を積み上げ、友の肢体を八つ裂きにし、そして最後には愛する“彼女”までも手にかけた。

他の誰でもない、この“俺”がそれをやり遂げたのだ。

――――なんて…………

およそ正常なレプリロイドの行いとは思えないほど、なんて惨く、醜く、凄まじい所業なのだろう。

それなのに……

――――なんて…………

体の奥から、熱い血潮と共に湧き上がってくるこの感情は。後悔でも、苦悩でも、悲哀でもない。この感情は。衝動は。それはまさに……‥‥

――――なんて…………“気持ちいい”のだろう



“快感”としか言いようがなかった。


不意に頭の中で声が、冷たく、鋭く響く。

(モット壊セ)

鐘が打ちつけられるような衝撃と共に、切り裂かれるような激痛と共に、頭の中で声が響く。

(モット殺セ)

ぐるぐると頭の中で、声が駆け巡る。

(モット壊セ モット殺セ)

その声に導かれるまま、彼は剣を振った。

――――もっと壊して、もっと殺して……

もっと斬って、もっと千切って

もっと砕いて、もっと抉って

――――もっと壊して、もっと殺して……

宙に舞う首。飛び散る体液。崩れ落ちる肢体。
そうしてまた、山を積み上げるのだ。

自分が作り上げた無数の死体の山を端から端、下から上までまじまじと見つめ、それからようやく、彼は全てを理解した。

――――そうか…。そうだったんだ

そういうことだったんだ。“俺”の存在。 “俺”の意義。 “俺”の理由。


その全てを理解した。

まさに今、この光景を作り上げることこそが、それら全ての答えだったのだ。

――――俺は…“破壊”のために生まれた……

“破壊”のために作られ、“破壊”のために生きる。

――――そして、俺は

誰のためでもない。己のためでもない。

――――ただ“破壊”のために戦うのだ

破壊して、破壊しテ、破壊シテ……


ソシテソノ果テニ、イツカ………


「ハハ…」

思わず、笑いがこぼれる。

「ハハハハハハハハハハハハ…」

運命を、宿命を呪うように、嘲笑うように、雄叫びにも似た悲痛な笑い声を上げた。




ハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ……‥
















――――駄目だよ…ゼロ

湧き出る高笑いを遮るように、聞き覚えのある声が頭に響く。

――――“そんなもの”に呑まれちゃいけない

その声は確かに、眠りから目覚める時、ゼットセイバーを引き抜く時、遺跡で導いてくれた“あの声”だった。

――――本当にそれでいいの?

「何ガダ?」

問いの意味がわからず、問い返す。
声は少しだけ間をおいた後、ただ一言で返した。

――――“戦う理由”

それを聞いた瞬間、彼は不満気に姿のない“声”の主を睨みつけた。

「オ前二、何ガ分カル?」

俺は“破壊”のために作られた。

“破壊”のために生まれた。

それならば進む理由は“破壊”であるべきだ。

戦う理由は“破壊”であるべきだ。

生きる理由は“破壊”であるべきなのだ。

それなのに、それ以外に一体何を求めるというのか。何を理由としてゆけばいいというのか。

どれだけ時間が経とうと、どれだけ世界が変わっても、破壊者として生まれた自分には破壊者としての生きる道と、破壊者としての末路しか用意されてはいないのだ。

そう――――


“自分を含めた全ての破壊”


そんな終焉にしか辿り着けはしないのだ



自嘲めいた言葉を投げる彼に、“声”はある一点を、その見えない指で指し示した。

――――聞こえない?

「何ガダ?」

何が何だか分からないという彼に、“声”はくすりと、しかし決して嫌味っぽくなく笑いながら教えた。

――――もっとよく耳を澄まして。……消えちゃいそうなほど、小さな声だから

その声のとおりに、耳を澄ましてみる。じっと息を殺して。静かに、黙ってただ耳を澄まし続ける。しかし、しばらく耳を澄ましてみても“声”が示しているらしきものはどこからも聞こえてこない。
相変わらず、静寂だけが立ち込めている。
痺れを切らし、どういうつもりだと“声”を問い詰めようとした――――その時…

「…………コレハ…」

聞こえる。涙まじりの少女の声が。
目覚めたあの日に聞こえたそれと何ら変わりなく、彼の耳に届いた。

――――あの子の声だよ

あの心優しい少女の声だよ。

――――本当にいいのかい?

「全ては破壊のためだ」と他の物何もかもを切り捨てて、振り切って、そういう生き方で構わないのか。戦う理由がそれだけで本当に良いのか。
そう問い質され、彼は戸惑った。

「……なら…どうすればいいんだ…?」

“破壊”のために生まれた自分は。“破壊”のために作られた自分は。
「“破壊”のために生きるな」と言うならば。「“破壊”のために戦うな」と言うならば。

生まれてきた意味を否定するならば。

一体何を求めればいい?

なんのために戦えばいい?

なんのために剣を振ればいい?


「何のために在れば良いと言うんだ?」



“声”は再び笑った。爽やかに、優しく、柔らかく。

その瞬間、暗黒の世界に一筋だけ光が差した。眩しく、鮮烈な光。
いや、それだけではない。その光の差し込む一点から徐々に、世界は色を取り戻してゆく。暗黒の太陽と雲は白く塗りつぶされ、血のように紅かった空は雄大な青へ姿を変えてゆく。築き上げた屍の山は砂と化し、風に消え、大地は緑に覆われていく。
そして、その大地に一輪の花が咲く。優しく、温かく、穏やかに吹く風の中、その花は揺れている。ゆらゆらと揺れている。


その花の名前は、確か……


――――その答えは、僕から言うことはできない

“声”は言った。

――――けれど、必ず見つけられるはずだよ

かつての君が、それを見つけたように

――――あの子の為に……みんなの為に戦い続けてほしい

彼女が流す涙の向こう側に、きっと君の求める答えがあるはずだから


その声に、言葉に包まれて、いつしか視界はぼやけてゆく。
“声”と、この世界と別れる時が来たのだ。

「待ってくれ! …俺は…まだ……」

答えを得られぬまま、戸惑いを抱えたまま去ることはできない。しかしその言葉もかき消される。それだけではない。その場にあったはずの自分の体も、感覚も、文字通り全てが暗黒に呑まれてゆく。
世界が閉じてゆく。


――――ゼロ。みんなを任せたよ





最後に頭に響いたのは、またしても目覚める前と変わらぬ、ただ一言だった。




















  ―――― * * * ――――


「…ゼ…ロ……?」

涙を拭う手に気づき、シエルは彼の顔を見る。カプセルの中で眠っている筈のゼロの瞼が半分だけ開いて、彼女の方を見つめていた。

「……ゼロ…」

こみ上げる想い。胸が熱くなってゆく。

「…ゼロ」

その名を呼ぶ度に、様々な感情が止めどなく溢れ始める。

「ゼロぉ!」

一際大きな声で彼の名を呼び、横たわっている彼の体を抱き締める。枯れたはずの涙をボロボロと零しながら、強く、強く抱き締める。

「……く…な…」

掠れていて聞きづらいが何か言葉を発している。泣き喚く彼女に向けて、彼は声をかけている。

「泣…く……な……小…むす…め」

ようやく聞き取れたその言葉に、シエルは泣きながら怒ったように、けれどどこか嬉しそうに、言ってやった。

「『泣くな』なんて言うなら……泣かせるようなこと…しないでよ…」

ゼロの手が、慰めるように優しく頭を撫でる。
その手から発せられる熱が、彼の生還を確かに感じさせてくれた。















 NEXT STAGE







      渇望/葛藤

















[34283] 7th STAGE 「渇望/葛藤」
Name: 村岡凡斎◆45ff140f ID:697d6d9c
Date: 2012/10/29 16:01


  ――――  1  ――――


大型輸送列車のコントロールルームに、ふてくされた男が一人いた。
ネオ・アルカディア~エネルゲン水晶鉱山間を結ぶこの鉄の塊は、男にとって非常に退屈を感じさせるモノで、窓から見える景色――――旧世紀のとある戦争が原因で荒廃した大地はそれを更に増長させていた。

――――くだらねえ

“彼”は思う。
しかし、それはこの退屈を指しているわけでは無かった。また、決してこの輸送任務のことを指しているわけでも無かった。
それどころか、自らが傾倒してやまない、四天王にして烈空軍団長“ハルピュイア”から与えられた任務ならば、誇りにすら思えるモノだと十分承知していた。

それならば何故…?――――理由はもっと簡単な、ある意味で複雑なモノだった。

――――くだらねえぜ……まったく

“彼”は渇いていたのだ。自身にとって何もかもが順調とも言えるこの世界に。何不自由ないこの世界に。
彼は求めていたのだ。自分でさえ何とも分からぬ、何かを。確かに。
「ちっ」と、一つ舌打ち。レジスタンスの襲撃に備え、レーダーとモニターに注意を払っていた部下達が、ビクッと体を震わせ、司令官席の“彼”を恐る恐る見上げた。
「なんでもねえよ」と、乱暴に顎で任務を続けるよう促す。木偶の坊共は怯えたように目前の仕事に向かい直した。

――――よくもまあ、飽きねえもんだ

精鋭といえど所詮はただの下級レプリロイド。四天王の守護のためにミュートスレプリロイドとして生まれてきた「彼」ほどの力を持ったものはいない。同時に、その力のやりどころに悩む者もいない。つまりは、今“彼”が感じている退屈や渇きが分かる者など、この車内には誰もいないのだ。
いや、もしかしたら四天王ほどの者でも、この想いを理解できる者はいないのかもしれない。これ程までに「戦い」へと懸ける“彼”の極私的な執着心を理解できる者は、そしてそれに応えてくれる者は、この世界において誰一人としていないのではないかとさえ思えた。

――――そういえば……

そんな想いの中、最近聞いた妙な話を思い出した。
“彼”と同じ、ネオ・アルカディアを守護するミュートスレプリロイドが二体、“紅いイレギュラー”によって破壊されたという話だ。

“紅いイレギュラー”――――ネオ・アルカディア側からそう呼ばれるレプリロイドは、レジスタンスによって発見された過去の英雄だと聞いている。勿論“彼”自身の脳内にも、その存在はしっかりと記録されていた。
百年前のイレギュラー戦争を、ネオ・アルカディアの主、エックスと共に終結させたという伝説の英雄。そう、百年も昔のレプリロイド。
四天王ほどの力があるワケではないにしろミュートスレプリロイドも、現存しているレプリロイドの中では最高峰の技術で作られ、それに見合うだけの性能を備えている。
そして、そのほとんどが実力を認められ、四天王の片腕としての地位を得て、ネオ・アルカディアを守護している。
そのミュートスレプリロイドが既に二体もやられた。
何かが胸の奥で滾るのを感じる。

――――会ってみてえ

会って刃を交えてみたい。直ぐ傍に誰かいたなら、“彼”の表情の微妙な変化に気づいたことだろう。
この退屈な平穏を打ち壊すであろう存在。その存在を危惧しながらも、一方でほのかな期待感が募り始めていることを否定できない。
日常に現れることのなかった、非日常の存在。文字通りの“イレギュラー”。

「見つかるかもしれねえな」

“彼”は呟いた。
部下達は再び反応したが、“彼”が何も示さないのを確認して、再び自分たちの任務に戻った。
窓の外に広がるは乾き切った荒野。しかし、傾き始めた日が、ひび割れた大地に鮮やかな朱のグラデーションを施す。

風は少しだけ強くなる。

“彼”はまた、自分の体内に備えられた擬似体液循環装置が発する鼓動の高鳴りが大きくなるのを感じる。
見つかるかもしれない。求めていたものが。渇きを潤すものが。非日常の、新たな“戦い”と出会うことで。
分かるかもしれない。――――己が真に望んでいるものが何なのか。

湧き上がっていく期待から、自身も気づかぬうちに笑みがこぼれていた。
それが幸か不幸かは知れないが、その数分後、警報と共にこの黒豹の表情が、歓喜に満ちたことは確かだ。











 7th STAGE







     渇望/葛藤


















  ――――  2  ――――



サーベルが弧を描く。鮮やかな蛍光グリーンの軌跡。共に翻る真紅のコート。流れる金髪。
一つ、二つと切り裂かれたホログラフは消失し、続いて第二、第三のホログラフが即座に姿を表す。電子タイマーが経過時間を計測する。オペレーターが戦闘経過とそれに伴うあらゆるデータを随時記録してゆく。

「すごい……。危険度も再現度もほぼ“MAX”なのに……」

ジョーヌは思わず言葉を漏らす。
臆す事無く、迷うこと無く、遅れを取ること無く、その刃は仮想の敵を切り裂き続けた。トレーニング用の飛行型メカニロイドが発すビームを防ぎ、躱し、僅かな傷を負うこともなく、順調にカウントを稼ぐ。

「ラストです。ゼロさん。あなたの戦闘記録からイメージを起こしました」

ルージュの説明通り、ゼロの目の前に姿を投影されたのはいつぞやのミュートスレプリロイド――――マハ・ガネシャリフ。
登場して直ぐ、頭部と手足を体内に収納し、転がり、迫り来る。しかし、ゼロはその場を動かない。それどころか地に足を踏みしめ、迎え撃つ構えを取る。

「ゼロさん! さすがに危険です! 避けて!」

無謀な戦術を見兼ねたジョーヌが叫ぶ。
ホログラフのため外装や内部への実際的なダメージは無いといえど、ゼロの体に装備された擬似体感センサーによって、その痛みは本物の攻撃を受けた時とそう大差ないものになる。通常のレプリロイドを踏み潰す程度訳ないガネシャリフの体当たりをまともに受けてしまえば、その痛みは想像を絶するものとなるだろう。

「今直ぐプログラムの中止を……!」

「いりません」

エルピスがすかさず言い放つ。それとほぼ同時に、ルージュが計測していたゼロの体内エネルギー反応に変化が起きた。

「これが……!?」

初めて見るそのデータに、ルージュは驚きの声を上げる。
セイバーを握るゼロの右手にエネルギーが蓄積され、それらが雷となりセイバーを取り巻き、包む。
ガネシャリフの巨体が、目と鼻の先に来たその瞬間、ゼロがセイバーを一直線に突き出す。それと共に雷撃がその上を駆け抜ける。

刹那。激しい雷光と共に、ガネシャリフのホログラフは呆気無く消し飛んだ。
あとに残るのは、剣を手にした英雄と、プログラムの終了を告げるブザーの音だけだった。












「素晴らしい。ガネシャリフを倒したのは本当だったのですね」

トレーニングルームから上がってきたゼロをエルピスが拍手で迎えた。

「それにしても、もっと早く報告を頂きたかったものです。敵のミュートスレプリロイドの一体を破壊していたということを。……いや、二体でしたか」

復帰の過程で、今までの戦闘データを回収できる限り回収したところ、ようやくマハ・ガネシャリフ、アヌビステップ・ネクロマンセスⅢ世との戦闘、及び撃破を確認したのだった。

「まあガネシャリフに関しては、冥海軍団に同タイプのものがあと7体は確認されていると聞いていますが」

「あれとまだやり合わなきゃいけないのか……」

ガネシャリフ独特の喋り口調を思い出し、ゼロはため息を付く。あの口調は本当に苛立ちを感じさせるので出来れば二度と出会いたくないものだと心底思っていたのだ。

「しかしミュートスレプリロイドの量産なんてのは簡単なことじゃないだろう? 資源的にも、技術的にも」

「ええ、その通りです。しかし、アレはデータ輸送という役割上、必要数の生産が行われました」

曰く「絶対に盗まれない完璧な情報受け渡し手段」、「自己防衛をするデータサーバー本体」。多数のレジスタンス組織から狙われる機密情報を各軍事拠点および本国への持ち運び等に扱われるため、その数が一体では足りるはずもない。ミュートスレプリロイドとして作られ、扱われてはいるが、その性能は他のミュートスレプリロイドに比べれば簡略化されており、性質的にはメカニロイドに近いといえる。

「……あと特別に量産された者といえば、裂空軍団の“賢将”を補佐するために作られた“三羽烏”ことアステ・ファルコン・アイン、ツヴァイ、ドライでしょうか。ただこちらはボディの形状こそ同じですが、精神プログラムの差別化が図られており、完全な量産とは言えません」

「つまり……ガネシャリフは性格も全く同じヤツがあと7体いるわけか」

「そういう事です」

思わずゼロは頭を抱えた。
そうこうしてる内に、計測データの整理を終えたジョーヌが電子ボードを抱えて笑顔で駆け寄って来る。

「すごいですよゼロさん! 全体的に反応値、戦闘速度共に、治療前のデータからほんの僅かですが上昇しています! しかもホログラフとは言えミュートスレプリロイドまであんなにも簡単に!」

復帰後、数日経ったとは言え、ほぼ実戦並みのトレーニングプログラムを行うのは初めてであるというのに、ここまで好成績が出せるとは思っても見なかった。

「整備に力を注いでくれた連中の腕が良かったのさ」

笑顔でそう答える。しかし和やかな二人の間を割くように、ルージュがジョーヌの電子ボードを取り上げ、自分の物と見比べながら冷静に分析する。

「全体的に見れば確かに好成績と言えましょう。……しかし、ところどころコンマ数秒の遅れが生じているところが見受けられます」

ジョーヌが持っていた戦闘成績のデータを示す。

「そして、その遅れよりやや早いタイミングで、思考パルスに僅かですがノイズが確認できます」

自分が持っていたボードでグラフデータを示し、説明する。

「ゼロさん。何か心当たりはありませんか?」

「いや、ないな」

問いに対し、ゼロは即答した。

「強いて挙げるなら、まだ本調子じゃない……ってのが原因だろう。ちょっとした思考と行動のズレだよ」

そう言いながら「何でもない」と殊更強調するように手をひらひらと振る。「しかし」とルージュが話を続けようとするが、ジョーヌが口をはさむ。

「とにかくゼロさんなら大丈夫よ、ルージュ。何を気にしてるのか知らないけど心配しすぎだって」

そう言って無邪気に笑う。それ以上は無駄と思ったのか、ルージュは口を噤んだ。

「しかしまたこのように戦えるようになるとは……しかも以前よりも調子が上がっている。失礼かと思いますがこうなるとは誰も想像していなかったでしょう」

エルピスが満足そうに称える。

「さっきも言ったように整備してくれた連中の腕が良かったんだよ。セルヴォたちには本当に感謝しないとな」

「ええ。そうですね。しかし、油断は禁物ですよ。体を動かした後はメンテナンスを必ず受けてください」

「はいよ」と不満気に返事をしてから、メンテナンスルームに向かうため、部屋を出た。
ゼロがいなくなったあと、ルージュが再び分析結果に目を通し、エルピスに相談する。

「『何も無い』……ということは無いと思うのですが…」

その続きを言う前にエルピスの人差し指が、開こうとする口を止めた。

「彼が『何も無い』と言っているのです。それを信じましょう」

そう言われ、ルージュは渋々引き下がった。エルピスの言うとおり、彼を信じるならばこれ以上の詮索は無用だ。とは言うものの、彼女にはどうしても違和感を拭い切れなかったのだが。
しかし、既にエルピスの頭の中は次の計画に照準を定めていた。

「それより、彼が調子を取り戻した今こそ、延期させてもらっていた例の作戦を実行に移す時です。白の団始まって以来の……いや、レジスタンス組織として初の大反攻作戦と言って良いかもしれません。気を引き締めていきましょう」

そう言いながらもこれから先の想像をし、胸の高鳴りを抑えられず、エルピスは「ククク」と笑みをこぼす。その笑いには確かにネオ・アルカディアへの憎悪が滲んでいた。













  ―――― * * * ――――


「夢を見たんだ」

メンテナンスベッドから突然ぽつりと聞こえてきた言葉に、セルヴォは首を傾げる。

「夢?」

「…そう…“夢”だ」

ブザーと共にカプセルのカバーが開く。上体を起こし、どこかをぼんやりと見つめながら、ゼロは言う。

「ハッキリとは覚えちゃいないんだ。ただ、何かとてつもなく恐ろしいものと……何よりも掛け替えのないものを見た気がする」

それが何なのかは思い出せない。そのことがとんでもなく歯痒く感じられる。
微かに浮かぶイメージは、暗闇の世界。それを切り裂く鮮烈な光。頭の中で響く声。そして――――…‥

そんなゼロの言葉にセルヴォは何を思ったのかくすりと笑った。少しむっとした表情でゼロが睨むと、「すまんすまん」と悪気のないことを説明する。

「君がそんな話をしてくれるようになるとは思わなくてね。少し嬉しかったんだよ」

不安なことは一人で抱え込み、決して他に頼らないようなこの男が初めてそういった話をしてくれたことに少なからず生まれてきた仲間意識を感じ、セルヴォは嬉しく思えたのだ。
そんなセルヴォに、ゼロは恥ずかしがることも、笑うこともなくただ当然のことのように言った。

「あんただって吐き出してくれただろ。抱えてたもんを…さ」

一瞬意味が分からなかったが、つい最近のやり取りを思い出すと、ようやく理解して思わず苦笑した。ああ、そうだ。確かに自分は全てを語った。
眠りから覚めた翌日。ある程度ゼロの体調が回復したその日――――…‥









『すまなかった』

突然頭を下げるセルヴォに、ゼロは困惑した。

『おいおい、なにがどうしたってんだ…!?』

並々ならぬ雰囲気を纏うセルヴォに、ゼロは慌てて問う。セルヴォは一度息をつき、落ち着いて一言ずつ話し始めた。

『ゼロ……私たちは君に隠していたことがある…』

セルヴォは全てを白状した。ゼロのメディカルチェックにおける結果。内部構造の六割が現時点で技術的に解析不能であり、修復に関しても限度があるということ。そして精神、記憶回路を含む頭部ユニット全般へのアクセス制限。より精密な分析と解析の末、極最近の現実的な戦闘記録などを取り出すことはできたが、夢などに影響する思念的な記憶や、より古い過去の出来事に関しては情報の回収が一切不可能であること。エルピスの“英雄”に対する概念。口止めをされたこと等、彼の今後の思考、行動について影響するであろう隠し事の一切を告げた。

『私たちは結局、君を利用することばかり考えていた。記憶を取り戻せず悩む君の不安を煽らぬようにとしているうちに、いつしか隠すばかりで君に真実を告げることを怠っていた。私たちでは君を救えないのだということを、伝えずにいた』

セルヴォは今までの自分の行動に対し、悔やみきれない想いを感じていた。
話を聞いてからゼロは咎めることもなく、怒ることもなく、ただ尋ねた。

『俺の記憶は戻らないのか?』

その言葉と態度に少し拍子抜けしながら、セルヴォは慎重に、自分の見解を答えた。

『今の私たちの力では無理だ。……が、“絶対に不可能”というわけではない。自然に戻るとも限らないし、いずれ君の構造を完全でないにしても、今以上に解き明かすことができる日が来るかもしれない。“いつ”とは言えないが……』

『なるほどね……』

そう言って少し安心したような顔をする。セルヴォにはそれが何故だか分からなかった。いやそれどころか、もっと他に言うことはないのかと不安になった。

『……私たちを…赦してくれるのかい?』

『“赦す”?』

『ははっ』と笑って答える。

『俺がいつお前らを責めたよ?』

何一つ気にもしていないというふうに、ゼロは言う。

『とにもかくにも、こうして俺の体を直してくれた。それだけで十分さ。……サンキュー、おっさん』









‥…――――セルヴォは確かに全てを吐き出した。彼に対して負い目を感じていたこと全てを。そしてそれをゼロは赦すどころか、気にも留めていないと伝えた。

「あんたが気にしてた件に関して、本当に俺はどうも思ってないさ。でも、あんたはそれをいちいち気にしてくれた。それだけで十分なんだよ。俺にはさ」

セルヴォも言ったように、本当に「不安を煽らない為に」と思ってくれたことならば、それを咎める理由などどこにあろうか。今はただ、無事に復調させてくれたことに感謝している。その言葉に偽りはなかった。
カプセルを出て真紅のコートに袖を通す。

「それに、あの“坊ちゃん”が俺をどんな理由で利用していようが、構わない。俺もまた、こうして用意してもらったシチュエーションを利用させてもらうだけさ」

「利用?」

思わず問う。エルピスが“英雄”であるゼロを利用するのは分かるが、ゼロがエルピスを利用するというのはいまいち分かり兼ねる。いったいなんのために、どのように利用しようというのか。
そんな疑問をあからさまに、表情に浮かべるセルヴォにゼロは答える。

「俺は俺の“目的”をやり遂げる」

そう自信あり気に言いながらも、少し考えてからまたどこか自嘲気味に言葉を付け足した。

「“それ”がなんなのか、自分でも分かっちゃいないんだがな」













  ―――― * * * ――――


自室に戻ってしばらくすると、数人の男達が押しかけてきた。

「ゼロさん、聞きましたよ! 完全に復調したらしいですね!」

コルボ―が嬉しそうに声を上げる。後ろにはマーク、トムス、ヘルマンまでもが駆けつけている。トレーニングの結果をジョーヌがべらべらと周りに喋り回ったおかげで、ゼロの復調は団員たちの殆どに知れ渡っていたのだ。

「完全ってつもりじゃないが……まあ、程々にな。お前らも元気そうで何よりだよ」

治療が完了してからも、リハビリやトレーニング、各種検査等に追われ、一般団員たちとはなかなか顔を合わせることがなかった。

「一時はどうなるかと不安でしたが……本当にもう大丈夫なようですね」

マークがゼロの様子を確かめながら言う。後ろで「ケッ」とヘルマンが憎まれ口を叩く。

「“英雄”さんが他のヤツらに心配かけてちゃザマねえな。今度からせいぜい気を付けろよ」

「あんな風に言ってますけど、あいつはあいつで心配してたんですよ」

さり気無くフォローを入れるトムス。「いらねえこと言うんじゃねえ」とヘルマンは噛み付くように言ったが、その顔はどこか嬉しそうである。やはりゼロのことが心配だったのだ。

「ゼロ……さん」

不意にマーク達の後ろのほうからか細い声が聞こえてくる。声がしてから若干間を置いて、ようやく気づいたらしく、皆声の聞こえた方を見る。するとそこには赤毛の女性レプリロイドが立っていた。

「あなたは………確か…」

その女性にコルボーは見覚えがある。もちろん、彼女のことはゼロも知っていた。

「ティナ……か…?」

アヌビステップの死屍軍団により壊滅させられた“黄金の鷲”基地から救出し、砂漠で別れたきりとなっていたティナがそこに立っていた。彼女がゼロの傷に責任を感じていたことを、コルボーは思い出す。

「……ゼロさん…本当に良かった」

先日と同様、人間ならば今にも泣いていただろう、そんな顔をしている。しかし前にコルボーが見た時と違うのは、今の彼女の表情にゼロが回復したことへの喜びと安堵の色が、確かに含まれていることだ。
マーク達の合間を縫って、ゼロはティナの傍に寄る。そして、ポンと頭を撫でる。

「お前も無事で良かった。……だからよ、そんな顔すんな。女は笑ったほうがいいぜ? お前みたいな美人は尚更な」

ニヤリと笑いながら冗談めかした言葉を返すゼロに、ティナは少しだけ恥ずかしそうに、けれど心からの笑顔で答えた。














  ――――  3  ――――


「それではこれより、ミーティングを始めます。ルージュさん、マップを」

エルピスはルージュに合図を出す。マップデータが中央の三次元モニター上に映し出された。各チームのリーダー、作戦において重要な役割を担うゼロ、また技術局長のセルヴォ等がその場に呼ばれていた。全員が映し出された画像に注目しているのを確認して、エルピスが説明を始める。

「今回の作戦は、言ってしまえば『大がかりな資源調達』です。“レプリロイド解放議会軍”協力の下、ネオ・アルカディアの首都“メガロポリス”に資源を運搬している大型輸送列車を襲撃し、運搬中のエネルゲン水晶を丸ごと奪取します」

生活のために使用されるエネルギー資源――――エネルゲン水晶。それが採掘される鉱山はほぼ全てネオ・アルカディアの手中にあり、エネルギー調達の必要が出たときには奪うしか無い。白の団が備蓄しているエネルゲン水晶もあと数年程度で底をつくだろうことが予測されている。今後どれだけの長期戦になるかも分からないこの戦争において、エネルゲン水晶の奪取は不可欠な作戦なのである。

「待ってくれ」

セルヴォが口をはさむ。

「大型輸送列車というのは……まさか――――」

「はい。“雷霆の黒豹”と名高い“パンター・フラクロス”が搭乗している、“あの”輸送列車です」

「無茶です!」

チームリーダーとして作戦会議に呼ばれていたマークもまた声を上げる。

「ヤツは烈空軍団でも一、二を争う豪傑ですよ! 敵うはずありません! 資源の調達なら他をあたったほうが……」

「だからこそです」

慌てふためく他の団員たちを一喝するかのようにエルピスは言葉を返す。

「フラクロスの大型輸送列車は、搭乗しているフラクロス自身と彼が率いる精鋭部隊により守られています。しかし、周辺の警戒は非常に甘い。これは彼らの自信の表れであり、脅威の象徴です。しかし、それは隙として捉えることもできます」

空間転移装置を利用すれば、物資の運搬など容易に済ませることができる現代に、わざわざ襲撃されるの危険を孕んだ輸送列車という体で物資の運搬をしているのは決して伊達や酔狂からではない。
『何者をも恐れず迎え撃つ』『何者にも決して屈しない』という覚悟を持った、自信の表れ。その自信通りほとんどのレジスタンスチームはその姿に恐れをなし、近寄ることすら臆してしまう。もちろん、非戦闘型ばかりで構成された白の団には手出しをする余裕などどこにもある筈がなかった。

「今まで、私たちにはそれに対抗する術が全くありませんでした。――――が、今はそれがある」

ゼロの方をチラリと見る。そう、今ならゼロがいる。ミュートスレプリロイドとも互角以上に渡り合える英雄がいるのだ。これほど心強いことはない。

「それでは詳細を説明しましょう」

まず、レプリロイド解放議会軍と、その協力チーム――――「黒狼軍」が別地域でネオ・アルカディア前線部隊を引きつける。白の団の周辺地域の警備メカニロイドと大型輸送列車に対しては、解放議会軍と白の団がサイバーエルフによるハッキングを行い、各種センサーを妨害する。
その間にゼロが輸送列車の通過地点まで近づき、列車が来ると同時に飛び乗り、待機している敵を殲滅。貨物車両をコマンダー車両側から切り離す。
他の部隊は輸送トラックとライドアーマーでゼロを後方より追跡し、切り離された貨物車両と接触次第、解放議会軍と共に作業を行い、全てが済み次第、速やかに撤収する。

「物資の運び出し中、ゼロさんはできる限りフラクロスを引きつけてください。そして可能ならば――――」

「倒す。絶対にな」

ゼロは続きを聞く前に、自ら言葉を告げた。それを聞き、小さく頷いてからエルピスは説明を続けた。

「今回の作戦が成功すれば、私たちはネオ・アルカディアから歴史的な大勝を得ることになります。私たちの生活だけでなく、今後の歴史を変える一戦となることは間違いありません。皆さん、心してかかってください」

これは正に世紀の一戦なのだと、エルピスは強調する。
四天王率いる四軍団に所属しているミュートスレプリロイドの中でも、トップクラスの実力者であるフラクロスから勝ち星をあげることが出来れば、今後の戦局的にも、そして士気的にも大いに優勢となることは誰もが予想していた。なんとしてもこの作戦を成功させねばと、皆気を引き締めた。

「しかし、“黒狼軍”が参加するとは……。シエルさんは了承したんですか?」

マークがふと問いかける。他の団員もそこが引っかかっていたらしく、エルピスの答えを待つ。
ただ一人、そのレジスタンス組織の名前が聞き慣れないゼロは、思わず周りに尋ねた。

「黒狼軍ってのはなんだ? ……それに『小娘の了承』ってのは?」

ジョーヌが素早く説明する。

「黒狼軍は数あるレジスタンスチームの中でもトップクラスの実力を持った超過激派です。協力者はネオ・アルカディア内にも潜伏し、民間施設へのテロ活動も度々行い、イレギュラーハンターでさえ、手を焼いているそうです」

白の団は、最終的にはネオ・アルカディアとの融和を目標としているため、思想、戦略的には反対の組織であると言え、どちらかと言えば非協力的な関係にあるのだ。そのため、白の団としては黒狼軍との協力は余り好ましいものではなく、共同戦線を張るという話が上がればシエルは間違い無く渋るだろうし、白の団創始者である彼女が反対するのであればその話はお流れになってしまうのだ。
そういった事情を踏まえ、エルピスは全員に言い聞かせるように、マークに答える。

「今回、私たちが協力するのはレプリロイド解放議会軍であり、黒狼軍は別方面で解放議会軍と“勝手に”共同作戦を展開するだけです。私たちが直接協力するわけじゃありません」

屁理屈としか言いようのない言い訳ではあったが、この一大作戦を成功させるには必要な言い訳であることを誰もが理解していたので、それ以上問い直すものはいなかった。
他に疑問等はないかと、エルピスが団員たちの表情を見渡す。そして、何も無いことを確認すると、もう一度だけ声に力を入れて言い聞かせる。

「それでは明日、一七〇〇より作戦を決行します。いいですか、これは間違いなく歴史を変える大事な一戦です。皆さん、なんとしても成功させましょう」

団員たちは「了解」と力強く返事をし、「解散」の号令と共にミーティングルームを出て行った。ただ一人、ゼロはさらに詳しい説明があるため、残される。

「こちらが資料です」

ルージュが電子ボードを手渡す。そこには車両内の構造及び、戦闘時における敵部隊の予想配置、更には機関部を制御している大型メカニロイドについてのデータが記されていた。

「フラクロス率いる輸送列車の護衛部隊は、烈空軍団の中でも精鋭で構成されています。パンテオンの上位兵種であるパンテオン・ウォーリアが通常配備されているだけでなく、フラクロス自身の戦闘経験等をフィードバックすることで個々の能力値に関しても底上げされており、少々厄介です。また、機関部のパンテオン・コアに関してですがガネシャリフのボディ同様、ビームサーベルは通じないと見て良いでしょう。狙うならば中心部――――防衛システムの中枢として機能しているパンテオンのボディを叩かなければいけません」

画面にタッチを繰り返し、ページを送りながら説明を続ける。そしてフラクロスの項目にたどり着く。

「先ほど、他の隊員たちが口にしていたように、彼は実力的に烈空軍団の中でも最強クラス――――“賢将ハルピュイア”に次ぐナンバー2と言ってもよいでしょう」

先日戦ったガネシャリフとアヌビステップも強敵ではあったが、戦闘能力一つをとって言えばそれら以上に強敵であることは間違いない。

「真っ向勝負は危険です。いざという時は退却してください。それなりに時間を稼いでからにしてもらいますが、ね」

「何度も言わせんな。俺は必ず勝つ」

ゼロは退却する意志など持ち合わせていない。

「黒“猫”程度に敵わないようじゃ、“虎”退治はできないだろ? ……いずれは四天王も全てぶっ潰して、救世主の野郎を叩きのめすんだ。これくらい、こなして見せる」

「猫でも虎でもなく、“豹”ですがね。……いいでしょう。これ以上は何も言いません。お任せします」

始めからこうなると分かっていたらしく、エルピスはあっさりと引き下がる。ゼロは電子ボードをルージュに返し、そのまま退室した。














  ―――― * * * ――――


「……また…たたかいにいっちゃうんだね……」

当然のようにちょこんと膝の上に座りながら、寂しそうにアルエットが呟く。ゼロはその頭を優しく撫でる。

「それが仕事だからな」

「こんどは……あんなにけがしないよね…?」

不安そうに問いかける。心なしか、ぬいぐるみを抱き締める腕に、いつも以上に力が入っているように見える。

「おねえちゃん…あんなに泣いたことなかった」

もちろんゼロのことも心配してはいたが、彼女はそれ以上にシエルのことを心配しているようだった。
治療中のカプセルを見つめていた表情、その背中、落ちる涙。どれも今まで一度も見たことのない姿だった。

「それを言われると、痛いな」

思わず苦笑いをする。泣かせまいと誓った筈が自分のせいで涙を流させてしまったことを思うと、自身の情け無さに苛立ちを感じてならない。
「もう二度とあんなことは」と思う――――が、今度の戦いこそ、それを容易に口にできるものではなかった。しかしそれでも――――…

ゼロはアルエットを膝から下ろし、自分のほうを向かせた。

「二度と油断したりしない。だからそんな心配は無用さ。次は平穏無事に仕事をやり遂げて、ここに戻ってくる」

そう言って、いつものように小指を差し出す。

「俺が帰ってくるまで、小娘のことは任せたぜ」

それを見て、いつかのようにアルエットも指を差し出し、答える。

「まかせて。ゼロ」

そのやりとりだけで、アルエットが抱えていた不安は確かに小さく萎んでいった。















  ――――  4  ――――


作戦に参加する団員たちは敵のセンサーから逃れるため、人機判別を誤魔化す偽装スーツを着用する。今作戦に向け、技術局が総力を挙げて開発していたものだ。敵を引きつけるという役割上、ゼロはそれを着用しなかった。
皆それぞれライドアーマーや輸送トラックへと乗り込み、出撃の準備を整えてゆく。ゼロもまたライドチェイサーに跨る。作戦開始まであと十分もない。

「それじゃ、行ってくるぜ」

後ろを振り向き、声をかける。セルヴォとアルエットはその声に答える代わりに、ただ俯き続けるシエルの方を見た。

「シエル……」

セルヴォが優しく声をかける。まるで今気づいたかのようにシエルが顔を上げる。しかし、何かを言う気配はない。
ゼロは少し困ったように溜息をつく。傷が治ってからここしばらくシエルはこの調子で、まともに会話した覚えがない。ただ、一人思い悩んでいる様子で、声を掛けることすらできなかった。
原因は、分かっているつもりだった。けれど、なかなか言葉にすることができず、ここまで来てしまった。
出撃五分前を知らせるルージュの通信が響く。
このままではいけないと、ようやく意を決し、ゼロはライドチェイサーから降りてシエルに近づく。そして、少し迷ってから言葉をかける。

「すまなかった」

突然の謝罪の言葉に、シエルは驚いたようにゼロを見つめる。周りの団員たち全員がその光景に注目していることに、セルヴォは気づいた。
周囲の視線も気にすること無く、ゼロは謝罪の言葉を続ける。

「……心配をかけて、すまなかった」

「違う…!」

遮るようにシエルは強く言う。「それは違うわ」と瞳を潤ませる。

「謝るのは私の方よ…。あなたに頼って…縋って……そのせいであなたは…」

こらえ切れずシエルは顔を覆う。
今回は乗り切ることができた。けれど、いつ、今回以上の傷を負うか分かったものではない。次は還って来ることができないかもしれない。そして、それらは全て自分に原因がある。目覚めさせてしまった、この世界に引きずり込んでしまった自分に。

「それなのに……私はまた…こうして送ることしかできない…」

この作戦にゼロの存在は不可欠である。いや、この作戦だけでなくこれから先も彼の存在は不可欠なのだ。それは戦略的な理由だけでなく、精神的な意味合いも大きく含まれる。ゼロはどこまで行っても、この世界にとって英雄という存在であることに変りない。そんな英雄が、例え墜ちずとも退くことがあれば、団員たちのネオ・アルカディアへの反抗の意志は砕かれかねない。彼という“駒”が白の団に揃った時から、その宿命はついてまわっている。
万が一にも、負傷を理由に作戦を退けば、作戦成功率の破滅的な低下だけでなく、団員たちの士気低下は避けられない。――――引き止めたくとも引き止められない。シエルの心は雁字搦めとなっていた。

セルヴォも、アルエットも、エルピスも、他の団員たちの誰でも、彼女のために掛ける言葉が見つからない。彼女の心境を思えばこそ、何も言うことはできなかった。――――ただ一人を除いて。

「……顔、上げろ」

そう促すゼロの声に、シエルは従い、顔を上げる。――――その瞬間、「バシッ」という音ともに、額に痛みが走る。シエルは、泣いていたことも忘れ、「痛っ」と声を上げ額を抑える。それを見ていた他の者達も呆気にとられる。ゼロが、指でシエルの額を弾いたのだ。痺れを感じる額を抑え続けているシエルに、ゼロは何処かぶっきら棒に言う。

「小娘、笑え」

「へ…?」

突然の要求だった。そのままゼロは言葉を続ける。今度は少しだけ優しいトーンで。

「もう二度とあんなヘマはやらない。二度と俺はお前に心配をかけない。……だから、お前ももう“そんなこと”で悩むな。――――いや、悩まなくていい。悩む必要なんかない。俺はもう、誰にも負けない。絶対だ」

たとえこの先、如何なる敵が現れようと、退くことも、敗れることも、いや、傷つくことすらしないと誓う。

「だから、お前は笑ってろ。二度と泣いたりするんじゃない。お前は、“お前の英雄”を信じて、無邪気に笑って、理想を語ってればいいんだよ」

不敵に笑い、そう告げる。
自分の心で信じ、自分の手で目覚めさせた英雄。その力をひたすらに信じろと、ゼロは言う。
シエルは赤くなった眼で、じっとゼロを見つめる。その瞳に、確かな輝きがあることを認めると、もう一度だけ俯き考える。そして、緩く握った拳で、ゼロの腹のあたりを「ポスッ」と軽く叩く。

「……さっきの…おでこ、結構痛かったんだから…」

まだ少しだけ痺れているのを感じる。けれど、その痛みすら、どこか優しく感じてしまう。

「絶対よ。…絶対に……絶対よ」

約束に念を押す。

「そう、何度も言うなよ」

笑う。ゼロも、そしてシエルも。それを見ていた団員たちも、安心したように息を付く。
先程までの暗い表情から一転、念を押すシエルの声は明るく響く。

「絶対に誰にも負けないで。絶対に戦いに勝って。どんな作戦でも、絶対に成功させて」

「絶対に誰にも負けないし、絶対に勝ち続ける。どんな作戦だって、成功させて見せる」

シエルの言葉を繰り返すように、答える。
それ以上は何も言わず、ゼロは振り返る。そして、ライドチェイサーに再び跨った。

「手始めに、大手柄を挙げてきてやるよ。完全復帰祝いの準備でもして待ってな」

「任せて。信じて待ってる」

そう言葉を交わし合うと、ルージュの作戦開始を告げる通信が入った。先頭を切って、ゼロはライドチェイサーのアクセルをかけ、走りだす。

「行ってらっしゃい! ゼロ!」

背中を見つめながら、小さな体で元気よく手を振って送り出す声に、ゼロは片手で答えた。














  ―――― * * * ――――


「既に“私のミス”で二分ほど遅れが生じています。少々急いでください」

ルージュが通信で謝る。「ははっ」とゼロは軽く笑う。

「気を遣わせてすまなかった。――――大丈夫さ。目的地には予定時刻丁度に到着してやる」

そう言って、更に加速してゆく。
頬に当たる風は強く、落ち始めた陽は赤々と不吉な輝きを見せる。改めて眼にする荒廃した大地には、草木一本見当たらない。

ふと、ノイズが走るのを感じる。

――――あの夢の影響か

詳細が思い出せない夢のことを考える。周りにはなんとか押し隠してはいたが、治療が終わってからも、度々ノイズが走るのを感じる。決まって、フラッシュバックのようにあの光景が脳裏を掠めた。
そう言えば、あの場所はこの世界よりも酷かった。誰がどうやったらあんなにも凄惨なものになってしまうのか。それを考えると、何故だか分からないが、少しだけ胸が苦しくなるのだった。
そうこうしていると、目的のポイントが近くなり、肉眼で線路が確認できるようになる。

――――あれを辿って行けば……

ネオ・アルカディアに着く。“あいつ”がいる“理想郷”に。そんなことを不意に考えた後で、鼻で笑った。

「……ネーミングセンス、皆無だな」

そう呟き、ネオ・アルカディアの方角とは逆方向にハンドルを切る。
幾ばくかの距離を走ると、ついに黒い塊が視界に捉えられるようになる。

「見えた」

通常の列車の三倍はあろうかという、巨大な塊。その姿が小さくだが確認できる。
敵の各種センサーに対しては、サイバーエルフによるジャミングが行われているため、ゼロの存在はまだ知られていない。
ゼロはさらに速度を上げ、線路に近づいてゆく。だんだんと黒い列車の顔が大きくなってゆく。心の中でカウントを取る。

――――1……2の……

「3!」

線路沿いまで来たところで、ハンドルを大きく切り、列車と同じ方向へと向いて走る。列車がすぐ傍を走っている。聴覚のポテンシャルをギリギリまで落とし、轟音に耐える。
速度を適度に合わせる。兵員輸送車両、貨物車両としばらく続いた後、最後尾の車両に並ぶ。

「……後でな」

そう、声をかけるとライドチェイサーの設定をオートにして、適当な場所で停まるようにセットをする。
そしてそのまま、鉄の塊へと目掛けて、大きく飛んだ。
乗り捨てられたライドチェイサーは入力されたデータに従い、そのまま走って行く。無理やり車両の突起物に掴まるゼロ。凄まじい風圧で金髪と紅いコートが風にバタバタと煽られる。

「荒っぽくいくぜ」

ゼットセイバーを取り出し、エネルギーを放出する。車両の装甲を縦に切り裂くと、あとは力尽くでこじ開け、侵入した。
瞬間、ほの暗い列車の中、一斉に向けられる銃口。感情のない赤い大きな一つ目が、ぼんやりと幾つも闇に浮かび、こちらを睨んでいる。敵の襲撃に対し、いつでも動けるよう待機していたようだ。

「仕事熱心だな。感心、感心」

そう不敵に言い放つ。パンテオン達の銃口は鈍く光る。

「さてと……――――パーティーの開幕さぁ!」

鳴り響く無数の銃撃音よりも遥かに速く、光の刃が闇に弧を描いた。














  ――――  5  ――――


自分たちが警護している車両の中だというのに、何の躊躇いもなく撃ち始める。ゼロは臆す事無くそれらに応戦する。
こじ開けた穴と、取って付けたような小さな窓から注ぎ込む僅かな光。そこに、切り裂かれたパンテオンの火花とバスターショットの輝き、そしてゼロが振り回すゼットセイバーの閃光が激しく飛び散っていた。
途中から、けたたましい警報が鳴り出していたが、まるで耳に入らない。狭い車両の中でも、縦横無尽に駆け回る。ショットが全く当たらない紅いコートに苛立ったのか、パンテオン達はバスターを変形させ、スタンスティックに切り替える。

「来いよ、木偶人形!」

しかし、近接戦ではその実力の差が更に際立つ。スティックを振り回しては斬られ、振り回しては斬られと一方的な殺戮劇にしかならない。

「ほらよ!」

「ゲ――――ッ」

生首が転げ落ちた切断面から、疑似血液が溢れる。そのまま力なく倒れる。
あっという間に車両を一つ制圧する。しかし、休んでいる暇などない。別の車両へと続く扉をゼットセイバーで強引に斬り、蹴り飛ばす。
扉の向こう側で構えていたパンテオンの一機に直撃する。同時に、低い体勢で素早く乗り込む。怯んだ敵は皆、目標を見失う。――――と、何処からとも無く光が走り、その刹那、青い胴体が宙に舞う。

「――――!!」

銃口を向けようとバスターを振り回すが、捉えきれない。一つ。また一つと、首や胴が飛んでは、体が両断されてゆく。そしてまた一つ車両を制圧する。

「…っ!」

同じように扉をこじ開けようとしたが、殺気を感じ取り、身を躱す。すると、反対側から勢い良く扉が吹き飛ばされ、二回り程大きな拳が顔を出す。
格闘用強化アームを装備したパンテオン――――資料で確認した上位兵種「パンテオン・ウォーリア」、それが七機。

「くっ…!!」

事前の情報通り、フラクロスの戦闘データがフィードバックされているらしく、先程までの雑兵とは比べものにならない動きを見せる。
その拳は、小回りこそ利かないが、狭い車内では体積のせいもありヒットの確率が高くなる。繰り出される拳の一つ一つが、必殺の力であり不用意に喰らうわけにはいかない。
すれすれで躱す。風を切り裂く音が耳にうるさい。

「どぉ…らっ!」

「ッ!」

繰り出された腕を屈んで避けると、そのまま伸びた腕を切り落とす。そしてその首を強引に鷲掴む。

「おらよ!」と別の一機に勢いよく押し付け、まとめて串刺す。――――と、同時に左右から拳がゼロを捉えようと振られる。……が、それを数瞬速く読んだゼロはしゃがんで避ける。二機のパンテオン・ウォーリアの腕がまるでクロスカウンターのように交差するのを下から眺める。

「お疲れさん!」

まとめて斬る。腰を断ち斬る。一気に車内が広くなる。残る三体がまとめて拳を伸ばす。しかし、既にゼロの姿はない。

「後ろだ、道化ども」

そう言ってゼットセイバーを振る。まさに瞬殺。
休む間もなく「次!」と車両の天井に穴を開け、外に飛び出る。

「と…っ」

風に圧されよろけるが、突起を掴み体勢を整える。
不意に、ノイズが走る。グッと、どこかへ飛びそうな意識を引き止め、堪える。

「……さっさと終わらせてやるよ」

低い姿勢で屋根の上を駆けて行く。幾つかの貨物車両の上を過ぎ、最前列の貨物車両、その先頭までたどり着く。兵員輸送車両との狭い隙間に、慎重に降り立ち、その連結部分を見つける。
一息で断ち斬る。
力の限り思い切り、且つ、列車から落ちないように注意しながら、貨物車両を抑えつけるようにして反対側に蹴飛ばした。列車の大きさからすれば僅かな力ではあったが、反対方向に弾かれた貨物車両は、みるみる遠ざかって行く。

「ここまではとりあえず、クリア……だな」

これから先が問題である。残る兵員輸送車両は三両。そのうち一両を越えれば機関部。ミュートスレプリロイド――――パンター・フラクロスがいるコマンダー車両は先頭にある。
あれこれ考えていても仕方ない。覚悟を決め、「南無三っ」と体当たりで扉を突き破る。するとパンテオン・ウォーリアが十機程待ち構えていた。

「……よくもまあ、こんなところにゾロゾロと」

多勢に無勢。とは言え、ここで止まるわけにはいかない。敵の中へと飛び込む。
眩いイルミネーションのように、火花が弾ける。閃光が走る。アトラクションのように、飛び交う拳。中を駆け回る紅いコート。

「ちぃ…っ!」

一機、二機と斬り伏せては、敵の攻撃を躱し、また叩き斬る。
不意に、ノイズが走る。

「――――っ!!」

気づけば拳が腹部を捉えていた。咄嗟に後ろへと飛び退く。クリーンヒットは避けられたものの、ダメージは確かにある。地に手を付き、「ゲホッ」と咳き込む。ガネシャリフ程ではないが、その威力の大きさを思い知る。
ふと、掌を見る。何も無いことに安心する。

――――……今…俺は何を確かめた…………!?

思考を遮るように拳が顔面に迫る。首を曲げ、辛うじて躱すと、拳が頬を微かに掠めてゆく。そのまま、油断していた敵を斬り裂く。
噴き出る擬似血液を避けきれず、ゼットセイバーを握る拳が染められる。ぬるりと生々しい感触。
不意に、ノイズが走る。

「……っ!!」

ぼうっと浮かび上がる、“彼女”の背中を振り払うように剣を振る。その一撃でまた一機破壊した。
少しずつ記憶の断片が脳裏によぎり始め、夢の内容を思い出してゆく。

――――あの…世界は……

そうだ。あの夢の光景は、自分の手が生み出した。
確かに自分がやった。破壊の限りを尽くした、この腕が、あの世界を創りだした。

――――俺が……

破壊ノタメニ生マレタ俺ガ、ソレヲ成シ遂ゲタノダ

「五月蝿いっ!!」

誰にともなくそう叫び、また一機破壊する。気づけばその車両からは敵がいなくなっていた。繰り返す破壊の中、昂り始めている己の感情を抑えながら、次の扉を開ける。

「…っ!?」

突然襲い来る炎を間一髪で躱す。炎の噴いてきた方向を向くと、中央にパンテオンのボディを組み込んだメカニロイドが目に映る。
己のトラブルにとらわれ、機関部を制御しているメカニロイドの存在を失念していた。
侵入者に対し、システム防衛用の小型メカニロイドが数機ほど現れる。すかさずエネルギー弾をこちらに向けて放つ。ゼロは壁際まで転がり、やり過ごす。

《モット壊セ》

声が響き始める。重傷を負ったあの日と同じように、その声は繰り返される。

《破壊シロ!破壊シロ!》

「黙れっ!」

銃撃を躱しながら、飛行するメカニロイドを次々に斬り裂く。しかし、パンテオン・コアの後ろからメカニロイド達は続々と姿を現してゆく。それだけでなく、先の車両に控えていたパンテオン部隊も顔を出し始めた。

「ゴキブリかよ……お前ら…」

また、パンテオン・コアに装備されたバーナーからの火炎攻撃も、ゼロに一刻の猶予も与えてはくれない。矢継ぎ早に繰り出される攻撃に疲労がたまる。脳内に響く正体不明のノイズにも精神を侵される。

《俺ハ破壊ノタメニ作ラレタ》

夢の光景が蘇る。崩壊した世界。血染めの空。暗黒の太陽。堆く積み上げられた、無数の屍の山。犠牲になった同胞の亡骸。消えた友。――――そして、最愛の背中。
熱い血潮が沸騰するような感覚を感じる。昂ぶってゆく己の心を御し切ることができない。

《破壊ノタメニ生マレタ》

破壊者トシテノ生キル道ヲ歩キ、破壊者トシテノ末路ヲ迎エルベク進ム。

“自分ヲ含メタ全テノ破壊”トイウ終焉二向ケテ、突キ進ム――――…‥



「 そ ん な こ と の た め に 戦 っ て る ん じ ゃ な い !! 」



響き続ける声を拒むように、振り切るようにそう叫ぶと、パンテオン・コアの中心部へと一気に飛びつく。エネルギー弾が幾つか命中する。コートのビームコーティングがいくらか軽減をしてくれるが、体には衝撃が走る。しかしそれすらも、今は構う余裕はない。
破壊、破壊、破壊……――――破壊衝動が心を突き動かす。けれど、ゼロは意識を保っていた。自我を失わなかった。
何を思ったのかゼットセイバーを収納する。その行動の意図をつかめずにいたパンテオンたちのセンサーが、異常な反応を察知したことを示す。ゼロの右腕に――――どこにそんなジェネレーターを備えているのか不思議なほど――――莫大なエネルギーが、急速に蓄積されてゆくではないか。

「俺は……」

破壊のために生まれた。その事実は確かなのだろう。けれど、それを受け入れるかどうかは別だ。

「俺は……俺の力は……」

破壊のための力だ。他人を守ることも、愛した人を救うことも赦されない。そういう力だ。けれど――――

「俺の力は……俺の力の使い道は……!」

パンテオン達は危険を感じ取った。メカニロイド達も直ちにその危険物を排除すべく、銃口を向ける。しかし、それらは全て、一瞬遅かった。



「 俺 の 力 の 使 い 道 は 俺 が 決 め る っ ! 」



叫びと共に、右腕をパンテオン・コアのボディの隙間へと突き刺す。そして、エネルギーを一気に開放した。――――刹那、止めどなく溢れ出す光が、パンテオン・コアだけでなく、メカニロイドや、パンテオン達、他の車両も、ゼロ自身すらも含む全てを包み込んだ。





数瞬遅れて響く激しい爆音。ゼロが持つ唯一無二の、必殺の力――――「アースクラッシュ」がその破滅的な威力を、余すこと無く炸裂させる。
飛び散る破片と広がる光。そこに漂いながら、ゼロは思う。

――――俺は…いったい……

心の中には大きな疑問符が形を成していた。
“破壊”という宿命を拒絶。破壊の力を利用することを決意。しかしそれならば――――


――――俺はいったい




    何の為に




    闘っているんだ……?














  意識の向こう側


  新緑の大地の上で




  優しく


  温かく


  穏やかに吹く風の中





  一輪の花が揺れていた


















 NEXT STAGE








        未来















[34283] 8th STAGE 「未来」
Name: 村岡凡斎◆45ff140f ID:697d6d9c
Date: 2012/10/29 16:01

  ―――― * * * ――――


作戦の経過を管制室で確認していたエルピス達は、その強大なエネルギー反応に驚愕した。輸送列車の反応はあっという間に消失してしまった。

「ゼロさんは!?」

ジョーヌが目を凝らしてモニターを見つめると、ゼロの反応は確かに確認できた。オペレーター達はほっと胸を撫で下ろす。しかしまだ安心するのは早いと、エルピスは気を引き締めるよう注意する。

「彼の戦いはまだまだこれからですよ……」

指し示す一点には、他のレプリロイドの比ではない強力な反応が表れていた。それに注目した者たちは皆生唾を飲んだ。
部屋の後ろのほうで見守るシエルは、祈るように両手を胸で組む。いつしか、合わせたその掌には汗が滲んでいた。

「大丈夫だよ、シエル。私たちの英雄はきっと勝ってくれるさ」

思わず強張っていた肩を、セルヴォが優しく叩き、微笑む。しかし「ええ、そうね」と答えるシエルの表情は以前にも増して、活力を感じられるものだった。彼女は今まで以上に彼のことを信じているのだろう。

誰もが作戦経過に気をとられている中、シエルに気を使いながらもセルヴォは一人考えていた。
先日、ゼロの治療データに現れた異変。各所の損傷具合から割り出した自己修復回路の損傷率は、間違いなく常識的なボーダーラインを切っていた。その事実を受け入れまいと何度も計算を繰り返し、その結果、数値の信頼性が高いことを知り、絶望したのだ。忘れるはずがない。
しかし後日、ブラウンがセルヴォに提出した治療データには、ある時点から二次関数的に治癒率が上昇していることが示されていた。そのデータが意味しているのは、自己修復回路における最低ライン――――「五割以上の損傷」からの復帰。つまりは“百年以上前の技術”による現代常識の超越である。

――――彼の潜在能力は…“私たち程度の技術”では計り知れないのかもしれない……

突き付けられた現実に、科学者としてある種の恐怖心を覚えながら、同時に、彼が“英雄”足るに相応しいレプリロイドであることを確信し、その存在を殊更頼もしく感じていた。






 8th STAGE








      未来













  ――――  1  ――――


ガタガタと貧相な音を立て、ついに列車は止まる。――――いや、正確には列車“だった”ものだ。
エネルギーの放出に伴う反発と爆風により、宙を舞った真紅のコートが地面に落ちて倒れこむ。その直後、グッと手に力を込め、上体を起こす。意識はハッキリしていた。
砂漠で放った時よりも、その出力を抑えこむことができた。完璧とは言えないが、ある程度のコントロールが出来るようになったらしい。ただし、戦闘に扱えるだけのエネルギーを残すことができたかどうかは別だ。

――――全て消し飛ばしたか……?

辺りを見まわす。輸送列車は一部の車輪とそれに繋がるシャフトが残っているだけで、ほぼ消滅していた。出来れば本当に“全て”を消すことができていればいいと思った。残念ながら“例の敵”とまともに戦える自信がない。
しかしそんな願いも虚しく、ゼロのセンサーは直ぐに、自身の近くに高エネルギー反応があることを感知していた。

「よくもまあ、派手にやってくれたもんだぜ。“紅いイレギュラー”さんよぉ」

「く…っ」

後方から聞こえる挑発的な声に反応し、立ち上がって振り返り、身構える。威風堂々と腕を組んで立っている黒い影。今、一番顔を合わせたくなかった相手がそこにいた。

「俺様の輸送列車を“こんな”にしちまってくれるとはよぉ」

ミュートスレプリロイド、雷霆の黒豹――――パンター・フラクロス。
その姿にはこれまで戦った他のミュートスレプリロイドにはない迫力と威厳が確かにあった。

――――どうする……?

ゼロは逡巡する。このまま剣を合わせて良いものか。短期決戦と決め込んで立ち向かえば、まだ勝機はあるかもしれない。

――――いや、勝算は非常に薄い

今の自分に残されている体力は通常時の半分にも満たない。それに対し、今目前に構えているミュートスレプリロイドの、事前に得たスペックを比較すれば勝負にすらならないことはどんな愚鈍な計算機でも容易に証明することができるだろう。

――――ならば逃げるか…?

このまま尻尾を巻いて、退散してしまおうか。逃げること自体は非常に悔しいことではあるが、「戦略的な撤退」と捉えれば受け入れることはできる。
しかし、果たして逃げ延びることも出来るだろうか。その行動を、俊足を自慢とするこの相手に対して完遂するだけの余力すら危うい。まさに八方塞がりの状況と言える。この状況を根底から覆すだけの材料はどこにも見当たらない。
そしてゼロはいよいよ覚悟を決めた。進もうが退こうが、どちらの道も塞がっているというならば、進むしか無い。残るすべての力を持って、この強敵を撃退しよう。
そう決心したゼロだったが、フラクロスは想定外の行動に出た。

「そらよ」

ぶっきら棒にそう言って、何かを投げる。自分に向けて飛んで来るその物体を、ゼロは素直にキャッチしてしまった。何かと思い、じっと見る。それは携帯型のエネルギーパックだった。

「どういうつもりだ……?」

その行動の意図がつかめず、問いかける。フラクロスは鼻で嘲笑い、答える。

「“プレゼント”ってヤツさ。俺様の輸送列車を見事に破壊してくれやがったからなぁ。そのご褒美だよ」

「ははっ。舐めてくれる……」

不敵に笑い、言葉を返す。普通ならばそれを素直に受け取ることなど決してできない。敵からの屈辱的な施しを受け入れるのはプライドが赦さない。――――そう、普通ならば。
ゼロは迷わず、そのストローに口をつけ、一気に飲み干す。その瞬間、体中にエネルギーが満ち溢れてゆくのを感じる。力が漲ってくる。全快とまでは言えないが、まともに剣を振ることはできるだろう。
どんな屈辱よりも、今欲しているのは“勝利”である。どれだけ舐められようと、戦いに勝利することができるならば甘んじて受けよう。――――ゼロの“戦士としての本能”がそう告げていた。フラクロスは一目でそれを読み取っていたのだろう。その行動に決して驚くことはなく、むしろ当然のことのように、何食わぬ顔で構えていた。
ゼロは空になったパックを脇に投げ捨てる。

「借りはキッチリ返してやるよ。……百倍にしてな」

そう言ってゼットセイバーを左腕から引きぬく。

「そいつぁコッチの台詞だぜぇ……」

黒豹もまた戦闘体勢に入る。漂うは極限の緊張感。

「……ハルピュイア様からの大事な任務を、キレイに砕いてくれやがってよぉ…」

そう言いながらもどこか嬉しそうに笑っている。

「部下同様、お前も仕事熱心なんだな」

ゼロも笑っている。奇妙な高揚感が込み上げてくる。
そしてお互い、片方の足で一際強く地面を踏みしめた。


「耳揃えて返してやるよ………… テ メ エ の 体 に な ぁ !!」


フラクロスの咆哮と共に、死闘の火蓋が切って落とされた。



















  ―――― * * * ――――


解放議会軍と共同で物資の輸送作業をしている途中、強大なエネルギーのぶつかり合いをセンサーが感知したのにつられ、思わずその方角へ視線を遣る。
気づけば、その場で手を止めてしまっていたのは、コルボーだけではなかった。
数キロ先までも響いた爆音の、その数分後に激しい戦闘を感知しただけに、不安ばかりが募ってゆく。

「手を休めるな!」

不安を振り払うようにマークが一喝する。

「いつ、敵が来るかもしれないんだ! 急げ!」

しかしそう言いながらも、マーク自身、ゼロの身を案じずにはいられないらしく、時折不安そうに戦場の方向を睨んでいた。
そのまま各々が自分の作業を続けながらも、それでも皆が思うことはただ一つだった。







  ――――  2  ――――


「…っ!」

旧世紀の悪魔、ソロモン七十二柱の一人――――「フラウロス」

「オラオラオラオラオラオラオラオラァアァアアァッ!!!!」

三十六の悪魔軍団を率いる地獄の大公爵。豹の姿をしているが、命じられれば力強い男の姿へと変わる。魔法陣の中にいる限りは神学を語るのだが、外に出れば嘘ばかりをつく。術者が命じたあらゆるモノを破滅させる力を持つと言われていた。
今、この場にいるその悪魔は、押し込まれていた“魔法陣”を破壊され、自由を得た。しかし、口から出る言葉は嘘ではない、真っ直ぐな“情念”。積もり積もったフラストレーションは彼の力を爆発させ、例え主が止めたとしても、目の前の敵をその大きな爪で抉り殺そうと襲い続けるだろう。
高速のラッシュ。白い大型の爪は止むことを知らない。更に強く踏み込む。

「…ラァアアァアァァァッ!!」

顔面目掛けて爪が襲いかかる。大きく振られた腕をゼロは間一髪のところで躱し、掛け声と共に刃を振る。フラクロスは飛び上がり間合いをとるが、ゼロは休む間を与えることなく追撃をかける。
高速の剣技。右、左、上、下…――――あらゆる方向から緑の閃光が襲いかかる。しかし、フラクロスはそれを見切り、華麗に捌く。
爪に施されているビームコーティングは、それほど強力なモノではない。しかし、刃のベクトルを見切り、逸らすことで、ダメージを軽微に抑えている。事実、彼の白い爪には微量ながら焦げ目がついてゆくのだが、戦力が削がれるほどではない。
連撃の最中、ゼロのアクションに一瞬の隙を見極める。フラクロスはそのチャンスを見逃さなかった。

「もらっ……」

――――待て!

瞬時に振り掛けた腕を止める。それよりも速く、ゼットセイバーに稲妻が走った。

「フェイクかッ!?」

ガネシャリフを倒した雷の突き…――――雷神撃!


「ゥオラァァアァァアアァ!!!!」

咆哮とともに、フラクロスは自慢の爪で防ぐ。その爪にもまた強力な雷を帯びさせていた。
共に雷を帯びた、ゼットセイバーとフラクロスの爪が衝突する。「バチチチチ…」と空を割るような激しく甲高い雷鳴が一面に轟く。互いに、死力を振り絞るような咆哮と共にエネルギーを注ぎ続ける。
雷と雷の激しいせめぎ合い。雷神達の間で、花火のように雷が弾け、辺りに強烈な光が飛散し続けている。
突然、「バァンッ」と大きな破裂音と共に、辺りに放出されていた光は飛沫のように消え去った。――――そして、弾かれたのは紅いコート。
「どしゃっ」と地面に倒れ込む。が、強引に肘で地面を弾き、すぐにその場を飛び退く。「ズドン」と音を立て、ゼロがいた場所にフラクロスが勢いよく着地した。
ゼロは素早く立ち上がり、体勢を整える。フラクロスは間髪入れずに飛びかかってきた。再びのラッシュに、ゼロは応戦する構えを取る。だが――――……‥‥

「オラオラオラオラァ!! こんなもんじゃねぇえだろぉおぉ!!!!」

フラクロスの攻撃速度は徐々に上がってゆき、ゼロに反撃の余地を与えない。そして捌ききれなくなった純白の爪が、掠めたゼロの頬から流れる擬似血液により、僅かに紅く染まる。押し勝った事実にほくそ笑むフラクロスは、そのまま首を掻っ斬ろうと腕を振る。――――が、ゼロは瞬時にその腕を、しがみつくように自らの両腕で固く掴み、地を踏みしめる。すると、決して軽くはないフラクロスの体は宙に舞い、そのまま投げ飛ばされた。
不意を突かれたフラクロスだったが、即座に状況を判断し、地面にうまく着地する。追い討ちを警戒して顔を上げるが、そこにゼロの姿はない。刹那、風を切る音に反応し、後ろへと飛び退く。間一髪、上空からの滑空攻撃を躱す。
安心するのも束の間、着地と共に舞った砂埃の中から緑の閃光がフラクロスの喉元目がけて突き出された。既の所でバク転により間合いを取り、飛び掛ってくるゼロのセイバーを、稲妻を纏わせた両腕の爪で防ぐ。またも激しい鍔迫り合いとなった。

「ククク……ファーッハッハッハッハッハッ!!」

弾ける火花の中、突然笑い出すフラクロス。

「何がおかしい…!?」

ゼロが問いかけると、嬉しそうに笑みを浮かべながら答える。

「おかしいわけじゃねえ! 嬉しいのさ! テメエが思った以上に骨のある相手でよぉ! 愉しすぎて仕方ねえのさ! ぎりぎりブッチギリの……命のやりとりがよぉ!!」

再び咆哮を上げる。久方ぶりの愉悦に浸り、歓喜に満ちた叫びの声。

「なあ、“紅いの”……テメエもそう思うだろぉ?」

共感を求める声にゼロは眉をひそめた。フラクロスは、先ほどとはうって変わって、殊更いやらしい笑みを浮かべる。


「テメエも……“殺し合い”が“愉しくて仕方ない”んだろう!?」


核心を突くその言葉と共に、脳内を駆け抜けるノイズが、激しい攻防の流れを一瞬にして断ち切った。
次の瞬間、フラクロスの回し蹴りがゼロの脇腹に深く食い込む。完全に隙を突かれ、防御の体勢を取れていなかったゼロの体はそのまま真横へ勢い良く飛び、地面に叩きつけられた。
体に鈍痛が重たく響く。その一撃により、これまでの互角とも言えるやりとりから一転、フラクロスが優位に立つ。――――だが、ゼロの心中は、それどころではなかった。

――――愉しい……?

フラクロスは確かに言った。『命のやりとりが愉しい』と。この“殺し合い”が『愉しい』と。常識的な道徳観と倫理観を持ち合わせた普通のレプリロイドならば、そのような心情が理解できるはずもない。
だが、ゼロにはその気持ちが確かに理解できてしまっていた。

「どうなんだぁ、“英雄”さんよぉ…?」

その場に腕を組み、「“英雄”のクセに、“殺し合い”に愉悦を感じてしまうのか」とでも言いたげな、皮肉めいた嘲笑を追い討ちの代わりに浴びせる。
“英雄”と称され、賞賛される者がそのような下劣な感覚を感じてしまって良いはずがない。だが、ゼロは「確かにその通りだ」と認めざるを得なかった。
地に両手をつき、身体を起こす。そして、枯れた大地を間近で見つめ、想う。

――――…愉しい………

ひどくノイズが走り続ける中、それを拒むことはできなかった。
“殺し合い”が。“殺すこと”が。“命を奪うこと”が。“斬り刻むこと”が。

――――愉しい

愉しくて、愉しくてどうしようもない。
先程の列車の中から――――いや、目覚めてからずっとだった。
本能が叫び続けていたのだ。繰り返す戦いの中で。どれだけ拒絶しようとも、遠ざけようとも、昂ぶる興奮を抑えるができない程に。愉しくて仕方がない。そんな自分を確かに感じていたのだ。そして時には自身の制御すらままならない程に、そのどす黒く歪な感情は大きな存在感を放っていた。

――――……楽になれる

その本能に従うままにすれば、迷うことも悩むこともなくなるのだろう。目の前の敵を愉悦欲しさにただ斬り刻むだけの下衆な存在に成り下がれば、何もかもが楽になるのだろう。
激しくノイズが走る。それはまるで声のようだった。己を律する心を妨げ、快楽の海へとひきずり込むような、呪われた響きだった。ずるずると、再びそれに呑まれていきそうになる。何もかもを投げ捨て、ただ愉悦へと浸ってしまおうと本能が叫ぶ。

――――けれど……

ゼロはノイズを振り払うように、首を横に小さく振る。――――どれだけ本能がそれを求めようとも、それは“違う”。絶対に“違う”のだ。
だが、“違う”というならば――――……‥‥

膝を押さえ、ゆっくりと立ち上がる。そして目の前に立ちはだかるフラクロスをぼんやりと見つめた。しかしゼロの目に映っていたのはフラクロスであって、“フラクロスでは無い”もの――――それは言わば自身の写し身、“愉悦”に酔いしれる己の姿だった。
ノイズに耐えながらも、ゆっくりとではあるがゼロは口を開く。先程のダメージで頭がおかしくなったのかと訝しむフラクロスには気にも留めず、そこにいる自分の幻影にただ一言問いかけた。

「…お前は……何の為に闘っているんだ…?」

愉しいから闘う? 愉しいから殺す? ――――違う。確かに“殺すこと”も“闘うこと”も愉しい。
けれど、それは闘う理由ではない。愉しいから闘うのではない。愉しいから殺すのではない。しかし、それならば――――……‥‥


「お前は……いったい何を求め…戦っているんだ……?」



繰り返す破壊と殺戮の果て、それにより引き起こされる、抑えきれぬ昂揚と自身への嫌悪とに揉まれながらも“闘い”続けるのは、その先に“何か”があるからだ。確かに求めたものがあるのだと信じているからだ。



「『何を求め…』…………だと…?」

フラクロスは質問の意味を介すことができず、問い返す。が、ゼロがそれに答えるよりも速く、フラクロスの飛び蹴りはゼロの胸部を捉える。強烈な一撃に、ゼロの体は大地を派手に転がった。
激痛に苦悶する。当たり所が悪すぎた。内部にもダメージを負ったらしく、咳き込むと擬似血液が飛び散った。

「そう言うテメエは何が欲しいってんだ? ――――手柄か? 勲章か? ……富か!? 名誉か!? 地位か!? えぇ!? どうなんだよ、“紅いの”ぉ!?」

フラクロスは怒るように、そしてまた嘲笑うように言った。

「愉しい! 嬉しい! 気持ちいい! ――――“俺たち”にとっちゃそれだけで十分だろうが! こんな世界の片隅で! 荒れた大地の上で! 他に何を求めようってんだ? 『愉しいから』、『嬉しいから』、『気持ちいいから』――――“たかが殺し合い”に、それ以上の理由なんざいらねえだろう? こんなブッ壊れかけの世界で、それ以上に何が得られるってんだぁ!?」

まるでようやく見つけた理解者に裏切られたかのような感覚だった。
だが、そんなフラクロスの複雑な心持ちを他所に、ゼロは独り、激しいノイズの中、ひたすらに考えを巡らせた。

――――…手柄…勲章……富…名誉……地位……?

もちろん、そんなモノが欲しいわけではないし、何よりそんなモノに興味など無い。それでも確かに何かを求めていた。“かつての自分”は。

――――……“俺”が求める物……

長く険しい闘いの先に、求めた“何か”――――…‥


「……かつて…“俺”が求めたもの…」


そう呟いた瞬間、呪いの響きはピタリと鳴り止む。そしてその代わりに、ゼロの脳裏を継ぎ接ぎだらけの映像が雪崩のように掠めて行った。
荒れ果てた街。幾体ものイレギュラーの残骸。――――封印された過去の断片。同胞たちの亡骸の中、背中を合わせるもう一人の男――――青い背中。戦友の姿。その瞳の奥に映るもの。流れた輝き。
“彼”に託した願いと約束。

「……“俺”は……」

長い眠りから覚めて出会ったモノ。
荒廃した大地の上、過酷な環境の中。命を懸ける者たち。託される希望、結ばれる約束―――それを背負う背中。小さく、幼い少女が確かに持ち合わせている強い意志と儚い理想。しかしそれを見つめる瞳に、そこに流れるものに、秘められた確かな輝きに嘘偽りなど無い。――――それらに向けて立てた、誓いと決意。

「……“俺”は」

夢の中――――血染めの空、天に浮かぶ暗黒の雲と太陽。しかし、それを切り裂く鮮烈な光。彩色を取り戻す世界。暗黒は汚れなき白へと姿を変え、空は雄大な青へと変わる。
そして、その大地に一輪の花が咲き、揺れている。
意識の向こう側。新緑の大地の上で、優しく、温かく、穏やかに吹く風の中。ゆらゆらと確かなリズムで揺れている花。

その名前は――――……‥‥







「………しいんだ…」

漏れ出るような小さな声を上手く聞き取れなかったため、フラクロスは耳を澄ませた。
ゼロは再び弱々しく立ち上がると、もう一度だけ言った。しかしそれは誰に向けてでもなく、どこかぼんやりと、けれど一言だけ確かに呟いた。









「……俺は……“未来”が…欲しいんだ…」
















  ――――  3  ――――



「………未来…だとぉ…?」

そう確認するように呟く。今、確かに目の前の男は言った――――「未来が欲しい」と。

次の瞬間、黒豹は咆哮を上げた。その声は失望や怒りといった感情を顕に含み、天を割るのではないかと思えるほどの強烈な叫びであった。
そしてその咆哮を終えると直ぐ様、地を強く蹴り、ゼロの懐に飛び込んだ。そして、左の爪で首を掻っ切ろうと腕を振る。間一髪のところでゼロは避ける。――――だが、それが本命の一撃を確実に当てるためのブラフであることに、ゼロはその一撃を食らう直前まで気づくことができなかった。
激しい電流を帯びたフラクロスの尾が、ゼロを捉える。それと共に、回路を焼き切ってしまうほどの強烈な電撃が身体中を駆け巡る。――――フラクロスが誇る必殺の一撃、「テイルスパーク」。ゼロは声にならない叫びを上げ、その電撃がやむと同時に、力なくその場に倒れこんでしまった。
しかし、フラクロスの怒りはそれだけでは収まらない。倒れたゼロの背中を片足で踏みつけ、「ふぬけたことぬかしてんじゃねえぞ!」と吐き捨てた。

「そんなもんにいったいどんな価値がある!? “俺たち”に必要なのは、闘いでのみ感じられる“今”! “この時”! “この一瞬”!! それだけのハズだ! えぇ? ……そうだろう!? そうだろうがよぉ!? 違 う か ぁ !?」

そう吠えると、またも腹のあたりを蹴り上げる。ゼロの体は僅かに宙を舞うと、そのまま地面を虚しく転がった。
闘いの中、理解者を得たと思った。共に、殺し合いの中にのみ己を見出し、闘いの中にしか生きられぬ“獣”同士――――“今”という時に全力を、命を、全てを懸ける、そういう生き物なのだとフラクロスは確信していた。それなのに、この男は“未来”を求めていた。“今”という時にだけ、“命の奪い合い”の中にしか生きられぬと確かに理解していながら尚、この男は“未来”を求めていたのだ。
それはフラクロスにとって、とてつもない裏切りであった。
ピクリとも動かないゼロの身体を鼻で笑い、背を向ける。

「……呆気ない終わりだったなぁ、英雄さんよぉ…」

怒りと失望がひと通り巡った後、フラクロスを包んだのは言い知れぬ孤独感であった。

――――これで……いなくなった…

そう、これでこの世からいなくなってしまったのだ。渇きを潤してくれる強者が。対等に力をぶつけ合える戦士が。この世界でようやく見つけた、自身を曝け出せる“仲間”が。
しかし、自分にとって最上級とも言える愉悦の味を知ってしまった黒豹の舌は、更なる“理解者”を、既に求め始めていた。

「へっ……次は“闘将”様にでも挑んでやろうか………」

冗談交じりに呟いてみる。しかし、それが冗談どまりの儚い妄想であることはとうの昔に分かっていた。ミュートスレプリロイドとして生まれた自分には、命を賭して仕えている四天王に――――それがたとえ直接の上司であるハルピュイアではなくとも――――手を出すことなど決して適わないのだ。
虚しい闘いの終わりに意気消沈する黒豹は、何処へともなく足を向け、寂しく歩き始めた。いつかまた何処かで、真の理解者に巡り会えるであろう運命を信じて――――…‥










だが、そう考えるには些か早すぎたらしい。

「………あぁん?」

気配を感じて背後を睨むと、そこにはボロボロになりながらも立ち上がる紅い男の姿が確かに在った。

「テメエ……まだやる気か…?」

既に勝負はついた。これ以上の闘いは、一方的にいたぶるだけになることが容易に想像できる。フラクロスにとってそれは、僅かな愉悦すら感じさせぬどころか、苦痛とも言える“作業”だった。
だが、この男が敵であることには変わらず、逃したとあっては主であるハルピュイアへ顔向けができないと自身に言い聞かせ、振り返り、攻撃の構えを取る。できるならば、一息に終わらせてやろうと思った。

「……お前の……言うとおりだ…」

突然の呟きに、フラクロスは跳びかけた足を抑える。ゼロは尚も、似付かわしくない弱々しい声で語り続ける。

「俺には……“今”しかない……」

思い出せない“過去”も、予測のつかない“未来”も、何も与えてはくれない。――――信じられるのは、闘うことで感じることのできる“今”のみ。“破壊”という宿命を遂行するその瞬間だけで十分だ。この掌は、それ以上何も掴めないのだと知っている。
そんなことは、百年も昔からとうに気づいていた。

「俺は……破壊者だ……」

破壊者として生まれた自分に用意されたのはそれだけなのだ。命を奪い、殺し、破壊し……そんな存在に、どうして未来が掴めよう?
けれど、だからこそ――――……‥‥

「……掴めないからこそ……欲しいんだ……」

求めてしまうのだ。憧れてしまうのだ。“未来”という、決してこの手に掴めないものを掴みたくて仕方が無いのだ。それも、夢を覆うような暗黒の世界ではない、もっと明るい、光り輝く世界。誰もがいつか描いた優しく温かい未来――――“懐かしい未来”を。
しかし、それでも分かっている。破壊のために生まれた自分の両腕は、そんな未来を斬り裂くことしかできない。絶対に掴めやしない。

「……掴めないから……俺の掌では零してしまうから……だから…」

だから“あいつ”に願いを託した。約束をした。
“あいつ”が流す涙の向こう側に、そんな未来があるのだと、きっとその手に掴んでくれるのだと信じた。“あいつ”の優しさが、みんなを“懐かしい未来”へと連れていってくれると信じた。だから、剣を振り続けた。そんな未来を作る“あいつ”の道を切り開くために、闘い続けたのだ。

そして今、また同じことのために剣を振っている。

「…………小娘」

この世界で出会った、あの優しい少女の顔を思い浮かべる。
彼女が流した涙こそ、いつか“あいつ”が流したそれと寸分違わぬ輝きを持っていた。だからこそ、闘うと誓ったのだ。いつかみんなを“懐かしい未来”へと導いてくれるであろう少女のために、剣を捧げると誓ったのだ。
ふらふらな足でなんとか体を支えながら、ゼロは再びゼットセイバーを構える。ダメージ量はピークに達していた。少しでもフラクロスの攻撃を食らってしまえば、完全に機能が停止してしまうと言ってもいいだろう。しかしそれでも、ゼロは構えた。そして、目の前に立ちはだかる黒豹を睨みつけた。
その目に確かな闘志を感じると、フラクロスは自然と闘いの構えに戻っていた。

――――なるほど、おもしれぇ

この英雄はこんな圧倒的に不利な状況でさえ、勝機を捨てずに挑んでくるらしい。
だが、纏っている空気が先程までとは全く異なっていた。闘いに酔いしれていた時とも違う、非常に澄んだ、それでいて覇気を感じさせる、そういう不思議な空気だった。
フラクロスは思わず身震いをする。おそらく次の一撃で完全に仕留めることはできるだろう。だがしかし、その一撃を与えるには、あの空気に打ち勝つことが条件となるのだろう。なんとも歯ごたえのある最終ラウンドではないか。
ニヤリと不敵に笑い、何度目かの咆哮を上げる。

「いいだろう……。テメエが“未来”を求めるってんなら……そのくだらねえ幻想ごとテメエの首を抉り取ってやろうじゃねえかぁ!!」

両腕を構える。「バチバチ」と音を立て、雷のエネルギーが蓄積されてゆく。しかしそれだけではない。ジェネレーターの出力を最大にし、テイルスパークの為のエネルギーまでも高速で蓄積する。
今対峙している男は、どれだけの傷を負っていようと、紛う事無きフルパワーをぶつけなければならない相手だ。そう感知して放たれるフラクロスの真の本気が眩しい輝きを放っている。
対するゼロも、右腕にゼットセイバーを握り、左腕には別のエネルギーを蓄積させている。列車を破壊するほどの威力は望めないだろうが、最強の技――――アースクラッシュで勝負に出ようという意図が伝わってきた。通常の使い方では躱された後の隙が大きいことから、おそらくフラクロスの体に直接エネルギーを流し込みにくるだろう。それができれば正に必殺の一撃となるはずだ。

――――それよりも速く、俺の爪はヤツの首に届く……!!

空は既に紺色に染まっていた。夜の風が吹き荒び、星が瞬き始める。
フラクロスは一気に間合いを詰めるべく、「グッ」と後ろ足に体重をかける。ゼロもまたゼットセイバーの柄を強く握りしめる。
これが最後の攻防になるであろうことは、お互いに分かっていた。永遠にすら感じる、緊張の一瞬――――……‥‥











刹那、咆哮とともにフラクロスが地を蹴り、一気にゼロへ向かって跳躍した。そしてゼロがゼットセイバーで応戦の構えを取るよりも速く、その首目がけて両腕を伸ばす。万が一躱されても、テイルスパークがゼロの回路を焼き切るだろう。
確実に仕留められると直感した。

―――― あ ば よ 、 英 雄 ぅ っ !!

そう心の中で叫んだ――――まさにその時。
ゼロはエネルギーを蓄積していた左腕を、何を血迷ったのか地面へと突き刺す。
通常のアースクラッシュを発動させるというならば、躱すのは容易い。フラクロスは勝利への確信を強固なものにする。強大なエネルギーの放出を感知し、その場から一旦飛び退こうと再び地を蹴る。――――しかし、それこそが大きな誤算だった。


「 な ぁ っ ! ?」


足元がヒビ割れて光が漏れたかと思うと、そのまま「ドォン」と大きな音と共に地面が激しく弾けた。大量の砂が巻き上げられ、足場も砕けて宙へと勢い良く跳ね上げられる。

――――まさか!?

フラクロスはその戦術に驚愕する。
ゼロはアースクラッシュのエネルギーを直下に放出することによって、一気に足場を崩し、砂を巻き上げたのだ。これにより、この一瞬だけではあるが、視界を遮られ、フラクロス自慢の高い機動力までも削がれてしまった。

「しま……っ!!」

ゼロの姿を見失ったことに気づいたその直後、鮮やかな緑の閃光が砂塵を割って高速で駆け抜けてゆくのを目の端で捉える。そしてそれと共に、美しい金の長髪と真紅のコートが横を流れていった。
あまりにも華麗な、ほんの一瞬の出来事であった。







――――…バカな……

砂に塗れながら、考えを巡らせる。
慢心はなかった。勝利を確信してはいたが、隙を見せたつもりなど毛頭無い。速度も、ダメージ的にも、明らかに勝っていたはずだ。それならば何故だ? ――――何故このようなことになる?
パラパラと舞う砂の粒を眺めながら、攻撃の直前に、僅かに捉えたゼロの瞳を思い出す。

――――……ああ……そうか……

少し考えた後、ようやく理解した。
自分は“今”を生きることしか考えていなかった。しかしあの男は“未来”――――それも自分ひとりのためではなく、多くの者達のための“懐かしい未来”を掴むために、“今”を生き抜こうとしていた。
それぞれが背負う物、目指す物の大きさの違い。それこそが決定的な差となったのだろう。
その差に気付くことができたとは言え、時既に遅かった。

――――すまねえ……ハルピュイア様……

絶対的な信頼を置かれながら、ついにその信頼を裏切ってしまった。
だが、何故だろう――――その心は何処か清々しい物だった。

――――“未来”…か……

フラクロスはその言葉に想いを巡らせる。
この世界が、既に異常なものであることは彼自身、既に分かっていた。理不尽な法、レプリロイドと人間の歪な関係、荒廃した大地、残り僅かな生命たち――――おそらくこのまま終焉へと向けて、世界は加速し続けるだけなのだろうと、心の何処かで気づいていた。だからこそ、“今”を生きることに終始しようとしていたのかもしれない。
しかし、こんな世界でも、あの男は“未来”を求めている。“未来”を紡ぐ者たちのために、“未来”を斬り開くために剣を振り続けてゆくらしい。

――――…そういえば……

聞いたことがある。世界に危機が訪れる時、現れる伝説のレプリロイドの話を。絶え間なき進化を続け、如何なる逆境においても決して屈せず、その手で未来を切り開いてゆくという。そのレプリロイドの名は――――……‥‥
フラクロスはニヤリと笑った。

――――ああ、そうだ……。その名はこの男にこそ相応しい……

最期の力を振り絞り、金髪をたなびかせる紅い背中に向けて、彼の名を呼んだ。






「……ロッ…ク……マ…ン………」












腰を断たれて宙を舞った胴体が、虚しく地に落ちた。
最期の台詞が届いたかは分からない。しかし死にゆく間際、瞳に焼き付けたのは紛れもなく伝説の背中だった。
彼にとっては、それだけで十分だった。














  ――――  4  ――――



――――勝った……のか…

確かめるべく振り返ると、腰を両断されたフラクロスの亡骸が転がっていた。それを見た瞬間、両膝は崩れるように地面へと着き、ゼロはそのまま倒れこんでしまった。両腕に僅かな力を込めて、なんとか上体を起こす。

強敵だった。ベストコンディションでなかったとは言え、これ程までに追い詰められる闘いは、この先もそうは無いだろう。というより、無いと思いたい。
ほんの少しでも、どこかで何かを違えていたらあそこに転がっているのはおそらく自分の方だっただろう。
そんなギリギリの状況でも勝利を掴めたのは、他でもない、“戦う理由”に気づけたおかげだ。しかし、その胸中は複雑な想いで埋め尽くされていた。

『要するに、あいつはお前らの“理想の犠牲”だろう』

いつだったか、セルヴォに言った言葉が胸に刺さる。よくもそんなことが言えたものだと自嘲する。
結局、自分もあの非力な集団と何ら変りなかった。
知らず知らずのうちに、かつての友に懸けた夢と理想を、あの幼い少女に重ねていた。“懐かしい未来”という名の理想を、たった十四歳の少女に背負わせていたのだ。彼女の流す涙に、いつか見た“あいつ”のそれと同じ輝きを見出したがために。

『あの子にはそれだけの器が確かにあるんだよ……残酷なことに』

セルヴォの言葉を思い出す。成程、確かに残酷な話だ。こうして多くの者達が、あんな幼い少女に身勝手な夢と理想を、これから先も託し続けるのだろう。そして彼女はそれを決して拒まず、受け容れてゆくのだろう。例え自分の身がどうなろうと。――――そう想うと、胸が苦しくなる。
だが、そのおかげで救われた者たちがいる。自分も含め、大勢の者たちが彼女の存在に救われ、背中を支えられ、前へと進んでいけるのだろう。
「ならば自分は、剣となろう」――――ゼロはそう思った。
どれだけ理想を背負わせようと、ただ頼るのではない。彼女が進む道を、命がけで切り開いて行こう。この力は、そのためにあるのだから――――……‥‥











――――そういえば……

星の儚い輝きに照らされながら、不意に思い出す。

――――あの約束は…どうなったのだろう……?

あの日、“あいつ”と交わしたあの約束は、何処へ言ったのだろうか。
約束と言うにはおこがましい、一方的な理想の押し付けではあったが、それでも“あいつ”は約束をしたのだ。『“懐かしい未来”をつくる』と。『“懐かしい未来”へ皆を連れてゆく』と。――――眠りに付く前、そう約束を交わしたハズだ。未だ不確かで不鮮明ではあるが、それだけは確実に言える。

――――あの約束は………

自分が預けた未来への希望は、いったいどこへ行ったのだろうか。今ではどんな形をしているのだろうか。ゼロはそれが知りたくて仕方なかった。
そんなことを考えていると、不意に、握り締める砂の粒がザラッと、掌に嫌な感覚を与える。それからジワジワと悪寒のようなものが込み上げてきた。それどころか激しい耳鳴りまでも聞こえ始めた。繰り返すそれは、まるで「これ以上それを考えてはいけない」という警告のように聞こえる。だがそれでも、ゼロは考え続けた。



    あの約束の場所は?



    あの約束の世界は?



    あの約束の“未来”は?







――――いったい……どこへ行った……?







何かにつられるように、顔を上げ、周りを見渡す。
草木一本見当たらない荒廃した大地。その上を、夜の風が砂埃と共に虚しく吹き抜ける。









「………………クク…」

しばらく黙り込んだ後、ふと笑いがこみ上げる。

「ククククク……フフ……フ ハ ハ ハ ハ ハ ハ ハ ハ ハ ハ ハ ハ ハ ハ ハ ハ ハ ハ ハ ハ ハ ハ ハ ハ ハ ハ ハ ハ ハ ハ ハ ハ ハ ハ ハ ハ ハ ハ ハ ハ ハ ハ ハ ハ ハ ハ ハ ハ ハ ハ ハ ハ ハ ハ ハ ハ ハ ハ ハ ハ ハ ハ ハ ハ ハ ハ ハ ハ ハ ハ ハ ハ ハ ハ ハ ハ ハ ハ ハ ハ ハ ――――……‥」

想い巡らすうちに、ゼロは気づいてしまった。気づかなければよかった事実に。
それを知らぬまま今日まで過ごしてきた己を、そんな自分を欺いてきた世界を、嘲笑うように、呪うように、ゼロは狂ったような高笑いを上げた。その響きは悲痛な叫びにすら似ていた。
一仕切笑い終えると、再び地面と向かい合う。そして、今持てる力を振り絞り、拳を叩きつける。自身と世界への、怒りや憤り、怨みなどの様々な感情が入り交じっていた。

「………ないか……」

気付かなければ幸せだったかもしれない。
このままシエルのためにと闘い続けるだけならば、どれだけ明るい“未来”を描けただろう。しかし、彼は“気付いて”しまった。そんな希望すらも一瞬でかき消してしまうような、重大な現実に。

「……この世界じゃないか………」

いつか“あいつ”と交わした約束。

連れて行ってくれと願った“未来”。

救世主となり、今なお世界を支えているという“あいつ”が、あの日「築く」と約束した、その“未来”は――――……‥‥







「…………この世界こそが……その“未来”じゃないか……」








そのまましばらく、ゼロは立ち上がることができなかった。


















  ―――― * * * ――――



作戦を無事に終えた部隊が帰還すると、基地内は大きな歓声に包まれた。
これまでの歴史を覆すと言っても過言ではない、白の団創設以来初めての大作戦は成功を収めた。これまで大きな犠牲を払いながらも、ついにあのネオ・アルカディアに一矢報いることができたのだ。
帰還した者たちは祝福を受け、エルピスの案により祝勝会が催されることとなった。二年間の苦しい日々から一転、この日ばかりは誰もがこの戦争のこれからに希望を持った。
喜びの声と笑顔が溢れる大ホール。特別な食事などはそこまであるわけではないが、レプリロイド用に加工されたアルコール類をグラスに注ぎ、エルピスの声にあわせて乾杯をする。

「こうして作戦が成功に終わったのも、ゼロさんのおかげですよ」

満足そうに笑顔を向けるエルピスに、ゼロは苦笑いをしてみせた。ロシニョルにより応急処置が施されてはいるが、フラクロスとの戦いで受けた傷がひどく痛む。

「ゼロさん! こっちへ来て下さいよ! 一緒に飲みましょう!」

コルボーが殊更楽しそうに誘いの言葉をかけてくる。そこにはマーク達はもちろん、他の団員たちもゼロを迎え入れたそうに待っていた。しかし、ゼロはそれにも苦笑いで答える。

「悪いが……こいつが結構くるんで…な」

そう言って、包帯を巻いた箇所を指で差し示す。
それでも強引に引っ張っていこうとする面々を、シエルが止めに入る。流石にシエルには逆らえないらしく、渋々引き下がってゆく。

「ごめんね、ゼロ。みんな、あなたと喜びを分かち合いたいだけだから……」

「分かってる。俺だって約束どおりに、無事に帰ってこれてれば一緒にハシャいでたさ」

「そういえばそんな約束もしていたね」と、シエルは微笑んだ。

「でもまあ、ちゃんとこうして帰ってきてくれただけで、私は嬉しいわ」

フラクロスとの激闘は、ゼロの傷の様子を見ればハッキリ分かる。きっと、ゼロの方が倒れていてもおかしくはなかった、そういう闘いだったのだろう。
しかしそれでも、ゼロは帰ってきてくれた。生死の狭間をさ迷いながらではなく、しっかり生きたまま帰ってきてくれた。それだけで、シエルには十分だったのだ。

「けど……まあ、やっぱり傷が痛むんでな。部屋に戻って休ませてもらうよ」

そう言ってゼロは席を立つ。
「部屋まで支えていこうか」とシエルが駆け寄るが、「恥ずかしい」とはにかみながら断った。それでも、ホールを出るまで、シエルはその背中を支えていた。
ホールでの楽しいひとときが嘘のように、廊下は静まり返っていた。今は全ての団員がこのホールに集まっているのだから当然だ。
「それじゃ」と軽く手を振り、ゼロは背を向ける。だが、歩き出そうとした足を不意に止め、「小娘」と呼びながらシエルの方を振り返る。

「どうかした?」

気軽にそう問い返すと、ゼロは少し視線を逸らし、考え込む。それからしばらくして、シエルの大きな蒼い瞳をまっすぐ見つめ直す。

「いや……なんでもない」

そう言って、ゼロは再び背を向け、自室へと向かって歩き出した。




『なんでもない』――――そう言った時の、なんだか困ったような、寂しそうな、それでいてどこか救われたような……そんな少し不器用な頬笑みがシエルの心に引っ掛かり、その背中が見えなくなるまで、ただ一人、じっと見つめていた。




















 NEXT STAGE








      理想郷の詩














[34283] 9th STAGE 「理想郷の詩」
Name: 村岡凡斎◆45ff140f ID:697d6d9c
Date: 2012/10/29 16:02




  たとえばこの世界に




  絶対的な正義とか


  恒久的な平和とか




  そういうものが存在するとして


  それはいったい


  どんな形をしているのだろう


















  輸送列車襲撃から、一月余りが過ぎた――――













 9th STAGE








      理想郷の詩

















  ――――  1  ――――



握りしめたハンドガンは冷たく、軽い。指を掛けたトリガーの、なんと小さく安っぽいモノか。
たった一度これを引くだけで、得物の先端に空いた丸い穴から、必殺のエネルギー弾が放たれる。そうすれば、力尽くで抑えつけたこの頭部は、どす黒い疑似体液まみれの屑鉄に姿を変える。
“それ”も自分の仕事なのだと分かっていながら、安易にその道をとることができない。躊躇っているワケではない。まして、悩んでいるワケでもない。

――――…ただ…虚しい…。

同じレプリロイドとして生まれてきたハズなのに、何故こうも殺し合わなければならないのか…。

――――…答えは簡単だ…

「同じ」ではないからだ。この男と、自分とに限らず、このネオ・アルカディアに生きるレプリロイド達は一人として「同じ」ではない。
特に、自分のような「イレギュラーハンター」と、この男のような「イレギュラー」達とでは、その立場から何まで大いに異なる。

――――ならばどうする?

そう自分に問いかける。もう何度その問いかけをしてきただろうか。しかし“見つけたかった答え”は何処にもありはしないのだと、今度もまた割り切ってしまう。

「考えるまでもないな…」

その呟きはおそらく、彼の下で喚きちらしている男には微塵も聞こえていなかっただろう。

「放せ! 放しやがれ!」

「――――残念ながら、オールオーバーだ…」

首を左手でさらに強く抑えつけ、ハンドガンの銃口を、頬が歪むほど強く、無理やり押し当てる。

「吐け。キサマらのお仲間は、他にどこにいる?」

「政府の糞犬がぁ!! 知りゃしねえよ!」

「吐けば、楽にしてやる。――――“イレギュラー処分”は免れるぞ?」

あくまでも冷静に言い放つ。これが彼にできる最大限の譲歩。しかし、男は嘲笑を浮かべ、吐き捨てる。

「地獄に堕ちろ! この××××」

彼は「ふぅ」と諦めたようにため息を付く。

「……連れていけ」

彼の部下が、彼に代わって男を抑えつける。そのまま手錠の電磁ロックをかけ、項にあるインターフェースに何やら手の平サイズの機械を接続し、スイッチを押した。すると一瞬白眼をむいたあと、喚いていた男は気絶した。
その体を、後方で待機していた車両に、数人が担ぎ込み、扉を閉める。護送車は無情な音を立てて走り出した。

彼はその後ろ姿を見送り、再び溜息をつく。

ネオ・アルカディア「ミズガルズ」の外れにある廃工場。そこに立ち並ぶ倉庫の一つに先ほどの男は十名ほどの同士とともに潜伏していた。
ネオ・アルカディアに反抗するレジスタンスチームの一つ――――「黒狼軍」。彼らはネオ・アルカディア内にもはびこり続け、人間の生活を脅かすような、悪質なテロ活動を行っている。
今捕らえた者達は、その下部グループの一つに過ぎない。どのグループも結束が固く、口を割ろうともしないし、「死」よりも「イレギュラー処分」を受け入れ、決して折れることはない。
どれだけ捜そうとも、どれだけ捕まえようとも、その根を絶つのは並大抵の努力では不可能だろう。

彼は今日もまた、多くの虚しさを噛み締め、一人佇んでしまう。
「イレギュラー処分」――――その名はレプリロイドならば誰もが忌み嫌う言葉である。
その場での「処理」でもなく、見せしめの「処刑」でもない。簡単にいえば、道具のリサイクルである。
この世におよそ想像できる、ありとあらゆる苦痛や悲しみ、絶望を、脳ユニットに直接流し込むことで元の精神プログラムを崩壊させ、新たに、簡易的に作り出された精神プログラムを上書きする。
その後、各地の兵器開発工場へ運び、外装を整え、パンテオンとしての生を与え、ネオ・アルカディアの兵隊として前線基地に配備してゆくという流れになっている。つまりは、この国の軍隊は犯罪者の成れの果てにより構成されていると言ってもよい。
彼は頭を掻く。
無論、全てのパンテオンがそうであるワケではない。しかし、前線に配備されたパンテオン達の半数近くが「イレギュラー処分」を受けたレプリロイドであるということも事実だ。
そもそも、人間の数に対し、レプリロイドの数は明らかに飽和している。レプリロイドの国家こそ、未だ存在していないが、その代わりに、大小様々な規模のレジスタンスチームが多数存在しているのは、間違いなくそこに理由がある。

しかし、それでも尚、新たにたくさんのレプリロイドが製造されている。

非効率的かつ大変危険に思えるこの流れに、どのような意味があるのか、無闇に詮索すべきではないのは分かっている。しかし分かってはいるのだが、どうしてもその部分に対する不信感は否めない。

――――この国は……

いったい何を抱えているのだろう?
時々不安になるが、考え出せばキリがない。

しばらくそうした後、彼の足はゆっくりとその場から動いた。そして大きめの体躯である彼のために誂えられた専用のライドチェイサーに跨り、ハンターベースへ向かって走り出した。







ネオ・アルカディア「アースガルズ」を五つに分けた内の一つ、“第二エリア”。その中心都市「ニューオリンピア」に、レプリロイドにより構成された警察機構――――「イレギュラーハンター」の本部がある。
第一部隊はその性質上、アースガルズ内のみならず、城壁を挟んだ外側のミズガルズまで任務に出ることがあり、周辺の交通網が整ったハンター本部を拠点としている。

「隊長! ――――クラフト隊長!」

基地に着き、書類整理を済ますため隊長室へと向かう途中、親しみのある声に名を呼ばれ、「クラフト」は振り返る。そこには信頼を置いている副隊長――――「ディック」の姿があった。

「どうしたディック。そんなに慌てて…」

「聞きましたか!? 今朝の元老院議会の決定!」

「聞いてるワケないだろう」

先ほどまで任務に出ていたということもあるが、そもそも今朝下されたばかりである元老院議会の決定が、そこまで広まっているワケがない。不信感を覚え、クラフトは眉をひそめる。

「まさか……お前…また…」

「ち…違いますよ!“火遊び”からはもう足を洗いました。――――たぶん、一種のプロパガンダですよ。元老院の誰かが情報を外に流したんでしょう。こんな大ニュース……隠しておくには勿体無いですからね」

「……どんなニュースだ?」

「聞いて驚きますよ」

得意げに、ニヤリと笑う。本当にスゴいニュースが舞い込んだらしい。しかし、ディックはそこから先をどう話そうかと考え始める。痺れを切らしたクラフトは「勿体振るな」と発破をかけた。

「ハハハッ。すいません。――――実はですね…」

ディックは隠し事を言うように、クラフトの耳元で、ひそひそと囁く。

「――――“第十七部隊”の召集が、決まったんですよ」

それを聞いた瞬間、驚きに目を見開くクラフトの顔を見て、ディックは「してやったり」という小憎たらしい顔をして見せる。

「……本当か?」

「嘘ならもっと大げさに話しますよ」

いつも冷静沈着であるクラフトの驚く顔が殊更面白いらしく、ディックはニヤニヤと笑いながら、話を続ける。

「俗世に疎い隊長でも、“紅いイレギュラー”は知ってるでしょう?」

「…ああ、勿論だ」

「紅いイレギュラー」――――まだ民衆には知らされていないが、政府機関に属する者なら、その名を知らない者はいない。『真紅のコートに流れる金髪』――――その正体は、封印されていた過去の英雄だと言われているが、定かではない。
しかし、その実力は、噂通りであるならば本物に間違いない。烈空軍団でもトップクラスの実力を持ったパンター・フラクロスを倒しただけでなく、これまで、その男によりネオ・アルカディア側が出した損害は、既にゴーレム数十体とパンテオン数百体に上ると言われている。更には、フラクロス以外にも、既に三体のミュートスレプリロイドが倒されたらしい。

「その紅いイレギュラーと、黒狼軍司令官“エボニー・ベルサルク”、レプリロイド解放議会軍司令官にして元第二部隊長“マゴテス”。その三人を、元老院議会は“特別指定排撃目標”――――“Sランクイレギュラー”と、認定。その排撃任務を実行するための特務部隊として“第十七精鋭部隊”の召集を決定したんです」

「第十七精鋭部隊」――――ネオ・アルカディアに一から二十一まであるイレギュラーハンターの部隊の中で、半永久的に欠番となっている伝説の部隊。
旧世紀、ネオ・アルカディアの救世主エックスがイレギュラーハンター時代に所属していたというその部隊は、国家に危機が訪れた時にのみ召集される決まりになっていた。
今回の召集が本当ならば、実に八十年ぶりの大事である。

「さらに……ですね…」

「まだあるのか…?」

イレギュラーハンターである自分たちにとってこれ以上のニュースが、一体何処にあるというのか。しかし、先程からディックが見せている笑みは、間違いなく何かあるという証だ。気になって仕方がないクラフトは、尚も勿体振る彼に「早く教えろ」と急かす。
すると、ディックは「いいんですか?」と尋ね返してきた。

「『いいんですか』……って…何がだ?」

「そりゃ、隊長にとって“この上なく栄誉ある話”を、『俺なんかの口から聞いてしまっていいのか』…って事ですよ」

ディックは、得意げに人差し指を立てる。
しばらく言葉の意味が分からず、クラフトはただ黙って首を傾げた。そして、その真意を理解した瞬間、驚くことも忘れて、ただディックの顔を見た。
その様子により、ディックは、クラフトが自分の言いたい事を理解したのだと悟り、黙って頷く。それから、先程まで緩んでいた表情を引き締め、背筋を伸ばし、力強く敬礼をする。

「クラフト第一部隊隊長! “第十七精鋭部隊隊長”への就任、誠におめでとうございます!」

その瞬間、クラフトは硬直した。それが事実であると、容易く受け容れることができなかった。
ディックはまるで自分のことのように、嬉しそうに笑いながら、「やりましたね」と肩を叩いてくる。しかし、クラフトはどう答えればいいのか分からず、「ああ」とだけ呟くように返す。

「あれ? 嬉しくないんですか?」

自分が思ったよりも、いまいち反応が薄い事が気になり、ディックはそう尋ねる。だがクラフトは慌てて否定した。

「そんなワケないだろう。………少し…事態が…な」

そう簡単に呑み込めるワケがなかった。
“第十七部隊”ならば、隊員として召集されるだけでも、レプリロイドとしてはこの上ない程の栄誉である。だというのに、クラフトは召集されるばかりか、そのトップとしての地位を与えられた。それは即ち、元老院のみならず、全人類から、最上級の信頼をおくに値するイレギュラーハンターであると認められた証である。
これを易々と引き受けられるのは相当な自信がなければ不可能である。――――それも、自分がネオ・アルカディアの“救世主”と肩を並べられるほどの存在であると自惚れられる程の。

「そんな謙遜しなくとも。“十七部隊”隊長なんて華々しい職が似合うのは、現イレギュラーハンター内ではあなたぐらいしかいませんよ」

「謙遜とかではない。……だが、俺にそれだけの器があるのかは…な」

確かに、『救世主の再来』などと謳われたこともあったが、実際に「十七精鋭部隊」の隊長となる程の活躍をしてきたつもりはない。ただ目前にある任務をこなして来ただけだ。――――己の信ずる平和と正義の為に、身を捧げてきただけなのだ。
不安そうに口を歪めるクラフト。だが、ディックはその不安を軽く笑い飛ばす。

「決まっちまったもんは仕方が無いでしょう。大丈夫ですよ、隊長なら」

呆れながら「無責任なことを」と口にしようとしたクラフトだったが、軽く笑っていながらもディックの眼が本気であることに気づき、口を噤んだ。
それは自身が尊敬する上司であり、信頼する無二の友へと向けた絶対的な確信の眼差しだった。その目に何度、背中を押されてきたことか。これまで第一部隊を率いてこれたのは、やはり彼の存在があってこそだと心の底から思えた。
そんなことを考えているうちに、ディックがなにか思い出したように声を上げる。

「そうそう。そういえば“副隊長”も召集されるらしいですよ!」

「…お前が『副隊長』と言うと――――……“ヒート・ゲンブレム”か!?」

四年前。マゴテスが第二部隊を率いて、離叛した後。就任して間もないクラフトを副官として補佐していたミュートスレプリロイドが、その空席に据えられた。――――それが「ヒート・ゲンブレム」である。
多くのミュートスレプリロイドが、四天王の四軍団や他の前線部隊に召集されたのに対し、彼は国内の治安維持に傾倒し、召集を拒んだ唯一の男。短い間ではあったが、共に第一部隊を率いていた彼もまた、クラフトにとっては掛け替えの無い友の一人である。普段は堅実なクラフトが、冗談を飛ばしあえる相手は、目の前にいるディック以外ならば彼くらいのものだった。
実力的にも、人格的にも信頼できる彼のような者が共に来てくれるのであれば、なんと心強いことだろうか。

「他にもそうそうたる顔ぶれが選抜されていますよ。まさに無敵の部隊です」

「お前はどうなるんだ?」

ふと気になって尋ねると、ディックは得意げに笑いながら答える。

「第一部隊隊長代理の椅子が待っているんでね。そんな危ない場所には出向きませんよ」

彼らしい答えに、クラフトは呆れたような苦笑いを見せるが、同時に少しだけ残念に思った。個人的には彼のような者には側についていて欲しいと思っていたし、殺伐とした前線に留まる任務ならば尚更だ。
そんなクラフトの胸中に気づいたのか、ディックは「そんな湿気た面を見せないでくださいよ」と励ますように言う。

「何度も言うように、隊長ならやれますって。それよりも俺は自分とこの方が心配ですよ」

「お前がそれを言うか」

冗談めかして言うディックに、またも呆れながらクラフトは言葉を返した。
そんなやり取りの中で、無意識に笑みがこぼれた。体から余分な力と緊張感が抜ける。

「マゴテスの糞野郎は勿論、相手がベルサルクだろうと紅いイレギュラーだろうと、隊長なら絶対に任務を果たせるって俺は信じてます」

揺るぎのない眼差しでディックが言う。クラフトは「やってやるさ」とそれに答える。

「ディック副隊長こそ、我が栄光の第一部隊を任せたぞ」

「喜んで。クラフト隊長」

そう言葉を交わし、固い握手をする。そこには上司と部下としての信頼と共に、友としての絆が確かに表れていた。
「やはり良い友を持った」と、クラフトは心の底から思った。

――――第十七精鋭部隊…か……

クラフトは伝説の名を心の中で反芻する。イレギュラーハンターとして、これ程までに名誉なことはない。その名を背負うことの意味に精神的な重圧を感じないとは言えないが、友がこうして信じてくれるように、自分も自分の力を信じてみようと思った。

ふと今朝の事件を思い出す。
これから十七部隊として活動するにあたって、今まで以上の強敵と出会うことになるのは間違いない。
そしてまた、この奇妙な戦争の渦の中心へと、更に近づいていくことになるのも確かだ。そうなれば、今朝覚えたような引っ掛かりには何度となく出会すことになるだろう。

――――だが、しかし……

クラフトは「それをいちいち悩んでいる場合ではない」と、割り切ることにした。
今この国が抱えているものを全て知っているわけではない。しかし、そこに果たすべき任務があること。平和を脅かす、倒すべき敵がいること。守るべきものがあること。――――それらは、紛れもない事実なのだ。


そう自分で納得し、クラフトはまた、ディックに微笑んだ。


















  ――――  2  ――――



「ネージュ! ネージュはいるか!」

オリンポスプレス社のオフィスで、太った男が顔を真っ赤にしながら声を張り上げる。まるで沸いたポットのように、頭から「シュッシュッ」と白い湯気が立ちそうな勢いである。
「はあ…」とため息をつき、「ネージュ」と呼ばれた女性は面倒臭そうに席を立つ。――――分かってる。どうせいつもの事だ。
毎度の事ではあるがその不穏な状況に、皆、一時的に手を休め、叫ぶ男の机に向かって真っすぐ歩いて行く彼女の背中に見入る。

「何の用でしょうか? デスク」

あくまで強気な態度を取る彼女を、デスクと呼ばれた男はさらに怒鳴りつける。

「『何の用でしょうか』じゃあない! なんだこの原稿はぁ!?」

「『なんだ?』と言うと?」

「とぼけるんじゃない! キサマ、分かっててやっとるんだろう!」

「バアン」と大きな音と共に、机に一枚の原稿を叩きつける。

「いいか!? 前にも忠告したはずだ!」

「はあ」

ネージュの締まりの無い返事に、男は更に怒りのボルテージを上げて怒鳴った。

「イレギュラーハンターを褒め称えるのは一向に構わん! それも第一部隊長クラフトのことなら尚更だ! 彼を『ネオ・アルカディアの新たな救世主』と称するキサマの記事は、オレも感謝したいくらい、大衆ウケする!! ―――しかしなあ!」

原稿を指差しながら、その大きな口から唾を飛ばしまくる。

「問題はその後ろ! 『彼らイレギュラーハンターだけでなく、多くのレプリロイドの社会的な活躍を考慮し、全てのレプリロイドに、人間同様の権利を与えるべき』というコイツはいかん!! 前にも言っただろう! うちで政府批判ととられそうな記事は御法度なんだよ! お前の首だけじゃない!! オレの首も懸かってんだよ!! こういう記事が書きたいなら、“モンサンポスト紙”にでも行ってくれ!! うちではぜぇったいにやるなぁ!!」

殊更大きく叫ぶと、誰もがその声に肩を竦ませる。しかし、当のネージュはそれを屁とも思っていないらしく、それどころか逆に、怒りが溢れるままに机を叩き、男を睨みつけ、噛みつくような勢いで抗議する。

「お言葉ですがデスク! 私の記事を、あること無いこと好き放題にまくし立てる、あの三流紙如きと一緒にしないでください!! 私は事実を言ってるまでです! 嘘なんかついてません! デスクだって知ってるでしょう!? 人間が平和と幸福を享受している裏で、私たちを支えてくれているのは他でもないレプリロイドなんだ、ってことくらい! でも、その事実から人々は目を逸らし続けている! だからこそ! 私たちジャーナリストが、この国中に真実を知らしめるべきなんです!! ――――違いますか!!」

「 キ! サ! マ! の! 言! う! こ! と! が! た! だ! し! い! と! し! て! も!!! 」

額がぶつかり合う程に、顔を近づける。互いに怯むこと無く、険しい表情で睨み合い、吠えるように怒鳴りあう。

「駄目なもんは駄目なの! 偉い人が許してくれないの!」

「それでもなんとかしなさいよ! 部長でしょ!」

「部長でもサラリーマンなんだよ! 給料貰って生活してんだよ! 上の機嫌とるのも大事なんだよ!!」

「こんの強欲大王! やっとこさ登りつめた地位から降りたくないだけじゃない!」

「ああ、そうさ! キサマの言うとおりだ! 汗水垂らしてやっと漕ぎ着いた編集デスクの地位だ! キサマ如き小娘のせいでみすみす失ってたまるものか!! だいたいオレにはキサマと違って家庭があるし! 二人も子供がいる! オレだってもうじき四十半ば! 今更職を失うワケにはいかんの!!」

保身を訴えるような“デスク”の言葉に、ネージュは更に怒りを大きくして吠える。

「何よそんなの! 本当に自分勝手! 安心してよ! 最低限の生活保証なら国がやってくれるわ! 人間“様”だものね!」

「なっ! ……他人事だと思って勝手言いやがって! 最低限ってどんなか分かっとんのか!?」

「飯食って寝れれば十分でしょう!」

「キサマがやってみろ! 小娘ぇ!」

「やりましたよ! このケチ!」

「クソアマぁ!」

最終的には、子供のような、ただの罵声の浴びせあいとなってしまう。いつもどおりの展開に、それを眺めている社員たちは呆れて「どうしたものか」と収集のつけ方を考える。そんな中、罵声が飛び交うオフィスの扉を開け、一人の小柄な男が「ヒョイッ」と入ってきた。

「ネージュさーん」

ネージュは自分を呼ぶ男の声に気づかないまま、デスクと言い争っている。

「デスクー」

次に男は“デスク”を呼ぶが、やはりこちらも気づいていない様子である。
「毎度のことだ」と諦め、男はそのまま用件を話し始める。

「先ほど、仕入れた話なんすけど。元老院がイレギュラーハンター第十七部隊の召集を決定したらしいっす。んで、その隊長にクラフト第一部隊長が――――」

「出るわよ! フランツ」

“クラフト”の名が出た途端、ネージュは彼の名を呼び、振り返る。“デスク”はそんなネージュに尚も食い下がる。

「待て! ネージュ! オレの話を最後まで聞けぇ!!」

「デスクの説教を聞いてて、他紙に先をこされたら本末転倒ですよ」

先程までの言い争いから一転、冷静な態度で尤もな意見を返され、“デスク”は苦虫を噛み潰したような顔で言葉をつまらせる。

「そういうことで、取材行ってきます! ――――行くわよ」

フランツを引き連れ、ネージュが部屋を出ようとする。

「帰ってきたら覚えてろ!! ――――それとなぁ、ネージュ! ニューオリンピアと言えど、何時、何処でテロに巻き込まれるか分からん! 護衛のレプリロイドも連れてけよ!!」

“デスク”は彼女の背中に向かって声をかけるが、それを最後まで聞かないまま、ネージュは行ってしまった。
オフィスに平和が戻り、皆、自分の仕事に向き直る。“デスク”はため息と共に、椅子に深く腰掛ける。

「…ったく。なんでああなっちまったんだろうなあ」

愚痴をこぼす彼の机の引出しには、今でも“あの日”の記事が大事に仕舞われていた。







ネオ・アルカディアの居住区画は「ミズガルズ」と「アースガルズ」に分けられている。

税が払えない貧困層が暮らしているのが、「ミズガルズ」。円形のアースガルズを、巨大な城壁を挟んだ外側から囲むように構成している。
貧困層と言っても、国から十分な生活保護は受けているし、レプリロイドの家事手伝いくらいは、ほとんどの家が所有している。また、身分証明さえしっかりできるならば、アースガルズに入ることも許されており、裕福な生活こそできないが、多くの者は、生活において特に苦を感じることはない。

税が払え、経済的に標準以上のレベル、またはそれ以上の人々が生活しているのが「アースガルズ」。首都「メガロポリス」を中心とした「第一エリア」。その周りを反時計回りに、「第二」から「第五エリア」が四分している。
平穏で通っているアースガルズ第二エリア内でも、主都ニューオリンピアは特に治安の良い都市で有名だ。というのも、ちょうどこの街にはイレギュラーハンター本部があり、最強と謳われている、あのクラフト隊長率いる第一部隊の膝下でもあるからだ。
そのイレギュラーハンター本部へ向かう車の中。護衛についたレプリロイドが運転している後ろで、ネージュは尚も煮え切らない想いを抱えていた。

「実際ヤバいっすよ……ネージュさん…」

「何が? どうヤバいの?」

忠告をしようと口を開くフランツに、ネージュは冷たい声で返す。その重い空気は、怒鳴りつけられる方がマシに思えるほどだった。

「編集部で、ネージュさんのこと厄介者扱いしてる人もいるらしいんすよ。あんまり過激なこと書いてたら、本当に首切られちゃいますよ」

フランツは、そう言って自分の首を切るような仕草をしてみせる。しかし、ネージュはそれを鼻で笑う。

「あなたまで過激とか言うのね」

「別に、俺がそう思ってるワケじゃないっすよ! ただ…そういう風に言うヤツもいるって話です」

身を案じてくれている同僚に対しても尖った態度を見せる辺り、ネージュの機嫌はすこぶる悪いようだ。

「あのね。私が言ってることはやけくその嘘でも子供の夢でも、ましてくだらない妄想でも無いの。分かるでしょう? ――――事実よ! 現実よ! 真実なのよ! ……それなのに、どうして私が怒られなきゃいけないの? 別に私はテロリストを肯定してるワケじゃない! あいつらのせいで死んだ人だっている! あいつらは弁護する価値もないクソ野郎共よ!! ……けど! 社会の役に立っているレプリロイドだっているのよ! イレギュラーハンターだけじゃない! それこそ大勢!」

最後に「間違ってる」と小さく呟き、ネージュは一人頷く。

「そりゃ…ニューオリンピアの住民なら分かってると思いますよ。でも……ねえ…」

国家体制、とりわけ元老院に背くようなことをすれば、どうなるか分かったモノではない。それが例え人間であろうともだ。
不意に車道脇の歩行者を見る。護衛や荷物持ちのレプリロイドを傍に連れ、人々は皆、笑顔を浮かべている。しかし、レプリロイドの中にも、穏やかな表情が窺える。アースガルズでも、特に平和なこの都市ならではの光景だ。
何もせず、黙って法や政府に従っていれば、人間なら誰でも十分な生活を送れる。それなのに何故、彼女はこんなにも危ない橋を渡ろうとするのか。フランツにはそれがいつも不思議だった。

「“テレビ”って言って分かる?」

突然、ネージュが尋ねる。

「はあ……。確か、旧世紀に流行った、映像を使用した情報媒体っすよね」

「“インターネット”は?」

「知って…ます。一部政府機関では、今も使用しているとか…」

「おかしいと思わない?」

「はっ?」

先程までの怒りを抑え、代わりに、何時になく真剣な表情でネージュはフランツを見つめる。

「民間に出回ってる情報媒体は、“新聞”“雑誌”“ラジオ”のみ」

「それが……何か?」

「どうしてもっと有効なツールを普及させようとしないのか。あなたは気にならない?」

特に生活が不自由なワケではないため、フランツには彼女の言っていることが理解できなかった。
しかし、よく良く考えてみれば、確かにおかしな話かもしれない。
旧世紀では世界中の人間がインターネットと呼ばれるメディアで繋がっていたという話は何度か聞いたことがある。仕事や娯楽など様々な情報を発信し、互いに共有することが可能な、非常に便利なメディアである。
しかし、それ程便利な物ならば尚の事、何故それらを民間から取り上げたのだろう?
「フン」と鼻を鳴らし、ネージュは語気を強めて自身の考えを主張する。

「私は政府のヤツらなんか信用してないわ。これには、絶対裏がある」

「……言い切りますね…」

ネージュの政府嫌いには理由があるのだが、それを知っていたフランツは、それ以上、政府の話題を続けたくなかった。
しかし、話題を変えようと模索した挙句、辿り着いたのは結局、これまた身近の面倒事についてだった。それ以外にはどうしても見つからず、今の話題よりはマシだと諦めて渋々話を始める。

「それにしても、もうちょっとデスクのことを考えてあげた方がいいんじゃないすか?」

ようやく抑えた怒りを蒸し返されるようなその言葉に、ネージュは再び不満気な顔をする。だが、なんとか冷静になろうと、怒りを最小限に抑えた。

「何度も言ってるけど、私は真実を伝えたいだけなの。別に迷惑かけたいワケじゃないわ。ただ、正しいことをしたいだけなの」

「正しいこと……とは言っても…ねえ」

周囲により認められない“正しいこと”を貫き続けるのは、それ程容易いことではないはずだ。しかし、それでもネージュは“それ”を貫こうとするのだろう。――――そう思うと、フランツは返す言葉がなくなる。
そこで急にネージュが黙ったかと思うと、今度は少しだけ寂しげなトーンで呟く。

「それに、変わったのはデスクの方よ」

先程までの怒り散らしていた彼女とは違う雰囲気に、フランツは安心するとともに、真剣に話を聞くべく耳を傾ける。

「知ってるでしょ? 私の入社した時の話」

「もちろんすよ」

ネージュの入社時の話といえば、社内では有名な逸話だ。

「若干十七歳のあなたが、当時、平記者だった“デスク”――――コリニー部長に弟子入りを志願したっていう、あの話でしょう?」

取材に出掛けようと、オフィスビルから外に出たコリニーに、彼女はいきなり弟子入りを懇願した。

「あの人が書いてた記事は、私にとって衝撃だったわ。ろくな学校も行けず、独学で知識を詰め込んだ私でも、あの人の記事を通して、“現実の出来事”を感じ取ることができた…」

当時を懐かしむように、ネージュは語る。
元々、ジャーナリズムに興味があったのは確かだが、彼の記事に刺激され、その時は居ても立ってもいられなくなった。

「独自に取材した原稿を突きつけて、自分を弟子にするよう、何度もお願いしたんすよね。――――それで、その原稿を見たデスクはあなたの才能を見抜き、傍に置くようになった」

コリニーはネージュの才能に惚れ込み、自分の技術を叩きこんだ。そしてまた、彼女を娘のように可愛がった。――――だからこそ、彼はネージュを手放したくないのだ。

「そして、“あの日”――――」


五年前。ネオ・アルカディア転覆を企むテログループが、八十年前の「大反乱」を模倣し、アースガルズ第三エリアで無差別テロを画策していた。
しかし、ある一人のイレギュラーハンターが、そのテロ計画を未然に食い止めることに成功した。――――そのレプリロイドこそ、現第一部隊長であるクラフトである。
ちょうど同日行われていた第一部隊隊長任命式という晴れ舞台を放り出しての大手柄に、ネオ・アルカディア中が湧き立った。

「各新聞社がこぞって、その一大事件をベテラン記者に取材させる中、当時のデスクにコリニーさんは、あなたに取材させるのを許すよう、頭を下げた」

当時二十歳になったばかりのネージュに、コリニーはその記事を書かせたのだ。

「クラフト隊長を『ネオ・アルカディアの新たな救世主』として取り上げた、その記事が大当たり。事件の全容だけでなく、クラフト隊長への真摯なインタビューが掲載されたその記事からは、まるで実際の息づかいが聞こえてくるかのよう。その記事のおかげで、今日のクラフト隊長人気が形成されたと言っても過言ではない。――――社内の売上部数記録も更新しましたしね」

それからしばらくして、コリニーは現在の地位に。ネージュはオリンポスプレスの看板記者として有名になった。
二歳も年上のフランツがネージュの下で働かされているのは、小動物系のフランツの外見や、彼の方が入社時期が遅かったからというだけではないのだ。

「それが今じゃ、原稿書くたびに喧嘩ばかり。……どうなんすか? その辺」

「当然、感謝はしてるわ。私がこうしてここにいられるのはあの人のおかげだもの。けど――――」

編集デスクになってからというもの、彼の働き方は変わってしまったように見える。

「――――私は平記者だったコリニーさんを尊敬してるの。自分の立場を気にするような臆病者じゃない。真のジャーナリストを尊敬してるのよ」

なんの隠し事もない正しい現実を、己の想いや祈りを込めつつ、嘘偽りなく、大衆に届ける。――――そんなジャーナリストになりたいと思った。

「だから、“今”のあの人には……」

少し口を噤んでから、窓の外を見る。そして、ため息混じりに呟いた。

「――――失望してるの」

その言葉に、フランツはまたも返す言葉を見つけられなかった。



ハンター本部に到着し、車を降りる。運転していたレプリロイドも、二人の護衛をするべく先頭を切って歩き出す。

「ほら、見てよ」

ネージュはそう言うと、自分たちの前に立って歩く背中を目で示す。

「やっぱり、私たちはレプリロイドに守られてる」

その言葉に、フランツはただ黙って頷いた。








  ―――― * * * ――――


長い廊下を一人の男が歩いている。
通常よりも二回りほど大きな赤いショルダーアーマーを装着しており、腕部、脚部のアーマーも赤々と塗られている。髪は、まるで炎のように逆立ち、上着は、その作り込まれた肉体を見せびらかすかのように、前が開けている。
目的の場所に辿り着くと、そこで立ち止まり、その屈強な太い腕で扉を開く。
入った部屋は驚くほどに暗く、窓から漏れる光くらいしか、照らすものはなかった。中央にはドーナツ形の、数十人は席につけそうな程、とても大きなテーブルが設置されている。しかし、席はたったの四つで、その内二つは、既に埋まっていた。

「遅いぞ」

先に、席に着いていた一人が彼を叱る。

「ヘヘッ。ワリイワリイ」

そう謝る気のないような謝罪の声に、少し「ムッ」としながらまたも注意する。

「しかも、何だその格好は。必ず礼服を着てくるように言ったハズだ」

そう厳しく言い放つ、緑の髪をした少年は、白い礼服をまとっていた。

「しゃあねえだろぉ。このクソ忙しい中、前線から超特急で来たんだぜぇ」

慌てて詫びの言葉を入れる彼に、別のもう一人が「残念でした」と嘲笑うように言う。

「あんたなんかより数倍遠くにいた私でも、きっちり時間通りに来れたのよ、ファブ。当然、ウザったい礼服も着てきたしね」

その青くて長い綺麗な髪をした女性は「ふふっ」と笑って自分の髪を撫でる。

「ちっ。黙ってろクソアマ」

「ファブ」と呼ばれた彼は、ぶつくさ文句を垂れながら、乱暴に席に着く。

「あと一人。遅いわね……」

「もうそこにいる」

少年に言われ、女性が横を向くと、男が陰からひっそりと現れ、静かに席に着いた。
その男の容姿を見て、少年は「お前もか」と呆れて溜息をつく。現れた男は、地に着くほど長い、黒のコートを着ていた。漆黒の髪が左目を隠している。

「……まあ…いい」

「おいおい! そりゃあねえだろぉ!」

現れた男を自分同様に叱らなかったことについて、「ファブ」が激しく抗議する。

「この陰険野郎に対する態度と、俺様への態度がどうしてそんなに違うんだぁ!? ええ、おい!?」

「口を慎め。“ファーブニル”。キサマがその態度を改めるなら、俺も改めてやる」

少年はファブ――――「ファーブニル」を鋭く睨みつける。

「上等じゃねえかクソガキ! 表出やがれぇ! カタつけてやらぁ!!」

乱暴に椅子から立ち上がり、怒鳴るファーブニルを、女性が止める。

「よしなさいよ、ファブ。ハルも喧嘩売らないで」

「“レヴィ”! テメェは黙ってろ! これは俺様と、そこの童顔野郎の問題だぜぇ!」

「“レヴィアタン”。俺は喧嘩を売ってなどいない。そこの戦闘バカに思うままを言っただけだ」

なかなか冷静にならない二人の態度に、「レヴィ」――――「レヴィアタン」は頭を抱え、呆れたようにため息をつく。

「私も“ファントム”も、あんたたちの喧嘩を見にきたワケじゃないの。――――ねえ、ハル。普段は映像通信だけで済ますところを、大事な話があるから、わざわざ集まったんでしょう? ……ファブも。ハルなんかよりもっと楽しい相手がいるって話、聞きたくない?」

レヴィアタンの冷静な言葉に、ファーブニルは舌打ちをしながらも渋々引き下がる。それを見て「ハル」は「フン」と鼻で笑う。

「さぁさ、始めてよ。ハル」

「……その前に一つ、レヴィアタン。あと、ファーブニルも」

何処か恥ずかしそうに、「ハル」は言う。

「いつも、言ってるが……いい加減、“ハル”などと馴れ馴れしく呼ぶのはやめろ…」

「ハル」の言葉に、レヴィアタンはキョトンとした顔で答える。

「なんで? 言いやすいし、可愛いし、いいじゃない。“ハルピュイア”なんてコードネーム、そもそも言いにくいわよ」

「なんならテメェもいいんだぜ? ――――『ファブお兄ちゃん』とか『レヴィお姉ちゃん』とか呼んでくれたってよ」

そう言って「ガハハ」とファーブニルが豪快に笑う。「ハル」――――「ハルピュイア」は「分かった。もういい」と諦めたように言った。

「……おふざけもここまでにして、そろそろ本題に入る」

ハルピュイアがそう言うと、皆の顔が引き締まる。
ただ一人――――「ファントム」だけは、相変わらず何を考えているか分からないような仏頂面で、一人黙り込んだままだった。

「これより、“四天王”緊急会議を始める」

ハルピュイアの声が、部屋中に凜と響いた。

























  ――――  3  ――――



いつの世も「闘い」を望む者は尽きない。
命を賭けた「闘い」というものは、人々の心を異様に興奮させ、日々のフラストレーションを一気に解放する特効薬と成り得る。もちろん、「己は観戦者に徹する」――――つまり、「自分の身は安全である」という前提が必須条件ではあるが。
ネオ・アルカディア首都「メガロポリス」に構えられた国立コロシアム。そこにはいつでも熱気が溢れ、絶えることがない。

「ご覧ください! ここに並ぶは世界を破滅に導かんとするイレギュラー共、その軍団ッ!」

マイクを握りしめ叫ぶ、司会と思われるその男が示したのは、軍団と言うには程遠い、二十体ばかりのレプリロイド。皆、怯えた顔をしながら、ライフルやランチャーを携えている。
観客から湧き上がるブーイングの嵐。投げ入れられる暴言とゴミが散乱する。それに対し、司会の男は慌てて注意の言葉を添える。

「皆様、ゴミは投げないでください! マナーを守ってください!! ……さてさて、この野蛮なイレギュラー共を倒すため、我ら人類の前に現れるは! お待たせしましたっ! 正義の英雄――――」

司会の男が一旦そこで言葉を途切り、大きく息を吸い、その名を力いっぱい叫ぶ。

「アンカトゥス兄弟が次男ッ! クワガスト・アンカトゥス!!」

ブーイングが一気に歓声へと変わる。響く残響をかき消すように、熱気は高まってゆき、場内が揺れる。盛り上がりは最高潮と言っていい。
突如、青い閃光が、フィールドに飛び出す。風を巻き起こしながら、客席を守る透明なシールドすれすれを飛んでみせる。
観客の中には、立ち上がり、拳を掲げる者もいれば、叫ぶ者、口笛を吹く者など――――とにかく皆、誰もがミュートスレプリロイド「クワガスト・アンカトゥス」の登場に興奮を隠せずにいる。
クワガストはフィールド中央に浮遊し、目下に集う“イレギュラーの軍勢”を見つめる。
どの瞳にも、恐怖と諦めの色しか見えないことを確認すると、クワガストは軽く舌打ちをした。

「さあさあ、勝つのは果たして悪のイレギュラー軍団なのか!? いやいや我らが英雄なのか!? 最後まで目を逸らすことのないように! それでは! 始まり始まりぃ!!」

煽るように“闘い”の始まりを告げる、男の昂ぶる声を合図に、大きな銅鑼が鳴らされる。
その瞬間、クワガストは自慢の高速機動で一直線に空を突き進む。頭部に装備された大型のハサミが、鋭く光る。

「よ…避けろ…! ……に…逃げろぉおぉ!」

内の一人が大声で叫ぶと“イレギュラー”たちはその場から離れるべく一目散に駆け出した。クワガストはそれを容赦ないまでの速度で追ってゆく。
瞬く間に、一人、また一人と自慢のハサミで斬り砕き、そこら中に疑似血液を撒き散らす。その惨状を目の当たりにし、観客たちは更に興奮を高め、場内の熱気がさらに高まってゆく。
覚悟を決めた数名が、まともな言葉にならない叫びをあげながら、手にした武器を撃ち始める。しかし、「怯えた気をまとった攻撃など、恐るるに足らず」とでも言うように、クワガストは華麗にかわしながら、その弾幕の中へ飛び込んで行く。

“イレギュラー”たちの血が噴き出て、辺りに飛び散る。幾人かの無惨な残骸がフィールド上に虚しく散らばる。
クワガストは自身に振りかかる返り血すらも気にすること無く、この圧倒的な“鬼ごっこ”を只管に続ける。しかし、高まってゆく観客の熱気とは裏腹に、彼の胸中はひどく複雑な憂いを帯びていた。
そんな中、狩りも終盤に差し掛かる。獲物は残り僅か三人。

「た…頼む! お願いだから……お願いだから…やめてくれぇ!!!!」

同朋の死を間近で目にし、三人固まって、尻餅をついている。クワガストは静かに着地し、彼らの下へゆっくりと歩を進め、近づく。
そして“青い死神”は、救いを求める哀れな“イレギュラー”たちを冷たいまなざしで見下した。

「コ・ロ・セ!コ・ロ・セ!――――……‥‥」

観客の、無慈悲で残酷な言葉が頭上から、途切れること無く降り注ぐ。

「お願い…です……クワガスト様ぁ……」

恐怖に満ちた情けない顔と声で、懇願する。

「同じ…‥‥…同じ…レプリロイドじゃ…ないですかぁ…」

その瞬間、クワガストの瞳が鋭く光る。その威圧感に恐怖心を更に煽られたのか、“イレギュラー”たちは息を詰まらせ、黙りこむ。
しかしクワガストは、彼らの首を一瞬ではねるかと思いきや、ただ一言問いただした。

「何と言った?」

その問いの意味が分からず、首を傾げる一同に、クワガストは「今、何と言った」ともう一度問い直した。その異様な雰囲気に、“イレギュラー”の一人は一縷の望みを信じ、震える声で答えた。

「『同じ…レプリロイド…じゃないですか』……と……」

視線が交錯する。それから訪れる数秒の沈黙。なにやら尋常ではない光景に、観客たちもまた、声をピタリと潜めた。場内全体が異様な空気に包まれる。
そして次の瞬間、クワガストの怒号がその空気を一気に切り裂いた。


「た わ け が ぁ !!」


その言葉の直後、三人分の悲鳴と、体の砕ける音と共に、クワガストのハサミは一瞬にして血にまみれた。途端に、場内は一際大きい歓声により埋め尽くされた。
仕事を終えたクワガストは、一度だけ腕を振り上げ、勝利の雄叫びをあげる。その瞬間、クワガストを称える司会者の声すら掻き消すほど、またも場内の歓声が大きくなる。そして、そんな大地を揺るがすほどの歓声の中、クワガストはフィールドに背を向け、そのまま退場していった。
後に残ったのは虚しく転がる二十機分の残骸と、夥しい量の擬似体液だけだった。














  ―――― * * * ――――


「ご苦労だったな、クワガスト」

「……兄者」

フィールドから下がり、控え室へと続く通路を歩いていると、兄であるミュートスレプリロイド――――「ヘラクリウス・アンカトゥス」が待っていた。
しかし、己に掛けられた労いの言葉に、クワガストは苦々しい顔をする。

「何も苦労などしていない。全く。……つまらぬ闘いだった」

人間を楽しませるためとは言え、あそこまで情けない相手と闘わなければならないとは。正直言って、彼にとっては苦痛でしかなかった。
そう思い悩むクワガストの後ろでは、もう次の「ショー」が始まろうとしていた。二十機程のパンテオンと、六、七人のレプリロイドが場内へと集う。
どうせあれも予定通り、パンテオンの圧勝で終わるのだと、クワガストは鼻を鳴らす。

「兄者…俺はもう嫌だ」

「どうした?」

突然の言葉に、ヘラクリウスが尋ねる。

「闘いに疲れたか?」

「違う。そうではない」

少し逡巡した後、クワガストは兄の眼をまっすぐ見つめ、自身の思いの丈を正直に話した。

「俺はもっと強い敵と闘いたい」

あのような情けない軍団ではない、真に敵と成り得る強者と相見えたいのだ。
そう訴えるクワガストの声に、ヘラクリウスは少し困りながら「あとで俺ともやるだろう?」と宥めるように言う。しかし、クワガストは大きく首を振った。

「それは“ショー”だ! “デキレース”だ!! ……命を賭けた、本当の“死闘”をしたいんだ」

こんな、最初から結果の見えた闘いなど面白くも何ともない。
戦闘用レプリロイドとして生まれたからには、己の力を存分に発揮できる場所に行きたい。己の力を試せる相手がほしい。
握りしめた拳には自然と力が入っていた。

「…兄者も聞いただろう? “紅いイレギュラー”の話を」

勿論、耳にしていた。
救世主エックスの友にして伝説の英雄であると噂の、紅いコートをトレードマークとする謎のイレギュラー。――――今朝、「Sランクイレギュラー」に指定された、ネオ・アルカディアにとっての危険人物。

「血が騒がないのか…? 兄者は…」

そう問われ、ヘラクリウスは直ぐに言葉を返せなかった。
それもその筈である。彼自身、非常に複雑な想いを抱えていたのだ。
『血が騒がないのか』と聞かれれば、勿論、騒がないワケがなかった。烈空軍団ナンバー2の実力を誇った雷霆の黒豹――――パンター・フラクロスに勝利したと言う話を耳にした時から、ヘラクリウスの体は疼いていた。
今すぐネオ・アルカディアを抜け出し、その男と闘ってみたいと、何度想いを馳せたことだろう。

「兄者も…同じ気持ちなのだろう?」

クワガストにはそんなヘラクリウスの気持ちが、手に取るように分かった。
「前線へと飛び出して、その男と一戦交えてやろう」と、クワガストの眼が語っているのが痛いほどに分かる。そしてその無謀な誘いに乗りたい気持ちもある。
しかし、それでも――――……‥‥

「それは叶わぬ願いだ」

刀で斬るように、否定の言葉を述べる。兄ならば理解してくれるであろうと期待を膨らませていたクワガストは「何故!?」と声を荒げる。

「我々の仕事は国防と、ここでのショー。私利私欲で動くワケにはいかん」

ヘラクリウスはあくまでも冷静に、自分たちに課せられた任務を全うすべきだと説く。クワガストはそんな兄の言葉に言い返すことができない。
兄の言うことは正しい。与えられた任務を忠実に守るその姿勢は、ミュートスレプリロイドの鑑とも言うべきもので、反論などできよう筈がなかった。
打ちのめされたように黙りこむ弟の様子を見兼ねたのか、ヘラクリウスは少し考えた後、彼の肩を優しく叩く。

「安心しろ、クワガスト。噂ほどの猛者ならば、いつか必ず我々の前に現れる。……気長に待っていれば、後は天がどうにかしてくれる」

「兄者……」

それは、ただの慰めとして取るには、余りにも涼やかな声だった。
国防を司るものとしてはあるまじき考えではあるかもしれない。しかし、一人の戦士として、そのような猛者が自分たちの下へ辿りつく日を、楽しみに待ってみてもいいかもしれない。
兄の言葉を信じ、クワガストは渋々納得した。

突然、フィールドから人々の大きな歓声が聞こえ、驚く。勝負が着いたのだろう。
だが聞こえる声は歓声というよりも、むしろ悲鳴に近かった。何事かと並々ならぬ様子に気を取られるクワガストだったが、ヘラクリウスは彼を引き止めるように「それにな」と言葉を付け足す。

「案外、近くにいるかもしれんぞ。我々と対等に渡り合える強者が…な」

普段ならば到底信じられぬような言葉ではあったが、直ぐそこで起きている異常事態に、クワガストは騙されたと思ってみることにした。

そんな二人のやりとりを他所に、会場では尚も悲鳴が方々から上がっていた。フィールドは疑似血液で、紅黒く染め上げられ、そこに散らばる残骸は、勿論“イレギュラー”たちのものもあるが、それだけではない。なんとパンテオン二十機分の残骸も、無残に散らばっていた。
目も当てられぬような殺戮の跡に、一人のレプリロイドが堂々と立ち尽くしていた。






  英雄か


  悪魔か


  それとも別の何かなのか




  いずれにしても

  この物語に“彼”が再び顔を出すのは

  しばらく先のことである





















  ――――  4  ――――


薄暗い部屋の中、テーブル中央の空間に立体映像が映し出される。そこで剣を振るっている男こそ、彼らが倒すべき敵である。
流れる金髪に、紅いコート――――手にしている鮮やかなグリーンのビームサーベルが、荒廃し、寂れた大地の上に彩りを与えている。しかし、同時に撒き散らしているどす黒い擬似体液が、そこが戦場であることを示していた。

「これはポイントE-42Pにおいて、パンテオンやゴーレムが記録していた映像を編集したものである」

ハルピュイアが説明を始める。
彼の言うとおり、破壊されたパンテオンやゴーレムから回収した映像を編集したものではあるが、殆どのものが、正確に彼の動きを捉えきれていない。そのため、映像を一目見ただけでは分かりにくい、速度や反応予測値等をまとめたグラフや表が映像上に提示された。

「見ての通り、奴の基本戦闘能力はミュートスレプリロイドをも上回るものである。パンテオン程度の戦力ではヤツには歯が立たないどころか、無駄に戦力の浪費を招いているだけなのが分かるだろう。――――ちなみにこの戦闘では、パンテオン二十機と支援メカニロイド三十五機、及びゴーレム二機を失った」

それなりの規模の部隊ではあったが、紅いイレギュラーにとっては、自身に傷をつけ得ることもない、雑兵共に過ぎなかったのだろう。
最後の一機が切り裂かれるのを主観視点で確認した後、映像が切り替わる。

「次は塵炎軍団第八方面軍基地における、ホッパー・アバドニアンとの戦闘記録映像」

バッタのような姿をしたミュートスレプリロイドは自慢の跳躍力を見せつけ、紅いイレギュラーを翻弄する。時折放つビームを、紅いイレギュラーはビームサーベルにてひたすら防いでいた。
一見、防戦一方であるようにも見えるが、実のところ、アバドニアンは決め手を欠いていた。そしてとうとうこらえ切れず、脚部と肘に備えられた刃で、紅いイレギュラーの身体を八つ裂きにしようと跳びかかる。しかし、その時を待っていたというように、紅いイレギュラーは上空へと一気に刃を斬り上げた。その瞬間、彼の得物は激しい炎を纏い、アバドニアンの身体を見事に焼き斬った。
「勝ちを急ぎやがったか」と、ファーブニルは自分の部下であるミュートスレプリロイドの失態を、まるで他人事のように鼻で笑った。

「そして次に見せるのが……――――少し前のものになるが――――…一ヶ月前の輸送列車襲撃戦における、パンター・フラクロスの戦闘記録映像」

こちらはアバドニアンのように基地のカメラが撮影した映像ではなく、フラクロス本人の脳から再生したデータである。
四天王ですら眼を見張るほどの高速、且つ激しい攻防を繰り広げた末、フラクロスは紅いイレギュラーをあと一歩と言う所まで追い詰めた。しかし、最後は彼の奇策に足を掬われ、敗北してしまった。
途中まで情けなく見えていた男の姿が、最期の瞬間には輝いて見えた。――――おそらく、記録者が高等なレプリロイドだっただけあって、その想いが映像に影響を及ぼしているらしい。忠実だった部下が最期に見た背中を、ハルピュイアは奥歯を噛み締めしめながら見つめていた。

「……先程の戦闘記録と合わせてみれば分かると思うが、奴の戦いにおける技は非常に多彩である」

幾つかの映像が並行して再生され、ちょうど良い部分で停止される。その中で、紅いイレギュラーのビームサーベルは、雷、炎、氷をその刀身に纏っていた。

「まず、奴が主に使用する武器は、高出力ビームサーベル。左手に収納されていることは確認できているが、右手は不明。その威力は、ゴーレムの巨体ですら難なく両断してしまう。そして、このビームサーベルには奴自身のエネルギーを他の性質に変換する能力が備わっていると考えられる。それらを応用した技はこのように確認できるが、他にいくつの剣技があるかは、現段階では知れない。……が、これだけではない事が十分に予測できる。注意を怠るな」

次に再生された映像では、パンテオン数十機が一瞬にして光に包まれた。後には塵も残っていない。

「特に注意すべき技がこれだ。自身のエネルギーを一瞬で増幅させ、腕から放つ。威力や範囲等、奴はこれを自在にコントロールできる。更に言えば、両腕からの放出も確認されている。奴と一戦交える場合は、この破滅的な威力を、十分に警戒しておく必要がある。――――もちろん、威力の分、リスクも大きいだろうがな」

以上で説明を終え、立体映像は霧のように消えた。
場を包む沈黙の中、レヴィアタンが最初に口を開く。

「それにしても、なかなかいい男ね。お近づきになりたいくらい」

笑みを浮かべながらそう呟く彼女に、ハルピュイアは眉間にシワを寄せる。

「そんな話をするために呼んだワケではない。口を慎め」

「大丈夫、分かってるわ。そんなにカリカリしなくとも…ね。でもまあ、自分が殺す相手はちゃんと品定めしておきたいじゃない」

そう言って少し小馬鹿にしたように、またしてもレヴィアタンは笑う。ハルピュイアは「本気で分かっているのか」と少々怒り気味に言おうとしたが、それをファーブニルの低い声が遮った。

「で、どうすんだぁ? ハル公」

口元はハルピュイアを嘲笑うかのように歪んでいたが、その目は鋭く光っていた。

「俺んとこは使いっ走りのバッタ野郎がしくじりやがったし、レヴィんとこはデブ野郎の一人が先走って死にやがった。……が、それくらいなら実際のとこ大した痛手じゃねえ。――――けど、テメエんとこはフラクロスが殺られた」

「何が言いたい?」

不満そうにハルピュイアは睨みつけるが、ファーブニルは意に介さないまま、嘲笑とともに言葉を続ける。

「テメエの部下にしちゃ、勿体無い野郎だったが……ヒデェ負け方したもんだよなぁ。“上司様”はいったいどんな教育をしていたんだろうなぁ?」

「キサマこそ……部隊を無駄に浪費したどころか、実験兵器であるアヌビステップを損失しながらも即時報告を怠った。俺を責める権利はキサマにない」

しかし、ファーブニルは動じず、それに反論する。

「パンテオンなんて量産機に、一体どれだけの価値があるよ? ……アヌビステップ? あんな欠陥品がどうなろうがお国は困りゃしないぜ。……けどよ、フラクロスの輸送列車は国家の力の象徴の一つとも言えるんだぜ。そいつがぽっきり折られちまったワケだしよぉ。――――こりゃ、奴の“上司様”にも責任があるんじゃねえの?」

名指しで非難されたも同然であるハルピュイアは、思わず声を荒げる。

「黙れ! ……確かにこれは烈空軍団、曳いては俺の失態ではある。だが、ミュートスレプリロイドが――――量産機であるガネシャリフも含め――――四体も、奴一人に倒された。この事実こそが問題だ!」

「二人とも、そうやって直ぐに熱くならないの」

二人のやりとりを見兼ねて、レヴィアタンが冷静に口を挟む。

「それで、ハル? 彼に関するお話がこれだけってわけじゃないでしょ? ――――さっさと続きをお願い」

ハルピュイアは渋々引き下がり、心を落ち着け、再び、口を開く。しかし、今度は何処か重たい様子だった。

「…今朝、元老院が“第十七精鋭部隊”の召集を決定した」

その瞬間、ファントム以外の二人の顔に緊張が走った。ハルピュイアは三人の表情を一通り確認した後、説明を続ける。

「“紅いイレギュラー”、黒狼軍首領“エボニー・ベルサルク”、イレギュラーハンター元第二部隊隊長にして現レプリロイド解放議会軍指導者“マゴテス”を“Sランクイレギュラー”と認定し、その排撃任務を果たすためにだ」

「八十年前の“大反乱”以来ね」

ハルピュイアは黙って頷く。


八十年前――――……N.A.歴四十四年六月四日。
元老院により、「人類保護法」が成立した翌年。ネオ・アルカディア各地で起こった、レプリロイドによる集団蜂起。それが世に言う「大反乱」である。
数千人規模の死傷者を出す、ネオ・アルカディア建国以来初めての惨事に、元老院は、特に優秀なレプリロイド達を国中からかき集め、一つの部隊を編成し、鎮圧に当たらせた。その結果、長期化すると思われた最悪の事態は、僅か一週間という短い期間で収束する。
ネオ・アルカディアの平和を守り抜いたその部隊は、救世主エックスが所属していた部隊に肖って「第十七精鋭部隊」の称号を授かり、この事件は「イレギュラーハンター」結成と、「レプリロイド審査法」制定のきっかけとなった。


「その時の首謀者は確か……」

「嫌疑が晴れ、元老院“名誉議長”の椅子に座り、今ものうのうと生きている。……正確には『首謀者と目される男』だがな」

ハルピュイアは「そんなこと、今はどうでもいい」と言って話を切り替える。

「今回の召集が意味するところは二つ。我々に対する元老院の信頼が失われたということ。そして、もしこれが成功となれば、国防を担う我々の存在意義を疑われるということだ」

「おいおい、ちょっち待てよ」

ファーブニルが口を口を挟む。

「『もしこれが成功となれば』ってよぉ。たかがイレギュラーハンターなんぞに、俺達が遅れを取るとでも思ってんのかぁ?」

そう問われ、ハルピュイアは苦い顔で答える。

「……その可能性があるからこそ言っている。なにせ、第十七部隊の隊長はあのクラフトだからな」

レヴィアタンもファーブニルも、その名が出た瞬間、驚き、少しして納得の顔をした。『ネオ・アルカディアの新たな救世主』とまで言われる著名なイレギュラーハンターの名は二人ともよく知っていた。

「…まあ…そうよね。今のイレギュラーハンターで言ったら、彼が適任ね」

「こいつぁさらに面白くなってきたなぁ」

そう言って二人ともどこか嬉しそうに笑う。しかしその目には、ライバルへの競争意識から生まれたのか、闘志が宿っていた。

「……我々がネオ・アルカディアに生まれ、僅か十年。エックス様より信頼を得て、元老院からも一目置かれるようになったのは、数々の輝かしい戦績があったからだ。しかし、それが今、たった一人のイレギュラーによって崩されようとしている。これは由々しき事態だ。もっと危機感を持て。今こそ四軍団が総力を上げ、この危機を脱しなければならない」

一息で言った後、ハルピュイアは横で寡黙に話を聞いていた、ある一人を睨みつける。

「当然キサマにも言っているぞ、ファントム。……この七年、一向にベルサルクの所在が突き止められないことについて、お前はどう考えている」

名を呼ばれたファントムだったが、微かな反応も見せない。ハルピュイアは更に語気を強める。

「確かに、烈空、冥海両軍団も、ここ数年捜索を開始したが成果は挙げていない。しかし、隠密活動を主としたキサマの軍団が見つけられぬモノを我々が見つけてしまえば、それこそ“斬影軍団”の存在意義に関わる――――そうだろう?」

「……もちろん承知している」

そこでようやく口を開く。その声は鋭利な刃物のように鋭く、冷たい響きだった。微かに驚きを見せる他の二人を尻目に、ハルピュイアへと視線を向ける。

「……それで、“賢将”。この程度の話をするために、御主はわざわざ任務中であった我々を呼び出したのか」

「なんだと?」

思いもよらぬ返答にハルピュイアは僅かに動揺する。それを見て、ファントムは鼻を鳴らして返す。

「……くだらん。時間の無駄であった」

そう言って席を立ち、扉へと足を向ける。ハルピュイアが「待て」と声を荒げる。

「キサマ、それでも四天王の一員か!」

「……『四天王の一員』?」

眉を潜め、ハルピュイアを睨みつける。

「……確かに我らは“四天王プロジェクト”により生まれた同胞ではある。…が、仕える主、守る国が同じだけで、“共に闘う”つもりなど無かったハズ。……それを今さら、たった一人のイレギュラーのために『互いに手を取り合おう』と、キサマは言うのか?」

苦い顔で「しかし」とハルピュイアが反論しようとしたが、そこで突然、ファーブニルが笑い声を上げた。

「その陰険野郎の言うとおりだぜ、ハル公。確かに“野郎”は強ぇ。けどよ、『共闘でもしなきゃ敵わない』ってんなら、それこそ“四天王”の名が泣くってもんだろ?」

既に四体のミュートスレプリロイドが敗れ、輸送列車までもが破壊された。しかし、“その程度”の損害で“四天王”と名が付く者たちが恐れを成したとあっては、国家からの信用に関わる。
救世主を守護する者として、「敗北」という状況を――――「敵わないという可能性」ですら――――想定すること自体、“四天王”には許されない。
ファーブニルはニヤリと笑いながら、言葉を続ける。

「要は、“俺達の内の誰か”があの野郎をぶっ潰しさえすれば問題はねえ筈だ」

三人の様子を見兼ねたらしく「なら、こうしましょ」とレヴィアタンが人差し指を立て提案する。

「“誰が一番早く彼を倒せるか競争”ってことで。共闘しようが何しようが自由よ。彼を倒しさえすればいいわ。――――もちろん、“四天王としてのプライド”をどう解釈するかも自由よ」

「そりゃいいな!」とファーブニルは殊更嬉しそうに笑い出す。ハルピュイアは不満気ではあるが、“四天王としてのプライド”に関する二人の理屈は、四天王の長として納得せざるを得なかった。
ファントムだけは、まるで興味がないというふうに、背を向ける。

「拙者はやりたいようにやらせてもらう。“闘将”も、“妖将”も、己の好きなようにすればいい。……勿論御主もな、賢将」

そう言われ、少し考えるように目を瞑る。数秒の沈黙の後、ようやく整理がついたのか、ハルピュイアは「ふっ」と軽く笑みを浮かべて席を立つ。

「この会議が無駄であったとは思わん。情報の共有は必要なことだった。……だが、隠将ファントム、闘将ファーブニル、妖将レヴィアタン――――キサマらの言う事にも一理あるとして、この場は引き下がろう」

「やれやれ」と苦笑を浮かべながらレヴィアタンも席を立つ。
それに続いてファーブニルも席を立つ。その目はこれからの闘いに、ある種の“期待”のようなものを確かに抱いていた。

「……誰でも構わん。ネオ・アルカディア、そして我らが主の敵。紅いイレギュラーの首を必ずや討ち取ってこい!」

そう力強く言い放った後、ハルピュイアは「以上、解散」と会議の終了を告げた。
皆、胸の内にそれぞれの思惑を秘めながら、薄暗い会議室を後にし、各々の戦場へと足を向けた。









    そして、物語は加速する。



















  ――――  5  ――――



『どちらに……行かれるのです…?』

青年はまっすぐな瞳で、去り行こうとする逞しい背中に尋ねた。
背中の主は振り返り、少し哀しげな微笑みを浮かべ、答えた。

『後のことは、君たちに任せるよ』

『お待ちください!』

青年は声を上げる。

『あなたの存在が、この国には――――世界にはまだ必要なんです! 我々には、これからもあなたが必要なんです! それなのにあなたは――――』

青年の言葉は、彼の『大丈夫』と言う声に遮られる。揺るぎない確信を含み、同時に重たく響いた。
力強く、温かい眼差し。多くのモノを背負い、信じ続けてきた者が持つ光。

『君たちなら、大丈夫』

あっさりとそう言ってのける彼に、青年は思わず問いただす。

『……何故、そんな風に信じられるのですか?』

これまで、彼はたくさんのモノに裏切られてきた。
同胞の死を幾つも経験し、ようやく掴んだ理想を踏みにじられ、守ろうとした者たちには、その正義を疑われた。そうして、誰よりも信頼していた無二の“友”を失くしてしまった。
それでも彼は『信じる』と言う。彼を裏切った、当の本人達を『信じる』と。その理由が、青年にはどうしても理解できなかった。
だが、青年の問いに、彼が返した答えは至極短く、単純なものだった。

『信じているから』

たった一言そう言われ、訳がわからないというような眼で、青年はただ呆然と彼を見つめる。
彼は、教え諭すように、繰り返し、その答えを告げる。

『僕は君たちを信じてる。――――信じているから、信じられる』

その、どこか幼稚な答えは、答えになっていないようで。――――けれど、彼にとっての、それが真実だった。
そして、尚も呆然と見つめる青年に向かって、彼は自身が持つ、最も大切な願いを託す。

『きっと平和な未来を――――“懐かしい未来”を、君たちが築いてくれるって……僕は信じてる』

その言葉は、如何なる信頼よりも重く、眩しい物だった。
ふと、彼は空を仰いだ。青年もつられて、仰いだ。

眼前に広がる青い空は、悲しみも、苦しみも、そして願いも、希望も――――この世の全てを優しく包み込むような雄大さが滲んでいた。
まるで彼のようだと、青年は思った。

再び青年を見つめると、彼はただ一言、別れの言葉を告げる。

『じゃあ、行ってくるよ』

青年は、湧き上がる感情を無理やり抑えつける。
旅立つ彼を、不安にさせないように。未来への望みを、受け取ったことを確かに示すために。
確かな眼差しで彼をまっすぐ見つめ、敬礼と共に言葉を返す。

『……お気をつけて』

彼は再び微笑み、無言で、小さく手を振った。
そして、背を向け、独り、ゆっくりと歩き出す。一歩ずつ、死地へ赴く足に迷いはなく。彼の姿は、世界を照らす太陽のように、輝いて見える。


その儚くも優しい輝きに、青年は堪えきれず、涙した。













  ―――― * * * ――――


――――あれから百年……か

移動型延命カプセルのカバー越しに見る空は、あの日となんら変わらず、青く、広く、世界を包み込んでいる。
けれど、議事堂の廊下と庭を隔てる太い柱の隙間から差し込む陽は、どこか冷たさを感じさせた。

ネオ・アルカディアの中央、首都メガロポリス。その中心区域「ユグドラシル」。
ここには元老院議会が開催される議事堂の他、元老院直轄「聖騎士団」の兵舎、国立研究所等の政府機関、そして「救世主」のための宮殿が構えられている。

廊下を行く彼は、後ろに八人の部下を引き連れており、内一人が彼のカプセルを押していた。
過去への追憶を中断し、彼は今朝の議会を振り返る。
紅いイレギュラーの“Sランクイレギュラー”認定、及び、第十七精鋭部隊の召集――――今のところ、概ね彼の予定通りに世界は動いている。元老院と四天王は躍起になって紅いイレギュラーを討ち取ろうとするだろう。

――――……それでいい

あとは、紅いイレギュラーがあっさり退場さえしなければ――――……‥‥

「これはこれは、“名誉議長”殿。いかがなされましたかな?」

前方より聞こえてきた、嫌味な声が、彼の思考を遮る。その声の主に目を遣る。
そこには、首が肉に埋まる程、丸々と太った、強欲そうな男が立っていた。嫌々ながらも、それをおくびにも出さず、彼は答えた。

「…これはこれは……マクシムス卿。いや、なに……少し…散歩をと思いまして……」

「散歩ですか。ハッハッハッ。それは結構。連れているのは、噂の“ナンバーズ”ですな。バイル卿は本当に部下と仲がよろしい」

「マクシムス」の憎たらしい笑いに合わせ、「バイル」もまた笑って見せる。

「……それにしても、気になりますな」

マクシムスは突然、訝しむように眉間にシワを寄せ、彼に尋ねた。

「バイル卿を含む、我ら九人の議長団の中で、聖騎士団から騎士を選抜していないのはバイル卿だけですぞ。……何か理由がおありなのですかな?」

目の前にいる無能な男をバイルは内心で嘲笑った。

――――聖騎士団……?

「聖騎士団」とは、国防の為の最後の砦として「ユグドラシル」に存在する元老院直轄部隊である。
しかし、“聖”などとつければ聞こえはよいが、実際のところ、さして戦闘に参加していない上に、戦闘データのフィードバックなどもされていないため、経験値が浅く、本当に役に立つのか分かったものではない。また、基本スペックも、四天王に比べれば遥かに劣っているし、前線で戦うミュートスレプリロイドにも敵わない。唯一勝るものがあるとすれば、ボディの装飾くらいだろう。
実際、聖騎士団から騎士を選抜する元老院議長たちは彼らの性能などに興味はなく、見栄を張るためだけの理由で側に置くものばかりで、戦時のことなど誰も考えてはいなかった。
バイルはそのような者たちを滑稽に思いながら、謙遜したような言葉で答える。

「この生い先短い老体には…そのような華々しい者達は不釣り合い……。心の知れた部下さえいれば…それで良いのですよ……」

「あ〜あ〜…そのような寂しいことを申されるな、バイル卿。ネオ・アルカディアを知り尽くしたあなたの知恵が、まだまだ我々には必要なのですよ。気を強く持ってください」

大袈裟に憐れむようなマクシムスの仕草に、バイルとその部下たちは笑いを押し殺すのに必死だった。
「では、これで」とマクシムスは別れを告げ、そのまま会釈をして、バイル達とすれ違い、去ろうとした。――――と、少し進んでから、「あっ」と何か思いついたように足を止める。

「そう言えば、バイル卿」

バイル達も足を止める。しかし、お互いに振り返ろうとはしない。

「二年前に起きた、一千体以上が加担したと言われるレプリロイド集団脱走事件ですが……。あの時、レプリロイド共を率いて一緒に姿を消した少女は………あ〜…シエルとか言いましたかな?――――…彼女は…………」

少し考えるように言葉を切る。そしてわざとらしく、ついさっき思い出したかのように言った。

「確か……バイル卿がお育てになっていたとか?」

とぼけたような声で尋ねるマクシムスに、バイルは答えること無く、ただ黙り込む。
数秒の沈黙の後、バイルは静かに口を開いた。

「馬鹿な小娘です。……育ててやった恩も忘れ……そればかりか…仇で返そうとは。やはり、養子とは言え……人の子など持つものではありませんな」

バイルの答えに、マクシムスが笑って返す。小さく舌打ちをした音を、バイルと、その部下たちは聞き逃さなかった。

「ハッハッハッ。ですなあ。その点レプリロイドは良いですぞ。どう扱おうが、命令には服従。関係を持とうとも、子は孕まず……あ〜…いやいや、失敬。少々下品でしたかな。ハッハッハッ…」

言うほど気にしているわけではないようで、また下品な笑い声を上げる。

「それではまた、議会で。名誉議長殿」

そう一言だけ言い残し、マクシムスは足早に去って行った。





「やめておけ、フォクスター」

今にもマクシムスの後を追おうとしていた部下の一人を、バイルは引き止める。
「フォクスター」はどこか不満げに「良いのですか?」と問い返す。だが、そんなフォクスターとは対照的に、バイルは嘲笑を浮かべて答える。

「良い。……放っておけ。どうせ何も掴めていやしない……“手駒”の調子が思わしくなくて…焦っておるのだろう」

マクシムスごときの男に裏を掻かれる程老いてはいない。

「それより、ヘルバット……“アレ”は…どうした?」

突如、自分に向けられたバイルの鋭い問いに、「ヘルバット」は渋い顔で答える。

「申し訳ありません…バイル様。依然、捜索中で……」

怒りを恐れてか、自信なさ気に答えるヘルバットに、バイルは「構わん」とあっさり許しの声をかける。その上で、「だが、急げ」と注意を促す。

「舞台に乗り遅れんように、な」

励ますようにそう言われたヘルバットは、「ハッ」と力強く敬礼をした。
それからしばらく進んだ後、バイルはカプセルを押している部下に、止まるよう合図する。他の七人の部下たちも、それに合わせて足を止める。そのまま、柱の間から空を見上げた。
白い雲の流れが、いつもより遅く感じられる。

「……バイル様」

「…どうした、フリザード…?」

カプセルを押していた部下――――「フリザード」が思わず尋ねる。

「何を…急いでいるのですか……?」

計画の進行に問題はなく、また、シナリオ的に見れば“アレ”の捜索に関しても、それ程急ぐ必要はないように思われる。だと言うのに、フリザードの目には、バイルが事を急いているように見えた。
決して「老い先短いから」などという理由ではない。しかし、他になにか急がなければならない理由があるのかと考えれば、見つからない。では、その“焦り”はどこから生まれているのか。
しかし、その問いにバイルは思わず笑いを零す。

「何がおかしいのでしょうか?」

フリザードは慌てて尋ね直すと、バイルは答える代わりに一言、問い返してきた。

「フリザードよ……お前には聞こえんか?」

「……なにが…でしょうか?」

まるで解せないというフリザードの反応に、バイルはまたも笑う。
それから、フリザードの居た堪れなさ気な表情に根負けしたのか、ようやく答えについて語りだした。

「……音だよ…」

「……音?」

「うむ」とバイルは頷く。
その時、澄んだ空をゆったりと動いていた白い雲が、陽を遮る。するとそこに大きな陰が落ちる。

「何の…音でしょうか?」

恐る恐るではあるが、またも問いかけるフリザードに、今度は少しも笑うことなく、バイルはただ一言、特有の嗄れた声でこう答えた。


「……“崩壊の音”だ…」


その声に煽られるように、少し強い風が、柱の間を吹き抜けた。




















  ――――  6  ――――



今宵は満月。街灯は仄かに道を照らすが、街中に人影はない。どうやら人々は皆、眠りに就いた頃らしい。丸く輝くそれの下、生気を感じさせない道の脇に一台の車が停まる。
運転席の扉が開くと、黒いスーツを着た男が静かに降り立ち、後部座席の扉を開ける。すると、白いマントで体をすっぽり隠した一人の男が、降りてきた。大きな白い三角の頭巾で隠れて、顔は全く分からない。

「行ってらっしゃいませ」

運転手の言葉に返事をしないまま、男は一軒の小さなバーに入って行く。
客は一人もいない。というより、元々店自体が開いていたわけではなかった。それでも、カウンターに一人だけ、バーテンと思われる男が立っている。
頭巾の男はおもむろに小さなカードをカウンターに差し出す。バーテンはそれを、品定めするかの如く丁寧に眺めた後、男に向かって表情も変えずに「お待ちしておりました」と告げる。

「どうぞこちらへ。“集会”は既に始まっております」

バーテンは店の隅にある扉を示し、火のついた蝋燭が立っている燭台を男に渡す。男はその扉の向こう側にある地下へと続く暗闇の階段を、何の躊躇いもなく降りて行った。
狭い通路の壁や天井に反響して、靴の音が不気味に響く。

ようやく最深部に辿りつくと、石で囲まれたその広い空間は、地下礼拝堂とも呼べるような作りになっていた。
燭台のついた太い柱が並ぶ通路の先の方へ視線を遣ると、彼と同じ格好をした白い集団が何やら騒いでいるのが見える。
男はそこへ向かって一直線に、早足で向かう。どうやら少し遅れてしまったらしい。――――皆、自分の言葉を待っている。

そこは異様な熱気を帯びていた。

集団は地面にある、大きな鍋のような鉄の窪みを囲んでいる。
その中に見えるのはレプリロイドの残骸。そして、人の肉。骨。それぞれの体液が混ざり合ったどす黒い液体。
そしてその中にまた、ぐったりと生気の抜けた女性レプリロイドの体が投げ込まれる。人間によって良いように扱われたらしく、薄汚れた裸体のままだった。生きているハズなのに、悲鳴の一つも上げない――――というより、声を出す気力もなく、上げることができないのだ。

突然、囲んでいた集団の内の一人が、槍で彼女の体を突き刺す。そして、横にいたもう一人も、彼から槍を受け取り、突き刺す。
それを何人もが、同様に繰り返してゆき、彼女の身体をさらに惨めな姿にかえてゆく。とうとう彼女の身体は、先に入れられていた具と同じような姿へと変わってしまい、最後には大きな棒で混ぜられる。
その一連の動きの後、集団の者たちは皆、歓喜にも似た声を上げる。

その集団を避けて通り、遅れてきた男は全員を見渡せる台の上へと登った。それに気づいた者達は彼を見て、またも声を上げる。場は一気に興奮の渦へと変わる。
男は今日の集会がいつも以上の盛り上がりを見せていることに、気づいたが、「無理もない」と納得する。
彼らの悲願が叶う、その日が近づいているというのだから、当然のことだった。

男が片手で制すると、皆、それを見て鎮まった。
彼は一旦、勿体ぶるように咳払いをしてから、話を始める。

「既に知っている者もいると思うが、数日前、ようやく“無の鬼神”がこの世界に復活した」

皆、「オーッ」と声を上げるが、男はまたもそれを鎮める。

「……これで、世界には“無限の救世主”と合わせ、二人の英雄が現れたことになる!」

またしても声が上がるが、彼はもうそれを止めない。それどころか、その弁に更なる熱を入れてゆく。

「皆の者! ついに神話の役者が揃い始めた! こうなれば、“総てを和する”我らが神の復活! そして! 世界の終末、“ラグナロク”の日は近い!」

さらに熱が高まる。抑えきれなくなったのか、いつしか誰もが拳を高く掲げた。

「祈れ! この世の破滅を! 願え! その再生を! 全てが果たされた後! “総和の神”が統べる下! 我らの世界は再びその栄華を取り戻すであろう!!」

その瞬間、そこにいるすべての者達が、大きく雄叫びを上げた。
その高まる声に、上がりきった熱に、地下礼拝堂は包まれる。夜が明けたとしても、この興奮が冷めるにはしばらくの時を要するだろう。






しかし、盲目な信仰の果てに、いったい何が生まれるのか、何が壊れるのか。
その日が来るまで、彼らが真実を知り得ることは、決してないだろう。



















  ―――― * * * ――――


「そう。みんな動き出したんだね」

「……はっ。そのようで」

黒いコートは膝をつく。ただ一人の主を前にして、頭を下げたまま「いかがいたしましょう?」と判断を仰いだ。
しかし、縦長の窓から空をぼんやりと眺めていた彼は、「アハハ」と少し小馬鹿にしたような、それでいて爽やかな笑い声と共に答える。

「僕に尋ねるまでもないだろ?……君は分かっているはずだ」

そう言って振り返ると、黒いコートの男へ真っ直ぐ近づいて行き、その目の前に立った。黒いコートの男は少しだけ顔を上げ、彼と目を合わせる。

「他の三人がどうするかは知らない。……けれど…“彼”は僕の“親友”だ」

そう言った彼の声と瞳には、どこか狂気にも似た、脅迫じみた色が含まれている。

「これまで通り……決して目を離さないように。――――いいね、ファントム」

そう告げられ、ファントムは頷き、それから再び頭を下げ、いつも通りの一言で自身の意志を答える。

「……我が主、エックス様の御心のままに…」

忠誠を誓う、その言葉を聞き、救世主「エックス」はほくそ笑んだ。














    物語は加速する


















 NEXT STAGE








     紅いイレギュラー















[34283] COMMENTARY 1
Name: 村岡凡斎◆45ff140f ID:697d6d9c
Date: 2012/09/18 18:22

初めましての方、初めまして。お久しぶりの方、お久しぶりです。村岡凡斎です。
ふと思い立って、覚醒編を一気に投稿し切ってやりました。反省はしません。

というのも、覚醒編用のイラストを自作してテンションが上ったためです。pixivで公開中なので良ければ目を通してやってください。
ついでに、pixivでも小説の方を投稿し始めました。気が向いたら挿絵とかいろいろ追加する……かも。

どうぞ今後もよろしくお願い致します。

さて

Arcadiaではあとがきがないので、とりあえず、こんな感じで章ごとに感想というか、制作裏話的なコメントでも。
あまり深い話は、作品上ですべきだと思うので、基本的にネタとか苦労話です。と言っても、3章しか無いのですが。



・OP STAGE~2nd STAGE
加筆しまくりました。特に2nd STAGE、シエルとゼロのやりとりは頑張ってみましたよ。
前バージョンでは、旧作の[Z E R O]からほぼ引き継いでいたので文章的にいろいろと不満があり、それを今回の移転を機に改善した次第です。
少しは読めるものになったのではないでしょうか。


・3rd STAGE
TRIAL STAGEとして一旦投稿した……ハズのもの。
にじファンの方で、時間軸が前後しているのが読みづらいとの指摘をいただき、直接的に○時間前と記述した次第です。
あとはセルヴォとゼロのやりとりを2パートに分割したのが、前バージョンとの違いですね。


・4th STAGE~5th STAGE
覚醒編のクライマックスに向けての仕込み回。とにかく「キズダラケ」でのシエルの描写の為に、ここを厚くするのが個人的な課題でした。旧作ではゼロが負傷するまでの流れが短すぎたので。
原作、前バージョンからの変更点として、アヌビステップには地上に降りてもらいました。今後登場する飛行レプリロイドとの差別化が必要だと思ったので。
さて、そのアヌビステップは…………消えちゃったんでしょうかねえ(笑


・6th STAGE
シエルの言葉に信憑性が持たせられたかどうかが、個人的に課題でした。
原作では、腹黒とまで称されてしまったシエルですが、[Z-E-R-O]では純粋に健気なヒロインでいてもらうつもりです。
涙の訳とか、ゼロへの想いとかがある程度自然な形に感じられてると……いいなあ。


・7th STAGE~8th STAGE
大好評、フラクロス戦。前の読者さん達からはこの回が好きという声が多いです。実際、私もここはノリノリでした。
この小説を構想した時から、ゼロとフラクロスの決着のシーンは脳裏に出来上がっていました。
言ってしまうと、旧作ではここでゼロがスッキリとしてしまったために、後ろの展開が苦しくなってしまうという問題が出たので、前バージョンではそれを修正。
今回の修正点は特にありません。

章タイトルを“覚醒”にしたのは、単にゼロが目覚めるからというだけでした。しかしこの話のラスト、そしてこれからのゼロの心情などを考えると、“覚醒”の意味に深みが出るような気がします。


・9th STAGE
ネオ・アルカディアの内情についての掘り下げというのも、この作品自体の目的&課題だったりします。
正直、ゲームではネオ・アルカディア側、特に人類の様子についての描写が殆ど無かったので、その辺りは非公式全開でバリバリやらせてもらうつもりです。
そこかしこに、今後の展開において重要なヒントを散りばめていたりします。



正直、覚醒編はそこまで遊んで書いていないので、思い入れは少ないです。物語の方向付けとなる大事な章であることは変わりませんが。
次回からの「激闘編」は、それこそやりたい放題やっている章なので、初見の方はぜひ楽しんで、二度目の方もぜひ端々の遊び部分に気を配ってもう一度楽しんでいただければ幸いです。


ではでは、今後もよろしくお願い致します。







この作品の脳内主題歌は

coyote,colored darkness/GLAY

を推奨します。



挿入歌は思い思いのもので結構です(笑




[34283] 10th STAGE 「紅いイレギュラー」
Name: 村岡凡斎◆45ff140f ID:697d6d9c
Date: 2012/10/30 23:26













    激闘編
























  ――――   1   ――――


エネルゲン水晶の眩い輝きに照らされる洞窟の奥――――自然物が織り成す芸術に取り囲まれていながら、それらとは遥かに対照的である、如何にも機械的な扉の中の暗い一室。彼は、仄かに部屋を照らしているモニター越しに自分の上司と向き合っていた。

「先日、ガネシャリフの三号機が破壊されたわ」

彼女が疲れ気味に話を切り出す。

「ガネシャリフ二体目の破壊に、元老院から情報運搬ユニットの見直しと、ガネシャリフ運用の一時凍結を言い渡されたの。おかげで戦略研究所から“ガネシャリフユニット”の改造案が提出されて、これからその視察に行かなきゃならなくて……」

「それは……面倒なことになりましたなぁ」

彼は「むふー」と独特の鼻息を鳴らしながら労いの言葉をかける。

「そう、とっても面倒なことになっているのよ。だから、ねえ……私の言いたい事、分かるかしら?」

溜め息混じりに話していた彼女は、一変して妖艶な笑みを浮かべる。思わず彼の心臓部は大きく高鳴ったが、その笑みの奥に含まれる脅迫的な威圧感に気づくと、今度はゾクリと悪寒が走った。

「これ以上の失敗は赦されないのよ。私たち、“冥海軍団”には」

戦略上重要な位置にあったガネシャリフ二体の敗北は、彼女が指揮する冥海軍団にとって戦力的にも、評価の面でも、大きな痛手であった。
これ以上の失態があれば、元老院からの叱責、不信は免れず、今後の活動に負の影響が出ることは間違いないだろう。

「むふー……安心してください、レヴィアタン様ぁ」

念を押す彼女の声に負けじと、彼はニタリとほくそ笑みながら答える。

「このブリザック・スタグロフ。あの鉄塊野郎のような失態は絶対に犯しゃしませんぜ。むふー」

「頼もしい返事ね」

「フフ」と、妖将レヴィアタンは微笑む。しかし、すぐにその笑みは消え、レヴィアタンは眉を僅かに寄せながら「そう言ってくれるのは嬉しいんだけど」と言葉を付け足す。

「それを言うなら、あなたのその“鬼畜な趣味”は程々にするべきだと私は思うんだけど……どう思う?」

痛いところを突かれてしまい、思わずスタグロフは鼻息を一際荒く鳴らす。

「むふー! お言葉ですがねぇ、レヴィアタン様ぁ。こう……暗い穴蔵の中にいたんじゃあ、ストレスが溜まっちまって仕方ねえんすよぉ」

レヴィアタンはそれに呆れながら忠告する。

「いい、スタグロフ? 『やめろ』とまでは言わないわ。『程々に』と言っているのよ。そんな趣味にかまけて警戒を怠れば、“あの男”はあっという間にあなたの喉元に迫って来るはずよ」

「大丈夫っすよぉ、その点はぁ」

「むふー」と殊更得意げに鼻を鳴らす。

「例え喉元まで迫ったとしても、そこで終わりっすよぉ。ヤツがサーベルを振るより先にぃ、この俺の冷気がヤツを捉えるんすからぁ」

またしても「むふー」と鼻息を鳴らす。自信満々に語るスタグロフだが、その目に宿っているのは決して慢心などではない、確かな勝機と殺意だった。それを認めると、レヴィアタンは満足そうに再び微笑む。

「ならいいわ。……けれど、覚えておきなさい。私たちが追っている“あの男”――――“紅いイレギュラー”は今までのような手緩い相手ではないということを」

「了解っす」とスタグロフが答えると、またしても妖艶な笑みを浮かべながら、レヴィアタンは映像通信を切断した。それからスタグロフは「むふー」と鼻を鳴らしながらゆっくりと振り返り、その部屋を出た。
部屋を出たスタグロフのアイカメラが光量を大きく絞る。煌々とした輝きがエネルゲン水晶に幾重にも反射し、洞窟の中だというのに、朝陽が差し込むテラスのように明るい。その通路を進んだ先にある、別の扉を開ける。そこから先は、地下へと暗黒に包まれた階段が続いていた。仄かに照らしているのは、頭上に備え付けられた数少ないパネルライトだけだった。
階段を下った先に、また一つ扉がある。スタグロフは電子ロックを操作し、その扉を開けた。すると、中には数十人ほどのレプリロイドたちが怯えるように縮こまり、肩を寄せ合っていた。
スタグロフはいやらしい笑みを浮かべ、その場にいる全員に聞こえるよう、声を上げる。

「むふー! いいかお前らぁ! 優しいやさしいこの俺様がぁ、お前らレジスタンス共に最後のチャンスをくれてやるぅ!」

その声に、レプリロイド達は皆「ビクッ」と肩を震わせる。
スタグロフはそれをニヤニヤと眺めながら、声高らかに宣言する。

「今から三十秒くれてやるぅ。その間に牢から出て、基地内を逃げ回れぇ! むふー……パンテオン共には動かないよう指示してあるから安心しろぉ! そして五分! むふー……五分間逃げ切った奴はそのまま見逃してやるぅ。むふー……」

その提案に一人のレプリロイドが恐る恐る問い返す。

「ほ……本当に逃がしてくれるのか……!?」

僅かな希望に縋りつくその瞳に、スタグロフは極上の珍味を前にしたような舌舐めずりと共に答える。

「勿論だぁ。むふー……俺様は優しいからなぁ。但し、捕まった場合は……」

端の方で身体を震わす少女型レプリロイドを一瞥し、殊更興奮したように大きく鼻を鳴らす。その鼻息に、少女はゾクリと悪寒を感じた。

「俺様の好きにさせてもらうぞぉ? むふー!」

「他に質問はないかぁ?」とスタグロフはレプリロイド達に問いかける。希望を抱く者、その提案を訝しむ者、尚も恐怖に震える者――――それぞれ様々な反応を見せる。
ひと通り見回した後、それ以上質問が出ないことを確認すると、スタグロフは壁を力いっぱい叩く。

「むふー……それじゃあゲームを始めるぞぉ!」

レプリロイド達は立ち上がり、駆け出す準備をする。皆、様々な思いを抱えながらも、「生きたい」という願いだけは共通に強く持ち合わせていた。

「ようい……スタートだぁっ!!」

その掛け声と共に、誰もが一斉に地を蹴り、駆け出す。共通に「生きたい」と願いながらも、「我先に」と狭い扉をくぐり、階段を駆け上がってゆく。しかし、数十人が一辺に通れる程の広さは当然ながら無く、窮屈に押し合い、すぐに道が詰まってしまう。

「……きゅぅう……じゅぅう……じゅぅういち……」

スタグロフがカウントする声が聞こえてくる。残り僅かな時間を聞き取ると、一人が「落ち着け」と声を張り上げる。だが冷静なその声も、「どけ」「邪魔だ」という乱暴な声にかき消されてしまう。

「じゅぅうよん……じゅぅうごぉ………むふー…」

突然、スタグロフは数えるのをやめ、考え込む。その不気味な様子に気づいたのは最後尾にいた者だけだった。
しばらく悩むようにした後、スタグロフはまたも鼻を鳴らし、荒々しく乱暴に言い放つ。


「やめだ! 長ぇ! “三十”!!」


頭部側面に突き出ている筒に冷気を集め、一瞬にして氷柱を発生させる。そして、角のように生えた氷柱を前方に向け、最後尾にいた者の背中へと一気に突進した。
ズブリという鈍い音と共に、突き刺された者が悲鳴をあげる。尋常ならざる事態から忽ち悲鳴は伝染し、その場にいた者たちは激しい混乱に包まれた。
スタグロフは瀕死の標的を目の前から除けるように横へ突き飛ばし、更に先へ進んでいる者を突き刺してゆく。一人、また一人とその凶悪な突進の餌食となってゆく。
ようやく先頭にいた者たちが階段を抜け、エネルゲン水晶に囲まれた通路へと飛び出した時には既に十数人が犠牲となっていた。

「セラ! こっちだ!」

男性のレプリロイドはそう叫ぶと、少女型レプリロイドの手を引いて走りだす。

「ロルフさん、ちょっとまって」

歩幅の違いに、セラと呼ばれた少女は躓きそうになる。
その様子に痺れを切らし、ロルフと呼ばれた男性レプリロイドはセラを抱えて走ることにした。

「よく掴まってろよ!」

しばらく駆け回った後、基地内を警備しているパンテオン達の視界に入らないよう注意しながら、途中の岩陰に身を隠す。
その間も方々から耳を劈くような悲鳴が聞こえ続け、その度にセラは耳を塞いだ。

「とにかく……脱出する方法を考えよう」

自身を落ち着かせるように、ロルフは言う。

「『五分逃げ回れば』……なんて嘘に決まってる。なんとしてもこのまま逃げ出すんだ」

その為にはパンテオン達の視界や基地内の監視カメラにこれ以上写ってはならない。その情報はまちがいなくスタグロフに転送されているはずだ。
逃げ出す算段を立てようと思考を巡らすロルフ。だが一方、セラは既にこの絶望的な状況に打ちのめされていた。

「…むりだよ……ロルフさん。そんなの……できるわけないよ」

「諦めるな」とロルフが声を荒げる。

「生き延びるんだ、なんとしても! ……アークだって、どこかで必ず生きているはずだ。会いたいだろう?」

「アーク」――――所属していたレジスタンス組織で、仲の良かった少年レプリロイドの名前を出され、セラは渋々頷く。

「会いたいよ……。けど、にげのびても…どこに行けばいいの? わたしたちの“家”はもう……」

セラとロルフが所属していたレジスタンス組織は、“レジスタンス”と呼ぶには烏滸がましい規模の、ネオ・アルカディアから脱出したレプリロイドたちの寄り合いの様なものだった。まともな反抗活動は出来なかったが、互いに家族のように寄り添い、温かい暮らしを築いていた。
しかしスタグロフ率いる軍団に襲撃を受け、僅かに生き残った者は、同じく襲撃された他のレジスタンス組織の構成員と共に、あの暗い牢屋へと押し込まれていたのだ。
この周辺のレジスタンス組織はもう壊滅的だろう。しかし、ロルフはその状況を理解していながらも、諦めてはいなかった。

「……“白の団”がある。他のレジスタンスへの援助も積極的に行なっているという噂のあそこなら、きっと俺たちを助けてくれる」

そうは言うものの、実際にはどうコンタクトをとればいいのかすら分かっていなかったが、ロルフは希望を持ち、生き延びる道をなんとか模索することにした。そんなロルフの姿勢に、セラもまた生き延びれることを信じてみようと思った。



その瞬間――――


「むふー……みぃぃつけたぁぁ」

醜悪な笑みを浮かべる牡鹿の眼が二人を捉える。咄嗟にセラは声をつまらせ、体を震わせる。そんなセラを守るように、ロルフが抱き寄せる。

「三分かぁ……むふー……。意外に持ったほうだなぁ」

体内時計を確認し、二人の健闘を称えるように鼻を鳴らす。

「男の方は殺すとしてぇ……お嬢ちゃん……むふー」

青ざめた顔で恐怖するセラへ、得意げに提案をする。

「頭を潰されるのとぉ、腹を裂かれるのとぉ。胸を貫かれるのとぉ……むふー……四肢を砕かれ、なぶり殺されるのとぉ……ネオ・アルカディアに帰って人間の慰み者になるのとぉ……どぉれがいぃい? むふー」

想像するのもおぞましい提案の全てに、セラは激しく首を振る。

「…い…や…ぁ…! …どれも…いやぁ…!」

「畜生! この外道が!」

ロルフが怒りのままに吐き捨てるが、スタグロフはいやらしい高笑いを上げる。

「どれも嫌ならぁ……仕方ねぇ。むふー…むふー……腹を突き刺して、死ぬまで俺の慰み者になってもらおうかぁ!」

今度は両腕に冷気を集め、氷の槍を形成する。それを二人へと向け、狙いを定める。
絶体絶命の状況に、セラはいつしか瞼を強く閉じた。ロルフは尚も、彼女だけでも守ろうと更に強く抱き締めた。
恐怖に包まれる二人を眺め、スタグロフは殊更大きく舌舐めずりをする。そしてそのぬるりとした悦楽の時から、更に強い一瞬の快感を味わうべく、「あばよぉ!!」という掛け声と共に両腕を一息で前に突き出した。









刹那、横切る鮮緑の閃光――――











セラは恐る恐る、その瞼を開ける。気づけば、抱き締めるロルフの腕から力が抜けていた。しかしロルフもまたセラ同様に確かな温度を放ち、生きていた。
ロルフが呆然と見つめる先へと、セラは視線を移す。そこに、見えるはずのスタグロフは見当たらず、代わりに見えたのは真紅のコート、流れる金髪――――……‥

「ちょいと“おいた”が過ぎるぜ? ――――なあ、ブリザック・スタグロフ」

その声は、その場を包む絶望を切り裂くように、凛と響く。
氷の槍を防ぐ、その右腕が握り締める剣から発せられる激しい輝きは、辺りを囲むエネルゲン水晶に反射し、殊更眩しく見える。

「き……キサマはぁ! むふー……!」

驚きの鼻息を漏らすスタグロフに、“彼”は嘲笑とともに言い放つ。

「その荒い鼻息も、どうにかした方がいいぜ。……すんげぇ気色悪いからな!」

そう言ってビームサーベルを勢い良く振り切る。咄嗟にスタグロフは後方へと跳び退く。

「さあ、もう大丈夫だ」

スタグロフへの警戒を怠らないよう注意しながら、背後の二人に視線を遣る。鋭い闘気を含みながらも、温かい眼差し。

「あなたは……?」

問いかけるロルフ。その隙を突いてスタグロフが跳びかかる。思わずセラが「あ!」と声を漏らすが、“彼”は危なげ無く、その攻撃を再び防ぐ。激しい鍔迫り合いすら物ともせず、そのままロルフの問いに答える。

「名乗る程のもんでもないさ。けどまあ……そうさな、今の呼び名は――――」

ぐっと踏み込み、空いていた左腕をスタグロフへと突き出す。そこに収束されたエネルギーの危険性に気付いた瞬間、小さな衝撃と共にスタグロフは後方へと激しく弾き飛ばされた。

「――――“紅いイレギュラー”さ……」

不敵な笑みを浮かべ、紅いイレギュラー――――ゼロは強く地を蹴った。













 10th STAGE









      紅いイレギュラー






















  ――――  2  ――――


どうしてこんな事になってしまったのかと、思い返せばキリがない。とにかく、彼が偵察と称して基地の外へと抜け出し、辺りを散策しているうちに、“それ”は起きてしまったのだ。
二時間程経って彼が“家族”の下へと戻った時、事態は全て収束しており、後に残ったのは瓦礫の山と、そこに埋まる無惨な“家族”たちの亡骸だけであった。ただ一つ救いがあるとすれば、彼にとって一番大切な彼女の亡骸だけは、他数名の仲間の亡骸も含め、どこを探しても見つからなかったということくらいだ。
しかし、あの悪名高い“ブリザック・スタグロフ”のことだ。恐らく僅かに生き残った者たちでさえ一人残らず捕まってしまっただろうし、今頃どのような扱いをしているか分かったものではない。
珍しく一人で外出したことについて「彼女だけでも連れ出していれば」とか「どうして自分はこの場にいなかったのだろう」とか、後悔の念は尽きない。
だが、そうしたところで意味はあっただろうか。例え彼女と二人きりになったとしても、やはり大切な家族は失っていただろうし、自分がその場にいたとしても、いったい何ができたというのか。――――恐らく、ここに転がる亡骸が一つ増えただけだろう。

如何ともし難い程に突き付けられた己の非力さを憎み、悔み、今彼はそのちっぽけな手に、小さなエネルギーガンを握り締め、目の前の男にその銃口を向けていた。ただ虚しく広がる荒野の真ん中で。

「……返せよ……」

ライドチェイサーに跨ったまま腕を組んでいる、目の前の男の威圧感に圧し潰されそうになりながら、言葉を搾り出す。

「返せよ……俺の家族……」

バイザーで隠れ、その瞳の様子を窺い知ることはできない。しかし、彼にとってそんなことはどうでもよい。こんな荒野で悠然と構えている事実こそ、目の前の男が彼にとっての敵――――ネオ・アルカディアに所属するレプリロイドであることを如実に表わしていたのだ。
殊更強い憎悪と怒りを込め、叫ぶ。

「俺の大切なもん、返せよぉ!!」

その声は、晴れ晴れと広がる青空にはとても不似合いな、嘆きの響きを奏でていた。




「それで……そいつを俺に向けて、お前はどうするつもりだ?」

しばらくの沈黙の後、男が彼に向かって問いかける。突然の声に、彼は僅かに怯んだが、毅然とした態度で答える。

「……お前らの…基地に案内しろ」

グリップを強く握り、トリガーに指をかける。

「……お前らの基地に案内しろ! ……そして、俺の仲間を…解放しろ!!」

半ばヤケクソ気味に語気を強めて要求をする。だが、向けられた銃口すら意に介さず、男は尚も悠然と構えていた。

「その先はどうする?」

再び問いかけられ、彼はすぐさま言い返そうとした。だが、答えが見当たらない。何故なら彼は“その先”など考えてもいなかった。

「俺を脅してネオ・アルカディアの基地へ侵入できたとして、その小さな銃一丁で本当に仲間を救えると思っているのか?」

「う…うるせぇ…!!」

動揺を隠すことができない。反論の余地が些かもないほどに、男の言葉通りだった。
運良く内部へ侵入できたとしても、敵の真っ只中から生還する術も、その為の道具も何処にもなかった。

「……なあ、ボウズ」

男は呆れたように、その特徴的な金髪を掻き上げる。

「勇ましいのは結構だけどよ……“命は一つしか無いんだ”ってことくらい、頭に入れとけよ」

その忠告の言葉をキッカケに、彼の怒りはさらに強く、溢れ出した。


「お前らが…俺たちを虫けらみたいに殺すお前らが! 偉そうに命の話なんかするんじゃねえよぉ!」


自分の稚拙さ、失った物、理不尽な現実――――……あらゆる物への怒りが一気に爆発し、その勢いのまま、彼はトリガーを引いた……‥‥















「はい、ストーップ!!」


突如として聞こえた制止の声に、彼は既の所でトリガーを引き切らずに指を止めた。
しかし、聞こえた声は明らかに可愛らしい女声であったが、その主が何処にも見当たらない。すると、男の横に小さな光体がヒラヒラと華麗に舞っているのが見えた。

「ちょっとダーリン!? あなたが名乗らないせいで話がどんどんややこしい方向に進んでるんだけどぉ!? どーゆーつもりぃ!?」

「だぁー! 五月蝿い!」と男が慌てて耳を塞ぐ。どうやら声の主はサイバーエルフのようだった。

「レルピィ、耳元で騒ぐな! お前の黄色い声は耳に痛いんだよ」

喚く男の言葉に、レルピィと呼ばれたサイバーエルフは頬を膨らませて猛抗議をする。

「はぁぁ? 失礼しちゃう!! こんな可愛い“彼女”の声を『痛い』だなんて! もうサイテー! 大っキライ! 絶交よ!」

そう言って顔を背ける。男はサイバーエルフの言葉が聞き捨てならなかったらしく、「待て待て!」と慌てて言葉を返す。

「いつからお前は俺の彼女気取りだ!? 勝手に馬鹿な事を言うんじゃない! そもそも『絶交』だってんならコアユニットを荒野のど真ん中に放り投げてくぞ!? いいんだな!?」

『放り投げる』という言葉に、レルピィはすかさず態度を変え、「ダーリン、ごめ~ん」と軽薄な謝罪をしながら男に擦り寄る。男はあきれ果ててそれ以上物が言えない様だった。
そのやり取りを彼は呆然と眺める。先程までの張り詰めた空気から一変、何とも気の抜けた様子に、言葉が見当たらなかった。
しばらくそうした後、男が「おい」と彼に向かって声をかけてきた。

「ボウズ、お前の名前は?」

「え……あ……アーク」

そう言った直後、アークは勢い良く口を手で覆う。問われるまま、無防備に名乗ってしまったことを激しく反省した。
だが、男は僅かな敵意も含まぬ声で「そうか、アーク」と彼の名を呼んだ。

「悪かったな、お前さんがあまりにも真剣過ぎて、俺も名乗るタイミングを見失ってたんだ」

「ハハッ」と軽く笑って、言葉を続ける。

「先に訂正しておくと、俺はネオ・アルカディアのレプリロイドじゃあ無い」

きっぱりとそう言われ、アークは驚きを隠せなかった。このような場所で一人、まともに整備されたライドチェイサーに跨っていたのだ。どう考えてもネオ・アルカディア側のレプリロイドとしか思えなかった。
少し警戒をしながらも、「それじゃあ……あんたは?」と正体を問う。

「ああ……俺の名前は――――」

男が答えかけたその時、一面に響く間の抜けた高笑いがその声を遮った。

「ハーハッハッハッハッハッハッハッハッハッハッハッハッ――――……‥‥」

アークとレルピィ、そして名乗りかけた紅いコートの男はすぐ近くにそびえる崖を見上げた。
陽の光を背に受けて、五人ほどのレプリロイドがその姿を現す。

「ついに見つけたぞ! 紅いイレギュラー!!」

「……あ」

その声の主を認識すると、男とサイバーエルフは同時に声を漏らす。どうやら相手を知っているようだ。
アークは「紅いイレギュラー」と言う名に反応し、そう呼ばれた男を見る。

――――まさか……

先程までネオ・アルカディアの者だと信じきっていたこの男こそが、かの有名な「紅いイレギュラー」だというのか。
崖の上にいる男は続けて叫ぶ。

「ここで会ったが百年目ぇ! 思えば貴様と初めて出会ってから二週間! 屈辱的失態により、あの生意気なクラフト隊長様々から厳しく云々かんぬん言われてからも二週間! こうして貴様と再び相見えることになろうとは! 俺様にもツキが回ってキタァー!!」

紅いイレギュラーは面倒くさそうに頭を掻く。レルピィは「べー」と声の主に向かって舌を突き出していた。

「今日こそ覚悟しろ! 紅いイレギュラー!! このイレギュラーハンター第十七精鋭部隊第四班班長にして、“赤鬼”グラーツ隊長率いる地獄の第四部隊元副隊長、華麗なる狩人(自称)シューター様が貴様に引導を渡してくれるわぁ!!」

崖の上から「ビシッ」と力強く指を差す。すると、周りのレプリロイドたちも何やら騒いでいる。

「カッコイいっす! 副隊長!」

「そうだろうそうだろう! アーチ隊員! そうとも俺はカッコイい! ――――おい、ボウ隊員! 他のヤツらはどうした!?」

「はっ! 残念ながら、我らの他に二十名程いた部下は皆、副隊長の天才的嗅覚に理解を示さず、全くついてきておりません! しかし、安心を! 我ら真の精鋭、元第四部隊メンバーはしかと、ここに!!」

「ハッハッハッハッ! 天才とは一部の才ある者以外には理解されん悲しい生き物なのだ! 仕方があるまい! ハッハッハッハッ」

少年は現れたレプリロイドたちを見上げ、再び呆然と立ち尽くす。恐ろしいほどの急展開に全く頭がまわっていない。
一方、紅いイレギュラーはレルピィとなにやら話し合っている。どうやら先程の喧嘩について上手くまとめているらしい。何を話しているのかは全くアークの耳に入らないが、紅いイレギュラーは「フッ」と柔らかい笑みを零し、レルピィもまた頬を染めて嬉しそうに笑っている。
自分の話など全く聞かれていないのだという事実に気づかないまま、「シューター」と名乗る男はブツブツと話を続ける。

「――――思えば二週間前……。卑怯な不意打ちに屈し、みすみす貴様を取り逃がしてしまったあの日。『新たな救世主』だかなんだか知らないが、俺様より二年も遅く配属されたクセに周りからチヤホヤされて羨ましい――――じゃなかった……憎たらしい小僧に上から目線で叱られるし、周りの隊員からは指を差され、白い目で見られるし。散々で可哀想な俺様」

「副隊ちょー。能力の差と配属時期は関係ないっすよぉ」

「黙れ! ドロー隊員! 貴様は前もそうやって、俺様の回想時間を邪魔してくれたな! 後で喝を入れてやる! ――――とにかく! 今のところなんだかんだ言って、紅いイレギュラーと接触できているのは第十七部隊の中では我々のみ! これを天の導きと呼ばずして何と呼ぶ! 今日こそ紅いイレギュラーを捕まえて、クラフトの小僧をギャフンと言わせてやるのだぁ!!!!」

「カッコイいっす! 副隊長!」

「そうだろうそうだろう! カッコイいだろう! ――――おい! ドロー隊員! そう言えば、まだクラフトの小僧には報告してないだろうな!?」

「……えっ……………」

「…………『えっ』?………」

先程までの喋りの勢いが滞り、一瞬にして流れる沈黙。そして、シューターは「バカもーん!!」と声を張り上げた。

「何してくれやがったぁ! それじゃあ、もし! 万が一! パーハップス! メイビー! プロバブリー! 失敗してしまったら、またどやされてしまうじゃないかぁ!!」

「そんな!? 副隊ちょー! また失敗するつもりなんすか!?」

部下からの鋭い切り返しに、シューターは僅かに動揺する。

「な! ……そ……そんなワケないじゃあないかぁ。――――念には念を入れなければと言う話だ!」

「大丈夫ですよ! 副隊長! 俺たちみんなで力を合わせれば、できないことなんて何にもないです! 小さな物から大きな物まで動かせるハズです!」

「ボウ隊員! お前の言うとおりだ! もしも人間だったならば俺様、涙ちょちょぎれる想いだ! ――――その通り! 我らが力を合わせれば怖いものなど――――」

シューターが再び調子よく喋りだしたのを遮るように、部下の一人が口を挟む。

「あのー……副隊長…」

「なんだコード隊員! 俺様の口上をまたもや遮りやがって! お前も後で喝を入れてやる!」

「…いや…あのですねぇ……」

モゴモゴとなかなか話し始めないコードに、シューターは苛立ちを顕に怒鳴りつける。

「なんだ!? ハッキリハキハキ話せ! お前はいつもいつもモゴモゴ話すもんだから、何を言ってるんだかぜーんぜん分からん! 二週間前だってそうだ! お前がもっとちゃんと奴の動きを俺様に知らせておけばあんなことには……………」

そして、またもや沈黙が彼らを包む。

『ちゃんと奴の動きを俺様に知らせておけばあんなことには』――――先程、自身が放った言葉が脳内で木霊するのを感じる。
おそるおそる、ようやくコードが口を開く。

「……高エネルギー反応…が…」

気づけば紅いイレギュラーの左腕に激しい光が溢れる。

「ちょっ」

そして紅いイレギュラーはその腕を勢い良く頭上に振り上げると――――

「ちょぉ! ちょぉ! ちょぉ! ちょぉおぉっ待っ…!」

――――容赦すること無く、直下へと振り下ろした。

「待ぁってぇえぇええぇぇえぇぇえぇええぇぇえぇぇえぇええぇぇえぇ――――……‥っ!!」




大きな爆音と共に、地を這うエネルギー波に揉まれ、崖は即座に崩れ落ちた。
















  ―――― * * * ――――


「いいのかよ……あれ」

紅いイレギュラーの背中に掴まり、後ろを見る。先程まで、シューター達が立っていた崖は跡形もなく崩れ去り、そこからはもくもくと空高く砂煙が立ち登っていた。
二人が乗るライドチェイサーはみるみるうちに、その場所から離れて行く。

「『いいのか』ってのは?」

「トドメは刺さないのかってこと」

アースクラッシュで崖は崩れた。だが、おそらく、あのイレギュラーハンター達は生きているだろう。

「何でもかんでも殺しゃいいってもんじゃない。それが例え、憎むべき敵だとしてもな」

アークには男の言っていることがいまいち理解しきれなかった。ネオ・アルカディアに属する、それも彼を追っているイレギュラーハンターでさえも、その生命を赦そうという判断が、どうにも認められないものに感じられた。
しかし、この場で言い争ったとしてもきっと勝ち目など無いだろうということは理解できていたので「ふーん」と曖昧な声を出した。

「で、これで信じられるだろ?」

今度は紅いイレギュラーが問いかける。

「俺がネオ・アルカディア側じゃあないって」

「あ……うん」

シューターが現れるまでの流れを思い出す。
彼は確かに、『ネオ・アルカディア側ではない』と宣言し、事実、シューター達のようなイレギュラーハンターに追われていた。それだけでなく、彼の正体が今世界を騒がせているSランクイレギュラーの一人、「紅いイレギュラー」であることまで分かった。その実力の程も、先程の攻撃で確認できたし、疑う余地はどこにも無かった。

「ごめん……勝手に敵だと決めつけて」

アークはバツが悪くなって謝罪を述べる。すると、紅いイレギュラーは優しく微笑む。

「レルピィの言うとおり、俺が名乗らなかったのが悪い。気にするなよ」

横でレルピィが「ですよねー」と満足気な笑みを浮かべ、頷く。

「えっと……それで……あんたたちはいったい何を……」

「詳しい話はお家でしてやるから、ちょっと待ってな」

「『お家』?」

首を傾げるアークを他所に、紅いイレギュラーはレルピィに話しかける。

「一番近いゲートは?」

「ここからなら7番ね。ペロケに開けてもらうわ。で、あとは私がライドチェイサーを操作するからダーリンは休んで」

「サンキュ。任せるぜ」

レルピィがライドチェイサーの先頭部に溶け込むように消える。すると、ライドチェイサーは独りでに加速した。

――――“家”……か…

アークは一人、紅いイレギュラーが何かを形容して使った言葉を思い返す。そこがまた、温かい場所であることを願うが、つい数時間程前まで共に過ごしていた“家族”の事を思い、胸が苦しくなった。
























「……なん…て…ことだ…」

崩れた岩に埋まりながら、なんとかシューター達五人は生きていた。

「……おのれ…紅いイレギュラーめぇ…。またしても、このような卑劣な手を……」

「二度あることは三度あるとか」

「黙れ! ドロー隊員!」

シューターが拳を握り、地面を叩く。根性で岩を押し除け、足に力を込め立ち上がり、腕を天に突き上げる。

「この雪辱! 近い内に必ずや果たしてくれるわぁ!」

「カッコイいっす! 副隊長!」

「流石です!」

アーチやボウが口々に褒め称えると、シューターは「そうだろうそうだろう」と得意げに笑う。

「そうとも、俺はカッコイいのだ! ――――そうだ! おい、ドロー隊員。『先ほどの報告は私の間違いでした』と訂正しておけ。くれぐれも、クラフトめにこの失態を悟られるなよ」

「……えっ………………」

「…」

「…」

再び訪れる沈黙。
ドローは申し訳なさそうに、恐る恐る答えた。

「すいません…ついさっき………」

「…………」






そのまま言葉を無くし、シューターはパタリとその場に倒れ込んだ。























  ――――   3   ――――


基地の中がどうにも居心地が悪く、クラフトは今日も外に出て、遠く広がる砂漠を眺めていた。

この一ヶ月間、十七精鋭部隊は塵炎軍団基地施設の一部を借り切って、本部としていた。
元々、四軍団とイレギュラーハンターの間には相入れぬ確執がある為、互いに愚痴をしょっちゅうこぼしては、塵炎軍団側はイレギュラーハンターが早く出て行くことを、ハンター側は早く任務が終わることを願っているという状況で、気不味い雰囲気は否めない。
しかし、クラフトの、居心地の悪さの原因はそれだけではなかった。基地内には、あの忌々しいパンテオンが大勢待機している。死人に皮を被せたような、あの人形が大勢いる場所には、あまり留まっていたくはなかった。その人形たちの中に、自分が手を下した者がいるのではと考えてしまうこと自体に、彼は息苦しさを感じていたのだ。

空を見上げ、風を感じる。一ヶ月前まではごちゃごちゃした建物ばかりを見ていたためか、殺風景な景色でも、あまり飽きることはなかった。それどころか、「何もない」ことに清々しさすら感じた。

――――本当に、何もなければいいんだがな

有り得ないことだと分かっているからこそ、思わずにはいられない。
そうこうしている内に、一人の部下が後ろから駆け寄り、敬礼と共にクラフトを呼ぶ。

「第四班より報告です」

数分前、『紅いイレギュラーと遭遇した』と連絡してきた班だった。二週間前も同じチームが遭遇したのだが、あっさりと逃してしまった。――――メンバーがメンバーだけに、今回もあまり期待はせずに受けることにした。

「なんだ?」

「はっ。『心の底からごめんなさい』……と」

その答えに、クラフトは頭を抱えた。――――そして少しの迷いも無く、即座に新たな指示を出す。

「第四班、及び各部隊に知らせろ。これより第四班を解散。五番以下の班番号を繰り上げ。シューター以下元第四部隊の五名は、“特殊班”として紅いイレギュラー捜索に専念。定時連絡は今日より二日に一度、正午に。それ以外の元第四班メンバーは一旦本部に集合。追って、次の班編成を告げる。……以上だ」

「了解」

指示を確認した後、振り返り、颯爽と本部に向かって駆け出した。その部下とすれ違いに、また別の部下が駆け寄ってきた。

「ベルサルク捜索中の第二班、ヒート・ゲンブレム副隊長より報告です」

報告を待ち焦がれたその名前に、「来たか」と僅かに期待を込めた声を漏らす。

「なんと?」

「はっ。『黒狼軍本拠地と思われる地下施設を発見。これより突入を開始する』とのことです」

「了解した。……前回の例もある。用心を怠らないようにと伝えろ」

「はっ」

僅かに期待をしてはいるが、内心では「きっとまた無駄足だろう」と勘づいていた。
同じ報告は、これで三度目だ。前の二度はどちらもダミーで、突入と共に施設を爆破されたり、メカニロイドと交戦したりと苦汁を嘗めた。今回こそ「三度目の正直」となってはほしいが、その可能性は遥かに低いだろう。
つい先日も、烈空軍団長“賢将ハルピュイア”が黒狼軍幹部と交戦したらしいが、結局ベルサルクに出会うことはなかったそうだ。

「それとですね。隊長」

報告を終え基地へと戻るかと思いきや、その部下は何やら分厚い紙の束を差し出す。

「先週分のオリンポスプレス紙が届きました」

その名を聞き、クラフトは珍しく微笑みを浮かべてその紙の束を受け取る。

「すまんな、ご苦労」

早速一部だけ取り出し、残りを脇へと挟み、紙面を広げる。その様子を部下はとても奇妙なものに感じていた。

「一つお聞きしてもよろしいでしょうか」

「ん? なんだ?」

一瞬逡巡した後、彼はつい先日より気にかかっていた問いを投げかける。

「どうして新聞を?」

「『どうして』?」とクラフトが首を傾げ返す。

「情報なら管理局から送られてくるじゃないですか」

イレギュラーハンターとして活動する彼らの脳には、定期的に「情報管理局」から国内の最新情報が転送されている。それ故に新聞を読んだり、ラジオを聞いたりする者はほとんどいない。だが、クラフトは取り寄せてまで新聞を読む。人間が書いた、主観の入り交じった記事を楽しみにしているようでもあった。
その問いに「フフッ」と笑いながら、クラフトは答える。

「……新聞を“情報を得るための媒体”としてだけ見たなら、俺のやっていることは確かに、合理性に欠けるのかもしれんな」

自身の行動の非合理性を理解していないわけではない。しかしその合理性を超えたところに、クラフトの目的はあった。

「読みたい記事があるんだ」

「『読みたい記事』……ですか?」

「ああ」と言いながら、また笑う。その笑みはどこか照れくさそうだ。

「ただ“情報として”ではなく“誰かの声として”。そこに込められた想いを、俺は感じたいんだよ」

「……新聞ならば感じられると?」

クラフトは彼の問いに力強く頷く。

「全部が全部というワケではないがな。――――少なくとも、ある一人の記者が書く記事からは、いつも強い想いを感じているよ」

いまいちピンとこない部下の顔を見て、クラフトは苦笑する。そう簡単には理解してもらえないだろうと分かっていた。
同時に、『ある一人の記者』のことを思い出す。――――まっすぐな瞳で、真実と向き合おうとする彼女のことを。

「――――彼女のおかげで……俺は自分を信じることができる」

最後にぼそりと呟いた言葉は、新たに報告を携えた伝令の声にかき消された。

「隊長。元老院議長団より通信です。なんでも火急の用件だとか」

「……議長団から?」

不穏な空気を感じ取り、クラフトは眉をひそめる。この一ヶ月間、さして緊急の事態は起きていなかった。
本国で何かあったのか。それとも捜索対象である三人に関して何かしらの事態が起きたのか。――――考えを巡らせても埒が明かない。

「……分かった…今行く」

クラフトは広げていた新聞を脇へ仕舞うと、急ぎ足で基地へと向かって歩き出した。





どこか不気味さを感じさせる生温い風が、吹き抜けていった。














  ――――   4   ――――


突然の眩しさに、アークはその目を覆い、次には疑った。
紅いイレギュラーに連れられ、とある岩場で隠し扉の中に侵入し、エレベーターを降りるまでは良かった。だがしばらく地下へと降りた後、停止したエレベーターから降り、扉を開けた彼の目に飛び込んできたのは、どこまでも続く青空と広大な草原。そしてネオ・アルカディアでも見たことがないような美しい花畑だった。
呆然と立ち尽くすアークに少しの説明もなく、紅いイレギュラーはライドチェイサーを手押ししながら歩き出した。それに気づき、「ちょっと」っと声をかけようとした所、それはアークよりも更に幼い声により遮られてしまった。

「ゼロ! おかえりなさい!」

「おかえりなさーい!」

その声の主は一人、二人ではなかった。紅いイレギュラーを「ゼロ」と名前で呼ぶ十数人の子ども達が駆け寄り、構ってほしそうに紅いコートを鷲掴む。

「おう、ただいま。ちゃんといい子にしてたか?」

ゼロがそう尋ねると、子供たちは口々に嬉しそうな返事をする。どうやら彼のことをとても好いているらしい。

「うしろのお兄ちゃんは、だれ?」

少女がそう尋ねると、ゼロは一度だけアークの顔を見て、それから意地悪そうな笑みを浮かべ、答える。

「新しいお友達だ。挨拶してやんな」

子供たちは一際大きな声で返事をして、颯爽とアークの下へと駆け寄っていった。突然の歓迎に、アークは戸惑う。

「ちょっと……これはいったい…」

聞きたいことが山ほどあり過ぎて、何処から聞けばいいのかすら分からない状態だった。その様子を見兼ね、ゼロは優しく声をかける。

「安心しな、ここにはレプリロイドしかいない」

「へっ!?」

思わず驚きの声が飛び出す。これ程までの(勿論、人工物かもしれないが)花や緑に囲まれた場所に――――更には、遠方に大きな豪邸のような屋敷すら見えるこの尋常ならざる土地が、全てレプリロイドだけのものだというのか。ネオ・アルカディアを統べる元老院の一部の者がようやく味わうことの出来るであろう贅ある暮らしをレプリロイドたちがその手にしているというのか。現実をその身で知っているアークには、到底信じられるものではなかった。

「あとは……そうさな。いろいろ話し合わなきゃならんことがあるか。……仕方ない、一緒に来な」

そう言うと、ゼロは振り返り、屋敷に向かって歩き出す。未だ戸惑いが拭えないアークではあるがゼロについて行くしか無いのだと思い、名残惜しそうな子供たちの手を、軽く謝りながら振りほどき、彼の後を追った。


玄関へと足を踏み入れると、屋敷の中は外から見るよりも広く感じられた。「ただいまー!」とレルピィが大きな声を張り上げる。ゼロは「ペロケ、いるか?」と誰かの名を呼びながら奥へと進んでゆく。

「……おお、赤いの。無事じゃったか?」

数人の子どもを後ろに連れた、頭の禿げた老人レプリロイドがゼロを出迎える。

「ああ、アンドリュー。生憎、ピンピンしてるよ。ちょっと急ぎの用事があるんで、またな」

そう言って、老人レプリロイド――――アンドリューに軽い挨拶をしてその場を通り過ぎる。すると今度は別のレプリロイドが「ゼロー!」と彼の名を呼び、現れた。

「ちょうどいいところに帰って来たね! たった今新しいポエムが完成したところなんだ! 聞いてくれるかい!? 聞いてくれるよね!? ぜひ、聞いてくれ!!」

「いいぜ、イロンデル。けど、他の用事があるんで、また後でな」

嬉しそうな声で強引に迫る彼――――イロンデルに対し、ゼロは冷静に対処する。イロンデルは「やれやれ仕方ない」と肩をすくめる。

「分かったよ。――――でも、君が『後で』と言って聞いてくれた試しはないけどね!」

「今度は絶対に聞いてやるよ」と言葉を残し、ゼロは更に奥へと進む。そして、特別に誂えられたらしい機械的な扉の前に着く。ゼロはその横にある解錠装置にパスワードを打ち込み、扉を開けて中へと入る。彼の後ろを追って、中へと入ろうとしたアークだったが、ふと先ほどまで元気に飛び回っていたレルピィの姿がないことに気付く。いったいどうしたのかと少し気になったが、「どうした? 早く入りな」と急かされ、部屋に入った。
部屋の中は屋敷内の他の場所と全く違う、まるで前線基地の司令室のような様相で、複数のコンピューターが並び、大型のモニターが設置されていた。
ゼロが声をかけると端の椅子に座っていた、ゼロの腰よりも背の低い、子犬のような顔をした幼気なレプリロイドが返事をする。

「おや、ゼロさん。おかえりなさいませ」

「悪いな、ペロケ。早速コードS2で白の団へ繋いでくれ」

「了解しました」とペロケは答え、素早くキーボードを打ち出す。その容姿に似合わぬ、滑らかな指の動きに、アークはぽかんと口を開けてしまう。
ふと、ゼロのコートが幼い手に引っ張られる。振り返るとそこには、いつも通りにぬいぐるみを抱いて、少女が立っていた。

「……おかえりなさい……ゼロ……」

「ただいま、アルエット」

優しく微笑み、ゼロはアルエットの頭を撫でる。

「繋がりましたよ、ゼロさん」

ペロケがそう言うと、モニターに見慣れた少女の顔が映る。


「お帰りなさい、ゼロ」

「ただいま、小娘」


その声に彼の無事を確認し、シエルはただ優しく微笑んだ。















  ―――― * * * ――――


『ゼロさんにはここから出て行ってもらいます』

塵炎軍団第八方面軍基地襲撃作戦を終えた一週間後、今後の方針について話しあう会議の場において、エルピスは突然そう伝えた。
『どういうつもりだ!』とセルヴォが声を荒げる。集められた各チームリーダーや数人のオペレーター等が困惑した表情を見せる。エルピスは『静かに』と片手を上げ、その場を鎮める。

『これもひとつの戦略です。ルージュさん、先ほどの情報を』

『はっ』と、エルピスの横に控えていたルージュが前に出る。

『近々、元老院が第十七精鋭部隊の召集を協議するのではないかという情報を、他のレジスタンス組織伝に得ることができました』

会議場が一瞬にしてざわつく。

『その理由として、ネオ・アルカディア上層部にて騒がれている“紅いイレギュラー”の存在が大きいようです』

その場にいた者たちは一斉に、ゼロへと視線を向けた。ゼロは腕を組み、ただ黙って話を聞いていた。エルピスがそれを受けて説明を始める。

『フラクロスの輸送列車襲撃成功の件から、ゼロさんの存在はネオ・アルカディアにとっても無視できない存在として認知されつつあります。ゼロさんを追うことに専念する為、第十七部隊が組織されるというのであれば、ゼロさんが行動の拠点としているこの場所にも、その手が及ぶ危険性が高まることは間違いありません』

『けど』と、複雑そうな面持ちで黙り込んでいたシエルがようやく口を開く。

『それなら尚更、私たちが傍でサポートしていくべきじゃないの?』

『サポートといえど、我々に万が一のことがあったとなっては、それこそこの先、誰が彼を支えていくと言うのですか? ――――安心してください。彼の、今後の行動拠点として絶好の場所を用意してあります』

自信ありげなエルピスに、シエルはしばし首を傾げ考えた後、『まさか』と再び口を開く。

『“あの場所”を……?』

『その通りです』と頷くエルピス。“あの場所”という表現にゼロ以外の者は皆、合点がいったらしい。だが、またもや困惑と戸惑いの色が漂い始める。

『この地球上で、現在、おそらく最も安全な場所です。旧世紀の遺産でしか無い我々の基地施設と異なり、最新の機材、設備、通信設備、更には権力の保護までもが整った鉄壁の城です。あそこを利用しない手はないでしょう』

『しかし!』と今度はマークが口を挟む。

『司令! 国を出る時、我々は彼らの支援を断り、二度と“あの場所”を巻き込まないことを誓ったではありませんか! それを今更――――』

『状況が変わったのです』

エルピスはたった一言で、マークの反対を切って捨てる。

『外部にある近場の空間転移装置まで、わざわざ移動しなければならない危険性は誰の目にも明らかでしょう。戦略上、ゼロさんを最大限に活かす為には“あの場所”が必要であり、また、ゼロさんを含めた我々全員の安全を考えた上でも、これが最上の判断です』

それ以上、反論が見つけられないマークたちだったが、容易に納得することも出来なかった。セルヴォとシエルも、他に良い案が無いかとその頭脳をフル回転させていた。
そうしてしばらく沈黙が流れた後、それを切り裂いたのは当人であるゼロの声だった。

『それ以上の策が無いってんなら、俺は従うぜ』

『ゼロ』とシエルが彼の名を呼ぶ。

『けど……それでも…』

『俺たちの目的は戦争で勝つことだ。そうだろ?』

ゼロは『フッ』と笑う。

『その為に必要な策を、“司令官殿”は考えてくれた。――――なら、それを信じるべきだ。違うか?』

ゼロの言葉に、とうとうその場にいた者たちは言葉を返せなかった。
ただ一人、エルピスだけは『ご理解、ありがとうございます』と自身に信頼を寄せてくれたことに感謝の言葉を述べた。

『それで、“あの場所”ってのはなんだ? 俺以外には全員通じているようだが……』

すると、エルピスはニヤリと笑いながら答える。

『そうですね、ご説明しましょう。率直に申し上げると、“あの場所”とは我々のスポンサーが所有する別邸です』

『スポンサー?』

白の団メンバーがネオ・アルカディアを抜け、組織を設立する際、政府内に彼らを支援する者がいた。――――それがスポンサー。その人物は人間として非常に高い地位につきながら、レプリロイドに対し深い理解を示しており、シエルたちの活動を支援してくれたのだ。
そして“あの場所”とは、彼がネオ・アルカディア外部に所有しているセーフハウスの一つである。最新の空間転移装置や通信機器などが揃っており、実際の所、白の団本拠地よりも時代に即した隠れ家となっている。だが、そこには彼と親交のあったレプリロイドたちだけが集められ、静かで穏やかな暮らしが築かれていたのだ。
シエル達はネオ・アルカディアから抜け出す際に、経由地としてその場所を利用させてもらったが、彼らの暮らしにこれ以上の迷惑を掛けるべきではないとして、そこに住む者たちからの協力を断り、二度と関わらないことを約束していた。

一通りの説明を受けた後、ゼロは『成程ね』と呟く。

『詳しいことは、実際にその場へ行けば分かるはずです』

『だろうな。――――そうと決まればさっさと支度をさせてもらうか』

『ええ、ですが』と、エルピスは説明を続ける。

『その場所へ入るには道案内が必要になります。あなたのDNAデータはあちらに登録されていないでしょうから、侵入は叶わないでしょう。そこで、そうですね……シエルさん――――』

『それなら、アルエットを連れていって』

エルピスが彼女自身を指名しようとした声よりも早く、シエルはアルエットを指名した。『そんな!』とエルピスは慌てて訂正する。

『いえ是非、シエルさんに行って頂きます! これから先の戦いはより厳しくなるはず! 人間であるアナタをこれ以上危険な目に……』

『白の団を設立した中心人物である私が、一人安全な場所に隠れる訳にはいかないわ』

きっぱりと言い放つシエルに、エルピスは尚も『しかし』と食い下がろうとするが、シエルはそれを聞かない。

『ごめんなさいエルピス、ゼロ、そして皆。私のエゴだっていうのは分かってるけど……アルエットだけでも、もっと平和な場所にいて欲しいの』

『お願い』と、シエルは深々と頭を下げた。切実な願いに、エルピスですらついに反論できなかった。
彼女たちの間に特別な絆があることを白の団に所属する者たちは、詳しいところまでは知らずともとてもよく理解していた。だからこそ、シエルが身辺からアルエットを遠ざけるという話には驚いたが、その理由を聞いて納得した。アルエットを大切に思うが故に、彼女の安全を願ったのだ。

『小娘の言うとおりにしてやろうぜ』

しばらく考えた後、ゼロはそう言った。渋々ではあるがエルピスもそれに頷き、シエルは『ありがとう』と再び頭を下げた。

















  ―――― * * * ――――


「今日もほとんど成果なし…だ。どこも壊滅的だな」

シエルの要望で、作戦実行日とその前後以外、暇が許す限りゼロは各地のレジスタンス、またレプリロイドの集落を見て回っている。そして敵に襲撃を受けた場所では、保護できる者は保護し、他のレジスタンスチームのアジトや、この屋敷に連れてくることにしている。ここにいる子供たち、また屋敷の奥に匿われているのはそう言った境遇の者ばかりだっただが、思ったような成果は挙げられていないのが現状だ。

「そう……仕方ないわ。ありがとう」

シエルは苦笑いしながら答える。その顔に、ゼロは複雑な想いを抱かずにはいられない。

「けどまあ、なんとか一人だけだが、拾うことができた。ほら、こっち来い」

そう言ってアークを呼ぶ。アークは画面に映る少女に、「どうも」と会釈をする。シエルは「よかった」と小さく呟き、安堵の色を浮かべる。

「早速で悪いんだが、アーク。お前さんがどうしてあそこにいたのか手短に説明してくれるか?」

「えっ?」

「どういう状況だったのか詳しく聞きたい。これからの方針に関わるからな」

少しピンと来なかったアークだったが、ゼロが言わんとしていることに気づくと、「もしかして」と問い返す。

「助けてくれるの? 俺の仲間を……」

「そいつは、お前の話次第だ。――――小娘、ルージュを呼んでくれ、いろいろ確認してほしいことがある」

「分かったわ」とシエルは直ぐ様、ルージュをその場に呼び寄せた。
全員が揃った後、アークは事の顛末を語りだした。共に暮らしていた家族、スタグロフの襲撃、自分が助かった理由、遺体の見つからない仲間――――……‥

時折シエルが哀しそうに、悔しそうにするのを、ゼロは決して見逃さなかったが、ひたすら冷静にアークの話に耳を傾け続けた。




















  ――――   5   ――――


「ブリザック・スタグロフ」――――冥海軍団所属のミュートスレプリロイド。自称、妖将レヴィアタンの右腕。
軍用エネルゲン水晶鉱山の守備任務に付いている。しかし、鉱山といえどその内部は前線基地として改造が施されており、一つの要塞とも呼べる。
非常に横暴で残虐な性格を持ち合わせており、他者を苦しめることに快楽を感じる。レプリロイド狩りを好んで行い、捕らえた者は拠点に連れ帰り、死ぬまでその体や命を弄ぶ嗜好を持つと言う。

「最低の糞野郎だな」

ルージュの淡々とした説明を聞いた後、ゼロが最初に漏らした感想はその一言だった。

「恐らく、生き残った方たちは皆、スタグロフの悪趣味に付き合わされているのでしょう」

現実を率直に突き付けられ、アークの顔はいつしか青ざめていた。シエルもまた胸に手を当て、祈るように瞼を閉じていた。

「ちょっといいですか?」

ルージュの後ろからジョーヌが顔を出す。ゼロと通信が繋がっていると聞きつけ、飛んできたのだ。「仕事はどうしたの」とルージュが声をかけるのを無視して、ジョーヌは意見を述べる。

「スタグロフの基地を叩きに行くという話なら、その子には申し訳ないですけど私は反対です」

彼女の歯に衣着せぬ言葉に、ルージュが「ジョーヌ!」と珍しく声を荒げる。だが、ジョーヌは少しも引き下がらない。

「皆さん知っての通り、先日、解放議会軍が壊滅的打撃を受けました。解放議会軍は事態の挽回を図るべく、我々に協力要請を出しています。司令は勿論、協力関係にある解放議会軍を放っておくつもりはありません。作戦が整い次第、決行するつもりです。そんな大事な作戦を控えている中、こんなところでゼロさんに負担をかけては――――……‥」

「いい加減にしなさい、ジョーヌ!」

再びルージュが声を荒げる。

「……正しいことを言うばかりがいいワケじゃない。分かるでしょうに」

「だって、誰かがちゃんと言わなきゃでしょ。ルージュだって、分かってるくせに。それとも嘘つくワケ?」

「それは」とルージュは口ごもる。ジョーヌが言っていることは正しい。

「戦いに行くのは私たちじゃない、ゼロさんでしょ。ミュートスレプリロイドと戦うのも、作戦に出るのも。そのコンディションを考慮して作戦を進めていかないと、大事なところで躓く可能性だってあるわ」

「……だとしても。――――少しくらい気の利いた言い方をしなさい。彼の顔があなたには見えてないの?」

ルージュに言われ「はっ」とアークの顔を見る。自分の非力を呪い、悔しそうに唇を噛み締めていた。しかし、ジョーヌはどうにも引き下がれない。感情をむき出しにルージュへ食って掛かる。

「な……なによ偉そうに! いっつもいっつも上から言うみたいに…。じゃあどんな言い方すれば良いワケ?」

「それくらい自分で――――」

「とりあえず…いいかしら?」

白熱する二人の間にシエルが口を挟む。すると、皆黙ってシエルの言葉を待った。
少し考えた後、シエルが出した結論は至極簡単だった。

「私は助けたい」

アークが顔を上げ、モニターに映るシエルの顔をよく見つめる。その瞳は一縷の希望にすがるように、切なく輝いていた。

「ごめんなさい、ゼロ。あなたへの負担は大きいと思う。けど、それでも私は仲間を見捨てたくない……。救うことができるなら、救いたいの」

「待ってください! ……本当に生きているかどうかも分からないんですよ!?」

ジョーヌは尚も異を唱える。しかし、その見解は間違っていない。既に事が起きてからしばらく経っている、生存者がそのまま生き続けている保証は何処にもない。となればゼロが苦労して潜入しスタグロフを倒したとしても、無駄足とまでは行かないが、仲間の救出という本来の目的は果たせない。それでは命をかける意味が無いだろう。
「そうかもしれない」と、ジョーヌの意見をシエルは認める。それが分からないほど愚かではない。

「けど、生きてる可能性だってある。――――私は信じたいの」

その気持ちは裏切られてしまうかもしれない。けれど、信じる事をやめることはできない。こんな小さな戦いにおいても、一度でも信じる事を諦めてしまうなら、この先の戦いに希望を見出すことすら難しいはずだ。そう言う戦争をしているのだと、シエルは分かっていた。
まだ不服そうなジョーヌだったが、「もういい」とゼロがようやく沈黙を破り、口を開く。

「ありがとよ、ジョーヌ。俺のことを気遣ってくれるのは本当に嬉しく思う」

その微笑みは感謝の気持ちが上辺だけではないことを表わしていた。

「けどな、俺の実力を信じてくれたらもっと嬉しいぜ?」

「ゼロさん……」

ジョーヌが、別にゼロの実力を疑っていたわけではないことくらいゼロ本人にも分かっていた。けれど、そういう返し方こそが今話を前に進めるために必要なのだと想い、わざとおどけたように言ってみせた。

「話は決まりだ、アーク。これからスタグロフの基地に潜入してお前の仲間を救出に向かう」

その瞬間、「本当!?」とアークは目を輝かせる。

「勿論だ。絶対に救い出してやる。――――ルージュ、直ぐに基地までのマップデータと、スタグロフが率いている部隊のデータを纏めて送ってくれ」

「了解」とルージュは早速作業に入る。

「ペロケ、五分後に出発する。ゲートはルージュからのデータを元に開いてくれ。それと通信回線の防衛プログラム、安定性の確認。それとレルピィを呼び出してくれ」

ペロケもまた「任せてください」とゼロの指示を受け、作業に入る。

「ゼロ……ありがとう」

シエルの言葉に、ゼロは「おいおい」と笑って答える。

「『ありがとう』じゃないだろ? ――――見送りの言葉くらい、ちゃんと言ってくれよ」

拳をモニターに向けて突き出す。それに気付いたシエルは、微笑と共に、同じように拳を突き出した。

「行ってらっしゃい、ゼロ」

「行ってくるぜ、小娘」

そう答えると、紅いコートを翻し、ゼロはそのまま歩き出した。




「ちょっと待って!」

ライドチェイサーを出し、空間転移装置に乗ろうという時、アークがゼロを呼び止める。

「俺も行くよ! ……会いたい奴がいるんだ…」

誰よりも大切な少女の顔を思い浮かべ、アークはそう頼み込む。しかし、ゼロは少しも間をおかず「駄目だ」と切り捨てた。

「敵の基地に侵入しての救出作戦はそれ程簡単なことじゃない。お前を護る余裕があるかも分からん。悪いが、ここで待っていろ」

「でも!」

アークは引き下がる気配を見せない。ゼロは「やれやれ」と肩をすくめる。

「足手纏いには絶対ならない! 俺のことは放っといてくれてもいいよ! 自分のことくらい、自分で守ってみせる!」

「スタグロフに追い詰められても、そのちっぽけなエネルギー銃でどうにかできるって言うのか?」

スタグロフの名を出され、「うっ」とアークは僅かに後退る。
アークの肩を優しく叩き、「大丈夫だ」と声をかける。

「さっきも言ったように、仲間は必ず助けてやる。――――生きていれば、だけどな」

その言葉の後、直ぐにルージュから「時間です」と通信が入る。

「作戦、スタート」

その声を合図に、ゼロは空間転移装置に乗り込み、作戦へと向かって行った。
あとに残されたアークはただその場に立ち尽くし、先程までゼロがいた場所をじっと見つめていた。


















  ―――― * * * ――――


ゼロは追い討ちをかけるように、セイバーを振るう。スタグロフはそれをギリギリのところで素早く躱し、頭部に生成された氷の槍を弾丸のように発射する。その狙いは後方のセラとロルフだった。

「…っなろ!」

それを斬り落とすゼロの隙をつき、二人のもとへとスタグロフが駆け出す。しかし、ゼロは脚部に備えられた緊急加速装置を作動させ「逃がすかよ!」と叫び一気に間合いを詰め、セイバーを振るう――――神速の刃“疾風牙”。
スタグロフは「むふー」という鼻息と共に、片腕に生成させた氷の槍でなんとかそれを防ぐ。が、防戦を強いられているかと思いきや、ここぞとばかりにもう片方の腕からゼロに向け冷気を放出する。それに危険を感じ、ゼロは素早く間合いを取り直す。

「むふー……なかなかいい動きするなぁ……」

スタグロフは見事な身のこなしを見せつけるゼロに思わず称賛の声を上げる。
ゼロはそれを聞き流し、セラとロルフに「今のうちだ」と逃げるよう指示する。少し逡巡する二人だったが、何処からとも無く聞こえてくる黄色い声が二人を急かす。

「ダーリンが時間稼ぎしてる間に! 早く逃げんのよ!」

それは、足元に投げ捨てられたコアユニットにインプットされたサイバーエルフ――――レルピィの声だった。「あたしも拾っていきなさいよ!」と叫んでいる。尚も躊躇う二人にゼロが再び声を張り上げると、ようやく決心して、レルピィのコアユニットを拾い上げてそのまま駆け出した。
スタグロフは「チクショウ!」と悪態をつくと、直ぐ様基地中のパンテオンに二人を追撃するよう指令を送る。

「むふー! 男は殺しても構わん! 女のガキはなんとしても捕らえろ! むふー!!」

興奮して鼻息が更に荒くなる。――――と、視界を緑の閃光が覆う。またもギリギリのところで身を屈め、セイバーの一撃を躱す。すかさず氷の槍を突き出すが、ゼロもまたヒラリとその一撃を躱す。
初撃に戸惑い、序盤こそ攻められはしたものの、スタグロフは冷静に立て直し、勝負を五分のところまで引き戻している。だが、互いに未だ手の内を全て見せてはいない。今後の展開を慎重に読み合い、互いに牽制する。

「むふー…知っているぞぉ。昔は貴様も、エックス様と同じイレギュラーハンターだったんだろう?」

スタグロフは挑発するように下卑た笑いを浮かべる。

「それが今は一介のイレギュラーだぁ……むふー……落ちぶれたもんだよなぁ、英雄ぅ? むふー」

過去の栄光もその意味をなさず、今はただ国家への反逆者としてその命を狙われる立場にある。その状況だけ見れば、確かに、落ちぶれたとも言えよう。
だが、ゼロは少しも気にすることなく、あっさりとそれを認める。

「そう。俺はただの“イレギュラー”だ」

気づくと、その顔は清々しい笑みすら浮かべている。

「“英雄”だとか言う呼び名は少々むず痒くてな。正直、そんなガラじゃないと思ってたんだよ」

自分の生まれた意味を振り返れば、そんな大それた称号を名乗り続けられるような身分ではないことを既に理解していた。「英雄」等と呼ばれる程、自身は輝かしい存在ではないのだと感じていた。
だからこそ「紅いイレギュラー」という呼び名は、非常にありがたいものだった。その名こそ、自身を形容するに最も相応しいものであると確信した。

「“イレギュラー”? ……結構じゃないか」

そしてまた、想う。この歪な世界のことを。
懸命に生きる罪のない者達が、その命を脅かされ、それでも尚生きようともがき続けている。しかしそれをこの“世界”は認めない。歯向かう者あれば反逆者と謗り、その生命は呆気無く砕かれる。

「――――こんな腐った世界の“異常”だってんなら……俺は光栄に思うぜ!」

理不尽と悲劇が繰り返されるこの世界に、歯向かおうとする自分は正にこの世界における“イレギュラー”に相応しいだろう。
そう吐き捨て、再び剣を手にスタグロフへ飛びかかる。「むふー」と鼻息を鳴らし、スタグロフは応戦する。

激しく飛び散る火花が、周囲を囲むエネルゲン水晶と砕ける氷の破片にひたすら反射し続け、凄まじい輝きが二人を彩り続けた。














  ―――― * * * ――――


「な……なにをしているんですか!?」

ペロケは血相を変えて叫ぶ。
「馬鹿な事はやめなさい」とモニター越しに呼びかけるが、アークは聞く耳を持たない。

「早く、空間転移装置を動かせ! じゃないと……じゃないと、本気で撃つぞ!」

ゴリッと少女レプリロイドの頭部に銃口を押し付け脅しの声をかける。人質となった少女の顔は恐怖に包まれている。それを見ている他の子ども達もひたすらに身を震わせてる。

「落ち着いてくださいっ! そ……そんなことしても、ゼロさんの許可無くアナタを外へ出すことは……」

「早くしろぉ!」

更に大声で怒鳴りつける。少女は耐え切れず叫び声を上げる。
ペロケは「分かりました」と慌てて空間転移装置を起動し、アークを外に出す準備をする。エレベーターが上がり始める寸前まで、アークが少女に銃を突き付け続けるのを確認し、ペロケはとうとう諦めて空間転移装置を作動させた。
エレベーターが上がり始めたのを確認すると、アークは少女をようやく解放した。悲しげな顔で「ごめん」と、申し訳なさそうに呟いたのを少女は確かに聞いていた。

上がり続けるエレベーターの隅に座り込み、自分の愚かしい行動を振り返っては、アークは強い罪悪感に苛まれていた。

――――あの子……セラよりも幼かったな……

耳元で聞こえた叫び声を思い返し、より一層、胸が痛くなる。
けれど、これ以上耐えることができなかった。ただ一人、指を咥えて待っていることなど出来なかった。
親しい彼女の顔を思い出す度にその想いは膨らみ、ついには衝動的に行動を起こしていた。

――――セラは……絶対に俺を待ってる……

膝を抱える腕に、より一層強い力が入る。

頭の中を巡るのはネオ・アルカディアにいた頃の思い出。――――ミズガルズのスラム街。共に暮らした時間。何度も助け合い、励ましあった。どんなに苦しくとも生き抜くことを誓い合った。

「セラは……俺が助けるんだ……」

ザラリと嫌な感覚を残す罪悪感を振り払うように、そう自分に言い聞かせる。

エレベーターが着くと、ゆっくりと立ち上がり、外へ出る。
その脳裏に一番強く焼き付いていたのは、初めて会った頃の二人――――無邪気に交わした、とても稚拙で、とても愚かな、たった一つの約束だった。
















 NEXT STAGE








         救い














[34283] 11th STAGE 「救い」
Name: 村岡凡斎◆45ff140f ID:697d6d9c
Date: 2012/10/30 23:26


  ――――   1   ――――


ミズガルズ――――ネオ・アルカディアの外周都市群の総称である。
そこに住むのは中心であるアースガルズの住民より比較的貧しい暮らしを強いられた貧困層である。最低限の生活保障は国家が約束し、実現してはいるが、職につけない者もいれば、提供される治療技術等の制限もあり、裕福なアースガルズよりも荒れた町ばかりとなっているのは明らかだ。
そして、ミズガルズの一画――――最も荒れた名もないスラム街に、その少年レプリロイドは細々と暮らしていた。
生活が荒めば心も荒む――――このスラム街と、ネオ・アルカディア首都メガロポリスやアースガルズ第二エリア中心都市ニューオリンピア等の様子を比較すれば、それは一目瞭然である。そして荒んだ心の遣りどころは、余すことなくレプリロイドへと注がれる。
少年は酷く疼く左脇腹の辺りをさする。ある家に忍び込み、レプリロイド用の加工食品を盗みだそうとしたのだが、家を出ようというその一歩手前で見つかってしまった。そして暴力を振るわれ、身体中が傷だらけになった。最も強い蹴りを入れられた左脇腹を抑えながら、なんとか逃げ延びることができた。

「ちくしょう……アイツら許さねえ……」

少年に暴力を奮ったのは、その人間に飼われていたレプリロイドたちだった。皆、人間の怒りやイレギュラー処分を恐れ、飼い主の言い成りになっているのだ。

「……意気地なし共……」

そう悪態をつく。少年は飼い主に反逆し、そのままこのスラム街に逃げ込み、なんとか生き延びていた。
あの日のことはまだ覚えている。ぶよぶよと太った醜い飼い主の男が油まみれの汚い顔を近づけ、少年の口に無理やり舌を押し込もうとしてきたのを、逆にその舌を噛みちぎってやったのだ。口いっぱいに広がる鉄の味に躊躇うこと無く、とっさに口を覆った男の腹に一発蹴りを入れ、そのまま逃げた。男の嗜好を凝らしたシチュエーションのおかげで、その部屋には自分と男以外に誰もいなかったことが幸いして、無事に逃げられたのだ。

「レプリロイドが……人間に怯えてどうすんだよ……」

実際的な能力ではレプリロイドの方が明らかに人間を上回っている。だというのに何故、他のレプリロイドたちは奴隷のような扱いを受け入れ、逆らわずにいるのだろうか。勿論、イレギュラー処分や処刑など、恐るべきものは他にもある。しかし、レプリロイド達が団結して立ち向かえば、この逆境を跳ね除けることも難しくないはずだ。
そんなことを思いながらも、現在の状況を振り返り、自嘲が漏れる。結局自分も人間に怯え、身を隠すようにこのスラム街で暮らしているのだ。他の者達をどうこう言う資格などなかった。

路地に入り込み、壁伝いに歩く。よろけた拍子に、傍にあった木材に躓く。すると積んであった木材はガランと大きな音を立てて転がってしまった。

「やべっ!」

思わず声に出す。人間に聞こえてしまうかもしれない。
すると、「だれかいるの?」という幼い少女の声が、寄りかかった壁の上方にある小窓から聞こえてくる。
少年は高鳴る心臓部のあたりを抑え、息を潜める。しかし、ふと気になって上方に目を遣ると、窓から顔を出した少女と目があってしまう。
しかし、少年は安堵した。その少女もまた、人間に飼われたレプリロイドだった。飼い主の趣味と思われる首輪がそれを如実に物語っている。

「だいじょうぶ?」

じっと見つめる青い瞳。サラリと流れた栗色の髪。少年の目に、それは強く焼き付いた。気づけば体温は上昇し、頬が紅潮していた。

「けがしてるの? ……まってて」

少年の傷を見ると、少女はそう言って窓の中へと顔を引っ込める。少年が言われるまま待っていると、少女は再び顔を出し、プラスチックの小さなケースを渡す。

「ぬるといいよ」

それは、レプリロイドの自己修復機能を補助する修復用ナノマシンを含んだクリームだった。言わば、レプリロイドの傷薬である。
少年は少しだけ躊躇ったが、身体中の傷にそれを塗りたくった。クリームを返そうと、もう一度見上げると、少女の顔は既にそこには見えなかった。中から、先ほどの少女とは違う男の声が聞こえたので、少年はそのままそこから立ち去った。




ようやく隠れ家に到着し、腰を落ち着けた少年の胸には少女への感謝の気持ちと、同時に憐れみの気持ちが湧いていた。

――――いい子なのにな……

瞳の奥にある空虚。まるでかつての自分を見るようだった。
少年、少女型レプリロイドの存在意義は大きく二つの側面に分けられる。人間の親が、子どもの遊び相手として飼う等といった側面。もう一つは、人間の性欲の捌け口としての側面。後者の需要はミズガルズ――――特にこのスラム街においては非常に大きい。人間よりも遥かに丈夫なことから、酷く乱暴に扱われることが多く、精神プログラムがそれを受容しきれず閉鎖、崩壊してしまう事も決して少なくない。『生活が荒めば心も荒む』――――まさにその象徴でもあった。

「………俺には……関係ねえよ」

自分に言い聞かせるように呟いてから、疲れ果てた体を横にして、瞼を閉じる。
そう、“関係ない”。自分が生きるだけでも精一杯なのだ。だからあの少女のことを憐れむ気持ちは、どうにもできやしない。どんなに少女の顔を思い返しても、その声と瞳を思い出しても、全て何の意味もなさない。

それでも胸の奥に燻り続ける気持ちが、彼を眠りに就かせてはくれなかった。




翌晩、傷が癒えたのを確認し、外へ出た。あの少女に会いたい気持ちが確かにあった。

――――傷薬を返すだけだ……

決して他意あってのことではない。用事があるから会いに行くだけだと、自分に言い聞かせる。
しばらく歩き、あの路地へと入る。そして少年は、昨日、少女が顔を出したあの小窓から中を覗いた。

しかし視界に飛び込んできた、世にもおぞましい光景に少年は絶句した。

五、六人程の人間の大人達が、たった一人の少女に欲望のまま乱暴を働いていた。少女は衣一つ着せられず、轡を噛まされ叫ぶことも許されず、ただ身体を揺らされている。人間の汚らしい体液が彼女を汚し、少女もまた擬似体液を虚しく垂れ流し、只管にその身体を弄ばれていた。――――そして、その少女こそ昨日出会った彼女だった。

しばらく思考が追いつかなかった。ようやく状況を理解すると、ぐるぐると何かドス黒いものが少年の中で渦巻き始めるのを感じた。そして快楽に浸る人間たちに囲まれる中、少女の瞳が絶望の色に包まれているのを確認した瞬間、何かが大きな音を立てて切れた。
気づけば少年は足元の木材を手に、壮絶な勢いで家の中へ押し入っていた。

その後はよく覚えていない。とにかく何か叫びながら木材を振り回し、その場にいる人間達を殴り飛ばした。そして少女の腕を掴み、脇目もふらずにスラム街を駆け回った。そして何処をどう通ったのか、それすらも分からないまま、自分の隠れ家に命からがら辿り着いた。
息を落ち着かせてから、少年はその辺にあった布で少女の体を綺麗に拭いた。そして、人間から盗んだ服を渡して着るように言った。少女はそれに黙って従い、服を着た。
それから訪れる沈黙。何から話せばいいのか分からなかった。そもそも、あんなことをしてしまって良かったのか。自分たちの状況を更に悪くしてしまっただけではないのかと、少年は思い始め、恐怖を感じ始めた。
そして、その沈黙はようやく破られる。少女のか細く、そして愛おしい声で。

「わたしは…セラ。……あなたは…?」

「……アーク」

少年は問われるまま名乗った。すると少女――――セラは「アーク」と彼の名を確かめるように呼ぶ。

「アーク……。ありがとう」

初めて見せるセラの微笑に、少年――――アークはいつかのように、頬が紅潮してゆくのを感じた。




それから二人の生活が始まった。
人間の家から物を盗んではその身を隠し、隠れ家でその日の収穫に二人で一喜一憂した。一緒に空を眺めたり、星を見たり、二人で散歩に出かけることもあった。
決して楽ではなかった。けれど、幸せだった。そんなささやかな生活が二人を包み続けた。優しい時間はみるみるうちに流れていった。

ある夜。隠れ家の屋根から星を眺めながら、アークは言った。

「ネオ・アルカディアを出よう」

突然の提案だった。

「……どこかいくあては…あるの?」

不安そうに言うセラに、アークは少し自信なさ気に、正直に答える。

「無い…。けど……外にはたくさんのレジスタンス組織があるって言うし……。それに、外に出ようっていうヤツらが結構集まってるって話もよく聞くし……」

恥ずかしげに答えるアークに、セラは思わず微笑む。そして、「いいよ」とあっさり同意した。

「アークがいっしょなら、わたしはどこでもいくよ」

見つめる瞳にはアークへの信頼が確かに強く輝いていた。あの時アークが助けてくれたから、今までもアークがいたから、だから自分はここまでこれたのだ。
そんなセラに、アークは固く約束する。

「…何処に行っても、どんな時でも……俺は絶対セラを護るよ」

その声は、揺るぎ無い意志が確かに感じられた。

「何が起きたって、俺はセラを助ける。絶対にセラだけは護り抜く――――」

「たとえこの命に代えても」と言いかけたところで、セラは人差し指をアークの口に当て「それ以上はだめ」と遮る。

「ふたりで生きぬくんだよ、アーク。ずっといっしょに、生きていこうよ」

自分よりも幼い少女が、その小さな口から発する力強い言葉に、アークは一瞬呆気に取られ、それから強く頷いた。


小さな胸に熱いものが込み上げてくるのを感じたあの夜の誓いを、生涯忘れはしないだろう。















 11th STAGE










        救い


























  ――――   2   ――――


レルピィが保持していたマップデータを元に出口を目指し駆け回っていたが、とうとう周囲をパンテオン達に囲まれ、道を塞がれる。三人は岩陰に身を隠し、何とか難を逃れる。

「くそ……ここからどうする!?」

「とにかくじっと耐えるの!今、ダーリンを呼ぶわ」

正面突破を図ろうかと身を乗り出そうとするロルフに、レルピィはそう言ってコアユニットからゼロへと通信を始める。セラは目を閉じ、祈るように両手を強く握り合わせていた。

――――アーク……

頭の中で呼ぶのは最も信頼し、大切に想っていた少年の名。きっと無事にいてくれること、再会できることを心から祈っていた。






鼻息と共に、両腕から氷の槍を発射する。ゼロはそれを華麗に斬り落とし、スタグロフへの懐へと潜り込むが、新たに生成された氷の槍がその勢いを削ぐ。また、それを防ぎきることができたとしても、両腕から殺気とも取れる違和感を感じ、再び距離をとってしまう。

――――あの冷気はヤバい……

両腕から先ほど放出されていた冷気の危険性に、そう直感していた。
ふと、耳元に通信が入る。

「ゴメン、ダーリン! 囲まれたっ!」

その慌てように、事態の深刻さが窺える。ゼロは「問題ない」と落ち着くよう言い聞かせる。

「よく連絡してくれた、今そっちへ行く」

「『そっち』って……“どっち”だぁ!?」

そう叫び、スタグロフが一気に間合いを詰める。しかし、ゼロは既に次の手を打っていた。
左腕に高速で蓄積されたエネルギーを、足元へと放出する。瞬間、地面が大きく崩れ、エネルギーの放出に合わせて岩盤が弾け飛んだ。
フラクロス戦におけるアースクラッシュの用途について事前情報を得ていたスタグロフは、そのエネルギーを感知すると、咄嗟に後ろへ飛び退いていた。そして光量に視覚が刺激されることと敵の追撃を警戒し、両腕から氷の盾を生成し眼前に構える。――――しかし、ゼロが再び飛び掛ってくる気配はない。

「むふー……あの野郎ぅ……」

一通りの衝撃が過ぎたところでゼロの姿を探す。しかし、既にあの紅いコートはどこにも見当たらなかった。どうやら取り逃がしてしまったらしい。

「むふー………逃げられると思うなよぉ…」

基地のデータサーバーを介し、パンテオンたちの視覚情報や監視カメラの映像にアクセスする。そして逃亡する二人とサイバーエルフ、それにゼロの位置を確認する。

「ここは俺の基地だぁ……俺様が一番良く知っているんだよぉ…むふー」

横の壁から隠し通路へと入り、ゼロよりも早く、あの二人を捕えるべく駆け出した。




レルピィの位置情報を頼りに、駆けるゼロの耳に、新たな通信が入る。ペロケからだったが、ひどく慌てていた。

「すいません、ゼロさん! ……アークさんが……」

「……っ! なんだと!?」

ペロケは手短に、アークが脅迫まがいの行動を起こし、空間転移装置を作動させ、スタグロフの基地へと乗り込んで行ったことを伝えた。思わず「ちっ」と一つ舌打ちをする。
「本当にごめんなさい」と深く謝るペロケに、「大丈夫だ」とわざとトーンを高くして答える。

「お前は何も悪くないさ。何とかしてみせる!」

そう言いながらも、新たに生まれた不安要素に、ゼロは焦りを感じずにはいられない。
そしてそれ以上に、少年の無謀な行動が悪い結果を生まなければ…とゼロはただひたすら願い、基地内をできる限りの速度で駆けるだけだった。

そんなゼロを足止めするように、パンテオン達が道を塞ぐ。

「お呼びじゃないんだよ!」

バスターを一斉に撃ち始めるパンテオンの群れの中心へと飛び込み、ゼットセイバーを構え、高速で回転する――――“円水斬”。その勢いに巻き込まれたパンテオン達は余すことなくズタズタに身体を引き裂かれてゆく。また、そうして生み出した隙を利用し、ゼットセイバーを左腕に素早く持ち替え、右腕にエネルギーを蓄積し、地面に打ち付け放出する。エネルギーは無数の光弾となって周囲へと飛び散る――――“落鳳破”。
忽ちの内に、周囲を囲み始めていたパンテオンやメカニロイド達はスクラップへと変えられてゆく。
その光景をリアルタイムで確認していたスタグロフはその戦闘力に感嘆すらしていた。

「流石だなぁ……紅いイレギュラー! しかしぃ…こいつらはどうだぁ!?」

ゼロが一際広い部屋へと足を踏み入れると、目前に五機の改良型ゴーレムが立ちはだかる。
口元が開き、冷気が漏れ出たかと思うとそこには巨大な氷の塊が生成され、ゼロ目掛けて発射される。咄嗟にゼロはゼットセイバーを構える。するとその刃は燃え盛る炎に包まれた。ゼロは一息で氷塊を破壊すると、炎の剣を手に飛び上がり、ゴーレムの頭部から足元まで、一直線に焼き切る――――“断地炎”。
他のゴーレム達は氷の槍をその両腕から飛ばすが、ゼロはそれらを鮮やかに掻い潜り、一気に足元へと潜り込むと炎の刃を上方へと向け、一気に飛び上がる――――“龍炎刃”。一機、また一機と持てる技を駆使して破壊し、五機のゴーレムを正に瞬殺してしまった。

『けれど、覚えておきなさい。私たちが追っている“あの男”――――“紅いイレギュラー”は今までのような手緩い相手ではないということを』

スタグロフはレヴィアタンの忠告を思い出す。確かにこの男の戦闘能力には計り知れないものがある。これをこのまま野放しにしていては危険極まりない。そしてまた、正面切ってぶつかり合ってはいけない相手だと理解した。

「むふー! 一刻も早くガキどもを捕えてやるぅ!」

それを盾に戦えば、絶対に勝てる。そう確信し、全速力で走り続けた。

ふと何者かが基地内へ侵入したことを感知した為、監視カメラの映像へ直ぐ様アクセスした。

「むふー……何だあのガキはぁ……」

見たこともない少年レプリロイドが基地内を駆け回っている。咄嗟に「紅いイレギュラーの仲間では」と勘付いたスタグロフはパンテオン達に警戒するよう呼びかける。
指令を受けたパンテオン達は、セラ達を取り囲みながらも、その少年の接近に備えることにした。


















  ―――― * * * ――――


基地内の煌びやかな輝きに目もくれず、アークはエネルギー銃を手に走り続ける。頭の中は、ただセラのことだけでいっぱいだった。

――――この基地の何処かに……セラが!

なんとしても自分の手で助けだすのだと強く誓い、走り続ける。
無謀であることは分かっている。ゼロに任せているだけでも上手く行ったのかもしれない。そんな風に思い、何度も足を止めてしまいそうになった。けれど、それでも彼女はきっと自分を待っているのだと信じて疑わなかった。――――そう思うことで、家族を失ったことへの悲しみに打ち拉がれそうになる自分を支えていたのかも知れない。

――――セラ…………セラ……!!

共に生き抜くことを誓い合った少女、誰よりも大切な彼女の顔を、瞳を、髪を、鼻を――――何度も思い出しては地を駆ける足に力が入ってゆく。疲労すら感じること無く、ただひたすら走り続ける。

――――俺が絶対に……!

膨らみ続けた気持ちは溢れ出し、己を奮起させるように、思わずその名を叫ぶ。

「 セ ラ ぁ ! !」

直ぐ近くまで迫っていた彼の反響する声に驚きながら、思わずセラは「アーク!」と彼の名を呼ぶ。ロルフやレルピィ、そしてパンテオン達もまた、その声の方へと視線を走らせる。
アークは微かに響いたセラの声を、確かにその耳で拾うことができた。そして、パンテオン達の姿を確認すると、エネルギー銃を前に向け、腹の底から叫びながらその引き金を引く。

「 う あ ぁ ぁ あ あ ぁ あ あ あ ぁ ぁ あ あ ――――!!」

警戒していたとは言え、突然の襲撃にパンテオン達は一瞬躊躇し、二機、三機とその頭部を撃ちぬかれる。慌ててバスターショットを放ち応戦すると、アークは咄嗟に身を庇うように地面を転がり、銃撃を掻い潜る。そして、セラたちの下へとあと一歩まで迫る。しかし――――

「アーク、駄目だ!」

ロルフの声にアークは、スタンスティックをその腕に装備し、飛び掛ってくるパンテオンの姿に気づく。避けるだけの余裕は何処にもない。
セラが悲鳴を上げる隙もないほどに、それは一瞬で訪れた――――








恐る恐る瞼を開くと、金の髪が鼻の辺りでくすぐったく揺れている。砕かれたと思ったその身体には、僅かな異常もない。

「馬鹿野郎……!」

そして耳に刺さるのは彼を叱咤する男の声。

「『仲間は必ず助けてやる』って言っただろう!」

「ごめん……なさい」

アークは思わず震える声で謝る。
高速で駆けつけたゼロは片腕でアークを抱き寄せ、ゼットセイバーを振るい、パンテオンの胴を断ち切っていた。
しかし、アークに向けられた攻撃は勿論、それだけではなかった。

「ダーリン!!」

レルピィが悲痛に叫ぶ。コートにより威力は大きく軽減されたが、ゼロの身体はパンテオンたちの集中砲火を浴び、その衝撃から内部へのダメージは無視できない。また脚部への一撃が、当たりどころが悪かったらしく、感覚が鈍ったことは否めない。

「喚くなよ、レルピィ……。全員、顔伏せてろ!」

ゼロは自分の背後にアークを降ろすと、ゼットセイバーを左腕に仕舞い、パンテオンの群れに向け両腕でアースクラッシュを解き放った。その破壊力は凄まじく、光りに包まれたパンテオン達は一瞬にして塵と化した。
この日何度目かの大技の行使に、ゼロは片膝を着いた。負担は大きく、疲労は隠せない。このような緊急事態でなければ、何度も使用すべきではないと改めて思った。
アークが、よろけるゼロの身体を支える。そして、尚も「ごめん」と謝り続ける。ゼロはその手を優しく振りほどく。

「言っただろ。……“命は一つしか無いんだ”。策もなく、敵陣に飛び込むんじゃない」

そう言って、頭をぐしゃぐしゃと掻き撫でると、アークは小さな声で「はい」と答えた。

「アー……ク?」

セラが、彼の名を確かめるように呼ぶ。「本当にそこにいるのはあなたなの?」と大きな瞳が問いかける。ゼロは、少し戸惑うアークの肩を、優しく叩いた。それに押されるように、アークの足は前に出る。

「セラ……!」

アークは問いに答えず、代わりに名前を呼びながら駆け寄り、その小さな体を抱き締めた。セラもまた、アークを抱き締める。一言も言葉を交わすことなく、二人は再会の喜びを噛み締めた。

「よかったねぇ……」

レルピィがゼロの傍で呟く。幼い二人の再会は、何処か感動的だった。
しかし、喜びに浸っている場合ではない。

「悪いが、続きは後にしろ。早くここを脱出しないと、スタグロフが――――……‥」

言いかけた瞬間だった。
ゼロ達の向かい側の壁が素早く開く。そして、氷の槍が一直線に撃ちだされた。――――隠し通路からスタグロフはここまで辿り着き、機会を窺っていたのだ。
その槍の矛先は、アークを確実に狙っている。

「むふー……! このクソガキがぁ!!」

気に入ったセラに対し親しげに接するアークへの、理不尽な怒りからだった。

「クソ…………ッ!」

斬り落とすべく駆け出そうとしたゼロだったが、脚部の故障が響き、地面を上手く蹴れず、そのまま倒れこむ。「避けろ」と叫ぶが、突然のことに二人は身動きが取れずにいた。
二人の目と鼻の先まで槍が近づく。ようやく状況を理解したアークは、セラを守るべくその身を盾にした。







ズブリと、生々しい音が響く――――……‥






誰もが言葉を失った。
氷の槍は、咄嗟に二人を突き飛ばしたロルフの胸を、深々と突き刺した。
まるで永遠にも思える一瞬だった。

吹き出る鮮血が、光り輝くエネルゲン水晶を紅く染め上げる。
何が起きたのか思考が追いつかなかった少年と少女は、数秒で事態を整理した後、彼の名を大声で叫んだ。

その声は洞窟の奥まで、悲しく反響を繰り返した。


























  ―――― * * * ――――


『あの二人はどうした?』

リーダーのバートがロルフに尋ねる。“あの二人”とは他でもない。このレジスタンス組織において最も幼い二人の少年、少女レプリロイド――――アークとセラのことだった。

『また二人で散歩だよ。全くいい気なもんさ』

ロルフは決して嫌味なく、笑いながら答えた。

『やれやれ……いつ敵さんに襲われるかも分からんってのにな』

そんな風に言いながらも、バートはそこまで気にしてはいなかった。ネオ・アルカディアを抜けてからの数年間、この隠れ家が襲撃されたことも、仲間を失ったことも一度たりともなかったからだ。勿論、レジスタンスと呼べるような行動を少しもとっていなかったことが幸いしているわけだが。
しかしその危険も、実際には足音を立てて忍び寄っていた。未だ現実味はなかったが。

『ロルフ……ブリザック・スタグロフのことを聞いたか?』

そう尋ねるバートに、ロルフは「勿論」と頷いた。
当然、あの凶悪なミュートスレプリロイドと、彼が率いる残忍な部隊の噂は耳にしていた。ここ数ヶ月で、付近のレジスタンス組織や、集落が幾つも襲われていた。

『正直、怖いよな。……うちは大丈夫だって信じたいが』

実際のところ、大丈夫だと思っていた。特に根拠があるわけではないが。
『なあ、ロルフ』とバートは、少しだけ深刻な表情で話を続ける。

『万が一、奴がここに来た時の話なんだが……他の連中とも話したんだ。その時はあの二人だけでも――――……‥』

『分かってる。アークとセラだけでも、必ず守ってやろうっていうんだろ。賛成するよ』

とても仲の良い二人の幼いレプリロイド。彼らがネオ・アルカディアでどんな扱いを受けてきたか、それは恐らくロルフ達の想像を絶するものであっただろうと思う。同様に奴隷的扱いを受けてきたとは言え、少年、少女型の彼らが受ける仕打ちは更に惨く、その精神年齢には些か以上に応えるものだと思われた。
それでも尚、二人は強く生きている。そんな二人の笑顔に、仕草に、心遣いに、存在自体に――――周囲の心はどれだけ救われて来ただろうか。思い返せばきりがない。だからこそ皆、思う。――――二人だけは、絶対に生き延びて欲しいと。幸せになってほしいと。

『ああ、何があっても。命に代えても、護ってやろう。――――俺たち大人が、さ』

僅かにはにかみながら、バートは言った。
“大人”――――実際の所、レプリロイドに年齢の差など関係はない。しかしそれでも、そんな風な言葉を使ってしまうのは、きっとここにいるのが皆、本物の“家族”だからだろう。
だからロルフもまた、その言葉を少しも気にせず、強く頷いた。



『命に代えても大切な家族を護る』――――そんな誓いが、きっと彼らにとって、最期の“救い”だったのかもしれない。


























  ――――   3   ――――


「 ロ ル フ さ ん っ !!」

その身を揺らし、アークが叫ぶ。しかし、答える声はない。その瞳もまた黒く沈み、光を失っていた。
ロルフは死んだ。呆気無く、たった一瞬で、その生命を散らした。
その傍で、アークは尚も彼の名を叫び、セラは呆然と座り込んでいた。

「クソッ!」

アークたちを守るようにゼロはスタグロフの前に立つ。脚部の傷が疼くが、痛覚回路の遮断は更に感覚が鈍ることを懸念し、実行しなかった。
疲労の色が見えるゼロの姿に、スタグロフはいやらしい笑みを浮かべ、その特徴的な鼻息を鳴らす。

「残念だったなぁ……むふー! ここでお終いだぜぇ……紅いイレギュラー!」

スタグロフは両腕を前に向ける。ゼロはそこから感じる最も強い殺気に、その場を離れようとした――――が、直ぐ後ろのアーク達を思い出し、踏みとどまる。そう、避けられない。
絶好のシチュエーションに、スタグロフは歓喜の笑い声を上げ、無情の冷気をゼロへと向けて放った。
瞬間、ゼロの身体を氷が包んでゆく。体温は急速に低下し、コートも、髪も固定され、足元から頭頂部までが、全て氷に覆われてしまった。ゼロは忽ち、ただの氷像となってしまった。
それに気づくと、アークは絶句し、次にゼロの名を叫ぶ。レルピィもまた、傍へ駆け寄り「ダーリン!」と何度も呼びかけ続ける。しかし、それに応じるものはいなかった。

スタグロフは、戦いに勝利したことを確信し、ゼロの氷像の脇を通り、二人のもとへと歩み寄る。

「むふー……こいつはレヴィアタン様への手土産にしてやらぁ……むふー…」

二人に視線を向ける。その奥に潜む悪意にセラは身を竦ませ、後退る。

「お嬢ちゃんは……むふー…むふー……俺様と一緒にイこうぜぇ?……むふー…」

下卑た笑い方に、セラは思わず叫び声を上げる。それを守るように、アークはスタグロフとの間に立ちはだかった。

「むふー……このクソガキぃ…」

「と…止まれ!」

そう叫び、震える手でエネルギー銃を構える。しかし、少しも覇気がないどころか、身体中から恐怖が伝わってくる。スタグロフはその様子に、またもや下卑た笑みを浮かべ、エネルギー銃を軽く弾き飛ばした。
だが、それでもアークはセラの前から退かなかった。尚も彼女を守り抜こうと、立ちはだかった。精一杯、心を奮い立たせ、睨みつける。しかし、スタグロフは高笑いをあげる。

「てめぇみたいなクソガキが、俺様に敵うと思ってんのかぁ! むふー! むふー! 貧弱小僧がぁ! むふー!」

興奮して鼻息が更に荒くなる。思わず「うるせえ! うるせえ!」とアークは叫び続ける。しかし、高笑いは続く。
アークは圧倒的な力の差に、絶望を感じずにはいられなかった。できることは、ただ子犬のように震えながら吠え続けることだけだった。
そして笑い声の中、スタグロフは右腕に氷の槍を生成し、腕を高く振り上げる。

「むふー! むふー! 終わりだぜぇ! クソガキぃ!!」

アークへとその槍を振り下ろす。何度目かの窮地に、アークも、セラもついに目を閉じる。
スタグロフは昂揚した気分のまま、完全勝利へと突き進む。



そんな気分の昂揚が、快楽への期待が、彼のセンサーが捉えた僅かな異常と、そこから起こった急激な変化を見落とす原因となり、仇となったのだ。



スタグロフがそれに気づき、視線を後ろに向けた時、既に紅蓮の刃が左下から右上へと斜めに胴を斬り上げていた。

「……馬鹿……なぁ……」

完全に氷漬けにしたはずだった。絶対零度の凍気を浴びせたのだ。その動力炉は完全に停止していたはずだ。何故、この男――――紅いイレギュラーはこうして、氷の牢獄を打ち破り、生きているのか。
そしてスタグロフのセンサーはその答えを見つけた。
白いショルダーアーマーと、コートに付着した焦げ跡。煙を吹き出す関節部。急速な体温上昇に対し行われる、排水作業による発汗作用。そして、異常な程の高熱を放つ左腕。

――――まさか……!?

氷漬けにされる寸前、ゼロは左腕のジェネレーターをフル稼働させ、アースクラッシュ一撃分に匹敵するエネルギーを急速に蓄積した。そしてそのエネルギーを一気に逆流させ、瞬間的に身体中から異常な程の高熱を発生させることで、ある程度の温度を確保することにより既の所で駆動系の停止を防いだ。それから瞬時に、ゼットセイバーのエネルギー変換機能を応用し、灼熱の炎を発生させ、内側から氷を溶かし、力尽くで砕き切った。
無論、絶対零度の凍気の中、アースクラッシュのエネルギー逆流から駆動系の完全停止を防ぐ程の高温を発生させること、そこから休む間もなくゼットセイバーに炎を発生させるというのは容易なことではないし、初めての試みだった。オーバーヒートによる身体への負担は計り知れないものがあった。しかし、ゼロは全てをこの策に賭け、結果、勝利をもぎ取ることができた。

「……おまえ…………な…kな…か…や…r……なぁ……」

死中に活を見出した強敵に、スタグロフは素直に己の敗北を認め、心からの賛辞を送る。そして、そのまま機能停止した。
あの五月蝿い鼻息は、ついに聞こえなくなった。

勝者となったゼロもまた勝利の余韻に浸る間もないままに、両膝を地面に着け、俯せに倒れこむ。
あまりの恐怖に腰を抜かしたアークとセラは、そこから一歩も動けずにいた。レルピィはゆっくりとゼロの傍へと近づき、その無事を確認すると安堵の溜息をついた。




夥しい量の血が流れ、数多の命が散り、ついには主を失くした要塞。
しかしその壁面はそれでも尚、眩しい輝きをひたすらに放ち続けていた。
























  ―――― * * * ――――


華やかな屋敷の裏に広がる草原に数十、数百といった数の石碑が並んでいた。どれも名が刻まれ、花が手向けられている。そこは、レプリロイドたちのための墓場だった。
その中央にそびえる、一際巨大な石碑へと一行は近づく。

「遺体を回収しきれなかった者たちは、この石碑で弔うことにしているんだよ」

イロンデルがアークに小声で教えてくれた。
「さあさ」とアンドリューに背を押され、アルエットが庭先で摘んだ花束をそこに手向ける。それを真似るようにして、今度は子ども達が、続いてセラが花束を手向けた。

「さて……それじゃあ、黙祷を捧げるかね…」

アンドリューの声に従い、皆、瞼を閉じ、多くの失われた命に黙祷を捧げた。僅かな時間だったが、それはとても永く感じられた。
どうか安らかに眠って欲しいと、アークとセラは仲間たちの顔を思い浮かべ、切に願った。



「私のせいです…ゼロさん」

ペロケが頭を下げる。しかし、それを見て、アークが「違う」と声を上げる。

「俺が悪かったんだ…。俺が馬鹿なことしたから……。俺のせいで……ロルフさんは……」

救えたはずの命が、救えなかった。それは皆の心に暗い影を落とした。
しかし、ゼロは少しも責めること無く、ただ二人の頭を優しく撫でた。

「ペロケも、アークも……誰が悪かったわけじゃない……」

ロルフの死を止めることはできたかもしれない。けれど、どちらにしろ止められなかったかもしれない。また、誰に責任があるかなどと言及したところで、彼が生き返るわけでも、彼の魂が救われるわけでもない。だから、誰が悪かったかなどというのを決めるのは虚しいことだ。

「それよりも……なあアーク、セラ」

二人の名を呼び、顔を見る。そして、目線を合わせるようにしゃがみ、二人の手を握る。

「ロルフが救ってくれたその命を、大切にしろ」

二人は強く頷いた。





『誰が悪かったわけじゃない』――――屋敷へと戻る途中、そんな自分の言葉に、ゼロは少し考える。
確かに、誰に責任があったわけじゃない。あの状況では、もう打つ手がなかった。しかし、考えてしまう。

――――本当にそうだったのか……?

可能性は何処にもなかったのか。ロルフの死は決まっていたのか。
もしかしたら他の“誰か”ならば、救うことができたのではないか。
自分ではない“誰か”だったならば――――……‥

そんな時、決まって“あいつ”のことを思い出す。

“あいつ”ならばどうにかする道を見つけたのではないかと思わずにはいられない。それどころか、あそこにいた全員を救う術を見出したかもしれない。


――――俺ではなく……“あいつ”だったなら……



くだらない妄想か、希望か、それとも未だ閉ざされたままの過去の記憶がそう思わせるのか。
理由はともかくとして、知らず知らずのうちに、握った拳に力が入っていた。


























  ―――― * * * ――――


「バカな……。本気で仰っているのですか!?」

特別通信室で、モニターに向かってクラフトは一人、憤りのままに問い返す。
するとモニターの中に座る元老院議長団の八名、その中心に構える元老院最高議長――――ヴィルヘルムが「無論だ」と少しも躊躇うこと無く答える。

「これは元老院議会での決定であるぞ。クラフトよ、直ちに命令を遂行せよ」

嘲笑を浮かべながら、元老院議長第四席――――マクシムスが顎の肉を揺らしてそう告げる。
「ですが!」とクラフトは猛抗議をする。

「それは我々の……“誇り”に関わります! 指令の撤回を! 閣下!!」

尚も嘲笑を浮かべるマクシムスには目もくれず、ヴィルヘルムへと声を上げる。
するとヴィルヘルムは一度だけ鼻で笑い、それから険しい表情でクラフトを睨みつける。

「貴様……第十七精鋭部隊の隊長でありながら、人間である我々の決定に逆らうというのか?」

「ぐっ」とクラフトは言葉に詰まる。

「くだらん“誇り”などの為に我々、人間に逆らうと言うのであれば、それ相応の処置を取るが……覚悟はできておろうな、クラフト?」

その脅迫まがいの言葉に、とうとうクラフトは片膝をつく。そしてただ一言、震える声で「承知しました」と指令の了解を伝えた。

「よろしい、それでは作戦に備えよ。健闘を祈っておる」

ヴィルヘルムがそう告げると、映像通信は一方的に打ち切られた。
後に残されたクラフトは、しばらくの沈黙の後、声にならない叫びを上げ、拳で床を殴りつける。憤りと、怒りと、抗い切れない自分の非力さを悔やむ気持ちがそこには現れていた。
そして、強い信念を持って自らの使命を全うしようと突き進む、勇ましい彼女のことを思い浮かべる。

――――ネージュ……

君は俺を信じてくれた。だから俺も自分を信じられた。――――しかし、今の俺はどうだ?
誇りを自ら踏みにじるような命令に逆らえず、片膝をつき、屈している。――――こんな俺を、それでも君は信じてくれるのか?

「俺は……何を信じてゆけばいい…?」




ポツリと呟いたその問いに、答えてくれる者は誰もいなかった。
























 NEXT STAGE










        ウラギリ



















[34283] 12th STAGE 「ウラギリ」
Name: 村岡凡斎◆45ff140f ID:697d6d9c
Date: 2012/10/30 23:26


  ―――― * * * ――――


ライドチェイサーのエンジンを切り、ヒラリと降りる。入り口に立っていた二体のパンテオンは、見慣れない彼の姿にバスターを構えるが、DNAデータの照合をすると、警戒を解き、内部の者に連絡をした。すると、一人のレプリロイドが扉を開けて現れ、「どうぞ、中へ」と彼を招き入れた。
そこで行われたのは入念なボディチェック。彼が味方であることは分かっていたが念のため、送られたデータ以外の武装を身に着けていないか調べているようだ。腕につけたコアユニットから、左腕に収納されたビームサーベルまでを確認すると、奥の部屋へと彼を通した。

白の団の基地とも同様、旧世紀の遺産であるこの岩山の奥に作られた基地はところどころ埃掛かっており、古臭さを感じさせる。それもその筈、つい先日までこの拠点は使用すらされていなかったのだから。

基地の最深部。とある一室の扉の前に辿りつくと、付き添って来た者は自身のDNAデータを照合し、モニター越しに、その部屋の主に確認を取る。すると、「入り給え」という声と共に扉のロックが解除され、横にスライドして開いた。付き添いの者はその場に留まり、彼だけを中へと入れる。
後頭部から腰まで伸びた金髪が完全に部屋に入ったことを確認すると、扉は閉められた。

彼は部屋の中を見渡す。
客人を饗す様に置かれた横長のソファー。小さな机の上には彼のために用意されたと思われるグラスが置かれていた。隅には小型のワインセラーが見える。
しかしそれらよりも、まず目についたのは正面の壁を覆う深海の風景。色とりどりの魚類達は、どれもゆらゆらとまるで本物のように泳いでいたが、よく目を凝らせば壁紙型の電子スクリーンであることが分かった。つまりは、そこの光景は虚像であった。

「……綺麗なものだろう?」

こちらに背を向けたままの肘掛け椅子に腰掛けていた、恐らくこの部屋の主と思われる男の声が、彼に問いかけた。

「ネオ・アルカディアに住む人間は本物の海を知らない。……いや、海だけではない。川も、林や森も、野原も、そこに咲き乱れる可憐な花ですら知らない。だからこうして、シュミレーターで再現した自然の風景を愛でる習慣が染み付いた」

海中に差し込む陽の光。揺れる海藻。優雅に泳ぐ魚たち、時折現れる軟体動物。そのどれもがまるで現実に存在する生物のように感じられた。

「しかしそれだけで満足し切れなかった人間は、人工の自然を生み出し街中を彩った。自らの周りに自然を欲し、そして手に入れた。――――だが、それでも海だけは未だに手に入れることができていない」

過去のツケ――――汚染された海水は人類にとって、そしてまた他の生物にとっても有害なものとなったため、遠ざけられた。それを再現するための試みは行われているが、そこに含まれた雄大さと生命の神秘性を完全に再現することは不可能であった。

「だから今でも、こうして空想の産物にしがみついているわけ…か」

彼が返した言葉に、男は「その通りだ」と答える。

「シュミレーターでの再現といえど、所詮は“空想”だ。単なる妄想と異なるのは、そこに理論的、科学的な裏付けと根拠、そして過去のデータが在るというだけだ。だが、ここに見えている色鮮やかな魚類たちのどれもが実在したかどうかは、本質的には決して証明し得ない。だからこれは結局“空想”止まりなのだ。――――しかし、それでも人間はそれを手放すことができない」

肘掛け椅子はくるりと回り、そこに座る男の目が彼を真っ直ぐに捉える。

「君は、それをどう思う?」

突然の問いに彼は一瞬だけ考えたが、殆ど間を置かず答えた。

「愚かだ。――――だが、それを俺たちは笑えない」

男はその答えに、満足気に微笑んだ。

「そうだ。……我々レプリロイドとて空想や妄想、或いは過去の栄光といった類のものに縋ろうとしてしまう事実を否定できない。だからそんな人間達を笑えはしないのだ。――――もし彼らを笑うのならば、私が君をこの場へ招待することは決して赦されないことだろう」

そう言って、椅子から立ち上がり、彼に近づく。そして右腕を差し出し、握手を求めた。

「ようこそ、“伝説の英雄”――――紅いイレギュラー、ゼロ。私がレプリロイド解放議会軍総司令官マゴテスだ」

ゼロは、そう自己紹介をする、痩せ型の体躯に、知的さを感じさせる切れ長の目をした男――――マゴテスを一度見つめると、差し出された手に従い握手に応じた。マゴテスは微笑みと共に「よろしく」と告げ、ソファーに腰掛けるよう促した。














 12th STAGE









        ウラギリ




















  ――――  1  ――――


「先日お知らせしたとおり、レプリロイド解放議会軍は塵炎軍団の襲撃を受け、壊滅状態に陥りました」

モニターからエルピスが説明をする。
塵炎軍団を率いる、闘将ファーブニルが直々に動き出したという報は白の団にも届いていた。彼が率いる部隊は、犠牲も厭わず力の限り進撃を行い、ついには解放議会軍の本拠地を陥落させたのだ。

「しかしマゴテス総司令は命からがら少数の部下と共に脱出し、万が一のために用意していた予備拠点へと移り、身を隠していたのです」

しばらく解放議会軍との連絡は途絶していたが、ちょうどゼロがスタグロフの拠点を襲撃する二日程前に通信が回復し、突然の救援要請を受けた。
「ルージュさん、説明を」とエルピスが横にいたルージュに促すと、ルージュは電子ボードを手に説明を始める。

「今日より三日後、ネオ・アルカディアに潜伏し諜報活動を行っていた解放議会軍メンバーから機密情報を携えたメカニロイドが基地へ向け放たれる手筈になっています。しかし、そのメンバーへは当然ながら本拠地壊滅の報は知らされておらず、つまりは、そのメカニロイドは敵が管理している本拠地跡に到着するわけです」

塵炎軍団の真っ只中にそのメカニロイドがただ一機辿り着けば、鹵獲されることは間違いない。そうなれば機密情報を逃すどころか、ネオ・アルカディアに潜入していた諜報員も危機に陥ってしまう。その事態は避けなければならない。

「そこでマゴテス総司令から直々に、白の団に所属しているゼロさんへ協力の申し入れを頂きました」

「つまり、俺にそのメカニロイドを回収しろと?」

ゼロの問いに、エルピスとルージュは頷く。
「勿論、あなた一人で……というわけではありません」とエルピスはゼロが不安に思うであろうことについて、問われるより先に説明をする。

「ゼロさんには一旦解放議会軍の予備拠点へと立ち寄って頂き、彼らが所持する改造パンテオン部隊を率いて、その回収へと向かって頂きたいのです」

解放議会軍は戦力の差を補うため敵のパンテオンを鹵獲し、その脳内データを改竄、改造し、自軍の戦力として扱っていた。
ゼロは複雑な表情を浮かべたが、頭を掻きながら「仕方ないな」と溜息をつく。

「これまで敵として自らの手で処理し続けてきた者たちと、戦場で轡を並べる事に抵抗感はあるのでしょうが理解していただければと思います」

「大丈夫、分かってるさ、団長殿。……これも仕事だ、了解したぜ」

「ありがとうございます。それでは早速、当日の作戦経過について予定をまとめさせてから送信しますので、それまではゆったり待っていてください」

「それでは」と言葉を残し、エルピスは映像通信を終えた。









「元イレギュラーハンター第二部隊隊長にして、現レプリロイド解放議会軍総司令官――――“裏切り”のマゴテス……ですか」

自身のコンピュータ内にある解放議会軍のデータを眺めながら、ペロケは眉をひそめる。

「別に……エルピスさんを非難するつもりはないんですけど………それでも、どうして彼のことをそこまで信用できるのか、私には疑問でならないんですよ」

レプリロイドによる議会の開催と、元老院へのレプリロイドの参加要求という大義を掲げてはいるが、ネオ・アルカディアにおける治安維持の核たるイレギュラーハンターの一部隊の隊長でありながら、その責任と信用を全て捨て去り、部隊ごとレジスタンスとしての活動を開始したその行動は第三者的に見て、確かにあまり好感の持てるものではない。
一度大きな裏切りを経験している以上、同様の行為に走る可能性は大いにありうるのだ。

「あの坊ちゃんも、信用しきってるわけじゃあ無い。もし腹の中から完全に信用してるんなら、基地の所在を今日まで隠し切る必要もないだろ」

ゼロの言葉通り白の団はその本拠地を、たとえ協力関係にある解放議会軍といえど、明かしてはいなかった。いや、それは白の団のみに限らない。ほとんどのレジスタンス組織が、自らの情報をそう容易く開示しないよう心がけている。
場合によっては他のレジスタンス組織がネオ・アルカディアとの“交渉”に用いる可能性もあるからだ。それによって過去に壊滅した組織が実際にいくつかあることを誰もが知っていた。
基地などの詳細情報の開示は、よほど信頼の置ける協力組織に対して、もしくは今の解放議会軍のように、絶体絶命の危機に陥った時に、初めて行われると言って良い。

「まあ……それもそうなんですけどね……」

ペロケは渋々納得しようとするが、それでも不満を隠せないようだった。それはエルピスにというより、マゴテスに対して向けられているのだということがゼロには手に取るように分かった。

「なに、心配すんなよ。万が一、ヤツらが腹に一物抱えていようとも、そう簡単にこの俺様はやられない」

自信あり気に微笑むゼロに、ペロケもようやく、「そうですね」と微笑む。
「それじゃ、作戦の準備もあるし、しばらく俺は休ませてもらうぜ」と、ゼロはその後の通信の対応などをペロケに任せ、彼に背を向け扉を開けた。――――と、その瞬間、「あ!」とペロケがなにか思い出した様に声を上げる。

「待ってください、ゼロさん!」

椅子から小さい体を乗り出し、一歩扉の外に出ていたゼロを引き止める。

「どうした、そんなに慌てて?」

「思い出したんですよ!」

そう言ってから颯爽と振り返りキーボードを叩くペロケに、「おいおい、何をだよ」とゼロは頭を掻きながら渋々出かけた足を引き返した。

「え~…っとですね……少々言い難いのですが…………この前、少し“遊ばせていただいていた”時のことです」

子どもが、自分の仕掛けたいたずらを親に暴露する時のような、どこか恥ずかし気で且つ誇らしそうな表情を浮かべる。「“遊び”ね」とゼロもまた何処か意地悪そうに笑う。
そうしてペロケはモニターに、先日気にかかったある情報を映し出す。ゼロは眉を潜めながら、その記録をじっと眺める。「ここに注目してください」とペロケは指で差し示す。言われるままその箇所を見つめ、ゼロは「ん?」と目を細める。

「……なるほど…こいつは…………」

ゼロは視線をモニターから離し、宙へと移す。そして、しばらく考えた後、ペロケの頭をわしわしと撫でた。

「とんだ“遊び”の副産物だな。……ペロケ、後のこと、頼めるか?」

笑みを浮かべながらも、真剣な眼差しでそう問われ、ペロケは直ぐに「勿論です」と強く頷いた。






























  ――――  2  ――――


「今になって何故、以前より活動していたベルサルクと私が、君と同時にSランクイレギュラーに認定されたか分かるか?」

そう言いながら、マゴテスはセラーからワインを一本一本手にとって品定めをする。

「体裁を保つためさ。元老院の…な」

ようやく一本を決めるとそれを手にし、予め手にしていたソムリエナイフと共に、テーブルへと持っていく。

「元老院の管轄であるイレギュラーハンターから、私のような謀反人を輩出してしまったことは、元老院にとっての失態だ。ベルサルクについても――――詳しいことは知らされていないが――――その責任は元老院の側にあると言われている」

ソファーに腰掛けると、ボトルのキャップシールをナイフで華麗に切り取る。手馴れた手つきだった。

「目の上のたんこぶを排撃するために、彼らは当然のことながら、国内の優秀な戦力を募るべく、Sランクイレギュラー認定を考慮した。しかし、そこで一つ問題があった」

ボトルの口を塞ぐコルクの丁度真ん中に、スクリューの先端を突き刺す。そして、回しながら奥へと刺し込んでゆく。

「四天王の存在だ。救世主直轄の戦力として生み出された彼らは、救世主からのみならず、国民からも厚い信頼を受け、いつの間にかある程度の権力と地位を獲得していた。それについて、殊に元老院議長団は快く想っていなかった」

そもそもの原因は命令系統の曖昧さにあった。国家の運営において元老院は救世主の次点と言って良い位置にある。そしてまた人間であることから、その言動に大抵のレプリロイドは抗うことができない。しかし、救世主エックスから直々の寵愛を受ける四天王だけは、元老院にとっても追及し難い存在であり、同時に負けられない競争相手でもあった。

「Sランクイレギュラー認定と、それに伴う部隊召集は最終的には国民からの了承を得なければ達成し得ない。しかしその為には自身の失態の詳細と、事後処理に苦戦している事実を克明に明かす必要がある。故に元老院は、彼らと比較されることを恐れ、そこまでの策に踏み切りはしなかった……がそこで、君――――紅いイレギュラーの登場だ」

紅いイレギュラーの活躍は、四天王の失態と言えた。その登場から、度重なるミュートスレプリロイドの損失、果ては大型輸送列車の損失まで、四天王は全て確認できていたにも関わらず、それらの暴挙を許してしまったのだ。
手応えから適度な所でスクリューを止め、片方の手でボトルを抑えて、コルクを引き抜き始める。

「その紅いイレギュラーをSランクイレギュラーに認定し、手駒であるイレギュラーハンターに処分させることが出来れば、四天王よりも優位に立てる。――――が、それをしてしまえば、今度は紅いイレギュラーの強大さを国民に知らしめてしまうことになる。故に、元老院は“目の上のたんこぶ”を活用することにした」

同時に三体のSランクイレギュラーを仕立てることで、それぞれの心理的影響を和らげることにしたのだ。結果、それは成功と言ってよかった。国内における世論では、Sランクレベルのイレギュラー三体の同時出現を八十年前の大反乱以来の国家危機とし、それに立ち向かう元老院と四天王を応援する声が大きくなっていた。
全ては元老院が、自身への非難を避けるためにとった、体裁保持の手段であった。そしてそれをマゴテスが愚かなことだと感じているのは、浮かべた嘲笑から分かった。

綺麗に、垂直に上がったコルクを、最後は手で優しく引き抜く。引き抜いたコルクとナイフを片付けると、マゴテスはボトルを傾けた。
トクトクと囁かな音を立て、二つのグラスに赤ワインが注がれる。そしてその内の一つを向かい側に腰掛けている英雄へと差し出す。

「任務中だ……などと無粋なことは言わんでくれたまえよ。命からがら運びだした貴重な残りを、是非君と酌み交わしたいと思っていたのだ。そしてその為に、作戦予定時刻より早く出向いてもらったのだからね」

そう言ってマゴテスは「この出会いに」とグラスを向ける。ゼロは黙ったまま、それに答えるようにしてグラスを向け、カチンと涼やかな音を鳴らした。
一口含んだところで、ゼロはあることに気づき、思わず口からグラスを離してまじまじと見つめてしまう。その様子に、マゴテスは満足そうに「流石だ」と微笑んだ。

「お察しの通り、これはレプリロイド用の特殊加工品などではない。正真正銘、人間たちが味わっている“本物”だ」

その微笑は、どこか嘲笑のようなものも含んでいた。

「確かにレプリロイドの内部構造への負担は、特殊加工品の方が遥かに低い。だが、我々は決して“本物”を飲むことができないわけではない」

そう言ってマゴテスもまた一口含むと、舌の上で転がすようにして味わい、静かに飲み込んだ。

「それは食品においても同様だ。肉汁の滴るステーキも、瑞々しさが溢れる野菜も、我々は人間と変わらずその味を楽しむ事ができる」

含まれる栄養分の内、エネルギーとして変換可能な物は余すことなく擬似消化器官において吸収される。そしてそれ以外の残滓は消化系ナノマシンによりミクロン単位まで分解された後、空気中に排出される。特殊加工品とは結局のところ、レプリロイドがエネルギー変換可能な栄養素のみに絞り、消化、排出の作業を潤滑に行えるような分解しやすい素材のみで構成された偽りの食品に他ならない。それで事足りてしまうのは、レプリロイドはエネルゲン水晶を利用したエネルギー炉を備えているため、食事によるエネルギー摂取を必要としないからだ。だが、それでも特殊加工品が存在するのは、食品に味覚的な娯楽としての存在価値を見出したからに他ならない。
レプリロイドの身体には、人間と変わらぬ生活を送ることを想定されてか、そう言った仕組みが備えられていた。そしてそれは、食事のみに限定されることではない。

「我々は多くの部分で……いや、我々の姿形、共通する基本的内部構造の八割は人間を模して作られていると言って良い」

眼球型のアイカメラ。聴覚センサーをカバーする耳殻。味覚センサーを備えた舌。音声発生を可能にする人工声帯。頭皮を覆う毛髪。身体中にエネルギーを運搬する擬似体液、それを内包する循環チューブ。人工筋肉。骨格。表皮――――……‥

「果ては、子を腹に宿すこともないというのに、擬似的に備えられた生殖器と、伴う性感帯を利用し、性的快楽を得ることまで我々には可能だ」

「馬鹿らしいことだが」と、マゴテスは鼻で笑う。

「凡そ人間が得られる快楽の類の殆どを我々は経験することが可能であり、同時に苦痛も感じることができる。――――しかし、これは今に始まったことではない」

レプリロイドという存在が誕生した時、既にそうした構造と機能は当然の事のように備えられていた。――――というより、その様にして人間、またはそれ以外の生物を模した形で作られた者こそが“レプリロイド”であった。

「……進化の袋小路に陥った人類は、自分たちをも含めた、地球上のあらゆる生物を模した機械を造ることで、新たな進化を求めた。――――それが俺たち、レプリロイドだ」

ゼロがポツリと呟くように言った言葉に、マゴテスはまたしても満足気に「そうだ」と頷く。

「生物を模して造られた存在。故に我々は“レプリロイド”。――――名前の由来については諸説あるが、とある山中より発見された我々のプロトタイプが、人間に酷似し過ぎていたために、その者自体の呼称として用いられたことが始まりであるという説が最も有力だ」

一息にグラスのワインを飲み干すと、マゴテスは新たに一杯注ぎ入れる。つられるようにしてゼロもまたグラスを空ける。マゴテスはそれを見とめると、ゼロのグラスにも新たに注ぎ入れた。

「生物の“レプリカ”。――――だが、我々は自分自身がそんな小さな器だけに収まる存在でないことを知っている」

グラスを揺らす。表面に照り返す仄かな灯りが水面の動揺と共に形を幾度も歪めてゆく。
尚も深海を再現し続けるシュミレーターの中。一匹の魚が、小魚の群れに口を開けて近づき、そのまま捕食するのをゼロは目の端で捉えた。

「これはわざわざ言葉を凝らす必要もないことだ。分かるだろう?――――人間の“レプリカ”として生まれた我々が、人間を遥かに超越した存在であるという紛れも無い事実は」

人工筋肉、骨格により生み出される力は人間のそれを遥かに上回り、人間にとっての重傷であろうと自己修復機能による回復が可能。痛覚や視覚、聴覚の操作による感覚ポテンシャルの意図的上下動。生存可能圏の許容範囲や耐久年数という名の寿命まで、あらゆる点において、人間を凌駕している。

「感情というプログラムによる個体差はあるにせよ、平均的な合理性、判断力、決断力、知識の運用など、知的活動においても我々レプリロイドの方が人間を上回っている。――――だと言うのに……」

マゴテスは湧き上がる憤りを鎮めるように、一息つく。そしてワインを一口だけ喉に流し込む。

「この世界を見給え……。何故、人間を超えた新たな“種”である我々レプリロイドが、人間に支配されるがままとなっているのだ?」

その声は、目の前にいるゼロへと向けられたが、問い自体は、何処かにいる他の誰かに向けたもののようだった。
ワインを口に含み、味を確かめ、流し込んだ後、ゼロは口を静かに開く。

「それがあんたの“理由”……か」

マゴテスは、今度は自嘲気味に「そうだ」と認めた。

「私は、レプリロイドが人間の下に甘んじている、この状況が許せなくなった。優れた者はその能力に見合う権利を得るべきだ」

「だからこその、レプリロイドによる議会の開催、そして元老院への参加要求……」

ネオ・アルカディアの頂点に君臨する救世主でさえ、その行動原理の中心は“人間”にある。

「だが、それなら何故、白の団と手を組む?」

「人間を淘汰したいわけではないからだ。人間より優れたレプリロイドが、人間未満の権利に収まることが許せないというだけで、私は何も人間全てを否定するつもりはない」

そう言って、マゴテスは柔らかく微笑む。

「君たちの行動原理の中心にいるDr.シエル。確かに彼女もまた人間ではある。だが、彼女はレプリロイドと共に歩むことを理想としているし、何より彼女自身、我々の側に近い存在と言って差支えがない。故に、問題はないのだよ」

『我々の側に近い存在』――――ゼロは、シエルが確かにレプリロイド同様、人間の手により“作り出された人間”であることをセルヴォから聞いていた。
ネオ・アルカディアの研究者たちによって、“未来のリーダー”足りうる存在として優秀な知能を持った人間を生み出すことは建国の頃より計画されていた。そして研究の末、完成された個体は決して多くなく、中でも優秀な頭脳を持って生み出されたシエルは、ネオ・アルカディアにとっても貴重な存在だったのだ。

「……成程ね」

そう言いながらも、ゼロは「だが」と口にする。

「確かにある程度の部分では人間を上回ってると言えるな。けれど、俺たちにだって、できないことはあるぜ?」

「ほう……それは?」

思わぬ反論に、マゴテスは興味深げに身を乗り出す。ゼロは少しだけもったいぶった後、その答えを教える。

「俺たちは、涙を流せない」

そう短く告げられた後、意味がよく理解できなかったのか、マゴテスは呆気に取られた。そしてようやく理解すると、小さく笑った。

「英雄ともあろう君が、そんな瑣末な事を口にするとはね」

「それは本当に『瑣末な事』と言えるか?」

どこか挑戦的なゼロの態度に、マゴテスは少しだけ「むっ」と眉を寄せる。

「確かに我々は涙を流せない。しかし、構造としては誰もがそれを可能としていることを、君も知っているだろう。だが、それでも感情的に流すことがないのは“流せない”のではなく“流さない”――――流す必要がないからだ」

「そういう風に結論づけられているのは俺も知っているさ。けどよ、それでも――――」

「フッ」と不敵に笑って、一旦グラスに口をつける。ワインの芳醇な香りが口いっぱいに広がる。

「それでも?」

勿体ぶるゼロに苛立ちを感じたのか、マゴテスは答えを急かす。その様子が可笑しかったのか、ゼロはニヤリと笑う。そして、グラスをテーブルの上に置き、マゴテスに顔を近づけ、囁くように答えた。

「それでも、あの救世主は涙を流すぜ?」

ネオ・アルカディアの頂点に君臨している救世主エックス。レプリロイドである筈の彼もまた「涙を流す」。
マゴテスもまたそれを噂としては聞いていたが、「たかが噂」とバカにしている節があった。だが、今彼が聞かされたのは単なる噂ではない。他でもない、その救世主の親友とも呼ばれた一人のレプリロイドがそう言ったのだ。
それを事実と認める以外に道はなかった。

「……“涙”がどれほどのもんなのか、俺にも明確には説明できない」

そう言いつつも、ゼロは言葉を続けた。

「だが、“できないことがある”って事実は見逃しちゃいけない。――――そしてそれが、あの救世主と、俺たちみたいに地べたを這いずり回る連中とを隔てている差であるということも…な」

「……成程、胸に留めておこう。しかし――――」

マゴテスは視線をシュミレーターに遣る。つられるようにして、ゼロもそちらを見る。

「私はいずれ、天を掴むよ。地べたを這いずり回り続けるのは趣味ではないからね」

例え虚像とは言え、鮮やかな色の魚が、そのしなやかな身体で優雅に泳ぐ様がその目にはとても印象深く焼き付いた。



「君との話――――特に“涙”についての論議は、もう少し続けたかったが……残念ながらそろそろ時間だ」

作戦時間が近づいていることをマゴテスが告げる。

「仕方ないな。俺もあんたとはもう少し話したかったぜ」

そう言ってゼロは名残惜しそうに苦笑する。すると、マゴテスはワインボトルを揺らし、微笑む。

「作戦成功後にでもまた語り合おう。――――生憎、ワインはまだ残っている」

「そいつは俺の仕事ぶりでも肴に味わってくれよ――――…っと、悪いが通信機器を借りていいか?」

「どうした?」とマゴテスがその意図を尋ねると、ゼロは少し言葉に迷ったように頬を掻く。そして、照れくさそうに少しはにかみながら答える。

「作戦前の、儀式みたいなもんさ」

























  ―――― * * * ――――


「……して、作戦は順調であるか?」

モニター越しに尋ねるヴィルヘルムに、醜い体を晒したままマクシムスはニタリと嫌らしい笑みを浮かべ自信満々に答える。

「報告によれば、既に八割方完了とのことでございます。あとは時が進めば、クラフトめが上手くやってくれましょう」

マクシムスは膝上に乗せた女性型レプリロイドの身体を片手で弄び、喘がせる。その様に若干の嫌悪感を顕しながら、ヴィルヘルムは冷たい目でマクシムスを見つめる。その眼には睨むような鋭さと凄みがあった。

「貴様の手駒……信用できるのであろうな?」

「勿論でございます。これまでも、奴が私の期待を裏切るようなことは決して無かったですからな」

そう言ってマクシムスはだらしなく垂れ下がった顎の肉を緊張感無く揺らして笑う。そして後ろから抱きついてくるもう一人の女性レプリロイドと口唇を強く重ねる。
どこまでも愚かしい様を恥ずかしげもなく晒すマクシムスをヴィルヘルムは更に凄みを持った眼で睨みつける。そして、殊更低い声で、告げる。

「分かっておろうが、万が一のことがあれば……貴様の身もただでは済まんぞ?」

その脅迫まがいの言葉に、マクシムスは重ねた唇も、弄ぶ指先も、全ての動きを一瞬止めた。

「問題はありませんとも」

そう自信あり気に答えたマクシムスだったが、その声は実際の所、ヴィルヘルムへの恐怖に震えていた。
ヴィルヘルムはそれに対し「フッ」と鼻で笑う。

「期待していよう」

そう言って、通信を終えた。




「くっ……老いぼれめが……」

先ほどのヴィルヘルムの顔を思い出し、冷や汗をかきながら、マクシムスは悪態をつく。

「あの狸といい……とっととくたばってしまえばいいものを……」

そう言って乱暴に二人のレプリロイドの体をまさぐる。すると二人は違わず艶かしい吐息と喘ぎ声を上げ、さらに快楽を求めるように、そのしなやかな肢体をマクシムスの身体に擦り寄せた。
元老院議長第四席――――元老院議長団の中でも高位の立場であり、次期最高議長就任も夢ではない。
今でも十分な暮らしと権力を手にしてはいるが、マクシムスの野望と欲望はそこで満ち足りることはなかった。
元老院最高議長の椅子に座り、さらに欲望と快楽に溺れた暮らしを手にすることこそが彼の目的だった。

「その為にもこの作戦、必ず成功させてもらうぞ……」

そう言いながら、自分の“手駒”のことを思い浮かべ、模造された偽りの乳房に顔を埋めた。





























  ――――  3  ――――


「承服できません!」

先日、ヴィルヘルムより告げられた作戦内容を、集合した各班長達に説明した直後、クラフトに返された第一声はそれだった。第六班班長シメオンからだった。
クラフトは眉間に手を当て、対応を考える。しばらく悩んだ後、「どうしても…か?」などと少しも捻りのない問い返ししか出来なかった。すると、シメオンは唇を噛み締める。

「……どうしてもです」

「隊長、私も同意見です」

今度は第十三班班長の女性レプリロイド、マイアが特有の冷たい声で言う。

「それは我々の――――特に、命を懸け己の使命を遂げようと、“奴ら”との戦いの中に散っていった同胞たちの“誇り”を汚す……。言うのは憚られますが、これは元老院からの、我々の忠義に対する裏切りに等しい」

彼女の言葉に溢れ返る憤りは、クラフトの胸に湧いたそれと大きく一致していた。それ故に、クラフトは言葉に迷った。

「……だが、これは元老院による決定だ…………」

口を衝いて出たのは、またしても、少しも気の利かない台詞だった。だが、クラフトが言えるのはそれだけだったのだ。

「……これに歯向かう権利は我々にはない。承服できずとも、呑み込め」

「ならば、隊長は納得できるのですか!?」

第八班班長マティアスは班長陣の並びから足を踏み出し、クラフトに詰め寄る。

「あの日、どれだけの仲間が命を散らしたか! 信じていた同胞に裏切られ! 志を汚され! そうして、いつか必ず討ち果たすべしと誓った相手を、ようやく処分できる機会にありついたというのに! 今度は、他の脅威を取り除くために、その裏切り者を許せと!? ……誇りを! 誓いを! 志を捻じ曲げろとそう言われ、隊長は納得できるのですかっ!?」

吠えるように、激情のままに言葉を続けるマティアス。他の班長たちも同じ想いであることは、明らかだった。クラフトは奥歯を「ギリッ」と噛み締め、答える。

「同胞の死は無駄ではない。……この作戦が成功すれば……人類の脅威が二つ取り除かれるのだ…。……そうすれば…命を散らした者たちも浮かばれよう…」

「バカな!!」

マティアスはそう言って、クラフトの襟元を掴み上げ、食い下がる。

「本気で言ってんのかよ、アンタ!? 『救世主の後継者』だなんて騒がれて、あの日の屈辱を忘れちまったのかよ!? ええ!? クラフトぉ!!」

その勢いに、ついに場が乱れる。同じようにクラフトに詰め寄る者、それを抑え込もうとする者、息を殺して必死で堪える者、様々だった。
押し合いの中、クラフトは拳に憤りを込め、擬似血液が滲むほど強く握り締める。同時に噛み締める奥歯は既に削れていた。

「何とか言いやがれ! クラフトぉ!」

何回目かのマティアスの罵言に、騒ぎ立てる十人ほどの班長陣に痺れを切らし、とうとうクラフトは一言、怒号を放った。

「 い い 加 減 に 聞 き 分 け ろ !!」

一瞬にしてその場は鎮まり返る。
それからクラフトは一度だけ溜め息をつくと、班長達に再び並ぶよう手で指示する。マティアスも含め皆引き下がった。そして、クラフトは自身を落ち着かせると静かに口を開く。

「マイア…俺達の使命は何だ?」

そう問われ、マイアは少し逡巡した後、答える。

「ネオ・アルカディアの治安維持、延いてはそれを脅かす脅威の排撃……」

「ハンター養成所の学習プログラムからやり直せ。……シメオン、お前は?」

マイアの回答を遮り、今度はシメオンに問いかける。しかし、シメオンもまた口ごもるばかりで答えられない。

「マティアス、お前はどうだ…?」

マティアスは「え……あ……」と、声を漏らす。答えを考えていたが、少しも分からなかった。
クラフトは他の班長の顔を見回す。しかし、誰も悩むばかりで答えにたどり着ける者はいそうにない。いや、もしその答えが浮かんでいたとしても、それを自信を持って答えられる者はいそうになかった。

「全員、国へ帰って学び直してこい、バカ者共が」

憤りと、怒りと、呆れを含ませ、クラフトは語気を強める。

「……俺たちの使命は、イレギュラーを処分することでも、己の誇りを守ることでも、復讐を果たすことでもない。“人間を守ること”だろう」

その言葉に、皆「はっ」と気付かされる。そしてクラフトは、今度は諭すように優しく言い聞かせる。

「お前たちが感じた、その怒り、憤り、悔しさ、苦悩……全て忘れろとは言わない。だが、自身がイレギュラーハンターである事実も、そして背負った使命も決して忘れるな」

そう言うクラフトの拳に血が滲んでいることに、誰もが気付いた。そして、それ以上は異議を唱えることが出来なかった。自分たちにとっては酷く理不尽なこの作戦に対し、悔しさを堪えているのはクラフトも同様だったのだ。
ふと、マティアスが小さく呟く。

「…………モーリッツが……親友が目の前で“奴ら”に殺されたのを、俺は未だに忘れられません」

親友が殺されたわけではないにせよ、同様の想いは、その場にいる誰もが抱いていた。
するとクラフトは、自分の左胸辺りを右手で握り締めるようにし、簡潔に言う。

「仕舞え。そして進め」

その言葉にマティアスは、力無く「はい」と答えた。
静まる部下の顔を見渡した後、クラフトは指示を与える。

「それではこれより十三時間後、明朝○六○○より作戦を開始する。出撃準備、掛かれ!」

「はっ」と皆、力強く答えその場を後にした。
一人残されたクラフトは叫びたい衝動をぐっとこらえ、自身もまた出撃準備に向かった。

























  ―――― * * * ――――


「作戦前の儀式……か」

シエルとゼロの遣り取りを見て、可笑しそうに笑うマゴテス。恥ずかしさを隠しきれないゼロは苦笑いを浮かべ、おどけて言う。

「まあな……心配性のお子様には、お出かけ前の挨拶はちゃんとしてやらないといかんのよ」

「成程な」

「クックッ」と尚もマゴテスは笑う。
そうこうしていると、オペレーターの一人がパンテオン部隊の準備が整ったことを告げた。作戦予定時刻はもうすぐだ。

「さて、そんなわけで俺は行かせてもらうぜ」

「ああ、すまない。よろしく頼む。私もここから君の活躍を拝見させてもらうよ。――――こいつを片手に…ね」

そう言って、先ほどのワインボトルを揺らして見せる。互いに笑いあう。
「それじゃ、またな」とゼロは扉の前で挨拶をする。マゴテスも「また後で」と声を返す。
閉まる扉、背を向け合う二人。――――互いに微笑みを浮かべていたが、その眼はどちらも笑っていなかった。















  ――――  4  ――――


「作戦、開始。健闘を祈ります」

いつもとは違う声に見送られ、ゼロはライドチェイサーのアクセルを絞る。数十機のパンテオンが同様にライドチェイサーを走らせ、彼の後ろに続いていた。
その様子を、大型モニター上のレーダーでマゴテスは確認する。ゼロの位置を示す赤い点が順調に所定のポイントへと走ってゆく様を、ほくそ笑みながら眺めた。

「全て滞り無く済みましたね」

副官のアシルは安堵の表情を浮かべるが、マゴテスは「まだ早い」と諌める。

「作戦は始まったばかりだよ。最後まで油断せずに…な」

しかし、口端を歪めた表情は自らの勝利を確信していることを如実に表わしていた。

「それよりどうだ? 君も一杯。祝杯と言うには早すぎるが、成功を祈願して乾杯といこうじゃないか。ちょうどグラスは二つある」

「頂きましょう」

素直にそのグラスを受け取り、ワインを注いでもらう。実際の所、マゴテスが自分のコレクションを他者に振る舞うなどというのはよっぽどのことがない限りはあり得なかった。つまりは英雄への敬意にも、この作戦の成功に対する感情にも偽りはなかった。

「……涙を流すレプリロイドがいたとして、君はどう思う?」

ふと、マゴテスが問いかける。

「涙……ですか…。――――それは、悲哀を表す感情的な涙のことでしょうか? それとも、アイカメラの洗浄等に関する機能的な涙のことでしょうか?」

「無論、前者だ」

アシルは鼻で笑い、躊躇無く答えた。

「欠陥ですな。レプリロイドとしては」

それを聞いて、マゴテスは「ハハッ」と軽く笑い声を上げる。

「私も同意見だよ。――――全く、馬鹿らしいことだ」

レプリロイドは涙を流さない。――――それは百年前の頃から既に存在している常識の筈だった。そしてそれは「レプリロイドには涙を流す必要がないから」という理由で結論づけられ、揺るぎ無い事実としてほぼ全ての者の頭に認知されていた。

「だが、紅いイレギュラーが言うには、ネオ・アルカディアの救世主は涙を流すらしい」

そう言いながら嘲笑を浮かべる。それは紅いイレギュラーと、救世主の二人に向けられたものだった。

「所詮はイレギュラーの戯言でしょうが……もしそれが事実なら、救世主は恐るるに足らずですな」

アシルもまた、嘲笑を浮かべる。
救世主と仰がれる存在が、無意味且つ、無価値な行動をするような欠陥品であるとは何とも馬鹿げた話である。そのような欠陥品に、レプリロイドのトップとも呼べる四天王も、人間の頂点でもある元老院も頭を垂れているというのだから、更に馬鹿げていると言って良い。

「この世界の頂点が、そのような欠陥品であると言うなら、私に越えられぬ壁ではない」

グラスを翳してそこに映る自身の姿を見つめる。

「その頂を、天に上りて見下してくれよう。――――これはその序曲だ」

オペレーターが、レーダーの反応から目的地到着までのカウントを始める。「十……九……」とカウントが進むに連れ、その場にいた者たちは固唾を飲み、作戦の成功を確信してゆく。そして、レーダー上で補足できているもう一つの集団の存在を確認すると、誰もが口端を歪めた。

「…五……四……」

勝利の時は近い。手にした盃が、祝杯へと変わってゆく。

「派手に踊ってくれ給えよ、紅いイレギュラー」

「二……一……零!」

レーダー上の赤い点が、五十を超える別の反応に接触した。
瞬間、場を包む沈黙。そこに流れる緊張感は、次に聞こえてくるだろう通信の一言まで緩むことはない。誰も、一言も発さず、ただその時を待った。










「…どういうことだ……マゴテス!?」










聞こえてきたその台詞は、マゴテスが予想したあらゆる反応の範疇であった。マゴテスはこの瞬間、高笑いを上げた――――筈だった。

「なん……だと……?」

しかし、聞こえてきた声の主はその台詞に対しては予想外の人物だった。

「『どういうことだ』とは……どういうことだ…クラフト!?」

音声通信を入れてきた第十七精鋭部隊長クラフトに、マゴテスは慌てて問い返す。アシルも含め、その場にいた者たちは戸惑うばかりだった。
クラフトは冷静に辺りを見渡し、静かに状況を教える。

「……ここに紅いイレギュラーはいない。いるのは貴様のパンテオン部隊だけだ」

「 バ カ な !!」

マゴテスは慌てて身を乗り出す。ワインが溢れるのも構わず、レーダーを確認する。しかし、そこにはしっかりとゼロの存在が示されていた。自らのパンテオン部隊と、第十七精鋭部隊により囲まれる、紅いイレギュラーの存在が。

「貴様! この私を謀ろうというのか!?」

「その言葉、そっくり返すぞ。――――紅いイレギュラーの身柄と交換に、貴様のネオ・アルカディアへの復帰許可と一定の報奨を与える協定だった筈。それを違えるとはどういうつもりだ?」

叱咤するクラフトの声に、マゴテスはたじろぐ。そして、オペレーター達に状況を解析するよう必死の形相で指示を出した。オペレーター陣も、訳が分からないまま、状況を整理しようとキーボードを叩き始める。
しかし、モニター上には間違いなく紅いイレギュラーの存在が確認されている。データにも異常は見当たらない。だが、クラフトの様子からその言葉は嘘でないだろうことがわかった。それ故に、マゴテスたちの混乱はただ拡大する一方だった。

「これは……紅いイレギュラーの仕業では…?」

マイアがそう進言する。
戸惑っているのはイレギュラーハンター達も同様だった。そして、おそらくマイアの言うとおり、紅いイレギュラーが何かトリックを用いてマゴテス達を出しぬいたのだろう。となれば、早急に紅いイレギュラーを捜索すべきだ。
しかし、クラフトは人差し指で、マイアに何も言わぬよう促した。そして、マゴテスへの通信を続ける。

「協定を破棄するというつもりならば…マゴテス、ただでは済まんぞ」

「待て! クラフト、待ってくれ!!」

叫ぶように訴える。

「違う! 我々にはそんな意志はない! 考えても見ろ、これ以上貴様らと争った所で、瀕死の我々に勝ち目はないことくらい分かる! それなのにどうして――――…‥」

「信用できんな、貴様の言葉は」

クラフトはその一言で一蹴する。
確かに、マゴテス達の僅かな戦力で、精鋭のハンター達に敵うはずもない。しかし、裏切り者のマゴテスの言葉こそ、そう簡単に信用すべきものではない。――――と言うより、信用する気はなかった。

「これ以上、貴様がその身大事にくだらぬ言い訳を続けるというのならば、俺達はイレギュラーとして処分させてもらうが、どうだ!?」

「待て!! 待ってくれっ!! ――――そうだ!」

尚も訴え続ける。そして激しい混乱の中、マゴテスは自らを守るために最後の切り札を切る事を決意する。それは紛れも無い、“ジョーカー”だった。

「いいことを教えてやる! クラフト! ……我々が謀反を企てたその裏についてだ! 聞きたくないか!?」

そう問われしばしの思考の後、クラフトは「ほう」と興味深げな声を出す。横でその様子を見ていた隊員たちは固唾を飲んで見守っていた。

「聞かせてみろ」

そう言われ、マゴテスは全てを暴露する。

「マクシムスだ……奴が唆したのだ! ネオ・アルカディアを外側から変革する力の中心となるよう、奴が我々を唆し、離反を提案した! その後も奴は外に情報を流し続けた! 我々だけではない! 他にも多くのレジスタンス組織に流し続けている! 奴こそが諸悪の根源であり、元凶だ! ――――我々は奴に踊らされているに過ぎん!」

「なるほど……」と、クラフトは納得したように呟く。
マゴテスはその声に、一瞬安堵した。しかし、いつもの冷静さが保てていれば、このような失敗は冒さなかっただろう。それは早計だった。

「今の証言は記録したな?」

確認するクラフトに「バッチリです」とシメオンが不敵に笑いながら答える。他の隊員たちも笑みを浮かべながら頷く。
その遣り取りに、マゴテスは唖然とする。クラフトは素早く指示を出す。

「オペレーターに通達。先程の通信記録を公安委員会にデータ送信。逆賊の名は元老院議員マクシムス。その身柄拘束を進言。また、ヴィルヘルム卿に直ちに伝えろ、『協定は破棄された』」

そして、全隊員に告げる。

「交渉の決裂により、協定は破棄。これよりレプリロイド解放議会軍の掃討を開始する!」

力強く、右腕を前に出し、突撃の合図を示す。

「Sランクイレギュラー、裏切り者マゴテスを処分せよ! 総員、突撃!! ――――先鋒は第八、十三班! マイア、マティアス、任せたぞ!」

「「了解!」」

クラフトの命令を合図に、十七精鋭部隊の選抜チームは一斉にパンテオン部隊へと襲いかかる。そして、解放議会軍の予備拠点へと向け、駆け出した。
次々にロストしてゆくパンテオンたちの反応に、解放議会軍の混乱はピークに達した。

「クラフト……貴様!! ……キ サ マ は ぁ !!」

混乱と怒りの入り交じった激しい感情を顕に、マゴテスは吠える。

「キサマはどうしていつも私の邪魔をする! キサマさえいなければ! キサマさえ存在しなければ私こそがハンターのトップだった!! 私以上に優秀な者はいなかった! いや、キサマですら私には及ばないというのに! それなのに――――」

普段の冷静さのかけらもなく、マゴテスは取り乱したまま恨みつらみを吐露してゆく。

「何故だ!? なぜ、キサマがそこにいる!? 第十七精鋭部隊長などに、どうしてキサマがなった!? なぜ私がこんなところにいる!? なぜこんなところで敗れねばならん!? ……答えろ!! 答 え ろ ク ラ フ ト ぉ !!」

「それが分からぬから、貴様はそこにいるのだ。マゴテス」

かつての同胞の名を呼び、唯一言でその答えを告げた。
十七部隊の進軍に恐れをなし、部下たちは次々に裏口より退避をしようと一目散に駆けてゆく。懸命に引きずって行こうとするアシルの腕に構わず、マゴテスは「チクショウ、チクショウ」と頭を掻き毟る。そこにかつての智将の姿はなかった。
誰に気付かれること無く、溢れたワインが血のように広がってゆく。マゴテスとアシルの手からいつの間にか投げ出されたグラスと、ワインボトルの残骸がその上に虚しく散らばっていた。

ふと、怪しい影を見つけ、シメオンがクラフトを呼ぶ。

「あれは……」

そこにはライドチェイサーを駆り、高速で去りゆく紅いコートの背中が見えた。
クラフトはそれを僅かに眺めた後、「フッ」と笑ってシメオンに言った。

「我々は何も見ていない。マゴテスの処理に夢中で…な」

シメオンはニヤリと笑って、「はっ」と答えた。

――――この借りはいずれ返すぞ、紅いイレギュラー

クラフトは心のなかでそう誓い、マゴテスの首を討ち取るべく、駆け出した。


















  ――――  5  ――――


「目には目を、歯には歯を……裏切りには裏切りを…ってな」

ゼロは笑いながらそう呟く。

「いやはや……しかしあそこまでハンターさん達がやってくれるとは思わなかったぜ。おかげでパンテオン共に攻撃指令を出す手間が省けたな、ペロケ」

「私もあそこまでうまくいくとは思いませんでした」

そう言いながら、ペロケも自身の仕事ぶりに満足いったのか、通信機の向こう側で嬉しそうに笑う。

ペロケがネットサーフィンに興じ、政府のデータサーバーなどにハッキングを仕掛けて情報を暇つぶしに閲覧していた所、ある通信回線に対しここ数日――――白の団が解放議会軍からの要請を受ける前日まで――――暗号通信が頻繁に行われていた履歴を発見した。そして、その暗号はイレギュラーハンターが用いるものと同種でありながら、外部からのアクセスであることをペロケは不審に感じていたのだ。
慎重な調査の結果、暗号通信の主が解放議会軍であること、そしてゼロが議会軍の要請を受け出撃する同日に、イレギュラーハンターが何かしら特別な作戦を展開するところまでを解明することができた。そして、今回の企みを予想できたのである。

「まさか元老院のプライベート回線にあんな暗号通信をしているとは……。確かに、プライベート回線の閲覧が御法度中の御法度だと言え、ハッキリ言ってやることが杜撰だと思いますよ」

ペロケはあっさりと指摘してのける。

「流石、稀代のハッカー様。情報戦の雄として名高い解放議会軍を『杜撰』と言ってのけるとは。元情報局御用達の腕は伊達じゃないな」

「おかげで国を追い出されたんですけどね」

嫌味を込めて褒めちぎるゼロに、ペロケはバツが悪そうに苦笑いをする。
しかし、確かに切羽詰まった解放議会軍が杜撰な策を巡らしたとは言え、ハンターが用いる暗号通信からその発信源を突き止めたこと、そして何より、白の団との通信を利用しサイバーエルフによるクラッキングで解放議会軍コンピューターを操作し、レーダーの表示やパンテオン部隊の思考を改竄して且つ、その痕跡をほんの僅かも残さず消し去るその腕は賞賛に値した。

「しかし、シエルさんたちには教えたんですか? 今回の、私たちの作戦……」

少し心配そうに尋ねるペロケに、ゼロは「いや、まだだ」と答える。

「あまり綺麗なやり方じゃないからな。小娘たちには成功するまで話さないでおこうと思ってたのさ」

「ということは……何も知らないで協力した形になっていたのですね……」

ペロケが特製のサイバーエルフを解放議会軍のメインサーバーに潜り込ませたのは、ゼロがシエルと通信を交わしたちょうどその時だった。マゴテスも白の団のお人好しさは理解していたため、その通信を許可し、その為に侵入を許してしまったのだ。
だが、ペロケは少し複雑な気分だった。まるで何も知らない純粋な少女を騙して利用していたことに、少なからず罪悪感を感じてしまう。それが分かったのか、ゼロは「お前が気にするなよ」と声をかける。

「指示したのは俺だぜ? ……それに、ここで俺がくたばっていれば、そんなもんじゃ済まなかったんだからな。お前は大手柄さ」

「はい」と、ペロケはそれでも少し躊躇いながら、答えた。

「さぁて、さっさと帰って祝勝会だな! レルピィ、速度上げてくれ」

「ダーリン……あたし、今回の出番これだけ~?」

ライドチェイサーの先頭部にあるコアユニットから、項垂れたような声でレルピィが不満を漏らす。解放議会軍基地内で軽率な動きをさせないため、ゼロはレルピィにしばらく黙っているように指示していた。

「そう、不満気な声を出すなよ。こんなくたびれる作戦の後で俺を癒やせんのは、お前の運転操作くらいなんだからさ。仲良くツーリングと洒落込もうぜ?」

「もー! 口ばっかりいい調子で! そんな事言われて嬉しくないわけ無いでしょーがー!」

怒っているのか喜んでいるのか、いまいち分からない反応のまま、レルピィはライドチェイサーの速度を上げた。


























        突然の爆音が空を割る。
























「レルピィ!?」

咄嗟にライドチェイサーから飛び降りて、ゼロはその名を叫ぶ。
なんとか直撃は避けたが、乗り捨てられたライドチェイサーは岩にぶつかり損傷してしまう。――――が、幸いにもコアユニットは無事なようだ。

「ゼロさん! どうしましたか!?」

通信を介して聞こえてきた爆音に、慌ててペロケが安否を確認する。

「攻撃を受けたらしい……が…敵は――――……‥っ!?」

「流石だぜぇ……紅いイレギュラー……」

猛々しい笑いと共に、不意打ちの初撃を避けたゼロへ、その男は賛辞を贈る。

「あんな一撃でくたばってちゃぁ、闘い甲斐も無ぇからなぁ」

両腕に持つのは巨大な二本のランチャー。二回りほど大きなショルダーアーマーと、はだけた胸元の作りこまれた肉体が目に留まる。

「お前は……」

ゼロは、突然現れたその男に対し戦闘の構えを取る。その男については白の団のデータベースで既に眼を通していた。

「なあよぉ……紅いイレギュラー。この日が来るのを俺は楽しみにしてたんだぜぇ? ……簡単におっ死んでくれんなよなぁ…」

ニヤリと不敵な笑みを浮かべ、炎のように逆立つ髪がその激しい闘争本能を象徴していた。

「俺 様 と 闘 え ぇ !  紅 い イ レ ギ ュ ラ ぁ あ あ ぁ !」

そう叫ぶと共に、現れた男――――闘将ファーブニルは、脇目もふらずにゼロへと襲いかかった。























 NEXT STAGE










         闘将



























[34283] 13th STAGE 「闘将」
Name: 村岡凡斎◆45ff140f ID:697d6d9c
Date: 2012/10/30 23:27


  ――――   1   ――――


自分で言うのも難だが、俺を作った野郎はかなりイカレた奴だと思う。

救世主の守護者として受注をされながら、そいつが翳した設計思想は「救世主を超える戦闘能力を持った純戦闘用レプリロイド」とかいうふざけたもんだ。
四天王計画のために支給された研究、開発にかかる諸経費をテメエの好き勝手に使いまくりやがって。
おかげで身体は筋肉隆々、この頭ん中は「闘い」に関すること以外全部そっちのけで、俺自身までぶっ飛んだ脳みその持ち主になっちまった。

けれど、別に恨んじゃいねえし、憎んでもいねえ。

何故ならそのおかげで、俺はこんなクソみたいな世界の中でも、そこそこハッピーな頭で生きることができてる。
巷にゃビクビク人間どもに怯えながら暮らしてる哀れな臆病者共だっているってぇのに、俺様はそんなもん少しも怖くねぇ。

何故なら俺は強いからだ。

同じようにして生まれてきた、堅物なガキや、陰険野郎とやり合ったって負ける気はしねえ。てか、絶対に勝つ。


……あぁ? あの阿婆擦れ?
あいつとは闘うイメージねえからな。ベッドの上ならヒィヒィ言わせてやる自信はあるけどよ。


まあ、言いてえのは、
俺の脳みそは自分で分かるくらい相当イカレてるってことと、誰よりも強ぇってこと。

それこそ上でふんぞり返ってる“救世主さまさま”よりもな。……いや、実際にそれだけは口が裂けても言えねえんだけどよ。



けれど世の中ってやつは残酷で、こんなに素敵な俺様の耳には少しも美味そうな話が、それこそ、欠片も入ってこなかった。
件のガキは前線に出張りやがって、陰険野郎は裏でこそこそ好き放題。阿婆擦れは……まあ、いろいろ大変みてぇだけど……全部“お仕事”で片すような奴だから、どうでもいい。
で、なんで俺だけ後ろで構えながら人形共に指図して戦争しなきゃいけねえんだよと。

いやまあ、俺様の優秀さに目をかけて、それなりの大軍団を拵えてくれたってのは悪くねぇよ? でも、その指揮に徹して「動くな」言われて、納得できるような行儀の良いオツムじゃねえのよ。

さっきも言ったように、俺は『イカレてる』からな。

ぶん殴る相手がいなけりゃ拳のやりどころに困るし、怒鳴り散らそうが直ぐにビビッちまうような連中ばかりじゃ張り合いがねえ。じゃあ、大人しくしてろって言われてもさっきから言うように俺の性分的には絶対無理。
そんなこんなでここんところはストレスが溜まりまくって、仕方がねえ。
そろそろ俺様にだって美味いもんを口にするチャンスが巡ってきたっていい筈だろ? 血が滾るような肉汁たっぷりの厚切りステーキがよ。
それがダメだって言うんなら、美人で巨乳のネエちゃんを百人ぐらい連れてこい。あの元老院のクソデブみてえに毎日乱交パーティーでも催してハッスルしまくってやらあ。


――――つっても、そんなくだらないもんじゃ、俺の狂った心は満たされねえ。


じゃあ、どうすれば満たされるか?
簡単だ。


闘いてえ


どんな相手でも構わねえ。三秒でおっ死ぬような干物野郎でも構わねえ。その三秒間で“絶頂”が味わえるならそれで十分よ。

――――とか何とか言っても、やっぱり俺は「それじゃ足らねぇんだろうな」……って思う。

つまりよ。
つまみや前菜だけバクバク食い続けたって、やっぱり誰も満足できやしねぇよな…ってことよ。その辺から毟った貧相な菜っ葉だけだったら尚更さ。

やっぱり欲しいのは“厚切りステーキ”。

簡単にゃ噛みちぎれないような分厚い奴がいい。「熱ぃ!」とか「固ぇ!」とか「食いにく!」とか散々文句を喚きながらも、いざ口に入れてみると嘘みたいに溶けやがって、「生きててよかったぁ!」って思えるくらいメチャクチャ美味ぇ、そんなステーキ。
そんなメインディッシュがいつか目の前に出されねえかと、夢見ながら、涎を垂らして待ち続けてきたわけよ。生まれてからの十年間ずっとさ。

それで結局そんなもんは一回だって現れちゃくれなかった。

この十年間、ずっとだ。

どれだけ望もうが、願おうが、そいつは一度だって香りすら漂わせてくれなかった。
だから俺は正直半分諦めてた。「ああ、もう俺はそんな美味いもんにはありつけねぇんだろうな」ってよ。後ろの方でふんぞり返って、顎でパシリ共を使い回して、全部が終わった日にゃ夕日に向かって「クソッタレコンチクショウ!」とか叫んで俺の一生って奴はお終いなんだろうなって覚悟してた。





しかし、そいつが今になって突然現れた。

十年待ち続けても現れなかったもんが、ようやく出てきやがった。勿論、最初はハズレじゃねえかと、流石にちょっとだけ慎重になったぜ?当たり前だろ、今までがそんなんだったんだからよ。
けれどそいつが“本物”だって分かった時、俺の涎は止まらなかった。おっ勃ったもんは少しも収まらねえし、その味を何度も想像しては軽くイッちまいそうになった。

そしてとうとう俺は我慢ができなくなった。

収まらねえもんを抱えて、みっともない涎も垂れ流したまんまで、俺はナイフとフォークを手に、食卓に突っ込んだ。
もしもこいつで火傷を負うなら俺は本望だ。

なにせ十年も待ち続けたんだからよ……この瞬間を。

けれどまあ、一つだけ間違いねぇことがある。

火傷は負うかもしれねぇ、






だけど、俺は絶対に負けねえ







それだけは揺らぐことの無い事実だ。



だから叫ぶぜ。俺を突き動かすイカレた心のままに――――……‥









「俺 様 と 闘 え ぇ !  紅 い イ レ ギ ュ ラ ぁ あ あ ぁ !」



























    俺は闘将、ファーブニル






    闘うために生まれた、力の化身
























 13th STAGE









       闘将




























  ――――   2   ――――


右のランチャーの先端部がワニの顎のように大きく開き、身体を捉えようとしてくる。その攻撃を咄嗟に躱し、ゼロは左腕から一息にゼットセイバーを引き抜き、大きく斬りつけた。それをファーブニルは、ギリギリのところで地を蹴り、後方へと飛び退くことで躱す。

「へへっ……やるじゃぁねえか」

そう嬉しそうに言うと、舌舐めずりをする。まるで目の前に極上の肉料理でも見えるのかという程、その眼は輝いていた。

「とんだご挨拶だな……闘将さんよ」

臨戦態勢に入りながら、ゼロも口を開く。
自ら出撃し解放議会軍の本拠地を壊滅させたという話は聞いていたが、このようなところで出会してしまうとは思っていなかった。

「悪ぃ、悪ぃ。一応、試させてもらったわけよ。あんなもんでやられちまうような雑魚じゃあ困るからよ。まあ、俺の眼に狂いはなかったわけだが」

「いいのかよ、軍団の大将さんがこんなところに出張ってきてさ?」

痛いところを突かれ、ファーブニルは苦笑いをする。

「それな、実際やべえんだよ。俺様の軍団が一番デカイからよ。端まで気を配れるようにとかで、『後ろで指示出せ』ってハル公や元老院のジジイ共から言われてたワケ」

“ハル公”とは四天王のリーダー格である賢将、ハルピュイアのことだろう。

「けどよ、テメエの活躍聞いてたら居ても立ってもいられなくなっちまってよ。とりあえず手始めにマゴテスの野郎をぶっ潰してやろうと思ったわけさ。まあ予想通り、あの卑怯者は尻尾巻いて逃げやがったんだけどよ」

「そもそも、何故マゴテス如きがSランクイレギュラーと認定されたのか分からない」という風に、ファーブニルは肩をすくめる。どうやら彼にとって一軍を率いる智将というだけでは評価に値しなかったらしい。
同時に、隠密部隊である斬影軍団にすら行方が分からない程、息を潜め、身を隠しているベルサルクについても全く興味がないようだった。

「で、ちょいと愉快なパーチーが催されるって聞いてよ……なら俺様も参加させてもらおうかなぁと思ったら――――案の定、テメエが出てきてくれたのよ」

ニヤリと笑いながら、右腕のランチャーでゼロを指し示す。
無論、第十七精鋭部隊が作戦を展開するという事実以外の詳細――――マゴテスとマクシムスの謀略など――――は全く周知されていなかった。それでも「何かある」と感じて足を運び、ゼロを見つけたことを「案の定」と言い切ってしまう辺り、戦いに対する嗅覚は流石という外ない。
それ故に、ゼロにとってはこの軽い調子の男がとても危険に感じられた。

「……ってことは上の指示を無視してきたんだろ? ……早く帰らないとヤバいんじゃないかい?」

「ご心配ありがとよぉ。……けど、もうたぶん遅いぜぇ。テメエを殺そうが、捕まえようが、軍団ほっぽり出して単独で出張っちまった以上、謹慎処分どころじゃ済まねえだろうなぁ」

自身の責任と、それを放り出した事への処罰の程度が分からないほど馬鹿ではないらしい。しかし、そんなことよりゼロが引っかかったのは、ファーブニルが「負ける可能性」について言及しないことである。「殺す」か、「捕まえる」――――どれも自分の勝利を固く信じているが故の言葉だった。

「だからよ……もう後には退けねえんだよなぁ」

そう言った瞬間、空気が変わる。ファーブニルの全身を、激しい闘気が包んでゆくのが分かる。
それを感じると、ゼロもまた、この闘いが避けては通れないものであることを確信した。

「なあ、紅いイレギュラーよぉ……俺はテメエと会うのが初めてな気がしねぇんだよ……」

それについてはゼロも同意見だった。「初めてではない」どころか、この数分の遣り取りだけで、とても親しい相手であるような気すらしていた。出会い方が違っていれば背中を預けあえる戦友となっていたのかもしれない。
しかしそれもその筈で、決して偶然からでは無い。何故なら四天王たちのDNAデータとそれに伴う精神プログラムは、ゼロにとってかつての友であった救世主の物を参考としていたのだから。

「だからよぉ、分かるんだよな……。こうして間近で会うと、ビンビンによ。テメエがどれだけ強ぇのか。テメエにはどれだけの力を出していいのか。俺様の持てる力をどれだけぶつけていいのか……がよ」

実際の所、その感覚は四天王全てが感じ得るだろうものではなかった。戦闘に特化して誕生したファーブニルだけが持ちあわせる抜群の戦闘センス、戦士としての嗅覚がその感覚を助けていた。

「だからよぉ……嬉しいぜぇ。テメエがこうして現れてくれたことがよぉ」

両のグリップを握りこみ、トリガーに指をかける。

「俺は、できればお前とはこんなタイミングで会いたくはなかったけどな」

そう本音を言いながらゼロもまた、ファーブニルから視線を、文字通り一ミリも逸らさないまま、ゼットセイバーの柄を握り締める。

「ハハッ……人生ってやつはいつだって突然の出来事ばかりで溢れてるんだぜぇ……この命だって、いつ何がきっかけで燃え尽きちまうか分からねえし、この世界だって明日にはないかもしれないんだぜぇ? だからよぉ……」

二つのランチャーをゼロへと向ける。ゼロも両足に力を込める。





「――――この一瞬を遊び倒そうぜぇえぇええぇっ!!」





咆哮とともに銃口から、炎弾が絶え間なく放たれ始めた。

「オラオラオラオラオラ………オラオラオラオラァァアァァアァ!! ヒャーーーーーーーーッハッハッハッハッハァァアァァアァ!!」

狂ったように笑い声を上げ、炎弾を撃ち続ける。地表に着弾した炎弾は爆炎を放ち、砂埃を巻き上げる。視界を覆うほどの砂塵に気にも留めず、ファーブニルは狂ったようにトリガーを引き続ける。
そして、後方より振り下ろされる緑の閃光。今までの相手であれば、例え最も苦戦を強いられたあの黒豹であろうと絶対に捉えられるであろう、そう言う一太刀をゼロは放った。――――筈だった。

「……ッ!?」

どこに眼をつけていたのか。どうやって察知したというのか。砂埃に紛れたゼロの一撃に対し、ファーブニルは身を翻し、右腕のランチャーから炎を刃のように吹き出してその一太刀を防ぐ。そして左のランチャーがまたしてもゼロの身体を捉えようと口を開けて襲いかかる。
ゼロは万が一に備え、僅かに貯めていた左腕のエネルギーを放った。小さな爆発に身を任せ、後方へと飛び退く。そのエネルギー波がファーブニルのはだけた胸元に浅くも確かな傷を与える。

「ハハッ! クソッ、痛ぇっ! ヒャハハハ! 痛ぇッ!」

そう言いながら顔はとびきり嬉しそうに笑っていた。まるで親からプレゼントを受け取る子供のように。
二つのランチャーの銃口を合わせ、エネルギーをチャージする。その危険性を察知して、ゼロも左腕にエネルギーを貯める。

「痛ぇッ! 痛ぇぜぇ! 紅いイレギュラーよぉぉぉぉおおぉぉぉおお!!」

ゼロの身体すら包みこむ程、巨大な炎弾を発射する。咄嗟にアースクラッシュを放ち、応戦した。

炎弾とエネルギー波の衝突。そしてそれらが同時に弾ける光と爆音は、視覚、聴覚センサーに一瞬のノイズを挟ませる。――――そして気付いた瞬間、ファーブニルはその場にいなかった。

「ヒャァーーーーーーーッホォォオォ!!」

奇声とも取れる叫び声が頭上から聞こえてくる。見上げると、丁度真上に、ファーブニルの姿が見えた。南中した太陽の光線をその背に受けながら。ランチャーをゼロへと向けている

瞬間、ゼロはその戦闘センスに驚愕した。

間違いなく、ファーブニルのセンサーにも影響はあった筈である。その影響は、例えゼロほど優れたレプリロイドに対しても相手の動作予測を鈍らせ、自身の次の戦闘行動を決定するのに一瞬の躊躇を与える程大きいものだった。
しかし、ファーブニルのその行動には躊躇いがなかった。視覚、聴覚の狂いなど物ともせず、地を蹴り、敵の頭上に舞い上がった。――――そう、“視覚の狂いがあるにも関わらず、丁度真上に、ランチャーをゼロへと狙い定めて舞い上がった”のだ。

「弾けちまいなぁぁぁぁあああぁあぁ!!」

そして二門のランチャーから放たれる炎弾。それはまるで滝のように降り注ぐ。



立ち上る爆炎と、巻き上がる砂埃に、再びゼロの姿は見えなくなった。



























  ―――― * * * ――――


「『破壊衝動プログラムのネットワーク媒介注入計画』……ね」

埃一つ見当たらない無菌室のような会議室にてソファーに座りながら、戦略研究所第三研究室主任ベンハミンより手渡された書類に目を通すと、レヴィアタンはその名を口にしてため息をつく。

「はい。計画の概要はこちらです」

ベンハミンはニタニタといやらしい笑みを浮かべながらレヴィアタンの直ぐ側に寄り、計画書を指でなぞりながら説明を始める。

前線に投入された、メカニロイドやパンテオン以外の兵に、ネットワークを介して「破壊衝動プログラム」を注入する。
その効力は、戦闘時における破壊衝動の増大、思考、感情の一時的短絡化による戦闘レスポンスの引き上げである。つまりは、戦闘において無駄な感情を切り捨て、対象を効率的な破壊マシーンにすることをその目的としていた。
そのプログラムを初期段階より導入するよりも、実戦経験を積み、複数の戦術、戦略パターンをその身を持って実践してきた者に導入した方が効力が高まること、また、プログラムを一度の注入だけで導入しようとすると精神プログラムの拒絶反応を引き起こす可能性があることから、定期的且つ段階的にネットから注入することが適切であるとされた。

「よくもまあ、こんな下衆なこと思いつくわね」

嫌味を込めて言ったつもりだったが、ベンハミンは嬉しそうに笑っている。

「私の計算によればこのプログラムを活用することで、ただでさえ強力なミュートスレプリロイドや、あなた方四天王ですら、今より三割近くの戦力向上が望めます」

「……私は遠慮させていただくけどね」

嫌悪感を顔中に纏ったまま、そう吐き捨てる。ベンハミンは「そう仰らずに」と尚も笑う。

「それ程的はずれな考えではないはずですよ。――――例えば闘将様。あの方の戦闘センスは、それこそエックス様すら凌駕する程だと聞いています。このプログラムとは異なっておりますが、戦闘衝動に特化したが故の結果でしょう? だとすれば、このプログラムを用いれば同様の効力が望めるかと――――……‥」

「ファブが無駄な感情を持ち合わせない戦闘マシーンだとでも?」

言葉を遮り、そう素早く切り返すレヴィアタンの目は鋭利な刃物のような冷たい輝きを放っていた。
その恐ろしさに、慌ててベンハミンは取り繕う。

「いやいや! そこまでは言っていませんよ!? ――――似たような例というか……なんというか……」

レヴィアタンは鼻で笑った後、「やれやれ」とため息をつく。

「とにかく、私としてはこの計画には賛同できないわ」

「そう言わずに」と、腰を低くしてベンハミンは宥める。

「既にミュートスレプリロイドを用いた評価試験をボレアス山脈の研究所にて実践中であります。一度、その眼で確かめてから判断してください」

「…………分かった、査察日程を組んだら連絡するから」

引き下がる気配がないベンハミンに嫌気が差したのか、レヴィアタンはそう言って書類を返却し、怒ったようにソファーから立ち上がった。

「あ、妖将様……今度、ディナーでもしながら今後の研究方針を――――……‥」

「悪いけど、口臭の臭う男と食事したくないの。美味しくなくなるから」

呆れながらそう断り、慌てて口臭を確かめるベンハミンを尻目に、「バァイ」と軽い挨拶をして会議室を後にした。
レプリロイドの口臭が臭うわけがないのは、言うまでもない。






自室に戻り、マントを脱ぎ捨てる。ヒールを脱ぎ捨てて、ベッドに腰掛け、細長い足を組み、窓の外に目を遣る。

「……“ファーブニル”……身体が硬い鱗に覆われ、鋭い爪と牙を持ち、口からは毒の息を吐くドラゴン……」

しかし、その正体は魔法を使えた小人のドゥエルグ、その三人兄弟の一人だった。
財宝のために父を手にかけ、兄まで殺し、ドラゴンの姿に変身し、財宝を独り占めしようとした。いずれ勇者に、その腹を貫かれ息絶える運命だとも知らずに。

「別に……正直言って、私は財宝なんか欲しくないわ」

“それ”を賭けた競争を提案したのは確かだが、自身がその使命に縛られたくないがための虚言だった。
臆しているわけではないし、怖気付いたわけでもない。ただ、“縛られ”たくなかった。自身の存在を。
とは言え、自分はこの場所から飛び出す事もできないし、背負った過去を振り切れる程早く歩くこともできない。結局、彼女は束縛から逃れることはできない。しかし、それ故に新たな束縛を受けたくはない。――――そんな囁かな反抗だった。

「……だから、独り占めしたければ好きになさい」

優しく微笑み、そう呟く。誰に向けるでもなく。

時々、ひどく羨ましく感じる。そうやって衝動のままに飛び出せるだけの素直さが。
自分は決して持ち合わせていないものだったから。

けれど――――

「……そう言えば、翼はなかったわね」

自室の窓から青い空を見上げ、そう呟く。

誰もがそうだ。真に空へと羽ばたける翼など無い。いや、翼を持った者たちでさえも特有の問題を抱えている。――――完全な自由など何処にもないのだ。
つまりは、勝手気ままにやっているように見える彼でさえ、きっと彼なりの“何か”を抱え、抗い、闘いながら生きているのだろう。


仲間として、友として、兄弟として……――――それを認めてあげたいと、心の底から思った。






















――――   3   ――――


着地したファーブニルの眼前で、巻き上げられた砂埃が落ち着いてゆく。晴れた視界の中、最も鮮明に映ったのは、真紅のコートと流れる金髪。あれだけの攻勢の中、紅いイレギュラーは無事にその身を保っていた。
いったいどうやって防いだのかと、手にしたゼットセイバーを見る。するとその刀身が水を纏っていた。

「なるほどぉ…。そいつで身を守ったわけだ……流石だぜぇ」

エネルギーを水へと変換し、攻勢が止むまで頭上に放出し続けた。炎弾に対し、流水で対抗したのだ。

「馬鹿みたいにバカスカ撃ちやがって……」

ゼロは舌打ちをしながら、そう吐き捨てる。咄嗟の判断でなんとか遣り過ごすことができたが、非常に危険な状況だった。万が一の事態を覚悟せざるを得ないほどに。

「ハハッ! 仕方ねえだろ? “ソドム”も、“ゴモラ”も、今まで退屈で仕方なかったんだぜぇ? 叫びたくて叫びたくてよぉ……血が滾ってんだよぉ」

そう言ってランチャーを示す。右腕の「ソドム」、左腕の「ゴモラ」――――二丁一組の、ファーブニル自慢の専用マルチプルランチャーである。
そして再びそれらにエネルギーを蓄積してゆく。ゼロは、それを阻止すべく斬りつけるか、それともどの様な攻撃が繰り出されるのか警戒すべきか、躊躇ってしまう。

「もっと……! もっともっともっと! もぉおおぉぉおっと叫びてぇとよぉぉおおぉぉおお!!」

そして戦術を決めかねるゼロに構わず、そう叫びながらソドムとゴモラを振りかざすと、大地に向けて銃口を一息で突き刺し、エネルギーを放つ。
刹那、大地は大きく揺さぶられ、地表は砕かれ、その隙間から火柱が次々と立ち上った。

「なんつぅ……出鱈目な!」

ゼロはそう悪態をつき、火柱の間スレスレを掻い潜りながら、ファーブニルの元へと駆けてゆく。ギリギリで躱した火柱に、僅かに触れた髪が焼け焦げる匂いが鼻につく。

「黙ってろ!」

ゼットセイバーに水を纏わせ、足を踏み込み、突きの構えを取る。その瞬間、ファーブニルは地面に突き立てたソドムとゴモラを傾け、自分とゼロとの間に炎の壁を噴き上げる。

「ままよ!」と、炎に触れない程度のところで踏み込む足を止め、水の刃による高速の突き――――水烈閃を繰り出す。その刀身は炎の真ん中をファーブニル目掛けて突き抜ける。しかし、手応えはなかった。

「……いいぜぇ…いい動きだぜぇ…紅いイレギュラー…」

炎により遮られた視界の中、頬に掠ったとは言え、既の所でゼロの一撃を躱した。その反応速度に、またもゼロに寒気が走る。

「だがよぉ……それじゃあ俺には勝てやしねえぞぉおぉおぉ!」

自分で作りだした炎の壁を突き破り、伸ばした右腕。ソドムの顎がゼロへと喰らいついた。

「んなろっ!」

「弾けとベェ!!」

挟んだ身体をそのまま軽々と持ち上げ、頭上にかざす。そして、天へとめがけ、炎弾と共に撃ち上げた。
ゼロは直前に、挟まれた腹部へと水のエネルギーを走らせダメージをカバーする。が、その爆風で上空に投げ出されてしまう。そして、身体の自由が効かないままゴモラの口が自分へと向けられているのを察知する。

「さぁ! さぁ!  さ あ ! どぉうするよぉぉ!?」

そして三度の炎弾連射。ゼロは咄嗟に脚部の緊急加速装置を作動させ、地面に向け飛び込むようにして回避する。その勢いのまま、二、三度転がり、ファーブニルの立ち位置を確認。すると、こちらへと飛び掛ってくる姿が目に映った。

「う ぉ お お お ぉ お ぉ ぉ お お ぉ ぉ !!」

咆哮とともに、炎を口から吹き出したままのソドムを振り抜く。ゼロはそれを咄嗟に躱し、ゼットセイバーを力いっぱい振り下ろす。ファーブニルは、それを感知したのか、直ぐ様地を蹴りその場から飛び退く。しかし、ゼロの刃から発せられた衝撃波がその身体を捉えた。弾き飛ばされ、地面を転がる。
それでも体勢を立て直したその顔からは、笑みが絶えない。むしろ、その顔はさらに嬉々と輝いている。

「ヒョォオ! すげえ! すげえぜ紅いイレギュラー!! なんつぅ攻撃だ!!」

渾身の一振りにより、射程は短いが高威力のエネルギー衝撃波を刃から発生させる「波断撃」。その衝撃波に当てられても尚、ファーブニルは少しも怯まない。
だが、ここまでの遣り取りからそれすら予想し、ゼロは既に次の攻撃、高速接近攻撃「疾風牙」を繰り出す。しかし――――

「ぬ ぅ ぅ ぉ お ぉ お ぉ お !?」

刃を振り抜こうとした右腕目掛けて、ゴモラの口が振り下ろされる。疾風牙で斬りつけようとしてきたゼロに対し、それに向かって飛び込むことで応戦したのだ。ゼロは瞬時に右腕を止め、地を蹴る。ゴモラの攻撃を躱せたが、無理な体勢から加速装置の照準を乱したことで、地面に身体が叩きつけられる。

「あぁらよっとぉ!!」

ファーブニルがソドムを地面に向けて打ち付ける。するとその衝撃波が大地を伝ってゼロの身体を捉え、またしてもその場から弾き飛ばされる。だがゼロは素早く立ち上がり、次に繰り出されるファーブニルの追い打ちに対し身構える。案の定、ファーブニルは地を蹴り、ゴモラでゼロに食らいつこうと飛びかかってきた。
ゼロはそれに対し、防御の構えを取る。が、ファーブニルは何を感じたのか、瞬時に距離を取った。

「危ねぇ……嫌な感じがしやがるぜぇその構え…」

ファーブニルの直感は正しかった。敵の攻撃の勢いを上乗せするカウンター攻撃「獄門剣」。ゼロの構えはまさしくそれだった。だが勿論、この技をファーブニルに対し見せつけたことはないし、そもそも他の戦闘においても扱ったことがなかった。つまりは、自分の直感だけでこの技の危険性を察知し、予防線を引いたのだ。

――――こいつは……危険過ぎる……

これまでの攻防を振り返り、ゼロがファーブニルに対して下した評価はそれだった。
その攻撃行動は煩雑としか言い様のないものであったが、その欠点を補って余りある驚異的な直感力、刃物のように研ぎ澄まされた戦闘センス、そして自身に向けられた脅威に対する嗅覚――――どれもが一流を超えていた。
獄門剣を構えた瞬間、ゼロはその効力を百二十パーセント発揮するべく、意図して闘志を最小限に抑えたつもりだった。しかし、それすらも見ぬいてしまうほど、ファーブニルの感覚は飛び抜けていた。
このような相手から勝利をもぎ取るには、生半可な方法では不可能である。

――――そう……生半可なやり方じゃダメだ

そのために必要なのは、リスクを冒す精神力――――“度胸”というやつだ。

ゼロは覚悟を決めると、セイバーを構え直す。そこから煌々と感じられる闘気が、威圧感が、ファーブニルの心を大きく揺さぶった。

「おぉ!? おお!? おお! おお! おおぉぉおお!!」

子供のように目をキラキラと輝かせ、その様を嬉しそうに見つめ、驚きの声を上げる。

「まだ来んのか!? まだ出せんのか!? ――――いいぜぇ!! いいぜぇ、紅いイレギュラー!! メチャクチャいい!!」

そして、ソドムとゴモラを構える。

「それじゃぁよぉ……ガチンコ勝負と行こうやぁ!!」

そう言うと、叫び声を上げながらゼロへと駆け出す。それに対し、ゼロもまた、地を蹴り飛び込んだ。
ソドムを前方に向け、トリガーを引き、炎弾を乱射する。ゼロはその攻勢を掻い潜り、巻き上げられる砂埃の中、ファーブニルの懐へと潜り込む。それも、ゴモラを構える左側へと――――……‥
その瞬間、ゼロの捨て身の攻撃を察知した。が、ファーブニルはあえてそれをそのまま受けることにした。ゴモラの口を大きく開き、ゼロの身体へと振り抜く。

「ゥオラァァアァアアァ!!」

咆哮とともにゴモラがゼロの身体を真っ直ぐ捉える。そしてそのまま、再び頭上に翳そうと振り上げた――――その刹那だった。

「ヌオッ!?」

咄嗟にゴモラの口を離す。が、「バァン」と大きな破裂音と共に、爆発的な衝撃と閃光が一瞬にして弾けた。
その衝撃に、ファーブニルは弾き飛ばされる。気づくとゴモラの銃口と開口部が大破していた。ゼロもまた空中へと投げ出され、叩きつけられるようにして地面に落下する。

ゼロは捉えられた瞬間、ゴモラの口に添えた左腕からアースクラッシュを放った。無論、自らへのダメージは避けられないと覚悟しての策だ。とにかくファーブニルが持つ二つの牙の内、片方を削ぐことに徹したのだ。そしてそれは成功した。

「まあ……代償は安くなかったけど…な……」

腹部を押さえ、立ち上がる。

「ハハッ……やりやがるぜぇ……紅いイレギュラー……」

だがそれでも尚、ファーブニルはとても嬉しそうに、腹の底から笑い声を上げた。確かに、形勢が大きく傾いたわけではない。しかし、自身が優勢になったわけでもない。

「けどよぉ……まだまだこっからだぜぇ!」

そう言って飽くなきまでに笑い続ける。その様子は“イカレている”としか形容できなかった。だが、それに対しゼロも「当たり前だ」と何処か嬉しそうにゼットセイバーを構えなおした。

「ハハッ! ヒャハハハッ! 最っ高だぜぇ! 紅いイレギュラぁあああぁああ! テメエはよぉおおぉぉおぉおおぉぉお!!」

叫ぶと共に、地を蹴る。ゼロは応戦の構えを取る。戦闘の緊張感が最高潮に達する――――……‥

















瞬間、何処からとも無く放たれた絶え間ない銃撃が、ゼロの身体を撃ちぬいた。

































  ――――   4   ――――


「クッ……クククッ………フハハハ…… ハ ハ ハ ハ ハ ハ ハ ハ ハ ハ !!」

射線を辿り、その方角を見上げると、丘の上に狂ったような高笑いを上げる男が、二十人程の部下を連れて立っていた。

「ザマあないなぁ! 紅 い イ レ ギ ュ ラ ァ ァ ァ !」

その言葉に比類なき怨念を込め、現れた男――――マゴテスは笑い続けた。
ファーブニルは呆然と立ち尽くしたままマゴテスを見つめ、その後、撃ちぬかれたゼロの方へと視線を移した。
突然過ぎる不意打ちから察するに、ダメージは相当なものだ。しかしコートにより軽減されたおかげか、なんとか生きていたらしく、よろけながら立ち上がろうとしている。

「この私を出し抜こうとした報いだぁ……クハハハハハハハハハ!!」

「チクショウ……ちゃんと仕事をしてくれよな…イレギュラーハンターさんよ……」

打ち所が悪かったのか、左腕が上手く動かない。また、衝撃のせいで、ゼットセイバーのエネルギーラインにも支障を来したらしく、出力異常が起こっている。

「所詮はイレギュラー……貴様ごとき雑兵がこの私に敵うはずもないのだよぉ……ええ?」

そう言って、片手で射撃準備の指示を出す。それに従い、部下たちも手にしたライフルの銃口をゼロへと向けた。

「……天に昇りしこの私に逆らおうとした愚か者がぁ……その罪は測りしれんぞぉ?」

気違い染みたその表情は、まるで悪魔が憑いているかのような悍しさを感じさせる。

「……死んで罪を償えぇえ! 紅いイレギュラァぁぁぁぁあああぁあぁ!」

マゴテスの絶叫と共に、ライフルのトリガーが再び引かれた。














「 ク ソ ッ タ レ が ぁ あ あ あ ぁ あ あ ぁ あ あ あ ぁ あ あ ぁ あ あ あ ぁ あ あ !!!」















ファーブニルの咆哮と共にソドムの口からマゴテスの部隊へと無数の炎弾が放たれた。
激しい爆音と巻き上げられる砂塵。それらに塗れ、相手が視認できなくなっても尚、ファーブニルの怒号と炎弾の乱射は続いた。

やがて、ソドムのエネルギー残量が底をつく。カチカチと空のトリガーを十回以上引いた後、ファーブニルはようやくその腕を下ろした。

先ほどまでマゴテス達の姿が見えていた丘は大きく形を変え、そこには人っ子一人、影も形も見当たらなくなった。

「……ハァ……ハァ……ハァ……」

叫び終えると、ファーブニルは切れる息を落ち着かせようと深呼吸をする。そしてようやく落ち着くとまたしても「チックショォォ!」と叫び声を上げた。その声は悲痛な響きを秘めていた。
そうして一仕切叫び終えた後、ゼロを見つめる。それからソドムを投げ捨て、戦闘用のジャケットをショルダーアーマーごと脱ぎ捨てた。上半身が露になる。

「五分……とは言えねえか…」

落胆したような声でそう呟く。すると、ゼロは「いや」と言葉を返す。

「問題ない……かかって来いよ。本気出でさ」

出力以上を起こしたゼットセイバーを左腕に仕舞う。ボロボロの体だが、かろうじて右腕のアースクラッシュの回路は使える。
片やファーブニルは、身体の状態は安定しているが、武器を持っていない。

「ヘヘッ……ならよ……“こいつ”でケリつけるか…」

そう言って拳を示す。ゼロはそれに対し強く頷く。

「とは言っても…悪いが俺は、使えるもんは使わせてもらうぜ?」

「構いやしねえよ……それでも俺は絶対に負けねえ」

互いに笑みを浮かべる。
不思議な感覚だった。湧き上がる高揚感は、決してファーブニルだけが感じているわけではなかった。ゼロもまた、この勝負に水を差されたことに怒りを感じ、そして真っ当な闘いの末に決着をつけることを望んでいた。

互いに拳を握りしめ、相手を睨みつける。そして、力強く地を蹴ると、一気に接近した。

「オラオラオラオラオラオラオラオラオラァァアァアアァ」

ファーブニルの連打を軽いフットワークで躱す。そして、一気に伸びきった右腕を掻い潜り懐に一撃を加える。強力なボディーブローはファーブニルの巨体を跳ね上げ、後方へと退かせた。
だが、それでもファーブニルは臆す事無く、左足を軸にして回し蹴りを繰り出す。咄嗟に左肩でガードをしたが、ゼロはそのまま弾き飛ばされ地面に転がった。
右手を付き、上体を起こす。それに向かってもう一度距離を一気に縮めようと駆け出すファーブニル。飛び込んできた彼に対し、ゼロはアースクラッシュを発動させた。
崩れる足場と、巻き上げられる砂塵。だが、ファーブニルはそれでも正確に、後方から奇襲を仕掛けようとしてくるゼロの存在を感知し、彼の右腕をガードする。――――が、そのままガードした腕を鷲掴みにされ、投げ飛ばされた。
宙に浮いたファーブニルの身体へ追撃をかけるゼロ。だが、地面へと叩きつけようと繰り出した左足を、今度は逆に掴まれる。そして反動を利用し、体勢を入れ替えられ、そのまま地面へと投げ飛ばされた。
右腕に残していたエネルギーを放ち、その衝撃で、かろうじて直接的なダメージを避ける。地面を転がり、そのまま起き上がると飛びかかってきたファーブニルに対し足払いをかける。倒れこんできた顔面に向けて右ストレートを放った――――が、既の所でファーブニルは左腕を地面につき、力尽くで飛び退き、攻撃を躱した。

互いに立ち上がり、体勢を立て直す。

「ハハッ……紅いイレギュラーよぉ…やっぱりテメエは面白いぜぇ」

「俺は何も面白かないけどな……。次で決めてやるよ、暴れん坊将軍殿」

「そいつはコッチの台詞だぜぇ?」

そう言って、己の持てる力を拳に注ぐ。実際、ダメージ的に優勢なのは間違いない。しかし、それでも簡単に勝利を掴ませてはくれないだろうことが身体中のセンサーが知らせていた。――――だからこそ“面白い”。

「ようやく十年がかりの願いが叶ったんだぁ……」

待ち焦がれていた瞬間。最高の一瞬。最上の相手と拳を交えるという、至福の時。十年の鬱憤が全て解き放たれる。

「けどよぉ……勝つのは…」

想いの全てを拳に込め、地を蹴り出す。

「勝つのは……こ の 俺 様 だ ぜ ぇ !!」

咆哮と共に駆ける。そして、構えるゼロへと向かい、拳を振り抜いた。



















――――俺は闘将、ファーブニル











    闘うために生まれた力の化身。

    それ故に、闘いのない一生など、何の意味もない。


    勿論、救世主への忠誠は本物だ。

    自身の任務の重要性も分かる。

    けれど、“闘い”の中で生きられぬなら、生きていないのも同じこと。







    しかしまあ……何とも笑える話だ。



    闘争本能に特化し


    “闘い”についてだけを思考するよう造られたというのに



    この心は満たされぬ事への“嘆き”と“憂い”で


    溢れ返っていたのだから……‥‥





























  ――――   5   ――――


気がつくと、仰向けに寝転がっていた。自分を見下ろす金髪の男の姿が目に入る。

「ヘヘッ……見事だぜぇ……チクショウめ…」

そう悪態をつきながら、尚も笑う。

ファーブニルの全力の拳を躱したゼロは獄門剣同様、その勢いを逆手にとったカウンターパンチを顔面にヒットさせた。とてつもない衝撃に、ファーブニルは意識が飛び、そのまま崩れ落ちたのだった。
咄嗟に感じた悪寒に従っていれば、このような無様な敗北を味わってはいなかっただろう。だがそれでも、あの一瞬に全てを懸けてみたかった。自分の直感を超えて、新たな何かを掴み取ろうとした。――――その結果の敗北ならば悔いはない。

「ほら……トドメでも何でも刺しやがれよ…」

決して諦めではない。倒れこみはしたが、正直の所まだ戦える力は、僅かだがある。
しかし、自分は負けた。それ故に、潔い幕切れを望むのだ。

だがしばらくして、何を思ったのか、紅いイレギュラーは背を向け、歩いてゆく。そしてひっくり返ったままのライドチェイサーを立て直すとそのハンドルを握り、押して歩き始めた。
ファーブニルは上体を起こし、「おい」と呼びかける。すると、彼は足を止めた。

「情けなんざかけられたくねえんだよ…俺は――――…」

「借りを作りたくないんだよ」

ポツリとそう答える。
マゴテスの部隊への攻撃のことか或いは、ソドムを投げ捨て拳での戦いを提案したことか、どちらかは分からないがファーブニルは納得できなかった。

「“借り”なんて………そんなつもりはねえ!!」

「お前さんにそのつもりがなかろうが、こっちは嫌なんだよ」

笑いながらそう答える。それから「それに」と付け加える。

「いずれ、本当の決着をつけようじゃないか。邪魔者抜きで…さ」

「『本当の決着』……」

思わず繰り返す。

「そうさ、ファーブニル。覚えておけよ」

そう指を差されながら、名を呼ばれる。呆然と口を開けた後、「フッ」と微笑む。

「テメエこそな……“ゼロ”。絶対にぶっ潰してやるから覚悟しときやがれぇ」

そう答えると、ただライドチェイサーを押して歩く背中を見つめた。それが小さく、見えなくなってゆくまでずっと、見つめ続けた。
それから、じわじわと込み上げてくる不思議な感覚に、笑いが漏れる。

「ブハッ……ヒャハハハハハハハハハハハハハハ…」

そのまま大笑いしながら再び倒れこんだ。
見上げた空は、変わらず青いままだった。
























  ―――― * * * ――――


「お待ちくださいヴィルヘルム卿!」

公安委員会が派遣した特務警察にその身を抑えこまれ、マクシムスは必死に訴える。
マゴテスの証言を元にマクシムスへの捜査令状が下ると、過去数年分の通信記録等の調査の末、有罪と決定。その身柄拘束に乗り出した。
その訴えに対しヴィルヘルムは冷酷な視線を投げる。

「貴様には失望したぞ……まさか元老院議長でありながらレジスタンス共と繋がっていたとはな」

「なぁ!?」

無論、今回の作戦の立案はマクシムスからであったが、ヴィルヘルムも協力をしていたのは事実だ。だが、その物的証拠はない。

「ヴィルヘルム卿……貴様はぁ……」

だらしない身体ではあるが百キロを超える醜くも大きな体を揺らし、警官たちの腕に抑えられながらヴィルヘルムへと詰め寄ろうとする。

「貴様こそ! 貴様こそ真の謀反人であろう、ヴィルヘルム! ネオ・アルカディアの変革を誰よりも先に説いたのは貴様であったろうがぁ!」

「…くだらぬ言い訳は見苦しいぞ……マクシムス。そのような証拠があるならばこの場に出して見せい……」

「こ……こぉの老いぼれめがぁ!!」

叫びと共に警官たちを振り切り、ヴィルヘルムへと飛び掛かろうとする。だが、その一瞬に轟音が鳴り響く。すると、胸に手を遣るような動作をした後、白目を向いて、マクシムスの身体が虚しく崩れ落ちた。
ヴィルヘルムは懐から取り出した拳銃で、その脂肪に包まれた胸部を撃ちぬいた。

「この肉塊を処理しておけ」

警官たちにそう冷静に指示をする。

「哀れなものよ……快楽に興じた挙句“愛玩用レプリロイドの一体に叛意を持たれ、殺されてしまった”とはな……」

その言葉に警官は頷き、マクシムスの寝室へと向かった。その後、女性型レプリロイドがその警官の手により引き摺り出されたのは言うまでもない。

「……さて…非業の死を遂げたマクシムス卿の為にも…早急に元老院議長の空席を埋めねばな」

ヴィルヘルムはそう言って「フッ」と鼻で嘲笑うと、その場を後にした。
























  ―――― * * * ――――


「チク……ショウ」

アシルに肩を支えられ、マゴテスは身体を引きずるようにして歩く。
闘将の攻撃に、辛うじて生き残った部下たちも半数が死に絶えてしまった。

「こうなったら……白の団だ…」

白の団へと要請し、救援を出してもらおう。そして、紅いイレギュラーが知らせるより早く、奴の反乱を捏造し、言いくるめる。そして再び返り咲こうじゃないか。
いや、それよりもあの組織の本拠地をネオ・アルカディアへと垂れ込むのもいいかもしれない。そうすれば所属している紅いイレギュラーも行き場を失う。

「クッ……クククッ……フハハハ」

――――まだ終わらんよ……私の覇道は……

いずれ天へと駆け上るこの私がこのような場所で朽ち果てる運命にあるわけがないのだから――――……‥


「何だ貴様!?」

突然、耳元でアシルが声を上げる。考えを巡らせていたマゴテスはそちらへと視線をやる。
そこに立っていたのは、不気味な仮面で顔を隠した、漆黒のコートを纏う謎の男。

「名乗れ! でなければ……敵とみなす!」

アシルが片手で指示をすると、後方にいた部下たちがライフルを構える。――――次の瞬間、男の姿が消えた。

「……何がどうなって――――……‥!」

刹那、後方の部下たちは一斉に、まるで死んだように倒れこんだ。
そしてアシルもまた、首筋に何かを当てられて倒れこむ。支えをなくしたマゴテスも一緒に倒れてしまう。

「おい!? なんだ……!? なにがどうした!?」

理解が追いつかない事態に、マゴテスは困惑した声を上げる。すると、背後に先程の男が立っていた。その恐怖に、思わず飛び退く。

「き……貴様がやったのか……?」

「……安心しろ…御主らを斬るつもりは無い…」

表情が分からぬ仮面の下から、冷たい声が聞こえてくる。

「………我が刃を汚す気はないのでな…」

「ヒッ…――――……‥ッ!!」

そのまま手刀を当てられ、マゴテスは他の部下同様に意識を失った。

それから仮面の男は歩を進める。ファーブニルの元へと、無駄のない足取りで。
ファーブニルも男の接近を感じ取り、寝そべったまま視線を向ける。

「………よぉ、どうしたよ…?」

その目的を尋ねるが、ある程度の検討はついていた。

「……“敗北者は赦さず”ってとこだろぉ? ……一思いにやっちまってくれよな…」

そう言って目を瞑る。
再戦を誓い合った直後だというのに――――全く、不運なことだ。しかし、それも仕方がない。どの様な形であれ、思いのままに私闘を行い、そして負けた以上、その報いは受けなければならないのだ。

だが、男は一向に刃を取り出す気配を見せない。じっとファーブニルを見下ろしたまま動かない。

それからしばらくすると、仮面を外してコートに仕舞い込み、手を差し伸べてきた。
普段の彼の印象からは想像つかないその行動に、ファーブニルは呆気にとられてしまう。そして、思わずその手を掴み、引き上げられながら立ち上がる。
そして肩を支えられたまま、歩き始めた。

「……どうして…だ?」

理由がどうしても分からず、問いかける。すると彼は小さく微笑んだ。それは今まで一度も見せたことのない表情だった。

「…………御主は己が背負った宿命のために闘ったまで……。……結果はどうあれ…それを罰する資格を拙者は持ちあわせていないので…な」

ファーブニルにはそれでも意味が分からなかった。しかし、支えてくれているこの体の存在こそは確かだった。それだけで十分なのかもしれないと思った。

「へッ……なんだかよく分からねえけどよ…………」

はにかみながらも口を衝いて出たのはただ一言。

「…………あんがとな」

心からの感謝だった。



やがて風に掻き消されるまで、広大な砂漠に並んだ二人の足跡は、どこまでも続いていった。
























 NEXT STAGE










        証明


























[34283] 14th STAGE 「証明」
Name: 村岡凡斎◆45ff140f ID:697d6d9c
Date: 2012/10/30 23:28


  ―――― * * * ――――


「デュシスの森……?」

聞きなれないその名前に、ゼロは首を傾げる。「ええ、そうです」とエルピスがそれに答えた。

「こちらを見てください。協力関係にあるレジスタンス組織から頂いたものです」

エルピスはルージュに、そのレジスタンスから送られてきた画像データを送信するよう命じた。
画像が送られて来たことを確認すると、ゼロはそれを眺める。人工物ではあるが、緑が生い茂る森林地帯。その奥に、似付かわしくない無機質な建物が僅かに見える。

「こいつは……」

「おそらく、ネオ・アルカディアの秘密研究所でしょう」

確証があるわけではないが、マップデータ上でデュシスの森の位置を見る限り、あまり戦略的に価値のある場所ではないように思われる。そんな場所に立てる施設と言えば、秘密研究所やそれに伴なう実験施設といったものの可能性が高い。

「ゼロさんの今回のミッションは、音信不通となってしまった彼らの調査隊――――おそらく全滅していると思いますが――――の捜索と、デュシスの森にあると思われる秘密研究所の調査及び、必要であれば、その破壊です」

それだけ知らせると「それではお願いしますよ」と映像通信を一方的に打ち切った。

「なんだかご機嫌がよろしくないように見えたのですが……気のせいでしょうか?」

ペロケがエルピスの様子を心配して問いかける。ゼロは「さてな」と肩をすくめた。

「大方、先日のマゴテスの一件が気に食わなかったんだろう」

ゼロのみならず、白の団に対するマゴテスの裏切り行為。そして白の団司令官であるエルピスに相談することなく行われたペロケとの極秘作戦。エルピスが気分を害する要素は確かにあった。

「悪い影響が出なければいいのですが……」

「まあ、あいつも“一人のまともなレプリロイド”だってことさ。気にしたって仕方ない。情報の整理、よろしく頼むぜ」

そう言って部屋を出てゆく。ペロケは「了解しました」とキーボードに向かい、白の団より送られて来たデータの整理を始めた。
なんとも奇抜な名前を付けたものだと呆れながら、ゼロはエルピスから聞かされたその名をもう一度だけ呟く。

「デュシスの森……ねぇ……」

聞き慣れないものは、言い慣れるにも時間がかかるのだろうと思いながら、頭を掻いた。





















 14th STAGE










         証明


























  ――――  1  ――――


過去の戦争が原因となり、荒廃してしまった大地。しかし、影響の少ない地域というのは確かにあり、ここデュシスの森と呼ばれる森林地帯もその一つだった。
とは言え、この森が“本当の自然”であったのはさらに――――それこそ、レプリロイドの先祖とも言うべき自立思考型ロボットが誕生するかしないかという程――――昔のことであり、既にその九割以上が機械化されていた。だが、現在の厳しい環境に耐え、森としての形を保っていられる理由がそこにあるのだ。

手前の岩場でライドチェイサーから降りる。風呂敷のような布を上から被せ、スイッチを押す。すると、光学迷彩が作動して周囲の風景に溶け込み、ライドチェイサーの車体は視覚的に隠蔽された。

茂みへと足を踏み入れる。
そこら中に生えている草や、曲がりくねった形で成長している樹木、それに生い茂った葉、垂れ下がった蔦などが不気味さを感じさせる。

「デートコースには…あまりよろしくないかもな」

ゼロがそう冗談めかして笑うと「『あまり』っていうか、全然よくないわよ」とレルピィは不満そうに口を尖らせた。
マップデータを確認してみる。研究所と思われる施設の正確な位置データまでは取得できなかったようだが、ジョーヌ達の解析から凡その見当はつけられているので、最終的にはそこへ向かえば良い。とりあえず一応とは言え、まずは調査隊を探すところから始めなければならない。
奥地へと進むに連れ、道が迷路のように入り組んでゆくのが分かる。正確な経路情報を注意して記録しながら進む。
やがて、さらに奥深くへと進むと、昼間だというのに日差しの明るさがまるで感じられない程、周囲は薄暗くジメジメとしてゆく。

「……さて……ここが敵の勢力圏内って言うんなら…そろそろ――――」

続きを言いかけたところで、突如、ゼロへとエネルギー弾が放たれた。その弾道を一瞬で読み、素早く躱す。
茂みから現れたのは数十機のメカニロイドだった。

「噂をすれば…ってやつだな」

「じゃあ、しなきゃよかったのに」と尚も不満そうなレルピィに「ちょっと静かにしとけよ」とコアユニットへ入るよう促す。そしてそれを確認すると、左手へと右手を添える。
刹那、ゼロは緊急加速装置を作動させ、敵陣の懐へと潜りこむ。その速度に反応できるものは勿論いない。そして、抜き出す勢いそのままに居合い斬りをお見舞いすると、五機ほどが同時に両断された。

そこからの手並みはいつも通り鮮やかなもので、放たれる敵の弾に掠り傷一つ負うこと無く、あっという間に敵のメカニロイドたちを全滅させた。

「あたし……ちょっと敵のメカニロイドが可哀想になったわ」

「おいおい、同情なんかくれてやるなよ。あっちもこっちも果たすべき使命と覚悟があってのことだぜ?」

更に先へと進んでゆく。急にゼロは木の影に身を隠した。レルピィも慌ててその後ろに隠れる。
目を遣ると、緑色にカラーリングされたパンテオン達が地を這うように蠢いていた。その手には鋭く大きな爪を装備しているのが分かる。
しばらく見ていると、何かを探すようにあたりを見回しているのが分かった。

「……生存者の捜索中か」

どうやら敵も、万が一の生き残りですら赦すつもりはないらしい。それだけ重要なものがここにはあるのだろう。
ゼロは再びゼットセイバーに刃を形成させると息を整える。

「ダーリン、上!」

斬り込もうとしたゼロの頭上から、一機のパンテオンがその爪で斬りかかってきた。レルピィのおかげか、ゼロは危なげなく躱すとゼットセイバーで一太刀のもとに斬り伏せる。

「サンキューな。……けどまあ」

既にパンテオン達がこちらを向いている。

「先手は取れなかったみたいだ」

そう言いながら不敵に笑い、パンテオンの群れへと斬り込んだ。
奇声のような声を上げながら、草むらから次々と飛び掛ってくる「パンテオン・ホッパー」部隊。不規則なリズムによる集団攻撃は、これまで相手にしてきたパンテオンとは戦闘パターンが全く異なっていた。だが、ゼロの感覚を持ってすればその程度のことは問題とならなかった。向かい来る敵を次々と斬り伏せ、十分とかからない内に全滅させてしまった。

「さてと……こんなもんか……」

そう言いながら、ゼットセイバーを軽く一振りして左腕に収納する。見事な手際に感嘆するレルピィを他所に、更に先へと進んでゆく。すると奇妙な場所にたどり着いた。
息を飲み、辺りを見回す。そこは、木々が乱暴に倒され、足元を覆っていた草は荒らされ、隠れていた茶色い土がむき出しになっている。カーブを描きながらも一本の道のようにして、そうした光景が広がっていた。まるで、巨大な何かを引きずったように。

「ねえ、ダーリン……あれ」

レルピィが差し示す方へと目を凝らす。そこには数体のレプリロイドが倒れているのが見える。その服装から、おそらくレジスタンスの調査隊であることは分かった。
しかし、一人として無事な状態ではなく、ある者は胸に大穴が空き、ある者は腰から下をなくしていた。ゼロはいったい何があったのかを推測するために、彼らに近寄り、傷の様子を確かめようとした。――――瞬間、背後の樹木が鈍くも激しい音を立てながら倒された。そして、自分へと迫り来る巨大な何かを既の所で躱し、ゼロはその正体を確認する。

そこに現れたのはヘビ型の巨大メカニロイドだった。
大きな牙に紫色の瞳。鱗のような深緑の装甲。ブロックのような塊が数珠のように繋がり、長い身体を形成している。
周囲の状況から見て、こいつが調査隊を襲ったのだろう。

「番犬にしちゃ、図体がデカすぎると思うがな」

不敵に笑いながらそう言うと、ゼロはゼットセイバーを手に、立ちはだかる大蛇の懐へと飛び込んだ。



























  ――――  2  ――――


「ちょっとハル、話を聞いて」

足早に議事堂の廊下を歩いてゆくハルピュイアを、レヴィアタンは引きとめようと声をかける。
しかし、一向に聞く耳を持たない彼に対し、仕方なく歩きながら話を切り出す。

「ファブのことだけど……。…確かにあいつは馬鹿な事をしたと思うわ。紅いイレギュラーを倒すためとは言え、四天王としての職務を忘れて私闘に興じた挙句、敗北まで喫した……。もう……本当にただの馬鹿よ…」

先日の紅いイレギュラーとの戦闘に関して、元老院と四天王リーダーであるハルピュイアとの間に協議が行われた。
そしてその結果、「感情に任せた身勝手な行動による職務放棄」と「救世主の守護者でありながらの敗北」と言った失態から、ユグドラシルの地底深くに設置された「特殊監獄ヘルヘイム」第九階層への一時的拘束と一ヶ月の謹慎処分が決まった。

「――――けど、そこまでの処分が必要かしら?」

元老院との決定に、レヴィアタンは異を唱える。

「“四天王として課された職務と使命の放棄”は勿論、重大な問題よ。……けれど……」

少しだけ言葉に迷う。感情のままに述べるべき事柄ではない。

「……けれど……本当にあいつは馬鹿だと思うけれど……私は…あいつの気持ちをもう少し理解してあげてもいいと思う」

同じく四天王計画から、救世主のDNAデータを元に生まれたレプリロイドであり、それは言わば兄弟同然の存在とも言える。強い仲間意識を持って行動する必要があるとは決して思わないが、それ程弱くもない絆を無下にすることもないと彼女は思っていた。
だがそんな訴えも届いているのか、一言も返事をせず、ハルピュイアは黙々と廊下を歩く。

「ちょっとハル!」

そんな様子に、やがて腹が立ってきたらしく、レヴィアタンも語気を強めてその名を呼び始める。
すると、後ろから「お待ちを、レヴィアタン様」と彼女を呼び止める声がした。その声の主は、ハルピュイアの腹心を務めるミュートスレプリロイド、“三羽烏”長兄、アステ・ファルコン・アインだった。

「ハルピュイア様は決して処罰することだけ考えていたのではありません。むしろ、元老院の追及から養護したのです」

「え?」

予想外の事実に、レヴィアタンは思わず足を止める。

「元老院が提示しようとした処分は『精神プログラムの精密検査と“再教育”』。また他にも『戦略研究所への実験素材としての提供』という案まで用意しておりました」

“再教育”――――即ち、精神プログラムの調整や、最悪の場合は消去からの再構築という作業である。人格データに問題ありとされた場合に行われることが多く、“イレギュラー処分”と同程度の処分と考えて良かった。
ファーブニルに関してはその設計思想が既に問題視されており、元老院は機会さえあればそのような措置をとろうと窺っていたのである。

「元老院側の処分を予期し、ハルピュイア様は四天王リーダーという身分から、それを切りだされるより早く、自ら今回の処分を提案。元老院側も『それだけ重い処分であれば』と、なんとか話が落ち着いたのです」

「余計なことをベラベラと喋るな、アイン」

ようやく口を開いたハルピュイアにそう叱咤され、アインは「申し訳ありません」と頭を下げる。

「ハル……あなた――――……‥」

「別に、あいつのためにやったわけではない」

無愛想にそう言いながら、廊下の柱を抜け、中庭へと出る。そして、アインに飛行形態へと変形するよう促した。

「元老院議長……特にヴィルヘルムは我々を追い落とそうと画策している節がある」

四天王へのライバル心からか、それとも他の何かがあってのことか――――とにかく、元老院の中でも彼は“反四天王”という立場に強く傾いており、それに寄り添う者も決して少なくない。ハルピュイアはそれを気にしていたのだ。

「我々の使命は、エックス様がこの百年間抱き続けた正義を貫き、護り続けた人間をこれからも護り抜く“力”となること。……だが、その使命も俺達四人が揃ってこそ達成できると、俺は信じている」

変形したアインの背に足をかける。

「奴の行動を赦すつもりはないが、こんなことの為に奴を失う訳にはいかない。――――四軍団中最大規模を持つ塵炎軍団の今後の士気と、その動きにも関わるしな」

アインが浮遊を始めると風が巻き起こり、羽織ったマントがバタバタと音を立て始める。ハルピュイアは帽子を抑え、レヴィアタンの方へようやく視線を遣る。

「貴様も用心しろ、レヴィアタン。俺達が生まれてからの“十年”という土台は、思った以上に頼りがないぞ」

そう言った後「俺はこのまま任務に向かう」と、ハルピュイアはアインの背に乗ったまま、空高く飛び去って行った。その姿を、レヴィアタンは黙って見送った。
遠方の地域へ足を運ぶのに空間転移装置を使わず、清々しく広がる青い空を選んだのは、彼もまた煮え切らない想いを堪え、静かに葛藤していたからだろう。
とは言え、そういった考えなどについて一言くらい相談があっても良かったのではないかと思ってしまう。

「男って…ホント……」

肩をすくめながらそう呟くと、苦笑のような微笑みを浮かべた。






























  ―――― * * * ――――


思いもよらぬ侵入者の登場に、この秘密研究所を預かっているミュートスレプリロイド――――ヒューレッグ・ウロボックルは驚愕した。よもやこのような所にかの紅いイレギュラーが現れようとは。管制室にて森の至る所に配置された監視カメラ、その一台の映像を睨みながら、コブラを模して造られたその頭部に焦りの色が滲む。
ファントムより下された二つの密命。それらをこの状況において、共にクリアするのは非常に困難である。ウロボックルは何度か考えを巡らせた後、意を決する。

「たとえ紅いイレギュラーであろうと……優先すべきはここの秘匿だ」

そう言って「シャーッ」と唸ると、研究所内に配備されていたパンテオンとメカニロイド達に出撃命令を下した。
大蛇型のメカニロイド――――アルトロイドの性能を疑うつもりはないが、どれだけの戦力を裂こうと無駄なことはないだろう。敵はそう言う相手だ。

「もしもの時は俺が出るしか無いだろうがな…」

万が一の時には命を賭してでも始末をつけなければならない。ウロボックルは自身の主を思い浮かべると、その使命を必ずや果たすことを誓った。








蛇の体を形成するブロックの中心にある紫色のクリスタルが輝きを放つ。そこから自身へと発射されたレーザーの一斉射撃を華麗に交わすと、ゼロはゼットセイバーで大きく斬りつける。
だがその瞬間、ブロックは連結を解き、独立して浮遊を始めた。

「なかなか……楽しませてくれる!」

ゼロを中心に、囲むように陣形を組むと、そこからまた一斉にレーザーの連続攻撃が始まる。二発、三発とセイバーで防ぎ、地を転がるようにして躱すとその内の一つへと跳びかかる。だが、今度はそれを察知してブロックは瞬時に集まり一繋ぎに連結する。そして、大蛇の首が大きく口を開け、ゼロへと襲いかかる。
素早く地を蹴り、飛び退く。それに対し、側面に向いたクリスタルからレーザーが発射される。ゼロはまたもゼットセイバーでそれを弾いた。

「ダーリン、あっちにも!」

レルピィが示す方――――秘密研究所の方角からメカニロイドとパンテオンの軍勢が現れる。その数は百機近く、背後にはゴーレムの姿が五体ほど確認できる。
このような場所に良くもこれだけ部隊を裂いたものだと呆れながら感心しつつ、余計に何が隠されているのかが気になりだした。

「気の乗らない任務だったが……だいぶ面白いことになってきたじゃないか…」

ゼロはニヤリと笑い、メカニロイド達からの集中砲火を躱す。それから大蛇が放つレーザーを掻い潜り、パンテオンの軍勢へと飛び込み、高速回転斬り「円水斬」により近づく敵を薙ぎ払う。
周囲のパンテオンを気にも留めず、大蛇はゼロへと向かい口を開けて襲いかかる。ゼロがその場から上空へ跳ぶと、周囲のパンテオンだけが犠牲となる。そしてそのまま大蛇の身体へと着地した。

「それなりの乗り心地だな……。ぶち壊すのがもったいないぜ…」

大蛇へのダメージを厭わずに、強化型のゴーレムが放つ雷を纏ったレーザーを、ゼロは大蛇の背を駆けながら躱す。その途上、ゼットセイバーを左腕へと収納する。そして左腕へとエネルギーを蓄積する。
しかし突如、己の危機を察知したのか、大蛇の身体は再び分離した。ゼロはブロックの一つに振り落とされないよう慌ててしがみつく。だが、それすら計算済みである。

「まずは一つ!」

左腕をブロックへと打ち付けエネルギーを直下に放出する。アースクラッシュのエネルギーを応用した必殺技――――天照覇の激しい輝きがブロックを貫き、真下にいる敵部隊までも破壊した。
それからヒラリと華麗に着地すると、またしても地面へと、今度は右腕を打ち付ける。もう一つのアースクラッシュ応用技、落鳳破がゼロへと襲いかかる2つのブロックと取り囲むメカニロイドたちを破壊する。

「一気に三つまで…か。それで……達磨はあと何個だい?」

挑発するようにそう言うと、怒りのままに唸る蛇へとゼットセイバーを再び構えた。



























  ――――  3  ――――


アルトロイドの反応が完全に消失する、その後次々と部隊が損耗していき、最終的には全滅となってしまった。残ったのは紅いイレギュラーの反応ただ一つのみである。

「これほどまでとは……クソッ」

ウロボックルは戦闘態勢に入る。研究所内の隔壁を作動し、通路を遮断する。とは言え、ゼットセイバーとアースクラッシュの前では大した時間稼ぎにすらならないだろうことは容易に予想できた。
だが、一つの“カモフラージュ”としての効果は期待できるだろう。

どの様な手を使おうと、どれだけの犠牲を払おうと、ここにあるものを見られる訳にはいかない。たとえ見られたとしても、その詳細な情報を外部へと持ちだされるわけにはいかないのだ。

「――――そう、どれだけの犠牲を払おうとも……な」

そう呟くと、管制室の扉から廊下へと足を踏み出し、戦場へと赴いた。









敵の残骸を避けて歩き、研究所の扉へと忍び寄る。壁に耳を当て、聴覚センサーのポテンシャルを最大限に活用する。だが、中では工場の機械のような、特に大きなものが動いているような気配はない。

「どうやらこの目で確かめるしかないようだな……」

ゼットセイバーに炎を纏わせ、ロックされた扉を乱暴に溶かし斬る。そのまま蹴破り、中へと足を踏み入れた。
警報は鳴らない。無論、既に侵入は気付かれているため、そんなものを気にしたところで何の意味もないのだが。
そのまま周囲に気を配り、奥へと進む。予想した敵の部隊は一向に現れず、施設の中はすっかり静まり返っていた。とは言え、部隊を指示していた者がいたはずだ。用心は怠れない。

目の前を閉ざす隔壁に左腕を添える。そして、小さくエネルギーを発し、溶かし破ろうとした――――その瞬間、隔壁を破るようにして二本の腕がゼロに向かい、高速で伸びてきた。
それらはゼロの身体を捉え、一気に引き戻る。ゼロは隔壁に勢い良く押し付けられた。

鈍い痛みが頭部に走るがそれに構わず、左腕からエネルギーを放つ。隔壁を破れたが、そのままゼロの身体は引きずられてしまう。その先には腕の主であるミュートスレプリロイド――――ヒューレッグ・ウロボックルが立ちはだかっていた。

「これ以上先へは通さんぞ、紅いイレギュラー!!」

そう叫ぶと伸ばした腕を振り、力尽くでゼロの身体を投げ飛ばす。横の壁に窪みができるほど強く叩きつけられた。
痛みに耐え、ゼロは立ち上がる。

「ここまでされると俄然興味が湧くな……ここに何があるのかにさ」

地を蹴り、一気に頭部へと斬りかかる。だが、ウロボックルは地を這うようにその斬撃を躱すと、長い腕を無理やり回してゼロの身体を殴りつける。遠心力を活かしたその衝撃は、細い腕に似合わぬ威力を発揮する。ゼロはまたしても反対の壁へと叩きつけられる。
「チッ」と舌打ちと共にウロボックルを睨みつける。すると、視界を覆うようにスプリング状の物体が六つ程飛んできた。そしてそれはゼロの身体に触れると共に爆発する。一発一発の威力は小さいが、複数が同時にヒットすることでその効力は高められた。
爆発により突き破られた壁。その奥へと倒れこむゼロ。立ち上る煙の中を睨み、ウロボックルは警戒する。――――と、眼前に何かが高速で投げ飛ばされる。ウロボックルはそれを咄嗟に弾き飛ばした。

「……瓦礫………っ!」

一瞬の隙を突き、ゼロの刃は右腕を断ち斬る。ウロボックルはそれに怯むこと無く冷静に痛覚を遮断し、痛みを遮ると、そのまま左腕で殴りつけた。
ゼロはそれを察知し、飛び退く。そして得意げに笑う。

「悪いが…先に行かせてもらうぜ」

一瞬の攻防の中、ウロボックルとゼロの立ち位置が逆転した。ゼロは施設内にある“何か”を探索することこそ優先すべきと判断し、ウロボックルを警戒しつつも、背を向け駆け出す。眼前を塞ぐ防壁をゼットセイバーで斬り破ると、後方――――ウロボックルに向けて左腕を地面に押し当てる。瞬間、激しい閃光がその場を包む。ダメージを与えるほどのエネルギー波を放ちはしなかったものの、その光量は視覚センサーに影響を及ぼすだけの威力を発揮した。
ウロボックルは目を覆いながら「待て」と声を荒げるが、ゼロは既に奥へと行ってしまった。

一人その場に取り残されるウロボックル。だが、彼は焦るどころか悠然と斬り落とされた右腕を拾い、切断面に押し当てる。そのまま体内の自己修復機能をフル稼働させ、応急処置を済ませた。

そして不敵な笑みを浮かべ、背後にあった壁に手を押し当て、そこに現れた隠し扉の奥へと消えた。











施設内を走りまわり、それらしき扉を見つけては蹴破る。だがその度にゼロを出迎えるのは静かに待機していたパンテオン部隊ばかりだった。
今も何度目かの銃撃を躱し、頭脳ユニットには傷をつけないよう注意を払い、横一線にその首を斬り伏せた。それから床に転がった首を一つ手に取ると、レルピィを脳内に侵入させる。
必要となるマップデータを取得したいのだが、サーバーにハッキングしようにも、端末らしき物ですらひとつも見当たらない。苦肉の策として、パンテオンが記録しているマップデータを利用しようと考えたのだが、ここまで全て空振りに終わっていた。
しばらくした後、レルピィがパンテオンの脳内からコアユニットへと戻る。

「ダメだわ。このパンテオンも、施設の正確なマップデータを所持していない」

「仕方ないな……自力で行けってことだろ」

とは言うものの、余りにも手掛かりが無さ過ぎて何処へ向かえばいいのかも分からない。そもそもここまでで何も見当たらないというのが不自然過ぎる。既に二階フロアまで扉らしきものは全てこじ開け、可能な限り制圧し尽くした筈だ。
施設の外観と、ここまで自分の足で掻き集めたフロアのマップデータを照合するが、これ以上何か研究できるようなスペースは考えられない。最上階となる三階フロアに至ってはそれだけの広さを備えている様子すら無い。

「これだけの施設を作りながら、空室ばかり作りやがって……贅沢なもんだな、ネオ・アルカディア」

皮肉めいた愚痴をこぼしながら、一応の確認のため三階へ上がろうと階段を登ってゆく。ふと、足元に何かが転がる。

「これ…は……――――……‥っ!!」

それは先程ウロボックルから投げつけられたスプリング状の爆弾だった。見上げると階段の上から、十数個のそれが飛び跳ねながら一気に落ちてくる。その更に上には先程下の階で撒いた筈のウロボックルの姿が確かに見える。

「弾け飛べぇ!」

その掛け声と共に、着弾したスプリングが一斉に爆発する。その衝撃に弾き飛ばされ、登りかけた階段から転がり落ちた。
だが、それだけでウロボックルの攻勢は終わらない。スプリング状の爆弾を絶え間なく投下する。連続した激しい爆発に、とうとう二階の床は崩落し、ゼロはそのまま瓦礫と共に一階へと落下した。

施設内を移動するための空間転移装置が何処かに仕掛けられていたのだろう――――そして三階へと先回りし、待ち伏せをした。その可能性について考えておくべきだったと、痛む体を抑えてゼロは苦笑する。
しかし、最も引っかかるのは、これだけ派手な攻撃を少しも躊躇うこと無く実行するウロボックルの戦術であった。ここが秘密研究所であり、秘匿すべき何かが本当にあるというならば、このような攻撃をするべきでないことは誰にでも分かる。
そしてゼロが辿り着いた結論は単純明快だった。

「ブラフか……この施設は…」

「如何にも。その通りだ、紅いイレギュラー」

三階からゼロを見下し、ウロボックルはチロチロと特有の長い舌を踊らせ、嘲笑を浮かべる。
ここに建てられた研究所らしき施設の全てがただのハリボテだったのだ。おそらく、真に隠している“何か”はこの周辺の何処かだろう。調査隊も、ゼロも、まんまと策にはめられたというわけだ。

「お前に選択権をくれてやる。――――今すぐここを去るか、俺の攻撃で死を迎えるか。無論、逃げたとてそうそう楽に帰してやるつもりはないがな」

「俺は逃げも隠れも…してやるつもりはない」

ゆっくりと立ち上がり、ゼットセイバーを構える。

「勿論、殺されてやるつもりもないがな」

「…シャー……減らず口を…」

睨み合う二人。だがそんな中、ゼロは表情を変えること無く、ある違和感に対し考えを巡らせていた。

――――何故、奴は攻撃を止めた?

施設が完全にハリボテであるというならば、不意打ちから続く攻勢の手を緩める必要はなかった筈だ。
上の階に陣取っている分、地の利は奴の方にある。だというのに、奴は敵を追い詰めた爆弾による攻勢を止め、こちらをただ見下し、動向を観察している。
また、挑発の中に――――それがどれだけのつもりで挙げたのかは不明だが――――「去る」という選択肢を含ませていた。万が一、ゼロが逃げ延びた場合、周辺にあると思われる本当の研究施設が発見される恐れは間違い無くあるというのに。

考えられる事実はひとつ。無意識に述べたのだろうが、“その発言”こそ本心ではないだろうか。つまり、ゼロをこの場から遠ざけることこそが、奴にとっての最優先事項。
勿論、それ程意味のない戯言という可能性は否定できない。だが、攻勢の手を緩めた事実と、こちらの動向を窺っているような現在の状況が、この推測を強く裏付けている。

――――ならば……間違いない…

真の研究施設は間違いなくこの場所のどこかにある。或いは、この施設の何処かから転送可能な場所にある。そしてその鍵は……――――止んだ攻勢こそが示していた。確たる証拠は何処にもないが。

「……レルピィ」と名を呼ぶ。レルピィはゼロを見つめる。

「ちょいと賭けをしようと思うんだが……着いて来てくれるか?」

突然の呼びかけに、一瞬呆気にとられてしまったが、レルピィはその意図を汲み取ると、強く頷く。

「何処にだって着いて行くに決まってるでしょ」

その言葉を聞き、ゼロは意を決する。
ゼットセイバーを仕舞い、左腕にエネルギーを蓄積し始める。
状況からの予想に反した、その行動にウロボックルは驚き、目を見開く。そして、その行動の意図に勘付く。
瞬間、それまでの冷静な態度とは一転、鬼のような形相で両腕を伸ばす。

「やめろォぉオオォぉ!!」

その叫びが届くかどうかという刹那、ゼロは左腕を地面へと突き立て、蓄えたエネルギーを直下へと放出した。
すると、激しい光と爆音の中、一階の床はゼロ共々見事に崩れ落ちた。




そこに広がる地下空間へと、真っ逆さまに。




























  ―――― * * * ――――


内心、怒りが燻っていることを隠すことは出来なかった。
雲の上を進むアインの背に掴まり、空を仰ぎ見る。自然とハルピュイアは眉間に皺を寄せていた。

ファーブニルの愚行。――――己の預かった軍団を投げ出し、私闘に興じた挙句、紅いイレギュラーを倒せなかったどころか、その生命までも見逃してもらった。四天王の長として、屈辱を感じずにはいられない。
元老院――――特にあのヴィルヘルムに対し、弱みを見せてしまったことも、彼としては呑み込み難い事実であったし、その失態を擁護しようと詰め寄ってきたレヴィアタンに関しても不満を感じてしまう。

――――だが……

眉間に入っていた力を解き、溜息をつく。
最も屈辱的であるのは、そのファーブニルを赦す気になってしまった自己の存在であった。

『私は…あいつの気持ちをもう少し理解してあげてもいいと思う』

先程のレヴィアタンの言葉が耳の奥で反響する。
ファーブニルの気持ち――――それは単純に言えば“闘い”を望む気持ち。
正直、それ自体には全く理解を示すことができない。救世主の守護者たる四天王としての生を受けたというのに、己の欲望と衝動に突き動かされるまま行動したというのは、彼にとって許しがたい“悪行”である。

だが……それでは何故、ファーブニルは“闘い”を望んだのか。

快楽や悦楽を求める心を満たすため? ――――それもあるだろう。だが、そのような気持ちだけで四天王としての使命を放棄する程、あの男が愚かではないということくらい、ハルピュイアにはよく分かっていた。
では、彼にとっての“闘い”とは何か。
目を細めながら、照らす陽を見つめる。

答えはただ一つ、“存在の証明”である。

“闘い”を宿命付けられ、“闘い”の為に作り出された以上、“闘い”を通すことでしか己の存在を証明することはできない。
そして、ファーブニルにとって“救世主の守護者”という役割を超えた所にそれはあった。そしてその証明を満たし得ると判断した相手が“紅いイレギュラー”だったのだ。

いや或いはその宿命に、“救世主の守護者”という役割を超えさせた存在があの男なのかもしれない。

いずれにしても、彼はそれを求め続けていた。自己の存在を証明し得る“闘い”を。
そして、紅いイレギュラーとの決闘こそが、ファーブニルにとって存在の証明と成り得たのだ。

――――ならば……“僕”はどうだ…?

懐から自身の愛刀、専用ビームサーベル「ソニックブレード」を手に取り、その柄を見つめる。
“救世主の守護者”――――それはファーブニル同様役割にすぎなかった。

その役割を負う自身の“存在の証明”足り得るものは他にある筈だ。
頬切る風を感じながら、自問自答をする。だがどれだけ考えようと、辿りつく答えはただ一つである。

――――それは……「正義」

救世主エックスの「正義」、そしてそれを行使することこそが自身の存在の証明。自分はそれを守り、行うために生まれてきた。
では、その「正義」が真であることは何が証明するのか。
ソニックブレードを強く握り締める。

「僕は……“俺”は……」

その答えもただ一つ。
その「正義」が真であるならば、その「正義」を貫き続けるほかない。敗北も、屈することもあってはならない。何故ならそれが「正義」だからだ。

どれだけの犠牲を払おうと、その「正義」こそが存在の証明である以上、その「正義」を証明し続けなければならない。
そう、“どれだけの犠牲を払おうと”――――たとえ幾千の同胞の血を流し続けようとも…だ。

「俺は……負けんぞ」

“存在の証明”を果たすがために闘ったファーブニル。しかし、その心を理解していても尚、怒りと屈辱を感じてしまうのは、ハルピュイア自身の“それ”に反したが為であろう。
「難儀なものだな」と自嘲気味にニヤリと笑う。そして、ソニックブレードの柄を懐へと仕舞った。

















  ――――  4  ――――


地下深くに広がる真の研究施設。ゼロが落下したのは、その廊下部分だった。
そして瓦礫を押し退け、すぐ傍にある壁をとりあえず突き破ってみたところで、ゼロの足が止まる。

「これは……‥?」

その奇妙な光景に言葉を失う。
仄かな灯りの中、三列ほど置かれた机の上には、毛髪や他の装飾が一切付加されていないレプリロイドの頭部だけがそれぞれ十数個ずつ整列されている。そして、一つ一つの頭部から伸びる数本のコードが、設置された謎の機器へと繋がれていた。
よく目を凝らすと、それらの閉じられた瞼からは何か光る雫が流れているのが見える。おそるおそる近づき、確認する。――――それは“涙”だった。
並べられた頭部、そのどれもが閉じた瞼から涙を絶えず流し続けていた。

「どういう……――――……‥ッ!?」

呆気に取られていると、後方から伸びる二本の腕がゼロの身体を捉える。そして、そのまま一気に引き戻される。

「なにか面白いものでも見つけたか、紅いイレギュラー?」

ゼロを絞めつけたまま、ウロボックルが尋ねる。暗くて顔は良く見えなかったが、その声は焦りを滲ませていた。

「答えろ……あれは何だ?」

「貴様が知る必要のないものだ!」

反対側へと投げ飛ばされ、瓦礫に身体が叩きつけられた。
だが全身を駆け巡る痛みよりも、ゼロの頭は先程の光景のことだけで一杯だった。
涙を流し続ける、四十近くの生首。一体何がなにやら分からず、混乱だけが思考を埋め尽くす。

「…あれが隠していたもの…か?」

「どうだかな。それを教えるほど愚かではないぞ。…シャー!」

スプリング状の爆弾を投げ込む。ゼロは着弾する前にそれを斬り払い、ウロボックルへと跳びかかった。
しかし剣先が届く寸前で、ウロボックルの腕がゼロの身体に巻き付き、身動きを封じる。

「少なくともこの地下施設を隠していたことは事実だ。故に、貴様を生かす訳にはいかなくなった!」

突如、ゼロは体の力が抜けてゆくのを感じる。逆に、ウロボックルのエネルギーは増大してゆき、排熱機構と冷却装置がフル稼働している。
ウロボックルはその両腕からエネルギーを吸収していたのだ。
だが、身体が弱っていくのを感じながらも、ゼロはニヤリと笑う。

「俺と“そう言う勝負”をしようって言うのは…些か迂闊ってもんだぜ?」

両腕のジェネレーターをフル稼働させ、アースクラッシュのエネルギーを蓄積してゆく。するとその莫大なエネルギーがウロボックルの身体へと吸収されていった。

「……成程…確かに容易に許容しうる量ではない……しかし!」

オーバーヒート寸前の状態に耐え、それでもエネルギーの吸収速度を緩めることはなかった。しかし、ゼロの身体も無事ではない。普段ならば一瞬にして放出するはずのエネルギーを絶えず生み出し続けているのだ。その負担はかなりのものである。

「我慢比べと行こうじゃないか!」

悲鳴を訴える身体に構わず、エネルギーの生成を続ける。ウロボックルもまた、関節部から吹き出る煙に臆さずに、その腕を緩めること無くエネルギー吸収攻撃――――ポイズンホールドを続ける。
互いに歪む表情。だが、それでもエネルギーの生成と、その吸収という静かな攻防は続く。

そして数分に及ぶ攻防の末、決着の時が来る。

「つぁ…ッ!!」

発する熱にゼロの腕が煙を吹き始めた頃、ウロボックルの関節部から火花が走り、やがて両腕が肘のあたりから焼け落ちる。そして背中からも、排出し切れなかった熱にやられたのか、焼け焦げた匂いと共に煙が立ち上った。
力が抜けた腕を振り払い、ゼロは僅かな力を振り絞り、フラフラな身体で地を蹴り、ウロボックルの身体へと体当たりをお見舞いする。そして馬乗りになり、ゼットセイバーの切っ先を喉元に突きつけた。

「……もう一度……問う………あれは……何だ?」

息を切らしながら、震える口を動かし、ゼロは問いかける。だが、ウロボックルは答えない。そしてその代わりに高笑いを上げた。

「何が……おかしい?」

ゼロは眉をひそめる。ウロボックルは一仕切笑い終えると、「クックッ」と嘲るような表情をする。

「いや、何……それよりも貴様は他に問うべきことがあるのではないかと思ってな」

心中を言い当てられ、ゼロは「チッ」と舌打ちをする。そして素直に“それ”について尋ねることにした。

「何故…俺を……殺そうとしなかった?」

先程のポイズンホールドは確かに必殺の技であった。だが、この地下施設を見つけるまでの攻撃は、どれだけ激しかろうと、ゼロを撃退こそすれ、完全に命を奪うつもりがあったとは思えなかった。
もしも本当にこの場所を隠し通すことこそが彼にとっての使命であるならば、必殺の技を出し惜しみする必要など無かったはずである。

「……一つ、教えてやろう。貴様にとっても屈辱的な事実を」

尚も、嘲笑いながらウロボックルはその答えを口にする。

「貴様はな……生かされているんだよ。とある命により……な」

「なっ…?」

衝撃的な事実に、ゼロは戸惑いの色を隠せなかった。
“とある命”とは誰から下されたものであるのか。その理由はなんなのか。だが、それ以上問い詰めようと、ウロボックルが答えてくれる気配は一向に無かった。痺れを切らし、ゼロはゼットセイバーを握る手に力を込める。

「……お前の頭を持ち帰るしかなさそうだな」

「…………もう一つ良い事を教えてやろう」

その言葉に、首を斬り落とそうとしたゼロの腕が止まる。それを確認すると、何を思ったのかウロボックルは「フッ」と微笑んだ。そして、静かに口を開く。

「……俺は斬影軍団の一人、ヒューレッグ・ウロボックル」

斬影軍団――――四軍団の内、最も少数により構成された隠密部隊。将であるファントムの命あらば、身の危険も厭わず使命を全うする忠臣のみで構成された精鋭部隊である。
そう……如何なる無理難題であろうと、ファントムからの言葉であれば、必ずや果たさなければならない。この身は、ただそれだけの存在であり、それこそが存在の所以なのだとウロボックルも含め、全ての軍団員が理解していた。

――――如何なる犠牲を払おうとも、任務を遂行する。それこそ我が忠義の証……

たとえそれが自身の命であっても――――……‥

「…この施設の自爆装置は五分で作動する。気張れよ、紅いイレギュラー」

そう言うと、上体を無理やり起こし、自らの頭部をゼットセイバーの刃へと押し当てた。
困惑するゼロを他所に、ウロボックルの頭部は真っ二つに切り開かれてしまった。――――その瞬間、施設内を赤いランプが激しく彩り、警報がけたたましく鳴り響く。

「ダーリン、これは!?」

「野郎っ! やってくれる!」

おそらくウロボックルの死と共に自爆装置が作動する仕掛けだったのだろう。
不明な事だらけで戸惑うばかりだが、ただ一つ理解できたのは先程の台詞。

『この施設の自爆装置は五分で作動する』

先程の部屋を詳しく調査しようにも、その時間はない。
ゼロは急いで立ち上がると、耳を劈くようなエマージェンシーのコールに耐えながら、力の抜けた体を押して、なんとか瓦礫の山を駆け登り始めた。






























  ――――  5  ――――


「……それで、施設からは何も見つけられないまま、自爆されてしまったんですね」

映像通信でジョーヌへと事の顛末を報告する。傷ついたゼロの身体を心配そうに見つめると、ジョーヌは「大丈夫ですか?」と声をかける。

「まあ、傷の方は大したことない。それより任務の方な……そういう訳だから、エルピスには『期待に答えられず申し訳ない』と伝えてくれ」

「分かりました。――――ゼロさんも、無理しないでくださいね。先日の闘将戦といい、戦闘続きですから……。少しお休みになってください」

そう言って優しく笑うジョーヌに、「敵わないな」とゼロは苦笑する。
「それでは」と一言交わし、映像通信を終えた。

「ゼロさんにしては珍しいですね。本当に疲れが溜まっているんじゃないですか?」

ペロケが心配そうに尋ねる。だがゼロは「気にすんなよ」と片手をひらひらと振る。

「敵さんが必死だったってだけさ。――――とは言え、少し休ませてもらうとするかな」

それからペロケに「またな」と声をかけ、廊下へと出た。レルピィがゼロの顔に寄る。

「いいの、ダーリン? あれのこと報告しなくて……」

ゼロは複雑な表情を浮かべて答える。

「“あれ”が何だったのか、詳しいことが言えない以上、報告したところで意味はないしな。俺たち二人の秘密としておこうぜ?」

『俺たち二人の秘密』という言葉がまんざらでもないのか、頬を赤らめ「まあ、別にいいけど」とあっさり引き下がった。
しかしそんなレルピィとは逆に、ゼロは頭を悩ませていた。

――――“あれ”は何だったのか……

あの研究施設で見た、涙を流すレプリロイドの生首。ウロボックルが言った「生かされている」という事実。ゼロの心は明らかにならない幾つかの謎に埋め尽くされる。
そう言われて見れば、後者の方は思い当たらないことがないわけではない。
目覚めた日、忘却の研究所での戦闘の直後、遺跡内にいると思われる敵の警備隊は足止めに現れるどころか、全く姿を現さなかった。マークチームを救った作戦、またアヌビステップとの戦闘の後。傷つき倒れたゼロの位置は補足されていたはずである。それなのに敵部隊は止めを刺しに増援を送り込んでこなかった。

戦いを監視されている――――引かれたレールの上を踏み外さぬよう進んでいるかどうか。
そんな不気味な想像を立てたが、その根拠となる事柄は正直少ない。

涙を流すレプリロイドの生首にしても、例えあれが何かの実験だったとして、それが何なのか判断する材料が足りなすぎる。

――――それに……

どうしてか、触れてはならない事のような気がしていた。その漠然とした想いもまた、報告せずにいた理由の一つでもあった。
せめて研究施設が残っていればと思うが、地下からの激しい爆発によりあっという間に全てが粉々となってしまった。
その光景をもう一度思い出し、苦い顔をしながら、靄々とした物を抱えて、ゼロは自室のドアを開いた。













  ―――― * * * ――――


「研究所の件……誠に申し訳ありません」

黒いコートは膝をつき、自身の部下が冒してしまった失態を謝罪する。
だが、窓から外を眺めていた彼の主は、叱りつけるどころか「フフッ」とただ柔らかく微笑んだ。

「仕方のないことだよ…。彼が来てしまったのだから」

「それに」と今度は苦笑いを浮かべる。

「もう……何の意味もないものだったからね。――――むしろ、そこで命を散らした君の部下に申し訳がないよ」

「そのようなこと……」

「仰らずに」と言いかけて、やめた。彼の言っていることは事実だった。既に“あの場所”には何の価値もなかった。それが分かっていても尚、死守を命じ続けたのは、所詮彼の悪あがきだったのだ。
無表情の裏に彼が抱えた複雑な想いを感じ取ったのか、彼の主はゆっくりと近づき静かにしゃがむと、その肩に手を置いた。

「……ファントム……君の忠誠、嬉しく思うよ」

それは間違いなく真実の言葉だった。
ファントムは顔を上げ、彼の主――――救世主と視線を合わせる。

「……それは当然でございます。拙者は貴方の……――――……‥」

「――――“影”…だったね」

ファントムが口にするより先にそう言って、もう一度優しく微笑む。

忘れてなどいない。あの日捧げられた誓いの言葉。互いに交わした約束。
哀しみと絶望の淵から、力強く掬い上げてもらったあの時の事は、今でも鮮明に思い出すことができる。
そして、その時から“この闘い”は本当の始まりを告げたのだから。

二人はほぼ同時に立ち上がる。そして、ファントムは自分の胸に拳を当てた。

「……“太陽”照らし続ける限り……“影”消えること無し」

そう言うと、静かに振り返り、暗い影へと姿を消していった。
一人残された救世主は、もう一度窓へと寄り、手を当て、空を眺める。

「……『“影”在り続ける限り…“太陽”沈むこと無し』…………」



天高くより窓へと差し込む陽の光が、やけに眩しく感じられた。
































 NEXT STAGE









      レスキューコール

















[34283] 15th STAGE 「レスキューコール」
Name: 村岡凡斎◆45ff140f ID:697d6d9c
Date: 2012/10/30 23:29


  ―――― * * * ――――


あたり一面を彩る白銀の世界。肌に触れる風は冷たくも優しく、照らす陽の光はガラスのような結晶に眩しく反射する。

ここは最北の地、「ボレアス山脈」。年中、見渡す限りの全てが雪に覆われた、汚れ無き純白の地。
その風景は現在繰り広げられている血で血を洗う世界戦争の存在すら、まるで夢であるように感じさせる程、何もかもが澄み渡っていた。

思った以上に深く踏み込んでしまった足を引き抜き、また前へと進む。
普段ならば面倒くさく感じていただろう、歩き難い積雪さえも、争いの欠片も見当たらない白い大地に魅せられては、何処か愛おしさを感じてしまう。

けれど、どんな世界であれ完全はない。
左手を眺めると、遠方に人工の建造物が見える。その存在こそ、ここが敵の勢力圏の真っ只中であることを印象づけていた。

ゼロはそこから視線を外し、もう一度辺りを見渡す。そこに見えるのは全てを覆う“平和の白”。
それから一人、軽く目を瞑ると、ふと理由も分からず込み上げるやりきれない思いと共に、小さくため息を付いた。





















 15th STAGE











      レスキューコール
































  ――――  1  ――――


「『“貪り尽くす者”の名を冠する安息の地より、救いの手を求めん』」

それは突然のことであった。
とある正体不明の暗号データがどこからともなく白の団へと送られて来た。
そのデータの送り手は、自身の足跡を残さぬよう様々な策を講じたらしく、どこから送り込まれてきたものなのかすら突き止めることができなかった。
侵入経路も、目的も、送り手も分からぬ、その謎のデータのおかげで団内は一時騒然となった。
ウイルスデータである可能性も考慮しつつ、慎重な解読作業が行われた。厳重な暗号に対し二日がかりで行われた作業の結果、たった今シエルがモニター越しに口にしたその一文をようやく拾うことができたのだ。

「『“貪り尽くす者”の名を冠する安息の地』?」

ゼロはたった今聞かされた不可解な文章に眉をひそめる。

「“貪り尽くす者”――――おそらく“ボレアス山脈”のことを指してるんだと思うわ」

モニター内でシエルの顔を映しているウインドウが端へと縮小し、代わりにマップデータが示される。そこには最北の地として名高いボレアス山脈の場所が示されていた。

「この一文とは別に、暗号から解読したデータを入力すると……」

マップデータに特定のポイントが示される。おそらくこの場所に何かがあるのだ。

「『救いの手を求めん』――――……ということは、そこで誰かが助けを求めている……ということでしょうか?」

ペロケの問いにシエルは小さく頷く。

「多分そうだと思う。……思うんだけど……もし本当に誰かが助けを求めているというなら助けてあげたい……んだけど、問題があるのよ」

ボレアス山脈は当然のことながら現在、ネオ・アルカディアの勢力圏内である。イレギュラー戦争時に扱われていた要塞が、戦略研究所の実験施設として利用するべく整備され、冥海軍団がその守備を行なっている。

「そう簡単に足を踏み入れていい場所ではないし……エルピスも『研究施設へと手を出すより、もっと重要な戦略拠点を叩くために力を温存しておくべきです』って……」

不可解な文章一つのために、そのような場所へ出向く必要はないし、リスクを冒すメリットも見当たらない。エルピスの言い分は明らかに正しかった。
しかしゼロには、シエル自身は納得し切れていないことがその表情から手に取るように分かった。

「それでも救いたいんだろ?」

少し意地悪そうに笑う。シエルは本心を言い当てられ、苦笑する。

「流石ね……。うん、ゼロの言うとおりよ」

送り手が分からぬように、容易に解読されぬよう厳重な暗号に不可解なメッセージを隠したのは、それだけ重要な意味合いがあるはずだ。
それこそ、敵の罠と考えるには余りに手が込みすぎているし、容易に無視して良い物ではないだろうと思えた。
だからこそ、ゼロにこの話を伝えたのだ。

「仕方ないな。任せろよ、小娘」

「ごめんね。ありがとう、ゼロ。――――とにかく確認するだけでいいから。もしも敵と交戦するような事態になったら、無理せず帰ってきて」

「了解」と返事をすると共にゼロは振り返り、扉へと向かった。――――が、何かを思い出したようにその足を止める。

「なあ、小娘。一ついいか?」

「なに?」

振り返り、もう一度モニターに映るシエルの瞳を見つめる。

「俺が眠っていた場所――――“忘却の研究所”を、お前は一体どうやって見つけたんだ?」

シエルはその問いに思わず「え?」と声を漏らす。このタイミングで聞かれることとは思っていなかった。
だが、よくよく考えてみればゼロの問いはもっともだった。「ゼロ」という重要機密が保管されたポイントを探し出すことはそれ程容易なことではないだろうし、そもそも百年も昔の旧式レプリロイドに頼ろうという考えも、それ以上に、その存在自体を十四歳の少女が知り得ていたのは自然な事とは思えない。
それから、少しだけ迷うように目を泳がせた後、シエルはその問いに答える決心をした。

「あなたが眠っている場所を教えてくれたのは“マザー”よ」

ユグドラシルに据えられたスーパーコンピューター――――「マザー」。過去、世界各地に設置され世界のネットワークを管理、統括していたそれは現在、その機能を一台に統合させれながらも稼働を続けていた。そこにはもちろん、百年以上前から現在に到るまでのあらゆるデータが保管されており、確かにゼロの存在を記録していたとしても何らおかしくはない。

「私がネオ・アルカディアを出る時、『おじいさま』と“彼女”が一緒にサポートをしてくれたの。そして、あなたのことを教えてくれた。『いつかその力が必要になった時のために』……って」

マザーは意思を持っていた。
レプリロイドほど高度な感情と呼べるものを持ちあわせてはいない。しかし、いつから備えられた機能なのかは分からないが、自ら思考し、決断するだけの意思を確立していた。

「なるほど…ね」

呟きながら、ゼロは小さく頷いた。
自分がレジスタンス側として目覚めさせられたのは、シエル個人の考えからではなく、他者からの助言あってのことだったのだ。それならばいくらか合点がいく。――――先日の疑問への答えとしても。

「急にどうしたの?」

考え込むようにしてじっと黙るゼロに言葉をかける。だが、ゼロは「いや、なんでもない」と笑いながら答えた。

「ちょいと気になっただけさ。ありがとよ」

「それじゃな」と再び振り返り、廊下へと出ていった。

「どうしたのかしら……?」

ゼロが出ていった後、シエルはモニター越しに扉を見つめながら心配そうに呟く。ペロケがその声に答える。

「どうも……デュシスの森での一件があった後から、時折、なにか考え込んでいるようで……」

「そう……」

また何かを一人で抱え込んでいるのではないかと不安になる。
これまでもずっと、ゼロはいつだって、弱音も吐かなければ何か相談してもくれていない。どんなトラブルがあろうとも一人で解決しようと孤独に奮闘する。
心配懸けまいとしてくれているのは分かる。だが、時折その背中がどこか痛ましく見える。ここ最近は特に。
何かを吹っ切ったかと思えば、また何かを抱えてしまったようで、シエルにはそれがとてつもなく心配だった。
せめて何か少しでも、その負担を分けてくれれば良いのにと思わずにはいられない。
けれど――――……‥

「まあ、心配していても仕方ないわね。話してくれるのを待ちましょう」

「ですね。とにかく全力でサポートをさせて頂きますよ」

ペロケは、シエルに気を遣ったのか、笑ってそう答えた。

――――そう、心配しても仕方ない。

「分けてくれ」と言うこともできる。だが、英雄として“それら”を抱えようと、きっと彼は決心したのだ。それならばその誇りを尊重してあげたい。

――――それに……‥

自分もまた、誰にも言えずにいるモノを抱えている。だからこそ、無用な詮索をされたくない者の気持ちも分かるのだ。
















  ―――― * * * ――――


自室のベッドに腰を掛けながら、ゼロは考えを巡らせる。

シエル達、白の団をサポートしたマザーの存在。彼女が自分の存在をシエル達に教えたというならば、先日の謎にはマザーが関わっているのだろう。

『貴様はな……生かされているんだよ。とある命により……な』

ウロボックルの台詞がまたしても木霊のように耳の奥で響く。

ここまでで間違いがないのは、ある程度の権力を持った者が、ネオ・アルカディア内の現体制に対し叛意を持っているということ。そしてその勢力は既に四軍団内にまで及んでいるということである。
それが例の“おじいさま”である可能性もあるが、決して高くはない。既に一線から退き、隠居状態であると聞く彼にそこまでの力は無いと考えられる。だが、おそらくは“おじいさま”と関係している“元老院内の何者か”だ。現体制――――つまりは救世主に対する叛意を持っている権力者なのだから。

“おじいさま”と結託しているであろう、バックに居る何者かが、マザーにゼロの存在をシエルへ教えるよう指示を出した。
そして今現在も、この戦いの行く末を見守り続けている。

ゼロを生かす理由――――それは即ち救世主への対抗馬としての必要性。
おそらく白の団によるレジスタンス活動よりも、その何者かにとってはゼロという存在が無事に救世主を討ち果たすことが出来るかどうかが重要なのだろう。
だからこそ、白の団の犠牲を無視しながらも、ゼロの命だけは失われぬよう予防線を張っているのだ。

何故、自らゼロを使い、反乱に打って出ないか。
まず一つは、白の団にゼロを見つけさせることで、ゼロが自然とこの戦争へと介入できるよう促したという点が考えられる。
実際に、ゼロはこうして戦う意義をここに見出し、ネオ・アルカディアと戦っている。
そしてもう一つは、自身の地位を保ったまま計画を進めるということ。その理由は反乱の体制が整っていないという可能性も考えられるが、現在の地位を最終的に利用しようとしているのではないかということが考えられる。

「なんにしろ気分の悪い話だぜ……」

その人物は裏で糸を引き、舞台が思い通りに進んでいることに対し、殊更嬉しそうにほくそ笑んでいることだろう。傷つくことも、苦しむこともないままに。

「やれやれ」と呟きながら、ベッドに体を預ける。だが、今はそれでもよしとしよう――――ゼロはそう思った。
どんな裏があるにせよ、シエルの作る未来の為に剣を振るおうという決意に何ら変わりはないのだ。そしてまた、もう一つ抱いた新たな誓いにも。

「……どいつもこいつも間怠っこしいもんだ」

その“何者か”も、先程の救援要請にしても。――――そして、自分自身も。
もっとストレートに物事を整理できたなら、楽だっただろう。しかし、それができないからこそのレプリロイド――――感情を持った擬似生命体なのだ。

それから、寝転がったまま大きく伸びをして、起き上がる。
そして、寒冷地用の調整をするためにメンテナンスルームへと足を向けた。































  ――――  2  ――――


そして、“それ”は死を覚悟した。
傷ついた同胞の身体を運ぼうとした瞬間、“それ”は“彼”がそこで待ちぶせていることに気付いた。しかし時既に遅く、“彼”が目と鼻の先に立ちはだかり、退路は断たれてしまった。
“彼”は理性を失いながらも――――本能というものなのか――――獲物を狩るための知恵を未だ維持していたのだ。きっとそれも、いずれ失われてしまうのだろうが。

“それ”は、こちらを睨みつける“彼”の、意思という光を失った虚ろな眼をじっと見つめ返す。

“それら”と“彼”はかつて友であった。その筈だった。
世界にただ一つ残る最終国家――――“彼”はその軍に属していたが、とても穏やかな心を持ち、遥かに永い時をこの雪山の中で隠れ過ごしてきた“それら”に友愛の意を示し、護り続けてくれた。
だが、数週前より“彼”は少しずつ変わっていった。
初めは、時折、何かを忘れたように虚ろな瞳を見せる程度だった。それからしばらくして、突如呼吸を荒げるようになった。それからまたしばらくすると、“彼”は一度姿を消した。
そして再び現れた時、“彼”は今のように理性を失いながらこの雪山を散策しては、帰ってゆくという行動を繰り返した。

今ではもう、“それ”がどれだけ言葉をかけようと答えてくれることはなくなってしまった。

“それ”は、“彼”に起きた異常を何とかしてやりたいと思い立ち、旧友に願いを込めた。結果、そのメッセージは届けられた。先日のことである。
だが、それもまた遅かった。
今、ただの殺戮兵器と化してしまった“彼”により、“それ”は破壊されるだろう。
“それ”は死を覚悟した。

しかし、“それ”にとって自身の死など、どうでも良いことであった。

――――自分たちは、もう十分に永く生きた…………

正確に数えるなら、“それ”自身が生きた時間は百五十三年四ヶ月と十九日、二時間十七分三十八秒。――――三十九……四十………

今もまだ進み続ける生の秒針は、老朽化しても尚、正しく時を刻み続けている。
正直の所、百二十年程前――――世界の終焉たる大戦の折には既に死の覚悟ができていた。
いや、「覚悟」という表現は正確ではない。そもそも死というものに対し抵抗などなかった。何故なら死というものは“それ”にとって単なる事実でしか無かったし、意思や命を持つ者たち全てに、共通に訪れる事態であると認識していた。

――――だからこれは「覚悟」ではない

“彼”が振り上げた右腕の爪を見つめながら思う。

言うなれば「悟り」。「ここで死ぬのだ」と、極めて冷静に理解した。今この時、この場所で自分は死を迎えるのだと認識した。――――ただそれだけだ。だからそんなことはどうでも良い。

それでもただ一つだけ心残り(この表現も厳密に言えば誤りであるのだが、最も理解しやすい表現であるためにこのように呼ぶ)があるとするならば、やはり“彼”のことである。
“彼”はこのまま、ただの殺戮兵器と成り下がり、戦いの中で命を散らしてしまうのだろうか。あんなにも平和を尊び、温かく、優しかった“彼”が、そのように死を迎えてしまうのか。

そう思えば、自身の行動の遅れを恨まずにはいられない。そしてそれを“彼”に詫びたいという思考で脳内は埋め尽くされた。



“彼”との遭遇からここまでで、二分十四秒。そろそろ終わりの時だ。
願わくば、かの英雄が“彼”の魂(これもまた言葉のアヤでしか無い)を救ってくれることを願うばかりである。


そして荒い鼻息と共に、極太の腕に備えられた四本の氷の爪が、七十センチ程しかない“それ”の身体に向け、素早く振り下ろされた。




――――瞬間、“彼”はその手を止めた。


“それ”は淡い期待を抱いたが、即座にそれを捨て去った。“彼”は背後より高速で接近してきた第三者の反応を知覚し、素早く振り返ると、そのまま右腕をそちらへ向け振りぬく。
背後より“彼”へと光の剣を振り下ろした真紅のコートを纏ったレプリロイドは、その剣で咄嗟に“彼”の一撃を防いだ。しかし、強烈な一撃に、後方へと弾き飛ばされる。

「なん…っつう馬鹿力だ…!」

現れた男はそう悪態を吐きながら、無事に着地する。

――――あれは……

“それ”は男を視界に捉え、その容姿からデータを照合する。そして何者であるかを確認すると、僅かに安堵した。

――――間違いない……彼は……彼こそが……――――……‥


















  ―――― * * * ――――


――――状況を整理しよう………

ゼロはゼットセイバーを構え、ここまでの流れを思い返す。

ボレアス山脈に辿り着いた後、敵の反応を警戒しつつ目的のポイントへと向かっていた。その途中、この雪景色のような白い背中を視界の端に捉え、足を止めた。それこそが今対峙しているミュートスレプリロイドの背中であった。
一時は身を隠し、遣り過ごそうとしたのだが、ミュートスレプリロイドが殺気を放ちながら何か小さいものと向かい合っているのを確認すると、その尋常ではない雰囲気に思考を改めた。
そして、そのミュートスレプリロイドが見るからに力強そうな右腕を、対峙している何者かへと向け、大きく振り上げるよりも早くその場から飛び出し、ゼットセイバーを引き抜き、斬りかかった。
弾かれ、そのまま着地し、応戦の構えをとる。そして、ミュートスレプリロイドが今にも殺そうとしていた相手が何者であったのかを確認した。――――そこで、ゼロは予想外の事態に呆然とした。

――――奴が襲いかかろうとしていたのは……

一瞬、その形状からレプリロイドであるかと思ったのだが、正確な識別をしたところそれは誤りであった。

――――あれは……

間違いない。そこにいたのはメカニロイド。兎の形状を模して作られた、紛れも無いただのメカニロイドであった。
だがそれは、傷ついた同型のメカニロイドを、まるでその身を呈して守るように、ミュートスレプリロイドと対峙していた。感情も、心も持たぬ筈のメカニロイドが――――である。
このような雪山の真ん中で、ネオ・アルカディアの四軍団内でも幹部クラスに据えられる程優秀なミュートスレプリロイドがただ一機で、ただのメカニロイドを破壊しようとしていた。
このような雪山の真ん中で、今にも破壊されようとしながらも、感情を持たないメカニロイドが――――プログラムに忠実に動作する筈のメカニロイドが、己の危険も顧みず、同型のメカニロイドを護ろうとしていた。

――――なにが……どうなって……

その異様な光景には、奇妙な違和感しか感じ得ることが出来なかった。天地がひっくり返る程、壮大な事態が起こったわけではない。もっと微妙で、些細な異常事態だ。しかし、それ故にどうにも受け入れがたい事態であり、整理がつかないのだ。一瞬、自身がどうしてこのような場所に来たのかすら忘れてしまうほど、ゼロはただ呆然としてしまった。
その隙を突くように、ミュートスレプリロイドがゼロへと襲いかかる。ゼロは間一髪のところで目の前の事態を無理矢理呑み込み、左腕の一撃を躱す。

「ごちゃごちゃ無駄なことを考えてる余裕はないな……」

どんな異様な事態の中であろうと、今対峙している相手はミュートスレプリロイドである。その実力を舐めてかかってはいけない。もう一度強くゼットセイバーを握り直し、敵を睨む。――――そしてまた新たな違和感がゼロを襲う。

――――こいつ……なんだ……?

その眼に輝きはなかった。虚ろになりながらただ殺気だけを放っている。また、気づけば先程から荒く鼻を鳴らし続けている。まるで興奮の絶頂の中にいるように。
それは明らかに正常ではなかった。

異様な状況、異常な敵――――ゼロはまたしても思考を巡らしてしまう。そしてその隙を突くように、ミュートスレプリロイドは地を蹴り、一気に間合いを詰め、右腕を振り上げる。

「しまっ……!」

躱すことも、防ぐことも手遅れであろうその状況に、ゼロは己の失態を呪い、恥じた。そして一撃を受ける覚悟を決め、歯を食いしばる。
――――刹那、ミュートスレプリロイドの腕が、ゼロの身体を捉える寸前でピタリと止まった。そして、何を思ったのか、彼はゼロから視線を外し、当たりを見回す。まるで何かに呼ばれたように、ある一方向へと視線をやった。
またしても不可解な状況に、ゼロは戸惑う。だが、動きを止めたミュートスレプリロイドの腹部が無防備であることを確認すると、その戸惑いを振り払った。

――――なんなんだか知らないが……その隙、命取りだぜ!

ゼットセイバーを腹部へと狙い定め、勢い良く振る。――――が、既のところで、ゼロもまたその刃をピタリと止めた。

「………な…………!?」

ゼロとミュートスレプリロイドの間に、先程の兎型メカニロイドが、今度はミュートスレプリロイドを庇うように立ちはだかった。ゼロをじっと見つめている。

「おい……退いてろ!」

思考が追いつかぬまま、その兎型メカニロイド――――「レイビット」に怒鳴りつける。だが、レイビットはゼロを見つめたままその場から動く気配を見せない。それどころか、その見つめる眼差しには、異様な気迫のようなものを感じられた。――――ただのメカニロイドであるというのに。

そうこうしている内に、ミュートスレプリロイドは右腕を静かに下ろした。そして、何も言葉を発さぬまま、ゼロとレイビットに目もくれず、何処かへと向け歩き始めた。

「ちょっと待て!」

その理解しがたい行動に、戸惑うまま声をかける。そして追撃をかけようと、地を蹴ろうとした瞬間、脚に何かが擦り寄っていることを確認した。

「……お前…」

先程のレイビットだった。まるで今度は「放っておけ」とでも言うように、ゼロを見つめている。それに気を取られている内に、ミュートスレプリロイドの背中は遠ざかり、ついには見えなくなってしまった。
追撃ができなくなったことに複雑な想いを抱きながら、ゼロはゼットセイバーを左腕に収める。そして、身を屈め、レイビットを見つめる。
先程から、眼の前にいるこのレイビットの行動は不可解なものばかりであった。同型機を守るように、そしてミュートスレプリロイドを庇うように――――その動きは、まるで意志を持っているかのようだった。
いや、そもそもこれだけ古い型のメカニロイドが、自分同様、今でもこうして稼動していることに驚きを隠せない。間違いなく、「レイビットシリーズ」は百年前――――ゼロが活躍していたイレギュラー戦争時代以前のものである。それがこのような雪山で一体何をしているというのか。

「お前は………なんなんだ……?」

思わず問いかける。











〔『なんなんだ』という君の問いに対し、私は幾つかの回答を提示することができる。君が望むのはどれだ?〕

突如として脳内に響く音声に、ゼロはぽかんと口を開ける。

「今の……は……?」

〔『今の』というと、先程私が行わせてもらった、君への音声通信のことであろうか? それならば、申し訳ないが白の団が扱っている通信コードを借用させてもらった。君と直接語り合いたいのでね〕

またしても声が響く。どこからともなく語りかけてくる、初めて聞くその声に、ゼロは思考を巡らす。――――だが、どれだけ考えても、ある一つの答えにたどり着いてしまうのだった。いや、だからこそ受け容れ難く、理解が出来なかった。そんなゼロへ、声は語りかけ続ける。

〔その表情からすると君は、私――――眼前にいるレイビットが声の主であることにようやく気づきつつも、その事実を容認できないというところであろう。無理もない。私と出会った者は必ず、事実を受け容れるまでにある程度の時間を要する。焦ることはない、じっくり受け容れてくれれば良い〕

レイビットはそう告げ、さらに言葉を続ける。

〔それでは先ほどの問いに答えよう――――と、その前に、せっかくこのような辺境まで足を運んでくれたのだ。歓迎の挨拶をさせていただこう〕

そう言うと、レイビットは佇まいを直すようにして、未だ呆然としているゼロと向かう。そしてお辞儀をするように頭を下げる。

〔ようこそ、伝説の英雄ゼロ。私“たち”は君を歓迎する〕

気がつけば二十数機のレイビットが辺りを囲むようにして並び、同じように頭を下げていた。
ゼロは混乱する一歩手前で、意識を保つのに精一杯で、状況を受け容れるまでに十数分程、呆然と目の前のレイビットを見つめていた。




























  ――――  3  ――――


ボレアス山脈研究所内の一室。手渡された資料を一通り眺めた後、そこに記された詳細な数値とその意味を細かに確認してゆく。
感情の起伏、動作精度、行動パターン、戦術認識……――――試験開始後からの、被験体に起きたありとあらゆる反応の経過がそこに記載されていた。

「予想以上の結果ね………」

レヴィアタンが思わず呟くと、横で待機していたベンハミンがニタリといやらしい笑みを浮かべる。

「でしょう? 正直な所、ここまでの結果は我々自身も予想だにしていませんでした」

戦略研究所第三研究室が手がける「破壊衝動プログラムのネットワーク媒介注入計画」――――戦闘時における破壊衝動の増大、思考、感情の一時的短絡化による戦闘レスポンスの引き上げを目的とした「破壊衝動プログラム」の開発とその注入計画。その評価試験がこの研究所にて現在進行中であり、レヴィアタンは査察の為に足を運んでいた。
実際のところ、彼女自身この計画についてはあまり乗り気ではなかった。責任者であるベンハミンへの嫌悪感も相まって、適当な理由をつけて何度か延期を重ねたのだが、執拗なベンハミンの要請にとうとう折れてしまい、嫌々ながらもこのような北の果てまでわざわざ出向いてきたのだった。
しかし幸か不幸か、計画自体は無下にしていい結果とはならなかった。
プログラム注入後のデータからは、攻撃的な感情に脳が支配され、理性的な言動や思考は著しく減少している。しかし被験者が元々備えていた戦闘能力、戦場で培った戦術的な思考等はその行動に確かに反映されていることが計測されたデータ上では確認できる。
つまりは注入した者を「効率的な破壊マシーン」へと変化させるという、この計画の目的は達成に近いところまで来ていたのだ。

「それにしても……まさか、彼を被験者に選ぶとはね」

被験者であるミュートスレプリロイドの名前を指でなぞり、どこか懐かしそうに目を細める。

「そういえば、彼は妖将様の部下でしたな」

「……一応ね。戦うことを嫌って、一線から退いたけれど。……まさか、戦うための戦闘マシーンに改造されてしまうなんて、思いもよらなかったでしょうね」

あれは三年ほど前のことだったか――――
その体躯と腕っ節の強さから、彼の戦場での活躍には目覚しいものがあった。他のミュートスレプリロイドも彼には一目置いていたし、レヴィアタン自身も彼の力を認め、信頼していた。いつしか彼は冥海軍団きっての猛将として知れ渡るまでになっていた。
しかし実際の所、彼は戦いを好まなかった。
敵であろうと傷つけること、壊すこと、殺すことを嫌った。そこにはある種の恐怖のようなものさえ見えた。
そして今より三年前に、「戦うことに疲れた」と彼は後方支援への転属を願い出た。そして、レヴィアタンはそれを受諾した。
彼は前線を離れ、このボレアス山脈の防衛戦力としての任に就いた。

「優秀な戦力でありながら、戦うことを好まぬ性格――――この計画の素材としては完璧でした」

ベンハミンはニタニタと笑いながら、レヴィアタンの顔に近づくようにして、彼女が見ている資料を覗き込む。

「定期的なプログラム注入により性格が段階的に変貌し、より好戦的な思考へと変わっていく様がこのように確認されています。しかし、その状態での戦闘シミュレーションの結果から、戦闘において有用な戦術の認識、活用能力への負の影響は僅かな数値に留まっている。これは実戦に投入するのに十分な結果であると結論づけられます」

レヴィアタンは資料を投げるように返し、興奮し荒くなったベンハミンの鼻息から逃げるようにして立ち上がった。

「彼と話はできないかしら?」

「ええ、まあ……プログラムが完全に定着してはおりませんので、本来の自我を取り戻す時間は僅かですがあります。その時でしたら可能でしょう」

精神プログラムの崩壊を招く可能性も懸念され、破壊衝動プログラムを一気に注入するようなことはできず、段階的な注入が行われていた。
そのため、プログラムの効力が発揮される期間は、現在のところ限定されている。

「今は?」

「今――――ですか……」

レヴィアタンの問いに、ベンハミンは何処かバツが悪そうに口端を歪める。

「何? どうかしたの?」

「ええ、まあ申し上げにくいと言うか……実は現在、予定外試験も進行中でして……」

「『予定外試験』……?」

その言葉にレヴィアタンは眉を潜める。ベンハミンは慌てて取り繕うように、笑顔を作る。

「ああ…いえ、先に言っておきますが決して隠すようなことではないのです。しかし……少し説明がしづらいもので……」

「どういうこと?」とレヴィアタンが問い詰めようと口を開いたと同時に、部屋の扉が勢い良く開く。そこから一人の男が「主任」とベンハミンを大声で呼びながら、慌てたように駆け込んできた。
その様子に、ベンハミンは思わず声を荒げる。

「貴様、妖将様がいらしているのだぞ! 無礼であろう!」

「も…申し訳ありません! しかし緊急事態が!」

部下と見られる男はベンハミンの傍へと駆けより、何かを耳打ちする。すると、ベンハミンは驚くままに目を見開く。

「それは本当か……?」

半ば疑うように問い返すベンハミンに、部下は「ええ、間違いなく」と確かに頷く。
それから、その様子を静かに見守るレヴィアタンを一瞥した後、ベンハミンは腕を組み考え込む。そして意を決すると、部下に頷き返す。

「申し訳ありません、妖将様。……しばらくこちらでお待ちを――――……‥」

「紅いイレギュラーが来てるんなら、私に言うべきなんじゃなくて?」

ベンハミンとその部下は、会話の内容を言い当てられ、ビクリと首をすくめる。レヴィアタンは小さく嘲笑を浮かべる。

「今度から内緒話は有線通信で行うことね。――――それで? どういう状況?」

回答に戸惑うベンハミンを尻目に、部下はレヴィアタンに問われるまま、答えた。

「はっ。ボレアス山脈に出現した紅いイレギュラーは予定外試験中の被験体に対し、攻撃。一時交戦状態となりましたが、我々の判断により帰投命令を送信、紅いイレギュラーを怯ませ、基地へと無事帰投致しました」

「なるほどね……。それではベンハミン主任?」

「クスッ」と笑いながらベンハミンへと視線を移す。

「『予定外試験』とやらについて、洗いざらい話してもらうわよ」

戸惑いの後、観念したベンハミンは小さくため息を一つ吐く。それから「こちらへ」とレヴィアタンを連れて部屋を出た。













―――― * * * ――――


山の斜面にできた洞穴の中は、入口の周辺までしか太陽光が届かないため、奥深くに行くに連れ非常に暗くなっていた。
ギリギリ明かりが届く位置で、傷ついたレイビットの応急処置を済ませ、ペロケが「ふぅ」と一息つく。

「浅いとは言い切れない傷でしたが、とりあえずはこれで大丈夫な筈です。あとは自己修復機能で直に治ると思いますよ」

手当を受けたレイビットは、まるで意思があるかのごとく、お礼をいうように頭を下げた。

「それにしても……本当に驚きですね……まさか大戦前のメカニロイドが今もこうして稼動しているというだけでなく、意思を持ち、コミュニティーを形成しているとは」

洞穴内にいるレイビットたちを見渡す。
ゼロに連れられてこの場所に来たのだが、ペロケもまたゼロ同様、音声通信により自らの意思を伝えるレイビットと向かい合った時はしばらく思考が止まってしまった。

〔過去には数百機のレイビットがここに存在していた。しかし、老朽化し機能を停止する者、自ら犠牲となり我々の一部となった者……そうこうしている内にこれだけの数になってしまった〕

レイビット達のリーダー格――――自らを“C”と名乗るレイビットがここに至るまでの経緯を説明する。

〔ある研究の過程で私には、ここにいるレイビット群が直接アクセス可能なハブ電脳が搭載された。これは群の思考統率を効率化し、並列化を容易にした〕

軍事利用を目的としたものであったか、それとも研究者の興味本位か、その電脳を搭載されたCはレイビット群の思考を統率するリーダー機として据えられ、このボレアス山脈に放たれた。その時にはCにも自我や意思と呼べるものは存在しておらず、他のメカニロイド同様、プログラム通りに単純な思考と行動だけを繰り返しただけだった。
だが十数年が経過した頃、異変が起きた。

〔ネットワークとの接続を続け、私は情報や知識を積み上げた。同様に、サイバー空間上に漂っていたと思われる、他のレプリロイドの精神プログラム――――その断片とも呼べるデータも蓄積されていった〕

ネットワークと接続をしたまま機能停止したレプリロイドの精神プログラムの断片が、サイバー空間に放流されるという話は実際にいくつかあった。
そしてサイバー空間上に放流された精神プログラムの断片が、ネットワークを経由し、他のコンピューターに何かしらの影響を及ぼすというトラブルも極稀ではあるが確認されていた。

〔いつしか私は“私”を認識し始めた。――――もっとも、ハブ電脳を搭載しているのが“この個体”であるから、私は“この個体”を“私”としているだけで、意思自体はサイバー空間上の仮設領域で群の思考を収束させることにより成立している。更に付け加えるなら、この“私”は先ほど述べた精神プログラムの断片が堆積した結果、誕生したとも考えられる。つまりは“私”と言えど、今現在稼動しているこの身体に元々宿っていた意思という訳ではないということだ〕

収集した精神プログラムのデータからか、はたまた学習経験としてのデータからか。感情と呼べるものが未だ芽生えていないというだけで、その思考能力は既にレプリロイド並に複雑化していた。

「面白いもんだな。……まあ、データだけで生命体を名乗る連中がのさばる時代だ。メカニロイドが意思を持つなんてのもおかしくないのかもな」

「『のさばる』って…もっと良い言い方があるでしょ」

ゼロの言葉に対し、「データだけで生命体を名乗る」電子生命体のレルピィが不満気に口を尖らせる。

〔イレギュラー戦争前は、メンテナンス等は人間の科学者たちが適度に処置してくれた。だが戦争が始まり、戦場が拡大するに連れ、この山脈も安全とは言えなくなり、人間たちは避難した。そして、それから二度と帰ってくることはなかった〕

ボレアス山脈における研究データは十分に収集できたからか。それともどこかで戦争に巻き込まれ死んでしまったのか。科学者たちはこの雪の山脈にレイビットたちを残したまま、離れていった。

〔しばらく経った頃、耐久年数を超過したものが機能を停止していった。数が減ってゆくことは、やがては群の死を意味する。既にレプリロイド並みの知能を得た我々は死を回避すべく、その方策を取った〕

Cの背中のカバーが開き、複数のケーブルが飛び出す。その先には作業用のマニピュレーターが取り付けられていた。

〔機能を停止した仲間の部品を使い、生き残ったものを整備することにした。数が減っていくことを止めることはできなかったが、その速度を緩めることはできた。かくして、我々は数十機の仲間を失いつつも、生き延びることができた〕

仲間の血肉とも呼べる部品や回路を自らの身体へと移植することで、命をつなぎとめた。
しかし、そうしてイレギュラー戦争後の危機を乗り越えると、また新たな弊害が現れた。

〔この世に残る唯一つの最終国家、ネオ・アルカディア。その軍団がこの雪山を支配下に置いたのは二十年ほど前のことだ〕

この地に、戦後より残されていた研究施設を占拠し、要塞化。ボレアス山脈を手中に収めた。
警備用メカニロイドや巡回していたパンテオンにより、発見された者はイレギュラーとして処分されてしまった。

〔そのおかげで更に数は減っていき、今では洞穴に暮らす私達しか残ってはいない〕

百年以上昔、自由に雪山を駆け巡っていた数百機のレイビットは二十数機にまで数が減り、このような洞穴の中で肩を寄せ合い生きていた。

「それで、あの暗号データか…?」

白の団宛てに送りつけられてきた、救いを求める暗号文。それはこの場にいるレイビットたちからのレスキューコールだった。

〔……サイバー空間上で知り合った、私達にとって“友”と呼べるものが君たちについて教えてくれた〕

「『友』……?」

〔何者であるかを詳しく教えることは“彼女”の意にそぐわないため、申し訳ないができない。だが、サイバー空間上で意思の遣り取りを可能とし、君たちへの通信経路を把握している者と言ったら見当がつくだろう〕

ゼロとペロケは顔を見合わせる。Cの説明から、二人が考えついたのは唯“一つ”――――おそらく、互いに同じ物を思い浮かべていた。確かにネットワークを司る“彼女”であるならば、サイバー空間上に漂うCの意思と交信し、白の団との仲介も可能とするだろう。

〔あの厳重な暗号は、様々なトラブルを想定した上での保険と、君たちの興味を惹くために“彼女”が考案してくれたものだ。その予想通り、君たちはそのメッセージに惹かれ、この場所へと足を運んでくれた〕

「まんまと踊らされたわけか」と、ゼロが苦笑いを漏らす。成程、“彼女”は白の団――――特にシエルの思考をよく理解していたらしい。流石と言ったところだろう。
おそらく、出会った時のCの口ぶりから、派遣されてくるのがゼロであるということも予測済みだったのだろう。確かに、このような敵地に、怪しげな暗号文の事実確認に向かわされる者といえば、現在、白の団においてはゼロ以外に考えられない。

「……それで…? 『救いの手を求めん』って言うのは……つまりはネオ・アルカディアの連中を追っ払ってくれってことか?」

単純な思考能力しか持たぬメカニロイドであったなら生への執着など生まれなかったことだろう。それはおそらく、群となり、複雑な思考能力を身に付けてしまったが故に芽生えたものだった。
C達にとって、この雪山はもはや安全なものではない。ネオ・アルカディアによる処分に怯えて暮らさなければならないような、命懸けの戦場となっていた。
事実、ゼロがここに辿り着いた時、ミュートスレプリロイドの手によって、Cは破壊されそうになっていた。
ネオ・アルカディアをこの雪山から追い出さない限り、レイビット達はこれからも命の危険に脅かされ、その自由を制限され続ける。
だが、Cはゼロの問いに首を横に振った。

〔君の予想はもっともなことであるが、実際には、私達にとってそれは大した問題ではない。確かに生きることを求めてはいるし、その為の手を打ってきてはいるが、もしも駆逐されてしまうならば、それはそれで仕方のないことだと考えている〕

C達が持ち合わせる「生への執着」は通常のメカニロイドには無いものであるが、レプリロイドや人間のそれに比べれば遥かに低い水準のものだった。「まだここにいるから生きようとする」というただそれだけのことだった。そもそも「生きたい」というような、願望と呼べるものを持ってはいなかった。
しかし、それでは何故、ゼロをここに呼び寄せたのか。

〔救って欲しいのは私たち自身ではない。私たちの“友”だ〕

「『友』って……まさか」

Cはまたしても首を横に振る。〔先ほど話題に上がった“彼女”ではない〕とゼロの予想をあっさりと否定した。――――実際、『彼女』に何かが起きたのであればネオ・アルカディアが対処しているはずである。
それから壁の方を向き、Cはアイカメラを光らせ、壁面に件の“友”の像を映し出した。最初はピントが合わず、画像に乱れが生じたが、徐々に鮮明な形を成してゆく。

〔“彼”は三年前に、この地に現れ、私達に理解を示してくれた。そして、ネオ・アルカディアの一員であるにも関わらず、私達を護ってくれた。そんな“彼”に異常が起こった〕

映しだされた『彼』の姿を見ると、ゼロは思わず声を失う。その姿には見覚えがあった。それもつい最近――――いや、“ついさっき”この目で見たばかりである。
ゼロの二倍ほどある巨大な体躯に、雪のように白いカラー。先刻、Cに襲いかかり、ゼロと刃を交えた、熊を模して作られたミュートスレプリロイド。


〔ネオ・アルカディアに所属するミュートスレプリロイドの一人――――ポーラー・カムベアス。……ゼロ、君の力でぜひ彼を救って欲しい〕


またしても虚を衝くような想定外の事態に、ゼロはしばらく返す言葉を見つけられなかった。






























  ――――  4  ――――


転属初日から雪景色の中、『気晴らしに』と外を歩いてみた。
延々と続く荒野の上で数多の敵と戦い続けてきた彼にとって白銀の世界はとても新鮮味があり、神秘的な神々しさすら感じた。無論、データでは知っているつもりであった。だが、それらを実際に直視した時の感動は何とも言い難く、三年が経った後でも心がそれを覚えていた。

そこで彼は二体の旧式メカニロイドに出会う。

巡回していた軍のメカニロイドにやられたのか、片方は傷つき倒れ、もう一体はそれを気遣うようにして寄り添っている。彼は奇妙な人間味を感じ、思わず太い腕を差し伸べた。
傷ついた方を基地へと連れ帰り、修復する。そして、寄り添っていたもう一体と共に、再び雪山へと返した。二体は振り返る。次の瞬間、彼の脳内に声が響く。

〔君の協力により、私の同胞が救われた。心より礼を言わせていただく。本当にありがとう〕

彼はしばらく目の前のメカニロイド達を呆然と見つめた。

〔目の前にいるメカニロイドが音声通信により意思を伝えているという事実に困惑していることだろう。だが焦ることはない、じっくり受け容れてくれれば良い〕

メカニロイド――――レイビットはそう再び音声通信により言葉を伝えてきた。
彼は信じられない事実に直面し、呆然と目の前のレイビットを十数分ほどの間、眺め続けた。



それが出会いだった。



彼――――ポーラー・カムベアスは暇を見つけるとその“C”と名乗るレイビットと並んで雪山を歩いた。
Cと共に数日過ごし、いくつもの信じ難い現実をカムベアスは知った。

Cが引き連れるレイビットの群れは二十数機ほどの数がいること。百年以上昔からこのボレアス山脈を棲家としていたこと。メカニロイドに偶発的にも意思が生まれたこと。生き長らえようと策を巡らせていたこと。
同時に、Cは過去の世界のことを語り聞かせた。
ネットワーク上で収集したあらゆる逸話や、各地の風景、今は既に消えてしまった沢山の国のこと。この山脈にも、他の生物がいたこと。
対して、カムベアスもまた語り聞かせた。
荒廃した現代の世界。それでも尚、生きようとする人類のこと。残された最後の国、人々が暮らす街、人工物とは言え街中を彩る植物など。救世主のこと、四軍団のこと。戦争のこと。そして――――

『オデはたくざんの同胞を壊じてきだ……』

鼻が詰まったような抜けの悪い特徴的な声で、まるで懺悔をするかのように語り続ける。

『初めはそれでいいと思っだ。戦争だから……オデは冥海軍団の一員だがら……。“猛将”と呼ばれ…頼られで…そでが誇りだった』

だが、ある時ふと後ろを振り返った。
そこに遺っていたのは誰が処理するわけでもない、自らが手を下した者たちの残骸、悍ましいまでの擬似体液の染み――――それら全てを腹の上に乗せても尚、表情ひとつ変えない無情な大地。
カムベアスの大きな胸に、何かが突き刺さった。それはジワジワと侵食し、心を蝕んだ。やがて、体中が“それ”に包まれると、カムベアスは耐え切れなくなり、転属を願い出た。

『おかじな話だよな』

そう言って苦笑いを浮かべる。

『四天王の部下とじて、戦士とじて生まれだっていうのに……オデは戦うごとがもう嫌なんだ。情けないけど…戦うのが怖いんだ』

生まれてきた理由を否定したのだと言っても差し障りない、ミュートスレプリロイドとしてあるまじき心持ちであった。我ながら本当に愚かしく感じられた。
しかし、Cはそれを否定しなかった。

〔それでもいいのではないだろうか〕

脳内に響く声につられ、カムベアスはじっとこちらを見つめていたCの顔を、同様にして見つめ返す。

〔君がそう決めたのならば、何も問題はない。それがポーラー・カムベアスという一人のレプリロイドの生き方なのだから〕

確かにミュートスレプリロイドとしては、存在意義を自ら棄却するような決意だったかもしれない。
けれど、一人のレプリロイドとして生き方を選択しただけのことだ。臆病者と、愚か者と謗られようと、その生き方を曲げる必要はない。

〔それに私は、他者の命を慈しみ、平和を尊ぶ今の君を肯定したい。その道は、誇っていいものだ〕

争いを好み、他者の命を奪い、自らの力を誇示するような者よりも、他者の死の悲哀に嘆きながらも、平和な世界を望む優しさと慈悲深さを持ち合わせる者でいて欲しい。そんなカムベアスだからこそ、友として寄り添うことができたのだから。
そう言う、表情がないはずのCの顔がどこと無く微笑んでいるような気がして、思わずカムベアスも柔らかな笑顔を浮かべる。

『……ありがとな、C…』

それから、Cの身体すら包み込めそうな程大きな手のひらで、Cの頭を優しく撫でた。感謝と慈しみの心が、ただただ溢れていた。







そんな時間が終わりを告げたのは、それから一年以上後のこと。



















  ―――― * * * ――――


〔彼――――ポーラー・カムベアスは既に本来の自我を失い始めている〕

カムベアスの様子がおかしくなり始めた頃、Cは例の“彼女”に連絡を取り、その事実を確認した。
そして現在、「破壊衝動プログラムのネットワーク媒介注入計画」の被験者として彼が扱われていることを知らされた。

〔あれ程争いを嫌い、平和を求めていた彼が、今ではただの破壊マシーンと成り果てようとしている〕

元の精神プログラムに上塗りするような形で注入されてゆく破壊衝動プログラム。Cの話だけだというのに、ペロケとレルピィはその効力に悪寒を感じずにはいられなかった。
Cは佇まいを直し、ゼロへと向かい、再び頭を下げる。

〔お願いだ、ゼロ。君の力で彼を救って欲しい。今ならばまだ、彼の自我を取り戻すことが出来る筈だ〕

計画は精神プログラムの事情から段階的に進められており、現段階ではまだプログラムの効力が切れる瞬間が見られるほどに、定着しきってはいないのだ。
その隙を突き、計画から彼を解き放つことが出来れば、どうにか救うことが出来るだろう。

「要するに、『研究所をぶち壊して、囚われの白熊を救いだせ』ってことか」

〔そうだ〕とCは首を縦に振る。
ペロケとレルピィが不安気に見つめる中、ゼロは一人考えこむ。
即決という訳にはいかなかった。
この話自体が罠である可能性も十分考慮することができた。勿論、これほどまでに回りくどい方法を執る必要性があまり思いつかないのだが。
だが、この話のままゆけば敵の拠点へと単身乗り込むことになる。敵の戦闘員がどれほどのものかは分からないがある程度の危険があることは確かだ。そういったリスクを冒してでも果たすべき依頼であるかどうか……。

方針を決めかねる中、ふと脳裏を掠める友の背中――――その記憶。

「――――悩んでいても埒が明かない……か」

そう呟くと、決意を固め、Cに向かって不敵な笑みを浮かべながら頷く。

「いいぜ、C。俺に任せな」

〔ゼロ……すまない、恩に着る〕

またもやCは頭を下げた。

「そうと決まれば戦支度だ。まずは……ペロケ、お前さんを家まで送り届けよう。こんなとこに居られたんじゃ気になって仕方がない」

「了解です。私も戦闘のお邪魔をするわけにはいきませんからね」

ペロケは整備用に持ち込んだ道具一式を工具箱に詰め込む。

「ペロケを無事に送り届けた後、敵の拠点に向け進軍する。レルピィ、お前さんも用意はいいか?」

「問題ないわ、ダーリン」

レルピィが得意げな笑みを浮かべ、顔の周りを軽やかに一周する。

〔既に計画は最終段階に移行している。もう数日も余裕はないだろう〕

「『善は急げ』だ。可能な限り迅速に取り掛かる。そう、不安がらずに待ってな」

そう言って、Cの頭を優しく撫でる。

――――成程、流石は英雄といったところか……

決して容易な戦いではないというのに、この堂々とした立ち振る舞いは確かに安心感を与えてくれる。その背中が「きっと大丈夫だろう」と強く信じさせてくれるのだ。

しかし、Cは少しだけ疑問であった。

――――彼の異名は“紅の破壊神”……

知っている限りの情報では、戦いの中ではあくまで冷徹に刃を振るい、敵を処分し続けてきた、伝説のイレギュラーハンター。
だが今眼の前にいる彼は、見ず知らずのメカニロイドのために、その身の危険を顧みず、一人のミュートスレプリロイドを魔の手から救おうと言う。
「相反する」とまでは決して言わないが、その非合理的且つ慈善的な態度は、聞いていた印象とは些かズレが生じているような気がした。





























  ――――  5  ――――


青い髪を靡かせながら、レヴィアタンは一人雪原を歩いていた。遠方には険しい山々が連綿と続き、陽光が白銀の大地を一際白く輝かせている。
その美しさに溜息の一つも吐きたいところであったが、彼女の心の中はそのような幻想的な風景に浸る余裕などなかった。そう言った余裕が欲しいからこそ、息が詰まる様な研究室の外にこうして出てきたわけだが、それでも彼女の心は容易く晴れてはくれない。

「予定外試験」――――ベンハミン達がそう呼び、行なっていたもの。それは破壊衝動プログラム作動中のカムベアスに、彼の友人とも言うべき旧型メカニロイド達の群れを攻撃、殲滅させることだった。
事前に予定していた試験においては、破壊衝動プログラムは十分な結果を弾きだした。しかし、そこに一つの穴が見つけられた。
破壊衝動プログラムにより、非攻撃的な感情は塗りつぶされ、より好戦的な行動をとるはずであった。だが、カムベアスはプログラムに身を任せても尚、レイビットたちを傷つけることが出来なかったのである。
プログラム注入後の野外模擬戦闘を行った際に、偶然発見されたこの穴は、計画のコンセプトに対し大きな影であり、見過ごすことのできない重大な欠陥に成り得た。友への情を切り捨てられない今の状態では、このプログラムは完全とは言えない。あの時ベンハミンが口篭った訳がよく分かった。
しかし、計画の中止や凍結を決定する理由としては余りにも弱かった。事実、紅いイレギュラーに遮られはしたものの、カムベアスはレイビットへの攻撃行動に成功し、その欠点は解消されようとしている。
やり切れない複雑な想いが胸を締め付ける。

――――所詮、私たちはレプリロイドなのよ……

正直な所、抗って欲しいと願っていた。
大切な者との記憶を、思い出を、時間を裏切るような行為を、それを強制するプログラムなどには屈して欲しくないと思った。
そういった類の物が、恒久的なものであると信じたかった。
だが、現実は冷ややかにその喉元へと刃を突きつける。「所詮はレプリロイド」――――生物の形を成した模造人形。感情も、思い出もプログラムの力に押し負けてしまう運命なのだろう。
だから、この胸に残る「あの人」の記憶も、ただのデータに過ぎず、やがては不要なものとなるのだろう。

――――カムベアス……

先刻のやり取りが心の隅に焼き付き、離れようとしてくれない……‥‥



















  ―――― * * * ――――


『久しぶりね、カムベアス』

整備用カプセルのカバーに手を当て、懐かしそうに声をかける。
つい先程まで閉じられていた瞼が開き、黒い瞳がレヴィアタンを見つめる。

『……妖…将……ざま…』

僅かに残った自我と、本来の思考を振り絞り、言葉を発する。

『……ベンハミンから話は聞いたわ』

「予定外試験」まで、全ての事情を洗いざらい聞き出した。

『貴方らしいわね、旧型メカニロイドに肩入れだなんて』

「フフッ」と優しく微笑む。まるで現実を誤魔化しているようだと我ながら思った。
不意にカムベアスの手が弱々しく動き出す。そして、カバー越しにレヴィアタンの手と重なる。

『オデ……全部…覚えで…る……』

震える口が発するその言葉の意味を理解した時、レヴィアタンは唇を噛み締めた。
プログラムに支配された身体で受けた試験、模擬戦闘。レイビット達と対峙したこと、傷つけたこと、殺そうとしたこと。そして紅いイレギュラーと交戦したこと。

『全部……オデ…やった……』

仲間を庇うようにして立ちはだかったCの姿。自分を庇うようにして紅いイレギュラーとの間に入ったCの姿。

『全部…覚えで…る…』

『悪い夢よ』

カムベアスの虚ろな瞳を見つめながら、ただ一言、そう言い放つ。

『――――覚めれば忘れられるわ』

その夢が覚める時はいつなのか。そう問われても、彼女は答えを持ちあわせてはいなかった。
静かに手を離し、振り返る。そして扉に手を掛けた。すると、背中の方から軽い笑い声が聞こえた。

『……あなだ……やっぱり…優じい…人だ…』

『え…?』

思わずカムベアスを見つめる。カムベアスもまた、彼女のことを見つめていた。

『あなだ……戦場に…いるべきじゃ…ない』

『……何を馬鹿なことを』

妖将として生まれた。四天王の一人、救世主を守護する戦士の一人として創りだされた。この身体はネオ・アルカディアを守る歯車の一個でしかない。戦場に立たずして、いったいどこに立てと言うのか。
そう、“妖将として生まれた”。

『オデ…知ってる……あなだ………過去………………哀しい…背負っでる…』

『カムベアス……あなた…』

誰よりも理解してくれていたのかもしれない。だからこそ、誰よりも信頼できたのだろう。そう、今になって気づく。
もしも前から分かっていたなら、あの申し出を受け容れず、ずっと側に置いていたかもしれない。そうすれば、誰も傷つかずに済んだかもしれない。

だが、時既に遅い。今ここにいる“彼”はもうじき消える。

『ごこ……綺麗……平和……あなだ…ぴっだり…』

微笑みを浮かべ、言葉を振り絞る。いつかこの雪景色を見せたいものだと思っていた。平和な白銀の世界を。

『だから………ずっと…ごこに……』

『もういいわ』

言葉を遮る。これ以上聞いてしまえば、耐え切れなくなる。

『ありがとう、カムベアス。――――あなたのそういうところ、嫌いじゃなかったわよ』

そう言って微笑みを返す。だが、その笑みはすぐに消え、レヴィアタンは再び背を向ける。

『けれど、私は冥海軍団団長“妖将”レヴィアタン。戦場に背を向けることは生涯あり得ない』

そう言って扉を開く。そして、ただ一言だけ最後の言葉をかける。

『さよなら』

それが届いたかどうかは分からないが、今生の別れに等しい瞬間だったと互いに確信していた。
















  ―――― * * * ――――


見渡すかぎりの白い世界を哀しげな瞳で眺める。

「私は……“優しい”わけじゃない」

成程、確かにここは綺麗で、平和な場所だ。けれど、ここに立ち続けることは叶わない。背負った使命が、役目が自分にはあるのだ。
この戦争の中、救世主を護り、彼が創り上げた理想郷を、そこに住む人類を守るという大きな役目が。
だがそれ以上に、この胸に強く突き刺さるのは過去の記憶。
恨み、呪い、拒絶し、記憶の隅に追いやろうとしたもの。思い出せない、「あの人」の言葉。
誰よりも愛した人の言葉。

「私は…弱いだけよ……」

過去と向き合うことを恐れ、拒絶し続けている。使命と役目を盾に、戦場へと身を投じることで逃げ続けている。それだけだ。
そんな自分に、この美しい場所に立ち続ける資格などないのだろう。















「一瞬の隙が命取りだぜ」















気付いたときには既に鮮緑の刃が首に当てられていた。
「しまった」と心のなかで悪態をつく。感傷に浸っている内に、索敵を怠っていた。センサーの感度には自信があった。普段ならばどれだけ気配を消されようと、後ろを取られるようなことなど無かったはずである。

――――最低の失態…ね……

情報があったというのに……この男が基地の周辺まで来ていると知っていたのに、警戒を解いてしまった。まさに「何たる不覚」。

「まさか……こんなところで会えるとは思っても見なかったわ…」

「俺もさ。こんな美女が辺境の雪山を一人散策してるなんてのは予想外だったぜ。なかなか似合ってたが。……おっと、変な動きはしてくれるなよ?」

振り向こうとするレヴィアタンに対し、首に当てたビームの刃を強調する。

「フフッ……挨拶くらいはさせてくれないかしら?アナタみたいないい男と出会えたのは久しぶりなの」

「本当に奇遇だな。俺もそう思ってたよ。こんな場所でなけりゃ一杯酌み交わしたいくらいさ。――――しかし残念ながら、俺様も必死なのさ。自己紹介はそのままで頼むぜ?」

抵抗しようにも武器を携行してきていなかった。レヴィアタンは観念し、「やれやれ」と自嘲した。

「お前は“妖将レヴィアタン”で…間違いないな?」

「ええ…初めまして、紅いイレギュラー。……あなたのことはよく知っているわ」

「そりゃ、どうも」と警戒はそのまま、ゼロは不敵な笑みを浮かべた。





























 NEXT STAGE











     世界を覆う白雪の上で
























[34283] 16th STAGE 「世界を覆う白雪の上で」
Name: 村岡凡斎◆45ff140f ID:697d6d9c
Date: 2012/10/30 23:30


  ―――― * * * ――――


『…………ごこはいいトコだなぁ』

顔を上げ、辺りを見渡す。つられてCも同じように見渡す。
白銀の世界――――同胞の残骸も、争いも、それを許容する無情な荒野も、ここには見つからない。静かで、優しい時だけが包む真っ白な世界。

『……いづか、あの人にも見ぜてあげだいなぁ。……あの人は綺麗で……優じいから……きっと戦場なんかより、ごこの方が似合ってると思うんだ』

《愛していたのか?……その人を》

Cの問いかけに、カムベアスは苦笑しながら首を横に振る。

『いやぁ…ぞんなんじゃあねえよ。けれど…そうだなぁ……』

その気品に憧れていたのは確かかもしれない。ミュートスレプリロイドとして、主を護りたいと言う使命感があったことも否定できない。しかし、それ以上に――――

『あの人は……いづも何処か寂じげでな……』

懐かしむように目を細める。
『裏切ってしまったのかもしれない』と、今更ながら後悔を感じていた。
今でも覚えている。あの人は、ミュートスレプリロイドでありながら戦いから逃れようとする自分の申し出を、少しだけ哀しげな瞳をしながらも、ほんの僅かにも躊躇うこと無く受け入れてくれた。
しかし、だからこそ忘れられない。
彼女の信頼を、過去を、弱さを知りつつそれらに目を背け、茨の道から逃れようと背を向け彼女の前から去った。
そんな自分の弱さを彼女は赦してくれたというのに、自分はもう何一つ返すことはできないだろう。

流れる雲を、黙り込んだままカムベアスは目で追いかける。

《……見せればいい》

ポツリと呟くように、Cの声が脳裏に響く。

《『見せたい』と思ったならば見せればいい。いつかこの場所にその人を連れてくればいい》

思わずCの瞳を見つめる。表情を表すことなどできるはずがないアイカメラのガラスカバーが、その時はどこか力強く確信に満ちた微笑を浮かべているように見えた。

《優しいその人は、きっと君の厚意を受け入れてくれる。きっとこの場所を、気に入ってくれる。君が今、この場所を愛しているように》

『本当にそうだろうか』と問い返そうとした。けれどCの眼差しに、その強い輝きに、カムベアスは返す言葉を見つけられなかった。代わりに溢れたものは優しい、心からの笑顔だった。


「貪り尽くす者」の名を冠するボレアス山脈。しかし、その厳つい名称とは裏腹に、そこには争いも、哀しみもない平和な世界が広がっていた。
Cの言葉通り、カムベアスはこの地を愛していた。きっと彼女も――――いや、この景色を目に焼き付ければ、他の如何なる者達もこの場所を愛してくれるだろうと思えた。
同時に、「もしも世界中がこの山脈のようだったら」と、思わずにはいられなかった。





























 16th STAGE












        世界を覆う白雪の上で






























  ――――  1  ――――


専用武装である「フロストジャベリン」を所持していなかったことを後悔した。
今回は査察だけで、こんな辺境の地で戦闘状態に――――しかも、かの紅いイレギュラーと出会してしまうとは思いもしていなかったために、本国に置いてきてしまったのだ。
とは言え、こうも簡単に後ろを取られてしまっては自慢の愛槍があったとしても、どうにもならなかったことだろう。

「こんな辺境に何の用かしら?」

レヴィアタンは喉元に当てられたビームの刃を睨みつつ、彼の目的を問いただす。あくまでも毅然とした態度で。凛とした声色で。

「…ちょいと“正義の味方ゴッコ”でもやらせてもらおうかと思ってよ」

ゼロは冗談めかして答える。笑みを浮かべてはいるが、内心、どんな罠が待ち受けているか分かったものではないと、センサーの感度を最大限に発揮し、警戒し続けていた。

「“正義の味方ゴッコ”?」

「そ。名付けて『白熊救出大作戦』ってとこかな」

「白熊救出大作戦」とまたしても冗談めかして答えるゼロ。だが、レヴィアタンはその言葉に強く反応する。

――――まさか……

ベンハミン達の報告から、カムベアスがレイビット達と親睦を深めていたこと、レイビット達が意思を持っていたことを知っていたレヴィアタンは、彼のその一言からある仮説を立てる。
レイビット達は何らかの方法を用いて紅いイレギュラーと交信し、カムベアスの件を彼らが望む方向へ解決することを依頼した。そして紅いイレギュラーはそれに応じ、このボレアス山脈へと足を運んだのではないだろうか。
いったい彼にどんなメリットがあるかは不明だ。しかし、先程の「白熊救出大作戦」という単語から察するに、そう考えれば辻褄が合う。
成程、確かに“英雄”と呼ぶに相応しい行動であると、半ば呆れ気味にレヴィアタンは納得した。

――――しかし、それならば……

レヴィアタンは一人、静かに考える。妖将としての責務、四天王としての尊厳。気に食わない計画、科学者達の欲望。信頼していた部下、その哀れな末路――――…‥
そして今、自身の命を脅かしている紅いイレギュラーの存在。
あらゆる要因を秤に掛け、思考を巡らす。
ふと、ビームの刃から目を逸らし、当たりを包む雪景色を見つめる。そして、一つの答えに辿り着いた。
それは、驚くほど自然な動きだった。殺気も闘気も感じさせぬまま、レヴィアタンは後ろ髪を掻き分け自分のうなじを露わにし、外部接続用のインターフェースを惜しげもなく晒した。
余りに自然過ぎたため、ゼロは自分が警戒を緩めていたことに、その動作を見送ってからようやく気付いた。

「動くなと……!?」

レヴィアタンの指が、インターフェースを軽く叩いて示す。接続を呼びかけているように見えた。

「……どうしたの?」

そのまま黙り込んでしまったゼロに対し、僅かに後ろを向き声をかける。

「あなたの欲しいものはここにあるわよ?」

レヴィアタンが所持しているであろう、基地内のマップデータ等の内部情報はそこから入手することができるだろう。
だが、それに素直に応じることなどできるはずもない。
電脳戦に持ち込まれたとしても、いくら情報戦の雄として名高い冥海軍団の団長とは言え、サイバーエルフを所持していないレヴィアタンに対して、サイバーエルフを所持しているこちらが圧倒的有利なのは確かだ。方法によっては精神プログラムへの攻撃も可能である(もちろん、成功したとしてもサイバーエルフは無事に済まないだろうから、そのようなことをするつもりはないのだが)。
ともすれば、彼女しか知りえないネオ・アルカディアの機密を入手することもできるかもしれない。
状況は明らかにゼロが優位に立っている。立ち過ぎている。だがそれ故に、こうも素直に情報を明け渡そうとする彼女の行動が不可解でならなかった。

「……焦らされるのは好きじゃないの、“する”なら早くして」

扇情的な笑みを浮かべ、そう急かす。しかし、そこには殺気や闘気だけでなく、敵意すら微塵も感じられない。それが益々ゼロを不安にさせる。
だが、迷っていても仕方がない。

――――こちらにはレルピィがいる……

左腕に装着したコアユニットを見つめ、意を決する。ペロケが特別に調整した彼女がいる限り、万が一のことがあろうとも遣り過ごすことができるだろう。
ゼロは自身のうなじに手を伸ばし、ケーブルを引っ張り出すと、レヴィアタンのうなじのインターフェースに接続した。







直後、ゼロの脳内に幾つかのデータが一斉に送り込まれた。「やはり罠だったか」と軽く舌打ち、レルピィを瞬時に電脳内に走らせてそれらのデータの対処に当たらせた。
一瞬でも気を緩めてしまったことを悔やんだ。もしもネオ・アルカディアが特殊なウイルスデータを開発し、こういう状況に備えて彼女が所持していたとしたら――――レルピィでも対応しきれなかった場合、それは即ち“死”を意味する。その想定ができていなかったのは手痛い失態だった。
だが、そうしたコンマ数秒の自責の後に、レルピィがゼロに示したのは以外な事実だった。

〔ダーリン、落ち着いて。これ、全部無害よ。……それどころか……――――〕

レルピィの声につられて、ゼロもそれらのデータを確認する。驚いたことに、送られてきたのは基地内のマップデータ、構造、警備用メカニロイドの配置等、潜入するためには欠かせない情報ばかりであった。

〔ボレアス山脈の研究所は大きく三つの棟に分かれているわ〕

不意に、脳裏にレルピィとは違う声が響く。その主は間違いなく、今目の前にいる彼女以外に考えられなかった。

〔要塞設備の管理を担ったコントロールルームがある十二階建ての中央棟。冥海軍団の兵舎などの施設を複合した三階建ての西棟。そして研究、実験関係の備品や被験体の調整、及び保存場所として使用される五階建ての東棟〕

マップが詳細に示されてゆく。東棟のとあるポイントが強調され、そこまでの道筋も示される。

〔あなたの目当ての“白熊”はここにいるわ〕

そこは、ポーラー・カムベアスが軟禁されているメンテナンスルームの所在地だった。
勿論、ゼロには確認のしようがないため、こうも容易に要求を満たされては、逆に疑惑を抱いてもおかしくはなかった。しかしどうしてか、ゼロは淡々と説明を続ける彼女の声を、素直に受け入れるつもりになっていた。

〔これより二時間後、私は一旦ここを離れる。それから三時間後に“紅いイレギュラー”討伐のために冥海軍団の増援を引き連れて戻ってくるわ〕

その情報は、間違いなく機密と言ってよかった。紅いイレギュラー――――即ち、ゼロ討伐のための部隊がそのタイミングで来るというならば、絶対にそれ以降の時間は避けねばならない。

〔また、第十七部隊が戦略研究所職員の要請に応え、紅いイレギュラー討伐のための戦力を整えているという情報を耳にしたわ。おそらく……確実とは言えないけどこちらも三時間程度の時間を要すると見ていいでしょうね〕

またしても機密情報を、平気で晒してしまう。こうも軽く明かされてしまっては、信じて良いのか流石に躊躇してしまう。しかし、その真偽がどうあれ自分の侵入が敵側にとって周知の事実となっているのは間違いないだろうし、仮にそれが偽りであったとして、何の情報も所持していなかった時よりも警戒しやすくなったのもまた確かである。となれば、ここはこの情報に乗せられてみるのも悪くないかもしれないと再び納得する。

〔つまり、“妖将レヴィアタン”と、第十七部隊が同時に不在なのは、これから二時間後からのおよそ一時間……ってことになるわね〕

わざわざ自身の名を強調するのは、基地内で出会えば、現在のような気晴らしの散策中に起きた突然の遭遇とは、対応が違うという意志の表れなのだとゼロは理解した。
その遣り取りの後、レヴィアタンは一方的に通信を打ち切り、自身のインターフェースから接続端子を引き抜き、ゼロに投げ渡した。









「何故……ここまでする?」

受け取ったケーブルをうなじに仕舞い込んだ後、思わず問いかける。喉元に突きつけていたゼットセイバーの刃先は、既に地面に向いていた。

「“ここまで”…って?」

またしてもレヴィアタンは妖艶な笑みを浮かべた。
自分のしたことが分かっていないのか、その表情からはまるで悪気を感じない。

「……これは明らかな裏切り行為だろう」

一軍団の将である前に、彼女はあの四天王の一人だ。救世主への忠誠が揺らぐことなど、まず考えられない。
だが彼女は今、自身が預かる要塞基地の情報を、紅いイレギュラー討伐のための計画を、仇敵である紅いイレギュラー本人に自ら漏洩させてしまった。それも何の躊躇いもなく、脅迫的に要求されるより先に、何の悪気もなく……である。

「“バレてしまえば”、私は処分されるでしょうね」

またしても「フフフ」と軽い笑みを零す。「バレてしまえば」と強調するのは、つまり「バレなければ良い」という意図の表れだった。
ゼロには不可解過ぎて仕方なかった。罠を貼っているにしては、殺気も敵意も全く感じられない。この状況でも救援要請を出しているかと思えば、敵襲を受ける気配は全くない。それどころか、ゼットセイバーを下ろした今ですら逃げ出そうとも、戦おうともしない。
ここまでのやり取りで確信できるのは一つ。おそらく先程、提供してくれたデータは真実だろうということだ。根拠も何も無いのだが、それだけは間違い無いと思えた。

「処分されると分かっていて……何故だ?」

問いを繰り返す。レヴィアタンは少しだけ面倒くさそうに溜息を吐くと、雪景色に再び視線を移す。

「“気に食わない”……ってだけじゃダメかしら?」

「破壊衝動プログラムのネットワーク媒介注入計画」が気に食わないというのは実際、レヴィアタンにとって正直な気持ちだった。だが勿論、レヴィアタンにとってもそれが全てではなかったし、ゼロがこの裏切り行為を理解するにも、動機として不十分であった。「けれど」とレヴィアタンは言葉を続ける。

「私にどんな意図があろうと、あなたは情報を手に入れた。それで十分じゃない? ――――勿論、それが真実かどうかの判断は必要でしょうけど…ね」

彼女の言うとおりだった。
これ以上の押し問答は、いくら続けようと無駄だろうとゼロは観念し、ゼットセイバーを左腕に仕舞い込む。そしてレヴィアタンに背を向けた。

「あら、帰るの? 丸腰の美女が目の前にいるのに。……好きにしてくれて構わないのよ?」

「悪いが、お前ほどの美女を初対面で平然と襲える程の度胸は無いのさ。何処に“棘”があるかも分かったもんじゃない」

「案外、ウブなのね」

レヴィアタンはまたしても笑みを零す。

「言っとくけど、基地内の至る所でDNAデータの照合が必要になってくるから、今の情報だけじゃ侵入は容易じゃないわよ」

「その辺は慣れっこさ。どうとでもできる。――――敵とは言え、女を組み敷いてまで、これ以上のアドバンテージを得るつもりは無いしな」

「むしろ貰い過ぎだ」と苦笑する。元々、「出たとこ勝負」だと覚悟をしていたくらいで、この遭遇と情報入手は幸運と言って良かった。
ゼロはそのまま地を蹴り、駆け出した。背中から「また会いましょう」と声を掛けられたが、それに応えはしなかった。
「ここで斬っておけばよかったかもしれない」と罪悪感に似た感覚が胸の奥に渦巻く。この先も、そう思うことがあるかもしれない。きっとその時は、手遅れなのだろうが。
しかし、彼女の真意を確認できない以上、それをすることは、ゼロにはどうしても出来なかったのだ。
今はただカムベアスの救出にのみ専念しようと、ゼロは戸惑いを風とともに振り切った。
そうして雪原に刻まれた足跡を視線でなぞり、レヴィアタンはどんどん小さくなってゆく紅い背中を見つめる。

「所詮はレプリロイド」――――先程、胸に突き刺さるようにして心に浮かんだ言葉を反芻する。

感情も、思い出もプログラムの力に押し負けてしまう運命なのだろう――――そう割り切っているつもりだった。
しかし、ついさっきの自分の行動はどうだ。
結局は今も、微力ながら、僅かながら、どうにか抗おうとしていた。どうにかして運命を変えようと裏切りにまで手を伸ばした。その様はきっとレプリロイドとしては愚かで滑稽だろう。
けれど、それでも構わないと思えた。
そうしてまた、美しい白銀の世界を見渡す。
綺麗で平和なそこは、先程よりも輝いて見えた。

「私……此処、好きよ」

誰にともなくそう呟く。

そして、静かに祈った。






































  ―――― * * * ――――


寒空の下、ヘリポートに着陸した一台の輸送ヘリに向け、レヴィアタンは足を踏み出す。
ボレアス山脈研究所自体には空間転移装置が設置されておらず、本国へと戻るには麓にある基地施設に一度移動する必要があった。その連絡手段として今回のように輸送ヘリが用いられているのだ。
ふと、もう一台ヘリが着地していることに気づき、眉をひそめる。

――――あれは……?

ヘリから数人が降り立ち、こちらへと歩き始める。彼らが何者であるかに気付いた瞬間、レヴィアタンは驚かずにはいられなかった。
そこにはよく見知った顔ぶれが確かに揃っていた。
元第九部隊副隊長マティアスに元第十四部隊副隊長マイア、その他に五名ほどの部下を後ろに引き連れている先頭の男――――元第一部隊長にして現第十七部隊長のクラフト。紛う事無き第十七精鋭部隊のメンバーである。

――――まさか……こんなにも早くお出ましとは…ね

流した情報を大きく覆され、レヴィアタンは苦笑する。
数だけ見れば、対紅いイレギュラー戦を想定しているにしては、些か少なく感じられる。だが戦力的には決して見劣りしなかった。
特に、救世主の後継者として中心に立つクラフトの実力はもちろんの事、光速の剣技を自慢とする“黒髪のマイア”も参戦するとなれば、如何な紅いイレギュラーといえど、苦戦は必至だろう。

軍団を集結させるよりも、クラフトを中心とした精鋭のみに絞ることで、時間を短縮したのだろう。
成程、紅いイレギュラーを取り逃さないためには賢明な判断と言えた。彼の目的が不明瞭な以上、何時その姿をくらますか分かったものではない。この機を逃す訳にはいかないと思ったのだろう。
紅いイレギュラーに対する危機感と警戒心、そして彼を討伐するという使命に対する意気込みの微妙なズレが、レヴィアタンの想定を狂わせたのだ。

「お久しぶりね、クラフト隊長」

あくまでも落ち着いた声色で呼びかけるレヴィアタン。その声に気付いたクラフトは、その場で足を止め、敬礼をする。後ろの部下達もそれに釣られ、素早く敬礼の構えをとった。

「これは妖将殿。確か“第弐部隊の乱”以来…でしたか」

「ずいぶんお早い到着ね。イレギュラーハンターさん達はそんなにお暇なのかしら?」

どこか挑発的なレヴィアタンの言い草に、マティアスが僅かに反応した。だが、クラフトの視線がそれを制す。

「紅いイレギュラーの討伐は我々の存在意義と言っても過言ではありませんので」

「他の雑事には一切目もくれず、ここへ参じたというわけね。正直、頭が下がるわ」

そうは言うものの、その表情は相変わらず挑発的な笑みを浮かべたままだった。
だが、クラフトはそんなことに微塵も動じることない様子だった。その落ち着いた物腰に、堂々たる振る舞いに、レヴィアタンは内心で素直に称賛を送ると共に、紅いイレギュラーの苦戦を痛烈に確信した。
とは言え、こればかりはもうどうにも仕方がない。どれだけ悔やもうと賽は投げられたのだ。紅いイレギュラーの健闘を祈るしか無いだろう。

「私もなるべく早く合流させてもらうわ。それまで命を大切になさい」

ヘリに乗り込む際に、そう最後の声をかけた。無論、本心の言葉ではない。
だが、その言葉に応答せんと振り返るクラフトの目は、どこまでも真っ直ぐな輝きを放っていた。

「慌てず、ゆるりと準備を整えていただいて結構ですよ。四天王の手を煩わせるまでもないということを、我々の力で証明してくれましょう」

嫌味ともとれる発言だが、クラフトは紛れも無く本心からその言葉を返していた。その純朴さに、レヴィアタンはいよいよ毒気を抜かれてしまうのだった。
飛び立つヘリの窓から、屋内へと入ってゆく十七部隊の面々を見つめる。
自分が居ぬ間に決着はつくだろう。
カムベアスの安否も、紅いイレギュラーの生死も、自身の行動がどういう結末を呼び寄せるのかも見届けることはできない。
この美しい山脈が、その雄大さと優しさを損なわない終りをどうか迎えて欲しいと、今はただ祈るだけだ。
レヴィアタンは複雑な想いを抱えたまま、ボレアス山脈を後にした。



















  ――――  2  ――――


「各員、武装チェック」

クラフトの声に従い、十七部隊の面々は武装の点検を始める。細部に至るまで異常がない事を確認し、順にクラフトへ合図を送る。クラフトは全員が完了したことを確認すると、一際大きく声を張り上げ指示を出す。

「これより紅いイレギュラー討伐任務に入る。シメオン率いる第六班到着次第、山内捜索を開始。それまでは基地内にて待機」

「第六班の到着は如何ほどで?」

「おそらく三十分程度だ。但し、気は緩めるな。奴がいったい何の目的でこの地に足を踏み入れたのかは分かっていない。この基地が襲撃される可能性も十分に有り得る。各員、常に警戒態勢を取れ」

集められた七名の部下は「はっ」と威勢の良い返事と共に敬礼で応えた。
冥海軍団の兵舎の片隅に陣を構え、腰を下ろす。相変わらず四軍団の兵士たちからの視線は気分の良いものではなかったが、しばらく本陣に留まっている間に慣れてしまったらしい。今では、かつて感じていた息苦しさは微塵も感じられない。
マティアスとマイアは窓の外を眺める。

「すげえ雪だな…本当によ」

「これほどの雪は本国ではありえないからな。情報として知っていたとは言え、正直私も驚いた」

天候を管理局によりコントロールしているネオ・アルカディア本国では、季節感の演出程度のみで、ここまでの大雪はまず積もることはなかった。国外へ任務に出るのは今回が初めてとなるため、マイアもマティアスも、そしてクラフトでさえも雪山での戦闘経験は皆無だった。データベース上にある戦闘データバンクから経験情報をフィードバックしているとは言え、不安が無いとは言えない。

「こんだけの雪じゃ足が取られて思うように動けねえだろ?ご自慢の光速剣技も、発揮できんのか?」

第十四部隊副隊長「黒髪のマイア」と言えば本国でも有名なイレギュラーハンターである。高出力ビームソードを駆使した彼女の剣技は知覚すら難しいことから“光速剣技”などという異名を取っており、多くのイレギュラーがそれによって処分されてきた。女性らしい華奢な体でありながら、他のハンターたちが彼女に一目置くのは、その剣技と実力が本物である証だ。

「ま、鬱陶しくなったら綺麗さっぱり俺が吹き飛ばしてやるぜ」

「マティアス、“雪崩”というものを知っているか?爆破は程々にした方が良い」

あくまでも冷静にマイアは言葉を返す。大小様々な爆発物を巧みに操るマティアスであるが、この雪山では己の命の心配もする必要があるようだ。

「ところでマティアス、お前はどう思う?」

「『どう思う』?」マティアスは質問の意味が分からず首を傾げる。

「紅いイレギュラーの目的だ。こんな辺境にいったい何があるというのか……」

「ああ、なるほどな。まあ……あると言ったらこの研究所くらい…か」

そもそも紅いイレギュラーの行動には不可解な点が多い。
多くの四軍団基地を壊滅させておきながら、二度の接触に成功したシューター達特殊班に対しては、トドメを刺すまでに至っていない。かと思えば闘将ファーブニルに対しても、彼を討ち取りはしなかった(おかげでファーブニルはヘルヘイムに収容されることになってしまったわけだが)。
また、狙われている身でありながら、各地に散らばるレプリロイド達の集落に足を運んではその様子を逐一確認したり、保護したり、果ては死者の弔いまでしているという情報が流れている。
空間転移装置を多用しているらしく、行動拠点の特定も難しく、ここしばらくはその足跡を掴むことすらできていなかった。
このボレアス山脈に現れたという情報が掴めた事自体、幸運と言える。だからこそ、例え最小限の戦力でも、できる限り迅速に準備を整え、馳せ参じたのだ。

「願わくば、ここでケリを着けたいものだ」

それにはマティアスも同意見であった。
ふと、クラフトが紙束を手にしているのが見える。それはどうやら新聞――――クラフトが愛読しているオリンポスプレス紙だった。
『常に警戒態勢を』と言いながら、「自身は暇つぶしか」とマティアスは半ば呆れる。クラフトはじっくり読み込むのではなく、ただ眺めているだけだったが、その表情は固い。
ヒョッコリと紙面を覗き込む。

「こいつはまた…何とも…」

そこに掲載されていたのは元老院議長、マクシムスの暗殺事件に関しての記事であった。
先日、元老院議長、マクシムスは自室にて愛玩用女性型レプリロイドの、突然のイレギュラー化により殺害された。これは、国内にまで影響を及ぼしているレジスタンス組織、黒狼軍の暗殺作戦であるとの見方が現在、強まっている。
元老院議会はこの事件に屈すること無く、イレギュラーの掃討と、ネオ・アルカディアの平和の為により一層努めてゆくとの声明を、最高議長であるヴィルヘルムが発信していた。
しかし、現在クラフトが眺めている記事はその渦中に投じられた一石と言って良い。

「『マクシムス卿の殺害は、元老院議会による粛清の線が濃厚』……って」

「よくぞ調べ上げたものだと、感心してしまうだろ」

クラフトは苦笑いを浮かべる。
記事によれば、黒狼軍による暗殺とされているマクシムス殺害事件は、裏でレジスタンスと繋がっていた彼に対する元老院からの粛清であるとの線が強いというのだ。
それだけではなく、黒狼軍を事件に関連させる物的証拠が無いに等しいという事実や、マクシムスがレプリロイド解放議会軍総司令官マゴテスと通じていたのだという証言など、地道な取材から得た様々な証拠を裏付けに、真相を炙り出そうとしているのが分かる。

「これ…結構まずいんじゃないすか?」

「“結構”どころじゃないな。相当危険だ」

マゴテスがマクシムスと通じていた事実は、元老院に対する不信感増長の可能性アリとして、大衆に対しては秘匿事項とされていた。元老院議長にまで登りつめた男がテロリストと手を結んでいたというのが事実で知れれば、国策が揺るぎかねない事態になることは想像に難くない。
イレギュラーハンター達は勿論のこと、事件に関わった全ての者達が口を封じられていたのだが、どこから漏れてしまったのか、国内でもトップの新聞社に堂々と記事が載ってしまうとは誰も予想できなかっただろう。今頃元老院による事態の抑制と、紙面の総回収が行われている頃だろう。そして間違いなく、この記事を書いた記者は無事に済まない筈だ。

「例の彼女…っすよね?」

クラフトは頷く。そう、こんな記事を書き上げられるのは国内でも彼女しかあり得ない。クラフトをネオ・アルカディアの新たな救世主として称え、レプリロイド達の権利を訴える彼女――――オリンポスプレス社の敏腕記者として名高いネージュ以外には。
この記事も、要点をまとめてゆけば、最終的にはレプリロイドの権利主張となっていた。人類のトップである元老院議長の暗躍は、敵がレプリロイドのレジスタンスだけではないことを示し、人類が神聖な存在では決して無いことの証明であり、同時に、レプリロイドとのよりよい関係づくりと共通理解こそが、今後のネオ・アルカディアには重要であると、力強い言葉で記されていた。

「嬉しい限りではあるが……ここまでいってしまうと……」

ネージュの身が心配になる。
政府批判と取れるだけでなく、機密事項を流布してしまったのだ。最低でも職を失うことは間違い無いだろう。そして、今後もまともな職になど就ける筈がない。まともな資金繰りができなくなればニューオリンピアでの居住も難しくなり、いずれはミズガルズのスラム街へと追いやられてしまうだろう。命まで失うことはないにせよ、社会的な抹殺というのは大いにあり得た。

「しかし……気にしたところでどうにもできん。俺達にできることはただ、彼女の無事を祈ることだけだ」

クラフトは誌面を四角く畳み、マントの下に仕舞い込んだ。

「そう言えば…新たな元老院議長の選出が行われていますね」

クラフトに気を遣ったのか、マイアは話題を変える。

「議会内投票だがな。ヴィルヘルム卿が推すアーブラハム卿が最有力だと言われているが……どうも状況が思わしくないらしい」

「と、言いますと?」

「名誉議長殿が久しぶりに動きを見せているそうだ。なんでも、若手のレオニード卿を擁立するつもりだとか」

バイル元老院議会名誉議長は就任して以来、噂程度が飛び交うことはあったが、目立った動きを見せることはなかった。その為、最高議長であるヴィルヘルム卿の権威拡大を抑える者はなく、議会はほぼヴィルヘルム最高議長の思うがままに動かされていた。
だが、そのバイル卿がついに動き出す。それも若手最有力株として名高いレオニード卿を議長団に捩じ込もうというのだ。

「いくら民衆の支持が厚いレオニード卿といえど……相手が悪いのでは?」

既にヴィルヘルム卿が議会の大勢を握ってしまっている今、対立関係にあるバイル卿の候補となれば、当選は難しいと考えるのが妥当である。
しかし、クラフトは首を振る。

「最高議長のやり方に反感を抱いている者も少なくないと聞く。それに、“あの”名誉議長殿のことだ。その擁立が真実であるならば、勝つ為の根回しを徹底的に行なっていることだろう」

ヴィルヘルム卿の思うままに議会が動かされているとは言え、バイル卿の存在がこれまで無視されることがなかったというのもまた事実である。そもそも八十年前の大反乱の首謀者であると目されていながら、名誉議長に就任し、ネオ・アルカディアの中枢にとどまり続けてきたのには、それなりの理由があるのだ。

「レオニード卿と言えば、かの歌姫のお兄様っすよね?」

軽い調子でマティアスが口を挟む。

「“虹の歌姫”か。その通りだが…そのニヤケ様は………まさか」

「自分、ファンっす」

はにかみながらマティアスが白状する。
“虹の歌姫”――――現在、ネオ・アルカディアにおいて民衆から最大の称賛と人望を集める歌手。旧世紀で言うところのアイドルだ。
歓喜、悲哀、哀愁、愛憎……様々な感情を、時に優しく、時に切なく、時に力強く歌いあげる彼女は、その歌声を“虹”に例えられ、ラジオや雑誌を通して“虹の歌姫”として人類だけでなく、レプリロイドからも支持されていた。
政府関係者にもファンは少なくなく、メモリーに記録して前線で聴くというレプリロイドもいる程で、彼女の人気は留まることを知らない。
レオニード卿が民衆から支持されている理由には、メガロポリス大学の元人気講師であるという以外にも、彼女の存在が一つとして挙げられる。
ニヤニヤと顔を緩ませるマティアスに呆れたのか、クラフトは溜息を吐く。
「いつまで卑猥なニヤケ顔を隊長に見せているつもりだ」とマイアがマティアスの頭を軽く叩いた。



















瞬間、爆音が鳴り響く。




















突然の事態に、マティアスは慌ててマイアと顔を見合わす。

「なん……!? …えっ…………お前!?」

「なわけ無いだろう! 隊長!」

「どうやら奴さんの方から来てくれたようだな」

そう言って、クラフトが重い腰をあげる。
その緊張感に、隊員たちの顔つきが変わる。先ほどまでニヤケ顔を晒していたマティアスですら、硬い表情をしている。

それから鳴り響く警報は研究所と兵舎中に、敵の襲来を五月蝿い程に知らせていた。
こんなところに現れる敵など、通常は考えられない。今、このボレアス山脈内に潜伏していた紅いイレギュラー以外には。
クラフトの脳内に基地内のデータリンクシステムが情報を送る。紅いイレギュラーはどうやら格納庫内から侵入を仕掛けたらしい。

「第十七部隊、出撃する。目標は格納庫内にて警備メカニロイドと戦闘中。目的が未だ掴めん。用心して掛かれ」

「了解」と威勢よく返事をし、マイア達は各々の武器を手に、クラフトの後について兵舎を出ると、廊下を駆け抜けた。
基地中のメカニロイドとパンテオンがそこに集結しつつあった。




























  ――――  3  ――――


ライドアーマーのコクピットに乗り込み、シールドカバーを閉じる。
起動したばかりのメインカメラから、ノイズ混じりの映像が眼前に映し出される。
侵入の際に発した爆音を聞きつけ、咄嗟に駆けつけたメカニロイド達が、自身に取り付けられたエネルギーガンの銃口をこちらに向けている。既に入り口付近は固められ、これ以上の侵入には、敵のバリケードを突破しなければならない。
だがその程度で、怯むつもりはない。

「派手に行かせてもらうぜ!」

意を決すると共に、アクセルを限界まで踏み込む。取り囲もうと集結してきたメカニロイドとパンテオン達を物ともせず、ゼロが乗り込んだライドアーマーは入り口まで一気に突撃を掛けた。
残骸と擬似体液が無惨に飛び散る中、レプリロイド用に誂えられた入り口を、壁ごと破壊し、廊下に飛び込んだ。その際に崩れた瓦礫が、既のところでライドアーマーの轢殺から逃れたパンテオン達を圧し潰す。
素早く右に回頭する。そして、次々と迫り来るパンテオンとメカニロイドの群れに向け、更に加速させる。後方から浴びせられる銃撃を、体躯に対して遥かに狭い廊下の中、致命傷は避けるように細かく身を捻りながら躱し、目的の場所へと向け突き進む。
脳内にマップデータを展開し、位置を確認する。大丈夫、この道で間違いはない。

「……っ!?」

ガクンと、突然バランスが崩れる。どうやら敵の一撃が右足の関節部にヒットしたらしい。しかし、流石は軍用の最新型で、その程度でいきなり転げてしまうようなことは無い。とは言え、このまま進んでゆけば、間違いなく負荷にやられて無様に転倒してしまうだろう。
だが、だからと言って、なにか手があるわけではない。

「ええい……ままよ!」

崩れかけのバランスをギリギリの所で保ちながら、走行を続ける。そして、目的の地点――――エレベーター前に辿り着く。
ゼロはライドアーマーを一旦停止させ、オートパイロットに切り替える。そしてコクピットを開けて飛び降りた。格納庫からライドチェイサーまで持ちだして追撃を続けていたパンテオン達は、その様子を訝しむ。すると、ライドアーマーは即座に振り返り、再び動き出す。敵部隊へと向け、一気に駆け出した。
状況を理解したパンテオン達は後方へ切り返そうとするが時既に遅い。ライドアーマーは、とうとう負荷に耐え切れなくなり、上体を崩し、転がるようにして敵部隊へと突っ込む。そして、エネルギー炉が臨界に達し、自爆した。
その様子に目もくれず、ゼロはエレベーターに乗り込む。そして、上階へと登り始めた。

コントロールルームで、この要塞の防衛を任されている司令官のシラーがオペレーター達に向け怒号を飛ばす。

「防火シャッターの作動は!? エレベーターは停止せんのか!?」

「それが、一部の基地施設のコントロールに対し、何者かがクラッキングを仕掛けているらしく…」

「弁解はいらん! なんとかしろ!」

弱音を吐く部下に、シラーは苛立つまま叱咤する。
ゼロの侵入の手間を少しでも省くため、レルピィとペロケによる電子攻撃が行われているのは、言うまでもない。
その甲斐あって、ゼロは目的の階まで一度も停止すること無く登ってゆく。

「どうやら基地内のコントロールが一部奪われているようです」

代わりにデータリンクを終えたマイアがクラフトに報告する。

「相当、腕の立つクラッカーがバックアップに付いているということか……。弱ったな」

瓦礫と残骸に塗れた廊下を進み、クラフトが壁に手をつく。
彼らが到着した瞬間、格納庫から飛び出たライドアーマーは、そのまま逃げるようにして去って行ってしまった。崩れる瓦礫を躱し、ライドアーマーの背中を呆然と見送ることしか出来なかった。

「マティアス、警備兵の動向は?」

「はっ。全機、エレベーターの上昇を追うようにして、上階へと登っています」

「エレベーターの停止を確認」と、マイアが口を挟む。場所は六階。十二階まである中央棟では中間地点。

「最上階のコントロールルームだと踏んでいたのだがな……アテが外れたか…」

自身の推測の裏を掛かれ、クラフトは眉を潜める。
コントロールルームを襲撃し、要塞内のコントロールを掌握する――――その後の動きはともかくとして、要塞侵入を謀った場合のパターンとしてはそれが一番しっくりくる。だが、紅いイレギュラーはそうしなかった。

「『そうしなかった』というのが重要だ……。詰まる所、目的は要塞の攻略ではない」

他に、こちらが予想だにしない目的があるのだろう。だからこそ、裏をかかれるのだ。

「お前らはどう思う?」

マイアとマティアスに順に視線を向け、問いかける。すかさずマイアが答える。

「少々派手――――というのが私の印象です。格納庫への潜入からライドアーマーの奪取までは良いとしても、そこから先は……要塞への侵入にしては動きが雑過ぎる」

警備部隊にその侵入が大々的に知れ渡り、挙句、それにも懲りず、更に奥へと侵入を続ける。位置が既に割れてしまっている上に、戦力差も開きすぎている。いくら紅いイレギュラーとは言え、無謀にも程がある。
だが、その動きが無意味だとも思えない。
マイアの「派手」という印象に、マティアスも頷く。クラフトも同意見だった。となれば、現在の味方部隊の動向も踏まえた上で単純に考えると、答えは自ずと導かれる。

「陽動…か……」

クラフトは紅いイレギュラー包囲作戦を一度白紙に戻し、再び策を練り始めた。
しかし、そうこうしている内に、ゼロは迫り来る軍勢を次々と斬り伏せてゆく。ゼットセイバーの閃光が縦横無尽に駆け巡る。
そして、自分から進んで隅へと突き進み、壁を背にした。

「この辺でいいかな?」

ニヤリと呟くと、何を思ったのかゼットセイバーを左手に収納した。パンテオン達は思わずその動作を警戒する。それもその筈で、紅いイレギュラーのこれまでの戦闘データから、その動作の後には決まって“あれ”が発動されるからだ。
しかし、ここは地上とは違う。ここであの攻撃を行えば、中央棟が崩れかねない。そうなれば、紅いイレギュラー自身も無事に済む筈がない。だが、どうやらそれすらも、今の彼は厭うつもりはないらしい。
左腕にエネルギーが蓄積される。制御限界ギリギリのエネルギー量だった。

「なあに……楽しもうじゃないか!」

そう叫ぶと、左腕を地面に突き立て、一気にエネルギーを開放した。滅びの技――――アースクラッシュの発動。
その惜しみない壮絶な威力は、その場にいた者たちだけでなく、そのフロアを丸々消し飛ばした。それから何が起こるのかは、想像に難くない。

「…ぬぁ!?」

シラーは突然の事態に素頓狂な声を上げる。景色が傾いている。いや、景色だけではない。自分の立つこの床が――――フロア自体が傾いている。

「ろ……六階部分消失! 中央棟…崩れ――――…っ!」

オペレーターが言い終わる前に、コントロールルームを含む中央棟の七階より上は、西棟側に向け、呆気無く崩れ落ちた。それに伴い、五階より下部分もまた、降り注ぐ瓦礫と振動により、大打撃を受ける形となった。
紅いイレギュラーの侵入より十数分程度での出来事である。




















  ―――― * * * ――――


耳を劈くような騒がしさに、ポーラー・カムベアスはカプセルの中で瞼を開ける。
ガラスカバー越しに聞こえてきたのは、侵入者を知らせる警報のけたたましい音。そして、しばらくして基地内を駆け回る警備部隊の気配を感じる。
どうやらこんな辺境の要塞に、わざわざ侵入を試みた物好きがいるらしい。愚かしいことである。
現在ここで進行しているのは「破壊衝動プログラム」の試験のみで、他に目立った試験は行われていない。これまでの試験や実験の産物に関しても、それ程有用なものがあると思えなかった。
それからしばらくすると、激しい振動が部屋中を揺らす。何かが崩れ落ちたような爆音を響かせながら。
その後、ベンハミンが部下を引き連れながら、大慌てで扉から現れた。

「研究資料を急ぎ回収しろ! 急げ! 何が起こるかわからん!」

どうやら相当の手練が要塞に侵入してきたらしく、状況は思わしくないようだ。
ベンハミン達は最低限必要なデータをディスクに移し変え、持ちだそうとしている。そして作業をしながら、カムベアスヘと視線を移した。

「貴様も来い! 万が一の場合には働いてもらうぞ!」

「また戦いか」とカムベアスは項垂れる。
とは言え、既に「破壊衝動プログラム」に侵されたこの身と精神は、疲弊しきっており、抗う術はどこにもない。
ただ指示を受けるまま、戦いに赴かねばならない。何よりも忌み嫌う戦いへ……。














突如、爆音と共に天井が弾け、崩れ落ちる。














声にならない叫びを上げ、ベンハミン達はその瓦礫に圧し潰された。カムベアスは訳がわからないまま、呆然とその光景を見ていた。
視界を遮る砂埃がようやく落ち着くと、そこには輝く金髪と血のように紅いコートを身に纏った男が立っていた。

「……つっ……作戦は…成功か。しかし……ちょいとやり過ぎたな」

カムベアスはその姿に見覚えがあった。

「紅い……イレギュラー…?」

紅いイレギュラーはその声に反応し、カムベアスへと視線を遣る。すると、柔らかく微笑んだ。

「久しぶり……と言うより、まあ初めましてと言っておこうか。あんたがポーラー・カムベアスだな。俺が紅いイレギュラー――――ゼロだ」

少しだけよろけながら、ゼロはカプセルへと近づく、そして解放スイッチを手でまさぐり当て、押す。
バクンと音を立て、カプセルのカバーが開いた。先日雪原で一戦交えた白熊型のミュートスレプリロイドが幾本ものケーブルに繋ぎ止められて、そこにいた。
ゼロはカムベアスの身体から丁寧にケーブルを外してゆく。そして全て外し終えると、倒れそうになるカムベアスの身体を、支えた。とは言え、ゼロの身体もだいぶ疲弊していた。

「ここに来るまで結構荒っぽいことやらせてもらったんでな。少々ガタが来てるみたいだ」

中央棟の六階を吹き飛ばした後、背にした壁を破壊し、外に飛び出した。その先には、一階分下に東棟があった。半球状の屋根に辛うじてしがみつくと、そこを突き破り、それから一気にカムベアスの整備室まで、床を突き抜けながら降りてきたのだ。
一フロアを吹き飛ばすほどのエネルギーの放出、落下と着地、数回の障壁破壊――――尋常ならざる侵入行動から受ける反動は正直なところ、無視できたものではない。だが、多勢の中に潜り込み、誰かを救出するためにはそれなりのリスクを冒さなければならなかった。

「…どうじて……そごまで……」

フラフラと瓦礫の中を歩き出しながら、カムベアスが問いかける。

「Cさ。……あいつに頼まれたんだよ。『救ってくれ』って」

成程、あの対峙の後、事情をCが説明して、彼に依頼したのだろう。「友を救って欲しい」と。だが、それでも何故――――……‥

「ぞれでも……なんで……ごんなに危険な…ごと……」

見ず知らずの、会ったばかりの相手の願いを聞き入れ、敵であった者の救出等に命を懸けられるのか。
すると、ゼロは何処か自嘲めいた苦笑いを浮かべる。

「……やっぱ…馬鹿みたいか…?」

自分でも気づいていないわけではなかった。
冷静に考えて、今回の戦いは避けても良いはずだった。白の団の作戦でも、シエルの依頼でさえもなく、その上リスクばかりで見返りなど一つも期待できない。
それでも引き受けた。そして命懸けで遂げようとしている。“愚か”としか言いようがないかもしれない。

「それでも……俺は決めたのさ」

今にも倒れそうなカムベアスの身体を、残った力で懸命に支え、ゆっくりと歩を進める。扉はすぐそこにある。

「『救う』って……『救ってみせる』って……」

自分の力で、可能な限り。零さぬよう、散らさぬよう。命を懸けて。
英雄と呼ばれるからではない。期待されるからではない。
ただ救いたいと思った。壊すばかりの戦いの中でも、一つでも多くの命を。遺体や残骸を積み上げるばかりでなく。死者を弔い、別れを嘆くばかりでなく。自分の非力さを悔やむばかりでなく。


“救世主”の居ない世界で。――――思い出の中に残る“あいつ”の居ないこの世界で。
自分の力で、「救おう」と誓った。


「“ヒーロー”が居ないなら……『俺がなってやろう』ってことさ」


瓦礫塗れの暗い部屋を抜け出した。
警報が未だ鳴り響いてはいるが、電灯に照らされた明るい廊下に出る。
あとは脱出だけだ。マップデータから、事前に決めていた脱出ルートを確認する。レルピィとペロケが道を開けてくれている筈だ。
だが、トラブルというものは常に、予想だにしない状況で起こるものだ。今この瞬間のように。

「どうも、今日の俺達は運が良いらしいぜ?」

見慣れない男が視界に入り、ゼロは足を止めた。いや、男だけではない。黒髪が印象的な女性もいる。当然ながら、どちらもレプリロイドだった。

「運? ……隊長の読みが当たっただけだろう」

この状況でも落ち着いた物腰。間違いなく、それなりの手練と見て良かった。
「まさか」とゼロは身構える。まさか――――いや、きっとそうだ。冥海軍団員でもミュートスレプリロイドでもない。彼らが何者であるか。
レヴィアタンの情報に偽りはなかった。基地の内部も、彼女がここから一時的にいなくなるという話も。だから、おそらく彼女の読みが外れたというのが正しいのだろう。ただ一つだけの不確定要素が。

「我が名は第十七部隊所属、マイア。紅いイレギュラーよ、ここで貴様の命運も終わりだ」

「丁寧に自己紹介かよ。俺はしないぜ?」

あくまでも冷静に構えるマイアに対し、マティアスは呆れたように肩をすくめる。
それから挑発的な笑みを浮かべ、ゼロを睨む。

「まあよ。手を抜くつもりは無いから、安心してくれよ。紅いイレギュラーさん」

先程、黒髪の女性が言ったように、彼ら二人は第十七部隊の一員であると見て間違いないのだろう。
レヴィアタンの予想より早く、要塞に到着していた。ただそれだけのことだった。それだけの誤算だった。
体力的に疲弊した状態でありながら、同じく弱り切った仲間を守りながらの戦闘。決して容易なものではない。

「少しばかり手を抜いてくれた方が…俺としては嬉しいんだがな……」

万事休すといった状況に、ゼロはただ苦笑いを浮かべるしかなかった。































  ―――― * * * ――――


「おの…れぇ……」

瀕死の身体を無理やり引きずり、ベンハミンはなんとか瓦礫の下から這い出ることができた。
紅いイレギュラーの侵入により、基地内の設備は破壊され、大事な被験体も連れ去られてしまった。動力炉をやられた自分の身体も、もう永くは持たないだろう。
しかし、このままでは終われない。
自身の研究は完璧であった。間違いなくネオ・アルカディアの勝利に貢献する筈であった。その華々しい功績と、成果と、研究者としての栄光を無惨にも砕かれてしまった。
その恨みを返さずして生き絶える訳にはいかない。
辛うじて生きているコンピューターを起動し、キーボードを叩く。基地の監視カメラを確認すると紅いイレギュラーと被験体が支えあっているのが見えた。しかし、すぐそこにはイレギュラーハンターがいる。

「ク……クククククッ……」

ベンハミンは思わず笑みを零した。
最高のシチュエーションだと思った。これまでの研究の成果を確認し、自身の怨念を昇華するのには申し分ないキャストだと言って良い。
破壊衝動プログラムを検索する。しかし、基地のデータベースには既に見当たらない。
それもその筈で、基地内のデータベースは何者か(おそらくは紅いイレギュラーの共謀者)によりクラッキングされ、壊滅的打撃を受けていた。
だが、勿論そんなことは想定済みだ。今のはただ、確認をしただけだ。そして次が大事なのだ。
コンピューター内の防壁を即座に修復し、生きている回線を見つけると、強度の高いプロテクトをかける。
侵入しているクラッカーの手から察するに、ほんの数分あればまた破られてしまうだろう。だが、その数分があれば十分だ。
ベンハミンは慌てること無く懐に手をやると、小さなメモリーカードを取り出した。
それをスロットに差し込み、保存しておいた破壊衝動プログラムのコピーを起動する。

「まだ……試してない…実験が…一つだけ……あったなぁ……」

不気味に頬を吊り上げながら、弱った指でキーボードを叩く。
段階的なプログラムの注入――――それは精神プログラムの崩壊を恐れるがゆえの措置だった。しかし、それは理論と計算から導き出された結果に他ならない。事実として確認されてはいない。

ならば、もし“それ”を行ったらどうなるのか。

プログラムの危険値と、注入値を最高まで引き上げる。そして、その送信を開始した。
間も無く画面上にはプログラムの注入を開始したことを告げるウインドウが提示される。
それと同時に、「うへ…へへへ」と不気味な笑みを浮かべながら、ベンハミンの身体は虚しく床に崩れ落ちた。
しばらくした後、笑い声は止み、彼の機能は完全に停止した。


















  ――――  4  ――――


紅いイレギュラーと共にいるレプリロイドに首を傾げる。
どう見てもミュートスレプリロイドの筈だ。それなのに、何故か紅いイレギュラーと身体を支えあっているように見える。

「……冷静に見ると些か状況が掴めないが…」

躊躇う余裕はない。疲弊しているとは言え、紅いイレギュラーは死に体となっているわけではない。いったいどの様な手を繰り出してくるか、用心して然るべき相手だ。
マイアはビームソードを構える。

「ここで仕留めさせてもらう!」

地を蹴り、跳びかかる。その速度は、髪色のせいもあって、黒い光かと見紛う程だった。
ゼロは「すまん」とカムベアスの身体を壁に預け、引き抜きかけのゼットセイバーでマイアの一太刀目を防いだ。

「見事……だが!」

バックステップを踏み、距離を取ると、そこから斬撃を連続して浴びせる。尋常ならざる剣速は、普通のレプリロイドでは捉え切れなかっただろう。
だが、ゼロはそれを一つ一つ丁寧に捌いてゆく。斬撃を防ぎ、時に力を流し、身を翻し、ダメージを避ける。反撃の糸口は掴めないものの、敵の一撃を受けることもない。根比べとも思える激しい攻防。
しかし突如、マイアが斬撃を止め、倒れこむようにしてその場を離れる。刹那、謎の物体が二つほど、彼女の後ろからゼロに向かって投げ込まれた。
既のところで断ち切ると、それらの物体は斬られた瞬間に爆発して破片を散らした。それらはマティアスが投げ入れた手榴弾だった。破片がゼロの身体に微力ながらもダメージを与える。

「知らせろ、馬鹿!」

自身への配慮がない事に対しマイアが怒る。「いや、気づくと思ってよ」とマティアスは平謝りを返した。
緊張感のない間の抜けた二人の遣り取りを尻目に、ゼロは膝をつく。確かに味方への配慮という点ではどうかと思うが、奇襲攻撃としては成功と言えた。敵ながら天晴である。
だがこの二人、共闘は慣れていないと見える。
それもその筈で、第十七部隊は優秀なハンター達を招集しているとは言え、寄せ集めであることに変わりはない。個々のスキルが高くとも、連携という点で言えば、先ほどのような穴があるに決まっている。そこに勝機を見い出せる筈だ。
僅かばかりの勝機に賭け、反撃に移ろうと構える。
だが、事態は一瞬にして悪化する。

「二人共、どけ」

低い声が廊下に響く。その声を聞くやいなや、マイアとマティアスは壁際へと素早く身を躱す。すると、真っ直ぐ伸びる赤いレーザーポインターがゼロの頭部を捉えた。

「当たれ」

掛け声と共に、直径三十センチ程のビームがゼロ目掛けて放たれる。
ポインターを向けられていることに気付いた瞬間、反射的にその場を飛び退いたことが幸いし、大事には至らなかった。横に流れた髪が若干焦がされる程度で済んだ。
しかし、状況は最悪と言って良かった。現れた男――――彼の顔と名前は既に覚えていた。

「“救世主の後継者”クラフト……か…」

「伝説の英雄に名を知られているとは…光栄だな」

第十七精鋭部隊長クラフト。まさか彼自ら、ここに来ていたとは。ゼロは思わず舌打ちをする。

「残念ながら、オールオーバーだ。ここまでの手際は見事だったが……この状況を見れば分かるだろう?」

身長と同サイズ程のビームキャノンを右肩に軽々と背負い、左手でハンドガンを構える。そして、真っ直ぐこちらへ歩を進めてくる。威圧感を醸しながら。

「十秒やる。武器を捨て、投降しろ。さもなくば此処で処分する」

「気の短い奴だな……もう少し時間をくれたら喜ぶぜ?」

この窮地で、ゼロは苦し紛れに冗談めかして言葉を返す。だが、クラフトはそれに耳を貸す様子なく、「十…九…」と数え始めた。
「クソ」と悪態をつくゼロ。他の二人だけであれば、まだなんとかなったかもしれない。しかし、目の前にはあのクラフトがいる。
実際に手を合わせたことがないとしても、その佇まいと雰囲気から、彼がどれだけの力を持っているかは直ぐに分かった。彼のこれまでの実績についても知っていたため、出会うことがあれば、苦戦を強いられるだろうことは予想していた。
しかし、このタイミングで遭遇してしまうとは。運が悪いにもほどがある。
クラフトが「五」まで数えた時、のそりと白い影がゼロの前に出た。カムベアスだった。
まるでゼロを庇うような動きに、思わずクラフトも数えるのを止めてしまう。

「ゼロ……逃げろ…」

「なっ!?」

突然の言葉に、驚く。

「ふざけるなよ! 何の為にここまで来たと思ってる!」

「感謝じてる………けど……お前…ごこで…死ぬべきじゃ……ない……」

ゼロとクラフト達の間に、カムベアスは仁王立ちする。
クラフトは瞬時にデータ照合をし、彼が冥海軍団に所属している「ポーラー・カムベアス」であることを知る。

――――どういうことだ…?

データによると、ポーラー・カムベアスはこのボレアス山脈研究所において、ある実験の被験体として扱われていた筈だ。それが何故、紅いイレギュラーを庇うような動きを見せるのか。

「ポーラー・カムベアス……――――“氷刃の熊将”と恐れられた冥海軍団の猛将が…いったいどういうつもりだ?」

「クラフト…オデも聞かせで…もらう…。……お前ぼどの男が……何故ごんなぐだらない戦いに……?」

カムベアスの言葉に、クラフトは眉をひそめる。
「くだらない戦い」――――カムベアスは確かにそう言った。

「……どういう意味だ?」

クラフトの問いに「ぞのままだ」と答え、カムベアスは懸命に踏ん張り、自らの体を何とか支えて立ち続ける。そして、クラフトから少しも視線を離さずに、睨みつける。

「ごの男を……殺じた所で………………平和が来るのか?」

クラフトの身体が思わず強張る。

「ごいつ一人を殺じた所で……人類が守れるのか? イレギュラー共を殺じた所で…世界に平和が来るのか……? ……ごんな戦いに………ごの戦争に……命を懸けで……いったい何が得られるんだ?」

ボレアス山脈という辺境で。世界の片隅のような場所で。命を懸けてただ一人のイレギュラーを処分した所で、いったい何が変わるというのか。
命を懸けて今眼の前にいる敵を討ち果たしたところで、本当に掴みたいものを掴むことができるのか。

「壊じて……殺じて…………何が残るんだ?」

その言葉は、重くクラフトの心にのしかかった。前線で数多くの、“イレギュラー”と呼ばれた同胞達を処分してきた男の言葉。それはそのまま真実を映し出しているように聞こえた。
そして、それはゼロにも同様に突き刺さっていた。
カムベアスは尚も言葉を続ける。まるで命を振り絞るように声を荒げる。

「第十七部隊? …救世主の後継者? ……聞いで呆れる! ごの雪山を見で……純白の世界を目に焼き付けで……何も思わながっだのか!?」

今現在世界を包んでいる戦争の渦。そこから外れた辺境の山脈。白銀に輝く平和な世界。
その中でしばらく過ごすうちに、Cと言葉を交わし分かり合うことで、カムベアスは確信した。

「今やるべきごとは、ごんなごとなのか! 違うだろう!!」

壊すことも、殺すこともしないまま。共に手を取り合い、互いに助けあい、笑いあい――――そんな風に生きることができるはずだ。今からでもきっと。
クラフトは思わず唇を噛み締める。そんなことはとうの昔に分かっていた。同じ事を願い、想いもした。
しかし、それでも……――――……‥

「理想だけを吠えたところで、救える世界ではない!」

声を荒げ怒鳴り返す。
イレギュラーハンターとしてネオ・アルカディアを守り続けるうちに、彼が辿り着いた答えはそれだった。いや、それだけだった。
掲げたい理想がないわけではない。命を奪わないまま平和を勝ち取れたなら、それに越したことはない。
しかし現実に、平和を乱そうとする輩は後を絶たない。時に己の利益のために、生存のために、信念のために…………世界に国家がたった一つとなった今でさえ、心が完全に一つになってはくれない以上、争いは大なり小なり、必ず生まれてしまう。
それならばどうするか。
そこでクラフトは戦うことを誓った。人間のために。か弱く尊い命のために――――

「その男の存在がネオ・アルカディアの平和を脅かすのは事実だ。それならば、俺はイレギュラーハンターとしてその男を処分する」

愚直と呼べばそれまでかもしれない。しかしそれでも、人類の脅威と成りうる者を処分すると誓った。排除し続けると誓った。

「それが俺の使命であり、存在意義だ!」

クラフトにとって、それが全てだった。
カムベアスはそれを聞き、「仕方ない」とため息を吐いた。そして弱った身体で構えを取る。
残念ながら戦闘は避けられないらしい。それならばこの男だけは護ろうと思った。

「逃げろ……ゼロ…早ぐ」

先程の遣り取りから確信した。
多くの者達の命を真に救おうと足掻いている彼こそが、この世界をきっと真の平和に導いてくれるだろうと。
だからこそ、この男を此処で死なせてはならない。自分如きのために、命を散らせるようなことはあってはならない。

だが、ゼロは無理やりカムベアスを押し退け、前に進み出た。

「ゼロ……お前……!?」

「言っただろう……俺は…“ヒーロー”なんだよ」

自ら「そうあろう」と決めた。死にゆく者を、危機に瀕した者達を救いたいと思い、戦おうと決めたのだ。これから先、ずっと。

「だから、こんなところで……我が身大事に引き下がる訳にはいかないんだよ。……じゃないと…俺は“あいつ”に合わせる顔が無いのさ」

ゼットセイバーを両手で握りしめ、再び構える。しかし、「だけどよ」とカムベアスに視線を向ける。

「こんな馬鹿げた旅路にお供してくれるってんなら……いつでも大歓迎だぜ?」

カムベアスはその言葉に嬉しそうに微笑み返す。そして、共に戦闘の構えをとった。

「どうやら二人共……処分されたいらしいな」

クラフトがハンドガンを再び構え直す。すると、ここまで黙って聞いていたマイアとマティアスの二人も、それぞれの武器を構えなおした。

「その信念や見事……だが、我が剣はそれでも貴様の首を刈り取ってみせる」

「めんどくさい話はともかくとして……この状況で取り逃がすわけには行かないんだよ。俺達にも面子ってもんがあるからな」

どこか活き活きとした表情で構える二人に、クラフトが「注意しろ」と警戒を促す。

「いくら疲弊しているとは言え、相手はあの二人だ……。全力でかかれ」

その言葉に「了解」と威勢よく答える。
二対三――――……他のフロアを張っていた残りの隊員達が合流すれば二対七となる。しかし、そんな圧倒的優位な状況であっても、クラフトは尚も気を緩めることが出来なかった。
状況的にも、体力的にも、そして精神的にも追い詰められてしまっているというのに、二人の目には未だ強い闘志が漲っている。いや、むしろ先程よりも強く輝いていると言っていい。
ともすれば、容易に状況が逆転してしまうだろうと、直感が告げていた。
しかし、「それでこそ」と思う自分がいるのも確かだった。それは味方の二人も感じているに違いない。だからこそ、二人の表情はこんなにも活力に満ちているのだろう。
張り詰める緊張感。先に手を出すべきか、後の先を狙うべきか……互いの手を読み合う内に時が流れる。ほんの数秒が数十分にも思える重い沈黙。
















それを一瞬にして引き裂いたのは、基地中に響き渡るような“絶叫”だった。
















その場にいた者達は皆、その声の主へと視線を移す。
叫び声の主――――カムベアスは自身の頭部を両手で抑え、ひたすら言葉にならない叫びを発し続けた。

その光景に唖然とし、戦闘のタイミングを誰もが見失う。
そして、その叫びが止むと、カムベアスはだらりと両手を下に垂らした。

「……カムベアス……………?」

ゼロの声に、カムベアスは何一つ反応を見せようとしない。いや、それどころか雰囲気がおかしい。先程までの様子とはガラリと変わった、何処か禍々しいものを感じる。
瞳は次第に虚ろな輝きを見せ始め、異様な殺気を放ち始める。そして、鼻息もまただんだんと荒くなってゆく。

その光景はまさに――――……‥

呆然と見つめていたクラフトの視界に、マイアが強く踏み込むのが見えた。突然の異常事態に生まれた、紅いイレギュラーの隙を突かんと、ビームソードを構えて飛び込もうとしている。
だが、クラフトの感じた異様な雰囲気が、警告する。今、“奴”の射程内に入るべきではないと。

「待て! マイア!!」

しかし、その言葉が耳に入るより先に、マイアの足は地を蹴っていた。紅いイレギュラーがこちらの気配を察知するより早く、その首をはねるために。

――――覚悟っ!!

横一線に、光の刃を振りぬく――――筈だった。
「ボグッ」と鈍い音が身体の芯から響くのを感じる。次の瞬間、マイアの華奢な体は壮絶な勢いで壁へと叩きつけられていた。「カハッ」と擬似血液を吐き出す。

「マイア!」

マティアスが名を呼び駆け寄る。クラフトはその状況を呆然と見守った。
ゼロは直ぐそこにいる、カムベアスをじっと眺めていた。

「カムベアス………お前………」

マイアを片手で軽くはじき飛ばした。彼女の勢いに臆すことも、まして嫌いな暴力を振るうことに躊躇うこともなく。殺意のみを纏ったままに。

「お前……まさか…」

間違いない。「破壊衝動プログラム」が起動している。それも、今までとは比べものにならない程の強制力を持って。





 「 逃 げ ろ !」





思わずゼロはそう叫ぶ。しかし、その声よりも先に、カムベアスは雄叫びを上げながら、瀕死のマイアを抱き上げるマティアスへとその拳を振り上げた。
既のところでカムベアスの右腕はマティアスを外れる。その軌道は、クラフトが咄嗟に放ったハンドガンにより逸らされた。

「戻れ! マティアス! ……急げ!」

しかし、カムベアスの左腕がマティアスの横っ腹を狙い振り回される。その氷の爪を、今度はゼロがゼットセイバーで受け止める。
命からがら、マティアスはクラフトの下へとマイアの身体を運び込んだ。

「おい、マイア! しっかりしろ!」

名を大声で呼びかけても、マイアは虚ろな目をしたまま返事をしない。どうやら人間で言うところの気絶に近い状態に陥っているらしい。

「マティアス、マイアを担いで後退しろ。あれは危険だ」

クラフトはそこに仁王立ちし、ビームランチャーを構える。
マティアスは悔しさに奥歯を噛み締めながら、「了解」と答え、命令通り、マイアを担いで後方へと退がった。
ゼロをはじき飛ばしたカムベアスがクラフトへと駆け出す。その勢いに半ば気圧されながらも、クラフトはビームランチャーの照準を合わせ、引き金を引いた。
だが、その危険の匂いを感じ取ったのか、銃口からビームが放たれるよりも早く、カムベアスは地を蹴り、跳び上がる。空を切るビームの真上――――突き抜けるかという程の勢いで天井に身体をぶつけ、そのままクラフトの眼前に「ドスン」と着地する。床に亀裂が走る。

「くぉッ!」

咄嗟にランチャーの先から銃剣を突き出し、カムベアスの爪を受け止める。
先程までの疲弊仕切っていた様子が嘘のように、目の前の白熊は俊敏かつ重厚な動きを見せ、襲いかかってきている。本能のままに、獲物を狩ろうとしている野生の獣のように。
受け止めた掌から、急激に冷気が噴き出し始める。

「しまった!」と声を上げた時には既に遅く、あっという間にクラフトのランチャーは凍りづけにされ、それを握っていた両腕の自由も効かなくなってしまう。
そのままカムベアスはもう片方の腕を振り上げる。だが、後方からの気迫を察知したのか、咄嗟に振り返り、自身の項を狙って振り下ろされたゼットセイバーを受け止めた。

「そうだ……コッチに来い!」

「遊んでやるよ!」とゼロは挑発的な声を上げ、後方へ跳び退く。それを追いかけるように、カムベアスも地を蹴る。そして、横へ跳んだゼロの身体目掛けて再び右腕を振る。ギリギリで躱したゼロの後ろの壁が、カムベアスの打撃で崩れた。
ゼロはカムベアスへと刃を振り、掠り傷を負わせると、その穴から向こう側へと抜け出す。それを追うようにしてカムベアスもそこから抜けだしてしまった。

クラフトはその攻防を目で追った後、立ち去った脅威に素直に安堵し、腰を降ろした。

「隊長……紅いイレギュラーは…」

「いい、マティアス。予想外の事態が起きた。これ以上の追撃はいらない」

そう言って、駆け出そうとするマティアスを引き止めた。

「それより、シメオンに連絡だ。救護班を回すようにな。――――マイアが相当危険だ」

「了解」

氷漬けにされた腕を下ろし、同時に胸を撫で下ろす。
それから沸々と湧き上がる、自らの非力さと、任務の失敗への悔しさをぶつけるように、凍ったままのランチャーの柄で床を勢い良く殴り付けた。






























  ――――  5  ――――


カムベアスの攻撃を紙一重の所で躱しながら、ゼロは基地の外へと飛び出した。
途中、回収したレルピィの報告により、基地内でほんの少しの間だけ復旧したコンピューター伝いに、破壊衝動プログラムが注入されたのだろうという話を聞いた。
天高く登った太陽に照らされて、煌く白い大地。
雪に足を取られないよう気をつけながら、とにかく基地から離れるようにして走った。
疲弊し切った今の状況で、見晴らしのいい場所に出るのは得策ではない。だが、それは敵を倒すことを念頭においた場合の話だ。
カムベアスがこれ以上ネオ・アルカディア側の攻撃を受けてはならないし、敵陣の真っ只中で今の彼をどうこうできるとは到底思えなかった。故に、こうしてリスクの高い選択を強いられてしまったのだ。
だが、たとえ自分の命が危険に晒されようと、カムベアスを救いたいという想いの方が遥かに強かった。

「あいつの脳内に侵入は…?」

「無理! 今は完全なスタンドアローン状態で、とてもじゃないけど外部からの侵入は難しいわ!」

如何なレルピィと言えど、侵入口がなければハッキングをかけることもままならない。あるとすれば方法はただ一つ。

「……有線での通信か………っ!」

カムベアスの爪をゼットセイバーで受け止める。だが、なりふり構わない攻撃を受け切れる程の力は既になく、その勢いのまま、ゼロの身体は数メートルほど後方に弾き飛ばされてしまう。

「ダーリン!」

レルピィが悲痛な叫びを上げる。「喚くなよ」とゼロは平気な顔をして起き上がる。だが、当然無事に済んでいるはずがない。ダメージの影響が出始める。
雪を払いのける足の力が弱くなり、足取りが覚束なくなる。雄叫びを上げながら近づいてくるカムベアス。その勢いは留まること無く、同様にゼロの身体を三度もはじき飛ばした。

「もう無理よ! 逃げよう!」

これ以上は見ていられないと、ゼロを説得する。だが、ゼロは応じる素振りを見せない。それどころか「黙って見てろ」と一喝する。

状況はこれまでにない程に追い詰められている。
倒すだけなら簡単だ。このまま懐へと飛び込み、切り裂けばいい。勿論容易な戦いではないが、今までの経験から考えれば、十分に勝機はある。
だが、目的は“救う”ことだ。悪しき呪縛から、彼を解き放ち、その命を解放する。それが目的だ。

――――今の俺に……何が出来る…?

ここまで弱りきってしまった自分に、いったい何ができるのか。
そろそろ止めを刺そうかと構えながら、ゆったりとした足取りでこちらへと近づいてくる。もう猶予はない。
その目は虚ろな輝きを放ったままだった。あんなにも愛していた山脈の中でも、破壊衝動プログラムに侵されたその眼は輝きを見せてはくれない。

――――……そんなもん…なのか…

不意に、悲しさと虚しさがこみ上げてきた。
それがいったい何処から来るのか、分からなかった。ただ、目の前のレプリロイドの無惨な姿に、何かを感じたのだ。――――愛した場所の中にいても、何一つ感じることのできない哀れな姿に。

――――そんなもんだったのかよ……

それから湧き上がってきたのは怒りにも似た感情だった。
次の瞬間、覚悟は決まった。

「ボハー…!?」

まともな思考ができるはずもないカムベアスだったが、“獲物”のあり得ない行動に、初めて戸惑いを見せた。
ゼロは身を守るために使っていたゼットセイバーを地面に突き立てた。まるで「もう使わない」とでも言うように。

「ダーリン…何を…」

困惑するレルピィだったが、ゼロは答えない。だが、その表情は諦めの色を浮かべてはいないし、まして、ヤケクソという風にも見えなかった。
ただ、瞳の中に強い意志があることだけは分かった。

「…………違うだろう……カムベアス…」

静かに、しかしハッキリと自身の名を呼ばれ、ピクリとカムベアスの手が反応する。

「俺たちは…レプリロイドだ…」

何とも形容し難い威圧感を纏いながら、ゼロはその場から一歩も動くこと無く、ただ静かに言葉をつなげる。
カムベアスは、戸惑いからか、ただ様子を窺っているのか、ゼロの方をジロジロと眺める。その足取りは先程までに比べて明らかに遅くなっていた。

「俺達は…“感情”を持つレプリロイドなんだよ…」

その言葉に、威圧感に、カムベアスの足は遂に止まった。言葉が通じたのか。想いが届いたのかは分からない。
ただピタリと足を止め、ゼロと視線を交錯させた。
相変わらず虚ろな瞳。それを見つめ、やりきれない想いを噛み締める。

「そんな俺たちが…感情を持つ俺達が……他人の作ったプログラムごときに…いいように動かされるなんて…――――…‥」

フラつく身体を、突き立てたゼットセイバーで懸命に支える。柄を握る手には限界まで力が込められた。
そして、心のずっと奥の方へと、響くことを祈って、叫んだ。

「 違 う だ ろ う !! なあ、カムベアス!! そうじゃないだろう!?」

レプリロイド――――生物を模して作られた擬似生命体。プログラムにただ従い、忠実に動く機械人形ではない。
自分で思考し、選択し、生き方を選ぶことができる。
感情を持っている。
命を奪うことに躊躇いを感じ。傷つけることに憂いを感じ。争いの中に迷いを感じ。平和を愛し、求め、掴みたいと願い、足掻くことができる。
破壊のために生み出されようとも、未来を掴みたいと願う。戦うために生み出されても、強いられても、平和に寄り添いたいと想ってしまう。

白く輝く大地の上で、穏やかな日々を生きたいと祈ることができる。――――そして、それを叶えることも。

それなのに、今のカムベアスはどうだ。
破壊衝動プログラムに汚染され、感情を侵されてしまった。誰よりも平和を愛し、慈しみ、願っていたというのに。その感情は、心は、踏みにじられてしまった。何一つ抵抗することもなく。

「そんな簡単に負けていいもんじゃないだろう!」

突然、カムベアスは「ボハァァアアァァァァアアァ」と頭を抱え、叫びを上げる。明らかに苦しみ悶えている。プログラムと感情の狭間――――カムベアスの自我はそこで足掻いているのだ。
そしてまた、カムベアスの巨体が少しずつゼロへと寄ってゆく。悶えながら、苦しみながら、ゆっくりとした足取りで。自分を苦しめる対象を破壊しようと。そして、楽になろうとしていた。
片腕を振り上げる。ゼロの身体を射程内に捉えて。レルピィは顔を覆う。
その様子に、ゼロはただ叫んだ。想いは届くと、信じて。

「そんなふざけたプログラム如きに負けてしまうような……そんなヤワな魂だったのかよぉ!! カ ム ベ ア ァ ス !!」

心を突き抜けるような悲痛な叫びだった。
刹那、カムベアスの爪は止まった。僅かに触れたゼロの頬から、紅い擬似血液が一筋流れる。その軌跡は、まるで涙のようだった。

「……ゼ…ロ……ぉ……」

喋ることもままならなかった筈のカムベアスが、遂に口を開いた。そして、ゼロの名を確かに呼んだ。

「…カムベアス……」

カムベアスの瞳に輝きが微かに灯る。けれど、それは直ぐに消えてしまいそうな程、弱い光だった。

「ゼ…ロ………ダメ……オデ………もう……できない…」

僅かに意識が戻ったカムベアスだったが、自身の限界が直ぐそこにあることは分かっていた。このままプログラムに蝕まれ、ただの殺戮兵器となるだろう。
『もう……できない』――――プログラムに抗うことも。平和を求めることも。願うことも。
そんな諦めの声だった。

「だが…ら……殺じて……オデ………お前…………殺じたぐ…ない」

ほんの少し言葉を交わしただけだった。けれど、きっと彼がこの世界を救ってくれるのだと思えた。だから、今此処で死んでほしくはない。自分のこの手で殺したくはない。カムベアスの悲痛な願い。
しかし、それでもゼロは諦められなかった。いや、許せなかった。

「『殺したくない』なら…負けるなよ! お前の心の……魂のために!!」

そう思える心はまだ残っている。抗うことがきっと出来る。そう信じたかった。
それに答えるように、カムベアスが叫びを上げた。苦しみに塗れた痛々しい声を。息も絶え絶えに、ゼロの名を呼んでいた。その声は「逃げろ」と伝えるように聴こえた。
それでもゼロは動かなかった。カムベアスから少しも視線を逸らすこと無く。彼の名を叫んだ。

「ボハァアァ……ゼ…ロぉ………」

「 カ ム ベ ア ァ ス !!」

一際大きくカムベアスの名を叫ぶその声は、山脈中に反響しようかという程の大声だった。

















その反響が消えると同時に、レーザーの束が一点に収束し、カムベアスの胸を貫いた。



















カムベアスは再び振り上げていた右腕を、ピタリと止めた。そして、呻き声を上げながら、雪上へと仰向けに倒れた。
ゼロは呆然とその光景を見届けた。
それからしばらくして、レーザーの軌跡を辿るように、自分の後方へと振り返った。

そこにはレイビット達が並んでいた。
Cを中心に、耳を模して作られたレーザー砲をこちらに向けながら。

そして、この雪山に初めて来た日と同様、状況が整理できないでいたゼロの脳内に、無機質な声が響く。



〔私たちが撃った〕



その声の主がCであることは、あの日と違い、直ぐに分かった。





























  ――――  6  ――――


〔君が悔やむことはない。君はよくやってくれた〕

カムベアスの亡骸を弔った後、Cはそう言った。

どうにも心配になり、C達は近くまで来ていた。そして、偶然にもゼロとカムベアスの遣り取りを見守ることになったのだ。
繰り返す葛藤の末、ついにゼロを殺そうと、腕を振り上げたカムベアス。Cはそれを察知し、同胞たちにコンマ数秒の意思疎通を行い、結果、“伝説の英雄”を守るために、百年近くの間一度も使うことのなかった唯一の武器を使うことにした。
そして、カムベアスを撃ち抜いた。彼の動力炉をピンポイントで。

〔しかし、世の中にはどうにもならないことがある。今回がそれだった。ただそれだけのことだ〕

あくまでも冷静に、諭すようにCは言う。

〔それでも、君という英雄を失う訳にはいかなかった。だから我々は決断した〕

ゼロを守るために、長年使うことのなかった武装を使った。これから先も、二度と火を噴くことはないだろうレーザー砲を。その意味は、決して軽くはない。
〔けれど〕とCは言葉を区切った。そして暫く考えるような間の後、一言だけ呟いた。

〔何かが足りない気がするんだ〕

それを聞いたゼロは、ただ「すまない」と口にした。
そして、遠くまで広がる真っ白な雪原をぼんやりと眺めた。
















  ―――― * * * ――――


倒れた巨躯へと寄って、その顔を覗き込む。
『カムベアス』と名を呼んだ。
動力炉を貫かれた。だが、カムベアスは辛うじて、まだ生きていた。直に機能が停止してしまうだろうことは間違いなかったが。

『ゼ…ロ……』

搾り出すような声。プログラムの効力は見られず、最後の力を振り絞ったのか、どうにか正気でいるようだった。
いつしか、C達も寄って来た。そして、カムベアスの身体を囲むようにして集まった。死にゆく友の最期を見届けようとしていた。

『なあ……ゼロ………』

カムベアスが呼びかける。ゼロは『なんだ』と聞き返す。

『オデ……思うんだ………』

そう言って、遠くを見つめる。

『もじも……この世界が………この山みだいに………何の穢れもなぐ…美じぐ…優じいものだったなら……』

この場所に住むようになってから、毎日のように思っていた。
レプリロイド同士が血で血を洗う様な、そんな戦争が果て無く続く世界。それが、このどこまでも広がる白銀の雪景色のような世界だったなら、穢れも知らない優しい世界だったなら、きっと――――……‥

『争いも…殺じ合い…も……なぐなる…の…が………な…』

理想を問う声に、少しだけ黙った後、こちらを再び見つめる瞳にゼロは『ああ…そうだな』と一言だけ答えた。それを聞いて、カムベアスは微笑み、そして息絶えた。優しい雪に抱かれるようにして、安らかな眠りに就いた。
その頬を舐めるように、Cが寄り添った。それから暫くの間、じっと傍を離れなかった。



C達がカムベアスに寄り添う様子を見つめながら、ゼロは思った。『果たしてそうだろうか』と。
白く穢れない世界だったなら、争いも殺し合いもなくなるのだろうか。

答えは簡単だ。“否”である。

どれだけ白く穢れのない世界だったとしても、美しく、優しい世界だったとしても、争いや殺し合いが無くなることなどあり得ない。

それはたった今、カムベアスが自身の身を持って示したばかりではないか。
もしも争いも、殺し合いもない世界だったならば、急所を射ぬかれた亡骸が天を仰いで倒れ込んでいることなどあってはならない。
しかし現実に、この雪山の中でカムベアスは死んだ。状況はどうあれ、その胸を貫かれ、命を落とした。
それだけではない。ネオ・アルカディアの要塞基地も崩壊した。その中で多くのレプリロイド達が、争いの中で命を落とした。

平和に見えるこの雪山の中でさえ、純白で穢れないように見える世界の中でさえ、争いも殺し合いも絶えることがなかった。
故に、それらが真に無くなる世界などあり得ないのだ。


突き付けられた現実に、ゼロはただ立ち尽くすことしか出来なかった。





















  ―――― * * * ――――


〔ありがとう。君が来てくれて良かった〕

去り行き際に、Cはそう言ってくれた。ゼロは苦笑することしか出来なかった。

「俺は、結局何も出来なかったよ」

救って欲しいと言われた。けれど救うことは出来なかった。“また”出来なかった。
だが、Cは首を横に振る。

〔先程も言ったように、君はよくやってくれた。彼の魂は、きっと安らかに眠れるだろう。私はそう信じている〕

そう言って遠くを見つめるC。きっとカムベアスの事を想っているのだろう。

Cはきっと哀しみを感じているのだろうと、ゼロは思った。
それでも、彼はそれが何なのか、特定できないでいるのだ。
知識として知っている哀しみとは違う、本物の喪失を経験して、感じずにはいられなかった哀しみ。
ただのメカニロイドでいたならば、感じられることのなかった感情。

しかし、それを感じさせてしまったのは、間違いなく自分だ。

〔我々はこれからもこの雪山で生き続けるよ。彼が愛したこのボレアス山脈で〕

友の死の哀しみを抱え、これからも生き続けるのだろう。静かに命が停まるその時まで。
どうか、せめてその日までは、ここが平和な場所であって欲しいと祈らずにはいられなかった。

それから互いに別れを告げ、ゼロは歩き始めた。
後ろを一度も振り返ること無く、十数分ほど歩いた後、足を止めた。
そして、辺りを見渡した。

どこまでも広がる白銀の大地は、雄大で、優しくて、そして哀しかった。














――――もしも…“あいつ”だったなら……

雪景色を眼に焼き付けるようにして眺めながら、不意に想像してしまう。
もしも自分ではなく、“あいつ”が此処に来ていたなら。同じ状況の中に立ったなら。いったいどうしただろうか。
雪に埋もれる脚もそのままに、暫く考えた末、辿り着いた答えは一つだった。


きっと“あいつ”は撃った。
葛藤の末に決断し、C達が撃つよりも速く、引き金を引いていたに違いない。
カムベアスとC達の友情と、誇りのために。自らの手で、カムベアスの命を絶っただろう。










そしてそのあとで、涙を流すのだ。










奪った命への懺悔と、救えなかった非力への後悔とを受け容れ、糧にし、またいつか誰かを救うために。
その姿に、きっとC達も、そして死にゆくカムベアスも――――誰もがまた、別の形で救われるのだ。

その光景は、想像といえど、鮮明に思い浮かべることができた。

それに比べて、自分はどうだ。
いったい何が救えたか。何を護って誰を救えたというのか。

出来る精一杯のことをしたつもりだ。けれど、自責の念はいつまでも頭の中に絡まり続ける。
きっと、これから先もそうなのだろう。
救いたいものを真に救えないまま、何度もこうして悔しさと憤りとを噛み締め続けるのだろう。

込み上げる、やり切れない想いが口を衝いて漏れ出す。




「俺には……できない…」




ポツリと呟いたその言葉は、白く広がる雪原に静かに溶けて、消えていった。






























 NEXT STAGE












        理想の表裏




























[34283] 17th STAGE 「理想の表裏」
Name: 村岡凡斎◆45ff140f ID:697d6d9c
Date: 2012/10/30 23:30


  ―――― * * * ――――


「すまん……これ以上は無理だ」

頭を抱えながら俯き、そう零すコリニーをじっと見つめてから、ネージュはきっぱりと答えた。

「分かっています。今までありがとうございました」

言葉と共に腰を曲げ、頭を下げる。それは間違いなく本心からであった。
顔を上げると同時に、ネージュは右足の踵を基点にして何の迷いもないというように、少しのブレもなく振り返り、そのまま扉へと一直線に歩いていった。
その様子を、同僚たちはチラチラと確認してはいるが、誰も彼女と視線を合わせようとしない。しばらく相棒として働いていたフランツでさえも。
しかし、そのことについては理解している。何のことはない。皆、自分の生活が第一であり、厄介ごとには関わりたくないと言う、ただそれだけなのだ。それは至極当然な思考であり、恨むつもりも睨むつもりもない。
ただ一つ気になることがあるとするならば、自分が退室するまで――――いや、した後も暫く頭を抱えていたであろう、コリニー部長の心境だけだった。


オフィスを出てから、ネージュは小さく伸びをし、空を見渡す。

二週ほど前に書いた記事――――元老院による元老院議長マクシムスへの粛清疑惑に関する記事が原因で、ネージュは公安委員会により一週間程度の取り調べを受けた。
そして、それから暫くの間監視をされ、結果、「オリンポスプレス社退社命令」「ニューオリンピア及びアースガルズ全域からの強制退去命令」が公安委員会より下されたのだ。
これから数日中にミズガルズの外れへと住居を移さなければ、それ以上の刑罰もあり得るそうだ。

政府のことを考えれば、当然の動きと言って良い。現体制に対し、不満があるのも事実であるし、それが如実に表れた記事であったことも否めない。
だが、自分はただ正しいことを伝えようと努めただけだ。事実を捻じ曲げ、都合の良いように社会を牛耳ろうとする輩の方が断じて許すことができないし、それを正しいと認めたくはない。
そんな信条が許されないというのなら、何故ジャーナリストなどという職が、こんな終わりかけの世界でも残り続ける必要があるというのか。

とは言え、今の彼女は職を追われた一介の庶民に過ぎない。「フリージャーナリスト」を名乗って活動もできようが、政府の目がある以上は難しいだろう。結局は生活保護を受けるただの“無職”となるわけで、そんな自分が正義がどうだと吠えた所で、誰の耳に入るわけでも無ければ、説得力の欠片もあったものではない。
そもそもそんな事よりも、今後の生活に関することの方が厄介だ。結局、あのゴミ溜めのようなスラムに逆戻りしてしまうわけなのだから。
過去の記憶、そしてそれと照らしあわせて想像した今後の生活を考えるだけで一際大きな溜息が思わず出てしまう。
そんな憂鬱な気分で見上げた空は、いつもよりやけに狭く感じられて仕方がなかった。

どうしようもない事だと思いながらも、悩まずにはいられない頭を抱えてネージュは街を歩く。この街の無神経な賑やかさに、今の彼女はただ憤りを感じるだけだった。

「あれ? ……ネージュ…さん…ですよね」

不意に聞き覚えのある声に呼ばれ、立ち止まる。振り返るとそこには声同様、確かに見覚えのある男――――レプリロイドが立っていた。

「あなたは……確か…」

「あ、どうも。元第一部隊副長、現隊長代理のディックっす」

そう言って微笑みながらディックは軽く頭を下げた。

















 17th STAGE











       理想の表裏






























  ――――  1  ――――


一歩二歩と、奥へと進むごとに、周りを囲む者達の視線が痛い程に突き刺さるのを感じる。その眼には、本国への憎しみや怒りだけでなく、自分達の塒へと突然足を踏み入れてきた仇敵とも言える相手に対する直接の感情も、当然ながら含まれていた。
だが、相手がたった一人だと分かっていながら、彼らは手を出すことができない。それは力の差が歴然としていることを理解しているからだ。故にその瞳には、怯えの感情も確かに見えた。

荒廃した世界に、過去の遺産とも呼べる廃墟の街を利用して作り上げられたレプリロイド達の集落。その集団のリーダーとも呼べる男の前に立ち、大型ランチャーの銃口を向け、クラフトは問いただす。

「ここに紅いイレギュラーが頻繁に現れると聞いた。本当か?」

突き付けられた厳つい兵器に、相手はあからさまに怯えてみせる。周囲の者達も、身を強張らせているのが目の端で分かった。

「答えれば危害は加えない。俺の目的は紅いイレギュラーだけだ」

そうは言うものの、「ネオ・アルカディアの“飼い犬”とも言えるイレギュラーハンターの言うことなど信用できない」とでも言うように、ただ怯えて身体を震わせている。

『本当か?』――――そう聞いてはいるものの、「本当だ」と答えなければ、この脅迫まがいの尋問を続けるつもりでいることを、クラフトは内心で自嘲した。
だが、しばらく銃口を突きつけていても、男は口を割らない。いや、怯えきってしまい、まともな回答が出来ずにいた。
クラフトは半ば呆れ気味に息をつくと、ランチャーを渋々肩に背負い直す。そして一際大きく声を張り上げた。集落の者たち全てに聞こえるように。

「先日、この集落の者から情報提供を受けた。故に、ここに紅いイレギュラーが出没するという話が真実であることは既に分かっている。隠そうとした所で無駄だ」

周囲を訝しむような目で見回す者たち。無理もない、自分達の中に密告者がいるのだと宣告されたのだから。その様子を見てから、クラフトはさらに言葉を続けた。

「もし君たちが友好的な意志を見せるてくれるのであれば、私は第十七精鋭部隊長の権限を以って、この集落を我々の管理下に置き、保護することを誓おう」

自分を囲むほぼ全ての眼に、動揺が見られたのをクラフトは見逃さなかった。
暫くの沈黙の後、ざわざわと声が聞こえ始める。相談を始めた。クラフトの交換条件を呑むか否かを。その様子から、紅いイレギュラーがこの集落とは本当に関係しているのだろうと揺るぎない確信を得た。
しばらくすると、一人の男がヘコヘコと頭を下げながらクラフトの下へと擦り寄ってくる。

「へへッ……旦那も人が悪いや。そういう話なら最初からそう言ってくださいよ。最初に情報流した俺のことは助けてくださるんすよね? ね?」

「チャン! 貴様か!」

男は、どこからか聞こえたその声に、肩を竦める。チャン――――そう言われたこの男こそが、クラフトに情報を流した密告者だった。

「助けてやった恩を忘れやがって! 新参が!」

「許さねえ! 裏切り者!」

次々と罵声を浴びせてくる周囲に対し、チャンは「うるせぇ! 命あってのなんとやらだ!」と怒鳴り返す。
そんなチャンの態度がどうにも気に食わなかったクラフトは、彼と視線を合わせないようにしながら尚も呼びかける。

「脅迫に来たのではない。これは交渉だ。もう一度言う。我々の保護を受けろ」

『我々の保護を受けろ』――――紅いイレギュラーを差し出せ。そう再度要求をする。
クラフトの威圧感に気圧されながら、誰もが頭を悩ませる。皆、紅いイレギュラーを差し出す訳にはいかないと思いながらも、気持ちが揺らぐ。もし要求を受け入れなかった場合どうなるか――――それを想像すれば当然のことだった。
長い睨み合いが続く。重い沈黙が場を包む。

それを切り裂くように鳴り響いたのは、一発の銃声だった。

思わずクラフトは音の方へと視線を向ける。すると、そちらから一人のレプリロイドが慌てたように走り込んでくる。

「リーダー! 奴らだ! 来やがったぁ!!」

集落のリーダーへとそう叫んだ瞬間、彼の脚に光の弾丸が命中する。「ぐぁっ」と声を上げ、その場に転がった。
騒然とする集落内に、五、六人のレプリロイドがライドチェイサーで乱入してくる。見たところ、全員、戦闘用レプリロイドらしかった。それどころか、よく見れば数体のパンテオンも引き連れている。ライドチェイサーもよく整備されているようで、どうやらネオ・アルカディアの兵らしい。
戦闘に立っているいかにもチンピラのような顔をした男が、下卑た笑みを浮かべながら言い放つ。

「オラオラ! イレギュラー共ぉ! 久々に遊びに来てやったぜぇ! ヒャハハハハッ」

クラフトはその男の顔を瞬時に判別する。――――間違いない。塵炎軍団の構成員だ。

総司令官であるファーブニルがヘルヘイムに拘束されてから、元老院より聖騎士団から代理の団長が派遣された。しかしその手腕と統率力は、まさに“流石温厚育ちの貴族様”というところで、それ故に塵炎軍団の統率は乱れ、野盗紛いの行動に出た部隊が少なからずいるという話は、塵炎軍団の一基地の隅を拠点にしているクラフトの耳にも既に届いていた。
もしも彼らの牙がネオ・アルカディアや人類へと向けられるのならば、イレギュラーとして対処しなければならない。しかし、その辺りをよく理解している彼らが襲撃するのは決まってイレギュラー達の集落であり、ネオ・アルカディアに逆らうような動きは一つも見せないことから、処分せよという指令は下されていない。

先ほど声を上げた男が手で合図をすると、部下達はライドチェイサーを乗り回し、集落の者達へ威嚇を始める。そして、女性レプリロイドに関してはその身体を引きずるようにして連れていこうとしていた。
虫唾の走るような光景ではあったが、クラフトは一喝したい気持ちを抑え、息を潜める。
処分対象でない限り、手を出す必要はない。ここで無用な騒ぎを起こすことこそ、好ましいことではないだろう。

――――仕方ない……また出直すか……

そう思った瞬間だった。
目の端に紅い影が跳躍するのを捉えた。思わず、そちらへ勢い良く振り返る。
するとそこには、光の剣を手にした、紅い背中のレプリロイドが確かに見えた。振られたビームサーベルの切っ先は、塵炎軍団員の鼻先を僅かに掠めた。

「ぐっ……! 紅いイレギュラー!?」

「くそ! またか!」と男は声を上げ、他の団員に合図する。
百体以上のネオ・アルカディア勢を相手に一人で立ち回り、数体のミュートスレプリロイドを撃破した挙句、あの闘将にまで勝利した。そんな紅いイレギュラーの実力は、既に塵炎軍団員にとって周知の事実であり、彼とまともにやり合う気になる者など何処にもいなかった。
出会ってしまったならば逃げろ――――ミュートスレプリロイドでもない普通の戦闘用レプリロイドならば、それをした所でなんら恥ではない。
かくして塵炎軍団員達は「いつかぶっ殺す」などと情けない捨て台詞を吐き捨て、嵐のように去って行った。

直後、去りゆく塵炎軍団員達の背中を見つめていた紅いイレギュラーの腕を掴み、クラフトは即座に足を払って、その場に組み敷いた。

「油断禁物だぞ…紅いイレギュラー!」

一瞬の隙を突き、紅いイレギュラーを捉えた。落ち着きを取り戻そうとしていた集落内は再び騒然とする。
クラフトは、俯せになった紅いイレギュラーの後頭部にエネルギーガンの銃口を押し付ける。「観念しろ」と声をかけるが、紅いイレギュラーもジタバタと体を動かし抵抗を試みている。

「やッ! やめろッ!!」

「『やめろ』と言われてやめる奴があるか」――――そう言った瞬間、妙な違和感が脳裏に走る。

――――待て

紅いイレギュラーはこんなにも小柄だったか。
いや、それだけではない。先ほどの声も、どこかトーンが高いような気がしてならない。よく見れば髪の色も僅かに違う気がしてきた。
違和感に気を取られていると、紅いイレギュラー(?)は腕を振り、クラフトを払いのけようとしてきた。咄嗟に胸元を抑え、身体を地面に圧しつける。――――と、妙な感触が、抑えた掌に走る。

――――………柔ら……かい……?

じっとその手のあたりを見つめる。自分の目を疑い、何度か瞬きをして、確認する。だが、間違いない。そこには小振りだが、確かに柔らかな膨らみがある。さらに、掴んだ方と別のものがもう一つ横に見える。無論、そちらはクラフトの手が圧し潰していない分、はっきりと曲線を描く膨らみが見える。
それから、おそるおそる視線を顔へと移す。そして、確信した。――――相手は紅いイレギュラーでは無い。いや、それどころか……



「…お…んな……?」



「離せバカぁ!」などと喚き散らし少女レプリロイドは尚も暴れる。
その光景を見ていた集落の者達は、皆、頭を抱える。チャンとクラフトだけが、その少女を呆然と見つめていた。
































  ―――― * * * ――――


「停めてちょうだい」

可憐な声にそう告げられ、絢爛な屋敷の前に並ぶ車の列の最後尾に、一台の白い高級車が停車する。
しかし既に十数台が並んでおり、ここからあの大きな入口の前までは幾らか距離がある。
心配した老運転手は「よろしいのですか」と彼女に声をかける。だが、彼女は朗らかな笑みを見せながら「大丈夫よ」と答え、いつも運転手に開けてもらっていたドアを自分の手で開け、そのままドレスのスカートを少しだけ持ち上げて走っていった。
その様子を危なっかしく思い、慌てて運転手は降りる。

「そんな格好で走っては危険ですぞ! イーリス様!」

彼女――――イーリスの名前を、張り上げるようにして呼ぶが、イーリスは「聞く耳持たず」という感じで、重いドレスのまま走ってゆく。
無理もない。今日は彼女にとっても特別な日であるのだから。
しかし不意に、バランスを崩し「キャッ」と声を上げ躓く。調子に乗って、いつもより少し高めのヒールを履いたのが災いした。そのまま地面へと倒れ込みそうになる。

その身体を咄嗟であるが、あくまでも冷静に受け止める一人のレプリロイド。イーリスは顔を上げて、相手の顔を見る。

「アレクサンダ!」

アレクサンダ――――そう呼ばれた、白銀の髪に、中性的な顔をしたレプリロイドはイーリスの身体をそのまま両手で抱えて歩き始める。「大丈夫だから、下ろして」とイーリスは顔を赤らめて喚くが、アレクサンダは表情を変えぬまま首を横に振る。

「いけません、イーリス様。先程のような様子では、とてもではありませんが放っていられません」

その声もまた、性別が分からぬような極中性的ものであった。あまり彼と交流を持たぬ者であったなら、違和感を感じたかもしれない。しかし、幼い頃より十数年共に過ごしてきたイーリスは少しも気にすること無く、ただ不満そうに頬を膨らませる。

「それに、例えメガロポリス内といえど、どこにイレギュラーが潜伏し、貴方様の命を狙っているか分かったものではありません」

そう、ここはネオ・アルカディアの国家首都であり中枢、メガロポリス。一流の特権階級のみが暮らすことを許された、人類ならば誰もが憧れる夢の街。セキュリティレベルも並大抵の高さではなく、ここに侵入できるようなレジスタンスは正直考えられない。だが、それも以前までの話だ。
昨今では紅いイレギュラーや黒狼軍首領エボニー・ベルサルクなど、Sランク判定を受けるようなイレギュラーが出現してきたのも事実であり、例えメガロポリス内であっても、油断は禁物である。
しかし、「大丈夫よ」とイーリスはアレクサンダの腕の中で微笑む。

「私とお兄様には、あなたがいるもの。アレクサンダという最強の騎士が…ね。――――でしょ?」

悪戯っぽく笑ってみせたイーリスに、アレクサンダは呆れたように苦笑する。
その背中を、老運転手は微笑ましく見送った。










――――  2  ――――


会場内は穏やかではあるが確かな盛り上がりを見せていた。いくつものテーブルの上に、豪華な料理が並び、アルコール類からお茶類まで様々な飲み物が揃えられている。
今日の主賓であるレオニード卿を囲み、元老院議員、各界の重鎮、そしてその家族などがパーティーを楽しんでいた。

「誕生日おめでとう、レオニードくん」

白髪の老人がグラスを向け、レオニードに語りかける。レオニードは獅子の鬣のようなウェーブかかった金色の長髪を揺らし、微笑みを浮かべて振り返る。

「これはこれは……ドナート卿。今日はいらして頂き、誠にありがとうございます」

「何を言うかね、レオニードくん。感謝するのは私の方だよ。こんな素敵なパーティーに招いてもらったのだからね」

そう言って、老人――――ドナートは快活に笑う。

「しかし……まさか君に抜かれてしまうとはね。元老院議長の座を。次は私かアーブラハムのハゲオヤジかと思っていたんだが」

ドナートの嫌味っぽい視線に、レオニードは苦笑する。
大学講師時代から師としてきたドナートとは良い信頼関係を築いてきた。だが、今回の元老院議長補充の件については、彼の先を行ってしまい、そのことについて言われては返す言葉がうまく見つからない。
そもそもドナート卿は候補にすら上がっておらず、そのことを自虐的に皮肉る程だから、本人も相当気にしているのだろう。

「いえ…まだそうと決まったわけではありませんので」

苦笑いを続け、渋々そう返すレオニードに、ドナートは「ハハハ、ジョークだよ」と笑って肩を叩く。

「しかし、そう謙遜する必要はない。見給え会場内を。これだけの人間が何故集まったのか……分からないわけではないだろう?」

有名所の元老院議員が十数人に、その関係者、各市長、管理局長など、政界に携わる者、レオニードと関係のあった大学関係者達だけでなく、オリンポスプレスなどのメディア各社、不動産建設関係、金融関係から、果ては食品関係と言った各業界の社長、重鎮が揃って出席している。
たかが一人の元老院議員の誕生パーティーだからと言ってこれだけの人間が一堂に会する事などあり得ない話であったし、中にはレオニードとは一度も面識のない人間すらいるのだ。それは、彼が単に民衆から支持を集める若手元老院議員だからという理由だけではない。

「皆、新たな元老院議長に取り入って甘い汁を吸いたいと思っているのだ。――――人間とはかくも欲深き生き物よ」

あのバイル卿の擁立ということで、誰の目から見ても、当選は既に確実。そんな彼が誕生日を祝うパーティーを催すというならば、それに駆けつけ、取り入るのに理由はいらないというわけだ。
かつての友人も含め誰もが、レオニードが手にするであろう、元老院議長の特権の恩恵をあずかりたいと思いここへ足を運んできている。元老院議長とはそう言う立場なのだ。

「気をつけたまえ。これから君を利用しようとする者、敵となる者が今まで以上に増える。敵味方の判断は細心の注意を払い給え。それが例え、“かつての師”であってもな」

そう鋭い目つきで忠告するドナート。少しだけ考えた後、レオニードは問い返す。

「忠告、痛み入ります。――――それではお聞きします。ドナート卿は私の敵でしょうか? 味方でしょうか?」

予想外の質問にドナートは、しばらく眼を点にして硬直した後、幾度か瞬きをする。
それから、快活な笑い声を上げると、またしてもレオニードの肩を叩いた。かと思えば、口に笑みを浮かべながらも、鋭い目付きでレオニードを見つめる。

「なに……それは自分で見極め給え。ただひとつ言えるのは、この後先短い老いぼれにとって、その座は“長年片思いを続けた憧れのマドンナも同然だ”ということだ」

「それは………丁重に扱わねばなりませんな」

ドナートはもう一度笑いながら肩を軽く叩くと、「それではまた」と他の出席者に挨拶へと向かった。
その直ぐ後、会場の扉が勢い良く内側へと開かれる。そして、「お兄さま」と声を上げ、栗色の髪をした可愛らしい少女が駆け寄ってくる。そして、飛び込むように抱きついてきた。

「お兄様、お誕生日おめでとうございます!」

「やあ、イーリス。今日も元気で何よりだ」

レオニードは駆け寄ってきたイーリスの頭を優しく撫でる。それから「けれどね」と言葉を続ける。

「君ほどの有名人が、周囲の目も気にせずこのような姿を晒してはいけないよ。周りをご覧」

イーリスは「ハッ」として周囲を見渡した。気づけば、突然のことに周囲は言葉を失い、こちらを呆然と見つめていた。
それからイーリスの頬が、紅潮してゆく。

「やだ……私ったら……」

そう言って、レオニードから慌てたようにして離れる。
その光景を見て、思わずどこからか吹き出すような音が聞こえる。それが伝染するようにして、場内は一気に笑いに包まれた。イーリスの顔は恥ずかしさのあまり更に真っ赤に染まり、仕舞いには顔を覆い隠してしまった。そんな彼女を眺めながら、レオニードも嬉しそうに笑う。

「お兄様まで……笑わないでください!」

赤い顔のまま頬を膨らませ、イーリスは不満気に言う。「分かった分かった」と繰り返しながら、レオニードは尚も笑いながら、イーリスの頭を撫でた。

元老院議長候補レオニードと“虹の歌姫”イーリス。ネオ・アルカディア内でもこれほど名の知れ渡った兄妹はいないだろう。
二人共類まれなる才能を持ち合わせながら、レオニードは女性だけでなく男性すら虜にすると噂される程の整った顔立ち、イーリスは虹のような歌声と花のように可愛らしい容貌まで兼ね備えており、多くの民衆から憧れの兄妹とされていた。
彼ら美男美女のあまりの仲睦まじさに、二人の出自のせいも相まって、怪しい噂が流れてしまうこともしばしばあった。
そんな二人のもとに、体格のいい色黒の男が近づく。

「虹の歌姫といえど、お転婆お姫様は今も健在ということかな」

「あら、エッカルト様。お久しぶりです」

「エッカルト」とレオニードも嬉しそうに彼の名を呼ぶ。色黒の男――――エッカルトは「久しぶりですな、レオニード卿」と言葉を返す。

「いや、レオニード元老院議長殿と呼ぶべきか?」

「君までやめてくれ。昔どおり『レオ』と呼んでほしい」

苦笑しながらそう言うと、エッカルトは笑って「りょーかい」とおどけたように返した。
エッカルトは空のグラスをイーリスに差し出す。それからワインを注ごうとすると、イーリスはそれを片手で制した。

「おや、酒は早かったかな?」

「いえ…そういう訳ではないのですが……」

もじもじと口篭るイーリスに、エッカルトは首を傾げる。レオニードも「別に飲んでも構わんが」と不思議がる。
レオニード、そして前の壇上にチラチラと視線を送るイーリスの様子に気がついたエッカルトは、一度グラスをテーブルに置き、「ちょっと待ってろ」とどこかへ歩いて行ってしまった。それから少しして、何かを注いだティーカップを手にして戻ってくる。そしてそのカップをイーリスに手渡した。

「ハーブティーだ。これならいいだろう?」

「エッカルト様! ありがとうございます!」

イーリスはお礼を言うと、嬉しそうにカップに飛びつく。そして、自分が思うより少しだけ熱いことを確認すると、小さい口を尖らせ「フゥー」と息を吹きかける。
その様子が子リスのように可愛らしく、思わず見とれてしまう者が何人かいた。しかしレオニードは尚も首を傾げるだけだった。

「それにしてもレオが元老院議長か……。どんどん遠くに行っちまうなぁ」

エッカルトは少しだけ寂しそうに目を細める。
レオニードとエッカルトは大学時代の友人であった。学業もサークル活動も協力しあい、時には争い、時には無茶もして、互いに高めあってきた親友である。
しかし、レオニードは首を横に振る。

「そんなことはない、エッカルト。私はいつまでも私だ。故に、私たちはいつまでも良き友だよ。君が拒まぬ限りは…ね」

「誰が拒むもんかよ。そう言ってくれると嬉しいぜ、レオ。そんな親友が元老院議長だってんなら、俺も鼻が高いってもんさ」

そう言って元気よく笑う。
それから二人でしばらく談笑を交わす。かつての他愛のない思い出や、失敗話、最近の情勢や互いの近況についての話に花が咲いた。
その途中、不意にレオニードがキョロキョロと周りを見回し始める。

「どうした?」

「いや…イーリスがいない」

妹がいないことに気づき、周囲を探す。エッカルトも場内を見渡す。しかし、どれだけ探しても、あの可愛らしい人形のような少女の姿は見当たらなかった。
「手洗いにでも行ったのだろう」とレオニードが見当をつけ、探すのを諦める。そこで急にエッカルトが肩を叩いた。それから彼が「見ろ」と指を差した方へ視線を遣る。すると、その先――――壇上にイーリスが立っていた。

「皆様! 今日は私の兄、レオニードの誕生パーティーにお越しいただき誠にありがとうございます!」

マイクを手にそう言うと、一礼する。可愛らしい歌姫の挨拶を、場内は拍手で迎える。

「僭越ながら、妹である私イーリスから、敬愛するお兄様と、会場の皆様へのプレゼントとして一曲差し上げたいと思います。――――それではお聴きください」

そう言って、再び丁寧に一礼すると、またしても場内から拍手が送られる。それが静まり始めたのを見計らって、待機していたピアニストに目配せする。

切ない旋律が場内に奏でられ始める。そして、イーリスが歌い出す。
その可愛らしい歌声は、場内全てを包み込むように響き渡る。優しく、温かい歌だった。

気づけばそこにいた全ての人の視線が彼女に釘付けとなった。華奢な体から発せられる、切なくも力強い魂を感じられる歌声。誰もがその虜となっていた。

感情を揺さぶるような一分程の演奏が終わる。
場内が沈黙に包まれる中、イーリスが「ご清聴ありがとうございました」と最後にまた丁寧に頭を下げる。だが、反応がない。
不安になって前を見ると、誰もがこちらを見つめたまま硬直していたのが分かった。「何かまた粗相をしてしまったのでは」と思い、イーリスは内心で焦り始める。

突然、一人が拍手を始める。レオニードだった。優しい微笑みを浮かべながら、手を叩いた。
それから次々と、拍手が上がる。そして、ついに場内は歓声に包まれた。イーリスの歌声に、途切れること無く賛辞が送られる。

その歓声に答え、イーリスはもう一度丁寧にお辞儀を返した。














  ―――― * * * ――――


扉の外にまで聞こえる歓声。アレクサンダはその声から、イーリスの企画が成功したことを確認した。
数週前から、「プレゼントは何がいいかしら」と相談を受け続け、最終的に「最も気持ちを込められる物を用意できたなら、それが一番では」と進言していたのだ。
自身も、今なお続く歓声に、安堵の溜息を吐いた。

「あら…番犬はやはり外で待たされてるのね」

挑発的な声に反応し、アレクサンダはそちらへと向く。
そこには少女が立っていた。腰まで伸びた金茶色の髪に、翡翠色の瞳。蒼いドレスワンピースを着ている。

「……あなたでしたか」

アレクサンダも彼女についてはよく見知っていた。

「フフ……。中はとても楽しそうね」

彼女はそう言って扉を見つめる。その怪しい雰囲気に、アレクサンダは咄嗟に身構えた。しかし、その様子を見て彼女は「クスクス」と小さく笑う。

「大丈夫。私は招待されていないし、ここに立ち入るつもりもないわ」

「ならば何故ここへ?」

尚もあからさまに警戒し続けるアレクサンダ。だが、彼女は相変わらず小馬鹿にしたような嘲笑を浮かべたままだ。

「少し様子を見に来ただけ。いつまでも籠の中では退屈してしまうもの。――――あなたなら分かるでしょう?」

「退屈などと……そんな理由であなたに出歩かれては困る。そもそもそんな格好で『様子見』等と言われて納得ができるとお思いか」

「もしもの時の為よ。普段着で十六のか弱い乙女がこんな所を歩いていたら、余計怪しまれるでしょ?」

彼女の、どこまでが本気なのか分からないこうした態度が、アレクサンダは正直なところ苦手だった。
思わず口端を歪めると、彼女は笑みを浮かべたまま近づき、扉に触れる。だが、先程も言ったように中に入るような様子は見せなかった。

「“おじいさま”はいらっしゃっているのかしら?」

不意に、彼女が問いかける。その声は珍しく、人並みの感情が込められているような気がした。

「いえ、今日は……。ですが、我が主は“近い内に対面の機会を設ける”と仰っておりました」

「そう、ザンネン。なら、もうしばらく“籠の中”で待たせてもらうわ」

そう言って扉から手を離すと、クルリと小さく振り返り、廊下を戻ろうとする。

「私は未だにあなたを信用しておりません」

堪え切れず、アレクサンダは後ろからそう声をかける。
彼女の足がピタリと止まる。

「あなたの抱えた闇の深淵が、私には未だ見ることができない。しかし我が主は、それでもあなたを迎え入れた。――――私にはそれが危険なことに思えてならない」

すると、彼女はまたもクルリと軽快に振り返る。その表情は相変わらずの笑顔のままだった。

「私はただ壊れる様を見たいだけ。あの男がそれを見せてくれるというのなら、私はそれを静かに楽しませてもらうまでよ」

彼女は無邪気な顔で、そう軽く言い放つ。
しかし、その眼が決して冗談ではないと物語っているのを、アレクサンダは見逃さなかった。
「例えば、そうね――――」と彼女はさらに言葉を続ける。殊更悪戯めいた笑みを浮かべて。

「あんな聞き苦しい歌が二度と聞こえなくなるような世界になってくれたなら、私は満足よ」

それは彼女なりの、世界に向けた呪いの言葉だった。
































  ―――― * * * ――――


「クラフト隊長は?」

本部に帰還したばかりのヒート・ゲンブレムはその巨体を揺らしながら、待機室で休息をとっていたシメオンに問いかける。
第二班班長にして、第十七部隊副長であるゲンブレムに、シメオンは敬礼をとる。それから、クラフトのことを考え、ため息と共に軽く項垂れた。

「その様子だと……また単独行動か」

「ええ……第一班を俺に押し付けたままで。全く……困ったもんです」

ボレアス山脈での一件があった後から、クラフトは何を思ったのか、一人で戦場を駆け回り、紅いイレギュラー捜索に当たっている。責任感からの行動であったならそれでも構わなかったのだが、シメオンやゲンブレムから見る限り、それとも執念ともまた違った雰囲気が感じられていた。

「まあ、マティアスからの話を聞く限り……カムベアスとの遣り取りでなにか思う所があったんでしょうね……」

「ふむ……破壊衝動プログラムに関した話で言えば……確かにショッキングな話ではある。――――それを考えれば納得できないこともない」

誰よりも付き合いの長いゲンブレムはクラフトの性格をよく理解していた。故に、行動それ自体に違和感を感じる事はなかった。しかし反面、彼の精神面を思えば、その危うさに心配は募るばかりだ。

「そう言えば副長の方は…?」

不意に問われ、ゲンブレムは少し迷った後、素直に首を横に振った。

「またしても“外れ”だ。それどころか、何時勘付かれたのか……備品を寸前で持ち去った跡があった」

黒狼軍首領エボニー・ベルサルクの所在特定と、処分を任されたゲンブレムの班であったが、数ヶ月程過ぎた今も一向にその手がかりは掴めないままだった。
ここ最近では黒狼軍による軍施設へのテロ、奇襲攻撃が相次いでいたのだが、その中にもベルサルクの姿は一向に見当たらない。それどころか、捕虜としたレプリロイドの脳内を調べても彼についての情報は露程も拾うことが出来なかった。実際のところ、近づいている感覚も、気配も掴めず、ベルサルクという存在が実在するのかどうかすら訝しむ者が出てき始めていた。

「この休息の後、再び活動を開始するつもりだ。まずは最近の情報を纏めるところからだが」

「なら、俺も手伝いますよ。まだ少し部下を休ませてやりたいんで」

二人はそのままデータルームへと向かった。










  ――――  3  ――――


塵炎軍団の一部が野盗紛いの暴挙に出始めてからというもの、各地に点在するレプリロイドの集落は幾度もの襲撃を受けており、その緊張感と恐怖は日頃に増すばかりであった。
装備の整った正規兵と、国を抜けてから、反抗の意思もまともに持つこと無く、平穏を求め暮らしていた彼らとではその力の差はあまりにも大きい。いいように命は奪われ、弄ばれた。

そんな時、紅いイレギュラーの噂が耳に入った。

ある塵炎軍団員は彼の姿を見ただけで、命惜しさに尻尾を巻いて退却したのだという実しやかな噂。
実際、奪い、侵すためだけに乱暴狼藉をはたらく者には、命の危険を冒してまで、そのような要注意人物と張り合うつもりなど毛頭なく、その行動にも合点がいった。
そこでこの集落の者達は、紅いイレギュラーのトレードマークとも呼べる金の長髪を持つレプリロイドに、同じくトレードマークである紅いコートを着せることで、偽物を仕立て上げ、塵炎軍団員達への牽制とすることにしたのだ。
果たして、先程の様子が物語るように、その効果は絶大で、幾度もの襲撃を防ぐに至った。

しかし、今その“紅いイレギュラー”の正体は第十七部隊長クラフトにより暴かれてしまった。

「そのビームサーベルはいったい何処で調達した?」

他の者達が見守る中、クラフトによる尋問が始まる。流石に今となってはランチャーや小銃を突き付けていないが、その威圧感は相当なものであった。
しかし“紅いイレギュラー”は少しだけ怯えたように後ずさりながらも、そっぽを向いて「まともに応対しない」という態度を前面に押し出していた。
だが、クラフトが眉間に皺を更に強く寄せると、一瞬ビクリと反応し、ぶっきら棒ではあるが、渋々答え始めた。

「拾ったんだよ、その辺で。……たぶんネオ・アルカディアのやつだけど」

四軍団のレプリロイドが戦場でやられた際に落としたものを修理、調整し、使用していたというなら確かに合点がいく。
まあ、そもそも一般レプリロイドが戦闘用に開発、訓練されたネオ・アルカディアの軍属レプリロイドから武器を奪うなどできるとは考えられない。
まして、この“紅いイレギュラー”のような少女型レプリロイドなら尚更だ。

「成程……よくもこんなやり方で我々を欺けたものだ。感心するよ、“紅いイレギュラー”」

「うっさい! “オレ”の本当の名前は“レイラ”だって、さっきも言ったろ!」

クラフトの嫌味っぽい言い方に、レイラと名乗る少女レプリロイドは口を尖らせ文句を吐く。仕舞いには「べー」と舌を見せてきた。

「分かっている。それに、紅いイレギュラーのコートはもっと暗い血の色だ。金髪も、もっと鮮やかに輝いている。さらに言えば、お前は些か以上に華奢過ぎる。背も当然のことながら…な」

初見で気づけなかったことを恥じながら、本物との差を口にする。先日のボレアス山脈で遭遇した時の視覚データを用いていれば、こんな手に引っかかることはなかっただろう。流れる金髪に、紅いコート、そして、この集落では新参者であるチャンからの「紅いイレギュラーが現れる」という事前情報にすっかり感情が昂ぶり、そうした先入観にすっかり惑わされてしまった。

――――情けないことだ……

クラフトは反省する。だが、その想いは自身だけに向けたワケでもなかった。

周りを見回す。しかし他の者達は皆、クラフトと視線を合わせようとしない。それどころか怯え、震えているものまでいる。
今眼前では、曲がりなりにもこれまで自分達を救ってきてくれた、自分達より幼い少女型のレプリロイドが一人でイレギュラーハンターの前に立っているというのに。擁護するために前に出てくるどころか、誰もが自分大事に様子を窺っている始末。

突然思い立ち、クラフトは「来い」と言って、レイラの手を掴もうとする。
レイラは咄嗟に、怯えたように手を引っ込めて躱した。

「な…なんだよ!」

「……いいから、とりあえず来い」

その形相が鬼にでも見えたのか、レイラは肩を落としながら、クラフトの後について渋々歩き始めた。すると、戸惑う者達の中からチャンが飛び出てくる。

「待ってくださいよ、旦那!」

周囲の視線を振り切って、チャンもまたクラフトとレイラの後ろについて歩いていった。
他の者達はただ呆然とそれを見つめていた。














イレギュラー戦争が起こるよりも前ならば、多くの人々が足を運んでいたであろう巨大ショッピングモール。その廃墟の屋上に登る。傍らには鳩のマークをした巨大な看板が見える。
クラフトはその場に座り込み、地の果てを眺める。「お前も座れ」と促すが、当のレイラは「こんな所に何の用があるのか」と不満そうな顔をしていた。
それからしばらくの沈黙の後、クラフトが口を開く。

「何故、お前みたいな少女が紅いイレギュラーのフリをする」

「は?」

「……紅いイレギュラーと言えば国家公認のSランクイレギュラー。場合によっては俺のようなイレギュラーハンターに殺される可能性もあった。いや、先程も……俺が躊躇わずに引き金を引いていたらどうするつもりだった」

そう叱りつけるように言われ、レイラは表情を強張らせる。
クラフトの言うとおり、正直なところ彼女の存命は奇跡に近い。今まで塵炎軍団の下級兵士に出会うくらいで済んでいたことが本当に幸いで、十七部隊の面々であったならば、その生命はあっという間に狩られていたかもしれない。
特に、現在特殊班として行動しているシューターのように、何処か抜けていながらも腕だけは確かな男ならば尚更だ。その正体が見破られぬまま、殺されていただろう。
戸惑いながらも、「だって…」とまたしても不満そうに口を尖らせる。そしてクラフトと視線を重ねた。
クラフトの目は彼女を強く睨みつけていた。だが、そこには彼女の愚行に対する怒りが見えた。決して欺かれたことではなく、自身の命も顧みない軽はずみな行動に対する怒り。それは彼女にとって意外なことだった。
それからレイラは静かに膝を抱えて座る。クラフトの横に。

「だって……オレがやんなかったら……みんなが殺されるかもしれないだろ」

そう言って、視線を逸らす。先程にも増してしおらしい雰囲気に、クラフトはそれが純粋な本音であることを確信した。

「しかし、お前が殺されていたかもしれない。――――先ほどの様子を見ただろう。奴らは誰も、お前のことを救おうとも護ろうともしなかった」

ただ怯えて、状況を傍観していただけだ。彼女が体を張って護ろうとしたというのに。彼女の命などどうなっても良いと言うように。

「それなのに、お前が命を懸ける必要など有るのか」

クラフトは、自分の為を思って言葉をかけてくれているのだと、レイラにも分かった。イレギュラーハンターという立場でありながら、自分のことを心配してくれているのだ。
だが、だからと言って全てを認めるわけにはいかなかったし、認めたくないと思った。

「いいんだ…別に。オレは自分で選んだんだから」

その事実に、クラフトは驚いた。誰かに仕立て上げられたものだと勝手に思い込んでいた節があったのだが、それは早々に裏切られた。

「オレが決めたんだ。紅いイレギュラーのフリして、上手くやってやれば、アイツらを追っ払えるんじゃないかって思ってさ」

そして、実際にそれは上手く行ってしまった。これまでにも数度、敵を退けてきた。その度に仲間達からは感謝された。

「だからと言って……続けていけば、今回のようにバレる時が来る。その時に後悔した所で遅いんだぞ」

語気を強め、厳しく言い聞かせる。
だが、レイラは「うっさい」と悪態をつく。

「元はと言えば、アンタ達みたいなハンターや兵隊がいなけりゃこんなことしなくて済んだんだ。アンタ達がイレギュラー呼ばわりしてオレ達のこと殺そうとするから……」

そう言われてはクラフトも、確かに返す言葉がない。今こうして彼女の身を案じた言葉をかけてはいるものの、彼女達がこのような廃墟で暮らすようになった理由は国を追われたからに他ならないのだから。
「だが」とクラフトは、それでもなんとか反論する。

「それは人間に危害を加えるからだ。決して不当な理由で捌いてきたわけじゃない。だが今は違う」

瞬間、レイラの眼の色が変わった。怒りを顕に声を張り上げる。

「違くない! さっきの奴らみたいのだっているんだ! 誰かがみんなを守んなきゃいけないんだよ! ――――みんなオレを必要としてくれるんだ!」

それから飛び上がるようにして勢い良く立ち上がると、恐る恐る様子を見守っていたチャンに肩をぶつけながら横切り、登ってきた階段の方へと駆け出した。慌ててクラフトも追いかける。

「待て! 何処へ行く!」

「フンだ! アンタだってレプリロイドのくせに! 人間なんかの味方しやがって! アンタなんて救世主の後継者だかなんだか言われていい気になってるだけだろ!」

「ええい…とにかく落ち着け! 話を聞くんだ!」

「うっさいうっさい! オレのおっぱい揉んだクセに偉そうにすんな! このロリコンセクハラエロ救世主!!」

思わず「んなっ!?」と素頓狂な声を上げる。
「あれは不可抗力だ」と慌てて言い訳するクラフトを無視して、レイラは再び舌を「べー」と見せつけ、逃げるようにその場を去っていった。
それからクラフトは一人「クソッ」と悪態をつく。どうしてこうも伝えたいことが上手く伝わってくれないのか。

「旦那…? どうしやした?」

そわそわと機嫌を伺うチャン。クラフトは「何でもない」と一言だけぶっきら棒に答え、階段を降りていった。












レイラについては一旦自分の中で保留とし、クラフトは本部へと通信を入れた。

「隊長、自分であります」

「ゲンブレムか?」

任務から既に帰投していたゲンブレムが答える。気心の知れた部下が出たことに正直なところホッとした。
気を取り直し、本題を伝える。

「これから俺の視覚データを送る。そこに写っているレプリロイドの所属を教えて欲しい」

「了解であります」とゲンブレムが答えたのを確認すると、データの送信を始める。ネットワークは本部側からサイバーエルフが二重三重に防壁を張り巡らせているので、容易く進入はできないようになっている。
クラフトが送ったのは、先程集落を襲撃した塵炎軍団のデータだった。ゲンブレムは少しだけ奇妙に感じながらも、命令通り解析を始める。そして、本国のデータベースにアクセスし、その所属を確認した。

「塵炎軍団第二十三独立遊撃隊所属、サイモンであります」

「その部隊の隊長は?」

「隊長は……」と答えかけた所で、不意に口篭った。「どうした」と問い詰めると、少しだけ間をおいた後、ゲンブレムはその名を口にする。

「ガラノフ……であります」

その名を聞いた時、ゲンブレムが口篭った意味がよくわかった。なんとも懐かしい名前だった。
戸惑いの色を悟られないようあくまでも冷静に、「了解だ、ありがとう」と短く答え、通信を早々に切った。ゲンブレムが何か言おうとしていたのは分かったが、問われることもなんとなく分かっていたので、聞かないようにしたというのもあった。

「ガラノフか……」

もう一度確かめるように、その名を自身で呟く。

ハンターとなる前――――養成課程でのこと――――共に競い合った、好敵手とも呼べる男のことは未だに覚えている。
ここ数年、会うことも思い出すこともなかった相手が、まさかこのようなところで関係してくるとは。そういえば確かに、奴はイレギュラーハンターとならず、四軍団入りをしていた。塵炎軍団の前線部隊を配属希望にしていたのも覚えている。

よく意見が食い違って衝突したのも、思い出として覚えている。無論、レプリロイドにとってそれは思い出というには淡白な、単なる情報記録に過ぎないのだが。

意を決し、ライドチェイサーに跨る。そして、第二十三独立遊撃隊の位置情報を取得し、アクセルを回した。
































  ――――  4  ――――


喫茶店のテラス席に向い合って座る。するとディックは慣れた態度で、案内をしてくれた店員のレプリロイドにコーヒーを二杯頼んだ。

「よく来るの?」

「ええ、まあ……たまに」

ディックははにかみながら答える。

「第一部隊長代理でしょ? そんな暇有るの?」

「正直、ここ最近は出動が少ないんですよ」

闘将の謹慎処分からレジスタンスの動きには少しずつ変化が表れていた。
黒狼軍も、内部では以前程活発な動きを見せず、むしろ外の拠点などへの攻撃行動が増えている。
紅いイレギュラーの活躍が目立つため、これに便乗し、軍に対抗しようという動きが窺える。また、精鋭を欠いても尚強力なイレギュラーハンターとやり合うより、各地の軍事拠点への奇襲作戦の方がハードルが低いのも確かだった。
また、十七精鋭部隊に関しても、紅いイレギュラーとベルサルク本人の討伐が目的であるため、雑兵にまで目を向けていないという現状も関係していた。
「成程ね……」とネージュは納得の声を上げた。
会話がそこで一旦途切れる。
ディックがふと街の方を眺めたので、ネージュは店の中へ視線をやった。人間のカップルや夫婦、友達だけでなく、人間とレプリロイドが談笑している姿も見える。これこそニューオリンピアならではの光景だ。人間とレプリロイドが主従の隔たりに臆す事無く、生活のパートナーとして支え合う様子。――――それが二度と見れなくなると思うと、胸が苦しい。

「先日の記事、読みましたよ」

ディックに話しかけられ、ネージュは我に返る。

「先ほどの黄昏気味な様子は、それに関係するんじゃないかと思っているんですが…どうっすか?」

「……流石ね」

隠すような話でもない。ネージュは溜息混じりに説明を始めた。
これまで再三に渡り、政府から厳重注意を受けていたこと。それを聞き入れず、己の信念のまま記事を書き続けたこと。そして先日の記事が原因で公安委員会の目に止まり、「オリンポスプレス社退社命令」「ニューオリンピア及びアースガルズ全域からの強制退去命令」という重い処分が下されたこと。
可能な限り片方に偏ることのないよう気をつけながら、ネージュは関わる全ての事情を話した。

「成程…そいつは困りましたね」

数分前に店員が既に運んできていたコーヒーを、今になってようやく一口啜り、ディックは戸惑いと共にそう言った。

「……分かってるのよ、自分が悪いんだってことは」

突然という話ではない。忠告は受けてきた。
コリニーが、なんとかしてネージュを社に残そうと尽力してくれていたことも知っている。間に入り注意することで、ネージュと上が直接衝突しないよう取り計らってくれていたことでさえも。
しかし、そう言った諸々の事を無視して、ネージュは自身の理想を貫くために突っ走ってきた。速度が落ちることはあったが、歩みを止めることは一日足りともなかった。無論、方向を変えることも。それ故、このような事態を招いてしまったのだ。

そんなことは初めから分かりきっていた。

「けど…。ねえディック、一つ教えて頂戴」

改めて名を呼ばれ、ディックは真っ直ぐ自身を見つめる瞳と視線を重ねた。
そして、少しだけ躊躇いがちに、悔しそうに、ネージュは言葉を搾り出す。

「……私、間違ってないよね」

それだけが知りたかった。

「私……間違ったことしてないよね」

再度問い直す。
“自分はただ正しいことを伝えようと努めただけだ。事実を捻じ曲げ、都合の良いように社会を牛耳ろうとする輩の方が断じて許すことができないし、それを正しいと認めたくはない”――――そう信じて今までやってきただけだ。
それなのに、何故この世界はそれを赦してはくれないのか。正しいと信じた道を歩もうと努め、まして善人を貶めるつもりも無く、誰かを苦しめたわけでもなく……それどころか、力強く生きようとする者、己の使命に命を懸ける者、日々の生活を支えてくれる者達の事実をありのままに伝えようとしてきた。いや、実際に伝えてきた。

それの何が間違っているというのか。何故認められないのか。どうして「生き方を変えろ」と形のない刃を突き付けられるのか。
何故この世界は正義を否定しようとするのか。
ネージュはそれだけが知りたかった。

その問いに答える言葉を探しているのか、ディックはしばらく言葉を発さなかった。
彼の様子に、ネージュは「ごめんなさい」と口にした。

「イレギュラーハンターのあなたに答えられる話じゃなかったわね」

今やネージュは強制退去を命じられた危険人物だ。そんな彼女の言葉に、素直に頷いてしまえば、確かにディック自身の現在の立場も危うくなると考えて良かった。
それに苦笑しながら、ディックはようやく口を開いた。

「隊長、この前紅いイレギュラーと交戦したらしいです」

突然投げ込まれた話題に理解が追いつかず、ネージュは顔をキョトンとさせる。それから「隊長」が誰なのかを理解すると、驚きの声を上げる。

「嘘っ! ついに!? ……どうなったの?」

興奮を自重しながら、恐る恐る結果を聞く。すると、ディックはまたも苦笑交じりに首を横に振った。

「いろいろと事態がイレギュラーで…取り逃がしたらしいです。――――本人曰く『反省が必要』だそうですよ。…あ、ここだけの話で」

『反省が必要』――――そう聞いた瞬間、ネージュはあの少々厳つい顔をした男が、眉尻を下げ、困ったように笑う様が思い浮かんだ。
「そっか……」と声を漏らし、背もたれに体を預ける。

如何な“救世主の後継者”と呼ばれる男でさえ、そう容易く紅いイレギュラーほどの相手を捉えることは出来なかったということだ。予想出来なかったわけではないが、期待していたのも事実で、少し残念な思いは拭い切れない。

「それどころか、今回は本当にいろいろ大変だったみたいで……」

ディックはボレアス山脈での一件を、クラフトから聞いた内、言える範囲を選んで話した。
ある実験に使われていたミュートスレプリロイドが紅いイレギュラーを庇うようにして楯突いたこと。そこでのやりとりの一部。部下の負傷。取り逃がした紅いイレギュラー。
ディックの話を静かに聞いた後、「なんだか、ちょっと心配ね」と苦い顔をしてネージュは言う。

「そうすね…まあ……なんだかんだであの人――――」

「ん~」と言おうか言うまいか迷った挙句、ネージュがその言葉を掠めとった。

「言い方悪いけど……ちょっと“ヘタレ”なとこあるわよね、彼」

「ええ、仰る通り」

“悩める男”などと言えば聞こえは良いが、実際のところ、彼は自分の信条に自信が持てず、正しいのかどうかを常に考え、己の道に迷い続けている。
きっと今回も、紅いイレギュラーに対する失態も勿論のことながら、ミュートスレプリロイドから言われた理想論に対し、否定しきれない想いを持ちながら、現実とのギャップに苦しんでいることだろう。

「それなのに、変な時だけ怖いもの知らずで意固地ですからね。“あの日”なんか典型ですよ」

二人からヘタレ等と称されてはいるが、“あの日”――――五年前の任命式の時は、来賓にネオ・アルカディアトップの錚々たる面子が揃っていたにも関わらず、それを放り出して事件解決に動いていた。
結果的に事件を食い止め、ネージュの記事により“新たな救世主”と盛り立てられたが故にその功績は認められたが、もししくじっていたなら……と思えばゾッとする。しかし、それでもクラフトに今、あの日のことを聞けば『無我夢中だった』としか答えなかった。

「そんなあの人が、戦場に行っても常に本国から取り寄せ続けたものが何だったかわかります?」

突然の問いに、ネージュは首を傾げた。
本国から取り寄せると言うのは、それ程簡単な話ではない。補給部隊は常にレジスタンスからの襲撃の危険に晒されるし、それを護衛するための兵たちの緊張度は正直なところ並大抵のものではない。前線程命の危険を感じる機会が少ないとは言え、皆無ではなかったし、気を抜いたときに奇襲を受けるというのはよくある話だ。
そのため、補給物資というのは必要最低限のものに絞られる。娯楽品の類も完全に無いわけではないが、ネオ・アルカディアにおいてレプリロイドの立場を考えれば、戦場でそんなものを手にすることこそ憚られることだったので殆どが軍事関係の備品だった。
そんな状況だから、クラフトがそうまでして前線でも手にしたいものが何なのか、見当がつかなかった。
だが、ディックは少しも勿体ぶること無く、さらりと答えた。

「新聞です。オリンポスプレス紙をきっちり一週間七日分を一部ずつ」

「は?」

呑み込めず、ネージュの目が点になる。
どうしてわざわざ新聞などを前線に取り寄せるのか。本国の情報なら管理局から一括でデータ送信されている筈だ。それなのに、どうして新聞などに手を伸ばす必要があるのか。
それから、オリンポスプレスの名前を確かめるように、ぼんやりと口にする。
「さっきまで自分が勤めていたところなのに忘れちゃったんですか?」と茶化すようにディックが笑ったので、その理由に思い当たった。

「……まさか、私が書いてるから…?」

「そのまさかですよ」

ディックはコーヒーを啜りながら答える。しかし、ネージュは尚も信じられないというような顔をしている。

「そんな……別に私の記事なんか、大したもんじゃないわよ。前線に行ってまで読みたくなるようなものは別に……」

「それでもあの人は読んでたんですよ。あなたの記事を。毎週ね」

クラフトは前線に行ってからも毎週欠かすこと無くオリンポスプレス紙を取り寄せ続け、ネージュの記事には必ず目を通していた。時には傍らに仕舞い、戦場に持ち携帯してゆくこともあった。暇があれば記事を読んでいた。勿論、その様子をディックは見たことがなく、聞いた話ではあるが。
「どうしてだと思います?」とディックにからかうような目で問われるが、それが分からないから戸惑っているのだ。コーヒーを二口、三口と口にするが、答えが見つからない。
仕方なしにディックが答えた。

「欲しいんですよ、支えが」

「え?」

「さっきも言ったでしょ、あの人は“ヘタレ”だって」

自身の正しさを信じられず、使命感のみで戦い続けている。しかしそれ故に、道に迷い、生まれる反省は尽きることがない。
精神的な面で、折れそうになることもしばしばだ。抱きたい理想と、直面している現実との間に挟まれた時は特に。しかし、そんな時こそ、彼はネージュの記事に目を通した。

「あなたの記事は、あの人にとっての“支え”であり、“道標”だったんですよ。自分を肯定してくれる、正しいことを正しいと認めてくれる、そういう…ね」

ネージュという一人の人間が叫ぶ正義が、自分を肯定してくれていることを感じた。自分の取り組みを応援し、背中を押してくれる――――そんな支えに感じていた。他の誰でもない、人間であるネージュだからこそ、そう思えた。
だから前線でも、一部は必ず肌身離さず懐に入れていた。折れそうになった時、正しさを見失いそうになった時、ネージュのことを思い出した。
ネージュの言葉によって、クラフトは赦され、認められてきたのだ。だから、第十七精鋭部隊という重い任を請け負っても尚、ここまでやってこれたのだ。

そんなディックの話が信じられず、ネージュは尚も自身の耳を疑う。
だが、不意に思い出す。十七精鋭部隊長としての任命が決まった時の取材での時、彼が一言だけ零した言葉。

『……君は、強いな』

あの時の困ったような笑みは、自身の弱さを認めたからこそ滲み出てきたものだったのだろう。

「ネージュさん、お願いします」

ディックはそう言って、いつになく真剣な表情でネージュを見つめた。

「書き続けてください。何処に行っても…続けてください、ジャーナリスト」

「え?」

それは思いも寄らない頼みだった。ディックは少し恥ずかしそうに頬を掻く。

「なんだかんだで俺ら、あの人のこと好きなんすよ。だから、力になれるなら……なってやりたいんです」

遠く離れてしまったが、何か力になれることがあるならばそれをしてあげたい。
ネージュの書く言葉が、信じる正義が支えとなるならば、どうかそれを絶やさないで欲しいと頼むしか無い。

「きっとこれからもっと、想像以上に厳しいでしょうけど……そのまま変わらずに、ネージュさんはネージュさんのまま、その信念のまま書き続けて欲しいんです」

「ディック……」

ネージュのためではない。無論、クラフトのためだ。
けれど彼の願いは、ネージュにとって天啓に等しかった。
思わず微笑み、言葉を返す。

「大丈夫よ、ディック。私は書くわ」

いや、きっと書かずにはいられないだろう。ジャーナリズムに懸けた信念がこの胸の中に燻り続ける限り、書くことは絶対にやめられない。

「正直、これからどうなるかは分からないわ。だけど……うん………書いてみせる」

何より、こうして自分の信じた正義を信頼し、支えとしてくれる者がいるのだと分かった今、彼女もまた心強く感じられた。
だから、きっとこれから降りかかるであろう困難の中でも、筆をとり続けられるに違いない。そう確信できた。

「ありがとうございます、ネージュさん」

礼を言うディックに、ネージュは首を横に振る。「お礼を言うのはこっちの方よ」とはにかんで見せた。



それから他愛の無い世間話をして、二人は別れた。
ディックはこれから基地に戻り書類整理をしなければならないらしい。
ネージュもまた、自宅の整理をしに帰ることにした。出ていくならば早い方がいい。急かされた方が気分は悪い。

――――懐かしのスラム暮らしね

そう思い、空を見上げた。
再び思い出される過去。母と二人、最低限の生活保障を受けながら、貧しく暮らした毎日のこと。二人を捨てた父親への恨みつらみを抱えて生きていた日々のこと。

しかし、今は違う。
もうネージュは成人し、一人の人間として自分の道を歩んでいる。――――そして何より、それを肯定してくれる人達がいる。
こんなに心強いことはない。

不意に彼のことを思い出す。そして、遠くに流れてゆく白い雲を見つめた。

――――クラフト……

きっと彼は今も、この世界のどこかで理想と現実の狭間で、もがき、闘い続けているのだろう。
そう思えば、心の底から闘志にも似た感情が自然と湧き上がってきた。


澄み渡る広い空の下、ネージュは軽い足取りで自宅へと向かって歩き始めていた。





























  ――――  5  ――――


依頼を受けて集落を回り、塵炎軍団と一戦交えながらも、数人のレプリロイドを救出して帰還すると、ゼロは早速シエルとの映像通信を始めた。

「良かった、間に合ったのね」

シエルはホッと胸を撫で下ろす。
ここのところ、野盗と化した塵炎軍団の部隊による被害が広まりつつあるのだが、出来る限り早期に手を打とうと、シエルは寝る間も惜しんで状況を分析し、ゼロへ情報を提供していた。よく見れば目の下に隈も見える。

「あまり無理をしすぎるなよ。あっちの作業も進めながらだろ?」

『あっちの作業』とは、無論、シエルが現在進めている準無限エネルギー循環システム“システマ・シエル”の設計である。
膨大な計算と、実験を繰り返しているのだが、正直なところ、白の団本拠地にある旧世紀の設備ではまともな成果を期待できるはずもなく、作業は難航していた。だが、それでもシエルは諦めること無く、その設計計画を推し進めている。
近況分析作業と、どちらも手を緩めること無く行なっているため、十四歳の発達途上の身体にかかる負担は相当なものだろう。
だが、それでもシエルは「平気よ」と笑ってみせる。

「ゼロだって…命と体を張ってみんなを助けてくれてるんだもの。私が頑張らない訳にはいかないでしょ?」

「小娘の身体と俺の身体とじゃ、“デキ”が違う」

「一つしか無いのは変わらないわ。それに…そんなに無理はしていないつもりよ」

ゼロがなんと言おうと、いつもこの調子で、話を聞き入れて休息を取るような素振りは一向に見せてくれない。
だが、そんなシエルの願いだからこそ、ゼロもまた、戦地に躊躇うこと無く向かっていけるのだ。

「それはそうとね、ゼロ。最近なんだけど…」

不意に表情を曇らせ、口篭る。口にしかけてから、言うまいかどうしようか迷っているようだ。
「どうした?」とゼロが心配げに聞くと、シエルはようやく話を続ける。

「それがね…基地の中でちょっといろいろゴタゴタがあって……」

ゼロが本拠地から今の「ホーム」に移ってからというもの、白の団内では少しずつ“ゼロ派”と“エルピス派”という二つの派閥に分かれ始めていた。無論、本人たちはそんなことを知る由もなかった。要はエルピスのやり方に不満を持った者達が、ゼロという英雄の存在を盾に、エルピスに反抗的な態度を取り始めたというわけだ。
しばらくの間は、大きな問題が出ることはなかった。状況が大きく変わったのは、解放議会軍をゼロが出し抜いたという話が広まった辺りからだ。
エルピスが贔屓にし、信頼していた解放議会軍が白の団を裏切り、更にはゼロをネオ・アルカディアに差し出そうとしたという話だけでも、エルピスの面子に傷をつけてしまったというのに、ゼロがその裏を読み、出し抜いたのだというのだから、益々エルピスの立場は悪化してしまったわけだ。
それからというものゼロ派を名乗る者達の中には、そんなエルピスの失態を詰るばかりでなく、あからさまな命令違反を犯しまうなどといった問題も出始めてしまった。
元はと言えば、英雄の存在を利用し、白の団をまとめ上げようと画策していたエルピスだったが、逆にチーム内が割れてしまうなどとは思っても見なかっただろう。

「ねえ、ゼロ……近い内に、みんなを説得してもらえないかしら。画面越しでも構わないから……」

どうにかしなければ、白の団が本当に分裂してしまうかもしれない。シエルはそれだけが不安だった。
だが、ゼロは「それはダメだ」と首を横に振る。

「それこそ、アイツの面子を潰すことになる。それに、そんな逆境を何とか乗り越えてこそ、リーダーってやつだろ」

エルピスの立場を真に立てるには、エルピス自身の力で解決してもらうしか無い。ゼロの言葉は正論だった。
シエルも「確かにそうね」と理解を示す。だが、その表情は尚も不安そうに曇らせている。
確かにその問題は無視できたものではない。しかし、これ以上の介入は難しいし、何よりゼロはゼロで彼女に聞きたいことがあった。
「なあ、小娘」と呼びかける。

「一つ聞きたいんだが…いいか?」

「なに? ……どうしたの?」

いつになくどこか躊躇いがちに聞いてくるゼロに、シエルは首を傾げる。
ゼロも、正直尋ねようか迷っていた問題だったのだが、ようやく意を決してその問いを口にした。

「エックスは…結局どんなヤツだ?」

「え?」

シエルは一瞬、驚いたような顔をする。

「どういうこと?」

「いや…な……。少しだけ気になってさ」

そういえば、目覚めてこの方、エックスについての問いをゼロは殆どしてこなかった。考えてみれば今までも、記憶喪失なのだから、かつて友だったと言われる男のことについてもう少し興味を持ち、質問をしてきてもおかしくはなかったくらいだ。
「成程…そういうことね」と、シエルは一人納得したような声を出した後、どこか安心したような表情を見せた。それから、「そうね」と言葉を選び始めた。

ネオ・アルカディアの創始者にしてトップ。救世主と呼ばれ、レプリロイドで現在唯一、人間にまで崇められる存在。そして、全てのレジスタンス達にとっての仇敵でもあった。
しかし、ゼロの記憶の断片に見える姿は、親友以上の存在であることをいつも思い知らせてくれる。愚直なまでに正義を信じ、誰かの為に涙を流しては、巨大な敵へと他者のために立ち向かえる。そんな男だったと教えてくれる。それ故に、現在の彼の在り方とのギャップに違和感を感じてならなかったのだ。

しばらくして、シエルは「フッ」と優しい表情を浮かべる。

「“正しい”人よ。間違いなく。優しさも、慈しみも持ち合わせていた」

まるで過去を懐かしんでいるような表情だった。不思議そうな顔をするゼロに、シエルは補足をする。

「私は、もともと彼付きの技師だったの。メンテナンスとか任されてね。正しくは“おじいさま”の手伝いだけど」

「それは……結構な身分だったんじゃないか…?」

救世主とされるレプリロイドの身体を調整するのだ。ただの“小娘”ではできるはずもなかった。流石は“リーダーとなるべくして作られた個体”だ。

「だから……正直、彼との関係も決して浅くないのよ」

物心ついてからというもの、ほとんどの時間を彼と過ごした。その時間は、ゼロを解放するために犠牲となったパッシィと過ごした時間に引けを取らない。

「だが、そんな“正しい”奴が…どうしてこんな世界に?」

レプリロイド達が虐げられている現状をそのままに、救世主などという椅子に座り続けているのか。ゼロにはそれが納得出来なかった。

「私が思うに……だけど。……彼は道を間違えただけだと思うの」

困ったような顔をして、シエルはそう答えた。

「ちょっとだけ…ほんのちょっとだけズレちゃったんじゃないかな……って。心変わりしたとかじゃなくて、本当に少しだけ道を誤ってしまった。それだけだって思う」

“正しい”と思い歩いてきた道。だが、百年以上の間歩き続けてきたのだから、どこかで誤ってしまったとしてもおかしくはない。
ついでに言えば、政策に関して言うならば、元老院の存在もある。彼らのやり方に左右されてしまったというのもきっとあるだろう。
国を創る前と後では、彼自身が変わらなくとも、周囲の環境との関わり方が、関係が変わってしまったのだ。ならば初期に抱いていた理想がどこかで捻じ曲がってしまったとしてもおかしくはない。

「なるほど…な」

そう言った事情であれば、確かに納得できた。
彼自身がなにか大きく変わったわけではない。だが、シエルが言うとおり、ほんの少し何かがズレて、そのままそれが大きくなりここまで来てしまったのだろう。

「だからね……。あんまりエルピスには言えないんだけど……」

またしても、言葉を選ぶように口篭る。そして、哀しげな微笑みを浮かべた。

「あのね、ゼロ。私は、エックスのことも助けたいの」

それは予想外の願いだった。シエルは更に続ける。

「さっきも言ったとおり、エックスは“道を誤っただけ”だと思う。でも、道を間違えたなら、それを誰かが正してあげればいいって思わない?」

彼自身が今でも昔と変わらぬ魂と意志の持ち主であるならば、シエルの言うとおり、過ちに気付かせ、正しい道に引き戻してやれば良いのだ。

「それは……ごめんなさい、私にはできなかった……」

傍にいた彼女にすら、それはできなかった。だが、過去の親友だったならどうだ。

「だからこその、俺か」

レジスタンス活動の力としてだけでなく、エックスの対抗手段というだけでもなく、彼本人を救うためにもゼロの力が必要となったのだ。
シエルは頷く。

「私も…『もっと声をかけてあげればよかった』って思うの。だけど……今はこうなっちゃったから…ここまで来てしまったから……」

俯き加減になりながら、困ったように反省の言葉を呟く。そして再びゼロを見つめ直す。

「だからお願い、ゼロ。エックスをどうか救ってあげて」

「小娘……」

そして黙り込む。突然過ぎる依頼であり、願いだった。軽く返事ができるわけもない。考えこむその表情は真剣そのものだった。
だが、ゼロはしばらくの後、「フッ」と微笑みを見せると、「仕方ないな」と零した。

「ワガママお姫様の願いを聞いてやるのが俺の仕事だ。任せろよ」

「……ありがとう、ゼロ」

シエルは柔らかく微笑み、心からお礼を口にした。

それからシエルの後ろからセルヴォが声をかける。何か用事があるらしく、そこで別れを言って、映像通信を切った。
そのままゼロは背もたれに寄りかかる。

――――エックス……

不意に右腕を天井に向けて伸ばす。そして、何かを掴むように掌を開いた。
正直に言えば、取り出せない記憶の中でも、ゼロという存在にとって“なくてはならないもの”であるが故に、さして気にする事もなかったというのが今までだったのだ。
だが、戦いを繰り返し、エックスという存在を追いかける内に、ゼロは彼の詳細な人物像を掴みたくなった。そして、どうにか彼の背中を捉えたいと思った。
それでも、握りしめた拳の中には、当然のことながら何も掴めていなかった。

先日のボレアス山脈での一件が、今でも尚、脳裏に焼き付いて離れない。

――――『エックスをどうか救ってあげて』……か

あの雪山の中でゼロは、“救う”にはあまりにも己が無力過ぎるということを思い知らされたばかりだった。だと言うのに、シエルからは“救う”ことを頼まれる。ゼロの心中を詳しく知らないのだから仕方がないのだが。

「……簡単に言ってくれるよな」

そう独り言つ。だが、ゼロは嬉しそうに頬を緩めた。
それでも尚、彼女は頼ってくれるのだ。ならば、それに応える為に挑み続けるしかない。
一人でいじけてみせたところで、何も状況が変わりはしないのだから。

「やるだけやってやるよ」

そう言って席を立つと、作戦終了後の調整をする為に、メンテナンスルームへと向かった。











  ―――― * * * ――――


「また紅いイレギュラーか……」

情けなくも逃げ帰ってきたサイモンを睨みつけながら、ガラノフは忌々しい名前を呟く。

「すいやせん、隊長。……で…でも部下は今のとこ…」

「泣き言や言い訳は聞きたくねえんだよ。黙ってろクズ野郎が」

低くドスの利いた声でそう叱咤され、サイモンは見を縮めて口を閉じた。
あの紅いイレギュラーが現れてからというもの、女や奴隷、“代替用の部品”も略奪する事ができなくなっていた。
既にこれまで略奪してきたレプリロイド達は殆ど使い物にならなくなってきており、早急に補充が必要だ。無論、自分達の欲求と不満を満たすためだけであり、それ以上の、それこそ戦略的理由などは、一つもないわけだが。

「あぁ…クソ。最近“溜まって”仕方がねえんだよ。……なあ、サイモン。俺の言ってる意味、分かるよなぁ?」

脅すような迫られ方をして、サイモンは「ヒッ」と小さく声を漏らす。傍で見ていた他の隊員たちはサイモンを嘲笑いながらも、ガラノフのストレスの捌け口が何処へ行くのか、内心で怯えていた。
突然、ガラノフの太い足がサイモンの腹を蹴り上げる。鈍い音と共に「グェ」と呻き声を上げ、その身体は数メートル先まで転がっていった。
ガラノフは再びガラクタの山に腰掛ける。

「紅いイレギュラーとやりあえとは言わねえよ。けどなぁ……何も収穫なしにおめおめと尻尾巻いて……それも一回や二回じゃねえ、四度も逃げ帰るだけってのは役立たず過ぎやしねえか? なあ、オイ!?」

怒りを顕に怒鳴りつける。サイモンは尚も痛む腹を抑えてうずくまりながら「すみません」と小さな声で、途切れながらも謝った。

「隊長!」

不意に、一人の隊員がガラノフの下へと駆け寄ってきた。何か火急の要件があるようだ。
「どうした」と耳を傾けると、隊員は思わぬ来客を告げた。その名を聞いて、ガラノフは驚くと共に、考えこむ。そして「構わねえ。入れろ」と短く答えた。
そして、ガラノフの前にその客人は姿を現した。

「随分と小汚い場所を塒としているようだな、ガラノフ」

周囲を見渡し、率直な感想を述べる。
ガラノフが現在塒としているのは旧世紀に活動していたと思われる、廃工場の一角だった。
元はと言えば国抜けをした者達が潜み暮らしていた場所だったのだが、襲撃をしてから、この場所が気に入り、部隊ごとこの場所を拠点としていたのだった。
よく見ると、隅の方にガラクタのように捨て去られたレプリロイド達の無残な姿が見えた。ガラノフ達にその身体をいいように扱われ、投げ捨てられたのだろう。思わず眉を潜めてしまう。

「これはこれは“第十七精鋭部隊長”殿。お久しいですなあ」

ガラノフは皮肉っぽくやけに丁寧な言葉づかいで、現れた客人――――クラフトに言葉を返した。

「貴様も随分と変わったな。敬語が使える程度には知恵を付けたか」

「ハッ。……テメエも、人に嫌味を返せる程度には賢くなったみたいだなぁ」

互いに不敵な笑みを浮かべる。だが、瞳はどちらも穏やかな輝きを見せてはいなかった。
やけに重苦しい雰囲気に、ガラノフの部下達も、固唾を飲んで見守っていた。
地面でうずくまっているサイモンを視界に捉えながら、クラフトは要件を伝える。

「率直に言わせてもらう。ガラノフ、現在行なっている蛮行の全てを今すぐやめろ」

「ああん?」

積み上げられたガラクタの山から腰を上げ、クラフトを見下ろす。
その一挙手一投足に、部下達が怯えたような反応を示しているのが印象的だった。

「テメエ……どういうつもりだ?」

「そのままの意味だ。貴様らの蛮行は、四軍団に属するレプリロイドだけでなく国家に携わる全てのレプリロイド達の品格を貶めると言って過言ではない」

また、風紀の乱れは結束にわだかまりを生む要員にも成りかねない。そういった事情を考慮しても、ガラノフが現在行なっている所業の数々を許すべきではないと感じていた。
だが、少しも堪えた様子を見せず、ガラノフは鼻で嘲笑う。

「要するに、テメエの“名前”に傷がつくから大人しくしろ…ってか?」

「そういう意味ではない!」

ねじ曲げた捉え方に、クラフトは思わず声を荒げる。

「そもそも立場は違えど、同胞だろう」

「“同胞”? ……相変わらず甘ぇなぁ、クラフト」

「…彼らは国を抜けただけで、人類の脅威として動いてはいない。無闇に手を出す“必要”も“理由”もないと言っているんだ」

「理由ならあるぜぇ?」

一歩二歩と前に進み、クラフトに近づいていく。かと思いきや、下でうずくまっていたサイモンの身体を軽く蹴飛ばした。するとサイモンは大きく跳ね上がり、二度程バウンドをして散らばっていたガラクタに衝突した。
その様子に、唖然とする。それから、薄ら笑いを浮かべるガラノフに気づくと、クラフトは奥歯を噛み締めた。

「簡単さ。“弱ぇ”からだよ」

ガラノフの口端は更に醜く歪む。

「昔から言ってんだろ。“所詮この世は弱肉強食”。弱ぇ奴から“奪って”“毟りとって”、俺達“強者”が“欲を満たす”。それがこの世界の構図さ」

その言葉に、ガラノフという男がまるで昔と変わっていないのだということを、クラフトは実感した。
戦闘員養成課程の頃から、彼のその考えに異を唱え続けたが為に、衝突を繰り返したのだ。

「……どうしても、貴様が行動を改めないというのなら…俺がお前を――――」

「――――“処分する”か?」

瞬間、ガラノフが片手を上げると、部下達が手にしたエネルギーガンの銃口をクラフトへ一斉に向けた。
怯えながら、ただ話を聞いていただけではない。流石はこのガラノフに付き従ってきた部下達だった。
ガラノフは笑みを浮かべたまま言葉を続ける。

「物騒な話はやめにしようや、クラフト。ここでやりあったところで互いに何の得もないぜ?」

「心にもない事を……」

忌々しいものを見るように、クラフトはただ睨みつける。

「それによ、俺は役立たず共で遊ばせてはもらってるが、“人間様”に刃向かったことは一度もないぜ? 知ってるだろ?」

彼の信条である“弱肉強食”とは、決して奢りからきた言葉ではなかった。人類が自分達レプリロイドよりも常に上の立場であることも気に留めていたし、それ故に人類へと反抗的な態度を取ることはなかった。

「俺を処分できる真っ当な理由をテメエは持ち合わせていねえ。だから、堅物のテメエが俺を処分することなんざできる筈がねえ。そうだよな?」

痛いところを突かれ、クラフトは思わず言葉を失う。相手のことを理解していたのはガラノフも同じだった。
だが、そう簡単に引き下がるつもりもなかった。

「貴様の言うことも尤もだ。だが、これ以上の横暴が続くならば、軍の風紀を乱す者として賢将様に報告をさせてもらう」

四天王のリーダーであり、統括者である賢将ハルピュイアならば、ガラノフの所業をただ聞き流すということもないだろう。
それには流石のガラノフも舌打ちをせずにはいられなかった。

「あーあー…分かったよ。クラフト隊長サマサマ。しばらくは大人しくさせてもらうよ」

そうは言うものの、反省の色は見えない。
だが、これ以上はどれだけ言葉を凝らそうと伝わりはしないだろう。クラフトは「分かればいい」とだけ、返事をし、背を向けた。
足早にその場を去ろうとするクラフト。だが、ふとガラノフが思い出したように言葉をかける。

「そう言えばよぉ、クラフト。ついさっき紅いイレギュラーがどっかの集落に現れたって話、聞いたか?」

「……いや、聞いていないな。本当か?」

クラフトは少し間をおいて、振り返ることもなくそう答えた。

「ああ、そうか。ならいいのさ。いや、ちょいと小耳に挟んだからよぉ」

「……もしもまた聞いた時は知らせてくれると助かる」

「任せな」とガラノフが答えたのを聞いたかわからない内に、クラフトはその場から去って行った。
何より居心地が悪く、それ以上その場にいたくはなかったのだ。

クラフトが去った後、ガラノフは急にその場で考え始めた。
部下の一人が「どうしました」と恐る恐る尋ねる。

「クラフトの野郎が……『聞いていない』?」

ガラノフは違和感を感じてならなかった。
あの実直かつ堅物であるクラフトのことだ。紅いイレギュラー討伐の任を負っている以上、紅いイレギュラーに関する情報には絶えずアンテナを張り巡らせていることだろう。
それならば何故、ここ最近、紅いイレギュラー出没が噂されるあの集落のことも、そこについ先程現れた紅いイレギュラーのことも知らないのだろうか。
そもそもガラノフ達の所業を気にするのならば、“狩場”としているあの集落のことも情報として知っていておかしくはない。そして、もしそれを知っていたなら、紅いイレギュラーの情報にも気を配り、今頃こんな場所に脚を運ぶこともなく、紅いイレギュラー討伐のために動いているのが普通ではないか。

――――なにかがおかしい……

不審感は募るばかりだ。
すると、部下の一人が慌てて駆けより、ガラノフに耳打ちをする。

「隊長…先程入ってきた情報なんですが……」

その内容に、ガラノフは言葉を失う。
そしてまた考えこむ。タイミングよく飛び込んできた情報と、現在の疑問との辻褄を合わせるには――――答えは一つしか無かった。
それから、すぐにサイモンの名を大声で呼んだ。

「おい、サイモン。テメエの頭の中を今すぐ見せろ」

まるで玩具を見つけた子供のように、ガラノフは笑みを浮かべてみせた。


































 NEXT STAGE













        color of mine/d





























[34283] 18th STAGE 「color of mine/d」
Name: 村岡凡斎◆45ff140f ID:697d6d9c
Date: 2012/10/30 23:31

  ―――― * * * ――――


『お待ちくださいエックス様! どうかお待ちを!』

自分に目もくれず、ただ通り過ぎようとする救世主に、彼は叫ぶように懇願した。
自身に掛けられた嫌疑の全てが、言われもない冤罪であることを声の限りに訴えた。百年もの間この世界を統治してきた、そんな救世主程の男であるならば、窮地に立たされた自分をきっと救ってくれるだろうと信じていたのだ。
だが、彼へとその救世主が向けた視線は、まるで理解のできない摩訶不思議な物体を見るかのようで。それどころか、出会したことのない状況に困惑しているようですらあった。そんな者に、今の彼の状況を理解し、救う力など有るはずもない。
後から考えればそう納得できるのだが、その時の彼は、そんな相手の様子に気づくこともなく、ただ声を上げるばかりだった。
すると突然、彼の視界が赤みがかった光の刃の切っ先で遮られる。思わず腰を抜かす。
刃の主は、四天王のリーダー格、ハルピュイアだった。

『我らが主に縋り付こうとは……烏滸がましいにもほどがあるぞ、痴れ者が』

そのまま右足で彼の頬を蹴り飛ばす。彼はその場に倒れこんだ。

『イレギュラー処分を受けなかっただけでもありがたく思え。そして、二度とこのユグドラシルに近づくな』

そう言ってハルピュイアもまた、背を向け歩き始めた。
彼は力の抜けた腕で上体を起こし、前を見る。そして、ハルピュイアの背中を見つめた。白いマントの背中が、無力な彼を嘲笑っているように見えた。

――――あの…“白”が……

憧れていた。救世主を囲む者達が纏う、白いマントや衣の類。いつかそれを身に纏いたいものだと想いを馳せた。
一介のレプリロイドの研究員ではあったが、戦略研究所でも優秀な成績を残し、地位も築きつつあった。その努力と才を認められ、いつかきっとかの救世主に召し上げられるだろうと信じていた。
だが、その夢は儚く砕けて散ってしまった。

――――あの“白”が……憎い

今の彼にとって、憧れた白のマントは、憎悪の対象となり変わった。あれ程までに憧れていたというのに。自身を裏切った“白”をどうしても許せなかった。
だがそれでも、心の奥底で、“いつかきっと”と思わずにはいられなかった。その思いを捨てられなかった。
栄光と威厳とを併せ持つ、あの白いマントを、いつか必ず我が手に掴みたいと、願わずにはいられなかった。
奥歯を食いしばる。指の先には地面をひっかくように力を込めた。憎しみと、悔しさと、憤りと……そう言ったあらゆる負の感情がぐるぐると頭の中で渦巻いていた。

『だいじょうぶ……?』

不意に聞こえてきた声の方へ視線を向けると、小さな手が差し伸べられていた。
そこに立っていたのは幼い少女だった。可愛らしいポニーテールを揺らし、優しく微笑んでいる。
今まで一度も向けられたことのないあどけないその笑顔に、彼はただ手を伸ばすことしか出来なかった。


そして、伸ばした手を握り返してくれた小さな手の温もりは、彼の心を優しく包み込んだ。






















 18th STAGE











      color of mine/d





























  ――――  1  ――――


「くだらない……」

メモリーが見せる回想風景に、エルピスは起床とともに毒づく。もう七年も昔のことだ。今更何の役にも立たない、くだらない記憶。
とは言え、あれが始まりだったのは確かだ。この闘争も、感情も。
だからと言って、何故今、思い出すのか。それには間違いなく、自身を取り囲む最近の状況が関係しているのだろう。

解放議会軍の裏をかいた謀略。度重なるミュートスレプリロイドとの戦闘における活躍。闘将との戦闘と生還――――。ゼロはその実力を余す事無く発揮し、英雄として申し分ない働きを見せている。エルピスの計画通りに事が運んでいれば、彼を旗印にネオ・アルカディア打倒の流れを作り上げ、その勢いのまま進撃を続け、今頃エルピス自身はその流れの中枢を担っていた筈だった。
だが、議会軍の裏切りから何かがズレ始めた。
今や白の団内では、解放議会軍との共闘を進めてきた方針が失策であったことを批判する者が出始め、同時に、トップの椅子に座りつつも、ゼロとは違い自ら危険を冒すことのないエルピスに対し、真っ向から反抗を示す者まで出始めていた。
皮肉にも、どれもこれも英雄と称されるゼロの行動との比較から生まれたものであった。
そういった状況から、エルピスの心にも少なからず動揺が生まれていたのだ。

ベッドから起き上がり、団服に袖を通す。そして、掛けていた白のマントに手を伸ばした。
不意に、夢の光景がフラッシュバックする。

「……だから何だと言うのか…」

苦い顔をしながら、その“白”を手に取り、上から羽織った。










「さっすが伝説の英雄だよなー! もうミュートスレプリロイドを八体も、しかもあの四天王の一人もやっつけちまったんだから、すっげーよなー!」

談話室で称賛の声を上げながらメナートが騒いでいる。
その様子を見ながら、コルボーは呆れたように声を漏らす。

「初めは腹が立つほど非難してたくせに……調子がいいよな、本当に」

「まあ、そう言ってやるなよ」

トムスが宥める。

「実際、全体的にも同じような声が上がり始めてる。あの英雄さんがみんなから認められてきたっていう証拠だろ。いい傾向だよ」

確かにトムスの言うとおりだ。いや、それ以上の影響があるといってもいい。コルボーは思わずニヤケ顔になる。
最初に命を救われた時から今日まで、コルボー達はゼロの力を信じ、協力を続けてきた。
前までは彼に対する批判を耳にして気分を悪くすることも少なくはなかったし、自分達自身も変わり者のように扱われたこともあった。
だが、今ではそのようなことは一切見られなくなり、むしろ、ゼロとの信頼関係の深さと行なってきた共同作戦の数から、マークをリーダーとしたチーム自体もエースとして崇められているような節さえある。

正直な話をすれば、元は彼ら自身もまた、あの英雄に対して半信半疑だったはずなのだが。

「だが…残念ながらいい傾向ばかりでもないんだな、これが」

マークが二人の間に割って入る。

「知ってるだろ、“英雄派”を名乗る連中のこと」

白の団内で次第に数が増え始めている“英雄”――――即ちゼロの名前を掲げる派閥のことは、確かにコルボーもトムスも知っていた。
エルピスの指令や作戦に対して反抗し、何かとゼロの名を持ちだしてはエルピスの批判ばかりを繰り返している。
例え、ゼロのことを信頼しているマークたちでも、彼らのやり方は好ましいと思えなかった。

「そもそも、大してゼロさんと親しかったわけでもない連中がそんな事言い出してるわけですからね! 腹立たしいもんですよ!」

「結局、どいつもこいつも危ない橋を渡るのが怖くなってきたってだけですよね」

コルボーとトムスの言うとおり、彼らの中心にいるのは、ゼロとそれほど親交が深かったわけではない者達ばかりで、それどころかまともな戦闘に参加したことのない者もいたくらいだ。
要は、平穏な基地内の生活に慣れすぎたおかげで、戦地へと赴くことに恐れをなし、反抗するための理由にゼロの名を挙げては、エルピスの批判へとすり替えているというだけの話だった。

「でもよー、アイツらの言うことも一理あると俺は思うぜ?」

何時から聞いていたのか、メナートが軽い調子で口を挟む。

「何が一理あるだよ。そんなやり方されて、ゼロさんにだって迷惑だろ」

「だってよー、だんちょーさんが戦わねえのは事実じゃん? 結局、俺らばっかり下働きで危ない目にあってさ」

戦地へと足を運ばず、基地の中枢にある司令室で指揮を執り続けている姿に対して、メナートのような見方をするものが少なくない。
英雄派の者達も、結局はそこを最初に突いて来たのだ。とは言え、それもまた理不尽な話である。

「戦場に出ることもなく、テキトーに遊んでるだけのおまえが言うな!」

思わずコルボーが怒鳴りつけると、トムスが肩を掴み、「まあまあ」と宥めた。

「うっせーなあ……でも本当のことだろ! 偉そうにふんぞり返って、『あれしろ』『こうしろ』『戦ってこい』――――おかしいと思わねえ?」

「成程、メナートの言いたいことも分からないわけではない」

「な!」と驚きの声を上げるコルボー。今にも騒ぎ出しそうなその口を、トムスは咄嗟に塞いだ。マークは話を続ける。

「だけどな、メナート。もしも団長がいなかったらどうなっていたと思う?」

「『いなかったら』…って?」

突然の問いかけに、メナートは考えこむ。横で聞いていたコルボーとトムスも同時に顔を見合わせ、考え始めた。

「そりゃ……ん~……」

考えども上手く答えはでない。というより、ある程度分かってはいたのだが、口にしにくかった。
マークが続ける。

「覚えてるか、フラクロスの輸送列車を襲撃した作戦のこと。あれを考えたのは団長だったし、たぶん団長じゃなかったら考えつかなかった」

ネオ・アルカディアの力の象徴の一つ、パンター・フラクロスの輸送列車を襲撃しようなどとは、実際のところ誰も考えつかなかった。特に、戦闘力的に乏しい白の団に取っては不可能といっても過言ではなかっただろう。ゼロの力で成功したとはいえ、初めに提案したのはエルピスだ。

「それだけじゃない。今日まで白の団を統制してきたのはあの人だ。あの人がいなかったら、正直、非戦闘型の俺達がここまで組織としてまとまって、生き残っては来れなかっただろうさ」

日毎にネオ・アルカディアの攻勢は勢いを増している。多くのレジスタンス組織が潰れていき、集落もまた襲撃にあっていると聞く。
だが、白の団は生き残り続けている。黒狼軍のように戦闘のプロ集団が所属しているわけではなく、ただの一般型レプリロイド達がこれだけの大所帯を築きながらも、敵に本拠地が割れることもなく、残り続けているのだ。
これは正直、奇跡といっても良かった。

「その団長がもしも死んでしまったらどうなるか考えて見ろ。いったい誰がこの組織をまとめていくんだ? ……たぶんゼロさんはやってくれないぞ」

群れることを好んでいるようには決して見えない彼のことだ。リーダーを務めてくれとお願いしたところで、それを素直に受けてくれるとは思えない。
無論、シエルが務めたとしても、エルピスほどの指揮能力や、戦略眼があるとは思えない。
となれば、もしもエルピスがいなくなってしまえば、ここは本物の烏合の衆となり果て、早々に消えてしまうだろうことは容易に考えられる。

「団長はそれだけの役割と、その分の責任を負ってるんだよ。だから、『前線に』云々の批判をする事自体が筋違いさ」

これには流石のメナートも言い返せなかった。「だけどよぉ…」と小さく呟き、口を尖らせる。流石は一チームを率いるリーダーだけはあると、トムスは感心し、コルボーに至っては真っ向からメナートと言い争いをしようとした自分の幼稚さ加減を静かに反省した。

「本当に、そういうもんかねえ……」

不意に横から聞こえた声に、思わず一同は反応する。そこには、白の団内でも皮肉屋で有名なピックが悠々と座っていた。

「へへへ……そう怖い顔すんなよ」

ピックは薄ら笑いを浮かべながら、敵意を顕に睨むマークに向けてそう言った。

「何が言いたいか…はっきり言えばいいだろう、ピック」

「マーク、まあ落ち着けって…へへへ。俺は別に悪気があって言う訳じゃあねえんだぜぇ?」

そうは言うものの、ピックは明らかに挑発するような笑みを浮かべてマーク達を見ている。
だが、マーク達の視線を物ともせず、ピックは飄々とした態度で語りを続ける。

「ただよ…あんたが言うような状況になったところで、大して困りゃしないんじゃないかと俺は思うんだよな」

「なに?」

『あんたが言うような状況』――――即ち、エルピスがもしも死んでしまったらという場合である。マークは先程、エルピスの存在価値と必要性を説いた。だが。ピックはそれに異を唱えるというのだ。

「何故そんなことが言える」

「へへへ、そうさな……例えばそんな状況になっても、マーク……あんたがリーダーをやったところで変わりゃしないじゃないか?」

自分のことを担ぎ上げるような意見に、マークは驚き、呆然とする。開いた口がふさがらない彼に代わり、トムスが「どういうことだ」と問い直す。
ピックは厭味ったらしく口端を吊り上げ、得意げに話しだす。

「よくよく考えても見な。この白の団って組織が、実際にレジスタンスとしてどんだけの成果を出してんのかをよ」

マークたちだけでなく、メナートまでもがこれまでの経緯を振り返る。
各地でのゲリラ活動、脱国者や崩壊した他のレジスタンス構成員達の保護等、その活動は多岐にわたっている。
敵部隊への襲撃は、フラクロスの輸送列車襲撃に代表されるように、成功を収めた作戦も決して少なくないし、多くのレプリロイド達を保護し、今も白の団の人数は拡大し続けている。
マークは再びピックを睨みつける。

「確かに俺達は、戦闘においては非力だ。それでもいつだって命懸けで活動に取り組んできたし、救った者達もいる」

「だがよ、それがネオ・アルカディアにどれだけの影響を与えたとあんたは思うのかい?」

ピックの問いに、マークは口篭った。『どれだけの影響を与えた』か――――それについて、自分は確かに触れていなかった。
遣り取りを聞いていたコルボーは思わず動揺を顔に出す。その様子を見逃さなかったピックは、すかさずコルボーを指差し、「心当たりのある奴もちゃぁんといるみたいじゃねえか、へへへ」と厭味ったらしい薄ら笑いを浮かべた。

「へへへ……そうさ、俺達程度の連中がどれだけ体を張ろうが、結局あのでけえ国には傷一つ付けられちゃいないのよ」

むしろレジスタンス全体の形勢は日に日に悪くなっているようにも見えた。
フラクロスに限らず、どれだけの猛者を倒そうとも敵の攻勢は収まらず、小規模のレジスタンス達は次々と姿を消し、集落はいいように襲撃を受け続けている。

「あの英雄は“紅いイレギュラー”だなんて名前で呼ばれて警戒されてるが、片や俺達の方はどうだい? “白の団”の中で他に誰がネオ・アルカディアに目を付けられた? 注目されるような働きをした?」

白の団に限らず、ネオ・アルカディアという国にとって、脅威となり得る要注意人物というのは、正直なところあらゆるレジスタンス組織を覗いても殆ど現れてはいない。
結局は今も警戒されているのは、黒狼軍のベルサルクとゼロ位のものだ。

「だからと言って、俺がエルピスさんの代わりになれるなんて理由になりはしないだろ」

そう反論するマークに、ピックは「分かってねえな」と首を横に振る。

「現状で目を見張るような成果を出せてもいないのに、“あの人じゃなきゃ”なんてどうして言えるんだい?」

その言葉にマーク達は言葉を失う。それを見て、ピックの薄ら笑いは嘲笑へと変わった。

先ほど口にした輸送列車襲撃の功績も、彼一人のものではなかったし、そもそも結果的に、ネオ・アルカディアには予想していた程の打撃を与えることが出来なかったと言って良い。あの作戦以後、ネオ・アルカディアが騒ぎたてた話題といえば“紅いイレギュラー”の活躍だけであって、それで国内の生活水準が逼迫したという話を聞いたことも、軍の活動範囲に大きな影を落としたという話も聞かない。
結局、あの輸送列車がなくなろうと、代用する補給路は他にも用意することができたし、他に強力な部隊がないわけでもなかった。
フラクロスを撃破した英雄の存在は騒がれても、作戦を提案し指揮をとった人物を「なんと優秀な者がいたものだ」と賞賛する声も、畏怖する声も聞こえてこなかった。

もしもエルピスでなかったなら――――確かに輸送列車襲撃作戦は思いつかなかったかもしれない。

だが、それで本当に大きな負の影響が生まれただろうか。
エルピスでなければ本当に白の団はまとまらなかったか?
ゼロという英雄が活躍してくれるのであれば、他の誰が指揮を執ったところで、何ら問題がないのではないか?
“エルピスじゃなければいけない理由”がどこにあるというのか?

「要はよ。リーダーなんてのは誰がやろうと変わんないのさ。あの英雄が暴れ回ってくれてさえいればよ。…へへへ」

横で「なるほど」と頷くメナートを尻目に、何とか言い返そうとマーク達は言葉を探した。だが、ピックの言葉に反論の余地が見つからない。
彼の言うとおり、ゼロが闘い続け、成果を出し続けていれば――――極論すれば、エルピスだけでなく、白の団が存在しなくなったとしても――――白の団がレジスタンスとして目指していた目的は達成できてしまうだろうと考えられた。
そう、ピックは白の団の存在意義までも否定したのだ。だが、それに返す言葉が彼らには見つけられなかった。

「……じゃあ…どうしてお前は白の団にいるんだよ」

コルボーが声を搾り出すように問いかける。するとピックは小馬鹿にしたように笑う。

「そりゃ…まあ拾われたのがたまたま此処だったってだけさ。へへへ…悪いが古参じゃあない俺が此処にいる理由なんてのは、そんなもんさ。その辺で野垂れ死ぬつもりもないし、しばらく命を繋げられるんならそれに越したこともないしな」

思わず背筋が凍るような思いがした。
きっとこのように考えているのはピックだけではないのだろう。他にも大勢の者達が、“その程度の志”でこの組織に参加しているのだ。そう考えると、コルボー自身も、白の団という組織の存在意義というものが分からなくなり始めた。
ピックの言うとおり、ゼロのような者さえいれば、エルピスも――――いや、自分達ですら必要がないのだろう。

それから、「白けちまったな」とピックは笑いながら席を立ち、談話室から去って行った。
マークとトムスは互いにしかめっ面で顔を見合わせる。コルボーはピックが出ていった扉をしばらく睨み続けた。














扉へと近づいてくる足音を聞き取り、思わずその場を離れた。
曲がり角へと身を潜め、談話室から出て軽い足取りで廊下を歩くピックの背中を、見つめる。いつしかその眼は鋭く睨みつけていた。
それからピックの姿が見えなくなると、まるで空き巣のようにコソコソと身を隠す自分の様子を省みて、言いようのない複雑な気分がこみ上げてきた。

「何をやっているんだ……私は…」

エルピスは仕方なしに苦笑する。
自分に関する話題が部屋の中から聞こえ、気づけば耳を澄まし盗み聞きしていた。
正直なところ、こんなことをしたのは今日だけの話ではなかった。
ここ最近、自分を見る団員たちの目が気になって仕方ない。前までは司令室に篭り、戦略を練るのに専念していられたというのに、今では見回りと称して基地内を徘徊しては、自分に対する団員たちの態度確かめずにはいられないのだ。

「クソ」と心の中で悪態をつく。そして、胸を締め付けるような悪寒を感じ、その場を足早に去った。


エルピスがリーダーである必要は無い。
先ほどの遣り取りから、あそこにいた者達が出した結論は、結局それだった。
ゼロさえいれば、打倒ネオ・アルカディアは果たされると。エルピスがいなくとも、それどころか白の団が存在せずとも、この戦争は進むのだと。
似たような話は既に何度も聞いてきた。その度に奥歯を噛み締め、拳に力を込めた。

だが、今まで以上にはっきり自身の存在意義を、全てを否定され、エルピスは耐え切れぬ屈辱感と堪えきれぬ憤りとを抱えたまま、黙々と歩き続けた。


――――クソ……クソ………クソぉ……!


どこから間違えたのか。何を誤ったのか。生まれた不協和音は少しずつ肥大化し、エルピスを追い詰め始めていた。“あの日”の屈辱が脳裏に思い出され、負の感情が重なり、心は更に蝕まれた。


暫くして、自分が足を止めていたことに気づく。そして、自分が辿り着いた部屋の扉を見つめる。
そこは彼女の部屋だった。
どうして此処に辿り着いたのか。明確な理由はわからなかった。だが不意に、彼女の声を聞きたい衝動が、エルピスの胸を強く叩いた。
何度か逡巡し、そして衝き上げる想いのまま、躊躇いがちに扉をノックする。


部屋の奥から少女の声が「はい」と元気よく聞こえたことに、エルピスは安堵した。
そして、「どうぞ」と促されるまま、扉を開いた。






























  ―――― * * * ――――


『それでは、クラフト隊長。取材へのご協力、本当にありがとうございました』

レコーダーとメモ帳をカバンに仕舞い込み、ネージュがそう言って丁寧に頭を下げると、クラフトは苦笑いを浮かべた。

『君がそういう態度だと……正直困るな』

『「そう言う態度」…って。どういう意味?』

意地悪そうに笑いながら、ネージュは問い返す。つい先程まで見せていた仕事上の顔ではなく、一人の友人としての親しみやすい顔を見せていた。
そんな彼女の表情に、クラフトは『そうそう』と微笑む。

『君はそう言う調子の方が似合っている』

『……私もそう思うわ。ありがとう、クラフト』

しばらく仕事上で顔を合わせることがなかったということもあり、こういう時の微妙な緊張感が、二人にとってはどこかぎこちなく感じられたのだ。
『それじゃあ』とネージュが席を立とうとする。しかし、クラフトはそれを片手で引き止める。

『こうして面と向かって話すのも久しぶりなんだ。もう少しゆっくりしていけば良い』

『でも、忙しいんじゃない?』

クラフトの予定を気にするネージュ。だが、クラフトはまたも苦笑する。

『こういう時間もできれば取りたいと思っていたんだ』

ネージュとの時間なのか、それとも友人との他愛のない雑談の時間なのか。クラフトの言う『こういう時間』というのが、具体的にどういったものを指すのかは分からない。
しかし、なんとなくその意味が分からないでもなかったので、ネージュは黙って再び席についた。

『あれから五年……か』

懐かしい物を眺めるように目を細め、クラフトは窓の外を見つめる。『そうね』とネージュもまた、懐かしむように答えた。
『あれから五年』――――第一部隊長に就任してから。ネージュとの出会いから。ネオ・アルカディアの新たな救世主として注目されてから。5年もの月日が経った。
ネージュはあの時から、随分と大人の女性らしくなったものだと、クラフトには感じられた。しかし、彼女の根幹――――レプリロイドさえも慈しむ熱く優しい心は今も変わっていないようだった。
クラフトはあの時からほとんど変わっていないのだと、ネージュは感じた。レプリロイド故に、外面的な成長があるわけではないので、当然なのだが。しかし、五年前に比べれば背負った使命と、責任、それらに対する覚悟のようなものは随分と強く感じられた。

『ふと…虚しくなる時があるんだ』

不意にクラフトが零した言葉に、ネージュは問い返すように視線を向ける。

『今朝も…な。テロリストを捕えた時……銃口を奴の頬に押し付けた時……考えてしまった。いや…迷ってしまったんだ』

“同じレプリロイドとして生まれてきたハズなのに、何故こうも殺し合わなければならないのか。”その問いが彼の頭を掠めたのは、今回の唯一度だけではない。
イレギュラーを処分する時。捕える時。引き金を引く時。戦っている時。
第一部隊長として責任を負うようになってから、特に。……いや、新たな救世主として期待と羨望の目を向けられるようになってからの五年間……と言った方が正しいだろう。
目の前で対峙している、裁かれるべきレプリロイド達との差を、顕著に感じてしまうのだ。そして、そこに強い迷いと苦悩が生じる。

『“正義”というのは…どうも容易い道ではないな』

“正しいこと”をしたい。ただ、それだけだ。だが、その“正しさ”が、時に信じ切れない時がある。
己の道を、信じ切れない時がある。

『分かる…かな。なんとなく』

ネージュが口を開く。
彼女も似たようなものだった。
彼女が正しいと信じる道も、それを遮ろうとする者達が何度となく立ち塞がっている。“それは過ちだ”と声高らかに否定されることは、数えきれず、その度に迷い、悩む。

『けど…ね、クラフト。私は信じているわ』

芯の通った声に、クラフトは思わずネージュを見つめる。彼女の目は、その言葉通り、確信のようなものに満ちていた。

『あなたの道は間違っていない、誇っていいものだって』

優しく微笑んで見せる。

『きっとそんな戦いの果てに、“人間とレプリロイドが真に理解し合い、支え合う未来が来る”って』

彼女だけではない、もっと大勢の者達がレプリロイドの活躍を認め、理解し、本当のパートナーとして暮らす世界。
イレギュラー戦争が起きるよりも前の時代はそうだったと聞いたことがある。だからこそ、それは不可能ではないと思えたし、信じることができるのだ。

『だから私は記事を書き続けるわ。そんな未来を信じているから。……ううん、そんな未来に“したい”から』

今は、全ての人に理解されないかもしれない。けれど、書き続けていればきっと誰かが共感し、理解され、その想いと理想は広がるはずだ。
何より、それが本当に“正義”であるならば。必ずいつの日かそうなる筈だ。
力強い言葉に、その堂々とした宣言に、クラフトは半ば呆気にとられる。それから、困ったような笑みを浮かべて、言葉を零す。

『……君は、強いな』

ネージュは『そんな風に信じてなきゃ…やってられないわ』とはにかみながら答えた。

その表情を見つめながら、クラフトは一人考える。
“人間とレプリロイドが真に理解し合い、支え合う未来”――――本当にそんなものが来るのならば。きっとその時に、この苦悩は全て報われるのだろう。
だが正直なところ、彼にはそれを信じるだけの手掛かりも、引き寄せるための力も、どうしても考えつかなかった。
だからこそ、今、目の前でそんな言葉を強く発することができる彼女の笑顔が、晴天に輝く太陽のように、眩しく見えたのだろう。


同時に、自分の手が届かぬ、遠い空の上にいるように見えたのかもしれない。



















  ――――  2  ――――


「旦那ぁ…」とチャンの情けない音声通信が届いた瞬間、クラフトは自分の予測が的中したことを確信し、先日犯してしまった失態を強く後悔した。

ガラノフとの対面から三日が経過した。クラフトの元へチャンが知らせたのは、塵炎軍団第二十三独立遊撃隊による件の集落に対する襲撃の事実だった。
だが、その日の襲撃はいつもと違い、“紅いイレギュラー”の出現にも関わらず、塵炎軍団たちは退却をすることがなかった。――――それどころか、彼らは驚くべき暴挙に踏み切ったのである。
可及的速やかに支度を終え、ライドチェイサーを走らせる。到着すると直ぐ様降り立ち、襲撃の爪痕が残る集落の奥へと、急ぎ足で踏み込んでゆく。その表情には鬼気迫るものがあった。
クラフトを見つけたチャンが、慌てたように駆け寄ってくる。それに気づくと、クラフトは彼の肩を勢い良く掴み、怒鳴るように問い詰める。

「レイラはどうした!?」

その声に身を竦ませながら、チャンは恐る恐る「すいません」と謝罪の言葉を口にした。


三日前――――第二十三独立遊撃隊が住処としている廃工場から立ち去る際。ガラノフに勘付かせてしまった恐れがあると、クラフトは不安に思った。
“紅いイレギュラー”が現れたという情報に関しガラノフが問いかけてきた瞬間、咄嗟に『聞いていない』と答えてしまったが、よくよく考えれば不自然な話だ。
命令系統に乱れが生じている塵炎軍団、その一部隊が得られる程度の情報だと言うのに、その標的を血眼になって探している筈の自分が『聞いていない』というのは、普通ではない。それも、かの第十七精鋭部隊長であるならば尚更だ。
しかし、仮に逆の返事をしたところで、「何故、奴を放っておきながら、こんな場所へ出向いてきたのか」と訝しがられていただろう。

ガラノフは暴虐な男ではあるが、愚かではない。加えて、養成課程の頃から争っていた相手のことは互いによく理解していた。
故に、ガラノフがクラフトの不自然な応答に疑問を感じただろうということは容易に想像できたし、そこから真実に近づくかもしれないと予測できた。

クラフトはチャンに、万が一のことが起きた場合、必ず連絡をとるように念を押した。自らも、第二十三独立遊撃隊の動向に気を配った。
だが、そんなクラフトの目を警戒していたのか、ガラノフは少数の部隊を秘密裏に動かし、今回の襲撃を決行した。
そして、あろうことか、“紅いイレギュラー”――――レイラだけをターゲットに絞り、強引に連れ去っていったのだ。
目的はおそらく、これまでの妨害に対する復讐だろう。どんな仕打ちを受けるかは想像に難くない。

クラフトはチャンの肩から手を離す。そして、悔しさに顔を歪めた。それを見ていたチャンはまたしても恐る恐る謝罪する。

「すいません……旦那」

だが、クラフトは何を思ったのか、そんな彼を鋭く睨みつけ、低い声で問い返した。

「何に対してお前は謝っている…?」

その威圧感に、チャンは思わず後ずさる。明らかにクラフトの目には怒りの色が見えたのだが、その理由が、真意がわからない。
チャンが口篭ってしまうと、クラフトは周りを見渡し始めた。
集落の者達は、クラフト達の尋常ならざる現在の状況を、不安そうに見つめていた。――――いや、見つめていた“だけ”だった。
そんな彼らの様子に痺れを切らしたのか、クラフトはそこにいた全ての者に聞こえるよう、声を張り上げて怒鳴りつけた。

「あの子が連れて行かれる時も……お前たちはそんな風に、ただ見ているだけだったのか!?」

大地が震えるように、その声は集落中に響き渡った。

クラフトは赦せなかった。
己の犯してしまった失態も、事態を防げなかった無力さも。そしてまた同時に、これまでレイラに守られてきたというのに、いざ彼女が危機に瀕した時、その身を呈して護ろうともせず、我が身大事に傍観を決め込んでいた彼らのことも、赦すことが出来なかった。
あんな幼いレプリロイドがたった一人で、大勢の命を守るためにその身を危険に晒していたというのに。向こう見ずで無礼なところはあるが、あんなにも優しい少女に対して、今まで与えてくれた恩を平気で無下にしてしまえる、その神経がクラフトには信じられなかった。

一通り睨みきると、クラフトは肩を怒らせたまま身を翻す。これからすべきことはただ一つだ。
急ぎ足で歩き出す――――その瞬間、「お待ちください」と呼び止める声が聞こえた。
振り向くとそこには、集落のリーダーが進み出ていた。

「お待ちください…クラフト様……」

そう言って、怯えながら近寄る。そして半ば躊躇いがちではあったが、その場に座り込むとクラフトに向け、地面に擦りつけるようにして頭を下げた。
その光景に、クラフトだけではなく、チャンも、その場にいた誰もが言葉を失った。
リーダーは土下座の体勢のまま、腹の底から声を張り上げた。

「どうか! どうかクラフト様のお力で、あの子を助けてやってください! お願いします!」

驚きのあまり、呆気にとられるクラフト。リーダーは、そのまま頭を上げ、クラフトを見つめる。そして、尚も言葉を続ける。

「仰るとおりです。我々はあの子にこれまで守られながら、あの子が連れ去られていく所をただ見ていることしか出来ませんでした。しかし……」

不意に言葉が途切れた。
そして、まるで悔しさを堪えるように顔をしかめる。

「しかし……非常に情けない話ですが………私は恐ろしかったのです。あの軍人たちが……。我々より遥かに強い、あの者達が…恐ろしかった」

その言葉に、他の者達も同様に顔をしかめた。中には悔しさに奥歯を噛み締める者、血が滲むほど拳を強く握り締める者もいた。

その実力差を考えれば、当然の事だった。
立ち向かえば、己の命がまるでゴミ屑も同然に扱われると分かっていながら、どうしてそれができようか。
命を落すだけならばまだしも、場合によっては体中をいいように弄ばれ、利用されるかもしれないというのに。死すら生ぬるい苦境がそこにあるかもしれないというのに。
そんな相手に立ち向かおうというのは、尋常な神経ではない。

立ち竦むことしか出来なかった。怯えることしか出来なかった。逃げ隠れることしか出来なかった。
自分達を護ろうと立ち向かう少女の背中を頼りにすることしか出来なかった。
その無力さが、悔しくて仕方がなかった。

気づけば、彼だけではない、次々と集落のレプリロイド達がクラフトの前に出て、頭を下げ始めた。地を舐めるように、懇願し始めた。
「助けてくれ」「お願いします」「どうかあの子を」――――次々に願いの声が、その場を包み始めた。
しかしその声はどれも、ただ縋るわけではなく、自らの無力さを呪い、悔しさを堪えるような、悲痛な響きを含んでいた。

皆、思っていたのだ。レイラという少女がどれだけの覚悟で自分達を護り続けてくれていたのか。それに頼り続けた自分達の愚かさと、情けなさを。
だが、それでも自分たちの力ではどうにもできないことが分かっていた。故に、ただ頭を下げ、願うことしか出来なかった。

「どうかクラフト様! あの子を……レイラを助けてください!」

集落中の思いが、一つにまとまり、クラフトの胸に突き刺さった。







「とにかく……落ち着け」

次々に声を上げる者達に、クラフトはそう言って宥める。何度か言い続ける内に、声は少しずつ鎮まりはじめた。
ようやく全てが収まると、懇願の眼差しを向ける者達に向け、クラフトは呟くように答えた。

「……言われなくとも、そのつもりだ」

皆、その言葉を聞き、安堵の色を見せた。
誰の言葉を聞くより先に、クラフトは答えを既に持っていた。誰に願われることがなくとも、ガラノフの下へレイラを救いに行くつもりだった。
だが、それは決して容易いものではない。
相手は同じネオ・アルカディアの、軍の一部隊だ。下手なやり方をすれば、問題は自分の周囲にも影響を及ぼす。とは言え、策を凝らしてあまりに時間が経ってしまえば、取り返しのつかないことに成りかねない。

ならば、どうするか。
賢将や元老院へ、塵炎軍団の風紀の乱れを報告したとしてもそれほどの効果はないし、レイラがそれで救えるとは思えない。そもそも、外のレプリロイドを救うという時点で協力者を得ようとは考えない方がいい。
そうして考えたところで、彼に浮かぶのはただ一つ――――正面から出向いての交渉、それだけしかできない。

「お前たちはここで待っていろ。チャン。もしものことがあれば、直ぐに知らせるんだ」

心の中で「やるしかない」と気を引き締め、振り返る。そして、急ぎ足で集落を出ると、ライドチェイサーに跨った。
チャン達が見送る中、クラフトはアクセルを回し、最高速でその場を後にする。

――――レイラ……

先日出会った少女のことを思い浮かべると、手遅れにならないことだけを、只管に願い続けた。
































  ―――― * * * ――――


研究所から被験体が逃げ出したという話を聞いた。
彼の上司である人間の研究者が進めていた計画で、その逃げ出した被験者は、研究所内に多くの犠牲者を出しながらそのまま行方をくらませたそうだ。
あとに残ったのは死体や残骸の処理と、事件の責任追及であった。
大きな問題があった。それは、そのプロジェクトが外部に持ち出すことを堅く禁じられた極秘プロジェクトであったという事実だ。
その計画のコンセプトは“ネオ・アルカディアの守護者として相応の力量と高潔さを併せ持つ戦士の生産”という大層でありながら、大変内容が想像し難いものであった。その詳細は一切外部に公開されることはなく、その一部に携わった彼にさえも詳しい説明をされることはなかった。
その機密性――――場合によっては国家の威信に関わる問題への発展性を含むことから、責任は重大であり、ユグドラシルからの追放は間違いない。それどころかメガロポリス、果てはアースガルズに留まることすら赦されないだろう。
彼の上司は恐れた。戦略研究所でも一定の地位を築き、元老院議員として議会に招集される身分にまで登りつめたというのに。たかだか一つの失態で、その椅子どころか、これまで守り続けてきた財と地位の一切を失ってしまうかもしれない瀬戸際に立たされたのだ。留まるために、手を選ぶことは出来なかった。





    『は…?』




最初に口を衝いて出たのは、間抜けのような、疑問符付きの一言だった。
その詳細を知らされてすらいないというのに、監督不行き届きの責任を着せられ、裁かれることになった。
状況が呑み込めないまま、事態は彼を置いて疾走する。
裁判が開かれ、彼の上司は弁護人として一言二言口添えをし、そのまま翌日には有罪が決まった。戦略研究所第四室主任職の剥奪とユグドラシル並びにアースガルズ区域からの全面追放。
事件から三日で、彼はそれまで積み上げてきた全てを失った。

ユグドラシルの聖殿、その廊下で救世主に訴えを叫び、少女と出会い、それから五年が過ぎた――――


気紛れからか、才能を認められたからか。彼は“おじいさま”の下に匿われてきた。

『ネオ・アルカディアと戦いましょう』

驚きを隠せない少女の瞳を真っ直ぐに見つめながら、彼はきっぱりとそう言い切った。

『今のネオ・アルカディアをこのままにしておく訳にはいきません』

レプリロイド達は今もなお、不当な罪で裁かれ、その命を脅かされ続けている。奴隷のような毎日に苦しむ者達がいる。
特に、ここ二年程の状況は百数十年の歴史の中でも群を抜いている。イレギュラー処分率は過去最高となり、レプリロイド達の待遇は悪化してゆく一方だ。

『でも……』

渋る彼女の手を取り、彼は言い聞かせる。

『シエルさん、私と共にネオ・アルカディアを出ましょう』

















  ――――  3  ――――


扉を開けて最初に目に入ったのは、モニターに大きく映しだされたあの男の顔だった。

「どうしたの、エルピス?」

部屋に入ったものの、扉の前でじっと立ったまま、ゼロの顔を睨みつけるエルピス。その雰囲気はいつもの気品ある様子とはだいぶ違っていた。
その威圧感と普段とは明らかに異質な感じに、ゼロは何か察したのか「また後でな」と通信を切った。

「……何か用事?」

シエルが問いかけても、答えてはくれない。憤りのような色を顔に浮かべたまま、エルピスはそこに立ち尽くしていた。
暫くの沈黙の後に、シエルは再度、「エルピス?」と名前を呼ぶ。
すると突然、エルピスは肩を怒らせる様にして、シエルの目と鼻の先まで近寄る。そして、後ろの卓に叩きつけるようにして片手を置いた。その迫力に、シエルは跳び上がりそうになった。

「エル……ピス…?」

次にその顔を見た時、エルピスの顔はどこか苦しんでいるように見えた。

「シエルさん……。あなたは……私が…」

「ぐっ」と奥歯を噛み締め、言葉を飲み込む。そして、吐き出すように問いただす。

「あなたには…私とあの男とどちらが大切なのですか!?」

「……え?」

唐突過ぎる問いに、思考が追いつかない。状況がつかめない。
だが、エルピスの言葉は更に続く。

「私は…必要ではありませんか!? あの男さえいれば…それですべて事足りますか!?」

猛烈な勢いで迫り、「答えてください」と問い詰めるエルピス。シエルが落ち着くよう宥める声も掻き消されてしまう。
そしてとうとうエルピスの勢いに押し負けたシエルは、バランスを崩して椅子から転げ落ちた。小さく「キャッ」と声を上げると、エルピスもそれでようやく我に返った。

「い…たぁ……」

「…………すいません」

それから自分のしてしまったことを思い返す。なんという醜態を晒してしまったのか。
どうしていいか分からず、エルピスはその場で右往左往する。そして、「失礼しました」と逃げるように背を向けた。

「待って!」

シエルの呼び声に、扉のロックを解除しようとしたエルピスの手が止まる。

「……ごめんなさい。手をとってくれる?」

座り込んだまま、シエルは片手を伸ばし、そう言った。
エルピスは何度か躊躇った後、シエルの方へと戻り、手を取る。そのまま引き上げ、立ち上がらせる。
「それでは」と再び立ち去ろうとする。しかし、シエルはその手を離さなかった。そしてまた、もう片方の手を被せた。
呆気にとられるエルピス。その手はいつかと同じように、温もりに包まれた。

「シエル……さん…?」

「覚えてる?ゼロが傷ついた時のこと」

数カ月前、まだゼロがこの基地を拠点としていた頃。旧黄金の鷲基地でアヌビステップ・ネクロマンセス率いる死屍軍団との戦いの中、瀕死の重傷を負い、文字通り、三日三晩目覚めなかった時のこと。
エルピスは「ハッ」と想い出す。そういえば、あの時も同じ問いをした。

『そんなにその男が大切ですか?』

気づけば、シエルは微笑を浮かべていた。エルピスの手を優しく撫でるように包みながら。

「大切だよ…ゼロも」

ポツリと呟くように答える。

「だけど、エルピスのことも大切。……ううん、アルエットもセルヴォもドワさんも、ルージュやジョーヌも…みんな、大切だよ」

あの日と、何ら変わることのない答え。だがあの日と違い、その頬に涙は流れていない。

「私にとっては、ここにいるみんなが大切で、みんなが必要なの」

その微笑みは、優しさと慈しみに溢れていた。

「だから…ね、エルピス。そんな事聞かないで」

「……シエルさん」

先程までの迫力は影を潜め、潮らしい表情を見せるエルピス。「大丈夫よ」と、シエルは笑ってみせた。

「他のみんなも必ず分かってくれるわ。エルピスが私達には必要なんだ…って」

ここ最近、エルピスについてとやかく言う者達が団内に増え、そのストレスが彼を追い詰めているのだろうと、シエルは悟っていた。
励ましの言葉を掛け、固く握手をする。

「お願い、エルピス。これからもあなたの力を貸して」

彼に期待を寄せる蒼い瞳に真っ直ぐ見つめられ、エルピスはただ「ありがとうございます」と小さな声で礼を述べた。

それから別れを告げ、シエルの部屋を出る。
自室へと向かう廊下を歩きながら、エルピスは尚もぐるぐると考え込んだ。

それは、既に知っている通りの答えだった。
彼女がそう答えることを――――ここにいる誰もを等しく大切に思っていることを、エルピスはよく理解していた。このように強引に問い詰める必要もないほどに、分かりきったことだった。
しかし残念ながら、その答えはエルピスが求めたものでは決して無かったのだ。

「シエルさん……あなたは………」

あの場で、決して言うまいと、無理やり飲み込んだ一言が喉元で燻っているのが分かる。
煮え切れないものを抱え、途中で零れてしまうことのないよう注意しながら、自室へと急ぎ足で戻った。
































  ――――  4  ――――


乱暴に身を投げられ、「ぅあっ」と声が漏れる。
縛り付けられた手足をもぞもぞと動かしながら顔を上げると、厳つい顔をした大柄なレプリロイドが自分の方に近づいてくるのが分かった。彼はそのまま、彼女の前髪を鷲掴み、無理やり顔を上げさせる。
思わずまたしても呻き声が漏れる。

「なかなかいい声で啼くじゃねえか。なあ、“紅いイレギュラー”さんよぉ」

「う…うっさい! 離せ!」

「おらよ」と声を荒げ、地面に叩きつけるように手を離す。すると、彼女の頬に鈍痛が走り、一瞬息が止まる。
男――――ガラノフはじろじろとその風貌を眺めながら、口端を歪める。

「流れる金髪に、真紅のコート……まさかこんな手に引っかかるとは。なあ、サイモン」

そう言って、彼女の身をここまで運んできた男――――サイモンに視線を移す。
サイモンは引きつったような笑みを浮かべながら、そこに倒れている“紅いイレギュラー”の腰のあたりを蹴飛ばした。

「全く、ふざけたガキだぜ! このイレギュラーがぁ!」

二度、三度蹴飛ばすと、他の隊員たちがサイモンを抑えた。
“紅いイレギュラー”は蹴られる度に悲痛な呻き声をあげ、呼吸は荒くなっていった。
尚も“紅いイレギュラー”に乱暴を加えようとするサイモンに「落ち着け」と仲間たちが呼び止める。これまでの鬱憤と怒りが溜まっているせいか、更に“紅いイレギュラー”を痛めつけようと、不気味に引きつった笑みを浮かべながらその手を振りほどこうとしていた。

「落ち着け、サイモン。テメエは愉しむって事をよく分かってねえなぁ」

ガラノフがやれやれと肩を竦め、“紅いイレギュラー”に手を伸ばす。そして、恐怖のせいか小刻みに震える彼女のコートに手をかけ、力づくでその生地を毟りとった。
脇の辺りに激しくコートが食い込み、その痛みに思わず“紅いイレギュラー”は叫び声を上げた。壮絶な光景に、サイモンも、それを傍観し楽しんでいた者達も皆、言葉を失う。
ガラノフは口端を醜く歪めながら、痛みに喚き続ける少女の体から着衣を剥ぎとっていった。

「ほれ見ろ。ガキだが、愉しむには申し分ねえ身体つきじゃねえか」

露わになった白い肌を舐めるように眺め、ガラノフは感心したように言う。
実際、サラリと覆う金髪の輝きも相まって、少女の艶やかな肌とその腰つきは、その場にいた誰もが予想していた以上に蠱惑的だった。
少女は小さな声で何度も「やめろ」と口にするが、誰もその声を聞いてはいなかった。
顎をガラノフが持ち上げ、顔を向けさせる。少女の顔は、目の前の敵を睨みつけてはいるものの、恐怖に怯えていた。

「いいかい、嬢ちゃん。自分のやってきたことが分かってんだろ? これからその報いを受けるのさ」

殊更嫌らしい笑みを浮かべ、ガラノフはそう言い聞かせる。少女を激しい悪寒が襲った。

「俺の部下どもも、いろいろ溜まりに溜まっててなぁ。上司である俺としてはその欲求不満を解消してやる義務もあるってわけよ」

じりじりとその時を待ち焦がれ、サイモン達は疼く身体を必死に抑えた。

「それでだ、嬢ちゃん。これまでの全てをチャラにする代わりに、一つ協力ってことで、ここにいる全員に犯されちゃあくれないか? なに、簡単なことさ。国にいた頃と何ら変わりねえ、性処理玩具になってくれりゃいいだけの話よ。人間よりもちょいとタフな連中が相手だが……まあ、イキまくって頭がぶっ飛ぶだけさ。大したことはねえよ」

そう言って後方に打ち棄てられた女性レプリロイドたちの方を親指で示す。廃人同然に、意思を失い、壊れた人形のようになってしまった彼女達を視界に入れ、少女は全てを理解する。
そして、劈くような悲鳴を上げ、身を何度も捩らせた。縛られた手足をジタバタと動かすが、どうにかなる気配はない。
その様子を見て、皆、ガラノフ同様、下卑た笑みを浮かべた。

「サイモン、まずはテメエにヤらせてやるよ。これまでの分、きっちり返してやんな。口はどうする?」

「ありがとうございやす、隊長。そのままで大丈夫っす。喚いてもらった方が気分が乗るんでね」

サイモンはそう言って近づくと、少女の肩を掴み、無理やり仰向きに反転させた。

「やめろ! 来るな! 来るな! ゲス野郎!!」

「ヒャハッ……本当にいい声で啼きやがるぜ」

暴れる少女の体を押さえつけると、足を持ち上げる。そして、擬似的に取り付けられた己の一物を取り出そうと腰に手をかけた。

「死ね! バカ! 死ね! 死んじまえよ! やめろ! ……やめろぉぉおーーーーーっ!!」

少女は一際大きな叫び声を上げた。













「 ガ ラ ノ フ !! 」










地鳴りのように響く怒声に、皆、ビクリと体を震わせる。
今にも少女の身体を犯そうとしていたサイモンも、その動きを止める。ガラノフはその声の主を睨んだ。

「……クラフトか」

「貴様……何をしている……」

その凄惨な状況を目の当たりにし、クラフトは昂ぶる怒りを必死で抑えながら、慎重に尋ねた。
だが、ガラノフはそんなクラフトの様子を小馬鹿にしたように、嘲笑を返した。

「『何をしている』? ……前に言った通りさ」

少女に覆いかぶさろうとしていたサイモンの身体を片手でどける。今にも陵辱されようとしていた少女の姿をクラフトに晒す。少女の顔は恐怖に青ざめていた。

「弱ぇ奴から“奪い”、強者である俺達が“欲を満たそうとしていた”。ただそれだけだ」

「…ふざけるのも大概にしろ……」

静かに怒気を含ませながら、クラフトはガラノフを睨みつける。

「ふざけてなんかいないぜ? 俺達は大マジさ。なあ、クラフト。それともテメエも加わるか?」

「ふ ざ け る な と 言 っ て い る !!」

怒鳴り声に、ガラノフの部下達は思わず後ずさる。だが、当のガラノフ本人は全く動じる気配を見せない。それどころか反抗心を瞳に燃え上がらせる。

「『行動を改めろ』と伝えたはずだ。でなければ貴様を――――」

「『処分する』か? ふざけてるのはテメエの方だぜ、クラフト」

そう言うと、殊更威圧感をむき出しにし、クラフトを睨みつけた。その尋常ならざる雰囲気に、部下達はまたしても後ずさる。

「できもしねえことをそうそう容易く口にするんじゃあねえよ。救世主ってのはホラ吹きでもなれんのか?」

「………その子に……レイラに罪はない」

先日同様、言い返すことのできないクラフトは、悔しさに憤りながら、要求を伝える。気づけば懇願するような目でレイラがこちらを見つめていた。

「レイラを解放しろ。今すぐに」

「できねえ相談だなあ」

そう言うと、今度は一変、ガラノフは豪勢な高笑いを上げた。

「滑稽だぜぇ、クラフト。何も知らない糞野郎が手前勝手な口上垂れる様を眺めるってのはよぉ」

「……どういうことだ?」

クラフトは眉を潜める。すると、今度はガラノフの部下達までニヤニヤと嫌らしく口端を歪めはじめた。
その異様な雰囲気に、クラフトは焦りを感じ、またしても「どういうことだ」と声を荒げて問い直す。

「残念だけどなぁ…クラフト。罪なら有るのさ」

「……!?」

クラフトは驚き、戸惑いの色を思わず見せてしまった。動揺を抑えきれない彼の様子に、ガラノフは自信ありげに語る。

「分かるぜ。いちいち外の奴まで確認しねえもんな。けどよ…ハンターのデータベースにはしっかりとこのガキの事件は記録されてるぜ」

彼女のDNAデータから、国内での居住場所、飼い主等、あらゆる情報を割り出し、ガラノフは一年前に起きた事件に行き着いた。状況証拠からではあるが、紛れも無く彼女が犯したであろう犯罪の事実を掴んだ。ガラノフは少し勿体ぶってから、ゆっくりと、そしてはっきりと口にする。

「こいつはなあ、殺しちまったのさ。人間を」

その瞬間、クラフトは言葉を失った。受け入れがたい真実に衝突し、理解が追いつかない。いや、認めたくなかった。そんな風に呆然とする様子を眺めながら、ガラノフは言葉を言い換え、再びクラフトに真実を告げた。更に端的に、分かり易い言葉を選んで。




「このガキは、人殺しなんだよ」































  ―――― * * * ――――


ネオ・アルカディア、アースガルズ第三エリア。少女はその中でもレプリロイドの風当たりが強くない地域に住む、ある人間の屋敷に飼われていた。
当初はその人間の息子の遊び相手という名目だった。楽ではなかったが、それほど酷い仕打ちを受けることもなく、ある程度平穏に暮らしていたのだが、数ヶ月ほど経過した頃、事件が起きた。

その家の亭主が、酒の勢いに任せたのか、彼女に乱暴をしようと迫った。少女は必死に拒絶しようとしたが、相手がレプリロイドであることをいいことに、男は殴る蹴るの暴力に訴え、少女を組み敷こうとした。
衣類も全て剥ぎ取られ、いよいよ…となった時、少女は無我夢中で男の腕を振りほどき、傍にあった鈍器に手を伸ばし、勢い良く男の頭部を殴りつけた。

気づけば部屋の中には血溜まりができていた。



少女は逃亡。苦心の末、偶然にも、とあるレジスタンス組織の構成員と接触し、国を抜けた。
それからいくつかの集落とレジスタンス組織を転々とした。
ネオ・アルカディアの襲撃を幾度も経験し、その度に命からがら逃げ果せた。

だが、共に暮らしていた仲間たちは、虚しいほど簡単に死んでいった。
先日まですぐ横で笑っていたものの頭部が、次の日には呆気無く砂塵に変えられた。
その日戦いに赴いた者達が、ついに帰ってくることは無かった。
そんな日々を過ごす内に、少女の中に沸々と志が湧いてきた。

そして煮え切らない意志を抱えながらある集落に留まり、暫く経った頃。
“紅いイレギュラー”の噂が聞こえてきた。








――――  5  ――――


ガラノフが合図をすると、後方で控えていたパンテオン達が銃口をクラフトに向けた。そして、躊躇いがちな部下達を尻目に、ガラノフは片手で指示を送った。
たちまち、銃声が鳴り響き、クラフトの身体に数十発のエネルギー弾が撃ち込まれる。それを見ていた部下達はガラノフに「いいんですか」と慌てて視線で問いかけた。
だが、ガラノフは悪びれる様子もなく、「構わねえよ」と言ってのける。

「生憎、“紅いイレギュラー”もいることだ。こいつを処分したところで、俺達が罪をおっかぶる必要は無ぇ」

その眼は虚勢でも、冗談でも無く、真剣そのものであった。
たとえイレギュラーハンター第十七精鋭部隊長が相手だろうと、自身の邪魔をする者は決して許しはしない。無論、座右の銘である弱肉強食の範囲に基づいてのことだが。
一見狂気じみたガラノフのあり方に、彼の部下達は恐れを感じるよりも、カリスマ性を感じ、惹かれていた。それ故に、皆、彼の命には逆らわないのだ。
そして、ガラノフの指示を受けるまま、それぞれその場を離れ、武器を手にして戻ってきた。ここでクラフトを抹殺してしまおうと判断したのだ。

激痛に膝をつくクラフト。だが、銃撃を受けた痛み以上に、彼の心を覆う影は大きかった。

「……本当……なのか…」

震える声で問いかける。ガラノフは一層悦びに顔をひきつらせた。
レイラは否定の言葉を返すことができず、黙りこむ。しかし、その瞳は真実を語っていた。それを見て取ったクラフトは、言いようのない失望感に苛まれた。

「違う! 殺そうと思ったんじゃない! オレは…ただ!」

咄嗟にレイラは言い訳を口にする。だが、ガラノフは鼻で嘲笑う。

「理由や状況はどうあれ、テメエは人間を殺した。そして、それをイレギュラーハンターであるアイツは赦すことができねえ」

「なあ、そうだろ」とクラフトに問いかける。返事はなかったが、その表情で全てがわかった。

“人間に危害を加えるべからず”
それはレプリロイドとして最低限の行動指針だ。いったいどの様な仕打ちを受けようとこれは護らねばならず、遵守しなければならない法だ。
そして、これを破った者を処分するのがイレギュラーハンターの仕事であり、義務だ。
例え人間に乱暴を加えられたレプリロイドであったとしても狩らねばならない。もしもそれを赦してしまうならば、レプリロイド達の反乱を赦したも同然だ。

だが、そう言ったルール以前に、クラフトという一人のレプリロイドは“人間を守る”ということに対し、強い信念を持っていた。誇りを持っていた。
それ故に、今、目の前の少女を救いたい感情との狭間に立たされ、選択を迫られた。決して決めることのできない選択を。
それはクラフトにとって最大の障害だった。

「結局テメエは現実を受け入れようとしてねえんだよ」

ガラノフが更なる追い打ちをかける。
レイラの頭を鷲掴み、身体を持ち上げた。レイラは呻き声のような悲鳴を上げる。

「所詮この世は弱肉強食。力のある者が正しい。俺の言った通りだろう? このガキも一緒さ。暴力と言う名の“力”で、弱い人間をぶち殺した」

その声が重く響く。

「そして、権力という“力”に居場所を追われ、今こうして再び暴力と言う“力”の前で為す術なく叫び続けている。なあ、クラフト。認めちまえよ」

同じ道へと引き摺りこむような、囁くような声でガラノフがそう告げる。

「それでも…俺は……」

クラフトが何かを言いかけた瞬間、ガラノフはレイラの身体を投げ捨て、傍にあった自分のライフルに手をかけた。そして銃口をクラフトへと向け、引き金を引いた。
マントのビームコーティングがその威力を減退させるが、その痛みは尋常ではなかった。鈍い痛みを抑えるように、クラフトはうずくまる。

「いい加減に認めちまえよ、クラフト! テメエが選んだのはそう言う道なんだよ!」

ガラノフの怒りが、堰を切って溢れ出す。

「正義!? 使命!? 名誉!? 弱い人間を守る!? 悪を挫く!? 違う! 違う 違 う !! 俺達が立ってる場所はそんな“理想郷”じゃあ無ぇだろう!」

クソったれのルールに縛られた泥沼の世界だ。
抜け出したい思いが無いわけではない。逆らいたい思いが無いわけではない。だが、そこで生きていくためにはそのルールに従う外はない。
弱肉強食――――弱者は強者の肉となり食される。それがこの世の原理だ。
どれだけ足掻こうと、もがこうと、レプリロイドという弱者は、人間という強者に逆らうことはできない。それを受け入れるしか無い。

「イレギュラーハンターの道を貫くなら尚更だ!知っていた筈だろうそのくらい!! “その摂理に倣って生きるしか無ぇ”ってことくらい、分かるだろうが!」

イレギュラーハンター――――レプリロイドにとっての警察組織。現ネオ・アルカディアにおいて国内の治安維持活動組織として最強の部隊。人類の盾。
それはつまり、如何に残虐な人間の命であれ護らなければならない義務を負っている。その為ならばどれだけ同胞を処分することになろうとも決して厭わないことを誓っている。

それでも尚、クラフトはガラノフの道を拒絶しようとした。
それでも尚、クラフトは人間を護りたいと願った。
それでも尚、クラフトは今、目の前の少女を救いたいと願った。
それでも尚、クラフトはイレギュラーハンターの道を貫きたいと思った。
それでも尚、クラフトは罪を犯したレプリロイドを救いたいと思った。

その矛盾が、在り方が、ガラノフは何よりも嫌いだった。

「テメエは昔からそうだ! 『正義だ』『使命だ』と人間の言いなりになりやがるクセに、頭じゃ現実を認めずにズレたことばかり考えやがる! 綺麗事ばかり叫びやがる! それが苛つくんだよ! ムカツクんだよぉ!」

殊更声を荒げ、ガラノフは怒気を含ませて叫んだ。

「『それでも…俺は……』!? なんだ!? 『救いたい』か!? ふざけるなよ! 理想を吠えてばかりで救える世界じゃあ無ぇだろうが! いい加減に認めやがれ、クラフトぉ!!」

再び引き金が引かれる。放たれたエネルギー弾は、クラフトのヘッドギアに直撃し、弾き飛ばした。
皆、言葉を失い、クラフトを見つめた。幸い、頭部を貫通してはいなかったが、クラフトは虚ろな目で、地面を見つめていた。額からは血が流れていた。

『理想を吠えてばかりで救える世界じゃあ無ぇ』――――先程、ガラノフが口にした言葉が脳裏に反響する。そういえば以前、自分も似たような事を言った。

ボレアスの山内。あのポーラー・カムベアスと向き合った時だ。

『第十七部隊? …救世主の後継者? ……聞いで呆れる! ごの雪山を見で……純白の世界を目に焼き付けで……何も思わながっだのか!?』
『今やるべきごとは、ごんなごとなのか! 違うだろう!!』

掲げたい理想がないわけではない。命を奪わないまま平和を勝ち取れたなら、それに越したことはない。
しかし現実に、平和を乱そうとする輩は後を絶たない。時に己の利益のために、生存のために、信念のために…………世界に国家がたった一つとなった今でさえ、心が完全に一つになってはくれない以上、争いは大なり小なり、必ず生まれてしまう。
そこでクラフトは戦うことを誓った。人間のために。か弱く尊い命のために。

しかし、それでもまた、今目の前で弄ばれようとしている同胞の命を救いたいと思った。

ガラノフの言う通り、クラフトもまた理想を求めようとしていた。
この手を差し伸べられる誰もを救いたいと願っていた。
しかし、どこかで割り切らねばならないことが分かっていた。
しかし、それでも捨てきれぬ理想があった。

――――だから俺は……

あの時、酷くやり切れない想いが胸を駆け巡ったのはそのためか。
そんな風に迷い、悩む自分に、カムベアスは『理想を掴め』と声を張り上げた。そしてそこに踏み出せない自分を知っているからこそ、クラフトはあの時、声を荒げて怒鳴り返したのだ。

『理想だけを吠えたところで、救える世界ではない!』

――――違う……

ガラノフと自分を重ね、カムベアスの幻影を見つめる。そして――――

「……ネージュ…」

彼女の名が頭をよぎった。

『だから私は記事を書き続けるわ。そんな未来を信じているから。……ううん、そんな未来に“したい”から』

あの日の言葉が心の奥底で木霊した。あの日、どうして彼女があんなにも遠くに見えたのか、ようやく分かった。

「違う……」

クラフトが呟いた言葉が聞き取れず、ガラノフは思わず耳を澄ます。

「違う……そうじゃない……」

カムベアスも、ネージュも、ただ理想を吠えていただけではない。
それを求め、掴むための道を選び、進んでいた。

「彼女が…強かったわけじゃない……」

あの日、カムベアスへと怒鳴り返した言葉はただの言い訳だ。

きっと分かっていた。
ただ理想を掴めないのではない。
求めないのではない。欲しないのではない。
望まないのではない。願わないのではない。
理想を吠え、叫び、それでも追いかけない理由。それは単純だ。



「俺が弱かったのか………」



口にし、言葉にし、それでも目を背けていた。
ガラノフの言う通り、理想を吠えるだけで、心の底では諦めていた。
掴めないものだと蓋をして、遠ざけようとしては結局捨てきれぬまま抱えて。堂々巡りを続けていたのだ。

様子を訝しむガラノフ達の目も気にする事無く、クラフトはただ考える。

――――ならば、どうする……?

そんな弱い自分がどうすればここから這い上がれる?
どうすれば理想を求められる?追いかけられる?声高らかに叫び、真っ直ぐに手を伸ばすことができる?


思わず懐に手を入れる。すると、答えは直ぐに見つかった。













    『そんな風に信じてなきゃ…やってられないわ』













「認めよう、ガラノフ。……確かにお前の言う通り、この世界は“弱肉強食”なのだろう」

よろけながらも立ち上がり、そう言いながらクラフトは真っ直ぐにガラノフを見つめた。
暴力であれ、権力であれ、力を持った強者により、この世界は動かされている。そして、弱者はその力に振り回され、時に犠牲となってしまう。それは変えられない摂理だ。
その中で一人、迷い続けていた。同胞を手にかけ続けることに疑問を持ちながらも、“人間を護る”という使命を盾に、いつしか諦めるようになっていた。目指したい世界が本当はあるというのに、目を背けようとしていた。真に信じたいと願っていた正義を、裏切ろうとしていた。

「だが……それでも俺は、護りたい。力の無い者達を。虐げられても尚、生きたいと願う者達を。人間だけでなく、レプリロイドでさえも。……その力がある限り」

今こそ、その正義を貫きたい。いや、きっと貫いてみせる。これから先は。
“彼女”が理想を求めて、この世界に抗うように。自分もそんな茨の道に、足を踏み入れる覚悟を決めたのだ。

「…俺は……もう迷わん」

ランチャーを解放し、銃口をガラノフに向けて、声高らかに宣言する。

「ガラノフ! 貴様らがこれまで行なってきた数々の蛮行は、同じネオ・アルカディアの同胞として赦し難き罪悪だ! 故に、イレギュラーハンター第十七精鋭部隊長クラフトの名において、貴様らを粛清する!」

迷いを吹っ切った眼と声色に、ガラノフ達は驚き、戸惑う。この短時間に彼の中で何が起こったのかはわからない。ただ一つ、分かっているのは、ここにいる第二十三独立遊撃隊と、たった一人で一戦交えようと腹を括ったということだけだ。「テメエ本気か!」とガラノフは思わず叫ぶ。

「俺は前に進む。それだけだ」

クラフトは短く鋭い声で返すと、ランチャーの引き金を振り絞った。






























  ―――― * * * ――――


方々から呻き声が聞こえる。死屍累々といって良いような状況である。しかし、それにも関わらず、驚くべきことに、死人はいなかった。皆生きたまま、傷の痛みに呻いていた。

「…テメ……エ…………クラ……フ…ト……」

名を呼ぶガラノフに目もくれず、傷ついた身体のまま、クラフトはレイラの傍へと歩み寄った。
しかし、レイラはあからさまに怯えてみせた。

「…く…来るな…」

それは決して、先程クラフトが見せつけたメガビームスウィープの、脅威的な閃光を目の当たりにしたせいではない。
過去のトラウマ。加えて、つい先程襲われようとしていた現実。そしてまた、イレギュラーハンターとしてのクラフトに対し、己の罪状が割れてしまったこと等への恐怖が入り乱れていた。

「近寄るな………ぁッ!」

おもむろに腰を降ろすと、クラフトは自分のマントで包むようにしてレイラの体を抱き寄せた。
レイラはクラフトの腕の中で「バカ! やめろ! 離せ!」と何度も喚き、もがく。しかし、しばらくすると次第にその勢いは収まる。
冷たい筈のプロテクター。その内側から感じられる熱が、優しく感じられた。

「もう…大丈夫だ……」

そうクラフトが告げると、レイラは瞳を閉じて柔らかく微笑んだ。

「…………あったかい…」

それは初めて感じる、優しい温もりだった。








  ――――  6  ――――


自室に戻ると、壁を勢い良く殴りつけた。
只の憂さ晴らし以外の何物でもなかったが、それでもエルピスの心は晴れない。

――――クソ……クソ………クソ……!

求めたのは何だったのか。
望んだのは何だったのか。
願ったのは何だったのか。

不意に、壁に突き立てた腕が視界に映る。その白い袖が、異様に腹立たしく感じられた。

そして、マントを脱ぎ去り、その場に投げ捨てた。まるで怒りをぶつけるかのように。乱暴に足蹴にする。
それから呼吸を整える。

「……どうして…私は…………」

今になって思う。どうしてこの色を選んだのだろう。
どうしてこの道を選んだのだろう。どうしてこの戦いを進もうと決意したのだろう。
どうしてこの想いを捨てきれないのだろう。どうして。どうして――――………‥

全てはそのマントが物語っているような気がした。

分かっている。
憧れだったのだ。羨んでいたのだ。模倣したかっただけだ。
あの救世主の傍に侍る、権力者達の威光を、いつか我が手にとくだらない野心を持っていただけだ。

『真っ白な優しい世界へ羽ばたける真っ白な翼』――――そんな口上も、只の見栄だった。
現に、今自分はこの“白”によって縛り付けられているような気がした。過去に、感情に、幻想に。

だからきっと、あの少女への想いも捨てられないのだ。あの日から大事に温めてきた想いを。
この色への憎しみと憧れと共に。

「…………クッソォ!」

再びマントを拾い上げ、乱暴に投げ捨てる。
そして、マントが地についた頃、ようやく気づく。扉が開き、そこに一人の女性が立っていたことに。

「…あ……」

「っッ!」

そこに立っていたのはオペレーターのルージュだった。
我に返ったエルピスは、途端に顔を酷く赤くしながら、なんとか表情を取り繕おうとした。

「な…なんですか、ルージュさん。何か用があるならばノックくらいは必ずしていただけないと……困ります」

その様子に、ルージュは少し唖然とした後、あくまでも冷静に答える。

「申し訳ありません。何度かしたのですが返事がなかったもので。ロックもかかっていらっしゃらなかったものですから……」

「そ……そうですか……」

相手がルージュでよかったかもしれない。万が一にもジョーヌのように口が軽い者であったなら、“エルピス乱心”の噂は団内に忽ち広まっていることだろう。
とは言え、醜態を晒してしまったことは確かだ。「オホン」と咳払いをして、恐る恐る口添えをする。

「……先程のは……他の方には」

「大丈夫です。ご心配なさらずに」

そう言うと、ルージュは本当に気にも留めていない様子で部屋へと足を踏み入れた。
かと思いきや、エルピスが投げ捨てたマントの下へと近寄り、手にしていた電子ボードを脇に抱え、優しく拾い上げた。
エルピスは思わず上ずった声で言う。

「そ……それは放っておいてください。それで…用件は……――――」

「ネオ・アルカディアの救世主は“蒼の救世主”」

不意に、ルージュの言葉が遮る。エルピスは「え?」と首を傾げ、黙る。

「私達のもとに現れた英雄は“紅の破壊神”」

“彼”のことを差す言葉に思わず、エルピスは顔をしかめる。
だが、ルージュは言葉を続けながら振り返った。

「蒼と紅――――………面白いものです。それらの色が二人のパーソナルカラーであることは、誰もが認める事実。その二色を聞いて、眼にして、彼らを連想しない者はいない程……」

「何が言いたい」と訝しむような目で見つめるエルピス。そんな彼に対し、ルージュはめったに見せない表情をして見せた。
思わず、エルピスも唖然として言葉を失う。そしてまた、ルージュは言葉を続ける。

「しかし、私は思います。我々の誰もが皆、自分の色を持ち、それに従い生きているのだと。ですが、時に濁らせ、時に変色し、偶に別の色に憧れてしまうこともあります」

そう言って、持ち上げたマントに視線を移す。
それから、真っ直ぐに歩み寄り、エルピスに差し出す。

「それでもまたいつか、自分の色を知る時が来る筈です」

エルピスは、差し出されたマントをじっと見つめる。

「私はそれでいいと思います。今はまだ自分の色を知らずとも、見つけられずとも、歩みを続ける内にきっといつか手に入れられるものだと……そういうものだと信じていますから」

その微笑みは、これまで一度も見たことのない、けれど正真正銘彼女の素顔だった。
呆気にとられるエルピス。それからしばらくして、「フッ」と笑みを浮かべ、マントを受け取った。

「……わざわざ拾って頂き、ありがとうございます」

「いえ、問題ありません。それより、この解析データなのですが……――――……‥‥」

仕事の顔に戻り、電子ボードを覗き込む。釣られてエルピスもまた、そこに示された情報に目を遣った。


白いマントに袖を通して。



















  ―――― * * * ――――


必要とされたかった。
いくつかの集落を移り住み、レジスタンス組織に参加し、過ごした一年間。
しかし、いつでも感じたのは無力で護られてばかりの自分。だから、自分もどうか誰かの役に立ちたいと、誰かを護ってみたいと思ったのだ。本当にそれだけが理由だった。

そうして分かったのは、自分にはそれが出来るだけの力がないということ。誰かを護る力も、役に立つ力も持ちあわせてはいなかった。
だが、それは決して悪いことではない。力が無いことが悪いわけではない。というか、良し悪しを述べるべき問題ではない。


自分の弱さ、欠点、反省点、失敗、過ち――――あらゆる過去を認め、これからをどう生きてゆくかの方が遥かに大切だと、彼は教えてくれた。





「有益な協力者がいるとして、この集落を第十七部隊の保護下に申請した」

クラフトはそう伝える。

「万が一何かが起こった時はこの通信機を使ってくれ。俺が離れている時でも、近くにいる隊員が直ぐに駆けつける筈だ」

そう言って、支給された通信機をレイラに手渡した。レイラの後方では集落のメンバーが並んでクラフトを見送りに来ていた。

「やっぱり…行っちゃうの?」

「紅いイレギュラーを倒す。その使命だけは変わらない」

そう言って、自分の胸に手を当てる。それからレイラの頭をくしゃくしゃと撫でた。

「そんな顔をするな。今生の別れじゃあない」

あれから二日――――短い付き合いではあったが、レイラも、集落に住むみんなも、クラフトと打ち解けることができた。だが、クラフトは新たに立てた誓いを遂げるためにも、ここで別れを告げなければならない。長く留まる訳にはいかない。
クラフトは真剣な目で、レイラを見つめる。

「その代わり、レイラ。俺は約束する。十七部隊としての任を全うし、いつか必ず、レプリロイドが人間の最良のパートナーであることを認めさせてみせる」

レプリロイドと人間が真に心から支え合い生きてゆく世界。そんな理想を、クラフトも追いかけることに決めた。そして、必ず実現させると誓うのだ。

「それを遂げた時、俺はまた君に会いに来よう。必ず…な」

「クラフト……オレ、ずっとここで待ってるから」

そう言ってクラフトの手を両手で握る。その形を確かめるように、記憶するように。自分を救ってくれた人の手を。
すると、クラフトはレイラの片方の手を握り、硬い握手をした。

「もう二度と、あんな格好をするんじゃないぞ」

レイラははにかみながら「それはどうかな」と悪戯っぽく答える。思わずクラフトは苦笑いを浮かべた。

ライドチェイサーに跨り、ハンドルを握る。そして、片手で別れの挨拶をして、アクセルを回した。
他の皆が、大きく手を振り、別れを告げる中、その後ろ姿を見守るレイラ。胸の辺りで、ぐっと拳を握る。

「クラフト……絶対に死なないで…」




後日、第二十三独立遊撃隊へのクラフトの粛清は噂に広まり、塵炎軍団中を震撼させた。
しかし、規律の乱れに対する四軍団内の指導力不足と、クラフトの独断的な対応に対し、元老院と四天王で合意のもとに、この事件は闇に葬られた。
とは言うもののガラノフ達自身も、自分達の屈辱的な敗退を広めることを嫌ってか、それともクラフトへの敬意からか、事件について上に訴えを起こすような素振りは一切見せなかった。
ただ、それからというもの、クラフトの粛清を恐れてか、塵炎軍団の素行が改善されたことは確かだ。









「ありがとう、レイラ」



出会ってくれて。



キッカケをくれて。





そして――――……‥‥





「……ありがとう、ネージュ」







追い風に吹かれながら、誇らしげに小さく呟いた。






















 NEXT STAGE











        妖将





















[34283] 19th STAGE 「妖将」
Name: 村岡凡斎◆45ff140f ID:697d6d9c
Date: 2012/10/30 23:32
 











    あの日 あなたが最期に紡いだ言葉を




    私は今も 思い出せずにいる































 19th STAGE











        妖将





























  ――――  1  ――――


「メラレーン湖の畔にあるネオ・アルカディアの研究施設に向かっていただきたいのです」

その日の朝、映像通信を介してエルピスからゼロへ早々に切り出された話は、新たな任務の依頼だった。

「研究施設?」

「はい。仕入れた情報に、少々気になる点がありまして……」

ネオ・アルカディアの内部へと潜入している、他のレジスタンス組織の構成員が流している情報によれば、メラレーン湖の畔にある研究施設では、近々、戦略研究所第七研究室が開発した実験兵器の、模擬戦形式による稼働試験が行われるらしい。
単なる実験兵器の稼働試験であるならば、注目する必要がないのだが、問題はその実験兵器に関する情報だ。

「イレギュラー戦争時代の遺物を用いて開発された、レプリロイドでもメカニロイドでもない、新しいタイプの兵器だという情報を小耳に挟んだのです」

イレギュラー戦争時代の遺物――――百年以上昔の技術ではあるが、それをわざわざ導入してまで開発された代物だ。その上、レプリロイドでもメカニロイドでもない、新しいタイプの兵器と言われては尚更、謎が深まる。
いったいどれだけの脅威に成り得るのか、それすらも見当がつかない為、エルピス自身の興味も含め、ゼロへとその調査任務を依頼したいと思ったのだ。

「どうでしょうか、ゼロさん。私の勝手な推測ですが、それが本当にイレギュラー戦争にまつわるものであったならば、あなたの記憶を呼び覚ますキッカケにもなるかもしれません」

「なるほど……。いい交渉のネタだな」

正直な所を言えば、過去については既に吹っ切った思いがある。とは言え、関心がないわけではないし、なによりその兵器自体に対しても、ゼロ自身、興味が湧いていた。

「いいだろう、エルピス。その仕事、引き受けるぜ」

「ありがとうございます、ゼロさん。それでは作戦計画書をこちらでまとめてお送りいたしますので、少々お待ちください」

そう言って、モニターの映像は途切れた。

「『レプリロイドでもメカニロイドでもない、新しいタイプの兵器』とは……私も気になってしまいますね」

ペロケが「う~ん」と唸りながら、興味を口にする。学者肌の彼にとって、探究心を大いに唆られる話題であった。
研究所に足を運び、その目で確かめたいという気持ちも勿論あったが、残念なことに、そこでネオ・アルカディアの兵隊と戦うだけの力と度胸はない。

「ゼロさん、“できれば”で構わないので……どうかサンプル回収をお願いします」

「仕方のないやつだな…ったく」

その根性に呆れてゼロは思わず肩を竦めた。
とは言うものの、ここ最近の戦闘では何度も協力をしてもらっている分、嫌という訳にもいかない。渋々ではあるが、可能な限りサンプル回収を試みることを誓った。

それから通信室を一旦離れ、ゼロはコアユニットが設置されたデータルームへと向かう。
部屋に入ると、デスクに設置された椅子に腰掛け、レルピィの名を呼んだ。

「はいは~い、呼ばれて飛び出てなんとやら! どうしたのダーリン!」

視覚化するやいなや、レルピィのいつも以上のハイテンション振りに、ゼロは一瞬戸惑う。
よく見ると、その外見がいつもと違うのが分かった。いつもの簡素な形状とは違い、フリフリの付いたロリータ系の衣装を着ている。

「お前…それ………」

「すっごいでしょ!? ペロケが特別製の外装アプリを作ってくれたの! 他にもあるんだよ!」

そう言ってはしゃぎながら、コアユニットへと戻る。それから五秒ほどすると、白いワンピースを着て飛び出てくる。かと思いきや、それからまた同様にして、今度はスカートと大きめのリボンを着けて、その次は中華系の衣装を着て――――…と、目まぐるしく衣装を変化させていった。
ストップを掛けるまで、十数着の衣装をゼロへと嬉しそうに見せつけると、「ダーリンはどれが良かった!?」と顔の間近まで迫り、輝くような笑顔で問い詰めてきた。
ゼロは呆れて答えられず、そのまま項垂れた。

「あいつはいったい……何に力を注いでいるんだ……」

「い~じゃん、い~じゃん。時には息抜きも必要ってことよ!」

「全くどいつもこいつも」とぼやいたが、レルピィにはまるで聞こえていないようだ。
一見、お淑やかそうな雰囲気を醸す和服に身を包んだままのレルピィに、ゼロは次の任務の話を切り出す。

「まあ、いつもどおり手伝ってくれると助かるんだが、大丈夫か?」

「勿論よ。どこにだって着いて行くってば」

いつも通りのやりとりだった。
ゼロが「手伝ってくれるか」と言えば、レルピィは必ず「勿論」と答える。
レルピィ個人としては若干不満があった。彼女自身、断る理由はどこにもなく、「呼ばれれば何処へでもついて行く」と公言もしているというのに、それでもゼロは必ず了承を取りに来る。
とは言え、それがゼロなりのレルピィに対する敬意の表し方なのだろうと理解もしていた。――――だが、それでもある一点について、レルピィはこれまでずっと疑問を抱き続けていた。

「で、結局どの衣装が良い?」

「……好きなものを着てくりゃいいさ」

「じゃあ、ダーリンとお揃い!」

そう言って着替えてきたのは、言葉通り、ゼロのコートに似せた衣装だった。瞬間、「それは却下だ」とゼロは素早く切り返す。
「ちぇ~」と口を尖らせながら、コアユニットへと戻ると、いつも通りの格好に着替えて戻ってくる。そして、落ち込んでいるように膝を抱えて見せた。
それを見たゼロは「やれやれ」と溜息を一つ吐く。

「どんな衣装を着込もうが、お前はお前だ。外見がどんなだって、構わないのさ」

「…ダーリン……」

その言葉の意味を考えながら、少しだけ頬を赤らめる。だが、それからすぐにレルピィは、どこか不安げに俯きながら問いを一つ口にした。

「……ダーリンは、どうして私を選ぶの?」

この屋敷の中にいるサイバーエルフは、何も彼女だけではない。他にも、それこそ彼女以上にペロケから手を加えられた、特別製のエルフもいる。
しかし、ゼロはそれを知っていながらもレルピィを選ぶ。初めてこの屋敷に来た時も。ここから任務に向かう際にレルピィを選び、それからずっと、パートナーのように行動し続けてきた。
レルピィは単純に気になっていた。自分の感情をどれだけゼロは理解していたのか。その上で、何故自分を選ぶのか。それがこれまでずっと気になって仕方がなかった。
「そうだな……」とゼロは少しだけ考える。

「一言で言えば……“フィーリング”かな」

「フィーリング?」

「そ」と軽い調子で答える。

「辛気臭い奴と一緒にいるのも、真面目ちゃんと肩並べるってのも……俺には合わないだろ?」

ゼロの言う状況をレルピィも想像してみる。「確かに」と思わず声に出して納得してしまった。

「そういうことさ、レルピィ。お前くらい元気があったほうが、俺は付き合いやすいのさ」

そうあっさりと答えると、「それじゃまた後でな」と逃げるように部屋を出ていった。
はぐらかされたような気持ちで、レルピィは閉じた扉の前で呆然とする。
それから、再び不満そうに口を尖らせると、何かを蹴るように片足を振った。

「いったい誰のためにしたと思ってんのよ……」

ペロケに頼み込んで外装アプリを作ってもらったのは、完全な私情だった。人間やレプリロイドのようなお洒落をしてみれば“何か”が変わるのではないかと、そんな淡い期待からだった。
とは言え、それを本当に気づいて欲しい相手には、結局のところ上手く伝わらなかったらしい。
だが先ほどの答えも、単にはぐらかしただけではないと理解していた。と言うより、それが単なる希望的観測に過ぎないことは承知していた。
レルピィが抱く感情について、ゼロは少しもまともな反応を示してくれない。適度に反応しては、上手くやり過ごしている。そんな感じだった。
それでも、いつだって彼女のことを選ぶのだ。

「ダーリンのバカ……“とーへんぼく”!」

一人不満を叫ぶと、再びコアユニットの中に戻った。
しかしそれでも、感情は変わらない。この微妙な想いも、それでも尚、嬉しいと感じる気持ちも。

「…………ばーか」

もう一度小さく呟く。だが、それが外部に音声化されることはなかった。













  ―――― * * * ――――


二日後――――アルエットやイロンデル等、屋敷のメンバーに見送られ、空間転移装置を使って外へ出る。
メラレーン湖より十数キロ程度離れた廃墟の影から、ゼロはライドチェイサーに跨ったまま飛び出した。
見上げると、雲一つ無い青空が見渡せる。

「なかなか気分のいい天気だ。こんな日は弁当こさえてピクニックと行きたいもんだよな。なあ、レルピィ」

そう呼びかけてはみるものの、ライドチェイサーの管制システムへとダイブしたレルピィからは、一言も返事がない。
ゼロは思わず顔をしかめる。
実際のところ、昨日からずっと同じような様子で、まともな会話もできていない。着いて来てくれただけでも運が良かったと思うしか無いような状況だ。

――――あの時の対応が悪かったか……

外装アプリではしゃいでいた時に、まともな反応を返してやれなかったことを今更ながら反省する。とは言え、あれ以上になんと言えばよかったのか。
あの質問についてもそうだ。彼女が望む答えではないだろうことは、正直分かっていた。だが、だからと言ってご機嫌取りの上辺だけの返事を、何時になく真剣だった彼女に対して返すことはできなかった。
そう言えば出会ってから暫く経つが、よくよく考えてみれば、まともな感謝や見返りになりそうなものは何一つ与えてやることができていない。もう幾つもの戦場を共に駆け巡った戦友とも言うべき相手だと言うのに。
任務から帰ったら今日こそは何かしら、彼女が喜ぶものを用意してやろうと、ゼロは心の中で誓った。

そうこうしている内に、岩場を抜け、メラレーン湖の水上へと車体を走らせる。すると、とんでもない光景が目の前に飛び込んできた。

「………竜…!?」

思わず口を衝いて出た言葉が、おそらく形容するに最も相応しい言葉だっただろう。
数十メートルに及ぶであろう長大な胴体を持った巨大な蛇のような生物(?)が水中から姿を現していた。
よく見ればその身体は透明で、向こう側の景色が透けて見える。

「……ダーリン…あれって」

これまで黙っていたレルピィも思わず声を漏らす。

「……まさかのまさか…かもな。レルピィ、援護頼む!」

そう言ってアクセルを回す。そして、その巨大な蛇へと向かって突き進む。
するとその竜が、水面を走る別の獲物を狙って、食らいつくように飛び込むのが見えた。跳ね上がる水飛沫の中、竜の攻撃を躱した獲物をよく見ると、それは明らかにネオ・アルカディアのパンテオン達だった。
皆、ライドチェイサーで水面を走り、その竜と戦っている。

――――これが…模擬戦か?

ゼロはその竜の姿を見た瞬間、それこそがネオ・アルカディアが開発した新たな兵器ではないかと推測した。その兵器がネオ・アルカディアのパンテオン達と交戦していると言うことは、エルピスの情報通り、模擬戦形式の稼働試験なのだろう。
だが、場を包んでいるのはそれ程軽い雰囲気ではなかった。
パンテオン達以外にも、数多くのメカニロイドが現れ、その竜に対して攻撃を始めた。いや、よく見れば、水面に幾つもの残骸が浮かんでいるのも分かる。
稼働試験というには余りにも重い事態が起きているのではないかと、ゼロはその状況から感じた。

「……どうやら事情が込み入ってるらしいな」

不吉な予感を胸に抱き、竜へ向け、ライドチェイサーの先頭部に備えられた銃口からビームを連続して放つ。だが、その光弾が胴体に命中した瞬間、透明な身体へ溶け込むように消滅した。

「バカな!」

そう思わず口にするが、成程、あれだけの攻撃を受けながら、竜が一向に墜ちる気配を見せないのはこういう理由からかと理解する。
どれだけビームを放とうとも、その透明な身体は何事もなかったかのように全て吸収してしまう。
ならば、斬り込むまでと、ゼロはゼットセイバーを取り出し、レルピィに限界まで近づくよう要求する。
加速するライドチェイサー。刃を振るゼロ。だが、その刃もまた、身を斬ること無く、通過する。

「クソ! セイバーが効かない!」

「ダーリン、ダメ!掴まって!」

気づけば頭上から、竜の頭部が大口を開けて迫っていた。
レルピィが慌てて加速しようとした瞬間、ゼロは驚きのあまり、ハンドルを握る手を緩めていた。途端に加速したライドチェイサーに振られ、ゼロの身体は竜に飲み込まれることは無かったが、掠った牙に頭部を揺らされ、水上に投げ出されてしまう。

「ダーリン!」

頭部を揺らされたゼロは、当たり所の悪さも相まって、意識を失ってしまう。そしてそのまま水中に沈んでしまった。
「ダーリン」と叫び、その場で旋回するレルピィ。だが、竜の尾が水底から跳ね上がった瞬間、その反動で車体をひっくり返され、勢いに乗って沈んでしまう。

かくして、ゼロとレルピィは、竜の追撃は免れたものの、暗い湖の底へと沈んでいってしまった。






























  ―――― * * * ――――


瞼を開くと、白い壁が一メートルほど先に見えた――――が、自分の体勢に気づき、それが壁ではなく天井であることを認識する。
見知らぬ天井を呆然と眺めた後、つい先程までの状況を思い出し、勢い良く上体を起こす。そして未だに傷が疼く頭を抱えた。

――――そうだ……俺は……

ゼロは、あの竜の牙に頭を強打し、意識を失ったことを思い出す。
すかさず、左手のコアユニットを確認した。だが、そこに有ったエメラルドの輝きは、何処にも見当たらない。
湖の底に落としてしまったのか。それならレルピィはどうなってしまったのか。ライドチェイサーの制御部にダイブしたままだったなら、ライドチェイサーと共に湖の底に沈んでしまった可能性もありうる。いや、ブースターを上手く噴かして水面に上がれた可能性も考えられる。
何れにしても、今傍にはいないということだけは確かだ。

「……そもそも……ここは何処だ…?」

ようやく、自分が置かれた状況について、疑問を口にした。
そういえば確かに暗い湖の底へと沈んで行った筈だ。しかし、気づけば五体無事に、それどころか柔らかく寝心地よいベッドの上に先ほどまで寝ていたのだ。よくよく見てみればタオルケットまでかかっていたらしい。だが、専用の紅いコートが無いことに気づく。身に着けているのは黒いアンダースーツのみだ。
いったいここは何処だ? どうして助かった? この格好はどうした? 何が起こった?
整理のつかない頭で、周りを見渡す。
そばに置かれた机と椅子。壁に備えられた電子モニター。簡素ではあるが、誰かがここで過ごしているような雰囲気がある。
奥の方へ視線を遣ると、部屋の一角にまた別の個室らしきものが見える。――――と、そこから妙な音が聞こえる。暫く耳を澄まし、シャワーが床を叩く音であることを理解する。
間違いない。この部屋には誰かいる。その誰かが、おそらくゼロを救い、この部屋で介抱していたのだ。そして今、無用心にも、シャワーで身体を洗い流しているところらしい。

ゼロは考える。
ゼロを救った時点で、レジスタンス関係の者と考えるのが一番妥当だ。しかし、先ほどまでいた場所を考えれば、ネオ・アルカディアの関係者という線も捨て切ることはできない。
更に、後者であるならば、ここがネオ・アルカディア関係の施設内である可能性も高いわけだ。万事休すという事も考えられる。
考えれば考えるほど、想定は広がる。だがある時点で、考えたところでキリがないと感じ、ゼロはついに考えることをやめた。

それから、ふと机の上に視線を遣る。
そこには四角いフォトスタンドが見える。枠の装丁は木目が目立ちノスタルジックな作りになっているが、無論、映っているのは過去に記録されたデジタル映像である。
ゼロはそのフォトスタンドをおもむろに手にし、そこに映る映像を眺めた。

「……こいつは…」

そこには一組の男女が映っている。ゼロはその内の片方に見覚えがあった。髪や目の色が異なってはいるが……明らかに“彼女”だ。
ならばここは――――……‥‥





そこで、シャワー室の戸が開く。ゼロは咄嗟にフォトスタンドを机の上に戻した。

「あら……起きてたの?」

羽織ったバスタオルで水滴を拭き取りながら、“彼女”はゼロに問いかける。衣類を一つも纏わず裸体を晒しているというのに、“彼女”は少しも恥じらう様子を見せない。
特徴的な青い髪がその白い肌を更に妖艶に見せる。
一歩二歩と近づく度に揺れる豊満な乳房に、ゼロは思わず顔をしかめる。

「……まさか…お前にまた会うことになろうとはな。しかも、こんな形で……」

「フフッ……形は問題じゃないわ。大事なのは、“こうして再び出会った”という事実よ」

そう言って裸のまま、ベッドの端に腰掛ける。誘惑するように腰をくねらせ、ゼロへと顔を近づける。

「久しぶりね、紅いイレギュラー」

「ああ、ボレアス山脈以来……だな。妖将レヴィアタン」

二度目の邂逅に、お互い不思議な因縁を感じずにはいられなかった。
















  ――――  2  ――――


イレギュラー戦争時代に、かのレプリフォースが使用していた物を、冥海軍団用に改造したのがこの大型潜水艦だった。
今回の稼働試験の関係により、レヴィアタン率いる冥海軍団の一部隊が乗艦していた。
現在はメラレーン湖内に潜水中である。

あの竜との戦闘により、水中に沈んだゼロを、冥海軍団に所属する水中調査用パンテオンが発見し、回収したのだ。
おかげで、幸か不幸か、ゼロは湖の藻屑となる前に一命を取り留めたわけだが、正直なところ、状況が好転したとまでは言えなかった。

「いつまでその格好でいるつもりだ……」

「あら…、困る?」

椅子に腰掛け、裸のままドライヤーで髪を乾かすレヴィアタンに、ゼロは苦い顔をする。

「ホント、思ったよりもお子様なのね」

「どう言ってくれても構わないが………この状況…お前の方こそ分かっているのか?」

別に、レヴィアタンが肌を露出し続けることに関して、どうこう思うことは無い。
問題に思っているのは、口にしたとおり、この状況。
レヴィアタンは丸腰どころか一切の衣類も纏わぬまま、ゼロを背にし、悠々と髪を乾かしている。ゼロが紅いイレギュラーという、四天王最大の宿敵だというのを忘れたかのような無防備さだ。
確かにこの艦内にいる限り、下手な手出しはできない。だが、彼女を人質にして浮上を迫り、逃げ出すことも、ゼロにはできるのだ。
先日のボレアス山脈の一件といい、彼女はいったい何を考えているのか。それがゼロには掴めず、不安要因となっていた。

「そういえば…カムベアスの一件、聞いたわ。結局、あなたが彼を殺したそうね」

ふと、振り返ることもないまま、レヴィアタンが話題を変える。
あの雪山での苦い経験を鮮明に思い出し、ゼロは答える。

「……ああ。すまない、せっかく情報をくれたというのに」

レヴィアタンが情報提供してくれたというのに、ゼロはそれを生かして、カムベアスを救うことが出来なかった。
だが、レヴィアタンは短く笑って返す。

「別に、謝る必要なんて無いわ。あれは…なるようになっただけ…でしょ?」

『なるようになっただけ』――――その言葉が、何処か寂しく響いて聞こえた。
髪をあらかた乾かし終え、レヴィアタンは体ごと振り返る。先程から相も変わらぬ、ひどい無防備っぷりに、ゼロはそれ以上突っ込まないことにした。

「さて…と。……大丈夫よ。あなたのことを只のウブな坊やだなんて、欠片も思っていないわ。――――これを見れば、私の態度の意味が分かるでしょ?」

そう言ってロックを解除し、机の引き出しからあるものを取り出した。
ゼロは唖然とする。それは、彼が身に着けていたはずのコアユニットだった。しかし、中心部には封印装置が取り付けられているのが見える。

「まあ、ただのサイバーエルフならデリートしても構わないのだけど……。紅いイレギュラーのサイバーエルフとなれば話は別よ」

その言葉の意味が、悔しいほどによく分かる。
紅いイレギュラーと言えば、四天王並びにイレギュラーハンター、いや、ネオ・アルカディア全体の宿敵であり、お尋ね者だ。
しかし、明らかに彼のバックボーンに関しては謎が多する。
その能力、行動範囲の広さや、行動理念等は勿論のこと、彼のバックにいったい何者が付いているのか? 協力者はどれほどいるのか? 組織であるならばどの様な組織なのか? 規模は? 本拠地は?
彼が所持していたサイバーエルフを解析することにより、そんな様々な謎を解明できる可能性があった。

実際、レルピィを解析してしまえば、それだけの情報を引き出すことができるのも確かだ。

「自壊プログラムを作動されても困るから、こうして動きを封じているのだけど……どうしようかしらね」

意地悪そうに笑ってみせる。その憎たらしさに、ゼロは思わず苦笑する。

「返してもらえると嬉しいんだが……大事な相棒なんでね」

「そう簡単に返すと思う?」

「力尽くでも」

「あら、怖い」

どこまでが本気なのか分からない笑みを零す。
だが実際、力尽くでかかったところで、既にレルピィのデータが移されている可能性もあり得る。もしそうなっていた場合、ここで無用な騒ぎを起こすわけにもいかない。
しかしレヴィアタンは、あっさりとその答えを明かす。

「安心して、あなたの大事な相棒はちゃんと中にいるわ」

ゼロはますます訳が分からなくなった。

「…お前は…いったい何を――――ッ!」

問い質そうとした瞬間、レヴィアタンは人差し指を立て、ゼロの口唇に押し当てる。

「一つ、交渉といきたいの」

そう言って、コアユニットを机に置くと、ベッドに手をつけ、椅子から「ずい」と前に進み出る。
近くで見ると、その端正な顔の作りと白い肌は更に妖艶で、ゼロ程の男でさえも扇情的な彼女の動きに、動揺してしまう。――――妖将とはよく言ったものだ。
揺れるゼロの心を知ってか知らずか、レヴィアタンは真剣な表情で話題を切り出す。

「見たでしょ、あの竜を」

その言葉に、ゼロは反応する。
『竜』――――おそらく先程湖で出会したあの透明な竜のことだろう。
口唇を塞ぐ手を掴み上げ、口を開く。

「あれがお前たちの新兵器か?」

「実験兵器LX-13号……通称“ラドゥーン”」

レヴィアタンは躊躇うこと無く、そう返す。それが自分達の新兵器であることをあっさりと認めた。

「今、アレは制御不能状態に陥っているの」

あの竜――――ラドゥーンは稼働試験中に、冥海軍団のコントロールを離れ暴走を始めた。
ゼロはようやく合点がいった。だからあの時、模擬戦形式の稼働試験というには些か緊張感に満ちた雰囲気の戦闘となっていたのか。それならば、あの状況に説明がつく。

「この子から情報を引き出すのは容易いわ。……けど、アレを止めるのは容易ではない」

先ほどの様子を思い出す。確かに、あらゆる攻撃を無効化する体を持ったラドゥーンを止めるのは難しい。ゼロ自身、痛手を負ったばかりだ。
そこで、レヴィアタンはある提案を持ちだした。

「紅いイレギュラー、あなたの力を貸して。アレを――――ラドゥーンを止めるのに協力してちょうだい」
































  ―――― * * * ――――


ネオ・アルカディアにある、意思を持ったスーパーコンピューター――――俗に「マザー」と呼ばれるコンピューターには、その誕生から今日までのあらゆる情報、或いはネットワーク上に散らばったプログラムの断片など、数億、数兆というデータが眠っている。
ちなみに、ゼロが眠っていた忘却の研究所に関しても、シエルにその所在を知らせたのは彼女だ。
研究者の中には、マザーでさえ復元、引き出し困難なデータをサルベージし、ネオ・アルカディアの今後に役立てようという者が大勢いる。
その内の一人、戦略研究所第七室主任オベールは、イレギュラー戦争時代のある実験から生まれた、一体の怪物に興味を示した。
「一つの細胞をどこまで大きくできるか」――――そんな研究者の興味から始まった実験は、紆余曲折を経て、一体の“バイオメカニロイド”を完成させるに至った。

オベールは、そのバイオメカニロイドの戦闘データ、プログラム、設計図等をマザーからサルベージし、現代の科学力を持って改良。構想から二年がかりの巨大プロジェクトの果て、新たな兵器として誕生させるに至った。
それが実験兵器LX-13号――――通称「ラドゥーン」である。

サルベージしたプログラムをベースに、新たな思考パターンを組み込んだAIをパンテオンの頭部に移植。それを核として、ゲル状素材により、竜のような身体を形成した。
身体には、無数のナノマシンが埋め込まれており、それらが神経と骨格の役割を果たすことで、柔軟かつ自在に変形することができるのだ。
また、ゲル状素材にはエネルギーを吸収する特性があり、あらゆるエネルギー弾を防ぐことが出来る仕組みになっている。加えて、その機能を活かし、外部からのエネルギー充填も可能。

かくして百年前に生まれた実験兵器は、現代技術による改良も施され、蘇ることとなった。

そんな「ラドゥーン」の記念すべき稼働試験の日。
メラレーン湖の研究施設に妖将率いる冥海軍団を招いての、模擬戦形式での評価試験。その途上、事件は起こった。

メカニロイドとの模擬戦後、パンテオン部隊との模擬戦へと移行するやいなや、突如として制御不能となり、ラドゥーンはそのままパンテオン部隊を瞬時に全滅させた。
緊急事態に、施設の防衛部隊と冥海軍団の戦闘部隊を出撃させ、ラドゥーンを取り押さえにかかったが、その脅威的なスペックの前に、全く歯が立たない。

そこに颯爽と現れたのが、真紅のコートに流れる金髪――――かの紅いイレギュラーだった。
















  ――――  3 ――――


「――――そうして暴走した実験兵器を止める手伝いをして欲しい……か」

「そうよ」

椅子の背もたれに一度身を預け、それからスッと立ち上がる。揺れる青い髪から、華やかな香が漂った。

「……まあ、この状況ですもの。答えは一つよね」

そう言って背を向けて歩きながら、再び手にとったコアユニットを、見せつける。
確かにレヴィアタンの言う通り、協力を拒めばいったいどのような手を取られるか分かったものではない。だが、だからと言って協力したところでレルピィを返してもらえるかどうかは、残念ながら別の話だ。
何れにしても、主導権は全て向こうが握っている。ここで下手に逆らう手はない。

「……仕方ないな。いいだろう。その話に乗ってやる」

「ありがと、紅いイレギュラーさん」

そう言って、レヴィアタンはあろうことかコアユニットをゼロに向けて投げ渡した。その意図が計りきれず、ゼロは再び戸惑う。

「預けておくわ。勿論、解除キーは私しか知らないけど」

「本当に……何を考えてやがる……」

ホームヘと持ち帰れば、ペロケに封印を解除してもらうことも可能だ。つまりは、これで隙を見て逃げ出すこともできる。
もしや、それすらも見越しているというのか。底が測り知れず、ゼロは疑いの眼差しを向ける。
だが、レヴィアタンは少しも動じること無く、言ってのける。

「あなたがここで逃げ出すような卑怯者ではない事くらい、私には分かるわよ」

「フフッ」と得意げに微笑む。
残念ながらレヴィアタンの言う通り、それが可能だと分かっていても、この状況をそのままに逃げ出そうとは考えていなかった。無論、ラドゥーンの脅威を野放しにしておくわけにもいかないと考えてもいたのだが。
「それに」とレヴィアタンはくるりと振り返り、付け足す。

「目の前に、こんないい女がいるのに……それを放っておくような甲斐性無しじゃないでしょ?」

いちいち真面目に言っているのかどうか分からず、ゼロは苦笑を返すことしか出来なかった。それから完全にペースを持って行かれていることを、自嘲した。
そうしている内に、レヴィアタンは近寄り、ベッドの上に乗る。そして、ゼロの上に覆いかぶさるようにして両手をつき、微笑を浮かべながら問いかける。

「それで、どうする?」

「……なにが……?」

「もう“初対面”じゃないわよ」

ボレアス山脈でのやり取りを思い出す。冗談半分ではあったが確かに“そのような”会話をした。
レヴィアタンは扇情的な眼差しでゼロの顔を見つめる。

「“据え膳くわぬはなんとやら”……って知ってる?」

「なるほど……とんだ将軍様だ」

そうして更に顔を近づけ、レヴィアタンは頬を紅潮させ、艶かしい吐息を誘うように吐き始める。身体が奥の方から火照り出すのを感じる。
ゼロはタオルケットの下に入れていた手を出し、彼女の方へと伸ばす。妖しく揺れる、たわわに実った果実のような、それでいて柔らかく揺れる白い乳房へと。ついにその指が触れる――――かと思いきや、その手は青い髪を掻き分けると、彼女の肩を抑え、そのまま優しく遠ざけた。
「あら……?」と呆気にとられるレヴィアタン。ゼロは不敵に笑う。

「悪いが、敵陣の真っ只中にいながら、敵の女を抱くような趣味も持ち合わせていないのさ」

そう言うゼロを、レヴィアタンは物足りないような目で見つめながら嘲笑う。

「一見悪そうなクセして……そういう真面目なところ、損よ?」

「一応、自覚してる」

そのままレヴィアタンは笑いながら離れ、ベッドの端に腰掛けた。
ゼロは机の上に視線を向ける。

「それに、既に先約がいるみたいだしな」

「え?」とレヴィアタンも同じ方を眺める。
そこには、先ほど見つけた例のフォトスタンドが立っていた。すると、レヴィアタンは慌てたように手を伸ばし、フォトスタンドをパタリと伏せた。

「勝手に見るなんて……狡いわ」

「無造作に置いておくほうが悪い」

初めて動揺させたことに、ゼロはようやく余裕を取り戻す。

「そこに映ってるの……お前だろ?」

常に映っていた男女二人組。カップルのように寄り添い、笑顔を見せていた。
その内の女性の方。髪の色も瞳の色も、彼女特有の青ではなかったが、顔の作りも、女性らしい身体のラインも、レヴィアタン本人としか思えなかった。
だが、レヴィアタンは誤魔化すように笑う。

「女の過去に口出しするなんて、案外野暮ね。いい男が台無しよ?」

「なるほど、妖将ともあろう女が、過去の男を今も引きずっているわけか……」

「ノーコメント」と不機嫌そうに立ち上がり、背を向ける。
そして壁に近づき、手を当てる。すると四角い溝が入り、扉が開く。そこはクローゼットとなっていた。
レヴィアタンはそこから自身のボディスーツとジャケットを取り出す。そして、共にかけてあったゼロのコートを取り出すと、ぶっきら棒に投げ渡した。

「ある程度おしゃべりも済んだことだし……作戦といきましょう」

そう言って再び背を向けると、ボディースーツを下から履き始める。こちらに向けられた形の良いヒップが、尚もゼロを誘っているようで、思わず目を逸らした。
そうして一人考える。
過去を聞かれることをあからさまに拒否し、話を逸らした彼女に、ゼロは興味が湧いた。
妖将といえど一人のレプリロイドであり、触れられたくない過去の一つもあるのだ。そして、きっとそこに彼女の真実があるのかもしれない。
ようやく一つできた取っ掛かりを、どうにか上手く利用することはできないものか。

「ほら、早く準備なさい。いつまで人のベッドを占領しているつもり?」

最後に赤いリボンを頭に飾りつけながら、そう言って急かす。
「すまない」と立ち上がり、ゼロは自分のコートに袖を通した。――――と、不意に思い立ち、机のフォトスタンドに手を伸ばす。そして気付かれないように隠しながら、懐に仕舞う。

――――これくらいの見返りは許せよな

そう心の中で呟く。
もしかしたら、何かしら彼女の情報を得ることで優位に立てるかもしれない。そう言う材料は、今尚続く窮地には重要だ。見過ごすことはできない。
代わりに、ラドゥーンを仕留めるのに全力をつくすことを誓い、彼女の後に付いて部屋を出た。
































  ―――― * * * ――――


現在、ラドゥーンは壊滅した研究施設の内部に胴体を滑り込ませ、発電装置と接触することで充電をしている。
言わば、彼にとっての食事休憩中だ。

「御存知の通り、ラドゥーンの外装には、直接のエネルギー攻撃は効果がありません」

研究施設から命からがら逃げ果せてきた戦略研究所第七室主任オベールは、3Dヴィジョンに映るラドゥーンを示しながら説明する。

「しかし、彼を倒すには内部に浮いている、コア部分への攻撃が必要不可欠です」

パンテオンヘッドを使用したコア。ラドゥーンの頭脳であり、機能の中枢を担っているコアはその部分である。
しかし、そこへ攻撃を貫通させるには、無敵の外装を突破しなければならない。
自在に硬質化も可能な外装で有るため、仮に、実弾兵器による攻撃を加えたとしても、まともなダメージを与えることは敵わない。

「そこで妖将様のフロストジャベリンによる奇襲攻撃です」

レヴィアタンが愛用する専用兵装、フロストジャベリン。実体刃を持ちながら、エネルギー放出攻撃も可能。更には周囲の水分を集めて凝縮し、瞬間冷却により氷を生成して扱うこともできる優れ物である。

「他の者が彼の気を惹きつけている内に、後方より直接胴体に取り付く。そこから硬質化が起こるよりも早く、直接フロストジャベリンを突き入れ、氷結系攻撃を行えば……」

3Dヴィジョン上に、シュミレーション結果が表示される。レヴィアタンの攻撃速度と硬質化までの速度を比較した数値が表示される。
成功確率……87%。直接取り付くというリスクを考慮しても、十分な数値だ。

「その惹きつけ役が…俺ってことか」

冥海軍団員達が敵意むき出しの視線を浴びせる中、ゼロは不敵に笑い、そう呟く。
あくまでも平静を取り繕いながら、オベールは説明を続ける。

「紅いイレギュラー、あなたはラドゥーンを湖上へ惹きつけ、このポイントへ誘い込んでください。効果の有無はともかく、妖将様に彼が気づくことの無いよう、攻撃の手を緩めずに」

「その点は任せときな。敵とは言え、レディーをそうそう傷つけさせるつもりはないんでね」

「よく言うわ。そのレディーの誘いを平気で断ったクセに」

そう言ってレヴィアタンがクスクスと笑う。
だが、彼女の部下達はそれほど寛大な気持ちを持ち合わせてはいないらしく、ゼロを睨む眼差しは更に強くなった。
「ゴホン」とわざとらしい咳払いを一つして、オベールは話をまとめる。

「それではこれより一時間後、各員が配置についた後、状況開始ということでよろしいですね」

一同が頷いたのを確認すると、最後にレヴィアタンの一言で作戦会議は幕を閉じた。
















  ――――  4 ――――


「どいつもこいつも……思った以上に俺への視線が厳しいんだよな」

格納庫へと向かう廊下で、数人の兵達とすれ違った後、ゼロがそうぼやく。並んで歩いていたレヴィアタンは「当然でしょ」と肩を竦める。

「あなたのせいで最も苦渋を舐めているのは、私達、冥海軍団なんだから。睨みつけたくもなるわよ」

ガネシャリフの損失、スタグロフの敗退、そしてボレアス山脈の要塞も勿論のことだが、そもそもゼロが眠っていた忘却の研究所を守備していたのも冥海軍団だった。
元を辿れば、冥海軍団の不手際により目覚めてしまったわけで、その点に関しての外部からの風当たりは消して弱くはない。

「本音を言わせてもらえば、今すぐにでもあなたの裏に何者がいるのか調べて、復讐してやりたいくらいなのよ」

そう言って妖しく笑う。『本音』と言いつつも、どこか楽しそうにする彼女の表情に、ゼロはまたも顔をしかめた。

「一応、俺だって“英雄様”だぜ? もう少し温かく迎えてくれたってバチは当たらないだろ」

「こっちのプロポーズをあっさりと断ってくれたくせに、よく言うわ」

目覚めた後、忘却の研究所での戦闘を今更ながら振り返る。そう言われてみれば、そのような誘いをガネシャリフ伝に受けていた。
実際、フラクロスの輸送列車襲撃作戦を成功させるまでの間、ネオ・アルカディア側はゼロに対しそこまで攻撃的な対応を考えておらず、むしろ、救世主エックスの無二の親友ということで、軍門に加えようという声まであった程だ。
だが、輸送列車襲撃から、ゼロの脅威が目立ち始めると共に、元老院達の認識も改まり、現在に至るわけだ。

「なんなら今からでも“こっち”に来る? 私としては歓迎よ」

「御免被る。残念ながら、今の状況で『はい行きます』とのこのこ答える程、落ちぶれちゃあいない」

「……ホント、残念」

そう言いながらも、やはり彼女は嬉しそうに微笑んで見せた。
レヴィアタンの言う通り、冥海軍団に対し多大なダメージを負わせたことはゼロ自身、自覚していた。だが、彼らの視線の理由がそれ以外にもあるのだと言う予測はついていた。
自分達冥海軍団のトップであるレヴィアタンが、部下が監視を申し出たにも関わらず、それを断り、自らその役についているのだ。しかも相手は今、最も危険なイレギュラーである“あの”紅いイレギュラーなのだから。あらゆる点で誰もが内心、気が気でないに違いない。
そんな彼らの心情を思えば、ゼロもあまり派手な動きをするつもりにはなれなかった。

しばらくして辿り着いた格納庫。十数台のライドチェイサーが整頓されて並ぶ中、多数の配線が繋がった一台へと近づく。
一際目を引く、白い流麗なデザインが、他のライドチェイサーに比べ遥かに上等なものであることをハッキリと主張している。

「これは最新型ライドチェイサー、アディオンⅨ“エル・クラージュ”。試作段階の代物だけど、十分実戦配備可能な状態よ」

イレギュラー戦争時代、特Aクラスのイレギュラーハンター達に配備された高性能ライドチェイサー“アディオン”。
ADU-T400 turbo“チェバル”に始まるライドチェイサーの歴史の中でも、一流のハンターにしか扱えないジャジャ馬的性質を持ちながら、あらゆる性能において、他のライドチェイサーシリーズを圧倒し続けてきたそのマシンは、今でも伝説の名機として知られており、過去の実戦データの解析と共にネオ・アルカディアの戦略研究所で後継機の開発が続けられていた。
ゼロが最近使用していたものも含め、白の団に配備されていたライドチェイサーはアディオンのデチューン機“ハーネット”の後継機であり、アディオンとは雲泥の差がある。しかも本拠地に配備されていたものについてはエルピスが苦労して集めた数十年前のマシンであり、その性能が保たれてきたのはドワ達整備班の腕のおかげによるところが大きい。
四軍団や第十七部隊に配備されているのは、バリウスと呼ばれるマシンの後継機であったが、これもアディオンに比べれば性能的には見劣りしてしまう。

「加速性、反応性、最高速、エネルギー出力――――どれをとっても今あるライドチェイサーの中でも一流の機体よ。火気管制プログラムの見直しとサイバーエルフリンクシステムの大幅改良のおかげで、戦闘面においても期待できるわ」

ゼロはレヴィアタンに促されるまま、エル・クラージュに跨る。
乗った瞬間から、これまで扱ってきたマシンとの感覚的な差に、思わず溜息を漏らす。
ハンドルやシートの感触から、計器類の配置や無駄のない重量感、果ては自身との一体感まで、あらゆる点で高性能機としての所以を思い知らされる。

「今回の作戦にあたって、これをあなたに貸してあげる」

ラドゥーンの攻撃を掻い潜り、囮としての任を全うするにあたって、それだけの高性能機が必要であると判断された。

「アナタほどのレプリロイドなら、十分扱いきれるでしょ?」

「……簡単に言ってくれる」

そう言いながら、ゼロはニヤリと嬉しそうに笑みを浮かべる。
ネオ・アルカディアが誇る技術力の粋を集められた高性能機。跨っただけでゼロの心はその虜となっていた。

「一応言っとくけど貸すだけよ。勘違いしないで」

「白けるようなこと言ってくれるなよ」

レヴィアタンの鋭い視線に、名残惜しい気持ちを抑え、渋々と降りた。
とは言え、ここまで上質のマシンに一度でも乗る機会ができただけでも儲けものだ。そう考えられる程、エル・クラージュは完璧なマシンだった。

「レルピィも解放してくれると嬉しいんだがな。こいつもいた方が、遥かに心強い」

そう言ってコアユニットを見せつけるが、レヴィアタンは「我慢するのね」と笑いながら一蹴した。

「試運転の一つもさせてあげたいところだけど……まあ、そこは経験でカバーして」

「そのつもりさ。大丈夫、こいつとは初めて会った気がしない」

そう言いながら車体を優しく撫でた。
実際、イレギュラー戦争時代にゼロやエックスが愛用していたマシンはアディオンタイプであった。記憶を取り出せない状況だとはいえ、感覚的に懐かしさを覚えてしまうのも無理は無いのだろう。無論、彼自身にとってその理由自体は憶測の範囲なのだが。

「フフフ……流石ね。自信のある男って素敵よ。過剰なのは問題だけど」

「ありがとよ。だが…これ以上褒めてくれるなよ。お前の部下達から熱い視線を感じてならないからな」

整備員達の殺気を含んだ視線から目を背けつつ、ゼロは苦笑を浮かべた。

「で、お前の方は大丈夫なのか? ……水中戦になるわけだが――――」

「ご心配なく。水中は私の庭よ。まあ、荒廃したこの世界じゃあまり見せる機会はないのだけど」

レヴィアタンが着ているボディスーツは着用することで感覚が皮膚と直接リンクする特別製である。その感度は肌に直接触れた場合と寸分違わぬ精度を誇り、水中戦においても彼女の戦闘レスポンスを妨げること無く、身を守ることができる。
無論、水中へ赴く時はフルフェイスの専用ヘルメットを被ることになる。

「妖将の戦い振り、とくと見せてあげる」

挑発するようなレヴィアタンの笑みに、ゼロは「楽しみにしてるぜ」と言葉を返した。


それからゼロは再びエル・クラージュに跨ると、システムのチェックを始めた。マシン性能の詳細を確かめつつ、自分に適した設定に合わせてゆく。
レヴィアタンは胸の前で腕組みし、壁に寄りかかった。それから少し考え込んだ後、ゼロに問いかける。

「一ついいかしら?」

「何だ?」

「あなた、サイバーエルフに“ダーリン”なんて呼ばせてるのね」

「…………」

思いがけないツッコミに、ゼロは思わず言葉を失う。そして、数秒の硬直後、彼女の言葉をようやく理解した。

「……レルピィと話したのか?」

「あなたを回収した時にね。『ダーリンに気安く触んないで~』って散々喚いてたわ。五月蝿いから直ぐに封印したけど」

「成程」とコアユニットを眺める。
意識を失っている間、力及ばないにしても、ゼロを護ろうと必死に動いてくれていたわけだ。尚更、感謝の気持ちが募る。

「そこまで気性の激しいサイバーエルフなんて…初めて見たわ。相当手の込んだプログラムが組まれているのね」

素直に感心を言葉にするレヴィアタン。だがゼロはシステムのチェック作業を進めながら「その言い方はナンセンスだな」と返す。

「確かにプログラムに源泉はある。だが、コイツらも一応、“生命体”を名乗ってるんだ。その激しい気性もコイツ個人の“性格”として捉えるべきだ」

「……つまり?」

「後ろの部分は余計だってことさ。コイツは“道具”じゃない。俺の大事な“パートナー”だ」

本心からの言葉だった。
しかし、その考えに当てはまるのはレルピィだけではない。あらゆるサイバーエルフに対し、ゼロは同様のスタンスで付き合っていた。
だが、その在り方に、レヴィアタンは驚きを隠せない様子だ。

「ネオ・アルカディアの研究者連中でも、そんな風に考える人間は見たことないわ」

サイバーエルフという存在に対する見解というのは、基本的に“道具”としての側面が大きい。ハッキングやクラッキング、それらから情報を守るための防壁――――そう言った活用場面を考えても、それ以上のものとして捉えることは基本的に無く、“パートナー”とまで口にする者は稀だ。
ゼロとしても、確かにそう言った背景があることは理解できる。シエルやペロケのように、まるで友人のように接する技術者ばかりではないことも分かる。だが、個人的にそうした付き合い方をこそ認めたいと思うのだ。

「……もしもコイツらを只の道具だと割り切ってしまうのなら…俺達は、俺達自身を“道具である”と認めたも同然だろう。俺はそんな在り方を認めたくはない」

“道具”――――只、目的を遂げるための手段としてしか扱われない存在。ゼロ達レプリロイドも、その点で言えば“道具”として扱われてもおかしく無い存在で、精神や感情を単なる“プログラムの産物”として受け取るのであれば、その扱い方を認めたも同然と言っていいだろう。
故に、サイバーエルフ達が持つそうした部分を、ゼロは否定したくはなかったし、彼らの生命体としての尊厳もまた認めたいと思うのだ。

「コイツらも、俺達も、個性を持った一人の命だ。プログラムに縛られただけの生き方を決定づけられたわけじゃない」

自分で考え、時に迷い、生き方を選ぶことができる。
楽しいこともあるだろう。嬉しいこともあるだろう。苦しむこともあるだろう。悲しむこともあるだろう。――――そうした経験を自然に受け容れ、反応できる自我を持っているのだ。

「笑うこともあれば、怒ることもある。憎むこともできれば、愛することもできる。個別の精神と感情、人格と個性を持ち合わせた立派な“生命体”だ」

そう言って真っ直ぐな瞳でレヴィアタンを見つめる。その瞳が、「お前もだろ?」と問いかけている。

「誰かを愛した感情を、プログラムなんかのせいにしたくはないだろ?」

「………思ったより、しつこいのね」

ゼロの言葉の意味を解すと、レヴィアタンはそう言って、苦笑いを零す。
彼が言っているのは間違いなく、机の上に置いておいたフォトスタンドの映像についてだ。

「興味が湧いたのさ。こんな潜水艦の中にまであんなものを持ち込んで。話を振れば嫌がって……――――そこまで固執する過去ってのが一体どんなものなのか…な」

「あなたにだって……それだけの容貌なら、そう言う過去の一つや二つあるでしょ?」

「あったかもしれない…――――が、今の俺には無いも同然さ」

そういえば、紅いイレギュラーは記憶喪失状態にあるという情報を、レヴィアタンは思い出した。
成程、もしかしたら彼は過去の記憶を失くしたがために、他者の過去に関心を持ったのかもしれない。只の推測に過ぎないが。

それからそっぽを向き、レヴィアタンは機嫌を損ねたように黙り込んだ。それを尻目に、ゼロは作業を続ける。どうやら彼女の癇に障る事は元から承知の上だったらしい。そんなゼロの態度が、レヴィアタンには余計に腹立たしく思えた。
だが、そうして宙を見つめながら一人考える。
確かに自分は、この過去に固執し続けている。仕方のない事だ。プログラム以上に、自分の存在意義を揺るがす重要な過去なのだから。

「………羨ましいわ」

ポツリと呟くように、そう言う。ゼロは、「え?」と尚もそっぽを向いている彼女の方へ視線を向けた。

「あなたみたいに……何もかも忘れられたら、少しは楽になれるのかしら」

それは、彼女がようやく零した本音だった。少なくとも、彼女の哀しげな、寂しげな表情が、ゼロに証明してくれている。
ゼロの方へ再び顔を向ける。

「私もあなたの意見に賛成よ。自分自身をプログラムに縛られただけの只の道具だなんて認めたくはない」

「だけど」と、言葉を続ける。

「……だけど時々、自分の感情を否定したくなるわ。一個の道具に成り下がることが出来れば……そうすれば、きっと――――」

「過去を忘れたところで、束縛からは逃れられない」

鋭く響く声が、レヴィアタンの言葉を遮る。

「それはお前自身が通ってきた道だ。どれだけ否定しようと、忘れようと、その経験をした事実は失くならない。だから、お前はその過去の影を背負いながら生きていくしか無いのさ」

「……それは経験者としての意見?」

ゼロは「そう取ってくれていい」と苦笑気味に答えた。

ああ、確かにその通りだ。ある一点において、レヴィアタンは過去を封じ込めていた。そのことに自分自身気がついている。そして、その事実こそが、彼女を最も強く縛り付けている原因となっていた。
ゼロの言う通り、例え忘れても、蓋をしても、その過去と共に生きてゆくしか無いのだろう。
だが不思議なことに、そのような過去を失いたくないと思う気持ちも確かにあった。
思い返してみれば、決して哀しい事ばかりではなかった。幸福もあった。慕情を抱いていた。それ故に募る黒い感情も否定出来ないのだが。

忘れたい。忘れたくない。失いたい。失いたくない。――――そんな雁字搦めにあいながら、今日まで生きてきた。そして、きっとこれからも……‥‥

そんなことを考えながら目の前にいるゼロを見つめる。
彼もまた同じように、思い出せずとも拭い切れぬ過去を背負いながら、今も闘い続けているのだろうか。
いや、きっとそうなのだろう。そうでなければ、揺らぐこと無く、無二の親友と呼ばれる相手に刃を向けることなどできない筈だから。

「……やっぱりあなた、“こっち”に来なさいよ」

微笑みながらそう言うレヴィアタンに、ゼロは思わず首を傾げた。






























  ――――  5 ――――


大型潜水艦が浮上すると、ゼロはエル・クラージュと共に水面へ走り出る。
停まっていた時以上に感じられる、絶妙な乗り心地に感心しながら、畔の研究施設めがけて加速した。
同時に、艦長の指示によって陸に待機していたメカニロイド部隊が研究所内へと侵入する。充電中のラドゥーンに対し攻撃をかけ、炙り出すのだ。

「妖将様、いつでもどうぞ!」

「ありがとう。それじゃ、怪物退治と行かせてもらうわ」

通信機越しにそう返事をしてからヘルメットのバイザーを閉じると、レヴィアタンは艦底から水中へと飛び出した。
フロストジャベリンを片手に、水中の感覚を確かめるように泳ぎながら、所定の位置に向かう。

それからしばらくして、研究施設の方向から爆音が響く。そして、施設の天井を突き破り、巨大な竜がその顔を見せた。

「It’s Show Time…ってな!」

ゼロは間近まで接近し、車体を起き上がらせ、そのままブースターを利用して飛び上がる。そして先頭部のビーム砲をラドゥーンに向けて放った。
三発のエネルギー弾を身体で吸収すると同時に、ラドゥーンはゼロの方へのっそりとした動きで首を向ける。ゼロを確認すると、大きく口を開け、勢い良く飛びかかってきた。
姿勢制御用のスラスターを吹かし、ブースターと併用して空中で向きを変え、ラドゥーンの攻撃を間一髪のところで躱す。
監視用メカニロイドのカメラから様子を眺めていた冥海軍団のメカニックは、その無茶な扱いに思わず肝を冷やした。

「こっちのモンだからとぶち壊してくれるなよ!」

「当たり前だ…ッ!」

オペレーターの文句に答えつつ、ラドゥーンの尾の追撃を機敏に躱す。

「俺もこんなところで死ぬつもりはないからな!」

エル・クラージュが破壊されるような攻撃ならば、自分の身もただでは済まない。
ラドゥーンの様子に気を配りながら、反転する。すると直ぐに水中からラドゥーンの首が再び飛び出した。

「こっちだ! 着いて来な!」

挑発するようにそう叫び、加速する。二度、三度と飛びかかるラドゥーンの牙と尾の攻撃と、舞い上がる飛沫を掻い潜りながら湖面を駆け抜ける。
一向に獲物を捉えられないラドゥーンは、ゼロをこれまでの相手とは別格であると認識したのか、新たな動きを見せ始めた。
グニョグニョと蠢いたかと思うと、ハリネズミのように無数の針を形成し、連撃をかける。

「ッんなろ!」

しかしゼロはそれに臆す事無く、冷静に軌道を読み取り、隙間を縫うようにして華麗に回避してゆく。
突然、攻勢が止んだかと思うと、大きな影が周囲を覆う。見上げると巨大な板のように身体を形成しているのが見えた。
そしてそのまま硬質化し、圧し潰すようにして湖面に落下する。――――が、ゼロを潰した感触が感じられない。

瞬間、後方からビームが直撃し、硬質化した身体に衝撃が走る。竜の体に戻って振り返ると、不敵に笑いながら逆走するゼロの姿が見える。エル・クラージュの後方に取り付けられたビーム砲が更に火を噴くが、続くエネルギー弾は全て吸収されてしまった。

「流石だな……もうあのマシンを乗りこなしている……」

冥海軍団員達は、ラドゥーンの激しい攻勢を、無傷で躱し続けるゼロの操縦技術に対し、素直に賞賛を送った。
元々、エル・クラージュは四天王クラスのレプリロイドを支援するためのマシンとして開発されており、一般の兵に扱えるような代物ではない。それを試運転もなしに、ここまで使いこなしてしまうというのだから、流石は伝説の英雄と言う他、言葉はいらなかった。
飛びかかるラドゥーンの牙を再び躱し、方向を転換する。そして、目的のポイントに向け、アクセルを回した。

尚も続く追撃。だが、一向にゼロは捉えられず、ラドゥーンは躍起になったように、さらに攻勢を激しくする。

そのおかげか、ゼロに集中するせいで徐々に生まれ始めた隙。ついに、その瞬間は訪れた。

大口を開け、ゼロへと襲いかかるラドゥーン。その懐から、飛沫と共に蒼い影が湖上へと舞い上がる。
またとない絶好のタイミングである。誰もが作戦の成功を確信した。

「眠りなさい!」

蒼い影――――レヴィアタンはフロストジャベリンの切っ先をラドゥーンのコアに向け、振り上げる。そして飛びかかる勢いを上乗せして、一息で振り抜いた。

















    ……ユル…ナイ…



















飛びかかる刹那の内に、レヴィアタンは状況を理解するために思考した。

何故、竜の首がこちらを向いているのか。
何故、その口は開かれているのか。
何故、その牙がこちらを向いているのか。
何故、ラドゥーンは自分の存在を感知し、一瞬の内に補足したのか。

その答えを得るより先に、硬質化した牙がレヴィアタンを襲った。
咄嗟にフロストジャベリンで防ぐが、逸らした牙は彼女の脇腹を掠める。そして飛び散る鮮血と共に、弾かれたレヴィアタンの身体は落下を始めた。

「レヴィアタン!」

トドメの瞬間を確認するため、振り返ったゼロは、その光景に思わず彼女の名を叫ぶ。
牙が彼女の身体を弾き飛ばした瞬間、最高速で引き返し、飛び上がると同時にゼロは腕を伸ばした。そして、落下してきたレヴィアタンの身体を抱きとめる。

「おい! しっかりしろ!」

未だ状況が飲み込めない頭で、ゼロはレヴィアタンに呼びかける。だが、レヴィアタンは激痛に顔を歪めるばかりで、返事ができるような状態ではなかった。
そんな二人に少しの猶予も与えること無く、ラドゥーンが追撃をかける。

慌ててゼロは旋回し、攻撃を躱すと、レヴィアタンの身体を抱え直し、アクセルを絞った。

「いったい何が起こった! 妖将様は!?」

ようやく状況が掴めたのか、オペレーターが叫ぶように問いかける。

「分からない! とにかく作戦は失敗だ! 一旦離脱する!」

そうは言うものの、ラドゥーンの攻勢は止む気配を見せない。それどころか次第に激しさを増してゆく。
加えてレヴィアタンまで抱えているのだ。状況は悪化する一方で、とてもではないが離脱などできる気がしない。

――――それに……これは……!?

ラドゥーンの攻撃パターンに違和感を感じる。「まさか」と思いながら、いくらか鎌を掛けるような動きをすると、次第にその思いは確信へと変わっていった。

「…私を…捨て…て…行って…」

ようやくレヴィアタンが口を開き、ゼロにそう訴える。水中に潜れば、手負いの自分でも逃げ延びることができるかもしれない。何よりこのまま二人共犠牲になる訳にはいかない。
だが、ゼロは「バカを言うな!」と声を荒らげた。

「あれは………あいつは……」

根拠があるわけではない。ただの直感だ。しかし、ラドゥーンが向ける殺意がそうとしか思わせない。
突如見せた瞬発的な反応。先ほどまでとは打って変わった雰囲気。攻撃の微妙な方向の偏り。間違いない――――


「あいつは…お前を狙ってる!」


何故かは分からない。本来ならば、紅いイレギュラーとして情報を入力されたゼロを優先目標とする筈だ。少なくとも、あの瞬間まではそうだった。
だが、レヴィアタンが湖上に飛び出す瞬間、確かにラドゥーンはこれまでとは違う反応を見せた。そして、今もゼロが左腕に抱える彼女を狙う動きを見せ続けている。偶然とは到底思えなかった。








    ……ユル…ナイ……ます…ーニ……ア…ナス…モノ………










突如、動きを止めたラドゥーン。次の瞬間、状況は一変した。

「ラドゥーン内部に高エネルギー反応!」

「…まさか……そんなバカな!」

オベールは分析用モニターを前に、愕然とする。

「“その装備”は確かに搭載させた! だが……起動プログラムの入力はまだだぞ!」

ラドゥーンが所持する究極の必殺技。その装備を搭載したのは確かだが、評価試験の際には不必要として、万が一の事態も考え起動プログラムの入力は先送りにしていた筈だった。
しかし、ラドゥーンは今まさにそれを発動させようとしている。理由は分からない。だが、何かの手違いで、或いは何者かの手によってそれは入力されていたのだ。そうとしか考えられない。

――――いや……違う…

そこでオベールは新たな仮説に辿り着く。研究施設内に取り付いた際、充電と共に、コンピューターへ接続し、データを自ら取り入れたのではないか。
メカニロイドの単純な思考パターンだけでは、通常あり得ない。だが、ラドゥーンの中枢はマザーからサルベージしたプログラムを八割方流用していた。ボレアス山脈のレイビット群同様、何かの影響を受けて複雑な変化を遂げていたのではないかと考えれば――――そしてこれまで発見されなかったその変化が、偶発的に今、現れたとしたら説明はつく。おそらく、この一連の暴走劇に関しても。
冷静に分析するオベールを他所に、艦内は騒然とする。「急速旋回!」と艦長が吠え、大型潜水艦はその場を離れるべく旋回を始める。
不穏な雰囲気を醸すラドゥーンから、ゼロは壮絶な悪寒を感じ、陸へと上がり、全速力で遠ざかる。


    ………ル…ナイ………すたー……ハム…ウモ……………


次の瞬間、稲光のような閃光がラドゥーンを中心に、メラレーン湖を包んだ。
その破滅的な輝きは、直視すれば視覚センサーを焼き切っていただろう。巻き起こる爆音は、聴覚に一定の異常を生む。
ゼロのアースクラッシュを遥かに凌ぐ、そのエネルギー波は想像を絶する程の威力を炸裂させ、メラレーン湖の形を一瞬にして作り変える。
湖の水はその衝撃で津波となり、陸を襲う。ゼロは衝撃に吹き飛ばされながら、レヴィアタンをしっかりと抱きかかえ、エル・クラージュのハンドルを握りしめた。
その場からできる限り遠くへと離れようと必死になって、ブースターを全開まで吹かした。

かくして、周囲に待機していたメカニロイドも含め、冥海軍団の部隊は一瞬にして消滅した。














    ……ユ…サナ……………ロ…クマ……ック………






    ……ユルサナイ……




















  ―――― * * * ――――


辺りが宵闇に包まれる中、岩場の影に身を隠し、エル・クラージュを停車させる。
レヴィアタンの身体を優しく下ろして岩の壁面にもたれかけさせ、自分も横に座った。

「……クソッ」

通信が通じない。どうやら、潜水艦はあの衝撃に巻き込まれ、撃沈したらしい。

「……とんでもない戦いに巻き込まれたな…」

脳裏に先ほどの光景が蘇る。自信が放つアースクラッシュ以上に壮絶な威力を持った技を、目覚めてこの方見た覚えがない。
おそらくラドゥーン自身へのダメージも無視できないに違いない。
そう考えれば、そうそう何度も放てる様な技ではないはずだ。無論、希望的観測に過ぎないが。
痛覚を弱めることでなんとか耐えながら、不意にレヴィアタンが問いかける。

「ラドゥーンは……?」

「見失った。位置情報も分からない。……が、あれだけエネルギーを放出した後だ。きっと研究施設の方へ戻っただろう」

とは言え、それも研究施設が無事だった場合の話だ。ゼロ達とラドゥーンとの距離を考えると、消滅したということはないだろうが、間違いなくそれなりの損害は出ているはずだ。そう思いたい。

「………部隊は…?」

ゼロは渋々首を横に振る。

「ダメだ……繋がらない。あの威力だ、潜水艦は沈んだと見ていい……」

「…………そう、沈んだの…」

「そう」と確かめるように何度か呟く。その表情は言いようのない虚しさを感じさせる。――――哀しんでいるような、けれど、どこかで安堵しているような。
しばらく不思議な想いで彼女を見つめていると、表情の理由に思い当たった。

「お前が気にしてるのは…これか?」

「…ぇ……あっ…」

ゼロが懐から取り出したのは、例のフォトスタンドだった。
レヴィアタンはしばらく呆然とした後、手にとって確かめる。角を撫で、画面を摩り、そして小さくため息を吐いた。

「勝手に持ち出すなんて…ね」

「すまない…」

「いいわ……別に」

「フフ」と笑って答える。だが、それを手にした時の彼女の表情は、決して安心感だけに包まれたものではない。何故かは知れないが、どこか残念そうにさえ見えた。

「……大事なものなんじゃないのか…?」

思わず問いかけると、レヴィアタンは躊躇いがちに首を横に振る。

「そんなんじゃ…ないわ。……たぶん」

「『たぶん』?」

いまいち掴めない答えに、ゼロは首を傾げる。レヴィアタンは自嘲気味に言葉を続ける。

「自分でも、どうしてこんな物をいつまでも残しているのか………分からないのよ…」

今の彼女の複雑な表情とは裏腹に、写真の中の二人は眩しいくらいに幸福そうな笑顔を浮かべている。

「……恋人との大切な思い出の一枚だろう…。大事に残して、おかしいことはない」

真剣に言うゼロの顔を見つめ、レヴィアタンは黙りこむ。そして、暫くの後、何かを考えるように目を逸らした後、「フフ」と口元を緩める。

「残念…半分正解で、半分間違い」

「は?」とゼロは狐につままれたような顔で見つめる。そして、何度も映像と彼女とを見比べた。
その様子があまりにもおかしく、レヴィアタンはクスリと笑う。それから、再び考え込んだ後、彼の疑問に対し口を開いた。

「そうね……私の傷が癒えるまで動けないでしょうから…退屈凌ぎに昔話でも聞かせてあげるわ」

それは単純な気紛れだったのだろう。なんにせよ、彼女は自分から過去について、明かすことにした。既に知られていたことはあっても、自ら他人に語るなどというのは初めてだった。

「まず、映像の中の彼。……彼の名はオルジフ。ネオ・アルカディアにおけるレプリロイド工学の権威にして、四天王計画参加者の一人」

痩せ型の身体に、血色のよくない顔のおかげで、病弱そうに見える。だが顔は彫りが深く、男性らしい整った顔立ちをしている。

「そして………‥」

レヴィアタンと瓜二つの顔をした、茶髪の女性を指差す。何処からどう見ても、髪と瞳の色以外は彼女としか思えなかった。
少しだけ口を噤んだ後、レヴィアタンは疑問符を浮かべるゼロに、真実を明かした。

「彼女の名は“レベッカ”。………私の“元”になった人間の女性」

初め、彼女の言葉が理解できなかった。
呆然とするゼロに向かって、レヴィアタンは尚も自嘲気味な笑みを浮かべながら、分かりやすく簡潔に言葉を言い換えた。




「私は、彼女の“模造人形”なのよ」




























 NEXT STAGE












       届かぬ想い、その結末。




























[34283] 20th STAGE 「届かぬ想い、その結末。」
Name: 村岡凡斎◆45ff140f ID:697d6d9c
Date: 2012/10/30 23:33


  ―――― * * * ――――


『……いる…の…かい?』

病床に伏しながら、彼は問いかける。
彼女は彼の手を優しく握り、顔を見つめる。

『ああ……レベッカ………』

人工呼吸器を取り付けられた口で、彼は何度も彼女の名を呼ぶ。
愛おしむように。撫でるように。抱きしめるように。
けれど、その声は響く度に、彼女の心を締め付ける。

『……オルジフ…』

彼女は彼の名を呼ぶ。
その声に、彼は微笑んでみせる。
しかし、彼女は微笑みを浮かべるどころか、哀しげな顔のまま、彼を見つめていた。
そして、再び口を開く。

『オルジフ……私は……――――』

言いかけて、止めた。
ちょうど今、命の灯火が消えかけている彼に、自身の気持ちを伝えたところで、何になるというのか。
それだけではない。その言葉は“裏切り”だ。彼を愛すればこそ、口にするべきではない。
これまでと変わらず、心の奥底にしまい込めばいい。
そう、これまでと変わらず。“その名”で呼んでもらえばいい。
彼がそれで笑顔になるというのなら、それで十分ではないか。今際の際に、それを台無しにする必要など無い。
名前など、只の記号に過ぎない。どんな呼ばれ方をしようと、彼は自分を見てくれているのだ。





――――彼は、きっと私を……





  私…を……――――…?






不意に、彼の手が頬に伸びる。既に温もりなど、欠片も感じられなかった。

次の瞬間、彼は微笑みながら何かを口にした。
たった一言。呟くように。囁くように。

それから、彼は静かに瞼を閉じる。
そして命の火が確かに消えたことを、アラームと心電図が知らせた。

医者と看護師が事後処理をする中、彼女は立ち尽くし、一人思う。

――――オルジフ……私は……

遂に言えなかった唯一言を、震える声で呟いた。



『……私は……“レベッカ”では…ないわ』







顔を両手で覆えども、涙は遂に流れなかった。



















 20th STAGE












      届かぬ想い、その結末。

























  ――――  1  ――――


「四天王計画については知っている?」

「一応……な」

ゼロは白の団のデータベースから得た知識を思い返す。
ちょうど十年前、ネオ・アルカディア政府内にて“今後予想されるレジスタンス組織の活動活発化への対策”の一つとして挙げられた軍団再編計画。その目玉として用意されたのが、軍団をまとめ上げる指揮官レプリロイドの開発案であった。

「政府に属する、レプリロイド工学権威として名高い四人の科学者に、その開発指令が下された……」

救世主エックスのDNAデータを元に、人類、ネオ・アルカディア、それを統べる救世主エックスの守護者たる、最強最優のレプリロイドを開発する計画――――それが、“四天王計画”である。
四人の科学者はその計画を実行するために呼び出され、それぞれ独自の技術を用いて計画に相応しいレプリロイドを開発するよう指令を受けた。

「その内の一人が、そこの彼――――オルジフよ」

上層部の指示により、四人は四つの軍団の具体的なコンセプトに見合ったレプリロイドを設計。
一人は、制空権の掌握及び国家のライフラインに直接関係する設備を護衛する軍団の長となり、且つ、四天王のリーダーとなり得るレプリロイドを。
一人は、広大な大地の上、最も巨大な戦力をまとめ、レジスタンス組織掃討の要となる軍団の長となり、且つ、自らも軍団に恥じぬだけの戦闘力を持ったレプリロイドを。
一人は、隠密活動に特化し、国外のみならず、国内の反抗勢力からも救世主を直接護衛する軍団の長となり、且つ、自らも高い隠密機動能力を持ったレプリロイドを。
そしてオルジフは、制海権の掌握及び海洋調査任務を主とし、情報戦全般を取り扱う軍団の長となり、且つ、自らも水中戦、情報戦に秀でたレプリロイドを。
四人が設計したレプリロイドには、開発段階でコードネームが付けられた。「ハルピュイア」「ファーブニル」「ファントム」「レヴィアタン」――――どれも神話や伝承とリンクさせ、軍団のイメージに沿うようにつけられた名称である。
それらが、今日までレジスタンスに恐れられる四天王と、彼らが統べる四軍団の前身となった。

「元々、オルジフが設計していたのは男性型だった。それもそうよね。旧時代からの男性社会を受け継いだネオ・アルカディアにおいて軍団の長をわざわざ女性型にする意味はないもの」

救世主とその理想郷を護る、四人の屈強な英雄たち。彼らの完成が間近となったちょうどその時。一つの悲劇が起きた。

「オルジフには、大学講師時代から傍で研究を支え続けた恋人がいたわ」

病弱な彼の健康を気遣い、傍で研究を支え続けた恋人。――――彼女の名はレベッカ。
メガロポリス大学でも才色兼備で有名な彼女は、レプリロイド工学を専攻。授業を通じてオルジフと出会い、授業の質問などを繰り返す内に、彼の人間性に惹かれていった。
そして、大学院を卒業と共に、彼との交際を始めることになる。

「オルジフが戦略研究所顧問に就いたこととか、持病を患っていたこととか、歳の差とか……いろいろ事情が重なって、家庭を築くことは暫くなかったわ。けれど、共に過ごし、愛を育み続けた」

互いに愛しあい、慈しみあい――――大切なあたたかい時間を過ごし続けた。
オルジフにとって、レベッカは誰よりも欠かせない大切な存在となった。
しかし、四天王計画に取り組み、完成が近づいた頃。メガロポリスにおいて、とあるレジスタンス組織による襲撃事件が起きた。

「当時、あの大反乱から七十年も経過していたこと、黒狼軍や解放議会軍のような特別視される組織が見当たらなかったことから、国内の警戒心は薄れていたのね。イレギュラーハンターのおかげで、大事には至らなかったけれど、少なからず犠牲者が出たわ。……そしてそこにレベッカが巻き込まれたのよ」

オルジフは嘆き悲しんだ。
最愛の恋人を失い、元々病弱だった身体の具合はさらに悪化していき、取るべき食事も喉を通らないほどであった。
喪失感、絶望感、悲哀と苦悩に包まれる時間。その中で、オルジフは目の前にいる完成間近のレプリロイドに目をつけた。

「彼は、電子頭脳の不具合を理由に、製作途中のレプリロイドを廃棄。コンセプトの見直しと、新技術の導入を謳い、追加予算を請求し、レプリロイドを基本骨子から全て作り直し始めた」

しかし、そうして彼が作り上げたものは、他の研究者達の想像を絶する私情と私欲の産物であった。

「彼は四天王計画用に支給された全ての予算を用いて、新たなレプリロイドを作り上げた。――――死んだ恋人、レベッカと瓜二つの模造人形を……」

上層部はその外観に呆れ果て、オルジフに対し抗議を寄せた。だが完成したレプリロイドにイメージカラーとして指定されていた青が取り入れられていたこと、何より独自技術の導入により戦力として十分な機能が付随されていることを挙げられ、要望を満たしていることに渋々納得する形となった。
かくして、四天王の一人“レヴィアタン”は完成した。……レベッカの模造人形としての外観と“心”を持ったまま。

「上は指摘しなかったけれど……“心”の部分において、私にはある意味、“問題”と言える点があるの」

「“心”……?」

目覚めて直ぐに彼女のことを「レベッカ」と呼ぶオルジフ。しかしレヴィアタンは与えられたコードネームではないその名前に首を傾げる事はなかった。
眼の前にいるオルジフを最初から特別な存在に感じ、愛おしく想い、愛しあう事を躊躇わなかった。その“感情”を一切疑わず、彼を愛した。
まるで、“生まれる前から共に歩んできた恋人”のように――――……‥‥

「もう…分かるわね?」

ゼロは唖然としたまま彼女を見つめた。
レヴィアタンは一息ついた後、複雑な表情と微かに震える声で言葉を続けた。


「オルジフは……レベッカの記憶と感情をデータに変換し…私に搭載したのよ」


真の模造人形――――完全な“レベッカ”を作り上げるため。



オルジフはレヴィアタンに“レベッカ”を移植したのだ。
































  ―――― * * * ――――






    彼の鼻筋が好き。


    耳の形が好き。


    目元が好き。



『……レベッカ』



    “私”の名を呼ぶ、彼の声が好き。




『レベッカ?』


オルジフは、口にコーヒーカップを運ぼうとした手を止め、テーブルの向かい側で暫くぼーっと見つめる“私”に問いかける。
“私”は「はっ」と我に返って、咄嗟に笑い返した。

『どうしたんだい、急に?』

『いえ…なんでもないわ。気にしないで』

不思議そうな顔をしたまま、彼は一口コーヒーを啜る。
その様子を眺めながら、“私”がまた微笑むと、彼は困ったように顔をしかめた。

『僕の顔になにか付いているのかい?』

『だから、なんでもないってば。…フフ』

『……なら、どうして笑うんだ?』

少しだけ『ムッ』としたように彼は言う。
自分の分からないことがあれば直ぐに不機嫌そうな顔をして、疑問が解消されるまで諦めない頑固者。
その表情も、めんどくさい性分も――――“私”は全て好き。
“私”は少し勿体ぶると、彼があまりにも問い詰めるものだから、『分かった。分かった』と答えてあげる事にした。
彼の瞳をじっと見つめて。

『あなたが、そこにいてくれるからよ』

そう言って返すと、キョトンとした後、彼は年甲斐もなく顔を赤らめて手にしていた新聞に視線を戻した。
“私”はその様子を見て、また笑った。すると、今度は彼も笑い出した。

    ……ええ、間違いないわ。

    恥ずかしがりなところも。その笑顔も。共にいる時間も。

    “私”は、彼の全てが好き。


ある日の朝方。
頬杖を突いて自分の青い髪を弄りながら、“私”はそんなことを考えていた。





















  ――――  2  ――――


「彼は元々免疫機能が弱くてね。昔ならともかく、今の技術ではそれほど悪くならずに済んでいたのだけど」

懐かしむように、遠くを見つめながら、レヴィアタンは語りを続ける。

「……レベッカが死んでから…彼は治療を受けなくなった。そして、どんどん衰弱していったわ」

ゼロは黙って彼女の言葉を聞き続けた。彼女が向けた視線の先を、自分も見つめながら。

「それでも彼は、いつも私に笑いかけてくれた。私も彼を見つめて笑った。手をとりあって外を歩いたり、食事をしたり、眠ったり……。そんな普通の毎日を、時間がある限り楽しんだわ」

四軍団の編成が始まった頃、前線に出ることは殆ど無く、レヴィアタンは時間を比較的自由に扱うことができた。
言葉通り、空いた時間は全てオルジフと過ごすために使い続けた。特に何かやることがあるわけでもなかったので、当然と言えば当然なのだが。

「けれどある日……私は違和感を感じたの」

オルジフは時折、懐かしむように写真を眺めていた。“レベッカ”と共に撮った写真を。何度かその光景を目にした時、ふと感じることがあった。

「必死で考えないようにしたわ。けれど……できなかった」

亀裂の入った心に、その違和感はじわじわと染みこんで行き、ついには拭い去れぬものとなってしまった。
ある日の夜、彼女は問いかけた。「決して口にしてはならない」と心の中で流れる警報に耳を塞ぎながら。











  ―――― * * * ――――


『ねえ、オルジフ』

薄明かりの中、ベッドの上で横になる彼。“私”は傍に座って、呼びかける。
彼は『ん?』と視線を向けてくれる。
“私”は彼の瞳を見て躊躇った。どう問いかければいいものか。どう言葉にすればいいものか。彼を困らせはしないものか。
そして、しばらく考えた後、“私”は意を決してそれを言葉にした。


『“私”は……誰なの…?』


瞬間、時間が止まったように感じた。
口を開け、“私”を見つめたまま、彼は黙り込んだ。“私”もまた、黙り込んだ。
その言葉が、正しい表現だったかは、正直分からない。けれど率直に出た、その言葉こそが真実の問いに違いない。だから、“私”は言い直さず、彼の答えを待った。
暫くして、彼は微笑みながら答えた。

『君は“君”だ』



それから、彼は直ぐに眠りについた。
“私”は言葉の意味を考えながら、彼の寝顔を見つめた。
誤魔化したのかもしれない。はぐらかしたのかもしれない。――――そう思っても、それ以上“私”は踏み込めなかった。

何故なら、彼を愛していたから。
この時間を、二人でいる温かい時間を壊したくなかったから。

けれど、黒い靄のような不審感は少しずつ“私”の心を包んでいった。

それから、彼が永遠の眠りに就くまで、“私”は募る不審感をひた隠しながら、共に暮らし続けた。共に笑い続けた。
けれど、次第に『レベッカ』と呼ぶ彼の声は、“私”の心を絞めつけるようになった。

『何かが違う』――――そう感じるようになってしまった。その名前に、呼ぶ声に、違和感を感じるようになっていた。

名前なんてものは只の記号。そう思って、気にしないようにした。“レヴィアタン”でも“妖将”でも“レベッカ”でも、“私”は“私”なのだから。
彼が“私”を見てくれている限り、どんな呼び方をされても、気にする必要なんて無い。そう、強く自分に言い聞かせ続けた。

けれど、彼が目覚めなくなった時。
遂に、“私”は口にした。募り続けたものを、溢れ出るままに口にした。



『……“私”は……“レベッカ”では…ないわ』



黒い靄のような不審感は、その瞬間、心を覆う闇へと形を変えていった。

それから、真実を知ったのは彼の遺品を整理していた時。

彼の研究メモと、“私”の設計データから、全てを知ってしまった。
外見を似せるだけでなく、“レベッカ”の記憶と人格をデータ化して“私”に搭載した。死んでしまった本当のレベッカへの愛情を捨てきれず、“私”という“レベッカ”の模造人形を作った。





彼は最期まで、“レベッカ”を愛していたのだ。















  ―――― * * * ――――


「……彼を、愛していたわ」

事の顛末を語った後、レヴィアタンは再び口を開く。

「けれど…ね。それが本当に“自分の感情”だったのか……私には分からないの」

オルジフを愛した感情は。オルジフとの思い出は。心は。記憶は……本当に自分のものだったのか。
膝を抱え、顔を少しだけ埋める。上目遣いに、僅かに前を見つめて、考えこむ。

「……いいえ、違うわ。答えはとうの昔に出ていた」

そう言って笑う。けれど、その瞳は空虚な輝きを放っていた。まるで、ただの人形のように。

「“所詮、私たちはレプリロイド”――――生命の形を模した“模造人形”なのよ。この心も、人格も、感情も……全てデータに過ぎず、生命を名乗れるだけの価値も、尊厳も……本当は何処にもありはしない」

プログラムのままに誰かを愛し、悲しみ、生き続ける。
個としての自由を求めども、結局は抗えず仕舞い。ボレアスの大地で、カムベアスが証明したように。

「恨んでいるわ。憎んでもいるわ。けれど、それも“私”のものなのかしら。分からないの」

「ねえ、教えて」とレヴィアタンはゼロを見つめた。虚ろな目をしたまま。乾いた笑みを浮かべたまま。



「“私”は……誰なの?」

「…………」



見つめ合う二人の間に沈黙が訪れた。重く、悲しく、寂しい沈黙が。
ゼロは、その問いに返すことができず、黙り続けた。けれど、眼をそらす事は出来なかった。彼女の瞳の奥に、自分の姿が見て取れたから。

暫くして突然、レヴィアタンは吹き出し、沈黙を破る。

「ごめんなさいね。辛気臭い話になってしまって」

「クスクス」と笑って謝るが、その様が、ゼロには憐れに見えて仕方がなかった。
心配げに見つめるゼロに、レヴィアタンは「大丈夫よ」と言う。

「もう、割り切っているから。上手くは言えないけれど、『私たちは“そういうもの”なんだ』…って思っていくしかないわよね」

その時、彼女の一見破天荒な言動の理由が垣間見えた気がした。
再び考え込んだ後、「けどね」とレヴィアタンはポツリと、小さく呟く。

「一つだけ……今も引っ掛かっていることがあるの」

あの日の事を何度思い返しても、彼女はただ一つ、どうしても思い出せないことがあった。
殊更寂しい眼差しで、彼女は口にする。

「あの日……彼が微笑みながら何か言ったの……。だけど…どれだけ思い出そうとしても……その言葉だけが思い出せないのよ」

彼女が“気づいてしまった”――――その直後、彼が紡いだ最期の言葉。
怒りのせいか。憎しみのせいか。恨みのせいか。それとも“彼女”への嫉妬心からか。その言葉だけが思い出せない。幾百、幾千、幾万と交わした言葉の中で、たったそれだけが。
その事実が今も彼女を、“あの日”から解き放ってはくれないのだ。まるで呪いのように。天罰のように――――……‥‥

深呼吸を一つしてから、身体を後ろの岩壁に預ける。

「……喋り過ぎて…疲れちゃったみたい。少し眠らせてもらうわ」

そう言って、レヴィアタンは瞼を閉じた。それから少しして、彼女が眠りに就いたのを証明するように、柔らかい寝息が横から聞こえてきた。
ゼロは彼女の寝顔を見つめた後、空を眺めた。漆黒の空に散りばめられた星々が、まるで己の存在を主張するかのように輝いている。
呆れたように、溜息を一つ吐く。

「………無用心にも…程があるな……」

直ぐ傍にいるのは、あの“紅いイレギュラー”だと言うのに。彼女は少しも警戒すること無く、スヤスヤと安らかな寝顔を晒して眠りに就いている。
だが、この無用心さは今に始まったことではない。
ボレアス山脈でも、潜水艦でも、そして今、己の過去を何の躊躇いもなく明かしてしまうなど、予想だにしない言動ばかりが目立つ。
しかし、その根幹が何処にあるのか、ゼロには確かに分かった気がした。

破天荒で、型破りな言動を重ねて、相手を試しているようで、本当は自分を試していた。
掴みどころが無いようで、その実、全て彼女は本気だった。

「……抗おうとしていたんだろ」

そう言って彼女の横顔を見つめる。
プログラムに縛られた常識的な行動。従順な思考。模範的な在り方。――――それらを全て否定したいがための彼女なりの無意識な反抗だったのだろう。
“所詮はレプリロイド”――――そう言いながら、その枠から外れたかった。自分の感情と人格を肯定したかった。
“レヴィアタン”という唯一無二の、絶対の存在でありたかった。

けれど、捨てきれない感情が――――オルジフへの恋慕の情が、それを妨げる。
彼への愛が、彼との過去が、いつまでも彼女を縛り続け、離さない。そしてまた不幸なことに、自分もそれを離したくはないと思ってしまった。
人の手で植え付けられた“プログラム”かもしれないと分かっているのに。

そのジレンマが、彼女を真に縛り続けているのだろう。



「………分かるぜ、そういうの。慰めじゃなく…さ」



そう呟くように言って手を伸ばす。
そして愛おしむように、彼女の青い髪を優しく撫でた。
































  ――――  3 ――――


遡ること、百十余年前――――イレギュラー戦争以前。
“彼”は、たった一人の科学者の興味から生まれた。
「一つの細胞をどこまで大きくできるか」という実験から生まれた“彼”は紆余曲折の果て、僅かばかりの自律思考能力を備えたバイオメカニロイドとして誕生した。
だが、その戦闘スペックと危険性から、“彼”は隔離施設に一人残され、事実上の廃棄処分となってしまった。

研究施設の片隅でただ一人、束縛から解き放たれる時を待ち続けた。
けれど、その時は何時まで経っても訪れることはなかった。どれだけ待とうとも、その部屋の扉は開かれなかった。

そして、何時しか“彼”は気づいた。
自分は棄てられてしまったのだと。
もう二度と、その扉を開け放たれることはないのだと。

自由は何処にもないのだと、“彼”は理解した。




    ……ユル…ナイ……




それから数年が経過した頃。
思いがけないことに、二度と開くことはないだろうと思っていた扉は開かれた。
その扉を開けた主は、“彼”に手を差し伸べた。
そして、共に来るように言いつけた。

“彼”はそこに救いを見た。
間違いない。目の前に現れた彼こそが、自分にとっての主であると。

一人棄てられてしまった自分を、誰からも思い出されることのなかった自分を救ってくれた唯一人の主。
一度は棄てられた命だ。それならばその命に代えても、自分を救ってくれた彼に忠誠を尽くそう。
この身が滅びるその時まで、唯一絶対のマスターにこの恩を返そう。
そう誓いを立てたのだ。



    ……ユル…ナイ……ます…ーニ……ア…ナス…モノ………



時はイレギュラー戦争開幕直前、あるイレギュラーによる反乱事件が起きていた頃。
イレギュラーハンターであった筈の“彼”の主は、あろうことかイレギュラー側の将軍として、とある発電所の守備任務を上から命じられていた。
“彼”は主の命に従い、その発電所内の番犬として、侵入者を排除する役目を負うことになった。

それから命じられるままに幾百の侵入者を排除し続けた後、“彼”はその男に出会ってしまった。





    ………ル…ナイ………すたー……ハム…ウモ……………






B級のイレギュラーハンターに過ぎなかったその男は、知恵と勇気を振り絞り、“彼”を倒した。
しかし、“彼”は最期まで主の為に足掻き続けた。AIチップと少量のゲル状ボディだけになっても尚、その男に取り付き、先へ進ませまいと抵抗した。
だが、その命は無残にも事切れ、その後、“彼”の主はその男により破壊された。





    ……ユルサナイ……ますたーニ……アダナスモノ…






そして、現代。
オベールの手により復元された“彼”のプログラムは、冥海軍団が開発していた実験兵器に、多少のアレンジを加えられ、搭載された。
忠実な番犬として、救世主が護る最終国家を護るために。人類のためにその力は使われる筈だった。

“彼”が自分を思い出したのは、メラレーン湖での演習時。
迫り来るパンテオン部隊を視界に入れた時、“彼”はあの男を思い出した。


    ……ユルサナイ……ますたーニ…ハムカウモノ……


それは、“怨念”とでも呼ぶのが正しいのだろう。
“彼”はパンテオン達の姿に、かつて自分と対峙したあの男の影を重ねた。

そう。

“彼”のマスターに仇なし、刃向かった“あの男”。

決死の覚悟で挑めど、遂に倒せなかった“あの男”。

命を懸けた忠誠を、その手で打ち破った“あの男”。




イレギュラーハンター「ロックマンエックス」の影を見たのだ。







    ……ユルサナイ……ロックマンエックス………





    ……ユルサナイ……







何故、紅いイレギュラーであるゼロではなく、レヴィアタンを狙ったのか。
その理由は単純明快だ。

レヴィアタンのDNAデータとそれに伴う精神プログラムは、かの「ロックマンエックス」のものを参考に組み立てられていた。
“彼”は、彼女からそれらを“感じ取った”。
つまりは彼女を「ロックマンエックス」であると“思い込んだ”。

そして、かつて主に命じられた指令を遂行しようと“彼”は再び己の意志で動き出したのだ。
果たせなかった忠義を、今度こそ貫き通すために。



既に崩壊寸前の研究施設から微弱のエネルギーを吸収し終え、“彼”は日の出と共に動き始めた。
先ほどの必殺兵器はもう使うことはできないだろうが、今の戦闘力だけで十分だ。

真相をゼロ達が知る日が来ることはない。
誰にも知られることはない。
それでも、“彼”は与えられた任務をやり遂げるため、戦うのだ。



“彼”は感覚が告げるまま、陸へと上がる。
そして、朝焼けが大地を儚く照らす中、「ロックマンエックス」を探し始めるのだった。















    ますたーハ恩…人ダ……

    廃棄ラレ…テタ…オレ…ヲ…救ッテ…ク…レ…タ

    ワタシ…ますた…ニ…忠誠…チカッ…タ……

    キサマ…ヲ…ます…た……ノ…トコ……

    …イ……カ…セ…ナ……イ……












    ………イカセナイ……



    …ロックマン……エックス










    ……………イカセナイ
































  ――――  4 ――――


朝の日差しが二人を染める。
自己修復機能により、ある程度塞がった傷口を確かめると、レヴィアタンは立ち上がり、フロストジャベリンを握った。

「この地形を利用しましょう。ラドゥーンを地上に上げるわ」

辺りを囲む岩山を眺めながら、作戦を考える。

「奴が私を狙うというのなら、今度は私が囮になる」

「待て。傷の治りは……」

ゼロの言葉を、レヴィアタンの人差し指が遮る。
片目を瞑り、笑いながら「大丈夫よ」と答える。

「この程度の傷、問題ないわ。それよりアレを何とかしないことにはどうにもならないでしょ」

放っておけば、どんな被害をもたらすか分かったものではない。
増援を呼ぼうにも、犠牲が増えるだけならば、いっそ二人で仕留めてしまった方がいい。そう言う判断だ。

「これ以上、軍団の恥を晒すわけにもいかないし……。一つ協力してちょうだい、紅いイレギュラー」

「……上に立つ人間も、楽じゃないな」

これまでの失態を考えれば、他の軍団に協力を要請するわけにもいかない。無論、その失態のほとんどにゼロは関わっている。
また、妖将の立場として、今回ゼロと協力関係を築いているということも問題であるし、作戦に協力してくれた上に傷が癒えるまでそばに居てくれたゼロへの恩も無下にはできない。
レヴィアタンがそう言った複雑な事情と私情を抱えていることが分かるからこそ、ゼロもまた、この戦いから手を引く訳にはいかないのだ。

「ボレアスでも湖でも、借りが重なってるからな。必ず返してやる。だから、無茶だけはするなよ」

「フフフ……ありがと」

二人でエル・クラージュに跨る。そして、研究施設があった方面に向けて、ゼロはアクセルを回した。
登り始める朝日に、照らされる岩山。奇襲を警戒して、湖近くの道は通らぬようにした。
初めて乗ったエル・クラージュの速度に、レヴィアタンは振り落とされないよう、ゼロの身体にしがみつく。かと思うと急に、背中越しに笑い出した。
風の音を気にしたくなかったので、接触回線を通じて何事かと問いかける。

「どうした?」

「いえ…ね。思ったより男らしい背中で感心しただけよ」

「そりゃどういう意味だ」とゼロが顔をしかめる。レヴィアタンはそれに対し、またしても笑う。

「あなたこそ、こんなにグラマーな美女が後ろから抱きしめているのに、気にならないわけ?」

そう言って、わざとらしく強く抱きしめ、身体を押し当てる。だが、ゼロはさ程気にしないどころか、呆れたように溜息を漏らした。

「おふざけも、度が過ぎるとみっともないぜ?」

「ホント、思ったよりも真面目よね。……つまんない人」

レヴィアタンは不満気に口を尖らせる。
だが、その表情は何処か嬉しそうでもあった。無論、ゼロには見えなかった。
それからしばらく、背中越しにゼロの体温を感じながら、レヴィアタンは考える。そして不意に、先ほどまでとは打って変わった落ち着いた声で「ねえ」と呼びかける。

「……なんだか、こういうのいいわね」

「『こういうの』?」

「………恋人みたいじゃない?」

その問いに、ゼロは答えなかった。彼女が真剣に口にしていたということもあるが、きっと彼女の心の中には別の景色が浮かんでいるだろうと思ったから。
レヴィアタンもまた、答えを迫らなかった。理由は、言うまでもない。
そこからまた走り続ける内に、今度はおもむろにゼロが口を開く。

「考えてみたんだ」

「……何を?」

「どうして、ソイツが死んだのか」

“ソイツ”――――誰のことを指しているのか、レヴィアタンにはすぐに分かった。
昨日、ちょっとした気紛れから過去の話をしたことについて、レヴィアタンは少しだけ後悔し、うんざりしたような声を返す。

「……しつこいわよ。彼は身体が弱かったって……――――」

「ネオ・アルカディアの延命技術があれば、いくら身体が弱かろうが、願えばもう少し長生きができただろう」

あの“おじいさま”などは既に百数十という歳を重ねている。
オルジフも、治療を打ち切らなければ、もっと長く生きることができた筈だ。

「だが、ソイツは死を選んだ。“レベッカ”が傍にいるにも関わらず…だ」

「…………」

ゼロの指摘は間違いなく、正しい。
“レベッカ”の模造人形が傍にいたというのに、オルジフは生きることを選ばなかった。
過去も、記憶も、姿形も似せて作った完全な模造人形と共に生きる道を選ばなかった。
それは、何故か――――

「もしかして、ソイツは……――――」

言いかけた瞬間、ゼロの腰に回されたレヴィアタンの両腕が、言葉を遮るように強張ったのが分かった。
ゼロは言葉を飲み込む。明らかに、彼女は動揺している。まるで「聞きたくない」とでも言うように。
その様子に、ゼロは「まさか」と口を開く。

「……まさか、お前……――――……‥‥ッ!」

その刹那、二発のエネルギー弾が二人めがけて放たれた。
センサーが感じるまま、ゼロはハンドルを切り、なんとか躱しきる。彼自身の反応に対し、コンマ〇秒のズレもなく応えるエル・クラージュだからこそ避けられた。
レヴィアタンは咄嗟に弾の軌跡を追う。その先に敵の姿を確認した。

「どうやら……向こうから来てくれたようね」

一体の竜の化物が、獲物を睨むようにしてこちらを見ている。
どうやって感知したのか知れないが、ラドゥーンは陸に上がり、二人を見付け出したのだ。

「クソ……先手を取られるとはな」

「問題ないわ。岩陰に隠れて減速して。あくまでも作戦通り行くわよ」

冷静にそう言い放つ。ゼロはそれに従う。
ラドゥーンのエネルギー弾による射撃攻撃を掻い潜り、岩陰に隠れながら減速した。タイミングを見計らって、レヴィアタンが飛び降りる。受け身をとって立ち上がると、「よろしく頼むわよ」と声を掛け、岩山を軽い足取りで登った。
岩山の頂上にひらりと舞い立ち、ラドゥーンと顔を合わせる。憎悪のようなものが、ラドゥーンのコアから放たれているような感じがしてならない。
レヴィアタンは不敵な笑みを浮かべた。

「……あなたが、いったいどういうつもりなのかは知らないけど――――」

愛槍の切っ先をラドゥーンへと向け、大気中の水分を集める。昨日、ラドゥーンが大量の水を湖から外へまき散らしてくれたお陰で、調子は悪くない。

「――――簡単に負けてはあげないわ。……手加減は抜きよ!」

瞬間、氷結と共に放出。
凝縮された水分は氷の龍を形作り、ラドゥーンへ目掛けて一気に空中を駆け抜ける。
スピリット・オブ・ジ・オーシャン――――フロストジャベリンによる必殺攻撃。とは言え、水中や雨天時ほど大きさを確保出来なかった氷の龍は、ラドゥーンの硬質化した眉間に衝突すると共に、派手に砕け散った。
氷の破片に乱反射する朝日がラドゥーンの視覚を惑わす。それによりレヴィアタンの姿を見失った。かと思うと、四方からのビーム攻撃。スピリット・オブ・ジ・オーシャンを防ぐために硬質化した表面に直撃し、ラドゥーンは思わず怯む。
蝶が舞うように駆けまわるレヴィアタンを捉えようと、ラドゥーンのコアは周囲を見渡す。すると今度は、上空から無数の氷の塊が霰の如く降り注ぐ。ダメージになることはないが、目眩ましとしては十二分に効果を発揮した。

「残念ながら、私はあの“戦闘馬鹿”みたいな重たい一撃は持っていないのよね」

撹乱と一撃離脱。敵を惑わし、最後はその隙を突く。それこそが妖将レヴィアタンの戦闘スタイルである。
水分を再び集め、フロストジャベリンを一振り。今度は氷の輪を生成し、ラドゥーンへと投げ飛ばす。
これもまた圧倒的なダメージを与えられるような攻撃ではない。ラドゥーンのような相手に対しては尚更だ。しかし、それでも構わない。奴の注意が必要以上にこちらへ向いてくれるならば。
優先すべきは作戦の完遂なのだから。

砕け散る氷の破片に、再びレヴィアタンを見失う。
痺れを切らしたのか、ラドゥーンは身体を大きくうねらせ、周囲に尾を振り回す。硬質化した尾は囲んでいた岩山を砕き、破片を飛ばす。
岩の礫を躱しながら、レヴィアタンはラドゥーンの尾に対し、ビーム攻撃を絶えず浴びせた。その衝撃は、確実に内部の神経伝達用ナノマシンにダメージを与えてゆく。

しかし、そのようにして行動を制限することによって、ラドゥーンはレヴィアタンの姿を視界に捉える。そして牙を向け、猛烈な勢いで頭部から襲いかかった。
だが、それを見越していたのか、レヴィアタンが難なく躱してみせると、ラドゥーンの頭部は背後にあった岩に激しく突っ込んでいった。
巻き上がる砂埃の中、背後へ振り返る。すると、レヴィアタンはフロストジャベリンを天に向け、周囲にばら撒いていた水分を再び集めていた。今度は先程より遥かに巨大な水の塊が切っ先に出来上がりつつ有る。
初撃、氷の輪、そして氷塊を降らせる“マリンスノー”による攻撃は、全てこの一撃を即座に放つための布石だった。

「やっぱり本調子とは言えないけど………今はこれで十分。喰らいなさい!」

掛け声と共に、特大のスピリット・オブ・ジ・オーシャンが放たれる。そしてラドゥーンの頭部に直撃し、盛大な氷の破片を空中に撒き散らした。
刹那、視界を撹乱されたラドゥーンの隙を突き、紅い影が背後から飛びかかる。手にした刃は炎を纏っていた。

ゼロの剣技の一つ、断地炎。炎を纏った刃を下に向け、上空から敵を討つ。接地、接敵した瞬間に爆発を起こすことで追加ダメージを与えることが出来る。
硬質化した表面を弾けさせ、内部のコアへ刃を通す。ラドゥーンの性質を考えた末、ゼロはこの技こそが勝利の鍵となると判断した。

「これで終わりだ!」

言い放つと同時にゼットセイバーはラドゥーンの表面に直撃し、爆破。身体を形成していたゲルが見事に弾け飛ぶ。そして、微かだが、確かに露わになったコア部分へと、そのままゼットセイバーを突き刺した。――――筈だった。

「…… な っ !?」

ゼットセイバーの刃はそのまま元のゲル状に戻った身体に突き刺さる。コアとなっていたパンテオンヘッドは、流れるようにゲルの内部を移動し、ゼロの攻撃を躱したのだ。
爆発の衝撃により、後方からの敵を感知。追撃を予測し瞬発的に避けた。そもそも中枢となるコアが自在に動くという考えがなかったこと、事前情報以上の反応精度であったことが災いした。

「紅いイレギュラー! 離れて!」

レヴィアタンの叫びが届くよりも早く。ラドゥーンはゲルを棘上に変形させ、ゼロの身体を突き刺す。咄嗟に躱すも、腹部を貫かれ、そのまま身体から弾き落とされた。
彼の身を案じ、レヴィアタンは駆け寄ろうと地を蹴る。が、ラドゥーンがそれを許さない。あくまでもターゲットはレヴィアタン一人らしい。襲いかかる牙を既の所で躱す。
すると、パンテオンヘッドのカメラ部分と目が合う。気がつくと、いつの間にか牙の中心部分まで移動していたのだ。まるで、目玉のようにギョロリと見つめている。

「気色悪いものを!」

奥歯を噛み締め、フロストジャベリンを振り回す。硬質化した牙に刃が防がれる。
その後直ぐに、コア部分が今度は頭部まで移動する。そして、巨体を一気に凝縮させ、巨大な球体を形成する。
直径十数メートルの巨大な球体から四肢が生え、パンテオンヘッドはそのまま頭頂部に移動した。陸上での戦闘を考慮し、巨大な竜は、球体の魔神へと姿を変えたのだ。

その右腕が、レヴィアタン目掛けて振り抜かれる。咄嗟に飛び退くと、後ろの岩山が破壊され、瓦礫が周囲に飛び散った。

「もう一度……!」

フロストジャベリンに水分を集めようとしたその瞬間、ラドゥーンは体内に蓄積していたエネルギーを雷に変換し、体全体から放出した。
直ぐ傍にいたレヴィアタンは、その攻撃を直接受けてしまう。体中を雷が駆け巡り、全身の回路を焼き切るかのような激痛が走る。堪えきれず悲鳴を上げた。
それから攻撃が止んだ後に、周囲を見て絶句する。先ほどの雷により、撒き散らしていた水があらかた分解されてしまっていたのだ。フロストジャベリンによる攻撃は、もうそこまでの威力を発揮できないだろう。

「……万事休す…ね」

踏ん張りが利かず、そのまま倒れこむ。なんとか上体を片腕で支え、前を見る。審判を下す執行人のように、ラドゥーンは重たい足取りで近づいて来た。

「……いや……ここまで…か」

昨日の傷も痛み出し、もう立ち上がる気力もない。レヴィアタンは敗北を悟った。
彼女を睨むラドゥーンのコア部分。そこから滲み出る憎悪。

「ホント……あなたの“それ”は何処から来たのかしらね」

体を引きずり、岩山にもたれかかる。
ラドゥーンが抱える憎悪の正体。それが一体何処から来たのかは分からない。
しかし、己の死が迫る中、レヴィアタンはその以上な執着心に、自分を重ねた。

――――過去……か…

予測の範疇だが、おそらくマザーからサルベージしたプログラムの中に残っていた、過去のデータが影響していたのだろう。つまりは、今向けられているのは過去からの憎悪。
きっとラドゥーンの中にある“それ”もまた過去に縛られているのだ。そう感じ取った。
もう自分に抗う力はない。レヴィアタンは覚悟を決め、オルジフの顔を思い浮かべた。

「……やっと…あなたのところへ行けるわ」

思い出せぬ言葉も、自分自身の存在の意味も、過去への執着も……何もかもから解放される。
そう思えば、怖くはなかった。

振り上げられる拳。それを見つめ、思い出す。

――――今、行くわ……オルジフ…

そっと瞼を閉じ、豪腕が空を切る音を聞く。そしてレヴィアタンはこの世界に別れを告げた。




















衝突音と、頬に当たる礫に、レヴィアタンは瞼を再び開く。




「………そっちに…逝ったところで……お前はソイツに……会えやしない」




紅いコートの背中が見える。身の丈を遥かに超える豪腕をゼロは正面から受け止めていた。
地面にめり込む足。先ほどの傷口から血液が噴き出る。それだけではない。あの拳をもろに受けたのだ。そのダメージは想像を絶するだろう。
レヴィアタンはしばらく状況が飲み込めず、口を開けたまま見つめる。

「ちょっと……何を……」

「……お前のことを……ソイツは待ってなんかいない」

レヴィアタンの心に、ゼロの言葉が突き刺さる。しかし、今はそんな話をしている場合ではない。

「……そんなこと言ってる場合じゃ――――……‥‥」



「 諦 め る の が 早 過 ぎ る っ て ん だ よ ぉ !!」



怒鳴り声をあげ、受け止める両腕に力を込める。そして、両腕のジェネレータをフル稼働させ、エネルギーを爆発的な速度で蓄積させてゆく。

「ちょっと…! そんなことしたら!」

オーバーヒートを引き起こし、四肢が弾け飛ぶに違いない。それほどの高速性だ。関節が軋む音が聞こえるような気がした。
しかし、ラドゥーンはそれを見過ごすつもりはない。いや、むしろそれを利用しようと考えた。
球体状の身体は形を変え、ゼロの身体を包み込んだ。全身から溢れ出るエネルギーを吸収するために。

「やめなさい! 紅いイレギュラー!!」

レヴィアタンの悲痛な叫び。だが、ゼロはジェネレータを稼働させ続ける。
既にアースクラッシュ数発分に匹敵する量のエネルギーを生産し、それでも尚、ラドゥーンが吸収する以上のエネルギーを増産し続けた。
体中を駆け巡る激痛の中、自身を奮い立たせるためか、勝利をもぎ取るためか。ラドゥーンの体内に包み込まれたゼロは、ジェネレーターの可動と共に雄叫びを上げ続けた。



突如、ラドゥーンのボディーに綻びが生じる。ゲルの欠片が破裂音と共に弾け飛び始めた。
一つ二つと、焼け焦げたように煙を上げながら。次々と、連続的に。その数は増えてゆく。

そして大地を揺るがすような爆発的な衝撃が、激しい閃光と共に内部で起こった。
瞬間、ラドゥーンの身体を形成していたゲルは粉々に砕け、その勢いのまま、光と共に上空へと撒き上げられた。まるで滝が勢いもそのまま、逆流してゆくかのように。
光りに包まれ、コアとなっていたパンテオンヘッドは消し飛んだ。その内に抱えた憎悪と、今尚忘れられぬ過去と共に。


それから、数秒後。空中に舞い上がった無数のゲルの破片がどしゃぶりの雨のように地面を叩き続けた。






























  ――――  5 ――――


呆然と座り込むレヴィアタンの前に、満身創痍の身体を引きずるようにしながらも、ゼロはなんとか戻ってきた。
降り注ぐゲルの破片に陽光がキラキラと美しく反射する。その輝きの中、ゼロはレヴィアタンの前に立つ。
あまりに無謀な戦法に絶句していたレヴィアタン。震える声で気遣う言葉を搾り出そうとする。

「あなた……なんて無茶を……」

「………ふざけるな…よ」

レヴィアタンに対し掠れた声で、ゼロは言う。
突然力なく崩れ落ちるゼロの身体。レヴィアタンは咄嗟にそれを支える。
だが、ゼロは彼女の肩を掴み、睨みつけ、叱咤した。

「……ちゃんと生きてもいない内に……諦めるんじゃない」

ラドゥーンの脅威を前に、レヴィアタンは敗北を悟り、死を覚悟した。いや、生きることを諦めた――――ゼロにはそう見えた。
事実、レヴィアタンは亡きオルジフのことを思い浮かべ、生きることを諦めた。彼の元に召されるのだと、信じた。
だが、ゼロは再び言い聞かせる。

「……お前が逝ったところで……ソイツは……待っちゃいない……」

既に限界を超えていた。ゼロは震える声で、言葉を搾り出していた。
その姿があまりにも痛々しく、レヴィアタンは「喋らないで」と止める。

「そんな話をしてる場合じゃないでしょ! 体の方は……」

「…お前…は……気づいて……いたんだろ……」

そのゼロの言葉に、思わず「ハッ」とする。
心の中を抉るようなその響きに、レヴィアタンは思わず体を震わせる。
その様子に気づいているのか、ゼロは厳しい口調で言葉を続ける。

「ソイツが…“分かっていた”ことに……気づいていたんだろ……」

「………めて…」

消え入るような声で、レヴィアタンは言う。
それから今度は、はっきりと聞こえるように。拒絶の言葉を吐く。

「……やめて…」

じっと見つめるゼロに、レヴィアタンは怯えるように叫ぶ。

「やめて……… そ ん な こ と 言 わ な い で !」

それ以上は聞きたくない。――――ゼロの言葉が真実であると分かっていた。だからこそ、拒絶する。その真実が自身の心を抉ることを知っているから。
だがゼロは残る力を振り絞り、彼女の肩を強く掴み、「ダメだ」と強く言う。

「それと……向き合わない限り………お前はこれからずっと……縛られたままだ……」

「構わないわよ! それでも!」

拒絶の言葉はまるで、悲鳴のようだった。

「彼のことに縛られて! “私”が何者なのか分からなくとも! それでも構わない! 私は、彼に……――――」

「それは……ソイツへの冒涜だ」

ゼロが言葉を吐く度に、それが心に突き刺さる。レヴィアタンは拒絶するように目を強くつぶり、吐き出すように叫ぶ。

「知ったようなことを――――」



「俺は愛する人をこの手で殺した」


彼女の言葉を遮るように、ゼロは殊更はっきりとした声で言う。
突然告げられた驚愕の告白に、レヴィアタンは言葉を失う。「愛する人を殺した」――――確かにそう言った。

「……俺は…それを覚えてる………。覚えてるのに……思い出せないんだ……」

苦しそうに、悔しそうに、ゼロは言葉を続ける。

「…愛したその人の…顔も…………名前も……思い出せないんだよ……」

夢の中で何度も出会った“彼女”。
記憶をなくしても尚、覚えている破壊者としての自分。その手にかけた“彼女”のこと。
失った過去が、心を蝕む。怨念のように。呪いのように。思い出せないからこそ、苦しい。
“彼女”だけじゃない。本当に多くのものを失くしてしまった。信じた友。部下。仲間。好敵手。思い出。約束。誓い。――――なにもかも、失くしてしまった。

「けれど……俺は…その過去から逃げたくはない。いつか……必ず思い出したい……向き合いたい……真正面から……受け止めたい……」

その日が来ることを、待ち望んでいる。願っている。
理由はただ一つ。

「俺は…“未来”が欲しい」

そう言ってから苦笑する。
「いや……そんな大層なもんじゃなくてもいい」と首を横に振り、言葉を続ける。

「せめて…“明日”が欲しい。俺は……“今日”の向こうにある“明日”が欲しい」

随分前に辿り着いた答え。それをずっと抱き続けて戦ってきた。
掴めないからこそ、欲しい。希望に満ちた“明日”が欲しい。「だけど」と、唇を噛む。

「“明日”は“今日”の連続だ。……“今”があるから……“未来”がある。そして………――――」

「……“今”もまた……“過去”から繋がっている……」

レヴィアタンの言葉に、ゼロは「そうだ」と頷く。

「だから俺は…“過去”を取り戻したい……“今”を生きるために……“未来”に繋がる“今”を生きるために…………俺は“過去”を背負って生きていきたいんだ……。そんな“過去”を……思い出したいんだ」

失った友との記憶も。部下や仲間のことも。
美しい思い出ばかりじゃない。分かっている。それでも欲しい。
苦しんだ戦いも。つらい真実も。遂に果たせなかった約束も。
愛してしまった“彼女”の名前も。殺してしまった“彼女”の顔も。最期に“彼女”と交わした言葉の一片も。
向き合いたい。そこに絶望があろうとも。
そこから目を背けて前に進もうというのなら、愛してくれた“彼女”への冒涜でしか無い。
そんな自分が“今”を生きられる筈がない。“明日”を、“未来”を掴める筈がない。

「……それなのに……お前はどうだ…」

肩を握る手に、さらに力を込める。

「向き合えるのに………覚えているのに…背を向けて………」

感じたのは確かな怒りだった。
自分がどれだけ望もうとも手に入れられないものを持ちながら、それから目を背けようとしている。
そんな彼女への怒りだった。


「過去に縛られた“つもり”になって…… 悲 劇 の ヒ ロ イ ン を 気 取 る の は い い 加 減 に し ろ ぉ ! ! 」


そう吠えた後、ゼロは力を失ったのか、肩を掴んでいた腕は地に落ち、頭から倒れ込む。それを、呆然としていたレヴィアタンの身体が支える形になった。
レヴィアタンはそれを気にすることなく、代わりに深く考え込んだ。

「……あなたの……言う通りよ」

やがて、沈黙の後にレヴィアタンは震える声を搾り出した。

「……私は……気づいていた……彼が“彼女”を愛していたことに………」

放心したように遠くを見つめながら、レヴィアタンは言う。

そう……“私”は分かっていた。彼が死ぬ瞬間に――――或いはもっと前から気づいていた。



    彼は“彼女”を愛していた。

    死んでからも尚、愛し続けた。

    目の前の“模造人形”には目もくれず。


    そこにいない“彼女”を愛していた。



「代わりでも良かった……」




    “私”の中にいる“彼女”を愛してくれているなら。

    『それは“私”だ』って

    『“彼女”としてでも“私”を見てくれていたんだ』って

    そう思えた。



    けれど、真実は違った。



    彼は既に見ていなかった。

    “私”の中に“彼女”を。


    ――――いや、違う。


    もういなかったのだ。



    “私”の中に……彼が愛した“彼女”はいなかったのだ。




    あの日、彼が最期に紡いだ言葉を、何故思い出せないのか。
    それは、その言葉こそ彼の想いの真実を現していたから。
    だから“私”は記憶の底に閉じ込めて蓋をした。

    『“彼女”としてでも、彼は“私”を愛してくれた』――――そんな過去が欲しかった。
    そんな過去を壊したくなかった。


    そう……。

    あの日、彼が最期に紡いだ言葉は。

    共に見せてくれた笑顔は。


    それらを向けた相手は…――――……






「“レベッカ”で良かったのよ……最期まで…」

愛してくれているのなら。
だけど、彼が最期にかけた言葉と笑顔は、“レベッカ”に向けたものではなかった。――――しかし、だからこそ認めたくなかった。

「……教えて…紅いイレギュラー………」

肩にもたれかかるゼロへと問いかける。

「……“私”は…どうすればいいの…?」



    どうすれば受け入れられるの?

    どうすれば認められるの?

    どうすれば向き合えるの?



――――そんな彼女の問いに対し、暫くの静寂の後、搾り出すような掠れた声が答える。

「…俺達は……レプリロイドだ……」

生物を模して作られた擬似生命体。プログラムにただ従い、忠実に動く機械人形ではない。
自分で思考し、選択し、生き方を選ぶことができる。――――感情を持った“レプリロイド”だ。

「誰かを…想うことも…愛することも………憎むことも…恨むことも………そして…」

「ぐっ」と息を飲む。それから優しい声で囁くように言葉を続けた。


「――――そして……赦すことも…出来る筈だ……」


『赦す』――――その言葉が耳に染み込んだ瞬間。
心を覆う雲が引き潮のように流れてゆくのを感じる。光が漏れ出すのを感じる。

そして、心の底から蘇る――――



    あの日、最期に彼が紡いでくれた言葉


    “私”に向けてくれた、あの笑顔と共に


    “私”にかけてくれた、最期の言葉













    それは――――………‥‥‥






























「………………………」


既にゲルの雨は止んでいた。
照らす太陽は地上に落ちたゲルに反射して、眩しく輝く。
まるで宝石を散りばめたように。

もたれかかるゼロの身体もそのままに、レヴィアタンはずっと遠くの方まで、ぼんやりと空を眺めていた。



どこまでも青く広がる優しい空を。

いつまでも、一人で見つめていた。































  ――――  6 ――――


「本当にいいのか?」

「餞別よ。あなたのおかげでアレも倒せたことだし」

レヴィアタンはそう言って笑うが、後方に控えていた部下は苦い顔をしていた。
ネオ・アルカディアの最新技術が詰まったエル・クラージュを敵に明け渡そうというのだ。他の軍団や元老院に知れれば、レヴィアタンだけでなく冥海軍団全体が危機に晒されるだろう。
だが、それを恐れる以上に、レヴィアタンはゼロに対し恩を感じていた。それを示したかった。

ラドゥーンを倒した後、レヴィアタンの救助用ビーコンを頼りに、冥海軍団の救援が現れた。
傷だらけのゼロは彼らに保護され、治療を施されてなんとか一日で復帰することができた。

「まあ……これで貸し借りなしってことで。文句はないでしょ?」

「オーライ。そういうことにしといてやる」

呆れたように笑いながら、ゼロは答えた。

「……もう、大丈夫か?」

「あら、優しい。心配してくれるのね」

レヴィアタンはこれまでと変わりないように振舞っている。だが、真実を受け止めたばかりで内心はどうなのか。ゼロは些か以上に気にしていた。だが、レヴィアタンは「大丈夫よ」と苦笑じみてはいるが、明るく答える。

「ただの“ちょっと遅い失恋”だもの。女らしく、新しい恋に生きるわ」

「……そいつは何よりだ」

それからレヴィアタンは「ん~」と人差し指を自分の頬に当て、わざとらしく考えてみせる。それから、おもむろに歩み出し、ゼロの傍へと近寄る。そして何を思ったのか、両腕をゼロの背中に回して抱きしめた。
突然の行動にゼロも含め周囲は皆、状況が理解できなかった。しかし、彼女が周囲の目を気にする様子はない。寧ろ、それだけでなく――――

「……っ!」

ゼロの首筋にそっとキスをした。数秒ほど優しく押し付けられた柔らかい唇。その感触が、温もりと共に残る。
開いた口がふさがらないままの部下達を尻目に、今度は耳元へその口を近づける。そして艶かしく囁く。


「この首はいずれ私が頂くから……覚悟なさい、ゼロ」


「………本当に…なんて将軍だよ」


首を竦めるゼロに、レヴィアタンは「フフフ♪」と嬉しそうに微笑んだ。

それからエル・クラージュと共に去りゆくゼロの背中をじっと見つめる。
後ろから部下が慌てたように駆け寄る。

「本当にいいのですか、妖将様!」

「なにが?」

「あの紅いイレギュラーですよ!? 奴を野放しにしてしまっては――――……」

「しつこい」

そう言って、彼の額を指で弾く。そして、小馬鹿にしたように笑った。
その部下は額を抑え、苦い顔をする。

「……笑っている場合じゃありませんよ……これは明らかな――――」

「“裏切り”でしょうね。言いたければ上に言いなさい。私は甘んじて罰を受けるわ」

「そう言う問題ではありません」と喚き散らす部下の声を無視し、再び振り返る。もうずいぶん遠くまで行ってしまった。けれど、その紅い背中をハッキリと覚えている。

過去と向き合う勇気をくれた人。
いつかまた会う日を思い、期待する。どのような形でその時が訪れるのか。その“未来”はどんなものなのだろうか。
“明日”がこれほどまでに待ち遠しく感じられるのは初めてだ。

「……ありがとう。必ずまた会いましょう、ゼロ」

荒野の果てを見つめながら、呟くようにそう言った。
そしてまた、彼もいつか記憶を取り戻せるようにと、レヴィアタンは静かに願った。















  ―――― * * * ――――


「ごめんね……ダーリン……」

エル・クラージュのコアユニットからしょぼくれた声が聞こえる。その主はレルピィだった。

「なにが?」

「『なにが』……って私のためにいろいろ苦労かけさせちゃったでしょ……」

敵により封印されてしまったことを、正直申し訳なく思っていた。とは言え、仕方のない事だったとゼロは笑う。

「なに、問題ないさ。結局はこうして全て丸く収まって…おまけにこんな物まで手に入ったしな」

そう言って、エル・クラージュの車体を優しく叩く。
ふとゼロは気づく。そう言えば、レルピィも先ほどのレヴィアタンとの遣り取りを見ていた筈だ。いつもの彼女ならば、即座に飛んで耳元で喚き散らしていただろう。それをしなかったのは、そうした「申し訳ない」という思いが理由だったのかもしれない。
自分が人質のように扱われたことで、反省しているようだ。
「もし、そうなら」と考え、ゼロは溜息を吐いた。

「あのな、レルピィ」

「………何?」

半ば呆れたような声で名を呼ばれ、おそるおそる問い返す。
だが、ゼロは優しい声で諭すように言う。

「お前が俺にとって必要だからこそ、俺は見捨てなかったんだ。お前はそれに対して感謝してもいいが、見当違いな反省なんかするなよ。そんなことされちゃ、毎度毎度助けてもらってる俺は、頭が上がらないっての」

「……ダーリン………」

「いつも通りのお前でいてくれよ。一日いなかっただけで、だいぶ調子が狂ったんだぜ?」

そう言って明るく笑いかけるゼロ。レルピィはその言葉に、心の奥がじんと温まるのを感じた。
そして、気を取り直したのか、一際明るい声を返す。

「うん……ありがとう、ダーリン! やっぱり愛してるぅ!」

そう言ってエル・クラージュを更に加速させる。
慌てて、振り落とされないようにハンドルを握るゼロ。だが、それにも構わず、レルピィは加速した。異常なほどの加速力で。

「ぬぉっ……ちょっ待て! 待てって!」

「――――そんなわけで私と言う者がいることだし! あんな女に二度と誑かされないでよね!」

「お前っ!? ……なんだかんだで怒って…んのか……って! ……ちょぉ!?」

嬉しさからか、嫉妬心からか。危なっかしく蛇行しながら進んでゆくレルピィ。
舞い上がる砂埃と、風を切る轟音の中、ゼロは情けない声を上げながら必死にしがみつくだけで精一杯だった。

















    ……ええ、間違いないわ










    “私”の気持ちは本物よ




    彼を愛する想いも

    焦がれる想いも

    慕う想いも






    人の手により生まれた存在


    だけど


    この感情は



    組み込まれたプログラム以上に






    ――――厄介だわ






































 NEXT STAGE











      デンジャラス・デイ



















[34283] 21st STAGE 「デンジャラス・デイ」
Name: 村岡凡斎◆45ff140f ID:697d6d9c
Date: 2013/05/07 21:37













※WARNING※

この作品はフィクションです。実在の人物、団体、事件などにはいっさいがっさい関係ありません。
また、架空の人物、団体、事件などについても、直接つながりがあるかどうかは保証いたしません。

よいこのみんなの自己判断でお願い致します。

















  ―――― * * * ――――


握りしめたハンドガンは冷たく、軽い。指を掛けたトリガーの、なんと小さく安っぽいモノか。

たった一度これを引くだけで、得物の先端に空いた丸い穴から、必殺のエネルギー弾が放たれる。そうすれば、力尽くで抑えつけたこの頭部は、どす黒い疑似体液まみれの屑鉄に姿を変える。
“それ”も自分の仕事……では別にないのだが、やるべきだと思っていながら、安易にその道をとることができない。
躊躇っているワケではない。まして、悩んでいるワケでもない。

――――…ただ…虚しい…

同じレプリロイドとして生まれてきたハズなのに、何故こうも殺し合わなければならないのか…。

――――…答えは簡単だ…

「同じ」ではないからだ。この男と、自分とに限らず、この世界に生きるレプリロイド達は一人として「同じ」ではない。
特に、自分のような「華麗で優秀なイレギュラーハンター」と、この男のような「凡庸なイレギュラーハンター」達とでは、その立場から何まで大いに異なる。

――――ならばどうする?

そう自分に問いかける。もう何度その問いかけをしてきただろうか。しかし“見つけたかった答え”は何処にもありはしないのだと、今度もまた割り切ってしまう。

「考えるまでもないな…」

その呟きはおそらく、彼の下で喚きちらしている男には微塵も聞こえていなかっただろう。











「……あの副隊ちょー…カッコつけてないでその銃をどけてくれませんか……?」


「“その呟きはおそらく、彼の下で喚きちらしている男には微塵も聞こえていなかっただろう”!」

「あの……思いっきり口に出してるとこ悪いんですが……自分、別に喚いてもいないし…そもそも凡庸でもないんで……――――……ぇでででっ!!」

「 え え い !  勝 手 に 人 の モ ノ ロ ー グ に 口 を 挟 む で な い ! 」

そう言うとシューターは殊更強くドローの頬にハンドガンの銃口を突きつけた。「あがががが」と言葉にならない奇声を発してドローは抗議するが、怒り心頭のシューターの耳に届いている様子はない。

「俺は哀しいぞ! ドロー隊員! 貴様のような男がいるおかげで俺はまたしてもあのクラフト野郎に釘を差される羽目になってしまった! 分かるか! この屈辱が! 分かるか! この虚しさがぁ!!」

「副隊長! 落ち着いてください! ドローの奴も悪気はなかったんすよ!」

「そうです副隊長! 今こいつは猛烈に反省しているところです! 猛省です! どこぞの賭博師もびっくりです! 故にここはどうかお見逃しを!!」

「シャラップ!! アーチ、ボウ! お前らも俺の邪魔をするというのならドローのように“銃口グリグリ”の刑だ!! 間違って俺が引き金を引いてしまうかもしれないという恐怖に揉まれながらほっぺたの肉の悲鳴を存分に聞くがいい!!」

「うくらいちょー(副隊ちょー)、おっえらのりうあいえいあんああえあえんっれ(ほっぺたの肉は悲鳴なんかあげませんって)」

「なんて言ってるのかはぜーんぜん分からんが、尚も反省する気 Z-E-R-O ということだけはよぉく分かった! 謹んでこの引き金引いてくれよう!!」

「副隊長! それだけはダメっす!」

「俺たちに免じてコイツの命はどうかお助けを!!」

アーチとボウはシューターを取り押さえにかかるが「ええい! 離せ離せ!」と喚きジタバタと抵抗されてしまう。
しかし、なんとか頬からハンドガンが離れたのを見計らい、ドローはよじよじと押さえつけるシューターの下から這い出ようとしていた。

「ええい! 逃すものかよ!」「お待ちを! 副隊長! お待ちをぉ!」「ストップ! ストーップ!!」「よっこらせ…よっこらせ…」

ドタバタと騒ぎ立てる面々。このいつも通り見苦しい騒動は、残念ながら暫く続くことだろう。






――――だが

真に華麗なハンターという者は、常に己の任務を自覚し、神経を鋭敏に張り巡らせ、あらゆる状況においてもその使命を達成する為に行動をする。

「そう……この私…コード隊員のように……」

状況を整理しよう。
現在、我々イレギュラーハンター第十七精鋭部隊“特殊班”は紅いイレギュラー追跡任務のため、奴の行動を分析し、活動していた。
あらゆるイレギュラーの集落を張り込み、時にはイレギュラーを尾行し、レジスタンス組織の拠点に侵入しては紅いイレギュラーを捜索し続けている。

先日はと言うと、紅いイレギュラーを見たという老レプリロイドの言葉を信じ、とある集落へと出向いたところ、とある“オレっ娘少女”に出会した。
十七部隊の保護を受けているという主張をされたが、我が愚かなる副隊長シューター様々は確認を取ること無く「そんなものはデマだ」と決めつけた。
それに対し、抵抗する“オレっ娘少女”。彼女の言動をうるさく感じたシューター様はドロー隊員に少女の身柄拘束を命じる。嫌々ながらもドロー隊員が少女を取り押さえたところで、通信機が不吉な呼び出し音を鳴らした。
だが、普段通りぐだぐだと不満を口にするドロー隊員と口論を続けるシューターは、それを知らせる私の声に耳を傾けず、十数分が経過。ようやく私の声に気づいたシューター野郎が通信機を手にとった時、既に事態は遅かった。
クラフト隊長の腰巾着その三、シメオンが部下とともに駆けつけ、我々特殊班を逆に拘束するという珍事に発展してしまった。
おかげで私も含め、皆一同にクラフト隊長のお叱りを受けるというハメに。っていうか、ドローに命じたのもお前だろ。赦すまじ、シューターのろくでなし野郎め。

しかし、そんな不幸もなんのその。私はめげることなく任務を続けている。
このクズ野郎シューターへの忍耐の日々も、いずれ本国に帰還した時、その功績を元老院議長様方と救世主さまに認めてもらい、華のエリートコースへと進むためだ。
そして先程、レジスタンスに所属していると思われるとあるレプリロイド十数人ほど(おそらく班を組んで行動していたのだろう)を尾行し、隠しゲートを通って地下へと帰って行く様を目にした。

私は聞き逃さなかった。彼奴らはその口からシューターの次くらいに忌々しいあの名前を口にしたのだ。
そう――――「ゼロさん」と。あの紅いイレギュラーの名称を…だ。

間違いなく彼奴らはあの紅いイレギュラーの仲間に違いない。

これぞ千載一遇のチャンス! 棚から牡丹餅!

故に私は先程からシューターへと呼びかけ続けている。

「……あのー…副隊長…」

もう何度言ったかわからない屈辱的なフレーズ。しかし、奴はそれに気づく気配すら見せない。今もまだ他の三人の部下とともにふざけあっている。

「あの……ですね……」

決して私がモゴモゴ話しているとかそんなんじゃない。騒いでいる奴らが悪いのだ。そうだ、うん。絶対そうなんだ。
心の広い私はこれから、いつも通り十数分程呼びかけ続けることになるだろうが、全然それでも気にしない。この愚か者もいずれは気づくはずだ。
心の広い私は待ち続けてやるのだ。うん。寂しくなんか全然ないもん。


「あのー…副隊長…」




そして実際に私の声にシューター副隊長が気づき、いつも通り「なんだ!? ハッキリハキハキ話せ!」と偉そうに宣ったのは十三分後のことだった。

























 21st STAGE











       デンジャラス・デイ




























  ――――  1  ――――


「ふぃー……っと。ようやくコイツで終わりかね」

そう言ってドワは汗を拭うようにわざとらしく額を右手の甲で擦り、そう零した。先日の作戦で使用されたライドチェイサーとライドアーマーをひと通りチェックし終えたところだ。

「コッチは終わったぜ、班長。どれも異常なしだ」

後ろから部下のジョナスが溌剌とした声で報告する。

「流石だなジョナス。お前さんの手早さにはワシも感服するよ」

「照れるぜ、班長。まあ、“上司”の指導が良かったからかな」

「そいつは否定せんがな」

誇らしげに言いながら「ガハハ」と笑う。そうしている間も、彼の手は作業をスムーズに進めていた。
その様子を見ながら、ジョナスもまたドワの手際に思わず唸り声を上げそうになった。無駄口を叩きながらもテキパキと、丁寧に仕事を進めるだけの力は自分にはまだない。
ジョナスの雰囲気が伝わったのか、ドワは微笑みながら「まあ、場数が違うわ」と言葉をかける。そんな芸当に、ジョナスはさらに力の差を感じてしまうのだが。

「そういや、班長。今日は局長の用事の方はいいのかい?」

「おお。セルヴォの方はな、もうワシの役目は済んだ。あとはあ奴が一人でやるとさ」

ここ数日、セルヴォはドワも含めた白の団の技術者連中数人と共に何やら怪しげな活動を行なっていた。ジョナスだけでなく、他の一般団員たちにも「今はまだ見せられない」とだけ言い残し、セルヴォはとあるハンガー内に篭ったまま暫く姿を見せていなかった。
エルピスが「まあ、彼のことです、問題はないでしょう」と言葉をかけるも、シエルが誰よりも心配そうに表情を曇らせているのには、誰もが気にせざるを得なかった。

「いったいぜんたい、何をしてやろうってんだい、局長は」

「そいつは見てのお楽しみじゃ」

そう言ったところで、通信を知らせるアラーム音がドワの耳元で鳴り始める。
「噂をすれば…というやつじゃな」と、言ったことでジョナスにもその相手がセルヴォであることが分かった。
一言二言交わし、僅かに驚きと歓びに身を弾ませたかと思うと、そのままジョナスの方へと振り返る。

「せっかくじゃ。お前さんも来い」

整備を終えたライドチェイサーを軽く一叩きすると、そう言って促し、歩き始めた。ジョナスは好奇心の赴くままに、ドワの後ろについていった。












基地の中心部から一キロと少し、旧式のジープを走らせると、セルヴォが作業をしていた七番ハンガーに辿り着いた。
そこには既に、作戦を終えて帰ってきたマークチームが物見遊山に立ち寄っていた。
ジープから降りて半開きになっていたシャッターを屈むようにしてくぐると、ジョナスの目に、とんでもない物が飛び込んできた。

ゴーレムの頭部に、腕。他にもネオ・アルカディアのメカニロイドに装備されていた様々な武器が至る所に装着されたライドアーマーがそこに仁王立ちしていた。
気づけばセルヴォが柄にもない高笑いを上げている。


「フフフフフ……フハハハハハハハハハハハ――――! 遂に! 遂に完成したぞ! 見てくれ、ドワ! これぞ私の技術の粋を集めて完成された決戦兵器! 名付けて“メガ・ブランシュ”!!」


そのゴテゴテとした奇抜なデザインに茫然とするマークやジョナス達を尻目に、ドワとセルヴォが達成感のままにハイタッチを交わしている。

「思えばここまでの道のりは決して楽なものではなかった! 一ヶ月ほど前から、ゼロが薙ぎ倒してくれた敵メカニロイド達のパーツを、団員たちにせっせと運び込んでもらい! 挫折とひらめきを繰り返してはパーツを繋ぎあわせ! 幾度の実験を重ねようやくここまで辿り着いたのだ!」

ついこの前依頼された作業を思い出し、「あの指示はこれのためだったのか…」とトムスが零す。「いったいなにかと思ったよな」とコルボーも呆気にとられながら言葉を返す。
ランナーズ・ハイならぬ“メカニック・ハイ”状態のセルヴォは、そのままサイバーエルフシステムにアクセスし、デルクルに指示を出す。

「さあ! 今こそ起動のときだ! 頼むぞデルクル!」

「ハイサー!おまかせを!!」

セルヴォが叫びながら起動スイッチをオンにすると、同様にどこかおかしなテンションのまま、デルクルはメガ・ブランシュのメインコンピュータ内に飛び込む。
そして、数秒の沈黙の後、プシューッと豪快に排気を吹き出すと共に、メガ・ブランシュは右腕を振り上げた。

「きたー! 来ましたよ、セルヴォさん! リンクシステムはバッチリです!」

「キターーーーーーーーーーー!! 計画は完璧だ! パーフェクツ!! 今日は祝杯だーーーーー!!」

「よくやった! よくやったぞセルヴォ! 今日はワシがいくらでも酒を振る舞ってやろう!!」

呆気にとられる他の面々を無視して、二人と一体(?)は踊るように歓びを分かち合っていた。
何より、普段では決して見れることのない、ハイテンションなセルヴォの様子に、マーク達は言葉をかけられないでいた。










それからしばらく経って――――

「なるほど、これがセルヴォさんが制作していた新兵器ですか」

団長であるエルピスもまた、メガ・ブランシュのお披露目に立ち会っていた。
ハンガーから出て、そのゴテゴテとした体に似合わぬ軽快な動きを披露するメガ・ブランシュに、感心の声を上げる。

「ああ、褒めてくれいいのだよ、エルピス。私は今どんな賛辞も受け入れよう」

「……頭のネジでも落としましたか」

「……なかなかすごいデザインですね…」

ゴーレムの腕を振り回すメガ・ブランシュを眺めながら、ジョーヌが戸惑いながら感想を述べる。
だが、デザインの点についてはセルヴォも気にしていたのか、その言葉自体拾おうとはしなかった。
しかし、一般団員が何より戸惑っているのは、間違いなくセルヴォの謎のテンションである。それこそ、なにかしら怪しげなプログラムでも取り入れてしまったかのようにさえ思える。
が、本人はいたって正常であると言いはって聞かなかった。

「セルヴォさーん! これほんと楽しいですよ!」

デルクルは嬉しそうに声を上げながら腰をぐるぐると回す。

「別に遊ぶために作ったわけじゃないぞ、デルクル! ほどほどにな!!」

そう言いながらも、顔からは笑顔が絶えない。

「班長……本当に局長大丈夫なんすか?」

募る不安のままに、ジョナスがドワにコソコソと問いかける。

「う…む……まあ、根を詰めて作業を続けておったからな……。気が抜けてるだけじゃろ。明日にはきっと元通りじゃ」

「……だといいんすけどね」

今のセルヴォの様子を見ている限り、どうにも信用がならないのだが。

「うわー! 楽しいなー!」

メインコンピューター内で動作制御をしているデルクルは手足ができたかのような心地に満足していた。
ゼロや一般団員たちとの任務の際に、ライドチェイサーの管制システムを操ることはあっても、このように四肢を動かし、動く機会などめったにない。
セルヴォの意図がどうあれ、デルクルは現在の状況が楽しくて仕方なかった。

しかし、その様子を不満気に見ている者達がいた。

「ちょっとデルクル! あたしたちにも使わせてよ!」

「げ! ウインキィ!」

そこにはウインキィ、ナッピィ、ハピタンの三人組が構えていた。
白の団のサイバーエルフの中でも悪戯好きで有名な三人組である。一般団員からオペレーター陣まで、誰かれ構わずちょっかいを出しては慌てるさまを見て去ってゆくという、最高に質が悪い三人組だ。
サイバーエルフ達の中でも、この三人に絡まれたら「有無を言わず要求に従え。さもないと×××」と言葉にも表せないほどの仕打ちが待っていると有名なのだ。

だが、メガ・ブランシュを動かすデルクルはその要求に戸惑うも、「嫌だ!」ときっぱりと拒否する。

「こ…これは僕がセルヴォさんに託された“ひみつへいき”なんだぞ! 簡単に使わせてやるもんか!」

「あんた、あたしたちに逆らうわけ?」

ナッピィがそう言ってずいと身を乗り出すと、「うっ」とデルクルは後退る。すると、メガ・ブランシュも奇妙な挙動を見せる。その様子に、浮かれるセルヴォ以外のメンバーはわずかに首を傾げた。

「その態度…どうなるか分かってんでしょうね!」

「う……うるさーい! 絶対に渡さないもんね!」

システムにしがみつく(実際にしがみついているわけではないが、表現上このようにする)デルクル。それに三人が飛びかかり、身を引き剥が(これも実際に引き剥がすわけではないのだが表現上(略)そうとする。
抵抗するデルクル。メガ・ブランシュの挙動はますます怪しくなり団員たちは後ずさる。ようやくセルヴォも異変に気づき、様子を注意深く見守る。

「どきなさいよ! このオタンコナス!」

「うわー! 邪魔すんなよ! 離れろ!」

「あんたこれ以上逆らったら痛い目見るわよ!!」

「さっさと渡しなさい!!」

「うるっさい! うるさーい!!」

激しい四人の攻防に合わせ、メガ・ブランシュは更に激しく暴れ始める。
団員たちは急いで距離を取り、セルヴォだけがそこに留まり、デルクルに「何があった!?」と慌てて呼びかける。


「どきなさいって!!」

「渡しなさいよ!」

「あたしたちによこしな!!」


「う…うううう……うるっっっっっさーーーーい!! これは!! 僕のもんだーーーーーーーーっ!!!!!!」




内部で起こる激しい攻防が最高潮に達した時、メガ・ブランシュの動きが止まる。
明らかに怪しい様子に、一同は恐る恐るその状況を見守る。
セルヴォが「デル…クル……?」と呼びかけるが、返事がない。

やがて、けたたましいアラーム音とともに、ゴーレムのアイカメラ部分が赤く輝き出した。
それが危険を知らせる合図であることは、誰の目にも明らかだった。

































  ―――― * * * ――――



「…俺のことは…棄てて行ってください」

アーチ隊員が弱音を吐く。
敵の電子ロックに固定されてしまった彼の両腕は、もはや自由に動くことはできず、このまま死を待つだけとなっていた。
しかし、華麗なる狩人と称されるこの私、シューターもとんだドジを踏んでしまった。お陰で同様の状況に陥り、彼の命をどうこうという場合ではない。
だが、それでもアーチは私が逃げることを切に願った。――――たとえ自らの命と引き換えにしても、後の英雄となるべきこの私を守り通したいと本気で思ってくれていたのだ。


コード隊員が発見した秘密の入口をハッキングしてこじ開け、中へと侵入した。するとそこには非常に疑わしい広大な地下施設が存在していた。過去の戦争の遺物であることは、優秀な私の頭脳には即座に判断できたのだが、微かに感じられる人の気配に、今でもこれを利用している輩がいるのではという疑念がわき出し、そのまま深部へと調査に行こうと思い立ったわけだ。
しかし、それがこのような事態を招くキッカケになろうとはその時の我々には思いもよらなかったのだ。

「…増援は来ないのでしょうか…?」

ふと、ボウ隊員が弱々しく問いかける。しかし皆、口を噤み、誰一人として答えようとしない。――――いや、答えるまでもないと分かっていたのだ。問いかけた本人までも。

増援は来ない。
なぜなら、この私の天性の嗅覚についてこれるハンターなど露ほどもおらず、この秘密基地を発見して仲間を救いに来れるような者は、私自身を除けばあり得ないからだ。
それを理解しているからこそ誰も答えず、けれどそれが分かっていて尚、問いかけてしまうのは、まだまだ彼が未熟な隊員であるがゆえのことだ。寛大な私はそれを赦す。

しばらくの重い沈黙の後、ドロー隊員が苦笑まじりに口を開く。

「…あの“救世主の再来さん”は来てくれたりしないんでしょうかね」

その皮肉めいた発言に、ある者は同じく苦笑をこぼし、またある者は憤りの色を浮かべた。

『あの救世主の再来さん』とは、これまで何度となく私の事を詰ってきた、矮小な心の持ち主であるにっくき第十七精鋭部隊長のことだ。
思い出すだけで腹立たしい。私はドローの頭を小突いてやりたかったが、手が出なかったので、頭突きで赦してやった。

今だからこそ身に染みて分かる。
私のことを理解してくれる者達がもっといれば、精鋭部隊は本当の精鋭だったのに…と。

とても正面から立ち向かってどうにか話を聞いてくれる連中ではない。が、言葉を凝らしたとしても、あのクラフト野郎は「以上だな、健闘を祈る」といつもいつも変わらぬ気の利かぬセリフを吐くばかり。
もしも私が隊長であったならば、千の兵の言葉を一の耳を以って、全て聞き、それぞれに相応しい労いの言葉を返してやるというのに。あの朴念仁はそのような気も利かない無能ちゃんなのだ!
ええい!思い出せば更に腹立たしい。腹立たしい事この上ない!
このように味方が謎のイレギュラーたちに囚われ、銃口を突きつけられ、強烈な生と死の匂いで浮かれる暇もなく身を震わせているとうのに!一向に気づくことなく、淡々と職務をこなしているのだろうと考えれば考えるほど腹立たしい!

そう、今だから分かる――――

「………………この状況……ピンチだ……」







「何をブツブツつぶやいてんだ、お前ら! 撃っちまうぞ!」

「ひぇぇぇ! お許しをーっ!!」

銃口を再度強調するヘルマンに、シューターは情けない声を上げ、頭を下げる。
「落ち着け」とマークがヘルマンを慌てて制止する。

「今はこんな連中に構っている場合じゃない。団長の指示を忘れたのか」

シューターたちに聞こえないよう、耳元でこそこそと囁くように言う。

「チッ……命拾いしたなてめえら」

ほっと一息つくシューター達。
だが、“謎のイレギュラーたち”に囲まれて、万事休すという状況は尚も変わらない。
一体全体、どうしてこのような状況になってしまったのか。時間は、シューター達が白の団基地への入り口に足を踏み入れた時点まで遡る。













  ――――  2  ――――


「なかなか広大な空間で…………どうやら旧世紀の遺物みたいですね」

ボウがあたりを見回しながらそう呟く。
イレギュラー戦争中に使われていたものだろうと思われた。だが、埃まみれになっていてもおかしくないと言うのに、外の砂が不規則に散っており、定期的にハッチが開かれ、また、整備も行われているような節がある。
おそらく何者かがここに潜み、この施設をしばらく利用しているのだ。

「いやあ…奥の方まで結構続いてますよ。こいつは怪しさビンビンっすね、副隊長!」

目を細め、軽い口調でアーチがそう言うと、シューターも「うむ」と唸るように答えた。

「こいつは流石の俺様も何か悪しきものを感じてならんな。よって、我ら特殊班による調査を開始する!」

「「イエッッッッサー!」」

元気よくボウとアーチが返事をし、早足で進み始めた。
ドローとコードは相変わらず何処かやる気なさげだが、後ろの方からしっかりとついてきている。

「ええい、お前らもあの二人を見習い、シャキシャキ歩かんか。俺様、グズとノロマは大嫌いなのだ」

「はあ……そうは言いましてもねぇ」

ドローは浮かない顔で頬を掻く。

「副隊ちょー……これ、クラフト隊長に報告しなくてよかったんですかねぇ?」

「ぬぁ~にぃ!?」

気に食わない名前を口にされ、シューターは口端を歪ませながらドローに詰め寄る。その剣幕に気圧されながらドローは「そのですね」と説明をはじめる。

「こ…コード隊員の報告が確かであるならば……ここが紅いイレギュラーに縁ある場所である可能性は高いわけですし……何よりこれだけの施設を扱う組織が相手であるなら…我々だけの力では心許ない…」

「口を慎め、ドロー隊員!」

ボウがすかさず口を挟む。

「シューター様率いる、我々特殊班ほどの精鋭が、このような穴蔵にこもる狢どもに遅れをとるわけなかろう! 何より、あのクラフト隊長ごときに頼ろうなどという発想自体が笑止千万! ですよね、副隊長!?」

「うむ、ボウ隊員! 貴様の言葉がほぼそのまま私の言葉と言っても過言ではないな! だがひとつ言わせてもらえば、憎たらしいあんちきしょうの名前は二度と口にしないでくれ!」

「あいや、これは失礼いたしました!」

二人のやり取りにため息をつき、「そういうことだ」と話をまとめるシューターに、ドローは「はあ」とだけ疲れたように返事をした。
しかし、正直なところ不安は尽きない。
あの紅いイレギュラーとこんなところで鉢合わせしてしまえば、今度こそただでは済まない気がする。そもそもこのような地下施設を扱えるだけの集団がいるというのなら、紅いイレギュラーのバックと考えるに相応しい。
となれば、今の我々は“飛んで火に入る夏の虫”。最も適切な動作は、十七部隊の他の班に応援を要請し、協力して突入することだったはずだ。

――――こいつは、俺の悪運もここまでかなぁ……

今までこの男とつるんできて、よくも死ななかったものだと回想する。
死を直前にした走馬灯よろしく、これまでの出来事が脳裏を駆け巡る。どれも碌でもない思い出ばかりなのだが。しかも、そのどれもにシューターが関わっている。
あまりに虚しさが募るので、ドローは考えるのを止めた。

突如、けたたましいサイレンが鳴り響く。
慌てふためく一同を点滅する赤いランプが眩しく照らす。

「な…なんだなんだ!! なにがどうした!?」

「まさか! もう侵入に!?」

気づかれてしまったというのか。

「ど……どう致しますか!? 副隊長!?」

「落ち着けボウ隊員!」

慌てる部下を制して、シューターは考える。そして「クワッ」と表情を引き締め、声高らかに叫ぶ。

「引くも地獄、進むも地獄! ならばこのまま前進あるのみ!! 続け! 道は我々の後ろにできるのだ!!」

「うおぉ! 流石っす副隊長!」

勇んで駆けてゆくシューターとアーチ。そしてその後ろをボウが慌てて追いかける。

「いや! え!? マジですか副隊ちょー!? ちょっと待ってぇ!?」

慌てふためくまま、ドローもそれを追いかけ、僅かな逡巡の後、コードもそのまま駆け出した。
予想以上に長く続く地下施設の道を駆け、もう一キロはとうに越えたであろうという時、シューター達は前方で暴れる何者かを発見する。

「副隊長! アレを!」

ボウがそう言って指さした先には、謎の大型メカニロイド(?)がゴーレムのような豪腕を振り回し暴れていた。

「な……なんだアレは!? 見たことのないヤツめ!」

「…明らかに悪者っぽいっすね! どうしやすか!?」

そのハチャメチャな暴れように、後ずさるシューター達一行。だが、猶予はもはやない。メカニロイドの視線がこちらに向けられたのが分かった。

「……邪魔者……ハケ…ん……排除…シマ…す…………hi…じょ……shi…す……」

まともな言葉になっていない音声は、不気味さを更に強める。

「なんかめちゃくちゃヤバイ状況っぽくないですか……副隊ちょー…!」

「ええい! ビビるなビビるな! こんな時こそ我々精鋭部隊の真の力が試されるのだ! ドロー隊員! 私専用のアサルトビームライフルを寄越せ!」

「え……は…い?」

「………『え……は…い』?」

ドローの気の抜けた返事に、思わずシューターは凍りついたように動きを止める。他の面々も「え」と声を漏らし、ドローをじっと見た。
沈黙の後、ドローの口が重々しく開かれる。

「……いや……副隊ちょーが『潜入調査に邪魔になるような装備は置いてゆけー!』って…言うから………」

「……『言うから』……?」

「……言うから………」

まるで阿呆のように同じ言葉を互いに繰り返し、再び沈黙が訪れる。
その沈黙こそ、全ての答だった。

「ば……バッカモーン!! 私の専用兵装が邪魔なわけがないだろう!! このような緊急事態において最も必要になるではないかー!!」

「いや…今までだって同じようにしてきたのに…副隊ちょーは何も文句言わなかったじゃないですか…!?」

その言葉に、ボウ達の視線はシューターに向けられる。ぐっと言葉を飲み込み、考えた後、シューターは声を大にして叫ぶ。

「人に責任をなすりつけるんじゃなーい! だいたい貴様はいつもいつも俺様の邪魔を! ええい! 今度こそユルさーん!」

「人になすりつけてんのは副隊ちょーの方じゃないっすかー! 今度という今度は俺も言わせてもらいますよ!!」

「二人共喧嘩はやめましょう!!」

「そんなコトしてる場合じゃないっす!!」

シューターとドローが言い争うのを、ボウとアーチが必死に止める。しかし、二人は尚も「ギャーギャー」と喚き、争いはやまない。
ふと、ボウがあることに気づく。

「こ……コード隊員! なにか言いたいことがあるのでは!?」

殊更声を大きくし、皆の注意をそちらに向ける。もじもじとなかなか喋りだそうとしないコードであったが、ようやくその口を開いた。

「あの……すぐそこに……」

恐る恐る指で指し示す方向へと、顔を向ける。
そして、皆一様に言葉を失った。

よく見慣れたゴーレムの頭部と視線が合ったのだ。目と鼻の先に立つ、不気味なメカニロイドと。






「邪魔mo…の……はいjo…………mあs……」




「ギャァァァッァァァァァァッァァァァァァァッァァァァァァァッァァァァァァァアァァァァァッァァァァッァァァァ!!」




振り下ろされる豪腕を五人は飛び退くようにして躱す。そして方向もよく分からないまま、一斉に走り始める。

「逃げろ! 逃げろ! とにかく走れ!」

叫ぶシューター。部下達もその後に続き必死に駆けてゆく。だが驚くことに、そのメカニロイドもまたシューター達を追って駆け出した。
ドカドカと巨体が荒々しい音を立て、時に豪腕を振り回し、時にレーザーを放ち………シューター達はそれらをスレスレのところで躱しながら、なんとか走り続けた。
やがて、周囲に幾つか倉庫のようなものが並んでいるのが見え始めた。どれもシャッターが降りている。

「ふ…副隊ちょー! とにかくどこかに隠れましょう!」

「よし! ドロー隊員! 囮になれ! その間に我々は隠れる!」

「死んでも嫌です! 死ぬのも嫌です! 副隊ちょー! 部下のためにお願いします!」

「ええい! 全ては誰のせいでこうなったと思っているのだ!」

「アンタのせいだ!」

「俺様のせいか!?」

「こんな時まで言い争いはダメっす! オレに任せてください! 副隊長!」

そう言って、アーチは足を止め、振り返る。

「な! アーチ隊員! いかん、それでは君が!」

「グラーツ隊長に、伝えてください。アーチは『あなた達の部下で幸せでした』…とね」

グッとサムズアップを見せつけ、アーチはその場に仁王立ちする。そして、メカニロイドに対し、構えた。

「来やがれ! イレギュラー! ……ハイル・エックス! 万歳グラーツ! 第四部隊に栄光あれー!!」




「ジャマ」



 べ チ ン ッ 



「 あ ぶ べ ば し !!」


「アーーーーーチィーーーーーー!!!!」


ボウの悲痛な叫びが響く。アーチの健闘(?)虚しく、メカニロイドはたった一撃で彼の身体を弾き飛ばした。宙を舞ったアーチの身体はボウ達の頭上を超え、そのまま前方に転がる。
虫を殺すかのごとく、何の躊躇いもないその非道な攻撃に、一同は戦慄した。

「アーチ隊員大丈夫か!?」

「すまねえ、ボウ……俺ァもうダメだ……」

「カムバーック! アーチよ! 我が愛する部下よーーーー!!」

「副隊ちょー! なにか知りませんが奴の動きが鈍ってるっす!」

弾き飛ばした獲物を探しているのか、キョロキョロとあたりを見回すような動作をしている。
これは千載一遇のチャンスだ。

「どうやらアーチ隊員の死は無駄ではなかったらしい! ありがとう、アーチ!」

「ボウ……勝手に殺さないで…」

「おおーーっと! あそこに微妙な隙間を発見!! 神は俺様を見捨てていない!! 走れ皆の衆! あそこに滑り込めぇ!!」

シューターの合図に導かれ、皆はとあるシャッターの下へと身体を滑り込ませる。危機一髪というところであった。メカニロイドが気づいた時には、五人の姿は既にそこから消えていた。
かくして、シューター達特殊班はひとつの危機を回避した。

「……ふぅ……なんとか…助かっ……」


そう、“ひとつの危機を回避した”。――――しかし、いかなる時でも、場合でも、訪れる危機や試練というのは一つとは限らない。

向けられる銃口。咄嗟に上げる両腕。
緑色の統一されたユニフォームに身を包む十数人のレプリロイド達が、シューター達を囲んでいた。

「へ……ヘルプミー」

情けなくも口を衝いて出たのは、そんな一言であった。

































  ―――― * * * ――――


「いや~……見てるだけで惚れ惚れするようなマシンですねえ…」

エル・クラージュの整備を行いながら、ペロケがため息をつく。
ネオ・アルカディアの最新技術が詰まったこの最高級マシンは、技術者魂をこの上なくくすぐるらしい。

「私よりもセルヴォさんやドワさんのほうが、きっと上手に整備できるのでしょうが……いやはや…あの二人にも見せてあげたいものです」

「一段落ついて、向こうに戻った時にそうしてやるさ。それまではお前がこいつの面倒を見てやってくれよな」

ゼロが「よろしく頼むぜ」と肩を叩くと、ペロケも「お任せを」と胸を叩いた。

「そういえば、セルヴォさんはセルヴォさんで、何か新しいことに取り組んでいるらしいですよ」

「『新しいこと』?」

思わず問い返す。

「ええ、なんでも『ゼロ(さん)をびっくりさせてやるんだ』って呟いてたそうで」

「俺を…?」

「なんでしょうね」

軽く笑いを浮かべ、ペロケは再びエル・クラージュの方へと向き直った。
ゼロは首を傾げながら、メンテナンスルームを後にする。

まあ、あのセルヴォのことだ。おかしな事をやらかすような心配はないだろう。
とは言うものの、自分をびっくりさせるようなものをどうにかしようという話を聞いてしまっては興味が尽きない。
何か新しい武器や道具でも発明したのか……。はたまた別の何かか。

「……後で小娘にでも聞いてみるか」

そう呟いて、自室の扉に手を掛ける。

「あ…ゼロ……」

声の方へ視線を向けると、アルエットがぬいぐるみを抱きしめて立っていた。
どこか心配そうな眼をしている。

「……どうした、アルエット?」










  ――――  3  ――――


「さて、困ったことになりましたね」

エルピスが顎に手を当て、考えこむ。
メガ・ブランシュの暴走に対し、白の団の面々はハンガーの一つに身を隠すことで難を逃れた。
しかし、そこに招かれざる客が現れてしまったのだ。

シャッターの下から滑りこんできたシューター達を拘束し、既に三十分が経った。
現在、エルピスは団員全員と口裏を合わせ、とある壊滅したレジスタンス組織からこの場所へ偶然逃げ込んだレプリロイドの集団を演じていた。身に着けているプロテクターから彼らが十七部隊員であることを察し、十七部隊が現在、小規模レジスタンスチームに対して非好戦的な路線をとっていると知っていたためである。
ジョーヌに暗号通信を送らせ、以後、こちらから指示があるまで本部からこちらへの一切の交通、通信を禁止した。
メガ・ブランシュの暴走に対し、本部に通じる隔壁を全て封鎖していたのは正解だっただろう。万が一、彼らがこの先に行き、本部に辿り着けば、ただ事では済まなかったはずだ。
さらに、ゼロの名を口にすることも、現在この場所にいる者達には禁止した。もしも“紅いイレギュラー”と縁ある者達であると知れれば、それこそ無事では済まない。

「一思いにやっちまえばいいんじゃないですか?」

血気盛んなヘルマンが、耳打ちをする。しかし、エルピスは絶対にいけないと念を押す。

「彼らのビーコンがここで途絶えたと知れれば、本隊がこの場所を訝しみ、増援に来るかもしれません。それは避けなければ」

幸い、今捕らえた五人のハンターたちは、“あの”五人だ。
自称“華麗なる狩人”シューター率いる元第四部隊といえば、ゼロがこれまで何度となくあしらってきた連中だ。過剰な対応を取らなければ、それ程害はないだろう。
しかし恐ろしいことに、このシューターという男は、“別の方面”でも有名なのである。
その事実も知っている以上、迂闊に手を出すことも、刺激することもするべきではない。
故に拘束したまま、どうにか落ち着いて事が収められないかと、エルピスは思案しているのだ。
しかし、問題はもうひとつある。

「……すまない…みんな…」

ハンガーの隅で背を向けたまま膝を抱え、どんよりとした空気を纏っている一人の男。今現在暴れているメガ・ブランシュの製作者、セルヴォだ。

「…私があんなものを作ってしまったために……」

「そんなこと言ってても仕方ないですよ、局長。元気出してください」

そう言ってジョナスが慰めるように肩を叩く。メガ・ブランシュの暴走のせいで皆に迷惑をかけてしまったと、猛省していたのだ。
ちなみに、メガ・ブランシュについては、この基地内にあったメカを利用して、技術屋である彼が興味本位で作り上げた代物だという、苦し紛れの言い訳で押し通している。

「ジョナスの言うとおりです、セルヴォさん。なんとかこの状況を打開する策を考えましょう。このままでは全員このハンガー内で一生を過ごすことになりかねません」

「それだけは本気で勘弁です、指令~!」

ジョーヌが身を捩りながら悲鳴を上げる。

「とは言うものの、何が原因かもよく分かったもんじゃないですからね……。管制システムはスタンドアローン状態だし」

マークが低い声で唸りながらそう呟く。
エマージェンシー状態に入り、メガ・ブランシュの管制システムは突如としてスタンドアローン状態となってしまった。そのため、中にいるはずのデルクルがいったいどのような状況なのか、把握することができないでいる。

「もういっそ破壊するしか無いんじゃないですか? この辺にある兵器を使って」

トムスが提案すると、セルヴォの肩がぴくりと反応する。それを気にしたのか、ドワが「いやいや、待て待て」と制止する。

「セルヴォがせっかく作ったもんじゃ。できればそんなことせずに事を収められんかの?」

「そんな事言ってる状況じゃないでしょう、ドワさん……」

コルボーが疲れたように項垂れる。だが、ジョナスも「俺も反対です」と口を挟む。

「もしもここで、奴を破壊してしまえば、管制システムとリンクしているデルクルも只ではすまないんじゃないですかね」

「だからなんだってんだよ」とヘルマンが突っかかると、ジョナスが負けじと語気を強める。

「サイバーエルフっつっても俺達の大切な仲間ですよ? 簡単に見捨てていいんすか?」

「けどよぉ……この状況だぜ?」

確かに、冷静に考えればヘルマンが言う通り、強行突破といった方が楽に収まるだろう。
だが、デルクルの事が心配なのは皆同じだった。故に、簡単にそちらへ舵を切ることはできないのだ。
そんな様子を眺めながら、シューター達が何やらコソコソと話し合っている。

「……なかなかどうして…事情が込み入っているらしいですね…」

「どうします、副隊長?」

「うむ……残念ながらここは忍耐あるのみ! ……俺様たちもあんな化け物を放っておいてはオチオチ逃げることもできん」

「副隊ちょー……どちらにしろ、両腕塞がってちゃ逃げようがないっすよ……」

「むむ! ……それには言い返せん………」

「何をごちゃごちゃ話してんだこいつら」と一人の団員が、危ないものを見るかのように横目で見る。すると他の団員が「放っておけ」と促した。

それから再びの沈黙。既にここに閉じこもってから一時間は経っただろう。
だが、一向に策は浮かばない。というか、そもそもメガ・ブランシュの製作者であるセルヴォが詳細を説明してくれない限り、止め方など誰にもわかるはずがないのだ。
痺れを切らし、再びヘルマンが声を上げる。しかし、先程までの覇気はなく、萎れたような声しか出てこなかった。

「セルヴォさんよぉ……いい加減にどうにかしてくれよぉ……」

「ホントですよぉ……もう私いつまでもこんな埃っぽいところいたくありませんよぉ……」

ジョーヌもまた、情けない声を上げる。するとドワが「これこれ」と言葉を返す。

「お前さん達は辛抱できんのか。セルヴォも今考えているところじゃ」

「『考えてる』……って、落ち込んでるだけだろうが。俺たちゃアイツのせいで迷惑してんだぞ」

「文句ばかり言うなら、お前も考えればいいんじゃ! どうにかしてこの状況を打開する策を!」

「それが思いつかねえから言ってんだろうが!」

「落ち着け、二人共!」とマークが止めに入る。今にも手を出しそうなヘルマンをコルボーが慌てて止める。
この状況に、皆ストレスを感じているのだ。気づけば、場の空気は張り詰めた糸のようになり、非常に息苦しい。

「ストーップ! 皆の衆! 落ち着くのだー!」

突然声を上げた男へと、皆注目する。拘束されているシューターであった。

「何がどうなっているのかは知らんが、とにかく落ち着くのだ! 仲間割れなぞしていたところでどうにもならんぞ!」

言葉を失う一同。そしてヘルマンがまたも言葉を返す。

「偉そうに言うんじゃねえ、捕虜が!」

「すいません!」

向けられた銃口に、思わず謝罪の言葉を口にする。その銃口をマークが「落ち着けって」とすかさず片手で抑えた。

「この人が言ってることも正しいさ。仲間割れしてたってしかたない」

「おお、話の分かる者よ! ありがとう!」

自分に向けられたフォローに歓喜の声を上げるシューターだが、ヘルマンが睨みつけるので、直ぐに口を閉じた。

「……でも…セルヴォさん。ヘルマンの言ってることも正しいよ。あなたがどうにか考えてくれないことには、どうにもできない」

「…………」

一同は隅っこで膝を抱える情けない背中に視線を向ける。だが、セルヴォはなかなか答えようとはしてくれない。
そうとう、落ち込んでいるのか。それとも何か他のことを考えているのか。その心中は誰にもわからない。

――――と、不意にぼそぼそと小声が漏れてくるのが聞こえた。

「……ライドアーマーのコクピット…だ……」

それから、セルヴォは徐ろに立ち上がり、皆の方へと向き直る。

「メガ・ブランシュの素体となっているライドアーマーのコクピットに、メインコンピューターの制御装置がある。そこに取り付ければ、なんとかデルクルを救えるかもしれん」

そこに取り付き、アクセスすることで、スタンドアローン状態を解除し、デルクルをサルベージする。
だが、奴に取り付くのは簡単なことではない。コクピット部を傷つけること無くそれ以外を破壊し、動きを止める位しなければならないのだ。
当然、メガ・ブランシュは再起不能となるだろう。

「……まあ、出来ればの話だがな」

そう言って、少しだけ寂しげな顔をする。
勿論、アレを作ったのは伊達や酔狂などではない。

「“彼”をサポートしたくて作ったというのに……こんなことになるとはなあ…」

セルヴォなりに色々と考えて完成させた代物だった。“彼”という言葉が差す相手を、白の団のメンバーは皆直ぐに分かった。それ故に、尚更セルヴォの気持ちが伝わってきた。

「……やりましょう。力を合わせて」

そう言ってエルピスが、励ますようにセルヴォの肩を叩く。
すると、セルヴォも「そうだな」と微笑み、言葉を返した。

しかし、そうは言うものの、メガ・ブランシュの武装は強力だ。ここにいるメンバーで太刀打ち出来るような相手だとは到底思えない。
それこそ、戦闘用として秀でた、優秀なレプリロイドがいないことには――――………‥‥



「ここに、射撃武器はあるか?」


問いかける声の方向に、またもや皆視線を移す。
そこには先程までの弱々しい男ではない。不敵な笑みを浮かべる勇敢な戦士の姿があった。


「フフフフ………苦節十ヶ月と少し……いや……にじファン崩壊も含めれば、すでに軽く一年以上経過した今……ようやくこの俺様の見せ場が来たな……」

「思えば初登場から随分と経ちましたね?」

「まだにじファンで連載していた頃、作者が言うには『コイツら出したら評価で一点入れられた』って話ですから」

「『お気に入りもその瞬間五件は減った』って。これまた今回は随分な賭けでしたねー」

「フッ……俺様の素晴らしさに、エレガントさに、スマートさに、グレートさに…共感できる者達が少なかっただけさ。…………ていうか、貴様らメタ発言やめろし」


他の連中を置いてけぼりにした素っ頓狂な遣り取りの後、彼はムクリと、そして堂々と立ち上がった。



「この戦場! 華麗なる狩人と呼ばれたこのシューター様が預かった!」


殊更自信ありげに語気を強め、そう言い放つ。
それから背を向け、両腕を差し出して、一言だけ付け加えた。


「そんなわけで……この電子ロックを華麗に外してくれたまえ」

































  ―――― * * * ――――


「エルピスやセルヴォ達と連絡が取れない?」

モニター越しに、何やら心配そうに表情を曇らせるシエルに、ゼロは聞き返した。

「そうなの。格納庫方面でなにか起きたらしくて……エマージェンシーコールの後にエルピスから暗号通信が入って、『こちらから連絡があるまで通信は禁止』だって」

並々ならぬ状況に、不安が募るばかりである。彼女の様子が心配だったアルエットが、ゼロを呼びに来たのだ。

「なるほどね」と考える。どうやら基地の中で只事ではない何かが起こっているのだ。
しかし話によれば、エルピスは他の団員への指示をしたわけでもなく、ただ「通信を禁止」しただけだ。
万が一、ネオ・アルカディアの軍勢が侵入したり、なにかしら戦況に関わる問題が発生したなら、団員全員になにか指示をしているはずだし、ゼロに対しても救援要請か何かしらのアクションをとっていることだろう。

「まあ……『心配するな』と言ったところで無理だとは思うが。“した”ところで状況がつかめないなら仕方ないだろ。指示通り、向こうからの連絡を大人しく待つしか無いと思うぜ?」

「そう……よね」

シエル自身も理解してはいるのだが、気持ちとしては容易に飲み込める事態ではない。
表情からゼロにもそれが伝わってくる。

「なんなら……俺がそっち行ってやろうか?」

「え?」

思いもよらぬ提案に、シエルは驚く。
それから少しだけ考えると、苦笑をしながら答える。

「…いや、大丈夫。それこそエルピスの指示もなく…勝手な判断をするべきじゃないと思うし……」

ただでさえ目をつけられている“紅いイレギュラー”だ。万が一にも移動中に発見され、そのまま白の団の位置が特定されては意味が無い。

「賢明な判断だ。そんなら…ゲームでもしながら気長に待とうぜ?」

そう言って、ボードゲームのアプリケーションを起動させる。
シエルのことを気遣って、少しでも気を紛らわそうとしてくれているのだろう。
そうした何気ない配慮に、シエルは胸の奥が温まるのを感じた。

「……できるの、ゼロ?」

笑いながらそう問いかけると、ゼロもまたはにかんでみせた。











  ――――  4  ――――


「認めよう。……確かに貴様達の言う通り、この私は“イレギュラーハンター”なのだろう」

よろけながらも立ち上がり、そう言いながらシューターは真っ直ぐに見つめた。
暴力であれ、権力であれ、力を持った強者により、この世界は動かされている。そして、弱者はその力に振り回され、時に犠牲となってしまう。それは変えられない摂理だ。
そう、それはまさしくあの憎き十七精鋭部隊長と、我が愛するか弱き元第四部隊メンバーとの関係である!
その中で一人、戦い続けていた。“イレギュラーハンター”として、華麗に! 優雅に! 蝶が舞う如く! 誰からも憧れられるような超人的な活躍を見せつけて!

「…俺は……もう迷わん」

正直、葛藤とかそういうものは全て昨日に置いてきたので、元から迷ってすらいないのだが。
今この場にいた幾数人のイレギュラー……いや、心優しき協力者達の手により調整されたエネルギーガンを手に、シューターは構える!

「謎のメカニロイドめ! 貴様がこれまで行なってきた数々の蛮行は、赦し難き罪悪だ! 故に、この“華麗なる狩人”――――“赤鬼”グラーツ率いるイレギュラーハンター元第四部隊副隊長にして現第十七精鋭部隊特殊班班長シューターの名において、貴様を粛清する!」

迷いを吹っ切った眼と声色に、アーチ達は感嘆の眼差しを向ける。
「流石っす! 副隊長! かっちょいい!!」とアーチ隊員は思わず叫ぶ。



「俺様は前に進む。それだけだ」





「とっとと行きやがれ!」

「あいた!」

キメ顔を決めているシューターの背中をヘルマンが蹴り飛ばす。

「……ええい! この俗物め! 他の者達は友として認めるが貴様だけは許さん! いずれ成敗してくれる!」

「勝手にしやがれ!」

言い争う二人をトムスとコルボーが取り押さえる。マークが「まあまあ、落ち着けって」と再び仲裁に入った。

「それで、副隊長。陣形はいかが致しますか?」

「うむ、ボウ隊員。我らが必殺の陣形トライアングルフォーメーションで行くぞ。アーチ、コード、貴様らは右翼。ボウ、ドロー、貴様らは左翼。俺様の初撃を合図に展開。以降、左翼から時計回りに奴の身体を攻撃する」

「「「了解!」」」

「……返事をしていない奴もいる気がするが、さておく。……で、だ! 私は右のアイカメラを先ずは仕留める。左翼は奴の右足を、右翼は当然、奴の左足を」

シューターがテンションもそのままに部下達に指示を送っている。横で聞いていたエルピスが「ちょっと待ってください」と口を挟む。

「初撃はどこから与えるつもりで?」

「……? ……無論、ココの隙間からだが?」

「スコープもついていない、小銃タイプのエネルギーガンですよ!? 当たるんですか!?」

今この場にあるエネルギーガンは精密射撃、狙撃に対応した専用のライフルでは決して無い。だが、このハンガー内からメガ・ブランシュの頭部――――それも“右目”を狙い撃とうなどというのは無謀以外の何物でもない。
もしも外れて、注意を逸らすことも、ダメージを与えることもできなかったなら、展開した部下達の身が危険にさらされるだろう。
しかし、エルピスの言葉に、シューターは不敵な笑みを浮かべてみせる。

「この俺様を誰だと思っている? “華麗なる狩人”様だぞ? ――――この程度の障害、突破せずしてどうする!?」

「そんな無謀なことを――――…「流石です! 素晴らしすぎます!」

エルピスの言葉を遮るようにして、ボウが顔を輝かせながら賛辞を送る。

「フッ! 流石も何もあるまい! なにせこの場にいるのは“ 俺 様 ”なのだから!!」

「「おおおおおおおお!」」

アーチとボウが声を上げて囃し立てる。そのテンションにどうにもついていけず、ついにエルピスも黙って見届けることにした。
五人は銃を構えてシャッターの前に立つ。その後ろに、コクピット部に取り付く役を負った、セルヴォとジョーヌが立つ。

「フッ……名も知らぬ技術士と麗しきレディーよ。恐れずついてくればよい。この俺様の背中にな☆」

「…………あ……ああ、そうさせてもらうよ」

「(――――不安しかない!)」

セルヴォとジョーヌの浮かない気持ちなど知らないまま、シューターは作戦開始を告げる。

「それでは、俺様の発砲と同時に展開だ! いくぞ!」

そう言って寝そべり、シャッターの隙間からメガ・ブランシュの頭部を狙う。
先ほどまで見失った獲物を探してうろうろとしていたが、今は動きを止め、休息をとっているように見えた。まさにチャンスである。

――――1……2の……





「3!」




合図とともに引き金を引く。
まるで呼吸するかの如く、自然なその動作に、白の団のメンバーは皆呆気にとられた。緊張感が張り詰めることも、闘気や殺気を発することもなく、シューターはごく自然な雰囲気のまま、引き金を引いた。
そして放たれたエネルギー弾は、寸分違うこと無く、宣言通りにメガ・ブランシュの右目を撃ちぬいた。

「なんと!?」

エルピスは思わず声を上げる。驚くのはそればかりではない。
着弾するより早く、シューターが引き金を引いた瞬間には既に、四人の部下はフォーメーション通りに展開するべく、シャッターをくぐり抜け、駆け出したのだ。
彼の射撃が、必ず成功すると信じていなければできない芸当である。

さて、右目を損傷したメガ・ブランシュは、ダメージのチェックをすると同時に、射線を辿り、シャッターの隙間に気づく。そして、そこに敵がいるであろうことを確信し、一気に取り付こうと地を蹴る。

「そうは問屋がおろしませんよ!」

掛け声と共に、エネルギー弾が右膝の裏にヒットした。衝撃に膝をつくメガ・ブランシュ。
既に展開していたボウとドローが同時に、同一箇所を撃ちぬくことで、確かなダメージを与えた。
メガ・ブランシュは、二人に気づき、すかさず右腕を振り回す――――……つもりが、左膝の裏に再びヒットしたエネルギー弾に、バランスを崩して倒れこんだ。

「油断大敵ってね!」

アーチとコードの連携攻撃もまた、メガ・ブランシュの動きを止めるに十分な力を発揮した。
しかし、メガ・ブランシュもそれでは終わらない。ゴーレムの両腕を広げ、がむしゃらに振り回し始めた。――――その瞬間、四発の銃声が響く。

メガ・ブランシュの右肩と、左肩が、ほぼ同時に二発ずつ放たれたエネルギー弾により、破壊された。
停止すると共に激しい音を立てながら、両腕が地に落ちる。

その華麗なトドメを与えたのは他の誰でも無い「――――華麗なる狩人! シューター様だ!!」





…………地の文にまで侵入してくる奇想天外ぶりを見せつけながら、シューターはそのまま銃を構えて、様子を見る。
未だにまともな言葉にならない音声を発するメガ・ブランシュではあるが、どうやら、害は去ったらしい。
そのまま後ろに備えていたセルヴォとジョーヌに合図を送る。

「ゴーゴーレッツゴー名無しの技術士と麗しき美女よ! 脅威は去った! 後は君たちに任せよう!」

「……名前がないわけではないんだが」

「えと……まあ、とにかく行きましょう!」

予想以上の手際良さと、些か以上にズレた発言に、半ば呆気にとられながら、二人はメガ・ブランシュの胴体部分に取り付き、コクピットハッチを強制開放した。
メインコンピューターに手を加えること数分、事態は穏やかに収束した。


まさに華麗な終幕であった。

































  ―――― * * * ――――







……



……………



…………………





  眼前に広がるは暗闇


  色もない 音もない


  触覚も 己の存在を確かめるもの全て


  何もない


  それでも 聞こえる……‥‥




――――…もう…いいっすよね?


(…誰だ?)


――――…あなたも十分休みましたよね?


(…誰なんだ?)



  耳の奥で響く優しい声

  しかし、問い返した言葉は何もつかめず、暗黒に消える




――――…さあ、「   」。


(……何だ?)


――――…「みんな」を、任せましたよ……


(……)


  響きが遠ざかる
  そして、声は聞こえなくなる


(……待て……待てよ……おい…)


  慌てて呼びかける

  けれど、見えない声の主は離れてゆく

  不意に、彼は気づく



(…貴様は…)




……貴様は……?




(…………俺様は……?)







     俺様は









  繰り返す問い

  突き刺さる衝撃

  見つかりかけた答えを消し去るように


  鮮烈な光が


  闇を






  切り裂いた

















    「目覚めて」


















「――――目覚めて下さいって、副隊ちょー」

そう言いながらドローがシューターの頬をベチンと叩いた。
それと同時に、急に開いたシューターの目が、ドローをギョロリと睨みつける。思わず「やべ」と声を漏らし、ドローは後ずさった。

「…………俺様は眠っていたのか……」

そう言ってムクリと起き上がる。
既に陽は登り始め、辺りは朝焼けに染まりつつある。五人は岩陰に身を隠し、休息をとっていた。

「ハッ……まさか夢オチ!?」

「そんな馬鹿なオチがありますか、副隊長! 全て現実です!」

既に起きていたボウがすかさず切り返す。

「マジでか!? ならば、俺様の華麗なる技に惚れた美女は何処にいる!?」

「おそらくその辺は夢っす! 副隊長!」

アーチの切り返しに「む……それは残念だ」と項垂れてみせる。それから赤くなった頬をさすると、ドローを再び睨みつけた。ドローは「何も知りません」というような顔で明後日の方角を眺めていた。

「……俺様のほっぺたがひりひりするのだが……何故だ??」

「誰に聞いてるんですか?」とでも言いたげに、答えようとしないドロー。それにジリジリと迫りながら、再びシューターは口を開く。

「……貴様に叩かれた辺りがひりひりしているのだが………な・ぜ・だ!?」

「……そ……それは……」

あまりの迫力にドローは思わず言葉を漏らし、後ずさる。
答えはとうに分かっている。そう、目覚めるまで何度も叩いていたのだ。恨みつらみを込めながら。

「赦すまじ! この反逆者め!!」

「い…いつまでも起きない副隊ちょーが悪いんスよ!」

「喧嘩はダメっす! 二人共!」

「副隊長! コイツも悪気はなかったんです! 副隊長が寝過ごして寝こみを襲われないか心配で!」

「黙れ黙れ! 貴様らも止めずに見ていたな!! 一緒に成敗してくれるぅ!!」

「「ひぃやぁーーーー! お助けをを」」




――――などといつも通りのドタバタ劇を繰り広げる無能な同僚たち。
しかし真に華麗なハンターという者は、常に己の任務を(略、神経を鋭敏に(略、あらゆる状況においても(略

「そう……この私…コード隊員のように……」

これを読んでいる紳士淑女の皆様方には、この優秀なるコードがこれまでの経緯を簡単に説明しよう。

今現在、あの穴蔵から出て、既に七時間が経過した。
我々の華麗なる連携攻撃により地に伏したメカニロイドは無事に制御され、どうやらあそこに住み着いていたレプリロイドたちもひと安心できたようだった。

『あなた達のおかげで救われました! 本当に有難うございます! 救世主さま! 心より感謝いたします!』

リーダーと目される白いマントを羽織った男から、少々派手すぎる感謝の言葉をいただき、快い気分で外に出た我々。
陽が暮れ、宵闇に包まれた大地に身を任せ、激闘の疲れを癒すように眠りに就いたのだった。


「いやぁ、それにしても久々に決まりましたね、我々の連携攻撃」

平手打ちを食らった頬を摩りながら、ボウが嬉しそうに言う。
同じく頬を摩りながら、アーチが「そうだなあ」と共感の声を上げる。

「最近じゃ久しくあんな戦いしてないっすからねえ」

紅いイレギュラー捜索活動に専念している以上、何度も戦闘状態に入るということはない。更に言えば、紅いイレギュラーと交戦したとしてもずる賢い手により上手く撒かれてしまって、なかなか連携攻撃を見せつけることもできない。

「『できるんなら、やれよ』って声が聞こえる気がするっす……副隊ちょー」

両頬を摩りながら、ドローが零す。

「何を言うか! 俺様達は何時だって全身全霊! 命がけ! 手を抜いたことなど一度もない!」

「じゃあ、なんでいつもやれないんでしょうかね……?」

「それは! ――――………」

ドローの返しに言葉が詰まる。それから暫く硬直した後、シューターは「シャラップ!」と声を張り上げた。そして勢い良く立ち上がると、拳を天に向かって突き上げ、声高らかに宣言する。

「俺様、過去のことを振り返ってウジウジするようなウジウジくんは大嫌いなのだ! 俺様が生きているのはまさに今! この時! この瞬間! 未来に向かって生きているのだ!! 故に過去など不要! 昨日の反省などしてやるものか!!」

「流石っす副隊長!」「そこに痺れるッ! 憧れるぅ!!」

そう言って尚ももてはやすアーチとボウの裏でドローだけが「だからダメなんじゃ」と溜息混じりに漏らしていた。












  ―――― 5  ――――


事の顛末をシエルから聞いて、ゼロは腹を抱えて大笑いをする。
「笑わないであげてよ」とシエルが言うのに、「クククッ」と堪えながら言葉を返す。

「いやぁ……セルヴォもとんだ災難だったなあ。しかもあいつらが関わるとは」

「『あいつら』…って、どっちのことなんだか……」

「勿論十七部隊の方さ。サイバーエルフの方は……まあ、どうしようもないな」

そう言って、尚も笑みを浮かべていた。
メガ・ブランシュの動きを封じた後、ジョーヌとセルヴォの手により、デルクルは救出された。
それと同時に、今回の事件の真相が判明した。
ウインキィ、ナッピィ、ハピタンの三人組がデルクルと争ううちに、デルクルとリンクしていたメガ・ブランシュのメインコンピューターに干渉。
その影響がバグとなって、暴走の原因となってしまったのだ。そもそも制御用に一体分の空きしかなかったリンクシステムに他の三体が干渉した事自体が問題で、チェック不足によるシステムの欠陥であったことは言うまでもない。
とは言え、実際に問題を引き起こした三体のサイバーエルフは、危険なものを秘密裏に作ろうとしていたセルヴォと一緒に、シエルからキツイお叱りの言葉を受け、しばらく反省の証にデータ整理の奉仕活動をすることで話はまとまった。

「セルヴォのおっさんまで叱る必要もなかったんじゃないか……プフッ」

十四歳の少女に叱りつけられる、中年男性レプリロイドの姿を想像して、思わずゼロは噴きだす。
顔を少し赤くしながら、シエルが「そんなことないわ!」と語気を強める。

「言ってくれれば協力でもなんでもしたのに……勝手にそんなもの作ってたなんて…許せない」

そう言って、子供っぽく口をとがらせ、頬を膨らます。
その様がいつも以上に歳相応に思えて、何より、怒る視点と理由が彼女らしくて、ゼロは微笑みを浮かべる。
ゼロの眼差しに、シエルは「なに?」と問いかけたが、「なんでもないよ」と返した。




セルヴォがメガ・ブランシュを作ったのは、誰でもない、ゼロのためだった。
「彼だけに戦わせ続ける訳にはいかない」と思い立ち、苦心して作り上げたのがあのマシンだっただけに、破壊する時には些か以上に悔しい思いがあっただろう。

「とは言え、腕も足も綺麗に外されていたから、修理はそこまで大変じゃないって、明るい顔していたわ」

「その点に関してはあの連中に感謝だな。何処まで分かってたのかはともかくとして、有難いもんだよ。――――それにしても大丈夫なのか? ……そのまま帰してしまって」

曲がりなりにも十七精鋭部隊のメンバーだ。もしかしたら白の団の拠点への入り口が割れてしまうかもしれない。
だが、「その点は大丈夫でしょう」とエルピスは言っていた。

「『必要以上に褒め称えて、いい気分で帰ってもらいましたから』って、エルピスが。最後まで疑うような事は言われなかったそうよ」

「…………ホントかよ……と言いたいとこだが、確かにあの連中ならそれで大丈夫そうだな」

「………どんな連中よ……」とシエルは思わず零した。
正直なところ、調べた情報ではそこまで“間が抜けた”人物であるなどという情報はとても掴めなかった。
能ある鷹は爪を隠すというが、それどころの話ではない。そのシューターという男について、もっとも多く流れている噂は、天才と呼ばれてもおかしくないとある記録の件についてなのだ。
ハンター養成課程における、射撃技能テスト――――イレギュラーハンターがネオ・アルカディアに設立されてからの八十年の歴史の中で、断トツのトップ記録を保持している一流の射撃手。それがそのシューターという男なのだ。

「携帯式の小型エネルギーガンで、予備動作の欠片も見せずにシャッターの隙間から数十メートル離れたメカニロイドにヘッドショットを決めたり、ほぼ同時に四発のショットを放っては、ズレること無く二発ずつ二箇所に命中させたり……尋常な射撃の腕じゃないと思うんだけど」

「俺もそう思う……が、まあ………“天は人――――とレプリロイドに二物を与えず”ってことで…な」

「『…な』って………」

尚も納得出来ないというシエルの表情に、ゼロはまた笑い声を上げた。
天才少女の頭脳を持ってしても理解できないというのだから、ある意味シューターという男は、真の天才なのかもしれない。
















  ―――― * * * ――――



「ところで、今回の件。クラフト隊長にはどう報告するつもりなんですか?」

ドローの問いに、シューターは凄まじい形相で詰め寄り問い返す。

「貴様! もしやまた報告を!?」

「してないっす! 今回は断じてしてないっす! ――――……で、どうするんすか?」

「う……むぅ」

再び問い直され、シューターは考えこむ。
そして暫くの後、首を横に振り、「いらんだろう」と答えた。

「彼らに紅いイレギュラーとの繋がりなどきっとない……というか、そもそも今回の件をどう報告すればいいと思う?」

「それは………」

話を振られ、アーチとボウが考えこむ。
だが、聞かれたところでまともな答えは出てこない。




紅いイレギュラーと縁の有りそうなレプリロイド達を見つける

  →地下空間でメカニロイドに追い回される

    →レプリロイドたちに捕らえられる

      →なんやかんやで協力

        →恩人と称えられ、脱出(←今ココ



「………報告できるような手柄一個もないっすね」

「だまらっしゃい!!」

サラリと答えるドローに、シューターは声を荒げる。

「ゴホン! ……まさにそのとおり。報告したところであの小僧がまたつけあがるだけだ。故に、俺様は黙秘権を行使する!」

「おお!副隊長、その思い切りはかっこいいっす!」

「惚れます! 男惚れします!!」

要は「怒られるのが怖いから報告しない」というだけだというのに、アーチとボウはいつも通り持て囃す。流石のドローも憎まれ口を叩く暇なく、ただ呆れてみせた。

「さあ、昨日の栄光にすがる暇など無いぞ! グズグズはしておれん! 皆の衆! 我々特殊班は再び紅いイレギュラー討伐のために歩みださねば!!」

「「イエッサー!」」

「…いえっさ~」

「………………」

「うむ、気合の入らない奴らも、今日の俺様は赦してあげようではないか! では行くぞ! ついてこい! 俺様の背中に!!」

そう言って、朝陽に向かって地を蹴るシューター。その後を追いかける四人の部下達。








    一つの戦いが終わりを告げる!


    しかし!


    彼らの戦いはまだ始まったばかりだ!


    行けシューター!


    走れシューター!


    クラフトに怒られたって、いちいちイジケちゃダメだぞシューター!


    もう出番がなかったとしても、絶対泣くなよシューター!






    「俺様の戦いはまだまだこれからだぜぇ!!」












    コード先生の次回作にご期待ください!






















※WARNING※

この作品はフィクションです。実在の人物、団体、事件などにはいっさいがっさい関係ありません。
また、架空の人物、団体、事件などについても、直接つながりがあるかどうかは保証いたしません。

よいこのみんなの自己判断でお願い致します。

























 NEXT STAGE












     レプリロイドは ぜんまいねずみの夢を見るか?

















[34283] COMMENTARY 2
Name: 村岡凡斎◆45ff140f ID:697d6d9c
Date: 2012/10/30 23:37

初めましての方、初めまして。お久しぶりの方、お久しぶりです。村岡凡斎です。
ようやく思い入れの強かった激闘編も終わり、一息つけるところです。
………いや、ストックを投入しきっただけなんですが。

表紙に関しては例のごとく、pixivで盛大にやらかしてます。
好き勝手やってますが見てやるよという方いたら、ぜひ覗いてみてください。
正ヒロインは結局誰なのよ……と突っ込みたくなることこの上ないでしょう。

では各話の製作時の心境やらをここでつらつらと。
どれもにじファン時代のあとがきからコピペ&編集ですが。
心境を特に綴ってないものに関しては、特に語りたいものは出なかったということです。
要は、作品の中で無事に完結したということですね。











・12tn STAGE 「ウラギリ」

コンセプト話とでも言いましょうか。
基本的に話の道筋を考えてから題名を決めるのですが、この回はまず題名から決めました。
原作をプレイしたことのある方なら分かるでしょうが、評価の一つ「ウラギリ」です。そのままですね 笑

タイトルから、とにかく至る所に「ウラギリ」を仕込むというのが目標に。
ちなみに「マゴテス」はその為に考案したキャラだったり(名前を逆から読むと……)
マゴテスの裏切り、ゼロの裏切り、元老院によるイレギュラーハンターたちへの裏切り……
あなたは一体幾つの“裏切り”が見つけられたでしょうか?
もしかしたら私が気づかずに冒してしまった裏切りもあるかもしれません...

ちなみにマゴテスとゼロとの会談部分については、この作品において私が描きたいことの一端が確かに表れたように思います。
胸に留めて今後を読み進めていただけると、より楽しめるんじゃないでしょうか。




・13th STAGE 「闘将」

ファーブニルのデザイン画同様、個人的には描いていたら化けた話。
当初は戦闘シーンばかりで、たぶん三部分くらいで終わるんじゃないかな…なんて思ってたら、ファーブニルが予想以上に愉しく動きまわり且つ、悩める男だったおかげでそこそこ中身のある話に。
個人的には、彼を想って黄昏るレヴィアタンの描写がお気に入り。「あ、入れてみよ」と思ってやってみましたが、正解だったんじゃないかなあと。
あとは、最後の場面。この二人のツーショットってあり得ないだろうなって思ったから、「むしろアリだな」って感じで(笑

ゼロとの決着については、とにかく「ファーブニルが生存するためにはどうすればいいか」から考えました。
で、エックスのDNAデータ云々の話と「ウラギリ」の回から繋げるという構想に至り、マゴテスさん最後の悪あがきに至ったわけです。





・15th STAGE「レスキューコール」
・16th STAGE「世界を覆う白雪の上で」

イメージソング:白い雪/Kokia

カムベアスの大幅な性格改変により成り立ったお話。雪山で悲劇を起こすことを前提に、「では誰がいいか」選りすぐった結果。
レイビットの参戦は個人的な拘り。Xシリーズ(X1)からの繋がりを感じてもらえれば。気になった方は、ぜひロックマンX、またはイレギュラーハンターXに手を出してみてください。
話としては[Z-E-R-O]構想時から結末やらはすでに出来上がっていたのですが、間を埋めるのに相当苦労。レヴィアタンがこんなにも出てくる予定では当初無かったのですが、彼女にはいくらか助けられました。それにしても色気の出し方は難しい。もっと精進しないと。
しかし、なんといっても個人的に当たったのは第十七部隊の参戦。これがなければ16th STAGEの方は完成しなかったかもしれません(苦笑)
イメージソングは、別に、これに合わせて書いたというわけではないのですが、なんとなくマッチするかなと。
ぜひどこかで耳にして頂ければと思います。

余談ですが、執筆時意識したのは、岩本X1のペンギーゴ戦。同じくX3のバッファリオ戦。
どういう部分で…というのは、是非読んで見てくださいとしか言えません。







・17th STAGE 「理想の表裏」

当初の予定では、あまりにゼロとの絡みがなかったので「クラフト回を作らねば…」と焦っておりました。
「衝突する信念」とかそれっぽい仮題をつけては見たものの、話が全く浮かばず……。
それからカムベアス戦でクラフトを出すことになり、「それならば」と全く別のパターンで話を幾つか考え、結果今回のようなネオ・アルカディアの内部事情も踏まえた話に。
ちなみに案の一つには「シューターとクラフト、ゼロの三人で遭難」というのもあったんですが、やめました(笑

タイトルにも“理想”といれているように、9th STAGE「理想郷の詩」と対になる話。
レオニードの誕生パーティー部分は雰囲気がガラリと変わったので、動揺された方も多いでしょう(笑
ちなみにいくつかどうでもいい小ネタ、豆知識をはさんでいます。
エッカルトとイーリスの遣り取り――――バンドやってた時に自分はそうとう気にしました。アルコールは喉に負担がかかるので、飲んだ後に歌うのはよくありません。ハーブティーは喉にやさしい飲料として有名ですね。歌う直前には普通の水の方がいいと思いますが。
クラフトとレイラが話していた廃墟――――“傍らには鳩のマークをした巨大な看板が見える。”って、まんまです(笑
ゼロのコートについて「紅いイレギュラーのコートはもっと暗い血の色だ」――――これ、分かる人いるのかしら。

……個人的に楽しんでいただけです、すいません。

なんにしても、「紅いイレギュラーの偽物が現れる」という案が化けてくれた話。
急に思い立って「オレっ娘」にしましたが、個人的に気に入りました。


……ええ、個人的に楽しんで(略




・18th STAGE 「color of mine/d」

エルピス回……の予定のはずが、クラフト回も引きずる形に。
とは言え、結構良かったかな、うん。エルピス周辺の肉付けも何処かでしなければと考えていたので。あと、白の団の由来もね。
ガラノフ達があっという間にやられたのは尺の都合……もありますが、まあ、クラフトのメガビームスウィープが凄かったってだけです。はい。


懐かしい17th STAGE進行中、読者様の一人が素敵なレビューを描いてくれました。もしも読んでいましたらその節は、本当にありがとうございました。
こちらではレビュー機能とかありませんが、感想は励みになり、モチベーションに繋がります。いつでも受け付けておりますので、よろしくお願いします。







・19th STAGE「妖将」
・20th STAGE「届かぬ想い、その結末。」

イメージソング:last love song/KOKIA


最後に雨のように降り注ぐ何かの中でゼロがレヴィアタンにもたれかかり、且つ彼女が呆然と空を見上げているというシーンから組み立てたお話でした。
今は亡き大切な人の最期の言葉を追う彼女と、かつての主人の命を忠実に守るあの中ボスとの対比とか、思いつきで試してみたわけですが………

…ん~。あまり多くは語るまい。読者の方々にはどのように感じていただけたでしょうか。
個人的には…「感情だけで描くのはあまりよろしくないね」という反省を得ました。
百部分用にイラスト書いたから、妖将様にはそれで赦していただこうかな……(汗

……なんて当時は思ってましたが、読みなおして、いくつか文を書きなおしてみれば、まあ個人的には許容範囲に
レヴィアタンとゼロのやりとりに、何かしら感じて下さった読者様もいらしたようで、頂いた感想が非常に嬉しかった思い出も。

KOKIAさんのlast love songの詩が染みたので、ぜひお聴きくださればと思います。







・21st STAGE「デンジャラス・デイ」

脳内主題歌:ザ・マイスター/B'z

初(?)のギャグ回。二度とやるもんか(笑

え~………ニヤニヤしながらも「これ笑えんのか?」と疑り続けて作ったお話。
どうだったんでしょうか?
自分は根っからのシリアス好きらしく、これを描こうと決めてからモチベーションがだだ下がり。しばらく放置する結果に……。
何度かこれをやめて、シリアス回を繰り上げようと思いましたが、作品内のテンションの波を考え、どうしてもここで一旦“そういう話”を作っておくべきかなと思い、苦心して作りました。
とにかく一気に書いて、一気に終わる。それだけを考えたので、好き勝手やって、ほとんどそのままです。推敲なんてものはほとんどしていません。
作り終えて確信したことは、「二度とこんなものは描くもんか(笑」です。

とは言うものの、シューター達特殊班の面々は書いていて楽しかったです。オリキャラだということもありますが。
ちなみに、名前は元々シューターのみが決まっており、あとは隊員A、B、C、Dだったのですが、自身が定めた「モブキャラでも個性を」というルールを見つめなおし、それぞれのアルファベットを頭文字に、「弓矢」に関する名前を揃えました。
Arch(弓形)Bow(弓)Chord(弦)Draw(引く)……てな具合です。

班員達の「お気に入り解除」「最低点数獲得」の功績は紛うこと無き事実です(笑
……ちょうど激闘編10th STAGEのBパートでしたか。今でもあのやっちまった感を覚えています。
そして今回も……彼らが登場したこの21st STAGEは、初回で「Z-E-R-O」内の読者数記録一位を塗り替え、そこから見事に右肩下がりに読者数を減らしてゆくという素晴らしい功績(2012年5月31日13:30現在)を残してくれました。
本当に飽きない連中です。

きっともう出会うことはないでしょうが、もしも「コイツら好きだよ(はぁと)」な声が聞こえてきたら再登場はありえます。
それと今回は、気づいた方もいるかと思いますが、一部にセルフパロディを取り入れております。まあ、ほぼコピペみたいなもんですが。しっかりと読み進めて下さっている方は「あれ?」と思えたのではないでしょうか。その辺を、もう一度振り返って確認してみるのも良いかも知れませんね。








さてさて、ついにこの話で激闘編は終了です。
次回から通常営業に戻り、第一部のラストへ向けた最終章がスタート致します。



で、最終章からは本版に移ってみようかと考えたり。
あかんでしょうかね? ……あかんか?

まあ、やるだけやってみましょうということで。
一週間後くらいを目処に移動します。引き止めてくれる人はそれまでに。


あ、あと気づいた方もいると思いますが、章ごとに完結とともに一話は一部分にまとめるようにしました。
ツリーが個人的に見難いと感じたので。
今後は一話ごとに完結次第編集していこうかと思ってます。
部分ごととかのほうが読みやすいって人いましたら教えて下さい。

ではでは、また次のお話で......






[34283] 22nd STAGE 「レプリロイドは ぜんまいねずみの夢を見るか?」
Name: 村岡凡斎◆45ff140f ID:697d6d9c
Date: 2012/11/07 01:09















    いつか目覚める君のために




    僕は この世界を遺してゆくよ








































        離別編



































 22nd STAGE













      レプリロイドは ぜんまいねずみの夢を見るか?









































  ――――  1  ――――


「チッ……とんだヘマをやったもんだな……」

ゼロは自身の失態に舌打ちながら、思わずそう零す。
つい数十分前のことだ。エルピスからの指示で、塵炎軍団の一部隊と交戦した時。戦闘中に敵の一撃をエル・クラージュに当てられてしまった。
走れないということは勿論ないが、乗り心地がどうにも落ち着かないものになってしまった。

「直りそう、ダーリン?」

レルピィが心配そうに問いかける。
堪えきれず手頃な岩場に隠れて停車し、調子を見ていたのだが、正直、細かい作業ができるような環境ではない。
「何とも言えないな」と溜息をついて、車体から離れる。
ここから近場の空間転移装置まで、距離は結構ある。このままの状態で走り続ければ、不快感がどうこうという話だけでなく、他の部分にも影響が出ないか心配になってくる。

「……ごめん…あたしのミスだよね……」

戦闘中、エル・クラージュを動かしていたのはレルピィだ。これだけの高性能機でありながら傷を付けられてしまったことに責任を感じているのか、申し訳なさそうに俯く。
「気にすんなよ」とゼロは笑って答える。

「むしろあの状況の中、この程度の傷で済んだのはお前のおかげさ。サンキューな」

そう言って頭を撫でるように人差し指を振る。勿論、触れられるわけではないのだが。

「とにかく、傷ついちまったもんは仕方ない。なんとか調整する方法を考えよう」

「……うん、オッケー。あ、そう言えば」

何かを思いついたように、エル・クラージュの管制システムに戻る。それから、周辺のマップ映像を映し出す。

「確かこの辺りに良い感じの廃墟があったはずよ」

レルピィの音声が発せられると共に、ある一点に赤い印がつく。
旧世紀の廃墟の中ならば、身を隠すにはもってこいな上、上手くいけば整備に使えるものが転がっているかもしれない。

「そうだな、とりあえずそこまで行ってみるか」

こんな岩場で作業をするよりは、精神的にも幾分楽なはずだ。
決心すると、エル・クラージュに跨り、再びアクセルを回した。










かつては人で溢れかえっていたであろう、大都市の成れの果て。辿り着いた廃墟の第一印象はそんなとこだった。
その区域に足を踏み入れてみると、数人の気配が感じられた。おそらくこの場所を集落として住み着いたレプリロイド達だろう。
真紅のコートに、流れる金髪――――噂に聞いたことがある、彼の風貌に、警戒しながらも興味津々という様子だ。
エル・クラージュを押しながら歩き、周りを見る。そして、傾いた廃ビルの一室にいる一人の男に視線を止めると、瓦礫の山を避けながら、彼の下へ近寄っていった。

そこにいた男は、まるでゼロになど興味ないというように、ボロボロの日記帳に何かをひたすら書き綴っていた。

「なあ、あんた。この辺りに廃工場とか無いか?」

問いかけられたことに暫く気づかなかったらしく、男は尚も書き続けていた。
もう一度声をかけると、ようやく顔を上げた。かと思うと、直ぐそばに立つゼロを見て、驚いたように目を丸くした。

「……あんた…“紅いイレギュラー”か?」

「! ……そういうお前は――――………‥‥」

ゼロはあることに気づいたが、そのまま言葉を飲み込んだ。
男はじっとゼロの方を見つめたまま黙りこむ。それから、ある方角を指さし、再び口を開いた。

「そこの通りを進んでいけば右手の方にある筈だ。――――おーい、ナタリオ」

男に名を呼ばれ、一人の少年レプリロイドが部屋の奥から現れる。
人間で言えば十歳前後と言ったところだろう。少年――――ナタリオは男の前に立ち、彼の顔を見つめる。言葉は一向に発さないまま。

「ナタリオ、この人を廃工場に案内してやってくれ。通りの先にあるアソコだ」

男の言葉に、ナタリオは黙ったまま頷き、歩き始める。

「あの子に着いて行けば大丈夫だ。迷うことはないだろう」

「ありがとな……――――名前は?」

「オレクだ」

「ありがとな、オレク」

そう言って握手をかわすと、気を使って待っていてくれているナタリオの後ろに続いて廃墟を出た。
そこから十数分とかからない場所に、目的の廃工場はあった。
歩いている間、ナタリオは一言も喋ること無く、時折、ちゃんとゼロがついてきているか確かめるように振り返るくらいで、人形のような仏頂面で黙々と歩いていた。
途中でレルピィが「なんか不気味」と漏らしたのだが、ゼロは人差し指でそれを制した。ゼロはといえば、彼の異様な雰囲気に、なにかしら理由があるのだろうと思い、自分から声をかける事はしなかった。ただ一度、そこに辿り着いた時に「ありがとな」と声をかけたが、ナタリオは表情も変えずに頷くだけで、やはり言葉を発さなかった。
積み上げられた瓦礫の下を漁り、使えそうな部品や道具を掘り出す。期待した以上にいろいろと出てきてくれたお陰で、作業は順調に進むだろうと思えた。

「帰っても大丈夫だぜ?」

ナタリオにそう言ってみる。だが、ナタリオは首を横に振り、その場に留まった。
表情から考えを読み取ることはできないが、きっと自分達が帰りに道に迷いでもしないかと心配してくれているのだろうと予想した。
確かに、この廃墟群はゼロが知っている他の場所に比べて明らかに広い。とは言え、一度通った道に迷うなど、レプリロイドである自分にはありえない話だ。
だが、それでもナタリオが待ち続けてくれるので、その厚意は無下にすべきではないと考えた。ちょうどスペース的に作業もしにくかったところでもある。

「俺たちも一緒なら、いいだろ?」

そう問いなおすと、ナタリオはハッキリと頷いた。
必要になりそうなものだけを手に取り、エル・クラージュに乗せ、その場を後にする。
それからまた、オレクがいた廃墟に辿り着くまで、一行は一言も発することなく、歩き続けた。

「お帰り、ナタリオ――――……っと、あんたもか」

再び驚いたような顔で、オレクはゼロを見る。

「ちょいとこの辺で作業をさせてもらおうと思ってな」

「……なら、このビルの奥に手頃なスペースがある。好きに使ってくれ」

ビルの所有者であるかのような口ぶりで、そう言う。それから足元に転がっていたボールをナタリオに投げ渡した。

「お前はそれで遊んでおいで」

オレクの言葉にナタリオは頷き、そのまま外に駆け出した。

ゼロはオレクに案内されるまま、エル・クラージュを押してビルの奥へと入ってゆく。
電気が通っていないため、外の明かりだけが頼りだった。勿論、陽が出ている間だけだが。
しかしそれでも、スペース的にはオレクが言うとおり、十分なもので、ゼロとしては満足の行く場所だった。

その場に座り、工具を広げる。そして、エル・クラージュの損傷部を確かめる。
ふと気づくと、オレクも何やら興味ありげにエル・クラージュを眺めていた。

「最新型……か? 見たこともないマシンだな」

感心したように言う。その口ぶりで、ゼロは先程気づいたことが真実であることを確信した。

「そ、冥海軍団から奪わせてもらったんだ」

細かい経緯については若干異なるが、そういう話で通しておくことにしている。

「妖将様からか……流石だな、紅いイレギュラー」

「素直に褒めてもらえて嬉しいぜ。それで、お前は元々何処所属だったんだ?」

「ああ、俺は塵炎軍団第八方面――――……‥‥!」

言いかけたところで、口を噤んだ。ゼロがニヤリと笑いながら、見つめている。思わず咳払いをした。

「……どうして分かった?」

「ただの国抜けしたレプリロイドと思えなかったからだよ。お前みたいな、よく訓練された戦闘用レプリロイドがさ」

その佇まいや、身の振り方、一挙手一投足にまで、正規の軍に所属していたであろう独特の雰囲気が滲みでていた。
勿論、それに気づけたのは、ゼロが百戦錬磨の英雄であるからこそだが。

「とは言え、今はもう軍を抜けた身だ。あんたとやり合うつもりはないよ」

オレクはそう言って、両手を上げる。

「だろうな。そう言う感じがしたよ。偽りじゃなく…な。……それで、こんなとこにいる理由はなんだい?」

「……理由…か」

オレクは暫く考え込んだ後、観念してその場に座り込んだ。
そしてゼロを指さすと、苦笑してみせる。

「理由はともかくとして……原因は他でもない――――“あんた”だよ」




悔しさはあるが、憎んではいない。
少なくとも、今は。












































  ――――  2  ――――


ゴシック風の荘厳な屋敷の前で車を停め、ブレイジン・フリザードは目を細めて屋敷を見つめながら運転席を降りた。
それから回り込み、後部座席の扉を開けて、中の老人に声をかける。

「到着いたしました、バイル様」

「……うむ」

バイル元老院名誉議長が乗っている延命カプセルを慎重に引き出すと、その後ろに回り、押して歩き始めた。
庭を囲む大きな門の前に立ち、建造物の意匠に合わせた認証システムに、バイルの網膜を読みこませる。しばらくして、「お入りください」と中の者の声がした。

周囲を囲む、模造された植物により埋め尽くされた庭を眺めながら、カプセルを押して玄関までの道を歩く。
フリザードは、華々しく優雅なこの庭を通る度に、悪寒のようなものを感じてしまう自分に気づいていた。偽りばかりを埋め尽くしたその様子が、まるでこの世界の縮図のように思えてならなかったのだ。

やがて、短い石段を登り、玄関の前に立つ。それからまたしばらくして、二人を迎え入れるように扉が開く。
白銀の髪に、中性的な顔をしたレプリロイドが中から出てくると、「どうぞ」と中に入るよう促した。

広い廊下を真っ直ぐに進み、豪勢な装飾を施された扉の前に立つ。
銀髪のレプリロイドは二人の横を通り、扉の横に隠されていた制御パネルを引き出すと、二十桁程度の数字を打ち込み、DNA認証を受けた。
ニ分ほど経った後、扉が開く。三人はそれに乗る。銀髪のレプリロイドが、入って左手にあったパネルを操作すると、扉が閉まり“それ”は動き始めた。僅かに重力が軽くなるような感覚が、下降していることを教えてくれる。

数十秒後、到着を告げるブザーと共に扉が開く。銀髪のレプリロイドに続いて、バイルとフリザードもそれから降り立った。
あのエレベーターが空間転移装置だったのだろう。そこは仄暗い倉庫のような場所で、先程見た、あの屋敷の地下とは到底思えなかった。
そのまま先へ歩いてゆくと、明かりを手にした若い男が立っている。獅子の鬣のようなウェーブかかった金色の長髪が印象的だった。

「お待ちしておりました、バイル卿」

男はそう言って足早に寄ってくるなり、微笑みながらお辞儀をしてみせる。

「……元老院議長当選、おめでとう…レオニード卿」

バイルもまた笑みを浮かべ、目の前の男――――レオニードに賛辞を送る。

「ありがとうございます。これも一重にバイル卿のおかげです」

「……これでようやく“第三段階”はクリアだな」

バイルの言葉に、レオニードも「ええ」と頷いた。

「いよいよゲームは“ラストステージ”……というところでしょうか?」

「……いや、まだ早い。“アレ”が見つからない限りは…な」

その答えに、レオニードは「失敬」と笑みを浮かべながら返す。

「そうでしたね。あなたの目的は“そこ”だった。しかし、私にとっては既に、今が“クライマックス”だ」

「…………互いの望みのために…」

不敵な笑みを浮かべ、バイルはそう答えた。
「そうそう」とレオニードはわざとらしく、何かを思い出したように声を上げる。

「二人ほど紹介をしておきたい者がおります、まずは…コチラ。私直属の騎士――――アレクサンダです」

「お初にお目にかかります、バイル卿。以後お見知りおきを」

そう言って、銀髪のレプリロイド――――アレクサンダは丁寧に頭を下げる。それに対し、バイルは頷くことで返事とした。それからフリザードが自身の紹介をし、アレクサンダと握手を交わす。

「なんと精巧なレプリロイドか……。君の作か?」

「お褒めいただき嬉しい限りです。ええ、仰るとおり。私の騎士として、私自らが制作に携わりました」

端正な顔立ちに、涼やかな声。温和そうでありながら、その実、鋭利な刃物のような雰囲気。ただの戦闘用マシンとは思えない、まさに芸術品という出来であった。
ただ、その中性的な顔と声についてだけは、どうしても違和感を覚えてしまうのだが。
そんなバイルの内心を他所に、レオニードは「それから――――」と付け加えた。だが、その言葉は少女の笑い声にかき消された。

「お初にお目にかかりますわ、“おじいさま”」

「!?」

彼女の容姿を見た瞬間、バイルは驚きを隠せなかった。
その表情に、少女は殊更嬉しそうに口端をゆがめる。

「フフ……“お久しぶり”と言ったほうが良かったかしら?」

「……お前……は……」

動揺を隠せない。そんなバイルの姿は、フリザードも初めて見た。
その瞳は、過去の過ちを突きつけられ、凍りつく罪人のようで、返す言葉を失っていた。
しかし、そんな様子も気にすること無く、少女は尚もあどけない笑みをうかべている。

「…………赦してくれ…とは言わない」

掠れながらではあるが、ようやく搾り出せたのはそんな一言だった。
だが、少女は顔に疑問符を浮かべた後、再び笑みを浮かべる。

「いいんですのよ、おじいさま。私は今、十分に幸せなのですから♪」

「……恨めばいい……この私を……」

少女の言葉を信じ切れなかったのか、バイルはただ謝罪の言葉を口にする。
すると、少女は延命カプセルに近づき、そのカバーを抱きしめるように両腕を回した。切なげな微笑みを浮かべながら。

「『いいんですのよ』…と、先程申し上げたではありませんか……」

そう囁き、カバーに口唇を優しく押し当てる。腰まで伸びた金茶色の髪が揺れ、翡翠色の瞳は妖艶な輝きを見せる。
どこで覚えたのか――――いや、だいたいの察しはつくが、とにかくその一連の動きは、男を誘う娼婦の“それ”であった。

だが、彼女が見せるそれら全ての動作が、まるで禍々しい呪詛のように感じられて、バイルはただ胸の奥がキリキリと痛むのを感じていた。

「十分だろう、離れなさい」

レオニードがそう言い、彼女の肩を引く。
少女は「あん」とわざとらしく声を出して、クルリと軽やかなステップを踏んで、カプセルから離れた。その身体を、アレクサンダが受け止める。

「………どこで?」

バイルの問いに、レオニードはカプセル越しにヒソヒソと小声で答える。

「ミズガルズ十三番区――――“掃き溜め”ですよ。部下に見つけさせました」

その名を聞き、「やはりか」と納得する。その場所であるならば、例え人間であろうとまともな生活はできやしない。身元の分からぬ少女ならば尚更。その身に施された“仕打ち”を考えれば、絶句する以外ない。
「堕ちるとこまで堕ちたか……」と呟く。だが心の中で、それを訂正する。

――――堕としたのは……私だ……

後悔は無い。必要な選択であった。だが、罪を感じずにはいられない。それは、百年前に約束を交わした“彼”に対する“それ”と寸分違わぬほどに、バイルの心を突き刺した。

――――……それでも、回り始めた歯車は止められない

動かし始めたのは自分だ。この男と出会ってから。いや、八十年前から。――――いや、百年前のあの日、“彼”と約束を交わしたあの日から。
全ての歯車は、自らの手で動かしたのだ。ならば、過去の罪に囚われている場合ではない。進む以外、許されることはないのだから。


今もまだ、あの日見た鮮烈な光が網膜に焼き付いている。




「事情はどうあれ、もう彼女も私の協力者です。互いに手を取り合って進んで行こうではありませんか」

爽やかな声で、レオニードが言う。
この男は全てを知った上でそんな言葉を吐いているのだ。無論、理解もしている。「質が悪いものだ」と、バイルは苦笑した。

「さて、積もる話は後にして……今日の本題はここではありません。時間も押していることです。早速、参りましょう」

そう言って身を翻し、歩き始める。その後ろに少女とアレクサンダ、バイルとフリザードが続く。
そして、奥に備え付けられたエレベーターへと乗り込んだ。






















  ―――― * * * ――――


塵炎軍団第八方面軍基地司令部。そこに勤めていたオレクは、紅いイレギュラーの襲撃に出くわしてしまった。
司令官であるミュートスレプリロイド、ホッパー・アバドニアンの善戦虚しく、基地は崩壊し、部隊は総崩れ。半年ほど前、第十七部隊創設より前の話である。

命からがら生き残った者達は、救援に来た他の部隊に合流し、その場を後にした。
だが、瓦礫の下に埋められていたオレクは違った。救援が来たことも知らず、ひたすら外に出ようと努め、ようやく這い出たときは、生者の気配はどこにもなかった。全て骸と化して、そこは墓場となっていた。
レプリロイドである自分を呪った。自己修復装置が作動し、腹部にできていた傷も塞がった。だが、通信機器はどれも故障し、救援を呼べるような状態ではなかった。そもそも、唯一人残ったレプリロイドのために、誰が救援に来てくれるというのか。ネオ・アルカディアの本質を知っているからこそ、絶望的であると理解していた。
生きながら、死人のような心地で、荒野に寝そべった。

ジリジリと照らす太陽の下、オレクは一人うずくまり、時が来るのを待った。精神プログラムの閉鎖という時を。
自壊プログラムの作動も視野に入れた。だが、それをするだけの勇気が持てず、自身の精神力が底をつくのを待った。

そんな時だった。一人の少年レプリロイドが、傍を通りがかった。
彼は何を思ったのか、オレクの肩をゆすり、意識を確かめた。オレクは目覚め、起き上がった。そして、その少年に導かれるまま、ひとつの集落にたどり着いた。



「笑えたよ……『四軍団員ともあろう俺が、こんなガキのイレギュラーに助けられるなんて』ってさ」

当時を振り返り、オレクは苦笑を浮かべる。

「けどな……おかげで生き延びることができたんだよ、俺は」



少年――――ナタリオとの生活が始まった。
初めはその集落の中で、言葉をなかなか発さない彼に戸惑いを感じた。しかしその優しさに触れ、オレクもまた穏やかな時間を過ごした。
暫くの後、紅いイレギュラーにより、闘将ファーブニルが倒されると、塵炎軍団の風紀が乱れ、意味のない略奪が始まった。
オレクはナタリオを守りながら襲撃を掻い潜り、いくつかの集落を転々とした後、この場所に落ち着いたのだ。

「それで今に至るわけ。あの日、あんたの襲撃がなけりゃ、俺はこんな場所にいなかったんだよ」

そう言って、再び苦笑いを浮かべる。「けどな」と付け加える。

「大事なもんに気がつけた気がするよ。ナタリオと出会えて。俺は…どう転んでもレプリロイドなんだよな。ここにいる連中や、あんたと同じ……レプリロイドなんだよな」

「……ああ、そうだな」

違いなど無い。皆、同胞なのだ。争いあい、血を流しあってはいるけれど。

「そんなわけで、俺はあんたのことを憎んじゃいない。だからまあ……警戒しないでくれていいよ」

はにかむようにそう言うオレクに、ゼロは「ああ」と返事をした。

「しかしまあ……なんというか不思議なもんだな。お前とナタリオ――――まるで人間の親子みたいだ」

先ほど見た遣り取りなどを思い浮かべ、率直な感想を述べる。確かに、今まで見てきたレプリロイドたちに比べると、そういう雰囲気を抱いてしまう。
すると、オレクは「いいや」と首を横に振る。そして、得意げな笑顔で、答えた。

「“みたい”じゃない。――――その“つもり”さ。俺たちはもう“親子”なんだよ。生活を始めてからずっとな」


その笑顔は、息子を愛おしむ父の顔だった。































  ――――  3  ――――


蹴り飛ばしたボールが思ったよりも遠くに転がり、ナタリオは走って追いかける。
そのボールを、一人の男が足で受け止める。紅いコートのレプリロイド――――紅いイレギュラーことゼロだ。

「俺も混ぜてくれよ、ナタリオ」

この廃墟群に足を踏み入れてから一夜が明けた。
整備を始めてみるとエル・クラージュのダメージが思った以上に深いことが分かり、しばらくこの場所で休息ついでに処置することにしたのだ。
ペロケに、エルピスへ状況に関する伝言を頼み、心配はしないようにと言いつけた。
だが、一日中エル・クラージュにピッタリと張り付いての作業というのも、なかなかキツイものがあり、気分転換にと散歩をしていたところ、ボールを使って一人で遊ぶナタリオに出会したのだ。

ゼロが優しくインサイドキックでパスを送ると、ナタリオはそれを綺麗にトラップし、蹴り返す。
今度は、それをダイレクトで左に振るように蹴る。ナタリオは軽く走ってそれを止め、「お返しに」と浮かせて返す。
ゼロは胸トラップで上手く足元に落とし、同じように浮かせて返す。勿論、ナタリオの身長に合わせて。

そんなやり取りを繰り返すと、ナタリオは笑顔を浮かべるようになった。
昨日のうちには一度も見ることが出来なかったその表情に、ゼロも嬉しくなる。

正直なところ、エル・クラージュの整備をすぐにでも終わらせて、帰ってしまっても良かった。
しかし、オレクとナタリオの“親子”に興味が湧き、理由をつけて暫く残ってみることにしたのだ。
同じ設計思想、部品等を用いているために、兄弟関係を設定されるレプリロイドはいる。
だが、何の関係もない二人のレプリロイドが――――どこまで本気かは分からないが――――親子を名乗って共に暮らしているのだ。これは明らかに稀な事例だ。
その真意が知りたいとか、そういうわけではないのだが。それでもこの二人の関係が気になってしまい、ゼロは後ろ髪を引かれ、留まってみることにした。

数十回のボールのやり取りを終え、瓦礫の上に二人で並んで座る。

「そのボールは……拾ったのか?」

ゼロの何気ない問いに、ナタリオは首を横に振る。
そして、この二日間で初めて、ゼロの前で口を開いた。

「父さんが……くれた……」

大事そうに抱える腕を見て、それが、オレクからのただの贈り物ではなく、ナタリオにとって何より大事なものなのだと分かった。
ボールを抱える姿が、アルエットと重なって、親近感が湧いた。

「いい“父さん”…だな」

そう言うと、ナタリオはゼロの方を見て、笑顔を見せた。先ほど見せたものよりも、眩しく、可愛らしい笑顔に、この“親子”が確かな絆で繋がっていることを感じる。

ネオ・アルカディアから抜けた経緯は知れないが、少年型の彼が受けた仕打ちは容易に想像でき、その痛みは想像を絶するものだろうと思えた。
彼がなかなか言葉を発しないのはその辺の事情が関係しているのかもしれない。ゼロは決して聞くまいと誓った。――――誰にでも、思い出したくない過去はある。

「……幸せだよ…ぼくは……」

不意に、そう呟く。

「……幸せなんて………どこにもないと思ってた………」

きっとその幼い瞳は、絶望の淵を何度も見てきたのだろう。
けれど、オレクと過ごす内に、温かいものを知っていくことができた。
そして、「幸せ」を知ったのだ。

胸に迫る想いのままに、ゼロは少年の頭を撫でた。
オレクの気持ちが少しだけ分かった気がした。














「何を書き綴ってるんだ?」

廃ビルに戻って早々、ゼロはオレクに問いかける。
オレクは少しだけはにかみながら答える。

「日記さ。ココに来てからのだけどな」

「……日記?」

ゼロは首を傾げる。
それもそのはずで、レプリロイドの電子頭脳を持ってすれば、その日、その時の様子や行動を記憶することなど容易い。それなのに、日記などを綴る理由がどこにあるのか。
そんな疑問は本人もよく分かっていたようで、自嘲気味に説明を付け加え始める。

「おかしいってのは分かってるんだ。けどさ、なんとなく書いてみたくなったんだ。人間の真似事みたいだけどさ」

「“人間の真似事”……ね」

その言葉が真実なのかもしれない。
今現在、レプリロイドが人間の暮らしに憧れてもおかしいことはない。地位や身分に関して考えれば当然だ。
“親子”を演じるのも、もしかしたら初めはその程度の気持ちだったのかもしれない。けれど――――

「――――いいんじゃないか、最初は真似事でも」

ゼロの言葉に、オレクは思わず「え?」と問い返す。
ゼロは笑いながら続けた。

「いいんじゃないか、最初は人間の真似事でもさ。例え“真似事”でも、お前自身がちゃんと真摯に向きあっていけたなら、それは“本物”だよ」

何気なくつけはじめた“日記”でも。偽りの“家族”でも。

「そもそも、俺達は“模造”から生まれたんだ。……もしも真似事を笑うなら、自分達を笑うのも同じさ」

生物の姿を模して作られた者達――――レプリロイド。けれど、そこには確かに命があり、感情があり、想いがある。
決して“偽物”ではない、“本物”の存在なのだ。
ゼロの言葉に何を思ったのか、オレクは言葉を失ったまま、呆気にとられたように、彼のことを見つめていた。
紅いイレギュラーと呼ばれた破壊神が、そんなことを口にするとは思っても見なかったのだろう。

その様子にゼロは笑いを堪えながら、奥へと去っていった。
それからオレクは一人、満足気に微笑んだ。



























  ――――  4  ――――














    今よりもずぅっと昔のことじゃ

    救世主さまがネオ・アルカディアを作ったばかりの頃、ワシは小さなパン屋で働いておった

    その頃はまだ、レプリロイドへの風当たりもそこまで強くはなくての

    近くの学校にパンを届ければ、子供たちが笑顔で迎えてくれたり

    店に来るお客さん達とも、まるで友のように言葉をかわしたり

    とにかく幸せな毎日が続いておった




    さてさて

    そのパン屋にとある少女が通うようになった

    ワシの名前を覚えてくれたようで

    「アンドリューさん、こんにちは」

    「アンドリューさん、ありがとう」

    「アンドリューさん、さようなら」

    と礼儀正しく挨拶をしては、お礼もしてくれて

    ワシはどんどん仲良くなっていった


    数年経つと、少女は素敵な女性に変わっていった

    いや、成長していったと言った方がいいのじゃろう

    とにかく、可憐だった少女は、麗しい美女へと育っていったのじゃ


    ある時のこと、彼女はワシに、自分の想いを伝えてきた

    ワシは…そりゃもう昔はイケメンのレプリロイドじゃったからのう

    そんなことは日常茶飯……というわけではなかったが………


    ゴホン


    ……彼女の気持ちに、ワシもまた、同じ想いであることを伝えた

    彼女は瞳を潤ませて、ワシを抱きしめた

    ワシもまた、彼女を抱きしめた


    それからの毎日は……生きてきた中で一番幸せな時じゃった

    隣を見れば彼女がいた

    手を伸ばせば繋いでくれる手があった

    本当に愛おしい相手が、ずっとそばに居てくれたのじゃ


    ワシは、最高に幸福な時を

    最高に大切な人と過ごしたのじゃ




    それから十数年が経った

    彼女は少しずつ歳を重ねていった

    初めはさほど気にしておらんかったが

    いつまでも変わることのないワシの姿を見ては

    ため息をついた


    ワシもまた、ともに歳を重ねられないことが悲しくなってきた



    そこで、ワシは人間の親友に頼み込んだ

    「歳をとりたい。とらせてほしい」

    「彼女とともに、少しずつ老いていきたいんだ」

    ――――と

    親友は快く引き受けてくれた


    それからワシの身体は数年ごとに皺を刻んでもらい

    人工筋肉を減らしてもらい

    骨格を歪めてもらっていった

    視力も弱めてもらい

    毛髪も脱色していき

    禿も作り

    人間のように年老いていった


    そうして、ワシは彼女とともに歳を重ねていった


    横にいる彼女も、初めは戸惑っておった

    けれど、「共に歩んでいきたいのだ」とワシが伝えると


    互いに想いを伝え合った時のように

    瞳を潤ませて、ワシを抱きしめた

    ワシもまた、強く彼女を抱きしめた




    それから数年

    彼女に最期の時が来た

    寿命というやつじゃ

    弱り果てベッドに横たえた彼女を見つめ

    ワシは迫ってくる寂しさに胸が苦しくなった

    すると彼女の手が、ワシの手を握ってきた

    そして言ったのじゃ

    「いつでも傍にいます」と


    それが最期の言葉じゃった

    ワシは泣きたかった

    彼女の亡骸を抱きしめて

    涙を零したかった


    けれど泣けなかった

    彼女のために泣きたかったのに


    涙はついに流れてくれなかった



    レプリロイドは涙を流せない

    それは仕方のないこと無いことじゃ




    ワシは暫くそのことを悔やんだ


    じゃが


    今ではそれで良かったと思っておる




    なぜなら





    最後まで泣くことができなかった代わりに



    互いに微笑みを交わし合って




    別れることができたのじゃから






























 


「……すてきなお話ね」

全てを聴き終えた後、子供たちの輪の中で、アルエットがぬいぐるみを抱きしめながら素直な感想を零した。
「そうね」とセラもまた、アルエットに同意した。何人かの子供たちも頷く。
しかし、アークが「俺は哀しいな~」と口をとがらせる。

「最後に恋人が死んじゃうなんて、それは哀しいよ」

「……ちゃんと最後まできいてたの?」

セラに睨まれ、アークは「聴いてたよ!」と焦りながら答える。
その様子に、アンドリューは「ホッホッホッ」と微笑ましそうに笑う。

「感想は人それぞれじゃ。みんながみんな同じ考えでは、世の中つまらんからのう」

「僕は大変興味深いと思いましたよ!」と後ろの方で聞いていたイロンデルが口を挟む。

「まさかアンドリューさんがそんな素敵な理由で、その姿になっていたとは! ……むっ。また一ついいポエムが書けそうだ!」

そう言って身を翻し、駆け足で自室へと戻っていった。

「でも……わたしはアークの感想もわかるよ」

アルエットが突然口にする。

「やっぱり……ずっといっしょにいられたら……そっちの方がいいもん」

そう言って、再び強くぬいぐるみを抱きしめる。
心のなかにはシエルやゼロのことを思い浮かべていた。
そんなアルエットの頭を、アンドリューが優しく撫でる。

「確かにそうじゃ……。けど……“出会い”があるから“別れ”があるように。“別れ”があるからこそ、残るものもあると思わんかの?」

「『“別れ”があるからこそ、残るもの』……?」

さっぱり分からないというように、アンドリューの顔を見る。
アンドリューは、「うむ」と頷いてみせる。

「少なくとも、その“別れ”があったから、お前さんたちにこの物語を伝えることができたのじゃからの」

もしもその“別れ”が無かったならば、きっと今の“アンドリュー”はここにはいない。
こうして、子供たちに“おはなし”を聞かせてくれる優しい老人型レプリロイドは存在しなかっただろう。

「……うん…そうだね」

アンドリューの言葉に、僅かばかりの切なさを感じながら、アルエットは優しく微笑んだ。






















  ―――― * * * ――――


三日目の昼頃。
エル・クラージュを整備するゼロのもとに、ナタリオが何やら手に持って近づいてきた。そのまま手を差し出す。
その中には、ぜんまい仕掛けのねずみの玩具があった。

「どうした?」

目で促されるまま、ゼロはそれを手に取る。
そして背中のネジを回してみる。だが、ねずみは動かない。

「……こわれちゃったんだ………」

ポツリと寂しそうに呟く。

その玩具もまた、オレクが廃墟の中から見つけて、ナタリオにプレゼントしたものだった。
暫く遊ぶ内に、動かなくなってしまった。きっとオレクにはなかなか言い出せなかったのだろう。

「任せな」

そう言って、ゼロはねずみの玩具を眺める。
そして、工具を使って慎重に中身を開いた。一瞬、ナタリオは戸惑いの表情を浮かべたが、じっと堪えた。

「歯車に小石が挟まってんな」

荒れた場所で遊んでいたせいだろう。ゼロはピンセットを使い、小石を除去する。
それから再びカバーを閉じ、数回転ほどネジを回した。
すると、今度はカタカタと軽快な音を立てて動き出した。

そのまま地面に置くと、まるで本物のように走り出し、暫くしたところでゆっくりと動きを止めた。
ナタリオは笑顔でその玩具を拾い上げる。

「ありがとう、おにーちゃん!」

殊更大きな声でお礼を述べ、そのまま笑顔で去って行った。

「『おにーちゃん』だってさ」

意地悪そうに笑いながら、レルピィが言う。

「まあ、悪くないな」

「本当は“おじいちゃん”なのにね」

「うるせーやい」と頬を緩ませながら、再び工具を手に取る。

「ところで、ダーリン。いつまでここにいるつもり?」

ここに来てから二晩も過ぎている。
レルピィとしては、早くこの寂れた廃墟群から抜けだして、屋敷へと戻りたい。
ゼロもそのことには気づいているらしく、ある程度予定は立てていた。

「そうさな……今晩か、明朝には出るつもりだ。まあ、夜の方が身を隠せていいとは思うが」

追われている身でもあるのだから、できる限り安全に出てゆきたい。
もしもの時は、ここにいるレプリロイドたちにも迷惑をかけてしまう筈だ。

「うん、オッケー。じゃ、そういうことで」

予定が定まり、レルピィも安心したようだった。
そう言いながらも、少しだけ寂しさがゼロの胸に募る。
僅かに自嘲を浮かべ、エル・クラージュの車体を再び調整し始めた。











































  ――――  5  ――――


「“手駒”の調子はどうだ?」

上昇してゆくエレベーターの中で、バイルが不意に問いかける。
レオニードは不敵な笑みを浮かべ「順調です」と答える。

「――――が、引き篭もっていることにそろそろ痺れを切らしてきたらしく………もう少し辛抱をするよう伝えています」

「……結構なことだ」

「私としては気苦労が絶えませんがね」

そう言って苦笑する。だが、満更でもなさそうな表情だ。
少女の方はと言うと、中を囲む鉄格子に指を絡ませ、外を眺めていた。勿論、空間転移装置であるエレベーターの周囲は暗闇に包まれ、何も見えやしないのだが。

「ねえ、おじいさま」

ふと、呼びかけられ、彼女に視線を向ける。
少女は格子に指を絡ませ、背を向けたまま、問いかける。

「“あの子”はどうしているのかしら?」

“あの子”――――四人の中で、フリザードだけが首を傾げた。彼女が気にする“あの子”が誰であるか。
事情を知るバイル、レオニード、そしてアレクサンダはピクリと反応する。彼女の口からその話題が出るとは、正直思っても見なかった。
バイルは僅かな沈黙の後、慎重に言葉を選び、徐ろに口を開く。

「今は……私のもとにはおらん。だが……元気にやっていることだろう」

「……そ」

短く答える。
そして、少しだけ黙りこんだ後、軽やかに振り返り、口端を歪ませる。

「死んでくれていたなら良かったのに」

「フフッ」と軽く笑いを零しながら、彼女はサラリとそう口にした。
彼女と“あの子”の関係を知っていれば、その言葉を吐く理由は仕方のないことのように思えた。

だが、アレクサンダだけが、彼女の言動に違和感を感じていた。
それが何処から来るのかは、分からないのだが。



到着を告げるブザーが鳴り響く。
それと同時に開く扉。

眼の前に広がる荒野。そこには、直径数キロはあろうかという巨大なクレーターができていた。
中心部には、半壊した人工物が見える。それはかつて宇宙空間に浮かんでいた、スペースコロニーの成れの果てだった。

「……足を運ぶのは久しいな」

バイルがポツリと呟く。その声はどこか感慨深げであった。
レオニードは一同の前に立ち、振り返る。そして、両手を広げ、声を上げた。





「ようこそ、“エリア・ゼロ”へ」





エリア・ゼロ――――イレギュラー戦争終盤において、イレギュラー軍がスペースコロニーを落下させた中心地である。
占拠後、あらゆる生物、化学兵器の類を内側に詰め込まれ、コロニーは地球に向けて落下。中のそれらは爆風とともに、世界各地に拡散された。
特殊シェルターに非難していた一部の人類だけが生き残り、地上は完全に汚染されてしまった。
当時の最新技術を以って、なんとか十数年程度で生活圏を確保することはできたが、未だ危険な地域は残されている。

バイル達は、クレーターの坂を慎重に下る。それから、一台のホバークラフトに乗り合わせ、中心部へと向かい進み始めた。
周囲には、数人の科学者らしき者達と、その指示に従い動く、作業者達がいた。

そこにいるのは全て人間であった。
こうした危険な場所の調査には、レプリロイドを派遣することが当然のことであるのだが、このエリア・ゼロに限っては、それは許されないことだった。
厳重なチェックを通った人間しか近寄れないようになっており、バイルとレオニードだけが特別にレプリロイドを連れ、近づけるのだ。

それには勿論、理由がある。

「これを」

中心部――――コロニーの残骸の直ぐ側に辿り着いた頃、地上に降り立ち、レオニードはそこに存在するあるものを片手で指し示し、バイルに声をかけた。
そこにあるものに、バイルは思わず目を丸くする。話には聞いていたが、真実であるとは、その目で確かめるまでは半信半疑だったのだ。

「……花………か…………」

荒れ果て、生命など死滅したはずの大地。
その上で、確かに白い花が揺れているではないか。周囲には僅かだが緑も見える。

「コロニー内の植物プラントが奇跡的に生きていたのだろう……と我々は見ています」

レオニードが説明する。
化学兵器が充満していた筈のコロニー内で、この植物は偶然にも生き延びていた。――――いや、おそらく生き延びたのはこの植物に“なる前の植物”だろう。
植物プラントの管制コンピュータが化学兵器に対応し、中の植物を品種改良していったのだろう。そして、幾つかの代を重ね、こうして荒れ果てた大地に根付く強い花が生まれたのだ。
しかし、それは“奇跡”と言ってよかった。
地上に落下した衝撃の中で管制コンピューターとプラントの両方が無事に生き残り、中の植物は、世界中の生物を死滅させた化学兵器に耐性を持った植物へと変種した。そしてそこからさらに、滅びかけの大地に根付く花へと変種した。この奇跡的な事実に、急激な進化に科学者達の興味は尽きない。

「汚い花ね」

少女は冷ややかな視線を向けながら、唐突に呟く。
レオニードは鼻で笑う。

「可愛げのない反応だな。年頃の娘なら気に入ると思ったのだが?」

「……どうとでも」

それっきり、少女は興味が無いというふうにそっぽを向いた。レオニードは「やれやれ」と肩を竦める。
そんな二人のやり取りなど気にすること無く、バイルはただその花を見つめていた。
レオニードが再び口を開く。

「花がこの地に咲いた。……つまりは――――」

「――――地球はまだ生きている……ということだな」

バイルが言葉の先を言うと、レオニードは頷く。
現在、ネオ・アルカディアにあるのは人工の自然だけだ。救世主の膝下であるユグドラシルですら、機械で補強された自然が彩っている。どれだけ技術を注いでも、ついぞ大地に花を芽吹かせることが出来なかったのだ。
しかし今、目の前の大地にはしっかりと花が根付いている。僅かな緑とともに。自然が芽吹いているのだ。
これは、驚くべき発見であり、同時に護らねばならない貴重なサンプルだ。

「人類がこの先、この星で生き続ける事を望むならば、これは一つの“希望”と見て良いのではないかと思っています」

レオニードの言葉に、今度はバイルが頷いた。
地球はまだ生きている。自然が大地を覆い尽くす日が、再び訪れるかもしれない。
そんな希望を抱かせてくれる貴重な存在だ。それ故に、限られたものしかここに近寄ってはならないことになっているのだ。どんな野心でこの芽を摘まれてしまうか、分かったものではない。

「……我々にとっては…どうだ?」

バイルが不意に尋ねる。
すると、レオニードは不敵な笑みを浮かべて答える。

「私にとってはなんとも言えませんが……あなたの目的が“アレ”であるならば、同様に“希望”と見て良いのではないでしょうか。――――あなたは“アレ”が目覚めてからの、世界の行く末まで気にしているのでしょう?」

「………敵わんな」

そう言って、バイルは「フッ」と口元を緩めた。
「だからこそ、あなたに見せたかったのですよ」と、レオニードは再び笑顔で口にした。

「用事が済んだのなら、帰りましょうよ」

後ろの方で少女が、金茶色の髪を弄りながら不満げに漏らす。

「まだまだお子様には早い話だったかな?」

「そうね。退屈すぎて死んでしまいそうだわ」

皮肉を返され、レオニードは「仕方ない」と首をすくめる。

「それでは、この辺で――――」

その瞬間だった。
傍らに突き刺さっているコロニーの小さな破片の一つ、その物陰から、人影がゆらりと動いた。
そして、そこに隠れていた人物は吠えるように声を張り上げ、レオニードの元へと駆け寄出した。

その手には一本のナイフが握られていた。





皆、その光景に唖然とした。



























  ―――― * * * ――――


その日の晩、暗闇に隠れてこの廃墟群を抜けることにした。
エル・クラージュの整備もあらかた終わり、夜が来るのを待ち、ようやく漆黒が空を覆う頃、ゼロはオレクに別れを告げに出て来た。

「もう行くのか?」

オレクに問われ、ゼロは「ああ」と頷く。

「勝手に長居しちまったからな。――――いや、世話になったよ」

「もう少しゆっくりしていってくれてもいいんだが」

そう言ってオレクはペンを机の上に置き、椅子から立ち上がる。

「そういう訳にもいかない。俺は俺で、やらなきゃいけないことがある。それに、お前らにも迷惑かけてしまうだろうし…な」

名残惜しいのも確かだ。親子二人の生活に興味はあるし、ナタリオとも親交を深めた。
だが、彼らができる限り穏便に暮らし続けるには、これ以上の長居はするべきではないし、口にする通り、やるべきことがある。
ホームへ連れてゆこうかとも考えた。これほど打ち解けた二人ならば、信用もできると。――――だが、二人がせっかくこの場所で懸命に生きているというのに、それを邪魔する必要もないだろうと思い、誘うことはしなかった。

「迷惑なんて……そんなことはない」

「みんな、そう言ってくれるんだよな。嬉しいぜ。――――けど、いつかはトラブルが起こる。そうなる前にケジメはつけとくもんだ」

そう言って、エル・クラージュを停めてある。奥へと足を向けた。
瞬間、オレクが「ちょっと待ってくれ」と声をかける。ゼロはそのまま振り返る。

「どうした?」

「……いや……その……なんだ…」

問い返され、オレクは慌てたように口篭る。ゼロは首を傾げ、オレクが再び冷静に話してくれるまで待った。
しばらくして、「フゥ」と息をつくと、オレクは静かに口を開いた。



「……あんたにとって…“幸福”ってなんだ?」



「………………………は?」



それは、思いもよらない問いだった。
ゼロはそのまましばらく固まり、訳が分からないと言うふうな顔をしてみせる。

「急にそんな哲学的なことを聞かれてもな」

「別れ際に、突然聞かれても」と、頬を掻く。
だが、改めて聞かれてみると、考えてしまう。成程“幸福”とは自分にとってなんなのか――――そんなことは考えたこともなかった。
暫く黙りこんで考えてみるものの、簡単に答えは出てくれない。すると、オレクが「俺が思うに」と再び口を開く。

「“まっとうに生きていくこと”だと思う」

「『まっとうに――――』……」

思わずその言葉を繰り返す。
オレクは言葉を続ける。

「今の世界で……俺達レプリロイドの地位は……その生活はだいたい地獄みたいなもんだ」

そのことについては、聞かされる必要もないほどに、ゼロ自身も良く理解していた。
これまで出会った者達を思えば、知らずにいられるわけがない。

「だから………できる限りまっとうに生きていけたなら…それこそが“幸福”なんじゃないかって思ってる。それだけで十分だって……俺は思うんだ」

「決して多くは望まない」と、その目は語っていた。僅かばかり質素であろうと構わない。ただ、尊厳を守ることが出来る程度に、意志をある程度尊重してもらうことが出来る程度に、苦痛ばかりを感じない程度に――――ある程度でも、“まっとうな生き方”ができたならば、それがきっと“幸福”なのだろう。
「なるほど…ね」とゼロも呟く。賛同するつもりはないが、オレクの考え方も理解できる。それも“幸福”の一つであると認められる。

「だから……俺は…」

オレクは再び口篭る。それから、「俺は」と繰り返すように呟く。
ゼロは再び疑問符を浮かべる。どうも先ほどからオレクの様子がおかしい。話がまとまってすらいないのに呼びかけたり、唐突にまた口篭ったりと、どこか怪しげだ。
そんな風に訝しんでいると、オレクは意を決したような表情でゼロを見つめる。そして、はっきりと口にした。








「俺は……そんな“幸福”が欲しい」







廃ビルの窓から一斉に強烈な光が差し込み、その眩しさにゼロは思わず手をかざす。同時に、拡声器らしきもので拡大された音声が廃墟中に響く。

「この廃墟群は我々、烈空軍団が包囲した! 紅いイレギュラーは直ちに投降せよ!」

「なッ!?」

突然の勧告に、ゼロは驚きの声を漏らす。そして、その瞬間全てを理解した。
そう、理解した――――眩いサーチライトの灯りを背に受けて、エネルギーガンの銃口を自分の眉間に向ける、目の前の男の不可思議な言動の全てを。


「俺が呼んだんだ」


オレクはそう言って、エネルギーガンのセーフティロックを解除した。

































  ――――  6  ――――


何かを企んでいるような気配どころか、殺気の欠片も感じ取ることが出来なかった。それ故に、完全に不意を衝かれてしまった。この廃墟の周囲は、既に烈空軍団の一部隊により包囲されている。オレクの密告によって。

「何故なんだ……オレク」

ゼロは、思わず問いかける。
この短い付き合いの中でも、彼の中には憎悪の欠片も無いことは明白であったし、それどころか互いに親しみすら覚えていた筈だ。
良き関係を築いていたはずだ。それなのに何故、彼が自分の眉間に銃口を突きつけているのか、ゼロには全く理解が出来なかった。

「さっき言ったとおりだ。……俺はまっとうに生きて……“幸福”になりたいんだ。……ナタリオと一緒に」

そう言う彼の声と、エネルギーガンの柄を握る手は僅かに震えていた。
その時、ゼロは一つ理解した。今、彼が銃口を向けているのは決して憎悪や悪意といった感情のせいでは無い。――――ただ“少しでも幸福に生きたい”という願いだけが彼を突き動かしているのだ。

「……こんな場所にいつまでも居られるわけがないんだ」

こんな寂れた廃墟に居続けたところで、それは“真っ当な生き方”ではない。
オレクは言葉を続ける。

「あんたを捕らえて……討ち取って……そうすれば俺は“英雄”になれる。そうすれば…ナタリオと一緒にネオ・アルカディアで真っ当な暮らしを送れる」

それくらいの功績がなければ、あの最終国家の中で平凡なレプリロイドが幸福に暮らすことなど不可能だ。そのことを、オレクはよく理解していた。
だから決断した。ゼロを差し出すことで、己の幸福を得るのだと。
決して恨みからではない。それは間違いない。それどころか、ゼロが思っているとおり、友情すら感じていた。
だがそれ以上に、大切にしたいものがあった。守りたいものがあった。――――ただ、それだけだ。

「来るな、ナタリオ」

物陰から姿をのぞかせるナタリオに、オレクは震える声でそう言う。
奥で眠りについていたナタリオは、突然の騒ぎに起きてしまったのだ。傍にはレルピィも飛んでいる。

「早まるんじゃない……オレク」

ゼロは説得しようと口を開く。だが、オレクは「黙れ」と声を荒げる。

「これ以上何も言わないでくれ。頼む。何も聞きたいくない! 何も話したくないんだ!」

これ以上言葉で遣り取りを続ければ、決心が鈍ってしまう、それを感じていた。
しかし、事は既に動いているのだ。烈空軍団はスナイパーで周囲を囲み、突入の構えも見せている。もう後戻りなどできない。
歯車を回し始めたのが自分である以上、迷い、立ち止まる訳にはいかない。だから、これ以上ゼロと言葉をかわしたくはないのだ。

「こんなことをしたところで――――…」

「黙れと言ってるだろう!!」

声を更に荒げ、銃口をゼロの眉間に強く当てる。
物陰から見守るナタリオの視線が、突き刺すように感じられた。だが――――いや、だからこそ、彼と視線を合わせることもできない。

「……なら、そのまま撃てよ」

再び制そうと口を開き、オレクは言葉を失った。「撃て」と確かにゼロは言った。

「ダーリン!」

レルピィが悲痛な叫び声を上げる。それをいつも通り、ゼロは「喚くなよ」と冷静に抑える。
そのままオレクを睨む。

「…お前の気持ちは分かった。それなら、そのまま撃てばいい。幸福をつかめばいい……」

そう言ってから、「できるものならな」と付け加えた。

オレクは気づいた。ゼロの目には決して諦めの色は浮かんでいない。
この万事休すの状態で、冷静なまま、構えている。そのまま躱す自信があるのかもしれない。根拠は知れないが。
オレクは奥歯を噛み締める。――――しかし、それでも引き金を引けない自分がいる。

「紅いイレギュラー! 降伏せよ!!」

烈空軍団からの勧告が再び行われる。
猶予はもうないだろう。しばらくすれば痺れを切らした彼らも突入を始め、この場所は戦場になる。ナタリオまでも巻き込んで。

「俺…は………」

秤にかける。
大切な物を左右の皿に乗せ。できるだけ幸福に近づける方を選択する。
そうだ。――――例え、卑怯者となろうとも。大切な息子から軽蔑されようとも。
掴むべきものがある。守りたいものがある。

その為に回した歯車。後戻りはできやしない。
そして、決断する。


言葉にならない咆哮を上げ、引き金を引く。ゼロの眉間に向け。



「!?」

だが、そこに横切る一瞬の怯えと躊躇いが身を強張らせる。その一瞬の隙を、ゼロは見逃さなかった。
そのまま伸ばした腕を掻い潜るようにして、オレクに飛びかかり、押し倒し、抑えこむ。――――すると、放たれたエネルギー弾が壁に当たり、僅かな衝撃が起きる。ボロボロの棚に置いてあったボールが僅かに揺れ動き、そのまま落ちた。

「――――…ぁ…!?」

小さく声を上げると、ナタリオは走りだしていた。
ボールは傾いた床の上を加速しながら、出口の方へと転がってゆく。サーチライトに照らされた、道の方へ。
ゼロに抑えこまれながら、それに気づいたオレクが静止の声を上げる。

「ナタリオ! 駄目だ!」

だが、その時既にナタリオは廃ビルから通りの方へと出ていた。――――父から貰った大切なボールを追いかけて。
サーチライトに少年の姿が照らされた刹那のことだった。






    一瞬の内に響く、十数発の銃声。飛び散る肉片と擬似血液。







そのままグチャリと生々しい音を立て、ナタリオの亡骸は崩れた。

「――――レッドリーダーより各員。どいつもこいつも手柄を急ぎすぎだ。あれじゃ確認がとれんぞ」

通信機を口に当て、烈空軍団員が状況を部下に伝える。
「チッ」と舌打ちをして、部下の一人が返答する。

「見てました。ガキのイレギュラーですよ。全く紛らわしい」

そう言って、憂さを晴らすように再びライフルの引き金を引く。弾は転がっていたボールを正確に撃ちぬいた。
その光景を、ゼロも、レルピィも、オレクも、ただ唖然と見つめていた。



「 ナ タ リ オ ぉ お !」



衝動のまま、力の抜けたゼロを跳ね飛ばし、オレクが叫ぶ。
そのまま地を蹴るオレク。「待て!」とゼロが腕を掴むが、それを振りほどき、走りだす。息子の名を叫びながら。
サーチライトの中に、再び現れる人影。烈空軍団の一人が功を焦ってか、素早く引き金を引く。その銃撃はオレクの右肩を砕いた。

「オレクッ! 戻れぇ!」

「ダメよ! ダーリン!」

オレクを連れ戻そうとするゼロの視界をレルピィが遮る。

「今出たらダーリンが撃たれる!」

「邪魔をするな!」

声を荒げるゼロ。それでも尚、レルピィは退かない。
その向こう側で再び響く二発目の銃声。今度はオレクの腹部が貫かれる。

「どくんだレルピィ!」

「ダメよ! 行っちゃダメ!」

堪えきれずゼロは吠える



「こ の ま ま じ ゃ 救 え な い だ ろ う !! 」



気圧され後ずさるレルピィ。だが、その怯えたような表情を見て、ゼロは我に返る。
彼女の言うことが正しい。このまま外に出れば、敵のスナイパーにより蜂の巣だ。衝動のまま飛び出したところで、オレクの二の舞だ。
幸い、オレクは生きている。標的ではないレプリロイドを撃ったことで、敵が最初の時より慎重になっているのだ。
歯を食いしばり、ようやく堪えるゼロ。ふと思いつき、レルピィが「任せて」と声を上げ、廃墟の奥へと急いで戻っていった。




「ナタ……リオ………?」

血溜まりの中、オレクは地に伏せたままナタリオ“だったもの”に手を伸ばす。

「…ぅ……ぁぁ………ナタ…リ…オぉ…!」

無残な姿に成り果ててしまった。
暫くの間、ともに暮らした少年のレプリロイドは。息子と呼び、慕った少年は。「父さん」と朗らかな声で呼んでくれたただ一人の“息子”は。
もう、あの呼び声は聞こえないのだ。

直ぐ傍に、あのねずみの玩具が転がっていた。
事切れたように、それは虚しく転がっていた。

背中のネジを回す者はもういない。


それはもう、二度と動くことはない。



三度鳴り響く銃声、オレクの左足が貫かれる。
体中に走る激痛。だがそれ以上に、胸の奥が苦しい。暗い渦のようなものが、ドロドロと唸りを上げているのが分かる。

悲しみと絶望が、押し寄せているのが分かる。


四度響く銃声。だがそれはライフルのものではない。
廃墟の奥からエネルギー弾が放たれる。そして、オレク達の直ぐ側にあった瓦礫を粉々にする。巻き起こる粉塵。

「何が……? ――――ライドチェイサー!?」

烈空軍団員が驚きの声を上げる。
廃墟の中から、一台のライドチェイサーが現れる。そして、ライドチェイサーはその場でエネルギー弾を四方に乱射し、瓦礫を砕き、粉塵を巻き上げる。そして、自らもその場でスモークを噴出する。

「クソ、やられた! 各員突入!」

通信機に向かって吠える。
その間、既にゼロは粉塵に紛れながら、オレクたちに駆け寄る。そして、オレクの身体を持ち上げる。

「待……って…………ナ…タ…リオ…」

オレクが耳元で呻くように懇願する。たった一人の大切な相手をここに放置してゆくことなどできない。
その気持ちはゼロの心を抉る。だが、あくまでも冷静に答える。

「……無理だ。あれは…もう」

ひと通りカモフラージュを仕掛けたエル・クラージュ――――レルピィが戻る。そして、ゼロはオレクの身体を担いだまま、跨り、ハンドルを握った。
少年の亡骸をそこに置いたまま、走りだすエル・クラージュ。オレクは最後まで、手を伸ばし続けていた。しかし、想いも虚しく、その遺骸から遠く離れてゆく。

少年の傍らに残ったのは、ただ一つ。
あの日、大切な父から貰った、もう二度と動くことのない、ぜんまい仕掛けのねずみの玩具だけだった。


































  ――――  7  ――――


男の生首が宙を舞い、そのまま地を転がる。

「……ご無事ですか、レオニード様」

振りぬいたビームサーベルを腰に戻し、アレクサンダは自分の主の安否を確かめる。

「問題ない、アレクサンダ。ありがとう」

「フッ」と軽く笑い、レオニードは労いの言葉をかけた。そしてまた、ほぼ同時に男の腹部を貫いたフリザードにも、「君もありがとう」と頭を下げる。

「暗殺とは…な」

バイルも、安心したように息をつき、呟く。

「ええ………まさかこの場所で襲われるとは思いませんでした」

元老院議長の椅子に座った以上、こうした事件が何時起きても不思議ではないということくらい、レオニードも心得てはいた。
だが、そもそも彼らがこの場所に訪れることは、それ程公にしてはいない情報だ。それを掴んだというのだから、余程身近な相手か、それとも優秀な情報屋を傍においているかだ。

「バイル卿の部下にも、手を煩わせてしまい……申し訳ない」

「いえ、お気になさらずに」

改めて頭を下げるレオニードに、フリザードは慌てる。

「それに……私よりもアレクサンダ…殿の方が早かったようでしたから」

フリザードはそう言って、アレクサンダの方を見る。彼は軽く会釈をするだけだった。
正直なところ、フリザードはアレクサンダの俊敏さに驚いている。
男の衣服を見る限り、研究者に紛れてこの場所に足を踏み入れたのだろう。
フリザードは一瞬、この男を殺すことに躊躇った。当然だ。――――相手は“人間”なのだ。
ネオ・アルカディアに生まれたレプリロイドである以上、人間を殺すということに僅かでも躊躇いを見せないものなどいない。例え、バイルの命であろうと、フリザードは一瞬の隙を見せてしまうだろう。
だが、アレクサンダは違った。刹那の躊躇いも、迷いも見せること無く、ただ冷静に刃を振りぬいた。“殺す”という選択肢以外持ち合わせていなかった。

後に、どれだけの処罰を受けようと、レオニードという主を守るためならば構わない。――――そう言う揺るぎない意志を、フリザードは感じとった。しかしながら、あまりにも冷たい彼の横顔を見つめると、背筋に悪寒のようなものを感じずにはいられなかった。
レオニードは男の亡骸に近寄り、膝をつく。ポケットの中を探り、IDを取り出し、名前と身分を確認する。研究員であると記されていたが、おそらくは偽造だろう。
そのまま、他に手がかりはないかと探る。――――と、あることに気が付いた。思わず「バカな」と声が漏れる。

「どうした?」

バイルの問いかけに、レオニードは苦笑とともに答える。

「この男、レプリロイドです」

「………なに?」

この場所は、万が一にもイレギュラーが侵入することなど無いように、強力なセキュリティを張り巡らされていた。
だが、この研究員に扮していた男は、紛れも無いレプリロイドであった。
上半身の服を捲り上げ、確認する。男は人機判別撹乱スーツを纏っていた。

「レジスタンスが開発したものか……」

「確か、黒狼軍が最初でしたか。どうやらその改良版ですね」

肌への密着度や、手触りで分かるその材質などから、更に精度が上がった撹乱スーツであることが分かった。おそらく他にも何か仕掛けがあるのだろう。
とにかく、この男は最新の対策機器を使い、セキュリティを突破し、暗殺に備えたのだ。

「……黒狼軍の下部か?」

「まさか。“彼”もそこまで“愚か”ではないと思いますが……。――――おそらくは、政敵でしょう」

対立する陣営の仕業に違いないと、レオニードは断定した。
正直、彼の興味を引いたのは、その男が何者であるかという以上に、その男がレプリロイドであったという事実の方だ。

「こうして間近で確認するまで、私にも分かりませんでした」

「そんなものだ………」

レオニードの声に、バイルは軽く答える。
そして更に、言葉を続ける。

「人間とレプリロイドなど……所詮その程度の違いだ。大した差などありはしない。――――その“愚かさ”から何まで…な」

バイルの言葉を聞きながら、ただ一人、少女だけが風に吹かれる白い花を見つめていた。
花はただ、ゆらゆらと優しく揺れていた。




















  ―――― * * * ――――


廃墟から離れ、エル・クラージュを走らせ続ける。
どこまでも広がる虚しい荒野の真ん中で、背にもたれかかるオレクが、声を振り絞る。

「……どうし…て……」

「もう…喋るな」

ハンドルを握り、ゼロはただそう言う。だが、オレクは尚も問いかけ続ける。

「………どうして……なんだ……」

誰に向けたわけでもない、果てない問い。

――――どうしてだ

多くを望んだつもりはない。
ただ幸福を願っただけだ。卑怯であったことは認めよう。どれだけ軽蔑されようと構わない。
けれど、これほどの仕打ちを受けねばならないほどの罪であったのか。
あんな寂れた場所から抜け出したいと、そう思っただけだ。それがそこまでの罪だったのか。

“幸福”を求めたことが、それ程までに罪だったというのか。

しかし、それならばどうして、あの少年が死ぬのだ。
何も知らないまま。どうして彼が死ななくてはならなかったのだ。
ただ、世界の片隅で、細々と生きていただけだというのに。
誰かを殺めたこともないあの少年がどうして。


何故、この世界はこんなにも、残酷で。
それでも時は過ぎてゆくのか。


「どう…し…て…………ナタリオ…」

「お前たちは……何も悪くない」


オレクの問いに、堪えきれずゼロは答える。
だが、明確な答えを、彼もまた持ちあわせてはいなかった。



「それでも……こうなってしまったんだ。それだけだ…きっと」



それ以上、言葉は交わされることはなかった。
ゼロは気づいた。自分の背中にもたれ掛かる男が、静かに逝ったその瞬間に。
救えなかった者の温もりが、消えてゆくことに。



それでもただ、荒野は続く。
薄紫色の朝焼けに照らされる、遠い空の向こうまで。





























 NEXT STAGE











        殺戮舞台

























[34283] 23rd STAGE 「殺戮舞台」
Name: 村岡凡斎◆45ff140f ID:697d6d9c
Date: 2012/12/16 00:57


  ―――― * * * ――――


「こちらが、三日前、烈空軍団の追跡メカニロイドが記録した紅いイレギュラーの逃走経路です」

立体モニターに映しだされたマップデータ上に、戦術データリンクから引き出された情報に合わせて赤いラインが引かれる。途切れているのは、追跡しきれなかったことを意味している。

「そしてこちらが、二ヶ月程前、シューター率いる特殊班が追跡した時の、紅いイレギュラーの逃走経路です」

緑色のラインが別の角度からマップ上に引かれる。これもまた、追跡を撒かれたらしく荒野の真ん中で呆気無く途切れていた。
しかし、これこそが今回の鍵となった。

「これら二本のラインを延長してゆくと……」

声に合わせて、途切れていたラインが引き伸ばされてゆく。そして、二本のラインはあるポイントで見事に重なった。
単体では役に立たなかった二つの情報が、まるでパズルのピースのように、見事につながり、一つの答えを導き出している。

「おそらくはこのライン上周辺に、紅いイレギュラーの本拠地……もしくはそれに相当する施設、そこに繋がる空間転移装置があるものと見られます」

これまで、いくつもの逃走経路を解析してきたが、紅いイレギュラーの所在を特定できる決定打と成りうる材料は見つからなかった。余程慎重に行動していたのだろうと、その点については敵ながらも感心せざるを得ない。
だが、今回の紅いイレギュラーの逃走劇については、烈空軍団による、密告からの奇襲の甲斐もあってか、追跡の目を完全に撒くことができなかったらしい。
そして更に、第十七部隊にとっては幸運なことに、特殊班の追跡情報が偶然にも役立ったのだ。
オペレーターの解説をひと通り聴き終えた後、シメオンが「どうします」と目で問いかける。
顎に手を当て、少しだけ考えた後、椅子から立ち上がり片手を強く前に振る。そして、威勢の良い声で、その場にいた部下達に指令を送る。

「これより紅いイレギュラー討伐作戦を行う。第一、第三、第六、第八、第九班に通達。これより二時間以内にポイントZ-27Rへ集合。済み次第、速やかに調査を開始する」

クラフトの声に、集められていた部隊員たちは敬礼で答える。そして「解散」の声とともに、各自の装備チェックをするべくブリーフィングルームを飛び出ていった。

「特殊班の連中の情報がココに来て役に立つとは思いもしませんでした」

そう言ってシメオンは苦笑いを浮かべる。

「無駄な者などいないということだ。皆が力を合わせてようやく奴を捉えられるということだろう」

「とか言いながら……マイアはどうなんですか?」

彼女の指揮する十三班が作戦に盛り込まれていないことを、シメオンは気にしていた。
ボレアス山脈の一件で、彼女も苦渋をなめただけあって、マイアの紅いイレギュラー討伐への執念には並々ならぬ物が見えていた。しかし、「だからこそだ」と、クラフトは言い切る。

「感情のままに走って、また手傷を負われては困る。せっかく巡ってきたチャンスだ。無駄にする理由はない」

「……“無駄”……ですか」

その冷たい言葉に、シメオンは思わず首を竦める。だが、クラフトがそれを気にする様子はなかった。
レイラとの一件があって以来、良くも悪くもクラフトは揺るがなくなった。己の目的と使命の為に、有効なもの、切り捨てるべきものを即断する意志を持つようになっていた。
正直、隊員の中で俄に戸惑いの声も漏れている。だが、彼がその道を突き進むと決めた以上は、ついて行く他無い――――ほぼ全ての十七部隊員たちが共通にそれを思っているのもまた事実だった。
それこそが彼らにとっての“正義”であると信じてもいるのだ。

「……俺はどこまでもお供しますよ、隊長」

シメオンの言葉に、その複雑な胸中を知ってか知らずか、クラフトは「ありがとう」と短く感謝を返した。


















  ――――  1  ――――


「もう少しだ、しっかりしやがれ!」

今にも倒れそうな男の肩を支えながら、ヘルマンは怒鳴るように彼なりの励ましをかける。
それを横目で見ながら、「もう少し丁寧に言えよ」とトムスが首をすくめる。彼もまた、傷だらけのレプリロイドを背負っていた。

「敵影は?」

「ありません。どうやらうまく撒けたようです」

部下の報告に、マークは「ホッ」と一息つく。

国抜けをしたレプリロイド達の支援と救出。白の団が現在主に取り組んでいる活動の一つである。
各地にいる情報屋を通して、国内にいる国抜け希望者たちと連絡を取り合い、その行動を支援し、比較的安全圏にある集落へと導く。場合によっては白の団本拠地へと連れてゆくこともある。
ゼロが大きく活躍する裏で、白の団はこうした慈善活動に取り組んでいた。「協力者を増やすことで微力ながらも力をつけてゆく」というエルピスの思惑と、「全ての者を救いたい」というシエルの想いが合わさったことで始まったのだ。

今回の脱国者達は、マークチームが到着する数十分前にネオ・アルカディアのメカニロイドに発見され、合流地点手前で奇襲を受けてしまった。
なんとか廃墟に紛れ、命は助かったものの、皆重傷を負い、一刻を争うような状態にあった。
敵の索敵をスレスレのところで掻い潜り、なんとか合流した。彼らの状況と容態を一通り確認した後、マークは即座に本拠地への移送を決断。警戒しながらも急ぎ足で廃墟を飛び出し、帰路についた。

「敵の追撃もそれ程キツくなくて助かりましたね」

コルボーの言葉にマークは頷く。

「これもゼロさんの活躍のおかげさ。感謝してもしきれないよ」

闘将、妖将の相次ぐ敗北に対し、現在ネオ・アルカディア内部は揺れ動いている。
その影響のおかげか、敵の包囲網は以前ほど厳しくなくなり、更にクラフトによる塵炎軍団粛清後からここ最近は、特に危なげなく活動に取り組めるようになった。

とは言え、平穏無事に全てが済むことなど、ありはしない。彼らが合流地点で襲撃を受けたように、いつ自分達も襲われるか分かったものではないのだ。
それを身に染みて心得ているマーク達は、敵を撒いた今でも、本拠地にたどり着くまでは、真に安心し切ることはできなかった。

「警戒は緩めるなよ。“家に帰るまでが、遠足”だからな」

冗談めかして言ってはみるが、皆、その言葉に笑いはこぼしても気を緩めることはなかった。
その様子に、トムスが感心したように声を漏らす。

「……俺たちも成長してきたってことですかね」

確かに、半年以上前の自分達ならば、もっと軽い気持ちで活動に取り組んでいたことだろう。

「悔しい話だがよ、その辺はやっぱり“英雄様”に感謝だな」

ヘルマンがいつも通り皮肉っぽく言う。しかし、その表情は明るい。
彼の言う通り、ゼロに出会ってから、ゼロに救出されたあの時から、戦うことの恐怖と緊張感を知り、それに対する心構えを知ることができた。
それが今に繋がっているのだと思うと、感謝の思いは尽きない。

「せっかく成長するなら、そういうことを素直に言えるようになれたら良かったのにね」

「うるせえ、コルボー」

頭を小突いてやりたかったが、生憎両手が塞がっていたため、それは適わなかった。

それからしばらく歩いた後、所定の場所にたどり着く。
オペレーターが隠しカメラによる映像から、マークチームであることを確認すると、本拠地へと続くハッチを開き始めた。

「さあ、ゴールだ。敵さんが通り掛かるかも分からん。急いで入れ」

マークの声に続いて、メンバーは足早にハッチの中へと入り込んでゆく。最後に周囲を警戒しながらコルボーが入り、ハッチは直ぐに閉められた。
マークは通信機に口を当て、管制室に連絡を取る。

「こちらマーク。脱国者二十七名を救出。重態五名、重傷八名、他は軽傷。至急搬送用の車両を求む」

「了解。救護班を乗せた車両を向かわせます」

オペレーターの迅速な対応に感謝をし、その場で負傷者たちを肩から降ろす。
「大丈夫ですか」とトムスは呼びかけるが、相手は呻くばかりでまともな返事をしない。

「もう少しですから……辛抱してください」

「ん? ……おかしいぜ、マーク」

ヘルマンがあることに気づき、マークに呼びかける。

「何がだ?」

「あんた今、二十七名って言ったよな」

辺りを見回し、人差し指で数を数えながら再び「やっぱりおかしいぜ」と口を開く。

「二十四名しかいない」

「……ん。確かにその通りだ。おかしい。数え間違えたつもりはないんだが」

そう言って、負傷者の数を再び数えてみる。しかし、どうしても三人だけ数が合わない。
ふと、視界にノイズが交じるのを感じる。

「……なんだ、これは?」

「あんた、疲れてるんじゃないのか」

そう言って、ヘルマンも負傷者の数を数え直すが、やはり二十四名だ。しかしふと思い立ち、負傷者を背負わず、警護役としてついていた者の数をかぞえる。
チームの人数は四十名。負傷者の数が二十四名ならば、十六名いるはずだ。
すると、こちらは十三名しかいない。

「??? ………なんなんだ??」

「どうかしたか?」

トムスが負傷者を抱えながら、顔を上げて問いかける。
そちらへと視線を遣ったマークは「はっ」として、問い返す。

「おい……トムス。それは……――――……“誰”だ?」

「……え?」

そう短く声を漏らし、抱えた負傷者を見る。すると、視界にノイズが交じるのを感じる。それと共に、彼の顔がまともに識別ができなくなる。
次第にノイズは広がる。そして、しばらくすると、抱えていた負傷者の身体がボロボロと崩れてゆくように見え始めた。
その様子に気づいたマークとトムスは悪寒を感じ、顔を青ざめさせる。

「うあぁ!」

突然、“負傷者だった”ものに片腕で喉を捕まれ、トムスが悲鳴を上げる。
マークはすかさずエネルギーガンの照準を“それ”に合わせた――――先ほどまで負傷者に偽装していた黒い“パンテオン”に。
その瞬間、別の二箇所でも同様に悲鳴が上がった。そこにもまた、黒いパンテオンが姿を現していた。
脱国者の中に偽装し、レジスタンス組織の基地内部まで侵入することを画策していたのだ。

「チクショウ! 離れやがれ!」

ヘルマンが引き金を二度ほど引く。パンテオンの背部にエネルギー弾が直撃するが、トムスを掴む腕の力を緩める様子はない。
そしてまた、視覚センサーが捉えた異常に、他のメンバーが叫ぶ。

「パンテオン内部に高エネルギー反応確認!」

「トムスッ!」

「駄目だコルボー!!」

叫びながら駆け寄ろうとしたコルボーの身体を、マークが押さえつける。
それとほぼ同時だった。眩い閃光と爆音を響かせ、パンテオンはその場にいた数人を巻き込み、自爆した。
間近にいたトムスの肉片だけが、その場には散らばっていた。

「トム……ス………」

呆気無い親友の死に、コルボーは言葉を失う。
その直ぐ後に、他二体のパンテオンもまた、同様に自爆を行う。救助してきた脱国者達さえも巻き込んで、その場は悲惨な殺戮現場と成り果てた。
だが、事態はそれで収まらない。マークは足元に転がる“あるもの”に気づく。

「これ…は!?」

自爆直前に自切したと思われるパンテオンの頭部パーツ。顔面の中央にある単眼が、「ピーッ!ピーッ!」とけたたましい警報を鳴らし、点滅を続ける。

「クソッタレがぁ!」

怒りのままに破壊しようとするヘルマンを「待て」と制し、その様子を観察する。
そして、その頭部パーツを手に取り、確認する。どうやら、外部へと信号を放っていた。それには勿論、この場所の位置データも乗せられているだろう。

「……敵にこの場所を知られた」

襲い掛かる絶望感は留まることを知らず、皆一様に言葉を失った。


















 23rd STAGE










       殺戮舞台


























  ―――― * * * ――――


「弱りましたね……」

あくまでも冷静を装いながら、エルピスはそう呟く。
マークチームが救助した脱国者たちの中に、紛れていた漆黒のパンテオン達はおそらく斬影軍団の所属だろう。
これまでも同様の手口で襲撃を受けたレジスタンス組織があったかもしれない。尽く壊滅してしまったせいでほとんど情報が回ることはなかったが、機密となっているレジスタンス組織の塒を特定する方法はそう多くないはずだ。

「基地を放棄しますか?」

状況を分析し、ルージュが提案する。
それほど時が経たない内に、斬影軍団の特殊部隊がこの基地に突入してくると考えて間違いない。それならばいっそ基地を手放して逃亡した方がいい。

「しかし、この人数です。迅速に動いたとしても足がつく可能性は高いでしょう」

肥大化した白の団だからこそ、こうした奇襲戦に対し脆く、弱い。次期本拠候補地への移動に際しても、安全が保証されてはいない。
手詰まりの状態だ。しかし、考え倦ねている場合ではない。きっと敵はすぐそこまで来ている。
エルピスは決断する。

「籠城戦を開始します。非戦闘員は各階の談話室等に集め、戦闘員は全員銃器を携帯。ケルビン、リョウ、マーシーのチームはライドアーマーに搭乗し、敵の襲撃に備えてください。他のチームの配置はこれから指示します。それから……ジョーヌさん」

「はい」

緊張に、顔をいつになく強張らせながらジョーヌが返事をする。
いや、彼女だけではない。管制室に集まったオペレーター、各班長、局長は皆一様に表情を強張らせている。無理もない、初めての“実戦”だ。この場所が戦場にならない限り、戦場に立つことのなかった者たちが、ついに戦闘に巻き込まれるのだ。
エルピスは唯一の希望に縋る。

「――――ゼロさんに救援要請を」



それから十数分後、管制室のモニターが敵影を捉えた。




















  ――――  2  ――――


気づけば目の前には荒野が広がっていた。どこまでも続く、寂しく乾いた大地。まるでこの世の果てだ。
ふと振り返れば、草原が広がっていた。蒼く茂った優しい大地。きっとこの先に楽園がある。

空を見あげれば、二色の空が天を覆っていた。
荒野の上には真紅の空。禍々しい色を放ち、中心には漆黒の太陽が見えた。
草原の上には紺碧の空。温かいぬくもりに溢れ、中心には眩い輝きを放つ太陽が見えた。

『どうしたの?』

ふと尋ねられ、彼は声の主を見た。声の主――――“彼女”は草原に立っていた。
穏やかな風が“彼女”の栗色の髪を揺らす。“彼女”の顔が彼には分からない。けれど“彼女”は確かに微笑んだ。

『……夢を見ていたんだ』

彼は戸惑いながら、“彼女”に話し始める。

『夢?』

『ああ』

『どんな夢?』

『それは――――』

思い返し、言葉を選び、そして告げる。


『君を失った夢だ』


言葉と共に、一陣の風が吹きすさぶ。
気づけば、彼女は丘の上にいた。懐かしい、あの木の下に。

『それは本当に夢?』

『当然だ。君は、そこにいるじゃないか』

彼がそう答えると、“彼女”は『フフフ』とおかしそうに笑い出した。

『何がおかしい?』

『いえ、ごめんなさい。何もおかしいことなんて無いわ。それなら、ねえ○○』

首を横に振りながら彼の名前を呼び、“彼女”は問い返した。

『どうしてあなたは、私の傍に来てくれないの?』

“彼女”の言葉のとおりだった。彼はその場から動き出せなかった。
今すぐにでも“彼女”の下に駆け寄りたかった。“彼女”を抱きしめたかった。
頬を撫でたかった。匂いを嗅ぎたかった。髪の感触を、身体の柔らかさを確かめ、唇を重ねたかった。
誰よりも、何よりも“彼女”を欲していた。心が壊れそうな程に。この身が引きちぎれそうな程に。

ただ只管に“彼女”を愛したかった。

しかし、彼の足はそこから一歩も動けなかった。まるで石のように固まっていた。

『どうしてだ。分からない』

困ったように呟く。

『それなら君がこっちに来てくれ』

そう頼むと、“彼女”はまたおかしそうに笑い出した。

『ダメよ。それは出来ないの』

『どうして?』

『私はもういないのよ』


言葉の意味がわからなかった。


そこに再び風が吹きつける。すると、“彼女”は跡形もなく消えていた。
喪失感が胸を抉る。

気づけばあの草原すらも消えていた。“彼女”が微笑み、待っていてくれたあの優しい世界すら何処にもなくなっていた。
残ったのは果てなく続く荒野と、血塗られた空と漆黒の太陽だけだ。

『嘘だ』

――――嘘じゃないわ

彼の声に答えるように、“彼女”の声が脳裏に響く。

――――安らげる世界なんてあなたは、今望んではいけないの

『やめてくれ』

恨み言のように響く、彼女の声に耳をふさぐ。

――――あなたはまだその世界にいなくてはならないの

『俺は嫌だ!』

まるで駄々をこねる子供のように、彼は叫ぶ。
花一つ咲かない、こんな荒れ果てた世界に、何時までいなくてはならないのか。
いったいいつまで俺はこんなところにいなくてはならないのか。

『いったい俺に……あとどれだけ殺せと言うんだ!?』

それは“嘆き”だった。

『あとどれだけ……斬って…壊して…殺して……』

――――そう。あなたは斬って、壊して、殺し続けるの

“彼女”の声は冷徹に言い放つ。

――――あの日、私を“そう”したように

『やめてくれ!』

思い出したくないと言うように目をつぶり、耳をふさぎ、拒絶するように首を振る。

『俺はもう嫌だ! 嫌なんだよ! 殺して! 失くして! 喪って! そんなこと何遍繰り返せばいい!? どれだけ堂々巡りを続ければ赦される!? ――――どうすれば君を……』

――――取り戻すことなんて出来ないわ

それは“答え”だった。

――――どれだけ懺悔を繰り返そうとも

    どれだけ赦しを請おうとも

    あなたには何一つ取り戻すことなんか出来やしない

    零したものはもう二度と拾い集めることはできない

    殺めた命は

    救えなかった命は

    二度と取り返すことなんてできやしない


――――それを、あなたは知っているはずよ

“彼女”は正しかった。彼はその事実を、現実を理解していた。
全てを認めた上で、それでも彼は拒絶した。

『それでも、俺は――――……』

――――「涙を流したかった」?

“彼女”の声が、彼の核心を突く。

――――それができれば赦されると思った?

『……違う!』

――――本当に?

“彼女”の言葉に、喉が詰まる。
否定したかった。けれどできなかった。
“彼女”は追い討ちをかける様に、再び問いただす。

――――逃げたかっただけではないの?

『………俺…は……』

“彼女”の問いに戸惑い、口を噤む。もはや、自分でも分からなくなったしまった。
どうしてあの日、“涙”を欲したのか。どうして今、“彼女”の問いに口を噤んでしまったのか。
どうして自分は、取り戻したいと願い続けているのか。
どうして。どうして。どうして。どうして。どうして――――…………‥‥

気力をなくし、放心したまま地に膝をつく彼に向けて、“彼女”は繰り返す。





――――あなたはまだその世界にいなくてはならないの






「いったい何時までだ」と問い返す言葉が浮かんだが、それも全て無意味に思えて、ついに口に出すことはなかった。























  ―――― * * * ――――


久々に長い悪夢を見たものだと、ゼロは静かに上体を起こした後、一人苦笑する。
“彼女”の夢を見る頻度は、目覚めてすぐの頃よりは明らかに減っている。しかし、何度見てもその心地悪さに慣れることはなかった。
そのまま片膝を抱え、頭を悩ませる。
脳裏に浮かぶのは、先ほど見た“果て”の光景。そして、先日出会ったレプリロイドの親子のこと――――救えなかった二人のこと。

――――俺は……また

救えなかった。零すまいと誓っておきながら、できなかった。彼らだけではない。これまでに何度もそうして取り零してきた。
その度に頭をもたげる後悔と屈辱、嘆き。己の非力さに、自責の念は絶えない。
そうした想いが夢となって現れるのだろうか。“彼女”の正体は、もしかしたらそれなのかもしれない。

ふと、夢の光景を思い出し、息を呑む。
それからじわじわと嫌な予感がこみ上げてきた。こういうのを虫の知らせとでも言うのだろうか。
なにか良くないことが寸前まで迫ってきている気がする。

そして、脳裏に掠める少女の顔。


「…………小娘…?」


その瞬間、「ゼロさん!」とペロケが彼の名を叫びながら勢い良く扉を開いた。
「どうした?」とゼロが問うよりも早く、ペロケは簡潔に事態を説明する。

「エルピスさんから応援要請が!白の団の本拠地に敵が――――!」

全てを理解すると、ゼロはベットから飛び上がるように立ち上がり、真紅のコートを手にとった。

耳の奥ではまだ“彼女”の声が反響を繰り返していた。














































  ―――― * * * ――――


別の塵炎軍団基地へと空間転移装置で移動した後、クラフト率いる十七精鋭部隊は目的のポイントへと向かった。
他の地域へ捜索に出ているチームもいるので、全員の集合には今暫く時間がかかりそうだ。

「ついにこの日が来たか」と、クラフトは自身に言い聞かせ、気を引き締める。
あれほどまでに捉えどころのなかった紅いイレギュラーをようやく補足できた。この急展開に、運命に感謝した。
だが、油断は禁物である。あの紅いイレギュラーのことだ。もしかしたらこちらの動向に気づいている可能性もある。
そうなれば再び煙に撒かれることもありえるし。もしかしたらこれだけの軍団であろうと、返り討ちに合うことも予想できる。

あの男を討ち取る最後の時まで、この緊張が解けることはないだろう。

しばらくの後、ポイントZ-27Rに到着する。と、既にマティアスの第八班がその場に集まっていた。

「一番乗りは頂きっすよ、隊長」

「敵わんな」

そう言いながら互いに軽く笑い合う。
それからクラフトは再び表情を引き締めると、声を張り上げるようにして、その場に集まった隊員たちに指示を下す。

「これより紅いイレギュラーの拠点特定にかかる。――――奴が空間転移装置を利用し、様々な場所にリンクを設け、我々を撹乱していたことは周知の事実だろう」

これまで幾度と無く取り逃がしてきた相手だ。それどころか解放議会軍との一件でも、クラフト個人ではボレアス山脈でも、借りを作るはめになった。
それらの雪辱を誓い、今日まで皆必死に戦い、耐え忍んできたのだ。

「しかし、ついに奴もこの場でボロを出した。我々が掴んだ情報が正しければ、このポイントの何処かに奴の拠点へとつながる空間転移装置が隠されているはずだ」

どのようなレプリロイドであろうとも、何のトリックもなしに瞬間移動などという芸当は出来やしない。
そう、紅いイレギュラーが使用している空間転移装置の位置特定こそ、彼へと繋がる一本の蜘蛛の糸であり、十七部隊が掴んだ一縷の希望なのだ。

「岩陰、メカニロイドの残骸、砂山の下――――探すべき場所は無数にある。探知機で、センサーで、肉眼で、手足を汚しながらでも、泥にまみれながらでも、とにかくソレを見つけ出せ。任務はそこからだ!」

隊員たちは「了解」と力強く返事をし、「散開」の合図で散り散りになる。そして、至る所をそれぞれの手で、探し始めた。
やがて、遅れて到着してきた班も合流し、ポイントZ-27Rは数十名の十七部隊員により埋め尽くされた。




















  ――――  3  ――――


敵の電波妨害により、ゼロとの通信が途絶する。それとともに、外部に設置された隠しカメラが敵部隊の影を捉えた。ノイズに遮られながらも、オペレーターの一人がその数をかぞえる。

「二百……いや、三百!」

「予想以上の大部隊ですね……」

エルピスは思わず爪を噛み、モニターに映しだされた敵部隊を睨みつける。
やがて、敵の電波妨害は激しくなり、外部情報は完全に遮断されてしまった。もう敵部隊の正確な規模を把握することはできない。

「仕方ありません……大型ハッチから本部への連絡路を全て隔壁封鎖! ケルビン、マーシー両チームは第七エリアで敵の襲撃に備えてください! リョウ、ジュリオ、ハンスチームは第九エリアに防衛線を!」

エルピスの指示に従い、オペレーターは各チームへと迅速に通信をとる。
また、エルピスは声を荒げながら、言葉を繰り返した。

「皆さん! これは演習ではありません! 繰り返します! 演習ではありません! 所定の位置につき、敵の襲撃に備えてください!」

その言葉に、これから起こる、今まで一度たりとも本気で予想することのなかった戦いに対し、誰もが恐怖を感じ、身を震わせた。
実際に前線に出て活躍を続けてきたメンバーでさえ、この事態には尋常ならざる重圧を感じていた。

それからしばらくして、爆音が鳴り響き、管制室がわずかに揺れる。おそらく大型ハッチが爆破されたのだ。
有線で繋がっているカメラがモニターに敵部隊を映す。溢れかえる漆黒のパンテオン部隊。それに付き従うように並ぶメカニロイド部隊。そしてそれらの中心辺りに立つ四体のレプリロイド。

「敵ミュートスレプリロイド照合。おそらく敵リーダーは斬影軍団所属バーブル・ヘケロット。それと、未確認タイプが三体」

ヘケト神をモデルとしたカエル型のミュートスレプリロイドが画面中央に映し出される。それを囲むようにして、新型と思われる四腕のミュートスレプリロイドが三体、並んでいた。

「戦略研究所からの流出情報と合致。敵新型ミュートスレプリロイドの名称は“アスラ・バスラ”と判明」

アスラ・バスラ――――三本の腕にはビームソードを持ち、残り一本にはビームコーティング仕様の盾を所持している。現在では、視覚で分かる程度の情報しか分からず、この戦闘の内にそのデータを集計するしか無い。
無論、その戦闘の間に出るであろう犠牲の量については想像がつかない。
ヘケロットとアスラ・バスラのデータを含めた敵部隊情報を各チームリーダーへと転送する。それからエルピスはいつに無く声を荒げて指示を送り続けた。

やがて、全チームが配置につき終わった頃。敵の第一陣が最初の隔壁に突き当たる。だが、パンテオン達のスタンスティックによりいとも容易く突き破られ、そこは突破された。
「第一隔壁突破!」とオペレーターの一人が声を上げる。しかし、エルピスは動揺を見せない。策を凝らしていないわけではないのだ。
次の隔壁も突き破られ、敵の侵入はさらに進む。幾人かのパンテオンは空になった格納庫を手当たり次第に調べようと、そのシャッターに触れる。その瞬間――――


「 点 火 ! 」


エルピスの合図とともに、オペレーターは内部に忍ばせておいたメカニロイドへ指令を送る。すると格納庫内から凄まじい爆発が轟音とともに起こった。周囲のパンテオン達はその巻き添えとなり、微塵と化してゆく。
更に、それに連続して発生する爆発。次々と巻き込まれてゆくパンテオン達。――――だが、流石は斬影軍団の特殊部隊。一つ目の爆破から連鎖的に発生した爆破に、冷静に陣形を組み替えて対処し、被害を最小限に抑えた。

「第二陣、放てッ!」

再びエルピスが吠えるように指示を送ると、奥のエリアに控えていたメカニロイド部隊が一斉にエネルギー弾を放つ。
どれも本部襲撃に備えてセルヴォ達技術局により、敵のメカニロイドの残骸や、レプリフォースの忘れ形見とも呼べる兵器、備品から開発した防衛用マシンだ。
簡単な回避運動と、射撃程度しかできないが、守備戦力としては十分だろう。乱れ飛ぶエネルギー弾がパンテオンの頭部や胸部を次々に撃ちぬいていく。
だが、斬影軍団の戦力はその程度で怯みはしない。すかさずスタンスティックをバスターへと切り替え、応戦する。それと同時に、先頭に立つアスラ・バスラが二体斬り込み、一瞬の内に十数機をスクラップに変えてしまう。
善戦むなしく、ものの十分程度でメカニロイド部隊は壊滅してしまった。

エルピスは一人舌打ちをする。モニターで一部始終を見ていたオペレーターたちも皆、敵の圧倒的な戦力に唖然としてしまう。
しかし「まだです」とまるで自分に言い聞かせるように言葉を吐く。

「まだこの先のエリアにも対襲撃者用トラップが配置してあります。それら全てを用いて、敵の戦力を削ぎ落としましょう」

現在敵部隊は既に第三エリアまでの侵入を果たしている。
戦闘員による防衛線である第七エリア到達までに、敵の戦力をある程度削ぎ落とすことができなければ、死傷者の数は跳ね上がるだろう。
しかし、それでもまだ“最悪”とは言わない。
第十三エリア――――即ち本部施設へ敵が到達した時、それこそが最悪の事態だ。シエルを含む非戦闘員も銃器を手に取り、身を護らねばならない。
だが勿論、敵のミュートスレプリロイド四体の前では赤子も同然。その時はきっと“全てが終わる時”だ。

――――なんとしてもそれだけは食い止めねば……

司令官としての責任と重圧が重く伸し掛かる中、エルピスは三度、トラップの発動を命じた。











数ある談話室の一つに、シエルはロシニョル達十数名の仲間達と共に身を寄せ合うようにして立て篭もった。
扉には既に、非常事態用に備え付けられていた分厚い防衛用シャッターが降りており、この非常事態を切り抜けるまで容易な出入りは不可能な状態となっていた。
とは言うものの、この程度のシャッターなどパンテオン達の集中砲火の前では時間稼ぎにしかならず、更に言えば、もしも敵がサイバーエルフによる電子戦まで仕掛けてきたならば、それすら叶うこと無く突破されてしまうだろう。
いずれにせよ、安心できる要素など何処にもなかった。
“万が一の場合”と口では言えど、敵がこの本部棟まで侵入してくる可能性は十二分にある。
白の団の戦力など、ネオ・アルカディアにとっては赤子も同然。ここ最近では“紅いイレギュラー”の活躍がその事実を掻き消しているように見えたが、こうして面と立ち向かってみれば以前と何ら変わっていないのだという厳しい現実が牙を向く。
不意に、横から怯えたような声が聞こえる。
幼い少年少女型のレプリロイド達だ。彼らもまた身を寄せ合い、震えながら「こわいよ」「どうなっちゃうの」と不安げな声を漏らしていた。
ロシニョルが彼らを包むように抱きしめ、「大丈夫だよ」と言い聞かせる。

――――……アルエット…………

妹のように可愛がっていた彼女の事をふと思い出す。
自分のエゴで「彼女だけでも……」と“ホーム”に連れて行ってもらったわけだが、今頃どうしているのだろうかと心配になった。
無論、ここの状況についても聞き及んでいるだろうし、向こうもシエルの事を心配しているだろうことは容易に想像できる。だが、だからこそシエルもまた彼女のことが心配なのだ。

――――無茶しなきゃいいけど……

そう考えてから、ある一人の姿を思い出し、思わず微笑みがこぼれた。
ああ、きっと大丈夫だ。“彼”が彼女の傍にいるのだから。
いや、彼女だけではない。自分も、ここで怯えている少年少女たちも……何も心配などする必要がない。そう胸を張って言える。

「大丈夫よ、みんな」

そう言って、少しも無理なく、柔らかく笑いかける。子供達もロシニョルもその自然さに思わず首を傾げる。
シエルは笑顔のまま、キッパリと言い放った。


「必ず、ゼロが助けに来てくれるから」






















  ―――― * * * ――――


白の団との通信は直ぐに途絶えてしまった。
分かったのは、敵の罠に掛かってしまったこと。相手はおそらく四軍団の一つ、斬影軍団であるだろうということ。その程度だった。

「向こうが先に見つかるとはな」

ゼロは奥歯をギリッと噛み締める。
元々は活動が目立つゼロを拠点から離すことで、本隊の場所を特定されないよう工夫していたのだが、よもや基地が先に見つかってしまうとは。想定していなかったわけではないが、あまりにも突然過ぎて整理がつかない。

「とは言え、選択肢は一つだ」

長らく戻ることのなかった本拠地へと、今すぐ帰るしか無い。
間に合うかどうかは分からないが、少しでも多くの者を救うにはそれしか方法はない。

「ペロケ、エル・クラージュの準備を。レルピィ、来てくれるか」

「了解です!」

「トーゼン! 任せて!」

二人共何一つ迷うこと無く、言葉を返す。その素早い反応に、ゼロは心の中で感謝した。
正直なところ一刻の猶予もない。可能な限り迅速に支度を整え、この場を去らねばならない。

「ゼロ!」

不意に名を呼ぶ声に振り返る。扉の前にはアルエットがぬいぐるみを抱きしめながら立っていた。

「……わたしも行く」

「アルエット………それはダメだ」

ゼロは優しく頭を撫で、諭すように言う。
シエルが、アルエットをこの場所へ連れて行くよう言ったのは、彼女ができる限り平穏に過ごすことを祈ってのことだった。
『アルエットだけでも、もっと平和な場所にいて欲しいの』と口にした、祈るような少女の表情は今でも忘れられない。
自分の平穏を願うこともできた少女が、それに手を伸ばすこと無く、言葉にした祈り。それは遂げられるべきだ。
だが、それを理解していても尚、アルエットは首を横に振る。

「おねえちゃんがあぶないときに……わたしだけ安全なところにいるなんて……できないよ」

それがいくらシエルの願いであったとしても。
ゼロはアルエットの瞳を見つめる。そこには確かな信念の輝きが見て取れた。きっとどれだけ止めたところで、彼女はどうにかして後を追ってくるだろう。大切な人のために。
そして、そんな少女が危険な旅路を行く事を、目の前の男が放っておかないということも、彼女は理解していた。
「やれやれ」と、ゼロは根負けしてため息をつく。

「お前の強情さには負けるよ」

ついて来いと片手で呼びかけ、そのまま扉を開く。アルエットはコクリと頷き、そのままゼロの後について出ていった。
そのすぐ後だった。ペロケはあることに気づき、息を呑む。

「まさか!」

あるエリアの空間転移装置周辺に仕掛けていた監視カメラの一つが、第十七部隊の存在を捉えていた。
それも一人や二人ではない、数十体の十七部隊員が何かを探すようにして動いている。その様子から思い当たる目的はただ一つ――――その場所にある。ここへと繋がる空間転移装置の探索だろう。
いったい何が原因で突き止められたのかは分からない。だが、紅いイレギュラーことゼロを追う内に、彼らはこの場所の存在に気づき、そこへと繋がる道のヒントを掴んだのだ。
非常事態がこうも重なるとは。慌ててゼロを呼び止めようと席をたった。だがペロケはふと思い立ち、それを留まった。
万が一こちらの事態に気を取られてしまっては、ゼロが向こうに出向くのが遅れてしまう。そうなれば、救えるものも救えなくなる。
ペロケは一人頭を悩ませた挙句、屋敷内にいるイロンデルとアンドリューに通信をつないだ。







































  ――――  4  ――――


「これ以上先に行かせてたまるかよぉ!」

そう雄叫びを上げ、トリガーを引き絞る。ライドアーマーの両腕に備え付けられたガトリングガンが高速で回転し、実体弾を絶え間なく放ち続ける。しかし、その壮絶な弾幕を物ともせず、三体の黄色い影は異様なまでに俊敏な動きで彼の機体へと一気に距離を詰めた。
「バカな」と驚きの声を上げた瞬間、二体の影は閃光の刃を振りぬき、ライドアーマーの両肩を無惨に切り落とす。その刹那、三体目の影がコクピット部へと飛びかかり、その中心に刃を突き立てた。まるで壊れた人形のように、機体は膝から虚しく崩れ落ちた。

「チクショォ!」

呆気無い死に、共に防衛線を築いていた仲間が悲鳴にも似た叫びを上げる。同時に操縦桿を一息で限界まで押し倒すとその勢いに合わせ、ライドアーマーは格闘戦用のドリルを装備した右腕を、一体の黄色い影にむけて突き出した。だが、その腕もまた空を切るだけで、敵を捉えることは敵わない。
突然、ガクンと片側に機体が崩れる。警報がけたたましく鳴り響き、右膝の駆動系が切断されたことをモニターの端で確認する。瞬間、モニターが不気味な頭部モジュールを映しだした――――かと思えば、閃光が眼前を覆い隠し、同時に光の刃がモニターの中心から突き出て、鼻先に当たった。焼け焦げたような匂いと、灼熱が走り抜けるような激痛を顔面いっぱいに感じた後、彼自身の機能は停止した。断末魔を上げる暇もなかった。

そうしてまた二体、三体と戦闘用にカスタムされたライドアーマーを、アスラ・バスラ達は難なく斬り捨て、道を切り開いてゆく。後方のパンテオン部隊と大量のメカニロイドも支援放火を続け、基地内部への侵攻の動きは留まる気配を見せない。
白の団の歩兵部隊も、組み上げたバリケードの間隙からエネルギーライフルや機銃による弾幕を浴びせる。だが、その実質的な効果はまるで見えなかった。

「こちらケルビン! ライドアーマー各機大破! 戦闘継続不能! 後退の許可を! 司令! 司令ッ!!」

戦場の轟音とともにケルビンの怒号が管制室いっぱいに響く。状況はモニターにも映し出されており、エルピスにもその苦戦の様子は手に取るように分かった。
だがそれ故に、決断が鈍る。前線の突破は本部への敵侵入の危険性拡大に直接繋がる。せめてゼロの到着まで基地を持たせなければ、それこそ無意味に終わってしまう。ここで答える言葉はただ一言「NO」だ。
しかし、エルピスは彼らの状況を目の当たりにしながら、それを難なく口に出来る程の冷血漢にはなりきれなかった。そして、その意志を支えるだけの策も、持ちあわせてはいなかった。

それ故に、言葉が遅れる。

次に入ったケルビンの音声は、短い断末魔の悲鳴だった。モニター上で、彼の機体がアスラ・バスラによりナマスの如く切り刻まれるのを唖然と見届けた。
既にマーシーの部隊も壊滅し、第七エリアの防衛線は完全に崩壊した。

「敵部隊、第八エリアへ侵攻!」

ルージュの声が叱咤するようにエルピスの耳に突き刺さる。エルピスは一度奥歯を噛み締めると第九エリアに待機しているチームへと指示を送る。

「第七エリアが突破されました! 敵の到達予測は十分後です! 陣形を組み敵の襲撃に備えてください!」

それ以上の言葉がかけられないことに、ただ悔しさを感じることしかできない。
本拠地侵入に対するシミュレーションは重ねてきた。
ジョーヌやルージュ達、オペレーター陣が幾度と無く繰り返してきた防衛戦シミュレーションのデータを戦闘員達全員にフィードバックし、応用している。
しかし、それらがまるで儚い幻想のように、呆気無く、脆く崩されてゆく。その様に、エルピスのみならず、オペレーター達も皆、ただただ絶望を感じるだけだ。

やがて予測時間よりも遥かに早く、三体のアスラ・バスラが軍団を先行して第九エリアへと到達した。再び管制室中に、怒号と悲鳴と断末魔とが入り乱れ始めた。






敵部隊の第九エリア到達の報が、本部棟守備に回されたマークチームの耳に入ったのは、敵の襲撃開始より二時間程経過した頃のことだった。
つい数秒前まで共に笑い合っていた仲間が、目前で惨たらしく爆殺された。その事実は、彼らの心に深い傷を残すこととなった。それを考慮してか、エルピスはこのチームを後方へと回したのだろう。
だが、項垂れている暇は何処にもない。敵は目と鼻の先まで迫ってきているのだ。決して親友の死を悼んでいる場合ではない。
戦術データリンクから取得した戦況は、激しい苦戦の様子を知らせるのみだった。
敵部隊の五分の一程度が基地内に仕掛けたトラップと、こちらの反撃により削られたらしいが、それ以上に目覚しい戦果については全く音沙汰が無い。
聞こえてくるのは敵の猛攻に寄る損害、特に先陣を切って仕掛けてきている三体の新型ミュートスレプリロイドによる圧倒的殺戮の犠牲についてだけだった。

「クソッ……なんだってこんな…チクショウ!」

やり切れないままにヘルマンが吐き捨てる。
「落ち着け」とその肩を叩きながら、マークが宥めるように言う。だが、そのマークの表情も固く、青ざめていた。

「ゼロさんが来るまで持たせるんだ、なんとしても!」

「それまでに、どんだけ殺されると思ってんだ!」

「じゃあ、どうにかできるのかこの状況を!!」

苛立つ二人は今にも取っ組み合いを始めようかというほどの勢いで言い争う。
だが、互いにそれが無意味な問答であると分かっており、直ぐに口にする言葉を失い、鎮まった。どうにもできない現実への苛立ちと、無力感だけが心の中に残る。

「大変です、マークさん!」

そこに非戦闘員達の誘導をしていた筈のティナが駆け足で現れた。
この期に及んで、いったいどのようなトラブルがあるというのか。マークは眉をひそめ、「どうした」と問い返す。

「それが……一部の団員たちが、団長への抗議をと……」

「はぁ!?」と思わず誰もが呆れた声を漏らす。
ティナの説明によれば、トラブルの原因は“英雄派”を名乗る連中だった。
敵の今回の侵入に対し、エルピスの指揮とこれまでの作戦を非難し、「管制室に“立て籠もって”いる団長に抗議をする」と、避難の誘導に聞く耳を持たない様子らしい。

「いったい今がどういう状況だか分かって言ってるのか!!」

憤りのままに、マークは声を荒げる。あまりの勢いに、自分に向けてではないと分かっていながらティナは肩を竦めた。
組織が拡大しすぎたが故の障害。それがこのような事態において如実に顕となってしまった。
広大な基地施設もまた、彼らの無責任な主張を助長しているのだろう。決死の防衛線で戦う同胞の様子など、データリンクへのアクセスをしなければ目を背けることは容易だ。その上で、自分たちが持つ不満と鬱憤のみを晴らそうという輩がいてもおかしくはない。
しかし、それにしてもあまりに身勝手な姿勢に、マーク達は激しい憤りと嫌悪感とを感じてならなかった。
「俺が首根っことっ捕まえて、前線に放り出してやる!」と息巻き今にも駆け出そうというヘルマンを、他の仲間が取り押さえた。

「こればかりは俺もそうしてやりたい気分だ……。が、そんなことをしている余裕もない」

そうこうしているうちに、第九エリア防衛線突破の報が、データリンクにより届いた。リョウ、ハンスのチームは全滅。ジュリオのチームが辛うじて第十エリアへと後退できたが、戦力は大きく削がれている。
第十エリアの突破も時間の問題だろう。

「これから四十分程度で本部棟への敵到達が予測された。気を引き締めろ」

マークは班員達にそう告げ、それからティナに指示をする。

「できる限り“英雄派”の連中を取り押さえてくれ。これ以上、司令に無駄な苦労をかける訳にはいかない。……が、敵が本部棟に到達したら、構わなくていい。君たちの命まで無駄にする必要はない」

「了解……です」

戸惑いと共にそう返すと、ティナは踵を返し、持ち場へと戻っていった。

「各員、再度銃器のチェックを! こうなったらやるしか無い! 腹を括れ!」

そう言いながらエネルギーライフルに掛けたマークの手も震えていた。




















  ―――― * * * ――――


敵の脆弱さにバーブル・へケロットは、間の抜けたような「ケロケロ」という笑い声を絶え間なく上げ続けた。
これだけ広大な隠れ家を部下が発見したときは、どれだけ強大な組織が潜んでいるかと期待すらしていた。長年追い続けていた黒狼軍の本拠地である可能性も抱き、自分の持てる最大戦力を持って突入を仕掛けた。それ故に、戦略研究所から配備された評価段階の新型ミュートスレプリロイドさえも引き連れてきたのだ。
だが、良くも悪くも、その見当は大きく外れた。
巧妙なトラップによる足止めは、確かに癪に障るものばかりであったが、決して脅威とならず。ようやく相まみえた敵の構成員もその残骸を確認すれば、皆非戦闘型の貧弱なレプリロイドばかりであった。
とは言え、これだけ広大な拠点を構えている組織だ。黒狼軍ほどでなくとも、何かしらの収穫を得ることは出来るだろう。例えば、かの“紅いイレギュラー”の塒というのもあり得る。
更に言えば、脳裏には二年前の集団脱国事件が頭をよぎっていた。その集団が拠点とするならば、この広大な基地施設は納得できるし、もしそうであったならば、救世主より直々の捜索命令が下っている“Dr. シエル”の存在も期待できる。
いずれにしても、こちらは大した損害もなく、大手柄を得られるかもしれない。

「これできっとファントム様も、ワスのことを認めてくれるケロー!」

意気揚々と全機に突撃を指示する。
アスラ・バスラは指示に従い、無言のまま、その最高速で敵の懐へと飛び込む。そして四本の腕を巧みに操り、鬼神の如き力で殺戮を続ける。
貧弱なイレギュラー達の前では僅かな傷も負うことなく、名に冠した二体の神に恥じぬ働きを見せつけていた。

「それにしても随分広い基地施設だケロ……?」

ふと壁面に大きく描かれた「11」という数字に目を遣る。これまで通ってきたエリア数がそれで分かるわけだが、ただのレジスタンスの塒と考えれば、随分と大きな数字だ。
そしてそれを守るイレギュラー達の数や、装備も。いずれも非戦闘型の雑兵に過ぎぬとはいえ、その武装状況やトラップを巧みに使った戦法は決して無視できない。バックアップに何か大きなものがついているのではという予想は、膨らむばかりだ。

数ヶ月前、極秘任務中に紅いイレギュラーの手で葬られたと聞いた、宿敵ヒューレッグ・ウロボックルのことを思い出す。
思えば生前、彼は自分より遥かに大きな信頼をファントムから寄せられていた。ヘケロットはそのことを、彼が亡き者となった今でも憎たらしく思っていたのだ。
決して外部には公開されない、それも全ての者が崇め奉る、ネオ・アルカディアの救世主と関係のある任務だというのだから尚更だ。死んでからもその任務については何一つ知らされておらず、そこから伺える機密性は、ウロボックルがどれだけファントムに信頼されていたのかを物語っている。
だが、そのウロボックルは死んだ。紅いイレギュラーとの戦いの果てに、機密を胸に抱いたまま死んでいった。その事実を耳にした瞬間、一旦は彼の非力さを嘲笑った。それから暫くして、直接に顔を合わすことも、力を比べることも二度と無いのだ…と――――その差を埋めることは二度とできないのだ…と思い知った。

――――まるで勝ち逃げされたようで、腹立たしいケロ!

煮えくり返るような想いを抱き続けたこの数カ月。黒狼軍探索のついでに、各地に隠れ潜んでいるレジスタンス組織の掃討工作を、辛抱強く続けてきた。だが、どれだけ続けようと、碌な武功は立てられず、ウロボックルのように機密作戦の招集を受ける気配も一向になかった。
そんな屈辱的な日々を耐え抜き、漸くこれだけ大きなレジスタンスの塒を発見することができた。

「絶対に! 絶対に手柄を立ててやるケロッ!」

特有の甲高い声で吠えると、興奮した気持ちをそのままにアスラ・バスラに負けじと前方へ飛び出す。
そして、眼前に立ちはだかる強化型のライドアーマーへと伸縮自在の両腕を一直線に伸ばす。そして片足を捉えると、一気に腕を巻き戻し、飛ぶように身体を近づける。パイロットが対処するよりも早く、小柄なヘケロットはライドアーマーの股下に潜り込み、ボディに取り付けられた射出口を開き多数の小型ミサイルを放つ。
ライドアーマーは下半身から大きく爆発し、身体を崩す。
爆炎で生まれた隙を狙い、二、三人のイレギュラーがフルオートのライフルを連射しながらヘケロットに向かい突撃を仕掛けてきた。
だが、少しも怯むこと無く、一番先頭を走る相手に、ヘケロットは自慢の舌先を伸ばし、一瞬にして身体を絡めとる。
そして一気に引き寄せると、その舌を左右に振り回して掴んだ敵の身体で弾丸を乱暴に防いだ。図らずも同胞の背中を撃ちぬいてしまったイレギュラーたちの眼に戸惑いと恐怖の色を見て取った刹那の内に、蜂の巣となった敵の遺体から残りのエネルギーを絞り出すように吸収していく。
イレギュラー達はその光景に凍りついた。エネルギーを吸収し尽くしたヘケロットは、元の二倍ほどまで身体を膨らませていたのだ。
呆然とする彼らの喉元に向け、素早く両手を伸ばし、掴む。そして、そのまま力任せに握りつぶした。

「……なんて………ば…化物!」

生き残りのイレギュラーがその場にへたり込み、そう口にする。
その言葉に半ば優越感を覚えるが、ほくそ笑むうちにそのイレギュラーの首はアスラ・バスラにより討ち取られた。

特殊ナノマシンと有機金属など、戦略研究所が試作している実験素材の幾つかを用いて作られたヘケロットの身体は、貯蔵しているエネルギー量に合わせ巨大化することができる。最高で元の五倍、十メートルとは行かずとも十分驚異的な体躯だ。
自身が潜入した施設の広さがどれほどか検討がつかない時は、安易な巨大化は行動力の制限に繋がる為、様子を見ながらその機能を駆使していくよう、日頃から心がけているので、手当たりしだいに活用するつもりはない。
ヘケロットは、他のレプリロイドたちが持ち得ないその機能故に、己にある程度の自信とプライドを持っている。だからこそ、ファントムの信頼を勝ち取りたいと誰よりも強く願っていた。

――――ワスこそが、真の忠臣であると……認めてもらうんだケロ

そう心の中で呟きながら、下卑た笑みを浮かべて周囲を見渡す。
圧倒的な戦力差により、このブロックも難なく攻略した。先行していたヘケロットとアスラ・バスラに合わせ、支援放火とともに駆け足気味に進軍をしていたパンテオンたちは、ようやく彼らを追い越し、次のブロックへと足を進めた。

「ケロケロケロ。……ここからが本番だケロ」

一際けたたましいサイレンが鳴り響き、紅い回転灯が施設内を激しく照らす。吹き抜け構造の広大な空間。中心にそびえる円筒状のエレベーター施設。二階、三階通路を慌ただしく走り回る人影。バリケードから一斉に放たれるエネルギー弾。――――そういった幾つもの要素が、この場所こそ敵施設の本棟であると如実に語っていた。
これから尚も続く殺戮と、目と鼻の先に迫った己の手柄と栄光に、ヘケロットは巨大化に合わせ少々野太くなった声で、殊更嬉々とした高笑いを上げた。





































  ―――― * * * ――――


「隊長、こちらに!」

クラフトは、大声で呼びつけるシメオンの方へと、駆け足で寄っていった。
シメオンの横に片膝をついて座っている部下が、何やら岩の陰に隠された機器をいじっている。
その様子に、全てを察したクラフトは、全ての隊員にその場に集まるよう伝える。同時に、電子戦担当の隊員に、サイバーエルフによるハッキングを指示した。

「サーハブ、どれくらいで解析できそうだ」

急かされるように問いかけられ、サーハブは機器に手をかけながら「落ち着いてください」と返す。

「私も、ある程度見てからでないと、それは答えられませんよ」

それから手持ちの中型コアユニットを機器のインターフェイスに接続し、そこにまた電子戦用にカスタムされたコンピューター類を繋ぐ。
そして数体のサイバーエルフに司令を送ると、サイバーエルフたちはサーハブの指示に従い、機器の内部へと躊躇うこと無く侵入していった。

「まあ……相手がそれなりのハッカーだとしても……」

ニヤリと殊更嬉しそうな笑みを浮かべ、サーハブは自信あり気に応える。

「十五分とかけるつもりはありません。準備運動でもなさっていてください」

その言葉にクラフトは「フッ」と柔らかい笑みを浮かべ、「そうさせてもらう」と返し、振り返った。

「ハッキングが終了次第、先頭から第六、第八、第九、第一、第三班の順で突入を開始する。それまではこの場にて待機。各自、戦闘に備え体を休ませておけ」

クラフトの声に、隊員たちは「ハッ」と力強く答え、敬礼をしてみせる。それから、それぞれ岩場に腰掛け、地べたに座り、休憩の体勢に入った。
不意にクラフトの肩をマティアスが叩く。

「隊長も休んだ方がいいっすよ。“奴”と自分で直接やり合うつもりなんでしょう?」

「……ああ、そうだな」

堅い顔でそう答えると、近くの岩に腰掛ける。
その様子に、マティアスはシメオンと視線で遣り取りをし、互いに肩をすくめる。
クラフトこそが誰よりもこの時が来るのを待ち望んでいた。それを十七部隊の誰もが知っている。紅いイレギュラーと戦い、己の使命を果たす瞬間を、強く心待ちにしているのだ。
そんな彼をシメオンとマティアスは――――いや、皆全力でサポートすると心に誓っていた。彼を、「救世主の再来」に恥じぬ真の英雄とするために。

それからサーハブの見立て通り十分程経過すると、岩の横に溝が走り、隠しシャッターが開く。そこには空間転移装置らしきエレベーター上のマシンが、予想通りに顔を出した。
歓喜の声を上げるより前に、隊員たちはその場に集合する。電子戦に疲弊したサーハブが後退していくと、誰もが労いの言葉をかけ、その背中を叩いた。

そして、クラフトの「突入」という掛け声に、隊員たちは指示された順番にエレベーターへと乗り込んで行った。


























  ――――  5  ――――


サイレンの音が煩く耳に突き刺さる。整理しきれていないコルボーの心は、未だフワフワと宙に浮いたような心地ではあったが、事態の深刻さだけは冷静に理解することができた。
しかし脳裏に何度もフラッシュバックするのは、呆気無い親友の死の瞬間の光景だった。

本当に一瞬のことだった。
ゼロのおかげで共に死地より生還し、今日まで生き延びてきたというのに。その生命が消えるときは本当にあっという間のことだった。
こんなにも簡単に消えてしまう生命だったなら、どうして今日まで生きてきたのか。そのことにどれだけの意味があったのか。自分の親友はそんなにも無価値な存在だったのか。

親友――――“トムス”という存在は、いったい何だったのか。

そんな風にぐるぐると絶え間ない思考を巡らせながら、マークの指示に従い、物陰に隠れる。そして、敵のパンテオンを見てとると、数秒の間をおいて、漸く引き金を引いた。――――が、それより先にヘルマンが肩を掴んで無理やり引き寄せる。

「馬鹿野郎っ! 死ぬ気かコルボー!」

そう叫んでいる間に、パンテオンの銃撃が隠れた壁面を掠めてゆく。
ぼんやりとしたまま、敵の前に半身を出していたことに、コルボーは気づいていなかったようだ。ヘルマンが引き寄せるのがあと一瞬でも遅れていれば、コルボーの頭部はグチャグチャに弾けていただろう。
だが、それでもコルボーはぼんやりとした声で「ごめん」と答えるだけだった。
原因はヘルマンにも分かっている。誰よりも親しくしていた友人を失ったのだ。それも目の前で。放心状態に陥るには十分だろう。
だが、その為に彼までもが、死んでしまうというのは受け入れられない。それも、自分の直ぐ傍でならば当然だ。

その場を仲間に任せ、ヘルマンは奥へとコルボーを引きずっていく。そして、前線から離れると、コルボーの身体を壁にたたきつけた。
何事かと理解できずにいるコルボー。その横っ面をヘルマンは固く握った拳で殴りつけた。

「テメエいい加減にしやがれ!」

そう怒鳴りつけて襟を両手で掴み上げる。
状況が未だ分かっていないようではあったが、コルボーは「ハッ」とした顔でヘルマンを見つめている。それに対し、ヘルマンは険しい表情で睨み返した。

「別にテメエが死のうが俺は構わねえよ! 俺は俺の生命だけありゃ構わねえからな! けどよぉ!」

怒鳴りながら強く彼の身体を揺さぶり、再び壁に叩きつけた。

「今がどういう状況かちゃんと考えやがれぇ! 敵が侵入してきてんだぞ! 白の団がなくなっちまうかもしれねえんだぞ! テメエ一人の力でも無駄にできねえんだよぉ!」

人数的に勝っていようとも、その戦力差は圧倒的だ。それを埋めるには持てる戦力の全てを注いで、防衛に当たらなければならない。
こうしている時間すら、本当は貴重なのだ。各所で敵を食い止めようと必死で戦う仲間達と、か弱くとも持てる力の全てを合わせて立ち向かわなければならない。そうしなければ、きっとゼロが来るまで持たせることすらできないだろう。

「……生き残る気がねえなら“神風”でもなんでも勝手にやってくれ。ただそこでボケっといられるより幾分マシなはずだぜ、クソッタレ」

そう吐き捨てるように言って、コルボーから視線を逸らす。漸くヘルマンの言葉の意味を理解できたコルボーは、沈んだように俯く。
分かっている。こんな風にただ落ち込むだけでは、何の意味もないということくらい。今は、友の死を悼む気持ちを抑え、ただひたすら引き金を引き続けなければならない。自分の命を守るために。仲間達を守るために。この場所を守るために。
それでも考えてしまう。こんな葛藤や、苦悩の全てに何の意味があるのか。抵抗すること、戦うこと、生きること――――どれも無駄に終わってしまうのではないか。ついさっきまで笑顔で横にいた、そして呆気無く死んでいった友のように。
コルボーはもう一度、小さな声で「ごめん」と呟くことしかできなかった。
そうこうしている内に爆音が響く。それからマークが手振りで後退を知らせながら、数人の仲間達とともに駆け寄ってくる。

「このブロックももう駄目だ! Fブロックの守備に合流する!」

コルボーとヘルマンも、言われるままチームと共に後退し始める。それと同時にセンサー爆弾が作動し、パンテオン達の行く手を阻んだ。
後退してはトラップを作動させ、敵の侵攻を防ぐ。シェルター代わりに使われている談話室、それに基地の中枢といえる管制室を最後まで持たせるために、本部棟守備にあたった以上、無駄死にだけは避けなければならない。故に戦略的撤退のタイミングを逃してはならないのだ。
一旦敵の襲撃を受けていないエリアまで後退すると、皆その場に座り込み、武器の状態をチェックし始める。

「オーバーヒートとエネルギー残量に気をつけろ。それと、すぐそこのブロックに敵の新型ミュートスレプリロイドが斬り込んできたらしい。十分に警戒しろ」

そう言ってメンバーの顔を一頻り確認する。
意気消沈しているのはコルボーだけではない。誰も彼もがこの苦境に、今にも心折れそうな様子だった。
だが、今本当に心を折られてしまう訳にはいかない。マークは「みんな、しっかりしろ」と励ますように語気を強めて呼びかけた。だが、マークの方に向けられた視線はどれも絶望の色しか見せていない。生半可な励ましの言葉では何の意味もないということを悟り、マークは慎重に言葉を選び始めた。そして、率直な考えを口にすることにした。

「……正直に言う。俺はこのまま生き残れるとは思っていない」

誰もが耳を疑い、息を呑んだ。マークは「自分は死ぬと思っている」とハッキリ口にしたのだ。
だが、それはここにいる皆が思っていながら口にできなかった真実だ。――――おそらく自分たちは何の活躍もすること無く、先ほどのトムスたちのように呆気無く無惨に死ぬだけだろうと、誰もが思っていたのだ。
「しかし」とマークは言葉を続ける。

「それがどうしたって言うんだ?」

またしても予想外の言葉に、皆マークから視線を外せなくなっていた。
諭すように、言い聞かせるように、マークは自分の想いを言葉にして紡いでゆく。

「忘れたのか。あの日、ゼロさんが助けに来てくれなきゃ、俺達はあの場で死んでいたんだ。あの人が必死の思いで体を張ってくれたからこそ、俺達はここにいるんだ」

ポイントB-38Sでの戦いを、思い出す。マークの言うとおり、誰もがあの時一度は「死」を覚悟した。
今日まで生き延びてきたせいで忘れていたのかもしれない。所詮、自分たちの力程度では、真っ向勝負でネオ・アルカディアに敵うはずもないのだと。あの日、痛いほどに思い知った現実を。

「それなのに、今更“死”を恐れて何になるってんだ。あの日“そうなる”筈だったことが、今、漸く目の前に迫ってきただけのことだ。奇跡的に引き延ばされた猶予が、切れただけだ。――――それを今更恐れて、戦う意志を失くして……。守るべきものを守れずに死んで行く方がよっぽど惨めだと思わないか」

その言葉はメンバーの心に深く突き刺さった。
マークの言うとおりだ。今こうして生きていられる事自体が奇跡なのだ。それなのに、それを“当たり前”のことと勘違いしているからこそ、心が折れそうになるのだ。
ならば、もう一度思い出すべきだ。奇跡的に生き残れたという事実を。あの日の恐怖を。そして、“死人”として立ち向かうべきだ。今日まで生き延びたことへの感謝と、あの日引き延ばされ、ちょうど今目前に迫った“生の猶予”を受け入れて。
そうして今、この大切な場所を、他の大切な仲間たちを守りぬくべきだ。それすらできずに死んで行けば、それこそ無駄死にだ。

「それに…この場所を守りきれずただ死んでゆくだけなら……俺は死んでいった仲間達に顔向けができない」

コルボーはその言葉に「ハッ」となる。いや、彼だけではない。チーム全員がマークの言葉を重く受け止め、気持ちを奮い立たせた。
トムスや、他の仲間達の死を本当の意味で無駄にしないためにも、今は迷いを棄て、決死の覚悟で戦わねばならないのだと、皆が気づいた。

「……すいません……マークさん…オレ……」

コルボーが一人、ぼそりと呟くように言う。
同じように戦意を失いかけていた仲間達も皆、その言葉に同調したのか、バツが悪そうな顔をする。
だが、マークは「気にするな」と言葉を返す。

「謝る必要なんて無い。ただ、分かってくれればいい。そして考えて行動してくれ。今やるべきことを。今すべきことを」
























刹那、閃光が走る。



ゴトリと鈍い音をその場に響かせ、丸い固形物が床に落ちたのを、皆呆然と見つめていた。
理解が追いつかない頭には、周囲の全てがスローモーションに見えた。照らす回転灯の光の動きも、その場に居合わせた仲間達の、強張っていく表情筋の動きも。耳に入っていたはずのサイレンは音をなくし、ただ衝撃だけが心の中を駆け巡った。
そして、全てを理解した瞬間、皆、一斉に叫んだ。恐怖と、絶望の声を叫び、その場から必死に逃れようと、無様に地べたを這いずるようにする。
だが、彼らを捉えた敵――――ミュートスレプリロイド、アスラ・バスラの三本の腕に握られたビームサーベルは、次々と仲間達の首を、胴を断ち切り、残骸を増やしていった。

「……マー…クさん! ……マークさぁん!!」

コルボーは逃げ惑う中、地に落ちたマークの頭部に向かってコルボーは必死に叫んだ。
だが、その声はもはや届かない。皆の心を励まし、支えてくれた賢明なリーダーは、たった今、一つの凶刃の前に脆くも死に絶えたのだ。
呆気無く、華々しさの欠片もなく、みっともなく擬似体液をまき散らして、無残に死に絶えたのだ。

だが、それに構っている場合ではない。
その場に襲撃を仕掛けてきたアスラ・バスラの戦闘力はまさに鬼神の如く、何者の抵抗も受け付けなかった。
できることはただひとつ、その場から逃れるために脇目もふらずに駆け出すことだけだ。しかし無論、振り回される凶刃はそれを容易には許してくれない。

その場の凄惨な光景は、この基地内で起こっている殺戮の縮図だった。
圧倒的強者による、弱者たちの蹂躙。彼らの生命に尊厳はなく、数億年も前から続く単純な摂理に則り、狩る側の者たちにより、当然のように狩られるだけだ。

光の刃が首筋に触れる瞬間、コルボーは悟った。――――自分たちの生命に価値など元より無かったのだ。考える必要も、思い悩む意味も全てが皆無だったのだ。
今、この瞬間、こうして何一つ劇的な瞬間を迎えることもなく、無惨に狩られるだけに存在していたのだ。トムスも、マークも、ミランも――――これまで死んでいった全ての仲間達も同様に。

だからもう恐れることなど無い。そうなるべき瞬間が訪れただけなのだから。
そして再び、鮮緑の閃光が、閉じる暇もなかった視界の隅を駆け抜けた。




































  ―――― * * * ――――


「B、D、GからJまでのブロックが完全に制圧されました!」

「セルヴォ技術局長より通信! 死傷者多数! 救護班間に合いません!」

オペレーターたちが慌ただしく告げる基地内部の状況は、エルピスを絶望へと追いやるのに十分だった。
いや、エルピスだけではない。言葉として情報を正確に伝えながらも、オペレーターたちは精神的にギリギリのラインを保っていた。
もはや確信に近い。白の団は壊滅する。――――いや、している。あとに残るのは儚い理想の残滓だけだ。

「司令! Fブロックに敵が侵入!」

ルージュが大声で伝えた情報に、エルピスは殊更声を荒げ、「いけません! それだけは!」と叫び声を上げた。
Fブロック――――そこはシエル達が立て篭もっている談話室が設置された区画だ。
だが、エルピスがどれだけ吠えようと、既に敵の侵攻を妨げる、味方の戦力は何処にもなかった。










誰かが上げた、耳を劈くような悲鳴とともに、崩れたシャッターから単眼のレプリロイド達が姿を現す。
侵略者に相応しい威圧感を放ちながら、激しく明滅する紅の灯りに照らされ蠢く様は、まるで地獄からの死者だった。
白の団のレプリロイド達は身を震わせ、悲鳴を上げ、取り乱しながら部屋の隅へと集まってゆく。だが、そこから先へ逃げ出す道は残されていない。
これから行われる虐殺の様子を、誰もが容易に想像できた。ここに集まったレプリロイドは誰一人として助かりはしないだろう。――――ただ一人、人間である彼女を除いて。

「何やってるんだい、シエル!」

ロシニョルが叱るように声をかける。
恐怖に怯えるまま、肩身を寄せ合うレプリロイド達を守るように、シエルはパンテオン達の前に立ちふさがり、両手を広げていた。
人間の少女が、レプリロイドの為に体を張る――――その異様な光景に、感情を削がれたパンテオンたちですら、逡巡している。

「私は……人間だから」

人間だから殺されるようなことはない。だから皆の盾となろう。――――あまりにも単純で愚かな思考と行動に、思わずロシニョルは「バカを言うんでないよ!」と声を荒げ、彼女の身体を後ろから抱き留めた。

「あんたがそんな無茶する必要なんて無い! 人間だって死ぬんだよ! そんなことしてる暇があるなら、あんただけでも――――」

「 私 は 逃 げ な い 」

ロシニョルの言葉を聞くより早く、それを断る。
シエルの決意と信念の強さに、思わずロシニョルも気圧される。

「……私は逃げない、絶対に。みんなが――――白の団が、もしも本当にここで負けてしまうのなら、私もここで死ぬ方を選ぶわ」

シエルの声は震えていた。けれど、確かな力強さがあった。
たとえここで一人生き残ったところで、何の意味があるのか。その後の生き方を考えれば、選択肢はひとつしかない。
白の団をエルピスとともに立ち上げてから、彼女にとってこの場所は、ここに住むメンバー達は何よりもかけがえのない存在となっていた。もしもそれを失って生きるのならば、死ぬよりも苦しむに違いない。
それならば、命懸けの抵抗を続ける。何一つ役に立つかも分からない。実際、敵のパンテオンたちに、こんな人間の“小娘”一人が立ち向かったところで障害の一つにもなりはしないだろう。だが、それでも、自分にできる限りの“戦い”をしなければ、きっとそこには後悔しか残らない。それを彼女は何度も、痛いほどに味わってきた。
それからシエルは「それにね」と付け加えた。

「私は……信じてるのよ。絶対に大丈夫だって……」

この状況で苦し紛れのほほ笑みを浮かべて何になるのかと、嘲笑うように、パンテオン達はバスターの銃口をシエルへと向ける。
けれど、シエルは目を逸らさなかった。一つの確信と、約束を糧に。

「……私、泣き虫だった。本当に、泣いてばかりで……みんなの力になんてなれなかった。だけど――――」

声は尚も震えている。けれど、シエルのほほ笑みは揺るがない。

「言ったのよ、彼が。……『二度と泣いたりするんじゃない』『お前は、“お前の英雄”を信じて、無邪気に笑って、理想を語ってればいいんだよ』って……言ってくれたの。だから――――」

シエルは、揺るがない。彼女の気迫に、とうとうパンテオン達が後ずさる。


「決めたのよ、私――――」




    『もう絶対に泣かない』『信じ抜いてみせる』って










    だって















    “彼”は“私の英雄”なんだから――――……‥‥










































「本当に………無茶しやがるよ、お前は」

そう言って、頭を優しく撫でる大きな手。
彼の声に「へへ」と笑ってみせたあと、気が緩んだのか、倒れこむシエル。その身体を、そのまま優しく抱き留める。
小柄な少女の体。しかし、誰よりも強い生命力と、意志の力を放った彼女の輝きを、彼はしかと心に刻んだ。――――護るべき者として。

「ロシニョル、すまない。小娘を頼む」

そう言って、丁重にロシニョルへとシエルの体を預ける。
それから、くるりと回り、残ったパンテオン達へと視線を向ける。
一瞬にして三体のパンテオンがスクラップと化した。正直、パンテオン達だけでなく白の団のメンバーも、状況の整理がつかなかった。何もかもが、彼らの知覚の外だったのだ。
彼は「さて」と短く口にし、頭を掻く。ここに辿り着くまでの状況は目に焼き付けてきた。その心の内に湧き上がるものは、単純な感情だった。

「俺は怒ってるんだ。……分かるよな?」

そう言って、再び光の刃を解き放ち、構える。

「覚悟しろよ、ボンクラども」

鬼の形相で睨みつけ、ゼロは地を蹴る。
ゼットセイバーが大きく弧を描き、反撃の狼煙を上げた。
































  ―――― * * * ――――


「……なんだ…これは…………」

その場に辿り着いたシメオンの口から衝いて出てきたのは、そんな間の抜けた一言だった。
紅いイレギュラーの足取りを掴み、追跡し、ようやくその本拠地を突き止め、辿り着いた。しかし、目の前に広がる光景は、憎き紅いイレギュラーの本拠地として彼が心に思い描いたものと百八十度異なる世界だった。

その場に降り立った者が皆、まず最初に注目したのは、視界の先にそびえる大きく豪勢な屋敷だった。とてもレジスタンスの本拠地とは思えない、まるで人間の貴族階級が暮らしているような、そんな屋敷だ。
頭上にあるのはどこまでも蒼く広がる空と、優しく浮かぶ白い雲。周囲にあるのは青々と茂った草原と、色とりどりの花々。どれも人工物だろうが、とても一介の庶民が手出しできるようなものではないだろう。更には人工の池や噴水など、まるでメガロポリスに住む人間の屋敷のようだ。
――――そう、そこはきっと楽園だった。

そしてまた、言葉を失う。
屋敷の前に、数十人の影が並び、こちらを見つめているのが見える。そこにいるのは皆、レプリロイドだった。少年型、少女型のレプリロイドばかりが怯えたように身を寄せ合い、一部の成人型が、強張った表情でコチラを睨んでいる。

「隊長……これは――――」

漸く問いかけたシメオンの言葉を遮り、クラフトが前に進み出る。そのまま屋敷に向かい直進していく彼に、部下たちは戸惑いながらも続いていった。

「……我々はイレギュラーハンター第十七精鋭部隊。Sランクイレギュラー“紅いイレギュラー”を捜索している」

軽い自己紹介を終えた後、ランチャーをちらつかせる。

「この屋敷が奴の拠点だという可能性が高い為、探索をさせてもらいたい。無論、協力してくれれば、手荒な真似はしない。――――『協力してくれれば』……な」

その気迫に、子供たちが怯えながら後ずさる。この構図を端から眺めれば、おそらくクラフト達は完全に悪役と見なされただろう。
だが、十七部隊も容易に退くことはできない。漸く掴んだ紅いイレギュラーの尻尾だ。どのような手を使ってでも、手繰り寄せねばならない。――――そう、どのような手を使っても。例えそれが一方的な暴力となろうとも、だ。
押し黙ったまま硬直状態が数分程経過した後、一人の老人レプリロイドが前に進み出てきた。クラフトは何者かと身構えたが、その老人のがあまりにも平凡で、何の覇気も纏っていないことに拍子抜けし、思わず警戒を解いた。

「これはこれは……イレギュラーハンターの皆様、ようこそおいでなすった。ワシはアンドリューと言ってな、この屋敷に住まわせてもらっておる。……まあ、ここにいる者たちの代表というところじゃ」

「アンドリュー殿……。貴殿がこのような屋敷に住む理由については深く触れん……が、紅いイレギュラーがこの場所を拠点としている可能性が高いのは事実だ。ぜひ、内部を探索させてもらいたい」

「ふぁ? 紅い……なんじゃ? トマト?」

手を耳にかざし、よく聞き取れなかったと身振りする。一見ふざけているようにも見えたが、アンドリューと名乗るその老人レプリロイドの様子から、どうやら本当に聞こえていないらしいというのが分かった。
痺れを切らしたマティアスが「このジジイが」と前に飛び出そうとしたが、部下がそれを必死で抑えた。

「……すまないが、無駄な時間をとっている暇はない。強行させてもらう」

クラフトはあくまでも冷静にそう言い放ち、部下たちに手振りで前進を促した。
銃器を構え、前へと進む十七部隊。それを見て、今にもレプリロイド達は悲鳴を上げ、その場から逃げ出そうと構えた。その瞬間だった――――




「 こ の 愚 か 者 ど も が ぁ !!」




その場の空気が大きく震えたような気がした。思わず、誰もがその足を止め、先程まで惚けている風だった老人レプリロイドに注目した。
クラフトですら、その予想外の反応に、返す言葉を失う。
アンドリューはそのまま、ふさふさの眉毛に隠れた眼を、鋭く輝かせ、杖で強く地面を打ち付けると、十七部隊の面々を叱咤するように怒鳴りつける。



「 こ こ が ネ オ ・ ア ル カ デ ィ ア 政 府 元 老 院 名 誉 議 長 ―――― バ イ ル 卿 の 別 邸 と 知 っ て の 乱 暴 狼 藉 か !? イ レ ギ ュ ラ ー ハ ン タ ー 風 情 が ! 身 の 程 を 弁 え ぇ い !!」




思わず十七部隊全員が後ずさる。先程までとは全く異なった、その老人の様子に、誰もが戸惑いの色を浮かべた。
同時に、「バイル卿」――――その名の意味を理解し、クラフトは自分でも知らぬ間に奥歯を噛み締めていた。





























  ――――  6  ――――


「エルピス、全団員を今すぐ引っ込めろ。全員、避難所の警備に当たらせるんだ」

「しかし、それでは……!」

「俺が派手に動きまわって敵を誘導する。それなら文句はないだろう」

「分かりました」と渋々受け入れるエルピスの声を聞いた後、ゼロは手早く仲間へ指示を出す。

「コルボー、この談話室の守備はお前たちに任せる。――――やれるな?」

そう問われ、横からヘルマンが「やれるに決まってんだろ」と口を挟むが、コルボーは答えに戸惑う。

「……でも、ゼロさんは」

「安心しろ。ここへはもう二度と敵が近づかないようにしてみせる」

得意げに言ってみせるゼロに、コルボーは思わず「違いますよ」と声を荒げる。コルボーは何も自分の心配をしているわけではない。
だらりと伸びたゼロの左腕を指差し、「そんな状態で」と言いかけると、ゼロの手が頭を軽く叩き、遮る。

「無傷でなんとかなるほど楽な戦いじゃあない。けど、俺がやらなきゃ誰がやる?」

ゼロの言葉に反論できず、悔しげに拳を握る。
先程、アスラ・バスラに殺される寸前だったコルボーを庇い、ゼロの左腕は傷を負った。不意をついた登場のお陰で、アスラ・バスラ自体は難なく倒すことができたが、その傷は軽くない。
だが、そのアスラ・バスラも残り二体、バーブル・ヘケロットの存在も数えれば、全部で三体のミュートスレプリロイドとやり合わなければならない。苦戦が強いられることは必至だ。
それでもゼロは、心配する他の皆に「大丈夫だ」と笑って答える。

「傷みはあるが神経が全て切れたワケじゃない。アースクラッシュの回路も無事らしいし、そこまで差し障りのある状態じゃない。――――直ぐに片をつけてくるさ」

それからロシニョルが支えているシエルの方を向く。緊張の糸がほどけたらしく、疲労の色が一気に表れていた。
それでも、ゼロには苦しい表情を見せまいとしているのがひしひしと伝わり、ゼロ自身もそれについて声をかけようとはしなかった。

「シエルはあんたが来てくれることを、誰よりも信じていたんだよ」

ロシニョルがそう言うと、シエルははにかんで見せた。そんな彼女の頭を優しく撫でる。

「遅くなってすまない。もう大丈夫だ」

「全然気にしてないわ。信じてたから」

それからゼロは影で隠れていたアルエットを呼び寄せる。アルエットは呼ばれたまま駆け寄ると、そのままシエルにしがみつくようにして抱きついた。

「ごめんね……おねえちゃん」

シエルの想いを理解していながら、こうしてまた白の団へと戻ってきたことに、アルエットは謝罪する。シエルは一瞬驚いたような顔をしたが、直ぐにアルエットを抱き締め返した。

「……ありがとう、アルエット。来てくれて嬉しいわ」

ほんの少しだけ訪れる安らぎの時間。
ふと気づくと、既にゼロはその場を去っていた。二人の様子を見て、「大丈夫だ」と確信したのだろう。
そしてまた、次の戦場へと足を向けたのだ。

「気をつけてね、ゼロ……」

一抹の不安を抱えながら、シエルは誰もいない扉に向かい、そう呟いた。






















「ゲロゲロゲロ」と、ヘケロットは殊更うれしげに野太くなった笑い声を上げる。この拠点を掌握しつつあるのも当然だが、それに加えて二つの特典がついて来てくれたことに、歓喜が尽きない。
パンテオン達のアイカメラ情報を一手に収束、確認していると、あのDr. シエルが潜んでいたばかりではなく、紅いイレギュラーまで現れたのだ。

「これぞ、“飛んで火に入る夏の虫”ゲロ!」

そして、一気に基地中の部隊に通信する。「紅いイレギュラーを捕捉、抹殺せよ」と指示を受けた軍団員たちは、現在掌握しつつあるエリアを放棄し、各所に配置したメカニロイドたちからの情報を元に、紅いイレギュラー目指して進軍を開始した。
これまでに多くのミュートスレプリロイド達を倒し、人類の期待を背負った第十七精鋭部隊を退け続け、闘将や妖将の手からも逃れ続けた最強の敵が、今、すぐ傍にいるのだ。この圧倒的戦力を以って戦えば、負けるヴィジョンなど誰が描けよう。勝利は、手柄は、栄光は目前だ。

「なんとしても紅いイレギュラーを破壊するゲロぉ!!」

再三に渡り、声を大にして指示を送る。残り二体のアスラ・バスラが、万が一敗れたとしても、奴が戦闘の中で負う傷は浅くない筈だ。最後のトドメを自分が刺せばいい。
自分も紅いイレギュラーの情報を逐次確認しながら、悠々とした足取りで動き始めた。

同じ頃、紅いイレギュラー――――ゼロは数ヶ月ぶりの懐かしさを感じる暇もないまま、ゼットセイバーを片手に基地の廊下を駆け抜けていた。
湧き出るように迫りくる斬影軍団のメカニロイド達を次々と斬り伏せ、仲間を救っては避難所へと誘導し、また、何体ものパンテオン達を葬って行った。

「この程度で……俺を止められると思うなよ!」

緊急加速装置を利用して敵との間合いを一気に詰めて斬り殺す――――疾風牙。その場で体ごと回転し、近づく敵を連続的に切り刻んでいく――――円水斬。そこから雷を纏ったセイバーを手に空中へと切り上げる――――電刃。飛び上がった体のまま、滑空攻撃を仕掛ける――――旋墜斬。爆炎に包まれながら、目前に迫った敵を貫く――――葉断突。
自身が持てる、あらゆる技を駆使し、ネオ・アルカディアの軍勢を薙ぎ倒してゆく。
不意に、背筋に走る悪寒に従い、身を翻す。すると、後方から三本の刃がゼロの身体へと切りつけてきた。間一髪でそれを躱し、敵を見据える。
二体目のアスラ・バスラ。先程とは違う、直接対決だ。つまりはミュートスレプリロイドである敵の真の力量を、諸に受けるということだ。
だが、ゼロは少しの躊躇いも見せること無く、その場に崩れたパンテオンの頭部を鷲掴み、アスラ・バスラへと投げつける。アスラ・バスラはそれを一本の腕に持ったシールドで受け流し、その後方から接近するゼロへと三本の腕を巧みに操り斬りつける。
しかし、アスラ・バスラの攻撃を受け止めるでもなく、ゼロの身体はそのまま駆け抜けた。――――いや、違う。先程パンテオンの身体を受け流したシールドを持った腕が見事に切り捨てられている。次に眼前に広がったのは、自身が持っていたはずのシールドの装飾だった。咄嗟に三本の腕を曲げ、その後方に隠れた身体へとサーベルの切っ先を向けるが、それより早く、シールドと共に頭部を光の刃で貫かれた。
ゼロはそのまま、アスラ・バスラの身体を乱暴に蹴り倒す。
捨て身に近い攻撃ではあったが、今後の連戦を考えれば、早期に敵を片付けるに越したことはない。それ故に乱暴な戦法をとったのだ。しかし“釣り銭”は十分なものだった。先程、アスラ・バスラが最後の力を振り絞り、サーベルの切っ先が脇腹と首筋に僅かだが突き刺さった。傷みが思考を妨げ始めたので、感度が鈍ることを恐れて残していた痛覚センサーを、完全に遮断した。
これで自身のダメージについての情報は、データとして得る以外には無くなった。今後は戦闘中に、自身の限度をいちいち気にすることはできなくなったわけだ。

――――それでも……構わない

当然、利口な策とは言い切れない。自身が生き残ることを勘定に入れていない策といえば、それまでだ。
だが、それでもゼロはそうする以外に、道はないと考えた。この先、いかなる傷を負おうとも、白の団は救ってみせる。しかしどれだけの状態になろうとも、必ず自分も生き残り、彼らを守り続ける。
その信念と誓いだけが、今のゼロを突き動かしていた。

二体のミュートスレプリロイドを倒したところで、休憩と行きたかったが、その暇はない。敵の軍勢を切り捨て続け、ゼロは大ホールへと辿り着く。すると彼の行動を予測していたのか、三体目のアスラ・バスラがその場に構えていた。
言葉を発しこそしないが、赤い面のような不気味な顔が、何処か嬉しそうに嗤っているように見えた。「他の二体をよく倒した」「自分はあの様な無様な負け方はしないぞ」とでも言いたげに体を揺らし、ゼロへと飛びかかる。
一撃を防ぎ、力を受け流すようにして、その場から横に飛び退く。――――と、咄嗟に身を屈め、ブーメランのように自身へ向けて放り投げられた三本の曲刀型サーベルを躱した。かと思えば、アスラ・バスラは飛び上がり、空中でそれらを華麗にキャッチすると、その勢いのままゼロへと再び斬りかかる。ゼロは転がるようにその場から離れ、辛うじて躱し、無理矢理身体を立たせる。
しかし、アスラ・バスラの攻撃の手は緩まない。ゼロが斬りつけるより早く、アスラ・バスラは身体を軸に、駒のように回転しながらゼロへと迫ってきた。間一髪で躱すが、背後にあった壁がサーベルにより酷く抉られる様を見て、その威力に舌を鳴らす。
攻撃の隙を突き、閃光の速度で葉断突を繰り出す。だが、その一撃はシールドで受け流され、代わりに振り下ろされる三本の刃を躱す為、飛び退き、再び距離を取る。
それからアスラ・バスラは再び回転し始め、ゼロへと迫る。ゼロはその機を待っていたというように飛び上がる。そして、その回転斬りの弱点――――中心部分となるアスラ・バスラの身体へと炎を纏わせた刃を向け、一気に落下する。断地炎――――直撃とともに敵を爆殺する必殺の剣技。

「終わりだ!」

そう言った瞬間、アスラ・バスラは回転を止め、頭上を見上げることもなく、サーベルを真上へと投げ上げた。
動きを読まれたことに驚きながらも、体勢を崩し、セイバーでサーベルを捌く。が、二本捌いたところで手が追いつかず、三本目の刃が右肩を斬りつけた。噴き出る擬似血液に視界を遮られ、そのまま無様に地面へと落下する。――――と、直ぐ様そこから転がり起き、後から落下してきた三本のサーベルをなんとか躱す。サーベルはそのまま地面に突き刺さった。ゼロがいた筈の場所へ。咄嗟に避けていなければ、両腕、片足が切断されていた。
それからアスラ・バスラは悠々とそれらの剣を引き抜き、「自身の弱点ぐらい、熟知している」とでも言いたげに体を揺らす。嘲笑っているのだ、ゼロを。

「愉しませてくれる……」と苦々しく呟き、顔に降りかかった擬似血液を、左腕を無理矢理動かし、拭った。
三体のミュートスレプリロイド達との連戦。普通に考えれば、尋常な戦闘ではない。しかし、更にまだ一体残っているのだ。こんなところで弱音を吐いている場合ではない。
徐々に集まる敵部隊は、ゼロを囲み、アスラ・バスラの攻撃の巻き添えにならないよう、慎重に距離を測り、様子を見ているようだった。おそらく、敵の残り兵力は皆、ここに集結しただろう。
このままアスラ・バスラを倒したとしても、これだけの数の敵を相手に立ち回り、それからもう一体のミュートスレプリロイドとやり合うことを考えると、気の遠くなるような思いがした。

「仕方ない」とゼロは溜息を一つ吐く。
それから、自身が最後にとっておいた戦術に全てを託すことを決め、構えた。

「悪いな、エルピス」

不敵な笑みを浮かべながら、そう呟く。垂れ下がった左腕には、エネルギーが急速に蓄積されていた。


































  ―――― * * * ――――


大きな爆音とともに、基地施設が激しく揺れる。何事かと思いながら、ヘケロットはすっかり静まった廊下を走りぬけ、目的の大ホールへと向かった。
もしも何かしらの問題が起こったとすれば、この場所に違いない。今現在、紅いイレギュラーが暴れているはずの場所だ。きっとアスラ・バスラとの戦いの最中に動きがあったのだろう。

そして、その光景を眼にして、ヘケロットは全てを理解した。
大ホールの床は大きく窪み、部下たちの身体は粉微塵となり、消失していた。その中心部には、アスラ・バスラの残骸が見え、その下に隠れるように、紅いイレギュラーの身体が倒れているのが見えた。どうやら勝負は相打ちに終わったようだ。
床の窪みの理由を想像するのは簡単だ。紅いイレギュラーが持つ最強技――――アースクラッシュが放たれたが故に他ならない。アスラ・バスラの機動力を封じ、且つ意識の隙を突くため、地面を崩壊させたのだ。
“雷霆の黒豹”パンター・フラクロスを葬った、紅いイレギュラーの必殺戦術だ。それについては既に情報にあったため、アスラ・バスラも最期の一撃を紅いイレギュラーへと放つことができたのだろう。それ故の相打ち。紅いイレギュラーのあっけない最期だ。
ヘケロットは中心部へと歩を進め、倒れている二体を確認した。そして、文字通り腹を抱えて笑い出した。

「ゲロゲロゲロ!! やったゲロ! このワスの部隊がやったんだゲロ!!」

他の四軍団にも、あの十七部隊にも、クラフトにも、妖将にも、闘将にも――――まして、あのウロボックルにもできなかった紅いイレギュラー抹殺という一大任務をやり遂げたのだ。この自分が率いた部隊が、ネオ・アルカディアの宿敵紅いイレギュラーを遂に討ち取ったのだ。
歓びは尽きること無く、ヘケロットの心を沸かせた。

「これでワスこそが! このワスこそがファントム様の第一の部下であることが決まったゲロぉ!!」

これだけの大手柄を立てたのだ。きっとファントムも認めてくれる。――――誰よりも敬う己の主、その人が、自分を一番の部下と認めてくれるに違いない。ウロボックルでも、ハヌマシーンでも無い、このバーブル・ヘケロットこそが真の片腕であると、そう認めてくれるに違いない。
湧き上がる感動と、歓喜の想いが、膨らんだ身体を心地よく満たしていく。これまでの屈辱の日々が、忍耐の日々が報われた瞬間。ヘケロットの高笑いが留まることはない。そう――――自身の腹に三本のサーベルが突き立てられても尚、その笑い声はしばらく止まらなかった。


「ゲロゲロゲロ……ゲロ…ゲ…ロ?」


漸く気づき、そちらへと目を向ける。
昂揚した気分からの油断だけではない。敵のエネルギーを吸収し続け大きく膨らんだ腹が視界を遮ったのも災いした。

「……ゲロ……ケロ……………バカなぁ」

アスラ・バスラが手にしていたサーベルを、抱き上げた胴体ごと無理やり押し付けるようにして、ヘケロットの腹部へ突き刺した。そしてそのまま一気に押し切り、床に落ちたゼットセイバーを拾い上げると、ゼロは残る力を振り絞り、ヘケロットの胸部を一直線に貫いた。
噴水のように吹き上がる擬似体液がゼロの身体を赤黒く染め上げる。取り込んでいたエネルギーの残滓がキラキラと輝きながら宙に舞う。

「こんな……こんな終わり………無いケロぉぉ……」

萎んでいく身体。情けなく上げた断末魔とともに、元の大きさまで小さくなり、転がり落ちる。
栄光を掴んだ、その瞬間に酔いしれた。――――そう、ほんの一瞬の栄光。歓喜の時は、そのたった一瞬で消え失せた。あとに残るのは、絶望だけだった。

薄れゆく意識の中、満身創痍の身体でその場に立つ紅いイレギュラーを睨んだ。

――――これだけで……終わらせないケロぉ

最期の力を振り絞り、戦術データリンクへとアクセスする。
そして自身が掴んだ手がかりを、どうか親愛なる主へ届くようにと祈りながら、垂れ流した。
そのうち、ヘケロットは自身でも気づかぬまま、静かに事切れた。





































 NEXT STAGE











        罪 と 罰



















[34283] 24th STAGE 「罪 と 罰」
Name: 村岡凡斎◆45ff140f ID:697d6d9c
Date: 2012/12/16 00:57


  ―――― * * * ――――


「ヘケロットにより“白の団”の情報が戦術データリンクへと流出したことを確認致しました」

片膝をつきながら、事後の報告をする。

「その後いち早く烈空軍団のオペレーターが情報を取得。現在、賢将殿の指示により、烈空軍団の精鋭が集められ、“白の団”制圧作戦が企てられております」

「……承知した。クラーケン……ご苦労であった」

忠臣、テック・クラーケンへと労いの言葉をかける。だが、クラーケンは「誠に申し訳ありません」と深く頭を下げるだけだった。

「某が彼奴の動向に気を配ってさえいれば、このような事態を招くことには……」

彼らにとって、ヘケロットの独断専行は想定外のものであった。これでは計画の歯車が狂ってしまう。
クラーケンは己の失態と同僚の身勝手さを苦々しく思うばかりだった。

「あの痴れ者が……大人しくしてくれてさえいればよかったものを……」

バーブル・ヘケロットは斬影軍団のミュートスレプリロイドの中でも、特に素行の悪い男であった。能力の丈に見合わぬ自尊心、何かと他の同僚と張り合おうという競争心、そのクセ何処か抜けておりトラブルの種はいつでも奴だった。
だが、彼の主君――――隠将ファントムは「そのように言ってやるな」と、まるでヘケロットを庇うような言葉を返す。

「正しく導けなかったのは拙者の責任だ。……アレを誹るのであれば、拙者を詰れ」

「んな!? そのようなこと、某には……」

出来る筈もない。いや、そもそもファントムが一体何を誤ったというのか。
言葉少なな大将とはいえ、皆、彼の背を追いかけ、忠誠を誓っていた。彼の背は、誰に知られるでもない多くのものを背負いながらも、折れること無く真っ直ぐに伸び、愚直なまでに只管己の信念を貫こうとしていた。そこに皆、憧れ、従ってきたのだ。
正しい道を歩めなかったのは、そんなファントムを真に理解すること無く、自己満足の忠義に走ったヘケロット自身の問題だ。そう、クラーケンは解釈していた。
だが、それでもファントムは心の底から悔やんでいるようだった。ヘケロットを導けなかったこと。その挙句、死なせてしまったこと。自身の失態であると重く受け止めていた。
その背中を見つめながら、「そんな彼だからこそ皆付き従うのだ」と、クラーケンは思い直した。

「……しかしそれでも……回り始めた歯車は止められん」

そう言ってファントムはコートを翻す。

「クラーケン、今後も紅いイレギュラーの動向に気を配れ」

「は。……ファントム様は?」

そう問い返されると、ファントムは一瞬険しい表情を見せた。

「拙者は……気になる男が居るので…な」

顔に疑問符を浮かべるクラーケンをその場に残し、ファントムはその場から煙のように去って行った。























 24th STAGE










       罪 と 罰






























  ――――  1  ――――


本部襲撃より丸一日が経過した。
一頻り安全が確認された後、全ての談話室が開放され、避難していた団員たちは漸く自由に基地内を出歩けるようになった。
とは言え、戦後の基地内の荒れようは、壮絶なものであった。至る場所に残骸が転び、基地中が擬似体液に塗れ、とても良い気分で居られる状態ではない。
残った団員たちは、ゼロがヘケロットを葬ったホールに集まり、身を寄せ合い、しばらくそこを生活の拠点とした。

これからどうなってしまうのか――――そんな不安ばかりが心の奥に積もる。だが、誰もそんなことは知る由もなく。ただ時間だけが過ぎてゆく。
残骸や瓦礫の撤去作業にあたりながら、ヘルマンが「あークソ」と悪態を吐く。

「ネオ・アルカディアの連中め……好き勝手やってくれやがってよぉ!」

そう言って、既にスクラップとなったパンテオンの頭部を叩く。
ふと「そう荒れるな」とマークが声をかけてくれた気がして、横を見る。だが、そこには誰もいない。黙々と作業を続ける他の団員の姿が視界の端に見えるだけだ。
そう、マークはもういないのだ。賢明な、チームのリーダーは、呆気無い最期を迎えたのだ。「チクショウ」と小さく呟き、ヘルマンは再び自分の作業に戻った。



「大丈夫ですか?」

問いかける女性の声が聞こえて、うずくまるようにして座り込んでいたコルボーは顔を上げた。
そこには赤毛の女性レプリロイド――――ティナがいた。

「はい……まあ…大丈夫です」

力なく、そう答える。
「なら、いいんですけど」と返す。それから、ティナはコルボーの横に静かに座った。
コルボーは彼女を気にすること無く、再び顔を腕の中に埋める。気落ちしているのは明らかだ。
ティナも、どう声をかけていいか分からなかった。彼の気持ちは痛いほど良く分かった。彼女も、もう随分前に自分の本当の仲間達を失っていたから。
その心の傷は暫く癒えることはない。いや、どれだけ経っても、痼のように残っているのが分かる。そういうものだ。
だが、だからと言って放っておくこともできない。そのままでは絶望や哀しみといった感情に押しつぶされてしまう。それ故に、ただ黙って傍にいることにした。
それがどれほどの意味があるかは知れないが、何もしないよりはマシだろうと思えた。




「ライドチェイサーとライドアーマーの整備を進めろ! 次の襲撃が何時来るかも分からんぞ!」

ドワは声を張り上げ、整備班に指示を送る。
戦闘に使われ、損傷したマシンについても、整備場まで運び出し修理をする。応急処置程度でも、使えないよりはマシだと言い聞かせ、整備班員達は文句の一つも垂れること無く作業を続けていた。
“次の襲撃”――――ドワが言うとおり、ネオ・アルカディアの攻勢がこの程度で終わるとは到底思えない。斬影軍団の特殊部隊が壊滅したという報は、既に本国へ届いているだろう。いや、それだけではない。紅いイレギュラーの存在もこの場所で確認されたのだ。
地表にある、どこかの集落でもレジスタンスの拠点でもない。こんな地下深くの秘密基地に、窮地の中へと飛び込んで来たのだ。この場所が紅いイレギュラーの本拠地であると疑わない者がいるだろうか。
それ故に、可能な限り万全な状態まで戦力を整えておかねばならない。ゼロが負傷している今ならば尚更だ。これ以上の負担を彼一人にはかけられない。

「こちらの様子はどうですか」

数人の側近を引き連れ、エルピスが見回りにやってきた。基地内部の状況を自分の足で確認しているらしい。

「ん……なんとも言えん状況じゃな。どれも敵さんが綺麗に掻っ捌いてくれたおかげで、修理自体はそれほど苦労しとらんが……それでも、使えそうなもんは限られてくる」

元々この場に揃えられていたマシンの半数以上が破壊された。残りの状態も決して良くはなく。使えそうなガラクタやパーツを繋ぎあわせ、修復をしているという状況だ。

「すいません……可能な限り早急にお願いします。どうも烈空軍団に動きがあるようで……」

「……この期に及んで…か。キツイもんじゃな。――――とは言え、やるしかない。この場はワシらに任せてくれ、エルピスくん」

「お願いします」と丁寧に頭を下げ、エルピスは踵を返し、他のブロックへと向かっていった。

「司令も大変ですよね」

横で機材を抱えながらジョナスが零す。
今回の損害で一番非難を浴びているのは誰よりも、エルピスなのだ。「司令という地位にありながら、この襲撃を予測できず、白の団全体を危機に晒した」と、反発する者たちから理不尽なバッシングを受けている。
見まわった場所によっては、心良くない視線を向けられることも、直接的な言葉を投げられることもザラだ。掴みかかってきた者もいるぐらいで、その精神面の負担は計り知れない。

「彼は、それも自分の負うべき責任だと分かっておるんだよ」

ドワは目を細めてエルピスの背中を見守る。
皆、今回のことで傷を負った。大切な仲間を失い、生活を脅かされた。しかし、これで終わりでは決して無い。むしろ始まったばかりといってもいい。
誰も彼もが憤りを感じる中、それをぶつける対象が他にいない。それ故に、リーダーたる彼がその矛先を向けられているのだ。だが、それを受け止めることも、トップの責任だとエルピスは理解していた。他にやり場のない怒り、憤りを自身が受け取ることで、少しでも団員たちの心が支えられるのであれば、それでも構わない……と。

「ワシらに出来るのは、少しでも目の前の事を片付けて、彼の負担を軽減することだけだ。――――さ、手を動かすぞ」

そう言ってジョナスを急かし、自分もマシンの調整に向かった。








「一列に並んでください! 押さないで! みんな怪我してるんです!」

シーダが声を上げ、負傷者の列に呼びかける。
団員の数に比べ、治療カプセルはあまりにも少ない。それ故に、怪我の度合いによって選別する必要がある。

「ちょっと待ってくれ! 俺は片腕が吹っ飛んでるんだぞ!」

「それだけ怒鳴る元気があるなら大丈夫でしょう。後ろが支えています、下がってください」

治療カプセルの優先権が得られず抗議する団員に、ブラウンが冷静に対処する。だが、その団員はそれでも納得せず、「どけ」とブラウンを跳ね除け、治療カプセルへと向かう。
ブラウンもそれを無理に引きとめようとはしなかった。もう既に同じような団員を十数人ほど見てきた。皆同様に自分の負傷度合いの高さを主張し、ブラウン達を跳ね除け、治療カプセルへと強引に向かっていった。最初のうちはしっかり引き止めていたが、今はもう手を出さないことにしている。疲労も理由の一つだが、彼らの様子を見ていると、わざわざ引き止める必要がないとすぐに分かったからだ。
治療カプセルに手をつき、そこに眠っている他の団員に文句を浴びせようと意気込んだ。だが、中を覗き込んだ瞬間、彼は言葉を失った。
中に眠っている団員は、片腕どころではない、半身に弾痕がびっしりと並び、焼け焦げた肉は醜く爛れている。片側の眼球が皮の剥げた顔面から飛び出している。それでも彼は辛うじて生きていたのだ。
ライフルを握っていたであろう右手は、指がバキバキに折れ曲がっていた。前線で命懸けの思いで戦った証拠だ。
対して抗議に来た男は、避難中に失った片腕を押さえながら、カプセルにしがみついている。――――暫くして、彼は青ざめた表情で静かにその場を離れ、大人しく後方へと歩いていった。

「聞き分けが良くて助かるよ」

皮肉っぽくブラウンがシーダに零す。シーダは苦笑すらできなかった。
そこへ突然、慌てたようにセルヴォが駆け寄ってくる。

「ゼロを見なかったか!?」

「へ?」

先日の戦闘で、決して軽くはない怪我を負ったゼロは、次の戦闘の可能性も考え治療カプセルで眠らせていた筈だ。

「いないんですか?」

「消えた! 何処へ行ったか知らないか!?」

ブラウンもシーダも首を傾げるばかりで、ゼロの行方については何も答えられなかった。
数人の団員に声を掛け、ゼロを探すよう伝えた。この短期間で完治しているとは到底思えない。敵の襲撃が何時来るかわからないこの状況で、彼の傷を放っておく訳にはいかない。白の団の為にも、彼自身の為にも。

「こんな時に……どこへ行ったんだ…ゼロ」



























至るところでライトが破壊され、基地内のほとんどは、まるで廃墟のように暗闇と静寂に包まれていた。団員の手が回らず捨て置かれた残骸が転がり、壁面は剥がれ、コード類は飛び出し、凄惨な殺戮劇の爪痕がしっかりと刻まれている。
とあるフロアの奥――――データルームの一つ、辛うじて生き残っていたコンピューターのキーボードを叩き、そこに提示されたデータに目を遣る。

「ダーリン……身体の方は大丈夫なの?」

レルピィが心配そうに問いかけるが、ゼロは微笑むだけで答えてはくれない。もう何度目かの問いかけに、まともに返事をもらえず、レルピィは拗ねたように口を尖らせ黙り込んだ。
人目を盗んで治療カプセルから飛び出し、このデータルームまで歩いてきた。かれこれもう三十分ほど、ゼロはネオ・アルカディアの情報をまとめた白の団のデータベースにアクセスして、なにやら調べているようだった。
実際、傷の治りは悪くない。両腕ともまともに動かせるし、刺された脇腹も、既に傷みはない。とは言え、完治したわけではない。無茶な動きをすれば、傷口が開くのは必至だ。

「無茶しちゃダメだよ……」

「休んで」ともう一度だけ呼びかけるが、ゼロは「大丈夫さ」と言うばかりだ。
しかし、これから彼が成そうとしていること――――それに気づいているからこそ、レルピィも無茶をしないで欲しいと切に願い、言い続ける。
ふと、人影がデータルームの入り口に現れる。その人影は少女の声で「ゼロ?」と問いかけた。

「……小娘か?」

人影――――シエルはゆっくりとした足取りで近づき、ゼロの傍までやってくる。
咄嗟にコアユニットへとレルピィが戻ったのが分かった。

「何してるの? こんなところで……」

「お前こそ、ふらふら出歩いてていいのか?」

「それは」と言いかけて、呆れたように溜息を吐いた。勿論、ゼロを探しに来たのだ。
皆、心配して探し回っている。ここにシエルが足を運んだのは、ほとんど偶然だったが、ゼロを見つけられて正直安心していた。
不意にゼロが眺めている情報に目を遣ると、突然慌てながら「ちょっと」と声を上げる。

「これって……!」

ゼロが一人調べていたもの――――それは烈空軍団が守備している大型エネルギー施設だった。

「まさか……あなた!?」

「……その“まさか”さ」

「バレてしまっては仕方ない」とでも言うように、両手を「やれやれ」と上げる。
白の団が収集した情報によれば、ネオ・アルカディアの各兵器工場へとエネルギー供給をしているその大型施設は、フラクロスの輸送列車と同等かそれ以上の重要度を持っているとされている。そこのシステムがダウンしてしまえば兵器工場へのエネルギー供給は滞り、資源不足で悩むネオ・アルカディアにとっては致命的なダメージとなるからだ。
それ故に配置された烈空軍団の部隊は軍団切っての精鋭部隊であり、更に付け加えれば、そこを管轄している“幻惑の炎帝”ことフェニック・マグマニオン自身も、フラクロスにも匹敵するほどの相当な実力だという。
ゼロは、そこへ乗り込もうというのだ。それも単身で。

「直に、ネオ・アルカディアの増援部隊がこの場所を察知して制圧しに来るだろう。そうなったら、何もかもが“オシマイ”だ。――――そうなる前に、俺が敵さんを引き付ける」

確かに、他でもない、紅いイレギュラーによる重要拠点への襲撃ならば、思惑通りの成果を出せるだろう。それも、烈空軍団の管轄内であるならば、襲撃作戦の為に集結している部隊も、見過ごすことはできないに違いない。
だが、ゼロの状態を知っていれば、それを容易に許可することはできなかった。

「無茶だわ! ミュートスレプリロイドと連戦したばかりなのよ!?」

その疲労は、表に出すことはなくとも、確かに蓄積されているだろうし、傷が完治し切っていない。そんな状態で、それほどの重要拠点を襲撃に向かうというのは無謀としか思えない。
だが、ゼロは「おいおい」と笑って返す。

「『信じろ』って言っただろ。そう慌てるなって」

「信じてるわよ! 信じてる…けど……」

それとこれとは話が別だ。
無論、ゼロが万全の状態だったなら、手放しとは言えずとも、疑いなく彼の言葉を信じることができたかもしれない。
だが傷を負った今のゼロでは、どうなってしまうのか、不安ばかりが募って仕方がない。最悪の事態も想定できるのだ。
とは言え、他にどんな手を講じればいいのか、シエルには皆目見当がつかなかった。ここでネオ・アルカディアの増援が現れるのを待つだけでは、事態を好転させる事はできないだろう。
そう理解してもいるからこそ、返す言葉に詰まってしまう。
暫くして、ゼロが「ポン」と軽く頭を叩く。と、そのままクシャクシャと少し雑に撫でる。「わわっ」と慌ててシエルが頭を押さえると、ゼロは意地悪そうに笑ってみせた。

「心配はいらないよ。――――もう、約束を破るのはゴメンだからな」

そう言いながら、少しだけ見せた真剣な眼差しに、とうとうシエルが折れた。「絶対よ」と口を尖らせると、ゼロは、今度は優しく頭を撫でる。
コンピューターから情報を引き出し、コアユニットへと書き写すと、「善は急げ」と駆け足でデータルームを後にした。



























  ――――  2  ――――


「これは……どういうことですか?」

元老院議会より送られてきた指示にひと通り目を通した後、シメオンは眉間に皺を寄せながらクラフトに思わず問い返した。

「確認したとおりだ」

頬杖をつきながら、そう呟くように言うクラフト。シメオンは「ですが」と反論しようとしたが、彼の複雑な胸中を思えばかける言葉を見つけられず、口を噤んで堪えた。
元老院議長ヴィルヘルムの名を以って下された指令は至極シンプルであった。

“現状維持・次の指示が下るまで、全面待機”

つまりは、斬影軍団の工作により紅いイレギュラーの本拠地が判明したというのに「拠点に留まり、動くな」というものだ。
これを容易に納得できる隊員がどれほどいるだろうか。実際、先程までクラフトは全隊員に出撃準備の指示を下し、自らも紅いイレギュラー討伐作戦の戦支度を整えていたところだったのだ。
身内に出鼻を挫かれるような事態に、誰もが困惑しているのは明らかだった。
更に言えば、先日、偶然にも発見した謎の屋敷の件についても隊員達の疑念に拍車をかけている。
あの場にいた老人レプリロイドは「バイル元老院名誉議長」の名を出し、十七部隊を牽制してきた。クラフト達はその名前の前に、一旦は渋々引き上げ、状況を元老院議会に報告、指示を仰いだ。しかし、それについても詳細な説明はされず、ただ「黙認せよ」の一点張りだ。

「過去の解放議会軍との取引といい……お偉方は我々をどうしたいのでしょうか」

今日のものも含めて元老院の決定はどれも、十七部隊員達が皆等しく持っている誇りや信念といった精神的部分を、尽く踏みにじるようなものばかりだった。
だが、「仕方あるまい」とクラフトは低い声で唸るように言う。

「結局彼らにとって、俺たちレプリロイドの戦闘員達はみな等しく、感情など気にかける必要もないただの雑兵にすぎんということだろう」

どれだけ“英雄”“精鋭”などと持て囃されようと、人類のトップ連中にとっては、所詮使い捨ての駒であり、いいように操作できなければ早々にも切り捨てる用意があるのだ。
激しい抗議の一つもしてやりたいところだが、そうしたところで何も変わらない。それどころか余計に自らの立場を悪くするだけだ。
ならば――――と、クラフトは渋々でも承諾することとした。

「機会は必ず巡ってくる――――そう信じて、今は耐えよう」

シメオンはクラフトの言葉に渋い顔をしながら頷いた。
誰よりも歯痒い思いをしているのは間違いなく、クラフトだ。手を伸ばせば直ぐにでも届く距離へと急接近できたというのに、その“手を伸ばすこと”自体を禁じられたのだから。
それから二人は気分を切り替えるように、他愛のない雑談を始める。――――と、ちょうどその瞬間に、「隊長!」と壮絶な剣幕で一人の女性レプリロイドが駆け込んできた。

「何故、紅いイレギュラー討伐に向かわないのですかッ!?」

「おまッ! マイア!」

肩を怒らせながら詰め寄り、乱暴に両手を机につける。
シメオンは思わず頭を抱えた。

「隊長ッ! 納得のいく説明をッ!」

「……納得のいく説明……か」

ため息混じりにクラフトが呟く。
その様子を見て、シメオンは咄嗟にマイアの肩を乱暴につかむ。睨み返してくるマイアに構わず、無理やり手を取り、そのまま引きずるようにして廊下へ出ていった。
マイアはその腕を乱暴に振りほどき、シメオンに向かって「いったいどういうつもりだ!」と吠えた。
シメオンは感情のまま怒鳴り返す。

「お前なぁ! そっくりそのまま返すぞ! 隊長だって――――……」

言いかけて堪えた。
状況を考えようともしないマイアに怒りと憤りが沸き上がっていたが、彼女の悔し気な表情を間近で直視し、その心中を察すればそれ以上追及することはできなかった。

先日の、紅いイレギュラーの足取りを辿る作戦には、マイアの班は招集を受けなかった。
これまで何度となくチームを組み、ボレアス山脈では直接紅いイレギュラーとやり合い、クラフト同様に苦い思いをした筈の彼女は、挽回を誓いながらも戦線から外されたのだ。
結果的に、紅いイレギュラーの本拠地が割れたのは別の方面ではあったが、そもそも紅いイレギュラー絡みの作戦に招集されなかったという不遇な扱いが、マイアにはどうしても許せなかったのだろう。

「…………私だって……まだ戦えるんだ……」

途端にしおらしい声でマイアが呟く。「ああ、そうだな」とシメオンは優しい声で返した。
だが、それはきっとクラフトも同様の思いだろう。
「まだ戦える」――――使命を遂げるまでは諦め切れない。そう固く思いながらも、その意志にストップをかけられた。
それでも彼は「耐えよう」と決めたのだ。

「上からの通達さ。隊長のことも分かってくれ」

「それでも……どうして私を外したんだ……」

「お前がそんなだからさ」と肩を竦ませる。事実、彼女の直情的な性分を危険視したからこそ、クラフトは外したのだ。
そこには任務の成功にかける信念もあったが、部下としての彼女の身を案じての決断でもあったのだろうと冷静に考えれば思い当たる。実際にボレアスでは生死を彷徨うまでの事態に陥ったのだから。

「『機会は必ず巡ってくる』――――俺達の聡明なリーダーがそう信じて耐えようとしているんだ。俺たちもそれに倣うべきじゃないか」

俯き加減で黙ったまま、マイアは渋々頷いた。それから酷く落ち込んだ様子で一人、自室へと戻っていった。
その様子に、シメオンはクラフトの内心を重ねてしまう。
誰よりも――――それこそマイアよりも、強い執念を、クラフトは抱いている筈だ。それならば今の状況で、普段通りに振る舞う彼の姿勢は、心から尊敬に値するものだろう。
と、司令室の扉が再び開く。

「マイアはどうした?」

「とりあえず大丈夫です。気を落ち着けて、なんとか帰ってくれましたよ」

「そうか」と短く呟き、クラフトは身を翻す。

「俺はこれから本国に一時帰投する」

「これまた……急ですね」

「ヴィルヘルム議長から直接の命だ。――――なにやら通信では済ませられない要件らしい」

「分かりました。留守は任せて下さい」

「頼む」と短く答えて、クラフトはそのまま空間転移装置管理室の方へと向かって歩いて行った。
その背を見つめながら、シメオンは“その機会”が直ぐにでも巡ってくることを祈らずにはいられなかった。























  ―――― * * * ――――


エネルギー施設から数百メートルほど離れた岩場にエル・クラージュを停めると、ゼロはひらりと座席から降りる。そして、先端部についたコアユニットを優しく撫でると「レルピィ」と呼びかける。

「一時間で俺が戻らなければ、お前はすぐにこの場を離れろ。そのまま白の団に戻るんだ」

「ちょっ! どういうつもりよダーリン!」

慌てたように声を上げるレルピィを「落ち着け」と笑いながら宥める。

「俺があそこで派手に立ち回れば、敵の増援が来る。そうなれば、ここにいるお前も無事に済むかはわからない……だろ?」

現在、紅いイレギュラー討伐のために集められた部隊がこちらへと矛先を向ければどうなるか。それなりの距離をとってはいるが、紅いイレギュラーのマシン――――それも冥海軍団から奪取された最新型のライドチェイサーならば、どう扱われるかは目に見えている。
危害を被る前に、レルピィはこの場を離れるべきだと、ゼロは判断したのだ。

「でも……ダーリンはどうするの?」

「心配するなよ。無事に終えたら、ここから離れて連絡する。その時は直ぐに飛んできてくれよな」

そう言って、ポンと車体を優しく叩く。
それから、「また後でな」とゼロは軽い足取りでエネルギー施設へと走りだした。思わず「ダーリン」と声を張り上げる。

「絶対……絶対ムリしないでね!」

その声に、ゼロは振り返らずに片手で答えた。
正直なところ、ゼロが本調子でないことには気づいていた。それでも、「白の団のみんなを“救うため”に赴くのだ」と言われてしまえば、それ以上何も言うことはできなかった。
“妙な覚悟”をしているのではないかと気になりもしたが、最後までそれを問い詰める勇気が湧かなかった。
今はこの岩場に隠れて、無事に帰って来てくれることを、予定通りに事が運ぶことを、どうかこの胸騒ぎが取り越し苦労であることを――――只管に祈った。

































  ―――― * * * ――――


「ゼロをそのまま行かせたのか!?」

セルヴォが怒鳴るようにそう問い詰めるので、シエルは思わず目をつぶり、怯えたように肩を竦ませた。
その様子に気づき、セルヴォはバツが悪そうに口端を下げ、「ゴホン」と一つ咳払いをする。

「……ごめんなさい。私も止めようとしたのだけど……」

ゼロの様子を見て、そのまま行かせてしまった。「もう大丈夫」と手放しで思ったわけでは決してないが、それでもセルヴォがそこまで神経質になるほど酷い状態だとは思っていなかった。

「そこまで……酷いの?」

シエルが不安そうに問い返すと、セルヴォは言葉に詰まった。彼女がどれだけ深刻に受け止めているか、手に取るように分かったからだ。
「それは……」と言葉に詰まる。すると横から、「私が行かせたのですよ」と声が聞こえてきた。

「エルピス!?」

「どういうつもりだ」とそのまま詰め寄るが、エルピスはまるで気にしていないという表情で切り返す。

「言葉の通りですよ。私が唆したのです。白の団の現状、そして、烈空軍団の様子を伝えて…ね」

治療カプセルで休んでいたゼロにエルピスは接触し、現在の危機敵状況について説明をした。その上で、どのように回避すべきか相談を持ちかけたのだ。
ゼロが“誘導”を提案し、それに対しエルピスが最も有効だとなり得る作戦を提供したのだ。

「エルピス……君はゼロのことを……」

「分かっていますよ。そこまでの異常は無いのでしょう?」

エルピスの言葉に、シエルが首を傾げる。
セルヴォの先ほどの剣幕から察するに、ゼロの容態は決して良くないのだろうと思ったのだが。エルピスの口から出た言葉はまるで正反対であった。
しかし、セルヴォは困ったように眉間に皺を寄せる。

「確かにその通りだ。その通りなんだが……」

セルヴォが言葉を渋る理由は簡単だ。未だゼロの全てを解明できていない以上、自分たちの秤で“大丈夫”と決め付けることに些か不安があったのだ。それも、三体のミュートスレプリロイドと連戦したことを考えれば、尚更だ。
そういった不安を全て拭うためには、治療カプセルのみならず、各種精密検査を行う必要があった。だが、それらをパスすることも無いまま、ゼロは戦場へと出向いてしまった。

「……ゼロにもしものことがあれば……白の団は本当に壊滅するぞ」

たった一人に命運を託すというのも酷な事かもしれないが、現実的にその通りなのだ。勿論、それはエルピスも重々承知していた。だが、「だからこそです」と語気を強める。

「烈空軍団が大群で押し寄せて来たとしても、白の団は壊滅するでしょう。それを回避するためにも、ゼロさんにはここで踏ん張ってもらわなければなりません」

どちらの道が――――などというのは、現時点では考えようがない。それぞれの思う最善の策を行なっていくしか無いのだ。そして、エルピスとゼロは“そちら”を選んだ。
それ以上はセルヴォも言葉を返すことはできなかった。過ぎてしまった以上、押し問答を続けたところで無意味でもある。今はただ無事に帰ってくることを祈ることしかできないのだと素直に諦めた。
だが、傍らで静かに両手を組むシエルを見ると、やり切れない想いを抱かずにはいられなかった。












  ――――  3  ――――


エマージェンシーコールが鳴り響く施設内を、パンテオン達は大慌てで駆けまわる。

基地内でセイバーを振り回す金髪、真紅の男――――紅いイレギュラーによる、このエネルギー施設襲撃は、施設内にいる部隊のみならず、ネオ・アルカディアのあらゆる軍団にとって、想定の範囲を大きく超えていた。
先日の戦いで、紅いイレギュラーの本拠地はネオ・アルカディア側に広く知れ渡ることとなった。賢将ハルピュイアは軍団を集結させ、一斉攻撃をかける構えを取ることで、紅いイレギュラーに対し、牽制をかける形をとったつもりだった。しかし、そうした動きに対し、紅いイレギュラーは臆すことなく、それどころか、難攻不落と言われる大型エネルギー施設への襲撃を敢行したのだ。
かくして、不意を突かれた形となった防衛部隊は、容易に紅いイレギュラーの侵入を許してしまった。

「基地中のテリーボムを奴にぶつけろ! 絶対に奥へ通すな!」

基地司令であるフェニック・マグマニオンより防衛部隊の指揮を任されているハストンは、通信機へと声を荒げて指示を叫ぶ。
その言葉通り、基地内の至るところに設けられた射出口から、多数のメカニロイドが紅いイレギュラーに向けて射出される。だが一機、また一機と華麗な剣さばきにより斬り落とされ、同時に、詰め込まれた火薬の分、引き起こされた爆発が基地に被害を生む。

「テリーボムの誘爆により、こちら側にも損害が!」

「クソぉ! 役立たずが!!」

拳を握り、音が出るほど強くコンソールを叩く。
それから口を噤み、自らに「落ち着け」と言い聞かせる。この程度で狼狽えていては、それこそ敵の思う壺だ。
大丈夫だ。この場に集められたのは烈空軍団内でも優秀な者ばかりだ。冷静に対処すれば相手が紅いイレギュラーだろうと、苦戦はすれど必ずや撃退できるに違いない。

「……パンテオン・ランチャー部隊をC7区画に配置しろ。ハンマー、ホッパー部隊で紅いイレギュラーをそこまで誘い込め。犠牲は厭わん。シールキャノンの援護射撃も忘れるな」

「しかし隊長……そこまでの侵入を……!」

部下が言いかけた言葉を掠め取るように「許して構わん」と言い切る。だがその目を見る限り、決して諦めやヤケクソの類ではないようだった。

「そこまで侵入させようと、奴を倒せば全ては解決する。唯一つ、なんとしてもマグマニオン様の寝所には近づけさせるな」

「くッ……了解!」

「それに……」とハストンはなんとか笑みを浮かべて見せる。
その先の区画までいけば、防衛戦力の切り札が使える。いかな紅いイレギュラーであろうと、奴には手を焼くだろう。

「ガザミールを起動させておけ」













「邪魔をするな!」

そう声を荒げてセイバーを振り下ろす。また一機、敵を斬り伏せ、その体を蹴り倒し、それからすかさず頭を下げる。振り回された鉄球を掻い潜り、その主であるパンテオンの喉元をまたもセイバーで一息に貫いた。
背後から飛びかかってくるパンテオン・ホッパーを回し蹴りで弾き飛ばす。重なる二体のパンテオンを雷神撃で貫くと、そのまま振り回し、力任せにもう一機のパンテオン・ハンマーにぶつける。その流れのまま、左腕を地にあて“落鳳波”を放った。周囲に発された無数のエネルギー弾が敵を次々と撃ち抜き、破壊する。
自身を取り囲んでいた包囲網を、ゼロはいとも容易く突破した。

しかし駆け出した瞬間、殺気に反応してその場から素早く飛び退く。極太のレーザー光が真横を掠め、空を切る。焦げたような匂いが鼻につく。
視線をその発射元に移せば、移動式の高出力エネルギーランチャーに跨る十数機のパンテオンが見えた。再び粒子が銃口に集まり、次弾発射のためにエネルギーを溜めているのが分かる。

「させるかよっ!」

掛け声と共に、緊急加速装置を利用して一気に距離を詰める。しかし、ゼットセイバーの刃が届くよりも早く、充填を終えたランチャーからまたしてもレーザーが放たれる。
レーザー光が霧散すると、そこからゼロの姿が消えていた。仕留めたかと思わず他のパンテオンと顔を見合わす――――その刹那、パンテオンの頭頂部から一直線に光の刃が突き刺さる。ランチャーがレーザーを放った瞬間に合わせ、レーザー光を隠れ蓑に、ゼロは頭上へと回避していたのだ。
それからパンテオンの残骸を乱暴に放り捨てると、そのままランチャーのハンドルに手を掛け、横のパンテオンへと銃口を向ける。
気付いたパンテオンがゼロの乗ったランチャーへと銃口を向け咄嗟に次弾を放とうとするが、それよりも一瞬早く、ゼロのランチャーからレーザーが放たれ、横一列に並んでいたランチャー部隊は壊滅した。

「戦利品だ」とばかりに、ランチャーのブースターを吹かしてそのまま移動する。目指すはフェニック・マグマニオンが待機している施設の深部。施設の機器を制御しているコントロールルームだ。
続々と姿を現すメカニロイドをレーザーで薙ぎ払い、その勢いに任せて施設内を一気に突き進んだ。

しかし開けた区画に入ったところで、突如、背筋を走った悪寒に従い、ランチャーから素早く飛び降りる。
間一髪というところで、放棄されたランチャーが巨大な塊に押し潰されたのを、地に膝をつけながら見届けた。
「何が起こったのか」と、その塊をよく見る。するとそれは甲殻類のソレによく似せて作られた巨大な鋏であり、その主はまるで巨大なカニのような姿形をした大型メカニロイドだった。

「番犬ならぬ……番蟹ってか…?」

苦笑を浮かべるゼロをよそに、姿を現した大型メカニロイド――――ガザミールは口元にブクブクと泡を生成すると、それをゼロに向けて発射した。
セイバーを振り回し、二、三発と砕いた後に横へ飛び退く。残りの泡が壁に着弾すると、その部分が無惨に溶解された。どうやら泡の正体は強酸性の物質らしい。
ガザミールは、背部に取り付けられた高出力ブースターを一気に吹かす。その巨体に似合わぬ高速移動でゼロへの距離を詰め、再び巨大な鋏を振り回す。ゼロは地を蹴り、高く飛び上がる。そして鋏を躱すと同時に、ゼットセイバーの切っ先を直下に構えるガザミールの甲羅に向けて、勢い良く降下する。
しかし甲羅に触れた時点でセイバーのエネルギーが呆気無く霧散する。どうやら上質のビームコーティングにより、攻撃を弾くようになっているらしい。ゼロは思わず舌打ちをする。そしてそのまま、ガザミールにより振り落とされた。
受け身をとって体勢を立て直す。すかさず振り下ろされるガザミールの鋏を掻い潜り、スレスレのところで躱す。

万全の状態だったならば、アースクラッシュによる直接攻撃を浴びせれば、どれだけの防御力を誇ろうと処理することができただろう。
だが今の状態で放つことが危険だというのは、誰よりもよく理解していた。アスラ・バスラ、ヘケロットとの戦闘の傷が完全に回復していない内に、アースクラッシュを全力で放てば、体への負担は馬鹿にできないはずだ。
その状態でフェニック・マグマニオンとやり合うことを考えれば尚更、その戦術を取ることは避けねばならない。

「となれば……地道に捌いてやるのが正解ってもんだな」

そう言ってほくそ笑む。追い詰められたようで、その実、短期決戦への望みを捨てさえすれば勝機は十二分にあった。
再びブースターを吹かして突撃を敢行するガザミールに、ゼロはゼットセイバーを構える。そして、振り下ろされた左の鋏を飛び退いて躱し、そのまま鋏の上にしがみついた。

「まずはコイツからだ!」

関節部の、僅かに見える極狭の継ぎ目へとゼットセイバーを正確に突き立て、そのまま鋏から飛び降りる。ゼロの身体とともに地面へと走らされたゼットセイバーの刃がガザミールの鋏を見事に切り落とした。
ガザミールは咄嗟に距離を取る。両腕の鋏を破壊されては敵わない。そのまま強酸の泡を放ち、応戦する。ゼロもまた、その泡を弾きながら、ガザミールを追撃する。

正直なところ、ゼロはここに時間と体力を掛けたくはなかった。
フェニック・マグマニオンとの戦いにどれだけの体力が必要かはっきりしない以上、これまでに最も苦戦したフラクロス戦を想定し、それに身体をもたせるだけのペース配分をする必要があった。
だが、こうなってしまった以上は仕方ない。できる限り冷静に努め、ダメージを負わないように警戒しながら臨むのみだ。





















  ―――― * * * ――――


「ガザミール消失! 紅いイレギュラー、深部へ侵入!」

「まだだ! ゴーレム・Fを投入しろぉ!」

接触から二十数分の後、ガザミールの反応が消えた。どうやら紅いイレギュラーにより破壊されたらしい。
ハストンは焦燥感に駆られながら次の手を部下に命じる。だが、ガザミール以上の戦力は最早手元にはいない。紅いイレギュラーの体力が尽きるような幸運が起きでもしない限りは、この場での勝利はないだろう。
無論、紅いイレギュラーの方も、今までの敵に比べればそれなりの苦戦はしたに違いない。それでも、圧倒的な戦力差を覆すだけの能力を持っていたのだ。
モニターに映る紅いイレギュラーの戦闘力は、まさに鬼神の如く、止められようが無いように思えた。

「駄目だ! それ以上は絶対に行かせるなぁ!」

脆くも崩れ去るゴーレムをモニター越しに見つめ、ハストンは自分の頭を抱えながら絶叫を上げた。
次の瞬間、背筋が凍り付くような悪寒と共に、音声通信がハストンの耳に入る。


〔やれやれ、騒がしさに目覚めてみれば……何たる体たらく〕


「……マグ……マニオン…様」

ハストンが漏らしたその声に、部下たちも手を止め、恐る恐る彼の方に視線を向けた。

「これは……その…………我々も全力で…――――……‥‥」

〔言い訳はいりません。寧ろ“全力で挑めども、敵わない”などというのはどういうことか……説明を頂きたいものですな〕

脳内に響く、氷の如く冷酷な声に、ハストンは言葉を失う。
紅いイレギュラーを止めねばならなかった。なんとしても、どんな手を使おうとも。施設の長であり、深部での安眠を特に求める、彼の近くまで騒ぎを拡大させてはならなかった。――――彼の冷酷非道な処罰から、自身を護るためにも。

突然、ハストンは言葉にならぬ奇声を上げて硬直した。その眼球はグルグルと絶え間なく動き、開かれたままの口からは唾液がだらしなく溢れだす。
やがて、ガクガクと細かく震えた後、膝から力なくその場に倒れこみ、遂に動かなくなった。

〔指揮官という立場にありながら“役立たず”というのは、罪以外の何物でもありません。それ故に、この私が手ずから罰することとしました〕

今度は、唖然とした表情でハストンを見つめる部下の脳裏に、淡々とした声が響く。

〔これより、この場の指揮をお前に任せます。――――まずは、全部隊を引き上げさせ、紅いイレギュラーを私の元へ通しなさい〕

「りょ……了解です」と声を裏返させながら答えると、指揮権を委ねられた部下は直ぐ様その指示を施設内の全てのレプリロイドとメカニロイドに慌てて送信した。
それから紅いイレギュラーの反応が、深部のコントロールルームへと進む様子をじっと見つめる。そして辿り着いたことを確認すると、押し殺していた息を大きく吐き出した。
司令室内は、目の前でハストンが処分されたことへの恐怖感よりも、ようやく指示通りに務めを果たしたことに対する安堵感の方が強く漂っていた。それは、常識的に見れば異様な光景だったかもしれない。






































  ――――  4  ――――


電子ロックを解錠する手間も必要無く、目の前の扉はまるで内部へと誘うように、容易に開いた。
足を一歩踏み入れた瞬間、ゼロは思わず顔をしかめる。そこは、施設内の他の領域からは考えられない、尋常では無い灼熱に包まれた高温の部屋だった。辺りを見回せば、この灼熱の理由が直ぐに解った。
人工のものなのか、それとも天然のものなのかは分からないが、周囲を囲むようにして溶岩が敷き詰められていたのだ。いや、周囲だけではない。足元に視線を落とせば、格子状になっている床の隙間からもその様子が直ぐに見て取れた。
流石にこれだけの高温では、レプリロイドと言えど息苦しい。ゼロは肌の温感センサーの感度を弱めた。
入手したマップ上では、この部屋を抜けた先にコントロールルームがあると示されている。つまり、ここは敵の最終防衛ライン。待機している敵の見当はついている。

「全く困りますなあ……」

部屋の様子とは正反対の、冷たいナイフのような鋭い声が仄かな殺意とともに響く。

「この私が管理するエリアで、勝手な真似をされては……ね」

そう言って現れたミュートスレプリロイド――――フェニック・マグマニオンは、静かに降り立つとゼロを見つめて鼻で嘲笑った。

「お陰でオチオチ眠りもできません。この罪は重いですよ」

「成程、オネンネの時間だったわけか。悪いことをしたな。――――どうぞ気にせず、もう一度眠ってくれないか」

「勿論そうさせてもらいますよ。…………お前を処分した後でね」

そう言って睨むマグマニオン。しかしその場から一歩も動く気配を見せない。まるで「打ち込んで来い」とでも言うように。
対してゼロはゼットセイバーを構え、ジリジリと横歩きしながら、相手の様子を窺うように睨み返す。
先手をとって仕掛けても良い。実際、長期戦に身体を持たせるだけの自信はなかったし、何より部屋を取り巻く高熱がジワジワと身体を蝕むのが分かった。耐熱性能は間違いなく相手のほうが上なのだから、諸々の事情も踏まえて短期決戦に持ち込むに越したことはない。
だが、それでも相手の出方を伺うような形になるのには理由がある。この施設からほとんど外へ出たことのないマグマニオンの戦闘能力については、相当な猛者であるという噂以外、白の団のデータベースに記録されていなかった。それ故に、どうしても慎重な対応になってしまうのだ。
しばらく沈黙が続き、緊張の糸が張り詰める。ゼロは次第に、その視線によって心の奥底の方まで見透かされているような気分に苛まれ始めた。――――突然、マグマニオンは再び鼻を鳴らす。

「成程、“紅の破壊神”の異名を取るだけあって、なんと凶々しい輝きを放つ瞳か……。これは危険ですな」

口を再び開くやいなや、ゼロをそう評する。言葉は更に続く。

「いったいどれだけの生命を手に掛けてきたことか……まるで手に取るように分かります」

今度は「ククク」と声を漏らしながら小さく嘲笑う。
視線だけでなく、やけに淡々とした独特の喋り口調が、その台詞の信憑性を裏付けしているようで、悪寒が込み上げてきた。

「……フザケたことを抜かしてくれるなよ、鶏野郎」

挑発を返す。だが、その内心には既に焦りの色が滲んでいた。マグマニオンの、先ほどの言葉を信じたつもりはないが、それでも疲労のせいか、胸の奥がズクっと疼くのだ。
僅かにブレた表情に、マグマニオンは満足そうな笑みを小さく浮かべた。ゼロの本心を、まして、彼が抱えている苦悩の全てを見抜いているわけでは決して無い。しかし理由が分からずとも、効果が見える口上を戦いに利用しない手はない。

「“神”と言えば聞こえは良いですが……つまりは“殺戮兵器”、“破壊マシン”――――“英雄”などと称するには、些か汚れた心をお持ちのようだ」

「黙れッ!」

即座に地を蹴り緊急加速装置を吹かすと、ゼロは一気に距離を詰めた。
ここまで様子を伺うことに徹してきたが、これ以上は耐え切れない。精神的にも、体力的にも。
油断をしている内に討ち取ってしまえばそれで良いのだ。
ゼロの速度に対応する事ができず、マグマニオンは一歩も動けない。そのままゼットセイバーの閃光が縦一文字に振り下ろされる――――……‥‥

「危ない危ない……。間一髪……という所か」

「な……!?」

スレスレのところで、マグマニオンはゼロの刃を躱していた。しかし可怪しい。マグマニオンは確かに一歩も動いていなかったはずだ。距離を測り間違えたつもりもない。それともこちらが知覚できないほどの速度で動いたというのか。ゼロのセンサーのスペックから考えるに、それはあり得ないことだ。

「なんと野蛮な男でしょうか。これは確かに放っておけませんな」

言葉を失うゼロを憎悪の眼差しで睨みながら、鋼鉄の翼を大きく広げる。

「己の罪を悔い、清き罰を受けよ! 紅いイレギュラー!」

突然、翼が光を帯び、圧縮されたエネルギーの矢がゼロへと向けて放たれる。咄嗟にゼットセイバーを振るい防ぐが三発ほど叩き落としたところで、残りの二弾が左肩と脇腹に命中する。それほど威力は高くなく、コートを貫かれることはなかったが、その衝撃は確かに内部へダメージを与える。
思わず屈みこむが、咄嗟に頭を上げ、相手の方へ注意を向ける。再び攻撃態勢に入るマグマニオン。ゼロは傷みを堪えながらすかさず地を蹴り、その場を飛び退く。元いた場所に五本の矢が突き刺さるのを視界の端で確認した。

「野郎……好き勝手やりやがる!」

「こちらの台詞ですよ」

気づけば、元いた場所にマグマニオンの姿が見えない。声が聞こえた方へ視線を素早く移すと、そこには紅蓮の炎に包まれ、厳つい輝きを放つ火の鳥が構えていた。

「目障りだ……消えなさい!」

掛け声と共に、炎に身体を包まれたままゼロへと高速で突進する。再び寸前のところで、横へと飛び退いて躱す。鼻先を掠める炎の熱が、感度を下げた筈の温感センサーにまで灼熱を感じさせる。万が一にも直撃を食らえば、一溜まりもなかっただろう。
だが、大技の後には必ず隙が生まれると決まっている。事実、飛び退いたゼロにはマグマニオンの背中はがら空きだった。
ゼロは振り返ると共にゼットセイバーの刀身に流水を纏わせる。そして、マグマニオンへ向けて距離を詰めると、一直線に貫いた。――――しかし……

「感触が……!?」

無い。突き立てた時の鈍く重たい感覚が腕に伝わってこない。戸惑うゼロを他所に、「おお、またしても危なかった」と白々しく吐きながら、マグマニオンは再び上空に舞い上がった。
言葉では、偶然にも危機を脱せたことを喜んでいるが、その実、マグマニオンは少しも焦りを見せないどころか、優雅さを更に強く醸し出してすらいる。ゼロの攻撃など、とるに足らないとでも言うように。
その様子に、これまでの奇妙な体験の意味を勘繰る。きっと偶然などではない。マグマニオンが仕掛けた何かが影響して、ゼロの攻撃がズレたのだ。

「いったい…何をした……?」

「はて? 何の話で?」

ニヤリと嘲笑を浮かべながら、マグマニオンはゼロを見下す。その視線が、何よりその事実を物語っていた。
だが、どれだけ言葉を凝らしたところでその正体を明かすことはないだろう。今はただ、マグマニオンによって何らかのアクションを掛けられ、認識がズラされているということが分かっていれば良い。その内で何か問題があるとすれば、この症状がこの先悪化するかどうかだ。

「ごちゃごちゃ考えてる暇はない……速攻だ!」

緊急加速装置を作動させ、マグマニオンの真下へと潜り込む。そしてセイバーの刀身に雷を纏わせると、そこから一直線に上空へと斬り上げた。対空剣技――――“電刃”。
だが、マグマニオンが微かに身体をズラしただけで、その攻撃は容易く躱されてしまう。おそらくまた位置情報の認識をズラされたのだ。しかしそんなことは百も承知の上だ。
マグマニオンよりも高く飛び上がると、体勢を入れ替え、再び緊急加速装置を吹かす。滑空攻撃――――“旋墜斬”。油断しているマグマニオンの胴体、その中心へとセイバーとともに飛び込んだ。

「…………ッ!?」

そこにいた筈のマグマニオンの身体が、一瞬ぼやけたかと思うと、次の瞬間にはまるで煙のように消えていた。標的を失い戸惑うゼロは、そのまま地面へと無様に激突した。

「おお……怖い怖い」

頭上から聞こえてくる声は、僅かばかりではあるがゼロへと向けた嘲笑を確かに含んでいた。

「まるで曲芸ですね、あなたの剣技は」

「クソッ」苛立ちを抱えながら、ゼロは体勢を立て直す。するとその時、脳内を激しく揺さぶられるような激しい目眩と頭痛に襲われた。思わず体をくの字に曲げる。
それを見ていたマグマニオンは満面の笑みを浮かべ、「漸くですね」と零した。

「……何を…した?」

息を切らしながらゼロが問いかけると、静かに地上へと降り立ちながらマグマニオンは鼻で笑って返す。

「教えて差し上げよう。――――この部屋はね、断罪を求めているのですよ」

「断罪?」と、傷みと苦しみに耐えながら、疑問符を浮かべる。マグマニオンはまるで何かの物語の語り部のように、勿体ぶった口調で説明を続ける。

「罪人は、生きている限り己の罪を償わねばなりません。正しく罰を受けなければなりません。そうすることで罪は浄化され、この世に平穏がもたらされる」

普段ならば「戯言を」と吐き捨て、それ以上語れないよう斬りつけていた。だが、今のゼロはそんな事が出来る状況ではない。いつしか、閉じていた筈の傷口まで、まるで再び開いたかのように痛み始めている。
そんなゼロを尻目に、マグマニオンは言葉を続ける。

「この部屋はその“罰”を下す部屋なのです。――――では、その“罰”とは何か。無論それは“私”ではない。……そろそろお前にも見えるでしょう?」

「何がだ?」――――そう、問いかけようとして、ゼロは口を噤んだ。視界にいる筈のマグマニオンの姿が霞み始める。いや、それだけではない。施設の風景も何もかもが霞み始める。
そして、それとともに浮かび上がる幻影。思わず息を飲む。

「………バカ…な……」

目の前に現れたのはあの暗黒の世界。血染めの空。――――いや、それだけではない。人影もチラホラと見え始める。よく目を凝らしてみれば、皆それぞれ見覚えのある顔ばかりだった。

「……ガネシャリフ……アヌビステップ………フラクロス……………スタグロフ………ウロボックル……」

これまでゼロが斬り捨ててきた筈の敵が、揺らめきながらゆっくりとした足取りで近づいてくる。しかし、それだけで終わらなかった。

「……ダスティン……チャーリー………ロルフ……ミラン………マーク………トムス……」

彼らだけではない、他にも大勢の姿が見える。戦いの中、散っていった仲間達が、救えなかった者たちが群れとなり押し寄せてくる。そして――――

「……オレク………ナタリオ………………カムベアス」

平穏を願い、平和を望み、それでも叶わぬまま、争いの中に生命を落としていった者たち。無数の死者の群れが、ゼロを取り囲んだ。

「違う! これは――――ッ!」

ただの幻覚だ。フェニック・マグマニオンがなんらかの方法で作り出した幻影に決まっている。
罪? 罰? そんなものが、彼らとどう関係しているというのか。戦いの中、彼らの死は避けられなかった。それは決してゼロ一人の責任でも、罪でもない。


「――――“そう”思いたいのでしょう?」


まるで心の中を読んだかのように、冷笑とともにあの鋭い声が問いかける。いや、「問いかけ」ているのではない。確信しているのだ。ゼロの心の中を。「思いたい“だけ”」だと、そう本人に気づかせようとしているのだ。
「違う!」と否定の叫びを上げる。それとともに、ゼロは半狂乱のまま、ゼットセイバーを振り回した。その幻覚を切り捨てねば、これ以上見せつけられれば本当に気が狂ってしまう。
だが、数度セイバーを振り回したところでその手が止まる。気づいてしまった。腕に伝わる感触に、吹き上がる血飛沫に。その温もりに。死者の群れを斬り捨てた。その筈だ。だが、目の前の彼らは再び苦しんでいる。その痛みに。その傷に。

「……嘘…だ………」

セイバーを握る手が震え始める。激しい悪寒が胸の奥から込み上げ、ゼロを襲う。だが、どれだけ振り払おうと、彼らの姿は視界から消えてはくれない。救えなかった亡者の群れは、尚もゼロを取り囲み、ゆっくりと距離を縮めてくるだけだ。

「それがお前の“罪”であり、受けるべき“罰”なのです」

取り零してきた生命。斬り捨ててきた生命。己の手の届く範囲にいながら、遂に救えなかった者たち。
その幻影がゼロにとっての“罪”であり“罰”なのだと、マグマニオンは淡々と言い放つ。

「その記憶に揉まれ、罪を償いなさい。……そして浄化されるのです。その穢れた魂と共に…ね」

「違う……俺は………俺は……」

何を否定しているのか。それすらも分からなくなっていた。己の犯した罪を、その全てを突きつけられ、ゼロはただただ言葉を失い、顔を青ざめさせる。
そして、次に彼の前に現れたのは――――“彼女”。

「ぅ……あ…………」

アヌビステップとの戦闘中に見た幻影と同じだ。あの時と何ら変わりなく、いや、幾度と無く夢に現れた時とも変わりなく、“彼女”はゆっくりとした足取りで彼へと近づいてくる。
幻覚だ。夢だ。妄想の類だ。そう、思い込もうとしても、できない。
慣れたつもりだった。耐えられると思った。だが、これまで取り零してきた者達の眼差しと相まって、その苦しみと絶望の声に包まれて、ゼロの心は暗いドロドロとした渦のように醜い唸りを上げる。

「………嘘だ」

――――嘘じゃないわ

彼の声に答えるように、“彼女”の声が脳裏に響く。

――――安らげる世界なんてあなたは、今望んではいけないの

「やめてくれッ!」

恨み言のように響く、彼女の声に耳をふさぐ。

――――あなたはまだその世界にいなくてはならないの

    取り戻すことなんて出来ないわ

それは“答え”だった。

――――どれだけ懺悔を繰り返そうとも

    どれだけ赦しを請おうとも

    あなたには何一つ取り戻すことなんか出来やしない

    零したものはもう二度と拾い集めることはできない

    殺めた命は

    救えなかった命は

    二度と取り返すことなんてできやしない



「 や め て く れ ぇ ッ ! 」


怒鳴り声とともに、ゼットセイバーを握りしめ、一気に駆け出した。そして“彼女”へと近づき、その腕を振り上げる。
だが、振り下ろしかけたところで、手が止まる。白い首筋に刃が触れたところで、それ以上は先へ振り下ろせない。当たり前だ。相手は誰よりも愛し、失うことを恐れた“彼女”なのだから。
何度となく耳に刻んだフレーズ。それは何度でも同様に、胸を抉るように突き刺さる。拒絶も、否定も、一切受け付けられる気配はない。
腹の底からドス黒い塊が喉元へとせり上がってくるのを感じる。それは恐怖であり、後悔であり、苦悩であり――――ゼロがこれまで抱いてきた負の感情、その集約だった。
悶え苦しむ彼に向け、“彼女”が言葉を紡ぎ出す。

――――ねえ……

彼女は手を伸ばす。

――――……私…待ってるから……

頬に触れる白い手。優しい手。

「…あぁ…」

――――…ずっと…ずっと…待ってるから…

「あぁ…ぁあぁ……」

分かっている。その手を。その肌を。その心を。
紅く。血のように染め上げてしまったのは、他の誰でもない――――…俺だ。

頭が割れるような痛みと共に一際大きなノイズが走る。

「あ あ ぁ ぁ あ ぁ あ ぁ ……」

待ってるから 


待ってるから 待ってるから 




待ってるから 待ってるから 待ってるから 待ってるから 待ってるから 待ってるから 待ってるから 待ってるから 待ってるから 待ってるから 待ってるから 待ってるから 待ってるから 待ってるから 待ってるから 待ってるから 待ってるから 待ってるから 待ってるから 待ってるから 待ってるから 待ってるから 待ってるから 待ってるから 待ってるから 待ってるから 待ってるから 待ってるから 待ってるから 待ってるから 待ってるから 待ってるから 待ってるから 待ってるから 待ってるから 待ってるから 待ってるから 待ってるから 待ってるから 待ってるから 待ってるから 待ってるから 待ってるから 待ってるから 待ってるから 待ってるから 待ってるから 待ってるから 待ってるから 待ってるから 待ってるから 待ってるから 待ってるから 待ってるから 待ってるから 待ってるから ――――…‥

「あ あ ぁ ぁ あ ぁ あ ぁ …あ あ ぁ ぁ あ ぁ あ ぁ …」






       あなたが







       死ぬまで

















「あぁあぁああぁぁあぁぁぁあああぁあぁああぁぁあぁぁぁあああぁあぁああぁぁあぁぁぁあああぁあぁああぁぁあぁぁぁあああぁあぁああぁぁあぁぁぁあああぁあぁああぁぁあぁぁぁあああぁあぁああぁぁあぁぁぁあああぁあぁああぁぁあぁぁぁあああぁあぁああぁぁあぁぁぁあああぁああぁあぁあぁああぁぁあぁぁぁあああぁあぁああぁぁあぁぁぁあああぁあぁああぁぁあぁぁぁあああぁあぁああぁぁあぁぁぁあああぁあぁああぁぁあぁぁぁあああぁあぁああぁぁあぁぁぁあああぁあぁああぁぁあぁぁぁあああぁあぁああぁぁあぁぁぁあああぁあぁああぁぁあぁぁぁあああぁああぁ!!!!」





















  ―――― * * * ――――


悶えるゼロを足元に見据えながら、マグマニオンは不敵な笑みを浮かべる。
伝説の英雄といえど、この程度。いや、この領域の中に足を踏み入れた時点で、勝負は決していた。

フェニック・マグマニオンに搭載されているのは、この室内に浮かぶ無数のナノマシンを介して、敵のセンサーに干渉する特殊電磁波の発生装置だった。
視覚、触覚、聴覚、痛覚、嗅覚――――あらゆる感覚に干渉し、果ては記憶野にまで影響を及ぼし、本物に近い幻覚を見せつけることで、精神的に追い詰めるという悪辣極まりないものである。
無論、敵が見ている幻覚についてはマグマニオン自身には決して見えていない。だが、あらゆる実験、試験を重ねた後に、偶発的に観測できたその傾向を彼は熟知していた。
対象が見る幻覚は、記憶の“負”の部類と酷似する場合が多い。――――言わば、己の過去の“罪”を突きつけられることで、罪悪感が刺激され、精神的なダメージを受けるのだ。
ゼロほどの猛者がマグマニオンを捉えれなかった理由もその影響が関係する。電磁波の干渉、その初期段階に起こる視覚の狂いと、部屋に充満する灼熱の大気が起こす陽炎との二段構えが原因だった。

施設の外で戦おうものならば、ゼロの勝機は十二分にあった。無論、ミュートスレプリロイドとしての戦闘能力は他に引けを取らないが、フラクロスや闘将ファーブニルに比べれば、その戦闘センスは遥かに劣るといってよかった。
施設内、それもこの部屋から外に出て、開放的な空間へと足を運んだのなら、途端にナノマシンの性能はガタ落ちする。この密閉空間だからこそ、その真価を発揮できるのだ。

――――しかし、どのような評価を受けようと、勝ちさえすればそれで良いのです

一際大きな絶叫を上げるゼロに向け、嘲笑を浮かべながら、全身に薄く炎を纏う。その身体は放出されるエネルギーの影響で金色に輝き始める。
フェニック・マグマニオンが誇る必殺の技――――ライジングフレイム。そのモーションの大きさから、相当なリスクを背負う技であるが、今のゼロが相手ならば問題はない。容易くその身体を消し炭に変えることが出来るだろう。

「さあ、古き時代の破壊者よ……罪深く穢れた、邪悪なお前の心を…………この私の炎で 浄 化 し て や ろ う !」

掛け声と共に、ゼロに向かい真っ直ぐ突進をかける。
その速度には容赦など微塵もない。思わず口から漏れ出す高笑いとともに、獄炎の不死鳥は光の如く一直線に、勝利と栄光へ向けて空を駆け抜けた。






































          ……待ってるから














          あなたが








          死ぬまで































         ・・・‥‥‥…………………………












        [SYSTEM ………… STAND BY…………]











        [……ERROR]









        [……RNING]





        [WARNING]





        [WARNING]





        [WARNIN……









         …………………………‥‥‥・・・







































  ――――  5  ――――


理解が追いつかなかった。いや、どれだけ冷静を装うとも、事態を整理しようとも、一向に理解出来はしなかった。
確かに捉えたはずだ。軽快なステップを踏む快調な敵であるならばともかく、苦しみ悶え、身動きの取れない身体に向かっていったのだ。自分の感覚にトラブルが起きていない限り、このようなことはありえないことだ。
では自分が狂ったのか。目の前で悶えていた男と同様、特殊電磁波に当てられて。――――否、それこそあり得ない。自身の技に当てられて己を見失うなどというのは素人のやることだ。ミュートスレプリロイドとして生まれた自身に、そのようなバグが起こるはずもない。
では、何故だ。あらゆる状況を、可能性を考えようとも理解できない。何故だ。何故――――……‥‥

「何故……そこにいる……?」

恐る恐る振り向くマグマニオンの視界の端に、真紅のコートが揺れている。
可怪しい。先程までの状況と、自身の攻撃速度を合わせて考えれば、直撃を免れるはずもない。今頃、奴は消し炭になっていたはずだ。
だというのに、奴は平然と生きている。しかも背後に。――――それも、冷笑を浮かべながら。


    ………ククッ


瞬間、マグマニオンを襲ったのは言いようのない恐怖であった。
圧倒的強者を目の前にした時に感じるそれを、マグマニオンは全身で感じ取り、身を震わせた。先程まで高笑いをあげるまでに感じていた余裕など、欠片も残っていなかった。
“危険”――――先程、自身で挑発の為に吐いた言葉を思い出した。
先程までの彼の姿など、その内に入らなかった。そう、今は感じている。今、目の前にいる“彼”こそが、真に“危険”と評するにふさわしい相手だ。

「なにが……何が可怪しい!? 紅いイレギュラァーッ!」

困惑と恐怖を振り払うように吠えると、マグマニオンは再びエネルギーを両翼に集め、光の矢を紅いイレギュラーへと向けて放つ。
しかし、少しも焦ること無く、動揺もなく、紅いイレギュラーは瞬時に全て、手にした剣で叩き落とした。その場から一歩も動くこと無く。
そして僅かに向けてくる視線――――マグマニオンの心はそれによって、瞬時に凍てついた。
彼の眼差しは先程までの“正気なレプリロイド”のそれでは決してなかった。殺意とも、闘志とも違う。だが確かに嘲笑を含んでいる。――――そう、“生命”に対する嘲笑を。

反応ができなかった。
何が起こったのか、再び分からなかった。
気づけば自身の片翼が後方へと弾け飛んでいた。
気づけば目の前には紅いイレギュラーの顔があった。嘲笑を浮かべる冷酷な顔が。

「う……ぁぁぁあああぁぁあ!」

思わず叫び声を上げ、残った右翼を振り回す。だが、紅いイレギュラーはその翼を蹴り飛ばし、その反動を利用して空中で一回転し華麗に着地する。
するとそのまま瞬時にエネルギーを蓄積させた左腕を地に突き立てる。そこから放たれた光弾がマグマニオンを撃ち落とす。
地に墜ちたマグマニオンを紅いイレギュラーは休ませない。一気に距離を詰め、セイバーの切っ先を顔面に振り下ろす。間一髪のところで躱し、マグマニオンは咄嗟に全身から炎を吹き出した。

「目障りだ! 消えろォッ!」

マグマニオンの身体から吹き出した炎が紅いイレギュラーを包み込む。これだけの炎に包まれたのだ。一溜りもあるまい。
辛うじて手にした勝利と安堵の瞬間に、マグマニオンは思わず「ハハッ」と笑い声を零す。――――が、それも束の間の栄光に過ぎなかった。

「な……ぜ……?」

不審な気配に体を起こし、その方向へ目を向けると、悠然と立つ紅いイレギュラーの姿があった。

「バカな! 燃えたはず……ッ!?」

自分の目を疑う。確かに紅いイレギュラーの姿をした何者かがいた。しかし、そこには誰もいない。一片の消し炭すら。僅かなエネルギーの残滓だけがキラキラと舞っているだけだった。
困惑に包まれるマグマニオンを他所に、紅いイレギュラーは再びセイバーを振るう。すると二つの光の輪が、高速でマグマニオンに向けて放たれた。
マグマニオンは死にものぐるいで上空へと回避する。だが、片翼を失った今、困惑する頭ではまともなバランスが取れない。再び地に落ちる。――――その頭部を、紅いイレギュラーは容赦なく蹴り上げた。
鈍痛とともに跳ね上がった身体に、紅いイレギュラーは非情にも追撃をかける。足を振り下ろし踵で地面に叩きつける。体中を走る激痛に思わず短い悲鳴が漏れる。
かと思えば、そのマグマニオンの頭部は鷲掴みにされ、そのまま強引に身体と共に持ち上げられる。そして、力任せに壁へ叩きつけられた。炎を吹き出し己を護るだけの余裕も与えてはもらえない。
先程までと打って変わった凶悪な戦法に、マグマニオンは為す術なく、膝から崩れる。そこから何故か距離をとった紅いイレギュラーを、弱々しい視線で見つめる。

「……な……なんなんだ……お前…は」

そこにいたのはまるで別人だった。戦いの意義も、使命感の欠片も感じさせない、ただ生命を弄ぶ冷酷なイレギュラー。
気づけば男の身体は少しずつ黒ずみ始めていた。腕と脚を包むアーマーも、体に纏ったコートも、紅黒くじわじわと変色し始めている。いや、それだけではない。トレードマークの金髪も、少しずつ色が抜け、代わりに鈍い銀色の輝きを放ち始めていた。
そして口端に浮かべる歪んだ嘲笑。その様は、まるで――――……‥‥

「……あ…悪魔……ッ」

“悪魔”は手にした剣を天に向けて振り上げた。その柄を握る両腕からは凶々しい輝きが溢れ始める。
そして容赦も、躊躇いも、情けの欠片も無く、一際口端を大きく釣り上げると、そのまま刃を一直線に振り下ろした。
刹那――――発生したエネルギー波はマグマニオンの想定を遥かに超えていた。ゴーレムですら一撃で両断しようかという程巨大な刃と化したそれが、光速で地を駆ける。大地は裂け、抉られた地面からは礫が弾ける。
その凶刃は、咄嗟に身体を避けたマグマニオンの右翼を背後の壁とともに消し飛ばした。夢も、幻も……何もかもを零に帰す破壊の刃。――――きっとその光は基地の外まで溢れ出たことだろう。
壁の崩壊とともに立ち昇る煙。その中を揺らめく影が、真っ直ぐに近づいてくるのが分かる。けれど足腰に力が入らない。マグマニオンは恐怖のあまり言葉を失い、我を忘れた。







漆黒の身体へと変色した紅いイレギュラー――――ゼロは、マグマニオンの頭を左手で鷲掴み、翳すように持ち上げる。
そして、声を裏返らせながら、狂気じみた高笑いを浮かべた。
その声には破壊への嘆きも、救いへの憧れも、理想の欠片も無かった。ただ愉悦のみが彼の思考を支配していた。


「ファーーーーーーッハッハッハッハハッッハッハハアハッハアッハハハッハハハハハアアッハハハハハッハハハハハハハハ――――……‥‥!!」


狂ったように笑い声を上げ、左腕のジェネレーターを再び稼働させ、エネルギーを蓄積させる。
それを放てばどうなるか、簡単に予想がついた。その光景を想像するだけで興奮に胸が踊った。
ああ、自分はこれまで何を悩んでいたのだろうか。

「簡単ナコトダ! 悔ヤム必要モ、嘆ク必要モナニモナイ! ソンナモノダ!」

脳内に響く声にただ只管従えばいい。

    破壊シロ破壊シロ破壊シロ破壊シロ破壊シロ破壊シロ破壊シロ破壊シロ破壊シロ――――……‥‥

それは呪いの言葉でも、闇への誘いでもない。真に自由となるためのキーワードだった。
拒絶の必要も、否定の必要もない。その声に身を任せてしまえばそれで良かった。
斬り殺してきた敵? 救えなかった仲間達? ――――それがどうした。悔やむ必要も嘆く必要もない。

    破壊シロ破壊シロ破壊シロ破壊シロ破壊シロ破壊シロ破壊シロ――――……‥‥

なぜなら、自分は破壊のために生まれたのだから。破壊のために生まれ、それを行使するだけなのだから。
ようやくその愉悦に身を委ねることが出来る。この体を包む破壊の快感を、何の抵抗なく受け入れることが出来る。
これが本当の自分なのだと、全てを受け止めることが出来る。

    破壊シロ破壊シロ破壊シロ破壊シロ破壊シロ――――……‥‥

そうだ、全てを諦めればよかったのだ。
この身の宿命も、救えなかった生命も、殺めた“彼女”の記憶も。
それに抗い、理想を叫ぼうとするから苦しんだのだ。その全てを諦めて、棄ててしまえばよかったのだ。

    破壊シロ破壊シロ破壊シロ――――……‥‥

おかげでこんなにも大きな快感を感じることができた。
こんなにも心が満たされることができた。
求めるものはここにあったのだ。常に、己の心の中に。

    破壊シロ破壊シロ――――……‥‥

だからもう、全てを委ねよう。
この衝動に。この快楽に。愉悦に。
何もかもを壊し尽くして、破壊で心を満たそう。
そんな本来の自分に還ろう。

    破壊シロ――――……‥‥

心の声に従い、破壊者となろう。

    さあ、 破壊シロ








           破 壊 シ ロ !





























〔 そ ん な こ と で き る わ け が な い だ ろ う ! 〕





脳内に響く叫びとともに、左腕が振り解かれる。マグマニオンの身体は力なく地面に崩れ落ちるが、ゼロの意識はそれどころではない。
自身の意思と反した行動に、思わず首を傾げる。………意思と反した?

〔違う!〕

再びマグマニオンの頭を鷲掴もうとした左腕が硬直する。まるで何者かに引き止められたかのように。
それだけではない。身体がそこから動かない。まるで誰かに羽交い絞めにされたかのように。固く、身動きが取れなくなってしまった。

〔違う! それは……間違ってるだろう!〕

「何ガ間違ッテルトイウノカッ!?」

脳内に響く声へ向けて怒鳴るように問い返す。
そうだ、なにが間違ってる? 自身の心の声に耳を傾けることが。本当の願望を受け入れることが。宿命を受け入れることが。
何が間違っているというのか!?

〔それは……逃げているだけだ……〕

「逃ゲテル? 違ウ! 逃ゲテルノハ、オ前ノ方ダ!」

守りたい? 救いたい? 嘆き悲しみ、死を悼みたい?

違ウ! 違ウ! 違ウ! 違ウ! 違ウ! 違ウ! 違ウ!!

そんな風に綺麗事を並べ立てて逃げようとしているだけだ。己の宿命から。己の真実から。
何が“過去を背負って生きたい”だ。自身の犯した罪から、記憶と感情を美化することで逃れようとしていただけだ。
自分が綺麗な存在だと思い込みたかっただけだ。自分が殺戮機械であることを認めたくなかっただけだ。

自分モ、誰カヲ救エル力ヲ持ッテイルト思イ込ミタカッタダケダ! 




“あいつ”ノヨウニ!







〔そうだ……俺はただ己を認めたくなかっただけだ……〕

憧れただけだ。誰かのために“涙”を流せる“あいつ”に。“あいつ”のように誰かを救いたかっただけだ。

ソシテ、何度現実ニ打チノメサレタ?

どれだけ零したくないと願っても。どれだけ腕を伸ばそうとも。この手はあまりにも小さすぎる。この背中は、あまりにも小さすぎる。
救えないものばかりだ。壊れてゆくものばかりだ。傷つけて、喪って、壊して、救えたかと思えばまた喪って――――……‥‥

百年前ト変ワラズ、堂々巡リヲ続ケテイルダケダ

〔……そうだ。何も変わっていない。何も変わらない。俺は………〕

世界に打ちのめされても。現実に叩き落されても。どれだけ胸を掻き毟られようと。ずっと変わらずに。
目覚めてから。記憶を失う前から。百年前から。眠りにつく前から。ずっと変わらずに――――……‥‥


「――――俺は……何も変わらず、“未来”を求めてる」


〔…………ッ!?〕


逃げているのかもしれない。自分の存在を拒絶しているだけかもしれない。
けれど。なればこそ“受け入れる”という選択肢は逃げの道だ。宿命とか、本能とか、真実とか――――そんな言葉を言い訳にしてそこへ身を落とせば、全てが楽になると分かっている。
しかし、それではきっと掴めない。“未来”は。あの日目指した“懐かしい未来”は。

「だから……俺…は………」

認めない。これから先、どれだけの困難が目の前に障害として在ろうとも。
この衝動に身を預け、楽になることなど、決してしたくはない。

たくさんのものを失ってきた。たくさんのものを傷つけてきた。殺めてきた。取り零してきた。しかし、だからこそ、この道を歩まねばならないのだ。

これ以上、大切なものを失いたくないから。


零せば取り戻せないものばかりだと、思い知っているからこそ。



「俺……は………‥‥」



いつしか周りを取り囲む亡者の群れは消えていた。
愛しい“彼女”の姿すらも。



紅黒く変色し始めていた色が、今度はじわじわと抜け落ちてゆく。
白銀に輝き始めていた髪も、その輝きを失い、見窄らしい白髪へと変わってゆく。

その様子に気付いたマグマニオンはなんとか身体を立ち上がらせる。
薄汚れた白へと色を変えたゼロは、その色同様に、力なくふらついている。
何が起きたのかは分からない。だが、これこそ千載一遇のチャンスに違いない。

「…………失せろ……紅いイレギュラァァァアアァァァァアァァッ!!!」

そう雄叫びを上げ、全身に炎を纏う、そして、最後の力を振り絞り、地を蹴った。









その瞬間――――背後の壁が弾けるとともに、無数のエネルギー弾がマグマニオンの背中を射抜いた。



「……ば…カ……な……ァ」

崩れた壁から飛び出してきた一台のライドチェイサーが、小さく断末魔を上げるマグマニオンの身体をそのまま弾き飛ばす。
冥海軍団より奪われた新型ライドチェイサー、アディオンⅨ“エル・クラージュ”――――レルピィが駆けつけたのだ。そしてゼロの元に近寄り、倒れこむ身体を受け止めるように急停車する。

「 ダ ー リ ン ッ ! 」

レルピィの悲痛な叫び声が響く。だが、返事は聞こえてこない。まだ息があることを確認して、ホッと胸を撫で下ろす。
すっかり様変わりした姿に戸惑いながらも、状況を冷静に判断する。車体を僅かに揺らし、ゼロの身体を安定させると、反対側の壁にエネルギー弾を放ち、風穴を開ける。
そしてアクセルを全開まで吹かし、その場から一目散に離脱した。
白の団の拠点へと戻るまでの間、走りながら声をかけ続けたが、返事は遂に一言も聞こえて来なかった。
























  ―――― * * * ――――


「戦力、全て揃いましてございます、賢将様」

部下の報告に「ああ」と短く答え、くるりと振り返る。
無論、回線を通じての通信も行なってはいるが、こうした振る舞いが指揮の向上に関わるのだ。
そう理解しているからこそ、彼は揃えられた精鋭部隊の戦力全員に、声を張り上げて伝える。

「これより紅いイレギュラー討伐作戦を開始する。目標はレジスタンス組織が根城としている旧レプリフォース基地だ。総員、決して気を緩めるな。 我 ら 烈 空 軍 団 の 力 、 思 い 知 ら せ て や れ !」

その声に答えるように、レプリロイドの兵士たちは力強い敬礼で答える。
それから、彼の挙手に従い、兵士たちが乗り込んだ輸送機が空へと舞い上がり始める。それに続き、ゴーレムや空戦用メカニロイドもまた、地上を離れてゆく。
彼もまた大型空中戦艦に乗り込み、共に空へと飛び立った。

――――これで決着だ、紅いイレギュラー

己の正義を貫くために、この使命はなんとしても遂げなければならない。
そう。この手で終止符を打つのだ。この果てない闘争の終止符を。――――この戦いこそ、その鍵を握るだろうと確信していた。



白の団の監視用メカニロイドが、賢将ハルピュイア率いる烈空軍団の精鋭部隊を補足したのは、それから三十分後のことだった。





































 NEXT STAGE











        Raging River



















[34283] 25th STAGE 「Raging River」
Name: 村岡凡斎◆45ff140f ID:697d6d9c
Date: 2013/11/19 00:54














    耳鳴りが止まない



    まるで 荒れ狂う激流のように

























  ―――― * * * ――――


烈空軍団が所持する大型空中戦艦――――ヘルログマー。それを中心として、十数機のテントロイド爆撃機と無数の飛行メカニロイドが紺碧の空を黒く塗りつぶしていた。

「マグマニオンのエネルギー施設に紅いイレギュラーが襲撃をかけてきたというのは本当か?」

ヘルログマーの艦内通路を艦橋に向かって歩きながら、率直に問いかけるハルピュイアに対し傍らを歩く女性型レプリロイドの秘書官――――リディアは「はい」と深刻な声で答える。

「我々が飛び立つ丁度二十分程前のことです。エネルギー施設現臨時指揮官からの報告によりますと、紅いイレギュラーはフェニック・マグマニオンを撃破、そのまま逃亡。幸いにも施設の機能自体には問題がないようですが……」

「取り急ぎ塵炎軍団に救援要請を出してくれ。エネルギー施設の守備が手薄になったと知れれば、黒狼軍辺りにやられかねん」

「かしこまりました」

紅いイレギュラーの追撃に関して、塵炎軍団と烈空軍団はその立場を逆転させるような形をとっている。
元々施設防衛用の軍団として編成された烈空軍団であったが、闘将ファーブニルの敗退と一時拘束を受けて、紅いイレギュラー関連の作戦に関しては烈空軍団が主導を握り、率先して前線に赴く。その代わり、守備部隊の穴は塵炎軍団がサポートするというような具合だ。
無論、ファーブニルはその取決めに対し不満気な顔をしたが、ハルピュイアに対する恩義は口に出さずとも感じており、渋々受け入れる形となったのだ。

「しかし……解せんな」

不意にハルピュイアが漏らした言葉に、リディアは「なにがでしょうか?」と首を傾げる。

「十七部隊の動きだ。紅いイレギュラー討伐にかける奴らの信念は、並大抵のものではないはずだ。それこそ、俺の“それ”をも超えると認めざるをえないほどに。だが……」

その十七部隊の動きが、先日から可怪しい。
紅いイレギュラーの本拠地が割れた今、戦力を整えた烈空軍団に共同戦線を持ちかけても、或いはそれを出し抜こうとする動きもあっていい筈だ。
それなのに、少しでも部隊を動かすどころか、沈黙を保ったまままるで動き出そうとしないのだ。

「手柄を独り占めできるチャンス――――なんて考えられませんか?」

あまりにも単純なリディアの発言に「呑気なことを」と思わず苦笑した。
十七部隊の動き――――それは即ち元老院議会、とりわけ最高議長ヴィルヘルムの思惑の反映である。
元老院議長であるあの男が紅いイレギュラー討伐に対し、二の足を踏むというこの事態は、単純に見逃していいようなものには到底思えなかった。

「だが、まあ――――……」

あらかた冷静に考えを巡らせた後、ハルピュイアは納得したように言う。

「いろいろ悩んだところで答えは出んだろう。それならば、お前の言うとおりに考えてみるのも手かもしれないな」

「でしょう?」とリディアは微笑みながら得意げに答えた。
それから数十分の後、烈空軍団は目的の地――――紅いイレギュラーの本拠地である、白の団が保有する旧レプリフォース地下基地のあるポイントに辿り着く。
開戦の火蓋は今まさに切って落とされようとしていた。

























 25th STAGE













        Raging River






























  ――――  1  ――――





「 ゼ ロ ! 」


帰還したエル・クラージュ。その座席に倒れたまま動かないゼロ。シエルは名を叫び、一目散に駆け寄るが、返事は聞こえてこない。
誰もが言葉を失った。その“英雄”の姿に。
鮮烈なまでに印象的だった真紅のコートも、眩しいばかりに輝いていた金色の長髪も、全てが見窄らしく色を失い、まるで生気を感じられなかった。
外傷はそれほど酷くはない。それどころか無傷とさえ言っても良かった。だというのに一言も喋らないどころか、固く閉じられた瞼も一向に開く様子がなく、ましてピクリとも動き出す気配がない。
その様子が、どれだけ絶望的なものであるか、眼にした誰もが直感した。

「どいてくれ、みんな!」

群がる人垣を掻き分け、セルヴォがゼロの下へと走り寄る。尚も寄り添うシエル同様、二、三度名を呼ぶが、やはり反応は無い。
セルヴォは一旦息を吐き、己を落ち着かせると冷静に考え始める。

――――まず……これはどういうことだ……

何より気になるのは、ゼロのカラーリングが完全に抜け落ちていることだ。
コートとアーマー、材質が違う二つの装備が同じように色を失っているあたり、単なる塗料の抜け落ちなどではないことは確かだ。
更に言えば、人口繊維で作り上げられた金髪までもが完全に脱色しきっている。
何か特殊な事態が彼の体内で起きているのかもしれない。

「ブラウン、治療ベッドに空きはあるか!?」

声を張り上げて人垣の向こう側に問いかけるが、「ダメです」とすぐに返される。

「どれも一杯です! とてもじゃありませんが、収容できるものはありませんよ!」

「仕方ない……レルピィ、このまま格納庫の方まで運んでくれ。応急処置用のメンテナンスベッドを整備班に出してもらおう」

「セルヴォ! ゼロは……大丈夫なの!?」

シエルが潤んだ瞳で問い質す。セルヴォは両肩を優しく掴むと、「落ち着くんだ」と冷静に言い聞かせる。

「この状況では、さすがの私でも何とも言えん。――――だが見ての通り、外傷は全くと言っていい程無い。気を失っているか、なんらかのシステム的なエラーが生じているか……恐らくはそんなところだろう」

脱色の件については、意図的に触れなかった。シエルの不安をこれ以上は煽れない。
とにかくこれから詳細な調査をしなければならない。でなければ、いったいどのような手を打てばいいのか分かるわけもない。
しかしゼロのデータについては、これまでの分析で解明できた部分もあるが、依然として不明な点も多く残っている。万が一、そうした部分が関わっていた場合、セルヴォにはそれこそ打つ手が無い。

――――そして……おそらくこれは……

直感的に“そうした部分”が関わっているのではないかと考えている自分を、ゼルヴォは心の隅に追いやる。そうでもしなければ、絶望に飲まれてしまうだろうと気づいていた。
レルピィは言われるまま、無言でライドチェイサーを動かす。セルヴォの誘導に従い人垣が割れ、道ができる。誰もが青ざめた表情を浮かべていた。

そこに、更に苦しいニュースが飛び込んでくる。
けたたましいサイレンの音と、紅の回転灯が基地内を激しく照らし始める。それとともに、必死に冷静を装うとしているオペレーターの悲痛な声が響く。


「敵部隊急速接近! 敵は賢将ハルピュイア率いる烈空軍団と断定! 至急応戦準備を! 繰り返す! 敵部隊急速接近! 敵は――――……‥‥」


セルヴォも、シエルも、団員全員が息を呑み、その場に硬直する。一瞬にして場の空気が凍りついた。

「……おしまいだ」

誰かが一言呟いた。――――その言葉を皮切りに、団員たちの不安と困惑の声が堰を切ったように溢れ始める。
「逃げよう」と叫ぶ者がいれば、「何処へ」と問い返す声が方々から聞こえる。打つ手の無いことを知り絶望に明け暮れその場に崩れ落ちる者もいれば、地を割るような悲鳴を上げ続ける者も現れる。
不安と困惑は混乱を招き、争い始める者達、逃げ場を求め場所もわからず駆け始める者達までもが出始める。「やめろ」とそれを止めようとする声もかき消され、冷静に抑えつけようとする身体は跳ね除けられる。
誰も彼もが事態の収拾をつけられぬまま、時は経つ。





「 そ い つ を 差 し 出 し ち ま え !! 」



不意に聞こえた提案の叫びに、その混乱の場は一斉に静まった。
声の主が指差す方へ、誰もが視線を向ける。

そこには騒動の中、動けずにいたピックがいた。そして彼の指は寸分違わず、その背に寝そべっている長髪の男――――ゼロを指している。

「……そいつを差し出しちまえば……へへへ、俺達だけは見逃してもらえるはずだぜ……なあ」

ヤケクソのような笑みを浮かべながら、ピックがそうはっきりと言う。
「お前……なに言ってんだ」と他の団員が正気を疑うような反応をする。しかしピックは正気であり、まして冗談でそれを口にしたわけではなかった。彼の表情に、その提案に、皆一様に生唾を飲み込んだ。

「バカを言うんじゃない!」

そうセルヴォが怒鳴る。それとほぼ同時にヘルマンが駆け寄り、ピックの胸ぐらを掴み上げていた。

「テメエ……自分が何言ってんのか分かってんのかぁ!?」

ピックは慌てた様子も、悪びれることもなく「へへへ」と薄笑いを浮かべる。まるでヘルマンを嘲笑うように。

「そう言うあんたこそ、今がどういう状況か分かってんのかよ……なあ?」

思わず口を噤む。ピックの言葉は何も冷静を失っただけで吐き出されたものではない。
烈空軍団の目的は紅いイレギュラーの討伐だ。ならば、その目的である紅いイレギュラーを差し出してしまえば、事は収まる。それが道理だ。
ネオ・アルカディアにとって最大の強敵の一人である紅いイレギュラー。彼を差し出せば、ここにいる無力なイレギュラー達の生命など見逃したところで、向こうには何の損も無いはずだ。それどころか交渉の次第によっては、報奨を与えられる可能性もあるだろう。
賢将と名高い烈空軍団長ハルピュイアが本陣にいるのであれば、その交渉は十二分に通じるものに思えた。
「そうだ」と賛同するような声が聞こえた。それも一人、二人ではない。一堂に会した数百のメンバー、その一部が彼の案に傾き始めていた。
英雄派を名乗っていた者たちでさえも、言葉を失い、俯いている。その態度が示すものは、説明するまでもない。
力を失うヘルマンの腕を振りほどき、更に場をまとめようとピックは声高らかに言ってのける。

「ここにいる連中全員と、“紅いイレギュラー”一人…………あんたはどっちを助けようってんのかねえ!?」

その視線は、白の団創設者――――シエルに向けられていた。
ゼロへと注がれていた、皆の視線もまた、一様にそのか弱い少女の方を見つめる。

「わた……しは………」

言いようもない威圧感に、胸に手を当てては、思わず後ずさる。
答えられるはずもない。誰もを等しく慈しむ彼女には。
だが、決断は迫られる。無論、彼女の決定に全て従うわけではない。だが、彼女はただ一人の“人間”であり、この組織の中心人物の一人だ。
彼女の言葉が、ほぼ全てのメンバーの精神的支柱であり、そして指標となっていた。それ故に、彼女の言葉が求められるのだ。彼女が「YES」と答えれば、その全てが赦される。――――そう、彼らにとっての正当な“言い訳”となるのだ。

「なあ…どうなんだい?」

そう言ってピックが詰め寄る。
シエルは口を噤んだまま、再び後ずさる。答えられない。できるわけがない。
彼女にとってはゼロも、仲間達全ても、等しく大切な生命なのだから。
それでも答えなければならない。もう既に烈空軍団は目と鼻の先に迫ってきている。
尚も鳴り響くエマージェンシーコールがそれを示している。回転灯の赤い灯りが心を急かす。

「わたし……は」

思わず眼を瞑る。――――だが、答えは出ない。
答えを求め、また距離を詰めるピック。もう猶予はない。


「……ああん?」

人の気配に、ピックは視線を横に移した。
傍にはいつの間にか、コルボーが突っ立っていた。

「コルボー……?」

シエルも、彼に首を傾げる。
隅の方で座り込んでいた時の様子を覚えている。絶望に心を病み、立ち上がる気力すら無いという様子だった。
場を見守っていたメンバー達も、そんな彼の登場に注目する。相変わらずコルボーは精気があるのか無いのか分からないような表情だった。

「お前さんは……どういうつもりだい?」

ピックは薄ら笑いを浮かべたままコルボーに問いかける。だが、コルボーは黙り込んだままだ。
不意に顔を横に向ける。視線の先には、ライドチェイサーと、そこに力なく横たわる、長髪の男。
それをじっと見つめた後、顔を俯かせる。そして、「俺は……」と小さく呟くように漏らした。

「『俺は』……?」

そう問い返したシエル。その瞬間だった。誰もがその光景に唖然とした。
ピックの横っ面を、コルボーの拳が捉えていた。力いっぱいに振るわれた拳に鈍い感触が走る。受け流す体勢ができていなかったピックの身体は、一瞬だけ宙に舞い、そして倒れこんだ。
咄嗟に上体を起こし、訳が分からないという目でコルボーを見る。皆、すっかり静まり返り、コルボーに注目していた。

「悔しいよ……俺は……」

しばらくの沈黙の後、コルボーは再び呟くように口を開き始める。

「あの人があんな姿になるまで戦い続けてくれたのに………俺は……」

色が抜け落ちたゼロの姿。そのみすぼらしさは、これまで見てきた鮮烈な彼の背中とのギャップは、重ねてきた激闘の負担と、疲弊の重さを表しているような気がした。
真っ白な灰のようになるまで、彼は戦い続けたのだ。誰のためでもない、白の団の仲間達、シエルの理想、虐げられてきたか弱き者達の為に、彼は戦い続けてきたのだ。決して己の得にも利にもならぬ戦いを、力尽きるまでくぐり抜けてきたのだ。

「弱音も、辛さも――――何も見せずにあの人は…………俺達のために戦ってきてくれたのに………なのに俺は……俺たちは――――……」

叱咤されることもあった。その分だけ背中を押してくれた。一度の言い訳も吐かず、苦悩の色も見せることなく。
時に荒々しく、時に冷静に、時に凛とした姿で、時に死力を尽くし――――前線で剣を振るい続けてきた彼の背中は、コルボーにとって、いや、白の団の皆にとって、“英雄”たるに相応しいものであったはずだ。
その背中を頼り、信じてきた。だというのに、この窮地に困惑し、混乱し、戦いを投げ出そうとした。あろうことか、そんな彼を捨てようとした。


「それなのに俺達は…… ど う し て こ ん な に も 無 力 な ま ま で い ら れ る ん だ よ ぉ ! ! 」


それは怒りの雄叫びだった。
周りの者達と、そして、己に向けたやりきれない怒りが彼の心を貫いていた。
それからグッと拳を握り、真っ直ぐに顔を上げる。その表情は全てを吹っ切った堅い決意を表していた。

「俺は戦うよ。ネオ・アルカディアと――――烈空軍団の連中と。最期まで」

勝算があるとは決して思えない。それどころか奇跡でも起きない限り、真っ向から戦いを挑んでは生還すらできないだろう。
マークやトムスのように無惨に散っていくだけかもしれない。呆気無く命を落とすだけかもしれない。
だが、それでも戦う理由が彼にはあった。


「今度は俺が、あの人を護るんだ」


これまで助けられ続けてきた恩を、返す時があるとしたらそれは今だ。
この身が砕けようと、力の限り彼を護ろうではないか。

「よく言ったぜ、コルボー」

ヘルマンが彼の肩を叩く。
ピックが尚も薄ら笑いを浮かべながら「正気かい、あんたら」と口にしたが、ヘルマンはまるでゴミを見るかのような目でピックを睨む。

「これ以上、てめえみたいな“まとも野郎”の言葉は聞きたかねえな。こちとら、お国に反逆する“イレギュラー”様だぜ? まともじゃねえのは端っから承知の上よ。ああそうさ――――」

それからぐるりと見回し、大きく声を上げて呼びかける。

「誇りや理想ってやつを捨ててまで“まとも”に生きるくらいならよぉ! そんな卑怯者に収まるくらいなら! 喜んで“イレギュラー”の看板背負って最期まで戦い抜いてやろうじゃねえか!」

そうして戦ってきた男の背中を見てきたからこそ、彼の心には強い覚悟が芽生えていた。
それからヘルマンの声に、少しずつ賛同の声が上がり始める。それはやがて波紋のように伝わり、その場に集まっていた団員たちの意志を強く結束させていった。


「やってやろう! 俺たちで!」


最期まで諦めること無く、ゼロを護るために戦い抜くのだ。その先に、きっと勝機があると信じて。
ピックと十数人の者たちを除き、ほぼ全ての団員がその意志に賛同した。そしてコルボーの声に、決意の雄叫びを上げる。
それから皆、善は急げと戦いの準備に駆け出した。レルピィとセルヴォ達技術局員達はゼロを介抱すべく、大急ぎで彼を運ぶ。コルボー達戦闘員と整備班員は、格納庫へと向かい、戦闘の支度を整え始めた。

「ゼロ……みんな……」

その光景に、シエルもまた、胸に熱いものが湧き上がってくるのを感じていた。
同時に、この戦いの結末がどうか良い方向に向かうようにと願わずにはいられなかった。
































  ―――― * * * ――――


応急処置用のメンテナンスベッドに横たわるゼロ。身体に繋がれた複数の物々しいコード類が、彼の容態の悪さを物語っていた。
戦闘記録データを引き出し、過去の計測値と照合する。また、現在内部で稼働しているプログラムの様子をリアルタイムにモニターへ出力し、観察する。

「どうなの……ダーリンは?」

一度本部のコアユニットへとデータを移したレルピィが、回線伝いに実体化し、セルヴォに問いかける。
セルヴォは渋い表情をしながら首を横に振る。

「いかんな。危惧していたとおりとしか言えん」

そう言って、はじき出されたデータを二、三度見直す。

「各データの計測値にこれまでのものとは比べ物にならないノイズが確認できる。それも何らかのプログラムの影響と思われるものが」

「つまり?」

詳しい説明を求められ、セルヴォは言葉に迷う。

「……これは未だ予測の段階だが、今まで使用されていなかったプログラムが、外因性のトラブルを引き金に突発的に起動したのではないかと見ている。それも、不具合を抱えたまま……」

ゼロの内部事情については今だ謎が残っている。
その一つである謎のプログラムが彼の全身の神経、思考、感覚、果ては体表のコーティングに関わるまで、あらゆる面に影響を及ぼしているのではないだろうかと見立てられた。
元から搭載されているものである以上、正常に起動していたならまだ良かったのかもしれない。だが、計測されているノイズや、現在のゼロの様子、観測しているプログラムがエラーを吐き出し続ける様子などを総合して考えるに、それがある種のバグを持ったまま起動してしまったのだろう。

「分かっている範囲だけでもエラーを修正していくしか無い……が、これだけの量では時間が……」

「それなら……あたしが潜る!」

どれだけ得体の知れないゼロの中身であっても、サイバーエルフ程の自律思考型プログラムを以ってすれば、強制的にそれらのエラーを修繕できるだろう。だが、それに伴うリスクは語るまでもない。

「ダメよ!」

横からシエルが口を挟む。

「もしもそのシステムが彼の中枢に関わっているなら、あなたの存在が……!」

全身にこれだけの影響を及ぼすプログラムだ。例えそのバグを取り除けたとしても、おそらくサイバーエルフの身体は無事にすまないだろう。

「構わないわよ! ダーリンのためなら――――」

「ゼロのためなら尚更堪えて!」

レルピィの言葉を遮り、シエルは語気を強める。その迫力に、レルピィは思わず後ずさった。

「あなたのこと、大切な仲間だってゼロは思ってるはずよ。それなのにもしも……目覚めた時に、あなたが自分のために犠牲になったと知れば……」

その様子を思い浮かべ、シエルは声を震わせる。そうなれば、ゼロがどれだけ悔やむだろうか、容易に想像できた。
「けど」とレルピィは尚、納得できずにいた。もしもこのまま彼が目覚めないのであれば、どちらにしろおしまいだ。自分の身がどうこうなろうと、構っていられる状況ではなかった。
突如、基地施設全体が激しく揺れる。おそらく烈空軍団の飛行部隊による攻撃が始まったのだろう。猶予は一刻もないのだ。
直ぐ様シエルは何かを決意した表情で、セルヴォの名を呼ぶ。

「お願い、サポートに回って」

「シエル……まさか」

その気迫に、セルヴォは言われるまま引き下がる。代わりにシエルが前に進み出て、コンピューターのコントロールを握った。

「私が見るわ」




















  ――――  2  ――――


一見何もないように見えた荒野。その地表が小刻みに揺れながら大きく開き、巨大な鋼鉄の砲台が地下から姿を現した。
先日の斬影軍団の奇襲に対しては活躍するタイミングが全くなかった、旧レプリフォース基地に備えられていた対空装備。その全てを動員し、烈空軍団を迎え撃つ。

「あれだけのテントロイド爆撃機に攻撃を受け続ければ、そう長くは持ちません! 何よりも優先して落としてください!」

基地内の管制室で、エルピスが吠えるように指示を出す。それに従いオペレーターが対空砲のシステムを素早く操作した。
使われない間も、常に整備されてきた虎の子の対空砲はどれも快調に動き出す。タイムラグも殆ど無く、断続的にレーザーを空中へ向けて放った。
その光弾に当てられ、小型のメカニロイドが次々と墜落していく。しかし、優先目標であるテントロイドはその攻撃をギリギリのところで躱す。

「敵、対空レーザー砲、発砲!」

ヘルログマーの艦内で、オペレーターが声を張り上げる。
艦橋の中央に陣取っている艦長――――ヴァシレフは艦長席より立ち上がり、右腕を力強く前へと突き出し、野太い声で叫ぶ。

「全機、攻撃開始! メカニロイド部隊は対空砲の破壊を優先!」

それを合図に、テントロイド爆撃機は地上に向けて爆弾を投下し始める。共に空を舞う小型メカニロイド達も、オペレーターからの指示に従い、対空砲へと攻撃を始めた。
艦長席の斜め後ろ、司令席に座るハルピュイアへヴァシレフは振り返る。

「テントロイド爆撃機、飛行型メカニロイド部隊による絨毯爆撃後、パンテオン・フライナー部隊を一斉降下させ、地下基地へと突入させます」

「プランAだな。了解した。ヴァシレフ、お前に任せる」

自身に向けられた信頼にも表情を緩ませること無く「ハッ」と力強く敬礼を返す。
屈強な体躯と厳つい顔が表している通り、愚直なまでに堅実なこの男を、ハルピュイアは部下として強く信頼していた。

「紅いイレギュラーは出てくるでしょうか」

不意にリディアが尋ねる。
報告を聞く限り、どうやら紅いイレギュラーも深手を負ったのか、崩れるように倒れこむ様が確認されていたらしい。それならば、これだけの短期間では戦線に出てこないかもしれない。
ハルピュイアは「さてな」と、首を竦めさせる。

「だが、もしも奴が出てきたとして、その時は俺が出るだけだ。なんら問題はない」

出て来なかったならばそれまで。有象無象のレジスタンスなど、こちらが誤った手を打たない限り敗北はあり得ないだろう。
敵がいるとしたら、己の慢心だけだ。

突如、閃光が視界を包む。
「なんだ!」とハルピュイアは咄嗟に視界を手で覆いながら叫んだ。
それからいくつかの爆音と共に、十数機のメカニロイドが破壊される。

「敵機多数確認! テントロイド爆撃機、三番機、七番機撃墜!」

「どこからだ!?」

「三時の方向です!」

未だ視神経にノイズを残しながらも、目を凝らしてその方向を見据える。
確かに数十機の旧型ライドアーマーが確認できた。

「……先程のは目眩ましか」

おそらく、先ほど放った閃光に乗じて部隊を発進させることで、接近を容易にしたのだろう。だが、それだけが原因ではない。
レジスタンスの基地施設はここら一帯に広がっている。その正確な規模が測れていなかったことが災いし、データに無かった出撃口から現れた敵部隊に奇襲を受けたのだ。
「敵機のデータは?」とヴァシレフがオペレーターに分析を急がせる。

「ライドアーマーのタイプは……ニ世代前のイーグルタイプ、そのカスタム機のようです。それと、地上にもゴウデンタイプ。こいつもとっくの昔に型落ちです」

「旧式とて侮るな! 戦闘プランをBへ移行。フォーメーションを変更。メカニロイド部隊は敵の地上部隊を、ゴーレム隊は飛行部隊を迎撃へ。それからキャリビー各機、パンテオン・フライナー部隊を全機発進させろ。 手を抜く必要はない! 一片も残すな!」

ヴァシレフの吠えるような指示に従い、部隊は急速にその陣形を構え直す。
冷静にして迅速な、よく訓練された正規軍に相応しい部隊の展開ぶりに、白の団のメンバーは経験値の差を思い知らされる。

「クソッ! 流石だぜ烈空軍団……!」

被弾した衝撃で揺れるライドアーマーのコクピット。その中でヘルマンが悪態をつく。
初撃こそ、目眩ましと奇襲戦法により、なんとか僅かながらも打撃を与えることができた。だが、そこから先はどうだ。
思いがけぬ反撃に、少しでも乱れが生じてくれれば、それを突破口とすることができたかもしれない。しかし、敵はほとんど意に介する事無く、さも当然のように陣形を変え、対応してきた。

「弱音吐いてる場合じゃない! 突っ込むぞ!」

コルボーの声に「弱音なんか吐いてねえよ」と返し、スラスターを吹かして敵の群れに飛び込む。口では言うものの、そんなやりとりができるからこそ心折れずに戦っていられるのだろう。
視界の端では一機、また一機と容易く仲間が落とされてゆく。自分もいつ致命攻撃を受けるか分かったものではない。

「地上班、弾幕薄いぞ! 撃ちまくれ!」

だが同時に基地施設の火力も助力となり、敵の航空戦力も次々と落ちてゆく。これまでにない激戦の中、これまでにない程の戦果を上げているのは明らかだ。

「いいぞ! 持ち堪えろ!」

「これしきで諦めてられっかよぉ!」

「怯むな! 進めぇ!」

回線を通じて、多くの仲間達の雄叫びが耳に飛び込んでくる。誰もが皆この劣勢の中、互いに折れそうな心を奮い立たせ、目前の敵に全力で立ち向かっていた。

「まだ使える機体はさっさと直して前線に戻せぇ!」

「応急処置程度でいいんだよ! 早く出せ!」

ドワやジョナス、整備班の面々もハンガーに控え、飛び交う怒号の中、運び込まれる機体を修繕してはまた送り出していた。
ピックのように、既に戦いを諦めている者もいる。だが、白の団に属するほとんどのメンバーは、今この時、命を捨てる覚悟で戦い続けていた。無論、“無駄死”ではなく、どうにか一矢報いる為の覚悟で。
もう帰っては来れないだろう。――――そう思いながらも、諦めること無く、心折れずに戦い続けているのはきっと、その先にある希望を信じてやまないからだ。
乱れ飛ぶエネルギー弾。弾ける破片。墜落する機体。それでも尚、臆す事無く敵を見据え、操縦桿を握り続ける。引き金を引き続ける。修理の手を進め続ける。負傷者を背負い、搬送し続ける。
各々ができる限りの戦いを、少しの躊躇いも無く、絶望の欠片も見せず、全力で行い続けていた。――――白の団という唯一無二の居場所のために。

「テントロイド五番機撃墜!」

「ゴーレム、十二、十三号機撃墜! メカニロイド部隊、損害多数!」

オペレーターの損害報告に、ヴァシレフもついに眉間に皺を寄せる。

「……最初の閃光が思った以上に影響したようです。メカニロイドの一部はどれも視覚異常を起こしたらしく、使い物になりません」

「なるほど……なかなかやるな、イレギュラー共」

こればかりはハルピュイアも素直に賞賛の声を上げた。
正直、黒狼軍や紅いイレギュラーと比べ、このようなおよそ無名なレジスタンス組織がここまで耐える相手だとは思っていなかった。
だが、依然優勢は変わらない。

「メカニロイド部隊、第二陣を地上に降ろせ」

損害状況と敵の配置を確認し、ヴァシレフが指示を下す。
空中で動きを止めたキャリビー、及びヘルログマーの出撃ハッチが開き、地上戦仕様のメカニロイド達が、次々と降下してゆく。
地上から見あげれば、無数の黒点が青い空を更に塗り潰していくように見えただろう。

「今です! ルージュさん!」

エルピスの指示に従い、ルージュが白の団の“奥の手”、その起動スイッチを力強く叩く。
同時に、ヘルログマーの艦橋内で、オペレーターが慌てたように叫び声を上げる。

「高エネルギー反応確認!」

「どこだ!」

「我々の…… 真 後 ろ で す ! 」

「な……ッ!」

突然の事態に、流石のヴァシレフも驚きの表情を見せた。
予測していた敵基地施設の範囲から遥かに離れた崖の隙間から、その大型エネルギー砲は姿を現した。そして、真っ直ぐにコチラを狙っているではないか。

「全機、急速回避!」

「しかし! 降下部隊が!」


「 構 う な ッ ! 急 げ ェ ッ ! 」


丁度合わせたように、収束された極太の閃光が、紺碧の空を雷のように駆け抜けた。
激しく揺れる艦内で、兵たちは皆椅子や壁にしがみつく。その衝撃は、全部隊に伝わり、損害は当初の想定を遥かに超えたものとなった。

「チィッ……何だアレは」

未だ衝撃に目眩がする頭を押さえながら、ハルピュイアもまた驚きの声を上げる。

「データ照合……“エニグマ”タイプのギガ粒子砲……その改修型です。……こんな旧時代の遺物をよくも……」

「損害報告ッ! 速やかにッ!」

ヴァシレフの怒号が飛ぶ。その声は浮き足立つ部下を一瞬にしてまとめ上げた。
同時に、冷静なデータ分析が行われる。
旧時代の産物というだけでなく、その壮絶な威力から、一撃にかかるエネルギー量は相当なものに違いない。

「あんな燃費の悪そうなもの、そう何度も撃てるはずがありません」

「奥の手の一発……というところか。ならば、臆す必要はない」

ヴァシレフは「ここが正念場だ」と言わんばかりに、部隊の展開を促す。
損害は予想以上に出たが、それでも勝負は決まっていない。いや、それどころか、あのような一撃を放つ辺り、敵ももう限界が近いのだろう。

「勝利はすぐそこだ! 全軍突撃ぃッ!」

烈空軍団側の読み通り、白の団は既に限界といって良かった。
改修型エニグマを動かすのに使われたエネルギーは、基地施設から搾り出されたものであり、その一撃は基地機能の四割を停止させた。
だが、エルピス達が想定していた敵の損害には満たなかった。敵の迅速な対応に読み負けたのだ。

「司令! これ以上は……!」

「弱音を吐く暇があるなら、味方の誘導を! アナタ、リーダーでしょう!」

悲鳴混じりの声を上げるジョーヌを、ルージュが思わず叱咤する。その声は、オペレーター全員の耳に刺さった。

「敵の数は確かに減ったはずだ! 諦めるな!」

前線ではコルボーが味方を励ますように吠える。その言葉に、仲間達もどうにかもう一度己を奮い立たせる。とは言え、覆せない圧倒的な劣勢を突きつけられ、誰もがギリギリのラインで心を保っていた。
エルピスもまた、投げ出したい想いを抱えながら、奥歯を噛み締め、なんとか堪えているのだ。
奥の手は使い果たした。あとはどれだけ仲間達が踏ん張りきれるかどうか。
そうだ、こちらには伝説の英雄がいる。――――そう皆、彼を信じているからこそ、折れずに戦っていられるのだ。

――――しかし………

エルピスは顔にも、言葉にも出さなかったが、どうしても信じ切る事ができなかった。

――――彼が目覚めたところで……この状況だ……

例え伝説の英雄と言われる彼が無事に目覚めたところで、本当にこの状況を覆すことが出来るのだろうか。
今、次から次へと空に生命を散らしている仲間達の想いは報われるのだろうか。

正直、彼なりの答えは既に出ていた。だがそれでも、言葉にすることができなかった。
先程、団員たちが言い争っている時、彼はそれをモニターで監視しながら、口を挟むことができなかったのだ。その後ろめたさが、更に彼の心に歯止めを掛けていた。

――――私は……本当に冷静な判断ができているのか……

白の団だけでも残す道があった筈だ。自分はそれを選ぶべきだった。この組織の長として。
だが、その道を取っていれば、あの少女の願いはどうなっていた? 英雄に掛けた彼女の願いは。
いや、それでも尚決断が必要だったのではないか。多くの生命を救い、ネオ・アルカディアに反抗し続けるために。
この状況ならば、どちらにしろもう手遅れではないか。ならばここで選ぶべき道も決まっているのではないか。そうだ、決まっている。


英雄を捨ててでも護るべきだ!





だが――――……‥‥


頭の中でグルグルと渦巻く後悔と問答。
その間にも、モニターの中心で味方のライドアーマーが、敵のゴーレムの鉄拳により無惨に砕き落とされていった。



























  ―――― * * * ――――


戦いは既に、終盤に差し迫っていた。
基地施設の振動は収まらず、回線を通じて入ってくる情報はどれも悲惨なものばかり。思わず耳を塞ぎたくなる。
それでも、セルヴォは堪えた。理由はただひとつ――――自分よりも遥かにか弱い幼気な少女が、諦めること無く、必死になって戦い続けているからだ。

その作業スピードに、サポートに回ったセルヴォも驚きを隠せない。
常人の倍近い速度で、レプリロイドの処理速度に勝るとも劣らないほどの要領で、彼女は次々とプログラムのエラーを補正し、修正していった。

――――これが………Dr. シエル。……“おじいさま”の技術を継いだ技術者の力か

技術屋としての屈辱や敗北感も通り越し、心の中で盛大な賞賛を送る。それ程までに、彼女の技術は神がかっていた。
だが、それだけの能力をフルに使い続けている以上、いつ彼女が倒れてもおかしくはない。体力的にはまだまだ年端もいかぬ“小娘”なのだから。
先日の襲撃の際も、気を張り詰めていたのだ。表情を見る限り、既に疲労は限界を超えているだろう。
それでも尚、手を止めないのは――――ただ只管に、仲間たちのためだった。

「お願い……目覚めて、ゼロ!」

出来る限りのエラーを取り除き終えると、そのままゼロに駆け寄り、声をかける。つられてセルヴォもゼロの名を呼ぶ。横に浮遊していたレルピィも「ダーリン」と強く叫ぶ。
だが、英雄は目覚めない。色も、灰のように白く抜け落ちたまま。彼は瞼を瞑り続けている。

「ゼロ! 起きてよ! ゼロぉ!」

身体を揺さぶり、叫ぶ。
その時だった。一際大きな衝撃が起き、施設全体が揺さぶられる。

「シエル! いかん!」

疲弊しきったシエルの足は身体を支えきれず、そのまま倒れこむ。
咄嗟にセルヴォが手を差し伸べるが、届かない。

「キャッ!」

パラパラと礫が落ちてくる中、鋼鉄の地面に身体を打ち付けられ、叫び声を上げた。――――筈だった。

「………え?」

力強い腕に優しく抱きとめられ、その身体は地に着くことはなかった。
その腕の主の方へと視線を向ける。横たわっていた筈の男は、勢い良く身体を起き上がらせ、体中に取り付いていたコード類を力づくで引きちぎった。

「……ゼロ!」

「なんつう……目覚めだ」

左腕でシエルを抱えたまま、そう言ってゼロは右手で頭を押さえる。
依然、白髪であり、アーマーも白いままであったが、それでも顔の血色だけは戻っていた。

「これは……どういう状況だ……?」

瞬間、再び衝撃に襲われる。ここが白の団の基地施設内であることも相まって、それによりゼロは瞬時に状況を把握した。
烈空軍団の攻勢を受けているのだ。それ以外には考えられない。

「味方は……なにしてる!?」

「皆、出撃した!」

「馬鹿な!!」

セルヴォの返答に思わず声を荒げ、シエルをその場に立たせて飛び起きる。

「何故俺を待てなかった!?」

「無茶を言うな! 仕方ないだろう、君が眠っていたんだ!」

問い詰めるが、セルヴォに怒鳴り返される。再び自身の失態を思い知り、苦い顔をした。
とにかく言い争いをしている場合ではない。今すぐにでも戦いに出なければ。そう、肩を怒らせながら駆け出そうとするゼロに、シエルが「待って」と声をかける。

「その姿……まだ異常が治っていないわ!」

ようやく目覚めたとはいえ、体色は白いままだ。その原因もついにシエルは突き止められなかった。
だが「構うか!」とゼロは吐き捨てるように言う。

「これ以上足踏みしてられる状況じゃないだろ!」

「ダメよ! もう少しだけでも――――……‥‥」


「 邪 魔 を す る ん じ ゃ な い ッ !!」


怒声とともに、差し伸べられたシエルの手を叩くようにして弾いた。

「………ッ」

一瞬にして、場が凍りつく。鬼気迫るゼロの表情に。その声色に。あまりの迫力に。シエルも、セルヴォも、レルピィですら言葉を失った。
我に返ったゼロは、取り乱している己を振り返り、恥じた。目の前の少女は明らかに瞳を潤ませている。
だが、そこからどう言葉をかければよいか分からず、そのまま視線を逸らし、背を向けた。


「………して…よ……」


掠れたようなか細い声が、背後から聞こえる。




「……もっと……自分のこと…大事にしてよ」




シエルはもう一度だけ、心の奥から言葉を絞り出した。
その言葉が胸に深々と突き刺さる。ゼロはグッと奥歯を噛み締め、拳を固く握る。

「すまない。それでも俺は――――……‥‥」

言いかけて、口を噤んだ。所詮は、独り善がりだ。分かっている。
それから呆然と立ち尽くすセルヴォに声をかけ、使える機体があるか尋ねた。セルヴォは頷き、ゼロを案内するためにそこから歩き出す。
ふと振り返るレルピィ。視線の先に立ち尽くす少女の頬を、一筋の涙が静かに伝っていた。























  ――――  3  ――――


「チクショウ! スラスターが――――……‥‥ッ!」

ヘルマンの叫びが回線を通じて耳に入る。咄嗟に彼の名を呼ぶが、激しいノイズが遮り、通信は途絶した。
コルボーは辺りを見回す。飛行しているライドアーマーは、自分をいれても数機だけだ。
地上を見下ろす、残骸と遺体が埋め尽くし、敵の部隊が出撃ハッチから侵入を試みようとしているのが見える。

――――ここまで……かよ

操縦桿を握りしめ、奥歯を噛み締めた。
これまでの戦いに比べれば、遥かに抵抗した方だ。他のレジスタンス組織と比べても、十分な戦いぶりだっただろう。
だが、所詮は無駄な足掻き。元より無かった勝算は、どれだけ求めようと最期まで見えて来なかった。
敵機に囲まれ、逃げ場はない。“神風”でも仕掛けられたなら、まだ良かったかもしれない。だが、きっと敵艦に飛び込む前に撃ち落される。分かりきっていた。
不意に仲間たちの声が聞こえた気がした。マークやトムス、死んでいった仲間たちの声が。

――――もう……無理だ……

抵抗する気力も残されてはいない。それはライドアーマーの外にまで伝わっていただろう。そしてその意識は、白の団全体に伝染していた。
ヘルログマーの艦内で、ハルピュイアは言い放つ。

「決着だな」

後は残党を処理し、紅いイレギュラーを討ち取るべく内部へ侵入するだけだ。
ヴァシレフはハルピュイアから視線で促され、最後の指示を伝えるべく口を開いた。――――その瞬間だった。

「敵レジスタンス基地の出撃口より、高速移動物体出現! こちらへ向かってきます!」

「……まだ、戦う気概のある奴が残っていたのか?」

モニターに映されたボディを目にして、ハルピュイアは訝しむ。
その飛行型ライドアーマーは、他の機体とは明らかに違う雰囲気を纏っていた。
純白のボディに、ゴーレムの腕と頭部。増設されたスラスター。体中に取り付けられている重火器類は、並みの火器管制システムではコントロールし切れないだろう。それどころか、一撃が致命傷になりうる量だ。
他の機体に比べ、そのマシンからは気迫のようなものが確かに感じられた。しかし、この状況で今更飛び出し、何をしようというのか。最早戦況は覆せない。どんな切り札であろうと、それは明らかだ。

「構うな。落とせ」

ヴァシレフがそう冷静に言い放つ。指示を受けたパンテオン・フライナー達が一斉に周りを囲む。そして、直ぐ様バスターの銃口を向け、エネルギー弾を放った。

「………なにッ!?」

誰もが目を疑った。現れた純白の機体は瞬間的に加速し、その包囲網から飛び出すと、装備されたミサイルを放ち、一瞬にして十数機のパンテオン・フライナーを撃墜した。
おそらく巧みなペースコントロールにより、パンテオン達の意識を誘導したのだ。
そこから先の、その機体の動きは常軌を逸していた。複数の火器を同時に操り、包囲しようと迫るメカニロイド達を紙のように容易く落としてゆく。
こちらが放った光弾も、パイロットへの負荷を無視したような異常な運動と加速で躱し、返す刀でレーザーを放つ。あっという間にテントロイドがもう一機撃墜された。

「奴は……まさか……!?」

その尋常ならざる動きに、ハルピュイアは直感する。
これだけの挙動を一気にこなせるのは抜群の戦闘センスがなければ、不可能だ。そう――――パイロットは間違いない。

「 紅 い イ レ ギ ュ ラ ー だ ! 撃 ち 落 と せ ッ ! 」

ヴァシレフの怒号が飛ぶ。
既に勝利ムードの中、落ち着き始めていた烈空軍団の部隊は、突如として現れた最強の敵に戸惑いを隠せずにいた。

「コルボー! 離脱しろ!」

「その声は……ゼロさん!?」

回線を通じて聞こえてきたゼロの声に、コルボーはようやく希望の光を見出したような、明るい声で答える。

「それに……その機体は……」

コルボーは、ゼロが搭乗してきた機体に見覚えがあった。
それこそ、セルヴォが技術の粋を集めて組み上げた、決戦兵器――――メガ・ブランシュ。

「セルヴォのおっさんもよくやってくれたよ。こんなマシンを残していたとはな」

シューター達の手により破壊された後、修理と改修を施され、より強力な機体として蘇っていた。
更に、ペロケから送られていたエル・クラージュのシステムを参考にしている為、ゼロとレルピィのコンビとの相性は抜群だ。

「これから俺が突撃をかける! お前たちは後方から援護射撃を頼む!」

「了解です!」

ゼロに指示されるまま、コルボーのイーグルは後方へと下がっていった。
それを追撃しようと加速するゴーレムを、メガ・ブランシュは左腕に備えたレーザーブレードで両断した。
ゼロの登場に、喪失し欠けていた白の団の士気が一気に向上した。残存している団員たちはライフルを手に取り、或いはまだ動かせるライドアーマーに乗り込み、コルボーに指揮されるまま空中へと援護射撃をかける。

「対地メカニロイド隊、右翼のゴーレム各機、そして第一から第七隊までのパンテオン部隊は地上を制圧しろ! 残りは全て、目標は紅いイレギュラーだ!」

ヴァシレフの指示に従い、メカニロイドも、パンテオンも、ゴーレムも、一斉にゼロが駆るメガ・ブランシュの方へと向き直る。
地上へと降りていった敵部隊を気にかけないよう、自分に言い聞かせた。これ以上の犠牲を出したくはない。だが、その為にやるべきことは、彼らを護ることではない。

「レルピィ、狙いは一つだ! サポートしてくれ!」

「勿論よ! 任せてダーリン!」

この中で、万が一にも戦況を覆す突破口があるとしたら、それはただひとつ。
自身へ向けられた集中砲火の間隙を、メガ・ブランシュは華麗に縫うように切り抜けていく。
同時に複数の敵機をターゲットサイトに収める。レルピィの掛け声とともに、多数のミサイルが放たれ、敵を撃ち落としてゆく。
ゴーレムの懐に入ってはレーザーブレードで切り裂き、爆炎に紛れては敵の攻撃をやり過ごす。

「何故落ちない!」

それまでなんとか冷静を保っていたヴァシレフが声を荒げる。
しかし、その華麗な動きは、敵ながら流石としか言いようがなかった。
おそらくあのマシンは、パイロットに対し尋常ではないほどの負荷をかけているはずだ。それをここまでものにする辺り、紅いイレギュラーという男の戦闘センスは四天王の“それ”をも凌いでいると認めざるをえない。
とは言え、敵はたった一機。また、その尋常ならざる動きから、パイロットの疲労度は容易に想像できる。取り囲む無数の光弾は徐々に掠め始め、遂には右腕を撃ちぬいた。
だが、それでも白いマシンは止まらない。ただ一点の目標を目指し突き進む。

「紅いイレギュラーの軌道を予測! おそらく狙いは……――――」

「分かっている! 急速旋回! なんとしても避けろぉ!!」

ヴァシレフが吠える。
丁度その時、複数の火線が白いマシンを一度に捉えた。左腕と両足が焼け落ち、残弾の火薬が爆発する。だが、残った胴体部分の勢いは止まらない。
全開に吹かしたスラスターの加速に任せて、メガ・ブランシュの胴体はヘルログマーの前面部にある飛行甲板に飛び込んできた。
激しい衝撃が艦を揺らす。体勢を崩したヘルログマーを、操舵手はなんとか力づくで立て直す。

「く……ッ。損害報告ッ!」

直ぐ様ヴァシレフが指示を出す。幸いなことに、大事には至っていない。ただ一点を除いて。

「あの男………なんという無茶を」

敵ながらヴァシレフは感嘆すらしていた。黒煙に包まれるコクピットハッチから現れた長髪の男――――紅いイレギュラーの姿に。
まるで己の命など勘定に入れていないような、そんな戦法を、よくも取れたものだ。いや、それだけでは只の無謀だ。この男が恐ろしいのは、そんな戦法をとっても尚、自身はまるで死ぬつもりがないというところだ。モニターに映し出された紅いイレギュラーの表情から、ヴァシレフはそんなことを一人考えていた。
一方で首を傾げる。間違いない。紅いイレギュラーの筈だ。あの顔立ち、特徴的な長髪。何より先ほどの尋常ならざる戦いぶりが、証明している。しかし、その姿はまるで灰をかぶったかのように白かった。

「ハル様……?」

ハルピュイアが颯爽と席を立ったことに気づき、リディアはその背に声をかける。

「ヴァシレフ、残りの部隊は全て地上の敵兵力に当てろ。ヘルログマーはこの位置で浮遊待機。それとリディア、以後の最高指揮権はお前に委譲する。任せたぞ」

そう言いながら、空戦用のフライナーユニットが装備されたショルダーアーマーを身につける。
どちらにしろ、ヘルログマーの甲板に足を踏み入れられた時点で、味方からの支援は期待できない。同士討ちなどという醜態を晒す訳にはいかないのだ。
だからと言って、艦内の戦闘員を当てるつもりもない。無駄な損害を増やすことしか予測できない以上は。
それ故、取るべき選択肢は決まっていた。

「奴は俺がやる」

懐に入れた二本の愛刀――――ソニックブレードに手を掛け、言い放つ。その声には彼らしい鋭い闘気が含まれていた。
リディアはただ微笑み、「了解です」と答える。

「ご武運を」

「ああ」

短いやり取りの後、ハルピュイアは扉の外に出る。リディアはその背に向けて、深々と頭を下げた。
































  ――――  4  ――――


「ダーリン……大丈夫?」

コクピットから這い出るゼロに、レルピィが声をかける。衝突する寸前に左腕のコアユニットへ飛び込んでいた。
「オーライだ」と笑ってみせる。

「流石だな、レルピィ。コントロールが完璧だ」

「艦橋に飛び込むつもりだったんだけど……避けられちゃった」

「構わないさ」と再び微笑み返す。敵の回避行動を予期し、レルピィが軌道修正を図ったからこそ、この位置に辿り着いたのだ。
もしもレルピィのコントロールがなければ、大きく逸れて、そのまま墜落していただけかもしれない。

「さて……ここでジッとしてる場合じゃないな」

そう言って甲板の上を歩く。
気づけばヘルログマーは浮遊状態を取り、その位置から動こうとはしなかった。振り落とそうと思えば出来るはずだ(無論、それも計算に入れた上で、ゼロもここに取り付いたのだが)。
しかし、その手段をとらないということは、ここから予測できる展開は一つ。



「随分と見窄らしくなったものだな、紅いイレギュラー」

不意に凛とした声が響く。その声の方へとゼロは徐に視線を向ける。上空から見下ろす、一人の少年型レプリロイドがいた。

「……賢将、ハルピュイアだな」

ハルピュイアは答えること無く、そのまま甲板に降り立った。
両肩に装備されているのは専用のフライナーユニット。それが生み出す浮力によって、浮遊及び高速飛行を可能とする。また風圧に対する処置か、顔はバイザーで覆われていた。

「一度だけ問う、ネオ・アルカディアに下るつもりはないか」

「……未だにお誘いを受けるとは……“モテる男はなんとやら”ってか」

思わず苦笑してしまう。だが、ハルピュイアの表情は真剣そのものであった。
実際のところ、紅いイレギュラーを処分するという点に関しては、その存在が惜しいという声も未だ絶えないのだ。救世主エックスの親友とまで呼ばれた男を、そうそう簡単に切り捨てるというのは如何なものかと。
記憶の混乱、或いはレジスタンスの洗脳を受けたのだという声も未だに聞こえてくるほどで、決して紅いイレギュラー抹殺のみに世論も元老院も傾いているわけではない。
そしてまた、四天王にとっても同様で、彼が救世主エックスの親友である以上、もしも味方に下るというのであればこれほど心強いことはない。それ故に、賢将ハルピュイアですら、その問いを一度は投げかけなければ、処分を決断するわけにはいかないのだ。
だが勿論、ゼロの心は決まっている。

「……残念ながら、こんな状況でも俺はお前たちの側に行く気になれないんだよな」

「ほう。流石は“紅いイレギュラー”か。――――しかし、それは愚者の答えだ」

これだけの劣勢の中、未だにレジスタンス側に立ち続けようというのは、まともな思考ではないだろう。ゼロ自身、己の愚かさなど百も承知だ。
しかしそれでも彼の心に宿る信念は、幾度もの戦いを重ねたことで、過去の記憶も何もかもを飛び越え、一層強固なものとなっていた。

「ガキには分からないだろうな。俺の背負ってるもんは」

そう言って嘲笑を浮かべる。だが、ハルピュイアは「フン」と鼻を鳴らし、「そのまま返すぞ」と言葉を続ける。

「骨董品の英雄が。貴様の曇り切った目には、真の“正義”が何処にあるか見えていまい」

「……正義?」

問い返すゼロに、ハルピュイアは「そうだ」と言い切る。

「自由だ理想だと宣いながら、人類の平穏を脅かし続けるイレギュラー共を、そしてそれに手を貸す貴様を、俺は決して赦しはしない」

百年という時間、“理想郷”とそこに住む人類とを守り続けてきた救世主エックスの“正義”。それこそがハルピュイアにとって唯一無二、絶対の“正義”であり、その行使こそ存在の証明となりうるものなのだ。
だからこそ、それを脅かす連中を赦すことはできなかった。例え伝説の英雄といえど、その脅威となるのであれば同じだ。取り除くべき害悪なのだ。
懐から愛刀――――ソニックブレードを引き抜く。二振りの光の刃が、煌々と輝きを放っている。
それを眼前に構え、ハルピュイアは闘気を全身に纏う。



「これまで重ねてきた、愚かな所業の数々――――己が身で償え…… 紅 い イ レ ギ ュ ラ ー !」



叫びとともに地を蹴ると、一瞬にして距離を詰め、ゼロの懐に飛び込んでいた。

「くぉ……ッ!」

寸前のところで飛び退き、その一刃を躱す。――――が、ゼロの右腕から擬似血液が吹き出した。

「 ダ ー リ ン ! 」

「こい…つは……」

たまらず痛覚を遮断する。幸いにも神経は切れていない。左腕からゼットセイバーを抜き出し、構える。
それにしても先程の攻撃はなんだ。ソニックブレードの射程圏はゼットセイバーよりは小さく、それを見定め、距離を広げて躱したつもりだった。だがその刃はゼロの肩を捉え、見事に斬り裂いていた。

「……どういう…カラクリだ?」

「隠すまでもない……。貴様には逃げ場がないということだ!」

ハルピュイアが再び左右のソニックブレードを振りぬく。そこから発生した衝撃波に乗り、収束されたエネルギーの刃がゼロめがけて放たれた。
それこそが、広がった射程の正体だ。
ゼロは咄嗟に地を蹴り、横に飛び込むようにして躱した。そこから上体を直ぐ様起こし、ハルピュイアへ距離を詰めようと、駆け出す。

「いない!?」

そこに立っていたはずのハルピュイアがどこにも見えない。いや、ゼロは直感とともに空を見上げる。同時に彼の身体を、上空から放たれた光の刃が斜めに切り裂いた。
飛び散る擬似血液。耳元ではレルピィが再び悲痛な叫び声をあげていた。

「スキだらけだな、紅いイレギュラー」

頭上から見下しながら、ハルピュイアが吐き捨てるように言う。
両肩に装備されたフライナーユニットの存在を考慮していれば、ハルピュイアの三次元的な攻撃パターンを予測することはできたはずだ。
しかし、今のゼロにはできなかった。それをするだけの余裕が無いのだ。

「どうした……。これで終わりか?」

ハルピュイアは尚も冷たい声で言い放つ。ゼロもまた負けじと笑みを浮かべ「んなわけ無いだろ」と言い返すが、その表情が苦し紛れなのは直ぐに読み取れた。

「フラクロスだけでなく……ファーブニルさえも負かした男だと聞いていたのだがな……この程度か」

「……勝負は…これからだ……!」

再びゼットセイバーを構え、駆け出す。
そこから緊急加速装置を吹かし、一気に間合いを詰め、切り上げる――――疾風牙を放つ。


その筈だった。


「……ッ!?」

作動しない。脚部の緊急加速装置が。加速装置の作動を考慮していたがゆえに、そのままバランスを崩し、躓いたように倒れこむ。咄嗟に受け身を取ることで体勢を立て直した。
刹那、ハルピュイアがゼロの眼前に迫る。反射的に左腕にエネルギーを蓄積し、アースクラッシュで応戦しようと身構える――――が、またも異常を察知し、そこから再び横へ飛び退く。寸前でなんとか敵の刃を躱したが、心中はすっかり乱れきっている。

――――どういう…ことだ……

作動しないのだ。アースクラッシュのジェネレーターも。
いや、それだけではない。ゼットセイバーの刃の形状もなんだか頼りない。まるで出力異常を起こしているかのようだ。
更に、エネルギー変換装置にまで異常を感じる。おそらく剣技の大部分が扱えない状態だろう。
己の身に起きている異常の正体が分からず、困惑する。その心中は、対峙しているハルピュイアにも、手に取るように分かった。

「トラブルか……不運なことだ。だが、容赦はせん!」

連続でソニックブレードを振るう。言葉通り、容赦無い乱れ撃ち。
放たれ続ける刃をギリギリのところで躱すが、ゼロは劣勢の突破口を見つけられない。それどころか自身に起こったトラブルに戸惑うばかりで冷静に思考ができない。
ふと気づけば、またハルピュイアを見失っていた。「上か」と直ぐ様頭上を見上げるが、見当たらない。

「後ろ…!?」

「遅い!」

一つ目のソニックブレードをゼットセイバーで防ぐ。だが、賢将の“牙”は二本あるのだ。
二刃目がコート共々ゼロの左太腿に突き刺さる。激痛に悲鳴を上げる前に、痛覚を遮断した。
しかし、この機を逃す訳にはいかない。挽回のチャンスがあるならば、急接近した今しかない。そこから力づくで押し切ろうと、ゼットセイバーを握る腕に力を込める。踏ん張る左足は擬似血液を吹き出し続ける。
ここぞとばかりに雄叫びを上げ、遂には大きく弧を描いてゼットセイバーを振り抜く。だが、賢将はそれを軽く受け流し、既に間合いから離れていた。

「この……チョコマカと!」

「無様だな。まるで道化だ」

ハルピュイアはそう言い放つと、ゼロの周りを旋回し始める。
これ以上長引かせたところで、意味は無い。そろそろ決着の時だ。そう心に決め、ソニックブレードの柄を強く握りこむ。

「道化らしく踊り狂えッ!」

加速しながら旋回し、同時にソニックブレードを振るう。二度、三度と振るうごとに、光の刃がゼロへと向けて放たれる。
四方八方から繰り出されるハルピュイアの“ソニックブーム”に、ゼロも命懸けでゼットセイバーを振るい、応戦するが、次第にハルピュイアの速度に追いつけなくなり、遂には身体を刃が掠め始める。

「しっかりして! ダーリン!」

レルピィが耳元で騒ぐが、ゼロはそれに答える余裕も気力もない。
光の刃は腕、肩、腰、背中、頬、足と、ゼロの全身を切り刻み始める。そのたびに噴き出る鮮血が、傷の深さを物語る。
突如、攻撃が止む。だがしかし、最早ゼロは死に体だった。ハルピュイアは地上に降り立ち、ゼロへと近付く。

「なるほど、これだけの傷を受けて尚、立ち続けるか……」

通常のレプリロイドならば、既に瀕死の状態だ。事切れていたとしてもおかしくはない。ギリギリのところで急所を外しているのだとしても、これだけの傷では、まともな動きはできないだろう。
神経が切れたらしく、左腕はだらりと垂れ下がっている。既に右足には力が入らないらしく、引きずるような形となっている。

「やめて……これ以上…………ダーリンを傷つけないで!」

「サイバーエルフ、悪いがその要求は敵わん」

ハルピュイアはソニックブレードを握る両手を、自身の頭上で交差させるようにして、振りかぶる。
不意に、虚ろに見つめるゼロの視線と、ハルピュイアの視線が交わる。
最早、これは一方的な蹂躙だ。――――心に、黒い蟠りが生まれているのが分かる。だが、それは飲み込む以外に道がないのだと、知っている。
これまでも、これからも。ハルピュイアにとって答えは唯一つ。

――――貫くしか無いのだ……

この正義を。どこまでも。
できることは、こうして己の手で苦しみから解き放つことだけだ。苦痛に溺れ、それでもあがき続ける哀れな戦士を。



「せめて俺の刃で……眠れ、伝説の英雄よ」



両腕が互いに、斜めに振り下ろされる。
ゼロの身体は、胸の中心で交差するようにソニックブレードで斬り付けられた。
耳を劈くようなレルピィの悲鳴が木霊する中、吹き出す擬似体液と多量の吐血と共に、英雄は無惨に崩れ落ちた。

皮肉にも、灰のように白く変色していたコートと長髪は、夥しい量の擬似血液により、紅黒く塗り潰されていた。







































  ―――― * * * ――――










    耳鳴りが止まない

    まるで 荒れ狂う激流のように








    次から次へと 心の奥へ流れこんできて

    胸を掻き毟りたい衝動が 駆け抜ける



    敵の言葉を鵜呑みにするつもりはない

    罪などと 考えたこともない





    だがしかし




    理想に届かぬ己の非力さを


    何度恨み 呪ったことだろう


























  ――――  5  ――――


「……何故だ」

その場から立ち去ろうと背を向け歩き出していたハルピュイアは、ふと何かを感じて再び振り返る。そしてその光景に己の目を疑った。
全身に負った傷はどれも決して浅くない筈だ。その内の幾つかが致命傷に至っていたとしても何ら不思議ではない。
体中から垂れ流れている擬似血液の量は尋常ではなく。体内のエネルギーは、まともに循環しているとはとても思えない。
先程交わした視線からも断言する。意識も既にない。戦う気力など――――それどころかその場に立ち上がる気力すら残ってはいまい。

しかし、それでも――――……‥‥

「何故……まだ立ち上がろうとする……?」

擬似体液で紅黒く滲んだコートと長髪。それを引きずるように、ゼロは尚も上体を起き上がらせ、顔を前に向ける。
ハルピュイアの背筋に悪寒が走る。その瞳は最早、生気を感じられたものではない。死人のそれだ。――――だというのに、その虚ろな視線はどこか一点を真っ直ぐに見つめ続けているのだ。
既に、まともな働きをしないであろう右腕を地に付き立ち上がろうとしているが、足に力が入らず、叶わない。それでも尚、立ち上がろうと足掻き続けている。無意識のまま。

「……もう、やめろ……」

ソニックブレードの柄を握り締め、思わず叫びだす。

「勝ち負け以前の問題だ! これは既に“戦い”ですら無い!」

死人同然の男が、これ以上何をしようというのか。何も出来るわけがない。
剣を握ることすら叶わぬだろう、その腕で。地に立ち尽くすこともできぬ、その足で。
それでも彼は、諦めていないようだった。意識を失って尚、立ち上がろうと藻掻いていた。

「ダーリン……どうしてよ」

顔の傍で浮かぶレルピィが消え入りそうな声で呟く。
彼女にとっても、その光景は耐え難いものだった。その場に倒れ伏してくれていた方が、まだマシだと思えるほど。
それでも尚、立ち上がる彼の心が、理解できなかった。

「…す…うんだ………こ…ど………そ」

彼女の声に、ハルピュイアの言葉に答えるかのように、ゼロの唇は僅かに動きか細い声を絞り出す。






「………救うん…だ……今度…こ…そ……」





張り裂けそうになる胸に、レルピィは思わずぐっと手を当てる。
ハルピュイアは僅かに聞き取れたその声に、絶句する。

「……救う……んだ…………みん…な…」

「『救う』……だとッ!?」

噛み締めていた奥歯を開き、ハルピュイアは思わず声を荒げる。

「 ふ ざ け る な !」

その声には確かな怒りと憤りが含まれていた。
そしてハルピュイアは感情のままに、言葉を吐き出す。

「貴様ごときイレギュラーが! いったい何を『救う』と言うのだ!? イレギュラー風情が! “破壊”と“殺戮”以外に、何ができる!?」

その言葉は、ぼんやりとしたままのゼロの頭にも確かに届いていた。
“破壊”と“殺戮”――――その二つのキーワードが胸に刺さる。
その通りだ。それ以外に、何も出来なかった。どれだけ望もうとも、それ以外のことは何一つとして出来なかったのだ。

しかし、だからこそ――――……‥‥

立ち上がれず、崩れ落ちる。けれどまた、手を地に付き、身体を起こす。
意識を失っても尚、唯一つの願いが、信念が、誓いが、彼の身体を動かしていた。


――――救うんだ、今度こそ。みんな。


二度と取り零さぬように。
この手から滑り落とさぬように。



――――耳の奥で、反響しているのが分かる



    少女に願いを託した、死にゆく戦士の声が


    死地の中、賢明に同胞を導こうとした男の声が


    窮地から生還し、感謝の言葉をくれた仲間の声が


    自分の生還を心から祝ってくれた女の声が



今も地上では、多くの仲間達が生命を散らしている。
生死の狭間に立ちながらも尚、希望を棄てず。その先にある未来を信じて戦い続けている。
誰もが皆、決して帰ることはできないだろうと、覚悟しながら。




――――ずっと、反響している



    己が背負った使命を果たすために、立ちはだかってきた敵の声が


    互いに認め合い、“今”を懸けて刃を交えた猛者の声が


    死闘の果て、いつか再戦をと誓い合った好敵手の声が


    立場は違えど同様に、救世の道に命を懸ける宿敵の声が




卑劣な者も、倒すべき外道もいた。しかしそれだけではなかった。
皆護るべき物と、果たすべき使命のために戦っていた。自分はその生命を刈り取り、奪ったのだ。
いつか願った未来を掴むために、多くの生命を砕き、摘み取ってきたのだ。




――――響き続けているんだ




    大切な恩人の死に、己を責める少年の声が


    望まぬ争いの中、平和を願い死んでいった友の声が


    救えなかった友の死を悼み、心を寄せるあの声が


    己の存在を疑い、それでも逞しく生きようと藻掻く彼女の声が





    一握りの幸福を求めて、引き金に指をかけざるを得なかった父親の声が




    ささやかな優しさに、朗らかな感謝の言葉を返してくれた息子の声が







    どれだけの苦境に立たされようと、未来を願い、闘い続ける少女の声が








    振り続けた刃の回数よりも


    重ねてきた激闘の数よりも 


    築き上げた屍の数よりも 多く


    数えきれない程交わし合った 言の葉達


    


    今もまだ覚えている その声が



    今もまだ突き刺さったままの その声が





    いつまでも耳の奥で






    反響し続けている













――――だから………‥‥

















「…だ…か……ら……」


「………ダーリン」

誰よりも長く、誰よりも多く、共に戦場を渡り歩いてきた彼女には、その想いが痛いほどに伝わってきた。
どうか手の届く限りのものだけでも守りぬこうと、その生命を、彼らの理想を救おうと、命懸けで戦い続けてきたことを知っている。

しかし、同時に一つの事実も理解している。
そうだ。いったい誰を救えたというのか。ここまでの旅路の上で。目覚めてからの激闘の果てに。何を救えたというのか。
一番身近にいた仲間達ですら、こうして皆傷つき、死んでいっている。自分の目の前で。それなのに今、自分は無力にも崩れ落ちている。
しかしこのままここで歩みを止めてしまうなら、それこそ何も救えずに終わってしまう。
“破壊者”という宿命に操られるまま。“懐かしい未来”には一度も触れることのないまま。自分を信じ、認めてくれた者達の声に答えることもできないまま。耳の奥で反響し続ける声に、応えることもできないまま――――……‥‥


「……ダーリン…分かったよ…。だから………だから…ね……」


そのまま「もう休んで」と口にできたなら良かっただろう。あの少女のように。「自分のことも大事にしてよ」と。――――けれど、できない。

「……言えるわけ……無いよ」

そう震える声で呟き、顔を覆う。
レルピィには言えなかった。彼のことを誰よりも傍で見てきたからこそ。口にはできないのだ。
彼の藻掻く姿を、あがく姿を否定したくなかった。否定できなかった。
どれだけ傷つこうと。どれだけ苦しもうと。彼が望みを棄てず、諦めずに立ち上がろうとするのならば、黙ってその背を見つめることしかできないのだ。

不意に、気配を感じる。ハルピュイアがゆっくりとした足取りで再びこちらへと近づいてくる。
二振りの刃を両手に握り。今度こそトドメを刺すために。禍根を断ち切るために。
ソニックブレードの柄を握り、ゼロを睨みつける。

――――分かっている

どうしてこの男が尚も生きているのか。それは自分の刃に迷いがあったのだ。分かっている。自分でそれを理解している。
だが、振り切らねばならない。己が抱えている正義への迷いを。心の奥底に根付くDNAデータの呼応を。
断ち切らねばならない。今度こそ、完全に。



ハルピュイアの気迫が、熱気とともに伝わる。
レルピィは戦慄する。きっともう、奇跡は起こらない。ここでゼロは殺されてしまうのだ。今目の前に立ちはだかる男の刃によって。
素早く思考を巡らせる。この窮地を脱する方法を。どうか、大切な彼を生かす方法を。


「……道は……………――――ッ!」



瞬間、脳裏に閃く。


出撃前に聞かされたセルヴォの言葉を思い出した。
ああそうだ。確かに一つだけある。
一か八かの賭けが。たった一度きりの命懸けの賭けが。

ぐっと口を真一文字に結び、彼の顔を見つめ、考える。
“それ”は正真正銘、最期の賭けだ。

――――でも……

不思議と、心は直ぐに決まった。
いや、不思議などではない。当然だろう。

誰よりも愛する彼が、これ程までに苦しんでいるのだ。その身体を支えることが出来るのならば、例えこの身を投げ打つことになったとしても構わない。
その程度で彼を救えるのならば、喜んでこの生命を差し出そう。

「……ダーリン」

堅い決意とともに呼びかける。しかし当の本人からは、やはり返事は返ってこない。
しかし、それでも構わない。きっと自分がその意識と、意志を取り戻してみせる。
静かに、そっと鼻筋に触れる。感触はない。仕方のない事だ。彼女は情報生命体サイバーエルフ。実体のない妖精なのだから。
けれど分かる。温もりを感じる。何よりも愛おしいその温もりが、胸の奥にこみ上げてくる。

「……大丈夫…だよ」

虚ろな瞳に向けて、優しく囁きかける。慰めるように。包み込むように。
そう、大丈夫だ。どれだけの困難に当たろうと。どれだけの苦境に立たされようと。
どれだけの傷を負おうと。どれだけの敵が目の前に立ちはだかろうと。

「私が支える。……私が、力になるから」

苦しみと悔いに嘆き続けてきた、その心を支えよう。救いたいと願う、優しいその心を助けよう。
これから、いつまでも。誰よりもアナタの傍で。


「だから……最期に、一つだけ伝えさせて」


そっと唇を重ねる。
レルピィの身体は光の粒子に変わっていき、そのままゼロの身体へ溶け込んでゆく。





――――出逢った時から 今日まで








    ううん




    ずっと いつまでも






    誰よりも











    アナタのことを















    愛してるよ
























呆然とその様子を見つめるハルピュイアを余所に、レルピィはゼロの身体へ染みこむように消えていった。
軽やかに飛び回っていた妖精の姿は、やがてその面影すら失くしてゆく。


宙に舞う光の残滓だけが、まるで宝石のように煌めいていた。

























































         ・・・‥‥‥…………………………








        [……System recovery is completed. ]
























        [―――― S Y S T E M :“ A B S O L U T E ” S T A N D B Y ――――]





































 NEXT STAGE











       ABSOLUTE - JUSTICE



















[34283] 26th STAGE 「ABSOLUTE - JUSTICE」
Name: 村岡凡斎◆45ff140f ID:697d6d9c
Date: 2012/12/17 00:06


  ―――― * * * ――――


瞬間、壮絶な輝きとともにとてつもない突風が吹き荒れ、ハルピュイアは思わず眼前を手で覆った。
その正体は、肌にまでピリピリと感じる極大のエネルギー波。取り巻いている中央はあまりの眩しさで、ほんの少し目を向けることすら叶わない。

――――いったい……なにが!?

その壮絶な光景は、地上の戦闘を、空中に浮かぶメカニロイド達の動きを、軍団の者達全員の動きを静止させ、その全ての視線を奪っていた。
やがて、その鮮烈な輝きは収まり始め、突風もその強さを失ってゆく。煙のように取り囲んでいた粉塵が方々に散り始め、その中央に居座っていた男が姿を現す。

そしてハルピュイアは言葉を失った。
先程まで、擬似体液まみれの瀕死の男がそこにいた。間違いない。紅黒く滲んだ白いコートが今でもまだ記憶の隅に残っている。
だがしかし。姿を見せたのはまるで別の男だった。

見窄らしい白髪は、鮮やかな白銀の輝きを放っていた。白かったコートと腕部、脚部を包むアーマーは、いずれも漆黒に塗りつぶされていた。
そう、漆黒――――まるで全ての狂気と悪意をその身に纏ったような黒。しかしそれでいて、男が発する雰囲気は正に、神話に語り継がれる気高き英雄の“それ”だった。

「なん…なんだ…………その姿は!?」

驚きを隠せず、ハルピュイアはそう問いかける。
だが、漆黒の男――――ゼロは答えない。彼は自身の内に起こった変化に、固く瞼を閉じて心を寄せていた。

――――ああ、分かるよ

ハルピュイアの刃により切り刻まれたはずのコートと、自身の体。そのどれもがまるで何もなかったかのように、綺麗に修復されていた。
右腕で胸の辺りを強く握る。その奥で動力炉が軽快に動き、じんわりとした優しい熱がしっかりと伝導している。氷のように冷えきっていた手足。その先端まで、熱い血潮が巡るのを感じる。
すべてのプログラムからエラーが抹消され、体中の回路が正しく繋がり、正常に機能しているのが分かる。
力が、泉のように湧き出てくる。止めどなく、溢れてくる。
そしてまた、体中に駆け巡る温もりと、優しさと、熱い“想い”を感じる。靭やかに。鮮烈に。

――――お前の“想い”が全身に染みてくる

最期の言葉が、耳の奥で強く響いている。何よりも。どんな呪いの言葉よりも。力強く。鮮明に。響いている。
命懸けで届けようとしてくれた強い想い。この心を優しく包み込んでくれている。暖かく。切なく。そして何よりも愛おしく。


――――すまない、それでも俺はお前の気持ちには答えられない


断言する。それだけは決してできないと。
気休めの嘘を返すことはできない。正真正銘、本気の心を捧げてくれたお前には。

けれど、受け止めよう。
こんなにまで愛しく慕ってくれていたことを。
命を捨ててでも、この身を救おうとしてくれた、深い愛を。

だからこそ、俺からも伝えたい。

こんなにも脆く、不甲斐ない俺を。最期まで支え続けてくれた、大切なパートナーであるお前に向けて。
これからも、この胸の中で共に闘い続けてくれる、お前に向けて――――……‥‥











「……レルピィ。こんな俺を愛してくれて ありがとう」















傍らで恥じらいながら微笑む彼女の姿が、見えたような気がした。






















 26th STAGE











       ABSOLUTE - JUSTICE






























  ――――   1   ――――


立ち上がると共に、宙に残ったエネルギーの残滓が、大きく舞い散る。
しかし、そのどれよりも眩しく輝くのは、中央に立つ漆黒の戦士だった。

SYSTEM:ABSOLUTE――――自身の脳内に表示されたその文字列を再び思い返す。
マグマニオンとの戦闘の最中、自身の体内から突き出そうとしていた破壊衝動の正体は、全身のカラーを見る限り、おそらくこれだろうと推測できた。
けれど、今ははっきりと自我を保っている。間違いない。レルピィのおかげだ。
全身を循環するエネルギーの絶対量が飛躍しているのが分かる。まるで噴出すようにエネルギーが湧き出ているのだ。
視界の隅に表示された数字に注目する。おそらくこの状態でいられる制限時間。――――300秒。五分間。

「それだけあれば、十分だ」

足元に落としていたゼットセイバーを拾い上げ、刃を展開する。それはいつもの緑ではなく、紅紫色に輝いていた。

「……所詮死に損ない……色が変わったところで!」

ハルピュイアはソニックブレードを構え、そう言い切る。
熱センサーが捉えた熱量にはまるで変わりがない。どんな変化が起きたのかは知れないが、形勢を逆転できるとは思わない。
とは言え、これ以上生かしておく訳にはいかない。どのような不確定要素が起きるかもわからない。
地を蹴り、一息で間合いを詰める。戦闘準備の整っていないゼロを完全に捉えた。先手は貰った。

「覚悟ッ!」

そう言い切り、胴から断ち切る。同時に、ゼロの身体がまるで陽炎のように揺らめいた。
「バカな!」――――そう叫ぶより先に、後方に構える気配を感じ取る。
確かに捉えた。そこに実体として。もしも先ほどの姿が幻覚だったというのなら、魔法でも無い限り信じられない。
そう困惑している内に、逆に距離を詰められる。そして勢い良く下から切り上げられる。咄嗟に後方へと躱すが、衝撃波が胸を斬り裂く。

グッと奥歯を噛み締め、ソニックブレードを振るう。だが、放ったソニックブームが切り裂いたのはまたしてもゼロの残像。
本人は真横へ回り込み、ハルピュイアの身体を乱暴に蹴り飛ばす。防ぎきれなかった身体は甲板上を滑るように転がるが、すかさずゼロの追撃に備えて無理やり跳ね起きた。
予測通り、すぐそこまで迫るゼロに、ハルピュイアは「もう一度」と迎え撃つ構えを取り、ソニックブレードで斬りつける。だが、セイバーを構えるゼロの姿はそこから煙のように消え、気づけば全身を稲妻が駆け巡る。
激痛に、言葉にならぬ叫びを上げ、それが止んだ時には覚束ない足で、よろめく。

「降参するなら今のうちだ、賢将ハルピュイア」

「……抜かせッ!」

声を荒げ、空中へ飛び上がる。

「地べたを這いずっていろ! イレギュラー!」

更に空中へと上がり、我武者羅にソニックブームを叩きつける。だがゼロは表情を変えること無くゼットセイバーを一振りする。たったそれだけで全てが相殺され、消え失せた。
そしてゼロは何の躊躇もなくハルピュイアを追撃すべく、地を蹴り飛び上がる。

「届くわけがない!」

そう叫びながら再びソニックブームを繰り出す。それらを同様に捌きながら、ゼロは不敵に笑う。


「悪いな。今の俺は―――― 空 だ っ て 飛 べ る の さ ! 」


言い放つとともに片足を下へと振るう。すると、まるで地を蹴ったかのような勢いで加速し、気づけばハルピュイアの頭上にいた。

「そんな……バカなことが――――……‥‥!?」

驚きのあまり、対応が遅れる。その逡巡が命取りだった。
ゼロはその場で刃を外側に向け、回転する。そこから巻き起こる衝撃刃が刃のように広がり、ハルピュイアの身体を斬りつける。
ハルピュイアはそのままヘルログマーの甲板に叩きつけられた。堪え切れず吐血する。

すかさず直下に向けられたゼットセイバーの刃が、瞬時に鋼鉄の刃へと変形し、そのままゼロは降下してきた。
ハルピュイアは咄嗟にソニックブレードの刀身を重ねあわせ、自身の腹部を貫こうとするその切っ先を防ぐ。

「 ぬ ぅ ぉ ぉ お お ぉ ぉ ぉ ぉ お お ぉ ぉ ぉ ‥………‥ッ!! 」

叫び声を上げながら、全力で弾き返す。
なんとか腹部は貫かれずに済んだものの、甲板に押し付けられたダメージは大きい。よろけながら立ち上がり、ゼロを探す。
すると、どこに隠れるでもなく、悠然と頭上にゼットセイバーを振り上げたまま、ハルピュイアが起きるのを待っていた。

「百年ぶり……ってとこだろうからな。俺にもどれだけ制御がつくかは分からん」

その刀身から煌々と放たれるエネルギー光と止めどない殺気。
どれだけ危険な技が放たれるかは容易に想像できた。

ゼロの持つ必殺の技――――アースクラッシュ、そのエネルギーをゼットセイバーへと送り込む。
ともすればオーバーヒートを起こしかねない状態を、ギリギリ保っていられるのは、作動している急速冷却装置のおかげだ。

SYSTEM:ABSOLUTEの根本を支えるのは、動力炉の限界稼働による爆発的なエネルギー生成と、特別急速冷却装置の稼働だった。
最初にハルピュイアへと見せた残像は、爆発的に生み出したエネルギーを、自身同様の形状に形成し放出する技“双幻夢”。その高エネルギー性故、ハルピュイアは実体と捉え、惑わされた。
次に見せた空中へと駆け上がる技、“空円舞”。圧縮したエネルギーを瞬間的に足元へ放出することで、まるで駆け上がったかのように、空へと飛び上がったのである。

そして今、放とうとしている技は、彼が持つ剣技の中でも最凶最悪と呼ぶに相応しい。
アースクラッシュ数発分のエネルギーを、ゼットセイバーの刀身へと送り込み、眼前の敵を一撃のもとに葬り去る刃を放つ、究極剣技。

「堪えろよ。お前を殺すつもりはないからな」

そう言い放つと、雄叫びを上げ、刃を振り下ろす。



    如何なる“幻想”も


    如何なる“夢想”も



    “零”へと帰す、終極の刃――――……‥





















    “ 幻 夢 零 ”  



















刹那、大気を震わすほどの衝撃波とともに、十数メートルはあろう光の刃が空間を切り裂いた。




































  ―――― * * * ――――


「ハル様!」

外の光景に思わず飛び出そうとするリディアを、ヴァシレフが引き止める。

「行くな! ハルピュイア様の指示を忘れたか!?」

「でも…!」

ヴァシレフの瞳もまた、不安と動揺に揺らめいているのが分かった。それでも尚、忠実にこの場を護ろうと、彼は己を抑えているのだ。
リディアはその姿に倣い、深く息を吐き、駆け出したい衝動を押し殺す。

「それでいい。我々が降りたところで、何の解決にもなるまい」

紅いイレギュラーとの激闘の果て、ハルピュイアに万が一のことがあったとして、彼ほどの戦闘力を持たないヴァシレフやリディアにそれをどうにかする力は無い。
彼らにできることはただ、彼の指示と言いつけを守り、残りの部隊を率いることだけだ。

「万が一の時は、貴殿に指揮を執ってもらわねばならぬ。進軍続行にせよ、帰投にせよ…な」

「……そうでした。すみません、取り乱して」

「いや、気にするな」とヴァシレフは硬い表情のまま返すと、軍団の戦闘状況をオペレーターに問いかけた。
依然としてこちらが優位にあることは変わらない。とは言え、それを覆すだけの力を紅いイレギュラーが持っている可能性もある。

万が一の時――――ハルピュイアの生命に関わる事態が起きたならば。その結果この戦局が覆るようなことが起きたならば。
リディアは速やかに撤退を全軍に指示し、本国へ帰らねばならない。その役目を果たさなければならない。
それこそが、彼から託された信頼なのだから。
そうは言い聞かせてみるものの、それでも不安は尽きない。

「ハル様……どうかご無事で」

粉塵に包まれる甲板上へ視線を落としながら、一人呟いていた。















  ――――   2   ――――


タイムリミットを迎え、ゼロの身体から力が抜ける。それに合わせて、体中の漆黒が抜け落ちてゆき、代わりに元の真紅が染め上げてゆく。白銀の髪も、毛根の辺りから金髪へと色が戻っていった。

――――これで、決着のはずだ

巻き起こった粉塵により、ハルピュイアの姿は覆われてしまい確認できない。
手加減の効かない相手だった。その信念を断ち切るには。それ故放った最強技。だが、殺すつもりのなかったゼロの心にはそれが引っかかっている。
敵とはいえ、“あいつ”の分身同然の相手を倒すというのは、些かつらいところだ。ファーブニルと刃を交えた時も、同様の想いになったのを覚えている。

とは言え、この決着も仕方のない事だ。
互いに命を懸けて、それぞれの護るべきもののために戦ったのだ。その果てに生命を落としたというのならば、本望だろう。

「許せよ、ハルピュイア」

そう言って、身を翻す。
目指すは艦橋。制圧し、ヘルログマーを利用して部隊を完全に止めねばならない。
空になったコアユニットを寂しげに見つめ、そう自分に言い聞かせると、身を翻して艦橋に向けて甲板上を歩き始めた。




























    「 認 め ら れ る か ぁ あ あ ぁ ぁ あ ッ ! ! ! 」










雄叫びとともに、粉塵にまみれながら一つの塊がゼロへと向かい突進してくる。

「ハル…ピュイア……!?」

半壊しているフライナーユニットを全開に吹かしながら、小柄なハルピュイアの身体は、振り返るゼロを弾き飛ばす。
既にショルダーアーマーも、ジャケットもボロボロに成り果て、顔を覆っていたバイザーも砕けてなくなっていた。
我を忘れたように毛髪を振り乱しながら、鬼の形相で叫ぶ。

「認められるわけ……無いだろうがァァああ!!」

ソニックブレードをなりふり構わず振り回す。
繰り出されるソニックブームはあらぬ方向へと飛んでゆくが、その一撃一撃の重さは変わらない。ゼロは自分の方へ飛んでくる刃を躱し、防ぎ、掻い潜りながらハルピュイアへと駆け寄る。
ゼロの接近に合わせ、ハルピュイアも前へと進み出る。

「コイツ……ッ!」

その瞳に躊躇いの色はない。いや、それどころの話ではない。恐怖や生への執着、およそ正常な神経を全てかなぐり捨てた、狂気の滲んだ瞳。
凄絶な迫力に、ゼロが気圧される。

「貴様如きに! イレギュラー如きに! 負けを認められるわけがぁ……!」

しかし繰り出す刃の動きは冷静な状態に比べれば遥かに読みやすい。感情のままに振るう剣はどれも一本調子となり、その軌跡は、一向にゼロの身体を捉えられない。

「いい加減に……しろぉ!」

一瞬の隙を衝き、ゼットセイバーを大きく振る。乱雑に振り下ろされたソニックブレードによって防がれるが、力の押し合いで勝り、ハルピュイアの身体を弾き飛ばす。
再び小柄な身体は甲板上を跳ねながら、転がってゆく。

「勝負はついた! これ以上、トチ狂った頭で向かってこようが、勝敗は変わらない!」

「 黙 れ ぇ ! 」

倒れこむ身体を、無理やり起き上がらせ、ハルピュイアは吠える。
冷静沈着な“賢将”の姿は見えない。そこにいるのは妄執に憑かれた狂気の“鬼”だ。

「認められないんだよぉ! 負けは! 絶対にぃ!」

片腕で地を叩き、飛び上がる。そのまま一直線にゼロとの距離を詰める。

「エックス様の! “僕”の正義が! 負けるわけには! いかないんだぁぁあぁあ!」

力任せの大振りを繰り返す。肘も、肩も、その乱暴な動きに悲鳴を上げているが、それすらお構いなしに、ハルピュイアは二つの牙を振り続ける。

「認めろ! お前は負けた!」

ソニックブレードをゼットセイバーで弾き返す。
右手から柄がこぼれ落ちるが、ハルピュイアは構わずその手を前へと伸ばす。遂には左の剣も落とし、ゼロのコートの襟を両手で鷲掴み、そのままフライナーユニットを吹かして加速する。

「馬鹿…野郎! このままじゃ……――――!」

「砕けろぉ! 紅いイレギュラァァああァァァあ!!」

叫びとともに二人は飛行甲板から滑り落ちる。そして急速に落下してゆく。
それでもハルピュイアの勢いは止まらない。直下へと向けて加速するだけ。


「勝つ! 絶対に! 負けない! 僕は! 正義は! イレギュラー如きに! 絶対に!  負 け ら れ な い ん だ よ ぉ ! ! 」


「闘いの技を忘れ! 挙句! 己の身を顧みない無謀な特攻か! ――――イレギュラーはお前だ! ハルピュイア!」






「 黙 れ ぇ ぇ ぇ ぇ ぇ ぇ ぇ え ぇ ぇ え ぇ ぇ ぇ ぇ ぇ ぇ ぇ っ ! ! 」












残り十数メートルというところ、ゼロは復活していた全身のエネルギーを集約し、脚部の緊急加速装置から放つ。
膝と股の間接が軋むような音が骨格を通じて聞こえてくるが、それに構っている場合ではない。


ゼロの雄叫びが天に突き刺さる。
同時に、二人は地面に激突した。激しく大地が揺れ、砂塵と砂埃がまるで爆煙のように巻き上がった。

……しばらくの後、ゼロはよろめきながら立ち上がる。空中に巻き上げられた礫が、髪に振りかかる。
間一髪、勢いをある程度まで殺し、体勢を入れ替え、ゼロは己の身を守ることができた。

「くそ……なんて野郎だ」

窪んだ大地に倒れたままのハルピュイアを睨み、悪態をついて、その場を離れる。
なりふり構わないまさかの攻撃に、ゼロは驚きを隠せない。
ヘルログマーからの落下は予定外だ。これでは利用しようにも、再び乗り込まねばならない。

「どうする……コイツを人質にでも使うか……?」

自嘲気味に呟く。自分にそんな卑劣な手が取れるだろうか。
これに答えてくれる声が今は聞こえない。自嘲は苦笑に変わる。

「分かってるよ……絶対に勝ちをもぎ取ってみせる」

命と引き替えに生かされた身だ。
自分こそ負けは許されない。もし、諦めてしまうならば、きっと彼女も浮かばれない。
背中を叩かれたような気がして、ゼロは白の団の出撃口へと歩き出す。ライドアーマーを調達して、再び空へ上がるのだ。



「――――……ッ!?」

並々ならぬ気配に、思わず振り返る。驚くべきことに、彼は立ち上がっていきた。
全身を砕かれるほどの激痛が走っただろう。それでもハルピュイアは、立ち上がってきたのだ。
よろめく身体を、無理やり立たせようと、踏ん張る。だが、その足もまた、今にも折れそうな状態だった。

「……ない……だろう……」

微かに聞こえてくる声に、耳を傾ける。

「認められるわけ……無いだろう……絶対に……」

「お前……まだ…!?」

まるで駄々をこねる子供のように、ハルピュイアは同じ言葉を繰り返していた。
そしてまた、叫ぶ。



「認められるわけ無いだろう! 絶対に! 負けを! 認めてしまえば、僕は――――……!! 」



だがその声は、叫ぶ表情は、先程までとはまた打って変わっていた。
悲痛な響きを含ませ、苦痛の表情を浮かべながら、叫んでいたのだ。


それはまるで、懺悔の姿に見えた。





























  ―――― * * * ――――




『迷いが見えます。あなたの“正義”には』




この手で両断した黒狼軍幹部シュウェット・レノーの言葉が、薄暗い洞窟の壁面の様子と共に、まだ脳裏に焼き付いている。

――――ああ、そうだ

言葉の上では、否定とともに切って捨てた。だがそれでも、心の中では跳ね返すだけの確かな依代がなかった。
斬り捨てた者のことを覚えている。ある程度は。なにせ、数えきれぬほど、斬り捨ててきたのだ。――――“正義”の名のもとに。

救世主ロックマンエックスが掲げる“正義”こそが絶対であると信じ、それに逆らう者たちを斬り捨ててきた。
迷いがなかったかといえば、嘘になる。この刃の断ち切るものが、“悪”であるかどうか。
屍を築いた数だけ、悩んだ。今行なっているものはどうか。今眼の前に起きているものはそうなのか。


『これが………“正義”か?』


己の手で切り落とした生首と視線を交錯させながら、自身の内に問いかけた。
何度も。幾度も。飽きるほど。いくつもの朝と夜を乗り越えて。問いかけ続けた。

いつしか、一つの答えに辿り着いた。――――否、一つの答えを作り上げた。

――――そうだ……これが“正義”だ

今、この手で行なっているものが。これまで何度となく行なってきたものが。
同胞を殺め続け、屍の山をいくつも築き上げ、裁きと称して殺戮を繰り返したものが。

それこそが“正義”だ。


『………でなければ、何だというのだ?』












    まるで稚拙な言い訳のように、僕は“正義”を繰り返してきた。



























  ――――   3   ――――


「認められるわけ無いだろう……絶対に」

人間ならば涙を流していてもおかしくはない、俯き加減に情けなく歪めた表情。
消え入りそうな声で弱々しく、まるで懺悔のように言い放つ。

「認められるわけ無いだろう……こんなところで負けを……」

そして抱えていた想いの丈を吐き出すように、悲痛に叫ぶ。

「今更! 今更! “過ち”だったと! この“正義”が“過ち”だったと! 認められるわけが無いだろう!」

さらにその表情を、悲痛に歪める。
まるで心の奥を、強く握りつぶされてしまいそうだ。


「どれだけ殺したと思っている!? どれだけ裁いてきたと思っている!? “正義”の名のもとに!」


    繰り返した


    僕は “正義”を繰り返した


    まるで稚拙な言い訳のように


    何度も 何度も 繰り返してきた



「殺して! 壊して! それなのに! 今更その“正義”が“過ち”だったと! 認めていいわけがないだろう!」



    もしもその“正義”が折れるのならば


    もしもそれが“過ち”だったのならば


    殺めてきた生命はどうなる


    この手で下した裁きがどれも“過ち”だったのならば


    あの骸が空虚な瞳で見つめていた 僕の姿は


    いったい何だったというのだ



「だから! 負けられないんだ! 絶対に! 負けちゃいけないんだ! 僕は!」



    この“正義”が“絶対”であることの証に


    この手で殺めてきた生命が、“必要”であったことの証に


    負けてはならない


    折られてはいけない


    引き返せない道を 走り続けなければならない



    でなければ







    彼らの死は いったいなんだったというのだ……









「“正義”は……勝ち続けなきゃならないんだぁ!!!」





最後の力を振り絞り、地を蹴る、覚束ない足取りで、ゼロへと向かって駆け出す。
そして、持てる力の全てを出しきって拳を固く握りしめ、咆哮とともに、真っ直ぐ前へと突き出した。





ゼロの頬を捉えた鈍い感触が、表面に満ちる。殴り飛ばそうと、拳を振り切ろうと、踏ん張る。
だが、ゼロの身体は動かない。どれだけ力を注ごうと、ゼロの身体はそこから少しも動かない。
不意に拳の向こう側から、微かに言葉が聞こえてくる。

「……れが……“正義”か…」

ゼロはただ首に力を入れ、ハルピュイアの拳を押し返し始めた。
そして、また語気を強めて言い放つ。右腕でハルピュイアの拳を掴みながら。

「これが……この程度が………お前の“正義”か…?」

気圧されるハルピュイア。その拳を掴み上げ、ゼロはそのままハルピュイアのジャケットの襟を鷲掴む。そして怒りの形相で強く叱咤する。



「 思 い 上 が る の も い い 加 減 に し ろ ぉ !」



そのまま振り下ろされた拳は、ハルピュイアの身体を地面に叩きつける。
落下の痛みが残る身体に、衝撃が走り、思わず「うぁッ」と声が漏れる。
だが、ゼロの両手はハルピュイアの襟元を再び掴み上げる。そしてそのまま無理やり立ち上がらせると怒りをほのかに含んだ低い声を響かせる。

「……無いんだよ、そんなもんは」

その声が体を芯から震わせる。
ゼロは息を大きく吸い込み、もう一度吠えるように言う。


「無いんだよ、そんなもんは! お前の言う“絶対”の“正義”なんてもんは! どこにだって! いつだって! ありはしないんだよ!!」


百年前だろうと。現代だろうと。何ら変わること無く、存在しない。誰もが従う“絶対”の“正義”など。
世界に国家が唯一つとなった今でも、人々の信条はまとまり切らない。人類だけでなく、擬似生命体レプリロイドも含め、誰もがそれぞれの正義を掲げ、生きている。
衝突があれば折れる“正義”がある。残る“正義”がある。消える“正義”がある。必勝を約束された“絶対”の“正義”などどこにもない。

「それでも……」

ゼロは尚も言葉を吐き出し続ける。

「それでも“あいつ”は探していたんだ! その“正義”って言葉を掲げて! 何度も折られて! それでも戦い続けていたんだ! “正義”ってやつを信じて! 求め続けて!」

脳裏によぎる百年前の風景。
背中を預けあった“あいつ”は戦い続けていた。“正義”を叫んで。
しかし、その度に立ち塞がる壁。険しい茨の道。躓いては転んだ。挫けた。涙をこぼした。幾度と無く過ちを繰り返した。
それでも足掻き続けて、前へ進み続けた。“正義”を信じて。幾つもの生命を奪いながら、その先にある“未来”を掴み取るため。
“正義”の力を信じて歩み続けた。決して諦めること無く。真っ直ぐに前を見据えながら。

「だからこそ、俺はそんな“あいつ”を信じた! 何度も立ち上がって、前に進む“あいつ”を!」

数多の敵をその手で葬り、そのことを何度となく嘆き、それでも走り続けた。
多くの者達を救いながら、守りながら、時に剣となり、盾となり。這いつくばってでも、足搔きながらでも、藻掻きながらも前へ、前へと。


「意気地なしで! 泥臭くて! それでも諦めない、そんな“あいつ”の姿こそが! “あいつ”こそが、俺にとっての“正義”だったんだ!」


その視線はいつしかハルピュイアを向いているようで、彼を捉えてはいなかった。
目覚めてこの方、心の奥で燻っていた想いが、堰を切って溢れだす。



「 な の に ! ――――なんなんだよ、この世界は……」

荒れ果てた大地の上、強者に追い立てられ、弱者は貧しく身を寄せ合う。

「なんなんだよ、この“未来”は……!」

理不尽な暴力は止まず、今も理想を求める者たちはその生命を散らしている。

「これが……お前の求めた“世界”か……!?」

ほんの僅かな幸福を求める者が、それすら赦されず、無情な血を流す。

「これがお前の作りたかった“未来”なのかよぉ!?」

それぞれが愛する者のため、護るべきもののため、その身を捧げる者たち。
その願いも報われず虚しく屍に変わってゆく。

「これがお前の…… 俺 達 の 求 め た “ 懐 か し い 未 来 ” っ て や つ な の か よ ぉ ! ? 」

少女が肩を震わせながら零す一滴の涙。それすら拭うことのない、この世界が。
多くの者達の、絶え間ない悲劇の死を容易に受け入れる世界が。
求めた“未来”だというのか。それを赦すことが“正義”だというのか。

「答えろ! なあ! 答えてみせろ!!」

そして天を仰ぎ、一際大きな声で叫ぶ。
ここにいない“あいつ”に向けて。――――全身全霊の怒りと憤りを、胸の奥から噴き出すように。






「 答 え ろ ぉ !  エ  ッ ク ス  ! ! 」

















叫びは、虚しく木霊する。遠い空の果てまで。
しかしそれでも、答える声は聞こえてこない。誰も、何も答えてはくれない。
力の抜けたゼロの手から、呆然とするハルピュイアの体が滑り落ち、その場に座り込む。その瞳は、ジッとゼロを見つめ続けている。
やがて、木霊が消えた頃、ゼロはハルピュイアを見下ろす。そして、言い放つ。どこか悲しげに。悔しげに。


「“正義”は死んだ。もう、どこにもいない」


その言葉はゼロにとってのケジメだった。

呆然としたままのハルピュイアをその場に残し、ゼロは振り返る。
そのまま歩き出そうとする。と、「待て」と小さな声が呼びかける。

「お前の言葉が真実ならば……“正義”がどこにもないというのなら……」

縋るように、求めるよに、ハルピュイアは悲痛な嘆きの問いを口にする。

「僕はいったい……これから何を信じてゆけばいい?」

何を掲げ、生きてゆけばいいのだ。
多くの者達を殺めた業を背負いながら、それでも心折れずに、どうやって前へ進めば良いのだ。

足を止め、暫くして、ゼロは振り返る。
そして言葉を紡ぐ。救いを求める彼の心に、確かに染みこむように。

「探せ。かつて“あいつ”がそうしたように」

業を背負ったまま。罪を抱えたまま。

「足掻いて、藻掻いて、進み続けろ」

その手にかけてきた者達の、死に顔を心に抱きながら。
それでも前を向いて、強かに生き続けろ。


「その先にきっと……お前にとっての“正義”が見えてくる筈だ」


いつかの“あいつ”の背中のように。
胸に突き刺さった言葉を、心の中で繰り返し、それからハルピュイアは深い溜息をついた。

――――完敗だ

何もかも、完全に負けていた。
勝利にかける信念も。見据えているものも。抱えていたものも。信じているものも。
言葉通り、何もかもが。


「……リディア、聞こえるか」

〔ハル様……ご無事ですか!?〕

通信回線の向こう側で、飛び上がるように答える彼女。心配し過ぎて気が気でなかったのだろう。
そんな彼女に申し訳なく思いながら、彼女が再び飛び上がるような言葉を告げる。

「全軍を停止させて、退却しろ。これ以上は余計な損失を生む」

〔え………ええッ!?〕

「以上だ」と通信を不躾に切断した。

――――仕方あるまい

自分一人の敗北で、優勢な戦場において全軍を停止するなど、愚の骨頂としか言いようがない。

だがしかし、こうせざるを得なかった。
何より、紅いイレギュラーはハルピュイアを斬らなかった。情けをかけたのだ。圧倒的な勝利の上で。
それを跳ね返すだけの信条を、今のハルピュイアは持ち合わせていない。
それ故に、ハルピュイアは紅いイレギュラーを斬ることができない。そこまでの卑怯者に成り下がるつもりもない。
となれば、この先戦線を続行するにあたり、彼を誰が止めるというのか。
無論、ここまでの戦闘での疲労は蓄積しており、彼も本領を発揮することはできないだろう。だとしても、いったいどれだけ戦力を投入すれば、今の彼を止められるのか。
結局のところ、不確定要素がありすぎる今は、戦線続行はこちらの被害を増やすだけとしか思えない。恥の上に恥を塗り重ねるつもりはない。――――それ故の全軍停止、そして退却なのだ。


それでも内心では、どこか安堵のようなものを感じてならなかった。
脅迫めいた信仰を断ち切られ、その上で「前に進め」と言葉をかけられた。
そのようにして新たな道を示されたのだ。“未来”への道を。


「今は……構わない」


次に会うときは必ずや倒してみせると胸に誓い、去りゆく背中を真っ直ぐに見つめていた。














































  ―――― * * * ――――


















突如として起こった事態に、頭の整理が追いつかない。己の目に映ったその光景が、どうにも理解できない。

――――どういう……ことだ……

その場を離れてゆく男の背中を見送った後、立ち上がろうと膝を立てた瞬間、閃光が走り抜けた。
気づけば、視界を遮っているのは真紅の背中。金色の長髪。
その向こう側には、漆黒のコート。白塗りの仮面。
交えているのは光の刃。

「どういう……ことだ……」

堪え切れず、遂に言葉が漏れ出す。
一瞬の内に起きた非常事態。突然の乱入者。――――それはまだいい。
何よりも理解できないのは、この二人の構図だ。

それが逆であるならば良かった。まだ理解できた。
漆黒の男が鮮緑の刃から自分を守ってくれていたというならば。しかし、目の前の光景はまるで逆だった。
敵であるはずの男が自分を守っている。そして味方であるはずの男が、自分に向けて刃を振り下ろしたのだ。

「答えろ……何故だ……どうして……」

追いつかない心のまま、ハルピュイアは真紅の背中――――ゼロの向こう側にいる“漆黒の男”へ問いかける。


「 何 故 こ こ に い る ! ?  フ ァ ン ト ム ! ! 」



薄笑いを浮かべたような仮面の下の表情は、どれだけ目を凝らそうと読み取れはしなかった。





























 NEXT STAGE











         隠将

























[34283] 27th STAGE 「隠将」
Name: 村岡凡斎◆45ff140f ID:697d6d9c
Date: 2013/01/28 22:27


  ―――― * * * ――――


時間は丁度、烈空軍団がレジスタンスの拠点へ総攻撃を仕掛けるべく旅立とうとしている頃に遡る。
議事堂の廊下を、未だ煮え切らない想いを抱えたまま、クラフトは一人歩いていた。原因は他でもない、つい先程まで交わしていたヴィルヘルムとのやりとりだ。
一言も発することなく、ただ黙々と歩いているその表情は渋く。交わしたやりとりが頭の中でループしていた。






『紅いイレギュラーの拠点が分かったというのに……我々には動くなと?』

招集を受けネオ・アルカディアへと一時的に帰還したクラフトが、ヴィルヘルムから最初に下された指示に対して返した言葉がそれだった。
紅いイレギュラーの本拠地と予測し、足を踏み入れた場所はバイル元老院名誉議長の別邸であった。とは言え、そこに住んでいたのは数十体のレプリロイドであり、とても無視できるような問題ではないような気がした。
だが、それについてヴィルヘルムからは口出し不要とだけ告げられた。理由は分からないが、バイルに対抗心を持つヴィルヘルムがそう言うのであれば、渋々でも引き下がるしかあるまいと理解した。
しかし、紅いイレギュラーに関する問題に関しては別だ。これまで必死の思いで捜索を続け、クラフト自身、様々な経緯から並々ならぬ執念を持って取り組んでいた任務を、ここで阻まれるというのは納得がいかない。
そんな彼の目を真っ直ぐに睨み、ヴィルヘルムは、『そうだ』と冷淡に、短く切り返す。

『意図が……分かり兼ねます』

湧き上がる憤りを堪えながら、クラフトは苦虫を噛み潰したような顔で、できる限りの抗議の気持ちを露わにする。
だが、ヴィルヘルムはその様子を鼻で嘲笑う。

『……わざわざ貴様に伝える必要のないことだ』

『“理由”がなければ、不本意な指示に誰が納得などできましょうか!?』

思わず声を荒げる。だが、ヴィルヘルムはいつもと同様『人間に逆らうか?』と睨み返す。
しかし、今度ばかりはクラフトも食い下がった。固く握った拳を地につけ、言葉を絞り出す。

『“言葉”が……納得できずとも、理解できずとも…………“言葉”が欲しいのです、閣下』

指示を与えられるだけでは、それこそ反発心を煽られるだけだ。それも、志を踏みにじるようなものならば尚更だ。
どのような意図なのか、細かい理由が知れずとも何かしらの言葉がほしい。今のままでは、余りにも足りな過ぎる。
少しだけ考えた後、ヴィルヘルムは『やれやれ』と肩を竦める。

『……良かろう、クラフト。貴様の忠義心と使命感とに免じて……その“言葉”、くれてやる』

それからいくつか言葉を選ぶと、再び口を開く。

『まず――――任務の一つを解く。今後、紅いイレギュラーを討伐するな。……いや、討伐することは“赦さん”』

『なっ!?』

ヴィルヘルムの言葉に、クラフトは耳を疑った。『紅いイレギュラー討伐を赦さん』――――彼は確かにそう言ったのだ。
憤りのあまり今にも叫びだしそうなクラフトに『落ち着け』とヴィルヘルムは言葉を続ける。

『……これにも理由がある』

勿体ぶるようなヴィルヘルムの様子に、クラフトは奥歯を噛み締めながら急かす気持ちを抑える。ヴィルヘルム自身も、どこまで話してよいものかと悩んでいるようにも見えた。
やがて、何か思いついたように口端に笑みを見せると、ヴィルヘルムはその“理由”を口にした。

『“終局へのシナリオ”が定まったのだ』

『「終局へのシナリオ」……?』

首を傾げるクラフトに対し『うむ』と頷く。

『……これまで、“我々”のシナリオには幾つかの分岐点があった』

これまでの戦いの中で、ヴィルヘルム達が描くシナリオには、複数のコマと、それらが絡む幾つかの道が予測されていた。
それがいつから仕組まれたことであったのかは、クラフトには想像がつかない。そもそも彼らの目的と、野望すら、クラフトには明かされていなかった。
だが、ヴィルヘルムの言葉から確信する。彼らが目指すものは、ネオ・アルカディアを覆す“何か”だ。そうした動き、流れを生み出すことだ。

『無論、クラフト――――貴様がその中心に立つシナリオも存在していた。だが、件のレジスタンス組織の本拠地を暴いたことにより、その道をとる必要は無くなったのだ』

『………それ故に、“紅いイレギュラーを生かす”…と?』

紅いイレギュラーが所属していると思しきレジスタンス組織の本拠地を特定できたことで、紅いイレギュラーを生かすことにした。――――そうヴィルヘルムは言っている。
『バカな』と思わず言葉を漏らす。クラフトには、どうしても理解し難かった。
当然だ。すぐ目の前に、手が届く距離にあの紅いイレギュラーがいるというのに、それを今更になって『追うな』と言われて納得できる者がいるものか。しかもその理由が、『相手の拠点を暴いたから』などというものでは尚更意味がわからない。
『説明を』とクラフトは再び要求した。だが、ヴィルヘルムは短く切って捨てる。

『そういうシナリオになったのだ。……聞き分けろ、クラフト』


『 で き ま せ ぬ ! 』


吠えるクラフトに、ヴィルヘルムは『ほう』と思わず感心したような声を漏らす。
その反抗は、これまでのクラフトからすれば、あり得ないものであった。力を持ちながら、人間に従順であり、扱いやすい駒であった筈の男が、今、はじめて反抗の姿勢を見せている。
一体どのようなキッカケがあったのか。確かにその瞳からは、紅いイレギュラー討伐任務に対する熱意と執念が、以前にも増してて感じられる。
だが、今のヴィルヘルムには、厄介なことだ。それ故に、理解させておかなければならないことがあった。

『…クラフトよ……貴様は…人間にとって、レプリロイドがどういう存在であると考える?』

唐突な問いに、クラフトは一瞬戸惑う。
『人間にとって、レプリロイドがどういう存在であるか』――――何故わざわざそのような問いを、このタイミングでヴィルヘルムは口にするのか。その意味を図りたかった。
同時に、至極冷静に、『安易な答えはできない』と心の声が危険信号を発しているのを感じる。迷った挙句『閣下はどのようにお考えなのですか?』と問い返した。
これが正しい答えであるかどうかはわからない。しかし、できうる限りの無難な答えであるのは確かだった。
ヴィルヘルムは『賢明だな』と、目で嗤う。それから、今度は勿体ぶることもなく率直に答えを告げた。

『レプリロイドとは……“機械”だ。人間にとって、“兵器”であり“道具”だ。――――それ以上でも以下でもない』

瞬間、クラフトは言葉を失った。
いや、ヴィルヘルムの姿勢を理解していなかったわけではない。目を逸らしていたのだ。そのようにこちらを見つめる視線を――――そのスタンスを、見方を感じまいとしていたのだ。
ヴィルヘルムとはそういう男だった。
人類のトップであり、およそ叶わぬ願いの無い地位に就き、数十年。そのような男がこのネオ・アルカディアにおいて、レプリロイドに対して友好的な態度を、姿勢を持つわけがなかったのだ。
ヴィルヘルムは更に言葉を続ける。


『それ故、レプリロイド如きが人類に……百歩譲って“英雄”と讃えられようとも、“救世主”などと崇め奉られるようなことは、あってはならんことなのだ』


『……閣下…それは………まさか………』

その言葉こそが、ヴィルヘルムの野望の真実を物語っていた。

彼にとってのレプリロイドはクラフトが手に取るビームランチャーと等しかった。
過去の人類が戦争に用いた戦車や戦闘機であり、或いはサブマシンガンでありリボルバーライフルだった。もっと言えば物を書き取るために使うメカニカルペンシルであり、釘を打ち込む金槌であり、畑を耕す鍬だった。
そして救世主は彼にとって、旧世紀の更に昔、人類が虜となった“原子爆弾”と等しかった。その威力やエネルギーを崇め奉り、平和のための抑止力と宣い、それでいてその威力に、危険性に恐怖すら感じる、そういう物。
しかし、本質は変わらない。釘を叩いて打ち込む簡素な作りの金槌同様、“道具”だった。

そんな道具に大事なのは“扱い方”と、その“捨て時”だ。

全てをクラフトが理解した瞬間、その表情を見て、ヴィルヘルムはニタリとほくそ笑む。

『クラフト……貴様に選ばせてやろう』

そうヴィルヘルムが告げた瞬間、クラフトは首筋に当たる冷たい刃の存在に気づいた。そして、その得物を手にする黒衣の男の存在にも。
絶句するだけのクラフトに、ヴィルヘルムは『道は二つ』と冷たく言い放つ。

『我らに従い、口を閉ざして生き延びるか……理想や志などという世迷言の類を抱いて、この場で処分されるか……。貴様はどちらを選ぶ?』

言葉に詰まった。
それは決して軽い脅しなどではない。今まさに、クラフトの生命はヴィルヘルムの采配一つに委ねられているのだ。

――――どちらを選んだところで…………

ぐっと奥歯を噛み締める。
誇りを棄て、生き延びたところでなんの意味があろうか。――――そんな風に勇ましく吠えられるものならば、そうしている。だが、それもまた容易に決断できるわけがない。
約束をした。誓いを胸に刻んだ。『いつか必ずや遂げてみせる』と、そういう志を立てたのだ。この場で生命が立たれてしまっては元も子もない。
だが生き延びるためには、その誇りを、約束を、誓いを、志を棄てなければならない。……その屈辱を今後噛み締めて生きなければならないのだ。
ふと、黒衣の男を横目で睨む。白い仮面に覆われた表情は窺い知れないが、その冷ややかな視線の中に含まれた殺意をクラフトは感じ取った。

『…………仰せの…ままに』

俯き加減でそう力なく呟く。それを聞き取ったヴィルヘルムは『利口な判断だ』と満足そうに嘲笑を浮かべた。

『よかろう、クラフト。……しかし、今後の言動には細心の注意を払うが良い。――――なにせ、我々には“最強の隠密機動部隊”がついているのだからな』

『ククク』と笑い声を漏らし、それ以上言葉を発せずにいるクラフトから視線を逸らす。そして、踵を返し、そのまま専用の扉をくぐり、退室していった。
あとに残された黒衣の男も、得物をクラフトの首筋から離すとそのまま素早く身を翻し、静かにその部屋から去って行った。

















不意に、足を止める。

「……いつからだ?」

クラフトは背後の柱に寄りかかった、先程己に刃を当てた黒衣の男へと問い質す。
男は、「よく気付いた」とでも言いたげに、肩を竦める。しかし答えようとはしない。
それでもクラフトは問い続ける。答えが欲しかった。

「いつから……貴様は……」

そこにいたのか? ――――いや、いつから“そちら側”にいたのか?
いつから俺は動かされるだけとなっていた。いつから奴の掌の上で、どれだけの者たちが踊り狂っていたのか。
いつから全てが決まっていたのか。いつから。いつから。いつから――――……‥‥






「………初めからだ」


男は冷たく言い放つ。鋭利なナイフのような響きが、クラフトの心を抉る。

「拙者は、初めから“全て”を知っている。………そして、初めから“全て”を見届けている」

「最高議長の――――ヴィルヘルムの真意を知っていて尚……か!?」

ヴィルヘルムの野望――――それは即ち、現体制の崩壊に繋がる危険なものだ。
だが、クラフトが知る限り、今目の前にいる者はそれに組みする筈の無い男だった。いや、誰よりもそれに逆らうであろう男であった。少なくとも、クラフトが知る限りは。
しかし、真実は残酷なものだった。――――誰よりも“救世主”に近しい筈の男が、誰よりも大きな叛意を持った人間の手駒だったのだから。

「拙者の主は………常にただ一人…だ」

そう言い残し、男は再び煙のように消えていった。ただ一人残されたクラフトは拳を握りしめ、横の柱を殴りつける。
もう何度目か。分からない。だが、これは確かな裏切りだ。誇りを、意志を、呆気無く踏みにじられた。まるでそこらに転がる小石のように。ゴミクズのように。
突き上げるような憤怒と、憎悪と、悔しさのあまり、クラフトは獣のような雄叫びを上げた。喉が割れるほどの、議事堂中に響くほどの大声で、まるでこの世の全てへと感情をぶつけるように。
しかし、それでも現実は何一つ変わることのないまま、クラフトの戦いは呆気無く終わりを告げられた。この数カ月感で味わった苦渋と、後悔の念を心の底に縛り付けたままで。

「…………終わらせてなるものか」

だが、それでもクラフトの心は折れることはなかった。
きっと、前の自分ならばこのまま情けなく引き下がることができただろう。しかし今の自分は違う。
突き進むと決めた以上、決して諦めるつもりはない。背負った使命と、託された約束の重さを、そして、遂げてみせると誓った理想が彼の意志を繋ぎ止めている。

「俺は……まだ生きている」

生きている。この場所に存在している。その限り、チャンスはどこかで必ず訪れるはずだ。
その時まで辛抱しようではないか。虐げられ続ける同胞の傷みを思えば、逆境の中闘い続ける“彼女”を思えば、この程度の障害は苦しみの内に入らない。
どれだけ裏切られようと、どれだけ踏みにじられようと構わない。今はただ、その時を待つのだ。――――そう、自分に強く言い聞かせ、歯を食いしばる。
打ち付けた固い拳の内側で、血が滲んでいた。






















 27th STAGE











         隠将


























  ――――  1  ――――


「何故ここにいる!? ファントム!!」

ハルピュイアは動揺した声で問い質す。いや、問いたいのはそれだけではない。
何故、自分に刃を向けたのか――――それこそが何よりも不可思議でならなかった。それを言葉にすることができなかったのは、その事実を受け入れたくなかったためである。
軽く鍔迫あった後、ゼロはファントムの刃を弾く。互いに睨み合うようにして、構える。

「答えろ! ファントム!」

尚も沈黙を貫く彼に、ハルピュイアは語気を強めて問い詰める。
すると、ファントムは何を思ったのか構えを解き、刃を静かに降ろした。

「……退け、紅いイレギュラー。今は御主を斬るべき時ではない」

白い仮面の下から冷ややかな、それでいて低い声が深く響く。
ハルピュイアは自身の耳を疑った。
ファントムは確かに言った『紅いイレギュラーを斬るべき時ではない』と。彼の狙いが紛れもなく自分であることを、強く証明しているようなものだ。
戸惑いのあまり、ついに問いかける声を失う。
代わりにゼロが口を開く。

「ほう。……俺を無視してこのボウズを斬ろうって? 仲間割れにしてもおかしな話だ。詳しく聞かせてくれ、隠将さんよ」

「御主に語る舌は無い。去れ。今刃を交えれば、御主が死ぬぞ」

「舐めてくれる」とゼロは苦笑を返す。だが、ファントムの言葉は最もだ。
SYSTEM:ABSOLUTEの発動によって回復した体ではあったが、その後に負った落下の傷は残っている。
決して本調子と言えない今、四天王の一角に名を連ねる猛者とやり合うのは、正直分が悪い。
しかし、何を思ってのことか、ゼロは引き下がらない。

「自分が見逃した相手を、目の前で斬り殺されるってのは寝覚めの悪い話だろう?」

「笑止。………其奴は御主にとっての仇敵。見逃すことも理解し難いが、その身を盾にしてまで何故護る?」

つくづくファントムの言葉は核心をついていた。
その通りだ。ゼロとハルピュイアは先程まで生命の奪い合いをしていた相手同士。
素知らぬ顔でこの場を去っても、ゼロは良かったはずだ。しかし、ハルピュイア本人ですら気付けなかった殺気を察知し、一瞬でその刃を防ぎに戻っただけでも驚愕の行動だ。
そして更に、ともすれば自身の生命を失いかねないこの状況で、何故、その身を盾にして護るのか。その理由はなんだ。
その問いに、ゼロは自嘲気味に笑う。

「そうさな、強いていうなら……」

ハルピュイアの顔に、僅かに視線を流した後、ファントムを睨みつける。

「せっかく自分の道に気付き始めた“前途有望な若者”を……こんなところで失うべきじゃないと思ったのさ」

「老婆心か……“ロートル”もそこまで過ぎれば、呆れも通り越す。なんとも見上げたものだ」

皮肉の応酬にも、ファントムの声は少しも揺らぐことがない。
「致し方ない」と呟くと、ビームサーベルを再び構え直した。

「少々眠ってもらうこととしよう。――――目覚めればよいがな」

「言ってろ、陰険野郎。“紅いイレギュラー”を舐めるなよ」

ゼロも再び、この避けられぬ闘いに、構え直す。
後ろから、「駄目だ」とハルピュイアが声を上げる。

「貴様の助力はいらん! 早く立ち去れ!」

その言葉は、ファントムの実力を知っているからこそ口を衝いてでたものだった。
しかし、ゼロは不敵に笑って返す。

「言っただろう。ようやく自分の道に気付き始めたんだ。生命は大事にしろよな」

「それは貴様もだ!」

慌てて立ち上がろうとするが、関節部のダメージは無視できず、まともに立つことも叶わない。
何より、ソニックブレードをヘルログマーの甲板上に置いてきたままだ。自衛の術も何もあったものではない。
援軍を呼ぼうかと通信回線にアクセスを試みるが、ジャミングが働いており、繋がらなかった。おそらくファントムの手によるものの仕業だろう。
まさに万事休す。ファントムの真意も分からぬまま、ここで無様に殺されてしまうのか。

そうこうしている内に、ゼロとファントムはジリジリと互いの動きを読み合い、一触即発の状態となっていた。
沈黙の数秒。最早、誰の静止も届かぬ決闘状態。ハルピュイアもまた、生唾を飲み込む。
そして、同時に地を蹴る――――空気が凍りつく一瞬。息もできぬ刹那。






飛び散る擬似血液の飛沫が、ハルピュイアの顔面を汚す。



「 ゼ ロ !」

倒れこむゼロに、手を伸ばす。
たった一撃。ファントムの、光速の剣がゼロを捉えた。
いや、事実は少しだけ違う。
先に仕掛けたのはゼロだった。その剣をファントムは素早く掻い潜り、駆け出した。そして剣を振り抜いた。その先にいるハルピュイア目掛けて。
だが、ゼロは間一髪というところでそれに対応した。緊急加速装置を吹かし、ハルピュイアとファントムの間に割り込み、文字通りその身を盾にしたのだ。

「貴様! 何をしている!?」

訳が分からなかった。
騙し討ちのような形をとってまで、自分の首を刈り取ろうとするファントムの事も。
そして、己の身を犠牲にしてまで、敵である自分を護ろうとしているゼロのことも。
混乱する頭で体を抱き上げ、ゼロの名を呼び続ける。幸いにも、息はあった。

「……よもや……ここまでとは…な」

これには流石のファントムも動揺を隠せていなかった。
並のレプリロイドには知覚すら難しいと言われる自分の動きに、瞬時に対応するそのスキルも。
そして、ハルピュイアを命懸けで護ろうとするその姿勢も。どれもが想定外だ。
だが、自分の意志は変わらない。――――ここでハルピュイアを斬る。

「もう、邪魔はいない」

そう独り言ち、剣を振り上げる。
ゼロの名を呼びかけ続けるハルピュイアの頭上に、真っ直ぐ振り下ろす。




〔ファントム様、なりません!〕



突然、耳の奥で響いた部下からの音声通信に、ファントムはその手を止める。
刃は僅か数ミリという位置で止まっていた。肝を冷やしたハルピュイアは、唖然とした表情のまま固まる。

「……クラーケンか…どうした?」

〔……先程、エックス様より言伝を〕

「なに!?」

思わず声に出す。状況が掴めていないハルピュイアは、じっと息を殺して様子を伺っていた。

「……“気付かれていた”……というのか」

〔どうやら、そのようで〕

「……仕方ない。……帰投する」

こうも想定外の事態が重なっては作戦の続行は不可能だ。ファントムはハルピュイアの首を斬り落とさぬまま、サーベルの電源を切った。光の刃が霧散する。

「命拾いしたな、賢将」

そう言って、懐にビームサーベルの柄を仕舞う。そのまま身を翻し、立ち去ろうとする。
すかさずハルピュイアは「待ってくれ」と声を上げる。そうだ、まだ何も分かっていない。

「何故だ……何故、僕を……」

突然現れては、突然刃を振り下ろし、突然その手を止めたかと思えば、突然立ち去ろうとする。
説明がほしい。どれか一つでも。教えて欲しい。何故、自分の生命を狙うのか。
懇願するような目で見つめるハルピュイア。
すると、暫く黙り込んだ後、ファントムは背を向けたまま仮面を外す。

「拙者は……御主がエックス様の“正義”に疑問を抱いていたことを知っている」

見通していた。ハルピュイアの迷いを。
救世主エックスが掲げる“正義”を、誰よりも振りかざしながら、誰よりも疑念を抱き、それでも尚剣を振り続けていたことを。

「その事自体に罪はない。だがしかし、その“危うさ”を放っておく訳には行かぬ。――――そう判断した。それ故、だ」

そう静かに言い残し、ファントムはいつもの如く、煙のように消え去った。
彼の言葉を理解できぬまま、ハルピュイアは呆然と座り込む。
その膝の上で抱えられたまま、ゼロは闘いの疲労と傷のため、静かに眠っていた。
































  ――――  2  ――――


突如として烈空軍団の空中艦隊が進軍を停止し、更には退却まで始めたのを目にして呆気にとられる白の団。
しかし、それ以上の衝撃が、メンバー全員に駆け巡った。

「メンテナンスベッドは……どこだ?」

目の前に現れた男に、皆息を飲む。
傷を負ったゼロを背負ってその場に現れたのは、彼らにとっての仇敵、賢将ハルピュイアだった。
誰もが対応に戸惑う中、ハルピュイアは自身の怪我からくる苦痛を堪えながら、もう一度だけ問いかける。

「メンテナンスベッドはどこだと……聞いている」

「こっち………だ!」

真っ先に声を上げて駆け寄ったのは整備班員のジョナスだった。
無論、他の者達同様戸惑いを隠せてはいなかったが、無視することもできないと思ったのだろう。
そのままハルピュイアとともにゼロの身体を支え、人垣を抜けて格納庫の方へと足を向ける。

「止まりなさい!」

制止を促す声が響く。
声の方へ視線を向けると、そこには白いマントを靡かせ、近づいてくる司令官エルピスの姿があった。

「何をしているのですか……あなたは……」

眉間に皺を寄せ、ハルピュイアを睨みつけている。その表情はまるで憎悪の塊だった。

「見れば…分かるだろう。お前たちの英雄を……ここまで連れ帰ってきたんだ」

「何故……あなたがそのような事をしているのですか?」

問いかけると共に片手を前に示す。すると団員たちが駆けより、周囲を取り囲む。それから手にしていたエネルギー銃の銃口を一斉にハルピュイアへと向ける。

「何を!?」

「こちらの台詞ですよ。……私達があなたを信用すると思っているのですか?」

先程まで、強大な軍勢を引き連れ、殺戮に近い侵攻を行なっていた敵の将軍を、基地の内部へと快く迎え入れるものなどいるはずがない。
気づけば周囲の者達の目はエルピス同様、憎悪に満ちていた。当然だ。彼らは掛け替えの無い仲間達を、無惨にも殺されたのだから。

「……僕のことは、好きにすればいい。今は武器も持っていない。だが、この男はどうする?」

「それが本物のゼロさんだという証拠もありません」

つい先日、斬影軍団による騙し討ちをくらったばかりだ。
半ば疑心暗鬼に近いが、これくらいは慎重になるざるを得ない。
最早死に体の白の団。これ以上の攻撃を食らう訳にはいかないのだ。

「あなたが安全であるという保証はどこにもないのです。ジョナス、離れなさい。彼を処分します」

「なッ! 司令!」

「……分からず屋め」

「ネオ・アルカディアの者に言われたくはありません」

そう言って、自らも引き金に指を掛ける。この勢いではジョナスが離れるのも待たず、引き金を引くだろう。
ハルピュイアは思考を巡らせるが、打開策が見つからず、奥歯を悔しげに噛み締める。


「彼を通して」


今にもエネルギー弾が放たれようかという瞬間、少女の声がその場に響く。

「シエルさん……!?」

「エルピス、お願いハルピュイアを通してあげて」

シエルはエルピスの横を抜け、そのままハルピュイアの傍へと近寄る。
「危険です! いけません!」とエルピスが声をかけるが、シエルは断固として譲ろうとしない。

「もしもこれが罠だとして、わざわざこんなシチュエーションを組む必要は無い筈よ。そうでしょ?」

そう言うと再び制止をかけるエルピスの声を振り切って二人に駆けより、倒れそうなハルピュイアの体を咄嗟に支える。

「……お久しぶりです、Dr. シエル」

「久しぶりね、ハルピュイア。ここであなたと会うことになるとは思わなかったわ」

その微笑みに、固く構えていたハルピュイアも、そして様子を見守っていた団員たちも皆、毒気を抜かれてしまう。
それから数人の団員たちが手を貸すべく近寄り、ハルピュイアと、シエルと一緒に、ゼロを格納庫へと運んで行った。
エルピスは言葉を失ったまま、その場に呆然と立ち尽くしていた。



ゼロをカーテンで仕切った簡易施設内に運び入れ、メンテナンスベッドへ寝かせる。セルヴォがすぐに駆けつけ、メディカルチェックを始める。
背に負った傷はそれほど深くなく、外部的にはそこまで大きく手をいれる必要は無さそうだった。

「大丈夫。眠っているだけだ」

一通りデータをチェックし終えた十数分後、セルヴォが安堵の息とともにそう宣言する。
シエルや、他の団員たちも、ゼロの無事を確認し、ほっと胸を撫で下ろす。

「ボディの色も元に戻っているし……峠は越えられたようだな。原因を掴めていないのが苦しいところだが……」

そう言いながらふと、視線をモニターから横に向けると、シエルがゼロの左腕を撫でているのが見える。そこにはコアユニットが見えた。
レルピィのデータが消失していることは、チェックをせずとも直ぐに解った。あれだけゼロのことを心配していた彼女が、この重要な時に姿を現さないのは、“それ”以外に考えられなかった。

「きっと……この子がゼロを助けてくれたのよ」

シエルは寂しげな声で呟く。
命懸けでゼロを救ったレルピィに、彼女は心からの尊敬と感謝の気持ちを抱いていた。
同時に、自身ができなかったことを命に代えても成し遂げたことに対して、別の感情も仄かにちらついていた。
彼女の複雑な気持ちを感じ取ったのか、セルヴォが優しく肩を叩く。

「シエル、私達には私達にしかできないことがある。それを続けるしかないんだよ」

「……そうね。セルヴォ、ありがとう」

そう言って、どこかぎこちない微笑みを返すシエルの左手を、アルエットが柔らかく握り締めた。











「あーあー。死に損なっちまったなあ」

包帯で右腕を首から吊るしたまま、ヘルマンが不満げに言う。
コルボーはその言葉に、思わず苦笑した。

「お前なあ……それ、どういうことだよ」

「だってよぉ、コルボー。考えてもみろよ。『まさに最終決戦!』……って感じのところで、死に切った方が、武勇伝としちゃ区切りがいいと思わねえか? こう、無様に生き残っちゃあよぉ……なあ?」

どこまで本気で言っているのかいまいち掴めず、コルボーはただ「やれやれ」と呆れるまま溜息を吐いた。
すると「なんだその態度はよぉ」と噛み付こうとしてきたため、傷が浅いコルボーは軽い足取りでさっさと傍を離れた。

――――でもま、沈むよりはいいよな

一人で特に目的も無く廊下を彷徨きながらヘルマンの先ほどの様子を思い返し、納得する。自分も戦闘の前はだいぶふさぎ込んでいたが、こうして持ち直すことができた。
勿論、親友を失った哀しみや、仲間が殺された絶望感を忘れたわけではない。だが、だからと言って膝を抱えて蹲っていたところで、何も変わりはしないのだ。
それならば彼のように、自分たちの不幸を冗談にでも変えて口にした方が、まだ気分も晴れるというものだ。

――――とは言え、みんながみんな……そうはいかないよな

基地内の様子をぐるりと見て回れば、全体的に雰囲気が沈んでいるのが手に取るように分かる。
当然だ。既にメンバーの約半数以上を喪い、戦闘員はもう殆ど残っていない状態。施設も荒れ果て、次に敵が侵攻してくれば、それを追い返す戦力はゼロ以外にいないのだ。
しかしその、頼みの綱であるゼロも無敵ではないことが既に知れ渡っている。かつてアヌビステップ・ネクロマンセスとの戦闘で傷を受けた時同様、フェニック・マグマニオンのエネルギー施設襲撃に際して再び異常な状態に陥り、今もまた、傷はほとんど癒えているとはいえ、戦いの疲労から眠りについているのだ
誰もが悲観的になってしまうのも、仕方がない事といえる。
考えてみれば、そうした雰囲気を感じ取ったからこそ、ヘルマンもああして普段と違った冗談を口にしてみたのではないだろうか。

「あいつなりに成長したんだなぁ」

「……何を偉そうに唸ってやがる、コルボー」

気づけば背後に迫っていたヘルマンが、空いている左腕でげんこつを作り頭を小突いていた。
「痛ぇ」と頭をわざとらしく撫でながら顔を上げると、隅の方で座り込んでいる一人の人物が目に映る。

「……おい…アレ」

「ああ?」

示されるまま、ヘルマンもそちらへ視線を向ける。
そこで一人座り込んでいたのは、鮮やかな緑髪の少年型レプリロイド。見紛うことなき、憎きネオ・アルカディアの賢将――――ハルピュイアだった。
思わず二人は息を呑む。
基地へゼロを抱えて現れたという話は耳にしていたが、こうして直に目の前にすると、両腕を手錠で拘束されていながらも纏ったままの高貴な気品と鋭利な刃物のような雰囲気に、立場の差をいやでも感じさせられた。同時に、トムスやマークを含めた、大勢の仲間達の生命を奪った軍団のリーダー格が、こうして自分たちの陣地に居座っていることに、居心地の悪さを感じてならなかった。

「チッ……いい気なもんだぜ」

ヘルマンが舌打ちとともに悪態を吐く。
ハルピュイアには手錠がかけられているが、牢に入れられるどころか、見張りの一人すらつけられていないのだ。あるものといえば、監視カメラによる監視のみである。
理由としては、既に戦意もなく、また愛刀ソニックブレードを持っていないことが挙げられるが、そもそも既に崩壊寸前まで追い詰められた白の団にとって、彼を囚えておいたところで、何のメリットも得られないことが大きかった。
むしろ、招かれざる客とも言える彼には、皆直ぐにでも出ていってもらいたいと思っているくらいだ。とは言え、一軍の将を何もなしに帰すわけにも行かず、だからと言って誰も彼を牢まで連れていく勇気も持てず、また、傍で監視を続けるだけの気概もなく、こうして中途半端な捕虜となってしまったのだ。
それを見て、気に入らない想いを抱えているメンバーはヘルマンだけではない。
気づけば数人の団員が現れ、ハルピュイアを取り囲み始めた。

「あ……あいつら何やってんだ?」

コルボーは冷や汗をかきながら声に出す。だが、ヘルマンは「ほっとけよ」と一言吐き捨てるように言うと、サッサとその場を離れてしまった。
実際、今のハルピュイアは状況的に見れば恐ろしくはなかった。未だにゼロとの戦闘の傷を抱えたままであり、更には愛刀ソニックブレードも所持していない。そんな少年型レプリロイドがどうして脅威に見えようか。
しかし、遠目から見ているコルボーにも、彼の放つ鋭い雰囲気は容易に感じることができた。同時に、取り囲んでいるメンバーもそれを感じてはいるものの、憎しみと憤りのあまり彼に臆しながらも引き下がれないでいるのだと直ぐに分かった。
「なんだ」とハルピュイアが彼らに目で問いかける。その凄みに、一人がたじろぐ。しかし、直ぐに表情を引き締め睨み返した。
一触即発と言ってよい。そう状況を理解した後、コルボーは思わず駆け出した。

「何してんだ!」

その声に皆振り向く。

「コルボー……お前こそなんだ?」

「と……止めるなよ!」

「『止めるなよ』……って!? ……お前ら本当に何するつもりだよ!」

リーダー格と思われる団員の肩を掴み、問い詰めるが、直ぐにその手は振り払われた。

「うるせえ! お前こそコイツをこのまま放っていられんのかよ! あの賢将だぞ!」

そう、“あの賢将”がここにいるのだ。つい数時間前まで同胞たちに対し殺戮に近い攻勢を掛け続けていた軍団のトップ。指揮を下していた男。
今日だけではない。これまでの戦闘においてどれだけの血が流れたことか。この男の指揮によって。この男の一声によって。
いや、そもそもネオ・アルカディアの軍人というだけで、目の敵にする理由は十二分にあった。

「だからって……!」

「お前こそマークやトムスたちのことは忘れたのかよ! ええ!?」

名前を出され、言葉に詰まる。たしかにその通りだ。直接の戦った軍団が違うとはいえ、彼らの死の原因がネオ・アルカディアにあったことは変わらない。
であれば、眼の前にいる賢将へその憎しみの矛先を向けたところで、なんら可怪しいことではないのだ。いや、むしろそちらの方が正常といえるかもしれない。

――――けど……

躊躇する自分がいる。理由はわからない。ゼロをここまで連れて帰ってきてくれたことも一部関わっているような気もしたが、それだけでは間違い無く説明できない。
怒り、恨み、憎しみ――――抱えていないわけがない。それも確かだ。しかし、それならば何故。

「皆さん、この場は下がってください」

張り詰めた糸を緩めるように、涼やかな声が突如割って入ってきた。声の主は他の誰でもない、司令のエルピスだ。

「いかなる経緯があったとしても、彼はゼロさんをこの基地まで連れ帰ってきてくれました。その恩を仇で返すのは、我々の誇りに関わりますよ」

「ぐっ……司令……」

「私に免じて、ここは抑えて」とエルピスは団員たちに引き下がるよう促した。司令の言いつけとあっては流石に逆らう訳にはいかないと、皆渋々引き返す。それでも数人は、暫くハルピュイアを睨んでいた。
あらかた帰った後、コルボーも少し距離を取りつつ、残ろうとした。だが、そんな彼にエルピスは目で帰るよう促す。どうやらハルピュイアに個人的な話があるらしい。
エルピスの深い事情は知らないが、どこか普段とは違う彼の雰囲気がつい気になってしまう。とは言え、話の邪魔になるわけにも行かず、コルボーもまた不安を抱えながらその場を離れた。
それからエルピスは、ハルピュイアに向けて微笑みとともに口を開く。

「改めまして、賢将ハルピュイア。はじめまして、この白の団にて司令官を務めさせていただいています、エルピスです」

握手を促すように、手を差し出す。しかし、ハルピュイアは一瞥するだけでそれからはそっぽを向き、口を開こうとすらしない。
「構いませんよ」と余裕そうな笑みをこぼし、エルピスは髪を弄りながら言葉を続ける。

「最初こそは貴方に牙を向けさせていただきましたが、シエルさんの優しさに免じ、私も態度を改めさせていただこうと思いまして。その挨拶に参りました」

「なるほど。そうやって余裕ぶることで、上下を分けたつもりか」

ハルピュイアの冷ややかな言葉が、エルピスの口上を切って捨てた。

「安心しろ、エルピス。貴様には興味がない。争うつもりも、逆らうつもりも……“毛頭”な」

「……余裕ぶっているのはどちらでしょうかね、賢将殿?」

そう切り返すエルピスの表情は、先程までの温和なものとはまるで変わっていた。しかし、ハルピュイアは自身の言葉通り、全く興味が無いというようにそんなエルピスには見向きもしなかった。
それでも、エルピスは負けじと言葉を投げ続ける。

「我々が非戦闘型の集まりだからと舐めてかかっているのでしょうが、少なくとも手負いの上に丸腰な貴方一人を相手にしたところで、負けるようなヤワなレジスタンスではないつもりです」

烈空軍団や斬影軍団による攻勢には、確かに手も足も出ない状態にまで追い詰められた。だがしかし、こうして持ちこたえられたのは決してゼロ一人のおかげというわけでもない。
幾度の実戦の中生き延びてきた優秀なメンバー。限りないシミュレーションを繰り返してきたオペレーターたちのサポート。旧式とはいえ整備の行き届いた武器一式。――――白の団全体の結束があってこその防衛戦だったのだ。
そんな彼らならば、ここでハルピュイアが如何なる抵抗をしようと――――容易とはいかないとしても――――組み敷いて牢屋にぶち込むことも、その首を獲ることも可能なはずだ。
だが、例えそれができたとしても、実行に移さないのは、シエルの温情あってのことだと強く言い聞かせる。
そうすることで、エルピスはハルピュイアに「生かしているのだ」という事実の刃を突きつけているのだ。
しかし、ハルピュイアは鼻で笑って返す。

「どうにでもしてくれればいい。所詮この身は敗者に過ぎん。そんな身でありながら、敵陣の真ん中で声高に宣戦布告をするような無様な醜態は晒したくない」

エルピスの挑発などまるで意に介する事無く、ハルピュイアはそう言ってのけた。
それはエルピスにとって殊更不快感を増す返事であり、その想いはジリジリと胸の奥で燻る憎悪に、再び火を灯しはじめる。
とは言え、それ以上吐き捨てたところで、それこそ自分が惨めに見えるだけだ。それが理解できないほど愚かでもない。

「……敗者の気持ち、少しは噛み締めるのですね」

苦虫を噛み潰したように、エルピスは吐き捨て背を向けた。
「ああ、そうしよう」とハルピュイアはやはり軽く跳ね除けた。だが、それから少し口を噤むと、どこか懐かしげに、再び口を開く。

「――――そうすれば、少しは貴様の事も理解できるのだろうな」

思わず、その場を去ろうとしていた足が止まる。
ハルピュイアの言葉に、エルピスは一つの確信をする。だが、それは彼にとって驚くべきことだった。
五年前、ユグドラシルにて救世主に縋り付いた時のこと。軽くあしらわれた日の屈辱と憤りは、エルピス本人にとって忘れがたい感情であった。しかし、まるで虫けらを見るような眼をしていた彼が、あの日の遣り取りを覚えているなど、どうして思えよう。
戸惑うエルピスの胸中に気づいたのか、ハルピュイアは、今度は視線をしっかりと合わせ言葉をかける。

「忘れるわけがないだろう。僕もレプリロイドだからな。記憶と言う名のデータはそう簡単に消去されやしない」

確かにその通りだ。一度記録したことを消す必要など殆どの場合がないのだから、レプリロイドのメモリーデータは積み上がってゆくし、人間とは違い、データを指定すれば容易に引き出して確認することが出来る。ゼロのようなトラブルに見舞われない限りは。
しかし、そうだとしてもエルピスにとって意外なことに変わりなはない。所詮追放させられたこの身を、その名を、彼のような上流のレプリロイドが記録していたというのだから。

「……もっと簡単に切り捨ててきたのかと思いましたよ」

ゴミのように。屑のように。虫けらのように。まるで道に転がる石ころのように。
「そうだな」と、深い溜息とともにハルピュイアは言う。

「それができていれば……今、僕はこの場にいなかっただろう」

無論、そんな浅はかな心情でゼロとの勝負に臨んでいたならば、その決着がどのようなものになっていたか、想像に難くない。
































  ――――  3  ――――


メンテナンスベッドの上で目覚めたゼロは、まず周囲の状況を冷静に考察した。
ファントムの一撃を背に受け、気を失ったところから記憶が途切れている。というのに、視界に映るのは金属製の天井。位置情報を確認すると、今はどうやら白の団の基地内にいるらしい。
味方の救援でも来たのだろうかと頭を悩ませる。すると、「気がついたか」という声が聞こえてきた。そちらへと顔を向けると、セルヴォがほっと一息ついていた。

「また長く眠られてしまっては、どうしようかと思っていたよ」

「セルヴォ……俺はいったい?」

どうやってここまで来たのか。そして今自分はどうなっているのか。白の団自体も。聞きたいことはいくつかあったがまとまらない。

「大丈夫。こちらで計測している限り、君は外傷以外無事だ。その傷も丁度癒えてきたところだろう」

言われてみればファントムから受けた傷も治りかけている。ここで治療を受けていたのだから当然といえばそれまでだが。

「まあ、まだしばらくは安静にしていてくれ」

「ああ………って、お前ッ!?」

ゼロは思わず飛び起きる。セルヴォの横の椅子には、先程まで剣を交えていた賢将ハルピュイアが座っていた。
両手を手錠で拘束されているが、それ以外に捕虜的な対応を受けた様子はない。それどころか、戦闘での傷に応急処置が施されているほどだ。

「落ち着くんだ、ゼロ。君を連れ帰ってきてくれたのは彼だ」

「は?」

身体を押さえながら説明するセルヴォに、ゼロは呆然とする。

「……借りを作りたくなかっただけだ」

ハルピュイアはそっぽを向いたまま、そう口を挟んだ。
成程、確かにゼロもハルピュイアを窮地から守った。これで貸し借りなしというわけだ。

「手当の方はシエルの希望でね。彼も固く拒んだんだが、流石に押し負けたよ」

セルヴォがこっそりと耳打ちする。
今の仏頂面で拒むハルピュイアが、シエルの厚意に渋々観念する様が目に浮かび、「そりゃ仕方ないな」と笑みがこぼれる。ハルピュイアがそれを睨んでいたのが分かったので、二人は目を向けないようにした。


それからセルヴォは現在の白の団の状況について、手短に話した。
烈空軍団がハルピュイアの命により引き上げたこと。それから、かれこれ四時間程、団員たちが敵の襲撃に備えて再び基地施設の修復作業にあたっていること。
ハルピュイアの処遇について、エルピスとシエルが揉めたこと。これも最終的にエルピスが折れたが、団員たちの複雑な心境を思ってか、ハルピュイアはこうしてセルヴォがゼロのために用意した簡易設備内に現れ、それからはこの中でじっとしているのだという。

あらかたセルヴォが話し終えた後、今度はゼロが自身に起きた変化について説明をする。
マグマニオン戦でのエラー。ハルピュイアとの戦闘時、レルピィが身を犠牲にして起動させたSYSTEM:ABSOLUTE。その衝撃的な戦闘スペック。
その後、突如として現れた隠将ファントム。その刃がハルピュイアに向けられたこと。
悪夢の話については避けたが、それでも尚複雑な事態に、セルヴォは険しい顔をする。

「……まずは…そうだな。SYSTEM:ABSOLUTEとやらから整理しよう」

SYSTEM:ABSOLUTE――――300秒……五分間、動力炉の限界稼働による爆発的なエネルギー生成と、特別急速冷却装置の稼働を根本とした強化システム。
自身の質量、熱量、姿形を精巧に真似た分身を、瞬時に作り出せるほどのエネルギー出力を発揮。尚且つ、アースクラッシュすら凌駕する破壊的な剣技、“幻夢零”を放つことができる。
システムの発動に呼応するように、ゼットセイバーの刀身は赤紫色に、髪は白銀に、コートやアーマーは漆黒に変わることも確認されている。

「君の戦闘データを解析してはみるが……データが少なすぎる。とは言え、申し訳ないが現段階でのデータ収拾は難しいだろう……」

「実戦シミュレーションをしようにも、基地がこんな状況じゃトレーニングルームもどんなものか予想がつく。仕方ないさ」

「しかしな」とセルヴォは複雑な表情を見せる。ゼロについては出来る限りの情報が欲しかった。謎が多い分、今回のように対応に遅れが出てしまうことは今後も予想される。しかし、今なお続く白の団の窮地においては、その状態が続くことは死活問題だ。
ゼロ本人の問題としても、無視はできない。なにせ何度となく命懸けの戦場に赴き、何度なく死線をくぐり抜けてきた。少しでも運が悪い方へ傾いていたら、命を落としていたと言っても過言ではない。
そんなセルヴォの不安を読み取ったのか、ゼロは「心配いらないよ」と念を押す。そして、左腕を掲げてみせる。

「なにせ、俺には幸運の女神がついているからな」

その腕にあるものと、その発言が示すことを汲み取り、一瞬胸が痛む。
だが、それでも前を向いて進もうとする彼の姿に、セルヴォは思い直し、「そうかもな」と微笑みながら返した。

「次は……隠将ファントムについてだな」

ゼロの言葉に、ハルピュイアがぴくりと反応する。それを気にしたのか、ゼロは「お前も加われ」と手招きする。それに従い、ハルピュイアは渋々椅子を動かし近寄った。

「単なる仲間割れ……という風には、俺には見えなかったんだが。どうだ?」

「……そう単純に割り切れたのなら、良かったんだがな」

ハルピュイア自身、整理できないでいたようだった。何が起こったのか。どうしてそうなったのか。ファントムの意図がまるで理解できないと、複雑な表情をしている。
それが手に取るように分かったので、ゼロもこれ以上の情報は得られないだろうと、諦めざるを得なかった。今分かっていること――――彼の行動、そして耳にした限りの言動から推測するしか無い。
ただ、ゼロには一つだけ引っかかっていることがあったが、それについてはこの場では伏せることにした。ハルピュイアにさらなる動揺を与えかねなかったし、そもそも敵である彼に、こちらが持っているカードを全て晒す必要はないと思った。

「あいつは……四天王内でも掴みどころが無い奴ではあった。だが、まさか僕に刃を向けるとは………」

余程堪えていたのか、ハルピュイアは肩を落としながらそう零す。これには流石に、下手な同情、慰めの言葉もかけられなかった。
まるで兄弟のように生まれてきた同胞に刃を向けられたのだから、その衝撃は計り知れないだろう。

そんな重い空気に包まれる簡易施設内に、突如としてコール音が響く。セルヴォは通信機を手に取り、答える。
一言二言交わした後、セルヴォがあからさまに硬直したのが分かった。それから深刻そうな表情をしたまま通信機を切る。

「どうした?」

首を傾げるハルピュイアを余所に、ゼロが問いかける。その目を見て、セルヴォは確信する。
おそらくゼロはこの通信の内容を予測していた。いや、直感していた。――――明らかに、戦場に赴くことを覚悟している。
少しだけ躊躇った後、無言で問い詰めるゼロの視線に観念し、セルヴォは口を開いた。

「至急、管制室に向かってくれ。君を呼んでいる」

「……ありがとよ」

そう言って颯爽と立ち上がり、かけてあったコートを羽織る。

「待て、ゼロ。貴様、傷は?」

声を上げるハルピュイアに、ゼロは思わず笑う。

「敵を心配するより、自分の立場を気にしろよ」

そう言ってのけ、コートに袖を通すとサッサと飛び出し、一目散に管制室へと向かっていった。
呆然とするハルピュイアに、セルヴォは「いつものことだよ」と苦笑いを浮かべる。

「ネオ・アルカディアが恐れる“紅いイレギュラー”は、私達にとってはたった一人の英雄なのさ。それは揺るぎない事実で、同時に、彼を束縛する呪いでもある」

「……だとしても、僕には倒すべき敵だ」

それもまた、事実だ。とは言え、ここに来て、少しばかり変わってきたものもあるが。
不意に、仕切りになっているカーテンに人影が見えた。その姿形から誰かがすぐに分かり、セルヴォはサッと開く。

「どうしたんだい、シエル」

優しく声をかけるセルヴォ。シエルは少しだけ困ったように笑ってみせると、躊躇いがちに中へと入ってきた。
タイミング的に、ゼロと出くわしたのではないかと思ったが、声が聞こえてこなかったところを考えると、もしかしたら彼を見送るだけで、声がかけられなかったのかもしれない。
無理もない。出撃時のことを思い返せば、そう気軽に挨拶も交わせたものではないだろう。特に、このシエルという少女はそういう点で極繊細だった。
「仕方ないな」とセルヴォは肩をすくめる。

「Dr. シエル。先程はありがとうございました」

重い空気を割って、ハルピュイアがそう言いながら頭を下げる。
彼がここに来た時、エルピスたちから庇ったのは彼女だ。それに傷の応急処置も彼女のお陰だった。

「ううん。気にしないで、ハルピュイア。それより……私の方こそ、まだ言ってなかったわね……」

そう言うと、ハルピュイアに向けて深々と頭を下げた。

「ゼロを……連れて帰ってきてくれて、本当に有難う」

彼女の言葉の響きに、ハルピュイアは思わず口篭る。
先ほどのセルヴォの言葉も合わせて、彼らにとってゼロがどれだけの存在であるかが、痛いほど伝わってきたのだ。
「それでも」とぐっと堪えようとしたが、そんな信念もこれまで寄りかかってきた“正義”同様、無意味であると悟り、伝わってきたものを、今は素直に受け止めることにした。






















  ―――― * * * ――――


白の団の監視メカニロイドは、一機のコンドロイドがハッチの直ぐ側に降り立つのを捉えた。
コンドロイドはなぜかそこから動かず、口に携えられた長方形の白い物体を頻りに示していた。妙に気になったジョーヌはエルピスに相談し、彼の指示によって数人の団員がそのコンドロイドを捕獲、基地内へと連れ帰った。

「そして、コンドロイドが咥えていたものがこれです」

ゼロは手渡されたものをまじまじと見つめる。それは封筒だった。宛名は“紅いイレギュラー”――――ゼロになっている。
ネット利用を制限しているネオ・アルカディア国内であるならばそれはさして珍しいものではないが、軍が索敵、警戒用に用いるコンドロイドが携えてきたというのは耳を疑いたくなるような話だ。
「裏を」とエルピスに促され、封筒をひっくり返す。そこに記された差出人の名前に、ゼロの表情は再び引き締まる。

「“隠将”……ファントムか」

「差し詰め、古来から伝わる“果たし状”という奴でしょう」

先に取り出していた書状をゼロに開いてみせる。そこにはとある場所の座標ポイントが記されていた。

「なかなか風情のあることで」

「斬影軍団の一部部隊が動きを見せています。……理由は、分かりますね?」

隠密行動に優れた斬影軍団がその動きを、瀕死のレジスタンス組織に暴かれるというのは通常ではありえない。察するに、これはあからさまな牽制である。
「こちらの要求を呑まなければ、再び襲撃をかける」という意図が、言葉少なであろうとも容易に伝わってくる。
「どうしますか」とエルピスが目で問いかける。しかし、これに対する答えは、ゼロには一つしか無い。今までも、これからも。

「行ってやろうじゃないか。俺もあいつに用があるしな」

問い詰めたいことがある。
ハルピュイアへの攻撃だけではない。これまでの戦いの中、幾度と無く感じた不気味な策謀の意味。その鍵を握るのは、きっと彼だろう。
窮地に陥っている白の団のためにも、そしてまた己の抱えた疑問を解消するためにも隠将ファントムとは向かい合わなければならない。
例えそこに、どんな罠が待ち受けていようとも。
































  ―――― * * * ――――


シエルが何やら耳打ちすると、セルヴォは簡易施設から慌てたように出ていった。
何やら緊急の事態でもあったらしい。

「窮屈でしょ。ごめんなさいね」

そう一言かけると、シエルはハルピュイアの横、セルヴォが座っていた椅子に移る。
それから少しだけ躊躇いがちに問いかける。

「エックス様は……元気?」

思いがけない問いに一瞬、呆気にとられた後、「ええ」とハルピュイアは苦笑とともに頷く。

「健やかにいらしていますよ。Dr. シエル、あなたがいなくなってからは少し寂しそうですが」

「……そう」

小さく呟くと、シエルは膝を抱えて天井を見上げた。どこか懐かしむような表情から、救世主エックスの事を思い出しているのだと、ハルピュイアには直ぐに分かった。

四年と少し前――――N.A.歴119年のこと。シエルは若干十歳という幼さでありながら、救世主エックスの専属技師として任命された。実際の仕事に関しては、元老院名誉議長Dr. バイルの手伝い程度であったが。
十歳といえどネオ・アルカディアの科学と教育の最先端を注ぎ込まれて生まれ育ったシエルの精神は、老人ばかりのユグドラシル内において、救世主エックスの精神年齢と最も近かったらしく、端から見ていた分には、二人は直ぐに打ち解けたようだった。
ユグドラシルの廊下で、中庭で、時にはエックスの私室で、二人が仲睦まじく微笑み合う姿もよく見かけられたものだ。
そんな過去を知っているからこそ、ハルピュイアは「皮肉なものだ」と苦笑いを浮かべてしまう。人とレプリロイドの垣根を超えて親しく見えた二人は、今やレプリロイドの権利を謳う反抗勢力のトップと、それが標的とする唯一国家の総大将なのだ。それも、“人類”“レプリロイド”というカテゴリーについても、よくよく見てみれば互いにアベコベだ。
運命の皮肉とでも呼ぶ以外にはあるまい。

「何故、レジスタンスを結成したのですか?」

ハルピュイアは率直な疑問をぶつけた。
彼から見れば、シエルは他の誰よりもエックスの傍にいたのだ。仲違いする様子など一向に見られることもなく。決して敵対する要素など無かった筈だ。
それがどうして、このような関係になってしまったのだろうか。不思議で仕方がなかった。
「そうね」とシエルは一旦言葉を切る。どこからどう説明をすべきか迷っているようだった。

「……彼を憎んだ訳ではないのよ。恨んだわけでも」

救世主エックスという存在自体に対して、なにかしらの遺恨を持ってレジスタンス組織を結成したわけではない。
彼個人に対しては、ハルピュイアが見た通り、ユグドラシルにいる誰よりも親しく付き合っていたつもりだ。

「けど……それでも私は皆の力になりたいと思ったの。それだけよ、本当に」

例えエックスの傍を離れることになろうとも、虐げられているレプリロイド達の為に自分が先頭を切って戦おうと決断したのだ。
勿論、そこにはエルピスからの誘いなどもあった。彼女が一人で憂いていたことに、共感し、共に戦おうと決意してくれた協力者達がいた。そういった様々な事情も重なって、彼女は白の団を結成してネオ・アルカディアを――――救世主エックスの元を離れたのだ。

「あなたはどう思う?」

今度はシエルが問いかける。

「エックス様の考えに、今のネオ・アルカディアの在り方について……ハルピュイアはどう思うの?」

「僕……ですか」

一瞬、「どう言ったものか」と言葉に詰まる。
だが、ここでどれだけ飾ろうと、包み隠そうと、何の意味もないだろうと悟り、素直に話すことにした。

「僕は……“人類”を護るために戦う――――それが“正義”だと信じてきました」

“人類”の救済と保護――――それこそ救世主エックスがこれまで行なってきた、そして尚も続けている“正義”だ。それこそがネオ・アルカディアという国を支えている“正義”だ。
故に、ハルピュイアは四天王の長として、エックスの忠臣として、それを信じてきた。そして行使してきた。
そんな“正義”の名のもとに、イレギュラーとされる者たちを処分してきた。この手にかけてきた。数多の屍を積み上げてきた。

「“正義”を続けました。僕は。いつしか抱え始めていた“疑問”と“迷い”に目を背けながら……」

『これが“正義”か』――――そんな問いを胸に抱いたことがあった。直ぐに飲み込み、剣を振るった。だが、それから幾度と無く脳裏に掠めてきた。
目を背け、抑え込み続けた。他者から指摘されようと、暴かれようと、否定し、斬り捨てた。しかし、それでもその言葉は頭の隅で、心の奥で、チラチラと姿を見せ続けていた。

「そして、奴との戦いに敗れ……言われたのです」




『この程度がお前の“正義”か?』

両手で胸ぐらを鷲掴まれ、無理やり立ち上がらされて。

『思い上がるのもいい加減にしろぉ!』

耳の奥に突き刺さるように、胸を叩くように、その怒声は響いた。

『無いんだよ、そんなもんは! お前の言う“絶対”の“正義”なんてもんは!』




「……長い時間を懸けて塗り固めてきた心の壁が、虚しいほどに脆く、簡単に崩されました」

これまで無理やり自身に信じ込ませてきたものを捻じ伏せられ、実質的な敗北まで与えてくれた。


『探せ。かつて“あいつ”がそうしたように』

『足掻いて、藻掻いて、進み続けろ』


『その先にきっと……お前にとっての“正義”が見えてくる筈だ』


それは――――その言葉は、清々しさすら感じさせるほどで。
ひた隠しながらも、己の道に迷い続けていたハルピュイアにとって一筋の光明となった。

「そんな今、僕が答えられるのは……」

そう言って、口を結び言葉を考える。
これまで盲目的に信じてきた救世主エックスの“正義”。だが、今は違う。
苦笑を零しながら、ハルピュイアは再び口を開く。

「“分かりません”とだけ。今の僕には、何も……“分からない”」

その“正義”が本当に正しいのか、も。敵対する者達の主張が正しいのか、も。
自分の歩むべき道がどこにあるのか。信ずるものが何か。目指すべきものは何か。
倒すべきものは? 護るべきものは? 戦うべき相手は?

寄りかかっていた一つの“大木”を切り倒された今、頼るものも、信じるもの全て白紙に戻して、再び歩き出すべき時なのだろう。

「“分からない”からこそ……今度はもう少し、考えてみようと思うのです」

簡単な答えに逃げること無く。苦しみながら、藻掻きながら、足掻きながら。彼の言った通り、探し続けてみよう。――――そう、心の底から強く思えたのだ。
ハルピュイアの答えに、彼の横顔を見つめたままシエルは黙り込んだ。かつて彼女が知っていた彼とはまた違う、確固たる意思がそこには芽生えているように見えた。

「ねえ、ハルピュイア」

そんな彼を目の前にして、シエルは迷いを振り切り、決意する。

「一つ、お願いがあるの」


























  ――――  4  ――――


書状に記されていたポイントにたどり着くと、ゼロはエル・クラージュに跨ったまま腕組みをし、相手が現れるのを待った。
指定された場所は、どこの景色とも変わらぬ殺風景な荒野の真ん中で、“決闘”の場としては相応しいように思えた。
時折吹き荒ぶ風に、舞い上がる僅かな砂塵。眼を細めながらあたりを見渡し、ハルピュイアとの戦いの最中、己が口にした言葉に、その相手について、しばし思いを寄せる。

――――そうだ。この世界は……

きっと約束したものではなかったはずだ。哀しいほどに乾いた大地も、未だ流れ続ける血と涙も。
それなのに何故、“彼”はそれを“正義”と断じて進もうとするのか。進み続けているのか。

――――教えてくれ、エックス

瞼を閉じて思い馳せるが、言葉はどこからも返っては来ない。
しかし今日、この戦いで何か分かるかも知れない。四天王中でも最も救世主に近しいと言われる男とのやりとりから。何か少しでも答えが出てくるかもしれない。
そしてまた、これまで感じてきた不気味な違和感の正体も。張り巡らされながら、踊らされながら、ついぞ正体の掴めなかった策謀の正体も。


そこでゼロは即座に思考を中断し、エル・クラージュのエンジンを吹かして、一気にその場から飛び退いた。
刹那、放たれた光弾を間一髪というところで躱す。

「……やってくれる」

僅かながらも想定していた通りの不意打ちに、ゼロは苦笑する。
そして車体ごと回頭し、光弾を放った主の方を睨みつける。




「お前は……?」


「……流石は紅いイレギュラー殿。見事な反応です」


感心したように言いながら、現れたミュートスレプリロイドは賞賛するように手を叩く。
その姿はインド神話に登場する風神の申し子、その模造であった。
片腕を自分の前に当てるように差し出し、深々と頭を下げる。

「申し遅れました。私の名はハヌマシーン。隠将ファントム様の片腕、斬影軍団が将の一人。――――そして、貴方を呼び出した張本人であります」

「なに?」

ゼロは険しい顔でハヌマシーンを睨む。「貴方を呼び出した張本人」――――確かにそう言った。つまり、ファントムの名を騙り、ゼロをここにおびき寄せたのだ。
「クソッ」と悪態をつき、ハンドルを握りこむ。これでは白の団の本拠地が危険だ。だが、ハヌマシーンは「お待ちを」と片手でそれを制す。

「先ほどの不意打ち、お詫び致します。恐れながら、貴方様の反応速度を試させて頂いたまでです。それ以上の意味は御座いません。つまりはこの呼び出しにも、何の裏も無いということです」

「……敵の言葉を信じろと?」

尚も疑ってかかるゼロに、ハヌマシーンは語気を強めて「ハイ」と頷く。
一貫した恭しい彼の言動に、ゼロは意味を測りかねる。

「恐れ多くも、我らが主ファントム様の名をお借りしたのは、確実に興味を持って頂くための保険。その点に関しましても、ここで深くお詫び申し上げましょう」

そう言って再び深々と頭を下げる。それから上体を起こすと、左腕をサッと高く挙げる。すると、どこからともなく、隠れていたパンテオン部隊が姿を現した。
ゼロは身構える。おそらくはエルピスが言っていた斬影軍団の部隊だろう。彼の言葉を聞く限り、卑劣な戦法を取るつもりは無いと思えたが、一瞬にして囲まれたことに、ゼロは己の読みの甘さを呪う。――――と、思っているところで、全く攻撃を受けない。その気配もない。いや、そもそも敵意を感じない。
言葉を失ったまま戸惑うゼロをよそに、ハヌマシーンは再び、指を鳴らして合図する。
その瞬間、全てのパンテオンが一斉に弾けた。それだけではない。彼が持っていたと思われる部隊の、メカニロイドもゴーレムも含めた全ての兵士が眩い光と爆煙に包まれる。
飛び散る破片と広がる黒煙。ゼロの頭はその光景に、唖然とする。

「……お前……何を!?」

「このような卑劣な手を使ったこと、誠に申し訳御座いません。ですが、私の目的はただひとつ――――……」

そう言ってハヌマシーンは背中に取り付けていた如意棒を取り出し、構える。

「噂に違わぬ伝説の破壊神、紅いイレギュラー殿――――貴方様との生死を懸けた一騎打ち……ただそれだけに御座います」

ゼロはまたも絶句する。「一騎打ち」をするためだけに、これだけのお膳立てをし、挙句、己の部下を爆破したというのか。

「……イカれてやがる」

「どうとでも仰ってください。……どちらに転ぼうと我らの役目はここで終わりなのですから」

ハヌマシーンの言葉に疑問符を浮かべるゼロ。しかし、ハヌマシーンは彼の様子を気にすることなく、如意棒を強く握りしめ、戦闘態勢に入る。

「さあ、尋常に勝負を――――」

「一つ聞かせろ」

そう言って、ゼロはハヌマシーンの口上を遮る。

「お前たちの主……隠将ファントムは何を考えている?」

「『何を』と申しますと?」

「とぼけるなよ」と低い声で脅すように問い詰める。
これまでの戦いから、ゼロは既に己の答えを導き出していた。その答え合わせをしに、わざわざここへと出向いてきたのだ。
問わぬまま、剣を交えることなどできやしない。

「隠将ファントムは、俺を生かして何をしようとしている?」

「貴様は生かされているんだよ」というウロボックルの言葉。そして、先日の賢将ハルピュイアとの戦いの後現れた彼の言動。総合して考え、ゼロはその答えにたどり着いた。
ゼロを生かそうとしている者――――それこそが隠将ファントム。もしくは、彼の軍団にそう命じている者がいる。どちらにせよ、四天王の一人であるファントムが強く関わっていることに変わりはない筈だ。
彼の意図が知りたい。張り巡らされている策謀の意味を。味方に刃を向けて尚、自分を生かそうとする敵の真意を。
だが、ハヌマシーンは首を横に振る。

「私の口からそれを答えることはできません。しかし……『どうしても』というならば――――」

「……分かったよ。お望み通り、力づくで聞かせてもらう。お前のメモリーデータからな!」

左腕からゼットセイバーを解き放ち、地を蹴る。
同時に、ハヌマシーンも地を蹴り、互いの距離が一気に縮まる。
そして、戦いは火蓋を切る。

縦横無尽に振り回される光刃。それを受け流しながら敵の急所を突こうと繰り出される如意棒。特殊素材によって作られた伸縮自在の得物を防ぐ、鮮緑の刃。
一進一退の攻防。紙一重で躱される互いの一撃。すかさず返される絶技。瞬間の遅れが、刹那の躊躇が仇となる、光速戦。
辺りに飛び散る火花がその激しさを一層強く物語る。
数十秒の内に交わされた数百の攻防の後、押し負けたハヌマシーンが一旦飛び退き、距離を置く。
すかさず追撃を掛けるゼロに、炎を帯びたハヌマシーンの尾が襲いかかる。寸前のところで掻い潜り、胴に斬りつけようとセイバーを振る――――が、如意棒を地に突き立て、ハヌマシーンはその場から飛び上がってゼロの刃をやり過ごす。
そのまま反対側へ飛び降りると、くるりと振り返り、再び地を蹴り、距離を詰める。今度は如意棒だけではなく、炎の尾まで攻撃のパターンに組み込み始める。
時に交互に、時に同時に襲いかかるハヌマシーンの二つの武器を、ゼロは一振りの剣を巧みに操り防ぎ、怯むことなくその懐へと飛び込んでは、必殺の一撃を叩きこんでゆく。だが、それらも同様に防がれ、躱されてゆく。

二人の激しい攻防に、巻き起こされた風が砂塵を撒き散らす。
白い雲の浮かぶ晴天の真下、ジリジリと照らす太陽に焦がされながら、神話の英雄と神の化身は互いの生命を刈り取るため、無言の遣り取りを続けた。
































  ―――― * * * ――――


『紅いイレギュラーとの決闘に向かいます。つきましては誠に勝手ながら、我が配下ともども“お暇”を頂こうと思います』

淀みのない声でそう言い放つ自身の部下に、言葉を失う。
生まれ出てからこの方、信頼を置き、己の片腕と誇ってきた大切な部下であった。
そんな彼が自分の意志に背き、自分の元から去ろうとすることなど、どうして想像できただろうか。
しかし、見つめた彼の瞳に、僅かな迷いもないことを見とめてしまう。
彼は覚悟を決めたのだ。それならば、彼の主として自分も強く在るべきだと心の中で言い聞かせ、自身もまた覚悟を固める。


『……心得た。好きにせよ』

『ハハッ』


彼は背を向け、そのまま一度も振り返ること無く扉を潜り、去って行った。きっともう二度と会うことはないだろう。直感していた。
最期に交わしたのは、たった三言の遣り取り。しかし、互いにそれだけで十分であった。
長らく上司と部下として信頼しあってきた二人にとって、言葉の足りない部分は、これまでの時間が補ってくれた。

故に哀しみも、悔やみもしない。
ただ、彼が満足して逝ってくれることだけを、切に願った。






















  ――――  5  ――――


「……何故、あ奴を行かせたのですか?」

クラーケンは衝き上げる感情を堪えながら、震える声でファントムに問いかける。
しかしファントムはいつもの冷たい声で、淡々と答える。

「……ハヌマシーンでは、紅いイレギュラーには敵わん。……それ故、計画には支障なしと判断した」


「 な れ ば こ そ ! 」


堪え切れず、怒声を響かせる。それから「ハッ」と口を噤み、あくまでも感情を抑えながら、それでも震える声で言葉を続ける。

「なればこそ……“敵わぬ”と知りながら………生命を落とすと分かっていながら……何故、あ奴を行かせたのですか……?」

特に彼との深い繋がりがあったわけではない。それどころか、ハヌマシーンからはテック・クラーケンという男の存在すら認知されていないだろう。ファントム直属の配下であるクラーケンは、その立場上、ファントム以外の殆どの者に存在を知らされていないのだから。
しかし、それでも彼が、ハヌマシーンの行動に対するファントムの対応に異議申し立てるのには、複雑な感情が関わっていた。
ハヌマシーンと紅いイレギュラー。ぶつかり合えば実力の差から、最終的には紅いイレギュラーの勝利に終わるだろうことは、クラーケンにも、そして当の本人にも予測できた。
それでもハヌマシーンは、紅いイレギュラーを生存させるというファントムの意に背くことさえも知りながら、紅いイレギュラーとの決闘を申し出、挙句、自身の部隊とともに軍団脱退を宣言し、飛び出していったのだ。

つまり、誰よりも忠誠を誓う主を裏切り、生命を捨てに自らの足で出ていったのだ。
そしてそれをファントムは一言も止めることなく、見送った。クラーケン同様、軍団の中では自身の片腕とも呼べる立ち位置にあったハヌマシーンの、捨て身の身勝手を許したのだ。
そのことが、クラーケンには全く理解ができなかった。また、心に積もっていたものは何もそれだけではない。

「拙者が言葉をかけたところで……奴は止まったか?」

「だとしても……――――!」

「ぐっ」と言葉を飲み込む。確かにファントムの言うとおりだ。ハヌマシーンは既に決意していた。ファントムへの言葉は淀みがなく、完璧な覚悟の上で発されていた。
それでも納得がいかない。「計画に支障がないから」――――それだけの理由で見送ったというのか。己にとって大切な一人の部下の死を。
いや、きっとそれだけではない筈だ。――――クラーケンにも分かっている。ファントムはまだ計画の全貌を彼に教えてくれてはいない。それでも付き従うのは、クラーケンの存在意義と忠義心故だ。
だからそれを無理に聞く気はない。いや、“無かった”。ついこの間までは。それでも、クラーケンには遂にファントムを信じられなくなり始めていた。

「……何故……何故、ハルピュイア様に刃を向けたのですか?」

切りだされた問いに、僅かにファントムの眉尻が動く。
あの日――――クラーケンは紅いイレギュラーの動向を監視し、戦闘経過をファントムに報告し続けていた。そして賢将ハルピュイアとの戦闘に入った時、ファントムはクラーケンに引き下がるよう命じた。以後の監視は自身が行うと告げ、その場に現れた。
そして決着の時、ファントムは何を思ったのか、ハルピュイアの首目掛けてその刃を振りぬいていた。クラーケンには訳が分からなかった。
ファントムが進めている計画の一環で、紅いイレギュラーを生かすというのは分かっていた。それ故、万が一、紅いイレギュラーが命を落としかねない状況に陥ったならば、そこから救うことこそが使命であると、クラーケンは待機していたのだ。だから、戦いに敗れ、戦意を喪失したハルピュイアを殺す必要などなかったはずだ。しかしその後、ファントムは彼を護ろうとする紅いイレギュラーとも交戦したのだ。
そこまでしてハルピュイアを斬ろうとした理由は何だったのか。クラーケンにはその後も全く知らされることはなかった。

「……ファントム様の御心が、某には分かりません」

ハルピュイアとの事件、そしてハヌマシーンへの対応――――クラーケンはどうしても、ファントムの真意が掴めなくなってきていた。
ファントムは口を噤んだまま、ジッとクラーケンを見つめる。その瞳の色は窺い知れない。
やがて一息吐くと、自身の顔を片手で覆う。

「……クラーケン、一度だけ言う」

それからまた暫くの沈黙の後、言葉を続ける。


「頼む。拙者にこれ以上、答えを求めないでくれ」


クラーケンはそう言うファントムの苦い表情を、呆然と見つめていた。
それから即座に、己の未熟さを激しく恥じた。

――――某は……なんと愚かなことを……

語らないのには、“語れない”理由がある。部下に初めて『頼む』と申し訳なさげに口にする程の。
それを言わせてしまったのは、片腕として最悪の失態であるような気がした。

「……申し訳、御座いません」

クラーケンは地に着けようかというほど深く頭を下げる。ファントムは「いや」と言葉を返す。

「……それはこちらの台詞だ。すまぬ、クラーケン」

そしてまた、ファントムは心の中で侘びを告げる。己の“我侭”の犠牲となった一人の部下へ。
彼の忠義を無駄にしないためにも、遂げねばならない。全ての計画を。必ずや。





















  ―――― * * * ――――


飛び散る火花を視神経に焼き付けながら、反芻する。出撃前に交わした最期の言葉を。



――――分かっておりますとも……ファントム様



    いつか、その役目を終える時、きっと貴方は生命を投げる。
    誰のものでもない、自身の生命を。

    それはきっと避けられぬ道なのでしょう。

    明確に何がどうなるのか、何を目指して何を行うのかまでは存じませんが。
    けれど、貴方の眼差しに秘められたその決意が、私には分かりました。

    真の配下であるならば、その道に手を貸すのでしょうか。
    恐れ多くも貴方の片腕と呼ばれたこの私ならば、そうするべきだったのでしょうか。

    しかし、今の私には、それはどうしても我慢ならなかったのです。
    ただ一人、生命を賭すに相応しいと信じた主が、己の身を捨てようというのですから。

    貴方もまた、大切な主のため、生命を賭すのでしょう。
    それでも……いや、それならば尚のこと、私には納得がいかなかったのです。


    しかし、考え直すよう申し上げることも、私にはできませんでした。
    何故なら、全てを決意した貴方の意志に、異を唱えることもまた、私には納得できなかったからです。


    それ故、私にはもう貴方の片腕でいる資格が無いのだと悟りました。

    それ故、私は斬影軍団を去りました。

    それ故、私は己の最期の勝手を貫くこととしました。


    この世でただ一人、忠誠を誓った相手。

    人間でも、救世主でもない、たった一人のレプリロイドを護るため。
    私は決して敵わぬ強大な敵に立ち向かうこととしました。

    決着はとうに見えています。真っ向からぶつかり、私程度の男が伝説の破壊神に敵うはずもありません。
    きっと私はこの戦いの果て、生命を落とすでしょう。

    呆気無く。無様に。無惨に。


    それでも構いません。


    ただ貴方が身を捨ててゆくのを、傍観するだけとなるならば。
    例え死ぬと分かっていても、いずれ貴方の首を刈り取るであろう伝説の戦士に立ち向かわねば。

    私は死んでも死に切ることができないのですから。




――――………しかし、ファントム様。今一度だけお詫び申し上げます















「この愚か者を……どうか…お赦しください」




そう口にした瞬間、僅かに火花を飛び散らせながら、ハヌマシーンの上体が宙に舞う。
最期に突き出した如意棒の先は、ゼロの顔面を捉えること無く、僅かに頬を掠めるだけで、虚しく空を切り、そのままハヌマシーンの上体とともに地に墜ちた。

光速の剣技と光速の杖技。病み上がりに近かったゼロの身には、決して楽な戦いではなかったが、それでも勝ちを収めることができた。
ゼロは戦利品を得ようとハヌマシーンの上体に近寄り、自身のうなじから接続端子付きのコードを引き出すと、素早くハヌマシーンに繋ぐ。――――瞬間、危機を察知して端子を咄嗟に外す。

「こいつ、自壊プログラムを!」

斬り捨てられる瞬間だろうか。ハヌマシーンは即座に己の自壊プログラムを作動し、メモリーデータの消去に取り掛かっていた。
全て削除するにはそれなりの時間がかかるだろうが、プログラムの作動中にサイバーエルフの援護無しに接続していれば、どんな危険を伴うか分かったものではない。
「デルクルを連れてくれば良かった」と、ゼロは舌打ちする。
そしてまた、死して尚、主の情報を流すまいとするハヌマシーンの忠義心を、心の内で素直に賞賛した。




















  ―――― * * * ――――


鳴り響くエマージェンシーコール。
ここ数日の内に何度も、聞いていたせいか、耳は既に慣れきってしまっていた。だからこそ、反応が遅れてしまったのだろう。
気づいた時には、もう取り返しのつかない所まで来てしまっていた。
脅迫に従うまま、オペレーターたちはハッチを開く。しかし、エルピスは取り乱したまま、数人の部下を引き連れて追いかける。それを引きとめようと、セルヴォ達も駆け寄る。

「落ち着け! エルピス! 駄目だ!」

「待ちなさい! 賢将ハルピュイアッ!」

エルピスは静止を振り切り、手を翳して指示を送る。それに従い団員たちはハンドガンの銃口をハルピュイアに向ける。
しかし、引き金は引けない。何故なら、“人質”の身が危ないからだ。

「撃てるものなら撃て。できないのなら、眺めていろ」

そう言ってハルピュイアは少女を抱えたまま、外へと飛び出す。それをエルピス達も追いかける。
突如、強風が吹き荒れ、砂塵が視界を遮る。両手を顔の前に翳して防ぎながら、眼を細めて強風の発生源を睨む。

「アステ・ファルコン! “三羽烏”か!」

三体の同型ミュートスレプリロイドが飛行形態のまま地上に降り立つ。
現れたのは賢将ハルピュイアの側近、“三羽烏”と名高いアステ・ファルコン兄弟だった。
団員達はエルピスの指示に従い、銃口を向け続けるが、脅しにすらならない。それどころか、三体のミュートスレプリロイドが眼前に現れたことに臆している者までいる。

「悪いが、このまま帰らせてもらう。さらばだ、白の団」

「待ちなさい、ハルピュイアぁ!」

エルピスは構わず引き金を引こうとするが、少女の悲鳴に指が止まる。彼女を傷つけるわけにはいかない。それでも連れ去られる訳にはいかない。
しかし、もうどうにもできない。策を練ろうにも、時間はない。ただ無力なまま、喉を嗄らす。

「クソぉッ! 待ちなさい! ……シエルさん! シ エ ル さ ん ! ! 」

少女の名をエルピスはひたすら叫ぶ。だが、その声はもう届かない。
アステ・ファルコン・アインは、ハルピュイアとシエルをその背中に乗せ、弟達とともに空へ舞い上がり、飛び立っていった。
紺碧の空の果て、唯一国家――――ネオ・アルカディアへと向けて。

風塵に遮られる視界の先で、少女の唇が僅かに動くのを、セルヴォの瞳は捉えていた。




























 NEXT STAGE











         再会

























[34283] 28th STAGE 「再会」
Name: 村岡凡斎◆45ff140f ID:697d6d9c
Date: 2013/05/07 21:39


  ―――― * * * ――――

少女の身を労り、呼吸に影響が出ない程度の高度を維持しながら、アステ・ファルコン・アインは低速で飛び続けていた。
ツヴァイとドライは、レジスタンスの追撃が来ないかどうか、また、他勢力による不意打ちを受けないようにと頻りに周囲を警戒している。

「良かったのですか……本当に?」

ハルピュイアは背後でしがみつく少女――――シエルに、躊躇いがちに問いかける。

「……『良かったのですか』……って?」

彼の気持ちをほぐそうとしているのか、微笑みながら問い返す。
しかし、腰に回された彼女の手が震えていることに、ハルピュイアは当然気がついていた。

「“こんなこと”をして……です」

「そうね……」と呟き、暫く考えこむ。それから何かしら纏まったのか、小さく頷くと、再び口を開く。

「あなたには謝らなきゃいけないわね。ごめんなさい、ハルピュイア。損な役回りをさせちゃって……」

「それは……」

ハルピュイアは顔をしかめて口を噤む。彼女のその言葉は、彼の言葉に対して完全にズレている。
そもそも、白の団にとってハルピュイアは仇敵だったのだ。“あの”ような役は、自分から進んで行うべきといっても過言ではなかっただろう。
ああ、そうだ。元々はDr. シエルの奪還も任務の内だったのだ。だから、今の状況自体はそこまでおかしくはない。
ただ、この誘拐劇の“計画者”と、“国に戻る理由”だけが特別おかしいのだ。

「……答えになっていません、Dr. シエル。私は……このようにして、あのレジスタンスから離れてしまっていいのかと聞きたいのです。このように……――――」

「あなたに頼んで、自分からネオ・アルカディアに帰ろうとしていること?」

シエルの声が些か弱くなったことに気付き、ハルピュイアは再びバツが悪そうに黙りこむ。
聞くまでもなかったことだった。彼女自身、これが絶対に正しかったとは思っていない。このようにして、仲間達に心配と迷惑をかけるようなことは。
しかし、彼女はひとつの決意をした。これ以上、誰も傷つけぬために。――――そして、大切な人がこれ以上、苦しむ事のないように。

「……申し訳ありませんでした。Dr. シエル」

「ううん。いいのよ、ハルピュイア。それより、本当に有難う。私に賛同してくれて」

ハルピュイアもまた、シエルの決意に同意したからこそ、このような役を受け負ったのだ。

「いえ……僕も、エックス様と話したいと思っていましたから」

ゼロとの戦いの最中、思い知ったこと。感じたこと。それらを整理した上で、かの救世主と対面する必要があると思った。

「この戦いを……続ける意味があるのか。それを問いかけたいのです」

彼の“正義”を貫き続ける先に、本当の平和が、理想郷が在るのだろうか。少なくとも、今のハルピュイアには、そう思えなかった。
そして、シエルも決意した。一度は離れたエックスのもとに帰り、そして、直接話すのだ。

「私は……彼と真剣に向き合いたい」

人類の一人として救世主エックスと向き合い、この戦いを終わらせるのだ。
そう、自らの手で。






















 28th STAGE











         再 会


























  ――――  1  ――――


「おい………どういう…ことだ」

帰還したゼロは、一頻り説明を耳にすると、驚きを隠せないままそう口にして硬直する。
起きてしまった事態に、頭を抱える団員達。手短にそれを伝えたコルボーも、それから先は言葉が絞り出せない。

「私の……せいだ……」

地に座り込んだまま、セルヴォがそう独り言つ。

「私が……傍を離れたから……」

「どうして見ていなかったのですか……!」

先程からもう何度も繰り返した言葉を、エルピスは尚も悔しげに口にする。

「あなたが…! あなたが彼女とともにいれば!」

「落ち着いてください、司令!」

取り乱すあまり、セルヴォに掴みかかろうとするエルピスを、団員達が取り押さえる。
エルピスの言葉も最もだ。しかし、それは実際のところセルヴォだけの責任ではない。敵の捕虜を野放しにしていた事自体が問題だ。
とは言え、誰が彼を取り押さえておくことができただろうか。もしそれが出来る者が本当にいたならば、このような事態を招いてはいなかっただろう。

「小娘を……本当にハルピュイアが連れ去った…ってのか?」

信じられないというように、ゼロは聞かされた事実を自ら口にする。その言葉に皆俯くばかりで、その様子が余計に現実味を帯びさせる。
既に反抗する意志はないと見えた。ゼロの目が節穴で無かったならば、確かにその筈だった。でなければ、ここまでゼロを運ぶことも、それから留まることもしなかっただろう。
だがしかし、実際にハルピュイアはシエルを抱え、人質とし、そのまま彼女を連れて飛び去ってしまった。
誰も何も出来なかった。エルピスも、セルヴォも、吠えるばかりでハルピュイアを止める手立てはどこにもなかった。
何もできないまま、シエルは連れ去られてしまったのだ。

ゼロは「嘘言うなよ」と口を開きかけ、やめた。これが現実であることは、仲間達の様子を見れば明らかだ。
だが、それでも信じられない。信じることができない。それは他の団員たちも同じだった。
こうしてシエルが白の団からいなくなってしまったなら、この先いったいどうすれば良いのだろうか。システマ・シエルの設計に関しても含めて、白の団の戦いに欠かせない人物であったシエルを失ってしまっては、今後取るべき道が分からなくなってしまった。
戦いを続けることは出来る。しかし、彼女が願う未来に希望を抱き集まった仲間達は、その目的を見失ってしまったのだ。この先、抵抗を続けようとも、血が流れ続けるだけで、なにも掴み取ることはできないだろう。
この喪失は、彼らにとって致命的だった。そしてまた、ゼロ個人にとっても。

――――俺は……

彼女の為に振るうと決めたこの剣を、今後何の為に振るえば良いのだろうか。
敵を斬り続けた先に、何を掴めるのだろうか。

ぐるぐると虚しく考え続け、いつしか考える意味がわからなくなり、誰もが思考を止め、沈黙した。











「しっかりしましょう! 皆さん!」



突然、コルボーが声を張り上げる。

「ゼロさんも! 司令も、セルヴォ局長も! 立ち止まっている場合じゃないでしょう!」

ゼロのコートを掴みながら、各々の顔を見つめながら呼びかける。
「しかし……シエルは……」と呟き、セルヴォは再び項垂れる。それに対し、コルボーは吠えるように切り返す。

「シエルさんは死んだワケじゃない! “賢将ハルピュイアが本国に連れ去った”――――それだけですよ!」

「『それだけ』……ってお前…」

思わず口を開き唖然とする面々に、コルボーは言葉を続ける。

「奪い返すんです! 俺達の手で! シエルさんが連れ去られたなら、もう一度こちらへ奪い返すんですよ!」

「その通りだぜ、コルボー!」とヘルマンが乗り出す。

「“英雄”さんも、司令も技術局長さんも、ヘタれた顔晒してる場合じゃねえだろう! コルボーの言うとおり、俺達でネオ・アルカディアからあの“姫さま”をもう一度連れ出すんだよ」

「でも、どうするんだ!?」

団員の一人が声を上げる。すると、同じように問いかける声が方々から上がり始める。
確かに、一言で「奪い返す」と言っても、あのネオ・アルカディア本国からどうやってそれを実行しようというのか。具体的な策が浮かばなければどうにもできない。これには流石のヘルマンも口篭る。
そこに「待ってください」と割り込む声が聞こえてくる。皆振り返ると、電子ボードを手にしたルージュがそこにいた。

「これより三週間後、ネオ・アルカディアの建国百二十五周年記念式典が開かれます」

そう言ってルージュは電子ボードをエルピスに手渡す。そこには式典開式までの準備日程が記されていた。

「それに合わせ、現在ネオ・アルカディア本国ではアースガルズ、ミズガルズ間での人の移動が激しくなっています」

式典の準備などに動員する作業者をレプリロイドのみならず、ミズガルズの人間からも雇い入れているためだ。
ミズガルズの市民は国からの最低限の生活保障を約束されている代わりに、国の公共事業に対して積極的な関わりを持つよう促されている。無論、義務というほど縛りが強いわけではないが、それでも普段から職を求めている者は大勢おり、人手は十分に確保できた。

「……紛れるならば、今のうち……か」

そう口にしたゼロに、ルージュはコクリと頷く。

「まだシミュレートしていませんが、私とジョーヌで考えだした作戦案があります」

「こちらです、司令」

横からジョーヌが現れ、エルピスに電子ボードを手渡し、説明する。

「偽造IDと人機判別撹乱スーツを利用し、数人の団員に本国へ潜入してもらいます。式典当日では警備が一層強化されるでしょうから、侵入するならば今のうちかと」

「とは言え、どうやってユグドラシルまでの道を?」

ミズガルズ、そしてアースガルズへの侵入が叶ったとしても、救世主エックスの膝下であり、国家の重鎮が集った首都メガロポリス――――その中心区域である聖域「ユグドラシル」への侵入は容易でないはずだ。
そもそも、シエルがこの先どのように扱われるかも分かったものではない。捕虜とされるのか、はたまた再びエックスの傍に置かれるのか。そう言った状況によっても、作戦の難易度は上下するだろう。

「ある意味賭けになるかも知れませんが……とある組織に協力を仰ぎます」

「“とある組織”?」

ジョーヌの言葉に皆、首を傾げる。「ええ」と頷き、今度はルージュが口を開く。

「今も尚、国内でのテロ活動を行っていながら、未だにその正体が掴まれていない最強のレジスタンス組織……彼らならば、この危機を乗り越えるだけの力を持っているでしょう」

その回りくどい言い回しに、エルピスは暫く首を傾げると、「まさか」と驚きの声を上げる。同時に、セルヴォやゼロにも彼女たちの考えが分かった。
丁度七年ほど前に発足したその組織は、ルージュの言葉通り、複数の下部組織を通して一貫した国内でのテロ活動に取り組みながら、隠密行動に優れた斬影軍団ですら出し抜いていると噂されている程の力を持っていた。
シエルの思想と反目する関係にあったため、これまで直接の協力関係を築くことはなかったが、この事態をどうにかするためには、死に体である今の白の団にとって彼らの協力は不可欠だろう。
全て飲み込んだ上で、ゼロは徐に口を開き、その名を呟く。

「……黒狼軍……か」

今尚正体が明かされていない首領エボニー・ベルサルク率いる最強のレジスタンス組織。
このあと間もなく、ネオ・アルカディア潜入、そしてシエル奪還の為に、彼らへ協力要請することをエルピスは決定した。






















  ――――  2  ――――


天候操作、調整を司る気象コントロールシステム。その働きによりアースガルズのみならず、ミズガルズまでを含めたネオ・アルカディア全体がいよいよ冬季へと差し掛かり始めていた。
ハルピュイアは自身の屋敷に到着すると直ぐに、冷え込む空気に震えているシエルの身体を気遣い、彼女の身体に見合った丈のコートをリディアに持って来させた。
リディアはコートを両手で掴み、シエルの肩に優しく羽織らせる。

「……わざわざありがとう」

「いえいえ、お気になさらず。――――ハル様、おかえりなさいませ」

微笑みながらそう言ってリディアは丁寧に頭を下げる。そして、両手を前に差し出す。そこにはハルピュイアの愛刀ソニックブレードが握られていた。
ゼロとの戦闘の途上、ヘルログマーの甲板に落としたままになっていたのを回収してくれていたらしい。
ハルピュイアはそれを受け取って懐のラックに仕舞い、「ご苦労だった」と労いの言葉を掛けた。

「さて、のんびりはしていられない。リディア、僕はこれから直ぐに聖殿へと向かう。留守は任せた」

「了解です。……お気をつけて」

リディアが一瞬、不安そうな表情をしたことに、シエルは気付いた。
白の団の本拠地包囲戦から一日程度経過していたのだ。ゼロとの戦いの後から、連絡もろくにとれていなかったハルピュイアの身が心配でならなかっただろう。だが、彼女はその感情をできる限り抑え込み、主を笑顔でしっかりと送り出そうとしている。
シエルは感心するとともに、その強さを少しだけ羨ましく思った。

「どうかしましたか、Dr. シエル?」

「……なんでもないわ。行きましょう、ハルピュイア」

そう言って促すと、歩き出したハルピュイアの横に並び、共に中心部にある聖殿へと向けて歩き出した。

ネオ・アルカディアの首都メガロポリス。その中心区域ユグドラシルの、更に中央に聳え建つのが、救世主エックスが根城としている“聖殿”である。その膝下には元老院議会が開催される議事堂が見える。
それら中枢施設の周囲を囲むのは、聖騎士団兵舎と本部、戦略研究所及び関係諸施設、諸政府機関本部、元老院議長八人の本邸、四天王それぞれの屋敷である。
だが四天王の屋敷とはいえ、前線で働き詰めの彼らにとっては飾りのようなもので、謹慎処分など一時的かつ特殊な事情がない限りはほとんど使用されていない。レヴィアタンだけは、戦略研究所との遣り取りをする上で使用する機会が比較的多いのだが。
ユグドラシル内の移動については、徒歩を好む者もいれば、車両を利用するものも、移動用のメカニロイドを使用する者もいるという具合で、比較的自由ではある。だが、あまりに大型なものに関しては、国内が有事の時以外は“景観を損なう”という理由で制限をかけられていた。

「この分だと、数日中に雪が降りそうですね」

石畳の上でコツコツと足音を鳴らしながら、ハルピュイアは頭上の冬空を見上げ、そう口にする。

「そうね。……懐かしいな」

シエルは歩きながら辺りを見回し、思わず苦笑する。
ついニ年ほど前にはシエルもこのユグドラシルで生活をしていた。“おじいさま”の養子として育てられ、救世主エックス付きの技師となり、それから国を抜け出すまで。生まれてからの十二年間はこの高貴な空間で大切に育てられてきた。
優しい春も、豊かな夏も、寂しげな秋も、そしてこれから来る、美しい冬も。当たり前のように過ごしてきた。
無論、同い年の友達ができることなどなかったが、エックスとの他愛無い時間だけで十分に心が満たされていた。

――――いつからだったろう

彼の傍にいることが、恐ろしく感じられるようになったのは。
誰よりもよく知っていたつもりが、彼の心の中を、少しも理解できていないような気がして。
どれだけ笑顔を交わそうと、どれだけ言葉を交わそうと、何もかもが虚構のように感じられて。
ついには隣にいることすらできなくなった。

――――そして、私は……

















聖殿に辿り着くと、ハルピュイアのDNAデータを用いて正面玄関をくぐり、白の大理石で作られた建物内へと足を踏み入れる。そこから長い廊下を直進し、正面突き当たりにあるエレベーターに乗り込んだ。九階のスイッチを押し、二四桁のパスワードを入力すると、エレベーターは上へと登りはじめる。
緊張に固くなっていくハルピュイアの肩を、シエルが優しく撫でる。勿論、シエルの手もどこかぎこちなかったのだが、それでもそうしてハルピュイアを励ますことで、自分の気を支えていたのだろう。
やがて到着を告げるブザーが鳴り響く。エレベーターを降りた目の前には、豪勢に飾り付けられた扉が前を塞ぎ、その両サイドには二体の女性レプリロイドが白い礼服を纏って立っていた。

「賢将ハルピュイアだ。エックス様にお話がある。直ぐに繋いでくれ。――――Dr. シエルが共に来たことも漏らさずな」

「かしこまりました」

右側のレプリロイドが機械的に答えると、左側のレプリロイドが瞼を閉じる。それから数分ほど待つと、再び瞼を開き、それに合わせて右側のレプリロイドが口を開く。

「エックス様がいらっしゃいました。どうぞ、お入りください」

機械的な冷たい声の響きとともに、目前の扉が両側に開く。ハルピュイアとシエルは並んで謁見室に足を踏み入れた。同時に、少女の心中に懐かしい感慨が溢れかえってくる。
重厚な黒の大理石で作られた室内。部屋の両サイドに並ぶ縦長の窓から差し込む陽光と、天井の中央に備えられたシャンデリアが室内を優しく照らす。
中央を通る赤いロングカーペット。その先にある金色の玉座には、漆黒の部屋にも映える純白のマントを纏った救世主の姿があった。
ハルピュイアは前へと進み出ると、片膝を地に着いて、深く頭を下げる。

「エックス様。賢将ハルピュイア、只今ネオ・アルカディアに帰還致しました」

そう告げるハルピュイアに、救世主――――ロックマンエックスは玉座から立ち上がり、微笑みかける。



「おかえり、ハルピュイア。よく戻ってきてくれたね」



涼やかな声でそう言うと、ハルピュイアの元へと近付く。そして、ふと視線を横に向け、シエルのことを見つめた。

「そして……おかえり、Dr. シエル」

「……お久しぶりです、エックス様」

そう言ってシエルもまたその場に座ろうとしたが、それをエックスは「気にしなくて良い」と片手で制した。
それから再びハルピュイアの方へと顔を向ける。ハルピュイアは緊張に固くなりながら、自身の目的を果たすべく口を開く。

「エックス様。誠に恐縮ではありますが、今日はお伝えしたいことがあって、この場に――――」

そんなハルピュイアの言葉を遮るようにして、それでも尚涼やかな声でエックスは言い放った。


「彼女を連れてきてくれてありがとう、ハルピュイア。後は大丈夫。もう下がっていいよ」


一瞬の硬直の後、「お待ちください!」とハルピュイアは思わず声を張り上げる。ここで引き下がる訳にはいかない。
彼はこの戦いの意味を、今後の在るべき理想の形を、救世主に問いかけに来たのだ。なにも言葉を交わさぬ内に引き下がるなど出来るわけがない。
しかしそんなハルピュイアをよそに、エックスは後方で待機していた男に声をかける。

「ファントム、ハルピュイアを連れて外に出ていてくれ」

名を呼ばれ、どこからともなく現れた隠将ファントムは「御意」と短く答えて、ハルピュイアの傍へと近寄る。

「エックス様! この男は――――!」

「分かっているよ」

またもハルピュイアの言葉を最後まで聞くこと無く、遮る。
『分かっているよ』――――その言葉の意味を飲み込み、唖然とするハルピュイアとは対照的に、発したエックスの表情は微笑んだまま少しも崩れなかった。

「彼と君とのことも……そして――――ゼロのことも。全て分かっている。その上で、退がるように言っているんだ。分かるね?」

急激に喉の奥が詰まるのを感じた。
エックスは言葉通り、怒りも憤りもしていなかった。しかし、ハルピュイアはその言葉に逆らえなかった。それ以上、何を言葉にすればよいか分からなくなってしまったのだ。
まるで操り人形のように、ゆっくりと立ち上がる。そして、ふと自分を見つめるシエルの視線に気付いた。

――――そう……か

彼女の視線は、微塵の動揺も見えなかった。それどころか「大丈夫」とこちらを慰めているようにすら見えた。
きっとシエルはこのような状況になることを予期していたのだ。ミュートスレプリロイド達が己の主たる四天王に逆らえぬように、四天王ハルピュイアが救世主エックスの言葉には決して逆らえないのだと、分かっていたのだ。しかし、その上で彼女はここまで赴いたのだ。

それに気づいた時、ハルピュイアはようやくシエルの真意を理解した。
この幼い少女は、元からたった一人で決着をつけようと覚悟していたのだ。
これ以上仲間達から犠牲を出さぬよう、尚且つハルピュイアの地位や立場も守れるよう、あのような芝居を打ってまで。
不安に駆られているであろう己の胸中をひた隠しながら、それでも強かにこの場に立っているのだ。

ハルピュイアは悔しげに奥歯を噛み締め、彼女に軽く頭を下げ、背を向けた。そして、漆黒の男に導かれるまま、虚しくもその場から去って行った。
やがて扉は、室内に二人だけを残し、再び固く閉ざされた。
















  ―――― * * * ――――






「もう……問わんのか?」

共に聖殿の一階へ降りると、ファントムが徐ろに問いかけてきた。
無論、彼が言っているのは先日の件だろう。
何故、同胞であるはずのハルピュイアに刃を向けたのか。その答えに、ハルピュイア自身は辿り着いたのだろうか。
その場で静かに足を止め、ハルピュイアは切り返す。

「今度は、教えてくれるのか?」

もう一度問いなおしたところで、彼はその答えを教えてくれるというのか。それはおそらく違うはずだ。そのまま押し黙るファントムの様子が如実に物語っている。

「……なら、これ以上の問答に意味は無いはずだ」

どうせ答えの出ない問いならば、投げかけたところで意味が無いだろう。そう割り切ることに決めた。

「また斬りに来るならば、それもいい。その時は全力で向かい撃つまでだ」

そう言ってファントムに背を向けたまま、ハルピュイアは歩き出す。
シエルとエックスの遣り取りが、どの方向へ向かうのかは分からない。だが、立ち入れない今は、再び賢将としての任に向かうだけだ。

「……何の為に戦う?」

ふと、問いかける声が響き、再びハルピュイアは己の足を止めた。
ファントムはもう一度だけ「御主は、何を信じる?」と問いを口にする。

砕かれた筈だ。紅いイレギュラーによって。言い訳のように掲げ続けた“正義”を。
しかし、また再びこのネオ・アルカディアに戻ってきた。盲目的に信じ続けた救世主と正面から向き合う為に。
けれど、それは敵わなかった。救世主の言葉の前に――――いや、存在の前に屈して、結局はこうして引き下がることしかできなかった。
そんな彼が、これからいったい何の為に戦い、何に向けて歩き続けるのか。何を信じて、何と戦うのか。
宿敵に砕かれて尚、同胞に刃を向けられて尚、主に言いくるめられて尚――――どのようにして生き続けるというのか。

沈黙の後、ハルピュイアは凛とした声で言い放つ。


「分からない。――――結局、僕には……分からないことだらけだ」


直面して、ようやく気付いた。しかし、それは最初からそうだったのかもしれない。
生まれてからたったの十年間。救世主の守護者としての使命を、そのプログラムを受け入れるために、芽生えた疑問から目を逸らし続け、戦い続けて十年間。
本当に知るべきものは何一つ知ることはできなかったのだ。だからこそ、今、道に迷っている。過ちと己の内に築きあげた虚構に気付いたがために。
だが、それが正常なのだろう――――と、割り切ることにした。そんな短い人生の中で、全てを知ること自体、無理な話なのだ。

「だから今は、僕は自分の役目を全うし続ける。今度はちゃんと迷い、疑いながら――――」

躓き、転び、倒されながらも、這いつくばってでも前に進み続けよう。泥臭く、無様な醜態を晒そうとも構わない。
それでも、何一つ疑うことなく生きて、ただ他者を傷つけるだけの今までよりは、幾らかマシなはずだ。

「そしていつか、あの場所に立って、今度は怯めども引き下がること無く、問いかけてみせる」

自身が胸に抱いた疑問をぶつけよう。その答えを得るために。
今はまだ、それだけの心が出来上がっていなかっただけだ。




「だから今は、ネオ・アルカディアの“賢将ハルピュイア”として――――人間を護り続けるだけだ」




押し寄せる現実の波に揉まれながら。吹き荒ぶ風に刺されながら。
“正義”という名の“盾”を放り捨てたままの、裸の自分で。




「……その心、信じよう」


一言だけ呟くように言うと、ファントムは煙のように消えた。
その言葉の意味を汲み取れず首を傾げるハルピュイア。しかし、それから間もなく納得したように頷くと、その場から一人歩き出した。
































  ――――  3  ――――


不気味に思えるほど、静かな時間が一週間程度過ぎ去った。予想していたネオ・アルカディアの襲撃も無ければ、シエルが帰還することも、ましてこの戦争が終息するような奇跡も起こること無く。まるで何事もなかったかのような時間が過ぎていったのだ。
だが、団員達の心中は決して穏やかではない。ネオ・アルカディアの襲撃が来ないことにある程度の安堵は感じる一方、この不自然な平穏には悪寒を感じてならない。そしてまた、シエルの不在も彼らの複雑な胸中に、暗い影を大きく落としていた。

「……ヘルヘイム…第十三階層に……?」

信じられないという面持ちで、エルピスはジョーヌに問い返す。

「ええ……先日黒狼軍が掴んだ情報によれば……」

ジョーヌ自身も、自分が口にしている情報が信じられないらしく、黒狼軍から受け取った情報に何度も視線を往復させている。

「あり得ない」と思わずエルピスは口を塞ぐ。
ヘルヘイムといえばユグドラシルの地底深くに設置された特殊監獄であり、イレギュラー処分相当の重罪人が特別な事情により留置される収監施設の筈だ。ゼロと私闘に興じたファーブニルもついこの間まで第九階層にて拘束されていたが、それ以上に信じがたい事態だ。
なにせ、どれだけの極悪人であろうと、人間の収容はこれまでのネオ・アルカディアの歴史において、あり得なかったことなのだ。
例えレプリロイドのレジスタンスを組織していたとはいえ、元は救世主付きの技師であり、ネオ・アルカディアの技術の粋を集めて生み出した彼女を、他でもないヘルヘイムの、最深部に送るとは。エルピスだけでなく、ネオ・アルカディアの体制を理解している者達にとってはどう足掻いても信じられない事実だった。
だが、これから共同戦線を張ろうという黒狼軍がこちらを欺く理由も見つからない上に、どれだけ手を回そうとそれ以外に情報が掴めない以上、信じるほかあるまい。

「入手した情報を元に作戦計画をまとめました。黒狼軍側の準備も考えて……三日後には潜入、五日後にはメガロポリス内の協力者の元へたどり着けるかと」

そう言ってルージュが電子ボードを手渡す。

「問題はミズガルズ、アースガルズ間の移動です。これについてだけは、作業員に偽装する必要があります」

「“ホーム”からの移動はミズガルズまでに留めたいですからね。仕方ありません」

バイルの別邸である“ホーム”の空間転移装置を利用すれば、アースガルズどころかユグドラシルまで直行する事も可能なはずだ。しかし、あまりに深部までリンクしてしまえば、敵方の警戒網に引っかかる可能性が高くなる。
ミズガルズからアースガルズへの侵入と、アースガルズ直リンクとの危険度を天秤にかけたところ、前者のほうが比較的安全に通せると判断したのだ。
無論、ゼロや共に潜入する団員のためだけではない。“ホーム”に住むアンドリュー達のことも考えてのことだ。彼らの生活を危険に晒すことは、黒狼軍と結ぶ以上にシエルの本意に反すると分かっていた。

それからオペレーターの指示により、ゼロを含めた作戦参加者五名が格納庫に集められた。既に整備班によって用意された二台の小型トラックには現場作業員に偽装するための荷物が積載されている。
五人は人機判別撹乱スーツを纏い、その上にネオ・アルカディアにあるどこぞの建設会社の格好に模した作業服を着用した。

「ゼロさん、そしてコルボー、ヘルマン、ティナ、ジョナスの五名には、これから一度十三番ゲートを介して“ホーム”へと向かってもらいます。到着後はこちらからの指示があるまで待機してください」

ルージュの軽い説明の後、セルヴォが前に進み出る。

「その人機判別撹乱スーツは今回の作戦のために急ぎで性能を高めた改良型だから、この五着しかない。扱いには十分注意してくれよ」

「ありがとよ、おっさん」

労いの言葉を、ゼロはわざと軽い調子で口にした。
この一週間ほど、セルヴォがろくな休息をとれていないことは知っていた。レプリロイドとはいえ、その疲労は明らかに表情に表れていた。

「ゼロ、それにみんな。すまない。……シエルのことを頼むよ」

まるで親のような心地で見守ってきた少女が、敵の元へ連れ去られたのだ。その胸中は察するに難くない。とは言え、この潜入作戦にセルヴォは不適として外された。技術局長としての任務と責任がある限り、それに従わないわけには行かなかった。
そんな事実を知っているからこそ、その言葉は五人の心に重く響いた。

「力の限りを尽くします。……絶対に、無事にシエルさんを連れ帰ってきますから」

コルボーは揺るぎない瞳でそう言い放った。横のヘルマンとティナも、力強く頷いた。
この場に集められたゼロ以外の四人は、ゼロとの関係と、これまでの任務に対する生存率と戦果から選抜された、言わば精鋭だ。
彼ら以外に、この作戦は考えられないと、エルピスも太鼓判を押した。

「ジョナス……すまんな。装備の点検に整備班の者が必要だったんじゃ」

「大丈夫だよ、班長。俺としては選抜してもらえて光栄ってもんさ」

申し訳なさ気なドワに、ジョナスは胸を張って答えた。

「基地の方は我々に任せてください。――――しかし、万が一の時は……ゼロさん。あなたの判断に任せます」

エルピスは真剣な表情でゼロを見つめる。
“万が一の時”――――即ち、この拠点が遂に陥落した時のことだ。無事にシエルを奪還できたとしてもその先に帰る場所が無くなる可能性がないとは全く言えない。
ネオ・アルカディアの掃討部隊がいつここへ攻めてくるかもわからないのだ。
もしもそうなったら、エルピスからの指示は仰げなくなる。だからゼロの判断に任せるしかない。当然のことだ。しかし、それをあえて口にしたのは、エルピスなりの信頼の証なのだろう。

「ああ、任せてくれ。エルピス」

そう答えながら出逢ったばかりの頃を思い出す。
その時はまだ、ゼロの目からは、幻想の中に立っているだけの盲目な理想家にしか見えなかった。
しかしここまで幾度もの険しい道を潜り抜け、特にここ数日の悲惨な戦場を生き抜き、それでも尚、毅然とした態度を見せ続ける彼に対し、ゼロは指揮官として強い信頼を置ける相手だと認めていた。
それは、ここまで何度も死地を救ってくれた英雄に対するエルピスの敬意も同様だった。

「あれ~?」

ふと間抜けのような声をジョーヌが上げる。
その場の空気を乱すような彼女の声に、ルージュがピクリと反応した。

「こんな時に……どうかしたの?」

「いや……ね。……う~ん、確かにいたと思ったんだけど……」

「なにが?」

どうも要領を得ないジョーヌの答えに、ルージュは呆れたように問い返す。
だが、少しだけ考えるようにした後、ジョーヌは「うん、なんでもない」と答えた。

「きっと私の気のせいね」

「ちょっと……一人で勝手に納得しないでよ」

そう言ってルージュがため息をつくと、ジョーヌは「ごめんごめん」と平謝りを返した。

それからコルボー達はトラックに乗り込み各部のチェックをする。外見は普通のトラックだが、無論、ジャミング機器や光学迷彩等の潜入用装備が搭載されている。
片側のトラックの二台に乗り込もうとしたゼロに、セルヴォが声をかける。

「少し……気になることがあるんだ」

「気になること?」

「ああ」と声を出してから、セルヴォはどこか躊躇いがちに口ごもる。

「どうした?」

「いや……正直、私も信じ難いのだが……」

それからエルピス達の視線が向けられていないことを確認すると、コソッと小声で耳打ちした。

「シエルは自分の意志でネオ・アルカディアに行ったのかもしれない」

「……ッ!?」

ゼロは驚きを隠せず、目を見開く。
セルヴォの話によれば、そもそも彼が席を外したのは、「整備班が緊急の要件でセルヴォを呼んでいる」と、シエルから聞いたためだった。しかし実際には、整備班からの呼び出しなどは一切なく、それを不思議に思っていた所で騒動が起こってしまった。
そして更に、去り際にシエルの口元が僅かに動いていたのをセルヴォは目にしていた。






『ごめんなさい』







「エルピスもその場にいた筈だが、言動から察するに彼は気づいていないらしく……もしかしたら私の見間違いかもしれない。しかし……」

何度も自分のデータを疑ったが、ついぞ振り切ることができなかった。
そんなセルヴォに、ゼロは何を思ったのか、不意に微笑みかける。

「……いや、それを聞いて合点がいったよ」

納得の表情をするゼロに対し、セルヴォは思わず首を傾げる。

「俺はあのハルピュイアが小娘を無理やり連れ去ったって方が信じられない。……が、もしあんたの見たものが事実なら、辻褄が合う」

確かに、ゼロの言葉にはセルヴォも納得できる部分がある。
直前まで戦意を失っていた、それどころか好意的でさえあったハルピュイアの態度が、突如として豹変したことについて、セルヴォも引っかかっていたのだ。
だが、それでも容易に断定はできない。

「……だとしても、いったいどうして自分から……なんて」

「そいつはこれから確かめるよ」

そう言ってゼロは、移動中の襲撃に備えて片側のトラックの荷台に入り込む。
荷台を覆うシートを手で抑えて顔を出しながら、不敵に笑い、もう一言付け加えた。


「――――本人の口から…な」




しばらくして二台のトラックは出発した。
光学迷彩を起動させた車体とシートは途端に姿を隠し、ジャミング機器が正常作動することで、白の団のレーダーでも補足はできなくなった。
あとは、“ホーム”に到着してからの連絡がくるまで、無事を祈るだけだ。

「ご武運を」と、エルピスは胸に手を当て、小さく呟く。
そして、同時に少女の無事を強く願った。































  ――――  4  ――――


旧暦十二月二十五日――――かつて世界中に広まっていた、とある宗教の教義によればその日は丁度、“救世主”降誕の日に当たる。
旧世紀の人々は、その前夜を聖夜と呼び、当日まで含めて特別な意味のある日として親しんでいた。だが、暦も全てリセットして数え直したネオ・アルカディア歴では、壮絶なイレギュラー戦争の影響もあり、その風習はすっかり遠い過去のものとなっていた。
しかし、ネオ・アルカディア歴を正式に制定した、今で言うところのネオ・アルカディア歴二十六年。とある学者の調査により、その日がネオ・アルカディアにとっても重大な日であることが判明した。

イレギュラー戦争の第三次局面において、瀕死の状態で敵に囚われた二人の英雄は、全世界ネット中継のもと、今にも処刑されようとしていた。
しかし、彼らが救ってきた多くの仲間達の尽力により、その想いの結集により、英雄の一人――――蒼の救世主ロックマンエックスは敵の拘束を破り、見事に復活してみせたのだ。

――――そう、奇しくもその日は十二月二十五日だったのである。
新世紀の救世主が復活を遂げた特別な日。それを見過ごしてしまうのは如何なものかと、当時の元老院達は議論を重ねた。
結果、生まれたのが、かつての十二月二十五日を一月一日とし、イレギュラー戦争の終結宣言を告げた年を元年としたネオ・アルカディア歴なのである。
















「そういえばな。なんでも旧暦の十二月二十五日じゃあ、赤い服を着た恰幅のいいオヤジが、好き勝手に民家へ忍びこんでは、靴下に異物を突っ込んでいくとかいう悍ましい伝説があったそうだぞ」

物知り顔で「ガハハ」と笑いながら、大柄な筋肉質の男が嬉しそうに話す。
「くだらない」とめんどくさそうに切り返すのは切れ長の目が知的さを醸す、細身の男だった。

「こんな席で何を言い出すかと思えば」

「どうせ“赤い服”に惹かれたんでしょ。“赤鬼”だけに」

橙色の髪をした活発そうな女性が呆れ顔で返す。「バレたか」と“赤鬼”はまたも笑う。
三人のやりとりをテーブルに付いている他の十六人が寒い目で睨む。部屋の前方でモニターの前に立つ一人の男がわざとらしい咳払いを一つしてみせる。

「ええ……いいですか、皆さん。静粛に話を聞いてください」

大柄な男が「おお、スマンスマン」と悪気の無さそうな声で元気良く答える。
女性の方は「あいよ」と軽く答えるだけだったが、細身の男に関しては返事の一つもしなかった。
クセのある連中ばかりであると分かってはいたが、この場だけとはいえ、その統制を取らなければならないというのは、なかなか骨の折れる仕事だった。

――――この時ばかりは、隊長に帰ってきて欲しいと思ってしまう……ついつい

「はあ」と周囲にバレない程度に小さな溜息を吐き、司会進行役を務めている男性レプリロイド――――第一部隊長代理ディックが、中断していた話を続ける。

「はい、えー……画面に注目してください。こちらは、先程騒がれていた旧暦十二月二十五日までの五日間――――つまりは我々ネオ・アルカディアの記念すべき百二十五周年記念パレード開催期間における人員配置についてです」

イレギュラーハンター全隊合同会議――――百二十五周年記念式典の警備に向けた細かい打ち合わせと調整、また全隊の意思統一をする為に、週ごとにこうして隊長たちが集められ一時間程度の会議を行なっている。
無論、作戦情報はデータとして皆保持しているのだが、それらを視覚的に共有し、作戦をより良い方向へと持っていくための意見交換会としての一面も持ち合わせていた。
とは言え、その必要性を疑問視している者も少なく無く、会議の指揮はそれほど高いとはいえなかった。

「記念パレードの進路ですが、既に情報が入っている通り、ここ数年のテロ頻発エリアを考慮し前回からの変更があります。それに伴い、各隊の配置についても変更があり……」

「その程度、問題はなかろう。わざわざ確認をとることか」

“赤鬼”――――第四部隊隊長グラーツはふんぞり返るようにして話の腰を平気で折る。
ディックは一瞬眉間にシワを寄せた後、「この変更について意見のある方は」と投げかける。するとすかさず、会議参加者唯一の女性レプリロイド――――第十三部隊隊長カルメアが手を上げる。

「異議あーり。その配置だと、ウチの隊はパレード楽しめないじゃん」

誰もが思わず眉をひそめ、彼女を僅かに睨みつける。だが、カルメアは微塵も気にかける様子を見せない。
そんなフザケたような異議申立てに対し、ディックがうんざりするより早く、どこかから「黙れ」と切り返す声が聞こえる。
まるで予期していたかのように、カルメアはその声の主を直ぐ様見つけ、睨みつける。声の主――――第十二部隊隊長を務める少年型レプリロイド、ヨイトナはその視線を無視して、話を続けるよう、ディックに促した。

「……今なんつった、糞ガキ」

他の視線は歯牙にも掛けなかったカルメアだったが、ヨイトナに対する反応は大きく異なっていた。
威圧感むき出しのカルメアに対し、ヨイトナは平然と答える。

「『黙れ』と言った、“クソババア”」

互いの間に、見えない火花が飛び散る。

「……“お姉さま”と言い直せ、“オ・チ・ビ・ちゃん”」

「……刻むぞ、“乳無し”」


「 静 粛 に 」


グラーツの横に座っていた細身の男――――第六部隊隊長オーラスが、今にも殴り合おうかと立ち上がった二人にピシャリと言い放つ。
刺々しい彼の声にカルメアとヨイトナは互いに舌打ち、渋々席に着き直した。その様子を見て、ディックはホッと胸を撫で下ろす。

「ディック第一部隊長代理。彼女のくだらない異議申立ては無視してかまわん」

「“くだらない”とは何さ。この根暗野郎」

突っかかるカルメアをオーラスは無言で無視する。その様子に再び内心でヒヤヒヤしながら、ディックは「他に、異議のある方は」と問いなおした。
カルメアは「あーむかつくねえ」と軽く悪態吐くが、それ以上声を上げることはなかった。
それからいくつか軽い質疑応答を重ね、十数分の延長の後、会議は無事に終わりを迎えた。







「お疲れ様、ディック第一部隊長代理」

「……あ、マサカド第二部隊長代理。どうも、お疲れ様です」

データボードの最終チェックをし、部屋から退室しようとしていたディックに、第二部隊の隊長代理を務める男性レプリロイド、マサカドが声をかける。
二人共、十七部隊に選抜されたクラフト、ヒート・ゲンブレムという二人の隊長の代わりに、その空席に据えられているという点で境遇が似通っているため、自然と以前より親しくなっていた。

「いや、カルメア隊長達には困りましたよ。毎度のことではありますが」

溜息と共にそう漏らす。「全くだな」と苦笑とともにマサカドは返す。
カルメア、グラーツ、ヨイトナ……彼らに限らず、それぞれ濃いキャラを持った隊長達を会議中だけでもまとめなければならないというのは、なかなかのストレスだ。
会議の進行役がローテーション制であることは、非常に助かる。

「データルームに入力しに行くところだろう。手伝うよ」

「有難う御座います」

ガタイのいい体で爽やかに協力を申し出るマサカドの様子は、非常に頼もしく思える。
会議室を出て、廊下へと向かい並んで歩き出す。尚も軽い口論を続けながら前方を足早に歩くカルメアとヨイトナの姿が見えた。
「仲がいいんだか、悪いんだか」と、マサカドは呆れ顔で呟いた。

「隊長からの連絡はありましたか?」

不意にディックが問いかける。隊長とは無論、ゲンブレムのことだ。
首を横に振り、「いや」とマサカドは答える。

「紅いイレギュラーの本拠地を突き止めたという報告以後は、全く。こちらからも何度か、プライベート回線でも呼び出してはいるが、繋がらない」

本部のデータベースで生存反応の確認が取れているため、命に別条はないのだろうが、不安は尽きない。

「ウチも同様です。クラフト隊長が一度ネオ・アルカディアに帰投したという話を耳にしたのですが、実際には会えていませんし……」

「やはりか」とマサカドは唸る。
どうもここ最近の、十七部隊の動向がつかめない……というのは、他の部隊でも噂に出ている。
紅いイレギュラーを追撃中に、部隊の行動に関わる一大事が起きたのではないかという推測は尽きない。
どの部隊からも手塩にかけられた精鋭が集められた部隊の問題だ。カルメア達がやたらと気が立っている原因の一つでもあるだろう。

「まあ、そんな時こそ、俺達が国防に目を殊更強く向けるべきなんだがな」

万が一のことが十七部隊に起きたのであれば、イレギュラーの攻勢が激しくなることも予想できる。
国内が有事の際には、心して挑まなければならない。それこそ、外のことを気に留めている場合ではないのだ。

「こんな調子で大丈夫なんでしょうかね」

不安げにディックがぼやく。
これまで開いてきた数回のイレギュラーハンター全隊合同会議は、正直緊張感の欠片も感じられない。
それどころか、隊長代理という任に就いたおかげで、ほぼ初めて他の部隊長たちと意見をやり取りしたが、クラフトほどの正義感も、ゲンブレムほどの実直さも、誰からも感じ取れなかった。

「まあな。他の隊長たちは、俺たちの隊長を“お固い”と揶揄する程度には緩んでいるらしいからな」

またも苦笑とともに返し、「だがな」とマサカドは続ける。

「良くも悪くも、あれが“余裕の現れ”ってやつさ。みんな己の力に自信を持っているのさ。ある意味、あの二人にはもう少しあってもいいんじゃないかと思うよ」

「……俺は、“あの”隊長で十分です」

頭に浮かべたカルメアとグラーツの顔を消し去った後、ディックはしかめっ面で答えた。
しかし、その後で「とは言え」と付け加える。

「まあ、確かにあの人達の実力は知っていますよ。俺なんかじゃ及びもしません」

あのカルメアは二対のビームソードを手に、まるで踊るような軽やかさで戦うため“二刀舞踊”と、少年型であるヨイトナは身の丈を超える大型実体剣を軽々と扱う姿を“大剣童子”とそれぞれ称され、多くのイレギュラーから恐れられていた。
“赤鬼”と有名なグラーツは、肉弾戦においてはあのクラフトすら遥かに凌駕すると言われている。また、彼らに負けず劣らず、どこの隊長達も自身の得手を戦いに活かし、それ相応の実力を認められた猛者ばかりだ。
横にいるマサカドにすら戦闘力では劣るディックからすれば、ミュートスレプリロイドクラスと言われる純戦闘タイプの隊長達は天上の存在といってもいい。

「ですがね。それで本当に紅いイレギュラーやベルサルクに対抗できるのかは怪しいところだと思いませんか」

度重なる紅いイレギュラーによる被害を耳にする限り、正直クラフトでも手に負えるのか、ディックは常々不安に思っていた。それ故にボレアスの一件は、内心では“案の定”という言葉が直ぐに浮かんだ。
未だ本拠地が特定されないままでいる黒狼軍についても同様だ。どれだけ交戦を重ねようと、あの斬影軍団ですらその全貌を掴めないままでいるレジスタンス組織に、例えその実力が本物だとして、本当に自分たちイレギュラーハンターが対抗できるのか。
そのことに、自分だけ気づいていると言うはずがない。――――だというのに、この現状。ディックの不安と不信は募るばかりだ。

「お前の言いたいことはよく分かるよ」

自信過剰による怠慢――――ディックが危険に思っているのはそういうことだ。
国内では負けなしのイレギュラーハンターにとって、その意識はまるで当然のことのように根付いてしまっている節がある。
無論、彼らの実力が本物であるということも確かではあるが。

「けど、どれだけ不安に思った所で解決の道になりはしない。結局、俺達は俺達の、目の前の仕事を着実にこなす努力を続けるしか無いんだ」

辿り着いたデータルームで、ディックとともに椅子に腰掛けながら、マサカドは諭すように言う。
ディックはため息混じりに「はあ」と答え、自分の手に持っていたデータボード、一旦強く握りしめる。それから気持ちを入れ替えたように、テキパキとコンソールに有線で繋ぎ、データの記録作業を始めた。

マサカドの言う通りだというのは、声に出さずともわかっている。
それでもなんだかやりきれない気持ちになるのはきっと、前線で今も悩み苦しみながら戦っているであろうクラフトの姿を、嫌でも思い浮かべてしまうためだろう。

しかし、だからこそ――――だ。
クラフトが後ろを振り返る必要無く、ただ前を見てその力を振るう為にも、自分はその代理として今ここでの仕事を精一杯やるべきだ。
どれだけの不満や不安があろうとも、そんなものに項垂れている場合ではない。
疑念は絶えなかったが、それからディックとマサカドは項目の確認以外で、先ほどの会議について口にすることはなかった。































  ――――  5  ――――


N.A.歴からすれば感覚的には“古代”と思えるほど古くに流行したメディア――――“ラジオ”が石造りの町並みに音の彩りを与える。
どのスピーカーからも一様に美しい女性の歌声が流れ、人々の心に優しく活力を注いでくれる。
彼女の声が妙に気になり出して、ゼロは荷台を引くジョナスに、声の主は誰かと問いかけた。

「ああ、“虹の歌姫”ですね。先日就任したレオニード元老院議長の妹、イーリス様ですよ」

目覚めてからこの方、白の団のために戦い詰めだったゼロにとって、ネオ・アルカディアの世俗事情は遠い世界の話となっていた。
潜入作戦に赴くにあたって、だいたいの一般知識はデータとして受け取っていたが、作戦と無関係の彼女についての情報は無論、知らされていなかった。

「伝説の英雄さんも、歌姫の美声に聞き惚れたわけっすか」

皮肉っぽく笑って言うヘルマン。ティナが不機嫌そうにヘルマンを睨むのを、コルボーは目の端で捉えていた。

「実際、他のレジスタンス組織じゃ放送を傍受してまで聴こうとするファンも居るほどらしいですよ」

「国の敵味方問わず支持されているわけか。羨ましい限りだな」

時代はイレギュラー戦争を終結させた伝説の英雄などよりも、平和の象徴を地で行く彼女のような歌姫を必要としているらしい。
そう考えると、過去の功績に対して自嘲を漏らさずにいられなかった。



予定通りに“ホーム”へ到着すると、そこからなんの支障も起きることなく指示を受け、ミズガルズ八番区の一画にあった廃屋へと空間転移装置を介して移動した。
その場所から日雇い作業員の一団としてアースガルズへ向かった。自前の作業服や、機材が「アースガルズで倒産した建設会社の元従業員」という設定に信憑性を持たせる。
実際に倒産した建設会社の名前、そこに勤めていた従業員の情報を利用し、仕立てあげた偽装IDを疑う者はそういないだろう。
そして、ここからアースガルズへの侵入を成功させれば、あとは黒狼軍との連携次第となる。
正直、未だ全貌が掴めない組織を信用するというのは、些か難しい判断だったが、ゼロにとってもこれ以上手を拱いている精神的余裕はなかった。

「“鬼が出るか蛇が出るか”……ってな」

「名前通りの“狼”であることを望みますよ」とコルボーは苦笑した。

八番区からアールガルズとの連絡路を設けている六番区までの道を歩きながら、ゼロは辺りの様子を目に焼き付けていた。
こうした“街”らしい“街”を目にする事自体、久しぶりであるし、そもそも記憶を失った今となっては、例えデータで理解していようと初めてのような心地すらある。それはどうにも奇妙な感覚だった。
アースガルズほど裕福でなく、国税も払えない貧困層――――データで知っている限りの情報では、もっと見窄らしい生活を想像していた。
けれど、今彼の眼に映っているのは、紛れもなく幸福に微笑み合う人々の姿だった。

戦車や飛行機といった大型機械が主戦場を占めていた頃よりも昔、剣を手に馬を駆っていた将軍が鉄砲を持った兵隊を指揮していた時代まで、ここでの生活水準の基礎は退化していた。
世界の情報をいつでもその手にできたネット環境から完全に隔絶され。その眼を癒すのは信憑性の程も怪しい新聞雑誌と言った紙媒体のみ。その耳を楽しませるのはラジオのような音楽機器のみ。
一部の者が乗り回し街行く車も、燃料電池や太陽光発電装置の類どころか、ディーゼルも、ガソリンも使われず、それを引くのはレプリロイドだった。
利便性という言葉は遠い昔に追いやられながらも、人間同士の争いは見る影もなく、安穏とした時間が流れるこの空間は、成程、“人類の楽園”そのひとつの形なのかもしれない。

その平穏さは、正直、一瞬この場所が敵陣であることを忘れさせるほどだった。

しかし、それは勿論、人間としてこの場所に眼を向けた場合だけだった。視点を変えれば物事の見方はガラリと変わる。コインにあるのは表と裏だ。
そしてゼロはレプリロイドに視線を向ける。
笑顔の人々を乗せた車を引くレプリロイドの表情は、まるで枯れ木のように憔悴しきっていた。貧しい家に飼われている分、他に代役おらず、もう何日も一人で働き続けているのだろう。
右手の広場では奴隷市さながらの競売が行われていた。衣服を纏わされること無く並べられた数体のレプリロイドに対し、参加者たちが値段をつけ、買い取ろうと躍起になっていた。家政婦としてか子供の玩具としてか、はたまた慰み者の類としてか。

街を包む優しい歌声の向こう側で。人々の笑顔が溢れる街頭の反対側で。石造りの家屋の寝室で。どこかの廃屋で。たった今通り過ぎた路地裏で。
性欲の捌け口となった女性レプリロイドの嗚咽が響いている。暴力に打ちのめされ、生気を失った男性レプリロイドの虚ろな瞳が光を探している。
この街のどこかで、己の存在を自ら断ち切らざるを得ない程の絶望に突き落とされたレプリロイド達がいる。

そのことを、彼の横を共に歩いている四人は知っている。けれど、彼はそれを“知らない”。
知識として知り得ていたとしても、それを到底『知っている』などと胸張ることはできなかった。
実際にこの場所へ足を運び、賑やかな町並みに気持ちを揺さぶられ、隣を歩く仲間達の横顔に目を遣り、その事実を突き付けられ、彼は言いようのないもどかしさに襲われた。

「どうかしましたか」と問いかけるティナに、「なんでもないよ」と笑って返した。
それだけで精一杯だった。





数時間程歩き続けた後、アースガルズへの連絡路へと辿り着いた。
アースガルズ全体は一つの巨大な城郭都市となっており四方向に設置された連絡路を通らない限りミズガルズからの侵入は叶わない。勿論、そこには関所が設けられており、入国の際には住民票とIDのチェック、そして人機判別審査を受けなければならない。
他にアースガルズへと立ち入ろうとする人々が数十人ほど列を成しており、ゼロたちはその最後尾に並んだ。特に大きな行動をする必要もなく、おとなしくチェックを受ければ、入国はそれほど難しくない。しかし、チェックを受ける際の緊張感は銃口を額に突き付けられた時とそう変わらないだろう。なにせ、ここでミスを犯せば間違い無く作戦は失敗……それどころかゼロという英雄を失いかねないのだ。

「“レイ”、俺が先に受けるぜ。下がりな」

ヘルマンがゼロを偽名で呼び、前に進み出る。ゼロもまた「オーケーだ、“ロン”」と偽名を呼んで答えた。
ヘルマン、ティナ、ゼロの順に並び、歩き出す。その後ろにコルボーとジョナスが荷台を引いてついていく。
そしてとうとう回ってきた審査の順番。IDカードを係の男に差し出し、チェックをしてもらう。

審査係の男は、どうやら人間のようだった。しかし、その両端にはパンテオンが四機控えている。
人機判別用のゲートをヘルマンとティナが順にくぐり抜けるのを目で追いながら、三十代前半といった審査係の男が注意深くIDカードのコードから引き出した情報に目を通しているのを、緊張しながら見守った。

「“レイナルド”……アースガルズ第三エリア、ニューイグアス市出身…………現在はミズガルズ八番区に居住……と」

IDカードに提示されている顔写真と実物を見比べる。一瞬ジッと訝しむような視線でゼロを見つめていたが、しばらくして「どうぞ」と促した。
灰色の古びた作業着を着て、合成着色料で髪を黒く塗りつぶしたゼロの正体を、常人が見抜けるはずもなかった。それも、“紅いイレギュラー”など噂程度にしか聞いたことのない一般人ならば尚更だ。
そのまま人機判別用ゲートをくぐり抜ける。問題無しと判定された。
こうして楽に通れると、ネオ・アルカディアの警備の甘さを疑いたくなる。が、実際には現在彼らが着用している人機判別撹乱スーツの性能のおかげであることは忘れてはならない。
人間の出入りに対し寛容であることは、当たり前だった。要は、IDの審査などお飾りであり、ネオ・アルカディア側が真に信頼しているのは人機判別ゲートの方だった。
レプリロイドであると判定されれば、その後のチェックは尋常ではないほどの量だ。そして、その場に控えるパンテオンの姿を見れば、不法侵入とされたレプリロイドの末路など、容易に想像着く。

とりあえずは無事に入国できたと、ティナが「ホッ」と一息つく。それをゼロは笑って肩を叩き後方を示す。
コルボーとジョナスが入国出来て、初めて成功といえるのだ。安心するのはまだ早い。
そうして先に出た三人が見守る中、コルボーがゲートをくぐり抜ける。結果は勿論セーフ。問題なく通ることができた。
それから係の男にIDを返してもらったジョナスが、荷台を引いてゲートをくぐる。無論、警報などなるはずがない。これまでの四人が通れたのだから、同じ撹乱スーツを纏っているジョナスも通れるに決まっている。

だが突如として鳴り響いた耳障りな警報に、誰もが一瞬凍りついた。

「え……?」

ジョナスが言葉を失い、辺りを見回す。パンテオン達が銃口を向けていた。――――彼が引く荷台に対し。

「お……え………俺?」

異常に戸惑うジョナスに、係員とゼロたちが駆け寄る。
警報が鳴ったのはジョナスが通った時ではない。後ろに引いている荷台が通った瞬間だった。
他に二人ほど係員が駆けつけ、相談を始める。状況が理解できないゼロたちは、ただ言葉を失い、その場に呆然と立ち尽くすことしかできない。
やがてそのうちの一人が、パンテオンを押しのけ、荷台に手をかける。

「失礼。中身を拝見させてもらいます」

どうせカモフラージュ用の荷物しか入っていない。ゼロは「どうぞ」とあくまでも毅然と答えた。
被せられていたコートを取り払い、荷物を確認する。数本のシャベルや工具。それに、何の用途に使うかいまいち分からない大きめの煤に塗れた木箱が二つ。

「こちらは?」

「何か使えるかと思って、その辺に転がっていたものを」

ゼロはテキトーな言い訳を繕う。記憶が確かならば、底の方に自分の戦闘用コートを仕舞っていた。無論、工具をいくつかいれてカモフラージュしていたが。
係員はパンテオンたちに命じて箱を持ち上げさせた。予想外の重さに二人がかりで動かす。そして、その箱をゲートに通した。

耳障りな警報が鳴り響く。
係員達は不安げに見守るゼロたちの視線を背中に受けながら、木箱の封を解いて開いた。そして、皆一様に、言葉を失う。

「なんだ……このガキは」

係員が中に潜んでいた少年レプリロイドを引きずり出す。

「いってぇ! 離せ! 離せよ!」

少年は喚き散らすが、直ぐ様パンテオンのバスターを向けられ、口を噤んだ。しかし、それだけでは済まない。
もう片方の木箱を、もう一人の係員が乱暴に開く。そこからは一人の少女レプリロイドが姿を現した。

「メナート!? アルエット!?」

コルボーが思わず名前を叫び、すかさずその口をヘルマンが塞ぐ。
だが、時既に遅い。係員達の疑いの眼差しがゼロたちに向けられる。

「ご存知で?」

「ったく、勝手に入り込みやがって! すいませんね。職を失ってからこの方、“楽しみ”と言っちゃ“コイツら”くらいで」

睨むようにして問いかける係員に対し、ゼロは慌てて出来る限りの嘘を並べ立てる。出来る限りの下卑た表情で。想像できる限りの下衆を気取って。

「繋いどいたはずなんですけどね。何を考えてるんだか」

「なるほどねぇ。おたくも苦労してるようで」

「ええ。本当に」

そんな遣り取りの後、係員はしばらく考えこむ。
ゼロは相手が結論を付ける前にと、言葉を投げる。

「申し訳ありませんがね。どうか見逃しちゃくれませんか。さっきから言うように“楽しみ”が“コイツら”くらいで、いなくなられちゃ困るんですよ」

正直、賭けに等しい。“人間”に対する寛容性を考えれば、通すことは可能だろう。しかし、二人が“レプリロイド”であることは紛れもない事実であり、大きな問題だ。
どんな理由があったにせよ、二人は処分されてしまってもおかしくない。だが、それを見過ごすわけにも行かない。大切な仲間だ。

――――いざという時は……

ゼロが微かに身構えたのを察知し、コルボー達は息を飲む。
万が一、ここで戦闘状態となれば、計画は“おじゃん”になりかねない。しかし、二人を自業自得だと捨てられるほどの冷静さも持ち合わせていなかった彼らは、それを覚悟した。
しばらくの沈黙の後、係員は同僚となにやら短く相談を交わす。それから殊更下卑た笑みを浮かべながら、一つ提案を切り出した。

「そっちのガキはいいにしましょう。ですが、こちらはいけませんな」

そう言ってメナートだけを解放し、アルエットを引き寄せる。
ゼロは奥歯を噛み締め、「ちょっと待て」と声を上げる。

「どういうつもりだ」

「いやね。こちらとしちゃ、どういう理由であれ、不法侵入者を一人見逃すわけですよ。それなりの見返りを頂いても問題はないでしょう」

ここで断るのはおかしい。――――ゼロは瞬時にそう判断できた。
当然だ。ネオ・アルカディアの人間にとって、レプリロイドなど使い回しの道具も同然だ。お気に入りとはいえ、保身のためならば喜んで差し出すだろう。
「おたくも好きですね」とか、互いの性的嗜好を暗黙の内に了解し合い、何事もなかったかのように、平然と切り抜ける。「いなくなった彼女の分は、このあとの働きの報酬でどこかから取り寄せよう」とか、そんなことを軽く考えるだけで終わるのだ。
町並みの雰囲気に当てられたせいか、嫌悪感を抱きたくなるような下衆な思考を、ゼロは容易に想像することができた。そして、それこそがここでの“正しい”反応であることも、即座に理解できた。

だからこそ、言葉を失う。反応に遅れる。
「YES」とも「NO」とも言えずにその場に立ち尽くす。

「もういいですよ、行ってください」

係員が促す。だが、動けない。当たり前だ。アルエットをこんなところで犠牲にはできない。そうすれば、この先でやろうとしていることの意味が失われてしまう――――シエルを奪還するという作戦の意味が。
ならばやり合うか。できない。こんな場所で立ちまわれる自信はない。
いや、生き残ることは可能だろう。だが、その結果として、本来の目的からは遠く離れてしまう。

一緒に潜り込んできたメナートも、事の愚かさに、その結末に言葉を失ったまま、呆然としていた。
コルボーとヘルマンはいつでも戦いに反応できるよう軽く身構えている。戦場に慣れていないジョナスとティナは震えたまま立ちすくんでいる。
係員にその手を掴まれたままのアルエットは、無表情だった。恐怖も何も感じていないというような。考えないようにしているのかもしれないと思ったが、違う。彼女もまた覚悟しているのだ。この後、自分の身に降りかかるであろう仕打ちに対し。
その瞳は「先に行って」と促しているようにすら見えた。いや、きっとそうなのだろう。これは「自業自得だ」と理解し、諦めている。そういうことだ。

だからこそ、ゼロには赦せなかった。

「待て」

思わず声を上げる。状況には不相応なその台詞に、係員達は一瞬呆気にとられた。

「そいつも……返してくれ」

「はぁ?」

係員は素っ頓狂なことを宣う貧困層を嘲るような目で、ゼロを睨んだ。
だが、ゼロは強気な眼差しで睨み返す。先程までと打って変わった迫力に、彼らは僅かに後ずさる。

「そいつは俺のお気に入りなのさ。勝手な扱いをしないでくれ」

「なにを……この……」

小型の無線機に手をかける。
どうやら、無理矢理にでもここを通ろうとすれば、上に連絡をするつもりらしい。騒ぎが拡大しても、同じように計画は潰れてしまう。

――――仕方ないか……

そうなれば、残される道は一つだ。
ゼロはあからさまに身構える。人間相手にどう対応すべきか戸惑っていたパンテオン達も、その立ち居振る舞いに対し、反射的に戦闘態勢に入った。
「くるか」とコルボー達も構える。正に一触即発――――







「なにをしているの?」







アースガルズ側から涼やかな女性の声が凛と響く。
係員達はつられてそちらに目を向ける。そこにはベージュのダッフルコートを纏った文字通りの“美女”が立っていた。
「誰だ、あんた」と問いかける係員たちに、彼女はブラウンのロングブーツで地面をコツコツ鳴らしながら足早に近寄り、懐からIDカードを提示してみせた。
何度か断ろうとするが、無言でつき出す彼女に根負けして、係員は面倒臭げにカードのコードを読み取り、身分を確認する。その瞬間、係員達は言葉を失い、唖然としながら口と目を開いて彼女を見つめる。
それから直ぐ様襟を正し、「失礼致しました」と敬礼の構えをとった。

「で。揉めていたようだけど……」

「はッ。そちらの方々の荷物にレプリロイドが紛れておりまして……」

「――――彼らは私のゲストよ。通しなさい」

「……は?」

またもや唖然とする係員に、彼女は再び「通しなさい」と語気を強めて言いつけた。
ようやく理解できた彼らは「はい、ただ今」と慌てて答え、アルエットを解放した。
自由になったアルエットはそのままゼロの身体に飛びつく。怖かったのだろうが、真っ先に「ごめんなさい」と小声で謝った。そのことについては後でよく話す必要があると思い、ゼロは何も言わず、ただアルエットの頭を優しく撫でた。

「あの人って……まさか……」

ティナが軽く耳打ちする。
彼女の足りない言葉を理解し、ゼロは「ああ、間違いない」と答えた。
現れた美女のことを、彼はよく知っていた。しかし、何故この場に現れ、挙句、自分たちを助けるような真似をしたのだろうか。
コチラに投げた彼女の視線から、自分たちの正体は既にバレているのだろうと予想できた。故に、尚更不可思議でならなかった。

「さ、行きましょ」

警戒するゼロたちに、彼女はまるで気にしていないとうふうに、軽く声を掛けた。
その場から動こうとしない彼らに、彼女は再び声をかける。

「行かないの? ユグドラシルへ堂々と侵入するチャンスよ?」

白のニット帽の下から青い長髪を揺らし、何もかも知っているという調子で、現れた女性レプリロイド――――妖将レヴィアタンは悪戯っぽい笑みを浮かべた。




























 NEXT STAGE











         暗躍の調

























[34283] 29th STAGE 「暗躍の調」
Name: 村岡凡斎◆45ff140f ID:697d6d9c
Date: 2013/05/25 23:30


  ―――― * * * ――――


「ゼロさん達との連絡がつかない?」

エルピスは、困惑した表情で報告するジョーヌに、思わず問い返す。彼女はただ「はい」と震える声で答えた。
先程、黒狼軍のオペレーターより通信が入った。予定時刻を過ぎても、白の団のメンバーが予定ポイントに現れないこと。そして、その遅延について何の連絡もとれていないこと。
黒狼軍は作戦案を一旦破棄し、「今後の白の団の方針に合わせる」とだけ言い残し、一方的に通信を遮断した。

「どうしましょう……」

呟くように言うジョーヌ。横に座っているルージュも黙り込んだままだ。
エルピスは冷静に考えを巡らせる。ふと、基地内からアルエットとメナートがいなくなったという話を思い出し、「まさか」と顔をしかめる。
潜入用機材の中に彼らが紛れ込み、何の用意もしていないままネオ・アルカディアに入ったというならば、作戦に支障が出るのは当然だ。特に、シエルの危機を耳にしてあのホームから戦場と化したこの基地まで、ゼロの反対も押し切って来たアルエットの強情さを考えれば、そう言う行動をとることは容易く想像できる。
あの時点で、そこまで頭が回らなかった自分の愚かしさを呪い、それを踏まえた上で、もう一度思案する。

「……仕方ありません。ゼロさん達からの連絡を待ちましょう」

今の戦力では誰を増援に送り込んだ所で、無事の保証はできない。それ故にいくら頭を悩ませた所で、これ以外の選択肢はない。
ただ、どれだけの期間を目処とするか……――――エルピスはついぞそれを口にできなかった。
ゼロたちの失敗――――即ち、シエルの喪失。そうなれば、二度と彼女をネオ・アルカディアから奪還することはできず、この白の団という組織の存在意義が失われてしまう。
祈るしか無い。なんとか危機を乗り越え、無事にシエルをここまで連れ帰ってきてくれることを。

そんなエルピスの複雑な胸中を感じ取ったのか、ジョーヌは問い返すことも無く、ただ小さく頷いた。






















 29th STAGE











          暗躍の調


























  ――――  1  ――――


正直、自分に起きている事態の整理がつかない。
とりあえず、予定が大幅に狂った事は確かだ。良い方にか、それとも悪い方にかは分からないが。

「適当にかけてちょうだい。」

レヴィアタンに促されるが、どこに座るべき――――というより、どういう立ち居振る舞いをすべきか仲間たちとともに右往左往してしまう。
「おい、コルボー」とヘルマンが耳打ちしてくる。

「一体全体……何が起きてんだ?」

無言で「俺だって聞きたいよ」としかめっ面を浮かべる。共に行動しているヘルマンにわからないことが、どうして自分に分かるだろうか。
そんな風に戸惑う自分たちを無視して、レヴィアタンは自室へと戻っていった。このまま逃走してしまう可能性もあるというのに、なんとも大胆なことだ。それどころか、呆然と立ち尽くしたまま十数分経過した後、戻ってきた彼女が着替えを終えていたことに、益々呆気にとられてしまう。
「座らないの?」と、余裕綽々といった笑みを浮かべて、彼女は一人がけのソファーにゆったりと腰掛けた。
尚も呆然とするコルボーたちだったが、そんな空気を切るように、メナートが「ボフッ」と勢い良くソファーに腰掛けた。

「うお、ふっかふかー!」

高級感漂う座り心地に声を上げるメナートの頭に「馬鹿かお前は!」と思わずヘルマンは拳骨を食らわせる。直ぐ様頭を抱えて「なにすんだよー!」と叫び返した。
その様子を見て「クスクス」とレヴィアタンは笑う。その敵意が微塵も無い笑みに毒気を抜かれて、ジョナスが長椅子に渋々と腰掛ける。それに続いて、ティナとコルボーも座り、しかめっ面をしたままではあるが、ようやくヘルマンも腰掛けた。
だが、ある二人だけは、まだ落ち着く気配を見せない。

「どういうつもりだ」

ゼロはじっとその場に立ったまま問いかける。そのコートにしがみ付くようにして、アルエットも立ったままレヴィアタンを見ている。

「そう怖い顔しないの。あなた達も落ち着いたらどう?」

黒のタイツに包まれた足を組み、その上に肘を置き、頬杖をつく。彼女の一挙手一投足がどうにも魅惑的で、コルボーは視線を奪われる。
妖将レヴィアタン――――ネオ・アルカディア四天王の一人。情報戦を司る冥海軍団の団長。そんな彼女と戦場以外でこうして出逢うことなど、一般のレプリロイドである彼らの誰が想像できただろうか。噂に違わぬ容姿と振舞いに、男心が揺さぶられる。そんなコルボーの腹をティナが肘で軽く突いた。
だが、幾度かの邂逅を済ませたゼロは、彼女に対し見惚れることも、臆すこともなく、対峙する。
レヴィアタンに“怖い顔”と揶揄された表情のまま、ゼロはレヴィアタンを睨み続ける。「相も変わらず強情ね」とレヴィアタンは溜息を吐いた。

「そんな風にしたところで無意味よ。――――分かってるのでしょう?」

余裕の笑みから、挑発するような笑みへ。「ああ、そうだとも」とゼロは心中で呟き、眉間に悔し気なシワを寄せた。
どういう状況であるか、痛いほどわかっている。――――レヴィアタンと遭遇した時点でこの作戦はとうに失敗なのだ。
このチームの命運は全てレヴィアタンに握られている。あの連絡路で出会した瞬間に。

レヴィアタンの案内に従いメガロポリス――――その深部、目的地であったユグドラシルへと辿り着くことができた。それから何の障害もなく、こうして彼女の屋敷へと招かれたわけだが、それに抗えなかったのは無論、自分たちのこの状況が“捕虜”と何ら変わらないということがゼロにもコルボーたちにも分かっていたからだ。
下手に事を荒げれば、ここは敵のホーム……途端に周囲を囲まれ、退路は絶たれ、挙句、作戦は完全に崩壊する。シエルの救出もできなければ、ゼロという英雄も失ってしまう。
彼女自身、ネオ・アルカディアの四天王の一人として恥じない戦闘力を持っている。例え戦闘用のスーツを着ていなかろうと、愛槍フロストジャベリンを側に置いていなくとも、コルボーたちでは彼女に敵わないだろうし、例えゼロが相手をしても、時間稼ぎ程度の行動は容易にしてのけるだろう。そんな彼女に従う以外の選択肢はどこにも見当たらない。
ようやく渋々と、ゼロもソファーに腰掛ける。その横にはアルエットが静かに座った。「いい子ね」とレヴィアタンは微笑む。

「安心なさい。別にここであなた達をどうこうするつもりはないわ」

微笑みを浮かべたまま、レヴィアタンはそう言い放つ。その真偽が分からず、コルボー達は互いに顔を見合わせる。普通に考えれば“罠”だ。しかし、今彼女が醸している雰囲気にはまるで敵意が混じっていない。そんな矛盾する二つのイメージに頭が混乱する。
だが、ゼロだけは彼女の言葉が真実であると、すぐに見抜いた。妖将レヴィアタンとはそういう女であると、彼は既に理解していた。

「なら、どういうつもりだ。――――まさか、妖将様と一緒にパレード鑑賞と洒落込めるわけかい?」

「残念、それは叶わないわ。そもそもあれは爺様方の催し物だしね」

百二十五周年記念式典の一切は元老院の管轄により行われている。レプリロイドの集団の中でも、聖騎士団やイレギュラーハンターが中心となって絡む所以はそこにある。と言っても、五年前のパレードにおいては四天王たちも来賓として紹介され、国民たちから大いに褒め称えられた。しかし、今回はそれすらも許されない。

「――――何より、今年は“度重なる失態”のおかげで、国民に顔向け出来ないの。パレード中もお仕事よ」

苦笑とともにそう皮肉っぽく言うレヴィアタンに、“度重なる失態”の元凶である“紅いイレギュラー”は「なるほど、そいつは悪かったな」と平謝りを返した。
それから「冗談はさておき」と雰囲気を改め、ゼロは問いかけようと口を開く。

「答えろ。お前はいったいどうやって――――」

「『俺達の情報を掴めたのか』って?」

ゼロの言葉を先に口にする。ああ、そうだ。それが一番の謎だ。
彼女があの場所に現れたのはタイミングが良すぎる。それどころか、あの時の彼女の言動は、全てを予期していたかのような余裕があった。そして、それは今も変わらない。
真っ先に思いつくのは黒狼軍の裏切りだ。しかし、そうだとして黒狼軍側にいったいどんなメリットがあるのか。白の団など、下部組織を利用しながらネオ・アルカディアを引っ掻き回し続ける彼らにとっては取るに足らない存在のはずだ。“紅いイレギュラー”ことゼロについても、もしも黒狼軍にとって邪魔というなら、刈り取るタイミングは今でなくとも良かったはずだ。
では、いったいどうしてこの情報は掴まれのか。――――その問いに対し、レヴィアタンはサラリと答えてのける。



「ネオ・アルカディア最優の隠密部隊を舐めない方がいいわよ。紅いイレギュラー」




その彼女の言葉と共に、ザラリとした悪寒が背筋に走る。――――瞬間、黒衣を纏った仮面の男がゼロの真後ろに立っていた。
コルボー達は「わッ」と短く声を漏らし、その息を止める。その男が何者であるか、ゼロは既に知っていた。

「……隠将、ファントム」

その殺気から護ろうとアルエットを抱き寄せたまま、ゼロは名を呼び、睨みつける。
合点がいった。隠将ファントム率いる斬影軍団――――ネオ・アルカディアで最も優れた隠密機動部隊。彼らならば、一レジスタンス組織の潜入作戦など、どういった経緯であれ、入手していたとて何もおかしく感じない。ベルサルクを補足できずにいるという話で、その実力を疑う者もいるが、それだけが特別な問題であり、ネオ・アルカディアがこれだけの規模を持ちながら他の勢力による大きな襲撃を受けずにいるのは、彼らの尽力のおかげに他ならないのだ。
一触即発という二人の雰囲気を感じ取り、レヴィアタンが「ほらほら」と言いながら手を叩く。

「人の家の中でやめてちょうだい。――――ファントム、来たのならまずは私に声を掛けるのが礼儀ではなくて?」

「……失礼した」

凍てつくような冷たい声で短く謝罪の言葉を口にする。
その後、すぐに視線をゼロへと移す。

「……拙者とともに来い。紅いイレギュラー」

そう言って、ファントムはくるりと背を向ける。呆気にとられるゼロの向こう側から、「ちょっと」とレヴィアタンが声を上げる。

「もう連れてゆく気? 私だって、もう少し彼と話したいわ」

大人っぽい容姿にどこかミスマッチな、髪に飾り付けられた赤いリボンを揺らし、不満気に口を尖らせる。どこまで本気かわからない彼女の態度を、ファントムは無言で一蹴する。

「来い」

ゼロにだけ短く、もう一度呼びかける。幾度か逡巡した後、その言葉に従う以外は無いのだと悟り、ゼロは立ち上がった。すると、服の裾をアルエットが引っ張る。
瞳で「連れて行って」と訴えているのが分かる。

「……アルエット……聞き分けてくれ」

だが、頑としてアルエットはその手を離さない。
ふと、ファントムがこちらを向く。そして表情の分からぬマスクの下から、真っ直ぐにアルエットを睨みつけた。
あまりの殺気に、ゼロは身構える。彼女をこの場で斬り殺さんばかりの、ファントムの殺気。僅かでも動けば、ゼロはゼットセイバーを引き抜くだろう。思わず見ていただけのコルボーたちもその身を震わせ、引き下がる。

だが、アルエットはそれでもゼロから手を離さなかった。
それどころか、ファントムへと睨み返していた。

緊迫した時間が数十秒続く。ゼロは息を呑み、奥歯を噛み締める。レヴィアタンですら、この場で万が一の攻防が起きることを覚悟した。
次の瞬間、ピタリとファントムの殺気が消える。

「……よかろう、御主も来い」

そう短く告げ、再び身を翻した。
ほっと胸を撫で下ろす一同。だが、今度はゼロがアルエットを睨む。

「お前なあ……」

振り下ろされる腕に、アルエットはキュッと目を瞑る。
するとその手は、彼女の頭をワシワシと大雑把に撫でた。

「大した玉だよ。――――叱りつけてやりたいところだけどな」

感心したように言うゼロに、まんざらでもないような笑みをアルエットが浮かべた。
それから一度だけレヴィアタンを一瞥する。「いってらっしゃい」とでも言うようにヒラヒラと手を振る彼女に、軽く頷き、ゼロはアルエットと共にファントムの後に着いて行った。



「いや……ちょっと待てよ! 俺達は!?」

事態が呑み込めたヘルマンが騒ぎ出す。
ゼロという英雄が連れて行かれた今、この状況は非常に不味い。妖将の屋敷の中で、無防備なまま取り残されたのだ。どのような結末が待っているのか、想像し、思わず身を震わす。
そんな彼らを宥めるように、レヴィアタンは「大丈夫よ」と声をかける。

「あなた達の身の安全は、私が保証するわ」

「し……信じられるか!」

思いもよらぬレヴィアタンの言葉に、呆気にとられるコルボー達。ヘルマンだけが声を荒げて抗議する。
だが、レヴィアタンは「フフ」と妖しく笑う。

「信じるも信じないも、あなた達に選択肢はないでしょう? それとも、ここで私とやり合う? 純戦闘用レプリロイドであるこの私と」

既に、ゼロ同様、コルボーたちを一目で非戦闘型と見抜いていたレヴィアタンは挑発するように言ってのける。
無論、答えは「NO」だ。とんだ無駄死にしかならないだろう。
悔し気な表情を浮かべ、未だ訝しむヘルマンに、レヴィアタンは「そうねえ」と軽く考えこむように唸る。
それからおどけたように人差し指を立て、笑顔で答えた。

「彼への“乙女心”に懸けて誓うわ――――なんて……どうかしら?」

益々、その心中が理解できないレヴィアタンの態度に、彼らはただ呆然として、気づけば警戒する心を失っていた。
































  ――――  2  ――――


「ネオ・アルカディア、ユグドラシル聖騎士団一同、整列!」

号令とともに、コロシアムに集まった数百人のレプリロイド達は一斉に足を揃える。
その軍団の前へと天馬を模して作られた一体のミュートスレプリロイドが進み出て、仁王立つ。
再び「敬礼!」との強い号令に、皆、一斉に構えをとった。そして「直れ」の声に従い、その手を下ろす。

「ユグドラシル聖騎士団総長、ペガソルタ・エクレール様よりのお言葉!」

前に進み出たミュートスレプリロイド――――ペガソルタ・エクレールはその場に集結した聖騎士団一同の顔を見渡し、満足気な高笑いを上げた。

「良い! 皆、良い面構えだ! しかし、そう張り詰めるのはやめい! 楽にせよ!」

ペガソルタの言葉に合わせ、聖騎士団の面々は肩の力を抜き、“休め”の体勢をとる。
「うむ」と満足そうにペガソルタは頷く。

「建国記念式典の開催まで、残り十日と迫っている! 諸君! 理解しているであろうが、我ら聖騎士団一同は! 今日より五日後に、このメガロポリスの中心地ユグドラシルより出発するパレードの警護につく! そして一部の者はステージ上で国民中に“演舞”を披露し! また一部の者は“模擬戦”にてその力をネオ・アルカディア中に知らしめる使命を負っている!」

「応ッ!」と声を張り上げ、団員達は答える。それに対し、ペガソルタは片腕を上げ、言葉を続ける。

「皆それぞれの任を全力で全うせい! この建国記念式典にて、我ら聖騎士団の威厳と栄光を! 美しさを! 華麗さを! 人々の目に焼き付けてみせるのだ! それこそが我ら聖騎士団の使命! それこそが愛する国家の、より一層の繁栄へと導く、道標となろう!!」

「応ぅッ!!」と、一際大きく響き渡る鬨の声。聖騎士団の士気は最高潮に達している。
その様子を客席より観ていた人々は大きな歓声と拍手を送る。中には騎士の名を叫び、指笛を吹き、感動の涙を流す者までいる。
「解散」の号令がかかり、騎士団員達はそれぞれ指定された出口に向け歩き出す。鳴り止まない歓声と拍手に対し、皆、頻りに手を振りながら笑顔で答える。

建国記念式典十日前にコロシアムにて必ず行われる、ユグドラシル聖騎士団決起大会。メガロポリスのみならず、アースガルズ中から国民を招き建国記念式典への士気を高める。無論、チケットは即完売。観戦できるのは一握りの裕福層だけだ。
騎士団員達による演舞に始まり、この日のために投獄されていたイレギュラー達との模擬戦闘を行い、その強さと華やかさを人々に見せつけ、最後にこうして総長であるペガソルタの演説で幕を閉じた。
建国記念式典前の催し物としてはこれが最後にして最大のものであり、これが終了することで、「いよいよ」という雰囲気がネオ・アルカディア中に伝染していくのだ。













「おやおや、これは“コロシアムの英雄”ヘラクリウス・アンカトゥス殿ではありませんか」

出入り口と控え室とを繋ぐ通路へと戻ったペガソルタの前に、よく見知った二人のミュートスレプリロイドが立っていた。
このコロシアムで連日開催されていた「ショー」にて、不敗の記録を保持している最強の英雄、ヘラクリウス・アンカトゥス。そして、その弟クワガスト・アンカトゥス。
だが、ペガソルタはクワガストなどまるで気にもせず、ヘラクリウスに笑いかける。

「如何でしたかな。我らが聖騎士団の決起大会は。貴殿の目から見て」

「うむ。……悪くない」

ヘラクリウスは短く答える。「そうでしょうとも」とペガソルタは満足そうに高笑う。

「ええ、理解しておりますよ。我ら栄光ある聖騎士団の威光を目の前にしては、そのように言葉少なになるのも無理はありません」

主観を多分に混ぜた言葉を自信満々に返すペガソルタ。
それに対し、今度はクワガストが「はっ」と鼻で笑い返した。

「痴れ者が。世辞も分からぬか」

ピタリと高笑いが止む。――――そして、そこに漏れ出したのは嘲笑。
ペガソルタはクワガストへ視線を向けること無く、嘲笑う。

「これはこれは“墜ちた英雄”殿。僻んでおられるのでしょうが、それ以上の失言は醜さを増すばかりですぞ」

「何をッ! 貴様!」

飛びかかろうとするクワガストをヘラクリウスが「待て」と止める。その様子を見てペガソルタの嘲笑は更に大きくなる。

「聞いておりますぞ、ヘラクリウス殿。貴殿の弟君は確か、名も無きイレギュラーに“泥を塗られた”とか」

「黙れぇッ!」

「落ち着け、クワガスト!」

ヘラクリウスの制止を振り切り、飛びかかるクワガストをペガソルタはヒラリと躱す。
速度では敵わないと気付き、「クッ」と悔しげに睨みつける。だが、ペガソルタは尚も無視を決め込む。

「半壊状態の弟君を、貴殿が救われたとか。一部の間では『卑怯な敵の不意打ちから弟を救った兄の姿に、絆の強さを知り、人々は涙した』と伝えられているが、実際は違う」

コロシアムで起きた一大事。クワガスト生涯の屈辱となった、その顛末をここで口にしようとするペガソルタに、クワガスト当人が怒りを顕にする。
その張り詰めた雰囲気を裂くように、ヘラクリウスは「そこまでにしていただこう、ペガソルタ騎士団総長殿」と声を上げる。

「不出来ではあるが、私には大事な弟。それ以上の無礼は私とて我慢ならぬ。――――しかし、何よりまず、我が弟クワガストの非礼を詫びよう」

そう言ってヘラクリウスは静かに頭を下げた。その様子を見て、ペガソルタは嬉しそうに「フン」と鼻を鳴らす。

「美しき英雄に、そう言われては致し方あるまい。こちらこそ非礼を詫びよう、ヘラクリウス殿」

ペガソルタもまた頭を下げる。蚊帳の外に出されたクワガストだけが、やりきれなさに「クソ」と小さく悪態を吐いた。

「楽しみにしていてくだされ、ヘラクリウス殿。パレードでの、我ら聖騎士団の演舞は今日のものより、遥かに華やかな舞台となるでしょうから。そして勿論、“おこぼれ”で頂いた“模擬戦”もね」

皮肉っぽくそう言って「ハッハッハッ」と大きく笑い声を響かせながら、ペガソルタは去って行った。
自身の満ち溢れる背中を見送った後、不意にクワガストが頭を下げる。

「すまぬ、兄者。――――俺の未熟さ故に、恥をかかせた……」

「良い、クワガスト。気が短いのはお前の悪いところだが、その素直さは美徳だ」

軽く笑いかけながら、ヘラクリウスはそう言ってクワガストの肩を叩く。しかし、クワガストは兄の内心を思えば、複雑な感情を抱かずにはいられなかった。

当初の予定では、今年のパレードにおける移動型特設ステージでの公開模擬戦闘はアンカトゥス兄弟の役目であった。
コロシアムで勝ち星を上げ続ける二人の屈強な英雄の力を示すことで、パレードを盛り上げ、ネオ・アルカディアの力を知らしめることが目的だったのだ。
しかし、その予定は数カ月前に起きた一大事件によって大きく狂わされてしまう。

いつもの如く、クワガストはイレギュラーを狩る蒼い救世主の役を負って、コロシアムのステージに上った。そして、いつもの如く、まるでゴミ屑を処分するように、散り散りに逃げようとするイレギュラーたちを自慢の刃で斬り殺し、会場を沸かせた。
だが、次の瞬間――――クワガストの片腕は大きく宙を舞っていた。それに気づいた刹那、今度は男の腕がクワガストの片足を根本から引きちぎり、そのまま腹部を蹴りつけ、地面に叩きつけた。
例え不意を突かれたとはいえ、これまで刃を交わしてきた平凡なイレギュラー達とはまるで同じに思えぬその圧倒的な戦闘力に、クワガストは戸惑うまま、戦闘不能の状態まで追いやられてしまった。
会場の方々から悲鳴が上がり、控えていたパンテオン部隊が演目の強制変更と同時に、制圧に乗り出す事態にまで陥った。しかし、イレギュラーの力はその程度では収まらず、最終的にはヘラクリウスが参戦し、電磁ワイヤーで取り押さえて事態を収束させた。

それからというもの、クワガストの人気は失墜。遂にはパレードでの役目を返上するまでに、その威厳を落としてしまった。
予期せぬ一大事に己を責め続けるクワガストに、「仕方のない事だ」とヘラクリウスは宥めるように言った。だが、こうして聖騎士団の決起大会を見に足を運んだのは、パレードでの大役に少なからず未練があるからだろうとクワガストは察していた。
だというのに、先ほどのやりとり。そもそもこちらから挑発したというのに、相手の言葉にまんまと乗せられ頭に血が昇ってしまうとは、これでは恥の上塗りだ。それも自分一人ならまだいい。しかし、兄が横にいたのならば、ヘラクリウスの面子にまで泥を塗ってしまう。
反省を滲ませるクワガストに、「気にするな」とヘラクリウスは声をかける。

「俺が『良い』と言っているのだ。それくらいは聞いてくれても良かろう」

諭すように言うヘラクリウスに、クワガストは「すまぬ」と再び謝罪の言葉を口にした。

「しかし……だ。言わせてもらえば、所詮“あの程度”だ」

ヘラクリウスは腕組みをし、「フン」と鼻を鳴らす。

「クワガスト、お前は俺が奴らを羨んでいるとでも思うたのだろうが、それは違うぞ」

クワガストの苦悩を見抜いていると宣言し、そしてその気遣いを大きく否定する。

「奴らが相応しいかどうか確かめに来たのは確かだが、俺は見世物になることに未練など無い。このコロシアムで散々だ」

その言葉は意外に思えたが、よくよく考えれば合点がいった。
ヘラクリウスは常々、自分たちの役目を「ショーと国防にある」と説いていた。だが、その目的はあくまでも“人間の為”。人々の心を潤すこと。人々の安全を護ること。それらの達成こそが真に大事な役目である。見世物となることを喜びとしてはいないし、威光を知らしめる事などどうでもいい。
だからパレードにわざわざ参加することなど、ヘラクリウスにとってはそれほど価値が高くなかった。己がそこに参加せずとも、人々の心は盛り上がり、活気づくのは至極当然なのだから。
それでもこうして聖騎士団の様子を伺いに来たのは、クワガストが考えるほど高尚な理由ではなかった。言うならば“気が向いた”程度のことだ。
そして“気が向いて”足を運び、目にしたのはやはり、予想通りの光景であった。

「戦場の心得もろくに無い、有象無象共が。いくら華やかに飾りつけようが、玄人の目から見ればその非力さは明らかだ」

聖騎士団の団員は皆、戦場に出た経験もなければ、前線のレプリロイドたちのデータを自身にフィードバックしてもいない。曰く「汚らわしい」。曰く「高潔なる騎士には不要」。
ミュートスレプリロイドにして総長であるペガソルタ・エクレールにしてもそんな調子であるため、基本スペックの高さに反して、正直その戦闘力はクワガストにも及ばないだろう。
身を翻し、「行くぞ」とクワガストに声をかける。

「明日から再び開かれるコロシアムでの戦闘に備え、調整をせねばならん」

ヘラクリウスの思考は、クワガストが思っている以上にドライだ。
熱い戦闘力を備えつつも冷静沈着なこの振る舞いと判断力。それを思い知るたびに、クワガストの憧れは一層強くなってゆく。

――――だからこそ……だ

今も尚、自責の念が消え失せないのは、そんな兄に恥をかかせてしまったという点が大きい。
どれもこれも、あのイレギュラーとの一戦がキッカケだ。

――――隻眼スコープのイレギュラーめ……

忌々しい男の顔が脳裏に浮かぶ。左側に通常の義眼を持ちながら、右側にメカニカルスコープを装備した男性型レプリロイド。幸の薄そうな鬱屈とした表情に、ほとんど無言の様子が、不気味さを助長する。
対戦の後に思い出したことだが、数ヶ月前、自分のあとで行われたショーにおいて、パンテオンの一団を殲滅した謎のレプリロイドがいた。その男こそ、まさに“それ”だった。
そもそもは己の油断が招いた事態ではあったが、それでもこの屈辱は絶対に忘れられない。
噂に聞いたところ、あの一戦でイレギュラー処分を受けて“更生施設”に送られたが、機器による精神プログラムの操作を受けても、崩壊に至ること無く平然としていたため、やむを得ずヘルヘイム第十二階層に送られたと聞く。

――――上が処分に困れば、再びコロシアムに戻される筈だ

もしその機会が来れば例えヘラクリウスが止めたとしても、クワガストは一対一の決闘によってこの雪辱を果たすと心に決めている。
それを達成するまでは、どれだけ蔑まれようと堪えるしか無い。救世主以上に敬って止まないヘラクリウスに、これ以上の恥をかかせてはならぬと胸の内で強く自身に言い聞かせた。

































  ――――  3  ――――


「マー♪ マー♪ マー♪ マー……」

アレクサンダが弾くピアノの音階に合わせ、イーリスは自分の発声を確かめる。国を背負う人気歌姫にとって、日々のボイストレーニングは重要な日課であり、まして数日後に一大イベントを控えた今は殊更熱が入っている。
やがて何度目かの音階練習を終え、イーリスはホッとしたように息をつく。その表情は期待に満ちていながら、わずかばかりの不安が見える。だが、直ぐに溢れんばかりの笑顔を浮かべ、アレクサンダに向けて丁寧にお辞儀する。

「いつも付き合ってくれてありがとう、アレクサンダ」

「いえ、こちらこそ。私如きでよろしければいつでもお供いたします」

アレクサンダもまた、丁寧に言葉を返す。
それから、イーリスは木製の椅子につく。それから、ようやく自分の胸の内を吐露する。

「やっぱり、私も緊張して来ちゃったわ……。劇場でコンサートを行うことなら、もう慣れっこなのに……」

数日後に始まる記念式典パレード。その出発に合わせ、パレードの中心を進む移動式ステージで、イーリスは歌声を披露する予定となっている。ネオ・アルカディア中から支持される“虹の歌姫”をの美声こそ、パレード開幕の合図に相応しいと、元老院内で推す者がいたそうだ。

「……お兄さまも……せっかく議長という椅子にいるのだから、止めてくださればよかったのよ」

子供のように頬を膨らませながら、そう言って口を尖らせる。その仕草に、思わずアレクサンダは笑いを漏らしてしまう。

「な……なに?」

「いえ………別に大したことでは……。それより、せっかくの大役です。そう文句を口にするより、前向きに構えた方がよろしいのではないでしょうか」

百二十五周年式典にして初の試みとも言える、一歌姫による移動コンサート。いくら人口が減ったとはいえ、全人類にその様子を配信するコンサートなど、まさに前人未到の快挙である。
成功を収めることが出来れば、今後繁栄を取り戻すであろう人類の歴史に名を刻むことは確実と言っていいだろう。

「“だからこそ”よ! ほんの少しでも誤ってしまえば、それがそのまま歴史に刻まれるのよ? 後悔してもし切れないわ」

大げさに頭を抱え「ん~」と唸ってみせる。
その様子が可笑しくて、アレクサンダはまたしても笑いながら言葉を返す。

「大丈夫ですよ、イーリス様。いつものように歌えれば、何も問題はありません。問題があるとすれば、初めてのコンサートの時のように、練習をし過ぎて喉が枯れてしまうことの無いように、気を配ることかと思いますよ」

「……た……確かにその通りね」

過去の失態を思い出し、イーリスは思わずしかめっ面になる。まるで赤ん坊のようにコロコロと変わる表情も、イーリスの魅力の一つなのだろうと、アレクサンダはそれを見るたびに思っていた。
不意に、今度は少し憂鬱そうな表情を浮かべる。「忙しいものだな」と内心で微笑みながら、アレクサンダは「どうかしましたか」と尋ねる。

「あ……いや、別に大したことではないの」

そう言いながらも、イーリスの顔はどこか物憂げだ。哀しげな瞳が向ける視線を辿って、アレクサンダもその先にあるものを見つける。
洋服ダンスの上に立てかけられた古めかしい写真立て。「ああ、そうか」と納得する。

「父上様のことを?」

「……バレてしまったわね」と苦笑を返す。

「こんなにも素晴らしい晴れ舞台だもの……本当は見て欲しかったなぁ……って」

イーリスの父は、彼女が十ニの頃に亡くなった。ネオ・アルカディアの医療技術ならばもうしばらく生き永らえることができたが、延命措置を好まなかった為、そのまま息絶えた。
彼女の母親もまた既に彼女が幼い時に亡くなっており、実の肉親は既にいなくなっていた。

「お兄さまがいてくれて本当によかった」

微笑みながら、そう口にする。

イーリスの母親を失いしばらくして、両親を亡くしてから親戚筋を転々としていたレオニードを、イーリスの父親は引き取り、養子とした。
思えば、延命措置を受けずにそのまま眠りにつけたのは、レオニードという信頼出来る息子ができたからだろうと思う。
その頃からレオニードは多才ぶりを発揮し、大学の博士課程を飛び級で卒業。イーリスの面倒もよく見ていたのだ。

「でも、それでもたまにね……寂しく思ってしまうこともあるの。……きっと贅沢なのね、私」

「そんなことは……」

無い――――と思う。
どれだけ華やかな活躍をしていようと、まだまだ十七の少女であることに変わりはない。
母親の思い出もなく、父の顔は実感とともに心の内から希薄になっていくというのに、寂しさを覚えるなという方が酷な話だ。
どんなに優秀で優しい兄が傍にいたとしても、その想いは人として当然のものであるような気がした。

「ウフフ……ありがとう。もちろんアレクサンダ、あなたも一緒にいてくれて、本当に感謝しているわ」

レオニードがイーリスの家に養子に入った時、共に連れてきたレプリロイド。彼もまた、イーリスの良き理解者となり、良き家族となっていた。
そんな良き家族として、アレクサンダは心のまま微笑みかけ、優しく言葉をかける。


「きっと父上様も、イーリス様のことを見守っていてくれていますよ」


慰めと言えばそれまで。――――けれど、その時のイーリスには、それ以上の温もりを感じられた。
思わず潤む瞳を恥ずかしげに伏せながら、イーリスは「ありがとう」とお礼を言った。
その様子の意味がよく分からなかったので、アレクサンダは「イーリス様?」と名前を呼んで問いかけたが、その直ぐ後に、イーリスは満面の笑顔で「大丈夫よ」と返した。

「そういえば、ねえアレクサンダ。あなたはお父さまから“英雄のお話”、聞いたことある?」

「『英雄のお話』……ですか?」

首を傾げるアレクサンダに、「ええ、そうよ」と得意げに微笑み返す。

「小さい頃、よく聞かされたの。知らないのなら教えてあげるわ。英雄と、英雄が愛した可憐な花の物語!」

イーリスは幼い頃に聞かされたお伽噺の中でも、それが一番のお気に入りだった。「よく聞かされた」と言うより、実際はイーリスが何度も話すようせがんだくらいだ。

「では、お願いします」とアレクサンダが口にすると、「それじゃあね……」と話し始める。
得意げに、饒舌に、まるでその風景を見てきたかのように物語るイーリス。時に大きく、時に静かに、身振り手振りを加えて。歌うような優しい声で。時に叫ぶような激しい声で。
何度も心に刻んだ、父親との思い出の物語を久しぶりに他人に話すのが、余程嬉しかったのだろう。

アレクサンダは、子供のようにはしゃぐイーリスの姿を見つめながら願う。
幼くも、強かに生きるこの花が、いつまでも幸せであるように――――と、切実に。






























  ―――― * * * ――――


ファントムに連れられ、作業服姿のまま、ゼロはユグドラシルを歩いて移動した。左右真後ろを黒いパンテオンが囲んでいるが、両手の自由は利き、その気になれば一戦交えて逃亡することも可能そうに思えた、無論、そうなればレヴィアタンの屋敷に残してきたコルボーたちの無事は保証できないだろうが。
ふと鼻先に白い塊が柔らかく触れたことに気付いた。空を見上げると灰色に覆われた冬空から、白い雪が優しく降り注ぎ始めていた。

「……そんな時期か」

同じようにして空を見上げていたファントムが、ポツリと呟くのが聞こえた。
先ほどの凍てつくような声色と一転した、少し情緒的な響きに、ゼロの彼に対するイメージが少しだけ揺れる。だが、それから先はファントムから一言も発されることはなかった。
「前見て歩けよ」と空を見上げてばかりいるアルエットに、ゼロは優しく言い聞かせる。彼女にとってもどうやら久々の光景らしく、心なしかはしゃいでいるようにさえ見える。繋いでいた手も、雪に気を取られているせいか力が抜けていて、スルリと滑り抜けないよう、ゼロは優しくも少しだけ強めに握った。

「ゼロは……なつかしくないの……?」

返事の代わりに問いかける。
言われてみれば、目覚めてからこの方、天から降り注ぐ白雪を目にすることなど無かった。こうして降雪が飾る街の風景ならば尚更だ。
だが、ゼロは「そうさな」と、どこかバツの悪そうな顔をする。

「……雪にはどうも、いい思い出が無いらしくてな。綺麗だとは思うんだが……」

「そう」と、少し寂しげにアルエットは口を尖らせた。
降り注ぐ雪がどうこうというわけではない。この景色についても同様で、特に何か記憶が反応するわけでもない。
ただ、思い出すのはついこの間のこと。寒空で起きた悲劇。白銀の世界で己の無力さに打ちのめされた一件。

鮮血に染められた雪原が、今もまだ胸の奥にその光景を残している。




「じゃあ…おねえちゃんをたすけたら……またいっしょに雪のふる町を歩こう!」



いつにも増して元気よく、アルエットは無邪気にはしゃぐ。その言葉に、朗らかなアルエットの笑顔に、ゼロは見事に不意打ちを食らった。
パンテオンたちからは一瞬警戒する反応を感じ、ファントムでさえ、ピクリと反応したのが分かった。
敵の真っ只中で、“おねえちゃん”――――シエルを救出した後の話を堂々と口にしてしまうのは、無邪気さのなせる業か。それとも、底知れぬ度胸のなせる業か。

「そしたらね。きっと“いい思い出”ができると思うの……」

どちらにせよ、その言葉はゼロの胸の奥に温もりを与えるのに十分であった。

「そうしたらゼロも……雪のふる町が好きになれるよ」

「……ああ、そうだな」

短く答えた後、言葉に表せぬ想いをどうにか伝えられないかと悩む。
そして結局、いつものようにその小さな頭を優しく撫でた。


その時――――図らずも視界に捉えた、黒い背中が纏った優しい空気が、事の終わりまでゼロの記憶の片隅に引っかかり続けることになる。













暫くして辿り着いたのは、レヴィアタンの住まいより二回りも大きい荘厳な屋敷であった。まるで城かと見紛うほどの見た目に、ゼロとアルエットは圧倒される。
ファントムはパンテオンたちとともに二人を連れ、正面からは入らず、裏口へと回る。何かと不都合なことがあるのだろう。ここまで平然とユグドラシル内を歩いてきたのは、ゼロが作業着姿のままであったからだと、自分の身なりを再確認して思い当たった。
裏庭を回り、正面にあった豪勢な扉とは打って変わった、一人分の大きさの慎ましい扉を開いて屋敷の中へと足を踏み入れる。パンテオンたちはそれ以上立ち入らず、光学迷彩を作動させたのか、その場で姿を消した。
左右に並ぶ幾つもの扉をまるで意に介さず、ファントムはひたすら続く廊下を直進してゆく。

よく掃除が行き届いている屋敷の中は、埃の一つも、僅かな汚れも見受けられない。
以前世話になっていたホームの屋敷と比べて、使用している様子もまるで感じられないところがどこか不気味に感じられた。が、これだけ大きな屋敷は見かけだけであって、実際に使用しているスペースは限られているのだろうと直ぐに理解した。
それもその筈で、これだけ大きな屋敷を所有している者の立場は容易に想像できた。四天王以上の、いや、ユグドラシル内でも最大級に大きいこのような屋敷に住んでいる者といえば一握りの連中だ。それなりの立場にあり、それなりの責任を負っている“人間”――――……

ようやく辿り着いた大きめの両開き戸の前に立ち、ファントムはノックをする。
中から「入れ」と、僅かに嗄れた低い男声が聞こえてくる。それに従い、ファントムは両手で扉の取っ手を掴み、押し開いた。



「ご苦労であった。隠将よ」

豊かな口髭を蓄えた老人が、高級そうな装飾を施された肘掛け椅子にどっしりと座ったまま、労いの言葉をファントムにかける。
白髪混じりの黒髪はまるで黒い炎のようで、先の尖った鷲鼻が老人の攻撃性を象徴しているように見える。年齢を感じさせない鋭い目は鷹の如く、瞳の奥には野心の炎が確かに揺れているのが、ゼロにも一目で分かった。

「……掛けるが良い、紅いイレギュラー」

事前に用意されていたもう一つの肘掛け椅子に、ゼロは言われるまま座る。アルエットはどこか怯えたように、ゼロの椅子に擦り寄る。
右目に掛けたモノクルの下から探るようにじっと見つめると、それから「フン」と鼻を鳴らす。

「“紅の破壊神”などと呼ばれておるからどのようなレプリロイドかと思えば……とんだ優男であるな」

「……初対面の相手に対して、なかなか無礼なことだな、“じいさん”」

ゼロの切り返しに、老人の眉がピクリと反応する。しかし恐れを知らぬ紅い英雄は、不敵な笑みを浮かべる。

「……成程、人形にしては、口が達者なようだ」

老人の目つき、言葉遣いから、ゼロはその老人がレプリロイドに対して大きな嫌悪感を抱いているのだと、強く確信した。
ネオ・アルカディアの歴史において、一般の人々にとってゼロは、百年前の戦争を終結させた紛れも無い英雄であった。例え今は“紅いイレギュラー”などと呼ばれていようと、それを理解している人間の目には、救世主に対するものと同等とはいかなくとも、ある程度の敬意や或いは畏怖の色が滲んでいてもおかしくはない。
しかし、目の前にいる老人の瞳は己の野望に輝き、ゼロを、その道に転ぶ一体のボロ人形程度にしか意識していないのだと、はっきりと物語っていた。
いや、ゼロだけではない。側にいるアルエットも、また、隠将と呼ばれネオ・アルカディア四天王の一人として敬われるべきファントムに対しても、同様の意識を持っているのだろう。

「あんた……いったい何者だ?」

そんな老人の感情を理解していながら、あくまでもゼロは毅然と振舞った。
どれだけの地位にいる者か、それどころか一体何者なのかある程度の見当はついていたが、問いかけるべきだと思い、口にした。
すると老人は、ゼロの口の利き方に引っかかりを覚えながらも、その質問を無視し、逆に問いかける。

「貴様の目的はなんだ? 紅いイレギュラー」

「尋ねているのは俺の方だ」

「……立場を理解していないようだな」

老人がそう言って手を上げると、光の刃がゼロの喉元に突き付けられる。
ファントムが手にしているビームサーベルが煌々と輝き、ゼロの生命を脅かす。

「……再び問おう。貴様の目的はなんだ? 紅いイレギュラー。答えてみよ」

専用コートも無い、今の状態では、戦闘能力に不安が残る。「仕方ない」と観念して、ゼロは老人の問いに答えることにした。
どれだけの情報を出して良いか瞬時に考え、言葉をひねり出す。


「狂った救世主をぶっ倒して、小娘の道を切り開く。俺の目的はそれだけだ」


最も単純で、明確な答え。同時に、嘘もなければ具体性をぼかした回答でもある。
しかし、その言葉にまんざらでもないような表情を老人は浮かべた。ある程度予想の範疇だったらしい。それも彼にとって良い方向で。

「成程……良かろう」

老人もまた不敵な笑みを浮かべ、ゼロを見つめる。


「我は全人類が頂点、元老院最高議長ヴィルヘルム。――――紅いイレギュラー、貴様の力が必要だ」


予想通りの正体に、ゼロは納得する。同時に、唐突に突き付けられた要請に、唖然とする。
飲み込めていない表情を眺めながら、ヴィルヘルムは言葉を付け足す。禍々しく、強烈な野望の一片を口にした。




「紅いイレギュラー、我が軍門に降れ。……あの“救世主”を討ち倒すために」

































  ―――― * * * ――――





    どれだけの年月が過ぎれば、この憎悪は消え去るのか。













そんなことをふと思った瞬間さえ、既に数十年と昔のことになり。今ではもう、その感情に対して何の疑念すら湧かない。
呼吸するように、水分を欲するように、眠るように――――まるで生まれた時からその感情がそこに芽生えていたかのように、彼の言動の全ては“それ”に支配されていた。

しかし生来“それ”を、何の引き金も無く持ち合わせている者などおらず。その感情には、どれだけ過去に追いやられようと、発端となった瞬間が確かにある。
彼の場合“それ”の起源は、八十年程前に遡る――――……


レプリロイドによるレジスタンス組織自体が特に存在せず、反体制行動自体それほど過激なものがまだ行われていなかった時代。
前年に制定された「人類保護法」の影響により、警察によってイレギュラーとして検挙されるレプリロイドの数が増加した。
“人類保護”の名目のもと、立場を圧迫されていったレプリロイドたちの不満は、次第に膨れ上がっていく。しかし、それを表に出せば、たちまち法の処分を受けることを知っていた彼らは、その不満を抑え、溜め込んでいく。
そうして行き場もなく積もり積もったフラストレーションは、いつしか心の中で激流に変わり、ふとしたキッカケで、留めていた堤防を決壊させてしまう。

次々と溢れだした激流は、合流し、やがて一本の巨大な流れとなって、国中を戦火に巻き込んだ。

世に言う「大反乱」――――ネオ・アルカディア、アースガルズ第一エリア首都、メガロポリスの街角で起こった暴力事件を発端に、傲慢な人類に対して起きたレプリロイドの集団蜂起。
その牙は、老人であろうと、女性だろうと、年端もいかぬ少年少女だろうと、何も知らぬ幼児であろうと、容赦なく傷つけ、死に追いやった。

多分に漏れること無く、少年の両親もレプリロイドにより殺された。
メガロポリス市長であった彼の父親は、彼の目の前で、誰よりも無惨に殺された。そして、必死で彼を護ろうとした母も、彼を腕に抱いたまま頭部を割られ、呆気無く死んだ。
あまりのショックに、彼は気を失う。
母の肉片と脳片、そして血液に塗れた彼を、レプリロイドが気に留めずにその場から去ったことが幸運した。

気づいたときは病院のベッド。全ての事が終わった後だった。
即時的に結成されたレプリロイドによる制圧チームによって、事態は一週間で収まり国家単位で見れば、それほどの損害が出ずに済んだらしい。街は既に復興し、街行く人々の表情には笑顔が戻りつつあった。

だが、少年の脳裏に焼き付いた光景は、決して容易に消え失せる傷ではなかった。
赤黒い体液でドロドロに塗れた視界に映った残虐なイレギュラーの顔。それを思い浮かべるたびに、少年は嘔吐し、体中を掻き毟った。

そして、“その感情”は芽生えた。
彼から何よりも惨たらしく両親を奪った“レプリロイド”という“殺戮兵器”に対する、紛れも無い“憎しみ”。
それは如何なる感情よりもドス黒く、鈍い輝きをテラテラと放つ。
その“憎悪”に促されるまま、彼は決意した。いつの日か人類の頂点に立ち、あの殺戮兵器共に、本来の立場を理解させることを。
危険であれば、何よりも即座に切り捨てられることを。代わりなどいくらでもいるということを。道具としての一生を自覚させることを。人間という主に絶対の服従を誓わせることを。

不要ならば容易に処分できるほど、人間と比べてその存在が余りにも軽薄であるということを。
“生命”などという言葉を用いることが、甚だ分不相応であることを。
所詮、作り物の“人形”に過ぎないのだということを。

それから少年は、その黒い感情を次第に大きく膨らませながら、その誓いを微塵も揺るがされることなく、己の道を進んでいくことになる。





N.A.歴四十四年――――元老院最高議長ヴィルヘルム、十歳の頃の事である。


















  ――――  4  ――――


「『あの“救世主”を討ち倒す』……だと?」

あまりにも突然の言葉に、ゼロは確認するように問い返す。
ヴィルヘルムは少しも間をおかず、「うむ」と短く返した。口元には笑みすら浮かべている。

目の前の老人が何を言っているのか、最初は正気を疑った。
ネオ・アルカディアにおいて救世主エックスとは、宗教で言うならば絶対不可侵とされる神そのものに近い。イレギュラー戦争を集結させた英雄。ネオ・アルカディアの建国。今もなお人類を見守り続けるその姿は、ネオ・アルカディアの国民であるならば崇めこそすれ、叛意を持つことなどありない。それも人間であるならば尚更だ。
その“神”を、目の前の老人は「討ち倒す」と口にした。ゼロの眼の前にいる、現人類の頂点、元老院最高議長という座についている老人が、確かに言ったのだ。
驚くことはそれだけではない。その野心を敵であるゼロに告げたのも勿論のこと、彼の側には救世主の臣下として名高い四天王、まさにその一人が控えているのだ。それだというのに欠片も臆すことなく、まるで平然と言ってのけた。
そしてそれに対し、四天王の一人――――隠将ファントムも何一つ気にしている素振りを見せない。

目の前で起こっているあらゆる事態がゼロを驚かせ、困惑させる。

しかしゼロは、無理矢理にでもそれらをすべて、一旦呑み込むことにした。でなければ、話が進まなくなる。
理由も動機も、不明な点は全て棚に上げ、ゼロは簡潔に整理する。
ヴィルヘルムは、救世主打倒を目論んでいる。そのことを、おそらくファントムは理解し、おそらく協力している。
そして、ヴィルヘルムは現在敵である、自分に対して協力を要請している。


「……悪い話ではないはずだ。何故なら……貴様らと私の目的はある点で一致するのだから」

ヴィルヘルムの目的――――救世主の打倒。確かに、白の団の目的もそこにある。厳密に言えば、シエルの目的は少し異なり、ゼロもそのために動いているつもりだが、いずれにしても救世主と対峙することになるのは同じだ。
戸惑いを浮かべるゼロに、ヴィルヘルムは「仕方ない」と己の計画について少し話すことにした。

「救世主の排除、そして人類による真の統治。それが私の目標だ」

“救世主”を名乗るレプリロイドの存在を、ヴィルヘルムは決して赦せなかった。
そこには他にも複雑な事情が絡んでいるのだが。とにかくヴィルヘルムは憎むべきレプリロイドの救世主を容認し続けることに耐えられなくなったのだ。
そもそも道具にすぎない“ロボット”に、どうして主たる人類が頭を下げ続けねばならないのか。何故、戦争で活躍しただけの“兵器”をわざわざ“救世主”と掲げるのか。

「槍や剣を持て囃したか? 戦車や戦闘機を崇めたか? 原子爆弾を神と祭り上げたか? ――――いずれも否だ。道具は道具の領分を守らねばならぬ。人もまた、道具の価値を違えてはならぬ。過去の人類がそれを違えたおかげで……見ろ、この世界はこんなにも歪な形となった」

不都合なレプリロイドが容易に処分されていく一方で、必要以上に祭り上げられ、英雄視され、崇められるレプリロイドもいる。イレギュラーハンター、十七部隊、聖騎士団、四軍団、ミュートスレプリロイド、四天王、そして救世主――――……‥‥
しかし、彼らが他のレプリロイドと何が異なるのか。――――何も異ならないハズだ。どのレプリロイドも、人間の目的のために利用される道具としての価値は何ら変わらないハズだ。“人類の平和を守る道具”としての価値は。
そしてその価値が変わらぬのならば、人間とレプリロイドの主従関係も変わらぬはずだ。

「だというのに何故、人類の頂点たるこの私が、レプリロイドに――――道具に腰を低くせねばならぬ?」

「……しかし、“救世主”だぞ」

百歩譲って、ほぼ全てのレプリロイドを道具として同価値であると認めたとして、しかし“救世主”はどうだ。
成程、ヴィルヘルムの言うとおり大戦を終わらせた兵器をまるで神のごとく崇め奉ることなど、ありえない話だ。万能の道具であると持て囃した所でそれまで。それ以上の存在に祭り上げることなど異常であろう。
だが“救世主”の功績は戦争を集結させた兵器としての価値だけではなかった筈だ。
残った人類をまとめ上げ、ネオ・アルカディアという国家を作り上げた。一言で言ってしまえば軽く思えるが、それは容易い道でなかったはずだ。イレギュラー戦争の中で生き残った人類は、多種多様の国民、民族、部族に別れていただろう。それぞれの主張があり、政治思想が有り、言語が有り、衣服が有り、生活スタイルが有り――――……‥‥挙げればキリがないほどの齟齬がその道を阻んだはずだ。
それを彼はまとめ上げ、一つの国家として成立させたのだ。その功績をただの“道具”だからと切り捨ててしまえるのか。

しかし、ヴィルヘルムはそんなゼロの言葉に鼻を鳴らす。


「ならば、あの救世主がイレギュラーにならぬという保証はどこにある?」


ゼロは虚を突かれた思いがした。

「“救世主”としての功績は認めよう。それはどれだけの年月があろうと、人類が辿りつけなかった道だ」

実際、このネオ・アルカディアにおいて人間同士の争いがどれだけあるだろうか。
多種多様な民族によって構成されているはずのこの国家において、人間同士の大きな争い事は建国からこの方一度もないと言い切れる。

「だが、結局のところ奴はレプリロイドだ。電子頭脳にいつ異常が出たとしておかしくはない“機械人形”だ」

イレギュラーにならないという保証は誰にもない。
もしイレギュラーになり得るかどうかの判別が最初からつくのであれば、今行われている人間とレプリロイドの争いはなかっただろう。
人類保護法も無く、八十年前の大反乱も引き起こされなかったはずだ。

「そんな機械人形が“救世主”という立ち位置につき続ければ、どうなる? 万が一にもイレギュラーとなったときは誰がそれを処分する?」

道を違えた国のトップを引き止められずに衰退した国家が歴史上には幾つもある。
ネオ・アルカディアが同じ道を辿らないという保証はない。国のトップが道を違えない保証はない。“救世主”だからとイレギュラーにならない保証は無い。

「分かるか、紅いイレギュラー。我ら人類の、再びの繁栄を誓うには、あの救世主を排除しないことには始まらないのだ」

座から降ろせば事足りる話ではない。救世主を崇める一部の者が、万が一にもレプリロイドたちが救世主について蜂起する可能性もある。
それ故の“排除”。“救世主”という看板を背負った以上、あのレプリロイドを政治の頂点から引きずり下ろす時は、処分する以外に道はない。

「……そうだとして、それなら何故俺に協力を要請する?」

立ち消えぬ疑問を口にする。
保護されていた人類の一人であるヴィルヘルムが「“救世主”を討ち倒す」理由は理解した。その言い分は間違いではない。
だが、それでも何故“紅いイレギュラー”たるゼロの協力が必要なのか。単純な戦闘力の問題ならば、必要ないだろう。元老院には聖騎士団やイレギュラーハンターがおり、何より正気であるうちの“救世主”が人類に刃を向けることなどあり得ない。
方やゼロは、現在のネオ・アルカディアにおいて“紅いイレギュラー”として憎まれ、追われている存在だ。その“紅いイレギュラー”にどうして、このような思想を持ったヴィルヘルムが協力を仰ぐのか。

「それは――――我々人類に、“救世主”は不要であるが、“英雄”は必要であると思ったからだ」

ゼロは理解する。
ヴィルヘルムは、人類を統べる“救世主”の排除を目的として動いている。だが、それを成し遂げた後、人々の心を支えるものは何だ。
意思統一に使う“道具”は? “象徴”は? ――――それらを解決する者こそが“英雄”の存在だ。

しかし、それが何故“ゼロ”であるのか。ネオ・アルカディアで用いるならば“クラフト”でも良かったはずだ。
そんなゼロの疑問に、ヴィルヘルムは答える。

「クラフトでも“ベター”だ。だが紅いイレギュラー、貴様であるならば“ベスト”なのだ。――――分かるか。人が欲しているのは英雄譚であり、美談だ」

“イレギュラー戦争”を共に終結させた二人の英雄。救世主として国を統べ、百年の間人類を守り続けてきた片方の英雄がとうとう狂い、道を違えた時、それを“親友”という立場から悲痛な想いを抱きながらも自らの刃で引き止めるもう一人の英雄。
そんな構図に、人々は容易く感情を揺さぶられるだろう。

「……だが、俺は“紅いイレギュラー”だ」

人々からテロリストの一味として敵対視される存在だ。
だが、それにもヴィルヘルムは「既に手はある」と切り返す。

「貴様の経歴について、どうこうすることなど造作も無い。――――何より、私には切り札がある」

ニヤリとほくそ笑む。

「これは、現段階では貴様に漏らすことのできない情報だ。貴様が協力者となるまで――――いや、救世主を討ち倒した後に公開しても良い。そうすれば立場は逆転する、そういうカードだ」

ヴィルヘルムの余裕の表情から察するに、真実だろう。万が一にもゼロを騙し討ちすることが目的であるならば、このような周りくどいやり方をするとは思えないし、虚偽だとして、口にするメリットも見当たらない。
「これ以上の説明は無駄だろう」とヴィルヘルムは言う。

「いずれにせよ、貴様の力が必要であると私は考えている。それ故に、こうして招いた。それが全てだ」

ゼロを睨む瞳の奥で野心の炎が揺れる。ヴィルヘルムは再び勧誘の言葉を口にする。

「我々に協力しろ、紅いイレギュラー。この世界を変えるために」

「――――世界を変えるとして……」

ヴィルヘルムの言葉を借りて問い返す。

「あんたが頭に描いている世界で、俺達の権利はどうなる?」

その言葉に「ふむ」と息を漏らし、顎髭を撫でるヴィルヘルム。

「当然、貴様らの組織に所属するレプリロイドの安全は保証しよう。更に、癪ではあるが、貴様含めたリーダー格をレプリロイドとしては高位につけることを約束しよう」

それはある意味、交渉としては至極当然の条件であり、しかしヴィルヘルムについては最大限の譲歩であった。
これだけの憎しみを持ちながら、協力を惜しまないレプリロイドに対しては、その存在を認めようというのだから。
それはゼロにも理解できた。そして、今ここで断ることは愚の骨頂といっていい。

これが只の“交渉”でないことは既にわかっている。
ゼロは専用コートもないまま敵陣の間只中に立たされ、その傍には非力なアルエットまでいる。万が一ここで何かしらの事が起きれば、ゼロ一人なら切り抜けられたとしても、アルエットを守りながらでは不可能だ。そしてまた、レヴィアタンの屋敷に残してきたコルボーたちも無事に済まないだろう。
更に言えば、現在死に体の白の団を救う道はそれほど多くはない。
また、一つはっきりと分かったことがある。イレギュラーハンターによる襲撃が起こらなかったのは、おそらくヴィルヘルムからのストップがかかったからに違いない。こうして協力を要請する為に、その材料を残しておいたのだ。そう考えれば、あの不気味な平穏にも合点がいく。
では、断れば? ――――恐らく、白の団は崩壊させられる。ヴィルヘルムの指示によって。

今のゼロに、どれだけの悪条件であれど「YES」以外の答えは残されていない。




「……あんたと“俺達”の目的は違う」


しかし迷いの果て、とうとう口を衝いて出たのは、そんな拒絶の一言だった。
「なに?」とヴィルヘルムは思わず眉を潜め、ゼロを睨みつける。

「“俺達”――――白の団の目的は小娘の願いを叶えることだ。その理想を現実にすることだ」

人間とレプリロイドが共に手を取り合い暮らす、誰もがいつか思い描いたであろう懐かしい未来――――それを実現することだ。

「『救世主を討ち倒す』ことじゃない。自分たちが政治の実権を握ろうなんて大層なもんでもない」

もっと根本の話だ。もっと当たり前の話だ。
ただ生きたい。――――この世界で認められたまま。この世界で赦されたまま。
決して道具としてではなく、一人の生命としてその生き方を保証される世界に変わらなければ、無意味に等しい。
ヴィルヘルムの思想そのままを具現化した世界であるならば、レプリロイドの立場がこのまま改善されないことは目に見えている。
それは、シエルの描いた夢とはまるで違う世界だ。

それが達成できないならば、これまでの戦いに何の意味があったのか。これまで流した血の量に、どうして報いることができようか。
態度を決めたゼロに対し、「良いのか」と、ヴィルヘルムは驚きの目で見る。

「これを違えることは、貴様の死にも繋がるのだぞ?」

「そうだな。損得で考えるなら、間違い無く損な道を選んでいるだろうよ」

ゼロは自嘲気味に答える。そんなことはとうに理解している。

「それを『愚か』とあんたは笑うだろう。俺もそう思う。けどな――――……‥‥」

不敵な笑みを浮かべながら、何一つ臆すこと無く、何一つためらうこと無く、言い放つ。


「何より俺は、あんたの大層な野望なんぞよりも、あの小娘が――――シエルが口にした“ガキの夢”みたいな理想に命を懸けたいのさ」







































――――突然の、暗転。
















ゼロは何が起きたのか理解することもできないまま、その意識を失った。次いでアルエットも、そんなゼロの様子に気づく前に、気を失い倒れこんだ。

「もう少し、頭の回る男だと思っていたが……」

「惜しい」とばかりにヴィルヘルムは溜息をつく。それから「所詮、レプリロイドか」と嘲笑った。

「……如何が致しますか?」

先程二人の首筋に当てた、拳銃型の麻酔プログラム注入器を片手に持ち、ファントムが問いかける。

「紅いイレギュラーはヘルヘイムに送れ。無論、誰にも悟られぬように。――――第十階層あたりが良いだろう」

指示を受けたファントムは片手を挙げる。
すると、数体の黒いパンテオンが部屋に入り、そのうち二体ほどが一緒にゼロの身体を持ち上げた。

「命は取られぬだろうと思ったのだろうが、浅はかだったな。“べスト”が掴めぬなら“ベター”に切り替えるまでのことだ」

「クラフトを……?」というファントムの問いに、「いや」と首を横に振る。

「奴はもうダメだ。“意志”を持ちすぎた“手駒”は厄介故に……ペガソルタを使う」

聖騎士団総長、ペガソルタ・エクレール――――彼の能力が“英雄”となるにはまるで及ばないことなど、ヴィルヘルムにも分かっている。
しかし、“手駒”としては優秀だ。なにせ、ヴィルヘルムへの忠誠心は誰よりも厚い上に、考える頭を持っていない。

「建国記念式典の前日が良かろう。その時、電子麻薬を利かせた状態で紅いイレギュラーを外に放て。その首をペガソルタに取らせる」

ネオ・アルカディアに侵入してきた最悪のテロリスト、“紅いイレギュラー”。それを討ち取る聖騎士団総長ペガソルタ・エクレール。“英雄”と祭り上げるには最高のシチュエーションだ。
加えてその後直ぐに、ネオ・アルカディア建国を祝う記念式典が開催されるとなれば、宣伝効果は飛躍する。人々の興奮は高まり、中心で演舞を披露する彼の評判は天にも昇るだろう。

「そうなれば後は、救世主を追い落とし討ち倒すだけだ。それでこの世界は変わる」

殊更満足気にヴィルヘルムはニヤリと微笑む。
彼の野望を達成するのに必要な駒が全て揃った。もう何も迷う必要は無い。あとはその時が来るのを待つだけだ。

「……こちらの娘は?」

アルエットを示し、ファントムが問いかける。ヴィルヘルムは「好きにしろ」と鼻を鳴らして返した。

「妖将の屋敷にいる者もだ。処分して構わん。貴様に任せる」

「御意」と答え、背を向ける。それからパンテオンに指示を出し、アルエットの身体を運ばせた。
「して、隠将」とヴィルヘルムはなにか思い出したように呼びかける。

「黒狼軍の動きは?」

「ハッ。紅いイレギュラーと落ち合う予定のポイントに部下を向かわせましたが、構成員の姿はなく――――代わりに、こちらが放っていた密偵の残骸が……」

「出し抜かれたわけか。――――まあ、良い。救世主の様子はどうだ?」

「……変わらず。コチラに気づいている様子は見当たりませぬ」

「そうか」

「ククッ」と笑いが漏れる。

「今後も監視を怠るな。何か気取られている様子があれば直ぐに知らせろ。――――それこそ、貴様が作り出された所以なのだから」

「……仰せのままに」

短く答えると、漆黒のコートはうっすらと風景に溶け込み、そのまま煙のように姿を消していった。
後に残されたヴィルヘルムは、思わず口から笑いを漏らし、次第にそれが高笑いへと変わる。

ようやくだ。既にその起源を、本人は忘却の彼方に閉じ込めてしまったが。心に芽生えた黒い感情は長い年月をかけて熟成し、いつしか彼の体の隅々まで溶け込んでいた。
そしてその感情に突き動かされるまま、あの頃より八十年、元老院最高議長に就任してから二十年――――待ち望んだ瞬間がようやくこの手に届く。

この手に、世界の全てが――――……‥‥




























 NEXT STAGE











         死者の国
























[34283] 30th STAGE 「死者の国」
Name: 村岡凡斎◆45ff140f ID:1def92d2
Date: 2013/06/23 01:04


  ―――― * * * ――――


グラグラする頭を抑えながら、ゼロは上体を起こす――――つもりが、頭を抑えようとした両手の自由が効かない。
気づけば身体の後ろ側で、電子ロック付きの手錠がかけられている。腕だけではない。両足まで拘束されている。
記憶を辿り、どうしてこうなったのかを思い出そうとする。だが、平衡感覚が定まらないばかりか視界は歪み、耳鳴りまで鳴り響いている。

――――なんだ……これは……

原因を考えようにも、それをするだけの余裕が無い。おかげで記憶を辿るのも一苦労だ。
しばらく苦しむままに身体を捩り、ようやく思い出す。

そうだ、ヴィルヘルムの屋敷で何かしらの攻撃を受け、気を失った。
立ち位置から考えて、おそらくはファントムの仕業だろう。殺気も、闘気も、ほんの一瞬も感じられなかったがために、その不意打ちを防ぐことが出来なかった。

――――そして……ここは…………どこだ?

しばらく意識を失っていたせいで、この場所がどこかなのか全く分からない。共にいた筈のアルエットの無事も。レヴィアタンの屋敷に置いてきたコルボーたちの無事も、状況が何もかもわからない。

朦朧とする意識の中、ゼロは辺りの様子を見渡し考える。そしてようやく理解できたのは、眼前を閉ざす鉄格子。窓のない四畳半程度の窮屈な金属製の部屋の中であるということ。――――そう、ここはおそらく牢屋だ。
それから、この異常の原因について考察する。そこでようやく、自身の首に着慣れぬ首輪が括りつけられていることに気づいた。どうもこの首輪が項のインターフェースを介して、レプリロイドの神経になんらかの影響を及ぼしているらしい。お陰でこの有様だ。抵抗する意識も折られてしまう。
鉄格子の向こう側には廊下が続きその両側には同じような牢屋が並んでいる。どうやらここは監獄のようだ。

――――監獄…………これだけの手の込んだ設備は……

思い当たる場所がある。
特別な事情により、イレギュラー処分に送れぬ罪人を収監する特殊監獄。かの闘将ファーブニルも送り込まれたという最悪の収監施設。


その名も“ヘルヘイム”。
旧世紀のとある神話において、その名が意味するのは――――“死者の国”。




























 30th STAGE











         死者の国


























  ――――  1  ――――


何度か上体を起こしては、地面に倒れ込む。首輪の作用によるものか、神経系の反応が高まりすぎて、身体には波打つように激痛が走る。
「クソッ」と悪態を吐くが、全身の異常は治まる気配を見せない。ジタバタと藻掻き、鉄格子に身体をぶつける。鈍い音とともに、体中に痛みが走る。

「あんちゃんよぉ、やめときなって」

不意に、格子の向こう側から声が聞き取れた。どうやら自分の他にもこの場所に誰か収監されているらしい。
動きを止め「誰だ」と問い返そうとしたが、うまく言葉が出せない。その様子を察したのか、呼びかけた男が言う。

「無理に動こうとするから反応するのさ。ジッとしているのが一番だぜ。言われたとおりにしてみな」

誰かは分からないが、その男が言うとおり、楽な体勢のまま寝転がり、そこから身動き一つせずに身体を固める。
すると、身体に平衡感覚が徐々に戻り始め、歪んで見えていた視界も定まってゆく。

「な、治っただろう?」

「……礼を言う」

僅かな後遺症に耐えながら、ゼロはなんとか言葉を返す。男の声は、廊下に出てすぐ右手の牢屋から聞こえているらしい。

「すぐに喋れるようになるとは驚いたぜ。俺でも数分はかかったからなぁ」

男が説明するところによれば、この首輪は、対象の熱量変化に反応するようできているらしい。ほんの少しでも体を動かせば、それに応じて作動し、神経感度を異常値まで引き上げるのだ。
また、男は二、三度程ゼロに呼びかけ続けたらしい。そのうち一度しか耳に入らないほど、ゼロは自分が苦しんでいたことを思い知った。

「何者だ……あんた」

身を動かさないようにしながら、ゼロは問いかける。
男もまた、身動き一つしないよう気をつけながら、笑って答える。

「まあ、ここじゃテメエの“先輩”ってとこだなあ。ヘッ。俺もちょいと下手打っちまってよぉ」

答えになっているようで、ゼロの質問に対する答えとしては不適格だった。だが気力を失い欠けているゼロには、それ以上踏み込む気持ちが持てなかった。
しかし、状況の把握は必要だ。ゼロは疲弊しきった身体から声を絞り出し、次の質問を投げる。

「ここは……いったい何処……なんだ?」

ヘルヘイムであることはだいたいの予想がついていたが、確証がほしい。“先輩”は少しも勿体ぶること無く答える。

「ここは“死者の国”――――特殊監獄ヘルヘイム。その第十階層だ」

「やはりか」と溜息を吐く。しかも最深部に近い第十階層とは。

「ここに……人間のガキが…………放り込まれているという話を聞かないか?」

確か、シエルが留置されているのは第十三階層だったはずだ。人間の少女なのだから、ここまでひどい扱いを受けてはいないとは思うが、その安否が常に気がかりだ。
すると“先輩”はバカにしたようにゲラゲラと笑う。

「人間がここに? あるわけねえだろう。人間様が天下を握っているこの世界でよぉ」

「そう……か」

“先輩”の言う通り、人間がこのような場所に投獄されることなど誰が考えつくだろう。黒狼軍の情報とは言え、信じがたく思えるのも事実だ。
だが、この“先輩”が気付かなかったというだけで、本当にシエルがここに入れられたという可能性も消えてはいない。どうにかして確認を取らなければ。
とは言え、その前にこの状況を何とかしないことには、そのような行動も取れないだろう。

「あんたは……いったいどれくらい…ここにいるんだ?」

「かれこれ……七、八年ってところか?」

あまりの長さに、ゼロは言葉を失う。そんなにも長く収監されるものなのか。
ゼロの驚きに気付いたのか、“先輩”はまたも笑う。

「上も処分に困ってるってことよ。なにせ俺様は強ぇ上に、有能だからよ。そうそう廃棄するわけにもいかねえのさ」

“有能”であるならば、何故このような場所に入れられているのかと突っ込みたくもなったが、それもまた億劫に感じてしまい、言葉を飲み込む。
代わりに、別の問いを投げる。

「何故……あんたはここに?」

「聞きてえか?」

ゾクリとするような低い声で切り返す。
「ああ」とゼロが答えると、“先輩”は脅すような冷徹な声で言う。

「戦場でな、気に食わねえ部下を皆殺しにしてやったのよ」

「……戦場…で?」

「そうだ」と“先輩”は苦笑する。

「イレギュラー共を掃討する作戦でな。俺の動きに合わせられねえ愚図共を処分したのさ。そしたら……この通りよ」

「『愚図共』……ね」

掻い摘んだ話ではあるだろうが、それを聞く限り、どうもこの男の思考回路は道徳的、倫理的に“正常”とは言えないような気がした。となれば、この場所に入れられた理由も理解できる。
きっと戦闘力的に申し分ないのだろうが、その性分が軍事運用には向かず、拘束する以外に道はなかった。しかしそれでもイレギュラー処分をする訳にはいかない何かしらの事情があるのだろう。もしかしたら、それなりに高位のレプリロイドなのかもしれない。

「……俺は……あんたも含めて…ここの連中は………これからどうなる?」

実際に「どうなった」のだろうか。“先輩”は七、八年程ここにいると言ったが、命尽きるまで収監されたままなのだろうか。
“先輩”は「そうだな」と、自分の記憶を手繰り、答える。

「上の連中の協議次第じゃ、結局イレギュラー処分にもなるし……場合によっちゃ、コロシアムに送られる。もっとも、俺様みたいに強過ぎる場合は“コロシアムの演目を壊しかねない”とか言われてそれは叶わねえ」

アンカトゥス兄弟の評判を落とすこと、ネオ・アルカディアの権威の象徴が折られるようなことはなるべく避けなければならない。故に、あまりに強すぎる罪人やイレギュラーを対戦させることはできないと考えれられていた。とは言え、ミュートスレプリロイドであるアンカトゥス兄弟と同等以上の戦いができる者など、正直かなり絞られてしまうが。

「俺様が分かるのはそんくらいだ。――――あとは、流石にな。外に連れだされた奴がどうなったかまで、詳しく知る術はねえ」

「……だよな」

それきり、ゼロは質問をやめた。というより、あまりの疲労感で声を出すことすら億劫になってしまったのだ。それを察したのか、“先輩”も口を閉ざした。
あの場で処分されなかった以上、何かしらの策略に利用されるのではないかとゼロは予測した。あのヴィルヘルムのことだ、“紅いイレギュラー”を使って別の英雄を仕立てることも視野に入れているのだろう。もしくは白の団やシエルを盾に、ゼロに再び交渉を迫るかもしれない。
だが、どれだけ考えようと、今は無駄なことだ。

――――今は、ただ休もう

そう自分に言い聞かせ、瞼を閉じる。
場合によっては力づくでもこの場所を出ていく。結果としてどれだけの苦痛が伴うかは分からないが。
だが、そのタイミングは今ではない。数時間先か、数日先かは分からないが、今は身体を休ませ、体力の充実を図ろう。
それしかできることはないのだから。

自分でも気付かぬ内に、ゼロは再び深い眠りの中へと沈んでいった。







































  ――――  2  ――――


ネオ・アルカディア首都メガロポリス――――その一画にある小さな一件のバーのカウンターに彼女は一人佇んでいた。
常連というほどではないが、仕事の疲れを感じた時には、それを癒すべくこの場所に顔を出すことにしている。
薄暗い店内を黄色のライトが仄かに優しく照らす。彼女以外に客の姿は見当たらない。繁盛しているかといえばそれ程ではないが、割の高いこのバーは、ネオ・アルカディアの中でも高位の者達、その一部が隠れ家的に利用している店でもあるので、その息は長い。
彼女の白く細い指が、グラスの縁を二周ほど撫でる。浮かない表情を浮かべているが、その容姿のせいか、どこか妖艶にさえ見える。

「……遅いじゃない」

不意にカランと、ベルが来客を告げる。扉の方へと視線を向け、彼女は一言だけ零す。
私服姿の彼女に対し、現れた彼は、毎度おなじみの黒いコートを着込んでいる。

「あなたって、ホント面白く無いわね」

「……すまぬ」

不機嫌さを強く表す彼女に、男は軽く謝辞を述べ、一席空けて横に座る。
注文も聞くこと無く、バーテンダーは彼と視線を合わせるだけで直ぐ様カクテルを用意し始める。その隙のない一連の動きは、流石という他無い。

「……何に対して謝っているわけ?」

女はどこか不機嫌そうに問い返す。
格好のことなどどうでも良かった。遅れてきたこともどうでも良い。彼女が気にしているのは、そんな些細な事ではない。
少し黙り込んだ後、男は口を開く。

「……嫌な役を負わせてしまったな」

その声は、本心を容易く感じることができた。彼は本気で「悪い」と感じている。
だからこそ彼女は、尚更彼の事が赦せなかった。

「そんな風に謝るなら……! ――――……どうして?」

怒りに任せそうになる自分の感情を抑え、あくまでも静かに問いかける。
彼のことがわからない。ここまでの行動が。ここまでの意図が。思考が。思惑が。
だが彼は問いに答えず、黙りこむ。その態度にも嫌気が差す。

「……あなたの言う通りにしたわよ」

儚く艶やかな青い髪を右手でかき揚げ、女――――レヴィアタンは言った。
男――――ファントムはただ、「そうか」と答えた。

紅いイレギュラーをファントムの言うとおり、自分の屋敷に招き入れ、引き渡した。
そしてその後、あの屋敷に残されたレプリロイドたちに関しても、ファントムの指示に従い、処分した。
だが、理由を深く聞くことはしなかった。何故か。
普段、誰にも助力を願うことのなかった彼が、頭を下げて依頼してきたから。そしてそれ以上に、彼女は“絆”を信じていた。
汚れ役としか言えない。相手を騙し、実行する役を負っているのだから。それでも引き受けたのは、頼んできたのが彼だったからだ。
だが、彼はそれでも教えてくれない。そんな彼女を気遣いながらも、彼女に対して申し訳ない気持ちを心の底から持っていながらも。

「……最低よ。黙ればいいと思ってる男は」

感情を抑えつつ、悪態を吐く。
それから流れる数分の沈黙の後、バーテンダーが出した少量のカクテルに一口つけた後、ファントムは言った。


「……それ以外に…伝える術を知らんのだ」


寂しげな響きに、レヴィアタンは呆気にとられる。
「伝える術」? 「何を」? ――――問いかけようとした所で、ファントムが一枚の紙切れを差し出す。
彼がグラスにもう一口つけている間に、彼女は折りたたまれているそれを丁寧に開き、中に書かれた文章を読み取る。

「これって――――……!?」

思わず声を上げ、それきり言葉を失う。そこにいつも通り書かれた指示内容に、驚きを隠せない。

「これが最後だ」

そう言って紙幣をテーブルに置き、ファントムは去ろうとする。
椅子から身を乗り出し、「待ってよ」と声をかける。
意図が全く汲み取れない不可解な指示。「どうして」「理由は」「何の為に」「何を考えているの」――――聞きたいことは山ほどあった。質問の言葉は脳内に溢れかえった。
しかし、どれを聞いてもきっと彼は沈黙を貫くだろう。だから、彼女は本当に聞きたいただひとつの問いを彼に投げた。


「“私達”って“何”なの?」


扉に掛けたファントムの手が止まる。

「“私達”の関係って……いったい“何”なのよ?」

それは、彼女の根本の問いだった。
黙りこくる彼の背中に、レヴィアタンはどうにか彼の言葉を聞きたいと思い、思いつく限りの話題を継ぎ足してゆく。

「……聞いたわ。ハルとのこと」

白の団の本拠地へと赴いた彼に、ゼロとの戦いに敗れた彼に、刃を向けたこと。
それだけではない。ゼロとの決闘に敗れたファーブニルを救ったという話を、ファーブニル本人から聞いていた。
相反する二つの事件。それが彼女にとって気がかりでならなかった。

「……あなたは前からそう。何か知っているくせに、何も話してくれない。何かをいつも隠したまま、一人で行動し続けて――――」

なんとなくではあるが勘付いていた。彼は何かを抱えていると。言葉にせずとも、行動に出さずとも。彼女にはそれを感じることができた。
だが、聞くことは出来なかった。何から尋ねればよいのかも分からなかったから。そして、巻き込まれて尚、どれだけ問いただしても何一つ教えてもらえなかった。
気づけば、バーテンダーは店の後ろに入っていた。二人の空間を邪魔するわけにはいかないと気にかけてくれたのだろう。
二人きりの店内。しかし返ってこない答えに、やりきれない想いが更に強く込み上げてくる。グッと言葉を飲み込み、もう一度問いかける。

「教えてよ。“私達”――――“四天王”って、“何”なの?」

ただの同系機か。救世主の複製品か。――――括りを作ろうと思えば簡単だ。だがそれは“マシン”としての括りだ。
レヴィアタンは信じていた。“絆”を。この四人でしか知り得ない、“魂の共鳴”とも言えるものを。
だからこそ、彼のことに気付けたのだと。だからこそ、こうしてもどかしい気持ちが渦巻いているのだと。

同僚、仲間、友、兄弟――――いや、どれにもきっと当てはまらない。もっとバラバラで、まとまりがなくて、けれどどこか深いところでは繋がっている。
誰かの言葉で言い表せるような単純な関係ではない。そう信じていた。
だからこそ、抱えているものを分けて欲しかった。だからこそ、真意を知らせて欲しかった。
理解したいと思った。頼って貰いたいと願った。

けれど、彼はそのどれもを悲しく跳ね除けて行く。
真意は語らず、根本では頼らず、理解を求めず、信頼を欲せず――――……ただ一人で、孤独な闘争を続けていた。
それが、レヴィアタンには一番赦せなかった。

だからまた、問いかけるのだ。

「あなたにとって……“私たち”は“何”なのよ……‥‥」

不意に込み上げる悲しみに、胸の内を強く握り締められながら、レヴィアタンは言葉を絞り出していた。
扉に手を掛けたまま、ファントムはその場に立ち尽くしていた。何も答えぬまま。口を噤んだまま。その背中が一体何を考えているのか、レヴィアタンにはまるで分からなかった。
それからしばらくその場を沈黙が包んだ後、ファントムが微かにコチラを向く。その視線に、レヴィアタンはまたしても呆然とする。



「……やはり……御主は優しいな…」



一言だけ残し、ファントムは扉の外へと、夜の闇へと出て行った。
冷たい風を取り込み、そのまま再び閉ざされた扉を呆然と見つめる。

――――いや、残されたのは言葉だけではない。
向けられた視線を、表情を、レヴィアタンは脳裏に焼き付ける。

「……卑怯よ……」

悔しげに、悲しげに唇を噛み締め、絞り出す。





優しい視線が、微笑んだ彼の顔が――――



「ありがとう」――――そう言っているような気がして、それ以上言葉をぶつけられなかった。

































  ――――  3  ――――


切なげなイントロとともに、華やかな純白のドレスを纏った一人の少女がステージに現れる。皆、その堂々たる振る舞いに息を飲み、そこから始まるステージに心の底から期待する。
そして、小さな彼女の口から紡ぎ出されたのは、何よりも遠くまで響く魂の歌。誰もがその歌声に耳を澄まし、オーラを放つ彼女の姿に目を奪われた。

場を支配するのは壮大なバラード。この国のこれまでを胸に刻みつけ、これから先の未来を願う、優しく、厳しく、力強い歌。
壮絶な二分半――――この光景を目に焼き付けた人々は、それを子供に、孫に語り継ぐだろう。それはまさに伝説のステージだった。
そこに立つ少女こそ、まさに“虹の歌姫”だった。

曲を歌い終えた後、余韻とともに僅かな沈黙が流れる。
それから巻き起こる喝采。地震でも起きたかと紛うほどの騒ぎに、中央に立つ彼女自身が竦んでしまうが、懸命に手を振り、答える。
やがて数分間続いた歓声と喝采が落ち着きを見せた頃、少女はマイクを手に、宣言する。



「これより、ネオ・アルカディア建国百二十五周年記念パレードを開催いたします!」


その宣言を合図に、高らかに鳴り響くラッパの音。
中央にある移動式ステージはその巨体を動かし始め、色とりどりの風船と紙吹雪が華やかに宙へ舞い上がり、降り注ぐ粉雪に雪化粧された純白の街に彩りを与える。
人々はその光景に再び歓声を上げ、その様子をアースガルズの各街に配置された飛行メカニロイドが、装備している大型モニターで様子を映像で配信し、興奮と熱を伝染させてゆく。

この国全てを巻き込む盛大な祭りが、遂に幕を開けたのだ。






















「押さないでください! これより前には出ないで!」

警備員たちが声を張り上げ、パレードが通る道に出ようとする人々を抑える。
興奮しすぎてロープを掻い潜る人も出る始末で、それを統制するのはなかなか骨の折れることだ。
パレードの模様を取り上げようと、各新聞、雑誌社、ラジオ局の記者もこぞって集まり、パレードの進行に合わせ、陣取り合戦を繰り広げていた。

「なんか……悪いわね、私だけ。こんな特別扱いみたいなの」

「いえ……まあ差別と言われちゃその通りですけど、ネージュさんは本当に特別ですからね、いいんですよ」

ディックは「ハハハッ」と軽く笑ってみせる。
数日前、華やかなパレードの裏を支えるイレギュラーハンター達の活躍を記事にしたいと、ネージュが申し出てきた。
ミズガルズ在住となりフリー記者になってからというもの、記事が雑誌や新聞に載ることも殆どなくなり、ネージュには苦しい日々が続いていた。しかし、それでも彼女は心折れること無く記者活動を続け、独自取材を敢行し続けていた。
そんな彼女のことをディックが心配していたのは確かで、その申し出が来た時、二つ返事で了解した。

「どんな形であれ、我々の活動を世間に知らしめようとしてくれてるっていうのは、嬉しいもんです」

ディックは誇らしげに言う。ネージュはその笑顔に、些か申し訳なさを感じていた。
そもそもオリンポスプレス社を追い出されのは、政府批判ととられそうな記事を堂々と掲載した為であり、人間であるから赦されているものの、レプリロイドならばテロリスト扱いされていても可怪しくない。
そんな彼女の同行について許可を取るのは、それなりの苦労だっただろうと思う。

「ありがとね、ディック」

不意に告げられる感謝の言葉に、ディックは「そんな改まって……よしてくださいよ」とはにかんで答えた。
その脳内には、今も絶えず各所の状況について連絡が入り続けている。

〔こちら第十九部隊第七班……アースガルズ第四エリア……ミラノシティー236-8にて、不審なレプリロイドを三体発見。捕獲に移ります〕

「どうも、また不審者発見です」

三度目のコールについて、ネージュに説明する。

「結構多いのね」

「ええ……と言うより、わりと誰彼構わずとっ捕まえてますからね」

そう言って苦笑いを浮かべる。
例えば、これが旧世紀の社会における人間の警察機構と住民との間の話であるならば、問題だ。どんなに怪しげな者でも無理矢理にしょっ引いていけば、名誉毀損だの圧力だの濡れ衣だの、裁判沙汰に発展して警察側が泥を被るのは目に見えている。
だが、ここはネオ・アルカディア。レプリロイドの権利は虫ほどに貶められている国家の中であるから、レプリロイドに対してはあらゆる強硬手段が赦される。
あやしいと少しでも思ったならば、即捕獲、即尋問。それで逆に問題が起こらなくて済むのだ。

「気にするでしょうから言っときますけど、勿論、ある程度危険ではないと判断できたらミズガルズの方に流しますよ」

ネージュの気持ちを直ぐに感じ取り、ディックは付け足す。
そもそも無害かどうかを判断するのは難しい。テロリストが簡単に尻尾を見せるわけがないし、テロリストである証拠を出せたとしても、そうではないという証拠は基本的にはあるわけがないのだから。そんなレプリロイドをアースガルズ内にそのまま置いておけば、それこそ問題と取られてしまう。
よって現時点で危険でないとみなされた者は、パレードとは関係なく、加えて国家体制において優先度の低いミズガルズに放たれる。とりわけ、十三番区などは打ってつけだ。

「流石に無実の者を好き勝手イレギュラー処分するのは、自分たちも気分の良いものではないですからね」

「なるほどね……」と、複雑な表情を浮かべながら、ネージュはとりあえず納得の声を返す。
その内心を読み取ったのか、ディックは苦笑交じりにまた付け加える。

「……これが自分たちの取れる最善手なんですよ。パレードを守るための。――――だから、そんなに気にしてませんから」

そう。後味が悪かろうが何だろうが、目的を果たすために取れる手段を取らねば、守るべきものも守れない。もっとも、これで気分を害すのはディックや一部の“お堅い”者達くらいだろうが。
それでも、ネージュという女性はレプリロイド達の複雑な気持ちを想い、哀れんでしまうのだ。そういう優しさを持ち合わせているからこそ、ディックも、そしてクラフトも彼女のことを信頼出来るのだが。しかし、それが彼女の仇となっているのは言うまでもない。
そうこうしていると、不意に歓声と歌声が近づいてきた。どうやらパレードの本隊がそろそろこの辺りを通り掛かるらしい。
「それにしても素敵な歌声ですね」とディックは話題を変える。

「ええ、そうね。流石は虹の歌姫さんかしら」

明るい表情でそう答える。
特にファンというわけではないが、彼女の歌声が素敵であるということはよく理解していた。実際、街頭で流れる彼女のバラードに、思わず瞳を潤ませてしまったこともあるほどだ。
今披露しているのは最初のバラードとは打って変わった、明るいアップテンポのナンバー。観客の歓声にも熱が入り、パレードの盛り上がりは半端ないものとなっていた。

「ステージは結構無防備そうに見えるけど、大丈夫なの?」

周囲には数機の護衛用メカニロイドが飛んでいるくらいで、正直警備が整っているとはいえないように見える。第一、これだけオープンなステージならば、どこかから狙撃されたとしても可怪しくはない。もっとも、敵味方関係なく国中から愛されているであろう歌姫を撃ち殺すような輩がいるとは思えないが。
しかし、ディックは「ええ、大丈夫です」とサラリと答える。

「肉眼じゃ分かりづらいですけど、防衛用の特殊シールドが全体を覆っているんですよ」

言われてみれば、四方の装置からシールドを展開する際の、粒子光が見える。
コロシアムでも使用されているもので、その強度は並の攻撃では貫けないものとなっている。おそらくクラフトのランチャーを最大出力にしてようやくだろう。
成程、思った以上に守備は万全というわけか。「それに」と更に付け加える。

「この後の演目に、聖騎士団の“演舞”と“公開模擬戦”も控えている関係で、パレードの後続には聖騎士団が。また、特殊状況に対応できるよう裏には“ラウンドナイツ”も備えています。ついでに、こうして我々イレギュラーハンターも」

国内を固める戦闘部隊が一同に介しているこの状況でテロ行為に及ぶなど、正直“自殺行為”としか思えない。
国内が浮かれ騒ぎに包まれるからこそ、警戒は万全に――――というわけだ。

「とは言え、どれだけの準備をしていても、警戒を怠っては何が起きるかわかりませんからね。自分達には常に、そう言い聞かせることにしてます」

「真面目ね。だからこそ、イレギュラーハンターは信頼出来るわ」

お世辞でなく本気でそう評するネージュに、ディックは内心苦笑する。
この彼女が実際に、ヨイトナやカルメア、グラーツ達のこの前の様子を目にしたらどう思うのか。
そう考えると、言いようのない罪悪感が込み上げてくる。



が、そんなディックの内心の曇りを晴らすように、辺りが歓声に包まれる。
目の前を通るパレードに、中央で生命を輝かせる歌姫に、それに向けて放たれる喝采と声援に、ディックもネージュも気を取られ、いつしか笑顔がこぼれていたのだった。





















  ―――― * * * ――――


パレードの様子をほんの少しでも見てみたいと思って、アースガルズに入ったことが間違いだったのかもしれない。
……いや、そもそもレプリロイドとしてこの国に生まれた事自体が、一番の問題なのだ。




「時間をあまり取りたくないのでね。手短に答えたまえ」

硬質な壁で囲まれた四畳半程度の窮屈な個室の中。中央に置かれた机を挟んだ向かい側。
面長で堀の深い顔立ちをした男性型レプリロイドはそう言って、上目遣いに睨みつけてくる。そして、問いを繰り返す。

「君はテロリストか、そうでないか」

あまりの威圧感に、思わず生唾を飲み込む。
この男のことは知っている。イレギュラーハンター第十六部隊隊長、ギール。
“冷血”とまで揶揄されるほどの冷徹ぶりは、ネオ・アルカディア中のレプリロイドにとって畏怖の対象の一つであった。
彼に目をつけられて、生き残った者はいないとまで言われている。

「お……俺は…………ただ、パレードが見たくて……」

震える唇を噛み締めながら、途切れがちに答える。だが、ギールの視線はまるで容赦の色を見せない。
しかし、もう一度息を整え「俺はパレードが見たかっただけだ」と強く訴える。それ以外にできることなど何もない。すると、ギールは何か考えこむように宙へ視線を向け、自分の顎に手を当てた。

「ふむ……なるほど、仕方がないな」

もしやと希望を抱く。
いや、希望も何も、そもそも嘘は一つも吐いていない。本当にただパレードを見たかっただけだ。
日雇い作業員達の雑用として、わざわざアースガルズに入ったのは、ただそれだけが理由だ。テロリストなどと扱われる言われはないし、そもそも疑われるような事自体何もしたつもりはない。
確かに、レプリロイドが勝手にパレードの方角へと街の中を歩いていた事については、ネオ・アルカディアでは疑う者がいても可怪しくない。
だが、何か悪事をはたらくつもりもなく、ただ祭りのある方角へと歩いていただけなのだ。レプリロイドにもそれくらいの事は赦されて良いのではないか。

そうだ、自分は無罪放免だ。何か処分を受ける理由は何もない。
だからこんな尋問は無意味だ。早くここから出してくれ。


「パレードの偵察に向かっていたというのであれば、それは立派なテロ行為だ。正確には“幇助”というやつだがな」


「は?」

「おい」とギールが呼びかけると、背後の扉から数人のレプリロイドが入ってきた。

「連れて行け、イレギュラー処分だ」

「な………!?」

ギールの命を受けた、おそらく部下であろうレプリロイド達は、無言のまま両腕を抑え、そして椅子から引きずるように立ち上がらせた。
「待ってくれぇ!」と叫び声を上げるが、それに聞く耳を持つものはいない。何度も喚き散らすが、それに答えてくれるものはいない。
かくして、そのまま男は連行された。
その様子を、まるで当たり前のものを見るような視線で、ギールは見送った。




















「お疲れ様です、隊長」

「ケスバルか」と、ギールは声をかけてきた部下の名を呼ぶ。
ケスバルは「ハッ」と素早く敬礼の構えを取る。

「この後、すぐに現場へ戻る。貴様の班は?」

「非番であります。が、隊長とともに参らせていただけるならば」

「良かろう。来い」

ギールの指示に従い、ケスバルは共に隊舎を出た。
他の部隊の収穫を聞く限り、そこまで大きな事件に発展するような事態には至っていないようだった。
怪しげな者を捕まえては、危険がないと判断し、ミズガルズへ送っているという。
しかし、この第十六部隊においては、勝手が違っていた。

「貴様はどう思う?」

「ハッ。恐れながら……少々手緩いのではないかと」

周囲への、率直な意見を返す。
どうも、他の隊は危険がないと判断することを当然と動いているフシがある。
同胞を処分することへの躊躇いか、職務への怠惰な反骨心か。

「……だな。何れの理由にしても、それは人類への反逆であると私は考える」

ギールの考えが浸透した第十六部隊は、突出した検挙率と処分数で有名だった。

「“疑わしきは罰せず”――――という言葉があってな」

「確か、旧世紀の国家において扱われた、刑事裁判の原則を表す言葉で……?」

犯罪事実が明白にできない場合には、無罪とする考えを一言で表した言葉。
「私は、それが正しいとは思えない」とギールはサラリと言い放つ。

「そもそも何故疑わしいか、考えてみろ。そういう言動をとっているからに他ならん。ならば、罰してしまえばよいのだ」

「“火のないところに煙は立たぬ”――――というやつですね」

「そうだ」とギールは少しも表情を変えずに頷く。

「その者の代わりなどいくらでもいる。それこそゴミのように。何を迷うことがある? 臆すことがある? 躊躇うことがある? ――――何かあっては遅いのだ」

守るべきは、救世主が「守れ」と定めた人類。疑いの一つも掛けられない、真に善良な者達。
疑わしい者を全てこの世から消してしまったところで、例えばその中に無実の者がいたとして、何の問題があるのか。
守るべきと決めた者を守り通せたならそれで良いはずだ。一手でも遅れて、その者達が守れなかった時の方が問題だ。

「無論、何か裏の繋がりがあるだろう者を、利用するために生かすのは分かる。だが、あのような末端の下郎は生かすだけ無駄だ。パンテオンにでもなって貰った方が、都合が良いだろう」

「隊長の仰る通りかと」



同じ班を組む、他の隊員に合流し、配置について軽く確認をする。
ギールはケスバルとツーマンセルを組み、街中を練り歩いた。この街は丁度半分くらいの地点で、今から二日後にパレードが到着する予定だ。
それまでに、完璧な安全を確保しなければならない。パレードにとっての。人類にとっての。
それがギールの正義であり、イレギュラーハンターとしての職務だと信じていた。
不意にケスバルが言う。

「しかし隊長、“過ぎたるは及ばざるが如し”とも言います」

思いもよらない不意打ちに、ギールは一瞬呆気にとられた後、この日初めての笑みを見せながら言葉を返した。

「やはり貴様は良い部下だ。――――ならば、私が“過ぎ”無いよう見ていろ。正直、私にはその“程度”とやらが分からん」




そうしてまた暗い路地裏で、一人のレプリロイドを追い詰めた。
































  ――――  4  ――――


「本国はすっかりお祭りムードですか」

送信され続けている映像を眺めながら、シメオンは机に肘をついてため息混じりにそう独り言つ。

「オメー、くだらない茶々いれるんじゃねえよ。イーリス様の歌によ」

同じように肘を突きながら、浮かない顔でマティアスが言う。

「茶々なんか入れてないだろ。別に、イーリスさんの歌には」

「“様”だ、“様”。……元老院議長の妹君だぞ。俺達とは格が違うんだよ」

とか言いつつも、実際は自分が熱心なファンであるからというだけのことだろうとシメオンは思った。

十七部隊は相変わらず、現状待機を言い渡されたまま塵炎軍団基地の中で窮屈な思いをして過ごしている。
百二十五周年記念式典の開催についても、無関係に扱われ、結局こうして基地のモニター越しに楽しむ他無い。

「あ~あ、俺も警備に就きたかったな~」とマティアスはヤケクソ気味に大声で言い放つ。
その不純な動機はどうかと思うが、正直、こんなところでジッとしているくらいなら、パレード、式典の警備についたほうがいくらかマシだ。



本国から帰ってきたクラフトは、待機命令を伝えると、自室にこもり、時には一人で外出しては戻ってを繰り返している様子だ。
何か危ない橋を渡っていないかと心配になるが、ゲンブレムもクラフトの行動を気に掛け続けているので、万が一の時はすぐに察知して動けるだろう。
しかし、言葉を発さずとも分かる異様な威圧感に、皆、声をかけられずにいた。無論、クラフト自身は周囲に察知されないよう振舞っているようだが、そこはわかりやすい性格ゆえか、容易に不機嫌なのが見て取れた。
ついには殆どの者が、紅いイレギュラー討伐任務についてどうこう言うことは無くなった。――――勿論、一人だけ例外はいるが。




「ええい、つまらん! 全くもってつまらん! 何ゆえ我々はこのようなところで退屈せねばならぬのだぁ!?」


パレードの様子を見ていて今日も痺れを切らしたのか、特殊班班長シューターが喚き散らす。
マティアスはそれを睨みつけ、「うるせぇ!」と本気で怒鳴りつけた。が、シューターはまるで意に介すこと無く騒ぎ続ける。


「よもやあの善良なるレプリロイド達の住処が、紅いイレギュラーの寝床であっただけでなく、それをしばらく誰も教えてくれなかった挙句に、憎き標的を目と鼻の先に捉えたかと思えば謹慎指示! どこまで天は私を焦らすのだ! そういうプレイか!? 焦らしプレイか!? それならばバッチコイだァ!!」

「何言ってんのか分かんねえから、黙りやがれ! 爆殺すんぞ!!」

本気で飛びかかろうとするマティアスを「やめろ!」と数人の隊員が慌てて押さえつける。そうこうしている内に、イーリスの出番は終わっていた。
その後に元老院議長団代表として現れたのは、イーリスの兄であるレオニード。新任して間もない彼を代表に出したのは、勿論イーリスとの繋がりから、国民へのアピールを強くするためだ。
パレードが厳かな雰囲気に包まれ、その中でパレード開催に対し祝辞を読み上げるレオニード。
基地内の今の雰囲気とはまるで正反対だった。

「ええいクラフトの腰巾着その四くらいが!! この俺様に敵うと思っているのか!?」

「はぁあぁああ!? 寝ぼけたこと抜かしてるんじゃねえぞ能なしシューター! 誰が腰巾着だ、誰が!! 絶てぇ赦さねえ! 吹っ飛ばす!!」

「お待ちを、マティアス殿! 我らが愛すべき副隊長のご無礼を、何卒お許しくださいませ!!」

「ぬぉお!? 何を言うかボウ隊員! 俺の実力を舐めてくれるなよ! こんな金魚の糞に負けるとでも!?」

「ダメっす、副隊長! 争い事がそもそもダメっす! ここは抑えてください、極☆華麗に!!」

「訳の分からねえこと抜かしてるんじゃねえ、テメエら全員まとめて爆殺だぁ!」

「いい加減にしろ、マティアス! そればかりはダメだって! 謹慎どころの話じゃなくなるって!」

「落ち着け皆! 静かにパレードを楽しもうぜ!?」

「ぬぁぁああ! パレードの話題を持ちだしてくれるな! そんな軟弱な祭り事など! 片腹痛いわぁ!」

「片腹痛いのはこっちだ、糞野郎! 軟弱な野郎が言うなっつぅの!」

談話室に介していた隊員たちが総出で抑えに入る。だが、ストレスが溜まっていたせいか、マティアスの勢いは衰えない。おまけにシューターまで興奮状態が加速している。
その様子を、シメオンは我関せずという調子で遠くから「やれやれ」と眺める。こうなっては手がつけられない。さて、どうしたものか。






「 う る さ い !」






一際大きな声が部屋中に響き渡り、皆、一斉に動きを止める。
飛び交っていた野太い男声でなかったおかげか、とても印象的に響いた。

「……騒ぐなら………外でやってくれ」

クラフトに次いで、重い空気をまとい続ける女性レプリロイド、マイア。
流石のシューターも、今の彼女の言葉には反論できなかったらしく、身振り手振りを交えながら、色々と言いたいことを自分なりに抑えているのが分かる。
マティアスも、渋々声を落とし、「どけよ」と抑えていた隊員の腕を振りほどいて席についた。

パレードはレオニードの祝辞も終え、楽団による演奏に移っていた。
ステージでは、どこかの劇団で活躍する人気役者が揃って演技を披露している。

――――何やってんのかな、俺達

シメオンはふと思う。
そして丁度それは、他の隊員たちも内心で思っていたことだった。

紅いイレギュラーとベルサルクを討伐する任務を受け、栄光ある第十七部隊に選抜されたはずが、今はわけの分からない謹慎命令に従い、呑気な日々を送るだけ。
“虚しさ”だけが隊内に漂っているのは言わずもがな。やりきれない思いを抱いているのは、皆同じだ。いつもはふざけているように見えるシューターでさえも。

このまま解散させられるのか。それとも任務再開の日は来るのか。そして、その報せはいつになるのか。
分からないまま時は過ぎ、また虚しい日々だけを送ってゆく。

「……すごい声がしたが、大丈夫か?」

「あ、隊長」

扉が不意に開くと、そこにはクラフトが立っていた。騒ぎ声と、マイアの声に反応したのか、気になって来たようだ。
騒ぎの後とはいえ、談話室に珍しく顔を出した彼に、隊員たちはどこかホッとしたような表情を見せている。
クラフトは皆の安心した表情の意味がわからず、首を傾げる。

「どうしたんだ、いったい?」



「ノー、プロブレムだ! それより貴様こそ…… 元 気 か !?」






ストレートに問い返すシューターの、デリカシーの無さに、その場が凍りつく。
正直過ぎる直球に、誰もが言葉を失い、黙り込んだ。
シメオンは「そんなわけねえだろぉ!」と内心で叫び声を上げ、マティアスは「やはり殺しておくべきだった」と後悔し、他の隊員もマティアスに乗じてやるべきだったと反省した。


だが、沈黙の後、クラフトの口から漏れ出したのは笑い声だった。
次第に腹を抱えて大声で笑い始める。ここに来てから、初めて聞くクラフトの大笑いだった。

「な……なんだ!? 気でも違えたか!?」

戸惑うシューター。いや、シューターだけではない。
他の隊員たちも、クラフトの今まで見たこともないような様子に、唖然とする。

「い……いや、別にな……クク……まさかお前が……ハハハ……」

笑いを堪えながら切り返すクラフトだが、なかなかまともな言葉にならない。
シューターはなんだか急に恥ずかしくなり、顔を赤らめ始める。

「きっ…貴様! お……俺を馬鹿にするなぁ!!」

その様子に、ついには笑いが伝染し、談話室内が笑い声で満たされる。
遂には、何事かと戸惑うのはシューターただ一人となっていた。

「ボウ!? アーチ!? え……お前らも?」

「いや、うん。よくやったよ、お前」と、マティアスが笑いながらシューターの肩を叩く。他の隊員たちも次々に「でかした」「大手柄だ」と叩いてゆく。
訳が分からないままのシューターは、とうとう堪え切れなくなり、「ば……馬鹿にするなぁ~!」と叫びながら部屋を出て行った。その後を、慌ててボウとアーチが追いかけるが、充満した笑いの渦は、しばらく絶えなかった。










「いや、やっぱりあいつ、何か持ってますね」

ようやく収まった頃。自然と流れで席についたクラフトに、シメオンは言う。

「まさか奴にまで心配されているとは思わなんだ。……いや、正直すまなかったな」

あのシューターですら、心配していたということは、裏を返せば、他の隊員たちもクラフトの心配をしていたということだ。
重い雰囲気を隠しきれなかった自分を、クラフトは素直に恥じる。

「いえ、大丈夫ですよ。それより、こうして今の隊内で笑いが起きたということが重要なんじゃないですか?」

虚しさだけが漂うばかりの基地内に、活気づいていた頃にもなかった事が起きたのだ。これは確かに大手柄かもしれない。

「ああ、そうだな。……現状は決して良いとは言えないが」

そう言って、クラフトは口篭る。
「ほらほらダメですよ」とシメオンが言葉をかける。

「せっかく立ち直ったのに、またそうやって。忘れちゃいかんとは思いますが、そればかり考えるのも問題ですよ」

「そう……か。そうだな、すまない」

そう言って、クラフトは苦笑する。
ふと、横に人が近づいてきたのを感じて、そちらの方を向く。
立っていたのはマイアだった。

「隊長……その……」

「ん?」

何やら話があるようだが、口篭ってなかなか言葉にしようとしない。
だが、クラフトはそれでも辛抱強く、決して急かすこと無く待つことにした。
しばらくまともに話した覚えがなかったのだから、こういうタイミングを無駄にしてはいけないと思ったのだ。
そしてようやく、纏まったのか、マイアは意を決したように大げさに頭を下げ、声を上げる。

「申し訳ありませんでした、隊長。自分は……ワガママでした」

「マイア……お前……」

唖然とした後、「やれやれ」と肩を竦める。
本国に一時帰投する前のやりとりのことだろう。何故、紅いイレギュラー討伐作戦から自分を外したのか。何故追わないのかと詰め寄られた時のことを思い出す。
しかし、クラフトは「そんなことを気にしていたのか」と諭すように言う。

「大丈夫だ、マイア。気にするな。これで区切りとしよう」

「……はい、ありがとうございます」

二人のやり取りに、シメオンも、マティアスも、他の隊員たちもようやく一息つく。
クラフトとマイアの二人がどうにも辛気臭い空気を撒いていた為に、気にしない者はほとんどいなかったくらいだ。
「これで落着だな」とシメオンが微笑む。十七部隊を取り巻く現状は、決して好転してはいないが、隊内の空気が上向いただけでも、良かったと言えよう。

「さーて、ようやくこれで、気兼ね無くパレードを楽しめるってもんだぜ」

マティアスはわざとらしく言って、再びモニターへと目をやる。実際のところ、イーリスの出番が終わった辺りから興味は半分失せていたのだが。
「そういえばそんな時期だったな」と、クラフトもモニターを眺める。パレードの事すら忘れていたのだから、クラフトの塞ぎ込みようは尋常でなかったのだろう。

「ああ、次は……聖騎士団の演舞ですね」

「………興味が失せた、部屋に戻る」

「あれ?」

「俺もー」

「あら?」

聖騎士団の出番と聞いて、隊員たちは興味を失くしたようにそそくさとその場を立ち去って行く。
装備の手入れでもしながら暇をつぶすらしい。
「仕方ない」と談話室に僅かに残ったメンツで、共に苦い顔をしながら、シメオンはパレードの続きを眺めることにした。































  ――――  5  ――――

あれからどれくらいの時間が経ったのだろうかと考えてはみるが、まるで検討がつかない。
先ほどの首輪が原因なのか、体内時計にもトラブルが発生し、全くあてにならない。
ゼロは、床に横たわったまま瞼を開く。
視界に入るのは、格子の外に走っている、暗く冷ややかな廊下だけ。先程目覚めた時と変わりない風景に、正直辟易していた。

その気になれば、アースクラッシュを応用して手錠を破壊することは可能だろう。だが、その時の熱量変化を感知して、首輪が再び作動するはずだ。
察するに、熱量によってその威力は増すだろうから、アースクラッシュのエネルギー量を考えると、その衝撃はとても耐えられたものではないだろう。

――――こいつは、弱ったな……

脱獄しようにも、そもそも身動き一つ叶わないのでは、どうしようもない。
しかし、いつでも殺せる状況で、わざわざ生かしたままここに入れられたということは、何かしらの利用価値があると見込まれたと見ていい筈だ。となれば、待っていれば何かしらのアクションを仕掛けてくると考えていい。
タイミングがあるとしたら、その時だけだろう。


だが、もしもそのタイミングが、“全てが終わった時”であったなら、今ここで力尽くにも飛び出したほうがマシかもしれない。








「――――どうやら……その心配は杞憂だったみたいだな」

鉄格子の外に立つ人物を見上げながら、独り言つ。

「どういう意味?」

「いや……こっちの話だ」

ゼロは身体を動かさないよう注意しながら慎重に話す。
鉄格子の外に現れた女性レプリロイド――――妖将レヴィアタンは、やれやれとため息を吐く。

「無様なものね。紅いイレギュラーともあろうものが、こんなに簡単に捕らえられるなんて」

「…ああ……自分でもそう思うよ」

捕らえられたどころか、両腕両足を拘束され、身動き一つも取れないような様子。まるで芋虫の死骸だ。
四軍団に泥を塗り続け、第十七精鋭部隊すら手玉に取ったあのSランクイレギュラー、紅いイレギュラーはどこへいってしまったのか。
今のような見窄らしい作業服姿では、初めて会った人はどう説明を受けようと、そんな大層な存在だと信じやしないだろう。

「………どれくらい、経ったんだ?」

まず最初に問いかけたいと思ったことがそれだった。
レヴィアタンは、「うーん」とわざとらしく黙り込んだ後、軽く飛び跳ねるような動きでそこに可愛らしく座る。大人っぽい容姿に似合わないその動きに、ゼロは思わず笑いそうになった。

「おしえてあげない」

人差し指を唇に当て、悪戯っぽく言う。「ああ、そうかい」と舌打ちする。微かに首輪が作動し、ゼロに僅かな痛みを与えた。

「でも……そうね、条件次第では教えてあげてもいいわ」

「どんな条件だ?」

「冥海軍団に降ること」

「またそれか」と、ゼロは肩を竦め――――ようとして、体の動きを止めた。

「絶対呑まないぜ」

「フフッ……知ってる」



「そんなことを聞きに来たんじゃないだろ?」


ゼロの問いに、レヴィアタンはそれまで作っていた笑顔を消した。
無駄だと気づいたのだ。彼の視線を見て。
見抜かれていると分かった。複雑な今の心境を。
だから、つい数分の間作っていた表情を消し去り、それでもほんの少しだけ余裕を持った表情で彼を見る。

「……何かあったか?」

そんな彼女の微妙な表情を察して、ゼロは思わず問いかける。
そこまでの軽い雰囲気とはまるで違う、彼女本来の、飾らない物憂げな表情がそこにあった。
考えるように黙り込んだ後、レヴィアタンは重そうに口を開く。

「他に聞くことはないの?」

「他に?」とゼロは思わず繰り返す。
何があっただろうかと、自分の中に問いかける。
いや、確かに聞きたいことはたくさんある。ファントムのこと。ヴィルヘルムのこと。エックスのこと。どれだけの時間が経って、外では今どうなっているのか。シエルは結局どこにいるのか。自分はいつここから出られるのか。
しかし、それらどの問いも、彼女に問いかけるものではないと、ゼロは思っていた。――――そう、どの問いも必要ないと思っていた。
そうして「思い当たらない」という表情を見せるゼロに、レヴィアタンは「仕方ない」と、自分で言葉にする。

「………聞かないの? あなたの仲間のこと……」

問いの意味が分からず、ゼロは黙りこむ。

いや、表の意味は当然取れる。自分自身が捕らえられた今、レヴィアタンの屋敷に残してきた仲間のことを心配しているのは当然のことだ。実際、無事なのか気にはなっていた。
だが、安易に答えて良いとは思えなかった。
彼女の瞳がどこかに、何かの答えを求めているような気がしてならなかったのだ。

「そう……だな…………」

どう答えるべきか、何度か考えた直した後、ゼロは結局、素の飾らない答えを返した。

「特に、聞く必要もないかな……って、とこかな」

「どうして?」

ゼロの答えを半分予期していたように、レヴィアタンは再び問い返す。
それに対し、ゼロもまた、迷いなく答える。

「お前の所なら、大丈夫だと思ってな」

瞬間、レヴィアタンは唇を噛み締める。
そして、またしても同じように問い返す。

「……どうして?」

その彼女の様子を見て、ゼロは少し思い当たることがあった。
それから、少し考えた後、今度はゼロが問い返す。


「……答えがいるのか?」


信じることに、理由はいるのか。
時に、誰かにとっては毛布のように温もりを与える切り返しだったが、その時の彼女にとっては、軽い刃に等しかった。

「……………要るわよ、“答え”が」

ああ、やはりそうか――――とゼロは内心で呟く。
あの時と同じだ。自身の在り方を、生きることの答えを求めていた時と。
欲しいのだ、“答え”が。
それは、ゼロがレヴィアタンをどうして信頼するのかというような、安直な問いではない。
理由の要らない信頼が、どうしてそこに存在するのか――――それを、彼女は知りたいのだ。

散々一人で考えたあと、ゼロは「すまない」と口にする。

「俺にもそれは分からない。けど、それでも“答え”がもしもあるとするなら――――」

一旦、言葉を切って、整理する。そして思うままに続ける。



「信じているから、信じられる――――そういうことだと思う」



「……何も、答えになってないわよ。……ばか」

レヴィアタンに似合わない子どもじみた悪態に、ゼロは苦笑する。

「そうだな、俺はバカだ」

戦局が変わらない今、レヴィアタンもまた敵であることに変わらない。だというのに、その敵を信じるというのだから、愚かであることは間違いないだろう。
だが、真実は曲げられない。きっと彼女の元なら大丈夫だろうと、そう思ったのだ。コルボーたちもきっと無事であると。
いや、おかしな話はそれだけではない。
ゼロはここに来て、ひどく落ち着いていた。共に捕らえられたであろうアルエットの生存も定かではないというのに。
誰を信じているのか――――それは、明白だ。

「…………分からないのよ。私には」

そう言って、レヴィアタンは格子を握りしめ、項垂れる。
こんなにもはっきりと弱音を吐くのは、彼女にしては珍しいことだった。それもまた、理由のない信頼によるものだろうと、ゼロは思っていた。

「そうだな……俺達には…………分からないことだらけだ」

諭すように、言葉を返す。

「けどな。じゃあ、いったい誰が何を知っていると言うんだ?」




    理由の要らない信頼の正体を。

    盲目な信仰の先を。

    理想に届かぬ想いの行く先を。

    揺るがぬ正義の存在を。

    自分の存在の証明を。

    叶わぬ願いの向こう側を。


    家族の絆を。


    兄弟の絆を。



    友の絆を。






「いったい、誰が……答えを持っているっていうんだ?」

誰に問いかけたところで、本当の答えが返ってくるとは思えない。
もしも神様というものがいるのならば、問いかけてみても良いかもしれない。けれど、ゼロはそれでも答えは得られないだろうと確信していた。

「それでも、欲しいのよ……私は!」

分からないことが恐ろしいのか。分からないことが苦しいのか。
そんな風に、気持ちを握り締めるものの正体すらも知りたい。

そして、同時にまた分からないことが増える。
どうして彼は、そんなふうに割り切れるのか。

「どうして? どうしてそんな風に言っていられるのよ」

ぐっと唾を飲み込む。それから、また躊躇いがちに言葉を続けた。


「……あなたは……裏切られたのよ?」


ゼロの胸に、その言葉が突き刺さる。
ああ、そうか。言われてみればその通りだ。

「そう………だな」

彼女の言葉に、頷かないわけにはいかない。
確かに自分は裏切られた。百年の信頼を。

そんな言葉で捉えたことがなかったせいか。ひどく新鮮な気持ちが、胸に満ちてゆく。
だが、何故だろうか。これまでの自分を思い返すと、分かる。

怒りもした。失望もした。絶望もした。
“あいつ”の名を呼び、天に向けて叫ぶように問いかけた。

だが、それでも――――…………




「それでも、俺は……心の何処かで、“あいつ”を信じてる」




愚かと言われるだろうか。「馬鹿」と罵られるだろうか。
だがしかし、それでもどうしてなのか、信じている。これが――――この世界が単なる“裏切り”ではないと。
そして、まだその答えは出ていない。

「だから――――お前も、信じてみればいい」

何処の誰を想っているのか、何に悩んでいるのか、分からないが。

「信じるかどうか迷って、悩んで、戸惑って……そんなことで苦しむくらいなら。信じてみればいい」

その先に何があるかなんて分からない。だが、迷ったところで得られるものはない。
きっと裏切られたなら傷つくだろう。怒りも、失望も、絶望も感じるだろう。
しかしそれでも――――……



「裏切られて傷ついたなら…………またそこから歩き出せ」






信じなかったことを悔やむよりはマシな筈だ。――――遥かに、マシな筈だ。
















格子の隙間から、丁寧に折りたたまれた衣服が差し出される。

「…………二日後、その首輪は一時的に停止するわ」

レヴィアタンの細い指が、優しく撫でたのは、ゼロの専用コートだった。

「……Dr. シエルは、十三階層の特別監房に入れられてる。……マップデータを一緒に置いておくから」

そう言ってメモリーカードをコートの上に置いた。

「あとは……そこのデータに従って。生きて帰りたいのなら、ね」

「…………すまない、恩に着る」

疑いの言葉よりも先に、礼を告げるゼロに、レヴィアタンは立ち上がりながら嘲笑を見せる。

「いいの? 罠かもよ?」

「……かもな。けど――――いい女の罠なら、ハマってみるのも一興さ」

ニヤリと笑ってそう言い放つゼロに、「相変わらずね」とレヴィアタンは微笑んで見せた。
つま先を軸に、クルリと軽やかに振り返り、そのまま去っていた。ブレの無い、真っ直ぐな足取りだった。


































  ―――― * * * ――――


パレードが始まり、数日が経過した。通過地点は既に半分を越え、再び半周して開始地点となったメガロポリスに向かって行く。
ステージ上で繰り広げられるのは、幾度目かの似たような演目であるが、にも関わらず、人々の興奮はまるで冷める気配を見せない。

「やーやー! 我こそは、ユグドラシル聖騎士団総長! ペガソルタ・エクレールなり!」

ステージ上空に舞い上がり、ペガソルタはそうして名乗り上げる。
眼前に解き放たれたのは数体のイレギュラー達。――――そう、これこそが人々にその威光を知らしめる重要な、公開模擬戦闘である。

「我が稲妻の槍術にて、悪しき賊共を滅ぼしてくれる! 覚悟ぉ!」

そう言って急速に下降し、両腕に生成した高エネルギーランスで一人、また一人と串刺してゆく。
圧倒的な戦闘に、人々は絶えること無い歓声と喝采を送り続ける。ステージ上で逃げ惑うイレギュラーたちを、エクレールの指示に従った聖騎士たちが追い回し、確実に仕留めてゆく。
特殊シールドで覆われているとはいえ、街中での戦闘は殊更迫力のあるステージとなり、普段はコロシアムへ出向くことのない観衆の心さえも、鷲掴む。

「た……助けてぇ! 助けてくれぇ!!」

誰に向けたものかもわからない叫びは、観衆の声に掻き消され、叫んだ本人の生命もまた、聖騎士の手により毟り取られた。
次にステージ上へと放り出された集団の一人は、ついこの間までどこかの家で使用人として働いていたレプリロイドだった。ちょっとした手違いでイレギュラー判定を受け、こうして今回の見世物にちょうどいいからと使われることになった。
無論、武器など持ったことは一度もなく、手にしたライフルの銃身が終始震えていた。

「来ないでくれ! やめてくれぇぇえ!」

喚き散らしながら、ペガソルタへと銃を乱射する。
流れ弾が特殊シールドに弾かれ、バチバチと音を立てる。人々はその迫力の前に歓声を上げ、興奮を強くしてゆく。
自身に放たれた弾丸をスレスレのところで掻い潜りながら、ペガソルタは稲光の速度でイレギュラーに向かって飛び込んでゆく。
そして、数回の瞬きの内に、百数十メートルの距離を縮め、気づけばイレギュラーをまたしても串刺していた。そのまま宙へと舞い上がり、特殊シールドの頂点近くで停止する。

「まっ……あッ………ガはッ……………」

まともな言葉を発せられないイレギュラーと一度視線を交わして嘲笑を浮かべると、そのまま直下に放り投げた。
彼の身体がステージに激突した瞬間、ペガソルタのランスから稲妻が放たれ、彼の身体を木っ端微塵に吹き飛ばした。
そして、そのままペガソルタは天空で、勝利の雄叫びを上げた。
壮絶なフィナーレに、観衆の興奮は最高潮に達し、ペガソルタの名を誰もが叫び続けた。
ステージ上に転がる死体の山は、パンテオンたちがそそくさと運び出し、処理していた。ここまでの数日間で、こうして処分されたイレギュラーの数は、百体はくだらないだろう。





















  ――――  6  ――――


レヴィアタンの言ったとおり、(正直二日間だったのかどうかは体内時計の乱れのせいで分からないが)しばらく経過した頃、首輪はまるで作動しなくなった。
アースクラッシュのジェネレーターを利用して手錠を破壊し、それから順に足枷と首輪も破壊した。そのまま徐に起き上がると、着用していた作業服を脱ぎ捨て、そこに置かれていたコートに袖を通す。
数日着ていなかっただけで、なんだか妙に懐かしい気分だ。何より、身に纏った時の安心感が、ボロ布のような作業服とは雲泥の差だった。
扉に手を当てると、簡単に開いた。電子ロックまで解除していたらしい。至れり尽くせりとはこの事か。
罠だと怪しむのが普通なのだろうと、自嘲した。先日の遣り取りを思い出し、「やっぱり自分でもわからないもんだな」と呟く。

「ケッ、せっかくお仲間ができたと思ったらこれかよぉ」

右手の牢屋から不満気な声がする。
そして、ゼロは“先輩”の姿を見て驚き、同時に、彼がここにいた理由に合点がいった。

「ミュートスレプリロイドだったのか……」

「あたぼうよ。恐れいったか? ――――と、そちらさんも……ほぉ~、なるほどねぇ」

“先輩”もまた、ゼロの顔を見て納得言ったような表情を浮かべる。

「こいつぁ、なかなかの面構えだ。テメエ、腕が立つだろう? しかし、女を泣かせる悪党とは思えねえなあ」

「……『女を泣かせる』?」

ゼロは見覚えのない話題に、思わず首を傾げる。
「すっとぼけんじゃあねえよぉ」と、笑いながら“先輩”が突っ込みを入れる。

「青髪の女を泣かせてたろうが? あのナイスプロポーションの妖将様をよぉ」

「あ? ……あれか?」

レヴィアタンとの遣り取りと思い出す。
しかし、“先輩”が言うような事はなかったと思う。そもそも、彼女が泣けるわけもない。

「俺達はレプリロイドだぜ? 人間みたいに泣くわけがないだろう?」

「ああ? そうだっけかぁ? ……まあ、んなこたぁいいや」

面倒くさそうに話を打ち切り、ゼロに問いかける。

「っで、ここから出て行くのかぁ? まだまだ入ったばっかりじゃあねえか」

言われたとおり、七年以上もこんなところに繋ぎ止められている“先輩”に比べて、ゼロはたったの数日。
レヴィアタンの手引きがあったからとはいえ、早すぎると言われても仕方がない。

「悪いな、急用なんだ。それとも、寂しいのかい?」

「馬鹿言うんじゃあねえよ、テメエ。身体を動かせたなら今すぐ噛み殺してらあ」

「ハハッ。元気のいいこって。……なんなら、あんたも一緒に行くかい?」

協力者がいるならそれに越したことはない。先日話した限りでは、なかなか物騒な性分のようだが、ここを出るくらいまではその力を借りれたら、事が楽に運ぶかもしれないとゼロは判断していた。
だが、てっきり喜んで話に飛びつくかと思いきや、“先輩”は「いいや」と首を横に振る。

「俺はここでいい。不満もねえしな」

「面白いことを言うな。“自由”が欲しくないのか?」

七年以上もこうして身動きがとれない牢屋の中で過ごしていたのだ。普通の感覚ならば外に出たいというのは当然の事のように思えた。
誰だって、身体の自由が効かないところに長年閉じ込められていては、精神的にも、肉体的にも負荷が来る。レプリロイドであるおかげか、人間ほどではないが、何の調整も受けない状態では身体の各部に支障が出るだろうし、人間に模して作られた精神プログラムならば尚更だ。
だが、“先輩”は何か引っかかりを覚えたように、「自由だって?」と問い返した。
それから、急に笑い声を上げ始めた。途中で、身体を揺らしたせいで首輪が作動したのか、笑い声を押し殺したが、それでも笑みを浮かべていた。

「テメエ、今“自由”といったか? おもしれえ! 俺なんかより全然おもしれえぜ!」

馬鹿にしたような言い方に、ゼロはムッとしたような表情で睨み返す。
それに気付き「わりい、わりい」と、未だ隠せない笑いを必死に抑えながら、謝罪の言葉を口にする。
しばらくして、落ち着くと、息を大きく一つ吐いて、再び口を開く。

「あんちゃんよぉ、ここの外を楽園とでも思ってるのかい?」

「……なに?」

「“自由”なんてもんが、本当にあると思ってるのか……って聞いてんだよぉ」

その問いに答えようとして、ゼロは言葉を見失った。
“先輩”の目は、軽い口調とは裏腹にどこかどす黒い闇を孕んでいるように見えた。
そして、それがこのネオ・アルカディアで生きてきたレプリロイドにとって特有の闇であることに、ゼロはすぐに気づいた。
そんな彼と、自分が知っているものの差。それはネオ・アルカディアという国についての――――いや、今の世界についての知識と経験だった。
ゼロが黙りこむのを見て、「俺にはな」と“先輩”は言葉を続けた。

「ここにいるのと、ここから外に出るのと、そう大差無いように感じられるのさ」

確かに、ヘルヘイムの牢屋内では少しの身動きも許されない。だがヘルヘイムの外に出てネオ・アルカディアの生活に戻ったとして、果たしてそこに“身動き”を赦される自由はあるのか。
ほんの少しの過失があれば――――いや、例え事実でなかろうと、ほんの少しの疑いを持たれれば、レプリロイドである限りあっという間に処分されてしまうような世界だ。
そこに戻ることを、果たして“自由”と呼んでいいものなのか。


「俺にとっちゃあ、ネオ・アルカディアという国自体が“死者の国”そのものだぜ」


拘束されて身動き一つも許されない監獄の中と、いつ処理されるかもわからない不安に駆られながら生きる監獄の外。
どちらにしろ、レプリロイドにとって地獄であることに変わりはない。そこに、“自由”などというものはどこにも存在しない。
どちらの生き方を取ろうとも、自我の尊厳を握りつぶされた己の身は、死者も同然の存在だといえよう。

生きるのが幸福か。死ぬのが幸福か――――大差ないのならば、そこは“死者の国”に違いない。



「だから、あんたはそうやって……抗うこともせずに屈服するわけか」

「………なに?」

ゼロの挑発的な言葉に、“先輩”は眉をひそめる。あからさまに不機嫌な表情を浮かべる“先輩”を無視して、ゼロは歩き出す。
レヴィアタンから渡されたメモリーカードを項のスロットに挿入し、位置情報を確認する。そして、その中に仕込まれた作戦を把握し、行動を開始する。

「あんたが言うことは分かる。――――確かにそうだ。この国には、俺達にとっての自由なんてもんはどこにもないんだろう」

ここは“死者の国”だ。
自由も安息もなく、まるで死んだように生きる者ばかりで溢れかえる“死者の国”だ。

「けどな。それなら尚更――――俺は行くぜ」

両腕のジェネレーターを作動させ、エネルギーを蓄える。久々の感触に身震いすらしてしまう。
その莫大なエネルギー量に驚き、“先輩”は思わず目を見張る。そこに立っているのが、自分の予想以上の男であることを確信した。
首輪の作動による激痛も構わず、格子に体を寄せ、問いかける。

「何故だ? それが分かっていながら、何故テメエは行く?」

自由など無いというのに。幸福もありはしないのに。それを全て理解しているというのに。
それでも抗う理由は何だ。それでも突き進む理由は何だ。
“先輩”の問いかけに、ゼロは不敵な笑みを浮かべる。

「『何故』――――か? 簡単なことさ。……それでも生きようと“藻掻く奴ら”のために――――」

煌々と輝きを放つ両腕を振り上げ、その力を解き放つ。







「――――その辛気臭い“死者の国”を ブ チ 壊 す た め さ ! 」






咆哮とともに解き放たれたアースクラッシュの輝きが、ヘルヘイムの床を大きく吹き飛ばした。




















 NEXT STAGE











         乱戦四重奏

























喧しいサイレンが鳴り響き、ヘルヘイム中に異変を知らせる。数分もすれば警備兵が駆けつけるだろう。
そのサイレンに負けじと大声で、“先輩”は笑い声を上げる。

「おもしれぇ! おもしれぇぞ、あんちゃん! そこまで思い切りのいい奴ぁ大好きだぜ!」

首輪の機能にあてられてフラつきながら、ゼロの方へと視線を向ける。

「テメエの名前は?」

「……紅いイレギュラー、ゼロだ」

“先輩”は名前を聞き、納得した。
成程、聞いたことがある名前だ。只者ではないと思ったが、まさか百年前に活躍した伝説の英雄とは。
どんな事情でここに来たのかは知らないが、この男がこれから何をしようというのか、大いに楽しみになった。

「覚えておくぜ、あんちゃん。いや、ゼロ――――伝説の英雄様よぉ」

「そういうあんたは何者だい? ミュートスレプリロイドさんよ」

自分の名を言っていなかったことをすっかり忘れていた“先輩”は「おっといけねえ」と言葉を返す。

「俺様の名はフェンリー・ルナエッジ。――――テメエの活躍、期待してるぜぇ」

「いい報せを待ってな、“先輩”。あばよ」

そう言って、ゼロは自分が空けた大穴へと飛び込んでいった。
出ると言いながら深部へ向かったことには引っかかることもあったが、ルナエッジはそれ以上に、ゼロという男について強い興味を抱いた。

「……ああいう奴がいるなら、シャバも悪くねえ」

そう言って身動きを止めると、体勢を整え、瞼を閉じた。首輪の機能が静まったことを確認すると、それから長いこと放っておいた体の様子を、セルフチェックし始める。
そしていつの日か、あの男と殺しあう時のことを思い、妄想を広げるのだった。








































[34283] 31st STAGE 「乱戦四重奏」
Name: 村岡凡斎◆45ff140f ID:51a44e71
Date: 2013/08/03 00:49


  ―――― * * * ――――


この数日間――――祝福の花火とともに迎える夜の締めから、管弦楽団による明け方の演奏まで――――六時間程度しか休みをとらなかったパレードは、ある日の昼頃、突如としてその動きを止めた。
開催側もあまり状況を掴めていないのか、お詫びのアナウンスも納得の行く説明ができず、人々は不審に思いざわめき出す。

「おい……いったいどういうことだ!?」

運営スタッフの一人が移動式ステージの裏で声を荒げる。しかし、明確な答えを持っている者は誰一人としておらず、困惑の波紋は広がるばかりだ。

「なんでもユグドラシルでトラブルが起きたって聞いたぞ!?」

「ユグドラシルで!? トラブル!? 馬鹿言うな! 救世主の膝下だぞ!?」

「落ち着け! 状況確認中だかで、情報局の方からもまともな回答が得られないんだ!」

「大事な式典前だぞ!? こんなところで足踏みしていていいのか!?」

「なんでもいいから早く情報を集めろ! 国内中に様子が放送されているんだぞ!」

慌てふためく声ばかりが運営スタッフたちの間で上がり、混乱は時が経つごとに一層の激しさを増してゆく。
移動式ステージを間近に臨める特設観客席。そこでパレードを観覧していた元老院議員たちも、ああだこうだと互いに推測を交わしたり、通信機でユグドラシルにいる部下とやり取りしたりと様々な動きを見せる。時に怒号すら聞こえてくるほどで一向に収まる気配を見せない。

「閣下! ヴィルヘルム閣下!」

側近のヘルゲが慌てたように駆け寄る。そして、何やら耳打ちをする。

「なん……だと……!?」

ヘルゲからもたらされた情報に対しヴィルヘルムは、まるで教科書通りといった表情と声色で、驚きを顕にした。

ああ、そうだ。全ては仕組んだ通り。
ここで右往左往している他の元老院議員たちに合わせて、事態に困惑してみせてはいるが、全ては計算にすぎない。
この混乱も予定通り。ユグドラシルで起きた、たった今ヘルゲがもたらした情報――――紅いイレギュラーの脱獄などは、自分の手の平の上で起きた茶番に過ぎず、同時に新たな歴史の扉が大きく開かれた合図であった。
予定通りであるならばこの後、紅いイレギュラーは、隠将によって仕組まれた電子麻薬に意識を操作されるままユグドラシル中を暴れ回り、ちょうど辿り着いていた移動式ステージ上に待機していたペガソルタによって、その首を獲られる。
そして、ヴィルヘルムが持つ最後のカードを切り――――革命は完了する。新たな英雄と、新たな支配者が誕生し、ネオ・アルカディアは真なる人類の楽園に生まれ変わるのだ。








――――そう、本当に予定通りならば。
何度となくシミュレーションしたシチュエーション――――それ故に、その時の表情は完璧な演技であった。誰もが同じように困惑しているのだと思い、誰一人として自分の腹の中を疑う者などいないだろうという最高のパフォーマンスを見せることができた。
そのせいで一瞬、自分の本当の感情を、自分自身が見失っていた。
そして、事態の意味をもう一度頭のなかで整理し、状況を精査し、ヴィルヘルムはそれからようやく、自分の本当の感情を表に出した。出してしまった。何よりも自然に。一つの演技も混じること無く。

紅いイレギュラーの脱走。それは、全て計画通り。――――その筈だった。






  「 早 す ぎ る ッ ! 」




ヴィルヘルムの口からは聞いたこともないような上ずった声に、ヘルゲだけが驚く。しかし、誰もが混乱の渦中にいたおかげで、他には誰一人として反応する者はいなかった。
ヴィルヘルムはヘルゲの前で平静を装おうとしたが、胸の中から突き上げてくるような困惑と驚愕の感情を抑えることが遂に出来なかった。

予定よりも一日だけ全てが早かった。
ほんの一日だけ。たった一日だけ。――――しかし、それは大きな“一日”。
その一日が意味するのは、計画の綻び。ユグドラシルで現在起きている、本当の意味での不測の事態。


――――ぬかったか、隠将!?


決して起こりうるはずのない事態に、ヴィルヘルムは他の元老院議員たち同様に、困惑の表情を浮かべながら右往左往することしかできなかった。




























 31st STAGE











         乱戦四重奏


























  ――――  1  ――――


「間違いありません! 紅いイレギュラーです!」

「馬鹿な! どこから現れた!?」

「監視映像を全て洗い出せ! それと、各階層の囚人達の状況を確認! 誰か手引きしたとも考えられる!」

「このヘルヘイムでいったい誰が!?」

「分かっていたら教えているッ!! いいからやれぇ!!」

ヘルヘイムの管制室内で怒号が飛び交う。
突如として第十階層で起きたトラブル、そして監視映像に現れた紅いイレギュラーの存在に、誰もが困惑を隠せずにいた。その混乱は、パレード関係者の比ではない。
直ぐ様セキュリティが反応し、待機していたパンテオン部隊が深部へと駆け下りてゆく。また、ガードシステムとして設置されていたメカニロイドも起動し始める。

「どうやら……監視映像にリアルタイムで上書きされていたようです……!」

ハッキングの痕跡を見つけたオペレーターの一人が、発見した事実を驚きと共に口にする。

「そんな芸当、いったい何処の誰がするというのだ!?」

「第十階層、一◯六三号の所在だけ確認できません!」

直ぐ様別のオペレーターが、囚人の状況を知らせる。
紅いイレギュラーが現れた階層の囚人が一人だけいないというのだ。たった一人だけ。
そこで一つの仮説に辿り着く。先日収監されたその囚人こそが紅いイレギュラーであり、そして何者かの手引きによってこのような脱獄劇に及んだ――――そう考えれば納得がいく筋書きとなる。

「誰が!? 何の為に!?」

「そんなこと考えている場合か! 国は記念パレード中だぞ!」

そう、今は百二十五年式典に向けた記念パレードが開催されている最中だ。この日のパレードもちょうど今頃開始されるところだろう。いや、それだけではない。明日にはパレードがここ、ユグドラシルへと戻ってくるのだ。万が一にも紅いイレギュラーが外へ出てしまえば……――――事態は想像に難くない。
なんとしてもここで食い止めなければ、国家の一大事となる。ヘルヘイム所長を務めるレプリロイド、トアレフは一際強く声を荒げる。

「絶対にここで仕留めろッ! ――――――――このヘルヘイムでッ!!」


















沈黙と暗闇に閉ざされていた監獄の中、赤いランプが絶え間なく点灯し、耳を劈くようなけたたましいサイレンが鳴り続ける。
ゼロは聴覚センサーの感度を僅かに落とし、レヴィアタンより渡されたマップデータを確認しながらヘルヘイム内を駆けまわる。
十一階層から下にはほとんど囚人の姿もなく、このような事態でなければ、ちょっとした幽霊屋敷のようにも思えたかもしれない。

不意に前方を塞ぐように現れたメカニロイドを、反射的にゼットセイバーで両断し、易易と通り過ぎる。
それを皮切りに、警備用メカニロイドの大群が押し寄せてくるが、ゼロは少しも怯むこと無く斬り捨てては進み、進んでは斬り捨てるというように、止まること無く深部へと向かってゆく。

第十二階層に降りたところで、警備用のパンテオン部隊が緊急用空間転移装置を利用して追いついてきた。
パンテオン・ガーディアンのスタンスティックを掻い潜り、一機、二機と腰から上を斬り落としていく。仲間の犠牲も省みないパンテオン・ハンターが放つエネルギー弾は空を切るだけで、ゼロの体を掠めることもなく、遂には接近を許し、こちらもあっという間に両断されてゆく。
すかさず殺気を察知したゼロは身を屈め、頭部めがけて振り回された二つの拳を躱し、その主へとゼットセイバーを振り切る。ウォーリアの強化版、フィストが右の強化アームでゼットセイバーを防ぎ、そのまま身を回転させるようにして跳びかかり、左の強化アームを勢い良く振り下ろす。
だが、既に地を蹴りその場から離れたゼロの体を捉えられず、代わりにその勢いに脚部バランサーがついていけず、体勢を崩してしまう。その隙を逃さず、鮮緑の刃が捉える。

両断され、左右に開いたフィストの体の合間から、凶悪な太い刺が付属された鉄球が勢い良く顔を見せる。
ゼロは間一髪のところで体を捩り、躱す。しかし、それを飛ばした主――――パンテオン・ハンマーは伸びきったチェーンをそのままに、左腕をゼロのいる方向へと振り切る。
鉄球は数体のパンテオンを餌食とし、鈍い音を放ちながらゼロの体へと襲いかかる。だが躱す他無いと思われたゼロは、何を思ったのか前進し、本体へと斬りかかる。パンテオンは慌てて右腕のシールドでセイバーの一撃を防ぎ、背中からゼロの体を砕こうと鉄球の繋がったチェーンを巻き戻しにかかる。が、それより早く、ゼロの腕はチェーンを握り締めるとそのまま力任せに振り回す。チェーンが僅かに巻き戻り調度良い長さになったおかげで、振り回された鉄球は本体が装備していたシールドを見事に砕いた。愕然とする暇も無く、パンテオンの頭部は光刃に斬り落とされる。

続々と現れるパンテオン部隊。だが、どれだけの攻勢をかけようとも、ゼロの勢いを抑えるだけの力は持ちあわせていない。
一機、また一機と斬り伏せられ、ゼロの手により道が切り開かれてゆく。

十二階層から階段を通じて、十三階層へと降り立ったゼロの前に、広大な空間が姿を現した。
これまで通った三つの階層とは明らかに異なる構造。その理由は、すぐに分かった。
ゼロを囲むようにして現れた三体のゴーレム。それぞれ異なる能力を持ったE、F、Iの三タイプ。いや、それだけではない。奥からは巨大な球体状の物体が向かってくる。他のメカニロイドに似ても似つかない、特別な形状に、このヘルヘイム専門の番兵に違いない。
成程、流石はヘルヘイムでもめったに使われることのない最終階層である。絶え間なく湧き出てくるパンテオンの軍勢と合わせ、敵の防衛網は完璧と見ていい。――――相手がただのイレギュラーであったならば。

「――――けどな、少々役者不足だ」

そう言って、ゼットセイバーの柄を握り直し、構える。

「俺を止めたいのなら、この十倍は持ってこい!」

左腕を直下に突き刺し、エネルギーを放つ。地面を大きく揺らし、四方八方に光弾が飛び散る。
後方から迫っていたパンテオン部隊の半数が破壊され、残りも視覚センサーに異常が出たのか、全うな行動ができないでいる。
ゼロが放った落鳳破のダメージを受けながらも、三体のゴーレムは電気、炎、氷を利用した三位一体の攻撃を仕掛けてくる。だが、高速で動くゼロを捉えることは出来ない。
ゴーレムの攻撃を縫って、ゼロは傷ついたゴーレムEのボディを駆け上がり、そのまま頭部を飛び越し、項に取り付く。ゼットセイバーの刃を最小に留め、コントロール系が集中しているであろう部分に突き刺さし、そこから力尽くで強引に体の向きを変える。
Eが放った攻撃は、体勢を変えられたせいでFに直撃し、致命傷を負わせる。Iがそれに反応し、E諸共ゼロを破壊しようと攻撃をかけるが、一瞬早く飛び退いたゼロは無事にやり過ごし、Eの体だけが無惨に数本の氷槍に貫かれた。
ゼロを見失ったIの頭部は、直上から真っ直ぐ貫かれ、直ぐ様機能を停止させる。

すかさずゼロはそこから飛び降りる。雷を帯びた三発のエネルギー弾がゴーレムIの頭部ユニットを胸部まで含めて完全に破壊した。
放った主の方へと視線を走らせる。刹那、大蛇の首が炎を吹き出し、ゼロの視界を奪う。火炎に追われるまま、ゼロはサイドステップで離脱を図る――――と、そこにも大蛇の首が大口を開けて待ち構えていた。
身の丈ほどある牙を力づくで地面に押し込め、その反動を利用して飛び上がる。巨大な球体状の物体から、八つの頭部が長い首をうねうねと揺らして、コチラを睨んでいた。
大型メカニロイド――――ガード・オロティック。ヘルヘイム最終階層の門番として立ちはだかる彼の、本来の役目は、この階層から脱走しようとするイレギュラーがいた場合の処分だ――――と、誰もが思うだろう。しかし、事実は少々異なる。


レヴィアタンから入手した情報には、このヘルヘイムの真実が明確に記されていた。

イレギュラー戦争の折、各国の主要都市に作られた特殊シェルターの一つ――――それがこのヘルヘイムの正体である。
その頑強さから完全無欠の監獄として作り変えられたヘルヘイムだが、その最深部である第十三階層の役目は、元のソレそのままの、即ち緊急時の“政府要人用シェルター”であった。
無論、それほどの緊急事態に陥ることもなかった――――大反乱の時ですら“緊急事態”に含まない――――この百年間では、全くと言っていいほど利用されてはいない。
故に、十数年前に番兵として配置された一つの実験兵器が新機能の追加を繰り返し、代を重ねるごとに強化されていったのが、このガード・オロティックなのだ。
実際のところ、彼にとってこれは初陣といっていい。なにせ百年もの間敵の侵入も、脱獄者も現れなかった空間だ。しかし、それでも十分な戦闘力を保っていられるのは、度重なる強化と、絶えず行われてきた各部チェック、そして前線の兵士たちの戦闘データフィードバックのお陰だろう。
いや、それを差し引いたとしても、ガード・オロティックは十分な戦闘力を保持していた。


赤首の頭部は火炎を放ち、緑首の頭部は雷撃を放ち、青首の頭部は冷気を放ち、黄首の頭部は標的を噛み砕こうと大口を開けて飛びかかる。
各二本ずつ、計八本の首が絶え間ないコンビネーション攻撃を仕掛け続ける。管制コンピューターが優秀なのだろう、その攻撃に無駄は感じられない。
その性能に、内心で素直に賛辞を送る。“番兵”としては申し分ない能力であるのは間違いない。

――――だが、そこまでだ

達人でも見逃しかねないだろう一瞬とも言える隙を、ゼロは見つけ、コンマ数秒の間隙を縫って、一直線に刃を振りぬく。
自身が放射した火炎でゼロを見失った赤首が一つ、力なく斬り倒される。
そこからオロティックの戦闘パターンに乱れが生じ始める。

「ヤマタノオロチって奴だろう?」

ガード・オロティックのモチーフ――――とある東の島国で言い伝えられた伝説の大蛇。
狂ったパターンを修正できなかったのか、ゼロの動きに翻弄されたのか、緑首が放つ雷撃弾が青首に直撃する。その隙に、ゼロは黄首をまた一つ斬り落とす。

「確か、酒で酔わされるんだったな。喜べ……――――」

どれだけパターンが乱れようと、八つの首が必死にゼロの侵攻を防ごうとした部分がある。それは、中心の球体部分。八つの首を統制する、言わば核。そこに飛び込み、ゼットセイバーを一息で突き立てる。と、直ぐに抜き出し、左腕に戻す。その間、既にトドメの用意はできていた。


「極上のやつを く れ て や る !!」


抉じ開けた割れ目に左腕を突き刺し、エネルギーを放つ。
アースクラッシュのエネルギーが全身に駆け巡り、隙間から光が溢れ、亀裂が広がっていく。
それから程なく、残りの首が悲鳴にも似た咆哮を上げ、遂にガード・オロティックの身体は爆散した。













ほぼ無傷で敵の大軍を捌き切ったゼロは、そのまま奥へと駆け出す。
マップデータに記された目的地へと走り、辿り着いたポイントで足を止める。そして、扉の作りを何度も確認した。
脇に取り付けられている入力機に指を当てる。ここでもまた、レヴィアタンから渡された二十四桁のパスワードデータが役に立つ。
全ての数字を一つの打ち間違えもなく入れ終えると、一度だけブザー音が響き、それから程なくして目の前の扉――――特別監房の入り口が両側に開いた。


その内装に、これまでの牢屋とは似ても似つかないその監房の作りに、一瞬呆気にとられる。
ヴィルヘルムの屋敷と遜色ない作りのリビングルームが、そこに設えられてあった。成程、確かにここは“政府要人用シェルター”なのだろう。
そして、その視線は直ぐに、一人の少女を捉える。この一ヶ月ほど、一度も顔を合わせることのなかった、彼女の顔を。

「………ゼロ!」

少女の顔を見て、言葉を失っていたゼロの腰に、横から別の誰かが抱きついてくる。
突然の不意打ちに驚きながら、その“誰か”の顔を確認する。と、ゼロの内心は更に驚かされてしまう。

「アルエット!? お前、どうしてここに!?」

ヴィルヘルムの屋敷で意識を失い別れてから、その安否が分からないままだった彼女が、そこにいた。
どうしてこの場所にいるのか知れないが、何にしても無事で良かったと、思わずその頭をクシャクシャと撫でてあげた。
それから再び、部屋の中央で立ち尽くしている少女に視線を戻す。
いつもはエルピスが専用に用意したピンク色の団服を纏っていた彼女だったが、この時は白いワンピースに身を包み、レジスタンス組織の一員であるなどと誰も思わないような平凡な少女らしい格好をしていた。
手をついているテーブルには小さめのティーカップが二つ置かれていて、まだ淹れたばかりだったのか、湯気がゆらゆらと浮かんでいる。
部屋の隅には木製の衣装箪笥や本棚が並び、それらからまともな生活感を感じることができて、ゼロはホッと胸を撫で下ろした。

「どうやら、元気でやってたみたいだな」

「……どう……して?」

少女は驚きというよりも、戸惑いの表情を浮かべていた。
瞳を潤ませながら、彼の顔をジッと見つめて、どう言うべきかわからないという表情で、唇を震わせる。

「……どうして……ここにいるの……? 私……てっきりもう……」

「『会えない』と思ったか?」

――――それとも、『帰れないと思った』と言った方が正しいか。
それは単に、物理的な事実を理由とするだけではなかった。
無謀な判断で基地を飛び出し、挙句ゼロたちを危機に晒したのだ。皆に迷惑を掛けたと、ずっと悩んでいたに違いない。
そこまでしても、結局何も変えられず、ただ囚われてしまっただけ。会わせる顔も何もあったものではない。

それでも、彼は来てくれた。自分の危険も省みず、こうして自分の元へと来てくれたのだ。

だが、だからこそどうすればいいのか分からない。
まだ自分は役目を終えていないし、何より、言えないことが、言えなかったことが、言わなければいけないことが胸の奥で渦巻いている。
贖罪は終わっていない。罪は罪のまま、少女の心を締め付け続けている。
そんな状況で、どうして彼に面と向かって笑顔を見せることができよう。「ありがとう」と返事をして、その胸に飛び込み、「共に帰ろう」と言うことが出来るだろうか。

「ま、説教は後だ」

けれどそんな不安も、戸惑いも、困惑も、自責の念も、彼の微笑みと彼が差し出した、優しくも力強い掌の前にいとも容易く掻き消されてしまった。




「帰るぞ、小娘。――――俺達の“家”に」




じんと胸に染み込む温もりをぐっと心で噛み締める。
それから、小娘――――シエルは潤んだ瞳のまま、嬉しさと愛おしさに頬を紅潮させながら、微笑み返す。



「うん!」



元気よく答えると、ポニーテールを可愛らしく揺らしながら、シエルはゼロの手を強く握り返した。






















「戦時特例第三◯八号発令! 全囚人を解放しろ!」

「しかし! トアレフ所長! それは――――……!」

「Sランクイレギュラーの侵入だぞ! 条件は満たしている、問題ない! 何かあれば責任は俺がとる! ――――これ以上何か起こるもんならな!」

抑えようとする部下に向かって、トアレフは語気を強めて言い返す。
それから、マイクを握りしめ、全階層に向けて所内放送をかけた。

「全囚人に伝える! 紅いイレギュラーを仕留めろ! 金髪に紅いコートの奴だ! Sランク指定を受けた稀代の反逆者だ!」

囚人たちは機能を停止した首輪を確認して、放送に耳を傾ける。

「討ち取った者、それに協力した者は、勲章どころではない! 漏れ無くネオ・アルカディアの英雄と称えられ、真の自由が得られる! 繰り返す! 紅いイレギュラーを仕留めろ!」

それから一際大きな声で、喉を掠れさせながら、トアレフはマイクに向かって叫んだ。

「自由が欲しい奴は、紅いイレギュラーを討ち取れぇッ!!」

一斉に牢屋が開放されると、ほぼ全ての囚人たちが自由を求めて飛び出した。












































  ―――― * * * ――――


ゼロがヘルヘイムで行動を開始してから一時間以上経過した頃、ネオ・アルカディア各地にはユグドラシルでテロが起こったと報じられた。加えて、残存している守備隊が機能し、鎮圧の方向に向かっているとも伝えられ、パレードも安全を確保した後再開することが告げられた。
だが、事実は大きく違う。政府関係者達は、ヘルヘイムに紅いイレギュラーが侵入したことを伝え聞き、その対応について国民の目の届かぬところで右往左往していた。

「四天王はどうした!?」

「賢将のみユグドラシルにて謹慎中! 闘将は前線! 妖将はマドラヌ峠の研究所へ実験機の評価試験に! 隠将は……分かりません!」

「おい! メガロポリス内で爆破テロが起きたと聞いたぞ! 本当か!?」

「クソッ! この一大事に何をッ!」

「現在、トアレフ所長が戦時特例三◯八号を発令、ヘルヘイム内の囚人を解放! 紅いイレギュラー討伐に向かわせたようです!」

「囚人共だぞ! 言うことを素直に聞くのか!!」

「そんなことを言っている場合ではない! 残存兵力も含め、戦闘用レプリロイドをかき集めるだけ集めろ! 敵はあの“紅いイレギュラー”だぞ!」

「十七部隊を呼び戻せ! 早急に!」

「各街に配置した飛行モニターの映像、途絶えました!」

「ダメです! 国外との通信が繋がりません!」

「大規模なジャミング攻撃だ! 敵は紅いイレギュラーだけではない!」

「そんな情報が何処から入った!? 皆冷静になれ!!」

錯綜する情報群。舞台裏で発火した混乱の炎はまるで鎮まる様子を見せず、激しく音を立てて燃え盛っているのが分かる。

「閣下! 我々に出撃命令を!」

ヴィルヘルムの元へとペガソルタが一目散に駆けより、膝を地につけてそう進言する。
だが、ヴィルヘルムは「駄目だ」と声を荒げる。

「ペガソルタ、貴様は絶対に行ってはならぬ!」

「何ゆえ! このような国家の窮地において聖騎士団たる我らが二の足を踏んでいては、騎士の名折れ! 何卒出撃のご許可を!!」

「ならぬものはならぬッ!! 貴様らはここにいて、パレード周辺の警備に務めよッ!」

――――これだから直情型の無能はッ!

内心で毒づきながらも、ヴィルヘルムは計算を怠らず、その上でペガソルタに待機を命じた。
マゴテスが折れ、クラフトの利用価値が暴落し、紅いイレギュラーとの交渉が決裂した今、自身に残る手駒は隠将と、眼の前にいるペガソルタ・エクレールのみ。いや、隠将ですら今回の失態で不安要因と成り下がってしまった。
だからこそ、ペガソルタを失う訳にはいかない。
今ペガソルタが紅いイレギュラーと交戦すれば、間違いなく敗北する。無理もない。優雅さだけを追求した碌な練度もない“自称”騎士が、一騎当千の腕で百戦錬磨の破壊神に敵うわけもない。
となれば、いったいどのようにして人々の心を掌握できようか。英雄も救世主も座から引きずり下ろした後、人心を支える新たな英雄を、他に用意できようか。
当初の予定に盛り込んでいた出来レースでも組まない限り、その英雄もつくり上げることはできない。それが崩れた今、ここで醜態を晒すような事態を起こす訳にはいかない。これ以上紅いイレギュラーの力を知らしめてはいけない。

「閣下ッ!」

「ならぬと言うておろうッ!」

間抜けのようなイタチごっこを続けるまま、着々と時は過ぎていった。





















  ――――  2  ――――


所内放送を耳にしたゼロは、レヴィアタンから受け取った作戦計画データに感心する。ここまでは僅かな誤差はあれど、敵の動きはほぼ予定通りに進行している。
つまり、賭けとも取れる戦時特例三◯八号の発令も、彼女――――そして、そのバッグにいる“何者か”には予想の範疇だったというのだ。
しかし、問題はここからである。シエルのみならず、アルエットまでもが傍にいるこの状況。ゼロ一人で全ての囚人をやり過ごし、監獄から脱出しなければならない。無論、二人も無事に――――だ。

アルエットの手を引き、走るシエル。しかし、二人の歩幅はゼロに比べれば遥かに小さく、おかげで敵の準備が整うのを許してしまう。
第九階層まで辿り着いた頃、既にそこには、手柄に飢えた囚人たちが万全の状態で待ち構えていた。

「紅いイレギュラー――――ってのは、アイツか?」

「紅いコートに金髪! 間違いねえ!」

「軍の資料で見た通りだな」

様子見しようと誰もが慎重に距離を測る中「手柄は俺のもんだァ!」と中の一人が勢いに任せて飛びかかってくる。と、ゼロはそれを軽く両断し、端に流す。――――それを開幕の合図として、皆一斉に襲い掛かって来た。

「小娘! 退がってろ!」

シエルはゼロに言われるまま、アルエットを抱き締め、その場に蹲るようにして身を屈めた。
ゼロは次々に殴りかかってくる囚人たちを、鮮やかな手並みで斬り捨ててゆく。

「畜生ッ! 手ぶらで敵うわけがねえ!」

幾人かの囚人は、その戦力差に絶望し、その場から逃れようとかけ出す。しかし階段の手前辺りで、鈍い悲鳴を上げて、皆その場に倒れこむ。監視映像を通じて、オペレーターが逃亡確認と判断を下すと共に、首輪の機能を再起動したのだ。
その様子を見た囚人たちは、逃れる術はないのだと思い知る。そして同時に、目の前にいる敵をたった一人排除すれば自分の身は助かるのだと、己に言い聞かせ、腹を括ってゼロに向かって突撃を掛け始める。
逃れることができないと知った囚人たちの形振り構わない攻撃は、後方にいるシエルとアルエットまでにも向けられる。ゼロは咄嗟に弾き、斬り伏せ、薙ぎ倒し、なんとかやり過ごそうとするが、おかげで防戦一方となり、先に進む道は開かない。

――――これじゃ……ジリ貧だ

とは言え、ここでアースクラッシュを使いすぎる訳にもいかない。ここから彼女たちを連れて逃げ出すのに、どれだけの戦闘が待ち受けているか。
普段攻略に向かう要塞などではない。この場所は敵の正に真っ只中――――中心地、本拠地の中の本拠地。敵がはびこる戦場を駆け回らねばならないのだ。
体力も、戦闘用のエネルギーも、無駄に消耗する訳にはいかない。
だが、その判断が祟ったのか、後方から二人の悲鳴が耳に刺さる。同時に、聞いたことのある高笑いが響き渡る。

「ゼロッ!」

「小娘!? ――――アルエット!!」

シエルの呼びかけに振り返ると、そこにアルエットの姿はない。――――いや、正確に言うと、シエルの傍にアルエットが立っていない。代わりにいるのは、下卑た笑みを浮かべる細身の男。その腕にはアルエットが抱きかかえられている。

「クククッ――――久しぶりだなあ、紅いイレギュラー……」

「お前は………!」

斜め後方から襲い掛かって来た別の囚人を切り捨てながら、その男の顔を睨む。
勿論、ゼロはその男のことを覚えている。自身の本陣へとゼロを招き入れ、ネオ・アルカディアと共謀して罠にはめようとした挙句、逆にゼロの策略によって第十七部隊の手で処分された“裏切り者”。

「マゴテス……何ヶ月ぶりだ?」

元イレギュラーハンター第弐部隊長にして、元レプリロイド解放議会軍総司令官、マゴテス。あの一件からヘルヘイム第十一階層に収容されていた彼の姿は、以前の知的さや高貴さはどこへやら、その表情は醜悪な憎しみに満ちていた。

「それ以上抵抗してみろ! このガキの首をポッキリやっちまうぞぉ!」

僅かに力んだ手に反応してアルエットが苦しそうな表情を浮かべると、シエルが悲鳴を上げる。「クソッ」とゼロはゼットセイバーを振る腕をピタリと止める。同時に、誰かの拳で強く頭部を殴りつけられた。
そのままその場に倒れこむゼロを見て、マゴテスは殊更嬉しそうな高笑いを上げる。

「クハハハハハハハハハ――――……!! 無様なもんだよなあ! 紅いイレギュラァアァアア!」

笑い声を上げたままマゴテスは腕に力を込める。アルエットは苦悶の表情を浮かべ、それを見てシエルは「やめてぇ!」と悲鳴を上げることしかできない。
ゼロもまたその場に倒れこんだま、睨みつけることしかできない。その横腹を、また他の囚人によって蹴り入れられる。
今の狂ったマゴテスではアルエットの人質としての価値も考えず殺しかねないと思えた。――――ならばどうする。いや、方法は一つだけだ。
この後の戦局にどう響くか分かったものではない。しかし、今やらねば救えるものも救えなくなる。ゼロは腹を括り、SYSTEM:ABSOLUTEの起動を決意する。

その瞬間だった――――………




「ハハハハハハハ――――……………は?」




突如現れた腕に力づくで握りしめられたマゴテスの肘は「バキッ」と鈍い音を立てて砕ける。
おかげでアルエットの首を握っていたマゴテスの手から力が抜け、アルエットの体がストンと落ちる。それを、現れた腕は素早くキャッチした。
マゴテスはまだ理解できていない様子で首を傾げている。他の囚人も、突然起きた不測の事態に呆然とする。

「…………なんだ貴さ…ッ!!!!!!」

高速の回し蹴り。マゴテスの顔面はそのまま壁面に叩きつけられる。その頭部はまるでスポンジのように潰れ、壁にはそこを中心にヒビが走る。

突然現れた男の、不穏な雰囲気に、誰もが息を呑む。赤く照らし続ける警告灯の明かりが、彼の不気味さを駆り立てる。
そして揺れる、メカニカルスコープの奥に輝く血色のレンズ。警告灯の影響か、同色であるそれは余計にドス黒く塗りつぶされたように見えて、仄かな輝きと相まってドロリとした黒血を連想させる。

呆気にとられて身動きを止めていた囚人たちの体を、鮮緑の刃が捉える。
既に起き上がっていたゼロは周囲の囚人たちを蹴散らし、シエルのもとに駆け寄る。そして、現れた男を見定めるように睨んだ。

「……誰だ……あんた……?」

ふと気づくと、その腕に抱きかかえられているアルエットの表情は平静そのものだった。そしてそのままジッと男の顔を斜め下から見つめている。
男は、一度アルエットの方へと視線を向ける。直後、グラっと体が揺れる。おそらく首輪が作動し始めたのだろう。――――が、それをゼロはゼットセイバーの切っ先で素早く破壊した。

「……あんたの名前は?」

敵ではない――――そう直感した。この男は何の見返りも考えず、アルエットを助けてくれたのだと、確信していた。
いや、それ以上に信用できたのは、彼の腕の中にいるアルエットの瞳だった。彼女のそれは、ゼロを見るのと大差ないほどに信頼の色を浮かべていた。
むしろ二人の間には、自分のあずかり知らぬ“何か”があるのかもしれないと思えた。それ故に、ゼロは好意的な声色で、問いかける。
やがて、現れた隻眼スコープの男は徐に口を開き、低くドスの利いた声で答える。

「……ヴォルク……――――――――ア・ヴォルク・エイヴァイラー……」

「変わった名前だな。まあ、いい――――」

ゼロはそのまま片手で「ヒョイ」とシエルを抱きかかえる。突然のことに、シエルは「ほヘッ?」と素っ頓狂な声を出しながら慌てたように体をよじるが、ゼロの意図を理解し、そのままゼロの首に腕を回し、大人しくしがみつく。
そしてゼロはヴォルクに背を向け、ゼットセイバーを構える。

「――――ここから出る。手伝ってくれ、ヴォルク」

「………………………」

ヴォルクもまたアルエットを抱きかかえたまま無言で頷く。そして二人同時に地を蹴り、呆然としたまま身動きを忘れていた囚人たちの中へ飛び込む。
次々と囚人たちを蹴散らしてゆく二人に、囚人たちは戦意を失ってゆく。遂には手柄欲しさに飛びかかる者もいなくなり、二人は残存している守備部隊のパンテオンを相手にだけ戦うような形になる。――――が、そこにも圧倒的な戦力差があった。
薙ぎ倒されてゆくパンテオン、現れるメカニロイドも虚しく破壊され、二人に増えた強力な抵抗者を止める術はなく、特殊監獄ヘルヘイムはその後、三十分程度で呆気無く突破されてしまった。




「囚人番号、第一○五三号! 何故貴様は動かなかった!?」

トアレフは怒号を飛ばす。第十階層に拘留されている第一○五三号――――フェンリー・ルナエッジは口を閉ざしたまま壁にもたれかかっている。
まるでトアレフの言葉など、そよ風程度にしか思っていないという表情だ。監視映像を通してそれを見たトアレフは悔しげに奥歯を噛み締めるが、それ以上の言葉を投げることは出来なかった。

分かっている。まともな戦闘になればトアレフなど、ルナエッジの足元にも――――いや、爪の先にすら及ばない。
現在抑えられているのはヘルヘイムという牢獄と、首輪のお陰だ。それ以外に彼を縛り付けられるものは何一つとしてありはしない。
首輪のシステムが稼働している間、ルナエッジは身動きがとれないのだ――――と分かっていても、近くに寄り、叱咤することもできない程度の度胸しか持ち合わせていないトアレフの言葉に、ルナエッジが耳を傾けないのは至極当然といってよかった。
そして、それら全てが理解できていても尚、まともに対峙することが出来ないほど、トアレフにとってルナエッジの存在は脅威であったのだ。

ルナエッジの方はといえば、眼前をあっという間に通り過ぎていったゼロたちの戦いを、何度も反芻して心を満たしながらも、昂ぶる感情を抑えることに努めていた。
「何故動かなかったのか」――――簡単なことだ。まだ自分は、敵として対峙するには万全でない。それだけだ。
かと言って、味方に回ることも勿体無い。奴にどんな理由があって、この世界がどういう状況なのか知らないが、どんな形であろうと必ず敵として立ち塞がって見せようと心に誓えた。
全ては最高の“自由”を堪能する為。

それを思えばこの拘束がこれからまた数日続こうが、数年続こうが、ルナエッジにはまるで大差のないことだった。











































  ―――― * * * ――――


突如として映像が途絶えたモニターに、十七部隊員たちは騒然とする。
それとほぼ同じ頃、本国から緊急通信が入ったが、こちらも何かしらの妨害を受けているらしく、まともに聞き取ることが出来なかった。
詳細はわからない。だが、本国――――それも中枢で、何か大きな事件が起きているだろうという推測は、ここにいる誰もができたことだった。

「他の部隊との通信は?」

「駄目だ。国内の部隊についてはどこに繋ごうとしてもまともな接続ができない」

隊員たちはこの異常事態に、ただ苦い顔をすることしか出来ず、歯痒い思いだけが募る。

「一部の班を本国に回してはどうだ?」

「空間転移装置も正常に作動するか分かったものじゃないぞ」

「ネオ・アルカディア近辺の戦略拠点を経由すればいい。そこまで飛んで、ライドチェイサーで移動すれば……」

どのような状況かわからないが、現地に足を踏み入れない限りは何も確証は持てない。それに、万が一のことが本国で起こっている場合、こんなところで謹慎命令を素直に守っていて良いとは思えない。
半数の隊員を基地に残し、十七部隊は現地に向かうことで意見がまとまり始めていた。――――が、そこにストップを掛けたのは他でもない、クラフトだった。

「元老院議長直々の謹慎命令だ。それを破るわけにはいかない」

「しかし、隊長!」

予想外のクラフトの制止に、隊員たちは色めき立つ。
しかし、クラフトはあくまでも冷静に「落ち着け」と言い放つ。

「考えても見ろ。本国には我々よりも大規模の戦闘部隊が残っている。イレギュラーハンター本隊に聖騎士団、それにラウンドナイツ。――――我々の力が必要とは思えん」

「隊長は、心配ではないのですか?」

マイアが問い詰める。だが、それについてもクラフトは冷静に説き伏せる。

「己の感情に任せて動くのは三流の仕事だ。状況をよく見定めずに行動すれば、“最悪”を招きかねん。もしもそれが大規模な陽動作戦で、他に狙いがあったならどうする?」

エネルゲン水晶鉱山の奪取か。秘密研究所の制圧か。他にある重要拠点の攻略か。
何れにしても、己の心配を満たすだけの理由で現地へと向かうのであれば、敵の思う壺となりかねない。
それならば、本国の兵力を信じて、この場で待機していたほうがいい。クラフトの言う通り、残存の兵力は――――例え聖騎士団が戦力として不相応であったとしても――――十分、対応に困らない数が残っているはずだ。
それに万が一、もしもそれで敵わない事件が起きたのであれば、おそらく十七部隊の面々が向かったところで、解決はできないだろう。

「我々の今の最善手は、本国からの報告を待ちつつ、他の警戒を怠らないことだ」

クラフトに説き伏せられる形で、その場は収まった。無論、一部(?)の者が「何故出撃せぬのか」と駄々を捏ね続けてはいたが。
その流れに、シメオンは少しだけ引っかかりを覚えた。

「妙に冷静ですね」

クラフトは「そうか?」とだけ首を傾げながら答えると、他の隊員たちに繰り返し待機を指示して自室に戻っていった。






















  ――――  3  ――――


ゼロがヘルヘイムを脱走した頃、メガロポリスでの問題はそれだけに留まっていなかった。

「爆破テロ!? 本当に起きていたのか!?」

「メガロポリス市庁舎が……。幸い、職員は式典に合わせた休暇で、被害者は出なかったと。どうも黒狼軍が関わっているという線が濃厚です」

「現在イレギュラーハンター第四部隊が鎮圧に向かっております」

思いもよらぬ報告を受け、元老院議員たちの動揺は激しくなる。
紅いイレギュラーの脱走のみならず、黒狼軍による爆破テロ。それに続くイレギュラー達の集団暴動。ユグドラシルないしメガロポリスは既に戦場と言ってよかった。
加えて何者かによる大規模ジャミング工作により、国内の無線通信はほとんど使用が制限されてしまい、現在は緊急用として地中に張り巡らされている特別有線回線だけが頼りとなっていた。
しかし、誰の企てによるものか、事態は更に悪化していく。

「ミズガルズ第九番区でイレギュラーの集団蜂起!?」

部下の報告に、一人の元老院議員が思わず大声で問い返す。誰もがそちらへ視線を向け、唖然となった。

「こちらも既にイレギュラーハンター第十二部隊が鎮圧に向かっております」

「対応が早いのはいいことだが……クソッ! いったいどうしてこう次から次へと!」

警備は万全だった筈だ。ミズガルズはともかくとしても、アースガルズ、特にメガロポリスでは外部から見知らぬレプリロイドの侵入を赦してもいない。だというのに、百歩譲ってミズガルズでのテロ事件は良しとして、何故国家の中枢都市にまでそのような事件が起きてしまったのか。
それも、事態がこれだけに収まるとは到底思えないほど矢継ぎ早に事件が起きている。今は、なんとかイレギュラーハンターたちが対応しているが、それも戦力的に絶対大丈夫だという保証は感じられない。

「謹慎中の賢将はどうした!?」

「メガロポリスでのテログループ鎮圧に向かっております!」

「何ゆえだ! 紅いイレギュラーを討伐せんのか!」

紅いイレギュラーが現れたという情報が、現地に謹慎されていた賢将ハルピュイアの耳に入っていないわけがない。

「それが……『紅いイレギュラーは人間に手を出していない』『直接的な害を為すテロの鎮圧こそが優先である』と……」

「日和った言い訳か! 役立たずめ!」

賢将という優れた戦力を紅いイレギュラーに当てることが出来れば、勝利をつかめずとも、ある程度の時間稼ぎは見込めたはずだ。その間に、事態を沈静化させていき、空いた戦力を紅いイレギュラーへの対応に向ければ、人類の脅威たる存在の一つを消すことが出来たはずだ。――――しかし、ハルピュイアはそんな元老院議員たちの思惑を大きく裏切り、他所に手を伸ばしてしまっている。
十七部隊を呼び戻そうにも、通信が繋がらない以上は諦める他無い。勿論、国内のイレギュラーハンターの働きは悪くないが、紅いイレギュラー相手に、彼らがどれだけの犠牲を払うのか、楽観視出来るほど盲目な者もここにはいなかった。
だが、その一方で自身の騎士たる聖騎士団を向かわせたいと思う者も、あまりいなかった。理由は言わずもがな、荒事で自分の大事な“装飾品”を傷を付けたくないがゆえのことだ。無論、異なる思惑を持つ者もいるが。

「ラウンドナイツを向かわせろ、早急に」

ヴィルヘルムが冷静に言い放つ。聖騎士団とは異なる、もう一つの騎士団。どちらかと言えば、能力的にコチラこそが最終防衛戦力として相応しいと言える。
元老院最高議長直々の出撃命令であれば、誰も異論がない。それから数分とかからずラウンドナイツはパレードの持ち場から華麗に舞い上がり、戦場に赴いていった。




「チッ……一番乗りは取られたか」

第四部隊がメガロポリスに入ったことを耳にしたカルメアが最初に口にしたのがそれだった。
不謹慎極まりないといえばそれまでだが、このような混乱した状況においてもそのように自分なりの平静を保っていられる彼女を、隊員たちが心強く感じているのもまた事実だった。

「おっさんの援護に向かうよ! ついてきな!」

二刀のビームサーベルの柄を手にし、女性のみで構成された己の部下に、カルメアは男顔負けの迫力で、吠えるように指示をする。
パレードの道筋から若干外れたエリアに配置されていた第十三部隊は、パレードの観衆保護よりも現場への急行が即時に伝えられていた。無論、同様の状況に置かれた部隊はいくつかある。
逆に、第一部隊などは観衆の保護を最優先としてその場に留められている上に、急造の対策本部として、諜報戦に秀でた第三部隊とともに現在の状況を逐次分析して、各隊に迅速な対応を指示する立場となっていた。

「十三部隊、第四部隊援護のため、メガロポリスへと急行!」

「ったく! こっちの指示も待たずに勝手なことを!」

――――が、そこは急造の対策本部。統率がまともに取れず、思い通りに動かぬ状況に、総指揮を取る立場に立たされたディックの苛立ちは募るばかりだった。
大規模ジャミングによりビーコンによる位置確認もままならず、各隊の配置は、時折入ってくる有線通信で確認し、マップ上に予測を立てる程度でしか確認ができず、作戦の難度を高めていた。

「第五部隊より通達! ミズガルズ第三番区で不審なレプリロイドの集団を発見! ――――……発砲された!?」

「イレギュラー認定を許可! 処分行動へ!」

「もう動いてます!」

「第六部隊、指示通り第十二部隊の援護にミズガルズ九番区へ移動中!」

「九番区の状況は!?」

「敵機残り僅か――――……今度は第七番区で暴動!」

「チィッ! 第六部隊は進路変更! 至急、七番区へ!」

刻一刻と変化する戦況。一瞬の判断ミスが国家の転覆へとつながる――――そう思えば、どれだけ不利な状況であっても躊躇の欠片もしている隙が見当たらない。
「分析班まだか!?」と副長代理が吠えるが、「やっています!」とだけ強く返されるのみで、欲しい情報は聞こえてこない。
敵の行動パターンを分析し、敵の狙い、次の行動を予測するのが分析班の仕事ではあるが、敵の出没地点に一貫性がまるで感じられず、行動予測は大きく遅れている。今わかっている事があるとすれば、ただ一点のみ――――――――

「間違いなく、メガロポリスでのテロが本命だ! 他に送れる部隊は!?」

外周を囲むミズガルズでの暴動事件が多発している分、イレギュラーハンターは中心部へ増援を送るのが困難となる。その意図は誰の目にも明らかだった。
そして、まるで示し合わせたかのように、突如として姿を現した紅いイレギュラーとの関連性に、誰もが注目していた。

「第九、第十四部隊はどうだ!?」

「第九部隊は現在、避難民の誘導を! 第十四部隊は……ミズガルズ三番区へ向かっています!」

「不審なイレギュラーの集団を見つけたと――――……交戦状態、入りました!」

苛立ちに耐え切れずに爪を噛みながら、ディックはマップ上に目を走らせ、再び配置の確認をする。

「……第十六部隊だ! 十六部隊をメガロポリスに向かわせるんだ!」

即座に判断し、怒鳴るように指示を飛ばす。






一方、第十二部隊の素早い対応により、ミズガルズ九番区の暴動は鎮圧へと向かっていた。幸い人間の死者を出すことなく戦いは終わり、今は避難誘導へと隊の任務は移行しつつあった。

「列を守って! 危ないですから走らないで!」

誘導指示を飛ばす声にも力が入る。混乱状態に陥った民衆を安全地帯へと導くのは、それほど簡単なことではない。
時折、興奮状態で暴れ出す人間を取り押さえにも入らねばならず、スムーズに作業が進んでいるとは言い難かった。

「チッ……めんどくせえ……」

民家の石段に腰掛けながらヨイトナは渋い顔でそう呟く。ふと、列に向かって近づく人影が目に入る。識別パターン――――レプリロイド。
突然飛びかかってきたそれに、列に並んでいた男は「なっ……なんだてめえ!」と叫び声をあげる。そして、レプリロイドの手に小型のエネルギーガンが握られているのに気づく。
「キャーッ」と近くにいた女性が劈くような悲鳴を上げる――――と、ほぼ同時に、身の丈を遥かに超える大剣が、レプリロイドの体を綺麗に両断した。

「たっ……隊長!」

離れていたヨイトナが駆け出すよりも遅くに反応した部下が、突如として起きた事態に狼狽えている。

「クソッ……ボサッと立ってるじゃんじゃねえ! 捌くぞ!」

脅しを含ませ一喝したヨイトナに、部下は「ハイッ!」と飛び上がるように返事を返し、色めき立つ人々へ「落ち着いてください」と声掛けに向かった。
暴動は鎮圧したとはいえ、どこに火種が燻っているかもわからない状況だ。少しの油断も見せてはいけない。ほんの少しでも気を抜いていたら、再び大事件に繋がっていたかもしれないのだ。

「しかし……これだけの事件……」

ヨイトナは再び石段に腰掛けると、眉間にシワを寄せ、虚空を睨むように考えこむ。
どうにもただのテロ事件ともとれない。無論、紅いイレギュラーの登場の時点で、“ただの”というには大きすぎるものとなったが、それでも話に聞く限りそこまでの損害は出ていない。
人々が動揺してしまうのは、八十年前の大反乱以来、国内では初めてと言っていいほどの規模で、レプリロイドの暴動が多発しているが故だ。その影響がどこまで及んでいるか、どれだけの犠牲者が出てしまったかが問題ではない。“起きてしまった”ことが彼らにとって問題なのだ。
しかし“起きてしまった”が、イレギュラーハンターの迅速な対応により、規模に比べて被害は最小限にとどまっていると見て良い。そう――――“その程度”に抑えられるテロ事件でしかない。が、“紅いイレギュラー”という唯一の不安要因が何かしら大きな陰謀のファクターではないかと疑ってしまう。
これが、何か大きな災厄の前触れなのではないかと……。

「……頭使うのは好きじゃねえんだ」

ゆっくりと腰を上げ、周囲の警戒をと歩き始める。
言葉通り正直、何かしら策を弄することも、物事の裏を読み取るのに頭を悩ませるのも得意ではないと、自覚していた。
そういう事は他のハンターやらお偉いさんやらに任せてしまえばいい。自分はもっとシンプルな作業に取り組むべきだ――――。







「ふむ……。第四部隊の救援――――か」

「ハッ。そのように指示が」

ケスバルから報告を受けたギールは自分の顎を親指で擦りながら思案顔を浮かべる。

「如何がいたしましたか?」

「確かユグドラシルには紅いイレギュラーが現れたのだったな」

「ええ」とケスバルが頷く。ギールはどうしたものかと考えこむ。彼にもまた、この一連の多発テロが不可解でならなかった。
イレギュラーハンターの警備が完全であったとは思っていない。事前の合同会議についても士気はそれほど高くなく、問題はいくつも考えることができた。――――だが、そこまで“ザル”だったとも思わない。それでもテロ事件がこれだけ多発しているのは、どうにも合点がいかなかった。
いや、百歩譲ってメガロポリスのテログループには出し抜かれてしまったと考えてもいい。しかし、他の事件はどれもミズガルズで発生しており、それはある意味予測の範疇であった。
国税を払い、国の最大限の保護を受けているアースガルズに比べ、ミズガルズという存在は政府からも軽視されている。中にはアースガルズのための“盾”とまで揶揄するものがいるほどだ。勿論、イレギュラーハンターにとっては皆守るべき人間であるので、軽視などしてはいない。パレードが通るアースガルズを中心に警備してはいたが、万が一に備えてミズガルズにもこうして迅速に対応できるよう準備はしてあった。それ故の今だ。
しかし加えて、紅いイレギュラーの登場というのが、ギールの疑念を駆り立てるのだ。
都合が良すぎる。これは間違いなく他の暴動、テログループと紅いイレギュラーの間に協力関係があると見ていい。――――それは誰の目にも明らかだ。
何より分からないのが、突如として中心区域であるユグドラシルに――――それも特殊監獄ヘルヘイムに現れたという点だ。
いつから潜伏していた? 侵入ルートは? 警備は感知しなかったのか? そもそも何が目的でそのような場所に現れたのか? ――――分からないことは募るばかりだ。

だが、ある一つの仮説を立てれば、ある程度のラインまでは納得ができる。

「ケスバル、指示通り向かう。――――が、急ぐ必要はない」

「ハッ。…………事態の動向を探りながら――――ですね」

ニヤリと笑ってそう返すケスバルに、ギールは「ほほう」と感心したように言う。
どうやら自分が気づくよりも早く、この男は気づいていたのだ。

「頭が回るな。貴様は私の下にいるよりも、隊を率いる地位に就いたほうが良いかもしれん」

「寂しいことを……」

「クックッ」と互いに、思わず溢れそうな笑い声をこらえる。
それからギールは姿勢をただし、メガロポリスの方角へと振り返る。ケスバルは他の部下たちに集合をかけると、指示を告げ、ギールの後について歩きはじめた。


「“ユダ”がいるぞ。おそらく、この国には」


紅いイレギュラーの侵入、潜伏を隠蔽し、各地のテロ、暴動事件を手引きした反逆者が。それもおそらく上位の立場で。
その狙いは分からないが、そう考えれば納得のいく事件となる。しかし――――“狙い”は分からない。

「どの方向へ行くか。我々イレギュラーハンターにとっても……ですね」

「何も悪いことばかりとは限らん。“時代の転換点”というのはな」

それが“凶”と出るのは、見定められなかった者にとってだけだ。それ故に視界を広げ、よく探らなければならない。事件の行く末を。早まってはならない、行動を。
悪を断じて、裁くことこそがギールにとっては正義であった。しかしその“正義”と“悪”は、時として角度を変え、もしかしたら容易にひっくり返るかもしれない代物だ。
それすらも分からぬまま動けば、きっとこの平穏の皮を被った乱世で生き残ることは不可能だろう。











































  ――――  4  ――――


パレード警護に主力部隊が回されていたおかげで、それほど苦労することなくメガロポリス市街地へと出ることができた。しかし、ようやく支度が整ったのか、敵の攻勢はまるでそのタイミングを待っていたかのように激化する。
ヒラヒラと舞い落ち始めた白雪の中、石畳で舗装された道を駆けながら、ゼロは時折路地から顔をのぞかせる警備兵にゼットセイバーで応戦する。後方からくるパンテオン部隊の追撃も留まる気配を見せず、足を止めて一息つく余裕など何処にも見当たらなかった。

「ゼロ! どうするの!?」

シエルは、抱えられたまま思わず耳元で問いかける。
実際、ヘルヘイムから出てからというもの、ゼロが手短に伝えた「ブロンクス区239-37」というメガロポリス内の住所以外は、今後のことを全く聞いていない。
だが、「舌噛むぞ、口閉じてろ!」と返されるだけで、明確な答えを何一つ得られなかった。
その瞬間、横道からパンテオンがスタンスティックを振り回して襲い掛かってくる。間一髪、ヴォルクの左足がその顔面を捉え、壁面に勢い良く叩きつけて行動不能にしたおかげで、シエルの頬は焼け焦げずに済んだ。
このように、ゼロ達には冷静に説明している暇すら無い。ほんの少しでもタイミングを間違えれば、横道からの狙撃で頭部を射抜かれてもおかしくはない状況だった。
しばらく駆け回っていると、その気配がまるでなかったはずが、突然敵の攻勢が止み始めた。何事かと不審に感じていると、不意に、アルエットの視線が不穏な影を捉える。そして徐に手を上げ、空中を指さす。

「あれは……!」

シエルは視線を向けると、思わず息を呑んだ。

「ラウンドナイツ!?」

フライナーユニットを標準装備し、単眼ではないバイザー型のアイカメラを装着した紫色のパンテオン――――通称「パンテオンエース」。「ラウンドナイツ」とは、ある物語に準えて用意された十二機のパンテオンエースによる特別部隊の名称だった。
一機ごとの戦闘力はミュトスレプリロイドに遠く及ばないが、十二機のチームワークにより実力を十二分以上に発揮して戦うのが彼らの戦闘スタイルだった。

「……厄介な連中が来やがったな」

「たかがパンテオン」というには、些か以上に高性能な彼らを前に、苦戦は必至であると直感した。おそらく彼らの邪魔になるまいと、他の部隊は手を引いたのだろう。
何より、フライナーユニットを用いた空中からの自在な攻撃軸が厄介極まりない。ゼロ一人ならともかく、ヴォルクは徒手空拳でしか戦う術を持っていない。どこかで武器が調達出来ればよかったのだが、“都合のいい敵”は現れてくれなかった。

「ヴォルク、アルエットを守ることだけに集中してくれ」

「…………言われずとも」

答えながら、左腕で抱えていたアルエットの頭部をさらに右腕でそっと包むように引き寄せる。ゼロはその様子を確認すると、一人で敵の攻勢を迎える覚悟を決めた。

「小娘、絶対に口開くなよ」

ゼロの言いつけを耳にし、ゼロの首元にしっかりと腕を回してしがみ付く。――――と、早速二機のパンテオンエースが斜め上空からゼロめがけて飛び込んでくる。
急速降下しながらのバスターショット連射。ゼロは咄嗟にその場から飛び退くが、迫ってきたうちの一機が即座にバスターのエネルギーを固定し、刃に変え、地面スレスレを這うようにして追撃をかけてくる。
ゼットセイバーの切っ先でその攻撃のベクトルを上手く流しながら、もう一機が間髪入れずに放ったエネルギー弾を、体を回転させるようにして素早く躱す。刹那、センサーが捉えた頭上からの敵に反応し、地を蹴り、横に飛び退く。
さらに三機のパンテオンエースがゼロに向かってバスターショットを連射する。弾幕の中を縫うように駆け回り、僅かに肩を焦がしながらもやり過ごす。一方で、前方を走るヴォルクが眉間に皺寄せながら足を止める。
加速して回り込んだ二機のパンテオンエース。バスターから形成したビームソードをこちらに向けて縦に、横に振り回す。ヴォルクは上体を振るようにして躱し、そのままアルエットを一旦足元に素早く下ろす。――――と、高く跳び上がり、パンテオンエースの頭部へと右腕を振り下ろす。
その視界の隅から、別のパンテオンエースが飛び蹴りを仕掛けてきたが、間一髪のところでゼロがその脚を膝から切断した。ヴォルクはその隙に再びアルエットを拾い上げると、敵が、負傷した者の離脱とともにタイミングよく上空から放ってきたバスターショットの弾幕を掻い潜り、路地を曲がる。
「目をッ!」とゼロが短くシエルの耳元で叫ぶ。その意図を汲み、咄嗟に瞼を閉じる。視界を包む暗闇ですら仄かに照らされたように感じられるほどの激しい閃光――――アースクラッシュが放たれる。
しかし、伴うはずの爆音もなく、おそらく簡易的な目眩まし程度にしか使わなかったのだろう。視覚センサーに起きた僅かな支障が治まると、ラウンドナイツはゼロたちを追って路地を曲がり、再び追撃を仕掛けてくる。

不利な状況において応急処置程度にしかならないその戦法から、シエルはゼロの思考を理解することができた。
ここは紛れもない市街地である。この首都に住む多くの市民は、現在行われている(筈だった)パレード観覧の為にほとんどが不在ではあるが、人が暮らし、生活を営んでいる場所なのだ。アースクラッシュの威力を全開で放てば、敵を葬るだけでなく、この市街地すら破壊してしまう。もしかしたら避難し切れなかった市民が犠牲になるかもしれない。――――それは、シエルたちが作り上げた白の団の戦い方では絶対にない。それを理解しているからこそ、ゼロは戦い方を著しくセーブせざるを得ないのだ。
だが、だからと言ってそれについてとやかく言うこともできない。何故ならシエルは、自分を今抱えながら命がけで戦っている英雄を信じると堅く決めていた。歯痒い想いは拭えないが、今はただ無事に切り抜けられることを祈るしか無い。そうして感じる無力さが、無意識のうちに心を締め付けた。

そうこうしているうちに、目的の住所が近づいていた。そこにいったい何が待ち受けているのか、ゼロ以外は誰も分かっていない状況ではあるが。
しかしパンテオンエースも、こちらの狙いが分かっていないながらも、ここが正念場と言わんばかりに攻勢を強める。特に、武器を持たないヴォルクを優先しているのがありありと分かる。ヒット・アンド・アウェイを繰り返すように、七体ほどのパンテオンエースが順繰りにエネルギーソードを携えて、飛びかかってくる。ゼロはそれらを弾きながら、時折リズムを変えてゼロ自身へと向けられる刃にも、瞬時に対処する。
だが、だんだんと動きに綻びが出始める。刃が体を掠める度合いは多くなっていき、ゼロの対処が間に合わず、ヴォルクが咄嗟の判断で無理やり体を捻らせて攻撃を躱すということも度々起こる。更に、空中から放たれるバスターショットの弾幕。直接攻撃に向かう前衛を的確に援護している。

これでも尚、仕留められないというのは、ネオ・アルカディア側から見れば、大したものと言っていい。だがラウンドナイツの方も、ゼロたちがそこまで周囲に被害を及ぼそうとしていないのを感じ取ったのか、即座に仕留めると言うよりは、時間をかけてでも確実に捉えようという戦法をとっているのは間違いなかった。
そしてそれは正しい方向性であったといえる。事実、ゼロの疲労は蓄積していき、遂にビームソードの刃がヴォルクの二の腕を、僅かだが、確かに斬りつけた。
「しまった」とゼロが顔を歪めると同時に、鮮血が飛び散る。ヴォルク自身の方は即座に痛覚を遮断したのかまるで平気な顔をしていた。だが、今こそ好機と、ラウンドナイツはヴォルクとゼロへ畳み掛けるように襲いかかる。



「ゼロさん! 伏せて!」



敵がこちらに攻撃を仕掛けようという一瞬――――狩人が獲物を仕留めようと意識を集中させた刹那、そのタイミングを突いた不意打ちは、容易に防げるものではなかった。
放たれた大型のロケット弾はゼロたちとラウンドナイツのちょうど間に割り込み、その弾頭を破裂させた。それとともに閃光と爆音が鳴り響き、直後、辺りは白煙で完全に覆われてしまった。
半径十数メートルに及ぶ白煙の中、聴覚、視覚センサーに異常を来たしたラウンドナイツはゼロ達を完全に見失い、その領域から離れるだけで精一杯だった。

「ゼロさん、無事ですか?」

そう言って肩を叩く男に、ゼロは「サンキュー」と返す。

「ナイスタイミングだ。助かったぜ、コルボー」

ゼロ達の窮地に現れたのは、レヴィアタンの屋敷で別れたままになっていたコルボーたち五人だった。いや、実際には五人だけではない。もう一人、見知らぬ男がそばに立っていた。
その見知らぬ男はゼロに向けて片手を差し出す。

「黒狼軍所属、カルト・デフェール。初めまして、紅いイレギュラー。伝説の英雄にお会いできて光栄です」

「……黒狼軍……か。協力に感謝する」

淡々と自己紹介をこなすカルトに、ゼロはそう答える。だが、相変わらず握手だけは応じなかった。
このような状況で呑気に自己紹介を交わす二人に「早く」とヘルマンが身振りを加えて急かす。

「煙幕が切れちまうぜ! 急げよ英雄!」

「元気そうで何よりだな、ヘルマン。勿論だ、エスケープと行こうぜ」

モクモクと視界を覆う白煙の中、先頭に立つジョナスに続いてその場から脱出し、ラウンドナイツの追撃を撒く。
やがて一行はメガロポリス内のとある家屋へと辿り着き、ようやく腰を落ち着かせることができた。











「“ガンマ”、傷の具合は?」

二人の仲間に肩を貸してもらい、ようやく立ち上がる片足のパンテオンエースに、リーダーである“アルファ”が問いかける。

「問題ない、リーダー。フライナーユニットのエネルギーさえ充填出来ればまだ戦える」

「ようやく刃を当てられたってのにな」

そう言いながら“ラムダ”がビームソードを素振りする。
ラウンドナイツには、通常のパンテオンにはあり得ない“意思”が備えられていた。特別な連携行動を強化するためとされ、その理由のみに特化しているせいか、あまり大きな個性はプログラミングされていない。

「仕方がない。まずは指揮所に戻り、状況の確認をとる。下手な動きをすれば、被害を拡大し兼ねないからな」

「リーダー、伝令がここに」

“イオタ”の声に振り返ると、一体のコンドロイドがそこに舞い降りた。嘴には古風な書簡を咥えている。
アルファはそれを手に取り広げると、素早く視線を走らせる。――――そこに書かれた指示に、それを下した名前に、言葉を失う。

「リーダー、何か?」

無言のままそれを仲間たちに回す。皆、アルファ同様に驚き、口を噤む。
今、このネオ・アルカディアで起きている非常事態の深刻さは理解しているつもりであった。しかし、ここに来て遂に“彼”が動くという。

「――――その書面に従い、“ゼータ”から“ミュー”は周辺に展開している警備隊に指示を。残りは私とともに残存する周辺住民の避難誘導をする」

「了解」と答え、アルファの支持に従って騎士たちは行動を始める。
その胸には、これから起こるであろう歴史的邂逅の瞬間への不安が、小さくも確かな影を落としていた。











































  ―――― * * * ――――


「お疲れ様です、ハル様」

側近としてハルピュイアのチェックを担当するリディアが労いの言葉をかける。あらかたテログループの鎮圧を終えると、ハルピュイアは他のレプリロイド同様、その場で簡易的な戦闘後メディカルチェックを受けていた。
メガロポリス市庁舎が破壊される事態となったが、幸いにも人的被害はほとんど無く、多発している他の事件と併せて、事態は終息に向かっていると見て良い。最も、本国でこれだけの規模の多発テロが起きたのだから、被害の程度にかかわらず、人々の精神的な影響は無視できまい。

「でも、本当によかったんですか?」

ソニックブレードの出力チェックも終え、身支度を完全に整えた所で、リディアが問いかける。「何がだ?」とまるで分からないというふうに問い返すと、リディアは「とぼけないでください」と不満気に言う。

「紅いイレギュラーですよ。ユグドラシルの方に現れたのでしょう?」

「ああ、それか」

気の無いような返事をしてから、「フウ」と一息つく。

「……これくらいは返しとかないとな。借りっぱなしは嫌なんだ」

白の団本拠地襲撃作戦ではファントムの奇襲から命を救われ、Dr. シエルの願いを聞き入れて救世主の元へと連れて行けば、何もできぬまま退室を命じられた挙句Dr. シエルを捕らえられ……。たった一度きり見逃した程度で返せる“借り”だとは思えないが、せめてこの時だけでもと思ってしまう。
もっとも、ゼロ達がネオ・アルカディアの国民たちに直接の被害をもたらすことはないというのは事実であるし、実際に脅威となりうるグループの鎮圧という、賢将としての責務はしっかりと果たしている筈だ。
だが、そうは言うものの、ハルピュイアの内心ではまだ葛藤が残っているのか、その表情は決して清々しいものではない。それを目にしたリディアは、呆れたような、それでいてどこか嬉しそうな微笑みを浮かべる。

「難しいものですね」

「ん……ああ、そうだな」

そんなやり取りをしていると、一体のコンドロイドが直ぐ側に舞い降りてくる。いや、一体だけではない。その場にいた各隊責任者それぞれの近くへ、嘴に書簡を咥えたコンドロイドが降りていくのが見える。
無線通信が遮断された今、各隊の通信はすべて地中の有線回線を通じて行われている。しかし、それとは別にこうしてコンドロイドでわざわざ何者かが連絡を寄越したということは余程の事情があるのだろう。
リディアはすぐさまその書簡を手にし、広げて斜め読みする。――――と、同時に言葉を失い、その場に固まってしまう。あまりに不穏な彼女の様子に「どうした?」と声をかけ、書簡を寄越すよう、手を差し出して促す。
「ハル……様」とハルピュイアの名を呼んだかと思えば固唾を飲み込む。受け取った書簡を読んだハルピュイアはリディアの心境を、完全に理解した。

「……………致し方あるまい……」

ハルピュイアは書簡を丁寧に折りたたむと、瞼を閉じて、まるで自分に言い聞かせるように呟く。
ああ、こればかりは仕方のない事だ。ここまでの事態が起きたのだ。何より、あの男がこの場にいるのだ。――――こうなることはむしろ必然とも言えよう。
自分たちにできることがあるとすれば、この書簡の指示に従い、付近住民の避難を徹底すること、ただそれだけだ。

「……リディア、各隊に指示を伝えてくれ」

「けど、ハル様……」

「戸惑った所で何も変わらない。あとはきっと――――“彼ら”が答えを出すだろう」

ユグドラシルの方角へと視線を向け、ハルピュイアはそう言い放った。























  ――――  5  ――――


ゼロがレヴィアタンの屋敷から出た後、コルボーたちは彼女の屋敷に軟禁される形となった。
寝食の自由を認められていただけでなく、その気になれば外出も出来る状態であった。だが、ネオ・アルカディア中心部においてゼロという最高戦力を欠いたまま、レジスタンスの構成員が出歩けば、どのような末路を辿るかは容易に想像できた。
身動きができないその状況に、次第に疲れてきたのか、最初の頃は悪態を吐いていたヘルマンも口を閉ざし、無言の日々が続いた。
そしてゼロとアルエットがいなくなってからおよそ五日後、記念パレードが開始された時、事態は急転する。

『あなた達を“処分”するわ』

屋敷に戻ってくるなり、レヴィアタンは唐突にそう言い放つ。
わけが分からず固まった一同。言葉の意味を何度も噛み締めた後、ヘルマンがようやく口を開く。

『テメエ! 約束が違うじゃあねえかァ!』

飛びかかろうとする彼を、ジョナスとコルボーが慌てて止める。戸惑っていたティナも、『なぜですか』とレヴィアタンへ問いかける。
『安全を保証する』と言った彼女の言葉に嘘はまるで感じられなかった。その時の雰囲気は確かに、妖将レヴィアタンという女性に対してのイメージを大きく覆すほどの親近感を感じられたくらいだ。
それなのに、なぜ今更その言葉を覆すのか。それも、ゼロと切り離されてから五日も経過した今となって。

『落ち着きなさい。別に、あなた達を今すぐ屑鉄に変えるつもりはないわ』

『……どういうことですか?』

ティナの問いかけに、レヴィアタンはマップ映像をその場に展開して説明する。

『アースガルズ第三エリアにあるスクラップ処理施設――――そこにあなた達を“投棄”するのよ』

『殺る気満々じゃん!』

レヴィアタンの言葉に反応して、今度はメナートが悲鳴のような叫びを上げる。
しかし、彼女の意味ありげな強調に、ティナとコルボーは引っかかりを覚えた。

『これから十数分後にパンテオン部隊がここに来て、あなた達を連行する。それに従いなさい』

『ふざけんな! 誰がテメエらの言いなりのまま終わってやるかよぉ!』

ジョナスを振り切り、殴りかかるヘルマン――――を、レヴィアタンは片手でいなし、そのまま体を一回転させて組み伏せる。
華奢な体躯の美女とは言え、妖将である彼女が、たかが非戦闘型レプリロイドに遅れを取ることなどありえない。その華麗な手並みに、彼女がその気になればここにいる五人を片手間で瞬殺できるのだと、皆、即座に思い出すことができた。
しかし、レヴィアタンは少しだけ低い声で、静かに言って聞かせる。

『大人しく言うとおりになさい――――無事にネオ・アルカディアを出たいのなら、ね』

その最後の言葉に、訳がわからないままではあるが、ようやくヘルマンも暴れるのをやめ、渋々ソファーに戻って座り込んだ。
不意に、恐る恐るではあるが、ティナが再び問いかける。

『どうかしたんですか?』

『何が……?』

レヴィアタンの冷たい反応に、ティナは『いえ』と黙りこむ。その時の彼女の問いの意味が、コルボーにもなんとなくではあるが分かるような気がした。この日のレヴィアタンはどこか不機嫌そうに見えて仕方なかったのだ。
しかし、その真意を知るすべはなく、ただコルボーたちは口を閉ざし、“その時”が来るのを待つことにした。
それからは彼女の言うとおり、パンテオン部隊が現れ、五人はレヴィアタンが言っていたとおりアースガルズ第三エリアにあるスクラップ処理施設へと移送され、そのまま“投棄”された。










「そこで途方に暮れていたところ、カルトさんに出会って――――今に至るわけです」

スクラップ処理施設で出会った黒狼軍の幹部カルト・デフェールは、ゼロとシエルの現状を教えてくれただけでなく、それから三日後の今日、彼らの脱獄とそれを支援するための事件が複数引き起こされることについて説明をしてくれた。
そうした一連の流れがあり、今、こうしてここで合流できたというわけだ。
コルボーがひとしきり説明を終えると、「そうか」とだけゼロは返す。
レヴィアタンはどこまで知っていたのだろうか――――もしかしたら、彼女は“投棄”すること以降については何も知らされていなかったのかもしれない。そう考えれば、あの時、ゼロの元へ訪れた彼女の、浮かない表情の理由がほんの少しだけ分かるような気がした。

「一通り状況を確認した所で、今後の説明を致します」

そう言うとカルトは懐から一枚の紙を出す。そこには現在地の周辺地図と、今後進むべきいくつかのルートが示されていた。
緊急時、複数人で一度に情報を共有しようという時、こうしてアナログなものに頼った方が議論がスムーズに進むというのは、なかなか滑稽なものだなと、コルボーはぼんやり考えていた。

「今現在、このネオ・アルカディアで複数の下部組織がほぼ同時に行動を起こしています。勿論、イレギュラーハンターの戦闘力には遠く及びませんので、そろそろ事態は終息へと向かう頃でしょう」

ほぼ同時に起きたレプリロイドたちの集団蜂起によって容易に混乱状態へと陥った国内は、今度は戦後処理と、中断しているパレードの再開に追われるだろう。
激しい乱戦の後に訪れる平穏へと向かう、その意識の間隙を狙い、ネオ・アルカディアからの脱出を図るというのが、黒狼軍の作戦だった。


一行は三十分程度、その家屋で時間を潰した後、行動を再開した。
裏口から細い路地へと出て、灰色の空の下、薄い雪に覆われた道を慎重に歩き出す。作業服姿のコルボーたちに比べて、ゼロの紅いコートは視覚的に派手であるという理由から、土色のマントで身を隠すことになった。
裕福な住民が中心部へ移り、逆に貧しい者はミズガルズへと移り、そんな住民たちの移動の結果、この辺りはメガロポリスの中でも――――隠れて進むには持って来いの――――スラム街と化していた。
先頭はコルボーとカルト、その後ろにゼロがシエルを連れて続き、ティナ、メナートを挟む形で、アルエットとヴォルク、ヘルマンとジョナスが殿を務める。

カルトが言うには、ある人物とまた別の地点で合流する予定となっており、それから国外へと脱出する手筈となっているそうだ。とは言え、その人物が何者であるか、どのようにして脱出するかの詳細は全く教えてくれなかった。
信じて良いのか不安は尽きないが、これ以外の道がないことも確かで、カルトの言葉に従って動くしか無かった。

ふと、相変わらずヴォルクに抱えられたままのアルエットが口を開く。

「ここ……知ってる」

回りを見渡しながらつぶやくと、一旦瞼を閉じて記憶を呼び起こす。そして、再び目を開けると、ヴォルクの横顔をじっと見つめた。

「……なんだ?」

ぶっきらぼうに問いかけるヴォルクに、アルエットは「やっぱり、あなただよね?」と意味深な問いを返す。
アルエットの瞳を見つめ返すヴォルク。ああ、そうだ――――と心の中で答える。それが伝わったのか、アルエットは僅かに微笑む。

辛い記憶――――そう言えば、確かにそうなのだが。こうして運命的な再会を迎えた今、ただそう名付けるには惜しい記憶なのかもしれない。
鼻筋にそっと触れる雪の結晶が、じんわりと溶け込んでいくのを感じながら、そんなことを一人思っていた。




「……待て、おかしい」

十分に周囲を確認した後、廃れた民家の外壁に沿うようにして進んでいる途中、ゼロの一言に一行の足が止まる。

「何か?」

「あまりにも静かすぎる」

カルトの問いに、ゼロは素早く返す。
「それはそうだろう」とヘルマンが口を挟む。

「ここはほとんど空き家だぜ? うるせえ方が不気味だろうが」

「違う…………ここだけの話をしているんじゃない」

ゼロの言葉に「ハッ」として、カルトは聴覚センサーの感度を高める。
言われてみればその通りだ。“静かすぎる”。
別に、数キロ先の物音が聞こえるかどうかという話ではない。ある筈の、微弱な大気の震えすらほとんど無い。戦後処理が行われているであろう今、たとえ離れた場所でそれが行われているとしても、あまりにも周囲が無音すぎる。何一つ活動している気配を感じないのだ。

刹那、背筋を走る悪寒とともに、ゼロは背後へ振り返る。つられて皆、その方向へと首を向ける。
気づけば周囲は“濃霧”に包まれ始め、それとほぼ同時に、静かすぎた石造りの町に一人分の足音が確かに響いた。

「ぁ…………」

堪えきれず、コルボーは声を漏らす。そしてそのまま生唾を飲んでその場に固まる。ヘルマンも、ティナも……皆同様に動きを止める。
ゼロでさえ、呆気にとられたように、開いた口を閉ざすことも忘れて、ただじっと見つめていた。――――そこに、唐突に現れた“彼”のことを。

“霧”の中から現れた“彼”は、隠れ潜むこともせず、ただ真っ直ぐに、堂々と、道の中央を歩いてこちらへ近づいてくる。
白いワイシャツに青のジーンズ。平凡な服装だ。“彼”は誰よりも普通の格好だった。――――けれど、纏う空気は誰よりも歪で、誰よりも輝きを放っていた。


「どう……して…………?」


シエルは思わずそう零す。
そう、それは誰も予想だにしていない事態だった。誰かにこうして呆気無く見つかることも、何より“彼”がこの場に現れることも。誰にも考えられなかったことだ。
そんな風に言葉を失うシエルに向けて、“彼”は無言で、返事の代わりに微笑みを返す。そして、その横に立つ“友”を見つめる。





「やあ、久しぶりだね」





その言葉は、長い間別れたままになっていた最愛の友に向けた、簡素で、平凡で、そして何よりも感情的な一言だった。
それを受け取った“友”――――ゼロは、瞬時に駆け巡る己の感慨を、複雑な感情を、一緒くたに飲み込む。



――――この瞬間に臨んだ時、どうすべきか、ずっと考えていた。



けれど、頭でなく本能で。理性でなく感情で。ゼロは“彼”が纏った空気の内に、僅かに滲ませていた殺気を、鋭敏に感じ取り…………――――次の瞬間にはマントを脱ぎ捨て、ゼットセイバーを手に、素早く地を蹴り、一気に距離を詰めていた。
突然の衝突。唖然とする一同。だが、そんなゼロの行動を予期していたのか、“彼”はまるで微動だにせず、爽やかな笑みを浮かべたままその場に立っていた。
そして、鮮緑の刃が頭上に振り下ろされる寸前、“彼”は片腕を眼前に真っ直ぐ伸ばし、呟くように唱える。



「……アーマー解放―――― コード、“ ULTIMATE ”」



“霧”が突風に代わり、“彼”を中心に吹き荒れる。ゼットセイバーの刃はその突風の衝撃に弾かれ、ゼロ自身もまた後方に弾き飛ばされるが、辛うじて着地する。

突風の正体は、周囲に散りばめられたナノマシンの集約体であった。そして、それらは“彼”の体を包み込み、一つの鎧を形成していく。
やがて止んだ突風の中心で、稲光が放たれる。全てが収まった頃、“彼”は尚も微笑みを浮かべたままそこに立っていた。その身を包む“蒼”の鎧を輝かせながら。

脳裏に駆け巡る記憶の断片がゼロに、視界の中央に立つ“彼”が何者であるのか、強く訴えかける。
荒れ果てた街。幾体ものイレギュラーの残骸。同胞たちの亡骸の中、背中を合わせるもう一人の男。彼にとって一番の理解者。戦友にして親友。
顔だけはぼんやりと靄がかかって見えなかった――――が、今ではハッキリとそれを思い出すことができる。

怒りとも、憎しみとも、友愛とも、悲しみとも取れない複雑な感情を入り交じらせ、ゼロは“彼”の名を吠える。




 


       [―――― S Y S T E M :“ A B S O L U T E ” S T A N D B Y ――――]







閃光と衝撃の後、全身を漆黒に包まれながら、ゼロは再びゼットセイバーを手に地を蹴り、跳びかかる。
しかし、黒化したゼロの光速の一撃を、“彼”は正確なバスターショットで容易に跳ね除ける。

「……分かっていたよ、ゼロ。君がそうするのは」

“感動の再会”など、決して無いのだと理解していた。理由もなく。おそらく本能で。
返す刀で三度切りつけようとするゼロの腕を右腕で掴み、止める。

「でもね…………僕の邪魔をするのなら――――」

そして、どこか無邪気さを感じさせる笑みを浮かべながら“彼”――――ロックマンエックスは言い放つ。





「―――― 君でも殺すよ 」







かつての友を見つめる紅の瞳が、歪に煌めいた。





























 NEXT STAGE











       Red, White and Bullet Blues




























[34283] 32nd STAGE 「Red, White and Bullet Blues」
Name: 村岡凡斎◆45ff140f ID:e5a820fd
Date: 2013/09/18 14:58



  ――――  1  ――――


静寂の理由が分かった。
全ては“彼”の戦いに巻き込まれる者が出てこないようにするための措置。きっと、自分たちが隠れ潜んでいる間に、周囲の住民だけでなく、作戦に参加していた戦闘員のほとんどもこの場所から離れていったのだろう。
それ程までに、“彼”――――ロックマンエックスが放つ威圧感とエネルギー量は凄まじいものだった。

「哀しいよ、ゼロ。君が……そんな目で僕を見るなんて」

ゼロの腕を掴みあげたまま、エックスは無機質なリズムでそう囁くように言う。
そして頬を伝う一筋の滴。

「ご覧よ。哀しすぎて、僕は――――……」

皆、唖然として言葉を失う。
その瞳から流れているものは――――紛れも無い“涙”だった。
だが、それにも構わず、ゼロは雄叫びを上げながらエックスの腕をそのまま押し上げ、ゼットセイバーで斬りかかる。エックスはすかさず腕を離すと、セイバーの軌跡に合わせて体を回転させて躱し、正面に戻った所で躊躇いなくバスターを放つ。
ゼロはそれをセイバーで弾く――――つもりが、バスターショットの威力に押され、後方へ飛ばされる。
「ゼロッ!」と名を叫び駆け寄るシエルだったが、「退いてろ!」とだけ怒鳴り返される。

「あいつは俺が止める! ここで、絶対に!」

「待って、ゼロ! 落ち着いて!」

まるで話を聞こうとしないゼロ。その腕にしがみつくようにして引き止める。
だが、ゼロの瞳はシエルなど全く視界に入れず、ただ前だけを見ている。――――前に立ちはだかるロックマンエックスだけを。
そんな二人を眺め、エックスはポツリと零す。

「その様子…………やっぱり、何も聞いてないみたいだね」

顔を強張らせるシエルを一瞥し、「いいよ、その通りにするから」と不敵に笑う。
そんな不穏な様子を気に留めること無く、ゼロはまたしても斬りかかろうと構える。しかし、彼の動きを察知したシエルが眼前に飛び出る。

「ゼロ、お願いだから! 剣を収めて!」

「小娘! そこをどけ!」

両手を広げ、まるでエックスを庇うように立ちはだかるシエル。その光景に、皆驚きを隠せない。エックスですらも驚いたような顔をして「へえ」と声を漏らす。
ゼロは再三に渡ってその場を退くよう呼びかけるが、シエルは頑として動かない。それどころか、エックスに対しても声をかける。

「お願い、エックス! あなたもそのバスターを下ろして!」

「駄目だ、小娘! そいつに近寄るな!」

ゼロは一際声を荒げて言う。
己の記憶以上に、今現在の自分の直感を信じていた。――――エックスと呼ばれる男が放つ殺気と狂気は、尋常では決してない。
これまでに出逢ったどんな敵とも違う、何か大きなものを背負った男が放つ“オーラ”とでも言おうか。そういうものを放てる者は、並大抵のことで折れはしない。己の命の一片まで、如何なる手段を用いようとも、その行動を貫くに違いない。
そんなことを考えるゼロの意識の合間を縫って、エックスはシエルに近づき、肩に触れる。そして、屈託のない微笑みで、まるで極当たり前の挨拶を交わすような軽さで、爽やかに告げる。

「いいよ。その代わり、貴女には僕のもとに戻ってもらうけれどね」

シエルが息を呑み、言葉に詰まった瞬間――――黒い影が光速で駆け抜ける。
振りぬいた刃を、エックスは僅かに笑みを消して華麗に躱す。ゼロはそのまま追撃をかけること無く、シエルの体を抱き上げ、後方へと跳んで戻る。その様子を見て、エックスは「あーあ」と、まるでおもちゃを取り上げられた子供のような声を上げた。
そうこうしているうちに、五分間のタイムリミットが訪れる。何一つ有効打を与えることも出来ぬまま紅へと戻り、ゼロは思わず舌打ちする。それを見て「ハハッ」と面白いものを見たように笑いを零すエックス。

「勿体無いことしたね。それ、連続では使えないんでしょ?」

「ああ、その通りさ」と内心で毒づく。
ロックマンエックスが現在纏っているのはアルティメットアーマー――――その名の通り、彼が所持するアーマーの中でも“究極”と呼ぶに相応しい代物だ。その情報自体はゼロの頭には入っていなかったが、それでも僅かな遣り取りのうちに、その実力の程はしっかりと理解できた。
勝算は遥かに薄いが、ある程度の遣り取りはできるだろう。この場にいるのがゼロ一人であったならば。それくらいの自信はある。
だが、ここにはコルボーたちもいれば、シエルやアルエットもいる。いくらヴォルクやカルトが戦闘可能だとはいえ――――おまけに一人は殆ど丸腰の状態で――――どう考えてもゼロほどの戦闘能力を持っているとは思えない。それでは無論、ここにいる皆をカバーするのは不可能だ。
「どうする……?」と自問自答を繰り返すゼロ。その横に、一人の男がズイと進み出てくる。



「……キサマ……本当に“ロックマンエックス”か……?」



一瞬誰もが耳を疑った。ゼロの横に立つ男――――隻眼スコープのレプリロイド、ヴォルクの唐突な問いに。
当の本人であるエックスでさえも、質問の意味が取れなかったのか、呆けたように口を開け、まじまじとヴォルクを見つめている。やがて、問いの意味がわかったのか、エックスは「ああ」と声を漏らし、それから再び口元に笑みを浮かべる。

「誰、君?」

「……俺の質問に答えろ」

「誰…って聞いてるんだけど」

「……キサマこそ何者だ」

質問の応酬。ゼロたちは未だに理解できずに呆けたような顔でヴォルクを見ている。
やがて、呆れたようにエックスはため息を吐き、「仕方ないな」と呟く。

「無関係な人たちは逃がしてあげてもいいと思ってたんだけど……残念、君は殺そう」

そう、軽く言ってのけると、バスターを装備した左腕を自然な動きでまっすぐに向ける。そして、瞬間的にエネルギーを充填し――――……‥‥


「 伏 せ ろ ! 」


ゼロの合図で一斉に皆倒れこむようにしてその場に伏せる。その直後――――まさに間一髪のタイミングで――――エックスの向けたバスターの銃口から閃光が溢れたかと思うと、極大のエネルギー弾が一直線に放たれた。
衝撃波は突風を巻き起こし、周囲の建造物を幾つか瓦解させ、ゼロたちの背後にあった家屋が二、三件ほど消滅した。

「クソッ! 何が『逃がしてあげてもいい』だ!」

巻き起こる砂埃の中、咳き込みながらヘルマンが怒鳴る。
エックスの口ぶりではまるでヴォルクだけを殺そうとしたようだったが、彼のバスターの威力は漏らさず周囲に被害をもたらした。一瞬でも動作が遅ければ、ヘルマンたちもバスターの輝きに呆気無く命を散らしていただろう。

「……ヴォルクはッ!?」

ゼロが「ハッ」と顔を上げる――――と、砂埃に紛れてエックスの傍に飛び込み、その眼前に拳を振るう姿が見える。だが、その腕をエックスは軽々と見切って掴み上げる。
「ざんねん」と笑いながら銃口をヴォルクの胸部に突きつける。と、ほぼ同時に、エックスの頭上に影が落ちる。
咄嗟にヴォルクから体を離し、ゼロが放つ氷烈斬の軌道を読んで躱す。そうして丁度、氷柱と化したゼットセイバーが大地に突き刺さるタイミングで、ヴォルクはゼロの身体を避け、エックスの後方へと瞬時に回り込み、後ろ回し蹴りを放つ。が、ギリギリのところでエックスは身を屈めて躱し、次いで振り切られるゼットセイバーの刃を横へ飛び退くようにして躱す。
それから瞬時に放たれる二撃のバスターショットを、ゼロとヴォルクは辛うじて躱し、やむを得ず後方へと引き下がる。

「何をやってる! 丸腰じゃ無茶だ!」

「……俺に指図をするな」

見事なコンビネーション攻撃の後に交わされる二人の刺々しい遣り取りに、「この状況で仲間割れ?」とエックスは呆れたように笑う。

「お願い、やめてゼロ!」

引き止めるティナの腕を振りほどこうと藻掻きながら、シエルは尚も叫ぶ。

「私、言ったはずよ! エックスのことも――――……」

「分かってる! しかし、“だからこそ”だ!」

少女と交わした一つの約束――――道を違えた救世主も救うという、使命。それを忘れたつもりはない。
しかしだからこそ、それを達成するためには今ここでロックマンエックスの“牙”を折らなければならない。
でなければ、どうやって言い聞かせるというのだ。どうやって道を正すのか。ともすればここにいる全てを灰に変えかねない程の狂気を纏ったこの救世主を。
引けない、絶対に。ここで終わらせることが出来るのならば、尚更だ。

「それに……俺は――――お前に聞きたいことが山ほどある!」

エックスに向けて怒鳴るように声を放つ。
砂漠の砂を苦渋とともに噛み締めながら、胸の奥に渦巻き続けた“この世界”への憤り。その“答え”が欲しかった。
それだけじゃない。言葉で言い表せないほどの、多くの問いが心の底から溢れ続けて……正気でいられない程だった。
だが、エックスはそんなゼロの言葉を嘲笑と共に切って捨てた。


「僕には無いよ。さよなら、ゼロ」


無情な一言と共にかつての友へバスターの銃口を向け、再びエネルギーを充填する。
そして、先ほどと何ら変わらず、ただ笑みを浮かべたまま、その破滅的な力を放った――――……‥‥















――――刹那、建造物の瓦礫と共に、砂塵を伴い現れた巨大な拳が、エックスの頬を捉える。そしてチャージショットを放つ暇なくエックスの身体は宙を舞い、反対側の家屋へとまるでロケットのように勢い良く突っ込んでいった。
行き場をなくしたバスターのエネルギーは天に向けて放たれた。まるで打ち上げ花火のように。

「な……ッ」

突然の出来事に思考が追いつかない者達の中、ゼロは驚きとともに言葉を漏らす。そして同時に放たれた煙幕の中、黒い影がゆらりと揺れているのを視界に捉えた。
二メートルは軽くあるだろう熊のような巨体に、狼のような頭部――――漆黒に包まれたその身体は、とても只者とは思えない、歴戦の猛者に特有の殺気と闘気を適度に含んでいた。
そして、ネオ・アルカディアの救世主たるロックマンエックスをたった一度の殴打で退けたその男が何者であるか、その場にいた一部の者には直ぐに分かった。

「間一髪というところでしたね……。行きましょう!」

一同を先導しようと、カルトが声を上げる。未だ事態の把握ができていないコルボー達は有無を言うこと無くカルトの後に着いて行こうとする。だが――――……

「待て! エックス!」

ゼロが声を張り上げ駆け出そうとする。気づいたヘルマンとジョナスが両側から腕を掴み、取り押さえる。しかし、ゼロはそれでも頑としてその場を動こうとしない。

「何やってんだ! 行くぞ、英雄! こんなところで無駄に命削る必要ねえだろう!」

「邪魔をするな! どいてくれ! 俺は……あいつに……!」

まだ何も答えてもらっていない。まだ何も聞いていない。まだ何も、“言葉”を交わしていない。
百年も離れ離れになっていた友に、まだ何一つとして、まともな挨拶の一つも交わせていないのだ。だというのに、どうしてこの場から離れることができようか。
斬り伏せる以外に方法はないのかもしれない。どちらかがその場に倒れることになるまで、落ち着いて向き合うことは出来ないのかもしれない。しかし、それでも構わない。
どんな状況に陥ろうと、どうか“あいつ”と話をさせてくれ――――そう、ゼロは全身から訴える。

だが、暴れ続けていたゼロの項に、黒い腕が素早く何かを取り付ける。途端にゼロは意識を失い、その場に倒れ込んだ。その身体を、ヴォルクが支える。
呆気にとられるヘルマンたちに、先ほどエックスを殴り飛ばし、ゼロを電子麻酔で眠らせた漆黒のレプリロイド(?)は「行くぞ」と顎で合図する。
分からないことだらけであったが、ゼロが大人しくなった以上、ここに留まる理由もない。エックスが追撃をかけて来ないうちに、一行は煙幕に紛れて逃げることにした。

「……お前が……ゼロ…なのか……?」

ゼロを肩に抱えて歩き出しながら、ふとヴォルクが呟く。
しかし、まるで眠りに落ちたような横顔は、その問いに答えることはなかった。
























  ―――― * * * ――――


半壊した家屋から「イタタ」と声を漏らしながら上体を起こし、あたりを見渡す。
先程追い詰めた筈の連中はもうその場には見えず、代わりに立っていたのは漆黒の忠臣だった。
気づけば空を覆っていた雲は去り、今ではすっかり青空が見えている。

「いやあ……まさか彼が来るとは……ね」

苦笑交じりに言う。
予想外の展開だった。あの場で何かが起きるだろうとは思っていたが、これまで息を潜めてきたあの男がしゃしゃり出てきたというのだから。

「……『どうするつもりだったのか』……って?」

戸惑いを隠せないでいるのを表情から読み取り、確認する。それから「フフッ」と軽く笑い、立ち上がりながら答える。

「ちょっと会いたくなってね。……うん、会っておくべきだと思ったんだ、やっぱり」

そんな気まぐれに振り回されたのかと肩を落とすのを見て「ああ、申し訳ないことをしたね」と平謝りをする。
実際、真に予想外の展開は、自分がこの場に現れたことだろう。ともすれば、全てが終わっていたかもしれない状況だったのだから。
本当に、もしもあそこで彼が現れなかったら、どうしたのだろうか。

「でも、『彼は来た』。そして、“英雄”は助かったんだ」

偶然と切り捨てても良いだろう。しかし、事実であることは変わらない。絶体絶命の窮地においても、彼は間一髪のところで命を掴みとったのだ。
そして生き延びた彼と、いつか必ず再び相まみえるだろう。その時はきっと――――……




「泣いているのかい?」

不意に投げかけられた問いに、ようやく口を開く。

「……レプリロイドは、涙を流せませぬ」

その答えに、無言で微笑み返す。


――――分かっているよ、痛いほど


皮肉なものだ。こんな時でも空はどこまでも青く広がって、太陽は眩しく世界を照らしているのだから。
ふと、鼻筋に触れる白い“それ”に意識がいく。天候がほぼ完璧に管理されているネオ・アルカディアではなんとも珍しい光景だ。余程動揺が広がっているのだろう。
なんだか可怪しく思えて、思わず笑みを零す。先程までと打って変わった、屈託のない笑顔。――――それに釣られて、笑う。いつぶりだろうか、互いに何気ない笑いを交わし合うことが出来たのは。いや、生まれ出てからこの方、一度もなかっただろう。
こんな時に――――いや、こんな時だからこそ、笑い合えてよかった。きっとこれが最後になるだろうから。

「さあ、もうすぐだ」

そう言って、自身の根城の方角へと振り返る。
舞い散る風花に優しく撫でられて、心が少しだけ安らいだ気がした。







































  ――――  2  ――――


目を開けると、土の天井が視界に映った。
それから、「痛ッ」と声を漏らして頭を抱える。記憶を辿り、原因に思い当たる。

「気付いたか、紅いイレギュラー」

ゼロは声の主を確認しようと上体を起こす。見知らぬレプリロイドが腕組みしながら壁に寄りかかり、こちらを睨んでいた。少年のような顔をしているが、その目は確かに威圧感を放っており、只者ではないだろうことが容易に見て取れた。
ふと周囲を見回すと、そこはどうやら洞窟のようだった。とは言え、今自分が寝そべっていたのはレプリロイド用のメンテナンスベッドで、手の届く距離にいくつかの電子機器が目につくことから、電気は通っているらしい。

「起きたのなら、すぐに来い」

少年レプリロイドは高飛車な口調で促す。ゼロはそれを然程気にしないまま「どこへ」と尋ねる。
すると少年レプリロイドは「フッ」と嘲笑にも似た不敵な笑みを浮かべる。

「勿論、我らが“首領”の元へ……さ」



道中で本人の口から聞いたところによると、少年レプリロイドの名前はネーヴェ・レビンと言うらしい。だが、そんな自己紹介よりも、ゼロにはその洞窟内の構造の方が大変興味深かった。
今、ゼロとネーヴェが歩いている太い通路の端に、また幾つかの洞窟が続いているのが見える。その先にはまるでアリの巣のように小さな居住空間が設置されており、一つのコミュニティとして成立していた。いや、単なるコミュニティではない。中には武器庫と思しき部屋や、メンテナンスルーム、解析室など、基地としての役割もきちんと果たしているのが分かる。

――――間違いない、ここは……

思い当たる場所がある……が、それはなんとも奇妙な話だ。なにせ、今現在の自身の位置座標を確認すると、示されるのはかの唯一国家――――ネオ・アルカディアの中心地、その地下だったのだ。
裏を返せば、何故この七年間、彼らがその拠点を発見されなかったかの理由が、そこにあるように思えた。
しばらく通路を真っ直ぐ歩いていると、一つの扉に辿り着く。そして、ネーヴェは一つ深く息をつくと、ノックを二回した。

「ネーヴェ・レビン。紅いイレギュラーを連れて参りました」

すると、扉の奥から「入れ」と男の声が聞こえる。それに従い、ネーヴェは扉を開き、ゼロに中へと踏み入れるよう促す。
慎重に部屋の中へと入ると、そこにはシエル達が既に集まっていた。そして部屋の奥、中央の椅子に細身の男が座っている。その横には、先程の黒い巨躯が見えた――――が、それはピクリとも動かない。まるで意思のない人形のように。
そして、ゼロは理解する。その男の正体を――――……

「初めまして……ってところか、紅いイレギュラーさんよ」

男はニヤリと笑って軽い口調で挨拶をする。そして、ゼロの表情を見て「そうだ」と少しも隠すこと無く己の名を口にする。

「俺が、あんたと同じSランクイレギュラーの一人――――黒狼軍首領、エボニー・ベルサルクさ」

ベルサルクの唐突な自己紹介には驚くこと無く、代わりにゼロは、俄には信じられないという顔で、一つの問いを投げる。



「お前…………“人間”か?」




三度――――思わず三度も人機判別を行なってしまった。だが、その答えはどれも、なんら変わること無く、目の前にいる彼が“人間”であるという結論だった。
言葉を失っているゼロに対し、ベルサルクはまたしてもニヤリと笑みを浮かべる。

「ああ、そうさ。機械化された部分もあるが、俺は確かに人間だ。そこのお嬢さんと同じ――――な」

そう言ってシエルの方を顎で示す。
シエルも、コルボーも、皆、ゼロが来る前にそれを明かされたのか、自分と同じような驚きは見えない。だが、未だ信じられないというような戸惑いの表情を浮かべ続けている。
その場で平静を保っているのはヴォルクと、ネーヴェの二人だけだった。
















“ネオ・アルカディアの守護者として相応の力量と高潔さを併せ持つ戦士の生産”――――七年前、ネオ・アルカディア戦略研究所のとある研究室において掲げられたその計画は、言葉通り、“人類の国家”を守るに相応しい戦士を“生産”することを目的とした一大プロジェクトであった。
つまり、戦闘用に改造手術を施された“人間”こそが、レプリロイド以上にネオ・アルカディアの番兵として相応しいというのが、その研究チームの思想だったのだ。
とは言え、“人間”に手を加えるというその計画について、その内容は倫理的な観点から問題視されるのはある意味当然であり、そのため極秘裏に進められる事となった。

彼らは、“掃き溜め”と揶揄されるミズガルズ十三番区より複数人の人間を“保護”し、被験体として用いた。
機械化の度合いについては、あくまでも“人間”の領分を守った状態でなければコンセプトに外れてしまうとして、ある程度のラインが決められることとなった。しかしその結果、当然ながら単に機械化した人間では戦闘用レプリロイドのスペックに到底及ばなかった。
計画に詰まった研究チームは、苦心の末、ナノマシンを介した神経接続により自在に操作が可能な“バトルスーツ”を考案する。
そうして出来上がった試作品は、確かに人間としての領分を保ったまま、ミュートスレプリロイドとも対等以上に、ともすれば四天王とも渡り合える戦闘能力を有する戦士となった。

だが、その計画は完成したばかりの試作品第一号の反逆により頓挫する。
彼はどうやったのか、封印カプセルを自ら破壊して飛び出し、研究所内をバトルスーツを纏ったまま駆け回った。その戦闘力は圧倒的で、“人間”である彼はなんら躊躇うこと無く研究員たちを殺害していき、研究所内を破壊して回り、そしてその姿を何処かに暗ました。


そう、その彼――――逃げ出した試作品第一号こそ、黒狼軍首領“エボニー・ベルサルク”であったのだ。










「そんな研究が……ネオ・アルカディアで行われていたなんて……」

一通り説明を聞いた後、シエルがそう零した。
あの――――ネオ・アルカディアで未だに権力を握り続けている――――“おじいさま”の傍にいたシエルですら知り得なかったという事実が、どれだけ極秘に進められていたかを如実に物語っていた。
しかし、驚くべきことはそれだけではない。

「あんた達は、いつからこの場所に拠点を構えていた?」

ネオ・アルカディアの中央メガロポリス――――その地下にこの、黒狼軍本拠地は設置されている。
盲点といえば盲点だが、あの斬影軍団ですらこの七年間まるで見つけることが出来なかったというのは、どうにも信じられない話だった。
だが、ベルサルクは不敵に笑って斬り捨てる。

「“交渉”と“計略”――――それが駆け引きってもんだ。悪いが、俺達はあんたたちほど馬鹿正直に戦ってるつもりはねえのさ」

「まさか……」

ベルサルクの口振りから、容易に理解できる。
そう、斬影軍団は彼らを発見“できなかった”わけではなかったのだ。

「ああ、そうさ。まあ、ちょいと考えてみてくれれば分かるはずさ。なにせ今回の件だって、“あちらさん”からの要求だったんだからよ」

確かに言われてみれば、それ以外の筋書きは見当たらなかった。
コルボー達がレヴィアタンによって処理施設に“投棄”され、黒狼軍のカルトと出会った。ゼロはヘルヘイムを脱出し、それに合流した。そしてエックスと遭遇した街角に、ベルサルク本人が現れ窮地を免れた。
斬影軍団とベルサルクとの繋がりを想定すれば、全て納得ができる。

「……何故なんだ」

心の奥で膨らんだ疑問が遂にゼロの口から溢れ出る。
これまでにも斬影軍団――――ファントムが裏で糸を引いているような事が何度もあった。そして、そのどれもがゼロ達の命を、まるで守っているような動きばかりだった。
今回のことで全てが確信に変わる。ファントムは間違いなく、ゼロ達を救おうと動いている。
しかし、何のために? ――――ここまでの経緯を振り返れば、とてもヴィルヘルムのためとは思えなかった。

「俺もそこまでは知らんし、話すつもりもない。“あちらさん”との契約は、あんた達を無事にネオ・アルカディアの外へと逃がすことだからな」

そう言ってから、ネーヴェの名を呼び、指示をする。

「万が一のこともある。手ぶらで返すのも忍びねえ。お客人を武器庫の方に案内してやんな」

「ハッ」とネーヴェは敬礼で答え、身を翻して「着いて来い」と目でゼロたちに促す。
コルボー達は戸惑いながらも渋々とその後に続く。信じがたいことばかりで、これ以上この場にいても頭がパンクするような気がした。
だが、ゼロはその場に立ち、「待て」とベルサルクを睨む。

「その“契約”とやらで、お前たちが手にしたメリットは……なんだ?」

ゼロの言葉に、シエルは「ハッ」とする。
ベルサルクが口にする“契約”という言葉が事実であれば、これは一方的な脅迫ではなく、互いのメリットが確約されているに違いない。
今回の一件については、これまでの関係の上に、更に加えられた難題だったはずだ。それならば――――無論、斬影軍団のメリットも不明確ではあるが――――黒狼軍側のメリットが何一つ見当たらない。
“紅いイレギュラー”の身柄を出汁に白の団を脅迫するわけでもなければ、この機に乗じてネオ・アルカディア中枢を掌握するわけでもなかった。
下部組織ばかりとはいえ、その多大な損失に見合うだけのメリットを、彼らは何処で得ようというのだろうか。

だが、ゼロの問いをベルサルクは不敵な嘲笑と共に切って捨てる。

「言っただろう。『俺達はあんたたちほど馬鹿正直に戦ってるつもりはねえ』――――これも駆け引きだ。こっから先が知りたいってんなら、それ相応の見返りはいただくぜ?」

一瞬、シエルはその身を震わせる。ベルサルクの瞳は、鋭利な刃物にも似た確かな殺気を静かに放っていた。
ゼロは何かを感じ取ったのか、ベルサルクを睨みながらシエルの肩をそっと抱く。そして、その場に流れる不穏な空気を「フッ」と言う自嘲とともに消し去る。

「……命あっての物種――――か。せいぜい勝手に勘ぐらせてもらうさ」

「ククッ……そうしな、紅いイレギュラー」

今はシエルやコルボー達がいるからなのだろうが――――もしも勝算が見えていたら、ゼロは斬りかかっていたのだろうか。
「行くぞ」とゼロに背中を押されながら、シエルはふと考えずにはいられなかった。








黒狼軍の武器庫には、イレギュラー戦争以来の様々な武器が貯蔵されていた。
古いと言えど、どれもネオ・アルカディアの戦略研究所で研究品、試験品として扱われていたものであり、最新のものと遜色ない性能を持っていた。

「つっても、逃げるだけだし、あまり変な武器はいらねえな」

目を輝かせながら武器を手に取るジョナスの横で、まるで嫌味のようにヘルマンが手近にあったライフルを持ち上げて独り言つ。「私たちは自衛用の武器さえ手に入ればいいですもんね」というティナの声が更に追い打ちをかける。
実際、万が一のことを考えての措置であるし、戦闘になった時、どれだけ特別な装備をしようとも、自分たち程度の戦闘性能ではゼロの邪魔になるだけだと、彼らは既に理解していた。
しかし――――だ。では、それ以上の戦闘能力を持つものであるならば、どうか。


「…………………………」


ヴォルクは無言で、一つの巨大な“箱”のような物体に手を伸ばす。
二メートル近い彼の身の丈に近い大きさをした、その形はまるで――――――――

「“棺桶”……ですね」

気づけばヴォルクの横で、ジョナスが物珍しそうな目で“それ”を見ている。

「イレギュラー戦争の頃、優秀な戦闘用レプリロイドが扱う特殊兵装として開発された多目的武装コンテナ――――通称“棺桶”」

近接戦から目視距離ギリギリの射撃戦まで、攻防一体をたった一器で担うことをコンセプトとして開発されたそれは、その通称通り、上手く扱えたならば敵を確実に葬るに申し分ない戦闘力を約束していた。

「ただ、これは遠近両用武器として開発されましたが、結局それらを効率よく運用出来る者が僅かだったためにほんの数器で生産ストップされたそうです」

説明を聞きながら、ヴォルクはその無機質なボディをスッと一撫でする。

「…………“棺桶”……か。良い名だ。“鬼”には丁度いい」

そう言うと、呆気にとられるジョナスを他所に、中央より若干下部に取り付けられたグリップを握り、ヒョイと持ち上げる。

「……これを貰おう」

慌てて「使えるんですか?」と不安気に聞くジョナスに、ヴォルクは無表情のまま答える。

「問題ない。――――“昔取った杵柄”……とでも言っておこう」

心なしか、微笑んでいるようにさえ見えるヴォルクに、ジョナスは何故だか畏怖にも似た感情を一人抱いていた。







「紅いイレギュラーが行方を暗ましたのを、元老院は“撃退した”と報じ、記念パレードを続行している」

ネーヴェが地上での出来事を簡潔に説明する。

「明日――――これより数時間後には予定通り記念式典が行われる見通しだ。それに合わせて、貴様らを逃がす」

式典最中は式典会場に強固な警戒態勢が敷かれるだろう。となれば、国外の出来事に関しては、一旦視線が向けられなくなる。
この基地内から臨時通路を行けば、数時間後には外に出れるらしい。シエルの体力も考慮して、車両の手配までしてくれたのはありがたい事だった。その間、黒狼軍が白の団に要請し、旧敵基地の空間転移装置を介したある地点で合流する手筈だ。

「もうすぐ……帰れるんだね」

複雑な想いを抱えながらも、ふと心を包む安心感に、シエルはそう呟く。だが、横にいたゼロはどこか上の空で、まるで話を聞いていないようだった。
「どうかした?」と下から覗きこむと、「あ、いや……」と要領を得ない返事をするだけだった。

「……エックスのこと、考えているの?」

その名に、ゼロは思わずシエルを見つめる。
図星といった表情に、シエルはどこか不安気な顔をする。

「無茶…しないでよ」

ゼロの考えていることを悟ったのか、シエルは祈るような目でそう口にする。
「分かってる」と微笑んだつもりが、上手くごまかせなかったらしい。少女の目は不安気なままだった。




『君でも殺すよ』






先程のエックスの言葉が脳裏に反響し続けている。
いつだったか、一度だけ、同じようなセリフを彼から聞いた覚えがある。

――――しかし、何だ……?

見つめる瞳。紡がれる言葉。笑顔。そして、頬を伝う涙――――……‥‥
言いようのない違和感が胸の内でグルグルと渦巻いていた。











































  ――――  3  ――――


通路を抜けると、そこは既にネオ・アルカディアの外だった。ミズガルズの町並みがまるでミニチュアのように見える。
だが、ネオ・アルカディアにおける天候操作の影響か、周囲には雪が降り注いでいたらしく、地面には白化粧が施されていた。


シエル、そして救出部隊全員の無事を伝えると、黒狼軍の通信機越しに本部での喜びが伝わってきた。
黒狼軍が立案した作戦通り、ゼロたちはこの後、とある壊滅した敵基地まで向かい、そこの空間転移装置を使って白の団本部周辺まで飛び、合流する。
隠し通路を使ったこと、また、本国で記念式典が開催されている事が幸いし、予想通り、敵の追手が現れる気配は今のところない。

「――――とは言え、敵の警備メカニロイドにでも見つかれば厄介です。急ぎましょう」

冷静にそう言ってコルボーはアクセルを踏む――――が、「待ってくれ」とゼロが静止をかける。

「悪いが、お前たちだけで行ってくれ」

突然そう言うと、車両の荷台から飛び降り、歩き出す。ネオ・アルカディアの方へと向かって。
「な……何言ってんだ英雄!」とヘルマンも慌てて飛び降り、ゼロの肩を掴む。

「テメエ! この期に及んでまだ……――――」

「そうだ、エックスに会いに行く」

迷いのない目でそう簡潔に答える。
その表情に、ヘルマンは圧倒される。それは確かに覚悟を決めた男の表情だった。

「まだ俺は、何もアイツと話しちゃいない」

何も聞いていない。剣を交わすのも、状況的に全力では出来なかった。
しかし今度こそ、死力を尽くして立ち向かい、そして問いたい――――この世界のこと。自分が眠りについてからのこと。話したい――――何を思い、何を目指し、何を描いているのか。互いに見てきたものの価値を互いの言葉で語り合いたい。
そして、本当の答えを出すべきだ。救世主として、英雄として、この世界でどのようにしていくべきなのか。今のような道を辿り続ける必要がどこにあるのか。
このまま、引き下がるわけにはいかない。この機会を逃せば、次にいつ巡ってくるかも分からないのだ。

気持ちはわかる。だが、「しかし」とジョナスも異を唱えようと口を開きかける。
丁度その時、唖然としていた一同の中から、シエルが飛び出す。

「待って、ゼロ!」

「止めてくれるな。俺は――――」


「私も行く!」


「――――ッ!?」


シエルが放った一言に、思わずヘルマンとメナートが「ハァア!?」と声を上げる。コルボーは理解ができていないのか、呆然とし、ジョナスは絶句したまま硬直。ティナは口を抑えて声を押し殺す。
アルエットはヴォルクが羽織っているボロボロのマントの裾を掴みながら、真剣な表情でシエルを見つめ、ヴォルクもまた、探るような目で状況を傍観していた。
流石に無茶を言っていたゼロも、シエルの同行には全身から拒絶を示す。

「馬鹿言うな……お前は白の団に……」

「それならゼロも一緒じゃなきゃイヤ! ――――あなたがエックスと戦うのなら、私も一緒に行きたい!」

「おいおい! 誰のためにここまで来たと思ってんだよぉ!」とヘルマンが不満気に叫ぶ。
実際、シエルのために――――想定外のトラブルもあったが――――命がけの行動を強いられ、ようやくここまで辿り着いたのだ。
それなのに、シエルを連れて帰れないというのはどうにも許容しがたい話だ。

「ゼロさんも! そんなこと言ってないで、今は一旦帰りましょう!」

運転席から降りて駆け寄ると、コルボーもゼロの裾を掴んでそう説得する。だが、ゼロは首を横に振る。

「俺なら大丈夫だ。必ず生きて帰ってみせる」

「そういう問題じゃ……!」

「なら、どういう問題なんだ?」

語気を強めて問い返す。ゼロの凄みに圧倒され、思わず後ずさる。

「このままエックスを放って、ここから離れて――――勝算が上る見込みでもあるってのか? どちらにしろ変わらないのなら、このまま奴と戦って、サッサと白黒つけてやったほうがいい」

「だが」と、シエルを見つめる。――――いや、その目は“睨んだ”と言ってもいい。

「お前は帰れ。みんながお前の帰りを待ってる」

「イヤよ! あなたがエックスと戦うのなら、私も傍にいるわ!」

「ワガママを言うなッ」

「ゼロだって!」

思わぬ反撃に、ゼロは口端を歪める。ああ、確かにワガママかもしれない。単なる意地と言ってもいい。だが、言ってることに一理はある――――筈だと思いたい。いや、それほどおかしなことは言ってないはずだ。
だが、シエルは一体なんのために来るというのだ。非力で、正直戦いの中では枷になってしまう彼女を、おいそれと連れて行くことは容易にできない。
何故、何のために――――不意にゼロの脳裏に、セルヴォの言葉が浮かび上がる。そして、ようやく答えにたどり着く。その答えが、彼女が抱いていた想いの真実だった。


「……お前、エックスと話すために自分で戻ったんだろう?」


核心を突かれ、シエルは黙りこむ。ゼロの問いと、それに対するシエルの反応に、他の一同は今回の騒動の真相を理解する。
ゼロの言う通り、シエルは救世主エックスと話し合うためだけに、ハルピュイアに一芝居打たせてまでネオ・アルカディアに帰ったのだ。
しばらくの沈黙の後、「そうよ」と口を開く。だが、その顔はまるで動じていないようだった。いや、それどころか、自身の行いに誇りさえ抱いているような――――そんな表情に、ゼロは言い知れぬ怒りを覚える。

「それで……アイツの考えは変わったのか?」

「それは……」

エックスの考えは変わらなかった。だからこそシエルはヘルヘイムに送られたし、あの場でエックスはゼロたちを殺そうとしてきた。シエルの決死の特攻は、無駄に終わったのだ。
しかし、しばし口ごもった後、「あなたの見たとおりよ」と開き直ったような表情で見つめる。そして、その目は確かに訴えている。「だからこそもう一度行く」のだと。
もう一度行き、もう一度彼と話し合うのだと――――いや、それでもダメなら二度でも、三度でも、何度でも向かおう……と、そう言う顔をしている。
そんな悪びれないシエルの様子に、とうとうゼロは堪え切れず、思わず彼女の腕をぐっと掴みあげる。

「後にするつもりだったが……今言ってやる――――どれだけみんなに心配かけたと思ってる! どれだけセルヴォが悔やんでいたか!」

エルピスも、ここにいるコルボー達も、本当に気に病んでいた。他のみんなも、まるで白の団全ての希望が失われたかのような沈みようだった。
無理もない、中心人物であるシエルを失うことは、彼らの“根底”が失われることを意味しているのだから。
今回はなんとか無事に切り抜けられたかもしれない。だが、もう一度行って、無事に済むわけがない。今度こそ本当にシエルを失ってしまう。その時の白の団の様子は想像に難くない。

「それでもお前はまたネオ・アルカディアに戻るってのか!?」

「ゼロには分からないわよ!」

怒鳴るように言いながらゼロの腕を振り払おうとする。だが、ゼロはその腕をしっかりと握りしめたまま「何!?」と問い返す。
するとシエルはまるで全身で叫ぶかのように、声を張り上げる。


「ゼロには……“戦うことができる”ゼロには! 分かるわけない! “戦うことができない”私の気持ちなんか!」

「……ッ!?」


腕が、振り払われる。


「あなたが……――――あなた達が傷つくのを、これ以上ただ見ているだけなんて……私にはもう耐えられないのよ!」

向き合うことに耐えられなくなって、逃れてきた。それはきっと間違いだったのだと気づいた。
戦う力がない自分は、ただ仲間たちが命を張っているのを見守ることしかできない。それは真実か。
『自分なりの戦いを』と言い聞かせて、研究に没頭した。それは言い訳ではなかったか。

「私は無力で! どうしようもなく子供で! そんなこと分かってる! だけど! だからこそ、もう逃げたくないのよ!」

本拠地が敵の襲撃を受け、壊滅状態となり、多くの仲間たちが命を落とした。
その中で、何をすべきか考え、悩み――――その答えがこれだった。

「だから! だからお願い、ゼロ! 私も……エックスの所へ一緒に連れて行って!」

エックスと真っ直ぐに向き合い、そして、彼の過ちを正したい。
一度は退けられたが、これで諦めるわけにはいかない。これまで命を懸けてきた仲間たちのためにも。
少女の目は、強く輝いていた。決して折れぬ志が、瞳の奥で燃え盛っていた。

――――しかし、だからこそ……

ぐっと強く、ゼロの両手がシエルの両肩を掴む。そして、ゼロは俯き、一度深く息を吐くとそのまま徐に口を開く。


「それなら……お前に俺の気持ちが分かるのかよ。“戦うことしかできない”俺の気持ちが」


シエルは「ハッ」と、息を呑む。
低く威圧的な声で、しかしその表情はまるで懺悔をしているようだった。

「戦うことしかできなくて……誰も救えないまま、ただ壊すだけしかできなかった俺の気持ちが、お前に分かるのかよッ!!」

悲痛な叫びが、響く。
友と思えた者も、心を通わせられた者も、仲間となった者も、相棒と信頼した者も、皆、逝ってしまった。
白の団でさえ、今の状態を“救った”などとはとても言えたものではない。多くの仲間達が命を落とし、もはやレジスタンス組織としての機能は殆ど失われてしまった。この先に、本当に希望などあるだろうか。
屍の山を作るだけだ。まるで悪夢に見た光景のように。失うだけだ。かつて愛した“彼女”のように。
どれだけ憧れようと、力を凝らしても、自分には誰も救えなかった。自分には誰も守れなかった。
だが、だからこそ――――

「俺には、誰も救えなかったから……俺にはできなかったから……だから……」

肩を握る手に、更に力が加わる。それから顔を上げ、シエルを見つめる。その瞳は少しも揺らぐこと無く、真っ直ぐに彼女を捉えている。
過去も、今も、そしてきっと未来も――――自分は誰も救えない。
だとしても、それでも傍にいてくれた。“あいつ”が。そして、“君”が…………





「頼む、シエル。俺は……お前を失いたくないんだ」






確かな根拠はどこにもない。たった十四歳の、か弱い少女に何ができるかと、誰もが侮るだろう。
しかし、どうしてか。懸けたいと思ったのだ。彼女が目指す理想の世界に。彼女が内に秘めた想いの強さに。誰かのために流した涙の一滴に。

ゼロの言葉に、シエルは一瞬言葉を失う。
そして潤んだ瞳を向けて、震える声で答える。


「……狡いよ。どうして、こんな時に…………名前で呼ぶのよ…」


初めて、彼の口から響いた自身の名前は――――どうしてだろう、何よりも温かく、そして何よりも苦しく、胸に沁み込んできた。




















「……茶番は終わりだ」

ヴォルクはそう言うと、“棺桶”を手に、突然荷台から飛び降りる。それとほぼ同時に、ゼロ達はセンサーの異常に気づく。

「高速移動物体接近!」

ジョナスが慌てて声を張り上げる。

「エネルギー量的に……ミュートスレプリロイド!? しかもニ体!?」

二体のミュートスレプリロイドがネオ・アルカディアの方向から高速で近づいている。
いったいどうやってこの場所を突き止めたのか。わかったものではないが、それを考えているヒマはない。

「ティナ! 小娘を!」

ゼロの指示を予測していたのか、ティナはシエルの体を無理やり抱き上げ荷台に戻る。
シエルは手を伸ばし、ゼロの名を叫んでいるが、それに取り合っている時間はない。コルボーも車両の運転席へと戻り、直ぐ様移動準備にかかる。
だが、ヘルマンがストップを掛ける。

「英雄! テメエ、絶対にネオ・アルカディアに行くんじゃねえぞ! なあ! 約束しやがれ!」

「ヘルマン。それは……」

「それを聞くまではここを動くんじゃねえ、コルボー!」

「無茶言うな! もう敵が直ぐそこまで来てるんだ!」

「けど」と、コルボーも歯を食いしばる。ヘルマンの気持ちも痛いほど分かる。
そして、窓から頭を出して叫ぶ。

「絶対に帰ってきてくださいよ、ゼロさん!」

だが、ゼロは答えない。
グッとこらえて、コルボーは遂にアクセルを踏む。一度大きく揺れたかと思うと、車両は雪の上をまっすぐに走りだす。
まだ荷台でヘルマンが喚いているが、それをジョナスとメナートが押さえつけている。

「待って、ゼロ!」

荷台からシエルが乗り出し、叫ぶ。
「危ないですよ!」とティナがその身を抑えようとする。
ゼロの背中がどんどん離れていく。――――それを見つめながら、シエルは考える。そして、決断する。
彼を引き止めるため。いや、今日初めて、己が抱えていた苦悩の一端を吐き出してくれた彼に答えるため。“真実”を叫ぶ覚悟を決めたのだ。
「大丈夫だから」とティナに目で言い聞かせ、それからズイと身を乗り出し、風に揺れる邪魔な髪を掻き上げながら、声を張り上げる。


「 違 う の ! 」


振り向こうとしないゼロの背中に向けて、精一杯に叫ぶ。




「――――――――! ――――――――――――――――――――!!」




ゼロは一瞬、言葉の意味が取れず、硬直する。そして、理解するとともに振り返る。
だがその時には、既に車両は遥か遠くに走り去っていった後だった。
代わりに、残されたゼロとヴォルクの元に現れたのは、紅と蒼のカラーリングが印象的な二体のミュートスレプリロイドだった。











































  ―――― * * * ――――


『これより、俺がお前の“兄”だ』

目覚めて直ぐ、技術者たちといくつか言葉をかわした後。現れたレプリロイドは不敵な笑みを浮かべながら突然そう言った。
理解はしていた。“兄弟機”として設計された以上、彼を“兄”と認識するのはプログラムとして植え付けられており、そのような自己紹介がなくとも、そう識別していただろう。
だが、しかし――――何故だろう。その時差し出された、一般生活用のハンドパーツを、俺はあろうことか跳ね除けたのだ。

そして、言ってやった。



『キサマ如き、兄とは思わぬ』



その時、周りの技術者達は、予想外の俺の反応に、目を丸くし、驚いていた。何故なら――――いや、実際のところ、感情を持ったレプリロイドがしばしば想定外の行動をとることはあり得たが――――プログラムに反した言動を、生まれて直ぐに発するというのは、非常に稀な事例だったからだ。
だが、その時、目の前にいた“兄”は、どこか嬉々とした表情を浮かべていた。
当時の俺は、自分を舐めているのだと腹立たしく思ったのだろう、怒りを顕にしたままその場を飛び出していった。
今思えば、その笑顔はきっと、初めて“俺”という存在を認めてくれた“兄”の表情だったのだろう。















  ――――  4  ――――


雷鳴のような衝撃とともに、二体のミュートスレプリロイドがゼロとヴォルクの目の前に颯爽と降り立った。
紅と蒼――――まるでかの“救世主”と“英雄”にあやかったかのような二体のカラーリングに、ゼロは運命めいた皮肉を感じてしまう。
そして、紅のミュートスレプリロイドは前に進み出ると、堂々と名乗りを上げる。

「我が名はヘラクリウス・アンカトゥス。ネオ・アルカディア剣闘団が長」

「同じく、ネオ・アルカディア剣闘団所属。クワガスト・アンカトゥスだ」

蒼のミュートスレプリロイドも続いて名乗りをあげる。それからすぐに、ヴォルクを睨みつける。

「……久しぶりだな、隻眼スコープのイレギュラー」

忘れもしない、あの屈辱の敗戦。
おかげで“堕ちた英雄”などと不名誉な二つ名を付けられ、兄の顔にも泥を塗ってしまった。その借りを返すことだけを夢見て今日まで生きてきたと言っても過言ではない。
「落ち着け、クワガスト」とヘラクリウスが宥めようと声をかけるが、クワガストの武者震いは止まらない。それを見て、「やれやれ」と肩をすくめる。

「……どうしてここへ?」

ゼロは問いかける。
黒狼軍本部直通の脱出ルートを使ったのだ。そう簡単に居場所を特定されるとは思えない。――――いや、いくつか思い当たることがないわけではない。行動理念が不可解な男が確かに一人いるのだから。
しかしクワガストは「フン」と鼻で嘲笑い、問いを跳ね除ける。

「言う必要などない。ただ、我々の前には戦う道があるだけだ」

そう言って前へ前へと進み出てゆく。ヴォルクは“棺桶”をぐっと構え、ゼロは左腕からゼットセイバーを抜き出す。
それでも躊躇う素振りを微塵も見せないクワガスト――――しかし、それをヘラクリウスが引き止める。

「待て、クワガスト。不用意に出るな」

「兄者、俺は我慢ができん。頼む、“あの男”は俺にやらせてくれ」

ヴォルクを睨んだまま、クワガストはそう言う。
少しだけ迷った後、「仕方がない」とヘラクリウスも前に出る。

「クワガスト、2on2だ。それなら構うまい?」

「兄者……すまない、感謝する」

二人の遣り取りを聞きながら、「勝手に話を進めてくれるなよ」とゼロは言い知れぬ焦りをひた隠しながら僅かに笑みを浮かべる。
コロシアムの英雄、ヘラクリウス・アンカトゥスの名は、無論、白の団のデータで知っていた。
初期型のミュートスレプリロイドにして、四天王計画により生まれたハルピュイアたちよりも以前から、ネオ・アルカディアを守り抜いてきた守護神。四軍団の設立に際し、前線から身を引き、コロシアムの剣闘団を結成。国防と娯楽提供という二つの職務を負ってはいたが、ここ数年については前者の需要はまるで無かった。
脆弱なレプリロイドばかりを相手にしてきたため、戦いの勘が鈍っているなら好都合――――だが、その雰囲気はゼロの期待を大きく裏切り、戦士としての強大な威圧感を醸し出していた。
それを兄と慕う兄弟機、クワガスト・アンカトゥス。前線での戦闘経験は皆無に等しい彼であるが、その頭脳にはヘラクリウスの戦闘経験値がフィードバックされており、決して油断ならない相手と言っていい。加えて、マニュアルスペックで言うなら彼のほうが強力である。
方や、こちらは“ア・ヴォルク・エイヴァイラー”という不安要因がある。
これまでの遣り取りで、彼が只者でないことは既に承知の上だが、それでも、ここまで強力な敵に真っ向勝負を挑んで、無事に済む確証はない。もしかしたらここで彼は命を落とすこととなるかもしれない。

ジリッと、ゼロの足が後ろにズレる。
それを、ヘラクリウスは見逃さなかった。

「臆すか、英雄? いや、紅いイレギュラー」

悔しいことに、ゼロが算段を付ける暇もなく、戦いの火蓋は切って落とされる。




「――――ならば、今すぐ 我 ら が 剣 の 錆 と な れ ッ ! 」




ヘラクリウスが吠えると同時に、クワガストと二人で地を蹴り、互いに反対方向へと飛び立つ。そのままヴォルクとゼロを中心に、円を描くようにして高速で飛び回る。ゼロとヴォルクは互いに視線で合図を交わすと、背中合わせに素早く構えた。
高速で飛び回る二体の影は、次第に速度を増していく。ゼロは視覚センサーのみならず、体中の感覚センサーを研ぎ澄ませ、彼らの初撃に備える――――と、紅い影から複数の雷撃弾が連続で放たれる。ヘラクリウスの軌道に合わせ、角度を変えて放たれるそれを、ゼロとヴォルクは地を蹴り、躱す。しかし、そのタイミングを予期していたかのように、ヘラクリウスとクワガストが真逆の方向から一気に突撃をかけてきた。クワガストは頭部の鋏で、ヘラクリウスは角で、二人に襲いかかる。
ゼロとヴォルクは目配せ一つせず、互いに横へ飛び退く。クワガスト、ヘラクリウスもまた、なんの合図も無しにそれぞれを追撃する。

「ッなろ!!」

クワガストに対し、ゼロはゼットセイバーを振り切る。が、クワガストは眼前で急上昇し、セイバーの切っ先をスレスレのところで躱す。同時に、両腕のアンカーを体の周囲へ伸ばし、その矛先をゼロへ向ける。

「砕けろッ!」

掛け声とともに放たれるレーザー。ゼロはその空撃を掻い潜りながら、距離を詰めていく。
一方、ヴォルクを追撃したヘラクリウスもまた、上昇し、クワガスト同様にアンカーを四方へ伸ばし、集中砲火を浴びせる。
ヴォルクは逆に、躱しながら距離を取ると、“棺桶”を持ち上げ、その先端に取り付けられた二門の銃口をヘラクリウスへと向け、トリガーを引き絞る。

「実体弾か!?」

自身へ放たれた銃弾を瞬時に識別すると、アンカーからのレーザー攻撃を即座に中止し、回避行動に移る。
イレギュラー戦争の頃から既に、資源やエネルギー効率の観点から、戦闘用レプリロイドの兵装が光学兵器主体に移行したため、実体弾への対応力はそれほど重要視されていない。つまり、いくらボディに上質のビームコーティングを施していようと、装甲そのものの特別な強化は施されておらず、実体弾が相手では分が悪いのだ。

「だが、これしき!」

回避行動を取りながら、ヘラクリウスは角にエネルギーを充填し、雷撃弾を放つ。ヴォルクは銃撃の手を休ませること無く、それを躱す。まさに一進一退の攻防。
その背後で、跳び上がりながら斬りかかってきたゼロのゼットセイバーを、クワガストが二本のアンカーで受け止めている。そして瞬時に残りの二本をゼロの背後へと伸ばす。

「馬鹿な!?」

ゼロは殺気を感じ取り、レーザーが放たれるとほぼ同じタイミングでクワガストの体を蹴り飛ばすと、その反動で回避するとともに、一気に地上へと降り立った。
クワガストの放ったレーザーは僅かに彼自身の体を焦がし、逸れていった。
ゼロは思わず心の内で称賛する。自分自身すら巻き込みかねない、無謀とも取れる攻撃を、少しの躊躇いもなく実行したのだ。それも偶然ではなく、計算の上で。

――――こいつの戦闘センスは……

今まで戦った中では闘将の“それ”に近い。敵として、最も危険な部類だ。
ほんの少しの躊躇から、迷いから、鈍りからくる隙を、この敵は必ずモノにするだろうとゼロは確信する。
実際、こうして分析をするゼロの、一瞬の隙を突いて、クワガストは身を翻し、スラスターを最大出力で吹かす。

「しまった!」

敵は一人ではない。そしてまた味方も自分だけではない。


「スゥピニングゥッ! ブレェェエエェドォオォォォオオォ――――――――――――ッ!!」


クワガストが誇る必殺技。コロシアムではほとんど使用する機会がなかったが、ここで出し惜しむ必要はない。
咆哮とともに体に回転を加えながら、クワガストがヴォルクへと突撃していく。それを止めようと駆け出すゼロを、ヘラクリウスのレーザー攻撃が阻む。
しかし、ヴォルクはあくまでも冷静に“棺桶”の背面をクワガストへと向ける。するとカバーが開き、そこから数発のマイクロミサイルが放たれる。飛び立つそれらを見送りながら、ヴォルクは再び銃口を向け、クワガストへ銃撃を続ける。

「その程度でぇッ!」

七、八発ほどのミサイルを右翼に受けるが、高速回転から生じる衝撃波と周囲を包むプラズマエネルギーが、爆発から身を守る。――――が、間一髪のところでクワガストの体はヴォルクを逸れてしまう。地面に突き刺さる前に、クワガストはブレーキを掛け、その場に制止する。
ミサイルと銃弾の衝撃が、彼の軌道を逸し、同時にその修正を妨げた。だが、必殺の技を破られようと、クワガストはまるで意気消沈すること無く、逆にその興奮は高まる。「それでこそッ!」と叫びながら、レーザーを連射する。
ヴォルクもまた、それを掻い潜りながら、銃撃を浴びせる。その上空から、ヘラクリウスが一直線に突撃をかけてくる。

「ヴォルクッ!」

ゼロの言葉と同時に、ヴォルクは上空のヘラクリウスを睨み、“棺桶”の側面ハッチを開くと、そこから煙幕を発生させる。また、その場から飛び退き、ヘラクリウスの攻撃を躱す。
クワガストの放ったレーザーをゼロのゼットセイバーが防ぎきり、そのままゼロも煙幕に紛れる。
おそらく二人がかりで、煙幕に紛れながらヘラクリウスを捉えるつもりだろう。だが――――

「浅はかなことよ!!」

クワガストが頭部を回転させると、鋏から直線上に竜巻が巻き起こる。その風が煙幕を蹴散らし、三人の姿を晒す。
風に押され、ゼロとヴォルクは体勢を崩す。それを狙って、ヘラクリウスは加速してその場を離脱。そしてアンカーをゼロたちの四方へと放ち、オールレンジ攻撃をかける。
クワガストもまた、風を止め、アンカーからレーザーを連続で撃ち込む。
無数の光の矢が放たれ続け、やがて後には砂埃だけが舞い上がった。
「……他愛もない」と嘲笑を浮かべるクワガスト。それをヘラクリウスは「馬鹿者」と突然叱咤する。

「あの程度の攻撃でどうこうなる者に、キサマはやられたのか?」

クワガストが思わず息を呑むと、砂塵に紛れながら、二つの影が確かに立っているの見える。
あれだけの攻撃を浴びせたというのに――――英雄と謳われる紅いイレギュラーだけでなく――――隻眼スコープの男ですら五体満足にやり過ごしていた。



「気を引き締めてゆけ、クワガスト。……今回の敵は最高の獲物だ」



そう言うヘラクリウスが、クワガストには心なしか微笑んでいるように思えた。
無理もない。生まれてこの方望んでやまなかった強敵との、全身全霊をかけた真剣勝負。喜ぶなという方が難しいだろう。
それはクワガストも同じだ。

ここまでくれば英雄の肩書も、誹謗中傷の類も、名誉をかけた復讐も、どうでもよい。
今はただ、戦いに没頭し、勝利を掴むだけだ。――――きっとこの瞬間のために、自分たちは生まれたのだ。

「……兄者、俺は嬉しい」

クワガストの声は震えていた。
たった今、存在の所以を見つけられたのだ。戦闘用レプリロイドとしてこの世に生を受けてからというもの、渇望し続けてきた好敵手を。
だがヘラクリウスは微笑んだまま「早いぞ、クワガスト」と宥める。

「それを言うのは……――――勝利をもぎ取った後だ!」

「応ッ!」

掛け声とともに、再び飛び込んでいく二人。クワガストはゼロへ、ヘラクリウスはヴォルクへ。
臨戦態勢を再び取り直すゼロとヴォルク。それぞれに向かってくる敵のタイミングに合わせてそれぞれの得物を構える――――が、それこそがブラフ。

「な…ッ!?」

眼前で飛行進路が突然切り替わる。何一つ合図を交わした様子なく、互いの標的を一瞬でスイッチしたのだ。
クワガストに対して振りぬいたゼットセイバーは当然、僅かなタイムラグの後に迫ってきたヘラクリウスを捉えられず、虚空を切る。咄嗟に身を躱したおかげで角の一撃を回避できたが、ゼロの腹部にはヘラクリウスの肩部が衝突し、横へ弾き飛ばされる。
メリッという鈍い音が脇腹から聞こえると、地面を転がりながらゼロはその部分の痛覚を遮断する。そして即座に起き上がり、ゼットセイバーを構える――――が、そこに再び光弾が放たれ始める。
ヴォルクはと言うと、向かってくるクワガストに対し、ヘラクリウスに合わせて構えた“棺桶”を咄嗟に横向きにして、殴りつけようと振りぬいた。しかしクワガストは急停止をかけ、頭部の鋏で“棺桶”を挟み上げる。
ギリギリっと軋む音を鳴らす“棺桶”を引き抜くため、ヴォルクはクワガストの腹部に足の裏側で蹴りこむ。だが、クワガストは微動だにせず、そのままアンカーの矛先をヴォルクに向け、光弾を放つ。
ヴォルクは瞬時に飛び上がって回避すると、宙に舞いながら、挟まれたままの“棺桶”の向きを鋏ごと無理やりに修正しながら引き金を引き絞る。放たれ続ける銃弾が頭部へと次第に近づいていくと、“棺桶”を破壊するよりも先に頭頂部を撃ち抜かれることを予期し、クワガストは力づくでヴォルクの体を投げ飛ばした。
しかし、その流れこそ、ヴォルクの狙い目。

「ッ……兄者ぁ!!」

クワガストの叫びに気づいたヘラクリウスは、ゼロへと向けていた攻撃を直ちに中止する。
二門の銃口が確かにヘラクリウスの方向へと向いてるではないか。

「ぬぅおッ!」

呻き声とともに急速上昇。――――紙一重というところで、どうにかヴォルクの弾丸を避けきる。
上空へと上がりながら、ヘラクリウスは己を狙った隻眼スコープの男を称賛する。クワガストとの遣り取りの中、正確にこちらの位置を把握し、この戦術へ至ったのだ。

「やってくれる! しかし、これは…… ど う だ !?」

歓喜を重ねた声色でヘラクリウスはそう叫ぶと、三本の角それぞれにエネルギーを充填し、それを融合。そして一気に解き放った。
極大のプラズマ弾がヴォルクを狙って空を駆け抜ける。
だが、ヘラクリウスの予備動作から予測したのか、一歩早く動いていたヴォルクは辛うじてそれを躱す。だが、その体を狙って、今度はクワガストが突撃をかける。
即座に割って入ったゼロが、ゼットセイバーを振りぬいた。クワガストはその直前で、ほぼ直角に曲がって回避するとそのまま身を翻し、アンカーをゼロに向けて放つ。

「邪魔ッ!」

払い除けようとセイバーを振り回すが、アンカーはそれを待っていたかのようにゼロから離れる。
「しまった」と顔を歪めるのとほぼ同時に、無防備なゼロへ向けてアンカーからレーザーが放たれる。咄嗟に右足で地を蹴り、空中で身を回転させながら第一陣のレーザー攻撃を躱し切った。
だが、バランスが取れぬまま地に着くと、当然ながら体勢を崩し、その場に倒れこむ。それを狙って、クワガストは再びレーザーを撃ちこむ。――――しかし、そのアンカーを、ヴォルクの正確な銃撃が弾く。
安堵するのも束の間、ヴォルクの後方で、先ほどの雷撃弾の倍近いエネルギーをヘラクリウスが充填しているではないか。

それを見た瞬間、ゼロは左腕のジェネレーターを急速稼働させる。そのエネルギー量の変化を見て取ったクワガストは「いかん!」と空中で体勢を変え鋏をゼロへと向けて加速する。だが、それに対し“棺桶”の背面をまるで盾のようにしてヴォルクが飛び込み、クワガストの一撃を防ぐ。
その攻防を他所に、ヘラクリウスとゼロは互いのエネルギーを一気に解き放った。

アースクラッシュとビートプラズマ――――ぶつかり合う二人のエネルギー弾は、まるで雷のような激しい閃光と衝撃音を連続して放ち続ける。
そしてしばらくすると、それら二つのエネルギーは互いの向かうべき道を見失い、その場で大きな爆発音を上げるとともに花火のように弾け飛んだ。

「くぉッ!」

閃光に視覚センサーを焼かれたクワガストが、敵を見失う。その隙を、ヴォルクは見逃さなかった。
直ぐ様“棺桶”ごとクワガストを押し退け、後方へと距離をとる。そして、再び側面ハッチを開放し、残りのマイクロミサイルを、未だ視力を回復できずにいるクワガストに向けて発射する。
直撃コースに入ったミサイルの行く末を目で追う、ちょうどその時、黒い影が頭上を覆い、通り過ぎる。

ヴォルクがクワガストを狙うだろうことを予測したのか、単に弟を心配に思ったが故なのか、とにかくヘラクリウスはヴォルクの想定よりも早く、クワガストの援護に駆けつけた。
アンカーから放たれるレーザーは正確にミサイルを撃ち落としていく。そして、クワガストの無事を確認すると直ぐに身を翻してヴォルクの方へと向き直る。

「見事! だが、そこまでだ!」

連続して放たれる雷撃弾。ヴォルクはまたしても距離を取るべく後方へとステップを踏んでいく。だが、ここまでの戦闘からヘラクリウスはその動きを完全に先読みし、既に手を打っていた。
忽ち後方より放たれるレーザーが、ヴォルクの左腕を焼く。事前に飛ばしたまま配置していたアンカーが、功を奏した。

「消し炭となれ!」

掛け声とともに、もう一機、反対方向に配置されていたアンカーが火を噴く――――その直前、鮮緑の刃がヘラクリウスから伸びていたアンカーのラインを、斬り落とす。

「紅いのッ!?」

「もう一本!」と、もう一つのアンカーへと飛びかかるゼロ。それに対し「させるかッ」と声を上げ、アンカーを瞬時に巻き戻す。
同時に雷撃弾をヴォルクへと浴びせる。すかさずサイドステップでかわし切るヴォルク。そこに、自己修復機能をフル稼働させ、視力を回復させたクワガストの大鋏が襲い掛かる。

「……ッ!」

初めてヴォルクが口端を苦痛に歪める。右側はなんとか“棺桶”を盾にして防げたが、左わき腹には鋏の刃が食い込んだ。直ぐ様痛覚を遮断して、先ほどのレーザーで焼かれた左腕を押しこみ、鋏の刃を押し戻そうとする。

「だが、無駄だ!」

ヴォルクの奮戦むなしく、鋏は微動だにせず、やがてキリキリと内部へと刃を食い込ませてゆく。
だが、次の瞬間、ヴォルクはいつも通りの無表情へと戻り、一言だけポツリと言ってのけた。

「……調子に乗りすぎだ」

それとともに“棺桶”をクワガストへと向ける。――――と、“棺桶”の胴体が二分割され、まるでワニの顎のように開く。その中央には一本の巨大な“杭”が姿を見せていた。


「パイルバンカー!?」


「 貫 け 」


短く言い放ち、トリガーを引く。刹那、巨大な杭が高速で撃ちだされる。
咄嗟に身を躱したクワガストだったが、その原始的な杭撃ち機は、鋏の左刃を、後方に隠れていた左腕共々貫き壊した。

「~~………っのぉれぇぇぇえ!!」

怒りに任せたクワガストは残った右刃を乱暴に振り回す。ヴォルクは手早く杭を引き戻しながら、バックステップでそれを躱す。そして再び“棺桶”を振り上げ、クワガストを狙う――――が、そこにヘラクリウスのレーザー攻撃が降り注ぐ。

「クワガスト! 頭を冷やして援護に回れ!」

「兄者……すまぬ!」

ヘラクリウスの言葉を素直に聞き入れ、若干距離を取り、アンカーからのレーザー攻撃主体へと切り替える。狙いは、ヘラクリウスへと斬りかかる紅い影。
ゼロは大きく舌打ちながら、クワガストのレーザーを掻い潜り、ヘラクリウスへとゼットセイバーを振りぬく。しかし、無理な体勢からの一撃は虚空を斬る。
そのままヘラクリウスは、再度クワガストへと攻撃をかけようとしているヴォルクへと、角を向けて突撃をかける。殺気を察知したヴォルクは銃口をヘラクリウスへと向けて引き金を引き絞る。
だが、ヘラクリウスは右に左にと体を揺らして容易に照準をつけさせない。放った銃弾が虚しく飛び去るのを見て取ると、ヘラクリウスの体が目と鼻の先に迫ったタイミングで、ヴォルクは地を蹴り、その場を離れた。瞬間、ヘラクリウスはアンカーを地に突き刺し、遠心力を利用して加速するとともに、方向転換を図る。

「逃がさぬッ!」

ヴォルクの体がヘラクリウスの角に串ざされる――――という寸前で、ゼロの足がヴォルクの体を蹴り飛ばす。
しかし、弾かれるまま、ヴォルクは“棺桶”の銃口を、通り過ぎてゆくヘラクリウスへと向けて再び引き金を引き絞る。
ヘラクリウスは獲物を捉えられなかったことに悪態つきながら、アンカーを地に突き刺し、反転すると、その勢いで体勢を戻した。そしてそのままヴォルクの銃撃にレーザーの乱射で応戦する。

ゼロは直ぐ様駆け出し、飛び交う銃撃をくぐり抜けながら、ヘラクリウスの元へと飛び込んでいく。
その眼前には、半壊のクワガストが立ちはだかる。

「これ以上やらせてなるものか!」

「退いてろ!」

ゼットセイバーと、プラズマエネルギーを纏ったクワガストの右刃が鍔迫り合う。
互いに力を抜かず、互いに道を譲らず……飛び散る火花の輝きはまるでお互いの情念の強さを表しているかのようだった。

「 勝 つ !  例え英雄だろうとなんだろうと! 俺達は必ず勝つ! 勝って真の栄光を掴むのだ!」
 

「そんな栄光に一体なんの価値がある!? こんな醜い命の奪い合いで掴んだ栄光なんざろくでもない! 退け! 生き抜いてしか掴めないものがあるだろう!」




「キサマには分からぬ! 戦乱の世に生き、己の所以を得られたキサマには! 真に“英雄”となれた キ サ マ に は ! ! 」





響き続ける雷鳴。飛び散る火花。猛々しい咆哮。
うっすらと白く塗りたくられた大地の上で、繰り広げられる熾烈な争い。

クワガストの瞳は少しも揺らぐこと無く前だけを見据えてる。どこまでも、真っ直ぐに前だけを。
その瞳の輝きに、パーソナルカラーに、そして先日巡ってきた突然の邂逅に――――ゼットセイバーを握るゼロの手は、ただ固くなるばかりだった。









































  ―――― * * * ――――


空に浮かぶ星たちは、どれだけ自分の生まれた理由を知っているのだろうか。どれだけそれに納得しているのだろうか。
遠い宇宙の片隅で、まるで命のようにまばゆい輝きを放ちながら、何を思っているのだろうか。
自分にはまるで見当もつかない。自分の存在の理由も、それを納得させるだけの証明も。生きる所以も、何もかも……



『また、ここにいたのか』


コロシアムの中心で寝転びながら、夜空を見つめているクワガスト・アンカトゥスの元へ現れたのはヘラクリウス・アンカトゥスであった。
声をかけられたのは久しぶりだ。ここでこうして星を眺めるようになってからは初めてだ。――――「また」ということは、どこかから見ていたのだろうか。

『一体何用だ』

ぶっきらぼうにそう問い返しながら、クワガストは起き上がる。クワガストは、目の前にいる男が殊更嫌いだった。
憎たらしく思えるような笑みを零しながら、ヘラクリウスは空を見上げる。

『ふむ…良い夜だ。星の灯火が、まるで生命の輝きのようにも見える』

クワガストは、ぴくりと反応する。
自分と同じ感性を持ち合わせているのは仕方がない。二人は兄弟機として作り上げられたのだ。その精神プログラムには似通っている部分も確かにある。
だが、だからこそ余計に憎たらしい。自分と同じようでいて、自分とまるで違うこの男が。

『……用件は分かっている。コロシアム出場のことだろう』

クワガストは自分から切り出す。
生まれてからこの方、度重なる要請を無視してコロシアムに一度も出場していない。彼の出場予定の穴は、全てヘラクリウスが埋めている。
きっと、彼は自分を叱りにでも来たのだろう。わざわざこんなところに来たのは、それくらいしか理由が思いつかない。

『だが……キサマがいくら何を言おうと、俺は出場せん。あんなお遊びの場に、誰が出るものか』

肌で感じずとも、知っている。所詮は人間の娯楽。コロシアムなどと言えばカッコが良いが、その実はサーカス――――いや、見世物小屋と言った方が適している。
しかし、クワガストの予想に反して、ヘラクリウスはただ笑い声を上げるだけだった。叱りもせず、嫌味もなく。そして、言った。

『良い。そうお前が思うのであれば、それで良い。俺はそんなお前が気に入っている』

そして、そのまま振り返り、『邪魔したな』と言い残して立ち去ろうとする。
そんなヘラクリウスの背中に、クワガストは思わず『待て』と声をかけていた。
クワガストは、ヘラクリウスが気に入らなかった。どこまでも気に食わなかった。

『何故、キサマはあんなものに出る!?』

ヘラクリウスは足を止める。そして『何?』と振り返る。
クワガストは思うまま、叫ぶ。

『キサマは戦場を知っている! それなのに、何故あのような場に出る!?』

四軍団結成以前、ヘラクリウスはネオ・アルカディアの将軍として前線に赴き、多くのイレギュラーを葬ってきた。
四軍団結成以後、生まれ出たクワガストは一度も前線に出たことがなかった。一度もイレギュラーを手にかけたことがなかった。
クワガストは、ヘラクリウスが気に入らなかった。気に食わなかった。
自分の知らない栄光の場所を知りながら、それを平気で捨て去り、ままごとのような世界に身を窶す英雄が気に入らなかった。
そしてその理由が、自分が味わってもいないというのに、まるで手に取るように分かってしまうのが苦しかった。



『分かっているぞ、ヘラクリウス! 戦場は――――俺達の望む場所は何処にもなかったのだろう!?』



生まれ出た理由を知っている。
戦うためだ。命の限り戦い続け、敵をなぎ倒し、英雄となるためだ。人間たちはそう願って、俺達を作った。
だが、蓋を開けてみればどうだ? 自分たちの実力に敵うような者達は何処にもいない。腑抜けたイレギュラーばかりを相手に戦い、英雄と祭り上げられる。
挙句、後から生まれてきた者達だけでその役目は事足りると知ってしまえば、どうだ? それ以上その場所に留まる理由もないと気づいてしまうのに時間はかからなかった。
――――しかし、それはその戦場だけか。

『この世界の何処にも、俺達は必要とされていないのだろう!?』

存在の理由が見つからない。
自分を必要とする場所は何処にも見つからない。この力のやりどころが見つからない。戦うために生まれたというのに、その戦いは何処にもない。
命を燃やし、心を焦がし、信念の限り戦う場は何処にもない。

――――それなのに、生き続ける理由は何だ!?



『答えがほしいか、クワガスト』


やりどころのないクワガストの心の叫びに、ヘラクリウスは問い返す。
そして、クワガストは瞬時に感じ取った。先ほどまでとまるで違う、闘気に満ちた“真の英雄”がそこに現れたのを。


『ならば、来い。お前に“標”をくれてやる』


『何を馬鹿なことを』とクワガストは悪態つく。
戦闘経験は確かにヘラクリウスの方が上だ。しかし、クワガストの基本スペックはヘラクリウスを余裕で上回る。
戦いの結果はやる前から見えていると言っていい。だが、ヘラクリウスは嘲笑とともに言う。


『怖いのか、クワガスト。“戦士”ともあろう者が、死を恐れるか?』


その言葉に、クワガストは意を決した。

『抜かせ、旧式ィッ!!』

咆哮とともに地を蹴り、スラスターを最大出力で吹かす。
時間をかけるつもりはない。一撃で決める。油断しきったこの英雄を、軽々と捻り潰してくれる――――……………………‥‥‥‥・・・




























――――目を開けた時、再び夜空が満天の星とともに視界いっぱい広がっていた。


『気づいたか』と横に座るヘラクリウスが声をかける。その状況に、クワガストは全てを思い出し、理解する。
クワガストのスピニングブレードを軽く躱した後、ヘラクリウスはアンカーを駆使してクワガストを絡めとると、一気に畳み掛け、組み伏せた。
鮮やかな手並みだった。実力差を痛感した。彼は本当に、“英雄”に相応しい力を持っていた。

『………何故だ、それほどまでの力を持っているのに……』

クワガストの声は震えていた。
悔しいのか、虚しいのか、腹立たしいのか――――あるいはその全てか。そして、それは誰に対してか。何に対してか。
生まれた場所は、力を持つ者を赦してくれる世界ではなかった。その理由を、足蹴にするような無情な世界だった。
ヘラクリウスが嫌いだった。そんな世界を受け入れているようで。まるで平気な顔をして生きているこの男が。その生き方が。
そんな彼の想いを感じ取ったのか、ヘラクリウスはやさしく声をかける。

『クワガスト、お前はなにか勘違いをしている』

『何?』と問い返すクワガストに、彼は笑いかける。

『確かに我らは戦うために生まれた。しかし、俺は俺――――お前はお前だ』

それがヘラクリウスの出した答だった。

『理由のために生きるのではない。誰かに定められた使命を成し遂げるばかりが生涯ではない。俺達はこうして意志を持って生まれたのだ。レプリロイドとして。選ぶ権利を持って生まれたのだ。どう生きるか、定められてなどいないのだ』

言葉の意味がようやく分かった。何故、ヘラクリウスはこんな自分を許すのか。
我武者羅にでも自分を通そうとしていた、そんなクワガストの姿が、彼は気に入っていたのだ。

『なんのために生きるか……そんなものはもう分からぬ――――いや、俺は自分で決めた。今いる場所が俺の戦場なのだと、納得した』

それは、決して妥協ではなく。諦めでもなく。
この生き方を通すと、“選んだ”のだ。

『人々を守り生きていくことを選んだのだ、俺は。己の欲を満たす以上に、原初の理由を達する以上に、それが今の自分にできることなのだと、納得した』

この場所で、己が選んだ戦場で精一杯に闘いながら、足掻きながら、藻掻きながら。
理想の場所は程遠い幻かもしれないと思いながらも、それでも、強かに生きていく。

『無論、願いもする。いつか対等に渡り合える強者に出会えることを。存分に力を振るえる場所が見つかることを』

今の場所に満足する必要はない。“願う”ことは侵されない自由だ。何者にも赦される権利だ。
願いながら、生きていく――――そんな生き方でも良いのではないかと、ヘラクリウス・アンカトゥスは思うのだ。

『それでも、クワガスト。もしもお前が理由を必要とするのなら。それがなければ生きられぬというのなら――――』

ヘラクリウスはそっと手を差し伸べる。





『いつかそれを掴む日まで、俺がお前の“標”となろう。その間だけは俺を“兄”と呼べ、クワガスト』






『……兄者』





自然と言葉は溢れていた。そして、気づけばその手をしっかりと握っていた。

それからクワガスト・アンカトゥスはヘラクリウス・アンカトゥスの弟としてコロシアムに出場した。その壮絶な戦いぶりは脚光を浴び、もう一人の“英雄”と直ぐに祭り上げられた。
クワガストは、兄とともに“英雄”として生きることに決めた。相変わらず『まるでお遊びだ』と悪態をつきながら、『強者と出会いたい』と願いを口にしながら。
それでも、この生き方を続けるのだと納得していた。目の前を、揺らぐこと無く進んでいく兄の背中を追いながら。

――――兄者、俺はもう掴んだよ

今いる場所が、いつでも自分の戦場だと。何かに憧れながらも、願いながらも、不満を口にしながらも、それでもこの場所を受け入れて生きていくのだと。
そんな生き方が、存外悪いものでもないと思える“自分”が嫌いでなくなった。

――――それでも……いや、だからこそ呼ばせてほしい

親しみを込めて。愛情を込めて。憧れを込めて。尊敬を込めて。
これからもずっと、目の前を歩き続ける“英雄”を“兄”と呼び続けよう。そう、クワガスト・アンカトゥスは心に誓った。
そしていつか、生まれた意味を真に肯定してくれる、夢見た戦場に二人で辿り着くのだと、“真の栄光”を二人で掴み取るのだと強く願うことにした。
























  ――――  5  ――――


ア・ヴォルク・エイヴァイラーは考える。この戦闘で如何に勝利をもぎ取るか。
今の体では、四人の中で最も戦闘能力に乏しいことは明白だ。ここまでギリギリの攻防の中、生き残れているのは卓越した戦闘スキルがあってのことだ。
しかし、戦いが長引けば長引くほど、その能力差は戦闘に大きく影響してくる。それならば、どうするか。

ア・ヴォルク・エイヴァイラーは考える。
目の前に立ちはだかる二人のミュートスレプリロイドは明らかに強い。しかし、如何に力を持った“英雄”でさえ、必ず欠点を持っている。
さて、ヴォルクがアンカトゥス兄弟に与えた評価は、ゼロとは若干異なるものであった。

自分たちを含めた中で、最も戦闘の才に優れる者――――それは間違いなくクワガスト・アンカトゥスだ。
基本スペックのみならず、戦闘に際し研ぎ澄まされるセンサー、その感度、反応は、見紛うことなき最優の証。
しかし、彼には致命的な欠点がある。その“性格”だ。
直情的な性格は、センサー類の判断を鈍らせ、反応を遅らせる。己のスペックを引き出せない、言わば二流の戦士。

最も警戒すべきは、最も戦闘を知る男――――ヘラクリウス・アンカトゥスだ。
基本スペックでは弟に劣るどころか、ゼロにも及ばないだろう。だが、それを補って余りある的確な判断力、優れた戦闘技術を持っている。
完全無欠と言っても差し支えない戦闘能力は、敵に、なかなか有効打を決めさせてくれない。
だが、どれだけ優秀な戦士であろうと、“英雄”であろうと、必ず一つは欠点を持っている。それはレプリロイドという存在が、人間という不完全な存在に作られたがゆえの宿命なのだ。


ちょうどその“欠点”を狙えるポイントで、ヴォルクは“棺桶”を回転させるように持ち直し、箱の上部をそれに向ける。
パックリと割れたそこから顔を覗かせるのは、対ライドアーマー用のロケット弾だった。


「何をッ!?」


ヘラクリウスは思わず口走る。
先ほどまで自分を狙っていた男の矛先が、別を向いている。たった一瞬の攻防の隙に。
そしてその先を理解する。

――――しまった!!

それは絶妙なタイミングだった。それまで頑として見せなかった隙を突かれた。
今から最大速度で阻止に動こうとも、ギリギリ届かない距離。巻き戻したアンカーがギリギリ間に合わないタイミング。そして、ヤツの標的が紅いイレギュラーとの攻防の末打ち負け、身動きがとれなくなった一瞬。
ただこのタイミングを狙う為だけに、ア・ヴォルク・エイヴァイラーはヘラクリウス・アンカトゥスとのやりとりを続けたのだ。
取れる選択肢は二つ。――――生きるか、生かすか。
しかし、冷静沈着にして完全無欠の英雄は、その時だけ、その一瞬だけ、頭より先に感情で、己の道を選んだ。





「 ク ゥ ワ ガ ス ト ォ ォ ォ オ ォ ォ ォ ォ ォ オ オ ォ ォ ォ ォ ッ ! ! 」






「兄者ッ!?」とクワガストが振り返る刹那、爆音と閃光が迸る。そして、紅の破片が宙に舞い散り、無残に壊れ果てた躯が、煙を燻らせながら地に伏した。
クワガストは呆然と立ち尽くした。そして目の前で起きた惨劇を理解すると、叫び声を上げ、その躯に駆け寄った。






「 兄 者 ぁ あ ぁ あ ぁ ぁ ッ !! 」







膝を地につき、ヘラクリウスの躯にアンカーをかけ、抱き上げる。
ヘラクリウスは、その身を盾にして弟を守った。そして、無残にも命を散らしてしまった。
栄光も、夢も、願いも――――全てが散った残骸を胸に抱きながら、衝動のままにクワガストは再び叫び声を上げる。






――――その瞬間。
無情な調べを空に響かせながら、一本の杭がクワガスト・アンカトゥスの胸部を、背中から貫いた。






やがて完全に機能停止し、ぐったりと動かなくなった鉄の塊を見つめながら、ヴォルクは地獄から響くような声で、一言だけ吐き捨てる。

「……終わりか……実に、つまらん」

たったその一言が、彼らに手向けられた最期の花だった。

ヘラクリウス・アンカトゥスの唯一つの欠点――――クワガスト・アンカトゥスというただ一人の存在。
悟らせまいとしていたが、半壊した彼を気にかけながら戦っているのを歴戦の猛者には容易に理解できた。
そして、感情の抑制が効かない弟が、彼の死に取り乱すだろうことも、また然りだった。

“英雄”として生まれた二人のミュートスレプリロイド、アンカトゥス兄弟。
存在の所以を問いただし、それでも己の境遇を受け入れて、向かい風の時代を強かに生き抜いてきた二人の戦士。
その最期は実に呆気ないものとなってしまった。



決して、誰もが劇的な死に様を迎えられるわけではないのだ。











































  ――――  6  ――――


白雪の上に伏した二人の躯を見下ろしながら、ゼロは無言のまま立ち尽くしていた。
蒼と紅――――その二つの色が、実に印象的だった。

「……ッ!?」

そして突然、胸ぐらを掴み上げられる。
先ほどまでの無表情から一転、ヴォルクは鬼の形相でゼロを叱咤する。


「キサマ、一体何を考え戦っていた!?」


咄嗟に口を噤み、ゼロは答えられなかった。
こちらを見つめるメカニカルスコープ。その中心に映る自分の姿に、まるで胸の内を全て読まれているような気がした。
ヴォルクは奥歯を「ギリッ」と噛み締めた後、怒りを押し殺しながら冷静に唱える。

「あの色に……己と“奴”とを重ねたか?」

ゼロは思わず唇を噛み締めた。
答えるまでもない。悔しいことに、ヴォルクの言葉は的確だった。

――――ああ、そうだとも

ヘラクリウスとクワガスト――――まるで自分と“友”のような二人に、少なからず影を重ねていた。
この戦いの中、ゼロの力はほとんど発揮されていなかったと言っていい。そしてその理由の一つは、間違いなくそれだった。
ヘラクリウスがヴォルクの手で破壊された後、戸惑うクワガストを背中から斬り倒すこともできた。しかし、ゼロはそれを躊躇ってしまったのだ。
いつかの“友”の背中に見えて。想いが重なって。ゼットセイバーを握る腕が、ぴくりとも動いてくれなかった。

やがてヴォルクは手を離し、背を向ける。これ以上問い詰めたところで意味など無い。
だが、言っておくべきことがある。言わねばならぬことがある。


「……くだらん郷愁に駆られ、戦いの中で戦いを忘れたというのであれば…………キサマの“刃”は折れたも同然だ」


ヴォルクの言葉は、胸に深く突き刺さる。
それは、“剣”として生きることを誓ったゼロに対する、存在の否定に他ならない。
そのことを、ゼロ自身痛いほどに理解できた。

「どこぞの“甘ちゃん坊や”のような考えが染み付いているのなら、己の存在意義を思いだせ。“破壊神”と称された、己の宿命を……な」

それは忌むべき宿命なのかもしれない。だが、全てを否定することもできない。
その力のおかげで今もまだ、自分はここに立つことができているのだから。



「…………まるで、俺達のことを知っているかのような口ぶりだな、ヴォルクさんよ」

不意に引っかかりを覚えたゼロは、すかさず問い返す。
だが、暫くの間を置いた後、ヴォルクは少しも表情を崩すこと無く、徐に答えた。

「……安心しろ――――今は味方だ」

意味深な発言は尚もわだかまりをゼロの心の奥に残す。
だが、不審に思うゼロに対し「それよりも」とヴォルクが向き直る。そう、今はそれ以上に厄介な問題が残っている。

「これからどうするつもりだ? あの“小娘”の言葉を聞いて尚、キサマはネオ・アルカディアとやらに戻るのか?」

その問いはもっともだった。
そしてそれもまた、ゼロが戦いにおいて本領を発揮できなかった理由の一つでもある。そのことがずっと頭について離れなかった。
ゼロはネオ・アルカディアの方角を見つめる。
そして瞼を軽く閉じ、先ほど、別れ際にシエルが叫んだ言葉を反芻する。





















『待って、ゼロ!』

荷台からシエルが乗り出し、叫ぶ。
『危ないですよ!』とティナがその身を抑えようとする。
『大丈夫だから』とティナに目で言い聞かせ、それからズイと身を乗り出し、風に揺れる邪魔な髪を掻き上げながら、声を張り上げる。


『 違 う の ! 』


振り向こうとしないゼロの背中に向けて、精一杯に叫ぶ。



















        『あのエックスは! ――――彼は、あなたの知っているロックマンエックスではないの!!』


























「………………賢明だな」


ネオ・アルカディアの方角に背を向けて歩き出すゼロに、ヴォルクは一言だけそう言うと、後について自分も歩き出した。
うっすらと白い大地の上にはただ、紅と蒼の躯が静かに横たわるだけだった。






















 32nd STAGE











         Red, White and Bullet Blues












































……………






………………………






「アンカトゥス兄弟、完全に沈黙。紅いイレギュラーと、隻眼スコープの男は白の団へと戻る模様。――――契約履行を確認」

〔了解した。直ちに基地へ戻れ、カルト〕

通信回線より下された指示に、一部始終を眺めていたカルト・デフェールは「ハッ」と短く答える。
一方、通信回線の向こう側――――黒狼軍本拠地にて連絡を受け取った人間、エボニー・ベルサルクは静かな笑みを浮かべる。

「これで、厄介な連中が消えてくれた」

ヘラクリウス・アンカトゥスとクワガスト・アンカトゥス。紛うことなき最強の双璧をネオ・アルカディアは失った。
イレギュラーハンターや四軍団など、クリアしなければならない事項は多々あるが、それも全て“上”がやってくれるだろう。
勿論、件の“救世主”についてもまた然り。

「それにしても、この契約。自分は不可解でなりません」

「気持ちはわかる。だが、向こうの思惑を勘ぐったところで、情勢は変わらん」

ネーヴェの言葉を、ベルサルクは軽く切り捨てる。
“あちらさん”――――隠将ファントムが出した条件は「紅いイレギュラーの逃亡を手助けすること」。そして、それに対しこちらが突きつけた要求は「アンカトゥス兄弟の処分」だった。
それをネオ・アルカディアに属するはずのファントムは躊躇なく受け入れ、今回の戦闘へと導くことを提案してきた。おかげで黒狼軍、斬影軍団共に手を汚すこと無く互いの要求は遂げられた。
不可解といえば不可解であるが、ベルサルクの言葉通り、深く勘ぐったところで変わりはしない。
死に体となっているネオ・アルカディア――――あるいはファントム個人がどのような思惑を持って紅いイレギュラーの命を救おうとしたのか知れないが、今の内情を覆す材料があるとは思えない。
そしてまた黒狼軍にとって、確かに紅いイレギュラーの存在はこの先脅威となるだろう。だが、戦闘データを確認する限り、ベルサルクと同等程度かそれ以下。ならば、今後の戦力差も含めて、敵になり得るとは考えにくい。

「あとは時を待つだけさ、ネーヴェ。革命の扉はすぐそこだ」

その扉が開かれた時、古き秩序は崩壊し、新しい世界が始まる。
しかしその先にある未来を、今は誰も知り得ることはない。




























         To be continued ......
























[34283] 33rd STAGE 「    」
Name: 村岡凡斎◆45ff140f ID:e5a820fd
Date: 2013/09/28 16:02


  ―――― * * * ――――




蒼天に浮かび照りつける太陽の下、二人の男が対峙していた。
流れる金髪に真紅のコート――――紅いイレギュラー、ゼロ。
そして不気味な笑みを描いた白の仮面に漆黒のコート――――隠将ファントム。
互いの動きを警戒してか、無言で向かい合ったまま立ち尽くすこと数分。
先に動いたのは、ファントムだった。

高速で駆け寄りながら、ビームサーベルを懐から抜き出し、下から一気に斬り上げる。
それを、ゼロは瞬時に察知して、抜き出したゼットセイバーの刃で受け止める。

それから始まる剣戟のやりとり。
光速で繰り広げられるそれは、まるで互いの胸の内を剣で探っているようで、互いに全力でないことはおそらく分かっていた。























  ―――― * * * ――――


「話してもらいましょう、シエルさん。あなたが知っている真実を」

白の団にゼロ達が戻った次の日、エルピスやセルヴォ、ジョーヌやルージュなど、主要なメンバーを交えて、緊急会議が行われることになった。
議題は勿論、シエルがゼロに放った言葉の真意について。シエルはエルピスの問いに、率直に答える。

「ゼロに言ったとおり、今ネオ・アルカディアにいるのは……過去に大戦を終結させたロックマンエックスでは無いわ」

「どういうことだよ、シエル!」

急かすヘルマンを、すかさずコルボーが抑える。先を知りたい気持ちは誰もが持っている。
だが、まずはシエルの口から、落ち着いて全てを聞かないことには始まらない。
少しの沈黙の間、何処から話せばよいかと迷った後、シエルは事の始まりから話すことにする。


「百年前、ネオ・アルカディアが建国して直ぐに…………ゼロ、あなたとともに戦ったロックマンエックスは、人類の前から姿を消したわ」


ゼロの体が思わず強張る。
シエルがバイル卿から伝え聞いた限りでは、ゼロが眠りにつき、戦いがあらかた収束し、ネオ・アルカディアの仕組みを取り決めた後、エックスは数人の人間に別れを告げ、そのまま旅だったらしい。
「何故だい?」とセルヴォが落ち着いた声で問いかける。

「彼は……『最期の戦いに向かったのだ』と、“おじいさま”から聞かされたわ」

政治の中枢を担う数人の人間にだけ別れを告げたまま、彼はある晴れた日の朝、最後の戦場へと旅だった。
そして、その戦いに赴いたまま、救世主ロックマンエックスは二度と帰ってくることはなかった。

「その事実は最初、ロックマンエックスの言葉通り公にされるはずだったの。けれど、一部の人間――――今で言う元老院議長の地位にある人達はそれをしない事に決めたわ」

大きな戦争を終え、疲弊した人類。ようやく救いの手に拾われたと思った次の瞬間に、その救世主がいなくなってしまったとなれば、統治の仕方に影響が出ると思われたのだ。
ロックマンエックスの意志を守るべきだと主張し、反発する者もいたが、結局は公にしない方向で意見はまとまってしまった。

「でも、当のエックス様はいないんですよね? どうしたんですか?」

いつになく真剣な面持ちで、ジョーヌが問いかける。
シエルは、彼女の目を見て、それから皆の顔を眺めて、真実を告げる。


「当時の元老院議長達は、彼そっくりに作り上げた男性型レプリロイドを、“救世主エックス”として代役に仕立てたのよ」


これから少女の口から語られるのはネオ・アルカディアの核心。



――――“救世主”と呼ばれたレプリロイドと、その真実。








































 33rd STAGE











         偽りの太陽











































  ――――  1  ――――


「まさか……それがあの“エックス”だってのか?」

場を包む沈黙を切り裂くように、ゼロが問い返す。だが、シエルはすぐに首を横に振った。

「いいえ、違うわ。話は、もう少し複雑なの――――」




人々が救世主として祭り上げた“エックス”は、暫くの間は象徴として機能した。
彼を見れば誰もが頭を垂れ、誰もが跪き、拝んだ。彼は救世主を見事に演じていた。
しかし、過去の記憶を持たぬ彼がいつまでもその地位に留まっていられるはずもなく、すぐに訝しむ者達が現れ始めた。

「元の救世主がいないと知れてしまえば、権力を求める人々が争いを起こすのは至極当然に思えるよね」

そうなれば、ネオ・アルカディアという人類の楽園はどうなってしまうだろうか。
救世主の力があってこそ結束できた人々の心は、再び離れてしまうのではないか。
――――もしかしたら、そうした不安の裏には自分たちの地位への執着もあったのかもしれない。

「……秘密が明かされることを恐れた当時の元老院議長達は、どうにかして誤魔化す手段を考えたわ」

そして、ひとつの案が実行される。
マザーのデータベースに保管されていたロックマンエックスの記憶データをサルベージし、その代役に流し込んだのだ。

「『自身をロックマンエックスであると自覚し、尚且つ記憶が伴い、思考を受け継ぐことができれば、誰も疑いようのないロックマンエックスが出来上がる』というわけですか」

エルピスの言葉に、シエルは頷く。だがすかさず「けれど、そこでも誤算が生まれたの」と返す。
事態は彼女の言葉通り、思わぬ方向へと動き始める。
記憶を流し込まれた“エックス”は、数ヶ月と経たない内に機能を停止してしまった。――――それも、自壊プログラムを自ら作動させて。

「誰もが驚き、戸惑ったわ。ロックマンエックスの記憶データにバグやウイルスが入り込んでいないか、マザーの力も借りて、綿密にチェックを重ねたの」

「それで……その結果は?」

ルージュの問いに、シエルは彼女を見つめて答える。

「オールグリーン……全て正常だった」

ロックマンエックスの記憶データに問題は無い。ならば移植時の問題があったのかもしれない。
元老院議長達は、すぐに新たな“エックス”を用意して、同様の措置を取った。
だが、結果は同じだった。今度は一年ほど持つことができたが、やはり“エックス”は機能停止してしまった。
原因不明の“何か”の影響でロックマンエックスの記憶移植は困難を極めていた。

「元老院議長達は頭を抱える一方で、矢継ぎ早に新たな“エックス”を仕立てていったわ」

一年か、或いは五日か、中には三年もの間耐えた者もいたが、結果的にはその全てが機能を停止させていった。
そうしていつしか“エックス”の継承は裏の恒例行事となっていた。新たに“エックス”として生み出されたレプリロイドはある一定の学習期間の後、マザーからロックマンエックスの記憶を受け継ぐという慣例ができつつあった。
そのほぼ全てに、ロックマンエックスと交流を持ったバイル元老院現名誉議長が関わっていた。
やがて時代とともに元老院議長団も世代交代を重ねていき、更には寿命を迎える者、不慮の事故で命を落とす者……様々な理由で真実を知る者達も減っていき、今ではもうマザーとバイル、その側近という数人程度しか真実を知り得ていない。
しかし、そうして秘密を隠匿する者達が減っていく中で、訝しむ者は増えるばかりだった。その典型が、元老院現最高議長ヴィルヘルムである。

「ヴィルヘルム卿のように、おじいさまの周辺を探る者達が出始めて……おじいさまは危機を感じるようになったの」

いつか救世主の真実が明るみに出てしまうかもしれない。そうなった時、いったいこの世界はどうなってしまうのか。まるで検討もつかない恐怖が、危機感を募らせる。
そしてネオ・アルカディアの危機を解決すべくバイル元老院名誉議長は一つの結論にたどり着く。

「おじいさまが出した答えは、言ってしまえば“ロックマンエックス”の制作。――――つまり、これまでの“代役”とは違う、外見のみならず精神プログラムまでの“全て”を含めた特徴を完全に模したレプリロイドを作り出す事」

“代役”がダメならば、“本物”を作り上げればいい。――――一見、簡単に見える答えだが、これは至極困難な問題であった。
ロックマンエックス自体は確かに百年以上前の技術で制作された。しかし彼が流すことができた“涙”についての解析すらできない技術力だったのだから、その製作者と、現代の技術者たちとの差は歴然だった。
しかし、不可能と切り捨てる訳にはいかない。そのままいけば、ネオ・アルカディアという国家がどうにかなってしまうかもしれないのだから。
それからバイル名誉議長は自分が囲っていた技術者たちに、“本物”を作るよう命じた。無論、理由は伏せた上で。
出来上がった“エックス”は、ほぼ完璧に近かった。“本物”に限りなく近く作られた、“完璧な模造品”だった。

「けど、それでもダメだった……」

“完璧な模造品”達は、これまでの“代役”に比べれば、時間的には耐えたと言っていい。中には最長で十年間、“エックス”として振る舞った者もいる。
しかし、結局はどれも失敗に終わった。どの“完璧な模造品”も、全て、“代役”と同じように自壊プログラムを作動させて自らの命を絶っていった。
そして切羽詰まったバイル名誉議長は現代より十数年程前に、とある計画を強引にスタートさせた。

「おじいさまは国防強化の名目で、自分が認める四人の技術者に自身最高のレプリロイドを作成するよう要請を出したわ」

「十年前……四人……と言うと、まさか!?」

思わず声を漏らすセルヴォに、シエルは頷く。


「救世主“エックス”を作るに相応しい最高の技術者を選出するためのコンペティション――――それが、“四天王計画”の真実よ」


ロックマンエックスの戦闘データをフィードバックさせ、その精神プログラムを参考にするという条件のもと、四人の技術者は四つの軍団の具体的なコンセプトに見合ったレプリロイドを設計。

一人は、制空権の掌握及び国家のライフラインに直接関係する設備を護衛する軍団の長となり、且つ、四天王のリーダーとなり得るレプリロイドを。
一人は、広大な大地の上、最も巨大な戦力をまとめ、レジスタンス組織掃討の要となる軍団の長となり、且つ、自らも軍団に恥じぬだけの戦闘力を持ったレプリロイドを。
一人は、隠密活動に特化し、国外のみならず、国内の反抗勢力からも救世主を直接護衛する軍団の長となり、且つ、自らも高い隠密機動能力を持ったレプリロイドを。
一人は、制海権の掌握及び海洋調査任務を主とし、情報戦全般を取り扱う軍団の長となり、且つ、自らも水中戦、情報戦に秀でたレプリロイドを。

……だが、完成したどのレプリロイドも、バイル名誉議長の納得できる作品ではなかった。彼らの技術は紛れもない超一流だった。その当時の最高峰だった。しかし、“本物”を作ることができるほどの力は認められなかったのだ。
当然浮かんでくる「何故、バイル名誉議長は自ら作らなかったのか」という問いに、シエルは少しだけ哀しげに答えた。

「きっと分かっていたのよ。自分の力ではロックマンエックスを生み出すことはできないと」

それは、実物を知っているが故の弊害と言ってよかった。
彼にとってもまた、ロックマンエックスは救世主だったのだ。それも、目の前で人類を守り、世界を救った、正真正銘の英雄だった。
自身にとって神にも等しい存在を、憧れの存在を、その手で生み出すことができると自惚れられる者がいったいどれだけいるだろうか。

しかし、事態が急を要していたのは確かだ。
次第にヴィルヘルムが力を持ち始め、“エックス”周辺の調査を極秘裏に進めていたことも、バイル名誉議長は感づいていた。
焦燥感に駆られ、苦悩する日々の中で、齢百を超える老人は誰の目にも明らかに憔悴していった。

「…………私の目から見ても、おじいさまは急激に年老いていったように見えたわ。本当に、つらそうで、苦しそうで………」

たった十歳とは言え、ネオ・アルカディアの最新技術により誕生した少女はその苦労を理解することができた。
その少女がどうにか彼の――――自分を育ててくれた大切な養父の力になれないものかと、子供ながらに思うのは至極当然の帰結であったように思う。



事態は急転する。



「……五年ほど前のある日、おじいさまは大変驚いた顔をしていたわ」

本当に驚くべきことだった。常人の理解の範疇では“ありえない”と言ってよかった。
“それ”を見た時、バイルでさえも言葉を失い、呆然と目を見開いていた。そして“それ”を見つめたまま数分ほど硬直した後、歓喜の声を上げた。同時に、悲痛と苦悩の声色を混じえながら。
彼が目にした“それ”は――――“本物”の“エックス”の設計図だった。

「……待てよ、話の流れが……見えないぜ?」

ヘルマンが再び口を挟む。だが、先ほどとは違う、恐る恐るといった様子で。
“エックス”が必要とされ、ネオ・アルカディアの崩壊を阻止せんと、バイル名誉議長が奮戦していたことは理解できる。そしてそれをシエルが見ていたことも。
しかし何故、突然“本物”の設計図は現れたのか。何処からか落ちてきたとでも言うのか。

――――いや、本当は皆理解することができた。だが、納得することなどとてもできなかった。
そうしてただ言葉を失ったまま、呆然と立ち尽くす皆に向けて、シエルは自らの口から真実を告げた。


「……私よ」


あの日のことは、今でも鮮明に思い出すことができる。
画面に映る設計図に喜びの声を上げた後、全てを理解したバイルは、延命カプセルの中で静かに項垂れた。
そして、体中を震わせ、声を押し殺しながら呟いた。




『おお……神よ…………何故、この娘が………』





どのような心持ちからその言葉出たのか……その時、驚きと興奮に目が眩んだバイルに椅子から弾き飛ばされた少女――――シエルにはまるで理解できなかった。







「――――ゼロ、あのエックスは……私が生み出したの」












































  ――――  2  ――――


「此度の失態のツケ、貴様は如何にして払うつもりか、隠将?」

記念式典が無事に終わった後、ヴィルヘルムは自室へとファントムを呼び、その咎を責めた。
いったいどのような問題があったのか知れないが、結果として、紅いイレギュラーは五体満足のままネオ・アルカディアを脱出。
ペガソルタ・エクレールを“英雄”として開幕するヴィルヘルムの革命は、頓挫してしまったと言っていい。
無言のままその場に立つファントムを睨み、鼻を鳴らす。

「生まれ出た頃より我が腹心として活動していた貴様を、私は信頼していた。そして、それなりの扱いをしてきたつもりだ。違うか?」

四天王計画――――その計画におけるバイルの裏の狙いを知るため、ヴィルヘルムは参加者の中の一人を懐柔し、隠将ファントムを作らせた。
ヴィルヘルムの狙い通り、ファントムは救世主の動向を探り、不審な点を見つけては報告し、紅いイレギュラーが現れてからはヴィルヘルムの革命に助言をし、紅いイレギュラーの監視も務めていた。
やがてくるであろうヴィルヘルムの革命の時に向けて、世界の裏で働き続けていたのだ。
それがここに来て、大きな失態を働いたものだと、ヴィルヘルムはひどく失望し、同時に怒り狂っていた。

「何か申さぬか、隠将!?」

声を荒らげ、怒鳴りつける。だが、ファントムはまるで動じない。
かと思えば、不意に軽く頭を下げ出した。

「これより、紅いイレギュラーの首を獲りに行って参りますので――――失礼」

「謝罪のつもりか?」と眉間にシワを寄せながら、ヴィルヘルムは言葉を吐き捨てる。
だが、ファントムはそれすらもまるで気にしていないというように、頭を上げ、踵を返し、扉へと向かって歩き出す。

「貴様の忠誠を示してみよ、ファントム。でなければ、貴様の処遇を考えねばならぬ」

万が一、無様にも紅いイレギュラーとの戦いに敗れ、逃げ帰ったとして、その時はおそらく厳しい罰を与えなければならないだろう。
背中に向け、脅すように言葉を投げるヴィルヘルム。
すると、ファントムは足を止め、僅かに振り向き、ハッキリと言う。


「我が忠誠を捧ぐは――――この世に、ただ一人」


「結構だ」と答え、ヴィルヘルムはその言葉に己の怒りを鎮める。
だが、ファントムが扉のノブに手をかけた瞬間、思わず「待て」と声をかける。



「貴様が忠誠を捧ぐ主とは……誰だ……?」



ファントムが何故そのようなことを今言うのか――――僅かな引っ掛かりが気になり、不安が募った。問わずにはいられなかった。
そして、期待した。自身の名がその口から紡がれることを。
ハッキリと“ヴィルヘルム”の名が告げられることを。

しかし、ファントムは無言のまま――――仄かな微笑を浮かべて、扉を開けた。

「待て……隠将………………待て……」

去りゆく背中に呼びかける。だが、もうファントムは振り返らない。
ヴィルヘルムを、激しい悪寒が襲う。「まさか」という言葉が脳裏に駆け巡る。

「答えろ、隠将! 貴様の主は誰だ!? 名を呼べ!!」

渦巻く悪寒に急かされるように、ヴィルヘルムは声を大にして、叫んだ。



「 答 え ろ !   フ ァ ン ト ム ! ! 」



だが、遂にファントムは一度も振り返らぬまま部屋を去って行った。







そのまま呆然と立ち尽くすヴィルヘルムははっと我に返り、状況を整理する。
そして、全てを再び理解すると、思わず言葉に零す。

「まさか……この私が………謀られたというのか」

未だ信じられぬという顔をしながら、ヴィルヘルムは唇を噛みしめる
そして、直ぐに次の手を打つ覚悟を決める。何も、全く予期していなかったわけではない。


「直ちに、斬影軍団のコントロールを奪え!」


控えていたヘルゲを呼び寄せると、ヴィルヘルムは吠えるように指示を飛ばす。
それを受け、ヘルゲは通信機越しに、指示を送る。

ファントム率いる斬影軍団のパンテオン達には、ヴィルヘルムの特殊チップが埋め込まれていた。
万が一の時、指揮権を完全に奪うため、四軍団設立の頃から仕込んでいたのだ。
「こればかりは、あ奴も読めまい」と、ヴィルヘルムはほくそ笑む。そして、自分の部下によって討たれる不幸を、期待した。しかし――――

「閣下……ダメです」

戸惑いの色を浮かべるヘルゲの言葉に、ヴィルヘルムは愕然とする。


「……斬影軍団は本日、早朝に解体……全パンテオンがスクラップ処理施設に運ばれ…………処分されたと……」


隠将ファントムは、ヴィルヘルムよりも遥かに上手だった。

「何故……情報が掴めていなかった……」

茫然自失といった表情のまま、ヴィルヘルムは間抜けのような声でそう口にする。
だが、理由はどこまでも単純明快だ。

諜報戦において、隠密作戦において――――隠将ファントムの右に出る者は、誰一人としていなかったのだ。



























「クラーケン、あるか?」

「ハッ、ここに」

斬影軍団本部に戻った後、空っぽの部屋に、ファントムはテック・クラーケンを呼び寄せた。

「斬影軍団は、遂に拙者と御主だけとなった」

「心得ております」

クラーケンは微塵も動揺を見せること無く答える。
だが、ファントムは「すまぬ」と口にする。

「御主に、孤独を強いることになるだろう」

四天王計画でファントムの制作を請け負った技術者は、ヴィルヘルムによって謀殺された。しかし彼が残した資料と設計図を元に、ファントムが自身の忠臣として極秘裏に完成させた者こそ、このテック・クラーケンであった。
これより自分は戦いの場に赴く。そして、おそらく二度とここへは帰ってくることはない。そして、ファントムがいなくなってしまえば、存在が周知されていないテック・クラーケンという男は、真の孤独を味わうこととなるのだ。
しかし、クラーケンは「何を申されますか」と笑ってみせた。


「その孤独こそ、某の“誇り”。隠将ファントムの腹心として、斬影軍団を支えてきたテック・クラーケン、最大の勲章であります」


「拙者は……本当に良き部下を持った……」

そう言って、まるでその感慨を噛みしめるかのように、瞼を閉じる。思い返せば、本当に恵まれていた。部下に、そして主に。
暫く黙り込んだ後、ファントムは意を決して、自身の決定を告げる。


「誇り高き斬影軍団のミュートスレプリロイド、テック・クラーケンよ。御主に、“隠将”の名を託す」


突然の辞令に、クラーケンは思わず「え?」と驚きの声を漏らす。
それはファントムにとって、一つのケジメであり、次代に託す“祈り”だった。

「前隠将として最期の命を下す。これより御主は、ネオ・アルカディアの行く末を見守る影となれ。“隠将”として、この世界の秩序があるべき道を辿るよう、監視するのだ」

「まさか……某が……そのような……」

戸惑いを見せるクラーケンに構わず、ファントムは二枚のディスクを懐から出して見せる。

「こちらは今後、この世界に起きるだろう出来事を拙者が分析し、まとめたものだ。それに従い、来るべき日に向け行動を開始せよ。そして、もう一枚は――――……その時が来れば分かる。それまで、御主が大切に携えておけ」

それぞれの用途を軽く説明し、差し出す。
クラーケンは、震える手でそれを受け取ると、深々と頭を下げた。
決して自信があるわけではない。不安は尽きぬばかりだ。自身の力がどこまで期待に答えられるかなどわかりはしない。
だが、一つだけ確かなことがある。自分が信ずるただ一人の主が、この身を信じて使命を託してくれるのだ。それに立ち向かわぬ不義理な心は、何処にも持ち合わせていない。

「このテック・クラーケン…………“隠将”として、立派に使命を果たすことを、この命に誓います」

「頼んだぞ、クラーケン。――――そして、御主の変わらぬ忠誠に、心より感謝する。……本当に、ありがとう」

かくして、ファントムは“隠将”の名を捨て、ネオ・アルカディアを飛び出した。
己が望む決戦の場所に向けて、ただ一人、誰にも見送られること無く旅立っていった。












































  ―――― * * * ――――


『彼と君とのことも……そして――――ゼロのことも。全て分かっている。その上で、退がるように言っているんだ。分かるね?』

“エックス”の言葉に、ハルピュイアは体の自由を奪われたかのように硬直する。
そして、操り人形のように立ち上がる。ふと、シエルの視線に気づいたのか、ふとこちらを見る。
己の非力さを痛感し、嘆く彼の瞳に、シエルは決して弱みを見せまいと努めた。やがてハルピュイアはどこか納得したような表情で、ファントムとともに部屋を出て行った。

ハルピュイアを見つめていたシエルは、静かに“エックス”の方へ向き直った。
その場を重い沈黙が漂う。一体何から話せばよいか迷った後、シエルが彼の名を呼ぼうと口を開く――――瞬間だった。







『おかえり、“母さん”!』







明朗な声でそう言うと、エックスは戸惑うシエルを強く抱きしめた。
それから次第に鼻を鳴らし始め、そして嗚咽を押し殺しながら言葉を続ける。

『もう……二度と帰ってこないのかと……思ったよ……』

言葉を失い、硬直したシエル。――――だが、我に返るとすぐに、『やめて!』と声を上げながら“エックス”の体を無理やり突き放した。
その“エックス”の目からは、確かに流れていた。他のレプリロイドには決して流すことができない“涙”が。
しかし、それを見てすぐに、シエルはもう一度、今度は自身を落ち着かせながら『やめなさい』と声をかける。


『あなたのそれは…………ただの“嘘泣き”よ……』


幼き日に自身が犯した一つの“過ち”。感情と涙の関わりをあまりにも無視したが故に、彼に備わってしまった一つの“機能”。
久しぶりにそれを目にして、シエルの心はひどく締め付けられるような感覚がしてならなかった。


















  ――――  3  ――――



「どういう意味ですか……シエルさん」

言葉が理解できず、いや、受け入れられず、沈黙する一同の中から、エルピスが思わず聞き直す。
聞き違いだったのかもしれない。何か聴覚の異常があったのかもしれない。――――だが、皆一様な反応を見せているのを確認する限り、それはきっと真実だった。
そしてシエルは、再び自らの口から告げる。

「今、救世主としてネオ・アルカディアにいるロックマンエックスは、私が作ったのよ」

「そんな馬鹿な」とジョナスが声を上げる。
信じられないのも無理はない。なにせ、先ほどのシエルの話をそのまま聞き入れたならば、そのロックマンエックスを制作したのは彼女が十歳の頃のことなのだから。
だが、シエルは何一つ付け加えること無く「真実よ」とだけ答える。

「おじいさまが困ってるのを見兼ねた私が……どうにか力になりたいと思い、彼を設計した……」

それが、どれだけ偉大なことだったのか――――その時の彼女には分かるはずもなかった。
ただ、大切な養父の手助けをしたい。その一心に突き動かされるまま、作業に没頭した。マザーから少しばかりのサポートを受けながら。
そうして、完成させたものが“ロックマンエックス”の設計図となった。バイルも認めるほど“本物”の“ロックマンエックス”だった。

「あの“ロックマンエックス”が偽物だの、コピーだのってだけで驚きなのに! まさかそれを作ったのがシエルだって!? 信じられるわけねえだろ!」

皆の心を代弁するように、ヘルマンが率直な声を上げる。
だが、疑ったところで仕方がない。それが真実でないわけがない。――――嘘や冗談でそれを言うメリットは何処にもないのだから。
頭を抱えるヘルマンを、コルボーが宥める。それを他所に、シエルは話を続ける。

「彼は……生まれたばかりの頃、よく言っていたわ。『この世界を正したい』って」

レプリロイドが不当に虐げられる世の中をどうにかしなければならないと、救世主として生まれた使命感から、常に口にしていた。
それを、十歳のシエルはよく理解できないまま、無邪気に応援した。励ましの言葉をかけた。
その度に、“エックス”は微笑みながら答えるのだ。

『母さん、ありがとう』


「――――けれど、そんな彼も……救世主として一年が経過した頃、変わってしまった」


“エックス”は急激に変わり、彼の激変した思想は政治に色濃く反映されていった。
これまで以上に、レプリロイドに対する処罰は過激になり、レジスタンスとの戦いは激化していき――――かつてシエルに語った理想とは百八十度異なる方向へと走りだしていったのだ。
そんな“エックス”とのやりとりに、いつしかシエルは苦しさを感じるようになっていった。

「どれだけ言葉を凝らしても……彼は分かってくれなかった……」

かつて口にした理想郷への夢は、忘却の彼方に投げ捨てられ。
向けてくれたほほ笑みは、薄っぺらな、空虚な笑みへと変わっていった。

「精神的に耐え切れなくなった、ちょうどその時――――私はエルピスに誘われたの」

ある事件をきっかけに、バイルの邸宅に匿われていたエルピス。そんな彼の計画を聞き、共にネオ・アルカディアを出ようと誘われた。
迷いはした。生まれ育った場所を飛び出し、レジスタンスとして活動していく覚悟を決めねばならなかった。
だが、道を違えたまま突き進む“エックス”の姿を見る内に、シエルの心は固まっていった。

「私はエルピスとともに、ネオ・アルカディアを出ることにした」

たった十二歳の頃。それは少女にとって大きな決断だった。“白の団”を立ち上げ、ネオ・アルカディアを脱出し、レジスタンスのメンバーとしての生活が始まった。
それからのことは、ここに集められたメンバーには周知の事実だった。
しかし、唯一――――自責の念と、後悔を抱え苦悩し続けた彼女の心のうちだけは誰にも知られることはなかった。


























先日、賢将ハルピュイアに一芝居打たせ、ネオ・アルカディアへ帰還した日。シエルは“エックス”と久しぶりに対面した。
『嘘泣き』と言うシエルに、“エックス”は少し黙り込んだ後、一転して笑顔を浮かべてみせた。

『流石だね、母さん。僕のことを本当によく分かってる』

『私は……あなたが本当に分からないわ』

そのシエルの返しに“エックス”は笑い声を上げながら『そんな哀しいこと言わないでよ』と言った。
勿論、シエルのそれは本心だった。彼女はまるで“エックス”の心がわからなくなかった。“あの日”からずっと。

『それで、今更何の用だい?』

久しぶりの再会が喜びに満ち溢れるものだとは、お互いに思っていなかったらしい。『今更』という言葉がやけに耳に残る。
二年前に白の団を結成してネオ・アルカディアを抜けたシエルが自らここに来たことは、“エックス”には既に分かっていた。――――無論、その理由すら聞くまでもなく。

『あなたの愚行を、止めに来たのよ』

『愚行?』ととぼけたように言う“エックス”に、シエルは真剣な声で答える。

『罪もないレプリロイドたちを不当に虐げる、この世界の仕組みを正して!』

率直な要求を突きつける。
だが、“エックス”は笑みを浮かべたまま『今さら何を』と肩をすくめる。

『これは百年の歴史の中で培われた正しい世界の形だよ。それを今更僕の力だけで……』

『あなたは、変わってしまった』

遮るシエルの声に、“エックス”は口を噤む。

『生まれたばかりのあなたは……この世界をあるべき姿に戻したいと願っていたはずよ』

まだ世界の何もかもを知らない頃――――“エックス”は言った。レプリロイドと人間の関係を修復し、かつての救世主が築いた楽園を取り戻したいと。
しかし、その願いは激変してしまった。一年が経過した……ロックマンエックスの記憶を継いだ“あの日”から。

『あの日から、あなたは変わってしまった。そしてレプリロイドへの不当な扱いは、それまでの比にならないほど加速していったわ』

彼が正式にロックマンエックスを継いだその時から、イレギュラーとして処分されるレプリロイドの数は増え、反発は拡大し、多数の新興レジスタンス組織が生まれた。
そう、争いはかつての願いとは裏腹に、大きく拡大していくことになったのだ。

『教えて、あなたが何を考えているのか! そして、正しい道に戻りましょう、私と一緒に!』

精一杯に声を張り上げ、訴える。本心からの願いを。
一度は耐えられず、彼の元を離れてしまった。向き合うことを恐れて、逃げたのだ。――――それが最大の過ちであったと、シエルはずっと引きずっていた。
そして、白の団が斬影軍団と烈空軍団の襲撃を受けた時、決意した。もう一度“エックス”と向き合うことを。
自分が生み出した息子と向き合うことを決意し、決死の覚悟でこの場に赴いたのだ。
だが、それを聞いた“エックス”はそれでも尚、薄ら笑いを浮かべたままさらりと言ってのけた。


『違うよ、母さん。正しいのは僕だ』


その瞳を見つめたシエルの心の奥底で、何かが音を立てて崩れた。
“エックス”は追い打ちをかけるように、彼女に近寄り、そして堂々と宣言する。両手を広げ、まるでこの世界の全てを抱えるかのようにしながら。



『ロックマンエックスとして生まれてきた、この僕こそが……――――この世界の“正義”なんだよ』




彼は、本当に狂ってしまったのかもしれない。――――そうシエルは思わざるを得なかった。
生まれたばかりの頃、共に過ごした彼とは、まるで別人のような様子に、シエルの一縷の希望はみるみる萎んでいった。
そして茫然とするシエルを他所に、“エックス”は部下のパンテオンを呼び寄せる。やがて現れた――――おそらく斬影軍団の――――四体のパンテオンは、シエルの身を拘束し、連れて出て行った。
その間、“エックス”は自分を見つめるシエルの視線に対し、ただ背を向けているだけだった。






















「……私のせいよ」

“エックス”と別れて、ヘルヘイムに幽閉されてから、一人考えた。
全ての原因が何処にあるのか。彼の悪意に気づかず――――いや、気づいていたにも関わらず、知らぬふりをして、その芽生えから目を逸らしていたのは誰なのか。
“エックス”の心と向き合わず、道を違える彼に、声をかけてあげることもせずに、ただ逃げ出したのは誰だったのか。


「全て……私のせいなのよ」


やりきれぬ想いが、堰を切って溢れだす。

「彼は……エックスは悪く無い! 私よ! 私が彼の前から逃げ出してしまったから!」

産みの母親である自分だけだった。その道を正すことができたのは。向き合う責任をもっていたのは。
だが、シエルは“エックス”と向き合うことを恐れてしまった。まるで別人のように変わってしまった彼と向き合うことができなくなってしまった。
エルピスの誘いに乗り、ネオ・アルカディアを抜けだしたのだ。そして全ての原因は、それだと、シエルは確信していた。
自分が拒み、逃げ出したせいで、変わるはずだった世界は何も変わること無く、悲劇は続いているのだ。

「私のせいで……だから……私が!」

向き合わなければいけない。無駄なのかもしれないと、何度打ちのめされたとしても。
その言葉が届かず、何度遠ざけられたとしても。
それが自分の責任なのだと。世界を救えるのは自分だけなのだと。彼の心を正してあげられるのは、自分だけなのだと。
それをここで諦めてしまっては、パッシィやミラン、その他大勢の――――ここまで命の限り戦ってくれた仲間たちの死を無駄にしたも同然だ。



「他の誰でもない! 私がエックスを止めなければならないのよ!」















「パンッ」と大きな音が、鳴り響く。







一際大きく叫ばれる彼女の言葉に対し、絶句したまま硬直していた一同。
その中からただ一人、前に進み出ると、可能な限り加減して、可能な限り力を込めて、小さな頬に平手打ちをした。



「なんて……なんて、馬鹿な子だろう……」



哀しげな声でポツリとそう言ったのは、シエルに手を上げたのは――――他でもない、セルヴォだった。
戸惑うまま、向き直り、痛みと衝撃に瞳を潤ませるシエルに、憤りを押し殺した声で、諭すように言う。

「――――周りを、見なさい」

言われるまま、シエルは周りを見つめる。
ルージュが、ジョーヌが、ヘルマンが、ジョナスが、ティナが、コルボーが、エルピスが、アルエットが、ゼロが、そしてセルヴォが、彼女を見つめている。
それは決して責めるような目ではない。そして、それはきっと彼らだけの想いではない。


「君のことを想っている者が、こんなにも傍にいるというのに……そんな大事なことを今までどうして……誰にも、何も言わず……全て抱え込もうとしたんだ……」


それから直ぐに、セルヴォは膝をおろし、シエルを抱きしめた。
ありったけの力で、ありったけの優しさを伝えようと、抱きしめた。

「なんて……愚かなんだ……」

そしてまた、心のまま、ありったけの後悔を叫ぶ。


「こんなにも苦しんでいる子が直ぐ傍にいたというのに、どうして誰一人としてその苦しみに気づけなかったんだ!?」


いつも笑顔をくれた。希望をくれた。生きる糧をくれた。年端もいかぬたった一人の少女が、大勢のレプリロイドに。
しかし、誰ひとりとして彼女の苦悩に気付くものはいなかった。抱える罪悪感に、裏にある自責の念に、何一つ気付くことはないまま、二年もの間共に過ごしていたのだ。




「それなのに!  ど う し て 私 達 は 一 緒 に 涙 一 つ 流 し て や る こ と が で き な い ん だ ッ ! ? 」





「ごめんなさい」と、繰り返し嗚咽混じりに言いながら、腕の中でポロポロと涙を零すシエル。
その心を知って尚、涙を流すことができないのは――――きっと、少女が背負ったものと同等の罪ではないだろうか。
セルヴォの叫びは、その場にいた全ての者の胸に突き刺さった。

突然、ルージュとジョーヌに通信が飛び込んでくる。と、戸惑いと焦りを顔に浮かべ、「司令!」と二人してエルピスを呼ぶ。
それとほぼ同時だった。ゼロが身を翻し、会議室の扉へと向かっていった。

「ゼロさん……?」

「分かっている。――――“奴”の殺気を感じた」

既に何度かの邂逅を繰り返す内に、“彼”の独特な気配を完全に覚えてしまっていた。
無論、“彼”もまた、ゼロに気づかせようとして、その気配を押し殺さずに来たのだろう。
いったいどのような用事なのか、いつもの如く分かるはずもない。だが、ゼロには自身の使命が、明確に見えていた。

「小娘、お前の知る全てを話してくれて、ありがとう」

背を向けたまま、言う。そしてまた、宣言する。


「あとの真実は――――“奴”から聞き出そう」


何故、“エックス”は変わってしまったのか。“エックス”は何を目指し、行動しているのか。
その全てをおそらく知っているだろう者が、向こうから出向いてくれた。この機会を逃す手はない。




突如として基地の外に現れた男――――隠将ファントムと対峙すべく、ゼロは出撃した。












































  ――――  4  ――――


達人の目でしか追えぬ、光速の剣戟を数百回程度重ねた後、互いに地を蹴り距離をとる。
互いの胸の内は、やはり剣を交えるだけでは伝わらないらしい。
不意に、ファントムは顔に左手を当てる。そして仮面を掴み、外して胸の前に差し出す。何を思ったのか、それを力づくで砕いた。


「もう……偽りの面は要らぬ」


先程の比ではない、静かでありながらとてつもない殺気を全身から放ち始める。
それは、無数の冷たい刀剣のようで、ゼロほどの者でなければ、臆してその場を離れていただろう。

「待ってくれ、ファントム。俺達には戦う理由がないはずだ」

ゼロは率直に己の考えを口にする。
彼の言うとおり、二人の間に戦う理由は見つからない。ここまで、幾度と無くゼロの窮地を救ってきたファントムが、何故ゼロと戦う必要があるのか。
そしてまた、“エックス”のことを思えばこそ、殺しあう理由などどこにもない。

「俺達に――――シエルに協力してくれ、ファントム。そして、“エックス”の道を正そう」

だが、ファントムは無言のまま、コートを脱ぎ捨てる。その格好は、隠密部隊の長として相応しい軽装だった。
そして、自分の懐に手を入れると、円盤状の装置を取り出す。と、それは四方に光の刃を形成し、一つの大きな手裏剣状の武器となった。

「……“闇十文字”――――拙者のために開発された専用兵装」

青色の光刃は、彼の冷たい殺意の表れだった。



「拙者にはもう……主などおらん」



切なげで、寂しげで、それでいて誇らしげで――――その声は、彼の覚悟を強く感じさせる。
ゼロは身構えた。戦う理由はないと、矛を収め話しあおうと……そんな悠長なことは言ってられる雰囲気ではない。

「これより戦うは、ただ己の信念がため…………いや、言うなれば“我侭”を通すため。それ以上の理由は何処にもありはせん」

「待て! ファントム!」

鬼気迫る勢いのファントムに、ゼロはそれでも呼びかける。戦う必要はないのだと。その必要は何処にもないのだと。
だが、ファントムはその殺気を収める気配を見せない。既に心を完全に決めているのだ。
グッと踏み込み、そして声を張り上げ、宣言する。








「漆黒の幻影、 推 し て 参 る ! 」








言い終えた瞬間、ファントムの姿が消える――――ゼロにもほとんど知覚できない速度で、背後に回り、闇十文字を振りぬく。
「くッ!」と声を漏らしながら、ゼロは無理やり体を捻り、その一撃を辛うじて躱すとゼットセイバーを突き出す。僅かに首を捻り、ファントムはそれを躱すが、右頬に刃が掠る。
しかし、全く臆すこと無く――――そう、何一つその痛みに反応することなく、再び闇十文字で斬り上げる。ゼロは咄嗟にセイバーを引き戻し、それを防ぐと、もう一度距離をとった。

「お前……まさか、痛覚を!?」

遮断している。おそらく全身のそれを。
戦闘中、ダメージを追った部位から痛覚の遮断をするのは常套手段だ。その痛みに苛まれ、戦いの手が鈍ってしまっては意味が無い。
だが、同時に痛覚の存在は、彼ら戦闘用レプリロイドにとって、言わば危機回避センサーの役割も担っている。
どのようなレプリロイドであっても、戦いの先に生還することを考慮している。まるで痛みを感じないのであれば、傷の様子も、それによる体への負担も把握できない。そしてそれでは、どれだけ危険な領域に足を踏み入れようともそれが理解できず、回避できず、結果として命を落としてしまう。
それ故に、痛覚の存在は、戦闘において無くてはならないものの一つでもあった。“生還”を目的としている以上は。
だが、今のファントムはそれを完全に遮断している。――――つまり、“生還”することをまるで考慮していない。

「そうだ!」

答えながら、ファントムは追撃をかける。縦横無尽に闇十文字を振り回し、ゼロに反撃の隙を与えない。

「痛みなど不要! この身はただ、御主を滅す為にある!」

ゼロはゼットセイバーで、ファントムが放つ強力な一撃を弾き飛ばし、その衝撃とともに後方へと距離をとる。
一度体勢を整え、反撃に転じなければジリ貧だ。――――しかし、それもまたファントムの術中。


「――――それができぬのならば! 生も死も露ほど変わらんのだッ!」


吠えると同時に強く踏み込み、闇十文字を回転させながら投げつけた。
高速で回転する手裏剣の勢いは、中央の円盤に取り付けられた小型スラスターの影響で飛ぶほどに増してゆく。
それを見て取ったゼロは、ゼットセイバーでは防げないと悟り、身をかがめて間一髪躱す。――――そこに、ファントムがビームサーベルを手に、再び飛び込んでくる。

「チィッ!」

屈むだけでは足らないと判断し、左肩から地面について、転がるようにしてその場を離れる。そしてすかさず起き上がり、再度斬りこんでくるファントムに備える。
ゼットセイバーを振り、ファントムの一撃を捉える。そしてこの至近距離でアースクラッシュを放とうと、左腕を伸ばそうとした――――その瞬間、ゼロはファントムの意図に気づき、咄嗟に横っ飛びで躱す。
ファントムの背後から、先ほど投げ飛ばされた闇十文字が更に勢いを増して戻ってきていた。――――おそらく、ゼロが躱さなければ、ファントムもろとも胴を断たれていただろう。

「なんて野郎だ……!」

悪態をつきながら、回収した闇十文字を手にして斬りかかってくるファントムに対し、左手で地面を殴るように構える。放つのはアースクラッシュの応用技、落鳳破。
放たれる光弾を無表情で掻い潜りながら、懐へと飛び込んでくるファントム。ゼロはすかさず獄門剣の構えを取り、ファントムの一撃に備える。
だが、ファントムもまたその殺気に違和感を感じ、自ら距離を取ると、何処に仕込んでいたのか、数本のビームダガーを投げ飛ばす。
構えを解き、それらを全てゼットセイバーで弾き返してから地を蹴る。光速の剣技、疾風牙を放つ――――が、ファントムの反応速度は見事にそれを防ぐ。

闇十文字とゼットセイバーの応酬。互いに一歩も譲らぬ剣戟。しかし、それは先ほどの探りあいの比ではない。
コンマ一秒、一瞬の躊躇いが、失敗が、自身の生命を危機に突き落とす。
やがて同時に、縦に振りぬかれる二つの刃は、中央で激突し、互いに弾き飛ばす。返す刀で再び互いに斬りつける。激しい鍔迫り合いに発展する。

「分からない奴だ! 何故今更になって俺を殺そうとする!?」

既にゼロには分かっていた。
忘却の研究所を無事に脱出できた理由も。自分の窮地に敵の増援が現れなかった理由も。黒狼軍が協力し、無事にネオ・アルカディアを脱出できた本当の理由も。――――全ては目の前の男が糸を引いていたとしか考えられない。
だからこそ、ゼロには分からなかった。
今、剣を交えている男は本気で自分を殺そうとしている。幾度も命を救い、生き永らえさせてきておいて、何故か今更、その命を手ずから奪おうというのだ。
その意図が、思考がまるで理解できない。

「答えろ!」

「理由がほしいか? ならばくれてやる! ―――― あ の 世 で な ! 」

掛け声とともに刃を弾くと、体を回転させながら、逆方向から斬りかかる。それをゼットセイバーで再び防ぐが、ファントムのもう片方の腕には、ビームサーベルが握られていた。
「くぅッ」と力み、ゼットセイバーで闇十文字ごと、その光刃を叩き落す。すかさずファントムは地を蹴り、体を宙に浮かせて一回転する。そしてそのまま、踵からゼロの頭部に足を振り下ろす。
身を翻してそれを躱すが、ファントムの追撃はやまない。再度襲い掛かる闇十文字を掻い潜り、セイバーを振るうが、もう一つの得物がそれを防ぐ。

「どうした、ゼロ!? その程度か!? ――――それとも貴様、殺し合いを躊躇っているのかッ!? 腑抜けたものよ!!」

「黙れぇッ!」

セイバーの刀身に雷が走る。ファントムのサーベルを弾き飛ばし、構えを取り、一気に突き出す――――雷神撃。
しかし、ファントムはその攻撃を、闇十文字の刃をまるで盾のようにして受け止める。

「あの“エックス”も、お前も! 倒したところでシエルの理想は叶えられない! ――――無意味な死を生み続けたところで、“懐かしい未来”は遠のくばかりなんだよッ!!」

「 な ら ば 死 ね ! ――――貴様が死ねば、決着だ!!」

「馬鹿なことをッ!!」

力尽くで押し切るが、ファントムは既の所で力を抜き、身を躱す。勢いそのままにゼロは前かがみにつんのめり、「しまった」と口にする。
その足を払い、地に倒すと、闇十文字を力いっぱい振り下ろす。ゼロは左足の緊急加速装置を作動させ、左腕で目一杯地を叩くと、それらの勢いで地面の上を転がるようにして回避する。

「教えてくれ、ファントム! お前の意志を! “エックス”の意志を!」

立ち上がり際に、思わず叫ぶ。それが知れるまで、ファントムを殺すことなどできるわけがない。
だが、ファントムはゼロの言葉に対し嘲笑を浮かべて返す。

「……拙者は弱い。こうして手緩い貴様と互角の戦いを無様に繰り広げる程度に」

ここまでの戦い、ファントムが死力を尽くして戦っているのに対し、これでもゼロはまだ本気ではない。――――ファントムの言うとおりだった。
おそらくファントムは、これまで戦ってきた中で考えれば、それほどのスペックを備えているレプリロイドではない。速度と反応だけが異様に高いだけで、一撃の重さならば女性型のレヴィアタンと同等程度だろう。
「だが――――」と、言葉を続ける。

「貴様が一手、一歩、一振り、一瞬――――拙者を逃す度に、拙者は貴様の動きを確実に覚えていく」

それは、ファントムが隠密部隊の長として開発される上で、必要とされた特殊技能。
ファントムは戦いの度に敵の動作を把握し、学び、適切な暗殺術を導き出していく。


「分かるか、ゼロ。……貴様がくだらん理想とやらに囚われ、その剣が鈍る間に――――拙者は貴様に追いつき、この刃は確実にその首を捉える!」


ファントムの放つ殺気。――――闘気など微塵も感じられない。この男はただ、その言葉通り、ゼロを殺めるためだけにここへやって来たのだ。
その事実を、現実をようやく受け入れる。そして、ゼロもまた覚悟を決めた。

「……確かに…………どうやら俺が甘かったようだ」

ゼロの瞳の輝きが変わる。
言葉が無意味であると認めざるを得なかった。
全てはただ、剣でのみ。命がけでぶつかり、ファントムの言葉を引き出す。

「そうだ、ゼロ。本気で来い! ……でなければ“死”ぞ!!」

再び互いに地を蹴り、互いの剣を激突させる。
それまで行われたやりとりを更に上回る速度で、繰り広げられる剣戟。たった数秒間の内に、幾百という刃が宙を駆け巡り、火花を散らす。
幾千幾万という剣技の応酬は、どれだけの達人でも容易には到達できないであろう、まさに極限の領域。
そして初めて、ファントムの顔に苦渋が浮かぶ。

――――やはり……強い!

手数では、数瞬速い分、ファントムが優っていると言っていい。彼の剣を捌き切るのに、ゼロも僅かに手こずっている様子だった。
しかしやりとりが進むに連れ、ファントムの手が鈍り始める。
ゼロの防ぐ手が先程以上に力強くなり、弾かれた時の衝撃が大きくなった為に、振り幅が大きくなってしまう。――――つまり、力負けをしていた。
その影響は次第に大きな差を生んでいく。ゼロの剣が優勢になる。そして、正面で互いの刃が再度交錯した瞬間、ファントムは体ごと弾き飛ばされた。

それを追撃すべく、ゼロは地を蹴り、斬りかかる。――――その刹那、自分の目を疑った。
戸惑いとともに、剣と足は止まる。その間、ファントムは初めて地に手と膝をついた。

「お前……」

視界が捉えた“それ”に驚きを隠せず、思わず口にする。

「その……傷は……」

ファントムの前髪に隠れた左顔面。――――そこにはレプリロイドではありえない“傷”があった。
左目は潰れ、皮膚は変色して焼け爛れていた。
自己修復機能を持ち、且つ必要とあれば部品の交換などが適うレプリロイドにとって、そのような“傷”が残されているのはありえないことだった。
ファントムは徐に立ち上がると、僅かに乱れた前髪を整え、左顔面を再び隠す。


「……これは……“証”」


ファントムはたった一言だけ、呟く。
唯一の主に捧げる忠誠の、この身に刻まれた証明。
そしてまた、何物にも代えがたい、“絆”の形。


彼がこの世に生きる、たった一つの理由。



























         To be continued ......























[34283] 34th STAGE 「月と影、そして太陽」
Name: 村岡凡斎◆45ff140f ID:e5a820fd
Date: 2013/10/06 09:36














――――天に昇る太陽が“偽り”であるならば、きっと地に落ちる“影”もまた“偽り”であろう。

















…………床に膝をつき、焼け爛れた左顔面を右手で抑えながら、考える。
拙者はいったい何のために、ここに在るのか。




『どうして、母さんが……僕を…………』




一頻り錯乱したように叫び、喚き散らした後、絶望の淵に立たされたかのように呟く偽りの救世主。
眼の前にいる“それ”を“主”として仕える事に、何の意味があるというのか。

拙者はいったい何のために在るのか。


ふと横目で見つめた窓の外。広がる蒼天の向こう側。世界を眩しく照らすもの。
そして窓の内側。閉鎖された空間に浮かび上がるもの。
いつしか答えは胸に浮かび、拙者はただ思うまま言葉にしていた――――……‥‥








































 34th STAGE











        月と影、そして太陽











































  ――――  1  ――――


「どうした……? この傷を気にして、また本気が出せぬか?」

不敵な嘲笑を向けながら、まるで挑発するようにファントムは言う。
それに対し、ゼロもまた、吹っ切ったように笑う。

「馬鹿言え……その死角を突く算段を立てていただけさ」

「やってみろ……できるものならば!」

地を蹴り、急速接近するファントム。それを迎撃せんと構えるゼロ。
光の速度で視界から消えた黒い影が、次の瞬間には背後に回っている。やはり速度で言えば、ファントムの方が些か以上に優れている。

「チィッ!」

既の所で刃を防ぎ、次の手もまた防ぐ。光速の連撃を巧みに防ぎ、僅かに生まれた隙をついて攻撃の手を入れるが、ファントムの回避能力も甘くはない。
再び剣戟の応酬が始まる。先ほどの言葉通り、ファントムの攻撃パターンがわずかに変化していることに気付く。受けるのでは流す――――ゼロのパワーを諸には受けず、力を流して殺すことで、その差を塗りつぶす。
だが、次第に押されてゆくのはやはりファントム。ゼロの方がまだ一枚上手である。

――――このまま押し切るッ!

更に力を加え、連撃の速度を上げ、完全に主導権を握る。
「ぬぅッ!」とファントムの顔が苦悶に歪む。捌ききれなくなり、躱す数が増える。そして、攻撃のタイミングを失っていく。
やがて、ゼットセイバーの切っ先がファントムの首筋を、腹部を掠め始める。
辛うじて返す、闇十文字の一撃。――――ここぞとばかりに、それを掻い潜り、ゼットセイバーを力いっぱい振り切った。

瞬間、突如として足元で何かが破裂する。

「何ッ!」

その破裂とともに金属製の刃が地面から弾け飛び、咄嗟にゼロは身を躱す。だが、ファントムはその刃に頬を斬られようと微塵も臆すこと無く、闇十文字を振る。
先ほど優勢を取った筈のゼロが逆に傷を負う。鼻先を掠める光刃に、僅かな血飛沫が宙に舞う。
ゼロは何一つ驚きを見せないファントムの表情から、察する。

――――これは……!

再び何かが足元で破裂し、同様に刃が弾け飛ぶ。今度はゼロの左右、そして後方から。
飛び散る刃を掻い潜りながら、ゼロは無理な体勢でファントムの一撃を何とか受け、一気に飛び退く。それに対し、投げつけられる闇十文字。ゼロはゼットセイバーで自身の後方へと受け流すが、すかさずファントムが追撃をかける。

「いつの間にこんなものを!?」

おそらくは地雷。しかも、まだ多数のそれが地面に埋まっていると思われる。
白の団がファントムを察知するより前に――――もしかしたら前日に、この場所を戦場に決め、既に設置していたのかもしれない。
そしてゼロが本気を出し、ファントムへ意識を全て向けた瞬間を狙って、作動させたのだ。
再び刃が弾ける間に、ファントムが吠える。

「言ったであろう! 拙者は貴様を“殺し”に来たのだ!」

これは“決闘”などではない。
自分の力を誇り、望む“戦い”を求め、ゼロと刃を交えてきた者達――――フラクロスやファーブニル、そしてアンカトゥス兄弟――――とはまるで違う。
まして、遣りどころのない憤りから己の死に場所を求め、一騎討ちせんと現れたハヌマシーンとも違う。
如何なる手段を用いようと、必ずゼロを殺さんと、策を練り、その上で実行したのだ。

「地面に埋まっているのなら!」

ゼロはアースクラッシュのエネルギーを蓄積し、放つ動作をとる。確かに、物が地面に埋まっているのならば、地上を一掃するアースクラッシュさえ放てば解決する。
しかし、当然の如く、ここまで用意周到なファントムがそれを考慮していない訳がない。
「させん!」と吠えながら、飛びかかる。ゼロはそれを防がざるを得ず、アースクラッシュの発動をキャンセルする。
そう、ファントムの剣がそれを許さない。アースクラッシュを放とうものなら、その隙を突いて、致命傷を負わされるだろう。そもそも、こうして放つ直前で防がれてしまうに違いない。

またも足元で弾ける刃が、遂にゼロの脇腹を捉える。咄嗟に跳ね除けようとしたことが幸いし、大事には至っていないが、それでも鋭い痛みが走り、鮮血が飛ぶ。
その隙を、ファントムの闇十文字が襲う。ゼロは落鳳破での牽制を思いつくが、予備動作での更なる隙と、ファントムの覚悟を考慮し、仕方なくゼットセイバーで防いだ。
しかし闇十文字に取り付けられたスラスターを稼働させ、ファントムは自身の剣撃にパワーを上乗せする。すると一気に押し切られ、ゼロは背中から倒れこむ。

「く……っそぉ!!」

ゼロは叫び声とともに、刃の傾斜を変えると力いっぱい押し上げ、同時にファントムの体を両足で蹴り上げる。
ファントムは宙で一回転して見事に着地すると、立ち上がるゼロに向けて再び闇十文字を投げつける。
向かってくる得物に対し、地を蹴り飛び上がる。そして瞬時に刀身を氷結させて氷烈斬を放つが、ファントムはそれを躱しながら左腕に握ったビームサーベルを振るう。
氷の刃は砕けるが、ゼロはそのままゼットセイバーで防ぎ、同時に背後から襲いかかる闇十文字を躱す。
ファントムは右手で闇十文字を受け取ると、そのまま斬りつける。ゼロはそれをすかさず防ぐ。――――その刹那、背後から再び襲い掛かる光刃が、左の二の腕を斬りつける。



「馬鹿なッ!?」



ゼロが驚きとともに口走るのを他所に、ファントムはビームサーベルを手早く仕舞い、左腕でそれを掴むと、そのまま横一閃に振り回す。
体勢を崩したゼロはファントムの一撃を防ぎきれず、後方へと弾き飛ばされた。


「……誰が一つだと言った?」


ファントムの両手に握られるは、専用兵装「闇十文字」――――それが計二つ。
おそらく地雷とともに地面に仕込んでおいたのだろう。それを、タイミングを見計らって遠隔操作し、奇襲に利用したのだ。

「卑劣と蔑むか? 悪辣と罵るか? ――――好きに呼べ……敗北の後に」

殺気の色が変わるのを、ゼロはすぐに感じた。ふわりとした感覚が漂ったかと思うと、センサー系にノイズが走るのを感じる。
次の瞬間、眼の前のファントムに異変が起きる。――――四人に分身して見え始めたのだ。



「……朧舞“空蝉”」




「そんなバカな」と自分の目を疑うゼロ。しかし、どれだけ瞬きしようとも、四人のファントムは確かにそこに在り、且つその反応をセンサーがしっかりと捉えていた。

「行くぞッ!」

掛け声とともに飛びかかるファントム。四人分に見える攻撃の手は、ゼロを追い込む。
おそらくは、ジャミング等を駆使した幻覚。しかしだからと言って、どれが本物か見極めるすべはない。全ての攻撃に対して、ゼロはゼットセイバーで応戦する。
ファントムの攻撃は、どれもゼロがギリギリ防ぎきれるタイミングを見事に狙って繰り出された。無論、ゼロを生かすためではない。その意図は直ぐに理解できる。
持久戦へ持ち込めば、本人の言葉通り、ファントムはゼロの動きを完全に捉えて戦うことができるのだろう。しかし、それでも戦いはおそらく“イーブン”となる。何故なら、単純な持久力ではゼロの方に分があるからだ。
故に、ここでゼロに必要以上の手数を使わせることで、疲弊させ、持久力を削ぐ。勝利を確実なものとするため。

「しかし、それなら――――」

敵の術中に嵌ってやる必要はない。
数十回の攻防に耐えた後、そのタイミングを見つける。ほぼ同時に四体の攻撃を弾き返した瞬間――――それは言葉通りの一瞬。

「――――全てたたっ斬ってやるッ!」

ゼロは殊更強く踏み込むと、雄叫びとともに、横一文字にゼットセイバーを振りぬいた。
確かな手応えとともに、ファントム“達”の胴が宙に舞う。そう、“確かな”手応えとともに。


そのどれもが幻覚ではなく、紛うことなき実体だった。


自身の目を疑うゼロの目の前には、更に驚くべき光景が映る。
宙に舞う全ての胴体が地面に落ちるのとほぼ同時に、その体全てにノイズが走って見える。
そしてそのどれもが、元の姿――――パンテオンへと戻ったのだ。

「そんな――――本体はッ!?」

問うまでもない。
妨害され、感度の鈍ったセンサーを無視して、ゼロはその方向――――自身の上空へと目を向ける。

その瞳が捉えたのは、自身の真上から一直線に闇十文字を振り下ろすファントム。



――――これは決闘でも、まして信念を懸けた一騎討ちなどでもない



咄嗟に身を躱す一瞬の内に、ゼロはまるで走馬灯のようにファントムの言葉を振り返る。

『拙者は貴様を“殺し”に来たのだ!』

そう、どのような手を使おうと、どれだけ蔑まれようと、ゼロの命を確実に奪うと決めて赴いたのだ。
その心情を再度主張するように、ファントムは叫ぶ。



「卑怯と詰れ! 姑息と謗れ! 名誉も賞賛もいらぬ!」



まるで騙し討ちのような手を使ったこの戦いは、四天王の一人として考えれば“恥”と言っていい。
卑劣であろう。悪辣であろう。卑怯であろう。姑息であろう。――――とても他人に誇れたものではない。
しかし、誇り、名誉、プライド――――己の全てをかなぐり捨ててでも掴まなければならない物がある。守らねばならないものがある。
その為ならば、どれだけの醜態を晒そうと構わない。どれだけ、この身が恥に塗れたとしても。
その“覚悟”こそが、ファントムの真の“刃”だった。

「 拙 者 は た だ ――――」

間一髪で躱される一撃。しかし、体勢を崩したゼロを、二つ目の刃が襲う。






「 勝 利 の み を 欲 す ! 」






それは必中の間合い。防ぐ手段も全て見当たらない。
闇十文字は、ゼロの腹部目掛けて、躊躇いなく一直線に振り抜かれた。











































  ―――― * * * ――――



『……お暇を、頂きとうございます』

出撃の直前、ヴィルヘルムの屋敷に出向くよりも前に、ファントムは“エックス”の元を訪れていた。
突然切りだされた腹心の辞職願い。しかし、“エックス”は少しも驚きはしなかった。
無言のまま窓に近づき、少しだけ空を眺めた後、いつもの軽い調子で答える。

『分かった。今までありがとう、ファントム』

『かたじけのう御座います。……では』

そう言って、腰を上げて立ち上がる。そして背を向けると、ゆっくりとした足取りで扉へと向かう。


――――この上司に、あの部下在り……だな


しばらく前に、己の元を去った忠臣を思い出す。

――――ハヌマシーンよ……御主もまた、このような心地であったのだろうな

遣り切れぬ想いが、心の奥で渦巻いている。
それが、唯一の主と信じ、忠誠を捧げた者に対する“裏切り”であると理解している。そしてそれが、何よりも譲れぬ想いであることも確かだった。
だからこそ、去るのだ。“裏切り”を抱いたまま傍にいることはできないから。これ以上はもう、従うことはできないから。
それでも、忠誠という名で繋いだ絆だけは、今も、そしてこれからもずっと胸の内に残り続けるはずだ。






『“影”在り続ける限り“太陽”沈むこと無し』


不意に“エックス”が口ずさむと、ファントムは足を止める。
それから訪れる沈黙の後、“エックス”は、再び口を開け、『じゃあ』と問いかける。

『もしも……“影”が無くなったのなら、“太陽”はどうなるのだろうね』

影がこの世から消えてしまったら、太陽の存在はどうやって人に知られるのだろうか。

自身がかつて投げかけた言葉を、胸の奥で反芻し、ファントムは瞼を閉じる。
あの日から、もうずいぶん遠くまで来てしまった。“真の主”と言う名の、己の存在意義を手に入れたあの日から。


























  ――――  2  ――――


『ファントム、貴様に命じる。救世主を監視せよ』

元老院議長ヴィルヘルムより告げられた一言に対し、拙者はただ『承知致しました』と丁寧に答え、頭を垂れる。
眼の前にいる男が、自ら主であると名乗ったというのもあるが、そもそもレプリロイドは人間に逆らうことができないものだと思っていたからだ。

拙者を作った男は殺された。
このヴィルヘルムという男に裏から声をかけられ、ほぼその注文通りに拙者を調整したわけだが、陰謀がバレることを恐れたこの男に殺されたのだ。
しかし、何も拙者を作った男は、ただ殺されるだけの間抜けではなかった。そう、拙者のことは“ほぼ”ヴィルヘルムの注文通りに作ったのだが――――一つ、大きく反しているところがあった。
ヴィルヘルムを主として完全には認識させなかったことだ。

故に、内心では、この男そのものに対して尊敬も、そして従属もしていなかった。

さて、困った事がある。
拙者はそれでも何かに仕える為に生まれてきた。
隠密行動に秀で、裏の仕事に従事するというのは、表で何者かが作る世界のために在るべき能力だろう。
そして、その対象は他でもない。他の四天王計画の兄弟機と同様、この国の救世主ロックマンエックスとすることが正しい選択だろう。

だが、拙者は活動を開始して直ぐに、気づいてしまった。



そのロックマンエックスが偽りの救世主であることに。




形式上仕方なくヴィルヘルムの命を聞いて動いていた拙者は、救世主の動きの一部始終を観察し、そしてその違和感に気づき、真実に行き当たってしまった。
しかし、他の誰も――――バイルやマザーを除き――――気づいている様子はなかった。他の四天王達に関しても、なんら気にすること無く救世主の前に膝をつき、頭を垂れている。

――――なんとも呆れた世界だと、拙者は失望してしまった。

よもや生まれ出た世界が、偽りの王を据えた紛い物の世界だったなどというのは、誰も思いつくまい。
しかし、自分のいる場所が偽りの平穏に支えられ、自分の使えるべき主が偽りの救世主で、他の誰もがそれに気づかぬまま、日々を過ごしている。
そんな間の抜けた連中ばかりが蔓延る世界のどこに希望などあるものか。そもそも、どこに拙者の存在意義があるものか。

途方に暮れるまま、それでも拙者はただ生きることを選択した。
意義も何も見つからぬままではあるが、当然ながら死ぬ理由も見つから無かったからだ。
生き続けることにしたのは、たったそれだけの事だった。

それでも、事あるごとに、拙者の脳裏に浮かぶのは唯一つの問。


    拙者はいったい何のために在るのか。


問い質しては、答えを得られず、諦めた振りをして生き続けた。









『君は気づいているね』

生まれ出てから五年程度経ったある日――――何人目かのロックマンエックスが、そう、拙者に問いただした。
その時の感覚は今も忘れられない。
彼こそが“本物”であると、拙者はそう判断した。せざるを得なかった。それほどまでに、その“エックス”は完璧だったのだ。
だがしかし、既に世界の全てに呆れ果て、失望していた拙者は、その男に従属する気など到底持てなかった。

――――それでも所詮、“偽物”だ

そう自分に、まるで言い聞かせるように考えたのを覚えている。
そんな拙者にその“エックス”は言葉を続ける。

『どうする? 他の誰かに言いふらすかい?』

拙者はただ、『いいえ』と答えた。
別に明かしたところで拙者のメリットは見当たらなかった。本当にただそれだけだった。
例えヴィルヘルムに伝えたところで、何が変わるというのか。
この不安定で、偽りに満ちた世界が、私怨に塗れた老害によって牛耳られたところで、拙者にとって良い方向へ向かうものとも思えなかった。

『ただ……忠誠を誓うことだけは適いませぬ』

ふと、その言葉を口にしていた。
どのような心持ちからその言葉が出たのか、その時の自分にも分からなかった。だが、何故か言わなければならないような気がしたのだ。
それを聞いて“エックス”は『へえ、正直だね』と笑顔を見せた。そして、言うのだ。



『構わないよ。――――それでも僕は救世主として生きるけれどね』




“エックス”の言葉はその通りであった。
これまでの“偽物”たちとはその立ち居振る舞いが違っていた。毅然として、堂々として。

そして何より、彼は理想を自ら語った。

“本物”と言って良かった。彼こそが真の救世主であると。拙者もそれに関しては素直に認めざるを得なかった。
それほどまでに彼は――――我々がデータに知る限りの範囲ではあるが――――確かにロックマンエックスだったのだ。
しかしそんな救世主も、唯一つ弱いものがあった。


弱冠十歳の母親だ。


弱い――――というより、あれは甘えていたのだろうか。
レプリロイドである彼は、この世の全てを知っていた。ロックマンエックスである彼は、誰よりも力強く、逞しかった。
それでも、どんなに成人同様の姿形をしていようと、彼は人目を忍びながら彼女のことを“母さん”と呼び、慕っていた。その膝で眠ることを何よりも気に入っていた。



まるで“ままごと”同然の遣り取りを見て、拙者は呆れるばかりであった。
やはりこの男も所詮は“偽物”なのだと。


結局は、拙者が仕えるべき主などではなかったのだと。













『君にこの場所を守ってほしい』

ある時、救世主が拙者をデュシスの森へ極秘裏に連れて行った。
森の奥深くに作られ、更に地下に敷かれた秘密研究所。
案内された部屋には、いくつかのテーブルが並べられていた。それらの上にはレプリロイドたちの頭部だけが並び、数本のケーブルがそのどれもに繋がっている。
そして、皆、違わず涙を流していた。

『これは、いったい?』

拙者の問いに対し、“エックス”は少しバツが悪そうに笑って答えた。

『君にしか頼めないんだ』

拙者は理由も聞かぬままそれを承諾した。いや、少し考えれば分かることだ。そこが“涙”の研究所であることくらいは。
だが、それに確信を持ったところで、暴いたところで、何の意味もない。その時の拙者は、全ての気力を失くしていた。
ただ生きる。ただ命じられたまま動く。ただその場にいる。それだけだった。まるで人形も同然に。
拙者はいつもどおり、己の部下――――ヒューレッグ・ウロボックルにその場所を守るようただ命じた。
無駄に詮索をするような部下でなかったことが本当に幸いだった。


そう言えば、その頃から――――いや、それより少し前からだったろうか。“エックス”に異変が起き始めたのは。
ロックマンエックスの記憶を引き継いだ頃から彼は少しずつ変わっていった。
その雰囲気は、やけに鋭くなっていき、威圧的になっていった。時にはヒステリーを起こす姿も見えた。無論、人目を忍んではいたが。
以前にも増して救世主然として構え、イレギュラーの処分を強化し始めた。

何より、理想を語らなくなった。
“母さん”との遣り取りも、次第に減っていった。







『君の力を貸してほしい』

ある時、救世主はそう言った。
この世界の何もかもに疲れていた拙者は、二つ返事でそれに応じた。何一つ問いかけることも、詮索することもないままに。どれもこれも無意味だと切り捨てていた為に。
もしかしたら、“エックス”には拙者の胸の内が分かっていたのだろう。だからこそ、きっと拙者だったのだ。ただ一人の母親でもなく、そして何一つ疑いなく生きる他の忠臣たちでもなく。

思えば、本当の戦いはそこから始まったのだ。
無気力なまま答えたその言葉から。




救世主と隠将ファントムの――――たった二人だけの戦争が始まったのだ。











































  ――――  3  ――――








――――獲った…!







そう、確信した。勝利を得た――――筈だった。
しかし、ファントムは己を疑う。手には何の実感もない。いや、そもそも切り裂いたはずの胴と下半身がその場に見えない。
闇十文字は、何一つ捉えること無く、ただ虚空を切り裂いただけだった。

そして、背筋に悪寒が走る。
決して比喩表現などではない。確かにそこには激しい“冷気”が漂い始めていた。

「いいだろう、ファントム。……お前の覚悟に応えてやる」

同時に、背後から声が聞こえる。
そして立ち込める闘気と殺意の渦。――――その瞬間を、ファントムは知っている。



「今度は……俺の“覚悟”を見せる番だ」



白銀の長髪に、漆黒のコート。莫大なエネルギー量に、急速冷却装置の稼働。
正真正銘、紅いイレギュラーの真骨頂。





    [―――― S Y S T E M :“ A B S O L U T E ” S T A N D B Y ――――]





「来たかッ」とファントムが身構えた瞬間、ゼロの姿が視界から消える。
刹那、一瞬にして数十回の剣撃がファントムの体を襲った。

そこから始まる四方八方からのオールレンジ攻撃。数秒の内に数千という刃がファントムを襲う。
黒化したゼロの速度は、ファントムの戦闘速度を軽く超えている。繰り出される攻撃は全て、知覚の外。辛うじて防いではいるが、最早勘に頼っているに過ぎない。
無論、いつまでも防ぎきれるはずもなく、直ぐにファントムの体を刃が掠り始める。僅かに鮮血が飛び散る。

「小癪なぁッ!!」

足元で幾つかの地雷が一斉に弾けると、僅かに隙が生まれる。ファントムはそれを狙って闇十文字を振るう。――――だが、捉えたはずのゼロの影は見事に消える。双幻夢により作られた正真正銘の分身体だった。
背後から振り下ろされる刃を、予測して躱す。そしてすかさず“空蝉”を再び発動させる。
地中に待機していたパンテオンたちがファントムの信号を受け、飛び出すと、カモフラージュ機能を展開する。“分身体”の“ファントム”が一斉に襲いかかる。
だが、一人、二人、三人と、瞬時に斬り裂かれる。それは文字通りの瞬殺。数秒の時間稼ぎにもならない。
後ろに控え、ダメージの回復を謀っていたファントムだったが、これには舌打ちをする。
続けて、また一人、二人と、新たな“空蝉”を放つ。ここに配置した全てのパンテオンを出し尽くし、応戦する。が、そのどれもが数秒と持たずに破壊された。
全ての“空蝉”を斬り伏せた後、距離がある状態でゼロは大きくゼットセイバーを振る。すると複数の衝撃波――――光幻刃がファントムに向かって放たれる。
それを必死に躱す。が、気づいた時には既にゼロが懐へと入り込んでいるではないか。

「ぬぅッ!」

闇十文字を咄嗟に構え、防ぐ――――が、それもまたゼロの作り出した分身体、“疾風”だった。
「本体はッ」と、今度はファントムがゼロを探す。そして、瞬時に反転し、背後から斬りつけてくるゼロの刃を防ぐ。
一度に三度――――闇十文字の刃に対し、ゼットセイバーが斬りつける。当然、重なる連撃に、パワー負けしたファントムの体は弾き飛ばされる。
ファントムは宙に飛ばされながら、力尽くで闇十文字を投げ込む。また同時に数本のビームダガーを撒き散らすようにして投げ、ゼロに躱す隙を与えない。
しかし、紫色の光刃が一閃すると、全ての攻撃が弾かれ、無に帰される。それはまるで互いの力量差を物語るかのような無情さだった。
そして、着地したタイミングを狙って再度放たれる無数の光幻刃。それをファントムは死に物狂いで防ぎ、弾いていく。


――――ここまでで一分三十秒……!


ファントムは己の体内時計を確認する。
もう数十分以上の戦闘を重ねたような疲労感が全身を包む。だが、それに戸惑っている場合ではない。攻撃の手は休むこと無く放たれ、それを防ぎきれなければ、自分は何一つできぬまま死んだも同然なのだ。
決してこの展開を予想していなかったわけではない。賢将との戦いから、覚醒したゼロとの戦いを見ていたのだ。SYSTEM:ABSOLUTEの対策も全て練ってきていた。
だが、予測以上に体感でのゼロの動きは速く、そして強かった。

――――あと一分……いや、三十秒でいい!

それだけの時間、持つことができれば、勝てる。そう確信していた。その準備は全て整っているのだ。

ファントムを中心としてゼロが駆けまわると、同時に車輪型のエネルギー結晶体――――斬光輪が大地を駆け、ファントムを包囲する。
それらへの対応を取ろうとした瞬間、すかさずゼロもまた衝撃波を伴う回転斬り――――三日月斬を繰り出しながら中央へと飛び込んでくる。
ゼロに向け、左手に残った闇十文字を投げつけながら、横っ飛びで回避する。すべての攻撃を躱すことができたが、体勢を崩したファントムの元には、既にゼロが刃を手に襲いかかっていた。
転がるようにしながら、ビームダガーと、隠し持っていた数本のビームサーベルを投げつけ、十数回に及ぶ斬撃を防ぐ。死と隣合わせの数秒間。
そこから抜け出し、辛うじて闇十文字を一つ回収するが、直後に襲いかかる光刃を防ぐのに、一瞬足りとも息をつけない。

SYSTEM:ABSOLUTEを発動したゼロは、反応も、速度も、力も、その全てがファントムを凌駕していた。
姑息な手段を惜しまず使ったのは、それだけの実力差を認めていたからに過ぎない。
おそらく真正面からこれに対抗できるレプリロイドは、救世主“エックス”だけに違いない。


――――だが、それでもッ!


いや、だからこそ、勝たねばならない。
この男をここで始末しなければならない。





で な け れ ば 、 自 分 は 一 体 何 の た め に 在 る と い う の か ! ?






そう心で叫んだ瞬間、待ち望んだタイミングが遂に訪れる。
光速の剣戟を数千――――いや、数万回交わした後、周囲に変化が訪れたことに、ゼロが気付く。
必勝に向けた、ファントムの策が容赦なく発動した。

――――センサーの感度が……ッ!?

ファントムが“空蝉”を発動した頃より更に鈍る。
いや、それだけではない、周囲の光は屈折し始め、風景は見え方を変えていく。――――遂には、ゼロの周囲は暗黒に包まれる。







「 朧 舞 ―――― “ 月 無 ” ! ! 」







気づけば、先ほどまで斬りつけていた標的――――ファントムの姿も、何処にも見えなくなってしまった。

ファントムの操っていたパンテオン部隊。その全員がカモフラージュ機能展開用に纏っていた特殊粒子と少数のナノマシン――――それらをコントロールするための指令コードが“朧舞”である。そして同時に、それらは“空蝉”、“月無”と言った追加コードによって、本領を発揮する。
現在発動した“月無”は、言葉通り、月の無い暗黒を模した空間を作るための技。周囲にまき散らした特殊粒子に、ナノマシンが作用することで、光を遮断。自身は先ほど脱ぎ捨てたコートを被り、背景に溶け込む。無論特別製のセンサーが相手の位置を逃さず捉えている。
しかし、発動するまでには、それなりの準備が必要となる。周囲に特殊粒子とナノマシンを十分に、そして的確に配置することが必要となり、それを少しでも誤れば、技は不完全に終わる。
死線を彷徨いながら、命の綱渡りを続けながら、ファントムは全てを操り、それを発動するタイミングを待った。それこそが、ここまでの二分間の全てだった。

どこからとも無く、ゼロに向けて刃が放たれる。視覚異常と、ジャミングによる各種センサー系の異常から、自身に突き刺さる瞬間にしかそれを感知することができず、僅かに刺さった瞬間に素早く弾くがゼロの体は傷を負い始める。
右から、左から、前から、後ろから――――暗黒に閉ざされたゼロを嘲笑うかのように、ファントムの攻撃が連続して続く。

「これで、形勢逆転だ! ゼロ!」

残り一分三十秒。
戦闘に疲弊した体が、SYSTEM:ABSOLUTE発動中に重なった負担に耐えられるとは思えない。
SYSTEM:ABSOLUTEが解かれるまで、こうしてゼロの体力を消耗させることができれば、ファントムの勝ちは確実だ。
しかし、それに対し、ゼロは不敵な笑みを浮かべてみせる。



「言った筈だ、ファントム。――――『今度は俺の“覚悟”を見せる番だ』…と」



幾数個のビームダガーを弾いた後、ゼロは何を思ったのか、ゼットセイバーを左腕に仕舞う。
急速冷却の作用から、ファントムは感知しきれなかった。――――アースクラッシュのエネルギーを蓄積していることに。


――――だがッ!


それもまた想定の範囲内。
ゼロが窮地に陥った時、アースクラッシュを応用して活路を見出してきたことは、これまで監視してきた経験から把握している。
この事態においておそらく放たれるのはアースクラッシュそのもの、もしくは自身の周囲を漏らさず攻撃する落鳳破。どちらにしてもSYSTEM:ABSOLUTEの影響を考慮したとしても、ファントムには掻い潜り、一撃を加える用意がある。
アースクラッシュならば、背後から。落鳳破なら間合いを取り、光弾を躱して飛び込み、懐から両断するまで。

――――決着は……今!

ファントムは放たれるエネルギーの進路に、センサーの感度を最大限に高めて注目する。
ビームダガーを身に受けながらも構わず、ゼロは右手を一直線に地上へと打ち付ける。




刹那――――ファントムは気付く。ゼロのその手が“握り拳”であることに。




これまで、如何なる技を放とうと、手の平をそのまま打ち付けていたゼロの手がこの一瞬だけ“握り拳”だった。
それは、とても些細で、何よりも大きな誤算。発動したのはアースクラッシュでも、まして落鳳破でもなかった。










     爆   炎   陣    









放たれたエネルギーはゼロを中心に周囲へ波紋のように広がる。
直後、本人をも巻き込みながら閃光を周囲に迸らせながら大爆発が起きる。
“月無”を展開していた範囲を大きく包むその爆発からは、無論、ファントムでさえも逃げ切ることはできなかった。











































  ――――  4  ――――


“エックス”の願いを聞き入れ、拙者がその策略に協力するようになって二年程が過ぎた。
無論、ヴィルヘルムにそのことを伝えてはいなかった。それをしたところで、他の事柄同様、何かが変わるとはとても思えなかったからだ。

しかし、転機は突然に訪れる。
“エックス”にとって予期せぬことが起こったのだ。

『エルピス、イレギュラーの大軍を連れ、ネオ・アルカディアより離脱致しました』

“エックス”は『よし』と微笑む。そこまでは全てが計画通りであった。
だが、“その先”がある。そして、それがどれだけ彼にとって重いものであるか、拙者には分かっていた。

『どうしたの? 固まって』

不思議そうな表情で“エックス”は問いかける。
ああ、そうだ。何故固まる必要がある。口を閉ざす必要がある。
言ってしまえばいいのだ。目の前の男が一体何を考え、どう生きようと、どう藻掻こうと、拙者には関係のないことだ。
なにせ、主を持たぬ拙者はこの世界に存在していないも同然なのだから。



『Dr. シエルも……共にネオ・アルカディアより離脱致しました』





重い沈黙が部屋を包む。
“エックス”は『え?』とまるで理解できないというような表情を浮かべながら、呆然と立ち尽くしていた。
拙者は、その空気を感じ取りながらも、もう一度だけ、はっきりと言葉にする。

『Dr. シエルは、エルピス達白の団とともにネオ・アルカディアを出て行ったのです』

どうなろうと構わないと思った。目の前の救世主がどれだけ取り乱そうと。仕方のない事だ。もう済んでしまったことなのだから。
だが、その反応は予想以上のものだった。

『……嘘………だ……』

“エックス”は頭を抱え、不意に呟く。まるで何かに取り憑かれたかのように。
そして、目眩でも起こしたかのようによろける。繰り返し『嘘だ』と口にしながら。
拙者は言う。『真実だ』と。

『……嘘だ…』

『……誠にございます、“エックス”様』

『嘘だ』

それ以上の問答は不要と判断し、拙者は口を閉ざした。
それを感じた“エックス”は、ようやく全てを理解した。

そして、殊更大きな声で錯乱したように叫び出した。


『嘘だ! 嘘だ 嘘だ 嘘だ ! !  嘘 だ ァ ッ!』


“エックス”の意識に反応し、霧散していたアーマーが形状を乱しながら形成され始める。
『まずい』と判断した拙者は、“エックス”を取り押さえようと駆け寄る。

『落ち着いてくだされ、“エックス”様!』

『 嘘 だ ! ど う し て 母 さ ん が ! 母 さ ん が 僕 を ッ ! !』

拙者を突き飛ばし、周囲の壁に喚き散らしながら不完全な形状のバスターを乱射する。
玉座は砕け、壁は僅かに崩れ、部屋中に亀裂が走り始める。
これ以上癇癪を起こされては、この聖殿自体が壊れてしまうかもしれない。

『 落 ち 着 い て く だ さ れ ッ ! 』

最高戦速で背後に回り込み、その体を羽交い絞めにしようとする。
だが、不完全ながらもアルティメットアーマーを装備した“エックス”の力は、とても拙者に抑えきれるものではなく、突き飛ばされ、そして――――


『母さんが! 母 さ ん が 僕 を 捨 て る わ け が な い だ ろ う ッ ! ! 』


拙者の左顔面に、“エックス”のバスターショットが直撃する。
幸い威力はそれ程ではなかったため、破壊は免れたが、皮膚と肉は焼け爛れ、瞼は潰れ、拙者はその後に襲う激痛に膝をつき歯を食いしばりながら左顔面を己の手で抑える。
その様子を見て、“エックス”は動きを止める。

『嘘……だ……』

尚も繰り返し口にする“エックス”。だが、拙者は答えなかった。堂々巡りにしかならないと分かっていたから。
“エックス”は壊れたように言葉を続ける。まるで、この世の絶望全てを背負ったかのような表情で口にする。

『どうして、母さんが……僕を…………』

その徴候が何もなかったわけではない。“エックス”もまた、Dr. シエルと触れ合う機会が減っていた事に気づいていたはずだ。
それでも、何故だろうか。彼はこんなにも取り乱すのだ。――――しかし、それでも、彼の頬には“涙”の一つも流れていなかった。

『僕が……ないから……』

右腕で頭を抱え、まるで子供のように叫ぶ。



『僕が“涙”を流せないからッ! 僕が“本物”じゃないからッ! だからッ!!』



それこそが、彼が独り抱えてきた“核心”だった。


『でも! それでも僕は! 一生懸命だったんだ! 正義を遂げようとしていたんだ!』


彼なりの“正義”を。彼にできる全てを懸けて、戦っていた。それは傍にいた拙者が一番良く分かっていた。
しかし、それでもそれがこの世界にとって、そしてたった十二歳の少女にとって、“正義”に見えたかなどわからない。


『それでも僕は! “本物”になろうとしたんだ! だって、あなたが! あ な た が 僕 を 産 ん で く れ た か ら ッ ! 』


それ以外の道は用意されていなかった。その男には。
救世主として、“本物”であろうとすること。“本物”としてこの世界を背負って生きること。
その道以外に、“エックス”には辿れなかったのだ。


『それを……どうして!  母 さ ん ! ね え ! 』


どこにもいない彼女に向けて、まるで赤子が泣き叫ぶように、“エックス”は大声を上げて叫んだ。





『 僕 を 一 人 に し な い で よ ぉ ! ! 』






彼がこの世に生きる全ての依代だったのかもしれない、Dr. シエルという存在は。
“本物”として生きる苦悩の中で、唯一つ見つけた安らぎだったのかもしれない。
ただ一人、自分を無償で愛して、赦してくれると信じていた、相手だったのだから。

















――――なんと……惨めな……


錯乱した救世主の姿を右目で見つめながら拙者は思う。
救世主と呼ばれ、生まれた男が――――人々の太陽として生まれた男が、よもやここまで稚拙だったとは。
しかし、同時に思う。


――――この男が……“拙者”か


己の存在意義を失い、頼れるものを失い、取り乱し錯乱し、当たり散らし、喚き散らすその姿は、己の心の内に重なって見えた。

自分も似たようなものだ。
そうして自暴自棄になり、まるで死んだように生きてきた。
しかし、無理もないだろう。


    ただ……忠誠を誓うことだけは適いませぬ


何故、あの時そう言ったのか。既に分かっていた。
希望を抱いていたかったのだ。もしかしたら“本物”に出会えることがあるだろうと。
この忠誠を捧げられるロックマンエックスに、いつかきっと出会えるだろうと。

そして確かに、思い始めていた。今眼の前にいる男が“本物”であると。この男に仕えていけばよいのではないかと。
しかし、やはり救世主は“偽り”だったのだ。“本物”などこの世界には既に亡く。
それに仕える己もまた、所詮は“偽り”の存在としか言い様がないのだろう。





結局、拙者はいったい何のために在るのか。
その答えは、とうとう得られることがなかった。

















不意に、窓の外を見やる。

瞳に映るのは、広がる蒼天の向こう側。世界を眩しく照らすもの。
そして窓の内側。閉鎖された空間に浮かび上がるもの。




“エックス”と隠将ファントム――――互いに存在の依代を求め生きる二人。











そうして、いつしか答えは胸に浮かんでいた。


『“太陽”照らし続ける限り、“影”消えること無し』


気づけば膝をつき、頭を垂れ、拙者はその言葉を口走っていた。
何事かと“エックス”は言葉を失ったまま、呆然とする。拙者はそのまま言葉を続ける。


『“影”在り続ける限り、“太陽”沈むこと無し』


答えはとうに、そこにあったのだ。失望したふりをして、それに気付かぬつもりになっていただけだ。
訳が分からないという顔をしながらこちらを黙って見つめ続ける“エックス”に、拙者は言う。

『……“偽り”の“太陽”であるならば、そこにできるは“偽り”の“影”! しかし、拙者は正真正銘、“本物”にございます!』

そう断じてしまえばいい。
生きる理由が見つからないのであれば、存在意義を欲しているのならば、そこに作ればいい。

『そして“本物”の“影”がそこにあるならば、天に浮かぶ“太陽”もまた、“本物”にございましょう!』

詭弁であろうか。しかし、それでも構わない。
この男を救い、己を救う。この言葉は、誓いは、ただそのためにだけ。


『恐れながら、これより拙者が貴方様の“影”となりましょう』


太陽と影は、言わば一心同体。
太陽がなければ、影は闇に飲まれ消えてしまう。光がそこにあって初めて影は存在できるのだ。
そして影がそこにあるということは、在り続けるということは、太陽がそこに浮かび続けているという揺るがぬ証明。



『拙者がここに在る限り、貴方様は決して“偽り”でも、まして“孤独”でもございませぬ!!』



共に歩めばいい。太陽と影のように。
互いに互いを必要とし、互いに互いを頼り、互いに互いを存在の証明として、生き続ければいい。

そう宣言すると、“エックス”は少し戸惑いを見せた後、『何を馬鹿な』と嘲笑を浮かべる。
そして、何を思ったのか、バスターの銃口を己のこめかみに当ててみせる。


『……その言葉の通りなら、僕が死ねば、君も死ぬんだね?』


“太陽”が沈んでしまえば、“影”もまた闇に飲まれて消えるしかない。拙者の言葉の裏を返せばそのような意味にも取れる。
これまで、真の忠誠を見せることのなかった男が、その場しのぎの文言で自身の命を懸けられるものかと、“エックス”は語る。

だが――――言葉より先に、何一つ臆すことなく、躊躇いなく、ビームダガーを素早く取り出し己の首筋に当ててみせた。


『元より、その覚悟。この隠将ファントム、例え冥府まででもお供いたしましょう』



例えば、ここで“エックス”が死んだとして、これから先、再び自分の“太陽”が現れてくれる保証はあるだろうか。
生まれ出てからの八年間。ようやく見つけられた、ようやくたぐり寄せることができた存在意義。捨てた気でいながら、求め続けていたそれをようやく手に入れたのだ。
彼はきっと、自分の存在を求めてくれる。例え相手が何者であろうと、命がけの忠誠を誓う臣下を。
それに応える以上に、今の自分が欲する存在意義があるだろうか。

ならば、もし彼が死を選ぶのであれば、この身が死んだも同然だろう。


――――そうだ、拙者はきっとこの為に生まれてきたのだ





交錯する視線、その末に、拙者の覚悟を読み取ったのか、“エックス”は無言で腕を降ろした。



そしてその日から、拙者は“影”となった。
救世主エックスにとっての、唯一人の――――天に浮かぶ“太陽”を“本物”たらしめる為の“影”となった。

そうして、たった一人の主のため、この命の一片までも捧げることを誓ったのだ。











































  ――――  5  ――――


死に物狂いで引きずり上げたパンテオンの残骸と闇十文字を盾にして、ファントムは爆炎陣による攻撃をなんとか凌ぎ切ることができた。
とは言え、その身が受けたダメージは、決して無視出来るものではない。関節の全てが軋み、視覚にノイズが交じるのが分かる。
爆発の中央を見ると、そこにはSYSTEM:ABSOLUTEを解除し、紅い姿に戻ったゼロが立っていた。
無論、彼もまた無事に済んではいない。中心部の被害は最小限に留めたが、それでもダメージは確かに残っていた。足取りがわずかにふらついている。


「……拙者の種も全て尽きた」


先ほど使い尽くした“空蝉”用のパンテオンも、朧舞の中核を成していたナノマシンも、そして勿論周辺に仕掛けていた地雷も全て消滅した。
もう、残っているのは懐にあるビームサーベル一本のみ。
それを取り出し、満身創痍ながらも構える。

「しかし、これでおそらく勝負は五分」

ゼロもまた、再び左腕からゼットセイバーを取り出し、構える。
ゼロの全力を確認したことで、ファントムはその動きをほぼ完璧に覚え、対応できる準備ができた。
しかし、その身が負った傷は決して浅くなく、ゼロの全てを捌ききれる保証はどこにもない。
後の勝敗を決めるものがあるとしたら、それはきっと“気力”としか言い様がない。




「敗けはせぬ」




「勝つのは俺だ」




互いに宣言した後、ゆったりとした足取りで近づいていく。そして、互いの間合いを警戒し、立ち止まる。
無言のまま交わされる数分間の遣り取り。どちらも互いの動きを探りあう。


そして、ほぼ同時に動く。







「「――――――――――――――――――――――――――――――――ッ!!」」





言葉にならぬ雄叫びを互いに上げながら、剣戟のやりとりが始まる。
無論、そこまで交わされたそれと比べれば互いに速度も、そしてパワーも落ちていた。
だがその場を包む気迫は、そこまでとは比べ物にならない勢いを持っていた。

右に、左に、上に、下に――――縦横無尽に振り回される二振りの剣。
飛び散る火花はその激しさを物語り、互いに強く踏み込んだ足は地面にめり込み、一歩も譲らぬことを主張する。










――――拙者は“影”だ


“太陽”がそこになくば、存在が適わない者。
ロックマンエックスと言う名の“太陽”が世界を照らさぬ限り、存在できない“影”。





――――俺は、“月”だ

いつだったろうか、“あいつ”に言った覚えがある。
“あいつ”がみんなを照らす“太陽”ならば、自分はおそらく“月”だと。
“太陽”に照らされることでしか輝けない、“月”だと。





ここまで交わされてきた幾万という遣り取りの内に、互いに譲れぬ“太陽”への想いを、言葉を交わさずとも語り合った気がした。
きっと、二人は似ていたのだ。ロックマンエックスという“太陽”の存在を求めていたという点で。

そしてファントムは見つけた。“エックス”を。
例え“偽り”であろうと、互いに支えあうことで、求め合うことで“本物”になろうと誓った相手を。

そしてゼロは見つけた。シエルを。
きっと“あいつ”と自分が共に目指した“懐かしい未来”と、寸分違わぬ理想を見つめ、仲間たちの道を照らす存在を。






互いに、互いの存在を赦してくれる者のため。互いに、互いが懸けた太陽のため。
この命を最期まで燃やし尽くすのだ。













熾烈な剣戟の中、既に隠将ファントムは、必勝の方程式を掴んでいた。
疲弊し、判断力の鈍ったゼロは、おそらく己も気づかぬ内に、攻撃をパターン化させていた。
光速で繰り出される斬撃――――しかし、それは全て三撃一組に分けることができる。
無論、その組み合わせもまた縦横無尽であり、ファントムほどの達人であろうとその剣筋を完全に見極めるのは困難だ。
大切なのはその合間。その組と組の間に、ほんの一瞬、タイムラグが生まれること。それに、ファントムは気づいていた。



――――言うなれば、“光速の三拍”



常人では追えぬスピードとリズム、それによって見事に隠されてはいるが、そのリズムで数えて丁度“三拍”――――隙が生まれるのだ。

――――それこそが、狙い目ッ!

幾百という剣戟の遣り取りの中、ファントムはこれまでの戦いから導き出したゼロの隙を狙うべく、集中力を高める。
そう、“光速の三拍”だ。瞬きも赦されぬ瞬間のことだ。とても狙えたものではない――――普通の者ならば。
しかし、それを捉えてこそ隠将ファントム。――――救世主エックスの忠臣にして、最速の将。速度と反応の王者。

ゼロの攻撃を防ぎ、流し、攻撃を加え――――そうした遣り取りの中で気力を満たしていく。
決して悟られないよう息を整え始める。無論、気を抜けばおそらくこちらが隙を突かれる。だからこそ、慎重にして冷静に事を運ばねばならない。どれだけ時間がかかろうと。
そして互いに疲労がピークに差し掛かった。それでも速度は落ちない。当然だ、全神経を集中させ、全センサーをそれに集中させ、全意識をそこに傾け、全エネルギーをそれだけに注ぎ込んでいるのだ。
これ以上、ゼロの速度が鈍ることは期待できない。それを待っていては、おそらくこちらが限界を迎えるだろう。

――――いざ、勝負ッ!

激しい攻防の中、ようやく呼吸が整い、全ての支度ができた。そして、覚悟を決めると、己の直感を最大限に信じる。――――ここぞというタイミングを掴むだけだ。
そしてゼロの剣戟の一組が終わり、次の一組に差し掛かった瞬間、縦に振り下ろされる光刃を視界に入れた刹那、ファントムは方程式を実行する。


―――― 一つッ!


心の内で数えながら、敵の剣を防ぐ。
ゼロの一太刀目を、刃を横に向け、防ぐ。


―――― 二つッ!


すかさず横に振られたゼットセイバーを、縦に叩き落す。
しかし、ゼロはそれを予測し、直ぐに次の手へと移る。肘を回転させるようにして、上がる右腕。

緊張の一瞬――――冷静に努めようとも心拍が最大限に高まり、擬似血液が沸騰するかのような感覚が体中を駆け巡る。


―――― 三 つ ッ !!


殊更大きく振り下ろされる鮮緑の刃、それに対し、ファントムは数瞬速く身を躱して避ける。
――――そう、これも一つの賭けであった。ゼロが再び横に剣を振っていたならば、自分の胴が宙に舞っていた。
無論、ここまでの剣戟を観察し、確信を持った上での賭け。――――そして、それに見事勝利した瞬間、何かがファントムの内で弾ける。





    「 覚 悟 ぉ ッ ! 」





ゼロが返す刀で斬りつける前に――――そこに生まれた“光速の三拍”を狙って――――ファントムは己のサーベルを一閃する。



















だが、ゼロの身は思わぬ方向へと動く。
頭を屈め、体をくの字に曲げ、それを躱す。――――いや、躱したのではない!

――――これはッ!?

ゼロの戦闘を観察し続けてきたファントムにとって、それはよく見知った動きであった。
そう、それはゼロが繰り出す剣技の一つ――――その動作。




「 読 ま れ た の は 拙 者 か ッ ! ? 」



振り下ろす刃の勢いそのままに、ゼロの体がその場で回転する――――










          円  水  斬  










咄嗟に身を躱したファントム。
しかし既にそれは遅かった。気づけば光刃はファントムの右半身を見事に斬り裂いていた。




「御美事であった……旧き英雄よ……」




弾かれ、地に転がる。
それとほぼ同時に、ファントムは思わず心の底から賞賛を口にしていた。

仰向けに転がった彼の視界に飛び込んできたのは、それでも眩しく照らし続ける太陽だった。











































  ―――― * * * ――――



『その傷、とうとう治さなかったね』

言葉に詰まったファントムに、“エックス”は語りかける。
もう二年も前に付けた傷を、ファントムは治そうとしなかった。

『……これは……これこそが、拙者の忠誠の証』

“エックス”の心を正面から受け取った、初めての一瞬。――――それを忘れないための戒めだった。

――――ああ、そうだ

あの時から、ようやく自分はこの世界に“生まれた”のだ。
全ての真実を知り得て尚、生き続けようと思えたのだ。何もかも、全て彼に捧げることで。
そして、その心に触れて、“エックス”は本当の覚悟を決めた。自分の信じる“正義”を貫き通す覚悟を。

『もしも、影が無くなったのであれば……』

ファントムは振り返ることなく、先ほどの“エックス”の問いに答える。

『……例え、影を失おうとも、太陽は確かに、そこに在り続けるでしょう』

例え輝きを失おうとも。その光が何かを照らせなくなったとしても。誰に知られなくなったとしても。
きっと太陽は天に在り続けるだろう。ひっそりと。静かに。宙に浮かび続けるだろう。



『――――そう、拙者は強く望みます』



ようやく振り返り、見せた微笑み。
悲哀を堪えながら互いに見せたそれは、互いに交わした最後の言葉だった。



























  ――――  6  ――――


ゼロの最後の技もまた、賭けだった。
ファントムがこちらの隙を狙ってくるであろうことは分かっていた。それほどまでに、ファントムの洞察力の高さを敵として信頼していた。
雰囲気が変わり、僅かにファントムが動きを変えた瞬間、ゼロは円水斬を繰り出すことに決めた。だが、確信などは何処にもなかった。もしかしたら、そのまま躱され、横から回転の中心部にある自分の胴を突かれていたかもしれないのだから。
そうなれば、きっとその場に膝を付いているのは自分だっただろう。
しかし、結果として生まれた勝者と敗者の図式。それは変えようのない事実であり、その現実はゼロに、そしてファントムに伸し掛かる。



「……トドメを……刺すのだ……」

上体を起こし、立膝を突いて座り込むファントムの前に、ゼットセイバーの鋒を向け、ゼロが近づく。
そうだ。ファントムの意志は分かっている。ここで殺さぬ限り、きっと彼は納得しない。諦めない。
だが、なかなかその刃は振られない。ゼロは押し黙ったまま、考えこむ。

そして、とうとうゼロは刃を下に向けて降ろした。

同時に吠える。

憤りからか、何かを吹っ切るためか。悲痛な声が響き渡る。
一頻り叫び終えると、ゼロは自身を落ち着かせた後、ファントムに手を差し出した。




「生き恥を晒せ。……お前は……負けたんだ」




呆気にとられるファントム。
それを他所に、ゼロは言葉を続ける。

「頼む、ファントム。俺は、なんとしても“エックス”を救いたいんだ。力を貸してくれ」

シエルの願いを叶えるためだけではない。ここまで犠牲にしてきた者達のため、自分が誰かを救える程の強さを手に入れたと証明するために。
自分が何一つ救えぬ男のままであるならば――――何一つ成長しないままこの世界に生きているのならば、これまで命を投げて背中を押してくれた者達に、申し訳が立たない。

自分の誇りのために。全ての者達の願いのために。“エックス”を救うのだ。
そしてそのために、どうかファントムの力を貸してほしいと、心の底から願っていた。

尚も呆然と見つめていたファントムだったが、緊張の糸が解けた瞬間、これまで一度も聞かせたことのなかった笑い声を上げた。
それは決して皮肉めいたものでもなく、馬鹿にしたようなものでもなく、ただこの状況を面白く思っていただけの、快活な声だった。
もしかしたら、こんなにも明るい声を上げて笑ったのは生まれて初めてかもしれない。

「フッ………御主がそこまで甘いとは…な」

伝え聞いていたゼロという男は、容赦なく敵を斬り倒し、前に進む男だった。
だが、今目の前にいるのは少女の理想と、そして己の願いを叶えるため、敵を斬らないことを選択できる男だった。
そんなファントムに、ゼロはどこか恥ずかしそうに、むっとした表情を浮かべながら、言葉をかける。

「人も……レプリロイドも、変わっていくものだろう」

「……違いない」

それも百年もの間眠っていたのならば、当然といえよう。
その遣り取りの後、ファントムはスッと左手を上げ、ゼロの手を取る。


「ゼロ、“月”と“影”の違いが分かるか?」


不意の問いに、言葉が詰まる。
“月”と“影”――――互いに“太陽”なくして存在を確かめられないものの比喩。今ここに対峙していたゼロと、ファントムのように。
しかし、そうだ。異なる呼び名で呼ぶ限り、それらは結局似て非なるものなのだ。必ず違いがあるのだ。
答えられずにいるゼロに、ファントムは微笑みながら、告げる。


「“太陽”無くば、“影”は闇に飲まれる。――――しかし、“月”は確かに、そこに在り続けるのだ」


例え輝かずとも。誰に知られることがなかろうとも。
彼が“本物”の“月”で在る限り、如何なる闇が訪れようとも、その存在は決して揺るぎ得ないのだ。

くっ……と、力の抜けていたゼロの手が、体ごと引き寄せられる。ファントムが振り絞った最期の力で。


















――――“影”在り続ける限り、“太陽”沈むこと無し

――――拙者がここに在る限り、貴方様は決して“偽り”でも、まして“孤独”でもございませぬ






『……その言葉の通りなら、僕が死ねば、君も死ぬんだね?』






――――元より、その覚悟


――――この隠将ファントム、例え冥府まででもお供いたしましょう

















































        「約束違えること、お赦しください……エックス様」

























耳元で囁くように言ったのとほぼ同時に、ファントムの体温が急激に上昇する。エネルギー炉が臨界点を突破する。
そして、直後――――閃光を迸らせ、数瞬遅れて地響きを轟かせながら、爆炎が二人を包み込んだ。











































  ―――― * * * ――――



窓をそっと撫でながら、空を見つめる。蒼く広がる空を。
きっとその向こう側で、命を輝かせ、散っていったであろう忠臣を――――最愛の友を想いながら。




「……そんなことも……あったね」




脳裏に駆け巡る彼との遣り取り。彼の最期を、感じながら、“エックス”はそう独りつぶやいた。
それでも――――どれだけの感情が胸に込み上げようとも、彼の頬を“涙”が伝ってくれることは一度たりともなかった。























  ―――― * * * ――――



咄嗟に、残ったエネルギーを絞り出し、緊急加速装置を作動させたおかげで、命だけは助かったらしい。
関節が軋むのを感じながら、ゼロは呻き声とともに上体を起こす。
そして、爆発の中心地を眺める。

そこには跡形も無かった。
まるでそこにあった筈の命が――――“影”が、元からなかったかのように、全てが木っ端微塵に消し飛んでいた。

ふと、腕に残る感触に気づき、横目で見る。


「……ッ!?」


ゼロの右の二の腕には、左腕がぶら下がっていた。
引き寄せた後、そのまま逃がさんと直ぐに掴んできた左腕――――その肘から先が、ゼロの二の腕を掴んだままぶら下がっているのだ。

引き剥がそうと、自分の左腕を伸ばし、そして躊躇う。
それから悲哀を滲ませた声色で、彼の名を呼ぶ。



「……ファントム」


最期の最後まで、ゼロを殺すために戦い続けた。己の守りたいものを守るために。言葉通り、命の一片までも使い尽くして。
そんな彼を、どうして卑怯者と罵ることができようか。




死して尚揺るがぬ忠義に、信念に、ゼロは敗北を感じずにはいられなかった。
そして同時に、己の非力さを殊更強く噛みしめるのだった。















































「 ゼ ロ !  大 変 な の ! 」

突然呼び出された通信に応えると、ゼロの耳にシエルの叫ぶような声が突き刺さる。
その声色は尋常ではない事態が起きたことを知らせている。

「どうした!?」

「これを!」

割って入るジョーヌの声に、次いで送られてきた映像データ。ゼロは直ぐ様それを自分の視界に展開する。
一瞬、内容を理解できずに呆気にとられる。だが次の瞬間、そこに映された老人の言葉に、ゼロは現実へと引き戻され、言葉を失う。




「諸君ッ! 繰り返す! これまでこのネオ・アルカディアを牛耳ってきた救世主は偽物にすぎん!」


映像の中の老人――――ヴィルヘルムは拳を強く握り、殊更強く宣言する。









「繰り返す! 諸君が愛し、敬ってきたあのロックマンエックスは  偽 り で あ る ッ ! ! 」

































         To be continued ......





























[34283] 35th STAGE 「残光の行方」
Name: 村岡凡斎◆45ff140f ID:e5a820fd
Date: 2013/11/02 15:37


  ―――― * * * ――――


吹き荒ぶ風に頬を叩かれ、自慢の長髪を靡かせながら、荒野の真ん中でエル・クラージュのエンジンを切って、あたりを見渡す。
久々にハンドルを握った愛機の軽快な動作に、少しは気持ちが昂ってもいいものだと思えたが、生憎、そのような気分に浸っている場合ではなかった。

〔――――こちら、コルボーチーム……コピー…ックス…確認できず…〕

〔――――こ…ら本部、了解。……引き続…ポイント……R-…4Tへ向かって……さ…〕

〔――――こち……ヘルマンチー………Z-37………認できず。そのまま…-26Yに向…う〕

〔――――本部……解。お気を……て〕

ノイズ混じりながら、絶えず耳元に飛び込んでくる本部と各チームの音声通信。
しかし、どうも状況は一向に進展がないらしい。
思わずゼロは頭を抱え、地平線の彼方を睨みつける。



「……何処に行ったんだ、“エックス”」



たった一日の出来事で、世界は急変した。
ゼロ達は今、ネオ・アルカディアより突如として失踪した救世主の影を追い、奔走していた。








































 35th STAGE











        残光の行方











































  ――――  1  ――――


本部に帰投したゼロは休む間もなく、オペレーターが記録していた映像を目にする。
オープンチャンネルによって、国内のみならず、世界各地のネオ・アルカディア兵士及びレジスタンスにまで、元老院議長ヴィルヘルムによる演説は垂れ流しにされた。


「繰り返す! 諸君が愛し、敬ってきたあのロックマンエックスは  偽 り で あ る ッ ! ! 」



ヴィルヘルムは宣言とともに自分の陣営が掴んだ情報を提示し、説明をする。
ロックマンエックスの設計図。各年代ごとの製造データ。DNAデータの完全複製法など、所謂“でっちあげ”の証拠も混じえながら、宣言に信憑性を持たせる。
そして何より穴となったのは、ここ最近のネオ・アルカディア軍事施設の稼働データ。

「実質の稼働率はたった六割! 未だにレプリロイドによるレジスタンス活動が続いているのは何故か! 誰の目にも明らかである!」

救世主とその腹心――――それがファントムなのか、それともまた別の者かはともかく――――の工作によって、そうしたデータはどれも改竄されていたのだと強く主張する。
それがいったいどういう意味か。
ヴィルヘルムの言葉を借りるならば“人類への裏切り”。偽りの救世主は、人々を守ると偽りながら、レプリロイドたちの軍勢を密かに育ててきたのだと主張する。
そして、ヴィルヘルムの私兵による聖殿への突入劇。一部始終がライブ中継されたが、“エックス”は逃亡した後らしく、その姿はほんの僅かも映されることはなかった。
「取り逃した」という自身の失態を追求されるよりも早く、ヴィルヘルムは自ら謝罪を述べ、その上で言う。

「これぞ、情報が真実であるという動かぬ証拠であるッ!」

偽物だと暴かれたからこそ、逃げ出したのだと、更に強調して伝えていた。










「現在、ネオ・アルカディアの一部部隊が“コピーエックス”の捜索に動き出しています」

ネオ・アルカディア側が付けた便宜上の名称を呼びながら、エルピスは会議室内で状況の整理を始める。

「解体された斬影軍団以外の四軍団は、現在無期限謹慎を言い渡され、賢将、闘将、及び妖将はユグドラシルへ召喚。おそらく査問委員会にかけられることでしょう」

元老院と僅かながら対立していたこと、救世主エックス直属の部下であったことなどを出汁に、ヴィルヘルムに付け込まれた形となってしまった。
無論、救世主が偽物だったというのは四天王たちにとっても、“寝耳に水”と言ったところだろう。

「第十七精鋭部隊にも、コピーエックス捜索の指令が下っているようですが、どうも動きが見えません」

一応出撃しているようではあるが、あまり活発な動きを見せてはいない。
元老院の虎の子であった筈の十七精鋭部隊が、このように消極的な様子を見せるのは、些か不気味ではある。
本国のイレギュラーハンターについては、この宣言に呼応したテロ事件を警戒して国内の警戒態勢を強めているらしいという情報が入っている。
戦力的に劣る聖騎士団は、言わずもがな。“来る決戦に向けて、兵舎で待機中”とのことだった。

「さて、これで終わればよいのですが、我々に関係する問題が一つ。――――ルージュさん」

エルピスの呼びかけに「ハッ」と答え、手早くキーボードを叩く。すると、モニター上にある文書データが示された。

「ヴィルヘルムは同時に、オープンチャンネルに“手配書”を流布し、世界各地のレジスタンスに誘いをかけています」

曰く「偽りの救世主を討ち取った者をネオ・アルカディアの真の英雄と讃える」。
コピーエックスの首と引き換えに、そのレジスタンス組織を英雄と讃え、あらゆるイレギュラー認定を解除した上で、新たにネオ・アルカディア特別国防軍と認定する――――とのことだった。

「じゃ……じゃあ、これを受ければ……」

団員の一人がそう言って生唾を飲む。
そう。その条件を見事に満たすことができれば、白の団はこの窮地から脱出することができる。しかもそれだけでなく、英雄の軍隊として人類に認められることとなるのだ。

「ヴィルヘルムの提案だ。罠に決まっている」

すかさずゼロが口を挟む。これまでの、彼の動きを考えればそれが妥当の線だった。
だが、「強ち、罠とも言い切れないません」と、エルピスは切り返す。

「以前のゼロさんのお話を考慮するならば、ヴィルヘルム議長は人心を纏めるために“英雄”の存在を欲しているのですから」

確かに、直接にヴィルヘルムの邸内で対峙した時、彼はそう言っていた。そして、それは決してまやかしでも、単なる机上の空論でも無い。
今現在、ネオ・アルカディア全国民は混乱の渦に陥っていた。
未だ情報が信じられないという者が、町中で「救世主万歳」を唱え自決したという話も一件や二件ではない。
警戒中のイレギュラーハンターでさえ、裏切り者と罵られ、複数の人間に暴行を加えられ、大破したという話もある。
ヴィルヘルムの言う“ベスト”或いは“ベター”の道を取れなかった結果。今、ネオ・アルカディアは“英雄”を欲しているのだ。

「……お前、乗る気なのか?」

「前向きに考えているのは確かです」

自分の欲や野望を差し置いたとしても、現在の白の団の状況から考えて、生き残るにはそれ以外の道は見つからないだろう。
基地の修復はあらかた片付いたとはいえ、既にこの場所は敵に知られている。
ヴィルヘルムの誘いを断り、隠将がいなくなった今、いつ敵の軍勢が攻め込んできて、皆殺しにされたとしてもおかしくはないのだ。
この時点でそれがないという事実から、この誘いが最後通告であることは明らかだ。
過去の英雄である紅いイレギュラー擁する白の団が、誘いに応じて救世主の首を取り凱旋したならば、それを迎え入れようという誘い。
実際のところ、あの“エックス”に敵うものは、黒狼軍のベルサルクか、ゼロくらいなものだろう。つまり、この誘いは遠回しに、白の団へ向けて突きつけているのだ。

「あの男自体は信用できませんが、彼のメリットを考慮すれば、この誘いについては信用出来るものであると取ることができます」

「必要なのは、俺だけだ。白の団自体が救われるとは限らない」

「それで貴方が納得しないことは、既にあの男に知られているでしょう」

「お前、本気で……」

「ええ、“前向き”です。非常に」

エルピスの目は真剣そのものであった。
ヴィルヘルムの誘いに乗り、ネオ・アルカディアに戻るというのは、つまりは理想を捨てるということ。おそらく白の団は救われたとしても、以前と変わらずレプリロイドの奴隷的扱いは変わらないだろう。
しかし本部襲撃を受け、現実を突きつけられた今、エルピスには理想論を追いかけるだけの気力はない。
それでも白の団という組織だけは守ろうと必死なのだ。そんなエルピスの意志が強く伝わり、ゼロにはそれ以上返す言葉が見つからなかった。
「しかし」と、エルピスが口にする。


「あとは、シエルさん。貴女の判断に任せます」

「……え?」


心ここにあらずという表情で話をぼんやりと聞いていたシエルに、エルピスが話を振る。
耳に入っていたとはいえ、状況が理解できず、戸惑うシエルに、エルピスは繰り返し言う。

「ヴィルヘルムの誘いに乗るか、反るか……シエルさんが決めてください」

「エルピス!」とセルヴォが怒鳴るように言う。セルヴォの気持ちもまた、その場にいる者達には容易に伝わる。
たった十四歳の少女に、それも自責の念に囚われ心に傷を負ったままの少女に、この場にいる者達の命運を決めろというのだから。酷な話だ。
しかし、エルピスはあくまでも冷静に言い放つ。

「この白の団は、私の組織ではありません。シエルさんの理想を信じて集ったみんなの組織です。シエルさんがその理想を捨てない限り、舵を別の方向に切ることはできないのですよ」

セルヴォは言い返せず、苦い顔をしたまま俯く。
だが、それでも酷なものは酷だ。
現に、判断を委ねられたシエルの手は震え、唇は真一文字に閉じられたままだ。
「乗る」と答えればいい。理想よりも、仲間の命だ。――――しかし、少女の胸のうちにあるのは、決してそれだけのことではなかった。

「……え……エルピスが決めて……」

「ダメです。シエルさんが決めてください」

シエルの言葉に間を置かずに言い返すエルピス。
普段では考えられないようなエルピスの厳しい態度に、見守っているコルボーが「落ち着いてください」と口を挟む。
尚も、戸惑いながら、もう一度考え込んだ後、シエルはまたも口を開く。

「……私には……言えない…よ…」

「……言ってください、シエルさん」

「待ってくれ、エルピス」とセルヴォが再び庇うように声を張り上げる。

「もういいだろう! シエルは君に任せると――――……」



「 そ れ で は ダ メ な ん で す よ ! ! 」



突然、怒鳴り返すエルピス。その鬼気迫る表情に、セルヴォは言葉を失う。
咳払いを一つして、コートの襟を正すとエルピスはシエルの方に向き直る。

「お願いです、シエルさん。貴女の言葉をください」

シエルは、いくらか逡巡した後、意を決して口を開く。

「……ヴィルヘルム議長の誘いに乗――――…」

「 “ 貴 女 の 想 い ” を 聞 か せ て く だ さ い 」

遮るように、エルピスは語気を強めて、言い放つ。シエルは思わず口を噤む。
エルピスの言葉に、ようやくゼロは「ああ、そうか」と胸の内で納得する。そして、他の一同を見渡す。
皆、同様に周りを見て、互いに目配せをする。そして、幾らかの戸惑いの後、互いに納得し合い、皆、覚悟を決めた。

――――そうだ、その道以外に、取るべき道はない。

シエルもまたそこで、全て見透かされていると気付いた。そして、エルピスが今欲している言葉も。
けれど、それでも言えるわけがない。いや、“だからこそ”、言ってはいけない。

「……だって………だって……そうしたら……」

それを、言葉にしてしまえば、それを受け止めてくれるだろう。その為に動いてくれるだろう。それも、命懸けで。
そして、そうなってしまっては、この白の団はきっと本当に終わってしまう。
ヴィルヘルムの誘いを裏切ってしまえば、きっとネオ・アルカディアの軍勢がまたもこの場所に押し寄せてくるに違いないのだ。
戸惑い、迷い、言葉を失うシエルに、エルピスが「シエルさん……」と語りかける。

「私は、弱い男です。……色んな物に憧れ、嫉妬し、現実を突きつけられた今はもう、理想も抱けない」

『私たちは自由の翼をもっています。例えこの身が泥にまみれようと、胸の中にはいつもその“白”を抱いていましょう』――――そんな言葉を吐き出せた、何も知らぬ頃があった。今はもう昔のことだ。
けれど、そんな自分の方がきっと強かった。無知だったからこそ、何者にも立ち向かえた。一概にそんな過去の自分を嘲笑うことなどできない。

「ですが……そんな私にも意地がある」

たった一つ、絶対に譲れないものがある。
どれだけの窮地に直面しようと。どれだけの恐怖を味わおうと。
たった一つ、貫き通したい意地がある。



「理想に目を向けられなくとも。シエルさん、私は貴女の願いを……我侭を受け止められるくらいの男ではありたいのです」



シエルが今抱いている想いを遂げること。
それだけは例え命に代えても成し遂げたい。

「でもッ!」とシエルは声を張り上げる。

「だって、そうしたらみんなは……!」

「いい加減にしろ」

徐に前に進み出ると、ゼロがその頭を軽く小突く。
慌てて頭を押さえるシエルに、諭すように言う。

「いつも言ってるだろう。お前は“小娘”なんだ。ちょっとマセたとこもあるが、まだまだガキなんだよ」

皆の理想を、想いを背負える器はあるのかもしれない。
けれど、彼女がたった十四歳の少女であることには変わりない。



「言えよ、シエル。お前の“我侭”を。――――それに応える覚悟は、もうみんなできてる」



エルピスやゼロだけではない。
セルヴォも、コルボーもヘルマンも、その場に集まった一同の目に曇りはない。
それを見て取った後、シエルは少しだけ俯く。

「ゼロ……エルピス……みんな………お願い――――」

ぐっと、拳を握る。
そして涙を滲ませ潤んだ瞳で、震える声で、懸命に言葉を絞り出す。






















「――――……私のエックスを……助けて……」





















切なる願いに、ゼロは、微笑みながら答えて見せた。


「任せろ、シエル。――――俺“達”に」


その言葉を合図に、エルピスが皆に告げる。


「これより白の団は、コピーエックスの保護を第一優先として行動を開始します! 各員、すぐに出撃準備に取り掛かってください!」


コルボーやヘルマン等各チームリーダー達は威勢の良い声で「ハッ」と声を上げると、駆け足で飛び出していく。
「司令!」と、卓についていたジョーヌが呼びかける。

「ネオ・アルカディアへの返答は!?」

「無視します! どうせ垂れ流しているだけですから! 今、答える必要はありません!」

「はーい!」

「オペレーターはネオ・アルカディア軍部のデータベースにハッキングを! コピーエックス討伐の件がありますから、向こうもそれほど抵抗はしてこないでしょう!」

今頃各レジスタンス組織がこぞってアクセスしていることだろう。
なにせ、コピーエックスの捜索と一言に言っても、その行動はまるで予測できないのだから、軍の出した討伐部隊や各地の監視メカニロイドの情報を頼りにするのが賢明と言っていい。
そして、協力を呼びかけている以上、それ以上の情報に触れようとしない限りは、相手にしてこない筈だ。むしろ、コピーエックスの情報を纏めて公開している可能性すらある。

「整備班は急ぎ、使用可能なライドチェイサーを調整して揃えてください! 班員に行き渡ったチームから出撃を! 行き渡らないチームは、万が一に備えて休息を! 一時間ごとの交替制で行きます!」

着々と捜索に向けて動き出す白の団。その先に希望があるのかどうかは知れないが、それでも、皆どこか活気づいている。
ゼロもまた「行ってくる」と、声をかけ、部屋を飛び出す。その背中を、シエルは無言で見送った。言葉はもう、かけなくとも分かっている筈だ。

「大丈夫だ、シエル」

そう言って、肩を優しく叩くセルヴォの手がじんわりと温かくて。
シエルはまた、涙を堪えるのに必死だった。




























































  ――――  2  ――――


査問委員会による聴取が無事に終わった後、ハルピュイアは月明かりが差し込む議事堂の廊下を一人歩いていた。
あっという間に様変わりした自分の身辺事情に、思わず渋い顔になる。

疑いの目をかける査問委員会に対して、ハルピュイアは自身の主張を曲げなかった。
偽りの救世主の正体に気づかなかったこと。隠将ファントムの行動についてもまるで知らされていなかったこと。
そして、どのような事があろうと、人類を守るためにこの剣を振るうという覚悟は、決して揺るがないということ。
賢将ハルピュイアの堂々たる振る舞いに、それ以上の追及は行われなかった。しかし無論、お咎めが全くないというわけではない。

今後、元老院が国政の頂点に立つにあたって、四天王はその直属の配下として動くことを契約させられた。
元老院――――特に、最高議長ヴィルヘルムの言葉については絶対服従を誓わされ、これまで以上に制約が厳しくなった。
その上で、二週間の謹慎処分。その間、烈空軍団は聖騎士団長ペガソルタ・エクレールの指揮下におかれることとなった。

「……何もかもが突然過ぎて、動揺の仕方も忘れてしまったな」

廊下と庭を隔てる柱にもたれかかり、ため息混じりに独り言を零す。
それに対し、何処からとも無く「そうね」と声が返される。
振り向くとそこにはレヴィアタンが立っていた。

「お疲れね、ハル」

「お互いな」

互いに労いの言葉をかわし、共に柱へ寄りかかる。

「……お前は、知っていたのか?」

ファントムのこと。救世主の真実。何も知らなかったのはハルピュイアだけだったのだろうか。
その疑問に「いいえ」とレヴィアタンは首をふる。

「エックス様のことはまるで知らなかったわ。今でも容易には受け入れられないくらい」

自分の主と信じ敬ってきた者が、実はその模造品だったなどというのは、到底信じられない話だった。
そもそも“本物”を知らない彼女達にとって、それを見分けろという方が難しい話である。

「ファントムのことは、少しだけ知っていたけれど…………きっと、本当に“少しだけ”よ」

氷山の一角というにも烏滸がましい程度しか、きっと知らされてはいなかったのだろう。肝心なところは何一つとして教えてもらえなかった。
彼が抱えていたもの――――自決してまで貫こうとした意地が一体どんなものだったのか、彼女にはまるで理解できなかった。

「……そうか」

寂しげな声で、ハルピュイアは答える。
それ以外に、かけてあげられる言葉は見つからなかった。



「何、辛気臭ぇ面してんだよ、お二人さん!」



物憂げな二人とは対照的に、普段通りの調子で、ファーブニルが現れる。
そう、本当に“普段通り”の調子で。ただし、いつもとは違って、今日はきちんと白の礼服を纏っている。

「で、あの陰険野郎はどこだよ?」

「……ファーブニル、お前……」

まるで何も知らされてないようなファーブニルの口ぶりに、二人は驚きの表情を浮かべる。
しかし、ファーブニルは「おっと、勘違いすんなよぉ」と笑って返す。

「俺だって、ちゃぁんと分かってるぜ? ヴィルヘルムの野郎が動き出したんだろう? エックス様を“偽物”だなんてテキトーなこと抜かしやがってよぉ」

情報は行き届いているらしい。だが、その受け取り方が問題だった。
彼の言葉から推察するに、どうやら全てヴィルヘルムによる策謀だと思い込んでいるようだ。

「それで、ハル公。どうすんだ? いっちょここで大暴れといくかぁ?」

ニタニタと笑みを浮かべながら、そう問いかけるファーブニルに、ハルピュイアは返す言葉が見つからずに口を噤む。
その横から、レヴィアタンがすかさず言う。これ以上こんな調子で話している場合ではない。

「ファブ、全て真実よ」

「……ああ?」

それからすぐに「またまたぁ」と笑い出す。
堪えきれず、今度はハルピュイアが口を開く。

「全て真実だ。ファントムの死も。救世主の真実も。全て」

「やめろよハル公。笑えねえ冗談だぜ? そんな馬鹿なことがあるかよ?」

尚もファーブニルはそれを受け止めようとはしない。

「仮にファントムが自爆したなんて話が本当だとしてもよ。エックス様が偽物たあ、思い切った話だぜ? そんなもん、到底信じられるわけねえだろ?」

「……信じるんだ、ファーブニル」

「そんな湿気た面して言うなよ、ハル公」

ハルピュイアは、再び押し黙る。レヴィアタンも、これ以上の言葉はかけられないと悟り、口を噤んだ。
その二人の様子に、ファーブニルは「嘘だろ? なあ」と尚も声をかける。
それでも、二人は答えない。二度、三度同様に問いかけるが、二人は押し黙ったままだった。

「嘘だろ? ……おい」

だんだんと表情は堅くなり、影が差していく。だが、二人の口は閉じられたまま。
欲しかった答えはついぞ語られないまま。ファーブニルは大声で怒鳴りつける。


「 嘘 だ っ て 言 い や が れ 、 ハ ル 公 ! ! 」


魂から吠えるようなファーブニルの声に対し、それでもハルピュイアは黙ったまま、言葉の代わりにただ見つめる。
その目が、なんと訴えているのか、ファーブニルには直ぐに分かった。


――――僕だって、信じたくはないさ


受け止めずに進めるなら、それに越したことはない。
だが、事実は事実だ。ファントムが命を散らしたことも。救世主の真相も全て。
きっとファーブニルも分かっていた。分かっていた上で、それでも受け止めきれないのだ。
ぐっと歯を食いしばり、言葉を堪える。だが、煮え切らない想いはやがて溢れだす。

「なら……あの救世主が偽物だって言うなら……」

震える声でそう言うと、ハルピュイアの胸ぐらを掴みあげ、吠える。




「 あ い つ は 一 体 何 の た め に 命 捨 て た っ て ん だ よ ぉ お ッ ! ! 」




それが、その理不尽な事実が、ファーブニルには一番許せなかった。
だが、その言葉に対し、ハルピュイアはあくまでも冷静な声で切り返す。

「あいつが――――ファントムが、本当に何も知らなかったとは限らない」

言う通りだった。ファントムは救世主の傍にいたのだ。誰よりも傍に。加えて、諜報戦となれば、誰にも負けない実力を誇っている。
そんな彼が、真実を全く知らなかったとは思えない。
ならば、“全て”を知った上で、命を懸けたというのか――――……‥‥


「それを………冷静に言えるテメエが……俺は…尚更気に入らねえッ」


震える声で、強く睨みつけながら、ファーブニルはそう吐き捨てる。
それから直ぐに、突き飛ばすように、乱暴に手を放す。
だが、体の震えは止まらない。心の内で渦巻く憤りの感情が、誰の目にも明らかだった。


次の瞬間、ファーブニルは精一杯の怒りをぶつけるように、柱を殴りつける。柱は砕け、その欠片が飛ぶ。
そして、叫んだ。まるで獣のような声で。腹の底から雄叫びを上げた。
それを、ハルピュイアはジッと見つめていた。レヴィアタンは目も当てられないと、俯き続けていた。








一頻り叫び終えた後、ファーブニルは両手を上げて伸びをする。


「やーめた! やめだやめだ!」


まるで子供のようにそう言って、マントを乱暴に脱ぎ捨てた。

「イチ抜けだ、俺は。やってられるかよ、こんなもん」

「なに?」と驚きの声を上げるハルピュイアに、ファーブニルは、まるで貶すような笑いを浮かべて切り返す。

「今日で“闘将”はオシマイだ。俺は国を出るぜ。このクソッタレな場所に留まったところで、おもしれえ事はもう無えだろうからな」

「それは……つまり……」

「俺も今日から“イレギュラー”になるってことだよ」

他のイレギュラー達同様、脱国して、荒野を寝床に暮らすのだ。
もうこれ以上、この国に囚われて生きるなどというのは、まっぴらゴメンだと、ファーブニルは嘲笑うように言う。
それから背を向け、僅かに後ろを向くとハルピュイアへ不敵な笑みを向ける。

「止めるか?」

そう問われ、ハルピュイアは考える。――――だが、答えは既に出ていた。
まっすぐに向けた視線を、一つもずらさずに答える。

「いや、止めない。それがお前の選んだ道ならば」

淡白だろうか。薄情だろうか。しかし、それ以外の言葉はない。
何故だろうか、以前ならば全力で阻止に当っていたはずだ。それは“間違いだ”と口にして。
だが、今はそれが“間違い”かどうかなど分からないのだ。――――そう、“正しい”と思って信じてきた何もかもが脆くも崩れ去った今は。
そんなハルピュイアに対し、ファーブニルは「なら」と言葉を続ける。


「処分するか、俺様を?」


その口元は笑いを浮かべてはいるが、その目は決して試しているような輝きではなかった。彼は本気だった。
それに対しハルピュイアは、少しだけ間を置いた後、答えを返す。自分の本気の言葉を。


「お前が、人間に危害を加えるのならば」


国を出るものだろうと、今後闘将としてやっていくとしても、もしも人間を傷つけるならば、躊躇わずに斬る。その覚悟は、今に始まったことではない。
ファーブニルは、「変わらねえな」と返す。少しだけ柔らかいほほ笑みで。それから、完全に背を向けると、ひらひらと片手を振って歩き出す。

「あばよ。もう会うことはねえだろうぜ、兄弟」

そして、まるで独り言のように零す。


「――――テメエらといる時間、嫌いじゃなかったぜ」








これから数時間の後に、彼に対しても追撃部隊が送られるが、ただ残骸の山を築いたに過ぎなかったのは言うまでもない。






















「僕は……それでも人間を守るために残る」

ファーブニルがいなくなった後、徐にハルピュイアが口を開く。

「例え仕えていた主が偽物だったとしても、この使命を遂げようと胸に抱いたのは、僕自身だからだ」

ロックマンエックスの“正義”を言い訳にして歩いていた時とは違う。
“これ”は自分が決めた道だ。
己の過ちを認めた上で、本当の“正義”を探しながら戦い続けるための道。迷い、悩みながら進んでいくと決めた道。
これだけは、絶対に譲らない。例え最後の一人になろうとも、泥にまみれてもあがき続ける。――――そう、あの日誓ったのだ。

「お前は、どうする?」

不意にレヴィアタンに問いかける。
彼女はファーブニルとも、そしてファントムとも親しかったはずだ。
そしてまた、自由を好んでいたことも事実。ならば、今後このネオ・アルカディアに残るという選択肢だけとは限らない。ファーブニル同様。
その問いに、「そうね」と唇に人差し指を当て、考える。それから、「フフ」とほほ笑み、答える。


「キザ坊やが心配だから、しばらくは一緒にいてあげようかしら」



思わず、ハルピュイアも笑いを零す。

「…………誰のことだ、それは」

――――ああ、なんとも腹立たしい言い様だ。けれど、実に心地よい言葉だ。
まるで悪ふざけのような遣り取りが、こんなにも愛おしいものだとは、ハルピュイアには今まで思いもよらなかったことだ。

「レヴィ、ありがとう」

思わず、感謝の言葉を口にする。
レヴィアタンは少しだけ虚を突かれたような顔をした後、再び笑みを浮かべる。

「……フフ。自覚してるのね、キザ坊や」


再度おどけて返すレヴィアタンに、ハルピュイアは少しだけ不機嫌そうに「何度も言うな」と返す。
けれど、その声は、どこか嬉しそうにも聞こえた。






















――――貴方の言葉通りね、ファントム


ゼロ達がネオ・アルカディアを脱出した日――――記念式典の夜。あのバーで、レヴィアタンはファントムと会っていた。
ファントムは、ゼロと一戦交えることを静かに告げた。レヴィアタンは彼の覚悟がすぐに分かったので、深くは追及せずに『そう』とだけ答えた。
それから、ファントムは確信したように言い切る。

『四天王は、きっと散り散りになる』

何が理由かまでは分からないが、自分が知らない事実を手に入れているであろうファントムが言うのだから、『きっとそうなのだ』と、レヴィアタンはそのまま受け止めた。
それにどうせ、聞いたところで教えてはくれないだろう。ただ、それ以外に、どうしてもハッキリさせておきたいことが彼女にはあった。

『……一つだけ聞かせて』

僅かな沈黙の隙に、問いかける。

『何故、ハルピュイアを斬ろうとしたの?』

他のことはともかく、どうしてもそのことだけは知りたかった。兄弟として。
少しの間を置いて、ファントムが静かに答える。

『拙者には、賢将がひどく脆く見えた』

正確には、彼の信じる“正義”が。――――いや、その“信じ方”が。
言い訳のように並べる“正義”の裏で、彼は常に迷い続けていた。その様子が、ファントムには手に取るようにわかったのだ。

『その脆さは、きっと付け込まれる。心無い者に利用される――――そう、思った』

ヴィルヘルムを代表とした、野心家たちによって。最悪の場合、賢将ハルピュイアが革命の旗印にされてもおかしくはなかったのだ。
『ならば』とファントムは考えた。もしもその手が、その刃が、“守るべきもの”に向けられてしまう可能性があるならば、斬るべきだった。その必要があった。――――あの時までは。

『……しかし、奴は変わった。いや正しくは、拙者が思うよりも“強かった”というべきか』

真正面から“正義”を折られて尚、立ち上がってきたのだ。その姿を認めないわけにはいかなかった。

大丈夫だ――――そう思えたのだ。きっと彼はこの先何があろうと前を向いて歩いてゆく。
迷い、転び、時には挫けそうにもなるかもしれない。泥に塗れ、苦汁を舐め、打ちのめされ。けれど、その度に這い上がって前に進めるだろうと。
そう、まるで神話に聞いた“救世主”のように。

『しかし、それでもまだまだ甘いところはある』

完璧ではない。それは誰もが同じだ。
誰もが皆、一人きりでいられるほど、強くはない。――――自分もまたそうだったように。
『だから』と、言った後、グラスを持ち上げ、口をつける。その初めて見る豪快な飲みっぷりに、レヴィアタンは呆気にとられる。
それからグラスをテーブルに置き、「ふぅー」と息をついた後、彼女に向けて微笑みながら、ファントムは言った。

『御主が傍にいてやってくれ。御主の優しさが、ハルピュイアには必要だ』

それから、立ち上がり、背を向ける。
レヴィアタンは座ったまま『行くのね』と呼びかける。
そうだ。別れは来る。彼が覚悟を決めた以上。そしてこれが最期の別れになるだろう。

――――と、『もう一つ』とファントムが口を開く。

『御主の問いに答えておく』

『……私の問い……?』

ふと思考を巡らして、思い出す。――――ああ、確かにした。一つだけ。大切な問いを。
それに対し、ファントムは尚も微笑みを浮かべたまま、優しい声で答える。



『我々、四天王とは……それ以上でも、以下でもない。“四天王”という繋がりだ。――――この世界で、何物とも比べられない唯一つの“絆”だ』




何があろうと、絶対に揺るぎ得ない。何物にも冒し得ない関係。
だから信じられるのだ。理由もなく。例え散り散りになろうとも、『きっと大丈夫だ』と。

『――――レヴィ、御主はいい女でいろ。……達者でな』

扉を出て行くファントムの背中に、レヴィアタンは呟くように『さよなら』を告げた。
初めて彼の口から呼ばれた、兄弟の名と、自分の名を――――その“絆”を心に刻みながら。




















――――貴方を信じるわ


何も言わず、何も教えてくれずに命を散らせた彼を、それでも信じようと思う。
理由はない。――――強いて言うなら、彼だから信じる。“四天王”の一員として共に生まれた“彼”の言葉だからこそ。

ハルピュイアと並んで歩き出す彼女の心にもまた、既に迷いはなくなっていた。












































  ――――  3  ――――


「ヘルマンチーム、マシン調整だ! 急げ!」

ドワの掛け声とともに、整備班が一斉に動き出す。
数時間ほど荒野を駆け巡ったライドチェイサーの調子を確認し、次に出撃するチームへと無事に引き継がなければならない。整備班の責任も軽くはないのだ。
ヘルマンは整備員に「よろしく」とライドチェイサーを降り、疲労の溜まった体を壁に預け、腰を下ろして休む。

「お疲れ、ヘルマン」

「おお、コルボー。お互いな」

手渡されるエネルギーパックを受け取り、飛び出ているプラスチック製のストローに口つける。

「バスコのチームがヴィルヘルムの追撃隊に遭遇したらしいけど、見過ごされたってさ」

自身が先に仕入れた同僚の報告を、コルボーは口にする。
しかし、普段であれば驚くべきその内容に、ヘルマンは「ああ」と納得したような声を上げる。

「俺もそうさ。冷や汗が無駄になったぜ」

現在のネオ・アルカディアはコピーエックスの追撃のみに戦闘行動を絞っているらしく、他のレジスタンスに関しては、反抗が見られない限りは交戦を避けているようだった。
実際、コピーエックスに遭遇したヴィルヘルムの追撃隊はどれも、文字通り“瞬殺”されており、他の戦力に目を向けている余裕は無い。どうやら「猫の手も借りたい」といった状況で、先刻の予想通り、コピーエックスに関する情報は公開され、リアルタイムで更新され続けていた。

「もう少ししっかり捉えておいてくれりゃ、俺達も楽になるんだけどな」

コピーエックスの、現在の行動原理については誰も理解することができず、予測はまるでつけられなかった。
また、追撃隊はどれも遭遇した次の瞬間には消されており、その足取りを完全に掴む手掛かりとまではなっていなかった。
「やれやれ困ったもんだぜ」とヘルマンが愚痴を零すが、コルボーもまた同じ気持ちだった。
しかし、それでもこの“戦い”を投げ出すつもりはない。コピーエックスという一人のレプリロイドを救うという、この“戦い”は。


数時間前、シエルの願いを聞き入れ、コピーエックスを「保護するために捜索する」という命令には、多くの者が戸惑いを見せていた。
自分たちを苦しめていた救世主が“偽物”であり、その上、自分たちを導いていた人間の少女がその製作者だったというのだから。不信感が余計に膨らんだのは当然と言っていい。
中には、シエルが自分たちを利用しているだけだと言い出す者まで出る始末で、混乱は必至の状態だった。だが、そんな彼らをまとめたのは、コルボーの言葉だ。
その時の、感情的に叫んだ自分の言葉を反芻しながら、独り言つ。

「俺だって……正直、このままシエルさんを信じていいのか分からないよ」

この先、コピーエックスを保護できたとして、その後はどうするつもりなのか。
もしかしたら本当に白の団という場所を利用していただけなのかもしれない。自分の理想を、思い通りの世界を遂げるための“道具”程度にしか思っていないのかもしれない。そんな憶測が湧いてきて止まないのだ。
なにせ彼女は“人間”だ。自分たちを虐げ、奴隷同然に扱ってきた者たちの一人なのだ。

だが、コルボーはそれでも“彼”を信じるよう、皆に向けて説いた。

「たくさん死んだよ。ミランも、トムスも、マークさんも……。でも、俺達は生きてる」

多くの者達が命を散らした。次は自分かと覚悟したこともあった。
それでもまだ、自分たちはここで生きている。その理由は単純だ。

“剣”があった。この組織にいる皆を守る“剣”が。
取り零した者の数を数えるよりも、どうか未来を切り開こうと足掻く“剣”が。
どれだけ血に塗れようと、死の淵に追いやられようと、立ち上がり、真っ直ぐに未来を睨む“剣”が。

そんな“剣”を信じようと、コルボーは思ったのだ。――――ゼロという名の英雄を。

『シエルという少女を信じ抜こう』と決めた、ゼロを信じるのだと。
それができなければ、これまで体を張って、命を張って戦い続けてくれた彼に対して、どれだけ不義理だろうか。
不満の一つも言わず、飛び出していった彼の姿を見た団員たちは、皆、コルボーの言葉に納得せざるを得なかった。
しかし、コルボーが動く理由は、それだけではない。

「危うく俺も忘れるところだったよ」

「何を?」とヘルマンが問いかける。だが、コルボーは「分かるだろ」と笑って見せる。
そう、今のゼロの背中が語っている。白の団という組織がいったい“何”だったのか。

「俺達は“救う”ために戦ってるんだ。それが例え偽物の救世主だったとしても――――」

皆が救われる世界――――人間もレプリロイドも共に手を取り合い、幸福を分かち合う理想郷。
それを創るために戦っているのだ。白の団という組織は。
決して権力を得るためではない。憎しみを晴らすためではない。“救う”ために戦っているのだ。



「『それは救わない』と選り分けるのなら、俺達が憎んできた人間と同じじゃないか」



凛としたコルボーの言葉に、ヘルマンは思わず笑う。
強くなったものだ――――コルボーだけでなく、エルピスも、セルヴォも、自分も含めて、彼と触れ合ってきた者達は。彼と共に戦ってきた者達は。
だから戦い続けられるのだ。どれだけ絶望の淵に立たされようとも。前を向けるのだ。
「違いねえな」と返しながら、ヘルマンはどこか誇らしさを感じてならなかった。




「エンジン周りの調子が微妙なんだ。様子を見てくれ」

ゼロの注文にジョナスは「分かりました」と快諾し、エル・クラージュの調整に入る。
その間、ゼロも休憩に入るべく空いているスペースを探して腰掛ける。

捜索を開始してから既に半日以上が経過していた。もう数時間ほどで次の一日が幕を開ける。ほとんど出突っ張りになっていたエル・クラージュの負担は相当なものだろう。
しかしネオ・アルカディアの情報を頼りに、コピーエックスの足取りを追って、周辺の集落や廃墟を転々としたが、その気配すらまるで見つけられなかった。
焦燥感だけが募り、じっとしていられない自身の体を休めることに集中するだけで精一杯だった。

「ゼロ!」

不意に名を呼ぶ声の方向へ目を向けると、シエルが駆け寄ってきた。
その手には電子ボードを抱えている。
「大丈夫なのか」と声をかけようとして、ゼロは直ぐに口を噤んだ。彼女の今の顔は、きちんと振り切っている顔だ。ならばそれをむやみに問う必要はない。
それよりも、その手に抱えたボードの情報のほうが大切だ。

「どうした?」

「これを見て」とシエルが差し出したのは、これまでゼロも受信していた、ネオ・アルカディアが掴んだコピーエックスの足取りだった。
そしてまた、それらには詳細な報告時刻が秒単位で示されていた。

「この二、三時間ほどでぱったりと途絶えてしまったの」

シエルが示す通り、二、三十分間隔(とは言えバラつきがあり、長くて一時間以上かかっている)で掴んでいた足取りは、ここ二、三時間ですっかり途絶えていた。
その進行方向は、ネオ・アルカディアよりおよそ東側に向かってはいるのだが、時に南に傾き、時に北に寄り――――と、一貫性を見せないため、ネオ・アルカディアもなかなか目的地を割り出すことができずに困っているようだ。

「けど、一つ思い当たることがあるの」

そう言うとともに、縮小されたマップ上に僅かに赤い点が示される。

「これは……まさか」

「ええ、ゼロ。貴方なら分かるわね」

「半年間も世話になればな」と笑う。
そこに示されたのは、ネオ・アルカディアでは殆ど知られていない――――バイルが秘密裏に配置した空間転移装置、そのポイント。
ゼロが白の団本拠地から離れ、“ホーム”を根城としていた際、利用していた転移装置そのものだ。
コピーエックスの進行方向にはいくつかのそれが確かに示されている。

「行動に一貫性が無いのは、きっとネオ・アルカディアの追撃隊を撒くため」

事実、その周囲でヴィルヘルムの追撃隊と遭遇した後には、必ずその場を離れ、別方向へと動いている。

「しかし、あいつは本当にこれを認識しているのか」

行動パターンのバラつきに、偶然の可能性も拭い切れない。
だが、シエルは「もうひとつ」と指を立てて説明する。

「これらの転移装置は、おじいさまとマザーの共同管理よ」

それを、マザー経由でエックスが知った可能性は十分にあり得る。なにせ、彼の片腕はあの――――ゼロの行動を監視し続けていた――――隠将だったのだから。いや、そもそもマザーとコピーエックスがなんらかの繋がりを持っていたと考えてもいい。
説得力は十分にある。というより、この可能性に賭けてみる以外に、いますべきことが見当たらない。

「だが、この転移装置を跨いで、何処に行こうってんだ?」

ゼロの疑問はもっともだった。
転移装置を利用するつもりだ(というより、もしかしたら既に使用しているかもしれない)というのはよしとしても、転移装置はあくまで手段だ。
加えて、世界中に散らばったバイルの転移装置ならば、目的地の割り出しまでには至らない。
しかし、シエルは確信したように言い切る。

「何故これを使うのか、理由を考えれば答えは出るわ」

そう……他の者には一切知られていないであろう転移装置を何故使うのか。
ごく一部のものしか知らない――――ゼロやシエル、白の団しか知り得ていない転移装置を利用している。
逆に言えば、ゼロやシエル達だけは知っている転移装置をわざわざ使っているのだ。

「……俺に用があるってことか」

「“ホーム”だと思う。ネオ・アルカディアでも十七部隊の突入以降、目を向けられていない上に、エックスとの関係も疑われていないもの。貴方と一対一で対峙するには絶好の場所の筈よ」

「そして……ペロケ達と連絡が取れなくなった――――と?」

ゼロの予測に、シエルは強く頷く。
すべての要素が、結びつき、ゼロの胸にも確信が生まれる。と、同時に立ち上がる。

「ジョナス! どれでもいい、空いてるライドチェイサーを出してくれ」

声をかけながら歩き出すゼロを、シエルは「待って」と呼び止める。
コートの裾をぐっと掴み、口を結ぶ。
それから、抑えていた感情を僅かに滲ませながら、ゼロを見つめる。

「今更だけど。私、あの子と話したいことが……話さなくちゃいけないことがたくさんあるって…本当に今さらだけど、ようやく気づけたの……」

何故、考えを変えず、正義を言い張り、同胞を虐げ続けたのか。
全てを失って尚、今何処へ向かおうとしているのか。目指していたものは何なのか。
――――そんな疑問ばかりが先行して、もっと大事なことを話してあげられなかったという後悔ばかりが積もっていた。

「一緒に星を見たり、歌を聞いたり、本を読んだり、昼寝をしたり、空を眺めたり………たくさん一緒にいたのに。あの子の本当の気持ちは何一つ聞いてあげられたことなかった」

何気ない生活の中で、何気ない遣り取りの中で、重ねるべきだった言葉たちが心の底から湧き上がるのだ。
気づかなかったことが、そんな一つ一つの些細なすれ違いが過ちだったのだ。そのまま傍を離れ、逃げ出したことが罪なのだ。

「だから話したいの、もっとあの子と」

理想を問う前に、正義を疑う前に――――何が苦しくて、何が好きで、何が悲しくて、何が嬉しくて……そんな些細な一つ一つを話し合いたい。
もっともっと、何気ない遣り取りを重ねたい。どこにでもいる母子のように。

「だから……ゼロ……」

「それ以上はいい。お前の気持ちは分かった」

そう言って頭をポンと撫でる。
まるで“兄”のように。


「信じてくれ、シエル。お前が信じてくれる限り、俺は絶対に約束を守ってみせる」


例えどんなに苦しい状況でも、厳しい願いでも、か細い希望でも、絶対に叶えると誓おう。

目覚めたあの日から、彼女の涙を目にした瞬間から、ずっとそれこそがゼロの信念だったのだから。

ジョナスが支度の完了を告げると、ゼロはそのまま駆け出す。
そしてライドチェイサーに跨ると無言のままシエルにサムズアップを見せ、飛び出していった。
風に流れるゼロの金髪を、大きな紅の背中を見つめながら、シエルは胸の前でぐっと手を握った。祈るように。















































  ――――  4  ――――


「新政権発足について、ドナート卿の返事はどうなっておる」

「はっ。もう少々お時間を頂ければ」

肘掛け椅子にどっしりと座り、机に肘をついたまま、ヴィルヘルムは苛立ちを顕に「早くせい」と冷たく返す。
レプリロイドの救世主を追い出した今、これから自身が頂点に立つ新政権の樹立、そしてその権力を盤石なものにするための根回しに追われていた。
既に元老院の半数以上は懐柔し、ヴィルヘルムを大統領とした共和制へと移行する用意ができた。四天王についても最早その勢いは無く、注意を向ける必要も見当たらない。
もう何一つとして己の覇道を阻む者はいない。――――そう確信してよかった。その筈だ。

「……ヘルゲ、コピーエックスの討伐は?」

忌々しげにその名を口にする。
ヘルゲは僅かな逡巡の後、素直に答える。

「我が方の追撃隊は尽く退けられ……見失ったと」

報告を聞くと同時に、ヴィルヘルムは「ギリッ」と強く歯軋りをする。
そして、殊更醜悪な憎悪に満ちた表情を浮かべ、机を叩き、怒鳴りつける。

「あのような贋物に遅れを取るとは! いったい何機のパンテオンを送り込んだのだ!」

ヘルゲもこれには返す言葉が見当たらない。
百や二百という数ではない。だが、それだけの追撃隊が瞬時に壊滅させられたのは事実でしか無かったのだ。

「紅いイレギュラーはどうした!? 白の団の動きは!?」

「一応捜索に向け動いている様子ではありますが……」

矢継ぎ早に「十七部隊は!?」と怒鳴るヴィルヘルムに、ヘルゲは怯えるように肩を竦ませ、口籠る。
その様子を見て、またしても強く歯軋りする。怒りの形相に、顔を皺くちゃにしながら。

「役立たず共め!」

声を荒らげて怒鳴り散らす。ヘルゲでも、何処の誰に向けてでも無く。ただ怒りをまき散らしているだけだった。
その怒りの源は、決してコピーエックスを逃し続けているこの状況だけではなかった。

「ヘルゲ! 私は世界を統べるのだ! 全ての人類を従えるのだ! 違うか!?」

「その通りにございます」

半ばヒステリック気味に叫ぶヴィルヘルムに、ヘルゲは戸惑いつつも直ぐ様答える。
しかし、それに対して「では何故だ」とヴィルヘルムは問い返す。


「何故なのだ! ヘルゲ、教えてくれ! 私には! 私の心の奥からは――――」


振り払えない暗雲がある。どれだけ未来を思い描こうと。野望の成就を目の前にしても。
ただ一度きりの失態が。たった一瞬の場面が。心にまとわりついて離れないのだ。
そう、あの忌々しい男の影だけが――――



「何故、ヤツの――――隠将の、あの顔が消えないのだ!?」



あの日、あの瞬間――――隠将ファントムにより、謀られたのだと確信した。
それに対しヴィルヘルムは直ぐ様、救世主を追い落とす策を発動させた。結果、“ベスト”でも“ベター”でも無かったが、彼の野望は叶った。
偽りの救世主は国を去り、人類の頂点には自身が立つ。そういうシナリオが確定した。

完全ではないかもしれない。しかし、これは“勝利”に違いない。
あの日抱いた憎悪を原動力に八十年間の長い道の上に掴んだ、揺るぎない“勝利”だ。その筈だ。

だが、たった一つ。未だ掴めぬ隠将の策謀の正体だけが引っかかるのだ。
こちらを出し抜き、自分の軍団を解体したにもかかわらず、何を目的としていたのかがまるで分からないままだった。
既に勝利を掴んだ今、無視してしまえばいいと、何度も自身に言い聞かせた。しかし、それでもあの顔が、言葉が消えてはくれないのだ。
ヴィルヘルムを裏切ったあの言葉が。

「私こそが勝者だ! 違うか!? 私以上の存在がこの国にいるか!? 言うてみよ!!」

「仰るとおりにございます、閣下」

ヘルゲはただ、そう答えることしかできない。実際、それ以外の見方は無い筈だ。
誰がどう言おうとヴィルヘルムは勝者の椅子に座っているはずだ。

「それならば何故だ!? 何故あ奴は、私を裏切った!? 何故私は怯えている!? 何故勝利を感じられんのだ!?」

一言で言えば“不安”。
測れぬ程大きく、想像以上に重く、そして、どれだけ目を凝らそうともその姿形がまるで見えない“不安”。それが常に伸し掛かっていた。
こんなにも不味く、苦々しいものが“勝利”である筈がない。どれだけ“勝利”を確かめようとも、ヴィルヘルムは結局その答えに戻ってしまうのだ。
では、どうすれば“勝利”を掴めるのか。それを探そうとも、“敗北”の理由が見当たらない。何を改善する必要があるのか、それすら分からないままだった。




「私が……私がいったい何を誤ったというのだ!!」




悲痛な声が響く。
この二日ほどで、ヘルゲの目にヴィルヘルムは一気に年老いたように見えた。
同時に、正体の見えぬ恐怖に駆られる様が哀れに思えてならなかった。






――――閣下…………

この老人が頂点に立つ世界が、この老人の支配が長く続くとはとても思えなかった。
彼にはもうかつてのカリスマ性も見えなければ、為政者としてのオーラも見えない。

その脆い精神の象徴こそ、彼自身がつけた“コピーエックス”などという凡庸な俗称だった。
「救世主の紛い物に過ぎない」「真っ当な名前など不要」という彼の口ぶりから安直につけられたが、その裏には、コピーエックスに対する恐怖心と警戒心が見て取れた。
そのように貶めなければ耐えられない程だったのだろう。

また、彼が不安に駆られるまま救世主を退けた負の影響が、予感を裏付ける。
人民の中には未だに救世主を信奉する者が残り、一部の都市では政府批判のデモ行進すら行われている。
支配体制は盤石などではなかった。半ば脅迫的に行わなければ根回しもまともに出来なかった。



もしかしたら、隠将の“勝利”は“これ”だったのかもしれない。
その先にどのような狙いがあったのかは知れないが、少なくとも、こうしてヴィルヘルムの権力を大きく削ぐことも一つの目的であったような気がしてならなかった。政治的にも、そして精神的にも。






机を力いっぱい叩き、喚き散らすヴィルヘルムに、「失礼致しました」と一言だけ告げ、ヘルゲは退室した。
だがそれにすら気づかず、ヴィルヘルムはただ喚いていた。まるで何かに取り憑かれたかのように。
その声を耳にしながら、ヘルゲは一人、遣り切れぬ想いを抱えたまま静かに項垂れた。














































  ――――  5  ――――




















「綺麗なところだね」


「お褒めいただき光栄……というところですかのう」


「ユグドラシルでも、ここまで美しい景色は見たことがないよ」


「ほっほっほっ。まさか救世主さまにそこまで言わしめるとは」


「ははは。……『救世主さま』…ね」


「…? いかが致しましたか?」


「……僕が何者か、君も知っているのだろう?」


「それでも、貴方様は救世主に違いありません」


「ただの偽物さ」


「偽物…?」


「そうさ」


「…………」


「本物の救世主は、はるか昔にいなくなった。君たちが知っているように」


「…………」


「僕はその偽物さ。せいぜい“嘘泣き”が出来る程度の――――ただの偽物さ」


「……では、ここにある花はなんといたしましょう?」


「?」


「戦争の頃には、ほぼ全ての自然が絶えました」


「…………」


「この庭にある自然も、ネオ・アルカディアを彩る自然も、全てその模造品に過ぎませぬ」


「…………」


「しかし、この一面に咲き誇る花も、草も、全てが人工物ですが、それを偽物と、貴方様は称されますか?」


「……それでも彼らは、自らの役目をしっかりと果たしているよ」


「役目とは?」


「景観を保持し、人の心を癒やすには十分だ」


「では、自らはその“役目”が果たせていないと?」


「……………」


「……………」


「………なら、君は――――」


「?」


「この世界が救われたと、君は思うかい?」


「……………」











「それが答えさ」

























無言で見つめる老人に、彼はそう言いながら微笑んだ。































「やっと……見つけた」

ふと声が聞こえたので、二人は背後へ振り返る。
そして、軽く挨拶をする。

「やあ、ゼロ。しばらくぶりだね」

そう言う爽やかな笑顔とは対照的に、ゼロは眉間に皺を寄せ、厳しい表情を浮かべている。
その顔から、彼は全てを察する。

「……母さんから、全て聞いたんだね」

先日対峙した時とは違う。母さん――――シエルから、ゼロは全てを聞いた上でここに来た。そう、以前とは異なった雰囲気から読み取った。
ゼロの目から見て、相変わらず彼の姿は“普通”だった。白いワイシャツに青いジーンズ。どこにでもいる平凡な青年そのものだった。
もしかしたら、そうした“普通”な一生こそが、彼にとっての願いだったのかもしれないと、一瞬考えがよぎった。

「“エックス”、俺は……お前を」

「待って、ゼロ」

そう言うと、ゼロに促すようにしながら、彼は辺りを見渡した。
ゼロにはよく見知った場所。人工物の自然が綺麗に彩る優しい場所。その向こう側に、石碑が見える。何度と無く死者を弔ってきた石碑が。
まるで、世界で起きている出来事が、どれも嘘や幻だったのではないかと思えるほど、そこは変わらず平和だった。
朝を迎えたネオ・アルカディアに対して、この場所はこれから夜を迎える。その時差が、この場所が特別なのだと余計に感じさせる。

「僕達が暴れるには、ここは相応しくない。場所を変えよう」

そう言って彼は歩き出した。ゼロが先ほど降りてきた転移装置の方向へと。
渋々、ゼロはそれに従い、歩き出す。
恐る恐る様子を伺っていたペロケやイロンデル、アークやセラ、子どもたちの前を、彼は少しも動じず、変わらず爽やかに笑いながら手を振る。そして、背後で黙って見送るアンドリューに向けて、「さよなら」とだけ言い残した。
ゼロもまた、彼らを見送るアンドリューの方へと視線を向けた。アンドリューはただ杖を支えに立ち尽くしているだけだった。




「転移装置の操作は?」

「問題ないよ。コントロールキーは持っている」

そう言ってコンソールの操作をして行き先を入力する。
方角で言えば、ネオ・アルカディアから見て、西側。おそらくこれを見越して、ネオ・アルカディアの軍勢を東側に引きつけたのだろう。
そしてまた、入力されたポイントを見て「はっ」とした表情を浮かべるゼロに、彼は「フフ」と笑って、まるで子供のように言う。

「懐かしいだろ。特に理由はないけど、面白いと思ってね」

上昇するエレベーターは、やがて無機質な音を立てて止まる。
シュッと開いた扉から、彼が先行して外に出る。それに続いてゼロが降りる。
降り立った場所から数十分ほど歩くと、ゼロにとって、確かに懐かしい場所に辿り着いた。

そこにはただ廃墟だけが残り、風に巻き上げられた砂がそれを覆っていた。
忘却の研究所――――ガネシャリフとの戦いの後、自らの手で爆発させた、百年の寝床。

まるで名所を観光に来た客のように、彼はまじまじとそれを眺める。それから空を見上げた。
朝焼けとともに、冷たい風が吹く。雲ひとつ見えない空は白み始め、これから爽やかな一日が始まる。眩しい太陽に照らされ、青い空に包まれた一日が。


「“エックス”、俺はお前と戦いに来たわけじゃない」

僅かに距離をとって立ち止まり、振り返る彼に、ゼロは言い放つ。

「シエルの願いは、お前を救うことだ」

「救う?」

「ああ、そうだ」と強く頷く。
決して傷つけに来たわけではないのだと、想いを顔に浮かべる。そして、右手を差し出す。

「帰ろう、“エックス”。俺と一緒に、シエルの元へ」

唯一人の、母親の元へ帰ろう。彼の居場所がこの世界に残されているとしたら、そこだけだから。
そう訴えるゼロに、彼はしばらく押し黙った後――――声を上げて笑った。

「違うよ、ゼロ。母さんは僕を救いたいわけじゃない」

「何?」

「母さんは、ただ“全て”を救いたいだけだ。優しすぎるんだよ、あの人は」

側で見てきたからこそ分かる。その理想は、貴賎なしに全てを、善悪を問わずに全てを、自分が手の届く範囲以上も含めた全てを救おうという健気な志だ。
傍目から見ればなんと尊く、大きな心と思えるだろう。――――だが、彼はそうは思わなかった。

「言ってしまえば同情さ。“全て”の中から“僕”を選んだのは。一人ぼっちになって可哀想に見えたんだろう。それだけさ、“僕”を救おうと思ったのは」

虐げられてきたレプリロイドを救おうと思ったように、ただ“哀れんだ”のだ。
それこそがシエルという少女が持つ意志の本質なのだと、彼は結論づけていた。

「……僕は、そんな同情なんていらないよ」

「そうは言っても、お前はこれからどうする。これ以上ネオ・アルカディアから逃げて、一体何を求める?」

「僕を見くびらないでほしい、ゼロ」

そう言った瞬間、大気が震え出す。
いや、正確には“大気”ではない。常に彼の周囲を取り巻いていたナノマシンの集合体。それが彼の意志に反応しているのだ。
その強大なエネルギーに、ゼロは思わず後ずさる。決してゼロの心が弱いわけではない。彼ほどの猛者であろうと、一瞬畏怖を抱いてしまう程強大な力だったのだ。
そして、ゼロに向けて彼は殊更いやらしい笑みを浮かべて言い放つ。



「僕の力を持ってすれば、ネオ・アルカディアを壊すことだってできるんだよ」



たった一人でも、その中枢に打撃を与えることくらいはできる。
いや、更に言えば、未だ政府の発表を信じられないでいる人々に、「救世主が正しいのだ」と高らかに宣言して復帰すれば、内戦を引き起こすことだって不可能ではないのだ。
「まさか」とゼロは睨むが、彼の目は本気だった。少しも揺るがず、少しも迷わず、その言葉と意志が本気であることを示している。

「……俺を誘いだしたのは?」

「邪魔をされたくないからさ。誰にもね」

言いながら、左手を上げる。そして、唱える――――「アーマー解放。コード、“ULTIMATE”」
その言葉の後、激しい突風が吹き荒れ、閃光が走る。次の瞬間、彼の体には“究極の鎧”が纏われていた。





「君という英雄を倒して、僕が“本物”になるんだ」





彼の言葉に、その覚悟に、ゼロはぐっと奥歯を噛みしめる。そして、胸の戸惑いを振り切る。
ここまで来た以上、仕方がない。――――多少の傷はやむを得まい。それでも、“約束”は遂げてみせる。
ゼロは溜息とともに、「やれやれ」と頭を抱える。

「蛙の子は蛙だな。……母親同様、聞き分けの悪いお坊ちゃんだよ」

それから、左腕を前に差し出し、右手を添える。
展開するアーマーの下から、白い柄を手に取り、勢い良く引き抜く。
鮮緑の刃が煌々と輝きを放つ。

「少々手荒くなるが、恨んでくれるなよ」

「甘いね。殺す気で来ないと、君が死ぬよ?」

「……お前こそ俺を見くびってくれるなよ。あの時とは違うんだ」

メガロポリスで遭遇した時とは、状況が違う。
ここにはシエルも、ましてコルボーたちもいない。気にするものがあるとすれば、強大なエネルギー反応を察知して駆けつけるであろうヴィルヘルムの追撃部隊と、目の前にいる彼の命くらいなものだ。
全身全霊をかけて戦える。無駄なことを何一つ気にかけること無く。本当の全力を向けて戦えるのだ。

「なるほど、今回は本気ってわけ? 面白いね」

「……『面白い』…か。だから、お前は……いつまで経っても“甘ちゃん坊や”なんだよ」





刹那、ゼロの姿が視界から消える。








一瞬の戸惑いの後、素早く左腕のバスターからビームの刃を形成し、斬りつけてきたセイバーを防ぐ。


「そんな余裕ぶった態度じゃいられないような“本当の戦い”を俺が教えてやる!」


「へえ、いい心意気だ……ねッ!」


力いっぱいビームブレードを振り、ゼロを弾き飛ばす。が、ゼロは無事に着地し、改めてゼットセイバーを構える。
放たれる闘気に、今度は彼が思わず震えてしまう。なるほど、確かにゼロという男も甘く見れたものではない。
その言葉の通り、そこに在るのは“本当の戦い”を知る、歴戦の勇士――――“伝説の英雄”の姿。




「 絶 対 に 連 れ て 帰 る !   お 前 の 四 肢 を も ぎ 取 っ て で も !   こ の 戦 い の 果 て 、 俺 の 命 が 燃 え 尽 き よ う と も ! 」




対して彼は右手に持っていたヘルメットを被り、バイザーを下ろす。
昇り始めた陽の光がじんわりと照らす中、どこまでも広がる荒野の真ん中で、紅と蒼の“伝説”が対峙する。


「 で き る も の な ら や っ て ご ら ん よ 、 ゼ ロ 」


左手に備えたバスターの銃口を向け、嘲りの笑みを浮かべながら、彼は言ってやった。














































         To be continued ......





























[34283] 36th STAGE 「救世主」(前)
Name: 村岡凡斎◆45ff140f ID:e5a820fd
Date: 2013/12/24 14:36


  ―――― * * * ――――


ネオ・アルカディア首都メガロポリス。その中央に天高く聳える塔――――ユグドラシルの聖殿。
二人は窓から、外を見渡す。
地上には都市が広がっている。この地球上でただひとつ残された国が、懸命に生きる人類の営みが、そこに集約されている。
そしてそれを見守るように、太陽が輝き続けている。広大な青空に抱かれながら。まるで、この世に生きるすべての命を照らすかのような輝きは、単純に羨ましかった。

『母さん……僕は……――――』

そう言って、隣にいる少女を見つめる。少女もまた、彼を見つめていた。
幼い少女の瞳は、何一つ疑うこと無く、微塵の曇りもなく彼を映している。
それを確かめるたびに、心を覆う不安も苦悩も、自分を襲う負の感情の全てがどこかへ吹き飛んでいくのが分かった。

例え“本物の救世主”ではなくても、彼女にとって自分は“本物”なのだと、そう思えた。
だから、きっとできると思えた。彼女の願いに、期待に、答えられると思えた。
だから、言えるのだ。



『母さん、僕は……この世界を救う。――――本当の理想郷を、作ってみせるよ』



彼の言葉に少女は、まるで満開の花のように笑ってみせた。
そして、強く頷き返し、彼の手を握る。

『できるわ、あなたなら。絶対に。だって、あなたは――――』



『……母さん』

はにかみながら、彼女の手を握り返す。
小さな手から伝わるのは、何物にも代え難い温もりだった。
きっと一生忘れないだろう。どれだけの苦難を迎えようと、この日受け取った温もりが、いつまでも支えになってくれるから。

十歳程度の少女が抱く拙い理想を、戯言だと退けることは誰にでもできる。
だが、例えどれだけ夢の様な理想であろうと、叶えられる気がした。
彼女が信じてくれる自分ならば。



誰かが口にした、“懐かしい未来”――――……



過酷な現実と向き合う内に、誰もが忘れてしまった未来。
己の限界を決めつけて、目を向けることを諦めてしまった未来。
夢物語だと断じて、「あり得ない」と切り捨ててきた理想の未来。

それを、幼い彼女はまっすぐに見つめている。何の躊躇いもなく、信じている。
無邪気故の理想。それは、きっと現実にはとてもそぐわないものかもしれない
しかし、だから思うのだ。もしも、その未来が実現できたなら、きっと全ての人々を、レプリロイドを、世界を救済できるのではないかと。
だから進むのだ。その想いを信じて、どれだけの困難にぶつかろうと、乗り越え、絶対にその未来を実現してみせようと。


――――そうしたら、きっと僕は…………



























    そして現実を知り、打ちのめされ、挫けた。

    それでも自身に出来る道を精一杯に貫いた。

    何故なら、それ以外の生き方を知らなかったから。

    何故なら、それだけは譲れなかったから。






    一つだけ捨てられないものがあった。


    たった一つだけ――――





    生まれ出てからずっと抱き続けていた、自分自身の願いだけは。

































































 36th STAGE











          救 世 主


























  ――――  1  ――――





「 水 烈 閃 ! 」



「 フ ロ ス ト シ ー ル ド ! 」



ゼロが突き出した水の刃諸共、バスターの銃口付近が凍りつく。
すかさず刃に炎を纏わせ、斬り上げる。氷を破壊し、そのまま懐に入り込み、斬りかかる。だが、一瞬の内に彼はゼロの頭上へと飛び上がる。

「カメレオンスティング!」

叫びとともに、三叉に分かれるエネルギー弾が直下に連射される。着弾とともに砂埃が舞い上がる中、ゼロは必死に掻い潜って銃撃の雨から抜け出すと、そのまま左手を大地に当て落鳳破を放つ。
それを危なげなくヒラリと躱して着地すると、ゼロを再び捉え、光弾を機関銃のように撃ちだす。

――――近づけさせないつもりかッ!?

弾幕を張って、隙を見せたところに必殺の一撃を叩き込むつもりだろう。
近接戦主体のゼロを相手にするならば正しい選択だ。

「だがッ!」

ゼロは緊急加速装置を利用して光弾の中を一気に駆け抜けた。瞬時に加速したゼロの動きに対応しきれず、“レイスプラッシャー”は空を切る。
その間にゼロは力一杯地を蹴って飛び上がる。刃に稲妻を纏わせた上昇攻撃――――雷神昇。
「やるね!」と笑いながら、フライナーユニットを巧みに操り躱す。が、ゼロは空中に上がったと同時に技を解除。そのまま勢いに任せて回転斬りをお見舞いする。
咄嗟に放たれたバスターショットがゼットセイバーの刀身を真正面から捉え、弾ける。その衝撃が二人の体を別々の方向へ弾き飛ばした。
軽やかに着地すると共に、ゼロの飛んだ方向へとバスターを向け連射する。だが、それさえもゼロには予測の範疇。

「こっちだ!」

そう背後から声を掛けるとともに、側面へ回り込む。
声に釣られて背後に振り向いた、彼の横っ面目掛けてゼットセイバーを振り切る。
「ローリングシールド!」――――掛け声に合わせて展開された球状のエネルギーバリアによって、セイバーが弾かれた。「チッ」と舌打つ間に、銃口がコチラを向いているのを視認する。
「ストームトルネード!」――――バスターから放たれた竜巻が、ゼロの身体を吹き飛ばす。あくまでも距離をおいて戦いたいらしい。
ゼロの身体が地面に叩きつけられた、そのタイミングを狙って繰り出される、地を這う衝撃波――――ジェルシェイバーの連弾。
無理やり左腕で地面を叩き、転がるようにして回避する。

「無様だね!」

叫びとともに収束されたエネルギー弾が上空に二度、放たれる。間をおかずに真空の刃と、複数の雷が空中から降り注ぎ、起き上がり際のゼロを襲う。
なんとか反撃の糸口を見つけようと、激しい攻勢に巻き上がる砂埃の中、駆け回り、距離を詰めていくゼロ。刹那、自分の胸にレーザーサイトが照準をつけていることに気づく。

「やられたッ!?」


「 ス ナ イ プ ミ サ イ ル ! 」


絶対必中の技の射程圏に入った瞬間、無情に放たれる必殺のミサイル連射。たちまちゼロの姿は爆煙に包まれてしまった。
ダメ押しとばかりに、バスターショットを連続で叩き込む。一頻り撃ち尽くすと、彼はまるで子供のように笑った。

「どうだい、ゼロ。僕が“本物”たる所以が分かっただろう?」

Dr. シエルの手によって生まれた、それまでの“完璧な模造品”とは違う、Dr. バイルですら認めた“本物”。
彼女以前の技術者達は皆、“オリジナルエックス”を生み出すことに躍起になっていた。彼の全てを完璧にコピーすることを求めていた。
しかし、Dr. シエルは違っていた。オリジナルエックスの構造、能力、性能を、現代技術を応用した上で、独自のアレンジを幾重にも加えて上位互換的に再現したのだ。
オリジナルエックスがマザーのデータベース上に残した特殊能力。それらを全て、元以上の性能で使用できる。パワーもスピードも、あらゆる面で、オリジナルを上回っている。
固定観念を平気で捨て去った、無邪気な少女の発想。その化身は、身にまとう鎧の名の通り“究極”だった。

「“コピー”が“オリジナル”より弱いなんて妄言さ。新技術を詰め込んだ“コピー”の方が、圧倒的に強いに決まってる」

「だからこそ、僕が“本物”だ」――――そうほくそ笑む彼に、爆煙の向こう側から声が投げられる。

「……本当に“ガキ”だな、お前は」

その言葉に、ピクリと不機嫌そうに眉を動かす。そのままバスターを向け、周囲の岩石を銃口に集めて巨大な塊を作り出し、放つ。
だが、そうして放った“スクラップシュート”は真っ二つに両断される。


「そうやって能力を見せびらかして自己顕示か。――――“本物”かどうかなんざ、その程度で示せるものかよ」


瞬間、壮絶なエネルギーの解放を感じる。
ゼロの本気が、胸を刺すような威圧感を周囲に撒き散らす。
相手が全ての種を見せ切っていないことは分かっている。だが、ここで温存出来るほど、容易な戦いではないのも事実。
ならば、相手が余裕を見せている間に、全力全開をぶつけるのみ。



「出し惜しみは無しだ! ――――“本物”を見せてやるッ!!」










    [―――― S Y S T E M :“ A B S O L U T E ” S T A N D B Y ――――]




































  ――――  2  ――――


白の団の広域レーダーが、忘却の研究所が位置するポイントから壮絶なエネルギー反応を感知する。
間違いない、二人はそこで戦っているのだ。

「私、行ってくる!」

そう言って駆け出すシエルの手を掴み「待ってください!」とエルピスは引き止める。

「貴女が行ったところで、邪魔になるだけです!」

辛辣ではあるが、その通りだ。
あの二人が全力をぶつけあっている戦場など、並のレプリロイドでも立ち会うのが困難に違いない。そんな場所へ、たった十四歳の少女が出向いたところで無事に済むとは思えない。
しかし、それでも――――と、シエルはぐっと腕を引く。

「それでも私には、立ち会う義務があるの!」

救世主を作り出し、ゼロを目覚めさせた――――二人が戦うことを全く予定していなかったわけではない。
本来ならば、こちらを駆逐し、殲滅せんと動いた救世主への対抗手段として、ゼロを用意していたのだ。しかし状況は少女の思い通りにはいかなかった。
救世主は自身の守ってきた国を追われ、孤独を強いられている。それを救うべく英雄は出撃した。しかし、どのような事情かは分からないが、救世主がこちらの申し出を断ったのは間違いない。
そして、衝突している。――――シエルの願いを懸けて、ゼロ達は戦っている。


「貴女が無事に帰ってこられる保証はありません!」


「そんなの! 私だけ逃げていい理由になんてならないわ!」


引き金を引いたのは自分だ――――ずっと分かっていた。ずっと思っていた。ずっと抱えていた。
けれど、逃げ続けていたのは間違いない。「向き合う」という、一番単純で簡単な事を避けてここまで来てしまったのだ。
その責任を取らなければならない。どれだけの危険がこの身に降りかかろうとも。でなければ散っていった仲間たちにどのような顔を向ければいいのか。どうして理想を語り続けることができようか。
だが、エルピスも頑として譲らない。


「貴女を守り通すことは、私の使命であり意地でもあります! 行かせることはできません!」


白の団のため、戦いに赴いたゼロのため、そして、ここまで命を散らしてきた今は亡き仲間たちのためにも、もう二度とシエルを手放すようなことがあってはならない。
二人の戦いだけが問題なのではない。決着した後の、ヴィルヘルムの動向が予想できない今、危険な行動は慎むべきだ。
しかし彼が譲らない以上に、少女は頑なだった。その意志の強さを、エルピスは瞳の奥に感じて思わず臆してしまう。




「それでも! それでも……行かなくちゃいけないのよ! 私はあの子の 母 親 だ か ら ! 」




エルピスは気づいた。彼女は、正真正銘、嘘偽りなく、一転の曇りもなく、ただ“誰か”の為に動いているのだ。自己を微塵も勘定に入れず、心の底から他者のために尽くそうという強い信念があるのだ。
それに比べてしまえば――――自分の使命も、意地も、どこか弱く、儚いものに思えて仕方がなかった。
シエルはエルピスの緩んだ手をそっと引き剥がし、それから両手でグッと握りしめる。

「ありがとう、エルピス。……あなたの気持ちは…分かってるつもりだから」

自分を心の底から心配してくれているのだと、分かっている。
それでも、それを受け入れる以上に果たさなければならない義務があるのだと、彼女の瞳は物語っていた。
「しかし」と煮え切らない想いを抱え、奥歯を噛みしめるエルピス。実際に危険であることは間違いない。
たとえ彼女に譲ったとしても、ほんの少しでも無事に済む道があるならば、それを探さなければ。それがきっと、本当に彼女のためになるのだから。


「……俺が行こう」


声の方へ視線を向けると、扉の横にはア・ヴォルク・エイヴァイラーが立っていた。

「俺が護衛について行く。それならば、問題あるまい」

「貴方は……」

ゼロとともに、ヘルヘイムから脱獄してきたレプリロイド。
ハッキリ言って、正体不明の彼を信用することは難しい。だが、ゼロの援護があったとはいえ、あの救世主と対峙して生き残ったというだけでなく、アンカトゥス兄弟撃破に大きく貢献した実力は本物と言わざるを得ない。
少し考えた後、他の道は見当たらないと観念したのか、エルピスはため息を一度だけ吐く。

「すいません。協力、感謝します」

「……任せろ」

冷たい表情のままヴォルクはそう答え、身を翻し、管制室を出て行った。
エルピスはトラックの準備を指示し、ヴォルク以外に数名の護衛をつけるよう素早く手配した。
























「間違いありません! コピーエックスと紅いイレギュラーが戦闘を開始しました!」

監視メカニロイドから得た伝令の報告に、ヴィルヘルムは口端を歪めて笑みを浮かべる。

「遂に来たか! 時が!」

他の伝令に向けて、吠える。

「ペガソルタを向かわせろ! パンテオン、ゴーレム、それに支援メカニロイドを各百機以上つけてな!」

「ハッ!」と答え、走りだす伝令係。しかし、突然に「いや、待て」と静止をかける。
それから、顎髭に手をあて、考え込んだ後、指示を修正する。

「戦いの様子を観察して、決着する直前に伝えるのだ」

少々難度の高い要求に、伝令は戸惑いつつも「承知致しました」と答え、今度は歩いて部屋を出て行った。
「何故です?」と問いかけるヘルゲに、ヴィルヘルムは皮肉っぽく笑いながら答える。

「奴の性格上、コピーエックスの存在を知れれば直ぐにでも向かうだろう。だが、それではいかんのだ」

ペガソルタ・エクレールの性能を考慮すれば、ロックマンエックスと同等以上の力を持つ彼に敵うとは到底思えない。
その上、戦場には依然として姿勢を明らかにしない白の団の紅いイレギュラーがいる。
万が一にも紅いイレギュラーが向こう側につき、二人でネオ・アルカディアの相手をされたならば、敗退は間違いない。
となれば、ペガソルタを向かわせるタイミングは、決着後――――どちらかが倒れた後。その漁夫の利を得れば良い。

コピーエックスが生き残ったのであれば、排撃し、新たな英雄となるために。
紅いイレギュラーが生き残ったのであれば、脅迫し、従わせるために。
いや、彼もまた破壊してしまって良いかもしれない。英雄は二人も必要ないのだから。


「どちらにせよ、最後に勝つのは私だ! 人間の王たる、このヴィルヘルムだ!」


高らかに宣言するヴィルヘルム。それ以上のシナリオは、今の彼には描けなかった。
だが、ここまでの流れを考えれば、ヘルゲにはどうにも、そううまく行く話には思えなかった。
確かなことは言えない。しかし、言い知れぬ不安だけが、胸の奥に渦巻いていた。






























  ――――  3  ――――


黒化したゼロが、巻き上げられていた砂埃を割って飛び出してきた。咄嗟にバスターを向け、誘導弾を連射する。
ゼロは円を描くように素早く駆け抜け、“ホーミングトーピード”の追撃を振り切る。標的を追っていた雷撃弾は互いにぶつかり合い、誘爆を生み、全て吹き飛ぶ。
再び銃口が自身を追って向く。――――それを確認するより早く、ゼットセイバーを縦横無尽に振り回す。容赦なく放たれる、高い殺傷能力を持った衝撃波――――光幻刃の乱れ打ち。
フライナーユニットを瞬時に蒸かし、飛び退くように避ける――――と、その先には既に黒い影が。

「トライアードサンダー!」――――銃口から放ったナノビットを通じて、自分の周囲を守るように電撃が放たれる。間一髪でセイバーの一撃を防ぐ。が、その瞬間には、既にゼロは、彼が展開したトライアードサンダーの死角に対してセイバーを突き入れていた。
反射的に首だけで躱す。頬が切れ、鮮血がわずかに飛び散る。同時に放つ、クモの巣状エネルギー弾――――ライトニングウェブ。ゼロの身体が絡め取られる。
直ぐ様「燃え尽きろ!」と叫び、放つ炎。だが、蜘蛛の巣を引き千切って行ったのか、ゼロの姿は射線上にない。それでも、そのまま“ファイヤーウェーブ”を放ちながら、側面からの攻撃を予期してバスターを外に向けて横回転する――――が、手応えはなかった。

「それなら――――ッ!」

「――――上だッ!」

高エネルギーを凝縮して巨大な刀身を作り出し、その切っ先を下に向けて上空から落下する――――落鋼刃。
咄嗟に炎を上空に向けて放つが、ゼロが手にした鋼鉄の刃はその炎を割って降りてくる。

「ウイングスパイラル!」

全身から竜巻を上空に放つ。
ゼロの身体は向かい風によって、僅かに落下速度を抑えられ、紙一重と言ったところで剣技を躱される。だが、着地とともにすかさず刃に炎を纏わせ、斬り上げる。対してバスターからは苦し紛れの盾として氷塊が放り出される。
割れた氷を縫ってバスターを再び突き出し、ショットを放つ。が、そこにいたのはゼロの分身体、双幻夢。「本体は……ッ!」と背後の殺気を知覚した瞬間、躊躇なく自身の足元にナノビットを放ち、自身を守るようにして電気を纏った竜巻を発生させた。
再び間一髪でゼットセイバーを防ぐことに成功するが、息をつくヒマはない。返す刀でゼロは電撃をセイバーに纏わせ、雷神撃を繰り出す。“ボルトルネード”の内にいる彼の体を捉えた――――かに見えた。

「いや、違う!」

ゼロの双幻夢とよく似た撹乱技、ソウルボディ――――高エネルギーから作り出した己の分身体を囮に、本人は上昇し、次の攻撃に移っていた。が、ゼロはそれを見抜き、その場から咄嗟に離れる。
勢い余って、そのままバスターから放たれたのは炎弾。着弾した瞬間、円陣状に爆発が起こる。だが、標的は既に跳び上がり、自身の直ぐそこに刃を振り上げて迫っていた。そのまま繰り出される、衝撃波を伴う回転斬り――――円月輪。
仕方なしに歯を食いしばり、フライナーユニットを利用した急加速でその場を離れる。だが、衝撃波は翼を僅かに叩き、彼はバランスを崩され、落下する。素早く手をついて上体を起こし、追撃を読んで片膝をついたままバスターを背後に振る。

「「……ッ!!」」

銃口から刃のように展開されたレーザーと、ゼットセイバーが衝突する。無論、SYSTEM:ABSOLUTEの効果――――天空覇を纏ったゼットセイバーの方が威力は上。仄かな稲光を放った後に、バスターから出ていた“エイミングレーザー”を霧散させ、ゼロはそのまま懐に踏み込み、縦に振り抜く。
赤紫色の閃光を転がるようにして躱し、起き上がり際にゼロへとバスターを向け、広範囲にウェーブ状のエネルギー弾を連続して放つ。
ゼロはその弾をいくつか跳ね除けた後、地を蹴り跳び上がる。空中で緊急加速装置を利用し、滑空攻撃をかける。
咄嗟に展開した二つのビームの輪――――“クレッセントショット”がバリアの働きをして、ゼロの“旋墜斬”を弾く。そして反動でよろけながら着地するゼロの足元を狙って、エイ型の小型ビットを放つ。
ゼロは直ぐ様体勢を整え、セイバーから斬光輪を複数放つ。地を這う光の車輪が“グランドハンター”を次々と破壊し、その先の標的へと襲いかかる。
咄嗟にバスターから板状の氷塊を放ち、地上を滑らせる。“ショットガンアイス”の塊は、自身へと向けて走ってきていた光輪を尽く弾いた後、砕けた。その間に立ち上がり、ゼロの追撃を警戒する。――――既に前方から姿を消していたのだ。

「速すぎるッ!」

四方八方から襲いかかる光幻刃。全身を守る氷の盾、“フロストタワー”を展開して凌ぐが、見る見るうちに氷は削り取られていく。
ここまでの遣り取りで分かったのは、黒化したゼロの速度と反応は、ファントムすら凌駕するものだということ。多彩な特殊武器の組み合わせでなんとか凌いできたが、こちらから致命的な一撃を与えるまでに及ばず、遂にはこうして追い詰められている。
しかし、一撃の重さではこちらのほうが上だ。それはきっとゼロも分かっている筈。メガロポリスで見せた“プラズマチャージショット”を未だ温存しているのだから。
だが、それを放ったとして、当たらなければどうということはない。そして今のゼロに対して当てられる自信はない。かといって、黒化が終わる頃を狙ったところで、そこまでにこちらが致命傷を負わされないとも限らない。

――――状況を打開するには……

最も厄介な敵の“足”を止める。それが今の自分にできる再優先の策。


「 バ グ ホ ー ル ! ! 」


フロストタワーが崩れ落ちたと同時に、上空に放った暗黒の球。それが一瞬にして空を覆う。
途端に、駆け回っていたゼロの体は、空中へと持ち上げられるような力を足元から感じる。

「重力操作か…!」

地球の引力とは逆に働くその力が、まるで体を引き伸ばすようにして負荷をかける。
気を張り、力尽くで堪える。ともすれば引き裂かれそうな感覚を押し退け、無理やり地を蹴り、飛びかかる。
そのゼロを見て思わず「流石」と口走ってしまう。並のレプリロイドならば容易に動けはしないだろう状態のはずだ。だが、その程度も予測の範疇。

「スピニング……ブレード!」

力いっぱい振ったバスターの銃口からはビームで編まれたロープ。そして先端には高速で回転する円盤状のカッター。
「くぅッ!」と苦悶の表情を浮かべながら、それをセイバーで防ぐ。跳び上がって躱すことができればよかったのだが、上空ほど効果が大きいバグホールが展開している以上、それはできない。
そこから咄嗟に、円水斬の要領で回転し、カッターの上を転がるようにして受け流す。
機転を利かせたゼロの対応に「やるね!」と賞賛を送るが、バスターからは既に次の武器が放たれていた。
ゼロの体を、ガッチリと巨大なアームが掴む。


「しまった!!」


「ストライクチェーン! ――――捕まえたよ、ゼロ!」



ビームのワイヤーがゼロの体ごと引き戻されて行く。硬いアームの中でゼロは考える。

――――このアームでは俺の体を……砕けない

ガッチリと掴んではいるが、握り潰すほどの力はかかっていない。となれば、狙いはこの攻撃の先にある。
アルティメットアーマーを纏った彼に対して、SYSTEM:ABSOLUTEを発動したゼロが得たアドバンテージは――――速度と反応。
攻撃力ならば、俄然、相手の方が上。勿論、こちらも切り札の一撃は残しているが。それでも、あのプラズマチャージショットには押し切られかねないだろう。
だが、どれだけの攻撃力があろうと、当たらなければ意味は無い。黒化が解けたところで、ゼロにはそれを躱す程度の自信はある。

では、相手がその状況を打開するためには、どうすればいい?

答えは一つ。このストライクチェーンという技の選択が彼の思考を物語っている。
このチェーンが出ている限り、他の攻撃はバスターから放てない筈だ。ならば勝負は、ストライクチェーンが引き戻り、消失した瞬間。


――――つまり、圧倒的パワーによる零距離射撃!


コンマ数秒の思考をしている内に、半分の距離まで引き戻っている。その瞬間は近づいている。
ゼロは覚悟を決め、ニヤリと不敵に笑う。


――――お前がその気なら


乗ってやる、その勝負。
グッとセイバーの柄を握り締め、振り上げる。丁度自分も、彼の“足”を止めたいと思っていたところだ。こちらの一撃必殺を浴びせるために。
それくらいしなければ、彼を止めることなどできない。




推定、残りコンマ三秒。




互いの視線が絡み合う。互いに歯を食いしばる。互いに覚悟を決める。
そして、ゼロの体が銃口の直ぐ先に辿り着く――――

永遠にも感じられる一瞬……‥‥









「 ク リ ス タ ル ハ ン タ ー ! 」





「 烈 鏡 断 ! ! 」









バスターから放たれた水晶弾がゼロのセイバーに弾き返され、背後に飛び退いた彼の足に着弾する。
「しまった!」と思わず口走る。彼の足が見事に凍りつき、跳び上がっていた体は地面に固定され、無様にも尻餅をついて倒れる。
その隙にゼロも後方へと飛び退き、セイバーを頭上に振り上げる。

零距離でのプラズマチャージショットはまず、あり得ない――――コンマ二秒程度の辺りで考えついた結論はそこだった。
彼が瞬時にチャージする術を持っていたとしても、その刹那の隙が仇と成りかねないのだから、選択はしない筈だ。そもそも、零距離であの威力を放てば、直ぐそばにいる自分もどうなるか分かったものではない。

――――ならば、放つのはおそらく動きを止めるための一撃

実際に選択したクリスタルハンターのような固定技か、最低でもゼロの足を止める程度の威力を持った攻撃に違いない。
そして、放つ瞬間は、ゼロの一撃を避けるために飛び退くことは間違いない。
それなら、こちらが選択する技は――――……


「次の一撃を当てるため、お前の技を利用させてもらった」


烈鏡断――――セイバーの表面を硬質化させ、敵の弾を弾き飛ばす剣技。それによって狙い通り、逆に敵の“足”を止めた。
アースクラッシュのエネルギーを注ぎ込まれたセイバーの刀身が、壮絶な輝きとともに巨大化する。
その威力を想像し、思わず笑いが溢れる。

「やってくれるよ……ゼロ……流石だね……。でも――――」

立ち上がり、バスターを構える。
幸か不幸か、最強の技を放つため、彼の狙い通り、ゼロの足も止まっているのだ。
ここで交わされるのは単純なパワー勝負。それなら、こちらにも分はある。


「 勝 つ の は ―――― “ 本 物 ” は 僕 だ ! 」


「 そ の 幻 想 ご と “ 零 ” に 返 し て や る ! 」



互いの全力を、互いの一撃に込め、咆哮とともに解き放つ。









「 プ ラ ズ マ チ ャ ー ジ シ ョ ッ ト ォ ! ! 」







「  幻  夢  零  ッ  !  !  」











極大のビームと、極大の光刃――――中央で衝突する二つのエネルギー光。
巻き起こる稲光が、視界を彩る。聴覚に支障をきたすほどの衝撃音が響き続ける。
まるで世界を揺るがすような力が、大地を駆け巡っているのが分かる。
吠える。まるで獣のように――――……‥‥




「……“本物”は…… 僕 だ ぁ あ ぁ ぁ あ ぁ ぁ あ ぁ ぁ ぁ ぁ ! ! 」




瞬間、言葉に出来ないほどの爆音が鳴り響くとともに、二つのエネルギーはとてつもない閃光を放ち、霧散する。
突風が吹き荒れ、砂塵が飛び交い、クリスタルハンターで氷漬けにされていなければ、そこから吹き飛ばされていただろう。
思わず、右手で視界を覆う。そしてそのまま――――左腕のバスターから、再びチャージショットを放った。

幻夢零は一撃限りの大技。なにせ、SYSTEM:ABSOLUTEを発動してから、丁度五分が経過した。
黒化状態でなければアレが放てないゼロと違い、こちらは、いつでもプラズマチャージショットが放てる。
そして、この衝撃の中、まともな状態でそこに立っているわけがない。
視覚も、聴覚も……自分同様に、頭を揺さぶられるような感覚のまま立っているに違いない。

ならば、幻夢零を打ち砕いた時点で、こちらの勝利は必然――――ッ!




突如、紅い閃光が――――視界の隅を横切る。



――――まさか!?



思考を巡らせ、ゼロの戦術に舌を巻く。
間違いない。自身が持つ究極の剣技――――幻夢零を、囮に使ったのだ。
プラズマチャージショットとの衝突と、その後に起きる衝撃の中へ紛れることを計算に入れて。


「 ゼ ロ ぉ ぉ お ぉ ぉ ぉ ッ ! 」


叫ぶ彼の戦力を削ぐべく、左腕のバスターに向けて鮮緑の刃が無情に振り降ろされた。



























































「……ッ!?」

ゼロは思わず絶句する。
突如として放出された激しいエネルギー光が、ゼットセイバーを弾く。




「――――なんて、ね」




薄ら笑いを浮かべながら、その光の中心から声をかける。


「僕の切り札は――――あんな“ちゃち”なバスターショットなんかじゃあ無いよ」



「……く ッ そ ぉ お ! 」



押し切ることができず、悪態つきながらゼロは飛び退く。
完全に嵌められた。いや――――読み負けた。幻夢零でプラズマチャージショットを打ち破るまでは間違いなく、こちらの勝ちだった。
しかし、その先の策が、相手にはあった。正真正銘の、奥の手が。



「これこそ、正真正銘……僕が“本物”たる所以さ!」



地を蹴り、飛び上がると共に、フライナーユニットの両翼を展開する。
そして、全身を包む激しいエネルギー光をより一層輝かせ、ゼロに向けて高速で突撃をかける。

















   ノ ヴ ァ ス ト ラ イ ク ! !























構えていたセイバーも役に立たず、必殺の一撃――――“ノヴァストライク”の直撃を受ける。
激しい閃光と衝撃が全身を駆け巡り、そのまま弾き飛ばされたゼロの体は、荒野を百数十メートル先まで転がっていく。
やがて、大きめの岩石に衝突し、大きくヒビを入れて、止まる。

巻き上がる砂埃が落ち着くとともに、無様に倒れこむ紅いコートの英雄が見える。
立ち上がる気配もないその様子を見て、彼は満足気に微笑んだ。


























































  ―――― * * * ――――


荒れ地に揺れる兵員輸送トラックの荷台の中で、シエルはぐっと両手を合わせ、握りしめる。
儚い祈りだけが続く。どうか無事であるように。どうか望みどおりに事が運ばれるように。どうか、どうか――――……‥‥

「もしも…だ」

不意に低くドスの利いた声が想いの間隙を縫って聞こえてくる。
シエルは顔を上げ、その声の主、無表情に問いかけるヴォルクの冷たい瞳を見つめた。
彼は、少しの間の後、言葉を続ける。

「もしも、ゼロがあの偽物を救えなければ、どうする?」

ゼロが、救えなかった場合――――即ち、ゼロが倒れた時、もしくは、ゼロが殺めてしまった時。
いや、ゼロが倒れたときは、語る必要も無い。白の団は為す術がなくなり、直にネオ・アルカディアによって潰されてしまうだけだ。今の状況では間違いない。
だから、ヴォルクが問うているのは、後者のほうだ。ゼロが殺めてしまった場合。彼の意図によるものか、それとも反してかはともかくとして、万が一にもそういう事態は起きえると考えて良いだろう。
その時、二人の無事を願う少女は、一体どのような態度をとるのか。どのように思うのか。
ヴォルクの問いに、シエルは、目を少しも逸らさず答える。


「そんなの……決まってるわ……――――」


覚悟はできてる。ゼロが出撃した瞬間から。
何一つとして不満を漏らすことなく、不安にさせるようなことを口にすること無く、颯爽と飛び出していった誇り高い背中。
いつだって支え続けてくれた、唯一人の英雄。その姿を見続けた少女の決意は、自らにとってどんなにつらい未来を想像しようとも、少しも揺らぐ事はなかった。





















  ――――  4  ――――


「……ちょっとだけ、手を抜いちゃったかな?」

暫くの沈黙の後、辛うじて立ち上がる姿を見て、彼は嘲笑とともに嫌味っぽく言ってやった。
いや、決して嫌味なだけではない。実際、“必殺の一撃”でありながら、殺しきれなかった理由には、思い当たるものがある。

「記憶ってやつは厄介だね……」

それが自分の思考の内に干渉してきたのは確かだ。
“ゼロ”という存在に対する、オリジナルエックスが持っていた尊敬、友情、憧憬――――……ゼロと初めて対峙したときのハルピュイア同様、彼の心にもまた、オリジナルから継承したデータの影響が及んでいた。
だが、次はない。再度放たれる一撃は、間違いなく、正真正銘の一撃必殺となる。そして、SYSTEM:ABSOLUTEが解けてしまったゼロに、それを防ぐ手立てはない。

「ゲームオーバーさ、ゼロ。君の勝算はもうどこにも無いだろう?」

対して、震える足で立ち上がり、睨みつけるゼロ。しかし、意識を無理やり保とうとしている今の状況を考える限り、相手の言葉は受け入れがたくとも、真実と認めざるを得なかった。

黒化して“ようやく”――――だった。アルティメットアーマーを装備した彼に対抗するだけの力は。
黒化して戦闘速度、反応速度が上回ったことで、ようやく得ていたアドバンテージ。それによって五分以上のやりとりができたのは、間違いなかった。
しかしSYSTEM:ABSOLUTEがダウンし、黒化が解けてしまったゼロの力では、アルティメットアーマーの戦闘力に対して“イーブン”に持ち込むことすら至難の業だ。
それに加え、ノヴァストライクの一撃を受けてしまったのだ。救世主が誇る“必殺技”の威力は、オリジナルエックスの記憶の干渉分を差し引いても、相当なものであった。
文字通りの致命傷。ともすれば、直ぐにでも機能停止しかねないギリギリのライン。通常時でも敵わない相手に、そのような状態で対峙せねばならないのだから。ゼロが勝つ可能性は、まさに“無”に等しいだろう。

「どうする? 君の親友に倣って、“知恵”や“勇気”に頼ってみるかい?」

口端を更に歪めて笑みを深める。


「“諦めない気持ち”とやらで“奇跡”を起こせると信じてみるかい?」


“あいつ”とほぼ同じ顔で、“あいつ”の言葉を嘲笑う。ゼロにとって、この光景は皮肉という他ないだろう。

――――ああ、そうさ

だからこそ、この手で引導を渡してやるのだ。せめてもの情けに。“友”の手によって討たれるのならば、英雄も本望だろうから。
言い返せるわけもない。もうその気力もない。闘志は砕かれ、戦意は喪失し、その瞳はただ絶望を見つめる以外にない。
ゼロの戦いは、ここで終わりなのだ――――……そう、信じることができた。未だ瞳の奥に、煌々と燃え滾る炎に、気づくまでは。

「……へえ……………」

大したものだと思わず感心する。これだけの状況に陥りながら、ゼロの目はまだ戦いを諦めてはいなかった。
冷静に分析する限り、万に一つも勝利はないというのに。その闘志は決して消えてはいなかった。
その上ゼロは、勝利を確信している彼に対し、特有の不敵な笑みを見せた。それは、自己修復機能による応急処置によって、「辛うじて意識を保つ余裕ができたから」というだけではないようだった。
ぐらつく体を、震える足で支えながら、掠れそうな声で――――それでも自信に満ちた声で、言ってのける。

「……この程度…………予測の範疇…さ」

「………『“よそくのはんちゅう”』?」

ゼロが口にした言葉を理解した瞬間――――堪え切れず吹き出し、体をくの字に曲げて、腹を抱えて笑い声を上げる。
何度も堪えようとするが、それでも耐え切れず、また笑う。

「どんな負け惜しみを言うのかと思えば、『“予測の範疇”』!? 冗談も程々にしてよ!」

瀕死の重傷を負い、命の危険に晒され、絶望の淵に立たされ、今まさに殺されようという状況が――――“予測の範疇”。
まるでそこから覆す手立てがあるかのような言い方だが、いったいどこにそれがあるというのだ。そうして何一つ確実な勝算もなしに、逆転の道も見えない現状を“予測の範疇”だと言うのなら、強がりにしても滑稽な事この上ない。
だが、彼は笑いを止めざるを得なかった。――――自身を見つめるゼロの瞳に、再び気づいた瞬間に。

「……俺は……実力差が分からないほど……間抜けじゃあ……ない……」

言葉の通りだ。――――予測はできていた、こうなることは。つい先程ではない。メガロポリスの街角で対峙したあの瞬間から、既に予見していた。
黒化した五分間で埋められるような実力差では決してなかったことなど、承知の上だった。
力の入らない左腕をなんとか持ち上げて、指差して言う。

「認める…よ。お前は……強い。……“あいつ”よりも…ずっと……強い」

口上通り、彼はオリジナルよりも遥かに強い実力を備えていた。正直なところ、ゼロの予測を上回るほどの力であったのも確かだ。
どう足掻いても、どう藻掻いても、それを否定できる材料は見つけられなかった。真っ向からただ挑むだけでは、敗北は免れないだろうと、覚悟せざるをえないほど。
それを聞いて、「それなら」と嘲笑混じりに言葉を返す。

「それこそ、僕が“本物”足るに相応しいという確固たる証明だよね?」

オリジナルより強いというなら――――“あいつ”を超えたのならば、自分はもうただの“コピー”ではない筈だ。
それだけの実力を備えた自分は、正真正銘、“本物”のロックマンエックスである筈だ。この力こそが、その証明となり得るはずだ。
そう得意気に誇る彼に対し、ゼロは「いや」とすかさず切り返す。


「だからこそ……お前は……“あいつ”には到底及ばないのさ」


言葉を理解した瞬間、不快感を示すように「何を言ってるのさ」とゼロを睨む。
次いで、思う。今、自分は確かにゼロを睨んでいる。――――そう。先程まで容易に笑い飛ばせた筈の世迷い言に対して、自然と強い不快感を感じるようになっていた。
嘲笑と共に切って捨てればよいだけの妄言を、跳ね除けられなくなっていたのである。

その原因に、即座に行き着く。自分を見据えるゼロの瞳。瀕死の状況にある筈の彼の瞳が、どこまでも揺るぎなく、強い輝きを放っていた。絶対的な確信の輝きを。
それに気づいた瞬間、背筋に寒気が走る。――――気圧されているというのか。死に際の男に。ありえるわけがない。その男を遥かに凌駕した自分が、何故……。
そんな彼の複雑な心境を他所に、ゼロは言葉を続ける。どこか懐かしそうに、誇らしそうに。

「“あいつ”……は………意気地なしで……甘ちゃんで……本当に仕方のない……弱虫だったさ」

敵であろうと撃つことに躊躇い、抱えきれないものまで守ろうと必死になり、その度に苦汁をなめては涙を流し……そんな男だった。
強くなど無かった。割り切れない心は隙を生み、弱さとなった。
そして、そんな弱い彼が立ち向かったのは、いつだって自分より強い相手ばかりだった。

「どんなに弱くとも……“あいつ”は何度だって……自分よりも遥かに強大な敵に……立ち向かえた」

転んでは起き上がり、再び倒れては、這いつくばってでも前へ進む。どれだけ強大な敵を相手取っても、決して諦めずに戦い続けた。
実力以上の理想を描いて。及ばぬ非力を嘆いて。そんなことを繰り返して。
どんなに苦しい現実の中でも、“甘ったれた理想”を捨てること無く、走り続けた。“懐かしい未来”という名の約束を信じ続けた。
その姿はどんなに愚かで、どんなに無様で、どんなに無謀に見えたことだろう。
しかしそれ以上に、どれだけ気高く、眩しく、輝いていたことだろうか。

「“技”じゃない……“力”じゃない………分かるか、“救世主”?」

震える右腕を持ち上げ、ゼットセイバーの切っ先を向けて……――――皮肉っぽく笑いながら、言い放つ。



「“魂”さ。――――誰よりも強い“魂”を持っていた。だから“あいつ”は“本物の救世主”になれたのさ」



如何なる敵を前にしようと、折れない不屈の魂――――それこそ、ロックマンエックス最大の武器だった。



「そして、俺は……そんな諦めない“魂”が起こす“奇跡”を、今でも信じている」



言い切り、再び構えるゼロ。その姿に、思わず絶句した。

“奇跡”と言ったのだ。伝説の英雄が。この期に及んで、まだそのような言葉を吐けるのだ。
戦う余力もまるで無く、震える足で辛うじて大地に立っていられるだけの体で。手にした剣の切っ先を、相手に向けるだけで精一杯の状態で。
“奇跡”などという至極不明確な言葉に、頼ろうというのだ。
しかし、その本気の瞳に、笑うことも、呆れることも出来ず、声を荒らげてしまう。

「そんな世迷い言、信じたところで何が変わる? そんな精神論で、僕に敵うわけがない!」

正直、その心の内には、失望の色も含まれていた。
勝算はどこにも見当たらないというのに。万に一つも勝ち目はないというのに。――――“魂”などという、慰めにもならない言葉に頼り、“奇跡”を起こそうというのだ。

「“奇跡”なんてあるわけがない! バカを言うのもいい加減に――――……」

「 あるさ、“奇跡”は 」

強い物言いに、すかさず言葉を遮られる。
確信に満ちたゼロの表情に圧倒されたのか、彼には返す言葉が浮かばない。
ぐっと言葉を飲み込む彼に、ゼロは「……そもそも」と問いかける。根源の問いを。

「……何処の世界に確実な勝利がある? “絶対”がある? 」

そうだ――――ゼロのこれまでの道には、決して確実な勝利など無かった。
いつだって絶望の淵まで追い詰められ、死線をギリギリで掻い潜り、ほんの一握りも無い勝利の可能性を掴んで、ようやくここまで来たのだ。
ともすれば死ぬかもしれない状況で命懸けの賭けを繰り返してきた。“絶対”の勝利など、何処にあったのか。

「戦いの中だけじゃない……今日まで生きてこれたこと……仲間たちと出会えたこと…………“当然”の道筋がどこにあった?」

温かい仲間達に出会えたこと。命を懸けて支えてくれた相棒を手に入れたこと。少女の手によって目覚めたこと。――――何より、この世界に今もこうしていられること。
その全てを“確実”だと、“絶対”だと、“当然”だと――――誰が言えたというのだ。

「分かるか? ――――この世界には、“奇跡”が溢れているんだってことが」

一つ一つが、まるで当たり前のように見えて、自然のように見えて、見失いがちになるけれど。
小さな出会いが、小さな勝利が、その一つ一つが――――いつだって、どれだって、“奇跡”の積み重ねだったのだ。

死に際のはずだ。辛うじて立っているだけのはずだ。その生命は、まさに風前の灯と言ってよかった筈だ。
それでも、荒れ果てた大地の上で、剣を構える英雄の姿は、天高く昇った太陽よりも輝いて見えた。
「そして」と、続けて放つ言葉は、何よりも強く響き渡る。



「……“諦めない魂”こそ……前へと進む“奇跡”を掴む為の、唯一の鍵なのさ」




かつて“あいつ”が持っていた、気高き意志。何者にも負けない、不屈の魂。
それらが起こす“奇跡”を信じている。過去も。今も。そしてこれから先の未来に向けても、きっとそんな“奇跡”が、信じて立ち上がり続ける限りその者の前に起こり得るのだと。
ゼットセイバーを頭上に、蒼く広がる空へと掲げるように、振り上げる。


「――――俺にはまだ、最期の賭けが残っている」


「馬鹿な」と否定しようとして、口を噤む。
ゼロの言葉はきっと真実だ。声色が、瞳が、取り巻く大気が、空間を包む全てが、ゼロを中心としたありとあらゆるものがそれを物語っているように見えてしまった。
グッと奥歯を噛み締め、拳を握る。言い知れぬ敗北感がこみ上げる。気づけば、僅かに後ずさってすらいた。

――――間違いない、勝っているのは自分だ

目の前の男は、先程から確認しているように、立っているのもやっとの状況だ。
どんな賭けが残っていようが、それが“奇跡”などという世迷い言に頼る類のものであるならば、恐れる必要など何処に在るというのか。

――――その筈だ、絶対に……!

自身に、そう言い聞かせることでしか堪えられなかった。
そんな、動揺を隠せずにいる彼に対して、追い打ちをかけるようにゼロは宣言する。

「お前を倒して、連れて帰る」

「まだ、そんなことを」と言い返そうとするが、それもまたできない。
対して、ゼロは更に言葉を重ねる。強く、靭やかな声色で。自らの誓いを、言い切る。


「これは、俺の“決定”だ」


“奇跡”に縋ってでも絶対に誓いを果たしてみせる。いや、そんな“奇跡”を絶対に起こしてみせる。
最初の宣言通り、この命が戦いの最後に尽き果てようとも。シエルとの約束を、貫き通す。
それこそが、今ここにゼロが立っている、たった一つの理由。守るべき唯一つの信念。

しばしの睨み合い。流れる沈黙。――――風の音だけが二人を包み、そこに一切の言葉は消えてしまう。
暫くして、ようやく声が漏れ出す。それは、笑い声だった。ゼロに向けた、嘲笑。
一頻り笑い終えた後、ようやく彼は言葉を吐き出す。

「………君は……本当に愉快な人だね」

精一杯の皮肉を込めたつもりだった。――――正直なところ、それ以上は何も冷静に言えなかった。
状況の上で見れば間違いなく追い込んでいる。現実的に見て、こちらの勝利は確実。
だが、精神の面で見れば、明らかに立場が逆転していると言わざるをえない。

「だけど」――――と、声に出して強く言い聞かせる。相手に。そして自分に。
戸惑いを振り切るように右手で虚空を切り、全てを終わらせる決意をする。
この動揺も、屈辱も、敗北感も――――すべて消し去る方法は唯一つ。
目の前にいる英雄を、一撃のもとに葬り去るのみ。


そして、突き上げる衝動のまま、まるで世界の果てまで宣言するように。吠える。







「 そ れ で も 勝 つ の は 僕 だ !  ゼ ロ ッ ! ! 」









力強く踏み込み、飛び上がる。
コンマ数秒の内に展開するフライナーユニットの両翼。
全身を包むエネルギー光。巻き起こる突風。同時に響き渡らせる雷鳴。

再び放つは唯一つ――――確実な勝利へと繋げる、自身最強の技。















     ノ ヴ ァ ス ト ラ イ ク ッ ! ! 








































   来 た ッ ! 





彼が跳び上がった瞬間、ゼロは心の底でそう叫ぶ。
そうだ。相手の“ノヴァストライク発動”――――最強最悪に相違ない一撃必殺技の発動こそ、ゼロの狙いの一つだった。

ゼロは既に、この場から動くことさえ困難な状態だった。

関節は軋み、センサーというセンサーが深刻なエラー情報を脳に向けて吐き出し続けている。
痛覚を遮断しても尚、他の感覚神経を通じて、全身の過負荷が伝達されている。満身創痍どころの騒ぎではない。

そんな状況の中。勝利への道を何一つ諦めてはいない彼が、その勝利を掴むために残された武器は唯一つ。――――自身の映し身たるこのゼットセイバーの一撃のみ。
そしてその光刃を当てるためには、自身が動けない以上、如何なる方法であろうと相手をこちらに引き寄せる事が第一条件だった。

“本物”であることに全てのプライドを傾ける彼が、尚も立ち上がる伝説の英雄に対し、どのような理由であろうと「破られた」に等しい“最強の一撃”をそのままにしておくわけがない。
そう。彼にとっての“最強の一撃”。高エネルギーを全身に纏って繰り出す体当たり攻撃。敵に“接触”して初めて効果を発揮する技――――ノヴァストライク。
瀕死に近い状況にも関わらず、まるで平静のように振る舞い、挑発を投げかけ続けた理由の一つは、その技を確実に引き出すために他ならなかった。


――――状況は整った


敵は一直線にこちらへと向かってくる。あとは、それをたたっ斬ればいい。――――とは言え、それほど易い話ではない。
ノヴァストライクを発動している彼を斬るためには、それに匹敵するだけの刃で迎え撃たねばならないということ。
思考も定まらない頭で。満身創痍の体で。瀕死の重傷を負った状態で。それだけのエネルギーを放出せねばならないということ。

それを成す為には、“最期の賭け”に勝つ以外にない。


――――勝算は…………ある


ぐっと瞼を閉じ、思い起こす。

挑発で述べたこととは言え、真実であるのも確かだった。
ゼロは信じている。“諦めない魂”が起こす“奇跡”を。そしてそれは、決して“運”などに頼ったものではない。


――――俺は……知ることができた


自分の弱さを。及ばなさを。
きっと、かつての自分では知り得なかったことだろうと思う。ロックマンエックスという太陽と過ごす内に、気づかぬようになっていたのだ。
だからこそ、最初は何もかも一人でやろうとしていたのだ。孤独であろうとも、成し遂げられると信じていた。

そしてその幻想は容易く砕かれた。
そして真実の自分と向き合うようになった。

一人で戦い抜けるほど、誰かを救えるほど、自分は強くはないのだと、知った。
そしてまた、その一方で、気付けたことがある。――――自分の周りを取り巻くもの。

助けてくれた仲間がいた。

信じてくれた戦友がいた。

支え続けてくれた人達がいた。


――――もうこの体は、俺一人のものじゃあない


自分に懸けてくれた者達――――その全ての想いが、この体には宿っている。
震える足だけではない。そんな強い想いの結晶が、この体を支えてくれているのだ。

ならば、それに頼ればいい。それに賭ければいい。
きっと、“奇跡”を起こすには、十分な対価だ。

瞼を開き、柄を精一杯の力で握りしめる。

そうして、自分の内側へと言い聞かせるように、声を張り上げ、叫ぶ。
こんな自分に懸けてくれた想い全てに向けて。その中でも――――今、最も頼るべきは一人。





「頼むぜ、“相棒”……――――――――」





ゼロを中心に吹き荒れる突風。巻き上がる砂塵。
どれだけ危険な賭けにでも、どれだけの危機に瀕しても、共に歩んでくれた、自分の内に眠る“彼女”に向けて――――叫ぶ。


















「 も う 一 度 だ け 、 俺 に 力 を 貸 し て く れ ッ ! ! 」

















轟く雷鳴。迸る閃光に包まれて、紅が――――……――――再び漆黒へと色を変える!
















        [ ―――― S Y S T E M : “ A B S O L U T E ” S T A N D B Y ―――― ]

















―――― 馬 鹿 な ッ ! ?


ノヴァストライクを発動し、その距離僅か数メートルという時点に至った時、心の内で驚愕する。
オリジナルエックスの記憶データの中にも、SYSTEM:ABSOLUTEの二十四時間以内連続発動は記録されていない。例え今ほどの傷を負っていなくとも。

――――それを、このタイミングで!?

それはきっと“奇跡”だったのだろう。
だが、しかし。だからといって一度目の発動と同等の力を発揮できるかといえば“NO”である。

本来ならば瀕死の重傷さえも治癒してしまう自己修復機能。それに異常が認められたのは発動した刹那の後だった。
傷は少しも治る様子を見せないどころか、体の節々に亀裂が入り、擬似体液が吹き出し始めた。
損傷はあからさまに増え、その負担は全身へと拡大していく。

一日一度の発動、五分間のリミット――――それらは、決して無視して良いものではなかった。一時的に自身の能力を飛躍的に高められるシステムが、そもそもノーリスクであるわけがない。
五分間は、急速冷却装置及び、動力炉の限界稼働、それに伴う超自己修復機能の、負荷を抑えられる限界の時間。二十四時間は、それらに関係する各回路の休息に必要なインターバル。
それを無視した結果、抑えられるはずの負荷が一気に全身に襲いかかっているのだ。

これだけの無茶をした以上、ノヴァストライクの命中云々に関わらず、ゼロの機能が完全停止したとしておかしくはない。
「だが」――――その考えが頭をよぎり、ノヴァストライクの中断は成されなかった。
そうだ。宣言通り、彼は奇跡を起こした。


――――その彼が、相手に一太刀浴びせる前に意識を失うはずがない!



ならば確実に決める必要がある。このノヴァストライクで。
問題はない。なにせ、ゼロの持つ究極剣技「幻夢零」で、ようやくあの「プラズマチャージショット」と同等だったのだ。
ならば、例えもう一度「幻夢零」を放たれたとしても、「プラズマチャージショット」を上回る「ノヴァストライク」が砕かれるはずはない。


――――このまま、押し切ってみせるッ!


覚悟を決め、加速をかける。
その光体を、視界の中心に狙い定め、ゼロは意識を集中させる。――――“奇跡”は何も、これで終わりじゃない。それどころかこれは、土台にすぎない。


――――勝負は……“今”!



次の瞬間、漆黒に満ちたはずのゼロの体色が再び紅へと戻ってゆく。かと思いきや、みるみるうちに灰をかぶったような白へと変貌していくではないか。
連続発動に耐えられなかった代償か。それとも、SYSTEM:ABSOLUTEの異常か。どちらにしろ、自分の勝利はこれで確実となったと、ほくそ笑む――――が、また次の瞬間、あることに気付き絶句する。

今度は、ゼットセイバーの色が変わっていく。
鮮緑の刃は次第に色を変え、紅へと変わっていくではないか。

朱く。赤く。――――更に紅く。
強烈な光を、火花を周囲に撒き散らしながら。

その輝きは、まるでゼロの“魂”を映し出しているかのように思わせる。

――――まさか、ほぼ全てのエネルギーを!?

集約させているというのか。SYSTEM:ABSOLUTEの再起動によって、瞬間的に生まれたエネルギーを。いや、体に残るほぼ全てのエネルギーを。
でなければ考えられないほどのエネルギーが、そこに満ち満ちていた。


――――残るエネルギーは……‥‥・・・


大地を踏みしめ、この身を支える足だけでいい。
剣を振り下ろし、叩き落とす為の腕だけでいい。
残りは全て、この手に掴んだ唯一の刃へと送り込む。






己の映し身たる、このゼットセイバーに――――!















「「――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――ッ!!!!!!」」















ノヴァストライクが直撃する瞬間、極大の、紅の刀身が振り下ろされた。


衝突し合う二人のエネルギーは、爆音にも似た雷鳴を激しく轟かせる。取り巻くように突風が吹き荒れる。
砂塵が舞い踊り、稲光が迸り続ける。

叫ぶ。吠える。咆哮をあげる。――――形容しがたい音声を張り上げながら、互いの全てをただ単純にぶつけ合う。
それはまさに“蒼”と“紅”の、“魂”の衝突とでも言えば良かったのだろうか。








そして、やがて全てが閃光に包まれる。








その光の中で、ゼロの意識は白く、白く――――。
まるで純白に塗りつぶされてゆくかのように、薄れていった。




















































    ――――……………………………………………………‥‥‥‥・・・・









































[34283]          「救世主」(後)
Name: 村岡凡斎◆45ff140f ID:e5a820fd
Date: 2013/12/25 11:54









  ――――  ∞  ――――












































          (Question):








          救世主とは何者であるか?






















――――救世主とは、世界を救う者のことだ







(Question):世界を救うとはどういうことか?






――――世界を救うとは…………







    世界を救う………とは……











答えに詰まるのも仕方ない。その定義は至極曖昧で、誰かが容易に定められるものではないから。
けれど、それは“全てにとって完璧な解答”を期待した場合に限る。
“全てにとって完璧な解答”ではなくとも、“僕らの間においてのみ完璧な解答”であるならば、良いのだ。
では、僕らにとって完璧な解答とは……――――?



――――………………




……それを得るため、まずは定義しなければならないものがある。
僕らなりの定義を、ここで互いの共通理解として持っておく必要がある。
例え、それもまた、全てにとって完璧な解答でなくとも。構わない。――――問おう。





(Question):世界とは、何か?








――――世界とは……


「世界とは……」?


――――俺達にとって世界とは…………「人間の世」だ




……そうだね。
人間の言う「世界」とは。「人間の世」であり。
その人間の手によって生まれたレプリロイドにとっての「世界」もまた、「人間の世」と言って差し支えない。
補足があるならば、レプリロイドにとっての「世界」とは、つまり「人間とレプリロイドの世」というのが、最も適当だろう。
故に――――……‥‥




(Question):救世主とは、何者であるか?




(Answer):救世主とは、「人間の世」を救う者のことだ






そう。救世主とは、人間(ないしレプリロイド)にとっての救世主であればよい。
それ以外の存在にとっては、時に敵となりうる可能性すら持っていても構わないだろう。
では――――次の問だ。




(Question):それでは、如何にして“救う”のか?






――――人間の……生活を、命を守ることによって救うのではないか


    それは、つまり






(Answer):“人間”という種が存続し続けるように“守る”ことで、“救う”のだ



……続けて問おう。



(Question):如何にして“守る”のか?



――――簡単な事だ



(Answer):脅威を取り除くことで守るのだ



非常に無難で、順当な答えだと思うよ。……いや、その通りだ。
か弱い“人間”の命を守ることこそが、救世であり、救世主とはその先陣を切っていく存在だろう。
そして、脅威となり得るものを排除することで、守っていく。――――それが“救う”ということ。
では――――これはどうだろうか?




(Question):“人間”という種を“脅威”から守るとして、いったい何者から守るのか?




“人間”という種が、この地球上で一時の栄華を誇ったのは間違いない。
だが、その上で、何ゆえ救世主が必要とされるのだろうか。これだけ繁栄した“人間”という種を、一体何者が脅かすというのか。





――――自然環境は、どうだ?




(Answer):“人間”という種が、適応できない速度で、自然環境が変化してしまえば、それが脅威となりうるのではないか



間違いではないだろうね。
実際。イレギュラー戦争の副産物としての環境汚染によって、人類はネオ・アルカディアという国家に逃げ込まざるを得なくなった。
生命の母たる海からは隔絶され、森林の類は絶滅したも同然。今の程度だからまだ保っていられるが、これが、更に悪化していけば?
君の言う通り、自然環境の変化は、間違いなく、人間にとって脅威となりうるだろう。

しかし――――



(Criticism):それは“救世主”が対応すべき相手ではない



“自然”に意志はなく。“自然”に目的はなく。“自然”に敵意はなく――――……‥‥
そんなものを相手取って、人類を守るという使命を、果たせる者がいるだろうか。
ともすれば、自身もまたその“自然”によって淘汰されかねないというのに。

“自然”は、“救世主”が手に負えるような相手ではない。
故に、“自然”は人類の脅威となりうるが、“救世主”の対応すべき相手ではない。




(Re:Question):いったい何者から守るのか?




――――……人間の敵から守る


人間の敵とは?


――――……それは……






(Answer):レプリロイド――――イレギュラーから守るのだ






人類の生活を脅かし、生存の危機を招いた原因はイレギュラー戦争に他ならない。
そもそも、レプリロイドという存在自体が、人間に対して脅威となりうる力を十二分に持ち得ている。
イレギュラーになるかどうかに限らず、レプリロイドは、人類の敵として相応しい存在だった。




……そう考えるのもまた間違いではないだろうね。
しかし、実際にそうなのだろうか。人間にとってレプリロイドは敵となり得るのだろうか。





(Criticism):レプリロイドに、人間を殺すことが出来るか





――――出来る。当たり前だ。


    人間よりも遥かに強い力を持ったレプリロイドが、どうして人間を殺せない道理があろうか。




その主張はもっともだ。――――では、これはどうだろうか。



一人のレプリロイドが、人間に叛意を持った。
殺そうと思い、武器を振り上げた。さて、殺人は成功するか――――?



――――それは……






    ………………………………………






    ……しない。何故なら……




人間に敵意を向けた瞬間に彼は、スクラップに変わってしまった。

理由は簡単だ。彼は“イレギュラー”に認定されたのだ。



では、これは?

一人のレプリロイドが、人間に逆らった。
自分の行動こそが正しいと、主張した。さて、彼はどうなるか――――?



――――それは………同じだ


人間に逆らった彼は、鉄屑に変えられてしまった。
理由は簡単だ。彼は“イレギュラー”に認定されたのだ。



――――……同じだ


人間に歯向かった彼は、頭部を撃ち抜かれてしまった。
理由は簡単だ。彼は“イレギュラー”に認定されたのだ。



――――……どれも、同じだ


人間を傷つけた彼は、ハンターによって処分されてしまった。
理由は簡単だ。彼は“イレギュラー”に認定されたのだ。





(Answer):レプリロイドは人間を殺せない




      理由は簡単だ。それより先に“イレギュラー”に認定され、処分されるからだ。




……これらは、極端な表現にすぎない。事実、殺人に成功したレプリロイドも存在している。
けれど、人間の死因を総合的に考えれば、遥かに少ない割合だ。希少といってもいい。レプリロイドによる殺人の成功率は極めて低い。
その理由は、勿論プログラムという名の理性もあるし、そしてこのような社会システムにもある。
だから、事実として、言い放つことが出来る。レプリロイドには人間を殺せないのだと。
例え、殺すことができたとしても、傷つけることができたとしても、人類という存在に対して、滅亡に至るまでの致命傷を与えるには力不足であると断言できる。



――――しかし……イレギュラー戦争は起こった


そうだね。それも無視はできない。
地球上に生きていたほとんどの人類を駆逐してしまった、イレギュラー戦争という地球規模の一大事件。
だが、しかし。君も知っての通り。イレギュラー戦争の引き金を引いたのは、たった一人のイレギュラーだった。
それに釣られるようにして、次々と事件は引き起こされ、挙句の果てには、人類存亡の危機に陥った。



(Question):それは、全てのレプリロイドに起こりうる事態か?




――――いや…………違う…な……





(Answer):否。もしそうであったなら、人間は今頃、保護されること無く滅亡させられている




そうだ。
地球という惑星がこれだけ荒廃した今、生存圏を制限された人間を滅亡させることなど、レプリロイドには容易い筈だ。しかし、イレギュラー戦争の後でも、そうならなかったのは、ロックマンエックスという救世主だけが理由では決して無い。多くのレプリロイドが、結局は人間を守ることを選んだのだ。
つまりは、イレギュラー戦争を引き起こした男の例は、極特異な“一人”にすぎないと断言できる。
だから、イレギュラー戦争の事例を引き合いに出して、レプリロイドが人間の脅威足る存在であると定義するのは、不適当だ。



――――それならどうして……




「どうして」?





――――どうしてネオ・アルカディアの救世主達は、レプリロイドを危険視して、虐げた?


    レプリロイドが、人間にとって脅威ではないと、そう定義できるというのに

    何故、この世界は罪もないレプリロイドを、そうまでして排斥しようとしているのか


    この事実と、現実の間には矛盾が生じているのではないか



言いたいことは、最もだ。
そうだ。救世主達は、レプリロイドが、人間にとって脅威でないことを先に定義していた。
その上で、下等(とされる)レプリロイドを排斥するような政策をとったのだ。人間優位の世界を作ったのだ。



――――結果、レジスタンスが生まれ、人類は脅威にさらされながら生活を続けている



    これが、救世主たちの望んだ「救世」なのか?






…………それに答えるより先に、先の問いの答えを明確にしなければならない。


いや、それに答えるためにこそ、先の問いの答えを明確にしなければならない。










(Re:Question):“人間”という種を脅威から守るとして、いったい何者から守るのか?










いや、もっと簡潔に問おう。











(Question):“人間”の敵は何者であるのか?







“人間”の命を脅かし。

“人間”の生活を脅かし。

“人間”の歴史を脅かし。

“人間”という種にとって、敵となる存在は、一体何者であるのか。




――――…………それは……






……口籠る必要もない。


君はもう気づいているはずだ。





“人間”にとって、最も警戒すべき存在。敵。


それは――――








“人間”の命を奪っても処分されない者。

“人間”の生活を妨げても許される者。

“人間”の歴史を書き換える権利を持っている者。




如何なる虐殺も、時に功績として称えられる存在。

如何なる独裁も、時に英雄として崇められる存在。

如何なる“人間”への侮辱も、恐喝も、暴力も、時に認められる存在。




それは――――…………‥‥‥・・・・・・





















          (Answer):











          “人間”の敵は、“人間”だ
















歴史を一度紐解けば、“人間”同士の争いはそこかしこで行われている。
経済か、宗教か、民族か――――理由は様々なれど、“人間”は“人間”を殺し続けてきた。
そして、自分とは他のグループに属する者を、根絶やしにすることも厭わない性分を隠し持っている。

イレギュラー戦争という特異事例を除けば、イレギュラーによる殺人数など、“人間”が犯した殺人の比ではない。
そもそも“人間”は“人間”を殺したとしても、必ず処分されるわけではない。
レプリロイドは“人間”を傷つけただけでも、イレギュラーとして処分されるというのに。

そのハードルの差が、そのまま互いの殺人数の差を物語っているのは間違いない。

それだけではない。レプリロイドの殺人が、必ずしも全てレプリロイド自身の思考によるものとも限らない。
“人間”の理想を、野望を、欲望を叶えるために、道具として扱われた場合もある。
それを“人間”による“人間”への攻撃と言わずして何とする。

“人間”の敵は“人間”だ。

人によっては異論もあるのかも知れない。
けれど、現段階で僕達が共通に辿り着いた答えはこれだ。
故に、これこそが僕達の間でかわされる遣り取りにおいて、最大の定義となる。

“人間”の敵は“人間”だ。







さて、ここで非常に大きな問題が生じてしまうのに気づいただろうか。








(Re:Question):世界とは、何か?


(Re:Answer):世界とは「人間の世」だ


(Re:Question):救世主とは、何者であるか?


(Re:Answer):救世主とは、「人間の世」を救う者のことだ


(Re:Question):それでは、如何にして“救う”のか?


(Re:Answer):“人間”という種が存続し続けるように“守る”ことで、“救う”のだ


(Re:Question):如何にして“守る”のか?


(Re:Answer):脅威を取り除くことで守るのだ


(Re:Question):“人間”の脅威――――敵は何者であるのか?


(Re:Answer):“人間”の敵は、“人間”だ


(Re:Question):その敵をどうするのか?


(Re:Answer):排除するのだ


(Re:Question):“人間”を?


(Re:Answer):“人間”を



“人間”を守るというのに、“人間”を排除するというのか。


――――…………全てを排除する必要はない筈だ



(Question):守るべき“人間”を、選りすぐるのか?


(Answer):そうだ


      そうするしかない


(Question):“人間”を殺める“人間”を選り分けるのか?


(Answer):そうだ


      そうするしかない


(Question):それが、“人間”を“救う”ということか?


(Answer):それは……………


(Question):脅威になり得る“人間”を“選別”することが?


(Question):未来に有益な“人間”を“選別”することが?


(Answer):…………………………………











「そうする以外ないじゃないか」――――そう言いたげだね。
けれど、本当にそれは正しいのだろうか。
本当にそうするしか道はないのかな。

いや、それをして良いのだろうか。


(Question):それによって、本当に“人間”は救えるのか?



――――いや…………それは………違う



(Answer):救えない。そもそも選別など不可能だ



      いったいどれだけの数を殺せば足りるのか

      いったいどれだけの摩擦を解消すればよいのか



      何千年という時間があろうとも

      誰もが心を一つにできなかったというのに






――――どうして、種の脅威となる“人間”を見定めることができようか











…………その問いに、救世主達はぶつかり続けてきた。
「最初の彼」を始めとして。皆が一様にぶつかってきたのだ。

答えは出ない――――そう決めつけて動いても構わないのかもしれない。
だが、それは許されることだろうか。いや、違う。

いつだって求められたのは、その“答え”だ。
救世主達は皆、その“答え”を求められた。「最初の彼」が導き出した“答え”を。

探したよ。けれど、それには誰も辿りつけなかった。
それでも求められた。だから出さざるを得なかった。
“人間”の敵たる“人間”から、“人間”を守る答えを。
現時点で出せる、最良の答えを。




(Question):“人間”を“人間”からどうやって守るのか





それぞれに抱いた野望、感情、利害関係――――それらから起こる摩擦を、争いをなくすには、どうすればよいか。
全て解決するには、方法はひとつ。



(Answer):人間達の心を一つにすれば良い



――――……無茶だ


    先程、お前が言った通り、人間の心はいつだって一つになどならなかった。

    様々な思想の違いから、衝突は生まれ続けてきた。

    当然だ、その多様性こそ、人間という種族が生き延びてきた要因の一つなのだから。





またしても、もっともな意見だ。確かにその通り。
多様性を持って生まれてきた人間が、どうして一つにまとまることができようか。
不可能だろう。――――そう、断じても良かった。けどね――――……‥‥




一度だけ。たった一度だけあったんだ。



人間の心が一つに纏まった瞬間が。



「生存」という一つの命題にむけて、纏まった瞬間が。



全ての摩擦が意味をなくし、“人間”同士の争いが消え、“人間”同士が互いに手を取り合った瞬間が。




















――――それは………まさか………
















そう、それは――――……‥‥



















          (Example): イレギュラー戦争















強大なイレギュラーという存在によって、“人間”たちは一つに纏まらざるを得なくなった。
結果として、心はひとつになった。結果として、唯一国家が作り出された。



そう、イレギュラー戦争=強大な外敵の存在こそが、皮肉にも、“人間”を救う一番の近道となったんだ。






――――………それじゃあ……お前たちは……





もう、分かったね。

この世界の真実が。








罪もないレプリロイドが、イレギュラーとされる理由。


レプリロイドが必要以上に虐げられる理由。


戦力差で圧倒的に不利なレジスタンス組織が、今尚存続し続けている理由。









          (Question):





           “人間”を如何にして救うのか?







            何故、この世界は一部のレプリロイドを排斥しようとしているのか?






















          (Answer):










          イレギュラー戦争をモデルケースとして



          レプリロイドと“人間”との争いを継続することで




          “人間”の心を一つに纏めるためだ





















――――…………それが……真実だってのか……







………救世主――――ロックマンエックスの話をしよう。



最初の救世主――――ロックマンエックスの記憶は、後の救世主たちに引き継がれてきた。
しかし、記憶データとともに引き継がれた彼の苦悩からくる負の感情は、(無論、その苦悩は決してこの問題に関するものだけではなかったけれど)あまりにも大きすぎた。
いや、「“彼以外のロックマンエックス”にとって、大き過ぎた」と言おう。何故なら、オリジナルエックスはその苦悩を抱えても尚、正気を保ち、その意志を強く持ち続けていたから。
流石“救世主”と呼ばれた伝説のレプリロイドなだけある。

対して、彼ほどのキャパシティを持ち得なかった他の救世主達は、皆その“感情”に耐え切れなかった。
初期の者達は、その負担に耐え切れず、機能を停止した。


そう、ロックマンエックスの“感情”の記憶こそ、他の“エックス”達にとって最大のバグとなったのだ。



数世代後に生まれ始めた“エックス”達は、オリジナルを参考に作られた優秀なコピーだった。
それ故に、ある程度の期間、耐えることが出来た者も増えてきた。

さて、そんなロックマンエックスの思考を継いだ瞬間から、先程の問いが常に“エックス”たちの頭のなかで行われてきた。
そして、引き継いだ記憶に耐えた、最初の“エックス”によってこの答えが出されてからというもの、皆がこの答えに頼り続けてきた。
それ以上に事態を好転させる正解を見つけられなかったからだ。



――――だが、そんな世の中、そう長く続くはずがない



その通りさ。



実際、人間の欲望は底が知れないものだ。その感情は、測り知れないものだ。
いつしか、この状況に“慣れた”者は、己の地位を向上せんと、他者と競うようになった。非情なまでに。
ある程度までならば問題はなかった。だが、それが命のやりとりにまで発展してしまえば、別だ。


ヴィルヘルムという男の存在こそ、最たる例だ。


原初の目的がどこにあったのかは知れないが、彼は今、人間の頂点に立つため、形振り構わずに突き進んでいる。
相手がレプリロイドであろうと、そして、人間だろうと、立ちふさがるものに容赦はしないだろう。


そして、それは決して彼だけの話ではない。


平和に見える世界の裏で、いったいどれだけの人間が策謀を張り巡らせ、この偽りの平和に楔を打たんと構えているだろうか。
それらが一斉に爆発した瞬間、誰がそれを止められるのか。



いるとすれば、きっと一人だけだ。









――――しかし、その“あいつ”はもういない








そうさ。

いるのは、偽りの救世主だけ。
その場凌ぎの応急処置で、なんとか世界を支えてきただけの、救世主の模造品。
いったい、そんな者に、何ができるというのか。







(Question):では、諦めるのか?







“人間”を守るという使命を。それを果たすために生まれてきたというのに。

事実、このまま行けば、再び世界は混沌の渦に陥っていくだろう。
“人間”同士の権力争いが拡大し、レプリロイドを用いた武力闘争が引き起こされ――――その結果は、言えたものではない。
誰が収束させられるというのだ。その事態を。
何千年という間、争い続けてきた“人間”を、誰が再び止めることが出来るのか。
いるとすれば、一人。――――本物の救世主たるロックマンエックスだけだ。それ以外に頼れるものが、いるだろうか。





――――けれど、“あいつ”はいない






そのロックマンエックスは、いなくなってしまった。いるのは偽りの救世主だけ。
いや、それよりも酷い。

偽りだと暴かれてしまった、哀れな救世主の成り損ないだけだ。



(Question):じゃあ、諦めろというのか?




出来るはずがない。それをすれば、全てが無意味だったと切り捨てることと同義だ。

この百年間、世界を守り続けてきた、救世主達の想いを、心を、魂を、全て裏切ることになる。

でも。自分の力では不可能だ。それは理解している。



(Question):じゃあ、誰に頼ればいい? 誰に縋ればいい?




自分の力では不足だと理解した今。誰かの力を借りたいと願うのは必然だ。

けれど、一体誰がその役を買って出てくれるというのか。

「世界を救う」という、生半可な覚悟では成し得ない理想を遂げることを。







それでもこの世界を救いたいと願う、この僕は――――














 い っ た い 、 誰 に こ の 世 界 を 託 せ ば い い と 言 う ん だ ?






































「…………たった一人だけ……いたんだ……」






この世界を託すに相応しい人物が。


この世界を救ってくれと、縋るに足る男が。









「本物の救世主と肩を並べられる英雄が、この世界にはまだ一人だけ、存在したんだよ」








伝説の中へと忘れ去られた英雄が。


百年の眠りについた英雄が。




たった一人だけ。









――――…………………………………………






    …………おい…………………………






    ………つまり………お前が…………










「そうさ――――」









世界を救ってくれと願ったのは




伝説に頼ったのは





英雄をこの世界に目覚めさせたのは





その存在を、マザーを介してDr. シエルに伝えたのは







「“君”に縋ったのは――――」









マザーではない






ましてや“母さん”でもない……‥‥



















「――――“僕”だよ………ゼロ」

















    Dr. シエルの手によって生み出された、この偽りの救世主が




    君を復活させるシナリオを描いたのさ
















    この世界を救うために

































































    ――――……………………………………………………‥‥‥‥・・・・








































  ――――  5  ――――


重たい瞼を無理やり開き、顔を上げる。ぼやけた視界が、次第に鮮明になっていく。
視線の先には、蒼い軍勢が広がっていた。それが、ネオ・アルカディアの一般兵――――パンテオンの群れだと理解できたのは、ようやく頭がはっきりして、体中を駆け巡る激痛に気づいたのとほぼ同時だった。

どうやら、各部神経は正常に働いているらしい。
あれだけの力を放ったというのに、こうして生きていられたのは、幸いというべきか。


――――いや、違う……な


自分がこうして生きていられた理由。それは唯一つ。助けられたからだ。
首筋の入出力インターフェースが、僅かに接続の感触を残している。


「ダメだよ、ゼロ。……本当に命が燃え尽きたら、どうやって僕を連れて帰るつもりだったんだい?」


頭上から声が響く。首が痛くて、彼の表情は見れなかったが。
声の感じから、微笑んでいるのだと分かった。

ノヴァストライクとゼットセイバーの衝突。それは、相打ちの形で終わった。
無論、己のすべてを投げ打って刃を振るったゼロの損害は大きく、復帰は著しく難しい状態にまで陥ったのだが、それを救ったのは彼だった。
ゼロと自分とを接続し、自身の自己修復機能をサポートに用いて、ゼロの修復機能を復帰させた。それによって、なんとか一命を取り留められたのだ。

「相変わらずだね」と自身が引き継いだオリジナルの記憶と比較して、苦笑する。
そうさ。ゼロはクールに見えて、その実、荒っぽいところがあった。強引に力で切り抜けようとする時も多々あった。
いろいろと、変わった部分もあるけれど、根本は変わらない。熱い魂を持った、一人のレプリロイドであることは。
ゼロの性分は、ちゃんと分かっている。

そんな彼の思考を他所に、ゼロは言葉を振り絞ろうとする。――――が、上手く声が出せない。どうやら発声器官が損傷してしているらしい。
「クソっタレ」と心の中で毒づく。このような大事な場面で、どうして上手くいかないのかと、自分を詰る。


「それじゃあ、僕は……行くね」


そう言うと、彼は振り返り、歩き始めた。蒼い軍勢の方向へと。
自らとゼロとを討伐せんと現れたであろう、ヴィルヘルムが差し向けたネオ・アルカディアの軍勢に向けて。
百機以上のパンテオンと、メカニロイド、ゴーレムがひしめく戦場へ。たった一人で向かっていった。

その背中を、そこに辛うじてぶら下がる、折れた翼を視界に捉え、ゼロは奥歯を噛みしめる。
「待て」――――と叫ぼうとしたが、やはり声が出ない。

「チクショウ!」と内心で悪態つく。脳内に浮かび続ける、数々のエラー報告をすっ飛ばし、自己修復機能の標的を発声器官に絞る。
声を出さなければならないのだ。とにかく今は、それだけが必要なのだ。


――――伝えなきゃ……いけない言葉があるんだ……


立ち上がることも出来ず、苛立ちから地面をガリガリと引っ掻き回そうとする……が、それすら思うようにいかない。
上体を起こそうにも、関節部が軋み、他の感覚神経を通じて、激痛が走り、妨げる。



――――それでも……あいつに……



言わなければならないことが、あるんだ。
命に代えても。たった一つ。――――気づいてほしいことがあるんだ。

















  ―――― * * * ――――





五年程前――――N.A.歴119年のこと。Dr. シエルの手によって新たなエックスが生み出された。
最初に抱いた理想は、生みの親である彼女が抱いていたものと凡そ同じもので。人間とレプリロイドとが、互いに手を取り合い、支えあう未来を作ることだった。

それが、不可能だと思い知らされたのは、マザーからオリジナルの記憶を引き継いだ時。

世界の歴史を知り、同時に人間の欲深さを知った。人間の業の深さを知った。
それに対するオリジナルエックスの深い苦悩を知った。
そこからまた、この世界を――――人間を救う方法を探った。

導き出したのは、かつて救世主の座についていた模造品たちと同じ結論だった。

しかし唯一つ。大きく違っていたのは、事態が急を要していたこと。
百年という時間の内に、既に世界は変革の兆しを見せ始めていたのだ。


一部の人間が、更に高みを目指し始めていた。浅ましい野心を抱き始めていた。
それは間違いなく、争いの火種であった。互いの利害が一致しない限り、闘争は避けられないだろうと。

その中で世界を繋ぎ続けるためには、今の社会システムによる“誤魔化し”だけでは、もう保たなかった。
だから、また考えなければならなかった。
世界を救う手立てを。この先に幕を開けるであろう乱世の先で、理想が遂げられる方法を。



『やるよ、僕は。どんな手を使ってでも、世界を救ってみせる』




決意は堅かった。
自分の命を投げ打つことも厭わなかった。










――――どうして、それが俺を復活させることだったんだ……?



脳内に侵入してきた彼のアバターに対し、ゼロは問いかける。

マザーを介して、シエルの手によってゼロを目覚めさせた。それ自体はよしとしよう。
しかし、何故、そうすることが「世界を救う」ことに繋がるのか。


――――俺には……申し訳ないが、そんな力は無い


ここまでの戦いで、救えないことを思い知った。いや、それ以前から、救世主としての器など、己には無いのだと理解していた。
もしそれがあるとすれば、きっと“あいつ”だけだ。事実、“あいつ”は救世主と呼ばれるまでになれた。
しかし、自分は――――どうだ? それだけの力があったとは到底思えない。これまでに取り零してきた命のことを思えばこそ。
問いかけられた彼は「確かにね」と答える。

「確かに、君にそれだけの力はないのかもしれない。けれど――――僕には、君の必要性が……必要とされる未来が目に浮かんだんだ」

――――『俺が必要とされる未来』…?

「そうさ」

きっと、これから先。ネオ・アルカディアは混迷の時代に突入する。それは避けられないだろう。
そもそもヴィルヘルムのように、人間が救世主への猜疑心を抱き始めた以上、この国家体制がそのまま継続されるものとは思えなかった。遅かれ早かれ、現在のように偽りの救世主が追い落とされる事態は起きていただろう。
そして「救世主」という、これまで“絶対”とされてきた存在が退けられた時、拮抗した力を持った者達はどうするか。――――これまで以上に熾烈な権力争いに発展することは目に見えていた。

では、その先の未来はどうか。

そうして己の野望を叶えるための闘争が行われ、きっと国家は分裂する。
その争いの果てに人間社会は再びの崩壊を迎え、人間とレプリロイドの世界は終焉へと至る。

もしかしたら、そうならないかもしれない。しかし、そうなる可能性のほうが高かった。
なにせ、この荒廃した世界の上で、人間という生命はあまりにも軟弱で、これ以上生活環境が侵されてしまえば、絶滅は必至なのだから。

だが、さっきも言った通り、その道は避けられなかった。ほぼ確定事項と言ってよかった。
千年や、百年とかいう猶予はもはやなく。十年後なら幸運――――不幸ならば明日にでも、そのカタストロフは起きる可能性があった。

だから、考えるべきは、それが起こった後のことだ。

その悲劇が起きることはどうしようもないのなら、その後をどうにかすればいい。
そうだ。誰かがその後に修正を図ればいい。



「イレギュラー戦争を救世主とともに終結させた、君こそが、その役に相応しいと、僕は結論づけた」



本物の英雄たる、ゼロならば、きっとその後の世界を背負えるだろうと、信じることが出きた。
そういう彼に、ゼロは「やめてくれ」と切り返す


――――俺には……そんな力……


「そうだね、無いかもしれない。……けれど、君以外に、それに近い役割を果たせる者がいるだろうか」

もしかしたらいるのかもしれない。けれど、今の自分にはまるで思い当たらなかった。救世主の代わりとなる者のことなど。――――いや、ゼロに“救世主”の代わりを務めてほしいわけではない。


「君が世界をまとめられずとも。君が、救世主と共に描いた“懐かしい未来”を目指して戦う姿を見て、もしかしたら他の誰かがその役を背負えるかもしれない」


必要なのは、引き継ぐこと。理想を。魂を。想いを――――これから先の未来に、希望を引き継いでいくこと。いつか遂げられることを信じて、守り続けていくこと。
そのために、ゼロという“本物”の英雄が必要だと判断したのだ。


そうして、伝説の英雄の所在を、マザーを通じてDr. シエルへと横流しした。
ちょうどバイル名誉議長が囲っていたエルピスという男が、レジスタンス組織を立ち上げようとしていたこと、それにシエルが協力していることを知っていたから。

「ただ、母さんが僕を置いて出て行ってしまったのは……誤算だったけどね……」

理由もなく、信じていた。いや、高を括っていたのだ。その度胸が、彼女にあるはずはないと。そしてまた、どんなことがあろうと、母が子を見捨てるはずがないと。あらゆる面で甘く見ていた。
その結果、彼は独り取り残され、喚き散らす羽目になった。
仕方のない事だ。少し考えれば、分かることだった。
所詮“偽り”の涙しか流せない、“偽り”の救世主――――彼女の理想を遂げるには、不適当だったのだ。

――――どうして、アイツに何も言わなかった?

助けを求めれば、協力してくれたかもしれない。いや、絶対にしていただろう。彼女は、そういう人間だった。
支えてくれと縋ればよかった。そうすれば、一人置いて出て行くようなこともなかっただろう。
しかし――――

「じゃあ、君は言うのかい? たとえ母親とはいえ、たった十歳の少女に、助けを請うのかい?」

ゼロは言葉を失う。たしかにその通りだ。
助けを請えば、協力してくれただろう――――どれだけ自分が非力だろうと、無理をしてでも。そういう少女だ。
だからこそ、出来るわけがない。彼女の身を、大切に思えばこそ、不可能だ。

――――じゃあ、お前は……

少女の身を案じて、孤独を選んだというのか。
その問いに、彼は答えなかった。いや、その沈黙こそが、答えだった。
だが、その結果として、本当の孤独を知ることになってしまった。それはどんなに辛い境遇だっただろうか。
「けれど」と、再び口を開く。


「……僕には“影”がいてくれた」


――――隠将……ファントム……




ファントムは、彼の考えを聞き、理解し、その目的を果たすために行動を始めた。

「元々ヴィルヘルムの兵であったことを利用してね。いわゆる“二重スパイ”さ」

『救世主が偽りの可能性がある』――――そんな情報を流し、ヴィルヘルムの行動を誘った。

そう。作戦は単純だ。
どうせ、いずれ訪れる未来であるならば、自分たちがコントロールして、それをわざと引き起こせばよいのだ。
自分たちに都合がいいタイミングで。他の者の準備ができていない状態で。
つまり、ヴィルヘルムによる革命をわざと引き起こし、そこにゼロという存在を放つことで、崩壊のシナリオを緩和しようとしたのだ。

事実、こうして立ち上げられるであろうヴィルヘルムの国家はあまり長く続かないだろう。
なにせ、土台となる人心が掴めないままの、不完全な立ち上げとなってしまったのだから。
故に、争いはすぐに起こり、混迷の時代へと早期に突入するだろう。

しかし、崩壊が早いほど、その修復も早く済む。それこそが、狙いだった。


「実際は、どうなるかわからない」


この先の未来、不確定なことはそこかしこに満ち溢れている。
明日のことも、明後日のことも、来週のことも不透明だというのに、数年先の未来のことがどうして見通せようか。
けれど、それでも「きっと大丈夫だろう」と信じることが出来た。

何故なら、この先の世界には、頼れる“本物”の英雄が、確かに生き残っているのだから。















――――今までのは、全部……演技だった…ってのか


真実を知り、驚きを隠せないままゼロは問いかける。
演技――――もし、彼がゼロを生き残らせようと考えていたのならば、あのメガロポリスにおける遭遇戦での気迫も、先ほどの鬼気迫る口上も、その何もかもが演技だったというのだろうか。
そんな疑問に、彼はあっさりと「いいや」と首をふる。

「全て本気だったよ」

君を殺そうとしたことも。君への嫉妬も。母さんへの憎しみも。先ほどの戦いも。全てが本気だった。

「でも、理性と感情のベクトルが必ずしも一致するとは限らないだろう?」

ゼロは否定できずに押し黙る。
確かにそうかもしれない。その経験は、自分にもある。“破壊”という、自身の存在理由ともいうべきプログラムに抗い、誰かを救いたいと願ってきた。
「こうしなければ」「ああしなければ」――――理性で分かっていようとも、頭で考えていようとも、どうしても行うことができない。別の行動を取りたい。
感情があるが故の矛盾。感情を持ったレプリロイドであるが故の、弊害。

だが、本当に決め手となったのは、その感情を超えたところで芽生えた使命感だった。

「思ったよ。――――『僕の負けだ』……ってね」

先ほどの一撃。
あれだけの状況で、ノヴァストライクと同等以上の威力をゼットセイバーに上乗せして放つことが出来たのだ。
おかげで、彼の本体は、翼がもがれ、アーマー全体もひどく損傷した状態になっている。

――――しかし、事実上は俺の負けだ

ゼロは強く言い返す。
間違いない。結果、自分は生死の境ともいうべき状況まで陥った。
それでも生きていられるのは、ゼロの決死の一撃を受けても尚、正常に活動できる程度の損害で済んだ彼が、苦心して助けてくれたからにすぎない。

――――お前が本気だったなら……俺を救うはずがない

そうだ。もしも、本当に殺そうと思っていたなら、何故、とどめを刺さなかった。
それで終わりにしても良かったはずだ。

「そうかもね。けど、こう考えることは出来ないかい?」

爽やかに笑いながら、彼は言った。


「君の強い想いが、僕に君を『助けたい』と思わせる“奇跡”を起こしたんだ……って」


実際、ゼロの全力を受け止めた彼は、ゼロという存在を、この世界に残していくことに強く納得することが出来た。
唯一つ……自身が抱いていた感情的な願い以上に、それを優先すべきだと。
いや、むしろ――――その願いが叶わない代わりに、残すべきなのだと。







誰よりも、何よりも、大切な人の為に。

彼女が生きる、未来の為に……‥‥








〔……………………………………………………………………………………………………………………………………〕






思考にノイズがよぎるのを感じる。

“それ”は、きっと彼の心の声だった。
ゼロは“それ”に触れた瞬間、彼の想いの真実をわずかに垣間見る。

救世主としての使命とは別に、彼自身が抱いてきた、願い。
他に比べられるもののない、唯一つの願い。




――――……お前………これは……



「気づかれたか」とバツが悪そうな顔をする。
隠し切りたいと思っていた。けれど、溢れてしまった。
仕方ないことかもしれない。なにせ、自分にはもう、時間がないのだから。


「ヴィルヘルムの軍勢が、ここに迫っている」


二人の衝突に反応したのか、救世主を完璧に討ち取るため、そしてまたおそらくは、人類の脅威とされた紅いイレギュラー討伐のため。
「チッ」とゼロは舌打ちをする。この状況で、敵に囲まれてはどうにもできない。

――――頼む、修復機能をサポートしてくれ!

せめてゼットセイバーを振るえる程度に。いや、彼の援護が出来る程度に。
それだけ回復できればいい。それだけでも十二分にやれるはずだ。そう信じるしか無い。
どんな状態であろうと関係ない。約束を守るのだ、絶対に。彼を連れて、二人で帰るために、戦わなければ。


「できない。瀕死の君を、これ以上危ない目に合わせるわけにいかない」


――――何言ってる!


怒鳴り返すが、彼はまるで悪びれる様子もない。本気で言っているのだ。
そして、流れてくる思考から、ゼロは彼の真意を理解し、絶句する。彼は既に、覚悟を決めていた。
ゼロの様子に気付き、「仕方ないね」と彼は少しも隠すこと無く、言い放つ。





「お別れだ、ゼロ。僕は、自分の最期の役目を全うするよ」






そう、最期の役目を。

「英雄を守る」という重大な役目を。








――――待て!

叫ぶが、彼の意識が離れていくのを感じる。接続を終了する準備に入ったのだ。
それでも、「待ってくれ」と呼びかける。


――――お前の帰りを、あいつは待ってる! 頼む! だから……


しかし、彼は直ぐに首を横に振り、「できないよ」と切り返す。


「僕には、彼女に会う資格がない」


……多くの者を殺めてきた。計画のためとはいえ、彼女の心を裏切り続けてきた。
それなのに、今更どんな顔で会えばよいのだろう。出来るわけがない。
望んでいいわけがない。――――自分一人が、そんな“願い”を。


――――資格なんて……何を馬鹿なことを……!


「それにね」と付け加える。そう、理由はそれだけじゃない。
僅かにはにかんで見せながら、ポツリと呟くように言う。



「僕はもう、疲れたんだ」



その言葉は、重く響いた。
「疲れた」――――それもそのはずだ。生まれてから僅か五年という時間しか生きていないというのに、彼の心には、百年以上世界を支えてきた歴代エックスの記憶が、苦悩が引き継がれているのだから。
世界のためとはいえ、同胞の命を切り捨てねばならなかった――――次々と自ら命を絶ってきた先代達の気持ちが、今なら痛いほど分かる。
もう、楽になりたいのだ。これ以上の“苦悩”には耐えられないから。

けれど、せめて、救世主としての最後の役割だけは全うせねば。
世界を救うための“種”を、守り通さねば。
過去の救世主たちのために。英雄たちのために。

それができなければ、きっと死んでも死にきれないだろう。













―――― そ ん な こ と 、 ど う だ っ て い い ! !




    使命とか、存在意義とか……カッコつけた言葉を並べ立てて、本当は、ただ逃げているだけだろう!

    ちゃんと向きあえばいい! お前自身の望みと! 願いと! 不可能だなんて決め付けるな!

    過ちを犯したなら、それを背負って生きていけばいい! 償えないと決めつけて逃げようとするな!




    何もかも背負った上で、胸を張って幸せを求めればいいじゃないか!






……声を張り上げ、叫ぶ。
届かないかもしれない。けれど、言葉を凝らさなくてはならない。
何故なら、彼にその権利はあるのだと、ゼロには思えたから。



――――だって…………お前はただ……………




世界を掴みたいとか、全てを手に入れたいとか、神になりたいとか――――そんな大それた願いを抱いているわけではない。他人にしてみれば非常にちっぽけで、矮小な望みだ。
それでも、それが彼にとって一番の願いであったならば。どうして諦める必要があるのだ。

咎はあるかもしれない。罪は背負っているかもしれない。
けれど、その重さをずっと感じてきたはずだ。それらとずっと向き合ってきたはずだ。
その程度の願いを叶える資格なんて、それだけで充分じゃないか。
誰にそれを非難することが出来るだろうか。



しかし、ゼロの言葉を、彼の微笑みが遮る。



そこからゼロは悟った。――――ああ、そうか。その全てを理解しているというのか。彼は。
それでもその道を選ぶというのだ。ならば、それを止められる道理がどこにあるのか。
言葉を失い、悔しさに歯ぎしりする。己の及ばなさを噛み締めながら、それでもぐっと堪えるしかできなかった。
そんなゼロに、彼は微笑みを浮かべたまま、優しい声で問いかけた。



    「ねえ、ゼロ……――――」


















    「もしも」――――……の話だ。






    もしも、“本物”になれたなら



    どうだっただろうか。













    救世主になんてなれなくたってよかった。


    英雄にもなれなくてよかった。







    それでもただ、“本物”になりたかった。



    だって、もしも僕が“本物”だったら








    “本物”になれたら――――……‥‥



























    「――――もしも本当の涙を流せたら、母さんは、僕を愛してくれたのかな?」




























    浅はかだろうか。


    幼稚だろうか。


    稚拙だろうか。



    けれど、それだけを願っていた。


    その想いだけは、偽れなかった。
















――――お前は……ただ………それだけを……

















……接続は途切れ、言葉は聞こえなくなる。全ては闇に引き戻される。
ただ――――耳鳴りのように、彼の問いが。影法師のように、彼の微笑みが。
ゼロの脳裏に、残り続けていた。























  ―――― * * * ――――





軋む聴覚神経に、ノイズとともに敵の口上が突き刺さる。

「ヤーヤー! 我こそは聖騎士団が長、ペガソルタ・エクレールなりッ! 偽りの救世主め! 覚悟ぉ!」

パンテオン部隊に周囲を囲ませ、聖騎士団が彼と戦闘を開始する。
翼がもげ、アーマーは損傷し、各部に深刻なダメージが刻まれた今、ノヴァストライクも、プラズマチャージショットも、特殊武器も使用できない。
出力異常を起こしたままのバスターショットで応戦する。だが、とてもまともな戦闘が出来る状態ではなかった。

「けれどこれが最期だ」と自分に言い聞かせる。
そうだ。勝利する必要はない。敵を充分に引きつければよいのだ。
おそらくヴィルヘルムのシナリオはこうだ。――――蒼の救世主と紅の破壊神を、聖騎士団長によって討ち取らせることによって、新たな英雄に仕立て上げる。
その上で、自分が政治の実権を握り、世界を牛耳る。非常に直接的で、読みやすい。ヴィルヘルムらしいシナリオだろう。

しかし、その新しい世界は、きっと長くは続かない。
今以上に人間優位となり、レプリロイドへの暴力的支配を強めていけば、反発によって、更に激しい反乱が起こることは必至。
いや、それだけじゃない。まだまだ人間の中にも侮れない相手は残っている。それを考えれば、とてもヴィルヘルムでは器が足りなすぎる。

必要なのは、誰かに仕立てあげられた“偽り”の英雄じゃない。
“懐かしい未来”を胸に抱き、戦い続けられる“本物”の英雄だ。


「ゼロはやらせない。彼は、僕達の“希望”なんだ……………」


僕達――――これまで世界を背負い続けてきたロックマンエックス達の。
そして、何より。これから先の未来を紡いでいくであろう、彼女の。



そのために必要だというのなら、こんな“偽物”の命でよければ、喜んで差し出そう。












ゼロは地面に顎を擦るようにして、前方へと視線をやる。
あの未熟な聖騎士団に、劣勢を強いられている彼の姿を目にし、歯ぎしりする。
彼の表情から、先ほどの遣り取りから、“全て”を覚悟しているのだと、察した。
そう。彼は、自らの命を持って、ゼロを守るつもりだ。

――――ふざ……けるな……

不意に、先ほどの衝撃で投げ出されたらしい彼のヘルメットが、視界の隅に転がっているのを見つける。
縦横無尽に亀裂が入り、端々は欠け、バイザーは砕け――――先ほどの戦いの壮絶さを物語っていた。

そして同時に、彼の、心を表しているようだった。

激痛が走るのを無視して、右腕を地面にすべらせながら、それに向けて伸ばす。震える手は、容易に届かなかった。
もう十センチ。もう五センチ――――人工筋肉がはち切れそうな感覚に苛まれながら、それでも体を伸ばす。そして、ようやくヘルメットに指先が届く。
引っ掛けた指で、鋭く響く痛みに耐えながら、僅かに引き寄せ、そこから掌で掴みとる。そしてまた、時々電撃のように走る激痛に顔を歪めながら、引きずるように手元へと引き寄せる。
そのヘルメットを支えにして、痛む体を無理やり起き上がらせながら、痛む首を他所に、再び顔を上げ、戦いの様子を視界に入れる。

いよいよ、彼のバスターが光弾を放てなくなった。かと思えば、光を放ちながら破裂してしまった。
その様子に呆気にとられた後、ペガソルタはいやらしい笑みを浮かべる。――――勝利は目前。
これで手元に武器は無い。あるとすれば、その身のみ。

ノヴァストライクのエネルギーを蓄積し始めたのを、ゼロは感知した。
放てないはずの、その技を準備し始めた。何故か。ゼロには直ぐに分かった。――――最も強いエネルギーを、その場で解き放つためだ。


―――― 動 け よ 、 体 ぁ ッ ! ! !


己の体に内心で怒声を上げる。だが、無意味だ。
先ほどから分かっている通り、どれだけ望んだところで、自分には戦う力など残っていない。
その奇跡を起こせる一筋の光明も、賭けの材料も残ってはいない。
できるとすれば、一つ。――――言葉を届けること。

――――せめて……声を……ッ!!

“全て”を覚悟した彼に。誤解を抱いたまま死へと突き進む彼に。
真実を伝えなければ。想いを伝えなければ。




―――― そ れ も で き な い で 、 何 が 英 雄 だ ! !




関節は悲鳴を上げ、体中に電撃のような激痛が走る。

バチバチと脳内に火花が走るような感覚すら起こる。

視界は、まるでカメラのフラッシュを連続で炊いているかのように、激しく明滅する。

塞ぎかけの傷からは擬似体液が吹き出し、そこら中の大地が紅黒く滲む。

どれだけ無視しようとも、脳内で劈くような警告音が響き続ける。




それでも。それでも。それでも――――………‥‥‥




魂を振り絞って。治りかけの発声器官を震わせて。
壊れそうな体を無理やり支えて。全身で、全霊で、大声を張り上げる……――――

























    「  こ  の  大  馬  鹿  野  郎  ぉ  ぉ  ッ  !  !  」























一瞬、全ての時が止まったような気さえした。
パンテオンも、聖騎士団も、皆がその動きを止め、荒野の中心で一人、大声で吠える男に注視した。
集まる視線に微塵も構わず、ゼロはただ、ガラガラの喉で、叫ぶ。


「何が『本当の涙が流せたら』だ! 何が『愛してくれたかな』だ!」


    ただ、叫ぶ


「勘違い抱いたまま、勝手な妄想膨らませてるんじゃないよッ!」


    叫ぶ


「ちゃんと想っていたよ、アイツは!」



    叫ぶ



「ずっと考えてたよ、アイツは!」




    叫ぶ





「ちゃんと、お前のこと愛していたよ!  シ エ ル は ! 」





呆然と、数百メートル離れたちっぽけなゼロの瞳を、彼は見つめる。
ゼロは真っ直ぐに視線を合わせながら、ほんの僅かも逸らすこと無く、叫び続ける。
痛みも、傷も、なにもかもどうでもよかった。ただ、叫び続けた。


「『同情』だって!?  ッ ざ け ん な ! !  アイツは……! そんなちっぽけな人間じゃあない!」


先ほどの彼の言葉も、間違いではないかもしれない。彼女は優しすぎる。全てを救いたいと思うほど。端から見れば矛盾を産んでしまうほど。
けれど一つ、彼の認識に間違いがあるとすれば――――彼女が“本気”だということ。
同情か。哀れみか。そんなものは関係ない。彼女はただ純粋に、本気で救いたいと願っているのだ。全てを。
いや、それだけじゃない。


「どうしてあいつが今まで、お前のことを隠し続けてきたと思う!?」


――――そうだ。言ってしまっても良かったのだ。
彼が“偽物”だと。救世主は“偽り”だと。
そうすれば、ネオ・アルカディアの内部崩壊を誘えた。ヴィルヘルムのような男を利用して。
それができれば、今ほど追い込まれることもなかった。もしかしたら、白の団がネオ・アルカディアを制圧することもできたかもしれない。

けれど、しなかった。何故か。
理由は唯一つ――――…‥‥




「 お 前 を 守 る た め だ ろ う が ! 」




救世主としての地位を、今のように追われて、真の孤独にならないように。
彼が、どうか無事であるように。そう祈っての事だった。
間違いない。何故なら、彼女は言ったのだ。



『あのね、ゼロ。私は、エックスのことも助けたいの』



エックスは“道を誤っただけ”だと。道を間違えたなら、それを誰かが正してあげればいいのだと。
正体を明かす前から、彼女はそう言っていた。何故か。
本心だったからだ。彼が何者かに関係なく、助けたかったからだ。
いや、彼だからこそ、助けたかったのだ。


「だって! だって、アイツは…………――――」


何事かとわからぬまま、呆然と立ち尽くすネオ・アルカディアの兵たち。
その隙に、彼の充填は完了した。全てを解き放つ準備は出来た。
それに気づいたゼロは、最後の言葉を選ぶ。この瞬間の内に。最期に、彼が聞くべき言葉を、探す。


「だって……アイツは………――――」


言ったのだ。一言。彼女の核心を。
言わなかったのだ。一度も。彼女の想いを表すように。

あらゆる警告よりも、あらゆる感情よりも、あらゆる記憶よりも。
それは鮮明に、聴覚へと蘇る。




『ゼロ……エルピス……みんな………』



少しだけ俯きながら。
身勝手な己を恥じて、それでも言うべきだと奮い立たすように、拳を握りながら。
涙をこらえながら振り絞った、少女の言葉。




















     お願い






























     私のエックスを 助けて
















































「 シ エ ル は 一 度 だ っ て 、 お 前 の こ と を “ 偽 物 ” だ な ん て  言  わ  な  か  っ  た  !  」

































































    空を、仰ぐ。










    蒼く、優しく広がる空を



    太陽を抱き、包む、母のような空を




    決して届くことのないような気さえした空を 見つめる。



















    『できるわ、あなたなら。絶対に』








    『だって、あなたは』






























     私の「エックス」だから





































    ――――いつかの、幼い少女の言葉が、木霊する。










    思わず、手を伸ばす。








    忘れていただけだったのかもしれない。



    気付かなかっただけなのかもしれない。



    それは、すぐそこにあった。



    ようやく、触れることができた。



    じんわりと指先に、温もりが溢れてくるのを感じる。





    それは次第に、体の隅々まで溶けこんでいき



    気づけば、微笑みがこぼれ









    頬に滴が伝っていた。































    「ああ、母さん。――――僕は……‥‥・・・」






































    刹那、閃光が視界を包む。







全てがその衝撃によって塗りつぶされ、掻き消されてゆく。
その一瞬、世界の何もかもが静止したように思えた。
実際、全ての音が消えた。まるで真空のように。

そして地響きと、雷鳴とを同時に轟かせながら、突風が吹き荒れた。

吹き飛ばされそうになりながらも、ゼロはヘルメットを支えに、その場に留まり、両の瞼をしっかりと見開く。
そして砂塵と爆炎とが同時に包み込む空間を見つめながら、大きく口を開く。

喉を枯らしながら。体を軋ませながら。衝動のままに。

魂の奥から。
全身から。
自分のすべてを響かせながら。


“彼”の耳には、もう二度と届かないとしても。





    “彼”の名前を





百年の苦悩を背負いながら、ただひたすら健気に闘い続けてきた“彼”の名を。




この世界を、未来を救うため。己の命を懸けた、救世主に相応しい“彼”の名を。





愛する人のために自らの全てを投げ打った“彼”の名を。




















他の誰のものでもない、“彼”だけの名前を 叫んだ。


































やがて、全てが収まり、静まり返る。

ゼロは、荒野に俯せにうずくまっていた。何もかもが消えた荒野に。

天高く照らす太陽に見守られながら。
遺されたヘルメットを、その胸に強く抱きしめながら。

しばらくして、その金髪を撫でるようにして、一迅の風が優しく吹いていくのを感じた。

























































  ――――  6  ――――




















「ゼロ!」














名を呼ぶ声が、耳に飛び込んでくる。
しばらくして到着した白の団の兵員輸送トラックから、ポニーテールを揺らしながら、少女が駆け寄ってくる。
せわしない足音が止まったかと思うと、うずくまるようにして座り込んでいたゼロの肩に、小さな手が優しく触れる。

「ゼロ、大丈夫?」

「……シエル」

彼女の名を呼び、顔を上げ、突風に乱された前髪の隙間から、見つめる。
シエルは、ゼロの髪を代わりにかき揚げ、手櫛で優しく整えた。憔悴しきった彼の顔が――――まるで抜け殻のようなそれが、瞳に映る。
同時に、視界を掠めた“それ”を、見ないように努めた。そのままキュッと唇を結び、まぶたを閉じ、それからまた、ゼロの瞳を見つめる。

「……もう、大丈夫よ」

そう、言葉をかけた。

決めていた。如何なる結末になろうとも、こうして迎えるのだと。
ヴォルクに問われるまでもなく、覚悟はできていた。いや、きっとこの結末も、心の何処かで予期していたのだ。
だから、大丈夫だ。心の準備は、全て整っていた。
その意志を強く表すように、シエルは――――微笑んで見せた。


「帰ろう。一緒に」


戦場の跡を見れば分かる。ここでどれだけの死闘が行われたのか。
移動中に感知したエネルギー波の大きさで分かる。どれだけ強い魂がここで輝いたのか。
そして、ここに一人残されたゼロの姿を見れば――――その結果は一目瞭然だった。

だからこそ、帰ろう。白の団へ。私達の家へ。
もう十分に傷ついたから。もう十分に闘いぬいたから。
これから先も、どれだけの困難が待っているかはわからない。しかし、だからこそ、今は休もう。
手を差し伸べるシエルも、二人を見つめるコルボーたちも皆、同じように考えていた。

だが、そこでゼロが徐に差し出したのは、自身の右手ではなかった。

差し出された“それ”に、シエルは言葉を失う。そして、無意識のまま受け取ってしまっていた。
決して見るつもりはなかった“それ”を。――――あの子の、“形見”を。
同時に、その場に座り込んでしまう。力が抜けたように。そして黙って、傷だらけのヘルメットの表面を撫でた。
そんな彼女の様子を見て、思わず俯く。合わせる顔などない。自分は、結局約束を果たせなかった。――――けれど、だからこそ、伝えたいことがある。伝えなければならないことがある。
ゼロは、静かに口を開く。

「すまない……俺は………」

「やめて」

謝罪の言葉をすかさず遮る。

「あなたが、全力を尽くしてくれたことは分かってる……だから………」

「俺は……お前に泣いてほしくないと、願っていた」

ピタリと、今度はゼロがシエルの言葉を遮る。自身の“過去”の願いを口にして。
それは、改めて言葉にされずとも知っていた。そしてまた、改めて言葉にされて、再び思い知った。
ゼロがどれだけシエルのことを想っていたか。どれだけ、彼女を悲しみに触れさせたくないと願っていたのか。けれど――――

「……けれど…………もう、いいんだ…シエル」

そう言って右手で、少女の肩を優しく掴む。

「俺は……お前のことを……少しくらいは……解っているつもりだ」

分かっている。――――どうして、シエルがそう言うのか。どうして、シエルが“聞かない”のか。決してシエル自身のためではない。そういう娘だ。
『もう二度と泣かせない』――――そういうゼロの誓いを、知っていたからこそ。そのためにゼロが命懸けで戦っていたと、知っていたからこそ。少女は今、自分の心を押し殺して、微笑みを浮かべている。
その表情が、伝わる彼女の健気さが、ゼロにはひどく哀しく思えてならなかった。だからこそ、言うべきだと、決意した。自分の願いを、捨て去るべきだと。

「……いいんだ、もう我慢しなくて……。……泣いていいんだ……――――いや……」

己の口上を一時否定し、左手も差し出し、両手でシエルの肩を掴む。
華奢で、今にも折れてしまいそうな、少女の体。それでも、聞いてほしい。わかってほしい。
言い聞かせるように。懇願するように。小さく頭を下げて、告げる――――彼女のために。そしてまた、世界を背負い続けた彼のために。






「頼む……泣いてやってくれ、シエル。……あいつの――――エックスのために」






もう二度と、届くことはないのだろうけれど。
涙を流してほしい。――――彼を、愛していた証として。










言葉が耳に溶け込んだ後。シエルはしばし押し黙る。
それから、ぐっと息を呑み、ヘルメットへと僅かに視線を落とす。

「……大丈夫だよ。ゼロ」

尚も微笑みながら、そう返す。
じんわりと滲んでいく瞳で。


「ゼロは……命がけで戦ってくれたから……だから……だから……――――」


自業自得だ。
これがきっと自分が背負うべき罪なのだ。受けるべき罰なのだ。
――――そう、言い聞かせた。

代わりに、堪えなければならない。
今目の前にいる、どんなに傷だらけになろうとも闘い続けてくれた、英雄の心を責めないためにも。
――――そう、信じていた。

“それ”をしてよい“権利”を、自分が持ち合わせているとは思えないのだ。
まるで被害者のように。まるで優しい母親のように。
実際は一人耐え切れず、逃げ出し、“彼”を見捨てた極悪人だというのに。どうして今更、善人ぶった事ができるのか。それが、赦されるのか。


自分が、涙を流して良いわけがない。


だから――――……










「――――だから……ごめんなさい……。…少しだけ………この……まま…で……………………」









言い終えることができない内に、震える唇を結び、俯く。
すると殊更強く、まるで我が子を抱き締めるかのようにヘルメットを抱きしめる。

呼吸を押し殺し、肩を震わせ、それでも絶対に声を上げまいと、唇を、血が滲むほど強く噛み締めた。
静寂に包まれる二人の間で、僅かに漏れ出る嗚咽と、硬質なヘルメットに垂れ落ちる滴の音が、響く。



程なくして、堪え切れなくなった頃。

少女の叫びが、そこら中に響き渡った。



言葉にならない声を、全身で叫び続けた。まるで赤ん坊のように。
その目からは、留まることのない洪水のように、涙が溢れ続けた。

泣き叫んだ。顔をぐしゃぐしゃにしながら。
自分でも、感情をどうやって止めて良いのかわからなくなるほど。
次第に喉が枯れても、その泣き声は留まる気配なく、涙とともに溢れ続けた。



















――――いったい、この世界のどこに、自分の愛情を正しく子に伝えられる親がいるだろうか。
正しく、子を愛せる親が、いったいどれだけいるというのか。






普通の人間の親子でさえ、完璧な意思疎通はあり得ないというのに。
人間とレプリロイドの親子というだけでも歪だというのに。


息子は……生まれながらにして世界の何もかもを知り、救世主として頂点に立つ、百年の記憶を背負ったレプリロイドの青年。

母親は……生まれながらにして天才的な知能を持ち、世間のイロハも知らぬまま、僅か十歳にして母親となった人間の少女。


――――そんな歪過ぎる親子が、どうして正しく分かり合うことが出来ただろうか。


それでも互いを愛していた。間違いなく。
母は子を。子は母を。大切に想い合っていた。


ただ、互いにその示し方を知らなかった。


抱きしめ方を知らなかった。

向き合い方を知らなかった。

導き方を知らなかった。



甘え方を知らなかった。

縋り方を知らなかった。

泣き方を知らなかった。




――――きっとそれだけだった。それだけの事だったはずだ。


しかし、それでは誰が全てを理解しているというのか。正解を持っているというのか。

それを知らなかったことを、誰が罪と呼ぶことが出来るのか。



それでも、彼女は一生この哀しみを忘れないだろう。この後悔を抱き続けるだろう。
「逃げ出す」という――――たった一度だけの過ちの為に。自分にとって最も大切なものを失ったことを。
胸の喪失感は、きっと二度と埋まることはないのだろう。
それは、たとえ天才とはいえ、たった十四歳の少女には、あまりにも大きすぎる罰のように思えてならなかった。



そんな少女を見つめながら、どうすることもできずに、ゼロも己の唇を噛み締めた。


英雄と呼び、信じてくれた少女を、結局はこうして悲しい目に合わせてしまった。
誓いも、約束も、守ることが出来なかったその両腕は、彼女を抱き締めることすらできない。

しかし――――そのまま滴り落ち、地面を濡らしていく涙…………



それはきっと、決して彼女だけのものではなかった。











































         To be continued ......




























[34283] FINAL STAGE 「Message from...」
Name: 村岡凡斎◆45ff140f ID:e5a820fd
Date: 2014/01/25 17:09













    その日、一つの世界が終わりを告げた。















    そして、一つの世界が始まりを告げた。






    けれど、それもまたいずれ終りを迎えるだろう。


    明日か。明後日か。来週か。来月か。一年後か。十年後か――――


    いずれにしても、そう遠くない未来で。

























    終わりのない物語など、何処にも在りはしない。




































 FINAL STAGE











        Message from ...


























  ――――  1  ――――





「ここに、ネオ・アルカディア共和国の設立を宣言する!!」


ヴィルヘルムによる高らかな演説の直後、メガロポリス中心区域ユグドラシルでは大喝采が巻き起こった。
偽りの救世主を打倒した今、ネオ・アルカディアに住む人々――――地球上に残った人類の歴史に、新たな1ページが刻まれたのだ。
「人間の、人間による、人間のための国家」という名目のもと。人間が頂点を再び“勝ち取った”瞬間であった。

大きく掲げられながら、偽りの救世主の顔写真が松明の火で燃やされる。メガロポリス市街を、急遽組まれた新政府設立記念パレードが闊歩し、紙吹雪が舞い、喝采が鳴り響き続けた。
しばらくして、形ばかりの選挙が行われ、再び元老院議員が選出された。ヴィルヘルムは大統領という地位で政府のトップに立った。
一週間と経たぬ内に、新政権の方針が打ち出され、その後には新憲法が発布され、勢いを増してイレギュラー狩りが行われ、軍備増強が行われ、レジスタンス組織殲滅隊が組まれた。
将の半分を失った四軍団は、直ちに解散となり、新政権の下に賢将、妖将が降る形となって、新たな防衛軍が誕生した。

光陰矢の如し――――とは言うが、そんな月日の経過よりも速く、世界の何もかもがあっという間に様変わりしてしまった。
正義のベクトルも、悪の指標も、信念の意義も、未来のヴィジョンも……何もかもがひっくり返ったような心地がしてならなかった。






「――――それでも、私にはこの世界が良い方向へ向かっているとはとても思えないの」

キャップ帽を目深にかぶって喫茶店のテラス席に一人座り、行き交う人の表情を観察するように眺めながら、ネージュは呟いた。
背中越しに別のテーブルに掛けているフランツが、憂かない声で「ええ」と答える。

「全く、同意しますよ。……聞いているでしょ、元老院内部での軋轢の噂」

鮮やかな革命劇の裏を返せば、そこあるのは、権力者達による不穏な腹の探り合いだった。

「当初、議会内でヴィルヘルム派を表明していた議員の半数以上が、今では不穏な態度を見せていますから」

“英雄”不在での救世主追放、聖騎士団長ペガソルタ・エクレールの喪失、強引な改革――――その他諸々の事情を踏まえて、ヴィルヘルムのやり方に民衆の心が付いていかないことを悟った者達は、彼に見切りをつけ始めたのだ。

「そこに来て、バイル名誉議長に対する国家反逆の嫌疑、末の投獄……しかし、冤罪の可能性大――――とくれば……元老院内部はガタガタっすよ……」

偽りの救世主との繋がりを疑われたバイルは、彼の死後、直ぐにヴィルヘルムの私兵によって拘束され、ヘルヘイムに連行された。
疑いが晴れるまで……とのことだが、それが反対勢力に対する牽制であることは明らかだった。しかしまた、その決断がヴィルヘルム自身の首を絞めたのも間違いなかった。

自身の椅子が追われることを恐れての事だったのだろうが、全てが裏目に出た。
バイル卿投獄から十日が経過した今も、国家反逆の証拠が何一つ出ず、ヴィルヘルム派の立場は悪くなる一方。
そうした内部の関係事情から、ヴィルヘルムが敷こうとしていた独裁政治には当初から亀裂が入り、政権の早期崩壊もあり得ると言われる始末だった。

「すぐにまた国のトップが入れ替わりますよ。……ったく、落ち着かないもんすよ」

「それだけで済むならまだ良いわ」

フランツにすかさず言い返す。ネージュの言葉に、フランツも思わず黙りこむ。
そうだ、トップが変わるだけならばいい。ヴィルヘルム以外の、別の議長に変わる程度であるならば。

政権が不安定なことなど、国中が戦火に包まれるよりは、遥かにマシな話だ。



「……結局、黒狼軍討伐も、紅いイレギュラー討伐も完遂しないまま、十七部隊は解散らしいすね」

この際だからと、フランツは個人的に気にしていた情報を口にする。勿論、ネージュも掴んでいたらしく、特別驚くような声は上げなかった。代わりに、しばらくの沈黙が流れる。
静かにゆらめくコーヒーの湯気を見つめてから、カップを口元に運び、僅かに口に含む。ネージュの口内には、しっとりとした苦味が酸味とともに広がった。

「仕方のない事だわ。彼らは、結果を出せなかったのだから……」

結成から半年近くの月日が流れたが、当初の目的の内、マゴテス討伐しか達成できなかった。
数度のニアミスを重ねたというのに、紅いイレギュラーをみすみす取り逃がし、黒狼軍に至ってはその本拠地を見つけることすら出来なかった。
遂には、偽りの救世主討伐作戦において、指示を半ば無視するような形で待機を続けた。十七部隊という看板のおかげか、責任追及はなんとか免れたが、隊は解散、通常編成へと戻されることとなったのだ。

「意外なことといえば、ヴィルヘルム……大統領が選んだ国防軍の総司令官が――――」

「……賢将、ハルピュイアだそうね」

ヴィルヘルムと最も反目し合っていたと言ってもいい相手、四天王リーダー、賢将ハルピュイアが共和国防衛軍の総司令官に就いたことには、誰もが驚きを隠せなかった。それも、ヴィルヘルム自らの推薦であったのだから尚更だ。
ペガソルタ亡き後、聖騎士団もまた国防軍に近衛兵団として組み込まれたが、それもまた、総司令官の指揮下に置かれるというのだから、元聖騎士団員たちも不満を漏らさざるを得なかった。

ちなみに、偽りの救世主が暴かれた時、査問委員会にまで掛けられたというのに、賢将ハルピュイアはこれを二つ返事で快諾したという。

「……レプリロイド嫌いの大統領が、あの賢将様に頼るとは……」

言葉を区切ると、声のトーンを落とし、背中越しのネージュにだけ聞こえるように「何を企んでいるんでしょうね」と個人的な問いを口にした。
これまでの失態のバランスを調整するためだろうという見解は、至るところで述べられていた。
しかし、ここまで策謀を張り巡らし続けてきたヴィルヘルム卿のことだ。きっとその裏にはまた彼なりの、何らかのシナリオが組まれているのだろうと、内情を理解している一部の者達は皆、訝しんでいた。
だが――――ネージュは右手に掴んだカップの取っ手を、親指で二度三度撫でた後、彼女なりの見解を口にする。

「きっと……彼自身には狙いなんてないわよ」

「え?」

「頼らざるを得なかったのよ、ヴィルヘルムは。……きっとね」

周りを敵ばかりに囲まれ。陰謀も完璧に遂げることが出来ず。ようやく掴んだ栄光の崩壊が、すぐ目の前に迫っている今。
彼が頼るに選んだ相手が、ハルピュイアだった。ただそれだけのことだったのだろう。と、ネージュは直感的に思い当たった。
なにせ彼は最後まで、レプリロイドの“英雄”を仕立てあげようとしていたのだから。


「私が思うに、彼の最大の過ちは――――『自分自身もまたレプリロイドに頼っている』という事実から、目を背けていたことよ」


一呼吸を置いてから、取っ手を掴み、カップを再び口元へ運ぶと、残りを一気に飲み干した。
それから席を立ち、寂しげに渋々フランツが差し出すメモ書きを受け取った。

「ここは、俺が払っておきますよ」

「ありがとう。甘えさせてもらうわ」

「……ネージュさん……やっぱり行くんすか?」

「行くわよ。だって、ジャーナリストだもの」

メモ書きに書かれている住所は、政府の内実を知る人物との待ち合わせ場所だった。
これからネージュは取材に行く。ともすれば国家を転覆させるかもしれない連中の腹の中を探るために。
それは危険極まりない道に違いなかった。
しかし、それを彼女は「ジャーナリストだもの」という一言で、簡単に説明してのけた。

「……あなたの方こそ、ありがとね。それなりに難しい役回りさせて。別会社の社員なのに」

「いいですよ。それくらい。……どうせ、オリンポスプレスじゃ何掴んでも、まともな記事にできませんから」

国家の裏を暴くような記事を出せるような大手新聞社は存在しなかった。
ネージュが、結局流れついたモンサンポスト紙のような三流新聞だからこそ、できることがあった。勿論、それでもある程度の制限は出てくるのだが。

「仕方ないわよ。……あの“ハゲじじい”も、どうせちゃんとしてないんでしょうから」

かつての上司を思い浮かべて悪態つく。
それからクルリと振り返り、「じゃあね」と手を振り歩き始めた。――――と、「待ってください」とフランツが慌てて立ち上がる。
ネージュは困ったように口をへの字に曲げて「ちょっと」と叱咤する。ここでの邂逅は名目上内密事項だというのに。
フランツはバツが悪そうに口を一度手で覆い、それから視線を逸らす。

「……デスクは……コリニー部長は…………ネージュさんのこと、いつも気にしてますよ」

不意に、建物の隙間から流れてくる乾燥した冷たい風が、髪を優しく撫でた。
ネージュはキャップ帽のつばから上目遣いにフランツを見つめる。

「……分かってる。ありがとう」

――――あなたの人脈だけじゃ、このメモの相手にアポイントも取れなかっただろうことも、全て、分かっている。

再び街中を見渡す。ふと視界に入るのは、娘の手を引く父親の姿。大きい手が小さな手を優しく包み込んでいた。
その温もりを、自分は実際には感じたことがなかった。けれど何故か、容易に想像することが出きた。まるで、この心がそれを覚えているかのように。
そして、並んで歩く母親と思しき女性も含め、三人は笑顔だった。幸せが包んでいた。きっと、壊したくない彼らなりの平和が、そこに在るのだろう。

「私には……守るものはないから。……ううん。この信念以外、無いから。譲れないの。だから、進めるの。――――気にしないで、フランツ」

「ネージュさん……体に…気をつけてください」

そう言って、歩き出す背中に向けて静かに別れを告げた。
フランツは寒さに悴む指を温めるように、コートのポケットに手をつっこみ、僅かに俯く。
それから、鼻を小さく啜った。







































  ――――  2  ――――


ヴィルヘルムの勝利宣言が行われている頃、白の団内部は慌ただしい雰囲気に包まれていた。
エルピスの指示の下、基地内の備品整理を始め、“引っ越し”用の荷造りを始めたのだ。




「ヴィルヘルムの指示を受けて、ネオ・アルカディアの軍勢がレジスタンスの一掃に動き出しました」

三次元ヴィジョンに映しだされたマップデータ。そこには、展開するネオ・アルカディア軍の配置が示されていた。
政権交代のゴタゴタから、情報を掴むのは逆に容易になったが、そうして全てのレジスタンスが気付かされたのは、ネオ・アルカディアが持つ本当の兵力だった。
ゼロが得た情報通り、救世主はイレギュラー戦争の延長となる戦いを続けるつもりだった。その為、ヴィルヘルムが公開した通り、その兵力は実際に動員できる数の半数程度に留まっていたのだ。
裏で何者が情報操作を続けていたのかは知らないが、こうして全てが明かされた今、レジスタンスの勝ち目はほぼ無に等しくなったのだ。
――――だが、白の団は諦めない。

「この拠点から移ります」

ルージュが次に映したのは、新拠点の位置情報と内部映像。
斬影軍団と烈空軍団による侵攻作戦の直後から、拠点移動の案は挙げられており、それについてオペレーター陣が総出で次に使える廃施設を探り続けた。
ネオ・アルカディアが次に、それも今まで以上の戦力で攻めこんでくれば、もう耐えられるわけがない。場所が暴かれたこの拠点を放棄する以外にそもそも道はなかった。

「規模はこちらより小さめですが、イレギュラー戦争後期に整備されたため、施設は整っています」

ギガ粒子砲、エニグマのような奥の手も今度は備えていないが、拠点として使うには十二分と言っていい。

「これより二日後、移動作戦を開始します。その間に、備品整理を済ませてください」












拠点の移動が決定すると直ぐに、団員たちはそれぞれの荷をまとめ始めたのだが、整備班員やオペレーターたちにはそれ以外にも重要な任務が与えられていた。

「使えないマシンは全て手筈通り、入口付近に設置しとけ!」

この拠点にも敵は間違いなく突入をかけてくる。それに対し、エルピスは一矢報いようと作戦を整備班に伝えていた。
ジョナスが指示する傍ら、ドワがため息を漏らす。

「よもやこのような使い方をしちまうとはなあ……寂しいもんだよ」

「仕方ありませんよ、班長。ヴィルヘルムにとって俺達は目の敵でしょうから。むしろこれくらいしてやらないと」

移動しながら、敵の突入に合わせ、各出入口付近を遠隔操作で爆破しようというのだ。
その火力増強のため、整備が間に合わないマシンを利用する指示が降りていた。

「生き残るために必要な策を取るんです。その為に使われるなら、こいつらも浮かばれるでしょう」

そう言って、故障したままのライドチェイサーを優しく撫でる。
「うむ、そうだな」とドワも吹っ切り、自分の仕事に取り掛かり始めた。






「そっちのバックアップ作業はどう?」

ひっきりなしに鳴り続けるキーボードのタイプ音。それが響く管制室内。
ジョーヌが部下のオペレーターに話しかける。

「80パー…ってとこでしょうか」

「期日には間に合いそうね」

微笑む彼女の横で、ルージュが他のオペレーターに指示を飛ばす。

「旧四軍団の編成データ等、不要なものは削除して行きます。あ…そこ、ミュートスレプリロイドの戦闘データは貴重品ですから、気をつけて」

無論、二人は互いに課せられていた、他の倍近い仕事を早期に仕上げてからの監査である。
「こういう時はテキパキこなすのね」というルージュの皮肉に、真っ先に終えたジョーヌは「まあね」と笑顔で答えていた。

「それにしても、慣れ親しんだ場所とのお別れって……必要とはいえ、寂しいよね」

そう言いながら、自身がよく使っていたコンソールを切なげに眺める。
二年前、白の団結成とともにこの本拠地へと入ってからというもの。敵データ分析、戦闘シミュレーション、作戦立案等……彼女たちも、この場所で闘い続けていた。
前線ではなかったが、この場所もまた、一つの戦場となっていたのは言うまでもない。

「そんなことを言ってられないくらい、またどうせ忙しくなるわよ」

そうだ、戦いは続く。諦めない限り。前に進む限り。
きっと移ってから直ぐに、彼女たちの戦いも再び始まる。そうなれば、この場所を惜しむ暇などありはしないだろう。
そんなことを微笑みながら言うルージュに、ジョーヌはしかめっ面を浮かべる。
「うへぇ……それは、ちょっと嫌だなあ」などと言いつつも、ルージュにはその表情がどこか嬉しそうに見えた。










「“引っ越し”…つったって、私物なんて殆ど無いからなぁ」

コルボーは自室を眺めながらぼやく。
レジスタンスとして活動するレプリロイドが、着衣も含め、まともな私物を持っているわけもなく、備品の整理は早めに済んだ。
持っていくものがあるとすれば、亡き友の形見くらいか。

「トムスのか、それ」

ヘルマンが指差すのはコルボーの荷物に入れられていた帽子だった。
「そ」と答え、誇らしげに笑う。

「遺体を回収できない奴らもいるけど、もしできるなら、一緒に新しい場所に連れてってやりたいからさ」

「そうだな」

微笑みながら言うヘルマン。かくいう彼も、マークの遺品を自分の荷物に詰めていた。
たくさんの仲間が亡くなった、忌まわしい場所と思うことも出来る。けれど、仲間たちとともに過ごした大切な場所であるのも間違いなかった。それだけに、惜しむ気持ちもある。

「けどさ、生きてくためには捨てていかなきゃいけないんだよな」

過去と別れて、現実と向き合うために。名残惜しさも胸に締まって、かつてのやすらぎの場所に別れを告げる。
けれど、新しい寝床に友の魂を連れて行くくらいは、許される筈だ。

「あらかた片付いたら、整備班の連中手伝えってよ。行こうぜ、コルボー」

「ああ」

自分達の荷物を、直ぐに動かしやすいよう所定の場所にまとめて運び、それから二人で廊下を歩き出す。
生き残ったほとんど全ての団員たちが、一様に荷物をまとめ、指示通り動いている。二人のように、思い出話を語らいながら。
相変わらずピックのように「これ以上意味があるのかねえ」などと皮肉を垂れる連中も居ることにはいるが、彼らもまた指示に従い、荷物をまとめている様は少し滑稽にすら思えた。

「きっとやばい状況なんだろうな」

「え?」

「今はよ。なんか何とかなりそうにも思っちまうんだけど。なんねえかも知れねえんだよな」

白の団の状況。決して良くはない。それどころか、一筋の光も、か細く絞りこまれ、見えないと言っても良かった。
それでも、何故だろうか。実感が無いのか。コルボーも、ヘルマンも皆、侵攻された時やシエルを失いかけた時ほどの悲壮感を漂わせてはいなかった。
むしろ前向きにすら思える。それは良いことなのか、少しだけ不安になる。
こうした窮地において、どこか呑気にしている自分たちの様が、かつて、戦力差を現実として理解していなかった自分たちに重なって仕方ないのだ。
そんなヘルマンに、「似合わないなあ」とコルボーが笑い返す。

「お前がそんな湿気たこと言うの、びっくりだよ」

「う…うるっせえ!」

慌てて言い返しながらも、どこか照れくさそうに顔を赤らめる。
それを見て笑った後、「そうだなぁ」とコルボーも少し考える。
ヘルマンが危惧することも最もだ。自分も同じように感じていないわけではない。
だが――――と、これまでの経緯を反芻し、またも誇らしげに笑いながら、断言する。

「大丈夫だと思うよ、俺は。昔とは、絶対に違うよ」

何も知らなかった時とは。理想にただ追い縋っていた時とは。幻想に浸っていた時とは。まるで違う。
皆、全てを経験し、理解した上でこうしているのだ。それは間違いないと胸を張って言えた。
その言葉にヘルマンもようやく納得できたのか、「それもそうだな」とはにかみながら答えた。



「コルボーさん!」

女性の声に名を呼ばれ、コルボーが振り返ると、そこには慌てて駆けて来たティナの姿があった。

「ティナさん……どうしたんですか、そんなに慌てて……」


「ゼロさんが一緒に来ないって、本当ですか!?」


ティナの大声に、周囲にいた団員たちもまた「ハッ」とこちらへ視線を向けてきた。
ざわめく団員たちの様子に、コルボーとヘルマンは「あちゃー」と頭を抱えた。

「会議に出ていたんですよね! ということは、本当のことを……」

「落ち着けよ、ティナ。それは……またあとで団長から話す予定だったんだよ」

宥めようとするヘルマンに、「でも」とティナは問い詰める。他の団員たちも、「どういうことだ」と詰め寄ってきた。
白の団の英雄たるゼロが、共に来てくれないという話に、驚かない者などいるはずがなかった。今後も戦い続けるにあたって、彼の存在こそが希望と言っても過言ではないのだから。
それについて、しばし迷った後、コルボーは事の真相を静かに語り始めた。
















『エルピス、俺は白の団を離れようと思う』

エルピスが移動を決定した会議中、ゼロは突然その決意を口にした。
勿論、誰もがその言葉に耳を疑い、その真意について問い返そうとした。真っ先に口を開いたのは、セルヴォだった。

『何を言い出すんだ、急に!』

皆、黙りこむ。言いたいことは同じだったし、それをわざわざ口にする必要もないように感じられたからだ。
だが、エルピスとルージュは何かを悟ったような目でゼロを見つめていた。その様子から、二人がそれを予期していたのではないかと後でコルボーは思った。
しかしその時、その場にいた者達には、ゼロが己の身を犠牲にしようとしているように思えてならなかった。
なにせ、救いたいと願いシエルと約束した筈の、救世主の命までも取りこぼした後だ。それが原因か、ゼロの目はどこか虚ろで、精気を失ったようにすら見えていたからだ。
だが、『別に自暴自棄になったわけじゃないさ』とゼロは静かなトーンで返す。

『ヴィルヘルムが目の敵にしているのは、白の団じゃない。俺だ』

それこそ、他の誰にも言い返せない理由だった。
英雄に仕立てようと企てるも、その誘いに乗らず、ペガソルタの命を失ったにもかかわらず仕留め切れず、他にも数々の陰謀がゼロの存在によって挫かれてきた。
そうした事実を考えれば、ヴィルヘルムの気持ちも容易に想像できた。

『奴は俺が生きている限り、俺がこの組織に属している限り、部隊を差し向け、追撃をかけてくるだろう』

いや、ヴィルヘルムだけではない。救世主の目論見通り、彼の政権が早期に崩壊し、交代したとしても、その後の政権にとっても目の上の瘤になるであろうゼロの存在は、その死か、ネオ・アルカディアの崩壊の時まで追い回されるに違いない。
白の団がどれだけ寝床を換えようと。どれだけ遠くへ逃れようと。その手は伸ばされ続けるに違いない。

『ヴォルクもいる。それだけじゃない。激戦をくぐり抜けてきた今、俺がいなくとも、皆やっていける筈だ』

ゼロと同等近い戦闘成績を見せたレプリロイドの存在。そして、度重なる実戦によって培われてきた戦闘経験。
白の団の武器は、最早ゼロだけではない。昔の、まだ英雄に縋ることしか出来なかった頃とは違うのだ。
『しかし』とセルヴォが否定するより先に、エルピスが前に進み出て答える。


『いいでしょう、ゼロさん』


あっさりとした返答に、皆『エルピス!?』『指令!?』と驚きの声を上げる。
だが、エルピスは『仕方のない事です』とすかさず切り返す。

『彼の言う事は正しい。そして、それを譲るつもりも、きっと今の彼にはありません』

エルピスの言葉通り、どこか空虚に見える瞳でも、ゼロの決意が堅いことは皆に伝わっていた。
『ただし』とエルピスは条件を付け加える。

『ヴィルヘルム政権に亀裂が入った頃……いや、敵に隙ができ次第、合流すること。それが条件です、ゼロさん』

いつまでも離れているつもりはない。
それは、彼に頼るためではなく。彼に縋るためではなく。

『……決して、あなたは一人ではありません。それを忘れないで下さい』

互いに支えあう事を忘れないでほしい。絶望の淵に立たされた今だからこそ、尚更に。
そんなエルピスの言葉に、誰もが頷き、ゼロを無言で見つめた。

『エルピス……みんな……。すまない、ありがとう』

感謝の言葉を述べ、力なく微笑む。
その表情に、誰もが切なさを感じてならなかったが、ぐっと堪え、それぞれの持場へと向かった。
ただ一人、シエルだけが誰にも何も言わず、一人俯いていたことにコルボーは気づいた。














「……ゼロさんが、本当はどう考えているのかは知らない」

顛末を語り終えた頃、気付けばその場に集まっていた大勢の団員たちは暗い面持ちで話を聞いていた。
「けど」とコルボーは言葉を続ける。

「これまで通り、俺達は、俺達の役目をこなすんだ。あの人の心配をするなら、あの人が戻って来られる場所を守り続けるよう、一生懸命になるだけだ。――――そうだろ?」

ゼロは、絶対に死にはしない。いつか必ず、皆のもとに戻ってくる。
彼の戦いを見てきた今、彼を心の底から信頼している現在、それを強く確信していた。
どれだけ絶望の淵に立って、哀しみを胸に抱いていようと、きっとまた前を向いて戦い続けるだろうと。コルボー達は、ゼロをそう信じることにした。
そして、彼が本当の孤独に陥らないように、自分たちもまた、力の限り戦い続けよう。生き続けよう。そうすることで、彼の力になろう――――そう、決意した。


コルボーの想いに、ヘルマンやティナだけでなく、話を聞いた団員たちは皆、「ああ、そうだ」と頷き、納得する。
ここまで命を守ってきてくれた英雄のためにも、自分たちの力でできることを最大限に。

そこにはもう、むやみに偶像を崇拝する盲目な信者たちの姿はなかった。











































  ――――  3  ――――

整列した己の部下たち――――ネオ・アルカディアきっての精鋭部隊の面々を眺め回す。
屈辱にまみれた解散式とは言え、国家の重鎮が見守る中執り行われるその儀式は、あくまでも厳粛且つ堂々とした雰囲気を漂わせていた。
しかし壇上に立つ彼には、視界に映るほぼ全ての顔が、冷静を装いながらも、煮え切らぬ使命感の燻りをひた隠しにしていることが容易に見て取れた。
ゲンブレム、シメオン、マイア、マティアス、そしてシューター達特殊班の連中も含め、皆が一様に暗い面持ちでいるなか、宣言する。


「我々、第十七精鋭部隊は、本日を以って解散する」


足元に並ぶ部下たちの顔は、一層固くなる。中には唇を震わせ、拳を握り、言葉を堪える者の姿すら見える。
そこで壇上に立つ隊長――――クラフトは「だが」と言葉を強調する。

――――そう、「だが」……

自分の中に、同じものは無い。なぜなら、この心は既に一つの信念と、その答えに辿り着いたから。
そしてそれを今、伝えられる範囲で彼らに伝えたいと言葉を絞り出す。

「これは終わりではない。始まりなのだ!」

うつむき加減になっていた隊員たちの視線が、クラフトの方へ真っ直ぐに注がれる。
ここぞとばかりに力強い手振りをして、語気を強めて宣言する。

「これより遠くない未来、再び乱世は訪れる! 新たな“カタストロフ”がこの国を包み、全ての秩序が崩壊する!」

来賓として参列していた元老院議員たちも皆、クラフトのトチ狂ったとしか思えない“国家転覆”宣言に唖然とする。
それでもクラフトの口上は止まらない。更に熱弁を振るう。

「その時! 正義の中心に立つのは我々だ! この第十七精鋭部隊こそが、この世界の“正義”となる! 諸君はその時に備え、技を磨き、力を十二分に蓄えておけ!」

呆然とする一同の前で、そう言い切った後、「以上、解散」と声高らかに宣言する。そして一度だけ敬礼を構えた後、降壇していった。
隊員たちは敬礼のタイミングを忘れ、元老院たちも言葉を失い。まるでクラフト一人に置いてけぼりを食らったかのように、誰もがただその場に立ち尽くしていた。







コロシアム内の通路を通って、外へと出ていこうとするクラフトの視界に、壁際に立つ人影が見えた。
外へと続くこの石造りの通路を照らす明かりは、背中側と、遥か先の出入口から仄かに入り込む太陽光くらいしか無い。その為、レプリロイドであるクラフトでなければ、その顔を認識することは難しかっただろう。
ウェーブ掛かった金髪が、どこか獅子を連想させるその男は、徐ろに両手を出して拍手を始める。トンネル状に作られたその通路では、まるで大喝采のように音が大きく響く。

「お見事、クラフト隊長。歴史に刻まれるであろう立派な演説であったよ」

「……有難きお言葉」

少し不機嫌そうに社交辞令的な挨拶を返すと、男は「よしてくれ」と薄笑いを浮かべて肩を叩く。

「ネオ・アルカディアを今後支えていく新たな救世主たる君が、この私如きに対してそのように畏まる必要はないよ」

――――なんと、空虚な笑いか……

男の笑顔を見る度に、クラフトは思わずにいられなかった。
きっと好意的に見えるのだろう、端から彼の笑顔を見る者は。でなければ、彼が民衆の指示を得る理由が理解できない。
しかし、実際に彼の笑顔を直接向けられたクラフトには、その空虚な作り笑いが、奥底の知れない彼の闇を物語っているような気がしてならなかった。
その畏怖は決して、この場所を包む暗闇が理由ではないはずだと確信できた。
そしてきっと男は、そう考えているクラフトの内心を見抜いているに違いない。どこか嬉々とした瞳の輝きが示している。

「……御自ら直々にお越しくださるとは思いませんでした」

尚も丁寧に言うクラフトに、男は仕方ないと肩を竦めながら答える。

「なに、これから共に戦う“同志”の晴れ舞台だ。それも、新たな救世主たる君であるならば、挨拶の一つも直に言わねば無礼というものだ」

それから男は笑みを浮かべる。
恐らくは、本当の笑みを。誰もその真実を知り得ることがないだろう、彼の闇を湛えた笑みを。

「もう一度だけ言っておくが、この世界を救うのは君だ。真の救世の志を胸に抱いた君こそが、正義そのものだ。――――革命の時は近い、よろしく頼むよ。クラフト」

「……“あちら”の首領殿に、よろしくお伝え下さい」

それだけ言うと微笑みの欠片も見せないまま、クラフトは男を静かに振り切り、一人出口へ向けて歩いて行った。
背けた視界の端に、銀髪が特徴的なレプリロイドの顔が映る。その一瞬で、彼(“彼女”のようにも見える)がどこか哀しげな目でこちらを見つめているのに気づく。
「いいのですね」――――そう問い質しているように思えた。

それから顔を上げ、前をまっすぐに見据える。
その先には光り溢れるトンネルの出口。今自分が踏みしめているのは、暗黒の道。


――――そうだ、これでいい


誰に問われようと、決心は揺るがなかった。
救世主の真実を知り、世界の真実を知り、そして“真実の正義”を胸にした今、何を疑う必要があろうか。
この“正義”を遂げるためならば、例え悪魔であろうと契約を交わそう。その先には、きっと――――……‥‥・・



















  ―――― * * * ――――



「例の件、承諾したそうね」

「断る理由がなかったからな」

そう言ってからハルピュイアは、自分が口つけたグラスを眺め、「ふむ、なかなか」と味について感心したように声を漏らす。
まるで「当然のこと」とあっさりしたハルピュイアの態度に、レヴィアタンは拍子抜けする。

「『断る理由がない』…って、あのヴィルヘルムの誘いでしょうに」

ネオ・アルカディア共和国国防軍総司令官――――その要請に、ハルピュイアは二つ返事で承諾した。
それも四天王にとっては立場上の競争相手であった、あのヴィルヘルム現大統領からの直々の要請に対してなのだから、四天王とヴィルヘルムとの関係を知っている者は皆驚きの声を上げていた。
無論、反レプリロイド的な姿勢を見せるヴィルヘルムが、ハルピュイアに頼るという構図自体が、滑稽にすら見えたのだ。
だが、ハルピュイアは鼻を鳴らして断言する。

「僕は、奴らの政治的思惑に気づかない程、無能ではない」

ある意味での痛み分け。紅いイレギュラーのSランク認定の流れと同様に、傷を負った旧四天王と手を組むことでバッシングの類を緩和させようという狙いは見え見えだ。
だが、ハルピュイアは己の信念のもとに、その思惑にあえて乗ることにした。


「“人間を守る”――――その信念に沿ったものならば、例え誰の誘いだろうと、僕は受け容れる」


国防軍=人間を守る盾。その総指揮官というのは、ハルピュイアの信念を考えれば、これ以上お似合いの職もないだろう。
きっと、あの憎たらしいヴィルヘルムの命ですら、万が一のことがあればその身を盾にして守ろうとするに違いない。
その光景が目に浮かび、それでも不思議と嫌な感じがせず「まあ、そうね」と納得した声を返す。

「それでこそ、“賢将ハルピュイア”だわ」

そんな彼だからこそ、支え甲斐もあるというものだ。
かく言うレヴィアタンも、国防軍情報部においてリーダー的立場を任されることとなった。冥海軍団の頃から戦略的、技術的情報等を扱うノウハウを最も理解しているためである。
「お互いまた忙しくなるな」と言うハルピュイアの言葉通り、きっと四軍団全盛期の頃ほどの忙しさが待っているのだろう。

「ま、仕事してるのは嫌いじゃないから。いいのだけどね」

やるべきことがあるということは、無駄なことを考えている隙がなくなるということだ。
いろいろな出来事が一気に襲い掛かって来たここ最近を思えば、救われたとすら思えた。

「それにしても、こんないい場所があるなら、どうしてもっと早く教えてくれなかったんだ?」

二人が酒を酌み交わしているこのバーは、無論、ファントムとレヴィアタンが出入りしていたバーである。
年季の入った木造の店内は、仄かな高級感を漂わせ、その主張しすぎない雰囲気が、ハルピュイアの琴線にも触れたようだ。
「まあ、気に入るのは当然よね」とレヴィアタンが笑うと、「笑っている場合ではない」とハルピュイアは文句を垂れる。

「せっかく知れたというのに、これから忙しくなってはあまり立ち寄れないじゃないか」

「仕方ないでしょ。教えられるわけないじゃない」

レヴィアタンとファントムが秘密裏に会合するのに利用していたという話を聞いた以上「まあ、そうだな」と渋々納得せざるを得なかった。
だが、その様子を見て「違う、違う」とレヴィアタンは片手をぶらぶらと振る。それから、指差しながら言う。

「あなたじゃ、入れないと思うじゃないの」

「むっ」と疑問符を浮かべ、視線を宙に向け、言葉の意味を考える。
それから、己の容姿を思い出してから、「ああ」とどこか不満気ながらも納得した声を漏らす。
その様子を見て、レヴィアタンは「冗談よ」と笑い返した。

それからしばらく他愛のない話を交わす。
時折何度かレヴィアタンはからかうような言葉をかけるが、その度に彼が真っ直ぐ受け止めるのが可笑しくて、終始笑いが絶えなかった。

そんな和気藹々とした遣り取りの後に訪れた静寂。

どこか心地よさすら感じられるのはやはり、側にいるのが信頼できる真の仲間だからだろうか。
その中で、グラスをじっと眺めていると、不意にハルピュイアが「なあ、レヴィ」と呼びかける。

「……お前は、エックス様のこと、どう思っている?」

「『どう』って?」と問い返そうとしたが、おそらくそれは言葉通りの漠然とした問いなのだろうと理解した。
エックス様――――その名が指す相手が、つい先日までこの世界を支え続けてきた偽りの救世主を指すのだと、直ぐに分かった。
カウンターに寄りかかるようにして、「そうね」と呟き、考えこむ。だが、その問いを、ずっと自分の中でしてこなかったわけではない。そう、答えは出ていた。
それをレヴィアタンが答えるより先に、ハルピュイアが口にする。

「オリジナルを知らない僕にとっては、あの人こそがロックマンエックスだった」

「ハル。……それは、私も同じよ」

「きっとそうだろう」と思っていた通り、二人は全く同じことを考えていた。
たとえ偽物だったのだとしても、オリジナル――――“本物”を知らない彼らにとって、彼こそがロックマンエックスだった。それはどれだけ真実を叩きつけられようと変わらない気持ちだった。
だからこそ思う。その姿に抱いた畏怖が、その瞳が見つめていた世界の色が、彼が抱いていた志が――――彼自身が、例え“本物”に対する精巧なコピーだったとしても、その全てはきっと一点の曇りもない“本物”であったのだと。

「あの方は、世界を守るために命を懸けた。オリジナルから引き継いだ想いから、同様にして生まれてきた僕達と何ら変わらずに。――――そう信じられるんだ」

ファントムも含め、その腹の中を全く明かすことはなかったが。あのファントムが命を懸けたという真実こそが証明であるように、そう信じることが出来た。
だからこそ、ファーブニルのやりきれない気持ちも、少し理解できた。だが、二人はその気持と折り合いを付けて生きていくことを決めた。


「だからこそ、絶対に守ろう。ファントムとエックス様が守ろうとした、この世界を」


そう言ってグラスを手にして差し出す。「ええ、そうね」とレヴィアタンは微笑みながら答える。
そして、乾杯を交わす。――――「私達の、もう一人の兄弟に」と。
冷たくも優しく響くグラスの音が、その耳に静かに溶け込んだ。












































  ――――  4  ――――


変わらず広がる蒼天を見上げ、変わらず照らし続ける陽光を体中に浴びて、空を仰ぎながら不意に瞼を閉じた。
世界の何もかもが変わりつつあるというのに。この世界から“太陽”が消えてしまったというのに。こうして変わらずに在り続けているものがあるというのは、どこか憎らしくも思えた。
頬を撫でる優しい風も、まるで平穏が世界を包み込んでいるかのように錯覚させる。
これからこの場所は戦場になるというのに。いや、この場所だけでなく、世界全てが、いつかまた直ぐにでも混迷に陥るというのに。


「……よかったのかよ、本当に」


誰にともなく空に向けて、ゼロは呟いた。
真実を耳にして、それから何度も考えた。
自分がここにいる意味。エックスが懸けたもの。これから再び訪れる乱世の時。その先に在るであろう理想の未来。
だが、これが本当に正解だったのか。正しい選択だったのか。彼の言葉を、最期を思い出す度にその問が頭をもたげるのだ。

会議で言った通り、別に自暴自棄になったつもりはない。
そもそも、彼の命によって救われたこの身をもしも無碍に扱うような事をすれば。万が一にも散らしてしまったならば。
どうして顔向けが出来るというのか。彼に、そしてシエルに。

「けれど」――――そう思いながら、雑草の類もまるで見当たらない、乾いた大地に視線を落とす。

けれど、今はこの胸の内を虚無感だけが支配していた。どれだけ振り払おうと、喪失感が渦巻いていた。
何度前へ進みだそうと思っても、脳裏に浮かぶのは救えなかった者達の顔、顔、顔――――……‥‥
ボレアスの雪山で、名も無き廃墟で、仲間たちの輪の中で、熾烈な戦場で……取り零してきた命の破片が、果たせなかった願いの欠片が、その心にまとわり続けている気がした。

それでも、白の団は未来に向けて進んでいく。
か細い希望も諦めること無く、前へと歩んでいく。
例えその先にどれだけ不毛な荒野が続いていようと。
どれだけの死を乗り越えることになろうと。

それらを考えた時。「一緒にはいられない」――――そう思った。

今の自分では、とても彼らの英雄足り得ないから。もう、前を見つめ続ける気力の灯火が掻き消されてしまったから。
あの提案は、ネオ・アルカディア側の動きだけが理由ではない。そうした自分の想いが、絡んでいたことは否めなかった。
そして、それにエルピス達は気づいていただろうと思う。

「約束通り。いつかまた、きっと帰ろう」――――この心に整理がついたら。みんなの元へ。その気持ちは、決して嘘ではなかった。
けれど、そんな時がいつ来るのか。まるで見当がつかなかった。それだけは、ゼロは誰にも言うことはなかった。




分からない。どこに進めばいいのか。



荒れ果てた大地の上で。陽光届かぬ道の先は暗闇に閉ざされ。
まるで己の境遇も理解できぬ迷子のように、途方に暮れていた。




「…………そろそろだな」


体内時計を確認しながら作戦予定時刻を思い出す。
ちょうど今頃、白の団はエルピスの指示に従い、ここから新たな拠点へと一斉に移動を開始したところだろう。
そしてまた、そろそろこの場所にもネオ・アルカディアが出撃させた掃討部隊が押し寄せてくる筈だ。
こちらの予想通り、ヴィルヘルムが差し向けた兵団がこれまで以上の大軍で白の団を潰しに動き出すのを、オペレーター陣が確認していた。

準備は万全。手筈通りに行くなら、ゼロはここで派手に大立ち回りをして、近場の空間転移装置を利用して少しずつ距離を取って逃げていくことになる。
提案通り、ゼロ自身を囮にして、白の団を逃がすために。

その先は――――正直なところ分からないままだ。
それでも、何も救えなかったこの手が、この世界に対してできる精一杯の反抗だろう。

「……行くか」

進まなければならない。この果てない荒野の上を。どんなに行く宛がなかろうとも。
小さく呟き、一歩前に出る。左腕に右手を添えながら。

吹き荒ぶ風が、背中を押す。













「 ゼ ロ ! 」





聞こえる筈のない声に名を呼ばれ、咄嗟に振り向く。

「……お前……」

そこには、ポニーテールを揺らしながら慌てたように駆け寄ってきたシエルの姿があった。
直ぐ側まで来ると、余程急いできたのか、息を切らして膝に手をつき、体を支える。
彼女がこの場に現れたことに驚き、言葉を失う。それから頭の中でしばし状況を整理した後、冷静に考え、それから再び驚きの声を上げる。

「こんなとこで何してる!?」

先程、作戦予定時刻になったのは確認済みだ。ということは白の団はこの拠点を捨てて新拠点へと移り始めたところ。
そんなタイミングで、どうして彼女がここに来たのか。
訳が分からず唖然とするゼロを他所に、シエルは少しずつ息を整え、ようやく落ち着くと真っ直ぐ背筋を伸ばし、ゼロを見つめる。

あれから一度も真正面から捉えられなかった互いの顔に、少しだけ戸惑いを覚える。

シエルには、ゼロの内にある後悔と、己自身に対する失望の色がありありと見て取れた。
何より、シエルに対する負い目――――大切な存在を救えなかったこと、約束を守りきれなかったことへの複雑な感情はより一層強く見えた。
しかし、だからこそ、あくまでも堂々と言い放つ。

「あなたに伝えたいことがあるの」

唐突且つ率直な物言いに、ゼロは「おいおい」と零す。

「『伝えたいこと』……って……」

「エルピスからは許可をもらったから」

「そういう問題じゃない。今の状況ですることかよ」

エルピスも何故、ここでそんなワガママを許したのかと呆れながら言い返す。
しかし「今だから!」とすかさずシエルは言葉を返した。
その勢いに、少しだけゼロは気圧される。その様子を目にして、シエルは慌てて自分を押しとどめる。
それから、少しだけ潮らしげに、呟くように言う。

「……今だから……伝えたいの」

それから、一度だけグッと唇を結び、首を振る。
そうだ、こんな状況だからこそ伝えたいと思った。今だからこそ、彼に言わなければと思った。


「……もう……何も伝えられないまま後悔するのは……嫌だから」


互いの真心を何一つ語り合えぬまま、大切な者と別れた。その経験は、彼女の心に大きな穴を空けた。
そして代わりに、辛い現実と向き合い、立ち向かう勇気を残してくれた。後悔しない道を選択する大切さを教えてくれた。

「……シエル」

ゼロは、彼女の心を理解し、何も反論することが出来なかった。
それほど彼女にとって大事なことならば「仕方ない」とゼロは観念して、それ以上何も言わずに聞く体制に入る。
その様子を見て、シエルもまた、もう一度己を落ち着かせる。それから、「ねえ、ゼロ」と名を呼び、言葉を紡ぎ始めた。

「……ネオ・アルカディアから私を助けてくれた時……言ってくれたこと、覚えてる?」

黒狼軍の手を借りてミズガルズよりも外へと抜け出し。アンカトゥス兄弟が襲い掛かってくる、その少し前。
言い争うようにして交わした言葉の中で、まるで懇願するように、ゼロが口にした言葉。




『お前に俺の気持ちが分かるのかよ。“戦うことしかできない”俺の気持ちが』




『誰も救えないまま、ただ壊すだけしかできなかった俺の気持ちが』




『俺には、誰も救えなかったから……俺にはできなかったから……だから……』











    頼む、シエル


    俺は……お前を失いたくないんだ












「――――……素直に嬉しかった。あなたが私を頼ってくれていたこと。私を必要としてくれていたこと」


無力にも等しいと思い込んでいた己が、誰かに――――それも、自らが縋っていた英雄に、心の支えとして想われていたというのだから、これほど嬉しい事はない。

あの日、真実を語らなければと思ったのは、そんなゼロの気持ちを知ったからに他ならなかった。
シエルという少女の力を信じて、剣となり続けてくれた彼を思えば、真実を隠し続けることは出来なかった。
けれど、それでも結果として、ゼロはシエルを信じ続けてくれた。己の罪を責めるシエルを赦し、約束を守ると誓ってくれた。
たとえそれが果たせなかったとしても。その恩を忘れることは出来なかった。

「だから、今度は私が伝えたいの。あなたに」

自分が教えてもらったことを、返したい。そう思った。
その為に、一つだけ明確にしておかなければならないことがある。

「ねえ、ゼロ。あなたには、白の団がどう見える?」

唐突な問いに、ゼロは虚を突かれ、黙りこむ。
白の団がどう見えるか? ――――今の状況は、ゼロの目にどう映っているのか。
……どうもこうもない。沈黙こそが答えだった。

シエルは、彼が返した無言の応答を、自分の言葉で表した。



「そうね……。きっと、“哀れ”に見えているのでしょう?」



「哀れ」――――その冷たい響きに、ゼロは「そうではない」と反論しようとするが、言葉を返せなかった。
きっとそうなのだろうと、納得せざるを得なかった。

非力でも未来に向け進もうとする姿が、か細い理想に向けてあがき続ける姿が、“哀れ”に見えていた。
「救えなかった」――――期待を掛けられていながら、縋られておきながら、英雄などと呼ばれながら、彼らの道を開くことが出来なかった。
そんな後悔も相まって、それでも自分たちの道を諦めることのない彼らの姿が“哀れ”に見えていた。痛々しくて、側で見ていられないほどに。
その状況を招いたのが己だと分かりながらも、これ以上どうすればいいのかも分からず、目を背けた結果が、“今”なのだろう。

「……間違いではないと思うわ。“今”の私達の道は、暗く閉ざされて。道標となる光も、どこにも見えなくて。……とても理想を掲げられるような状況じゃないから」

たくさんの仲間達が死んだ。圧倒的な戦力差は、救世主の死により、更に広がりを見せた。
拠点を移動したとして、僅かな平穏が期待されるのみ。その先は? ――――誰が明るい未来を想像できるだろうか。

“懐かしい未来”は遠退いた。理想の実現は不可能だ。
そう、断じても仕方ない状況だ。どれだけ抗おうと、足掻こうと。

「それでも苦しい戦いは続いて、それでも信じる未来は遠くて……まるで暗いトンネルのよう。……いいえ、きっとこの荒野から太陽が消えたような、荒れ果てた暗闇の道の上にいるんだわ」

まるでゼロが夢に見た世界のような、絶望だけが支配する世界。
――――ああ、シエルの言葉通りだ。ゼロにはもう、そうとしか見えていなかった。
生きる希望も、夢も理想も、何一つ芽をつけることが叶わない荒野。どこまで続いているかも知れない、暗闇の道の上。

そこに“今”、立っている。この手が、彼らを救えなかった為に。



「でも、それは真実なの?」



不意に放たれた言葉は、水面に投じられた礫のように、小さな波紋をゼロの心に起こす。
無言のまま考える。いや、それ以外にどう見えるのか。先が閉ざされた現在を、儚く藻掻く姿を“哀れ”に思わずにいられるのか。
そう表情に浮かべるゼロに、シエルは淡々と自分の言葉を続ける。

「みんなの顔を、見たでしょ?」

エルピスの顔を。セルヴォの顔を。コルボー達の顔を――――……白の団にいるみんなの顔を。
思い出す。その表情を。その瞳の色を。

「誰が絶望に明け暮れてた? 誰が打ちひしがれていた?」

……思い返せど、そのような者はいなかった。誰一人として。
文句を垂れる者もいた。皮肉を零す者もいた。けれど、絶望に打ち拉がれる者はついぞいなかった。



「みんな未来を思っていたはずよ。こんな状況だって。……来年のこと。来週のこと。明日のこと。――――ううん、ほんの少し先のことだけど、考えているはずよ。そこに希望を信じているはずよ」



――――それは分かっている


誰も、何も諦めていないことは。


――――だが、だからこそだ



だからこそ、ゼロには苦しくて仕方なかった。
遠退いた希望を信じ続ける様が。見ていられなかった。

そう思うゼロの表情を読み取り、何故かシエルは少しだけ微笑む。



それから表情を一変。


地を踏みしめ、両手を固く握りしめ、瞼を閉じて、口を大きく開けて――――……










「 そ れ が 全 部 “ 無 意 味 ” だ っ て 、 あ な た は そ う 言 う の ! ? 」




――――全身から、怒りを吐き出した。
呆然とするゼロを少女は睨み、「ええ、そうよ!」と言葉を続ける。

「あなたの思ってる通りよ! 私達の道には、もう光なんて無い! どこにも行く宛もない! 希望は消え失せて! 闇に飲み込まれて! いつかきっと押し潰されてしまう! それが“今”よ! 抗いきれない現実よ! その中で足掻き続ける私達は! “英雄様”から見ればきっととんでもなく“哀れ”なんでしょうね!? 無意味に見えるのでしょうね!?」

「 け ど ! 」と強調して叫ぶ。
止め処なく溢れる想いを、塞き止めること無く。体を震わせながら叫び続ける。

「それでもみんな、“明日”を信じているのよ! どんなに暗闇だって、いつか明けるって信じて歩き続けられるのよ!」


どんなに遠くの未来でも、いつか届くと信じて、歩き続けられる。

どんなに荒れ果てた道の上でも、進み続けられる。

どんなに苦しい戦いの中でも、抗い続けられる。


きっとすべてが、本当に暗闇に飲み込まれてしまったとしても、絶対に歩みを止めないと、信じることが出来る。



「それは、どうしてだと思う!? 簡単よ!」


そう言って、自分の胸を叩いてみせる。




「“ここ”に 光 があるからよ! 道の上になんかなくたって! どこにも見えなくたって! みんな光を持って生きてるからよ!」





――――視線の先には、何もないかもしれない。



世界はもう直に、絶望という暗闇に閉ざされるのかもしれない。



それでも、歩き続けられるのは。

進み続けられるのは。

道を信じられるのは。




己の内に、煌々と輝く命の灯火が残っているからだ。



ただ生きているだけではない。決して目に入る光だけを頼っているのではない。
強い希望と理想を――――“未来”を強く信じるからこそ灯った光が、己の内にあるからだ。


「その“生き方”を“哀れ”だって、あなたはそう言うの!? 無意味だと断じるの!?  い っ た い 何 様 の つ も り よ ! ! 」


殊更強い怒号が、ゼロの身体を震わせた。
次々と突き刺さる言葉の刃が、心を刻み、整えていくような心地があった。

そうだ――――彼らが抱いた“希望”を、“理想”を、一体誰が無意味だといえるのか。“哀れ”だと言えるのか。

“今”はもう、見えないかもしれない。光はどこにも無いのかもしれない。


けれど、“未来”は?

不確かで、奇跡に溢れる“未来”は?


それを信じる彼らの心を、いったい誰が“哀れ”だと断じられるのか。
先を知る者など、この世界のどこにもいないというのに。



少女の怒りの叫びが、遠くの空まで木霊する。まるで耳鳴りのように。
その直後に訪れる沈黙。互いにじっと見つめ合い、黙り込んだまま立ち尽くす。
それから、シエルは不意に歩き出す。ゼロの更に側へと近づいていく。
そして、目と鼻の先で立ち止まると、再び口を開く。





「……でも、その光は誰が灯したの?」




――――最初からあったわけではない。


最初は光を探していた。
誰もが“外”にある光を。道を照らしてくれる者を。

しかし、いつしか灯ったのだ。胸の内に輝く光が。

己の歩く道を照らす光を、誰もがその胸に宿し始めた。
しかし、何もなくそれが出来たわけではない。

そうだ、どんな蝋燭にも、灯した“誰か”がいるのだ。


「エルピス? 私? ――――違うわ。私達が言葉で語る理想だけじゃ、誰の心にも灯せなかった」


それどころか、きっと自分たちも探していた。自分の“外”に。
そして、分け与えられ、灯された。“誰か”によって。


「じゃあ、誰が灯したか――――……分かるでしょう?」


そう言って、潤む瞳を隠すように俯く。そして紅のコートの端を、彼女の右手が強く握りしめる。







    “剣”があった。





    白の団という場所に集まった皆を守る“剣”が


    取り零した者の数を数えるよりも


    どうか未来を切り開こうと足掻く“剣”が




    どれだけ血に塗れようと


    死の淵に追いやられようと


    立ち上がり


    真っ直ぐに未来を睨む“剣”が――――













シエルは潤んだ瞳も、溢れる涙も全てそのまま、顔を上げてゼロを見つめる。







取り零した者もいたかもしれない。



救えなかった命もあったかもしれない。



それでも、今ここにいる者達が、強い想いを抱いて生きていけるのは――――










「――――全部……あなたがいてくれたから…でしょう……?」










    殊更強い想いを込めて、叫ぶ。
















    「 あ な た が 私 達 を 救 っ て く れ た の よ !  ゼ ロ ! 」


















例え、どんなに彼自身が否定しようとも。


例え、他の誰が否定しようとも。



揺るぎない事実が、光となって皆の心に灯っていた。









ゼロという“英雄”が灯した光が、足元を照らし続けていた。





それこそ、“救い”と呼べるものに違いなかった。




それからシエルは再び俯く。突き上げる想いが、感情が、溢れ出し続ける。これ以上は耐えられないかも知れない。
それでもグッと堪えながら、「それなのに」と静かに言葉を続ける。左手も上げ、両手でコートの端を握り締めながら。


「……それなのに……『誰も救えなかった』なんて……そんな……勝手なこと……」


最後まで怒りを、憤りを、けれど労いを――――そして何より感謝を伝えるために。

自分だけの分ではない。
ここまで彼の手によって救われてきた、全ての者達の想いを心の内で重ねて、積み上げて、束ねて。

嗚咽を飲み込み、声を絞り出す。震える唇で、言葉を紡ぐ。







「……そんな哀しいこと……二度と…言わないで……」







しばらく無言で彼女を見つめていた。

頭の中に駆け巡る、少女が吐き出した言の葉たち。
瞬間の内に、まるでシャボン玉のように何度も聴覚に蘇っては消えてを繰り返し、彼女の想いが心を包んでいくのを感じる。

心の暗雲が、掻き消されていくのが分かる。まるでいつかの夢のように。視界に色が戻っていく。
絶望ばかりが見えていた世界が、暗闇に閉ざされていた世界が、照らされていくのを感じる。

吹き抜ける風が、二人を包む。

そして気付けば、衝動のまま――――




両腕を真っ直ぐに伸ばし、その震える小さな肩を包み、抱き締めた。



胸いっぱいに、温もりが溢れるのを感じる。
言いようのない感情が波のように押し寄せてきて、なんと伝えればいいのか迷う。


――――いや、簡単だ


言葉を凝らす必要なんて無い。思いのまま、口にすればいい。この感情を。
そして、その中心に向けて、精一杯の言葉を掛ける。

特別な色も無い、ありきたりな言葉を。
けれど、世界で一番優しく響く言葉を。





「ありがとう、シエル。 俺は、お前に出会えて本当に良かった」





“救いたい”と思いながらも、“救えない”と決めつけていた。自分には不可能だと。

百年前にはきっと気付けなかったことが、今、ここで知ることが出来た。
他の誰のおかげでもない。シエルという少女との出会いから。彼女がくれた言葉から。



――――道標は、ここにある



自分の胸の内にもまた、彼女が灯してくれた光が煌々と輝いているのだと、分かった。
この先がどんなに暗闇であろうと。絶望が待っていようと。きっと、もう二度と立ち止まることはない。

そう確信するゼロの腕の中で、涙を堪えながら、シエルは言う。


「……ゼロ……絶対に、生きて帰ってきて。……約束だよ」



「……当たり前だ」





ゼロの返事はたった一言。
しかしその言葉は、何よりも力強く響く。


それは、約束だから。

きっと果たすと誓った、“絆”の約束だから。






――――そうだ



    この戦いを潜り抜けて、きっと迷うこと無く、君のもとに帰ろう。



    この世界で生きていく“意味”を教えてくれた君のもとに。



    この心に光を灯してくれた君のもとに。






    共に信じる“未来”を胸に抱いた君のもとに……‥‥・・・

















































  ―――― * * * ――――



互いに別れを告げ、シエルが去った後。ゼロは、蒼い軍勢がその場に迫ってくるのを視認した。
無論、レプリロイドの視覚性能から言えば、相当な距離があるわけだが。
それでも、荒野を埋め尽くす壮絶な軍勢を目にして、すぐそこに戦いが迫っていることを実感する。

簡単な作戦ではない。
これまでよりも更に多くの戦力を相手にするのだから。
僅かでも油断があれば、微塵でもミスを犯せば、命を落としかねないだろう。

「……けど、大丈夫だ」

まるで、そこにはいない仲間たちに言い聞かせるように独り言つ。「心配する必要はない」と。
この心には、シエルと、そして仲間たちとの誓いの力が溢れている。それがある限り、絶対にこの作戦を成功させてみせよう。
そしてまた、共に戦おう。いつか本当の“懐かしい未来”を手にするために。







――――だが、その前に……


ふと、思い返し、決意する。

一つだけ、はっきりさせておきたいと思うことがあった。
これから未来を信じて再び歩き出すにあたって、確かめておきたいことがあった。

今だからこそ、それを確かめたい。
全ての真実を知り得た、今だからこそ。


















「……いるんだろ?」







そう、虚空に向けて口にする。
端から見れば、奇妙な独り言だった。だが、決して気が狂ったわけではない。
ゼロは、再度呼びかける。


「分かってる。出てこいよ」


僅かな沈黙の後、“それ”は現れた。














〔……気づいていたんだね、ゼロ〕






突然、視界に蒼い光が現れる。それは、文字通り“突然現れた”のだ。
だが、ゼロは決して驚きはしなかった。“彼”が、何者であるか気づいていたからだ。
「一応」と手を伸ばして確認する――――が、それに触れられはしなかった。当たり前だ。

何故なら“彼”は、その場には実在していなかったのだから。

言わば、データのみの存在。ゼロの視覚に働きかけることで、映像として姿を現した存在。
「そうさ」とゼロは答える。

「夢の中で……いや、俺がこの時代に目覚める時から、俺に呼びかけていた存在がいることに気づいた」

正体不明の声が、危機から救ってくれたことを覚えていた。
ゼットセイバーの存在を思い出させ、何より、“あいつ”との約束を思い出させてくれた声。
その声紋データを、所持していた。

「……そして、それが誰のものか、考えている内に答えは出た」

確信に変わったのは、救世主の真実を知った時。
あのエックスが別の存在だと知った時。彼とほぼ同じ声紋を示していたことから、その正体に思い当たった。
そう、その“声”の正体は――――





    「お前が、ロックマンエックスだな」





百年前、共に世界を救った救世主。かけがえの無い親友、相棒、太陽――――。
目覚める前から変わらず「みんなを任せたよ」と呼びかけ続けてきた“声”の正体こそ、“あいつ”に違いないとゼロは確信した。

そんな率直な問いに、“声”はしばし思考を巡らすように黙り込んだ後、答える。





〔それは……半分正解で、半分誤り…と言ったところだ〕





はっきりしない返答に、ゼロは眉をひそめる。
“声”は、言葉を選びながら、真実を語りだした。

〔ロックマンエックスは最期の戦いの中で、あるメッセージを飛ばした。最愛の友に向けて〕

誰にも行き先を告げずにネオ・アルカディアを去った彼は、最期の戦いに赴いていた。
己の命を懸けた、決着の瞬間――――死を覚悟した時、刹那の内に吐き出した感情データをメッセージとしてサイバー空間へ放ったのだ。

〔僕は、偶然にもそのメッセージに付随してしまった、言わば彼の“心の欠片”だ〕

正確に言うならば、ロックマンエックスの感情、思考能力の一部。
故に、『半分正解で、半分間違い』。彼自身であって、彼自身ではない存在。

「じゃあ、あいつは……?」

この“声”が“心の欠片”だというなら、その“元”はどうなったのか。
その問いに“声”は躊躇いがちに答える。

〔分からない。僕には彼の感情と最低限の思考プログラムが備わっているだけで、記憶までは所持していないから。けれど、きっと……〕

言葉を続けずとも、互いにそれは予想出来ていた。
「仕方ないな」と零すゼロに、“声”は説明を続ける。

〔……そして、君の脳内に到着した僕は記憶領域を間借りすることで、その存在を保つことにした。ロックマンエックスが願った通り、いつか君が目覚めるであろうその時まで〕

その影響が、少なからずゼロの性格に影響してしまったことは否めなかった。
切り捨ててきたものが、切り捨てられなくなったこと。戦いの中で“救い”を行おうとしたこと。

〔それが結果として、君を苦しめることになってしまったことは、申し訳なく思っている〕

ただし、記憶の混線については、それとは別の要因が絡んでいると、“声”は付け加えた。無論、その「別の要因」については“声”も答えを所持していないようだったが。

「どうして、姿を隠していた?」

“声”がゼロの内側にいたのならば、救世主の正体も含めた全ての真実を彼は知っていたはずだ。
それについては、〔すまない〕と直ぐに謝辞を述べる。

〔あれ以上の干渉は、ロックマンエックスの願いに反すると判断したが故のことだった。何故なら、本来ならば僕はこの世界にいないはずだったのだから〕

“声”自身が先に述べたように、偶然の産物に他ならなかったのだ。
言わば過去の存在たる自分が口出しをすることは、ロックマンエックスの想いを裏切ることになると判断した。
その返答に対し、「ロックマンエックスの願い?」と繰り返すようにゼロは問いかける。

「……それが、あいつのメッセージってやつか?」

“声”と共に、ゼロの中に送り込まれたデータ。
それについて、“声”は答える。一つの問いを提示して。




〔君には、選択の権利がある。――――それを聞くか、否か〕





単純な二択。
勿論、すかさず「聞く」と答えることも出来るだろう。
しかし、ゼロは黙って真剣に考えこむ。彼が、命に代えても届けようと飛ばした、そのメッセージの意味を。
その意図を、覚悟を理解しないまま開くのは、不義理に思えたのだ。
そしてまた、理由はもうひとつある。

「……今日まで、そのメッセージを隠してきたのは何故だ?」

容易に伝えていい代物ならば、もっと以前に伝えることが出来ただろう。
しかし、“声”はそれをしなかった。それには、きっと理由があるだろうと思えたのだ。
そして、ゼロの予想通り、“声”は隠し続けてきた理由を説明する。

〔彼が残したメッセージには、この世界に関することが述べられている。しかし、世界の在り方が、彼が生存していた頃とは大きく変わってしまった以上、容易に伝えては誤解を招きかねないと危惧したが故だ〕

ゼロが自らの足でこの世界を歩き、この世界の中で戦い、真実を知った今だからこそ、明かすことが出来る。
しかし、それはつまり、ロックマンエックスのメッセージが、この世界の在り方に大きく関わっていることを意味している。
もし本当にそうならば、それなりの覚悟を持って聞き入れなければならないと己に言い聞かせた。

それから暫くして、心の準備が整った頃、ゼロははっきりと告げる。



「聞かせてくれ、あいつのメッセージを」



その答えに対し、“声”は〔了解した〕と簡潔に答えを述べた。そして、それを再生する準備をする。
そのメッセージ自体は、簡易的に飛ばされた感情の収束帯だった。
それを、“声”は元々メッセージに付随していた翻訳プログラムを用いて、全うなメッセージとして文章に構築し直し、ロックマンエックスの声紋データそのままで、読み上げ始めた。


ネオ・アルカディアの軍勢が迫ってくる最中。
ゼロの脳内に、懐かしい友の声が、静かに響き始めた。
それは、彼の心にとって長く、温かい一瞬だった。














































  ――――  from. X  ――――























    ・・・‥‥‥………………

































    ゼロ、君が眠りに就いてから


    随分時が経ったように感じるよ














    戦争はほとんどが終息して


    今はもう、人々が新たな生活を始めている




    荒廃した世界は


    容易に元に戻りはしないだろうけれど




    それでも、この世界の上で


    人間も、レプリロイドも


    強かに生きているよ





    ねえ、ゼロ




    君の眠りが


    どうか健やかなものであるようにと


    僕は強く願っているけれど


    実際はどうだっただろうか






    決して心地よい別れではなかったけれど


    「この世界のため」と、


    眠りに就く決意をした君のことを




    今でも僕は、誇りに思っているよ







    さて


    僕がこうしてメッセージを残したのは


    君にどうしても伝えたいことがあったからだ


    なんとしても、覚えていてほしいことがあったからだ






    しかし、その前に



    君はもう知っているかもしれないけれど


    僕からも言わせてほしい






    君が、この声を聞いている頃


    再び、目覚めた時










    おそらく僕はこの世界にいないだろう










    君が僕に託してくれた“懐かしい未来”


    それを実現するために




    僕は、僕の全てを懸けることにした




    そうすることでしか、守りきれないと


    君との夢を果たせないと、思ったからだ






    すまない……と言うべきなのかもしれない


    君が眠る時


    再会を約束していながら


    先に逝くと決めたこと






    どうか赦してほしい






    けれど






    僕達が共に描いた“懐かしい未来”


    それが、ようやく実現したんだ




    人間とレプリロイドが


    共に手を取り合い、暮らす世界


    争いのない、優しい理想郷




    もしかしたら


    君が目覚める頃には


    荒廃した大地も


    全て緑に埋め尽くされているかもしれない






    信じられないだろうけれど


    それが、現実なんだ






    僕達の戦いの果てに


    実現した世界の形なんだ











    だけど






    僕はもう、君に会うことが出来ない




    共にその世界を歩くことは出来ない





    きっと君にも


    寂しい想いをさせてしまうだろう






    それが、僕にはとてもつらい







    だから、ゼロ




















    いつか目覚める君のために




    僕は この世界を遺してゆくよ

























    戦うことで己を見出してきた君だから


    争いの無いこの平和な世界に


    もしかしたら


    最初は戸惑うかもしれない






    でも、きっと大丈夫だと僕には信じることが出来る




    だって、この世界は




    君が僕に教えてくれた


    “懐かしい未来”そのものだから





    君が失ったものを


    君が求めていたものを


    心の隙間を


    埋めてくれるだろうと




    僕は信じている










    楽園の名は「ネオ・アルカディア」










    僕と、君が


    命を懸けて守りぬいた






    “懐かしい未来”






    その結晶だ
















    ゼロ






    本当にお別れの時が近づいてきているらしい


    意識が薄れてきた






    これが僕の最期の声になるだろう








    ……ゼロ




    本当は君とこの世界で


    また笑い合いたかった






    本当は君と戦いの終わりを


    夢の実現を


    その喜びを






    共に分かち合いたかった






    だけど


    それはもう叶わないから








    だからこそ君には



    どうかこの世界で生き抜いてほしい






    僕が愛したこの世界を



    どうか愛し抜いてほしい











    ゼロ














    さようなら










    そして




















    ありがとう


























    君が生きる世界に



    光が満ち溢れていると



    僕は












    信じている

































    ………………‥‥‥・・・




























  ―――― * * * ――――


全て聴き終えた頃、ゼロの視界にはパンテオンの軍勢が直ぐそこまで来ているのが映っていた。
“声”は沈痛な様子で言う。

〔ロックマンエックスは……人間を、世界を心から信じていた〕

最期の戦いに赴くとき、彼は世界のことを人々に託していった。
きっとどんなことがあろうと、築き上げた楽園が続くだろうと信じていた。
人々が、彼の想いを忘れずにいる限り。

〔しかし、その結果が……これだ〕

百年の時が経ち、世界はまた大きく様変わりをした。
人とレプリロイドが手を取り合い暮らしていた理想郷は消え失せ、そこはレプリロイドにとっての地獄とすら言えるものに変わっていた。
失くなったはずの争いは続き、今尚、罪のない命が危機に晒されている。

約束の未来はどこへいったのか。全ては忘却の彼方に追いやられた。
荒野に蘇る緑の大地など、夢のまた夢だった。

〔ロックマンエックスの欠片として、僕は、君に言わなければならない……本当に――――〕


「謝るな」


〔すまない〕と言いかけた“声”を、ゼロは遮った。
驚きの色を浮かべる“声”に対し、あくまでも落ち着いた声で、「謝るんじゃないよ」ともう一度ゼロは言う。

「お前が謝ったら……まるで、あいつの信じたものが……してきた全てが間違いだったみたいじゃないか」

彼が命を懸けたことすら、まるで誤りのように思えてしまうではないか。
そう言うゼロに“声”は〔しかし、実際に……〕と口にする。だがゼロは直ぐ様、首を横に振り、否定した。

「間違いなんかじゃないさ、この世界は」

そう言って、真っ直ぐに前を見据える。
その瞳に、ゼロの思考に、“声”は全て納得した。
そして、「メッセージを届ける」という己の役目を全うしたことを理解し、静かにゼロの視界から消えていった。

ゼロはその光の残滓を見送り、全てを教えてくれた彼に対し、感謝の言葉を小さく呟いた。


それからまた、前を見つめる。
空を見る。大地の果てを眺める。


「そうだ、間違いなんかじゃない」


そう力強く、確かめるように頷きながら口にする。

確かに、かつて一時期築かれた理想郷は消えてしまったかもしれない。
共に望んだ“懐かしい未来”はこの場所には既になかったかもしれない。
彼が、ゼロに届けたいと望んだものは、形を失ったかもしれない。



けれど、この世界の上で戦ってきたゼロの目には、心には、確かに響いていた。



徐ろに瞼を閉じ、反芻する。ここまでの道のりを。



つらい戦いの中で

苦しい死線の上で

厳しい現実の狭間で


戦い続ける者達がいた


抗い続ける魂があった





憎むべき敵もいた


赦し難き悪もいた




それ以上に




懸命に生き抜こうとする、強かな命があった




頬撫でる風を感じながら、立ち尽くす。
そうして、この世界で出会ったすべての者達の顔を思い浮かべる。

死んでいった者も。生きて尚戦い続けている者も。
本当に、全ての者達の顔を。

その声を、何度も思い返す。



そして――――












    「………………シエル」












一人の少女の名を口にする。



――――ああ、そうだ


    この世界が間違いだというのなら


    彼の信じたものが間違いだったというのなら







    その全てが間違いだったと認めることになる








「……絶対に、間違いなんかじゃない」







    彼らの生き方は


    歩む道は


    その命は












ロックマンエックスが守り、遺したもの――――その形も、色も、何もかも変わってしまったかもしれない。


けれど、彼が伝えようとした魂は

その光は

確かにこの世界のそこかしこで

小さくとも、儚くとも、確かに瞬いていた


それを、ゼロの心は見てきたのだ








だからこそ、今は胸を張って言える。





再び瞼を開き、世界を見据える。

蒼い軍勢の先には暗闇が見えた。果てない暗闇が。いつ明けるとも知れぬ、無限の暗黒が。
けれど、それを照らす強い光が見えた。この世界に生きる、気高き魂の光の束が。

――――共に夢見た“懐かしい未来”の結晶が。

















        「なあ、エックス……」












        最初に望んだものとは大きく違ってしまったかもしれない





        約束した“未来”では無いのかもしれない










        けれど











        お前が愛し、守った この世界を




















            俺も






















            愛しているよ
































右腕に握る鮮緑の剣は、細かな火花を迸らせながら煌々と光輝く。
真紅のコートはたなびく金髪とともに、風を切る。



天高く昇った太陽に照らされて。世界を包む蒼天に抱かれて。

果てなく続く荒野を 紅の英雄は――――


















    力強く

















    駆け抜けた。





































          FIN.















[34283] LAST COMMENTARY
Name: 村岡凡斎◆45ff140f ID:e5a820fd
Date: 2014/01/25 07:03





※ネタバレ要素も含んでおります。本編(~FINAL STAGEまで)を完全に読了後、目を通してください。






・22nd STAGE 「レプリロイドはぜんまいねずみの夢を見るか?」

個人的に作りたいと思っていた物語が、一番形になったお話。
完全オリジナル回のため、ロクゼロファンの皆様は呆然とされたでしょう、すいませんでした。

離別編、そして[Z-E-R-O]というSS自体の根幹を支えるエピソードだと思っています。




・23rd STAGE 「殺戮舞台」

本部強襲編。ボスがハヌマシーンではないことに驚かれた方もいるとは思います。
正直、ヘケロットの出番をどこに置くかに迷いまして、ここに配置したまでです。
ハヌマシーンは、物語の構想段階で、ゼロと一対一の死闘を繰り広げる絵が浮かんでいたので、外しました。

アスラ・バスラ三機編成は、単純に「三体出てきたらカッコイイなあ」とかいう思いつきです。
そもそも、この頃のゼロを窮地に立たすためには、ミュートスレプリロイド四体くらいのアドバンテージが必要にも思えましたし(笑

ヘケロットの最期は、やってみたら個人的にも気に入ったパターン。
「能力が仇になった」……といえば、岩本エックスのオクトパルド戦が思い出されますね(そうか?
なんだか非常に可哀想に見えてしまったのは、ある意味失敗だったなあと思ってます……

多くの仲間がこの回で命を落としたわけですが、正直、殺すことには非常に迷いがありました。
マークもトムスも、この回のために生き永らえていたようなものだったのですが、情も移ってきた頃だったので……。

前の物語との繋がりを考えたところが突破口となりまして、なんとか描き上げられた次第。
……そういえば、この回からArcadiaさん新規投稿となりましたね。
最新話を待っていてくださった皆様、本当にありがとうございました。大変お世話になりました。




・24th STAGE「罪と罰」

ここで苦労したのは、マグマニオンの能力についての理由付けですね。
一応、似非SF風作品としては、なんでもいいのでそれっぽい理由を付けなければと苦心しました。
……結局、「ナノマシン」と言えばなんでも通るような感じになってしまいましたが。

マグマニオンの所属軍団については、どこかでも述べましたが、[Z-E-R-O]全体の設定に沿ったものとしました。
能力的には斬影軍団っぽく、チーム的には塵炎軍団らしい彼ですが、やはり軍隊は運用目的第一優先ということで。

この話も、マグマニオンの能力の関係上、構想段階から想定していたような感じになりました。
アジールでもVAVAでもヴァジュリーラでもカーネルでもなく、やはりゼロのトラウマは彼女だろうと(苦笑






・25th STAGE「Rging River」

イメージソング:Raging River/B'z

タイトル通り、敬愛するB'z様の「Raging River」が似合うお話を作りたいと思って構想していました。
賢将ハルピュイア戦も全て、なんとか構想通りの形となったところ。

とは言え、ゼロの勝ち方についてはいろいろな案がありました。
最初は、あの「空飛ぶ旧友」の心の語りで復活なんてのも考えていたんですが、岩本エックスを知らない読者には正直面白くないだろうと思い、却下しました。
次に、サイバーエルフの案。
ゲームでの設定通り、レルピィのみならず(というより、構想段階では彼女はいませんでした)多くのサイバーエルフたちがゼロを復活させるために命を懸けるというもの。

余談ではありますが、私は、ロクゼロのプレイ時、一度もサイバーエルフを使いませんでした。
一重に「俺のゼロは仲間の命を犠牲にしてまで戦ったりはせん!」という拘りゆえです。(おかげで初プレイ時の難度はなかなかのものでしたが
とは言え、やはりゲームの設定を全く使わないというのもアレなので、この一戦で表現しようかなあと思い至った次第。

そして、レルピィの登場を決定した際に、「彼女を使おう」と決めました。
とは言え、これも迷いどころでした。なんだかんだ気に入って使っていたキャラだったので……。
どうか彼女のこと、忘れないであげてください。


力を失ってゼロが白くなる描写を思いついた時「あれ、クウガじゃね?(まさにグローイングフォーム)」と自主ツッコミを入れましたが、そのまま採用。
最強段階が「黒」というところも似ていますね(棒

SYSTEM:ABSOLUTEの起動表現は、完全にSDガンダムGジェネレーションにおけるブルーディスティニーの「EXAM SYSTEM STAND BY」のパクリです。あの色モノ兵器が大好きだったんです。
分かる方は、どうぞあの機械音声での発動をイメージして頂ければと思います。






・26th STAGE 「ABSOLUTE-JUSTICE」

本当は一話で収めるはずの物語を二分割しました。
レルピィの最期を強調するならば、この方が良いと判断したためでもあります。
一話の内で何を大事にするのか、そのバランスを考えさせられました。

確かこの頃だったでしょうか、GLAYの新曲で「JUSTICE [from] GUILTY」がリリースされたのは。
私自身が思うロックマンエックスのイメージにピッタリなタイトルだなあと思ったので、その影響が出たのは否定できません。

ロックマンエックスの正義について言及した、大事な回だったと思います。
……そう言えば、「賢将」という回がないですね(シレッ





・27th STAGE 「隠将」

「隠将」……と見せかけてのハヌマシーン戦。汚いな さすが隠将 きたない(ボソ
前述のとおり、ハヌマシーンとの命懸けの決闘は構想通りでした。
戦闘シーンを、描写的に短く済ませたのは、この戦いには正直なんの捻りもなかったからにほかなりません。
騙したような形で現れた以外、ハヌマシーンはゼロに対して正々堂々と戦い抜いたことの証明ですね。

また、戦闘風景については構想段階の頃に、既にノートにですがイラストで書いており、そのイメージは文章では書き表せないだろうなという判断もありました。
完全版をpixivに上げる際には、他の挿絵と一緒に公開しようとおもいます。……もっと上手くなってからでしょうけど。





・28th STAGE「再会」
・29th STAGE「暗躍の調」

ここも元は一話の予定を、分割せざるを得ない長さになったため、二話に分割。
シエルとエックス、そしてゼロとレヴィアタンとの再会の回です。
元は、レヴィアタンの色仕掛け(重要)が発動し、ゼロを捕縛する……みたいな展開でしたが、自分が仕上げたレヴィアタンの描写的に違うなあと思ったので、やめました。
また、ハルピュイアとエックスとの再会でもありましたね。

シエルとエックスのくだりをここで入れるつもりでしたが、その後の展開的に引っ張ったほうがいいなあと思い、現在の形に。
どちらが正解だったのかは分かりませんが、間違ってなかったとは思っています。……多分。

その後のメナートやアルエットをあまりうまく使えなかったことが心残りでしょうか。


そう言えば、この頃はちょうど伊藤計劃氏の「虐殺器官」を読んでいた頃でした。
正直、自分としてはその影響が出てしまって、話の中で微妙に描写方法のすれ違いみたいなものが起きている感じがしています。
読者様が気にならなければそれで良いとは思うのですが、どうだったでしょうか。
……違和感がないならそれはそれで寂しかったりもするのですが(笑


ヴィルヘルムの過去を如何に掘り下げるか、かなり考えました。
この頃、矛盾が発生しないようにファントム、そしてヴィルヘルムの計画とその進行表をノートに書きなぐって何度もチェックしていた記憶があります。
八十年前の大反乱という伏線をここで利用できるじゃん…と思いついた自分を褒めてあげたいです(遠い目





・30th STAGE「死者の国」
・31st STAGE「乱戦四重奏」

ここも一話で行くところを二話に分割しました。
いや……正直言うならば、次の回も合わせて収めようと思ったのですが、展開的に無理があると思い、分けました。
ただでさえ、急展開につぐ急展開ですからね……。

ヘルヘイムでの描写はもっと濃くあっても良いのではないかなと大反省。
タイトルに対して「死者の国」感を出せなかったのは失敗ですね。
マゴテスが皆様の声に応えて(?)大復活。ワンパンでKOされたのは可哀想でしたね。

裏でうごめく連中がいろいろ影を見せた回でしたね。
ヴォルクの正体について、既に思い当たっている人もいるでしょうが、個人としては黙秘を貫きます。
アルエットとヴォルクについては、実はもう一話、エピソードを激闘編に挟むことで伏線を張っておこうと考えていたのですが、あまりに悲惨な話になりそうだったのでやめました。
もしも二、三部を書く時がくれば、全てを明かそうと思います。

ラウンドナイツ――――十二機のパンテオンエースについては、これもアスラ・バスラ同様、「十二機飛んでたらカッコイイ」というイメージからです。
なんかパンテオンエースによる特殊部隊に追われるゼロ達の図が思い浮かんだんですよ……。
私の描写力がもう少しあれば、乱戦感をもっと出せたなあと思って止まない回でもありました。

エックスとの遭遇戦は当初の予定にありませんでしたが、正体を明かされたときのゼロの反応を考えた際、必要だと思ったため、ここに捩じ込みました。
[Z-E-R-O]世界でのアルティメットアーマーもイラストは仕上げているので、これも完全版とともにpixivで公開しようとおもいます。


正直、この前後までは書き手としてのモチベーションが大きく下がっていた……というより、なかなかスランプ的な時期でして。
あまり思うようにキーボードが進まなかったのを覚えています。文章の完成度も、そのようになっているかと思いますし……。
いずれ加筆修正を加えて、完全版公開をしようと思います。申し訳ない。






・32nd STAGE 「Red, White and Bullet Blues」

前述のとおり、前の話の片割れだったので、ではどのように話を埋めていこうかな……と考えた末できあがりました。
アンカトゥス兄弟については当初ここまでの掘り下げ予定はありませんでしたが、「ここまで引っ張ったのだから」と言う気持ちと、穴埋め的な魂胆も相まって、これだけ詰め込む形に。

タイトルには(ゼロとヘラクリウスの)紅と(エックスとクワガストの)蒼を入れようと考え苦心しました。
結果、今更ですがハマってしまったTMGの曲名をそのままぶっこむ形に(笑 
……いや、蒼(Blue)は蒼でも「Blues」なんですが、そこは大目に見てください。
とは言え、別にイメージソングでもなんでもありません。……いや、戦闘BGMと思って聞くなら悪く無いかも。

タイトルを最後に提示する形は、なんだかそういう映画のラストみたいでカッコイイかなという実験的な思いつきからです。

シエルの真相の告白も、セリフをどこで挟むかは結構迷いました。
結果、先に出すよりも最後にドンと出された方がいいだろうということでこの形に。






・33rd STAGE 「偽りの太陽」
・34th STAGE「月と影、そして太陽」


心がけたのは唯一つ、「フラクロス線を超える戦闘描写」でした。
結果、ファントムとの死闘は、おそらくどの戦闘よりも話数と文字数が多い……はず(笑
[Z-E-R-O]の中でも一番熾烈を極める戦闘に見えるよう、魂を削って書いたつもりですが、どうだったでしょうか。

ハヌマシーンの描写と被ってしまうのを避けたいなあと考えた結果、ハヌマシーンとファントムとの心情的な違いに至りました。
ファントムは、ゼロを殺すためにいかなる手段も問わないという形で、それを表現した次第です。

最強状態となったゼロを殺すために策を凝らし、卑怯とも取れる手段を幾重にも駆使していく彼の姿、どう見えたでしょうか。
ロクゼロでも人気があり且つ私個人として好きなキャラだったというだけでなく、この作品を通じて知り得た友人が待ち望んでいた登場だったと思うので、それに相応しいものを見せられるようにと思っていました。


とは言え、月と影の遣り取りは、もう少し掘り下げが必要だったかなあと反省は残っています。
加えて、エックスに対するファントムの想いについてももう少し説明は必要だったかなとも。
完全版か、或いは外伝で補完したいと思っています。










・35th STAGE「残光の行方」
・36th STAGE 「救世主」

イメージソング:僕が死のうと思ったのは/中島美嘉



戦闘については、のっけから全力全開であることを表すため、ロックマンXシリーズ(据え置き機用)の至る作品から特殊武器を持ってきて用いることにしました。
私が間違ってなければ、全作品(1~8)の技が扱われているはずです。技名を省いたものもいくつかあるので、「ああ、あの武器かも」と考えて読んでいただいても面白いかもしれません。
正直、技名を叫ぶ表現や、技名の表記については悩んだところですが、文章としておかしくない程度に盛り込んでいく方向で固めました。
とは言え、結果、戦闘のスピード感がいまいち無くなってしまったなあという反省材料はあるのですが、ある意味仕方ないでしょうかね。

ちなみに、この作品は全てメモ帳(テキストファイル)で書いているのですが、「救世主」の回のみ100KBに到達しました。
物語としては一話分として片付けるべきだと判断したため前後編に分けた次第です。



キャラ語りというのは、あまりしたくないと思っていました。というのも、「このキャラはこういうキャラクターのつもりで書いた」みたいなことはわざわざ説明するものではなく、作品の中で感じ取ってもらうべきものだという信念があったからです。
とは言え、彼についてだけは少し語らせていただきたいなあと思い、綴ります。

この作品が終盤に差し掛かった頃、如何にして彼の周りを描写していくか、非常に迷いました。
というのも、実は私はコピーエックスに対してだけでなく、ロックマンエックスというキャラクター自体についても、特別な感情移入がなかったからです。

もしかしたら、あまりにも子供の頃好きになった主人公だから、理想になりすぎてしまったのかもしれません。
そのため、どうしても彼のキャラ描写が上手く浮かばなかったのです。

そこで出会ったのが、中島美嘉さんの楽曲「僕が死のうと思ったのは」でした。

その詞は(おそらく)日々の些細な出来事の重なりから、日々の生活の中で少しずつ息苦しさを感じて「死にたい」と思う僕が、些細だけれど生きる希望を見つけて「生きていこう」と決意するというものでした。
私にはそれが、自分で想像した彼の生き方に重なって見えました。
ただ違うのは、彼はゼロやシエルという世界の希望を見つけて、それを信じて「あえて自らの死を選ぶ」という哀しい決意をしたことでしょうか。正直、その気になれば歌詞もそのように取ることもできます。
そのイメージが出来た時、私の中で彼が非常に大切で愛おしいキャラクターになり、なんとか描き上げることができました。
コピーエックスという、ぞんざいな名称を使いたくないとさえ思いました。(結局、ヴィルヘルムの心情表現として利用したわけですが)

この回は、「泣き回にしなければ」と強く思い、苦心して書いた回でもあります。
しかし難しいのは、自分の涙腺と他人の涙腺はどこまでピントが合っているのか。
そしてまた、自分の涙腺に関わる想いを、そのまま文章に表現できるかというところでした。

実際に泣けたという感想を頂けたのは、非常にありがたいことです。

どうか楽曲を耳にして、もう一度彼の最期を振り返ってもらえればと思います。







・FINAL STAGE 「Message from ...」

ようやく辿り着いたという想いが非常に強いです。
構想当初からこのラストシーンを常に思い描いていました。
私の脳内にある風景が皆様の心にも浮かんでいれば良いなあと願うばかりです。

書く際のBGMとして重宝させていただいたのはKoadalineの「High Hopes」です。
イメージを固めるために再生リストなどを作る私ですが、話のイメージに合う曲、特に、物語の最後に相応しい楽曲を探していたところ、この曲にめぐり逢いました。
エンディングテーマと言っても過言ではないと思っております。
ただ、当初イメージしていたシーンよりも、より前向きなものに出来上がった感があり、これよりもNever Goodbye(TMG)みたいな曲のほうが良いかもしれないなあとも。(ULTRAMANで用いられた曲なので、EDと豪語しにくいところ(笑))
湿っぽく感じられた方は前者の曲を、そうでなかった方は後者の曲をぜひ合わせてお聴きくださればと思います。








離別編全体として、章タイトル通りの悲哀に満ちたストーリー展開を心がけつつも、それに引きずられすぎないようにと苦心しました。
正直、難産なお話ばかりで、自分の表現力が向上次第、加筆修正をしていきたいなあと思っている部分は多々あります。
ただ、なによりこれだけのお話を終わらせられたことが自分にとって一番満足のいった点です。

残りは全て、「おわりに」で語りたいと思います。失敬。










[34283] おわりに
Name: 村岡凡斎◆45ff140f ID:e5a820fd
Date: 2014/01/25 07:03






※ネタバレ要素も含んでおります。本編(~FINAL STAGEまで)を完全に読了後、目を通してください。




















丁度、中学に上がりたての頃だったでしょうか。

当時、まだコロコロを買っていた友人(T)の家に遊びに行った時、「凡ちゃん(実名は伏せます)、新しいロックマンが出るらしいよ」とコロコロのゲーム記事を差し出された時のことは今でも覚えています。
手にとった記事は、「ロックマンゼロ」の予告記事でした。
そこに描かれたゼロの姿はロックマンファンの間では物議をかもしたであろう斬新なデザインでしたが、それに対し私は「アリだな」と子供心に妙にすんなり受け入れられました。
何より興味を惹いたのが、小さな枠で示されたプレイ画面。砂漠でゼロが戦う姿は、ロックマンX2におけるソニック・オストリーグステージを彷彿とさせ、画面端に見える目盛り付きのライフバーも子供ながらに懐かしさを感じました。

しかし、私は結局その時はロックマンゼロに手を出しませんでした。
どうも心の中に「プレイするならロックマンX」という妙な拘りがあり、「ロクゼロはロクゼロでアリ」と思いながらも、購入してプレイするまでには至らなかったのです。

それからしばらく、ロックマンゼロに対する関心はすっかり鳴りを潜めました。

再び興味を抱いたのは、20かそこらになった頃のことです(諸事情により細かな年齢は伏せます)。
「アクションゲームといえばロックマンX」だった私が、メトロイドシリーズに手を出してハマり、すっかり「ロックマンX」への拘りも失せた頃。
手持ち無沙汰に立ち寄った鑑定団で、箱付きで売られている「ロックマンゼロ」に出会いました。
「ああ、そう言えば、Tとこの話したなあ」と思い出し、ふと手を取り、すかさずケータイで評価を確認。なかなかの名作であるというコメントから、「やってみるか」と購入を決意。

それから程なくして、久しぶりに起動したゲームボーイアドバンスの画面に、心が釘付けになりました。

Xとは微妙に異なる狙いが見えながらも、ロックマンシリーズとして洗練されたアクション性。一繋ぎのステージマップも、ロックマンとしては斬新でしたが、メトロイドシリーズを越えた私はすんなり受け入れられ、むしろそれを選んだ制作側の英断に勝手ながら感心させられた程です。
難易度はXに比べて高く感じましたが、かと言って、越えられないほどではなく。その高いゲーム性は、素晴らしいの一言に尽きたと思います。

しかし、何より感動したのはその世界観でした。

ロックマンXの頃より、イレギュラー戦争を過ぎ、荒廃した地球。そこに住む僅かな人類。唯一都市「ネオ・アルカディア」。電子生命体「サイバーエルフ」。四軍団とそれを統べる四天王。そして、国家に抗うレジスタンス。
画面に映し出された砂漠の風景は子供の頃思ったオストリーグステージというより、敬愛するP.K.ディックの描いたSF世界と重なって見えました。
元々、ロックマンは「SFの皮を被ったファンタジー」と思っていた私でしたが、ハードSF的な一面を垣間見えた気がしました。

リセットを繰り返し、何度も挑戦し、そして挑んだ最終面。
最終ボスがロックマンXではない、シエルが生み出した精巧なコピーだったという設定には非常に驚かされました。

そして、そんなコピーエックスを打ち砕いた後。
砂漠で倒れこむゼロに、語りかけるオリジナルエックスのセリフに、自然と涙が溢れてしまいました。

エンディングを終えた頃、一つの映画を見終えたような感慨が胸を包んでいました。
最後の二人のやりとりを反芻しながら「なんて素晴らしい作品に出会えたのだろう」と、感動がしばらく止みませんでした。


「これ程の良作ならば、絶対に続編もプレイせねば」と、同じ鑑定団へ足を運び、直ぐに購入しました。

ただ、そこで見た世界観は、期待したものと少しズレたものでした。

上述したとおり、「Z1」についてはハードSF的な一面を垣間見せられ、個人的にはそこに惚れ込んだ部分が強かったのです。
しかし、どうもこの作品が進む方向は、私が思ったものとは違うのではないだろうか……という違和感が生まれ始めました。
そうして違和感を感じたまま「Z2」をなんとかクリアした後、「Z3」に手を伸ばしましたが、遂に耐え切れず断念しました。

ハードSF的に感じられた世界観が、すっかりファンタジックに彩られて見え、そこに私は失望を感じてしまったのです。
言うなれば「SFの皮も脱ぎ捨てたファンタジー」に見えてしまったのです。
「ダークエルフ」「妖精戦争」と言った用語が、特にそのファンタジー性を助長しているように感じられ、それがどうにも受け入れられなくなりました。

ファンタジーが嫌いかと言われればそうではないですし、SFだからどうこうと言うわけでもありません。
ただ、理屈付けの仕方と言葉の選び方が、作品に対して抱いた期待に大きく反していたのです。
作品として貶すつもりはありません。むしろ問題だったのは、固すぎる私の頭の方だと思っています。
とは言え結局、私は「Z4」には手を付けられなくなってしまいました。


……したがって、皆様に告白し、謝らなければと思うことが一つ。


小説家になろうで投稿した際「ゼロシリーズを愛している」旨を書きましたが、それはこの逸脱した作品を読んでもらいたいがための嘘八百です。

私は「ロックマンX」をこよなく愛し、「ロックマンゼロ」は「1」を最高傑作だと信じ、2以降のゼロシリーズについては失望を抱いていました。

作品を書く際、何度も3以降をプレイしようとしましたが、結局「Z1」をプレイした頃ほどの感動が得られず、それほどのめり込むこともできず断念致しました。




さて、ここまで書くと、私が「俺の思うゼロを書いてやる」と奮起して書いたように思わせるでしょうが、別にそこまでの対抗意識を持って書き始めたわけではありません。
言ってしまえば、作品の構想を始めたのは「Z1」をプレイした後でした。

その時感じた世界観への感動を、自分の手で表現することはできないだろうか。そう思い始めたのです。

その頃から既にゼロの性格設定、デザインの変更は決めていたのですが、それも、別にゲームのゼロに対する対抗意識からではありません。あのゼロは、あのゼロで、十分にカッコイイと思っています。
ただ「私が描くなら、私なりのゼロで」……昔からヒーローと思い、胸にとどめてきた岩本Xの影響全開のゼロで書こうと、単純に思っただけのことです。

初めはノートマンガで始めようと思ったのですが、自分の画力では足りないと断念しました。
とは言え、作品にしたいという願いはあり、それを小説に起こそうと思ったのが、「Z2」をプレイしていた途中のことです。
パンター・フラクロスとの戦いは、ゲームでは列車の上で行われましたが、私の脳内には何故か荒野でゼロと対峙するフラクロスの姿が浮かんでいました。

多くの読者がベストバウトに挙げてくれるフラクロス戦こそ、一番最初に構想した村岡ゼロの戦いでした。

その時から既に、
・激闘から傷だらけで帰ってきて、程なく再び作戦に駆り出されるゼロ。
・嫉妬を抱くエルピス
・ゼロの背に“ロックマン”を重ねるフラクロス
という構図が浮かんでおり、真っ先に文章に書き起こしました。

それからまた程なくして、「これはやはり最初から書き上げていこう」と思い、懸命にケータイのメールフォームで書きなぐったのが、古参の方々はご存知の旧[Z E R O]です。
せっかくやるのならと投稿サイトを探し、行き着いたのが、当時二次創作にも寛容だった「小説家になろう」でした。

ペンネームには、頭を悩ませた挙句、当時好きだったアニメ監督「岡村天斎」氏から名を頂戴し、「村岡凡斎」に決定。
かくして、[Z E R O]の連載は始まりました。

まさか自分が村岡凡斎のペンネームを使い続けることも、3以降をプレイできなくなることも、それでもこうして五年間書き続けることも、当時は思いもよりませんでした。

後の流れは、ご存じの方もいる通り。

稚拙な文体に自分自身で我慢ならなくなり、改訂版の作成を決定。
しばらくの時を挟んで[Z-E-R-O]として小説家になろう(二次創作専門サイトNOS…でしたっけ?)に投稿。

小説家になろうの規約変更に伴い、難民となり、そしてこのArcadiaに流れ着き、ようやく完結致しました。






作品内容についてここで語っておきたいと思います。

構想段階では、ラスボスをオリジナルエックスにしようと考えていました。
というのも、資料としてオフィシャルコンプリートワークスを購入し、読んだ際、コピーエックスになった経緯を知ったためです。
正直、プレイ時には余り気にならなかったのですが、作品完成間際で“大人の事情”として偽物に変えねばならなかったという現場の話を知り、その強引な改変に気付かされました。
“大人の事情”――――というと、なんだか悪いもののように聞こえますが、商品としては当然のことと納得しました。
曰く「現行シリーズの主人公をラスボスにできない」とのことですが、仕方のないことだと思います。
制作スタッフの皆様は正規の社員であり、それに従わねばならないわけで。そうした柵の中でも最高なものを作ったという点で、心から尊敬いたしております。
その一方で、「オリジナルエックスだったらどうなったかなあ」と思う気持ちが湧いたのも事実。

結果、柵にとらわれない二次創作だからこそ、その没設定を活かしてみてはどうだろうかという考えが浮かびました。

しかし、それからすぐに、またもう一つの考えが浮かびました。
原作が、完成間近で捩じ込まなければならなかった為に、偽物であることから生まれる物語を組み込めなかったのは、非常に惜しいことではないだろうか。
すなわち、コピーエックスとシエルの物語――――当初から偽物だと設定できるからこそ、母と子の関係を描けるだろうと思いつきました。

結果、原作同様、シエルの手によって生まれたエックスが最後に立ちはだかる……という構図を残すことになりました。


また、ゲーム上では表現されなかった、と言うよりできなかったであろう人間側の描写にも、力を入れました。
その為に、ネージュを一般のジャーナリストとして配置したり、政治に携わる人間としてオリジナルキャラクターを配置したり……
また、ゲームでは(これも仕方ないことでしょうが)結局「勧善懲悪」的に見えてしまった部分を、そうなりきらないよう苦心して描写したつもりです。
ハルピュイアやクラフト……英雄になりきれず、けれど正義を行おうとする者たち。彼らをそういう風に描いたのはその為です。

イレギュラーハンターの設定は、「イレギュラーを処分するものといえば」と言う考えから直ぐに取り入れました。
当初は四軍団も全てイレギュラーハンターと扱おうと考えましたが、異なる勢力を用意したほうが幅を持たせられるだろうと思い付き、そのようにしました。
「Z4」まで出番のないクラフトをそこに据えるのは、即決でした。


初プレイから随分時間も経ち、希望のシーンまでプレイする気力も浮かばなかった頃、重宝したのはプレイ動画です。
世の中が便利になったなあと感じたものです。


正直、心残りなのは、結局自分の知識、語彙力不足によって、SF作品らしくなりきらなかったことです。
ハードSF作品に仕立てたいと思いながらも、そこまで至らなかったのは一重に自分の力量不足です。
その反省は、次回作に活かしたいと思います。






「次回作」――――と述べた時点で、今後の活動について説明させていただきます。

・[Z-E-R-O]の今後の展開について。
掲示板で告知したとおり、二部、三部の制作は現在のところ予定にありません。(正直、あの時は上手く書けずに苦しんでいたところで。あのようなスレ汚しをしたこと、恥ずかしく思っております……)
とは言え、絶対に書かないとも決めておらず。ぼんやりと書き始めるかもしれませんし、分かりません。
待たないほうが良いと思いますが、期待の声が上がれば、勿論モチベーションも上がり、書く可能性は高まります! ――――とだけ。

ただ、LAST COMMENTARYなどでもちょくちょく匂わせているように、外伝、完全版を予定しています。

外伝は、気が向いた時に少しずつ、この[Z-E-R-O]のスレに投稿していこうと考えています。
内容としては、わざと伏せていたあの戦いや、あの戦い。あのときの裏側など……です(笑
ただし、ホッパー戦は書きません(断言

完全版は、イラストを書きためた頃。
正直、来月か、一年後か、はたまたずっと先かは分かりませんが、必ず投稿すると宣言します。
場所はpixivにて。それまでの投稿作を削除してあげようと考えています。
エックスのイラストを公開しなければ、彼に不義理だとも思いますので。

どうぞ、その際はよろしくお願い致します。



・新作について。
現在、次回作を執筆中です。本当は12月には投稿したかったのですが、こちらも完成しない内にはできないと思い、断念しました。
完成次第別スレで投稿します。作品内容は、できてからのお楽しみということで。
これほど長い物語にはしないつもりです。もっと気楽に更新できるようなものをと考えています。

こちらも、どうぞよろしくお願い致します。














さて、五年間――――です。連載期間は。途中の中断等も含めて。
すっかり自分の状況も変わりました。きっと皆様の周囲もいろいろ変わったことでしょう。


Arcadia移住後より読み始めてくださった皆様、如何だったでしょうか。
どんな批判が来るかと身構えておりましたが、なんとか無事に描き上げることが出来ました。

「なろう」の頃、改定後よりお付き合いの皆様、お世話になりました。
何度も心折れそうになりましたが、感想を何度も読み返し、己を奮起させてきました。

そして、旧版の頃より応援してくださった皆様、本当にお待たせいたしました。
五年の歳月、非常に長かったと思います。その頃の読者の方が残っておられるなら、一言「お疲れ様でした」と伝え、肩を抱き合いたい気分です。


全ての読者の皆様、ありがとうございました。
SSもろくに読んだことがなく。かと言って読書家かといえばそうではなく。
そんな小説のイロハも知らないど新人でしたが、読者の存在を感じることで、こうして作品を完成させることが出来ました。
「読者の皆様のおかげ」とは、こういうことを言うのでしょう。決してお世辞ではなくそう思います。





どうか世界の片隅に、こんなSSが存在していたことを覚えていて頂ければと思います。
そして皆様の未来が、きっと“懐かしい未来”であることを願っております。







皆様、本当にありがとうございました。

それではまた、別のお話で......






                村岡凡斎








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