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[33454] 【チラ裏から】高町なのはの幼馴染(全裸)
Name: 全裸◆c31cb01b ID:ae743e2c
Date: 2014/11/12 02:33
 高町なのはには幼馴染がいる。
 その幼馴染との出会いについて尋ねると、高町なのはは嫌な思い出を封印するかのように決まって口を固く閉ざす。親友のフェイト・T・ハラオウンや八神はやてらが尋ねても同様に、高町なのはは幼馴染との出会いに関しては誰であろうとも差別することなく、徹頭徹尾のノーコメントを貫く。
 しかも、若干不機嫌になりながらである。管理局のエースオブエースと評される彼女は、仕事に対して真面目で、優しく、誠実に、時々頑固ではあるものの、そう評されるだけの成果は常に挙げてきた。上からも下からも信頼を寄せられ、期待され、それに答えることが出来るのが、エースオブエースと呼ばれるようになった由縁だ。
 そんな彼女が一方的に、理不尽に、有無を言わさず不機嫌になるのが、幼馴染との出会いに関して尋ねられることである。こう考えると、この話題に対する高町なのはの態度がおかしいことに気づくだろう。むしろ、おかしいというレベルを通り越して異常とも言えてしまえる。
 親友の一人であるフェイト・T・ハラオウンはこう答える。

「なのはと会ったばかりの頃だったかな……なのはの傍に気づいたらいる男の子について尋ねたら、露骨に話題を逸らされたことがあるんだ。ああいうのを拒絶っていうのかな……あの頃はそういうのにも慣れていたけど、なのはにやられると結構へこんだなぁ……」

 親友の一人である八神はやてはこう答える。

「軽いコミュニケーションっていうか、そないな理由で聞いたことがあるんよ。なんせ、いつのまにかおる男の子なもんで私も気になってしょうがなくなって、簡単な話題作りのつもりで尋ねたんやけど……あれやな、ジャブで牽制したらガゼルパンチでカウンター食らった感じやったね」

 二人とも相当驚いた経験を持っているらしい。高町なのはが見せた明確な拒絶の記憶を、大人になった今でも鮮明に覚えているようだった。若干顔が青ざめているのも、当時味わった恐怖を連想させる。
 それでは、そんな高町なのはに露骨な拒絶を促してしまえる、件の幼馴染とはどういった人物なのだろうか。
 親友の一人であるフェイト・T・ハラオウンはこう答える。

「えっと……うーん、掴みどころがないっていうか、掴んでいるんだけど実感がわかないっていうか……突拍子もない行動するのが基本なんだけど、それが廻り回っていい方向に転がったり、でもその殆どがどうしようもなくカオスな展開になったり……うーん、私もよく分かっていないのかも。あ、でも言えることが一つだけあるよ」

 親友の一人である八神はやてはこう答える。

「まあ……よう分からん人やなぁ。あれが天然なのか、狙ってやっとるのか……狙ってやっとるんなら大した度胸やけど、天然でも度が過ぎとるレベルやし……あ、いやな、それが不快になるってわけでもないんよ。笑える人やし、たまに鋭いことも言ったりするし……ああ、駄目や。私ではあの人を説明でけへんけど、それでも、言えることが一つだけあるんや」

 二人とも彼のことを上手く説明できないらしい。
 だが、二人とも彼に対する一つの結論めいたものを持っているらしく、一呼吸置いてから同時に言葉にした。

「変態だと思う」
「変態やね」



 第一管理世界ミッドチルダ。次元世界を管理する時空管理局の活動起点となる世界であり、数ある次元世界の中で最も魔法文化が発達している世界でもある。ミッドチルダ式魔法の発祥の地であることからも、ここミッドチルダが次元世界の魔法文化そのものの発展に及ぼした影響は計り知れない。
 そのミッドチルダを代表する都市である首都クラナガン。ミッドチルダにおける時空管理局地上本部のお膝元であるこの都市は、局員たちの日夜弛まぬ努力により犯罪率も低く、全次元世界の中でも治安が良い方だとされている。
 もちろん、いかに時空管理局の起点であるミッドチルダとはいえ、次元犯罪が全くない、というわけでは決してない。魔法文化が最も発達しているということは、犯罪者が魔法を使えるケースが多いということでもある。他にも、魔法資質が無いことを呪った人間が違法な銃火器を用いて自棄を起こしたり、愉快犯的な思考で人口の多い都市で一波乱を起こしたい、といった厄介な犯罪者も少数ながらいるのが事実だ。
 しかし、そういった少数の次元犯罪を抑制し、犯罪率の低下を示す成果が近年挙げられていることからも、やはり首都クラナガンの治安は良く、総じてミッドチルダの治安が良いことにも繋がっていく。
 そんなクラナガンのお昼時でメジャーな光景となっているのが、商業区画を東から西、北から南、まさに縦横無尽に大通りを爆走する全裸の男が、背後から迫る桃色の弾丸に追いかけられる、そんなありきたりな光景だ。
 この時間帯の街中に人は多く、デパートへの買い物客や学校をサボっている学生、主婦仲間の井戸端会議、昼休憩中の管理局局員の姿など、一言で言ってしまえば多種多様である。
 そんな多種多様で片づけられる光景の一つに、“全裸の男が桃色の弾丸に追いかけられる”が街中の人々の間で広く認知されている。道行く人々の反応は様々で、「あっ、全裸だ」、「ああ、もう昼なのか。早く買い物済ませなきゃ」、「この光景も久しぶりだな、謹慎が解けたのか」、「股間のステルス魔法は衰え無しのようだな」、など目の前で繰り広げられる捕り物劇を呑気に観賞する人もいる始末である。

「こらぁぁぁぁ! 謹慎開け早々にストリップ散歩とか本当にいい度胸してるの! 私の休日を返してよ!」
「うおっ!? ちょ、袋にかすった! 俺の息子たちが魔力ダメージで昏倒してる!?」
「どうせすぐに亡くなるんだからどうでもいいの! さっさと捕まりなさーい!』

 股間にステルスを施した全裸男は身体を逸らし、曲げ、うねらせ、柔軟に、強引に、後方から迫る数多の魔力スフィアを回避していくも、数発は回避しきれずにステルスを施した股間を掠めていく。自身の尊厳が傷つけられるスリルに身をやつすも、全裸男は一向に大人しくなる気配がなく、むしろこのスリルがテンションの増長を生んでいるようにも伺える。
 一方、そんな全裸男を後方から追っているのは、空中を飛行している管理局員の女性だった。栗色の髪をツインテールに結わえ、白を基調としたバリアジャケットを身に纏っており、左手にはデバイス、右手は人差し指を伸ばしてスフィアを誘導制御しているようだ。女性の表情は怒りの形相に染まっており、下手したら犯罪者一歩手前の恐ろしさを放っている。数多のスフィアをまとめて誘導制御し、捕縛するために人体急所の一つである全裸男の股間を躊躇いもなく狙い続けるが、股間に施されたステルス魔法に感覚を阻害されているのかなかなかクリーンヒットしない。

「高町のやつ、久しぶりに俺に会えて嬉しいからって張り切り過ぎだろ! 俺のエクスカリバーが砕けちまう!」
『マスターの自意識過剰と自信過剰には頭が下がります』

 全裸男がネックレスにしている蒼い宝石が明滅し、女性の機械音声が聞こえた。全裸男は器用にサイドステップを繰り返して魔力スフィアを回避しつつ、胸元の相棒に話しかける。

「おいおいラファール、気安く俺を褒めるなよ。思わず照れちまうじゃねえか」
『本当に気持ち悪いマスターですね。――ああ、高町様のシューターが後方から二発来ていますので、そのまま左にお避け下さい』
「よし、まかせろ!」

 相棒であるインテリジェントデバイス“ラファール”の言うとおりに避ける全裸。――ラファールの助言通り、左にステップした全裸男の股間を二発の魔力スフィアが掠めていく。

「あひん!? ――おいラファール! お前の言う通りに避けたら股間がヤバイんだが!?」
『ふむ、なかなかクリーンヒットしませんね。マスターのステルス魔法はやはり厄介です』
「あれー? マスターの味方をしないデバイスがここにいるよ?」
『私は治安を守るための最善の助言をマスターに与えているだけですが?』
「くっそ! この裏切り者め、後で覚えてろよ! 高町から逃げ切ったら、ネットの大海から大量のエロ画像や動画をお前にインストールしてやるからな! ウィルスに塗れて喘いでも助けてやんねーからな!」

 まったく悪びれることなく、むしろ当然のことを言っているまでだと言わんばかりのラファール。対する全裸は負け惜しみのセリフを言い捨てて前を向き、自身の逃走経路について思考する。
クラナガンの通りは広く狙われやすいが、通行人を壁にしたりすれば回避することは容易い。
 ただ、自分を見た通行人は大抵が悲鳴を挙げて逃げようとするため、それをバインドで絡め捕ったりして弾幕代わりに空中に放り投げる必要があったりする。それに、壁役となる人間の数にも限りがあり、いつまでも同じ戦法を取っているわけにもいかない。
 こちらからも魔力スフィアで迎撃できれば楽なのだが、この全裸はそういった攻撃魔法にリソースを少しも割いておらず、ラファールにも補助魔法や防御魔法、移動魔法といったものしか登録していないため、迎撃という選択肢は全裸男には存在していない。
 そのため、現在は知り合いから伝授してもらった“ブリッツアクション”で動きを高速化し、股間にはモザイクを兼ねたステルス魔法を施すことで、なんとか股間への魔力スフィアによるダメージを最低限に抑えていた。
 さて、どうするか。
 現在走っているのはクラナガン中央区画の商業エリア。多くの店が立ち並び、人だかりという名の壁役も多数いることから回避に関しては問題ない。いくら高町とはいえ、一般市民を巻き込んだ砲撃魔法をぶち込めるほど人間を棄てていないはずだ。
 だから、高町は誘導制御型の“アクセルシューター”で自分だけを狙い撃ちしているんだろう。――後方斜め右から迫る魔力スフィアを、左から右への高速フェイントを交えて回避し、そのままの勢いで十字路を右折しながら思う。高町の誘導制御は完璧だ。そういった技術には“からっきし”である全裸も、素直に感心してしまう域にある。
 この股間に施されたステルス魔法は、魔導師が“狙って”当てられるようなぬるい隠蔽ではない。全裸の唯一の武器といってもいいステルス魔法、高町風に言えば全力全開の力を込める唯一の魔法だ。ありとあらゆる認識を阻害する魔法、それは誘導制御といった精密な操作を必要とする魔法には相性がいいはずなのだ。適当にぶっ放した流れ弾が“偶然”当たってしまうならあり得るが、“狙って”当てられることはまずないと自負している。
 だから、全裸男は額に流れる汗を拭った。自分が追い詰められているという感覚。なかなか体験することが出来ない最高級のスリルに、全裸男は口端を歪ませる。――こんなスリルを体験したのは、全裸でジェットコースターに乗った時以来だろうか。安全ベルトを外し、生まれたままの姿で全身に風を浴びた記憶が蘇っていく。股間がヒュンとした。

『マスター、どうして私はあなたをマスターと呼ばなければならないのでしょうか』
「いきなり哲学すぎる質問だがどうした?」
『あなたが私のマスターでなければ、もっと早く決断できたでしょうに。やはり、デバイスとしての存在意義が決断を鈍らせるのでしょうか。――デバイスがマスターを危機に陥れることなど、決してあってはならないと』
「おーい?」
『しかし、私も世の平和の為に振るわれるべきでしょう。いかにあなたがマスターであろうとも、街中を全裸で疾走する存在が駆逐されないわけにはいかないのです。――すみません』

 唐突すぎるラファールの謝罪に、全裸男はクエスチョンマークを浮かべるだけだった。
 次の瞬間、全裸男は自分が走っている場所が“人気が全くない”ことに気付く。並び立つ店の入り口にはシャッターが下りていて、ついさっきまで感じていた商業エリアの活気が失われていた。――相棒であるインテリジェントデバイスの言っている意味に気付いたのは、その数秒後のことだった。



 高町が目の前を疾走している全裸男が罠にかかったことを確認するのと同時、相棒であるインテリジェントデバイスのコアが明滅する。

『マスター、ラファールから了解が出ました。“Exceed Mode-A.C.S-”の使用を推奨します』
「了解。行くよ、レイジングハート!」

 その刹那、魔力の奔流が吹き荒れた。
 まず変化が起きたのは、高町のバリアジャケットの形態だ。ミニスカートからロングスカートに、ハイソックスがブーツに、襟のデザインの変更や胸元のリボンが無くなっているなどしている。このバリアジャケットの変化は、先ほどまでの軽量で汎用性に優れ、魔力消費を抑えることで“長時間の汎用的活動用”に適した形態から、高機動、省魔力の概念を取っ払い、絶対的な強度を誇る“完全な戦闘用”へとシフトしたことを示している。
 もう一つ変化が起きているのは、左手に持つインテリジェントデバイス“レイジングハート”の形状だ。先ほどまでは赤色の宝石を先端部にあしらった、いわゆる小説に出てくるような“魔法の杖”だったが、今では先端のフレームが槍状に変化し、安定化を図り命中率を上げるためかグリップが付加されていた。

「レイジングハート、ストライクフレーム展開!」
『イエス、マスター』

 高町の言葉と同時、レイジングハートの槍状となった先端部が左右に展開し、その隙間に魔力で形成された刃が生じる。超高密度の魔力で形成されたそれは、高町の魔力光である桜色を超えて紅に近い輝きを放っている。フレーム付近には六枚の魔力翼が展開し、膨大な魔力の流れがそこにあることを示していた。
 A.C.S展開状態となったことで、瞬間的な出力の増大、飛翔補助による加速効果、ストライクフレームによる攻性フィールド生成機能を得た高町は、周囲の大気を切り裂き、全裸男目掛けて突撃する。
 全裸男を誘導弾で牽制しつつ、前もって一般人を非難させていた方向へ“誘導”出来た。それにより、一般人を巻き込むことなく、心置きなく全力全開で全裸男に一撃をぶちかますことが出来る。――その準備がようやく整ったのだ。
 ちなみに、A.C.Sとは“Accelerate Charge System”の略称であり、この状態の高町が取る戦術は砲撃魔道師であるにも関わらず“瞬間突撃”である。

「うお!? きたねー! きたねーぞ高町! 善良な同僚に対して何だその全力全開は! それでも管理局のエースオブエース(笑)かお前!」
「うるさいの! 善良な同僚が全裸で街中を散歩なんかするわけないでしょ! それにエースオブエースが目の前の変態を見逃せるわけないの! あと(笑)を付けないでよ私も恥ずかしいんだからぁ!」

 高町は激昂する。A.C.S展開状態となったことで、全裸男との距離はみるみる縮まり、目前にまで迫っている。――ストライクフレームで主に狙うのは、腰回りのステルス補助がかかっている場所だ。ストライクフレームの攻性フィールドによりステルス機能を破壊し、周囲に待機させているスフィアで股間を穿つだけ。ステルス補助のせいで魔力スフィアの目測も誤り、バインドで捉えることも出来ない、そんな目前の全裸を捕縛する際に高町が用いる最後の手段である。

「レイジングハート、ごめんね。任務とはいえ、賢一君目掛けて突き出すなんて……」

 思い返せば、股間に直接ストライクフレームを叩き込んだこともあった。あれは自分にとっては忌まわしい記憶の一つに分類されている。忘れたくても忘れられない、そんな記憶だ。――そう考えると、今回のように後方から突っ込む分には、まだ精神的に楽なのかもしれない。

『謝らないでください、マスター。今回で298回目、何度も繰り返している内に慣れましたし見飽きました』

 冷静にして情熱的である長年の相棒はヨゴレ役を担当していた。今日に至るまで幾度となく繰り返されてきた、このありきたりな捕り物劇。それが彼女の精神を摩耗させ、遂には見飽きたとまで言わせてしまう。何度も全裸の下半身目掛けて突き出されることに、彼女はどんな気持ちでいるのだろうか。
 高町は視線を上げる。全ての元凶はあの全裸。自分が休日に駆り出されていることも、情熱的な相棒のやる気が著しく削がれていることも、この捕り物劇がクラナガンで名物となっていることも、そのありとあらゆる全ての恨みを込めて全裸に突撃した。
 ストライクフレームが直撃したのは全裸の尾骨周辺。腰回りを覆っているステルスは破壊され、全裸がステルス無しの文字通りの全裸で衝撃のままに宙を滑空する。続いて、高町は待機させておいた魔力スフィアを全裸の股間目掛けて誘導制御、ステルス補正がかかっていない股間など絶好の的に過ぎない。
 高町は声を高らかに、恒例となっている捕り物劇の終幕を告げた。

「――シュート!」

 合計四発。魔力スフィア四発分の魔力ダメージを股間に負った全裸は、時間にして三十分の逃亡劇が終わったことを示すかのように、静かに地に伏した。



“クラナガン対全裸特別警戒警報”が鳴り止む。これはつまり、エースオブエースが全裸を捕縛したということだろう。一人の中年男性は肩の力を抜き、椅子に体全体を預けるように脱力した。

「……やれやれ。謹慎開け早々やらかしてくれるやつだ」
「あはは。賢一君も相変わらずやなー」

 中年男性の呟きに女性の声が続く。茶髪を肩口まで伸ばしたショートカットの女性は、中年男性とは対照的に笑顔を浮かべている。それはまるで、“出来の悪い弟の奇行を笑い飛ばす姉”のようである。

「笑い事じゃねえぞ、八神。あいつの全裸癖のせいで、また上からとやかく言われんだからよ。――まったく、あいつのせいで煙草の本数が増えちまった」
「ナカジマ三佐にはご苦労様ということで。恨むなら、賢一君のレアスキルを重宝している上層部にでもどうぞ」
「……まあ、結局は高町の嬢ちゃんが片づけてくれるんだから、俺も大して苦労してるわけじゃないんだけどな。上からの苦言つっても、あいつらもそこんとこ割り切ってるからなのか、つまんない小言程度だし」

 だがな、とナカジマ三佐と呼ばれた中年男性は、煙草を灰皿に押し付けながら言葉を続ける。

「あいつの全裸癖はどうにかならんのか? ギンガのやつも口煩く説教してるみたいなんだが、一向に改善される気配がねえ。流石のあいつも心が折れかかってやがる」
「うーん。賢一君の唯一といってもいい特徴ですからねぇ。そこんとこ本人もわかってるみたいですし。――自分の生き様っていうんですかね。昔から「女子の前で股間晒すな!」ときつく言っているんですけれど、数年たった今でもあの調子です」
「……本当に馬鹿なんだな」
「加えて変態ですよ、賢一君は」

 八神の言葉を受けて、ナカジマ三佐は諦めたようにため息を吐く。
 あの全裸馬鹿を受け持ってから早数か月。余所から「もうウチでは扱いきれません!」と泣き言を言われ、情けないと思いながら安請け合いしてしまったツケが来ているのだろうか。噂には聞いていたが、まさかあれほどの馬鹿だとは思ってもいなかった。
 ナカジマ三佐は過去の自分を呪いながら、自分の頭痛の種となっている元凶を忘れるために話題を変える。

「――それで。八神の方はどうなんだよ? 新部隊設立の件は通ったのか?」
「……ああ、はい。まあ、一応」

 八神の表情が一変した。聞いてほしくないことを聞かれたかのような、いわゆる地雷を踏みぬいてしまったことに気付いたナカジマ三佐。
だが、かねてより願い出ていた“自分の部隊”を持つという夢が叶ったのだから、八神は本来なら笑うなどポジティブな態度を示すべきだろう。それなのに、目の前の後輩が浮かべているのはネガティブな笑みだった。
 これは何かおかしい。しかし、下手に踏み込んだら巻き込まれるかもしれない。さて、どうしようかと悩んでいると、逃がさないとばかりに八神が先手を打つ。

「機動六課の設立は通ったには通ったんですけど……」
「いや、まて、聞きたくない。この流れから予測すると、俺がお前に同情するみたいな展開だろ。ただでさえあの馬鹿のせいで胃が痛いんだから、これ以上、俺の負担を煽るのは勘弁してくれ」
「それが、めんどうな条件を提示されてしまいまして」

 八神は聞く耳を持たない。いや、聞いてはいるが聞き流しているだけだ。無駄に度胸が付いたかつての部下の姿は、ナカジマ三佐に時の流れとは残酷なものだ、ということを嫌という程に見せつける。

「私も途中からおかしいとは思っとったんですよ。ほら、私って巷では“夜天の主”とかいう痛いネーミングセンスで呼ばれとるし、昔の事件で好意的に思えへん人も局内に一杯いること知っとるし、こないな簡単に通るわけがないやろ! ……って思っとったら案の定ですわ」
「おい八神、地が出てるから落ち着け」

 ナカジマ三佐の制止も聞く耳持たず、八神は湯呑に注がれたお茶を豪快に一気飲みし、血眼になりながら部隊長室で叫んだ。

「なんで機動六課で賢一君の御守りせなアカンねん!」
「あー……あれだな。高町の嬢ちゃんがいるんなら、あの馬鹿も一緒に放り込んどけば抑止力になるんじゃねえかなーとか思ったんだろうな」
「そないなヨゴレ役はなのはちゃんだけで充分やのに、まさかここでうちにお鉢が回ってくるなんて。――ああ、私も賢一君が全裸でうろついとるの見たら、ついついデアボリック・エミッションを叩き込んでしまうんやろうか……」
「何気に酷いこと言ってるぞお前」

 八神は錯乱している。今までは第三者の立場でいられたからこそ、他人事のように親友と全裸の捕り物劇を楽しむことが出来た。それは絶対的なアドバンテージであり、あの全裸男と接する際には最も失ってはならない条件である。
 だが、そのアドバンテージも失った今、八神は真っ向から全裸と向き合わなければならない。線が交わっているようでいて、微妙にズラすことに成功していた関係が、これからは機動六課の部隊長と部下といったように、交わらざるを得ない関係を築くことになる。それによるストレスが如何ほどになるのか、彼女はこれから嫌というほど知っていくことになるのだろう。
 ナカジマ三佐は目を伏せる。――自分が言えることは何もない。あの全裸の手綱を上手く握れていたならまだしも、自分は一方的に振り回されていただけだ。全裸を抑制するための具体的な策なんて持っていないし、仮にそんなものがあるならこっちが教えて欲しい。
 だから、ナカジマ三佐は多くを語らない。彼女がここに足を運んだ理由が覆されないように先回りして、自分に出来る精一杯の感謝を込めて承認するだけだ。

「陸士108部隊所属、鳴海賢一の機動六課への出向を部隊長権限として許可する。――ありがとう、八神」
「……ナカジマ三佐を恨むのはお門違いなんやろうけれど、今日ばかりは理不尽と思いながらも恨ませてもらいます」
「それぐらい安いもんだ。どうだ、仕事が片付いたら飯にでも行くかよ?」
「そうですね……ご馳走になります」

 これは機動六課発足、その一か月ぐらい前の出来事である。



[33454] 新人二人と全裸先輩
Name: 全裸◆c31cb01b ID:ae743e2c
Date: 2012/06/21 09:41
 Bランク試験。
 一般的な管理局の魔導師ランクはD~Cランクが多いとされており、Bランク昇格試験が上を目指す魔導師人生を歩むにあたって初めての関門になるであろう、と言われている難易度の高い試験だ。Bランク試験を乗り越えた魔導師は、いわゆる“エリート候補生”と呼ばれる局員にカテゴライズされるようになる。管理局の“上”を目指すつもりなら、絶対に避けては通れぬ試験と言える。
 試験会場となった廃業都市区画。その一角のビルの屋上に、髪をツインテールに結わえた一人の少女がいた。気の強そうな眼光に、年齢以上に大人びた印象を相手に抱かせる、そんな顔つきをしている。少女は顎に手を当て、真剣な表情で何かを呟いているようだ。

「……ジャマーの突破……ターゲットの全破壊……ダミーを破壊した場合は減点……そして時間内にゴール」

 Bランク試験は半年に一回実施され、試験課題は複数用意された中からランダムで選択される。どうやら、少女の呟きから鑑みるに、この少女が引き当てた試験はタイムアタック的な内容を孕んでいるようだ。

「難易度的にはどうなんだろう……他の課題が知らされてないから、比べようがないけど……肝心なのはターゲットかな」

 試験課題には様々なものが用意されているが、Bランク試験に“ターゲット破壊”といった内容が含まれている場合、受験者の前に立ちはだかる“大きな壁”が存在している場合があるらしい。
 少女は実際に目にしたことはないが、一般的なBランク魔導師なら対処が非常に困難な代物で、コレに当たった場合は受験者の殆どが落ちるとされている。

「でも、逆に“対処出来れば”、相当なアピールになる……」

 もしも、一般的なBランク魔道師でも対処が困難なターゲットを、Cランクに過ぎない自分が突破出来たとしたら。――少女は表情を変えることなく、内心で密かに笑みを浮かべた。中途半端な難易度の試験を中途半端に突破したところで、それが試験官の目に適わなければ全てが無駄だ。ミスが無ければ大丈夫だろうが、ミスをしないとは言い切れない。
 仮に試験に落ちた場合には、また半年後まで待たなければならない。 それならいっそ、高難易度の試験を突破することで、試験官へのアピールを図った方が都合がいいのかもしれない。
 なにより、もしもそうなったとしたら、自分の相方好みの難易度になるのではないだろうか。

「おーい、ティアー!」

 その声を聞くだけで誰なのか分かってしまう、元気で快活な聞き慣れた声音。
 ティアと呼ばれた少女――ティアナ・ランスターは振り返り、Bランク試験をともに受験する相方の名前を呼ぶ。

「何よ、スバル?」
「えへへー、呼んでみただけー!」
「……ほんと、アンタって呑気よね」

 試験前だというのに、件の相方は実に無邪気だった。試験に関する想定を難しい顔で行っているティアナとは対照的に、スバル――スバル・ナカジマは笑みを浮かべながらシューティングアーツの型を確認している。その姿からは気負っている様子は見られず、むしろ試験を心待ちにしているかのような、そんな印象をティアナはスバルから感じた。
 ティアナの言葉を受けて、スバルは腰の入った正拳突きを宙に決めながら答える。

「呑気っていうか、割と自然体でいられてる……かも? そういうティアは、いつも以上に難しい顔してるよ?」
「あたしはアンタみたいに無鉄砲で能天気じゃないからね。時間までに出来ることは全部やっておきたいの」
「だいじょーぶ、だいしょーぶ! あたしとティアのコンビに突破できない試験は無い!」

 スバルの根拠の無い自信に、ティアナは溜息を吐くことで返事の代わりとした。
 二人一組枠。いわゆるツーマンセルの形式を取って、ティアナはスバルと一緒に試験を受けることになる。二人は陸士訓練校時代からのパートナーでもあり、気心の知れた親友でもあり、また同時に腐れ縁でもある。
 シューティングアーツと呼ばれる独特な格闘技術を用いて、前線に立つことを得意とするスバル。
 射撃と幻術を基礎に後方支援、さらに作戦を立案・組み立てることが得意なティアナ。
 陸士訓練校時代から“息の合ったパートナー”として周囲からも認識されており、二人とも主席で卒業するに至った実力派のコンビである。スバルもそのことを肌で感じているのだろうし、ティアナ自身もそのことを否定するつもりはない。

「……まあ、あたしもスバルとなら大丈夫だとは思ってるけど」
「あれ、今日のティアってばなんだか素直だね。どうしたの?」
「スバルうっさい」

 自分でも把握している“素直に慣れない性格”ゆえに、ずけずけと物を言ってくるスバルの性格を鬱陶しく思ったことも数えきれない。それでも、こうして二人でBランク試験に臨んでいるのだから、やはりこれは“腐れ縁”と言ってしまっていいのだろう。ティアナは言葉には出さずに、自分とスバルとの関係を内心で結論付けた。
 次の瞬間、試験開始が間近であることを告げる音が鳴った。ティアナは更に気を引き締め、スバルも真剣な表情を浮かべ、二人してその時を待つ。
 二人の未来の岐路まで、あともう少し。



 廃業都市区画の上空を旋回している一機のヘリがあった。
 そのヘリの中には、今回のBランク試験の観察を目的にした人物が二名いる。
 一人は、まもなく設立を迎える機動六課の部隊長となる八神はやて。
 もう一人は、執務官として機動六課の法務担当・広域捜査、そして分隊隊長としてスカウトされたフェイト・T・ハラオウンだ。
 二人は会場のサーチャーから送られてくる映像をモニターに通して、Bランク試験に臨んでいるツーマンセルの若手を観察している。その表情は真剣そのものでありながら、時折、昔の自分たちの姿を二人に重ねているのか、優しい微笑みを浮かべているのが伺える。
 スバルの突破力、ティアナの戦略を観察しながら、フェイトは隣の八神に問いかける。

「この二人、合格するかな?」
「どうやろなー。二人とも実力はあるし、ツーマンセルで長いことやってきた経験から、前衛と後衛のコンビネーションもバッチリや。それでも、二人の合否を決めるんはなのはちゃんやからね。私としてはもちろん合格してほしいところやけど、まあ、一筋縄ではいかんやろ」
「うん。私もそう思う」

 二人の親友でもある高町なのは。
 巷では管理局の“エースオブエース”としての評価が独り歩きしている節があるが、彼女の本質は指導者としての立場である教導官だ。その心づもりで高町がBランク試験の試験官に臨んでいるのだとしたら、合否の判定は厳しくなる可能性が高い。
 それに加えて、今回のBランク試験には一つの大きな壁が存在している。
 Bランク試験に極稀に登場するターゲット。コレに当たってしまった受験者は、一切の例外なく落とされ、ショックのあまりにしばらくの間は音信不通になり、忘れたい過去として試験の内容を誰にも話そうとしない。
 ゆえに、その情報もあまり出回っておらず、詳細を知っているのは八神やフェイトのようなごく一部の人間だけだ。
 八神がフェイトに問いかける。

「フェイトちゃんやったら、“アレ”にどうやって対応するん?」
「うーん……アウトレンジだと分が悪いから、クロスレンジで……かな。はやてはどうするの?」
「それなら、私はビルごと倒壊させたるわ」
「うわ、えげつないね……でも、それが一番有効かも」

 ただの冗談に笑顔で肯くフェイト。
 そんな親友を横目に、八神は本当にえげつないのは誰なのか再確認したと同時に、思わぬ藪蛇を突いてしまったことを軽く後悔していた。



 かなり調子がいい。――ティアナはそう思った。
 Bランク試験も中盤を迎えた頃、ティアナはターゲットであるオートスフィアを狙撃しながら、頭の片隅で今回の試験の途中過程を振り返るぐらいに心の余裕が生まれていた。
 いつものティアナなら、猪突猛進なスバルをコントロールしつつ、限られた手札から最善の選択をしていかなければならないことに疲れが見え始め、徐々に集中力が途切れ始める時間帯である。
 それにもかかわらず、今の自分は思考が冴えわたっており、射撃も乱れるどころか精度が増す一方だった。精密射撃と呼んでも何ら差支えない出来である。

「どうしたのかな、あたし……」

 まるで、自分の身体ではないかのような感覚に陥っている。Bランク試験という壁に挑むにあたって、否応なくのしかかるプレッシャーが、今回はいい方向に作用しているのかもしれない。脳内ではアドレナリンが大量に分泌されていることだろう。
 ビルの外からオートスフィアが狙撃してくるが、それをティアナは前転で回避し、起き上がりざまに魔力スフィアを一発撃ち込む。――命中。百発百中。一機の撃ち損じもないし、ダミーの撃ち間違えも無い。始まりからここまで振り返って、内容は一貫して完璧と言える。

「ティア、すごいじゃん! 今日はいつもより動きにキレがあるよ!」
「そういうスバルだって、いつも以上の突破力じゃない。普段なら狙撃の一発や二発食らってる頃でしょ?」
「うん、そうかもしれない。でも、なんだか今日は誰にも負ける気がしないんだ」

 両足にローラーブーツを履いているスバルの売りは、何と言ってもその縦横無尽なスピードを生かした突破力にある。後衛を生かすために前衛が身体を張るのがツーマンセルの基本だが、スバルは生来の猪突猛進ぶりで防御に関しては苦手な部分があった。
 そのため、前に突っ込み過ぎて集中砲火を浴びてしまい、度々ティアナを焦らせる事態を生んでいたのだが、今日のスバルは防御をおろそかにすることなく、ティアナに多くの思考時間を与えることが出来ている。
 結論から言えば、ここまでの二人の出来は過去に例が無いほどに最高レベルだった。
 だが、ちょっとした“予想外の展開”も、二人にとっては案外初めての体験だったりする。

「おー、やっと来たな受験生! 待ちくたびれて風邪ひいちまうところだったぜ!」

 ティアナとスバルは開けた空間に出た。元は会社のデスクワーク用に使っていた空間なのか、残骸となったデスクやパソコンがそこら中に散らばっている。瓦礫も合わせると、ちょっとした障害物のような感じだ。
 そんな空間の中央。天井に穴が開いているため、日光がスポットライトのように降り注いでいる。薄暗い周囲と比べると、まるでスターの登場を演出しているかのようだ。
 もっとも、そんなスポットライトを浴びているのは、ただ一人の全裸だったのだが。

「…………」
「…………」

 ティアナもスバルも言葉が出ない。先ほどまでの緊張感は何処に行ったのか、二人とも口をあんぐりと開けて目の前の全裸をぼんやりと眺めている。
 一方の全裸はといえば、二人の戸惑いを意にも解さず、むやみに決めポーズを取ったりスクワットなどをしていた。股間にモザイクがかかっているのが唯一の良心だろうが、年頃の少女二人にはそれでも刺激が強すぎる格好である。

「ティア、あれ……」

 スバルが全裸を指さす。ティアナも全裸を注意して見てみると、モザイクのかかっている股間にオートスフィアがぶら下がっていた。見間違いでなければ、これはBランク試験のターゲット扱いされている的であり、二人にとって最後のターゲットでもある。
 見間違いであってほしいと二度見するティアナだが、目の前の光景は一切変わることなく、ターゲットが青色の魔力光を放ちながら上下に緩やかに揺れていた。心なしか、そのターゲットからは悲壮な雰囲気が感じ取れる。――いや、悲壮な雰囲気に駆られているのはティアナも同様だった。おそらく、スバルもそうだろう。先ほどまでイケイケムードだった相方も、目の前の全裸相手にどのようなリアクションを取ればいいか分からず困惑しているようだった。

「うっし! 準備運動完了! さあ、どっからでもかかってきやがれ受験生ども!」

 そう言った全裸は、二人に対して若干内股気味になりながら構えを取った。

「いや、あの……」
「なんだなんだ、はやくしろよ! 時間がもったいないだろうが!」

 全裸の言うことはもっともなのだが、ティアナにしてみれば“全裸に向かっていく”、そんな行動なんて取りたくないのである。出来ることなら見なかったことにして、来た道を逆走したい気持ちで一杯だった。

「ティア、行こう」
「ちょ、スバル!?」

 だが、隣に立つ相方は違った。全裸に向かって一歩を踏み出し、前傾姿勢を取ったのだ。その姿には、全裸に立ち向かおうとするスバルの強い意志が込められており、その力強い眼差しには一切の迷いが無い。先ほどまで困惑していた相方は何処に行ったのか、つくづく切り替えの早い性格をしている。

「お、来るのかハチマキ娘! おっしゃ、どっからでもかかってこいやぁ!」

 何故かヒンズースクワットをして気合を入れている全裸。
 ティアナはそんな全裸の奇行を無視して、スバルに話しかける。

「スバル、あんた本気なの!?」
「うん、もちろん本気。だって、あの人を倒さないと試験に合格できないもん」

 スバルの言葉には揺るぎ無い意志が込められていた。
 全裸の股間にぶら下がっているオートスフィア。
 それはすなわち、あの全裸と対峙して打ち負かさなければならないということ。
 だからこそ、スバルは全裸との対峙を選択した。自分たちがBランク試験に合格するためには、絶対に避けては通れぬ障害であるからだ。

「で、でも、あの男、全裸なんだけど……」
「ティア、そればっかりは仕方ないよ。きっと戦ってるうちに慣れるんじゃないかな?」
「いや、仕方なくないでしょうが! それに絶対に慣れないから! 何よ全裸の変態に慣れるって、それじゃあ頭おかしいヤツみたいじゃない!」

 そもそも、どうしてあんな変態がBランク試験に紛れ込んでいるのだろうか。こんな変態に遭遇する羽目になるなら、噂になっていた大型オートスフィアが出てきた方がマシだった。――ティアナは本気で頭を抱えたくなっていた。本能が「あの全裸と関わると絶対にロクなことにならない」と警告している。

「陸上警備隊第386部隊所属。二等陸士。スバル・ナカジマ。――行きます!」
「だから、あんたちょっと待ちなさいってば!」

 ティアナの制止も聞かず、スバルは単身で全裸に向かって特攻していく。今まで見たスバルの加速の中でも、トップクラスに位置する勢いだ。ヒンズースクワットをしていた全裸との距離はあっという間に縮まり、スバルは構えも満足に取っていない全裸に向けて右拳を振りかぶり、加速の勢いそのままに振りぬく。

「よっと」

 しかし、その初撃は空を切った。全裸は何のことも無く、ただ軽いステップを踏んで左に避けたのだ。スバルは少しだけ驚いた表情を浮かべたが、すぐさま方向転換して、再度全裸に向かって突進を試みる。
 だが、その突進も全裸の軽やかなフットワークに躱されてしまう。さながら闘牛士と牛のやりとりを見ているようだ。スバルは素早く切り返し、今度は拳と蹴りを交えた連撃を叩き込もうとするが、身体速度向上の魔法でも使っているのか、全裸はスバルの連撃を事も無げにやり過ごしていく。スバルの渾身のストレートに対しても、全裸は上体を後方に逸らすスウェーで回避するなど、こちらを小馬鹿にした動きが多々見られるのが非常に癪に障る。
 それに加えて、全裸のモザイクに覆われた股間が想像以上に目障りだった。

「……ああ、もう!」

 ティアナは苛立ち気味にアンカーガンを全裸に向けて構えると、魔力スフィアを一つ形成して股間のターゲットに向けて撃ち込んだ。
 スバルとのコンビネーションや全裸の隙を突こうといった思惑ではなく、単純に全裸への不快感から来る射撃である。
 そんな射撃が命中するわけも無く、全裸はスバルとの距離を取ることも合わせて大きく回避して、二人の射程範囲外へと逃げていった。

「逃がすか!」
「スバル! 待ちなさいってば!」

 全裸を追おうとするスバルを制止するティアナ。スバルはローラーブーツを止め、ティアナに振り返る。

「どうしたの、ティア!?」
「いいから集合! こんなんじゃコンビネーションもへったくれもないわよ! あんた一人で前に出過ぎ!」
「えー、だってティアが……」
「スバルうっさい!」

 不満げなスバルがティアナの横に戻ってきた。
 一方の全裸はといえば、ティアナの視界の隅で呑気に口笛を吹いている。スバルの連撃を回避したことによる疲れは見られず、余裕の表情を浮かべている。股間のターゲットが左右に大きく揺れていた。

「もー、ティアってばどうしたの?」
「……少しだけイラついてるだけよ。そんなことより、どうだったの、あの変態は?」
「うん。攻撃が全然当たらなかった。あんな簡単に避けられたのってギン姉以来かも」

 スバルは感心したようにあの全裸を評価した。
 スバルの姉であるギンガ・ナカジマ。スバルの目標でもあり、同時に尊敬の対象でもある姉を引き合いに出したということは、スバルにとってはそれだけの回避力を持った全裸ということなのだろうか。ギンガにとっては不愉快な比較対象かもしれないが、ティアナにとってはこれ以上なく分かりやすい例えだった。
 少なくとも、回避スキルに関して言えば、あの全裸は一筋縄でいかない相手ということだろう。何とも頭の痛いことだと言いたげに、ティアナは悩ましげに眉間にしわを寄せる。

「あの……えっと、全裸男から攻撃してくる気配はあった?」
「ううん。何だか遊んでるみたいだった」
「舐められてるのか、攻撃出来ないのか……時間稼ぎか」

 可能性としては時間稼ぎが妥当だろうか。――残り時間を確認すると、タイムリミットまで三十分弱。ゴールまでかかる時間を引けば二十五分弱ぐらい。スバルの“ウイングロード”でショートカットすれば、もう少し時間は短縮出来るかもしれない。時間的な余裕は十分にある。これも、ここまでの道程が想像以上にスムーズだったからだろう。
 ならば、まずは落ち着いて観察に徹するべきか。

「…………うえぇ」

 全裸を観察する。そう考えただけで、ティアナのテンションはガタ落ちした。股間にモザイクがかけられているとはいえ、あそこにいるのはやはり紛れもない全裸なのである。あんな変態を打倒するために観察に徹するなんて、自分が志す魔道師としての人生には存在してほしくなかった。
 しかし、やらなければならない。こうやって全裸に拒否反応を示している間にも、残り時間は刻一刻と経過していく。自分たちには成し遂げなければならない夢があるのだ。それをあんな全裸に邪魔されるわけにはいかない。――なにより、あんな全裸に邪魔される自分が許せるわけがなかった。

「……よし。気合入った」
「ティア、なんだか顔色悪いけど大丈夫?」
「うっさい。あたしは覚悟を決めた。やるからにはあの全裸に勝つわよ」
「うん、もちろん!」

 スバルを前に配置し、ティアナは後方から観察に徹する。あの全裸の行動パターンや隙を見つけ次第、全裸の打倒に全神経を傾ける。全てはBランク試験に合格し、自分の夢に一歩近づくため。先は長く、壁は高い。だからこそ、こんなところで、あんな全裸相手に立ち止っている訳にはいかない。

「いくわよ!」

 ティアナの掛け声と同時に、スバル雄叫びを上げながらローラーブーツを走らせた。



 廃業都市区画の上空を飛ぶヘリ。その中の空気は、操縦桿を握るヴァイス・グランセニックにも如何ともしがたい雰囲気に塗れていた。

『いや、仕方なくないでしょうが! それに絶対に慣れないから! 何よ全裸の変態に慣れるって、それじゃあ頭おかしいヤツみたいじゃない!』

 八神とフェイトの脳裏には、先ほどのティアナの魂の慟哭がこびり付いていた。
 あの全裸趣味の友人と初めて遭遇したのは、今からおよそ十年前の出来事である。
 最初のインパクトがあまりにも強烈すぎた彼に対し、八神もフェイトも散々苦言を呈してきたつもりだ。それこそ、一般的なモラルを盾にした説教からはじまり、なぜかこちらが下手に出てしまうような説得に移り、最終的には全てを諦めて実力行使に及んだことも度々ある。
 だが、そのありとあらゆる妨害工作を彼は跳ね除け、なんと成人を間近にした今でも全裸という主義主張を貫いている。八神やフェイトも、今となってはそんな彼にわざわざ苦言を呈することも無くなり、あの高町なのはですら“クラナガン対全裸緊急警報”で鎮圧に向かう以外には、あの全裸と友好な友人関係を続けてしまっている。
 それはつまり、彼が全裸でいるという事実に、三人とも慣れてしまっているからではないだろうか。
 そして、先ほどのティアナの台詞に戻ると、彼が全裸でいるということに慣れてしまった人間は、皆総じて頭がおかしい部類に入るとのこと。これは良く考えなくても当たり前のことで、常識ある人間ならば誰もが思うことである。常日頃から全裸で街中を闊歩している人間と、誰が進んでコンタクトを取ろうなどと考えるのか。
 だからこそ、八神とフェイトは落ち込んでいた。それはもう、操縦席にいるヴァイスが見たことも無いレベルで落ち込んでしまっていた。

「フェイトちゃん、私らって……」
「それ以上は言わないで、はやて。……私だって泣きたいのを我慢してるんだから」
「こうなったら、どんなことがあってもティアナをスカウトしたる……。ティアナには“機動六課対全裸最終兵器”として成長してもらわんと……!」
「うん、私たちで鍛えてあげよう……!」

 この部隊は果たして大丈夫なのか、一人疑問に思うヴァイスであった。



 ティアナは瓦礫を壁代わりに移動しながら、全裸の観察にひとまずの結論を見出した。
 先ほどまでのダウナー状態は脱し、今では無理やり集中力を高めて全裸の一挙手一投足を視線で追っている。相変わらず全裸を捉えることは叶わないが、全裸の異常な回避スキルの源がどこにあるのかは突き止めた。

「あのモザイク……単なる最低限のモラルを守るための物かと思いきや、高レベルのステルス補助も兼ね備えていたのね」

 スバルの蹴りが空を切る。一見すると、あの全裸がスバルの動きを完璧に見切れるほどの動体視力を持っているように思うが、そこを誤解するとあの全裸には絶対に一撃が届かない。
 ティアナは全裸に対する結論の最後の決め手として、カートリッジを二発ロードし、空中に合計八発の魔力スフィアを形成する。

「クロスファイアー……シュート!」

 ティアナの掛け声と同時に、一斉に全裸目掛けて飛び立つ魔力スフィア。一発一発が誘導弾であり、空間制圧を目標に組んだ魔法だが、今のティアナの実力では全てを誘導制御することは叶わず、数発は直線に進むだけの直射型の射撃となってしまっている。今までの全裸男の驚異的な回避スキルを目の当たりにしたティアナには、確実に命中しないであろうことが分かっていた。

「うお!? こなくそ! ほっ! はっ!」

 ティアナの予想通り、全裸は魔力スフィアを回避していく。誘導制御した魔力スフィアも当たることなく、壁に激突して消滅してしまった。――だが、ティアナの狙いは全裸男に攻撃を命中させることではなく、全裸男の避け方に注目するための手段だった。

(やっぱり、避け方が雑だ……!)

 スバルの直線的な打撃を回避していく様とは違い、空間制圧を目的に放った魔力スフィアに対して、全裸は慌てたように回避していった。ティアナが“意図的”に作った抜け道が多数あるにも関わらず、全裸はみっともなく転がり、地べたを這いずり回った。――見ているだけで殺意が湧く避け方であるが、その気持ちは最後の一手までとっておくことにする。
 全裸の解析が完了したティアナは、スバルに念話を飛ばした。

≪スバル、あの全裸の実力が大体分かったわよ≫
≪え、ホント!? やっぱり相当な実力者なのかな!?≫
≪実力者どころか、あいつ素人よ。ただ、身体能力向上の魔法とステルス魔法の合わせ技で、こっちからの攻撃が異常に当たり辛いだけで。たぶんあれ、私の幻術よりレベルが高いわ≫
≪……へ? で、でも、さっきスウェーで避けるとかいう高等技術やられたんだけど≫
≪わざわざスウェーで避ける必要がどこにあるのよ。それはあの変態がふざけてるか、無理やり避けたのをこっちが凄いと勘違いしているだけ≫
≪そ、そうなのかな?≫

 スバルから間の抜けた返事が飛んできた。
 それもそのはず、現に一度も攻撃を当てられていないスバルにしてみれば、あの全裸が自分たちより遥か上の実力者だと誤解してしまうのも無理はない。
 それに加えて、スバルは典型的な猪突猛進タイプ。相手の観察なんて二の次に攻めてしまうため、より一層の誤解が生じているのだろう。

≪で、でも、攻撃が当たらないんならどうしようもないよ!?≫
≪それをどうにかするのがあたしの仕事。あんたはその時が来るまで、あの変態を適当に追い掛け回しといて≫
≪……? う、うん、なんとなく分かった!≫

 本当に分かっているのか怪しいが、スバルはあれでいいとティアナは思う。
 ティアナはスバルの大事な局面における決定力に関しては、訓練校時代から全幅の信頼を寄せている。後は、自分がしっかりと舞台を整えてあげればいいだけ。それだけすれば、スバルは最大のポテンシャルを発揮できるはずだ。
 ティアナは大きく深呼吸した。全裸を追い詰めるための戦略を構築し、今度は一切の逃げ道を許さない展開を生み出す。スバルに関しては心配していない。最後の局面に全力を込められるだけの力を残していてくれれば、ティアナはそれで構わないと思っている。肝心なのは、そこに繋げるまでの自分の役割だ。自分が失敗すればあの全裸を捉えることは叶わず、自分たちのBランク試験も同時に終わりを告げる。
 ティアナは自分の夢を思い描く。絶対に譲れない夢を胸に、大きく息を吐いて、誰にも聞こえないような小さな声で呟いた。

「――さて、始めましょうか」

 新人二人の逆襲劇が幕を開ける。



 全裸こと鳴海賢一は涼しい表情とは裏腹に、新人二人からの攻撃に成す術がなかった。
 ハチマキ娘のストレートを面白半分のスウェーで回避したときには冷や汗が流れたし、ツインテール娘の一斉射撃に関しては、もう無我夢中で恥も外聞も捨てて床を転げまわり、なんとか回避することが出来た。股間のオートスフィアは未だに無傷でいられているが、それでも二対一という状況はやはり厳しいものがある。

≪マスター。珍しくお疲れのようですが、そろそろ負けたらどうでしょうか≫
≪お前は本当にマスター相手に厳しいなぁ! もうちょっと健闘を称えるとかしたらどうよ!?≫
≪生憎ですが、股間にオートスフィアをぶら下げている人間を、私のマスターだとは認識したくありません。この呼称はあくまで形式的なものですのであしからず≫
≪……本当にお前は可愛いデバイスだね≫

 首にかけている青い宝石が明滅しながら念話で毒舌を吐いてきたが、いつものノリということもあって全裸は特に気にした素振りを見せなかった。
 そんなことよりも、今はこのスリルに全神経を注いでいたい。たまにえげつない性格を見せる金髪娘から伝授してもらった“ブリッツアクション”と、自前のステルス魔法でどこまで抗えるのか。目の前の才能あふれる新人二人組相手に、いつまで手に汗を握る展開に身をやつすことが出来るのか。ともすればマゾ気質とも取れる性格だが、この全裸は常にこんな状況を楽しむことが出来る生粋の変態だった。
 絶望的な戦力差に諦観したことなんて一度も無ければ、こちらから勝とうとする意志を見せたことも無い。この全裸が望んでいることはただ一つ。――スリルを楽しみたい、それに尽きる。
 だから、鳴海賢一は笑っている。

「はあぁぁぁぁぁぁっ!」

 ハチマキ娘の拳は速く、蹴りは鋭い。
 ツインテール娘の射撃は正確で、いつか追い詰められる時が来ることは分かりきっている。
 それでも、その時が来るまで起こり続けるスリルを楽しめればそれでいい。究極の自己満足がそこにはあった。

「――さあ、もっと楽しもうぜ!」



 あの全裸を追い詰めている。
 瓦礫の陰で幻術魔法を使いながら、ティアナは実感していた。
 現在、スバルの後方で射撃魔法を使っているのはティアナの幻術魔法“フェイク・シルエット”によって発生させた幻であり、魔力スフィアも同様に幻で攻撃能力は一切持たない。
 しかし、こと攪乱においては絶大な効果を発揮しており、あの全裸もそれが幻だと気づかずにわざわざ回避している。

「カートリッジ、ロード」

 四つ目のカートリッジをロードする。
 幻術魔法で自分の幻を発生させるのには魔力を非常に消耗し、集中を切らさないために身動きすることも出来ない。
 それでも、あの素人相手になら十分な効果を期待できる。防御という手段を取らず、ひたすら回避に専念する全裸相手だからこそ、誤魔化しきれる作戦だ。

≪スバル、今!≫
≪了解!≫

 瓦礫の陰からスバルが飛び出し、魔力スフィアに追われていた全裸に特攻する。
 しかし、最初と同じように全裸は事も無げに回避する。
ティアナは追撃の手を緩めることなく、空中に幻の魔力スフィアを八発形成、全裸に向かって一斉に撃ち放つ。これも攻撃能力をもたない幻であるがゆえに、多少の誘導制御は効くようになっており、全ての魔力スフィアを全裸目掛けて誘導することに成功した。
 だが、全裸はしぶとく逃げ回り、外壁が壊れている場所を背に一息吐いた。残り時間が十分を切っていることに安堵したのか、全裸は忙しなく動かしていた足を止め、スバルとティアナの動きを見つめている。

「――かかった」

 ティアナは笑みを浮かべる。――全裸の遥か後方、綺麗な青空に紛れて水色の魔力が輝いている。ここまでは完璧だ、後は自分が最後の力を振り絞り、舞台を完成させるだけ。
 ティアナは残ったカートリッジを全て取り出し、最後の一手に全神経を注ぐ。



「さ……さすがに、ぜえ、ぜえ、キツイ……な」

 壁が壊れ崖となっているビルの淵に立ち、全裸は呼吸を落ち着けている。――流石は、高町が「油断してると足元すくわれちゃうかもよ?」と言った相手だ。知り合いの化け物達みたいな威圧感は無いが、各自が持ちうる最大の戦略を以て自分を追いつめてくる。
 例えば、高町を相手にすると大抵は強引にケリを付けられてしまうのだが、こういった詰将棋のように緻密に追い掛け回されるのに慣れていない全裸にとって、ある意味では高町以上にやりづらい相手であると言える。
 それでも、ここまでただの一度も攻撃を負っていないことに関しては、流石の回避スキルと言えよう。身体能力向上に加えて、ステルス補正がかかっている全裸を捉えるには、やはり決め手に欠けるのが新人たちだった。
 だが、目の前の“新人二人”が幻であることに気が付いていない時点で、全裸の敗北は決まっていたのかもしれない。

「――っ!?」

 不意に感じた寒気。――これは、あの化け物達が垣間見せる威圧感そのものではないか。
 振り返る。背後には崖があるだけ。仮に、誰か遠距離狙撃に才がある人物が自分を狙っていようとも、ステルス補正で狙いは完璧にはいかない。
 だが、現実はどうだろうか。

「はあぁぁぁぁぁぁっ!」

 そこにいたのは、全裸の後ろにいたはずのスバル・ナカジマだった。
力強い打撃とスピードで再三に渡って全裸に冷や汗をかかせた、高町期待の新人が空に架かった水色の“道”を走り、こちらに向かって爆走する光景がそこにある。――先ほど、スバルが瓦礫に身を隠した一瞬、ティアナの“フェイク・シルエット”により生まれた自分の幻と入れ替わり、スバルが天高く飛翔していたことに全裸はこの時になっても気づいていない。
 スバルは左拳で前方に形成した高密度の魔力スフィアを保持し、右拳を今にも振り抜こうとしているのを必死に我慢しているようだった。
 このままではやられる。そう直感した全裸は回避を試みるが、空を駆けるスバルに気を取られたことで、一瞬の隙を与えてしまった全裸を囲むように、橙色の魔力スフィアが逃がさないとばかりに周囲に展開していた。
 全裸が先ほどまで相手にしていたはずの幻のスバルはおらず、代わりに立っていたのはアンカーガンを構えるティアナの姿。魔力スフィアの形成にかなり無理をしているのか、額には大量の汗が流れ、乱れた呼吸を落ち着けるように肩で息をしている。

「……これで、カートリッジは全部使い切りました。残念ながら、今の私にはこの魔力スフィアを空中に留めておくことで精一杯です。――ただ、この全てが“反応炸裂弾”ですけれど」
「な……、なんて恐ろしいことを考えやがるんだ、このツインテール娘! あれだろ、どれか一つにでも掠ったら“誘爆”して大変なことになるんだろ!?」
「ちなみに、抜け道は無いですからね。全部で五十発、一切の隙間なく配置させてもらいました」

 ティアナは満面の笑みを浮かべ、丁寧な言葉を並べながら恐ろしいことを言ってのけた。
 今のティアナの実力では、相当な無理をしなければ形成不可能な魔力スフィアの数だ。
 それに加えて、大量のカートリッジのロードによる疲労の極限状態に襲われており、すぐにでも気を失って倒れてしまいそうになっている。――それでも、ティアナは意識を途絶えさせない。自分の用いた戦略が、今、ここに実を結んだことを嬉しく思い、同時に獲物を追い詰めたという快感に身を震わせていたからだ。
 ティアナ・ランスター。
 ここに来て、魔導師として、人として、間違った方向に一皮むけたようである。

「そ、その笑顔……お前もあいつらと同じ属性持ちかよ!?」
「……? 何を言っているのか分かりませんが、そろそろ振り返った方がいいですよ」

 ティアナの優しい声音に促され、全裸は振り返る。――そこには、リボルバーナックルをこれでもかと言わんばかりに唸らせ、見るだけで分かる膨大な魔力スフィアを運んでくるスバルがいた。おそらく、スバルは振りかぶっている右拳で魔力スフィアを叩き打ち、加速を加えて全裸に撃ち放つのだろう。

「――――」

 全裸は悟った。――自分に逃げ場はないということを。
 ならば、全てを受け入れることが美徳だということを。

「ディバイィィィィィン――」

 ああ、聞き慣れた単語が聞こえる。
 全裸は両手を広げ、その時を待った。

「バスタァァァァァァァッ!」

 その砲撃魔法は全裸を呑み込み、ティアナの展開していた魔力スフィアをも巻き込んで、極めて大きな爆発を引き起こした。結果を確認するまでもなく、自分たちの勝利を確信したティアナは爆発に背を向け、誰にも聞こえないように呟いた。

「――チェック・メイト」



「…………」
「…………」

 試験場のサーチャーから送られてくる映像を見ていた八神とフェイトは、全裸の友人を襲った結末に言葉を発することが出来なかった。
 先ほどまで自分たちが話のネタにしていた、「鳴海賢一を相手取る際にはどうするか」という事について、八神は「ビルごと倒壊」、フェイトは「クロスレンジ」という結論を冗談交じりに出したのだが、新人二人が見せた光景はそれ以上のえげつなさであった。

「私のビルごと倒壊も相当な案やと思っとったけど……」
「あれ、賢一大丈夫かな……?」
「あー……、まあ、常日頃からなのはちゃんの全力全開を受けとるし、大丈夫なんやないかな……」

 自信なさげに答える八神。
 それに、今頃は八神家の末っ子が治療に向かっているだろう、という期待も込めた大丈夫という結論である。

「でも、あれだね。賢一が諦めるって、相当なことだよね」
「そうやねー……私もアレは諦めるわ、流石に無理ゲーすぎるし」

 真に恐ろしきは、あの作戦を立案、実行したティアナなのだろう。
 実際、新人二人が楽に勝つ手段はもっと多くあった。単純にスバルが追い込みをかけ、ティアナが隙を狙うように射撃を挟んでいけば、いかに“ブリッツアクション”を使いこなしステルス補正のある全裸といえども、そう時間はかからずに股間のオートスフィアを破壊するに至っていたはずである。
 それにもかかわらず、ティアナは遠回りに幻術魔法を巧みに駆使して全裸を惑わし、彼の逃げ道をビルの崖側に誘導した。そして、全裸の持ち前の直感によってスバルに気を取られている一瞬の隙の内に大量の魔力スフィアを展開し、全裸の逃げ道を完璧に塞いだところにスバルの近距離砲撃魔法である。これをえげつないと言わずして、何をえげつないと言えるのだろうか。
 最終的には、最後の瞬間までスリルを感じることに全神経を注ぐ全裸に対して、どうしようもない手詰まりを自覚させて諦めさせてしまった。
 もっとも、これが並みのCランク魔道師だったなら、全裸が逃げ勝ってしまうのだろう。
 そう考えると、スバル・ナカジマとティアナ・ランスターの二人組の実力は少なくとも、現時点においてBランク以上、Aランクにあとわずかというところにいたのかもしれない。

「なんちゅーか、将棋で相手側の駒を玉将以外全部取ってから、嫌味ったらしく自陣側に配置して玉将の逃げ道を無くして、そっからわざわざ王将で詰みに行くって感じやったね。もちろん投了は許さない心づもりで」
「……それって、かなり性格悪いよね」
「……機動六課設立を間近にして、期待の新人候補がサドに目覚めたっちゅーことやな」

 八神は「あの全裸と関わると絶対にロクなことにならない」とでも言いたげに、深いため息を吐いた。



[33454] 機動六課と雑用担当全裸
Name: 全裸◆c31cb01b ID:ae743e2c
Date: 2012/07/02 14:42
 クラナガン早朝の通勤ラッシュは凄まじい。
 赤毛の少年――エリオ・モンディアルはエスカレーターを降りてくる人々で成された“山々”を見て、驚愕というよりも感嘆に近い感情を覚えた。
 全国津々浦々からやってくる面々には、管理局の局員、サラリーマン、学生、観光者、など一般的な顔ぶれだが、ここクラナガンはミッドチルダで最も発達している都市であるがゆえに、やはりその数も桁外れだ。エスカレーターは一段ごとに詰めるのは当然で、改札で少しでも手間取るようではすぐさま後ろの方からブーイングが飛んでくる。定期ではなく切符を買うなんてもっての外で、一度でも列から離れたら改札を潜ることが出来るのは十分以上待つことがザラである。
 朝の清涼な空気とは裏腹に、やけに殺気立つ人の群れを眺めながら、エリオは右手首に付けている時計で現在時刻を確認する。
 もう間もなくで、待ち合わせに指定された時間が迫っている。
 もしかして、時間を間違えてしまったのか――エリオが不安に駆られた瞬間、背後から凛とした声に呼び掛けられる。

「遅れてすまない。遺失物管理部、機動六課のシグナム二等空尉だ」
「お疲れ様です! 私服で失礼します、エリオ・モンディアル三等陸士です!」

 エリオが振り向いた先にいたのは、地上部隊所属を示す制服を着た長身の女性だった。長い髪をポニーテールに結わえ、抜身の刀のような鋭い視線をエリオに向けている。外見だけ見れば大企業のキャリアウーマン系だが、その正体は管理局きっての“騎士”であり、エリオが密かに目標としている武人である。
 シグナムと名乗った女性は辺りを見回すと、目当ての人物が見当たらなかったのか、エリオに所在を尋ねた。

「……ところで、もう一人は?」
「はい、まだ来ていないみたいで……地方から出てくるらしいので、もしかしたら道に迷っているのかもしれません。探しに行ってもいいでしょうか?」
「ふむ……。そうだな、頼めるか?」
「はい!」

 シグナムの了解を得て駆け出したエリオ。
 その後ろ姿を見ているシグナムは、

「……どうやら、騎士としての素質はあるようだな」

 エリオに何かを感じ取ったのか、妙に感心したように呟いた。

「ルシエさーん! 管理局、機動六課新隊員のルシエさーん! いらっしゃいませんかー?」

 探し人の名前を呼びながら、駅内を奔走するエリオ。
 シグナムと別れてから五分ぐらい経った頃だろうか、階段を駆け下りてくる小柄な人物がエリオの視界に留まる。
 その人物もこちらに気付いているのか、エリオに向けて右手を振りながら、やけに急いだ様子で階段を駆け下りていた。背格好から予想すると、自分と近い年齢の子かもしれない—―そう思いながら、エリオは安堵した表情を浮かべる。

「ルシエですー! キャロ・ル・ルシエですー! 遅れてすみませーんってきゃあっ!?」
「っ、危ない!」

 その時、キャロ・ル・ルシエと名乗った人物が、急いでいたあまり階段から足を踏み外した。前のめりにバランスを崩してしまったことで、このままでは顔から踊り場の地面に衝突してしまう。
 その光景を予想したエリオは、瞬時に高速移動魔法“ソニック・ブーム”を発動。文字通りの光速となり、ピンボールの玉のように地面、壁面を跳ねるように移動すると、すぐにキャロの落下予測地点に到達する。
 しかし、急な停止にバランスを崩したエリオは、キャロを受け止めながらもなんとか身体を捻り、自分を下にするようにして転倒した。子供ながらに紳士な行動であると言えよう。

「あ、す、すみません! 大丈夫ですか!?」
「いてて……はい、何とか大丈夫――」

 だが、自分の両手がキャロの胸を支えていることに気付いたエリオは、あまりの衝撃と柔らかさに思考が一時フリーズする。
 一方のキャロとは言えば、自分の両胸に置かれているエリオの両手なんて気にする素振りも見せず、自分を身を挺して助けてくれたエリオを心配するように顔を近づけた。

「やっぱり、どこか痛めましたか!? ど、どうしよう……そうだ、わたし治療魔法出来るんです! 怪我したところ見せて下さい!」

 自分の両胸が鷲掴み(掴むほど無いが)されているにも関わらず、エリオの心配をしているキャロ。その慌てた表情と声音に正気を取り戻したのか、エリオはすぐにキャロの胸から手を放すと、スッと立ち上がってみせる。

「えっと、大丈夫です。少しぶつけましたけど、痛めたって程じゃないです。そ、それより、不可抗力とはいえ胸を触ったりしてすみませんでした!」

 自分の失態に頭を下げるエリオ。

「え? わたしの胸がどうかしたんですか?」

 しかし、キャロの反応はエリオにとって予想外だった。自分の恥部ともいえる場所を異性に触られたにも関わらず、当の本人は恥ずかしがる素振りすら見せない。
 少女の無垢な様子に面食らったのか、エリオは顔を赤くしてしどろもどろになりながら、なんとか不自然にならないようにこの場を切り抜けようとする。

「い、いや、その……あ、ま、迷いませんでしたか!?」
「こんなに人が多いところ初めてで、波に流されるように逆の改札に行っちゃっていました。遅れてすみません!」
「い、いいんですよ。地方から出てくるって聞いていましたし、僕も初めて来たときは迷子になっちゃいましたから」

 階段の踊り場で謝り合う子供二人。
 その微笑ましい光景を眺めていた周囲の人々は、忙しない駅構内であるにも関わらず、まるで“朝から良いものを見た”とでも言いたげに笑っている。
 

「え、えっと、手、手をどうぞ!」
「あ、す、すみません!」

 キャロを立ち上がらせる。
 そのエリオの紳士な行動に、周囲からは歓声があがり拍手が湧き起った。何ともノリの良い人だかりである。先ほどまでの殺気立っていた通勤ラッシュの時間は何だったのだろうか、と思いながらエリオはキャロの手を引きながらシグナムの元に戻った。

「遅かったな……どうした? モンディアル三等陸士」
「……いえ、少し騒ぎを起こしてしまって、注目を浴びたことが恥ずかしくて」
「すみません、私が階段を踏み外したせいで……あ、キャロ・ル・ルシエ三等陸士です! 遅れて申し訳ありません!」
「ああ、シグナム二等空尉だ。ルシエ三等陸士、長旅ご苦労だったな。モンディアル三等陸士もご苦労だった」
「はい」

 何はともあれ、ここに機動六課の分隊副隊長と新人が揃った。
 少し予定よりも時間が遅くなったが、別に大したことではない。機動六課の設立式まではまだ時間に余裕がある、世間話しながら歩く時間ぐらいはあるだろう――良くも悪くも武人であるシグナムにとって、これは珍しい気の遣い方だった。

「では、行くか。バスを使ってもいいが、土地勘を養うためにも歩いていくか?」
「あ、はい。初めて来たので出来ればお願いします」

 シグナムの問いかけにキャロが肯いた――その時、キャロが肩にかけているバッグが“モゾモゾ”と動き出した。その動きに気付いたのか、キャロが慌ててファスナーを開けると、中から一匹の小さな竜がひょっこりと顔を出す。

「フリード、忘れててごめんね」
「キュイ?」

 小首を傾げるチビ竜――フリードは分かっていないのか寝ぼけているのか、小さな口で大きな欠伸をした。

「うわ、竜なんて初めて見た……」
「えっと、この子の名前はフリードって言います。私の“家族”です!」
「キュイ!」
「わぁ!?」

 珍しい物を見るようなエリオの視線に、フリードは威嚇するように小さく一鳴きした。
 小さいながらも竜としての迫力は備わっているようで、エリオは若干身体を仰け反らせた。

「あ、こら、フリード! 驚かせちゃ駄目でしょ?」
「キュイ」
「もう、面白がってるでしょ? そんな子にはご飯あげないんだからね?」
「キュイ、キュイ!」

 フリードを“家族”と称したように、キャロにはフリードの言っていることが分かるようだ。フリードもキャロの言葉を理解しているのか、一人と一匹は本当の“家族”のように笑い合っていた。
 その光景を見て、エリオは何かを思い出しているかのように押し黙っている。
 シグナムもその何かを察したのか、

「よし、全員の紹介も済んだことだし、そろそろ行くぞ」

 すっと踵を返し、駅の出口へと歩き出した。
 エリオとキャロもその後を追うように駆け出す。歩幅の差はあるが、シグナムが気を利かせてくれているようで、二人の歩く速さでも置いて行かれるようなことは無い。
 シグナムの少し後ろを歩くエリオとキャロ。三人は何気ない世間話や機動六課のことについて話しながら、駅から離れて少し歩いた頃、キャロが何かを思い出したかのようにシグナムに問いかける。

「そうだ。シグナム二等空尉」
「どうかしたか?」
「えっと、リニアレールで移動している時に窓から見えたんですけど……」

 キャロは自信無さげに言い淀むが、意を決したように言葉を続けた。

「見間違いかもしれないんですけど、“街中を走る全裸の男の人が魔導師の人に追いかけられている”光景を見たんですけど、何か事件でもあったんでしょうか?」

 キャロの突拍子もない発言に、エリオはクエスチョンマークを浮かべ、シグナムは思い当たることがあるのか渋い表情を浮かべた。



 古代遺失物管理部機動六課。
 地上部隊の若きホープと見なされている八神はやてが課長及び総部隊長を務めることで、良くも悪くも話題となっている試験的に設立・運用された新部隊である。
 この機動六課の特徴として、各方面から優秀な人材、期待の人材を掻き集めている点が挙げられるだろう。
 例えば、管理局の“エースオブエース”と評されている高町なのはを、本局の航空戦技教導隊より教導官兼分隊隊長として招き入れたのは有名な話だ。他にも、本局から出向した執務官のフェイト・T・ハラオウンや、八神が“夜天の主”と呼ばれる由縁でもあるヴォルケンリッターの面々が所属している。
 その他、各隊員たちも優秀な人材から期待の人材まで幅広く招き入れ、隊長陣に依存しない部隊の底上げを図っている。その反面、通信士や整備士には新人が多いが、八神が“鍛えれば伸びる”としてスカウトしてきた人材が数多い。
 隊長格3名が全員オーバーSランク、副隊長もそれぞれS-とAAA+と、一般的な部隊と比較して大変に充実した戦力を保有していることから、その充実振りを評して巷では“無敵を通り越して異常”と言われるまでにある。それゆえ、優秀な戦力に苦心している地上部隊の一部からは辛辣な言葉を投げかけられる微妙な位置にある、それが機動六課である。
 そして、今日は機動六課の設立式だ。
 八神はやては壇上に立ち、自分の部隊に集まってくれた隊員たちを一望すると、自分の夢が叶ったことに感慨深い思いを抱きつつも、決して表情を緩めることなくマイクを握った。

「まずは、今日はみんな、集まってくれてありがとう」

 まずは一言、全員に向かって頭を下げる。自分のわがままとも言える夢に付き合ってくれる仲間への、単純ゆえに分かりやすい感謝の気持ちを真摯に述べる。
 それを見る隊員たちは神妙な様子だ。あの“夜天の主”が自分たちの直属の上司になる――そのことに、期待と緊張感、そして不安を抱えているのかもしれない。

「さて、我々機動六課が設立されたのには、一つの理由があります。遺失物管理部機動六課、この部隊の目的は“レリック”と呼ばれるロストロギアを確保することです」

 八神の横のスクリーンに投影された赤い宝石。綺麗な輝きとは裏腹に、どことなく禍々しい印象があるロストロギアだった。

「このロストロギアは過去に四度発見され、そのうち三度は周辺を巻き込む大規模な災害を引き起こしています」

 続いて、スクリーンに投影されたのは大規模な火災に包まれている空港の映像だった。その映像を見たスバル・ナカジマは驚いた表情を浮かべた。
 あの時、高町なのはに助けられた――自分が魔導師の道を志したキッカケとなるあの災害が、まさかレリック所縁のものであるとは思っていなかったのだろう。隣に立つティアナ・ランスターはそんな相方を訝しんだ視線で見ている。

「みんなの記憶に新しい一例として、この映像をあげたけれど――見て分かる通り、本当に酷い光景やね。この災害時、レリックはおそらく密輸中に爆発、そこから先はもうあっという間に辺り一面が火の海に覆われた。私もあの現場で消火作業に参加していたから、今でもよく覚えとる」

 八神は悔しそうに表情を歪める。

「私は、あんな事件はもう起こしたくない――そう思ったから、この機動六課を立ち上げた。機動性に富んだ部隊を作って、レリックによる事件・災害を未然に防ぐ。それが、この部隊を立ち上げた目的であり、ここに集まったみんなとならそれが叶えられる、私はそう思っています」

 八神は一度言葉を区切る。
 先ほどまでの悔しそうな表情とは打って変わって、晴々とした笑顔を浮かべていた。

「とまあ、お堅い挨拶はこんぐらいにしといて、隊長陣の挨拶でもしようかと思うんやけど……ちょっとした事情で、高町隊長が遅れててな。……とりあえず、フェイト隊長が挨拶がてら何かおもろい話するみたいやし、暇つぶしに聞いときましょう」
「え!? ちょっとはや……八神隊長!?」
「あはは、冗談や冗談。それじゃ、フェイト隊長から順番に、最後は遅れてくる高町隊長に締めてもらいましょうか」
「まったく……部隊長になっても変わらないんだから」

 フェイトはぶつぶつ文句を言いながらも微笑んでいる。
 その艶のある微笑に男性局員の多くは心奪われ、どことなくそわそわとしていて落ち着きが無い。

「ほら、男性諸君は落ち着かんかい……それじゃ、フェイト隊長どうぞ」

 八神は壇上を降り、フェイトにマイクを譲る。
 フェイトは壇上に立つと一礼したが、緊張しているのか頭を下げ過ぎてしまい、勢いよく机にぶつけてしまうといった典型的なドジを披露した。男性局員は拍手喝采、女性局員は可愛い物を愛でるような視線を向けている。

「いたた……コホン。失礼しました、フェイト・T・ハラオウンです。機動六課では執務官として法務や広域捜査を担当し、ライトニング分隊隊長としても出向しています」

 フェイトは若干涙目になりながらも、気を取り直し順調に挨拶をしているようだ。
 親友の開幕ドジに腹を抱えて笑いそうになるのを我慢した八神は、傍らに姿勢よく立っているシグナムに念話を送る。

≪シグナム、エリオとキャロはどんな感じやった?≫
≪そうですね……エリオには騎士としての素質を感じました。キャロに関しては私には判断出来かねますが、素直ないい子だと思います≫
≪へえ、シグナムがそんなに褒めるなんて珍しいやん?≫

 八神は素直に驚いた。
 シグナムは生来の騎士としての性格が強いため、お世辞を述べるということがあまり得意ではない。ということはすなわち、シグナムが本気でエリオとキャロの二人に好感情を抱いているという事だ。
 シグナムの騎士として培ってきた観察眼を信頼している八神は、彼女お墨付きのエリオとキャロの可能性に心躍らせている。

≪とはいえ、まだまだ未熟な面が目立ってはいますが、そこはなのはの領分でしょう。私には教導という役割は向いていませんから≫
≪まあ、シグナムは武人さんやからなぁ……ついつい本気になっちゃって教導どころやないかもしれんな≫
≪恥ずかしながら、その通りです。……ところで主≫
≪うん?≫
≪なのはが遅れているということですが……やはり、あいつの案件でしょうか≫

 シグナムが暗に示した人物。
 その人物とは嫌というほどに関係を持っている八神は、困ったようにこめかみを掻いた。

≪まあ、賢一君が早朝全裸散歩しているところを通報されたんや。なのはちゃんからは「捕まえたから今から向かうね」とは連絡が来とるよ≫
≪そうですか……≫

 シグナムは小さく溜息を吐いた。普段は溜息なんて吐くような性格ではないのだが、ことがあの全裸に及ぶとシグナムも例外ではない。シグナムどころか、ヴォルケンリッター全員が、あの全裸とは浅からぬ因縁を持っているといえよう。
 ちなみに、末っ子であるリインフォースⅡがよりにもよってあの全裸に懐いているという事実に、リインフォースⅡを除く八神家はよく家族会議で頭を抱えている。あの全裸ほど、我らが末っ子の情操教育に不適切な人間はいないだろう――というのが八神家の総意だった。
 そのとき、誰かが廊下を歩く足音と何かを引きずっている音が聞こえた。
 その人物を八神は予想すると、自動ドアが横にスライドし、

「すみません、遅れました」

 予想通り、高町なのはとバインドで拘束されている鳴海賢一の姿がそこにはあった。
 もちろん、彼が全裸であることは言うまでもない。



 機動六課の設立式が終わり、各隊員が自分の持ち場に向かった頃、部隊長室には各隊長陣と全裸がいた。
 スターズ分隊隊長――高町なのは。
 スターズ分隊副隊長――ヴィータ。
 ライトニング分隊隊長――フェイト・T・ハラオウン。
 ライトニング分隊副隊長――シグナム。
 雑用担当分隊隊長――鳴海賢一。

「ちょっと待って、俺の役職が適当すぎやしないか!?」
「適当な全裸が口答えとはええ度胸やないの」
「俺の全裸は適当じゃねえ! 本気の全裸だよ!」

 全裸は激怒した。
 そのほかのメンバーは「ツッコムところそこなんだ……」と一斉に胸中で思った。

「あー、はいはい。本気の全裸(笑)は放っといて」
「(笑)をつけるな(笑)を! そういうのはエースオブエース(笑)の高町の担当だろ!」
「わたしに飛び火しないでくれるかな!? あと、もう一回馬鹿にしたら撲殺するからね!?」

 幼馴染の些細な口喧嘩というよりも、ヨゴレ役の押し付け合いに発展した二人。
 そんな二人を涼しい顔でスルーしたフェイトは、一歩前に出ると八神に向かって規律正しく敬礼する。

「フェイト・T・ハラオウン、機動六課に出向しました」
「フェイトちゃんのマイペース振りは流石やね。――ほらほら、そこの二人もフェイトちゃんを見習って挨拶してほしいんやけどな? 私これでも一応は上司やし?」
「もう、賢一君のせいだからね……。高町なのは、機動六課に出向しました」
「もとはと言えば八神が俺の全裸を馬鹿にしたからだな……。鳴海賢一、えーっと、機動六課? に出向しました」
「相変わらずオメーは適当だな……。ヴィータ、機動六課に出向しました」
「こいつが真面目な性格を披露したことなど、ただの一度も無いだろう。シグナム、機動六課に出向しました」

 この場にいる全員の挨拶が終わる。
 機動六課を代表する面々と、ある意味で噂になっている全裸。何とも言えないカオスな空間を構成しているが、これでもここにいるメンバーは全員が顔見知り以上の関係を持っている。
 久しぶりに再会した者もいれば、普段の仕事から行動を共にしている者もおり、家族として生活してきた者もいる。それでも、各メンバーの胸中に淡い高揚感が芽生えているのには、やはりこれだけのメンバーが一堂に会することが滅多にないからだろう。少し早い同窓会のようなものかもしれない。
 だが、そんな感傷に浸っている素振りを見せない全裸は、ストレッチをしながら八神に問いかける。

「なあなあ、八神。この建物の探検に行ってもいいか?」
「うん? まあ、賢一君にはどうでもいい話が続きそうやし、変なことしないって約束するんなら行ってもええよ」
「大丈夫。ちょっと、シャマル先生のおっぱいを鷲掴みにしてくるだけだから」

 爽やかに変態発言をかました全裸。
 そんな全裸に“やんちゃな弟をたしなめる姉”のような態度でフェイトが口を挟む。

「その格好でそんなことしたら犯罪だよ? 私の力で懲役十年は約束します」
「なんだよ、じゃあフェイトがおっぱいを鷲掴みさせてくれるのかよ!? それともシグナムのおっぱいか!? つーかお前らおっぱいでかすぎだろ!」
「おっぱい、おっぱいとうるせーぞこの全裸馬鹿!」
「うるせーのはお前だ、このぺったん娘――ぐはっ!?」

 ヴィータはグラーフアイゼンを取り出すと、一瞬のうちに全裸をフルスイング一閃で吹き飛ばした。全裸との衝突を嫌うかのように自動ドアがオープンし、そのまま部屋の外へと叩き出されていく。自動ドアが閉まる直前の光景は、廊下の壁に頭から突っ込んだ全裸のケツだった。
 性質の悪い嵐が一瞬のうちに過ぎ去った部隊長室。
 だが、自分の容姿を馬鹿にされたヴィータは怒り冷めやらぬようで、自動ドアが閉まった後でも左手の中指を立てて怒りを露わにしている。そんなヴィータを落ち着けるように高町が頭を撫でながら、場を仕切り直すように言った。

「それで、八神隊長。お話というのは?」
「ああ、うん。まずは、改めてみんなに感謝をしたくてな。なのはちゃん、フェイトちゃん、シグナム、ヴィータ、ホンマありがとうな」

 式の時と同じように、八神は深く頭を下げる。
 親友にして上司でもある八神に対して、高町とフェイトは表情を柔らかくして応じる。

「はやて、そういう水臭いのは無しだよ。それに、私たちだって仕事で機動六課に来てるんだから」
「そうそう。過剰なお礼は少し息苦しいかも?」
「……ホンマ、二人と友達で良かったわぁ」

 三人娘の邂逅を見て、ヴィータとシグナムは静かに笑っていた。
 遺失物管理部機動六課、その長い一年間がここに始まりを告げた。



 全裸は迷っていた。
 雑用担当という有り体に言えば“役立たずのクズ”という烙印を押された全裸は、周囲からしてみれば何もしないことが最高の励みになる。
 そのことを理解している全裸は、だからこそこうして本能の赴くままに機動六課を散策していた。

「おっかしーなー。シャマル先生のおっぱいが何処にも見当たらねえぞ」
「何を不穏な発言をしている」

 変態な格好で変態な発言をした全裸を呼び止めたのは、低く渋い声音の持ち主だった。
 その聞き覚えのある声に振り向いた全裸は、とある人物を予想しながら振り返る。

「おっ、全裸メイトことザッフィーじゃんよ。今日は番犬モードか? 悪い奴でもいるのか?」
「貴様のような輩を駆逐するのが、主はやての守護獣たる私の役目だがな」
「なーなー、ガキの頃みたいに背中に乗ってもいいか?」
「相変わらず人の話を聞かない輩だな……それに、あれは貴様が強化ベルトで私を固定したからであって、好きで背中に乗せたというわけではない」

 大きな青い毛並みの犬――ヴォルケンリッターの守護獣であるザフィーラが嫌々に答える。今は力を抑えるという理由で犬の形態をとっているが、その正体は大柄で筋肉質な男性だ。
 しかし、犬=服を着ていない=裸という独自の方程式を用いる全裸にとって、数少ない全裸メイトに認定されてしまっている不幸体質の持ち主でもある。

「そんなことより、アルフの姐さんとはどうなん? よろしくやってんの?」
「話を二転三転とさせるな……アルフとは、久しく会話をしていないが?」
「かーっ! この全裸は本当に馬鹿な朴念仁だなぁ! そんなんじゃアルフ姐さんがどっかの誰かにつまみ食いされちゃうじゃねえか!」

 ザフィーラを怒鳴りつける全裸。

「いや、お前に全裸などと言われたくないのだが……それに、私とアルフはそんな関係ではないぞ?」
「だったらそんな関係になれよぉ! アルフ姐さんのおっぱいの感触を俺に実況してくれよぉ! 鷲掴みしたときのおっぱいの形を型にとってプレゼントしてくれよぉ! あとシャマルさんのおっぱいは何処だよぉ!?」
「ちょっと、何を廊下で大きな声で口走ってるんですか!?」

 暴走する全裸を青磁色のバインドが締め上げた。避けることは得意でも、一度捕縛されたら抜け出す術を持たない全裸は無様に転がり、床のひんやりとした感触に思わぬ快感を覚えてしまう。
 もぞもぞと気持ちの悪い動きをして体勢を整えた全裸が目の当たりにしたのは、探し人であるヴォルケンリッターの一人――“湖の騎士”シャマルだった。偶然にも形の良い胸を真下から見上げる体勢となった全裸は、声を大きくして興奮を露わにする。

「やった! シャマルさんのアンダーおっぱいだ!」
「な、何を言ってるんですかこの変態!」

 バインドを操って全裸を床に叩きつけたシャマル。その顔は明らかに赤らんでおり、全裸の身も蓋もない発言に恥ずかしがっているようだ。仕事着でもある白衣姿と相まって、非常にけしからん想像を全裸に掻き立てさせる。

「これは……まるで、【ドキッ☆養護教諭のイケない放課後】みたいなシチュエーションじゃねえか! くっそぉぉぉぉぉ、どうしてこんな時に身体が自由に動かせないんだよぉ!」
「私が君を縛ってるからです!」
「ちょっと待って、その音声すごく欲しい! おいラファールICレコーダー早くして!」
≪馬鹿は死なないと治らないと言いますが……どうでしょうシャマルさん、そのままハンマー投げの要領で投げ飛ばしてしまうというのは?≫
「そうね。ザフィーラ、お願いしていいかしら?」
「承知した」

 人型に戻ったザフィーラは、シャマルからバインドの手綱状となっている部分を受け取ると、勢いよく回転して大きな遠心力を生んでから手綱を手放すと、全裸は慣性のままに窓ガラスをぶち破って遥か彼方に消えていった。



 機動六課を代表する戦力となるのが、隊長・副隊長以下に新人を据えたスターズ分隊とライトニング分隊である。
 スターズ分隊にはスバル・ナカジマとティアナ・ランスター、ライトニング分隊にはエリオ・モンディアルとキャロ・ル・ルシエが配属している。基本的には、この二つの部隊が連携して任務にあたるという事で、新人フォワードには各々の適性を考えたうえで一つのチームを構成してもらうことになっている。
 最前衛であるフロントアタッカーには、近接格闘に優れ突破力に定評のあるスバル・ナカジマ。
 前衛であるガードウィングには、スピードに優れ一撃離脱を得意とするエリオ・モンディアル。
 後衛であるフルバックには、サポート魔法に優れているキャロ・ル・ルシエ。
 中英であるセンターガードには、中距離を得意とし戦術眼を備えているティアナ・ランスター。
 以上のようなポジションに割り振られた新人フォワード組は、現在、敵殲滅を想定した模擬戦を行っていた。スバルとティアナ以外は出会ったばかりの面々という事もあり、コミュニケーション不足ゆえにコンビネーションにも難があるが、絶え間なく指揮を飛ばしているティアナを中心にして、一応はチームらしい動きにはなっていると言える。
 高町はそんな新人フォワードのデータを取り、今後の教導に生かすつもりだった。八神のスカウトセンスで引き抜かれてきただけあって、四人全員が皆将来を期待させてくれる動きを見せているが、まだコンビネーション以前に個人の技能が雑な部分が多い。

「でも、いい感じだなぁ……。しばらくは、ティアナを中心にしたコンビネーションからかな」

 新人フォワードの中でも、高町が特に気にしているのは、自分と同じセンターガード適性のあるティアナだった。射撃や状況判断能力はBランク試験で充分に堪能させてもらったが、四人一組のフォワードでもあれだけの指揮を取れるとは予想外だったのだ。
 もちろん、他の新人たちと同じように荒削りな部分が目立ってはいるが、磨けば光る素質は備えている――と、高町は思っている。

「いいチームになるかも……ううん、きっとなる」

 なによりも、新人フォワード組にはしっかりとした向上心が備わっている。
 教導官が集う戦技教導隊の中でも、随一の“基礎を徹底してから応用に生かす”を基本理念としている高町の教導スタイルは、しばらくすると生徒たち自身が“自分の成長が頭打ちになっている”ように感じてしまう。地味な基礎訓練よりも、派手な応用訓練の方に気持ちが流れてしまうのだ。
 そのマンネリ期間に気持ちが折れることがなければ、この四人はきっと技術的にも精神的にも大成するだろう。――高町がそう確信したタイミングで、廃業都市区画をシミュレーションしたフィールドに“何か”が墜落した。それは瓦礫の山に大きな音をあげて衝突したため、模擬戦に集中していた新人フォワードたちも足を止めて、何事かと驚いて落下点を見つめている。
 少しして瓦礫の山から顔を出したのは、設立式において高町とともに強烈なインパクトを与えた全裸こと鳴海賢一だった。あれだけの速度と勢いで瓦礫の山に衝突したのにも関わらず、地肌には傷一つ出来ていないというのだから、本当にしぶとい人間であると言えよう。
 しかし、模擬戦が中断してしまったのは不味い。今は各新人たちのデータを取っている最中、今後に生かすためにも今だけはあの全裸に邪魔されるわけにはいかない。
 そうして、高町が行き着いたのはある一つの選択だった。――そうだ、利用してしまおう。

「模擬戦の標的をガジェットから変更します。新しい標的は空から飛来してきた全裸こと鳴海賢一、条件設定は標的のノックアウトです」

 新人フォワードたちからは困惑の声、全裸からは歓喜の雄叫び、以上二種類の対照的な声が高町の耳に届いた。



 高町の教導も終わり、新人フォワード組は食堂で死屍累々となりながらも、なんとか胃に食べ物を流し込んでいる。朝一の訓練があれだけハードだったのだから、昼以降の訓練がどれだけハードになるのか想像もつかない。
 そのため、無理にでも栄養を摂取しておかないと無様な姿を晒すことになるだろう――というティアナの提案を受け、コミュニケーションも兼ねて四人で食事をとっている。
 その傍らには、四人とは別のテーブルに着席している全裸と高町なのは、そして全裸の肩には“小さな上司”ことリインフォースⅡが座っている。リインフォースⅡはリラックスしているようで、だらしなく表情を緩めていた。

「はぁー、やっぱり賢一の肩は落ち着きますねー」
「本当に、リインって賢一君に懐いてるよね」
「はい! 賢一ははやてちゃんとは違った温かさがあって好きですー!」

 そう言って、全裸の首筋に力いっぱい抱き着くリインフォースⅡ。

「おいこら、リイン。飯食ってんだから邪魔すんな」
「嫌ですよー」
「高町、このチビ妖精どうにかしてくんね?」
「えー、リインに恨まれたくないから無理かなぁ」

 おそらく、本気で嫌がっているであろう全裸を前にして、高町はおどけたように微笑む。
 一方、珍しく溜息を吐いた全裸はリインの服を指先で摘まむと、じたばたと抵抗するリインをよそにテーブルの上に座らせる。

「あうー、賢一ってば何するんですかー!」
「邪魔。飯食い終わるまで我慢しとけ」
「むー……いいですよ、リインは大人ですから聞き分けてあげます」

 そう言ったリインフォースⅡは、聞き分けているとは思えないようなふてぶてしい態度でプチトマトにかじりついた。
 その幼い子供が少し偉そうにしているような態度を見て、高町は小さく笑みを浮かべる。

「賢一君ってさ、リインには頭が上がらないよね?」
「うっせー。何かリズムが狂うんだよ、コイツがいるとな」

 そう言って、全裸は幸せそうにプチトマトを頬張るリインフォースⅡの後頭部を小突く。

「そういえば、小さい子供の前とかだとあんまり奇行に走らないよね? さっきの模擬戦もエリオとキャロがいたからなのか知らないけど、いつもより大人しかったし」
「ああ? ……まあ、高町がそう思うんならそうなんじゃね。俺のことは俺よりもお前の方が理解してそうだし」
「まあねぇ……付き合いだけは十分に長いからね。まさか、こうして賢一君と同じ部隊に所属することになるとは思ってもみなかったけど」
「俺もだよ……って、いてて、指を噛むな噛むな!」

 全裸の人差し指にかじりつくリインフォースⅡ。
 どうやら、小さいながらも立派な顎を持っているらしく、危機感を抱いた全裸は若干涙目になりながらリインフォースⅡを自分の左肩に乗せる。

「ご苦労です。褒めてつかわすですよ」
「デコピンしていいか?」
「賢一は本当に容赦しないから勘弁してください」

 それはまるで、仲の良い兄妹のようなやり取りだった。
 ただ、振り回されているのは全裸で、振り回しているのがリインフォースⅡというのが面白い。――高町は内心でそう思うと同時に、自分ではこうも上手く全裸を制御できない、とも思っている。

「あ、そういえば賢一。お姉さまが近いうちに「ご飯食べに来てほしい」って言ってましたよ?」
「えー。やだなぁ、アインスの手料理って不味いんだもん」
「確かに不味いですけど心はこもってますよ!」
「リイン、フォローするところ間違ってるから……」

 だが、その手料理を食べたこともある高町は同意せざるを得ない。
 アインス――リインフォースⅡの前身でもある、初代リインフォースの今の呼び名である。
 かつて、高町が戦ったこともあるヴォルケンリッターの“最後の一人”であるが、今ではその力の全てを失い、一人の女性としてクラナガンの八神家に住んでいる。長い銀髪と紅い瞳が特徴的な女性で、機械的な応答が目立つところが逆に「ミステリアスでカッコイイ」と高町は思っている。
 リインフォースⅡは尊敬するお姉さまが侮辱されたことに腹を立てているのか、小さな身体から大きな声を捻り出して賢一を説教し始めた。

「大体ですね、賢一には感謝の気持ちというものが無いのですよ! あのお姉さまがどうしようもない料理スキルで必死に作った、もはや料理と呼ぶのもおこがましい物体を食わせてもらえるのだから、そこは喜ぶところでしょうに!」
「いや、お前のアインスへのフォローが全てを説明してるだろ。あの料理は絶対に不味い――叶う事なら、二度と食いたくない。リアクションの取りようもないから。あと、お前のフォローは一言一句間違えずにアインスに伝えるからな」
「――え? リイン、何かおかしなこと言いましたか?」

 どうやら、先ほどのフォローとは名ばかりのアンチは無意識だったらしい。無意識であれだけのアンチを成していたのだから、あれはリインフォースⅡの本心なのだろう。素直で純真無垢であるがゆえに嘘が苦手なリインフォースⅡらしい、と高町は微笑を浮かべると同時に、この場に流れる“温かい雰囲気”を心地よく感じていた。
 そして高町は思う――この流れを作っている中心にいるのは、間違いなく目の前の全裸で、変態で、犯罪者すれすれというか犯罪者まっしぐら、でも自分の幼馴染の一人である鳴海賢一なのだろう。
 今にして思えば、故郷にいる二人の幼馴染が言っていたことは正しいのかもしれない。

『あの馬鹿は間違いなく“天災”なんだけど、なんでか“人徳”には異常なほどに恵まれてるのよねぇ。だって、このあたしが縁を切ろうとしないんだから、それはもう大した“人徳”だと思わない? もし、他の誰かが全裸で街中を闊歩してるなら、あたしは迷わず縁を切ろうとするわよ』
『賢一君って、本当に馬鹿で変態で奇人で、とても友達とは胸を張って言えないような人なんだけど、自分に正直に生きてるからかな、見ていて不快に思うことは無いんだよね。――これも、やっぱり“人徳”なのかも。ただ、全裸でうちの庭をうろつくのは止めて欲しいけど』

 鳴海賢一が持っている“人徳”という個性。
 その全裸という強烈な外見に隠されている個性が、ここ機動六課という場所でどのような影響をもたらすのか、高町は一人の幼馴染として見届けてみたい――そう思った。



[33454] 聖王教会と全裸紳士
Name: 全裸◆c31cb01b ID:ae743e2c
Date: 2012/07/15 23:22
 聖王教会。
 時空管理局と同じく、危険なロストロギアの調査と保守を使命としている宗教団体の総称である。また、宗教自体を指す時には“聖王教”と呼ばれている。
 聖王教会の設立に関しては、聖王家が古代ベルカ戦争を終結させたと同時に始まったとされており、これは戦争を終わらせた聖王家が信仰の対象となったためだとされている。
 この時期と同じくして、当時魔法文明の発達が著しいミッドチルダが、危険な質量兵器の廃絶とロストロギアの保守・保管を掲げ、次元世界の交流と平和の旗印となる組織を樹立させる。この組織が後の時空管理局の基盤であり、組織の樹立に力を貸した聖王教会はミッドチルダの一部に“ベルカ自治領”として自らの国を確保して、今に至る。
 これが、今でもなお信仰絶えない聖王教会の簡単な成り立ちである。

「……やっぱり、こう考えるのが自然なのかしら」

 そんな聖王教会の一室。部屋の電気も点けず、暗がりの中で、一人の女性が預言書と睨めっこをしていた。女性の名前はカリム・グラシア。聖王教会に属する由緒正しい家柄の騎士でもあり、同時に時空管理局の理事官も兼任しているキャリアウーマンのような女性である。
 カリムはその整った表情を曇らせながら、自身のレアスキルである“預言者の著書”を元に作成した預言書の解釈に追われていた。預言の中身は古代ベルカ語で記されており、しかも解釈によって意味が変わることもある難解な文章に加えて、世界に起こるであろう事件をランダムに書き出すだけの代物である。
 それゆえに、実際の命中率や実用性は良く当たる占い程度、というのがカリム本人の弁だ。
 ただし、大規模災害や大きな事件に関しての的中率は高いために、管理局や聖王教会からの信用も厚く、事件を未然に防ぐという意味で重宝されている。

「――管理局システムの崩壊」

 カリムはそう呟くと、椅子から立ち上がり日光を遮るカーテンを開ける。長時間に渡って暗闇にいたために、窓から差し込む日光が非常に眩しく感じるが、カリムは目を閉じることなく眼下に広がる景色を眺める。
 自室から一望できる聖王教会の庭園には、子供たちが元気に駆け回っている、そんな温かい光景が展開されていた。些細な日常の一コマであるものの、これは決して失ってはならない大切で守るべき存在たちだ。
 だからこそ、カリムは“預言者の著書”で記されたあやふやな未来の解釈にも、決して手を抜かずに全力で事に当たっている。トータルで見てしまえば、よく当たる占い程度の信頼度であろうとも、この何気ない“幸福”を脅かす可能性を見て見ぬフリは出来ない。“妹のような友人”には、この自分の性格を「真面目で律儀な頑固者」と評されているが、それは致し方の無いことだ、とカリムは納得している。
 なぜならば、カリムは自分の生き方を変えるつもりはないし、この生き方を自分でも気に入っているからだ。自分と同じ年頃の若い女性がファッションを気にかけたり、異性との恋愛に一喜一憂したりするのを羨んだことがただの一度も無いわけではないが、カリムは世の女性たちのファッションや恋愛といったカテゴリーに、預言書の解釈といったものを当て嵌めているにすぎないのである。
 カリムも想像したことはある。
 自分が由緒正しい家柄の生まれでなく、このようなレアスキルも身に着けていなければ、魔法の才も今ほど持ち合わせていない“普通”の女子であったならば、果たしてどんな夢を描いたのだろうか。街の洋菓子屋さんだろうか、お花屋さんだろうか、学校の教育者だろうか、それとも一人の女として結婚に幸せを願うのだろうか。

「……やめましょう、こんな思考は非生産的だわ」

 カリムはかぶりを振って考えを否定した。
 ふと、庭園を見れば先ほどまで遊んでいた子供たちの姿は見えず、そこには静けさだけが寂しく残っている。彼女は踵を返し、デスクに備え付けられているコンソールを起動。自身が後見人を務めている部隊――機動六課。その部隊長である“妹のような友人”こと八神はやて宛てに特殊回線を繋げる。

「――おはよう、はやて。朝早くから悪い知らせだけど、“レリック”と思われる不審貨物を教会騎士団が追っているわ。まだ見つかってはいないけど、早ければ今日明日中に――そうね、一度聖王教会にまで来てもらえないかしら? 新型のガジェットについても直接話したいし……そう、少し時期が早まっていることも、ね」



 今日も全裸はいつも通りだった。
 朝礼にも全裸で現れることは当たり前で、フォワード組の模擬戦にクリーチャー役として参戦してはティアナに鎮圧されたり、フェイトとヴィータにテニスのボールよろしくラリーされたり、射撃の的としてスリリングな時間を過ごしたりしていた。
 始動したばかりの機動六課における全裸の評判は様々で、「変態」、「この前ブリッジしながら施設内を一周しているのを見た」、「ヴィータ副隊長とゲートボールする機会があったんだけど、その時に自分をボール役にしてほしいって志願していたよ。案の定ホームランされていたけど」、「エロゲーを布教してくるのは勘弁してほしい」、「せめてネクタイはしてほしい」、「股間のモザイクが何かの拍子で取れそうで不安で仕方ない」といったように、主に全裸の変態性に関する指摘ばかりが取り上げられていた。
 しかし、そうした全裸への評判も、一月経てばみんな慣れたのか諦観したのかは定かではないが、全裸が機動六課内をうろついていても取り立てて騒ぎ立てるようなことはなくなり、男性職員だけではなく女性職員も気軽に挨拶するようになっていた。
 だが、そんな現状に不満を漏らしている者もいる。
 それは、他でもない全裸本人だった。

「なあ、エリオ。何だか最近、俺への周囲からの扱いが段々適当になっている気がする」
「それだけ、鳴海さんが六課に馴染んでいる……って証拠じゃないでしょうか?」

 高町による地獄の早朝訓練も終わり、エリオは空腹を収めるために一人食堂に来ていた。
 とりあえず、エリオは大盛りのスパゲッティ―を三皿頼んで席に着くと、時を同じくして寝癖だらけの全裸こと鳴海賢一が食堂にやってきて、丁度いいからと一緒にこうしてテーブルを囲んでいるのである。
 エリオにしてもフォワード組は自分を除けば全員女性、上司も殆どが女性となってしまっているため、こうした性別を気にしなくて済む同性との会話の機会は、たとえ相手が全裸の変態であろうとも、心休まる貴重な時間になっている。

「でもなぁ、俺としてはそういうマンネリ化は避けたいわけなんだよ。気づけばみんな“ああ、ハイハイ。こうすればいいんでしょ”みたいな雑な対応が多くなってるんだよなぁ。――ここはあれだな、俺から進んで新しい要素を取り入れる必要があるのかもな」

 全裸は神妙な表情を浮かべて一人勝手に納得していた。
 エリオにしてみれば、全裸以上に強烈な要素がこの世にあるのか知らないし知りたくもない。
 だが、この全裸ならそんな見当もつかない謎の要素をいつか実際に取り入れる、そんな予想も簡単に成り立ってしまうのだから不思議だった。

「エリオも何かいいアイディアが思いついたら、遠慮なく俺に言ってくれよ?」
「は、はい、分かりました。きっと何も思いつかないでしょうけど」

 鳴海賢一がどういった過程を辿り、今の全裸という特徴的すぎるスタイルに落ち着いたのかは知らないが、きっとそこには自分には想像もつかない事情があったんだろう、とエリオはぼんやりと思うと同時に、決して知りたくない事情でもあると思っている。
 仮に、万が一にでもその事情に自分が共感してしまったとしたら、自分の中でも全裸でいることに抵抗が無くなってしまうかもしれないからだ。エリオ・モンディアルとしての尊厳を守るためにも、この全裸に必要以上に踏み込んでしまうのは自殺行為そのものである。
 エリオは幼いながらも品行方正な少年だ。
 それゆえに、あまり人間を外れた行動を起こしたくないとも思っているし、自分の保護者代わりであるフェイトからも「賢一の真似だけは絶対にしちゃ駄目だよ」と念を押されている。

「まあ、俺のことはいいや。それより、エリオはどうだよ? 少しは機動六課に慣れたのか?」
「はい、みなさん優しくしてくれますし、特に人間関係で困っていることもないです」
「おお、そうかそうか。ショタでいられるのも時間が限られるし、我儘って思われるぐらい自分のやりたいことしといた方がいいぞ」
「そ、そうですね」

 全裸は大人らしいアドバイスをしているつもりなのだろうが、その発言がどことなく不穏な空気を醸し出しているのをエリオは感じ取った。
 とはいえ、エリオにとっての全裸は基本的に“良い人”に分類されている。自分のような子供にも分け隔てなく接してくれているし、行動も九割方の変態ぶりを除けば普通の人間だ。過去に非人道的な扱いを受けたことがあるエリオにとっては、これぐらいの変態行動であれば十分に許容できてしまう。
 とはいえ、必要以上に全裸の変態行動を理解するつもりは無い。
 あるいは、この全裸をある程度の段階まで許容出来てしまっている時点でヤバイのかもしれないが、エリオ自身はそのことに不幸にも気付いていなかった。

「そういえば、鳴海さんってフェイトさんの昔からの友人なんですよね?」
「うん? ああ、そうだな。エリオぐらいの子供の頃からの知り合いだけど、それがどうかしたか?」
「いえ、特に何があるというわけでもないんですけど、フェイトさんの昔話でもしてほしいなって思いまして」
「うーん、フェイトの昔話ねぇ……。ああ、そういえば」

 全裸が何かを思い出したのか、手をポンと叩いて軽い調子で言った。
 エリオは面白い話が聞けるかもしれない、と思いながらコップに注いだ麦茶を飲んでいる。

「昔は、フェイトもよく脱いでたっけ」
「ぶっ!?」

 エリオは口に含んだ麦茶を噴出しそうになった。下手に我慢したことで器官に入ってしまったのか、エリオは苦しそうに咳き込んでいる。

「ごほっ、ごほっ!」
「おいおい、大丈夫かエリオ?」
「は、はい……なんとか。そ、それよりも鳴海さん! フェイトさんがよく脱いでいたって……ほ、本当なんですか!?」

 エリオはもの凄い剣幕で身を乗り出した。
 一方の全裸はと言えば、エリオが何に驚いているのか皆目見当もつかない、といったような軽い口ぶりで疑問に答える。

「マジもマジ、大マジだよ。ほら、あいつのウリってスピードじゃん。軽量化って言えばいいのか? バリアジャケットみたいな防御機能をあえて削ぐことで、代わりにより速くなるっていう感じ。まあ、とりあえず、フェイトは“脱げば脱ぐほど速くなる女”なんだよ」
「そ、そうなんですか……?」
「ああ、傍から見てれば立派な脱ぎ魔だったぜ。あの時は、俺も思わず“同業者”かと思って慌てたもんだ」

 かつてのフェイトを思い出しているのか、全裸はやけに感慨深げに何度も肯いていた。

「フェイトさんが……脱ぎ魔?」

 一方、エリオは尊敬している人の過去が暴かれたことにより、かなりショックを受けているようだ。
 それもそのはず、リアルタイムで変態している全裸に評価されるほどの脱ぎ魔であるというなら、それがどれだけのレベルだったのかはエリオにも軽く想像がつく。
 しかも、それが自分と同じような子供時代から行われていたというのだから、それはもう筋金入りの脱ぎ魔だった可能性が高い。鳴海賢一は最初から全裸でいることにアイデンティティを求める変態だが、幼少時代のフェイト・T・ハラオウンは脱衣にアイデンティティを求めていたのだろうか。

『鳴海二等陸士、至急部隊長室にまで来てください』

 そんなタイミングで、全裸を呼びつける八神のアナウンスが聞こえてきた。
 全裸は自分が呼び出しされたことに心当たりが無いようで、突然の呼び出しに首を捻っている。

「朝っぱらから何だ? ……ああ、あれか。もしかして、向こうからおっぱいを揉ませてくれるって算段だな!? よし、そうとくれば俺もやぶさかではないぜ!」

 自分に都合の良い妄想に心躍らせながら、全裸は勢いよく立ち上がった。
 その瞳は爛々と輝いており、表情は希望に満ち満ちた満面の笑顔だ。全裸という要素と組み合わせれば、これだけで通報されてしまいそうな変態まっしぐらなテンションだが、本人はそんな些細なことは気にしない豪胆な性格である。

「じゃあな、エリオ! 午後の訓練も頑張れよ!」

 そう言って、全裸は勢いよく走りだして食堂を飛び出していった。
 そこには、未だショックから立ち直っていない、純粋ゆえの脆さを抱える一人の少年だけが残されることになった。
 どうやら、少年がある意味で大人になるには、もう少し時間がかかりそうである。



 八神はやては聖王教会に赴くための支度を整えていた。
 久しぶりのカリム・グラシアとの面会に心が躍りそうになるが、主なテーマとなるのが“レリック”関連についてであるため、必要以上に浮かれてしまうのも不味いとも思っている。そのため、表面的には機動六課の部隊長として毅然としているが、内面的には緊張感とほんの少しの浮ついた気持ちが入り混じった、何とも複雑な状態だった。
 そうこうしていると、部隊長室のドアをノックする無機質な音が聞こえた。
 その人物の予想を立てながら、八神はデスクに備え付けられたコンソールで自動ドアのロックを解除する。

「おいーっす!」
「急に呼び出して悪かったね……って、何で両手をワキワキとさせとるんや?」

 部隊長室に入ってきたのは、先ほど八神が呼び出した全裸こと鳴海賢一だった。
 全裸に似合わず呼び出しからの素早い行動について、八神は思わず感心してしまいそうになったのだが、その気持ちも全裸の奇怪な動きで霧のように消え去ってしまった。
 全裸は満面の笑顔を浮かべながら両手をワキワキとさせており、その奇怪な動きに加えてここまで走ってきたのか息が荒いため、普段よりも三割増しで気持ち悪くなっている。
 その見た目犯罪者チックな全裸は呼吸を整えようともせずに、怪訝な表情で見ている八神に言った。

「ハアハア……え? だって、おっぱい……ハアハア……揉ませてくれるんじゃ……ハアハア……ねえの?」
「んなわけあるかい! どういう風にそんな都合のいい展開を予測しとるんや!?」
「そりゃあ、八神がわざわざ呼び出すくらいだから、ああ、これはそういう意味なんだろうなーって感じ?」
「それじゃあ私がただの淫乱女ってことになるやんけ! ……って、ちょい待ち。頼むから、その気持ち悪い動きでこっちに近寄って来ないで、リアルに貞操の危険を感じとるから!」

 女性としての危険を全裸に対して感じ取ったのか、八神は背後の窓際までザザッと後退していく。
 全裸は友人の表情が恐怖に染まっていることを気にも留めず、両手の動きをより加速させる一方で、焦らすかのようにゆっくりと前進している。

「ぐへへ、嫌よ嫌よも好きの内って言うじゃ……って、ちょっ、痛い!?」
「はやてちゃんを虐めるのは、このリインが許さないですよ!」

 いつのまに部隊長室に現れたのか、小さな妖精のようなユニゾンデバイスであるリインフォースⅡが、自身のデバイスである蒼天の書を振りかぶり、その角を全裸の右脛目掛けて力いっぱい叩きつけていた。
 いかにミニサイズのリインフォースⅡの攻撃と言っても、殴打されているのは“弁慶の泣き所”と言われる人体急所の一つ。全裸はあまりの激痛に涙を浮かべ、リインフォースⅡの奇襲から逃げ回っているが、リインフォースⅡは逃がさんとばかりに左右の脛を殴打していく。

「ごめ、ちょっ、リイン悪かった反省しますから脛は殴っちゃらめぇ!」
「この、この! リインやお姉さまには普段から素っ気ないくせに、はやてちゃんや他のみなさんにはすぐデレデレするんですから!」
「リ、リイン、もうそのぐらいで勘弁してやって……見てるこっちの方が痛くなってきたわ」

 どこかズレているリインフォースⅡの発言に八神も思うところはあるが、それよりも全裸が両脛に負ったダメージの方が深刻だった。何度も殴打されたために赤く腫れ上がっており、両脛に走る激痛で全裸は立っていることもままならないのか、足をM字に広げて床に座り込んでいる。俗にいう女の子座りというやつだ。それに加えて涙目でもあるため、非情に気持ち悪い絵面となってしまっている。
 リインフォースⅡは主である八神の懇願により殴打を止めたが、どこか全裸への理不尽さも含まれている怒りは治まっていないようで、空中で鼻息荒く肩を上下に動かしていた。
 八神は今にも再点火しそうな小さな爆弾には下手に触れずに、蹲っている全裸に向けて出来るだけ優しい言葉を投げかける。

「え、えーっと、大丈夫やった?」
「……いてえ、この足じゃ六課をブリッジで一周する定例行事が出来ねえ」
「心配した私がアホやったわ」

 そんな状態でも馬鹿なことを言ってのける全裸に対して、八神は右脛を蹴りつけることで返事の代わりとした。
 全裸は「ひぎぃっ!?」と一言だけ呻くと、女の子座りのまま器用に上体だけを床に着けていく。八神の蹴りが最後の一押しとなったようで、全裸は上体を支える気力すらも削がれてしまったようだった。ピクピクと震える尻が非常に目障りである。
 八神は踵を返すと、デスクに置いてあった自分のカバンを肩にかける。全裸の奇襲ですっかり忘れていたが、これからカリム・グラシアとの大事な面会があるのである。いつまでも下手なコントに参加している時間は無い。

「私はこれからちょっと出かけてくるけど……まあ、その様子なら今日一日は大人しくしてそうやね」

 八神は顔を上げない全裸にそう言い捨てた。
 そもそも、こうして全裸を部隊長室に呼びつけたのには、八神が機動六課を離れるにあたって、自分という監視役の目から解放された全裸がここぞとばかりに暴走するのを危惧していたためだ。
 普段から変態行為に興じている全裸であるが、それでも八神の迅速な対応による抑止力もあり、機動六課が始まって以来、全裸は未だ全開のパフォーマンスを披露したことが無いことを、八神を含む全裸の古くからの知り合いは皆知っている。
 そこで、自分という枷が無くなってしまった時、今まで抑圧されてきた全裸が暴走してしまわないか、それが八神の心配の種だったのだが、こうして全裸が両脛を負傷しているならそういった心配もしなくて済みそうだった。

「なのはちゃんにも一応連絡しておいたし……まあ、大丈夫やろ。それじゃ、リイン。少しだけ留守を頼むわ」
「はい! いってらっしゃい、はやてちゃ……じゃなかった。いってらっしゃいませ、マイスターはやて」

 ようやく冷静を取り戻したリインフォースⅡが送り出した。
 八神は部隊長室を後にして、聖王教会に行くためにヘリポートまで向かう。――部屋を出る直前、全裸の指先がわずかに動いたのにも気付かぬまま。



「簡単に言うと、この子たちは何段階かに分けてリミッターがかけられている状態なの。ストラーダとケリュケイオンはエリオとキャロがデバイスに不慣れってこともあって、今までは最低限の機能だけしか発揮されない状態だったんだけど、今回のリミッター解除でデバイスとしてはようやくスタート地点に立ったって感じかな。スバルとティアナは十分デバイスの扱いにも慣れているし、機能を制限しすぎるのは逆にやり辛いだろうから、流石にそこまでのリミッターからは始めないけどね。でも、今まで使ってきた子たちに比べると、やっぱり全体的な出力が段違いだから、いきなりフルパワーだと振り回されちゃう可能性の方が高い。だから、マッハキャリバーとクロスミラージュにもリミッターをかけているの。まあ、日々の訓練を通じて実力が付いていけば、この子たちのリミッターも順次解除していくから安心してね」
「要約すると、一緒にレベルアップしていってください、ということです!」

 早口で捲し立てるメガネ娘――シャリオ・フィニーノの演説を引き受けて、リインフォースⅡが簡潔にまとめた。
 フォワード組が訪れているのは機動六課のデバイスルーム。この部屋の主であるシャリオから、各自に合わせたデバイスの説明をされているところである。
 早朝の訓練中にスバルのローラーブーツ、ティアナのアンカーガンが不調だったため、丁度いいタイミングだと判断した高町が二人に新デバイスを扱うことを許可したのだ。それに合わせて、エリオのストラーダ、キャロのケリュケイオンも最低限の機能だけの状態から、リミッターがある程度まで解除されることになった。

「みんな、着実に実力を付けてきているから、わたしとシャーリーからのプレゼントだよ。フェイト隊長やリインも開発に協力してくれたから、自分のパートナーだと思って大事に使ってあげてね」
「はい、ありがとうございます!」

 高町の言葉にフォワード組は元気溢れる返事をした。
 自分のデバイス、しかも自作ではない特注の自分用にチューニングされたオリジナルデバイスである。スバルは新しい相棒に笑顔を浮かべコミュニケーションを取っており、、ティアナも表情に出さないようにしてはいるものの、そわそわとしてどこか落ち着きが無い。エリオとキャロはお互いのデバイスを見比べており、それはどこか自分のパートナーの素晴らしさを客観的に見つけようとしているかのようだ。
 早朝訓練が終わった頃には、全員が動けない状態まで疲労困憊だったのに、今ではこうしてそんな疲れもどこへやら、興奮気味のフォワード組である。大人びているように見えて、やはりまだまだ子供らしさを残すフォワード組を見て、高町は微笑ましい気持ちになった。

「……あれ、そういえば賢一君が来ない」

 子供らしさと言えば、機動六課でも群を抜いた悪ガキである、例の全裸がこの場にいないことを疑問に思う高町。
 イベント事とあらば呼んでもいないのに駆けつけて、台風のように場を荒らしていくあの変態がこの場に来ていないことから考えると、何かアクシデントに見舞われていると考えるのが早い。

「ねえ、リイン。賢一君見なかった?」
「賢一ですか? たぶん、今頃は部隊長室で屍になってると思います」
「し、屍って……まあ、別に問題は無いか」

 リインフォースⅡの口振りがやけに物騒なのが気になったが、全裸が行動不能であるならそれに越したことは無いとして、高町はこの疑問の解消と見なした。
 ただ、あの全裸が自分の目に届かない場所にいるという状況に、高町は何故か底知れない不安を感じていた。
 そして、その不安が別の場所で実現してしまうあたり、高町の対全裸センサーも大概であると言えるのかもしれない。



 聖王教会を訪れた八神は、一人のシスターに先導されて廊下を歩いていた。

「それにしても、シスターシャッハとも久しぶりですね」
「ええ、そうですね。騎士はやても随分と忙しそうにいていたようですし、私はカリムから離れられませんでしたから」

 八神がシャッハと呼ぶ女性は笑みを浮かべる。
 シャッハ・ヌエラ――聖王教会のシスターであり、カリム・グラシアの護衛と秘書を兼任している。
 シャッハは聖王教会に所属している身でありながら、管理局規定の魔導師ランク“近代ベルカ式:陸戦AAA”を所持しており、その実力はシグナムも「戦っていて楽しい相手」として認めるほどで、聖王教会の中でも随一の戦闘力を誇っている実力者だ。
 とはいえ、普段は温和で礼儀正しく規律を順守する女性であり、自分を先導する後ろ姿からはそれほどの実力者とは思えない、というのが八神の率直な感想だ。
 ただ、シグナムからは「真の実力者という者はむやみやたらに力を誇示しないものです」と言われているので、シャッハは自分の力を上手く隠していると考えるのが妥当なのだろう。
 流石は聖王教会に所属しているベルカの騎士、といったところだろうか。
 この謙虚な姿勢を、あの全裸を誇示する馬鹿にも見習ってほしい物だ、と八神は胸中で誰にも聞こえないように呟く。

「カリムは元気にしとります?」
「最近は預言の再解釈などに追われているようで、あまり睡眠をとっていないみたいでして……私からも口煩く言っているのですが、あの性格ですからロクに聞いてくれません」
「あはは……カリムも私を馬鹿に出来ないぐらい気張りますからねぇ」

 溜息を吐くシャッハに、八神は乾いた笑いを返した。

「あんな預言があったのだから仕方ない気もしますけれど……カリムが体調を崩したら、それこそ本末転倒ですから。機動六課の後見人として毅然とした態度で、外部に弱みなど見せないでほしいものです」
「カリムには感謝しています……友人として、姉みたいな人として、背中を押してもらいましたから。だからこそ、もう少し自分の身体を労わってほしいんやけどなぁ」
「ふふ。それを言うなら、カリムも騎士はやてのことを心配していましたよ? それこそ、胃に穴が開くんじゃないかと思うぐらい」
「えー? 嫌やなぁ、カリムに心配される謂われは無いんやけど」

 あの“姉のような友人”の口振りを想像して、八神は思わず笑みが零れてしまう。
 世話好きというよりも世話焼きで、親切というよりもお節介で、それでもそんな彼女が自分を支えてくれていることに感謝しなかったことなど、彼女と出会ってからただの一度も無い。
 八神にとって“姉のような友人”なのが、カリム・グラシアという女性だ。凛々しく、気高く、神々しく、一方で人間味としての確かな暖かさを秘めているカリムに、八神は密かに憧れの念を抱いている。

 ――まあ、そないなこと面と向かって言ったら、きっと恥ずかしがるんやろなぁ。

 それはそれで見てみたい光景だが、今日のところはやめておくことにしよう。
 今日のカリムとは、機動六課の部隊長として接すると決めている。
 それに、カリムも機動六課の後見人として接してくるだろう。
 だから、そういう友人のような会話は全てが終わった後に、ゆっくりと二人きりでしていけたらいい、と八神は思っている。
 そうこうしている内に、八神は見慣れた部屋の前に到着した。
 シャッハが扉を二度ノックし、部屋の主に用件だけを簡潔に伝える。

「カリム、騎士はやてがお見えになられました」
「入ってちょうだい」

 久しぶりに聞いた、カリムの空に透き通るような綺麗な声だ。
 カリムの了解を受けると、シャッハが扉を開けて八神を部屋の中へと招き入れる。

「久しぶりね、はやて」
「こちらこそ、久しぶりやね、カリム」

 豪華な装飾が成された部屋の一角。来客との会談の場である円状のテーブルに、窓から差し込む陽の光を受けた金髪を輝かせたカリム・グラシアが、気品ある優雅な雰囲気を携えて座っていた。
 この光景を“絵”として描ければ、相当な価値ある作品になるだろう。聖王教会の美人肖像画として売り出せば、それだけで結構な儲けになるのではないだろうか、と八神はわざと下世話な考えを巡らせることで、カリムに見とれてしまいそうになる感情を自制する。

「うおっ、すげー美人さんだな」

 そんなとき、この場には本来いないであろう人物の声が聞こえてきた。
 なんて性質の悪い幻聴だと思う一方で、八神は習慣となってしまった嫌な感覚に突き動かされて振り返る。

「うーん、高町や八神とは育ちが違うというか、容姿でいえばフェイトが近いんだろうけど、あいつは天然アホだからちょっとイメージが合わないよなぁ」

 八神が振り返った先には、何もいなかった。
 ただ、視線を豪華な絨毯が敷かれている床に下げると、そこには仰向けの体勢で悩ましげな表情を浮かべている、そんな全裸こと鳴海賢一が横たわっていた。
 あまりにも突然すぎるハプニングに、八神のみならずカリムとシャッハもフリーズしたように動こうとしない。否、あまりにも全裸の登場が衝撃的すぎて、動きたくても動けないのだろう。
 いつの間に全裸はそこに現れたのか――いったい、“いつから”全裸はそこにいたのだろうか。
 そんな疑問が、八神の頭の中をぐるぐると駆け巡っている。

「な、何奴!?」

 この場でフリーズしていたメンバーの中で、一番に復帰したシャッハがヴィンデルシャフトを構え、不審者をありのままに体現している全裸を威嚇する。
 シャッハの口振りから察するまでもないが、彼女ほどの実力者が今の今までこの全裸に気付けていなかった。――そのありえなさそうでありえてしまった事実に、八神は鳴海賢一の代名詞であるステルス魔法の恐ろしさを再認識する。
 それと同時に、全裸への疑問が口から言葉となって溢れ出した。

「け、賢一君!? いいいいったい“いつから”後をつけてたんや!?」
「いつからって、八神が部隊長室を出てからずっとだけど。ああ、正確には“八神が部隊長室を出て、リインも部隊長室を出た後に、八神に追いついてからずっと”だな」

 あっけらかんとした調子で答えた全裸。

「……ってことはアレか!? 私がフェイトちゃんの車でヘリポートに向かっている間も、ヘリの中でくつろいでいる間も、シスターシャッハに案内されている間も、こうしてカリムの部屋に入るまで、君はずっと後をつけてたってことかいな!?」
「だから、そう言ってんじゃねえか。いやー、それにしてもずっと仰向けでいたから背中とケツが痛くて痛くて。……俺の両脛を再起不能間近にまで追い詰めたリインには、帰ったらきちんと仕返ししてやらねえとな」
「うわっ、君の仰向け前進を想像したらもの凄く気持ち悪い!?」

“全裸の男が仰向けのまま自分の後をずっと追いかけていた光景”を想像した八神は、その想像がもたらした想像以上の恐怖に身を竦ませざるを得なかった。

「えっと……はやて、そちらの頭がおかしそうな方はどなたかしら?」
「あーっと……この変態全裸男は鳴海賢一、機動六課の隊員や。あと、一応私の子供時代からの友人でもある」
「ああ、こちらがはやての言っていた変態さん……どうも初めまして、カリム・グラシアと申します、以後お見知りおきを」

 全裸を目の当たりにしたショックから未だ立ち直れていないのか、カリムは心ここに非ずといった様子で、全裸に向けて心の籠っていない棒読みの挨拶をした。
 初めて見るカリムの様子に我に返ったのか、八神はカリムの肩を軽く揺する。

「おーいカリム。ショックな物を見たのは分かるけど、この全裸が怖いんなら素直に怖がってもええんやで?」
「あら、はやて。私はいたって冷静よオホホ」
「どこがや!? そんなエセ貴婦人みたいな口調になったことないやろ!?」

 八神はカリムを正気に戻すべく頬を軽くビンタしてみるが、カリムは自分の語尾にエセ貴婦人語をつけて何かをのたまっているだけで、とてもではないが普段の凛とした彼女の様子からは程遠いものとなってしまっている。
 なんともカオスな状況となった部屋の中で、一人だけ臨戦態勢のままだったシャッハが肩の力を抜き、怪訝な声音で八神に問いかける。

「騎士はやて、これはいったい、どういった状況なのでしょうか……?」
「あはは……そんなもん、私が聞きたいわー!」
「まあまあ、八神。あんまり人様の部屋で騒がしくするもんじゃねえぞ?」
「お前が言うなぁぁぁぁぁぁぁっ!」

 八神は全裸の頭部に渾身のキックを叩き込んだ。
 その日、カリム・グラシアの部屋から嬌声とも悲鳴とも取れてしまえる、そんな不気味な声が教会中に響き渡ったという。



[33454] 狂気の脱ぎ魔と稀代の全裸
Name: 全裸◆c31cb01b ID:ae743e2c
Date: 2012/07/15 23:23
 聖王教会の騎士団の報せによると、山岳リニアレールで輸送中のロストロギア“レリック”が発見されたらしい。
 八神がカリムから聞いていた新型のガジェットの姿も確認されており、列車は現在“暴走”とも呼べる速度で山岳を駆け巡っているようだ。
 まず、機動六課は部隊長補佐であるグリフィス・ロウランの指揮の元に、アルト・クラエッタやルキノ・リリエが列車の管制を取り戻そうと試みるも、列車の管制は既にガジェットに乗っ取られてしまっているようで、その作業は困難極まっていた。
 その報告を受けた八神は、すぐにスターズ分隊とライトニング分隊を現場に派遣することを決断する。
 高町は新人フォワード組を引き連れてヘリで現場ポイントまで移動、フェイトは市街地から飛行許可を貰って直接向かうらしい。
 機動六課の記念すべき初出動は、何とも慌ただしいものとなってしまった。

「それじゃ、私もそろそろ戻ることにするわ」
「残念ね。はやてとはもう少し話したかったのだけれど」

 眉尻を下げるカリムの言葉には八神も同意する。
 だが、そう悠長にしている場合ではなくなったのだから、八神も災害の種を刈り取りに赴かなければならない。
 そのための機動六課で、そのための部隊長である自分なのだ。
 自分が心に刻んだ決意から、そう易々と目を逸らすわけにいかない。

「私もや。せやけど、部隊長が有事の際にいないんじゃ締まるもんも締まらんやろ。――ほら、そこの全裸もさっさと帰るで」

 八神は振り返り、後ろで仰向けのまま寝転がっている全裸に命令する。
 八神がカリムと話をしている間、全裸はそこにそのまま存在していた。リインフォースⅡの攻撃で両脛を負傷した今の状態では、満足に奇行を展開する余裕も無かったようで、どことなく退屈そうだ。豪華な絨毯に身を委ねて、そのまま眠ってしまいそうですらある。
 全裸はシミ一つ無い天井を眺めたまま、気だるげな調子で答える。

「えー? でもさぁ、俺が帰っても特にすることないし。高町とフェイト、あとフォワード組のことなら特に問題ないだろうし。むしろ俺がここに残ることの方が、機動六課にとっては有益とする見方もあるんじゃないだろうか」
「それには大いに賛成なんやけど、君をここに残した結果、カリムがストレスで倒れでもしたらどないするんや? ストレスの原因が全裸の男だなんて、聖王教会始まって以来の事件になるやん」
「いいじゃないか、初めての事件。男のロマンでありながら、どことなくひと夏の過ちを思い起こさせるキーワードだ。それに俺がカリムさんと名を連ねることになるなら、俺にとっても本望だぜ。なあ、カリムさんもそう思うだろ?」

 そう他人事のようにのたまうと、全裸は仰向けのままカリムに問いかける。
 心優しく穏やかな彼女なら、万が一にでも肯いてくれる算段が全裸にはあったのかもしれないが、現実は全裸でうろつくことを生業とする変態には優しくない。
 カリムはその見た目麗しい外見から異性はもちろん同性であろうとも心奪われる、そんな満面の笑みを浮かべると、その表情には似つかわしくない棘のある声音で言った。

「ええ、さっさと帰ってください」
「うわっ、そんなヒマワリスマイルで退室を促す人初めて見た!? これはむしろ、是が非でもここに残りたくなってきたぞ!」
「ええから、はよせんかい」

 八神は辛辣に全裸の右脛を蹴りつけた。
 全裸は「ひぎぃっ!?」と呻くと、無邪気な子供のように無駄に澄みきっている瞳に涙を浮かべる。

「いってーな八神! あれだぞ、お前のツッコミには愛が無くなってきてるぞ! ツッコミがボケに優しくない漫才コンビは面白くないって、ミッドチルダでは相場が決まってるんだぜ!?」
「残念やけど、私と君との間には芸風に相違があったみたいやね。――それじゃ、カリム。また近いうちに伺うことにするわ、次回はこの全裸抜きでな。シスターシャッハも今度お茶でも飲みましょう」
「ええ、その日を楽しみにして待っているわ。そこの変態さん抜きでお願いね」
「騎士はやてもご苦労様です」

 八神は全裸をバインドで拘束してから、カリムに笑顔で別れの挨拶と再会を約束した。
 カリムも全裸に向ける笑顔とは違う本物の笑顔で、全裸一匹を雑に引き摺る親友を見送る。あの二人の漫才は扉が閉まっても部屋に聞こえてきており、その罵詈雑言と悲鳴に似た嬌声が聞こえなくなるまで数分を要した。
 カリムは普段慣れない騒ぎに疲れたのか、椅子の背に身体をもたれるようにして溜息を吐く。

「ふう……まるで、台風が過ぎ去った後のようね」
「確かに、あの変態……鳴海賢一は台風のようでしたね。たった一時間にも満たない時間だったのに、この有様です」

 カリムは呆然としたまま天井を見上げ、シャッハはあの全裸の存在感に呆れとも感嘆とも取れる態度だった。
 二人とも、管理局を代表する変態とのファーストコンタクトには、どうやら疲労困憊の様子である。

「噂には聞いていたけれど……まさか、本当に全裸で行動しているなんて、ね。正直、私とあの方が同じ人間だとは到底思えないわ」
「頭のネジが外れているというよりも、脳の構造からして違っている感じでしょうね」

 カリムは聖王教会から殆ど出ることは無く、それに付き従うシャッハも行動範囲自体は割と狭い。
 それでも、ここ数年に渡ってクラナガンを騒がせ続け、今では街の珍名物となっている人物がいることは、二人のいる聖王教会にも風の噂で届いている。

「機動六課の設立に関する最終的な取引も、あの方を“機動六課所属にすること”ってはやても言っていたし。――あれね、割と物事の中心にいるタイプなのかもしれないわね」
「そのようですね。それに加えて、本人も中心で騒ぎを起こしたがる典型的なお祭り脳といったところでしょうか。おそらく、彼は全裸で外を歩こうと考えてしまうぐらいに自我が強すぎるのだと思います」

 シャッハは全裸を初めて認識できた時のことを思い出す。
 あの全裸は高レベルのステルス魔法の使い手であり、彼がいつも股間にモザイクをかけているのはその力の一端に過ぎない。
 彼の全力全開のステルス魔法とは、自分の背後を仰向け前進で付け回す全裸がいたとしても、そのことに人間の持っている知覚能力では絶対に気付かせない領域にある。
 シャッハは彼がステルス魔法に才があることは理解した。
 だが、それと彼が全裸になることには何の共通点も無い。
 彼はステルス魔法を使えるから全裸になるのでもなければ、全裸になりたいからステルス魔法を使っているわけでもないのだろう。
 そこにあるのは彼の揺るぎ無い一つの信念だけで、それはつまり、変態ゆえの自己満足なのではないか、とシャッハは一つの結論を見つける。

「お祭りという言葉を借りると、あの方はキャンプファイヤーの周りで踊るのではなく、火の中に飛び込もうとする性質の悪さがある――そんなところかしらね。もちろん、そこには大した理由は無く、単純に“その方が面白そうだと思ったから”なんでしょうけれど」
「変態ですね」
「自分に正直すぎる変態よ。だから、あの方は性質が悪いのでしょうね」

 カリムとシャッハは全裸についての意見を交わし合う。
 その内容は“全裸=変態”という終始一貫したものとなっているが、その変態について意見を重ねる彼女たちの表情は、その容赦無い分析とは逆に何故か明るかった。

「はぁ……機動六課、これから大丈夫かしら」
「騎士はやてや六課のみなさんを信じましょう。きっと、あの変態を手懐けてくれるはずです」
「そうね、あの変態……鳴海さんの暴走を抑えきれれば、きっと大丈夫でしょう」

 そして、二人の関心がこの一瞬だけでも“レリック”よりも全裸に傾いている辺り、ミッドチルダをおかしくさせている全裸の“毒”は健在のようだった。
 自分たちに“毒”がまわっていることにも気付かぬまま、カリムとシャッハは談笑を続ける。
 二人の中で、鳴海賢一という全裸が“当たり前のモノ”として無意識のうちに認識されるまで、そう時間はかからなかった。



 高町とリインフォースⅡ、そして新人フォワード組はヴァイス・グランセニックのヘリに揺られ現場ポイントまで近づいていた。
 高町は落ち着いた様子で新人フォワード組を観察する。
 スバルやティアナに関しては特に問題はない、と高町は考えている。
 スバルはマッハキャリバーとのコミュニケーションを楽しんでいるようで、任務に対する下手な気負いを感じさせないリラックスした様子だ。当初は馬鹿みたいに一直線な戦闘スタイルで、最近ではその実直さにも磨きがかかっている点が心配だが、相方のティアナが上手くフォローするだろう。
 ティアナは浅い深呼吸を繰り返して緊張を落ち着けているようだが、高町はティアナの真骨頂を“本番に強い性格”だと考えている。普段から一見して激情型に思われる口調だが、その一方で冷静に状況を見極める鋭い観察眼も備えている。スバルとのコンビネーションではそれがいい方向に作用するだろう。
 ただ、エリオとキャロのライトニング分隊に関しては、そう上手くいかないようである。

「……な、なんだか少し緊張してきたね。キャロは大丈夫?」
「…………」

 エリオは普段より緊張している様子だが、キャロはそれ以上に緊張で固まってしまっていた。力なく顔を俯かせていて、隣に座るエリオの声も耳に届いていないようである。膝の上に座っているフリードも、そんなキャロの顔を心配そうに覗き込んでいる。
 どうやら、キャロの気弱な性格が悪い方向へと作用しているようだ。
 それは、言い換えれば優しくもある性格であり、キャロのフルバックというポジションには適切な特徴と言えるかもしれない。
 キャロのサポート魔法はフォワード組にとってかけがえのない戦力なのは確かで、それには高町も一目置いているほどだ。
 しかし、その優しさが弱さになってはいけない。後方からただ漠然とサポートしているだけでは駄目なのだ。他のメンバーと一緒に戦場に立ち、ともに戦っていくという強い意志を持たなければならない。
 キャロが未だにそのポテンシャルをフルに発揮できていないのも、そこら辺の意識が上手く整理できていないからなのだろう。
 ただ、こればかりは高町があれこれ言っても意味が無い。
 キャロ自身がそれに気付き、前を向く必要がある。他でもないキャロ自身が自分のことを認めなければ、心身ともに成長は見込めないだろう。
 それでも、少しぐらいなら手助けしてあげたいと思ってしまうのは、戦技教導官としては間違っているのだろうか。

 ――こんな感覚、初めてだなぁ……。

 基本的に短期を予定している戦技教導においては、基礎を教えるというよりも容赦なく叩きのめしてから反省点を認識させる、というやり方が当たり前に行われている。
 高町もその当たり前に漏れることなく、これまでの教導官人生では“対話”よりも“実戦”を重視してきた。
 そのため、今の高町のように教え子を“励ましたい”という気持ちに駆られる教導官は、実はそんなに多くない。むしろ圧倒的に少なかったりする。
 この珍しい感覚に突き動かされた高町は、キャロの前で片膝を着くと震えている小さな手を優しく握った。
 キャロは突然訪れた暖かさに顔を上げると、そこには自分と視線を合わせる高町の顔があった。
 その瞳は真っ直ぐにこちらを見つめており、キャロは視線を逸らしてしまいたくなる。

「キャロ、ちょっといいかな?」
「……なのはさん?」

 だが、その気持ちも高町の優しい声音に呼び止められる。

「キャロが不安になるのも分かるよ。だって、初めての任務がロストロギア関連だもんね」
「……はい」

 高町は優しい声音のまま、キャロをあやすかのように言葉を重ねる。
 キャロも耳を塞ぐことなく、真摯に耳を傾けていた。

「それでも、キャロは機動六課に必要なんだ。キャロの魔法はみんなを守ってあげられる、優しくて格好いい魔法なんだから。それは、絶対に弱さなんかじゃなくて、キャロがまだ気付いてない強さなんだと思う」
「……優しい、強さ」

 キャロは高町の言葉を噛み締めるように呟く。

「だから、ほんの少しだけでもいいから、勇気を出して前を向いてみよう。それだけで、きっと世界が変わったように飛べるはずだから」

 高町はすっと立ち上がる。
 自分が伝えたいことは十分に伝えたことを示すように、こちらを見上げるキャロに向けて笑顔を浮かべると、踵を返して操縦席のヴァイスに近づいていく。

「ヴァイス君、もう少しで到着かな?」
「そうですね。あと三分ぐらいじゃないっすか?」
「じゃあ、わたしはここらへんで降りようかな。なんだかね、フォワードの子たちにカッコイイところ見せたくなってきちゃった」
「ああ、そりゃあいい。きっと、あいつらも気合が入るでしょうよ」
『いい女は背中で語る、というシチュエーションですね』

 ヴァイスは気さくに笑い返すと、ヘリの側面ハッチを開けるボタンを押した。
 ヘリの管制を手伝っているヴァイスのインテリジェントデバイス“ストームレイダー”も高町を茶化すかのように後押しする。
 この似たもの同士コンビの期待に応えるように、高町はゆっくりと開いていくハッチの前で自分の相方を胸元から取り出した。
 紅い宝石は点滅していて、マスターからの言葉を待っているようだ。

「さてと、レイジングハートも準備いいかな?」
『そのようなこと、今さら聞くまでもないでしょう?』
「ふふっ、そういうと思った」

 頼りがいのある相棒に笑いかけると、高町は迷うことなく空に飛び出した。
 その背中に見えない翼を宿して、エースオブエースは空を往く。



 高町が空に飛び出したのを見送ってから、キャロは自分の気持ちが大きく揺れ動いているのに気付いた。
 おそらく、高町は自分を諭すために優しい言葉を選んでくれたのだろう。
 彼女の笑顔と頼りがいのある背中が、キャロの小さな胸を強く打つ。

 ――なのはさんは格好いいなぁ。

 それに比べて自分は何なんだろう、とキャロは内心で毒づく。
 あの日、初めて会ったフェイトに言われた言葉が脳裏をよぎった。

『キャロは、どこへ行って、何をしたい?』

 自分は機動六課に来て、フォワードの一員として任務に臨もうとしている。
 だが、それは自分が本当に望んだことなのだろうか、とキャロはリインフォースⅡが喋る作戦内容に耳を貸す傍ら考えていた。

 ――私はいったい、何がしたいんだろう?

 この問いに答えを出すことはとても難しいと分かっている。
 それでも、この問いに答えを出せなければ、おそらく自分は前に進めないということも理解していた。
 キャロははっきりしない自分自身の気持ちに苛立ちを覚え、悔しげに歯噛みをし、少しでも気を抜くと泣き出してしまいそうになっていた。
 そんな悪い雰囲気を払拭するかのように、ヘリ内に設置されたモニターに映像が映る。

『やっほー、みんな気合入っとるかー?』

 そのモニターに映し出されたのは、こちらに向けて手を振っている八神。
 そして、天井からバインドで逆さ吊りにされている全裸だった。重力に逆行する姿勢を取っている全裸だが、その表情は普段の変態スマイルと何ら遜色ないものとなっている。

「八神部隊長? どうしたんですか、わざわざ?」

 ティアナが明らかに悪目立ちしている筈の全裸を無視した。
 キャロはティアナの豪胆な性格に感心する。

『六課に到着するまで暇でなー。さっきまで煩かった全裸を吊るしたところやし、丁度いいから初任務前のみんなを激励しようと思ってな』
『おいこら八神テメー! 友達を逆さ吊りにするとか卑劣すぎるだろ! どうせやるならもう少し優しく吊るせよ、縛りがきつ過ぎて足首から鬱血するだろうが! Sには奉仕精神が最も重要なんだぞ!?』

 全裸は風に揺れるミノムシのように暴れ回っている。重力に逆行しているとは思えないぐらい元気がよく、逆さ吊りされること自体には強い拒否感はないらしい。よく見れば、口元が笑みで歪みそうになっているのが分かる。
 その全裸の姿は見る者に形容しがたい不快感を与えるもので、キャロは思わずモニターから視線を逸らしそうになった。フリードもミノムシスタイルの全裸を警戒するように、珍しく低い唸り声を上げている。
 全裸への対応を決めかねているフォワード組だったが、先陣を切ったのは全裸を見て驚愕の声を上げるリインフォースⅡだった。

「って、どうして賢一がそこにいるんですか!?」
『どうしてって、八神をストーカーしたからだけど』
「そこはもう少しオブラートに包んでください! いきなり気持ち悪すぎですよ!?」
『そうか? じゃあ、八神を仰向け前進でストーカーしたからだけど』
「そもそものオブラートの使い方が間違ってます!? 賢一の奇行の詳細を暴露してどうするんですか!? ほら、フォワードのみなさんがドン引きしてるじゃないですか!」

 リインフォースⅡの激しいツッコミがヘリ内に響き渡る。
 全裸とリインフォースⅡの漫才を眺めるフォワード組の視線は冷たく、操縦席のヴァイスだけが笑い声を上げていた。ヴァイスはツボに入ってしまったようでむせており、ストームレイダーの管制を振り切ってヘリが大きく揺れる。

「ヴァイス陸曹は笑いすぎです!」
「いやー。すみませんねぇ、リイン曹長。二人の漫才が面白すぎて……くくっ」
『大丈夫ですよ、リイン曹長。とても微笑ましい光景です』

 リインフォースに怒られてもヴァイスは飄々としており、ストームレイダーのフォローはどこか微妙にズレていた。
 先ほどまでは任務前の緊張感に包まれていたヘリ内だったのが、全裸の登場と同時に脱力系に近い感じになっている。
 それはキャロも同様で、さっきまでの泥沼に嵌っていく自問自答を忘れるように、小さく深呼吸して気持ちを落ち着ける。泣きそうになっていた感情も治まりを見せ、平静を取り戻すことが出来た。

『ふふっ。いい感じに力が抜けたみたいやね、キャロ』
「えっ……あ、はい!」
『うん、良い返事や。その他のみんなもあまり気負いすぎることなく、自分の力をしっかりと発揮してほしいんやけど……もちろん、出来ないとは言わせへんよ?』

 八神の意地の悪い笑顔に、フォワード組はしっかりと力強い返事をした。
 そんな部下の頼もしい姿に八神は満足したのか、さきほどの意地の悪い笑顔ではない、機動六課でよく見る本物の笑顔を浮かべる。
 フォワード組もそれに負けじと、各々が自分にできる最高の笑顔を浮かべていく。
 その光景は、任務前とは思えない雰囲気に満たされていた。

『みなさん、降下ポイントに到着しました』

 そして、ストームレイダーが降下ポイントに到着したことを報せる。

『おっ、それじゃ邪魔者は退散しよか』
『ちょっと待って! 俺も何か格好いいこと言ってみたいんだけど!』
『その格好じゃ何を言っても逆効果やから、そのまま大人しく吊るされとれ』
『なんだよ、俺の格好のどこに文句があ――』

 全裸の発言が途中で切れるように通信が終わる。
 最後の最後まで己を顧みない全裸に対して、キャロは呆れ以上にある種の感嘆を覚えた。
 自分の生き方に迷いの無い人間はあそこまで愚直に生きていられることを示す、おそらくミッドチルダでも最たる悪例だろう。
 うじうじと迷いすぎて行動に移せないのも問題だが、かえって迷いを振り切りすぎるのも考え物なのではないだろうか、とキャロは先ほどの自問自答への参考にする。

「おし、新人ども準備はいいかー? 今さらビビったなんて言わせねえぞ!」
「大丈夫です!」
「覚悟は出来ています」

 ヴァイスの叱咤激励に答えるように、まずはスバルとティアナがハッチ前に立つ。

「ティア、初めての任務だけど頑張ろう!」
「言われなくても分かってるわよ。あんたに心配されるほど、あたしは落ちぶれちゃいないわ」
「もー、素直じゃないんだから……っとぉ!」

 一見するとでこぼこコンビだが、その凹凸がしっかりと嵌っていることを見せつけるように、二人は同時に空に飛び出した。
年長組が先陣を切るように、年少組はその後をしっかりと付いて行かなければならない。
 しかも、誰かに手を引かれるのではなく、しっかりと自分の足で飛び出す必要がある。
 今の自分にそれが出来るのだろうか、中途半端のまま空に飛び出してもいいのだろうか。
 そんなキャロの心配を掻き消すように、隣に座るエリオが手を差し伸べる。

「……一緒に飛ぼうか?」
「……うん!」

 キャロはエリオの手を握り締めると、二人の年少組は駆けるようにして空に飛び出していく。
 それは、決して誰かに手を引かれるのではなく、誰かと手を繋いで一緒に歩いて行こうとする、キャロ・ル・ルシエの決意の表れだった。



 フォワード組が列車に飛び乗った頃、高町は既に空の上でガジェットと交戦していた。
 今まで見なかった飛行タイプとの空戦を繰り広げているものの、戦況は極めて高町寄りのものとなっている。
 高町がこの任務で担当している役目は単純にして熾烈。
 それは、列車に近寄ろうとするガジェットを片っぱしから撃墜していき、フォワード組の初任務の邪魔をさせないことである。
 高町は前から接近してくる二機を“ショートバスター”で撃墜しながら、同時にこの場を逃れるように飛行する三機をたった一つのシューターで三枚抜きにしていく。
 ガジェットの数は多いものの、数の差がそのまま不利になるような半端な経験を積んでいない高町にとって、緊迫している戦場の中でも優雅に空を舞うことは容易かった。フォワード組との模擬戦の方がより歯ごたえがあるといっていいだろう。

≪なのは≫
≪あ。やっと来たんだ、フェイトちゃん。もー、大遅刻だよ?≫

 エースオブエースの名に恥じない戦いぶりを存分に発揮する高町の元に、馴染み深い閃光が援軍として参上する。
 フェイト・T・ハラオウンは黒を基調としたバリアジャケットに身を包み、右手にはハーケンフォームを展開したバルディッシュを握っていた。バルディッシュの先端からは高密度の魔力刃が形成されており、初めて見る人間には“死神の鎌”と思わせる存在感を放っている。

≪じゃあ、遅れた分は取り返そうかな。バルディッシュ――いくよ≫
≪Haken Saber≫

 フェイトはバルディッシュを振りかぶると、群を成すガジェット目掛けて豪快に振り抜いた。
 先端から切り離された魔力刃はブーメランのように回転し、ガジェットの群れを一網打尽に切り裂いていく。

≪お見事!≫
≪なのはには負けるけどね≫

 対照的な白と黒のバリアジャケットを着た二人の魔導師は、空の上を我が物顔で飛行するガジェットを次々と蹂躙していく。
 そんな二人の間には戦術に関する会話は無い。
 お互いのことを他の誰よりも理解していると自負している、そんな二人だからこそ出来る最高のコンビネーションであると言えよう。
高町が後ろを取られればフェイトがすかさずフォローし、フェイトが敵に囲まれれば高町がすぐに退路を作り出す。
 そこに余計な言葉は無く、場の状況や相方のことを考えれば二人にとっては造作もないことだった。

≪そういえば、なのは≫
≪ん?≫
≪フォワードの子たちはどんな様子だった? 初任務で変に緊張してなかったかな?≫
≪うーん……スバルとティアナは特に問題は無いかな。エリオは緊張してるようだったけど、賢い子だから戦闘に入れば切り替えられると思う。……少し、心配なのはキャロかな≫

 高町の判断にフェイトは言葉を詰まらせる。
 そんなフェイトを励ますように、高町は言葉を続けた。

≪でも、わたしからもアドバイスはしておいたし、キャロなら大丈夫。自分が持て余していると思っちゃっている力に対して、キャロの中で整理がつくのはそう遠くないよ。早ければ、この任務がキッカケになると思う≫
≪……そっか≫
≪それにね、フォワードの子たちの初任務前に、はやてちゃんからも激励してもらおうと連絡したんだけど……ふふっ、何があったと思う?≫
≪えっ? うーん……はやてのことだから、何か寒いギャグでも言おうとしてたとか?≫

 フェイトの八神に対しての酷い推理は聞き流しておき、高町は八神と一緒にいた人物の名前を挙げる。

≪正解はなんと、はやてちゃんと一緒に賢一君がいたんだ≫
≪えっ……ちょっと待って、どうして賢一がはやてと一緒にいたの? はやては聖王教会に行った筈じゃ……≫
≪うん、賢一君が勝手について行っちゃったみたい。お得意のステルス魔法で気付かれないように、フェイトちゃんの車の後部座席にもいたらしいよ?≫

 高町の言葉にフェイトは絶句した。
 あの全裸のステルス魔法のチート具合は身に染みて分かっているが、まさか自分の車に乗っていたとは想像もしていなかったのだろう。
 八神と仲良く談笑している間、後部座席で全裸が息を潜めていたことを考えると、それはフェイトにとってギャグではなくホラーの領域だった。

 ――今度の休みに、新しい車でも買いに行こうかな。

 フェイトは高町との念話に流れないように、慎重に胸の中だけで休日の予定を立てる。
 しかし、フェイトの表情は全裸への潔癖な対応から考えると、何故か逆に明るくなっていた。キャロへの心配は何処へ行ったのか、非情に清々しい顔つきでガジェットを破壊している。

≪そっか、賢一がいたんだ。……それなら、大丈夫かな≫
≪空気を読まない賢一君だからこそ、出来ることがあるからね。今頃はみんな、いつもの調子で緊張なんて吹き飛んでるよ。もちろん、キャロだって≫
≪うん。だって、私たちがそうだったもんね≫

 フェイトはガジェットを破壊する傍ら、全裸と一緒に関わってきた今までの出来事を少しだけ思い出す。
 初めて会った時は、頭のおかしい子だと思った。
 再会した時も、やっぱり頭のおかしい子だと思った。
 付き合いが随分と長くなった今でも、きっと頭のおかしい人だと思っているんだろう。
 だけど、彼はいついかなる時も彼であり続けていた。
どんなに絶望的な状況でも、絶対に空気を読まないのが鳴海賢一という全裸趣味の男である――フェイトはそれが彼の短所でもあり、最大の長所だとも考えている。
 彼はいつでもあの調子でそこにあり続けていたし、その彼にとっての平静が絶望に変わったところなんて一度も見たことが無い。
 そんな彼を見て、自分を含む周りの人たちはどんなに緊迫した状況でも笑い合って、決して希望を見失わなかったのだから、きっと、キャロも前を向いて自分自身と向かい合っていけるだろう。――あの頃のフェイト・テスタロッサと同じように、自分を認めてあげられるだろう。

「――うん、賢一はやっぱり凄いかもしれない。ただ、どうしようもなく変態なのを直してほしいけど……まあ、それが賢一らしさなんだろうなぁ」

 フェイトは自分の独り言に苦笑すると、機械の群れで覆われた空を閃光のように駆け抜けていく。
 その閃光の後には、ガジェットなど形も残らない。



 結果から振り返れば、機動六課の初任務は大成功で終わったと言える。
 今回の目的としていた“レリック”の確保も滞りなく達成しただけではなく、フォワード組の懸念であった召喚士の少女がフルパフォーマンスを成し得たことも大きい。今後もあれだけのパフォーマンスを続けていけば、機動六課にとって優秀な戦力になるだろう。
 新型ガジェットと空戦を繰り広げていた高町なのはとフェイト・T・ハラオウンに至っては、被弾ゼロで全機撃墜といった圧倒的戦力差を披露している。あれだけの数の差をものともしないというのは、ある意味で感動よりも恐怖を覚えるほどだ。
 ガジェットに標準で搭載されているAMF――魔力結合・魔力効果発生を無効にするAAAランクに値する魔法防御をもってしてもなお、高町なのはとフェイト・T・ハラオウンには敵わない。二人にリミッターがかかっている状態であろうとも、ガジェットの相手など取るに足らないという事なのだろう。

「……ふむ。そう考えると、今回は彼女たちのデータが取れただけでも上々といったところか」

 先ほどの機動六課メンバーの戦いが映し出されている巨大なモニターを前にして、一人の男が愉快そうに笑いながら言った。
 その笑みは幸福を感じさせるというよりも、底知れない狂気を感じさせる歪んだ笑い方だ。
 現に、この男は何度も肯きながら、ガジェットが破壊されていく様を楽しそうに観賞している。

「それにしても、プロジェクトF――その残滓がこうして目の前にあるというのは、なかなか運命めいたモノを感じさせてくれる。忌まわしい過去を背負うテスタロッサの娘に、Fの遺産である少年……ああ、実に素晴らしいシチュエーションだ」

 フェイト・T・ハラオウンとエリオ・モンディアルを見て、男は再三に渡る歪んだ笑みを浮かべた。
 自分が関わった禁忌が、こうして敵という形をとって現れた。その変わった因果関係に、彼は極上の愉悦を感じている。
 男にとっては既に見限った禁忌だが、こうして新旧作品の比べ合いをする機会が訪れたというのだから、その喜劇を楽しまないつもりは更々ない。
 それどころか、自分が主催者となって劇を開く予定を立てている。
 そんな娯楽至上主義の性格をしているのが、この男――ジェイル・スカリエッティという人物だ。

「そういえば、私が心待ちにしていた彼がいないね。ウーノ、あの彼――鳴海賢一君は先ほどの戦場に顔を見せているかい?」
「……いえ、鳴海賢一の反応はありませんね。おそらく、機動六課で待機だったのではないでしょうか」

 スカリエッティの問いかけに、ウーノと呼ばれた長髪の女性が答える。
 彼女の指はキーボードを軽快に叩いており、どうやら先ほどのデータをまとめているようだ。機動六課の主要戦力をリスト形式でまとめ、それぞれの能力をデータから分かる範囲で解析している。

「ふむ、そうか。まあ、彼がもし先ほどの戦場に顔を見せていても、その姿を捉えることは叶わないのだろうが」

 スカリエッティは鳴海賢一のことをよく知っている。
 いや、興味深いから調べ上げた、と言った方がより正しいのだろう。
 スカリエッティにとって、鳴海賢一という全裸は興味深い人物として分類されている。

「管理局に鳴海賢一という人間がいる……そのことを知った時の私のはしゃぎようと言ったら、それは自分でもよく覚えているよ。ウーノはどうだい?」
「ええ。ドクターが興奮のあまり三日も寝つけなかったのは、あれから数年が経過した今でも覚えています」
「そう、その通りだ。私ともあろうものが、たった一人の人間に好奇心を全力で向けてしまった。しかし、今となってはジェイル・スカリエッティが経験した歴史で、最も楽しい三日間だったと断言できる。むしろ、次元世界中に誇らしげに宣言したいぐらいだ」

 まるで子供のようにはしゃいでいるスカリエッティは、鳴海賢一のことを想い崇めたてるかのように天井を仰いだ。

「くくっ……自分の意志を包み隠そうとせず、欲求にのみ従って行動することが出来る人間――ああ、私は早く君に会ってみたい。そして、話をしてみたい。君はどうやってそういった人間に至ったのかについて、多くの言葉を交えて検証してみたい!」

 そのチャンスがようやく訪れたことを喜びながら、スカリエッティは声高らかに鳴海賢一への想いを爆発させる。
 その狂気的な想いを支えているのは、スカリエッティが鳴海賢一のことを“同類”だと認識していることだ。
 鳴海賢一の特徴的な要素として、ただ一途に全裸を貫いていることが挙げられるだろう。
 どれだけ周囲から非難されようとも、鳴海賢一はその在り方を決して改めようとしない。友人に砲撃されようとも、斬られようとも、縛られようとも、彼は自分を象徴する在り方としての全裸を貫き続けている。
 そんな鳴海賢一の生き様を、スカリエッティは美しいものとして愛で、なおかつ憧れていた。
 極めて傲岸不遜な自信家で、生命を平気で実験台にするなど一般的な倫理感は持ち合わせていない、そんな狂気的な思考回路を持つスカリエッティが、鳴海賢一という人間に対してのみ憧憬の念を禁じ得ないのである。
 鳴海賢一の極めて自分至上主義で娯楽至上主義な在り方は、ジェイル・スカリエッティにとっては他にいない“同類”であり、同時に自分よりも格上として認識することが可能な初めての在り方だった。

「私が用意したこれから始まる長い劇。――それを君にも是非楽しんでもらいたいと、心から願っているよ。鳴海賢一君」

 スカリエッティは愛しい者の名前を呼ぶように呟くと、颯爽と白衣を翻して踵を返す。
 そして、スカリエッティは何を思ったのか、おもむろに白衣を脱いで放り投げると、窮屈そうなスーツを上から順番に、しかも歩きながら器用に脱いでいく。
 その光景を眺めているウーノにとっては、それは頭痛の種以外の何物でもなかった。
 そう、ジェイル・スカリエッティも鳴海賢一と同じように、自身の生き様として“変態”をその在り方にしているのである。
 それは、全裸に憧れた変態が見出してしまった、似て非なる在り方だと言えるだろう。
 稀代の全裸と狂気の脱ぎ魔――似て非なる“変態”が邂逅する日は近い。



[33454] 機動六課と陸士108部隊
Name: 全裸◆c31cb01b ID:ae743e2c
Date: 2012/08/15 02:00
 リインフォースⅡが機動六課に出勤してからやることは、最近あった出来事を私的な勤務日誌にまとめることである。
 今日まとめているのは先の機動六課初任務の件で、実際に自分も現場に立ち会った身から主観的かつ客観的に任務内容を総括して振り返っていた。

「フォワードの子たちは順調……これからの成長が楽しみです……っと」

 フォワード組の活躍を思い返すリインフォースⅡ。
 長くコンビとしてやってきていたスバルとティアナは流石として、エリオとキャロの年少コンビもしっかりとお互いにフォローし合っていたことは収穫と言えるだろう。
 これからもフォワード組としてのコンビネーションはもちろん、プライベートでもコミュニケーションを深めていってほしい、とリインフォースⅡは願っている。

「なのはさんとフェイトさんは流石の貫録……新型ガジェットにも後れを取ることなく圧倒していました……あれでリミッターがかけられているのですから逆に怖くなるレベルです……っと」

 高町とフェイトにはあえて特筆するべきポイントもないだろう。
 始めから二人の実力を把握していたリインフォースⅡにとって、リミッターで能力が抑えられているとしても十二分のパフォーマンスをするだろうとは予想していた。
 今後もフォワード組の見本として活躍していってほしい、とリインフォースⅡは締めくくる。

「はやてちゃんたちロングアーチも奮闘……若い子たちばかりですけど実力と将来性は折り紙つき……機動六課の指揮系統として安定した活躍をしてほしいです……っと」

 リインフォースⅡはロングアーチが慌ててしまわないか不安に思っていたが、八神の貫録ある指揮とグリフィスの適切な補佐、シャリオを通信主任としたアルト、ルキノといった若手通信士もしっかりとついていったらしい。
 これからも機動六課を支える縁の下の力持ちとして頑張ってほしい、と期待を込めて称賛する。

「ヴァイス陸曹は生意気な面が目立ちます……ストームレイダーもリインをお子様扱いしている面が拭えません……それでもお二人の仕事ぶりは十分な評価に値します……っと」

 機動六課の兄貴分ともいえるヴァイスとストームレイダーには、リインフォースⅡの個人的な感情が駄々漏れだが、それとは別にヘリパイロットとしての実力はしっかりと評価していた。
 それに加えて、出来ることならヴァイスにも戦場に立ってほしい気持ちもあるが、彼が抱えている事情がデリケート過ぎて直接言うのも憚られる。
 この機動六課がヴァイスにとっての転機となれば幸いだ、と同僚への心配を書き綴る。

「賢一は最悪です……相変わらず意味不明な行動を取りますし……オブラートの使い方も間違っていますし……一緒に遊んでくれないしお姉さまを邪険にするし……一度説教する必要があるかもしれないです……っと」

 鳴海賢一には私怨全開だった。
 大半は彼の奇行や発言に対しての愚痴だったが、最後の方では構ってもらえない子供のような言い分になってしまっている。
 彼の性格というか生き様を改めさせるための決意をした、そんなリインフォースⅡだった。

「あれ、リイン曹長じゃないですか。どうしたんですか、こんなところで?」

 食堂にやってきた人物がリインフォースⅡの名前を呼んだ。
 その親しみのある朗らかな声音を持つ人物に見当をつけながら、リインフォースⅡは日誌から顔を上げる。
 そこにいたのはやはり、機動六課のロングアーチ通信主任兼メカニックのシャリオ・フィニーノだった。彼女は柔らかな笑みを浮かべながらリインフォースⅡのいるテーブルまで歩いてくる。

「あっ、シャーリー。えっとですね、リインは個人的な日誌を書くことで、機動六課での日々を振り返っている最中なのですよ」

 誇らしげに小さな胸を張るリインフォースⅡに、シャリオは感心したように肯いた。

「へー、日誌かー。私って、そういうの苦手なんですよね。すぐに飽きて放り出しちゃうというか、終わりが見えないとやる気が出ないというか」
「シャーリーは忍耐力が無いんですか?」
「……えっと、そういう日々の積み重ねよりも、つい刹那的な興味関心に流されるというか」
「つまり、シャーリーは忍耐力が無いんですね?」
「――はい。そうです、私は忍耐力が無い飽きっぽい女です」

 シャリオは両手を上げて降参のポーズを取った。
 リインフォースⅡが放つ威圧感に屈した形である。見た目はそのまんま妖精サイズであるというのに、流石は八神家の末っ子であるというのか、なかなかに侮れない人物であるといえよう。
 リインフォースⅡは見た目と言動の子供らしさとは裏腹に、どこか世話焼きというかお説教好きという性格をしている。
 それは、傍から見れば子供が背伸びしているような微笑ましい光景なのだが、どこかの全裸へのツッコミで言動が段々と苛烈さが増してきているため、軽い気持ちでお説教を聞いていると思わぬ精神的ダメージを負うことが稀にあるようになった。

 ――あー、これって藪蛇を突いちゃった感じかな。

 シャリオは頭を抱えてしまいたくなる気持ちに駆られるが、このタイミングで逃亡を図ってもリインフォースⅡは追い掛け回してくるだろう。子供が玩具に夢中になるように、現在のリインフォースⅡはシャリオにお説教をしようとすることに夢中になりかけている。
 それなら、下手に動いて悪化の一途を辿るよりも、この段階でお説教を甘んじて受けることで被害を少なくすることに尽力しよう、とシャリオは頭を空っぽにして馬耳東風を再現することにした。
 そして、リインフォースⅡは「やれやれ」と溜息をつくと、友人兼同僚である眼鏡メカオタ娘に苦言を呈するように口を開く。

「そんなんですから、シャーリーは彼氏とも長続きしないんですよ?」
「ぶっ……!?」

 だが、リインフォースⅡの開口一番は、シャリオの予想を遥か斜め上にいく発言だった。
 シャリオはまるで視界の外からコークスクリューブローを鳩尾に叩き込まれたように呼吸が止まりそうになったが、なんとか呼吸を落ち着けてリインフォースⅡの発言内容について疑問を投げかける。

「ちょ、ちょっとリイン曹長。何ですかソレ、私には全くと言っていいほど身に覚えがないんですけど。というか彼氏なんて生まれてこの方出来たことないですし!?」
「とぼけても駄目ですよ。シャーリーは今まで両手の指でも足りないぐらいの彼氏と付きあった経験があるけど、その殆どが一週間経つか経たないかぐらいで決まってシャーリーから振るらしいじゃないですか。ちなみに、別れの言葉は「アンタじゃ私を楽しませられそうにないわね」――だそうですね?」
「何ですかその近年稀に見る悪女設定!? 私がそんな発言するように見えます!?」
「人は見かけによらないとはよくいったものです」
「勝手に納得しないで下さいよ! どこの誰ですかそんな馬鹿話流した人は!?」」
「え? 賢一ですけど?」

 リインフォースⅡが疑いを微塵も持っていない様子で主犯の名前を言った。
 それに対するシャリオはテーブルに両の手の平を叩きつけて抗議する。

「やっぱりあの変態全裸しかいないと思っていましたよ! ……っていうか、リイン曹長もそんな簡単に信じないで下さいよ!」
「で、でも賢一がいつも嘘をつくとは限りませんよ?」
「なんで普段から全裸・変態・奇行といった三要素を振りまいている鳴海さんを今回に限って信じちゃうんですか!? 露出してる地雷原をスキップで横断するレベルの不用心ですよソレ!」
「え、えーっと……そ、そうです、ああ見えて賢一にも意外と優しいところはあるんですよ?」
「確かにそうかもしれませんけど、あの人は同時に意味不明な行動と言動をするから相殺どころか被害の方が軽く上回っていますよ! 今回だって何で私にターゲットを絞ったのか分かりませんし、そういう役目ならなのはさんとかフェイトさんとか八神部隊長とかいるのに!」

 シャリオは天井を仰ぎながら自身の不幸を嘆いている。
 鳴海賢一という全裸の迷惑を被っている機動六課のトップスリーがいるにも関わらず、どうして自分が全裸の被害に遭わなければならないのか、そのことに本気で納得がいかないようだ。
 リインフォースⅡはシャリオの魂の叫びを聞いて、自分がようやく全裸の戯言に乗せられていたことを悟ったようで、シャリオの周りを飛び回って全力で謝罪を繰り返している。

「あー、シャーリー御免なさい御免なさい! リインが間違っていました賢一の言うことを真に受けたのが間違いでしたー!」
「いいえ、リイン曹長が謝る必要はありません! リイン曹長は確かに少しだけ頭が弱くて純粋無垢ゆえに騙されやすいというか簡単にオレオレ詐欺に騙されてしまいそうな感じですけど、あれもこれも全てはあの全裸が悪いんです!」
「そうです、そうです……って、今なんかさらっと酷いこと言われた気がします!?」
「そんな些細なこと気にしたら負けです! さあ、あの全裸を探し出して痛い目に遭わせてやりましょう、具体的には試作品デバイスの実験体とか!」
「そ……そう、そうですね! ここは一度賢一にも反省してもらう必要がありますね、ちょうど私もお説教しようと思っていましたし!」

 リインフォースⅡとシャリオは結託し、段々と人が集まってきた食堂の真ん中で手を高く掲げた。
 その二人の姿を見ていた人だかりからは、「ああ、まためんどくさいことが起きるな……」といった視線が向けられていた。



「――ん」
「どうしたの、鳴海君?」
「いや、何か急に寒気が……誰かが噂話でもしてるのかも。ほら、俺ってば有名人だし」
「有名人というか……悪名高いというか……はあ」

 どこか鼻高々な服を着ている全裸を目の前にして、機動六課の医師――湖の騎士シャマルは溜息をついた。
 ここは機動六課の医務室で、シャマルは現在、鳴海賢一のカウンセリングを行っていた。医務室に二人きりというシチュエーションに若干の不安を覚えずにはいられないが、いかに変態を地で行く鳴海でも度を過ぎた蛮行はしないことは重々承知している。
 シャマルが不安に感じているのは、こうして二人きりでいるところを誰かに誤解されてしまわないか、といった一点に尽きる。

 ――最近の六課のノリって、少しでも油断したら大火傷を負いそうだし。

 だからこそ、一瞬の隙も見せてはならない。
 例えば、会話の語尾をうっかり噛んでしまうなんて以ての外だ。常識的な人物なら見逃してくれるだろうが、鳴海賢一という“毒”に感染している面々相手では軽く小一時間はそのネタで弄り回されるだろう。
 そんなシャマルの警戒心になんて気付くそぶりも見せず、鳴海はどこか不安げな調子で口を開く。

「ところでシャマルさん、俺ってばどんな感じよ?」
「え? ええ、はい……見たところ、特に回復の傾向は見られないわね。この前のカウンセリングから何も変わってないみたい」
「うわ、マジかー……やっぱり治らないのかな?」
「どうでしょう……鳴海君が自身のレアスキルで負ったペナルティが原因ですから。普通のソレとは症状が若干異なっているのかもしれないし、そもそも治療が可能なのかも不明だから」

 シャマルは一度言葉を区切った。
 不安げな表情を浮かべている鳴海は久しぶりに見たと思いながら、これで何度目になるのかも忘れた言葉を続ける。

「そのペナルティが肉体的問題を引き起こしているのならまだしも、精神的問題も誘発しているとなるとなかなか厳しいんじゃないかな――っと、数年前から同じことしか言えてないわね」
「いや、それは別にいいんだけど……こうしてカウンセリングしてくれるだけありがたいし。――ただ、あれから未だに一歩も進展していないのは、やっぱりちょっとテンションが下がるわー」

 鳴海は肩を落としてがっくりと項垂れた。
 普段から全裸・変態・奇行といった三要素をあらん限りに振りまいている鳴海賢一だが、そんな彼でもシャマルとのカウンセリングの際にはかなり大人しくなる。普段からこんな様子でいてくれるならそれに越したことは無いのだが、それはそれで鳴海賢一という人物の影が薄くなるのもどこか勿体無い気持ちもある。
 こんな彼だが、こんな彼だからこそ救われてきた場面も少なからずあるのだ。九割方は被害を受けることになるのだが、その大半はあの三人娘に及ぶことになるのでどうということはない。

「じゃあ、今回も同じお薬出しておくわね。用法、用量はキチンと守ってね?」
「はーい……ありがとうございましたー」

 鳴海は声のトーンも低いままに医務室を後にした。
 そんな彼の後ろ姿を見送ってから、シャマルは少しだけ過去を振り返る。
 シャマルが初めて鳴海賢一の姿を確認したのは、高町なのはのリンカーコアを抜き取った時だ。
 そんな戦場に、鳴海賢一はさも当たり前のようにそこに存在していた。
 いや、いつの間にか現れていた、といった方がより正しいのだろう。
 シャマルが自分の索敵にかからない存在を初めて認識した時の驚きといったら、シグナムやヴィータ、ザフィーラも一様に驚いていたことは今でも記憶に新しい。
 そして、改めて言うべきことでもないのかもしれないが、そんな戦場においても鳴海賢一は全裸でそこに存在していた。当時は幼い少年でしかなかった彼は、今と変わらない変態ぶりをいかんなく発揮して、魔導師と騎士との戦いにその身を投げ入れた。

「私はもちろん……シグナムやヴィータ、ザフィーラもどうしたらいいのかよくわからなかったみたいだし」

 シャマルは自分たちの呆然とした様子を思い出して、一人微笑みを浮かべる。
 鳴海賢一特有の感染力に堕ちてしまった具体例を述べるのなら、ここ機動六課が既にそうなっていると言えるだろう。
 鳴海賢一のことをよく知っている人たちが抑止力として働いてはいるものの、その浸食レベルはもはや取り返しのつかないところまで来ていると言っていい。
 そもそも、既に鳴海賢一の雰囲気に毒されている自分たちが、彼の抑止力として機能するはずがないという事は、皆が心のどこかで理解していたはずだ。
 だからこれは、鳴海賢一による被害を未然に防ぐというよりも、確実に起きる被害を最小限に抑えるといった意味合いが強い。管理局地上本部の実質的なトップ――レジアス・ゲイズ中将もそう考えて、彼を機動六課に押し付けたのだろう。
 言い方を変えれば厄介払いである。
 一方で、自らの胃を痛めつける馬鹿への処置としては、これ以上ない最適な選択肢だろう。

「鳴海君に毒されないように……とは思っているものの、もう手遅れなんだろうなぁ」

 シャマルは何度目になるかも分からない溜息をつきながら、鳴海賢一のカルテを読んだ。
 そこに記載されている診断結果は、十年前のクリスマスから何も変わっていない。



 いつになく低いテンションで廊下を歩いている鳴海を最初に発見したのは、朝の訓練を終えたばかりのスバル・ナカジマだった。
 スバルは個人訓練の担当であるヴィータからの“ありがたい指導(物理)”を頭の中で反芻していたのだが、機動六課で服を着ている全裸を初めて見たことで、つい声をかけてしまう。

「鳴海さーん!」
「んあ? ああ、機動六課の犬型マスコット二号のスバルじゃん。何か用か?」
「何ですかその犬型マスコットって……しかも二号って、一号は誰ですか?」
「そりゃもちろんザフィーラだろ。あの忠犬振りはお前の犬型マスコットとしての目標にするべきだ。ほら、お手」

 差し出された右の手の平に、スバルは自身の右の手の平を思い切り叩きつけることで応えた。
 ノリの良いリアクションを求めていた全裸には予想外の衝撃だったらしく、涙目になりながら右手に息を吹きかけている。

「いってーなこの熱血馬鹿! そういう過激なところだけギンガに似やがって……ふー、ふー」
「あっ、そういえば鳴海さんってギン姉と知り合いなんですよね?」
「知り合いっつーか元同僚っつーかよく殴られた記憶はあるっつーか軽いトラウマ?」
「あー……だって、鳴海さんってだらしないですもん。そりゃギン姉のターゲットになりますよ」

 スバルの姉――ギンガ・ナカジマ。
 スバルよりも一足早く管理局員となって、現在では父親のゲンヤ・ナカジマの部隊に所属している。イメージとしてはスバルの猪突猛進を生真面目で薄めたような性格をしており、規律正しくも優しく、大らかな包容力も兼ね備えている大人の女性だ。
 母親を事故で無くしているスバルにとっては、姉であると同時に母親ともいえる存在である。
 そんなギンガの目の前に全裸姿の変態がいるなら、あの姉が取るだろう行動はスバルにも何となくだが読めてしまえる。おそらく、説教からの武力行使が大半だろう。普段は優しい性格をしているが、ひとたび怒らせると際限なくエスカレートしていってしまうあたり、人は見た目では判断できないという事だろうか。

「そこまでだらしないかぁ? 俺なりに真面目な態度を取っているつもりなんだけど」
「鳴海さんに真面目云々を解説する資格は無いと思います」
「ぐっ……なんだかお前、ギンガみたいな口振りじゃねえか。トラウマが抉られるんで止めてもらえませんかね?」
「そう見えます? えへへ、実はギン姉から“鳴海賢一:扱い方マニュアル”をデータで貰ったんで、物は試しに実践してみたんですよ。ちなみに、ギン姉からの情報によると“鳴海賢一は意外と真面目な一面を二百五十五面のひとつぐらいに持っているので、正論で言論封殺するのも一つの有効な手”――だそうです」
「――ああ、そう」

 スバルが浮かべる爽やかな笑顔の後ろに、かつての同僚の感情が微塵も込められていない笑顔を幻視した鳴海は、大した反論もすることなく口を閉じた。どことなく不機嫌そうに唇を尖らせているあたり、変態行為を事前に封じられるとストレスがたまる性質なのかもしれない。
 それとも、同年代や年上から叱られることには慣れている鳴海でも、年下に真っ向から叱られることにはイマイチ慣れていないのだろうか。
 ただ、同年代や年上が皆相当の役職を持っているのにも関わらず、堂々と変態行為に興じる事が出来るその豪胆な性格にはどういった過去が影響しているのだろうか。
 スバルはそのことに関して少しだけ興味を持った。

「あの、鳴海さんってけっこう顔が広いというか、いろんなところに出没してる印象を感じるんですけど」
「ああ、まあ知り合いはかなり多いと思う……というかアレだな、スバルって俺のことをモンスターか何かだと思ってないか?」
「いえ、そこまでは……ないこともないかもしれません」
「こういう普通の会話で傷つけられるとかなりへこむんで勘弁してくれ。ただでさえテンションが低いんだよ……ああ、死にたい」

 鳴海は肩を落として項垂れた。
 機動六課に来て早数ヶ月、鳴海賢一とも知り合って数ヶ月目になるが、こんなテンションの彼を見たのが初めてなスバルにとって、かなり衝撃的な光景だった。鳴海賢一から変態行為を取るとここまで普通の男性になってしまうのか……しかも服を着ているので警戒心を抱くことが出来ない。
 ただ、そういった鳴海賢一を果たして“鳴海賢一”として正しく認識できるかというと、スバルには自信が無かった。高町を始めとする彼の古くからの知り合いはどうなのだろう、全裸でもなければ変態でもない鳴海賢一を、彼女たちは果たして“鳴海賢一”と呼べるのだろうか。

「うーん……これは難しい問題だなぁ」
「何を一人で勝手に唸ってんだ?」
「い、いえ、特に何でもないですよ。それより、なんだか本当に元気ないですね……どうしたんですか? 服も来てるし」
「一身上の都合によりって感じ。残酷な現実を再確認しただけだった」
「鳴海さんでもそういったテンションになることがあるんですねぇ。てっきり年中ハイテンションを貫き通すのかと思ってました」

 真顔で驚いた様子のスバル。

「お前は俺を一体何だと思ってんだ……それより、そっちは朝練だったのか?」
「はい、個人訓練という事でヴィータ副隊長からのご指導を受けてました」
「ああ、ヴィータの個人訓練ね……気持ちよかった?」
「……えっと、前後の文章が全く繋がっていないんですけど」
「いやー、俺もよくヴィータにフルスイングされてるんだけど、最近あの刺激に目覚めたっぽくてな。俺の中ではフェイトの電撃に次ぐ第三位にランクインしてる」
「……正直聞きたくないんですけど、ちなみに第一位にランクインしてるのは?」
「そりゃあお前、高町の砲撃だろうが。あの圧倒的な絶望感の裏にある背徳的な感覚は病み付きになること必死だぜ。スバルも一度砲撃してもらえば理解できると思うけど」
「それを理解したら人間終わりだと思うんですけど……」

 スバルはげんなりした様子で顔をしかめる。
 この数ヶ月に渡る機動六課での生活の中で、鳴海賢一という変態の在り方をある程度は理解出来たつもりでいたが、どうやら目の前の変態の底はまだまだ深いようだ。その深淵を理解できる頃には、自分もあの隊長陣のように染まってしまうのだろうか、とスバルはぼんやりと思う。
 その時、廊下の先から声を上げて爆走してくる二人組が現れた。

「あっ、いました賢一です!」
「ここにいましたかこの変態! 無意識に全裸姿の変態を探していたから無駄に手間取りましたよ! さあ、この試作デバイス“ナノハ・タカマチ”の威力をとくと見せてやりましょう、リイン曹長!」

 こちらに向かって走ってくるのは、シャリオと普通の子供サイズにまで大きくなったリインフォースⅡだった。シャリオは鳴海賢一に指を向け、リインフォースⅡは初めて見る形の大筒デバイスを脇に抱えている。
 リインフォースⅡが大きくなっている姿は初めて見たスバルだったが、ここ機動六課では日常的に目の前の変態が闊歩しているので、初見でも特に驚くようなレベルではなかった。
 ティアナ辺りはそんな自分の境遇に頭を悩ませることになるのだろうが、そこまで思いつめない性格のスバルは割と臨機応変にその場その場で対応していける。この場で自分が取るべき行動とは、こちらに向かって走ってくる二人と鳴海賢一とを結ぶ直線上から退くことだと本能的に悟った。

「あ? 何を廊下で騒いでんだあの二人?」

 鳴海が他人事のようにそうのたまった。
 普段は動物的な危機察知能力を発揮して、自ら嬉々として飛び込んでいくのだが、今の心理状態ではその本能も発揮されないらしい。つくづくその場のノリで生きてる人だ、とスバルはむしろ感心した。

「リイン曹長、チャージは完了しましたか!?」
「もう少しです! 十……五……完了しました!」
「よっしゃ! 発射ぁぁぁぁぁっ!」

 シャリオの掛け声と同時に、リインフォースⅡが抱える大筒デバイスから雪のような白い閃光が砲撃された。
 その閃光は一直線に突き進み、呆然として動けないままの鳴海を呑み込んだ。肉が焼けるような生々しい音が聞こえ、鳴海の言葉にならない悲鳴が廊下に木霊している。
 鼻先を掠めた閃光に冷や汗を垂らしたスバルは、目の前の惨劇から目を背けるようにシャリオとリインフォースⅡの様子を窺うことにした。

「よし、命中! 試作品でもこれだけの威力が出せるなら十分です!」
「ふわぁ……まるで、なのはさんみたいな砲撃魔法ですー」
「ええ、魔力資質があれば誰でも気軽にエースオブエース並みの砲撃魔法を撃てる、それをコンセプトに開発したのが試作品“ナノハ・タカマチ”ですから! ちなみにAIは非搭載ですが、完成品にはなのはさんみたいなAIを搭載したいと思っています!」
「それは随分と尖ったコになりそうですね!」
「砲撃特化の性格に調整してみせますよぉ! っていうか砲撃以外は出来ないようになってますしね!」

 和気藹々としている二人の会話を聞いて、スバルは改めて状況を整理することにした。
 鳴海賢一は高町なのはクラスの砲撃魔法を浴びた――以上。
 スバルは鳴海賢一が気絶している姿を見て、普段は絶対に思わないであろう事を呟いた。

「――鳴海さんも、けっこう苦労してるんですね」

 これが鳴海賢一の自業自得だと確信している上で、スバルはそんなことを思わずにはいられなかった。



「――ん。賢一君がなのはちゃんの砲撃魔法で撃たれた気がする」
「それはまた随分と具体的な内容だな、八神」

 陸士108部隊の部隊長室。
 そこに居合わせているのは機動六課の部隊長こと八神はやてと、陸士108部隊の部隊長ことゲンヤ・ナカジマだった。
 こうして二人が顔を合わすのは、今さっき話題に上がったばかりの馬鹿の出向許可を頂きに八神が訪ねて以来である。
 あの時には近いうちに飯でも奢ってもらうと約束をしたのだが、機動六課設立に伴い忙殺されていた八神の都合上、未だそういった機会は訪れていない。
 ゲンヤは気前がいいというか、親分肌な気質を持っているので、自分が遠慮すると逆にランクの高いところに連れて行こうとする。そのことを知っている八神は、飯に誘われるタイミングがやってきたら誠心誠意の遠慮を見せようと心に決めていた。
 八神はそんな胸の内を明かすことなく、あの馬鹿の名前を出されたことで反射的にげんなりしているゲンヤに苦笑する。

「あはは。……まあ、機動六課が設立して少しですけど、彼と一緒の部隊にいると嫌でも察知してしまいまして。――ああ、また馬鹿やってるんやろなぁ、って感じに」
「そうなるともう終わりだな。近いうちに今度は胃痛が襲ってくるようになる。ちなみに、わざわざ言うまでもないだろうが俺の体験談だ」
「それは聞きとうない体験談ですわ。私はまだ十九そこらの小娘ですよって」
「十九そこらの小娘が一部隊を率いる長やってんだから、そりゃもう大したもんじゃねえか。あのヒヨッコ同然だったお前さんがここまで立派になるなんて、研修を担当した俺にしてみれば鼻高々だぜ」

 純粋に褒めてくれているであろうゲンヤに対し、八神は謙遜するように身体を縮こませる。

「いやいや、私なんか希少技能持ちの特例措置が、自分が思う以上に上手い具合に転がってくれただけですよ。まだまだ、周りからは認められているなんて思っていませんから」
「何を一丁前に謙遜なんかしてんだ。そういうのはもう少し歳食ってから覚える処世術で、お前ぐらいの年齢は無謀ともいえるぐらいに無茶してナンボだろ」
「――それも体験談ですか?」
「――さてな」

 八神からの問いかけに、ゲンヤはわざとらしく肩をすくめて言った。
 そんなゲンヤの態度を見て、八神は自分にはこういった余裕が足りないのだろう、と思わずにはいられない。単なる歳の差で片づけるわけにはいかない、そこには今までに潜ってきた経験の差が如実に表れていた。
 今回の機動六課が立ち向かう事案を通して、自分も少しぐらいは目の前の先輩に近づけるように成長出来たらいい、と八神は思う。
 そんなかつての教え子の真剣な眼差しを茶化すように、ゲンヤは軽い調子で言った。

「それで、さっさと主題に移ろうぜ。結果が分かりきっていると言っても、こういう形式的な仕事はやることに意味があるんだからな。――機動六課部隊長八神はやて、陸士108部隊に何の用があって来た?」
「――結論から言わせてもらうと、そちらの人員を貸してほしいんです。しかも、腕利きの捜査官を数名ほど」
「その理由は?」
「ミッドチルダに張り巡らされた違法物品の密輸ルート、その捜索を得意としている知己の部隊が108部隊だからです。機動六課が追っているロストロギア“レリック”の捜索に、陸士108部隊にも協力してほしいと考えています。――まあ、ぶっちゃけますとナカジマ三佐には個人的なコネがあるんで、それを有効に活用させてもらおうかと」
「俺はお前のそういう正直な性格っつーか、歯に衣着せない物言いは結構気に入っているんだよな。――まあ、ぶっちゃけるとどんどん使ってくれて構わねえぞ」

 笑みを浮かべながら本音を吐露した八神に対して、ゲンヤは自身の懐の広さをアピールするように優しげな微笑みを返した。
 ともあれ、これは二人にとっては結果が分かりきっている、そんな交渉の余地も無い形式的なやり取りだった。
 八神はゲンヤ・ナカジマと陸士108部隊というコネを頼り、ゲンヤは後輩からのコネ要請に快く応える。ロストロギア“レリック”という両者にとって共通の密輸品をターゲットにして、両部隊が協力体制を敷くことは機動六課が設立される以前より、既に決まっていた事だった。
 だから、このやり取りは二人がお互いの気持ちを再確認するための儀式、といった見方が強い。ミッドチルダどころか次元世界までも揺るがしかねない“レリック”という代物、それに加えて八神とゲンヤがレリック事件の背景に存在していると睨んでいる“闇”に対して、改めて真っ向から立ち向かう意思をお互いにぶつけ合ったわけだ。
 そして、その再確認も滞りなく完了した。両部隊の長は、どちらも逃げることなく戦うことを選択した、そういうことだ。
 八神は規律正しくしていた姿勢を崩し、ソファーに全身を委ねるように身体の力を抜いた。対面を見れば、ゲンヤは既に偉そうに足を組んで煙草に火を点けようとしている。年下の役目として火付け役でもしようかと思ったが、そもそもライターなんて持ち歩いていないし、そういうある種のゴマ擦りに似た行動をゲンヤ自身が嫌っていることも知っていた。
 八神は結局動くことなく、ゲンヤが煙草に火を点けるのをぼんやりと見ていた。煙草に火が付き、煙が部隊長室の天井に昇っていく。ゲンヤは煙草のフィルター部分を右の人差し指と中指で挟むようにして持つと、吸った煙を天井に向けて吐き出した。対面に座る八神に煙が行かないようにした当然の配慮である。

「――ふぅ。悪いな、非喫煙者の前で吸っちまって」
「気にしないでください。制服に臭いが付いたらクリーニング代は貰いますけど」
「これ以上の出費は勘弁してもらいもんだ。――最近、ギンガのやつが家計に厳しくなってきてな? 無駄遣いを節制するところまでは理解できるんだが、仕事帰りにキャバクラにちょろっと寄って泥酔して帰宅すると、決まって玄関で仁王立ちしている愛娘からボディーブローを食らって、胃の中を強制的にリセットされるようになったんだよ。これって反抗期か何かなのかね?」

 真顔で首を傾げたゲンヤに対して、八神は苦笑をカモフラージュにして内心でギンガに同情していた。父親が夜遅く泥酔してキャバクラから帰ってきただなんて、年頃の女性なら粗雑な扱いに出ても何ら不思議ではないだろう。
 八神にはそういう経験は無いし、今後も訪れることの無い光景である。
 しかし、仮に自分がギンガの立場にいたなら、少なくとも一週間は口を利かないだろう。十代女子の父親に対する潔癖を理解していないが故に起きる、典型的な意思疎通の齟齬だと八神は思う。

「まあ、そんな暴力過多な愛娘でも、鳴海の馬鹿野郎とは比べるべくもないんだけどな。あの馬鹿はもう駄目だ、あいつの行動指針は常人の想像を遥かに超えやがってて、まともに対応出来やしねえ」
「それには激しく同意しますわ」

 ゲンヤの言葉に肯きながら、八神は以前より感じていたことを内心で思う。
 ゲンヤは鳴海賢一のことを厄介払いしたがっているが、彼の事をげんなりとした表情で語る一方で、その頬が緩んでいるのは一体何故なのか。
 そして、八神はこう思っている。
 ゲンヤはおそらく、鳴海賢一のことを手のかかる息子のように思っているのではないだろうか。
 あの馬鹿と同じ部隊になったことで、八神はある一つの想いを鳴海賢一に抱くようになった。
 それは、常に馬鹿ばかりしでかす彼を何となく放っておけない、といった感情だ。
 ところ構わずボケ倒す鳴海に対しては、その全てを無視することが基本にして最も賢い対応だが、八神は自分でも気づかない内についツッコミを入れてしまう。たまに過激なツッコミにまで発展することはあるが、鳴海は性質の悪いことに肉体的苦痛を求めるタイプのマゾなので、そこまで発展してしまう時点で八神は鳴海に負けてしまっているのだ。

 ――もしかして、私って結構な“お人好し”なんかなぁ。

 ふと胸の内に芽生えた“お人好し”というキーワードによって、八神は内心にある不確かな気持ちを納得させた。
 だからこれは、そういった性格から来る当然の衝動なのだろう。
 あるいは、自分と鳴海との間のツッコミとボケの関係が異常にマッチングしているという事なのだろうか。
 八神はそう考えて、そこまで考えてようやく戦慄を覚えることが出来た。アカン、といった言葉が波となって胸に渦巻いている。自分と鳴海には芸風に相違がある、どちらかといえば高町やフェイトの方が彼との芸風にマッチしているだろう。高町は見ての通りだし、フェイトは脱ぐことに定評がある魅惑のナイスバディだ。全裸を一つの芸とする鳴海には似通っている節がある。
 だから、きっと自分とゲンヤは似た境遇にあるのだろう、と八神は思う。
 鳴海賢一は馬鹿で、奇人で、変態で、少しでも目を離すと好き勝手に暴走してしまうから放っておけない。お人好しであるが故に、彼に構わないという選択を取ることが出来ずに、嫌々ながらもツッコミに回ってしまうのだ。
 そして、そんな彼の周りには八神を含めて多くのお人好しが集まっているのだろう。
 八神がそう結論に入ろうとした時、部隊長室のドアをノックする音がした。

「部隊長、ギンガ・ナカジマ陸曹です」
「おう、入っていいぞ」
「失礼します」

 ドアを開けて入ってきたのは、八神にとっては顔見知りの女性だ。
 ギンガ・ナカジマ。ゲンヤの娘でスバル・ナカジマの姉である。

「お久しぶりです、八神二等陸佐」

 ギンガは八神を見ると、深く一礼した。
 彼女は規律正しいというか礼儀正しいというか、とにかく生真面目な性格をしているのが特徴である。スバルと比較するとその特徴はより顕著となるだろう。スバルは猪突猛進で場面に応じて物事の切り替えを得意としているが、ギンガは理路整然としてどんな場面にも理性的に対応するのを得意としている。
 八神は相変わらずのギンガの振る舞いを懐かしく感じながら、一礼したままのギンガに軽い調子で声をかけた。

「久しぶりやね、ギンガ。――そういうかたっくるしい挨拶は終わりにして、とりあえずソファーに座ってくれへんかな? 首を上げっぱなしで疲れてもうた」
「――依然と変わらない様子で安心しました、八神二佐」

 ギンガは表情を柔らかくして微笑むと、ゲンヤの隣に腰を下ろす。
 ゲンヤとギンガ。二人を並べると実に際立つのだが、この父親と娘は本当に似ていない。ギンガの目、鼻、唇、その他のパーツにゲンヤの要素は微塵も存在していなかった。
 既に他界していると聞いた母親に似たのだろう、と八神は思う。
 同時に、ギンガやスバルがゲンヤに似ていなくて心の底から神に感謝していた。

「うん。やっぱり美少女は正義やな!」
「本当に相変わらずですね」

 八神の唐突な気持ちの吐露にも、ギンガは優しげな微笑で応じてくれる。
 これが機動六課であったならば、自分はすぐさまレズ疑惑を向けられてしまうだろう。鳴海賢一の度重なる暴走をキッカケに、機動六課の職員の中にも容赦の無い人材がどんどん出てきている。あまり上下関係を気にしない八神の方針でもあるから仕方ない面もあるが、一つの失言が自分の首を絞めかねない、そんなボケに厳しい雰囲気が機動六課には満ち始めている。
 その点、ギンガは普通だ。素晴らしく普通な状態である。
 だからこそ、八神はギンガの事が欲しくて堪らない。

「機動六課と陸士108部隊が協力体制を敷くんやけど、ギンガもそのことは聞いとるよね?」
「はい。昨夜、キャバクラ帰りで泥酔した父親から冗談交じりに伝えられました」
「このオヤジ本当に最低やな」

 さっきのフォローが丸っきり裏目に出る結果となってしまった。
 八神とギンガは冷たい眼差しを隣のゲンヤに向けるが、ゲンヤは我関せずとばかりにそっぽを向いている。勝ち目の無い勝負は受けない、そういった判断なのだろう。
 ギンガは視線を合わそうともしないゲンヤから八神に向き直る。
 それを確認したゲンヤから「よっしゃ、勝ったぞ! テクニカルKOってやつだな!」という声が挙がったので、ギンガは言葉ではなく物理的に黙らせる方針をとった。脇腹への鋭い肘鉄である。急に叩きつけられた激痛に身体を折るゲンヤだが、二名の女子は少しも気にする素振りを見せずに話を続けた。

「ギンガには近いうちに機動六課に出向してもらおうと考えてるんやけど、それは別に構へんかな?」
「はい、私もそのつもりでしたし構いません。むしろ、個人的には願ったり叶ったりです、巷で人外魔境と呼ばれる機動六課に出向するなんて、きっと自分にとっての良い経験となると思いますから」
「ああ、最近の査察は厳しいからなぁ。賢一君が全裸で歩いとるだけで怒り出すんやから、あの人にはカルシウムが足りないんやろなぁ」
「普通、そんな変態がいるとなれば怒りたくなるモノですよ?」

 ――あれ? 私って結構取り返しのつかないところまで来とるんちゃうやろか?

 真顔で反論してきたギンガの表情を見て、八神は自分の発言に遅ればせながら疑問を覚えるに至った。
 鳴海の持ち芸の一つに全裸があり、彼はよくその芸を披露しながら機動六課を悠然と闊歩している。股間にはステルス魔法を応用したモザイクがかけられており、猥褻物を直視することはない安心設計だ。男性局員のみならず、最近では女性局員すらも鳴海の全裸芸を気にしたりする素振りを見せなくなっている。
 それどころか、鳴海が持つ特有のノリに触発されたのか、彼を中心とした和気藹々としたコミュニケーションが展開されている光景も偶に見かけるようになったぐらいだ。
 そういった光景を目にしてきたことで、自分でも気づかない内に感覚がマヒしていたのかもしれない、と八神は思う。口では散々に鳴海をコケにしていても、その実は鳴海が奔放に振る舞う様を当然の事として認識していたのではないだろうか。

「うわぁ……アカン、賢一君の“毒”に感染しとるわコレ」
「ショック療法ですが、こう自分の鳩尾に重い一撃を入れれば正気に戻りますよ?」
「嫌やぁ……そんなショック療法は堪忍してぇ……。というか、何でそんな真顔で物騒な発言しとるんやこの美少女……」
「私も鳴海さんの“毒”に対抗していた人間の一人ですからね。そのおかげで、効率よく鳩尾に一撃を入れる技術が身に付きました」
「それってもう、ギンガも大分おかしくなっとるやん……」

 八神は思った。これは人選を間違ったのかもしれないと。
 これから先、機動六課に巻き起こる更なる波乱を予感せずにはいられない、八神はやて部隊長だった。



[33454] ツインテール後輩の苦悩と全裸先輩の苦悩
Name: 全裸◆c31cb01b ID:ae743e2c
Date: 2014/11/12 02:33
 高町はティアナからの志願による居残り訓練に付き合っていると、機動六課の隊舎がある方角から大きな音がしたのを聞いた。

「――ん? いま、何か爆発音みたいなの聞こえなかった?」
『大方、鳴海さんが何かしたのでしょう』
「んー……まあ、多分そうだよね。だって、あのいやーなプレッシャーがひしひと伝わってくるし。――でも、今日はちゃんと制服を着ていたみたいだし、いつもの全裸ネタが原因ってわけじゃあないんだろうけれど」

 高町は首を傾げながら思案する一方で、今しがた聞こえた騒動に鳴海賢一が関わっていることを確信していた。
 高町があの馬鹿と知り合って早十年。
 彼が引き起こす騒動には九割方の確率で巻き込まれてきた彼女にとって、彼が何か暴走を引き起こしている時には、何かが自分の全身をネットリと触れてくる、そんな気持ちの悪いプレッシャーを同時に感じるようになってしまった。
 今までの経験から自然と身についてしまった“危機察知能力”とでも言えれば便利な能力なのだが、それが“危機回避能力”になるに至らないのが、高町にとっては非常に悔やまれるモノとなっている。

「――察知したら察知したで、実際に巻き込まれるまでの待ち時間がもどかしいんだよね」
『マスター。おそらく意図していない言葉であると思うのですが、その言い方では周囲に誤解を招きやすいものになっていると指摘します』
「え? な、何かおかしかったかな?」

 レイジングハートから指摘が飛ぶが、高町は自分の言葉を振り返ってみても、どこがどうおかしいのか気付かないようである。レイジングハートはそれ以上の発言を重ねようとせず、ひたすらに重苦しい沈黙を貫いていた。

「――その言い方だと、まるでなのはさんが鳴海さんの奇行を心待ちにしている……そんな印象を与えてしまいますよ」

 そんな状況を崩したのは、“高町式十六連射”を捌き切れず地面に転がっていたティアナだった。
 彼女は泥だらけになった身体に構わずによろよろと起き上がると、あたふたとしている高町に声をかける。
 高町はティアナの言葉に少し呆然としていると、次の瞬間には顔を真っ赤に染めて自分の発言の訂正を始めた。

「――う、うわぁぁぁぁぁ!? こ、これじゃあわたしが賢一君の変態行為を楽しみにしてるみたいじゃない! ち、ちがうのちがうの、さっきのは言葉の綾であって、本当はそういうのじゃないからね!?」
「はぁ……」

 高町は何故か逆ギレ気味にティアナに説明するも、ティアナは最初からそんなことには興味が無いような口ぶりで適当に相槌を打った――ように、あくまでも表面上は感情を見せず、内心では目の前の“明らかに狼狽している高町なのは”と、さっきまでの“鬼教官振りを発揮していた高町なのは”とのギャップに非常に混乱していた。
 管理局のエースオブエースといった大層な肩書はどこへ行ってしまったのか、目の前の高町からデバイスとバリアジャケットを除けば、それは街中を歩いている一般の女性と何ら変わりが無くなってしまっている。
 それはつまり、

 ――普段のなのはさんは、もっとこう……カリスマっぽい振る舞いなのよね。

 ティアナが知らず知らずの内に抱いていた、高町なのはへの一方的な印象が原因なのだろう。
 自分のような凡人とは決定的に違う人間。
 それは、いうなれば天才や超人といった域に存在しているのが、管理局のエースオブエースと呼ばれる高町なのはである、とした見方だ。ティアナはその遠すぎる高町の背中に、スバルのような尊敬ではなく畏怖を感じていた。
 だが、実際に同じ部隊で日々を過ごし、同じポジションということで個人訓練を受けている内に、ティアナは高町の意外な隙の多さに驚くようになった。
 先ほどの言葉の綾の件もそうだが、高町は何故か意外なところで抜けているのが目立つ。
 おそらく、それは高町にとっては“気を付けていれば起こらない程度の問題”なのだろう。
 だから、今のように高町が目に見えるミスをした時には何か原因があるはずで、それは“気を付けていても問題を引き起こすトラブルメーカー”という鳴海賢一の存在が大きな要因を占めている、とティアナは考えている。
 もちろん、あの変態が関与していない場面でも高町が普通の女性に戻るタイミングはあるだろう。それこそ、昔馴染みのフェイトや八神とプライベートで会ったりする時や、故郷の家族や友人との再会など、ティアナが知らない“高町なのは”という一面は必ずあるに決まっている。
 だからこそ、仕事場であるこの機動六課において、しかも仕事中に素の自分を曝け出してしまう高町を見ると、ティアナはどうしても違和感を覚えずにはいられないのである。

「……なのはさんって、なんだか可愛い人ですよねぇ」
「―――――――――――はいぃ!?」

 つい出てしまった発言を訂正する間もなく、ティアナはついに堪えきれなくなり全身の力を抜いた。ただでさえキツイ高町の訓練の延長による極度の疲労に身を委ね、ティアナは地面に向かって落ちていく。
 その視界が地面に移る直前、自分の発言に顔を赤らめ更に慌てふためく高町の姿を収めながら、ティアナは意識をシャットアウトした。



 シグナムが食堂を訪れると、そこには一人の馬鹿の姿があった。

「おっ!? あのおっぱいはシグナムじゃね!? おーい、そこのおっぱいも一緒に昼飯でもどうよ!」

 シグナムの存在に一早く気付いたのはその馬鹿で、彼は恥ずかしげも無くおっぱいと連呼しながら、シグナムに向かって元気よく手を振っている。
 直感的に余計なトラブルに巻き込まれそうになるのを察知したシグナムだが、ここで引き返すと後でより悲惨な結果を生むと経験則から判断した。どうせ巻き込まれることになるのなら、後々に回そうとせずにさっさと済ませてしまおう、といった諦観を含んだ判断だ。
 シグナムは馬鹿への不快感を微塵も隠そうとせず、八神家やその他の人物には見せない冷たい眼差しで一瞥する。

「お前は私のことを胸でしか判別できんのか」
「いやいや、それは誤解だって。俺がシグナムをシグナムだと断定するに足りる特徴は多々あれども、その多々ある特徴の中で一番目立つのがおっぱいなんだから仕方なくね?」
「お前の言動は自殺願望が表れてるとしか思えん」

 いっそのこと叩き斬ってやろうか、とシグナムは強く思った。
 この馬鹿がいなくなれば、今後の機動六課が直面することになるであろう“問題”がどれだけスムーズに解決するのか、シグナムは脳内でメリットとデメリットを秤にかけてシミュレーションしていく。
 それで得た結論は、シグナムには判断不能――というものだった。

「ん? 何だよ俺の顔をジッと見つめて――はっ、まさか!?」
「寝言は寝て言え」

 両頬に手を添えながら気持ち悪く身をくねらせる馬鹿に対して、シグナムは刃で切り捨てるようにコミュニケーションを断絶した。
 相手にすればするだけつけあがる特性を持った鳴海賢一にとって、最も有効な手段は始めから相手にしないことである。自身の主や同僚はそのことに気づきながらもついつい相手にして大火傷を負っているが、せめて自分だけは最後の砦として鳴海賢一という存在を甘やかさずにいたいものだ、とシグナムは考えている。

「くっそ、流石はシグナムだぜ。高町や八神とは段違いのコミュ障っぷりだな」
「お前と順風満帆なコミュニケーションを取れている人間などいないだろう。それは我が主やなのは、テスタロッサも例外ではあるまい」
「あれ? もしかして、俺ってば遠まわしに馬鹿にされてね?」
「直接的に馬鹿にしているつもりだが。――失礼するぞ」

 首を捻る馬鹿は放っておいて、シグナムはそんな馬鹿と相対するように席に着いた。
 シグナムは肩の力を抜き、ヴォルケンリッターの“烈火の将”にしては珍しく小さな溜息をつく。

「あれ、昼飯食わねえの?」
「いや、少し休憩に来ただけだ。空腹は特に感じていない」
「何だよ、腹が減っては戦は出来ないとも言うぜ? バトルマニアのシグナムさんらしくない発言じゃん」
「誰がバトルマニアだ、誰が。――まあ、私たちヴォルケンリッターのような魔法プログラム体は、元々食事を摂る必要も無いんだがな」

 シグナムはそう言って、ふと昔のことを思い出した。
 まるで人間のように食事を摂るようになったのも、自分たちの主である八神はやてのおかげだった。
 彼女は自分たちを道具としてではなく、あくまで“家族”として扱うことに必死だったように思う。自分以外の家族がいないという特殊な環境――その寂しさから来た行動だったとしても、シグナムはそのことを今でも嬉しく感じることが出来る。
 それは言わずもがな、ヴィータやシャマル、ザフィーラも同様だろう。
 歴代の“闇の書”のマスターのどれにも属さない振る舞い方に、最初は非常に困惑したものだが、彼女はヴォルケンリッターに人間が持つ“情”のようなものを確かに植え付けてくれたのだ。
 あの時、自分たちを取り巻くしがらみがゆるやかに解けていくのを、シグナムは確かに感じた。
 そして、その後も紆余曲折あって管理局に所属し、こうして機動六課の副隊長を任されているのだから、人間でいう“人生はどう転ぶか分からない”といったところだろう。
 あの当時、戦場に全裸で躍り出た少年が青年になっても全裸ネタを披露しているといったように、かなり変態的な人生を歩んでいる人間もいるのだから、まさに“人生”には十人十色という表現が相応しい。

 ――まあ、コイツの人生はかなり特殊すぎるから、人間のカテゴリに入れてもいいのか悩むところではあるが。

 シグナムは鳴海を見る。
 人並み外れたステルス魔法とレアスキルが取り柄の、素人に毛が生えた程度の魔導師であるにも関わらず、物事の重要な場面は絶対に見逃さない厄介極まりない嗅覚を備えているが、その特異な変態性ゆえに周りからは煙たがられている――かと思えば、皆が上手く言葉に出来ないような“信頼”を抱いているのもまた事実。
 鳴海賢一という人物を持ち上げ過ぎだろうか、といった感情もシグナムは度々抱いているのだが、その自身への問いかけも答えは出せずに、結局は漠然とした“信頼”を抱いているという結論で締めくくるのがパターンだ。
 せめて、一騎当千の実力を持った人物であるならその評価も簡単だった。
 だが、鳴海賢一はそういった評価をされる人物では決してない。力で存在感を示すというよりも、その鳴海賢一という存在こそが既に周囲に大きな影響を及ぼしている――というのが近い。

「――早い話が、お前は非常に性質が悪いということだな」
「今のは俺でも流石に馬鹿にされてると分かったぞ?」
「お前に人並みの知能があると分かって嬉しい限りだ。――ところで、どうして制服が黒焦げになっているんだ?」

 最初に鳴海の姿を見てから、シグナムがずっと抱いていた大きすぎる違和感。
 鳴海が制服を着ているという点もそうだが、それ以上に制服がどういった経緯で黒焦げになるのかシグナムには皆目見当もつかなかった。
 そんなシグナムの疑問に、鳴海は事も無げに言ってのける。

「八神家の末っ子とメカオタ眼鏡に高町式砲撃術を浴びせられたらこうなった」
「なるほど、分からん」

 とりあえず、鳴海をこんな状態にした犯人の目星はついた。
 大方、鳴海の自業自得のようなものなのであろう、とシグナムは納得する。
 その一方で、八神家の末っ子が最近になって過激な性格になっていることに、一抹の不安を覚えずにはいられなかった。
 ただでさえ、八神家では鳴海に懐いてしまっているリインフォースⅡの情操教育に苦心しているのに、このままではいつか手が付けられない存在になってしまうかもしれない。八神家の癒し系マスコット担当が鳴海賢一の“毒”に完全に染まってしまう前に、一度家族会議を開いておいた方がいいかもしれない。

 ――いや、それよりもそもそもの原因を排除した方が早いか?

「おいおい、なんかシグナムの視線から殺気を感じるんだが気のせいか?」
「――ああ、きっと気のせいだろうな」

 生来の動物的な直感で自身に迫る危機を感じ取ったのか、鳴海は椅子を少し引いていつでも逃げだせるように身構えている。相変わらずの危機察知に長けた鳴海の嗅覚には、流石のシグナムも素直に感心してしまう。
 だが、シグナムはここで何かがおかしいことに気付いた。
 確かに、鳴海の嗅覚は素晴らしく、時には異常とも言えるレベルで危険を察知していく。
 ただ、彼はその嗅覚を危機回避に用いることは無く、あえて自分から突っ込むといったスタイルを取るのが常だ。生粋のマゾ思考というか、スリルを楽しむためならば自分の命を易々と賭けてしまえる、そんな性質の悪いギャンブラー的な思考をする――それが、シグナムが抱いている鳴海賢一といった男の印象だ。
 ならば、今この場面で“危機を回避しようとしている鳴海賢一”がおかしくないわけがない。変態的な意味では十年前からずっとおかしい彼だが、その根幹とも言える自身の在り方について、そう簡単に崩してしまえるとはシグナムには到底思えなかった。

「鳴海、お前どこか調子でも悪いのか?」
「へ……?」

 シグナムがふと零した言葉に、鳴海は一瞬だけ呆然とした。
 だが、その次の瞬間にはいつものように気味の悪いモーションを交えながら、真剣な表情と声音を携えたシグナムを茶化すように言葉を紡いでいく。

「まあ、調子が悪いって言ったら嘘になるけど、それは肉体面よりも精神面の方な」
「ふむ……?」
「ほら、俺ってば十年前のクリスマスに結構な無茶したじゃん? そのときの“ペナルティ”の経過をシャマル先生に診断してもらったんだけど、あの時から何の変化も無くてさ。それでちょっとへこんでるって感じ」
「ああ、その話か」

 それはシグナムにも所縁のある話だった。
 十年前のクリスマスとは、シグナムたちヴォルケンリッターと八神はやての運命が大きく転換した日だからだ。今では“闇の書事件”として扱われるようになった事件の最中、過去の責任を一身に背負って消えゆく運命の仲間がいた。
 シグナムは今でもよく覚えている。八神が泣き、高町やフェイトは寂しげに俯き、ヴォルケンリッターの面々は悔しげに仲間を見送ろうとしている、そんなハッピーエンドの後に待ち受けていたビターエンドを打ち破ったのが、他でもない目の前の鳴海賢一という馬鹿だったことを。
 無論、そんな奇跡を何の“ペナルティ”も負わずに叶えることは不可能に近い。
 むしろ、どんな“ペナルティ”を負ったとしても叶えることの出来ない奇跡の筈だった。
 そして、そんな奇跡を叶えることが出来たのは、ひとえに鳴海の持つレアスキルのおかげだった。彼は自分にとってそれ相応な“ペナルティ”を自らに課したことで、初代“祝福の風”であるリインフォースを今でもこの世界に歪なカタチで残存させている。
 その“ペナルティ”の詳細を知っているシグナムは、滅多に見られない真っ赤にした表情で鳴海に問いかける。

「まあ、その……なんだ。お前の“ペナルティ”の件だが、その、大丈夫なのか?」
「んん? 何かシグナムさん顔赤いっすけど、どうしたんすかぁ?」
「ふ、ふざけるな! 斬るぞ!」

 いつになくウザったい調子の鳴海に、シグナムはレヴァンティンを振り上げて威嚇する。
 鳴海はそんなシグナムを諌めつつ、一転して真剣な表情を浮かべて言った。

「後悔はしてない……つったらやっぱり嘘になるんだろうけど、少なくとも、あの時の俺は“自分がやりたいことをやった”つもりだしな。だから、まあ、俺の“ペナルティ”に関してだけ言っちゃえば、あれはストーリー上回避不能のイベントだったってことで割り切ってきたし」

 それはまるで、自分自身に言い聞かせるような言葉の羅列だった。
 その姿がどことなく痛々しいと思ってしまったシグナムは、つい鳴海を問い詰めるかのように言ってしまう。

「だが、お前にとって……いや、男にとってそういう“機能”は無くてはならないものではないのか? 私は女であるから理解は出来んが、男であるならどんな条件を出されようとも拒否する“ペナルティ”だと思うのだが」
「だから、そういうことをちゃんと理解した上で、あの時の俺はそんな蛮行をしたってことだろ。――まあ、アイツを救うことに相当するペナルティが俺にとっての“ソレ”だったんだから、あの時の俺はどんだけアイツのことを大事に思ってたんだろうなぁ……。それこそ、完治するかも分からないような障害を負うことを決断したんだから、もうあの時の俺はスーパーイケメンタイムだったんじゃね!? シグナムもそう思うだろ!?」
「…………」

 最後を茶化すような言葉で締めた鳴海に対して、シグナムは何も言葉を返さなかった。
 それは、人が過去に下した決断を蒸し返すなど自分らしくないから。
 また、自分はそういった必要以上の他人への踏み込みをするべきタイプではないと自覚しているから。
 そして、自分という存在は誰かのフォローという役目が絶望的に苦手だということも自覚しているから。
 そして何よりも、こうして相対している鳴海賢一という存在は、自分の決断を誰かにフォローさせるような人間ではないということを、この十年間の長いようで短いような付き合いで理解しているからだった。
 だから、シグナムはこの話題に関してはもう話すことが無い、とでも言いたげに露骨な話題転換を試みることにした。

「まあ、お前がイケメンかどうかはさておいて……どうだ? ここ、機動六課の雰囲気は?」
「んー? そりゃあ最高だよサイコー。だって、例えば俺が全裸でそこら辺をうろついても、皆がにこやかに接してくれるしな!」

 それはすぐにでも改善するべき課題ではないだろうか、とシグナムは思わずツッコミそうになるのを寸でのところで留めた。
 現状、機動六課の鳴海賢一による汚染レベルは、管理局規定の標準数値を上回っていると先日の査察で判明している。この汚染レベルは全八段階で設定されており、一番低レベルであるEレベルは“鳴海賢一と知り合いになること”で、一番高レベルのSSSレベルは“鳴海賢一という存在に人間的違和感を覚えないこと”である。
 先日の査察で判定された機動六課の汚染レベルは、標準数値のCレベル“鳴海賢一の奇行に慣れていること”を上回るBレベルの“鳴海賢一と知り合いであることに違和感を覚えないこと”と判定されてしまった。
 それはつまり、機動六課では鳴海賢一がいることが当たり前として認知されてしまっている、ということだ。
 これがどれだけ恐ろしいことなのかは、地上部隊のトップであるレジアス・ゲイズ中将の度重なる胃潰瘍による入院を耳にしている人間ならば、すぐに理解できる惨状だろう。
 それゆえに、シグナムは迂闊にツッコミをすることが出来ないでいる。今の機動六課は鳴海賢一にとってのホームとなっており、アウェイ側だと自負している人たちも自分では気付かぬ内にホーム側に取り込まれていると言った現状だ。
 ここで下手に鳴海賢一とボケ・ツッコミのコミュニケーションを取ってしまえば。自分もホーム側に取り込まれてしまうかもしれない、といった危惧がシグナムには芽生えている。
 シグナムは冷静になって場を見極めようとしていると、鳴海は先ほどの発言とは打って変わって表情を曇らせた。

「だけどなぁ……やっぱりさ、結構マンネリになってる気もするんだよな。前までは俺が全裸にステルスでうろついていると初々しい反応があちこちから飛んできたんだけど、最近じゃそういったのが殆ど無くなっててな。むしろ、付き合いの長い高町とかのほうが良いリアクションするんだよ」
「それはアレだろう、なのはには“毒”に汚染され続けたことによって“抗体”が出来ているからな。お前へのツッコミもキレが増しているんじゃないか?」
「うん? その“毒”とか“抗体”とかよく分かんねえけど、高町のツッコミがキレてるのは確かだな。この前なんか高町にスカート捲りしたら裏拳でぶっ飛ばされてな? ガキだったころの高町と比べると、アイツはすげえ成長してるよ」

 朗らかな笑顔を浮かべながら、もの凄い事件を言ってのけた鳴海だった。
 天下のエースオブエースにスカート捲りをしでかす思考回路は流石だが、それから始まるデスマーチを生きて走破したのだから驚きである。常日頃から鳴海の謎の耐久力には一目を置いていたシグナムだが、これはもはや不死身と呼んで差支えの無いレベルかもしれない、と認識を改めた。

「あれ? 賢一君にシグナムって、結構珍しい組み合わせだね」

 そんなタイミングで、話題の人物が食堂にやってきた。

「おう、高町じゃん。ナイスタイミングだな」
「え……? 何か嫌な予感がするから、そのまま口開かないでいていいよ?」

 高町の発言も鳴海は完全にスルーして言った。

「あのさあ、この前高町にスカート捲りしたじゃん? そんでさ、高町が黒の下着ってかなり珍しくね? フェイトと下着の交換でもしてんの?」

 次の瞬間、鳴海は高町に魔力を乗せたアッパーカットを決められ、勢いそのままに食堂の天井に頭から突き刺さった。
 その光景を見ていたシグナムは、本日二度目となる小さな溜息を吐いたのであった。



 ティアナは泥だらけの身体をシャワーで洗い流してから自室に戻ると、そのまま黙ってベッドに身を投げ入れた。シャワーを浴びている最中にも、何度か疲労から来る気絶をしてしまいそうになっていたが、この空間ではそれを妨げる障害は存在していない。
 このまま、午後の業務が始まるまで軽く眠っておこう――と思ったティアナだったが、それは二段ベッドの上にいた人物に阻止されることになる。

「あれ? ティア、今から休憩?」

 ベッドの端から顔だけを出したのは、同室のスバル・ナカジマだった。

「ああ……ちょっと、なのはさんとの延長戦が長引いちゃってね。休憩が終わるまで軽く寝ようと思って。――スバルは何してたの?」
「私はギン姉から貰った“鳴海賢一:扱い方マニュアル”を読み返してる最中なんだ。そういえば、さっき鳴海さんがリイン曹長とシャーリーさんに砲撃されてね。それがなかなか大変だったんだけど、ティアも知ってる?」
「ああ……あの爆発音みたいなのはそれだったのね」

 高町との訓練が丁度終わった頃、機動六課の方から大きな爆発音が響いたのはティアナにも聞こえていた。あの時は機動六課の波乱万丈な気質から考えて、ティアナは特に気にも留めていなかったが、原因となったであろう人物の名前を聞くと、それに巻き込まれなくて良かったと心底思えるから不思議だ。
 ティアナが持っている機動六課への感想としては、ここはやはり何かがおかしいと思っている。誰かが意図的に因果律のようなものを操作しているのではないかと考えてしまうぐらい、毎日のように馬鹿騒ぎが起きている。
 その中心にいるのは当然のようにあの男なのだが、それに冷静に対処出来ている部隊長以下の面々もどこか狂っているとしか言いようがない。

「……それにしても、鳴海さんは常に騒ぎを起こすわね。あの人って何か呪いにでもかかってるんじゃないのかしら」
「鳴海さんの場合、呪いがかかっているというよりも、周りに呪いを振りまいてるって感じだけどね」
「ああ、それは確かに言えるわね。まったく、どうして毎日のようにネタを提供できるのかしら……。少しはそれを仕事の方に回してほしいけど――いや、それはそれで邪魔になりそうだし、やっぱり今のままが一番いいのかもしれないわね」

 ティアナにとって、鳴海賢一という存在は嫌っているというわけではないが、人であるために最低限の距離は取っておきたい人物だ。好きでもなければ嫌いでもない、あくまでも無関心でいたい、そんな存在である。機動六課での鳴海関連のやり取りを遠目から見ていても、既に周りからも言及されている通り、彼とは関わらないことが一番の対処法だ。
 それは機動六課での生活を守ることにおいても、ひいては自身の尊厳を守ることにおいてもである。
 ティアナが内心で今後の身の振り方を再確認していると、スバルが思い出したかのように口を開いた

「そういえば、ティアってば最近訓練をすごい頑張ってる気がするんだけど?」
「……まあ、だってほら。あたしってアンタやエリオ、キャロみたいに何か突出した能力があるわけじゃないしね。だったら、より一層の地力をつけるしかないでしょ」
「えー? ティアだって射撃とか凄いし、幻術とか戦略とかあたしたちじゃ出来ないことが出来てるじゃん」

 ティアナの自分を卑下する言葉を聞いて、スバルはそれを真っ向から否定した。
 スバルの性格から考えて、この発言は本心から来るモノだろう。スバルは嘘を吐くという行為があまり得意ではないし、何よりもスバルが嘘を吐いたところでティアナにはすぐにわかってしまう。
 だからこそ、その言葉を素直に聞き入れることが、今のティアナには出来なかった。

「でも、やっぱりあたしは何処まで行っても凡人のままなのよ」
「――違う、ティアは凡人じゃないよ」

 ティアナのどこか諦観を含んだ自嘲に、スバルは先ほどとは打って変わって、優しげな声音で諭すように言った。

「あたしの知ってるティアナ・ランスターっていう女の子は、怒りっぽくて、冗談が通じないところがあって、意地っ張りで、本当に扱いにくい性格をしてて……」
「おいコラそこの能天気馬鹿」

 ティアナの罵倒も無視して、スバルは言葉を続けた。

「だけど、その根っこは真っ直ぐ進んでいこうっていう、明るい気持ちで満ち溢れてる、そんな女の子だと思うんだ。なんていうか、自分の状況を客観的に理解しすぎる傾向があるっていうか、そういうので躓いちゃうところもあるけど、最後には絶対に前を向いて歩いていけるって、あたし信じてるもん」
「…………」
「それにさ、Bランク試験で見せたティアの戦略も凄かったじゃん! あのゴキブリみたいにしぶとい鳴海さんを“諦めさせた”って、なのはさんも本当に褒めてたしさ!」
「……それは、確かにそう言ってくれたけど」

 ティアナはあの時のことを思い出す。
 Bランクの昇格をかけた大事な試験、そんな緊張感高まる場所で鳴海賢一とは出会った。試験会場の雰囲気に真っ向から反発するかのように、変態でしかない全裸スタイルという圧倒的な立ち振る舞いに呆然としたが、最終的には怒涛と呼べる展開を繰り広げて鳴海を鎮圧させてみた、そんなある意味で思い出深い試験だ。
 確かに、あの時の自分は神がかっていた、と普段は自己評価を高くしないティアナも思ってしまう、そんなトータルから考えてみても最高の出来だったように思う。
 試験のスタートから絶好調だと感じてはいたものの、鳴海賢一と相対している最中では、まるでスイッチが切り替わったかのように思考回路が鮮明になっていったのだ。
 先を読むどころではなく、自分で戦いの展開を組み立て、試行錯誤し、場を支配する、そういった戦略を自分の力で構成することが出来ていた。
 鳴海賢一の特性を観察し、詰将棋のように獲物を追い詰めていったあの得体の知れない感覚――ある種の快感を、ティアナはあれを最後に感じていない。

「そうだ、どうせなら鳴海さんに直接聞きに行ったらどうかな?」
「はい?」

 予想していなかったスバルの発言に、ティアナは思わず素っ頓狂な声を上げた。

「あたしが? あの変態に? 何で?」
「だってさ、ティアのそういう凄みっていうか、そういった物を実際に肌で感じたのって鳴海さんでしょ? だったらさ、その時のティアの印象を聞いてみたらどうかなって」
「……うーん」
「鳴海さんだっていつも変態なわけじゃないし、きっとティアの話も聞いてくれると思うよ。リイン曹長とシャーリーさんに砲撃された後、どこか清々しい顔で食堂に行ったから、まだいるんじゃないかな?」

 鳴海賢一に教えを請う、とまではいかないだろう。
 だが、あの変態に相談を持ちかけることには変わらない。
 それは、自分から進んで地雷を踏み抜くという行為と同義ではないだろうか、とティアナは思わずにはいられなかった。
 あの変態に近づくという行為に、ティアナは他のフォワードメンバーよりもかなり慎重になっている。スバルは話を聞いている限りでは仲がいいらしいし、エリオやキャロも年上のお兄さん(変態)としてそれなりに慕っているらしい。
 そこまで考えて、機動六課において鳴海賢一と未だに距離を取っているのは、自分だけという事に気が付いたティアナだった。鳴海賢一が場に溶け込むのが非常に上手いのか、自分が頑なに拒んでいるのか。

――それとも、その両方なのかな。

 また、自分の悪い癖が出ていたのかもしれない。
 この他人と距離を取ろうとする性格ゆえに、陸士校時代に知り合いと呼べる存在はスバルしかいなかった。それにしたって、スバルの生来のお節介焼きな性格に根負けしたという形であって、自分から歩み寄った末の結果ではない。
 当時から考えれば、ある程度までは柔らかくなっているかもしれないが、そういった癖は自分でも気が付かない内に出てしまうものだ。他人と距離を取ってしまうため、誰かに相談をもちかけるなんて出来るはずも無く、解決できないまま自分の中に溜め込んでしまう。
 今回の件に関しても、こういった些細なことが後に大きな原因になるかもしれない。自分を凡人として認識しているがゆえの苦悩、周囲との実力差から来るコンプレックス、そういった良くない感情が増大していってしまい、身動きが取れなくなる可能性もある。
 だったらいっそ、藁にも縋る思いであの変態に相談を持ちかけてみても、それはそれで悪くないのかもしれない。
 そう思って、ティアナは疲れ切った身体を起こし、ベッドから立ち上がった。

「あ、やっぱり行くんだ?」
「やっぱりって何よ。元はと言えば、アンタから言ってきたことでしょ」
「うん。あたしがこう言えば、きっとティアなら動くかなーと思ってさ。ほら、あたしってティアの相棒だし?」
「……スバルうっさい」

 これではまるで、スバルに良いように誘導されているみたいで、ティアナはどことなく不満げだ。
 それでも、相棒が自分のことを真剣に考えてくれた結果なのだから、それほど悪い気分というわけでもない。
 それよりも、感謝の気持ちの方が強かったのは確かだ。

 ――本当に、この相棒は自分のことを分かってくれている。

「それじゃ、ちょっと行ってくるわね」
「うん、鳴海さんは一筋縄じゃいかないけど頑張ってねー」

 ティアナは走り出した。
 そこまで本気にしているわけではないけれど、どこかはやる気持ちに突き動かされながら、ティアナは期待と不安が入り混じったような訳の分からない気持ちを抱えたまま、機動六課に来て初めて鳴海賢一と向かい合うことを決めた。



 その数分後、天井に首から埋まった鳴海賢一と、その真下で談笑している高町とシグナムがいるのを見たティアナは、泣いているのか怒っているのか判別が難しい表情を浮かべながら自室に戻ったらしい。



///あとがき///

なんかもう境ホラとか関係なくなってきた気がする。



[33454] オークション前の談話
Name: 全裸◆c31cb01b ID:ae743e2c
Date: 2012/10/21 03:18
「――とまあ、今回の任務の内容に関してはこんなところやね。みんな、何か聞きたい事とかあるか?」

 八神はヘリ内に空中投影されたモニターの前に立ち、これからホテル・アグスタで行われるオークションの警備任務についての説明をしていた。
 現在、このヘリ内に集められた人員は機動六課の主戦力となるメンバーが揃っており、それは彼女たちを知る人が見れば壮観とも言える光景だった。
 八神はやて、高町なのは、フェイト・T・ハラオウン、ヴォルケンリッターと呼ばれる夜天の守護騎士たち。管理局内でも有数の実力者が機動六課という部隊に集まっているだけでも、周囲の人間やメディアから物凄い反響を呼んでいるのに、この錚々たるメンバーがわざわざオークション会場の警備に就くというのだから不思議な話である。
 噂では、機動六課見たさにオークション会場に行こうとしている物好きもいるらしい。
 そんな華々しい経歴を持った先輩と同じ部隊に配属されているという点に、プレッシャーというかコンプレックスを全く抱かないといった人間は少なくない。
 彼女たちに指導されている新人フォワード組の一人、ティアナ・ランスターもそういった人間の一人だった。

 ――なのはさんたちは会場内の警備で、あたしたちフォワード組と副隊長たちが外の警備……か。

 機動六課での日々は充実している、とティアナは思っている。
 自分のような未熟者には学ぶべき事も多いし、凡人と天才とを隔てる“壁”の高さを認識するのにこれ以上の職場はない。訓練で叩きのめされる度に、眼前にそびえ立つ“壁”の高さはもちろん、その揺るがぬ頑強さを幾度も目にしてきた。
 ただ、それでもティアナの胸中には一抹の不安がある。

 ――あたしは本当に強くなっているのか……。

 例えば、高町なのはという“壁”がある。
 高町とはポジションが同じという事もあり、ティアナは個人訓練を他ならぬ彼女本人から受けている。高町の教え方は丁寧かつ熾烈で、ティアナは基礎訓練にも関わらず毎日のように泥だらけになるまでみっちりと扱かれている。
 ティアナとしては一刻も早く基礎訓練を乗り越え、一日も早く応用訓練に移りたい気持ちに急かされているのだが、今のところその気持ちが叶う様子は見られなかった。おそらく、高町は徹底的に基礎を身に着けさせてから、初めて応用に移るつもりなのだろう。
 高町と腹を割って話し合ったことは無いが、彼女の教導信念は“基礎あってこその応用”なのだろう、とティアナは考えている。それは実に合理的で、最も堅実な教導方針だろう。
 それには、ティアナも反対するつもりはない。
 ただ、自分が“強くなっている”といった実感を得られていない、それだけがティアナにとっては問題だった。自分には目指さなければならない“目標”があり、そのために手っ取り早いのは強くなることだ。強くなれば実績もつきやすくなり、そういった実績は自分の将来を広げるための基礎になる。
 しかし、少なくとも今現在のティアナには、自分が強くなっているといった実感が湧いていなかった。同じフォワード組であるスバルやエリオ、キャロが日々成長しているのを近くで見ていて、そういったものが焦りに繋がっているのも自覚している。
 そして、そういった焦りは“どうして自分はここにいるのか”といった、ティアナ自身にとって機動六課は“場違いな空間”である、といった感覚にすら繋がってしまうようになった。

 ――はぁ。本当に、自分が嫌になる……。

 それは、自分では分かっていても止められない周囲への羨望――あるいは、嫉妬なのかもしれない。自分という人間を客観視し過ぎてしまうことから来る、自己の過小評価にティアナは悩まされていた。
そんなことを考えていると、ある意味では自分のように“場違い”な男が口を開いたのをティアナは聞いた。

「なーなー八神。ちょっと聞きたいことがあるんだけど」
「ん、どないしたん?」

 その声の主とは、ヘリを操縦しているヴァイス・グランセニックの隣、助手席に座っている鳴海賢一だった。
 鳴海はいつものような全裸姿ではなく、かといって制服姿というわけでもなく、何故か裸ワイシャツ姿だった。当然のように股間にはステルスが施されてはいるが、これは果たして誰が得するアピールなのか、ティアナには理解出来ないし一生理解するつもりも無い。
 とはいえ、鳴海賢一と出会って数か月のフォワード組以外のメンバーはこんな姿の鳴海を見ても、最初に軽くツッコミをしただけで後はいつものようにスルーしている辺り、これもまた鳴海賢一という人間が引き起こす日常なのだろうと結論付ける。
 ティアナは“自分は実力的に場違い”と思っているが、この変態は“人として場違い”なんじゃないだろうか、と強く思わずにはいられない。
 ティアナがそんなことを考えているなど夢にも思わず、鳴海は八神にとある疑問を投げかけた。

「機動六課でオークション警備って言ってもさ、俺が行く必要はないんじゃね? だってほら、俺ってばろくに戦えないしさ。ラファールもエロ動画のダウンロードで置いてきてるし、股間にステルスかけてるぐらいしかやることないんだけど――って、まさか!? 八神も股間にステルスかけて欲しいとか!? ああ、でもなあラファールがいないと一人が限界だし、このままじゃ俺の股間が陽の光の元に晒されるけど、それもまた仕方ないなさあパンツプリーズ!」
「ああ、うん。賢一君は戦力には入っとらんから、勝手に安心しとってええよ?」
「くそ長いボケがスルーされるとかなりへこむな! ……それじゃあ、何で俺はこうしてヘリに乗らされてんの? 六課で待機していた方がいいだろ、常識的に考えて」

 鳴海が珍しく真顔のまま問いかけた疑問を聞いて、ティアナは至極もっともな意見だと内心で同意した。
 ティアナは鳴海とは過去に一度だけ戦ったことがあるが、この変態は戦闘スキルというものがからっきしのド素人だった。変態特有の気持ち悪い動きと根拠不明のふてぶてしい態度で最初は翻弄されたものの、少し間を置いて冷静に対処すればなんてことはない実力なのである。
 鳴海とは付き合いの短いティアナが分かっていることを、付き合いの長い八神が分かっていないはずが無い。そこにはどんな理由があるのか、ティアナは少しだけ興味があった。
 そして、八神は神妙な表情を浮かべて言った。

「――それはな、賢一君を放し飼いにしとくと後始末が大変やからやねん」

 ティアナは盛大に椅子からずり落ちそうになったが、寸でのところで我慢した。
 ティアナは横目で周囲を窺うと、他のフォワード組も自分と同じようにどこか呆然と拍子抜けしているが、高町やヴィータといった隊長・副隊長たちは八神と同じように神妙な顔つきで何度も肯いている。

「君に常識を説かれるとは思ってもいなかったけど、その意見には私も大いに賛成やねん。――せやけど、君を私やなのはちゃん、フェイトちゃんその他諸々の“執行人”の目が届かない場所に放置すると何をやらかすか分からんから、こうして連れてきたっちゅーわけ。君ってばアポ無しで聖王教会に遊びに行くとか、そういうのを気まぐれレベルでやらかす思考回路しとるやん?」
「ああ、まあ、うん。確かに、今日はカリムさんところに遊びに行こうかなー、とはうっすらと考えてたけどさ」
「うへぇ、マジで思ってたんかい……」

 八神だけでなく、ヘリ内の人員が皆一様に鳴海の思考回路に絶句していた。
 つい先日、ティアナはこの馬鹿に助言を貰おうとしていたが、この有様では実行に移さなくて正解だった――と、ティアナは心底から思う。
 もっとも、食堂の天井に頭からめり込んでいる変態と、その真下で楽しげに談笑する隊長と副隊長といったような、なんとも特異的な空間に自分の身を投げ入れたくなかっただけなのだが。

 ――あの時は、そこに至るまでの決意とかが全て否定された気がして、思わず涙を流しながら部屋に帰ったっけ……。

 あれは、ティアナにとっての黒歴史に分類されている。
 いくら機動六課に配属されてしばらく経つからといっても、鳴海賢一と安易に関わりを持とうとするべきではなかった。スバルに説得された経緯があるとはいっても、鳴海に相談を持ちかけようと思ってしまうことが、そもそもの黒歴史へのフラグだったのだろう。
 それとも、そんな行動を取ってしまうまでに自分は追い詰められているのか――そこまで考えて、ティアナは考えることを止めた。
これから始まるのはオークション会場の警備任務。
 ここで何かしらの実績を挙げれば、自分にとっての何かが変わるかもしれない。
 そのためにも、余計な思考に時間をかけている余裕はティアナには無かった。

 ――少なくとも、ミスだけは許されない。

 ティアナはそう思って目を閉じると、現地に到着するまで軽く眠ることにした。
 最近は余計な事を考えてばかりで、夜もロクに眠れていない状態なのである。



 薄暗い空間。
 数多のモニターや機械類が所狭しと置かれているその場所は、陽の光が全く当たらないこともあってか、非情に得体の知れない“闇”を感じさせる。
 そんな空間の中央には、巨大モニターの正面に立っている一人の変態がいた。変態は上半身に前を開けた白衣、下半身にブーメンランパンツといった珍妙極まる格好をしており、薄暗い空間とも相まってより変質者指数を爆上げしている。
 そんな変態は、巨大モニターに映し出されたとある幼女の姿と、船のような巨大建造物を眺めながら、口端を吊り上げ気色の悪い薄ら笑いを浮かべていた。

「くくっ、かの“聖王”の器である少女と私たちが見つけた“ゆりかご”――ああ、約束の日が今から待ちきれないな。ウーノもそう思うだろう?」
「そうですね、ドクター」

 変態の呼びかけに素っ気なく応じたのは、端末を操作している長髪の女性だった。
 ウーノと呼ばれた女性は変態には視線も向けず、黙々と端末を軽快に捜査しているあたり、両者の関係が少しだけ見て取れるかもしれない。
 しかし、ドクターと呼ばれた変態はウーノの態度に何か思うところがあったのか、少し寂しげな表情と声音で問いかけるように言った。

「ウーノ、何だか最近素っ気ないじゃないか。私が何かしたかい?」
「自覚が無いあたり、もう救いようが無いのかもしれませんね」
「私は君のことを愛していると言っても過言ではないが、もしかして君は私のことを嫌っているのかな?」
「いいえ、私もドクターを愛していると言っても過言ではありませんよ。――ただ、それとドクターが変態街道まっしぐらなのとは、残念ながら話がまた別ですので、そこはどうかお気になさらず」
「ふむ……まあ、それなら気にしないようにしておこう。どうやら、ウーノの反応を見る限りでは、私の変態レベルもかなり“彼”に近づいてきたようだね」

 ドクターと呼ばれた変態は、とある人物を頭に思い浮かべながら満足そうに何度も肯いている。
 ウーノはそんな変態を一瞥すると、小さな溜息を一つ吐いた。
 この変態――“稀代のマッドサイエンティスト(変態系犯罪者)”ことジェイル・スカリエッティが心底惚れ込んでしまっているのが、巷で“ミッドチルダの鬼才(変態系管理局員)”と呼ばれている鳴海賢一である。
 例えば、ウーノがクラナガンに雑貨の買い出しに行くと、二回に一回の確率で鳴海賢一が全裸散歩をしているのを見る機会がある。
 その光景はクラナガンでは当たり前の出来事なのか、特に騒ぎ立てられるようなことは無い。
 もし仮に、市民から管理局に通報があったとしても、それは鳴海賢一の捕り物劇を楽しもうとする野次馬根性から派生した行為に他ならず、まるで人気者のような扱いを受けているのだから不思議だ。
 こう考えると、クラナガンの人々の頭はかなりおかしいのかもしれない。

 ――まあ、ドクターもかなりおかしくなっているけれど……はぁ。

 ウーノはまた一つ溜息を吐いた。
 元々のジェイルもかなり頭がおかしかったが、鳴海賢一という存在を認識してからの変貌ぶりは常軌を逸していると言ってもいいだろう。少なくとも、ジェイルの趣味に“脱ぎ魔”が付加されたのは、ジェイルが鳴海の存在を知ってからの出来事である。
 あの時のことを、ウーノは今でも覚えている。
 それは、ジェイルにより生み出されたウーノを始めとする戦闘機人――通称“ナンバーズ”と呼ばれる姉妹たちの日課である、ゴールデンタイムで視聴率五十パーセント越えをしていた人気の生放送番組、【突撃! 隣の管理世界!】の記念すべき百回目の放送スペシャルを視聴していた際の出来事だった。
 この番組は、管理世界に芸能人のルナ・フォルトゥナ(当時19歳)が実際に赴くという内容で、主に行き当たりばったりの展開が視聴者にはウケていたらしい。
 そんな人気番組の記念すべき百回目のスペシャルという事もあってか、選ばれたのは【The capital of the moon】といった、“夜から朝方の時間帯かつ満月の日にのみ開演されるテーマパーク”が有名なとある管理世界だった。第九十七管理外世界の地球にもある遊園地と同様の場所で、【The capital of the moon】は多くのアトラクションを有する人気のスポットであると同時に、大人の雰囲気を楽しめるデートスポットとしても紹介されている。
 そんな大人気のテーマパークに、当時15歳の鳴海賢一が友人たちと訪れていたことがウーノにとっての全ての悲劇の始まりだった。【突撃! 隣の管理世界!】が捉えた映像には“ジェットコースターの安全装置を外し、座席の上で向かい風にも負けず仁王立ちをしている全裸姿の鳴海賢一”があり、あろうことかその映像がお茶の間にバッチリと流れてしまったのだ。
 ウーノたち姉妹は突然のハプニング映像に終始唖然としていたが、たまたまテレビの前を通りかかったジェイルの呟きは今でもウーノの耳に残っている。

「――――――――これが神か!」

 この出来事をキッカケとして、ジェイルは鳴海賢一の情報を研究ほったらかしで掻き集め、彼の日常的な変態行為に歓喜し、自らも同調するかのようにその変態行為を模倣していき、今のジェイル・スカリエッティという狂気の存在が完成してしまった。
 ウーノはあの日のことを今になっても後悔している。
 あの日、自分たちナンバーズが第九十七管理外世界地球日本原産の【KO-TA-TSU】に両足を突っ込んで【突撃! 隣の管理世界!】を見ていなければ、そこにジェイルが通りかからなければ、何よりも鳴海賢一が【The capital of the moon】にいなければ、今のような状況にはなっていなかっただろう。
 ウーノはこの重なり合った運命を呪った。同時に、このジェイルを自分が支えなければならない、と心に強く誓った。自分以外の妹たちにはジェイルの世話は荷が重すぎるし、情操教育にもかなり悪い影響があるだろうと確信したからだ。
 ただ、四番目の妹辺りはどこか楽しんでいる節が見受けられるが、アレは元々の性格がアレなので、ウーノは今さら気にしても遅いとして別段気にしていない。

「ふむ? ウーノ、何だか思いつめたような顔をしているみたいだが、どうかしたのかい?」

 つい過去を振り返っていると、ジェイルがこちらを覗き込んでいた。
ウーノは一瞬だけ面食らったように言葉を失うが、すぐに気を取り直していつもの自分を取り戻して答える。

「……いえ、何でもありません。少し、頭を休めていただけですから」
「そうかい? まあ、確かに君は普段から働き過ぎな感が否めないからね。いっそのこと、休みを取ってみるのもいいかもしれないね」

 笑みを浮かべて言ったジェイルに、ウーノはすぐに言葉を返す。

「これはまた御冗談を。私がいなかったら、いったい誰がドクターのお世話をするというのですか?」
「おいおい、私だって子供じゃないんだから、自分のことぐらい自分で出来るさ」
「そういうのは、自分で早寝早起き出来るようになってから仰って下さい。最近では、セインやノーヴェ、ウェンディの方がちゃんと起きてくれますから」
「おお、それは素晴らしいね。自分の娘たちの成長を感じることが出来て、“生みの親”としても感慨深いものがある」

 ジェイルは興味深そうに肯いている。
 そんな娘の一人である自分に、“あんなこと”や“そんなこと”の世話までさせるというのだから、本当にこの人は変態なのだろう――とウーノは再三に渡る認識をした。

 ――まあ、その件に関しては、私も世話されていると言ってもいいのかもしれないけれど。

 ウーノはそこまで考えて、すぐに思考を停止させた。
 それが昼間から考えるような内容ではないことに、彼女の持っている“常識”が反応した結果である。
 ただ、たまに昼間から求めてくるような生粋の変態が目の前にいるのだから、自分の常識がいつか崩されてしまう可能性もある。そういった危険性を考えて、何か対策を講じる必要があるのかもしれない—―と、そんなことを頭の片隅でぼんやりと思いながら、ウーノは端末の操作を再開した。
 その時、タイミングよく通信が入ってくる。
それが、よく知った人物からの通信であることを確認すると、ウーノはモニターにその人物を映し出した。

『――ドクター』
「おや、ルーテシアじゃないか。どうかしたかい?」

 そこに映し出されたのは、一人の少女だった。
 その無表情の少女の傍には、フードを被った大柄の人物と小さな妖精のような存在がいる。
 ルーテシアと呼ばれた少女は無表情のまま、抑揚のない声音で言った。

『別に、これといった用はないけど。定期連絡の時間だから』
「ああ、そうだったね。すっかり失念していたよ、ルーテシアは約束を守れる素晴らしい子だ」

 そう言ったジェイルの表情は、ルーテシアとは対照的に満面の笑顔だった。
 ただ、その笑顔は単に喜んでいるというよりも、興味関心を惹かれる対象が現れたことに喜んでいる、そんな印象を与える気味の悪い笑顔である。
 そのジェイルの浮かべる笑顔の意味に気付いているのかいないのか、それとも最初から興味が無いのか、ルーテシアは特に気にしたような素振りを見せなかった。
 むしろ、そんなジェイルに反応したのは傍にいる妖精のような存在で、小さな身体に炎を纏いながら血気盛んに言った。

『おいコラ、そこの変態ドクター! あんまルール―に気色悪い絡み方すんじゃねーよ!』
「それは褒め言葉と受け取っていいのかな?」
『うっせー死ね! つーかあたしの炎で丸焼きにしてやるから首洗って待ってろ!』
『アギト。ちょっとうるさい』
「はは、ルーテシアは怒らせると怖いね」
『ドクターはうるさいし気持ち悪い』

 ルーテシアの冷酷な言葉に、ジェイルとアギトは同時に言葉を詰まらせた。
 すると、今度はルーテシアの隣に立っている大柄の人物が口を開く。

『……ルーテシア、そこらへんにしておけ。あの変態に関わるとロクなことにならん』
「やれやれ、騎士ゼストも私を除け者にするのかい? 私が何かしたかな? んん?」
『…………』

 ジェイルの疑問に、騎士ゼストと呼ばれた人物は何も答えない。表情はフードを目深に被っているためモニター越しでは窺い知れないが、おそらく怒りの形相を浮かべているのだろう――と、ウーノは過去のことから推測した。

 ――まったく、ドクターも騎士ゼストには性格の悪さが滲み出る質問をしますね……。

 おそらくそれは、ジェイルにとっての騎士ゼストという存在が、決して油断できない存在であるからだろう。
 今では彼に様々な制約を強引に押し付けることで命令を聞かせているが、何がキッカケでこちらに咬みついてくるか分からない。以前ほどの力は失われていると言っても、その牙は未だ抜かれているわけではないのだ。
 もっとも、その牙をあえて抜かずにスリルを楽しんでいるのだから、結局のところはジェイルの自業自得でしかないのだが。

「ああ、そうだ。ルーテシア、君に少し頼みたいことがあるんだよ」
『……スクール水着を着て欲しいっていうお願いなら、ちゃんと前に断ったけど?』
「――ドクター、少し調子に乗り過ぎていませんか?」
「――ハハッ。ウーノ、これはルーテシアなりのちょっとした冗談だから、どうか青筋立てて怒らないでほしいな」

 ウーノの素直な怒りに、ジェイルはのらりくらりと受け流すように応じた。
 だが、そんなジェイルの逃亡劇も被害者の証言で瞬く間に終了となる。

『それは嘘。一ヶ月くらい前、ドクターが個人回線使って通信してきたデータを保存してるから、きっと言い逃れ出来ない。ちゃんと録音もしておいたから、後でメールに添付して送るね』
「ありがとうございます、ルーテシアお嬢様。――ドクターは後で折檻ですのでお逃げなさらずに」
「やれやれ、人気者は辛いね。もしかすると、鳴海君もこういった目によく遭っているのかな――っと、いつの間にか話が逸れていたね。まあ、幸か不幸か話の核心には近づいていたようだが」

 ジェイルのもったいぶった言い方に、その他のメンバーは話の要領を得ない。

「ルーテシア、機動六課という管理局の部隊を知っているかい?」
『ううん。知らないけど、それがどうかしたの?』
「早い話が、私たちの邪魔をするのが目的な、悪者の集まりだと思ってくれていい。その機動六課だが、今日の夜にホテル・アグスタで開かれるオークションの警備任務に就くらしいんだ」
『……オークション?』

 ルーテシアは首を傾げていた。
 機動六課の動向については、その殆どがウーノの元に情報として集まってきている。
 ただ、単なる敵対関係ゆえの情報収集ではなく、ジェイルの興味関心が惹かれるような内容が優先的に選別されて送られてくるため、ウーノにとっては単なる無価値な情報も数多くあるのが悩みの種ではあるのだが。

 ――やっぱり、ドクターの因子が色濃く受け継がれているだけあるわね、ドゥーエ。

 最近は直接会うことが出来ない二番目の妹のことを想い、ウーノは疲れたように溜息を吐いた。
 四番目のアレに負けず劣らずのアレである二番目の妹らしく、送られてくる情報の殆どが下ネタ系か鳴海賢一関連の話題だった。ジェイルの指示で鳴海賢一の身辺調査を命じられている間に、二番目の頭もかなりおかしくなってきていることが、ウーノには容易く推測できる。
 やはり、あの管理局きっての変態の影響力は、ナンバーズ随一の冷酷非情なドゥーエでも無視できないレベルにあるようだ。大事な妹と再開する約束の日が、少し怖くなってきたウーノであった。
 そんなウーノの苦労なんて気付くはずも無く、ジェイルは首を傾げているルーテシアに情報をかいつまんで説明していく。

「そのオークションなんだが、たまにロストロギアも出品されるような規模らしくてね。まあ、そんな公の場に出品されるロストロギアなんて、骨董品以上の価値も無いような代物なんだが、今回は珍しく私の眼鏡に叶う代物が出品されるようでね。そこで、ルーテシアにはそのロストロギアの確保をお願いしたい」
『……うん、別にいいよ』

 あっさり了承したルーテシアに、騎士ゼストは横から口を挟む。

『いいのか、ルーテシア。どんなロストロギアかも知らされていないんだぞ?』
『ここでドクターに恩を売っておくのも、私たちのためになると思った』
「ふふっ、ルーテシアは本当に計算高い女性だね。将来が楽しみで仕方がないよ。とりあえず、十年後に一度告白をしてみたいものだ」
『ロリコンドクターは黙ってて』

 やけに、ジェイルには毒舌を吐くルーテシアだった。
 もっとも、行動から発言まで全てが変態チックなジェイルには、これでもまだ生易しい部類なのかもしれない。現に、ジェイルは特に傷ついた様子も無く、いつものように気持ちの悪い笑みを浮かべているだけだった。
 すると、ジェイルは何かを思い立ったように指を鳴らすと、傍から聞いているウーノにとって、実にとんでもない提案をルーテシアにした。

「ああ、そうだ。機動六課が警備任務に就いているという件だが、時間があれば鳴海賢一という管理局員に接触してみるのも、ルーテシアの為になるんじゃないかな?」
『……誰?』
「とても面白い人物だよ。そうだね、騎士ゼストなら聞いた覚えがあるんじゃないかな?」

 そう言うと、ジェイルは騎士ゼストに意地の悪い視線を向ける。
 それは、鳴海賢一という名の悪夢のキーワードに、騎士ゼストが微妙に反応していたのを、ジェイルはしっかりと気付いていたからだった。

『――まさか、機動六課とやらにはアイツが所属しているのか?』
「ああ、騎士ゼストの言う通りだよ。鳴海君は機動六課の一員として、ホテル・アグスタに向かうヘリに乗ったという情報が届いていてね。これはもう、何か一波乱ありそうで楽しみで仕方がない」
『……機動六課の部隊長は何を考えて――いや、鳴海から目を離す方が危険極まりないか。どうやら、鳴海の扱い方をある程度は心得ているようだな。それはそれで、頭がおかしくなっていそうだが』

 騎士ゼストはフードで顔を隠しているが、その声音は難解な事件に立ち会っているかのように険しい。
 その姿をモニター越しに見ているウーノは、騎士ゼストも過去に鳴海賢一と関わったことがあり、しかも、おそらくは彼に振り回されたクチに違いない、と言葉には出さずに確信した。

「やれやれ、騎士ゼストも鳴海君には夢中のようだね。多方面から人気者な鳴海君らしい、とも言えることだが」
『……鳴海賢一。うん、時間があったら会ってみる』
『それは駄目だ、ルーテシア! あの馬鹿と会ったら頭がおかしくなるぞ!』
『そうだよ、ルール―! 聞いてる限りじゃ、そいつもきっと変態だってば!』

 ルーテシアの言葉を聞いて、騎士ゼストとアギトは慌てたように説得を開始する。
 だが、そんな二人の忠告も空しく、ルーテシアは首を横に振った。

『変態ならドクターで慣れてるし、別に大丈夫だと思う。それに、何だかゼストが慌ててるのも少し気になるから』

 そう言ったルーテシアは相変わらずの無表情だったが、どことなく声が弾んでいるようにウーノは感じた。普段は好奇心の欠片も露呈させないルーテシアだが、騎士ゼストのなかなか見られない反応を窺っている内に、自然と興味が湧いてしまったのかもしれない。
 ルーテシアの教育上の観点から考えると、騎士ゼストは鳴海賢一の話題に無反応を貫くべきだった。いくらジェイルで変態属性に耐性がついているとはいえ、鳴海賢一はそのジェイルが憧れた生粋の変態である。
 おそらく、いくらルーテシアでもただでは済まないだろう。
 ウーノはモニターのルーテシアに向かって、静かに黙祷を捧げた。



 ホテル・アグスタ。
 首都クラナガンの南東に位置しており、周囲は自然に囲まれているため都心部よりも空気が澄んでいる。値段も高級ホテルにしては割と手ごろな面もあってか、人混みで疲れたサラリーマン等が有給を使って心身を休めに来る光景が多い。
 そんなホテル・アグスタ一番人気のスポットは、徒歩数分の場所にある高台で、クラナガンの街並みを一望できる絶景が広がっている。夜には街の明かりがロマンチックな雰囲気を醸し出すことから、時には多くのカップルがイチャイチャラブラブしているため、独り身には少々辛い空間になることもあるが、それもまたご愛嬌といったところだろう。
 そんなホテル・アグスタの目玉と言えば、社長直々に開催しているオークションだ。出品される品々は様々だが、中にはロストロギア級の代物も出品されることもあり、そういった意味でも多方面のVIPから注目を集めている。
 また、そういったVIP特有の雰囲気を味わおうとするため、落札目的でない観賞目的で足を向ける人もいるほどの規模のため、会場内は非常に混雑していた。
 ただ、そんな会場内でポッカリと開いた空間がある。
 その中心部にいるのは華やかなドレスで着飾った四人の美女で、周囲の人々は羨望や憧憬、嫉妬から距離を取っているようにも見える。
 それに加えて、その内の三人の美女がマスコミでよく報道されている、かの有名な管理局員である要素も大きいだろう。

「いやー、それにしてもすんごい人やね」
「そうだね。これじゃあ、警備するのも一苦労しそうかな」
「外はヴィータちゃんたちがいるから大丈夫だと思うけど、もし仮に会場内まで踏み込まれたら結構厄介かもね」

 そんな周囲からの視線を物ともせず、高町、フェイト、八神の三人は警備に関する情報を再三に渡って確認していた。流石は今までに潜ってきた修羅場の数が違うのか、三人からは特に動じている様子は見られない。
 そして、残ったもう一人の“美女”はスカートをバサバサと煽いで遊んでおり、偶に見える純白の下着とカモシカのような生足が、会場内にひしめく男性の視線をその一身に集めていた。

「やっべえ、スカートって結構スース―するな! なあ高町、スカートって結構スース―するな!?」
「……もう! せっかくシカトしてたのに、そっちから話しかけてこないでよ!」
「ああ? 何だよ、俺がなんかしたか?」
「その! 格好! 上から! 下まで! 全部! おかしいから!」

 高町は隣に立っている“美女”――女装した鳴海賢一の耳元で、一語ずつ強調しながら怒鳴った。
 現在、鳴海は背中が大きく開いているセクシー路線な青色のドレスに身を纏っており、胸には大きめのパッドを詰め、頭には長髪のウィッグを被り、全身の無駄毛は当然のようにトイレで剃毛済みである。元々の中性っぽい顔つきと細身の体型も手伝って、パッと見では女装した変態とは分からない完成度だった。
 現に、周囲の人は高町とフェイト、八神の存在には気づいていても、ミッドチルダきっての変態である鳴海には気づいていなかった。周囲の人々にとっては、“三人の美女と一人の変態”ではなく、“四人の美女”として映っているのだから、当然と言えば当然かもしれない。
 一方、高町に怒鳴られたことは気にも留めていないのか、鳴海はパッドで増量した豊満な胸元を上下に揺らしながら、どこかズレている反論をしてみせる。

「どこがだよ! 完璧だろこの格好! パッドもAがEに誤魔化せるようなの付けてるから、サイズ的には八神にも勝ってるしな!」
「無駄に完成度が高いんがムカつくわぁ……。なんやねん、その卑怯パッド! 女なら生乳で勝負せんかい!」
「はやて、はやて。賢一は男だから、アレは変態だから」
「はっ!? アカン、私としたことが一瞬でも賢一君が女性に見え……って、これどっからどう見ても女性やん! ただの美女やん!」
「駄目だよはやてちゃん! それを認めちゃったら負けだよ、最後のプライドは死守しないと!」

 もちろん、ここまでの会話は全部小声である。
 ただでさえ周囲から注目を浴びているのに、警備に就いている人間の一人が女装癖のある変態だと周囲に知れれば、機動六課の評判は地の底にまで落下するだろう。
 鳴海もそのことに対する配慮はあるのか、自分から男であると大っぴらには公言していない。
 もっとも、立ち居振る舞いが完璧に男のそれであるため、バレるのは時間の問題かもしれないが。

「っていうか、どうして賢一君はドレス着て女装してるの? 最初見たとき、普通に気が付かなくてすっごくビックリしたんだから!」
「ん? まあ、そりゃアレだよ。お前らとの統一感? たぶん、そんな感じのを大事にしたかったんだろうな、俺っていう人間はさ」

 爽やかな笑みを浮かべて言い放った鳴海に、八神は間を置かずにツッコミする。

「それを言うなら、まずは自分の性別との統一感を図るべきやないんか? 周りの人は気付いてないみたいやけど、バレたら大惨事どころやないんやけど」
「仮にバレたとしたらアレだよね。マスコミに“機動六課には女装癖のある変態がいる! やっぱり機動六課は変態の巣窟だった!?”って感じに報道されて、きっと噂になっちゃうよね。レジアス中将もお腹痛めるんじゃないかな?」
「ああ、レジアス中将なら大丈夫やろ。なんせ、あの人ってばまだ病院に入院しとるし、きっと大事には至らないはずやで」
「心配するところが違うと思うんだけどなぁ……っていうか、レジアス中将ってまだ入院してたんだ」
「せやなぁ……もう三か月近くは入院しとるんやないかな。胃潰瘍が治りかけた矢先に賢一君が変態行為やらかして、各方面がもう格好のネタとして取り上げたりするから、あの人も心身が休まらないんやろ」

 そう言って、八神は小さく溜息を吐いた。
 レジアス・ゲイズ。管理局ミッドチルダ地上部隊の実質的なトップにして、万年人手不足にも関わらず、地上の治安を維持し続けている剛腕の持ち主である。少々過激な発言もついて回るのが玉にキズだが、それも実績を挙げているからこそ許される特権だろう。
 ただ、近頃はきな臭い噂も多く、八神も機動六課の“目的”の一環として、絶賛マークしている人物でもある。
 八神が機動六課を立ち上げる際の条件として、鳴海の受け入れを要求したのもレジアス中将だった。常日頃から鳴海の変態行為に苦心しているようで、鳴海の受入れさえ受諾すれば部隊立ち上げには反対しない――と、言い切ったほどだ。
 ただ、こうして鳴海を機動六課に追いやったところで、レジアス中将の気苦労が絶えることは決して無かった。現に、中将は今も病院で絶対安静を言い渡されているところなのである。豪快そうな見た目の割に、結構な神経質というか、意外と繊細な一面を持っているのかもしれない。

 ――まあ、そう考えると私らって一体何者やって感じになるんやけど。

 鳴海と同じ部隊で同じ日々を過ごしている自分たちがストレスを感じていないと言えば、それはまず間違いなくノーである、と八神は断言できるほどにストレスに見舞われている。
 この変態とくれば、全裸散歩は当然として、単純なセクハラ行為から常人ならドン引きするような行いまで、ありとあらゆる手段を取って機動六課に嵐を巻き起こしているのだ。
 例えば、先日の聖王教会への訪問の際の鳴海がいい例だろう。
 その時、鳴海はリインフォースⅡに殴打された両脛を庇いながら、仰向け前進にステルスをかけて誰にも気付かれないようにして、八神の後を付け回していたことがある。
 改めて言うまでもなく、これはれっきとしたストーカー行為であり、八神も長年の付き合いである鳴海に対して、あの時には割と本気でドン引きしていた。親友の高町やフェイトも同様に、鳴海との付き合いが長ければ長いほど、彼から被ることになる害は著しい量になっているだろう。
 それにも関わらず、身内にはストレス云々が原因で病気を患った人はいない。レジアス中将のように、胃潰瘍になって入院してしまうようなオチを披露した身内は、今までただの一人もいないのである。
それはつまり、八神たちはレジアス中将以上に図太い神経を持っているか、鳴海とのコミュニケーションにストレスを感じてはいるものの、それを心のどこかで受け入れてしまっている、ということになるのではないだろうか。
 もちろん、この説には八神本人が否定的だ。
 正確には、否定しないということは“そういうこと”であると暗に認めてしまうことになるため、意地でも否定せざるを得ない状況に追い込まれているといった感じだろうか。

 ――はぁ。本当に、この変態に付き合うのは色んな意味で疲れるわ……。

 八神はつくづく自分の不幸を呪った。
 それでも、やっぱり心のどこかでは“鳴海と出会えてよかった”と素直に思っている自分もいて、本当にこの変態が持っている“人徳”の才能というのは、天性のものにして天災級であるといえよう。

「んあ? 八神、何か珍しく真面目な顔してるけどどうした?」
「珍しくは余計や。――まあ、考えてる内容は真面目やったかもしれんけど」
「あ、分かった! 八神ってば、俺のこと考えてたんだろ!?」

 わざとらしく驚いた様子で、鳴海は八神をからかうような口調で言った。
 それに対する答えとして、八神はいつものように辛辣なツッコミを返そうとした――が、あえて今回は趣向を変えてみることにしてみた。

「――まあ、否定はせえへんけどね」
「……ん?」

 鳴海にも予期せぬ返答だったのか、八神の言葉を聞いた女装の変態は、一瞬呆けた後に美女らしさ溢れる可愛らしい首の傾げ方を披露した。
 その様子を見て、八神は思わず笑みを零してしまう。こちらの気持ちを無視して強引に踏み込んで引っ掻き回してくる癖に、こちらから逆に一歩踏み込んでみれば案外脆いところが実に彼らしいと思いながら。
 鳴海は少しの間だけ首を傾げたままだったが、どれだけ考えても八神の返答の意味を理解できなかったようで、気を取り直したように次の話題を口にした。

「そういえばさ、このオークションってユーノが商品の紹介とかするんだろ?」
「うん、そうみたい。ユーノ君の知識が商品紹介にはうってつけだって、社長さんが直々にお願いしたみたいだね。ほら、ユーノ君って確か考古学会の博士でもあるから」
「まあ、ユーノってすっげえ頭いいもんなぁ」

 鳴海も素直に感心してしまうのが、ユーノ・スクライアという名前の幼馴染である。
 ユーノの役職は無限書庫の司書長であるが、その実績を得るに至ったのはユーノが無限書庫を実働可能レベルにまで整理したことが大きい。
その名の通り、無限書庫という場所は超が付くほどの規模を誇るデータベースである。時空管理局本局にあり、管理世界の書籍やデータが全て収められているなど、ある意味では世界そのものであるとする見方もある。
 ただ、それだけの大規模であるがゆえの弊害として、書籍やデータの集積に整理の手が追い付かず、無限書庫の中身はほぼ全てが未整理のままだった。
 そんな環境を見事改善し、無限書庫を利用できるレベルにまで押し上げたのが他ならぬユーノ・スクライアなのである。
 それゆえに、周囲からの評価は高く、容姿も優れていることから女性人気も高い。一言で表現してしまえば、まさしく“優良物件”と評することが出来る人物である。

「しっかし、ユーノと会うのもすっげえ久しぶりな気がするわ。俺が遊びのメール送っても、あいつってばずっと忙しそうにしてたみたいだし」
「まあ、ねえ。ユーノ君って無茶するところがあるし」
「……え? それをなのはが言うの?」
「……え? フェイトちゃん、何かおかしかったかな?」
「……え? いやいや、なのはちゃんにしては随分と切れ味の鋭いボケやね。流石の私でも、ツッコミするの忘れてもうた」
「……え? はやてちゃん、それって一体どう意味なのかな?」
「まあまあ。早い話が高町は馬鹿ってことだろ?」
「賢一君にだけは言われたくないんだけどなぁ!?」

 鳴海からのオブラートの欠片も見せない発言に、顔を真っ赤にして怒る高町をフェイトと八神が必死に押さえつける。

「いやー、しかしアレだな。せっかく女装してることだし、正体をバラさないでユーノを誘惑してみるってのもいいかもしれねえなぁ」

 そう言った鳴海は、くびれた腰を艶めかしげにくねらせたセックスアピールを披露した。普段の鳴海なら勢いで撲殺されてもおかしくない気持ち悪さだが、こうして女装しているとどことなく色気を醸し出しているから恐ろしい、と三人娘は素直に思った。

≪……ねえ、何で賢一君ってこんなに女装が似合ってるのかな?≫
≪うーん……。賢一の変態性と上手くマッチしたとか?≫
≪嫌やなぁ……。女装して本領発揮する変態とか、もう完全にお手上げやん≫
≪というか、こうやって賢一君を見てると、女としてのプライドがビキビキと崩れるような……≫
≪≪ああ、それは分かる≫≫

 三人娘は念話をして鳴海に関する意思疎通を図るが、それは鳴海の女装は完成度が高いといった認識を再確認する結果しかもたらさなかった。
 一人で“しな”を作る練習をしている鳴海と、そんな変態を見て表情を曇らせる美女三人。
 そんな場所に、話題の人物が現れた。

「あれ、みんな。こんなところにいたんだ」

 変態と三人娘が声のした方に振り返ると、そこにはユーノ・スクライア本人がいた。
 スーツを着たユーノからは凛々しいオーラが放たれ、青年に成長した今でもその優しげな雰囲気をなおも変わらず漂わせている。眼鏡をかけているのも理知的なイメージにピッタリだった。

「あっ、ユーノ君! 久しぶり!」
「やあ。久しぶりだね、なのは。フェイトもはやても、随分と久しぶりに会った気がするよ」
「うん、そうだね。最近は、みんなの仕事が忙しくて時間が取れなかったからね」
「そうやね。でも、こうして会えたのも仕事のおかげやから、今回ばかりは感謝せんとアカンかな?」

 まず、ユーノの登場にいち早く反応したのは三人娘だった。
 だが、鳴海も出遅れたというわけではない。あえて、ここは三人娘を先に行かせたのである。
 その理由は実に単純明快だった。
 鳴海の興味関心はユーノを誘惑する方向にシフトしているため、最後のトリとして登場する方がインパクトをかっさらうといった点において、もっとも効率的かつ有効な方法だと判断したからである。
 まるで、どこぞの芸人のような判断スキルだった。

「あら、初めまして」
「…………?」

 鳴海は裏声で恭しく挨拶すると、品のあるお嬢様ステップでユーノにゆっくりと近づいていく。
 もちろん、無駄に腰のくびれをアピールするのも忘れていない。パッドで増量した両胸が今にも溢れ出ようとするかのように、上下左右に激しく揺れていた。
 かなりわざとらしい行為だが、ユーノには有効な手段だろう――と、鳴海は確信している。今流行の草食系男子を、十年前から維持し続けている生粋の草食系男子であるユーノにとって、こういった色気の強いアピールにはなれていないはずだ。
 だからこそ、ここは強引に迫る方法を選択した。
 鳴海はユーノの目の前に立つと、胸の前で両手を組んであからさまに胸元をアピールする。

「ユーノ先生……ですわね? ワタクシ、高町さんたちと同じ部隊で働いている者ですの。今日はお会いできて光栄ですわ」

 三人娘が唖然とするのもお構いなしに、鳴海は自分に出来得る限りのお嬢様演技を披露した。
 ちなみに、参考にしているのは、つい先日会ったばかりのカリム・グラシアである。鳴海にとって、一番お嬢様らしいお嬢様であるカリムの仕草を真似てしまえば、ユーノは絶対に堕ちるだろうと確信していた。カリムが聞いていれば激怒しそうな話である。
 だが、そんな浅はかな考えもユーノ本人が打ち崩す。

「って、賢一じゃないか。どうしたんだよ、そんな女装なんかして。また、相変わらずの変態路線まっしぐらなの?」
「……へ?」

 なんと、ユーノは一目で鳴海が女装していることを見破ってしまった。
 あの三人娘ですら、初見では気付けなかった完璧な女装を、一分も経たない内にものの見事に見抜いたのである。これには鳴海も驚きを隠せず、女性の色気である“しな”を作ったまま呆然と口をパクパクとさせている。

「あれ、賢一? どうかした?」
「……いや、その。こんなに早く見破られると、俺の今に至る諸々のフラグが実は死亡フラグだったんだなと確認しているところだぜ!?」
「……? 相変わらず賢一の言ってることは理解不能だけど――だって、僕が賢一を見間違えるはずがないじゃないか。たとえ、親友が女装していたって、僕にとっての賢一は君しかいないんだから」

 ユーノは爽やかな笑みを浮かべてそう言った。
 その飾り気のないありのままの言葉に、鳴海は両頬を思わず朱に染めてしまう。

「――うわ、何だよ今の発言!? すっげえぇぇぇぇぇぇぇ……キュンッと来たんだけど!? おい高町、ユーノってすっげえイケメンじゃね!? どうしよう、これもう俺ってば女でも構わないよな!? ユーノとバージンロード歩くわもう決めた!」
「ちょ、明らかに駄目でしょ賢一君! 女装だけならまだしも、心まで女の子になるのは色々とアウトだから倫理的に!」
「うーん……流石はユーノ君やね。賢一君をこない簡単に攻略するなんて、並大抵のテクやないね」
「はやて、はやて。現実逃避したい気持ちも分かるけど、今は賢一を正気に戻さないと」

 久しぶりの幼馴染との再会は、何とも言えない珍妙なものになってしまった。
 ただ、一つだけ言えることがあるとすれば、この結末に至った全ての原因は、他でもない鳴海賢一にあるということだけだろう。
 今宵のオークションは、色んな意味でおかしくなるかもしれない。



[33454] オークション戦線
Name: 全裸◆c31cb01b ID:ae743e2c
Date: 2012/12/06 04:50
 オークションとは名ばかりで、元来、ホテル・アグスタで開かれているオークションでは商品が落札されることは少ない。
 その理由としては、オークションではなく博物館のような雰囲気に近いからだろう。
 VIP級の人物が数多くいるものの、有名なオークション会場に足を踏み入れてみたいといった好奇心から、一般的な人物も数多く訪れるのがその証拠と言えるかもしれない。稀にだが、危険度の欠片も無い骨董品のようなロストロギアも出品されるため、最近ではますます骨董品に興味がある人物が足を運ぶ“博物館”のようになっていた。
 ところが、今回のオークションはいつもと雰囲気が違っている。
 いや、正確にはとあるロストロギアが出品された瞬間、今までのオークションの雰囲気が一変したのだ。
 出品される商品の解説役であるユーノ・スクライアによると、その銀の腕輪の形状をしているロストロギア“リフレイン”は、何でも“男性の失われた誇りを元通りにする”といった、何とも限定的な特性を持っているらしい。
 以前の持ち主であった男性は重度の“自信喪失”に見舞われていたが、このロストロギアを手にしたのをきっかけにその誇りを取り戻し、今では美人の妻に一男二女の子供の家庭を築いているようだ。
 このロストロギアが紹介された時、会場内には大きな笑いが起きた。ロストロギアとは名ばかりで、その実態は馬鹿らしい特性ではないか、と余興を求めてやってきた人たちにとってはこの上ないネタとなったのである。
 司会進行の人も会場の雰囲気に気分を良くしたのか、笑みを浮かべながら「えー、ではこの商品を希望する方はどうぞー」などと露骨に煽り、それがさらに会場内の笑いのボルテージを一段階上昇させる。
 だが、そんな雰囲気にも関わらず、“リフレイン”を落札しようと会場の中央で右手を高く挙げた人物がいた。
 その人物は蒼いドレスを着ている。遠目でも分かる艶めいた長髪、見る者を惹きつける豊満な胸元、スカートから覗くカモシカのような美脚、そして力強い意志を感じさせる眼差しと、耽美な相貌を兼ね備えている“美女”と称するに相応しい――そんな、ミッドチルダきっての女装に目覚めた変態が“凛”として在った。
 そんな光景を目の当たりにしたからか、会場内にはざわめきが満ちている。
 まさか、あれが“女装している鳴海賢一”だとは夢にも思っていないのだから、それも当然だろう。なんせ、周囲の人にとっては“ある一人の美女が下ネタ系ロストロギアを落札しようとしている”ようにしか見えないのである。外見のイメージとはあまりにもかけ離れている行動に、疑問や驚愕を覚えない方が難しいだろう。
 だが、そんな会場内において平静を保っている人間も少なからずいる。

「うわー……すっごく嫌な予感はしてたけど、まさかこんな展開になるなんて――まあ、普通に思ってたけど。それにしても、流石はホテル・アグスタの料理ってところかなぁ……でも、スイーツに関してはお母さんの方が美味しいや」
「なのはちゃん、一人で納得しとらんであの変態を止めてきて欲しいんやけど――あっ、このプリン結構イケるやん。ヴィータたちにも後でお裾分けしとこ」
「はやても現実逃避上手いよねぇ――ここのお料理ってタッパーに詰めても大丈夫かな? 大丈夫だよね」

 会場の中心で右手を挙げている変態から少し離れたテーブルで、目の前の光景には全力で現実逃避をしながらも、その一方では器用に豪華な料理に舌鼓を打っている高町、フェイト、八神といった三人娘がいた。
 鳴海賢一との付き合いが長い三人娘にとって、これぐらいのことは造作もないことだ。管理局本局から【鳴海賢一汚染度ランク】のSランク――“鳴海賢一の奇行を受け入れつつも、しっかりと現実逃避を出来る事(鳴海賢一を前にして冷静でいられるのは、普通の人間的にはかえってNGなのである)”の烙印を押されているだけはある、完璧と言ってもいいぐらいの現実逃避ぶりである。
 そして、今回は鳴海のお守り役である三人娘以外にも、この状況で慌てていない人物がいた。
 その人物とは言わずもがな、鳴海の親友であるユーノ・スクライアだ。

 ――このやるせないような呆れ返るような、そんなアンニュイな感覚……うん、賢一が“そこにいる”って感じがするや。

 昔は毎日のように襲い掛かってきた感覚を思い出して、ユーノは薄く笑みを浮かべる。
 ユーノが鳴海と初めて出会ったキッカケとなったのが、“ジュエルシード”と呼ばれるロストロギアを巡り、後に“P・T事件”と呼ばれるようになった一連の事件である。幼き日の高町に協力を仰いだユーノは、なし崩し的に彼女の幼馴染である鳴海とも知り合うことになってしまった。
 いや、正確には鳴海の方から事件に突っ込んできた、といった方がいいのかもしれない。
 もちろん、幼少期の鳴海もよく全裸になっていた。ユーノはそのことを今でもよく覚えているし、忘れようと思ってもインパクトが強すぎて絶対に忘れられないと確信している。暴走したジュエルシードから迸る光の奔流に、剥き出しにしている股間を嬉々として近づけようとするのは、次元世界広しと言えども鳴海ぐらいしかいないだろう。
 ともあれ、あの頃はユーノも鳴海によく振り回されていた。
おそらく、その密度は三人娘に勝るとも劣らないレベルで、鳴海賢一という変態に関わっていると自負している。
 その過去の出来事によって裏打ちされた経験から、あそこで右手を高く天に掲げている女装した変態は紛れも無くあの“鳴海賢一”なのだという事を、ユーノはこの壇上から見下ろして改めて実感した。
 鳴海賢一の隣に立つのではなく、鳴海賢一を遠くから眺め、彼が構成する独特な“世界”を俯瞰することで、あれから十年が経過した今でも当時と同じ感想をユーノ・スクライアはその胸に抱く。

「――やっぱり、君ってやつは生粋の変態だよ。はぁ……」

 随分と久しぶりに、ユーノは鳴海賢一に向けて溜息を吐いた。
 しかし、その溜息とは裏腹に、ユーノが浮かべる表情は笑顔だった。
 これこそが、【鳴海賢一汚染度ランク】のSSランク――“鳴海賢一の変態性に喜びを覚えること”の烙印を押された、ミッドチルダのオンリーワン足り得る由縁である。



「……なんだか、ホテル・アグスタが騒がしくなってる?」

 ホテル・アグスタの傍にある森の中。
 木々の隙間から差し込む月の光を受けながら、ルーテシアは誰に告げるわけでもなくひっそりと呟いた。

「……大方、鳴海の奴が何か騒ぎでも起こしているんだろう」

 その傍ら、ルーテシアの呟きを拾い上げた大柄の男、ゼストが疲れたような口調で答える。
 月明かりはあるものの視界が悪い森の中だが、ゼストはしっかりとした足取りでルーテシアを先導していた。

「……なー。旦那がそこまで呆れる鳴海賢一って奴は、どんだけの変態なんだよ?」

 ゼストの肩辺りを漂っている妖精のような存在、アギトは眉を顰めながら何度目になるも分からない率直な疑問を投げかけた。
 かつて、自分を救ってくれた命の恩人とも言うべき人物が、これほどまで呆れ返っているのを見たことが今まで一度も無かったアギトにとって、それは変態に会うということから芽生えた恐怖心を好奇心へと変えるだけの効果があった。
 だが、ゼストはアギトの疑問に対して無言を貫くばかりで、一度も納得のいく答えを返してくれたことが無い。時には「先入観を持つ方がより危険かもしれない」といった意味深な言葉を返してくれることもあるのだが、アギトにとっては要領を得ない返事でしかなかった。
 それでも、ルーテシアにとっては好奇心を煽る言葉に変換されているのか、薄暗闇を歩く足取りはスキップをするかのように軽やかなものになっている。ルーテシアは無表情が多い少女だが、決して無感情というわけではない。
 長い付き合いであるアギトは、ルーテシアが心優しく割と好奇心旺盛な年相応の少女であることを知っているし、それを前面に押し出してほしいとも思っているが、ルーテシアを取り巻く状況を考えると簡単に口にすることは出来ない問題だとも思っている。
 アギトにとって、ルーテシアはとても大事な“友達”だ。
 だからこそ、安易に踏み込んではいけない“領域”があることも、アギトは肌で感じていた。

 ――……はぁ。変態ドクターだけでも頭が痛いってのに、今度は変態管理局員かよ。ナンバーズも含めて、ルール―の周りにはどうしてこう変態系何某が集まるんだ?

 ルーテシアの“人徳”なのか“不幸”なのか、アギトにはイマイチ計り知れないが心では“人徳”ではないことを強く祈っていた。変態系何某に関わることが“不幸”でなくて何だというのか、年若い少女が背負うにはあまりにも重すぎる“人徳”である。
 しかも、今回の鳴海賢一という変態は、あのジェイルすら一目置くほどの極まった変態らしい。ルーテシアは変態属性にはジェイルで慣れているとは言っているが、傍から支えようとするアギトにとっては、ただの目前に迫った最大級の“不幸”でしかない。

 ――あぁぁぁ……ものっすごく止めてやりたい! ルール―は絶対に鳴海賢一に会わない方がいい気がする。会っちゃったらもう何か、取り返しのつかないことが起きるような気しかしないんだよぉぉぉ……っ!

 アギトは言葉には出さずに身悶えていた。
 そんな挙動不審なアギトを見て、ルーテシアは小首を傾げる。

「……アギト、お腹でも痛いの?」
「へっ!? い、いやいや、何でもないよルール―! アタシはいつも通りの“烈火の剣精”アギト様だってば!」
「……そう、かな? まあ、アギトがそう言うなら私も追及しないけど」
「本当も本当だってば! アタシがルール―に嘘ついたことないだろ!?」
「……この前、私のシュークリーム勝手に食べたこと誤魔化したでしょ?」
「あ、あれは、ルール―がアタシのプリンを食べちゃったからお返しにって……!」
「――静かに。そろそろ、警備部隊の網にかかりそうな距離だ」

 幼稚な喧嘩に発展しそうになっていた二人を、ゼストが静かな声音で押し留める。
 ホテル・アグスタを警備している機動六課という部隊。ジェイルから送られてきた資料からある程度の戦力までは把握したゼストだが、率直な感想としては“かなり異常な部隊”といった内容が正直なところだった。
 そんな力のある警備部隊に奇襲をかけるには、ここら辺が近づける限界の距離だろう――と、ゼストは判断した。今回の目的はジェイルが望むロストロギアの回収と、ルーテシアが鳴海賢一に出会う事である。前者はまだしも、後者は無理に叶える必要は無い。

――こちらが無理に望まなくとも、あの変態なら向こうからやってくるだろうしな……。

 むしろ、そういったこちらが意図しない出会い方こそ、鳴海賢一との初遭遇には相応しいとも言える。かつて、自分や部下たちが鳴海賢一という個人に引っ掻き回された過去を、ゼストはふと思い出した。
 そんなゼストを見て、ルーテシアは思ったことをそのまま口に出した。

「……ゼスト、笑ってるよ?」
「……む? そうか?」
「うん。笑ってるけど、何か呆れてるみたいだった」
「……ふっ、そうかもしれんな。――さて。ルーテシア、アギト、準備はいいか?」

 ルーテシアからの鋭い指摘を受けて、ゼストは半ば自嘲気味の言葉を返しながら、二人からの返事を待つ。

「……うん、大丈夫」
「アタシもオッケーだぜ、旦那!」

 頷きながら答える二人を見て、ふとゼストは考える。
 果たして、鳴海賢一は自分たちに何をもたらす存在になるのだろうか。あの規格外の変態かつ馬鹿ならば、自分たちを取り巻く状況を一変させるキッカケをもたらしてくれるかもしれない—―などと、ゼストは柄にもない事を考えながら、ホテル・アグスタの外観を木々の隙間から眺めていた。



 ホテル・アグスタの屋上。
 その中心に機動六課のヘリを止めたヴァイス・グランセニックは、警備部隊がガジェットの奇襲に応戦している音を聞きながらヘリの点検を行っていた。自分はヘリパイロットであり、前線で戦うのはそれ担当の、それこそ期待の新人であるフォワード組が相応しい。
 そのフォワード組は未だ心身ともに拙い部分もあるが、そこは持ち前の若さを駆使した“成長”も見込めるので、それはそれでアリだろう、とヴァイスは思っている。若者は若者らしく、自分自身で何かを悩んで答えを出してから成長するべきであって、それはその時でしか味わえない青春そのものである――とは、ヴァイスがよく後輩に聞かせていた持論だ。
 当の昔に、そんな時期が過ぎ去ってしまったヴァイスのような“大人”だからこそ、フォワード組のような“子供”から“大人”に成長しようとする後輩たちの、それぞれ違った青春を味わってほしいと思っている。
 ヴァイスがそんなことを考えていると、ヘリに搭載しているストームレイダーが問いかけるように言った。

『マスター、何だかとても上機嫌ですね?』
「ん? まあ、年老いた老兵が夢見る若者の軌跡ってやつに、こうして点検をしながら思いを馳せていたのさ」

 相棒からの問いかけに、ヴァイスは少々キザっぽい発言を返した。
 一方、ストームレイダーはそんなマスターに対して、まるで年上のお姉さんが年下の弟を窘めるような口振りで言った。

『誰が老兵ですか。そういう台詞は、誰か良い人を見つけて結婚して、子供を作って、孫の顔を見て、それからようやく許されるような言葉ですよ?』
「……あれだよな。ストームレイダーって、結構ラファールの影響受けてるだろ? 妙に人間味が強いっていうか、何か“姉貴”って感じがするようになってきたんだよな」
『ええ、ラファールは私にとって尊敬に値する、そんなインテリジェントデバイスですから。鳴海さんのような方に仕えることが出来る、その崇高な精神性は度々参考にさせてもらっています』

 これは間接的にだが、鳴海賢一の人間性を馬鹿にしていることになる、そんな発言になるんじゃないかとヴァイスは言葉にはせずに内心で思った。周囲の人たちや自分のデバイスに馬鹿にされるのならまだしも、他人のデバイスにまで馬鹿にされているのを聞けば、流石の鳴海でも心に突き刺さるモノがあるかもしれない。
 だが、そこまで考えたところで、ヴァイスは頭を振ってその考えを否定する。

 ――いや、こんぐらいで傷つくようなタマじゃねえか、あの馬鹿野郎は。

 ヴァイス・グランセニックが知っている鳴海賢一という男は、そんな生易しい否定の言葉で、自分自身を振り返られる器用な性格はしていない。いつ、いかなる、どんな時でも、あの“鳴海賢一”というスタイルを崩さない在り方は、むしろ酷いレベルの不器用であると言えるだろう。
 そして、その不器用さから来る芯のブレなさが、鳴海の持つ“人徳”に繋がっているのかもしれない。変態かつ馬鹿であり、呼吸をするように当たり前な感じで気持ち悪い発言や行動をして、周囲からの手厳しいツッコミという名の体罰で鎮圧される、そんな日々が日常となっている鳴海だが、彼は周囲から積極的に距離を置かれているわけではない。
 通説としては、鳴海賢一の“毒”が感染した結果とされているが、ヴァイスは別の考えを持っている。
 それは、鳴海賢一は“割と好かれやすい性格をしているのではないだろうか”といった、百人が聞けば百人が否定するような考えだった。
 だが、この考えはあながち的外れというわけでもない、と自分で思ってしまうぐらい、ヴァイスにとってはかなり自信のある考えなのである。
 ただ、周囲の人にこの考えを聞かせたところで、自分が変態の仲間入りをさせられるのは確実なので、ヴァイスは相棒であるストームレイダーを除いて誰にも言ったことが無い。

「結局のところ、人間って奴はいざって時に保身に走るんだろうなぁ……」
『だからこそ、その人には確かな“人間味”があるということではないですか? 何から何まで、自分を犠牲にして物事の解決を図ろうとするのは、かなり異常な性格をしていなければ、とてもではないですが実行に移せないでしょう』
「まあ、そりゃそうだ。誰だって、自分が傷つくのは避けたいだろうさ」

 ストームレイダーの言う事は至極もっともだった。
 ヴァイスはエンジンの点検を済ますと、操縦席に戻って身体を落ち着けることにした。流石は、武装隊に配属されたばかりの最新型輸送ヘリコプターJF704式である。それとなく座るだけでフィットするような感覚は、油断していれば眠りに落ちかねない気持ち良さがある。
 ヴァイスがあまりの居心地の良さに目を瞑ると、そんな彼を見かねたようにストームレイダーが口を挟む。

『それなら、過去のトラウマからなかなか前に足を踏み出せない――というのも、人間味が溢れていると言えるのかもしれませんね。ただ、この場合には最終的に足を踏み出すところまでいかないと、ただの意気地なしで終わってしまうのが厄介ですが』
「――それは、アレだ。きっと、そういった不幸に酔ってるだけなんじゃねえかな。ただ、本格的に酔いが回り過ぎて、自分だけじゃ真っ直ぐ歩くことも出来ない……どうよ? 割とイイ線いってるんじゃね?」
『ええ、流石はマスターです。自分の事はよく分かっていらっしゃる』
「……お前はいつから、マスターに対して皮肉を言えるようになったんだろうなぁ」
『それはきっと、ラファールのおかげでしょうね』

 ああ、とヴァイスは天井を仰いだ。
 本当に、あの奇想天外なコンビはロクな影響を及ぼさない、と思うと同時に、あのコンビは誰かを変えることが出来る奴らだ、とも思う。それは人だけじゃなくて、時にはデバイスすらも巻き込んだ影響力を持っているのだろう。

 ――だとしたら、俺も変われるだろうか。

 ヴァイスは思う。自分はあの日から、きっと一歩も前に進んでいないんだろう。ストームレイダーの皮肉の通りで、今の自分は鬱屈とした“人間味”と同居しているに違いない。過去の自分が犯したたった一つの失敗が、こうして今の自分を苦しめている現実に、ヴァイスは悲しみや憤りではなく、ただただ呆れるばかりだった。
 それと同時に、こうして呆れる事しか出来ていないから、今まで変わることが出来なかったんだろう、前に進むことが出来ていないんだろう、とも思う。こんな不甲斐無い自分に憤れていれば、今頃はきっと一念発起してストームレイダーを手に取っているはずで、そう出来ていないからこそ、自分の相棒は今もそこにあるのだから。

「なあ、ストームレイダー」
『はい、なんでしょうかマスター?』
「俺は、機動六課で変われるかな?」
『それは、きっとマスターが決めることですよ。武装隊に戻るのも、ヘリパイロットとしてこのまま行くのも、その全ては本人であるマスターが決めることです。――いえ、正しくは決めなければならない、でしょうか』
「……お前は本当に、厳しい性格してるよ」
『ええ、マスターのパートナーですから』

 ストームレイダーは“凛”としてそこに在った。
 そのことが、ヴァイスはとても嬉しい事であると同時に、マスターである自分が情けないとも思う。ストームレイダーはあの日から変わらない、いや、むしろ少し強くなっている、そんな気がした。それは気のせいなのかもしれないが、だとしたらそれはマスターである自分が不甲斐無いからなのだろう、とヴァイスは簡単な推測をしてみる。
 それはまるで、情けない男を支えている強い女みたいだ、とヴァイスは思う。

「ふむ。なかなかに暇そうだな、ヴァイス」
「んん? って、ザフィーラの旦那じゃないですかい」

 そんなことを考えていると、やけに厳つい声音の持ち主がヘリ内に入ってくる。
 その声音の持ち主とは蒼い狼で、八神はやての守護騎士でもある“盾の守護獣”ことザフィーラだった。ザフィーラは無駄に風格のある足取りのまま、ヴァイスの隣である助手席で丸くなる。

「なんか用っすか? っていうか、ザフィーラの旦那も応戦しに行かなくていいんすか?」
「ヴィータもいるし、シャマルも援護に回っているから心配はいらんだろう。元より、私は機動六課にとっての“想定外”の事案に対して、自由に動きまわるための遊撃手だからな。つまり、あの戦場は私の出る幕ではない」

 ザフィーラの言葉にはヴァイスも異論は無いようで、両腕を軽く伸ばしてリラックスしていた。

「ふあー……っと。まあ、旦那がそう言うんなら別にいいんすけど。――それに、あんまりヴォルケンリッターが前に出過ぎても、後輩組の為にならないかもしんないっすね」
「そういうことだ。まあ、ヴィータはあれで世話好きだし、シャマルもなかなかのお節介な性格をしている。ついでに、シグナムはアレだからな。せめて、私ぐらいは本格的にバックアップに回ろうと思っている」
「うわ、旦那ってばひでぇなあ。でも、否定できないのが姐さんでもありますわな」

 ヴァイスとザフィーラは、かの“烈火の将”が聞いていれば問答無用で切り捨てにかかる、そんな綱渡りの会話をしていた。
 この二人、一見すれば対照的な性格として相性も悪そうと一部では評判だが、本質的な“一歩下がって見守る”といったスタンスを身内に対して取っていることから、割と馬の合う同志だった。
 いつもなら、こうして二人でのんびりとした会話を楽しんでいると、当たり前のように全裸姿の変態が颯爽と現れるのだが、今はオークション会場に連行されているためその心配も必要ない。
 機動六課にいると、毎日のように変態と通じ合えないコミュニケーションを強いられていたため、こうした平和な時間がもの凄く久しぶりなヴァイスだった。おそらく、それはザフィーラにとっても同様の筈で、助手席で丸まっている様子からはかなりリラックスしているのが分かる。

「――鳴海がいないと、平和っすねぇ」
「――ああ、本当にな」

 ヴァイスの胸中には自分でも抑えきれない充実感が満ちていた。変態の相手をする必要が無い、そんな当たり前の筈だった時間が今ではものすごく懐かしく思える。
 いつもの鳴海は、深夜でも遠慮なくオセロ等の遊び道具を持って全裸のまま自室に突貫してくるため、最近ではかなり寝不足気味のヴァイスである。それも相まって、今のヴァイスは“束の間の平和”と頭では理解していても、このかけがえのないリラックスできる時間を全力で満喫しようとしていた。
 そんな矢先、丸まっていたザフィーラが急に顔を上げる。鼻をスンスンと動かしながらキョロキョロとしているあたり、何かの匂いでも探っているのかもしれない。

「旦那、何かあったんですかい?」
「いや……何か、妙な匂いを感じてな。――ふむ、少し見回ってくるか。主たちも警備で動けないだろうからな」
「そっすか。んじゃまあ、お互いの仕事を頑張るってことで」
「ふん。――お前の仕事はそうじゃないだろう」

 そう言い残すと、ザフィーラはヘリを後にしてホテル内に戻っていった。
 その後ろ姿を見送ることもせず、ヴァイスは一つ深い溜息を吐きだす。

「……なあ、ストームレイダー。ひょっとして、ザフィーラの旦那ってば活を入れに来てくれたのかね?」
『おそらくは、そうでしょうね。まあ、あの方も寡黙ですから』
「ははっ、そりゃそうだ。――はあ、情けねえなあ」

 本当に、本当に屈辱的だが、こういう時に限ってのポジティブな思考は、あの変態を見習うべきかもしれない。
 ヴァイスはそう思いながら、右胸のポケットから煙草を取り出した。




 ルーテシアが使役する召喚獣の一匹、ガリューは従業員用トイレの前でそわそわしているある一人の人間の女を観察していた。
 ガリューは持ち前の環境迷彩を駆使して物陰の“影”に同化しているが、その正体は人間サイズで二足歩行をする無骨な格好の虫であり、言葉を発することは出来ないものの、ルーテシアの言葉に肯き、何よりもルーテシアを守ることを優先的に考えられる、そんな知能を持った存在なのである。
 あの人間の女の左腕には、自分が主より任された銀のブレスレット状のロストロギアがあり、すぐにでも気を失わせるなどして奪い去らなければいけない。あの変態ドクターに頼まれた代物のため出来る事なら関わりたくないが、それが主の為になるのなら粉骨砕身で臨むのがガリューという存在なのである。
 だが、そんなガリューも目の前の人間の女を前にして、思わず接敵することを躊躇ってしまった。

――なんだ、アレは。

 それはまさしく、動物的な本能なのだろう。危険を避ける――そんな、自然界で生きるために必要不可欠な感覚が、大事な主の命令に背いてでも、ガリューに“逃亡”を促していた。
 人間の女は従業員用トイレの前で、より落ち着きの無さを増していっている。ドレススカートで隠れた股間部分に手を押し当てながら、何かを我慢するかのように足踏みをしたりグルグルとスキップしたりしている。時々だが、女が「んっ……」やら「んああっ……」やら、やけに苦しそうな声を漏らしているのを、ガリューはかなり不気味に感じていた。
 あの存在と関わることは、自分にとって最大の問題になり得る――それは結果的に、主を危険に晒すことになるだろうと、ガリューは直感的に感じるに至った。
 ガリューが動きを見せないでいると、人間は何かを思い立ったかのように急に廊下を走り出した。走り出した方角からすると、ホテルの裏口に向かっているようだ。
 このままあの人間が外に出るというのなら、それはガリューにとっても好都合だった。
 夜の森は暗く、明かりに照らされた館内よりは遥かに“闇”が深い。そのまま深い“闇に”同化すれば、館内よりも悟られることなく気絶させることが容易いだろう。
 ガリューは足音を立てることなく、全力疾走している人間の後を追った。
 その人間が行き着いた場所は、ガリューの予想していた通りホテルの裏口だった。自分が館内に潜入するときにも利用した場所で、その際に鍵を壊したため、あの人間もスムーズに外に出ることが可能なはずだ。裏口から離れたところには主が待機しているため、ロストロギアをあの変態から奪った後は、そのまま迅速に移動することも出来る。

「あぁぁぁぁ! やべえ、やべえ、漏れる、漏れるぅ!」

 人間はいきなりの大声をあげながら、裏口を乱暴に開け放ち、深い闇が支配する森の中に飛び出していった。
 その深い闇にガリューはより自分の身体を溶け込ませながら、人間の最大の隙を窺う。――とはいっても、あの人間はガリューが「実は攻撃を誘っているのではないか?」と危惧してしまうレベルで隙だらけなため、いつ攻撃に移っても変わらないかもしれない。
 ガリューがどのタイミングで攻撃に移ろうか考えていると、人間はしばらく走った先にある大きな木の近くに行くと、何かモゾモゾと両手を動かすといった素振りをしてみせた。

 ――いったい、奴は何をしている?

 ガリューはそう思うと、人間を横から覗ける位置に移動する。
 もしかしたら、あのドレススカートの下には何か武器でも隠し持っているのかもしれない—―そんな緊張を持ったガリューが見たものは、そんな想像を薙ぎ払うかのような壮絶な光景だった。

「――ふぅぅぅぅ」

 あの人間は、大木の幹に向かって液体状の物質を排泄していたのである。
 あれは、人間でいう“小便”という行為であり、ガリューもそれは知識として知っていた。人間の男は、股間にある棒状のモノから液体状の物質を排泄する――だが、あの“小便”のやり方は男性にのみ許されたやり方のはずだ。というか、あの股間にある棒状のアレは、元々人間の男だけが備える特徴の一つの筈である。
 では、どうしてに人間の女が男だけが持つアレを身に付けているのだろうか。
 まさか、人間の中にも雌雄同体である者がいたのか――ガリューがそう思っていると、その変態の横顔に何か違和感を覚えた。何故か、最近どこかで見たような覚えのある横顔に、ガリューは自分の記憶を掘り起こしていく。

「――あー、スッキリスッキリ!」

 排泄行為を終えた変態が見せた笑顔に、ガリューはようやくその違和感の答えを知った。

――この人間は、主が探していた人間か!

 ガリューは驚いた。
 まさか、探していたロストロギアを身に付けている人間が、もう一つの目的である鳴海賢一だったなんて思いもしなかったのである。なぜなら、“人間の男が人間の女の格好をしている”なんて、ガリューの立てていた予想には形も無かったからだ。
 ガリューは人間のことを完璧に理解することは出来ないが、人間という生物は性別を意識した服装を好むといった知識を持っている。その知識が、目の前の変人を無意識に“人間の女”だと思い込んでしまっていたのである。
 それが分かったと同時にガリューは“闇”から姿を現し、鳴海賢一に向かってスッと片膝をついた。主から「この鳴海賢一っていう変態に会ったら、傷つけずに連れ帰ってきてほしい。周りに他の敵がいるようなら、別に無理しなくていいから」と言われているため、鳴海賢一を傷つけてしまうような攻撃に移ることは出来ない。
 まずは、こちらの存在を鳴海賢一に気付かせたうえで、彼にこちらには敵意がない事を示してから、この場から連れ去るのが得策だろう。そう考えたうえでの行動だった。

「ん?」

 この距離で姿を現せば流石に気付いたのか、鳴海賢一はステルスを施していない股間をむき出しにしたまま、片膝をついているガリューの姿を捉えた。
 すると、鳴海賢一は突然現れたガリューの姿にも驚いた様子を見せず、むしろ間の抜けた反応を示した。

「あー。何か変な感じすんなーと思ってたら、お前だったのか」

 ガリューはその言葉に驚いた。
 やはり、この人間は自分という存在が潜んでいることに気付きながらも、あえて無反応を貫くことで、こちらの動きを誘い出していたのだ。一見して隙だらけに見える行動でも、その実態はこちらを誘い込まんとする“餌”だったのである。それも、かなり自然な動きでそれを行っているあたり、この鳴海という人間は真の実力を隠しているのだろう――と、機動六課の人間が聞けば大笑いして過呼吸になってしまいそうな誤解をしてしまった。
 そんな誤解をされているとは夢にも思わず、鳴海は股間のアレを上下に振りながら、やけに親しげのある声音で言った。

「あーっと……ちょっと待っててくれな。今すぐ後始末が終わるから――よし、立ちション終わりっと!」

 爽やかな笑顔のまま言うと、鳴海はモゾモゾと両手を動かしながら股間のアレを下着の中に戻していく。その手つきはやけにぎこちなく、初めて穿いた女物の下着になかなか上手く収まらないアレに対して、四苦八苦しているようだ。
 それから数秒後、ようやくアレにとってのベストポジションを確保することに成功したのか、鳴海は満足した表情を浮かべながらガリューへと向き直る。

「んで? 俺に何か用か?」

 そのあまりにも自然な態度を見て、ガリューは逆に戸惑いを覚えた。
 それは、この人間は突然現れた自分を恐れていないのか、どうしてそこまで無防備でいられるのか、といった未知の存在に覚える恐怖のような感覚に似ている。
 ガリューが反応を返せないでいると、鳴海はドレスが地面につくことも躊躇わずにその場にしゃがみ込むと、ガリューと目線を合わせるようにしてから言った。

「あー、そっか。もしかして、お前ってばザッフィーみたいに喋れないのか?」

 鳴海のいう“ザッフィー”とは分からなかったが、ガリューはとりあえず“喋れない”という部分にだけ肯いて見せた。
 ガリューの無言の肯定に対して、鳴海は困った表情を浮かべながらも、特に気にしていないような口振りで言った。

「あー、じゃあどうすっか? 俺に何か用があるってことは、お前についてけばいいのか?」

 鳴海からの思いもかけない言葉に、ガリューは二度も肯いた。
 主であるルーテシアから“無理はしないこと”と厳命されているガリューにとって、これは大歓迎の提案だったのである。
 ガリューの反応に、鳴海は困ったように顎に手をやって考え込む素振りを見せる。

「でもなあ……あんまりホテルから離れると八神に怒られそうだし……うーん。まあ、あんまり遅くならなければ大丈夫か? お前はどう思うよ?」

 鳴海からの突然の問いかけに、ガリューは驚きながら三度も肯いた。向こうは割とついてきてくれる方向で考えがまとまっているらしく、このまま余計な邪魔が入ることが無ければ、ガリューにとって大事な主の願いを両方とも叶えられそうである。
 だが、そんなガリューの願いも空しく、ここに鳴海賢一を追いかけてきた第三者が現れる。

「――阿呆か、貴様は。この襲撃のタイミングで現れた召喚獣の主の元までついていくなど、わざわざ自分から捕まりに行くようなものだぞ」

 やけに凛々しい声がした方にガリューが構えを取ると、そこには木々の隙間から漏れる月明かりに照らされた、やけに気高い風格を漂わせている一匹の蒼い浪がいた。
 その狼に対して、鳴海は偶然街中で遭遇した友人に話しかけるような、そんな気さくな感じで声をかける。

「あれ? ザッフィーじゃん。なんだよなんだよ、こんなところで会うなんて奇遇だな。ザッフィーはあれか、狼の雌でも探してランデブーにかこつけようとしてたのか? いやいや、それはアルフ姉さんに対する裏切りだぜ、単なる浮気行為だぜ!?」
「……貴様という男は、どうでもいいことを言う時だけは本当に口がよく回るな」
「いや、そんな褒められたら照れる……って、あれ? ザッフィー、もしかして俺だって分かってんの?」

 鳴海は自身の女装姿を指さすと、蒼い狼――ザフィーラはどうでもいいとばかりに気だるげな口調で答える。

「私が追っていたのはそこの召喚獣の匂いだ。だが、ある時からその匂いに不愉快な匂いが混ざった――それが貴様だ、鳴海賢一。私が女装している貴様に驚いていないのも、どれだけ貴様が女装で着飾っていようとも、その不愉快な匂いは香水でもつけるなどしなければ誤魔化しようが無い」
「あれ? もしかしなくても、俺ってば馬鹿にされてね? つーかアレだな、“匂いを嗅ぐ”ってキーワードかなりエロくねぇ!?」
「その狂った思考回路は一度技術部にでも提出した方がいいな。――さて、うちの変態が迷惑をかけたようだが、そちらはどうする? ここで戦うか、それとも退くか」

 ザフィーラはいつも通りに狂っている鳴海を放っておいて、構えを取ったままのガリューに問いかけた。
 その問いかけに、ガリューは考える。
 自分が主により任された二つの願い――それは“ロストロギアの確保”と“鳴海賢一の確保”である。それが、今この場に二つまとめて存在している幸運とも言える状況に、いかに手ごわいであろう敵がいるとしても、ガリューは自分から進んで退こうとは思わなかった。
 だが、そんなガリューを押し留めているものは、主の別の願いである“周りに他の人間がいるようなら、別に無理しなくていいから”といったものである。ガリューとて、目の前の敵に対して無傷でいられる自信は無いし、その保証も無い。主のところまで下がれば援護をもらえるだろうが、わざわざ守るべき対象の主を危険に晒すような行動をするつもりも無い。
 つまるところ、ガリューは主の願いを順守しようとするあまり、その場から身動きを取ることが出来なくなっていたのである。

「……お前がここから退くというのなら、私もお前を追うことはしない。私は今、鳴海賢一という変態を連れて行かせないようにするためにだけ、この場に存在していると理解しろ」
「あれ、これってもしかして告は――」

 乙女のような表情を浮かべた鳴海に、ザフィーラは反射的に後ろ足で土を蹴り上げた。

「……そちらがこの変態を引き取ってくれるなら本望なのだが、こんな変態でも時には役に立つことがあるのでな。そう気軽にくれてやるわけにもいかぬ」

 ザフィーラの声音はやけに刺々しいものだった。
 おそらく、このザフィーラと呼ばれている存在にとって、その声音はまさに誤魔化しきれていない本心から零れているものなのだろう。鳴海賢一という人間は、この気高い存在に本心から嫌われているに違いない――聞いているだけで分かる激しい嫌悪の感情に、ガリューは戸惑いを隠せなかった。
 それは、自分にとっての守るべき存在の主に寵愛の念しか覚えないガリューには、ザフィーラの嫌悪の感情を理解できなかったからだ。守るといった姿勢を見せながら、その本心はきっと真逆の悪感情、にも関わらず一向に退く気配を見せようとしない、そんな滅茶苦茶なザフィーラの態度をガリューは理解できない。

 ――守るべき対象をここまで無下に扱うなど、決してあってはならないことではないのか?

 ガリューは思考する。
 この鳴海賢一とザフィーラの関係は一体何だ。主従関係というにはあまりにも歪すぎるし、かといって守るといった姿勢だけは決して崩そうとしていない。その一方で、鳴海賢一の扱いが非常に雑というか、むしろ敵対心をもっている節すら見受けられる。
 そんな、様々な要素が反発しあいながら、その複雑な要素の中でザフィーラは鳴海賢一を守護するためだけにこの場に現れた。主のためだけを思って揺らぐことの無いガリューには、ザフィーラの態度は同じ守護する立場にある者として、非常にバランスが悪いと受け取る事しか出来ない。
 そんな、戸惑いを隠せていないガリューを見かねたのか、ザフィーラは先ほどまでの刺々しい声音を一変させると、まるで諭すかのような優しい声音で言い放った。

「――ここは、お前の主を守るためにも、どうか退いてもらえないだろうか?」



 結局、ガリューはザフィーラに諭される形でルーテシアの元に帰ってきた。
 主の願いを一つも叶えられなかったガリューにしてみれば、これは背信行為に近い結末である。ガリューはそんな自分に“情けない”といった感情を覚えていた。
 だが、そんなガリューの感情とは違って、ルーテシアは何よりもまずガリューの心配をした。

「……ガリュー、大丈夫? どこも、怪我してない?」

 ルーテシアの言葉に、ガリューはしっかりと肯く。
 すると、ルーテシアは無感情だった表情に、一つの感情を浮かばせた。

「……よかった。ロストロギアよりも、鳴海賢一よりも、ガリューが無事に帰ってきてくれることの方がうれしいから」

 ルーテシアは笑顔と呼ぶにはあまりにも小さく儚い感情を携えながら、ガリューの左足にしがみつくように抱き着いた。
それはまるで、幼子が父親の足にしがみつくような、そんな行動だった。

「……それじゃあ、ゼストとアギトとの待ち合わせ場所に行こう。ガリュー、お願いできる?」

 主の頼みとあれば、ガリューに拒むつもりはない。
 いつものように、ルーテシアの背中と膝裏を両腕で抱き上げると、そのまま天井の木々を抜けて空に飛び出していく。いつものような、いつもの行為。主の願いを叶え続けてきた、ガリューにとっては当たり前の主従関係がここにある。
 だが、今日に限って言えば、ガリューの心にいつもと違う部分もあった。

「……ねえ、ガリュー。あなたが会った鳴海賢一の話、聞かせてくれる?」

 ルーテシアの言葉にガリューは静かに肯く。
 自分は喋ることは出来ないが、主であるルーテシアだけは自分の気持ちを理解してくれる。自分が出会った鳴海賢一という変態についての感想も、きっと彼女なら理解してくれるだろう。
 だから、ガリューは子守唄を歌うかのように、抱き上げているルーテシアに語りかける。その子守唄には言葉は無いが、ルーテシアはガリューの声無き言葉に応えるように、何度何度もしきりに肯いていた。



「ところで、何故貴様はあんな場所にいたのだ?」

 ガリューが去った後、鳴海とザフィーラは一心地つけてから、ホテル・アグスタへの帰路を歩いている。鳴海は割と森の奥深くまで全力疾走していたようで、ホテルの明かりはまだ少しだけ遠くにあった。
 鳴海はすっかり汚れてしまったドレスを着ながら、まるでスキップするかのように軽快な歩調で歩き、その後ろをザフィーラが付かず離れずの距離を保って歩いている。その様子からは、女装している変態と歩くことへの忌避感がありありと見て取れるようだった。
 だが、鳴海がそんなザフィーラの気持ちに気付くはずも無く、その中性的な顔に笑みを浮かべながらスキップしている。木々の隙間からは月明かりが鳴海の元に降り注いでおり、その光景を見ているザフィーラは、まるで月明かりのステージで変態が躍っているようだ――と、かなりどうでもよさげに思っていた。

「なあ、ザフィーラ」

 すると、鳴海はステップを踏みながら振り返り、先程までのおちゃらけた雰囲気から一変して、一ヶ月に一回は見られるかどうかといった、真剣な表情を浮かべていた。
 そんな鳴海を見たザフィーラは、反射的に立ち止まり一抹の不安を抱えながら、女装系変態男の次の言葉を待つ。

「俺ってさ、今こうして女装してるじゃん?」

 ザフィーラは黙って肯く。
 どういった経緯を辿れば女装することになるのか、どうしてそこまで違和感を覚えないレベルで女装姿が決まっているのかなど色々と言いたいことはあったが、それらの疑問は全て飲み込むことにする。変態には変態特有の思考回路があり、その思考回路を理解することを、ザフィーラは鳴海と出会った瞬間に放棄している。
 だから、ザフィーラは口を挟むことなく、鳴海の言葉を待ち続けることが出来ていた。

「そんでさ、やっぱり人間たるものトイレに行きたくなる瞬間があるわけだよ」
「…………」
「だけどさ、今の俺って女装してる訳じゃん? 自分じゃよく分からねえんだけど、高町たちからしてみればかなり高レベルの女装みたいなんだよな。そりゃもう、絶世の美女ってレベルらしい」

 鳴海の言いたいことが、なんとなくだが分かってしまったザフィーラ。

「んでさ、いざトイレに入ろうとした時に、俺はこう思っちまったんだ。――俺は“どっちのトイレに入るべきなんだ”……てさ。そう思ったら、もう三十分ぐらいトイレの前で悩んでた。俺は男だから男子トイレに入らないといけない、だけど女装しているなら女子トイレに入っても別におかしくないんじゃね? ……って感じにさ」

 そう思ってしまう時点で、その頭が狂っていることの証明になるのだが、ザフィーラはそのことを突き付けることも出来ないぐらいの頭痛に苛まれていた。馬鹿だ、変態だ、狂人だ、と度々思って来たけれども、これはもうそんな言葉で片づけていいレベルではないかもしれない。

「だけど、流石に俺の膀胱も限界を迎えちまって……でも、そんな時に電流が走ったみたいに閃いたんだよ。“どっちのトイレに入るか悩むぐらいなら、いっそのこと外で立ちションすればいいじゃん”――ってさ。そう思ってあそこまで走って行ったら、さっきの奴に出会って、今はこうしてザッフィーと一緒に歩いているってわけだ」
「……本当に、貴様の思考回路は狂っているな」
「そんなに褒めるなよ、照れるだろ?」

 もう、これで何度目になるかも覚えていないような鳴海の返しに、ザフィーラはいつものように溜息を返す。鳴海を相手にしていれば、こんな風に言葉を返すのも億劫になるぐらい、精神が疲れ果てることが度々ある。
 おそらく、高町やフェイト、そして主である八神は、自分とは比べ物にならないストレスを感じているのだろうが、あそこまで鳴海とのコミュニケーションが行き着いてしまえば、もはやそんなストレスなんて微々たるものだろう。
 ザフィーラが主の精神に気を病んでいると、鳴海は前を向いて再び歩き始めた。
 その後ろを先ほどまでと同じ距離を保って、ザフィーラも追いかけていく。

「そういえばさ」
「どうした?」
「さっきのやつ。なんか、結構いいやつそうだったよな」
「……どうして、そう思った?」

 鳴海は前置きも無くそんなことを言った。
 ザフィーラは“さっきのやつ”があの召喚獣だったことに一拍遅れてから気付いて、思わず鳴海の言葉に聞き返してしまう。
 おそらく、鳴海の発言には根拠も何もない、ただの変態特有の感覚的なものでしかないのだろうが、どうしてか聞き返さなければいけない、そんな風に思ってしまったからだった。
 鳴海はザフィーラの問いかけに再度振り向くと、昔を懐かしむような表情を浮かべながら言った。

「なんつーかさ、昔のお前らみたいだなって思ったんだよ」
「…………」
「シグナム、ヴィータ、シャマル先生、そしてザッフィーことザフィーラ。お前たちヴォルケンリッターみたいな……うーん、俺って馬鹿だから上手く言葉で言えないんだけど、なんとなくいいやつそうだなって思ったんだよ。――こいつとなら、仲良く出来そうだなって。それに、あんないいやつそうなのが一緒にいるマスターなら、そりゃ絶対にいいやつに決まってるよな。ザフィーラもそう思うだろ?」

 そう言って、鳴海は満面の笑みを浮かべてから、ホテル・アグスタに向かって走り出した。

「……ふっ。貴様がそう思うなら、そうなのかもしれないな」

 ザフィーラは鳴海の後ろ姿を見ながら思うことがある。
 この鳴海賢一という男はミッドチルダきっての変態だが、こういう他の誰にも真似出来ないモノを持っているからこそ、自然と周囲に人が集まってくるのだろう。
 それは、一言で言えば鳴海賢一が持つ“魅力”であるし、人を惹きつけてやまない“人徳”だろう。ただの変態が持つには分不相応な要素でしかないが、あの鳴海賢一に限って言ってしまえば、これ以上にピッタリと嵌る要素も無いのかもしれない。
 ある特殊な変態に“人徳”という“魅力”が加われば、こういった人間が出来るといった、次元世界唯一の見本だろう。
 そう結論付けてから、ザフィーラは前を走る鳴海に追いつこうと、強く前足を蹴り出した。



///あとがき///

全裸と変態と女装が頭の中でごっちゃになって、推敲するとちらほら女装してるはずなのに全裸になってる変態がいたりする。



[33454] 女装系変態青年の宣戦布告
Name: 全裸◆c31cb01b ID:ae743e2c
Date: 2012/12/06 04:47
 時刻は既に夜の十一時を回っていた。夜空には雲一つなく、月明かりが地上に爛々と降り注いでいる。
 そんな中、ティアナは一人で隊舎裏にある森で訓練を行っていた。額には汗が流れ、疲労からか呼吸も荒い。だが、瞳には強い意志が宿っており、まだまだいける、と自分に言い聞かせているようにも見える。
 ティアナはふらつく足で四方にターゲットを設置すると、その中央でクロスミラージュを構える。間もなくターゲットが発射されると、ティアナはそのターゲットを捉えるようにクロスミラージュの銃口を合わせていく。ターゲットの数は一つから二つ、二つから三つと増えていき、その速度も時間と共に段々と増して行く。
 この訓練の目的は、絶えず動き続けるターゲットに対して、正確なフォームで素早く銃口を合わせることで、命中精度そのものを高めることにある。他の射撃訓練とは違って、魔力やカートリッジを消耗しないため、自身の納得がいくまで、あるいは体力が続く限り行うことが出来る。

「――――っ!」

 しかし、いくら体力が続く限り行える訓練とはいえ、何事にも限度がある。
 ティアナの場合、その限度は軽く超えていると言ってもいいだろう。
 よほど長い間やっていたのか、蓄積する疲労でフォームはバラバラ、ターゲットに向ける銃口は安定せずにあらぬ方向を向いてしまっている。
 このまま続けていれば、高町が教え込んだフォームが崩れてしまう可能性もある。銃を扱う人間として、それは致命的だ。ほんのわずかな銃身の狂いが、どうしようもない重大なミスを生むこともある。
 そのことは、もちろんティアナも分かっていた。
 それでも、ティアナは動きを止めようとしない。彼女を動かし続けているのは、先日のホテル・アグスタでの警備任務の際にやらかした、スバルへのミスショットが原因だった。ギリギリのタイミングでヴィータのカバーが入ったとはいえ、ミスショットはミスショットである。それに加えて、そうなってしまった原因を作ったのが、他ならぬ自分のスタンドプレーだったのだから、もう自分にも周囲にも言い訳をする気になれなかった。
 ただひたすら、自分がミスをしたという現実を、厳粛に受け止めなければならない。
 そして、そのミスを取り返さなければならない。

 ――きっと、私は弱い。

 それは、ティアナが機動六課に配属される以前から繰り返してきた、自分にとって馴染み深い自問自答だ。

 ――なら、少しでも強くなれるように努力しなければならない。

 凡人である自分には、悠長にしている時間は無い。
 この世界には、自分のような凡人が倒れるまで訓練しても、決して超えることの出来ない才能という名の“壁”が存在している。
 しかし、ティアナはその“壁”を超えてやると、越えなければならないと、幼い頃から自分に課し続けてきた。どれだけ“壁”に心を折られても、どれだけ“壁”に嫉妬しても、そんな弱い自分を嫌いになりながら、ひたすらに“夢”を想ってここまで歩いてきたのだ。
 今になって退けるわけも無い。

「――兄さんの魔法が役立たずだなんて、そんなことあるわけないっ!」

 夜の帳が下りきっている中に、ティアナの悲痛な叫びが木霊した。



 現在、鳴海賢一の基本スタイルは全裸から女装へとシフトしている。
 先日の任務の際に、何をトチ狂ったのかドレスを見事着こなしてしまったことで、変態の琴線に触れるものがあったのかもしれない。機動六課の隊員たちも、全裸に股間ステルスでうろつかれるよりかは、まだ女装の方が精神的にも楽という事も相まって、鳴海の女装に関してあれこれと言うような人は特に現れなかった。

「――でも、これはこれで狂ってるよねぇ……」

 フェイト・T・ハラオウンは廊下を歩きながら、機動六課が抱える問題について率直な感想を独りごちた。
 その声が聞こえたのか、フェイトの数歩前を歩いていた女性陸士の制服を着た変態が、セミロングのブロンドヘアーを浮かせながら振り向いた。

「ん? フェイト、何か言ったか?」
「う、ううん。別に、何も言ってないよ……」
「そうか? あ、そういえば、今日はサンキューなフェイト。俺一人だったら流石に緊張してヤバかったと思うし、オメエがいてくれて本当に助かったぜ。とりあえず、これから食堂で昼飯でもどうよ?」
「まあ、それはいいけど……。女装してる知り合いがブティックの前で挙動不審な振る舞いをしてたら、流石に見過ごすことは出来ないもんなあ……」

 満面の笑みを浮かべて感謝してくる鳴海とは対照的に、フェイトは自分の身に降りかかった不幸を嘆くあまりに、その表情は酷く暗いものとなっていた。
 まさか、自前の車での外回りの帰りに、自分もよく利用する高級ブティックの前で、傍目から見ても挙動不審な振る舞いをしている、そんな変態の知り合いを見つけることになるとは思いもしなかったのだろう。
 最初に女装系変態男を見つけたときには、何も見なかったことにして全力でスルーしようと思ったフェイトだった。
 しかし、もし仮にどこぞの誰かに「何か挙動不審な管理局員がいるんですけどー」と通報でもされれば、機動六課が抱える“致命的な急所”が女装に目覚めたことが、そのまま公に知られてしまう可能性がある。
 それだけは、何としても避けたかった。機動六課で働いている者として、周囲からこれ以上の奇異の視線を向けられることの巻き添えにはなりたくなかったし、エリオやキャロの情操教育の為にも、災厄の芽は自身の身を呈してでも摘み取らなければならない。
 その結果が、鳴海の両手を塞いでいる大きな紙袋である。
 鳴海とフェイトは横並びになりながら、機動六課の廊下をのんびりと歩くのを再開した。

「だってよお、アリサとすずかから服を貰ってきたのは良かったけど、やっぱり自分で買った服も来てみたいじゃん?」
「あっ。そのことだけど、二人ともすっごく驚いてたでしょ? ミッドチルダの特殊回線を使って、私となのは、はやてのところに一斉にメールが届いたみたいだし」
「んー……まあ、すずかは“はえっ!?”とか素っ頓狂なリアクションをした後は、いつもみたいに静かになったけどな。ただ、アリサはずっと口喧しかったぜ? アリサが口を開けば“はあ!? 全裸の次は女装とか、アンタ本当に頭おかしいんじゃないの!?”とか、“何でアンタに服をあげなきゃいけないのよ!?とか、“下着まであげるわけないでしょ!? アンタ本当に頭狂ってんじゃないの!?”とか、そりゃもう散々だったぜ」
「……賢一は一度、自分の発言を振り返ってみた方がいいんじゃないかな。アレだからね? 普通の感性を持った人は、みんなアリサの意見に同意するからね?」

 フェイトは二人から送られてきたメールの内容を思い出した。
 二人から送られてきたメールの文章は同様に一文で構成されていて、すずかからは「賢一君がもう末期過ぎるよ」との一文が、アリサからは「あの変態マジでどうにかしなさいよあんたたち!」との一文が送られてきた。
 まあ、久しぶりに会った変態が女装趣味に目覚めていたのだから、二人とも相当驚いていたことは想像に難くない。
 ホテル・アグスタでの警備任務の前に、地球でロストロギア反応が出たという事で、地球に縁がある人間が多く配属されていた機動六課にそのお鉢が回ってきたことがあったのだが、その際には鳴海は出張任務に帯同していなかった。
 なんでも、鳴海待望のエロゲが発売されるとのことで、彼は事前に有給休暇を申請していたらしい。
 それも、申請理由に堂々と“エロゲプレイの為”と書いていたようで、それを八神から伝えられたフェイトは頭痛を覚えた記憶がある。
 そんな事情もあって、前回は鳴海と再会出来なかったすずかとアリサの二人である。その時の二人の表情が寂しいというか物足りないというか、何とも言えない複雑な表情をしていた二人にしてみれば、折角の再開が女装で台無しにされてしまったのだ。二人に縁を切られなかっただけでも、鳴海にとってはかなりの幸運だろう。
 だが、当の本人は自身の幸運体質に感謝している素振りは微塵も見せることなく、フェイトの苦言に対して首を傾げていた。女装姿の影響か、その姿がかなり可愛いらしいことにフェイトは頭痛を覚える。

 ――ああ、今すぐ逃げ出して自室で寝たい。後始末とかはなのは辺りに押し付ける方向で、全部を放り投げて爆睡したい。

 鳴海がどれだけ苦労人風に語ったところで、その意見に同意・同調するような人間はきっとゼロだろう。ゼロに決まっている。ゼロでなければ困る。ゼロでいて下さいお願いします。――そんな風に、フェイトは勢いを増した頭痛に負けないように、胸の内で強く願いを込め続けた。
 それはまるで、自分の言葉に自信を持てていないことの裏返し、とも取られかねない程の懇願だった。
 鳴海の交友関係を改めて観察してみると、フェイトを含めてそれは多岐に渡っていると言える。
 年齢。性別。社会的な立場。
 そういったハードルを、鳴海はまるでどうでもいい障害物のように軽々と飛び越え、対象の間合いにすんなりと割り込みをかけ、いつの間にかとても奇妙な人間関係を構築してしまう。
 今のところ、鳴海の前に彼と“同類”の人間は現れていないはずだが、もし仮に、今後そんな人物が現れるとしたら、もう機動六課の目的云々ではなくなってしまうだろう。瞬く間に混乱が満ち溢れ、全ての人間を巻き込むような厄介事を引き起こす可能性が高い。
 だからこそ、フェイトは神に祈る修道女のような気持ちで願った。

――本当に、本当にどうか、私の人生に変態は一人だけでお願いします……っ!

 フェイトが内心でそう願っていると、背後から聞き慣れた声で呼び止められる。

「あれ、フェイトさんと…………えっと、女装した鳴海さんですか?」

 フェイトが振り返った先にいたのは、赤毛が特徴的なエリオ・モンディアルと、その隣を飛んでいるフリードだった。
 エリオの視線は隣に立っている変態に向けられており、変態の女装姿に段々と慣れてきたエリオにとっても、どうやら変態の女装スキルには自信が持てないようだった。ともすれば、鳴海賢一である事実を忘れて、思わず見惚れてしまいそうになっているのだろう(ちなみに、フリードは低い唸り声をあげながら、鳴海の事を思いっきり威嚇していたりする)。
 フェイトには分かる。
 なんせ、自分も初めて見たときにはそうだったのだから。
 だからこそ、エリオにはそんな過ちを犯してほしくない。変態に見惚れるだなんて、そんなことは真人間にあってはならない事なのだ。
 フェイトはエリオの傍まで近づくと、目線を合わせるためにしゃがみ込んでから、エリオの小さな両肩を両腕でガシッと掴む。

「うん。そうだよ、これは賢一だよ。外見だけだとただの美女にしか見えないけど、それでも中身は変態で全裸脳の鳴海賢一だよ。だからエリオ、間違っても見惚れちゃ駄目なんだからね?」
「そ、そうですよね……というかあの、ちょ、フェイトさん? 何か、あの、少し怖いんですけど」
「キュー……」

 エリオとフリードが若干引いているのにも関わらず、フェイトは謎の凄みを止めようとしない。

「大丈夫、怖くないから。エリオは私の言う事を信じていればいいの」
「なんつーか、オメエのその発言ってかなりヤンデレっぽくねえ?」

 フェイトはエリオに言いたいことを言い切ったのか、鳴海の発言を華麗にスルーしながら立ち上がった。

「あっ。そういえば、もう訓練は終わったの?」
「えっと、終わったというか中止って感じです」
「中止? 珍しいね、なのはが訓練を途中で止めるなんて」

 フェイトは素で驚いた。
 高町の性格を考えれば、機動六課という期間限定の性質を抱えた部隊において、その限られた時間を無駄にする事は極めて珍しい。フォワード組の体力が続く限り、その限界までスパルタ教育をして勢い余って砲撃でズドンしそうなものなのだが、何かあったのだろうか。
 そんな事を考えていると、エリオが頭をかきながら言った。

「ティアナさんの体調が悪いみたいで……それを見かねたなのはさんが、今日は訓練を中止しようってことに」
「へえ……あのなのはが温情を見せるなんて、やっぱりあれが影響してるのかな」
「なあ、オメエも最近になって毒舌多くなってねえ?」

 誰のせいだ誰の、とは口には出さずに心に留めておく。変態に構うと無駄につけあがるため、出来る事ならスルーすることが望ましい。出来る事なら、であるが。
 そんなことよりもフェイトが考えていることは、先日のホテル・アグスタでの警備任務の際に起きた、ティアナのスバルへのミスショットの件だ。
 フェイトは後で聞いた話だが、どうやらティアナがスタンドプレーに走った挙句、無理が祟ってそのような事になってしまったらしい。普段は冷静なティアナにしては珍しいミスだと思ったが、未だにそれが尾を引いているようだった。
 高町も、その辺のことを考えているのかもしれない。

「それじゃあ、ティアナは今どこにいるのかな?」
「たぶん、スバルさんとキャロと一緒に食堂にいると思います。シャワーを浴び終わった
後、外で待っていてくれたフリードが教えてくれたので」
「キュイ!」

 エリオもだいぶフォワード組に馴染んだようだ。フリードとも意志の疎通を取れているようだし、案外そっち方面の素質があるのかもしれない。将来的には、キャロと二人で自然保護体に配属、といった方向性も視野に入れていいだろう。
 フェイトはエリオの可能性を嬉しく思いながら、背後からの全身を舐め回すような嫌すぎる気配に根負けしたのか、実にめんどくさそうに振り返った。

「……何か用かな?」
「ちょっと待って、その反応って割とひどくねえ? 俺が何かしたか?」
「本人に自覚が無いのって相当な罪だよね」
「まあ、俺ってば罪な男だから。いや、この場合は罪な女だから、か?」
「確かに、賢一は罪な人間だよね。……主に犯罪的な意味でだけど」

 フェイトは溜息を吐くと、改めてエリオに向き直ってから言った。

「それじゃ、私たちと一緒に食堂に行こうか? 私もお仕事は終わったし、最近はエリオとの時間を取れてなかったしね」
「あっ、はい」

 フェイトの笑顔を浮かべながらの言葉に、エリオは少し顔を赤らめながら肯いた。

「くっそ、流石のショタ枠だな。かなりのダメージだぜ……っ!」

 変態の発言は聞き流しながら、フェイトはエリオを連れて歩き出した。変態もその横に並び、現在は左にフェイト、中央にエリオとフリード、右に変態といった並びになっている。
 この並びだと一説には親子とペットみたいな感じになるはずなのだが、女装している変態が一名程混ざっているためそれも難しい。仲の良い三人姉弟とペットがギリギリ妥当なラインだろうか。変態が普通に男物の服を着ていればなんとかなったかもしれないが、変態の気紛れに期待するのはかなり分が悪い――と、そこまで考えて、フェイトは首を横に振った。
 この考えは不味い。自分から地雷を踏みに行っている。不幸に酔いすぎるあまり、思考回路がおかしくなってしまったのかもしれない。
フェイトが自分の思考回路に驚愕していると、不意に変態が声をかけてきた。

「なあ、ティアナのやつどうかしたのか?」
「え? ああ、うん。この前の任務中にミスしちゃったみたいで、それがまだ尾を引いてる感じなのかな」
「へえ。まあ、アイツってけっこうメンタル弱そうだしなあ」
「……賢一が言うと妙な説得力があるよね、そのセリフ。――エリオはどう思う? いつものティアナと比べて、やっぱり様子がおかしかった?」

 エリオは少しだけ言い淀んだが、なんとか語句を捻り出すように言葉にする。

「……そう、ですね。いつものティアナさんと比べると、こう……焦ってる、みたいなところはあったと思います」
「やっぱり……か」

 フェイトは嘆息する。
 それだけ、ティアナにとってはショックなミスだったのだろう。単なる仕事上のミスではなく、パートナーである親友へのミスショット。
 しかも、それが自分のスタンドプレーがもたらした結果であるのだから、責任感が強いティアナが落ち込まないわけがない。
 むしろ、そういった自責の念に駆られるケースにおいて、ティアナは人一倍追い詰められるタイプだろう。普段から、どこか自分を卑下しているようなティアナにとって、今回のミスは格好の的になりかねない。
 このまま放っておけば、ティアナにとっても機動六課にとっても良くないだろう。

 ――でもなあ……。こう、タイミングを間違えると、エライことになりそうなんだよねえ……。

 ティアナは頭が優れている子だ。
 だからこそ、自分自身の事は自分が一番分かっている、そんなつもりになっているだろう。そんなティアナが自分を追い詰めるといった選択をしたのだから、ここで下手なフォローをしてしまえば、それは火に油を注ぐことと同義になってしまう。
 高町が先に動くかもしれないが、このままただ遠巻きから見ているだけというのも、なんだか落ち着かないものがある。
 フェイトがどうしたものかと悩んでいると、いつの間にか食堂の前に辿り着いてしまったようだ。念のために、ティアナの件に関しては変態の口を噤んでおくことにする。

「賢一。念のために言っておくけど、ティアナに余計な事を言わないでね?」
「はあ? 余計な事って何だよ?」
「えっと……こう、無神経に逆撫でしちゃうような言葉、かな? 賢一がいつも口走ってるような感じのヤツ。今のティアナのコンディションだと、そのままの流れで大変な事になりそうだし。ね?」
「オメエの発言ってかなり失礼じゃねえ?」
「賢一にはこれぐらいの方がいいの。それより、ちゃんと分かった?」
「あー、ハイハイ。分かりましたよっと」

 鳴海はそう言うと、一人先に食堂へと入っていった。フリードもその後に続いていく。
 その後ろ姿は女性局員にしか見えず、その特異的な変態性がフェイトに不安を覚えさせる。エリオもフェイトと同じ気持ちにさせられたのか、どことなく不安げな表情を浮かべながらフェイトに問いかけた。

「……鳴海さん、本当に大丈夫でしょうか? あの後ろ姿を見てると、どうにも不安になってしまうんですけど」
「……まあ、エリオがそう思うのも無理はないかな。――でもね? あんな風に変態な賢一でも、極々稀には凄いことをやってのけるんだよ?」
「え?」
「賢一って普段からあんなだから誤解されやすいけど――ああ、変態っていうのはもちろん間違ってないんだけど、そういうのも含めて普通の人には出来ない事を、まるで何でもない事のようにやっちゃうんだ。確か、エリオも体験したことがあるんじゃないかな? ほら、初任務の時にさ」
「――ああ、そういえば」

 エリオは思い出す。
 初任務の時、自分の隣に座っていたキャロが不安に呑み込まれそうになっているのを、高町からバトンを受け取るように解決した(本人にその気が合ったのかは定かではないが)のが、あの鳴海賢一だったという事を。
 あの時の鳴海は八神にバインドで芋虫状に吊るされていて、見ているだけでも気が滅入ってしまいそうになる絵面だったが、良い意味で空気を読まないその在り方に、ヘリ内の空気が一変したことは今でも思い出せる。

「賢一ってさ、ほんっとーに諦めが悪いんだ。だから自分の在り方にも頑固で、諦めが悪いから自分を絶対に見失わない。――そんな賢一を見る度に、私たちも諦めないって気持ちにさせられてきたんだ」
「……はい。なんとなくですけど、僕にも分かります」

 おそらく、鳴海賢一と言う男は良くも悪くも生粋のムードメーカーなのだろう――と、エリオは考えた。
 周囲のムードを自分勝手に変更させてしまえる、その圧倒的な個性の前に相対できる人間は殆どいないに違いない。フェイトも、高町も、八神も、その他にも多くの人間たちが、彼の個性に流されるように前向きな気持ちにさせられてきたのだろう。
 そこにいるだけで、周囲に大きな影響を与える存在感。
 戦うための力は無いが、それを補って余りある特異的な個性。
 いつだって自分らしく在ろうとする彼の生き方は、他の誰にも真似することの出来ないしっかりとした強さだ。

「……もしかして、ああ言っていましたけど、実は鳴海さんに期待してますか?」
「……まあ、一割ぐらいはね。さっきも言ったけど、賢一って良くも悪くも普通の人には出来ない事をやるから。セクハラとか奇行とかの悪い事が九割で、その他の良い事が一割ぐらいかな?」
「なんというか……鳴海さんらしい比率ですよね、ソレ」
「ホントにね。でも、私は――ううん、私たちはその一割に助けられてきちゃったから、あんな変態にでも期待しちゃうんだ。これは、運が良いというよりも悪いんだろうねえ」

 鳴海賢一と出会ってしまったのが、自分にとっての運の尽きだったのだろう。
 それでも、彼との出会いを心の底から後悔しているというわけではなく、むしろ出会えて良かったとも思っているのだから、本当に色々と評価が難しい人物だと言える。

「やっぱり、癖……みたいになっちゃってるんだろうね。普段がアレだから、稀にしか起きない奇跡が心に残っちゃってるのかな」
「それが、いわゆる鳴海さんの“毒”ってやつですか?」
「ふふっ。……私たちはもう色々と手遅れだけど、エリオたちはまだなんとかなるんじゃないかな?」

 フェイトは笑みを浮かべながら言った。
 その言葉に、エリオも笑みを返しながら言う。

「たぶん、もう手遅れなんじゃないかと思います。機動六課にいる限り、鳴海さんの影響を受けずにはいられないでしょうから」
「……でも、エリオはそれでいいの?」
「正直、よく分かりません。でも、鳴海さんは僕みたいな子供相手にも対等に接してくれているというか、その感情には“裏”が無いって感じなんです」

 フェイトはエリオの言葉に静かに肯いた。
 鳴海賢一はいつだって自分に正直に生きている、そのことを自分の身を以て知っているフェイトには、今のエリオの気持ちが手に取るように分かっていた。

「僕の運命を変えた“あの日”から、フェイトさんに引き取られるまで人間不信に陥っていた僕ですけど……もし、その時に鳴海さんと出会っていたら、たぶんそんなことにはならなかったんじゃないかなって、最近は良く考えるんですよ。根拠とかは別に無いんですけど、自然にそう思っちゃうんです」
「だから、エリオも期待してるのかな?」
「あっ、やっぱり分かりますか?」
「そりゃあね。だって、今のエリオの表情って、なのはとかはやてがよく浮かべてる表情に似てるから」

 ――それに、私もきっとこんな表情を浮かべてるんだろうな。

「……不思議ですよね、鳴海さんって」
「うん。ホントに不思議なんだよ、賢一って」

 フェイトとエリオはお互いに笑みを見せあうと、並んで食堂へと足を踏み入れる。
 二人の胸の内には、鳴海への同じ感情が渦巻いていた。
 それは、ティアナの件に対する、鳴海への根拠が一切無い期待の感情だ。彼の良くも悪くも空気を読まない行動方針が、あわよくば何かのキッカケに成り得るかもしれない、そんな雲を掴むような話が起きることに期待している。
 二人は歩幅を合わせながら食堂を歩いていると、丁度そのまま正面に鳴海とフォワード組が一同に会しているテーブルを見つけた。遠目から見ていると女子四人がテーブルを囲んでいるように見えるが、その内の一人は女装している変態である。

「あっ、フェイトさん。僕は先に昼食貰ってきますけど、ついでに何かいりますか?」
「そう? それじゃあ、サンドイッチでもお願いしていいかな? 賢一たちの隣のテーブルに座ってるから」
「はい、分かりました」

 エリオはそう言うと、駆け足気味にカウンターへと走って行った。
 フェイトはその後ろ姿を見送りながら、エリオが礼儀正しい良い子に育ってくれたことを嬉しく思い、つい涙を流してしまいそうになるのをグッと堪える。

 ――ああ、こういうのを母性っていうのかなあ……。

 不意に、フェイトは自分の母親の事を思い出した。
 結局、あの人は自分の事を嫌っていたのかもしれない。
 それでも、自分はあの人に好きだと言う気持ちを伝えることが出来た。
 母親と本当の意味で向き合うことから逃げていた自分だったが、そんな自分が最後に向き合うことが出来たのは、高町との出会いはもちろん、鳴海とも出会えたことが大きいのだろう。

「オメエがかーちゃんと向き合うのが怖いっつーんなら、俺がその気持ちを預かってやるよ。だからさ、オメエはもっと気楽な気持ちでかーちゃんとぶつかれって。オメエの笑顔って結構可愛いし、きっとかーちゃんもメロメロになると思うぜ?」

 そう言って、彼は自分の背中を力強く押し出してくれた。
 そんなことがあったのだから、自分がこうして鳴海に期待を抱いてしまうのも、それはもう仕方のない事なのだろう。これはきっと感謝の気持ちから来る期待の現れであって、決してそれ以外の感情から来るものではない。決してそんなことは無いのである。

「……なんだかちょっと、言い訳がましいかなあ」

 フェイトは自分の気持ちに苦笑しながら、後ろ姿の鳴海に歩み寄っていく。
 そして、ちょうど鳴海の声が聞こえる範囲にまで近づくと、彼がいつもの軽い口調で言ったのを聞いた。

「そういえば、ティアナってこの前の仕事でミスしてテンション下がってんだろ?」

 フェイトは一足飛びに鳴海の背後まで駆け寄ると、ウィッグを付けている頭を掴み、そのままの勢いでテーブルに思いっきり叩きつけた。



 高町は自室で一人デスクに突っ伏していた。
 いつもは暇さえあれば仕事に精を出すほどのワーカーホリックな彼女だが、今はその素振りも見せず微動だにしていない。突っ伏しているが寝ている訳でもなく、意識はぼんやりとだがあるが、やはりいつもの高町には遠く及ばない状態である。

「……はあ」

 高町は小さく溜息を零す。
 その姿は明らかに意気消沈としており、普段の彼女を知る人から見れば別人かと勘違いしてしまう、そんな落ち込み具合だった。

『……マスター、どうかしたのですか?』

 その姿が見るに堪えなかったのか、デスク上のレイジングハートが声をかける。
 高町は顔だけを起こすようにして、眉尻を下げながら言葉を返した。

「……ねえ、レイジングハート。わたしって、もしかしてコミュ障の疑いがあるのかな?」
『…………』
「うっ、その沈黙が痛い……」
『……マスターは、言葉よりも行動で示すことを得意としている方ですから』
「そのフォローも地味にキツイんだけど……」

 レイジングハートが露骨に気遣ってくれているのは分かるが、今の高町にはその気遣いが酷く心に突き刺さる。
 高町がこのようにヘタレ状態になってしまったのは、午前の訓練を中断させたことにある。ティアナがいつもの調子でない事を見抜いていた高町は、このまま訓練を続けてティアナが怪我でもしたら大変だと思い、時間が勿体無いと理解しつつも訓練の中止を選択した。
 ただ、高町も後で気付いた事なのだが、その中止を告げる際の言い方に多少の問題があったのかもしれない。

「ティアナ、今日は調子悪そうだね。このまま訓練を続けても無駄になりそうだし、今日は中止にしよっか」

 先ほどの自分の発言を思い出して、高町は頭を抱えて身悶える。
 この言い方は酷い、フォローの欠片も無い、しかも笑みを浮かべながら言ってしまったのがさらに鬼畜度を上げている――高町は身悶えながら、自分が犯したやり取りを自己採点していく。その度に、自分のコミュ障振りを再認識してしまい、さらに気を落とすといった悪循環に嵌ってしまう。

「ううっ……。だって、教導ではこういうのやってこなかったんだもん……」

 高町は誰宛てでもない言い訳を口にする。
 戦技教導官としても名を馳せる高町は、教導隊の理念である“細かい事で叱ったり怒鳴り付けてる暇があったら、 模擬戦で徹底的にきっちり打ちのめしてあげる方が、教えられる側も学ぶことが多い”といった方針に従って、今まで教導というものを行ってきた。
 だが、今の高町はどちらかといえば訓練校の教官寄りであるべきであって、戦技教導官のように“とりあえず生徒をぶちのめせば勝手に反省するし、それでも分からないようならもっとぶちのめして分からせる”といった方針は自重するべきなのである。
 だが、今回のケースにおいては、戦技教導官のように言葉を交わす必要があまり無い立場に長くいたことが、そもそもの原因となってしまったのだろう。端的に言えば、生徒に対してのフォローに慣れていなかったのだ。
 それに加えて、あの変態の対応に日々追われていることもあってか、ついキツイ感じの言葉が口をついて出てしまったのもある。アレのメンタルは非常に厄介なことに、どれだけ辛辣な言葉を投げかけても大して影響が出ないので、自分でも気付かない内に辛辣なキーワードが癖になっていたのかもしれない。

「あー……やっぱり、ティアナには謝らないと駄目だよねえ」

 そうは思うものの、高町の重い腰は一向に椅子から持ち上がらなかった。
 今すぐにティアナに会いに行くのは、なんだかとても気まずい。自分が悪いことをしたというのは分かっているが、それを面と向かって謝罪するのはけっこう勇気がいる。自分自身の非を認めるのは、大人になるにつれて難しくなっていくというのが通説だ。
 だが、今回のケースはそれだけが理由ではない。
 高町には、ティアナがホテル・アグスタの警備任務において、ああなるまで無茶した理由が分からなかった。スタンドプレーに走った挙句、安定しない体勢からの仲間へのミスショット。このミスが原因となって、今のティアナのコンディションに繋がっているのだとすれば、そもそもの“スタンドプレーに走ろうと思った理由”を明らかにしておく必要がある。

「……よし、まずは話そう」

 今にして思えば、子供の頃は相手との話をしようというところから、いつも物語が始まっていた。“PT事件”ではフェイト、“闇の書事件”ではヴィータ、管理局に入局してからも様々な人と話を繰り広げてきた。
 まあ、大抵は話を聞いてもらえずに話を“聞かせる”といった状況まで持ち込む必要があり、鳴海には「オメエの“お話”ってイコール砲撃でズドンだよな」と散々にからかわれてきたが、今回は事件の最中にあるわけでもないのでその心配も無いだろう。
 そうと決めてしまえば、高町の行動は早い。重かった腰をすんなりと上げると、レイジングハートを首にかけ、気合注入の意味を込めてサイドテールを結わえ直し、制服の上着を着ると準備は完了。暗かった表情は一転して、訓練で見せるような真剣な表情を浮かべている。
 高町は自室を後にすると、胸元のレイジングハートに話しかけた。

「そういえば、ティアナ達ってどこにいるのかな?」
『昼過ぎですから、食堂あたりにいるのではないでしょうか』
「あっ、もう昼過ぎなんだ……。ちょっと、ぼーっとしすぎてたかな」
『たまには、それでもいいでしょう。むしろ、マスターにはそういった時間が少なすぎるように思われます』
「みんなにもよく言われてるけど、わたしの勤務状態ってそこまでかなあ? 個人的には、無理が無いようにしてるつもりなんだけど」

 高町は廊下を歩きながら、レイジングハートの言葉に首を傾げた。周囲からは常々ワーカーホリックなことを指摘されている高町だが、本人にはその自覚はないどころか、自発的に否定している始末である。

『鳴海さんレベルで怠けろとはいいませんが、マスターはもう少しだけ余暇を持つようにした方がいいかもしれません。マスターもまだ十九歳の女性、仕事に生きがいを見出すのは早過ぎではないでしょうか?』
「め、珍しいね。レイジングハートがそこまで言うなんて」
『マスターの帰省の際に、お母さまから“あの子、放っといたら〝年齢=彼氏なしロード〟を突っ走るだろうから、レイジングハートさんからも女を磨くように言っておいてくださいね”と念入りに言われてますから』
「え、何それ!? 初耳なんだけど!?」
『ええ、今初めて言いましたから』

 しれっとした口調で言ったレイジングハートに、高町は軽い頭痛を覚える。
 母親との密約があったことは百歩譲っていいとしても、最近のレイジングハートは明らかにあの変態が所持しているデバイスの影響を受けているとしか思えない、そんな言動がちらほらと出てくるようになった。

「……レイジングハートって、何だかラファールに似てきたよね」
『……ええ、自分でもそう思います』

 二人は同じように声のトーンを落とした。
 ミッドチルダの変態である鳴海が所持しているデバイス、ラファールはマスターとは似ても似つかぬ真面目な性格をしている。
 ラファールを製作したのは、現在機動六課のデバイスマイスター担当のシャリオだが、彼女曰く「鳴海さんの変態性に相対出来る、そんな子に仕上げてみたんですよ」とのことだが、実際にはボケの鳴海とツッコミのラファールになっているのは周知の事実である。

「そういえば、最近ラファール見ないよね? 賢一君がエロゲの達成率コンプするためにラファール任せにしてるらしいけど、まだ拘束されてるのかな?」
『いえ、それが堪えかねたラファールの告発により、現在はシャリオさんの元に身を寄せているとか』
「夫と別居してる妻じゃないんだから……」

 ともあれ、ラファールは無事のようだ。
 いまいちインテリジェントデバイスとしての扱いに恵まれていない、そんなラファールに黙祷を捧げながら廊下を歩いていると、何やら食堂の方が騒がしくなっていることに気付いた高町。
 この騒ぎに反射的に嫌な予感を覚える高町だが、探しているティアナは食堂にいるはず。どれだけ変態的な悪寒に苛まれても、ここでUターン出来るほど高町は人間が出来ていないらしい。

「……はぁ」
『マスター、判断が早すぎませんか。もしかしたら、鳴海さん関連の騒動ではないかもしれませんよ』
「いやいや、レイジングハートも分かって言ってるよね。これ、絶対に賢一君関連の騒ぎだってば。だって、もう既に嫌な予感しかしないもん」

 鳴海関連の騒動に限ってのみ現れる、今ではすっかり付き合いの長くなってしまった直感的な予感を頼りに、高町はレイジングハートの言葉を否定する。
 その口ぶりは自信に満ち溢れており、この先には確実に鳴海がいると信じてやまない、そんな高町だった。自分でも身についてほしくなかった感覚と思っているが、一方で身についてしまったのは仕方がないとも思っている。事前に察知できるという事は、変態の不意打ちを受ける危険が無いという事でもある。ミッドチルダで生活するにあたって、このスキルはもはや必須となってしまっていた。
 高町は自分の不幸に関して恒例となっているフォローを終えると、いざ食堂に足を踏み入れる。

「あっ! なのは!」

 すると、高町に呼び掛ける慣れ親しんだ声が聞こえた。
 その声の持ち主、フェイト・T・ハラオウンは長い金髪を振り乱しながら高町の元まで走ってくる。その様子は明らかに焦っており、機動六課に来てから初めて見る親友の姿に、高町は警戒心を一段階引き上げる。

「フェイトちゃん。そんなに慌ててどうしたの?」
「賢一とティアナが喧嘩してて、私じゃ止められないの!」
「……はい?」

 高町は思考を停止させてしまいそうになったが、なんとか踏ん張ってフェイトの言葉を反芻する。
 この騒ぎに鳴海が関わっているのは、高町の予想通りの展開だ。今さら驚くことでもない。
 だが、そこにティアナまで関わっているというのは、何がどう転んでそうなってしまったのか、高町には理解出来なかった。

「……喧嘩するほど仲が良い?」
「ボケてる場合じゃないよなのは!」
「ああ、うん。そうだね。……なんだか、あの二人が喧嘩してるっていうのが現実感無くて」
「私もそう思ってるから焦ってるの! ほら、早く来て!」

 先を走るフェイトを追いかけながら、高町は鳴海とティアナの事を考える。
 あの二人は、傍目から見ている限りでは仲が良いというわけではない。かといって、仲が悪いというわけでもない。ただ単純に、お互いに関わりを持とうとしていない、と考えるのが妥当なところだろうか。
 それに積極的なのがティアナの方で、他のフォワード組が鳴海と仲良く談笑している傍らで、ティアナだけは一歩距離を置くようにしている。変態とは関わりたくない、そう考えるのは普通の人間だ。ティアナは何も間違っていない。
 だが、ここ機動六課がかなり変態色に染まってきているのもあってか、ティアナは逆に浮いてしまっていた。
 一方、鳴海はティアナの事は特に気にしていない様子だった。鳴海は自分の興味、関心にのみ素直に行動するため、そう言った意味では、鳴海はティアナに対して関心を抱いていないのだろう。鳴海が興味を抱いていないが故に、ティアナもここまで普通でいられていたのかもしれない。
 だが、今日この時に、二人の距離を保っていた壁が崩れた。
 高町は思う。――その壁を崩したのは、鳴海に違いない。

「だから! どうして、私が、そんなことを、しなければならないんですか!?」

 ティアナの怒りを伴った声。
 その怒りを止めるべく、高町は彼の名前を呼ぶ。

「賢一君!」
「んあ? おお、高町じゃねえか。ナイスタイミングで来てくれたな」

 彼――鳴海賢一は、陸士の女性制服に身を纏いながら、いつものように飄々とした様子で振り返った。
この場の雰囲気にそぐわない在り方に、高町は拍子抜けしたように言葉を詰まらせる。
 すると、鳴海は椅子から立ち上がり、テーブルの周りを半周してティアナの隣に立つと、彼女の頭に右手を乗せながら、高町に左手の人差し指を突き付けて言い放った。

「俺とティアナの黄金タッグが、今からオメエに模擬戦を申し込む!」
「誰と誰が黄金タッグですか!」

ティアナは鬱陶しげに鳴海の右手を払いのける。
鳴海はいつもの得体の知れない笑みを浮かべていた。

「――――はい?」

 いきなりの宣戦布告をされた高町は状況を呑み込めないまま、ただひたすらに呆然と立ち尽くしていた。



[33454] ナース服と心情吐露
Name: 全裸◆c31cb01b ID:ae743e2c
Date: 2013/12/07 14:05
 八神は聖王教会への報告の一環として、カリム・グラシアとの回線を開いていた。
 今回、二人の議題として挙げられたのは、つい先日に起きたばかりのホテル・アグスタ襲撃事件だ。
 事務的な報告は既に済ませた後だが、カリムはそれ以上に八神個人の考えに重きを置いているらしく、こうした対面形式での報告をよく求めてくる。
 八神としてもカリムの要求に異論は無く、むしろカリムの聞き上手な性格のおかげで自分の考えを再確認出来ることもあってか、いつしか二人にとっての報告は対面形式を取る事が当たり前となっていた。
 八神が一通りの報告を終えると、カリムは眉根を寄せて怪訝な表情を浮かべていた。

『なるほど。ホテル・アグスタではそのようなことがあったのね』
「結局、密輸された骨董品は盗まれたわけなんやけど――それ以上に、敵方の戦力が想像以上になりそうなのが困りもんやな」
『……鳴海さんが見たっていう、召喚獣の存在ね』

 あの馬鹿の名前を口にした途端、カリムの表情が苦々しげなモノに変わったのを見て、八神は思わず吹き出してしまう。

『はやて、そのリアクションは何なのかしら?』
「あはは。カリムがそんな顔してるのなかなか見られへんから、なんか笑っちゃったんよ。……賢一君も、たまにはいい仕事するやん?」
『……高町一尉は、よく今まで精神が保たれていると感心するわ』
「まあ、なのはちゃんはベテランさんやからね。賢一君の扱いに関しては、質も量も敵う気がせんわ」
『傍目から見ていたら、あなたもそう変わらないように思うのだけれど』

 カリムからの冷静な指摘に、八神は思わず言葉を詰まらせた。
 八神なりに振る舞いに気を付けているつもりでも、やはり周囲の評価では、高町と同レベルの位置に置かれてしまっているらしい。
 それはつまり、高町のように〝鳴海賢一を制御することの出来る数少ない人物〟として扱われている――言い換えれば、〝あの変態が何かしたらとりあえず丸投げしておく人物〟としてカウントされてしまっているのである。
 そして、その被害はもう一人の親友であるフェイトにも及んでいる。

「……なのはちゃんの年々下がる幸福度を近くで見て、私もフェイトちゃんもしっかり反面教師にしてるつもりなんやけどなぁ」
『そこで被害者同士が助け合わないのが、全ての原因だと思うのだけれど』
「カリムもこっち側に立たされたらそんなこと言えなくなるで。どれだけ自分に及ぶ被害を減らせるかやなくて、どれだけ自分に及ぶ被害を他人に押し付けられるか、そんなレベルにまで来とるからな」
『……なんというか、鳴海さんは本当に噂通りの人なのね。以前、お会いした時も驚いたけれど、あれが日常茶飯事になっている機動六課が心配だわ。――はやて、何か機動六課で〝致命的な問題〟なんて起きていないでしょうね?』
「あ……あはは……。そないなこと起きるわけあらへんよ」
『……ねえ、はやて。貴女が嘘をついている時って、まず苦笑いが先に出ること知っているかしら?』
「あ……あはは……はぁ」

 カリムの追及に、八神は苦笑いを返しながら肩を落とした。
 あの変態が存在している場所で、問題が起きないなんてことはありえない。
 朝になれば日が昇るのと同じように、鳴海が存在していれば問題は起きてしまうものだ。

「なあ、カリム」
『……な、何かしら?』
「……?」

 八神は言葉を続けようとしたところで、カリムの様子がおかしいことに気付いた。
 カリムは神妙な表情を浮かべて耳を傾けているように見えるが、その視線は泳ぎまくりで、明らかに関わり合いになりたがっていないのが手に取るように分かる。
 普段のカリムを知っている者ならば、その挙動不審な態度に偽物と勘ぐってしまう者もいるだろう。
 カリムをここまで狼狽させることが出来るのは、八神が知っている限りでは鳴海以外にはいない。
 カリムと鳴海の邂逅の瞬間に立ち会った八神には、あの時のカリムが相当狼狽していたことは記憶に新しい。
 おそらく、カリムは鳴海が何らかの問題を起こしたと考えている。
 それゆえに、あのカリムらしくない態度が表に出てきているのだろう。
 その気持ちは、鳴海の被害者である八神にはよく理解できる――よく理解できるが故に、八神はカリムの態度にどうこう言う資格は無いことを自覚している。
 むしろ、カリムが両耳まで塞いでいないことに、八神は感嘆の意を述べたい気持ちに駆られた。カリムなりの責任感の表れなのだろうか――鳴海の被害を他人に押し付けることが当たり前と考えるようになっている八神には、その姿は〝神々しい〟とさえ言える在り方であった。
 ……だが、幸か不幸か、今の機動六課にとって、鳴海の起こすような変態チックな騒動は〝致命的な問題〟とまでは認識されていない。
 むしろ、鳴海の起こす変態チックな騒動は、機動六課にとっては〝些細な問題〟として扱われるようになるまで浸透し切っていた。人というものは恐ろしいもので、あのような変態にも〝慣れ〟てしまえるのだから、八神は内心で各隊員たちに申し訳ない気持ちで一杯だった。
 それゆえに、機動六課が今現在において直面している〝致命的な問題〟は、鳴海が根本的な原因というわけではない。
 ただ、その〝致命的な問題〟を表面化させてしまうキッカケを作ったのは、流石のトラブルメーカーの気質と言えるかもしれないが――これに関してはもう、自分にはどうすることも出来ないと八神は覚悟している。
 とりあえず、今はカリムを落ち着けるためにも誤解を解いてから、今回の本題でもある〝教え〟を乞うことにしよう、と八神は考えた。

「何か誤解しとるみたいやけど、今回の問題は賢一君が原因やあらへんよ」
『……そ、そうなの? あの時みたいに、鳴海さんが全裸姿で周囲に迷惑をかけているとか、そんな感じじゃないの?』

 カリムの不安気な表情を見て、八神は微笑ましい気持ちに駆られた。
 普段は優しい雰囲気を前面に押し出しながら、その芯には凛々しさも併せ持つカリムらしくない――まるで怖い夢を見た子供が母親に泣き付いているような、こちらの庇護欲をそそる姿に思わず本題を忘れてしまいそうになるが、寸でのところで意識を保つことに成功した八神は言葉を続ける。

「うん、今回に関してはあの変態も脇役ってところやな。それでも、いつのまにか脇役に収まっとるのが恐ろしいところでもあるんやけど……まあ、それは置いといて。実は、カリムに聞きたいことがあるんよ」
『……ええ、私に分かることなら答えるわ』

 鳴海の恐怖を払拭したのか、カリムは普段通りの笑みを浮かべる。
 自分とは比べようもない人生経験を持っているカリムなら、この問題を解決するための案が浮かぶかもしれない――八神は期待と不安が半々の気持ちを抱えたまま、カリムに問いかけることにした。

「――部下にコミュニケーション能力を身に着けさせるには、どうしたらええんやろうか?」
『――はい?』

 カリムにしては珍しい素っ頓狂な返事に、八神は不安のほうが的中したことを悟った。



 ティアナが意識を取り戻したのは、夜の帳もすっかり更けた時間だった。

「……あれ、何で……私……」

 ティアナは視線だけ動かして周囲を窺ってみたところ、医務室のベッドに寝かされていることを把握することが出来た。
 こうして意識を失うに至った直前の記憶は曖昧だが、何かロクでもない事に巻き込まれたことが原因だったことは覚えている。

 ――とりあえず、部屋に帰らないと。

 部屋に帰れば、スバルがいる。
 自分が何か無茶をしたという事は、その場所には間違いなくスバルもいたはずだ。
 こうなった原因を正確に把握するのには、スバルに聞くのが一番の方法だろう。
 だが、ティアナは自分の身体が鉛のように重くなっており、身体を起こすどころか指先を動かす事すら困難な事に今更ながら気付いた。
 一瞬、ティアナは重力操作の魔法の類を受けているのかと混乱したが、すぐに落ち着いて冷静さを取り戻すとなんてことは無い――単純に、身体に蓄積された疲労が限界に来ただけなのだろう。
 そして、その疲労が祟って意識を失った。

「……情けないなぁ」

 ティアナは自嘲するように呟いた。
 自分の力不足を補うために自主訓練をするのは勝手だが、こうして疲労が祟って倒れてしまえば元も子もない。普段からスバルにあれこれと言っているくせに、自己管理が出来ていないのは他でもない自分だったことを自覚して、ティアナは思わず自己嫌悪の念に駆られてしまう。
 ティアナにとって、将来有望な人材を集めた機動六課に行くのは一種の賭けだった。
 エリート候補生が多く集まる場に立てば、否が応にも周囲との実力の差を意識せざるをえない。自分はあの日に誓った〝夢〟を抱いたままでいられるか、挫けることなく前を向いて進んで行くことが出来るのか、ティアナにはその自信が無かった。自分の事を誰よりも知っていると自負する彼女だからこそ、この〝夢〟を諦めてしまう可能性が少しでもある場所に行くのは抵抗があった。
 それでも、八神からのスカウトを受けた時、機動六課に行けば何かが変わるかもしれない――あまりにも漠然とした感情だが、そんな風に思ったのも事実だった。今までとは明らかに違う環境に身を置けば、自分のスキルアップに繋がるのではないか、そんな藁にも縋る様な思いがあった事も否定しない。

 ――それでも、周りはやっぱり凄い人だらけで……。

 高町のようになれるかと言われれば、ティアナは絶対に無理だと断言できる。
 それは、これまで彼女の教導を受けてきたからこそ分かる、自慢にも似た感情だった。
 フォワード組にしたって、スバル、エリオ、キャロも各々が確かに成長してきている。ティアナ自身もそんな仲間の成長振りを喜ぶと同時に、その一方で羨望や嫉妬といった感情も抱いていることは否定出来ない。

「……あー、やめやめ」

 ティアナは枕の上で頭を振った。
 この感情を抱くことはあまりにも卑しい。
 ましてや、友人に対して向けるべき感情ではない。

 ――自分が出来ないことを他人が出来るから嫉妬するなんて、それこそ自分が劣っていると認めてるようなものじゃない。

 ティアナは静かに目を閉じた。
 これ以上疲れた頭で思考を巡らせていると、自分という存在が酷く小さくなってしまうと思ったからだ。
 ネガティブな時は悪い考えしか思い浮かばない。
 スバルのように常にポジティブでいることは逆に疲れるだろうが、多少は彼女の姿勢を見習ってみてもいいのかもしれない――そんなことを思いながら、ティアナは徐々に眠気に身を委ね始める。
 そんな時、医務室のドアが開く音がした。

「ふ~ん、ふふふ~ふ~ん」

 続いて聞こえてきたのは、あまりにも下手すぎる鼻歌だった。
 この鼻歌だけで、この人物には音楽に関する才能が無いことが分かるぐらいだ。
 こんな時間にいったい誰がやってきたのだろうか。
 模擬戦中に倒れた自分へのお見舞いだとしたら、スバルが第一候補に挙がってくるが、彼女はここまで鼻歌が下手ではない。むしろ、ミッドチルダで大人気の曲を鼻歌で聴かせられるぐらいには上手い筈だ。
 だとしたら、いったい誰が――ティアナは好奇心から眠りに傾いていた意識を揺り戻すと、その鼻歌の本人を確かめるべく両目を開けた。

「お? 何だ、起きてたのか」

 ティアナが視線を向けた先には、純白のナース服に身を包んだ鳴海賢一が立っていた。
 その衝撃的な光景にティアナは絶叫しそうになり、それを堪えようとして酷く咳き込んでしまった。



「いやー、しっかし驚いたぜ。高町との模擬戦の最中、オメエってばいきなりぶっ倒れちまうんだもん。胸揉んでもケツ叩いても起きねえし、もしかしてこれやばいんじゃね? ……って感じで模擬戦は中断したけどよ」
「……とりあえず、あなたをセクハラで訴えればいいんですね?」
「ばっか、冗談だよ冗談! 胸は揉んだけどケツは叩いてねえよ!? 軽く撫ではしたけど」
「もし身体を起こせてたらぶん殴ってますからね!?」

 ティアナは自分の状況にこれほどまで頭を悩ませたことは無かった。
 医務室のベッドに寝ている自分の横には、備え付けの椅子に腰を下ろしてリンゴの皮むきをしているナース服の変態がいる。
 コレの致命的なセクハラ発言を除けば、こうして笑顔を浮かべている姿は絵にかいたような〝白衣の天使〟なのが、ティアナの混乱をより一層加速させていた。

「っと、どうよ?」
「……何ですか?」

 鳴海が差し出してきた皿を覗くと、そこにはウサギを模したリンゴがいくつか並べられていた。変態行為しか取り柄が無いかと思いきや、意外と手先は器用なのかもしれない――と、ティアナは妙に感心してしまう。

「体調が悪い時にはやっぱコレだろ?」
「まあ、リンゴは食欲が無い時にも食べやすいですしね。栄養価も高いですし」

 ティアナは小さく頷きながら、鳴海にしてはもっともな選択だと思う。
 だが、当の鳴海はティアナの言葉に首を横に振った。

「そうじゃねえよ。お見舞いにはウサギ型のリンゴが定番だろ?」

 鳴海はそう言ってリンゴを口に運ぶ。
 それを見ながらティアナは溜息を吐いた。
 珍しく真っ当なことを言ったかと思えば、やはりこの変態は思考が斜め上らしい。

「やっぱり、あなたの提案には乗るべきじゃなかったんです」
「ん? 高町との模擬戦のことか?」
「……そうです。私なんかがなのはさんと模擬戦をするだなんて、最初から無茶だったんですよ」

 鳴海の話を聞いて、ティアナは自分の身に何があったのか思い出せた。
 高町との模擬戦を仕組まれた挙句、わずか数分で気絶してしまった情けない出来事。
 こうして思い出すだけで恥ずかしく、自分の情けなさに怒りすら覚えるほどだ。鳴海に半ば強引に巻き込まれたことは事実だが、それ以上にティアナは自分自身の不甲斐無さを悔やんでいた。
 だから、ティアナには鳴海を罵る気は初めから無かった。鳴海には少々愚痴っぽく聞こえてしまうかもしれないが、多少の口汚さは許してほしいとも思う。

「ああ、あれは確かに俺が悪かった。まさか、オメエがぶっ倒れるとは思わなかったからよ。――だから、本当にすまねえ」
「……え?」

 だが、鳴海はティアナに向かって頭を下げた。
 その姿を見て、ティアナは軽い驚きを覚えた。
 機動六課において、鳴海が隊長たちに土下座して命乞いをする光景は何度も見たことがあるが、今回みたいに神妙な表情を浮かべて頭を下げているのは一度も見たことが無い。
 それだけ、今回の事を重く考えてくれているのかもしれないが、とにかくティアナには意外な光景として映った――思わず、こっちが慌ててしまうぐらいに。

「あ、頭を上げてください。別に、あなたに怒ってるわけじゃないんです。……それに、仮に体調が万全だったとしても、どうせ同じ結果になっていたでしょうから」

 ただの自嘲だが、同時にこれが事実だともティアナは思う。
 あの〝エースオブエース〟として名高い高町を相手にしては、体調が万全でも決着が早いか遅いかの違いぐらいしか出ないだろう。
 その実力も、経験も、戦闘における全ての要素において高町の方が数段も上のレベルだ。高町とレイジングハートにリミッターが掛けられているとはいえ、この絶対的な差はそう簡単には埋まってくれない。
 ティアナが物憂げに溜息を吐いた。
 その時、鳴海は顔を上げて口を開く。

「いや、それは違うんじゃね?」

 それは、普段の飄々とした軽い口振りだった。

「……何がですか?」

 そう思わず聞き返してしまうぐらいに、ティアナには鳴海の言いたいことが分からなかった。
 自分の言葉のどこが間違っているというのだろうか。
 高町には敵わないという分析の、一体どこに誤りがあるというのだろうか。

――どうせ、また頭の悪いことを言うつもりなんだろうな。

 機動六課にいる者にしてみれば、鳴海の発言を真に受けるのは馬鹿という認識が共通事項である。
 そもそも、全裸で施設内を歩き回ったり、女装を武器に女子トイレに侵入しようとしたりする、まるでセクハラが生き甲斐かのような振る舞いをする変態の話を、どうして真剣に受け止めることが出来ようか。
 それは、鳴海と意識的に距離を取っていたティアナも同様だ。
だが、ティアナは何故か鳴海の答えを聞いてみたいとも思った。
 何故なら、

「だって、ティアナって十分にスゲーだろ」

 鳴海の浮かべる表情が、今のティアナには眩しいぐらいの笑顔だったから。



 照明も点いていない食堂のテーブルに、高町は一人で突っ伏していた。
 あの模擬戦をティアナの体調不良で中断した後、高町はシャマルにティアナの事を任せてから通常業務に戻っていた。
 デスクワークをしたり、フォワード達の訓練に精を出したり、翌日の訓練メニューの調整・確認を終えてみれば、気が付いたらこんな時間になっていたのである。
 フェイトや八神には、常日頃からワーカーホリックと散々に言われているが、確かにそうなのかもしれない――と高町は突っ伏しながらぼんやりと思う。
 仕事をしている間は時間を忘れることが出来る。
 訓練メニューの構成に頭を悩ませられることはあるが、フォワードの子達を導いている実感を得られるから決して苦にはならない。
 むしろ、自分の構成した訓練を通して、日々成長していくフォワードの子達を見ていると、まるで自分の事のように嬉しくなれる。
 そして、そんな場所にいれることに高町は満足していた。

「あー……自分が嫌いになりそう」

 だが、高町の胸の内は暗く淀んでいた。
 今までの事は、全て自分が満足するためにやってきたことなのではないだろうか。
 ただの自己満足に、フォワードの子達を付き合わせていたのではないだろうか。
 だから、ティアナが追い詰められていることに気付けなかったのではないだろうか。

 ――ううん、わたしは気付かない振りをしていただけ……。

 ティアナの様子がどこかおかしいことには気が付いていた。
 ただ、ティアナと向き合うことから逃げていただけだ。
 ティアナを見ていると、〝あの頃〟の自分を思い出してしまうから。

「なのは」

 高町が沈んでいると、その背後から聞きなれた声が投げかけられた。
 高町には顔を上げるまでもなく、その声の人物がはっきりと分かる。

「……なーに、フェイトちゃん?」

 初めて出会った時から、高町が心から友達になりたいと思った女の子。
 今は二人とも二十歳が目前にまで迫っているが、それだけの長い時間を一緒に過ごしてきた大切な親友の一人だ。

「はやてに押し付けられちゃって。――〝こういうのは、わたしの出番やあらへん〟……だってさ」
「あー……確かに、はやてちゃんよりかはフェイトちゃん向きかも」

 彼女なら、きっと自分を笑わせようとしてくれるのだろう。
 彼女の朗らかな在り方は、一緒にいるだけで気持ちが楽になれる。

「はやてちゃんは優しいから……きっと、甘えちゃうもんね」
「その言い方だと、まるで私が優しくないみたいじゃない?」
「フェイトちゃんを見てると、自立心が芽生えちゃうんだよねえ……ほら、何だか見ていて危なっかしいし」
「……あれ? もしかして馬鹿にされてる?」

 そういうところがだよ――と、高町は胸の内で呟くとテーブルから身体を起こした。
 高町は指を組んで軽く腕を伸ばしてから、背後のフェイトに向き直る。
 そこには、高町の意味深な発言を受けてか、真剣に頭を悩ませている様子のフェイトがいた。
 優秀な執務官として功績を評価されるようになっても、どこか抜けているというか純粋無垢というか、年月を重ねても人としての根本的な部分は変わらないらしい。
 そんなフェイトを見ると、高町はいつも自然と笑うことが出来た。

「……うん。やっぱり、なのはには笑顔が似合うよ」

 そんな高町を見て、フェイトも返すように笑みを浮かべた。

「ありがと、フェイトちゃん。――よし、頑張ってみようかな!」

 そう力強く言って、高町は椅子から腰を上げた。
 自分勝手に悩むのはもう十分だ。
 やることがあるのなら、いつまでも目を背けているわけにはいかない。

「やりたいことが見つかったんだね?」
「うん!」

 高町は机に突っ伏しながら、自分が取るべき手段について考えていた。
 自分が自己満足に溺れていることが分かった。
 ティアナが無茶をしていることも分かった。
 鳴海があのような行動を取った理由も、不本意ながら付き合いの長さから予想がつく。
 だから、高町はやらなければならない――いや、やりたくて仕方がなかった。

「ティアナと話しをしてみるよ」
「……うん。なのはらしいね」
「フェイトちゃんの時と一緒だよ。あの時、わたしが気持ちをぶつけて、フェイトちゃんにも気持ちをぶつけられたから、こうして今があるんだと思う」

 最初から気持ちが通じ合うとは思わない。
 だからこそ、あの時の自分はフェイトと話し合おうとして、半ばヤケクソ気味に頑なだったのだろう――と、高町は思う。

「だから、わたしの気持ちをティアナにぶつけて、ティアナにも気持ちをぶつけてもらう。そうしないと、わたしたちはいつまでも分かり合えないと思う」
「二人とも頑固なところが似てるもんねえ。……もしかして、同族嫌悪みたいなものなのかな?」
「うーん……どうだろうね?」

 フェイトの茶化すような言葉に、高町は特に否定する事も無く微笑を浮かべた。



 ティアナは一瞬、鳴海の言っている事の意味が分からなかった。
 自分の事は自分が一番よく分かっているつもりだ。
 魔導師としては魔力量も乏しく、空を飛ぶことも出来ない。
 取り柄があるとすれば射撃と幻術魔法ぐらいだが、射撃に関してはつい先日にミスショットをしたばかりだ。幻術魔法に関しては多様性があるものの、肝心の燃費がすこぶる悪いという欠点がある。
 戦術の幅を広げるため、自主訓練では近接戦闘にも挑戦してみてはいるが、贔屓目に見てもセンスがあるとは言えない。
 ざっと簡単に思いついただけでも、自分には魔導師としての弱点がこれだけあるのだ。
 こんな自分を〝強い〟と評価される謂れは無い。

「……あの」

 だからこそ、ティアナは鳴海に言っておく必要がある。

「……私が弱いっていうことは、私自身が一番よく分かっているつもりです。ですから、下手な慰めなんかはいらないです」

 きっぱりと、ティアナは鳴海の目をまっすぐ見ながら言い放った。
 同時に、ティアナは自分のことを嫌な女だと思う。
 自分が弱いという事を盾にして、人の善意を否定してしまった。
 それが例え、ナース服を着飾った変態からの善意だとしても、自分の取った行動はあまりにも卑屈極まりない選択だったのではないだろうか。
 いくら能天気な性格の鳴海でも、親切心で接した相手にこんな態度を取られれば気を悪くしてしまうだろう。
 そう思うに至って、ティアナはいたたまれなくなり鳴海から視線を逸らした。

 ――怒鳴られるだろうか。幻滅されるだろうか。

 ティアナはきゅっと目を閉じる。
 今回ばかりは、殴られても仕方がない事を言ってしまった。
 誰だって、自分の善意が否定されれば腹に据えかねるだろう。
 それは、普段から軽い調子の鳴海でも例外ではない――そう、ティアナは覚悟していた。

「どこの誰が、オメエの事を弱いだなんて言ったよ」
「痛っ!?」

 鳴海がそう言ったのを聞くと同時に、ティアナの額に小気味良い音と共に鈍痛が走った。
 しかし、その鈍痛はほんの一瞬で消え去り、後にはじんわりとした温かさが額に残る。
 ティアナは何が起きたのかと混乱したまま、ゆっくりと目を開ける。
 すると、目の前には親指で人差し指に〝タメ〟を作った鳴海が身を乗り出していた。

「……!? ちょっとま――」

 すばやく状況を把握したティアナだったが、制止するよりも早く鳴海は人差し指の〝タメ〟を解き放った。
 再び、ティアナの額には小気味良い音を伴った鈍痛が走る。
 どうやら、鳴海は先程よりも力を込めていたらしく、ティアナは反射的に悲鳴を上げるよりも痛みを堪えることに必死だった。

「おー、高町に負けず劣らずの良い音だな」
「こ、この……っ」

 ティアナは初めて心の底から人を殴りたいと思った。
 さらに、コレを相手にして殊勝な態度でいようとした、そんな自分が間違っていたのだろうとも思う。
 未だに痛みを訴えてくる額を抑えながら、ティアナは自分の選択を悔やむように鳴海を睨んだ。
 しかし、鳴海は特に気にする素振りも見せることなく、いやらしく笑みを浮かべる。

「そんな涙目で睨まれても怖くねえし。――何か俺も癖になってきたな……どれ、もう一発」
「ひっ!?」

 鳴海が人差し指に〝タメ〟を作るのを見て、ティアナは恐怖心から反射的に上半身を起こすと、下半身の動きだけで枕元まで後退して見せた。

「おお、とても身体が動かせないとは思えないほどの身のこなし」
「誰のせいだと思ってんですか!?」
「いやー、なんつーか――躾とか調教とかって、こんな感じなのかな?」
「そんなこと知りませんよ! っていうか、何がしたいんですかアンタ!」
「ん? それはほら――アレだ、うん」

 鳴海は何度も肯きながらベッドに上がると、ティアナに向けて右手を伸ばす。
 またデコピンされる――そう思ったティアナは、額を隠しながら顔を下に向けた。

――これでデコピンは出来ないでしょう!?

 我ながら名案だと内心でほくそ笑むと同時に、この状況がとてつもなく情けないとも思う。
 それでも、あの痛みを再三に渡って味わうよりはマシだ、とティアナが視線を下にして身構えていると、

「俺は別に、オメエが弱いだなんて思っちゃいねえさ」

 鳴海はそう言ってティアナの頭に右手を置いて、ゆっくりと撫で始めた。
 この予想とは180℃違う展開に、ティアナはその手を振り払う事も忘れて下を向いたままでいる。

「それに、俺がオメエのことを弱いだなんて思っちまったら、オメエより弱い俺はどうなんだって話になるしな?」
「……それは、鳴海さんのせいでしょ」
「そりゃそうだ。」

 この会話の間にも、鳴海はティアナの頭を撫でるのを止めようとしない。
 ティアナも不思議と、そんな鳴海の手を振り払おうとはしなかった。

 ――何だか、すごく懐かしい感じがする。

 鳴海に撫でられながら、ティアナは兄であるティーダ・ランスターの事を思い出していた。
 両親が事故死してしまい、ティアナが塞ぎ込んでいるとティーダは何度も優しく撫でてくれた。
そんな、今は亡き兄の暖かい手の平が、自分の中で鳴海の手の平と重なっていくのが分かる。

「……私は、兄が目指していた執務官になるのが〝夢〟なんです」
「そっか」

 ティアナは絞り出すような声で言う。
 鳴海は柔らかい口調で答える。

「私は兄のことが大好きでした。両親を亡くして泣いてばかりだった私を励ましながら、首都航空隊の第一線で働く兄の姿は、子供ながらに誇りにも思っていました」
「そりゃすげえ」
「兄には射撃も教えてもらいました。兄が執務官になるなら私は補佐官になる、……そんな風に駄々を捏ねていた私の頭を、兄は優しく撫でてくれました」

 ティアナはあの頃の記憶を掘り起こす。
 夢に出る度に泣きそうになって、泣きたくないからと仕舞い込んでいた記憶の数々。
 あれから数年経った今でも、頼もしい兄の記憶は鮮明に残っていた。

「……ある日、兄は違法魔導師の追跡任務中に殉職しました」

 頭を撫でる鳴海の手が、少しだけぎこちなくなるのを感じる。
 それでも、鳴海は手の動きを止めようとはしなかった。
 鳴海が話の続きを促していると判断して、ティアナは話を続ける。

「あの時の私は泣いてばかりいました。両親が亡くなった時以上に、兄の死から立ち直ることが出来ませんでした」

 両親が亡くなって、唯一の肉親であった兄すらも亡くなってしまった。
 天涯孤独。
 幼い少女が背負うには、それはあまりにも重たい現実だった。

「それでも、私にはそれ以上に許せない事がありました。殉職した兄に対して、上司の人が無能呼ばわりしたことです。……皮肉にも、その言葉で私は奮起しました」

 本当に皮肉な結果だ、とティアナは今でも思う。
 あの心無い言葉が無ければ、自分は今ここにいなかったのだろうから。

「兄は無能なんかじゃない。兄が教えてくれた魔法は、絶対に役立たずなんかじゃない。それを証明するために、私は魔導師を志しました。兄の〝夢〟でもあった執務官になることが、兄の汚名を濯ぐことになるんじゃないかと思いました」

 これは、スバルにしか話したことがない話題だ。
 あまり吹聴するような話題では無いし、ティアナ自身が兄の話題を避けてきたからでもある。
 今、こうして口にするだけでも、ティアナの瞳からは涙が零れ始めていた。
 ぽつぽつと、いくつもの雫がシーツに跡を作っていく。

「……だけど、私はいつも周りの人たちとの差に怯えていました。私に出来ない事が出来る、それだけで負けた気になっていました」

 それでも、そんな思いは自分の心の奥深くに押し込んできた。
 実力不足に悩んでいる暇があれば、実力を磨くことに必死になる方が大切だと思っていたからだ。

「機動六課に来てからも、そんな思いは抱えたままでした。自分に出来ない事が出来るスバルやエリオ、キャロの姿に嫉妬したこともあります」

 ホテル・アグスタでのミスが最大の原因になっているのだろう、とティアナは思っている。
 あそこで実力不足を明確に突き付けられてしまったことで、自分の弱さと本当の意味で向き合う必要が出来てしまった。
 自分が弱いという事は、自分自身が一番よく分かっている――こんな言葉で誤魔化して見て見ぬフリをするのにも、ティアナの心は限界だった。

「……自分でも分かってるんです。自分の弱さを自覚していると言いながら、自分を慰めていたことぐらい」

 弱いだけならマシだ。
 その弱さを理由に、自分がまだ強くなれると思えるから。
強くなれるだけの余地があるのなら、自分はまだ頑張ることが出来るから。

「弱ければ強くなればいい、その一心で頑張ってきました。――けれど、それが自分の〝限界〟だったら、私はどうすればいいんでしょうか……?」

 そう言って、ティアナは泣き声を上げながらシーツに顔を埋めてしまう。
 人の強さには限界がある。
 どこまでも、無尽蔵に成長し続けられるわけがない。
 この弱さの先に強さがあるのなら、ティアナはどこまでも頑張れると思いながら進んできた。
 しかし、この弱さが行き止まりだとするなら――これが自分の限界だとするなら、これ以上に恐ろしい事はティアナには無い。
 ティアナは、自分の身体が恐怖で震えていることが分かる。
 誤魔化して、見て見ぬフリをし続けてきた結果とはいえ、コレは今のティアナには何よりも恐ろしい現実だった。

「――やっぱ、オメエはすげえよ」

 それでも、そんなティアナの姿を目の当たりにしても、鳴海はティアナの頭を撫でることを止めなかった。
 むしろ、先ほどよりも優しく暖かいとすら思える撫で方に、ティアナは身体の震えが段々と小さくなっていることに気付いた。
 安心している――とティアナは思う。
 この超級馬鹿を前にして油断しているとも思うが、この身に染み渡る安堵感は確かなものだった。

「兄ちゃんのためだとか、実力に見合わない〝夢〟を抱いてるだとか、そういった小難しい事は置いといて――そんな〝夢〟を抱けるオメエは、他の誰よりもすげえよ」

 流れる涙でシーツに大きなシミを作りながら、ティアナは鳴海の続く言葉に耳を傾ける。

「俺はいつも馬鹿やってっからよ。だからこそ……っていうのもおかしな話だけど、オメエみたいな奴は本当にすげえと思う」

 鳴海は一度言葉を区切って、

「だから、俺はオメエの事を羨ましいって思うぜ――ティアナ」

 普段の、鳴海らしい軽い調子で言った。
 ティアナはシーツから顔を上げると、頬を流れる涙を拭う事もせず、声が震えるのも構わず、鳴海の目を真っ直ぐ見て言い返す。

「……私は弱いですよ?」
「強くないかもしれねえけど、弱くもねえよ」
「……魔力も少ないですし、空も飛べませんよ?」
「俺だってそうだ。オメエだけが特別ってわけじゃねえ」

 とても、とても軽い言葉だ。
 けれど、その軽さがとても心地良いとティアナは思う。

「……こんな風に、人の前で泣いちゃうんですよ?」
「人前で泣けないよりマシだ。俺なんて、あいつらに何百回と泣かされてるぜ?」

 そう言って、にやりと笑う鳴海を見て、ティアナは自然と肩の力が抜けるのを感じた。

――きっと、この人には何を言っても意味が無いんだ。

 どれだけ弱音を漏らしても、軽い調子で励まされる。
 どれだけ自分を貶めても、勝手な言い分で認めてくれる。
 どれだけ自分を否定しようとしても、気楽な言葉で肯定してくれる。
 全体的に軽いはずの言葉には、聞く者に与える確かな重みがあった。
 鳴海の前では、いくら言葉で取り繕ったところで何の意味も無いのだろう。

「……じゃあ、ちょっと胸を借りますね」
「おう。擬似Dカップを体感できる柔らか素材のパッド入れてるからな、存分に埋もれると気持ちいいぜ?」

 まるで、実際に埋もれたことがあるかのような言い分だった。
 たぶん、実際に埋もれてみたのだろう。変態だから仕方がない。
 ティアナは変態の言葉は聞かなかったことにして、

「――それじゃあ、少しだけ失礼します」

 鳴海の胸に顔を預けて、子供の時のように声を上げながら泣くことにした。
 その間も、鳴海はティアナの頭を優しく撫で続けていた。



「……ものすっごく入りずらい」

 医務室の外、壁に寄り掛かるようにして高町は物思いに耽っていた。
 ティアナと腹を割って話そうと、高町なりに意気込んで医務室の前までやってくると、部屋の中からはこの場にそぐわない変態の声が聞こえた。
 まさかと思いながら、高町はドアを少しだけ開けて中を覗き込むと、そこには何故かナース服を着た変態がいたのである。
 普段の変態への対応から、思わず反射的に飛び出してしまいそうになったが、落ち着いて会話に耳を傾けてみると、どうやら重要な話をしているらしいので変態の始末を保留。
 それから段々と入り辛い雰囲気になっていき、そのまま鳴海とティアナの会話を盗み聞きしてしまうといった、高町にとって不本意な結果となってしまった。
 しかも、今はティアナが鳴海の胸で泣いている状況である。
 こんな状況で部屋に踏み込もうものなら、それはもう空気を読めないどころの話ではないだろう。
 というわけで、高町は部屋に入ることも出来ず、かといってこの意気込みをどう処理しようかと、頭を悩ませているところなのである。

「まさか、賢一君に先を越されるとは思わなかったなあ」

 部屋の中に聞こえない様に、高町は小さく溜息を吐いた。

「あれ、なのはちゃん? こんなところでどうかしたの?」
「あっ、シャマル先生」

 やたらのんびりとした声に顔を上げると、そこには医務室の主であるシャマルが立っていた。
 右手にビニール袋を持っている様子から、近くのコンビニにでも行っていたのだろうか。
 いつもは柔らかい印象をシャマルに覚える高町だが、ふと医務室の中の状況を思ってしまうと、シャマルの様子が能天気に映ってしまうのだから不思議だと思う。
 とりあえず、状況の説明はしておかなければならないだろう。
 何も知らないシャマルを突入させてみたい気持ちもあるが、それは色々冗談で済みそうにないので止めておく。

「えっと、今はちょっと医務室には入らない方が良いですよ」
「えっ? ティアナに何かあったの?」
「ナース服を着た賢一君がティアナを慰めている状況です」

 自分で言っておいて頭がおかしいと思う状況説明だが、悲しい事に事実なのだから仕方がないと思う。

「へえー……ん、ナース服ですって?」

 高町の状況説明を受けて、シャマルの目が鋭く細められる。
 そこが琴線に触れたのかとツッコミしたい気持ちに駆られるが、何やら尋常じゃない様子のシャマルに尻込みする高町。

「なのはちゃん?」
「えっ、はい」
「……鳴海君は今、ナース服を来ているのね」
「そうですね、あれは間違いなくナース服でした」
「……それって、ナースさんが病院で着るアレよね?」
「はい、そうですけど……?」

 高町はシャマルの問いかけに応えながら思う。

 ――シャマルさん、何だか怒ってる? というか恥ずかしがってる?

 シャマルとは長い付き合いだからこそ分かる、いつもとは微妙に違う表情の変化。
 何かにつけて反応が素直なシャマルは、笑う時には笑顔を浮かべ、怒る時には般若の面を付けているかのように怒り、恥ずかしがる時にはトマトのように顔を真っ赤にする。
 だが、今のシャマルの表情はと言えば、ぎこちなく笑みを引き攣らせながら、顔を真っ赤にしていると言った、何とも判断が難しい表情を浮かべていた。
 傍目から見ていて、怒っているのか恥ずかしがっているのか分からない。少なくとも、楽しくて笑っているわけではないのだろうが。
 そんなことを考えていて、つい反応が遅れてしまったのだろう。
 シャマルがドアに手をかけるのを、高町は止めることが出来なかった。

「――鳴海君!?」

 シャマルは珍しく大声を上げながら、ずかずかと医務室に足を踏み入れる。
 医務室からは、変態の能天気な声が聞こえた。

「おっ、シャマル先生じゃん」
「それ、私のナース服でしょ!」

 高町は、自分の身体が凍りついてしまったのかと錯覚した。
 それほどまでに、シャマルの発言は高町にとってかなりの衝撃だった。
 正直、鳴海がナース服を着ている以上に衝撃的だった。

「おう、ロッカーから拝借させてもらったぜ」
「さらっと自白しないでください! 私もまだ着る勇気が無かったのに……ってそうじゃなくて、早くナース服を脱ぎなさい!」
「えっ、本当に脱いでいいのか!? まさかの擬似百合展開でいいのか!?」
「きゃあ!? こ、ここで脱ぐんじゃありませーん!」

 ぎゃーぎゃーと、ティアナの事を無視して騒ぎまくる鳴海とシャマルの二人。
 ティアナは精神的に大丈夫かと心配になり、高町も医務室に入ってティアナの様子を窺う。

「……ふふ、大丈夫そうだね」

 高町の視線の先には、鳴海の胸の上で緩みきった表情を浮かべて、周囲の喧騒なんか気にも留めずにのんきに寝ているティアナがいた。

「でも、ちょっと妬けちゃうかも」

 すっかり安心しきった表情を浮かべて眠るティアナを見て、高町は少しだけ鳴海に嫉妬したくなったのは秘密にしておこうと思った。
 ティアナと話すのは明日にしよう――医務室の喧騒と眠り姫を視界に収めながら、高町はそんなことを考えていた。



[33454] 閑話
Name: 全裸◆c31cb01b ID:ae743e2c
Date: 2014/02/01 01:52
 ミッドチルダ東部。
 その山中に存在しているとある洞窟の中に、ジェイル・スカリエッティは巨大なラボを構えている。
 この特殊な立地上、自分の大切な〝娘たち〟に不便な生活を強いていることには、彼なりに父親として不甲斐無いと嘆いていたりもする。
 その一方で、自分がそんな真っ当な人間らしい感情を抱いている事実を、スカリエッティは驚きと共に心の底から楽しんでいた。
 スカリエッティの思考回路は、その底が知れない雰囲気とは裏腹に単純だ。彼は何をするにも、自分の〝欲望〟には常に素直で、忠実に、誠実であろうとする。
 とある一人の変態に、あろうことか〝人間〟の可能性を見出してしまったスカリエッティが、その可能性に自分も触れたいと思い変態を志したのもそのためだ。
 スカリエッティはほんの些細な事柄であったとしても、一度でも興味や関心を抱いてしまえば、彼は持てる全ての〝欲望〟を総動員して応えようとする。
 今は大きな課題をこなさなくてはならないが、全てが終わった暁には、スカリエッティは自分の〝人間〟らしさを見つめ直そうと考えていた。

「――というわけで、私が心から愛してやまないウーノには、ぜひとも私からの素朴な疑問に答えて欲しい。何の前触れも無く護送車から脱走した〝聖王の器〟は、今頃どんな気持ちでいるのだろうか?」
「残念ですが、ドクター。私はその疑問に答えることが出来ません」
「ほう? それはどうしてなのかな?」
「そうですね、その理由は至極簡単です。――私は〝聖王の器〟の追跡に忙しいので、ドクターは余計な口を挟まないでください」

 ウーノと呼ばれた長髪の女性は、その言葉とは裏腹に無感情に言い捨てた。
 スカリエッティは笑みを浮かべながら肩をすくめると、ゆっくりとウーノの背中に歩み寄っていく。

「しかし、アレだね。私にとってウーノの後ろ姿というものは、実に性的興奮を覚えさせられる光景らしい。――こう、長髪に隠された腰回りが実にいやらしい出来だと、今更ながら〝自画自賛〟しているところだ」
「ドクターの御用入りでしたら後ほど伺いますので、とりあえずロープを首にかけて待っていてください。――ええ、ロープを用意する手間が省けるので」
「最近のウーノは、よく歯に衣着せない発言をするようになったね。後で個人的に楽しみたいから、音声データとして録音をお願いしてもいいかな?」
「ドクターの変態行動に振り回されてばかりでは、妹たちへの築き上げた威厳が崩壊してしまいますから。自己保身を優先とした、実に合理的な人格矯正だと〝自画自賛〟しているところです」

 ウーノはスカリエッティの戯言に適当な相槌を打ちながら、複数のコンソールを操作する指の動きを加速させていく。

「それに、ドクターを甘やかしても〝百害あって一利なし〟ですから」
「まったく、ウーノはつれないねえ」

 そう言って、スカリエッティはウーノの真後ろに立つと、彼女の右肩に顎を乗せてしなだれかかるように体重を預けた。
 ウーノは突然の加重に動じることも無く、スカリエッティを一瞥する。

「……ドクター?」
「うん?」
「率直に申し上げますと、――邪魔です」
「だから、わざわざこうしているんじゃないか」

 ニヤリ、とスカリエッティは口端を歪める。
 ウーノは小さく溜息をつくと、スカリエッティの右足をヒールのついた靴の踵で踏みつけて、そのままグリグリと全体重をかける勢いで力を込めた
 それでも、スカリエッティの顔にこびり付いたような笑みは剥がれない。
 むしろ、スカリエッティがどこか嬉しそうに見えてしまい、ウーノは自分の背筋が凍るのが分かった。

「おやおや、これは新手のSMプレイか何かなのかな? とりあえず、私は裸になっておいた方がいいみたいだね」
「あら、ドクターにしては珍しいですね。まだ服を着ていたんですか?」
「ああ、心配しなくても大丈夫だよ。ズボンはさっき脱いでおいたから、あとはワイシャツを脱いで白衣を着直せば、ウーノの後ろにいるのはいつもの私さ」
「私なりの皮肉のつもりだったんですが、ドクターの煩悩直結思考回路には意味が無かったようですね」

 いつの間にズボンを脱いでいたのか、――なんて生温いツッコミをするつもりは、ウーノには最初から無い。
 そういった系統のツッコミは、ここ何年かで嫌気が差すぐらいやらされてきた。スカリエッティの日常の世話を担当しているウーノは、その分だけ多くの被害を浴びているのである。
 今のウーノにとっては、スカリエッティの脱衣行為などほんの日常の一コマ程度にしか映らなくなっていた。

 ――それもこれも、あの変態が全部悪いのよ。

 ウーノは脳裏に浮かんだ存在への憎しみを募らせる。コンソールのキーを弾く細い指には、〝肉体増強レベルA〟に相応しい力が段々と込められていく。
 今でこそ、ウーノですらフォローが利かないレベルの変態であるスカリエッティだが、昔からこのような変態行為に興じているわけではない。
 ウーノ自身も、自分を生み出してくれたスカリエッティを〝父親〟として尊敬していたし、そんな彼に頼られることを誇りに思っていた。
 しかし、そんな生活もあることがキッカケとなり、一変してしまった。スカリエッティが次元世界の変態代表として名高い鳴海賢一に対して、その持ち前の強い探究心を向けてしまったのである。
 元来、スカリエッティは様々な物事への探究心を強く持つように〝設計〟されている。その無尽蔵とも言える探究心をフルに使い、スカリエッティは鳴海賢一の事を調べ上げ、あろうことか鳴海賢一の在り方に〝感化〟されてしまった。

「おっと、ついパンツまで脱いでしまっていたようだ。私ごときの在り方では、鳴海君の真似をするには早いというのに」
「……はあ」

 ウーノは今日、何回目になるかもわからない溜息を吐いた。
 あの頃の、尊敬していたスカリエッティはもういない。
 ウーノは悲しいと思うと同時に、スカリエッティが鳴海に〝感化〟されたという事実を怖いとも思っている。
 スカリエッティはウーノを一番目の娘として、四番目までの娘たちにそれぞれ自分の〝因子〟を受け継がせた。
それは言い換えれば、鳴海賢一の在り方に〝感化〟されてしまうような〝因子〟が、ウーノには埋め込まれているという事である。

 ――それはつまり、私も鳴海賢一の在り方に〝感化〟されてしまう可能性があるということ……。

 実際に、二番目と四番目の妹は既に頭がおかしくなっている。
 二番目の妹――ドゥーエは、スカリエッティから鳴海賢一の近くで監視するように命令された影響だろう。
 ウーノは彼女とたまに連絡を取り合っているが、アレはもう既に手遅れだと諦めている。モニター越しのスカリエッティとは違い、鳴海賢一と直に知り合っている分、鳴海賢一に〝感化〟されるのが早かったのかもしれない。
 四番目の妹――クアットロは、他の三人よりもスカリエッティの〝因子〟を強く受け継いでおり、それに加えて元々の性格がアレだったのも原因なのだろう。
 ただ、ドゥーエとは違って、鳴海賢一に〝感化〟されたというよりも、鳴海賢一に〝感化〟されたスカリエッティの在り方に〝感化〟されてしまった、と考える方が妥当かもしれない。

 ――トーレがいてくれて本当によかった……。

 ウーノにとって、三番目の妹――トーレが無事なのだけが救いだった。
 それに、あの性格では鳴海賢一に〝感化〟されるような事態には陥らない、とウーノは確信に近い思いを抱いている。
 トーレは他の妹たちよりも男性的で、自他問わず厳しい性格をしており、常に妹たちの見本として強くあろうとする思いが強い。スカリエッティの〝因子〟がもたらす強い探究心が、彼女に限っては良い方向に作用しているのかもしれない。
 だが、自分はどうなのかと問われれば、ウーノはその問いに答えることが出来ないでいた。
 もしかしたら、鳴海賢一に〝感化〟されてしまうかもしれないし、今のスカリエッティに〝感化〟されてしまうかもしれない。
 それとも、変態共に惑わされることなく、自分の在り方のままでいられるのかもしれない。
 果たして、自分の在り方がどのように転んでしまうのか、ウーノにはまったくと言っていいぐらいに予想がつかなかった。
 だからこそ、ウーノは全ての元凶である鳴海賢一を憎んでいる。あの元凶がもたらす影響力は、ウーノにはとばっちりで片づけられるレベルではなくなっていた。可能であるのなら、早急に抹殺したいぐらいの存在ですらある。次元世界の平和の為にも、あの変態はさっさと無人世界に隔離すべきではないか、とウーノは自分たちのことを棚に上げてでも真剣に思わざるを得ない。

「ところで、〝聖王の器〟の所在はまだ判明しないのかね?」
「もうまもなくですので、私の臀部に当てている手をどかしてください」
「いやあ、これがなかなかに心地よい触り心地でね。ウーノの期待に添えなくて大変に心苦しいが、私にはこの手を離す気はこれっぽちも無いみたいなんだよ。――まったく、我ながら自分の欲の強さには頭が下がる」
「ドクターがどれだけ命乞いをしても、後で折檻ですので覚悟していてください。――それと、長らくお待たせしました。こちらが、〝聖王の器〟の所在です」

 ウーノはスカリエッティへの折檻の内容を考えながら、コンソールを操作してもモニターに〝聖王の器〟の映像を映し出した――はずだった。

『――ん? 何か、どっかから視姦されてるような気がする……』

 モニターに全面的に映し出されたのは、〝聖王の器〟の傍で呑気に立ち尽くしている、下半身の一部にモザイクが施された一人の変態だったのである。
 ウーノは驚きのあまり硬直してしまい、スカリエッティは歓喜の雄叫びを上げた。



「それにしても、貴方の制服姿はやっぱり新鮮ですね」
「騎士カリム。その評価は友人どころか妻にまで言われますよ」

 聖王教会の騎士カリム・グラシアからの言葉に、時空管理局本局次元航行部隊所属の提督クロノ・ハラオウンは自嘲を込めて答えた。
 機動六課の後見人として、予算やその他諸々の話し合いを無事に終えた二人は、カリムの提案で午後のティータイムと洒落込んでいる。

「あら、普段のバリアジャケット姿と同じぐらいには凛々しいですよ?」
「皮肉の言葉をありがとうございます、騎士カリム」
「ふふっ。クロノ提督が相変わらずの堅物で安心しました」
「そちらこそ、油断して相対すると寝首をかかれそうになるのは相変わらずのようですね」

 二人はその言葉とは裏腹に、お互いに笑みを浮かべて応じていた。付き合いの長い二人にとっては、これぐらいのやりとりは軽いジャブ程度なのである。
 だからこそ、やられたらやりかえすのがお互いの流儀であり礼儀であった。

「そういえば、騎士カリム」
「何でしょうか?」
「最近、鳴海賢一に会ったようですね」

 さっきまでのジャブの打ち合いから一転して、クロノの一瞬の隙を狙う様にして放たれた急な右ストレートを受けて、カリムは驚愕の表情を浮かべる。
 それでも、淑女としての佇まいを乱していないのは流石だと言えるだろう。非公式ながらファンクラブが設立されているだけある、とクロノはカリムの女性らしさに素直に感心した。
 カリムはゆったりとした動作でティーカップに口を付け、動揺している気持ちを落ち着かせてから、再びクロノとの言葉による相対の口火を切る。

「――その情報はどこから?」
「アイツの情報は、どんな些細な事でも僕の耳に届くようになっていますから」
「……流石は、【鳴海賢一汚染度ランク】のSSSランクに、ただ一人その名を連ねているだけはありますね」
「それこそ、僕にとっては皮肉でしかない評価ですがね。アイツがやらかす事案に対応している内に、そうならざるを得なかった。ただ、それだけの事ですよ」

 そう言って、クロノはどこか達観したような、穏やかな表情を浮かべながらティーカップに口を付けた。
 若くして提督に就いているだけあって、クロノには年齢以上の貫録が備わっているとカリムは思う。

「……やはり、クロノ提督ほどの器の持ち主なら、鳴海さんの奇行にも物怖じしないのですね」

 クロノを前にして、カリムは柄にも無く溜息を吐いてしまう。
 別に、カリムとしても落ち込んでいるというわけではなく、むしろクロノと比較して自分は真人間であることが再確認できたことは、カリムにとっても喜ばしい事だった。
 ただ、例えあのような変態が相手だったとはいえ、聖王教会の騎士である自分が〝恐怖〟に近い感情を抱いたことに、カリムは自分が情けないと思っているのもまた事実だった。
 そんなカリムの心情が伝わったのか、クロノは宥めるような口調で言う。

「――いえ、アイツに関わった人間は、それこそ一人残らず物怖じしていますよ。それはもちろん、僕だって例外ではありません」
「そ、それでは、どうして貴方はそこまで落ち着いていられるのですか?」

 カリムは不思議で仕方が無かった。
 鳴海賢一に会ってから、カリムはアレの名前を耳にするだけで身体の震えが止まらなくなった。それだけ、カリムにとってあのファーストコンタクトは衝撃的だったのである。
 しかし、クロノは鳴海の話をしているのにも関わらず、微塵も動揺していない様子で平然とティーカップに口をつけている。
 カリムはクロノが平静を装っているのではないかと疑っていたが、そもそもクロノ・ハラオウンという堅物は嘘が人一倍下手だ。どんなに些細な嘘であったとしても、クロノ・ハラオウンという人間は感情を分かりやすく表情に出してしまう。
 それをよく知っているカリムだからこそ、クロノが虚勢を張っているわけではない事はすぐに分かった。
 だからこそ、カリムはクロノが落ち着いていられる理由を知りたかった。

「そうですね……」

 クロノはティーカップを静かに置くと、カリムの目を真っ直ぐ見つめながら言う。

「アイツはただの馬鹿で変態ですが、そんなアイツだからこそ僕は救われてきたと思うんです」
「……それは、いったいどういう意味なんでしょうか?」
「僕から口で説明するよりも、実際に体験した方がよく理解できると思いますよ。その機会は、騎士カリムにもすぐにやってくるでしょうから」
「……あまりにも嫌すぎる未来予知ですけど、忠告として受け取っておきます」

 カリムの言葉に、クロノは笑みを返した。
 その未来は絶対に訪れてほしく無いが、鳴海をよく知るクロノが言うのだからほぼ決定事項なのだろう。
 カリムが眉を顰めながら溜息を吐くと、クロノは笑みを浮かべながら実に楽しそうな声音で言う。

「騎士カリムは、鳴海の事が苦手ですか?」
「それは……そう、でしょう。全裸姿で闊歩するような非常識な方に対して、好意を抱けるようになるとはとても思えません」
「まあ、それが普通ですよ。騎士カリムは決して間違っていません。僕だけじゃなくて、はやてや他の皆も大いに同意してくれると思いますよ」
「……あの、鳴海さんとはご友人の関係なのですよね?」
「改めて言われると気恥ずかしいですが、アイツとは付き合いだけは長いですからね。友人というか、腐れ縁というか……まあ、そんな感じだと思います」

 クロノは鳴海の事を友人と思っているようだが、それにしては鳴海の扱いが粗末というか雑というか、そういう部分が目立つ発言内容だった。
そういえば、八神も鳴海にはそんな態度で接していたことを、カリムは思い出していた。歯に衣着せない仲といえば聞こえはいいが、単純に鳴海に対しては皆の口が悪くなるだけなのかもしれない。

「みなさん、鳴海さんには容赦が無いんですね……」
「アイツに容赦なんてしていたら、確実にしっぺ返しを食らいますから」

 クロノの含蓄ある言葉を、カリムは心にしっかりと刻みつけた。
 鳴海の対処に置いて歴戦の経験を誇るクロノが言うのだから、そういった〝容赦無い対応〟が一番正しく世の中の為にもなるのだろう。流石は、次元世界で最も鳴海賢一の対処に優れているだけはある、とカリムは素直に感心した。
 そして、カリムは自分の疑問を解決できるのは、おそらくクロノを置いて他にはないだろう、と確信すると意を決して口を開く。

「ところで、クロノ提督。私、鳴海さんの事に関して、少しだけ気になっている点があるのですけれど」
「僕で分かる事でしたらお答えしましょう」
「どうして、鳴海さんはあそこまで周囲の人々を惹きつけられるのでしょうか?」

 鳴海と初めて遭遇してしまったあの日から、カリムは自分なりに鳴海に関する情報を積極的に集めるようにしている。
 カリムは滅多な事が無ければ首都クラナガンまで赴かないため、鳴海の事は初遭遇の日まで噂話程度にしか耳にしていなかったのだが、自分の身を守るためにも〝敵〟の情報は多いに越したことが無いと一念発起したのである。実際に情報取集をさせたシャッハは嫌そうな顔を浮かべていたが、これもひいては自分の為にもなるのだと強引に納得させた。
 そして、シャッハが集めてきた鳴海に関する情報の中で、カリムが最も気になったのが鳴海の異常とも言える〝交友関係の広さ〟だった。昔馴染みのクロノや八神は元より、噂ではかの〝伝説の三提督〟とも繋がりがあるらしく、一介の陸士隊員に過ぎない鳴海にはあまりにも分不相応な交友関係と言える。

「正直、私には皆さんが鳴海さんの何処に魅力を感じているのか、どれだけ考えても分からないのです。全裸姿を好み、市内を恥ずかしげも無く駆け回り、奇行をもって混乱を起こす。こんな人の何処に魅力があるのか……って、クロノ提督?」

 カリムがふと目をやると、クロノは口元に手をやって顔を伏せていた。

 ――もしかして、御気分が優れないのかしら?

 自分の体調胃管理には厳しいクロノしては珍しい、とカリムが思った矢先の出来事だった。

「……ふふっ」

 クロノが手で覆っている口元から声が漏れる。
 それは、まるで何かを噛み殺しているかのような態度だった。

「……クロノ提督?」
「……いや、失敬。騎士カリムがあまりにも真剣にあの馬鹿の事を考えているので……ふふっ」

 そう言いながらも、クロノは口元を覆う手を離そうとしない。
 カリムはようやく、目の前の堅物執務官提督が笑いを堪えていることに気が付いた。普段から堅物な印象が強いクロノがこうして笑いを堪えている光景は、カリムにとってもかなり珍しいものだった。
 しかし、カリムはクロノがどうして笑いそうになっているのかが分からない。

「あの、何かおかしい事を言ってしまったのでしょうか?」
「……そうですね。少なくとも、僕の周りであの馬鹿の事を真剣に考えているのは、騎士カリムぐらいだと思いますよ」
「い、いえ、そんな真剣と言われるほどの事では……!」

 カリムは必死に否定するが、クロノは微笑みを浮かべながら生暖かい視線を向けてくる。
 やけに気恥ずかしい気持ちになったカリムが頬を赤らめて戸惑っていると、クロノが一度咳払いしてから言う。

「いやいや、失礼しました。騎士カリムのようなタイプは鳴海の周りでは新鮮でして、一被害者として初々しい気持ちに駆られてしまったといいますか」
「……いえ、それはもういいです。それよりも、鳴海さんの異常な交友関係についてですが――」
「それは、僕にも分かりません」
「――はい?」

 カリムの言葉を遮るように、クロノが凛とした声音で言い切った。
 そのあまりの迷いの無い物言いに、カリムも目を丸くして固まってしまう。

「騎士カリムが言う様に、あの馬鹿は並みの交友関係の数段上を行っています。――あの〝伝説の三提督〟のお茶会に呼ばれたと報せが来たときは、流石に肝が冷えましたが……」
「ああ、やはりその噂は正しかったのですね」

 クロノが遠い目を浮かべて言ったのを見て、カリムもその心中を察して静かに頷く。
 普段からあれだけの変態行為を働いている鳴海が、あの〝伝説の三提督〟を前にして借りてきた猫のように大人しくなるか――付き合いの短いカリムでもそうは思えなかった。
 きっと、あの変態は〝伝説の三提督〟の前にしても、堂々と自信を滾らせながら全裸姿でいたのだろう。

「まあ、〝伝説の三提督〟が気の良い方々で助かりました。後日、ミゼット・クローベルにお会いする機会があったんですが、鳴海のことを〝手のかかる孫のようです〟と言っていましたよ」
「……それは、大した〝人徳〟と思わざるを得ませんね」
「本当に、厄介極まりない〝人徳〟ですよ。あの馬鹿に関わっている皆が、あの〝人徳〟に悩まされているということなんですから」
「それでも、貴方はそんな鳴海さんに救われてきたんですよね?」
「ええ、それは否定しません。それを否定するという事は、今の僕自身を否定する事になりますから」

 クロノは真っ直ぐな気持ちで答えた。
 カリムにも、その気持ちがしっかりと伝わってくる。

「……何だか、鳴海さんの事がもっと分からなくなってしまいました」

 だからこそ、クロノにそこまで言わせる鳴海賢一という人物像が、カリムの中では一向に定まらなかった。
 カリムが悩ましい表情を浮かべていると、クロノが笑みを浮かべながら言う。

「まあ、習うより慣れろってことですかね。どうです? 今度、騎士カリムのお茶会に鳴海の奴を誘ってみるというのは? ――まあ、アイツは呼ばれなくても勝手に来るでしょうが」
「……きっと、貴方たちは見て見ぬフリをするのでしょうね」
「それはもう、鳴海に関しては皆が一斉に保身に走りますから」

 クロノがニヤリと意地の悪い笑みを浮かべるのを見て、カリムは深く溜息を吐いた。
 そんな時、思わず見計らっていたのかと疑いたくなるようなタイミングで、カリムの元に通信が届く。

『ああ、カリム。ちょっくら、クラナガンの方で問題が起きてな……って、どないしたん?』
「……いえ、ちょっと考えすぎて頭が痛いだけよ」

 通信相手の八神に、カリムは痛々しい微笑みを返した。
 そんなカリムの代わりに、クロノが八神に話の続きを促す。

「はやて。何かあったのか?」
『お、クロノ君もおるん?』
「機動六課の予算諸々の話し合いと、騎士カリムが現在ご執心な鳴海の話題を少しな」
『……カリム、私はカリムの事を応援するよ!』
「堂々と押し付けないでくれるかしら!? クロノ提督も、わざわざ勘違いされるような言い方をしないでください!」

 カリムの珍しい怒声が部屋に響き渡る。
 クロノと八神はお互いに目配せしながら、そんなカリムの様子を楽しそうに見つめている。
 本当に性質の悪い人間性だが、この人間性も鳴海に影響されたと考えるのなら、カリムにも自然と納得がいってしまう。
 二人はあくまでも被害者であるというのが、何とも救いの無い話だった。

『まあ、その楽しそうな話題は今度のお茶会にでも取っとこうか。――ついさっきな、レリックに何らかの関わりがありそうな女の子を保護したんよ』
「……っ!? それは本当なの!?」
『女の子がレリックの入ったケースを鎖で足に繋がれながら、地下水道を通って地上に出てきたのがついさっき。ついでに、不自然な切れ目が鎖にあることから、地下水道にはもう一つケースが置き去りにされてる可能性も高い』
「……ガジェットの姿は?」
『まだ引っかかってはいないけど、そう時間がかからない内に現れると思う。とりあえず、その女の子を保護した場所までヘリを飛ばして、女の子の護衛とレリックの捜索とを分担するつもりや』
「そう。……そういえば、その女の子を保護した第一発見者は? 六課のフォワードの子たちかしら?」
「うっ……」

 なんとなく、といった気持ちで問いかけたカリム。
 だが、八神は言葉を詰まらせたまま口を開こうとしなかった。
 その八神の姿を見て、何かを察したクロノが代わりに口を開く。

「……鳴海か?」
『……うん、正解や。あろうことか、賢一君が見つけてもうたんよ』
「そう、か……。それはまた、タイミングの良い……いや、悪いというべきだな」

 意志疎通を終えた二人が、同じように表情を暗く曇らせる。
 そんな二人のやりとりを見ていて、殆ど置いてけぼりとなっていたカリムが口を挟む。

「あの、鳴海さんが第一発見者になったのが、そこまでおかしいんでしょうか?」

 カリムにしてみれば鳴海の変態行為の方が度し難いのだが、二人はそんな〝些末な事〟を気にしているわけではないらしい。
 もっと、何か得体の知れないモノに恐怖している――そんな場の雰囲気をカリムは感じ取った。

『い、いや、そんな大したことじゃないんやけど……なあ、クロノ君?』
「ん、まあ、ちょっとしたジンクスみたいなものだな……なあ、はやて?」
「……?」

 表情を暗くした二人はお互いに目配せすると、

「あの馬鹿が第一に関わった事件は、非情に厄介極まりない傾向があるというか、そういった事件に引き寄せられる体質が備わっているんじゃないかというか」
『昔の話になるけど、第九十七管理外世界〝地球〟で起きた〝PT事件〟とか、それこそ〝闇の書事件〟とかやな』

 カリムの背筋を凍らせるような発言をした。



[33454] 全裸と砲撃手
Name: 全裸◆c31cb01b ID:ae743e2c
Date: 2014/04/15 19:24
 ミッドチルダ北部の廃棄都市区画に現存している廃ビルの屋上に、特徴的な青いボディスーツに身を包んだ二人の女性が立っていた。
 一人は、わざとらしいとさえ思える様な野暮ったい大きな眼鏡をかけ、栗色の髪をお下げに結わえ、どこか楽しそうに笑みを浮かべながら理知的な雰囲気を纏っている。
 一人は、マントに身を包み、腰まで届く栗色の長髪を一本に結わえ、表情は片方の女性と対照的に無表情だが、ボロ布で包み隠すように身の丈以上の〝何か〟を片腕で抱えている。

「どう? ディエチちゃん、大丈夫そう?」
「ああ。ここからなら余計な遮蔽物も無いし、空気も澄んでる。――大丈夫、ちゃんと〝見えてる〟よ」

 眼鏡をかけた女性――クアットロの問いかけに対して、身の丈以上の何かを抱えた女性――ディエチは簡潔に答えた。
 ディエチの返答に、クアットロは口笛を吹くと満足そうに笑みを浮かべる。
 それと同時に、クアットロの横に空間モニターが展開された。

『クアットロ、ディエチ。申し訳ないけど、少し準備を早めてちょうだい』
「あら、ウーノ姉様。何か問題でも起きたんですか?」

 空間モニターを介して計画の進行を早める旨を伝えるウーノに、クアットロはとぼけた様な口調で聞き返す。
 ディエチはわざとらしいと思いながらも、余計な口を挟もうとはしなかった。下手に藪を突いて、毒蛇に噛まれたくないからである。
 ウーノは気付いているのかいないのか、クアットロの質問に対して事務的な口調で返答をした。

『ルーテシアお嬢様とアギトが捕まってしまったみたいなの。セインを救出に行かせるから、あちらの注意を一瞬でも逸らさせる様な一撃をお願いするわ』
「――だそうよ、ディエチちゃん?」
「……Sランク程度の砲撃でいいなら、少しは時間を早められると思う」
『ええ、それで構わないわ。セインを救出に行かせるタイミングは、現場にいるクアットロに一任するわね』

 そう言い残し、ウーノは空間モニターを閉じて通信を終える。
 クアットロは肩の荷が下りたように、小さく溜息を吐いた。流石のクアットロでも、長女であるウーノには頭が上がらないのだろう。

「さて……っと。それじゃあ、姉想いな妹たちは、その期待を裏切らないように頑張りましょうか」
「うん。後方支援担当として、自分の仕事はちゃんと果たすよ」
「まあ、私達に出来ることは他の姉妹よりも限定的だから気が楽だけれど――その分、失敗した時の取り返しがつかないのが困り者よねぇ……うふっ」

 クアットロは口調だけは甘ったるいと呼べるぐらいに柔らかいが、その言葉の端々にはこちらへのプレッシャーを意図的に含んでいる。
 単純に、この姉の性格が極めて悪いという事なのだが、それ以上に自分が弄ばれ易い性格をしているのが原因なのだろう――と、ディエチは自分の性格を嘆かわしく思う。

「それに、今日はドクターがご執心の〝彼〟が動いてくれているみたいだし……なかなか、これから面白い展開になりそうで胸が高鳴るわ」
「その〝彼〟って……あの、鳴海賢一とかいう人の事だよね?」
「あの変態チックなドクターが心の底からご執心するのは、次元世界基準で考えても鳴海賢一ぐらいしかいないでしょ?」

 クアットロはコンソールを軽快に叩くと、空間モニターに鳴海賢一の顔写真と経歴を表示させる。
 このような表現の仕方は失礼かもしれないが、いたって〝普通の人〟に分類されるような人相なのではないだろうか、とディエチは何度見てもそう思ってしまう。
 今まで特殊な環境で育ってきたせいか、ディエチには男性という存在を意識して見た経験が無いに等しい。スカリエッティは男性として見ているというよりも、頭のネジが数本外れた可哀想な父親を見ているという認識である。
 そんな人生経験に乏しいディエチでも、鳴海賢一は特別に印象に残る様な人間には思えなかった。

「……でも。やっぱり、目立たない顔の割に変わった経歴だよね」

 鳴海賢一は時空管理局地上本部所属の二等陸士らしい。ここまではいいのだが、問題なのは鳴海賢一が今までに在籍していた部隊は〝両手の指では数えきれない〟――といった奇妙な点にある。
 要するに、時空管理局の厄介者があちこちの部隊をたらい回しにされている、ということらしい。言い換えれば、それは部隊間における厄介者の押し付け合いというわけでもある。

「どこの世界だって、周囲から大きくズレている少数派は、多数派によって爪弾きにされちゃうものよ。まあ、鳴海賢一のケースに限って言えば、自分も同類に思われたくないといった防衛本能から来る、責任の押し付け合いなんでしょうけれど」
「……あのドクターが認めるレベルの〝変態〟なんだもんね」

 ディエチはすっかり失念していた――というよりも、なるべく関わり合いになりたくなかったがために意図的に考えないようにしていた、スカリエッティが共感してしまった鳴海賢一の最大の特徴を思い出した。
 鳴海賢一という人間に対する周囲の人間の共通認識は、口を開けばセクハラ紛いの発言を繰り返し、外を歩けばすぐに全裸姿になりたがるような〝変態〟――として認識されているらしい。
 この鳴海賢一に関する評価を初めて教えられた時、ディエチはあのスカリエッティがご執心するわけだ、と素直に感心してしまったぐらいだ。
 類は友を呼ぶように、変態は変態を呼び、お互いに惹き寄せ合ってしまうのだろう。

「――まあ、あたしにはよく分からない世界だから、ドクターと鳴海賢一に関しては別にいいや」

 そう言って、ディエチは嫌な事を思い出してしまったと言わんばかりに、勢いよくぶんぶんと頭を振る。
 ただでさえ身内に変態が数人いるというのに、これ以上の変態による心労は勘弁してほしいというのが、ディエチの本心からの願いである。
 ディエチとしては出来る事なら、スカリエッティの元から自立して独り暮らししたいぐらいだった。

 ――本当に、ウーノ姉には頭が下がるよ……。

 ディエチは一番上の姉の計り知れない心労を想うと、その些か感情表現に乏しい表情を僅かに曇らせた。
 長女としての役割なのかは定かではないが、ウーノは自分の仕事に加えてスカリエッティの〝世話〟という名の〝地獄〟も担当している。
 しかし、そんなある意味尊敬できる長女の心労を本心から慮っても、変態の介護の役目を変わろうと自分が口に出すような機会は、今後とも二度と訪れることは無いだろうと、ディエチは自分の数少ない自信を持って宣言する事が出来る。
 こればっかりは、どんな報酬を提示されてもディエチは承諾するつもりは無かった。
 何故なら、ディエチはもう一人の変態の相手で精神的に余裕が無いためである。

「んもー。本当に、ディエチちゃんってば真面目さんなんだからぁ。姉としては、ディエチちゃんには色々な事に対して、もう少し積極的になってほしいんだけどなぁ」
「…………」

 いつしか姉妹の間での共通認識において、スカリエッティ担当がウーノで、クアットロ担当がディエチという、認識された側にとっては迷惑極まりない烙印を押されてしまった。
 ディエチはそんな自身の不幸を心の中で嘆きながら、――そんなディエチの心中を察しているのか定かではないが、やけに能天気な印象をアピールしてくるクアットロに向けて言う。

「……じゃあ、一応聞いておくけど。クアットロ的には、積極的に変態になりたがる妹ってどうなの?」
「もっちろん、心の底から歓迎するわよ! むしろ、この私が手ずから教育してあげるぅ!」

 そう言って、満面の笑みを浮かべながら力強くサムズアップするクアットロを見て、ディエチはがくっと肩を落として深く溜息を吐く。
 クアットロは物事が混乱している様を楽しむといった、やられる側にとっては非情に傍迷惑な性格をしている。
 姉妹の中でも一、二を争うレベル(というか実質的には二番目の姉と併せてのツートップである)でスカリエッティの影響を強く受けている、と自他共に認めているクアットロらしいと言えばらしいのかもしれない。
 だからこそ、スカリエッティが鳴海賢一に興味を持ち始めた頃から、クアットロもそんなスカリエッティに影響されるようにして変わってしまったのだろう。

「クアットロの気持ちは嬉しいけど、私は今のところ変態になるつもりはないから」

 もちろん、ただの姉妹間における建前である。
 本音としては、この先自分がどれだけ窮地に立たされることになっても、身内の変態共みたいになる事だけは無いだろう。
 そんな状態に陥るぐらいなら、いっそのこと舌を噛んで死んだ方がマシである、とディエチは本気で考えるようになっていた。

「……はぁ」

 ディエチは溜息を吐きながら抱えていた〝モノ〟を地面に下ろすと、今まで布で包んでいた中身をゆっくりと露わにしていく。
 これは、ディエチ流の戦闘前に行う儀式のようなものだ。ディエチは戦闘教官の役割を担っている三番目の姉に「お前は戦闘前における意識の切り替えが大分鈍いな」と言われたことがあり、それ以来、〝戦闘前の準備〟を自分なりに設定し、それを習慣的に行う事で〝戦闘〟と〝非戦闘〟のスイッチを意識的に切り替えられるように訓練した。その甲斐があってか、以前よりはスムーズに意識を切り替えられるようにはなったが、それでも他の姉妹たちのように即座に意識を切り替えることは叶っていない。
 それを良く表しているのが、ディエチの緩慢とも受け取られかねないゆっくりとした動作だろう。ゆっくりと布を解いていくにつれて、ディエチの意識は段々と〝戦闘〟に傾いていけるようになる。
 そうして、ようやく布切れが取り払われたことで姿を現したのが、戦闘経験の無い一般人でも一目で察することが出来るような大砲――ディエチの固有武装である狙撃砲イノーメスカノンだ。
 ディエチは〝イノーメスカノン〟に手をかけながら、背後のクアットロの様子を確認するように振り返る。どうやら、クアットロはセインと連絡を取っているようだった。
 ディエチは数キロ先の上空を飛行している機動六課の輸送ヘリに、直接その〝瞳〟で標準を合わせながら、

「――いやだなあ」

 と、クアットロに聞かれないように呟いた。
 ディエチは自分が意識の切り替えが鈍い理由を自覚している。――他の姉妹たちとは違い、ディエチは戦いという行為にあまり積極的ではなかった。姉妹間での戦闘訓練を行うのも出来れば遠慮したいし、こうして名も知らない誰かを撃つための準備を整えている時間には嫌悪感すら覚えてしまう、というのがディエチの心からの本音だ。周囲からは無表情とよく言われるが、それはイコールで無感情というわけではない。こうして〝イノーメスカノン〟に手をかける際に、自分の手が震えていることも自覚している。それが武者震いではなく、恐怖心から来ているのも理解していた。
 それでも、自分を取り巻く世界が狭い事を知っているディエチは、そんな世間知らずな自分が取れる選択肢は、たった一つしか提示されていない事も知っている。

「ディエチちゃーん。そろそろ準備はいいかしらー?」
「う、うん。こっちは問題ない」
「……? ――それじゃあ、カウントの方はよろしくねぇ。私はルーお姉さまを介してあちらさんに動揺を与えながら、ディエチちゃんの砲撃と同時にセインちゃんを救出に行かせるから」
「わ、分かった」

クアットロはディエチの口ごもった返答を怪訝に思ったようだが、大して気にも留めることなく作戦内容を口にした。
 ディエチは考えていたことを見透かされていない事に内心でホッとしながら、気を取り直して自身の〝力〟を発動させる。

「IS発動――へヴィバレル」

 ディエチがそう言うと同時に、彼女の足元に橙色の独特な魔法陣状のテンプレートが出現した。
 それは魔導師が魔法を使用する際に生じる魔法陣に似ているが、ディエチを始めとする姉妹たち――ナンバーズは俗に言うような魔導師ではない。
 ナンバーズはスカリエッティが自身の持ち得る技術で生み出した、人の身体に機械を融合させた存在自体が非合法な〝戦闘機人〟である。
 彼女たちの様に〝戦闘機人〟と呼ばれる存在は、その身体に機械による鋼の骨格と人工筋肉を持ち、視力や張力などの知覚器官等も人為的に機能向上が成され、文字通りの〝常人を遥かに超えた高い戦闘力〟を発揮することが出来る。
 ディエチの持つ〝力〟である先天固有技能――IS:へヴィバレルも、ディエチが〝戦闘機人〟として生まれたことの証明だった。

「あと十二秒……十秒……九秒……」

 1秒、1秒、時間が経つのを口に出しながら、ディエチは自分のエネルギーをイノーメスカノンに充填させていく。

「八秒……七秒……」

 エネルギーの充填を続けながら、ディエチは頭の片隅でぼんやりと思う。
 確かに、自分を取り巻く世界はひたすらに狭苦しい。
 しかし、ある時を境にして、自分を取り巻く狭苦しい世界に異変が生じた、とディエチは密かに思うようになった。 

「六秒……五秒……」

 その疑念は、スカリエッティが鳴海賢一という名の変態に興味を持つようになってから、ディエチは自分の胸の内に芽生えたものだと確信している。
 例えば、ナンバーズのような〝戦闘機人〟を生み出そうとする思想を持つような人間が、他の人間と比べて狂っていないと言えるだろうか。
 ディエチの答えは「ノー」である。自分にとっては父親のような存在であったとしても、ディエチはスカリエッティの思想を内心では受け入れることは出来なかった。 

「四秒……三秒……」

 しかし、そんな狂人であるスカリエッティも変わってしまった。他でもない、鳴海賢一に興味を持ってしまったことがきっかけだったのだろう。
 以前よりも、スカリエッティは笑みを浮かべるようになった。狂気に満ちただけの笑みでは無く、どことなく慈愛に満ちた笑みだった。
 以前よりも、スカリエッティはナンバーズと一緒の時間を過ごすようになった。〝戦闘機人〟の調整という時間だけでなく、一緒に食事を摂ったりするような平穏な時間だった。
 以前よりも、スカリエッティは変態になったのかもしれない。ナンバーズにとっては頭を悩ませる原因になっているが、ただマッドサイエンティストとして狂気を振るっている姿を見るよりかはマシだった。

「二秒……一秒……」

 もしかしたら、これは単なる錯覚に過ぎないのかもしれない。
 それでも、ディエチは例え錯覚であったとしても、別に構わないとも思っている。
 なぜなら、ほんの少しであったとしても、人間らしく変わってしまったと思える〝父親〟の姿は――少なくとも、自分にとっては羨ましいと思えるような光景だったから。

 ――あなたに特別な興味は無いけれど。

 ディエチはイノーメスカノンに充填を終えた一方で、まだ出会った事も無い鳴海賢一に向けて、一方的で自分勝手な〝if〟を期待していた。

 ――あなたに出会って、私がどう変わってしまうのかには、ほんの少しだけ興味があるかもしれない。

 そして、そんなことを考えていたからかもしれない。
 自分の背後から忍び寄る人影に、ディエチは最後まで気付くことは無かった。

「ゼ――」
「……いい尻だな」
「――ロッ!?」

 何の前触れも無く自分の臀部を襲った感覚に、ディエチは珍しく素っ頓狂な悲鳴を上げた。
 その際に、臀部の刺激に身体を反応させてしまったことで、ディエチが支えるイノーメスカノンの砲身が大きく上空を仰いでしまう。
 結果として、ディエチは土壇場で砲撃を中止する事も叶わずに、物理破壊型推定Sランクの砲撃は天高く舞い上がっていった。

「…………」

 ディエチは呆然としながら、相棒でもあるイノーメスカノンから放たれた砲撃の軌跡を視線で追いながら思う。
 単なる暴力の塊でしかないが、こうやって天高く昇っていく光の奔流として眺めてみると、なかなか綺麗な軌跡なんじゃないだろうか――いやいや、そんなことは今考えるべき事じゃない。
 ディエチは頭を振りながら、今もなお自分の臀部に刺激を与え続けている原因に、ゆっくりと緩慢な動作で上半身を捻りながら振り返る。

「おお……この指を柔らかく包み込む感触……ギンガの張りが強い尻とはまた違う趣があるな……」

 まるで芸術家のように神妙な表情を浮かべながら、その本質は単なるセクハラ行為による感想を述べている変態――他でもない、全裸姿の鳴海賢一がそこにはいた。
 いつの間に、この変態は自分の背後を取ったのだろうかとか、クアットロが驚いた表情を浮かべていることから、自分だけでなくクアットロも気付かったのだろうかとか、どうしてこの変態は自分の臀部を何の躊躇いも無く揉み続けているのだろうとか、その他にもこの状況に色々と思うところがあったディエチだったが、そんな彼女が取った行動は至極ありきたりな反応だった。

「き、きゃああああああっ!?」
「ぶべっ!?」

 ディエチは甲高い悲鳴を上げながら、〝戦闘機人〟としての力を迷うことなく全開にして、全裸姿の変態の横顔に裏拳を放つ。
 人知を超えた反応と速度で放たれた裏拳には、流石の全裸も躱すことが出来なかったようで、身体をコンクリートに打ち付けながら屋上を無様に転がっていった。
 この一瞬の出来事を呆然と眺めていたクアットロは、ここでようやく顔を真っ赤にしたディエチに向けて口を開いた。

「ディ、ディエチちゃん――――その、やっぱり気持ちよかった?」
「今の状況から出てくる言葉がそれなの!?」

 ディエチは声を荒げる。
 妹がセクハラに遭った現場を見ていたというのに、姉が一番に口に出した言葉に驚きを隠せないディエチだった。

「いてて……」
「っ!?」

 すると、屋上を転がっていった変態が、裏拳をぶちかまされた右頬を擦りながら起き上がった。
 まさか、あれだけ全力で撃ち込んだ裏拳をモロに受けて、まるで〝何事も無い様子で起き上がれる〟だなんて、いったいどんな耐久力をしているんだ――と、ディエチは先に受けた恥辱も忘れて素直に驚くが、

「いってーなコラ!? いきなり裏拳かますとかどういう神経してんだ!?」
「あなたがそういう発言をするの!? そっちの神経の方がどうかしてるよ!?」

 全裸が詰め寄りながら口にした言葉に、ディエチは驚愕を通り越して怒りの反論をしてしまう。
 先にセクハラをしたのはあちらなのに、何故かその変態に説教されているという奇妙な状況に、ディエチは混乱してしまっていた。
 百歩どころか千歩ぐらい譲れば、いきなり裏拳をかましたこちらにも非はあるのかもしれないが、それでもこの変態の発言は常軌を逸しているとしか思えない。

「まあまあ、ディエチちゃん。とりあえず落ち着いて……ね?」
「いやいや、こんな状況で落ち着けるわけないよ! こんなに人が怖いと思ったの、稼働して大分経つけど初めてだよ!?」
「それでも、今は落ち着かないと。――ほら」

 そう言って、クアットロは性質の悪い笑みを浮かべながら、すっと上に指を向ける。
 その仕草を怪訝に思いながらも、ディエチはとりあえず促されたように視線を上に向ける。
 すると、いくつもの弾丸に分かたれた雷が、すぐそこまで迫っていた。

「こういうのはもっと早く言ってよ!?」
「うふふ、ごめんなさぁい。なんだか、ディエチちゃんが楽しそうで、つい……ねぇ?」

 クアットロが可愛らしく小首を傾げても、ディエチにはただの胡散臭い仕草としか思えなかった。
 ディエチは姉の行動に呆れながらも、敵の攻撃から逃れるために両足に力を込める。
 ここから逃げるためには〝イノーメスカノン〟を置いていかなければならないが、スカリエッティの待つラボに帰ればスペアはある。ひとまず、今はこの危機的状況から無事に逃げることが先決だ。
 そう思い、ディエチが〝戦闘機人〟の身体能力を活かして、すぐ隣のビルに跳び移ろうとした瞬間、

「うおお!? あの天然執務官、俺がいるってのに容赦ねえ!?」

 そう叫びながら、全裸が飛び上がろうとするディエチの腰に向かって両腕を回した。

「ひゃあっ!? な、何をするんだ、この変態!」
「う、うるせえ! 文句があんならあの馬鹿に言え! つーか早く逃げろ!」

 余計な荷物が一人増えたところで、〝戦闘機人〟である自分には大した影響は無いが、それでも自分の腰に変態が一人しがみ付いている状況は気持ちが悪い。
 ディエチは涙目になりながら、必死になってしがみ付いてくる全裸の頬にビンタをかましつつ、なんとか隣のビルに跳び移ることに成功した。
 どうやら、クアットロも無事に逃げ切れたようで、ディエチは一息つきながら、尚も腰にしがみついている変態の頭頂部に肘鉄を打ち下ろそうとする。

「――見つけた!」

 しかし、どうやら敵は一瞬の猶予も与えてくれないらしい。
 ディエチが背後からの声に振り返ると、そこには黒いバリアジャケットに身を包んだ女性――ナンバーズにとっては縁の深い、フェイト・T・ハラオウンが立っていた。
 ウーノが事前に集めた情報によれば、管理局の執務官として功績を残している凄腕の魔導師らしい。
 そんな魔導師を相手にして、自分やクアットロのような後方支援担当が正面からぶつかったところで、勝ち目は絶望的に薄いだろう、というのがディエチの素直な感想だった。

「お初にお目にかかりますわ、フェイト・T・ハラオウン執務官」

 それでも、傍らに立つクアットロは余裕を持った足取りで一歩前に出る。
 そんなクアットロの行動を受けて、フェイトが訝しむように口を開いた。

「……あなたは?」
「そうですねぇ……〝あなたが追い求めている存在〟とでも言っておきましょうか?」
「…………っ!」

 クアットロのそんな挑発めいた言葉に、フェイトが鎌状に展開したデバイスを構える。
 まさに一触即発――そんな二人のやりとりを眺めながら、ディエチは自分のお腹に頬擦りをしている全裸の事も忘れて、クアットロの取った行動の真意を探ろうとする。
 そもそも、クアットロは何の対策も無しに挑発行動を取ろうとはしない。この状況が自分にとって優位に働き、それが絶対にして揺るがないと確信した時にしか、敵をむやみに煽ろうとしない非常に歪んだ性格をしている。
 それなら、この状況は自分たちにとって有利に働いているはずなのだ、とディエチは思考を巡らせる。正面からは敵いそうも無い魔導師に追い詰められながらも、クアットロがここまで強気に出られる理由がきっとある。

「……あっ」

 そこまで考えて、その絶対的な理由はディエチにもすぐに思い当たった。
 ディエチは右手で全裸の首を折らないように掴み上げると、フェイトに全裸の顔を見せつけるようにして眼前に突き出す。

「……け、賢一!? ど、どうして賢一がこんな場所にいるの!?」

 今の今まで気が付いていなかったのか、フェイトは全裸の顔を確認すると驚愕に染まった表情を浮かべる。
 事前情報からは分からなかったが、この凄腕の執務官は意外と抜けている部分があるのかもしれない、とディエチは敵ながら微笑ましい気持ちに駆られてしまった。


「いや、なんつーか……なりゆきって感じ?」
「馬鹿なの!? いや、馬鹿なのは知ってたけど! それでも、ここまで馬鹿だとは思ってなかったよ!?」
「……まあ、随分とありきたりなやり方ですけれど、この方は人質に取らせてもらいますね」
「……くっ」

 クアットロは小さく溜息を吐きながら、苦渋の表情を浮かべるフェイトに向かって静かに告げる。
 その旨を告げた際のクアットロの横顔は、この状況を〝つまらない〟とでも言いたげに無表情に染まっていた。
 実際、クアットロは〝つまらない〟と感じているのだろう、とディエチは全裸の首を掴みながら思う。

 ――私でも思いつける程度の作戦を、あのクアットロが楽しいと思うはずが無い。

 本当に、この姉は根っこから性格が歪んでいる、とディエチは思う。
 誰かを人質に取って逃げるというのは、裏を返せば〝人質を大事に思うなら逃がしてください〟と懇願しているということだ。
 おそらく、この手段を取らなければならない状況こそ、クアットロには許せない事なのだろう。この姉は敵に対して絶対的に有利を取った上で、羽虫を潰すように徹底的に叩きのめし、最後に高笑いを上げないと気が済まない性質なのである。
 改めて、クアットロの性格を残念に思うディエチであったが、そんなことは今の状況では些細な事だ。
 クアットロにとっては望ましくない譲歩であったとしても、ディエチにとってはこの場をやり過ごせれば他に望む事は無い。

「……クアットロ、そろそろ行くよ」
「そうねぇ……それじゃあ、ハラオウン執務官殿。機会があれば、また――」

 ディエチに促され、クアットロが別れの挨拶を口にしようとした時、

「……まあ、仕方が無いよね」

 そう言って、フェイトは苦渋の表情から一転して、晴れやかな笑顔を浮かべながらデバイスを変形させる。さっきまで鎌状だったデバイスは、一転して巨大な魔力刃を携えた大剣へと変貌していた。
 フェイトが起こしたその行動が予想外だったのか、クアットロは余裕の表情を崩して叫ぶように言う。

「ちょ、ちょっと待ってください! この全裸姿の人質が見えないんですか!?」
「ううん、ちゃんと見えてるよ? ――まあ、だから仕方が無いよね?」

 クアットロの脅しに、フェイトは「仕方が無い」と繰り返した。
 もしかしたら、とディエチの脳裏に一つの考えが思い浮かぶ。
 それは、自分たちにとっては最悪の結果をもたらす考えで、そもそもそんな最悪の結果に見舞われる人間がいていいはずが無いのだが――、

「――クアットロ!」

 ディエチはクアットロの肩を空いている左腕で抱くと、この考えが間違っていた時の為に――この全裸に〝人質としての価値が残されている可能性〟に備えて、右腕で全裸の首を掴んだまま別のビルに跳んだ。
 それから間もなく、二人が立っていた場所を破壊するように、フェイトが笑顔のまま無言でデバイスを振り下ろしていた。
 その破壊の一撃を振り返りながら、ディエチは考えていた最悪の事態が見事に的中してしまった事を悟る。

「……なあ、揉み心地のいい尻をしたアンタに聞きたいんだけど」
「……何?」

 ディエチに首を掴まれて宙吊りの体勢のまま、全裸は器用に口を開く。
 その声音は、先ほどまでの軽い印象は消え失せて、恐怖と緊張に染め上げられていた。

「あの天然馬鹿執務官のやつ、俺が人質になってるのに〝本気〟で攻撃したよな……?」
「非常に残念だけど、どうやらそうみたいですね」
「……お、おい! 早く、早くあの雷女から全力で逃げろ! 俺の尊い命に対して一切の躊躇もしてねえぞアイツ!」
「そう思ったから、こうやって逃げてるんですよっ!」

 あれは死神だ。生者の命を容易く刈り取ってしまう、慈悲の欠片も無い金色の死神だ。
 死神に背後から続けざまに撃たれる雷撃を必死に避けながら、ディエチは自分の考えが正しかった事を悟る。

 ――この変態は、あの人にとっては人質ですらないんだ!

 ディエチは軽いカルチャーショックを受けていた。
 まさか、路傍の石ころのような扱いを受ける様な人間がいるだなんて、世間に疎いディエチは夢にも思っていなかったのである。
 しかし良く考えてみれば、この鳴海賢一という男は、背後から音も無く気配すら感じさせずに近づいたというのに、こちらを戦闘不能に追い込もうとするのではなく、まず尻を揉むことを選択してしまう程の変態である。
 こんな変態が、立派な人質として機能するような社会があるだろうか――答えは「ノー」だろう。
 今更になって、ディエチは鳴海賢一に対する認識の甘さを悔いた。
 この鳴海賢一という男は、あの〝ジェイル・スカリエッティが興味を抱いてしまった人物〟なのである。
 ディエチは恥ずかしげも無く悲鳴を上げている全裸を恨めしそうに睨んでいると、自分の作戦が頓挫してしまったことにショックを受けていたクアットロが口を開いた。

「……ディエチちゃん、もう大丈夫よ」
「……本当に?」
「ええ、姉を信じなさいな。とりあえず、私は問題なく飛べるから離してちょうだい」
「うん、それじゃあ離すよ」

 ディエチがクアットロを離すと、少し空中でバランスを崩しかけたものの、クアットロはなんとか飛べるようだった。
 ひとまず、クアットロが正気を取り戻したのは大きい。単純に、二人を抱えて跳び続けていては、すぐに後方から追いかけてくる死神に捕まってしまうだろう。

 ――ん?

 と、ディエチは不意に今の状況に疑問を抱いた――具体的には、右腕で首根っこを掴むようにしている鳴海に関して、ディエチは何とはなしに違和感を覚えた。
 ここまでのやりとりで判明したように、この全裸は人質としての価値が著しく低い。
 それどころか、この全裸の存在が死神の〝殺る気〟を必要以上に引き出している、そんな風にすらディエチには思えていた。

 ――それじゃあ、どうして私はこの変態を手離さないんだろう……?

 この変態に人質としての価値が無いのなら、こうして律儀に抱えてやっている必要も無い。
 単純に考えて、身軽に動くためにも、余計な荷物は適当に放り投げるでもしておけばいいだろう。
 しかし、自分は現にそうしていなかった。後方の死神からは必死に逃げているのに、その一方では余計な荷物を抱えたままでいる。
 この無意識がもたらした矛盾について、緊急事態にも関わらずにディエチが思考を巡らせていると、

「IS発動――シルバーカーテン」

 クアットロの透き通るような声が、そんなディエチの場違いな思考を中断させた。
 ディエチは頭を振って、散漫な意識を逃げることだけに集中させる。
 今は余計な事に思考を奪われている暇は無い。この場を無事に切り抜けた時にでも改めてと考えよう、とディエチは意識を切り替える。
 とりあえず、クアットロが発動した先天固有技能により、クアットロ本人とディエチ、それに併せてディエチに首根っこを掴まれている全裸にも高度のステルス補正がかかった。
 こちらを追いかける非道な死神には、自分達の姿は消えたように見えるだろう。
 今の内に安全地帯まで逃げなければ――ディエチがそう思った矢先、背後からの雷撃が突如として止んだ。
 ディエチとクアットロは思わず足を止めて振り返る。すると、今まで自分たちを追っていた筈のフェイトが、方向転換をして逆に距離を取っていく姿が確認できた。
 攻撃の嵐が止んだことに安堵するディエチだったが、同時にフェイトの行動が何かおかしいとも思う。
 確かに、自分達の姿が見えなくなったかもしれないが、それは別に姿が消えて透明になってしまったわけではない。正確に狙いを付けられない出鱈目の攻撃になってしまうが、わざわざ当たる可能性があるのに攻撃を止める理由にはならないだろう。

 ――だとすれば、何か別の効率的な攻撃手段が……?

 そこまで考えて、ディエチは自分が足を止めている場所に、巨大な円形状の〝影〟が出来ていることに気が付いた。

「馬鹿野郎、上だ!」

 鳴海賢一が焦ったように口を開く。
 その声に従い、ディエチとクアットロが上空を見上げると、

「――広域、殲滅魔法……!?」
「う、うっそーん!?」

 二人は、ただ驚愕する事しか出来なかった。
 上空には、背中に六枚の黒い羽を生やし、右手で杖を振り上げ、左手で持った本を前方に突き出した先に、あまりにも巨大な魔力を溜め込んでいる堕天使――八神はやての姿があった。
 あれは周囲一帯を一気に攻撃する攻撃なのだろう。確かに、あのまま死神が出鱈目に攻撃するよりも、遥かに効率的で慈悲の無い攻撃手段とも言える。
 そしておそらく、あの堕天使は鳴海賢一が人質として囚われていると、あの死神から連絡が伝わっているにも関わらず、何の躊躇も無くあの魔法を叩き込むつもりなのだろう。
 この時、ディエチはある事実を確信していた。
 あの死神だけでなく、この堕天使も〝鳴海賢一を攻撃する〟という事に対して、一切の躊躇いが無い――!。

「に、逃げろー!」

 鳴海の号令を合図にして、ディエチとクアットロは全力で広域殲滅魔法の範囲から逃れるために、上空の堕天使はそんな逃亡者を嘲笑うかのように魔法を発動させた。

「――デアボリック・エミッション!」

 地上にまで聞こえる堕天使の宣言を皮切りに、暴力的な闇の奔流がディエチとクアットロ、そして当然のように鳴海賢一にも襲い掛かった。
 あまりの広域殲滅魔法の速度に三人は呑み込まれ、シルバーカーテンのステルス効果は消えてしまうが、クアットロがディエチを抱きかかえるようにして闇の奔流から脱出し、ギリギリで上空に逃げることに成功する。
 ディエチはクアットロに抱きかかえられながら、それでも右手はしっかりと鳴海賢一の首を掴んでいた。
 堕天使の攻撃から脱出する際に、ディエチは少しばかり力を込めてしまったのか、鳴海賢一は苦しそうに表情を歪めていた。あの場面で見捨てなかっただけでもありがたいと思ってほしい、とディエチは鳴海賢一の首を掴む力を緩める。

「し、死ぬかと思った……」

 鳴海が漏らしたその言葉には、ディエチも素直に同意してしまう――それだけ強力かつ無慈悲な攻撃だった。
 いくら鳴海を巻き込む事に対して微塵も躊躇いが無いとは言え、これはちょっと無慈悲を軽く通り越しているのではないだろうか。

「ね、ねえ、あなたに聞きたいことがあるんだけど……」
「あ、ああ?」
「あなた、あの人たちに何かしたんじゃないの?」
「……いや、別にそんな大したことはしてねえけどなあ。朝だって、ちょっとアイツらの着替えを覗いたぐらいだし……ぐえっ!?」
「明らかにそれが原因でしょ!? あなたは馬鹿なの!?」

 何でもない事を言うような全裸の口振りに、ディエチは思わず右手に力を込めた。
 全力ではないが、それなりの力で首を圧迫されている全裸は、苦しそうにディエチの右腕を叩いて降参の意志を示している。
 それでも、ディエチはなかなか力を緩めようとしなかった。
 なんとなく、上手く言葉にすることは出来ないのだが、この変態をこのまま生かしておいてはいけない、そんな気がディエチにはしていたのである。主に、次元世界に住む女性たちの貞操的な意味で。

「――ディエチちゃん。どうやら、まだあちらさんの攻撃の途中らしいわよ?」
「え?」

 クアットロの諦めたような声音に、ディエチははっと顔を上げる。
 堕天使の無慈悲な攻撃から逃れるため、ディエチとクアットロは上空に逃れることにした。
 それはつまり、シルバーカーテンの効果が無い無防備な状態で、的になりやすい開けた場所に出てしまったということでもある。

「――投降の意志は無いみたいですね」

 空中で無防備な体勢を取っている二人と変態を挟むようにして、金色の死神――フェイト・T・ハラオウンともう一人、新たに現れた白い悪魔――高町なのはがデバイスを構えて砲撃体勢を取っていた。
 これを〝絶体絶命の状況〟と言わずして、いったい何を〝絶体絶命の状況〟というのだろうか。

「た、高町? ほ、ほら、ここに大事な人質がいますよー?」

 それでも、すっかりこちら側に馴染んでしまった鳴海賢一は、未だに生きることを諦めていないのか、必死に高町に人質アピールをして呼び掛けている。
 そんな奇妙な命乞いを受けた高町の返答は――やはり、例に漏れず無慈悲だった。

「大丈夫、大丈夫。賢一君なら耐えられるよね、うん」
「ちょ、流石に前後からはまずいってオイ!?」

 高町の事実上の死刑宣告を受けて、鳴海は涙目で命乞いを続けている。
 その際に、ほんの一瞬だけであったが、高町が満面の笑顔を浮かべたのをディエチはしっかりと見ていた。

「――人間って、あんな素敵な笑顔で砲撃を撃てるんだ」

 ディエチが同じ砲撃を扱う者として、高町の振る舞いにそんな感想を口に出したと同時、

「――ディバインバスタァァァ!」
「――プラズマスマッシャァァァ!」

前後から、桃色と金色の無慈悲な砲撃魔法が放たれた。



 今回の任務の結果としては、ディエチとクアットロはなんとか生きて帰る事が出来た。
 前後からの砲撃魔法が直撃するギリギリのタイミングで、ナンバーズ三番目の姉であるトーレが救出してくれたからである。
 その際に、ディエチは鳴海賢一の首を手離してしまったのだが、あの変態の事だから少なくとも生きてはいるだろう、とディエチは最低限の心配をしていた。

「……それにしても、今回の任務、一人も欠員が出なくて良かったわねぇ」
「……うん。正直、もう駄目かと思ってた」

 ディエチは疲弊しきった身体を、スカリエッティがアジト地下に設計した大浴場に浸しながら、上手く働かない頭で今日の任務を振り返る。
 あの変態の襲撃により、ディエチの砲撃は輸送ヘリを外してあらぬ方向へ飛んで行ってしまったのだが、それが逆に敵側の意表を突いたような形になったようで、捕まっていたルーテシアは救出することが出来た。
 結局、レリックは機動六課に回収されてしまったが、逮捕者が出てアジトの場所がばれるよりかはマシである。
 まあ、そもそもあの変態の襲撃が無ければ、当初の作戦通りに事を運べていたのだろうが、過ぎたことを悔やんでいても仕方が無いとディエチは思う。
 それに、今回の結果にスカリエッティは大変満足していた――おそらく、鳴海賢一が事態を引っ掻き回したからだろう。
 どうやら、アレは作戦の結果がどうこうよりも、ただ鳴海賢一の行動に胸を躍らせていたようである。父親ながら、本当にどうしようもない狂人だった。

「ねえ、ディエチちゃん?」
「……うん?」
「どうして、ディエチちゃんは鳴海賢一を捨てなかったの? ――ぶっちゃけ、あの時は私も気が動転していて、考えがそこまで回っていなかったのよねぇ……」

 と、だらしなく湯船に身体を委ねていたクアットロが言った。
 あの件に関しては、ディエチだけでなくクアットロも疑問に思ったのだろう。
 とても悲しい話になるが、結果から考えて、あの場において鳴海賢一に人質としての価値は無かった。
 それどころか、その異質な存在感から、逆に敵側の殺る気を引き上げていたのだから、こちら側にとっては邪魔でしかない存在だった。
 それにも関わらず、ディエチは最後の瞬間になるまで鳴海賢一の首を手離さなかった。
 あの身体を攻撃の盾にするでもなく、今更になって振り返ってみれば、あれは一緒に逃げていたようにも思える。
 だから、ディエチは自分の不可解な行動について、気持ちの良い湯船の中で思考を巡らせる。
 あの場において、自分が鳴海賢一を切り捨てるのではなく、まるで助ける様な行動を取っていた理由――そして、数秒も経たない内にディエチが思い至ったのは、とても簡単な理由だった。

「……たぶん、ほんのちょっとだけ、あの人が不憫に思えたから、かな」

 誰だって、些細な出来事がきっかけで変われるのかもしれない。
 隣にいるクアットロには絶対にばれない様に、ディエチは湯船の中で自分の臀部を触りながら、この突拍子も無い変化をどのように受け止めようか、その事だけをのぼせ始めた頭で考えていた。




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 このSSのヒロインはディエチです(大嘘)




[33454] 全裸と幼女
Name: 全裸◆c31cb01b ID:ae743e2c
Date: 2014/08/19 01:07
 人生とは〝選択〟することの連続だ――小学校の卒業式の日に担任が口にした言葉を、高町はあれから大分月日が経った今でもしっかりと覚えている。
 何気ない行動の一つ一つであっても、その行動をすることを〝選択〟したという〝結果〟は残り、その〝結果〟の積み重ねが〝今〟に至るまでの人生を形作っている。
 だからこそ、人は自分の〝選択〟がもたらし得る〝結果〟に対して、しっかりと責任感を持たなければいけない。
 例え、その〝選択〟が自分にとって都合の悪い〝結果〟をもたらしてしまったとしても、決して単なる結果論として片づけてはいけない。
 そうでなければ、きっとその人生は、紙よりも薄く、空気よりも軽い、そんな悲しい人生となってしまうだろう。
 時には、その〝選択〟をしたことに後悔したりすることもあるかもしれない。
 時には、その〝結果〟に正面から向き合って、今後の為にしっかりと反省しなければならないかもしれない。
 それでも、そういった後悔や反省から逃げてしまえば、それは自分の人生に対して無責任という事になる。
 時には、人生に迷ってしまう事もあるかもしれない。
 時には、人生の辛さに泣き出したくなる事もあるかもしれない。
 それでも、そういった迷いや辛さも全部抱え込まなければ、自分の人生に胸を張る事は出来ないだろう。
 だからこそ、高町は〝選択〟することから逃げる事だけはしない。
 例え、その〝選択〟をしてしまった事で、どれだけ辛く悲しい〝結果〟が待ち受けているとしても、最初から〝選択〟する事さえしなければ、何の〝結果〟も起こせないからである。



「……今更だけど、本当にこれでよかったのかな」
「なのはママ? ……どうかしたの?」
「う、ううん。何でもないよー、ヴィヴィオ」

 高町は内心の不安を悟られないように、可愛らしいウサギの人形を抱きかかえるようにしながら、こちらの左手を弱々しいながらもしっかりと握ってくる少女――ヴィヴィオに向かって優しく笑いかける。
 先日のレリックを巡る事件の際に、機動六課によって保護されたのがヴィヴィオという名前の少女だったわけなのだが、その後の聖王教会の検査により、ヴィヴィオはいわゆる〝人造生命体〟であることが判明した。
 そういった深刻な事情も相まって、ヴィヴィオの身元は機動六課か聖王教会が預かるといった方向で話が進んでいたのだが、今日の訪問で高町は極度の人見知り状態であったヴィヴィオに懐かれてしまった。
 高町がヴィヴィオから少しでも離れようとすれば泣き出してしまい、片時も離れてくれそうにないと悟った高町は、とりあえずヴィヴィオを機動六課に連れて帰る〝選択〟をしたのだが……、

 ――うーん……ヴィヴィオ、変な影響を受けなければいいんだけど。

 果たして、機動六課という名ばかりの魔窟に、このようなあどけない少女を連れてきてしまって本当に良かったのか――高町はその魔窟を目の前にして、あまりにも遅すぎる不安に駆られてしまっていた。
 一番の変態であるアレは元より、他の面子もそれなりに油断ならない人格の持ち主であるため、下手したらヴィヴィオの今後の人生に傷跡を残す可能性もある。
 そうなってしまっては手遅れで、となればやはり、ヴィヴィオの今後の健やかなる成長を考えて聖王教会に預けるのが得策ではないだろうか。
 この繋いだ手を強引に振りほどくようで、自分の良心が久方振りに痛んだのを自覚した高町だったが、そんな痛みもヴィヴィオが抱えることになるかもしれない痛みと比べれば安いものだった。
 今からでも遅くは無い、シスター・シャッハに頭を下げて、聖王教会の方で正式にヴィヴィオを引き取ってもらおう――そう考えて、高町が踵を返そうしたまさにその時、

「ねえ、なのはママ。あそこに外で裸になってる人がいるよ?」
「……しーっ。ヴィヴィオー、ああいう変態さんは目に猛毒だから見ちゃ駄目なんだよー?」

 機動六課の周囲を全裸姿で走っている鳴海賢一、その姿をあろうことかヴィヴィオが視界に捉えてしまった。
 彼らしい最悪のタイミングでの登場に関しては、高町も長年の付き合いから呆れはすれども驚きはしない。
 それでも、せめて女装ぐらいはしておいてほしいと思う高町だったが、それはそれで鳴海が変態という事実までは覆らなかった。

「おっ? 高町じゃねーか。どっか行ってたのか?」

 全裸姿の変態に目を付けられてしまった――そう思いながら、高町は息を切らせながら近づいてくる鳴海に軽く手を振って応える。
 ただ、全裸姿の男が息を切らせながら近づいてくるという光景は、鳴海の奇行に慣れきっている流石の高町でも、なかなかに女性の貞操的な意味で恐怖心が煽られる光景だった。
 これが親しい間柄の鳴海でなければ、即バインドからの即砲撃で昏倒させるレベルの事案だろう。
 それでも、相手が鳴海だったからなのだろうか、高町は普段通りの笑みを浮かべながら答える事が出来た。

「ちょっとね、聖王教会の医療院の方に用事があったの。……いつもの時間には少し遅いみたいだけど、賢一君は日課のランニングだったのかな?」

 こう見えて、鳴海賢一という男はなかなかに健康的な生活スタイルを送っている。
 毎朝のランニングに加えて、筋トレなども日常的にしているため、細身ながら割と筋肉質な肉体をしている。
 ただ、この変態はそれもあれも全裸姿で行っているため、高町的にはどう転んでも最悪な光景なのだが。

「まあ、そんなところだ。ティアナの奴に幻術魔法の特訓とやらに朝っぱらから付き合わされてよ、おかげでこんな時間までズレ込んじまった……おっ、そのガキって昨日の事件のヤツか?」

 変態的な姿で健康的な汗を垂らしている鳴海がヴィヴィオの存在に気付くと、その変態は幼女の目線に合わせるように低く屈んでみせた。

「……っ」

 しかし、ヴィヴィオは鳴海の視線から逃げるように、高町の後ろにサッと隠れてしまう。高町のスカートの裾を握る指先は、少しばかり震えているように窺えた。
 これが意味するのは、人見知りから来る羞恥心の表れか、変態を目の当たりにしたことによる恐怖心の表れか――おそらく、両方だろうと高町は推測する。
 機動六課の年少組であるエリオとキャロの二人は、年齢不相応に精神が達観しているために、鳴海の存在を受け入れてしまうのも早かったが、一般的な子供の反応としてはヴィヴィオの方が正しいに決まっている。

「あれ? もしかして、俺ってばコイツに初対面で嫌われちゃった感じ?」
「全裸姿の変態さんを初対面で怪しく思わない子の方が珍しいと思うよ」

 目の前で非一般的な在り方を体現している変態に対して、高町は至極真っ当かつ一般的な価値観を口にした。
 そして、自分の後ろに隠れてしまったヴィヴィオの頭を優しく撫でながら、これでも付き合いの長い幼馴染のフォローに回る事にした。

「――大丈夫だよー、ヴィヴィオ。この人は頭がおかしい変態さんだけど、贔屓目に見ればギリギリで人間って呼べるかもしれない生き物だから」
「おいおい、そのフォローはちょっと苦しくねえか? それに、俺はただ自分の欲求に素直なだけだぜ?」
「全裸姿で外を歩くっていう欲求が出てくる時点で、わたし的に賢一君は十分アウトだと思うんだけどなぁ」
「あくまで高町的に……だろ? 俺的にはファッションみたいなもんなんだな、コレが」

 そう言って、どこか誇らしげな表情を浮かべる変態の姿があった。
 本当に今更な感想だが、どうしてこの変態は自分の発言の意味不明さに気付かないのだろうか、と高町は長い付き合いなりに割と真剣にそう思っている。
 確かに、夏場に肌を多く見せようと露出を多くするファッションもある。
 しかし、鳴海は一目で見て分かるように〝全裸〟だ。
 全裸姿と言っても、それはただの〝全裸〟でしかないのだ。衣服どころか下着すら身に付けない格好を、ファッションという単語一つで片づけて良いわけが無い。
 故に、高町は鳴海の言葉を否定しなければならない。
 例え、周囲からワーカーホリックと陰で囁かれていようとも、稀に転がり込んできた休日には自宅でゴロゴロしていようとも、魔導師ではなく一人の女として、ファッションの在り方を根底から覆されるわけにはいかないのである。

「……賢一君のはファッションじゃなくて、ただの露出狂って言うんだよ」

 そう言って、高町は改めて深い溜息を吐いた。
 やはり、この場所は――この人間が存在している環境は、ヴィヴィオのような少女には荷が重いだろう。
 極度の人見知りで、今も自分の後ろに隠れてしまうような少女が、鳴海を筆頭とする筆舌に尽くしがたい輩が数多く跋扈している環境で、安らかな日々を過ごせる訳が無かったのだ。
 とりあえず、今すぐにこの魔窟から聖王教会の医療院まで戻ろう――高町がそう思った時には、まさに全てが手遅れだった。

「俺は鳴海賢一。お前の名前は?」

 子供をあやすような優しい声音で、鳴海がヴィヴィオに問いかけていた。
 それに対して、ヴィヴィオはやはり怯えているのか気恥ずかしいのか、高町のスカートの裾を離そうとはしなかったが、少し間を置いておずおずと口を開く。

「……ヴィヴィオ」

 ヴィヴィオの言葉は酷く弱々しく、近くにいるはずの高町でも思わず聞き逃してしまいそうな声音だったが、鳴海は一度肯いて柔らかい笑みを浮かべながら言う。

「そっか。何となく王様っぽい名前だな」
「……ヴィヴィオ、女の子だよ?」
「うん? ああ、そりゃそうだな。それじゃあ、ヴィヴィオは王女様って感じの名前だ」
「……えへへ」

 鳴海の意味不明なお世辞に、ヴィヴィオは可愛らしくはにかむように笑って見せる。
 そんな二人のやりとりを眼下に収めながら、高町は一種の危機感のようなモノを覚えていた。

 ――わ、わたしよりも早く、ヴィヴィオと打ち解けちゃってるー!?

 今でこそ、高町はヴィヴィオから〝なのはママ〟と呼ばれてはいるが、いくら高町とはいえ、極度の人見知りであるヴィヴィオとすぐに打ち解けたという訳ではない。
 しかし、鳴海は出会ってからものの数秒で、ヴィヴィオの小さいながらもちゃんとした〝笑顔〟を引き出すに至ってしまった。
 よもや、全裸姿の変態に劣ってしまうとは――これにショックを受けずして、他のどんな事にショックを受ければいいのだろうか。
 ショッキングな光景を目の当たりにして、高町がなかなか見せないような呆然とした表情を浮かべていると、そんな感情をつゆとも知らない鳴海が顔を上げて口を開く。

「なあ高町、ヴィヴィオは機動六課で預かる事になったのか?」
「へっ!? ……う、うん。その予定だったんだけど……えっと、どうしようかなーとか思ってたりしちゃってたり……」

 鳴海の問いかけに、高町は珍しくしどろもどろになりながら言う。
 いけない、これは精神に結構なダメージを負ってしまっている――こんな変態に劣ってしまっている部分があるという事実に直面して、高町は重度の混乱状態に陥っていた。
 そして、そんな高町の精神に追い打ちをかけるように、鳴海がある提案を口にした。

「じゃあ、俺がヴィヴィオに六課の案内をしてやろうか?」
「うえぇっ!?」

 そんな鳴海からの急な提案に、高町は柄にも無く素っ頓狂な声を上げて反応した。
 高町にとってあまりにも想定外すぎる事態の連続に、ヴィヴィオがいるにも関わらず大声を出してしまう。

「な、何で賢一君が、ヴィ、ヴィヴィオの案内を申し出ちゃったりしてるのかな!?」
「何でって、お前、これからまだ仕事あるんだろ?」
「……ま、まあ、これからフェイトちゃんとはやてちゃんと一緒に、聖王教会の騎士カリムを訪問する予定があるにはあるけど……」
「えっ!? マジで!? お前ら、カリムさんに会いに行くのかよ!? 俺も、俺も一緒に行っていいか!?」
「――賢一君、言いたいことはそれじゃないでしょ?」
「痛っ!? す、素足を靴でぐりぐりは駄目、せめてレイジングハートの杖先でお願い!」
『急に私を引き合いに出さないでください』

 騎士カリムの名前を口にした途端、いつものようなハイテンションに戻った鳴海の態度を見て、高町は自分でもよく分からないが気に入らなかった。
 さっきまでの混乱状態が嘘のように、すっと頭の中から騒音が消えたみたいに透明になったのが分かる。
 というわけで、鳴海の素足の甲を右足で思いっきり踏みつけながら、高町は鳴海に先の話題に戻るよう顎先で促す。

「ひぎぃ!? ……そ、その点ンアッ、お、俺は常にフリーなわけでしゅしッ!? ヴィ、ヴィヴィオのお守りをおうっ!? う、請け負ってやってもいいんだぜって痛えー!?」

 鳴海にしては奇声を上げながらの珍しく至極もっともな言い分に、高町はぐうの音も出ないのか何も言い返すことが出来なかった。
 高町は鳴海の素足を踏みつけながら、どこか怯えた様子で傍観しておいたヴィヴィオに向き直る。その際に、右足の踵で鳴海の足を捻るようにするのも忘れない。
 鳴海の悲鳴をBGMに、高町は右足に全体重をかけるようにして屈みながら、会話に置いてけぼり状態だったヴィヴィオに視線を合わせた。

「……ヴィヴィオ。これから、なのはママはちょっとお仕事に出かけなきゃいけないんだ」
「……え? なのはママ、ヴィヴィオのこと置いてっちゃうの……?」

 高町の言葉を聞いて、ヴィヴィオはすぐに泣き出しそうになってしまう。
 それでも、高町は慌てる様な素振りも見せずに、そっとヴィヴィオを優しく抱きしめながら言う。

「ううん、わたしはヴィヴィオを置いていったりしないよ。ヴィヴィオがちゃんと良い子で待ってくれるなら、なのはママは絶対に帰ってくるから」
「……ほんと?」
「うん、なのはママとヴィヴィオとの約束だよ。……そうだ、ヴィヴィオ、小指を出してくれるかな?」
「……?」

 高町の要求にヴィヴィオは戸惑いの表情を浮かべながら、小さな手から小指をそっと差し出す。
 そして、高町は自分の小指をヴィヴィオが差し出した小指に引っ掛けると、そのまま小指を絡ませて上下に振りながら、幼子に聞かせる様に冗長とした歌い方で口ずさむ。

「ゆーびきーりげーんまん、うーそついたら針千本のーます、ゆーびきった!」
「……なのはママ、これって何してるの?」

 ヴィヴィオは〝指切り〟の事を知らないのか、可愛らしく小首を傾げながら事の成り行きを見ているだけだった。

「これはね、なのはママの生まれ故郷のおまじないなんだ」
「おまじない?」
「うん。〝指切り〟って言うんだけど、絶対に破っちゃいけない約束をする時によくやるの。嘘ついたら針を千本飲まなきゃいけないから、お互いに頑張って約束を守ろうっていう意思表示みたいなものかな」
「は、針を千本も飲まなきゃいけないの!?」

 ヴィヴィオの子供らしい純粋な反応に、高町は自然と笑みを浮かべてしまう。

「あはは、針を飲むっていうのは例えみたいなものだよ。それに、なのはママは絶対に約束を破らないし、ヴィヴィオもちゃんと良い子で待っていられるよね?」
「……うん、頑張る」
「よしよし、ヴィヴィオは良い子だね」

 ヴィヴィオの子供ながらの立派な決意に、高町は母親のような笑みを浮かべながらヴィヴィオの頭を撫でて応えた。
 その背後で、全裸姿の変態が痛みに悶絶していることなど、高町はヴィヴィオとのやりとりですっかり忘れていたのである。



 午前の事務作業も終わり、ティアナはフォワード組のメンバーと一緒に食堂へと昼食をとりに来ていた。
 食堂にはティアナ達と同様に、午前の仕事から解放された部隊員たちの姿が多く、まるでお祭りのような和気藹々とした賑やかな空気がそこら中から漂ってくる。
 機動六課は部隊員の殆どが若手で構成されているため、上下関係が他所の部隊よりも下手に影響しないのもあるのだろう。
 部隊長であるところの八神にしても、厳格な上下関係をひたすらに重んじるというよりかは、隊員同士のコミュニケーションを元にしたチームワークを大事にしている――そんな風にティアナは思えるようになっていた。

「ねえ、ティア! 今日は何を食べよっか!?」
「……昼食ごときでテンション上がるアンタが羨ましいわよ、ホントに」
「えー!? 昼食は大事だよ、一日五食の内の大事な一つだもん!」
「自然に一日五食計算にしないの。それに、アンタは一日通したら常人の五食以上の量を食ってるでしょうが」

 ティアナはスバルの発言に対して、心底呆れたように溜息をついた。
 スバルとは長い付き合いとなっているティアナだが、そんな彼女でもスバルと一緒のテーブルを囲む際には、あるルールを自身に課すようにしている。
 それは、〝スバルの食事の量に疑問を持たないようにすること〟である。
 この相棒の一日の食事摂取量は尋常ではなく、テーブルを囲んでいるこちらが胸焼けを起こしてしまいそうになる程だ。
 スバルとコンビを組むようになった最初の頃は、ただひたすらにスバルの食事の量に圧倒されてしまい、ティアナはスバルと一緒にいると食事がろくに喉を通らない――そんな日々をしばらく過ごしていた。
 そして、ティアナが行き着いたのが〝見て見ぬフリ〟をすることである。
 さらに、一人の女性としてあるまじきカロリーを摂取してしまっていることに関しては、ティアナは心をスッと閉ざすようにして黙認することにしている。

「わたしはパスタ系にしようかなぁ。フリードはいつものお肉でいいかな?」
「キュイ!」

 キャロは実に女の子らしい女の子をしている。
 まあ、そもそもの比較対象がスバルなのだから当然なのだが、こういったキャロの発言にティアナはしばしば癒されることがある。
 機動六課には数少ない――というか、他に類を見ない癒し系魔法少女なのだ。生物が住めない荒れ地に生き残った、一本の御神木のような存在なのである。

「僕は何を食べようかな……」
「ねえ、エリオ! 何なら、一緒に〝メニューの上から下まで〟っていうのやってみない!?」

 ティアナがキャロに癒されていると、またしてもスバルらしい発言が飛び出してきた。
 スバルは自分の発言内容でテンションが上がっているのか、子供のように瞳をキラキラとさせながらエリオに詰め寄っている。

「い、いや、それはいくらなんでも無理じゃないでしょうか?」

 エリオは若干引き気味になりながらも、興奮しきったスバルを宥めるように言う。

「大丈夫だって! わたしとエリオの胃袋なら楽勝だと思うよ!」
「そ、そうでしょうか……」

 しかし、スバルのテンションメーターは際限無く上がっていっているようで、その根拠の無い自信と勢いにエリオも口ごもってしまった。
 子供らしく素直なのは良い事だが、時には突っぱねる強情さも併せ持ってほしい、とティアナは弟分の優しさに内心で苦笑する。
 特に、ここ機動六課で生活するにあたっては、そういった強情さは真っ当に生きる上での必須スキルだろう。あの変態に長い間付き合っていたら、こんな純粋無垢な少年でも悪性変異を起こしかねないのだから。

 ――まあ、わたしも折れた側の人間だから、そう強くは言えないんだけどねぇ……。

 それでも、あの変態に救われた経験があるからこそ、ティアナはあの変態に近づきすぎるのはよくないとも考えている。
 アレは卑怯と呼んでも差支え無いぐらいに性質が悪い。人が傷心している場面に偶然に現れては、当たり前のように心に響く言葉を投げかけてきやがったのである。
 しかも、それをありのままの自然体(コスプレナース服)でやってしまうのだから、今更になって考えてみると本当に恐ろしい人間だとティアナは思う。
 ああいう性質の悪い男性を、俗に天然ジゴロというのかもしれない。

「うーん、でもあまり食べすぎると、フェイトさんに注意されてしまうかもしれないですし……」
「フェイト隊長には内緒にしておくからさ! たまには保護者の目を盗んで自由に行こうよ!」
「え、えーっと……そ、それじゃあ……」

 ティアナがアレについて考えている間に、エリオがスバルに押し切られそうになっており、そんな光景をキャロが苦笑しながら見ていた。
 とりあえず、この場は自分がスバルを抑え込んでしまうしかないか、とティアナは思考を素早く切り替えて口を挟む。

「やめなさい、この馬鹿スバル。食堂スタッフにもめちゃくちゃ迷惑だし、何よりアンタ達なら本当に成し遂げそうで怖いわ」
「えー? でも――」
「――わかった?」

 スバルには二の句も告げさせず、ティアナはどこか厳かな口調でスバルの反論を封殺する。

「うっ……はい、わかりました」
「エリオも、あまり食べすぎると太っちゃうわよ?」
「は、はい! 大丈夫です、絶対に食べ過ぎたりしません!」

 スバルは言わずもがなだが、エリオもスバルに負けず劣らずの胃袋の持ち主だ。
 もし、ここにスバルの姉のギンガがいたらどうなってしまうことか――その想像はティアナには難くないし、きっとその尻拭いは自分がすることになるのだろうと確信している。
 藪を突いて蛇を出す趣味は無いし、そんな蛇が出る藪があるなら事前に焼き払ってしまえばいい。
 こんな凶悪な思考は、きっと機動六課に来てから芽生えてしまったのだろう。
 本当に、ここの特殊な人間関係が根底にある悪魔的な環境は、真人間の精神に色々な意味で影響を及ぼしてくる。
 そしておそらく、自分は既に真人間の枠から外れてきてしまっているんだろう――と、ティアナはそんな諦観混じり想いを抱えながら遠くを見た。

「…………げっ」

 そして、ティアナは遠くのテーブルにある人物を発見してしまう。
 その人物は全裸で――というか、この条件を満たすのは機動六課に一人しかいないので、ティアナはアレに関する詳しい描写は頭から放り投げることにした。
 問題なのは、その件の変態がこちらに視線を向けており、あろうことか空中で視線を交わらせてしまったということだ。
 ティアナは一瞬で平穏な昼食の時間に別れを告げると、

「おーい! オメエらも一緒に飯食べようぜー!」

 そんな全裸からの誘い文句を予想していたのか、彼が言葉にするよりも一足早く歩き出していた。
 その両肩は力なく垂れ下がっており、足取りは酷く重いものだった。



 ティアナが鳴海賢一という名の変態を認識する際には、何よりもまずソレが全裸であるか否かという点に注目している。
 機動六課の隊員たちの間では、〝全裸姿の変態=鳴海賢一〟という認識が当たり前となっており、ティアナもいつのまにかその認識を採用するようになっていた。
 全裸姿の変態を鳴海賢一ではないと主張するのは、ティアナが高町相手にソロで勝つことぐらいに不可能だ。
 そもそもの前提条件として、平然と公の場に全裸で存在してしまえる恥知らずな人間なんて、いかに次元世界が広いと言っても鳴海賢一ぐらいしかいないはずなのである。
 仮に、顔を覆面で隠した全裸姿の変態が目の前に出現したとしても、ティアナは酷く限定的な経験則からその正体が鳴海賢一だと確信してしまうだろう。

 ――全裸姿の変態なんて鳴海さんぐらいしかいないだろうし……いないわよね? ま、まあ別に、もし仮に鳴海さんに匹敵する変態がいたとしても、わたしの人生には一切の関係が無いから別にいいんだけど!

 ティアナは内心で未知の恐怖に毒づきながら、目の前で展開されている光景を眺めていた。

「よし、ヴィヴィオ。次はこの緑色の野菜に挑戦してみようぜ!」
「うー……いや! ケンイチはウソばっかり言うんだもん!」
「ばっかオメエ、人生何事も挑戦することが大事なんだよ。どんなに辛くても、それを我慢して挑戦し続けるのが人間の数少ない美徳の一つなんだぜ? ――んじゃ、この苦くて不味いピーマンも食べられるように頑張らなきゃなあ?」
「に、苦くてまずいって言った! いやー! 苦いの嫌い! ケンイチも嫌いー!」
「はいはい、人の膝の上で暴れないのよー――って、痛い痛い、そこは男の大事な急所だから立ち上がって踏みつけちゃ駄目ぇ!」

 鳴海の膝の上で暴れている金髪の少女――ヴィヴィオは、つい先日の事件の際に保護した少女だったらしい。
 少女を膝に乗せた全裸姿の変態が供述するには、これから聖王教会に出張する高町から世話を任されたらしいが、ティアナにはにわかに信じがたい内容である。
 というか、今となっては慣れてしまった全裸姿で闊歩している姿ですら犯罪級なのに、こうして無垢な幼女とセットにされてしまうと、どうにも目の前で〝事案〟が発生しているのではないか、とティアナは思わず勘繰ってしまう。

「ねえねえ、ティア」
「ん?」
「こうして見てるとさ、鳴海さんとヴィヴィオって歳の離れた兄妹みたいだよね」
「アンタは一度眼科に行った方が良いわ。……加害者と被害者の関係なら納得できるけど」
「そうかなー? ほら、鳴海さんって意外と優しいし、ヴィヴィオもすっかり懐いてるみたいだよ? ――全裸だけど」
「……まあ、そこは認めてあげてもいいわよ。――全裸だけど」

 鳴海は全裸な変態であるものの、誰にでも分け隔てなく接することの出来る人柄自体は、機動六課の隊員たちにも好かれている。
 スバルやエリオ、キャロやフリードもその一例に漏れることなく、鳴海が変態である事を頭ではちゃんと理解していても、その根底にある人柄の良さに惹かれてしまっているのだろう。
 そして、そういった鳴海賢一を構成している厄介極まりない人柄が、今の事態を引き起こしてしまっている原因なんだろう、とティアナはパスタをフォークでくるくると巻きながら考えていると、

「賢一君とヴィヴィオ、食堂にいたんだ」
「あっ、なのはママだー!」

 その声に素早く反応して、鳴海の股間付近から勢いよく飛び降りたヴィヴィオがかけて寄った先には、幼い子供に大声で〝ママ〟と呼ばれて少し困り顔の高町がいた。
 確かに、結婚どころか彼氏もおらず、まだ二十歳にも満たない年齢で〝ママ〟と呼ばれてしまうのは、女性としては割と複雑な心境になってしまうものなのかもしれない。

「なのはが〝ママ〟かぁ……あれ、何だか割としっくりくるね」

 高町の後ろには、高町が〝ママ〟と呼ばれて神妙な表情を浮かべているフェイトと八神の姿もあった。

「まあ、なのはちゃんの貴重な休日の過ごし方は、倦怠期が過ぎ去ってだらけ始めた専業主婦並みの姿やもんね」
「――ああ、それは確かに一理あるね」
「一理も無いよ! いくらなんでも、テレビの前に寝転がってワイドショー見ながらお煎餅食べたりしてないし!」
「それもそうやね。なのはちゃんの場合は、仕事にかまけてばっかりで家に帰るのが遅いお父さん、って方がしっくりくるわな」
「うわっ、私の頭の中で完璧に合致しちゃったよ」
「もー! 二人とも!」

 機動六課が発足したばかりの頃は自重していたようだが、最近では隊長たちのコントを眺める機会も随分と多くなっていた。
 上下関係や部隊の風紀に厳しい人には疎まれるかもしれないが、締めるべきところではしっかりとしているので、今ではティアナもさして気にしないようにしている。
 むしろ、あれだけの実績を持つ三人が微笑ましく会話をしているという光景には、親近感すら覚えるようにまでなっていた。
 そうしていると、大量のパスタを平らげたスバルが言う。

「なのはさんたちは、これから聖王教会に出張でしたっけ?」
「うん。ヴィヴィオの世話は賢一君に頼んでおいたんだけど――スバル達も時間が出来たら見てくれないかな?」
「はい! 任せてください!」
「……えっ?」

 高町からの頼みに、スバルは少しも迷うことなく承諾してしまった。
 この時、ティアナはしてやられたと思った。
 ヴィヴィオの世話を任されたという事は、それすなわちあの変態の監視も任されてしまったということではないか。
 ティアナは即座に高町へと念話を飛ばした。

≪――なのはさん、恨みますからね≫
≪えへへ、ごめんね。でもほら、賢一君だけだと何が起きるか分からないし、わたしはフォローできない場所に行かなきゃいけないし≫
≪……自分の身は自分で守れって事ですか≫
≪そういうこと。ごめんね、厄介事を押し付けちゃって≫

 高町はヴィヴィオの頭を撫でながら、ティアナに向けて申し訳なさそうに苦笑していた。
 実際に、高町は心の底から申し訳ないと思っているのだろう。自分が持って帰ってきた厄介事を、早速他人に押し付ける形となってしまったのだから。
 それなら、ティアナが返すべき言葉はこれしかない。

≪――それじゃあ、今度自主練に付き合ってください≫
≪――うん、了解です!≫
≪はい、任されました≫

 高町は強いが、それ故に抱え込みやすい性格をしている。
 ただ頼みごとを受け入れるだけでは、高町は申し訳ないという気持ちを持ち続けてしまうだろう。
 だからこそ、ティアナは高町が心置きなく頼みごとを出来るように条件を提示した。

≪……私が言うのも何ですけど、なのはさんって割とめんどくさい性格してますよね≫
≪……うん。ティアナには言われたくない言葉だったよ≫
≪まあ、そこはアレですよ≫
≪そうだね。ここは〝似た者同士〟ってことで、どうかよろしくお願いします≫

 そして、高町は苦笑ではない笑顔を見せた。
 それに対して、ティアナも本心からの笑顔を返した。



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久々なので内容は無いようです(激寒)
そろそろとらは板に移動します(更新不透明)



[33454] 全裸と幼女とツンデレと機動六課という魔窟
Name: 全裸◆c31cb01b ID:ae743e2c
Date: 2014/11/12 02:42
「――それでは、ヴィヴィオさんは鳴海さんが面倒を見ているんですか?」
「はい。賢一君ってば、ああ見えて意外と面倒見が良いんですよ」

 本日の重要議題も終えて、騎士カリムは自室で四人の友人たち――八神、クロノ、高町、フェイトたちと〝世間話〟に興じていた。
 最初の方は、初対面である高町とフェイトとの事務的なモノではない、友人として極めてフランクな自己紹介も兼ねた〝過去〟を中心とした話題だった。
 カリムは八神やクロノから二人の経歴を伝え聞いてはいたが、実際に二人の〝過去〟を聞いてみると、内密に義弟に買わせているカリム秘蔵の世俗に塗れた小説を読んでいるような気にさせられた。
 それだけ、高町とフェイトが経験してきた出来事は、カリムにとって非常に魅力的に感じられる出来事だった。
 決して華々しいばかりではなかった彼女たちの経験だが、そんな苦痛や挫折すらも今現在の彼女たちの強さや優しさに培われているのだから、カリムは大変失礼と思いながらもその〝青春〟の一ページを心底羨ましいと感じていた。
 そして、いつしか話題は彼、彼女らに共通する事項の一つとして、最も巨大で異質な存在である鳴海賢一の過去話へとシフトしていった。

「そういえば、鳴海さんは幼い頃からあのような性格だったんですか?」

 カリムの言葉に応じるように、高町、フェイト、八神、クロノの面々は、それぞれ古い思い出を馳せる様な表情を浮かべると、

「……まあ、少なくとも私が初めて賢一君に会った頃には、よく全裸姿にはなってたのは確かやね」
「……僕が初めて鳴海にバインドをかけたときも、清々しいくらいに堂々とした全裸姿でしたね」
「……賢一に全裸姿で追いかけられた時のトラウマは、この年になっても全然忘れられないです」
「……おかしな話ですが、今は個人的に嬉しくもなんともない彼に対する耐性がついているので、適当に流すことが出来るだけなんですよね。正直、まだ慣れていない頃は普通にトラウマ物でした」

 何とも言えない儚さを言葉の端々に纏わせながら、被害者たちはそれぞれ物思いに耽ったように過去のトラウマを掘り起こしていた。
 その四人が纏う雰囲気に、カリムは以前の鳴海との出会いを思い出してしまい、この被害者たちに親近感を覚えてしまいそうになる。
 しかし、カリムはその感情を寸でのところで押し留めた。
 この被害者たちに親近感を覚えてしまうという事は、それすなわち〝あちら側〟に立ってしまうということである。
 聖王教会の重鎮の一人として、それだけは何としても避けなければならない事態だ。
 カリムは目の前の被害者たちとは違う――そう自分に言い聞かせながら、そんな気持ちを悟られないように口元を手で隠しながら言う。

「あらあら。みなさん、鳴海さんには昔から手を焼かれているのですね。私は今後ともそのような経験は出来ないでしょうから、ほんの少し――ええ、ほんのすこーしだけ羨ましいです」

 心にも無い言葉とは、まさにこのようなことを言うのだろう――カリムは四人の被害者たちに対して、人間としての明確なアドバンテージを誇示するかのように言ってのける。
 しかし、四人の被害者たちが返した反応は、そのどれもがカリムの予想を大きく裏切るものだった。
 八神は肩を小刻みに震わせながら笑い出しそうになっているのをこらえ、クロノは小さな溜息を一つ零し、高町とフェイトの二人は申し訳なさそうに苦笑している。

 ――おかしい。明らかに、自分が予想していた反応と何かが違っている。

 カリムは自分を取り巻く状況に疑問を覚えながら、恐る恐る口を開く。

「……あの。どうして、みなさんは私をまるで可哀想な人を見るかのような視線で見てくるのですか?」

 カリムは何故だか、合計八つの瞳から身に覚えのない哀れみの感情を投げかけられている――そんな風に思えて仕方が無いでいた。
 すると、カリムの言葉を受けた四人が目配せをして同時に肯くと、四人を代表するかのように八神が屈託の無い笑顔を浮かべながら、

「――だって、カリムも近い内に私らみたいになるんやし、それぐらいの煽りは逆に微笑ましいとしか思えんよ」

 カリムにとっては起こりえないはずの〝預言〟――自身の持つレアスキル〝預言者の著書〟でも明記されていない災厄を口にしたのだった。



「というわけで、今からヴィヴィオに機動六課の案内をしていこうと思う」
「何か具体的なプランは考えているんですか?」
「そりゃあお前、まずは女子更衣室とか女子トイレとか女子風呂とかに決まっぐへっ!?」

 さっそく破廉恥な提案をした変態の脇腹に向けて、ティアナは少し前を歩くヴィヴィオに悟られないように、高町直伝の鋭いエルボーを放った。
 自身の脇腹を襲った強烈な痛みに耐えきれずに、廊下にうずくまり苦痛に悶え始めた変態を見下ろしながら、ティアナはドスを利かせた声で改めて問いかける。

「――それで、何か具体的なプランは考えているんですか?」
「と、とりあえず、六課の中をぐるっと一周する感じで、ハイ」
「よろしい」

 鳴海のとってつけたような発言を受けて、ティアナは小さく溜息を吐く。
 普通の人相手に脇腹エルボーなど人として絶対に出来ない行為だが、そんなありきたりな良心ですら鳴海相手では微塵も発揮されない。
 それは、自分が人でなくなったからではなく、そもそも鳴海という生命体が人というカテゴリーに属していないからである。
 この考えはティアナ独自のモノではなく、機動六課全体に根付いている思考、言うなれば機動六課で生活を営む上での常識なのであった。
 鳴海の発言や行動に対しての処罰を快く思う隊員はいても、やりすぎだと非難する隊員は一人も機動六課には存在していない。

「ケンイチ、どうかしたの?」

 しかし、そんな機動六課の当たり前の常識を、ヴィヴィオという一人の少女は知らない。
 前方を歩いていたヴィヴィオは、ティアナが鳴海の脇腹にエルボーを放った瞬間は捉えていない。
 鳴海の苦痛に満ちた声を聞いて振り返ったヴィヴィオは、未だ痛みに悶絶している鳴海の頭を指先でつんつんと突いている。
 ヴィヴィオなりに心配しているのだろう――そう思うと同時に、これは珍しい光景だとティアナは心の底から思った。
 鳴海が廊下でうずくまっている現場に自分が遭遇したら、確実に見なかったことにしてその場を立ち去るだろう。
 ヴィヴィオが鳴海という人間の事をあまり知らず、機動六課という異常な環境に適応できていない事の証明だろう。
 やはり、ヴィヴィオに気を利かせて鳴海に懲罰を与えたのは正解だった。普段の鳴海に対する機動六課のありのままの姿を見せたら、この小さな少女はショックで卒倒してしまうかもしれない。
 とすれば、自分が取るべき行動は――ティアナは逡巡した後、優しげな声音で言った。

「大丈夫よ。この変態……じゃなくて、鳴海さんはいきなり悶絶し始める癖があるの」
「そ、そうなの?」
「ええ。数分もすれば〝痛みを堪えてフラフラと立ち上がるフリ〟をしながら起き上がるわ。――ねえ、鳴海さん?」

 ティアナの〝余計な事を言ったら酷い事が起きるぞ〟といった念を込めた発言を受けて、鳴海はよろよろとふらつきながら起き上がる。

「お、お前、何だか性格とか言動が高町たちに似てきてねえか?」
「だとしたら、それは鳴海さんの所為ですね」

 鳴海の非難に皮肉を返しながら、ティアナは不敵な笑みを浮かべた。
 この変態を相手取るにあたって重要な事は、コレが持つ独特な〝波〟に飲まれないように自我をしっかりと保つことだ。
 大胆不敵、傲岸不遜、唯我独尊――それぐらいの意気込みで臨まなければ、自分でも気付かない内に変態のペースに乗せられてしまうことだろう。

 ――こういう機会を徹底的に避けるのが一番なのは理解してるけど、……機動六課だとそれも無理だしね。

 そう思いながら、ティアナは内心でこの環境に悪態をつく。
 機動六課に籍を置いてしまっている以上、鳴海に関わらないでいられる可能性は無きに等しい。
 それなら、鳴海に関わらざるを得ない環境は受け入れたうえで、どれだけ鳴海のペースに抗えるかに要点を絞った方が精神的に楽だと悟っていた。

「さあ、ヴィヴィオは私と手を繋ぎましょうね――おいそこの全裸、さっさと行きますよ。私には事務仕事も残ってるんですから、そうゆっくりと懲罰に時間をかけてる訳にもいかないんです」
「ちょっと扱いがセメントすぎやしねえか?」
「これでも慈悲は残してるつもりです。――慈悲を持った上でセメントに対応してますから」
「それは慈悲なんじゃなくて、やっぱり無慈悲なんだと思うわ」

 ヴィヴィオの手を取り、後方を歩く鳴海と軽口を交わし合いながら廊下を歩いていく。
 何人かの隊員と廊下ですれ違うたびに、後方を歩く変態とセットにされて奇怪な視線を投げかけられるのが厄介だが、そんな些細な事にいちいち頭を悩ませていてはキリが無い。
 今はただ、高町との約束を果たすためだけに邁進して、鳴海とヴィヴィオのお目付け役の任務を無事にやり遂げるだけだ。

「そういえば鳴海さん、機動六課を一周するとは言ったものの、どこを案内していきましょうか?」
「ん? そりゃあ、ヴィヴィオと一緒に適当に見て回ればいいんじゃねえの?」

 きょとんとした顔で言う鳴海の頭には、おそらく機密事項といった概念は存在していないのだろう。
 単純に、ヴィヴィオのお守りをすればいいだけではない事は承知していたが、鳴海の言動はなかなかにティアナの頭を悩ませるものだった。

「……一応忠告しておきますけど、機動六課にだって一般人には解放できない部屋がありますからね?」
「え? もしかして、八神の仕事部屋とか普通にアウト?」
「普通どころか、極めてアウトな部屋ですね。というか、八神部隊長に呼び出しでもされない限り、隊員たちには縁が無い部屋だと思いますけど」
「八神とリインが留守中にやたら豪華な椅子にふんぞり返って、一人メリーゴーランドごっこするのはセーフだよな?」
「あまりにも悪質な行いなのでアウトです!」

 この変態らしい阿呆な行いを暴露されてしまった。
 というか、これは迅速に八神に連絡しておいた方がいい案件だろう、とティアナは思う。
 この変態の尻(素肌)が接触した椅子に自分で気付かぬ内に座ってしまっているなんて――、その境遇を自分に置き換えてみたティアナには、想像するだけでも十分に卒倒レベルの代物だった。
 そんなティアナの苦悩を知らずに、ヴィヴィオが明るい笑みを浮かべてながら言う。

「わたしもケンイチとそれやってみたい!」
「……ヴィヴィオなら可愛いイタズラで済むかもしれないけど、鳴海さんの場合は肌が直に接触しちゃうから今回は駄目よ。また今度、八神部隊長にお願いして見なさい」
「……はーい」

 渋々といった感じだが、ヴィヴィオは無茶振りでしかない提案を引っ込めてくれた。
 ヴィヴィオぐらいの年齢になると多少我儘な部分も出てくるだろうが、そう考えるとヴィヴィオは同年代の子供たちに比べると聞き分けがいいのかもしれない。

 ――うーん……。でも、なのはさんの口ぶりだともう少し手間がかかりそうなんだけど……この子なりに、この状況に安心してくれているのかな。

 小さな歩幅ながらも快活に歩いているヴィヴィオと手を繋ぎながら、ティアナはふとそんな事を考えていた。



「おっ、何だお前ら。幻術コンビが二人揃って、仲良く託児所でも始めたのか?」
「……いいえ、ヴァイス先輩。これは何やらキナ臭い事件の香りがしますね!」
「ほう、アルト後輩。して、その事件とは如何な物なのかね?」
「それはズバリ! 鳴海さんとティアナの愛のけっしょ――」
「ふんっ!」

 漫才コンビの片割れがとんでもない事を口走る前に、ティアナは全力で拳骨を振り下ろして沈黙させた。
 機動六課の戦闘人員では非力に分類されるティアナの拳骨とはいえ、隙だらけの頭頂部に振り下ろせば非戦闘員一人行動不能に追い込むことは容易かった。

「アルト、その発言は流石に自業自得だと思うわ」
「いやあ、俺も流石に女の方からそういう下ネタ出されると引くわー」

 漫才コンビと一緒に給湯室で休憩を取っていたルキノ・リリエに加え、その漫才コンビの相方であったはずのヴァイス・グランセニックも、冷ややかな視線をテーブルに突っ伏した茶髪の女性に向けた。
 その茶髪の女性――アルト・クラエッタは涙目になりながら顔を上げると、椅子から立ち上がりながら大袈裟に腕を振るい声を荒げる。

「ちょ、ちょっと待ってくださいよヴァイス先輩にルキノ! 今の話の何処が下ネタなんですか!? 今のはあくまで、鳴海さんとティアナの子供なんじゃないかっていう定番のネタを振っただけですよ!?」
「そういう残念なところが色気の無い原因なんだよ、この天然セクハラ整備員め」
「まあ、アルトが天然セクハラ乙女なのは男兄弟の家庭で育った所為でもあるので、あまり追及するのもそこそこに留めておきましょう」
「女で天然セクハラ趣味ってすげえ希少価値だよな」
「ねえねえ、セクハラってなーに?」

 誰かが何かをやらかせば、そのミスに寄ってたかって周囲の人間が煽りを入れるのが、ここ機動六課における隊員たちの定番である。
 普段は静かな給湯室も、これだけのメンツが一堂に会せばやはり騒がしくなってしまうらしい。ティアナは地味に痛む手を擦りながら、この喧騒に対するささやかな抵抗として溜息を吐いた。
 
「つーか、このちびっこってこの前の事件で保護した子だよな?」
「はい。聖王教会の医療院で治療と精密検査を終えたところで、なのはさんが妙に懐かれて預かって来たそうです」
「ちびっこじゃないよ! ヴィヴィオはヴィヴィオって言うの!」

 ヴァイスのちびっこ発言に、ルキノからお菓子で順調に餌付けされていたヴィヴィオが反論する。
 その際に、ヴィヴィオの口元から菓子くずがテーブルの上に飛び散るが、ルキノが静かに素早くティッシュで纏めていた。

「へえへえ。ちびっこヴィヴィオちゃんっていうんでちゅねー」
「むー! ケンイチ、このおじさん意地悪だよ!」
「ちょっと待て、俺はまだおじさんって歳じゃねえぞ。呼ぶならお兄さんって呼べ」
「ねえお兄さ~ん。私、今度買いたい限定盤のエロゲがあるんだけどぉ、少しで良いからお金貸してくれなぁい?」
「全裸で猫撫で声出すんじゃねえよ馬鹿! マジで鳥肌が立ったじゃねえか!」

 ぎゃあぎゃあと騒ぎ立てるおじさんと全裸と幼女を尻目に、ティアナはルキノが淹れてくれた紅茶をゆっくりと味わっていた。

「どう? お口に会うかしら?」
「はい。とっても美味しいです」
「そう、よかった。実はね、その紅茶の茶葉は私が家から持ってきたお気に入りなのよ」

 そう言って、優しげな笑みを浮かべるルキノ。
 局員として先輩にあたるルキノだが、アルトとは違うその物静かな出で立ちを決して裏切らない常識人な性格を、ティアナは口には出さないが非常にありがたがっていた。
 機動六課における常識人といえば、ルキノの他には寮母のアイナ・トライトンぐらいしか在籍していないので、数少ない貴重な人物である。

「へえ。インスタントでは出せない良い香りがするというか、味に深みある感じがしたのはそういう理由だったわけか」

 ルキノの言葉を聞いて、アルトが妙に神妙な表情を作って言った。
 さっきまでジュースのようにがぶ飲みしていたのはどこのどいつだ、と思わずツッコミしたくなるティアナだったが、先に動いたのはルキノだった。
 ルキノは咎める様な口調で、やたらにしたり顔で肯いているアルトに告げる。

「……ちなみに、アルトが飲んでる紅茶は安物の三角パックで淹れたものよ」
「――どうりで香りが乏しいというか味が質素というか」
「というのはウソで、ティアナに淹れたのと同じ紅茶なんだけどね」
「ごめんなさい。これからは知ったかぶりするのはやめます」
「よろしい」

 ルキノの二重のトラップを受けて、アルトはあえなく降参してしまった。
 相方に無知を晒されるというのはこれ程までに痛々しいモノなのか――、ティアナは自分も気を付けよう、と心に今の光景をしっかりと刻み付けた。



『お久しぶりですね、鳴海賢一』
「久しぶりに自分のデバイスに会いに来たら、何故か呼ばれ方が〝マスター〟じゃなくなってるんだが」
『鳴海賢一から暇を頂いて、私なりのAIを駆使して下した結論です。――あなたは、私のマスターには相応しくありません』
「そうか。それじゃあ、マスターの言う事も聞けない無駄にインテリなデバイスは廃棄処分に――」
『お久しぶりですね、私の親愛なるマスター。相変わらず全裸スタイルをキメて、頭もキマッているようで一安心であります』
「へへっ、ラファールも相変わらずみたいで安心したぜ」

 デバイスルームの前で言い合っているのは、大分久しぶりに会ったという全裸とそのデバイスだった。
 これがマスターとデバイスとの一般的な関係であるとは大袈裟にも言えないのだが、このお互いにキメ合っている仲だからこそ妙に映えるやりとりだとティアナは思う。
 自分の所持デバイスであるクロスミラージュとこういう関係を築きたい――というわけでは決してないのだが、こういう風に言い合える関係もどこか変に憧れる光景だった。
 ちなみに、デバイスルームの管理人であるシャリオ・フィニーノは現在、訪ねてきたティアナ達にも気付かないぐらいに集中して、今月発売されたばかりの新型デバイスの創刊号を熟読している。
 そして、創刊号を読んでいるシャリオの表情が、とてもヴィヴィオには見せられない様な恍惚とした表情であり、端的に言ってしまえば鳴海とは別のベクトルで〝気持ち悪い〟ため、今この場でヴィヴィオと関わらせるのは避けておいた。

「その子はケンイチのお友達なの?」
「ん? まあ……お友達っていうか、相棒っていうか、コイツとはそんな感じだよ」
『おや、初めてお会いする方ですね。――マスター、いったいどちらから誘拐してきたのですか? これではまた、グレアム中将やゲンヤ三等陸佐の胃に穴が開いてしまいますよ』
「本当に、お前は飽きない性格してるよな……ほれ、ヴィヴィオ。コイツなら特に雑に扱ってもいいぞ」

 そう言って、鳴海はラファールをヴィヴィオに手渡した。
 蒼い小さな宝石をネックレスに加工した待機状態のデバイスが、ヴィヴィオの手の平の上で明るく明滅する。

『初めまして、ヴィヴィオ。私はラファールです』
「うん、よろしくね! ラファール!」
『……マスターの周囲の人間を考えると、この素直な明るさは貴重ですらありますね』
「ねえ、もしかしてなんだけど、あたしもそのカテゴリーに含まれてないわよね?」
『黙秘権を行使します』

 デバイスに気遣われてしまった。
 自分ではなるべく気を付けていたつもりでも、やはりアレに染まり始めているらしい。
 ティアナは隠しきれないショックを顔に出しながら、言いようの無い悲しみに襲われていると、

『ふむ……。――親愛なるマスター様、お願いがあるのですが』
「何だよ、そんなに礼儀正しく改まって」
『ヴィヴィオを私のマスターとして認識してしまってもよろしいでしょうか? ヴィヴィオが極めて強大な魔力を持っているという訳ではないのですが、それとは別に何か気になる素養を備えているようなので』
「まあ、別にいいんじゃねーの? ヴィヴィオはこの変なデバイスが相方になっても平気か?」
「う、うん、ヴィヴィオは大丈夫だけど……」

 なんというか、とても大事な事があっけなく決まってしまっていた。
 これにはティアナも悲しみに浸っている暇も無く、慌てた様子で会話に割って入る。

「ちょ、ちょっと鳴海さん!」
「どうした、女子トイレならこの先の角を曲がった先にあるぞ。ちなみに、俺はよく入り口から三番目の個室を利用してる」
「今なんかとても許せない発言があったんですけどスルーしますね――鳴海さん、インテリジェントデバイスのマスター権を譲渡するなんて本気ですか!?」

 マスターとインテリジェントデバイスとの関係は、単なる〝使う者〟と〝使われる物〟で片づけられるものではない。
 インテリジェントデバイスには高いAIが搭載されており、会話や質疑応答はもちろん、魔法の発動を助ける補助をしたり、状況判断をして魔法を自動発動させたりすることが出来る。
 それゆえに、マスターとインテリジェントデバイスとの間でしっかりと意思疎通が取れていれば、魔法の威力強化や無詠唱での発動は当然の事として、魔導師とデバイスとの同時魔法行使など、魔導師が持つ実力以上のパフォーマンスを発揮出来るのだ。
 しかし、その一方で意思疎通が根底にある以上、単なるデバイスとして扱うのは基本的に難しいとされている。
 ティアナ自身、ここまで意思疎通というか漫才の相方のような関係を見たのは初めてだが、それゆえに簡単に関係を解消するべきではないと考えているからこそ、意図せずして叱責するような口調になってしまった。

「ふぇ……」

 ヴィヴィオは急な大声に驚いたのか、その綺麗なオッドアイにうっすらと涙を浮かべている。
 ティアナはそれを見て「しまった」と思ったが、それでもこれはうやむやのまま片づけていい問題ではないと思い、鳴海の返答を睨みつけるように待つ。
 その一方で、叱責された鳴海はいつものように飄々とした様子で、泣きそうになっているヴィヴィオの頭を軽く撫でてあやしながら、ティアナの目を真っ直ぐに見て言った。

「大丈夫だって。ラファールだって、マジに俺から離れるってわけじゃねえから。――そうだろ、ラファール?」
『どうやら、激しく誤解させてしまったようですね。マスター――そこの全裸とは別に、新たにヴィヴィオをマスターとして認識する、ということです』
「……えっ?」

 あっけらかんとしたコンビからの返答を受けて、ついさっきまで怒りに震えていたティアナも思わず呆然としてしまった。
 ラファールが明滅しながら説明を続ける。

『私のマスターは鳴海賢一です。これは揺らぎようのない事実です。たまに人間で言うところのツンデレプログラムを発揮してしまいますが、私が忠誠を誓っているのは、そこの全裸姿で頭がキマっている鳴海賢一です』
「おいよせよ、そう改まって言われると照れちまうぜ」

 たぶん、ラファールは褒めていないと思う。
 だが、鳴海が皮肉に気付かないのはいつものことであり、ラファールも諦めているようで野暮なツッコミはせずに話を続ける。

『しかし、私もデバイスとして生まれた身である以上、全裸を補助するモザイク処理というあまりにも愚かしい行いだけでは、いつかまた今回のように暇を頂戴してしまうかもしれません。なので、どこぞの全裸とは違って将来有望になる可能性があるヴィヴィオに仕えることで、未だ満たされないデバイス欲を得ることが出来ればと考えました。――つまり、貴方たち人間で言うところの〝ビッチ〟でしょうか』
「ツンデレにビッチとか、アンタも大概なAIを背負ってるわね……」

 色々狂ったインテリデバイスのいう事は話半分に聞き流しておいた。

「それに、ここ数年は俺自身のモザイク処理技術も大分上達してるしな。二、三年前ぐらいだとちょっと気を抜いたらうっかりモロ出しして、高町たちにこれでもかっていうぐらいに痛めつけられたりしたもんだぜ」

 鳴海はしみじみとした口調で言うが、ティアナには笑えない話なので追及はしないでおくことにした。
 いま大事なのは、鳴海がラファールの補助無しでも〝モロ出し〟する危険性は無いということ、そして二人の意志疎通がしっかりと取れているということだろう。

『ちなみに、シャリオさんのお世話になっている間に判明したのですが、どうやら私は割と高性能なインテリジェントデバイスらしいですよ』
「え、マジで? 具体的にはどんぐらいのカタログスペックなんだ?」
『レイジングハートやバルディッシュに勝るとも劣らず、といったレベルのカタログスペックらしいです』
「えーっと? お前を草むらで拾ったのが、俺がまだ幼稚園に通ってた頃だったか?」
『そうですね。私がどういった経緯で地球に流れたのかは不明ですが、マスターの魔力に反応して目覚めたのはその頃だったかと』

 ――なんていうか、ちゃんと意思疎通してる割には大事なところが適当だなぁ。

 わざわざ二人の為に声を荒げたのが馬鹿らしくなって、ティアナは溜息を吐きながら肩の力を静かに抜いた。
 そして、ティアナは怯えた視線を向けているヴィヴィオの目線に合わせるようにしゃがみ込み、小さく頭を下げて謝罪をする。

「ヴィヴィオ、ごめんね。急に大声出して、あなたを驚かせちゃったわね。……嫌いになっちゃったかな?」
「……う、ううん。ヴィヴィオ、驚いちゃったけど、ティアナお姉ちゃんのこと好きだよ?」
「……そう。ありがと」

 とても嬉しいことを言ってくれたヴィヴィオに、ティアナは自然に笑みを浮かべて応えた。
 しかし、弱みを見せると過剰に煽られてしまうのが機動六課という魔窟――そして、その魔窟の中でも一番に性質の悪いコンビが見過ごすはずが無い。

「いやー。ティアナは本当に先輩冥利に尽きる優しい後輩だなー」
『デバイスの身でなければ、思わず涙を流してしまう優しさでしょうね』
「うぐっ……」

 最悪のコンビからの追及を受けて、ティアナは先程の自分の醜態を鮮明に思い出してしまい、その気恥ずかしさからか顔を真っ赤にしてしまった。
 真っ赤なトマトのようになった顔を見て、純粋無垢なヴィヴィオが興味深そうに首を傾けて問いかける。

「ティアナお姉ちゃん、どうかしたの? お顔が真っ赤だよ?」
「な、なんでもないのよ。べ、別に恥ずかしいとか、そんなんじゃないから」

 やばい、これは流石に精神的にやばい。
 機動六課での失態がここまで精神的にくるとは、ティアナにも予想以上のダメージだった。
 ティアナがヴィヴィオを誤魔化そうとして珍しく口ごもっていると、最悪のコンビがティアナを精神的に辱めるための次の手を打ってきた。

「おいラファール。さっきのティアナの発言、ちゃんと音声データに録音しといたか?」
『ええ、もちろんです。ランスター様の声紋を使わせてもらうと、――〝鳴海さん、インテリジェントデバイスのマスター権を譲渡するなんて本気ですか!?〟……こんな感じですね』
「うわ、これは思わずにやけちまうな。ちょっとこれ、色々調整利かせて六課の皆に配布しようぜ」

 ティアナは一瞬想像してみようとしたが、それが悪夢であることは分かりきっているので想像するのを止めた。
 そして、ティアナは待機状態のクロスミラージュを胸ポケットから取り出すと、ダガーモードを起動して魔力刃を鳴海の首元に突きつける。

「……そこの悪魔ども、その音声データを早急に消去しなさい」

 ティアナはヴィヴィオを怖がらせないように笑みを浮かべながら言うが、それが逆に威圧感を増大させていることに気が付いていない。
 あの高町のマジギレにも匹敵しうる圧倒的な圧力には、さすがの鳴海も反射的に後退り、緊張からか額には冷や汗を流していた。

「こ、断るって言ったらどうすんだ?」
「おそらく、あたしは服役することになるでしょう」

 それはつまり、そういうことである。

「……ヴィヴィオ、逃げるぞ!」
「ふぇ……? ――わわっ!?」


 鳴海はヴィヴィオを素早く脇に抱え上げると、持ち前の逃げ足を発揮してティアナからの逃走を図った。

「あっ、こら! ちょっと待ちなさい、この全裸で幼女誘拐犯!」
「人聞きの悪いことを言うな! 俺はただの全裸だ!」
「その時点で既にアウトなんですよ!」

 ティアナも鳴海の逃げ足に負けじと、クロスミラージュの魔力刃を振り上げながら追いかける。
 ヴィヴィオはこの状況に最初は戸惑ってはいたものの、鳴海に担がれながら次第に笑みを浮かべてはしゃぎ出していた。

「おっ、どうしたヴィヴィオ。何だか楽しそうじゃねえか?」
「うん、楽しい。ケンイチといると、楽しいし面白い!」
「そりゃよかった。よーっし、もっとスピード上げちまうぞ! おい、ラファール!」
『Sonic Move』

 鳴海はヴィヴィオの期待に応えるように、機動六課の廊下を加速していった。
 三人の機動六課散策は、まだまだ終わらないようである。



 高町がフェイトと八神と一緒に機動六課に戻ってきたのは、日がすっかり落ちてしまった夜だった。
 騎士カリムとの会合や情報交換も終え、機動六課で成すべき事の指針を認識した高町の表情は、機動六課の戦技教導官ではなく管理局の〝エースオブエース〟のソレになっている。
 未だ戦力を計り知れない敵の影や、レリックというロストロギアの存在、そして新たに浮上したヴィヴィオという謎の残る少女のために、高町は気合を入れ直したのだろう。
 ただ、ヴィヴィオの世話を託した鳴海とティアナを探しに食堂へと赴いた瞬間、その決意に満ちた表情は一変して崩れ去る事になった。

「ほら、ヴィヴィオ。口元にソースが付いてるわよ」
「え? ここ?」
「その逆よ。ほら、ハンカチで拭ってあげるから」
「ありがとー、ティアナお姉ちゃん」
「なあティアナ、俺の口元にもソースが付いてるみたいなんだが」
「洗面台に水浸して、その顔面ごとぶち込んできたらどうですか?」
「お前には俺に対する愛情は無いのか」
「鳴海さんに対する憎しみなら人一倍ありますけど」
「そこはせめて愛憎でお願いできねえかな?」
「それは無理ですね」

 ある一つのテーブルを囲んでいるのは、全裸姿の鳴海賢一と、お姉ちゃんと呼ばれているティアナ、そしてティアナに口元を拭かれているヴィヴィオだった。
 高町が機動六課を発つ前はどうなるか不安で仕方が無い面子だったが、今では妙に仲が良いというか、綺麗にはまっているというか、どこか〝家族〟という言葉を思い起こさせるぐらいに絵になっている、そんな光景が展開されていた。
 そんな三人の間に流れる妙に暖かな雰囲気にあてられたのか、食堂に集まる隊員たちも普段より楽しげに食事をしているように見える。
 まさに、何から何まで良いこと尽くめの結果だ。
 機動六課が設立して以来、こうも上手くことがすんなり運んだのは今回が初めてではないだろうか。
 ヴィヴィオが打ち解けていることは素直に嬉しいし、鳴海に任せて正解だったことにも胸を撫で下ろしたし、ティアナも普段の素っ気ない態度の裏に隠されている、ツンデレ特有の世話焼きスキルを発揮してくれたであろうことには感謝している。
 だが、高町にはどうしても解せないことがあった。

「――ねえ。フェイトちゃん、はやてちゃん」

 暖かな雰囲気の食堂にはそぐわない低い声音で、高町が背後の二人に振り返らずに問いかける。
 その二人は高町の感情の機微を長い付き合いから瞬時に悟ったのか、下手に刺激しないように次の言葉をじっと待った。

「あそこに、わたしの居場所は――」

 そして、高町が言い終えようとしたその瞬間、

「あっ、なのはママだー!」
「ヴィヴィオー! なのはママが帰ったよー!」

 それに割り込むようにヴィヴィオの鶴の一声が届くと、高町は先程までの重苦しい雰囲気を即座に払拭して、ヴィヴィオの元に手をぶんぶんと振りながら走っていった。
 そんな親友が走っていく後ろ姿を冷や汗を流しながら眺めつつ、フェイトと八神はある言葉を同時に呟いた。

「「親馬鹿か」」




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仕事が休みで夜更かし投稿。


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