序章「ジャック・ザ・ガンナー」
ネオンが爛々と輝く夜の街に雨が降り注ぐ。
まるで不夜城に蓄えられた人の不浄を洗い流すように雫は零れ落ちて、雨粒がアスファルトとコンクリートを叩く音が際限なく響き渡る。
時刻は既に午前零時過ぎ。外を闊歩する人の姿は疎らである。大抵は酔いと疲れで思考が鈍くなっており、街を走る全身黒尽くめの男を見とがめる者は皆無であった。
――そして黒ずくめの男を追う人物についても、誰もが気づかない。
ベージュのコートと中折れ帽を装う男はゆっくりとした歩調で街をすり抜けていく。カッ、カッ、カッ、と革靴が地面を打つ音は雨音に溶け込み、自然とかき消される。
走る男と歩む男、追われる者と追う者。不思議なことに両者の距離は開くことも縮まることなく、まるで糸で繋がっているかの如く距離を保つ。
黒ずくめ男は段々と主だった通りから遠ざかり、ネオンと街灯の光が届かぬ裏路地へと沈み込んでいく。
当然のようにコートの男も追走し、人目の届かぬ街の深部へと踏み込んでいった。
そしてしばらく裏路地を進んだ所で黒尽くめの男はさらに速度を上げた。トップアスリートもかくやという足の速さで狭い路地を駆け抜ける。
それに合わせ、コートの男も走り出した。驚くべきことに片手で器用に帽子を抑えながら、黒尽くめの男と変わらぬ速さで疾駆し、追い立て追い詰める。
夜の逃走と追走、その二重劇の終局は意外なほど呆気なく片が付いた。黒尽くめの男は行き止まりに追い詰められてしまったのだ。
「動くな、――ゆっくりとこっちを向け」
炸裂音と共に鉛の塊が黒尽くめの男の横を掠める。
コートの男が取り出したのは黒く輝くクロムモリブデン鋼の工芸品、S&W〈M29〉。44マグナム弾を弾薬とする回転式拳銃(リボルバー)である。
1950年代に最強の拳銃として登場し、後にデザートイーグルやS&W〈M500〉に座を奪われた銃。
しかしそれでも拳銃としては常識外れの威力と反動を持つ。
コートの男はそのM29を片手で軽々と扱い、わざと横かすめて弾丸を飛ばすことができる技量。――並ではない。
――だが、
黒尽くめの男は振り返ると同時に自身を覆う黒いレインコートを脱ぎ捨てた。
露になったのはおよそ人のものとは言えない白銀のボディ。
それは全身が機械で出来ていた。ドクロのような頭部の眼窩からは妖しく赤い光が灯っている。
――跳躍、鋼の脚部がバネ如く収縮し、2メートルほど跳び上がる。裏路地のビルの隙間に隠れる形で宙へと浮かび上がった鋼のヒトガタは両腕のギミックを可動させ、腕から刃渡り30センチを超える剣を生やした。
落下の勢いをつけてヒトガタはコートの男に刃を向けて降下する。
「なるほど……」
しかしコートの男は動じることなく冷静に動き、ヒトガタの落下位置からずれた。
強烈な打突音と共にヒトガタは着地し、剣はアスファルトに突き刺さった。
「機械化義体か? それとも――」
コートの男は隙を突いて、ヒトガタへとリボルバーを連射する。
都合五発の弾丸が別々の場所へと着弾する。11.2ミリの絶大な威力を持つ弾丸はヒトガタを形作る銀のボディに――全て弾かれた。
「――特注か、羨ましくはないが」
コートの男はすぐさまフレーム左側のボタンを押し込み、ロックを解除。回転弾倉(シリンダー)をスイング・アウトし、六発分の空薬莢を排出する。
その無防備な状態をヒトガタは見逃さない。
次弾を装填しようかというタイミングでアスファルトから剣を引き抜き、全速力でコートの男へ襲いかかる。抜けなかったのは、どうやら演技だったらしい。
けれど芝居を打ったのは彼だけではなかった。
「掛かったな。――マギ、頼んだぞ」
『オーケイ、クロード。打ち抜いてあげるわ。私の魔弾でね』
コートの男は空になった回転弾倉をそのままフレームへと収め、銃をヒトガタへと向け――、撃鉄を弾き、トリガーの指をかけた。
瞬間、マズルフラッシュが輝き、大気の弾ける音が雨音と重なる。
――如何なる奇術か、空となった拳銃から弾丸が射出された。
弾丸は脚部の脆弱部、露出した人工筋肉を貫く。
速度の落ちるヒトガタ。しかしそれでも、虚ろな眼窩には赤い光が幽鬼の如く煌き、コートの男に向かってなおも歩み寄ろうとする。
「呆れるほどにタフだな。だが――」
両手で拳銃を構え、コートの男は魔法(ノロイ)の言葉を紡ぐ。
【――沈黙と服従をもって、我は血の掟に誓う。遵守には名誉を、違反には血の制裁を与えん】
怒りも悲しみもなく、紡がれる言葉にはただただ純粋で鮮烈な殺意が込められていた。
『喰らいなさい、44口径(フォーティー・フォー)の魔弾、その洗礼を』
コートの男に答えるように黒い回転式拳銃が震え、大気が揺らめく。背筋を凍らす寒気がM29へと収束した。それは隠しようのない魔の顕現。
「これで終わりだ。マリオネット」
トリガーを引く、マズルフラッシュとは違う、赤い閃光が銃口から漏れた。衝撃によって中折れ帽が宙へと舞う。紅い光を纏い弾丸はまっすぐヒトガタへと滑空し、ヒトガタの腕に防御される瞬転、――グニャリと途端に風景が歪んだ。
――この世を司る万象の理は魔性によって歪められる。
起こり得る現象は全くの虚誕。
白銀の両腕に塞がれるはずの弾丸は、いつの間にかヒトガタの頭頂部へと吸い込まれ、強固な筈の合金に、粘土みたく沈み込んだ。
見事のヘッドショッド。ヒトガタは糸の切れた人形のように停止、眼窩に灯った紅い光は点滅を繰り返して消失した。
アスファルトに貼った雨を弾いて、ヒトガタは地面へ倒れ込む、銃痕から広がるのは雨水とは違う濁った紅。
「……こんなヤツでも流れる血は赤いのか」
呆れるように呟くと、男はゆっくりした動きで雨に濡れた帽子を拾い上げ、雨を避けビルの壁に背中を預けコートのポケットをまさぐる。
取り出したのはタバコとジッポ、キャスターと英語で印刷されたタバコの紙箱から一本抜き出すと、口に加えジッポで火を灯す。
煙を吸い込むと、男は煙草と指で摘んで大きく息を吐く。吹き出る煙は夜の裏路地の中へ霧散していく。そこでやっと男の意識は僅かに弛緩した。
「――ねぇ、クロード。了解した私が言えることじゃないけど、どうして仕留めたの? 四肢を打ち抜いて戦闘不能すれば良かったじゃない」
突然響き渡る少女の声、一拍遅れてクロードと呼ばれた男は声の方を向く。
男の隣には、いつの間にか黒のドレスに身を包んだ金髪の少女が居た。
煙草を摘んだ腕とは逆の手をコートの中に入れ、収めたはずの回転式拳銃〈M29〉が消失していること確認すると、煙草を一旦吸ってから口を開いた。
「どうせ外見は金属でも中身はナマモノ、機能停止か行動不能になれば内蔵された脳内ナノチップのセーフティが発動して――、ほら、ご覧の有様さ」
煙を噴かすタバコで倒れ込んだヒトガタを指す。すると雨に濡れ銀色に輝く頭部から血は違う桃色のドロドロした粘液が漏れ出していた。
「うげー、生体部品とかいうやつが全部溶けてるの? これってもしかして○味噌?」
男が頷くと少女が気持ち悪いと言わんばかりに表情を歪める。
どう見ても人間にしか見えないその姿を見た男は――
「全く、化身(アバター)は便利だな。銃から人間の姿になれるなんて、まるで魔法だ」
「魔法だ――じゃなくて魔法そのものよ。かつてこの世界を満たしていた奇跡の力。その復活を知らせるために出現したのが私達なんだから。さしずめ、日本で言うところのリアル付喪神ってやつかしら」
クルリとドレスを翻し、少女は己の存在を自慢した。
「何が付喪神だ。登場から一世半しか経ってねぇだろ。――いや九十九年過ぎているからいいのか。それにしても、お前がそんな有様じゃ、その内クリント・イーストウッドもキリストよろしく墓から飛び起きるだろうよ」
「それは重畳ね。そうなったら、あなたから彼に鞍替えしようかしら、私とって彼は永劫変わらず最高のパートナーだしね」
人々のS&W〈M29〉への信仰が生み出した44マグナムの化身(アバター)、〈マギ〉がからかうようにクスクスと笑う。
「44マグナムの神話を築いた銀幕スターと比べられたら誰だって形無しさ。――しかし、おかしな世の中になったもんだ。SFとファンタジーがごっちゃになってやがる」
男の生きる時代は現在22世紀、表世界は21世紀よりさらに進歩を遂げた科学が人類の繁栄を支え、その裏では科学を嘲笑う超常がこの世に復活を遂げていた。
この世に新しき時代と繁栄をもたらした軌道エレベーター建設計画〈バベルプロジェクト〉の真の目的と影響を知る人間はごくひと握りしかいない。
そして超常に存在を知り、裏を駆け回る非合法の者たちのことを、事情を知る人々はこう呼んだ。
――ナイトランナーと。
「はい、こちら〈カサブランカ〉。クライアントの組を襲っていた奴を始末した。おそらく機械化された人造人間(レプリカント)だ。情報を引き出そうにも情報源(ソース)は毒々しいピンクのスープになって排水溝に流れている。……はい、……はい分かった、処
理班が来るまで現場に待機だな。支払い? いつもの口座に一括で頼む。じゃ――」
携帯を切ると煙草を咥え、ビルに仕切られた四角い夜空を見上げる。
「何時も通りだ、マギ。処理班共が合流するまでここで待機だとよ」
「――そうなの。あっ、そういえば学校の課題、やったの?」
それを聞いた男はポトリと咥えた紙巻煙草を地面に落とす。しまった、と男は眉間を片手で抑えた。
「うわ、また仏野先生にどやされる。どうしたもんか?」
マギは呆れるように肩をすくめて――
「締まらないわね、全く」
「うるせぇ、余計なお世話だ」
もう一本新しい煙草を咥え、火をつけると男は空を仰いだ。
暗い夜空に立ち昇る煙草の煙と振り続ける雨をぼんやりと眺めながら、男と少女が撤収の時を待った。