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[33245] 『習作』オレは男だと言ってるだろうがッ【オリジナルTSもの・微エロ注意】
Name: アサギ◆48dca835 ID:9148ac58
Date: 2012/05/27 19:27



 俺の名前は平塚忍(ひらつかしのぶ)。

 年齢は十七歳で、家族構成は両親に歳の離れた妹が一人。
 子供の頃に大きな病気をしたことが原因で体が弱く、それを反映してか、学校の成績は勉強面はそこそこだが運動面は若干苦手。

 特にマラソンや水泳のような激しい運動を禁じられていたので、当然と言えば当然なんだが……体力面で大きなハンデを負った俺は当然のように体が細く、女みたいなツラと八月二十三日生まれという宿命からかよくからかかわれて、弱いのにケンカして泣いてばかりの子供だった。

 ま、中学に入って持病が完治してからは必死になって体を鍛えてそういうコトもなくなったが。

 趣味と呼べるものは特に泣く、強いて言えばゲームとネット程度。
 自分で言うのもどうかと思うが、特別どうということもないフツーの高校生。それが俺だ。

「…………なんでだ?」

 いや、自分ではそのつもりだったんだが、さっきから嫌な予感がして仕方がなかった……。

「っていうか誰だよコイツ?」

 些細な違和感は目を覚ました時からあった。

 たとえば視線がいつもより低い。
 昔の目線と言うか、見慣れた天井が妙に高かった。

 そして起き上がろうとした時に自分の手が目に入って、その細さに驚く。
 女のようにか細く、真っ白な手。
 それはひ弱な外見を払拭しようと体を鍛える前より酷い。

 ……そう認識した時点で、俺は気が動転してたのだろう。
 頭をかこうとして異様に長い髪が右手に纏わりついたのに気付かず、なぜか部屋の隅に置いてある馬鹿デカイ鏡の前に立ちつくした俺は、必死になってソレを否定していた。

「いやオレ男だし」

 鏡の中のソレを指さすと、向こうもお返しとばかりにこちらの真似をする。

「守護星座が乙女座とか関係ないし。一日早く生まれていれば獅子座だし」

 腕を組んでウンウンと頷くと向こうもそれに同意する。

「ガキの頃……確か四つか五つだったか? に癲癇(てんかん)で倒れちまって禁じられたからさ、運動神経が絶望的なのは仕方ないだろ? 一番大事な時期に鍛えられなかったんだから……」

 さすがにどこぞの美少女艦長のように歩いただけで転んだりはしないが。

「でもオレだって努力したんだ! 体も鍛えたし、暗いって言われた性格だって改善できないものか頑張ったんだぞ!!」

 今では私服でも女の子に間違われることはない。それがこの俺、平塚忍の筈だったのに……。

「だっていうのにさぁ……!」

 鏡に映っているのはやっぱり……どう見ても女だった。

 寝間着姿でボサボサの長い髪と一緒に頭を振っている十六、七歳の少女。これが俺だというのか……?

「……………………」

 どれほどそうしていたのかは分からない。
 時計の針は九時過ぎを差しているから、最低でも一時間以上はそうしていたのかもしれない。

 疲れはてて鏡の前に座り込んだ俺は、そろそろ認めなければならない、と嫌々ながらに認めた。

 こんなのユメに決まっていると、つねりすぎた頬を撫でながら他人事のように呟く。

「……どうしよう。オレ……女の子になっちまったよ……」

 いやいやいや、どうしようじゃないだろ? まずいだろコレ?

 ───ある朝目が覚めると、女の子になっていた────

「……それってどこのエロゲだよ?」

 いや、やったことないけど……これ、家族とか知り合いとかにどう説明したらいいんだ?

 女だぞ? 女みたいって言われたことはあるけど本当に女なんだぞ?
 寝間着の上から確認してみたが、股間はまっ平らで胸は微妙に膨らんでるやがるんだぞ?

 こんな事が知られたら目を丸くされるか、ようやく本来の性別を取り戻したかと十年来の悪友に……って問題はそこじゃない!!

「ぶっちゃけ信じねェだろフツーは……」

 特に薄情な父親は『女装は褒められた趣味ではないぞ?』って真顔で言いそうだし、そんな父親以上に薄情な母親は『あらいいじゃない? 似合ってるわよ』ってこれまた真顔で言いそうだし……。

「妹に至っちゃ『やった! わたしお姉ちゃんが欲しかったの!!』って、今までのオレを喜んで否定しそうだし……」

 ああ、いかん。考えるだけで気が滅入る。

 ……悪夢のような未来予想図に、できれば一生部屋の中に引き篭もっていたかったのだが、物理的にはそうもいかないわけで。
 男だろうが女だろうが、人間である以上逃れられない生理現象を我慢するのも、そろそろ限界。
 のろのろと立ち上がった俺は、ふらふらとした足取りで廊下に出て、洗面所に向かおうとしたところでソレに直面した。

「あっ、お姉ちゃんおっそーい」

 両手を腰に当てて怒ったような顔をしているクソ生意気な妹。
 名前は芽衣(めい)。俺より三つ年下で、十四歳になったばかりの妹は果たして、いま何て言ったのか……?

「日曜だからって気を抜きすぎだよ! いま何時だと思ってるのさ!?」
「……いやちょっと待ってくれ?」
「なに、言い訳なら聞かないよ? 朝ごはん冷めちゃったじゃない」
「いやだからな……オマエいま、オレのことなんて言った?」
「……クソ姉貴?」
「そうそれっ……じゃなくてだな! 驚かないのかオマエは!?」
「何を? ……ヘンなお姉ちゃん」

 いやお前の方がよっぽど変だって……!!

「……オレ女なんだぞ?」
「うん知ってる」
「……女の子になっちゃったんだぞ?」
「はあ? 生まれたときからそうだったでしょ?」

 俺が何を問題にしているのかまったく解らないという顔で、妹はあきれたように溜め息をついた。

「いいから着替えてきなよ。その間にごはんあっためとくからさ」

 そう言って居間へと向かう妹の背中を眺めながら、俺はこの現状を無情にも理解させられた。

 つまり女になった俺は現代の科学で説明できない怪奇現象のシンボルとして扱われるでもなく、当たり前のように受け入れられ……それどころか『生まれたときから女だった』と認識されている、と。

「なんだこれ……ご都合主義にも程があんだろ?」

 あるいは生物的な性転換ではなく、『平塚忍が女として生まれた』という、並行世界だかパラレルワルードだかの自分に憑依でもしたのだろうか?
 そんなコトがあり得るかどうか不明だが、現実に俺は女になるという不条理を体験しているのだ。細かい事を気にしても仕方ないだろう。

「つかヤベ……漏らしそうなのを忘れてたわ」

 まずは失敗一つ目。そしてトイレに入って失敗二つ目。

「あー……女って座らなきゃできないんだっけ?」

 立ったまましようとして慌てる。
 トイレの中でどうしたものかとそわそわするこの現実。これは実際に体験した者にしか分からない違和感だろう。

「……大でもないのに座ってるのって初めてだよな?」

 それでも用を足して立ち上がったところで三つ目の失敗に気がつく。

「…………そうか、女って小さい方も拭かなきゃダメなのか」




 朝っぱらから下着をダメにしたことで、たかだか着替えるのにも全裸にならなければならなくなった。
 しかも部屋の隅には馬鹿デカイ鏡……これは興味がなくても目に入るのが当然だった。 

「いや、俺も男だから興味はあるんだけどさ……」

 何しろ堪る速度は全年齢中最速という時期だ。煩悩に支配されるのも無理はあるまい。

「……………………」

 ……だというのにこのマヌケさ加減ときたら何なのか。

「なんだよ……この鏡の前で×××丸出しのような空しさは」

 ネットでしか知らない女の裸が目の前にあるが、それが自分のものだと思うと馬鹿馬鹿しい気分にしかならない。

 あくまで他人のものと割り切れば客観的な評価はできる。
 白い肌はきれいだし、胸は若干小ぶりだが全体的には悪くない。
 それに密かな好奇心の対象だった股間のあたりも綺麗なもんだ。

「……だがそれだけなんだよなぁ……」

 興奮なんぞ間違ってもしないし、見てて楽しいものでもない。

「これはアレか……同性には反応しないという、生物学的な見地から大いに結構な健全な反応と────」

 言いかけて気がついた。

 これが自分の裸だからというなら問題ない。肉体に引きずられて精神まで女性化していないという事だから。
 だが同性だからとなるなら話は別だ。もしや今の自分は、男の裸に……。

「やめやめ! 考えるのやめ!!」

 ぶんぶんと頭を振って嫌過ぎる思考を中断した俺は、クローゼットの引き出しを空けたところで硬直した。

「……………………」

 やっぱりと言うべきか、中にあったのは女ものの下着だ。
 色気のないブラジャーとパンツの数々。それがまともに見れない。

「……………………」

 なんと言うべきか、恥ずかしいような申し訳ないようなこの気持ち。
 それは近所の服屋で展示中のソレを目にしたような……。

「よかった……心は男のままだよ、オレ……」

 女の下着を握りしめて感涙にむせび泣くのは男としてもどうか、と、後になって自己嫌悪に陥ったのはここだけの秘密だ。



 そうして数ある品々の中から(本当になんでこんなにあるのか不明だ)一番無難だと思えた黒いパーカーと白いショートパンツを装着したところで、部屋を出て居間に向かった。
 体が空腹を訴えていることに気がついたからなんだが、もう一つ嫌なコトを思い出しちまったからだ。

「まったくいつまで待たせるのよ……あっためたご飯がさめちゃうじゃないの」
「すまん」

 ……生来の貧乏性と言うべきか。
 お金とか時間とか、そういうものを無駄に消費することに耐えられない性分の妹に頭を下げて席に着く。

「すまんじゃなくてごめんでしょ?」
「……わるい」

 慣れた手つきでご飯をよそい、朝から気合の入った料理の数々を並べた妹は俺の前に座ってお茶を淹れる。
 そのままずずっと啜った妹は、メシを食べる事に集中する俺をあきれたように眺めて溜め息連発。

「ねえお姉ちゃん。今さら言うのもなんだけどさ……少しは女の子らしくしたら?」
「いやオレ男だし」
「出た。恒例の自分は男だ発言」
「なんだよ恒例って……」
「だってお姉ちゃん昔っからそうじゃない。オレは男だーって、何かあるたんびに主張するしさ」

 いや、まあ……昔はホントに男だったし。

「お父さんもお母さんも気にしちゃってさ……なんて言ったけアレ? 自己同一性障害だったかな……? そういうのを気にして専門家に相談したりしてたの忘れちゃった?」
「……嫌な相談すんなよ」

 まあ女の身でそういう主張をしたら疑われるのは分かるけどさ……なんていうか色々あってへこんでるところにそういうコトを言われると。

「とにかくお姉ちゃんは黙っていれば美人なんだから、あんましヘンな事を言ってお父さんとお母さんを困らせないこと。それと悩みがあったらいつでも相談して? わたしで良かったら聞いてあげるからさ……以上」

 ……なんだコイツ。
 男の頃はクソ生意気なだけだったが、女になって立ち位置が変化したのか……いい妹になったじゃないか。

「…………ところで親父とお袋はどこに行ったんだ? 朝から姿が見えないんだが……?」
「お父さんは出張中で、お母さんもそれについてったの忘れちゃった?」

 ……ぶっちゃけ初耳。
 親父は小さいとこだが社長だし、お袋も役員だからそういうコトもあるかもしれんが……今のでハッキリした。

 オレの知ってる二人は昨日までそんな事はなかった。
 だと言うのに今朝になってそうなってるって事は、つまり……。

「オレはこの世界の住人じゃない……?」
「……お姉ちゃんまたヘンなこと言ってる」



 それからの時間は調べ物に使った。
 ネットでキーワードを入力して少しでも可能性がありそうなサイトやブログに目を通したが、目立った成果は無し。

 ……まあ考えれば当たり前か。
 性別の戻し方ならともかく、元いた世界への戻り方など、そっち方面の創作しかヒットすまい。

 そうして疲労困憊とまではいかないまでも、十二分に疲労して煮詰った俺は二度目の食事を黙々と済ませたところでその爆弾発言を耳にした。

「お姉ちゃんお風呂入るよ。準備して」
「えっ……? あ、風呂の準備するから入れってことか」
「うん。一緒に入るの。わたしと」
「はぁああああああああああああああっ!?」

 おいおい……頭大丈夫か、コイツ?

「ヘンな声を出さない。それと何をそんなに驚いてるのよ? いっつも一緒に入ってるじゃない?」
「……一人で入れないのか?」
「お姉ちゃんがね。それにそっちの方が効率的だし」
「俺が!? っていうか効率的ってなんだよ!!」
「だから別々に入ってお湯を足したりとか無駄もいいとこじゃない? こんなご時世で限りある資源を無駄にするなんて犯罪だよ、犯罪」

 いや、犯罪って言われてもな……。

「馬鹿か。入るなら一人で入れ……っていうか兄貴と一緒に入ろうとするな。そういうコトが許されるのは小学校低学年までだ」
「出たよ、自分は男だ発言」
「だからな……今のオレが女だってコトは、まあ、嫌々ながら認める。……でもそれは体だけだ。心は男なんだから一緒に入るのはマズイ。以上、良心的な男子高校生の発言でした」
「頭の悪いコトを言ってないでさっさと入る……怒るよ!?」
「おい……いやだから待てって!」
「待たない。お姉ちゃんこうでもしないとお風呂にも入らないんだもん」
「ずあああ! 腕を引っ張るな兄貴を引きずるな強引過ぎるぞオマエ……!!」

 何がそんなに気に食わなかったのか、本気になった妹は、それはもう凄いもので。
 少なくとも女になった俺の力では到底敵わないような馬鹿力で脱衣所に連行した妹は、背後のアコーディオンカーテンを閉めて。

「よっと」
「つああああ! 兄貴の前で服を脱ごうとするなー!!」

 叫びつつ大慌てで後ろを向く。

 ……マズイ。
 マズイマズイマズイマズイマズイマズイマズイマズイマズイマズイマズイマズイマズイマズイマズイマズイマズイマズイマズイマズイマズイマズイマズイマズイマズイマズイマズイマズイマズイマズイマズイマズイマズイマズイマズイマズイマズイマズイマズイマズイマズイマズイマズイマズイマズイマズイマズイマズイマズイマズイマズイマズイマズイマズイマズイマズイマズイマズイマズイマズイマズイマズイマズイマズイだろこれッ!?

 妹の裸なんて望んで見たいものじゃないし、自分の裸────それも女になった自分の裸はもっと見られたくない。

「ほらお姉ちゃんもさっさと脱ぐ!!」
「馬鹿! 人の服を脱がそうとするヤツがあるかッ」

 ……全力で抵抗するも結果は変わらず。
 いや、これが互角の闘争であったなら話は別だが。

 少なくとも妹の裸を見るまいと固く目をつぶったハンデがある以上、剥かれるのは時間の問題だったわけで。

「ああもうっ、あまり手間をかけさせないでよ」

 哀れにも下まで剥かれてしまった俺は背中を押されて風呂場でコケそうになった。

「……なにやってんだか」
「お前がやったんだろうがッ!?」

 思わず怒鳴った拍子に目を開けてしまった俺はそれを見た。

「お姉ちゃん耳まで真っ赤」

 少なくとも心だけは男のままというコトを再確認。
 喜ぶ半面、罪悪感のようなものも……。

「少しばかり乱暴だったことは認めるけどさ……そんなに怒らなくてもいいじゃないの」

 それを怒らせたためだと勘違いしたのか、急にしおらしくなった妹は続けた。

「……ごめんなさい。今のはわたしが悪かったわ。反省してます」
「お、おう……」
「お姉ちゃん、シャワーで体を流したら湯船に入っちゃって? わたしは先に体を洗うからさ」
「お、おうっ……」
「本当にごめんね……背中を押しとして転びそうになったら何やってんだかじゃ、怒るのも無理はないよね」

 ……なんだコイツ。
 男だった頃にはカケラも思わなかったが……可愛いぞ?

「そんじゃま、ちゃっちゃと洗っちゃいますか」

 言われるままに体を流して湯船に浸かる俺の横で、鼻歌なんぞを口ずさみながら上機嫌で体を洗う妹。
 しかも洗い終わった後に俺の代わりに湯船を使うのかと思えば、「一人じゃ洗うの大変でしょ?」と無駄に長い髪を洗ってくれる妹。

 ……なんだろうこの気持ち。
 妹が欲しいなどとほざいてるヤツには、そんなにいいもんないって現実を教えてやるのが男時代の俺だったが、女になった今の俺はヤツらの幻想を理解できた気がする。

 しっかり者で口うるさいが、面倒見がよくってだらしのない兄の世話を焼いてくれる妹。
 しかも風呂の面倒まで見てくれる……そんな妹はただの幻想だ。現実には存在しない。

 だが俺が兄ではなく姉ならあり得るのか……。
 俺の前で平然と裸になり、前を隠そうともしない思春期まっただ中の妹。
 男の頃は手のひらを返したように距離をとった妹が、こうも無防備に俺の頭を洗っている。

 それは未だに男の心を持った俺にとって、ある種の感慨を抱かせるに十分な『奇蹟』だった。

「……ありがとうな」
「? お姉ちゃん何か言った?」
「いや、頭を洗ってくれてありがとうって」
「いえいえ。どういたしまして」

 一気に身近な存在となった妹……だからこそ『男の部分』で汚すわけにはいかないと思った。

 妹がこうしてくれているのは、俺が『だらしない姉』だからだ。
 俺が『だらしない兄』のままだったら、口うるさく注意はしてもこんな事をしてくれる筈がない。
 だからこそ男の心で今の妹と接する事は許されない、と俺は思った。


「お姉ちゃんか……」

 女の体を受け入れたわけではないが、今の自分を当たり前のように受け入れてくれた妹に対しては『姉』として接しなければ、色んなものに申し訳が立たない。

 朝目を覚ましたら女になっていたという不条理に動転していた俺が取り乱さず、錯乱しなかったのはそんな妹の存在が救いになっていたからだと自覚した俺は、「はいオシマイ」といって立ち上がった妹の太ももをうっかり見てしまってまたしても赤面した。

「それじゃあ流すから目をつむってー、って言われる前につむってるし」

 はいごめんなさい。色々とごめんなさい。いいケツしてきやがったなと少しでも思った俺の中の男は全力で謝れ。

「なあ……やっぱり今度から風呂は別々にしないか?」

 慣れたら慣れたで色々と問題があるが、今のままでは心臓に悪い……。
 足や背中だけならまだしも、妹の大事なところを目にした日にゃ、申し訳なさで土下座しそうな自信がある。

「だーめだって……前にも言ったけど、ずぼらなお姉ちゃんはこうでもしないとお風呂に毎日入ってくれないし」
「いや頑張るからさ」
「うん、オッケー。もう目を開けていいわよ」

 言われるままに目を開けて、そして見てしまった。

 長すぎる髪のシャンプーを落とすという世話焼きが終わったら湯船に向かうはずだと、ふつうは思うだろう。
 だと言うのにこいつは俺の前に座って両手を伸ばしてきたのだ。

「ばっ……何してんだオマエは!?」
「何ってリンス」

 ……土下座のタイミングを逃した俺は、ただひたすら直前の映像を頭の中から追い出すので精一杯だった。









[33245] 性別が変わって関係が変わるのはある意味当然なんだが【今回はエロくないので注意】
Name: アサギ◆48dca835 ID:9148ac58
Date: 2012/05/26 15:24



 脳裏をチラつく映像に寝付けなかった翌日の朝。
 色々と弱みを作ってしまった妹に、俺は心の底から辟易して問いかけるのだった。

「なあ……どうしても着なきゃダメか?」
「なに言ってんの。学校に行くんでしょ」
「いやそうだけどさぁ……」
「私服の着用を許可してる私立ならともかく、お姉ちゃんが通ってるのは公立の高校なんだから仕方ないじゃないの」
「だって……これスカートだぞ?」

 ……そうなのである。
 今日は月曜ということで、自力で起きられなかった俺を叩き起こした妹が持ってきたものはなんと、事もあろうに女子の制服だったのだ。

 当然の事ながら、女子の制服である以上、下はズボンではなくスカートである。

 スカート。
 スカート……。
 スカートだよ、おいっ。

「これをオレに穿けってか……?」

 はい、ぶっちゃけあり得ません。
 他人の趣味についてどうこう言うつもりはないが、自分に限っては想像するのも論外。

「……スカートなんぞ女の穿くものだろうが」
「ああもう、話が進まないなぁ……!!」

 イライラと地団駄を踏んだ妹は、不意に目を見張るような笑顔になってこう続けた。

「質問です。自分で着替えるのとわたしに着替えさせられるののどっちがいい?」
「…………。自分で着替えます……」
「よろしい。パンを焼いてるから急いで着替えてね?」

 ……嗚呼。
 俺の事には極力干渉しない昔の妹はどこに行ったのか……?

 昨日の夜にも思い知らされた裸にひん剥かれる恐怖に堪らず、いそいそと着替えはじめた俺に満足げな表情をした妹が部屋から出る。
 それをチャンスとばかりに逃亡しようという気持ちがないでもなかったが、他に行く当てもないので断念せざるを得なかった。

「グッバイ、昨日までのオレ……」

 何か決定的なものに屈したような気持ちでソレに足を通したのは、メシの支度を終えた妹が呼びに来てからの事だった。



「行ってきます」

 玄関に鍵をかけてぺこりと一礼する妹の背中を眺めて、誰もいないのに律儀なヤツだと呆れる。

「ほらお姉ちゃん、行ってきますは?」
「……逝ってきます」
「なんか発音がヘンだけど……」

 行ってきますと言い直して、これはマズイと思わざるを得なかった。

 昨日から感じていたことだが、どやら俺は、妹に逆らえない身になりつつあるらしい。これは兄貴としても、姉貴としてもマズイ。
 別に威厳がどうとかの話じゃなくて……その、なんだ。

「本質的に味方じゃなくて敵なんだよなぁ……」
「……? 何の話?」

 いや思わず口にしてしまったが、男である俺に否定的で、女である俺に肯定的な妹の軍門に降るのは、肉体的にも精神的にもマズかろう、と。

「まあいいや。またねお姉ちゃん。寄り道しないで帰ってくるのよ」
「……ああ」
「それと気をつけて。事故と痴漢に注意するように」

 何を大げさな、と。
 母親が子供にするような台詞を口にした妹は、じゃーねーと手を振りながら駆けだした。

「前より明るくなったよな……アイツって」

 少なくとも俺の前ではそんなに笑わなかったような。

「これってアレかな? なんだ……その、オレが女になった影響みたいな?」

 たぶんそうなのだろう。
 俺もあんまりいい兄貴ではなかったが、中学に入ったあたりから、妹はそれと気がつくほど素っ気なくなった。

 そんな妹を「なら勝手にしろ」とばかりに突き放したのが男時代の俺だったが……生まれつき女だった『俺』は、もう少しいい関係を築けていたに違いない。

 そうでなければ、あんなにも屈託のない笑顔を向けてきたりはしないだろう。

「……まあいいや。オレの頭じゃ考えても分からん」

 朝起きたら女になっていたという異常事態に巻き込まれた俺に理解できたのは、驚いてるのは自分だけだという現実のみ。
 妹はあんな調子で狼狽する俺に呆れるだけだったし、ネットで漁った情報にも手がかりと思えるものは何も無く、一縷の望みを託して電話した両親も、俺が何を気にしているのか終始理解できない様子だった。

「この調子なら学校の連中も同じ反応をするんだろうな……」

 まあ女子の制服で登校してきた××呼ばわりされるよりかはマシだが。

「ただアイツがオレを女として扱ってきたら……余裕でブン殴れる自信があるな」

 十年来の悪友の顔を思い出して拳を握りしめる。
 ふつふつと沸き上がってきた怒りに後押しされて自宅を後にしたのは、時計を確認してこのままでは遅刻だと怒れる妹の顔が脳裏をよぎってからの事だった。



 自宅から歩いて数分の距離に学校がある妹はともかく、チャリを使っても苦しい距離にある俺は電車を使って通学していた。

 時刻は午前八時。
 この時間帯はやっぱり通勤やら通学の利用者が多いわけで。

 そうなると当然の事ながら、女になった俺の姿をより多くの衆目にさらす事に相成りまして……。

「……………………」

 正直なところ、生きた心地がしない、というのが本音であります。

 時折こちらに向けられる視線、視線、視線────!

 ……なんだよ、何なんだよこの心細さ。
 たまたま目が合っただけなのに、どうしてこんなに居心地が悪いのか。


 ……白状すると、俺は恐怖すらしていた。
 痴漢に気をつけなさい、という妹の忠告がどうしても思い出される。

 意識し過ぎだと理解してはいるのだが、気のせいと笑い飛ばすこともできない。
 たとえばアイツ……今こっちを見たサラリーマン風のオヤジは、短すぎるスカートからはみ出た俺の脚を見ていた。

 別にいやらしい視線ではない……。
 ただ偶然目にしただけで、眼福眼福と手持ちの新聞に戻るような。

 ……ただそれだけの視線なのに。
 それなのに身震いするような恐怖を感じてしまう。

 女はいつもこんな視線にさらされているのか……。

「うわっ……メッチャ自己嫌悪」

 ……俺も反省するしかない。
 ごめんなさい。ぶっちゃけ通学時の密かな楽しみでした。

『間もなく四番線に列車が到着します。白線の内側まで下がってお待ちください』

 内心で自分の罪を告白した俺は、少しだけ迷ってからその車両に乗り込んだ。

 ……乗り込んだのは、いわゆる『女性専用車両』。
 男の頃はスペースの無駄だとしか思わなかったが、今となってはもっと女の気持ちになって考えるべきだったと反省する事しきり。

 現実にあるかどうかはともかく、やっぱり必要な存在だよ。これ。

『でさー、マナカってさー』
『えーマジー?』
『キャハハハハハ』

 ただ見知らぬ男を排除した空間ということもあって、利用者のマナーはあまりよろしくなかった。

 大声で笑い転げるなんて序の口で。
 禁止されている筈の携帯電話の使用に、人前で化粧をするOLから、車内でメシを食ってるオバさんまで。

 この辺り利用者自らがマナーを徹底しないと、鉄道会社の好意で提供されたこの有り難い車両が廃止されるかもしれない。

 ……そんな事を気にするのは、世界で唯一、女でありながら男の視点を持つ俺だけなんだろうなぁ……。



「……ういーっす」

 色んな意味で消耗しながら何とか間に合った学校の教室に、気のない挨拶をしながら入り込む。
 いつもだったら普通に流されてる俺の挨拶は、しかし、思いもよらない人物の反応を誘った。

「あっ、おいーっす忍」

 そう言って手を振ってきた姿に俺は面食らった。

「……柊かよ」
「なんだよ。その『柊かよ』っていうのはさー?」
「いや別にヘンな意味で言ったんじゃなくてだな……」

 俺の台詞に傷ついたふりをしてみせたのは、クラスメイトの柊綾香(ひいらぎあやか)だ。
 根が明るく、それでいて口の悪い彼女は、暗い性格を誤魔化していた男時代には殆ど接点がなかった。
 だから俺なんぞに挨拶してきた事に驚いただけなのだが……。

「ねーみんな聞いてよ。挨拶したのに忍ってば『なんだ柊かよ』だって」
「まーそりゃあ仕方ねーって」
「忍と綾香じゃ月とすっぽん。相手にされないのが普通だし」
「っていうか柊の戯れ言なんて、誰も相手にしないでしょ?」
「うん。それもあるけど、凄いよね平塚さんの気安く話しかけるなオーラって。挨拶するなんて無謀じゃないかな?」
「……なんかヒデー言われようだな」
「そうだ! 杏子も愛美も玲奈も由香里も忍もみんなあたしに謝れー!!」

 ……などと。
 予想通りというべきか、予想以上というべきか。

 女になった俺は当たり前のようにクラスの女子連中に受け入れられていた。

「オレ……男なんだけどなぁ」
「出た―! 毎度おなじみ忍のオレは男だ発言!!」

 誰に聞かせるでもなく漏らした呟きを耳聡く拾って見せた柊は、クラス中に聞こえるような大声で余計なコトを……!

「もったいないなー、忍ってば黙っていればチョー美人なのに」
「いっつもこの発言で台無しよね」
「知ってる? 三年のA先輩……忍のこの発言で卒倒したって」
「マジで!? あたしB先輩って聞いた!!」
「他にもいるんじゃないかな? 平塚さんって美人だし、もてるから」

 ……嫌なコトを聞かせるなよオマエら。

 俺がもてる? それも男に? 何の悪夢なんだよ、それ……。

「もったいないなー……あたしだったらA先輩にコクられたらオーケーしちゃうのに」
「男なんていらないんでしょ。忍は性格が男前だから」
「じゃあ女ならオーケー? ヤベッ、狙われてんのかあたし?」
「いやそれないって」
「うんうん。平塚さんには斎くんがいるからね。お似合いだよ」

 …………。

「え? 忍ってば斎くんと付き合ってるの?」
「分かんない。でもこの前ね、一緒に帰ってたよ」
「うおーマジかーーー!!!!」
「───いや盛り上がってるところを悪いがそれは無い」

 大喜びでデマに食い付く柊の背中に釘を差す。

「いやだって斎だよ? アンタの幼馴染みの斎俊郎(いつきとしろう)。付き合ってるんじゃないのアンタら?」
「アイツとはただの腐れ縁だ……切れるもんなら今すぐ切って────」
「それはこっちの台詞だって……僕もお前には散々手を焼かされてるからな」
「俊郎、てめえ……」

 振り返るとそこに予想通りの姿があった。

 十年来の悪友───その立ち位置がどう変化したのか。
 ガキの頃から一緒だった斎俊郎は、げんなりとしたような表情で俺に声をかけた。

「……付き合えよ。ホームルームまでまだ時間があるだろ?」

 首の動きで教室の入り口を差しながら、俊郎は返事を待たず廊下に出る。

「穏やかな雰囲気じゃないわね……忍、アンタ一人で大丈夫?」
「ああ、アイツとはいつもこんなだ」

 ……それは嘘だった。
 アイツには色々と言いたいこともあるが、男時代のアイツはあんな目をするようなヤツじゃなかった。



「で、おじさんたちはまだ戻ってないのか?」
「ああ」

 廊下の壁に背中を預けた俊郎は、俺と視線を合わせるのを避けるように顔をそらしながら続けた。

「だからか……さっき芽衣ちゃんから電話があったぜ」
「……妹から?」
「そ。お前の様子がヘンだから、色々と助けてやって下さいってさ」
「…………」
「僕としてはどっちでもいいんだが、今度ばかりはさすがにな」
「……何の話だ?」

 俊郎の様子がおかしい───それは最初から感じていた事だったが、

「あまり家族を困らせるなって話さ」

 こいつはいったい何に怒ってるんだ……?

「話はそんだけ……じゃあな、確かに伝えたからな」

 最後まで目を合わせようともせず、俊郎は困惑する俺を無視して教室に戻った。

「……オレが家族を困らせてるから怒ってるてか?」

 これまでに話をした連中は、『俺』が事あるごとに男だと主張するって繰り返してきた。
 男時代は軟弱な外見から余計な誤解を招かぬ為だったが、『俺』の場合は意味合いが異なる。

 妹は俺が肉体と意識の性別が一致しない何かしらの障害を患っているのではないか、と両親が気にしていたと言っていたが、俊郎が怒っているのはその事を指しての事だろうか?

 ……いやそんな筈はない。斎俊郎は称賛に値する人格ではないが、そこまでめんどくさい性格もしていなかった。

 悪く言えば楽天家で、細かい事は気にしないタイプ。
 初恋の相手が男だと判っても「まあいいや」で済ませて、「それなら友達になろう」と割り切れるヤツ。

 そんなアイツがあんなにも拒絶するほどの『過去』が、以前の『俺』にあったのだろうか……?

「まあ一つだけ確かなのは……俊郎とはもう、友達って雰囲気じゃないよな……」

 切れるもんなら切ってみたいと口にしたアイツとの縁。
 それが望みどおり切れたというのに喜ぶ気持ちになれない。

 それも当然だろう……。
 斎俊郎は悪友であっても、俺の数少ない友人だったのだから。



 ……初めはどうなるものかと思ったが、学校での生活は何の問題もなく進んだ。

 クラスメートも担任も、誰ひとり俺が女である事を問題視するものはおらず。
 問題があるとしたら、せいぜい体育の授業で着替えるときに犯罪者のような気分を味わった事と、用を足すときにうっかり男子トイレに入ろうとしたのに気がついて青くなった事くらいか。

「もうね、忍の魂が男だって事は知ってたけどアレには焦ったわよ」
「いや感謝してる。感謝してるからあんまり言いふらさないでくれって」

 昼飯時の食堂で弁当を広げた柊はそれを食い止めた恩人だったが、今はその恩に背こう。

「えーなになに? 平塚さんってまた何かやったの?」
「ストップ由香里。それ以上はいけない。……口にしたらあたしの人生が終わりそうな視線で忍が睨んでる……!」

 柊の人聞きが悪すぎる発言に首をかしげたのは、彼女の友人でクラスメイトの牧村由香里。
 おさげに眼鏡という野暮ったい外見から、『委員長』と呼ばれても不思議ではないのにそう呼ばれないのは、のんびりした性格だからか。

「ヘンな綾香。平塚さんはパンを食べてるだけなのにね」
「ちげーって! 今はそう見えるだけでさっきまで獲物を狙うライオンのような眼をしてたんだってば!」

 活動的なショートヘアーをぶんぶんと振り乱して力説する柊を余所に、俺は努めて冷静な口調で訂正した。

「いや、余計なコトを言ったらオマエも一緒になって入ろうとしたって言ってやろうと思っただけだ」
「なお悪いじゃん!?」
「これだけなら他人にゃ意味が分からん。オマエが余計なコトを口にしないかぎりな」
「あ、そっか。頭いいね忍って」

 ホッとしたように胸を撫で下ろして、自分の頭にコツンと拳骨を落とした柊が「あははははー」と乾ききった笑い声をあげるが、牧村はきょとんとした表情で首をひねるだけだった。

「あーこの話はやめやめ! メシは楽しく食わなくっちゃな」
「うん、いただきます」

 今まで気にした事はないが、どこかの運動部に所属しているらしい柊の半分程度しかない弁当の前で、両手を合わせた牧村が上品に箸を使う。
 騒々しいアホの子の柊と、のほほんとした牧村を、実のところ俺はかなり気に入っていた。

 もちろん男としてではない。
 未だに意識は男のままで、先ほど柊が口を滑らせたような失敗もよくするが……なんて言ったらいいか、この二人は付き合っていて気持ちがいいのだ。

 男時代は女の知り合いなんてうざったいだけだと思っていた。
 だが女になって関わる事を余儀なくされた女同士の付き合いは、想像していたより遥かに気楽なものだった。

 相手の内面に触れる事を避け、共有できる話題を探して盛り上がろうとするとでも言うのか。その付き合いは『軽い』ものでもあるのだろう。
 上辺だけの付き合いと言ったら印象が悪いが、逆に言えば不用意に踏み込んで無用の傷を与えあう事を避けるような知恵のようなものを、朝から話をした女子から感じた。

 どんな『重い』話題も笑い飛ばしてしまうような『軽さ』。その表面にしか目のいかない男には、彼女たちが酷く愚かに見えることだろう。
 事実、俺もそう決めつけていが……実際に付き合ってみて考えを変えた。
 
「うへっ、母さんの馬鹿ぁ……ピーマン嫌いだって言ってたのに何で入れるんだよぉ」
「いいお母さんじゃない。綾香が苦手な食べ物を克服できるように、わざとそうしたんだと思うよ」
「ぐぬぬ……チクショー忍はいいよなぁ……今日も購買部のパンばっかりじゃんかよー」
「仕方ねーだろ……うちは両親が共働きなんだからさ」
「妹がいるじゃん! オマエも妹にピーマンたんまりの弁当を作ってもらえー!!」
「妹の弁当なんぞ恥ずかしくて持ってこれるかッ」
「あっ、ひどぉい。その台詞は妹さんに失礼だと思うな」

 ……などと。
 食堂の利用者の大半がそうであるように、仲間内で盛り上がりながら食べる昼飯は悪くなかった。

 これなら『向こう』でも、柊や牧村といったクラスの女子を無用に避けるべきではなかったと反省するほどに。
 午前中にずっと抱えていたもやもやが消えてなくなるほどに、新しい友人たちとの昼食は心地よいものだった。



「ふいー。余は満足じゃ、茶を持て下郎」
「だれが下郎だよ。テメーにゃ雑巾を絞ったもので十分だ」

 相変わらずお馬鹿な発言で俺を苦笑いさせた柊の横で、牧村は何かを気にしているような視線を向けてきた。

「何だ牧村? お前の発言なら重く受け止めるぞ?」
「なにその扱いの差!?」

 大げさに頭を抱えてみせる柊の姿にくすりと笑った牧村は、「うん、あのね」とこちらを気遣うように口を開いた。

「元気になってくれてよかったなぁ、って」
「え? なにへこんでたのコイツ?」
「……軽くな」

 自分でも言われるまで気付かなかった。
 どうやらあの一件は俺の中で相当しこりになってたらしい。

「朝、話してからかな……平塚さん、落ち込んでるように見えたから気になってた」

 柊という第三者がいる為か。牧村は人物の特定を慎重に避けながら続けた。

「だから元気になってくれてよかったって、ちょっと安心しちゃった」
「そうか……心配させちまって悪かったな」
「ううん。……でもね、きちんと話した方がいいと思うの。二人とも一昨日まで普通だったから、何があったか知らないけど謝るなら早い方がいいんじゃないかって……ごめんね、聞いたふうな口を利いちゃって」
「そんなこたねーよ……牧村にゃ感謝してるって」
「何この会話……っていうか何? その言外にあたしにゃ感謝してない発言の真意?」

 いや口にはしないがお前にも感謝してるぞ?

 今ならなんでアイツがああなったのか、向き合えるような気がする。

「アイツはあれでも古い付き合いだからな……」

 原因が俺にあるのか『俺』にあるのか知らんが、友人なら逃げるわけにはいかないだろう。



 ……放課後に柊達と別れた俺は、学校の正門でソイツを待っていた。

「よう。帰宅部にしちゃ遅かったな、俊郎」
「……わざわざ待ってたってか? 芽衣ちゃんに道草をするなって言われてないのか?」
「道草じゃねーよ。オマエと話してたって言えば、妹にはちゃんと伝わる」
「僕にはオマエと話すことなんてないんだけどな……」
「なに逃げてんだよ粗チン野郎が」

 吐き捨てて足早に立ち去ろうとするソイツの背中に、無視できないほどムカつきそうな台詞を返してやる。

「そもそもオマエは誰に怒ってんだよ。八つ当たりならいい迷惑だぜ」
「……一昨日の事を覚えてないのかよ?」
「はあ? 一昨日だってェ……?」

 ……一昨日となると、俺が女になる前か。

 どうやら俺が女になった原因らしき情報を、目の前の旧友は握っているらしい。

「悪いがその辺の記憶はあやふやなんだ。何か知ってるなら教えてもらえると助かるんだけどな」
「…………それを僕に言えってのか?」

 苦しそうに俯いて唇を噛むその姿。

 ……間違いない。
 こいつは事態の核心に繋がる情報を握っている。

 そしてこいつの抱いていた拒絶の正体も分かった。

「歩きながら話すぞ……ここじゃ人目に付きすぎる」
「わかった」

 頑なに目を合わせない拒絶の正体は罪悪感だ。

 はたしてこの世界の『俺』は十年来の悪友とどう付き合ってきたのか。
 白状すればそれを知るのが怖いという気持ちはあるが、逃げるわけにはいかなかった。

 斎俊郎は平塚忍にとって、最も親しい友人なのだから……。









[33245] どっちにしろ自分から行動せにゃ何も変わらんだろう【今回もエロくないので注意】
Name: アサギ◆48dca835 ID:9148ac58
Date: 2012/05/27 19:14



「へえ、シノブちゃんっていうんだ……? シノブちゃんかわいいね。ボクのカノジョになってみない?」
「え~~~? オレ、こうみえてもオトコだし……っていうかカノジョってなんだよ、トシローくん?」
「うん、ボクもよくわからないけど、オトコノコとはトモダチに、オンナノコとはカノジョになるんだって、パパがいってた」
「ふ~~~ん? よびかたがかわるのって、なんだがめんどくさいなぁ……」
「まぁいいや。オトコノコならトモダチになろう? むこうのスナバでキムジョンイルをつくろうよ」
「うんいいよ。トシローくんがキムソーショキをつくって? オレはテポドンをつくるからさ」
「やった。ボクがんばるよ。トモダチになってくれてありがとうねシノブちゃん」
「だからオレはオトコだって……」




 ……既視感のようなものを覚えた。
 憂鬱な痩身と肩を並べて、夕暮れ時の線路沿いを歩いている最中の出来事である。

 俺の知らないこいつとの出会い。それは『俺』の記憶なのか。
 考えてみれば、これが肉体の女性化ではなく、女として生まれた『俺』への憑依ならば、十分にあり得た事態だ。

 俺の知らない『俺』の記憶は、俺たちの何処かに刻まれている……。

「……調子が悪そうだな」

 混濁した記憶を追い払うように頭を振っていると、頭上から呟くように漏れだしたような台詞が聞こえてきた。

「おかげさんで絶不調だよ。……ほぼ全面的にオマエの所為でな」
「…………乱暴にしようとした事は悪かったと思ってるよ」

 ……待て。
 お前は『俺』に何をした?

「やっぱりろくに憶えちゃいないってワケか……」

 思わず顔に出てしまったのか、そいつは若干悪びれたように続けてきた。

「……別にお前が心配するようなコトはしちゃいない。たんに僕がお前に告って振られただけだ」

 ああ、やっぱりそんな事になってたんだ。

 俺も男だからこいつの態度から察していた。こいつの取った学校での態度は、どう見ても振られた男のものだったからだ。
 だが幼稚園のめ組の時に俺を女と間違えてしたのと、オトナになるまで我慢して女の『俺』にしたのじゃ受けるダメージが違うだろう。

「なんて告ったんだよ……」
「だから……お前のコトが好きだって」
「……なんて断られた?」
「…………俺は男だからって」

 なるほど……おかげで色んな物が腑に落ちたわ。

「お前が自分は男だって怒るのは実際目にしてきたし、それでおじさんや芽衣ちゃんたちを困らせてるのも知ってたからさ……悪かったよ。完全な八つ当たりだった」

 観念したように俺と目を合わせて、ごめんと頭を下げる。

 ……たぶんこいつは承服できなかったのだろう。
 十年来の付き合いから『俺』がそういうヤツだと十分に承知したうえで、それでも好きだと自分の気持ちを打ち明けたのに、精神的な違和感を理由に拒絶された。

「……本気だったんだな」
「当たり前だろ……僕はずっと、お前を……お前だけを見てきたんだ……」

 俺は男だというテンプレ的回答。それを自分にも適用された事に耐えられなかったのだ。

 ……だがそれは誤解だ。
 過去の記憶を垣間見た俺には『俺』の気持ちが理解できた。

 完全に理解できた訳ではないが、それでも『俺』たちの根っこは同じはずだ。
 だから完全には無理でも半分くらいは理解できる。

「……そんなに笑うコトはないだろう、忍」
「そんなんじゃねーよ。ただ昔のコトを思い出しちまってな……」
「…………昔のコト?」
「自宅の裏山に秘密基地を作って、両親とケンカした時に籠城したり。お前が駄菓子を持って援軍に来たり」
「あ、あー……あったなそういうコト」
「宇宙人を探したり地底人を探したり……海底人を探しに行こうとした時はムチャクチャ怒られたっけな」
「まあね。海底人を探しに行くと言って海に行こうとする子供に怒らない親がいたら、そっちの方がおかしいって」
「近くの河川敷でエロ本を見つけたときは青い好奇心を満足させたっけか」
「……勘弁してくれ。そいつは僕の黒歴史の一つなんだ……」

 本気で項垂れたそいつの背中をバシバシと叩いて、カラカラと笑う。

 俺より背が高く、女になった今では頭一つ分は高い十年来の悪友。
 温和な常識人を気取りながら『男』に惚れた非常識人。
 脳天気な性格でコミュ障の気があった俺たちの窓口を務めた変人。

 斎俊郎は俺たちの最も親しい友人だった。

「────楽しかったよな、ホントに」
「僕は被害者だぜ? お前ってさ、無駄に行動力があるから止めようがないんだもんな」

 ……だからこそ真実を告げるのは躊躇われた。
 振られた女に今まで通りいい友達でいましょうねだなんて、男にとって死ぬほど残酷な台詞だ。

「……ところで」

 落とし所に迷った俺はもう少し時間を稼ぐことにした。

「『乱暴にしようとした』の説明がまだなんだが?』
「うっ……!」

 どうせたいしたコトはされちゃいまいと思っていたんだが、問われた俊郎の顔色は急速に悪化した。

「……おい、オマエまさか……」

 じりっ、と思わず後ずさってしまった。

「バカちがう! お前が心配するようなコトは何もしていない!! 聞いてくれ忍ッ……!!」
「………聞いてやるから言ってみろ」
「だから僕は本気なんだってお前の肩を掴んで……それから……」
「それから?」
「それから僕はお前が男でも構わないってキスしようとしたら引っ叩かれて」
「…………」
「それでついカッとなって、お前を押し倒したら……」
「キ××マで蹴りあげられたか?」
「ついでに頭突きももらった。鼻血が酷くってまいったよ……」

 ……よし、分かった。
 知っていだけど再確認したわ。

 馬鹿だ馬鹿だと思っていたが、一見気さくで人当たりのいい斎俊郎は、その実、真性の────

「阿呆」
「うっ」
「全部テメーが悪いんじゃねェかこの強姦魔。そんなんでよく他人のコトに文句をつけられるな」
「悪かった! 本当に悪かったと思ってるんだ!!」
「お巡りさんこいつです」
「おいっ!?」

 思わずチャリンと鳴らして通過しようとしたお巡りさんを呼び止めちゃったよ。

「……何かあったのかね?」
「はい、いま学校のクラスメイトに告白されたんですけど……」

 だらだらと汗をかく俊郎をジロリと睨んだお巡りさんに説明する。

「なんかいま法律だか条例だかで未成年の交際に厳しいらしいじゃないですか? だから大丈夫かなって」
「……ああ。それは金銭を払って君のような未成年との交際を望む大人を処罰するものだ。個人的にはどうかと思うが、健全な交際なら何の問題もないよ」
「わかりました。ありがとうございます」
「ん。何か困った事があったら近くの交番に相談しなさい。それでは気をつけて帰るように」

 お巡りさんらしい仕事ができてうれしいのだろうか。強面を緩めて自転車に戻り、遠ざかる警官が街路に消えるまで手を振って見送った俺は、九死に一生を得た安堵を噛みしめる余裕もない俊郎を見上げて「だってさ」と続けた。

「不純異性交遊は禁止。強姦なんざ論外。アーユーオーケイ?」
「あ、ああ……あはは……」
「以上の点を踏まえたうえで、俺が女の体に根本的な違和感を持っていることに配慮し、極力不快な思いをさせないって条件を飲むなら付き合ってやってもいい」
「は……?」
「同じことを何度も言わせるなよ……基本的にプラトニックな交際。体を触るのも厳禁と、その条件なら付き合ってやるって言ってるんだ」
「マジかよ……! やった、やった……いいよその条件で!!」

 狂ったように喜ぶ悪友の姿に溜め息をつく。

「そんなに嬉しいのかよ?」
「嬉しいよ! 嬉しいに決まってるさ……!」
「あー、それはそれはようござんした、と」
「でもさ。いったいどういう気の変わりようだい?」
「……別に。ただこのまま見捨てるのも忍びないからな。もう一回チャンスをくれてやろうと思っただけだ」

 そう説明したが、実のところ俺自身にも確たるところは判別がつかない。
 この条件ならもうしばらく『悪友』を続けられると思ったのか、それとも手酷く拒絶して傷つけたことを悔んでいる『俺』の気持ちに引きずられたのか……。

「まあ惚れさせてみろってこった。オマエじゃ無理に決まってるだろうがな」
「言ってくれるじゃないか……いいよいいよ。いつか僕無しじゃ生きられないカラダにしてやる」
「気色悪いこと言うなよ!? ゾワってきたぞゾワって!!」

 うわああああ、悪寒が、悪寒が止まらねえええええ……!!
 
「気色悪いって……その言い草はなんじゃないか忍?」

 仮にも恋人なのにと、またしてもこちらを震えあがらせた悪友に報復せずにはおれまい。

「なら想像してみろ……」
「うん?」
「自分より背が高く、ゴツイ男に……」
「ふんふん?」
「『手を繋いでいいですか?』って言われる光景を」
「……………………壮絶だな」
「だろ? 精神的に男ってコトはそういうこった」
「わかった、自重する……でもデートに誘うぐらいはいいだろ?」

 デート、という単語のおぞましさに震えるものを覚えたが……まあ、それぐらいはいいだろう。

「こっちにも予定があるから毎回ってわけにはいかないぞ?」
「何が予定だよ。どうせ休みは自分の部屋で一日中ぐーたらしてるくせに。芽衣ちゃんが嘆いてたぜ?」

 あいつめ……まったく余計なコトを。

「あと『好きだ』とか、クサイ台詞も禁止な。これも男に言われる光景を想像すりゃわかるだろ?」
「それはもういいよ……十分に思い知らされたからさ」

 なんて話をしていたら駅のホームが見えてきた。

 階段の登って学割の定期で改札を通過。それからもう一度階段を使ってホームに降り電車を待つ。その間不思議と無言だった。
 別に話題が尽きたわけではない。付き合うとかどうたらの話が終わっても他の話題には事欠かない。

「なあ、今日はどうする? 俺んちでモンハンでもするか?」
「今日はいいよ。今は他のことを考えたくない気分なんだ」
「そうか? たしか今日あたりGクエのアルバが配信されてんだろ? やっとG級を作れるって楽しみにしてたじゃないか」
「それはお前が楽しそうにしてたからな……白状すると僕はそんなにゲームが好きってわけじゃない……」
「……なら何が好きなんだよ?」
「言わせるなよ。そういう発言は厳禁だろ?」

 ……そうか。
 こいつは本当に、ずっと『俺』の事だけを想ってきたのか。

 精神的には男性であるという、この世界本来の『俺』。ひ弱な外見が招いた誤解を解くための俺とは異なり、肉体と精神の不一致に苦しみ続けてきた『俺』。
 俺がこの身に宿った今、そいつの魂はどこにいったのであろうか……?



「……………………」

 帰宅後に、着替えもせずベッドに寝そべった俺は今になって後悔していた。

「……冷静になって考えてみればとんでもない約束をしちまったよなぁ……」

 いつか観念する日がくるのだろうか?
 俊郎になら掘られていいという気持ちで体を預ける日が……。

「ないない。アイツとだけはあり得ないって」

 独白が漏れ出す。
 自分の中で抱え続けるには深刻なものだ。吐き出さずにはいられない。

「でも何とか元の体に戻る方法を見つけないと……」

 ……そうなのだ。
 別に相手があの悪友でなくても、元の体に戻らなければいつかはそうなる。

 学生の今はいいが、成人すればお見合いのひとつでも勧められるだろうし、それを断っても歳を重ねるごとに周囲の圧力は強くなるだろう。

「……しかしそんなにいいもんかね? 女の体なんてめんどくさいだけだぞ?」

 男の頃には人並みの興味があった。
 だが、実際になってみれば無駄に長い髪を洗うのにも一苦労。用を足すのにも苦労する有様だ。

「切っちまおうかなこれ……?」

 むくりと体を起こして、腰のあたりまである髪の先っぽをつまむ。

「まあ『俺』の体なんだから、俺の一存で切っちまうのは問題かもしれんが……」

 出来れば柊のように短くしてしまいたいが、『俺』が嫌がるようならせめて水無月や牧村ように結んだり結わいたり……。

「ただいまー。お姉ちゃん帰ってる?」

 ガチャリとノックもせずに男(いや今は女だが)の部屋に顔を出した妹が、髪の毛をつまんでいる俺の姿に目を丸くする。

「なにしてんの?」
「いや切ろうかな、って」
「ダメだよ切るなんてもったいないでしょ!?」
「もったいないときたか……」

 まー俺も男だから分かるっちゃ分かる。
 自分のことでなければ、俺もこんなにきれいな髪を切るなんて論外だと────

「そういうのは高く買ってくれるところを見つけてから切るもんでしょ! あたし心当たりを探してみるから切るのはそれまで待って!?」
「てめぇが原因かい……」

 ……考えてみればずぼらでだらしないというこの世界の『俺』。
 そんな『俺』が髪なんぞめんどくさがって伸ばすはずがない。

「なによ、原因って……?」

 それ以上にめんどくさい相手に絡まれるのでなければ、だ。







 ───その夜。俺は、不思議な夢を見た。

 中学生くらいの女の子が膝を抱えて泣いてる夢。
 見覚えのある制服に身を包んだ彼女は涸れ果てた瞳で、虚ろな視線を床に投げ出してたしかに泣いていた。

「何があったんだ?」

 関わる気はなかったが、自分の行動が制御できない夢の中だからだろうか。
 俺は少女に問いかけた。

『……あなたには関係のない話だわ』

 そうして彼女も。
 心の中の異物に気付かず答える。

「関係ないのは確かだが、悩みなら聞かせれば楽になるぞ?」
『ならないわよ。だって理解してもらえないもの』
「そうかもしれないが、そうじゃないかもしれない。どっちにしろ聞いてみないことにゃ判断がつかない」
『それもそうね……なら聞いてもらえる?』

 そして彼女は言った。
 私は男の子なの、と。

『子供の頃から疑問に思っていたわ。どうして私は友達と異なる服を買い与えられるのだろうって。スカートなんて動きずらくって、ズボンを穿いてる彼がずっと羨ましかったわ』
「スカートの不便さは認める。アレを発明したヤツはきっとアホだ」
『……ホントね』

 俺の言い草がおかしかったのか、少女はくすりと笑って独白を続けた。

『はっきりしたのはついさっきね……私の体に初潮がきたの』
「……生理か」
『ええ、最悪だったわ……。でもそれではっきりしたのよ。これは違う。自分の体じゃない。私はやっぱり……』

 男なんだ、と。

『……彼の事は好きよ。子供の頃から一緒だったもの……』
「彼?」
『幼馴染み。幼稚園の頃からだから、かれこれ七年くらいの付き合いね』
「なんだかどこかで聞いたような話だな……」
『よくある話だからじゃない? 腐れ縁ってそんなに珍しいものじゃないでしょ?』
「そりゃあそうだ」
『でも私にとっては有り難かったわ……彼という存在が』
「どんなふうに?」
『彼は私よりずっと社交的だったから……ううん、たぶん私が自閉的なだけね。自分の性別に違和感があったから、女の子として扱われるのに耐えられなくって……両親も散々困らせたわ』
「……まあそうなるだろうな」
『だから間に入ってくれる彼という存在は有り難かったの……彼がいてくれたから、私はどうにか耐えられた』

 でもその彼が、と。
 彼女は枯れた瞳に涙を宿してこう言った。

『私の事を好きだって……女の子として愛してるって』
「…………」
『私はどうしていいか判らなかった……だから彼に求められた時、突き飛ばして酷いことを言ってしまったの』
「なんて口にしたんだ?」
『アンタなんて大っ嫌いだって……』

 夢の中が沈黙に閉ざされる。

 この件に関して俺は告げる言葉をもたない。
 これは彼女の問題だ。どんなに苦しくても彼女が答えを見つけなければならない。

「オレは他人だから、キミの気持ちが分かるとは言わない」

 だが……。

「だがオレも、軟弱なツラをしていたおかげで女に間違えられて告られたりしたから、まったく分からないわけでもない」

 自分の話を笑い話にして、彼女の気持ちを楽にさせるくらいは許される筈だ。

『あなたも……? 言われてみれば整った顔立ちをしているわね』
「昔はもっと酷かった。ロリ顔っていうのかさ、たまに昔の写真を見かけると軽くのけぞるほどだ」
『それはなんて言っていか、よく分からないけど……』
「しかも現状はもっと悪い。昨日か一昨日だかに目が覚めたら女になっていた」
『それは精神的にって意味……?』
「うんにゃ、体の方が女にって意味だ」
『そんな事ってあり得るの?』
「あるんだよ……あり得ねえと思うだろ? 俺だって今朝目を覚ました時は全部ユメでしたってのを期待したさ」
『……でも現実だったのね?』
「そ。で、むかし告ったヤローにもう一度告られてさきほどオーケーしてきたばかりだ」
『ええっ!?』

 驚いた彼女が身を乗り出してくる。
 その貌にあった昏い陰は消えつつあった。

『そ、それはどうせ女の子になったんだったら女の子にしかできないことをしようというポジティブ思考?』
「うんにゃまったく逆。つうか男に迫られるなんざ掘られる恐怖しか感じねー」
『わかるわ! 私もそういうのを思い出したもの……』

 何を思い浮かべたのか、赤くなった顔でチラチラとこっちの様子を窺った彼女は、ボソリと消え入りそうな小声で核心に繋がる質問をしてきた。

『でも、それならどうして付き合おうと思ったの?』
「別に本気で付き合おうと思ってるわけじゃない。オレはただの『保留』。答えを出すのはキミの役目だ」
『えっ……?』
「そいつは大事な友達なんだろ? だからキミは二重の意味で混乱してる。精神的には男なんだから付き合えるのかってのと、ソレを十分理解してくれていた筈の親友に裏切られたって誤解でな」
『…………』
「キミがいつからこうしているのかは知らないが、こんな所に隠れていても何も変わらないぞ? 忘れるなよ、答えを出すのはキミ自信の役割なんだからな」

 ……そろそろ時間だ。

「じゃあな。早く出てこいよ」
『待って! 教えて、あなたはいったい────』







「ふ、わあ~~~あ、っと」
 
 よほど深く眠っていたのだろ。昨日の疲れはすっかりとれていた。

 しかも回復は肉体のみに留まらない。
 よほど楽しいユメでも見ていたのか、昨夜も悲惨な経験をして落ち込んでいた気持ちもスッキリしている。

 つまり心身ともに盤石。
 今の俺なら(やったことはないが)陵辱エロゲの主人公と化しつつある怨敵への復讐も、あるいは成功するかもしれん。

「お姉ちゃんおはよー……って、あ、今日はちゃんと起きてる。えらいえらい」

 ……などと。
 俺の内心にも気付かず、哀れな獲物が無防備にやってきおったわ。

「ふふ。お姉ちゃんがこの時間に起きてるのって奇蹟じゃない?」
「おう、自分でもそう思うというワケで風呂に入ろう。時間はたっぷりある筈だからな」
「わっ、朝から贅沢だね。……でもいいんじゃない? 昨日は夜も暑くて汗かいちゃったし」
「そうだろうそうだろう。今朝は気分もいいしな」
「うん。わたしもお姉ちゃんがやる気を出してくれて嬉しい」
「そうだろうそうだろう。まさに生まれ変わったような気分なんだ」
「えへへ、大げさだね」
「大げさなもんか。今のオレは可愛い妹を裸にひん剥いてケツの穴まで洗ってやりたい気持ちでいっぱいなんだからな」
「……え?」
「さあ往くぞ。お祈りは済ませた? ガタガタ震えて命乞いする準備はオーケー?」
「お、お姉ちゃん……?」

 乾いた笑いで後ずさる妹に両手をわきわきさせながら迫る。

 どいつもこいつも俺たちがやられっ放しのまま終わると思うなよ……?









[33245] 話せば分かる───そんなふうに考えていた時期がオレにもありました【最後に自分×自分アリ注意】
Name: アサギ◆48dca835 ID:9148ac58
Date: 2012/05/29 17:54



「結局さ……何がしたかったのよ? お姉ちゃんって……」
「……言わせるなよ。自分でも情けないって、ちゃんと理解してんだからさ……」

 妹の、呆れてものも言えないという視線にどん底まで落ち込む。

 口では「やーだー、やめてよお姉ちゃーん」と言いつつも、そんなに嫌そうでもない妹をノリノリで追いかけまわすとこまではよかった。嫌がるどころか、むしろ楽しそうにすらしている妹と戯れるのは久しぶりのことだ。

 妹も、本気で俺を嫌っているわけではないという、ある種の錯覚。それが虚構である事は十分に理解している。妹が無邪気に戯れているのは、相手が同性の『俺』だからだ。決して異性の、距離をおくべき兄である俺と知ってそうしているのではない。

 それでも俺の心に温かいものが広がったのは、それは俺自身、一昨年あたりからはじまった妹の隔意に腹立つものはあっても、本気で嫌っていたわけではないと確認できたからだ。

 だがそれも、お互い泥んこになるまで遊んだガキの頃に戻ったような気持ちで妹を追いまわし、捕まえるまでだ。
 襟首を掴んだときに触れた素肌の感触が、俺に自分の正体を思い出させる。

 白い背中が目に入った時点で、俺の心は罪悪感に苛まれた。男であり、兄である自分を忘れ。女であり、姉であるこの世界の平塚忍として妹と接するのは、やはり不可能なのだと思い知された。

 時刻は午前七時。
 自分から提案した入浴を中断して、重苦しい朝食を終えた俺は、不機嫌な妹に意を決して話しかけた。

「なあ、芽衣……」
「なぁに? お姉ちゃん?」
「やっぱりさ……無理なんだよ、オレ」
「……何の話をしてるの?」

 真面目な話だと思ったのか、努めて冷静に聞こうとする妹に、俺は自分の罪を告白した。

「だから……オレはやっぱり男なんだよ」
「またその話ぃ? もう聞き飽きたって……」
「いいから聞け……。たしかにな、『俺』の体は女のものだ。それは間違いない。だからそういう意味で言やぁ、オマエと一緒に風呂に入ったって何もおかしくはない」
「うん……わたしだって別に恥ずかしいと思ったことないし」

 俺が何を言わんとしているのか理解できないでいる妹に、言葉を選んで切りだす。

「でもな……オレの心っていうか、感性は男のものなんだよ……。だからオマエの裸を見るとドキッとしちまうし、肉体上の性別が同じだってのをいいことに、妹の裸を盗み見てるような……そんな申し訳ない気持ちでいっぱいになってな」

 ……妹は驚いてるようだった。
 女じゃなく、男だと訴える。それを戯れ言と決めつけて相手にしなかったのは、今までこういった視点を欠いていたからだ。

「それって女の子に、その……興奮するってコト?」
「オマエにはしてない。しないように気をつけてきた……でも限界なんだよ」

 ごくり、と唾を飲み込む音が聞こえた。
 それが自分のものか、それとも妹のものかは判別がつかない。

「……限界って、どういう意味で限界なの?」
「一昨日さ……お前の裸を見ちまったら罪悪感で寝付けなかった。おかしいだろ……?」
「うん……お姉ちゃんはきれいだと思うけど、わたしは別に」
「だろ? だから俺はヘンなんだよ」

 それからしばし沈黙。
 妹は、俺の発した言葉の意味を、頭の中でよく考えているようだった。

 何度もうなずき、やがて俯いた顔を上げた彼女は確認するように……。

「……いやらしいコトをしちゃうかもしれないって意味だよね?」

 肯定するのは辛かった。だが、逃げるわけにはいかない。
 これは俺が男であるとするならば、兄であろうとするならば避けられない問題なのだ。

「そうだ。このままじゃ何をするか自分でも分からない」
「……昔はそんなことを言わなかったのに」
「そりゃあ、昔のオマエは子供だったからな……。でも最近は見違えるほど綺麗になってきたし、体の方も大人になってきた……だからこのままじゃマズいんだよ」

 再び、永い沈黙。
 時計の秒針が刻む音だけが流れる居間を包む沈黙は、それを生みだした俺ではなく、悲しく微笑んだ妹の手によって破壊された。

「………わたしは構わないって言っても?」

 その言葉は巨神の鉄槌のように俺を揺るがした。

「わたしはそうなっても構わないよ……。他に好きな人もいないし、それでどうなるわけでもないし……それに……」

 それにこんなコトでせっかく仲良くなれたお姉ちゃんに嫌われるのは嫌だなぁ、と。

「わたしね……ずっとお姉ちゃんに憧れてた。だから嫌なの……わたしのしてあげられる事が減っていくのが……我が儘かな? 我が儘だよねわたし?」

 そうか、と、俺は唐突に理解した。
 少なくとも俺よりはいい関係を築いていると思っていた『俺』だったが、そうとばかりは言えなかったようだ。

「……いつだったかな? お姉ちゃんが中学生になったあたりかな……? お姉ちゃんね、急に冷たくなったでしょ……だからね、上辺だけは強気を装って、嫌われてもいいから、傍に居られるように……」

 ……後は言葉にならなかった。
 ぽろぽろと大粒の涙をこぼしはじめた妹を、『俺』は、そうすることが当然であるかのように……。

「……ごめんねお姉ちゃん。わたし、お姉ちゃんを苦しめてるって知らなかった……」

 子供のように背中をさすったり、頭をなでてやる手が俺の意思とは無関係に動いた。

「ずっとね、冗談か何かだと思ってた……。お姉ちゃんって昔から外で遊ぶのが好きだったから……なんて言うのかな? 言い方は悪いんだけど、そういうのを正当化するために言ってるんだとばかり思ってたの」
「……オレも自分のことばかりでオマエのことを考えてやれなくって悪かった」
「ズボンを穿きたがったり、野球とかサッカーをしたがったり……男の子みたいだねって、そんなふうに思ってたから……だからお姉ちゃんが必死に訴えても、いつまで男の子だと思ってるのよって……そう決めつけてた」

 でも、と。
 妹は涙にぬれた顔で俺と向き合って。

「本当に苦しかったんだね……ごめんね、今まで気がつかなくって」
「……もういい。オマエの気持ちはよく分かった……俺の方こそもっと早く伝えておけば……」

 ……と。
 妹にティッシュを渡してやろうと手を伸ばしたところで携帯が鳴った。

 舌打ちして通話ボタンを押す。

「…………もしもし?」

 声に不機嫌さが滲み出たのは仕方あるまい。
 一体どこの馬鹿が、記念すべき俺たちの和解の場に────

「やあ忍。実はお前の家に向かってるんだけど、どうだい? 今朝は一緒に登校ってのは?」
「───死ね」

 一方的に通話を打ち切ったついでに携帯の電源も落とす。

「誰から電話だったの?」
「気にすんな。ただのイタズラ電話だ」

 素っ気なく答えながらも妹の世話を焼いてやる。

 まったく……少しは空気を読みやがれってんだ、あほたれ。







 途中で若干のトラブルは発生したが、妹とはいい感じに和解できた。

 特に『俺は男だ』といういつもの主張を、戯れ言ではなく深刻な問題として受け止められたのは大きい。
 おかげで風呂を別々にすることも納得。こちらの服装にもいちいちケチをつけないと約束までしてくれた。

 やっぱり話してみたいと分からないもんだ。
 口うるさい世話焼きとしか思っていなかった妹の本音。それを聞けたのも嬉しいっちゃ嬉しい。

 ……ただひとつ。
 今回の妹限定の家族会議で発生した、頭の痛い点は……。

『わたしがんばるから! いつかお姉ちゃんが自分は女の子なんだって受け止められるように、まずは専門家のカウンセリングから始めてみましょ? もちろんわたしもついてってあげる……だから安心して? お姉ちゃんは一人じゃないんだよ!?』

 こんな具合に妙ちくりんな使命感に目覚めさせちまったコトだったりする。

「今さら言えないよな……最初は風呂さえ別々にできりゃ、それで満足だったなんて……」

 はあ、と思わずため息。

 いい機会だから言わせてもらうが、俺は心の病を患っている痛いコではありません。
 だって俺男だし。男が男だと主張して何が悪いのか。問題は女なのに男だと主張する『俺』の方にあるんだろうがッ。

「なら病院に連れてくのは『俺』が戻ってからにしとけって言いたいとこなんだが……」

 不思議と諸悪の元凶である『俺』を責める気にはなれない。

 ……これは自分でも不思議に思う。
 妹のこと、それにあのバカのこと……今の俺が抱えているトラブルのほとんどは、『俺』の言動が招いたものだ。

 まったく。『俺』がもう少しオトナだったら、こんなコトにはならなかったのに、と。
 恨めしくおもう気持ちがないではないが、なぜか責める気にはなれないのだ。

「……本当になんでだろうな?」

 相手が俺とは別々に生きてきたとは言っても、所詮は同根。自分自身に遠慮するなんてアホらしいし、それに加えて、俺がこんな苦労をしているもの『俺』の所為だというのに……俺はむしろ『俺』に肩入れして行動してる?

「まあいいや……俺の頭じゃ考えても分からん」

 疑問には思うが、俺に起こっている現象を解明するには足りないものが多すぎる。

 思考の迷路に潜りこんでも仕方ない。
 一度だけ頭を振って気持ちを切り替え、無意味な独白を終了する。

 人通りの少ないところならいいが、同じ学校の制服をちらほら見かけるようになったてきた。意味不明の独り言を聞かれて中二病を疑われるのは、出来れば避けたい。

 時刻は八時前。
 昨日に比べればはるかに余裕のある時間帯だが……何か様子がおかしい。

 最初は気のせいだと思ったが、校門を通過したあたりから異様なほどの視線を感じる。
 男女を問わず、すれ違う同学年、上級生、下級生……誰もが俺を一瞥して、思い思いの表情でひそひそと囁き合ってる。

 ……昨日の会話を思い出す。
 柊や牧村あたりに言わせると、『俺』はかなりの有名人らしい。
 
 口にするのも今さらだが、『俺』の外見はかなり目立つ。幼少期の俺をそのまま成長させたような……全体的に顔が小さく、目が大きめに感じるため、漫画やゲーム、ラノベのイラストなどでよく見かける、オタク好みの『ロリ顔』を日本人の顔で無理なく再現してみせたような……そんな顔付きをしているのだ。

 背は低いが、顔が小さめのため全体的なバランスも良く、手足がスラリと長いロリ顔女子高生とくれば、そりゃあ言い寄る男には事欠かないだろうし……そういったスケベ根性丸出しの男どもをつれなく袖にし続ければうわさにもなるだろうが、しかし……それは今日に限って注目を集めている理由にはならない。

 昨日も多少の反応こそあったが、ここまで大げさものはなかった。何か今日に限って騒がれる理由でもあるのだろうか?

「……髪形を変えたのが悪かったのかな?」

 切るのは無理だったが、長すぎる髪が邪魔だったので妹に結わいてもらったのは事実である。

 ……これも失敗だった。
 邪魔だからという俺の発言を都合よく聞き流して、おしゃれに目覚めたものと勘違いした妹は、間違った熱意を全開にして『俺』の髪を弄り抜いた。

 その結果、肩にかかる横髪を残してポニーテールにするという……これまた二次元でよくある髪形に作りかえられてしまったのだ。

 バッグからなぜか持ってる手鏡を取りだして睨みつける。
 いかめしい童顔は、Fateのセイバーとマブラヴの御剣冥夜を足して二で割ったような……それならば、好奇の視線にさらされるのも当然か。

 そう考え、無理やり納得してみせた俺は、そそくさと上履きに履き替え、逃げるように階段を駆け上がって自らの教室に滑り込み。

「聞いたよ忍~~~! あんたついに観念して斎と付き合うコトにしたんだって!?」

 ……そこで俺は、脳天気な柊から事の真相を教わる事となった。

「かぁ~~~~ッ! 数々の男を弄ぶだけ弄んで捨ててきた鋼鉄の乙女も、ついに年貢の収め時ってか? いやめでたいねホント」

 オーケー納得した。そんなうわさが流れてるんじゃ仕方ないよなホント。

「……なんで知ってんだオマエ?」
「なに言ってんのさ。もうね、どこもかしこもこの話題で持ちきりだよ……! あの学校一のフェロモン女、平塚=ほにゃららが、幼馴染みの斎=なんちゃらとめでたくゴールインしたっては・な・しで!!」
「いや、オレが言ってるのはそんなコトじゃなくてだな……」

 視界が暗転する。 

 いや、暗転したものは視界だけではない。
 この感覚……これがもしやフォースの暗黒面に堕ちるというヤツなのかもしれない。

「その話は本来、オレとあのバカしか知らないはずなんだ……わかるか? そいつはオレかあのバカが言いふらしでもしないかぎり、広まらないうわさだって?」

 視界をぐるぐる回して探しだした『あのバカ』に笑いかける。

「その点を踏まえたうえで言わせてもらうが、オレは誰にも漏らしていない。……オマエはどうだ? 当然、二人だけの秘密を守り抜いたんだろうな?」
「あ……あっ、あは、あははははは……」

 ……オーケー有罪。

「なに言いふらしてんだよテメー……」
「いや、だって……その、なんていうかさぁ……」

 ……マズい雰囲気を肌で感じたのだろうか。
 突撃隊長の柊の発言をきっかけに、俊郎を『祝福』していた野郎どもが、ザッと潮が引くように離れていく。

「オマエ……オレの嫌がることはしないって約束をさっそく破りやがったな?」
「えっ……と、それは、その……」
「よし別れんぞ」

 ええええええーっ、とクラス中が喧騒に包まれる。

『マジかよ付き合って一日もしないで破局!?』
『斎君カワイソー!!』
『いやでもしゃーねーって。そういう約束があったんだったら振られるのも無理ねーわ』
『えーでもでも、トッシーってばさっきまであんなに喜んでたじゃない』
『いくらなんでもムゴいわよねー?』
『いいじゃねーの。これで俺らの忍ちゃんがキレイなままでいられたんだからさ』
『まーた男子ってば、平塚さんにそんなコトを』

 ……などと。
 大勢のクラスメイトに囃したてられる俊郎は終始無言。

 生きる気力を失ったその姿は老人と変わらなかった。




「どうしてあんな約束をしたのかしら?」
「……なんの話だよ?」

 人気のない図書室で質問に質問を返す。

 相手は同級生の霧島玲奈。
 もともと暗い性格で、人付き合いの苦手な俺は図書室に逃げ込むことが多かったが、この日も学校中が例の話題で持ちきりの現状に耐えられず、隅っこの方に隠れていたのだが……そこに生徒会の用事で資料を集めにきた霧島と不幸にもエンカウント。最初はお互い干渉しなかったのだが、彼女の用事が思いのほか大変そうだったので手伝うコトにしたのだ。

「だから斎君の話よ。それくらい察して頂戴」

 ……いや。正確には、彼女の発する『手伝わないなら他所に行って頂戴オーラ』に耐えきれなかっただけだが。

「約束って、オレの嫌がることはしないってヤツだろ?」
「ええ。随分な条件だと思うけれども」

 喜怒哀楽の感情を表に出さない霧島玲奈。
 決して冷たい人間ではなく、オレなんぞよりはよっぽど社交的な性格で、雑用係と揶揄されて久しい生徒会の用事を「他にする人がいないから」という理由で引き受ける彼女は……はっきり言って苦手なタイプだった。

「そんなに酷い条件を付けた心算はないんだがな……」
「そう? 貴女の気分しだいで交際を一方的に破棄できる……相当に都合のいい条件に思えてならないわね」

 ……この調子である。

 毒舌家というわけではないし、意図的に言葉の棘をぶつけるタイプでもない。
 ただありのままの事実を、事実として口にする。それが俺のような人間には、どうにも苦手に感じてしまう。

「オレが自分にとって都合のいい条件を押し付けたって言いたいのか?」
「そうね。ルールというものはね、ちゃんと理解している相手にしか適用してはいけないのよ。契約にしろ何にしろ、ルールはそれを持ちかけた側に説明責任が生じる。貴女は彼にそこまで説明した?」

 彼女は怒っているのだろうか?
 オレがそんな条件をつけた事と、まさに彼女の言うようなルールを振りかざして別れを告げたことに。

「アレはあの場を収めるために言ったものだ。本気で振ったワケじゃない」
「でも本気で付き合うつもりもないのでしょう?」
「……どうしてそう思うんだよ」
「勘ね」
「勘かよ」
「ええ……私は貴女という人間を理解しているとは言えないから」

 でもね、と。
 霧島玲奈は珍しく憂いのようなものを感じさせる表情で、俺に忠告した。

「貴女が本当の意味で他人を受け入れる事はないように思えるの」
「…………」
「皆は性質の悪い冗談だと思っているみたいだけど……貴女が自分の性別に違和感のようなものを持っていることは知っているつもりよ」
「それはそれは……」
「茶化す必要はないわよ。この話は誰にもする気はないから」
「…………」
「貴女が着替えるときに異常なほど周りを気にしていることも気付いていたし、彼を防波堤のように便利に使っていることも知っていたわ」

 ……彼女は『俺』を、俺たちを責めているのではない。ただ憂慮しているのだ。

「だからね。傷つくのは貴女だけではないことを知っておいてほしいの。貴女と斎君の問題に口をはさむつもりはないけど……ごめんなさい、見てられなかったのね」

 呟くように漏らして、この話はこれでお終いと言うかのように深呼吸する。

「手伝ってくれてありがとう。この量は私一人じゃ運べなかったわね」
「……礼を言うのは運び終わってからだろ?」
「そうね。それじゃ、三階の生徒会室までお願い」

 よしきた、と努めて明る声を出して扉を開ける。

「おっと、珍しい組み合わせだな? 誰かと思ったら忍と玲奈じゃん。こんなところで何してんだ?」

 すると俺たちの前を横切ろうとしてた少女が足を止めて言ってきた。

「水無月か。お前こそ何してんだ?」
「アタシはこれから教室に戻るとこ。……で、ソッチは?」
「生徒会の用事よ。平塚さんはその手伝い」

 水無月杏子。
 校則で禁止されていないのをいいことに、頭髪を朱色に染めた問題児は、しかし、教師らが言うような『不良』でもなかった。

「ならアタシも半分ずつ持ってやるよ。アンタら二人じゃこの量はキツイだろう?」
「助かるわ」
「いいっていいって。困ったときはお互い様ってね」

 ……もっとも、決して扱いやすい人間でもないのは、次の台詞から容易に判別される。

「ところで忍。アンタ本気で俊郎と付き合う気あった?」
「またその話か……」
「またぁ? ……ってことはアレか。玲奈にも散々問い詰められたってワケか」
「散々ではないのだけれども」

 ワリーワリーと笑いつつも、水無月は俺の答えを待ってるようだった。

「俺なりに本気のつもりだったんだが」
「ああそう? ならちょうどいいか」
「ちょうどいい……?」
「ああ。ちょうど他のヤツらもさそって遊びに行かねえかって話してとこなんだよ」
「目的地は?」
「それはメンツが決まってからみんなと相談してだな」

 水無月は続ける。

「今のところ綾香と愛美は確定。由香里もアンタらが来ればついてくんじゃねえか?」

 というワケでだな、と。

「俊郎も連れてこいよ。仲直りをするんだったら早い方がいいぜ」
「……強引だわ」
「いいじゃねーか。……でもそうなるとヤロー込みで七人か。カラオケかゲーセンあたりが適当かな?」

 水無月杏子は俺と霧島の参加が確定事項であるかのように、放課後の予定を練り始める。

「私はご一緒すると言った覚えはないのだけれど」
「でも来るんだろ? カラオケとか好きじゃねーか?」
「……そうね。考えさせてもらえるかしら」

 そう答えて、霧島は俺の判断を待つかのように一瞥を寄越した。

 俺が行くと言えば行く。行かないと言えば行かない。それは判断を押しつけたのではなく好意の表れ。
 彼女は水無月の無遠慮な誘いに、俺の気持ちを優先すると視線で表明したのだ。

「そうだな……あのバカが来るかどうか知らんが、たまには付き合うか」
「やりぃ! そういうコトならパーッとやらねぇとな!!」
「あまりハメを外しすぎるのもどうかと思うわ」

 跳び上がってガッツポーズをする水無月を横目に感謝の視線を送ると、霧島は珍しく───本当に珍しく苦笑らしきものをしてみせる。

「でもどういった風の吹き回しかしら? 貴女がこの手の集まりを避けていたように感じていたのは私の勘違い?」

 俺にだけ聞こえるように耳元で囁いた霧島に返答する。

「いや間違ってない……が、あえて言えば『俺』のためかな?」

 ……居心地の悪さを感じながらも答える。
 なんでもいいが顔が近すぎる……もうちょい離れてくれると嬉しいんだが。

「自分のため? それならやっぱり後悔してるってこと?」
「うんにゃ。アイツの世界を狭めたくないだけだ」

 意味が分からず小首をかしげた霧島の姿は可愛らしいものだった。
 結局のところ、俺たとは今まで、そんな事にも気付かないほど人との関わりを避けていたのだろう。

 ……一人でウジウジ悩んでいたら、いつか性根まで腐ってしまう。
 それは俺が『俺』になって、妹をはじめとする幾人かと関わるようになって、初めて理解した自明の理だった。







──────────────────────────────────────────────────────────────────────────────







「言いたい事を言ってみようのコーナー!」
『わーパチパチパチ』
「オレ、独り言が多いでしょうか?」
『多いわね。たまに引くわ』
「説明セリフが多いでしょうか?」
『多いわ。読みにくいったらありゃしないわよ』
「仕方ねぇだろうがッ!!」
『あら、そう』
「ふう……すっきり」
『よかったわね』
「……ところでオマエは誰だ? この欄外の使用者はオレだけって話なんだが?」
『さあ?』
「さあって……オマエな」
『ところでその乱暴な口調はどうなの? 可愛らしい顔に似合わないわよ?』
「そういうオマエはどうなんだよ……似合わないって言うならオマエの方こそ似合わんぞ?」
『わたしはいいのよ、女だから』
「あれ? そうだっけ?」
『ええ。長年自分を偽り続けた結果だから、今さらの矯正は難しいわね』
「なんだかよく分からんが、オマエも苦労してるみたいだな……」
『あなたほどでは……いえ、そうでもないかしら』
「うん?」
『朝起きると男性器が勃起してるのは何故かしらね?』
「……………………」
『まったく不便な体ね……用を足すのも一苦労だわ』
「…………まさかオマエ」
『いけない、もうこんな時間だわ。早く帰らないと……』
「待て! お前には聞きたいコトが……ってクソ、行っちまいやがった」



 つづく?









[33245] ああ、いかんいかん……俺は男だ俺は男だ……【今回は微妙な表現があるので注意】
Name: アサギ◆48dca835 ID:9148ac58
Date: 2012/06/09 08:56



「まぁ、そんなワケでよ。同級生の水無月に誘われて、同じクラスの連中と遊びに行くことになったんで……おい芽衣、人の話を聞いてっか?」
「……なに怒ってんのよ。ちゃんと聞いてるってば」
「お、おう。……悪い。別に怒鳴ったつもりはなかったんだが」
「だからいいって。ようするに晩ご飯は外で食べるから用意しないでいいんでしょ?」
「う、うん。まあそうなる」
「うん、わかった……。いいじゃない、楽しんでくれば?」
「なあ芽衣……オマエやっぱり怒ってないか? さっきから言葉の端々に棘があるというか……」
「べっつにぃー? ただ外で食べるんだったらもう少し早く連絡してほしかったなー、なんて思ってないわよ?」
「いやまだ四時前だぞ? どんだけ気合の入った晩メシを作る気だったんだよ!?」
「なによ、気合入ってちゃ悪い?」
「いやな、その……別に悪いとは言ってないというか、どっちかっていう逆よかなんぼかマシかと……」
「ふんだっ。今朝はあんなコトがあったから頑張ろうと思ったに……じゃあねお姉ちゃん。わたしは一人でケーキでもつまんでるから」
「いや帰る! なんとか早めに切り上げて帰るから……!」
「べーっだ! 帰って来たって犬のエサしか用意してやらないんだから!!」
「い、犬のエサって……」
「わたしは御馳走。お寿司に松茸のお吸い物。茶碗蒸しも用意したし、鶏肉だって揚げる予定だったのに……うふふ、楽しみだなぁ。それじゃそういうコトでよろしくッ」

 ガチャン、と受話器をたたきつける音を最後に通話が途切れる。
 昼休みに水無月というクラスメイトに遊びに行かないかと誘われたのでオーケーしたら、メシも途中で食う予定だというのでそれなら妹に言っておかないとマズいかと連絡したらこの始末。

 今朝になってようやく分かり合えたと思ったのに……まったくどんだけ気難しいんだアイツは。

「その様子じゃ、またぞろ芽衣ちゃんを怒らせたみたいだな。忍」

 その様子を横から眺めていた幼馴染みが見慣れた笑顔で肩をすくめる。

「なに笑ってんだよテメエ……」
「笑いたくもなるってもんさ。まったくお前ときたら、昔っからこの調子なんだもんな」

 やれやれ、と大げさな身振り手振りを交えて、こちらをからかう気配を見せる見せる俊郎に腹立つものはあったが、今は堪える。

「どういう意味で言ってんだよ、それ」
「そのまんまの意味……。昔のお前は男の子みたいな恰好をして、男の子みたいに遊んで芽衣ちゃんたちを困らせてただろ? どうせお前が悪いに決まってるんだから、拗れる前に謝っちまえよ」

 ……ふむ。
 これは貴重な情報だった。

「知るかよ。たんにアイツが気難しいだけだ」
「おいおい、気難しいって鏡を見てから言えよ。お前以上に気難しいヤツが何処にいるって?」

 これまた大げさに嘆いてみせた俊郎の話は、俺たちの過去を知る上で貴重この上ない手がかりである。

「そんなに気難しいか?」
「そら、そういう顔。そういうところが気難しいって言うんだよ」

 したり顔にこめかみのあたりがヒクついて仕方ないが、今は我慢だ。

「るせぇ……オマエにオレの何が分かるってんだ」
「たしかにお前のコトなら全部知ってるとは言わないし、実際に知ってることだってそれほど多くない」

 それでもまったく知らないわけでもないと、幼馴染みの斎俊郎は『俺』の過去を語り始めた。

「お前があまりに堂々としているからさ、子供の頃はそれが当然だと思ってたけど……たまに女の子なんだからどうこうって言ってくるヤツがいただろ? するとお前は決まって『俺は男だ』って」
「実際にオレは男なんだから仕方ねェだろうが」
「ほらこんな調子さ。僕も本当はそうなんじゃないかってたまに心配になる」

 自分の性別に違和感を持っていたという『俺』は、事あるごとにそう主張してみんなを困らせていたという。

 この辺りは軟弱な外見からそう見られることを嫌っていた俺とほぼ同じ。違うのはこの馬鹿が出会った当日に開口一番口説いてこなかったことくらいか。

「中学に入ったあたりから急に自分のことを『わたし』って言い始めるようになったんだよな。……僕はようやく女の子の自覚が芽生えてきたかと感心したんだけど、お前ときたらたんに外面を取りつくろってただけなのな」
「なんだよそれ……人聞きのワリィ」
「はん、それが証拠に家族や僕の前じゃ『俺』で通してたじゃないか? お前が『わたし』だなんて言い始めるから女の子として扱おうとしたら怒るし……今だって人の好意を拒絶したと思ったら次の日にはオーケーして、そのまた次の日には別れるって言いだしたり……ホント、気難しいのはどっちだよ」
「……『わたし』?」

 ……違和感があった。
 その正体に気がついた俺は口に出さずにはいられなかった。


「ちょっと待て……オレは中学に入ったあたりから、自分のことを『わたし』って言うようになったんだな?」
「ああ、だいたい五年前ぐらいからだから、もうちょっと前かもしれないけど……馬鹿の相手をするのに疲れたんだろ? いちいち『俺は男だ』って言わなきゃ、その馬鹿も現れないしね」

 その理屈は正しい……。

 目立って異常だと訴えなければ、正常な周囲に拒まれることもない。
 白いカラスにも自分の羽に泥を塗って、黒く見せる程度の知恵が生まれたとしても不思議ではないが、しかし。

 それなら、どうして──── 

「……なんで不思議に思わないんだ?」
「ん? なんの話をしてるんだよ?」
「だからオレ……一昨日かそこらから、オレはお前たち以外の相手にも、自分のことをオレって言うようになったのに……」
「あれ、そうだったか……?」

 テメエが言いだした話だろうが、という言葉を飲み込む。

 ……俺は今までユメを見ているんだと思っていた。
 胡蝶の夢。 大昔の偉い人が、蝶になって百年かそこらを花の上だかで遊んだと夢に見て目覚めたが、自分が夢で蝶になったのか、蝶が夢見て今に自分になっているのかと疑ったという中国の故事。
 女になった俺の姿を見ても驚かない妹や、別人のような声を聞いても疑問に思わない両親。幼馴染みに学校の連中。それら全てが胡蝶の夢に当てはめれば解決する。
 夢の中の蝶はそんな事を疑問に思わない。如何なる不条理も夢であるなら誰もが納得する。

 だからきっとそうなんだろうと、他人事のように考えていたんだが……憑依先の『俺』を知るにつれ、その確信が揺らいでいく。

「世界の改変か? どこかのラノベのように自分の世界を好き勝手に作り変えて、過去もついでに改竄するという……」
「それこそなんの話だよ?」

 馬鹿なコトを言ってないで行こうぜ、と手を引かれながら考える。

 ……どうにも居心地が悪い。
 女の身体には慣れたが。いや慣れてどうするって話ではあるが。それでも用を足すたびに、いちいち慌てない程度には慣れた。それはいい。

 でも俺が現状を受け入れたのは、いつか『俺』が戻ってくるという根拠のない確信のようなものがあったからだ。

 逃げ出した先に楽園などは無いという狂戦士の言葉に全力で同意する。
 女であることに嫌気がさして逃げ出しても、女には女の苦労があるように、男には男の苦労ってものがある。

 だからお互い嫌気が差したら元に戻れるんじゃないかと、そんなアホらしいほどの楽観が俺の中にはあったんだが……それが今の話で崩れてしまった。

 どちらかが受け入れ、馴染んでしまったら、決して元の自分には戻れないのではないか、と。
 それこそ過去に遡って、『俺たち』という異物が受容されているのではないかと、不安を覚えるほどに────

「……って、おい!?」

 自分の左手を遠慮がちに包み込む男の手に、今さらながら気がつかされた。
 不思議と逆らう気になれないその感触。その事実に、俺の意識は総毛立った。

「なにを勝手に人の手を握ってやがるッ……!」
「ぐはっ……!?」

 とりあえず正義の怒りを爆発させて右手をたたきつける。
 パンッという小気味の良い音に続いてズデンッという間抜けな音が響き渡る。

 まったく、俺は男だと言ってるのに……この変態野郎め。当然の報いだ。







「どうしたってのよ斎? アンタのその顔?」
「ああ、気にしないでいいよ柊……僕らの中じゃわりとよくあるコトだからね」
「それじゃ犯人は忍か……アンタも大変だね? つか意外と忍耐強い?」

 などという会話を聞き流して、九人に膨れ上がった集団の最後尾を歩く。

 同行者は主催の水無月杏子と、アホの子代表の柊綾香、そして意外にこの二人と付き合いの長い変質者が先頭に。
 以下、大人しい性格の牧村由香里と、今時の女子高生といった感じの伊藤愛美(いとうまなみ)。それに俊郎のツレが二人といった第二グループ。
 最後尾は俺と、なんでついて来たのかイマイチ不明な霧島玲奈。この内訳。

「で、今日はどこで勝負? ボーリングのリベンジ?」
「んー、それもいいけど今日はメンツがちがうからね。以前の勝ち負けは持ちこさないよ」
「へー、杏子ってば意外と殊勝な性格……ってアンタは勝ち組じゃん! 一方的に負け越したわたしの汚名挽回! 名誉返上の機会は!?」
「挽回するなら……いいや。柊にはそっちの方が似合ってるしね」

 と、見た感じ先頭グループは会話が盛んだ。

 社交的というか、物事を深く考えないタイプの人種が三人。この三人は俺を除いた全員と友人を名乗れる程度には交流があるらしく、今回メンバーがクラスの四分の一にまで膨れ上がった原因は、間違いなくこいつらにあった。

 第二グループの連中は、牧村と伊藤以外それほど親しくないようだが、それでも打ち解けた雰囲気で会話のキャッチボールを楽しんでいる様子。

 その中心に存在するのは水無月であり、柊であり、俊郎だった。
 集団の核となりえる素質……それが俺のような人間には羨ましく思えるときもある。

「……人徳といったところかしらね」

 同じことを考えていたのか、霧島が感心したように息を漏らした。

「まあ、優等生のお前を引っ張りだしたんだから大したもんなんだろうな」
「あら? 私はこの手の集まりを毛嫌いしていた貴女を引っ張り出したのだから大したものだと思っていたのだけれど?」

 お互いに何とも言えない感想を笑い種にするが悪意はない。

 今の段階では楽しんでいるとまでは言えないが退屈もしていない。
 少なくとも期待するだけ無駄ということはないだろうと示し合わせたように視線を向けると、ちょうどその話で盛り上がっているところだった。

「でさ杏子ー。今日はゲーセン? それともカラオケ? もったいぶらないで教えてよ」
「ふひひ、今日は両方だって愛美」
「偏差値40のテメーにゃ聞いてねーっつってんだろ綾香」
「なぜこの扱いかッ!?」
「そりゃ毎回赤点で、アイツの補習はもう嫌だって教師に音をあげさせた綾香だかんな。愛美も伝言ゲームの最後から聞かされるような内容を伝えられちゃ堪んねェんだろ」

 ギャハハハハ、と柊をネタにして爆笑する一同に振りむいて、主催者の水無月が説明する。

「っつーコトでアタシから説明すっけど、今日は駅前のゲーセンで時間をつぶして、メシ時になったらカラオケ。メシもそっちで食うからよろしくな」
「……なんだか金のかかりそうな計画だな」

 俺の素直な感想が聞こえたのか、水無月はニカッと笑ってこう続けてきた。

「それは大丈夫。ゲーセンの方は五時からトーナメント方式で勝負すっから金はそんなに使わないし、カラオケの払いも言い出しっぺのアタシが持つからさ」
「マジで!? 杏子ってば太っ腹ぁ~~~!!」
「おいおい、テメーの分まで出すとは言ってねェぞ?」
「だからなぜにこの扱いかッ!?」
「そりゃ柊……君が以前、僕の払いでさんざん飲み食いしたのを知ってるからだよ」
「まあそういうコト。コイツにゃエサをやらないで下さいって張り紙が必要だな」

 またしてもどっと沸く一同を前に考える。

「っていうかトーナメント方式で勝負ってなんだよ、水無月」
「ん? クジで組み合わせを決めたら、ゲームもクジで決めて勝負の繰り返し。公平だろ?」

 ……ふむ。
 それならあまりゲームをしてなさそな霧島でも楽しめそうな。

「もちろん優勝者には豪華な賞品をプレゼントってね」
「それもオマエの払いか? 柊じゃないが随分気前がいいんだな……」
「いや、これはアンタの管轄」

 意味が分からなかったのは俺だけではないらしく、一同は不思議そうな顔で俺と水無月に視線を往復させている。

「へへっ……今回の商品はなんと!」
「『なんと?』」
「恋人になったら胃に穴が空きそうな女子生徒ランキングで二年連続ぶっちぎりトップのアイツ! ファンクラブが乱立する学園の地蔵娘! 平塚忍を自由にする権利をプレゼントだ!!」
「なっ……」「『ぬわぁ~にぃ~~~ッ!!?』」

 ……と。
 叫ばずにはいられなかった俺が気圧されるほどの歓声が沸き上がった。

「マジかよ! 話しかけるどころか半径五メートル以内への侵入すら許されない俺らパンピーでも、忍ちゃんと握手していいとか?」
「おい、お前ら人の女に……」
「いいよいいよ。本人の許可はとってあっからよ」

 おいそんな許可誰が出した?
 つか恋人になったら胃に穴が空きそうな女子生徒ランキング二年連続ぶっちぎりトップ?
 ファンクラブが乱立する地蔵娘?

 こいつらいったい何の話をしてるんだよ……?

「スゲー杏子マジスゲー! ヤベッ、緊張で手が震えてきた!!」
「これだから男子は……やめてよね。ウチらの忍を穢すような真似はさ」
「でも愛美ちゃん……ちょっといいと思わない? 平塚さんとデートできるんだよ?」
「あーそれは胃に穴が空きそうだからやめといた方がいいというか、君子危うきに近寄らずだと思いまーす」
「そうそう。後腐れのないように一発だけってのが一番だって」
「水無月……それは僕への挑戦と受け取っていいのかな?」

 ……いや。
 そんなのは相手が誰でも全力で拒否……っていうか、水無月のヤツは冗談で言ってるんだよな……?

「まあ話しかけられるだけでもラッキーだよ。忍ちゃん可愛いもんな」
「忍ちゃんマジ女神……じゃねーや、美少女神! もう最強!!」
「はあ? 忍が可愛い? カッコいいって言うんだよコイツは」
「うん、凛々しいよね平塚さんって」
「バッカ、男前だって」
「可愛いって言うより美人。美人って言うよりハンサムだよな忍は」

 ……抗弁しません。
 もうなんとでも言って下さい。

 これでも自覚はあるんです。
 駅前のビルの一角。ショーウィンドウに映った自分の姿。いつものすまし顔はなりを潜め、困り果てている様子は、他人事なら俺だって無責任に同意したことだろう。

「大人気ね」
「頼むから言わないでくれ霧島……」

 俺の意思はどこに働いているのだろうか?

 女になって大人気だなんて、俺の望んだ世界じゃないんだけどなぁ……。







「……よりにもよってそれかよ」
「なによ。よりにもよってって」

 不満そうな霧島がコインを投入したのは、動画サイトで大人気の例のアレをゲーム化したもの。
 まさかコイツがヘッドホン持参でプレイするとは思わなかった……。

「ま、言いたいコトは解らないでもないわ……わたしも最初はパソコンで合成した電子音に人を感動させる歌は作れない、って思ってたもの」

 言いながら慣れた手つきでボタンを叩く。
 発言の内容といい、プレイに興じている姿といい……もしかしてコイツ?

「実際、たまたま耳にした最初の曲は私の心にまったく響かなかった……でもね。これまた偶然なんだけれど、テレビで見かけたあの曲には驚いたわ……プロが作ったと聞いて成程と思う反面、ここまでのポテンシャルを秘めていたのねって」

 筺体の液晶画面には、特徴的なツインテールの女の子が「ぽぴー」っと走り回っている姿が映し出されている。

「それからはもう夢中ね。……もともと作曲には自信があったけれど、これを知ってからは作詞の方もイメージが沸いちゃって……いつかこの子で天下を取る。それが私の野望よ」
「あはは、そうでしたか……」

 ……もともと俺が霧島についていたのは、できればコイツに優勝してほしかったからだ。

 俄然本気になった一同が協議に協議を重ねた結果、勝負は互いの得意ジャンルを交えた三本勝負。最後の三本目はクジでジャンルを決定するというルールに変更になったので、一番無難な要求をしてきそうな霧島をだ、趣味はゲームというこの俺が強力に後押ししてやろうと思ったのだが……もうそんな気にはなれない。

 何を隠そう学内随一の優等生。
 お嬢様然とした霧島玲奈は、あろうことか根っからのミ○フリークと判明!!

 こいつが勝ったら絶対初○ミクのコスプレを要求してくるに決まってる……!

「ま、まあ頑張ってくれ……俺は他の連中の様子を見てくるからさ……」

 じりじりと後ずさるように遠ざかるが、ゲームに夢中の霧島は気がつかない。それを好機と脱出したはいいが……はたしてこれからどうしたものやら。

 誰を応援するかとなると、俊郎は論外。いうか危険。
 俺を自由にする権利なんて手に入れたらナニをしたがるか……口にするのもおぞましい。

 が、他の連中はどうかというと……水無月と柊も目が本気だったからなぁ……。
 やっぱりフツーの女子高生している伊藤愛美か、あんまり無茶な要求をしてこなさそうな牧村由香里あたりが無難か。

 そう思って様子を見に行った俺は目の前の光景に頭がくらくらするのを感じた。

「じゃあどっちが勝っても権利は半分ずつでいい?」
「うん、頑張ろうね愛美ちゃん」
「最後のクジさえどうにかなりゃ勝ったも同然だって……こいつでウチらに勝てるヤツはいないっしょ」

 ……クレーンゲームの前。
 既に山のようなぬいぐるみを勝ち取って、伊藤と牧村はガッツポーズのように互いの拳をぶつけ合う。

 その姿は長年の戦友と新たな戦場に挑む兵士か、それとも。

「目指せ」
「平塚さんゲット」

 ゲットって、おい……背景に炎が燃えているのが見えるぞ?

 今さらながら俺の参加が満場一致で否決されたのが痛いんですけど……。







「やっぱり知り合いになるんじゃなかったな……本当にろくなヤツがいねーじゃねェか」

 もう俊郎のツレあたりで我慢すっかなーと妥協するほどに、負のオーラを立ち昇らせる一同の姿に心底絶望。紫煙が恋しくなった俺は、一人ゲーセンを抜け出し、路地裏の自転車に腰かけ黄昏ていた。

「やっぱり見た目の所為だよ……こいつがもうちょい大人しけりゃ、こんな苦労をする羽目にも……」

 愚痴りながらポケットの中を探すがどうにも見つからない。
 ある種の男らしさに憧れて手を出して以来、こういう時の気分転換に愛用していたそれは鞄の中にも無かった。

 はて? 妹に見つかって処分されたのか、それとも……。

「ああ、忘れてた。今の俺は『俺』だっけか」

 どうやらこっちの俺はその手の嗜好品に手を出していない様子。

「でもそうなると面倒だな……親父のタスポをくすねにゃ自販機も使えんっつーのに」

 その父親も出張中でしばらく帰ってこないとなると仕方ない。あまり褒められた習慣ではないし断念するか。

 そう嘆いて、中に戻ろうとしたとこでソレに気がついた。

「────ッ」

 ……思わず喉が詰まる。
 見れば路地裏の入口が幾人かの人影にふさがていた。

 人数は確認できる範囲で三人。全員男。年齢は二十歳前後。
 大学生くらいだろうか、どこにでもいそうな格好をした一般人にしか見えないのだが……そんな平々凡々とした有象無象に恐怖している理由は明白。全員がこちらを見て、ニヤニヤと笑っているからだ。

「……何か用かよ?」
『何か用かよだってよ』
『へー、意外とワイルドなカンジじゃねーの』
『でも悪くないぜ? こういう生意気な女に言うことを聞かせるってのはよ』

 訊くだけ無駄だったと後悔する。
 まともな返答を期待できないことは、全員の表情から明白だったというのに。
 そんな事に時間を費やすくらいなら、さっさと助けを呼ぶなり逃げ出すなり……!

「……………………」

 だが現状ではそこまでの危機感はなかった。
 路地裏さえ抜ければ人通りは多いし、大声を出せば聞こえる範囲にツレがいると。
 本気になって逃げさえすれば、追いつかれる方が難しいと。

「…………んっ!?」

 その考えが度しがたいほど甘いことはすぐに思い知らされた。

 背後から回された手に口をふさがれ拘束される。
 無様に抜け出そうとする俺の姿を確認した男たちが動いた。

 あっという間に包囲され、両足を持ちあげられ……後は一瞬だ。

 今の俺はあまりにも軽く、そして非力だった。
 ユメの向こうで身体を鍛えた経験は何の役にも立たず、後ろの通りに用意されていた車に押し込められそうになる。

 ……そうなったら終わりだ。

 こいつらに集られ、毟られ、貪られ。
 女の身に生まれたことを呪わずにはいられないような地獄を見せられ、最悪命までも────

(ざけんなッ……!)

 危ういとこで自由になった左足を後輪の隙間にねじ込む。これをどうにかしないかぎり車両が発進することはない。

『この女ぁ……!』
『なに手間取ってんだよ!?』
『さっさと足を引っこ抜いて乗せちまえッ』

 自分が何を言っているのか、相手が何を言っているのか、そんな事すら把握できない。
 本当にただひたすら必死だった。これから自分に押しつけられる運命を許容するのは到底不可能だった。

 無茶苦茶に暴れて、お返しとばかりに殴られる。

 殴打は一発では済まない。
 こちらの抵抗を削ぐためか、暴力はエスカレートして、やがて……。

「────おい」

 打たれた痛みでかすんだ視界の向こうから、知らない誰かの声を耳にした。

「誰の女に手を出してると思ってやがる……!!」

 俺の上に覆いかぶさっていた男が無理やり引きはがされる。
 そのまま背後の電信柱に叩きつけられて悶絶した男はそれでお終い。

 だが他の男たち。
 総勢で五名になるが……五人の暴漢は怒声を上げてソイツに襲いかかった。

 中には金属バットのような武器を持っているヤツもいる。
 数の不利に武器の有無。それを考えれば目の前で起きた光景はあまりにも現実味がなかった。

 ……まるで相手になっていなかった。

 そいつは男たちの攻撃をいなし、あるいは躱し、そのたびに反撃のを叩きこみ、一発で仕留めていく。
 それはどこか幻想的な……空想、あるいは創作の中にしか存在しない英雄譚のように、俺を魅了してやまなかった。

 女なら……いや、男であっても憧れずにはいられない光景。それが目の前にあった。







「大丈夫か忍?」

 やがて一方的な闘争も終わり告げ、無人の車内に座り込んで呆然としていた俺を、壊れものでも扱うかのように運び出したそいつは言うのだ。

「……酷い有様だな」

 手を伸ばし、ボタンの千切れた襟元を閉めようとして諦めたそいつは、コートを脱いで俺の両肩にかける。
 無意識の動作で上着の前を合わせた俺は、しかし、何かを言おうとして言葉に詰まった。

「悪いな、もうちょい待ってくれ……まだ後始末が残ってるんだ」

 申し訳なさそうに笑って、そいつは倒れている男たちを締め上げにかかった。

「お前らの顔は憶えた……次にこの辺で見かけたらどうなったら分かってるよな?」

 ……こいつは本当にあいつなのか?
 俺たちの幼馴染みで、俺たちと馬鹿をやっていた、あの。

「消えろ……二度とそのツラを見せるな」
「俊郎……」
「悪い。説得に手間取っちゃったよ」

 六人からなる暴漢を苦もなく撃退した幼馴染みがいつもの笑みをみせる。

「乱暴は……チクショウ、何度か殴られたな……」
「あ……これはちょっとぶたれただけで全然へっちゃら! 本当にたいしたことないって!!」

 それが怒りに歪められる光景に堪らず言いたてる。
 自分でもどうしてこんなに慌てているのか、まったくと言っていいほど分からなかったが。

「そうか……ま、お前が気にしないって言うなら僕も忘れるけどな」
「……俊郎」

 と、胸を締め付けられるような気分で幼馴染みの名前を呼ぶ。

「おまえ強かったんだな……」

 呆然と率直な感想を漏らすが、これはどうやら失敗だったようだ。

「強かったってんだなって……僕が空手をやってるのは知ってるだろう? これでも黒帯だよ」

 どこか不満そうに構える俊郎に「いや全然」と口にしたら漫画のようにずっこけてやんの。

「全然って……酷いな。僕がこうして強くなったのはお前のためなんだぜ? いつかこうしてお前を守ってやるためにさ?」
「いや以前のオレは、お前なんぞにこれっぽちも関心なかったし、陰で何をやっていようが知ったこっちゃなかったし」

 ああ、安心した。

 こいつは俺の知ってる俊郎だ。
 膝を抱えて蛍の光を口ずさむ俊郎の似合うこと似合うこと。

 しかし、危ういところを助けてくれた親友の姿としては、いささか……。

「とにかく助かったよ。サンキュー俊郎」

 なのでフォローのつもりで口にすると、はたしてそいつは。
 ノロノロと立ちあがったそいつは、そのままゆっくりと……。

「───忍」
「あ、ちょっ……!」

 すっぽりと男の胸の中に収まる。

 抱擁などまったくの初体験だ。
 それも男に……だが不思議と抵抗する気になれない。

「怖い思いをさせて悪かった……もっと早く気がついていればこんなコトには……」

 耳元で囁かれたのは自分を責める言葉だった。

 それが苦しい。それが切ない。
 涙腺が熱く、身を任せそうになる。

「いいよ……そんなのおまえの責任じゃないし、結局間に合ったんだしさ」
「そうはいかないって……もし間に合わなかったらお前は……」

 ……ダメだ、もらい泣きしそうだ。

 ああもう、こうして見るといい男じゃないか……それにここまで思い詰めるなんて、そんなに俺を大事に思っていたなんて……ああダメだな。今ならなんだ……少しぐらいなら許してやってもいいというか、ぶっちゃけ少しでおさまるかな?

 なんていうか俺、さっきから下腹のあたりが熱くて仕方ないんだけど────

「って、ちょっと待て」
「ん?」

 俺は何を考えていた?
 俺はこいつに何をされている?

「なんだよ忍……耳まで真っ赤だぞ?」
「テメエがそうさせたんだろうがッ」

 慌てて俊郎の腕から抜け出す。
 本音を言えば、鼻の下を伸ばしたみっともない顔をひっ叩いてやりたかったんだが、それは曲がりなりにも助けてもらった身としては不義理にあたるので自重した。

「……まあいいや。お前もゲームを楽しむ気分になれないだろうから今日は帰ろうぜ? あいつらには悪いが適当な理由をつけてくるから、表の通りで待っていてくれよ」
「お、おう」

 自分のものとは思えないほど熱く、全身に血液を送りこむ胸のあたりを撫でながら答える。

 危なかった……本当に危なかった。
 ぶっちゃけ暴漢に襲われたときよりもヤバかった。

 っていうか俺。
 なんでこんなにドキドキしてるんだ……?

「しかし……」

 と。

「思っていたよりあったんだな……本番を楽しみにしてるよ」

 ふざけた台詞を口にした幼馴染みのケツを蹴りあげる。

 これは不義理の範囲外。
 正当な乙女の怒りを爆発させた結果だと……って、さっきから何を言ってるんだ俺はッ!?







──────────────────────────────────────────────────────────────────────────────







『言いたい事を言ってみようのコーナー!』
「……………………」
『無様ね』
「……………………」
『まったく堕ちたものだわ。何が俺は男よ。俊郎なんかにドキドキしちゃっていやらしいったらありゃしないわ』
「……………………』
『まあ今のわたしが口出す筋でもないわね。お互いに馴染んでいるようだし不干渉でいきましょ?』
「……そうはいくか」
『あら、どうして?』
「『どうして』じゃないだろ! もうッ」
『わたしの身体なら好きにしてもらっていいわよ? 今はあなたの身体なんだから気兼ねなく』
「……いや、別にお前の身体なんて……」
『そう? 聞いた話じゃ随分と興味がある様子だったけど?』
「ギクッ……!」
『えーと、なになに……直前でボツにした第一話では』
「は……? なんだよその話?」
『初めて目にする異性の身体に青い好奇心が爆発。そのまま指を這わせて……』
「わー! わーわー!」
『そんなに慌てる事じゃないわよ……。言ったでしょ? 好きにして構わないって……こっちも好きにさせてもらってるしね』
「す、好きにって具体的に何をッ!?」
『秘密』
「秘密って……オマエいい加減にしとけよ?」
『女性のプライバシーを詮索するなんて最低ね』
「都合のいい時だけ女になってんじゃねぇッ」
『あら時間だわ……それじゃまたの機会に逢いましょう』
「だから待ちやがれ! 今度こそ逃がすかってんだ!!」
『せっかちな男ね……ホント、なんで好かれているのか疑問だわ』
「そんなもんオレが知りたいぐらいだ……!」



 ……つづく?









[33245] わたしだってこんなコトになるとは思わなかったんだから【今回は微エロ注意】
Name: アサギ◆48dca835 ID:9148ac58
Date: 2012/06/11 10:27



 ……痺れるような感覚に目を覚ます。
 眠っていた意識が警告を発するほどに。下腹部が痛いほど存在を主張するほどに。それは、これまでに経験したことのないほどの不調であり、違和感であった。

「なに……? なんなのよ、もうっ……こんな朝っぱらから……」

 起き上がってお腹のあたりを撫でる。

 最初は生理が始まったものだと思っていた。
 五年前に始まった、違和感を確信に変えるほどの苦痛。

 この感覚は、確かにソレが一番近い。 
 だが、それにしては様子がおかしかった。

 まず、下腹部を内側から削り取るような鈍痛がない。
 そして以前の自分には無かった肉体の一部とでも言うのか、新しく付け足された手足のような存在を、わたしの右手は認識している。

「…………なにこれ?」

 布団をめくって確認すると、寝間着の上からも判別できるほどに股間が盛り上がっていた。

 妹が悪戯でもしたのだろうか?
 だが世話好きで口うるさい妹ではあるが、彼女がこの手の悪戯をしてきた事実は過去にない。

 それにどんなふざけた真似をすれば股間がこうなるのか、わたしには想像がつかない。

「まさか……いえ、もしかして……!」

 寝間着の下に手をかけて、穿いている下着ごとずり下ろす。
 すると途中で引っかかったのであろうソレが、ビンッ、と跳ね戻るようにして視界の中心に現れた。

「──────────」

 ……絶句する。

 わたしの知識が間違っていなければ、これはアレだ。
 保健の授業でも習ったし、不幸にも手近なものを何度か見たこともある。

 間違いない。
 幼馴染みのそれとは根本的な規格が異なるようだが、これも保険の授業で習った『勃起』の状態にあるからだろう。

 性的に興奮して、女性器に挿入可能な勃起の状態にあるこれは、名を────
 
「おちんちん……?」

 そう。わたしの股間にそそり立つそれは、間違いなく男性器と呼ばれるモノ。
 幼馴染みのを見るたびに、どうして自分には生えていないのだろうと疑問に思った『おちんちん』に他ならなかった。

「それじゃ、これって……」

 ぺたぺたと胸のあたりを確認するも、いつもの邪魔くさい脂肪のかたまりは存在せず。
 痛いほどにその存在を主張する股間の男性器に、平坦そのものの胸が意味するものは一つしかない。

 つまり、わたしは朝起きたら……

「男の子になっていた?」

 ……正解。

 もはや疑問の余地はどこにもない。夢である可能性も、こっそりつねった頬っぺたの痛みが否定する。
 女である事に忌み疲れたわたしこと平塚忍は、ある日突然、本来あるべき性別を取り戻したのだ。

「やった……やったやったッ」

 喜びのあまり目頭が熱くなる。

「なによ、奇蹟も魔法も存在するんじゃない」

 たとえこの現実が悪魔の産物であっても構わない。
 代償が必要なら、わたしの魂でも寿命でも、何でも差し出してやる。

 解放された。ついにわたしは解放された。呪わしいほどに疎ましい女の肉体から解放されたのだ。

「~~~~ッッッッ」

 男性器を露出したまま歓喜を爆発させる。
 わたしが冷静に戻ったのは、そのマヌケさ加減を自覚してからのことだった。







「……とりあえずどうしたものかしらね……」

 トイレの中でため息を漏らす。

 さすがに恥ずかしくなってぱんつを穿きなおしたわたしは、尿意を我慢していたことを思い出し、こうして用を足そうとトイレの前にやって来たのだが……どう頑張っても勃起中のおちんちんが下を向いてくれない。

 なんだろうこの執念。
 まさか本懐を遂げるまで元の状態に戻らないつもりなのだろうか?

 ……それはマズイ。
 射精の仕方なんて判らないし、ここは家族も使う場所なんだ。悠長に慰めている暇はない。

「となると……こっちの体勢を変えるしかないか」

 ある一定の角度以上押し倒すと尿道が圧迫されるのが問題なら、こちらも一緒に上半身を傾けてやればいい。

 何度か試行錯誤を重ねてベストの体勢を導き出す。
 勃起下の排尿を可能とする唯一の体勢───それは便座の上に腰かけて、いきり立つ男性器を押さえつけながら限界まで前屈みになるというものだった。

「…………マヌケな体勢だわ」

 なるほど……女性には女性の苦労があったように、男性には男性の苦労というものがあるのか。






「……………………」

 苦労しつつも目的を果たし(ただしおちんちんは勃起したまま)、洗面所で手を洗ったわたしは目の前の鏡をじっと見ていた。

 顔立ちに大きな変化はない。
 知り合いから「美人」だの「ハンサム」だの「男前」だのと散々な評価をされた顔付きは、しかし十七歳の男の子のものとしてはどうなのだろうか?

 中性的と言葉を濁すこともできるが、はっきり言って軟弱。
 年下の女の子のような童顔で、髪も半端に長いため、女装すればさぞかし似合うことだろう。

 つまり外見は少しだけ背が伸びたのと、体つきが少しだけ逞しくなったこと以外、さしたる変化はナシ。
 寝間着を脱いでもう一度確認したが、まぁ、おちんちんも生えているし、肉体的には間違いなく男性化しているのだから、そうそう女性に間違われる事はないと思うが────

「いっけない……完全に忘れてた」

 ……そうだ、家族にはなんて説明しよう……。

 わたしのように現状を歓迎してくれるワケがない。
 なにしろわたしの家族ときたら、妹の芽衣を筆頭に、やれもっと女らしくだの、やれ少しは女の自覚を持てだの、うるさくって敵わないほど女、女と────

「?」

 ふと誰かの身体が壁にぶつかるような音がした。
 見れば頭の中で思い浮かべていた妹が、洗面所の入口につっ立っていて……。

「ごめんなさいッ」

 耳まで真っ赤になった妹が、そう叫んで逃げ出そうとするのを「待ちなさいッ」と呼びとめた。

「なんだって人の顔を見て逃げ出そうとするのよ?」
「だって裸だし……その、だからごめんって……」

 ……これは奇妙なコトを口にする。

 妹はわたの裸など見慣れている筈だ。 
 やれわたしのことをずぼらだの、だらしないだの口にして、切るのが面倒で伸ばし続けた髪を毎回のように……って、ああ!!

「そう言えば初めてだったわね……男の身体を見られるのは」
「うっ、うん! わたしホントに初めてだから驚いちゃって……ホントにそれだけだから!!」

 なるほど……それなら妹の反応も納得できるが、しかし。

「確認するけど……驚いてるのは本当にそれだけ?」
「……それだけって?」
「だからいつもとは違うなーとか、なんか変だなーとか思わない?」
「…………特に思わないかな?」
「そう……なら問題ないわね。行っていいわよ」
「うん……本当にごめんなさい。今度から気をつけるから……」

 しどろもどろに呟いて、ぱたぱたと走り去る妹の背中を見送って考える。

 彼女は疑問に思わなかった。
 男性化した姉の肉体に。これはどういう事だろうか?

「ま、考えるだけ無駄でしょうね」

 既に『ある日、突然男性化する』という超常現象を体験しているのだ。
 その異変を目の当たりにしても驚かない妹がいたって、それはそういものだと受け入れるしかない。

 ……それに言ってしまえばこれは好都合だった。

 男性化した肉体に、男性化したわたしを疑問に思わない周囲。
 これは男性として生きる上で何の障害もないことを意味しているのだから。







 とりあえず自分の部屋に戻って着替え、朝食を取るために居間へと向かうも何故か無人。

「? 父さんと母さんはまだ寝てるの?」
「新潟まで出張中……。二人とも会社の都合でしばらく帰ってこれないって、聞いてなかった?」

 疑問をそのまま口にすると、私服に着替えた妹が姿を現すなりそう答えた。

「知らないってことは聞いてないってことじゃない?」
「もうっ、お兄ちゃんは相変わらずいい加減なんだから」
「そっちこそ相変わらず口うるさいわね……」

 思い出すのも癪にさわるが、こっちだって色々あって大変だったんだから……。

「いいでしょ? 小言だと思って聞き流しても?」
「そういうのがいい加減だっていうのよ馬鹿ッ」

 …………。

「とにかく父さんと母さんのいない間の食事はちゃんと用意するから、文句を言わないで食べてちょうだいよね」

 ……はて?
 口うるさいのはいつものことだが、今日の妹はいつになく……。

「どうしてそんなに怒ってるのよ?」
「お、怒ってなんかないわよ!?」
「怒ってるじゃない」
「ふんだ……だったらお兄ちゃんの所為ですよぉ~~~だ」
「今朝のこと? あれは自分が悪いって謝ってきたじゃない?」
「だから……っ、もう知らないんだから!」

 どうしよう……これは完全に怒らせてしまったようだ。

 これがいつもだったら勝手にしないと思うところだが、今はマズイ。
 これで出てきたのがねこまんまだったら笑うしかない。

「…………と、さすがにそんなコトはなかったわね」

 いや、むしろ和食を中心としたメニューはいつもより気合が入っている。
 それに妹もへそを曲げたというわけではないようだ。

「いただきます」
「……いただきます」

 その証拠に、怒った顔をしているようで申し訳なさそうにこちらを見てきたり。目が合うと慌てて顔をしらしてモジモジしてみせたり。
 食事をしながら観察したところ、やはり原因は今朝の一件。脱衣所でのやり取りがしこりとなって残っている様子だった。

「そう言えば謝っていなかったわね」
「……何の話?」

 脱衣所で、衣服を脱いだ状態での遭遇。どちらに非があるかという話になれば、それはドアを閉めていなかったわたしにこそある。
 にも拘らず芽衣は謝り、わたしは謝っていない。釈然としないものが残るのも当然か。

「今朝の話。あなたは謝ったけど、わたしは謝っていない」

 以前なら気にもしなかったことだが、今のわたしは男性だ。

 喜んでいる場合ではない。
 性別が別々になった以上、妹に配慮するのは男性であり、年長者であるわたしの役目なのだから。

「だからごめん。今度から気をつけるわ」
「……いいわよ。こっちだって悪かったんだし……」

 そう思い、素直に頭を下げると、妹は戸惑っている様子ながら謝罪を受け入れてくれた。

 これからは気をつけないといけない。
 以前と同じ調子で接しては思わぬところで妹を傷つけかねない。

 口うるさく生意気な妹ではあるが、わたしも芽衣を嫌っているわけではない。
 以前は彼女の『お姉ちゃんは女の子なんだから』という扱いに我慢ならないものもあったが、こうして男性化した以上は無用の軋轢もなくなる。

「ごちそうさま。美味しかったわよ、芽衣」
「いえいえお粗末さまでした」

 何だかんだ言っても家族なんだし、これからは妹といい関係を築きたいものだ。







「深く考えないようにしていたけど……私物も変わっているのはどんな配慮なの?」

 朝食を済ませて部屋に戻り、昨日までとは異なる室内を観察した結果、ため息と一緒に漏れた言葉がこれだった。

 性別はいい。周囲の認識もいい。だが私物まで変わっているとなるとそうも言っていられない。
 衣服や下着は「今は男性なんだから」と気にも留めなかったが……。

「昨日まで無かったパソコンにゲーム機、それに煙草まで……どういう事なの?」

 パソコンは使わないわけではないが、家族共用のがあるのでそれで十分だったし、ゲームの類いには関心がなく、煙草にいたっては論外───わたしの物ではない筈なのに、わたしの物としてわたしの部屋に存在する。これはいったい何を意味するのだろうか?

「はっきりしているのは……これはわたしが買ったものじゃないってこと」

 つまり購入した事実───購入した『過去』は無い。
 にも関わらず存在するという事は、つまり、知らないのはわたしだけ?

 仮定しよう。わたしは生まれたときから男性だった。
 そして男として生まれてきた『わたし』には自分のパソコンを───おそらくは両親に買ってもらい、月々のおこづかいからゲーム機を購入し、未成年でありながら煙草にも手を出した『過去』が存在すると。

「……なによ、何なのよそれ……」

 それじゃあまるっきり別人じゃない。
 わたしが『わたし』じゃない証拠だとでも言うのか、このっ。

「わたしは男の子の『わたし』と入れ替わることで、この世界に存在している……?」

 それなら妹がわたしを見て驚かなかったことにも説明がつく。

 そんな事があり得るかどうかは議論する価値が無い。
 わたしは何の医学的処置もせずに肉体が男性化するという、現代の常識では考えられないオカルトの当事者になっているのだ。今さら男の子として生まれてきた『自分』と入れ替わったかもしれないと気付いたところで、別段驚くにも値しない。

 しかし……。

「だからって『他人』に迷惑をかけていいってもんじゃないでしょうに」

 さすがにこれは捨ておけない。

 わたしが男性になりたいと願っていたことは事実だ。
 将来的には性転換も考えていたし、これが悪魔の契約ならどんな代償を支払ってもいいと考えていたのも。

 しかし、それはわたしに限定された話だ。
 恩恵を受けたのがわたしなら、代償をしはらうのもわたし。
 決して今の自分に満足していた『わたし』を巻きこんでいい話ではない。

「少し結論を急ぎすぎたかしら……?」

 たしかに、まだ、そうと決まった訳ではない。
 だがそう考えれば色々と納得できるし、捨ておけないのも事実だ。

「……でもどうしたら元に戻れるの?」

 手がかりは思いつかない。
 ダメもとでパソコンを起動し、思いつく限りのキーワードで検索してみたが時間の無駄に終わった。

「そうなると専門家に相談するしかないんだけど……ダメね。いったい誰に相談しろっていうの?」

 残念ながら魔法使いの知り合いはいないし、そう都合よく「実は自分の所為で」と超常現象の引き金が姿を現すとは思えない。

 つまり手づまり……この件に関しては考えるだけ無駄なのだろうか?
 イライラと爪を噛みかけ、それに気付いてため息を吐き、机の下で足を組みかえようとして────

「────!?」

 凄まじい激痛だった。
 姿勢すら保てないほど。呼吸すら不可能なほど。死の苦痛すら生温いほどに。

 何が起こったのかは漠然と理解している。

 ……ようは挟んだのだ。
 女性には無い、男性特有の器官を。

 心臓を殴ったらこんな感じがするのだろうか……?

 クラスの女子が「男の金的と女の生理、どっちがキツイ?」という話をしていたのを思い出すが、どちらも経験したわたしは断言したい。こっちの方が格段にキツイ。

「……っていうか、どうしてこう、生命の危機が無防備に転がっているのよ……」

 なんとか口が開ける程度には回復したが、当分は動けそうにない。

 しかしうっかり挟んだ程度でこのダメージとは。
 これってケンカか何かで全力で蹴っ飛ばしたら本気で死ぬんじゃないかな?

「そう考えると……アイツに悪いコトをしちゃったわね……」

 まぁ、向こうも乱暴しようとしたんだし自業自得なんだけど……犯した罪に与えられた罰にしたって、これは、いささか……。

「お兄ちゃん、いま暇?」

 ……などと煩悶していると、ノックもなしに開けられたドアの隙間から妹が顔を出した。

「あのね、暇だったら一緒にゲームでも────」

 こちらから妹の姿が確認できる以上、あちらからもわたしの姿が確認できるどうりで。

 机に突っ伏して股間を押さえている姿は、はたして妹にどう見えているのか。

「ごめんね……わたし、本当にごめんね……」

 彼女は今朝の一件を上回る───いや比較にならない慌てようで逃げ去った。







 ……トータルで考えると散々な一日だった。
 特に昼前の一件。あの臨死体験は最悪だった。

 いかなる生命をも刈り取る無慈悲な一撃。
 即死しなかったのが不思議なほどのダメージは、あれから半日経った今も、例えようのない恐怖の記憶とともにわたしの身体に刻み込まれている。

 今回は耐えられたが、あの攻撃の恐ろしいところは日常に潜んでいるという点だ。
 いまこの瞬間にも、わたしはうっかり挟んでしまうかもしれない。ぶつけてしまうかもしれない。

 もし、そうなったら……わたしははたして、この先生きのこれるのだろうか?

 ……とりあえず足を組むのはやめよう。
 移動するときも、極力ぶつけないように全方位を警戒しないと……。

「ねえお兄ちゃん……いい加減に機嫌直してよ?」

 などと、わたしがそんな状態だからだろうか。
 アレ以来ろくに会話もしなかった妹が耐えかねたように言ってきた。

「わたしが悪かったから……それにお兄ちゃんくらいの年齢なら、あんなコトをしていても……その、別におかしくないと思ってるし……」
「ちょっと待ちなさって……」

 ……これはアレだろうか?
 もしかして昼間の一件は、壮絶に誤解されて……?

「っ……ん、まぁ……いいえ、もう忘れましょうこの話は」

 できることなら不名誉な誤解をといておきたかったが、何を言っても泥沼にしかなりそうになかったので忘れるコトにする。
 幸い妹も「うん、そうだね」と同意してきたのでこの件は終わりにした。

「ところでお風呂沸かすけど入るよね?」

 気持ちを切り替えたのか、ようやく笑顔らしきものを取り戻した妹の提案に首をひねる。

「入るよねって……一緒に入るんじゃないの?」

 アレはいつだったか……髪を洗うのが面倒で、毎日の入浴をさぼりがちなわたしに対して、口うるさい妹が取った行動は強制連行だった。
 だと言うのに子供を風呂に入れる母親のごとき妹が、いまになってわたしの自由意思を確認するとは……なにか悪いものでも食べたのだろうか?

「……一緒って、わたしとお兄ちゃんが?」

 信じられない、という顔で確認する妹に答える。

「ええ、いつも一緒だったじゃない」
「一体いつの話をしてんのよ……?」
「ん……わりと最近?」
「なんでそっちが訊いてくるのよッ!?」

 どうにも要領を得ない話だが、妹は怒ってるんだか恥ずかしがってるんだかよく分からない顔で言ってくる。
 面倒になったわたしはため息を吐いて気持ちを切り替え、脱衣所に向かおうとリビングのドアに手をかけるが……その前に妹の顔を確認してしまったので、口にするだけしてみた。

「……で、結局入るのは入らないの?」

 すると妹はモジモジと恥ずかしそうに俯いて。
 けれども精一杯の勇気を振り絞って。

「……。やっぱり一緒に入る」

 結論から言ってしまうと、妹が今日に限って躊躇っている理由に思い当ったのは、全てが手遅れになってからだった。







「……………………」

 先に身体を洗う主義のわたしは、小奇麗なユニットバスの真ん中に座り込んでふと気付いた。

「あ……そう言えばいまのわたしは『お兄ちゃん』だったわよね?」

 なるほど。そうなると妹が躊躇っていた理由もわかる。

 子供っぽく、なかなかそうとは思いつかないが、妹もれっきとした『女性』だ。
 生理も来ているし、肉体的にも少女から女性へと変化している過渡期。公共の浴場での混浴は全力でお断りされる年齢である。

「しかしそうなると……まずいんじゃない? これ?」

 年頃の兄妹の混浴は、それ自体がアウトのようなものだが……わたしたちの場合はもっとそれ以上にマズイ。

 まずはわたしの場合だが、今でこそ妹の裸など見慣れているが、内面が矯正されていなかった昔は精神的にマズかった。
 両親や妹を筆頭に、周囲の人間に散々指摘され、いい加減嫌気がさして妥協したが……わたしは元来、精神的に男性である。

 だから最初は思春期にさしかかった妹の肉体的な変化にドキドキしていたし……今では完全無欠の男性である。いかに慣れていようと反応しないとは言い切れない。

 これだけでも十分にマズイが、妹の場合はもっとマズイ。
 はたして彼女は何を血迷って実の兄との入浴など選択したのだろうか?

「……お待たせ」

 と、そんなコトを考えていたまさにその時、妹が中に入ってきた。

「あ……先に身体を洗ってるんだったら湯船を使わせてもらいたいんだけど……いいかな?」

 こちらの内心にも気付かず尋ねてくる妹に「いいわよ」と答えると、彼女は隣に座って浴び湯をしてから湯船に入った。

「とりあえず第一関門はクリア……よかった、妹に反応したんじゃ人間としてどうかって話よね」
「? 今度は何の話をしてるの?」

 訊かれたが曖昧に言葉を濁して頭を洗う。
 今の自分を確認するために見た妹の背中は綺麗だったが、わたしの心に訴えてくるものはなかったのでまずは一安心。

 もっともわたしには、自分のなかにある男性的なものがどのようなものか、未だにもって把握すらできていないのだが……妹がそうしているように、前だけは隠さないと。

 手早く頭も洗ったわたしは、妹と入れ替わりに湯船を使おうと思ったのだが、まだ十分に温まっていないのか、妹は場所を空けるだけで出ていこうとしない。
 仕方なく妹のとなりに収まったわたしは、何とはなしに彼女の横顔を確認した。

 妹の考えを知りたかったのだが、どこか呆然と前方を眺める彼女の思考は読めず。
 仕方なく肩まで浸かり、早めに温まって出ていこうと結論付けるが、それを待っていたのだろうか。

「お兄ちゃん……」
「なあに?」
「今日のお兄ちゃんはなんか変だね……」
「……そんなに変?」
「うん、今日のお兄ちゃんは……なんか優しい気がする」

 妹はぽつり、と。
 自分の気持ちを吐露しはじめた。

「だからかな……わたしまで変な気持ちになって……」
「変な気持ちって?」
「誘われて嬉しかった……ずっと女の子として見てほしかったから……だから、だからね……」

 ピンと来るものがあった。
 もしかしてこの娘は……。

「だから気紛れじゃなくて……特別な意味があって誘ったんだったら……」
「無いわよ。あなたの言うように、こんなのはただの気紛れ」

 ピシャリと決めつけるように断言する。

 彼女は恋をしているのかもしれない。
 わたしではなく、『わたし』に対して……。

「なんとなくそんな流れになったから言ってみて、特に断れなかったから受け入れただけの状況よ。特別な意味なんてないわ」
「……うん、そうだね。そうだよね……でもそれなら、それならさ……」

 優しくなんかしないで、以前のように邪険にしてくれたほうがよかったなぁ、と。

 俯いた妹が肩を震わせる。
 泣いているのだろう……間違いなくわたしの所為で。

 わたしは罪を犯してしまった。

 妹に対しても。『わたし』に対しても。
 この楽園が借り物だと気付いていたのに甘えてしまった。

 ……その所為で妹を悲しませたなら、それは罪だろう。

 罪は償わなければならない。
 いつか元の現実に戻る日が来るとしたら、その前にこの十字架を解消しなければならない。

 だがその前に……。

「どうでもいいけどいい加減顔を上げないとふやけるわけよ?」

 からかうように妹の顔にお湯をかけると反応は激烈だった。

「なによっ、お兄ちゃんの所為なんだからね……!」
「そう? まぁ、否定はできないけれど……」
「なにが否定はできないよ! 朝からずっとそんな調子で────」

 泣いてるぐらいだったら怒っていた方がいい。
 けれどいつかは以前のように笑ってほしいものだ。

 妹に笑顔を取り戻させる努力は効果のほどに疑問がついたが、それでも彼女が悲しみの淵に沈むことだけはなかったようだ。








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