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[33230] 「マルチユニバース社㈱・異世界トリップ体験十四日間ツアー」
Name: 天賦玲斗◆e4e5d826 ID:700ef7ac
Date: 2012/08/02 14:42
☆☆☆

異世界トリップ・就職・移住等、斡旋いたします
マルチ・ユニバース(株)

☆☆☆

はじめまして
ライトなタッチのに挑戦してみました。
突っ込みや感想いただけると喜びます。

間章など短い話がありますが、テキストの管理上、独立話として投稿しています。

7月末より、冒頭部分を改稿したものを、なろうにも投稿しています。

よろしくお願いします。



[33230] プロローグ 三俣拓也、異世界旅行ツアーに申し込むこと
Name: 天賦玲斗◆e4e5d826 ID:700ef7ac
Date: 2012/05/26 12:46

 携帯の呼びだし音が鳴った。

 杏里(あんり)が会社から預かっている仕事用の携帯電話だ。初めての営業に、通話ボタンを押す手が震える。

――初契約、成立しますように。

 呼吸を整えて、明るく、はきはきと。
「はい、マルチ・ユニバース、お客様係り、西垣(にしがき)杏里(あんり)と申します」
「あ、あの。ネットで、申し込んで、メールもらった三俣ですけど。この番号でよかったですか」
 自信なさげな、若い男性の声が携帯から流れた。
「はい、三俣(みつまた)様ですね。間違いありません。我武子(あぶこ)駅西口でお待ちしています」
 携帯を切った杏里は、肩にさげた大きな緑の合皮鞄を撫でた。
 研修でなんども練習させられた、厳選ツールの説明を頭のなかで復唱する。

 五分後。
 杏里の初めての客、三俣拓也・二十二歳が、目印のミス・ドーナッツ一ダース入りの箱を抱えて視界に入ってきた。
 杏里は顔いっぱいに笑みを広げる。
 不安げな表情、しばらく散髪してないさえない髪形、洗い伸びしたTシャツ、着古したジーンズという青年は、戸惑いを隠せずに杏里を見つめた。
「はじめまして、三俣様。お問い合わせ、ありがとうございます」
 契約成立の秘訣は、まずは信用してもらうこと。そのためには、さわやかな第一印象が重要なのだ。

 杏里はとびぬけた美人ではないが、男性なら八割方好ましく思うであろう『可愛らしい』タイプだ。くるくるとした小鳥のような目は少しさがり気味で、笑うと色気もないが邪気もない。思わず微笑み返したくなるような愛嬌にあふれていた。
 三俣拓也も、つい口元がゆるみ、さえない表情のまま会釈を返した。
「あの、異世界って、具体的に……」
 三俣は杏里の抱えた荷物に目を丸くしつつ、もじもじしながらここまで抱えていたのであろう質問をする。
「あ、説明はしかるべき場所でさせていただきますね。ここではなんですから」
 明るく、はきはきと、杏里は三俣を近くのネットカフェまで案内した。
 ビデオルームを借りる。

 見知らぬ男性とふたりきりで密室にこもるのを、杏里は警戒するようすもない。靴を脱いであがり、ソファに腰かけ、コーヒーテーブルの上に鞄の中身を並べ始めた。
 三俣のほうが「しかるべき場所」の意外性に、緊張を隠せない。目線をうろうろさせながら、ぎぐしゃくと杏里の差し向かいに座った。

 杏里は、三俣の申し込みフォームをプリントしたものを読みあげる。
「ご希望は、文明レベル3、地球の歴史で言えば、中世にあたりますが、ドラゴンも魔法使いも実在する世界でもあります。本当にこのレベルでよろしいのですか」
「え、いけませんか」
「ええ、いろいろ物騒ですし、文明度はつまるところ中世なので、体力、知力がけっこういりますよ。もちろん、当社としましても、万全のバックアップはさせていただきます。こちらが、当社が総力を挙げて開発した『異世界トリップデフォパック』初心者用です」
 杏里は鞄の中から、小型のケースを取り出して開け、中身を並べ始める。
「こちらが、界外通信携帯電話になります。777が三俣様担当の私に直通、888がカスタマーサポート。111は緊急救出コールになります」
 三俣は胡乱な目つきで、手渡された薄型のスマ◎ォもどきを眺める。
「わが社が、携帯電話会社DOKODEMOと提携して開発した機種です。コミュニケーションデバイスを移送座標に固定することで、異界との通信を可能にしました」
「ドコデモ?」
「はい、『ドコデモ』は異界コミュニケーションシステムでは老舗の電話会社です。ただ、バッテリーが平均で五日が限界ですので、充電を忘れないでください」
「って、そこには電気があるの? 文明度が中世で?」
「指定された街の支店には、当社が配給している発電装置がありますので、そちらで身分証を提示していただければ充電ができます。消費電気代と、通信費のお支払いは自動的にお客様のクレジット口座に請求させていただきます」
「はあ」

 ネットで広告を見て、冷やかし半分で問い合わせてみた三俣だった。しかし、気がつくと杏里の自信たっぷりの流れるような営業トークに引き込まれている。
「ただ、ブランド名は『ドコデモ』ではございますが、圏外に出られると通信ができませんので、通信範囲からはみ出た地方へや地域へは足を踏み入れないでくださいね。こちらもバックアップができませんから」
「って、行動範囲に制限があるわけ」
 海外ツアー旅行のガイドを相手にしているように、普通にたずねている三俣。
「お客様が現地の事情に詳しくなられて、二十四時間万全サポートが必要でなくなれば、ご自分の判断で行動されてかまいません。ただ、サポート圏外での事故や損害については、当社では補償ができませんので、そこのところはご了承ください」
 三俣はちょっと引いた。異世界の旅とか、海外旅行よりも危険かもしれないと思い始める。というより、異世界とやらに普通にトリップできることを、マジ顔で前提としているのはどういうわけか、自分に突っ込むべきではある。

「転移先異世界言語翻訳機、度量衡・為替レート自動変換機能は携帯に標準装備されていますが、言語辞書は現地の公用語ひとつしか内蔵していません。行動範囲を広げたくなった場合、地方の言語辞書ダウンロードはできますが、オプションになりますので有料です」
「はあ」
 いろいろ突っ込みたい三俣だったが、杏里の滑らかな解説にはどこにも不自然なところはない。ただ、旅の行き先が、現実には存在しないはずのファンタジーな異世界であるということ以外は。
「あちらで、必要言語の辞書がダウンロードできますので、メールでも通話でもご連絡ください。あっ」
 杏里が少し慌てた口調としぐさで、キットの中から小さなケースを出した。
「このピアスが受信機で、自動的に日本語に変換してくれます。話すほうは、携帯に一度音声入力していただく必要がありますが」

 三俣の前には、うら若く、愛嬌にあふれた女性の満面の笑み。
 うっかりと、ものすごく大事なことを伝え忘れそうになったことなど、感じさせない。
 この営業トークに、なにひとつ不自然なことはないという気がしてくる。三年前、留学案内斡旋業者で、ビザの取得から航空券の購入、現地の空港お出迎えまで、手取り足取り指導してくれたのも、たしかこんな懇切丁寧な笑顔のお姉さんだったと、三俣はぼんやり思い出す。

「じゃあ、こちらが契約書になりますので、ここに署名と印鑑をお願いします」
 三枚綴りの契約書をぱらぱらとめくり、三俣はそれぞれのページに記入していった。杏里は契約書を確認すると、携帯のスキャナ機能で取り込む。それから三俣に渡したドコデモ携帯に画像を転送した。契約書をファイルに閉じる。
 杏里は、ほっとしたように柔らかな笑顔を三俣に向けた。
「契約書は、うっかりデリートしないでください。あちらでも必要になるかもしれませんから。当社特製『異世界の歩き方ガイドブック』も、携帯に内臓されてますから、参考にしてください」
 営業スマイルをたたえたまま、杏里は携帯の通話ボタンを押した。
「宮部主任ですか。三俣様との契約成立しました。BL3・メディーヴァル・第三階層門への座標を開いてください」

 なんとも、ものものしい演出をするものだと三俣はあきれた。どんな世界に連れて行ってくれるのかわからないが、三俣はそのときですら、これから行くのが隣のビルディングの風俗店とか、ちょっと高めのヴァーチャルな娯楽施設くらいしか想像できていなかった。

 杏里はすっくと立ちあがった。ビデオルームの扉まで行き、ノブに手をかける。三俣も急いで立ちあがり、自分の荷物と渡されたキットを持ってついてゆく。
「それでは、どうぞ。ご案内します」
 そこそこ好みの若い女性にうやうやしく促されて、三俣は開かれたドアを通り抜けた。

 突然、強い日差しと砂埃、好ましくない臭いと喧騒に、肌と嗅覚を攻撃された。
 入ってきたときは、たしかにネットカフェのロビーだった静かな空間は消え去っていた。

 そこは、明らかに日本のどこでもない場所だった。

 赤茶けた石畳に露店の並ぶ、ひどく時代がかったどっか遠くの国の大通りが、スポーツバッグを右肩にさげ、左の脇には異世界トリップデフォパックをはさみこみ、両手には三頭身ライオンの絵の描かれた、ドーナツの箱を抱えた三俣拓也の目前に広がっていた。 




[33230] 第一話 異世界で立ち往生すること
Name: 天賦玲斗◆e4e5d826 ID:700ef7ac
Date: 2012/05/25 09:08
 三俣拓也は、しばし呆然と通りを行き交う通行人や、露天に商うひとびと、ひずめと車輪の音もにぎやかに立てながら行きすぎる馬車や、背の両側に荷を積んでゆっくり歩み去る牛、重たげな荷車を牽いて行くロバを眺めていたが、はっと気を取り直した。

「これって、あれだ。映画村っていうか。セットなんだろうな。それで、異世界ですよ~って、連れてきて、本気にしてパニくるお馬鹿を隠しカメラで撮って笑いものにする企画なんだ」
 それにしても、街の造りや通行人の風俗はともかく、彼らの話している言葉がさっぱりわからない。英語でないことは確かだ。フランス語でもない。

 というか、大通りを埋め尽くす人類らしきひとびとは、白人でも黒人でも、黄色人種でもなかった。強いて言うなら『肌色』である。あの、クレヨンや色鉛筆の『肌色』だ。日焼けして濃いのも、そばかすが浮くほど薄いのもあるが、基本『肌色』である。
 髪は、とうもろこしの髭のようにふわふわとした干した稲穂の色で、金髪というにはちょっと艶がない。顔立ちは目がぱっちりして、彫りが深めなので白人ぽくなくもないが、微妙に違う気がする。
 なまじ、顔立ちや目鼻のパーツの位置、体つきが人間だけに、不気味に感じられた。
「はっ。馬鹿だな。人間に決まってるじゃないか。髪や肌は細工できるけど、顔立ちや体型まで変えられるわけがないじゃないか。これだけの人数をぜんぶSFX仕様にする時間も予算もないよな」

 拓也は首をぶんぶんとふって、自分に突っ込んだ。

 行過ぎる肌色人たちは、拓也が見えているはずなのだろうが、あえてこちらを見ないようにしている。しかし、拓也の視界の外では、じろじろと観察されている気配がありありと感じとれた。

 目が合いそうになると、さっと視線を逸らされてしまう。

 どこか東欧かトルコの民族衣装を思わせる、刺繍の施された上着、ボタンよりも紐や帯を多用する服は、露出度が少ない。男たちも膝丈か、踵までの長さの長着(トーガ)を来て、幅広の革帯や布の帯を締めている。
 そして、ほぼ百パーセント、男は耳までの丸いフェルトらしき帽子を被っている。その帽子のふちから、ほやほやとしたとうもろこしの綿毛が放射状に広がって、風にゆらゆらと揺れている。
 そのようすに唇がほころびそうになって視線を下げると、剣や短剣をつるしている者たちもいて、拓也の頬がひきつった。

 拓也のTシャツとジーンズと、スポーツバッグとドーナツの箱は異様に浮いている。
 拓也は急に思い出して、後ろをふり返った。こちら側へやってきた扉を開いて、もとの場所にもどるだけで良いのだ。あの杏里というお嬢さんが「はーい、びっくりしたでしょう」と、にっこり笑って迎えるに違いない。

 しかし、彼の背後にあった扉は、ひどく重い樫の一枚板の、おそろしく年期の入った巨大なしろものだった。その漆黒の扉を嵌め込んだ建物は、『教会』とか『大聖堂』とかいった、とんでもなく荘厳な石造りの、空に聳え立つ世界遺産的な建築物だった。

 つまり、とても映画村のセットには見えない。

 扉には、どこにも手をかけるところがなく、内側からしか開かれないことが推察された。
 それでも、拓也はくじけずに、ドーナツの箱を片手で持って、『聖堂』の扉をドンドンと叩く。
 予告なく重厚な扉が開かれ、拓也は間一髪でよけなければ両手の荷物とドーナッツを階段の下までぶちまけていただろう。
 運動神経は悪くないので、開く気配を感じて身構えてはいた。

 ただ、杏里が開けたときは内開きだった扉が『こちら側』では外開きだったのは誤算だった。ドーナッツの箱を持った手に、硬い扉が当たって悲鳴を上げる。涙が出そうなほど痛かった。箱を落としてドーナツをぶちまけなかったのは、不幸中の幸いとしか言えない。

 中から出てきたのは、頭頂の尖った耳までの丸い黒帽子のふちから、とうもろこし色の髪を放射状に広げた修道士っぽい肌色人だった。肌色修道士は拓也の顔と服装、抱え込んだ荷物をじろじろと見て、顔をしかめた。
 理解不能な言語でなにか叫び、さらに呪文らしきものを唱え、鼻の先で印のようなものを切って、またたく間に扉を閉める。

「あ、おい、待って。人の話を聞いてくれよ」
 鼻先で扉を閉じられて、拓也は途方に暮れる。仕方なくくるりと大通りに向き直ったとたんに、それまで拓也をガン見していたであろう街のひとびとが、くるっと踵を返して先を急いだり、何事もなかったように、それまでやっていた仕事を続行した。
「なんだよ。どっきりなら、そろそろ種明かししてくれよ。どうしていいかわかんないだろ」
 などとつぶやきつつも、大聖堂の階段から降りるのが、正直言って怖かった。
 これが本当の異世界で、言葉も通じない、文化も違う、ドラゴンや魔法使いまでいる中世だったら困る。

 そこで、拓也は閃いた。

 携帯で杏里を呼び出せばよいのだ。
「ギブです。ゲームーオーバーでいいです。帰してください」
 素直にそう言えばよい。
 尻のポケットに入れておいた携帯を出して、ロックを解除しようとしたところ、いきなり階段の下から声をかけられた。
「あんたが三俣拓也さんかや。迎えが遅れてすまんやかったのぉ。あんたを迎えに行けってメールが来たときは、風呂にはいっておったもんやで。急いでは来たが、ずいぶんと待ったかや」

 日本語だった。かなり妙な抑揚と、聞いたことのない訛りだったが、一字一句間違いなく日本語だった。
 迎えだと言う、この見た目三十代だが、しゃべり方がなんだかオヤジの肌色人は、口を顔いっぱいに広げて笑った。昔の漫画のように歯並びが全部露出して、喉ち◎こまで見える豪快さだった。
「おおおおおおお、ミス・ドーナッツだのぉ。フレンチクルーラーは持ってきただろうな。ワシはあれが一番好きなんじゃ。異世界の客を世話する一番の楽しみは、このドーナッツという手土産だけといっても過言ではない」

 メイクアップでもなさそうな、日本語堪能な肌色人は、とうもろこしの髭のようなもしゃもしゃした眉毛が真ん中で繋がっている。
「あ、の。ここは、本当に異世界なんですか」
「なに言ってんですか。お客さん、あんたが異世界から来たんじゃないかね」
 そう言って、日本のミスド好きの肌色異世界人は、喉の奥をさらして「がはは」としか表現できない豪快さで笑った。

「パンタラ王国、ガフン市へようこそ。これから二週間、あんたの世話をするガントだや。よろしく。とりあえず、うちへ案内するやから、ついてくるといい」
と、異世界の肌色人ツアーガイドは自己紹介した。




[33230] 第二話 異世界人ガイドに歓待されること
Name: 天賦玲斗◆e4e5d826 ID:700ef7ac
Date: 2012/05/26 12:56
 三十分後、三俣拓也は、クレヨン肌色人の異世界旅行者ガイドの家で、ミスドを頬張りながらお茶を飲んでいた。

 クレヨン肌色人は、両手に持ったフレンチクルーラーを豪快に三口で食べている。
 ちなみに、箱の中に残っているドーナッツは三個。半ダースのフレンチクルーラーはすべてこの案内人の胃の中に消えるために、買わされてきたようだ。

「それで、ガントさんはどこで日本語を習得されたんですか」
「ああ、わひはひほんにひうがくひてひたやから」
「留学? そのとうもろこし頭でですか?」
 拓也は驚いて聞き返した。
 拓也の言い草に、ガントはフレンチクルーラーの咀嚼片を飛ばしながら「ひやっ、ひやっ」と大笑いした。

 フレンチクルーラーの半分を口に放り込み、ガントはお茶とともにがぶりと飲み下す。
「マルチの社長に、現地スタッフとしてスカウトされたんだや。研修で行ったそっちの世界は面白かったやな。また金が貯まったら遊びに行きてぇやよ。社に泊まれば宿泊代が浮くしやな」

 ガントの話に耳を傾けつつ、拓也は家の中を見回した。
 ガントの自宅は、質素なログハウスで日本風に言えば3LDKだ。みっつめの寝室は、異世界からの客のために、つねに空けてあるという。

「そんなにたくさん、異世界、ってか日本、ってか、地球から客が来るんですか」
「んー。たくさんってこたねぇやな。月にひとりいるかいないかだや」
「っていうか、客は日本人だけ? ガントさんは英語もOK?」
「おれぁ、日本語だけだなぁや。日本人じゃねぇ客は引き受けたことねぇやから、わからん。そのエーゴ人にゃ、エーゴのガイドがいるんでないやか」

 そう言って、最後のフレンチクルーラーを名残惜しそうに見つめたあと、ガントは思い切りよく大きな口にねじこんだ。
 そんなに好物なら、ゆっくり味わって食べるという選択肢もあるのだが、と三俣は指摘したい。

「まあ、この家でのあんたの世話は一週間だや。部屋代と朝晩の二食は前払いでもらってるやから、遠慮はいらん。七日以内に街に慣れて、適当に部屋を借りて、仕事を探すなり、遊びまわるなり、好きにしたらいいやな」

 仕事! 拓也は面白くないことを思い出してしまった。

 大学卒業を控えて、とうとう就職が決まらなかった。
 五十は超える説明会に出て、四十枚は履歴書を書き、三十回は就職試験までこぎつけ、面接まで行けたのは七つだけ。

 それも全部落ちてしまった。
 引きこもりしたくても、母子家庭。ニートするほど親に経済力なし。
 地元でフリーターをするのは、就職勝ち組の連中と顔を合わせるのが苦痛。

 というわけで、家庭教師のバイトで貯めたお金で、海外を放浪しよう拓也は考えた。まず、行き先を決めようとネットをさまよっていたときに見つけたのが、マルチユニバース(株)の広告だった。

 執事喫茶とか、メイド列車に追従して、異世界クラブとか新しい趣向のオタク向けビジネスなのか。あるいはそういう家族向けのテーマパークでもできたのか、はたまた新種のVRMMOが、ついにリリースされるのか。
 どんな異世界だよ、というより、どういうビジネスなんだと、興味を持って問い合わせてみたのだ。
 新種のビジネスなら、就職のチャンスかもしれない。

 しかし、まさか、本当に異世界に飛ばされるとは。

 ミスドを食べ終え、案内された個室におちついた三俣は、異世界トリップデフォパックをベッドの上に広げた。

 携帯電話
 充電器
 翻訳機だというピアス

 ……耳にピアス穴なんか空けてないし。

 指輪・ブレスレット(説明書付き)
 マルチユニバース・ゴールドクレジットカード
 現地の硬貨と紙幣らしき現金
 異世界パスポート
 パスポートには、表紙に二人のマッチ棒人間が手を取り合っている絵が載っている。開いて見ると、象形文字がびっしりと並んでいた。
 
 ……読めない。ヒエログリフとか。このマッチ棒人間のポーズの豊富さとか、むしろ、トンパ文字に近いかな。

 警棒、と電池

 ……って、この警棒、スタンガンじゃないか(汗)

 非常用カロリー食・三日分
 体力回復ドリンク・半ダース
 ファーストエイドキット
 テザー銃(犯罪者か野生獣 専用)
 懐中電灯だか拡声器のようなもの

 ……って、さっきのスタンガンは一般用? わっかんね。一般人も危ないのかこの世界は。あ、でも、町の連中、普通に剣とか腰にぶらさげてたよな。

 A4版の地図集

 さすがに、携帯画面だけでは把握は難しいと判断したのか、詳細なトラベルマップが用意されていた。
 しかも地名は、日本語とトンパ文字もどきの両方で記載してある。ズームインしなければ読めない携帯画面とは違って、全体図を見ながら確認できるのは助かった。

 ガフン市というのは、パンタラ王国の首都でなく、東寄りの地方都市らしい。二重丸ってことは、人口が多いのだろう。首都のペンタ市はここから二百キロは離れている。

 ……距離がメートル法で書かれているのは助かるよな。 
 
 携帯を取り出し、杏里への直通番号を入力して、手を止めた。代わりに、『異世界の歩き方・ガイドブック』を開いて、さっと読み流す。
 まあ、せっかく来たことだし、初期費用は払ってしまったんだし、と拓也はひとりごちて、ベッドに仰向けに転がった。

 よく聞く異世界召喚テンプレと違って、いきなり魔王や魔物と戦わせられたり、冒険をさせられたりということはなさそうだ。

 森や砂漠に放置されたわけでもなく。
 日本語のわかる世話人もいて。
 都市設備が少し遅れていて、海外の発展途上国にバックパッカーするのと、あまり変わらないのではないだろうか。

「商売になるくらいだし。現実って、異世界でもそんなもんかもしれないな」
 観光気分でこの街の周辺をうろついて、この異世界を適度に堪能したら、帰界手続きをすればいいのだ。

 ガントの家の居心地よさに、「異世界」とやらも、そんなに怖くて不便なものでもないと、拓也はつい思ってしまったのだった。



[33230] 間章 マルチユニバース オフィス カスタマー管理 
Name: 天賦玲斗◆e4e5d826 ID:700ef7ac
Date: 2012/05/27 09:11
 西垣杏里は、社にもどって顧客記録書を打ち込んだ。

 三俣拓也 二十二歳 就職浪人予備軍 
 文明レベル3 地球西洋中世後期に相当 第三階層異世界 パンタラ王国 ガフン市 
 初期費用入金 確認済
 滞在希望期間 二週間
 現地ガイド ガント・エスパラ

 杏里は、モニターを切り替えて、ガントの客用寝室を映し出す。
 三俣がベッドに寝ころがってデフォパックを確認している。
 杏里は耳元の髪を指先ですくって耳にかけた。唇を尖らせて、それから微笑する。杏里は背中に誰かが近づいてくる気配を感じた。

「なかなか順応力アリ。将来有望かな。初日のコンタクトサポートの必要はなさそうね」
「ええ。初めてのお客さんなのに、とってもスムーズでした。普通、異世界に放り込まれて、こんなに落ち着いて対応できるもんなんでしょうか」

 杏里は上司の宮部小夜子を肩越しに見上げて訊ねた。
 新規顧客課の主任は、すらりとした肢体に、藍色のスーツが良く似合うクールな女性だ。

「人によるけどね。だめだったら即、召還。記憶処理して解放するから問題ないわ。許容力、順応力、適応力、わが社が求めているのは人材は、なかなか現れないものだから。初めてで順応力のある客がついたのは、杏里ちゃんラッキーよ」
 杏里は口を「テヘ」の形にした。

「IT部門の開発課が欲しがっている人材を探しながら、その費用は試されるお客さんに負担させるなんて、うちの会社ちょっとアコギじゃありません?」
「苦情は社長に申告して。それより、杏里ちゃんは三俣様が半年以上の冒険に出たくなるように仕向けなくちゃ」
「そうしていただかないと、うちは採算が合いませんもんね」

 杏里と小夜子は、罪のない笑顔を交わしてうなずき合った。




[33230] 第三話 異世界の家庭の団欒に参加すること
Name: 天賦玲斗◆e4e5d826 ID:700ef7ac
Date: 2012/05/27 09:12
「いってーよぉ」
 情けない叫び声を上げて、三俣は耳を押さえた。ガントの妻、熟女にさしかかった肌色パンタラ人のエスメが、ピアスガンを右手に持って笑い声を上げた。ガントも笑いながら叱責する。

「おお、男が耳に穴空けるくらいやで、涙目になってんじゃないぞや。それでもサムライの子孫やか」
「ニートな浪人やフリーター御家人があふれてまくってた平和な江戸後期でも、サムライは日本の人口の七パーセントにしか過ぎなかったんですよ。ほとんどの日本人は農民の子孫です。俺の先祖なんか、間違いなく水呑(みずのみ)百姓だ」
 耳を押さえて、翻訳機がついたことを確認しながら、拓也は反論した。
「そうなのか!」
 ガントはひどくがっかりした口調になった。

「日本人がみんなみんな、手を使わずに畳をひっくり返したり、手裏剣やクナイを使えるわけじゃないのやか」
 ガントには、日本人に関して某欧米の日本文化オタクのような認識があるらしい。
「ないない、っていうか、それ忍者だから。サムライじゃないし」
 拓也は耳たぶを消毒しながら、空いているほうの手をひらひらさせた。
「でも、水だけで生きれるなんて、日本の農民は、サムライよりすごくないやか」
 拓也は、ガントの日本語の誤認を修正する気力が圧倒的に足りなかった。ため息をつく。

「もう痛みはないだろ」
 女性の声で、日本語が聞こえた。ガントの妻がしゃべったらしい。
 彼女が帰ってきたときには、何をしゃべっているのかさっぱりわからなかったのだから、この翻訳機は本物だ。

 最も進んでいる英日の翻訳機だって、口語の音声リアルタイム翻訳は実用段階とは言いがたいのに、これはいったいどういう技術かと、三俣は内心で驚く。

……どういう会社だよ。

 携帯といい、異世界転送といい、三俣の知っている地球の、現代日本の技術でさえありえないものだ。この翻訳機ひとつとっても、地球現代でリリースしたらたいへんな儲けになるだろう。
 そして、みんなが苦労して外国語を学ぶ必要なんかなくなる。

……語学教師が失業しないように、文部科学省が圧力をかけているとか。まあ、英語教師の利権保護の翻訳機リリース制限なんて、原発推進の経済産業省や、薬害放置の厚生労働省よりは罪がないか。

 三俣はあまり深く考えずに、ピアス穴の消毒を終えた。

 ガントの妻は、台所へ行って夕食を作り出した。聞こえてくる鼻歌も、日本語に翻訳されているのが、なんだかおかしかった。面と向かって会話していたときはなかった違和感は、メロディと合わない単語と語順になっているせいだ。

 そうこうしているうちに、ガントの三人の子供たちが帰ってきた。八歳のエント坊や、十一歳カリン嬢、十三歳ベント君と紹介された。

「ミスド界人だ! やったぁ。今日のデザートはミスドのエンゼルクリームだぁ」
「あ、あたしの黒蜜きな粉のドーナッツは持ってきた?」

 三俣は、購入前に買ってくるドーナツの種類まで指定された理由がようやくわかった。
 パンタラのこどもたちは、外見的に日本人の子供たちよりもずいぶん成熟しているように見える。ベントなど、三俣と身長があまり変わらない。
「じゃ、ベント君の好みはカレーパンかな」
 ベントは恥ずかしそうに首を横にふった。
「カレーパンはお母さん。ぼくはストロベリーホイップ」
 そう言って、ベントはピンクのハート型のドーナッツをうれしそうにのぞきこんだ。
 子供たちのクレヨン肌色と、とうもろこしひげのふよふよした頭髪を見なければ、どう考えても、コスプレ会場か、特殊メイク役者たちの楽屋にいる気分だ。

 たちまち、よい香りが台所から流れ出し、夕食の時間になる。

 ぱっと見、赤身肉とトマトの野菜シチューにチャパティもどきを浸して食べるらしい。さらに、大量の茹で芋らしきものが、トロッとした白いソースをかけられて、中心の巨大なボウルに盛ってあった。

「何の肉ですか」
 三俣は赤いシチューから、スプーンで小さな細切れ肉をすくい、味を見てからたずねた。しかし、ガントの妻はパチパチとまばたきをして、夫を見た。
「ああ、ワシとベント以外は日本語はわからん。あんたの話は一度ケータイに話しかけて翻訳しないと、パンタラの人間には理解できんやから」
「え、そうなんですか」

 三俣は尻のポケットから携帯を出して、翻訳モードを起動する。
「そいつの瞬間自動翻訳機能は、観光や買い物に必要な語彙や文章パターンしか入ってないやから、ひと月以上滞在するなら、オプションの辞書と学習ソフトをマスターするのがお勧めだや。日常会話なら楽にこなせるようになるやから」
「一ヶ月で?」

 小中高の十二年、英語を学習し続けたにもかかわらず、日常会話がこなせるようにならなかった三俣は、鼻で笑いそうになって自重した。
 大学では「これからは中国語だ!」という先輩に無理やり勧誘されて、サークルに引きずり込まれた。サークルに中国人留学生が多かったので、挨拶や簡単なやりとりは、確かに短期間でできるようになっていたのを思い出す。

「ずっとそのソフトを聞いていたらいいんだから、楽だやろ。移住を考える連中は、すぐに覚えるようだやな」
「って、この世界に日本人が移住しているんですか」
「最近とみに増えたやぞ。なんか、日本じゃ災害が増えているからって。島国だから、逃げる場所がないらしいやな」

 三俣は口元を運んだスプーンを止めた。
 地球の、しかも日本人の異世界移住は、ひそかに普通に行われているのか。
 たしかに、こんな簡単に転送されて、居ついてしまえるのは、海外に移住するより手間もお金もかからない。

 とくに、最近のこの時期、日本を脱出したくても、コネもお金も学歴も専門職もない一般人が知ったら、殺到するかもしれない。

……とんでもビジネスチャンスだな。

 三俣は杏里の満面の笑顔を思い浮かべた。
「それでいま、このパンタラには何人の日本人がいるんですか」
「さて、生きて今でもパンタラにいるのは十人くらいかやな」
 それだけなのか、と三俣は拍子抜けした。
「生きていれば、って」

「パンタラの売りは、ドラゴン退治でやな。一攫千金でドラゴン退治に行って帰ってこなかったりや、魔法使いに弟子入りして行方不明になったりや」
「ガントさんは、これまで何人の日本人を世話したんですか」
 ガントは首をぐるりと回して考えた。
「五十人ちょっとかなや」
「って、差し引きの四十人はその、し……」
「こっちが肌に合わんで日本に帰った連中もいやる。あと、特殊技能を取得して、別の異世界に飛んだ奴もいるやな。ワシは客人が自立したあとのことは、あまり把握しとらんのだや」

 ガントは、真っ赤なシチューに染まった口内をさらけ出し、お決まりの豪快な笑い声を上げた。
「タクヤも、せっかく『異世界』に来たんだから、まずはドラゴン退治だやな!」
 そのガントの快活な宣言に、拓也はスプーンを持ったまま蒼ざめ固まってしまった。



[33230] 間章 マルチユニバース オフィス カスタマーサービス
Name: 天賦玲斗◆e4e5d826 ID:700ef7ac
Date: 2012/05/27 10:01
 夕食を終えた卓也は、部屋に戻るなり携帯の777を押して、西垣杏里を呼び出した。

「はい、マルチユニバースお客様係り、西垣杏里です」
 本当に通じたことに、三俣拓也は安堵の息を吐いた。
「三俣ですが」
「三俣様、安全快適に異世界トリップを堪能できる、当社のサービスをお楽しみいただけてますでしょうか」

『異世界トリップ』が『豪華海洋クルーズ』とか『大陸横断長距離エクスプレス』でもいいような口調で、杏里はさわやかに応じた。

「いまのところは、だけど、あの、ガントさんがドラゴン退治が必須みたいなこと言ってましたが、本当ですか」
「本当です」
 さらっ、という音がでそうなほど、自然に返答される。

「マジですか。俺、ゴキブリよりでかい生き物は殺したことないんすが」
「たいていの日本人はそうですよね」
 にこやかな杏里の笑顔が目に浮かびそうだ。
「すぐに慣れますよ。みなさん、そうですから」
「まっとうな人間が、ドラゴン退治に慣れるわけないじゃないですかっ」
 思わず眉と声を上げた三俣だったが、杏里は動じない。

「ものは試しですからがんばってください。サポートも万全です。気合を入れて行ってらっしゃいませ。詳しくはガントが案内いたします」
「それをせずに、観光だけして帰れる、って選択肢はないんですか」
「三俣様のご希望の現地体験コースに、ドラゴン退治が必須で含まれていると、申し込まれたときの案内書に明記してあります。契約された段階でドラゴン退治ツアーを予約してありますので、キャンセルされる場合は、五千バクレルの違約金を請求されてしまいますが、よろしいですか」

 そういえば、広告のツアー日程には『ドラゴン退治』とかあった気がする、と拓也は思い出し、かぶりをふった。
「五千バクレルって、日本円にしていくらですか」
「だいたいですね……」
 パチパチとキーボードを叩く音。
「今日のレートでは、六十三万二千三百円になります。プラス消費税に、為替手数料が二パーセント」

 拓也は目の前が真っ暗になった。 

「それ、初期費用を軽く上回ってるけど」
「ちなみに、ドラゴンを退治すると、一頭につき八千バクレルの報奨金が、パンタラ国から支払われます。生け捕りなら一万バクレルもらえます」
「ドラゴン一頭で、百万円とか」
 拓也はちょっと心が動いた。

「でも死にたくないです。そのドラゴン、火を噴いたりします?」
「火炎そのものは吐きませんが、有機物に付着すると発火する唾を吐きます」
 つまり、肌や髪に吐きかけられたら『ボフッ』と燃え出すということだ。服が有機素材なら一気に火だるまだ。
「キャンセルできますか。あの、ローンで払えます?」
「キャンセル料は、現金一括のみで受け付けています」

 さわやかではきはきした口調が、ひどくうらめしい。六十万円を一括で払えない拓也だった。しかも消費税と為替手数料別途。
「現地のスタッフが同行しますから。万全サポートです。お任せください」

 そんなに簡単に百万稼げてしまうツアーとか、胡散臭すぎるだろと拓也は頭を抱えた。現地の人間がもっと積極的にドラゴン退治に飛びつくだろうに。
 拓也はしどろもどろになってその矛盾点をついた。
「現地のひとびとでは、一個の軍隊をもってしても非常に難しいのです」
「それがなんで猫も殺したことのない日本人の俺に、スタッフがついただけで倒せるんですか」

 普通に腰に剣を下げていた街のひとびとを思い出して、拓也は反論する。物騒なことが日常にあっても不思議じゃない世界なのだろう。

「パンタラ国では、三俣様は修行中の魔法使いということになっています。現地スタッフの案内に従っていただければ、当社が開発したドラゴン撃退用の武器と防具を無償でお貸しします」
「それって、機関銃とか」
「あたらずとも遠からずですね。いかにも魔法使いの武器らしく偽装はしてありますが」
 拓也は呆然としてから、嘆息した。

「なんか、異世界転生の定番チートとはちょっと違うような気がするけど」
「できるだけユーザー様のご希望に沿うように努力は重ねておりますが、まだちょっと無粋な部分があるのは否定しません」
 杏里の声には少しだけ、誠意が感じられなくもない。

 ユーザーときたか、と拓也はなんとはなしに違和感を覚える。

 異世界トリップが現実に可能なのだとしたら、やはりチートの実態もきっと現実の技術に即したものなのだろう。
 しかし、このパンタラ王国の存在する世界には、魔法使いが実在することを拓也は思い出した。

 さらに、発火性物質を吐き出すドラゴンがいるのだ。
 本当に魔法が使えるとは、どういう物理法則なのだろうか。どんな魔法が存在するのだろう。
 明日の朝、ガントにもう少し詳しく聞かなくては思い、改めて案内パンフレットと『異世界の歩き方』を熟読する。そして、眠たい目をこすりつつ、拓也は携帯画面に表示された案内書をじっくりと読み込んだ。

 ネットで申し込んだときに、面白半分にクリックしておいた体験ツアーは
• ドラゴン退治。
• 一角牛巨人のダンジョン探検
• エルフの森のお茶会
• 魔法使いの弟子一日体験
• パンタラ王宮散策

 危険そうなのは、ドラゴン退治とダンジョン探検くらいだ。ドラゴン退治に関しては、報奨金に関しても確かに記載してあった。武器はマルチ・ユニバースから貸与されるのも本当らしい。

 ダンジョン探検というのも、探検キットなるものが当日貸与されるらしいが、牛巨人、つまりミノタウルス系の怪物退治だ。人気ツアーランキングでは、ドラゴン退治と並んで最上位。しかも、お客様満足度も高い。
 満足度の評価があるということは、命の危険はないのだろう。きっと。



[33230] 第四話 異世界の町を観光すること
Name: 天賦玲斗◆e4e5d826 ID:700ef7ac
Date: 2012/05/27 10:13
 翌朝、拓也が朝食に降りて行くと、ガントの子供たちはすでに朝食を終え、下のふたりは学校へ行ったという。
「学校があるんですか」

 拓也は感心した。地球の中世時代に学校はなかったように記憶している。もっとも拓也が抱えている「中世」というイメージが漠然としすぎているのであって、古代文明の時代から、生活に余裕のある庶民層には集団教育のシステムというのは存在した。    

 二〇世紀の地球で問答無用で詰め込み義務教育を強いられている小中学生と違って、家の仕事から解放され、弁当を持って同じ年頃の子供たちと遊べるのだから、パンタラの子どもたちは大喜びで学校へ通っている。

 拓也が朝食のチャパティもどきを、蜂蜜入りのミルクと野菜スープに浸して食べるようにエスメに言われてそのとおりにしているのを、長男のベントがにこにこしながら見ていた。

「きみは学校に行かないのかな」
「ボクはもう学校行かなくていいんです」
「卒業したのか。進学とかしないの」
「興味ないし。もっと日本語を勉強してとうさんの手伝いをするんです。今週は拓也さんのお世話もあるから」
「きみが?」
「ドラゴン退治に行くんでしょ。ぼくも行きます」
 拓也は唖然とする。
「君、十三歳って言ったよね」
「はい」
 なんの不都合もない、とにっこり笑うベントに、拓也は拍子抜けする。

 中世といえば、日本なら十四歳で元服、つまり成人する。近代まででさえ、小学校を終えれば、家業を継ぐのでなければ日本なら丁稚奉公、ヨーロッパなら職人の徒弟となったり、仕事を探して家を出たものだ。女の子ならメイド系の奉公に出るか嫁に行く。

 拓也は、二十二歳にもなって将来のプランも持たない無職予備軍の自分が、とても情けなくなってきた。
「すごいねー」
 純粋な感嘆をこめてベントの肩を軽く叩いた。
「きみもガイドになるのかな」
「はい」
 さっきと同じように、屈託のない笑顔の返事に、拓也は顔がほころんだ。

 ベントは、食事中の拓也のそばに椅子を寄せて座り、胸にかかえていた袋から書類の束を取り出してみせた。

 ザラバン紙という、現代のオフィスからはほぼ消滅した粗い繊維の紙を、さらにごわごわと分厚くしたような紙にトンパもどき文字が躍っている。

「きょうは、市内観光です。ドラゴン退治の道具も、調達します」
 ベントは書類と拓也の顔を交互に見ながら、本日の予定を読み上げた。
 ガントのような訛りがあまりないので、話が聞きとりやすいのは、拓也にとってはたいへんありがたいことであった。

 朝食を終えてすぐ、拓也はガント親子とともに、市内へ繰り出した。
 路線馬車に乗って、街のたたずまいを眺める。家並みはたいがい二階建てで、主要な道路や通りには石造りの建物がならび、裏の住居区は木造の家がひしめき合っているようだ。

 大通りに沿っては衣料品や生活雑貨、道具類などの店が並んでいる。
「食料品はどこで買うの」
「生鮮食料品は、あちこちの広場の朝市で売買されてます。あと、仲売り商が荷車で一軒一軒売りに来るかな」
 拓也はうなずきながら、屋台から焼肉やパンケーキのような匂いが流れてくるのに鼻をうごめかせた。

 通りにあふれるこぎれいな肌色人もいれば、貧しそうな肌色人もいる。陽射しは強いものの、乾燥しているせいか、ほとんどのひとびとは長袖やかかとまであるトーガを着たり、ズボンを履いていた。都市労働者や貧しそうなものたちは無柄のチューニックと膝丈の半ズボンらしい。女性は日本の着物を楽にしたような、単衣のトーガがほとんどだった。

 男たちは丸い耳までの帽子を被り、色はさまざまだ。女性たちは高く結った髪にピンで留めているらしい被布を肩に垂らしている。若い女性は被布はかぶらずにリボンでとうもろこし頭を結いあげていた。

 女性たちにとっては、放射状に伸びていくふよふよしたとうもろこしひげの髪はつねにまとめておくのが身だしなみなのかと拓也は憶測した。
 そうこうしているうちに、まずは市中央にある『大聖堂』のような建物に着いた。

 三階建ての建物群の真ん中には天を突く塔が並び、塔を取り巻く壮大な建物の中心には役所があり、奥のほうには図書館、博物館、建物の前部には商業施設などのオフィスが並んでいる。廊下は大理石のようで、拓也は自分のスニーカーがきゅうきゅうと足音をたてるのが気になる。

 ガントは、まっすぐと塔へ拓也を連れて行き、受付で入塔料を払う。
「この塔が、ガフン市で一番高い建物で、市内と外側を見渡せることができるんだや。ドラゴンの山も見えるやから」

 残念なことにエレベーターはなく、延々と続く螺旋階段を登らなくてはならなかった。拓也は就職活動を始める前は学生時代から続けていたスポーツもしていたのだが、最近の運動不足がさすがにこたえる。半分もいかないうちに心臓はばくばくするし、息はあがり、腿の筋肉は張り、ふくらはぎは攣りそうになる。
「まあ、日本から来たひとは、たいがいこの階段はつらいらしいやな。拓也さんはまだ元気なほうだやが」

 鼻歌まじりに登っていくガント親子の後姿を、拓也は恨めしげに見上げた。

 ガフン市は人口三十万人くらいの、パンタラ国三番目の大都市だという。秋田県秋田市や、青森県青森市が人口三十万前後なのを拓也は思い出した。時代でいえば、江戸の発展し始めて人口が増えた頃がそれくらいと推定されているので、それを考え合わせると、ガフン市はかなり大きな都市だ。

 塔の最上階から見渡したガフン市は、背後と側面を山に囲まれた扇状地となっていた。扇状になっている平野部分は広大で、谷から流れでる河が市を縦断している。

「ルンド河というんです。ガフン市の水源です」
 ベントが説明する。市外には、ルンド河の周囲だけは青々と樹木や耕作地が広がっているものの、水源から離れたところは山は灰褐色で、下流に向かっては黄土色の砂礫沙漠が広がっていた。
「雨はあまり降らないんだろうね。これだけの人口をルンド河の水だけでまかなっているのか」
 拓也は驚いてたずねる。
「雨はほとんど降りません。ルンド河の上流と山の向こう側にたくさんの雪が降るので、ルンド河と地下水系を利用して街のあちこちに井戸が掘ってあったりします」

 無数の運河や水路が市内へとはりめぐされ、市の外では緑地帯に挟まれた青い街道となって沙漠の彼方へと流れていた。大小の船が行き交い、下流との交易も盛んのようだ。

 拓也は展望台をぐるぐると回って、マッチ箱や石つぶてを積み上げて並べたような市街と、あちこちで煙をあげて生産活動にはげむ工房地域のようすや、万年雪をいただく周囲の山並みを楽しんだ。

「ドラゴンって、どっちにいるのかな。山? それとも、沙漠?」
「ドラゴンはあちこちにいますよ。沙漠ドラゴンは山ドラゴンより気性が激しいから、退治に行くなら山ドラゴンのほうがお勧めです」

 拓也はぼりぼりと頭をかいた。ドラゴン退治が前提なのは納得しているが、やはり胃がしくしくしてくる。
「ドラゴンって、どんな生き物なの。地球のドラゴンは、巨大な爬虫類で、空を飛んだり、火を吐いたり、雨を降らしたりするんだけど、実在しない想像上の生き物なんだ」
 ガント親子はうんうんとうなずいた。なんども同じ話を聞いているのだろう。

「パンタラのドラゴンは、パンタラ語では『エルゲンオドゥスドーリエン』って名前の生き物で、日本語に訳すと『有鱗甲殻大顎牙蠍竜』になるんです」
「ゆうりんこうかくおおあごきばさそりりゅう」
 拓也はおうむがえしに、パントラドラゴンの、長ったらしい学名らしいものをつぶやいた。つまり、鱗に覆われていて、亀やカニのような甲羅があって、巨大な顎と牙をもつ蠍ということだ。蠍ということは、伊勢えびのように大きなハサミと毒のある鏃のごとき尾もあるのだろうか。

 拓也は高所恐怖症でなく目の前が暗くなり、気分が悪くなってきた。
「大きさは、どのくらい?」
「うちの家よりは小さいかな、おとうさん」
「だなや」
 息子の問いに、ガントは大きくうなずいた。

 そして、その鱗と甲羅のある大蠍は、着火性の唾液を吐き散らすのだ。
 拓也は借金してでもキャンセル料を払うべきかと、真剣に考え始める拓也の背中をばんばんと叩きながら、ガントが朗らかに宣言する。
「じゃあ、道具を揃えにいくだやか」



[33230] 第五話 異世界でドラゴン退治に行くこと
Name: 天賦玲斗◆e4e5d826 ID:700ef7ac
Date: 2012/06/12 14:16
「あああ、鎧って動きにくい」
 カチャカチャと、鎧にしては軽い音を立てながら、腕を上げ下げして拓也はぼやいた。
「んなことはないやね。全部で五キロもないやが」
 ロバに牽かせた荷車の御車台から首をねじ曲げ、ガントは歯をむき出して笑った。

 拓也とガント親子は、驢馬車でドラゴンのいるというサソリ山へ向かう途中である。

「つか、鎧が五キロってのは問題じゃないか? 第一この鎧、形は鎧だけど、プラスチックじゃないか。鎧って普通、革とか鉄とかでできてるもんだろ?」
 サスペンションもゴムタイヤも装備していない荷車は、車輪が小石やわだちを拾うたびにがたがたと揺れる。拓也は舌を噛まないように、口を小さく開けて話さなくてはならなかった。

「革だとドラゴンの唾で燃えてしまいますし、鉄じゃぁ五キロどころじゃなくて、動けなくなりますよ」
 ベントの流暢な日本語による指摘に、拓也は反論はできない。
「カブトをどうぞ」
「これ、兜っていうより、ヘルメットじゃないか」
 受け取った兜の、モトクロスのフルフェイスメットにそっくりな形状と材質に、拓也は不満げにぼやく。ただひとつ違うのは、顎と首の下から、軟化樹脂製のゴムより少し硬い防護垂が垂れ下がっている点だ。このヘルメットと鎧、軟化合成樹脂を使った手袋とブーツを履けば、有機部分はみな覆われる。ドラゴンの唾を浴びても燃え出す心配はないと思われる。

「兜って、ヘルメットですよね。何が違うんですか? ぼく、エーゴも勉強しているんですけど、教えてください」
 生真面目なベントの質問に拓也は、そういえば、ヘルメットは日本語でもヘルメットだよなと胸の内でつぶやいた。
「まあ、いいよ」

 それより、この武器が問題だと拓也は思った。
「普通にライフルじゃん?」
 いわゆる、アサルトライフルというもののようだ。狙撃用にも、フルオートにもなる軍仕様のアレだ。これのどこを指して魔法の武器と言えるのか。しかも、箱に入った弾とマガジンと、付属品のガスボンベを見てさらに呆れ声をあげる。

「で、弾がペイントボールって。それでどうやってドラゴンを倒すんだよっ。鎧にライフルとか、すごくおかしい。鎧ときたら剣と盾だ」
「でも、剣と盾じゃ、鱗や甲羅に歯が立ちませんし、だいいち盾なんか持ってたらどうやってライフル持って引き金を引くんですか」

「ペイントボールじゃもっと役に立たないよ。魔法で倒すんじゃなかったのか」
「ペイントボールの中身はペイントじゃなくて、パンタラ魔術師特製の色付きの薬品(ドラッグ)ですから。鼻と口に集中して打ち込めば、ドラッグボールの成分でドラゴンの感覚器官を鈍らせて、眠らせることができます。ただ、お客さんはたいてい素人ですから、遠くから狙撃しても当たらないので、唾を浴びるほど近くまで行かないと」

「ちゃー。みんな成功して帰っているの?」
「ドラゴンの唾を浴びまくって、その唾が唾に引火して火だるまになったお客さんもいますから、なるべく短時間で決着をつけたほうがいいです」
「帰りたくなってきた」
「燃え出したら、鎧を脱いで逃げればいいんですよ」

 荷車にガタガタ揺られながら、拓也はベントにドラゴン退治のノウハウを教えてもらう。

 そして、昼食の時間にはドラゴンの洞窟があるという谷に到着してしまった。

 荷車の入れない、深い谷の奥へ奥へと歩いて一時間。
 谷の潅木を揺さぶるような咆哮が響いたかと思う間もなく、それは地響きを立てながら拓也一行の前に現れた。その姿を一瞥しただけで、拓也は回れ右をして一目散にもと来た道を走り出したくなった。

『有鱗・甲殻・大顎牙・蠍・竜』
 パンタラドラゴンは、巨大なハサミのついた前肢をふりあげガチガチ鳴らしながら、谷の闖入者たちを威嚇している。全長はゆうに十メートルを越え、ハサミの先端位置は一般家屋の二階の屋根まで届きそうだ。

 文字通り、その蠍竜は全身を鋼のような灰色の鱗で覆われ、胴体の首から尻まで背中部分とわき腹部分をアルマジロのごとき鱗甲板で保護していた。身長一七八センチの拓也をひと口で呑み込んでしまいそうな大顎ががちがちと揺れている。鈍く黒光りする大顎の上下に二対の牙が伸び、牙の間には鮫のように鋭く尖った歯が口内へ向かって二列に生えている。さらに顎の端からは絶えず黄緑色の液が滴り落ち、地面に触れるたびにじゅうじゅうと嫌な音と煙を立ち上らせていた。

 尾は鱗に覆われているものの、その先端にあるのはやはりサソリの毒針らしき鋭く尖った鉄鋼棘(てっこうきょく)。
 二対四本の後脚で、どすんどすんと地面を揺らしながらこちらへ進んでくる。左右に揺れる尾がぶんぶんと拓也たちのところまで風圧をたたきつけた。

「無理だから帰る」

 爬虫類なのか甲殻類なのか、それとも、アルマジロのように鱗状の皮膚を持つ哺乳類なのかはっきりして欲しいと拓也は思ったが、今はそのようなことに拘泥している場合ではない。あのハサミにはさまれたら、プラスチックの鎧ごと胴体を分断されるだろうし、あの棘の生えた尾で一撃をかまされたら即死できる。

「逃げよう」
「帰らないでください。お客様に満足してもらわないと、ぼくたちペナルティになっちゃうんです」
 きびすを返そうとする拓也の腕に、ベントが慌ててしがみついた。丸っこいパントラ人特有のくりっとした目でうるうると見上げられる。とうもろこし髭のような髪は谷から吹き付けてくる風に煽られ、谷底の空気は蠍竜もといパンタラドラゴンの悪息で、温度が急上昇中だ。

「無茶言うなっ。満足する前に死ぬだろ。なにがドラゴン退治ツアーだ。詐欺だ。これは詐欺だ。あれだろ? 自分たちから生贄を出すのがやだから、異世界から関係ない人間を呼び出してあいつらの餌にしているんだろ? 臓器売買じゃなくて、もろ人身売買だろ。っていうか、俺は自分で金を払って生贄になりに来たってことか?」

「そんなことないです。皆さんしっかり退治して帰ってもらってます」
 拓也が必死なら、ベントも真剣だ。

「あのエルゲンオドゥスドーリエンはまだ幼生なんですよ。いまやっつけてしまえば楽なんです。脱皮して翼が生えてきたらもう退治不可能になるんです」
 舌を噛みそうな蠍竜のパンタラ名を淀みなく口にし、逆効果な励ましの言葉を並べる。

「だからって俺が死んだらおふくろが困るんだ。こんなところで世界を救っている場合じゃないんだよ。俺の体力と筋力は地球の先進国の、文系学生平均値かないんだからっ」
「報奨金が出る上に、死亡率0パーセントは本当ですから、保証します」
「こいつを相手にして死人がでないなんて、誰が信じるか。自衛隊だって無理だろ。だいいち、ドラゴン退治に行って帰ってこなかった日本人がいたとか、ガントさん、言ってたろ?」

 腰を抜かす前に逃げ出そうと、手をばたばたさせながら拓也は抗議した。

「あやー。言い方が悪かったかやな。帰ってこなくなった連中てのは、ドラゴン退治にはまってしまって、そのままドラゴンハンターになっちまったお客さんのことだやな」
 拓也は動きを止めた。
「ドラゴンハンター?」
「やな。移住するのに、一番手っ取り早い職業だからやな」
 ガントに向き直る。
「そんなに簡単なのか?」

 信じられないと、尻尾をふりふり迫り来るパンタラドラゴン、むしろ蠍竜を見つめる。たしかに動きは遅いようではある。一般的な日本人が、死ぬ心配なく倒せるというレベルのドラゴンなら、ツアー企画にはなるだろう。地球のサバンナや山岳狩猟ツアーとか、都会人のサラリーマンでも、平均の体力と銃さえあればライオン狩りだろうがバッファロー狩りだろうがツアーに申し込めるのだから。

 ドラゴンハンターとか、ずいぶんと耳障りがいいではないか。

「コツを掴めば、急所にドラッグボールを打ち込むだけだからやな。あとは薬が効いてくるまで逃げ回っていればいい」

「そんなに簡単なら、なんでパンタラ人が自分たちでやらないんだよっ」
 しかし、ガント親子から返答を聞きだすことができなかった。蠍竜が目前まで迫って来ていて、ガントとベントはすたこらさっさと谷の両側へと避難してしまったからだ。

「万全サポートの現地スタッフが一番に逃げ出してどうするんだよー」
 涙眼になりながら、拓也はドラッグボールを装備したアサルトライフルもどきをかまえてトリガーを弾いた。



[33230] 第六話 異世界でドラゴンに対峙すること
Name: 天賦玲斗◆e4e5d826 ID:700ef7ac
Date: 2012/05/30 19:57
 パスっと音がして、ドラッグボールが発射され、拓也の頭上まで迫っていた蠍竜の顎に当たった。しかし、ピンク色の液体が黒光りのする下顎にべちょりとはりついただけで、蠍竜は蚊に刺されたほどの損傷も受けなかった。

 上顎の上に並んだ四つのオニキスのような艶やかな眼がぎょろりと動いて、拓也を認識した。ゆっくりと緩慢な動きで、拓也の立っている側の巨大なハサミが中空に持ち上がる。上下が半楕円形の太いハサミ部分と、ぎざぎざと鋭いのこぎり歯の刃部分を、魅せられたように見上げていた拓也に向けて、黒光りする巨大ハサミが重力に任せて振り下ろされてくる。

「あ、だめだ。ゲームオーバー」

 恐怖で体が硬直してしまう。蛇に睨まれた蛙の気持ちがよくわかった。頬の筋肉ひとつ動かせないほど金縛り状態になっているのだ。

 拓也が観念し、眼を閉じて念仏を唱えそうになった瞬間。なにか横殴りの風に抱き込まれて、拓也は横っ飛びに吹き飛ばされた。そのままごろごろと転がり、砂利と泥にまみれて横になった視界には、地面に半分めり込んだ蠍竜のハサミがもうもうと砂埃を上げている。

 拓也のそのかすんだ視界の片隅に、二本の白い足が映る。
 残念ながら、色白の生足ではなく、真珠色の光沢のブーツを履いた脚だ。材質は合革のようであったが、眼を凝らしてよく見ると拓也の着けている手袋と同じ軟性プラスチックの防護服のようだ。

 しかし、拓也のよりも薄くて脚の形がはっきりとわかる。
 それも、脚線美の見本とも言うべき、女性の脚であった。

 おそるおそる顔を上げて、自分を突き飛ばして救ってくれたその人物を見上げる。腿もヒップの形も、腰のくびれも豊かな胸のサイズもあらわな軟化プラスチックファイバー製ボディースーツを着て、拓也と同じようなフルフェイスのヘルメットを被り、直径十五センチ、長さ一五〇センチはありそうな細長い金属製の筒を肩に担いだ長身の女性だった。赤、青、黄色の榴弾を二本づつ、合計六本背中にしょっている。腰にも弾なのか玉なのかわからない握り拳大くらいのものをいくつかベルトに装備していた。

「間一髪だったかな?」

 流暢な、というより、完璧な日本語で話しかけられた。
「サポートスタッフは、ぎりぎりまで手を出すなってシナリオなんでね。三俣さん、ちびっちゃったりしてないよね。鎧の着脱は面倒だから、パンツ濡らしちゃってもドラゴン退治が終わるまで着替えはできないよ」

 地面にめり込んだ巨大ハサミを持ち上げようと四苦八苦している蠍竜を尻目に、サポートスタッフとやらが自己紹介する。
「私は、西垣杏奈(にしがきあんな)。ドラゴンツアーの現地サポート係り。よろしく」

 どこか聞き覚えのある名前だと思いつつ、拓也は差し出された手を握って立ち上がった。
「なかには、自分でやり遂げないと気のすまないお客さんもいてね。私の仕事は、お客さんの命を守ることで、ドラゴン退治の手伝いは前提としてはできないんだよ」

 早口で説明しながら、杏奈は蠍竜の動きを監視している。巨大ハサミをぐりぐりさせて、ようやく地面から引っ張り出し、動きの自由になった蠍竜がこちらへ四つの視線を向ける。

「さ、来るよ。攻撃に出る前に、大口開けて咆哮するから、そのときがチャンスなの。さあ、ライフルをオートに設定して、構えて」

「ていうか、君が担いでいるのロケットランチャーだろ。そっちのほうが話が早いと」

「これは非常用。弾の値段がけっこうするから、奥の手にしたほうがいいよ」

 わたわたと立ち上がった拓也は、おっかなびっくりライフルを構えた。蠍竜はその巨大さのためか、動きは鈍重だった。

「ドラッグボールライフルは、あまり反動がないから、立って撃っても大丈夫だけどね、初めてのときは狙いが安定するように膝射(しっしゃ)のほうがいいわ。伏射が一番安定するけど、ドラゴンの口や鼻に当てるには射撃位置が低すぎるからね」

「シッシャ?」

 道具屋で武具をそろえてもらったときに、ライフルの構え方と撃ち方の指導はされたが、杏奈がいま使った用語は教えられなかった。フク・シャとかは、腹ばいということだろうと感覚でわかるのだが、シッシャはなんだかわからない。

「三俣さん、右利きね? じゃあ右膝を地面について、左膝を立てて。その左の膝に左肘を乗せてライフルを安定させて撃つの」
 言われたとおりに構えたころには、蠍竜は重い二対の脚を交互に出しながらこちらに迫っていた。甲羅に覆われた脚が地面を突くたびに、大地が揺れて危なく引き金を引きそうになる。

 そして、一度顎を反り返らせた蠍竜は、かれらへ巨大な頭を向けて咆哮した。

「今よっ」

 パスパスパスパスパスと、自動で弾が連射されてゆく。顎のあたりでピンク色がはじけるが、牙や歯、顎に当たっているだけで、口の中に入っているようには見えない。あっというまに弾がなくなり、弾倉を装填する。それからまたパスパスパスパスパスと撃ち続けていると、蠍竜は苛立たしげに頭を左右に振り始め、鉄鋼棘(てっこうきょく)の尾を地面に叩きつけては自動車サイズの土くれ塊を掘り返して宙に放り上げ、クレーターを製造する。さらにダンダンダンダンと二対四脚を踏みならし、拓也たちは絶え間なく揺れる地面に視界がぶれる。

 そしてついに蠍竜が動きを止め、拓也たちに跳びかかろうと脚を深く曲げ胴を低く落としたときだった。ふたたび咆哮を上げたその瞬間、拓也は大きく開かれた顎、喉の奥へとドラッグボールをパスパスパスパスパスと弾がなくなるまで連射した。

 蠍竜は、喉の奥に不快なものが連打されたことに、顎を閉じて上を向いた。ごくりと喉がうごき、ドラッグボールの弾を飲み下したようだ。

「やったぁ!」
「やったなやぁ」
 ガント親子の歓声がどこかから上がる。

 ほっと一息ついた拓也の頭に、無慈悲な宣告が下りた。

「ここからが本番なの」

 西垣杏奈は、背筋を伸ばし、油断なくロケットランチャーを構えて蠍竜を睨みつけた。

「薬がはやく効くように、動き回らせないと」
「ええええぇっ」
「ただ飲ませただけだと、効いてくるのに三時間はかかるのよ。でも運動させればすぐに血管内に放出されて心臓や神経に行き渡るから、一時間でノックダウンさせられるわ」

 一時間もかかるのはノックダウンとは言わないだろうと拓也は突っ込みたかったが、西垣杏奈に腕を掴まれ無理やり立たせられて、さらにドラッグボールを撃ちまくるように指示される。弾倉を入れ替えては、パスパスと撃ち、蠍竜を刺激した。

 できれば口の中に打ち込みたかったが、蠍竜も学習したらしく、顎は閉じてしまっている。鼻らしき穴は大きくて、狙えば入りそうではあるものの、巨大ハサミを打ち鳴らしながら追いかけてくるので、逃げては撃つの繰り返しで狙いも定まらない。

 巨大ハサミを振り回し、持ち上げる動作は緩慢で、打ち下ろす速さと重さは必殺であるが、その動きは単純で見切ってしまえばよけるのは難しくなかった。自分の大きな影の下を駆け抜ける人間を追って、蠍竜は巨大ハサミを地面に叩きつけると、お約束のように地面にめり込ませ、引き抜くために動きが止まる。拓也はそこでひと呼吸つき、パスパスパスと蠍竜の目や鼻を狙ってドラッグボールを打ち込んだ。

「確かに面白いといえば、面白い。息が切れるけど」
 肩を上下させて呼吸しながら、弾倉を装填しつつ拓也は白状した。

「まだまだ油断は禁物よ。パンタラドラゴンは、しぶとい生き物だからね。薬が効いてきてからがヤバイのよ」
 西垣杏奈がヘルメットのバイザーの黒いスクリーン越しに、拓也を流し見た気配がした。

「えー、もう充分です」

 喉が渇いて、走り回って脚が攣りそうになっていた拓也は本音を叫んだ。次に杏奈の口から出た言葉に、このナイスバディの現地サポート員は、黒いバイザーの後ろで確かに薄笑いを浮かべたのだと、拓也は確信できた。

「お楽しみは、こ・れ・か・ら」



[33230] 第七話 異世界で絶体絶命になること
Name: 天賦玲斗◆e4e5d826 ID:700ef7ac
Date: 2012/05/30 20:00
 蠍竜は怒りのあまり両方のハサミを宙に振りかざし、天を仰いで咆哮した。空気を揺るがす物理的な振動に、ヘルメットがなかったら耳が聞こえなくなるほどの音量だ。拓也はライフルを構えて無防備に大口を開けて吼える蠍竜を見上げるものの、残念ながら角度的にドラッグボールは打ち込めない。

 とたんに、蠍竜の口の奥から、ぐるぐるばちばちと油脂の沸騰するような音と、焦げ臭い匂いが拓也たちの鼻を刺激した。

 蠍竜は鎧で固めた拓也と、真珠色のボディスーツに身を包んだ西垣杏奈を見下ろし、口を開けて黄緑色の液体を吐き出した。

 ふたりの足元にどろりとしたスライム状の粘体が叩きつけられ、地面に生えていた雑草や低潅木が一瞬にして燃え上がった。

「ひえっ。忘れてた。燃える唾ってやつだ」

 つま先のすぐ前ほどで、ぐつぐつと泡立つ黄緑の粘着スライムが炎を上げながらのたうつ。あたかもそれ自体が意思を持った生き物で、己を焼きつくそうとする炎から逃れようと伸びたり縮んだりしている。腐った半熟卵を思わせる硫黄の匂いに、気体化した酸性の物質が混ざった空気を吸い込みそうになる。フルフェイスヘルメットにはフィルターもついているのだろう、じかに吸っていたら肺が焼けていたかもしれない。

 後ずさりしたとたんに、さきほどまで立っていた位置に発火性の粘液が命中した。乾燥した地面であるが、雑草や肉眼には見えないレベルの微小生物などの有機物は豊富にあるらしく、ぼっぼっと火がつき燃え始める。一度引火すると、そのスライム自体が燃料と化して燃え上がるらしい。谷底の気温が上がり始める。

 唖然として発火する唾と燃え広がる粘液と、ぼふぼふと唾を吐き続ける蠍竜の顎を交互に眺めている拓也の腕を掴んで、西垣杏奈が引っ張った。

「逃げるのよっ」

 すたこら駆け出すふたりのあとを、ぼっぼっぼっぼと発火粘液が追いかけ、地面に触れて炎が上がる。あっというまに谷底は砂漠のガス油田さながらに、無駄に炎を吐く大地と化した。

 ロケットランチャーを担ぎ、榴弾を背中に負っているのにもかかわらず、インパラやガゼルのように軽やかに荒地を駆ける西垣杏奈のあとを、慣れない鎧をがちゃがちゃと鳴らしながら、拓也は息も絶え絶えに追いかけた。

「ちょっと、酸素足りない」

 ぜえぜえと苦情を吐き出したとき、小石につまずいて前のめりに転んだ。ライフルを手放してしまう。弾は切れていたので、暴発もしなかったのが幸いだった。しかし、動けない拓也を狙って吐き出された発火性粘液が、鎧に覆われたかれの脚に命中した。

 埃にまみれていた彼の靴や鎧に、有機性の物質が付着していたのか、ぼうっと火がついた。始めは弱火だったが、卓也が火を消そうと脚をばたばたさせているあいだに、炎が脚にはりついた粘液に燃え広がる。

「うわ、熱いっ。西垣さん、どうにかしてくれっ」

 拓也が助けを叫び終わる前に、西垣杏奈は腰につけていた丸い玉を拓也の脚に投げつけた。パキーンという、薄いガラスの割れる音に続いて、しゅわーっという音とともに白い蒸気だか煙が立ち上り、かすかに鼻の粘膜を突く臭いを感じる間もなく、鎮火される。鎧越しに伝わっていた熱も一気に下がったようだ。

「消火弾は三個まで無料サービスだから。有効に使ってね」

 西垣杏奈は拓也を助け起こしながらそう言うと、手を引っ張って蠍竜の次の粘液射程範囲から逃れた。蠍竜の唾の届かないところまで走って、大岩の後ろに回りこみ、隠れる。蠍竜は四脚をがつがつ踏みならし、尾を地面に叩きつけながら追ってくるが、動きは遅いので拓也がイオン飲料を補給して呼吸を整える時間はあった。

「ぜんぜん弱る気配ないけど」
 ヘルメットのバイザーを上げ、汗を拭き取りながら拓也は文句を言った。

「一弾倉分しか喉に流し込んでないもの。三弾倉くらい飲ませればもっと早く効いてくるのも早いんだけど。あといくつ残ってます?」
「三つ」

 西垣杏奈は顎に、正確にはヘルメットの顎の下あたりに、真珠色の軟化プラスチック防護手袋で覆われた指先を当てて考え込んだ。
「もう一度接近して、ドラッグボールを打ち込めば、決着が早くつくわ。このまま逃げ回っているだけだと、こちらの体力ももたないかもしれない」

「火だるま覚悟で?」

「死にはしません」

 一度もヘルメットの黒バイザーを上げていない西垣杏奈の顔はわからないが、その口調からこの状況を楽しんでいることがわかる。

「アンナさんて、アンリさんのお姉さんかなにか? マルチユニバースの?」
 杏奈は首を傾げて、(たぶん)微笑んだ。
「あ、わかります?」
 急に丁寧語になって、杏奈は肯定する。

「双子の姉妹です」
「って、身長と体格が、違うでしょうが」
「二卵性ですから」
「姉妹でマルチユニバースの社員とか、どういうコネ?」
「姉妹でツアーに参加したのがきっかけです。杏里はオフィスでお客様のお世話をするのが好きらしいですけどね。私はこっちで冒険をしているほうがいいですよ」

 しゃべり方が杏里と同じ、営業トークと化してくる。
「火だるまになったことあるの?」
「ええ、サウナ状態ですよね。でも、三分以上は防護スーツが持ちませんから、早めに片付けましょう」

 ずしんずしんと蠍竜が近づいてくる。かれらは谷の奥、つまり蠍竜の巣のほうへと逃げていた。これ以上は逃げ場がない。もしかしたら、杏奈は意図的に拓也を奥へ誘導して、決戦を強いるつもりではないかと疑う拓也であったが、問いただしている暇はない。

 蠍竜の吐き出す唾が、十メートル先で発火しているのだ。

「じゃあ、私が囮になって、右側を弧を描いて走り、谷の向こう側へひきつけるから、三俣さんは横から狙いを定めて、火を吐いているパンタラドラゴンの口の中にドラッグボールを撃ち込んで」
「え、そんな危ないこと、女性にさせられない……」
「真横から撃つと、そのまま反対側から飛び出しちゃうから、ちゃんと喉に当るように撃ってね」

 ふたたびテキパキとしたタメ口調になって、杏奈は拓也の異論を封じ込めた。

 そして、「大事に使ってよ」と念を押しつつ、ふたつの消化弾を拓也に手渡すと、自分は青い榴弾をロケットランチャーに装填して立ち上がった。そのまま岩の上に飛び上がり、蠍竜に手を振る。蠍竜が吼え、吐き出す唾をよけて跳躍し、岩を飛び降り、そのまま駆け出した。蠍竜は杏奈を後を追って転回した。

 目前で乾いた苔に覆われた岩が燃え上がり、視界が利かなくなった拓也はどちらへ行ってよいのかわからない。枯れ草に飛び火して火災の恐れが激しくなったために、とりあえず消火弾をひとつ投げつけて鎮火し、岩場から顔をのぞかせる。

 蠍竜は、軽やかに疾走する杏奈へ顎を向け、体を反転させようと四脚をどすどすと踏みつけている。毒針の鉄鋼棘(てっこうきょく)が並ぶ尾を水平に薙ぐ動作は、その反動で反転の動きに加速をつけるためらしい。

 あの尾は武器というよりは、恐竜のように重たい胴体と頭部とのバランスをとるものらしく、積極的にそれで敵を叩き潰すものでもないようだ。それでも棘の並んだ尾のステゴザウルスや、棍棒状の尻尾で天敵を撃退したアンキロサウルスを思えば、武器として充分に機能するようにできているのだろう。

 これまで観察したところ、あの尻尾だけは、左右に薙ぎ払う動きが他の部位よりも速いので要注意であった。

 拓也は杏奈に気を取られている蠍竜の近くまで接近し、発火唾を吐いた直後を狙ってパスパスパスとドラッグボールを蠍竜の口腔に撃ち込んだ。いくつかは外して、牙にピンク色の薬剤がべとつく。べろりと紫色の舌が出て、薬剤を舐めた。黒い眼がぐるりと回って、拓也を捕捉した。

 振り上げる動作を省略して、巨大ハサミが拓也めがけて斜めに叩きつけられる。

 両足で地面を蹴って跳び、砂煙の舞う中を転がり、三回転目で片膝立ちになってライフルを構えた拓也は、地面にめりこんだハサミを引き出そうと頭を低く下げた蠍竜の、鼻の穴に照準を合わせて残りのドラッグボールを連射した。

 うまい具合に鼻の穴に吸い込まれてゆく弾に、拓也は内心でガッツポーズをする。一弾倉分のドラッグが鼻から胃に落ちて行ったはずだ。

 大顎と牙、鼻面にピンク色のペイントを塗りつけたさまは、怖さを半減してしまうが、よだれのように落ちてくる黄緑色が発火粘液が地面に触れるたびにボフッ、ボフッと燃え上がる。

 巨大ハサミを持ち上げようとする動作が止まり、蠍竜は首から上をがくがくと震わせた。

 蠍竜のハサミが地面にめり込んでいる間に逃げようとしていた拓也だったが、その隙だらけの動きに、ようやく薬が効いてきたのかと気が緩み、銃口を下げて杏奈のほうへと視線を向けた。

「危ないっ、逃げて、三俣さんっ」

 ヘルメットの中で杏奈の叫びが反響した。

 鼻の奥でガフガフと妙な音を立てていた蠍竜が顎を開いて空気を吸い込んだ直後。

 岩雪崩のごとき轟音とともに、蠍竜の口からは大量の発火粘液と、鼻からは暴風が吹き出した。蠍竜の鼻水に触れた粘液が瞬時に燃え上がり、火炎放射となって拓也の全身に吹き付けた。

「熱い熱い熱いーー」
 三俣拓也は、蠍竜のくしゃみを浴びて、文字通り火だるまになってしまった。



[33230] 第八話 異世界で命拾いすること
Name: 天賦玲斗◆e4e5d826 ID:700ef7ac
Date: 2012/06/12 14:13
「三俣さんっ。消火弾を使って!」
 ヘルメット内に響く杏奈の声に、拓也は我にかえって腰に着けた消火弾を叩き割る。もうもうと白い煙が立ち上り、火だるま状態は鎮火された。
 しかし、硫黄と生臭く不快な臭いがどこからかしみ込んできて、拓也は涙眼になってげふぉげふぉと咳き込んだ。

「おお、こんなガス吸って大丈夫か」
「有毒成分はフィルターでろ過されているはずなんで。大丈夫です。ドラゴンから離れてください」

 現状を思い出し、拓也は慌てて周囲を見回した。
 蠍竜は両方のハサミで顎を、というより、鼻を抱えこんで地面に突っ伏している。びくびくと痙攣しているのが、薬で神経が麻痺してきたのか、単に次のくしゃみを我慢しているのかは判別できない。

 拓也は炎に囲まれていない方へと走り出した。

 その、わずかに地面をぱたぱたと震わせた動きが伝わったのか、蠍竜が両方のハサミを地面に着いて頭部を上げた。四つの黒い眼が赤い炎を反射し、拓也を捉えた。

 カッと顎を開き、唾が吐き出される。拓也はゆるやかな蠍竜の動きの一拍先を逃げながら、まだ燃え続ける谷間の高温の中で踊るように走り回り、蠍竜を疲れさせていった。

 杏奈はどうしているのかと思えば、煙の向こうから白いボディスーツにロケットランチャーを担いだ姿が、こちらを目指しているのが見え隠れする。

 そうこうしているうちに、蠍竜の動きがだんだんと鈍くなり、眼から輝きが薄れてゆく。もともとあまり燃える草木の少ない谷間は、自然に鎮火してゆき、あとは黒くこげた地面や岩が残される。

 拓也は肩で息をしつつ、四対の脚を抱え込むように胴の下へ曲げ入れ、両方のハサミで顔を覆い、丸くなる蠍竜を見上げた。
 ――終わった……。
 拓也はゆっくりと横歩きをしながら、蠍竜の正面に回った。就職浪人確定の拓也が無傷で退治できたのだから、確かに死亡率ゼロなのだろうが、それでも素人には危険すぎる。

 ヘルメットのバイザーに手をかけ、肉眼で蠍竜をよく見ようと、卓也が一歩前で踏み出したそのとき、蠍竜がぐっと顎を上げて、霞む四つの眼で拓也を睨みつけた。
 じぃっと、どこか明確な意思をうかがわせる眼つきに、拓也の背中に冷たい汗が流れた。
 それもやがて灰色に濁り、命をなくした昆虫のように、蠍竜は四肢を固く折りたたんで前のめりに沈んだ。

 拓也は念を入れて、残ったドラッグボールをパスパスと蠍竜の目や鼻に撃ちこんではしばらくようすを見る。すっかり眠り込んだことを確認し、拓也は抜き足、差し足でそっと蠍竜に近づいた。

 黒光りする楕円形のハサミは、拓也の鎧姿が映し出されるほどに艶があり、メタリックな光沢があった。そっと触れてみると、やはり金属的な硬さがある。地面に何度もめり込んだのに、傷ひとつついてないのだから、かなりの硬度なのだろう。

 まぶたのない四つの眼は、よく見ると細かい八角形が無数に並んだ切り小細工のようだ。
 周りの鱗状の殻から盛り上がったその複眼が、堅いのか柔らかいのか気になった拓也は手を伸ばした。が、届かないのでハサミによじ登ろうと正面の顎の下まで近寄ってみる。
 ねちゃ、という音とともに、ブーツの底が泥に埋まるような感触を覚えたと同時に、足元から火柱が立ち上がった。

 正確には、炎が拓也の体を包み込んだのだ。顎とハサミの下に蠍竜の涎がたまっており、拓也はそこに足を踏み込んでしまったのだ。

 ブーツも鎧も耐火性ではあるが、先に浴びて引火した蠍竜の唾の有機成分が残っていたらしく、またたくまに燃え広がってしまった。
「!!!!」
 悲鳴も上げられずにいる拓也のヘルメット内に、杏奈の警告が響き渡る。
「三俣さん、万歳してください!」
 なんだかわからず、無我夢中で両手を天に突き上げる。

 遠くから「ばすっ」という音が聞こえたような気がした直後、胸板にどぅん、という重い衝撃を受けた。そのままのけぞって、仰向けに地面に倒れてゆく拓也は、周囲に白い煙がしゅうしゅうと立ち上っているのをバイザー越しに見ながら、意識が遠のいていった。

 額に爽やかな風を感じて拓也が眼を開けると、ガント、ベント、そしてマルチ・ユニバースの営業員、西垣杏里が拓也の顔をのぞきこんでいた。
「あ、お目覚めですね」
 普通のOL的なスーツを着て、ナチュラルメイクアップに女神のごとき笑顔を浮かべている。
「おれ、地球に戻ったんですか?」
 飛び起きた拓也は、硫黄と生臭いすすに覆われた鎧を着たまま、カチャカチャと耳障りな音を立てて周囲を見回した。
「んじゃ、ないんですね」
 失望したのか、安心したのか、本人にもよくわからない口調だった。

「はい。まだパンタラにいらっしゃいますよ。サポート員の杏奈から、安全確認の要請を受けましたので、急遽、駆けつけさせていただきました。当社の開発した鎧は完璧にパンタラドラゴンの発火唾攻撃から三俣さまをお守りしました。緊急大型消火弾が着弾したときの衝撃も八割がた吸収できましたので、肋骨にも胸郭にも損傷はありません」

 すらすらと解説する西垣杏里は、セミタイトのミニスカートからのぞく脚をきれいに並べて拓也の横に膝を着いて座っている。彼女の姉妹、杏奈の脚線美を思い出した拓也は、ふいに羞恥を感じて脚から目をそらす。
 杏奈はどうしているのかと、とってつけたように目で探してみた。

 少し離れたところには、大勢のパンタラ人が集り、蠍竜をぐるぐる巻きにしている。そのそばで、西垣杏奈は白いボディースーツにヘルメットを被ったまま、彼らを監督していた。

「あれ、君のお姉さん」
「はい、パンタラでドラゴンハンターなどやっております。マルチ・ユニバースのドラゴン退治ツアーの、現地ガイド主任でもあります。今後もご贔屓にお願いします」

 首を少し傾げ、にっこり笑った杏里は、首のところまでたくし上げられていた拓也のTシャツを腹まで下げると、鎧のブレストプレートをもとどおりに装着した。
 気絶していた間に、裸の胸を妙齢の良く知らない女性に見られていたことに、拓也は愕然とした。
 意識がなかったので覚えているはずがないのだが、柔らかな指が肋骨や鎖骨、胸のあたりを撫でて怪我の有無を確認していた感触が、胸の表面に残っている気がする。

 呼吸をするとまだ痛みの走る胸の奥で激しく動揺しながら、拓也はどもりながら聞き返した。
「今後も?」
「はい。三俣さんがまたドラゴン退治を希望されましたら、西垣杏奈がご案内を勤めさせていただきます」
 ふたたびドラゴン退治をしたいとは、拓也は思わなかった。

「二回目からのツアー料金は、一割のディスカウントがありますよ」
 いやいや、無理だろうと拓也は曖昧に首を揺らした。
 関節をすべて縛り上げられたパンタラドラゴンは、並べられた丸太の上を転がりながら、谷の外へと運び出されていく。

「あれ、どうするの」
「パンタラドラゴンは、パントラではとても重要な資源なのです。あのまま、王都へ運ばれ、神殿で処理されます。パントラの捕獲手数料は、すでに三俣様の口座に払い込まれていますから、確認してください。生け捕りですから、一万バクレルは確実ですよ」
 いまさらながら、拓也は目を丸くした。

 日本円にして、約百二十万円を半日で稼いでしまったということか。ツアーに払った料金の元が取れた上に、残りの滞在日数を豪遊できる。
 いやいや、節約して日本に持って帰れば、しばらくは生活に困らない。
 あるいは、もう、二、三頭ほど捕らえれば……。日本のコンビニバイト夜勤の年収を軽く越えそうだ。

 心と頭がぐらぐらしてきた三俣に、完璧な笑顔で西垣杏里がひとこと付け加えた。

「三俣様が、ドラゴンの唾溜まりに不用意に足を踏み入れたために、火だるま鎮火のために使用させていただいた緊急大型消火弾の料金、千バクレルを報酬から差し引かせていただいていますから、その点はご了承ください」

「へ?」
 拓也は、間抜けた顔で杏里を見上げた。
 その背後には、眼に沁みるような青い空が広がっている。



[33230] 第九話 異世界ドラゴンをゲットすること
Name: 天賦玲斗◆e4e5d826 ID:700ef7ac
Date: 2012/06/12 14:11
 谷の出口では、巨大な八輪の荷台に積まれた蠍竜を、十頭の馬もどきが牽いて街へと向かう準備に大騒ぎだ。

 どこが馬もどきなのかというと、頭や首の長さ、体格や蹄の形状などは馬に良く似ているのだが、鬣(たてがみ)にあたるところが、パンタラ人のとうもろこし髭の頭髪と酷似しており、頭頂から背中にかけて、ふよふよと放射状に首を取り巻くように伸びていて、そこだけむしろライオンの鬣を連想させる。

 ガントも西垣姉妹も、荷車の近くに立って、作業を見守っている。

 とうもろこし髭の髪を、円い帽子の下から放射状に広げてふよふよさせて働いているパンタラ人を拓也は呆けた顔で眺める。

「パンタラ人は、ドラゴンを倒せないって話だったけど。捕まえるのは慣れた感じだな」
「エルゲンオドゥスドーリエンは神聖な生き物ですから、直接手を下したものには天罰がくだるのです。だから、あえて手を出すパントラ人はいないのです」
 横に立っていたベントがそう説明する。

「俺たちがやっつけるのはいいわけ?」
 矛盾だなと思いつつ、拓也は突っ込んでみる。
「神聖ですが、数が増えると山から下りてきたり、谷から出てきて村や農場をめちゃめちゃにしたり、通りかかった人間や家畜を襲うので、困り者なんです。だから、異世界のお客さんがドラゴンハンターとして、こちらに来て下さるのは大歓迎です」

「異世界人の俺たちには天罰はくだらないということか。っていうか、マルチからハンターが送られてくる前はどうしていたんだ?」

「どうしても退治しないといけないときは『贖罪の勇者』を立てて、魔法の加護を添えて送り出してました。でも、どんな勇者も神の獣の殺し手にはなりたくないですから、なり手がいないんですよね」

「その『贖罪の勇者』が見つからないと、どうなるの」
「今までは王族の騎士が選ばれて、派遣されてましたが。成功率は百パーセントですが、死亡率も百パーセント」
「しかし、どういう戦い方でそうなるんだ」

 さっきまでの自分のバトルを思い浮かべて、拓也は首をひねった。

「ドラッグボールに使っている麻酔毒の袋を抱えて、自分からエルゲンオドゥスドーリエンに食べられるのです」
 人差し指を立て、くりくりとした瞳を真剣に輝かせて、少し下から目線でベントが教えてくれる。

「それって、マジで生贄じゃないか。確かに百パーセント神罰下っているというか」
 そこまで考えて、拓也は右手の拳で、左の掌をポンと叩いた。鎧がカチャリと軽い音を立てる。
「おれたち異世界人って、ドラゴンハンターで有名なの?」

 ガフン市に着いてすぐ、大聖堂の前で自分に注がれていた視線を思い出して、拓也は訊ねてみた。神聖獣殺しの連中と思われたり、無謀な冒険者と思われているわけだろうか。
 あるいは気の毒な生贄候補とか。

「ドラゴンだけじゃないですけどね。トレジャーハンターとか、レイダースとかありますよ。日本語では一括して『冒険者』でしたか?」

 おおおおお、と拓也は思った。

 とても異世界トリップらしくなってきたぞ、と。

「でもって『ギルド』とかも、もちろんあるわけ?」
「マルチ・ユニバースの支店とか、出張所が、異世界移住者にそう呼ばれていますけど」
 漫画的に、拓也はずるっとこけそうになった。
「なんて夢がない。こんな夢のない異世界トリップとか、どうなんだよ」

 出発の準備ができたらしく、荷車がごりごりと動き始めた。どの車輪も軸も、折れそうな心配がないのを見て、白いボディスーツの西垣杏奈が猫のような身軽さで蠍竜の背中に飛び乗った。

 首と背中の甲羅の継ぎ目をふたりのパンタラ人に梃子(てこ)で開かせ、その隙間にロケットランチャーに装弾した黄色い榴弾を撃ち込んだ。
 パンタラ人はゆっくりと甲羅と鱗の継ぎ目を戻して、縄で弛まないようにぎっちりと結ぶ。

 ぴょんと地面に降り立った杏奈が、拓也へと軽快な足取りで近づいてくる。
「あれは、麻酔剤?」
「そう。王都に着くまで、一日ひとつづつ打って、麻痺させておくの。死なせてしまうと鮮度が落ちて、価値が半減してしまうからね」
「どういう価値?」

 杏奈は、バイザーを上げて拓也に顔を向ける。杏里とよく似た愛嬌のある顔立ちに、紅い口紅が妙に鮮烈だ。
 ずっとメットを被っているのに、きちんと化粧しているうえに、汗で崩れてないとか、どうなんだと思ったが、拓也は口には出さなかった。

「三俣さんがドラゴンハンターになるんなら、教えてあげるけど」 
 紅く艶やかな唇の両端が、ニッと三日月型に上った。
「説明し出すと長くなるからやな。帰ったら夕飯のときにでも話してもいいやし」
 ガントと杏奈も寄ってきて、会話に加わった。
「あまりご飯のときには、聞きたくないなぁ」
 ベントがうんざりした顔で、鼻に皺を寄せた。

 動き始めた蠍竜の後を追っているうちに、拓也たちは乗ってきたガントの荷車を停めておいた場所に戻った。

「じゃあ、私はこれで失礼します」
 突然、西垣杏里がスーツ姿で肩からお辞儀をする。低い位置でバレッタでまとめられたポニーテールが、ぴょこんと揺れた。

 蠍竜の谷の、出口である。潅木やむき出しの岩石の並ぶ山の中だ。舗装されてない砂利道が、白く山から都市へと伸びており、人工物も交通機関もない。

 杏里は自信たっぷりの足取りで道の端まで行き、そこにしゃがみ込む。そして、地面から円く重たげな物体を持ち上げる。
 来たときは気がつかなかったが、砂と埃に隠れるようにして円いマンホールがあった。

 杏里はマンホール穴の縁に腰かけ、拓也に向かってにっこり微笑み、手をふった。
「それでは、またお困りのことがありましたら、お問い合わせください」
 そして、するっとマンホール穴に滑り込むと、パタンと蓋が閉まった。

 拓也は慌てて駆け寄り、マンホールの蓋をじっと眺める。
「どうして、日本の天守閣の城がマンホールの模様に……」
「どっかの自治体の街づくりで、余ったのをうちの建設部の社員が調達してきたんでしょう。日本への入り口で、わかりやすくていいでしょ?」

「ここに入ったら、日本に帰れる?」
 拓也はマンホールのハンドルに手をかけた。

「座標を相互から合わせないと、向こうにはでられません。杏里が入った時点で転移が済みましたから、向こうの座標が消失していた場合、どの空間に出るかわからないわ。宇宙空間に投げ出される可能性もあるから、下手にあけないほうが良いです。吸い込まれたらおしまいだし」
 こともなげに言ってのけると、杏奈はヘルメットを脱いだ。

 こげ茶色に赤いストリーク染めのショートレイヤーの髪を指でかきあげる。
 杏里よりも大人びた、いかにも活動的な美人だ。

 四人でガントの荷車に乗り込んで、街へと向かう。街は急遽のドラゴン収穫祭で沸きかえっていた。煤とドラゴンの涎と、消火弾の白い粉にまみれた拓也は英雄扱いだ。

 この喧騒に身動きひとつせずに眠り続ける(あるいは麻痺している)蠍竜に、花びらが投げかけられ、拓也たちにはパントラ女性のスカーフや色とりどりのハンカチがふられた。

 この賑わいぶりを思えば、拓也に支払われた以上の収益が、蠍竜一頭だけでもガフン市にも、パンタラ国にも入るのだと推測できる。

 蠍竜退治自体は、装備と用心さえしていれば拓也程度の体力でも可能なのだから、パンタラ人に武器の使い方を教えれば、いくらでも収穫できるだろうに、と拓也はぼんやりと思った。

 その汗の跡の残る拓也の顔を、杏奈の意味深な笑みがのぞきこんだ。

「蠍竜は、繁殖力もそれほど強くないし、成長も遅いのよ。お金になるからってどんどん獲っていたらすぐに絶滅してしまうの。ドラゴンハンターにしてもね、有害指定されたドラゴンだけを狩るのよ。それぞれに捕獲していい年間の割り当てがあるのね。私たちは、お金目当てでやっているんじゃないのよ」

 拓也は目をぱちくりさせて、三日働けば一年遊んで暮らせるドラゴンハンターの生活に期待を寄せていたことは、黙っておくことにした。

「この改造ライフルやロケットランチャーは、パンタラの人たちには使わせないんだな」
「魔法の道具ってことになっていてね。異世界の魔法使いにしかわからない原理ということになっているの。現地社員のパントラ人でも、使い道を知っているのは整備担当者だけ」
 唇の片方をきゅっと上げて、杏奈は片目をつぶった。



[33230] 間章 マルチユニバース・オフィス
Name: 天賦玲斗◆e4e5d826 ID:700ef7ac
Date: 2012/06/12 14:10
 西垣杏里は、すとん、とオフィスの天井の穴から、ソファの上に着地した。
「お帰りなさい」
 新規顧客課主任、宮部小夜子の、凛とした声が杏里を迎える。

「どうだった、三俣さん。無事に退治できたのかしら」
「二回も火だるまになるなんて、ドラゴンハンターの適性はちょっとないかもしれません」
 杏里は苦笑いとともに報告する。

「でも、好奇心は強そうよ。荒仕事は無理でも、トレジャーハンターは向いているかもね」
「パンタラはまだ未踏の地が多いですからね。ドラゴン以上に儲けになる生き物や鉱物がありそうですし」
「でも、資源の開発は慎重にしないと、地球の二の舞になっても困るからね。スタッフは慎重に選ばないと」

 小夜子は頬を引き締め、真剣な表情で杏里を見つめた。

 マルチ・ユニバースの社員になるには、まず、私欲を捨てなくてはならない。
 異世界は宝の山だが、資源は限られているし、その資源を長く収穫したければ、環境への影響をつねに考慮する必要がある。

 他の業者から見れば、マルチ・ユニバース㈱は異世界の資源を独占して暴利を稼いでいると言われても仕方がないのだが、競合する会社が入ってくれば、パンタラ自体が地球人というシロアリに食い尽くされ、そこで育ったパンタラ人たちの文明も世界も、滅ぼされてしまうだろう。

 マルチ・ユニバースの社員としては、この『金のなる木』の存在を強欲な業者に知られずに、ゆっくりと育てていかなくてはならない。
 だが、この秘密を守り、利益を追求するのに、幹部候補の人材掘り出しは必要であったし、現地でビジネスを継続するための軍資金はもっと必要であった。

 パントラの秘密を、マルチ・ユニバースはあとどれだけ守れるのだろうか。
 
 杏里は、モニターの中でパレードを続けている拓也に視線を向けた。

 杏里が契約して異世界に送った、初めての客である。
 とくに抜きん出た能力や才能はないようだが、どこかのんびりとした善良さがいい。

 蠍竜を倒したときも、それほど興奮して喜んだようすもなく、報酬を告げられても貪欲さをちらりとも見せなかった。
 しかし、ドラゴン退治という「タスク」を達成したことに静かな満足をおぼえているようであったのに、杏里は清清しさを感じた。

 自分のPCに向かって、日報を書き込む。

『三俣拓也氏 
 パンタラドラゴン(パンタラ名:エルゲンオドゥスドーリエン)を無事退治。

 胸に軽傷。

 敏捷性 2/5
 適応性 4/5
 スタミナ 4/5
 判断力』

 杏里は、少し考え込んだ。
 蠍竜の状態を確かめるために、さらにドラッグボールを打ち込んだり、正面からでなく側面から麻痺状態の蠍竜に近づいたのも悪い判断ではない。

 しかし、ドラゴンの形状に気をとられて、足元への注意がおろそかになったのは否めない。
 
『判断力 4/5
 注意力 2/5』

 杏里が注意力を1/5にしなかったのは、それでは適性皆無になってしまうからだ。
 経験によって改善できるかもしれないのだから、ここは要注意程度におさめておく。
 
『ハンター適性 3/5

 パンタラの衣食住に対する興味や好奇心が強く、順応性が高い』

 さて、次は魔法適性よね、と杏里はキーボードの横に転がっていたペンを拾い上げ、くるっと回した。



[33230] 第十話 異世界ドラゴンを換金すること
Name: 天賦玲斗◆e4e5d826 ID:700ef7ac
Date: 2012/07/16 09:10
 街はお祭騒ぎだった。

 まず蠍竜が、前日に訪れた三階建て市庁舎の前の広場に展示され、その黒く輝く甲羅や鱗を見物しに、ひとびとが押しかけた。そしてその聖獣を生け捕りにし、生きて帰った『勇者』をひと目見ようと、ガントの荷車に観衆が押し寄せる。

 これまでは、パンタラの王族が命を捧げて、ようやく一頭を斃すことが可能であったのだから、元の色もわからぬほど煤けてしまった鎧と、汗でべとべとになった拓也が魔法使いのドラゴンハンターと敬われるのも無理はない。

「なんか、詐欺みたいだ」
 次々に求められる握手に答えながら、拓也はつぶやいた。
「誰が?」
 杏奈が笑いを頬の内側に隠したような声で訊き返した。

「俺が。なんかチートな手段でドラゴン退治して、この国のひとたちが崇めている生き物を殺して英雄気分とかさ。生贄になってきた王族とかに申し訳ない気がする」

 拓也の煤けた鎧の肩をパンパンと叩きながら、杏奈は嬉しそうに言った。
「三俣さんって、いい人だね。あとでメルアド教えてよ。次のドラゴン狩りのときもまだ滞在していたら呼んであげる」
「ツアーの?」

「もっと上級。翼の生えたパンタラドラゴンの成竜退治さ。年に一度あるかないかの大物でね。こっちはチートじゃ仕留められないから、捕らえたときの達成感はハンパないよ」
「あの蠍が空を飛ぶ?」
 顎が外れそうに口を開いて、拓也は大声を上げた。

「成竜になるとね、あの重すぎるハサミは殻が取れて、中から大きな翼が出てくるのよ。それから、硬い甲羅も取れてしまうけど、鱗自体は強化されて、それこそチタンの剣も通らないくらいなの」
「そんなのどうやってやっつけるの?」

 唖然とする拓也に、すっかりタメ口にになっている杏奈は魅惑的な笑みを返した。

「そのときの、お・た・の・し・み」

 拓也は眉間に皺を寄せて、うーと唸ってしまう。杏奈はけろけろと笑って、それから少し真面目な顔になって拓也の目をまっすぐに見つめた。

「三俣さん、ほんとに気にいったわ。武器チートはともかく、パンタラ人への罪悪感は三俣さんが気にすることじゃないもの。聖獣だろうがなんだろうが、自分達の生活が脅かされているのに、天罰を怖れて何もできない、一頭殺すのにひとりの命を差し出さなくてはならない、というのは彼らの都合だもの」

「おれたちが殺すのは構わないってのは? 祟りを異世界人に押し付けてないか?」
「キリシタンの踏み絵みたいなものねー。私たちは増えすぎて、テリトリーからはみ出している害獣を退治するために協力しているだけだから、バチは当らないでしょ」

 釈然としない思いを抱えて、それでも笑顔を貼り付けながら、拓也は次々と押し寄せるガフン市のひとびとと握手を交わす。中には非常に情熱的な目を向けてくる少女やご婦人もいて、その柔らかな手の感触にちょっといい気持ちにもなった。

「私たちはツアーを企画してドラゴン退治をしたいお客さんを呼んで、成功するとわかっている企画で破格の報酬をもらって、パンタラ政府は貴重な資源のドラゴンを生け捕りにした上に、王族を犠牲にしなくてすむんんだから、ウィンウィンのシチュじゃなくて?」

 両手を耳の横に上げてハサミをつくり、ウィンクする杏奈に、拓也は苦笑いを返すしかない。
 しかも、ドラゴン収穫祭で市場が沸きかえり、経済効果も高い。
 確かに、誰も損をしていないのだから、いいのかと思う。

 いや、火だるまになったり、消火榴弾で狙撃されて大変痛い目にあったという点では、拓也だけは損をしている気がする。

「だって、『贖罪の勇者』が、さっぱりきれいなかっこで無傷で帰って来ても説得力ないでしょ。命を賭けてきました、って演出はとっても大事なの」

 そうして言われてみると、杏奈の白いボディースーツも煤と泥と埃にまみれている。
 いつの間にか、わざと汚れをつけるために、谷のどこかで転げまわってきたようだ。

 市庁舎の屋上からファンファーレが鳴り響く。市長らしき紫のマントを翻し、金の胸飾りをじゃらじゃらと下げた中年の男性が、庁舎の正面玄関から出てきた。円い紫色の帽子からはふよふよしたとうもろこし髭の髪がゆらゆらと揺れている。

 ガフン市市長は左手に金と銀の錫を持ち、手には羊皮紙のような巻物を持って拓也たちの荷車の前まで進んだ。

 ガントに促されて荷車を降りた拓也は、どう挨拶していいのかわからずきょろきょろとあたりを見回した。ガフン市民はみな、腰から直角に折り曲げるほどの深いお辞儀を市長に向けているので、拓也もそうした。

 市長はなかなか魅力的なテノールを響かせ、感謝状らしき羊皮紙を広げて読み上げた。
 わずかなタイムラグで、ピアスから翻訳音声が流れてきて、市長の演説が始まった。拓也は確かに公式に感謝されているんだなと納得した。

 それによると、損傷がほとんどない『エルゲンオドゥスドーリエン』の生け捕りと、その重量に対して、一万二千七百二十五バクレルが報奨として授けられたという。

 ――一万バクレル越えてるから、百二十万円どころか、もっといってるわけだ。消火弾で減った分も、たいした金額じゃないし。乱獲できないのが残念だ。

 拓也はしみじみと思った。

 市長はおもむろに感謝状を回すと、拓也に差し出した。

 その、トンパ文字の羅列を思わせる感謝状には、中心の円の中に、鎧を着てライフルを構えたマッチ棒人間が、丸みを帯びた巨大なハサミをふりあげるマッチ棒な蠍竜と戦っている絵が描かれていた。

 幼稚園児の描くファンタジーな落書きのようだった。

 そして、その円の外には、非常に細かいトンパ文字もどきがぎっしりと書き込まれていた。市長が演説した内容よりも量が多く、もっと複雑なことが書いてあるようだ。
 縦に読むのか、横に読むのか、また、右から読むのか左から読むのかもわからない。

 帰ったらベントに頼んで読んでもらい、翻訳してみようと思った。

 この、いかにも中世な『羊皮紙』の手触りと異国の文字。
 拓也は、なんだかわくわくしてきた。

 目の前の市長が、両手を広げてにこにこ笑っている意味がよくわからなかったが、同じように笑顔を作って両手を広げたところ、市長は一歩踏み出して拓也をがしっと抱きしめて絞め殺すがごとき勢いでハグをしてきた。

 たぶん、鎧を着てなければ肋骨くらいは折れていたかもしれない。

 標準体型の市長でこれだけの腕力があるのだ。パンタラ人の体力腕力は現代日本人を軽く凌駕していることを知るのに困難はなかった。
 そんなかれらが信仰心を捨てれば、蠍竜はすぐにも絶滅に追いやられてしまうのではないか。

 肺から空気をすべて絞り出された拓也は、くらくらする頭でそんなことを考えた。

 そのあとは、本当にお祭りが始まった。

 もともと市庁舎前には朝市が立ち、昼時には屋台が並ぶ。

 どこかから楽隊が現れ、ひとびとは蠍竜の周りで輪になって踊り出した。

 発泡酒を強く振って、噴き出した酒を蠍竜に浴びせるものもいる。

 人ごみを移動しながら、ガフン市民が気前よく渡してくれる串焼きや、月餅に似たケーキ、果実酒やビールに似た臭いの、ぬるい発泡酒をふるまわれる。

 ほろ酔いに気を良くした拓也は、つい調子にのって鎧を着たまま下手なヒップホップなど披露して爆笑を買った。

 結局、一万二千七百二十五バクレルが、今日のレートでいくらになるのかわからないまま、拓也はパンタラ人と祭りを楽しんだ。

 確かに安全の保障された、サポート万全の冒険ではあったが、その全容を知らずにあの巨大な蠍竜と対決した後だ。二度も火だるまになったのがシナリオとも思えない。
 生きていてることに感謝して羽目をはずしていい気分にもなる。

 ようやく三人が帰宅したときには、エスメの作るシチューの香りが、玄関の外まで漂っていた。
 道々食べてきた肉や焼き菓子などで既に満腹になっていたことに、ガント親子と拓也はおおいに焦った。



[33230] 第十一話 ダンジョン探検の注意事項を授かること
Name: 天賦玲斗◆e4e5d826 ID:700ef7ac
Date: 2012/07/03 14:02
 ガント家の団欒を終え、自室に引き取った三俣拓也は、ベッドの上に座り込んで、携帯ドコデモをのぞき込んでにまにましていた。

 拓也のクレジット口座に、百四十七万七千二百二十八円が入金されていたのだ。
 つまり、『147万円』と、『7,228円』である。
 あの別料金の消火榴弾がひとつ十万円くらいするわけのなのだろうが、百四十万という数字には、漢数字だろうと、アラビア数字だろうと、この表彰状に書かれている意味不明のトンパもどき数字であろうと、拓也の顔を弛ませずにはいられない。

 こんなにありがたいツアーを拾い上げた、自分の幸運が信じられない。おふくろさんにも分けてあげたいくらいだが、自分の携帯は圏外で、ドコデモの異世界通信はマルチのオフィス限定になっているで無理だった。

 それからはたと思いついて、次のオプションツアーの詳細頁を開いた。
 次も怪物退治ではなかったかと、思い出したからだ。これも賞金がでるのだろうか。

「お、これこれ。ミノタウルスの……『一角牛巨人のダンジョン探検』」
 拓也は首をかしげた。
「退治じゃないんだな」

 少しがっかりし、それから安堵した。棍棒を振り回す半人半獣の巨人と戦うのは、やっぱり無理だろうと思ったからだ。蠍竜よりも動きが速く、頭も悪くないと想像できるので、自分の戦闘力では敵わないだろう。
 そもそも、部活やサークルのスポーツをいくつか器用にこなすだけの拓也に、体力はともかく戦闘力などあった覚えもない。

「ダンジョン探検か。宝探しとかかな」
 拓也は膝の上に肘をつき、頬杖をついて考え込んだ。パンタラのミノタウルスは、どんな恐ろしい姿をしているのだろう。

 ツアーの内容をクリックしてみる。

『三日分の食料と水と燃料を持って、ダンジョンへ入る。
 ダンジョンは地下三層構造になっており、地階へ降りる隠し扉を探しながら、一角牛巨人のいる最下層へ行って、牛巨人の角を獲得してくる。
 各階層には、障害物や、障害になる生物が生息しているので、それらを突破しなくてはならない。
 障害によってはお役立ちアイテムや貴重品を落してゆくので、発見者は自分のボーナスとして取得してもよい』

「もろダンジョンゲームじゃないか。やりなれた連中ならツボやコツを心得ているんだろうけど。ああ、もっと遊んでおけばよかった」

『地下一階層と二階層は、安全地帯が用意してあり、喫茶室や、宿泊室、トイレとシャワールームが各所に設置してある』

「安全地帯じゃないところで休んだら、危険ってことなのか?」
 拓也は眉間に皺を寄せた。

『最下層で一角牛巨人に遭遇したら、怒らせないように角をもらってくること。
 角の獲得方法は、個々の一角牛巨人によって違うので、なるべく平和的に交渉することが推奨される。
 角は、一本もらえば探索終了であるが、二本以上持ち帰っても問題ない。
 急病や負傷、その他の理由でダンジョンクエストを中止したい場合は、携帯ドコデモを使って、リセットかアボートを選択し、その旨を顧客担当者に通知できる』

 こういうのは、家でスナックを食べつつソフトドリンクやビールでも飲みながら、二次元ゲームでやっていればいいものだろうが……。

 蠍竜を退治する前なら面倒と思ったかもしれない。だが、実際に体を動かしてアドレナリン全開の興奮状態から、ミッション達成のドーパミンシャワーを浴びたあとだ。

『冒険』が、ゲームでしかできない環境とは逆の世界に来たのだから、チャレンジしてみるのは悪くない。
 サポート万全で、安全確実ということならなおさらだ。

 ミノタウルスは平和的なダンジョン民族なのだろう。交渉ができるのなら、それほど難しくもなさそうだ。角をもらうってことは、何か交換できるものを用意するとか。

 ――牛だから……。

 拓也は牛の喜びそうなものなど、思いつかない。
 松坂牛ならビールだろうが、パンタラのビールは樽売りかグラス売りで、瓶ビールも缶ビールも見た覚えがない。
 高級な蒸留酒はガラス瓶で売っていたようだが、あまりにアルコール度の高いものを、見知らぬ巨人に飲ませるのは、あまり賢い土産とは思えない。

 馬なら人参だが、牛も人参が好きだったろうか。


「一角牛巨人の好物?」
 翌日、朝食の席でガントは目を丸くし、口をあんぐりと開けて問い返した。拓也はうなずいた。

「交渉によって角をもらってこい、ってなっているから」
「だから物々交換てや? それだったら金を払えばすむだろうやが、だけどなや」
 ガントは朝食の豆スープにスプーンを落して、難しい顔をした。
「角はあいつらの頭に生えているやから、くれっつったってもはいそうですかとくれやせんやが」

 ええー、と拓也は口を尖らせた。
「なに、いきなりなその難しさ。じゃあ、今までのツアー客はどうやって角をとってきたんです?」
「交渉だやな」
 そう答えると、ガントは朝食のバサバサした低発酵パンをスープに浸して口に放り込んだ。

「だから、どんな」
「自分で考えるがや。それがクエストの面白さってもんやが」
「どうしてそんなややこしいツアーが満足度高いんだろう。詐欺だな」

「ダンジョンは宝の山やから、拾ったもんを持って帰るだけでひと財産になるやが。とくに第三層には、アギオン鉱脈があって、うまく掘れたら、こんな一塊で一万バクレルの価値があるんやな」

 ガントはにんまりと笑って鶏卵大のゆで玉子をひとつ差し出した。それ一塊で百二十万円とか、金塊なみに高価ではないかと驚く。

「どうしてパンタラ人が自分たちで採りに行かないのかな」
 なんとなく答えが見えるようだったが、拓也は敢えて訊いてみた。

「ふつうのパンタラ人には役に立たんもんで、必要ないがや。アギオン鉱石は魔法の道具を作るのにいるやが、魔法使いと王族しかいらんやから。最近は異世界の客人が採りに行ってくれるやら、わざわざ人間の肉が好物の、牛巨人の地下迷宮まで行きたがるパンタラ人はおらんがや」

 拓也はなんとなく釈然としない。案内書には鉱石についての説明などなかった。

「人間の肉ぅ? 牛巨人って、神聖な存在なのかと思ってたけど」
 あやうく聞き逃しそうになった拓也は、素っ頓狂な声で叫んだ。

「神聖なのは、神聖だけどやな。それなら、ドラゴンも人間を食うからなや」
 それは確かにそうである、と拓也は納得した。
「昔から一角牛人は、ダンジョンに迷い込む人間をとって食うと言われているやから」
「食べられないように、退治したりはしないんですか」

 ガントはわはわはと笑った。

「こっちから行かなければ、とって食われることもないやのに、わざわざ餌になりに行くパンタラ人はおらんやが。ドラゴンみたいに、人間の縄張りに入り込んできて悪さするわけでもないやがら、放っておけばいいだけやな。痛い目に遭うのは、ダンジョンの宝欲しさに潜り込むような、欲の皮の突っ張ったドロボウくらいなもんやが」

 ガントは現地ガイドで、客を口車に乗せてツアーを売り込むのが仕事である。にもかかわらず、宝探しツアー希望の客をドロボウ呼ばわりするなど、拓也の気を挫くようなことを言って再び大笑いした。

 儲け話が転がっていても、君子危うきに近寄らず、盗泉の水は呑まず、触らぬ神に祟りなしというのが、パンタラ人の常識なのだろうか。

「トレジャーハンターがドロボウなのは否定しないけど、宝探しってのはロマンだからな。値段の高いものじゃなくても、珍しいものや思い出になるものとか、思いがけない場所にあるのを、苦労して手に入れたもの、飾っておきたいって思いませんか?」

 ガントはうんうんとうなずいた。
「そりゃな。パンタラ人も子どものときはそうだけどなや。異世界人は大きくなっても子どもみたいなんやな。まあ、パンタラ人はともかく、異世界人が食われたっちゅう話は聞かんから、試しに行ってきたらいいやな」

 ガントはそう言うと、豆スープのボウルを持ち上げて、ずずずと一気に飲み干した。


 すっかり移動手段になったガント家のロバ牽き荷車に揺られて、拓也たちはダンジョンのある山へと向かう。
 早朝に発ったかれらが、街道をそれ、山道に分け入り、谷を渡って切り立った岩壁に穿たれた古代神殿へと着いたころには、すでに陽は午後に傾いていた。

 神殿の入り口で、拓也は用意された探検用スーツに着替えた。
 西垣杏奈が着ていたような、ブーツと一体になったツナギのボディースーツだ。

 栄養状態のいい現代日本人として多少体格の改善がされた世代とはいえ、脚が素晴らしく長いとはいえない拓也は、妙にこっぱずかしい気がした。
 とにかく防水防寒防火素材ということで、ダンジョンには必需品な装備らしい。

 ガントの用意したディパックに、デフォパックの非常用カロリー食・三日分、体力回復ドリンク・半ダース、ファーストエイドキット、テザー銃(犯罪者か野生獣専用)と携帯電灯と小型の拡声器のようなものを詰める。

 そして、エスメが用意した今日の弁当二食分と、携行食の炒り豆入り乾パン、干し肉、干し果物とナッツの月餅が6個。練乳キャラメルと水筒を持たされた。

「水って、ダンジョンにないのか」
 その重さに既に音を上げている卓也を、ベントが見て笑う。

「あるのはありますけど、見つける前に切らしたら困るでしょう」
「トイレって、すぐに見つかるのかな。トイレットペーパー切れてたら笑えない」
「マルチ・ユニバースのツアーですから、一応のアメニティはそろっているはずです」
「アメニティねぇ……」

「このパッドモニターで避難休憩場所がわかります。注意事項や要注意生物や障害物の情報もあります。第一階層は地図も表示されますので、ゆっくり回って使い方を憶えてください」

 携帯よりひと回り大きいパッドを渡され、電源を入れると『ようこそ一角牛巨人ダンジョンツアー』の文字が液晶画面に浮かび上がった。

「現地サポートスタッフはついてこないの?」
 自分たちの装備も持たず、明らかに一緒についてくる気のなさそうなガント親子を見て、拓也は途方に暮れた。

「そのパッドが常時サポートに繋がってますから。でも、内臓バッテリーは三日分しかないから気をつけてくださいね」

 ふうぅぅと深い溜め息をついて、拓也は膨れ上がったバックパックを背負う。そこへ、ガントが荷車から細長い袋を抱えて拓也に手渡した。

「第一階層に、ドーリエンが出るかもしれませんから」
 ベントの説明に袋を広げると、ドラッグボールとガスボンベを搭載した改造ライフルが出てきた。なにか聞き覚えのある名前が耳に入った気がすると、拓也の眉が真ん中に寄る。

「え、あのドラゴンが出てくるのっ。聞いてないよ!」
「エルゲンオドゥスドーリエンじゃなくて、ドーリエンです。ドラゴンサイズになるまえの、幼生のはじめの段階の形態です」
「サイズってどのくらい?」

「この握りこぶしくらいのから、膝くらいの高さまでは、地下で成長するのです。でも、皮は柔らかいので踏み潰せばすぐに死にますけど、できれば殺さないでください。このドラッグボールが当ればすぐに麻痺してコロリですから」

「火の唾は吐かない?」
「唾は発火性じゃないけど、【すいさんかなとりうむ】とかいうものに触ったくらいの怪我をするそうですから、避けてください」

「それはやばいだろう」
 化学反応関係はあまり知識がない拓也なので、硫酸と水酸の区別はつかないが、漂白剤に触ってしまって皮膚が溶けました的なものを想像できた。

「生死にはかかわりませんし、真剣にやばかったらマルチのスタッフが颯爽と救援に現れてくれますよ。西垣杏奈さんみたいに」

「颯爽とロケットランチャーで爆撃してくれるわけだな。信じるよ」
 弾丸でなく榴弾で一命を取り留めた人間なんて、歴史に残るべきじゃないだろうか、と拓也は溜め息をついて、神殿廃墟の扉をくぐり、ダンジョンへと踏み入れた。



[33230] 第十二話 ダンジョンに潜入すること
Name: 天賦玲斗◆e4e5d826 ID:700ef7ac
Date: 2012/07/03 14:24
 神殿の地上部分は、世界遺産に指定してもいいくらいに保存状態が良かった。

 大理石の床は埃が積もり、瓦礫が散らばってはいるが、磨けばまだまだ光りそうな艶がところどころに見られる。人や動物の彫刻のほどこされた柱は堅牢で、衝立は自然石やライムストーンの彫像をバランスよく配置してある。

「あ、パンタラドラゴンの彫刻」
 蠍竜だけでなく、地球では見られない形態の、パンタラ産動植物の彫刻が回廊に飾られ、そういった芸術や遺物を見て歩くだけでも、訪れる価値はある。

 これは先史文明というのだろうか。描かれたり彫られたりしているひとびとは、パンタラ人とは異なる特徴を示していた。
「地球人みたいだ」
 まっすぐな長い髪は背中に流れ、目鼻立ちはアジア人寄りな気がする。髪や肌の色まで塗られてないので人種的にパンタラ人と同根なのか判断はつかない。

 建築の様式も、ガフン市の市庁舎とは明らかに違う。その形式や技術的なところなどを追求してみるのも、古城や遺跡めぐりに似た観光旅行として楽しめた。
 携帯に写メ機能があるのを確認して、写真を撮りまくる。母や友人に見せたらどんな感想が返ってくるかと想像するのも楽しい。

 この神殿を建てて参拝したひとびとの落書きと思われる書き付けが、あちこちの壁に残されていた。パンタラの文字とは違う、ミミズののたくったような線と点の文字、パンタラのトンパもどき文字などが、ナイフなどで刻み込まれていたり、墨やインクで書き付けたものは長い年月のあとで読み取れなくなっている。

 この岩窟神殿はガフン市や、パンタラ王国よりも、はるか昔からここにあったのだろう。

 迷路のように入り組んだ回廊を進むうちに、天窓の数が減ってゆき、光が入らなくなる。薄暗い中を、拓也は不安に思いながら壁に沿って歩き続けた。

 どこかから、水の流れる音がする。
「まだ地上階だもんな。マルチのアメニティサービスが整っているんなら、普通に水洗トイレとかあるんだろうか」
 独り言をつぶやきながら、拓也は奥へ奥へと進んだ。

 回廊の突き当たりの壁には、天井から滝が流れ落ち、床の石造りの泉に注いでいた。排水口があって地下へ流れているのか、滝そのものが循環しているのか見当はつかない。

 ここまで、壁にも床にも、ひとつも扉を見かけなかった。とにかく、回廊は一本道だったので迷うはずもなく、拓也は後ろを振り向いて地下階への入り口を探し始める。
 ――地階ってくらいだから、扉も地面にあるのかもな。ワインセラーみたいに、跳ね上げ式の、地下室に梯子で下りていくような。

 床の埃をブーツのつま先で払いながら、それらしいものを探したが、なかなか見つからない。何度か行ったり来たりするうちに疲れてしまい、拓也はもう一度、滝の落ちる泉のそばまできて休憩をした。

 お腹も空いてきたので、エスメの作ってくれたサンドイッチを頬張る。
 ピタパンのように薄くて、もさっとしたパンに、地球で言えばキャベツやピーマン、トマトのような野菜の千切りに、チーズ(何のチーズかは不明)と鶏肉に似た風味の白身の燻製肉が詰め込んである。ソースもドレッシングも使ってなく、チーズと燻製肉のシンプルな塩味だけだが、味は悪くない。

 一気にたいらげ、ペットボトルの水を飲みながら、あらためて滝と泉を眺めた。
「あ」
 ペットボトルを口につけたまま、拓也は声を上げた。水が口の端からこぼれる。襟の隙間からスーツの中に水が流れ込んで気持ち悪かったが、それどころではなかった。
 滝の後ろに、扉があったのだ。
「うぅ。ベタすぎる」

 しかし、ぱっと見たときには気がつかなかっただけあって、厚い瀑布の幅は扉よりも広く、濡れずに通り抜けることは難しそうだ。拓也は池の周りを横歩きで調べてみた。
 滝を止めるスイッチやレバーなどないかと探してみるが、なにもない。

 池の縁に積み上げられた石をひとつひとつ押してみて、秘密のスイッチになっていないか確かめてもみた。滝の横の壁から、回廊の壁まで手を這わして何か手に引っかかるものがないか探すが、無駄であった。

「ううむ。濡れるの覚悟で飛び込むしかないかな」
 すぐに開いたらよいが、鍵でもかかっていたらすぶずぶぬれになりそうだ。
「あー。あとひとつ試してないのがあったな」

 拓也は息を吸い込んで、叫んでみた。
『開け、ゴマ!』
 すると、水流の響きが低くなり、滝が中央からふたつに分かれた。やがて水の流れは細くなり、ちょろちょろと天井から垂れ落ちるだけとなる。その向こうでは、両開きの扉がギィと蝶番の軋む音をたてながら、ゆっくりと開いていった。

「うん。なんていうか。日本語の呪文で開くところが……、ま、いいか」
 さてどうやって池を飛び越えようかと思案している間に、池の水もまた底のどこかの排水口から流れ出てしまったのか、からっぽになった。

 拓也は池の底に足を踏み入れ、開け放たれた扉を通り抜けた。

 地階へ続く階段は燐光を放ち、天井は暗くて見えない。地下一階層の床ははるか下にあるらしく、燐光は闇へと溶けて最下段は見えなかった。
 ごくりと唾を飲み込んだ拓也は、やっぱり帰ってツアーはキャンセルしようと思ったが、あたかもそれを見計らったかのように、背後の扉はギギィと音を立ててガチャンと閉じてしまった。

「ああああ、王道だよ。というかマルチ社の独創性のなさすぎる企画力に問題がある」
 拓也は足を踏み外さないように、ゆっくりと慎重に淡く光る階段を降りて行った。

 拓也は最後の段を降り、地階の床に両足をふんばった。地階の暗さに眼が慣れてくるのと同時に、ダンジョンは真闇でないことに気がついた。
 天井や壁が、ほのかな蛍光色を放っていて、足元や回廊はぼんやりと見ることができる。

 夜光虫を思わせる、ほの白い青緑色の壁や天井を目を凝らして見るが、光源の正体は見て取れなかった。拓也が一歩踏み出すと、その足音に呼応するように光を増す。
「お邪魔しマース」
と、拓也が声を上げると、音響に反応したのか、あたりはいっそう青白い光を放った。

 案内パッドの電源を入れる。上の階でひととおり見ておくべきだったが、遺跡に興味が行き過ぎて忘れてしまっていた。しかし、パッド画面の照明も回廊を照らすのに丁度よいし、そういう意味では電力を節約できたかもしれない。

 案内パッドの指示に従って、ヘッドランプを装着し、警棒のスタンガン腰に下げてから、ライフルとバックパックを担ぎなおした。案内パッドはうっかり手が滑ってもよいように、バックパックのハーネスにチェーンとクリップで留めておく。
 パタパタと、拓也の軽い足音に合わせて、寿命のきた蛍光管のように天井や壁が明滅する。

 ダンジョン案内パッドには、RPGゲームのような階層のフロアマップが出ている。ダンジョン系のゲームといっても、進学費用で家計に負担をかけないよう、高校時代は国立を目指しての受験勉強、大学時代はバイトに忙しかった拓也はあまりゲームを知らない。たまに友人の家で遊んだ程度だ。
 いまどき流行りのオンラインゲームもやったことがない。就職が決まったら一ヶ月くらい引きこもってやるつもりだったのだが。
 友人たちの会話についていけず、悲しい青春だったと思うが、いきなりリアルゲーム体験である。

 迷路を進む拓也は円い点で表示され、通路のところどころになにやら障害物らしいものがいるらしいが、名前や姿かたち、属性をどうやって表示していいのかわからない。カーソルみたいなものはどうやって表示するのか。
 考え込みながら最初の角を曲がると、分かれ道になっていた。何もいない。

「現在位置を表示できるパッドがあるから大丈夫だろうけど、バッテリーが切れたらそれまでだしな。一応、印はつけていこう」

 拓也は来た方向から曲がったほうへと、街で買っておいたチョークで壁に矢印をつけておいた。ダンジョンの探索には必需品だろうと思って購入しておいたのだ。
「それにしても退屈だなぁ。これで満足度とか、詐欺だろ」

 自分の足音と、独り言の反響しかなければ、文句も言いたくなる。しかし、次の角を曲がったとたんに、パッドの警報が鳴り出し、画面が明滅した。
『最初の障害・小ドーリエンの巣・ドラッグボールで麻痺させて進む。弾が切れた場合は、スタンガンも有効』

 通路いっぱいに、淡い真珠色に輝く、無数の甲殻生物がひしめいていた。

 一体一体は、大人サイズの靴二足ぶんくらいだが、それが視界の限りわさわさと動いている。拓也の足音と、息を呑む音に反応したのか、小ドーリエンが一斉に頭部を持ち上げ、八つの米粒ほどの黒い目をこちらに向けた。

 パッドに自動起動されたダンジョンマップには『有鱗甲殻大顎牙蠍竜・第一期幼生体の生息する回廊』とある。

 改めて説明されるまでもなく、パンタラ名を『エルゲンオドゥスドーリエン』というドラゴンだ。
 その前の『ドーリエン』形態のさらに幼生であるこの巨大ザリガニたちは、まるで群体としての意識でもあるように、完全にシンクロした動きで小さな白く透き通ったハサミを持ち上げ、カタカタと不気味な音を立て始めた。



[33230] 第十三話 ダンジョン第一階層の受難
Name: 天賦玲斗◆e4e5d826 ID:700ef7ac
Date: 2012/07/03 15:32
 拓也は急いでライフルを肩からおろして、安全装置を外した。弾倉は装填済みである。
 そして、左手にドラッグボールライフルを構えつつ、ヘッドライトを点灯した。
 幅の広いビームのように放たれたLEDの白光照明が、回廊の端まで照らし出す。

 突然の光の滝に、ドーリエンの群れは八つの小さな眼を庇うようにざわざわと方向転換し、互いの上に重なり合い、波打って奥へと移動しようとする。

「ううう、きもい。しかしリアルだなぁ」
 現実なのだが、ついゲーム感覚でつぶやいてしまった。
「これが実はヴァーチャルリアルなゲームってことないかな。実はオレって、あのネットカフェで眠らされていて、実体験感覚ゲームのモルモットにされているとか」

 自分では、なかなか冴えた現状判断だと拓也は思った。
 そもそも、異世界トリップと考えるよりも、リアルな夢を体験していると考えたほうがまだ現実的な気がしてくる。

 ドーリエンたちのハサミを打ち鳴らす音がだんだんと高まり、壁や天井に跳ね返って反響もひどくなる。拓也は耳を押さえたかったが、ライフルを構えたままではそれも難しかった。

 それにしても、床から壁を埋め尽くすほどのドーリエン幼生体の群れのどこにドラッグボールを打ち込めというのだろう。うまく何体かを麻痺させたとしても、踏み潰さずにこの回廊を抜けきることなどできそうになかった。

 そのとき、無数のハサミを打ち鳴らす音の向こうから、なにかをひきずるような、そして同時に何か硬いものがカツン、カツンと打ち合う音が響いてきた。
「うわぁ」
 回廊の向こう側に悠然と姿を現したのは、ハサミの高さが拓也の身長ほどもある大ドーリエンだった。

 透き通った白ではなく、灰色に移行しかけたハサミや甲殻は、それでもまだまだ柔らかそうではあった。しかし、そのハサミで攻撃されるのはごめんだと判断できる。

 小さなドーリエンの群れは、拓也が現れたとき以上の狂騒状態に陥り、一度は回避しようとした拓也のほうへ向かって、我先にと怒涛のように襲いかかってきた。

「ぎゃぁああ、あ?」
 パニックになりそのまま回れ右をした拓也の存在を無視して、小ドーリエンたちは拓也の来た方向へ雪崩を打って逃げ出した。
「は?」

 後ろをふり返ると、大型ドーリエンが、逃げられずにひしめいている小ドーリエンをざくざくと四本の脚を踏み潰しながら、さらに跳ね回っている小ドーリエンをハサミで摘み上げては、その大顎に放り込んでいた。しかも、噛みくだく手間も惜しんで、顎を一度閉じただけで嚥下している。

「おお、共食いかよ」
 卵から生まれたばかりの幼生が共食いをするのは、カマキリや蜘蛛にあったような気がするが、このサイズでやられると恐怖しか感じない。

 回廊はすぐに床が見えるようになり、大ドーリエンの周りには食い散らかされた小ドーリエンの殻と酸っぱい臭いの体液が飛び散っていた。

 大ドーリエンの八つ並んだ黒い瞳が、ぎろりと拓也を睨みつけた。
「ははは。怖いけど、そんなに大口開けていたら、俺でも狙い撃ちできるし」

 拓也は構えたライフルの照準を合わせ、機銃モードでパスパスパスとドラッグボールを大ドーリエンの顎の奥へと打ち込んだ。

 灰褐色の顎とハサミの周りがピンクの薬剤で染まる。大ドーリエンは面食らったように顎を振り回したが、いくつかは喉の奥へ流れ込んだ。それでもカツカツと脚を踏み均しながら拓也へ向かって襲いかかってくる速さは衰えない。

 拓也は回れ右をして、小ドーリエンたちと争うように通路を駆け戻り距離を空けた。ライフルを肩にかけなおし、腰の警棒を引き抜く。

「こんなんで麻痺剤が効いてくるまで持ちこたえられるかな」
 息を切らせながら、拓也は狭い回廊でハサミを振り回す大ドーリエンから目を離さずに逃げ道を確保する。逃げ遅れた小ドーリエンをうっかり踏み潰し、はみ出た体液で足が滑りそうだ。

 直接肌についたら有害だったことを思い出して、顔や手に跳ね上げないように気をつける。

 大ドーリエンはぐっと胴体を下げたかと思うと、深く曲げた四肢をばねのように伸ばして跳躍し、一気に間合いをつめた。
 拓也の正面に大ドーリエンが立ちはだかる。

 その動きは、蠍竜とは比較にならないくらいすばやかった。

 至近距離から振り上げもせずに繰り出されるハサミを、間一髪でよけた拓也は、ハサミの付け根と関節の継ぎ目に警棒を突っ込み、スタンガンのスイッチを入れた。

 バチバチと音がし、大ドーリエンの動きが止まる。その隙に脇へ飛び退いた拓也は、一目散に回廊の奥へと走り出した。

 感電のショックから醒めたときは、きっと麻痺剤が効いているだろう。

「ふぅ。パッドのマニュアルどおりにできたけど。やばかったな。しかしあれだ、これがゲームならヤツは役に立つアイテムをドロップするはずなんだけどな」

 第一階層の最初の関門を突破した拓也は、小ドーリエンの黄緑色の体液に滑らないように気をつけながら、回廊の突き当りを大ドーリエンの来た方角へ曲がった。

 すると、床に何か落ちている。

 拓也が不思議に思って拾ってみると、白い粉の入った透明なプラスチックのボトルだった。ラベルが貼ってあり、日本語で『スライム系生物の撃退用』と書いてある。

 案内パッドを見ると、次の回廊はスライムの巣らしい。

 蓋を開けて臭いを嗅いでみる。掌に少し粉を落したところ、塩の結晶に似ている。舐めてみたら、塩だった。
「ひねりがないというか、意外と原始的。まあ、俺は呪文使えないし」

 案内パッドを確認すると『第二の障害、スライムの巣・おとなしいので、刺激せずに通り過ぎるのがコツ』とある。
「独創性もないし、著作権的にどうなの」
 などとつぶやきながら、拓也は次の角を曲がった。

 ヘッドライトが照らすのは、石畳の床だ。とくに横に太った青やメタルの滴型の異性物が跳ね回っているようすはない。拓也は壁から天井へと視線を移した。
 半透明のゼリー状の物体が、壁の上半分から天井を覆っていた。

「こんだけの塩じゃ足りない……」

 プラスチックボトルを抱え込んだ拓也のつぶやきに呼応するように、ゼリーがぶるぶると震えた。拓也は自分の口を押さえ、抜き足差し足でゼリー回廊へと進む。

ヘッドライトが当るとその部分がぐぐっと収縮するので、ライトは消した。眼が慣れてくれば、スライム自体が白蛍光灯っぽく発光しているので、視界に問題はない。

 このゼリー全部が単体の生き物なのか、スライムの集合体なのか不明だが、包みこまれたらそのまま圧迫窒息死となり消化吸収されそうなので、刺激せずにとにかくこの場所を通過することにする。

 真ん中まで進んだところで、拓也の三歩ほど前方に、ゼリーの塊がぼとんと落ちた。
「(ヒェッ)」
 悲鳴を喉の奥で押しとめて、拓也は落ちてきたものをじっと見つめた。

 白く濁ったその物体は、一度べちゃっと床に広がり、それからぶよよんとバスケットボール大に盛り上がる。それからゲームでおなじみの横太りの滴型になったかと思うと、ぐうっと背が伸びはじめた。

『すらいむ が あらわれた』
 などと頭の中でつぶやいている場合ではなかった。

 しかし、「たたかう・にげる」となると、逃げるべき方向はもときたドーリエンの巣だ。進むしかないし、進むためには戦わなくてはならない。

「『たたかう』を選択したところで、塩で退治できるレベルなら……」
 そう拓也が決意して塩の容器の蓋を開けたとたん、ぼとん、べちゃり、と拓也の周囲にスライムがいくつも落ちてきた。

「なかまをよんだ、ってやつかぁ」

 肩口の端を、ぬるべちゃっといった感触を残して床に落ちたスライムに、拓也は悲鳴を上げてそのスライム固体に塩をかけた。スライムはしゅわしゅわっと煙もしくは水蒸気のようなものを上げて消滅する。

 とたんに、周囲のスライム体と上のゼリーがぶるぶると震え始めた。攻撃色なのか、白っぽかったゼリーが、ピンク色を帯びてくる。

 拓也は前方のスライムに向けて塩を投げては、足場を広げて回廊の奥へと早足で進む。それを阻もうと、ボールや涙滴状のスライムが拓也の前へと弾んで道を阻んだ。

「えいっ」

 塩をかければしゅわしゅわと消えるのだが、何せ数が多い。明らかに意思を持って波を打ち始めた天井のゼリーごと落ちてきて、食べられてしまうのではという恐怖から、立ち止まることも考えられなかった。

 ぼいんぼいんとぶつかってくるスライムには破壊的な威力はないが、足元の滑りやすい拓也がバランスを崩すのには充分な勢いがあった。

 有毒な粘液を撒き散らすわけでもなく、拓也の体に触れても物理的なダメージを加えることはない。しかし、柿の腐ったような臭いがする上に、服にはりついたゼリーの破片が、合流できるスライムを求めて体を這い回る。

 ありがたいことに、スライムは移動するためにはゼリーから分離して固体になる必要があるらしい。ゼリー体で包み込んでくるような攻撃はなく、粘体質のスライムを連射という、まるでドッジボールをしているようだった。

 ぶつかってくるスライムを右に左によけ、あるいは頭を下げて交わし、進路に集いゼリー化することで壁となるスライムには塩をかけてとかす。
 五十メートルほどの直線が、永遠に感じられた。

 やっとスライム回廊を抜けて、安全地帯に抜けた頃には、塩を使い果たした拓也はスライムまみれになっていた。

 スライムから逃れようとして、急いで曲がった回廊の先は思いがけなく行き止まりだった。

 いや、そこにはコーヒーカップとナイフとフォークが並び、その下にベッドと風呂の絵が描かれた大きな扉が、通路を塞ぐように立ちはだかっていたのだ。
 まるで、某古典大人気アニメの、何もない空間にいきなり表れた『ドコ◎モドア』のように。

『ご休憩所』と、目より少し上の位置に小さな看板が下げてあり、案内パッドには『休憩と宿泊設備有』と明示されている。

 やれやれと思いながら、拓也が扉を開けると「いらっしゃいませ~」と若い女性の声で歓迎された。

「お疲れさまです。三俣拓也さまが神殿玄関を通過されてから、四時間が経過しています。地上時間では午後九時を回っていますが、ご休憩になさいますか、ご宿泊になさいますか」

 シティホテルかカフェバーのロビーによく似た空間のカウンターの向こうから、大きな帽子をかぶったスーツ姿の受付嬢が笑いかけてくる。
 流暢な日本語ではあったが、日本人でもパンタラ人でもなさそうだ。

 それでも長い時間をひとりでダンジョンをさ迷っていた孤独から解放され、心底ほっとした拓也は急に疲れを感じて息を吐いた。
「はぁ、とりあえず、なにかあったかい飲み物をお願いします」



[33230] 第十四話 ダンジョンサービスエリアで一泊のこと
Name: 天賦玲斗◆e4e5d826 ID:700ef7ac
Date: 2012/08/03 13:32
「お姉さん、マルチの社員ですか?」
 砂糖のたっぷり入った温かなミルクティをすすりながら、拓也はカウンターの向こうに立ってにこにこしている受付嬢兼ウェイトレスの女性に尋ねた。
「はい。現地スタッフです」
 なんとなく、西垣杏里と同質の笑顔と愛嬌をふりまいて、受付嬢は答えた。

「個人的なことを訊いたら失礼と思うけど、お姉さんはパンタラ人じゃないですよね」
 受付嬢は丸い目――文字通り、鳥のようにまんまるな眼をしていた――をさらに見開いて、薄緑色の虹彩に彩られた瞳で拓也を見つめ返した。
「よく気づかれましたねー。私はガルベリックル人です」
「べりっ?」
 R音と濁音の多い名詞を早口で言われた拓也は、聞き取れずに訊きかえす。
「ゲルバン山脈――パンタラ人はルンド山系と呼んでいますが、ガルベリックル人は、この山脈の北側に住んでいる寒冷地種族です」

 その大きな丸い目には白目の部分がほとんどない。目鼻立ちは美形といえないこともないが、人間離れしているので、きれいな鳥や猫科の動物の美しさのほうに近い。耳の下まで覆っている背高帽子に隠れて見えないが、はやりの猫耳やウサギ耳だったりすると喜ぶ客もいるかもしれないと拓也は思った。日本人客限定かもしれないが。

「お名前を訊いてもいいですか」
 拓也の遠慮がちな問いに、受付嬢はにっこり笑って答える。
「ビュルゲランブランといいます。ブランとお呼びください」
 やはりラ行過多の名前は、拓也の耳には残らなかった。
「じゃあ、ブランさん、よろしくお願いします。ところで、もう外は夜なんですね。ここで一泊していいってことですか」
「はい、御食事はここで、奥にお風呂とカプセル寝室があります。もし探索をお続けになるなら、あちらのドアから出てゆくだけです」
と、入ってきたのとは反対側の壁のドアを指し示した。

「一階層の探索って、難しいの? パッドのマップによると、まだやっと半分みたいだけど、危険な障害がまだまだ立ちはだかっているのかな」
「お客さまの体力気力、身体能力、危機管理能力によりますから、一概に難しいとか危険だとかは言い切れないんです」
「それじゃ、一階層突破の最短記録って、何時間?」

 ブランは円い瞳を天井に向けて考え込んだ。

「三時間だったかしら」
「日本人で?」
「ええ。平均は六時間くらいですが、二日かかった方もいます」
「この休憩所って、あちこちにあるの? 各階層の中間地点とか終点とか」
 日本の高速道路サービスエリアのように、二時間おきにあると確かに快適ではある。

「休憩所の出現は不定期なんです。お客様のエッチピーが一〇〇を越えると、自動的に入り口とお客様の位置の座標が一致して、サービスの提供をさせていただいてます」
「HP? ヒットされたり、ダメージを負った覚えはないけど」

 スライムの体当たり攻撃もけっこう喰らったが、ぬるぬるのべとべとになっただけで、打撲傷もかすり傷も負わなかった。あれで攻撃とか、なんの役に立つのだろう。

「疲労ポイントですよ。歩いたり、頭を使ったりするだけでどんどん疲労は溜まっていきますし、お腹が空いたり、ストレスを感じても増えます」
 確かに、今朝は早かったし、一日中ぼろ馬車に揺られて、遺跡をぐるぐると歩き回ってダンジョンで暴れたのだから、自分で考えているよりも疲れはたまっているのかもしれない。
 しかし、HPってのは減っていくものではなかっただろうか。

「……て、日本語で疲労度ならHDじゃないかな。しかも疲れて数値が増えるとかややこしいというか、そもそも俺のHPっていつの間に設定されてたんだ? どうやって計るの」
「体内の乳酸レベルとか、ストレス物質の放出量とか、心拍数や血圧から割り出したのを、その案内パッドに表示できるようになってますよ」

 カーソルの動かし方もわからずに、自動的にスライドする地図をただ眺めるだけだった拓也に、ブランは懇切丁寧に使い方を教えてくれた。
「っても、俺のHP八〇に下がってるけど」
「可愛い女の子とおいしい紅茶を飲んで癒されたのです」
 明らかに異種族であるブランを、拓也が『可愛い女の子』と感じたかどうか、どうやって判断するのだと突っ込みそうになる。

 しかし、初対面の相手にはっきりとモノを言いいたくない平均的日本人の拓也は、曖昧に笑ってぬるくなったミルクティを飲み干した。

「上限まで二〇ポイントじゃあ、あまり進めそうにないなぁ。一泊していきます」
 そして、夕食をメニューから選んだ拓也のHPは、久しぶりに食べるラーメン餃子定食でさらに二〇さがった。
 拓也が風呂に入る前に、ブランは拓也の髪やスーツにこびりついてたスライムの破片を落してくれた。

 この乾燥スライムは貴重な魔法薬の材料になるとかで、魔法使いに高く売れるのだそうだ。ブランは丁寧に集めたスライムの破片や粉を、塩の入っていたプラスチックのボトルに入れて拓也のカプセルベッドの横に、他の荷物とともに置いた。 

 カプセルベッドの寝心地は良く、すぐに眠りに落ちた。

 次に目を覚ましたときは気力も非常に充実し、朝ごはんに味噌汁、ハムエッグとサラダという朝定食にHPは〇まで下がり、しかも、上限が一二〇まで上昇していた。経験値と一定の休息で、疲労限界数値が増えるのだ、とブランの言であった。

 運動すればするほど筋肉量が増えて、体力も持久力も上がるのだから『HP=体力の限界』が上るのは当然といえば当然かもしれない。しかし一晩でというのはチートだろう。
「食いもんで変動するHPとか――って、MPとかもあるのかな」
 パッドを起動してみたところ、MP欄はあったものの数値は『〇』であった。
「残念。では行ってきます」
「あ、お待ちください。もうドラッグボールライフルは必要ありませんから、お預かりします。でも、これから先は障害のレベルも上りますので、これをどうぞ」
と、ライフルと引き換えに渡されたのは、テニスラケットだった。

「一階層の奥の障害は、これで蹴散らしてください」
 蠍竜より上レベルのモンスター制覇に、ライフルより強力なテニスラケットとか。

 拓也は、嘆息すると深くものごと考えることをやめることにした。



[33230] 第十五話 ダンジョン第1階層をクリアすること
Name: 天賦玲斗◆e4e5d826 ID:700ef7ac
Date: 2012/08/03 13:46
 次の障害物に対面した拓也は、さっそくゲンナリした。
 いや、ダンジョン系の初級モンスターとして、これはこれでいいのかもしれない。

 パッドの案内では、触手から肩こり電気治療気程度の電流を放出するほかは無害となっているので、刺激せずに通り過ぎればいいのだ。

 ただ、そこは回廊の一部ではなくて、大広間といった空間なのだが、床から数段降りたところからプールになっていた。そのプールを所狭しとゆらゆら泳いでいるクラゲ状多触手モンスターの群れの中を泳ぎ切って回廊を抜けるのは、生理的嫌悪をいかに乗り越えられるかという精神的な強さを求められるのだろう。

 だいたい、どのくらいの深さなのかもパッドは説明していない。

「ピラニアやクロコダイルの川を渡ることを思えば、無害なクラゲのプールなど朝飯前だな。朝飯食ったけど」

 濡れたら困るものは頭の上に乗せて、拓也は階段を降りてぬるぬるとした液体と、無数の巨大なクラゲ様水棲生物が泳ぎ回るダンジョンのプールへと降りていく。階段を降りきって床の部分に踏み出したところをみると、プールの深さは拓也の腹くらいで、首まで水が上がってくることはなさそうだ。

 とりあえず荷物を濡らさなくてすむ。

 色とりどりの蛍光色を放つクラゲは好奇心が強いらしく、おそらくたいした刺激のないダンジョン生活で、たまに訪れる冒険者が珍しいのかもしれない。
 丸い頭を水面から出してわらわらと集ってきては、むにむにとした触手を伸ばして拓也の胴や脚に絡み付いてきた。

「うひゃひゃひゃ」
と、クラゲたちに脇の弱いところをむるむるずるずると撫でられながら、緊張感のない声を上げつつ、拓也は水とモンスターの抵抗に重い脚を運ぶ。

「うばっ。ずっぽんとか、なんでクラゲに吸盤があるんっだ、って、そこはやめっ。ああっ、電気を流すぶうっぶ」

 腰をよじりながら、拓也は頭上の荷物を落さないように、くらげもどきの絡みついてくる触手に脚をとられないよう、びくびくと勝手に収縮する筋肉のために転んで沈まないように進むだけで精一杯だった。

 どのくらい時間をかけたものか定かでないが、広間の反対側の階段を上りきってクラゲのプールを渡り終えた頃には足の筋肉はこわばり、かなり息を切らしてた。

 パッドのHP(疲労ポイント)表示は五〇まであがっていた。ハーフタイムなしでサッカーを一ゲームするくらい疲れたかもしれない。

 ダンジョンの床に腰を下ろし、バックパックの中身が濡れてないか確認する。食べ物パックの中に、ガントの妻、エスメが作ってくれたサンドイッチを見つけた。
「あ、もう一食あったんだ。大丈夫かな」
 くんくんと臭ってみたところ、危なそうな臭いも感じなかったので、大急ぎでぱくつく。理由はどうあれ、水圧と無数の触手に逆らいつつ、筋肉と神経、そして横隔膜を刺激されながら転ばないように水中ウォークすることは、かなりのエネルギーを消費するのだ。

 体内時計はランチタイムを指してなかったが、次の障害の前のエネルギー補給だ。
 拓也はふと思いついて、乾燥して固くなったピタパンもどきのくずや、具の水分が染みてべとべとした部分をクラゲたちに放り投げてみた。とたんに水しぶきを上げ、先を争って奪い合う。まるで鯉の池にパンくずを落したときのような生存競争だ。

 拓也をエサと判断しなかったのだから、クラゲもどきたちは草食なのだろう。
 回復ドリンクの栄養表示を、始めて真剣に読んでみたところ、ひと瓶で五〇HP下げることができるという。パッドのHPを確認すると、サンドイッチのおかげで一五P下がって現在の疲労度は三五となっていた。もったいないので、ドリンクは荷物に戻す。

 次の回廊の障害は生物でなく、床そのものだった。
「あー、やっとお越しなさったですか、お客さん」
 回廊を曲がってすぐがっしりした体格の小人さんが挨拶した。
「ドワーフさんですか」
 思わずつぶやいてしまった拓也に、小人さんは四角い顔に繋がった眉毛を真ん中に寄せて、嬉しくなさそうに返事をする。
「異世界のお客さんは一〇〇パーセントそう言うんですがね。私はノビルンです」
 ノビルンが種族名なのか、本人の名前なのか訊きそびれたが、拓也は丁寧に謝罪した。

「いやいや、そちらの世界にも、わたしらと同じような種族がいるって知るのは、興味深いです。いつかそっちにも行ってみたいですね」
 にっこり笑って言われると『想像上の生き物です』とは言えず、拓也は曖昧に笑い返した。かれの口の動きと耳に入ってくる日本語が同調していないところを見ると、ノビルンは現地語を話しているのだろう。拓也の言葉がわかるのは、日本語を聞き取ることはできているのか、あるいは拓也のように翻訳装置をつけていると推測する。

「とにかく、この床を敷き詰めていかないとね。始めましょうか」
 ノビルンはのんびりと言った。回廊の床は底なしの闇で、ところどころ敷石が埋まってはいるのだが、どれも妙な形をしている。ノビルンの横に積み上げられた敷石を並べていけば、なんとか回廊を渡ることができるらしい。

 それは床ジグソーパズル回廊だった。
「なんでこれが満足度一〇〇パーセントツアーなんだよぅ。ふつう、ダンジョンとかはチートな能力もらってモンスターをなぎ倒して、可愛い女の子を助けまくってハーレムとかいう展開じゃないのかな」

 ネットゲームはしている時間はなかったが、ネット小説なら通学やバイト通勤の途中、携帯で読んだことはある。本気で期待していたわけではなかったが、異世界ツアーならそういうシナリオだってあってもいいと思った。
「お客さんが申し込むときに、ちゃんとハーレムオプションを選ばなかったからでないですか」

「え?」

 床石のピースを運びながら、ノビルンに指摘され、拓也は申し込みサイトにそんなオプションがあったか思い出そうとした。
「次のアトラクションで、ハーレム設定を申し込むといいんではないでしょうか」

 このあとのツアーはエルフの森のお茶会か、魔法使い入門だったはずだ。
 美人エルフに囲まれてお茶会というオプションは悪くない。
 妖艶な魔女に囲まれるのも悪くない。

 お金を払ってハーレム設定とか、どこのスケベオヤジだと情けなくなったが、いくら異世界でもいきなりモテ期到来など、ハーレムの構成員がNPCでない限りありえないだろうとは納得する。やはりこのツアーはVRな夢でなくて、現実体験なのだろう。

 ――せっかく異世界に来たのだし――と拓也は、旅の恥はなんとやらの鉄則に従い、ダンジョンを抜けたらさっそく問い合わせてみようと心に誓った。

 妄想を励みに、足を踏み外して闇に落ち込まないように、なかなか合わないピースを組んでいく拓也。壁面に映し出された本来の床模様を見ながら、ノビルンのおしゃべりと手伝いに励まされてパズルをはめてゆくうちに、気がつくと夢中になっていた。

 床面だけでなく、凹凸のある敷石は彫刻の一部でもあり、回廊の装飾でもあった。できあがった床のモザイク壁画(床画というべきか)と壁面や回廊に並ぶ彫刻群に、拓也は深い達成感と感動を覚えた。

 ボード紙の立体ジグソーというのをコタツでやったことがあるが、それを建物サイズでやったわけである。しかも、重たい敷石や嵌め石を上げたり下げたりしたので、非常に疲れた。

「やー。おかげでひと仕事すみましたわ。ダンジョンも完成間近で助かります。。あとひとつ障害をクリアしたら、下の階層に行けますから、がんばってください。それでは私は帰りますね」

 完成した床面の跳ね板を開いて、ノビルンは回廊から消えた。

 案内パッドを見ると、疲労度が一〇〇を超えている。ドコデモホテルが起動しないところを見ると、HP上限はやはり一二〇になっているのだろう。しかし、ぎりぎりだ。

 拓也は回復ドリンクを飲み、保存食の月餅や乾パンを口に放り込みつつ、休憩した。
「なんか気になることを言っていたような……このダンジョン、未完成なのか?」
 つぶやきながら立ち上がり、次の回廊を曲がったとたん、紫色のスライムボールが飛んできて拓也の思考は遮られた。反射的に構えたテニスラケットに、バレーボール大のスライムがぶつかってくる。

 昨日の白いスライムゼリーと違って、このスライムはバレーボール並みの衝撃と弾性があった。そのままつぶれずに、跳ね返っていく。床や壁をバウンドしては、また拓也のほうへといくつも飛んでくる。しかも、その紫のスライムボールには、明確な攻撃意志に燃える黒い眼がふたつならんでいて、ラケットで跳ね返すたびに甲高い悲鳴なのか咆哮を上げるのが耳に痛い。

 しかも、ぶつかっていくのは拓也だけでなく、スライム同士で激突しあっては、衝撃が激しすぎると潰れたり、融合したり、壁に張りついてどろーっと床に溜まっては、ぶるぶると痙攣しながら再びボール形状に戻って跳ね回る。
「怖いんだけど」

 進むほどにスライムボールの数が増える回廊の突き当たりが見えてくると、地階で見たのと同じような滝があった。
「うおおお。ここを走り抜ければこの階はクリアだなぁ。中学テニスで、高校時代はサッカーやっててよたかったよ」

 半分叫びながら、拓也は覚悟を決めてスライムボレー連打の回廊へと足を踏み入れる。
 よけられるスライムボールは右に左によけ、真っ向からぶつかってくるのはラケットで跳ね返し、床面近くを弾んでくるものは足で蹴り飛ばしたり、飛び越える。

 回廊を抜けて、滝壺までたどり着いても、スライムボールの体当たりは止まない。さすがにラケットだけでは撃退できず、拓也は頭に激突してきたスライムボールの勢いをまともに喰らって滝壺の枠岩につまづき、そのまま滝壺にざぶんと落ちた。

 ずぶぬれになりながら滝をくぐれば、そこに扉はなく、ただ真っ暗な深淵が口を開けて待っていた。水を跳ね飛ばしながら攻撃を続けるスライムに追い立てられるように、拓也は闇口の縁へと追い詰められ、迷う暇もなく数個のスライムの直撃を受けて第二階層へと転がり落ちていった。

★★★

どうもギャグが滑っている気がします……。
コメディは難しいですね。
ひと階層クリアしたので、短いですがUPしました。

<お知らせ>

冒頭がダルいという感想をいただいたので、接続できなかったときに改稿したものを「なろう」サイトに上げてみました。
章も入れ替えたため、こちらで改稿版を投稿するのは難しいので、こちらはこのまま進みます。

なろうタイトル
「異世界トリップ・就職・移住等、斡旋いたします マルチ・ユニバース・トラベル(株)」


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