16、「雷帝《ツァーリ・ボンバ》」~Muv-Luv:RedCyclone~
***1989年 8月18日 午前7時 シベリア軍管区イルクーツク州ブラーツク基地***
「~~!」
『――ッ! ―――!』
――周囲が騒がしかった。
「……るっさい」
「――起きて。起きなさい二等兵君」
――ゆさゆさと体が揺さぶられる。
何を言っているかわからないがとにかくやかましい。
どうも誰かが自分を起こそうとしているらしいが、今は睡眠薬のせいで猛烈に眠いのだ。
脳は鈍化しているし、感覚だって鈍い。きっと目覚めたって役には立たない。
「ちょっといい加減起きなさいよ! こっちだって急いでいるのよ!」
やはり聞こえてるが、何を言っているか全く理解できない。相変わらず五月蝿く感じるだけだ。
勘弁して欲しいよ、と毛布を手繰り寄せると一層激しくなった怒声とともに毛布が剥がされた。
不満に呻きながらもユーリーは両手を組んで再び眠りに落ちようとする。
「チッ、仕方ないわね……」
ようやく静かになったかと思うと、今度は首筋に冷たい金属の感触する。
「…………?」
何? と思う間も無くプシュっという炭酸を開封したような音。
「………………――ッ!? ぎ、……ぎゃぁああああああああ!!!」
――燃える液体が血管を走った。
目の前でバチバチと火花が散り、体の中で花火が爆発している。
眠気など三千里の彼方に吹き飛ぶような衝撃。
火事から逃れる鼠のようにユーリーはベッドから跳ね起きた。
「何しやがる! 誰をされた! 何がしでかしやがった!? 毒か? 酸か?」
ファイティングポーズを取って諸悪の根源を弾劾するが、寝起きの混乱のせいで意味不明な事を口走る。
血管に直接流し込まれた薬物は眠気を根こそぎ奪っていったが、同時に心臓をバクバクと全力疾走させている。
「カフェインのアンプルよ。よく効くでしょ。徹夜明けにはもってこいなのよ」
ファイティングポーズの拳を向けた先、ぼやける視界に写るのは空の無針注射を持つ女性――イズベルガだ。
「博士……? 一体何を――いや、それよりも今は何時だ?」
「午前七時よ。この表示によれば脳波変換の調整率は40%」
予定の4分の一の時間。もともと多めに見積もっていたのだがそれでも想定よりやや早いペースだ。
だがそれもリュドミラが目覚めなければ意味が無い。中断すれば最初からやり直しだ。
「なんてこった……まだ全然途中じゃないか」
「知ってるわよ。でも緊急事態なの。さっきから鳴ってるコレ、聞こえてないの?」
天井を指すイズベルガに吊られてそちらを見上げる。
研究室内にはアラームと共に緊急放送が流れていた。
『コード991発生につき第一防衛準備態勢が発令中。繰り返すコード991発生につき第一防衛準備態勢が発令。全戦闘員は直ちに持ち場に移動せよ』
「――デフコン1ッ!? またBETAが来るってのか……!? 嘘だろ! 昨日だけで2万は叩いたんだぞ!」
第一防衛準備態勢が発令されるとなれば敵の数は最低でも5000以上。今のブラーツク基地にはこれでも荷が重い。
間違いなくザンギエフは出撃するだろう。
「博士、俺のミグは!?」
「消耗部品の交換はもうすぐ終わるわ。でも今からAN3装備を外すのは無理ね」
「十分だ!」
タンクトップの上からフライトジャケットを羽織るとそのまま飛び出そうとするユーリー。
だがその肩をイズベルガが掴まえた。
「待ちなさい!」
「なんだよ? 召集かかってんだから急がないと……」
「――陸上戦艦の試作型がここに向かってるの。あなたのMiG-31は整備班に任せたし、私はそっちに向かうわ」
「そりゃ、仕方ねえけど……陸上戦艦? あんなの持ってきてどうするんだよ?」
「お土産を積んでくるのよ」
年不相応にキラキラした眼を向けてくるイズベルガ。
何か隠し玉があるらしい。
「――もしかしてまた大量の牛肉か?」
「ばか。もっとずっと良い物よ。――牛肉なんかより遥かにね」
***
ブリーフィングルームには既にA-01の面々が揃っており、それぞれが席についている。大隊長であるザンギエフの姿はなくトルストイ大尉が壇上に立っていた。
「今から30分前国防宇宙軍から全軍へと緊急通報があった。H6エキバストゥズハイヴとH10ノギンスクハイヴからBETAの大群が東へと移動している」
トルストイが指すシベリアの地図にはそれぞれのハイヴからまっすぐ東方向へと侵攻するBETAの位置と予測進路が表示されている。
毎度毎度の定期便――だがこの敵性指標《ベータ》の数はどうだろう。最小倍率の地図の左側には血の川でも流れているかのように赤点が咲いている。
「規模は6個軍団――約18万だ。内ノギンスクハイヴからツングースカ方面に侵攻している8万はシベリア軍管区ではなく特例として極東軍管区の受け持ちとなる。シベリア軍管区は全戦力を持って残り10万の東進と予想されるハイヴの建設を阻止しなくてはならない」
「………………」
10万、という数に思わずこの場に居るA-01の衛士が唾を飲み込んだ。
彼らの短い戦歴の中で戦ったベータを全て足したのと同じ……いやそれ以上の数。ここ数年で最大の規模であることは間違いない。
そしてハイヴ建設――ヨーロッパ陥落以来ずっと囁かれていたBETAの東部ユーラシア方面への本格侵攻がついに始まったのだ。
「これを受けて党中央委員会はレナ河以西の全住民の退避と8基のRDS――核弾頭の使用を許可した。許可された弾頭は鉄拳型が4基、雌鶏型が3基と……………………雷帝型だ」
「「「――――――――ッ!!!」」」
――ツァーリ・ボンバ
爆弾の皇帝と呼ばれるソレは冷戦時にソビエト連邦が開発した兵器史上最大の水素爆弾にして、人類が手にした最悪の火である。
核融合ー核分裂ー核融合と三段階の反応を経て炸裂させるこの爆弾は通常の火薬換算で100メガトン―第二次世界大戦で消費された全火薬20倍分の威力を誇る。
これが過去に使われたのは2回。
一度目は1961年に冷戦中の爆発実験として出力を50メガトンに抑制された状態でソ連領ノヴァヤゼムリャ上空に投下された。投下高度は一万メートルで、爆発高度4,000メートル。爆発による火球は地表まで届き、上部は投下高度と同程度まで到達。その様子は1,000キロメートル離れた地点からも見えたという。生じたキノコ雲は高さ60キロメートル、幅30-40キロメートルに至る。
この爆発による衝撃波は地球を三周してもなお空振計に記録され、世界を焼き尽くす威力の片鱗を見せた雷帝の威容に西側の諸国は震え上がった。
二度目は1975年。
黒海沿岸を北上しソ連領ウラリスクへ進入したBETAに対して、通常の戦術核による焦土作戦では抑えきれないと判断した党中央委員会はこれまで国内での使用を制限していたメガトン級の核兵器を解禁。
多数の囮部隊の犠牲によってBETA群の中心で爆発させることに成功したが、人類が始めて目の当たりにした100メガトン級の核爆発は当初予想されていた威力を遥かに上回っていた。
地中に設置されたツァーリ・ボンバの爆発は火球だけで直径9000メートル以上、爆風と熱線による殺傷範囲は百キロを優に越え、事前に避難通告を受けて爆心地から120キロ離れていた部隊にまで被害が及んだのである。
ツァーリ・ボンバの一撃はウラリスク戦線を脅かしていた五万以上のBETAを撃破したが、同時に安全圏に置かれていたはずの戦車機甲師団や当時配備が開始されたばかりの貴重なMiG-21戦術機部隊までもが行動不能となり戦線の再構築まで多大な労力を負うことになった。
「本当に党はツァーリ・ボンバの使用を許可しているのですか……?」
「間違いない。作戦は国防会議直々の通達だ。既に防衛作戦のために住民の非難と軍管区36軍と41軍隷下の全戦力が旧バルナウル市、旧アバカン市方面に至るまで展開している。作戦の第一段階はバルナウルに展開した第14戦車師団、及び第185、187、213戦術機大隊によってコレを足止めしクリツァ型戦術核地雷によって敵先方の突撃級集団を爆破する」
トルストイ大尉の説明をプロジェクターに写されている作戦データが補足する。
三個大隊が約40分の時間を稼いでいる間に工作部隊が核地雷を埋設。BETAが地雷に接触するまでに戦車師団から順次撤退していくのだが……正直耐えられないだろうとユーリーは思った。
足止めにするには戦力が少なすぎるし、そもそも戦術機は補給無しだと30分程度で弾を使い切ってしまう。仮に補給コンテナを効率よく使用して敵の圧力に耐えられたとしてもこの物量の前で足の遅い戦車部隊を支援しながら後退するのは不可能だ。戦術機甲部隊か戦車師団か、この作戦では確実にどちらかは帰ってこられない。
「第二段階はアバカン方面に展開した部隊によって可能な限り戦力を保持しながら縦深を利用した遅滞漸減作戦を行う。この時敵集団の外縁部へMiG-25《スピオトフォズ》によるクゥラーク型弾頭の核攻撃を行うことで敵の進路をバイカル湖方面――ツァーリ・ボンバを埋設した地点に誘導する」
プロジェクターに表示された参謀本部の予想によれば第二段階終了時点での残存BETA数は3万五千程度。現在のシベリア軍管区の戦力ならば支援砲撃を機能させ続ければなんとか撃破できる数字だ。
「そして第三段階でツァーリ・ボンバから後方100キロの地点に張られた防衛ラインでBETAの殲滅を行う。我々の任務はまず戦術機甲部隊がアバカンから連れて来たBETAの内進路を逸れた小規模集団の処理を行い、その後補給を受けた主力部隊と共に最終防衛ラインの最右翼として敵を機動包囲しながら打撃を与える。なお殲滅戦開始から17時間以内――バイカル湖東岸に展開する極東軍管区部隊の防衛体制が整うまでの戦線維持が著しく困難だと判断された場合、ツァーリ・ボンバを起爆して敵を一掃する。以上が今作戦の概要だ」
「17時間……つまりその間防衛ラインを守り抜けばいいのですね?」
A-01の中隊長の一人が手を挙げて発言した。
長いようで短い時間だ。
今回は全行程360キロにも及ぶ撤退戦。
核兵器を使うにはそれだけの間合いが必要だとはいえ、これほどの大作戦の最終段階で全軍足並みを揃えての総力戦の制限時間が17時間というのは短すぎる。
それにソ連にとって鬼門に近いツァーリ・ボンバの使用解禁なども含めると、どうも不自然で納得がいかないというのが彼らの感想だった。
「そうだ。17時間後、もしくはツァーリ・ボンバの起爆決定後は撤退が許可されている。その後はバイカル湖東岸に置かれた防衛部隊が残存の敵を殲滅することになる。……ああ、そういえばユーリー。大佐がな、今回はお前の姉をMiG-31《ブラミャーリサ》に乗せて連れて行けと仰っていた」
「――リューを? 無茶だぜ。あいつはまだ目覚めてない」
「強化装備を着せておけばいい。意識が無いのなら加速病の心配も少ないしな。防衛戦では何が起こるかわからん。それに、今回ばかりは私にも嫌な予感がする。戦況はBETAの行動次第なのはもちろんだが……もしかするとそれ以外もあるかもしれん」
言い淀むトルストイの表情に真剣な物を察してユーリーは頷いた。
「……わかったよ」
リュドミラはユーリーにとってのアキレス腱である。
BETAに食わせるわけにはいかないのは勿論、万一スフォーニ勢に誘拐でもされたら身動きが取れなくなってしまう。
それで無くとも今回の作戦はキナ臭い。
本当ならボディガードでも雇いたい所だが基地に信用できる人間などいるはずがない。それなら自分で背負っていく方が何倍もマシであった。
「よし、ではこれでブリーフィングは終了だ。厳しい作戦だがそこまで悲観することも無い。敵の大多数は核兵器によって漸減される上に、極東軍管区から先日開発されたばかりの試作陸上戦艦も向かっている。我々は必ずこのシベリアを守り抜く」
「「「ダー!」」」
トルストイの言葉に闘志を漲らせたA-01の衛士達が一斉に唱和した。
***同時刻 同基地 中央戦略開発軍団 ブリーフィングルーム***
「――以上が防衛作戦の概要となる」
ブリーフィングルームに集まった中央戦略開発軍団の面々の重い空気を前にしてロゴフスキー少佐は言った。
A-01の衛士たちと同じく彼らも緊張から口を開かない。
彼らはどこの国よりもBETAに苦しめられてきたソビエト連邦の軍人だ。故にこの戦闘によって祖国が被る損害の大きさを察することができる。もちろん、今日の損害が次回の侵攻で更に大きな損害を生む原因になるであろう事も。
だがそんな軍人らしい緊迫感とは全く無関係な人間も居た。
「納得がいきません! 戦わずして退去などと! 此度の防衛戦闘は私の―いえ、我々の優位性を実証する最適な機会ではありませんか!」
泡を飛ばして叫ぶのはイェーゴリ・ベリャーエフ准教授である。
ベリャーエフは先程説明された防衛作戦に自分たちが参加せずにイルクーツクを離れる事に抗議していた。
勿論、愛国心からなどではなく己の野心からだが。
「我々は中央戦略開発軍団だ。兵器開発の実証を伴わない戦闘は我々の仕事ではない」
「新兵器ならF-14D《トムキャット》にП3計画がある! それにここで我々が出撃して圧倒的な戦果を計上すれば、士気の高揚や機体の評価向上にも繋がる」
熱弁を振るうベリャーエフに対して周囲の目線は冷たい。
確かに彼の言う事は正しいのだ。――ある程度は。
シベリアの厳しい戦況に対して党は自ら禁忌としていたツァーリ・ボンバまで使用しようとしている。確かにここで戦果を挙げれば中央委員会からの覚えもめでたいだろう。
だがあいにくと中央戦略開発軍団は普通の部隊ではない。
ソ連の特権階級であるロシア人から更に厳しい選抜を経たエリート集団である彼らは、凄腕の戦術機衛士であると同時にロゴフスキーの個人的な政治の駒でもあるのだ。
部下のうち数人は既に軍内の重要ポストに内定しているし、他の人員もロゴフスキーが党内での足場を固めるために必要な人材だ。部下達自身それを理解している。
党での栄達に比べれば前線の将兵数万人の命や学者のちっぽけな野心などガラクタほどの価値も無い。
故に防衛戦に参加させるなど論外。
それも戦線が必ず壊滅すると知っているのならなおさらだ。
「士気の高揚ならザンギエフ大佐の方が適任だろう。それに国連軍の作戦ならまだしも、我が国主導の戦場で米国機のF-14が活躍するのはあまり好ましくない」
「ぐっ……しかし! それも全て我々が戦果を挙げさえすれば覆ることだ!」
あくまで強気のベリャーエフ。
彼が戦果を挙げると豪語した自信の源は"プラーフカ"であった。
――プラーフカ
それは薬物と後催眠暗示の複合使用によって、被験体の潜在能力の開放と思考交換速度(思考の融合)の拡大を強制させるП3計画の奥の手ともいえるシステムである。
П3計画によって調整された人工ESP発現体はプラーフカを開放させることで反応速度と戦闘力を爆発的に増大させるが、その代償として著しい身体的負担や敵味方識別能力の低下を招く。
ベリャーエフの研究によればこれは第五世代440番と第六世代15番の脳波が同調しきれないことによる副作用であり、この2体が真の完成――精神が完全に融合した生体CPUとなれば解消されるらしいが……問題の解決に必要な脳波調整の技術や後催眠や薬物以上に人間の精神に干渉する技術などの目処が立っていない。
だがそれもロゴフスキーにはどうでもいいことだ。人形のスコアが2000、3000を越えようが戦局に大差は無い。
いや、ロゴフスキーの持つ情報が確かならば、むしろ戦局が不利であればあるほど彼にとっての障害が取り除かれる可能性が高い。
ここで中央戦略開発軍団が戦闘に参加するのはデメリットでしかない。
「残念だがこれは決定事項だ、同志ベリャーエフ君。我々中央戦略開発軍団はブラーツク基地が光線級の射程内に入る前にここを発つ」
「………………」
断言するロゴフスキーをベリャーエフは殺気すら覚えるような視線で睨みつけるがどうあっても決定は変わらない。
いや、以前のベリャーエフであれば考えられない程の圧力に、僅かだが上位者であるはずのロゴフスキーの方がたじろいだ。
「――あの、ロゴフスキー少佐。発言の許可をください」
そんな火花散る空間で手を挙げた少女がいた。
「……なんだねビャーチェノワ少尉?」
「せめて我々のF-14をシベリア軍管区の衛士のために供出する事はできないでしょうか? 敵戦力は強大でこちらは砲撃戦力も含めて疲弊しています。幸いこの基地にはトライアルのためにフェニックスミサイルの備蓄があるので、搭載できる機体さえあれば前線のBETA殲滅効率はかなり上がるはずです」
「それも却下する。機体の供与は技術漏洩の観点からまず容認できない。祖国の防衛のための損失であれば止むを得ないが、ミグに鹵獲される危険を冒せない。我々は実戦部隊ではなく試験部隊なのだ。それとも少尉、君は今後のトライアルでもしビャーチェノワ准尉がF-14の技術を吸収したMiG-31《ブラミャーリサ》に搭乗して現れた場合、勝算を持てるのかね?」
「……難しくあります」
ロゴフスキーの皮肉を感じ取ってクリスカは萎縮しながら答えた。
このシベリアに来てからクリスカとイーニャの戦闘力は加速度的に向上している。だが、それでも現段階ではユーリーに勝てる確率は低い。
プラーフカを最大開放すればわからないでもないが、彼女もイーニャを危険に晒してまで勝ちたいとは思わない。
だが――
クリスカがチラリと横目でベリャーエフを"覗く"。
頭部につけたバッフワイト素子のヘッドセットは人間の思考野の底まで読み取る人口ESP発現体のリーディング能力を阻害するが、今はそれでも十分すぎる。
(やはり、これは異常だ……)
ベリャーエフの周りには彼の心に渦巻く禍々しい感情が黒煙のように吐き出されていた。
嫉妬、憤怒、野心――全てを憎悪として収束した感情はまるで黒い大蛇のような姿でこのブリーフィングルームを覆っている。
蛇の持つ余りに禍々しい存在感にクリスカは肌を粟立たせるような怖気を感じた。
彼女はそれほど多くの心を覗いてきたわけではない。だがそれでもベリャーエフの状態が顕著に危険だということはわかる。
それほどまでに桁違いの心の闇。
憎しみはこの国を――もしかすると世界を滅ぼしてもなお余りあるほどだ。
その時が来れば彼はなんの躊躇もなくプラーフカを最大開放するだろう。そうなれば自分達は――
「クリスカ、こわいへびがいるよ……」
同じくベリャーエフの感情を読み取ったのか、隣に座っていたイーニャが顔を青褪めながらクリスカの袖を握っていた。
「大丈夫だよ、イーニャ。あなたは……私が必ず守るから」
黒煙の大蛇から守るようにイーニャを抱きしめる。
――この子は私の宝物。私の全てより大事な特別な存在
イーニャを守るためならば、自分の全てを捧げる事ができる。
今はそれでいい。
だが一年後も、その次もそうできるだろうか?
ベリャーエフの底なしの闇を垣間見たクリスカには、いつか憎悪で育った黒い蛇が自分とイーニャを飲み込んでしまうという予感がある。
一度そうなってしまえばもう逃げる事はできないだろう。
(いや、何があろうと守り抜く……きっと……)
無意識に探ったポケットの中。
向日葵の装飾が施され、蛇とは対照的な優しい光の残滓を放つ"ソレ"だけが今の彼女を勇気付けてくれた。
***1989年 8月18日 午後12時15分 シベリア軍管区 旧アバカン市近辺 ***
――0850時 フェイズ1 雌鳥型核地雷3基による爆破に成功。
一基の起爆に失敗するもBETA先鋒から突撃級だけで3000以上の撃破を確認。作戦で投入された第14戦車師団及び第185、187戦術機大隊は撤退段階で音信不通となる。
帰還した213戦術機大隊の6機を除き、第14戦車機甲師団3210名、第185戦術機大隊35名 第187戦術機大隊28名第213戦術機大隊25名をKIAと判断。
――0923時 BETA先鋒が防衛部隊と接触 フェイズ2 遅滞漸減作戦を開始。
――1140時 MiG-25による特別編成部隊が出撃
「――喰ーーらーーえぇぇッ!!」
オリャズ小隊が居るのは真っ赤な海だった。
網膜投射された視界一杯に広がる戦車級の赤。時々赤い色の中に要撃級の白も混じるが、MiG-25《スピオトフォズ》の小隊が36mmの弾幕を形成しながら突撃すればそれも一瞬で血の色に染まる。
A-97突撃砲が放つ劣化ウラン弾の弾幕は凄まじい密度で迫る戦車級の赤い波を容易に崩していった。
『こちらCP《コマンドポスト》よりオリャズ1、小隊の進路が東へずれている。至急修正せよ』
「あぁん? おい、CP。俺達の侵攻ルートは規定どおりだ。データリンクのラグだろ?」
オリャズ1――まだロシア人ではない少数民族の青年は軍人らしからぬドスの効いた声で上官たるCPへ通信を返す。
『オリャズ1、そちらの動きは衛星のカメラで直接監視している。貴官らは意図的にBETA群から離れている。これ以上の進路変更は敵前逃亡とみなす』
「この野郎……セラウィクからの左遷組のクセに、こんな時だけまともに衛星なんて使いやがって! 敵前逃亡なんざ知ったことか! そんなに核弾頭を使いたいならテメーが戦術機に乗って見やがれ!」
『なっ!?』
不正を指摘されたオリャズ1は網膜内のCPに向かって中指を突きたてる。
ありえないことだった。
この国の軍隊は本国の共産党が一個中隊の単位で随伴の政治委員を置いたり即決の軍事裁判を行う事で完全に支配下に置かれている。故に前線を構成する被支配民族の軍人はどんなに不満があってもロシア人の上官の前でそれを吐露する馬鹿は居ない。
だが一方、命令違反の上に侮辱を受けたCP将校も不自然なほど淡白な物だった。
『…………処方量が多すぎたか? オリャズ小隊は傾注。秘匿回線Bを開く』
CPの男が手元を操作するとピッピッピッというゆっくりとしたリズムの電子音と共にMiG-25の管制ユニットに不思議な旋律の詩が流れる。
同時にヘッドセットの高解像度網膜投射は一定の間隔で緑の閃光を発し、衛士の意識を催眠状態へと誘導した。
すぐに小隊の面々の目から光が消える。
『後催眠の発生を確認』
「………………」
『オリャズ小隊は目標攻撃のために至急進行ルートを変更。作戦命令を遵守せよ。……聞こえたか?』
「………………了解」
ボソボソと聞き取りづらい声での返答だが、小隊は言われたとおりに進路を戻して再びBETAの海の中へと引き返していく。
先程より幾分か大人しい弾幕が再び戦場に赤い飛沫を作り上げて、逆にレーダーからは赤点の敵性指標を消えていく。
密集の菱形陣形でまとまった小隊は放たれた矢のようにBETAの群れに食い込み侵攻していく――が、やはり小隊編成の限界か。
かき分けただけのBETAはすぐさまその物量で持って欠落を埋め今度は背後や側面から小隊に襲い掛かった。
『ああっ! ――あ、――あ、――いや、いやぁああああ!』
複数で飛び掛る戦車級を捌ききれず、左側から取り付かれてしまったオリャズ2が甲高い絶叫をあげる。
後催眠下のオリャズ1は横目でオリャズ2の機体の状態を見て、そしてフォローを諦めた。
小回りが利き格闘能力に優れる軽戦術機に対して、投射火力と積載量に優れた戦術機は重戦術機と呼ばれている。
彼らの乗るMiG-25《スピオトフォズ》は重戦術機の最たるもので、直進性だけは優れているが機体の構造上、格闘能力と旋回性に劣るため戦車級に取り付かれた際の対応が難しいという欠点があった。
BETAに囲まれているこの場で減速すれば全滅は免れない。かといって高速で飛行しながら戦車級を処理できるほどこの機体は器用ではない。
部隊の目的は核弾頭を装備したオリャズ4を目標攻撃距離まで護衛すること。ここではオリャズ2を切り捨てるのが正解だ。
『誰か起きて! ねえ、お願いだから! 起きて、私を助けてよ!』
「………………」
ウィンドウの中で女が叫ぶが、後催眠暗示によって思考が平坦化されたオリャズ1は返事を返さない。
その泣き顔を見てかろうじて浮かんでくるのは、そういえば昨日この女を抱いたのだったという薄い感慨だけ。
筋肉質で硬いちっとも女らしくない体だった。
それでも抱いたのは気まぐれだったのか、それとも実は愛していたのだろうか。それすら思い出せない。
『ああ、嫌よ嫌よ嫌よ! 私BETAに殺され――』
オリャズ2はしばらくもがいていたが、戦車級に跳躍ユニットを齧られると小隊の速度に付いてこられなくなり、BETAの群れの中に取り残されてそして反応を消失させた。
『――やはり催眠状態では反応速度と戦闘判断が低下するな。BETA密集地帯では後催眠を解除せねばならんか……』
CP将校はレポートでも読み上げるかのような無感動さでそう言った。
三機となった小隊が進む。
BETAの密度は中心部に近づけば近づくほど増していき、時々取りこぼした戦車級が飛びつく危うい場面も増えていく。
その頻度がいよいよ無視できなくなり、オリャズ1が左腕を失った頃になってようやくCPは後催眠暗示の解除を決めた。
先程の眠気を誘うような光とは打って変って今度はカメラのストロボのような眩しい光が網膜に放たれる。
気だるい意識は強い刺激を与えられることで強制的に覚醒を促される。
まるで二日酔いか、それより酷い頭痛を感じてオリャズ1が呻いた。
「……うっ……あ、……くそっ、」
それまで引き伸ばされていた時間が元に戻り、急速に記憶が回復していく。
BETA群への再突入、オリャズ2の戦死、そして自機の左腕喪失。
オリャズ2の戦死を思い出し、それでも小隊の誰もが操縦桿から手を離さなかったのは衛士としての訓練故か。
だが僅かな動きの鈍りを逃さず、小隊の懐へと要撃級が飛び込んだ。
そして振りかぶったモース硬度15以上の前腕がオリャズ3の管制ユニットへと叩き込まれる。クリーンヒットを受けたオリャズ3のMiG-25はくの字に曲がって要撃級を抱え込んだままその場で動きを止めた。
「――ぁがっ!!? ぁああああああああーーっ!!」
「――オリャズ3ッ!? すぐに脱出しろ! 俺が回収してやる!」
『無駄だ。オリャズ3はすぐに死亡する。貴官は任務を遂行したまえ』
振り返ろうとするオリャズ1の進路を遮るかのようにCPのウィンドウが表示される。
間をおかずにオリャズ3の生命反応が消失――せめてもう少し早く後催眠が解除されていれば、こんなことにはならなかった。
「――畜生! 全部お前のせいだ! 殺してやる! いつか絶対にお前を殺してやる!」
『上官への脅迫か。まあいい。そんなに私を殺したければまずはお使いを済ませるんだな。ほら、もう少しだ。オリャズ4は先程からFCSの調子が悪い。オリャズ1、貴様が核弾頭のランチャーを保持しろ』
「クソッ!」
ヤケクソになって、ひったくるようにオリャズ4のMiG-25からクゥラーク型核弾頭のランチャーを取り上げる。
旋回と同時に背部兵装担架の突撃砲を作動させ周囲のBETAに無差別に撃ちまくった。
「――ぐっ」
だがその旋回動作のGに体がついてこない。
Gに対抗するために鍛えぬいた肉体が、まるで訓練兵だった時のようにことごとく自分の感覚を裏切っている。
それに後催眠暗示を受けるまでの妙な高揚感。あれも普通の興奮剤の感覚ではない。
おそらくは出撃前に振舞われたウォッカ、あの中に後催眠暗示をかけ易くするために中毒性の高い麻薬を含ませていたのだ。
MiG-25の生還率は低いから、そうでもしなければ衛士達がまともに戦おうとするはずがない。MiG-25乗りは戦死しても計算どおり、仮に生きて帰ったとしてもその後は薬物中毒者として党から薬を貰うために従順にならざるをえない。
つまりそれがスピオトフォズというコードネームの真実であった。
「――クソッタレ!! もう沢山だ! 俺達が苦しい思いをしなきゃならないのは……貴様らがいるからだっ!」
オリャズ1は突撃砲の残弾を使い尽くす覚悟で前方のBETAへ36mm弾を放つ。
集中射撃を受けて、目標地点までの僅かな距離に密集していたBETAは肉片へと変わり、その頭上を残り僅かな推進剤を燃やす2機のMiG-25が通り過ぎる。
いや、内一機、オリャズ4の速度が徐々に落ちていく。
――機体には問題が無いにも関わらず。
「――オリャズ4?」
『 』
「おい、どうし……――ッ!!」
『 』
ウィンドウに映る虚無のようなオリャズ4の姿――メドゥーサの発症。
オリャズ小隊――元大隊は既に34人が死亡している。
「――そうか……お前も限界か……俺達の大隊もいっぱい死んだもんな」
速度の落ちた戦術機の末路は決まっている。
飛びついてきた要撃級の前腕の一撃を受けたオリャズ4の機体から生命反応が消えた。
これで残りは自分の機体のみ。周囲には溢れかえるほどのBETA。
されど攻撃目標地点までの距離もあとわずかだ。
「――うぉおおおおおおおっ!!」
一か八か、最後の推進剤を使ってMiG-25をBETAの上へ、衛士に取っての禁忌である空へと飛ばす。
すぐさま向けられる光線級の視線。
だがオリャズ1はレーザー照射が始まる前のきわどいタイミングを見切ってトリガーを絞り、ランチャーから核弾頭を解き放った。
弾頭は初期照射の弱いレーザーを受けて僅かに表面を融解させたが、照準どおりの弾道で持ってピタリと指定された地点に着弾する。
――白く眩い閃光。
そしてそれ以上の紅蓮の爆発。
ヌークの熱線がBETAの群れを焼き溶かして赤熱した粘液に、そして黒い炭に変えていく。
「畜生……誰か頼むよ。もうこんな事は俺達で最後にしてくれ……」
掠れる様なオリャズ1の声。
BETAだけではない。
核の爆発は太陽と見まごうような熱量を持って、己をここまで運んだオリャズ1のMiG-25をすら焼いていった。
涙は目尻からこぼれる前に管制ユニットの隙間から漏れた光によって水蒸気へと変わり、そして――
――1255時 オリャズ小隊による核攻撃に成功。BETA群は予定通り進路を保ったままバイカル湖方面へ。オリャズ小隊、及びその他2個のMiG-25小隊からの生還者は無し。12名をKIAと認定
***同日 午後16時15分 シベリア軍管区 イルクーツク州 ツァーリ・ボンバ埋設地点50km圏内 ***
「A-01大隊、突撃にぃ移れェェーーーッ!!」
『『『ナッシュウラーーー!!』』』
スピーカー越しにも鼓膜を突き破らんばかりのザンギエフの怒声に対抗するかのようにA-01の各中隊長が声を張り上げて突撃を開始する。
設定された光線級目標は4地点33体。大隊を構成する3個中隊とザンギエフ直援の小隊はそれぞれ散開して一箇所ずつ攻略しなければならない。
彼らがシベリアに来た頃なら成功など考えれない程厳しい任務であったが、A-01はこれまですでに幾度と無く激しい実戦とザンギエフの容赦ない訓練を受けてきた。
各中隊はザンギエフ無しでも特務部隊の名に恥じない練度と鋼鉄の意志によってBETA群に食い込み、思う存分にその成果を振るうことができるはずだ。
一方ザンギエフの小隊もソビエト最強という看板通りの威力でもってBETAに進撃していた。
「――イワン、ケン!」
「了解ッ!」
「……承知」
ザンギエフの4丁の突撃砲が正面を切り開き、トルストイの支援が止めを刺し、モリの刀が小隊の懐を守る。
そしてユーリーはと言えば――
「ユーリー、遅れているぞ! 孤立したいのか!?」
「すまねぇ! こっちはこれで精一杯だ!」
怒鳴るトルストイにユーリーは眼も合わせずに答える。
彼が世話しなく視線を向けるのは後部座席のリュドミラに取り付けられたバイタル計だ。
一人のときはその卓越した対G能力と反応速度で持って超人的な機動操縦を行うユーリーだが、意識の無いリュドミラという荷物を背負ってではそれは難しい。
もともと初速は遅いMiG-31《ブラミャーリサ》なので跳躍ユニットをちょっと吹かしたぐらいなら問題は無い。
だが空中で急停止や格闘戦機動を行おうとすると、リュドミラを包む強化装備はすぐさま効果を失いGは彼女に直接害を及ぼす。
だが動かないわけには行かない。
BETAには正面攻撃の通じない相手が多い。突撃砲では回り込む事無しには突撃級は勿論、前腕で身を守った要撃級を倒すのも難しい。
「くっ……なら、バズーカでッ!」
S-11に使われている炸薬を用いた強力な弾頭が密集していたBETAの中心で炸裂し、地面ごとまとめて吹き飛ばす。
主腕の関節へ僅かにダメージ。だが一発で警告状態となったMiG-25 БM型だった時と比べればずいぶんマシだと言えた。
「ふぅ……コイツを持ってきて助かったぜ。これじゃカタナなんてとても扱えねぇ」
強引に作った空間を利用して加速を得たMiG-31は、孤立しかけていた状態から再びザンギエフの小隊との合流に成功。
再び四人が揃ったザンギエフの小隊は速度を増し、濃緑灰色の重金属雲の中へと突入した。
「エレメントで分かれる。イワンは俺と来い。ケン、お前たちは右から侵攻しろ。最奥の光線級を撃破した時点で北東方向に離脱だ!」
「「「了解」」」
ザンギエフが命ずると四機の戦術機は光線級目掛け、すばやく二手に分かれた。
重金属雲の中では遠くは見渡せない。電波も乱反射されるのでレーダーも役には立たない。
ESP能力を持たない衛士の唯一の頼りは、戦術機のカメラが捉える狭い視界と突入前に更新されたデータリンクマップの敵性指標だけだ。
だがどんな戦場でもザンギエフの行動は一つだけ。
陸海宙、即ち全てのソビエト連邦軍を代表する軍人としてBETAを蹂躙し、破壊し、殲滅する事。
いつもの高速機動戦闘でもって敵中を突き進むザンギエフと慣れた様子で援護を行うトルストイ。2機は分隊の戦果とは思えないほど圧倒的な速度でBETAを駆逐していくが、だが二人の表情にいつもの余裕はない。
彼らの千にも上るBETAとの戦闘経験には分隊での敵中突破も含まれていたが、さすがに今回のような大群への突撃はザンギエフをもってしても厳しい。
怒涛の如きBETAの襲撃はその殆どをミドヴィエチの凄まじい全方位射撃によって打ち倒されるが、リロードの合間や加速や着地の動作硬直時の僅かな時間には隙が生じるのは避けられない。
飛びつこうとする戦車級はカバーに入るトルストイの援護によってほとんどは空中で血袋となるが、名手のトルストイとて自衛とザンギエフのサポートをこなし続けるのは至難の業であった。
一瞬の隙をついて接近した4体の戦車級が頑健で堅牢であるミドヴィエチの装甲にいくつもの引っかき傷や凹みを刻む。
戦車級はすぐさまチェーンソウ型CIWSによって切り払われるが、何度も蓄積されたダメージによってミドヴィエチは既に満身創痍の体であった。
「光線級を肉眼で確認!」
「――ッ!! イワン、ついてこられるか!?」
「もちろんです! このくらい、あの子供は家族を背負ってやってるんだ! 俺だってやってやりますよ!」
「よし、突撃するぞ! ウラァアアアーーー!!」
そして破壊の嵐が解き放たれた。
危険な要塞級と要撃級をザンギエフが押し留め、トルストイがその精妙な射撃で持って光線級を打ち倒す。
一つ、また一つと光線級が撃破される様子に焦りを覚えたように2体の要塞級が溶解液の滴る衝角をミドヴィエチへと飛ばす。
「――甘いッ!」
ミドヴィエチの両腕に取り付けられたモーターブレードでもって鞭のようにしなる衝角を切り飛ばした。
溶解液によって煙を上げるCIWSをザンギエフは稼動させたまま要塞級へと投げ放つ。
「離脱するぞ!」
「はいっ!」
目標を達成した二機は躊躇なく背を向けると、迫る要塞級を一顧だにせず合流ポイントへと向かう。
重金属の雲を抜け、データリンク通信が復活。
再び更新された戦域マップによれば今の攻撃で巨大BETA集団を守っていた光線級はほぼ全滅。
無論、ここまで大変な消耗と損害を被ったが、全10万という規模の割には光線級の割合が少ないのが幸いだった。
それから3分もしない内にユーリーとケンがザンギエフと合流し、そしてA-01の各中隊も合流を果たした。
A-01は36機のうち5機が戻ってこなかったが中隊単位で光線級狩りを行ったにしては損失は少ないほうだろう。
「HQ《ヘッドクォーター》、こちらはA-01大隊レッドサイクロン1だ。光線級の排除に成功した。当該ポイントへの砲撃を開始してくれ」
『こちらHQ、了解した。制圧を開始する』
もはや敵には遠距離攻撃能力も砲撃迎撃能力もない。
後は戦車級と要撃級を食い止めつつ、砲撃を続けるだけでBETAを殲滅できるはずだ。ツァーリ・ボンバの出番など無い。
後方の支援陣地から放たれた弾頭が空を切り裂いてBETAの頭上へと降り注ぐ。
大口径の滑腔砲から放たれた砲弾は狙い過たずBETAの集団の中心で炸裂し、血肉を撒き散らすいつも通りの頼もしい威力を見せる。
しかし――
「これだけ……なのか?」
呆然とした様子でザンギエフが呟いた。トルストイや周囲のA-01も怪訝な顔をしている。
本来なら大地を揺るがし、一斉に咲く数百の紅蓮の花火で持って大地を埋め尽くすBETAを平らげるはずの一斉砲撃。
だがその威力は全く発揮されない。あり得ないほどその密度が薄い。
ザンギエフの眼前にあるのは断続的に飛んでくる僅かな砲弾の爆発と、砲撃で空けられた穴を後続のBETAが更なる数で持って埋める光景。
こんな調子では3万を越えるBETAの殲滅など到底不可能だ。
「――HQ! こちらへの砲撃が少なすぎるぞ! どうなっている!?」
『なんだと……? 少し待ってくれ。すぐに確認する』
ビリビリと管制ユニットを振るわせるほどのザンギエフの怒声に、HQのオペレーターが慌てた様子でキーボードを操作する。
ウィンドウの中のオペレーターが何かを見つけ苦虫を噛み潰したように顔をしかめ、そしてすぐにそれ以上の驚愕の表情へと変わった。
『何っ!? ……まさか、こんなことが!?』
「オペレーター、何があった? データを転送しろ」
『――あ、ああ……』
顔面を蒼白にしながら、オペレーターは集めたデータをミドヴィエチへと送る。
データの内容は戦場の砲撃陣地から届いた備蓄弾薬類の現状報告。
表題だけならば何も問題が無いように見えたが、網膜投射に表示された内容は、これまで戦場で様々な不測を目の当たりにしてきたザンギエフですら眼を剥くような記載があった。
「――ありえんッ!! 戦域に展開する30以上の砲兵部隊から弾薬類の紛失報告だとっ!? これだけの量が、何故今になるまでわからなかった!!」
報告に上った紛失弾薬の総量は作戦開始時の37%近くを占める。
備蓄容量の30%を占めるAL弾は無事。だがそれはつまり制圧砲撃に必要な炸裂弾の弾頭の2分の1以上が無くなっている計算だ。
報告には各所の担当者や部隊長からの苦しい言い訳とともに誰もが一つの結論、――これ以上の支援砲撃が不可能な事と早急な補給の要請で締めくくられている。
「HQ! すぐに兵站課に弾薬の再配分を――むっ? なんだ?」
指示を飛ばそうとしたザンギエフに今度は大隊の部下ともHQとも違う回線から通信が繋がる。
それはこの機体に設置された中央政治局の直通回線であり、事前に仕込んでおいた彼の特別な情報源からの緊急の情報であった。
「住民避難の遅延に伴うルートの変更……? ――――ッ!! 戦域北部を突っ切って迂回だと!? 馬鹿なッ、何を考えている!! 今から10万2千人の非戦闘員をツァーリ・ボンバの有効範囲に入れる気か!」
想像を絶する事態の連続に狼狽するザンギエフ。そそり立つモヒカンの下の額を冷や汗が伝う。
あり得ないことがいくつも起こっている。
ツァーリ・ボンバの埋設、膨大な弾薬の紛失、そして避難住民の不自然なルート変更。
「一体、この戦場で何が起こっているのだ……!!」
どれもが情報不足で全容は全く見えない。
が、想像くらいはつく。
これらは偶然ではない。
誰かの意図が――悪意がこの全ての事態を引き起こし破滅へと導いている。
――16時52分 ソビエト連邦国防省及び国防委員会はツァーリ・ボンバの起爆を決定。カウントダウンを開始。
雷帝はその封印を解かれ、シベリアの戦場にいる無数の命を飲み込まんとしていた。
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お待たせしました。長いよね、ごめんね。
今回の最初のパートですが今後の改稿で前話につけると思います。
次回でいよいよレッドサイクロン編のクライマックス。……多分
せっかくなのでちょっとGX風の次回の予告つけてみる。
黄昏に沈む戦場へ、ついにツァーリ・ボンバの起爆が宣告された。
刻々と進むカウントダウン。人々の恐怖と絶望を目の当たりにしたユーリーは一つの決断を下す。
~Muv-Luv:RedCyclone~ 第17話
リュドミラ「あなたに、力を……」