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[32864] Muv-Luv Red/Moon/Alternative
Name: 大蒜◆9914af20 ID:86f1a2a8
Date: 2012/04/21 02:12
 どうもこんにちは。こちらでの投稿は初となります、大蒜と申します。
 このSSは私が愛する“機動新世紀ガンダムX”の作中の15年前に生きていたという設定のオリジナルの登場人物がマブラヴ世界のソビエト連邦に生まれ変わってBETAや人類と戦う話です。
 作中には両作品に加えてその他のガンダムシリーズからも様々な兵器を出演させる予定ですが、肝心のガンダムの登場が物語の中盤からになってしまうことをまずはご了承ください。
 またその他にもストーリーを進める上で独自の設定(特に第三計画や技術的ファクターについて)や進行で多少のGXびいきの演出があると思われます。
 更新はなるべく月に一回以上のペースを守っていきたいと思いますが、小なろやにじふぁんで投稿していた時はほとんど守れなかったのでほぼ不定期なのが現状です。
 拙い作品の上に遅筆とアルカディアの利用者の皆様に申し訳ないことばかりですが私の作品で少しでも皆様の閑を有意義に過ごしていただけるよう努力していく所存です。何卒よろしくお願いいたします。
 では最後に

 全国50余人のAWファンの皆! オラに筆力と感想を分けてくれ!



[32864] 1、「また夢の話を聞かせてくれ」
Name: 大蒜◆9914af20 ID:86f1a2a8
Date: 2012/05/17 12:54
1、「また夢の話を聞かせてくれ」~第七次宇宙戦争~


 太陽光を受けて青く輝く地球。人類の故郷たる青い星の遥か上空、大気圏すら越えた低軌道上でいくつもの流星が弾丸とビームの閃光と交差し散っている。
 その流星の名前はMS(モビルスーツ)。四肢を持ち大出力バーニアと重火器を備えるこの機動兵器は二つの陣営に分かれて戦っていた。

 片や人類最大の建築物である"コロニー"に住む住民達がその独立のために立ち上げた宇宙革命軍。
 片や地上のほぼ全ての国家を束ね、人類の管理者として君臨する地球連邦軍。

 この二つの組織の確執は長年に及び、七度目にあたる今回の戦争は八ヶ月のこう着状態を経て遂に最終局面を迎えていた。 

***某年 地球圏低軌道上 南米大陸上空***

 「この感覚――ッ!? 俺を狙ってやがるな!」

 移動中に宇宙革命軍の高機動型MSオクト・エイプにロックされている事に気づいた×××は悪態を吐くとスロットルを戻しメインバーニアの角度を僅かに変えその機動をずらす。
 直後、敵が構えたマシンガンから放たれた100ミリの弾丸の雨が×××の眼前――もはや何も無い空間を通り過ぎた。

「そこか!」

 ×××の機体は一瞬で振り返ってシールドバスターライフルのトリガーを引く。
 ビームに貫かれたオクト・エイプが腹部のジェネレーターからオレンジの火球となったのを確認した×××は、汗の雫が浮かぶヘルメットを脱ぎ管制室のある旗艦に通信を繋げた。

「これで8機……おい、管制室! こっちは終わったぞ。防衛ラインはどうなってる?」

『こちら第四艦隊旗艦マリアナ。現在第1防衛ラインは全戦域に渡って戦闘中、第2防衛ラインはパープル2、イエロー4で応戦中。三号機は直ちにパープル2へ向かえ』

 管制官が命令を伝えると同時モニターにパープル2までの航路が示される。
 表示された予想到達時間を見て×××は僅かに顔をしかめた。

「これまた遠い所を選んでくれたな。他の奴じゃ駄目なのか? 確かパープル1にはジャミルがいただろう?」

『GX《ジーエックス》二号機は現在サテライトキャノン発射ポイントまで移動中だ。行動予定を遅延させるわけにはいかんし、迎撃に回して万が一にでもGビットを減らすわけにはいかん』

「ジャミルの奴がそんなヘマをするとは思えないがな」

 ジャミル・ニートは地球連邦軍のニュータイプ部隊に所属する少年兵で中尉の階級を持つ士官だ。
 初陣から間もなくそのズバ抜けたMS操縦センスと高いニュータイプ能力を発揮した彼は各地の戦闘や作戦で華々しい戦果を挙げ、若干15歳にして瞬く間に地球連邦軍のトップエース座を駆け上がった、まさにMSパイロットの申し子とでも呼ぶべき存在だった。
 その彼は今回は12機のGビットを随伴したGX9900-NT002、つまりガンダムXの二号機に搭乗し宇宙革命軍のコロニー落とし作戦阻止のための切り札として作戦に参加している。

『敵は一個中隊規模だが部隊の中核に革命軍のNT《ニュータイプ》専用機"ベルティゴ"が確認されている。恐らくはコロニー落とし迎撃の阻止に回された精鋭部隊だ。貴様は命に代えてでもこの部隊を足止めしサテライトキャノンの一斉射まで2号機の安全を確保しろ』

「ニュータイプにはニュータイプってか? 相変わらず鬼畜だなぁ。こんなことを繰り返していたら、最終的には全てのニュータイプが相討ちで死んじまうんじゃないか?」

『我々連邦軍の側に最後の一人が残ればいい』

「俺はイヴ無しでアダムになる気は無いぜ」

『三号機、無駄口はいい。とっととパープル2に向かえ』

「……了~解」

 議論する無駄を悟って×××は大人しく命令に従い自分の愛機――漆黒塗装ブラックカラーのガンダムX三号機を指定ポイントへ向かわせた。

 進行方向には核パルスエンジンを取り付けられた無数のコロニーが太陽の光を受けその独特のフォルムを浮かび上がらせている。今頃宇宙革命軍はせっせと住民を退避させコロニーを地上に落とす準備を進めているのだろう。
 もしあれらが全て地上に落とされれば地球は壊滅的な被害を被るのは間違いない。それが例えたった一つでも小国は滅ぶ。数百万、数千万の命が失われる。宇宙革命軍のとっている行動は地上の人間に対してそれほど危険な物であった。

 勿論本来あれは兵器ではない。一基につき一万の人間が暮らし、自給自足しながら来るべき他惑星・外宇宙への進出への試金石として人類の希望となるはずだったのだが――

「そのコロニーが今や大量破壊のための質量兵器か。俺達ニュータイプと同じだな」

 カメラを更に遠くへ向けるとモニターに写るのは地球の端から半分だけ顔を出した月が見える。原始の時代から何千年も崇拝し、憧れ続けてきたあの天体ですら人類はマイクロウェーブ照射のための軍事基地に変えてしまった。
 宇宙コロニー、月、ニュータイプ。戦争が夢もロマンも何かも武器に変えていく。だというのに有史以来人類の歴史から戦争が消えた事は無い。

 かくいう×××も戦争で幼児期に親を失い、孤児として地球連邦に引き取られた後はNT兵士として何人もの人間を屠ってきた。

 それが戦争。無限に続く負の連鎖。

「いっそ"宇宙人"でも攻めてくれば……いや駄目だな。例え滅びる寸前でも俺達は絶対に一つにはならない」

『そんなことはない、きっと希望はある!』

「――ッ!? ジャミル? ジャミル・ニートか?」

 独り言を聞かれていた上に、突然モニターに知り合いの顔が映し出され×××は大いにうろたえた。
 一体何故、と思い戦域モニターを確認すると現在地にパープル1の表示。どうやらパープル2へ向かう途中にたまたま発射地点に向かうジャミルの部隊に近づいたらしかった。
 レーダーで確認した位置まで機体を向かわせる。約7時間ぶりに二機のGXは並びあった。

『確かに人類は争い続けてばかりだ。でも地球にもコロニーにも、いつだって平和を求める人の声は途絶えなかった。その声に耳を傾けられるようになればいつかきっと人類はいつか争いの無い世界を手に入れられる!』

 モニターとヘルメット越しに見えるジャミルの顔は幼さを残しながらも鬼気迫る物があった。
 この言葉は×××にも聞き覚えがある。NT部隊の教官で二人の恩師に当るルチル・リリアントの言葉だ。――もっとも×××は何度も彼女と師弟以上の関係になろうと口説き続けて失敗していたが。

「そして平和な世界に飽きればまた戦争、人は過ちを繰り返す……ってね」

『――ッ!? ×××、どうしてそんな風になっちまったんだ!? 昔みたいにあの夢で見たっていう平和な国の話を聞かせてくれたあんたはどこへ行っちまったんだよ!?』

「戦争さ。全部この糞溜《くそだ》めみたいな戦争が持っていった。人工ニュータイプ実験に子供を寄せ集めたニュータイプ部隊、コロニー落としにサテライトキャノン……たった18年しか生きていないのに、俺は人間がどれだけ残酷になれるか思い知らされたんだ。この世界で俺が心の底から安心できるのは女に抱かれてあの夢を見ている時だけだった」

『………………』

 ジャミルは何も言わない。
 彼自身、ニュータイプという人間の悲惨さを知っているから。そしてフラッシュシステムに不完全にしか対応しない×××が地球連邦からどれだけ恐ろしい人体実験を繰り返されてきたのかを知らないから。
 だからジャミルは×××の言葉に何も言うことができなかった。

 熱くなり過ぎたことを自覚した×××は一拍置いて深呼吸してからこう告げた。

「ジャミル、俺が間違っているというのなら……この戦争、お前だけは何があっても生き残ってくれ。生きて俺にお前の言う争いの無い世界って奴を僅かでも信じさせてくれ」

『……ああ、約束だ。アンタも生き残ってそして……また夢の話を聞かせてくれ』

「ああ、任せておけよ。宇宙そらに上がる前に立ち寄った技術局でもうすぐ落とせそうな子がいたんだ。この作戦が終わったら彼女とよろしくやって、そしてまた最高の夢を見てやるんだ!」

『技術局? マスドライバー基地の彼女はどうしたんだ?』

「マスドライバー……? ああ、あの子か。あの子とは最近さっぱりだ。それよりパーシバルさ! GXとGビットの共通規格化に携わっていたメカニックらしくてさ。相手がエリートの学者様だから話を合わせるために先月からMS設計の猛勉強中さ」

『そうか……ま、アンタは万能だからな。きっとすぐにでも話せるようになるさ』

「そうだな。じゃ、そろそろ仕事に戻るか」

 ジャミルが苦笑しモニター越しに敬礼すると同時に、レーザー通信の有効範囲から外れて通信が途絶する。
 白のGXは発射ポイントまで、黒のGXは敵のNT部隊の方へそれぞれ飛び立っていった。

 それから五分ほどして×××はようやく防衛部隊と目標――宇宙革命軍の巡洋艦アストラーザ級との交戦ポイントに到着する。
 パープル2の防衛部隊は既に損害を受けていて、10機いたはずのドートレスは既に4機にまで減っていた。

「セプテムが3機、オクト・エイプが2機の編成か。ベルティゴはまだ出撃していない……舐められているのか?」

 敵戦力を確認すると黒いGXは素早くライフルを前方に向ける。その銃口がピンク色の粒子を吐き出すと、瞬く間に一機の青い機体――宇宙革命軍のセプテム――がバーニアを貫かれ行動不能に陥った。
 意識外からの攻撃に両軍の動きが止まった。

『ガンダム――ッ!? 援軍か!?』

 生き残った防衛部隊の内一機、隊長機仕様のドートレスコマンドから通信が入る。

「こちら連邦軍NT部隊所属GX3号機、これよりそちらを援護する」

『ありがたい! セプテムはこちらでなんとかする。ガンダムはオクト・エイプを沈めてくれ。俺達じゃ手に負えない!』

 ドートレスコマンドのパイロットから悲痛な声が届く。
 ×××は簡単に撃墜したが、本来オクト・エイプは宇宙革命軍が戦争の最終局面を迎えるに当って投入した高機動量産MSの傑作だ。その性能はガンダムやNT専用機には及ばない物の、地球連邦軍の主力兵器であるドートレスなど遥かに超えた能力を秘めている。
 エース級のパイロットならともかくこんな辺境の防衛線のさらに後詰に回されるような一般の部隊では手も足も出ないだろう。

「了解了解っと」

 ガンダムという心強い援軍を得て士気を持ち直したドートレスは編隊を作って残った2機のセプテムに攻撃を加える。
 セプテムの援護に向かおうとしたオクト・エイプに対して×××はGXのバーニアを最大出力で吹かして迫りハイパービームソードを抜きながら近接格闘を仕掛けた。

 咄嗟にビームサーベルを引き抜いてGXの攻撃を防ぐオクト・エイプ。その反応は良かったが連邦軍の最新MSであるガンダムタイプと格闘戦を行うには機体出力が余りにも違いすぎた。
 続く2撃目でサーベルを弾かれ、3撃目を回避しようとして姿勢が大きく崩れる。パイロットが慌てて制御バーニアを吹かした所で動きの止まった機体にショルダーバルカンとブレストバルカンの計5門の砲口が打ち込まれた。

「ひとつ!」

 僚機の撃墜に焦ったもう一機のオクト・エイプがGXの頭上からビームライフルを連射しながら近づいてくる。

「甘い!」

 ×××はそちらをロクに見もせずに小刻みに機体を動かして難なく全弾を避けると、射撃が終わり脇をすれ違おうとした敵機の胴体に対して脚部間接による攻撃――膝蹴りを食らわせた。
 機体のダメージというより急激なGを受けてオクト・エイプはパイロットが意識を失い行動不能になる。

「ふた、―――ッ!?」

 腰のマウントからバスターライフルを引き抜きトドメを刺そうとしたところで×××は殺気を感じて跳ぶように後退した直後、20を越えるビームがGXの元居た場所に光のシャワーのように降り注ぐ。
 動きを止めていたオクト・エイプはその中の一条を受けて爆散した。

「なんだっ!?」

『そこのガンダムタイプ――『お前が噂のGXか?』

 GXが広域通信から拾った声は女の物だった。

 ×××はすばやく光のシャワーの元を見やる。
 そこにあるのは純白のカラーリングに独特の円錐形の腕部、周囲には無数の小型ビットが飛び交い、頭部と胸部に2つのモノアイが光るMS――宇宙革命軍のNT専用機 RMSN-008ベルティゴ。
 ×××自身何度か戦って撃墜した経験もあるMSだが今回は勝手が違う。

『無人機がいないぞ?』『色も黒だ』『だが私達と同じ力を感じる』

「ベルティゴが…二機?」

 そして通信で拾っている女の声も二人。×××は女を褒めるために鍛えた洞察力のおかげでこの二人が双子であることを見抜き更に冷や汗を流した。
 ニュータイプにとって双子や親兄弟というのは最も感応しやすい存在となる。このガンダムを見ても全く動揺しない事からこのベルティゴは二体でワンセットのチームとして今まで何人もの連邦のニュータイプを葬ってきたのだろう。
 ×××は苛立ちを隠そうともせずにコンソールを操作して先程戦域を指定してきた管制官へと通信を繋げた。

「おい、管制室! こちら三号機、パープル2に来たベルティゴは2体だ! クソッタレ! お前らの情報はどうなってるんだ!!」

『こちら第四艦隊旗艦マリアナ。情報の齟齬《そご》については謝罪する。だが現在作戦は最終準備段階、サテライトキャノンの射線確保のシークエンスに入っている。レオパルドもエアマスターも手一杯で援軍は出せない。三号機は防衛部隊と連携して敵に対処せよ。いいか、絶対にその2機の突破を許すな!』

「無茶を言いやがって……」

 通信の切られたモニターに向かって×××は毒吐く。貧乏くじはいつものことだがここまで最悪なのは今回が初めてだ。
 レーダーを見れば頼みの綱のドートレス部隊はようやく一機を撃墜したものの、アストラーザ級の対空砲火に守られたもう一機のセプテムに手を焼いているようで到底援護を頼める状況ではない。よしんば援護に来たとしてもたかが4機のドートレスなど一瞬で葬られてしまうだろう。

『大型兵器を背負っているな』『ランスロー様に報告するか?』『いや……私達だけで撃墜しよう』『賛成だ。有人のガンダムタイプを撃墜すれば間違いなくランスロー様に褒めていただける』

 広域通信で拾った会話はなんとも緊張感の無い物だが、内容からして戦う意志は確定したらしい。
 2機のベルティゴはビットを回収すると静かに真空の宇宙そらにその殺意を広げ始めた。

「やれやれ、もったいない。声からして美人なのは間違いないんだが……まあ、もうゾッコンの相手がいるってんなら諦めるしかない、なっ!!」

 先手は向こう。両腕を収納した高機動モードでの左右対称の突撃。
 2機同時に迫ってきたベルティゴに対してGXはシールドバスターライフルとハイパービームソードをそれぞれの手に取り出して構える。

『『落ちろ!!』』

 GXは完璧に同時のタイミングで襲ってきた4発のビームを上昇してかわして見せると左の機にライフルを放ち、右の機に近づく。
 近づかれたベルティゴは躊躇無くサーベルを引き抜くとGXの斬撃を片手で受け、軽々といなす。そして次の瞬間、ベルディゴは生まれた空白を瞬く間に詰めてビームサーベルを突き出した。
 なんとか上体を逸らしてサベールをかわすGX。メインカメラの側を通り過ぎたメガ粒子の剣が一瞬だけモニターをピンクの光で満たした。

「やっぱりさっきのオクト・エイプみたいな雑魚とは違う! お前らは肝の据わった良い女だ。だがまだ本気じゃないだろう? ビットを出しな!」

『……不愉快な奴』『同意する。メインカメラの動きがイヤラシイ』『長居はしたくない』『決定だ。こいつは――

『『排除だな』』

 双子がそう宣言すると同時に×××はGXのフラッシュシステムから冷たい波動がフィードバックするのを感じた。
 二機のベルティゴが並びそれぞれが長い両腕を左右に広くかかげる。そのままコマのようにクルクルと回転すると遠心力で加速された24基のもの小型ビットが打ち出された。

「きたか! ビット!」

 通常、モビルスーツがフラッシュシステムで操る機動兵器は12基。ニュータイプという超存在に操られたそれらは連邦でも革命軍でもMS大隊に匹敵する戦力だと考えられている。
 対して×××が乗るガンダムXは決戦用のNT専用機といえどもこういった局地戦でフラッシュシステム無しではライフル一丁とサーベル一本だけを背負ったいちMSに過ぎない。火力差は単純に考えて28対1。ビームの発振装置で数えれば敵は32にすらなる。通常であれば到底勝てる相手でないのは誰の目にも明らかだった。
 24基のビットがGXに迫る。その数は×××が今まで訓練や実戦で経験したどんな敵よりも多く、動きはどんな敵よりも鋭い。
 ベルティゴから感じられる殺意が鋭く深くなるのと同時に、今度はビームの雨どころか嵐にも匹敵するような圧倒的な弾幕が形成された。

「このぉーーーッ!!」

 だがその弾幕を目視するよりも、想像するよりも早く、直感に従った×××は右手のGコンを殴りつけるようにして前に押し出す。
 操作に従い、バーニアの推力にサテライトシステムのリフレクターの共振を全開にしたGXは爆発したように押し出されたことでビームの嵐よりほんの刹那早くGXは死線から脱した。

 攻撃を外したことを見て取った双子はより強い殺意を滾らせてビットにGXを追うように指示する。自身のベルティゴも再び高速移動形態に変形し今だセプテムやアストラーザ級の残る戦域からGXのいる方へと向かう。

『逃さん!』『貴様はここで私達の手土産となってもらう!』

 ビットとそして二機のベルティゴが連携した弾幕は途切れる事無くGXに向けられる。
 だが最初は前に、そして右に左に、GXの進行方向を見た予測射撃はそのどれもが掠りもしない。GXはデブリがあればそれを蹴って方向を変え、コクピットの残るMSの残骸すらも殴って機動変化の足しにする。バーニアの軌跡に滑らかな曲線は無く、子供が落書きで描いたようなデタラメな絵が宇宙に書きなぐられた。

『ビットの補足が間に合わない! なんだあれは!』『本当に人間か!?』

 ベルティゴのパイロットの動揺がビットに伝わる。
 事実、異常な機動だった。NT専用機であるGXのバーニア推力は並みのMSを遥かに超える。それを全開にして左右に機体を振り、あまつさえデブリを蹴ってさらに加速をつけるなどMS戦闘を知るものからすれば自殺行為でしかない。
 だが黒いガンダムのパイロットはそれをやってのけたのだ。
 彼は死の包囲網の一瞬のほころびを見破ると二機のベルティゴの内、片方に向けてシールドバスターライフルの引き金を二度引いた。

『キャアァァァーーー!!!』

『姉さん!』

 ビームはどちらも命中。ベルティゴは胸と左腕に損傷を受けたが爆発する気配は無い。装甲の薄い部分には当らなかったようだ。

「まだ落ちないか……むっ? なんだ? ビットの動きが……」

 ×××は自分の攻撃が与えた思わぬ効果に驚いた。
 ビットは今だ鋭い動きでGXを追ってきている。だがそれが4基だけ。残りの実に20基近くがその動きを完全に止めていたのだ。

「あの一機だけでビットを20基も搭載してコントロールしていたということか? ……いや、そんな事、できるはずが無い」

 考えながらも動きを止めたビットに攻撃を加えて次々と撃墜していく。最近のジャミルであればランダムに動き回るビット相手でも平気でライフルを当ててしまうのだが、彼はビット撃ちはそれほど得意ではなかったためこの機になるべく数を減らしていく。
 被弾したベルティゴのパイロットが意識とコントロールを取り戻した時にはビットの数は8基にまで減らされていた。

 その8のビットが再び鋭い動きでGXを追い詰めようとする。やはり被弾したほうのパイロットが優秀だったのかと思案する内、今度は無傷の方のベルティゴがサーベルを持ってGXの懐にまで接近していた。

『貴様ーーーー!!』

 GXもサーベルを引き出しベルティゴの攻撃を受け止めると、すぐにその場を退避する。ビットのビームがGXの装甲を僅かに削っていった。 

「コンビネーションは抜群でしかも執念深い……厄介だな」

 胃や肺に感じる嫌な重みに顔をしかめる×××。先程の機動は体にかかる負荷が大きくてそう何度も使えるものではない。
 一方、ベルティゴの姉妹もビットの大半を失ってしまった以上、どちらも白兵戦を決着をつけなければいけないのだ。

 再び接近してきたベルティゴに対して今度は固定兵装のバルカンの一斉射撃を放つ。装甲の薄いオクト・エイプと違いダメージは与えられないが、カメラや精密機器に衝撃が与えられ一時的にベルティゴの動きが鈍る。
 すると今度はビットの動きが止まらなかった代わりに一瞬だけ8基全ての動きが単調で緩慢になった。

「――っ! ……そうかっ! この双子、それぞれでビット操作の"質"と"量"を補い合っていたのか! そんな……そんな手があったっていうのか!」

 ×××は敵の新技術を看破すると同時に強く惹きつけられた。
 戦場での優勢劣勢を直接支配できるNTに関する研究はどちらの勢力でも最優先で行われている。特に覚醒レベルが低かったりフラッシュシステムに対応しないNTの能力の底上げは軍が最も欲しがっていた技術だ。
 かくいう×××もフラッシュシステムに不完全にしか適合しないという弱点を持っている。
 鹵獲は無理だとしても少なくとも今日、この二機のベルティゴの戦闘データを持ち帰れば、いつかは自分もジャミルのような無敵のニュータイプになれるかもしれない。

「そうと分かれば……!!」

 GXは先程のバルカンを受けたベルティゴに向かって今度は自分から近づいていくと切り結んだ瞬間、手首を絡め取るようにしてビームソードを動かす。腕を予想外のベクトルに引っ張られてベルティゴがよろめいた瞬間、GXの回し蹴りが強烈にそのコクピットの装甲を叩いた。

『ぐぅぅぅぅーーーー!!』

『ニキータ!』

 同時にGXを補足していたビットの照準が甘くなり、動きも鈍くなる。
 蹴った反動で加速をつけたGXはビットの方へ向かいサーベルとライフル、バルカンの全てを使い一息で残りのビットを片付けた。

『そんな!』『ビットが!』

「これで、もう満足な援護はできまい!」

 自身の精神的優位を悟った×××は今度こそカタをつけるべく再び近接戦闘を挑む。
 双子は白兵による乱戦を嫌がって牽制のビームを放ちながら距離を保とうとするが、回避動作を最小限に絞って迫るGXに成す術も無く追いつかれる。

「随分と焦らしてくれたな! 今喰ってやるぜ子羊ちゃん!」

『くっ、サーベルを……!』『――ッ!? 姉さん、いけない!』

 宣言どおり噛み付くような機動を見せるGXに二機の内一機が焦って中途半端な距離でビームサーベルを抜刀する。
 完璧だったはずのチームワークの僅かな乱れを×××は見逃さなかった。
 ベルティゴが武装をサーベルに切り替えたのを見たGXが雷のような軌道で方向を変えもう一体のベルティゴの方へ迫る。
 姉の援護を失った一瞬のタイミングをついて行われた斬撃はニキータと呼ばれた女の機体の両膝を切断していった。

『『しまった!』』

 両足を失ったMSは腕部や脚部の質量による機動制御――AMBAC制御を失いその機動力を著しく減少させる。
 斬った後すれ違ったGXは即座に反転してバタバタと溺れるようにもがくベルティゴにビームを一射。援護に駆け寄ろうとした姉に向かって同時に三射を放った。

 三射はそれぞれ右腕、頭部そしてさきほど被弾のあった胴体部に命中する。
 二機のベルティゴはどちらもジェネレーターを貫かれ、小爆発を起こした。

『姉さん!!』『ニキータ!!』

 双子は最期にお互いを求めるように手を伸ばしたがその手は届くことは無く、紅蓮の炎がベルティゴのコクピットを包み込む。
 白い機体は同時に爆発し、×××は2つの魂が宇宙に拡散していったのを感じた。

「……終わったか。ふぅ、これでしばらく戦線は――――接近するMSの反応!? クソッ、センチメンタルに浸《ひた》る暇もねぇ!! しかもこの感覚――まだニュータイプが来るってのかよ!!」

 引き攣ったように叫びながら流れた汗を振り払い再びヘルメットを被り直す。

「敵のMSは一機。しかし凄まじいプレッシャー……ジャミル並みの相手か。あの双子の死を嗅ぎつけてきたか」

 GXの砲撃用望遠レンズが捉えた機影はまるで人魚のような円錐状の下半身を持ち太い五指を構える見た事も無いMSの姿。ベルティゴを発展させた宇宙革命軍の最新型NT用MSと見ていい。基礎性能ではともかく、Gビットも無く局地戦に不向きな×××のGXでは明らかに力不足だ。

「こりゃあ、殺《や》り合ったら間違いなく俺が死ぬな」

 ×××は自嘲気味に呟いた。
 ジャミルとのシュミレーター、模擬戦を合わせた戦績は10勝25敗。その内8勝は三ヶ月以上前の物で、あとの2勝ですら快勝とはとても言いがたい物だ。それでも地球連邦軍の全てを見回してもこれほどジャミル・ニートと戦える者はいないだろう。
 名実共に連邦軍ナンバー2である×××。
 それがこれほどのプレッシャーを受けるとは、相手は一体何者なのだろうか。……いや、機体名もその特性も攻略法も、どれもが予測不可能であるが×××には一つだけ確信がある。

「――間違いない、あいつがあの双子の言っていた"ランスロー様"って奴だ」

 もし、生きたいのであればあと30秒。見つからないようにここのデブリに隠れてあの機体をやり過ごせば×××は助かるだろう。もとより敵の目的はサテライトキャノンの発射の阻止、Gビットを連れていない三号機に傾注するとは思えない。
 あのMSが現れればサテライトキャノンの発射は阻止されるだろうが、ジャミルが黙ってやられることだけはありえないと×××は確信していた。
 だが

「……あいつを見逃せばコロニーは間違いなく地上に落とされる。それがひょっとしたら俺の女に当るかもしれねぇ」

 台詞とは裏腹に死の予感でブルブルと体が震え始める。
 ×××は自らの意に反する体を筋肉を強張らせることで押さえると、本能が鳴らす警鐘に逆らって無理矢理に笑った。

「いいぜ、やってやる! ジャミルのサテライトキャノンの発射まであと140秒。その間に色男の面目って奴を俺が散々にしてやるよ!」

 黒いGXはその乗り手の期待に応えるかのように獰猛にバーニアを唸らせると宇宙を駆ける白いMSを迎え撃つように飛び立っていった。



*****

 この後、ジャミル・ニートの乗ったGXによるサテライトキャノンの砲撃は成功を収め、宇宙革命軍はコロニー落としに使用するはずだった廃棄コロニーの10基以上を失う。
 だが戦線の膠着とそれによって再び見え始めた敗戦の可能性を恐れた宇宙革命軍はむしろ、コロニー落としの強行を強く決意する。
 当初の予定を超えて産業用、軍事用の如何を問わずにいくつものコロニーが落とされた結果、地球環境は深刻な打撃を受け100億の人口がその数を2割以下にまで減らす人類史上最大の悲劇となった。コロニー、地球全ての住人が人類滅亡という予感を抱く。
 だがその寸前、一歩手前まで、本当に国力の限界まで消耗しもはや国家体制を維持する力すら残っていなかった地球連邦政府と宇宙革命軍は皮肉なことに戦争の最中、ほぼ同時期に空中分解することになった。
 ×××が憎んだ全ての業、罪を背負うべき組織、人間は何もかもがうやむやのうちに消えたのだ。

 ランスローのフェブラルによってコクピットを撃ち抜かれた三号機は連邦軍残党によって回収、修理されその後24年の眠りにつく。
 ジャミル・ニートは軍には戻らずバルチャーとしてニュータイプの保護運動を開始。
 ランスロー・ダーウェルは機のガンダムXを撃破した功績を讃えられ2階級の特進。NT能力を失いながらも依然最高のパイロットであるとしてとクラウド9防衛部隊に配属された。

 戦争は終わりAW(アフターウォー)の世紀が始まる。

 だが死んだ×××の魂がその平和を見ることは無かった。
 彼はその名前を失い、その魂を更に過酷な戦場へと連れ去られていったのだ。








[32864] 2、「なるほど、ミュータントじゃな」
Name: 大蒜◆9914af20 ID:86f1a2a8
Date: 2012/05/17 12:55
2、「なるほど、突然変異ミュータントじゃな」~Prologue:Reincarnation~


――ソビエト社会主義共和国連邦
 世界初の社会主義国家にして5億に迫る人口を持ち、"労働者による独裁"を掲げる強固な国家体制、横断すると時差が10時間以上発生するほど広大な国土、軍事力は強大で技術力も一流とあらゆる面で大国たる威容を備えた国家。
 かつてこの国はアメリカと世界を二分した超大国だった。

 全ての転機は1973年。
 この年の4月19日、隣国にして友好国の国土である中国の新疆ウイグル自治区カシュガルにBETAの着陸ユニットが飛来した事から始った。

 中国は異星生命体の宇宙船を回収するため、落下地点から出現したBETAに対して陸・空軍の総力を挙げて攻撃を開始する。当初こそ圧倒的な火力と航空戦力によって対BETA戦は優位に進んでいたが、戦闘発生から約3週間後、現れた生体レーザーを発する光線属種の発生によって中国人民解放軍の航空戦力は無力化され、空からの援護を失った陸上戦力はほぼ壊滅の憂き目に会う。
 この危機的な戦局に対して中国はソ連に対して共同作戦を打診、ソ連政府も同じようにBETAに対して危機感を募らせていたためこの提案はすぐさま了承された。こうして興った中ソ連合軍による人類史上初のハイヴ攻略作戦"紅旗作戦"はしかしBETAの圧倒的物量と光線属種という天敵によって軍事的効果を出せず僅か九日で断念される。
 その後連合軍は敗走に次ぐ敗走と繰り返し戦略核による焦土作戦を決行ことでなんとかその侵攻を食い止めるが、その頃にはソビエト・中国軍ともに陸軍空軍の戦力の7割以上を喪失し、かつて超大国として誇った威容は面影も残ってはいなかった。
 
 この戦闘結果を受け国連ではオルタネイティヴ2(BETAの捕獲と調査による生体研究を目的とした計画)では決定的な成果を得られないとし、ソ連主導のESP能力者による対話を目指したオルタネイティヴ3への移行が決定する。
 オルタネイティヴ3はその第一段階として霊能力者・聖職者・カルト教団関係者などソ連が今まで調査しESPとおぼしき能力を持っているとされた者を見境無く集め、投薬から身体改造まで、普通の人間からすれば狂気の沙汰としか思えないほど苛烈な生体実験を行った。
 この果てしない犠牲と資金投入の結果、ESP能力者には能力ごとに脳波と遺伝子に共通部分があることが判明し、ソビエト最高会議はオルタネイティブ3完遂のために不安定な天然・・ESP能力者ではなく、安定した能力と人数を確保すべく人工のESP能力者を生産するための研究を開始する。
 とどのつまりこの研究こそが全ての物語の始まりであった。


***1978年 10月 ソビエト連邦 第2首都ハバロフスク 第6感覚関連遺伝子研究所***

 第2首都ハバロフスク。
 北緯48東経135、アムール川とウスリー川の合流地点に面したこの都市は1975年、当時BETAの西進によって圧迫されていたモスクワに代わりこの国の首都機能の移転先として決定される。
 その三年後の1978年2月、パレオロゴス作戦の失敗とBETAの逆襲を受けてユーラシア北西部を維持することができなくなったソ連政府はその後の更なるBETAの西進に備えて当時ノヴォシビルスクにあったオルタネイティブ3の中枢施設をハバロフスクへ移転させた。
 移転先は街の中央にあるハバロフスク駅から真っ直ぐアムールスキー大通りを進んだ政府官庁の並び。伝統建築様式など何一つ用いられていない無骨そのもののこのビルディングには第6感覚関連遺伝子研究所との公式名称が掲げられている。
 この施設の地下にこそオルタネイティブ3の中枢施設であり、最も重要な研究を任されている部屋があった。

「ニコライ! ニコライ! どこにおる! 何をしておった!」

 部屋には床から天井までをつらぬくき青くボンヤリと光るシリンダー100柱が等間隔に設置されている。
 生理食塩水と様々な液体で満たされたシリンダー柱には直径3,4センチ――胚と見まごう程未成熟な人間の胎児が浮かんでいる。まだ未分化の内臓が透けて見えるこの胎児達は人工の胎盤に繋がれながら日々成長していた。

 母胎の環境に限りなく近づけるために暗く暖かく静粛に保たれるべきこの部屋はたった今、怒声を放つ白髪の老人――この部屋の責任者たるソ連科学アカデミー自然科学部 学部長セルゲイ・ラフマニノフによってドアが開け放たれ、全ての電灯が点けられた。

 彼の声に答えて一人の青年がボサボサの頭を掻きながらシリンダーの隙間からのそりと這い出す。

「またですか、教授~。勘弁してくださいよ~。まだ朝の5時ですよ。ウォッカが切れる度に目を覚まして怒鳴り散らすなんて酷いじゃないですか」

「人を痴呆の進んだ老人みたいに言うんじゃない! いや、それよりもこれはどういう事だ!?」

「これって…どれですか?」

「一番《アジン》の人工子宮だ! 胎児が2つも入っているじゃないか!」

 老人の声に答えて青年が目を擦りながら1番とラベルの貼られたシリンダーを見やる。見れば部屋にある100の人工子宮の内、確かにこの一柱だけ2つの胎児が培養液の中でプカプカと浮いている。

「んん~? 本当ですね」

「ニコライ! まさか貴様、例のいかがわしい実験のために勝手に遺伝子サンプルを弄ったんじゃあるまいな!?」

 老人の落とした雷に首をすくめるニコライ。

「ちょ、ちょっと。そんなことしてませんよ! 人類の命運を賭けた計画でそんな不祥事を起こしたら、いくら国連の所属になった僕でも祖国に抹殺されてしまうじゃないですか。それにこの仕事についた時点で僕の夢はもう既に叶いつつあるんです。今更そんなことはしませんよ」

 現在オルタネイティブ第三計画の要であるESP能力の研究は第5段階まで開発が進んでいる。
 第一世代はESPのサンプルとして世界中から集められた天然の超能力者。
 第二世代はESP発現の遺伝子を調べるために第一世代の卵子と精子を掛け合わせた人工交配児。
 第三世代は第二世代の結果を踏まえて遺伝子操作によって100%ESP能力を持つよう作り出されたデザインベビー。
 第四世代でESP能力の中でもリーディングとプロジェクションを操れるESP発現体を人工子宮によって生産することが可能になり、
 そしてようやく今、目の前の人工子宮で育ちつつある第五世代がハイヴ突入後のリーディング作戦を行うために戦術機適正遺伝子を付加した人類の救世主として完成したのだ。

 この計画、主導は国連だがホストとしてメンツが掛かっているソビエト連邦の期待は相当な物で、セルゲイの一助手でしかないニコライの元にも天文学的な額の研究資金が入ってきている。ニコライにとってたかが遺伝子実験の一つのために彼がその立場を危険に晒すのはありえないことだった。

「……それもそうじゃのう。ではこれは突然変異とつぜんへんいということか?」

「いや、元々一番は成長が異常に早いと観察記録に残っていましたから、ひょっとしたら双子がくっついて一つに見えていたのかも知れません」

「双子にならんよう遺伝子はきちんとチェックしたはずなのじゃがのぅ」

 セルゲイは確認のために一番の人工子宮に懐中電灯の光を当てる。
 小さくて殆ど目立たないが、二つの胎児の皮膚には確かに破けた跡があり、元々くっついていたのが二つに分かれたようだった。

「厄介じゃのう。第五世代ビャーチェノワは遺伝子カテゴリを厳密に分けて生産計画を立てておるから予備の人工子宮など残っとらん。二人分の"生産"にマシンが耐えられるかどうかもわからん。仕方が無い……いっそどちらかを――」

――ヤメロ

 "廃棄してしまうか?"という教授の言葉は紡がれなかった。
 彼らに聞こえたのは声ではなく、脳裏に思考の波として乗せられた強烈な拒否の感情。

 部屋の電灯がパチンパチンと音を立てて消え、それまで静かだった部屋に暖房が勝手に作動し生暖かい風と不気味な唸り声のような音を響かせる。

――シニタクナイ……シニタクナイ!

 声無き思念があらん限りの力を振り絞ってセルゲイとニコライの精神に生への渇望を訴える。
 学者2人にとって慣れ親しんだはずの研究室は一瞬にして不気味な存在の住まう恐怖屋敷ホラーハウスへと変貌を遂げた。

「きょ、教授……? これは、い、い、一体ななな何が……?」

 腰が抜けて情けなくもへたり込むニコライ。
 対してラフマニノフ教授はおくする事無く、むしろ興味津々といった様子で青白く光る一番のシリンダーを睨みつけている。
 この老人にESP能力は無い。だが積み上げてきた経験と洞察力からセルゲイはこの一番シリンダーの胎児の内どちらかがこの現象を起こしたのだと確信していた。

「……儂の言葉を理解したわけではあるまい。胎児の体、脳も感覚器官も無い状態でリーディングとプロジェクションを発現させるか……なるほど、突然変異《ミュータント》じゃな」 

「教授~、そんな悠長なこと言ってないで逃げましょうよ! 祟りですよ! きっと今までここで死んだ実験体の幽霊が……」

 アワワと歯を鳴らしながら怯えるニコライを見てセルゲイは嘆息した。
 なんたることか。無神論者であるべきソ連国民のしかも科学者という身分を持った人間がこのような戯言を口にするとは。

「"ばか"! うろたえるでない。こんなものはただの・・・超常現象だ! 普通でないというだけで、いくらでも科学的説明がつく!」

 馬鹿、の部分だけ日本語で発音したセルゲイ。
 ニコライはいつもと違う、聞きなれない言葉で叱られたおかげで少しだけ理性を取り戻す。

「ぼ、僕は遺伝子工学が専門です。教授みたく超能力に関しての推論なんて立てられませんよ~」

「だったらもっと精進することだ。学問は全て一つなのだからな。何、研究対象なら今儂が提供してやろう。その一番の二人だ」

「ええ~~~!! このまま継続するんですか!? 最悪、人工子宮が壊れるかもしれませんよ? それに僕、もうこんな部屋には居たくないし……」

 ニコライの最後の呟きはしかし老人によって一蹴された。

「当然だろう。人工子宮が何だ。お前のためにこんなに面白い実験体を処分する理由がどこにある? ……だが、そうじゃな。確かにこのまま続けるとこの胎児が生まれた場合アジン・ビャーチェノワ(第五世代の一番目)が二人になってしまう。これは書類上非常にややこしい、別の記号が必要だ」

「え"え"っ、問題はそこですか?」

 ふーむを髭をなでつけ考え込むセルゲイ。
 だが思いつかなかったのかすぐに手を振って思考を放棄した。

「ただの記号に時間を割くのは無駄だな。儂の四人の孫の名前をやるとしよう。男の双子ならユーリーとボリス。女ならリュドミラとアナスタシア。ユーリー・アドニー(ロシア語の一番の複数形)・ビャーチェノワか…………そういえば儂が人に名を与えるのは初めてだな」

「……。そういえば教授は子供が生まれた時も孫が生まれた時も論文を書くのを止めなかったんでしたっけ」

「当たり前じゃ。儂の頭脳は一日で人類を一年分進歩させるのじゃぞ。たかが配偶者の出産くらいで研究を休んでなどいられるか。全く……まあいい。お前が平気なら儂はもう寝るぞ。それと、後でセキュリティを呼んで設備を点検させておくのじゃぞ。さっきのESP波で人工子宮に不具合が出るかもしれんからな」

「はいはい~。大丈夫ですよ教授。僕が人工子宮の監視ぐらいこなせないとお思いですか?」

 ニコライは歯を見せ親指を立てて余裕をアピールする。
 だがセルゲイの目は疑わしげなままだった。

「……大いに思う。学生時代、経過観察を任せたビーカーを転んで薙ぎ倒したのは誰だったか……今更じゃがなーんでお前のような奴が助手として国連に推薦されたのかのぅ?」

「ひ、ひどいっす! あの時は実験室にネズミが出てそれで驚いて――」

「………………とにかく、頼んだぞ」

 それだけ言いつけてセルゲイはそっと部屋のドアを閉じた。
 ニコライはまだ何か抗議していたが実験室の扉は分厚く閉じると殆ど音を通さない。

「やれやれ、あの性格さえ直せば遺伝子デザインの腕とセンスのあるいい学者になれたものを……。あの突然変異ミュータントといいBETAにハイヴといい……なんと、この世はままならんことばかりじゃな」

 老人らしく肩をすくめたセルゲイは再び眠るためにウォッカを求めて自前の酒庫の方へ足を向けた。



[32864] 3、「あれが、戦術機……!」
Name: 大蒜◆9914af20 ID:86f1a2a8
Date: 2012/05/17 12:55
3、「あれが、戦術機……!」~Prologue:Reincarnation~


***1984年 ハバロフスク近郊 国連軍基地***

「ひとつ、我々ソビエトの子らは世界の先駆けとして、常に規律正しく模範的な行いを心がけるべし!」

「「「ひとつ、我々ソビエトの子らは世界の先駆けとして、常に規律正しく模範的な行いを心がけるべし!」」」

 ニスの塗られた椅子と机。一段高くなっている教壇には白墨が一本と汚れた黒板が一枚。25人の子供が立って祖国の標語を斉唱している場所はロシア中どこでも見られるような普通の教室だった。

 ただしここは普通の教育機関ではない。その証拠に生徒は全員が美しい銀髪と碧眼を持つ5歳の幼児であり、教師役の男が黒と蛍光ブルーの国連軍の軍服を着ていて軍曹の階級証を付けている。

 ここはハバロフスク内にある国連軍基地。元を辿れば大戦中に作られたソビエト軍の航空基地を国連がオルタネイティブ計画のために租借した建物だった。

「ひとつ、党の言葉は常に正しく最善である。党の言葉を忠実に実行しその威光を知らしめる事が"優秀者"になる唯一の方法である!」

「「「ひとつ、党の言葉は常に正しく最善である。党の言葉を忠実に実行しその威光を知らしめる事が"優秀者"になる唯一の方法である!」」」

(あ~、くだらねぇ)

 その中の一人、フワフワの巻き毛を持った男子、ユーリー・アドニー・ビャーチェノワは毎日繰り返されるこの"洗脳作業"にうんざりしていた。
 彼は周りにいるほかの24人と同じような何も知らない子供ではない。ソ連が理想郷で無い事もこの暑苦しい標語を毎日2回斉唱させる目的も知っているし、それどころかこうした教育では決して教えられない筈の共産主義や独裁体制の問題点だって指摘できる。

 彼にとってこの毎日の"教育"は無駄な時間そのものであった。
 だが全てを知っているが故に、この日課から逃げた場合どんなことをされるかも予想がついているので、教官にバレないように口パクで斉唱をしているのだ。

 唯一隣に立つ腰まで届く長い髪の女子だけが彼の怠慢に気付き、注意のために肘で彼のわき腹を突っついた。

(おいリュー、やめろ! どうせ影になって見えてねぇのに、バレちまうだろうが!)

 何度かわき腹を突かれ悶えるユーリー。だが意地でもこの唱和には加わるまいと必死で耐える。
 やがて呆れたのか、はたまた自身も叱責の対象になるのを恐れたのか、リューと呼ばれた少女は嘆息すると再び己の教科書に目を戻した。

(諦めたか……やれやれ危ないところだった)

 必死で声を堪えてはいたが実際、彼の幼くて筋肉の無い体にはあの肘は相当辛かった。もう少しでうめき声をあげてしまうといった所で彼女が切り上げたのでなんとか助かったのだ。

 やがて唱和が終わり、全員が教科書から顔を上げると教師役の軍人がユーリーの隣を指した。

「同志リュドミラ! 貴様を生んだのは誰だ?」

「はっ、偉大な父共産党と母なるロシアの大地です!」

 教官の問いかけに先程ユーリーのわき腹を突いていた少女――リュドミラと言うらしい――が答えた。

「同志ユーリー! 貴様達第五世代の使命は何だ?」

「はっ、ハイヴに進入し最奥部にてリーディングを実行。BETAと意志の疎通を行うことです!」

 ユーリーもさすがに今度は口パクで済ませるわけにはいかずに仕方なく教官の望む通りの返答をした。

「同志トゥリツァッチ・トゥリー! そのためには貴様達は何を犠牲できる?」

「――全てです! 私の手足が千切れ、血が最後の一滴まで乾くに至るまで! 我が兄弟姉妹は全員が一丸となって目的を達成します!」

「大変結構。では授業を始めよう。全てはソビエトのために」

「「「――全てはソビエトのために――」」」

 一連の会話を終えようやく全員が席に着くことを許された。

 熱狂は無かった。教官も形式以上の物は求めていない。ただただ淡々と課せられた義務――人工ESP発現体に対するソビエト連邦への盲従と奉仕の刷り込み――を確認するだけの儀式。
 だがそれ以外に何も知らない幼子にとって1000、2000にも及ぶこの繰り返しは精神の根幹を成す絶対の価値観として刻み付けられていく。それは西側諸国からは洗脳教育と恐れられ、この国にとってはBETAと戦う20年以上前から続けられてきた当り前のことだった。

(くそ、なんでこんなことになってるんだ! せっかく死んであのクソッタレな地球連邦軍から解放されたと思ったのに、今度は大昔の独裁国家で宇宙人と戦えってのかよ!)

 ユーリーは真面目な演技を全く損なわないまま、生まれてからの五年間、ほぼ毎日のように繰り返している懊悩を心中で叫んだ。

――ユーリー・アドニー・ビャーチェノワには前世の記憶がある。

 それは第七次宇宙戦争時にニュータイプとして覚醒し、地球連邦軍に入隊させられルチル・リリアントに散々しごかれた記憶。年下の友人で戦友でもあるジャミル・ニートとの訓練の日々。そしてガンダムX三号機に乗って宇宙革命軍と戦い戦死した記憶。
 だがただひとつ、自分の出身地や趣味の数々、ガールフレンドのメールアドレスだってそらんじる事ができるが、記憶の中で一つだけ、何故か己の名前だけがどうしても思い出せない。
 どうにかして記憶の中の他人の会話や持ち物から名前を思い出そうとするが、忘却はインクでもこぼしたかのように名前の部分だけを完璧に覆い隠していた。
 そのせいで前世の記憶は自分の記憶であるはずなのにどこか他人のように感じられ、ユーリーにはそれがとにかくもどかしかった。

「前回はBETAと人類の初接触に着いて話したな。誰か、"BETA"が何なのか答えられる者はいるか?」

 教官が問いかけると一斉に24の腕が掲げられた。
 ユーリーも渋々ながら腕を挙げる。ここで挙げておかないと返って指名されるのは目に見えている。

「では同志ヂビャノースタ君」

「はい。BETAとは国連名称Beings of the Extra Terrestrial origin which is Adversary of human raceの頭文字から4文字をとった名称で我々の言葉では"人類に敵対的な地球外起源種"という意味になります」

「よろしいヂビャノースタ君、正解だ。彼らは容姿、能力によって8つの類別に分けられるが共生関係にあるわけではない。あくまでもBETAという一種類の群れとして行動しているという事が君たちが所属している計画の前身オルタネイティブ2で判明している」

 教官は手元のファイルから何枚かの画像資料を取り出して黒板に貼り付けていく。
 その資料に写ったBETAのあまりに奇形で異形な姿に今まで感情を見せなかった生徒達の中にも目を逸らしたり口元を押さえる者が出始めた。

(話には聞いていたけど……うへぇ、信じられないくらいグロい生き物だな)

「まず一番に覚えておくべきなのが光線レーザー属種。人類がここまで劣勢に至った最大の理由だ。小型の光線級の特徴は380㎞離れた高度1万mの飛翔体を的確に捕捉する照準能力と重戦車ですら一撃で蒸発させる威力を備えた生体レーザー発振器官を持っている。重光線級は攻撃方法は光線級と同じだがより高い照準能力と攻撃力を備え、さらに突撃砲に対する防御力まで備えている。どちらも戦場では最優先撃破対象だ」

 教官が示した画像には全長3メートルほどで緑色の体躯で2つの大きな目を持った光線級の姿と、その五倍の体躯と大きな単眼を持ったピンク色の重光線級の姿が映し出されている。ぶよぶよとした質感と二本の人間らしき足は生徒達に生理的嫌悪感を高める効果をもたらしていた。

要塞フォート級は今まで人類が観測した中でも最大のBETAだ。巨体ゆえのタフネス、自由自在に振り回し溶解液を送り込む尾角、そして何よりも体内に小型種を格納していることがあるのが厄介だ」

 ハチのような胴体にパイルの様な10本の足を持った要塞級。全高は66メートルと下手なビルよりも巨大だ。

(でかい……まさか宇宙革命軍の砲撃MAグランディーネより巨大な生物がいるなんて)

 MSに乗って宇宙革命軍と戦い続けてきたユーリーにとって宇宙は身近な場所だったが、彼のいた世界では地球以外に生命体は確認されていない。
 今まで習った歴史などから薄々違和感を感じていたが、この写真を見てようやくここは自分の元いた地球とは違う世界なのだと確信した。

「次は小型種。我が祖国がヴォールクでした個体の中で歩兵の兵器でも有効打を与えることができるBETAのことだ。まずは兵士《ソルジャー》級。全8種中最小のBETAで人間を遥かに超えた腕力がある。そして闘士《ウォーリアー》級、こちらも対人BETAだな。挙動が俊敏で像の鼻のような器官は三トン近い牽引力を持っていることが判明している」

 闘士級はまるで赤く光る蝿のような複眼を持った二本足の象《ぞう》のような姿をしている。兵士級は上半身は人間に近いシルエットをしているが肥大した下半身と6本の足がやはり異星起源種というべきか。
 教官は全員がここまでの5体の資料を見たことを確認するとそれらを脇に押しやって残る3体の資料だけを真ん中に置いた。

「さて、これで5種のBETAを同志諸君に紹介したことになるが、これらのBETAにはある共通点がある。それはこれら5種類のBETAはハイヴ内には存在しない、もしくは存在しても脅威にならないということだ。詳しく言えばまず要塞級はハイヴ内での観測事例が無い。光線級2種はハイヴ内では生体レーザーを使わないし、兵士級と闘士級は戦術機に対して有効な攻撃手段を持っていない。君達の使命は戦術機によるハイヴ突入であるからして脅威となるのは残りの3種となる」

 教官が再び資料を指す。そこには皺くちゃの人面を尾に持ったサソリのようなBETAや紫斑のついた甲殻を背負った犀のようなBETA、4つ足の真っ赤な体躯に人型の腕大きな口が胸元にあいた三種類のBETAの姿があった。

要撃グラップラー級。BETA戦力の中核を成す個体であり、主に2対の前腕を武器にして格闘戦を挑んでくる。BETAの中でも特に動作が俊敏で生命力が高い。特にこの前腕はダイヤモンドより硬く強靭で現在我々人類が製造できるあらゆる材質よりも優れた攻防自在の武器であることを覚えておけ。
 次は突撃デストロイヤー級。先の要撃級以上の硬度を持つ甲殻と衝角を備えておりその突進速度を生かした衝角突撃戦術をとってくる。外でならいざしらず狭いハイヴ内では脅威度がぐんと高くなる。
 戦車タンク級は小型種ではあるものの数が多くその口部は戦術機の装甲すら噛み砕くほど強力だ。こいつは多くいるBETAの中でも最も多くの衛士えいしを喰ってきたBETAだ。決して対処を怠らないように。怠った奴は……こうなる」

「うっ……!」

 教官が戦車級の資料をめくり今まで見えなかったもう一枚の写真を取り出す。
 そこには何匹もの戦車級にたかられながらも必死に手を伸ばしてもがく戦術機の姿。それは人を模して作られたゆえに、中にいる衛士の生々しい断末魔をそのまま伝えていた。

(対処だと……ふざけるなよ! こんなのが数千数万もひしめく場所に送り込んで、何をどう対処しろっていうんだ!)

 MS同士での戦場ならまだいい。
 殺し合いに違いはないが少なくとも相手とは鍛え上げた技量と信念をぶつけ合って死んでいける。それは戦士としての死であり、尊厳のある死だ。
 しかし

(けどこれは違う! 俺もリューもこんな風に化け物に食われて死ぬのも、実験動物として死ぬのも嫌だ……)

 ユーリー達第五世代ビャーチェノワの人工ESP発現体はオルタネイティブ3の技術責任者にして東側の生物学第一人者であるセルゲイ・ラフマニノフ教授によって600体が"生産"されたが、未熟な遺伝子技術で作られた彼らの中から無事に人工子宮から出られたのはたったの半分でしかなかった。その300人ですら生まれて1年以内に74人が病死し、3歳から行われたESP開発実験や投薬の"事故"によって既に50人以上が命を落としている。
 オルタネイティブ3での人工ESP発現体の損耗率は衛士の戦場での死傷率よりもずっと高いのだ。

「では最後にBETAの巣にして前進基地であるハイヴの説明に……ん?」

――ィィィィィィィィン!!

 教官が資料を外し次の説明に移ろうとしたところで教室の外から甲高い金属音が聞こえてきた。最初は微かでほとんど耳鳴りのようだった音は徐々に大きく、教室全体に響くほどになる。
 金属音が最高潮に達し、なんだなんだと教室が騒がしくなり始めた頃ドンと一際大きな音がして教室が揺れた。

「キャア!」

「何だ!? BETAか!?」

「ば、爆撃!? 逃げなきゃ死んじまうぞ!」

 ビャーチェノワの一人がパニックを起こして外へと走り出す。
 パニックは人工ESP発現体に備わった能力――感情を読み取るリーディング能力によって教官が止める間もなく拡大していき、窓から逃げようとする者、机にしがみつく者など各々がバラバラの退避行動を選択していた。

――リーディング能力を持つ者は相手の感情を色として思考をイメージとして捉えることができる。
 ESPで得た情報というのは言語や視覚による情報と違い脳や精神に直接影響を及ぼすため傍目で見ている以上に影響を受けやすい。遺伝子調整のおかげで高い知能指数を持っているとはいえ彼らはまだ5歳児。ようやく知性や論理的思考を持ち始めた年齢であり、不意の事態に直面して冷静でいられるほど精神は育ってはいなかった。

 大混乱に陥ったビャーチェノワの中で冷静だったのは唯二人、実際の精神年齢が20を越えているユーリーとその隣に座っていた少女リュドミラのみ。

「……ってリューは平気なのか?」

 前世での従軍経験という特殊な経験を持つ自分はともかく、ただの五歳児であるはずのリュドミラが平然としているのはユーリーにはかなり不思議だった。

「平気だよ。だって敵の攻撃じゃないんでしょう? ユーリー」

 長い銀髪を揺らし鈴の転がしたような声で答えるリュドミラ。

「よくわかったな……多分さっきのは飛行機かシャトルが不時着してきた音だ。ほら、今は放水の音が聞こえるだろう? あれはエンジンの火災を消しているんだよ。きっとこの周辺でソ連か国連の機体にトラブルが起きてこの基地の滑走路に誘導されたんだと思う」

「ふーん。ユーリーは物知りね」

 リュドミラはふむふむと頷き大変感心している様子だった。

「物知りねって……やっぱり知らなかったのか。お前も皆の"色"が見えてるんだろう? 怖くないのか?」

 ちなみにユーリーはESPとしてではなく別の能力で相手の精神に触れているせいか、他のビャーチェノワのように色やイメージで相手の心を捉えるというのはすこぶる苦手である。

「うん、怖くないよ。教室中に警戒の黄、興奮の赤、恐怖の黒がぐちゃぐちゃに混ざってちょっと気持ち悪いけど……でも、ユーリーを見てたら平気。あなたはクリーム色でほとんど落ち着いているもの」

「俺の感情はリーディングじゃかなり見辛いはずなんだがな」

「わかるよ、だって私は「落ち着けぇ! 落ち着かんか貴様らぁぁ!! これは敵襲ではない! 席に着け! 命令があるまで動くな!」

 混沌としていく教室の様子にさすがにまずいと思ったのか、教官はその大音声でもって全員に呼びかけた。このあたりはさすが軍人。力強い声に不安を取り除かれて徐々に子供達に冷静さが戻っていく。

 全員が再び席に戻ったことを確認した教官は教室備え付けの内線電話をとってどこかへ電話をかけた。

「こちらカテゴリファイブワン……はい、若干の混乱がありましたが今は……はい、それで原因は…………そうですか特務部隊のMiG-27が……はい、
了解致しました」

 教官は電話の相手から何かの命令を受け取ると静かに電話を切りこちらへ向き直った。

「管制室から情報が降りた。基地機能に問題無し。だが念のために私は現状の確認を取ってくる。カテゴリファイブワンはこのまま教室で待機するように」

 それだけ言うと教官はサッと身を翻して教室を出ていく。
 パニックから立ち直ったばかりなのに突然放り出され、再びビャーチェノワ達はざわざわと騒ぎ始めた。

(子供に与える情報は無いってことか……)

 当たり前のようにかけられる情報規制に呆れかえる。が、それでもある程度の事情を察することができた。

(さっきの教官の会話から察するに、エリート特務部隊の隊員サマが乗った最新戦術機が故障か撃墜されてここに不時着したって所かな。ハハッ、そりゃあ確かに教育上良くない話だな)

 戦線悪化、異民族搾取、内部闘争、経済不振。外国に住んでいる人間なら誰でも知っているがソビエト連邦をとりまく状況は最悪だ。今は戦時体制下で情報規制を敷いていることでなんとか国家としての体面を保っているが、もし今日の事で疑念を抱いた人工ESP発現体が将来ここで――ソ連国内の国連軍基地という政治的に微妙な場所で反乱でも起こせばどうなるだろうか。

(まあ十中八九鎮圧されるだろうけど、政府は深刻なダメージを受けるだろうな。俺の世界の歴史通りのソ連崩壊が見れるかもしれない)

「ククク……」

「……ユーリー、今度は真っ黒ね」

 リュドミラの指摘も耳に入らない。黒い笑いを漏らしながらソ連崩壊の日を思い描いていると窓の外に大型の輸送車両が通りかかるのが見えた。
 カラーは濃緑、軍用の重機の中でも負荷40tを誇る超大型の油圧シリンダーと全長20mの多目的担架を持ったその車両は兵士から蝸牛ウリートカの愛称で呼ばれるソ連の自走整備支援担架だ。戦術機の輸送と戦場での簡易整備の役割を負ったその車両はこの国連軍基地でも見かけたことがある。

 なんとなく興味を惹かれたユーリーが身を乗り出して外を見下ろす。そして思わず息を呑んだ。

「あれが、戦術機……!」

 眼下に見えたのはウリートカの背に横たわる炭素素材を纏った鋼鉄の巨人。所々に消化剤の泡が残ったまま左腰のエンジンと左腕がグシャグシャに潰れているが紛れも無い人型の機動兵器、戦術機アリゲートルの姿がそこにはあった。

――MiG-27 アリゲートル
 ソ連初の純国産戦術機にして第一世代戦術機の域を脱することはできなっかったMiG-23チボラシュカの発展強化型にあたる本機は跳躍ユニットの可変機構などのチボラシュカ独自の技術を残しつつ弱点であった前線での整備性や稼働率に加えて、機動性、運動性を向上させた第二世代機である。MiG-23との外見上の差異は殆どないが機体を構成するパーツの9割を再設計によって頭部ワイヤーカッターは小型化され、また、通信や探知識別能力の向上のため、センサーマストは大型化されている。ナイフシースも大型化され、刃渡りの長いマチェットタイプの近接戦用短刀が納められているなど、同時期に発表された米軍のF-14 トムキャットやF-15C イーグルに比べて明らかに接近戦を意識した設計となっていた。



「バーニア……いや跳躍ユニットは腰についているのか。AMBACではなく空力くうりきで機動を制御するんだな」

 元MSモビルスーツパイロットとして無意識の内にMSとの差異を探してしまうユーリーであった。

――そもそも戦術機とMSはその発生目的からして違う。
 MSは宇宙空間で有視界距離で敵兵器に対して白兵戦を行うのが主な役割であり、その設計には機動力のほかに音速を超える速度で飛来するデブリや大口径の実弾兵器に耐えられる防御力と戦艦や敵MSを撃墜するための火力が求められていた。
 逆に戦術機は光線級によって駆逐された航空機が陸戦のために進化した兵器であり、求められるのは低空での運動性能とBETAの物量に対抗するための継続戦闘能力だ。
 そのためMSに比べて装甲は薄くて軽く、火力は兵器としては小口径の36mm弾と近接専用のナイフや長刀などが装備の主流になっていた。

「……剛性は低そうだからあんまり蹴ったり殴ったりはできないな。でもあの小口径のマシンガンなら至近射撃でも……」

「ねえ、ユーリー?」

「ん?」

 窓から食い入るように戦術機を眺めていたユーリーにリュドミラが声をかける。彼女のニコニコとした笑顔がなんとも眩しくてユーリーは思わず目を細めた。

「ユーリーがそんなに楽しそうにしているの私初めて見た。ロボットを見て喜ぶなんて、やっぱり男の子なんだね」

「リューッ!?」

 戦術機を見ていつもの子供のフリから完全に素の自分に戻っていたため、不意を突かれたユーリーはうろたえて叫んだ。

「いい加減俺を子供扱いするのはやめてくれよ! 俺達、同い年なんだぜ?」

 勿論、肉体はともかく精神的には18歳分の年齢差があるはずだ。
 だがユーリーはリュドミラと話していると彼女からいつも年下のように扱われる事に困惑していた。
 外見はともかくユーリーは立派な大人である。それを感じ取ってか他のどのビャーチェノワも彼に近づこうともしない。そもそもこれだけ感情豊かで人間らしい・・・・・人工ESPをユーリーは彼女の他に知らなかった。

「いいじゃない。だって私達二人は同じ人工子宮で育った双子で、私はあなたのお姉さんなんだよ」

 ユーリーの精一杯の主張にも関わらず、リュドミラはクスクスと笑いながら彼の提案を却下した。


***同日 同基地 基地司令室***

 ハバロフスクの国連軍基地司令室は常に清潔に保たれていた。床には塵一つ無く、デスクの上には最小限の書類しか置いていない。観葉植物は常に手入れされ艶々とした葉を茂らせていたし、この部屋の主もまた身だしなみに一部の隙も有り得ない。
 伝令の兵士達は報告に来る度に見せられる変わらぬ部屋と司令官の様子にこの部屋の時間は止まっているのではと噂するほどであった。

「ガスパロフ司令、不時着したMiG-27の収容が完了いたしました! 機体は中破、左翼跳躍ユニットから火災があったものの防災班によってすぐに消し止められました!」

「よろしい。搭乗していた衛士の容態は?」

「骨折が数箇所に見られますが命に別状はありません。ただ少なくとも2ヶ月は戦線復帰は難しいでしょう」

「そうか……衛士の受け入れの手続きは私がやっておく。君は下がってくれ」

「はっ! 失礼します!」

 報告を終えた兵士が司令室から出て行くのを確認したヴィクトール・ガスパロフは溜息を吐きながら革張りの椅子にもたれこんだ。

「まさしく大事件だな」

 彼には基地司令として国連軍のオルタネイティブ計画監査として、そして共産党の党員として三重の責務が圧し掛かっている。3つの組織は時にはそれぞれの利害が相反する事もあり、ヴィクトールはその度にもう若くない体で利害の調整のためにアチコチを駆け回らなければならない。

 ふと、彼はもう一人連絡せねばならない相手を思い出して電話を取ると短縮番号を押してある人物の部屋に電話を繋げた。

『もしもし』

「ラフマニノフ教授、私だ。先程の不時着騒ぎの事は知っているな?」

『これは司令殿。勿論じゃ。もっとも助手が人づてに聞いてきただけなので今ひとつ状況は掴めんのじゃが』

 電話の向こうのセルゲイ・ラフマニノフ教授は僅かに声を固くして答えた。
 教授にとってヴィクトール・ガスパロフ基地司令という男はオルタネイティブ計画遂行のための頼れるパートナーであり、ソビエトと国連から派遣された警戒すべき監視役でもある。

「戦線の偵察に出していたA-01の小隊が任務中に光線級にやられた。三機は撃墜、味方機の影になっていた一機だけが辛うじて帰ってきたようだ」

『なんと……! もうそこまで戦線が近づいていると?』

「ああ、党は戦況の悪化を隠していたようだ。この基地はすでに光線級の射程から大して離れていない立派な前線基地になってしまっていたというわけさ」

『では、わしらいよいよもアラスカへ……?』

「そうだ。情勢は極めて厳しいものと判断される。4個連隊あったオルタネイティブ直属特務部隊A-01はすでに半分まで壊滅。補充を要請しても党が送ってくるのは実戦経験の無いロシア人の士官ばかりだ。もはやハバロフスクに残ってBETAのデータを取りながらなどと言っている暇はない。我々は来年中にタルキートナの基地に移る」

『あそこはまだ建設中ではなかったか? それに人工子宮の完全移設は一年では無理じゃ!』

「そうだが居住スペースとインフラは既に完成しているので人員の移設自体に問題は無い。そして人工子宮についてだが……恐らく必要無くなる。オルタネイティブ計画の総司令部では人工ESP発現体によるハイヴに突入作戦が無謀だという意見が増えつつあるのだ。向こうは今生産している第六世代シェスチナを人工ESP発現体の最終ロットにするつもりらしい」

『な、なんという冒涜じゃ! ハイヴ突入作戦が無謀なのは我々のせいではなく現行の戦術機の能力のせいじゃろう!?』

 "最終"という言葉にラフマニノフ教授が大いに動揺して言葉を乱す。人工ESP発現体の生産を止めるということ、それはオルタネイティブ3計画が見切られることと同義であるからだ。

 一方ヴィクトールも電話の向こうから響く怒声にも一切顔色を変えなかった。この程度の恫喝で怯むようでは人類を救う計画の監査役など勤まるわけが無い。

「君の言い分もわかる。だがそもそも我々が国連に計画として提出していたのはハイヴ外からのリーディング及びプロジェクション能力によるBETAとの意思疎通だったはずだ。それを計画実行を予定していた第四世代のESPの有効範囲が予定を大きく割り込んだからといって、戦術機適正を付加した第五世代ビャーチェノワを作るなどという遠回りをするのでは他所から見れば計画は半分頓挫しているように見えても仕方が無い。人類は未だハイヴを制したことがないのだからな」

『ぐむむむむ……』

 オルタネイティブ第3計画発動後から現在まで、ESP発現体を製造する技術は着実に進歩していると言える。
 かき集めただけの第一世代から血統交配による第二世代へ、第二世代から遺伝子操作を行った第三世代、投薬で能力調整を行う第四世代、戦闘力を付加した第五世代、そして高度な催眠教育と選抜を行って飛躍的にESP能力を向上させた第六世代。
 そのどれもが最新技術と多額の投資による人類の英知の結晶であると同時にオルタネイティブ計画の中核として期待された能力を発揮できない欠陥品でもあった。しかもここ数年はラフマニノフ教授の研究は行き詰まり、第七世代の概念を作るどころか生物学的に人間にはこれ以上のESP能力の開発は困難なのではないかという推論も出てきている。

「一応、第六世代が戦術機に乗れる年齢になるまでは計画は続行される。だが恐らくチャンスは一度きりだ。そこで何の成果も出せなければ世界は別の可能性を模索し始めるだろう」

『……わかったわい。こちらは第六世代と第五世代の育成と観測機器類の開発に全力を注ぐ。機器類は少なくとも5年あれば戦術機に積めるサイズの物が完成するはずじゃ』

 電話の向こうで老人ががっくりと肩を落とす様子が伝わってくるようだった。
 教授の専門は薬理学や心理学、遺伝子学からESP能力を強化する事であってESP能力を観測したり増幅する装置はオマケの要素が強い。彼の落胆ぶりは押して知るべしといった所だ。

「こちらも期限ギリギリまでは資金面物資面は可能な限り融通してもらえるよう努力しよう。少なくともハイヴ突入作戦には最高の状況で挑みたいからな。……時に教授。例の第五世代の双子のミュータントとやらはどうしている? あなたが名前までつけた人工ESP発現体だ。期待してもいいのだろうか?」

 ヴィクトールは資料に載せられた癖毛の少年と長髪の少女の二人の人工ESP発現体の顔を思い出しながら言った。
 今まで報告書に載せられた断片的な情報でしかこの二人を知らなかったが、オルタネイティブ3がここまで追い詰められている以上、期待できる要素は一つでも欲しい。

『正直なんとも言えん。姉のリュドミラは単なる優秀なESP発現体だということが確定しておる。だが弟のユーリーの方は脳波の質から普段の言動まで全てが我々の想定を逸脱しておるのだ。"まるで宇宙人ベータだ"なんて気の利いたジョークを飛ばす研究員もおるくらいにな』

「いくら突然変異といってもそこまで違う物なのか? たかが子供じゃないか」

『嘘だと思うなら後でビデオを見せてやろう。生まれてこの方ずっと我々の教育を受けているはずの5歳児が共産主義の授業をこっそり鼻で笑っているのを見たときは背筋が冷たくなったわい。IQが規格外なのか……もしかすると奴の能力はバッフワイト素子によるリーディングジャマーの影響を受けないのかもしれん。とにかく、今のところ分かっておるのはあ奴の思考はリーディングでは読めない事。意識下・無意識下のどちらも洗脳や催眠の効果が無い事。リーディング使用の際の作用に他の人工ESP発現体との類似点が無い事。そしてプロジェクション能力の有効範囲に難があることくらいじゃ』

 セルゲイの提示した情報にヴィクトールは息を呑んだ。

「つまり我々のコントロールを一切受け付けない人工ESPであるというわけか? 由々しき事態ではないか。不確定要素、それも特大の不安要素だ。オルタネイティブ計画は勿論、党にとっても脅威になる恐れがある」

 ヴィクトールは無意識の内に国連よりも党を上位に置いた発言をした。

『じゃが能力自体は大変魅力的じゃ。この"もう一つの"ESP能力を解析できればワシらはBETAに対してもう一つアプローチの手段を得ることができる。計画実行のためのまたとない保険になるのじゃぞ。手放せるわけが無い』

「しかし……」

『しかしもかかしもあるか! 例えどんな障害が立ち塞がろうとも、オルタネイティブ3を遂行する以外に人類が生き残る道はありえんのだ。ならばその障害がミュータントだろうと悪魔だろうと関係あるまい。あんたならわかるだろう? かつて自分の国を救うために自分の国を滅ぼしたチェコの英雄ならな』







[32864] 4、「世界最強の人間だ」
Name: 大蒜◆9914af20 ID:86f1a2a8
Date: 2012/05/17 12:55
4、「世界最強の人間だ」~Prologue:Reincarnation~

***1987年 アラスカ州国連軍タルキートナ基地***

 ユーリー達オルタネイティブ3関係者がハバロフスクからこのタルキートナ基地へ来ておよそ10ヶ月が経った。

 アラスカから250キロ南にあるこのタルキートナ基地は世界でも有数の大自然の中に立てられた基地でもある。
 赤松やシダといった針葉樹の生い茂る森に加えクリスティアンセン湖、タルキートナ湖に冬には氷河にもなる幾筋もの河川とこれだけでもアメリカ合衆国が制定している国立公園の中でも抜きん出た物を持っているタルキートナだが、この土地を訪れた人間はまず何よりも北米大陸最高峰であるデナリ山に度肝を抜かれる事になる。
 デナリ山の標高は6194m。エベレストの標高より2700mも低いが、エベレストがチベット高原から3700m程度の比高であるのに対して、デナリ山はふもとの平地の標高は600m程度であり、そこからの比高は5500mに達する。要するにこの山こそが"世界で一番大きく見える山"というわけだ。
 最大にして雄大。BETA侵攻によって滅亡しつつあるこの世界でこの極寒の霊峰に山岳信仰を呼び覚まされる人は少なくない。

――だが世界に残った最後の楽園にしてソ連の威信を背負った基地があるこの地、タルキートナはすでにロシアではない。

 BETAの侵攻の激化によって自国領内に6つものハイヴを抱え、ユーラシアの領土を維持することが難しくなったソビエト連邦政府がそのプライドや主義主張を投げ打って宿敵であったアメリカから借りた租借地である。
 国連の上級官僚はこの20世紀の"民族大移動"によって、オルタネイティブ計画の本拠地がロシア西部ノヴォシビルスク基地からハバロフスク基地、ハバロフスク基地からタルキートナ基地へと実に11000キロメートルもの距離を移動した事実を見て"国連の総力であるオルタネイティブ計画の後退距離はそのまま人類の衰退を表している"と評したほどだった。

 そのタルキートナ基地の滑走路に一台の輸送機が着陸した。

――イリューシン Il-76改

 全長46メートル、最大貨物搭載量47000kg、翼面積300平方メートル。
 1971年に開発された本機は輸送機としての速度・高度の国際記録を数多持つソ連の傑作輸送ジェット機である。光線級属種の発生や戦術機の配備、そのうえ近年開発されたアントノフ225 ムリーヤに性能面で圧倒的に劣勢であるおかげで厳しい立場にあるものの、米国にすら購入された実績を誇り、また既に多数生産されて信頼性の高いイリューシンを戦術機やその他大型兵器の航空移送のために改造することでソ連は需要を確保した。

 この鋼の鳥が本国のロシアからこのタルキートナへと運んできたのは一体の戦術機。いや、正確に言えばこの戦術機を操るたった一人を運ぶためにこの機体は極北のベーリング海を越えてきたのだ。

 機体に設置されたタラップが展開され気密扉が開かれる。すぐさま誘導係、整備兵等この滑走路にいた全ての兵士が集まって半円状に立ち並んだ。

「全員整列っ!!」

 イリューシンから降りてきたのは巨大な熊……ではなくソ連陸軍の軍服に身を包んだモヒカンの男性軍人。
 軍用の頑丈なタラップをすら軋ませる巨躯《きょく》に手の甲から覗くほど濃い体毛と髭、巨大な体から生えた腕や足は筋肉でパンパンに張り詰めて今にも軍服の布地を張り裂きそうになっている。
 誰がどう見てもデスクワークや後方の任務とは無縁そうな存在だ。かといって前線の歩兵であってもここまで体を鍛える人間はそうはいない。それほどまでに彼の様相は野生的に過ぎていた。むしろシベリアの山奥で熊相手に戦っている格闘家か裏世界のレスラーと言ってくれた方が幾分信憑性がある。
 ただしこの男の胸に付けられた勲章の数は凄まじい。陸・海・空・武勲・戦傷・名誉など種類を問わないそれはこの男が身体能力だけではなく優秀な軍人に必要とされる知識や決断力を兼ね備えていることを周囲に知らしめていた。

「ヴォールクの英雄である大佐殿に敬礼!!」

 緊張を孕んだ上官の掛け声に合わせて全員が一斉に敬礼を向ける。
 百近い人数から敬礼を受けたこの男だが怯む様子も無く敬礼を返した。

「国連軍の諸君、出迎えありがとう。この基地で将来有望な志願兵達・・・・・・・・・の教官兼彼らが所属するであろう連隊指揮官として出向してきた。ソビエト連邦陸軍に所属する身だが今回の任務を通して、国際社会に奉仕し、日夜BETAという共通の敵に立ち向かい続ける諸君の一助になりたいと思っている。これからよろしく頼む」

 大佐の声は見た目通り野太くそして大きかった。マイクなど無く、背後にイリューシンの4発のジェットエンジンが唸りを上げているにも関わらず周囲の全ての人間の耳に届くほどに。
 だがその場にいた国連軍兵士達の反応は上場だった。ワッと歓声と拍手が巻き起こる。
 悪名高きソビエト連邦の軍人――しかもあの・・有名な大佐ともなればもっと厳しい人間を想像していた兵士達だが(実際に本人を見て更に悪いほうに想像していた)思ったよりも低い物腰であったので大変に好感が持てたのだ。

 大佐に次いでイリューシンからは彼の副官らしきロシア人男性と中年のアジア系男性が降りてくる。
 その二人が脇に大きなトランクケースを抱えているのを見て、案内係に任命されていた伍長が慌てて前に進み出たが大佐はやはり比較的長身の伍長と比べてもさらに大きく、目を合わせるため伍長は3歩ほど離れなければならかった。

「宿舎までご案内いたします大佐!」
 
「よろしく頼むぞ伍長! ところで今日はヴィクトールはいないのか?」

 伍長は大佐が誰の事を尋ねているのかわからず僅かに戸惑ったが、すぐに目の前の人物がこの基地の基地司令と旧知の仲であることを思い出した。

「は、はい! 今日はセラウィクで全連邦党大会があるので大佐の出迎えはできないと承っております!」

「そうか……ふん、国連軍に入ってもせこせこ党に根回しとはヴィクトールの奴。チェコの英雄ともあろう人物が随分とつまらん人間になったものだな」

 吐き捨てるように大男は言った。だが彼の言葉の後半は殆ど呟くような声だったため伍長の耳に入ることは無い。

「伍長、予定変更だ。自分に案内はいらない。君は後ろのトルストイ中尉とモリ大尉を宿舎まで連れて行きたまえ。イワン、ケン。お前達は先に行って荷物を置いてこい」

「ハッ!」「了解しました!」

「え、ええ?」

 躊躇無く返事を返す副官二人に対して伍長は困惑気味だった。
 何しろ彼に基地内を案内するというのは彼が基地司令から直接受け取った命令なのだ。それにソ連軍人である彼を国連軍の基地で自由に歩き回らせるのは機密上非常に良くない。
 彼は8階級差という伍長風情にとっては神にも等しい人物に精一杯の勇気を振り絞って質問を返した。

「あ、あの大佐はどちらへ……?」

「野外演習場だ。ああ、そこまでの案内も必要ない。場所は分かっている。着陸前に輸送機から見えていた」

「野外演習場!? だ、駄目ですよ大佐。あそこは今は立ち入り禁止です! Aクラス以上のセキュリティ権限を持った人間でなければ近づいただけで憲兵に銃殺されてしまう!」

 思わず声が裏返る。
 伍長の記憶が正しければここタルキートナ基地の野外演習場は本日一杯オルタネイティヴ計画直轄の部署が貸切にしていたはずだ。
 彼自身がオルタネィティヴ計画に参加しているわけではないがその悪名と機密レベルの高さは上官から嫌というほど聞かされている。ホスト国家の軍人とはいえ国連軍所属でない人間、それも赴任してきたばかりでは問答無用で殺されてしまうだろう。
 だがザンギエフは伍長の忠告を特に気にした様子も無く飄々と答えた。
 
「問題無い、権限はあるし、自分がこれから教えるかもしれない子供たちを見に行くだけだ。それにだな伍長、」

 大佐がその巨大な体を屈めて自分と目線を合わせる。
 たったそれだけのことだが、伍長にはアサルトライフルに狙われるよりも恐ろしい事のように思えてブルブルと体が震えだす。

「銃でしか戦えない人間にこの鋼の肉体を持つオレを倒せるわけがない。そうだろう?」


***

 一方その頃、野外演習場には模擬戦用のゴム製ナイフを振るっている集団がいた。
 数は40人といったところか。年の頃は皆幼い。普通なら軍事訓練どころか小学校《ミドルスクール》に通っていてもおかしくないような年齢である。
 だが現実にその訓練に参加している者は男女を問わず全員がある程度の技量を持ってナイフをふるっており、この場は立派な軍事訓練場の体を成していた。

「どうしたリュー!? お前の優等生ぶりは座学だけか?」

「う~~~!! ユーリー! 男の子なんだからもう少し手加減してよ!」

「ヘヘッ、そりゃゴメンだな。これでお前を倒せば俺のカテゴリファイブワンでの全勝記録は達成されるんだ」

 双子や他のビャーチェノワ達は皆二人一組で体を開くオープンスタンスでナイフを構えて向き合っている。その全員が黒いタンクトップにミリタリーパンツを着ていて、その服や肌の所々にはゴムが擦れた黒い線と泥がついている所まで一緒だ。リュドミラも同じ格好をして辛うじて許されるおしゃれとして長い銀髪に赤い飾り紐をつけていたが、それもいまや汗や泥汚れで見るも無残な姿になっている。

 だがしかし、一人だけその中で唯一ユーリーにだけは泥も黒い擦過傷も無い。
 彼は大人気なくも前世の経験や格闘技をフル活用して他のビャーチェノワの子供たちを圧倒していた。

「ふんふんふんふ~~ん♪」

 ユーリーは余裕綽々といった様子でステップを踏みリュドミラの周りをグルグルと大きく円を描くように周りはじめる。
 ペースを握られることを恐れたリュドミラはユーリーの足が地を離れた瞬間を見計らってその喉元にナイフを突きつける。

「せいっ!」

 可愛らしい掛け声とは裏腹に大人顔負けの鋭さをもった突きがユーリーに繰り出された。
 渾身の一撃。だが彼はそれを首を傾けるだけでかわし、逆に突き出された腕を取って動きを封じる。
 リュドミラの腕を引き戻そうとする動きにユーリーが逆らわずに押し出すと、リュドミラがたたらを踏んで体勢を崩したところに腹に横一線。

あつっ!!」

「はい、オシマイっと」

 ゴムの摩擦が生み出す熱にたまらずリュドミラがナイフを取り落としほぼ一方的な攻防のみで訓練は終了となった。

「ふっ、話にならんな」

「う~~~~っ」

 格好つけて髪をかきあげながら、一度血振りをするように大きくナイフを振ってから鞘にしまうユーリー。もちろん意味は無い。

 その間リュドミラはペタンと座り込んで、深い海のような瞳をウルウルと潤ませながらタンクトップをめくりあげ己の怪我を確認していた。

「ひどいよ~ユーリー……。お姉ちゃんのお腹に火傷の跡が残ったらどうしてくれるの?」

 タンクトップをめくりあげ子供っぽい腹と小さなへそを晒しながらリュドミラが言った。
 その白い肌には確かに赤い線が腫れとなって膨らんでいた。

「あらら蚯蚓腫みみずばれになってら。よし、じゃあ俺が医務室で薬をもらってきてやるよ」

「ええっ!? い、いいの!? ユーリー、なんか今日は優し「なんつっても、今日の担当医はニコライのオッサンじゃなくてミス・フレデリカだからな」

「えっ?」

「丁度いいや。最初はお前の火傷の話から始めるぜ。俺の情熱の愛の言葉で今日こそミス・フレデリカの心に火をつけてやるんだ」

「それ完全に自分の都合だよね!? 私への愛は無いの?」

 遠い目をして医務室の方を眺め、すでに心ここにあらずといった体のユーリーにショックを受けたリュドミラが激しく抗議した。

「八歳児に興味は無い」

「それはフレデリカ先生も同じだと思う……」

 ハァと溜息を吐くリュドミラ。
 彼女と彼女の双子の弟の間ではこんなやり取りは珍しくない。
 相手の女性の名前と口説き文句のフレーズこそ毎回変わるものの、ユーリーは物心ついた時から何かにつけて大人の女性に話しかけて口説き落とそうとする困った習慣があった。
 まだ10にも満たない子供ということもあって大抵の場合は向こうが笑って流してくれるのだが、稀《まれ》に戦場帰りで"溜まっている"衛士や恋人や家族を亡くして自棄を起こした人などがフワフワの巻き毛と空のように澄んだ碧眼を持つユーリーの天使のような容姿にトチ狂って自室に持ち帰ろうとする事件《ケース》が起こる事もあったりするので油断ならない。
 幸いどの事件も基地司令直属の憲兵のおかげで未遂に終わっているが、そのせいでユーリーは基地内で早熟な子供として有名になり彼の双子の姉としてリュドミラの名前も広まる結果となってしまっていた。

「というかいい加減ナンパなんてやめてよ! あなたが女の人に声を掛ける度に私まで恥ずかしい思いをするんだからね!」

「なあに皆最初は恥ずかしいもんさ。でもいいじゃないか。もし俺が成功すればお前に義妹ができることになるんだぞ。年上の義妹なんてなかなかもてるもんじゃない」

「三倍とか四倍も年の離れた義妹なんて嫌だよ……――あれ?」

 溜息と共に弟に愚痴を漏らすリュドミラだったが、ふと気づくと辺りが静まり返っている。

「どうしたのかな?」

「軍曹殿が戻ってきたんじゃないか? ほら、あの人だかり」

 ユーリーがビャーチェノワ達が集まっている方を指差す。目を凝らして見たリュドミラはすぐにその人物が先程離れた格闘教練の教官で無い事に気が付いた。 

 まずその人物はとんでもなく大きかった。成人ばかりの整備兵に囲まれてすら頭二つ分は抜けていた巨体は子供ばかりのビャーチェノワの中にあることで余計に強調され、もはや映画か特撮の撮影風景にしか見えない。
 そしてその特徴的なヘアスタイル。まるで天を突かんばかりのモヒカンを備えた軍人など彼女はこの基地で見た事が無い。

「大きい……! 熊《ミドヴィエチ》、いえ、巨人《チータン》かしら? あれって御伽噺おとぎばなしの生き物なんじゃないの?」

「いや……、そうじゃない。あの髪型は……」

 ユーリーがもっと良く見ようと目を半眼にする。
 聡明なリュドミラですら人外と見紛うほどのモヒカンの巨漢――さきほど滑走路に降り立ったソ連軍の大佐がそこにいた。

 その襟に輝く階級章を確認するとリュドミラは慌てて向き合って直立敬礼の姿勢をとる。
 ビャーチェノワ達はいつのまにか訓練を止めて演習場に入ってきた人物の方へと集合していたが、逆にその人物は唯一自分に注意を向けなかったユーリーとリュドミラの方を見ていたのだ。

「ほう! 随分と気の抜けた奴がいたものだな! 訓練中にお喋りとは……それともこれは余裕の現れか?」

「申し訳ありません大佐殿!」

 リュドミラは脊髄反射的にそう答えた。

――軍隊において階級は絶対。

 リュドミラ達人工ESP発現体第五世代は全員、生まれたときから軍属である事を叩き込まれている。なぜなら彼らの命は国連と党政府によって生産された"備品"であり来るべきハイヴ突入によるBETAとの対話のために消費されるべき"兵器"なのだから。
 備品や兵器に人格はいらない。
 兵器に必要な知能とは即ち、命令に従う。規律は守る。己を鍛え、敵と戦う。
 実際、生後間もなく始められた英才教育のおかげでアドニー姉弟以外のほぼ全ての子供は命令に従うだけの従順なロボットのように育っていた。

 そうリュドミラともう一人を除いて。

「後者であります、大佐殿!」

「え?」

 声はリュドミラの真後ろから聞こえた。

(ユーリー!? 何を?)

「自分は彼ら39人と戦って無傷で勝ちました。既にこの訓練に意味はありません!」

「ほう。貴様、名を名乗れ。どこの阿呆か聞いてやろう」

 敬礼したままとんでもないことを言ってのけるユーリーを見て、コメカミを引き攣らせ歯を剥き出しにした巨漢がリュドミラのすぐ側を通り過ぎた。

 士官教育を受けた人間はこういう時に部下に舐められてはいけないという事を知っている。軍隊とは完全な縦社会。だからこそ階級を力で超えようとする輩は徹底的に叩いて恐怖を覚えこませる必要があるのだ。
 大佐の怒り顔は大人どころかどんなに肝の据わった軍人でも泣いて許しを請う様な物だが、ユーリーは敬礼したまま涼しい顔を崩すことはなかった。

「ユーリー・アドニー・ビャーチェノワであります! 階級・所属はまだありません!」

「なるほど。正規兵でも訓練兵でもないから訓練をサボってもいいと考えたということか?」

「いいえ、自分以上に強い人間がいないと考えたからです! ……ただもし今すぐ目の前に自分に釣り合う程の訓練相手が――例えば大佐殿のような方が現れてくれれば私の訓練にも張り合いが出てくるのでしょうが」

「「「――――ッ!!?」」」

 にやりと小馬鹿にしたようにユーリーは笑い、ピキッと音を立てて二人の間の空間に亀裂が走る。
 自分達の理解を超えた光景にビャーチェノワ達は凍りつき、ユーリーの発言にリュドミラは危うく卒倒しかけた。

「………………正気か?」

 大佐の表情は先程と打って変わって能面のようになっている。彼の冷静な軍人としての部分がこの子供の挑発の意味を嗅ぎ取ろうとしていた。

「自分が正気かどうかは一人では証明できません、サー!」

誤魔化ごまかしはいい。オレには本音で喋れ。目的は何だ? 自殺志願者なのか?」

 齢8歳。こんな子供が歴戦の大男に挑んでいる。それはどこの世界でも信じられない光景。
 この巨漢の身長は214cm。対して目の前の子供の身長は130センチ強、リーチだけでも1メートルは違う計算だ。体重は恐らく5倍近く差があるだろう。体の厚みは倍以上違うし、筋肉のつき方にいたっては次元違いと言ってもいい。比べるべくも無い程二人の身体能力には差がある。
 そしてここまで体格差があれば例え訓練であっても命を失う恐れがあるのは明白だ。

「かしこまりました大佐殿! ……ゴホン、じゃあ熊野郎! お前の筋肉でできた脳みそでもわかるように言ってやるよ! 俺の目的は、お前と戦って、勝つ事だ!」

 だがザンギエフの巨体に、彼の放つ圧力にもユーリーは決して怯まない。
 それどころかさきほどのザンギエフと同じように歯を剥きだしにして獣のように吠え立てた。

「……いいだろう。死んでも後悔するなよ」

 大佐は静かにそう言うと勲章のついた上衣を脱ぎ胸に着けていたホルスターとトカレフを外す。ザワザワと騒ぐビャーチェノワ達の中の一人が放り投げられた軍装をどうすればいいか分からずオタオタと慌てている。
 その隙にリュドミラがユーリーの元に駆け寄ってその胸倉を掴んだ。

「ユーリー! 何を考えているの!?」

「何って……見てたんだろう? 上官に喧嘩を吹っかけたのさ」

 ユーリーは答えたがその目はリュドミラを見ていなかった。彼の意識は既に敵であるザンギエフに向けられている。

「だから! なんでわざわざあんな強そうな人に吹っかけたのかって聞いてるのよ!」

「チャンスだからさ。リュー、お前はあのおっさんが誰か知ってるか?」

「え? そういえばまだ名前は………」

「座学で習っただろう? あのモヒカンは間違えようがない。ヴォールク連隊の生き残り、ソ連の赤きサイクロン、ミハイル・ザンギエフ大佐だ」

「ミハイル・ザンギエフ……?」

 ハッとしてもう一度大佐の方を振り返るリュドミラ。実物は若干年を食ってはいたが確かに写真で見た事がある。

「まさかっ!! 本当にあ、あああああああの、ザザザザザザザザザザンギエフ大佐~~~ッ!!?」

 リュドミラの素っ頓狂な声が演習場全体に響き渡った。

――ミハイル・ザンギエフ。

 彼の名前を知らぬ軍人はソビエト連邦は勿論、アラビアや西側諸国にもいない。
 元々はアマチュア格闘家であり、モスクワ大学を卒業した知識人《インテリゲンチャ》だったザンギエフは20歳でソビエト連邦陸軍に入隊し、そこから人間離れした能力を開花させた。彼が今日まで対BETA戦線で挙げた戦果と授けられた勲章・感謝状は数知れず、10年に一度しか授与されないとされるレーニン勲章、ソ連英雄勲章、国連対BETA勲章に加えなんとお互いに仮想敵国であるはずの米国の大統領からも勲章を授けられた事すらあるという。

 ザンギエフの名前が初めて知られたのは1978年に東欧州で発令された大反攻作戦・パレオロゴス作戦――NATO・ワルシャワ条約機構連合軍400万人という人類史上最大の戦力で持って臨んだソ連領ミンスクのハイヴ攻略作戦である。
 二ヶ月に及ぶ激戦の末、全ヨーロッパの軍隊を囮にして当時22歳で中尉だったザンギエフが所属していたソビエト陸軍第43戦術機甲師団・ヴォールク連隊はついにミンスクハイヴの最奥部である反応炉への到達に成功する。
 だがBETAの圧倒的物量の前に連隊に所属していた突入戦術機部隊27個小隊+戦闘車両240両、機械化歩兵500名、歩兵1800名、工兵2300名の内ハイヴ内から生還したのは30分毎にデータを運び出した衛士14名のみ。
 しかもその14名すらハイヴ攻略を断念後の撤退戦で戦死し、結局生き残ったのはザンギエフただ一人だったのだ。

 作戦失敗の訃報が伝えられる中で衛士達にとって何よりも貴重なハイヴ内の構造データを持ち帰った彼は世界中で英雄となったが、話はそこで終わらなかった。
 なぜなら後日ソ連が公開したザンギエフ大尉の戦闘データには誰も想像すらしなかった物が記録されていたからだ。

 ハイヴ突入から三時間に及ぶ激戦の末、反応炉を制圧したザンギエフは最奥部の反応炉のデータを地上に送り届けるべく連隊長から地上まで単独での帰還を命じられる。
 残り少ない弾薬と推進剤をどうにかやりくりして、門まであと300メートルのところまで到達したザンギエフ。だが地上を目の前にして突如、往路では存在しなかったはず・・・・・・・・・・・・・の横杭からBETAの奇襲に会い乗機であるMiG-21 バラライカが大破する。ペイルアウトし強化外骨格を身に纏うも100メートル進むこともなく闘士級の攻撃を受けて強化外骨格は機能停止してしまう。
 だが彼は諦めなかった。
 戦術機を失い、強化外骨格も、アサルトライフルの弾丸さえも使い切り全くの徒手空拳になったザンギエフはハイヴのデータを収めたメモリを飲み込む・・・・と襲い掛かってきた小型種のBETAをなんとスープレックスで撃破。
 その後もラリアットで、チョップで、キックで。360度あらゆる場所から次々と襲い掛かるBETAを全て生身で退け続けたのだ。
 結局異変に気づいた地上部隊が駆けつけた頃には無数の小型のBETAの死骸と全身に傷を負いながらも不屈の闘志で立ち続けたザンギエフの姿があった。
 
「馬鹿げた話だよな。熊やライオンですら銃無しじゃ倒せない人間がプロレス技だけでBETAを倒しただなんて。でも対BETA戦争での戦果のごまかしや捏造は国連規約で厳重に禁止されている。おそらく真実だ」

「じゃあザンギエフ大佐って……」

「ああ、世界最強の人間だ。……いや、人間かどうかかなり怪しいけど」

 うなづく弟を見てリュドミラは眩暈めまいがして再び倒れそうになった。
 目に入れても痛くない可愛い弟が挑発した相手、それがよりにもよってあのザンギエフ大佐!

「なんてこと……」

「ああ、なんて幸運だろうな。思いもしないチャンスだ」

「チャンス?」

「おいおい、しっかりしろよリュー。これはチャンスだぜ! あれだけ名前の売れている人物だ。ソ連軍どころか絶対に党政府やアメリカ合衆国にもコネがある。そんなスゲー奴をただの子供が挑発して、しかも倒して見せれば日和見主義の国連軍のお偉い方は絶対に関係者を放っておかない。多分社会のゴミが送られるような最前線かどこか一生出て来れないような後方に飛ばされるはずだ。そうなったらもう監視はつかない。簡単に逃げ出せる!」

「え、え~? そうかなぁ……」

 リュドミラは疑わしげだった。
 果たしてそんなにうまくいくだろうか? という懐疑心が表情にありありと浮かんでいる。

「大丈夫だってば。アイツが人外なら俺は新人類《ニュータイプ》だ。絶対に勝てる。問題は俺達二人が同じ場所に飛ばされるかどうかだけど……まあそこの所はどうにかなるだろう」

「……ユーリーはそんなにここがイヤなの?」

 どこか残念そうにリュドミラは言った。
 彼女は自分の弟が以前からこのオルタネィティヴ計画から抜け出したがっていることを知っていた。
 だが少なくともリュドミラはハバロフスクやタルキートナでの生活はそう悪いものではないと思っている。確かにこの幼い身柄には軍事訓練は辛いし、ESP開発カリキュラムの薬剤投与や開発実験は時に激痛を伴うことがあったが、それ以外では一応大事にはされているし人類生存のための希望の星として期待されるのは悪い気分ではない。それにここには大勢の兄弟姉妹達もいる。
 だが生憎ユーリーはそんな感傷など持ち合わせていなかった。

「ああ、ここは最悪だ。反吐が出るね。俺はこんなところでモルモットか特攻兵器になるのなんてゴメンだ。お前は残りたいのか?」

「……ううん、私はユーリーが出て行くなら一緒に行くわ」

 リュドミラ・アドニー・ビャーチェノワにとってユーリーとは自分にかけがえのない"もの"を与えてくれた無二の存在。
 だから彼女にとって双子の弟と一緒にいることは人類の未来よりも兄弟姉妹達よりもずっと大切な事だった。




* 現状、本作品において主人公が生身でBETAと戦う予定はございません。



[32864] 5、「ウゥゥゥーーーラァァァァ!!!」
Name: 大蒜◆9914af20 ID:86f1a2a8
Date: 2012/05/17 12:56
5、「ウゥゥゥーーーラァァァァ!!!」~Prologue:Reincarnation~

 *今話には若干のメタ、もしくはパロディ要素があります。ご留意ください。


**1987年 アラスカ州国連軍タルキートナ基地 野外演習場***

 決意を決めた二人の子供の間を大きな影が遮った。

「作戦会議は終わったか? オレから逃げるなら今のうちだぞ」

「その言葉はそっくりそのまま返ししてやる。逃げるなら今のうちだぜ! 何せ俺のお姉様は今日の熊殺しの記念にお前のダサいモヒカンを持って帰るつもりだからな!」

「何ィ!? キサマ、言うに事欠いてオレのモヒカンを!」

「………………」

 モヒカンなんていらない。
 リュドミラはそう思ったが、それを言うとザンギエフ大佐のプライドをさらに傷つけるような気がしてどうにも言葉に出せなかった。

「俺はいつでもいいぜ。さあこいよ!」

「許さん……!」

 何がそんなに大切なのか。モヒカンのことで大人気なくも挑発に乗ったザンギエフはすぐさま走り寄るとゴムナイフをなぎ払う。恐ろしいことに軍用ナイフを模しそこらの包丁よりずっと大きいはずのゴムナイフですら彼が持つとペーパーナイフ以下に見えてしまう。

「フッ!」

 初撃をヒラリを後ろに飛んでかわしたユーリーは己もナイフを抜き取ってトントンとフットワークを刻み始める。

 その淀み無い動きを見てザンギエフは目を細めた。

 人工ESP発現体には遺伝子的に知能や身体能力にある程度強化が施されている。第五世代であれば身体能力の強化は特に顕著なはずだが、だがあくまでそれはESP能力のオマケであり、軍事・催眠教育と組み合わせて"成人すればオリンピック選手間違い無し"という程度でしかないはずだ。
 だがユーリーが持った技能はそれだけではない。
 彼には前世で3年近く地球連邦軍に在籍していた経験があり、この世界には無い地球連邦軍流の軍隊格闘技《マーシャルアーツ》を修めている。実はMS戦闘の技能こそジャミル・ニートに劣ってはいたが、前世のユーリーは個人格闘から作戦立案、果てはMS整備までなんでも優秀こなせる希少な万能型軍人だったのだ。

 ザンギエフの思考を待ちに入ったと見たユーリーは滑るように巨体の懐に飛び込む。リーチの差から一方的な先制攻撃を取れたはずのザンギエフだがここはあえて懐まで招きいれた。
 そして地上すれすれからザンギエフの胸元までユーリーのゴムナイフが振り上げられる。同じくナイフでそれを受け止めるザンギエフ。
 だがユーリーにとってそこまでは織り込み済みであった。

「せあっ!」

 風を切る音とともに右足が振り上げられると、ユーリーのブーツの爪先がザンギエフの股間にめり込む。
 爪先に確かな手ごたえを感じると今度は続けざまにナイフの柄で筋肉に覆われたわき腹を強打、周囲に肉を打つ音が響く。
 そして離れ際に背を仰け反らせるとバク転しながらのサマーソルトキックでザンギエフの顎を蹴り抜き、そのまま二回転三回転と華麗に繰り返し距離を取ると中指を突き出してガッツポーズをとった。

「玉無しになった気分はどうだ、熊野郎! 訓練だから急所を狙わないとでも思ったか?」

 その圧倒的な戦闘力に周囲のビャーチェノワ達がどよめく。
 たったの一瞬、一度の攻防で彼は屈強な大佐の急所を三つも仕留めたのだ。
 訓練時の動きですら捉えられなかった子供たちは改めてユーリーの突き抜けた強さを実感させられた。

「………………」

 中指を突き立てるユーリーに対してザンギエフ大佐は身動き一つしない。

「おいっ、気絶してるのか!」

「……違うわ。あの人、ユーリーの攻撃を受けても全然動かなかった」

 傍から見ていた分、正確に攻防を把握していたリュドミラが呟く。
 反応したのは最初のナイフの攻撃のみ。それ以外は悶絶どころか身を守ることも避けるようとすらしていない。あの瞬間、ザンギエフはまるで山のように不動だった。

 その静けさにさすがに不審に思ったユーリーが再び動こうとした時、不意にザンギエフが呟いた。

「……見たことの無い動きだ。少なくとも我が祖国や国連軍がカリキュラムで教えている物とは違う」

「――まさか、耐えられるはずがない!」

 ユーリーの声が驚愕に染まる。
 防がれる事を前提としていた最初の一撃はともかく後の三連コンボはスピードも体重の乗りも申し分の無い会心の一撃だったはずだ。特に股間は男の共通にして最大の急所。プロテクターでも入れていれば話は別だが、爪先の感触は確かに二つの玉を捉えている。

「ふん。このオレの鋼の肉体に、お前の子供遊びなど効くわけがないだろう。私がストリートファイトで世界中を回っていた頃は車やレンガブロックを素手で砕くような連中を相手にしていたのだぞ」

「ス、ストリートファイトぉ~?」

「そうだ、オレは世界中の軍人やマフィア、格闘家達と戦ってきた。だが、そんなオレでもお前の使う"軍隊格闘技"は見た事が無い。蹴りは日本《イポーニィ》のコブドーでナイフの扱いはイスラエルのベニタリに似ているが……そもそもどちらの格闘技もほとんど知られていないはずだ」

「げっ」

 ギクリと体を強張らせるユーリー。
 地球連邦軍の制式格闘術は文字通り世界中の格闘技をミックスして作られている。ザンギエフの指摘した通りその中には世界でも有名だった日本のジュージュツやイスラエルのベニ・タリ等も含まれているが、日本のジュージュツが柔道として世界でブームになったのはユーリーの世界で第二次大戦後の冷戦末期、イスラエルのベニ・タリも自国の特殊部隊以外に教えるようなったのは宇宙コロニー建設以降である。
 当然、国連軍基地とはいえこんなアラスカの片田舎に何人も数少ない格闘技経験者がいるわけが無い。

「これは、お……オリジナルさ! 名付けてユーリー式熊殺し!」

「おもしろい。これが終わってもしお前が生きていたら貴様、その格闘術をオレに教えろ」

 ザンギエフがニヤリと笑う。それはまるで新しいおもちゃを見つけた獣のようであった。

「今更条件をつけようってのか? でもいいぜ。その代わり俺が勝ったらお前に一つ仕事をしてもらう!」

 負けた人間は勝った人間に従う。極々単純で子供でも解るルール。
 突然の提示だったがユーリーにとってはまさしく望むところだった。

「ほう、なんだ?」
 
「すぐわかる。なぜなら――」

 "俺が勝つからだ"という言葉を切ったユーリーが再び、ザンギエフの足元目掛けて飛び込む。ただし今度は先程の突撃よりもずっと低く早い。
 身を屈め地を這う蛇のように走るユーリーは腰を極限まで落として走る。彼の目線はザンギエフの膝どころかスネを捉えるほどだった。

――ユーリー・アドニー・ビャーチェノワの体術はザンギエフには通じない。

 一体どんな鍛え方をしているのかは知らないが、筋肉の薄いわき腹も、脳震盪狙いの顎も、それどころか露出した内臓と呼ばれる金的への攻撃すらザンギエフにはダメージが通らなかった。
 まだ眼球は試していないが、さすがに眼球は身長差がありすぎて狙うのは難しいだろう。
 ただの八歳児でしかない今の身には先ほどの三連コンボこそが切り札にして最大攻撃力だったのだ。
 ナイフどころか拳銃ですら効果の怪しいザンギエフ自慢の鋼の肉体、だが今ユーリーの手元には彼を妥当しうる唯一の武器がある。

 それがこの黒い軟質ゴムでできた模擬ナイフ、これならば自分の力不足も相手の恐るべき耐久度も関係ない。ただ斬って相手の皮膚に黒い線を残せばそれで有効と"判定"される。
 ユーリーとしては当初の目的するために体術を絡めてザンギエフを文字通りコテンパンに叩きのめしてやりたかったのだが、勝てば相手に条件を突きつけられるのならもはや遠慮は不要だと判断した。

 人差し指と中指に挟んだナイフが大きく弧を描き大男の足首に迫る。その攻撃はナイフで受けるには余りに低く、蹴りで迎撃するには余りに早すぎた。
 故にザンギエフは

「なッ! どこへ――!?」


――飛んだ。


 直上へ、ユーリーにすら感知させないほど少ない予備動作で跳んでみせた。それが視界の低いユーリーには消えて見えたのだ。

「悪いが下段への攻撃には慣れている。オレを倒したければもっと鍛えるか、ヨガか気功で飛び道具を習得するんだな」

 影を見て、声を聞いて、ザンギエフの巨体が頭上から降ってくる事を察知したユーリーは両手を獣の前足のように使い、その進路を直角に変える。

 殆ど同時にユーリーの顔のすぐ側の地面を二本のブーツの砲撃が抉っていった。

「ぐぅぅぅぅーー!!」

 今の一瞬、ユーリーの判断が少しでも遅れれば、彼の頭は今頃熟れたトマトのように潰されていただろう。
 だがそれは攻撃ではない。
 着地より一拍遅れてザンギエフの拳が鉄槌のように振り下ろされる。
 ユーリーにその拳は見えなかったが、立ち上がろうとしていた彼は脊髄に氷を流し込まれたような感覚を覚え、咄嗟に全身を砂まみれにして転がりながら鉄槌の着弾点から己の体を逃した。

 再びの地面が割れる音と大量の砂埃が舞い上がる。
 衝撃波は離れようとしていたユーリーの体を吹き飛ばし、唯一の勝機であるゴムナイフを彼からもぎ取った。

「ユーリィィィ!!」

 今の攻防の微妙な一瞬を捉え切れなかったリュドミラが己の半身を失う恐怖に耐え切れず叫ぶ。

(――大丈夫だ、リュー! 俺はまだやれる)

 心の中でそう呟く瞬間も彼に油断は無い。砂埃が視界を遮る名から間もなく立ち上がって、ザンギエフをかく乱すべく再び走り始めた。


(けどなんて……なんて奴だ! 本当に人間なのか!?)

 あの巨体で、あの姿勢で、あの高さまでのジャンプなどそうそうできるものではない。
 そもそも自分の攻撃は体格差とスピードを最大限に利用した奇襲攻撃だったのだ。地面すれすれの攻撃は身長2mのザンギエフからすれば限りなく視認しにくいはずだし、ナイフは指で挟むことで限界までリーチを伸ばしていた。一体どれほど戦闘経験を積めばそんな攻撃を察知できるようになるというのか。
 そして何よりもあの馬鹿げた拳の威力!

(冗談じゃない! あんなのもらったら一撃でも死んじまう!)

 どうにかナイフを見つけて立て直さなければ、と考えた矢先に再び直感が働く。
 丸太のように太い足がソバットとして、きわどく身を逸らしたユーリーの喉元をかすめていった。

「今のも見えなかったはずだがな。それがリーディング能力という奴か?」

 冷や汗が噴出す。
 なんとか声が震えないようにユーリーは己を奮い立たせた。

「……はっ! アンタなんかにリーディングはもったいないぜ! けど……そんなに知りたいのなら教えてやる。ESP能力の凄さって奴をさぁ!」

 全ては自由のため。
 残る勇気と知恵を振り絞って三度ユーリーはザンギエフに向かって駆ける。今度は両手をまるで眼前で交差させて正面の守りを固めていた。

「ぬかせ、超能力なんてもので倒せるほどこの鋼の体は甘くはないわ!!」

 だがザンギエフも今度は立ったままではなかった。先ほどと違い十分に身を屈めて今度こそユーリーを仕留めるべく左足を顔面へと繰り出す。
 両手ごと顔を潰す算段のそれをユーリーは地を蹴り両手を振り下ろして、ザンギエフの足に飛び乗る・・・・・・・事で攻撃を回避した。
 
「器用な奴っ!!」

 足首を蹴って太ももへ飛び乗る。左右からザンギエフの両手が迫るが、そこから更に胸板と肩を蹴って空中へと飛ぶことで死地から抜け出すユーリー。
 高度は実に地上から4メートル。先ほどの地面を這う攻撃とは逆に今度は視界は鳥になったかのように広く、見上げるばかりだったザンギエフの巨体全てを収めている。
 だが、彼の目的はザンギエフの攻撃を回避することだけではない。

「そこからどうする気だ!? 膝か、目潰しか? オレには効かんぞ!」

「だったら!」

 体術は効かない。そんなことはわかっている。ユーリは素手では勝てない。
 それは必須条件。"ユーリー・アドニー・ビャーチェノワの勝利にはナイフが必要"

(そのためには……『リュー!! 今だ!!』)

 跳躍しザンギエフの頭上からさにその手を天へと伸ばす。その先には存在しないはずの三本目・・・のゴムナイフがあった。

「なんだと!?」

 ザンギエフの顔が初めて驚愕に染まる。
 この時点で、ユーリーのナイフはザンギエフの遥か後方にある。ユーリーはその事を知らないがザンギエフはそれを確認していた。ザンギエフ自身も己のナイフをしっかりと保持しておりちょっとやそっとの事で奪い取るのは不可能だ。

 そこまで考えた所でザンギエフは己の中にあるESP能力者のもう一つの情報を思い出した。

――プロジェクション能力。それは言葉を交わさなくてもイメージで物事を他者へと伝える異能。

 視線だけを巡らせれば先ほど彼が姉と呼んでいた少女が投擲し終えた姿勢で固まっている。
 この齢にしてなんという戦闘勘か、とザンギエフは心中で唸った。

 もしナイフを持たず無策のまま突っ込んでいたならば、彼はこの後チャンスも無いまま問答無用で肉塊になっていただろう。
 もし最初からナイフを持っていれば自分は警戒し、少しづつダメージを与えながらやはり彼を殺していただろう。
 ザンギエフはその巨体とファイティングスタイルゆえに頭上から攻撃を苦手としている。意図してかは知らないがこの子供はその能力でこの少女に最適なタイミング、最適な形で必殺の武器を供与させることでゼロだった可能性を再び己の側へ引き戻したのだ。

――だが

(惜しい、実に惜しいな)

 若干8歳にしてここまでの能力を持つ少年に詫びる。

 この戦いを終わらせてしまうのが惜しい。
 自分の手の内を全て見せられないのが惜しい。
 そして何より、人類の救世主たり得る子供をこんな所で潰してしまうのが惜しい!

(悪いな。オレは戦士には手を抜かん。それに祖国のために死んでいった者達のために、こんなところで己の名前に土をつけるわけにはいかんのだ!)

――ザンギエフの体を大きくねじられ、右腕が砲丸投げのように大きく引き絞られる。
 ザンギエフが空の敵へ相対する最優の選択肢にして己の代名詞でもある技を放つための前準備だ。

 それとほぼ同時にユーリーの手がナイフに届いた。

――ゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥウウウ

「取った!」

 ユーリーがはっきりとした声でそう叫んだ。

――ビリビリと震える空気と共に両手を大きく広げたザンギエフの体が体幹《たいかん》と軸足《じくあし》を中心に回転を始める。

 ザンギエフが好んで使うのはロシアンプロレスとアメリカンプロレスのミックス。だが少なくともこのような技はどちらの格闘技にも存在しない。いや、存在したとしてもまともに扱える人間がいるわけがない。
 空気を巻き込み粉砕する様子はまさに竜巻。それは世界に一人。ただミハイル・ザンギエフ一人だけが扱える技。

――即ち"ダブルラリアット"


「ウゥゥゥーーーラァァァァ!!!」


 この時点で実はユーリーは勝利を確信していた。
 彼にとってダブルラリアットは未知の技だが、腕を振り回すこの攻撃は少なくとも真上にいるユーリーにとって脅威にはならない。

 ならないはずなのだが――

(な……なんだ!?)

 徐々に、僅かずつユーリーの体が吸い込まれていく・・・・・・・・
 真下に、ではない。地面に対して斜めに。弱点であるはずの頭上から体勢を崩し、外側の必殺の暴風と貸したザンギエフのダブルラリアットに向けて。

(吸い込まれる―――ッ!! そんな出鱈目な! これがザンギエフ大佐……赤きサイクロンだってのか!?)

 逃げられない空中。全く自分の挙動を操作できない。

(だめだ、殺される――ッ!?)

『     』

 迫り来る巨腕《ラリアット》が己に触れる直前、視界が銀色のキラキラしたものでいっぱいになる。

――そして衝撃。

 ガツン・・・! という交通事故そのものの鈍い音とともにユーリーの体は再び大きく吹き飛ばされた。
 土と砂を撒き散らしながらボールのように地面を跳ねて転がる。数度、そして10メートル以上は転がってようやくその勢いは止まる。

「あっ……ぐっ……」

 地に伏せた小さな体躯がブルブルと震えている。指は砂利を掴み足は草土を蹴るばかり。
 立ち上がろうとして、失敗しているのだ。

「ぐ……ううぅ……」

(動ける……? 俺、生きてるのか? でも……なぜ? どうして俺は生きているんだ?)

 生きているはずだ。だが不思議な感覚がある。ユーリーの中には先ほどまであった何かが無い。
 震えながら、今度は確かめるようにゆっくりと身を起こす。出血は無い。感覚もある。五体満足で五感も正常。そして今は四つんばいの状態だが手足の力すら戻りつつある。手酷いダメージだが、あれほどの攻撃を受けたにしては全くの無事といっていい状態。

(無事……なのか? だったら……この感覚はなんだ?)

 フラッシュバックする激突寸前の光景。
 あの瞬間、銀色の何かが・・・……誰かが自分を守ってくれた。

 それは誰か。

 生憎、この世界で自分を守ろうとしてくれる人間などユーリーは一人しか知らない。

「――リ、リュー? どこだ、リュー?」

 声をかける。だがいつもの鈴を転がしたような耳触りの良い声は返ってこない。思えば彼女と過ごした八年間、名前を呼んで答えが無かったことなど一度も無い。

 目に付いた地面の血痕。
 震えながらその跡を追えば、そこには銀の髪を血に濡らした子供が身動きすらせずに倒れていた。

 銀髪碧眼の子供ならばこの演習場には沢山いる。だが一人だけ、その一人だけはユーリーが絶対に見紛うはずがない。

「おい、リュー……ねえさん?」

 地面に臥せっていたのはリュドミラであった。
 長い銀髪は血に濡れて斑《まだら》になり、深い海のような瞳は閉じられて、子供らしい笑顔に溢れていた顔《かんばせ》は今は人形のように生気がない。そして血溜まりは今この瞬間にも広がって彼女を死の底へと飲み込もうとしていた。

「姉さん! 姉さん!!」

(まさか……そんな! こんなはずじゃ……こんなはずじゃなかったのに!!)

「おい、担架だ、担架!」 

「ミス・フレデリカかニコライ先生を呼べ!」

 周囲のビャーチェノワが俄かに慌しくなるがもはやユーリーの耳には雑音のようにしか聞こえない。
 地面を這うようにしながら恐る恐るリュドミラの元へ向かう。

 先ほど以上に体がブルブルと震えだす。

 こんなはずではなかった!

 深い後悔が冷たい氷の刃のようにユーリーに突き刺さる。

 自分は強いはずだ。一人で、何でもできる。
 鍛えた体、知識、そして超常の存在であるニュータイプなのだから。
 前世からずっとそう信じてきた。だからあの大佐に喧嘩を売った。

 どうにかなる・・・・・・きっと勝てるはず・・・・・・・・だったから。

 だが、あの瞬間。
 万策尽きて諦めた瞬間

『(だめだ、殺される――ッ!?)』 

 自分は叫んだのだ。

『助けて!!』

 無意識にプロジェクションを使って、ただの8歳の少女に・・・・・・・・・、助けてくれと叫んだのだ。

(俺は……守ってもらったのか!? 20年以上も生きてたってのに、ニュータイプなのに……こんな小さな子供に助けを求めたのか!!)

 華奢な、たった8歳の彼女の体。自分で壊してしまいそうで彼女に触れるのが恐ろしい。
 だが今触れなければリュドミラはの意識はどこかに溶けたままと二度とこの体に戻らないような気がする。

 彼女を抱き上げ、手に血のぬめりを感じた時、ユーリーの中で何かが切れた。

「姉さん!! 目を開けろよ、姉さぁぁぁぁぁぁぁぁぁん!!」

 リュドミラの肩を揺さぶって目を覚まさせようとするユーリー。

 だがその寸前に太い指に自分の肩を掴まれたユーリーは反射的にナイフを構えリュドミラを庇いながら振り返った。

 背後にいたザンギエフはあくまでも臨戦態勢を崩さないユーリーを見て溜息を吐きながら言った。

「おい、小僧、もういいだろう? 身も口も随分と軽いようだが、キサマの攻撃は俺には通用しない。オレに何をさせたかったかはしらんが、どうせ碌でもない事だろう? そこの娘もお前を守った以上は命を賭けてそんな事をして欲しいとは思っていないはずだ」

「碌でもない事……だと?」

 この時、ザンギエフは一つ思い違いをしていた。ユーリーの願いは単なる子供の我がままではない。
 ユーリーの望みは自由を得ること。それは今生だけではない前世から思い続けてきた悲願でもある。

(自由……俺はなんとしても自由が欲しいんだ!
 好きな所に行って、好きな職業について、好きな女と手を繋いで、好きな死に様を選べる当たり前の自由! 殺し合いも実験台ももう沢山だ。他の奴が当たり前のように持っている物……それが欲しいってそんなにいけないことなのかよ!)

「碌でもない事だと!? …………おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおぉ!!!」

 闘争心に猛る獣の遠吠えのような、それでいて慟哭どうこくそのもののユーリーの咆哮ほうこう

 腹の底からこみ上げてくる熱いマグマのような感情を目の前の男に叩きつける。
 そのマグマは彼の感応《ニュータイプ》能力によって彼の精神のみに留まらず、無明《むみょう》の炎となって周囲にまで広がっていく。

「な、なんだよ、あれ? こ、こんなのって……」

「一番《アジン》の感情……ッ!? 痛い! 目が……!」

 それを見ていたビャーチェノワ達は慄《おのの》いた。

――無明の炎とは感情の発露。
 常人には見えずともリーディング能力によって彼らには今、普段は捉えられないユーリーの感情の色がはっきりと見える。
 ユーリーの嘆きは、怒りは、悲しみは、鬱屈は、叫びは、赤熱《ルゥビーン》を超え青炎《サプフィール》に、青炎から黄輝《トパーズ》へ。
 基地の研究者や人形である自分達に見えるような空間に絵の具で塗りこんだ冷めたこころとは違う。自分達には全く未知である目をく程の熱量をもったユーリーの心の輝きの眩しさに彼らは恐怖した。

「ミハイル・ザンギエフーーーーッ!! もう一度だ!! 今度は戦術機で、もう一度俺と勝負しろ! 赤いサイクロン――ッ!!」

 ユーリーは万能だ。だが決して得意が無いわけではない。
 彼の数多ある才能の中で最も秀でたもの。それが前世で地球連邦軍のエース、ジャミルに次いでガンダムX与えられる程のMSパイロットとしての力だ。

 しかし対するザンギエフもまたユーリーと同じく常人ではない。彼とて鍛え上げた感性と戦闘本能によって目の前の子供から発せられる圧力を感じとっている。
 だがそれを受けてなお、ザンギエフは強大な壁として不動のままユーリーの前に立ち塞がっていた。

「――いいだろう。だがもはや格闘技を教えろなどとぬるい条件はめだ。今度オレが勝てば、キサマは奴隷だ。命も、力も、未来も、キサマの一切をこのレッドサイクロンが貰い受ける」

 ユーリーの気迫の炎をその覇気で押し返すザンギエフ。
 周囲の空気は電気が通ったかのようにピリピリとお互いの肌を焼いていく。
 ザンギエフは己の胸を叩き言った。

「さあ、教えろ! キサマはオレに何を求める!?」

「自由だ! 俺が勝ったら、お前の権力ちからで俺とリュドミラを自由にしろ!」

 強く。動かないリュドミラを強く抱きしめながらユーリーは己の望みを叫んだ。







[32864] 6、「ここに人類の希望を探しに来た」
Name: 大蒜◆9914af20 ID:86f1a2a8
Date: 2012/05/17 12:56
6、「ここに人類の希望を探しに来た」~Prologue:Reincarnation~


***1987年 6月12日 タルキートナ基地 第一戦術機ハンガー 戦術機MiG-27機内***

 いくつもの戦術機が立ち並ぶ格納ハンガー。
 その中の一機、ソ連の第二世代機MiG-21アリゲートルの管制ユニットの中にユーリーはいた。

[歩行・跳躍制御システム スタンバイ]

[間接統計思考制御システム 接続状態…正常]

[可動兵装担架 正常 項目…………CIWS"ストレット"、予備弾倉4]

[K-35-300A、B 推進剤充填率100%]

[着座情報転送]

 鋼の巨人を動かすためのプログラムが刻々と立ち上がっていく。
 次々と流れる見慣れぬ表示の文字列をユーリーは淡々と目で追った。

 予定では第五世代人工ESP発現体が戦術機実習訓練に進むのは一次性徴が終わる12歳になってからだが、通常の訓練兵育成プログラムとは異なりIQが格段に高く、そしていつ計画が前倒しされるかわからない第五世代ビャーチェノワ達は前倒しで戦術機関連の知識だけは教えられている。

 しかしどうせMSと大差ないだろうと高を括って真面目に聞かなかったユーリーにとって初めて座った戦術機の管制ユニットは驚きと困惑の連続だった。 
 システム周りは勿論、起動手順も操縦桿の配置からシートの座り心地まで何もかもがMSとは違う。特に初めて受けたレーザー網膜投射映像は機械に自分の視界を奪われるようで大変気味が悪かった。

『こちらCP(コマンドポスト)トルストイ中尉だ。どうだ? 初めての戦術機、それも工廠から送られてきたばかりのモリ大尉のアリゲートルに乗った感想は』

 視界の隅に新たなウィンドウが表示されそこに映った若い士官がロシア人らしからぬ陽気な声で話しかけてきた。

 今ユーリーが搭乗しているのはザンギエフの副官であるモリ大尉がここタルキートナに赴任するに際して配備された新品のアリゲートルである。別に嫌味や悪意でそうしたわけではなく、戦術機での対戦を受けたザンギエフがユーリーに好きな機体を選ぶように言い、ユーリーは一番状態の良さそうな機体を選んで自然とそうなったのだった。

――ちなみに装備は迎撃後衛(ガン・インターセプター)仕様。これは主腕にA-97突撃砲と多目的追加装甲(シールド)を、背部の兵装担架ユニットにスーパーカーボン製の戦斧(ストレット)と予備弾倉を持たせた遠近両用の万能装備でユーリーは前世で乗っていたGXやドートレスの装備に比較的近いという理由からこれを選んだ。

「……意外と静かだ。ジェット戦闘機の派生兵器だからもっとやかましいのを想像していた」

 ユーリーの声に先程までの激しさは無い。
 今は戦う時。特に先程リュドミラを犠牲にした心の弱さをユーリーはただのパイロットに戻ることで埋めようとしている。

『主機のジェットやロケットは跳躍か飛行時にしか起動しないし、そもそも主動力は燃料電池の電力による炭素伸縮繊維だからな。音なんて出ようが無いのさ……っとそろそろ起動シークエンスはいいぞ、殻付きボウヤ。歩き方はわかるか?』

「大丈夫だ」

 操縦桿を僅かに前に倒すと同時に強化装備に付属したフットペダルを押し込む。
 すると思ったよりあっけなくアリゲートルは動き、格納ハンガーの扉を潜ることができた。

『よし、統合仮想情報演習システム――JIVESを起動する』

 トルストイ中尉の声と共に網膜投射映像で送られてくる景色が見慣れた基地の搬送道路から雪深いロシアの荒野へと変わり、同時にレーダーに三つの赤い光点――エネミーを示す光点が表示された。

 それを見て顔をしかめるユーリー。
 今回のザンギエフ大佐との決闘は一対一のはずだ。
 CPに抗議するために端末に触れようとする寸前で再び彼から通信が入った。

『さて、ひよっこボウヤ。私は詳しい事情は知らないが、察するにどうやら今回の決闘《タイマン》は君から大佐へ吹っかけたらしいな』

(決闘……)

 フラッシュバックする光景。
 あの巨人のようなモヒカンの男。背筋の凍りつくような舞闘と地面の味。
 そして血まみれのリュドミラ。

「………………」

『ああ、怒っているわけじゃないんだ。大佐がこういった挑戦を受けるのはいつものことだ。だが生意気なだけの新人士官ならともかく戦術機に乗ったことすら無い子供ってのは初めてでね』

 参ったね、とウィンドウの中のトルストイ中尉が大仰な仕草で両手を挙げた。先程の会話といい、彼はロシア人にしてはかなり大らかな性格のようだった。

『私はCPとしてお前をサポートをするよう大佐から言われている。だが戦術機に関して俺から言えるのは"考えるな、慣れろ"という事だけだ。幸い大佐の機体は空輸されたばかりだからイリューシンから降ろして調整が終わるまであと20分はかかる。つまりあと20分の内に君は基礎動作の習熟を終え、大佐を超える腕を身に付けさせなきゃいけない。……ハハハッ、絶対無理だけどな。けど大佐に強化装備を着させるだけの手間をかけさせたんだ。一応体裁だけは取り繕わなきゃいけない。そこでJIVESの仮想演習機能だ』

 中尉が手元を操作すると先ほどまで視界の端にあったレーダーマップが拡大される。
 表示された敵は3体。極々簡単な行動ルーチンのみを与えられたそれらは互いに連携を取る事無くバラバラに狭い範囲の中を移動している。

『訓練兵がシミューレーターで使う仮想敵戦術機のバラライカを三体入れておいた。これで存分に練習したまえ。なんなら撃墜できなかった分を本番で味方として登録してやってもいいぞ。大佐もそれくらいのハンディキャップなら認めてくれるさ』

「馬鹿にするな、ハンデなんていらねーよ!」

『あ、おいっ――』

 気遣う中尉の言葉を見下されたと感じたユーリーはCPとの通信を強制的に切る事で答えた。

「………………」

 再び管制ユニット内に静寂が戻る。
 レーダーに映された赤い光点と自機との距離は手前から8000、8500、9000。
 手始めに主武装である突撃砲と飛行能力の性能を確認するため、とりあえず近づいて一機落とそうとアリゲートルのバーニアを・・・・・吹かしたところで予期せぬ出来事が彼を襲った。

「うわっ! わわっ!」

 操作に従って跳躍ユニットに点火し、ロケット機構から推進剤を噴出した反動で大空に舞い上がったアリゲートル。
 だが跳躍ユニットが腰にあり、しかもAMBACではなく空力で飛ぶという戦術機の特性をすっかり忘れていたユーリーは戦術機の予想外の軽さと操作に対する反応の鈍さに慌ててしまい、操縦桿を無茶苦茶に動かしてしまった。
 そのせいで跳躍ユニットはあらゆる方向ににデタラメに向けられることになり、アリゲートルは空中でバーテンダーが使うカクテルシェーカーの中に入れられたかのようにガクガクと上下に揺さぶられる。

「ク―――ッ!! 」

 無論、そんな事をして無事に飛行し続けられるほど戦術機は便利にできていない。
 無茶苦茶な機動のせいで完全に揚力ようりょくと安定を失った機体は急速にその高度を落として地面に近づいていく。

[高度警告! 墜落の危険があります]

 高度30メートル。どうにか操作感を掴んだユーリーが再度跳躍ユニットを吹かして機体を立て直したのは、墜落を予期した自動衝突回避装置が管制ユニットの操作へ介入する寸前であった。

『ヒューッ! 今のは危なかった! 開始前に墜落しちまう所だった。冷や汗かいちまったよ』

「う、うるせーよっ! ちょっと空中機動の把握に手間取っただけだ!」

 勝手に再接続してきた中尉の通信に怒鳴り返すユーリー。
 だが内心では彼も相当焦っており、強化服でなければ冷や汗でぐっしょりと濡れていたのは間違いない。

(そうか、機体重量に対して跳躍ユニットの推力が高い分、空中での操作がデリケートなんだ。これが戦術機……いつまでもMSパイロットの感覚じゃだめだ。機体の特性を掴まないと……)

 そう決意すると今度は若干慎重に操縦桿を動かす。
 最初は高度をとって簡単な通常の機動を、そして徐々に高度を下げて戦術機特有のNOE――光線級の攻撃を受けないための地面ギリギリでの匍匐飛行を試す。
 それから上がったり下がったり更に急加速と急制動を繰り返したユーリーは通常機動を一通りマスターしたと判断して、今度は戦闘機動を行うために一番手近な敵へと向かっていった。

 JIVESに設定された標的は戦術機の源流であるF―4ファントムのライセンス生産機であるMiG-21バラライカ。
 今尚多くの衛士が搭乗し確かな運用実績を誇る傑作機であるが、無人で低出力の跳躍ユニットしか持たないそれらは低空でゆるく飛行を続けており、時折思い出したように左右に機体を向ける以外は全く戦術機らしい機動をとってはいない。

 物足りない感はあったが、そこは武装の確認のためと割り切って直線軌道のまま前方にA-97突撃砲を向ける。そしてカーソル表示がロックオンになるのを待ってから操縦桿の引き金を引いた。

 A-97の銃口から断続的にマズルフラッシュが起こり、吐き出されたペイント弾がJIVESに表示されたMiG-21をすり抜けて地面へ撃ち込まれる。撃墜と判定されたバラライカがポリゴン崩壊のチープな演出とともに消滅した。

『うまいじゃないか! おめでとう、初撃墜だ。ハハハッ! どうだ嬉しいか? これが20年前ならあと9機でお前はエースだぞ』

 まともな訓練も受けていない子供が初めて乗った戦術機で低速とはいえ不規則に動き回る敵機を一射で撃墜。
 例えその功績の殆どが搭乗した戦術機のロックオン機能と航空機動制御のおかげだとしてもトルストイ中尉からの将来の優秀有望な衛士への賛辞に嘘はない。

 だがトルストイにとって不幸なことにこの子供は彼が思っている以上に無感動で生意気だった。

「……こんなんじゃ駄目だ」

『は?』

「おい中尉、もっとバラライカの動きを良くできないのか? こんなんじゃ紙飛行機でも撃ってた方がまだましだ」

『こ、この糞餓鬼……!』

 それまでの新人を見守る先輩としての気分を台無しにされたトルストイは手元のコンソールを操作してバラライカの行動レベルを最大にまで上げる。それは通常、仕官した衛士が本格的な対人戦闘訓練で用いるプログラムだ。
 同時にそれまでバラバラに逃げていた2機のバラライカはまるで示し合わせたかのように軌道を変更。合流し一直線にアリゲートルの方へ向かってくる。

『これで希望通りだ、ひよっこボウズ! もう知らないぞ、大佐と戦う前に赤っ恥かいて泣いちまえ!』

 熱くなる一方のトルストイ中尉を気にもせずに、ユーリーは敵が連携を取り始めたことを冷静に分析して、一方的に挟み込まれないようにJIVESによって表示されている仮想の市街地へと機体を移動させた。

――距離1800,1700。

 赤い光点は高速で、しかも時折交わりながらアリゲートルの隠れている廃ビルの方へ近づいてくる。

――1100、1000

 そして互いの突撃砲の射程ギリギリで散開し、バラライカが左右から挟み込もうとしたところでアリゲートルはビルの陰から飛び出した。

 即座に反応し突撃砲での迎撃を行うバラライカ。
 前後から襲い掛かる火線をアリゲートルは噴射地表面滑走サーフェイシング中に右足で地面を蹴り左にステップすることで避けるが、それはユーリーが思い描いていた動きよりも遥かに遅い。

 なんとか一発ももらわずに避けきったが、反撃として突撃砲のトリガーをひいた時には既に前方のバラライカは回避行動に移っており、ユーリーはまともに反撃もできないまま再びビルの陰に隠れる羽目になった。

(動きが固い! それにさっきの挙動、36ミリの反動も受け流せないのか!)

 乗ることで初めて知った戦術機の反応の鈍さと主腕の華奢きゃしゃさ。

 例えば先ほどの回避行動。右足で地面を蹴った後、本来なら着地の直前にもう一度左足で地面を蹴ってバラライカに接近戦をしかけるはずだった。
 そしてその後の反撃もロックオンによる自動照準を待たなければ、もしくは一拍遅れた射撃でも連射の反動で銃口さえぶれなければ何発かは命中したはずだ。
 回避行動を阻害したのは自立姿勢制御プログラム、そして反撃を遅らせた自動照準。
 本来なら衛士を守り戦闘を助ける二つの機能だが、彼という秀逸な乗り手の前では技能を縛る枷にしかならない。

(クソッ! 泣き言なんて言えるか! この戦いにはリュドミラの自由と俺の意地がかかってるんだ!)

 機体アリゲートルが自分についてこられないならば自分が機体に合わせればいい。

 追撃をかわし、アリゲートルを三度みたび、適当なビルの影に隠れさせたユーリーは手を操縦桿から離して大きく深呼吸をした。

「ふぅぅぅ、はぁーーー」

 目をつむり深呼吸と共にユーリーは自分のパイロットとしての思考を組み替えていく。
 動作終了後の制御プログラムによる硬直。そして自動照準と連射時の突撃砲の挙動。それらを乗り越えるには自分は突出した技能を持つニュータイプであってはいけない。
 目指すは最速ではなく最適。言うなれば精密機械。反応速度や第六感に頼るのではなく、隙を作らない堅実な機動と淡々と敵を追い詰める戦略が必要なのだ。

『どうしたひよっこ? 気分でも悪いのか? それとも降参するか?』

 突然機動を止めたユーリーに対して中尉から通信が入る。
 バイタルモニターはフラット。だがユーリーが着ている強化装備はブカブカの物(それでも国連軍で支給している物の中では一番小さかった)をバンドで無理矢理止めた急造品であり、先ほどから度々バイタルデータをロストしているのでアテにならない。

――戦術機の管制ユニットはその恐ろしい揺れから慣れない者や衛士適正の無い者にとっては地獄に等しい。そもそも専門のトレーニングを積んだ現役の衛士でも強化装備のフィードバック無しには戦えないほど戦術機は激しく揺れるのだ。
 それはこの世界の科学技術もっても解決できない問題であり、人道などおかまいなしのオルタネイティヴ3ですら人工ESP発現体が戦術機で闘うのは12歳になってからと規定した理由である。

「ふぅぅぅぅ……いや、心配無用だ」

 目を瞑ったままユーリーが答える。

『……そうか。まあ問い詰めても仕方ないからこれ以上聞かないけどよ。気分が悪くなったらすぐに降りろよ。吐くくらいならまだしも、お前みたいな子供なら戦闘機動で口から内臓が出てきてもおかしくないんだからな』

「了解……っと」

 それまで陰に隠れたアリゲートルの出方を窺うようだった二機のバラライカの動きが変わった。
 まるで痺れを切らしたかのように一機のバラライカがユーリーが隠れているビルに3発もの120mmを打ち込む。
 ビルの倒壊とともにバラライカは噴射跳躍しながらシースから短刀を引き抜きアリゲートルの頭上から迫った。

 薄目を開けるユーリー。

 静かに半歩、最小限の動きだけで瓦礫の雨とバラライカの短刀をかわす。
 空振りしたバラライカはすぐさま姿勢を整え再攻撃しようとするが、それよりも早く背部装甲に突きつけられた突撃砲からゼロ距離で36mm弾が放たれた。

『仮想敵B撃破……! なんだ、今の動き……?』

 背中から管制ユニットを貫かれたバラライカがポリゴンとなって崩れ落ちる。同時に残るもう一機のバラライカより放たれた火線をユーリーは上昇することで逃れた。

 僚機を失ったバラライカもアリゲートルを追撃すべく若干遅れながらも空へと躍り出る。

 だが軽やかに空に突き抜けたアリゲートルに対しその動作は明らかににぶくてぎこちない。先ほどは連携に気を取られてユーリーにはそこまで見る余裕は無かったが、敵は結局は第一世代戦術機、それも粗末なプログラムだけで組まれた仮想の無人機なのだ。
 連携行動は教本をそのまま写せばいいが、高度な判断と複雑な制御を要求される個人機動に関してはやはり圧倒的に能力が不足していた。

 上空を取ったアリゲートルが眼下のバラライカに向けて突撃砲の引き金を引く。わずか一秒の連射。
 銃口から飛び出したのはたったの六発の弾丸だったが狙い済ましたその攻撃はバラライカの右肩部に命中しその攻撃力と姿勢バランスを奪う。先程までのアリゲートルの照準精度からすれば考えられないほどユーリーの射撃は正確だった。

「トドメッ!」

『あ、おい! 何をする気だ!?』

 そう叫ぶとユーリーは若干左足を曲げた状態で跳躍ユニットを地上へ向け噴射降下ブーストダイヴする。右足を矢のようにまっすぐに伸ばし光の尾を引きながら猛烈な速度で降下するアリゲートルと、その先には右腕を失ってフラフラと飛ぶバラライカ。

――刹那の交錯。

 実態を持たないバラライカをすり抜けたアリゲートルは何事も無く地上へ着地。
 レーダーには既に赤の光点はない。

 そう。まったく馬鹿げた話だが、彼はカンフー映画顔負けの飛び蹴りでバラライカを墜としたのだ。

『仮想敵C、頭部破損のうえ墜落……撃墜判定』

 もはや驚きの声も出ないといった様子で中尉が告げた。


**同時刻 同基地 第4戦術機ハンガー横 ドレッシングルーム***

「ザンギエフ大佐! これは一体どういうことじゃ!?」

 ザンギエフがハンガー横のロッカールームでソ連陸軍の強化装備(特注サイズ)に袖を通していると突然、白衣の老人が怒鳴り込んできた。

第五世代ビャーチェノワは未だシミュレーター訓練どころか簡易適正審査すら行っておらんのだぞ! 戦術機などに乗せてもまともに戦えるはずあるまい。こんなことに一体なんの意味がある!?」

 が鳴り立てる老人に強化装備を着ける手を止めるザンギエフ。
 いかにもうっとおしいというように目線だけを老人に向けた。

「……オルタネイティヴ計画の技術責任者ラフマニノフ教授か」

「そうじゃ。ここでは技術中佐などという階級を貰っておるが……計画に関する実質的な権限はザンギエフ大佐、おぬしより上だと思ってもらいたい!」

「それで、何か問題が? オレはここには教官として派遣されている。生徒の訓練内容に関しては一任されているはずだ」

「だが訓練で事故を起こす・・・・・・許可は出とらんはずじゃ。おぬしのおかげで優秀なESP発現体が一人危篤状態に陥っておるというのに、今度は子供相手の実機演習など党や基地司令が許可するはずなかろう!」

 二人の視線がぶつかり合い火花を散らす。
 教授は老獪な政治家でもザンギエフのような強面こわもてでもないが、こと研究対象のことになるととてつもない集中力と胆力を発揮するタイプである。

 あれから2時間。
 セルゲイ達オルタネイティブ3チームが意識の戻らないリュドミラを医務室に緊急搬送しCTスキャンにかけた結果、彼女の頭部には深刻な頭蓋骨骨折と脳挫傷が確認された。
 人工ESP発現体の生産は既に止められているため、第五世代ビャーチェノワ――それも第六世代シェスチナに準ずるほどのESP能力を持ったリュドミラは"人命並みに"貴重である。
 すぐさま非番だったニコライを呼び戻し、オルタネイティヴ計画直属の医療スタッフ総動員で懸命の手術オペレーションが行われたが、リュドミラの治療はそれでも難しいという程状況は切迫していた。

 だがセルゲイ教授にとって本当に重要なのは自身の研究成果の結晶たるリュドミラの方ではなくイレギュラーであるユーリーである。
 彼の持つ特殊な能力はセルゲイにとって未知の領域だ。彼が産まれて八年。一時は行き詰っていたESP能力の開発もユーリーを研究することで徐々に勢いを取り戻しつつある。
 ここで彼を失うのはなんとしても避けたい故の抗議だった。

「訓練許可なら先ほど下りた。そもそも、私がここに来たのは党からあのユーリーという子供を制御下に置くよう依頼されたためだ」

「何じゃとっ!?」

 教授の顔が驚愕に染まる。
 ソビエト連邦政府にとってオルタネイティヴ3計画の進捗の重要度は高い。セルゲイ教授自身もソビエト政府に資材を発注し、報告書を送っている以上あの突然変異ミュータントに関してもいずれは言及されるだろうと覚悟はしていた。
 だがいくら重要な機密を含む仕事であるとはいえ、送られてきたのがあのザンギエフ大佐! 書記長(ソビエト連邦共産党の最高職)の信頼も厚く国土防衛の切り札である彼を、一体どんな手を使えばただ一人の子供のために派遣することができるのか。

「…………ッ! そうか、セラウィクの全連邦党大会! ヴィクトールの奴、英雄殿を政治の舞台から引き離す口実で国連軍に引っ張ってきたのか」

 武勇高くソ連に並ぶ者無き赤きサイクロン。
 公平で潔癖な性格は軍人に信奉者が多い一方で、後ろ暗いところのある官僚や党の議員からは脅威として見られていた。
 例えザンギエフ本人にその気は無くともその名前はあまりに大きく、ザンギエフが活躍する度にいつかは"公の場で自分の不正を弾劾されるのではないか""政治家となり自分の地位を脅かすのではないか"という不安は募っていく。その不安が最高潮に達するのが本日から行われている全ソビエト連邦領から代議員が集まるセラウィクの党大会であった。

 一方で国連軍人にしてオルタネイティヴ計画の監視役であるヴィクトール・ガスパロフの党への貢献は大きい。元々の名声もあるが、オルタネイティブ計画の誘致から研究内容のソ連への利益誘導まで、彼は国連軍少将として使えるあらゆる手管てくだを使って党に貢献してきた。
 恐らく彼は最高評議会へはオルタネイティブ計画のためにと言い、もう一方でミハイル・ザンギエフを党大会に出席させないために彼を国連軍に出向させたのだと教授は確信した。

「否定はしない。だが勘違いするな。確かにここにきたきっかけはヴィクトールが手を回した事だが、それだけではない。オルタネイティヴ計画に関わりたいというのは私自身の意志だ」

「馬鹿な! 力も、名誉も、軍からの独立行動権すら認められた程の人間が今更何を望む? BETAへの復讐か? 心を見るESP能力か? それとも病を治す遺伝子技術か?」

 真意が見えないザンギエフの言葉にセルゲイは驚き、問い詰める。
 超能力、最先端の遺伝子治療技術。普通に人間ならば喉から手が出るほど欲しい物だ。BETAへの復讐を考えない衛士もこの世界にはいないだろう。
 だがザンギエフは首を振ってそれら全てを否定した。

「希望だ。私はここに人類の希望を探しに来た」











[32864] 7、「光」
Name: 大蒜◆9914af20 ID:86f1a2a8
Date: 2012/09/19 22:17
7、「光」~End of Prologue:Reincarnation~


***1987年 6月12日 アラスカ州タルキートナ基地近辺 クリスティアンセン湖東岸***

 三機の仮想敵を撃墜したユーリーは先の戦闘での消耗をチェックしていた。

[A-97突撃砲 弾数1849、K-35-300推進剤充填率 A機 90% B機 95%]

[主脚の膝部に若干の負荷 判定……問題なしグリーン]

 残弾といってもアリゲートルの腰部には3つの弾倉が収容可能な上、今回は兵装担架にも4つ弾倉を積んできたため突撃砲の弾数に不安は無い。120mmはそもそも使用すらしていないし、被弾も無いので多目的追加装甲やCIWSの耐久度にも問題は無い。
 推進剤と間接の消耗がやや気になる所ではあるがトルストイ中尉から現状の推進剤充填率でも一時間の戦闘機動を保証されたのでユーリーは補給へ戻らなかった。
 勿論、余裕からではない。補給に戻ったとしても戦術機にとって最も消耗の激しい部品である衛士、即ちユーリーの体力は回復することはできない。生まれつきG耐性が強いといっても子供の体である以上、今の自分が全力で戦えるのは30分程度だと彼は見ていた。

『おいひよっこ。今モリ大尉から連絡が入った。荒熊ミドヴィエチの準備が完了したそうだ。大佐がJIVESの演算圏内に入り次第戦闘を開始していいぞ』

「ミドヴィエチ?」

 会話の流れとそして荒熊というネーミングからしてザンギエフの乗る戦術機なのだろうが、聞いた事の無い機種名にユーリーは首を傾げた。

『なんだ知らないのか? ミドヴィエチは大佐が赤きサイクロンの称号と一緒に専用機としてミコヤム・グルビッチとスフォーニのソ連の二大兵器設計局が合同で開発して政府から送られた戦術機だ。ベースこそバラライカと同じ第一世代のF-4ファントムだが……常に最新の改修が施されていて、特に各関節や腰椎部の強化は大佐の近接戦能力を100%活かすための仕様になっている』

「専用機……」

『なんだ、羨ましいか?』

「いや、真剣勝負だ。一番慣れた機体に乗るのは当然だ」

 そもそも決闘方法をこちらが決めた以上これくらいの不利は想定済である。
 ただ、懐かしい言葉を聞いてユーリーは昔の愛機であったGXー9900の三号機を思い出した。もっとも、あれはユーリーのための専用機オーダーメイドではなく三機生産された汎用機であったが、自分で整備や調整を行い塗装色までデザインしたあの三号機は彼の分身とも呼べる機体だった。

『いいか、ひよっこ。専用機といってもミドヴィエチの特性は第一世代……良く見てもせいぜい1、5世代機だ。パワーこそずば抜けているが、重量が増えたせいで機動力は最新の跳躍ユニットをもってしてもカバーできていない。それに電磁炭素伸縮繊維を増やした分廃熱や継戦時間にも問題がある。決して無敵の機体じゃないってことを忘れるな』

 忠告と共にデータリンクからミドヴィエチのデータがアリーゲートルの管制ユニットへと送られてくる。
 そこにはミドヴィエチの画像資料と共に、カタログスペック、装備可能な兵装などが一緒に添付されていた。

「お、おい、いいのかこれ!? 軍事機密だろ?」

『何もおかしいことはない。私は大佐からお前のCP将校としてできる限りの事をしろと命令されている。CPが現場に情報を送るのは当たり前だ。それに大佐は勝負には生真面目な方だ。アリゲートルのスペックはネジ一本の規格まで筒抜けなのにお前が何も知らされないままなんて不公平、大佐は絶対に納得しないに違いない』

「……礼は言わないぞ。俺は今からお前の大佐殿を倒すんだからな」

「ハッ! やってみるんだな、ひよっこ! せいぜい大佐を楽しませられるよう頑張れよ!」

 ピピピッ!という電子音がユーリーと中尉との会話に介入したのはその時だった。
 レーダーに新たな赤い光点が映る。その方向へ首を向け目を細めると思考制御によってカメラの照準も絞られて、光点の正体を明らかにした。

 網膜映像に移る識別番号――MiG/Su-01 ミドヴィエチ
 黒を基調にした塗装、バラライカ以上に骨太のボディーに右肩にはソビエトの象徴たる赤い星と国家章ナショナルマーク、左肩には赤い竜巻をデフォルメした個人章パーソナルマーク轟々ごうごうと凄まじい音を立てて稼動する跳躍ユニットが示すのはこの機体がコソコソと隠れることなど全く考慮していない設計だということ。
 背部兵装担架はここからでは確認できないが両手に二丁のA-97突撃砲を持っている事がここから窺い知れる。

 なるほど、ザンギエフらしい機体だとユーリーは実物を見て納得した。
 がに股で短めの手足はお世辞にもスマートとは言えないが、モヒカンをイメージさせる大型のセンサーマストや普通の戦術機に比べてゴツゴツして分厚い装甲。どちらも乗り手を意識してデザインしたのだろう。
 それと外見以外でも中尉から送られたデータによればあの機体は間接部の強化の他に摩擦軽減の表面加工装甲や試作型の新型近接兵装を取り入れているらしい。ザンギエフが力に貪欲なのは格闘技だけではなかったのだ。

 電子音とともにトルストイ中尉とは別の通信ウィンドウが現れる。

『待たせたな、小僧。約束は忘れてはいないだろうな?』

 ザンギエフの落ち着いた声がスピーカーを通してユーリーに届けられた。

 "約束"
 再びのフラッシュバック。迫る巨腕、恐怖に陥った自分、そして地面に伏せる血まみれのリュドミラ。

 ついさっきの事だ。忘れるわけがない。

 自由を得る。自分はそのためにザンギエフ大佐という巨人ビッグネームに戦いを挑んだのだ。
 
 挑んで……そしてリュドミラを犠牲にした。

「……ああ」

 憤りと後悔を隠すためにユーリーは最小限の返事だけで答えた。

 彼我の距離は残り14000。
 操縦桿を握りながら、最後に抱きしめた姉の体の冷たさを思い出す。

(見ていてくれよ、リュー。俺は今度こそ……今度こそあいつに勝つ!)

 闘志とともにザンギエフを迎え撃つべくユーリーは跳躍ユニットに火を入れ、鋼鉄の巨人の身を大空へと向かわせた。

『ミドヴィエチ、JIVES演算圏内に到達! 戦闘開始!』

***

「ミドヴィエチ、JIVES演算圏内に到達! 戦闘開始!」

 トルストイ中尉の緊張した声が基地管制室内に響く。

 同時にレーダーに映る青い光点と赤い光点は飛行最高速度に達し、演算圏内の両端に位置していた筈の2機はどんどん距離を詰めていく。

 管制室内ではトルストイ中尉のほかにモリ大尉とオルタネイティブ計画の軍事や技術関係者の十数名が観戦のために詰めており、JIVESの操作データと仮想戦域内に飛ばされた無人航空機ドローンから送られるデータから合成された戦闘映像を大型モニターで見ていた。

 二機の戦術機はあっという間にお互いを主武装の射程距離内に捉えると、まるで鏡に向かっているように突撃砲を同時に構えてその引き金を絞る。そして二機とも示し合わせたように時計回りに回避行動をとった。

 盾である追加装甲を前に構え優れた機動力を活かすアリゲートルに、二丁の突撃砲の反動をものともせずに撃ちまくるミドヴィエチ。二機は突撃砲を避け、あるいはお互いに撃ち返しながら空中を螺旋にグルグルと回る。

 一見互角に見えるこの攻防。だが、どこか機械的なユーリーのアリゲートルの動きに対して、ザンギエフの乗るミドヴィエチは二挺の突撃砲を自在に操って敵の移動予測位置と回避予測位置を同時に攻撃するという複座機顔負けの射撃能力で次第にアリゲートルを追い詰めていった。

「アリゲートル、多目的追加装甲に被弾多数! 損傷……大破判定! 多目的追加装甲を破棄!」

 ユーリーの意志ではなくJIVESの演算とHQからの操作によってアリゲートルの右腕マニュピレーターがペイント塗れの多目的追加装甲を手離す。
 それはアリゲートルの優位の一端を失う出来事であったが、同時に多目的追加装甲という重りが無くなったことでもある。そしてその瞬間、モニターで戦況を見ていたトルストイには全力の機動を許されたアリゲートルのセンサーアイが歓喜で輝いたように見えた。

『うおおおおおおおおおおーーーっ!』

 舌っ足らずな声の叫び。

――アリゲートルの機動が変わる。
 それまで円を描き距離を保つだけだった飛行から、前傾し燃焼ガスの尾を引きながら肉食獣のようにミドヴィエチへ向かう。
 当然、ミドヴィエチも迎撃に突撃砲の多重弾幕を張るが、二つの銃口から放たれた数百発に及ぶペイント弾の全てを、アリゲートルは右へ左へと狂ったようにバレルロールを繰り返すことでかわした。

 そして濃密な弾幕というのはずっと続けられる物ではない。ミドヴィエチが持っていた突撃砲の内、片方の残弾が遂に0となる。
 ザンギエフは副腕がリロードを行う間、僅かに弾を残しておいた右手の突撃砲でアリゲートルを牽制しようとする。
 だがユーリーが弾幕が半減するタイミング、それもリロード作業のため機動が抑制された隙を見逃さなかった。それまでの不規則な回避行動から一転、アリゲートルは両手で保持したA-97を乱射しながら最大噴射フルブーストでミドヴィエチの頭上を掠める、稲妻のような突撃――!

「ミ……ミドヴィエチ、突撃砲Bに被弾! 大破、爆発判定! 右腕に損傷! ……信じられない! あのひよっこ、大佐に当てやがった!!」

 トルストイの管制を聞いて技術者達は自らのモルモットの思わぬ善戦にほう、と感心を示す。

 逆に戦闘機の経験か衛士経験のある軍事関係者は今の攻防を見て声も出せなかった。日々研鑽を積み、戦場に身を置いてきた彼らには先程の攻防がいかに馬鹿げているかがわかる。彼らからすれば回避しながら二挺の突撃砲をあれほど自在に操るザンギエフの技量が神業かみわざなら、それをかわしたユーリーの連続反転バレルロールは自殺行為同然の変態機動へんたいきどうだ。アクロバット専門の戦術機部隊でも難しい機動を戦闘中、それも弾丸を回避するために使うなど到底信じがたい。

『やはり俺の目に狂いは無かった! 此処にこそ私が求め続けてきた物があった!』

 リロードの終わった突撃砲で再び牽制を加えながら、オープンチャンネルでザンギエフが吼えた。その声は喜びに満ちていると同時に失望の色もある。

『だが何故だ? 何故自由など求める? それほどの力を人類の未来のために使おうとしない? BETAが憎くは無いのか。お前が前線に出れば何人の同胞の命が救えるかお前は分かっているのか?』

 空戦のセオリーに従い上を取ろうと上昇をかけるアリゲートルの頭を速射で押さえるミドヴィエチ。弾幕を避けようと機体を左右に揺らして上昇を試みるが、機動力の差にも関わらずミドヴィエチはアリゲートルの大きな挙動に難なくついて来る。
 結果アリゲートルは上昇を諦めざるを得なくなった。

『なんだよそれ、鬱陶しい! BETAなんて知るか! 人類なんて知るもんか!! 俺は自由が欲しいんだ、それの何がいけないってんだよ!』

 細かく上下に動いて突撃砲を撃ちながらもう一度隙を作れないかと窺うアリゲートル。

 恐らくもう一度先程の機動を行えばいかに大佐相手とはいえ隙くらい無理矢理作ることができそうだが……とトルストイは考えたが、モニターに目を落とせば先程の機動のせいかアリゲートルの状態コンディションが所々イエローになっており、衛士であるユーリーのバイタルデータも大きく乱れている事に気が付いた。

「なっ――さっきの機動、下手すれば機体が空中分解してもおかしくなかったことかよ……! 第一世代バラライカじゃない、新品の第二世代機《アリゲートル》なんだぞ!」

 管制室の中でトルストイの声が響いた。

『お前達だけではない! 我が国は生存を賭けてBETAと戦っているのだ。世界中どこもそうだ。勝つために、人類は団結せねばならん。お前にもわかっているはずだ!』

『国のためなら、人類のためなら何をしたっていいのかよ! BETAが俺やリュドミラに何をしたっていうんだ! 実験も、洗脳も全部お前達大人の都合じゃないか!!』

 徐々に白熱する戦況。
 何度も、何度も交差する36mmの火線。
 両機から放たれる数千にも及ぶマズルフラッシュに加え、いくつかの弾丸は空中でぶつかり合いペイントの華を咲かせて散る。そして2発の弾丸はついにその射線の先、即ちお互いの突撃砲の銃口にもペイントをぶちまけた。

「アリゲートル、ミドヴィエチ、両機の突撃砲に被弾判定! 武装を破棄!」

 被害報告をし武装破棄のコマンドを送りながらながらトルストイは内心で何度も信じられない、と呟いた。
 
――ミハイル・ザンギエフはまごう事なき超人だ。

 純血のロシア人でインテリ階級という一面を持ちながら最前線の"消耗品"である衛士となった彼は10年以上ソ連のあらゆる戦場を飛び回って戦い、あるいは生き延び続けてきた。
 その活躍は改めて語るのも馬鹿らしいほどで、ある時は単機で数百のBETAを屠り、ある時は戦場で指揮官を失った部隊を直卒じきそつして崩壊しかけた戦線を押し戻し、またある時は反逆し戦場から逃亡した戦術機大隊を説得によって連れ戻したりもしている。
 力を持ち、知恵を持ち、人徳カリスマを持った無双の英雄。それがミハイル・ザンギエフである。
 実際軍部や、ソ連共産党の最高議会の中には何度もソ連の窮地を救った大佐を神格化し妄信するグループすらあるほどだ。
 大佐がまとう力。あの超常的で圧倒的な力。うまく言葉にできないが、あれは人の心から生まれる重力のような物だと思う。BETAとの戦いが続くこの世界で、死んだ人間の感情や魂を取り込むことでザンギエフはより大きく重く、そしてより強くなる。

「信じられない……」

――その超人と互角に戦っている子供がいる。

 この子供が今日始めて戦術機に乗ったことは間違いない。それをここまで操る才能もトルストイは現実として認めることができる。だが副官としてザンギエフ大佐の強さを間近で見てきた彼には、戦術機の操縦が巧みな事と大佐と戦える事はイコールではないと知っていた。
 あの力に対抗するには大佐と同じような存在になるか、相手が背負っている重力を跳ね返す程の信念が必要だ。
 だが戦場に出たことの無い若干8歳の子供が人の魂や感情を受け継ぐはずがない。信念も歳に見合わぬ物を持っているが、それでも彼の叫びは十代ティーネイジャーの戯言同然だ。

――では一体何が彼にここまでの力を与えているというのか。

 モニターの向こうでは空戦状態のまま何度も交差し、ソ連の次世代近接格闘兵器である試作モーターブレード(前腕に取り付けるチェーンソウのような兵器)を叩きつけるミドヴィエチとそれをスーパーカーボン製の戦斧"ストレット"で受けるアリゲートルがいる。
 そのぶつかり合いの凄まじい圧力にストレットは火花を上げてけ始め、モーターブレードは機関部から黒煙を上げてる。

[警告! 衝突墜落の危険あり。操作に強制介入します]

 HQのJIVES管理システムによりこれ以上のぶつかり合いが危険と判断されたため両機は自動操縦で一定距離まで離され地上へと降ろされる。
 勝負に水を差された形になったザンギエフが不満にうめいた。

『イワン、JIVESを切れ! この勝負、もはや安全なままでは終わらん!』

「し……しかし大佐! 相手は子供ですよ? そんなことをすれば本当にあの子を殺してしまうかもしれない!」

『この程度の事で死ぬならそれまでの運命だったということだ』

「しかしっ!」

『イワン、やれぇ!』

「――っ! ええい、どうなっても知りませんよ!」

 命令には逆らえず、統合仮想情報演習システムをオフにするトルストイ。

 同時に今まで二人に網膜投射で移されていた寒々しいロシアの風景が消え、現実の光景――アラスカのクリスティアン・セン湖の畔が映る。

 地上に降り、JIVESという枷から解き放たれた二機は今度は地上で格闘戦に移行し古代ローマの剣闘士の試合のように激しく武器をぶつけ合わせた。

 と、その時トルストイが管制しているレーダーが戦域内に近づく4機の戦術機を捉えた。

「これは……機体識別F-14《トムキャット》? 何故米軍機がこんな所に!?」

 しかもトムキャットは全てこのタルキートナ基地から発進している。
 いくら国連軍基地といっても、セラウィクのお膝元とも言えるタルキートナにアメリカの戦術機があることは余りにも不自然だ。

「――それは儂がオルタネイティブ第三計画のためにグラナン社から提供させた機体だからじゃ」

 疑問に答えたのは管制室にいたオルタネイティブ計画の技術者の中でもウォッカをあおる年長の老人――セルゲイ・ラフマニノフその人だ。

「セルゲイ教授、今あの子供は大佐との"実機訓練中"です。ガスパロフ司令の許可もとってあります。いくらアナタといえども大佐の邪魔はさせませんよ」

 トルストイは管制用の機材を守るように立ち上がり言った。隣に立っていたモリ大尉も同じように技術者達から管制機材を守る立ち居地に移動している。

「ふんっ、わかっておるわい。案の定セラウィクの基地司令殿から釘をさされたしのぅ。だが基地司令殿はデータを取るくらいなら構わんと仰っていた」

 セルゲイは二人の様子に不快そうに顔を歪めると、トルストイの座っている機材とは別の機材へ歩み寄り件の進入者へ通信を繋げた。

「スェーミ(7番)、ドゥヴァツァッチアジン(21番)、ストーヂェーシチ(110番)、トリースタ(300番)聞こえておるか?」

『『『『はい、教授』』』』

 セルゲイの問いかけに通信用スピーカーから4人の少女の返事が返って来る。彼が子供を数字で呼んだ事もそうだが、その声が皆一様に幼い事にトルストイは驚いた。下手をすればあのユーリーとか言う子供よりも年下なのではないか。
 トムキャットは珍しい複座の戦術機なので衛士が別にいるのなら子供を乗せるのも難しくはないが、それでも高速機動を行い、激しい上下運動を伴う戦術機に子供を乗せるのは無茶というほか無い。

「今お前達から2000メートル前方では第五世代ビャーチェノワのアジン(1番)が戦術機に乗って戦っておる。アジンは普段であればお前達、第六世代シェスチナの能力をもってしてもリーディングを受け付けない特性を持っておるが、先程野外訓練中の第五世代達が奴の思考波を観測することに成功した。見えた色は個体によって様々だが、皆一様に恐怖を感じたと言っておる」

『『『『………………』』』』

 少女達……セルゲイがシェスチナと呼んだ四人は感情を一切見せる事無くセルゲイの言葉を聞いている。

「お前達の任務はビャーチェノワ達が見たという特異な思考波をもう一度観測してデータとして記録すること、そして可能であれば思考波からあ奴の思考をリーディングすること。わかったか?」

『『『『はい、教授』』』』

 さきほどと全く変わらない返答。余りに無感情なその様子にモニターに写っている少女達はまるで人形かロボットのように見える。

「そして中尉。お主の小隊にはシェスチナを乗せた状態での新型のリーディング支援装備とデータポッドのテストを命じる。具体的には目標に対して遮蔽物の有無、あらゆる角度、距離で同乗したシェスチナが対象をリーディングできるかを測ってもらう。なおシェスチナには戦術機搭乗経験が無い。念のためスコポラミンを服用させておるが、リーディングは体調によって大きく性能が上下するので一切の戦闘機動は禁止する。あまり揺らさんように」

「了解しました!」

 セルゲイの命令にいかにもお坊ちゃまっといった風情のロシア人中尉が答えた。

(リ-ディング? 何かの特殊技能なのか? そもそも、一体なぜこんな子供をここに連れてきた?)

 とトルストイが疑問を抱いたその時、再びオープンチャンネルで二人の会話が管制室に流れた。

『さあ、党と国に忠誠を誓え! ユーリー・アドニー・ビャーチェノワ!』

『嫌だっ! この世界は……この国は……お前達は卑怯者だ! 平等のために、正義のためになんて言って弱い人間に全てを押し付けて、それでも足りなくなったら俺達みたいな人造人間の子供を作って命がけの戦争を押し付ける! 戦士なら、兵士なら自分でBETAと戦って勝って見せろよ!』

「じ、人造人間……? まさか……こいつら全員そうなのか!?」

 トルストイと、普段は寡黙で滅多に感情を出さないモリ大尉ですら恐怖を感じてお互いを見合わせる。
 弾劾されているにも関わらず、セルゲイやオルタネイティブ計画の技術者に動揺の様子は無い。そして先の通信を聞いているはずのシェスチナの少女達にもまた無感情のままだった。

 この世界の、この国の闇は彼らが想像していたより遥かに深かった。

***

「ハァ――――ハァ――――ハッ!」

『この程度の事で死ぬならそれまでの運命だったということだ。やれ!』

『――っ! ええい、どうなっても知りませんよ!』

 アリゲートルの管制ユニットに響く二人のやり取り。
 網膜にJIVES OFFの文字が表示されるとともに今まで写されていた寒々しいロシアの風景が消え、ユーリーの瞳には現実の光景――アラスカのクリスティアン・セン湖の畔が映された。

 この時、アリゲートルは既に突撃砲を失っている。ミドヴィエチもそうだ。
 だからユーリーは仕方なく格闘戦を行っているのだが、機体特性から安定感があり強力なチェーンソー型近接兵器を振るうミドヴィエチに対してユーリーは先程から防戦一方、しかもいまいち扱いにくい斧という武器で何度も打ち合ったため、関節疲労をモロに受けたアリゲートルも全身が既に警戒状態コンディションイエローだった。

「ハァ――――ハァ――――フ~~~!」

 加えてユーリーの体力も既に限界が近い。本来ならあと5分は問題ないと計算していたが先程のバレルロール、あれがいけなかった。

 ユーリーの感覚ではアリゲートルの跳躍ユニットの加速力や最大出力はGXに大きく劣る。
 だから調子に乗って無茶な機動でミドヴィエチに仕掛けたわけだが(実際そこまではよかった)その一撃でミドヴィエチを仕留められなかった。自分が子供の身であることを忘れ、アリゲートルの出力をGXに比べれば遥かにマシという程度の認識の代償にこうして頭痛と吐き気と耐久アラートの騒音に耐えながら向こうの得意である格闘戦をする羽目になったのだ。

(でも、負けられない! 俺は負けられないんだ!)

 ミドヴィエチのモーターブレードが唸りを上げて何度も振りかぶられる。
 酔いと疲労で朦朧とする意識の中、ミドヴィエチが攻撃の素振そぶりを見せる度にになんとかストレットを持ち上げて受け止める。

 ――が、先程から何度もモーターブレードの摩擦を受けてきたストレットは10合目を迎えてついにスーパーカーボンの耐用温度を超え、摩擦熱に耐え切れずに燃え上がりその刃の侵攻を許した。

「くっそぉぉぉぉ!!」

[ストレット破断。K-35-300 B機 ロスト。 左腕負荷限界、コンディションレッド]

 それはJIVESによる演算ではなく本当の喪失。機体状況のウィンドウに表示されていた左の跳躍ユニットが黄色から灰色へと変わり、ストレットを握っていたアリゲートルの左腕は半ば折れかけほとんど操作を受け付けない。
 対してミドヴィエチはほぼ無傷。JIVESを切ってからザンギエフは意図して右腕を使わないようにしているようだが、それはユーリーにとってなんの慰めにもならない。

 絶対に負けられない戦い。
 姉の命を賭けた献身と自分の全てを賭けた一戦。
 だが敵はあまりに強く、自分は今にも負けようとしている。

『さあ、党と国に忠誠を誓え! ユーリー・アドニー・ビャーチェノワ!』

「絶対に嫌だっ! この世界は……この国は……お前達は卑怯者だ! 平等のために、正義のためになんて言って、弱い人間に全てを押し付けて、それでも足りなくなったら俺達みたいな人造人間の子供を作って命がけの戦争を押し付ける! 戦士なら、兵士なら自分でBETAと勝ってみせろよ!」

(頼む、ジャミル! 俺にお前の力を貸してくれ! 今だけで良い、俺をお前みたいに強く、無敵のニュータイプにしてくれ!)

 血を吐くように。世界を隔てた親友に祈りながら血走った目でモニターの中を見回して勝機を探す。
 表示の中から見つけた最後の武器はアリゲートルの両腕に装備されたマチェットナイフ。辛うじて生きていた左腕のサブアームを作動させてスーパーカーボンの山刀さんとうを構える。
 だがそんな隙をミドヴィエチ見逃さず、無慈悲にも振りかぶられたモータブレードがアリゲートルの両脚部を薙ぎ払われた。

「くぅぅぅぅーーーーーっ!!」

 人間で言う太ももの半ばを断ち切られたアリゲートルは赤茶色のオイルを撒き散らしながら地を舐め、這いつくばる形になる。足の切断を除けば奇しくもそれは先のリュドミラとザンギエフの構図を戦術機で焼き直したような光景だ。

(守らなくては……リューは、姉さんは、俺がっ!)

 姉。リュドミラ。
 最後に握った彼女の小さな手、無垢で穢れを知らない子供の手。ユーリーが2度の生を経て始めて得た家族の手、あの冷たさを彼は忘れない。

『何故わからん! お前達だけではない。誰もが世界を守るために命がけで戦っているということがなぜわからんのだ! 姉だけを守り、お前達だけが自由に生きられれば満足なのか? 国家とともに、誰かと共に世界全てを守ろうとは思わないのか!』

「くっ」

 ザンギエフの言葉にユーリーは己の前世の最期を思い出した。
 あの時、自分は一人でランスローという死に立ち向かった。だが考える。あの時もしも自分が一人ではなかったら、もしもジャミルや仲間と戦っていれば自分は死ぬ事無く、今もあの世界で生きられたのではないか。そして生まれ変わっても一人で戦う人間でなければ自分は姉を傷つけずに済んだのでないか。
 そもそも、己が一人で戦い続けてきたのは何故だ? 万能でなんでもこなせるからか? ならば何故自分には前世でも今生こんじょうでも感応能力がうまく扱えないのか?

 脱出警告エマージェンシーサインの赤い光が管制ユニット内をグルグルと回る。
 Gの後遺症と疲労で朦朧し、心を満たし始めた迷いと妄想をユーリーは歯を強く食いしばることで振り切った。

(考えるな! 今は奴を倒す……倒して――――)

『大佐、もう十分でしょう! 戦闘を終了してください!』

 こちらへの通信ではなくミドヴィエチからの通信からトルストイの声が聞こえた。

『それはコイツが決めることだ。どうする小僧? 負けを認めて生き延びるか、死んで姉と同じ墓に入るか』

「ふざけるなっ! 俺はまだ戦える! リューだって死なない! 俺が、俺はーー!」

 アリゲートルに残された力はあまりにも少ない。主脚は両断、跳躍ユニットは一基のみ。そして武装も残されたのはたった一本の山刀マチェットナイフだ。
 絶望的、どころではない。普通ならJIVESが戦闘不能と判断して自動的に仮想戦闘を終了させているところだ。

「絶対に、絶対に絶対に絶対にっ! 負けられないんだぁぁぁぁぁ!!」

『あくまで降参しないつもりか……ならばいい。最後まで抗《あらが》って見せろ! 自由が欲しいのなら、このオレを殺して見せろ!』

 黒煙を吐いていた両手のモーターブレードをパージし、徒手空拳となるミドヴィエチ。体を大きく開きこちらを圧倒する構えは生身のザンギエフそのもの。

 そのミドヴィエチ目掛けてユーリーは最後の力を込めてフットペダルを蹴り飛ばす。
 臨界まで引き上げられる跳躍ユニットの出力。その圧力にイエローコンディションだったジェット・ロケット混合エンジンの内部制御弁は耐え切れず破損する。文字通り爆発した跳躍ユニットはその最後の力で上半身だけのアリゲートルの体を宙に浮かべ、ミドヴィエチの元へ弾き飛ばした。

「――ぁぁああああああああああああーーーーーーー!!!!」

 アリゲートルは両脚部の無い、しかも片方の跳躍ユニットという状態から奇跡のようなバランスで飛び続け、ミドヴィエチの管制ユニット目掛けて
マチェットナイフを突き出す。

 そこからはまるでスローモーションのようだった。

 跳躍ユニットの"爆発"に押し込まれながら残った体全体で腕を突き出すアリゲートル。

 ナイフによってミドヴィエチの胸部装甲が火花を散らして削れていく。そのまま装甲を貫き通し、管制ユニットの中のザンギエフを刺し殺す算段だったが、ここでなんと、装甲に食い込んだナイフの先端が胸部装甲から喉元へそして頭部センサーへ、上へ上へとずれていく。アリゲートルとナイフは直進しているにも関わらず・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 そして遂にナイフが空を切り、事態に気づいたユーリーが機体正面――即ち地面の方を見た瞬間、仰向けにブリッジした・・・・・・・・・・ミドヴィエチのカメラと目が合った。
 ガシッとアリゲートルの腰にミドヴィエチの両手が巻きつけられる。

『――ファイナルッ!!』

 スープレックス。
 暴走飛行だった状態から更に加速をつけて地面に叩きつけられるアリゲートル。
 同時に今まで網膜に送られていたレーザーが途切れ、Gとコンディションモニター以外に外部を把握する手段が無くなる。
 凄まじい衝撃は管制ユニットや強化服を素通りし、内臓を傷つけられたユーリーは鼻血を吹きながら口からも血を吐いた。

[頭部、ロスト。肩部コンディションレッド、両腕、ロスト]

「……リュー、ごめん……ごめんよ!」

『――アトミック!!』

 二度目のスープレックス。加えて今度は腰椎部への膝蹴りが入る。
 もはや爆発と呼べるほどの振動が管制ユニットを襲い、潰れた電装系やパネルモニターが弾け飛び、破片が強化装備やユーリーの露出した肌に突き刺さる。

「俺にもっと……もっとちからがあれば……!」

[――主電源、      ダウン]

『――バスタァァァァァ!!!!』

 スクリューパイルドライバー。
 もはや自分や機体がどんな状態か想像もつかない。
 痛覚は無い。ただ電源の落ちた管制ユニットの中はひたすらに寒くて眠い。

ちからが……ガンダムが……)

 目を閉じる直前、くらい暗黒の中に光を見たような気がして、ユーリーは手を伸ばしながらその意識を手放した。






***同日 アラスカ州タルキートナ クリティアン・セン湖畔***

『こちら消火班から管制室へ。エンジンの火災は鎮火した。推進剤が残り少なかったのが幸いだったな』

「こちらCP。了解。ご苦労だった」

『こちら救護班。ハッチの強制解放はやはり駄目だ。これからソウで装甲ごと管制ユニットをこじ開ける』

「了解。中身ごと切らないよう気をつけてくれよ」

『ああ、まかせとけ。こっちはプロだぜ』

 激戦後のクリスティアン・セン湖に消火班と衛生兵を向かわせたトルストイ。
 神経を張り詰め続けた彼はザンギエフから届いた戦闘終了の報告に脱力し、額に手を当てながら椅子にもたれかかった。

「……なあモリ大尉。あの子供生きているかな?」

 モニターにはもはや原型がなんだったかわからないほど破壊されたアリゲートルと僅かに管制ユニットに傷をつけたミドヴィエチが緊急車両と共に写っている。この惨状を見てあのアリゲートルが今朝工場から届いたばかり新品だったとは誰も思わないだろう。戦車級にたかられた戦術機でもあそこまで酷くはない。

「………………」

 問われたモリ大尉はわからないという風に首を横に振った。彼は生来無口な人間で上官の命令に答える以外は殆ど口を開かない。

「あと最後の特攻カミカゼ。一体どんな操作をやれば足も片方の跳躍ユニットも無い状態で戦術機をまっすぐ飛ばせるんだ? というかあの速度を仰け反って掴むなんて、うちの大佐はどういう反射神経してんだよ」

「………………」

 日本出身であるモリ大尉に合わせてカミカゼと言ったが、言った後でトルストイにはそれがぴったりの表現のように思えた。
 神が起こした風。だからカミカゼ。奇跡の攻撃であり、単なる破れかぶれのスーサイドアタックとは次元が違う。

「なあ、あの子供生きてるといいなぁ」

「………………」

 無意識に繰り返すトルストイに相変わらず答えないモリ大尉。

 一方管制室のオルタネイティブ計画技術者側は大いに盛り上がっていた。

『こちらスェーミ。対象の思考波観測には成功。ただリーディングには失敗しました』
『ドゥヴァツァッチアジン。同じく』
『ストーヂェーシチ、同じく』

 シェスチナの少女達の返答と共に膨大な観測データが管制室に流れ込んでくる。そこに技術者達は群がって涎を垂らさんばかりに閲覧していた。

「なるほどアジンの思考波の発信は感情野だけでなく脳全体から行われてたのか。リーディングで観測しにくいわけだ」

 若い研究員の一人がデータを見比べながら言った。

「まるで人類の新種だ。一体どういう環境に置かれればこんな脳の使い方ができるんだ?」「0Gむじゅうりょく下じゃないか? この間ワシントンDCの学者が論文に載せていたぞ」

「人工的にこの"新種ニュータイプ"の思考波を再現できないか?」

「それなら脳外科手術で人格を消し去って……いや駄目だな。発想が古すぎる。リーディングとプロジェクションを繰り返すことで脳を個を持たないニコイチにするのはどうだ?」

「それだとラグがでるし、調整のためには数百の実験材料がいる。脳髄だけで被検体を生かせる技術があればなぁ。Gを気にせず戦術機に組み込めるのに」

 思い思いに見識を語る研究者達。彼らが纏う狂気にザンギエフの副官のみならずオルタネイティブ計画に携わる軍人達も嫌そうに顔を歪める。
 しかしこの場でただ一人冷静だったラフマニノフ教授はウォッカをあおりながら四人のシェスチナの内、最年少の一人から報告が上がっていないことを思い出した。

「どうしたトリースタ? 思考波の観測に失敗したのか?」

『……いいえ教授。思考波の観測には成功しました。ただリーディングの結果が……』

 言いよどむトリースタ。感情の無いはずの彼女に僅かに表情が見えた気がして教授は大いに興味をそそられた。

「トリースタ。お主のリーディング能力はこの4人の中でも群を抜いて高い。言ってみい、何が見えた」

 少女はそれでもまだ少し迷っていたが、やがてポツポツと自分の見えた物について話始める。

『……光、です。言葉や画像イメージ、思考や感情のオーバーフローとも違う光です。暖かくて、でも眩しくない。夜を照らすような優しい光が見えました』

「夜を照らす光……? 月のような、ということかのぅ?」

『はい』

「…………フンッ、ミュータントめ。この期に及んでまだ儂に謎を与えるか。これでは寿命がいくらあっても足りんではないか」

『教授』

「なんじゃ、トリースタ? まだ報告があるのか?」

 セルゲイの問いかけにトリースタという少女は首を振って否定した。

『……私、もう一度あの光を見たいです。……また彼に会えますか?』



――絶望の地平に朽ち逝く魂の残照。

――滅び行く世界に燃えあがる命の炎。

――この煉獄で与えられたのは新たな生。

――孤独なまま宇宙で散った命はこの暗闇の中で今度こそ光を見つけられるのだろうか

                 Muv-Luv Red/Moon/Alternative





[32864] 8、「俺の名前を呼んでくれ!」~A.W.0011~
Name: 大蒜◆9914af20 ID:86f1a2a8
Date: 2012/10/23 23:34
 8話、「俺の名前を呼んでくれ!」~A.W.0011~




――地球

 その星はかつて蒼緑の宝石とさえ呼ばれた美しい星だった。
 有機物を豊富に含んだ青い海と数万、数十万種類という生命に溢れた緑の大地。本来なら極寒か超高温の星ばかりがあまねくこの宇宙で、生物が生まれ繁栄を謳歌するこの惑星はまさしくこの広大な銀河に神が創り出した楽園だろう。
 
 だが楽園は永遠ではない。
 無数にある系統化された確立分岐の世界の中で、ある二つの世界の人類は偶然にもほぼ同時期に己の母星に大打撃を被ることになる。
 一方はBETA:Beings of the Extra Terrestrial origin which is Adversary of human race――『人類に敵対的な地球外起源生命』と呼ばれる者の侵略によって。
 そしてもう一方は第七次宇宙戦争でのコロニー落とし――人類自身の手によって。

 しくも二つの世界はよく似ていた。人の手に余る破壊兵器の存在、国家間の相克、そして夜よりなおくらい人の心の闇が生み出す悲劇。
 この背中合わせの世界はそっくりだが決して繋がることはない。
 しかしもし、

――もしも一人の人間が何かの拍子で世界を渡ることができたら?

 夢という形で、あるいは記憶という形でこの二つの世界の枠を超えることができる存在がいたのならその人間はどうするだろう?
 人間は未来を知ることはできない。だが一方の世界で起こった悲劇を、そしてもう一方の世界が滅んでいく様子を知れば人は自然と己のなすべきことを悟る。そして手に入れようとするだろう。

 悲劇が起こるのならそれを食い止めるだけの知恵を
 世界が滅ぶのならそれを跳ね返すだけの意志を
 欲しいのは運命を切り開く力――神の如く万能な希望《ひかり》。

 それらは一体どこにある?

***A.W.11年12月13日 北米大陸旧ニュージャージー州 ロコシティ***

 
 終戦から11年。
 コロニー落としによって壊滅的な被害を受けた地球環境は未だ混沌の中にあった。かつてあった6つの大陸はどこもクレータに彩られて穴
だらけ。加えてコロニーの大質量によって巻き上げられた大量の土砂や海水によって気候が激変したため無事な場所などどこにも無い。
 分厚い雲によって空を遮られた北アメリカはほぼ完全に凍結。南米は地殻変動によってあらゆる火山が噴火し、アフリカとユーラシアはここ十年ずっと半径500キロを超える超大型の砂嵐が吹き荒れ、激変した気候は動物のみならず植物・微生物にも影響を及ぼしその種類を戦前の半分にまで減らしている。

――だがそれでもまだ人類は生きていた。

 ここロコシティは戦前までは簡素な田舎町であった。都会からは遠く山々に囲まれた盆地の中にあって、工業は殆ど発達していなかったが、当時では珍しく遺伝子組み換えをしていないトウモロコシや麦を作ることで殆どの住民は生計を立てていた。
 それは戦後の混乱期にも変わる事無く、苦労を重ねはしたが住民の努力と犠牲によって細々と農地を維持しながら極寒の11年を過ごしている。

 その町並みの中の一軒、11年の風雨と氷雪にさらされてボロボロになった民家から一人の男が現れた。年の頃は20代半ば、左目に走る大きな傷跡とそれを隠すサングラス、それに襟のついた海軍風の青いコートを着ている。
 彼こそ前大戦で無敵を誇った連邦軍のニュータイプパイロット、ジャミル・ニートその人であった。

 ジャミルが一軒家から出て街の通りまで出ると通りに停まっていたジープ車から15,6の少女が声をかけた。

「キャプテン、フリーデンから連絡がありました。荷物の搬入と代金の受け取りが完了、バルチャー組合への報告も済んでいます」

 ジャミルは少女の報告に黙って頷く。

 バルチャーとはハゲタカの意味である。だがこの時代にはもう一つ別の意味があった。対戦中の軍事施設跡を巡り兵器の残骸や電子部品を漁っては人々に売りさばく者達。人々は彼らをハゲタカになぞらえてバルチャーと呼んだ。彼らは時にお互いに戦い戦利品を奪い合うこともある危険な職業だがその分実入みいりは大きくこの荒廃した世界では魅力的な職業でもある。
 ジャミルは独立してからまだ日が浅いが、ニュータイプ戦士としてアチコチの激戦地に送られていたため誰よりも交戦地点や秘密施設などの位置に詳しく利益を上げることが多い。そのためたった数年で彼は近隣のヴァルチャーの中でも一目置かれる存在になっていた。

「それでキャプテン、お探しのクレアという女性には会えたのですか?」

「ああ。サラ、君がテキサスの廃棄施設で入手してくれたデータのおかげだ」

 クレア・アディール。テキサス州ラーフリン基地に所属。後方要員だったが終戦直前に妊娠して退役。
 その後の足取りは不明だったが故郷の記載があったためジャミル達はそれを頼りにこの街まで来ていた。

「いえ、キャプテンのお役に立てて何よりです。ところで……その女性とキャプテンとはお知り合いだったのですか?」

 サラは言葉の端に少しの嫉妬を滲ませていた。
 このサラ・タイレルという少女は元はジャミルが滞在していた町の町長の娘だ。町長といっても選挙や行政システムによって支えられた者ではなく寄り合いの代表。昔で言う商工組合の長というような意味合いが強い。
 彼女は当時駆け出しのバルチャーとして父と取引のあったジャミルに惹かれ、彼の独立――アルプス級陸上戦艦フリーデンの購入に合わせて半ば押しかける形でジャミルの副官となった。

「いや、彼女とは初対面だ。だが私は彼女の事を知っていた」

「それはクレアという女性が何か我々の活動に必要な情報を持っていたという事ですか?」

「そうじゃない。私は……ただ会うべきだと思ったんだ。彼女と彼女の子供に」

 沈黙するサラ。
 ジャミルは寡黙で理知的な男だが、時折こうして勘や直感をほのめかすことがある。占いや超能力といった類を全く信じていないサラはそれをジャミルが話題を避けるためのポーズだと考えた。

「……そうですか。ではせっかくの対面です。一度その親子をフリーデンにご招待しましょう」

 フリーデンの食料庫には今まで仕事で北米中を回る傍ら様々な町で買い集めた珍しい茶葉やお菓子がおいてある。子供がいる女性ならきっと喜んでもらえるだろう。
 サラの誘いには育ち盛りの子供にご馳走を振舞いたいという善意も含まれていたが、同時にジャミルが"一方的に知り合って"いるというクレアという女性を直接見極めたいという意図もあったのだ。
 だが彼女の思惑とは裏腹にジャミルは無念そうに首を振る。

「残念だが無理だ。クレアの娘は5年も前から行方不明、クレアも病気がちでここから離れることはできないそうだ」

「行方不明……! 身売り目的の誘拐でしょうか?」

「いや、恐らくは――」

 ニュータイプ研究所の手の者だろう、という言葉をジャミルは飲み込む。クレアの娘は生まれた時から不思議な力を持っていたという。
 そして今はまだ自分が目指しているニュータイプの保護活動をこの少女に知らせるわけにはいかない。

(ニュータイプ研究所……心当たりではユーラシアの大正製薬、ノルデナウ、ポールスター、そして北米のアルタネイティヴ社、ティタノテクトン……どこも研究のためには過激な人体実験をも厭わない組織だ。もし本当にそんな所に連れ去られていたのなら彼女の娘の命が危ない……今後は情報屋と接触してその線で当っていかなくては)

 ジープに乗って郊外に停泊していたフリーデンに戻る二人。
 補給の確認の後、艦の進路を最寄の街に発進の準備をさせようとするが――

「キャプテン、大変だぁ!」

 デッキに乗って館長席に座るなり、日系人の少年が慌てた様子で転がり込んできた。

「どうしたのよ、シンゴ!? そんなに慌てて」

 サラが少年のあまりの剣幕に驚いた様子で問いかける。

「ま、町に12機のMSが接近中! 数はドートレスタイプが4、ジェニスが8!」

「なんだと!?」

「先日ここから北東40kmのカーネルスタリオンシティを襲った夜盗のようです! このままでは……」

「すぐに救援依頼のバルチャーサインを出せ! ロココとナインはどうだ?」

「本人達は行けると言っていますが……」

 現状のフリーデンの戦力はドートレス3機。ロココとナインとはフリーデンのメカニックである。
 二人のMS操縦技術はお世辞にも高いとは言えず、下の中、あるいは下の上くらいがいいところ。戦闘どころか本来なら搬入や搬出のために少し動かすぐらいが関の山なのだ。
 しかも今回は町で売るドートレスを修理するために彼らは2日徹夜している。
 フリーデン一行は危険な地域を通る時は必ずフリーのモビルスーツ乗りを雇っていたが生憎、今回は暇を出していた。

「止むを得ん……私が出る!」

 きびすをかえして格納庫へ向かうジャミル。

「キャプテン!? しかし、あなたは――!」

 叫ぶサラ。だがジャミルは振り返る事無く気密扉の向こうへ行ってしまった。

***ロコシティ 市街南部***

「ヒャハッハッーーー!! いいぞ、抵抗しろ! このオレ様をもっと楽しませて見せろー!」

 夜盗は叫ぶと100mmマシンガンを街に向けて乱射する。戦術機の主力兵装を遥かに超える重量と威力を持つ弾丸は容易く高射砲や建物を打ち抜き、マズルフラッシュがひらめくたびにロコシティの防衛装備は沈黙していく。
 だがロコシティの町民も黙ってやられているわけではない。無事な高射砲から弾幕が張られ、歩兵用の携行ロケットランチャーを構えた人影が夜盗達のMSに駆け寄る。

「そんな豆鉄砲が効く思ってるのか? こっちはMSモビルスーツに乗ってんだぜ!」

 カスタムされたジェニスのオープンマイクでそう叫ぶとバーニアを吹かして高射砲の弾幕を避け、ロケットランチャーを構えていた町民に向かって焼夷手榴弾を投げつける。
 本来MSに装備され対戦車、対防護施設用に作られた手榴弾は地面に届くと、設計どおりの熱量を発揮し町民とロケットランチャーを地面の黒いシミへと変えた。

「お前達! 燃やせっ、燃やしちまえ!!」

「「「おう!」」」

 彼に同意した夜盗達数人が同じように焼夷手榴弾しょういりゅうだんを使って町を焼き始める。
 榴弾の炎は直接威力を発揮するのみならず、大きく燃え広がり重火器や弾薬の集積所に引火して町の被害を一足飛びに増やしていく。

 フリーデンから出撃したロココとナインが到着したのはそんな時だった。

「奴ら……! 同じ人間相手にひでぇことしやがる!」

「この街にはキャプテンの知り合いもいるんだ。あんな好き勝手をやらせてたまるかよ!」

 メカニック二人は眼前の光景に歯を食いしばり、奇襲で仕留めるべくビームライフルのトリガーを引く。
 だがやはり二人の操縦技術の未熟さはいかんともし難く、ビームの一発は外れ、もう一発もカスタムされたジェニスの右腕を撃ち抜くに留まった。

「なんだぁ!? 今頃守備隊のMSがでてきたのか?」

「たったの2機で何ができるってんだよぉ!」

 新手に気づいた夜盗達は一斉に猛反撃を開始。12本のマシンガンから一斉に放たれた100mmの浸徹弾の弾幕が二機を襲う。
 ロココとナインはドートレスに装備されたMS用の盾を構えそれを防ぐが、超鋼スチールでできたそれらはあっという間にへこみ、あるいは削れて見る見るうちに盾としての機能を失っていった。

 相手は素人。
 経験豊富な夜盗達は一瞬で敵の正体を看破する。大方おおかた町でMSだけ購入してろくに訓練を行わなかったか、たまたま滞在していたMSの行商か何かだろう。
 この様子ならそう梃子摺ることはない。だがMSの操縦技術はともかく夜盗達もまた戦闘面で問題を抱えていた。

 こそこそと、夜盗の一人が先程撃ち抜かれて落ちたカスタムジェニスの右腕のほうに這い寄る。戦闘の間隙を縫って忍び寄ったジェニスの一機は飛びつくようにMSの右腕を拾うとすぐさま反転し、戦域を離れ始めた。

「ヘヘッ! もらったぜっ!」

「あ、テメェ! オレ様のパーツをどうする気だ!」

 右腕の無いカスタムジェニスは仲間の行動に気が付くと容赦なくマシンガンを向けてトリガーを引き絞り撃ち抜く。

「お、おい、そんなマジに……ぎゃああああああ!!」

 装甲の薄い背部からコクピットを撃たれたジェニスのパイロットは即死。
 だが今度は四散したジェニスの残骸に向かって6体もの夜盗のMSが殺到した。

「おい、お前ら! 何してんだ! 遊んでねーでさっさとあの2機を片付けろ!」

 カスタムタイプのドートレスにのった夜盗のリーダー格らしき男が通信で叫ぶ。

「へへ、あんなど素人の相手、5人もいりゃ十分でしょ!」 

「そうそう。俺らはその間にゴミ処理でもしておきますよ。ま、せいぜいこれ以上"ゴミ"を増やさないよう気張ってくだせぇ」

「お、お前らぁぁぁぁ!!!」

「おおっと!」

 怒り狂った夜盗のリーダー格のドートレスから味方に向けて銃弾が放たれるが、先程と違い十分に反撃を予想していた夜盗達は難なく射線から逃れ反撃に出る。
 状況は12対2から三つ巴に、さらに夜盗達は味方が被弾するたびにパーツを奪い合うため三つ巴から生存競争バトルロイヤルに。

「な、なんなんだ。一体なんなんだよ、これ……!」

 フリーデンのブリッジで戦闘の様子を見ていたシンゴ・モリがそう呟いたのも無理は無い。

――それはまさに地獄の坩堝のような光景だった。

 流れ弾の100mm口径弾が民家を襲い、ビームライフルがMSごと背後の官舎を貫く。倒れたMSは数十人が逃げ込んだ退避シェルターを押しつぶして、サーベルは触れるだけで道路のコンクリートを沸騰・爆発させ、バーニアの余波は周囲にいた住民を車や電灯ごと吹き飛ばす。

 そこは少なくとも戦場では無かった。戦場ならば守るべき交戦規定と戦友があり、全ての戦力は敵と味方にキチンと別れて殺しあう。
 だがこの場は違う。12人の盗賊たちが欲望から先程まで仲間だったMSを狙いそのついでのように住民を殺していく。まるで憎悪と怒りだけを際限無く膨らませていく蟲毒の壺だ。
 ロココとナインは勿論町への被害を避けたいのだが、彼らが街から離れればもはや乱戦を停める手立てはなくなってしまう。13体の鋼の巨人が武器を振るい入り乱れる決戦場となった町はさきほどとは比べ物にならない速度で被害を拡大させていく。

 その中にはジャミルが先程訪ねたクレアの家も含まれていた。



―― 一方フリーデンのMS格納庫。

 薄暗いコックピットの中、ジャミルはMSを動かすために必死で足掻いていた。

「……くっ! やはり……駄目なのか!」

 脂汗を流し、何度も吐き気を催しながら、気力でなんとかフリーデンから出撃せんとするが、ドートレスはデッキの中でギシギシと音を立てて軋むだけ。操作を受け付けない……いや、操作しようとするジャミルの意志を彼の体が拒んでいるのだ。

「うぅ……」

――操縦桿を動かすたび、サテライトキャノンのあの圧倒的な破壊力を思い出す。

 手から汗が滲み出し、ブルブルと腕全体が震えだす。

――足を伸ばすたびに、自分の間近をコロニーが通り抜け大気に焼かれながら地球に落下していく様を思い出す。

 フットペダルはまるで溶接されたかのように重くドートレスの足回りを泥沼のように固めてしまう。

――息をするたび、己の"能力"を失った瞬間が蘇り、ニュータイプの力に思いあがっていた自分を苛む。

 胸が締め付けられるように苦しい。ここは大気のある地上なのに、まるで真空の宇宙に放り出されたかのようだ。

「こんな……こんな体たらくで、本当に元ガンダムパイロットと呼べるのか……!」

 "コックピット恐怖症"。それがジャミル・ニートが背負った戦争の後遺症である。
 すべての原因は第七次宇宙戦争、その最終決戦の中でコロニー落としを阻止するためジャミルが放ったサテライトキャノンの一撃がきっかけだった。
 ジャミルが成功させたコロニー落とし迎撃は偶然と、戦友である"彼"の犠牲による産物でしかなかったが対宇宙要塞、または質量兵器破壊のために作られたサテライトキャノンの威力を目の当たりにした宇宙革命軍のザイデル・ラッソ総帥は万が一あの兵器がこれ以上量産されることになれば全コロニーが脅威に晒されるとし、本来恫喝の手段でしかなかったコロニー落としを強行する。

 結果論だがジャミル・ニートはうまくやりすぎたのだ。

 もしジャミルがGXの能力を90%程度しか引き出せない並みのNTであればあの作戦でのコロニーの撃墜率は目標の半分もいかなかっただろう。あるいはあの時、"彼"の能力を足止めに十分と考えずに任務を捨てて"彼"と一緒にランスローと戦っていれば少なくともGビットは磨り減りGXは本来の迎撃能力を発揮できなかったはずだ。そうすればザイデル総帥もあそこまでサテライトキャノンを危険視しなかっただろう。
 自分の能力と過信が引き起こした人類史上最大の悲劇。あの時、世界中から聞こえた数億、数十億の死者の苦痛や感情はそれまでのジャミルの矜持や価値観を吹き飛ばして余りあるものだった。そして何より平和な世界を見せるという約束があったにも関わらず、自分の一撃は地球に取り返しのつかない傷を負わせ、約束を果たす機会を永遠に反故にしてしまった。

"――ジャ――ル――ッ!"

「ぐっ……」

 突如、激しい頭痛がジャミル襲う。
 同時にそれまでかろうじてバランスを取っていたドートレスは数台のクレーンを巻き添えにして金属のワイヤーを何本も引きちぎりながら悲鳴のような音を立てながら倒れこんだ。

 外では相変わらず激しい砲声と爆発音が鳴り響いている。ロココとナインはまだ戦っているのだろうか。
 メカニックである彼らですら戦っているというのに、自分はようやく会えたクレアを守るどころか、倒れたMSを起き上がらせる事もできない。
 惨めさと悔しさと自己嫌悪がこみあげる。

「これが今の私……。私に、こんな! こんな男に価値なんてあるはずない! 君に命がけで助けてもらうような価値などあるわけが、ない……」

 コックピットのモニターにサングラスから零れた熱い雫がポタポタと降り注ぐ。

"――――――ッ!"

「誰か……助けてくれ。誰か、誰でもいい……! 私では駄目なんだ! クレアと、彼女の娘を……この町を、ルチルを、ニュータイプを、地球の皆を……私を……」

 この暗黒の世界を変えられる人間……それは"彼"のようなニュータイプなのか、あるいはかつての戦争を戦ったブラッドマンやザイデルのような人間か。ジャミルにはわからない。

 頭痛が段々と酷くなる。頭の中で誰かが、遠いどこかから語りかけているような気がする。だが能力を失ったジャミルにとって、その誰かの精神による接触は多大な苦痛を伴っていた。
 耳や涙腺から血が流れ、意識は白く濁っていく。


"――ジャミル、ジャミル・ニート! 俺が助けるよ! きっと助けてやるよ! だから、俺の名前を呼んでくれ! 俺の力を感じてくれぇーーーっ!"

 異世界から届いたその言葉を聞き届けるよりも早く、ジャミルはその意識を閉ざした。






『キャプテン、近隣のバルチャー艦から援軍が到着しました! ロッソ・アラマンタとローザ・インテンソ一味です! …………キャプテン? キャプテン!?』





[32864] 9、「待っています」
Name: 大蒜◆9914af20 ID:86f1a2a8
Date: 2012/05/18 20:43
9、「待っています」~Muv-Luv:RedCyclone~


***1987年 6月19日 ソ連領アラスカ タルキートナ国連軍基地 基地司令室***


 ザンギエフとユーリーの"実機演習"から一週間。
 セラウィクから帰ってきたヴィクトール・ガスパロフ基地司令は執務室で数年ぶりに友人であるミハイル・ザンギエフと再会した。

「久しぶりだなミハイル」

「ああ」

「直接会うのはハバロフスク以来だな。私は国連軍のこんな後方にいるが君の噂だけは相変わらずよく耳にする」

 ザンギエフは大佐、ガスパロフは少将だが二人の会話には階級の壁がない。
 それは国連軍とソ連軍という垣根がもたらした気安さであると同時にガスパロフのザンギエフに対する信頼の表れでもあった。

「オレもちょくちょく貴様の噂を聞く。それで、例の手続きは済んだか?」

「済んでいるとも。あとはミハイル、君がここにサインすれば終わりだ」

 ほがらかに笑いながらそう言ってガスパロフはデスクから取り出した書類をザンギエフに手渡す。
 書類には国連軍の公用語である英語で国連軍タルキートナ基地が備品の譲渡に合意する旨の記述がされており、ソビエト連邦政府が幾つかの付帯条件に加え2100億ルーブルを支払うことでオルタナティヴ計画の産物である"生体部品"を買い取るとされている。

「しかし……今更ながら馬鹿げた話だな。たかだか人工ESP発現体の2体……いや、実質1体だったか。原価2億ルーブルもしない物のために国連にこんな大金を払うとは。君は一体この予算をどこから引っ張ってきたんだ?」

「殆どは先月KGBが逮捕した我が国の政治局長官が米国への脱出資金として不正に貯蓄していたものだ。立場から事件を公にするわけにはいかず、かといって悪戯に官僚どもに使わせるには多すぎる金額だったので宙に浮いていた」

「ふむ、では残りは?」

 ザンギエフは黙って懐に手を入れると内ポケットから黒いカード――ソビエト連邦内で使われている電子マネーカードを取り出して見せる。

「なるほど。だがいくら世界的英雄といえどこれだけの散財は厳しいだろう。そもそも、何故それほどあの子供にこだわる?」

「……理由は色々ある。だがその最たる物はオレの直感だ。あの子供はきっと党と祖国奪還を待つ同胞の役に立つ。故に金など惜しくない」

「相変らずの頑固一徹め。それで大抵うまくいくところが羨ましい。……ところで"もう一つの条件"も忘れていないだろうな? 君の要望を通すために私は随分苦労したんだぞ」

 いくらホスト国であるソ連が大金を出すと言っても国連――特にアメリカは他国がオルタネイティヴ計画を私物化するのをよしとするはずが無い。
 故にザンギエフが払った金額の一部はアメリカの外務省高官や国連の官僚たちを買収するのに使われ、残りの買収を受け付けない人間――特に以前からソ連とオルタネイティブ3の癒着関係を批判していた国連事務次官補のゲンジョウサイ・タマセを中心としたグループを説得するためにこの国連軍少将はこの一週間殆ど寝ずにアラスカとアメリカ中を渡り歩いていた。

「……わかっている。議会にいる私の"友人"に頼んで党のポストを用意させた。あと一週間もすればお前が指名した通り、同志ヴァシチェンコはしかるべき役職を得るはずだ」

素晴らしいハラショー! これで国防省とKGBへのおおよその根回しは完成した。あとはこのオルタネイティヴ計画を成功させれば、私は晴れて党中央委員会入りだ」

「ヴィクトールよ。お前は党に入って何をするつもりだ?」

 ソビエトの中央委員会とは民主主義国家で言う国会のようなものだ。そこは国家の最高意志決定機関であり未だ外国人が参加できたためしはない。

「何を、とはくだらないことを聞くのだな。私が望むのは真の公正と平等を体現した国家だ。だが社会主義化したソ連は外からでは変えられん。ならば中央に入ろうというのは当たり前の考えではないか」

「そうか……お前は変わったな」

「私が? そうかな?」

「ああ。以前の――チェコ動乱で過激派や腐敗した政府を相手取っていた頃のお前ならこんな回りくどい手は使わなかっただろう」

 チェコ動乱。
 1978年に発動されたパレオロゴス作戦の失敗によって起こった歴史上二度目の"プラハの春"である。
 当時のチェコはチェコスロヴァキア共産党政府つまり事実上ソビエト連邦の支配下に置かれており東側陣営として東ドイツやフィンランドなどの東欧国家と共にワルシャワ条約機構の一員としてBETA戦線を支えていた。だがパレオロゴス作戦以降、BETAはユーラシア北西部で猛攻を開始、頼るべき盟主であるソ連は広大な領地の東西で分けられ支援の手は途絶えてしまう。
 東からは間もなく押し寄せるであろうBETAの波、最悪の場合海を隔てたイギリスや合衆国、それにアフリカに退避できる西側諸国と違い単なるソ連の衛星国家でしかないチェコには逃げ場が無い。

 この極限状況においてチェコスロヴァキア政府はまったく突然にワルシャワ条約機構からの脱退とソ連の管理下を離れて自由主義経済への転換を宣言した。それは一部国民の意志もあったがほとんどは国家を実質的に取り仕切っていた共産党の幹部達の暴走から行われたことである。
 だがそんな独断の結果、後方支援を担っていた工業国家の突然の撤退は東ヨーロッパでBETAと戦っていたワルシャワ条約機構に少なくない被害を与え、西側諸国も何の相談も条件も無く勝手にBETAとの戦闘を放棄したチェコスロヴェキアを公式に非難するなど諸外国からの政策に対する反応は最悪と言えるものであった。
 また国内でも準備期間の無い国家改革に選挙法や経済法の変更などが間に合うはずも無く、組織体制や官僚や政治家の意識は強権的だった社会主義国家であった頃のまま。しかも自由主義への転換によって長年チェコ人から受けていた民族差別や貧しさから解放されるはずだった少数民族スロヴァキア人やハンガリー人はそのねじれを解消するために今まで以上の重税や差別に晒されることになる。
  
「あの頃か……そうだったな。とにかく恐ろしい時代だった。我が国はBETAの脅威に加え、外からはソビエトとアメリカから外交圧力、私の住んでいた田舎町でも夜になれば血に飢えたスロバキア人やモラヴィア人が我々チェコ人を襲おうと外をうろついてた。……尤も、その逆の場面も何度も目撃したがね。ともあれ、当時はまだ守るべき祖国があった。滅びは確実だったが同胞の名誉と地位を守るためなら私はどんな手でも使っていただろう」

 そして1980年に入り中欧にまでBETAの足音が近づくとチェコスロバキアで加熱され続けていた民族問題、経済格差、外交的軍事的政治的問題など人類が知る限り殆どの社会問題が一斉に爆発する。単なる暴徒でしかなかったそれぞれの民族主義の過激派は軍閥となり、それを抑制すべき旧共産党チェコスロヴァキア政府の上層部は立場を利用して自分の亡命先を探すためだけに腐心し始める。
 つまりこの時点――BETAの大規模侵略を目前にした1980年の時点で―チェコスロヴァキアという国家は空中分解し無政府状態になったのだ。本来なら、あるいは世界情勢が健全であれば周辺国家はチェコスロヴァキアがこのような事態に陥る前に援助の手を差し伸べただろう。経済援助、移民先の確保、又は軍事的介入があればチェコスロヴァキアはこうも簡単に崩壊しなかったはずだ。
 だが当時は混迷の時代。まだ国連の力も弱く、大国からも東西両陣営に同時に喧嘩を売った国家に手を差し伸べようという意見がでるはずもない。

 かくして一時は工業国家として世界中に名を馳せた国家チェコスロヴァキアは一夜にして人類の欲望と怨嗟の渦巻く地獄の釜ような場所となった。

 ヴィクトール・ガスパロフの名が聞こえ始めたのはこの頃である。

「……まあ昔のことはもういい。それよりもミハイル。これからどうするつもりだ?」

 これ以上の回想は無用だと判断したガスパロフは話題を打ち切ってザンギエフに新たな話題を振った。

「ひとまずはアイツが目覚めるのを待つ。その後はA-01の衛士おぼっちゃんと一緒に前線に連れて行くつもりだ。元々私はこのタルキートナ基地には教導の為に来たのだからな。他の人工ESPの第五世代とやらがまだ何年も戦術機に乗れない以上私がここを離れることに問題はあるまい」

「やれやれ、A-01はあの子供のついでか? 無事に帰してくれるんだろうな?」

「今はBETA共もヨーロッパの蹂躙に忙しくこちらへの圧力は弱い。多少危険でも将来ハイヴ突入を考えるのならばA-01は今の内にノギンスクハイヴの間引きや北欧戦線で力をつけておくべきだ」

「ふぅむ……まあ軍事に関しては君が専門だ。ここは君を信用するよ。だが、こう見えて私の手駒は少ない。全滅は避けてくれよ」

 ガスパロフは明らかに納得していなかったが、長い付き合いのせいで自分が文句を言ったところでこのモヒカンの巨漢が衛士の教育にまっとうな手段を使うはずがないのはわかっている。

「約束はできんな。頼むなら俺達が戦うBETAにでも言ってくれ」

「ふん、連中に耳さえあればな……っと」

 ガスパロフは己の言葉を遮りLEDの青い光を点滅させる端末に目を落とした。
 報告は医務室からだった。

「ミハイル、朗報だ。例の子供が目覚めたらしい」

「そうか。ならば明日には本土へ出発する。世話になったな」

「明日か?」

 ガスパロフが本気で驚いた様子で言った。

「久々の後方なんだろう? ゆっくりしていかないのか?」

「私に休息は不要だ。それに…………いや、なんでもない。また会おうヴィクトール。今度会う時はセラウィクの党大会かもしれんがな」



***???***

――懐かしい夢を見ていた。

 それは彼の元いた宇宙への移民が当たり前にある世界、MSが躍動し戦う世界、そして自分の死と誇るべき戦友が作った戦後の世界。
 だが夢の中の世界はユーリーの思っていた姿とは大きくかけ離れていた。凍りつき穴だらけの大地、僅かな燃料や食料にしがみつく人々、そして戦争で心に傷を負い自責の念で涙を流すジャミルの姿。

 こんなはずではなかった。

 確かにユーリーは自分の意志に反して連邦軍のパイロットにされたが、少なくともこんな世界を望んであの辛い戦争を戦ったわけではない。自分は戦って戦い抜いて、地球を守り、知り合いや愛した女たちを守り、そしてかけがえの無い戦友をを命がけで救って死んだ。そのはずだったのに――

『こんな……こんな体たらくで、本当に元ガンダムパイロットと呼べるのか……!』

 世界の壁を越えて触れたジャミルの心。そこに浮かぶのは全ての元凶たるコロニー落としの光景。究極とも言える後悔と自責の念。
 あの戦争がもたらしたのは破壊だけだ。大儀を果たした訳でも平和を手に入れたわけでも無い。死んだ人間ユーリーに何も残らなかったのは勿論、あの戦争は戦って生き抜いたジャミルにも恐怖と後悔、そして己を知るもののいない孤独の地平だけを残しただけだったのだ。

"ジャミルーーー!! 俺は覚えているぞ! 最強のNTパイロット――ジャミル・ニートがどれだけ強かったか、どれだけ勇敢だったか!"

 ユーリーとジャミルという二人の感応能力があれば聞こえるはずの声はしかし、世界の分岐という分厚い壁と片方の能力の喪失によって届かない。

『これが今の私……。私に、こんな! こんな男に価値なんてあるはずない! 君に命がけで助けてもらうような価値などあるわけが、ない……』

"そんなことない! そんなこと、俺は…………"

 無力さからサングラス越しに涙のしずくを落とすジャミルの姿がユーリーにはリュドミラを守れなかった己の姿とかぶって見える。

 せめて声を、想いを送れればとジャミルの方へ手を伸ばすがその手は形すら持つ事は無い。
 何故ならユーリーはこの世界の人間ではないから。命を失い、肉体を失い、名前さえ失った彼にはこの世界へと干渉するための因果が無い。

『誰か……助けてくれ。誰か、誰でもいい……私では駄目なんだ! クレアと、彼女の娘を……! この町を、ルチルを、ニュータイプを、地球の皆を……私を……』

 救いを求めるジャミルに触れるためにユーリーは感応を更に高める。それがジャミルを傷つける行為だと分かってはいたが、それでもユーリーは世界の垣根を超え、再び戦友に声を届けるために全力を振り絞る。
 だが突如ユーリーの意識から音が、光が遠のいていく。まるで飴が熱で溶けるように今までかりそめの形として保っていた体は緑色の炎に包まれ形を失っていく。

 世界は異物を許さない。
 ただ静観しているだけならいい。だが因果も力も無いまま無理矢理に壁を破壊し人の心に触れようとするユーリーの行為にこの世界は猛烈に反発したのだ。

 ユーリーの魂が急速にこのジャミルのいる世界から切り離されていく。

"――ジャミル、ジャミル・ニート! 俺が助けるよ! きっと助けてやるよ! だから、俺の名前を呼んでくれ! 俺の力を、感じてくれぇーーーっ!"

 せめて最後に、と思いユーリーは声を張り上げ既に無いはずの手を精一杯ジャミルへと伸ばす――


***同日 タルキートナ基地 オルタネイティブ第三計画医療局***

 ユーリーが眠っているベッドに近づく幼い少女が一人。
 ドアやカーテンに身を隠してキョロキョロと周りを警戒しながらまるで小動物を連想させるような動きでベッドに近づいていく。
 少女は部屋の入り口からたっぷり五分はかけてベッドにたどり着くとその上にかかっている名札を確認した。

「……この人が第五世代のアジン(一番)」

 無表情なまま、だが好奇心をもってベッドで眠る少年の顔をまじまじとみつめる。
 正面から、上からそして横から。何かを探すようにあらゆる角度から覗き込む。だが生憎と少女の探し物は見つからなかったようで、

「……光って、ないです」

 がっくりと肩を落として少女は呟いた。
 と、そこで目の前で眠るユーリーの唇が動いていることに気づく。

「――――れ」

「……?」

 それは本当に微かな音。
 よく聞こうと少女が耳を近付けたその時――

「―――てくれぇーーー!!!」

「ッ!!? ~~~~~~~~~~!!」

 跳ね起きた少年の額が少女の頭を強かに打ちつけた。

「なんだ? 目に涙が……? ……ってあれ? ここは?」

 キョロキョロと辺りを見回すユーリー。
 見れば自分は病室らしき部屋で点滴や計器に繋がれ、そして傍らには……額を押さえた女の子?

「なんだ、お前? 頭でも痛いのか?」

「――――ッ!?」

 手を差し伸べられてビクリと反応する。少女にとってはぶつけられた痛みや怒りよりも突然彼が目覚めた驚きのほうが強かったようだ。
 頭を押さえながら恐る恐るといった具合にユーリーの方を振り返る。

 少女の容姿は銀髪に碧眼、ウサギの耳にも似た奇妙なヘッドセットをつけている。年齢は5,6歳といったところか。

「お前……第六世代シェスチナか? 珍しいな、シェスチナと会えるのは特殊カリキュラムだけかと思ってた」

「……ラフマニノフ教授に、特別に許可をもらいました」

「へぇ、あの爺さんがねぇ……女の子の知り合いができるのは大歓迎だから別にいいけどな。俺はユーリー・アドニー・ビャーチェノワだ。お前は俺に"なんて呼んで欲しい"?」

 不思議な含みを持たせてユーリーは言った。

「…………? 私は第六世代のトリースタ(300番)です。他に型番はありません」

「そうか……ま、いいさ! 特に要望が無いなら、今から俺はお前をチビと呼ぶ。何故なら俺より小さいからだ。いいな?」

「……不合理です。私より背の低いシェスチナはいくらでもいるのに……」

「その時はその時だ。そいつには別の呼び方を考えてやるさ」

「………………」

 トリースタは理解しがたい言動をリーディングで読み取るべく彼を凝視する。だが第六世代最高峰と言われた彼女の能力をもってしても彼の特性は破りがたく、僅かに見えたのは感情の残滓のようなはかない色だけ。

「で、チビ。お前俺に何か用なのか?」

「……ひかり」

「は?」

「光を見に来ました」

 端的過ぎる表現に今度はユーリーがいぶかしむ番だった。

「光? 電灯ならここの天井にもついてるだろ? それとも日の光のことか?」

 首を振って否定するトリースタ。

「……どちらも違います。光っていません」

「……なあチビ、ひょっとしてお前目でも悪いのか? それとも頭が悪いのか?」

 ユーリーは真剣に目の前の少女の健康を心配して言った。
 だが相手は人工ESP発現体、特に第六世代シェスチナとしてESP能力への影響を抑えるために、感情を芽生えさせる要素を徹底的に排除した教育を受けてきた少女である。トリースタは特に考えもせずにに医者の問診のように淡々と自分の状態を答えた。

「……いいえ。私の視覚と脳機能は正常です」

「そうか? うーむ、絶対何かがおかしいと思うんだがなぁ。ま、いいや。よくわかんないけど、俺も一緒に探してやるよ。多分、お前にしか見つけられないものなんだろう?」

「それは……はい」

 トリースタは自信なさげに頷く。
 確かにF-14に乗ってあの模擬戦を観測したシェスチナの中でも"あの光"を観測できたのは自分だけだ。だが内心ではあれだけ力強く暖かい光を何故他の姉妹達が見つけられなかったのか疑問に思ってもいた。

「その代わりちょっと教えて欲しいんだ。リュー……俺の双子の姉さんが多分この建物のどこかにいるはずなんだが、知らないか?」

「姉さん……? リュドミラ・アドニー・ビャーチェノワ……?」

「そうそう! おお、わかるのか?」

 コクンと頷き部屋を立ち去ろうとするトリースタ。
 ユーリーは慌てて己にまとわりつく点滴や計器を引き剥がして彼女を追いかけた。

***同施設 B1F 集中治療室***

 リュドミラの病室は思ったよりずっと遠くそしてずっと厳重な医療体制が整えられていた。
 ベッドの周囲は何層にも渡ってビニールシートのテントによる防疫対策がとられ、部屋の外から見えるだけでもユーリーの身長を超える装置や色とりどりの薬液が入った点滴がいくつも見える。
 ただ不審な事にこれほど熱心な治療が行われているにも関わらずこの部屋には医療スタッフが一人もいない。部屋の鍵は勿論、テントの外にはご親切にエプロンや消毒液までもが用意され彼女に会う手はずが完璧に整えられていた。
 ユーリーもそのことを怪しく思ったが、あくまで目的はリュドミラの見舞いである。誰の目論見であれ今は有効活用させてもらうしかない。

 トリースタとともにシートの前にあった装束一式を素早く身につけると、深呼吸をしてビニールのカーテンを潜り抜けた。

「よお、リュー。元気にしてたか?」

 返事は無い。
 ベッドにはあの時、演習場で見た姿をそのまま凍らせたようなリュドミラが眠っている。唯一の違いがあるとすればその頭部。頭蓋骨の手術のため彼女が自慢にしていた髪は全て剃られ、変わりに白い包帯が隙間無く頭を覆っているぐらいか。
 周囲の機材と彼女のバイタルモニターを見てユーリーはリュドミラがいつ目覚めるともしれない植物状態であることを悟った。

「元気……なわけないよな。ごめんな……俺が馬鹿だったせいでこんな風に……」

 そんな彼女の姿を見て改めてユーリーの心に強い悔恨が湧き上る。それは敗北の屈辱や力への渇望を上回る程の思い。過ぎ去った時間への狂おしいほどの郷愁であった。

 そっと両手で血の気の無い彼女の手を握る。

「――俺さ、夢を見てたんだ。"昔"の、俺が救った大切な友達が出てくる夢だ。夢の中はすっげぇ寒そうで貧しくて……どいつもこいつも生きるのに必死で殺気立ってて…………アイツ、泣いてたんだ。――ハハッ、酷い奴だよな、俺って。自分には特別な力があるから、友達も地球も救えたから、だから今度もきっと一人で切り抜けてみせるって粋《いき》がって……。でも全部さ……全部、俺一人の思い込みだったんだ。友達は全然救われていなかったし、お前をこんな目に合わせて、勝てるとタカを括っていた戦術機でもザンギエフのおっさんにボロクソに叩きのめされた……!」

 思えば生まれ変わって八年。唯一の家族であるリュドミラには自分の秘密や本音を打ち明けたことは一度も無かった。彼女が嫌いであったわけでも無関心であったわけでもない。自分に最も近しい存在であるとわかっていながら、ユーリーは初めて得た肉親という相手にただ戸惑っていたのだ。

「こんなことなら! お前を、アイツを傷つけるだけなら、記憶なんて! 力なんてなければよかった! 自由なんて求めないで、ただ人間兵器としての運命を受け入れていればたとえ…………たとえすぐBETAに殺されるだけの人生でもお前と死ぬまで一緒にいられたのに……」

 ユーリーには確かに力がある。前世ではニュータイプまたはガンダムパイロットとして。この世界ではESP発現体であり第五世代として期待された衛士としての申し分ない力を持っている。
 だが彼の力は唯一の、そして絶対の物ではない。彼の操縦技術はランスロー・ダーウェルやジャミル・ニート、ミハイル・ザンギエフには及ばず、人類を革新に導くはずのニュータイプとしての感応能力は戦争の趨勢を変えるどころか半径50mまでしか発信できないという欠陥を抱えている。
 そんな中途半端な人間が世界を救い、自由を得ようとした結果があのジャミルと今のリュドミラを生んだのだとユーリーは深く後悔していた。

 大きく息を吸い、己の決意を胸に決める。

「……リュー、俺はもう自分の未来は望まない。戦って死んでも、オルタネイティブ計画に実験で殺されても文句は言わない。でも……どんなことになっても、どんなに苦しくても必ずお前を元通りにしてみせる。どうすればいいか見当もつかないけど……死ぬまでにこれだけは絶対になんとかしてみせる……!」

 固い固い決意を最愛の姉に誓う。
 だが変化は彼の心中以外にも起こっていた。それまで彼の隣にたたずんでいるだけだったトリースタが小さな声をあげる。

「―――あっ」

(――――!? 光が! でも、どうして!?)

 その場で唯一、変化に気付いたトリースタは声をあげ驚きで大きく目を見開きながらリュドミラの方をじっと見つめた。

(どうしてリュドミラ・・・・・・アドニー・ビャーチェノワ"の中にあの"光"が……?)

 それは間違いなく"光"だった。生気のないリュドミラの体を包む光。優しくて暖かい――トリースタがもう一度見たかった心の光だ。

 トリースタの思考を疑問が埋め尽くす。あの"光"は突然変異であるユーリーの物ではなかったのか。それが何故、普通のビャーチェノワ、それも昏睡状態の彼女から発せられるのか。双子だから? 姉弟きょうだいだから? それとも単純に彼に深く関わっているから?
 改めてユーリーを凝視してみるが彼からは相変わらず感情の残滓しか拾えない。そして"光"を持ったリュドミラの方も感情や思考はフラットで相変わらず目を覚ます気配はなかった。

 ――だが考えられる原因はこの男以外有り得ない。この光は試験管で生まれた突然変異にして第五世代"二番目"の一番、ユーリー・アドニー・ビャーチェノワが起こした物だ。
 どうやったのかは分からないが、この光は彼だけでなく他人も持つことができるらしい。

 じっと自分の胸を見つめるトリースタ。
 リーディング能力では自身の感情を見ることはできない。だがこの二人に宿った物は自分の中には無いと断言できた。

(もしも、もしもこのベッドに眠っていたのが私だったら……私がこの人と姉弟だったら……私にもこの光が……?)

 思い出の無いこの人形のような自分の中にもあの暖かい光が宿ったのだろうか。とトリースタは考える。

――静かな音と共にICUの扉が開かれたのはその時だった。

「見舞いは済んだか、ビャーチェノワ」

 屈み込むようにして扉を潜ってきたのはミハイル・ザンギエフ。彼は無菌状態のカーテンには近づかず壁際にもたれかかったが、距離があって尚これほど大きく見える巨人がトリースタには恐ろしく見えたらしく彼女は俯きながらユーリーの背に隠れた。

「ああ、済んだよ。それと、ありがとうな。アンタなんだろう? リューにちゃんとした治療をさせて、俺のために人払いをしてくれたのは。オルタネイティブ計画の奴らじゃ用済みは即廃棄だからな」

「……事故とはいえ、怪我を負わせたのはオレだ。いつ目覚めるのかはわからんがそれまで責任は取る。その代わり、分かっているな?」

「アンタの下でソビエトのために戦えば良いんだろう?」

「そうだ。貴様は本日より中央政治局直属独立部隊の二等兵として我が軍に登録された。明朝0700時にここを発ち前線に出る事になる」

「二等兵!? おいおい、衛士の階級は少尉からだろ!?」

「特例で認めさせた。正規訓練ブートキャンプも受けていない身分なら十分な優遇だろう。……なんだ? 不満があるのか?」

「…………いや、いいさ。階級がなんだろうと同じ、俺は戦うだけだ」

 唇を尖らせながらユーリーは渋々自分の境遇を受け入れた。

――クイクイッ

 自分の袖を引っ張られる感触にユーリーは振り返る。

「……あの、ユーリー……兄さん。もうここには帰ってこないんですか?」

 ユーリーは兄と呼ばれたことに少し驚いていたが、すぐにトリースタの切実な様子に気付くと、励ますように彼女に笑いかけクシャクシャッと小さな頭を撫でた。

「心配するなって! 俺は絶対に帰ってくる。また会えるさ」

「………………」

「その頃にはお前も大きくなってもうチビとは呼べなくなってるかもしれないけどな。大丈夫だ。戻ってきたらちゃんとリューだけじゃなくチビ、お前にも会いに来る。約束するよ」

「……はい。私待っています。きっと、ザンギエフさんみたいに大きくなって兄さんを待っています」

 ザンギエフの身長=214cm 体重=121kg

 ユーリーは頬を引き攣らせながら、喉から辛うじて"ほどほどにな"とだけ答えた。




[32864] 10、「大佐を信じて突き進め!」
Name: 大蒜◆9914af20 ID:86f1a2a8
Date: 2012/05/18 20:44
10、「大佐を信じて突き進め!」~Muv-Luv:RedCyclone~


***1987年 6月25日 ソ連領シベリア軍管区イルクーツク州***


『CPよりレッドサイクロン。ポイントGー17から支援砲撃に対するレーザー照射を確認、大隊規模と推測されます。司令部より至急の光線級の要撃ようげきが要請されました』

「引き受けた。こちらからは私と配下の2個中隊が行く。増援は不要だ」

了解ダー

 CPからの通信にミハイル・ザンギエフが2体の要撃級を同時に撃ち殺しながら答えた。

 彼が己の部下と配下のA-01と共に出撃し戦闘を開始してから既に2時間。侵攻してきた師団規模のBETAに対してソビエト連邦第41軍・36軍共同の防衛線は戦闘を続けていた。
 軍隊という組織の中では異色の独立行動権を持つザンギエフの部隊は司令部から借り受けたCPから情報を受けつつ適時ザンギエフ独自の判断、あるいは軍司令部の要請に答える形で戦場を移りながらこの戦闘に参加している。

「ヤスタラヴ中隊、ゼムリャ中隊! 60秒後にポイントG-17の光線級の排除に向かうだ。それまでにここを平らげろ!」

『『……了解《ダー》』』

 ザンギエフからの命令を受けて両隊長―ヤスタラヴ01のマギン中尉、ゼムリャ05で臨時の中隊長であるハバロフ少尉から疲労の滲んだ返答が返る。汗をかき、息も絶え絶えな彼らはつい先程まで意気揚々と戦術機に乗り込んでいた若武者達とは似ても似つかない。
 だが無理も無い。彼らにとって今回の出撃は初めてBETAと相対する戦。それも純血のロシア人である彼らは被支配階級である少数民族を抑えるためにアラスカでは対人訓練ばかり受けてきたのだ。
 今回ザンギエフがアラスカから連れてきたA-01の部隊はアリゲートル1個大隊36機。エリートとして2年以上の教育と最新の装備を持って戦場に乗り込んだ彼らのうち、4機が死の8分を超えられなかった。(ちなみに最後のヴァダー中隊は現在別行動中である)
 ソビエトはエリートの士官候補生相手であっても実践の厳しさを教えてはいたが、そんなことで乗り越えられるほど死の八分は甘くは無い。

『大佐、レーダーに生体反応なし。周辺の敵の殲滅を完了しました』

「よし、各小隊はコンディションチェックとリロード。小隊の準備が完了し次第、中隊長の指示で楔弐型陣形アローヘッド・ツーを構築しポイントG-17のBETA群正面から浸透して後方の光線級を潰すぞ!」

『『『『『了解《ダー》』』』』』

 一つの山場を越えたからか、少し元気を取り戻したA-01の小隊長たちがザンギエフに答えた。
 その返事に満足し、頷くザンギエフ。

 光線級要撃は人類が戦線を維持する上で必要不可欠だ。何せ光線級がいると砲撃が出来ない、戦闘ヘリも飛ばせなければ戦術機の機動だって窮屈に身を屈めなければならない。だが驚異的な遠距離攻撃能力を持ち、尚且つ無数のBETA群の最後部で要塞級に守られている光線級を撃破するのは容易いことではない。目標はたった2m程度で防御力も無い小型BETAだが、無数のBETAの後方に位置するために戦術機部隊は敵を掻き分けこれらを射程に収めるまでに甚大な被害を負うのが常であった。

 だがこの部隊は普通の戦術機部隊ではない。
 現在、ザンギエフの手元にある戦力は、直属の3機とヤスタラヴ中隊12機、ゼムリャ中隊11機をいれて合計27機。いまだ前線の衛士の8割以上が第一世代のF-4《ファントム》かMiG-21《バラライカ》を使っている現状を考えればザンギエフのミドヴィエチ以外全ての機体が第二世代の戦術機で構成されたこの部隊はかなり恵まれている。

『大佐、BETA群と接敵開始しました』

「よし、各隊は突入を開始しろ! ウラァーーー!!」

『『『『『ウラー!』』』』』

 激に答えて2つの中隊が旅団規模のBETAに対して吶喊する。
 ヤスタラヴ中隊はさすがにエリート部隊を名乗るだけあってフォーメーションの展開は見事だ。
 ザンギエフは部下の三人を引き連れて、ゼムリャ中隊を援護できるように彼らの右後ろにつける。完全充足のヤスタラヴ中隊と違って中隊長という戦術の核、あるいは精神的支柱が戦死した彼らの動きが若干ぎこちない故の判断だった。

 最速の脚力をもち、怒涛のごとく迫る突撃級の群れ。
 ゼムリャ中隊はその進路を避けて、突撃級の脇をすり抜けると反転して突撃砲のトリガーを引き絞ると柔らかい背面を晒した突撃級たちに着弾したケースレス弾がパパパッと幾百もの小さな血潮の華を咲かせる。 

『やった! ざまあみろ、化け物め!』

『中尉の仇だ!』

 機体を振り向かせ、土煙と血煙をあげながら倒れこむ突撃級を確認してガッツポーズを取る中隊員達。だが間髪いれずに現れた新たな突撃級と要撃級の集団が雪崩れ込み、足を止めていた中隊員達を戦闘単位エレメント未満になるまでバラバラに引き離す。

「馬鹿者! 吶喊中は陣形維持と進路の確保だけに集中しろ! BETAの密集地で仲間とはぐれたら死ぬだけだぞ! ゼムリャ05! 今は貴様が中隊長だ。しっかりしろ!」

『は、はい大佐!』

 ザンギエフは中隊を守るべく匍匐飛行中《NOE》の機体の推力を上げて、中隊を分断していた要撃級を次々と屠っていく。そしてある程度進路が確保された時点で前方にいた要撃級とその周囲の戦車級を最小限の射撃で排除して敵の密集地の中に空間ポケットを作った。
 BETAの群れの中にできたポケットに素早く飛び込むゼムリャ中隊。彼らは大慌てで隊列を整え、BETAが再び押し寄せる前に飛び立った。

「レッドサイクロンよりCP、状況を報告しろ」

『CPよりレッドサイクロン、まもなく当該地域を担当する戦車連隊と砲兵師団のAL弾換装が完了します』 

「よし、カウントダウンを開始しろ。我々は重金属雲の展開と同時にBETA群後衛へと突入する」

『了解、A-01全機に通達。ポイントG-17への砲撃開始までのカウントダウンを開始します。240、239、238……』

 光線級がAL弾を迎撃することによって生まれる重金属雲は濃度さえ十分なら一時的にレーザーを無効化することができる。少数で敵集団を突破して光線級を倒す衛士にとっては命綱とも言える戦術だが、重金属雲には気化した重金属によるデータリンクの途絶や視界の悪化の他に、気温の低いロシアでは気化した重金属が冷えやすく効果時間が短いという欠点が存在する。そのため支援砲撃で重金属雲を発生させる際には戦術機部隊は厳密なタイムスケジュールに基づいて作戦を遂行する必要があるのだ。
 今回、CP将校コマンドポストオフィサーが提示した時間は4分弱。
 全中隊はそれまでに要撃級や戦車級の混在する最も危険な中央部を抜けなくてはならないがザンギエフが指揮するA-01は今回が初陣である。長く後方で訓練を受け続けてきた分、突撃級の処理などの単純な作戦行動は可能だが密集地での乱戦となると脆さが露呈し始めた。

『跳躍ユニットが――っ! 嫌よ! こんなところに置いていかないで!』

『誰か助けてくれ! 俺の機体のそこら中を、BETA共が!』

 ザンギエフの援護を受けて一時はペースを取り戻した中隊もBETAとの乱戦に巻き込まれた新米の衛士達から徐々に崩れて、悲鳴と一緒に損害の報告が上がり始める。本来なら大隊長のザンギエフではなく、それぞれの中隊長が受け持ち対処すべき情報だが初陣の中隊長達は自衛だけで精一杯でそれどころではない。

「落ち着け、ヤスタラヴ09! 破損した跳躍ユニットは破棄、エレメントは突入まで09の片肺飛行を援護しろ。ゼムリャ03、戦車級はオレが排除してやる。トリガーをロックしてそのまま動くな」

 ミドヴィエチがチェンソー型のCIWSを取り出しアリゲートルの装甲によじ登り歯を立てる赤いアリのようなBETAを次々と切り落としていく。ミドヴィエチが腕を振るうたびに両者の装甲に赤い物が飛び散り、アリゲートルの装甲に骨肉がへばりつく様子はまるで趣味の悪いホラー映画かなにかのようだ。
 戦場の例に漏れずに動きを止めた2機にもBETAが這い寄って来たが、幸いにも数が少なかったのであまり作業を邪魔されずに済んだ。

『大佐、ありがとうございます!』

「礼は後だ!」

『55、54、53……』

「チッ」

 CPのカウントダウンを聞き、ザンギエフはミドヴィエチのレーダーで両中隊の位置を確認するがどちらも期待したほど進んではいない。
 支援砲撃の開始まで既に一分を切っている。一応、発射から重金属雲の発生までタイムラグがあるが、このままでは展開と同時に突入するのは難しいとザンギエフは判断した。

(できればもう少しこいつらに経験を積ませてやりたかったが……)

 何しろ彼らは普通の部隊ではない。国連軍の最重要計画、オルタネイティヴ3直属の特殊部隊であり数年後にはハイヴ突入を命じられる決死隊でもあるのだ。対BETA戦闘の経験は多いほうがいいに決まっている。
 だが順調、とはとても言いがたい今のシベリア戦線の状況を考えれば光線級排除の失敗はとても容認できることではなかった。

「ここからはオレが先行する! ヤスタラヴ中隊は右後方に、ゼムリャ中隊は左後方からそれぞれ槌壱型陣形ハンマーヘッドワンで続け!」

 新米衛士達に経験を積ませる為にそれまで後方で睨みを利かせていただけだったミドヴィエチが一気に先頭に踊り出る。
 全力連射フルオートを許された二丁の突撃砲が激しく銃火を迸らせそれまでとは比べ物にならない速度で進路を塞ぐBETAを薙ぎ倒していく。両手に2丁そして背部兵装担架に2丁、計4丁の突撃砲を装備したミドヴィエチが発揮した火力は劇的だった。

―――― 一転

 まさに一転。ザンギエフが前に出た途端、それまで苦戦していたのが嘘のように中隊は前進を再開した。
 先頭に立つのはたった一機、たった4丁の突撃砲にも関わらずザンギエフの前進は突撃前衛2個小隊でも成しえなかった突破力を発揮する。
 BETAの死骸を踏みつけたミドヴィエチが吹いたマズルフラッシュが一息に7体の要撃級に赤い花を咲かせていく。最小限の銃弾で、しかし致命的な部位を撃ち抜かれた要撃級を後続の中隊がトドメを指す。彼が120mmキャニスター弾を用いれば台地を埋め尽くしていた戦車級は瞬く間に血肉の絨毯と化し、その腕を振るうたびに要撃級の歯を食いしばった頭部のような感覚器がまるで"黒髭危機一髪"のように宙に飛ぶ。
 その姿はまさにユダヤ人を導くために紅海を割った英雄モーゼのように。あるいは彼らの祖先で恐れ知らずの騎兵として世界中を席巻したコサック騎兵のように。

――高速機動戦闘

 人類が戦術機戦闘において開発した戦闘概念であり、第二世代戦術機の設計方針に大きな影響を与えた戦闘方法である。
 そもそもBETAを倒すことは戦術機に乗っていればそれほど難しいことではない。突撃砲の弾がある状態でロックオンさえできれば、極端な話衛士は引き金を引くだけでBETAを倒すことが出来る。勿論それでBETAに勝てるかといえばそうではない。BETAの中には36ミリの弾丸を弾くものが何種類もいるし、そうでない種ですらロックオン機能が間に合わないほどの物量で押し寄せるのが常だ。
 ならば戦術機はどうすればより安全に、より効率的にBETAを倒せるのか? 数多の犠牲と経験の結果、人類が導き出した結論は小型級が取り付けないほどの高速での射撃や運動エネルギーを利用した格闘戦――つまり素早く動いて素早く倒すということ。たったそれだけのことだが、それを戦術機の設計に概念として組み込み衛士に行わせるには2つの重大なジレンマがあった。
 尤も問題となったのは開発の遅れが深刻な電装周りだった。高速機動戦闘を行うためには飛行中に格闘攻撃をしても墜落しない繊細な姿勢制御機能やより早くより正確なロックオンシステムが必要とされる。
 先進電子技術を持つ米国ならともかく、1978年当時のソ連でこれだけ複雑な処理を行えるCPUの開発には数年はかかる。CPUの開発を待ち、そこから改めて本体の設計を始めるとしたらソ連の戦術機開発は再び米国に大きく遅れを取ることになる。(CPUは数を増やすことで並列処理に強くなるが最大処理速度は変わらない)
 そしてもう一つはそもそも高速機動戦闘という物に関して具体的なデータが無い事。そして具体的なデータを得るための概念実証機に十分な性能が無い事。つまり第二世代の機体を作るためには新しい概念である高速機動戦闘のデータが必要だが、そのデータを得るためには概念実証に用いる戦術機にも第二世代並みの性能が必要だったということだ。

 懊悩おうのうし迷走し始めるソ連の戦術機開発機関。だが程なくしてとある衛士から提出された戦術機の操作ログによって開発局を悩ませていた問題は一気に解決した。
 そのログはある衛士による実戦の記録――紛れも無い第一世代戦術機によって行われた高速機動戦闘だった。信じがたいことにその衛士は戦術機に足りない機能をマニュアルで――つまり毎コンマ秒ごとに変わる姿勢制御や射撃照準、果ては主機出力の調整までを手入力で――神懸かった早さと精密さで入力してMiG-21にその機動を実現させたのだ。
 ソ連の、いや世界中のどんなテストパイロットも成し得なかった偉業を果たしたその衛士は後にある特別な称号とミコヤム・グルビッチ、スフォーニ両局から共同設計された専用機を受け取ることになる。

『大佐、敵後衛まであと1500! あとはあの集団さえ倒せば終わりです!』

「オレが排除する! ゼムリャ、ヤスタラヴ中隊は速度と隊列を維持しろ!」

『ヒヨッコ共、聞いた通りだ! いいか、どんな時でもまっすぐ大佐を信じて突き進め!』

 トルストイ中尉がザンギエフが発した命令に合いの手を入れた。
 先頭を進むミドヴィエチが慣性で前進しながらも左の主機を前に、右の主機を後方に構える。突撃砲を構えたままの両手は左右へ、時計回りの推力を与えられた機体は凄まじい速度で回転を始めた。
 そうして全長18メートルの巨人が成したのはダブルラリアットの構え。

「ウラァアアアアアアアアア!!!」

――――ダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダッ!!

 BETAに向けられたのは先程の高速機動戦闘以上の破壊の嵐。
 両手と後部兵装、3方向に向けられた4つの銃口が360度回転しながら絶え間なく劣化ウランの弾丸を吐き出す。その度に戦車級が吹き飛び、要撃級が崩れ突撃級が血しぶきを上げて倒れる。レーダーを埋め尽くしていた赤いエネミーマークが消え、三条の螺旋の空白がレーダーに刻まれていく。しかも360度の全周攻撃をしているにも関わらず側を通り、時折射線を遮る中隊の戦術機には一発も当てていない。
 精密にして豪快、捨て身にして絶対勝利のそれは一個人の戦い方としてはあまりに壮絶で破天荒な戦闘法。

『な、なんであんな回転の中で照準が付けられるんだ!?』

『あんな事、本当に人間ができるのかよ!』

『信じられない! 信じられない!』

 BETAの反応を示す赤いクリップマークがまるでミドヴィエチに吸い寄せられるように近づきそして消えていく。BETAの残数を示すカウントは狂ったようにその数字を低下させる。

 目の前で起こった常識を遥かに超える景色を目の当たりにしてA-01の面々は思い知った。
 レッドサイクロンとはただの称号ではなく、このレーダーの敵標レッド模様サイクロンを指した言葉であると同時に、BETAの血肉レッドを撒き散らすサイクロンの事であり、そして戦場の真っ只中にソビエト連邦レッドの領地を築き上げる戦神サイクロンを指す言葉だということ。
 そして世界で最も強い権力を持ち、あらゆる人から恐れられるソビエト連邦政府が彼にこの称号を与えた理由は打算でも政治的駆け引きの結果でもなくこの英雄に対する純粋な敬意からだということを。

『――3,2,1,支援砲撃、開始!』

 爆音が響き、合計数トンに及ぶ金属の塊が後方の戦車連隊やMLRS、砲兵師団から撃ち出される。
 それを迎撃すべくBETA群から何条ものレーザー光が放たれ、空中で気化した鉛やジェラルミンの濃灰色の煙が徐々に戦域を覆い始めた。

『CPよりレッドサイクロン、光線級の配置、マーキングを開始…………完了しました。全機にデータを送信します。AL弾の最終弾着まであと45!』

 データリンクの更新に伴ってそれまで戦術機のモニターに表示されていた赤い光点の内、光線級がいると思われる場所が黄色く表示される。
 ザンギエフが120mmキャニスター弾を使ってBETA後衛との間を塞ぐ敵集団を排除し終えるとほぼ同時に最後のAL弾が重金属雲によって守られたままBETAに突き刺さった。

「重金属雲濃度よしっ! 小隊散開せよ! 光線級を狩りつくせ!」

『『『『ウラー!』』』』

 ザンギエフの命を受けた6つの戦術機小隊が解き放たれた猟犬となって黄色い光点に迫っていく。訓練された猟犬の群れが青い友軍マーカーとなって四方八方に散開していくと、針に触れるシャボン玉のように黄色いマーカーが近づくたびに消えていく。

 後は時間との勝負――と思った矢先、またしてもA-01の衛士達を戸惑わせる出来事が起こった。BETAの後衛集団にも幾らか要撃級や戦車級は存在するが、新米衛士達に対して新たな脅威となったのは60mの巨体を持つBETA――要塞フォート級だ。

「イワン!!!」

『お任せください、大佐!』

 中隊に続いてBETAの後衛集団に飛び込んだトルストイ中尉のアリゲートル。
 トルストイは苦戦していたゼムリャA小隊の方へ向かい、彼らの前に立ちはだかる要塞級に肉薄する。

『ヒヨッコ共! 良く見てろよ! 要塞級ってのはこうやって料理するんだ!』

 要塞級の尾節が放つ強酸を撒き散らす衝角がトルストイを襲う。だが彼は素晴らしい動体視力で持って衝角を36ミリで撃ち落し懐に飛び込むと、突撃砲で10本ある足の付け根と尾節を撃ち貫き無力化。そしてトドメをさすのかと思いきや、まだ生きている要塞級の頭部に飛び乗ってそこから周囲の光線級へ狙撃を始めた。
 そのあまりに豪胆な戦い方に声を失い操縦を忘れるA小隊の衛士達。

「ケン!」

『……了解』

 続けて突入したのはモリ大尉のアリゲートル。
 同じく苦戦していたヤスタラヴC小隊の元へと向かった彼の機体に握られているのは恐らくこの国唯一の装備であろう日本製の74式近接戦闘長刀カタナ
 モリ大尉はアリゲートルの上体を前傾させ、恐ろしいほど低い姿勢で長刀を背負うように構えている。おそらくは彼自身が身につけている剣術の構えなのだろう。
 水が流れるような滑らかな軌道でスイスイとBETAを躱しながら長刀を奮い、小隊を囲んでいた戦車級二体と新手の要撃級を両断する。そしてやはり光線級を守るように聳え立つ要塞級の巨体に接近すると噴射跳躍ブーストジャンプで要塞級の頭部より高く飛び上がり長刀を大上段に構えた。

『……――兜割り』

 C小隊に所属する衛士達にはモリ大尉が長刀を振り下ろす様は見えなかった。後にはただいつの間にか着地していた彼のアリゲートルと頭部から尾節までを一刀両断にされた要塞級だけが残されている。

 そして――

『こいつ36mmが効かないぞ!』

『じゅ、重光線級だ! 誰か120mmは残ってないのか!!』

 驚愕する小隊員達。眼前にそびえ立つのは戦術機の全長を越えるほど巨大な目玉の怪物……そこには彼らの目標にしてBETAの中でも最も数が少ないはずの重光線級が4体も固まってそこに存在している。

『下がって、最後のHESH弾を使うわ!』

『駄目だ! 一発だけじゃ爆風で重金属雲が散ってしまう……!! 4体同時に仕留めなきゃ全滅だぞ!』

『ヒッ、初期照射警告が――――!』

 重光線級の初期照射警告――死の宣告にも等しい警告を受けたと聞いてさしものA-01衛士達に戦慄が走る。不幸なことに今小隊がいるのはザンギエフ大佐は勿論、モリ大尉とトルストイ中尉からも遠い位置だ。
 小隊壊滅――中隊の誰もが彼らの生還を諦めたその時、

『アイアイサー、キャプテン!』

 ソビエト連邦の戦線のど真ん中、それもBETAの群れの中で舌っ足らずで白々しい英語てきせいげんごが響いた。
 同時に戦場を一陣の風の如く駆け抜けた一機の戦術機が放った1発の砲弾が、巨大な爆発とともに密集していた4体もの重光線級を一撃で葬り去る。

『ヒーハーッ! 俺を見つめると火傷するぜ!』

「…………」

 通信ウィンドウに映ったのは親指を上に突き出しながらウィンクする子供の衛士(本人は中隊の女性衛士全員に向けてアピールしたつもりらしい)。 その齢は八歳――いくらこの国の陸軍では兵士の若年齢化が著しいがそれでもこれは幼すぎる。そもそもこの子供はアイアイサーと言ったが、ザンギエフはトルストイ中尉とモリ大尉以外には命令を発していない。
 ザンギエフだけではない。トルストイ中尉やモリ大尉だけでもなく、戦闘中の両中隊の面々ですら顔をしかめ、思わず通信ログでこの子供の通信が何かの間違いで戦場に紛れ込んだ混線でないかを確認したぐらいだ。

 だが異常はそれだけではない。その年齢と同じくらい声の主が乗り込んでいる戦術機もまたおかしかった。

 まず本来第二世代の戦術機としてスマートかつ、最小限であるはずの装甲が戦術機のフォルムを崩すほど恐ろしく分厚くされていること。関節の可動を妨げないよう配慮されているとはいえ、ここまでの重装甲は接近戦を想定し作られた第一世代MiG-21バラライカやその改造機であるザンギエフのミドヴィエチを持ってしてもありえない。
 そしてその機体本隊の重量とバランスをとるように腰から伸びる双発の跳躍ユニットもまた巨大だった。通常の可動アタッチメントに加え追加の支持担架を用いなければ支えられないほどの重量を持ったそれは、今もなおアリゲートルの跳躍ユニットとは比較にならないほどの轟炎を吐き出しこの巨大な兵器を信じられないほど速度で飛ばしている。
 そして戦術機に乗る衛士は誰もが固定兵装のナイフに加えて突撃砲かハイパーカーボン製のCIWS、多目的追加装甲に予備弾薬の中からシビアな兵装積載能力と相談しながら装備を選択するのだが、この戦術機が装備しているのは国際規格を遥かに超えた大口径のバズーカに2対のミサイルポッド、加えて戦術機ではなく自走整備支援担架ウリートカに積むような超大型の予備弾薬のコンテナまで背負っているときた。
空を飛ぶことが不思議なほどの重武装、この戦術機の威容は戦闘機ではなくまるで戦艦か戦車を無理矢理に二足歩行に仕立て上げたようだ。

『……スピオトフォズ』

―― MiG-25 スピオトフォズ

 それはソ連がハイヴ攻略のために高速突撃と制圧戦術を付与する目的で米国のF-15を独自に再設計した戦術機。運動性と機動力による生存性の獲得を目指した他の第二世代戦術機と違い、大型の機体に大出力悪燃費の跳躍ユニットを備え過剰なまでの兵装搭載量と高速直進性を与え"核弾頭弾による戦域制圧"すら考慮した常識破りの砲火の要塞ファイヤーフォート
 そんな戦術機界の問題児を押し付けられたのは同じく常識破りの問題児。――即ち、ユーリー・アドニー・ビャーチェノワその人であった。








[32864] 11、「ひどい有様だ」
Name: 大蒜◆9914af20 ID:86f1a2a8
Date: 2012/05/18 20:44
11、「ひどい有様だ」~Muv-Luv:RedCyclone~


***1987年 6月25日 ソ連領シベリア軍管区イルクーツク州 ブラーツク基地 第7戦術機ハンガー ***

「ひどい有様だ」

 国連軍からここソビエト連邦の陸軍に移籍し、本日無事に"二度目の"初陣を済ませたユーリーが空だったりスクラップばかりを収納している戦術機ハンガーの様子を見てそう呟いた。

 未明に行われたBETA群による襲撃。シベリア軍管区に駐留する36軍と41軍は当初こそ苦戦していたものの、ザンギエフ大佐率いる部隊が光線級要撃に成功したことでなんとか戦線を再構築。そして光線級を駆逐できたことで出撃できた虎の子の戦闘ヘリ部隊に加え近隣のチタやハバロフスクから送られた援軍を投入することでようやくBETA群の殲滅に成功したのだ。
 今回の戦闘での戦術機の損耗率は全軍で約17%、戦車部隊や砲兵師団に至っては一部が地下侵攻によって戦線が突破されたこともあり、損害は倍以上になる。先程から頻繁にウリートカや運搬用のダンプカーが出入りしているのは戦場で行動不能になった兵器を回収するためだが、それで戻る戦力など損失の5%未満だろう。
 そして兵器の損失以上に痛いのは人材の損失だ。ブラーツク基地は元々後方支援基地を豊富に持っているシベリア軍管区の中でも屈指の一大拠点であり、それだけスタッフや戦闘員も多く配属されていたはずだがその人口は配属間も無いユーリーにもわかるほどの減少を見せていた。

「本当、酷いわよね。ああ、もう! 今日だけで一体何丁の銃と砲が失われたのかしら!」

 いつの間にかユーリーの隣に立っていた栗色の髪をシニヨンにした白衣の女性が手に持っていた書類の束を捻りながら嘆かわしげに言った。

「博士はこんなときも銃の心配かよ……ま、銃の国のチェコ人らしいといえばらしいけどな」

「二等兵衛士くん、また間違えてる! 何度も言ってるでしょう? 私はチェコ人じゃないの! ス・ロ・バ・キ・ア・人! チェコスロバキア社会主義共和国"反チェコ人同盟"技術開発局所属のイズベルガよ」

 そう言って女性は胸に提げた身分証をユーリーに掲げる。ドイツによく似た言語(スロバキア語)とロシア語で書かれたソレにはイズベルガ・イングリート・オッティールト・ピュヒョという名前と共に確かにACU(反チェコ人同盟)という身分証明書としてはふざけた所属が記されていた。
 この女性――イズベルガ博士は今は無きチェコスロバキア社会主義共和国から数日前にソビエト連邦のミコヤム・グルビッチ設計局に派遣された"スロバキア人"の技術者だ。火砲や銃器の専門家である彼女は今回自分達で開発した新兵器の実戦テストのためにシベリアに来たのだが、8歳という年齢にも関わらず衛士の資格を持ったユーリーに興味を持ち度々会話を交わす中になっていた。

「本当に公式の機関だったのか……」

「で、どうだったの? "440mmトラムラケートゥ"と"S-11混合炸薬弾頭"の威力は。突撃級は倒せた? 要塞級は? 主腕は何発で駄目になった?」

「ええっと、一発きりだったけど重光線級を4体――って最後のはなんだよ! 一発撃っただけで右腕のコンディションが悪くなったと思ったら、やっぱりあのバズーカのせいか!」

「えー、一発しか撃たなかったの? 信じられない! 基地司令が実機での試験は止めてくれって言うから、わざわざ大佐に直訴してスピオトフォズの装備に捻じ込んだっていうのに!」

「……出撃前の整備士達のあの妙な励ましはそういうことだったのか」

 てっきりミコヤム・グルビッチ設計局から押し付けられたあの戦術機に問題があるのかと思っていたが、どうやら機体だけでなく兵装、年齢と三重の意味で問題を抱えたユーリーの帰還を絶望視しての憐憫れんびんの眼差しだったらしい。
 ちなみに先の戦闘でユーリーはザンギエフから徹底して"随伴する補給コンテナ"でいるように命令されていた。それは予備弾倉を持たないミドヴィエチがスピオトフォズの兵器積載量に期待していたのもそうだが新兵器に対する不信感もあったのだろう。

「勘弁してくれよ! ただでさえ動きの悪い重戦術機メタボに補給コンテナまで載せてるってのに、その上弾数の少ないバズーカなんて積んでたら戦いにくくて仕様がないだろ」

「それがどうしたのよ! 戦術機が使ってる突撃砲なんてナンセンスだわ! 火砲は口径! 火砲は轟音! そして大地を揺るがす反動があってこそ本当の火力と呼べるのよ! 36mmなんて豆鉄砲が使いたいなら歩兵に持たせなさい!」

「そういう大艦巨砲主義は要塞砲か戦艦でやってくれよ……」

 腕を振り上げ熱弁を奮うイズベルガ博士に嘆息しながらユーリーは呟いた。

 この女性、少々年はいってるが胸は大きいし顔も整っている。黙ってさえいれば文句なしにユーリーのストライクゾーンなのだが、頭の中は銃器と火砲の事ばかりで異性には全く興味が無いようなのだ。それでも諦められずに欠点に目を瞑って口説き落とそうした兵士がいたらしいがイズベルガから返ってきた答えは

『私と寝たいならドーラ並みか最低でもヤマトの主砲並みのモノを持ってきなさい。というかせめて×××を秒速800m以上でで撃ちだせるようになりなさい』

 だったらしい。ちなみにどちらの砲も人間の全長を遥かに超えているし、人間は体のどこを捻っても秒速800メートルでナニカを撃ち出す機能は持ち合わせていない。

「無理よ無理無理。戦場は内陸で今や主役は戦術機だもの。戦車は足と電子装備関係重視だし、海に浮いてるだけでBETAと戦えない戦艦なんて誰も予算を出そうと思わないのよ」

「海に浮いている……? あ、そうだった」

 そうだった。うっかりしていたとユーリーは顔をしかめた。
 失念していたがこの世界の戦艦は陸を進めないのだ。
 自分の元居た世界ではMSの機動性と環境を選ばない便利な運用能力を活かすためにMS母艦には当たり前のようにあらゆる場所で展開できる能力が必要とされていた。アルプス級(ジャミルが乗っていたフリーデン等)やロッキー級、大きなものでは移動要塞バンダールとむしろ戦艦の活躍の場は地上が主だったといってもいい。
 そのため低いコストで水面でも陸上でも大質量を動かせる移動方法としてホバー技術が発達していたわけだが……

――高度密閉型スカート、熱核ホバーエンジン、

「……あれ? ……何だ、これ……?」

 過去に乗っていた陸上戦艦を思い出した辺りで突然ユーリーに頭痛が走った。

「うっ……ぐぁ……」

「ちょ、ちょっと二等兵衛士君? どうしたの? いやだ、もしかして戦術機酔い?」

――船体用CNTワイヤ素材、MS係留用双頭クレーン

 痛みと同時何かが聞こえる。何かが見える。
 まるで目から直接バーナーの火を入れて脳に焼き付けているようだ。押さえても止まない痛みにユーリーは崩れこむ。

(なんだ!? 何が、無理矢理オレの中に入り込んできている……!)

 強く燃えるような痛みとともに鮮明な何かのいくつものイメージがユーリーの脳幹に焼き付けられていく。

「……三重ハニカム構造、陸上大型船舶建造法……」

「ちょっとしっかりしてよ! 何? 何て言ってるの?」

「×××、ホ×ー××ン××、×××××、…………、…………」

 だが程なくしてイメージが曖昧になり始め、徐々に頭痛も薄れていった。

「ねえ? 自分で医務室まで歩ける? それとも今すぐ衛生兵呼ぼうか?」

「………………」

 イズベルガはユーリーを抱き上げ揺さぶりながら彼の容態を確認する。
 ユーリーは数秒の間は思考を成せずぼーっとしていた。が突然、彼女が抱える書類とボールペンを視界に捉えると跳ね起きた。

「――ッ!! 貸せっ!!」

「キャッ!!」

 まるで食料を奪う野生動物のようにイズベルガの手から書類とペンを奪う。そして何もいわずに床に書類をぶち撒けると自らも這い蹲り、四つんばいのままセカセカとボールペンを動かし始める。

「ちょっと、二等兵君! それ司令に提出する報告書なのよ!」

「………………」

 書面の裏も表も無く既に何か書かれていようとお構い無しに描き続けていくユーリー。悪霊にとり憑つかれたように彼が書類に記すそれは図であったり、箇条書きされた英文であったり何かの数式のような物もあって統一性は無い。
 だが徐々にその枚数が増えるに連れて優秀な兵器開発者のイズベルガはそれらが示す一つの答えが見えてくる。

「ねえ、これって……ひょっとして何かの技術書なの?」

「………………」

 問いかけるがユーリーからの答えはない。
 ならば、と勝手に描き終えた紙を拾い上げて何枚か目を通したところで更に彼女の目を剥く様な衝撃が襲った。

「三重ハニカム構造を持った船体技術……次は密閉スカートに超高熱のジェットエンジンを内臓……って――ええっ、まさか! これ全部、ホバー戦艦の建造技術!!? 嘘っ、こんなの理論すら聞いたこと無いわよ!」

 慌てて残りの書類をかき集め、纏めるイズベルガ。ふともし紙が無くなればこのまたとないチャンスが中途半端に終わるかもしれないと思い立ち、近くにあった整備兵詰め所のFAXプリンタからありったけの用紙を引き抜いてユーリーのそばに置く。

 ユーリーはその後もしばらく無言のまま書き続けたが最初の書類束を使いきり、何枚かのプリンタ用紙を消費したところでようやく手を止めた。

「ふぅ……」

 そしてそこで初めて、自分が何をしていたか気付いたようだった。

(今のは何だ?)

 書き出した技術はまだ全て覚えている。
 突然の閃きにしては具体的に過ぎ、忘却からの回復にしては受け入れたものはあまりに鮮明だ。

(さっきの"ここではないどこかから"自分にイメージが流れ込んでくる感覚……思い付きとか、思い出したなんてもんじゃない。だとすると、技術を取り寄せた・・・・・? 俺が元いた世界の地球連邦軍から? そんなことが可能なのか?)

 不可能。いや、絶対に有り得ないと言ってもいい。異世界から情報を、それも軍事情報だけを狙って手に入れる特殊能力など聞いたことがない。
 ユーリーは記憶を探り今まで聞きかじった物理の知識からこの現象を解き明かそうとしたが、考えれば考えるほどこの不可思議な現象は不可解で非科学的だ。

「ねえ、二等兵衛士君。もう終わりなの?」

「えっ……あ、ああ。ごめんな博士、大事な書類をこんなにしちまって……」

「そんなのはどうでもいいのわ。これ軍事用の陸上艦なんでしょ? だとしたらこれで全部じゃないはずだわ」

「全部じゃない?」

「ここには船体の航行技術から船全体の構造まで記されているけど……ほら、ここの空白……肝心な物が書かれてないわ」

「なんだって?」

 言われるがままにイズベルガから書類――もとい設計図を受け取るがそこには確かに空白があった。しかもよりにもよって戦艦を作るうえで最も高い技術が必要とされる場所――動力源や装甲素材などの場所が全て空白になっていたのだ。
 もしや描き忘れたのかとユーリーは先程までの自分の記憶を手繰り寄せるが記憶のどこにも該当箇所の技術は無い。

「くそ、よりにもよって核融合炉の部分が無いなんて……」

 この戦艦に搭載されているホバー航法はエネルギー効率においてこちらの世界のホバー技術など比べ物にならないほどの効率を発揮するが、それほどの技術をもってしても戦艦という鋼鉄の要塞を動かし宙に浮かべるにはガソリンエンジンを遥かに超えるエネルギーを必要とする。この世界にも一応核反応技術はあるので代用はできるかもしれないが、MSに繋がる技術を手に入れられなかったのは大きな失態だ。
 だが、生憎イズベルガの興味は全く別の場所にあった。

「核融合炉なんてどうでもいいのよ! 主砲よ、主砲! スペースと弾倉からして砲身23メートル以下、おそらくは35センチ径2連装4門装備であろうこの戦艦の主砲の情報が全く載ってないのは一体どういう了見なのよ!!」

「この大砲バカ! もうほとんどわかってるじゃねーか!」

「冗談! こんなの何も分かってないも同然じゃない。弾種! 最大射程! 連射速度! ほら、なんでもいいからもうちょっと捻り出せないの?」

「あー、ちょっと待ってろよ……」

 主砲のことは置いておいてせめて核融合炉だけでも取り寄せられないかと必死で念じてみる。
 だがどれだけ唸っても力んでみても、一向に先程の頭痛は現れなかった。

(……何か条件があるのか?)

「ぬ~~~~~~~~~お~~~~~~!!」

 先程の頭痛の直前の行動を思い出しもう一度アルプス級陸上戦艦のイメージを浮かべてみる……が、駄目。
 陸上戦艦は品切れなのかもしれないと、今度は頭の中で思いつく限りの宇宙戦艦、モビルスーツ、モビルアーマーを必死で並べながら、目の前が赤くなるほど強く目を瞑り、指が白くなるまで握り締める。。

「ふぬぬぬぬぬーーーーー!!!」

 だがユーリーがどれだけの努力をかき集めてもさきほどの感覚が戻ってくることは無く、力んだ反動でユーリーはがっくりと床に崩れ落ちた。

「…………駄目みたいね。いえ、これだけの技術が手に入ったのはまさしく奇跡だわ。というか二等兵君、この設計図の陸上戦艦は一体なんなの? こんな技術、本国ソビエトでも無理だろうし……米国の秘密兵器? それとも超古代文明の遺産?」

「……わからないんだ。急に頭の中に浮かんできた」

「ふーん。超常現象ってわけね」

 地球連邦軍と前世のことは話さない。自分の身に起こった事実だけをイズベルガに述べた。

「なんにせよ礼を言うわ。この書類に書かれた技術。これがあれば人類の陸戦は間違いなく大きく変わる。陸上艦に戦艦並みの火砲を積めるようになれば、地上に展開できる支援砲撃の密度は今までとは比較にならない位増やせるわ。支援砲撃が増えれば衛士や前線の負担はずっと軽くできるし、もしかしたらハイヴの攻略だって可能になるかもしれない! そうすれば私の祖国だって……」

 未来を語るイズベルガの胸の辺りにまるで花が咲いたような明るい色のハレーションを見てユーリーはおや、と首を傾げた。もともとリーディングは苦手だが一応訓練は受けている。だが彼女が示した色は見た事の無い色だ。

「祖国と言えば二等兵君、そういえばあなたタルキートナから来たって言ってたわよね? ヴィクトール・ガスパロフ閣下はご健在?」

「閣下? ……ああ、ガスパロフ司令ね。そういえばあの人もチェコスロバキアの……って、あの人ってチェコ人じゃなかったっけ?」

 チェコ人とスロバキア人、少なくとも外国の人間からすれば見た目で判断できるような違いは無いが、ユーリーは以前それとなしに彼がチェコ人だという話を聞いていた。
 そんな人物をなぜイズベルガは閣下と呼ぶのだろうか?

「一緒にしないで頂戴。チェコ人はチェコ人でもガスパロフ閣下は別……いいえ、別格と言ってもいいわ。彼はBETA共によって暗黒に落とされた私達の国に誇りを取り戻し、東欧全体に希望をもたらした神の御使いなのよ!」

 恍惚とした表情でイズベルガが言う。さきほどまで色とりどりだったハレーションはいつの間にかピンク一色に染まっていた。

(うわっ、今度は神について語り出したよ……この人、美人なのに結婚で苦労しそうだなぁ)

「何? その不満と憐憫れんびんが入り混じった顔は?」 

「いいえ、ナンデモアリマセン」

「そう。ま、あなたの年じゃ閣下の栄光を知らなくていまいちピンとこないのも無理は無いわ。説明してあげましょう。いいこと? 1980年にチェコスロバキア国共産党政府は突然BETA戦線からの離脱するという発表を行なったの。そのせいで近隣の欧州国家はもちろん盟主のソビエト連邦からも絶縁状態、国内では私達ACUを含む4つの軍閥が入り乱れての内紛というドン底の状態に陥ったわ」

「――おいおい、1980年って言うとヨーロッパがパレオロゴス後の猛攻を受けていた時期だろ? そんな時期に戦線離脱して孤立した挙句に、内紛? 何やってるんだよ。最悪じゃないか」

 イズベルガの説明はおおまかに過ぎたが、それでもユーリーには彼女の国が背負った危難が想像できる。
 当時のことを思い出したのか彼女の表情も暗かった。

「……そうね。本当に最悪だったわ。BETAのヨーロッパ侵攻が激化していて、世界中のメディアから"人類の危機にすら仲間割れにいそしむ愚かな国家"なんて取りざたされて世界中から蔑まれた。私達ACUも他の軍閥もみんなわかっていたわ。このままじゃいけない。このまま人間同士の戦いに勝って他の軍閥を排除してもすぐにBETAに殺されるだけだって。だけど、それでも私達は人間相手に戦うことをやめられなかった」

 当時チェコスロバキアにあった軍閥は4つ。
 イズベルガが所属しチェコ人によって弾圧を受けていた少数民族によって作られたグループ"ACU"(反チェコ人同盟)、BETA西進以前から共産主義からの脱却を目指して活動を続けてきた"ERLs"(チェコ経済開放戦線)、元は少数民族からの自衛の名目で作られながら次第にチェコ民族至上主義団体へと変化した"白き盾"、そして東西両側と見放された上に内乱で真っ先に叩かれ急速に力を落としていたチェコスロバキアの"共産党政府"。

 4つのどれもが単なる社会団体やデモ団体ではなく純然たる武力組織だ。しかも彼らが争っていたのは金や名誉のためではない、あらゆる人間が長年の溜まりに溜まった怨嗟をぶつけ合う生存競争。外国やその他勢力ならまだしも、共産主義と自由主義、チェコ民族と少数民族、金持ちの資産家と貧しさの理由を外に求めた市民。どれもが不倶戴天の敵であり融和の余地など無い。

 だから戦うしかなかった。恨みを晴らすまで、あるいは敵を全て滅ぼすまで。

「――じゃあ本当は……誰も戦いたくなんてなかった・・・・・・・・・・・・・? なのにどいつもこいつも戦っていた?」

「――そうよ。みんなBETAによる滅びが迫っているのはわかっていた。けれどどうしてもやめられなかったのよ。敵が許せないから、皆が戦う事を望んでいたから」

 イズベルガが一瞬だけ放つ暗い色を見てユーリーは驚愕し、唾を飲み込んだ。

 彼は前世からずっと思っていた。戦争を始め、それを続けようとする奴は間違っている。そして戦争をやめられないのは政治家や軍人に他人を思いやる心がないからだ、と。
 それは決して間違いではない。戦いは往々にして無関係の者も巻き込む。イズベルガの言っていた4つの軍閥だって、その理念や方針に納得できないまま所属していた人間だっているだろう。そんな人間に銃を持たせ、自分達が勝手に定めた敵と殺し合いをさせるのが正しい事であるはずがない。
 だが彼女の言った戦争はどうだろう。差別されていた少数民族と彼らから恨みを受けて暴力を振るわれた市民。間違った政治を正そうとする革命派と迫る危機を防ぐためにどうしても国家を一つにしなければいけない政府。誰にも譲れない理由がある。それは命をすり潰す恐ろしい倫理の矛盾。

 例え自らの主張や行為に悪意が含まれていたとしても彼らは決して止まれない。なぜならそれは"正しい事"だからだ。

 彼らの対話を隔てるのはたった一枚の壁。それは正しい事をするべきという良心。それが人から本当に正しい事を遠ざける。

「でもねそんな時に現れたのがヴィクトール・ガスパロフよ。閣下はチェコスロバキアの全てを変えてくれた。留学していた時のツテでソ連から僅かな戦力を借り受けてきた彼は帰国するなり4つの軍閥全部に襲撃をしかけた。そしてそれまでただでさえ入り乱れていた戦況を更に混沌とさせる・・・・・・・・事によって4つの軍閥全ての利害を調整したのよ」

 イズベルガは映画の要約でも語るように簡単に言った。

「ちょ、ちょっと待ってくれ。具体的に何があったんだ?」

「わからないわ」

 ユーリーの問いかけにイズベルガは笑顔のまま首を横に振る。

「今や本人しかわからないの。多分とんでもなく汚い手を使ったんでしょうね。殺人はもちろん誘拐に恐喝、拷問とか……でも混沌としていた戦況が彼が来た途端まるで塩をかけたナメクジみたいにみるみる小さくなっていったわ。そして幹部や物資を失って4つの軍閥がいよいよ身動きができなくなった時にガスパロフ閣下はこう言ったのよ。"さあ、諸君。もういちどこの国を始めよう"ってね。結局、チェコスロバキアはそれまで通り共産党政府が統治することになったけど閣下が作ってくれた新しい国はずいぶんと住みやすくなったわ」

 その後、ヴィクトール・ガスパロフの偉業は瞬く間に世界中に知れ渡ることとなる。多少譲歩したとはいえソビエト連邦にとって混迷していた欧州で工業立国であるチェコスロバキアを共産圏に留めた功績は大きい。そして西側諸国にとってもチェコスロバキアが持ち直し自分達の盾となる対BETA戦線を補強できたのは喜ばしいことであった。そして何より世界全体が"BETAと戦うために武器を捨て人類同士で一致団結した"というニュースを欲していたのである。
 チェコスロバキアは対BETA専門の軍事組織として編成し直した陸軍を用いて再び欧州戦線に参加する。人類同士の内紛から解放されたチェコスロバキア軍は士気も旺盛に各地で奮戦し、"東欧で最も精強で最も民主的な国家"であるとして高く評価されるに至った。
 そしてチェコスロバキア政府のトップとしての地位が約束されていたヴィクトール・ガスパロフは、なぜかその提案を断り当時のオルタナティブ計画委員会が欲していた"東西共に信用のおける監視役"として自らを売り込み国連軍に准将として入隊したのだった。

(ザンギエフのおっさん並みの功績じゃないか!)

「私は祖国の未来を見たい。もう一度、国土を取り戻して私達がみんな"チェコスロバキア人"になった国を見てみたい。だから、その一歩になるかもしれない技術を見つけてくれたあなたに感謝するわ」

 最後に、彼女の胸で再びまたたいた心の色はやはりユーリーの見た事のない色だった。

***同日 同基地***

 とぼとぼとややおぼつかない足取りでユーリーは戦術機ハンガーから宿舎へ至る道を歩いていた。
 先程の不可思議な現象で手に入れた技術についてはイズベルガに一任してある。なんでもこの後、技術局に報告してセラウィクに行くことになるかもしれないそうだ。
 正直に言えば自分が求める機動兵器モビルスーツに繋がらないのであればユーリーは軍事技術になど興味はない。彼女が手柄として独占するならそれでもいいとユーリーは考えている。

 今ユーリーの頭を占めているのは先程見えたイズベルガの心だ。あのようなハレーションは見た事がない。喜びに近い、だが歓喜でも悦楽とも違う色。
 だが所詮は他人の心。それが何故こんなに気になるのかとユーリーは首を捻りながら呟いた。
 
「これは…………ひょっとして恋、なのか? よくよく考えてみればイズベルガ博士って格好はださいし性格はアレだけど、美人だし胸もでかかったから一応守備範囲なんだよなぁ。チェッ、こんなことならさっき食事の約束でも取り付けておけばよかった」

 成功率は限りなく低いがユーリーはれっきとした軟派者だ。元来から好みの女性を見つけたらとにかく仲良くなっておこうという"見敵必殺サーチアンドアタック"をモットーに生きてきた彼だが本気の恋愛という奴は未だに経験が無い。
 だから今回もそうやって自分の気持ちに無理矢理整理をつけた。

(こりゃ、気分転換を兼ねて久々にアタックをかけるしかないな……おっ!)

 都合の良い事に通路の向こう側から女性兵が歩いてくる。年の頃は13~14、ゲリラならともかく正規兵にしては若すぎる年齢だがソビエト連邦軍は紅旗作戦とパレオロゴス作戦の失敗から兵力を大きく喪失しており、その穴埋めのために女子でも幼子でも軍事学校に入れているということをユーリーは聞きかじっている。

(整備兵か陸軍の食料班かな? まあいいか、こちらが名乗れば所属も聞けるはずだ。ここはいつもの手でいくぜ!)

 少女はスラヴ人にしては顔の掘りの浅い金髪碧眼白皙きんぱつへきがんはくせき。気が強そうだが、女性兵の顔がなかなか整っていることを見て取ったユーリーは彼女とすれ違う直前、わざと自分の足の靴紐を踏んで彼女の胸元に相手が倒れない程度の勢いで飛び込んだ。

「うわっ!」

「あっ!」

 この手は自分が成人男性であれば到底使えないが、子供である今の年齢であれば成功しやすい事はアラスカで実戦証明コンバットプルーフ済みだ。ユーリーは少女の胸元に顔をうずめながらほくそ笑んだ。

(ヘヘッ、チョロイぜ。次に目を合わせながら俺が謝る。すると彼女はこう言うんだ「私は大丈夫です。あなたは?」ってな)

「ごめんな――」

「てめぇ! どこに目ぇつけてやがる!!」

「さ――げこぉっ!」

 予想の遥か斜めを行く怒声とともにに叩きつけられたソビエト陸軍謹製のコンバットブーツ。
 まさしく自業自得というべき一撃を受けてユーリーはカエルのような悲鳴を上げながら宙を舞った。

「おい、クラーラ。どうしたんだ?」

 しかもなお悪い事に騒ぎを聞きつけ、後ろから少年兵達がゾロゾロとやってきた。
 誰もまだ若い、明らかにローティーンの年代だ。だが年齢に見合わず彼らは全員少尉の階級章を身につけている。

「くそっ、どうしたもこうしたもねーよ。そこのチビがぁ、自分のマヌケにアタシを巻き込みやがったんだよ! おい、二等兵! さっさと立ってお前が迷惑をかけた衛士様に謝れよ!」

「ぐぅぅ――!!」

 少女が歯を剥き出しにして再びユーリーの鳩尾に蹴りを入れる。
 ユーリーはフラフラになりながらもなんとか立ち上がり敬礼の体を取った。勿論、軟派など当の昔に諦めていた。

「……はっ、申し訳ありませんでした少尉殿!」

「てめえ、この基地じゃ見ねぇ顔だな」

「はっ! 5日前にアラスカのタルキートナからこのブーラツク基地に配属されました、ユーリー・アドニー・ビャーチェノワ二等兵であります!」

「はぁ? アラスカァ? なんだ、お前ロシア人かよ!? ――っていうかそのウィングマーク……!」

 クラーラと呼ばれた少女や周りの少年兵がユーリーの軍服に縫い付けられた衛士徽章を見て目を見開く。
 彼女達の耳にも数日前からアラスカからロシア人の戦術機大隊が来ているという情報は届いている。そのお付や整備兵でなら2等兵という階級もおかしくはない。だが目の前で敬礼をしているのは間違いなく衛士徽章を付けた衛士。しかも自分達よりも明らかに年下だ。
 これで疑問に思うなと言う方が無理だった。

 だが驚いていたのは少年兵達ばかりではない。敬礼しながらも全員の階級を読み取ったユーリーもまた衝撃を受けていた。

(間違いない、こいつら全員戦術機乗りだ。こんな子供が・・・・・・……保護者無しで前線に出てるなんて!)

「おい、二等兵! てめぇ、本当に衛士なのか?」

「はい、少尉殿! 自分は実戦部隊の衛士としてMiG-25《スピオトフォズ》に搭乗し本日の作戦にも参加しました」

「まじかよ、ハハハッ! 聞いたか? こいつあの最新鋭の"空飛ぶ棺桶"に乗ってるんだとよ!」

「プッ……ハハハハハハハ! そりゃいいや、ロシア人のエリートお坊ちゃまは戦術機じゃなくて管制ユニットのついた核ミサイルに乗ってんのか! で、初めての実戦はどうだった? どうせ後方でエンジン温めてただけなんだろう? 今日は何匹BETAを倒したんだ? 10匹か? 20匹か?」

「…………4匹であります」

「4匹!! ぶーーーーーっ!! ハハッハハハハハハハハハハ!!」

 むっつりとしたユーリーの返答を聞いて今度は全員が一斉に吹き出す。
 侮蔑、嘲笑、憎悪。彼らは明らかに階級が下で年も幼いユーリーを暗い鬱憤を晴らす対象とみなしている。そろそろ堪忍袋の緒が切れそうだったが、ユーリーは大人の余裕というものを意識することでなんとか踏みとどまった。なんといっても最初にこいつらに関わったのは自分なのだ。できれば穏便に済ませるべきだと思っていた。

「では少尉殿、自分はこれから宿舎に戻りますので……」

「おい、待てよ」

 その場を去ろうとしたユーリーの肩を少年兵の一人が鷲掴みする。向けられる憎悪の質が変わったとユーリーは感じた。

「クラーラはまだお前がぶつかった事を許してねーぜ」

「そーそー、ロシア人のお坊ちゃまでも軍隊のルールは知ってるよな? 軍隊では階級が一番大事。つまり俺達の命令が無い限りお前はここを離れられない」

「最下級のお前が転んだせいであたし達ラドゥーガ大隊の衛士の貴重な時間が失われたんだ。今後こういうことが無いようにキチッと"教育"してやるよ!」

 言いながら手にナックルダスターをはめ込むクラーラ。
 その様子を見てよりにもよってこんな不良を口説こうとしていた自分に対する後悔が最高潮に達したユーリーであった。

(畜生! ツイてねぇ!)

 これから行なわれるのは軍隊の"教育"という名を借りたリンチ。階級を盾に抵抗する事も許されず暴行を受け続けなければいけないという最悪の暴力である。
 逃走を諦め、手を後ろで組んで目を瞑り歯を食いしばるユーリーを見てクラーラは嬉しそうに舌なめずり。

「よくわかってんじゃないか。なぁに。ただの教育だ、死にはしないよ。ま、もう一生ベッドから出られなくなるかもしれないけど――さぁ!」

 女性とは思えないほど豪快な右ストレート。鋭く顎に向かって伸びる拳はナックルダスターによって大人の骨格でも破壊しうる破壊力を持っている。
 だが肝心の拳は顎に届く直前、対象が目を瞑ったまま僅かに首を曲げたことによって虚しく空を切る。

「な……っ! てめぇ! 避けるな!」

「すみません。あまりに遅かったのでつい……」

「――っ! この餓鬼ぃ! ふざけやがって!」

「どけ、クラーラ。俺が身の程を教えてやる!」

 激昂したクラーラに変わり今度は大柄な少年兵がユーリーに襲い掛かる。
 今度はユーリーも避けなかった。ただ少年が踏み込んだ瞬間、股の間に足を振り上げたのである。グニュッという柔らかくて男にとって身の毛のよだつような感触。拳がユーリーに届く前に少年は泡を吹いて崩れ落ちた。

 そして周囲が異変に気づく前に次の獲物に向かってユーリーは跳躍。しならせた腕を鞭のように振るい近くにいた少年兵の前歯をへし折る、そして風のようにクラーラと呼ばれた少女の脇をすり抜けると無防備だった別の少年の鼻柱に肘を叩き込む。
 まさに一瞬の早業であった。

「なっ!!」

「ザハール!?」
 
 格下と思っていた相手にあっという間に三人―それも訓練を受けた現役の軍人―を叩きのめされてクラーラが驚きの声を上げる。だがすぐさま憎悪が殺意に変わり、武器を持った少年兵たちはワラワラとユーリーを取り囲み始めた。

「てめぇ! 俺達ラドゥーガ大隊にこんなことしてただで済むと思ってんのか!」

「軍法会議もんだぞ! うちの司令にかかれば餓鬼だろうがエリートだろうが地獄行きだ!」

 だが年上の、それも武器を持った兵士達の殺気を受けてもユーリーは全く動じない。動じないどころか拳から滴る血を舐めとり、ケケケッといかにも楽しそうに笑って見せる。

「く、くくくくっ」

 子供らしくない。というかあまりにも喧嘩慣れし過ぎている様に少年たちは目の前の子供に薄気味悪いものを感じた。

「――ハッ!! アハハハッ!! 軍法会議? 軍法会議だって!? わかってないな。これだから促成そくせいの士官様って奴は駄目なんだよ。いいか、お前らがいくら訴えようが基地司令が子供嫌いだろうと俺は軍法会議にかけられることはない!」

 こう見えて10年以上軍隊に所属しているユーリーは軍隊の性質という物を熟知している。幸いにして地球連邦軍とソビエト連邦軍は腐敗の度合いや規律のだらしなさでよく似ていた。だからわかるのだ。ユーリーはここでどれだけ暴れても軍法会議にはかけられない。

「なんだとっ!」

「――教えておいてやるよ! 軍隊で一番大事なのは階級でも強さでも無い――"面子めんつ"さ! 考えても見ろよ。お前らの上司がさ、部下の少尉達が10人も集まっておいて8歳の二等兵一人にボコボコにされましたなんて事を、偉い偉い基地指令様に言える訳無いだろ!」

 例え彼らの上司がどうしようもないほどアホで身の程も知らずで今回の件を基地司令に訴えたとしても、良くて無視か悪いと練成不足による職務怠慢とみなされて全員が降格だってありうる。
 この場では階級が何の役にも立たないことを悟ったラドゥーガ大体の少年たちは一層激しく吠え立てた。

「糞っ! お前ら、これ以上好き勝手にさせるな!」

 一人がそう言って手を振ると少年兵たちが包囲状態から3,4人の集団――小隊規模での戦術機フォーメーション――になって通路に散開する。
 だがフォーメーションで個人が強くなるわけではない。
 相互に連携し始める前に茶髪の少女に詰め寄ったユーリーは咄嗟に突き出された拳を掴んで極め、頭突きで相手を床に沈めた。

(これで5人目……意外と粘るな)

 普通のチンピラならそろそろ逃げ出す輩がでてもいい頃だ。だが目の前のラドゥーガ大隊の少年兵達の戦意は一向に衰えず、それどころか一度倒されたにも関わらず血を吐きながら起き上がってくるゾンビのようなのまでいる。
 決してダメージがないわけではない。ユーリーは体格の割りに高い筋力を持ち、さらにそれを肘や額といった骨の固い部分――格闘技ではもっぱら反則とされる部位――で相手の急所を攻撃しているのだ。むしろ見た目よりダメージは大きいと言っていい。

「――やい、お前達! そろそろケツまくらないと俺が作る怪我人のために廊下と医務室を何往復もする羽目になるぜ!」

「ふっざけんな! アタシの家族をここまでコケにされて無傷で帰せるかよ!」

 クラーラがヒステリックに叫ぶ。

「家族?」

 そこは普通仲間というべきだろう。
 確かに大隊の戦友同士というには彼らの結束は妙だ。戦場で一緒に戦う仲間とは確かに固い絆で結ばれるが、そこには軍人として職務として作られるはずのある種のドライさが見られない。むしろお互いに強く依存しているようにすら見える。

(幼年学校の同期かなにかか? けど、この感じ……そうだ。こいつら、まるでリューが俺に向けるような感情をお互いに持ってやがる)

 即ち、それは彼らがお互いに本当に家族として思いあっているということ。だから彼らは逃げない。家族を守るため、そしてたとえ逆恨みだとしても家族に危害を加えてきたユーリーを倒すため。
 きっと戦場でもそうなのだろう。戦友かぞくのために決して引かず、決して諦めない。ユーリーにはそんな様子が容易く想像できる。何故ならユーリーもまたアラスカで眠り続ける姉のために戦っているからだ。

(うわっ、ひょっとして俺とこいつらって似た者同士なのか? 畜生、なんだか急にやりにくくなってきたぞ)

 戦意が萎えて及び腰になるユーリーに対して、殺気だった少年兵たちがジリジリと距離を詰めていく。
 このまま戦うか、それとも駆け出して相手を振り切るか、ユーリーが覚悟を決めようとした時、

「――お前達! 何をやっている!」

 格納庫から現れたトルストイ中尉の声が廊下に響き渡った。

「――まずいっ! ロシア人の士官だ!」

 その一言でラドゥーガ大隊のメンバーはすぐさまそれまで握っていた凶器を手放した。素晴らしい早さで倒れている仲間を担ぎ上げる。そして陸軍の教科書そのままの動きでユーリーに背を向け駆け出す。
 だが一人だけ、クラーラと呼ばれた少女がくるりと振り返ると舌と中指を突き出した。

「おい二等兵、今回は貸しにしといてやる! 次に会った時はてめぇをぶっ殺してから死体に電極突き刺して黒焦げになるまでダンスを躍らせてやる!」

「お前こそ、次はとっ捕まえて裸に首輪つけてベッドの上でアンアン言わせてやるぜ!」

 負けじと叫び返す。
 程なくしてラドゥーガ大隊の全員が視界から消え、トルストイ中尉が追いついてきた。

「お前ら……いや、最近の我が国の国語教育は一体どうなってるんだ。おいユーリー、大丈夫か? 私が通りかかってよかったな」

「いやいや中尉、何を見てたんだよ。あんな奴ら、あと30秒もあれば全員血の海に沈めて末期の言葉を吐かせる事もできたんだぜ」

 手についた血糊をズボンにゴシゴシと擦りながら何でもないように言う。
 実際それほど余裕はなかった。あのまま続けていれば軽傷くらいは負ったかもしれない。

「それだけ軽口が叩けるなら大丈夫だな。でもお前もほどほどにしとけよ。いくら正当防衛でも大事な衛士を再生治療が必要な程痛めつけられたら基地司令も黙っちゃいないぞ」

「大丈夫、あれぐらいの奴らなら簡単にあしらえるさ、って……ここって再生治療なんて物まであるのか?」

「知らないのか? 最近我が国が開発した医療技術だ。手足が無くなっても治せる画期的な新技術だぞ」

「へえ、そりゃいいな。すごい……――――すごい新技術・・・?」

 それは突然、稲妻のようにユーリーの脳裏に閃いた。

(医療技術……新技術…………技術《・・》!! そうか、何故思いつかなかったんだ! 戦艦が作れるなら他のものだって取り寄せられる! リューを目覚めさせる方法……この世界の技術で無理ならもっと進んだ技術を使えばいい!)

 それは妄想。あるいは御伽噺のような発想だった。
 ユーリーが思いついたのは先程の不可思議な現象を用いて姉を目覚めさせる技術・・・・・・・・・・を持ってくるという方法。そもそも先程の現象をどうやって再び起こすというのか。もしく起こせたとしてもそもそも地球連邦軍にこの世界以上の医療技術などあるのだろうか。
 由来も条件も分かっていない宝くじ以上の奇跡に姉の命運を託すのは果たして正しいのか。

 すべてが曖昧にして不確か。だがそれはユーリーがようやく掴んだ"光"だ。
 姉を元通りにするという願い。その方法は曖昧でいまだ輪郭すら掴めていない。だが少なくともそれ・・が今、ユーリーが見据える先に存在しているのだ。

「おい、ユーリー?」

(――条件はまだわからない。BETAを倒せばいいのか、それとも俺のイマジネーションが足りないのか……けど、これはまさに天啓だ! 絶対に見つけて見せる)

 先程のラドゥーガ大隊だって家族とも言える仲間のために血まみれになっても立ち上がってきた。ユーリーと似た者同士というのなら彼らにできた事が自分にできないはずがない。

 ユーリーは気付かない。己の胸に咲いた明るい心のハレーションに。イズベルガと同じその色がどんな感情を意味するかを。




[32864] 12、「秘密兵器」
Name: 大蒜◆9914af20 ID:86f1a2a8
Date: 2012/09/19 22:21
12、「秘密兵器」~Muv-Luv:RedCyclone~

***1987年 10月13日 アラスカ ソビエト連邦首都セラウィク***

 深夜のセラウィク。ソビエト連邦の新しい首都であり現在世界第7位の工場群でもあるここは夜でも眠らない。むしろユーラシアの大地を追われ多くの発電施設を失って電力供給が不安定な現在、市民に回す電力をカットできる夜こそがこの都市の真骨頂とも言える。

 この都市で生産される物の殆どは軍需物資だ。爆薬に銃弾、戦車にヘリに戦術機。この都市で東側の技術力の粋を尽くして作られた最新兵器がユーラシアに送られ、消費も撃破も含めて全てBETAにプレゼントされる。それは例え一日でも長く敵の侵攻を食い止めるため、あるいは今は未だ見ぬBETAへの反攻のチャンスを祖国にもたらす為に。ある意味でこの都市は対BETA戦線における最前線だった。

 そんな夜のセラウィクの街を郊外へと向かって一台のバンが走っていた。バンの中に座るのは目出し帽を被りアサルトライフルを構えた5人の男と手錠を嵌められ銃を向けられた女が一人。
 彼女の名前はイズベルガ・イングリート・オッティールト・ピュヒョ。三ヶ月前にイルクーツクでとある画期的な新兵器のための技術を思いつき、その提案のためにセラウィクを訪れていたチェコスロバキア人の技術者だ。
 イズベルガは己に突きつけられた銃がアバカン―後のAN94―と呼ばれているソビエト陸軍で開発中の最新銃器であることを見て取り、相手の素性を察した。

「あなた達、ルビーン海洋工学中央設計局の手先ね。どういうことなの? 私はあなたたちにちゃんと陸上戦艦に関する全技術を渡したのわ。それがどうしてこんな手荒な歓迎を受ける羽目になっているの?」

 恐怖で震えながらもなんとか気丈に振舞うイズベルガ。

「同志博士。どうして、と聞きたいのはこちらです。我々はあなたの極めて優れた才能を認めている。こちらはあなたが設計した素晴らしい陸上戦艦の開発のために組織を挙げての援助を約束したというのに、あなたは何故か我々の設計局を逃げ出してしまった。おかげで我々はセラウィク中を探す羽目になったのですよ」

「冗談言わないでよ! 貴方達の言う組織を挙げての援助っていうのは私を一生研究所に閉じ込めて働かせる奴隷契約でしょ。それにそもそも私があなた達に協力したのは陸上戦艦に大口径主砲を乗せてくれるって約束したからよ! それなのに肝心の主砲の設計開始が二年後ってどういうことなのよ! あなた達、火砲を舐めてるんじゃない?」

「……全く新しい戦艦を作るのなら船体の設計を優先するのは当たり前ではないですか。それにあの驚異的な輸送力の前で新型艦砲の開発など笑わせる。移動母艦の主砲などありあわせで充分――むっ! 止まれ!」

 男は言葉を切り突如バンを停車させる。同時に車の外からブレーキ音が三つ聞こえた。
 街灯も無い郊外の真っ暗な道路では運転手には正面以外の視界は無いに等しい。今まで気付かなかったが少なくとも他に三台、ライトを点灯させずにバンの後ろを走っていた車がいたのだ。

「何? どうしたのよ」

「黙れ!」

 男がもう一度耳を澄ませば今度はドアを開く音。そして無数の足音がバン近づいてくる。足並みの揃った、それでいて重武装を示す重々しい足音。それは覆面の男達にとって最も耳慣れた足音だ。

「くそっ! 敵襲だ!」

 男達が焦った様子で外を覗き込む。その直後、音も無く窓を突き破って侵入した弾丸がイズベルガと話していた男の眉間に紅い華を咲かせた。

「ひっ!?」

 力を失ってしなだれかかってきた男の死体にイズベルガは顔を青くさせる。
 周囲の男達も一瞬動揺したようだが、すぐさま窓の外を囲む気配に向かってアサルトライフルの引き金を絞ると4丁分のマズルフラッシュがまばゆく車内を照らして鉛の嵐を外の闇に潜む追跡者へと吐き出した。だが

「どこから撃ってるんだ!? 銃声がとんでもなく遠いぞ!」

 車内という限定された空間にいる誘拐犯達に対して闇に潜む追跡者達には一向に弾が当った気配が無い。周囲の明るさだけでなく発砲音もマズルフラッシュも段違いに小さいのだ。

「さ、サブソニック弾とサイレンサー! 火薬を減らして弾丸の速度をあえて音速未満に抑えることで――」

「ぐぁ!」

「イヤァァァァァァァ!!!」

 パニック寸前の状態なりながらも職務上の義務感から銃の解説を行なおうとした彼女だったがまたしても誘拐犯の男が額から血を流して倒れこんできた。
 目を覆いたくなるような光景に叫び声を上げ今度こそパニックを起こすイズベルガ。

 と、同時に車内の割れた窓目掛けて何かが放り込まれ、それが放った閃光と爆音を受けてイズベルガは気を失った。

***

「――それで同志中尉。例の"天才発明家"とやらは保護できたのかね?」

「はっ! 途中、我々より先に対象を確保していたルビーンの私兵共と戦闘がありましたが無事に彼女の身柄を確保しました」

「よろしい。後は政治総本部に事態の終息宣言をさせればもう外野は手出しできまい。もはや彼女は我々ミコヤム・グルビッチ設計局のものだ」

 ニヤニヤと口角を吊り上げながらでっぷりと太った中年――ミグ設計局の高官――が言う。

――全ての原因はユーリーが渡した陸上戦艦の技術だった。

 本来火砲や戦術機の携行兵器の専門家であるイズベルカが陸上戦艦の建造という兵器開発の歴史を揺るがしかねない技術を持ってきたことはソビエトの全技術者を震撼させた。
 すぐさま付けられた彼女の新しい渾名――"兵器開発の天才" "現代に生まれたレオナルド・ダ・ヴィンチ" "鋼鉄と破壊の女"。
 異世界人のユーリーや門外漢であるイズベルガが考えもしなかったが、陸軍の強さを最重要視しているソビエト連邦の人間にとって"陸上戦艦"という言葉はまさに天から山が落ちるほどのインパクトを与えていたのだ。
 技術者以外にも、ソ連軍の兵器設計局を預かる官僚たちがこんな逸材を逃す筈がない。西側諸国との技術競争に、そして党での出世のライバルとなる同期の官僚に一歩でも先んじるべくすぐさまイズベルガの獲得競争が行なわれる。
 その最中に起こったのがイズベルガの脱走騒ぎであり、同時にばら撒かれた欺瞞情報によって今夜のセラウィクではアチコチで設計局の私兵による銃撃戦が起こっていたのだった。

「ところで同志閣下。終息宣言の後は彼女の身柄は非公式施設ホテルに移すのでしょうか?」

「……む? いや、彼女には元居たイルクーツクまで戻ってもらう。もっと大きな魚を釣り上げる餌にするためにな」

「もっと大きな……もしや、今ブラーツク基地に駐屯しているというザンギエフ大佐を?」

「外れだ。まあ近いがな。彼女はザンギエフ大佐の部隊と親交がある。そのツテを使って我々の狩人《オフォトニク》計画に協力してもらう予定だ」

「狩人計画ですか……?」

 高官の告げた計画名を聞いて中尉は首を傾げた。
 ミグ設計局が現在進めている狩人計画とは欠陥戦術機といわれたMiG-25 スピオトフォズの改修発展計画だ。確かに重要な計画ではあるがこの計画は既に半分以上進んでいる。イズベルガにやらせるのであればもっと初期の段階で止まっている9・12次期主力戦術機開発計画のような大きな計画に参加させるべきなのだ。
 だがそう口に出す前に中尉は狩人計画について最近外交のほうで動きがあり党から納期を早めるように言われていたのを思い出した。

「実は我々の局はスフォーニと共にソビエトが主導するある国際計画の機種選定に参加する事になったのだ。だがその計画が予定しているのは通常の作戦ではない。国連が育てているある"特別な人間"を載せることが前提になっている」

「特別な人間?」

「そうだ。生憎、開発現場にはそれに関する情報は公開できないことになっている。だがその"特別な人間"の内の一人がレッドサイクロンによって引き抜かれ現在彼の部隊にいることが判明した。我々は彼を開発衛士として改修を進めることで国際計画に最適な機種を開発している事をアピールするのだ」

「はぁ、優秀な開発担当者を現場に送るメリットはわかっているつもりですが……やはり狩人計画にそこまでの価値があるとは思えません。そもそも今の我々の技術力ならばイズベルガ女史の力など借りなくてもスフォーニに勝利することは疑いないかと」

 イズベルガとその"特別な人間"。確実に勝てるカードが二枚もあるなら両方切る必要は無い。
 ましてや今までこの国で二度行なわれた主力戦術機選定でミコヤム・グルビッチは二回ともスフォーニ設計局を下している。

「……相手がスフォーニだけならば、な。だが正直言って今回党から要求された戦術機性能は我々にとっても荷が重い。スフォーニはそこを逆手にとり、中央委員会の前で選定戦術機に現在経営危機に陥っている米国のグラナン社のF-14どらねこを採用することで計画の成功に貢献し、尚且つ米国の技術を吸収して次期主力戦術機開発計画に生かして見せると豪語したのだ」

「そんな馬鹿な……! 我らが祖国が主導する計画に西側の機体を採用するなど!」

「そうだ。許しがたい反革命行為なのは間違いない。だがこの計画内もそうだが現在の世界情勢における我が祖国の立場は極めて微妙だ。外交で米国に配慮するのも止むを得まい。そして党がそれを決め機種選定の年度を90年と定めた以上我らには一刻の猶予も無い。もしこの選定で敗北すれば我らは東側諸国の兵器供給元としての信頼を失うばかりでなく、米国の技術を身につけたスフォーニによって全ての兵器市場から閉め出されてしまうだろう」

「なるほど……これで私にも同志閣下が何故あれほどイズベルガ女史を欲しがったのか分かりました」

 つまりはこの国際計画の機種選定こそがミコヤム・グルビッチ設計局、ひいてはそこに属する官僚たちにとっての分水嶺となるわけだ。勝てば十年の栄冠が約束され、負ければ十年の凋落ちょうらくが待っている。それを思えば政治総本部に支払う少々の資金や抗争で失われる人命など物の数ではない。

 高官は神妙な顔をして手元の端末を操作すると極秘のデータリストの中からMiG-25 БМ仕様と書かれたファイル選択し、画面にスペックを表示させた。

「これが現在我が戦術機開発部の技術の粋を凝らして製作しているスピオトフォズの改修型だ。予定では最終仕様段階でF-14の初期型の性能に肉薄できることになっているが……」

 続々と表示される新技術の数々――ハイブリッド装甲、フェーズドアイレーダー、IRSTに新設計のターボファンエンジン。
 一部の技術に至っては米国ですら開発に成功していない物も含まれていたが、それはつまりここまでの技術を盛り込んでもソ連の戦術機は最初期の第二世代であるF-14Aにすら届かないということだ。

「これは……9・12計画の技術も流用しているのですね?」

 中尉の言葉に高官はうむと頷いた。

「出し惜しみはせん。元よりハイヴ突入用の戦術機だ。コストはさほど問題にならない。我々はこの戦術機で米国のF-14を超え、我が祖国ロシアの人間こそが真に選ばれた特別な人間であることを世界に知らしめるのだ!!」

「はい! 全ては祖国の栄光のために!」


***1988年 1月8日 ソ連領シベリア軍管区イルクーツク州 ブラーツク基地 ***

 BETAが地球に初のハイヴを建設してから15年近くが立つ。その間、対BETA戦線における人類の戦況は年々悪化の一途を辿っていた。
 昨年8月にはEUが北欧スカンジヴィア半島以南の全ヨーロッパ国家の政府機能移転を決定。欧州の先進各国が悉く戦線を破られ国力を低下させたことで人類の総戦力はパレオロゴス作戦以前に比べて20%以上低下していた。そして欧州の主戦場が北欧と英国沿岸に限定されることで今後の前線国家への圧力はますます高まっている。
 その影響は世界最長の戦線を抱えるソビエト連邦においては最も顕著でレッド・サイクロンの称号を持つザンギエフ大佐がA-01を引き連れて着任してから今日までシベリア軍管区には回数にして15回、小型種も入れれば総数50万体以上のBETAが押し寄せていた。今のところ一回辺りのBETA侵攻の規模は各前線基地の許容量に収まってはいるが今後BETAの本格的な東進が始まればシベリア軍管区はいつ消滅してもおかしくない状況に立たされている。

――だがそんな人類の状況に反して、ユーリー・アドニー・ビャーチェノワの"計画"は順調に進んでいた。


「レッドサイクロン04より管制室。こちらは予定のルートの巡回を終えた。データを送信する」
 
『こちら管制室。貴官の任務達成を確認した。レッドサイクロン04は第2滑走路からハンガーへ戻れ』

「了解」

 その日のパトロール(BETAではなく主に基地周辺の振動探査装置に誤作動がないかを探す)を終え、今やすっかり愛機となった|MiG-25
《スピオトフォズ》を指示通りにハンガーに戻したユーリーは簡単な機体のチェックを行なってから管制ユニットでゆっくりと目を閉じた。

「よし、今日こそ……」

 目を閉じたまま息を整え、まるで冷たい深海に潜るように、あるいは暗闇を手探りで進むようにユーリーは精神を深く深く沈めていく。
 そして僅かの後、奥へと伸ばしていた彼の意識がついに何かを探り当てた。

――大脳深部シナプス置換理論

「よっしゃあ! ―――っ!」

 彼が受けたのは今やすっかりお馴染みとなった目から脳へと突き刺さる頭痛。だが今回はそれも一瞬の事。
 狙い通りの技術を手に入れたユーリーは管制ユニットの中で小さくガッツポーズを取るとシートの下部から2枚の地図を取り出す。どちらも白地図からユーリー自ら書き込んだ手作りの地図で内一枚には今日ユーリーが通ったルートの他にこの基地で行なわれているほかの偵察ルートが、そしてもう一枚の地図には各所に日付と司令部から抜き出した部隊章にBETAの撃破数が記されていた。

「……今日近づいたのは第883戦術機大隊が先月の侵攻で光線級や重光線級を撃破した地点。昨日通ったのは中隊規模の突撃級や要撃級との遭遇地点……やっぱりな。頭痛が起こるのはレーザー属の撃破地点で間違いない」

 この半年間で彼が"頭痛"を受けた回数は11回。その間何度も検討と試行錯誤を重ねて、ユーリーはようやく元の世界から技術を取り寄せる現象の発生条件を絞り込んでいた。

 一つ、"この現象はユーリー自身が戦術機で出撃中、もしくは帰還した後に求める技術を具体的に思い浮かべると発生する"

 二つ、"出撃中にBETAを殲滅、もしくはBETAを殲滅した地点を通過する事。殲滅地点は一度で効果を失うが再び戦場になってBETAが倒されれば回復する。ただし殲滅地点でもBETAの支配領域だとすぐに効果は無くなる"

 そして今回見つけた三つ目の条件"突撃級や戦車級ではなくレーザー属を撃破した地点のみが条件に当てはまる"
 というものであった。

「霊とか魂とかは考えないとして……重要なのはレーザー属がそこで死んだかどうかじゃなくて、俺が死骸に近付けるかどうかだ。死骸は腐ってても焼却されて灰になっててもいいが死骸が支配領域むこうがわだとBETAが持って帰っちまう。つまり……この現象は何か光線属しか持ち得ない物質・・・・・・・・・・・・を元にして起こってるってことか?」

 うーんと首を捻るが答えは出ない。何にせよ科学的分析ができないのならこれ以上情報を集めるのは難しいだろうと彼は結論付けた。
 それよりも今回の出撃で技術を得るための最も確実な手段が判明したことのほうが重要だ。つまり――

「ま、要はBETA共を掻き分け光線級の新鮮な死体を作ればいいってことだな。はっ、今まで通りじゃないか!」

 自嘲気味にユーリーはわらった。

 実際、ザンギエフの部隊に所属している限りBETAには困らない。戦術機大隊として最大の戦力でありソビエト陸軍の象徴でもあるこの部隊はBETA襲撃の際はたとえ隣の州の管轄であったとしても出撃をする。最前線にいることも相まっておかげでユーリーは着任して一年も経たないにも関わらずベテランと呼ばれるほど戦術機の搭乗経験があった。

『こら、二等兵衛士! ハンガーに着けたならさっさと降りなさい!』

 整備ハンガーに備え付けられたスピーカーからイズベルガの叫び声が響く。

「クールダウンだよ。ちょっとくらいいいだろう。イズベルガ博士も仕事に熱心なのはいいけどそんなにカッカしてちゃ美人がすたるぜ」

 ちょっとお小言も多いがユーリーにとって彼女の存在は喜ばしい。ブラーツク基地の質も意欲も悪い整備兵に比べて彼女の連れているメカニックは腕がいいし、それになんと言っても美人だ。陸上戦艦の開発でしばらく前までセラウィクにいた分余計にそう感じる。

――だがそれも彼女がセラウィクから帰る際にミコヤム・グルビッチ設計局からもらった"お仕事"さえ無ければの話だった。

『馬鹿! ミグからまた改装要請が来てるの。時間が押してるのよ』

「またかよ……この間装甲を新型の複合装甲とやらに張り替えたばっかりだろ? 戻すのか?」

『生憎ね、今度は管制ユニットの複座型への換装とアビオニクスの変更よ』

 戦術機のカメラの向こうでイズベルガがコンコンと端末を叩くと網膜に新しいMiG-25の換装表示が転送されてくる。換装ユニットの変更程度ならすぐに終わるがアビオニクスの変更とはただ事ではない。ネジ一本の規格から主機の交換まで既に機体の改造率は4割を超えていた。

「んな馬鹿な! それじゃあ、ほとんど新型じゃないか! ようやく重心バランスに慣れてきたってのに、なんて面倒な」

『面倒? 元はといえば全部あなたのせいでしょう』

 呟いた愚痴を聞いたイズベルガが青筋を立てながらユーリーを責め立てた。

「そ、そりゃあそうだけどさ。あの時は博士もノリノリだったじゃないか……」

 陸上戦艦が発端で起こったセラウィクでの血と銃弾と金が飛び交う激しいイズベルガ獲得競争、一ヶ月以上の"格闘戦"の後、勝者はミグ設計局に決まった。それは無論"賞品"の意志を無視しての決定だったが、協力しなければ研究室に一生軟禁と言われれば否などあるはずもない。

『納期は一年半後、それまでにこの欠陥機を|F-14のD型を越える機体にするには新型にするぐらいの意気込みが必要なのよ!』

 血走った目で断言するイズベルガ。彼女はこのプロジェクトを成功させなければ一生帰国できないらしい、という整備兵の噂がある。

 勝者であるミグ設計局が彼女に求めたのが今現在悩まされているMiG-25スピオトフォズの改修発展計画なのだが、問題はその付帯条件だ。
 89年中の納期の絶対遵守、改修機は性能面でF-14Dトムキャットを超える完成度を有すること、当該機に使用した全ての技術はミグ設計局にライセンスが帰属すること、そして最後にイルクーツクでは必ずユーリー・アドニービャーチェノワ二等兵に開発衛士として協力させること。

 最後の条件にはイズベルガもユーリーも首を捻った。何故なら確かにユーリーは戦術機の乗り手として十分優れているが現状実戦においてザンギエフは勿論のこと彼の側近であるトルストイ中尉やモリ大尉を超えるスコアすら出していない。ユーリーはもしや自分が技術の出所だとバレたのかと危惧もしたが、今だに自分に対する直接的なアクションが無い事から彼らはオルタネイティヴ計画に対して何か別の行動を起こしているのだと推測していた。

「で、二等兵君。今回は何か取り寄せられたの?」

 管制ユニットから降りたユーリーが何かをメモしながらやってくるのを見てイズベルガが問いかけた。

「ああ。やっぱり光線属が鍵だったみたいだ。詳細を後で送っておくからまた部品の方を頼むよ」

「はいはい」

 うんざりした様子のイズベルガにユーリーは苦笑いを返すしかない。
 ユーリーが"技術"を集めて作ろうとしているのは過去の世界において人工ニュータイプを生み出すための研究から生まれた"ゲルヒンレグルン槽"または"シナプス調整槽"と呼ばれる装置。これは脳を構成するシナプスやニューロンの配置や機能を変え、ニュータイプ候補やカテゴリーFと呼ばれる者の脳波を強制的にフラッシュシステムに適合させようという物だ。最もこれを研究していた機関が第七次宇宙戦争の初期に宇宙革命軍の襲撃によって陥落し終戦まで未完成のまま放置されていたのだが。
 ユーリーはイズベルガに技術を提供する見返りに装置の作成に協力させこの脳波を整えるという機能を昏睡状態のリュドミラに利用し、彼女を目覚めさせようと画策しているのだ。

「それと、はい博士。これもよろしく」

「データスティック? 何よ。まだ何かあるわけ?」

「んっと、複合装甲への換装による性能変化のレポートと負荷が大きくなってる肩部と股間部関節の改善案アイデア。改善案の方は"取り寄せ"じゃないけど一応、博士の名前でミグに送ってくれよな」

 ユーリーは何でも無い事のように言うが肩部の耐久力不足はもう何週間もミグの開発チームを悩ませていた難問だ。これをミグに提出すればイズベルガの評価がまた上がるだろう。そうなればイズベルガは更に仕事を増やされるに違いない。
 データスティックを見、改めて憎憎しげにユーリーを見てからイズベルガは溜息をついた。

「ハァ……まったくどいつもこいつも私をこき使ってくれるわね」

「まあまあ。調整槽の設計もそろそろ軌道に乗ってきたしな。部品を作る間に時間が余ったらこの間の陸上戦艦の主砲を取り寄せられるか試してみるよ」

「……本当に?」

 それはユーリーにとって何気なくいった一言だったが、イズベルガは聞き間違えなかった。

「ああ、まかせ……」

「本当に本当に本当に本当に本当に本当に本当に本当に??」

 既に彼女はここ一ヶ月戦術機に懸かりきりで全く火砲に触れない日が続いている。

 さすがのユーリーもイズベルガがあれだけ愛して止まなかった火砲の研究を取り上げられた事に責任を感じて、少しだけ譲歩することにしたのだが喉元に喰い付かんばかりに迫ってくるイズベルガを見てユーリーは前言を撤回したくなった。とはいえ、ここで撤回してしまえばもっと酷いことになるのは目に見えているのだが。

「で、でもアルプス級アレは砲撃艦じゃないからな。もし手に入ってもあんまり今の戦艦ソユーズの主砲と代わり映えはしないと思うぞ」

「わかってるわ! ――でも期待するのは勝手でしょう?」


***同年 2月12日 同基地 ***

 ユーリーが一日で自由に出来る時間はそう多くない。
 たとえまだ子供で士官ですらない二等兵であっても軍隊にいる以上は様々な仕事がついて回る。朝は軍人の例に漏れず点呼から始まり、午前中はA-01の大隊が使うシミュレーター使用申請書類の作成や体力練成(何故かザンギエフは必ず部下全員の体力練成を直々に指導する)、そして昼食に前線の不味い合成食料を胃に収めた後はひたすらにシミュレーター訓練か実機での任務を受けさせられる。
 その後、ようやく夕食に30分の食事休憩が与えられたと思えばイズベルガ率いる技術チームがやってきてMiG-25の改装計画のミーティングに連れて行かれるのである。つまり実質使えるのは消灯前の数十分と起床から点呼までの僅かな時間を足した一時間強。
 本来なら趣味に当てるにも足りないような僅かな時間。だがユーリーはそれすら惜しんで毎朝晩、リュドミラを目覚めさせるための装置の開発に取り組んでいた。
 ユーリーの特殊能力は全てを与えてくれるわけではない。取り寄せた理論は具体的な利用方法を教えてくれるわけではないので自分で理解し今の技術と擦り合わせなければならないし、肝心の機材もイズベルガの伝手で手に入れた医療器具を改造し時には素材からスクラッチ部品として作り出さなければならない。何より前の世界で一般的でない情報――大抵は高度で複雑な理論――ほど手に入れるのに多くのBETAを倒さなければならないのだ。

「聞きましたか軍曹。今朝着いた輜重《しちょう》列車の話」

 ユーリーがPXで昼食を取っていると隣の席に着いた兵卒と下士官の会話が聞こえてきた。

「おお。このクソ寒いのに冷凍車両が来たらしいな。またどこぞの将官様がコネで天然食料を持ち込んだって噂だ」

「天然素材ですか? 確か今時アラスカのお偉方でも口に出来ないはずじゃあ……? 畜生、そんな物を引っ張ってくるカネがあるならこっちに補充の戦力かまともなロシア人の上官を寄越せってんだ」

「ま、俺達にとっちゃ衛士の補充は来ないほうが仕事が減っていいけどな」

「そんな、軍曹。衛士が居ないせいで死ぬよりかは忙しいほうが何倍もマシでしょうに」

「マシだと? ヨーロッパはほぼ落ちた。残った北欧にどんだけ戦力があるのかは知らねぇがあんな小さな国、もってあと一年か二年だろ。その次の本格侵攻は中東かシベリアここさ。ただでさえウチの衛士の損耗率は多いってのに……このタイミングで増援がこないって事は俺達はロシア人共から見捨てられてるって事なのさ」

「ぐ、軍曹……」

 思いがけない死亡宣告を受けた若い兵卒の声は震えている。若い方からは恐怖と不安の色、軍曹と呼ばれたほうは諦念と失望というの感情が見える。
 嫌な色だ、と同じくらい酷い味の合成マッシュポテトを運びながらユーリーはボンヤリとそんな事を考えた。

「………………ああ、クソッ。悪かったな。メシが不味いと話まで暗くならぁ。来いよ。口直しにカードで巻き上げた員数外いんすうがいの携帯食料を分けてやる。ロシア人用のだから味は保証するぜ」

 整備兵らしき二人の兵士はトレイを持ちPXから出て行った。

(現場の人間から見て本格侵攻はあと1、2年か。予想より戦況が悪い……いや、ウチの部隊を基準にしたのが悪かったな)

 シベリアに来てもう20回以上もBETAの侵攻を受けているがザンギエフの大隊には殆ど損耗が無い。A-01は元々エリート部隊だし、生きる伝説であるザンギエフや直衛のエースパイロットであるトルストイ中尉やモリ大尉のフォローを常に受けている。さすがに初陣の死の8分による死者は防ぎきれないが、戦死したり十分な実戦経験を積んだと判断されれた衛士が出ればまだザンギエフの教導を受けていない衛士が交代に来るため、他の部隊と違い中隊の戦力不足に悩まされる事がない。
 だがそれは前線ではかなり贅沢な環境である。ソビエトの前線は本来第二世代の戦術機を保有している部隊でも出撃の度に1機や2機減らして帰ってくるのが当たり前の現状。特に第一世代のMiG-21バラライカに乗る衛士の命など戦場では湯水のごとく消費されている。

(物資も無い、戦力補充の目処も無い。そのせいで兵士達の士気が右肩下がり……まさに敗軍そのものだな)

――BETAの最大の武器は物量

 まさにそうだとユーリーは思った。
 倒しても倒してもBETAはまたやってくる。ある時は2000。次は4000。ではその次は6000か8000で来るのかと思いきや、14000で攻め込まれた時もあった。だが敵と戦うのが苦しいのではない。弾薬の不足よりも、衛士や戦術機が足り無い事よりも、何よりも敵の数がわからない事が問題なのだ。
 同じ格好、同じ戦略で何年も何年も延々と侵攻を繰り返してくる敵と戦い続けることがどんなに辛いことか。終わりの見えない戦いは心を磨耗させ、信じるべき勝利に霞をかける。そして希望を見失い敗北だけが見えるようになった兵士から死んでいく。

(それに例え生きていてもいつまでもこんなマズい飯しか食えないんじゃやる気も失せるぜ)

 今、人類にとって何より必要なのは情報だ。たとえ1%でも0,1%でも戦争を終わらせる可能性さえ見つけられれば人間はいくらでも戦える。そのためのオルタネイティヴ3であり、そのための人工ESP発現体であった。

 若干暗い気持ちになりながら最後の合成食料を飲み込みトレイを戻そうとした時、PXに配置されたスピーカーから俄かにサイレンが鳴り響いた。周囲が慌しくなる。

"コード991発生。繰り返すコード991発生。各員は配置につけ!"

「あいつら、また来やがった!」

「クソッ、いつまで続くんだよ!」

 呆れたような溜息とは裏腹に周囲の兵士達は全力で持ち場へと向かう。どれだけダレていようともここは最前線で彼らは軍人。敵襲となれば即座に攻撃態勢を取ることを骨の髄まで染みこませている。
 ユーリーもPXを出てロッカーへ走り強化装備を着込むとブリーフィングルームではなくそのまま自分の機体の元へ向かった。

 アビオニクスの改修作業は先週にすでに終わっている。改修直後のネガ出しが済んでいないので多少心許ないが、そこは衛士は整備士を信じるものだと自分に言い聞かせる。

[着座情報転送。歩行・跳躍制御システム スタンバイ。間接統計思考制御システム 接続状態…正常。搭乗衛士……一名。パーソナルデータロードをロード開始。オペレーティングシステムを複座モードから単座モードへ変更します]

「OS起動問題なし。テストパターンをスキップ。次、兵装チェック」

 OSの起動シーケンスを確認しながらユーリーは別ウィンドウで新たな項目を呼び出す。試作機故の起動の煩雑さ。だがそこは開発衛士。慣れた手付きでパネルを操作し情報を呼び出した。

[可動兵装担架 正常 項目…………A-97突撃砲、多目的弾倉コンテナ ……ロック完了。右腕《うわん》装備、A-97突撃砲 左腕《さわん》装備 440チトゥリソーラクトラムロケット砲。跳躍ユニット KD-36F A機、B機 推進剤充填率100%]

 このMiG-25 BMベーエム型と呼ばれる戦術機は既に特攻機体であるスピオトフォズと呼ばれた過去の機体ではない。核戦術から解放され第二世代相応に軽量化された装甲とアビオニクスの変更のおかげでそれまで弱点であった近接能力と運動性は西側の第二世代戦術機に負けない水準にまで引き上げられ、速度と出力を得るために高重量・低加速・悪燃費という弱点を抱えていた旧式の跳躍ユニットも万難を排して新規設計した新型に変えられている。
 改修の結果、新たに積載量の低下や各関節の強度低下という問題を抱えてしまったものの既に現時点でこの機体の総合的な能力は西側の第二世代機ほどとは言わないまでもアリゲートルや他国の第1,5世代機を遥かに凌駕する物になっていた。

 機体のチェックが終了し出撃可能のシグナルがハンガーに灯る。
 同時に繋がったデータリンクから早速通信要請が来ていたので承諾すると――

『おい、ビャーチェノワ! 今日も出撃でどっちがより多くBETAをぶっ殺すか勝負だ!』

『この間は機体調整中だとかで逃げやがったけど今日は逃がさねーぜ!』

「げっ、ラドゥーガ大隊っ!?」

 ウィンドウに突き立てられた中指と共に映ったのは以前に衝撃的な出会いを果たしたラドゥーガ大隊の面々だ。ユーリーはあの乱闘事件以降、基地で会うたびに彼らに会うたびに喧嘩を吹っかけられているのだが……まさか出撃直前のこんなタイミングでも仕掛けてくるとは思いもよらなかった。

 BETAのスコアでの競争宣言。それも気心の知れた小隊長くらいならともかく佐官である双方の大隊長がこの通信を聞いているのかもしれない場所での暴露だ。以前同様、軍法会議などは開かれないだろうがザンギエフの事だから怒声と鉄拳制裁くらいは十分に在り得るとユーリーは身をすくめた。

 だが5秒待っても、10秒待っても叱責はこない。

(――いや、別の部隊と通信をして大隊長《ザンギエフ》が気付かないはずが無い。あのおっさん、俺をガス抜きのダシに使う気だな)

『おい、聞いてんだろ二等兵! 今日は俺達もお前も前線配置だからな! 負けたほうが今夜の晩飯抜きだ!』

「あーはいはい。いいぜ、それで」

『負けても逃げんじゃねーぞ! いいな!』

 ラドゥーガ大隊の衛士はまたしても中指を突き立てると一方的に通信を打ち切った。
 と、今度は同じ大隊の回線で通信が飛び込んできた。

『よう、ユーリー。ようやく友達ができたみたいだな』

「……勘弁してくださいよ、トルストイ中尉。俺が友達に欲しいのはボン、キュ、ボンで昼は清楚で夜は寂しがりやな女の子ですよ。なのにあんなチンピラのガキが周りにいたんじゃ怖がって近寄ってこないじゃないですか」

『ははぁ、そうは言うが私にはお前らがすっかり仲良しになったように見えるぞ。お前ももう少し子供らしくなれそうだな』

「ちょっ! 中尉!! 俺は――」

『――時間だ。ブリーフィングを始める』

「ちっ」

 全ての通信ウィンドゥが強制的に閉じられ画面の中央にいつものモヒカンと強化服姿のザンギエフの顔が大写しになる。さすがにリンクで繋がった大隊38人の前で抗議するわけにもいかずユーリーは今度は渋々引き下がった。

『これが1時間前に国防宇宙軍から国防省の総参謀会議に送られた観測データだ。最近の侵攻で飽和状態から脱したはずのエキバストゥズハイヴがカシュガルのハイヴからの増援を受けて再び飽和状態になり侵攻を再開した。規模は前回と同程度と見られる群集団が3つ。一つは東南のи2基地に、もう2つが300kmの間隔を空けてここブラーツク基地の一次警戒線に向かっている』

『くそっ、奴らマジで底なしだぜ』

 毒づくどこかの少尉に全員が頷く。
 こちらの兵站は増援どころか補充すらままならないというのに、BETA達はきっちり損失分を埋めて再侵攻ができるだけの補給を最前線まで送り込んでいる。どこの軍人でもこの点だけはBETAを羨ましいと思っているはずだ。

『作戦は第一段階において第36軍団の戦力がBETA第一群を1630までに撃破。次に第二群が来るまでに第二防衛ラインから戦術機と機甲師団を前後交代スイッチし補給と遅滞戦術を行なう。そして最終的に両軍の戦力が回復し次第、殲滅戦を開始する。今回、我々は第41軍団のラドゥーガ大隊と共に第312、第442の両戦車師団の支援のため第二防衛線に配備される。特に312の師団長は前回の戦闘で防衛線を抜けたBETAから多大な被害を受けたせいでかなり神経質になっているようだ。貴様ら一匹たりとも通すなよ!』

「ザンギエフのおっ……大佐。質問があります!」

『ビャーチェノワ二等兵か。発言を許可する』

「ハッ! 当基地に向かっているBETA集団に光線属が含まれている場合、我々が光線級に対する要撃行動に参加する可能性はありますでしょうか?」

『我が部隊は国連とソビエト連邦から優先的な補給と整備を与えられている身だ。当然、戦場で最も過酷な任務である光線属への要撃行動があれば我々は第一に引き受ける。だが戦場では指示に従え。貴様のくだらん賭けのために隊が脅かされるようなら俺は躊躇わず後ろから撃つぞ』

「ハッ! 肝に銘じます!」

 返礼しながらも内心でガッツポーズ。
 せっかく戦場に出ても例の技術は光線級無しでは手に入らない。役割を守るよう釘はさされたがユーリーは光線属を撃破する部隊に随伴さえできればいいのだ。

『よし、これでブリーフィングは終了とする。各員は自走整備支援担架ウリートカに機体を載せろ! 憎きBETA共を迎え撃つぞ!!』

『『『フラーーー!!』』』



***3時間後 シベリア戦線 クラスノヤルスク州 ウヤル区***

『CPよりレッドサイクロン。現在大隊規模のBETA集団が第一防衛ラインを抜けて幹線道路《シオッセ》沿いに接近中。戦車師団の補給完了までの足止めと突撃級の排除をお願いします』

「レッドサイクロン、了解。――ヴィエーチル中隊! 先に北に抜けて接近中のBETAを側面を攻撃しろ! ユーリー、貴様も付いていけ! 残る中隊は弾の多い機体から補給を開始だ!」

「「「「ダー!」」」

 めまぐるしく変わる戦況を写すデータリンクとCPからもたらされる司令部の情報を睨みながらザンギエフは旗下の部隊へ指示を飛ばす。
 第一波のBETAの撃破率は作戦計画から大きく遅れて未だ40%弱。ブラーツク基地は出せる全軍を出しているが先日から続く侵攻で機甲師団や砲兵隊が受けた被害が大きく、軍全体として打撃力を欠いてい状態だ。
 BETA戦以降陸戦の主役の座は戦術機に変わって久しいが戦車や砲兵、MLRSが持つ圧倒的な火力は今尚大きな影響力を持つ。どこの軍でもBETAの圧倒的物量に対して戦術機を大量に配備することは難しく面制圧は安価で大量に揃えられる彼らにまかされるのが常だった。

「……やはり、遅れているな」

「大佐、こっちは駄目です! 第一防衛ラインの奴らはどいつもこいつも援軍待ちのチキンだ! 誰も真面目に戦う気なんてありゃしない!」

 秘匿回線で報告したのは偵察から戻ったトルストイ中尉だ。
 第一防衛ラインの被害が些少であるにも関わらず先程から第2防衛ラインへのBETAの圧力が増し続けていることを不審に思ったザンギエフが彼を前線へと送ったのだが、報告の結果はザンギエフの予想通りだった。

「しかたあるまい。どこも人手不足は深刻だ。連日の出撃で衛士達の疲労は限界に近いし、そもそも連隊規模が任されるような戦域エリアを戦術機大隊が単独で防衛しているような状況だ。あれほど督戦のために政治委員ポリトルークの派遣に熱心だった国家保安委員会(KGB)や内務省(MVD)ですら最近では現地の人間に任務を委託するぐらいだからな。大方ここの担当を任された人間も損耗率を見て前線以外の場所で革命的職務を思い出したんだろう」

 政治委員への批判というソ連軍人としてのタブーを平然と破るザンギエフ。彼はソビエト連邦の市民として祖国と共産主義を愛していたが同時にイチ戦士として戦場にしゃしゃり出て兵士に対して党への忠誠心や革命思想を主張する彼らを酷く嫌ってもいた。

 だがそもそもソビエト連邦の戦場では軍事的妥当性よりも政治的妥当性が優先されるというのは随分と前の話だ。BETA戦争開始以後、敗北と苦渋を舐め続けたソ連は戦線の維持のためにとある特別・・な方法で軍を再編させたのだが、その代償として彼らは兵士達のモラルの低下と反抗心の成長を受け入れたのである。
 党はその後も督戦のために政治委員を派遣し続けたものの、悲惨な殲滅戦や撤退戦の多い対BETA戦線において戦術機戦闘と高度な法律知識も必要とする政治委員の派遣はコストに見合わないことが多かった。

「大佐、例のアレを使いますか? 軍管区の許可ならすぐにとれると思いますが……」

「無論、何もせず腐らせるつもりは無い。機を見て使うつもりだ。……まあ、ユーリーの奴には気の毒な事になるかも知れんがな」

「ははっ、確かに。ラドゥーガの悪餓鬼は先程から掃討任務でかなりスコアを稼いでいますからね。けどまあアイツには新しい戦術機おもちゃがありますから後からでも案外いい勝負ができるかもしれませんよ」

「新しいおもちゃ、か。アレは存外良く動いているようだな」

 ザンギエフは事前に手に入れミドヴィエチに登録していたMiG-25の改修情報を呼び出す。

「そうですね。推力や装甲は落ちているようですが軽量化されたことで通常のとは比べ物にならない程機動性と運動性が向上しています。反応も随分よくなってるようですし、もうアリゲートルは格闘戦では適わないでしょうね。米国のクラスターミサイルを装備するという話は聞いていますか?」

「例の天才発明家とやらが火器管制――FCSの刷新や発射の反動を受ける関節の強化案まで出したと聞いている。どれだけ積む気かは知らんがフェニックスミサイルの搭載は間違いないようだ。軽量の強襲機となるならば海軍が一枚噛んでいるのかもしれんな」

「フェニックスミサイルですか。そりゃあすごい。俺はガンシップに搭載した試作型しか見たこと無いですが、20発もあれば一気に4桁のBETAが消し飛ぶ代物ですよ」

――AIM-54 フェニックス

 元はといえばF-14で運用する前提で設計された大型長距離誘導弾システムであり戦術機という機動兵器に担架させながら光線級の射程外から制圧攻撃を加える目的で開発された兵器である。広範囲にいくつもの子爆弾をばらまくクラスター弾頭でありながらGPSと地形照合による自律誘導弾としての能力も兼ね備えたこの兵器は最大6発を戦術機に搭載することでたった12機中隊で旅団規模のBETA群に大打撃を与えることすらできるのだ。
 
 ザンギエフは勿論、この大隊に所属する人間はMiG-25 BM型がこのイルクーツクに回ってきた経緯についてはおおよその事は聞いている。
 F-14DかMiG-25の改修型かどちらが採用されるかは分からないが、このコンペティションの結果が今此処で戦うA-01部隊の生還率を、ひいてはオルタネイティヴ計画の成否を左右するのかもしれないのだ。注目度は否が応にも高くなる。

『CPよりレッドサイクロン。お話中すみません。36軍団による第一波の殲滅がかなり遅れています。このままでは後から来るBETAの第2波と合流してしまうかもしれません』

「……そうか」

 CPの報告に髭を撫でつけながらザンギエフは考えた。
 シベリア軍管区の首脳部は有能ではないが決して馬鹿ではない。これ以上の作戦の遅延が引き起こす損害も当然理解しているだろう。このままいけば彼らは当然、サボタージュ中の戦術機部隊にソビエト連邦の伝統的戦術――つまり損害無視の特攻戦法を命じるはずだ。
 だが一方で36軍団を受け持つアグーチン少将も自分の指揮下の軍をそう易々とすり減らさせるはずがない。損害担当をどこか別の部隊に押し付けるのか、それとものらりくらりと躱すのかは知らないが……このままではどう転んでもここシベリア戦線の戦力に大きな損害が発生するのは確実だった。

「大佐……」

「わかっている。ハイヴ攻略ならともかくこんな偶発的な防衛戦で祖国を守る精鋭達を失ってはならん――レッドサイクロンよりHQヘッドクォーター。申請コードを送る。解凍キーの8番を使用せよ」

『こちらHQ、コード受諾確認――基地司令から許可が下りた。回線の解放は60秒間だ』

 HQから許可された特殊な通信のパスコードが送信されると網膜に投射された視界に内務省やソビエト陸軍からの許可証が表示され、ミドヴィエチの管制ユニットからHQを通してブラーツク基地所属の全軍への回線が開かれる。
 それはザンギエフが用意した"秘密兵器"を使用するために用意していた準備であり、あるいはこの回線こそが"秘密兵器"そのものだ。

「――当戦線に展開中の全部隊に告げる!! 私は連邦陸軍所属のミハイル・ザンギエフ大佐だ!」

『ヴォールクの赤きサイクロン……』

 ウィンドウに映されたモヒカンの大男を見、そしてザンギエフの名を聞いてざわざわと回線がざわめく。
 HQの回線を使っているので、ザンギエフに届くのは兵士達の中でも質問や反論を許された現場の大隊長又は佐官以上の者の声だけである。

「――知っての通りこの戦域には我々が現在戦闘中のBETA第一群の他にも後方から第二群が接近している。第二群の数は第一とほぼ同数。この二つの集団が合流した場合我が軍には甚大な損害と戦闘の長期化が予想される。故に合流を防ぐため作戦計画では戦闘開始後から1630時までに第一群を全滅させるはずだったが、今の状況はどうだろうか!?」

 ザンギエフの怒りの混じった言葉と共にHQから全ての部隊へとデータリンクが更新され、最新の情報が表示される。現在の第一防衛ラインでのBETA殲滅率はようやく50%を超えたところだ。

「――残念だが見ての通りこのままでは作戦の達成は難しい。よって私は事態を打開するために本日ブラーツク基地に搬入した"秘密兵器"の使用を決定した」

『『『――――ッ!!』』』

 衛士達に、いや戦場にいる全兵士に極大の緊張が走る。
 戦力不足で物資不足のこの戦場でブラーツク基地がBETAに対して取れる戦術はそう多くは無い。そしてBETA大戦が始って以降、人類が劣勢を覆すために度々使用していた兵器に誰もが心当たりがあった。

『――ザンギエフ大佐、その秘密兵器とはもしや……か、核弾頭でありますか?』

 震える声で大隊長の一人がザンギエフに問う。
 光線級が跋扈するこの大地では空を飛ぶ弾道核ミサイルは使えない。核兵器を使うとなれば地雷として地中に埋め、少数の囮の戦術機部隊や餌の歩兵部隊にBETAを足止めさせながら味方もろとも爆破するのがソビエトでの一般的な使用法だ。
 だがザンギエフは首を振ってそれを否定する。

「違う。私が用意した兵器は味方を殺さない。放射能汚染も無ければBETAを倒しもしない」

『は? しかしそれでは一体……』

「――肉だ」

『……は?』

 何を言ったのか聞き取れなかった大隊長のために、いやこの場にいる軍のためにザンギエフは歯を剥き出しにして凶暴に笑って見せ、大きく声を張り上げる。

「諸君!! 祖国と党のために戦う革命の同志達よ!! 私は今日のこの苦境の中、前線で奮戦し祖国防衛のために命を燃やす諸君らのために米国はテキサスから67tの牛を用意した!! 戦術機に乗る衛士達よ!! 猛火を噴く砲兵よ!! 勇気と忍耐の歩兵よ!! 我々の絆たる通信士よ!! 私は今夜、この地獄を生き延びた君たち全員に靴底よりも分厚い天然食材のステーキを振舞う事を約束する!!」

『………………』

――ポカン、という擬音が聞こえた気がした。

 開いた口が塞がらないとはまさにこのことだろうか。
 それは突拍子も無い、あまりにも奇天烈な宣言だった。
 反応などできるわけがない。補給すら滞るほど疲弊したソビエト連邦の、国家を代表する軍人から突如戦闘中の戦域で聞かされた秘密兵器の正体がステーキ。到底理解など及ぶわけが無い。
 だが――

『……天然食材の、肉』

『靴底より分厚い……ステーキ』

 佐官が零した一言が沈黙の中でこだまする。それをきっかけにざわざわと喧騒が始り、徐々に声は大きくなっていく。

『『『お…………うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおぉッ!!』』』

 シベリアの全軍から発せられた歓声はそれぞれの部隊長のインカムを通して大隊長へそして大隊長からミドヴィエチのスピーカーへと送られる。スピーカーを通して管制ユニットすら振るわせる凄まじいまでの蛮声に満足したザンギエフは笑みを浮かべた。

 彼らの心地よいほど素直な食への欲求。あるいは生への執着が戦力や物資の不足を超えてあまりある士気の向上を果たしたのだ。

「そうだ! ステーキだ、同士達よ!! 私は今夜の君たちの食卓に肉汁溢れるステーキを提供する! だから同志達よ、戦え! その鋼の肉体で持ってBETAを討て! その鋼の意志で声を張り上げろ! その鋼の腕で同胞を守り、その鋼の顎《アギト》で戦場を平らげてみせろ!! Ураウラー!!」

――Ураааааааааааааааааааааааааааа!!

『ウラー!! 祖国万歳!! レッドサイクロン万歳!!』

『肉と党に永遠の忠誠を!!』

『俺はやるぞ! 今日の晩飯まで生き延びて見せる!』

 そして今度は桁違いの振動。今度こそソ連兵の地の果てまで響く雷鳴のような雄叫びによって戦場が震えた。
 希望を得たイルクーツク戦線に展開する数万人の兵士達の声が氷点下マイナス20度の空気を突き破り突撃級の足音どころか打ち出される砲声すら掻き消しどこまでも広がっていく。

『第180砲兵旅団、補給完了!! 撃て撃て撃てぇ! 全隊ぃ砲撃開始バムバルッ!』

『ラドゥーガ大隊、全中隊は鶴翼参陣《ウィングスリー》で前進せよ!』『衛士にばっかいい格好させんじゃねぇ!! 第312戦車師団、前進ッ! 前進ーーッ!!』

『ポイントB-3への面制圧開始します! 3・2・1――弾着、今ッ!』『こちらトエンスク中隊。BETA分集団を撃破ッ!』

 兵達の凄まじいまでの気勢とともにそれまでの苦戦が嘘のようにレーダーに映る赤い敵性指標ブリップマークが凄まじい勢いで消えていく。
 たった60秒の言葉、ソビエトの英雄レッドサイクロンの言葉がまさしく戦略級の兵器のような戦果を上げるのを見て普段は感情を出さない事を至上の義務としている司令部の面々ですら歓声を上げた。

『――CPより報告。第一群の殲滅率が加速度的に上昇していきます。65、70、75!』

「……間に合いそうだな」

 全体回線が終わり、戦局が優勢に傾くのを確認してゼンギエフは安堵の溜息をもらす。

「――ザンギエフのおっさん!! あんたすげえよ!」

「ユーリー、か」

 思ったよりも早く任務は完了していたのだろう。MiG-25はいつのまにかヴィエーチル中隊と共に第二防衛ラインまで戻ってきていた。
 何がそんなに嬉しいのか喜色満面といった様子でMiG-25BMの機体を空中で犬の尻尾のようにぶんぶんと振り回している。

「すげぇよ! ハハハッ! すげぇッ! どいつもこいつも腐ってたのに、あれだけ死にそうだったのに! 皆あんたの言葉で生き返った! たかが食い物で何万人分もの嫌な色を押し流しちまった!」

「"人間にとって食欲以上に重要な事は無い"私が尊敬する衛士おんなの言葉だ。尤も、こんな物が手に入ることはそうないが」

 今回ザンギエフが手に入れた牛肉は実は米国からソ連への輸出品ではない。貴重な天然食材の中でも高級な品とされている牛肉は本来であればこんなシベリアの奥地ではなく成長著しいブラジルの裕福な家庭に並ぶべく航空機で送られていたはずの品だった。
 だが輸送の途中で原産地であるテキサスで蓄牛に疫病発生との情報をうけてブラジル政府は輸送機を自国の関税で止め商品の受け入れを禁止させる。そうして進むも退くもできなくなった商品をザンギエフが目ざとく見つけ、タダ同然で買い取ったのだった。(疫病自体は牛にのみ発生し人体に無害なものだった)

「その衛士ってもしかしてあんたの恋人か?」

「妻だ。元は食料班に入隊して合成食材の味をなんとか向上させようと研究していたのだがな。高い衛士適正を持っていたので衛士として訓練を受けパレオロゴスでハイヴ突入部隊に抜擢された」

「パレオロゴスのハイヴ突入部隊……――ッ! それって確かおっさんがいたヴォールク連隊ってとこだろ? もう亡くなってるってことか?」

「ああ」

 ザンギエフは頷く。そこに一切の感情は無い。
 だが対照的にユーリーはまるで自分の傷に触れられたかのように悲しそうに表情を曇らせた。

「その、……ごめん」

「謝るな。妻の死は決して無駄ではない。彼女の犠牲のおかげで私はハイヴのデータを持ち帰ることが出来た。彼女の教えのおかげで今日、こうやって多くの将兵を救うことが出来た。死してBETAに喰われはしたが、妻が生きた証はこうやって我々の中に生きている」

 ザンギエフは妻について胸を張って語ったが、ユーリーにはその誇らしげな声音の中に"痛み"を見つけた。

――それは多分、唯一の弱点だ。
 無双の衛士であるザンギエフの、至高の兵士であるレッドサイクロンの、そして完璧な男であるミハイルという三つの人格の中心に位置する彼の強さの根源。
 見てはいけないものをみたような気がしたが弱さと強さという矛盾する両面を見てユーリーはミハイル・ザンギエフという人物をもっと知りたいと思った。

「……なあ、おっさんはどうしてそうまで戦えるんだ? アンタ前線にいない時も非番の日もほとんど休みを取ってないだろう? 毎日毎日仕事と戦争……家族も好きな女もいないこんな国のために、どうしてこんなにも戦えるんだ?」

「では逆に聞こう。お前は何故戦っている? 確かにお前はオレに倒されソビエトのために戦うように命じられた。だがオレにはお前はここに来た直後から自分から進んでBETAと戦っているように見える」

 ゴクリと生唾を飲み込む。
 若干の逡巡の後、意を決してユーリーは口を開いた。

「俺は…………俺はリューのために戦っている。BETAと戦えばリューを治す機械が作れるんだ」

「――そうか」

「……何も聞かないのか?」

「理解は出来んが……想像はつく。イズベルガ女史じょしは才ある人物だが不世出ふせいしゅつというほどではない。そして彼女があの陸上戦艦とやらを持ち込んだのはお前の初陣の直後だ」

「………………」

 押し黙ったのは不安からだった。
 自由にできる今ならば良いがもし例の能力の事を党に報告されれば、党はなりふり構わずユーリーを利用しようとするだろう。
 そうなればリュドミラを救うという目的は一層遠のくことになる。

「ユーリー、もう一つ聞こう。お前は女史がミグ設計局から依頼されたMiG-25《スピオトフォズ》の改修にも積極的に携わっているな? それは何故だ?」

「それは、博士が巻き込まれて……――いや、違うか。本当は多分、俺自身がこの機体を気に入ったからだ。コイツ、始めはドン亀のダメダメ戦術機だったけど乗ってみると意外と見所があったんだ。改修の話を聞いてコイツが力を出し切れるようになれば、きっと今とは比べ物にならないくらい活躍して沢山の人を守れるかもしれないって……思ったのかもな」

 国家の一大計画に加わるには余りに曖昧な理由といってもいい。
 だがウィンドウに映る大男はそれを否定せずユーリーの感情に頷いた。

「私の戦う理由もそうだ。確かにこの国は――共産主義という仕組みは問題が多い。西側の国々から見れば我々共産圏の国家は貧しくて息苦しいと思うのも無理は無いだろう。だが間違いだらけでも、今もなお外道を行なっているとしても、80年前に富や権力を独占し圧政を敷いていた資本家貴族の打倒や貧しい人々のために公平で平等な国を目指した人々の想いだけは本物だ。残念ながらその過程も今に至る結果は最善でも最良でもないが、資本主義の豊かさと発展の影で人々が目を背けて怠り続けてきた最先端の正義を為そうというこの国の未来をオレは見たいのだ』

「最先端の……正義」

「お前は共産主義者コミュニストではないから、お前の求める未来はオレのそれとは違うかもしれん。だがもしどんな未来へ向かうとしても、今日この戦場で見た"色"を忘れるな。お前が見た色は道標みちしるべだ。たとえどんなに深い絶望を見ても希望の灯火さえあれば人は何度でも立ち向かえる」




***1988年 2月15日 アラスカ ソビエト連邦首都セラウィク官庁区 スフォーニ技術設計局***


「ほう、それで?」

「は、その物資によって士気を回復したシベリア戦線は予定以上の速度でBETA集団を撃破しました。そして更に同日、ザンギエフ大佐から党本部へ軍の36人の補給将校による前線への軍需物資の横領の証拠が提出されました。補給将校達にはすぐに銃殺刑が執行され、後任には同じくミハイル・ザンギエフ大佐推薦の人材が着くことになっています。これによって前線の食糧事情は8%以上改善されるかと」

 ここはこの国の技術開発の双璧、スフォーニ設計局の本局。
 三ブロック隣にある30階建てのミコヤム・グルビッチ設計局に対抗して35階層に立てられたこの建物の中でも限られた数人しか使用を許可されない最上階のオフィスに彼ら二人はいた。

「レッドサイクロンの推薦……それはつまり脳みそまで筋肉でできた石頭連中が今後の前線の兵站業務を行うという事かね?」

「は、その通りです。彼らは無能でも有能でもありませんが、あのレッドサイクロンが選んだ人材です。今後の懐柔策は難しくなると思われます」

 できない、とは言わない。生き馬の目を抜くようなソビエトの官僚の競争社会で、そして何より目の前のスフォーニ設計局長官の中将の前で能力の限界を口にした人間の末路がどうなるか、このブドミール・ロゴフスキーと呼ばれる軍人はよく知っていた。

「ふん、だがそれはどの設計局も同じことだろう。それに政治的にあらゆる機関に対して中立であるレッドサイクロンの手が兵站部に入ることは劣勢である我がスフォーニにとって悪いことではない。それよりも例の子供とミグ共の狩人オフォトニク計画とやらはどうなっている?」

「開発衛士であるビャーチェノワ二等兵がBETA撃破スコアが士官として充分と認められたため2月17日付けで二等兵から准尉に昇進しました。MiG-25 BMベーエム型も既に予定の改修を終えています。スケジュールはほぼ計画書どおり、設計局からの改修命令や現状の性能も我々が事前に内通者から手に入れた内容と大差ありません。このまま行けば改修機の性能はF-14Dの性能に遠く及ばないでしょう。ただ……」

 声のトーンを落すロゴフスキー。

「なんだ?」

「我々の手の届かないルートからブラーツク基地にいくつかミグの規格外の部品が運び込まれています。大半が戦術機関連ですが他にもイズベルガ博士の名前で医療機器や精密機械なども持ち込まれているようで……」

「例の大天才による独自の改修案があるかもしれんのか。全く、厄介な……――待て。医療機器だと?」

 中将は少し考えると端末を操作し、部下の言う搬入物のリストを開く。

「マイクロサージェリーに電針、超々細型のF.E.Tフェット器具……どれも脳外科の道具のようだな」

「ハッ! しかしイズベルガ・イングリート・オッティールト・ピュヒョには学歴どころか交友関係を洗っても医学との接点がありません。正直、医療知識を持っている可能性は限りなく低いはずですが……」

 学歴を見て医療知識は無いと断言するこの男の判断は正しい。
 数ある学問の中でも医学だけは才能や努力だけで修めることはできない。人体の弄り方を覚えその技術を治療という魔法にまで昇華させるためには人間に関する膨大な標本と実験データ、それに極めて高度な機材と様々な薬品が必要だ。加えてイズベルガはチェコの最高学府を出ていても工学系の人間であり学生の頃から火器の設計にしか興味が無かった。医療や薬学に対しては文系と同じくらい接点が無い人物である。

「そんな事は分かっておる! しかし現時点で彼女がこうして高度な医療機器を集めていることは事実だ。もしその狙いが我々の"ПЗ計画"と同じだとしたら、現行のスフォーニ設計局のプランは大きく崩れることになる」

 中将の脳裏に浮かんだのは開発衛士であるユーリーではなく、昏睡中であるはずのもう一人のESP発現体――リュドミラ・アドニー・ビャーチェノワの方だ。もしもイズベルガの狙いが彼女を目覚めさせ、今タルキートナで彼らスフォーニ設計局が人工ESP発現体に行なわせているのと同じ処置を施すことであれば大金を投じて用意してきたПЗ計画の優位性は失われてしまう。
 それだけは絶対に避けねばならない。
 何しろスフォーニ設計局はミグ設計局以上に、オルタネイティヴ第3計画の制式戦術機の競合コンペティションに力を入れているのだ。

 このソビエトで戦術機開発を行うようになって早15年。その間、スフォーニ設計局はミコヤム・グルビッチ設計局と主力戦術機の開発を争い続けているが未だに主力機として採用に至ったことはない。だがそれは決してスフォーニ開発局の技術力が劣っていたわけではない。
 Su-11の開発時はライセンス生産のために米国に派遣する技術主任が出発前夜に突如ありもしない公金横領の罪で逮捕された。残ったメンバーだけで渡米し最低限の技術を得ることは出来たものの、主任を欠いた状態で開発した結果完成した戦術機は部品製造精度の低さから連続稼働時間、兵装搭載能力に欠け不採用となった。
 Su-15の開発時は機体性能の向上のために惜しみなく開発費用を投じた上に前回の二の舞を踏むまいと国家政治局(GPU)に支払う賄賂の金額を倍に増やしすらした。整備性が悪く稼働率の劣悪を晒したミグの新型に比べて設計の全面改修によって隙のない優等生に仕上げたスフォーニ設計局はソビエト連邦軍から制式番号を受領し量産試験に移行。そしていよいよ生産ラインの本格稼動……というところで突然、全くなんの予兆も無くSu-15は性能不十分とされ主力機選定を落されたのだ。
 後に彼が将官になって初めて閲覧の叶った資料に当時党が性能不十分と判断した根拠が、聞いた事の無い評価委員会が提示したされる全くデタラメな開発報告書によるものだとわかった時は怒りの余り自宅の食器や家具を全て叩き壊してしまうほどだ。

 何はともあれこの将官が率いるスフォーニ設計局にはもう後が無い。二度も開発競争に負けたことにより党からの開発資金は先細り。裏金プールもコネも磨り潰されてしまったこの設計局がとった方策こそがある意味で真っ当な米国のノースロック・グラナン社からの技術輸入であった。

 すでに賽は投げられている。故にどんな些細なことでも不安要素は潰しておかなければならない。

「由々しき事態ですが……やはりどう見積もってもその可能性は低いかと。確かに彼女は天才かもしれませんが、それでも単独の能力というものには限度があります。昨日陸上戦艦というアイデアを吐き出し、そして今日戦術機開発という難事にリソースを割いているのであれば、これ以上のものが出てくるというのはありえないはずです」

「そんな保証がどこにある! 現に今この女は医療機器を集めているではないか! 役に立たん奴め! もういい、私が手を打つ」

 こみ上げてきた頭痛を抑えながら怒鳴りつけると電話を取って普段は使わないタルキートナへのダイヤルを開く。

「――ラフマニノフ教授か? 例の計画を急ぎたい。進捗はどうなっている?」

『―――――――』

「ベリャーエフ君が? そうか……分かっている。もちろん、急かせた分は今後のあなたの研究予算に色をつけさせてもらおう。だが一つ確認しておきたい。君らが絶賛する"被験体達"とやらは本当に例のイレギュラーを超えることができるんだろうな?」

『―――ッ!! ――――! ―――!』

 プライドを傷つける発言に電話の向こうの老人は大きく声を荒げたてる。声に当てられてリチェンコは慌てて受話器から耳を離した。

「……よろしい。完成に期待しよう。ところで、オルタネイティブ計画については全てが極めて重要な機密だ。数字のままでは色々と弊害が……何? 弟子の娘達の名前をつけただと? ああ、ああ。わかった。どうでもよい。名前があることが重要なのだ」

『――――。―――』

「ああ、楽しみにしている。今度こちらのウォッカを送ろう。よろしく頼むよ」

 いい返事を得られたからか、重役は今度は上機嫌に受話器を置いた。

「それでリチェンコ長官。いかがいたしましょうか?」

「ああ、ПЗ計画を5年分前倒しにする。来年には同志ベリャーエフ博士と国連軍から例の人工ESP発現体とやらを引っ張ってこれそうだ。準備のために例の被験体を君の率いる中央戦略開発軍団に入れておいてくれ」

「了解しました閣下。被験体達の名前をいただけますか?」

 重役はサッサと紙にペンを走らせるとロゴフスキーにぞんざいに投げ渡す。

――Крыска Бяченова
――Иния Шестина

 メモに書かれていたのは二人の女性名だった。

「――クリスカ・ビャーチェノワとイーニャ・シェスチナ……ではこの二体が」

「そうだ。ロゴフスキー君。この二体こそが我々スフォーニの秘密兵器・・・・だ。この二体の性能によって我々の戦術機は真の能力を発揮し将来は戦術機市場における不動の地位を勝ち取る。全ては祖国の栄光のために」

「はい。祖国の栄光のために」

 彼らが脳裏に浮かべているのは人類の勝利でも、共産主義の未来でも、二人の少女の行く末でもなくただ我欲と己の栄達のみ。
 モニターの光が薄暗い部屋に落した二人の影はミグ設計局の二人と同じく深い闇を孕んで揺れていた。







[32864] 13,「どうしてこんな子供をっ!?」
Name: 大蒜◆9914af20 ID:86f1a2a8
Date: 2012/09/19 22:15
13「どうしてこんな子供をっ!?」~Muv-Luv:RedCyclone~

***1989年 8月10日 ??? ***

――コンクリートが爆ぜる。

 蒼穹を貫く幾条もの白い水蒸気のすじ

『こちら02。クソッ、被弾した!』

 3機のMiG-25BM型から放たれた6発の120mmHEAT弾は目標を誤ったが着弾の際に道路やビルの残骸に秒速8kmの重金属のジェットを吹きかけた結果、弾着地点の中心にいた一機の戦術機の―これもMiG-25BMである―機動力を奪うことに成功する。

『だ、駄目だ! 破片で跳躍ユニットが……ッ! 離脱できない!』

『02ッ、後方注意チェックシックスだッ!』

 仲間がレーダーの機影を見て注意を促すが、HEAT弾を放った空中の3機は持ち直す暇を与えない。
 機動力を失った一機は慌てて上空の機影に突撃砲を向けようとしたが、その前に空から36mm口径の劣化ウラン弾の雨が放たれ、02の機体は周囲の遮蔽物ビルごと穴だらけにされてしまった。

「クソッ! 02がやられた! 03、04、伏撃開始アンブッシュアウト。撃て、撃て!」

 リーダーの声に答えてビルの隙間に静音状態で完全に隠れていた2機が現れ、空中を飛ぶ三機に支援突撃砲を向ける。
 密集編隊飛行を行なっている3機に対してこちらの小隊長と2機の配置は開いた逆三角形――つまり空中の3機に対して完全包囲の形だ。

『気付いた時には手遅れってな!』『03、フォックス1! フォックス1!』

『大人しくくらえ!』『照準補正……よし!』

 複座機であるMiG-25BMを駆る4人の衛士達は思い思いに叫びながら射撃を開始し、36mm劣化ウラン弾と曳光弾が敵の編隊が帯びていた細い雲をバラバラに引き裂く。
 気付いた敵機はすぐさま散開して突撃砲で応戦したが、同じ36mmでも空中で回避機動を取りながらの射撃と地上でビルを盾にしながらバレルを延長した支援突撃砲を用いた射撃をするのでは命中率がまるで違う。1発、2発と瞬く間に命中弾を受けて一機は撃墜、もう一機は命中弾を装甲で弾いたが失速し地上への降下を余儀なくされた。
 そして残った一機はといえば

「01、エンゲージッ! 素早いっ! そしてこの精度……トルストイ大尉の機かっ!」

 銃撃を受けながら01――ユーリーは叫ぶと機動を地表滑空サーフェイシングから地面を蹴り通常飛行に切り替える。
 彼の黒い愛機はその推力によって軽々と空に上がると、小刻みに推力偏向機構を操作して鞭のようにのたうち迫る弾幕を躱す。
 そして左側から死角に潜り込み、お返しとばかりに右手のバズーカ――440チトゥリソーラクトラムロケット砲のトリガーを引き絞った。

「もらったぜ!」

 薬室の爆発を受けてS-11混合弾頭が砲口を飛び出す。安定翼が展開し機動兵器が扱うものとしては最大級の弾頭が後部のロケットによって二次加速を始めようとした瞬間、

[警告!]

――弾頭は、ただ一瞬で照準《サイティング》を合わせたトルストイ中尉の弾丸によって爆散。

  刹那のタイムラグを経てすぐに凄まじい爆風とともに弾頭の破片が二機の装甲に降り注ぐ。至近というほどではないにしろ近距離なら大型のBETAですら跡形も無く吹き飛ばす爆風の衝撃は200ミリを超えるMiGの正面装甲を楽々と貫いて管制ユニットを揺さぶり電子機器に火花を上げさせる。
 10トンを超えるはずの鋼とカーボンの巨人はしかしまるで子供のおもちゃのように蒼穹から斜めに地上へと叩き落された。

「ぐぅぅぅぅっ!!」

 錐もみ状態で墜落する直前に彼が跳躍ユニットを吹かす事ができたのは僥倖というべきだろう。加えて弾頭の爆発が相手の機体をも吹き飛ばしてくれたおかげで追撃を受ける事も無い。

 すぐさま機体のコンディションに目を向ける。コンディションは要注意イエロー所々グリーンといったところか。だが今の爆風でレーダーとデータリンクが故障し、ユーリーは周囲の情報をカメラ以外で捉えられなくなっているのは痛い。

「03、04、こっちはレーダーが死んだ! そっちはどうなってる?」

『――ぜ、01! 敵の増援に03がやられた!  東に600の地点だ! おかげでこっちはさっきから1対2だ!』

「チッ――すぐに行く。そっちは下がれ!」

 敵は先程まで3体だったが、どうやら4機編成のうち別に行動していた一機が合流して04を叩いているようだ。幸い味方の方向へ飛ばされたユーリーと違い、トルストイ大尉の機体はまだ離れた場所にいる。

 被弾して暴発の可能性のあるバズーカを捨てると、背部の兵装担架に刺しておいた突撃砲を抜いて空中から04を撃ち下ろしている敵機へ向かう。
 BM型となって新たに換装された跳躍ユニットKD-36Fは加速力にこそ不満が残るものの、優れた最大推力と噴射偏向がもたらした高スピードはMiG-25を難なく敵の元へ届ける。
 急接近するレーダーの反応に気付いた敵機がこちらへ向き直るとすぐさま突撃砲下部が作動―おそらくは面制圧用の120mmキャニスター弾―が放たれた。

「――させるかぁぁッ!!」

 ウランりゅうが炸裂しこちらに届く直前にユーリーは操縦桿とペダルを引き、推力偏向と空中で手足を大の字に広げ機体を空気の壁にぶつける急ブレーキ。
 体中の血液が体の前面に押し寄せ意識を吹き飛ばされそうになりながらも機体は野球のフォークボールと同じ原理で高度を落し、散弾をくぐり抜けると敵の真下に滑り込む。
 残像すら刻む機動を受けて敵機の突撃砲はロックが追いつかずに宙を彷徨った。

(――これだ! この血管の血が全部沸騰して爆発してしまいそうな感じ! もっと……もっとだ! もっとはやく動け!)

 無防備な下方に潜り込み息もつかぬまま120mmを差し向けてHEAT弾の2連射。
 でたらめに撃った相手の背部兵装担架の36mmがこちらの肩を掠めたが敵機は下部から大穴を空けられて雲を引きながら墜落していった。

「――バンデッドスプラッシュ! もう一機はどこに……―――04ッ!」

 眼下に見えたのは2機の戦術機。一機は頭部から股間部まで一直線の火花を上げ崩れ落ちる04。
 そして04を斬ったもう一機は上空の機影に気付くと手に持った77式近接長刀カタナを振り上げ誘うようにこちらに向ける。

「モリ大尉……! ちょうどいいぜ、今日こそ近接戦でアンタを越えてやる!」

 背部兵装担架からスーパーカーボンのCIWSを引き抜いたユーリーは獰猛に笑う。そして二機の機影が交差し――――






***


「くっそー! また負けかよ!」

 管制ユニットから這い出るとユーリーは悔しそうにそう言いながら壁を蹴った。

 ユーリーがシベリアに来て二年。MiG-25 スピオトフォズという機体の改修に関わるようになってからおよそ一年半の月日が流れていた。
 開発を続けてきたMiG-25 BM型は納期が近いこともあり技術や装備の実証試験からいよいよ小隊単位での連携や戦闘環境下での最終チェックの段階に入ってきている。そのため、ここブラーツク基地にはいままでユーリーに与えられていた一機に加え新たに7機(仮組の試験機が2機、先行量産試験が5機)が一週間前に搬送されてきたのだが――

「これで1勝6敗……しかも勝てたのは最初の1回だけ。うぎぎぎぎ」

 ギリギリと歯軋りの音を軋ませる。
 
 ブラーツク基地の第5戦術機ハンガーにはペイント弾でピンクやら黄色やら極彩色にカラーリングされた六機と殆ど汚れの無い2機が鎮座している。
 彼らが今しがたまで行っていたのは統合仮想情報演習システム―JIVES―を利用した模擬戦だ。戦術機の実機の各種センサーとデータリンクを利用し砲弾消費による重量変化や着弾や破片による損害判定及び損害箇所など、戦闘におけるあらゆる物理現象を再現できるこのシステムはペイント弾を併用することでほぼ実戦と同じ間隔で戦術機同士の模擬戦闘を行なうことができる。費用コストが高くつくのであまり前線で行なわれる訓練ではないが今回は新型機開発の詰めということでミコヤム・グルビッチ設計局から特別に予算が計上されていた。

「ま、今回は悪くなかったけどな。先頭の伏兵がばれるのを承知で動力をカットした3機を伏せておくなんてこっちは予想外もいいとこだった」

 ユーリーの向かいから降りてきたのは伊達男のロシア人――ザンギエフの部下にして突撃砲の名手、そして昨年昇進を遂げたイワン・トルストイ大尉。

「すぐに見破って面制圧に切り替えたくせに……ああ、畜生。いつも他の二機までは落とせるんだよ。ただモリ大尉とトルストイ大尉が倒せないんだよなぁ」

「ははっ。俺たちが何年戦術機に乗ってると思ってんだ。お前の腕と新型は認めてやるけどまだまだ後進に道は譲れないな」

「――ちぇっ、俺だって体ができあがればもっと早く動いてみせらぁ!」

 現在この基地でMiG-25 BMの搭乗経験のある衛士が増えている。
 開発衛士は当初はミグから指名された8人(複座機であるため)が来る予定であったがいくつかのトラブルとオルタネイティブ計画の実行部隊たるA-01の衛士の搭乗という既成事実を作るという思惑のため開発は急遽現地にいるザンギエフの部隊とA-01の合同部隊によって行なわれているのだ。
 ミグとスフォーイという両設計局に対する政治的な公平正を保つためザンギエフ本人は参加していないが、彼の周囲は新型機に乗れるまたとないチャンスとして連日模擬戦を行なっていた。

「……そういやモリ大尉は日本人ヤポンスキだからカタナで戦うのはわかるけどさ、トルストイ大尉の戦い方ももなんつーか風変わりじゃないか? 同じ状況でも一撃離脱ヒットアンドアウェイが中心のときもあれば、タフに突撃してくるときもある。ロシア式の戦術も見えるけどそれもどうも他のA-01の衛士やザンギエフのおっさんとは違う感じがするんだよなぁ」

「へぇ、わかるのか。本来は軍機なんだが……いいだろう、教えてやろう。私は大佐のところに来るまではモスクワの第222戦術機教導部隊にいたんだ」

「教導……? それって軍隊の手本になる部隊のことだろ? それなら戦い方はロシア式になるんじゃないのか?」

「教導部隊の仕事は仮想敵国との実戦を想定した訓練における敵役……要するに米国流の戦術で戦うアグレッサー部隊だ。ま、米国といっても海兵隊と陸軍じゃ戦術機の扱いがぜんぜん違うんだが、私達はその両方の戦術を研究し駆使して味方を叩きのめす仕事をやっていたのさ」

「へーっ! じゃあウチの小隊はザンギエフのおっさんとトルストイ大尉とモリ大尉とで米日ソの多国籍軍だな」

「そういうことだ。まあソ連の戦力だけ偉く突出した多国籍軍だが……」

「模擬戦でザンギエフのおっさんに"3対1でかかってこい"なんて言われた時は馬鹿にしてるのかと思ったんだけどな……」

 二人は渋い顔をして最近行なわれたシミュレーションの様子を思い出した。
 シミュレーションでは結果的にモリ大尉の特攻によってなんとか勝利に持ち込んだものの、それまでの10分間で二人ともザンギエフになすすべもなく撃墜されている。囮という役割こそあったが、ザンギエフとの間に横たわる大きな技量の格差を改めて認識させられた一戦であった。

「これでも大分マシだ。昔は私とモリ大尉で2個小隊を率いてやっと手傷を負わせられるくらいだったからな。撃墜できたのは今回が初めてだ」

「やっぱ化け物だな……っと、いけね。模擬戦の後はデブリーフィングがあるんだった」

 ハンガーを後にして強化装備からBDUに着替える。
 ブリーフィングルームで待っていたのはすっかり見慣れたA-01の面々とザンギエフ、さらに30人ほどの見慣れぬロシア人らしき集団であった。
 最後の一人が入室したのを見て壇上のザンギエフが口を開いた。

「揃ったか。予定のデブリーフィングは中止だ。諸君らにはここでセラウィクから来た我らの客人を紹介しよう」

 相変わらずの大声量。マイクも無しに大学の講義室並の広さの部屋全てを行き届かせる。
 ザンギエフに促されてロシア人達の中から前へ進み出たのは30代の半ばほどの軍人とそれよりも若干年かさの痩せた学者風の男。
 軍人の方は知らないがユーリーは学者風の男の方に見覚えがあった。

「お初にお目にかかる国連軍の同志たちよ。私は中央戦略開発軍団のロゴフスキー少佐だ。そしてこちらは君たちと同じく国連オルタネイティヴ第三計画の技術部からきたイェーゴリ・ベリャーエフ准教授である」

 ロゴフスキーに促されてイェーゴリ・ベリャーエフも軽く会釈を返す。

 一方ロゴフスキーの所属を聞いてA-01の衛士たちは内心の動揺を隠せなかった。
 中央戦略開発軍団といえばソビエト連邦の特権階級であるロシア人ですら入るのが困難な特殊部隊である。国連の特務部隊A-01に選抜される彼らもセラウィクの士官学校を優秀な成績で出たエリートであるが、中央戦略開発軍団は前線も含めた全軍からさらに厳しい倍率で人材をピックアップした正真正銘の精鋭であった。

「すでに聞き及んでいるかもしれないが、現在諸君等が所属するオルタネイティヴ計画本部はその目的のためにMiG-25の改修機と米国のF-14で制式戦術機のトライアルを行っている。今回ミグの改修機の開発が完了し、先行量産機がロールアウトしたということでトライアルの最終段階――即ち実戦試験と異機種間競合訓練を行うために我々は派遣されてきた」

 ロゴフスキーは一端言葉を切ってザンギエフに目線を向ける。ザンギエフは頷き返し再び壇上に立った。

「これに伴いオルタネイティブ計画本部から評価委員の派遣と党からは改修機の名称のMiG-25 BMベーエム型からMiG-31《ブラミャーリサ》への変更が通達された。評価委員の到着は3日後、実測評価試験は5日後に開始する。今回の件は急な話ではあるが我が国やオルタネイティヴ計画委員会は一日も早い制式戦術機決定を必要としている。諸君等には全力でこの任務に取り組んで欲しい」

「さて概要も説明し終えた所でまずは我々中央戦略開発軍団の誇る開発部隊であるイーダル小隊の面々をご紹介させていこう。まずは4号機操縦士の――」

 少佐の紹介に従いロシア人衛士の男女が壇上に進む。イーダル小隊に所属するのは合計8人。いずれも骨太で眼光鋭い猛者ばかり――だがそう思って肩に力を入れていたA-01の面々が最後に目にしたのはあまりにも小さい少女達であった。

「そして一号機 主任衛士のイーニァ・シェスチナ小尉と砲撃士《ウェポンシステムオフィサー》のクリスカ・ビャーチェノワ小尉だ」

 砲術士でクリスカと呼ばれたのは髪を短く揃えた凛々しい顔立ちの少女、もう一人操縦士でイーニャと呼ばれたのは幼い顔立ちとリュドミラを彷彿とさせる長く綺麗な髪をしている。
 どちらもユーリーと同じ銀髪碧眼――間違いなくオルタネイティブ計画によって作られた人工ESP発現体であった。

「あーっ! こ、こいつらなんで――!」

――なんでこんな前線《ところ》に?

 身を乗り出して叫ぼうとしたユーリーをロゴフスキー少佐の太い腕が遮った。

「ビャーチェノワ准尉。君の親戚・・である少尉達との再会を喜ぶのは構わないが、今はお互いに競合中の機体のテストパイロットだ。挨拶以外の交流は避けていただこう」

「――しかし、少佐! どうしてこんな子供をっ!?」

「……それを君が言うかね?」

「――ぐっ!」

 精神年齢と肉体年齢が20年以上乖離しているユーリーにとっては痛恨の指摘だった。

「これは命令ではない。だがこれ以上は過剰な干渉とみなしてオルタネイティブ計画本部に報告させていただく事になる」

「くっ……――かしこまりました、同志少佐」

 所属違いの部隊とはいえ相手は少佐。トライアルへの少なからぬ影響を考えれば諦めざるを得ない。
 さすがのユーリーも気長に機会を待つしかないと思いながら、今は唇を噛みながら席に戻るのであった。







 と、思いきや。

「――なんてなっ。俺がそんなに素直なら苦労はないってね」

 ブリーフィング終了後、わずか20秒。あくどい笑いをしながら彼は基地内を走っていた。

「へへっ少佐は挨拶以外は駄目だっつってたけど、偶然会って挨拶が長引いちまうくらいなら仕方ないよな」

 ニシシと笑いをかみ殺しながら辺りを見回す。だが中央戦略軍団は一足先に退出していたため出遅れたユーリーが二人を見つけるは簡単なことではない。

 PX――いない。
 宿舎――いない。
 司令部――そもそも入れない。

 最後に戦術機ハンガーに回ろうとしたユーリーはそこで見慣れたラドゥーガ大隊の面々が誰かに絡んでいるのを見つけた。

「――党のメスブタがぁ! その澄ましたツラを切り刻んでやろうか? あぁ?」

「おい、もったいないことすんな。足を縛ってジープにくくりつけろ。せっかくの歓迎会だ。二人を滑走路のアスファルトとお友達にしてやろうぜ!」

 いつぞやと同じく建材やナックルダスターを嵌めて二人を取り囲むラドゥーガ大隊。
 一方同じ祖国を守る衛士から何故敵意を向けられるのか分からず、クリスカとイーニァは抱き合いながら震えていた。

「こわい、こわいよクリスカ!」

「大丈夫、大丈夫だからねイーニァ」

「ハッ、びびってやがる! そんなんで戦場に出ようってか? 迷惑なんだよ!」

「わ、我々は党と同胞のために戦う同志だろう? なぜこんなことをするんだ!」

「党~? 同志~? ロシア人が何ほざいてやがる! あいにくシベリア育ちの俺らはそんな物知らねぇな。おら、デカイほう。お前の体を有効活用できるロリコン野郎の所に連れていってやる。さっさと立ちやがれ!」

 鼻の曲がった少年がクリスカの腕を掴んで引き剥がそうとする。
 一人にされる恐怖に耐えかねたのはイーニァだ。

「いやぁ! いやぁーー! クリスカ、クリスカぁ!」

「――イーニァ! 止めて、止めてくれ!」

 クリスカは全力で抵抗しようとするが何故かいつも通りの力を発揮することができない。
 指が一本一本剥がされ、いよいよイーニャと離されようとしたその時――

「――じゃっじゃーん♪」

「ぐあああああっ!!」

――不意に飛んできた靴底が少年兵の顔面に突き刺さり鼻血の螺旋を空中に描かせた。

「ザハール!?」

 靴底の主の思いのほか長い滞空。そして軽やかな身のこなしで着地すると二人を庇うように少年兵ラドゥーガたちの前に立ちはだかった。

「――やい、ラドゥーガの糞餓鬼クソガキ共! 弱い者虐めは結構だが、よりにもよって俺の妹達に手を出すってんなら見過ごせねぇな」

「ビャーチェノワ! この野郎、またザハールの鼻を!」

「クラーラか。へっ、なんならまたこの間みたいに尻を手痣だらけにしてやっていいんだぜ?」

「――くっ」

 屈辱的な記憶が蘇ったのか顔を真っ赤にして尻を押さえるクラーラ。他の少年兵たちも突如現れた天敵の出現に明らかに浮き足立っていた。

「おらっ、さっさとどこかへ消えやがれ! 言っとくけど今日の俺は容赦が効かねーぜ!」

「――チッ! 覚えときな!」

 クラーラの睨み殺さんばかりの眼光と捨て台詞。同時に彼女の仲間達はすっかり手馴れた様子で怪我人を引き摺り宿舎の方へと走り去っていった。

「あいつら、心底から三下根性が染み付いてやがるな……」

 幾度も痛い目に会わされた彼らの戦略的判断は間違っていない。間違ってはいないが、年下の子供の蹴り一発で逃げ去る不良というのは加害者側から見てもなんとも同情的になる風景であった。

「――っと、おい大丈夫かおまえら。悪いな。あいつら自分達より弱そうなロシア人を見ると盛りのついた猫みたいになるんだ」

「うぅ……クリスカぁ」

「イーニァ、よかった。怪我は無いね?」

「うん、うん。こわかった。まっかなてきいがとげみたいにわたしに……」

「………………」

 自分も涙目ながらも幼いイーニャを抱きしめて気遣うクリスカ。
 一方のイーニァもまるで姉か母親に接するように甘えている。

(こいつら……本当に人工ESP発現体なのか?)

 二人の姿はタルキートナのカテゴリファイブ・ワンの人工ESP達とはまるで違う。ユーリーが知る自分の兄弟姉妹達には軍人然としているだけでほとんど人間味というものが無い。ビャーチェノワ達は誰もが軍務や党の教え以外の事柄には興味を示さない冷血人間だったし、シェスチナに至っては食事や睡眠などイチイチ命令してやらなければ日常生活すら行ないほど自我が弱い固体もいたらしい。
 あのトリースタですらシェスチナ全体で見ればかなり活発なほうだったのだ。

「そうだ、准尉」

 じろじろと彼女達を見ていた呼び止めたのは凛々しくてハリのある声。
 ハッと見上げれば彼を呼んでいたのはクリスカと呼ばれた第五世代の少女だった。

「なんだ、クリスカちゃん?」

「ちゃんづけで呼ぶな! 私は上官なんだぞ!」

「失礼、クリスカちゃん少尉。でもまず助けたお礼ぐらいは欲しいな」

「くっ……礼なら後だ。まず貴官に聞きたいことがある」

「聞きたいこと?」

 神妙な顔に戻ったクリスカを見てユーリーも居住まいを正す。

「――このブラーツク基地にいるイズベルガ・イングリート・オッティールト・ピュヒョ博士についてだ。彼女に会うにはどうすればいい?」

「――ぶっ! おいおいおい! 会えるわけねーだろ! イズベルガ博士はこっちの機体の開発リーダーなんだぜ!? スフォーニ側の、それもリーディング能力を持った人間なんて面会できるわけねーだろ!」

 思いもよらない要求に噴き出した。

 実際は彼女の心をリーディングしても出てくる技術情報などたかがしれている。
 確かに優秀な技術者でこうしてミグの次期支援戦術機の開発に携わっているがやはり専門は火器であり、開発現場では武器とFCSや背部兵装担架以外の部分はほとんどノータッチの状態だ。そんな彼女が現在も天才と呼ばれているのは上記の分野に加えて器用な頭脳を持つユーリーがアイデアをひねり出したりと前世でかじったうろ覚えのMS技術を出したりして人の二倍の出力をしているからにすぎない。

 だがそれでも機密は機密だ。別に意地悪がしたいわけではない。
 機密漏洩が原因でブラミャーリサがF-14に負けるのでは関係者に申し訳が立たないし、イズベルガと自分の関係について党にバレるのはもっとまずい。

「そうか……では貴様でもいい。彼女の研究について知っていることを教えろ」

「……クリスカちゃん、お前にはスパイの適正は無いな」

 内心で嘆息。
 トリースタといいクリスカといい、どうして人工ESP発現体はどいつもこいつもコミュニケーション能力や一般常識という物が欠けているのだろうか? いや、偏った英才教育のせいなのはわかっているのだが。

 コミュニケーション能力をリーディングに頼る人工ESP発現体に対して心の読めないユーリーでは埒が明かないと思ったのか、クリスカの腕の下からひょっこり顔を出したイーニァがフォローに回った。

「ユーリーちがうよ。クリスカがききたいのはせんじゅつきのことじゃないの」

「じゃあなんなんだよ」

「リュドミラ姉さまの事だ」

「――――ッ!!」

 驚愕。

「件の博士が脳医学に関する機材を収集していると聞いた。博士の研究はリュドミラ姉さまを目覚めさせることができるのか?」

「……お前ら、どこでそれを?」

「タラップで同志ロゴフスキーが電話で話しているのを聞いた。エンジンの音で単語の端々しか聞き取れなかったが……」

 ロゴフスキー自身は聞こえているとは露とも思わなかったのだろう。バッフワイト素子を身につけさせ、最低限の知識は与えられているが人工ESP発現体の優れた身体能力―聴力を含む―事までは注意が回らなかったようだ。
 そして注意が回ったとしてもまさか彼女達がここまでリュドミラの覚醒という事について執着するとは思いもよらなかっただろう。

「……バレてるならしゃーねーから話すけどよ。そうだ、イズベルガ博士は医学の研究もしているし、その中にはリューの治療も含まれている。けどこれは機密だからな。大人達には話すなよ」

「そうか……!」

 まるで花が咲いたようにクリスカは笑みをこぼした。
 それを見て目を飛び出さんばかりにして驚くユーリー。何しろ彼女は人工ESP発現体。以前タルキートナで見た時は笑顔という概念どころか表情筋すらあるかも疑わしい存在であったのだ。
 さきほどの事といい、いったい何が彼女の感情をここまで動かしているのだろうか?

「なあ俺はよく覚えてないんだが、お前達ってリューの友達か何かだっけ?」

 恐る恐るといった様子でユーリーは訪ねる。
 何しろ彼の元居たクラス――カテゴリファイブトゥワン、つまり第五世代の一組は全員が無個性の軍人もどき。例え可愛い娘がいようと所詮は幼児。女といえども記憶に入れるはずがない。

「私達はカテゴリファイブトゥシックス――普通のクラスから選抜された特別カリキュラムのクラスにいた。リュドミラお姉さまも我々と同じクラスの候補として訓練に参加していたんだぞ」

「ユーリーしらなかったの……?」

「うーん……そういえばそんな話を聞いていたような聞いてなかったような……」

 なんとも薄情な男である。
 その頼りない様子に今度はクリスカが激昂した。

「大体、なぜ衛士であるのに階級が准尉なのだ!? 我々より2年も早く前線に行ったくせに!」

「う、うるせー! これでも当初より6階級も上がったんだ!」

「6かいきゅうって・・・ひぃ、ふぅ・・・にとうへい?」

「ぐっ……」

 イーニァが邪気のない言葉。それが思いの外深く彼の心に刺さる。

「に、二等兵だと……!? そんなバカな! 教官は貴様が我々第五世代一番の"優秀者"として世界最強の衛士に認められてこちらに渡ったとおっしゃられたぞ!」

 クリスカの悲鳴のような声。
 どうやら自分の一件はプロパガンダに利用されたらしい。これだから社会主義ヤローは、と呆れながらユーリーは補足を付け加えた。

「……正確に言えば"世界最強の衛士に喧嘩を売った度胸"を認められたんだ」

「け、喧嘩!!? 喧嘩を売っただと!? あのザンギエフ大佐……祖国の至宝に!? それでは前線行きは懲罰ではないか! なんということだ……」

 クリスカは顔色を悪くしながらフラフラとその場に座り込むとなにやらブツブツと唱え始めた。

「ようやく会えた同胞の期待の星がまさか……話が違う……でも、さっきは私を……」

 そんな様子を見て首を傾げるユーリーと珍しい動物を追うようにまん丸の目をクリクリさせるイーニァ。

「なあ、こいつどうしたんだ?」

「うーん……こんなクリスカははじめて! おもしろいね!」

 分かっているようで微妙に分かっていないイーニァのコメント。しかも何を思ったのか歩み寄ってしゃがむと虚ろなままのクリスカの頬をプニプニとつついて遊び始めている。

 そこでようやくユーリーは自分が彼女達を探していた理由を思い出した。

「あ、そうだった。なあイーニァ。お前やクリスカは戦っても平気なのか? スコポラミンとか飲んで無理矢理戦術機に乗らされてるんじゃないだろうな」

 もしそうなら今すぐザンギエフにチクってやろうと画策するユーリー。

「うん、へいきだよ。めいれいだし、わたしたちももうせんじゅつきにものれるようになったし。それに――」

 そこで彼女はいったんクリスカの頬を突くのを止めてこちらを振り返る。
 その表情はご褒美を与えられた子供そのもので、極めて上機嫌であることが見て取れた。

「それに?」

「わたしたち、なまえをもらったの! すうじのばんごうじゃない、にんげんのなまえ! ゆうしゅうしゃのトリースタだってもらってないんだから!」

「………………」

 輝かんばかりのイーニャの笑顔。
 トリースタ、という名前が少しだけ気になったもののユーリーは黙って彼女の頭に手を置いた。

――名前イーミャ

 存在の証明とも言えるそれは人間なら誰もが持っている極々当たり前の物で、時には犬や猫、鳥ですら持っているたった一つだけの固有名詞。
 命はこの世に生れ落ちたときに親から名前を与えられ、名前という土台を元に他人と交わり社会で自分自身を築きあげていく。

 だがここにいる3人は冷たいガラスの人工子宮から産み落とされた人形達。彼らには親がいない、帰るべき家も無ければ、交わすべき愛も知らず、馳せるべき夢も見ない。
 試されて、鍛えられて、戦わされて、そして壊されるだけの哀れな消耗品。

 故に彼らが望むのは自由でも、平和な世界でもない。
 ただ自分を見て欲しい。書類に示された単なる記号や実験台のモルモットではなくちゃんと生きていた人間だという証が欲しいのだ。

 名前をもらったことを祝福すべきなのか、それとも今まで名前すらもらえなかったこの娘達に同情すべきなのか。名前を失ったユーリーにとって名前とは与えられる物ではなく取り戻す物――あるいは自力で獲得するものだ。だから彼にはイーニァ達が喜んでいる理由を想像するしかない。

 そんな内心を知ってか知らずか。頭を撫でられてイーニャは気持ちよさそうに目を細めた。

「ユーリーのてはあったかいね。それにきもちいい」

「ああ、俺の手は女の子を気持ちよくするためにあるからな。イーニァが大きくなって美人になったらもっとイイコトも教えてやるよ」

 クリスカが聞き理解していたら大変な事になって発言だが、幸いにも今の彼女はそれどころではなく性にも疎かった。

「うん、きっとなるよ。――あ、ねえユーリー」

「ん?」

「またおはなしできる?」

「ああ。お互い人前では無理だから、こっそり会って話す事になるけどな。ま、トライアルで俺の機体にかすり傷でも付けられたら何か奢ってやるくらいはしてやるよ」

「ふふ……うん。わかった!」

 ユーリーの言葉に笑顔でイーニァが答えた。





[32864] 14、「やはり、あいつは甘すぎる」
Name: 大蒜◆9914af20 ID:86f1a2a8
Date: 2012/09/19 22:17
14、「やはり、あいつは甘すぎる」~Muv-Luv:RedCyclone~



***1989年 8月15日 ソ連領シベリア軍管区イルクーツク州 ブラーツク基地 司令管制室 ***

「レッドサイクロン04、演習圏内に到達」

「イーダル01も演習圏内に到達しました。まもなくカウントを開始します。5.4.3.2.1――異機種間競合訓練開始!」

 管制室内に二人のCPの声が響き渡った。

 この部屋の計器のランプと壁一面を埋める大型のモニターが映し出すのは大きく分けて3つの陣営。セラウィクから来たミコヤム・グルビッチ設計局のチームと米国はニューヨークから派遣されたグラナン+セラウィクからのスフォーイのチーム、そしてその二つ組織の緩衝材としてザンギエフと二人の副官が中央に陣取っている。両勢力からの干渉を避けるため制式戦術機の選定評価委員は別室だ。

「いよいよ始まりましたね、大佐」

「ああ。今日から始まるこの2機の競合訓練と実戦試験で我が国の戦術機開発の将来が決まる」

 ザンギエフが見る画面に映るのは世界初の第2世代機F-14トムキャット
 戦術機の父ラスコー・ヘレンカーター米軍提督にして「F-14の登場によって、これまでの戦術機は一夜にして旧式兵器となった」と言わしめたほどの傑作機である。七年前に正規配備されたこの機体は大型機であるが故に多くの設計的余剰を持っており、改修を重ねることによって現在最強の戦術機と噂されているF-15《イーグル》C型と同等の総合性能を獲得するに至った世界最高峰の実戦兵器である。

 一方MiG-31《ブラミャーリサ》はその出自からして最悪だった。原型であるMiG-25は積載量と直進飛行性能、それに対爆防御に優れていたがそれがBETA戦においてなんの役にも立たなかったことは周知の通りだ。
 ミグ設計局としては党の要求に従って設計し基準をクリアした戦術機を作っただけなのだが今もなお失敗戦術機の悪評は付いて回っている。
 そして不当な評価を受けたMiG-25の開発チームは逆襲に燃え開始されたのが狩人計画。今画面の中で所狭しと飛んでいるMiG-31の製作計画であった。

「午前のAIM-54フェニックスミサイルの運用テストではF-14の1388ptに対してMiG-31は1295pt。ですが突撃砲の運用テストでは623ptに対して640ptとブラミャーリサが僅差で勝っています」

 トルストイ大尉がザンギエフに資料を挟んだバインダーを渡しながら言った。

「ほう、米国機と火器管制システムで互角とは驚きだな。さすがはイズベルガ博士といった所か」

「確かに優秀なFCSですね。関節強化による照準の安定もあるでしょうが……MiG-27《アリゲートル》のオート射撃じゃ逆立ちしたってこの数字は出ないでしょう。もっとも、イズベルガ博士はご不満の様子ですが……」

 トルストイにつられてザンギエフが視線を移すと、確かにそこにはデスクを叩きながら歯軋りする栗色の髪の女性が一名。妙齢の女性の行動にしてはいささか問題があるが、どうも自信のあった火器管制システムで相手と互角というのが気に入らないらしい。
 だがスフォーイとグラナンのスタッフに言わせれば、CPUの性能や部品精度などで負けているMiG-31をF-14と互角にまで引き上げたイズベルガの技術力の方が異常に見えただろう。特に今回グラナンが用意したのは最新改修機であるF-14D。レーダーや火器管制において最新のアップグレードを施したとされるこの機体と互角であるなら世界中の他のどんな戦術機にも見劣りはしない。

「……さすがに空戦能力では劣るようだな」

「ええ、跳躍ユニットの出力差が響いていますね。それにどう改修しても元は核攻撃機。フレームに重量が有り過ぎるのでしょう」

 空中を飛ぶ二機はどちらも一流衛士顔負けの操縦で戦っているが、垂直噴射でF-14Dに上を取られるとMiG-31は受身に回ることが多い。ユーリーの経験と操縦技術によって互角に持ち込んでいるように見えるが、こうして専門家が見れば機体性能の面でどちら上かは明らかだ。
 だが腐ってもミコヤム・グルビッチ設計局は東側の最高兵器工廠である。MiG-31の跳躍ユニットにしても開発チームは最新鋭の物を用意してきている。特に米国ですらまだ開発中のターボファンを組み込んだ跳躍ユニットは米国メーカーのグラナンのスタッフですら目を輝かせる代物だ。
 比べれば劣っているがそれが致命的な差でないことは今こうして競合試験によって証明されている。

「お、また凌いだ。あのF-14《トムキャット》に乗った娘達もやりますね。あの年で戦術機に乗るどころか、ああしてユーリーと戦えるまでの腕とは」

「機体性能もあるだろう。だが何より反応速度が異常に早い。回避動作後の硬直で後手に回ってなお次の攻撃への回避を間に合わせるとは、信じられん。リーディング能力とやらはあいつには効かんはずだが……」

「実力かもしれません。アラスカでは戦技教導のために対人戦のエースパイロットを呼んでは全て叩き落していたそうです。で、ついた渾名が紅の姉妹スカーレット・ツインだとか」

「むぅ……」

 唸る二人。

 一方、戦局にも変化があった。紅の姉妹がフェイントを読みきれずF-14の跳躍ユニットに被弾を許したのだ。さすがの反応速度でも機体の制御シーケンスまでは覆せない。
 JIVESの判定に従い機体が跳躍ユニットの出力を2割まで落とす。
 着陸ランディングのために減速するF-14DをMiG-31は追撃しなかった。

「ちょっと二等兵君! なんでそこで止めを刺さないのよ!!」

 ミグ設計局によってこの競合試験に全てを賭けさせられた女がヒステリックにマイクに怒鳴りつける。

『俺はもう二等兵じゃねえ! 准尉だ!』

「そんな事はどうでもいいわ! 今すぐ落としなさい!」

『この馬鹿女! これは評価試験だ! このまま倒しちまったら評価は″機体性能は不利だが素晴らしい美男衛士が華麗に実力で勝った"に締めくくられちまう。ここは地上でこいつの性能を見せ付けるんだよ!』

「ハッ! どこが"華麗に"よ。どこに美男とやらがいるのよ」

『あ、てめぇ!』

 鼻で笑うイズベルガに通信画面から掴みかからんばかりのユーリー。
 模擬とはいえ戦闘中に交わされるなんとも緊張感に欠けたやり取りにミグ設計局のチームの責任者は青筋を浮かべ、米国のチームは苦笑いをこぼした。

 だがそんな空気も二機の戦いが再開されるまでのこと。
 さらに言えばこれまでずっと望遠で撮影していたドローンから地上カメラへと切り替わりMiG-31をアップで表示した瞬間までだった。

「――なんだ、アレは?」

 声を上げたのはスフォーニやグラナンではない。ブラミャーリサを送り出したミグ設計局のチームの主任だ。画面に映るのは彼の部署が設計し、同僚達が調整した渾身の戦術機。目に入るところに常に写真を置き、何度も構図を描き直し、夢にさえ出てきたフォルムは間違いようがない。

 しかし一点だけ。画面に映った戦術機の姿の中で背部稼動兵装担架に格納されていた装備だけがこの場にいる全ての人間の予想を裏切っていた。

「近接兵器だと? だが、あの形は……」

「――ジャパニーズソード?」

「カタナだと? ケン?」

 ソビエトの最新鋭機の装備としてはあまりに予想外の選択を見てにザンギエフですら驚き思わず副官に確認を求める。同時に部屋中の技術者の視線がこの日本人のほうに集まった。

「…………あの子供から刀を使いたいと相談を受けた」

 二人の隣でずっと黙っていたモリ大尉がボソリといった。このゴツゴツとした厳顔の日本人は流暢にロシア語を話すが軍隊生活でもとにかく言葉数が少ない。

――CIWS-2Aもしくは74式近接長刀。

 日本刀型のカーボンブレードをを使用しているはこの国では日本出身であるモリ大尉だけだ。
 ソビエト連邦では生産はおろか公式には輸入すらしていない装備の使用を彼が認められているのは、その衛士としての腕前と仮想敵国である日本帝国の戦術研究故である。
 名前はともかく、前線の衛士どころか設計局の研究者も首を傾げるような超マイナー装備が何故かソ連の設計した新型戦術機の装備となっていたのだ。驚くのも無理は無い。

「いつの間にカタナの使い方など教えていたのだ?」

「……教えていない。ただ訓練の時に何度か意図的に接近戦を挑まれていた」

「見て覚えただけのカタナを即実戦投入か? なんと大胆な奴だ」

 ほとほと呆れた、といった体でザンギエフが言った。

 そもそも日本刀というのは扱いが難しい。
 肉厚のグラディウスや青竜刀と違い軽量なので振りやすく切れ味に優れるが、刀身が長く薄いため威力に欠け、非常に折れやすい。
 その難易度は折り紙つきで日本刀の訓練法が確立している日本の武家の子弟でさえ刃筋を立てる技術に少なくとも数年、刃の反りを使いこなすのに更にはかかると言われているほどだ。
 だが一方で日本刀型のカーボンブレードにも利点はある。BETAは突撃級や要撃級が持つ緑青色の装甲部分こそ硬いがその他は防御力が殆ど無い。質量を利用して"断ち切る"タイプの剣が振るうたびに刀身に質量分のダメージを蓄積させていくのに対して、"斬る"74式近接長刀は衛士がミスをしない限り武器としての能力を長時間維持したまま戦い続けることができるのだ。
 日本帝国が未だにBETAとの矢面に立っていないためまだほとんど知られていないが、公式のデータやEUや中国大陸に派遣されている日帝の観戦武官の衛士がもたらしたデータを見た戦術機開発国からは74式近接長刀は優秀な近接兵器として徐々に注目を集めつつあった。

「ケン、あいつに貴様の剣術を継がせられるか?」

「……適正は射撃よりも格闘寄りにある。センスも高い。……だがあの子供の剣には"陰"が無い。正道の剣である無限鬼道流と違い森家の御憑流おつきりゅうは殺人剣……極めるにはあの子供の剣は純粋過ぎる」

「そうだな。やはり、あいつは甘すぎる。だが戦場にいる以上、いつかは甘さを捨て非情になるしかない」

「………………」

 返事の無いモリ大尉に嘆息したザンギエフが再び画面に目を移す。

「そこまで! 状況終了!」

 声高に宣言する選定評価委員。
 そこには長刀の一撃で大破判定を受けたF-14と最後の悪あがきを受けて頭部を失い中破判定となったMiG-31が鎮座していた。


***同日 同基地 第10戦術機ハンガー***

「まけちゃったね。クリスカ」

「ええ。ごめんさいイーニァ。私がブラミャーリサの動きについていけなかったばっかりに……」

「ううん。クリスカはわるくないよ! さいごだってクリスカのおかげでユーリーのかめらをつぶせたんだよ」

 強化装備のまま抱き合う二人の少女はお互いに不安そうだ。
 それもそのはず彼女たちの存在意義はその超人的な戦術機の操縦能力にある。
 タルキートナのオルタネイティヴ計画から連れ出されてから早一年半。
 スフォーニ設計局が彼女達にソ連中の衛士が羨むような教育環境を与え、スペツナズの猛者でさえ根を上げるような超過密訓練を行い続けてきたのは全て彼に勝つためだった。実際にこの訓練によって彼女達の能力はメキメキと向上を果たし、シベリアに来る頃には無敵無敗の"紅の姉妹"と呼ばれたほどである。

 だがいかんせん今回は相手が悪かった。二年以上に及ぶ実戦経験と何より最強の衛士であるザンギエフや彼の副官と戦い続けたことによりユーリーの技能も数段向上していたのだ。もともとパイロットとしての基礎が出来ていたユーリーと基礎から突貫工事で作り上げた二人。環境はほぼ互角ならどうみても分が悪いのは後者だ。
 その結果彼女達のF-14は機体性能で上回っているにも関わらずMiG-31に歯が立たなかった。祖国の、あるいは人工ESP発現体である姉妹達のためにより優れた戦術機を送り届ける事が任務である彼女たちにとって見れば自分たちの敗北は存在意義を脅かされることと同義であった。

「何をしているビャーチェノワ少尉、シェスチナ少尉。デブリーフィングはとっくに始まっているぞ」

 ハンガーの前から動こうとしない二人にイーダル小隊の訓練教官であるグラツキー大尉が声をかけた。

「申し訳ありません、同志大尉! すぐにブリーフィングルームに向かいます」

 クリスカがすぐさま軍人然とした態度に戻るが、大尉の心が放つ色は憎悪や軽蔑を含めた厳しい物だ。

「ふんっ、人形風情がサボりか。急いだほうがいいぞ。なにせ今会議室で話されているのはF-14の運営ではなく君達の処分についてなのかもしれないのだからな」

「――ッ!! 失礼します」

 大尉の脅しにクリスカは自分の体からサッと血の気が引いていく。
 返礼もそこそこにイーニァを連れてブリーフィングルームへと走った。

 そして走りながら思い出す。
 あの大尉も、最初はあんな人ではなかった。軍人として、階級の上位者として訓練の際は鬼のように厳しかったが、その心には常に二人を見守るような温かい色があった。
 だが一年以上に及ぶ訓練の末に衛士としての力を付け、そしてついに戦術機でグラツキー大尉を打ち負かした時、大尉に褒めてほしくて駆け寄って、向けられたのは賞賛ではなく当時はまだわからなかった嫉妬と恐怖の感情だった。

『この……魔女めが!』

 そして今、ようやく気づいたのだ。彼が自分たちを大事にしてくれたのは彼が自分達をただの子供として見ていたから。
 人類を守る軍人として訓練されながらも、それ以上に戦術機のための生体部品たる人工ESP発現体としての頭角を現した自分達は大尉にとって最早人間ではなくなっていたのだ。


***

 一方ブリーフィングルームでは先のトライアルの敗北を受けてF-14を推進するチームが激論を戦わせていた。

「だから、機体の調整ミスではないのか!? MiG-31のカタログスペックは最初期のA型にさえ劣る代物だと言ったのはそちらだろう!」

「多少の現地改修の可能性は伝えたはずだ。現に我が方の機体は性能面であちらを上回っていたではないか。それよりも私達は貴方が自信満々に勧めてくれた開発衛士とやらの実力に失望させられているのだがね」

 前者はベリャーエフ准教授が率いる中央戦略開発軍団の技術スタッフ。後者はスフォーニ設計局の開発チームだ。
 当然、クリスカとイーニァはベリャーエフ准教授の後ろに座ることになるのだが、今のところその席に彼女たちの姿は無い。それもそのはずこの会議は訓練終了の宣言の後、即座に開始されたのだ。基地から遠く離れたJIVES演算圏の演習地域から戻ってくる時間を考えれば彼女達が間に合うはずもない。

 だがそれだけ早く開始しても内容は責任を擦り付けるばかりでお互いに空回り。
 5分ほどそんな状態が続きそれまでほとんど無言であったロゴフスキー少佐がついに立ち上がった。

「黙れ! くだらん擦り付け合いはそこまでだ! この後はグラナンのチームも呼んで計画の再検討を行わなければならないのだぞ。今我々に必要なのは"言った、言わない"の水掛け論ではなく此度の実戦データだ。まずはベリャーエフ准教授。君から報告したまえ」

 ロゴフスキー少佐の一声に水を打ったように静まり返る。この場でロゴフスキーはこの場で最上位の軍人であると同時に、スフォーニ設計局の長官から信任を受けた二つの勢力の最高責任者でもあった。

「こ、此度の敗北は我々のせいではない! 二体の人工ESP発現体はバイタルの面でもメンタルの面でも万全であった。特に反射速度と思考交換速度はセラウィク出立時と比べて120%以上の数値を叩き出している! これは理論値を遥かに超える数値だ!」

 汗をかきながら力説するベリャーエフの発言にロゴフスキーは頷いて資料に目を落とす。
 П《ペー》З計画に携わるものとして今まで何度も二人のデータに目を通してきたが確かに、ここ数日の訓練では劇的に数値が向上している。

「ベリャーエフ准教授。このデータを見る限り二体の数値はここシベリアに来てから上昇しているようだ。戦地に来て意欲旺盛なのは頼もしい限りだが、一体何が原因でこのような変化が起こったのかね?」

「具体的なことはまだ何も……ただ能力の向上は到着直後の評定ではなく、ザンギエフ大佐とのブリーフィング後に行った午後の評定から起こっています。その間に接触したのは41軍団――ラドゥーガ戦術機大隊の衛士とのトラブルかアジンのイレギュラー……おそらく後者が原因ではないかと」

「アジンのイレギュラー……ユーリー・アドニー・ビャーチェノワ准尉か。よろしい、経過をみるために引き続き非公式に接触させよう。それと過去のデータと比べ、相手の戦闘力の向上が著しい。施設課には金を握らせてある。シミュレーターのデータを抜き出して早急にグラツキー大尉と共に対策訓練を行わせるように」

「はっ!」

 責任を追及されずホッとした様子でベリャーエフは席に戻った。
 次に立ち上がったのはスフォーニの開発チームの主任だ。

「F-14《トムキャット》のD型はほぼカタログ通りのスペックを発揮しています。問題はMiG-31の方です。事前に手に入れていた改修計画に比べて、火器管制システムの性能が劇的に向上しているのと、弱点と見られていた関節や機体剛性においてかなりの改善が図られていました。ご覧になられた通り空中戦においてF-14の優位は揺るぎませんが、地上での接近戦では苦戦が予想されます」

「接近戦と言えば向こうが装備していた日帝のカタナの有効性はどうなのだ? 中国戦線から上がった参謀本部の調査報告書によると威力に欠け耐久性にも疑問が残る欠陥兵器だと聞いていたが……」

 ロゴフスキーは言いながらもう一度本国が発表した調査報告書を読み返す。同じ素材を使っている以上、近接兵器の性能などほとんど変わらないというのが参謀本部の結論だが、ああして実際に用いられている場面を見て情報と現実の間に違和感を感じたのだ。 

――跳躍ユニットが破損し着陸し両機が地上戦に移行した後、F-14はスフォーニ謹製のチェーンソウ型CIWSと近接短刀でカタナを操るMiG-31と戦い、そして負けた。
 その結果は仕方がない。だが問題はその内容だ。
 衛士の実力差に加えて長物の有利というのはあるかもしれないが、それでもあそこまで一方的な展開になると誰が想像したであろう。小型BETAに対する防衛を主目的とし、手数と取り回しに優れるはずの装備はしかしカタナ相手にほとんど一方的に押し込まれていた。(最後に捨て身で投げた短刀がミグのカメラを破壊したためなんとか面目は保てたが) 

「正直、我々では衛士の近接兵器の検証まではなんとも……しかしグラナンのチームがMiG-31による74式近接長刀の運用に高く関心を示していました。彼らによれば日帝のカタナは扱いこそ難しいもののわが国の戦斧《ストレット》や英軍の"要塞級殺し《フォートスレイヤー》"の威力とナイフ類の取り回しやすさを併せ持つ極めて優秀な兵器だそうで。今グラナンの本社で起こしている次期主力機プランの中にも長刀を標準装備とした機体があるそうです」

「わが国と真反対の結論ではないか……かのレッドサイクロンの部隊が国内で運用しているにも関わらず、何故参謀本部はこのような結論を出したのだ?」

「その副官は亡命した日本人ヤポンスキだそうです。恐らくレポートを受け取っても一読もせずに捨てているのでしょう」

 スフォーニの主任の言葉はどこか投げ槍だが内容には説得力があるし、ロゴフスキーにとっても今の参謀本部には思い当たる所がある。真相は間違いなく彼の言う通りの理由だろう。
 頭痛を感じたロゴフスキーは大きく息を吐き出した。

「それでは敵の接近戦能力は高く見積もらざるを得ないな。仕方がない。カタナの対策を行うなら施設課に更に金を渡してその日本人とやらのシミュレーションデータも抜き出させよう」

「はっ。ただ良い情報もございます。解析の結果、ミグ共の新型跳躍ユニットは高速での燃焼効率や推力変化に優れていますがロケット機構の加速《トルク》に難があります。通常装備の現状はともかく重い解析機材を載せたAN3装備――ロークサヴァー仕様では運動性は大きく低下するはずです。間違いありません」

「ほう。両機体は本日改装を受けて明日の正午にはロークサヴァー仕様に換装される。その後は二機編成《エレメント》による再戦か、もしくはBETAの動きによっては実戦試験となるだろう。つまりここからが正念場、ということだな」

「はい同志少佐。どちらにせよ奴らの戦術機はガラクタを無理に改修して飛ばした急造品です。我らの勝利は疑いありません」

 主任の言葉にロゴフスキーは黙って頷く。

「では一度ブリーフィングを切り上げよう。スフォーニはグラナン、ベリャーエフ准教授は被検体とグラツキー大尉に今後の方針を話しておくように。以上だ。退出せよ」

 退出の許可を得て二つのチームの人員は次々と出入り口へと向かう。
 しかしロゴフスキーだけは座ったまま先の二人のレポートを読み返していた。

「ガラクタの急造品、か。MiG-31《ブラミャーリサ》かあの2人の実験体達か……果たしてガラクタはどちらかな」

 喧騒の中で少佐の呟きを聞いたものはいない。



***1989年 8月16日 シベリア軍管区 イルクーツク州 ブラーツク基地 第五戦術機ハンガー***

 今日はこの地方では珍しい強い雨が降っていた。
 ここはMiG-31が陳列されているブラーツク基地の第5戦術機ハンガー。
 先ほどようやく先日のトライアルで出撃したミグの整備がようやく終わり、次のトライアルに向けて防水シートを被せられたAN3装備と呼ばれる資材の搬入を行っているところだ。 

「で、これがラフマニノフのじいさんがアメリカのメーカーと作ったっていう戦術機用の解析機材か?」

「そうよ。あんたがいたナントカ計画の制式採用機にはこれを装備するらしいからMiG-31 ロークサヴァー仕様、もしくはMiG-31 マインドシーカー仕様と呼ばれるわけね」

 イズベルガは安全帽を被って物資の搬入を指導している。すっかり現場に手慣れた様子は銃器設計者というより叩き上げの技術屋のようだ。

「そもそもそんな話、俺は全然聞いてないぞ。なんだよあの肩につけるっていうヘンテコレーダー。あんなの付けたら空力もクソもなくなっちまうだろ。まともに飛べんのか?」

「そんなの知らないわよ。私も"みみずく"の詳細を聞いたのは今日。ミグの馬鹿共は軍機だから今まで情報流せなかったって言ってるけど、きっと怠慢に違いないわ。ま、飛べないんなら歩いて戦えばいいのよ。幸い、あんたのおかげで主脚の性能だって上がってんだし、まあまあ戦えるでしょ」

「適当なこと言っちゃって……戦術機が飛ばずに戦えるわけないじゃんか」

 ちなみにAN3装備のスペックをイズベルガやユーリーに通達した際のミグ設計局のコメントは"飛べる。……理論上は"というひどいものだった。

――AN3装備

 装備することで戦術機をロークサヴァー仕様あるいはマインドシーカー仕様とするこの装備の大元は頭部と両肩、両腕の計5箇所に付けられた人工ESP発現体のための解析機材にある。これらは来たるべきオルタネイティヴ第3計画の決戦においてハイヴにいるBETAへのリーディング及びプロジェクションを補佐するためだが、本来は20tの大型トレーラーに積んで運用するような機材を戦術機に積み込むためにラフマニノフ教授がダウンサイジングしたものなのであった。
 だから重い、とにかく重い。フェニックスミサイルの装備など論外で、加えて戦術機に乗せる装備としては消費電力量も桁違いだ。
 戦術機の主機である燃料電池は全力であれば小規模な自家発電施設並みの出力を誇る。だがこの装備をフル稼働させた場合の消費電力量は燃料電池の全発電量の6割にも達する。当然悠長に飛んでなどいられないし、先進的なバッテリー技術を持つ米国のトムキャットならともかく、MiG-31では電磁炭素伸縮繊維に回す電力が足りず稼働中は直立している事すらできない。
 苦肉の策として5つある解析機材の内、戦闘中はそれぞれ1つか2つだけを稼動させるそうだが、それでも不安が残るのは仕方が無いというべきか。

 そしてこの装備の詳細を知らなかったイズベルガやユーリーにしてみればとんだ落とし穴である。現状でMiG-31がF-14に対抗できているのはこの世界では一般的ではない集積回路へのオーバークロックによるFCSの強化や、関節部の電磁炭素伸縮繊維の増量による張力の効率化――要するに電力消費を多用した強化を行ってきたのだ。

 明日以降の競合訓練では今まで以上の苦戦を強いられることは間違いない。

「あーあ、碌な事がねぇや。シミュレーターにはいつ実装されんの?」

「実装されないに決まってるでしょ。昨日スペックが通達された最新機材なのよ? そもそも機密レベルが馬鹿みたいに高いし、ここじゃデータ化されるかも怪しい物だわ」

「げっ、そうなのか。ザンギエフのおっさんも大隊連れて訓練にいっちまったしなあ。ってことは今日は休みか……」

「ま、そういうことね。せっかく一日空いたんだから例の機材でも作ったら?」

 ユーリーが長らく制作していたゲルヒンレグルン槽を指してイズベルガが言った。

「あれはこの間の日曜日に九割九分完成した。あとは最後のアルゴリズムを"取り寄せて"入力するだけ。つまり光線級待ちってわけだ」

「へえ、じゃあもうすぐ二等兵衛士君のお姉さんが治るのね。私も一度会ってみたいわ」

「……俺はもう准尉だ」

 すでにタルキートナの国連軍基地にはザンギエフを通してリュドミラの移送を通達してある。到着は明日の夜か明後日の朝。その後は本当にBETAの襲来を待つだけだ。
 だが悲願であるリュドミラの目覚めが近いというのにユーリーは渋い顔をしていた。

「なによ、妙に考え込んじゃって。嬉しくないの?」

「いや、嬉しいぜ? 嬉しいけどさ……元はといえば俺のせいで2年も寝転がってる羽目になったんだし、あいつになんて謝ったらって考えちゃってさ」

 ハァ、とユーリーの深い溜息。
 憂鬱な黒いオーラを放つ彼を見てイズベルガは嫌そうに眉を顰めた。

「子供の癖にウジウジと辛気臭いわねあんた。ここにいても邪魔にしかならないし、たまには気晴らしに散歩でもしてきたら? ほら仲間もいるみたいだし」

「いや、こんな天気の中で散歩する奴なんて――」

 イズベルガが外を指す指の向こうには曇天《どんてん》の空と絶え間ない雨弾が降り注ぐ滑走路がある。
 たまには雨に濡れて身も心も洗い流して――などという事を考える奴は居ない。
 なぜならここはユーラシア大陸の最前線。人類はこの地ですでに15年以上に渡って重金属雲を展開し何度も核兵器を使い続けてきたのだ。汚染は深刻で、コップ一杯の雨水を飲めばどんな屈強な男でも腹痛か吐き気を訴えるほど。出撃か命令でもない限り雨の中を人間が歩いているわけがない。
 だが――

「――いるわけが・・・・・・、って! い、いたーーー!」

「ね?」

 ハンガーの隔壁の隙間から見えた景色の中に黒い傘を指した人影があった。
 遠目で詳しくは見えないが、ちらりと目に入ったのは銀の長髪――

 泡を食ったユーリーはすぐさま傘を掴んでハンガーを飛び出す。
 黒く濁った水溜りを蹴飛ばし走り寄ってみればやはり人影は思った通りの人物だった。

「何やってんだよ、イーニァ! 病気になっちまうぞ!」

「――あっ、ユーリー……」

 傘から覗かせたイーニァの顔色はどこか暗い。声音にも疲労が滲み、明らかに憔悴した様子だ。
 しかもいつから居たのか彼女の着ている軍装は雨粒の汚染物質で所々黒ずんでいた。

「なんでこんな所にいるんだよ!? 俺に会いに来たのか?」

「うん、でもユーリー、イズベルガとはなしていたから」

 イーニァは俯いて申し訳なさそうに表情を隠している。以前言ったリーディングによる情報漏えいの事を気にしてこんな事になっているようだった。

「バカ! そんなことより自分の体を大事にしろよ!」

「でも……」

「――ああ、もう! とにかくここは駄目だ。俺の部屋に行くぞ!」

 呆けているイーニャの手を強引に引くと、ユーリは早足で彼女を基地の兵舎へと連れて行った。

 幸いにも、登録上はロシア人という事になっているユーリーの部屋は個室である。部屋にさえ入れてしまえば人目を気にすることは無い。加えて時刻はまだ午前。兵舎の住人たちは軍務についているためこの建物を歩く人影は少ないはずだ。

 手を引きながら階段を上がったユーリーは注意深く左右の廊下の無人を確認してから彼女を部屋に入れる。

 ゲルヒンレグルン槽を作るための機材や工具がゴロゴロ転がっている乱雑な様子が珍しいのか、イーニャはしきりに辺りを見回していた。

「ここがユーリーのおへや?」

「ああ。悪いな、散らかってて。ほら、タオル使え。何かうまいもん作ってやるよ」

「?? おひるのじかん、まだだよ?」

「いいからいいから。元気の無い時は暖かい物を腹に入れるのが一番なんだよ。それに、お前をあんな雨の中で待たせたからな。飯くらい作ってやるよ」

 彼女は不思議そうに首を傾げている。きっと間食の概念も知らないのだろう。
 これは気合を入れねばと思い、ユーリーは棚から銀色のレトルトパックといくつかのビニール袋を取り出した。

「……それ、たべことある。きらい」

 イーニァが少し嫌そうな顔をしてレトルトパックの方を指した。
 このパックはロシア人の士官が半日以上の任務に着くときなどに渡される携帯食を食べずに持ち帰った物だ。味は合成食材の中ではマシな方なのだがあまり人気が無く、よくカードの景品にされている。

「暖めて食っただけじゃ不味かっただろ? ま、ここは騙されたと思って食ってみろよ。俺が料理の真髄を見せてやるぜ」

 足元から明らかに調理用ではないコンロを取り出すと火をかけてレトルトパックの中身を注いだ鍋を載せる。
 続けてビニール袋からいくつかの調味料と香草(自家栽培)を取り出して味を見ながら次々に鍋に放り込むと、スープが温まるに連れて徐々に鍋から香ばしい芳香が広がるようになった。

「わぁ……!」

「ふっふっふ、どうだ? いい匂いだろう? 名づけてユーリー式ボルシチ風スープ!」

 マグカップに掬ってスプーンと共に渡してやると早速イーニァが口をつける。子供らしい旺盛な食欲を見てユーリーは満足したように頷いた。

「おいしい! でも、どうして?」

「マズい合成食材と言えども原材料は大豆や魚肉だからな。炒め物とかは無理だけど、スープ類ならこういう"それなり"のレトルトをベースに調味料で味を調整してやれば十分美味くなるんだ」

 BETAとの戦争のおかげで15年以上食料難が続いているソ連では天然食材の味を知っている者が少ない。そのせいで合成食材自体の味も落ちてきているのだが、ユーリーがボルシチの味を再現できたのは前世の世界でボルシチを食べていたことに加え、前世で料理を習得していたがためだった。

「気にいったか?」

「うん。ぼるしち、すき!」

「よしよし、やっぱ子供は笑顔が一番だ」

 ボルシチによって明るい表情を取り戻したイーニァを見て、ユーリーは次に部屋の隅から一抱えはある大きな紙袋を取り出した。
 マグカップをすすりながら彼女も不思議そうに紙袋に目線を向ける。Post Exchange(基地の購買部、PX)の英文字が刻印されているからには正規の物資なのだろうが、子供の目線とはいえここまで大きいものはちょっと想像がつかない。

 紙袋から取り出した包装紙をビリビリと破る。ユーリーが取り出したのはデフォルメされ、やたらと眉毛が凛々しい熊《くま》のヌイグルミだった。

「じゃんじゃじゃーん! 熊のぬいぐるみミャーフカヤ ミドヴィエチ~! 昨日たまたまPXに入荷してたんだぜ。これも俺の日頃の行いだな!」

「…………?」

「ほらっ、やるよ」

 困惑した様子のイーニァに押し付けるようにぬいぐるみを差し出す。
 初めて見る柔らかい真綿のぬいぐるみに戸惑いながらも、イーニァはおずおずと手を伸ばした。

「ありがとう……でも、どうして?」

「約束したろう? 模擬戦で俺にかすり傷でもつけたら何か奢ってやるって。圧勝のつもりが結果は俺の頭部破損の中破だからな。ちょっと賞品が豪華になっちまったのさ。つっても、まさかお前らとF-14《トムキャット》があそこまでやるとは思わなかったけどな!」

 ちなみに子供で低階級ながらも最前線で働くユーリーにはソビエト陸軍から給金が出ている。大抵の軍人にとっては酒類やタバコなどの嗜好品に費やせば無くなる程度のわずかな金額でしかないが、これまでの二年間を一心に戦術機開発とゲルヒンレグルン槽の製造に費やしてきたユーリーの給金はほとんど無傷で残っていた。

「おっとそうだ。クリスカにもあるんだった」

 またしても先ほどの紙袋を拾い上げ包みを取り出す。今度の包みはそれほど大きくない。片手に入る程度だ。

「渡しといてくれ。本当は揃いのぬいぐるみが良かったんだけど入荷は一つだったからな。ま、あいつはお前のお姉ちゃんだし、コイツでちょっとは身繕みづくろいするようになるだろ。大事にするよう言っといてくれよ」

 照れながらユーリーが差し出したのは櫛《くし》だ。櫛はプラスチックやべっ甲ではない不思議な飴色の素材でできていて、簡素だがロシアの国花であるひまわりの装飾が入っている。
 イーニァは一目見てクリスカがこの贈り物をいたく気に入るであろう事が想像できた。

「きれい!」

「へへーん、女の子へのプレゼントは得意なんでね」

「やっぱりユーリーはすごいね! せんじゅつきもつよいし、なんでもしってるんだもん」

 青い目をキラキラさせるイーニャ。

 無邪気な言葉。

 しかしユーリーの胸によぎったのは歓心ではなく心の底に根付いた暗い無力感だ。

「……それは違うぞ、イーニァ。俺はお前の思うような人間じゃない。特別になりたくて、何でも色々やったけど結局無敵のエースパイロットにも自由にもなれなかった。俺なんて上の命令通りに動くのが関の山のただの兵隊さ」

――誰モ救エナイ。

 新連邦軍の兵士として守った地球の人間は99%死に絶えた。知り合いの女など皆死んでいるだろうし、生き残ったジャミルも戦争の後遺症を引きずっている。
 タルキートナの人工ESP発現体達は今も人体実験に苦しんでいるだろう。ラドゥーガ大隊は今年5人のKIAが出た。もうじき目覚めるリュドミラも、クリスカも、今こうして笑顔でマグカップを啜っているイーニァですら、数年以内にオルタネイティヴ計画の実験で死ぬかハイヴに突入して死ぬしかない。

 "普通"では誰も救えない。
 特別な人間――特別な力が無くては、誰も救えない。何もできない。

「とくべつだよ。ユーリーはずっと……ずっととくべつだった」

「俺が、特別?」

「ユーリーはさいしょからなんでももってた。なまえがあって、かんじょうがあって、かぞくのリュドミラがいて……そして、わたしたちのなかではじめてにんげんになった」

 人間なった――すなわちザンギエフに連れられてオルタネイティヴ計画からソビエト陸軍に移ったことだ。ユーリーはザンギエフによってソビエト連邦のために働くことを強制されたが、超能力ではなく衛士としての腕を見込まれて二等兵という地位を与えられた彼は、少なくとも実験動物ではなくなった。

「それは……それは特別なんかじゃねーよ! 本当はお前らだってもっと優しくされるべきなんだ! あんな風に物みたいに扱われたり、こんな戦場にいていいわけがない! 本当なら普通の家族を作って、普通の教育を受けて、もっと普通に笑って――」

「ユーリーはやさしいね。だからとくべつ」

 イーニァの手がユーリーの手の上にそっと重ねられる。暖かい子供の手、だというのに何故か二年前に触れた冷たいリュドミラの手を思い出す。

「あなたはみんなのきぼう。クリスカもトリースタもわたしも、なにもしらなかったわたしたちにそとのせかいをおしえてくれた。たるきーとなでみんなにだれかのためになくことも、だれかのためにおこることも、だれかのためにたたかうこともおしえてくれた。どうすればわたしたちが"にんげん"になれるかをおしえてくれた」

 その青く優しい面立ちもリュドミラに似ている。
 だがはっきりと違う点。ユーリーの記憶の中のリュドミラと違い、イーニァの目には確固たる意志があった。

「わたしも、クリスカもいつかきっとユーリーがいった"ふつう"になってみせる。でも、わたしたちはよわいから……もしも――」

――もしも消えてしまっても

 彼女の唇が紡ごうとした言葉にぞっとしてユーリーの肌が総毛立つ。

 一体誰がこんな小さな子供にこんな言葉を言わせようとしているのか。

 ……決まっている自分だ。

 イーニァは言った。あなたは皆の希望だと。

 その希望が不甲斐ないから、こんな不安を背負わせたのだ。

「イーニァ!」

 情けなくて悔しくて、ユーリーは居ても立ってもいられずに、重ねられていたイーニァの細く華奢な手を握り返した。

「"もしも"なんてねえよ! 俺、約束する! もしお前らがピンチになったら必ず駆けつける! たとえ10万のBETAに囲まれても助けにいく! アメリカもソビエトも――世界中の人間が敵に回っても俺がずっとそばに居てやるから! だから、消えるだなんて言うな!」

 思いもよらないユーリーの剣幕にイーニァは目をまんまるにして驚く。
 彼女は目尻に涙を滲ませながら頷いた。

「うん。やくそくね」

「ああ、必ずだ。俺はいい女との約束は必ず守る」







[32864] 15、「メドゥーサ」
Name: 大蒜◆9914af20 ID:86f1a2a8
Date: 2012/08/25 00:36
15、「メドゥーサ」~Muv-Luv:RedCyclone~

※グロイ表現があります

***1989年 8月17日 イルクーツク州 ユーク中央幹線道路***

 今日もシベリアの大地にしとしとと雨が降り続く。

 この日、オルタネイティヴ計画委員会の制式戦術機選定委員会は次の2機種間の競合試験をBETAとの実戦形式とすると決定した。

 表向きの理由はちょうどよい時期にエキバストゥズハイヴからBETAの群集団がこのイルクーツク州へと進行を始めたからであるが、実を言うともう一点、二機の開発衛士の模擬戦による評価設定に疑問が起こったからである。
 MiG-31とF-14は共に複座。オルタネイティブ計画の想定としては人工ESP発現体はあくまで管制兼砲撃士であり、主衛士には通常の人間を乗せてハイヴに突入させるつもりであった。
 だが、そんな計画に対して今回この2機の主開発衛士に選ばれたのは10歳前後の人工ESP発現体が三体。
 ミグ側は一人で複座の操縦をこなす上に年齢に見合わない異常な技術を持ち、スフォーイ・グラナン側はなぜか2体の人工ESP発現体を乗せていて通常の衛士を遥かに超えた反応速度で戦っている。
 どちらも明らかに普通の開発衛士ではない。

 選定委員とてオルタネイティヴ計画の情報開示を許された高級将校ではあるが所詮は外様。
 全容までは知らされてない。エスパーとはいえただの子供に見えるのに異様な能力を発揮する三人を不気味に思い、彼らを選んだ両設計局の意図を勘繰っても仕方が無いだろう。
 そんな彼らがこのまま二機編成《エレメント》や小隊単位での模擬戦を行っても、ユーリー達3人の能力が際立つだけで正確な評価はできないと考えたのはまったく当然の結論であった。


『誘導の戦術機部隊、BETAの第2集団の分断に成功。数……大隊規模、ほぼ同数。以後北側の集団をA《アー》集団、南側の集団をB《ベー》集団と呼称します』

 CP将校からデータが転送され、二つの集団の進路がMiG-31の網膜ディスプレイに写される。通信状態は雨なので若干悪い。

 今回の試験は2機編成でBETA群と戦いそのスコアを競う形式だ。

 ユーリーにとって久方の待ちに待った実戦、ゲルヒンレグルン槽を完成させるためのチャンスでもある。

『BETA群の構成を解析中……完了しました。A集団及びB集団を誘導中の戦術機部隊は送信するデータにしたがってBETAの数と構成を調整してください』

 CP将校に従い前線から抽出された戦術機部隊が慎重にBETAを屠る。
 30分以上かかったが彼らの努力によって二つのBETA集団が完璧に同数、同構成に整えられた。

『調整が完了しました。レッドサイクロン分隊及びイーダル分隊は進行を開始してください。先頭機とBETAの距離が800の時点で計測を開始します』

「……了解」

「了解ッ! MiG-31《ブラミャーリサ》、ビャーチェノワ准尉、出るぜ!」

「は、はい!」

 今回、ユーリーのMiG-31の僚機を務めるのはモリ大尉とA-01のあまりMiG-31に触れていない新任少尉のペアだ。
 人選はザンギエフによるもので、なんでもA-01の衛士ではイーダル小隊の衛士に劣り、かといってモリ大尉とトルストイ大尉だけだとMiG-31側が有利になってしまうので、ハンディキャップとしてA-01の新任と組ませたのだそうだ。(新任は男女二人が居たがユーリーの強い希望により女性の衛士を乗せる事となった)
 わざわざ不利になる組み合わせを選ぶことにイズベルガやミグチームは若干抵抗を示したが、そもそも移送のトラブルのウヤムヤを利用して開発衛士としてA-01の衛士や彼の部下を借りている立場で強く言えるわけも無く、泣く泣く提案を呑むことになった。

「――目標確認! へへっ……モリ大尉! 俺、切り込んで来ちゃうから援護ヨロシク!」

 返事も待たずユーリーは機体を回転させながらペダルを踏み込み跳躍ユニットの推力を限界まで引き上げる。
 MiG-31の匍匐飛行はAN3装備の重量によって失速寸前だったが、地面を蹴って棒高跳びの選手のように体を捻りながら跳躍することで高度を稼ぎながら、殺到する突撃級の群に飛び込んだ。

 突撃級の波に消えるMiG-31。
 これにはさすがに超人ばかりのレッドサイクロン小隊を知る新任の少尉も思わず声を上げた。

「じゅ、准尉!? …………って、心配するだけ無駄ね」

 生半可な衛士なら一瞬でミンチになっているはずの突撃級の破壊地帯キルゾーンから飛び出す血飛沫とMiG-31。
 どうやら時速120キロで疾走する突撃級をすり抜けながら突撃級に斬りつけているらしい。

「……我々はアイツの取りこぼしを狙う。引鉄ひきがねは任せた」

「了解!」

 女性少尉は初陣ではないが慣れない機体で緊張しているためか声が甲高い。

 二機のMiG-31は援護できるぎりぎりの距離を保ちながらお互いに目標が被らないように効率的に突撃級を始末していく。

 CPから通信が入ったのはユーリーとモリ大尉のスコアがそろそろ80に届こうかという頃だった。

『イーダル分隊、スコア100を突破』

「げっ! このペースでも向こうの方イーダルが早いのかよ!」

 驚愕したユーリーが叫ぶ。
 こちらは単身でBETAの只中に飛び込むという無謀を行って今のスコアを稼いでいる。にも関わらず向こうが早いというのはそれだけ機体性能が隔絶しているということだ。

「チッ……やっぱ飛行速度じゃ敵わねえ。足の速い突撃級の狩り合いは負けちまうぜ。勝負は戦車級と要撃級が来てからってことか……」

 現在、選定評価委員会の意見は大まかに言えば空戦能力のF-14D《トムキャット》と陸戦能力のMiG-31《ブラミャーリサ》で二つに分かれている。

 AN3装備となってもその素晴らしい跳躍ユニットの性能によって第二世代相当の飛行能力を維持しているF-14Dに対してAN3の負荷によってF-4《ファントム》並みの飛行機動しかできないMiG-31。

 陸戦能力においては、海軍機としてフェニックスミサイルによる一撃離脱を主戦術とするため主脚を軽量化されたF-14Dと、もともとはMiG-25として内地での戦闘を想定した大型の主脚をユーリーによってさらに強化され運動性を増したMiG-31。

 閉鎖空間で補給の効かないハイヴ内では主脚歩行に頼ることが多くなるが、それでも緊急離脱時や戦闘回避のために飛行能力は軽視できない。
 現時点での評価は互角。

 だが互角では困るのが東側のプライドを捨ててまで、わざわざ西側の戦術機の導入を求めたスフォーニ一派だ。

***


『イーダル分隊、スコア300を突破』

『レッドサイクロン分隊、同じくスコア300を突破しました』

「一体、どうなっている! 追いつかれているではないか!」

 ブラーツク基地の管制室で叫びだしたのはイーニャとクリスカの"調整"を担当するイェーゴリ・ベリャーエフ准教授である。

 彼は今回の競合試験に勝利すれば教授への昇格が約束されている。
 が、それ以上に成果を出すことで自分が主導するП3計画をオルタネイティヴ3の派生スピンオフという立場から公式の計画に押し上げたいという研究者らしい野心も持っていた。

「くそっ、私の研究は完璧なのだ! それを失敗作のイレギュラーめ!」

 今回の件、自分の研究の結晶であるП3計画の申し子達が無調整の人工ESP発現体――それも偶然の産物であるイレギュラーに負けているというのは到底あってはならないことだ。

 ベリャーエフは呪詛を吐きながら血走った目でモニターを睨みつけ、そして決意を決めると一つのレバーに手を伸ばす。

「……ベリャーエフ主任? ――ッ!! 何をなさっているのですか!?」

 ベリャーエフの手が届く寸前、隣で計器をチェックしていた彼の助手がそれを押し留めた。

「決まっている。"プラーフカ"だ! "プラーフカ"さえ発動させればBETAなど一瞬で葬り去ってくれる!」

「お止めください! プラーフカはまだ初期実験中、下手をすれば僚機のイーダル2ごとBETAを殲滅しかねません!」

「構うものか! たかが衛士2人の命で私の研究の優位性を証明できるのならな! うまくすればあのイレギュラーだって滅ぼせる!」

 狂気に染まり不気味に光るベリャーエフの眼を見て、他の研究員たちが後ずさる。
 彼の眼に映っているのはF-14の黄点ではなく二年前に彼らの元を離れた第五世代のイレギュラーの乗るMiG-31を示す青色の光点だ。

 どちらの機体も甲乙付けがたい接戦である以上、評価委員はアラ探しに躍起になっているだろう。
 プラーフカを使えばBETAの殲滅速度は格段に上がるが、万が一味方機を撃墜したとなれば機体性能で勝っていても問答無用で不採用にされるだろう。

「440番と15番の反応速度は今も向上しています。このまま続けても勝利することは可能です!」

「だが現に勝敗は不透明だろう! それよりも、あのイレギュラーだ。ニコライが作ったアレが生きている限り、私の研究は不要の物と切り捨てられる……ならば今、殺してやる!」

 羽交い絞めにされながらもレバーに込める力を増すベリャーエフ。
 抑えきれないと判断した助手は切り札を切った。

「プラーフカの使用にはラフマニノフ教授の許可が必要なはずです。ここで命令違反を犯して、またニコライ助手に大きな顔をさせるのですか?」

「――――ッ!!」

 効果はてき面。ニコライの名を聞いたベリャーエフは顔色を赤からどす黒い色に変化させる。一体胸のうちにどれほどの物を溜め込めばこうまで人を憎めるのだろうか。
 僅かに葛藤した後、ベリャーエフはゆっくり息を吐き出しながら、最大限の自制心を奮い起こしてレバーから手を下ろした。

――イェーゴリ・ベリャーエフとニコライはオルタネイティヴ第3計画におけるナンバー2の座を争うライバルである。

 そもそも二人はソビエト科学アカデミーの学生時代の同期であり同じラフマニノフ教授のゼミに所属していた仲でもあったのだが、あのオトボケた性格で実験では失敗ばかりなのに遺伝子デザインの分野で突出した成果を生み出すニコライに対して、ベリャーエフは堅実に研究を積み重ね成果を書き出して論文を生む秀才タイプであった。
 そして研究の内容も対照的である。人間を後天的な薬剤投与や心理開発によって進化させようとするベリャーエフに対して、遺伝子操作によって先天的に自分の望む人間を作るニコライ。
 ベリャーエフを止めた助手が知るところによると、ラフマニノフ教授の研究である超能力という分野で通じ、科学の真理を探求する者として当初ベリャーエフはニコライを友人として認めていたが、なんでもある日研究の合間にニコライが語った遺伝子デザインに打ち込む理由――その余りに俗物的な野望を聞いて何かが切れてしまったらしい。

「イレギュラーに罰を与えられないのは口惜しいが……しかしあのような低俗かつ享楽的な思想しか持たぬ男に、これ以上科学を冒涜されるのは更に我慢ならん」

 後日、ベリャーエフから話を聞いたラフマニノフ教授は頭を抱えたという。それほどまでにニコライ助手の秘めたる野望は科学者として異端な内容であった。
 とはいえニコライには天性の才能がある。それを潰してしまうよりは、とラフマニノフ教授自らソビエト科学アカデミーに緘口令を敷いたが人の口に戸は立てられない。

 唇から血を流しなら怒りを堪えるベリャーエフを、"低俗かつ享楽的な思想"――ニコライ助手の自分の手で究極の美少女を作ろうという野望を知る助手は内心で同情しながらそっとプラーフカの制御システムの電源を落とした。

***

『イーダル分隊、BETA集団の殲滅を確認。スコア820』

『レッドサイクロン分隊 同じくBETA集団の殲滅を確認。スコア820』

 図ったように同時に通達された戦闘終了のアナウンスに、試験の安全を祈っていたHQ《ヘッドクォーター》のスタッフは安堵のため息を漏らし、白黒付けねばならない評価選定委員達は苦悶のうめき声を漏らした。

 BETAの掃討は未だ終わらず、戦線の兵士達の配置は解かれていない。
 だが何はともあれトライアルは終わった。

「ふぃ~。やっぱ互角か」

「……大佐の仰った通りだ」

 ユーリーは汗を拭いながら端末を捜査してHQから報告されたトライアル結果のログを呼び出す。
 先頭集団の突撃級の処理では遅れを取ったが要撃級や戦車級でイーブンに迄持ち直した。どちらの陣営にも装備以外の消耗は無し。
 スコアもタイムも同じとなれば文句なしに互角の結果だった。

「微妙なトコだな。下手すりゃこれから何度もトライアルだ。ま、俺は別にかまわないけどな。そういや、今日は光線級は出てないな」

 管制ユニットに座るユーリーにいつも技術を取り寄せる前に感じる不思議な感覚は無い。

 どうやら今日は空振りのようだ――諦めかけたその時、背筋に冷たい悪寒が吹き通った。

『――HQ《ヘッドクォーター》より全軍! 緊急事態! ポイントK-23にてコード991発生! 数……二個大隊規模! 地下侵攻です!』

「K-23……砲撃陣地のど真ん中か!」

 悪寒のするほうを振り向けば、多くの死者の断末魔の声がユーリーの知覚に入り込んでくる。
 同時に、AN3装備の解析レーダーは土煙の下から更におびただしい数のBETAが這い出してくるのを感知した。

『――続いてK-22、J-23にも出現! 総数は6000……いえ7000です!』

『すぐに砲兵と車両を下げさせろ! 周辺の41軍の全戦術機部隊は援護に回れ!』
『36軍戦術機大隊の支援中? そんな事に構うな! ポイントK-20を抜かれたらこちらの指揮系統が脅かされるんだぞ!』

 HQから悲鳴のような通信。命令はいささか冷静さを欠いた物であったが、現場の兵士に否などあるはずが無い。
 未だ地上から接近しているBETAを駆逐しきっていないにも関わらず、前線に展開していた41軍の4個戦術機大隊と5個中隊は命令に従い回れ右をしてポイントK-23に向かう。
 36軍のHQから41軍へと抗議が殺到するが、彼らとて41軍の後背を脅かされるのは困るのだ。

「……我々も向かうぞ」

「「了解!」」

 モリ大尉に続きユーリーの機体も襲撃を受けた砲撃陣地へと飛び出した。

***


――後方陣地へのピンポイント地下侵攻、それも大型種だけで7000体というのはただ事ではない。

 砲撃陣地の全滅くらいならまだいい。
 だが戦線の後背に突然現れた一個師団の戦力が前線の戦力を振り切って更に後方の無防備な都市や基地を蹂躙して回ればイルクーツクを守る36軍と41軍の壊滅は必須。たとえ振り切らずにBETAがその場に留まったとしても砲撃陣地の敷かれているのは周囲より標高で70メートル以上高い台地である。たちまちK-23地点は周囲90kmを光線級が射程内に収めるBETAの要塞と化すであろう。
 下手をすればシベリア戦線崩壊の可能性すらある危機的状況。これを回避するためには未だBETAが砲撃陣地という"餌"を食べている内に彼らを排除するしかない。

「CP《コマンドポスト》、こちら第418――フィーガ中隊、当方劣勢! こっちはもう6機しかいない! 至急支援砲撃を!」

『こちらHQ。現在支援砲撃は不可能だ。この地域を担当する砲撃部隊は君たちの目の前にいる、加えて現地は乱戦状態だ』

「――チィッ!!」

 砲撃を要請していた若い女性の中隊長が管制ユニットの壁を殴りつける。
 戦術機部隊が中隊としてフォーメーションを組み機能するには最低でも8機が必要だ。6機といえば増強小隊――立て続けに戦力を失っているのなら1個小隊分働けるかどうか。
 目の前のBETAの海をせき止めるには余りに少ない戦力である。

『――いや、まてフィーガ01。朗報だぞ。もうすぐだ。あと少しでそちらにエレメントの増援が来る』

「エレメントの増援? 迷子のお守りはごめんだぞ?」

『今日の戦場で新型機のトライアルをしていた分隊《エレメント》だ。実力は期待してもいい。何しろ彼らの所属する部隊はあの――』

「――待て、レーダーに反応! これは……」

 背後から接近する機影あり。
 だが女性衛士が振り向く前に、彼女の機体――MiG-21《バラライカ》の傍を黒い機体が横切っていった。

「――ヒャッハー! ボーナスステージだ! 光線級レーザー共はどこだぁー!?」

 黒い機体はサーベルのような近接兵器を抜き放つとあっという間に彼女の正面に居た戦車級をなぎ払い、次に部下達に襲い掛かっていた要撃級に斬りかかる。
 サーベルはまるで実体の無い幻のように要撃級の腕をすり抜け、急所ではないが足や感覚器官などに深い切り傷を与える。

 続いて飛び込んできた二機目のロシアンブルーMiG-31――モリ大尉の乗るブラミャーリサが正確な支援射撃を加えると、動きを止めていた6体の要撃級はあっという間に地に伏した。

「――なっ!? 速い!?」

 フィーガ中隊の衛士達に衝撃が走る。自分たちが所属するブラーツク基地でミグの新型が開発されていることは知っていた。
 だが新型機とは言っても所詮はMiG-25――あの欠陥戦術機の改修型である。大した性能ではないと皆が噂していたのだが――

 黒い疾風のごとく駆ける先頭のMiG-31は噴射地表面滑走《サーフェイシング》で地面を削りながら、長刀で次々と戦車級を屠っていく。時折進路を遮る要撃級にはすれ違いざまに一撃を与えるだけで止めを後続の機体に任せている。攻撃シーケンス後の動作硬直で動きを止めないようにするためだ。
 そして後続の機体も凄まじい。自分たちの乗るMiG-21《バラライカ》は敵を認識してからロックオン、照準合わせまで1秒弱を必要とする。その間を待たなければ弾丸は殆ど命中しないし、滅多打ちをすれば反動の抑制にも一苦労がかかる。
 だがこのMiG-31は殆ど間断なく敵を攻撃しているにも関わらず殆どの弾丸を命中させている。今までの第一世代戦術機とは桁違いの処理速度を持つFCSを用いているのだ。

 気がつけば先程までフィーガ中隊を飲み込まんばかりだったBETAの集団はすっかり消えて無くなっていた。

「――こちらレッドサイクロン04。この辺の掃除は終わったぜ! ところであんたらこの辺で光線級見なかった?」

 MiG-31の衛士――ユーリーからフィーガ中隊に通信が入る。
 声からして少年兵だとわかっていたが、レッドサイクロンという所属と網膜投射に映る想像以上に幼い衛士の姿に再び彼らは衝撃を受けた。

「れ、光線級だと? それなら先ほど北東5キロの地点でどこかの大隊が光線級吶喊に失敗したと聞いたが……」

「北東に5キロ、ね。ザンギエフのおっさ……ゴホン、大佐との合流地点にちょうど良いや。な、大尉?」

「………………」

 大尉と呼ばれたアジア人は口を開かない。だがそれを特に気にした様子も無く黒いMiG-31にのった子供はCPに合流場所を連絡した。

「ところで、お姉さん綺麗だね。もし俺が光線級倒して生きて帰ってこれたら一緒にビリヤードでもやらない?」

 まさかこんな戦場で戦術機の調子でも聞くかのように口説かれるとは思わず、彼女は少し怯んだ。
 マセガキめ、と内心で思いながらも軽口で返したのは年長者としての意地だったかもしれない。

「……悪いが准尉。私は新婚でな。心配性の夫が後からついてきてもいいのなら、お誘いを受けるが?」

「げ、人妻だったのか。そりゃ残念。俺はユーリー。ユーリー・アドニー・ビャーチェノワ准尉だ。もし旦那に愛想が尽きたら俺の事を思い出してね」

「ああ、私は――」

 軽くあしらわれてもまだ口説き落とそうとするガッツに感心した彼女は最近ようやく慣れてきた自分の新しい名前――フィカーツィア・ラトロワの名前を彼に教える。
 これがこの二人の初めての出会いだった。



***3時間後 ポイントK-22***

「あーあ、またカタナが折れちまった。もうちょっと保つと思ったんだけどな」

「……力の入れすぎだ。未熟者め」

 レーダーに映る最後の戦車級を切り捨てた折、ユーリーが使っていた本日三本目の74式近接長刀が真っ二つとなったのを知ったモリ大尉は珍しく口を開いてユーリーを叱責した。

「ちぇっ、厳しいなぁ。……お、データリンクの更新だ。そろそろ掃討も終わりかな」

 データリンクの更新で現れた広域マップにはBETAを示す赤点はもう残っていない。
 ただし戦術機の振動探知は精度が悪くしょっちゅう敵の反応を取りこぼすし、闘士級などの小型種に至っては反応が弱すぎて目の前に居ても捕えられない場合もある。
 戦闘が終わってもしばらくは戦術機が巡回して安全を確認するのが戦場の常識だった。

――BETAが砲撃陣地に地下侵攻を行ってから実に4時間。
 一時は絶望的だった戦況もザンギエフを初めとする周囲の基地からの増援の到着で次々と好転。つい20分前にソビエト連邦軍には侵攻したBETA群を撃滅することに成功した。
 だがこの戦闘での被害は甚大である。砲撃陣地に配置されていた部隊と車両は全滅。援護にきた戦術機部隊も4割強が失われた激戦だ。
 ユーリーとモリ大尉も動きの重いロークサヴァー仕様であるにも関わらず一衛士として戦線に参加し、何度も武器や推進剤を失いながらその都度修理と補給を受けながら戦っている。
 そして当然、彼らが殲滅した中には幾許かの光線級も含まれていた。

「さーて、チャンスタイムだ」

 体の中にはいつも"条件"を満たした時に感じる"何か"が溜まった感覚がある。あとはこの"何か"を消費しながら自分の意識の手を伸ばせばいい。
 最近は大規模な戦いが無かったためうまく狙った物を手に入れることはできなかったが、今日は不思議と簡単に手が届く気がする。

――脳波変換アルゴリズム

「――痛ッ!」

 久方ぶりの痛みと、流れ込んでくるいくつもの情報。
 だが流入が終わった後もユーリーは動かない。

「お……おおっ!?」

 今まで得た知識で確認する。このデータが本当にゲルヒンレグルン槽に適合するものなのか。
 二度目の確認、そして三度目の確認を終えてユーリーはついに歓声を上げた。

「ふ、ふははははははははっ!! やった! BETAの奴らめ、よりにもよって今日来てくれやがった! 俺はツイてるぞ! これでついに!」

 ゾクゾクするような快感が背筋を駆ける。
 全くもって絶妙なタイミングでのBETAの襲来だった。
 今日の夜か明日の朝にはリュドミラが到着する。ひょっとしたら自分が帰還する頃にはもう着いているかもしれない。
 残った作業はゲルヒンレグルン槽にリュドミラを入れて手に入れたアルゴリズムと自分の脳波データ入力するだけだ。脳波の変換にかかるのは半日程度。早ければ明日の昼にはリュドミラが眼を覚ます。

「――うん? このIFFは……」

 レーダーに映る友軍の光点の中に見覚えのある識別コードを見つけたユーリーは開放回線オープンチャンネルで通信を繋ぐ。

「おーい、クラーラか? ラドゥーガ大隊のクラーラ・マルコヴナ・プロツェンコ中尉だろ!」

 網膜投射に映ったのは美しい金髪とエキゾチックな顔立ちをした少女でユーリーが一度ナンパしようとした不良大隊の小隊長だ。

「…………」

 通信が繋がったにも関わらず彼女は黙ったまま目も合わせようともしない。
 もとより挨拶を交わすような間柄でも無いが、悪態すら返ってこないのは先日クリスカとイーニャの為に彼女の家族《ザハール》の鼻を折ったことを根に持っているからだろう、とユーリーは判断した。
 確かあの男の鼻を折ったのはこれで三度目だったはずだ。

「お前らもこっちに来てたのか。いや、BETAの奴ら面倒な所に出てきてくれたよな。ここが壊滅しちまったおかげで第41軍団は砲撃戦力も戦術機甲部隊も半減。ホント、次が思いやられるぜ」

「…………」

「きっと今頃軍管区付きの参謀達は真っ青だ。まあ、官僚ってのはそれくらいの方がよく働くって言うし、いい薬になるだろ」

「…………」

「あ、そうだ。お前らイーニャとクリスカにちょっかいかけるのはもう止めた方がいいぜ。あいつら可愛い顔してるけど、戦術機に乗せるとかなりおっかねえからな」

「…………」

 ユーリーに対するクラーラの反応は相変わらずの沈黙。だが、ここにきてユーリーは違和感を感じた。

 別に無視をされるのはいい。向こうは子供だし、こちらもそれを気にしないだけ大人である。

 しかし先程から黙って聞いているだけで戦闘する様子も移動する様子も無いのは何故なのか? それに――

「クラーラ? そういやお前の部隊――家族はどうした? はぐれたのか?」

「…………」

 沈黙。
 だが今度は無音ではない。通信回線を通じて向こうの管制ユニットで鳴ったブザー音がユーリーの耳に届いた。

「接近警報? ――――ッ!! 突撃級の生き残りがいやがった! おい、そっちに向かってるぞ! ……おい!」

「…………」

 インカムに向かって怒鳴りつけるが彼女は相変わらずこちらを見ようともしない。

 そしてデータリンクが写す友軍《アリゲートル》の光点は動かない。BETAを示す赤い4つの光点が近づいているにも関わらず。

――おかしい
 何かがおかしい。

 背筋を走る寒気の中から嫌な予感が首をもたげる。
 慌ててフットペダルを踏み込み、MiG-31をレーダーが写すクラーラの機体の元へ向かわせた。その距離3000。

「おい! おいおいおい! 動け、動けよ! 突撃級が向かってんだぞ! 言うこと聞けよ、クラーラッ!」

――距離2500

 今この時ほどMiG-31の初動が遅いことを呪ったことはない。AN3装備など破棄してしまいたいが試験機であるためパージ機構などつけていない。
 せめてもの足しにと突撃砲一丁を除いた全ての装備をその場で切り離した。

 その僅かな間にもレーダー上の敵性指標が友軍の光点に近づいていく。

「クラーラ! 逃げろ! 死んじまうぞ!」

――距離2000

 突撃砲に残していた120mmを4匹の突撃級の進路へと撃ち込む。まだ距離は遠くロックオンすらできないが、もしかすると進路を逸らすくらいはできるはず――

 1発目、HESH弾――外れ
 2発目、HEAT弾――外れ

 弾頭の大きな120mmに対して雨と全力飛行の風圧の影響は大きい。
 微妙な感覚の狂いは大きな照準のズレという結果を生む。

「当たれ、当たれェェーー!! うわあああああああ!!」

 3発目、HEAT弾――命中、最後部の突撃級が脱落
 4発目      ――残弾無し

――距離1700
 
「あと300でいい! コイツのFCSなら36mmの有効射程外だって狙える! 倒せなくても足さえ止めれば――」

 MiG-31の跳躍ユニットは青白いアフターバーナーで水蒸気の尾を引きながら機体を前へ前へと押しやる。機体の複合装甲は汚染物質を含んだ幾百、幾千の雨粒を弾丸に匹敵するほどの速度で受けてビリビリと震える。

「見えたッ! 間に合えーーーッ!」

――距離1500

 もう少し。
 突撃砲を伸ばし突撃級の未来位置に照準を定める。



 その照準の先……クラーラのMiG-27《アリゲートル》。

 弾丸は発射されなかった。


――グシュッ

 IFFが友軍誤射回避のためトリガーをロックした直後、ユーリーが耳にしたのは瑞々しい果実が押しつぶされるような音。眼にしたのは真っ赤に染まり、そして途絶して真っ黒になった通信ウィンドウ。

「あ、ああッ、―――ぁあああああッ!!」

 誤射の危険が無くなり、ようやく36mm弾が銃口を飛び出す。

 たかだか200発も撃たないうちに突撃級は全て死にダダダダダダダダダダダダダダダダダ400発を撃って柔らかい組織を全てミンチへと変えダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダ800発でようやく外殻を粉々に砕き突撃級の痕跡を消し去ったダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダ

 こんなに簡単な事なのに、救いの手は手遅れだった。

「クラーラ!」

 用の終わった突撃砲を投げ打って、MiG-27の残骸を抱き上げる。

 破壊され開閉する様子の無いアリゲートルの管制ユニットのハッチをMiG-31に無理矢理こじ開けさせると、サバイバルキットを引っ掴みこちらも管制ユニットを飛び出した。

「クラーラ! ――うっ!?」

――そこは狭く、ただひたすらに真っ赤な世界

 眼を刺す薄黒い赤。赤色が空気を染めて鉄臭い匂いを放ち、グジュグジュした赤色の不快な水音が耳から入り込む。舌が感じる脂っぽい味も、生温く気味の悪い感触も全て赤色に感じる小さな空間。

 空間の中央にいるのはフットペダルごと右手と両足を引きちぎられ、あらゆる臓器と肌が傷つくように何枚も何枚も装甲の破片を差し込まれたヒトガタのオブジェだ。

――そうだ、断じて人間では無い。

 現にこうして相対していても人工ESP発現体ならば見えるはずの心の色が見えない。
 死への恐れも、生きようという意地も無い。心が無いのならそれは人形だ。

 恐怖を感じ、狂気に飲まれかけていたユーリーだったが、そのオブジェ――クラーラが僅かに息をしていることに気がついて彼は正気に戻った。

「しっかりしろよ! すぐに軍医の所に連れてってやる! ここは基地から遠いけど……お、俺の新型は速いんだ! すぐに着くからな!」

「…………」

 掴んだ肩が震えている――失血によるショック状態だと気付いたユーリーはぬるい血液が飛び散るのも構わずに彼女をこの悪夢のような密室から引っ張り上げた。
 手足が欠損したおかげでクラーラの体は小柄なユーリーでも持ち上げられるほどに軽い。

 外では飛び出したユーリーを追ってきたザンギエフ達が戦術機を降りてこちらに向かってくるのが見えた。

「ザンギエフのおっさん! 助けてくれ! こいつの血が……血が止まらないんだ!」

「――ッ!!」

 尋常ではない様子に駆け寄るザンギエフ達。
 ユーリーは彼女の体を地に横たえ、出血の酷い下半身の傷口を懸命に抑えた。

(まともな救命施設がある後方基地まで短く見積もって45分。でも俺とブラミャーリサなら、この場で邪魔な部品AN3を切り落として推進剤を全開で使えば30分でいける!)

 僅かな間にもクラーラの体は恐ろしい勢いで軽くなっていく。
 兵士として叩き込まれた知識で見れば彼女の余命はもって10分――いや、5分。

 間に合うはずなど無い。

 だが、もしかするとザンギエフなら――幾度も、何万人という人間を救ってきた"特別な人間"――偉大なソ連の英雄ならば、自分にできないことをやってくれるかもしれない。

 ユーリーが少しだけ抱いた希望。

 それを打ち砕いたのは首を横に振るモリ大尉と頷いて懐からトカレフ拳銃を取り出したザンギエフだった。

「残念だがオレ達にできることは何も無い。せめてこの中尉を苦しませる事の無いよう慈悲の一撃クー・ド・グラースを与える」

「「「――ッ!」」」

 声が出なかった。

 傷口は余りにも深く、止血の手段は皆無。
 間に合うはずが無い。ならば慈悲の一撃――正しい判断だ。どうして反論などできようか。

――待って。待ってくれ。

 喉から声を絞り出そうとするが、声が出なかった。
 ならば、とユーリーは彼の持つESPの力で彼女の心に問いかけた。

(起きろよ! 起きてこいつらに何か言えよ! このままだと、お前死んじまうぞ!)

(………………)

 クラーラからは相変わらず何の意思も感じられない。

 虚無だけを写すその眼を覗いた時にかろうじて読み取れた感情――彼女は途方も無い絶望の中にいた。

 ユーリーが何もできない間にも、トルストイ大尉はドッグタグを外し時間を確認。KIAのための所定の手続きを完成させていく。

「中尉、貴様は祖国のために立派に戦った。貴様の勇気と献身を祖国は決して忘れないだろう」

「……あ、……ああ……」

 ユーリーがクラーラのために出来たのは失血で痙攣し続ける左手を握ってやる事だけ。トルストイのように言葉を送る事も、せめて最後に名前を呼んでやろうという考えすら思い浮かばない。

 ザンギエフがクラーラの眉間に銃口を突きつける。
 最後の瞬間を見るのが恐ろしくて、ただただ恐ろしくて顔を背けた。


――タンッ


 拳銃トカレフの発砲音は思ったより軽かった。

 戦術機が使う36mmよりも、陸戦隊の重機関銃の12,7mmなどよりずっと軽い音。

 こんな音が人間の命の重さなのか。BETAなんて化け物よりもずっと軽いのか。

「う"……」

 自分の胃がおかしな動きをしている事に気付いたユーリーは急いでその場から離れた。
 程なくこみ上げる酸っぱい味。

 吐いた。
 ようやく、脳がこれを現実であると認めてストレスとして処理したのである。

「…………ちくしょう……どうして……クラーラ。俺は言ったのに。逃げろって言ったのに……」

 雨粒と地面で弾ける泥が強化装備についたクラーラの血を拭い去っていく。

「おかしいんだ……! こいつ、いくら呼びかけても心が空っぽだった。絶望しかなかった! 死んだ時だって未練も、断末魔も無かった! 死ねば俺には見えるはずなのに! なんでだよ。こいつ、なんでこんな風に死んだんだ!」

「……メドゥーサだ」

 ザンギエフがポツリと漏らした。

「メドゥーサ……?」

「先の戦闘でラドゥーガ大隊は全滅している。この娘はそれが原因で"戦場自己喪失性無気力症"――メドゥーサの石像となって自ら生きることを放棄したのだ」

「全滅? 仲間が死んだからだって? 馬鹿を言うなよ、おっさん! ここは人死が当たり前の戦場でこいつはベテランの衛士だ! そんな事で死ぬ様な弱い女じゃない!」

 クラーラを貶めるのは許さない。
 そういうつもりで食って掛かったが、ユーリーの燃えるような眼光にもザンギエフは動じない。

「貴様はそうだろうな。守るべき者がいて、目指す夢がある人間だ。だがあの娘は違う。彼女には仲間しかいない。それしか知らない。そうなるように教育された兵士なのだ」

 そういってザンギエフはメドゥーサの元凶、このソビエトの最も深い闇の正体をユーリーに教えた。

――中央防衛教育法

 BETA大戦当初、ソビエト連邦政府はスターリン以来のファシズム的恐怖政治を国内政策として採用し、ロシア人以外の異民族を政治将校とセットにして最前線へ投入し続けた。
 しかし従来の人間同士の戦争とは違い、悲惨な殲滅戦や撤退戦の多い対BETA戦線において前線の兵士達の恐怖は政治将校のもたらす恐怖を容易に越える。一度の戦闘で中隊単位の任務放棄サボタージュが10件以上、脱走兵が3桁に登る事が常となり、急速にタガが緩み始めたソビエト連邦軍の指揮系統は崩壊の危機にあった。

 そこで政府は新たな統率政策として、それまで社会主義国家として禁忌となっていた民族問題を利用する事を決めた。
 生後間もない段階で子供達を民族ごとに軍の教育施設に収容し、そこで戦闘教練と戦時教育を叩き込む。家族からの断絶は将来的に人間としてのモラルの低下や党への反抗心の成長などの悪影響も見られたが、幼児が抱く家族の愛情に対する潜在的な欲求を自分と同じ"民族"に向けさせることができる。
 そうして兵士が戦場で戦うためのもっとも強い動機――"戦友"と"家族"を重複認識させることでソ連軍はBETAに対しても屈強な継戦精神を持つ素晴らしい兵士すてごまを獲得したのだ。

――『ふっざけんな! アタシの家族をここまでコケにされて無傷で帰せるかよ!』

――『党~? 同志~? ロシア人が何ほざいてやがる!』

 つまりラドゥーガ大隊のメンバーは比喩でもなんでもなく正しく家族だったということだ。
 彼らにとって戦友は 兄弟であり、従兄妹であり、未来の配偶者でもある。
 彼らの過去は家族と共に教育施設にあり、彼らの現在は戦友と共に戦場にあり、彼らの未来は妻か夫と子供を作って自分の民族を守ることある。

 与えられたのはたった36人しかいない閉じられた小さく狭い世界。
 彼らは自分の世界を守るために死に物狂いで戦い、そして多くの仲間を失えば世界が崩壊したと自らを捨てる。

 絆が強固であるが故に、失ったときの反動が大きすぎるのだ。

「メドゥーサは世界でただ一国。このソビエト連邦だけで起こる戦争の病だ。発症のタイミングはそれぞれ。最後の一人になるまで発症しない者もいれば、部隊の7割の損耗で残った全員が発症した例もある。衛士だけではない。同じ教育を受けた子供は砲兵も歩兵も、確認しているだけで年間300人以上の犠牲者が出ている」

 ラドゥーガ大隊がロシア人に向けていた敵意の意味。ユーリーは今になってようやく理解することができた。

 美談でもなんでもない。全てはロシア人によって弄ばれた結果だ。
 子供達《ラドゥーガ》もそれをわかっていた。わかっているから憎んで、それでも従うしか他なかった。

「外道め、畜生め! 何がメドゥーサだ! 病気でも怪物でもない! 石にしているのは人間じゃないか! オルタネイティヴ計画もソビエトも、どうしてここまで命を馬鹿にできるんだ!?」

 怒りのままに地面を殴りつける。
 泥が飛び散り口に入ったが構わず噛み砕いて飲み込んだ。

「戦争だからだ。ひとつ教えておいてやる。13年前に、この中央防衛教育法の原案を党に提出したのはオレだ」

「――――ッ!! あんたが!?」

「大佐! それは――ッ!」

 何かを言おうとしたトルストイ大尉をザンギエフが手で制する。

 その隙にユーリーは燃えるような怒りのままにザンギエフに飛び掛った。

「貴様ぁ、うおおおおおおおおぉぉっ!!」

「――ッ!! ユーリー、止めろ!」

 トルストイが慌てた様子で叫んだが、それよりも拳を振るうほうが早い。

 肉を打つ音が響く――だがザンギエフにダメージが通る様子は無い。拳も痛くない。強化装備のおかげだ。こんな便利な鎧があるせいで、ユーリーもザンギエフもクラーラの背負った苦痛の千分の一も感じられない。
 そしてこんな風に相手の痛みを感じられないから、人間はいつまでだって敵も同胞も同じように殺すことができる。

「なんでだよ! あんたこの国をマトモにしたいんじゃなかったのか!? 最先端の正義を見たいって! アレは嘘だったのかよ!」

「止めるんだ、ユーリー!」

 トルストイ大尉とモリ大尉によってユーリーの軽い体は地面に押さえつけられた。遮二無二暴れるがさすがに大人の軍人二人に手足を抑えられては逃れられない。

 その白銀の髪までクラーラの血と雨泥で汚れたユーリーに対してザンギエフは憎いほど無傷のままそこに立っていた。

「嘘ではない。全てはこの国の未来ためだ。当時の我が軍はBETAの圧倒的な侵攻に抗する手段を持たなかった。祖国には必要だったのだ。BETAの足を一秒でも長く止める兵士達と、新しい体制を作るだけの時間が」

「そのためにメドゥーサを放っておくのか!? あんたは何もわかっちゃいない! ザハールもレナータもパーヴェルもノンナも――あいつの仲間はクラーラにあんな風に死んで欲しくて戦ったんじゃない! あれは人間の死に方じゃない! 誰もあんな風に死んじゃいけないんだ!」

 押さえつけられたまま、強い意志を宿した眼で睨みつける。
 もしこの場に他の人工ESP発現体が居れば光が―ービャーチェノワ達が2年前のタルキートナの演習場で見た眩い光が見えたであろう。
 烈火の如き咆哮。ほとんど他人であるクラーラやラドゥーガ大隊のために彼は本気で怒っていた。

「貴様こそBETAを何もわかっていない。正論ではこの世界は救えん。ユーリー、"特別"になりたいのなら甘さを捨てろ。自分が守りたい1のために他の10を地獄に叩きこめ。そうしなければ地獄が全てを飲み込むことになる」

「そんな事、できるもんか!」

「やるのだ! 人類が未来を作るためには、結局はそうしなければならん。人間がBETAと戦うには圧倒的な武力が必要なのだ。力だけを求めろ。心を捨てて特別になれ。オレは愛したおんなをハイヴに送り、魂を悪魔に売り、生涯を戦場に捧げた。全て祖国の未来を守るためだ」

「――クソッ! 共産主義者のクソッタレめ!!」

 その巨大な体躯を仁王立ちにして見下ろすザンギエフ。
 彼を睨み返すユーリーはふと、ザンギエフの瞳が海の底のように深い青であることに気が付いた。

――どこか懐かしい瞳の色。

 抱いた疑心をあり得ないと振り払って、彼はもう一度クラーラの亡骸を見やり、彼女の死に様を眼に焼き付けた。


***1989年 8月18日 午前3時 シベリア軍管区 イルクーツク州 ブラーツク基地***

 ほぼ全ての兵力が出撃し空っぽのブラーツク基地だったが、夜半を過ぎた頃ようやく戦闘区域から兵士達が戻ってきた。

 だがその数は出撃前と比べて圧倒的に少ない。
 シベリア軍管区の戦力は36軍と41軍によって成り立っているが、長年の戦闘によって疲弊していた二つの軍団の内一つが今回のBETAの地下侵攻を受けて半減してしまったのだ。

 事態を重く見たシベリア軍管区の参謀達はすぐさま今回の戦闘詳報を作成。補給を期待して本国に送ったが、本国の参謀本部から伝えられたのは極東軍管区で試験中の陸上戦艦――どう考えても眉唾物の兵器の派遣と"責任者の政治総本部への出頭を求める"という一通の生贄催告通知のみ。
 生贄を決定すべく基地の上位階級者達は会議を開いたが、喧々囂々の会議は長引くばかりで一向に収束しない。この様子を知る司令室付きのスタッフはどうやらシベリア戦線の苦境はまだ終わらないらしい、とため息を吐く有様だった。

 一方、41軍にも36軍にも属さない第5戦術機ハンガーではイズベルガが戦術機の受け入れ準備をしていた。
 トライアルの成果とその後の実戦参加の連絡を受けてもユーリーの心配などこれっぽちもしなかった彼女だが、夜半にリュドミラを乗せた車両がこちらへ到着するというのでさすがに寝ているわけにはいかない。
 そしてつい先程、リュドミラの受け入れが終わった所にユーリー達レッドサイクロン小隊とA-01の帰還が報告されたのだった。

 自走整備支援担架ウリートカに乗せられて戻るMiG-31。損失した機体無し、消耗部品の疲労は激しいが被害は軽微。
 待つ側としては文句無しの結果だが――

「二等兵君どうしたの? ひどい顔色よ?」

 機体の損傷は少ないのに強化装備を血と泥にまみれさせているユーリーを見たイズベルガはそう言った。

「ほっといてくれ……それよりもリューはもう?」

「ええ。さっき搬入してゲルヒンレグルン槽に寝かせておいたわ。案の定あのナントカ計画の奴が"治療を手伝わせて欲しい"って食いついてきたけどおっ払っておいたわ。・・・・・・ねえ、本当に大丈夫なの?」

 しつこく確認するイズベルガには答えず、ユーリーはさっさとドレッシングルームに向かうと強化装備を脱いでシャワーを浴びた。
 何はともあれリュドミラに会うのに血と泥にまみれたままではいけない。免疫力の低下というのもあるが、たとえ少しでも彼女に血の臭いを感じさせたくない。

 シャワーを浴びたユーリーは不機嫌なままゲルヒンレグルン槽があるイズベルガの研究室に向かう。
 自分のIDでセキュリティーを解除しそこで二年ぶりの再会を果たした。

「…………リュー」

 研究室の青白い灯りに写された患者着を着せられたリュドミラ。二年間昏睡しているだがそれでも身長は延びている。筋肉の落ちた細い腕。顔つきも若干大人っぽくなっている。
 唯一当時は手術のために切られていた髪だけは再び元の長さと輝きを取り戻して記憶と変わらぬ様子だった。

――懐かしい思いで胸がいっぱいになる。

 あのタルキートナでの日々。座学を受けて、訓練をして、馬鹿な事で言い争いをして。
 開発実験は苦しかった。人間扱いもされない酷い環境であったが、それでも彼女と一緒に居ることはできた。
 あの時、ザンギエフに挑まなければ自分はもっと姉と居ることができたはずだ。前に進むことを諦めていれば――

――『あなたはみんなのきぼう。クリスカもトリースタもわたしも、なにもしらなかったわたしたちにそとのせかいをおしえてくれた。たるきーとなでみんなにだれかのためになくことも、だれかのためにおこることも、だれかのためにたたかうこともおしえてくれた。どうすればわたしたちが"にんげん"になれるかをおしえてくれた』

 イーニャは自分を希望だと言った。特別だともいった。
 普通の自由――それが欲しかっただけなのに。何も救っていないのに。
 ユーリーが彼女達に与えたのは仮初《かりそめ》の希望だけだ。あくまで偽物。きっといつかは自分を恨むだろう。希望を知らなければ絶望することもなかっただろうに。
 ユーリーが普通を望めば、正しい事をしようとすれば不幸しか生まない。

――『貴様こそBETAを何もわかっていない。正論ではこの世界は救えん。ユーリー、"特別"になりたいのなら甘さを捨てろ。自分が守りたい1のために他の10を地獄に叩きこめ。そうしなければ地獄が全てを飲み込むことになる』

 ザンギエフは自分に特別になれと言った。心を殺して、力を求めてザンギエフのようになれと。
 自分を、他の全てを捨てて戦えば本当に大事な物だけは守ることができる。
 ザンギエフは己や身近な人を捨てることで彼の祖国を守っている。
 ユーリーが特別になれば……リュドミラだけは守ることができる。

「リュー、俺どうすればいいのかな?」

 結局人間はどれだけ強くなっても一人。一人の人間に守れるのは1つだけ。
 欲張って多くを望めば全てを失う。
 現にユーリーは生前はジャミルと地球を守ろうとして、二度目はリュドミラを守り自由を得ようとして失敗している。
 ならばどちらを選べばいいのかは明白だ。

 だが、本当にそれでいいのか?
 自分だけが勝手に割り切った世界でトリースタやイーニャ、クリスカはどうなる? イズベルガは? メドゥーサという彼の想像を絶する絶望の中で死ぬソビエトの被支配民族の子供達は?

「わかんねぇ。……わかんねえよ」

 次の機会があれば恐らくそこが自分にとっての分水嶺ぶんすいれいだ。

 過ちを繰り返すのか、それとも余分な全てを切り捨ててザンギエフのような怪物とくべつになるのか。

 ユーリーはゲルヒンレグルン槽の端末を操作し、入手したアルゴリズムを入力すると傍に置いておいた薬瓶から錠剤を取り出した。

 精神安定薬と睡眠薬だ。両方とも感情や思考を落ち着かせ、正常な脳波パターンを取るために服用する。
 そして採取したユーリーの脳波パターンにリュドミラの脳波を合わせて彼女の覚醒を促すのだ。
 必要な時間は約12時間。脳波の採取と調整は並行して行うから12時間後にはユーリーとリュドミラはほとんど同時に眼を覚ますことになる。

 薬を服用したユーリーは自分の体に諸々の機器を取り付け、ゲルヒンレグルン槽の隣に設置したストレッチャーに横たわる。

 なるべく何も考えないように目を閉じる。リュドミラが目覚めた時にはいつもの自分で居られるために。
 疲れた体と睡眠薬が相乗の効果をもたらし、毛布を肩まで引っ張り上げるとすぐに彼は深い眠りの海に落ちていった。






――コード991発生につき第一防衛準備態勢デフコン1が発令! 繰り返す第一防衛準備態勢が発令!




[32864] 16、「雷帝《ツァーリ・ボンバ》」
Name: 大蒜◆9914af20 ID:86f1a2a8
Date: 2013/03/09 21:40
16、「雷帝《ツァーリ・ボンバ》」~Muv-Luv:RedCyclone~




***1989年 8月18日 午前7時 シベリア軍管区イルクーツク州ブラーツク基地***

「~~!」

『――ッ! ―――!』

――周囲が騒がしかった。

「……るっさい」

「――起きて。起きなさい二等兵君」

――ゆさゆさと体が揺さぶられる。

 何を言っているかわからないがとにかくやかましい。
 どうも誰かが自分を起こそうとしているらしいが、今は睡眠薬のせいで猛烈に眠いのだ。
 脳は鈍化しているし、感覚だって鈍い。きっと目覚めたって役には立たない。

「ちょっといい加減起きなさいよ! こっちだって急いでいるのよ!」

 やはり聞こえてるが、何を言っているか全く理解できない。相変わらず五月蝿く感じるだけだ。
 勘弁して欲しいよ、と毛布を手繰り寄せると一層激しくなった怒声とともに毛布が剥がされた。
 不満に呻きながらもユーリーは両手を組んで再び眠りに落ちようとする。

「チッ、仕方ないわね……」

 ようやく静かになったかと思うと、今度は首筋に冷たい金属の感触する。

「…………?」

 何? と思う間も無くプシュっという炭酸を開封したような音。

「………………――ッ!? ぎ、……ぎゃぁああああああああ!!!」

――燃える液体が血管を走った。

 目の前でバチバチと火花が散り、体の中で花火が爆発している。
 眠気など三千里の彼方に吹き飛ぶような衝撃。
 火事から逃れる鼠のようにユーリーはベッドから跳ね起きた。

「何しやがる! 誰をされた! 何がしでかしやがった!? 毒か? 酸か?」

 ファイティングポーズを取って諸悪の根源を弾劾するが、寝起きの混乱のせいで意味不明な事を口走る。
 血管に直接流し込まれた薬物は眠気を根こそぎ奪っていったが、同時に心臓をバクバクと全力疾走させている。

「カフェインのアンプルよ。よく効くでしょ。徹夜明けにはもってこいなのよ」

 ファイティングポーズの拳を向けた先、ぼやける視界に写るのは空の無針注射を持つ女性――イズベルガだ。

「博士……? 一体何を――いや、それよりも今は何時だ?」

「午前七時よ。この表示によれば脳波変換の調整率は40%」

 予定の4分の一の時間。もともと多めに見積もっていたのだがそれでも想定よりやや早いペースだ。
 だがそれもリュドミラが目覚めなければ意味が無い。中断すれば最初からやり直しだ。

「なんてこった……まだ全然途中じゃないか」

「知ってるわよ。でも緊急事態なの。さっきから鳴ってるコレ、聞こえてないの?」

 天井を指すイズベルガに吊られてそちらを見上げる。
 研究室内にはアラームと共に緊急放送が流れていた。

『コード991発生につき第一防衛準備態勢デフコン1が発令中。繰り返すコード991発生につき第一防衛準備態勢が発令。全戦闘員は直ちに持ち場に移動せよ』

「――デフコン1ッ!? またBETAが来るってのか……!? 嘘だろ! 昨日だけで2万は叩いたんだぞ!」

 第一防衛準備態勢が発令されるとなれば敵の数は最低でも5000以上。今のブラーツク基地にはこれでも荷が重い。
 間違いなくザンギエフは出撃するだろう。

「博士、俺のミグは!?」

「消耗部品の交換はもうすぐ終わるわ。でも今からAN3装備を外すのは無理ね」

「十分だ!」

 タンクトップの上からフライトジャケットを羽織るとそのまま飛び出そうとするユーリー。
 だがその肩をイズベルガが掴まえた。

「待ちなさい!」

「なんだよ? 召集かかってんだから急がないと……」

「――陸上戦艦の試作型がここに向かってるの。あなたのMiG-31は整備班に任せたし、私はそっちに向かうわ」

「そりゃ、仕方ねえけど……陸上戦艦? あんなの持ってきてどうするんだよ?」

「お土産を積んでくるのよ」

 年不相応にキラキラした眼を向けてくるイズベルガ。
 何か隠し玉があるらしい。

「――もしかしてまた大量の牛肉か?」

「ばか。もっとずっと良い物よ。――牛肉なんかより遥かにね」



***




 ブリーフィングルームには既にA-01の面々が揃っており、それぞれが席についている。大隊長であるザンギエフの姿はなくトルストイ大尉が壇上に立っていた。

「今から30分前国防宇宙軍から全軍へと緊急通報があった。H6エキバストゥズハイヴとH10ノギンスクハイヴからBETAの大群が東へと移動している」

 トルストイが指すシベリアの地図にはそれぞれのハイヴからまっすぐ東方向へと侵攻するBETAの位置と予測進路が表示されている。

 毎度毎度の定期便――だがこの敵性指標《ベータ》の数はどうだろう。最小倍率の地図の左側には血の川でも流れているかのように赤点が咲いている。

「規模は6個軍団――約18万だ。内ノギンスクハイヴからツングースカ方面に侵攻している8万はシベリア軍管区ではなく特例として極東軍管区の受け持ちとなる。シベリア軍管区は全戦力を持って残り10万の東進と予想されるハイヴの建設を阻止しなくてはならない」

「………………」

 10万、という数に思わずこの場に居るA-01の衛士が唾を飲み込んだ。
 彼らの短い戦歴の中で戦ったベータを全て足したのと同じ……いやそれ以上の数。ここ数年で最大の規模であることは間違いない。
 そしてハイヴ建設――ヨーロッパ陥落以来ずっと囁かれていたBETAの東部ユーラシア方面への本格侵攻がついに始まったのだ。

「これを受けて党中央委員会はレナ河以西の全住民の退避と8基のRDS――核弾頭の使用を許可した。許可された弾頭は鉄拳クゥラーク型が4基、雌鶏クリツァ型が3基と……………………雷帝ツァーリ・ボンバ型だ」

「「「――――――――ッ!!!」」」

――ツァーリ・ボンバ

 爆弾の皇帝と呼ばれるソレは冷戦時にソビエト連邦が開発した兵器史上最大の水素爆弾にして、人類が手にした最悪の火である。
 核融合ー核分裂ー核融合と三段階の反応を経て炸裂させるこの爆弾は通常の火薬換算で100メガトン―第二次世界大戦で消費された全火薬20倍分の威力を誇る。
 これが過去に使われたのは2回。
 一度目は1961年に冷戦中の爆発実験として出力を50メガトンに抑制された状態でソ連領ノヴァヤゼムリャ上空に投下された。投下高度は一万メートルで、爆発高度4,000メートル。爆発による火球は地表まで届き、上部は投下高度と同程度まで到達。その様子は1,000キロメートル離れた地点からも見えたという。生じたキノコ雲は高さ60キロメートル、幅30-40キロメートルに至る。
 この爆発による衝撃波は地球を三周してもなお空振計に記録され、世界を焼き尽くす威力の片鱗を見せた雷帝の威容に西側の諸国は震え上がった。

 二度目は1975年。
 黒海沿岸を北上しソ連領ウラリスクへ進入したBETAに対して、通常の戦術核による焦土作戦では抑えきれないと判断した党中央委員会はこれまで国内での使用を制限していたメガトン級の核兵器を解禁。
 多数の囮部隊の犠牲によってBETA群の中心で爆発させることに成功したが、人類が始めて目の当たりにした100メガトン級の核爆発は当初予想されていた威力を遥かに上回っていた。
 地中に設置されたツァーリ・ボンバの爆発は火球だけで直径9000メートル以上、爆風と熱線による殺傷範囲は百キロを優に越え、事前に避難通告を受けて爆心地から120キロ離れていた部隊にまで被害が及んだのである。
 ツァーリ・ボンバの一撃はウラリスク戦線を脅かしていた五万以上のBETAを撃破したが、同時に安全圏に置かれていたはずの戦車機甲師団や当時配備が開始されたばかりの貴重なMiG-21戦術機部隊までもが行動不能となり戦線の再構築まで多大な労力を負うことになった。

「本当に党はツァーリ・ボンバの使用を許可しているのですか……?」

「間違いない。作戦は国防会議直々の通達だ。既に防衛作戦のために住民の非難と軍管区36軍と41軍隷下の全戦力が旧バルナウル市、旧アバカン市方面に至るまで展開している。作戦の第一段階はバルナウルに展開した第14戦車師団、及び第185、187、213戦術機大隊によってコレを足止めしクリツァ型戦術核地雷によって敵先方の突撃級集団を爆破する」

 トルストイ大尉の説明をプロジェクターに写されている作戦データが補足する。
 三個大隊が約40分の時間を稼いでいる間に工作部隊が核地雷を埋設。BETAが地雷に接触するまでに戦車師団から順次撤退していくのだが……正直耐えられないだろうとユーリーは思った。
 足止めにするには戦力が少なすぎるし、そもそも戦術機は補給無しだと30分程度で弾を使い切ってしまう。仮に補給コンテナを効率よく使用して敵の圧力に耐えられたとしてもこの物量の前で足の遅い戦車部隊を支援しながら後退するのは不可能だ。戦術機甲部隊か戦車師団か、この作戦では確実にどちらかは帰ってこられない。

「第二段階はアバカン方面に展開した部隊によって可能な限り戦力を保持しながら縦深を利用した遅滞漸減ちたいぜんげん作戦を行う。この時敵集団の外縁部へMiG-25《スピオトフォズ》によるクゥラーク型弾頭の核攻撃を行うことで敵の進路をバイカル湖方面――ツァーリ・ボンバを埋設した地点に誘導する」

 プロジェクターに表示された参謀本部の予想によれば第二段階終了時点での残存BETA数は3万五千程度。現在のシベリア軍管区の戦力ならば支援砲撃を機能させ続ければなんとか撃破できる数字だ。

「そして第三段階でツァーリ・ボンバから後方100キロの地点に張られた防衛ラインでBETAの殲滅を行う。我々の任務はまず戦術機甲部隊がアバカンから連れて来たBETAの内進路を逸れた小規模集団の処理を行い、その後補給を受けた主力部隊と共に最終防衛ラインの最右翼として敵を機動包囲しながら打撃を与える。なお殲滅戦開始から17時間以内――バイカル湖東岸に展開する極東軍管区部隊の防衛体制が整うまでの戦線維持が著しく困難だと判断された場合、ツァーリ・ボンバを起爆して敵を一掃する。以上が今作戦の概要だ」

「17時間……つまりその間防衛ラインを守り抜けばいいのですね?」

 A-01の中隊長の一人が手を挙げて発言した。

 長いようで短い時間だ。

 今回は全行程360キロにも及ぶ撤退戦。
 核兵器を使うにはそれだけの間合いが必要だとはいえ、これほどの大作戦の最終段階で全軍足並みを揃えての総力戦の制限時間が17時間というのは短すぎる。

 それにソ連にとって鬼門に近いツァーリ・ボンバの使用解禁なども含めると、どうも不自然で納得がいかないというのが彼らの感想だった。

「そうだ。17時間後、もしくはツァーリ・ボンバの起爆決定後は撤退が許可されている。その後はバイカル湖東岸に置かれた防衛部隊が残存の敵を殲滅することになる。……ああ、そういえばユーリー。大佐がな、今回はお前の姉をMiG-31《ブラミャーリサ》に乗せて連れて行けと仰っていた」

「――リューを? 無茶だぜ。あいつはまだ目覚めてない」

「強化装備を着せておけばいい。意識が無いのなら加速病の心配も少ないしな。防衛戦では何が起こるかわからん。それに、今回ばかりは私にも嫌な予感がする。戦況はBETAの行動次第なのはもちろんだが……もしかするとそれ以外もあるかもしれん」

 言い淀むトルストイの表情に真剣な物を察してユーリーは頷いた。

「……わかったよ」

 リュドミラはユーリーにとってのアキレス腱である。
 BETAに食わせるわけにはいかないのは勿論、万一スフォーニ勢に誘拐でもされたら身動きが取れなくなってしまう。

 それで無くとも今回の作戦はキナ臭い。
 本当ならボディガードでも雇いたい所だが基地に信用できる人間などいるはずがない。それなら自分で背負っていく方が何倍もマシであった。

「よし、ではこれでブリーフィングは終了だ。厳しい作戦だがそこまで悲観することも無い。敵の大多数は核兵器によって漸減ぜんげんされる上に、極東軍管区から先日開発されたばかりの試作陸上戦艦も向かっている。我々は必ずこのシベリアを守り抜く」

「「「ダー!」」」

 トルストイの言葉に闘志を漲らせたA-01の衛士達が一斉に唱和した。



 
***同時刻 同基地 中央戦略開発軍団 ブリーフィングルーム***

「――以上が防衛作戦の概要となる」

 ブリーフィングルームに集まった中央戦略開発軍団の面々の重い空気を前にしてロゴフスキー少佐は言った。
 A-01の衛士たちと同じく彼らも緊張から口を開かない。
 彼らはどこの国よりもBETAに苦しめられてきたソビエト連邦の軍人だ。故にこの戦闘によって祖国が被る損害の大きさを察することができる。もちろん、今日の損害が次回の侵攻で更に大きな損害を生む原因になるであろう事も。

 だがそんな軍人らしい緊迫感とは全く無関係な人間も居た。

「納得がいきません! 戦わずして退去などと! 此度の防衛戦闘は私の―いえ、我々の優位性を実証する最適な機会ではありませんか!」

 泡を飛ばして叫ぶのはイェーゴリ・ベリャーエフ准教授である。

 ベリャーエフは先程説明された防衛作戦に自分たちが参加せずにイルクーツクを離れる事に抗議していた。
 勿論、愛国心からなどではなく己の野心からだが。

「我々は中央戦略開発軍団だ。兵器開発の実証を伴わない戦闘は我々の仕事ではない」

「新兵器ならF-14D《トムキャット》にП3計画がある! それにここで我々が出撃して圧倒的な戦果を計上すれば、士気の高揚や機体の評価向上にも繋がる」

 熱弁を振るうベリャーエフに対して周囲の目線は冷たい。

 確かに彼の言う事は正しいのだ。――ある程度は。
 シベリアの厳しい戦況に対して党は自ら禁忌としていたツァーリ・ボンバまで使用しようとしている。確かにここで戦果を挙げれば中央委員会からの覚えもめでたいだろう。

 だがあいにくと中央戦略開発軍団は普通の部隊ではない。

 ソ連の特権階級であるロシア人から更に厳しい選抜を経たエリート集団である彼らは、凄腕の戦術機衛士であると同時にロゴフスキーの個人的な政治の駒でもあるのだ。
 部下のうち数人は既に軍内の重要ポストに内定しているし、他の人員もロゴフスキーが党内での足場を固めるために必要な人材だ。部下達自身それを理解している。

 党での栄達に比べれば前線の将兵数万人の命や学者のちっぽけな野心などガラクタほどの価値も無い。

 故に防衛戦に参加させるなど論外。
 それも戦線が必ず壊滅する・・・・・・・・・と知っているのならなおさらだ。

「士気の高揚ならザンギエフ大佐の方が適任だろう。それに国連軍の作戦ならまだしも、我が国主導の戦場で米国機のF-14が活躍するのはあまり好ましくない」

「ぐっ……しかし! それも全て我々が戦果を挙げさえすれば覆ることだ!」

 あくまで強気のベリャーエフ。
 彼が戦果を挙げると豪語した自信の源は"プラーフカ"であった。

――プラーフカ

 それは薬物と後催眠暗示の複合使用によって、被験体の潜在能力の開放と思考交換速度(思考の融合)の拡大を強制させるП3計画の奥の手ともいえるシステムである。
 П3計画によって調整された人工ESP発現体はプラーフカを開放させることで反応速度と戦闘力を爆発的に増大させるが、その代償として著しい身体的負担や敵味方識別能力の低下を招く。

 ベリャーエフの研究によればこれは第五世代ビャーチェノワ440番と第六世代シェスチナ15番の脳波が同調しきれないことによる副作用であり、この2体が真の完成――精神が完全に融合した生体CPUとなれば解消されるらしいが……問題の解決に必要な脳波調整の技術や後催眠や薬物以上に人間の精神に干渉する技術などの目処が立っていない。

 だがそれもロゴフスキーにはどうでもいいことだ。人形のスコアが2000、3000を越えようが戦局に大差は無い。

 いや、ロゴフスキーの持つ情報が確かならば、むしろ戦局が不利であればあるほど彼にとっての障害が取り除かれる可能性が高い。
 ここで中央戦略開発軍団が戦闘に参加するのはデメリットでしかない。

「残念だがこれは決定事項だ、同志ベリャーエフ君。我々中央戦略開発軍団はブラーツク基地が光線級の射程内に入る前にここを発つ」

「………………」

 断言するロゴフスキーをベリャーエフは殺気すら覚えるような視線で睨みつけるがどうあっても決定は変わらない。

 いや、以前のベリャーエフであれば考えられない程の圧力に、僅かだが上位者であるはずのロゴフスキーの方がたじろいだ。

「――あの、ロゴフスキー少佐。発言の許可をください」

 そんな火花散る空間で手を挙げた少女がいた。

「……なんだねビャーチェノワ少尉?」

「せめて我々のF-14をシベリア軍管区の衛士のために供出する事はできないでしょうか? 敵戦力は強大でこちらは砲撃戦力も含めて疲弊しています。幸いこの基地にはトライアルのためにフェニックスミサイルの備蓄があるので、搭載できる機体さえあれば前線のBETA殲滅効率はかなり上がるはずです」

「それも却下する。機体の供与は技術漏洩の観点からまず容認できない。祖国の防衛のための損失であれば止むを得ないが、ミグに鹵獲される危険を冒せない。我々は実戦部隊ではなく試験部隊なのだ。それとも少尉、君は今後のトライアルでもしビャーチェノワ准尉がF-14の技術を吸収したMiG-31《ブラミャーリサ》に搭乗して現れた場合、勝算を持てるのかね?」

「……難しくあります」

 ロゴフスキーの皮肉を感じ取ってクリスカは萎縮しながら答えた。

 このシベリアに来てからクリスカとイーニャの戦闘力は加速度的に向上している。だが、それでも現段階ではユーリーに勝てる確率は低い。
 プラーフカを最大開放すればわからないでもないが、彼女もイーニャを危険に晒してまで勝ちたいとは思わない。
 だが――

 クリスカがチラリと横目でベリャーエフを"覗く"。
 頭部につけたバッフワイト素子のヘッドセットは人間の思考野の底まで読み取る人口ESP発現体のリーディング能力を阻害するが、今はそれでも十分すぎる。

(やはり、これは異常だ……)

 ベリャーエフの周りには彼の心に渦巻く禍々しい感情が黒煙のように吐き出されていた。
 嫉妬、憤怒、野心――全てを憎悪として収束した感情はまるで黒い大蛇のような姿でこのブリーフィングルームを覆っている。

 蛇の持つ余りに禍々しい存在感にクリスカは肌を粟立たせるような怖気おぞけを感じた。

 彼女はそれほど多くの心を覗いてきたわけではない。だがそれでもベリャーエフの状態が顕著に危険だということはわかる。

 それほどまでに桁違いの心の闇。
 憎しみはこの国を――もしかすると世界を滅ぼしてもなお余りあるほどだ。


 その時が来れば彼はなんの躊躇もなくプラーフカを最大開放するだろう。そうなれば自分達は――

「クリスカ、こわいへびがいるよ……」

 同じくベリャーエフの感情を読み取ったのか、隣に座っていたイーニャが顔を青褪めながらクリスカの袖を握っていた。

「大丈夫だよ、イーニャ。あなたは……私が必ず守るから」

 黒煙の大蛇から守るようにイーニャを抱きしめる。

――この子は私の宝物。私の全てより大事な特別な存在

 イーニャを守るためならば、自分の全てを捧げる事ができる。

 今はそれでいい。
 だが一年後も、その次もそうできるだろうか?

 ベリャーエフの底なしの闇を垣間見たクリスカには、いつか憎悪で育った黒い蛇が自分とイーニャを飲み込んでしまうという予感がある。

 一度そうなってしまえばもう逃げる事はできないだろう。

(いや、何があろうと守り抜く……きっと……)

 無意識に探ったポケットの中。
 向日葵の装飾が施され、蛇とは対照的な優しい光の残滓を放つ"ソレ"だけが今の彼女を勇気付けてくれた。




***1989年 8月18日 午後12時15分 シベリア軍管区 旧アバカン市近辺 ***


――0850時 フェイズ1 雌鳥型核地雷3基による爆破に成功。

 一基の起爆に失敗するもBETA先鋒から突撃級だけで3000以上の撃破を確認。作戦で投入された第14戦車師団及び第185、187戦術機大隊は撤退段階で音信不通となる。
 帰還した213戦術機大隊の6機を除き、第14戦車機甲師団3210名、第185戦術機大隊35名 第187戦術機大隊28名第213戦術機大隊25名をKIAと判断。

――0923時 BETA先鋒が防衛部隊と接触 フェイズ2 遅滞漸減作戦を開始。

――1140時 MiG-25による特別編成部隊が出撃




「――喰ーーらーーえぇぇッ!!」

 オリャズ小隊が居るのは真っ赤な海だった。
 網膜投射された視界一杯に広がる戦車級の赤。時々赤い色の中に要撃級の白も混じるが、MiG-25《スピオトフォズ》の小隊が36mmの弾幕を形成しながら突撃すればそれも一瞬で血の色に染まる。
 A-97突撃砲が放つ劣化ウラン弾の弾幕は凄まじい密度で迫る戦車級の赤い波を容易に崩していった。

『こちらCP《コマンドポスト》よりオリャズ1、小隊の進路が東へずれている。至急修正せよ』

「あぁん? おい、CP。俺達の侵攻ルートは規定どおりだ。データリンクのラグだろ?」

 オリャズ1――まだロシア人ではない少数民族の青年は軍人らしからぬドスの効いた声で上官たるCPへ通信を返す。

『オリャズ1、そちらの動きは衛星のカメラで直接監視している。貴官らは意図的にBETA群から離れている。これ以上の進路変更は敵前逃亡とみなす』

「この野郎……セラウィクからの左遷組のクセに、こんな時だけまともに衛星なんて使いやがって! 敵前逃亡なんざ知ったことか! そんなに核弾頭を使いたいならテメーが戦術機に乗って見やがれ!」

『なっ!?』

 不正を指摘されたオリャズ1は網膜内のCPに向かって中指を突きたてる。

 ありえないことだった。

 この国の軍隊は本国の共産党が一個中隊の単位で随伴の政治委員を置いたり即決の軍事裁判を行う事で完全に支配下に置かれている。故に前線を構成する被支配民族の軍人はどんなに不満があってもロシア人の上官の前でそれを吐露する馬鹿は居ない。

 だが一方、命令違反の上に侮辱を受けたCP将校も不自然なほど淡白な物だった。

『…………処方量が多すぎたか? オリャズ小隊は傾注。秘匿回線Bを開く』

 CPの男が手元を操作するとピッピッピッというゆっくりとしたリズムの電子音と共にMiG-25の管制ユニットに不思議な旋律の詩が流れる。
 同時にヘッドセットの高解像度網膜投射は一定の間隔で緑の閃光を発し、衛士の意識を催眠状態へと誘導した。
 すぐに小隊の面々の目から光が消える。

『後催眠の発生を確認』

「………………」

『オリャズ小隊は目標攻撃のために至急進行ルートを変更。作戦命令を遵守せよ。……聞こえたか?』

「………………了解」

 ボソボソと聞き取りづらい声での返答だが、小隊は言われたとおりに進路を戻して再びBETAの海の中へと引き返していく。

 先程より幾分か大人しい弾幕が再び戦場に赤い飛沫を作り上げて、逆にレーダーからは赤点の敵性指標を消えていく。
 密集の菱形陣形でまとまった小隊は放たれた矢のようにBETAの群れに食い込み侵攻していく――が、やはり小隊編成の限界か。
 かき分けただけのBETAはすぐさまその物量で持って欠落を埋め今度は背後や側面から小隊に襲い掛かった。

『ああっ! ――あ、――あ、――いや、いやぁああああ!』

 複数で飛び掛る戦車級を捌ききれず、左側から取り付かれてしまったオリャズ2が甲高い絶叫をあげる。
 後催眠下のオリャズ1は横目でオリャズ2の機体の状態を見て、そしてフォローを諦めた。

 小回りが利き格闘能力に優れる軽戦術機に対して、投射火力と積載量に優れた戦術機は重戦術機と呼ばれている。
 彼らの乗るMiG-25《スピオトフォズ》は重戦術機の最たるもので、直進性だけは優れているが機体の構造上、格闘能力と旋回性に劣るため戦車級に取り付かれた際の対応が難しいという欠点があった。
 BETAに囲まれているこの場で減速すれば全滅は免れない。かといって高速で飛行しながら戦車級を処理できるほどこの機体は器用ではない。

 部隊の目的は核弾頭を装備したオリャズ4を目標攻撃距離まで護衛すること。ここではオリャズ2を切り捨てるのが正解だ。

『誰か起きて! ねえ、お願いだから! 起きて、私を助けてよ!』

「………………」

 ウィンドウの中で女が叫ぶが、後催眠暗示によって思考が平坦化されたオリャズ1は返事を返さない。

 その泣き顔を見てかろうじて浮かんでくるのは、そういえば昨日この女を抱いたのだったという薄い感慨だけ。

 筋肉質で硬いちっとも女らしくない体だった。
 それでも抱いたのは気まぐれだったのか、それとも実は愛していたのだろうか。それすら思い出せない。

『ああ、嫌よ嫌よ嫌よ! 私BETAに殺され――』

 オリャズ2はしばらくもがいていたが、戦車級に跳躍ユニットを齧られると小隊の速度に付いてこられなくなり、BETAの群れの中に取り残されてそして反応を消失させた。

『――やはり催眠状態では反応速度と戦闘判断が低下するな。BETA密集地帯では後催眠を解除せねばならんか……』

 CP将校はレポートでも読み上げるかのような無感動さでそう言った。

 三機となった小隊が進む。
 BETAの密度は中心部に近づけば近づくほど増していき、時々取りこぼした戦車級が飛びつく危うい場面も増えていく。

 その頻度がいよいよ無視できなくなり、オリャズ1が左腕を失った頃になってようやくCPは後催眠暗示の解除を決めた。

 先程の眠気を誘うような光とは打って変って今度はカメラのストロボのような眩しい光が網膜に放たれる。

 気だるい意識は強い刺激を与えられることで強制的に覚醒を促される。

 まるで二日酔いか、それより酷い頭痛を感じてオリャズ1が呻いた。

「……うっ……あ、……くそっ、」

 それまで引き伸ばされていた時間が元に戻り、急速に記憶が回復していく。
 BETA群への再突入、オリャズ2の戦死、そして自機の左腕喪失。

 オリャズ2の戦死を思い出し、それでも小隊の誰もが操縦桿から手を離さなかったのは衛士としての訓練故か。

 だが僅かな動きの鈍りを逃さず、小隊の懐へと要撃級が飛び込んだ。
 そして振りかぶったモース硬度15以上の前腕がオリャズ3の管制ユニットへと叩き込まれる。クリーンヒットを受けたオリャズ3のMiG-25はくの字に曲がって要撃級を抱え込んだままその場で動きを止めた。

「――ぁがっ!!? ぁああああああああーーっ!!」

「――オリャズ3ッ!? すぐに脱出しろ! 俺が回収してやる!」

『無駄だ。オリャズ3はすぐに死亡する。貴官は任務を遂行したまえ』

 振り返ろうとするオリャズ1の進路を遮るかのようにCPのウィンドウが表示される。

 間をおかずにオリャズ3の生命反応が消失――せめてもう少し早く後催眠が解除されていれば、こんなことにはならなかった。

「――畜生! 全部お前のせいだ! 殺してやる! いつか絶対にお前を殺してやる!」

『上官への脅迫か。まあいい。そんなに私を殺したければまずはお使いを済ませるんだな。ほら、もう少しだ。オリャズ4は先程からFCSの調子が悪い。オリャズ1、貴様が核弾頭のランチャーを保持しろ』

「クソッ!」

 ヤケクソになって、ひったくるようにオリャズ4のMiG-25からクゥラーク型核弾頭のランチャーを取り上げる。
 旋回と同時に背部兵装担架の突撃砲を作動させ周囲のBETAに無差別に撃ちまくった。

「――ぐっ」

 だがその旋回動作のGに体がついてこない。
 Gに対抗するために鍛えぬいた肉体が、まるで訓練兵だった時のようにことごとく自分の感覚を裏切っている。

 それに後催眠暗示を受けるまでの妙な高揚感。あれも普通の興奮剤の感覚ではない。
 おそらくは出撃前に振舞われたウォッカ、あの中に後催眠暗示をかけ易くするために中毒性の高い麻薬を含ませていたのだ。

 MiG-25の生還率は低いから、そうでもしなければ衛士達がまともに戦おうとするはずがない。MiG-25乗りは戦死しても計算どおり、仮に生きて帰ったとしてもその後は薬物中毒者として党から薬を貰うために従順にならざるをえない。

 つまりそれがスピオトフォズというコードネームの真実であった。

「――クソッタレ!! もう沢山だ! 俺達が苦しい思いをしなきゃならないのは……貴様らがいるからだっ!」

 オリャズ1は突撃砲の残弾を使い尽くす覚悟で前方のBETAへ36mm弾を放つ。
 集中射撃を受けて、目標地点までの僅かな距離に密集していたBETAは肉片へと変わり、その頭上を残り僅かな推進剤を燃やす2機のMiG-25が通り過ぎる。

 いや、内一機、オリャズ4の速度が徐々に落ちていく。

――機体には問題が無い・・・・・・・・・にも関わらず。

「――オリャズ4?」

『         』

「おい、どうし……――ッ!!」

『         』

 ウィンドウに映る虚無のようなオリャズ4の姿――メドゥーサの発症。
 オリャズ小隊――元大隊は既に34人が死亡している。

「――そうか……お前も限界か……俺達の大隊もいっぱい死んだもんな」

 速度の落ちた戦術機の末路は決まっている。
 飛びついてきた要撃級の前腕の一撃を受けたオリャズ4の機体から生命反応が消えた。

 これで残りは自分の機体のみ。周囲には溢れかえるほどのBETA。
 されど攻撃目標地点までの距離もあとわずかだ。

「――うぉおおおおおおおっ!!」

 一か八か、最後の推進剤を使ってMiG-25をBETAの上へ、衛士に取っての禁忌である空へと飛ばす。
 すぐさま向けられる光線級の視線。
 だがオリャズ1はレーザー照射が始まる前のきわどいタイミングを見切ってトリガーを絞り、ランチャーから核弾頭を解き放った。

 弾頭は初期照射の弱いレーザーを受けて僅かに表面を融解させたが、照準どおりの弾道で持ってピタリと指定された地点に着弾する。

――白く眩い閃光。

 そしてそれ以上の紅蓮の爆発。

 ヌークの熱線がBETAの群れを焼き溶かして赤熱した粘液に、そして黒い炭に変えていく。

「畜生……誰か頼むよ。もうこんな事は俺達で最後にしてくれ……」

 掠れる様なオリャズ1の声。

 BETAだけではない。
 核の爆発は太陽と見まごうような熱量を持って、己をここまで運んだオリャズ1のMiG-25をすら焼いていった。

 涙は目尻からこぼれる前に管制ユニットの隙間から漏れた光によって水蒸気へと変わり、そして――





――1255時 オリャズ小隊による核攻撃に成功。BETA群は予定通り進路を保ったままバイカル湖方面へ。オリャズ小隊、及びその他2個のMiG-25小隊からの生還者は無し。12名をKIAと認定




***同日 午後16時15分 シベリア軍管区 イルクーツク州 ツァーリ・ボンバ埋設地点50km圏内 ***





「A-01大隊、突撃にぃ移れェェーーーッ!!」

『『『ナッシュウラーーー!!』』』

 スピーカー越しにも鼓膜を突き破らんばかりのザンギエフの怒声に対抗するかのようにA-01の各中隊長が声を張り上げて突撃を開始する。

 設定された光線級目標は4地点33体。大隊を構成する3個中隊とザンギエフ直援の小隊はそれぞれ散開して一箇所ずつ攻略しなければならない。

 彼らがシベリアに来た頃なら成功など考えれない程厳しい任務であったが、A-01はこれまですでに幾度と無く激しい実戦とザンギエフの容赦ない訓練を受けてきた。
 各中隊はザンギエフ無しでも特務部隊の名に恥じない練度と鋼鉄の意志によってBETA群に食い込み、思う存分にその成果を振るうことができるはずだ。

 一方ザンギエフの小隊もソビエト最強という看板通りの威力でもってBETAに進撃していた。

「――イワン、ケン!」

「了解ッ!」

「……承知」

 ザンギエフの4丁の突撃砲が正面を切り開き、トルストイの支援が止めを刺し、モリの刀が小隊の懐を守る。
 そしてユーリーはと言えば――

「ユーリー、遅れているぞ! 孤立したいのか!?」

「すまねぇ! こっちはこれで精一杯だ!」

 怒鳴るトルストイにユーリーは眼も合わせずに答える。

 彼が世話しなく視線を向けるのは後部座席のリュドミラに取り付けられたバイタル計だ。
 一人のときはその卓越した対G能力と反応速度で持って超人的な機動操縦を行うユーリーだが、意識の無いリュドミラという荷物を背負ってではそれは難しい。
 もともと初速は遅いMiG-31《ブラミャーリサ》なので跳躍ユニットをちょっと吹かしたぐらいなら問題は無い。
 だが空中で急停止や格闘戦機動を行おうとすると、リュドミラを包む強化装備はすぐさま効果を失いGは彼女に直接害を及ぼす。

 だが動かないわけには行かない。
 BETAには正面攻撃の通じない相手が多い。突撃砲では回り込む事無しには突撃級は勿論、前腕で身を守った要撃級を倒すのも難しい。

「くっ……なら、バズーカでッ!」

 S-11に使われている炸薬を用いた強力な弾頭が密集していたBETAの中心で炸裂し、地面ごとまとめて吹き飛ばす。

 主腕の関節へ僅かにダメージ。だが一発で警告状態となったMiG-25 БMベーエム型だった時と比べればずいぶんマシだと言えた。

「ふぅ……コイツを持ってきて助かったぜ。これじゃカタナなんてとても扱えねぇ」
 
 強引に作った空間を利用して加速を得たMiG-31は、孤立しかけていた状態から再びザンギエフの小隊との合流に成功。

 再び四人が揃ったザンギエフの小隊は速度を増し、濃緑灰色の重金属雲の中へと突入した。

「エレメントで分かれる。イワンは俺と来い。ケン、お前たちは右から侵攻しろ。最奥の光線級を撃破した時点で北東方向に離脱だ!」

「「「了解」」」

 ザンギエフが命ずると四機の戦術機は光線級目掛け、すばやく二手に分かれた。

 重金属雲の中では遠くは見渡せない。電波も乱反射されるのでレーダーも役には立たない。
 ESP能力を持たない衛士の唯一の頼りは、戦術機のカメラが捉える狭い視界と突入前に更新されたデータリンクマップの敵性指標だけだ。

 だがどんな戦場でもザンギエフの行動は一つだけ。
 陸海宙、即ち全てのソビエト連邦軍を代表する軍人としてBETAを蹂躙し、破壊し、殲滅する事。

 いつもの高速機動戦闘でもって敵中を突き進むザンギエフと慣れた様子で援護を行うトルストイ。2機は分隊の戦果とは思えないほど圧倒的な速度でBETAを駆逐していくが、だが二人の表情にいつもの余裕はない。
 彼らの千にも上るBETAとの戦闘経験には分隊での敵中突破も含まれていたが、さすがに今回のような大群への突撃はザンギエフをもってしても厳しい。

 怒涛の如きBETAの襲撃はその殆どをミドヴィエチの凄まじい全方位射撃によって打ち倒されるが、リロードの合間や加速や着地の動作硬直時の僅かな時間には隙が生じるのは避けられない。
 飛びつこうとする戦車級はカバーに入るトルストイの援護によってほとんどは空中で血袋となるが、名手のトルストイとて自衛とザンギエフのサポートをこなし続けるのは至難の業であった。

 一瞬の隙をついて接近した4体の戦車級が頑健で堅牢であるミドヴィエチの装甲にいくつもの引っかき傷や凹みを刻む。
 戦車級はすぐさまチェーンソウ型CIWSによって切り払われるが、何度も蓄積されたダメージによってミドヴィエチは既に満身創痍の体であった。

「光線級を肉眼で確認!」

「――ッ!! イワン、ついてこられるか!?」

「もちろんです! このくらい、あの子供は家族を背負ってやってるんだ! 俺だってやってやりますよ!」

「よし、突撃するぞ! ウラァアアアーーー!!」

 そして破壊の嵐が解き放たれた。

 危険な要塞級と要撃級をザンギエフが押し留め、トルストイがその精妙な射撃で持って光線級を打ち倒す。

 一つ、また一つと光線級が撃破される様子に焦りを覚えたように2体の要塞級が溶解液の滴る衝角をミドヴィエチへと飛ばす。

「――甘いッ!」

 ミドヴィエチの両腕に取り付けられたモーターブレードでもって鞭のようにしなる衝角を切り飛ばした。

 溶解液によって煙を上げるCIWSをザンギエフは稼動させたまま要塞級へと投げ放つ。

「離脱するぞ!」

「はいっ!」

 目標を達成した二機は躊躇なく背を向けると、迫る要塞級を一顧だにせず合流ポイントへと向かう。

 重金属の雲を抜け、データリンク通信が復活。

 再び更新された戦域マップによれば今の攻撃で巨大BETA集団を守っていた光線級はほぼ全滅。
 無論、ここまで大変な消耗と損害を被ったが、全10万という規模の割には光線級の割合が少ないのが幸いだった。

 それから3分もしない内にユーリーとケンがザンギエフと合流し、そしてA-01の各中隊も合流を果たした。
 A-01は36機のうち5機が戻ってこなかったが中隊単位で光線級狩りを行ったにしては損失は少ないほうだろう。

「HQ《ヘッドクォーター》、こちらはA-01大隊レッドサイクロン1だ。光線級の排除に成功した。当該ポイントへの砲撃を開始してくれ」

『こちらHQ、了解した。制圧を開始する』

 もはや敵には遠距離攻撃能力も砲撃迎撃能力もない。

 後は戦車級と要撃級を食い止めつつ、砲撃を続けるだけでBETAを殲滅できるはずだ。ツァーリ・ボンバの出番など無い。

 後方の支援陣地から放たれた弾頭が空を切り裂いてBETAの頭上へと降り注ぐ。
 大口径の滑腔砲から放たれた砲弾は狙い過たずBETAの集団の中心で炸裂し、血肉を撒き散らすいつも通りの頼もしい威力を見せる。

 しかし――

「これだけ……なのか?」

 呆然とした様子でザンギエフが呟いた。トルストイや周囲のA-01も怪訝な顔をしている。

 本来なら大地を揺るがし、一斉に咲く数百の紅蓮の花火で持って大地を埋め尽くすBETAを平らげるはずの一斉砲撃。

 だがその威力は全く発揮されない。あり得ないほどその密度が薄い。
 ザンギエフの眼前にあるのは断続的に飛んでくる僅かな砲弾の爆発と、砲撃で空けられた穴を後続のBETAが更なる数で持って埋める光景。

 こんな調子では3万を越えるBETAの殲滅など到底不可能だ。

「――HQ! こちらへの砲撃が少なすぎるぞ! どうなっている!?」

『なんだと……? 少し待ってくれ。すぐに確認する』

 ビリビリと管制ユニットを振るわせるほどのザンギエフの怒声に、HQのオペレーターが慌てた様子でキーボードを操作する。
 ウィンドウの中のオペレーターが何かを見つけ苦虫を噛み潰したように顔をしかめ、そしてすぐにそれ以上の驚愕の表情へと変わった。

『何っ!? ……まさか、こんなことが!?』

「オペレーター、何があった? データを転送しろ」

『――あ、ああ……』

 顔面を蒼白にしながら、オペレーターは集めたデータをミドヴィエチへと送る。

 データの内容は戦場の砲撃陣地から届いた備蓄弾薬類の現状報告。
 表題だけならば何も問題が無いように見えたが、網膜投射に表示された内容は、これまで戦場で様々な不測を目の当たりにしてきたザンギエフですら眼を剥くような記載があった。

「――ありえんッ!! 戦域に展開する30以上の砲兵部隊から弾薬類の紛失報告だとっ!? これだけの量が、何故今になるまでわからなかった!!」

 報告に上った紛失弾薬の総量は作戦開始時の37%近くを占める。
 備蓄容量の30%を占めるAL弾は無事。だがそれはつまり制圧砲撃に必要な炸裂弾の弾頭の2分の1以上が無くなっている計算だ。

 報告には各所の担当者や部隊長からの苦しい言い訳とともに誰もが一つの結論、――これ以上の支援砲撃が不可能な事と早急な補給の要請で締めくくられている。

「HQ! すぐに兵站課に弾薬の再配分を――むっ? なんだ?」

 指示を飛ばそうとしたザンギエフに今度は大隊の部下ともHQとも違う回線から通信が繋がる。
 それはこの機体に設置された中央政治局の直通回線であり、事前に仕込んでおいた彼の特別な情報源からの緊急の情報であった。

「住民避難の遅延に伴うルートの変更……? ――――ッ!! 戦域北部を突っ切って迂回だと!? 馬鹿なッ、何を考えている!! 今から10万2千人の非戦闘員をツァーリ・ボンバの有効範囲に入れる気か!」

 想像を絶する事態の連続に狼狽するザンギエフ。そそり立つモヒカンの下の額を冷や汗が伝う。

 あり得ないことがいくつも起こっている。
 ツァーリ・ボンバの埋設、膨大な弾薬の紛失、そして避難住民の不自然なルート変更。

「一体、この戦場で何が起こっているのだ……!!」

 どれもが情報不足で全容は全く見えない。
 が、想像くらいはつく。

 これらは偶然ではない。
 誰かの意図が――悪意がこの全ての事態を引き起こし破滅へと導いている。








――16時52分 ソビエト連邦国防省及び国防委員会はツァーリ・ボンバの起爆を決定。カウントダウンを開始。


 雷帝はその封印を解かれ、シベリアの戦場にいる無数の命を飲み込まんとしていた。






******

 お待たせしました。長いよね、ごめんね。
 今回の最初のパートですが今後の改稿で前話につけると思います。
 次回でいよいよレッドサイクロン編のクライマックス。……多分
 せっかくなのでちょっとGX風の次回の予告つけてみる。


 黄昏に沈む戦場へ、ついにツァーリ・ボンバの起爆が宣告された。
 刻々と進むカウントダウン。人々の恐怖と絶望を目の当たりにしたユーリーは一つの決断を下す。


 ~Muv-Luv:RedCyclone~ 第17話


 リュドミラ「あなたに、力を……」









[32864] 17、「あなたに、力を……」
Name: 大蒜◆9914af20 ID:86f1a2a8
Date: 2013/01/15 00:46
17、「あなたに、力を……」~Muv-Luv:RedCyclone~



――ひとつの未来の話をしよう

 その世界にはユーリー・アドニー・ビャーチェノワがいない。
 その世界では彼の不在によってリュドミラはただアジンとだけ名付けられ、イズベルガは陸上戦艦を作る事もなければ戦術機開発にも関与もしない。
 この世界のようにП3計画が前倒しされる事も無いし、MiG-31とF-14Dの選定がシベリアで行われる事も無い。

 だが大筋の推移は同じだ。

 ザンギエフはオルタネイティヴ計画を成功させるべく二年間シベリアでBETAと戦いながらA-01を鍛える。
 彼はソ連の英雄としてBETAの侵攻を食い止め続けながら、8月18日――今日この日まで友軍と市民を守るために奮闘するが、努力虚しくツァーリ・ボンバは起動し、ザンギエフやその副官は黒幕の思惑通りに戦術機の中で息絶える。
 ソビエト連邦政府は彼の死を悼みながらも、稼ぎ出された時間によって極東軍管区の戦力を整え白銀武が選択したオルタネイティヴ計画が発動されるその時まで、BETAとの希望の無い戦いを続ける。

 それは決定された未来。
 MiG-31の開発が進んでも、それによって前線の損害が多少減っても変わらない。
 今日までのイーニァやクリスカの参戦も、陸上戦艦の完成も結果に影響しない。

 ツァーリ・ボンバは爆発し、レッドサイクロンは多くの命と共に死ぬ。
 1989年8月18日 この日のシベリアに起こる運命と呼ばれる未来だ。


***1989年 8月18日 午後17時18分 シベリア軍管区 ж―2臨時設営補給所***

 ツァーリ・ボンバの起爆が通告され、戦線はにわかに崩れ始めた。

 元より万全の状態で持って初めて相手取れる物量のBETA群。
 弾薬不足に陥り支援砲撃の激減した状態で撤退を命令された事によって、戦術機甲部隊はまるで淡雪が溶けるようにその数を減らしていく。

 慌てたHQが撤退行動の中止を命じたのと弾薬の再分配によって支援砲撃が復活した事によって戦線を留めることができたが、それも少ない弾薬が続く間だけの一時的な安息であった。

「つまり大佐、住民の避難ルートの変更は道路の泥濘化《でいねいか》のせいだと言うですか? 600億ルーブルもかけた軍用道路が、たった数日の雨で?」

 管制ユニットの中で信じられないといった様子のトルストイ大尉が言った。

 現在、彼らA-01とレッドサイクロン大隊は戦域から離れた臨時の設営キャンプで補給と修理を受けている。
 重大な機密情報を得たザンギエフは、補給の間の僅かな時間を使ってトルストイ大尉に意見を求めていた。

「そうだ。避難経ルートは今日まで続く雨で泥の海となっている。恐らく実際は道路など作ってすらいないのだろう。加えて有事の際のシベリア住民の脱出計画は7年以上前から準備されているはずだが、移動用の車両どころか備蓄してるはずのガソリン燃料すら不足している」

「それならルート変更は止むを得ませんが……新ルートの発案者は誰なのでしょうか? ここに書いてあるだけでも避難時の指揮系統に関わっているのは民生省に内務省、政治局、シベリア軍管区。これでは避難活動がまともに機能するとは思えません」

「だが実際にはそれらしく機能している。誰かが糸を引いているのだ。そしてその人物は弾薬や道路建築費の消失にも関わっている」

「しかし、あまりに金額が大きすぎます! 赤軍時代ならまだしも、内部監視の強化された今の最前線でこれほどの汚職が蔓延るなど考えられません」

 データの分析をしながらもトルストイの顔が引きつっている。

 それも仕方ないだろう。
 正確な数字は不明だが、今閲覧できるデータの範囲だけで消失した物資の総額はソビエト連邦の今年の国家予算の4%を越えている。

「……確かに。これほどの金額、まだ煙のように消えたと言われた方が納得がいく」

 建材のような太さの腕を組んでデータ表示を睨みつけるザンギエフ。
 格闘であれば全てを巻き込み粉砕する彼の両腕も、戦場にいない相手を捉えるのは不可能だ。

 だがザンギエフは腕力だけの男ではない。
 彼はひとしきりデータに眼を通すと、眼に入れた事実を脳裏に浮かぶ全ての記憶と照合。

「――イワン、二年前にKGBが逮捕した政治局長官を覚えているか?」

「あのせっせと裏金を溜め込んでいた男ですか? 確か資金の出所を調べきる前に病死したと――あっ!」

「そうだ、おそらくはあの男が黒幕と繋がっていた。甘い蜜を与えられる代わりに何十年にも渡り道路の建設費、避難計画費、弾薬費、燃料費――全ての横領への追求を抑え、このシベリアを守る力が食い物にされるのを見逃していたのだ」

「ではまさか今回のツァーリ・ボンバも……!?」

「BETAを倒す為に用意したのではない。証拠隠滅と口封じ――防衛計画自体が最初からBETA殲滅ではなくそれらを狙って用意された物だ。となれば埋設地点も怪しい……」

「――――ッ!! まさか、この国はここまで……………」

――二度目の世界大戦、米国との冷戦、そしてBETAの来訪による大敗。

 世界初の共産主義国家として誕生したソビエト連邦は幾度も存亡に関わる危難に会ってきたが、その全てを乗り越えてきた。
 それはロシアという国の強大な軍事力による所が大きいが、その軍事力を民が支え続けてきたのはこの国が目指した平等と公正な国を作るというこの国の言葉を信じていたからだ。

 一度の過ちは仕方ない。
 まだ未熟であった国政のシステムは個人の権力を極限まで膨れあがらせ、党書記となった一人の狂人によってソビエト連邦は相互監視と粛清の嵐を伴う恐怖の時代を形作った。

 二度目の過ちも許そう。
 隣国に飛来した宇宙生命体の航宙船。
 未知の科学技術の獲得という欲に駆られたこの国の上層部は、それを独占するために安保理の合同軍の派遣に対し拒否権を乱発しそして今日に至る人類存亡の危機を招いた。

 三度目の過ち――中央防衛教育法。
 ロシアを、ロシアの国土とそこに住まぬロシア人を守るために少数民族を犠牲にするという不平等の体現。
 それはこれまで国家のために死んでいった全ての人間、戦場で銃火に斃れた兵士、革命や粛清の犠牲になった政治家、そして搾取で餓死した市民達全てに対する裏切りである。
 民衆の中で心から共産党に忠誠を誓っていたものは少ないだろう。だが、その心にあったはずの一片の期待すらこの国はまたしても裏切った。

――そして目前のツァーリ・ボンバ。

 4度目が示すのはソビエト連邦という国家の退化だ。
 理想を掲げ、労働者を開放した67年前。
 いくつもの困難と闘い続け、犠牲を払って乗り越えてきたにも関わらず、この国は我欲を貪るままだったロシア帝国の焼き写しのようになっている。

 通信スピーカーから聞こえる悲鳴が、あるいは慟哭に満ちた声はこの国のイデオロギーを信じて戦い続けてきたザンギエフを責めたてているように聞こえた。

 だが負けるわけには行かない。こんな未来を認めるわけにはいかない。

「まだだ、イワン! まだ終わったわけではない!」

 ザンギエフには起爆の中止を党に進言できるほどの証拠は無い。
 だが祖国のために戦う兵達をこのまま無駄死にさせ、死後に汚名を着せる事だけは絶対に許せない。

 例えツァーリ・ボンバの使用が国防会議の決定だとしても、起爆する前に目前のBETAを撃退すれば作戦を中止せざるをえないはずだ。

「HQ《ヘッドクォーター》、聞こえるか! なんとしてもツァーリ・ボンバを使わせてはならん! 攻撃だ! 炎のごとく攻めよアターカ ヴズルィフ!! ここでBETAを食い止めなければ我々は何もかもを失うぞ!」




***同日 午後17時48分 シベリア軍管区 ツァーリ・ボンバ埋設予定地点40km***

――ツァーリ・ボンバ起爆45分前

『こちらHQ、全軍は直ちに目標地点まで進軍せよ。繰り返す、全軍は進軍を開始せよ』

 ザンギエフの命令を受けた司令部の決断は意外にも早かった。

 彼の言葉を裏付けるものは無い。だというのに、勝手に党の命令を覆して攻撃を指示している。

 階級上位者である将官がザンギエフの命令を受け入れる理由など無く、相手がただの左官であればHQは即座に戦場での反逆罪として死刑を命令していただろう。

 だが相手はあのレッドサイクロン。
 念を入れて調査してみればツァーリ・ボンバの埋設に関わった部隊とは連絡が取れず、本国から来ていた中央戦略軍団も戦域から消えている。
 これで状況は限りなく黒であることが明らかになった。加えて将官たちの中に口封じをされる心当たりがあるとなっては是非も無い。

 かくしてザンギエフの命令を追認する通告が発され、一時の休息を得ていた戦場は再び地獄へと塗り換わった。

 補給と修理を終え急造の補給基地を飛び立つ戦術機の群れが匍匐飛行で再びBETAの方へと向かう。

 外骨格を纏った装甲歩兵や、武装ジープに乗せられた機械化歩兵部隊が彼らに続いて大地を走る。

 だが此度血を流すのは衛士や歩兵ばかりではない。

『なんで俺達が歩兵の真似事なんかを……』

『おい、無駄口なんか……――ッ!! うわあああああああっ!!』

『隊長!? ――ひっ! な、なんでこんな所に要撃級がっ!?』

 BETAを殲滅するなら砲兵の支援は必須。
 だが空腹の砲兵陣地には弾薬を大量に消費する面制圧の余裕など無い。ならばどうするのか。

 答えは一つ。

 砲兵の中でも射程の短い迫撃砲部隊や戦車部隊は陣地を捨て、BETAの密集する中央部を射程に収めるまで接近するしかない。
 そして前へと出れば、当然危険も倍加するのが常である。

『戦線を要撃級が突破! 機械化歩兵部隊が損害を受けています!』

『第366砲兵大隊の通信が途絶!』

『まだか……砲撃はまだ再開できないのか!?』

 そこは死が支配する場所だった。
 BETAを滅ぼすために、戦士の命が流れ星の如く燃えて灰となる戦場。

 彼らが士気を維持できるのはソ連最大の英雄ミハイル・ザンギエフが先頭に立っているからに他ならない。
 赤きサイクロンの存在はソ連の勇敢な兵士に更なる力を与えるのだ。

 だが勇敢ではない、臆病な兵達はどうなるのか?

『助けてっ! 助けて、姉ちゃん、兄《あん》ちゃん!!』

『ひぃぃぃぃっ、寄るな! こっちに来るな! 戦術機は何やってんだ!』

 MiG-31AN3《ブラミャーリサ》が受信する開放回線《オープンチャンネル》を通じて、何十人もの兵士の断末魔が流される。

 通常なら全受信ではなくある程度遮断されるはずの末期の声を、ユーリーはあえてフィルターを切って全開放する事で全ての兵の断末魔聞き届けていた。

「――大佐、HQ《ヘッドクォーター》から通信! ツァーリ・ボンバの埋設地点が判明しました! 予定されていた地点から60キロ以上北のポイント……避難民と我々を含む右翼に展開中の軍団を完全に威力範囲に収めています!」

「――北だとっ!? BETAはどうなっている!?」

「威力範囲内のBETAは……全体の約半分です!」

 トルストイとザンギエフの怒号から読み取れる黒幕の意図――ツァーリ・ボンバにより戦線を崩壊させ、残ったBETAによってシベリア軍管区の兵力を全て抹消する。
 後陣の極東軍管区の部隊はその後に生き残った横領の関係者と半減したBETAを処理する。
 そのための二段構えの防衛線、そして共同作戦だった。

「イワン、この情報を国防会議に送って起爆の中止を進言しろ! 私の名前を使っても構わん!」

「駄目です、大佐。HQがもうやりました。国防会議は"調査によって事実が確認でき次第対応する"と……」

「――ッ!! おのれ、おのれぇっ! 敵は国防会議にまで手を伸ばしているのか!!」

 額に血管を浮かべながらザンギエフは己の膝に拳を叩きつける。

「ザンギエフのおっさん! このままでいいのかよ!?」

「攻めるしかあるまい……! ここで兵達をツァーリ・ボンバの殺傷範囲から逃しても逃亡罪が適用される。わが身可愛さにここまでの事をやってのける輩だ。狙った一人の口封じのために必ず全てを殺すだろう」

 ザンギエフの胸にあるのは決意。
 英雄の責任として兵達のために、たった一片の可能性でしかない肉薄砲撃を成功させるという並々ならぬ決意だ。

 疲弊してボロボロの戦術機甲部隊、弾薬不足の砲兵隊に士気の上がらない歩兵達という状況でも、彼らに生きる意志がある限りザンギエフは消して諦めない。

「――行くぞ、衛士達よ! 前進せよ、前進せよ! ここで命を燃やせ!」

「「「「ウラー!」」」」

 ザンギエフを頂点とした半円形の陣形を敷いたA-01を中心とする戦術機甲部隊は、砲を一門でも多く届けるためにBETAの猛攻を凌ぎつつ、陣形全体を前進させていく。

「いいか、戦車は移動のために無防備になっている! 要撃級は勿論、小型種も一匹たりとも通すな!」

 今この戦場に残る戦術機は僅か160機程。
 つい数日前までなら4個連隊を編成可能だった彼らは今や36軍や41軍、連隊や大隊を区別なく纏めなければ戦力にならないほど乏しい。

 だが臨時に作った半円型の戦線は防衛可能面積を大幅に縮小させる代わりに集中した弾幕が効率的にBETAの侵攻を食い止める。

「ケン! 2時方向だ!」

「……了解」

 ザンギエフの右前方から近づいてきた戦車級の赤い群れを、モリ大尉の直率するMiG-27《アリゲートル》の小隊が近接兵装を抜き放って斬り抜ける。
 MiG-27が振り回す巨大なハイパーカーボンの刃物は次々と戦車級を捉え、飛沫しぶいた体液が跳躍ユニットのジェット気流によって撒き散らされて辺りを更に赤く染め上げた。

「――いくぞ、小僧!」

「了解!」

 彼らの騎兵突撃キャバリーチャージの如き苛烈な攻撃の後に生まれたBETAのいない僅かな空間。

 そこへMiG/Su-01《ミドヴィエチ》とMiG-31 AN3《ブラミャーリサ ロークサヴァー》、2機の戦術機が滑り込む。

「「うぉおおおおお!!」」

 すかさず飛び込んだ戦術機から伸ばした主腕と副腕でもって振るわれる36mmと120mm弾の嵐。
 お互いの重量を反動を抑えるスタビライザーとして、まばゆいマズルフラッシュが背中合わせになったMiG-31 AN3とミドヴィエチを照らす。

 二機が惜しみなく放った劣化ウラン弾とキャニスター弾のウランりゅうのシャワーは落雷のようにその腕を伸ばし、周辺に圧力を加えていたBETAを駆逐した。


――ツァーリ・ボンバ起爆まであと35分

「データリンク更新! 戦況はッ!?」

 頬に張り付く髪を振り払ってユーリーは最新の情報に切り替わった戦域マップを睨みつける。

(俺達のいる中央はまだ余裕がある、けどそれ以外の両翼の戦術機の消耗が激しい……)

 戦線は相変わらず壊滅するか、持ちこたえるかのギリギリの線にある。

 だが戦域マップを見れば戦車部隊は既に予定地点に集結、迫撃砲を乗せた車両群もたった今到着した。
 予定より早い展開のお陰で陸上戦艦は間に合わなかったが、この火力であれば今のままでも十分制圧できるはずだ。

 あと少し。もう少しだけ耐えればこの地獄を乗り越えられる。
 耳に入る断末魔を振り切ってユーリーはCPに通信をつなげた。 

「CP《コマンドポスト》、砲の展開状況を教えてくれ!」

『もう少し……いえ、すぐに完了させます!』

 CPの宣告どおり、砲兵達は1分足らずでトラックに積まれたMLRSや迫撃砲を積み下ろし、所定の位置に設置を終える。
 墓石のように等間隔で地面に突き立てられ重砲や軽迫撃砲はすぐさま装填され、その方向を天へと向けられた。

『全体、砲撃開始ぃッ!!』

 200を越える迫撃砲の砲火が天へと伸び上がり、そしてその頂点に達した瞬間、BETAの最も密集する位置に向けて降下し始める。
 戦車砲も曲線こそ違えど戦術機の頭上を乗り越えるようにして目標へと向かう。

 地平線の彼方で周囲を真空化させる程の大爆発。

『やった! やったぞ!』

『ざまあみろ宇宙人め!』

『このまま撃ち続けろ! 俺達は生き残るんだ!』

 開放回線が賑やかな歓声に満たされ、戦場に歓喜の色が浮かぶ。

――しかし

『戦果を確認中……待ってくださいッ! べ、BETA集団に変化無し! 繰り返す、BETA集団に変化無し! これは……』

 CPがその驚愕の理由を確認する間もなく、第一波を追って放たれた第二波の榴弾が、今度はBETA群に届く遥か手前で紅蓮に爆発する。

 その直前に見えた数条の光の柱――人類にとっての災厄、光線級による砲弾迎撃だ。

『れ、光線級!? まだ残りがいたのか!?』

『照射警告っ!!』

 砲弾を迎撃したレーザーは今度は残した余力を持って遮蔽物を持たない前線の戦術機へと襲い掛かる。

 それまで要撃級や戦車級ばかりを気にしていた彼らがそんな攻撃に反応できるはずも無く、一瞬で三体の戦術機が赤熱した鉄屑と化した。

『HQ! すぐに重金属雲を……AL弾を頼む!』

『こちら、ライノ10! レーザーに隊長がやられた!』

 思いがけない反撃を受けた衛士達は組織的な戦術をとる事もできないまま、これまでの奮戦が嘘のように撃墜されていく。

 光線級の位置はほぼ一箇所――つまり彼らはたった今"出現"したということだ。

『増援……いや、光線属を一度に殲滅されないために地下に温存していたとでも言うのかッ! 馬鹿な!』

 戦略的には愚策だといっていい。
 いくら光線属の防護のためとはいえ、そのために速度を落としルートを限定してはせっかくの大軍も殆どが遊軍となってしまう。加えて防御の要である光線属も小出しにされてはBETA群の全てを守りきることは出来なかったはずだ。

 弾薬さえ十分であれば、あるいはツァーリ・ボンバの設置場所さえマトモであれば問題にならなかったBETAの行動。
 それが人類の仲間割れと噛み合いシベリア軍管区をここまで追い詰めている。

 その場に留まる者、勝手に逃走する者、混乱し敵集団へ突撃する者、戦場はかつてない混乱に陥っていた。

「おっさん! トルストイ大尉、モリ大尉! 俺達でもう一度突っ込んで光線級を排除しよう!」

 A-01との共同回線でユーリーが呼びかけるが、他の三人の顔色は暗い。

「無駄だ。光線級を守るBETAが多すぎる。帰りを考えなくても推進剤が足りない。せめて外縁部の敵だけでも排除できれば――」

 忸怩たる想いで光線級が表示される戦域マップを睨みつけるザンギエフ。

「そんな……チクショウッ!」

(わかってる。もう退くしかない――でも、こんな結末で本当にいいのか? もっと守れるんじゃないか? 俺がもっとうまく立ち回って……――くそッ! こんな時に何考えてんだ! リューを守りながら戦域をカバーできるわけないだろ! どっちが大事かなんて……大事なんて……)

 開放回線《オープンチャンネル》では相変わらず飛び交う絶叫が、多くの死を伝える。
 絶叫だけではない。
 MiG-31に施されたAN3装備は人工ESP発現体の持つリーディング能力を飛躍的に増幅させることができる。
 その力を使えば末期の声を出さない死――メドゥーサを捉えることもできた。

「            」
「            」
「            」

 恐る恐る視線を向ければ、脳裏に現れるいくつもの虚無の顔達――クラーラの最後と全く同じ絶望の色。

 衛士、戦車兵、歩兵を問わずに五、十と表示されるウィンドゥは瞬く間にその数を増やし、そして即座にBETAに食われて消えていく。

 断末魔も残せず、生きた証すら霧散するような死に様にクラーラが死んだ時の心を砕かれるような痛みを思い出した。

(今が……今が決断の時だってのか――!)

 クラーラのあの赤い死に様が記憶に蘇り、彼の懊悩を更に深くさせる。

――なりたいのは特別な人間か、それとも普通の兵士か

――欲しいのはザンギエフのような英雄の力か、ただ涙を流すしかない無力か

――救いたいのは半身であるリュドミラか、名も知らぬ他人か

「俺は……俺は……」

 自分が選ぶべき選択肢は――

「――くそっ! やっぱり駄目だ! こんなのは絶対駄目なんだ!」

「おい、ビャーチェノワ准尉! どこへ行く!?」

 A-01衛士の制止も振り切ってMiG-31 AN3《ロークサヴァー》を旋回させたユーリーは棒立ちのまま動かないMiG-21《バラライカ》の方へと向かった。

 生きる気力を失った兵士。なんとか持ち直してもらうにはどうすればいいのか。

「なあアンタ! またステーキを食いたくないか? 俺、食糧班の奴らが牛肉を隠してる冷凍庫を知ってるんだ。基地に戻ったら俺がくすねて来てやるからさ。だから――」

[照射警告]

 友軍への照射警告が鳴り響いた瞬間、MiG-21の装甲の上をレーザー光が走り、機体の管制ユニットは紅蓮の溶鉱炉となる。

「――ッ!! くそっ!」

 言葉にならない感情を飲み込み、ユーリーはすぐさまマップに映る戦車師団の発症者の方へと向かう。

「おい、もうちょっとだけ頑張ろうぜ! ここにはあのレッドサイクロンがいるんだ! すぐ逆転できる! 俺達はまだやれるって!」

「         」

―――ギィィィィ!!

 要撃級か、戦車級に取り付かれたのか。今度は友軍の姿が見える前に鉄がひしゃげる音がしてマーカーが消える。

「こっちへこい! こっちなら安全……」

「         」

 通信途絶。まともに声すらかけられなかった。

「チクショウッ! 次は……――――ッ!!?」

 次の反応に向かおうとしてマップを覗いたユーリーは愕然とした。

「         」

 メドゥーサの反応が消えたのではない。

「         」「         」
「         」「         」
「         」「         」
「         」「         」

 増えている、続々と増えているのだ。

 党からの切り捨て、2度の作戦失敗、加えて長時間の戦闘によって蓄積した疲労。

 その全てがこれまで仲間の死に耐えながら激戦を戦い抜いてきた被支配民族の兵士達の心を完膚なきまでに叩き折る。

 もはや個人の力でどうにかなる数ではない。

「……く、くそぉ……チキショウ……チキショウ、チキショウ! なんでだ! なんで俺は誰も救えない!」

 目じりをこぼれる熱い物を流れるに任せ、彼は叫ぶ。

 リュドミラを守ると決めながら、彼らに手を伸ばしたにも関わらずやはり自分は何も出来ない。死んでいった者とこれから死に行く者のために、自分は何もしてやれない。

「ジャミルも、リューもクラーラもっ! どいつもこいつも皆、俺の力じゃたった一人も助けられないのか……!」

 慟哭に答える声は無い。

 ザンギエフもモリもトルストイも必死だ。
 あと数分で崩壊する戦線。自らもそこから離脱できる位置を目指しつつ撤退できる友軍を可能な限り拾い上げる。
 ユーリーのように戦意を失い死に向かう者を救おうなどと到底考えられるはずが無い。

 そんな中で





――泣かないで   





 声が聞こえた。

 回線の故障かと思ったユーリーはラジオを確認するが、通信が入った様子は無い。

「……?」

 幻覚か、それとも雑音か。
 
 わからないまま、しかしある予感がよぎって――

「……ユー、リー……泣かないで、ね?」

 今度ははっきり聞こえた。

 優しげな、鈴を転がしたような声。

 恐る恐る首を向ける。

 忘れようも無い。
 この二年間何度も夢で聞いた声――

「――ッ!! リュー!? 眼が覚めたのか!?」

「うん……」

「あ……ああ! リュー、リューなんだよな!?」

 振り向いた彼の眼に映ったリュドミラには二年間の昏睡の後遺症の様子などまるで見えない。

 少し寝すぎたとでも言いそうな彼女の姿を見て、安堵と共に胸の底からずっと堪えてきた慙愧の念がこみ上げてきた。

「ごめん、ごめんよ! 巻き込んじまって、俺ずっとお前に謝りたくて……」

「うん……いいの、いいんだよ」

 振り向いたユーリーを受け止める様に、後部席から回されたリュドミラの両手が彼を抱きしめる。
 細い腕が、体温が、サラサラと顔をくすぐる長い髪がこれが夢ではなくまぎれも無い現実だと教えてくれる。

「わかってる。私全部知ってるよ、ユーリーが辛かったこと、一生懸命頑張ってくれていたこと。私達はずっと一緒だったんだもん」

「リュー……」

 二年ぶりの再会に、ユーリーは一層激しく涙を流す。
 リュドミラは子供をあやす母親の様に彼の背を撫でている。
 だがふとその手が止まり、前方に向けられた。

「――だから私よりも、今はあの人達を助けてあげて」

「――ッ!!」

 リュドミラの細い指と真摯な眼差しが差す架空の画面。
 何をしても救えず、しかし未だに増え続けるメドゥーサに囚われた兵士達が映っている。

「そんな……! 無理だ、駄目だったんだよ! お、俺だってなんとかしてぇ! なんとかしてやりてえよ! でも……」

 ごめん、と心中で死に行く者達に詫びるユーリー。

「違うよ」

 その弱気を責めるようにリュドミラは強く首を横に振った。

「あなたならできる。……ううん、あなたにしかできないの。嘘やザンギエフさんの真似じゃ絶望に囚われた心には響かない。あの人たちが欲しいのはそんな物じゃないの。だから本当の気持ちを、自分の言葉で伝えてあげて。助けたいっていう、あなたの気持ちを諦めないで」

 リュドミラはその深海の瞳に並々ならぬ決意を見せて、彼に道を指し示す。

「――俺の言葉? 気持ち?」

「そう。今度は大丈夫。一人じゃできない事も二人ならきっとできる。あなたに欠けている力は私が補うわ」

 スッとリュドミラの双眸が細められる。
 同時に複座の管制ユニット内部に不思議な空気の流れが起こり始めた。

「ユーリー、あなたに――」

 "力"を含んだリュドミラの声がユーリーに何かを教えようとしている。
 彼女の強い意志。現在を変え、未来を創り出すために何が必要なのか。

 それは一つの答え。
 ユーリーが二度の生で探し続けてきた、本当に特別な答えだ。

 AN3装備に属する電子機器が明滅を始め、反射する光がさわさわと揺れるリュドミラの銀色の髪を不思議な色合いに染めていく。

「――あなたに、力を……!!」


***同日 午後18時13分 シベリア軍管区 ツァーリ・ボンバ埋設予定地点22km***

――ツァーリ・ボンバ起爆20分前


『聞いてくれ!』

 崩壊寸前の戦線に少年の声が響き渡った。

『皆、仲間を失って辛いんだよな? ずっと大事にして、これからも一緒に暮らすはずだった家族を失って辛いんだよな?』

 HQ《ヘッドクォーター》の許可を取らない全軍への通話――当然、軍法会議ものである。
 だがHQはその声を止めない。

 いや、無線もスピーカーも介さない謎の交信を止める事など、誰にもできるはずがない。

『俺には家族に死なれて一人になる苦しさはわからない! でも、戦って死んでいった奴らがどんな想いを残して逝ったのかはわかるよ――知ってるんだ!』

「これは――」

 リュドミラが目覚めてユーリーが叫ぶ様子が映るウィンドウを、ザンギエフは眼を見開いて見ていた。

 この声は、この子供の言葉はいつかアラスカで聞いた未熟でわがままだった言葉とは違う。

「プロジェクションだというのか? しかし――」

 子供の声には真に迫った重さがあった。
 多くの兵を預かる歴戦の将帥や国家の命運を握る政界の重鎮のように、命を背負った者の重みがこの声にはある。

 成長、と言えばいいのか。
 しかしたかが二人の子供。
 それが呼びかけただけでこうも強い力を感じる事があるのだろうか。

「――大佐っ! 火災です! MiG-31《ブラミャーリサ》から炎が!」

 トルストイが切羽詰った様子で叫ぶ。

「炎だと……いや、なんだアレは?」

 彼らの眼に飛び込んできたのは緑色の光。モニターに映るMiG-31 AN3《ロークサヴァー》が管制ユニットから見たことも無い緑色の光を放っている。

 明らかにガスやレアメタルによる炎色反応ではない。幻覚でもない。
 そしてタルキートナにおいて人工ESP発現体達が観測した光とも違う。

――この光は確かに存在する物理現象の形を持って顕現している。

『あいつらは……俺達は仲間にこんな風になって欲しくて戦ったんじゃない!』

 光はまるで心臓の鼓動のように脈打ち、収縮を繰り返す度に徐々に大きさを増していく。

 不思議なエネルギーに焼かれる機体は搭乗者の声に答えて唸りを上げ、限界以上の放電出力でもって体中に備え付けられたセンサー類をフルに稼働させていた。

「これは……間接思考制御システムが暴走を起こしているのか?」

 装着者の意思を統計的に数値化し戦術機や強化外骨格の予備動作に反映させるという間接思考制御システム。その中でもヘッドセットと強化装備で観測された脳波の数値が異常だった。
 人間の出せる数値ではない。まるで嵐のような波形がシステムに入力され、データに変換されている。
 これが通常の戦術機ならそもそもデータを受け付けないか、機材が故障《ショート》するのが当然だだろう。

 だが今のAN3の解析機材は仕様に無いその入力を処理し、この未知の現象を引き起こしている。

 管制ユニットを包む程度だった光は今や戦術機全体を包み、周囲を侵す夜の闇さえ遮って辺りを緑色に照らしていた。

『――俺達が生きられなかった未来を代わりに進んで欲しいって! もし、それも出来ないのなら、せめて死ぬまで精一杯生きて欲しいって!』

 だが、それだけではない。

 あの光を見ていると疲労で震える四肢に力が蘇る。

 あの光に触れると諦念と絶望でからっぽになりつつあった心に何かが湧き上がってくるような感覚がある。

『――そう思いながら俺達は逝ったんだ! だから――』

 不思議な言葉だ。
 この子供はまるで一度死んだことがあるかのように物を言う。
 だが嘘をついているとは思えない。

 ザンギエフは思う。強く思う。

 あそこにはただの光線にはありえない、人の深部に作用する何かがある。

 そしてそれこそが、あの日タルキートナで出合った子供から自らが見出した希望だ。

 人類に必要なのはグレイの新型爆弾でも、党政府が思い描いているような超能力者による軍隊でもない。

 今ここにある光を誰もが胸に抱けるようになれば――

『――だから、負けるなっ!』

 乗り手の声に答えるかのように光は倍々に力強さを増す。

 鼓動のように収縮する光が今、更に密度を増して――



――″みんな、負けるな!!″



 絶望のシベリアに、二度目の太陽が昇った。




***午後18時10分 ソ連領シベリア軍管区 高度1万9000 再突入駆逐艦アレクサンドル・コジェーヴ 艦内***

 
(ツァーリ・ボンバの起爆が通達されてから既に一時間半……作戦はどうなっている)

 ベルトを装着した体を簡素な座席に預けながら、クリスカ・ビャーチェノワは駆逐艦の窓を覗いた。
 窓はつい先程まで荒廃したシベリアの大地を写していたが、超高高度に移行した今は僅かに月明かりを反射する雲の海と、太陽光の偏差が少ない故に夜空のような黒い空しか見えない。

(いや、上手くいっていないのだろうな。地上に嫌な色が見える)

 作戦の第2フェイズまでは順調だったはずだ。だがそれ以降の情報を知る術が無い。
 ロゴフスキー少佐が持つ高級将校用のデータ端末を覗ければ話は別だが、一介の少尉にそんな事ができるはずもない。 

(このまま着陸まで5時間。それまでじっとしているしかないのか)

 クリスカは桜色の唇からため息を零しながら、それでも外を見ることをやめない。
 参戦することは叶わなくても、せめて同志の奮戦を見届けることがソビエト軍人としての義務である。と彼女は考えていた。

「ユーリーがきになるの、クリスカ?」

「……いいえ、防衛作戦の成否が気になっているだけよ」

 4列ある駆逐艦の座席、その隣に座るイーニァからの無邪気な質問キラーパスにクリスカの体は一瞬だけ強張った。

 その硬直を誤魔化すように自分の前に置いておいた軽食のビスケットを差し出す。
 イーニァはクリスカの意図に気付いた様子も無く笑顔でそれを口に含んだ。

「ふふふ、おいしい」

 イーニァはこの駆逐艦に乗ってからとても機嫌が良い。
 あれだけ気に入っていたユーリーと離されるのだから何かゴネるのではないかと思っていたが、出立の時間になり荷物を持った彼女は一目散に駆逐艦に飛び乗り座席に着いた。
 あとは離陸してすぐに窮屈だといって安全ベルトを外した位で、それ以外は全くといって良いほど動きが無い。
 これは彼女にしてはかなり珍しいことだった。

「イーニァ、大丈夫? 耳鳴りがしたり頭が痛くなったりしていない?」

「うん、わたしはだいじょうぶだよ。ミーシャもへいきだって」

 イーニァは無邪気に笑って膝に乗せていたソレを持ち上げる。

――ミーシャ

 一昨日のあの雨の日にイーニァがユーリーから貰った熊のヌイグルミである。
 ミーシャはクリスカから見ても大人しく礼儀正しいヌイグルミなのだが、とある理由からイーニァがそれを持ち運ぶたびに顔色を悪くしていた。

「イーニァ。あのね、その子の名前なんだけれど、どうしても他の名前じゃだめなの?」

「? ミーシャはミーシャだよ。あのね、フルネームはミハイル・ザン――むぐっ……ングングッ」

 続きを言わせる前にクリスカの手がイーニァの口にもう一枚ビスケットを放り込んだ。
 一瞬驚いたイーニァだったが、ビスケットが彼女の大好きな苺味だと気付くや再び満面の笑みを取り戻す。

 このヌイグルミを貰ったその日、情操教育の資料でヌイグルミには名前をつけるべきだということを知ったクリスカはすぐにその事をイーニァに教えた。

 だが、生まれてからずっと番号で呼ばれていたイーニァにとってこの新しい家族を名付けるのは簡単なことではない。
 結局、丸一日散々悩んだ挙句、彼女が付けたのは身近にいた最も"熊っぽい"人物――ユーリーの上官のソビエトの大英雄の名前。

 当然、クリスカはその場で難色を示したのだが、イーニァは生まれて初めて自分で"家族"に与えた名前を撤回することは無かった。

「むぐむぐ……んっ、……ふふっ!」

「さっきからずいぶん機嫌がいいのね、イーニァ」

「うん! こっちにはこわいへびがいないから!」

「蛇……」

(――そういえば、今朝からずっと同志ベリャーエフがいない)

 辺りを見回せばタルキートナから連れて来たオルタネイティヴ計画の研究者達や、彼らの護衛についているはずの警護のSP達すらいなくなっている。

 駆逐艦はそれなりに広いとはいえ、これだけの大人数を見逃すはずが無い。

(……基地から出発した駆逐艦はこの一隻だけのはず)

 不気味な物を感じたクリスカはベルトを外し、熱心に端末を叩くロゴフスキーの元へと向かった。

「少佐、よろしいでしょうか」

「む、ビャーチェノワ少尉か。なんだ?」

「ベリャーエフ准教授の姿が見えないのですが、あの方はどうしたのですか?」

「……同志ベリャーエフはブラーツク基地に残った。なんでもオルタネイティヴ計画から流出した機密物資を回収してから陸路で戻るそうだ」

「流出した機密物資、ですか……? ――っ! まさか、リュドミラ姉様のことですか!?」

 昨夜遅くにタルキートナから運ばれたらしい物資――リュドミラの事を思い出し顔を青ざめさせるクリスカ。
 ベリャーエフの行動にどんな意図があるのかは分からないが、撤退中の兵力の無い危険な基地にわざわざ残る理由などそれこそ彼女の身柄くらいしか思い浮かばない。

「詳細は知らんよ。知りたくもない」

「しかし――いえ、なんでもありません」

 この間のベリャーエフの異様な気配を思い出したのか、いかにも忌々しいという風なロゴフスキーの態度がクリスカから質問する機会を奪った。

 リュドミラの安否が気になる。

 だが耳に飛び込んだイーニァの甲高い声が彼女にその思考を放棄させた。

「クリスカ! きてきて! ほら、このした!」

「どうしたの?」

「リュドミラがめをさましたよ!」

「なんですって?」

 驚いて彼女の元へ戻ってみればイーニァは窓に顔を押し付けるようにして眼下の大地を見つめている。
 高度はすでに2万キロ以上。
 そんな距離で個人のイメージを捉えるなど第六世代のトップクラスの能力でも難しいことなのだが――

「これは――」

 窓の外には相変わらず分厚い雲海が空を遮っている。

 だが人工ESP発現体としてのクリスカの視力には雲海とは全く別の色が見える。
 先ほどまでBETAのように戦場を覆わんばかりだった絶望と諦念の色、それらに必死で抗わんとする新たな輝きが見える。

「ね、リュドミラでしょ? ユーリーといっしょにいるよ。みんなをたすけるんだって!」

「――さっきから何を騒いでいる?」

 二人の様子を不審に思ったロゴフスキーが、座席に座ったままクリスカに問いかけた。

「はっ、それがその……ビャーチェノワ准尉です。彼が地上で何かしているのですが……」

「地上だと? 何かとは何だ?」

「それは……」

 クリスカは言葉に詰まる。
 ESP能力の専門家でないロゴフスキーにこの状況をなんと説明すれば良いのか。自身も、眼下で起こっている状況など正確に把握していない。

 彼女が見たのはシベリアの大地で輝く碧緑の宝石だ。精神波でありながら、肉眼でも確認できそうなほどの密度を持ったソレをなんと呼べばいいのだろうか。

「……もうすぐ分かります」

「何……? どういう――」

 眉根を寄せたロゴフスキーが詳細を聞き出そうとした瞬間、


――"みんな、負けるなっ!!"


 地上から放たれた光が、駆逐艦の装甲を素通りして二万メートルも離れた"彼"の言葉をここまで届けた。

「お、お袋の声? ――いや、馬鹿な。何だ今のは?」

 何が起こったか分からないロゴフスキーが驚いた様子でキョロキョロと周りを見回している。

 普段の厳格で利己的なロゴフスキーからは想像もつかない姿だが、周りを見れば全員同じように呆けている。

「みえるよ、あたたかいこころ! きこえるよ、やさしいこえ!」

 興奮した様子で眼を輝かせながら座席を飛び跳ねるイーニァ。
 クリスカにも見える。第六世代であるイーニァ程ではなくても、彼女のリーディング能力は確かにその様子を捉えることが出来る。

 凄まじい大きさの光だ。
 絶望に濁り暗く澱んでいた戦線の色。それを吹き飛ばし、全てを照らし出すような新しい光が地上に生まれていた。

「暖かい人間の心……そう、そうだね。イーニァ」

 戦線の兵士だけではない。

 あれは全ての人工ESP発現体にも希望となる。

 自分達がオルタネイティヴ計画の関係者が思うような人形ではなく、他の人間と同じように生きる一つの命である確かな証明だ。

 胸に残った"声"の温もりを確かめるように向日葵の櫛を抱きしめる。

「ユーリー・アドニー・ビャーチェノワ。私もいつかきっと……」



***同日 午後18時18分 シベリア軍管区 ツァーリ・ボンバ埋設予定地点31km地点***

――ツァーリ・ボンバ起爆15分前


――その瞬間を、ザンギエフ達は確かに見た。


「動いたっ! 動いてくれた!!」

 嬉しそうなユーリーの声――今度は正規の通信に則った物がミドヴィエチの管制ユニットに響く。


 生きる意志を失い、BETAの群れの中で石像のように動かないはずの戦術機。

 BETAに囲まれ、死を待ちわびていたソレがMiG-31が放つ光の波動を受けた瞬間、すんでのところでBETAの攻撃を避けたのだ。

 ソビエトの最も深い闇、その底から一人の人間が救われる瞬間を彼らは目撃した。

「……石化の病《メドゥーサ》が、解けた? これまで誰も、大佐ですら治せなかったのに」

「………………」

 モリも反応こそ違えどもトルストイと同じ感想だろう。

 その戦術機の動きは鈍い。
 操作は甘くまだ死に未練がある中途半端な物だったが、あれほど深い絶望に沈んでいた人間が再び生へと向かっただけで彼らには驚愕に値する。

「あれがESP能力。オルタネイティヴ計画が造った特別な力……」

「――違う」

「大佐?」

「――特別な力ではない。あれは……あの光は我々も持っていたはずのものだ。この地上で誰もがこれだけは失うまいとして、しかし戦の激しさから擦り切れさせてしまった物……」

「……? ――ッ!」

 その真意を問おうと上官の顔を伺ったトルストイは声も出せなかった。

 ザンギエフが涙を流している。
 どんな戦でもどんな苦境に陥っても弱音一つ吐かない鋼の戦士が、生涯最強の英雄であり続け国家のために涙も弱みも決して見せないと誓った男が、まるで尊い物を見たかのように頬をぬらしていた。


――"負けるな"

 弱い言葉だ。ザンギエフは思う。

 彼が選んだのは"勝て"ではない。
 戦況はあまりに絶望的で、この場にいる兵士達には既に反撃の力さえ残されていない。

 生きろ、ですらない。
 ただひたすらに圧倒的なBETAの勢いに人一人の努力など到底無意味だからだ。

 だから"負けるな"。
 希望的観測も、打算も、その場しのぎの嘘もない。
 あの子供は心から求めた願いをただ一つの言葉にした。

 何一つ嘘偽りの無いの言葉。
 故にその言葉は力を持った。

 ある者には母親の声として、ある者には仲間の声として、またある者には息子や娘の声として。
 モリのような日本人であれば言霊《ことだま》というかもしれない。
 欧米人であれば神の啓示《オラクル》というかもしれない。
 声は力として、確かにここに顕現した。

 それは戦術的に見れば、奇跡と呼ぶにはあまりにも小さな力だ。

 ユーリーがしたのは15機足らずの戦術機を救い、その他の無事な兵士を慰撫した程度。
 メドゥーサの全てを救えたわけではないし、今こうしている間にも僅かづつ損害は広がっている。

――約4分

 本来訪れるはずの未来からすればたった240秒、戦線の寿命を延ばしたに過ぎない。

 例えるのなら天から落とされた蜘蛛の糸のような物。
 希望と呼ぶには余りにもか細く、そして見え辛い救いの手。

 だがBETAという激流に溺れ瀕死の彼らはもがきながらも確かにソレを掴み取り――


『――誘導に成功! BETA群の一部が移動を開始しました!』


――そして未来が変わった。


『ポイントB-3から8までのBETAが誘導によって後方の陣地に向かい続々と進路を変更中! これは――光線級の出現地点が無防備になっています!』

 さきほどの迎撃により判明していた光線級の分布図と、それまでテコでも光線級の側を離れなかった外延部のBETAとのあいだに空白地帯が生まれている。

 立ち直ったHQがすぐさま生き残りの砲撃陣地にAL弾の発射を全軍に命令し兵士達が命令に従い砲弾を装填しようとした時、彼らの砲撃より一足早く巨大な砲弾が戦場の空を貫いていた。

 砲弾はすぐさま光線級の迎撃を受けて重金属雲となるが、遅れて届いた凄まじい砲撃音が戦場の兵達にその威力を知らしめる。

 それは幾たびの戦場を越えてきたシベリアの砲兵達ですら聞いた事のない、巨大な火薬の咆哮だった。

『オーホッホッホッホッホ!!』

 戦域マップ写されたのは世界で最も海から遠い戦場に運ばれたソビエト連邦海軍北方艦隊のIFF――ようやく戦場にたどり着いたヴリャーノフ級陸上戦艦。

「刮目しなさい! こんなこともあろうかと! こーんなこともあろうかと、極秘に設計して本国から取り寄せておいた私の艦砲主砲35センチ砲! この反動、音、自動給弾装置《ベルトリンク》の軋む音! 戦場の支配者のお出ましよ!!」

 そして繋がった回線に映る高笑いの女と倒れこんだ男――イズベルガ・オッティールト・ピョヒョが陸上戦艦の艦長らしき男を押しのけてウィンドウに映っている。

「砲口35センチ! 2連装4門装備の砲身長は20メートル、他の艦艇を圧倒する毎分2,2発の発射速度に砲身寿命は3割増! 一発辺りの威力では日本《ヤポン》のヤマト級に負けるけど、私が手がけたこの子の射程は6000m増の48000m! さああんたたち、陸軍の祖チン共に本当の砲撃って奴を見せてあげなさい!」

「「「はい、同志ピョヒョ!」」」

「オーホッホッホッホッホッホッホッホ!!」

 続いて放たれる第二波。
 副砲、主砲、そして急遽副兵装としてカタパルト部分に溶接設置された馬鹿げた台数のMLRSを加えたその砲撃はこれまでせいぜい重砲程度しか知らなかったシベリアの兵士達の度肝を抜く。
 圧倒的な投射火力を発揮した陸上戦艦はただの一隻で陸軍の砲兵二個旅団の二斉射分の仕事を済ませてしまった。

『重金属濃度上昇! 重金属雲、展開しました!』

 そして事ここに至ってザンギエフは確信した。

 これは一個の奇跡だ。
 ユーリーが生み出した4分という時間と陸上戦艦。
 0%だった勝利の可能性は0.1%に覆り、0.1はさらに1%にまで引き上げられた。

 あとはその1%を誰かが100%に引き上げれば良い。
 そしてそれができるのは世界でただ一人――

「――これより光線級吶喊を行う!」

「「「――ッ!!」」」

 ユーリー、トルストイ大尉、モリ大尉やA-01の面々が息を飲む。

 全員分かっている。
 これがツァーリ・ボンバを食い止めシベリア軍管区の数万、数十万の命が生き延びるための最後のチャンスだと。

 だが戦局はどこも苦しく、補給も無く衛士達は前進するどころかその場に踏みとどまっていることすら奇跡のような状態。戦力の抽出を行えばその戦線は瓦解する。

 仮に光線級の掃討に成功しても戦線を救うためには一刻も早い制圧砲撃を行わなければならない。攻撃部隊はまず生還できない。

「へっ、おもしれぇ! やってやろうじゃねえか!」

「ユーリー、貴様はA-01と共に後退だ」

「んげっ!?」

 気炎を上げていたユーリーに釘を刺す。

「隠しても無駄だ。貴様の機体、先程から電子機器が焼き付いてまともに飛ばすこともできていないな」

「そんな……!」

 苦々しい表情のユーリー。
 事実、彼の載っているMiG-31 AN3は先程の発光現象から間接思考制御が全く働かない。機体は他の操作系統も現在進行形で火花を上げていて、まっすぐ進むことすら困難な状態。
 加えて戦闘開始からすでに半日以上が経過していて休息をまともに取っていないリュドミラの体調も不安だった。

「そもそも誰もついてくる必要は無い。突撃はオレ一機で行い、光線級全体を巻き込めるポイントでS-11を作動させる。それが一番確実な作戦だ」

「「「――――ッ!!」」」


 己の愛機――MiG/Su-01《ミドヴィエチ》には通常ならハイヴ突入部隊にしか許されない自爆装置S-11が2基装備されている。
 いつでもその命を祖国のために使えるようにというザンギエフの要望を叶えたその爆薬は、2基あれば光線級の分布地点を殆ど壊滅させられる威力を持っていた。
 まるで神に進むべき道をお膳立てされていたような状況――いや、やはりこれは運命だとザンギエフは再確認した。

「ケン、貴様も残れ。その推進剤残量では足手まといにしかならない」

「……しかし、拙者は」

「ケンよ、貴様は十分働いてくれた。もう昔の事は気にしなくていい。京都の紅蓮に話を通してある。帝国へ戻っても問題ないはずだ」

「……国許には戻りませぬ。ザンギエフ殿に受けたこれまでのご恩、この国に奉公することで報いる所存にございます」

 居住まいを正し、モリ大尉は初めて堅苦しい長文を話した。

「ふっ、これが武士道という奴か。よかろう。貴様の進退に文句は出さん。さて、イワン。貴様も……」

「生憎ですが、途中まではお供させていただきますよ。ミドヴィエチの自爆の範囲を逃れる光線級がいくらかいます。もう一発くらい花火が必要になりますが、いくら大佐でも一日に二回も自爆するのは少し厳しいのではないですか?」

「しかしS-11は……」

「ユーリーのバズーカの予備弾倉を使います。S-11と同じ爆薬を使っているあれを4発分も放り込めば光線級はあらかた片付くでしょう」

「……大馬鹿者め」

 笑顔すら見せるトルストイに成す術なしと判断したザンギエフは苦笑いしながら同行を許した。

 時間も無い。ミドヴィエチの跳躍ユニットに再び火を入れ、光線級の元へと向かう。
 その背をMiG-31がフラフラと追いすがっていた。

「待て! 待ってくれよおっさん!」

「その機体でどうするつもりだ?」

「機体はミドヴィエチと変えればいい! ザンギエフのおっさんが生き残るべきだ! 俺よりもアンタのほうがずっと強いじゃないか!」

 命と引き換えに自分を生かそうとするユーリーに少しだけ驚く。

 この子供とは先日言い争ったばかりだ。
 考え方は違っても、彼なりに人類の貢献を考えているとわかりザンギエフは胸の最後のつかえが取れた気がした。

「――いや、これでいい。これはオレの仕事だ。お前を生かすためにもオレはここで死ぬべきなのだ」

「そんな……、どうして!」

「貴様には誰にもできないことができる。オレは……駄目だった。ミンスクのあの地獄でオレは戦うことよりもハイヴからの脱出を優先した。――怖かったからだ。連隊の仲間や妻の断末魔が聞こえていたのに、BETAの恐怖に怯え、無為の死が許せなくて、自分以外の全てを見捨てたのだ。俺は英雄などではない。……あの時、オレはハイヴの外へ出ることしか考えていなかった。引き返すことなど考えもしなかった。誰かを救う力を持てるのは、お前のように他人のために何度でも絶望の中へ手を伸ばせる奴だけだ」

 ユーリーは一心にMiG-31を操作するが、先程の異常動作でMiG-31の操作系やAN3装備周りはすでにその殆どが機能を停止している。

 ついに限界を迎え黒煙を吹きながら不時着するMiG-31を尻目に、ミドヴィエチは更に出力を上げてBETAの群れの中へと突っ込んだ。

「――わかんねえよ、おっさん! 止めてくれ、もうよしてくれ!! お、俺には力なんて無い! あんたみたいな勇気も立派な志も持っちゃいないんだ! なあおっさん、どうしてそんな事を言うんだ。どうして俺を責めないんだ! 助けてやるから自分の命の分までBETAと戦えって、人類のために命を奉げろってどうして言ってくれないんだ! 俺はそのために生まれたんだ。オルタネイティブ計画が作った使い捨ての命なんだ……あんたが、」

 スピーカーから漏れる声が掠れている。

「あんたさえそう言ってくれれば俺は世界だって救って見せるのに……」

「しょぼくれるな、ユーリー。この世に使い捨ての命など無い。死に行く者は誰もが命を次の世代に繋いでいくのだ」

 穏やかに笑いながらと手元のコンソールを操作。
 上位者権限を利用してMiG-31とのデータ回線を開く。

 送信するのは15年分の戦闘記録、議員や重役との連絡手段に汚職の証拠、預金口座の電子キーなど。
 そして最後にザンギエフ生涯の誇り――党書記直々に授けられた赤い暴風をモチーフとした彼のパーソナルマーク。

 このたった4ギガバイトのデータがザンギエフがユーリーに遺せる全てであった。

「これは……」

「約束の自由だ。レッドサイクロンの称号を持つ物には独立行動権が認められている。後は党にいる友やヴィクトールがなんとかしてくれるだろう。言っただろう? 俺を殺せば自由にしてやると。あの日貴様の全てはレッドサイクロンが貰い受けた。今日からは貴様がソビエトの赤きサイクロンだ」

「あ……ああ…………ぁあああああああっ!!」

「これで貴様は自由になれる。どこへ行くのも、どんな大人になるのも好きにしていい。だがもしも、お前が再び立って誰かを守る時が来たら……その時はこの称号を役立てろ」

「同志大佐! 我々は納得しかねます!!」

「赤きサイクロンは全ソビエトの希望です! それをこんな子供に継がせるなど!」

 ザンギエフの真意にようやく気付き外野《A-01》がくちばしを突っ込んでくる。

「貴様らは黙っていろ! 最初から決めていたことだ!」

 ザンギエフの一喝。

「初めて会った時、コイツは俺の戦歴を知ってもなお立ち向かってきた。こいつの姉もそうだ。希望のために、子供の体でオレに勝負を挑んできた。お前達にそれができるか? いや、それ以前にお前達の中で誰か一人でも訓練中に俺を本気で倒そうと戦ったことがあったか?」

「わ、我々にあなたを倒せるわけがないでしょう?」

「BETAはオレよりももっと強いぞ。お前達はBETA相手にも"倒せるわけが無いから"などと泣き言を言うつもりか?」

「………………」

 上官に痛い所を突かれたA-01の中隊長は押し黙る。

 言うべき事は言った。
 A-01との通信を切ったザンギエフはBETAの波を掻き分けながら光線級の元へと急ぐ。

――ツァーリ・ボンバ起爆7分前


 BETAの只中を進んでいたミドヴィエチとトルストイのMiG-27《アリゲートル》はついに重金属雲に突入する。

 残弾は僅か、しかし時間をかけられない彼らはそれでも弾薬を撃ちまくるしかない。

「大佐、私もそろそろお別れのようです」

 ザンギエフとトルストイは同時に最後の突撃砲を手放し、MiG-27は腕部に収納されたマチェットナイフを、そしてミドヴィエチは両腕のモーターブレードを起動させる。

 「色々と苦労をかけたなイワン」

 トルストイは答えずに敬礼だけを返して、BETAの海の中に消えていった。

 気障なその仕草にアイツらしいと苦笑いを零しながらザンギエフは近づいてきた要撃級にブレードを振るう。

 これから自爆しようというのに胸の内には恐怖も絶望感も無い。ただ希望と期待がある。

 これからも人類はBETAの攻勢を受け続けるだろう。

 ユーラシアは失われるかもしれない。人類は七つの海も、もしかすると地球全てを失うところまで追い詰められるかもしれない。

 しかし人類は負けない。

 自分にはわかる。
 
 あの光がある限り人類は決して負けない。

 主の最後の操作に答え、鋼鉄の荒熊が吼える。

 これまで数百に上るBETAを倒したモーターブレードがついに負荷の限界を超えた。

 ナイフは無い。
 推進剤も使いきり徒手空拳となった機体だが、この機体は電磁炭素伸縮繊維の膂力だけで地球外起源種を殴り殺していく。

 ラリアットで、チョップで、キックで。いつかのミンスクハイヴでの戦いのように。
 だが今度は希望のために次々と襲い掛かるBETAを退け、そしてユーラシア最強と呼ばれた戦術機はついに己の最期の場所へとたどり着いた。

「――いよいよ、か。ずっと死に場所を探してきた。妻を見捨て、仲間をハイヴに置き去りにするような男の最期はBETAに無残に食われて終わるのが相応しいだろうと思っていたが……しかし、なんと――」

 目を瞑ったまま、SDSに押し付けた拳がガラスを押し破る。

「――なんと暖かい死だ」

 カシュン、という音と共に安らかな気持ちのまま、15年間祖国のために戦い続けてきた英雄は光に包まれた。









――1989年 8月18日 午後18時31分

 ミハイル・ザンギエフ大佐 KIA
 光線級の排除に成功。

 そしてその直後に行われた制圧砲撃の効果を共産党中央会が確認。

――同日 18時32分

 中央委員会はツァーリ・ボンバの起爆中止を国防会議に言い渡した。 







[32864] 18、「トップになれ」
Name: 大蒜◆9914af20 ID:86f1a2a8
Date: 2012/10/22 23:58
18、「トップになれ」~EndCall of RedCyclone~



***1989年9月2日 アラスカ州ソビエト連邦領 セラウィク特別区 赤の広場*** 

 この日、ソ連の首都たるセラウィク南端のこの広場に30万人を超えるロシア人が集まっていた。

 参加している人間は実に様々で、最前列に党政府指導者層や軍の将官に高級官僚達がいるかと思えば、毎日を食料生産プラントで働いて過ごす一般の労働者がいる。70を過ぎ引退した老人がいるかと思えば、未だ教育機関にも入っていないような幼子すら広場に集まり、この演説に耳を傾けていた。

「同志達よ。先日のBETAのシベリア侵攻により、我々はまたしても祖国のために戦う若き英雄達を失った」

 群れを成す彼らの側の道路を列で進むのはT-80UM-1戦車とBM-21グラートMLRSだ。
 いずれも最新鋭の陸戦兵器であり、傷一つ無いよう磨かれた装甲版とハッチや窓から顔を出した壮麗な第一種軍装の軍人達がこの式典におけるソ連軍の力の入れようを物語っている。
 参列する軍人達の中に一人の子供――人工ESP発現体の証である銀髪碧眼を持った一人の子供がいた。

「壮絶な戦いであった。20万に迫る数で押し寄せるBETAに対し、我々は核弾頭の使用とシベリア軍管区の全戦力をもってようやく敵の撃退に成功した。だがBETAにより失われたのはそれだけではない。私は今日、この地球で戦う全ての同胞達に祖国が誇る最強の盾を失ったことを報告せねばならない。――我らの赤きサイクロン、ミハイル・ザンギエフ中将。彼の戦死を」

 壇上に立つヤーコフ・レオーノビッチ・ゴルバチョフ共産党書記長――東側諸国の命運全てを握っていると言っても過言ではないこの男の言葉は集まったメディアを通して世界中の人間に放映されている。
 視聴者の大半を占める東側諸国の住民はテレビに映る書記長のほうを見ているが、もしも西側――それもアメリカ合衆国の人間が見ていたら視線は別のほうを向くに違いない。

 書記長の席の隣にいるのは米国の2代前の合衆国代表ウォルター・モンデール元大統領。

 ザンギエフは有名人だがその立場は所詮は一軍人に過ぎない。
 だがそのたかが一軍人の葬儀のために元米国大統領が国境を越え、宿敵のソビエト連邦共産党首領と並んでテレビに映っている事は西側諸国にも相当な驚きを持って受け止められた。

「彼の名声を知るものは多いだろう。だが栄誉の全てを把握している者は少ないと思う。ミンスクハイヴからの生還、モスクワ防衛戦での大救出、ウラルの不休の10日間。機密として伝えられない物、略歴として載せられていない物を加えれば彼の活動だけで我が祖国は何度救われているのだろうか。ここにいる米国からの友人ミスター・モンデールもザンギエフ中将の活躍によって凶弾から守られた事がある」

 紹介を受けて立ち上がったモンデールが壇上で書記長を両手を繋ぐ。
 報道陣から眩しいフラッシュが焚かれ、光を焼き付けられたネガがこの歴史的瞬間を永遠のものとする。

「我らは今日、立ち止まった。此度の戦いで失った物はあまりに大きく、傷は余りにも深い。そして我々は一人で戦うにはあまりに弱く、敵は強大だ。だがこのまま臥して時が過ぎるのを待つのか? ――否! それだけは絶対にありえない! 同志ザンギエフの魂はこの胸の中にある。彼だけではない。戦いに斃れた同志達も無念の死に沈んだ同志達も全ては我らの中で息づいている。我らは今日、死者を受け止めて強くなった。故に我らは再び進むのだ。彼らの分まで、この暗い闇を抜けるまで、二本の足と強い心でもって未来へと歩き続けなければならない! 我々はこれからも多くを失うだろう。だが忘れないで欲しい。我々は一人ではない。胸の内には命を支える英霊が、そして隣には肩を預けられる人類の同胞がいる。――どうかそれを、決して忘れないで欲しい」

 万雷の拍手。
 ある者は書記長の言葉に純粋に涙を流しながら、またある者は普段の国威発揚のための演説との差異に首を傾げながら。

 遺体の無い葬儀は葬儀はその後も続き、この日墓標が立てられたセラウィクの赤の広場には造花天然を問わず様々な花が置かれ、英雄の死を悼む3000通を越える手紙が届けられた。




***同日 セラウィク特別区 北街 ホテルレニングラード*** 


 ヤーコフ・ゴルバチョフ書記長が演壇に立っていたその頃、ヴィクトール・ガスパロフ少将はセラウィク北部のホテルの自室へと向かっていた。
 本来なら外国や国連の特使や外交官を歓待するために建築されたこのホテルレニングラードだが、今はフロアにボーイの一人すらいない。
 元より国賓しか受け入れない高級ホテルだ。従業員が少ないのは致し方ない。

「誰かいないのか?」

 だが、自室の前まで来てこの静けさ。

 ガスパロフは仮にも国連軍の将官であるから、このホテルにも副官一人と護衛の歩兵二人を連れてきている。
 彼らの配置を考えればここに来るまでに一人も会わないのはおかしい。

 懐かしい鉄火場の気配を感じたガスパロフは懐から使い慣れた拳銃――祖国チェコの誇りであるCZ-75を取り出して、チャンバーを引いて薬室に9mmルガー弾を送り込んだ。

 硝煙の臭い――無し
 血の臭い――無し

 ならば敵の獲物はロープか鈍器ブラックジャックか。
 深呼吸の後、体当たりをするようにドアを押すと、CZ-75を突き出しながら体ごと部屋にねじ込んで――

「――ッ!?」

「残ー念でしたっ」

 瞬間、下から伸びた手にCZ-75の撃鉄を抑えられ、胸元に見たことも無い拳銃が突きつけられていた。

「へへっ、いわゆるホールドアップって奴?」

 相手は銀髪碧眼の子供。子供っぽい巻き毛とそれに見合わぬふてぶてしい表情の子供だ。

「ユーリー・アドニー・ビャーチェノワ……!」

「ピストルから手を離してゆっくり部屋の奥に座りな。変な動きはするなよ。こいつには防弾ジャケットなんて意味無いからな」

 心を読む人工ESP相手に不意を突くのは不可能。

 ガスパロフは渋々銃から手を放し、両手を挙げながらソファに身を預けた。
 
「言っとくけど護衛っぽい三人には眠ってもらってるぜ。あ、眼鏡かけた中尉はおっぱい揉ませてもらったけどな」

「……私の記憶が正しければ、君はたった今まで赤の広場にいたはずだが?」

 葬儀に出席している姿がここに来るまでに乗っていたリムジンのテレビにも映っていたはずだ。
 やけに緊張していたものの、あの年で軍帽から革靴までソビエト陸軍の第一種軍装を着こなす姿にガスパロフも大いに感心したものだが、

「ああ、あれはリューだ。適当に言いくるめてあそこに置いてきた。そろそろ影武者やらされてるって気付く頃かもな」

「………………」

 一応機密扱いだが、上層部では人工ESP発現体が銀髪碧眼の子供であることは周知の事実である。
 葬儀に参加し、しかも幹部しか許されない最前列にそんな子供が座っているとなれば彼らの注目の的となることは間違いない。

 この時、赤の広場では周囲から猛烈な好奇の視線を受けているリュドミラは脂汗を流しながら、心中で弟へ呪詛を送っていた。

「さってとガスパロフ少将さん。色々と話したいことがあるんだがまずは――あんた、ツァーリ・ボンバには関わっていたか?」

「何を聞きたいのかと思えばそれか。私は関わっていない」

「………………」

「………………」

 鋭い目つきで睨み合う二人。
 リーディングに成功したのか、はたまたガスパロフの言葉を信じたのか。先にユーリーが緊張を解き、銃口を天井へと逸らした。

「――本当みたいだな」

「当たり前だ。私が党を裏切ることなど有り得ないし、そもそも所属違いだ。シベリアで膨大な国費が流出しているのは分かっていたが、そこに一つの流れがあることまでは気付かなかった」

「わーってるよ。一応確かめただけだ」

 反省した様子など微塵も無く、拳銃を持った手をヒラヒラ。
 とその時、弾みで引鉄に触れたらしく銃口から弾丸――ではなく圧縮された水飛沫が飛び出した。

「……驚いたな。水鉄砲だと? 君はこんなオモチャで私の護衛を倒したのか?」

「そんなに捨てたもんじゃないぜ。世界一の銃火器マニアが作ったから見た目は精巧だし、補強もしてあるから立派な鈍器にもある。何より、喉が渇いたら水も飲めるしな。――それじゃ次はMiG-31《ブラミャーリサ》とF-14D《トムキャット》のトライアルだ。あんたも一応噛んでるんだろう? 結果について何か聞いてないか?」

「フン、言うまでもないだろう。オルタネイティヴ第3計画制式戦術機はF-14D《トムキャット》に決まった。性能評価はほぼ互角だが、君が起こしたAN3装備《ロークサヴァー》の異常動作――選定評価委員はアレをAN3装備との悪相性による放電故障だと判定した」

「あ、悪相性ぉ~? あれはそんなんじゃねーよ!」

「勿論そうだ。しかしあの現象がなんだったのか、科学的に説明できる者はいない」

 シベリアにおけるツァーリ・ボンバを巡る激戦の後、イズベルガの陸上戦艦によって回収されたユーリーのMiG-31は二人の強化装備のデータまで含めてミコヤム・グルビッチ設計局のラボに送られた。
 その目的は戦闘中に起こったとされる大規模な超常現象の解明。
 設計局は殆どの電子回線が焼きついていた管制ユニットから苦労して戦闘中のバイタルデータをサルベージし、タルキートナ国連軍基地のセルゲイ・ラフマニノフ教授と共にデータの解析を行ったが、結論は全くの不明。電子的に状況を再現されたはずのAN3装備は起動すらせず、超広域テレパシーは勿論、そもそも何故光ったのかすらわからなかった。

「そしてMiG-31とAN3装備との悪相性は事実だ。バッテリー出力の不足に積載時の加速曲線の極端な低下。君は技術でカバーしていたようだが、実際に現場の衛士達が乗る戦術機としてどちらが相応しいかはわかっていたのだろう?」

「………………」

「気に病むことは無い。公式の評定で西側諸国の戦術機と互角というのは我が国初の快挙だ。今回の話を聞いた東側諸国からは早くもMiG-31の注文が殺到している。ミコヤム・グルビッチ設計局は今頃全員でウォッカパーティの準備をしているよ。もちろん同志ピョヒョの心配もしなくてもいい恐らく一生帰国できないだろうが、今回の彼女の活躍を見れば今後は各局から下にも置かぬ扱いをされるはずだ」

「――チッ、結局勝っても負けてもイズベルガ博士を帰す気なんてなかったのか」

 基地で何日も徹夜していたイズベルガの頑張りはなんだったんだ、とユーリーがやり場の無い苛立ちをぼやいた。

「仕方あるまい。努力の全てが報われるわけではない。そういえば……あの作戦の当日、ブラーツク基地が壊滅したことは聞いているか?」

「……何だって?」

 基地の壊滅……想像の埒外である事態に、ユーリーが思わず聞き返した。

「ツァーリボンバのカウントダウン開始によって基地全域は放棄していた基地従業員と正体不明の勢力とのあいだに銃撃戦が発生した。警備及び撤退中だった人員80人は連絡もできず全滅。犯人はトライアルの資料及び試作機の資材などを全て強奪した後、備蓄燃料に火をつけて基地の研究塔を爆破したようだ」

「皆殺しの上に基地ごと爆破……ジェームス・ボンドでも出たってのか?」

 背に冷や水を流し込まれたようだった。

 あの時ザンギエフの提案によってリュドミラを連れて行かなければ、今頃彼女は行方不明だったに違いない。
 ゲルヒンレグルン槽が失われたのは痛手といえば痛手だが、リュドミラが目覚めた以上ユーリーにとってあの機材の使い道はない。

「目下調査中だが……生憎MI6エムアイシックスどころか、どの諜報組織も動いた形跡が無い。反オルタネイティヴ計画派の犯行かもしれないが、ツァーリ・ボンバの起爆寸前にわざわざ前線基地に来て盗みを働こうなど、正気の人間のすることではないな」

「なんだか気味の悪い話だな」

「そうだな。――さて、私も暇な身ではない。そろそろここに来た真意を話してくれないか?」

 ガスパロフから政治家特有の重みを伴った鋭い眼光が光る。
 目の前の男の覚悟を見て取り、ユーリーの眼からも稚気が消えた。

「――ザンギエフのおっさんが党の高官にあてた手紙の中にアンタを推薦する物が何通もあった。俺には共産党内部のパワーバランスはよくわからねーけど……多分将来的にはアンタを党のトップにするつもりだったんだと思う」

「ミハイルが……私を党書記に?」

「聞いてなかったのか?」

 ガスパロフは眼を見開いて驚愕している。
 どうやら本当に何も知らされていなかったらしいと、ユーリーも眼を瞬かせた。

「まあ、いいけどよ。俺はこの国をなんとかしたい。けどそれは兵士一人の力だけじゃ無理だ。政治ができて、しかも信用の置ける奴が絶対に必要になる」

「それで私と手を組もうと?」

「ああ、俺がアンタを出世させてやる。アンタはトップになれ。そんでこの国を――世界をもうちっと住みやすくしてくれよな」

 はにかみながらユーリーは握手を求めて手を差し出す。
 が、ガスパロフがその手を取ることはなかった。

「………………フッ、フフ、ハハハ、ハハハハッ!!」

「――ああん?」

 ガスパロフの笑い声が部屋に響く。

 かと思えば突然立ち上がって、彼は部屋に添えつけられているキャビネットから一通の古ぼけた書類を取り出した。

「フフッ、いや失礼。まさかこの年になって10の子供に"出世させてやる"などと言われるとは思わなかった」

「その書類は?」

「昔、一人でこの国を変えようとした男が作った物だ。君のように専門家に任せるという発想があれば、今頃ソビエトは変わっていたかもしれんな」

 ガスパロフから手渡される書類。その表紙には国家防衛教育法草案、とある。
 このタイミングでガスパロフから出された書類だ。普通の物であるはずが無い。

「これは……!?」

 覚悟はしていたが、記されていた予想外の内容に思わず声が漏れた。

「そうだ。今の中央防衛教育法の原案となった文書であり、ミハイルが13年前に提出したものだ」

「でもこれ、中身が全然違うじゃねーか!」

 被支配民族をロシア人の盾として用いる中央防衛教育法。

 だがその原案には民族差別を肯定するが無かった。
 国家防衛の要たる幼年教育施設にはロシア人その他民族を区別なく入れるべしとあり、将来的には前線で生き残り、民族の観念が希薄になった彼らを中心に政府を作りソビエト連邦を真の姿に近づけるべきだという旨が記してあったのだ。

 こんな内容、容認できるわけが無い。
 自分達の子供を幼年施設に連れ、どこの馬の骨とも知れない少数民族と共に過酷な戦場に放り込む政策など、共産党政府でなくとも有り得ない。

 ただ、ザンギエフにも勝算はあったのだろう。
 文書には当時の戦況における指揮系統の崩壊の窮状と、幼年教育施設を用いた場合の愛国精神と家族意識の重複による兵士の戦闘継続能力の大幅な増加が
詳細なデータとともに記されていた。

「ミハイルにとって誤算だったのは当時の上層部の想像以上の楽観だった。現場で戦っていた彼にとって一兵でも多く前線に送り、一秒でも長く戦線を維持させることが国家存続のための唯一の道である事は明白だったが、当時の上層部にとってBETA大戦は将来的に兵器の性能が向上すればたやすく終結する限定戦争でしかなかったのだ。結局、ミハイルの法案には手が加えられ、現在に至っている。事情を知らない軍の中堅層にとって彼はソビエトを救った英雄に映っただろう。ミハイルが大佐止まりだったにも関わらず軍への強い影響力があったのはこういった事情があるからだ。――どうだ? これでもまだこの国を――世界を救いたい、などと言えるか?」

 試されている。そう感じるユーリーだが元より腹芸は苦手である。
 渋面はそう簡単には消えない。

「――それでも、俺は何かしなくちゃなんねえ。それがザンギエフのおっさんの――肉親の遺志なら尚更だ」

「……気付いていたのか?」

 ガスパロフが眼を細めて問うた。

「確信は無かったけどな。眼がな、リューとそっくりなんだ。第五世代の人工ESP発現体には戦術機適性遺伝子が組み込まれている。ソビエト最強の衛士つったらザンギエフのおっさんしかいないだろ?」

「……人工ESP発現体の全てがそうというわけではない。第五世代の内、ミハイルの遺伝子が用いられたのは50番までだ。中でも10番まではミンスクで死んだ彼の妻の冷凍卵子が用いられている。もっともこれはミハイル本人も知らない最高機密だがな。君が赤きサイクロンの称号を受け継げたのは、ミハイルが才能ある"赤の他人"の子供を衛士として前線に連れ出し、慢心しないようわざわざ軍参謀本部に直訴して階級を二等兵として留め置いたという事実があるからだ。ここまでされれば後継者を育てていたのだと誰でもわかる。今回の件で影響力が落ちるのを危惧した党や軍内部のシンパは喜んで賛意を示していた」

 ザンギエフの言葉――"後は党にいる友やヴィクトールがなんとかしてくれるだろう"
 まさにその通りだったが、ザンギエフはこうなることを見越して最初からお膳立てをしておいてくれたらしい。

「アンタも動いてくれたんだろう?」

「ミハイルの遺志だったからな。そしてそこまで分かっているのなら、君の提案にも乗る事に否はない。ミハイルの仇を取る。そのためにも私はこれから栄達を目指す」

「よっしゃ! 同盟成立だ!」

 ガスパロフの手が差し出される。
 今度こそ二人の手は固く結ばれた。

「――それで、何かアテはあるのか? 言っておくが私は外国人だ。国連との仲介役としてならともかく、生半可な功績ではこれ以上党に食い込むことは難しいぞ?」

「それなんだけどな。昨日イズベルガ博士の所にこんな手紙が来たんだ」

 ユーリーがテーブルの上に一通の封筒を差し出した。
 封筒には英語の便箋と何かの図が書き込まれた紙が数枚同封されている。
 差出人名には漢字とアルファベットの両方が使われていた。

「――極東国連軍所属の東郷一二三《とうごう ひふみ》中尉……? ああ、最近中国戦線で名を上げている日本人の衛士か。しかしこんな人物が何故同志ピョヒョに手紙を?」

「なんてもコイツ、最近功績を挙げた技術者に片っ端から手紙を送ってるみたいだぜ。先進戦術機技術開発計画……新しい戦術機を作るために技術協力を募ってる」

「ほう」

 少しだけ興味を持ったガスパロフは続いて図面――戦術機の設計図だ――の描かれた紙を読み始める。
 だがそこに書かれている戦術機の完成時スペックはあまりに過大であり、兵器の素人であるガスパロフをもってしてもデタラメと分かる物であった。

「話にならんな。大方、開発予算だけ毟り取って何か別の研究にでも使うつもりだろうが、こんな幼稚な詐欺に引っかかる者などいるわけが無い。そもそもこの仕様書。まるで趣味の悪いSFではないか」

 呆れ返るガスパロフにユーリーは苦笑。
 その判断は正常だ。

 事実、設計図に書かれている情報はデタラメであった。
 子供の落書きの如き構造の核融合炉、製法すら不明の金属装甲。唯一未知の粒子を用いた熱粒子兵器だけは詳細が書かれていたが、それすらいくつものハードルを越えなくては完成には至らない。

「悪いけど少将、アンタにはその趣味の悪いSFみたいな計画に予算とコネを出してもらう」

「なんだと?」

 しかしユーリーにとって技術が本当にあるのかどうかは重要ではない。

「招待されているレセプションは3ヵ月後の12月16日、場所は日本の横浜柊町の白陵迎賓館。金を出すのが不安なら俺がそこに行ってこの東郷って奴が本物かどうか確かめてきた後でもいいぜ」

「本当に詐欺だった場合はどうする?」

「俺一人で実現させる。その場合、遅くとも5,6年でこの設計図に近い物を作って見せる」

「………………」

 ガスパロフが恐ろしいほど額に皺を寄せて考え込んでいる。

 戦術機の開発となると賭けに取られる代金はあまりに膨大だ。おそらくは政治生命を賭けた物になるに違いない。
 政治家としてのガスパロフの本分は慎重で現実主義《リアリスト》である事に尽きる。
 だが同時に、世の中にはザンギエフのように勘を外さない人間がいることも承知していた。

「――いいだろう。どうせ資金を動かすには準備が必要になる。今から可能な限りの協力を約束しよう」

「よっしゃ!! そうこなくっちゃ!!」

 まるで子供のおねだりに負けた父親のような心境でガスパロフは大きなため息を吐いた。
 "デタラメ"な機体が書かれた図面がテーブルに置かれる。

――その機体の頭部にはV字のアンテナがあった。

――クマドリを施されたツインアイが、

――ランドセルと呼ばれるバックパックが、

――トリコロールのカラーリングが、

 それは本来のこの世界に知る者のいないはずのデザイン。

 やや細部が変わっているが、それでもユーリーの愛機であり、数多の宇宙革命軍兵士に恐れられた地球連邦軍の象徴とも呼べる機体の面影を持っている。

「その日本人の開発計画だが、何かコードネームはあるのか?」










「――――V作戦。勝利のVで、人類を救う唯一の希望なんだってさ」


――在るはずのない物

――居るはずのない人間達

――歪んだ未来へ進み始めた世界は彼らを呼び寄せ

――開くはずの無い扉が開かれた



~EndCall of RedCyclone~



[32864] 19、「Lolelaiの海」~A.W.0015~
Name: 大蒜◆9914af20 ID:86f1a2a8
Date: 2012/10/23 23:33
19「Lolelaiの海」~A.W.0015~


***A.W.0015年 太平洋上 ***

 新連邦軍ゾンダーエプタ島より東北東400キロ地点。
 海上を進むフリーデン一行の行く手に立ち塞がったのは、潜水艦に乗る"オルク"マーカス・ガイ一味とアシュタロンを操るオルバ・フロストだった。

 フリーデンを出撃し、オルク艦へ向かうガロードに立ちはだかるオルバ・フロスト。海中でせめぎ合い、火花を散らす彼らの戦いに更なる機影が迫っていた。

「ジャ、ジャジャジャジャミル・ニィーーートォ!!!」

 狂乱めいた絶叫とともにホワイトグレーの異形のMSがアシュタロンとガンダムXディバイダーに割り込んだ。

 クローを積んだ巨大な肩部、源氏侍の兜のような頭部に加えツインカメラと特徴的なV字のアンテナ。巨大な延長クローを伸ばし、背中のユニットからの巨大なスラスター光を吹かすその姿はフロスト兄弟の機体と多くの共通点があった。

「なんだぁ!? お前もガンダムかよ!」

「クッ……C-01《シーゼロワン》、ここで何をしている!? お前の持ち場はフリーデンの方だぞ!」

 勝負に水を指されたオルバはMSに退くよう命令するが、そのMSは気にした素振りもなくGXの方へと飛び込んでいく。

「ジャミル・ニート! ジャミル・ニートォ! ――ガンダムゥゥ!!」

「うわわっ!? なんだってんだよ! 俺はジャミルじゃねえ! ガロード・ランだ!」

 ガロードは叫びながら、鬼気迫るあるいは獣の如きMSの突撃をかわした。
 背を見せたそのMSに対してすかさずバズーカを放つが、スーパーキャビテーションによって音速近くにまで加速された魚雷をなんとそのMSは見もせずに避けてしまった。

「――なっ!? 今の、あいつもティファやカリスみたいな力を持ってるってのかっ!?」

 敵はニュータイプ。

 ガロードの脳裏にフォートセバーンでの苦い敗北がよぎる。

 加えてこの場にはオルバの乗るガンダムアシュタロンまでいる。
 この場の不利は明白だが、フリーデンの窮地を救うにはここを突破する以外に道はない。

「畜生っ! 来るなら来やがれ!」

「ててて、敵の纖滅を最優先とする! 敵の、敵のぉおお!!」

 覚悟を決めたガロードだったが、狂った叫びをあげるMSが飛び込んだのはGXではなく――

「C-01? ――何っ!? ……ぐぅううぅうっ!!」

 一撃を受けて吹き飛ばされるアシュタロン。

 仲間割れ――かと思えばMSは再びGXの方へと向き直り腕を振りあげる。
 掌部しょうぶからビームサーベルが伸び、フィールドで固定された超高熱の粒子が周囲の海水を一瞬で高熱の水蒸気へと昇華させながらGXへと迫った。

「気でも狂ってんのかよ!? こんのォォオオ!!」

 泡を纏いながら振り下ろされるビームサーベルに対しガロードは掲げたディバイダーを盾としてベルフェゴールの腕を掻い潜る。
 ベルフェゴールのサーベルはディバイダーの表面を傷つけるに留まり、懐に入る形となったGXは今度は避けようのない至近距離でバズーカを放った。

 吐き出された魚雷は速度こそ無いもの存分にその威力を発揮し、爆炎とともに周囲にMSの装甲の破片をばらまいた。

「グォオオオオオオオッ!!」

「何をやっているC-01! くっ、やはり狂人ではシステムを制御しきれないか……」

――オルバよ

「兄さん?」

――GXを押さえるのだ。あとはオルク共がすべて始末をつけてくれるだろう

 双子故に感じる思念"ツインズシンクロニティ"がシャギアの中にある謀略と怒りの思考をオルバへと伝える。
 兄の中にある怒り――弟を傷つけた実験体に対する怒りを感じ取ったオルバは唇をいびつに歪めて笑った。

「了解、兄さん。ワンオフ機のデータはもったいないけど、飼い主の手を噛む犬なんて生かしておく価値は無いからね」

――フッ、そうだな。中身が役に立たないニュータイプであるなら尚更だ。

 MS形態からMAへとトランスするアシュタロン。
 巨大なバックユニットが生み出す推力は強大で、海水の抵抗など物ともせずに機体を加速させる。
 素早くGXの背後に回り二本の副腕〝アトミックシザース"をGXに伸ばした。

「捉えた!」

「何っ!?」

「さあ、来るんだC-01。ここにお前の敵がいるぞ!」

「――ッ!! オルバ・フロスト! こんのォオ!!」

 GXがアトミックシザーズから逃れんと腕を引き足を振り回す。
 だがここは水中。打撃は大したダメージにならず、むしろ強まる圧力によってGXの装甲が軋みをあげる。

「敵の纖滅! 敵の纖滅ゥ! さぁぁいゆぅううせーーん!!」

 絶叫とともにMSの胸部が開く。
 エネルギーを集め煌々と輝き始める二門の砲口に加え、更に背後から無数の魚雷がMSとGXに向かうのを見てガロードは顔を青ざめさせた。

「こいつら、味方ごと俺を……――ここまでかっ!?」

 破壊力に優れた対艦魚雷――さしものGXでもこれは受けきれない。

(すまねえ、ティファ!!)

 覚悟を決めたその瞬間、




――大丈夫

――私が助ける。昔みたいに


 歌声のような、不思議な旋律がローレライの海に響き渡る。


「――――ッ!?」

「な、なんだこれは……」

 世界が止まったような光景だった。

 魚雷が推力を失い、あらぬ所へ流されていく。
 MSの胸部の砲口はエネルギーを失い、アトミックシザーズの拘束も力なく解《ほど》かれていく。

 武装どころか、この場に存在するあらゆる兵器が一切の力を失っている。
 太平洋の水底でローレライの歌声に惑わされた彼らは完全に動きを止めていた。

「どうした!? 動け! 動け、アシュタロン!」

「嘘だろ……まさか、壊れちまったんじゃ!?」

 反応の無い機体にオルバとガロードの二人は慌てて操縦桿や各ステータスにチェックを走らせる。
 だがスイッチ類、計器類、コックピットの中のあらゆる装置は沈黙したままだ。

「――これが人魚の歌声……。船を沈めるLolelaiの海の秘密――」

 オルク艦がサルベージした機械、Lシステムを思い出してオルバは暗いコックピットで呟いた。

 真っ暗な中で数十秒が経ち、1分、2分。
 ようやくコックピットに電源が戻った。

「も、戻った……――いや、チャーンスッ!!」

 アシュタロンやMSが動き始めるより早く、GXが二機の包囲を振り切ってオルク艦へ向かう。

「――しまった!」

 慌てたオルバが追撃に向かうが、GXが五月雨式に放った魚雷の内、一発が先ほどの機能停止で混乱する潜水艦に直撃した。

「よっしゃあ!」

 左舷機関部に命中した魚雷は爆発を引き起こし、オルク艦の後部デッキの一部ごとスクリューの一基を食い破る。
 損害を受けたオルク艦はたまらず浮上しながら撤退を始めた。

「くっ……ここは預けておくぞ、ガロード・ラン!」

 フリーデン攻撃に参加していたドーシートがGXの側を通り過ぎ、最後にMA形態なったアシュタロンが動かなくなったままの灰色のガンダムを抱えていずこかへと去っていく。

「ふぃ~……俺、助かったのか?」

 ずるずると座席からずり落ちながら、ガロードは大きく脱力した。




***同日 フリーデン艦内***

「え、ええーーーっ!?」

 戦場からフリーデンの艦内へと戻ったガロードは混乱していた。

「どうなってんだよ? つまり今のティファはティファであってティファじゃなくて、ええと……」

 その視線は説明を求めるかのように、ジャミルと雰囲気が一変したティファを行ったり来たりしている。

「ルチル・リリアントだ。彼女は私のかつての上司……いや仲間だった」

「――ってことはこの人も……」

「NT《ニュータイプ》だ。ルチル・リリアントは早い時期からNTとして覚醒したため、連邦軍の教育士官となって養成を行っていた。フラッシュシステム――ガンダムに搭載されたシステムで、NTの精神波で複数のビットMSを同時にコントロールする機能の使い方を指導していたのがルチルだった」

「……ではそのルチルがオルクの潜水艦に囚われているのでしょうか? そして艦内から超能力でティファの体を借りている……まるで幽霊みたいに」

 スーツ姿の女性――サラ・タイレルが目を細めてティファに視線を送る。
 色々な感情がない混ぜになった視線を受け流して、ティファは微笑んだ。

「その通りよ。本来の私はもう存在していない。今はこの少女に理由をつげて心と体を借りているの。ジャミル、Lシステムっていう言葉を聞いたことでしょう?」

「……」

 静かに頷くジャミル。

――Lシステム
 それは戦いや兵器を嫌うルチル・リリアントの精神をフラッシュシステムを応用して増幅する装置であり、効果範囲内の電子機器を用いたあらゆる兵器を使用不能にする装置である。
 かつての戦争で地球連邦軍がNT<ニュータイプ>の能力拡張の一環として極秘裡に開発していたそのシステムは、戦後の混乱によって知る者のいない幻の研究と化していた。

 ルチルはそのプロトタイプとなり、人とも機械ともつかない存在として15年間このローレライの海で眠り続けていたである。

「ああもう! ルチルさんのことはわかったよ! なあ、あのガンダムの方はどうなんだ? ジャミルは何か知っているのか?」

「あれは……ベルフェゴールだ。15年前に、ある男のために作られたガンダム……」

 胸から重い物を吐き出すように、ジャミルが答えた。

「ある男?」

「かつて地球連邦軍にいたNT兵士だ。彼は常に黒い機体で出撃し、戦場に出る度に敵のエースパイロットを落とす事から黒い暗殺者と呼ばれていた」

「黒い暗殺者……そいつ、強かったのか?」

「ああ、強かった」

 医師のテクスがコーヒーを飲みながら答えを引き継いだ。

「当時は地球にもコロニーにもニュータイプが何人もいたが、戦争を通じてNT兵士の撃墜スコアが最も高かったのは彼だ。ジャミルが来るまで地球連邦で最強だったのは間違いない。他にもGXでベルディゴ二機を同時に相手をして落としたという記録もある。ジャミルにとって戦友でありライバルである存在だったわけだ」

「ベルディゴを二機……」

 自分に迫る24基のビットを想像してガロードはつばを飲み込む。

 フォートセバーンで戦ったカリスのベルディゴは強かった。
 ガロードは対ビットの特訓を積み、なおかつキッドによってGXをディバイダーとしてパワーアップしてようやく勝てたのだった。
 それが二機。

「一方で彼のNT能力は半径50メートル以内という制限があった。Gビットを操るには狭すぎる距離だ。地球連邦軍は彼のNT能力を高めるために投薬や強化実験を繰り返したが、効果は無かった。その代わりとして、狭い効果範囲をフルに生かす高機動格闘型のMSに乗せる話が持ち上がった」

「それがベルフェゴール?」

「そうだ。聞いた話では機体に搭載された特殊なシステムが暴走を起こし、開発が中止されていたはずだが……」

「いつの間にか完成してたってことか。じゃあ、あのパイロットはその黒い暗殺者って奴なのか?」

「さあな。私は彼に会ったことはない。それに声だけでは年齢もわからん」

 肩をすくめるテクス。
 全員の視線が今度はジャミルの方へと向かう。

「……私にもわからない。彼は戦死した事になっているし、そもそも15年も前の記憶だ。だが私はあの戦争で彼の死を感じなかった。これまで、ずっと彼がまだどこかで生きて戦っているのかもしれないと考え続けてきた。だからもし、あの機体に乗っているのが彼だとしたら……」

 ジャミルの表情が苦悩に歪む。
 強い後悔――ジャミルが15年間苦しみ続けた理由の最たる物がその黒い暗殺者と関わっているのだとガロードは気付く。

 目線で今度はティファ―今はルチル―の方を伺うが、彼女もまた申し訳なさそうに首を振った。

「あのパイロットの心は苦痛と恐怖によって千々に乱れていたわ。せめてベルフェゴールのシステムを止められれば、もう少しはっきりするのだけど……」

「……決着をつけねばならんということか」

 難しい現実を突きつけられたフリーデンクルー達が押し黙る。

 どうすればパイロットを狂乱から救えるのか、それ以前にあのベルフェゴールを倒す術など今のフリーデンにあるのか。

 今日は運が良かった。ガロードがベルフェゴールと遭遇したのは水中。ビームを減衰させ機動を制限される水中では、MSの能力や操縦者の反応速度よりも経験が勝敗を分ける。
 だがもし今度水上で出会ったら、そしてパイロットが本当に彼ならばベルフェゴールはフロスト兄弟など及びもつかないほどの強敵となる。

 NTを救うのはジャミルの悲願だが、そのためにクルー達を危険に晒していい理由はない。

「ジャミル!」

 俯くジャミルの元にガロードがGコンを差し出した。

「今回はあんたがGXに乗れよ。ルチルさんを助けて、戦友の安否を確かめるんだろ? あんたにしかできないことだ」

 GXージャミルにとっての過去の栄光と悲劇の象徴でもある。
 過去を背負う――それは確かに戦争を経験した自分にしかできない事で、乗り越えなければいけない壁だ。

「――ああ」

 Gコンを掴んだジャミルは、その手に馴染んだ重さを受け止め、そして強く頷いた。


***A.W.0015年 太平洋上 ゾンダーエプタ島より東北東200キロ地点 ***

「オルク鑑、見えました! 距離まもなく2000!」

「フリーデン、前進!」

 右舷の推進機関とバラストに被弾したオルクの潜水母艦は潜航できず、速度も遅い。
 フリーデンの主砲が泡波を立たせオルク鑑を揺さぶると艦から発進したドーシートの内一機が流れ弾によって海の藻屑となる。

 だが順調なのはそこまでだった。

「ちょっと待って――上空12時方向より熱源多数! 10……20……30! これは――飛行MSの編隊よ!」

 トニヤが見つけたのは一個大隊規模の空飛ぶドートレスの部隊だ。
 MSが10機もいれば都市を占領できるこの時代に30機、それも飛行改造を施すというのは破格の戦力である。

「おいおい、オルクも馬鹿になんねぇもんだな」

「あらら、でもさすがにちょっと多すぎでしょ」

 冷や汗を流すウィッツとロアビィ。

「違う。ただのバルチャーにこれだけの戦力を用意できるはずがない。これは、……連邦軍だ!!」

 フリーデンとオルク艦の進行方向からヴァサーゴ、アシュタロン、そしてベルフェゴールが向かってくる。
 その更に先には旧連邦軍の超巨大双胴空母――アイムザット情報統括官が率いるドリテア級ドリテア艦が戦艦二隻を含む艦隊を引き連れて海域に展開していた。

「――あと500でC-01に鎮静中和剤を投与するよ兄さん」

「――ああ、このパイロットはGXと戦いたがっている。連れて行くのなら我々に害のないように戦ってもらわねばな――むっ」

 戦域に入った瞬間、一筋のビームがヴァサーゴとアシュタロンを襲う。
 通常なら到底命中など望めない距離――だがGXが放ったビームマシンガンはヴァサーゴの肩とアシュタロンの腹部の装甲を掠めた。
 とっさの判断で分離していなければ二人まとめて撃墜されていたかもしれない、恐るべき精度の狙撃を受けて兄弟は冷や汗を流した。

「くっ――! 今日のGXはひと味違うね、兄さん!」

「オルバよ、おまえもそう思うか? これはますますもってベルフェゴールの奮闘に期待せねばならんな」

「そうだね。中和剤の注入を開始。ここは離脱するよ兄さん!」

「ああ」

 二手に分かれた二機は、そのままGXを素通りしてフリーデンの方へと向かう。

「あぁアアァ!! がぁあああ! ガンダムゥ! ジャミル・ニィィートォオオ!!」

 停滞状態から解かれたベルフェゴールは冬眠から覚めた獣のように吠えると目前のGXへと襲いかかった。

「くっ! これは――」

 スラスターの出力任せに恐るべき速度で迫り、鞭のように延びる腕をデタラメに振り回すベルフェゴール。

 本能そのままに振るわれる力を叩きつけられるGXは何度も失速しかけるが、その度に波を蹴るような絶妙なバーニア操作が機体を海上に留め続ける。

 僅かな隙をついて懐に飛び込んだGXは、攻撃ではなく接触回線のためにベルフェゴールに触れた。
 モニターに映るのは乱れた長髪をそのままにする男の姿。俯き、髪で隠れているため人相の判別はできない。

「聞こえるか!? 私だ、ジャミル・ニートだ! 私を知っているのか?」

「ジャ、ミル? ジャミル・ニート……?」

「そうだ! 君なのか!?」

「ジャミル・ニート……ジャミル・ニートォ! ガンダムは、連邦軍のニュータイプは敵! 我々のライラック作戦を、邪魔するなぁあああああ!!」

 顔を上げたパイロットの人相――彼とは似ても似つかない別人の物だ。

「――――ッ!! ライラック作戦だと!? このパイロットもノモア・ロングと同じ戦争の亡霊……――いかんっ!」

 いつの間にかオルク艦に追いついていたGXとベルフェゴール。
 狂乱するベルフェゴールの攻撃がオルク艦を掠め、潜水艦の分厚い耐圧殼が破られていた。

 デッキ内部が露出したオルク艦。そこには多数のビットMSと中央に鎮座するLシステムがある。

「ルチル!」

「オオオオオオオオォ」

 カメラでルチル――連邦軍のNTの姿を認めたベルフェゴールがまるで神話の怪物のような唸り声を挙げる。

「……これも敵!! 敵敵敵敵敵敵ぃ! 敵の殲滅ヲォォ最優先トスル!!」

 掌に装備された二本のサーベルが空気をスパークさせながらオルク艦へと突き出される。
 その寸前に割り込んだGXがディバイダー盾とサーベルでもってベルフェゴールの一撃を受け止めた。
 
「――ルチルはやらさせん!!」

「ジャミル・ニィートォオオ!!」


***フリーデン艦内***

 ガンダムXディバイダーとベルフェゴール。
 二機のガンダムは海上を高速で飛び回り、いくつものビームの残像を残す。
 何度もぶつかり合うサーベルが超高熱の余波でお互いの装甲の表面の塗装材を沸騰させ、フレームを軋ませる。
 超人的な反射と機体制御を繰り返し、それぞれのガンダムが息もつかせずにビームの応酬を繰り返していた。

「すごい……あれが本物のガンダムパイロットの戦い……」

 思わずガロードの口からそんな言葉が漏れた。

 ジャミルの戦いは一度は見たことがある。
 だがあれは多数のビットを操るカリスとの精妙な駆け引き――言わば詰将棋のような戦いであり、ベルフェゴールのような反応速度とパワーに物を言わせる猛獣との戦いは全く別次元の物だった。

「……見えたわ」

 緊迫するブリッジの中で、これまで祈るように目を閉じていたルチルがゆっくりと口を開いた。

「へっ、見えたって?」

 不意を突かれたガロードが返した。

「ジャミルと戦うためにベルフェゴールがパイロットの支配を緩めたの。お陰でようやくあのパイロットの心を捉えることができた」

「じゃあ、教えてくれよ! あのガンダムに乗ってんのはジャミルの知り合いなのか?」

「……違います。彼の名前はロビオ・アラーナ。15年前の地球降下作戦中に乗っていた機体とシャトルをジャミルに落とされた宇宙革命軍のニュータイプパイロットよ」

「コロニーの軍人……それが、なんでこんな所でガンダムに乗ってんだ?」

「昔の記憶はあまりはっきりしていないのだけど……15年前にユーラシアに不時着して、何日も荒野を彷徨った後にニュータイプ研究所に捕まったみたい。そこで実験と拷問を繰り返され、正気を失ったの」

 遭難してノコノコやってきた正真正銘のニュータイプ。
 この文字通り"降って"湧いた吉報に当時のニュータイプ研究所は歓喜した。

 政府から多額の予算が降りているとはいえ、ニタ研に回される実験体は地球連邦軍から供与される紛い物のカテゴリーFか覚醒率の低いものばかり。
 投薬や安全の確認された処置を行うならまだしも、後先を考えない狂科学者達に対して貴重な"本物の"ニュータイプは与えないというのが上層部の判断だった。

 そんな日々に鬱憤の溜まっていた彼らに捕虜の――それも連邦軍に報告しなくてもいい素体が手に入ったのだ。
 当然、この宇宙革命軍中尉に試される実験は苛烈を極めた。
 通常であれば考慮しなくてはならない捕虜待遇など欠片も守られない。脳を含む全身に針とメスを入れられ、常に激痛を伴う日々。

 すぐに正気は失われ、曖昧な時間の感覚の中で屈辱の原因となったジャミルとガンダムへの憎悪だけを募らせて、彼はこの15年間を過ごしてきた。

「「「………………」」」

「……ひどい。どうしてそこまで……」

 トニヤの呟き。
 ベルフェゴールのパイロットの生い立ちを知った他のクルー達は声も出せない。

「どうして? 戦争だからよ」

 静かになったブリッジに響いたのは、どこか虚《うつろ》な目をしたルチルの言葉だった。

「戦争のために、敵を殺すために、もっと強い兵器を作るためによ。そのために人間は何千年も知恵を絞り続けた。誰も彼も戦争のため、戦争戦争。原始時代からも、15年前からも何も進んでいない。ニタ研の連中はあのコロニー落としを見ても変わらなかった。あそこを支援し続けた連邦軍もそうよ」

 ルチルが放つ陰鬱な雰囲気は太平洋の陽気を吹き飛ばし、ブリッジに冬をもたらしたようだった。

 NTとして生きることも、戦争で戦うことの苦しさもガロードは知らない。
 戦後世代として過酷な環境の中で苦しい生活を続けてはきたが、それは人と人が憎み合い殺し続ける戦争の時代とはまた別の苦しみだ。

 彼女は――ルチル・リリアントは疲れてしまったのだろう。
 戦争や戦いを憎み続けたが故にその巨大さに潰されて心を壊し、15年経って再び世に出てみれば人類は滅びの瀬戸際に立ったにも関わらず同じことを繰り返していた。
 コロニー落としですら人類の宿命を変えられなかったのだと、彼女は絶望したに違いない。

「人間はいつまでも変わらない。きっとどこまでも残酷なまま、親や祖先と同じことを繰り返しながら歴史を続けていくのよ」

 目の前にいるのはティファではない。
 だがティファと同じ顔で、同じ声でそんな事を言われるのが悲しくて、ガロードはそっと近づき、そして彼女の肩に手を載せる。

 その瞬間、驚いたように振り返り、そして微笑んでガロードの手を握り返した少女は確かにティファ・アディールだった。


「――違います。あなたは間違っています」

 先ほど未来を否定した声が今度はルチルを否定した。

「確かに人間は戦ってばかり。どれだけ未来を紡いでも、苦しむ人と悲しむ人ばかりが生まれます。でも――」

 ティファの視線の先にはドートレスフライヤーとフロスト兄弟から猛烈な攻撃を受けるレオパルドとエアマスターがいる。

『――まだまだぁ!』

 ミサイルの雨を受けても一歩も引かずにレオパルドで戦うロアビィが、

『――屁とも感じねぇぞ、この野郎!』

 何度も攻撃を受け、その度にエアマスターの中で闘志を燃やすウィッツが、

『――ルチルは渡さん!』

 心の傷を抱えながらベルフェゴールに挑むジャミルがいる。

「でも、それを否定する声も決して無くならなかった。これじゃいけないんだって、このまま未来を作ってはいけないと想い続けた人達もいたはずです。人間はいつか変われます。それがニュータイプになることなのかはわからないけど、いつかきっと人間は悲劇を乗り越えられるんです」

 ティファの口調は断固としていて、すぐ傍に佇んでいるルチルの思念に語られている。

 ルチルは驚いたような、呆気にとられたような不思議な様子だった。

――その言葉……ジャミルが言ったの?

「……いいえ、あの人は自分の事を話そうとしません。でも、この船やここで働く人達からあの人の信念が伝わってきました」

――……そう。ジャミルはいい仲間を持ったわね。私もいつしか忘れていた、あの言葉をこんなにも大切にしてくれるなんて……。私もそれに応えなきゃ。

「……いいんですか?」

――ええ。未来を作るために、私のもう一つの力を使うわ。




*** 同時刻  太平洋 オルク艦周辺 ***

――ジャミル

「ルチルか!?」

 振り下ろされたクローを危うい所でかわしながら、GXは後退噴射でベルフェゴールから距離を取った。
 我武者羅に追ってくるベルフェゴールに牽制のビームを放ち、直進させないことで徐々に引き離していく。

――ジャミル、フラッシュシステムを使いましょう

「フラッシュシステムを……? だが、私にはもう……」

 力がない、という言葉を食いしばった歯の間から零した。

――大丈夫、私が力になるから

 ィィンという耳鳴りとともに、ジャミルの中に何かが入り込んでくる。
 懐かしい感覚。ルチルがまだ連邦軍の教官だった頃に何度も行ったビットの操作補助のための精神共感だ。

 しかしそんな暖かい感覚もつかの間。

――激痛。
 まるで焼けた鉄の棒を耳から頭へと突き込まれるような激しい痛みがジャミルを襲う。

「ぐぅうう、ぁあああああああっ!!」

――がんばって、ジャミル!

「うぅ、ぐううううっ!」

 ルチルが共感を強めるのに合わせて痛みは更に激しさを増す。
 幻は実際の痛みとなり、ジャミルの両の耳からは赤い筋が流れ出す。まるで穴のあいた風船のようにルチルから注がれた力はジャミルから流れていった。

――届かない。

 かつて己が力を奮っていた高みに、あと一歩。
 一歩分だけ届かない。

「だ、駄目だ! 君と一つになれない……!」

 NTとしての自分を恐れる心が、力を振るった過去の自分を恥じる理性が、幻の痛みを引き起こしルチルの接触を遠ざけようとする。
 今ここで戦うために必要な力だとは分かっていても、心の深い傷に潜む闇は決して己を許さない。

 戦争が生んだジャミルの後遺症。99億人を殺した大罪人が背負うには当然の咎であり、この世界の誰も共有できない彼だけの心の傷である。

――ジャミル……

 ジャミルの心の傷の余りの深さにルチルが諦めかけたその時、




――〝シャキっとしろよ、ジャミル!”



「――――ッ!!」




――"こんなヘボに負けんじゃねぇ! リリアント教官にお前の格好良い所を見せてやれよ!!〝



 どこか遠い場所から懐かしい声が聞こえた気がして、ジャミルは額から薄い光が弾けるのを感じた。



「――に、兄さん! Gビットが!」

 オルバの声が驚愕に震えている。

 パイロットの脳波を感知したGXはフラッシュシステムを作動させ、周囲のGビットに招集命令を下す。
 隷下となったGビットが、下知に駆けつける騎士の如くオルク艦を飛び出し主君たる王の元へと集った。

 円陣を組み、脳波リンクを確立したその姿。
 およそ15年ぶりに、ニュータイプ用決戦兵器"ガンダム"がその完全な姿をこの地上に現した瞬間だった。

「――馬鹿なっ!? ジャミル・ニートは能力を失ったはず……! ――ッ!? いかん、オルバッ!」

 戸惑う兄弟目掛けてGビットの一撃が突き刺さる。

 王を得た12機の騎士達は15年前の姿そのままに、サーベルとライフルを構えフリーデンに迫るドートレスの大隊に吶喊していく。

 すぐさま反撃の弾幕が張られるが、Gビット達は無人機故の非常識な回避機動を繰り返して装甲に掠らせもしない。
 恐るべき速度と精度でそれぞれ一瞬でドートレスフライヤーを捉えると瞬く間に幾つもの火球の華を上空に咲かせた。

 ただ一人のニュータイプが発揮した想像を絶する力に、ここまでドートレスを運んできた空母ドリテアのブリッジは凍りつく。

「――アイムザット統括官。このまま戦闘を継続しますか?」

 一瞬で手勢の半数を失い呆然とするアイムザットにシャギア・フロストの声が響いた。

「撤退するしかあるまい……すぐに部隊を――いや、待て! ベルフェゴールは何をしている!?」

 戦場の端がわずかに光る。
 アイムザットがソレに気づいた次の瞬間、光源から放たれた巨大なエネルギーの奔流がドートレスの中隊ごと4機のGビットを飲み込んで消滅させた。

『殲ッ滅!! 敵の殲滅を、最優先を殲滅に、敵の殲滅ヲォォ!!』

「――C-01、何をやっている!? 我々は撤退するぞ! 聞こえているか、撤退だ! ――クソッ! C-01に鎮静剤を投与しろ! ヴァサーゴとアシュタロンに回収させるんだ!」

「――だ、駄目です統括官! 機体が我々のアクセスを拒絶しています!」

「なんだと……!? 馬鹿な! こんな事にならないよう、システムには何重もの安全装置を施しておいたはずだ!」

「あ、安全装置が侵蝕を受けて次々とエラーを起こしているんです! ――パイロットの保護機能、今掌握されました!」

「ぼ、暴走……だと? システムが意志を持っているとでも言うのか……、――全軍は安全圏まで退避! ベルフェゴールが動かなくなるまで戦闘には介入するな!」

 アイムザットが宣言した瞬間、新たなソニックスマッシュ砲の火線が起こり一機のGビットを包み込む。
 その余波でバーニアをやられたエアマスターが黒煙を上げながらフリーデンのデッキへと不時着した。



「敵敵敵敵敵敵敵敵、てきてきてきてきてきてきてきテキテキテキテキ!! 敵はどこだァァッ!!」

「――くっ、止めるんだ! 戦争はもう終わった! 私とお前は、もう戦わなくてもいいはずだ!」

 三度、今度はフリーデンに向けてソニックスマッシュ砲を放とうとするベルフェゴールの元へGXが飛び出す。
 続いて飛び込んだ2機のGビットがベルフェゴールを押し出し、巨大なビーム光は危うい所でフリーデンを掠めて水平線の向こうへと吸い込まれていった。

「ォオオオオオオオーー!」

 ベルフェゴールの怒りの咆哮。
 両掌から伸びたヒートワイヤが蜘蛛の巣のように2機のGビットを絡め取り、腐った果物を握りつぶすかのようにGビットを赤熱した無数の破片へと変える。

 反撃に飛び出した別のGビットのサーベルの一撃が肩のジョイントを断ち切り、ベルフェゴールが左腕を肩から失った。

――可哀想な人。完全にシステムに取り込まれてしまったのね。

「ルチル、助けられないのか!?」

――遅過ぎるわ。彼の心は肉体から引き剥がされて、ベルフェゴールに飲み込まれてしまった。今機体から下ろせば、永遠に魂がシステムに囚われたままになってしまう。

「――くっ!」

――ジャミル、この人を解放してあげて。この15年間、彼はずっとあなたと戦いたがっていた。あなたの手で彼の戦争を終わらせてあげて!

「……討つしかないのか」

 ようやく会えたニュータイプ。
 救うべき相手を己の手で殺さなければならない。
 葛藤に身を震わせながら、それでもジャミルは戦う事を決意する。

 ベルフェゴールは度重なるビームマシンガンの攻撃によって装甲に無数の亀裂が入り、切り取られた左肩からは電流のスパークと血のようなパルスオイルが流れ出している。
 疑い無く満身創痍の体だが、ベルフェゴールが放つプレッシャーはいささかも衰えない。
 それどころか――

「ジャミル・ニーーートォ!!」

 だらりと長く伸ばされた右腕のアームクロー、咆哮とともにその先端から限界以上に伸びたビームサーベルが一閃される。
 ほとんど槍のような長さまで伸びたビーム刃の威力に、範囲を見誤った2機のGビットが両断された。

 カタログスペックではありえない、全く理不尽なほどの強さ。
 ベルフェゴールの餌食となったパイロットの心に刻まれた底知れぬ恐怖と絶望がフラッシュシステムを介してこの機体に力を与えているのだ。

「――くっ!」

 突撃したGXがハイパービームソードで斬り合えば隻腕であるにも関わらずベルフェゴールは軽々とこれを弾き飛ばす。

 紫炎のようなオーラを纏うベルフェゴールが更に一機、異形の巨腕でもってGビットの頭部を掴み、握り潰す。

 一人の哀れな男の魂を飲み込み力を得た魔王に対して、GXを守る騎士は残り3機になってしまった。

――ジャミルッ!

「わかっている!」

 気迫と共に今度は3機のGビットが一斉にベルフェゴールに向かう。
 あまりの性能差にビームの干渉光が瞬く度にGビットは木の葉のように追い散らされるが、三度目の鍔迫り合いを行おうとした瞬間サーベルを捨てた一機がベルフェゴールにしがみつき、動きを止めた所に更に他の二機までもが武装を捨てて取り付いた。

「――こんな物は、もう要らないんだ!」

 振り払おうとするベルフェゴールに先んじて、GXのビームマシンガンの三射がGビットの機関部を正確に貫く。
 3基分の核融合炉の爆発は白輝の火球となり、太陽にも匹敵する超高熱の中へとベルフェゴールを飲み込んだ。

「オォォォォ!!」

――ベルフェゴールは未だ健在。

 それを予期してしていたジャミルはフットペダルを限界まで押し込み、50mを超える巨大な火球の中へGXを突っ込ませる。
 金属の悲鳴が嘶き、ディバイダーを突き出したGXが、装甲を燃やすベルフェゴールと激突した。
 もつれ合う二機のガンダムはお互いの装甲の破片を撒き散らし、ルナチナニウムの粒雨りゅううが太平洋に軌跡を残す。

「ォオオオオオオ!! ジャミル・ニィートォッ!!」

 ベルフェゴールのコックピットへ突きつけられたディバイダーがスライドし、ハモニカ砲の19門の発射口が光を集め始める。

「――私が生み出した戦争の亡霊よ! せめて……せめてこれ以上苦しませはしない!」

 血を吐くようなジャミルの言葉。

 GXのコンデンサーから膨大なエネルギーを受け取ったハモニカ砲はゼロ距離でもってビームを撃ちだす。
 メガソニックにも匹敵するほどのエネルギー量のビームブレードは一瞬だけベルフェゴールのオーラと拮抗したが、すぐに装甲を融かし始めついに悪意の中核であるシステムとコックピットを焼き切った。

――オ、オ、オ、オ、オ、オ、オ、ジャ……ミ……

「………………」

 コクピットの喪失に加え胸部のソニックスマッシュ砲にまで被害を受けたベルフェゴールは力を失う。
 小爆発を起こしながら太平洋へと沈むベルフェゴールを、ジャミルはいつまでも見送っていた。





***同日 オルク艦 艦載格納庫***

 Lシステムを巡る全ての戦いが終わった。
 すでに陽は西の海に傾き、青い海をオレンジに染めつつある。

 フリーデンのクルーと共に放棄されたオルク艦に乗り込んだジャミルはそこで15年ぶりにルチル・リリアントと再会した。
 本来ならばルチルをLシステムから降ろして、行われるべき儀式。
 だがジャミルはLシステムに触れようとしないし、ルチルも相変わらずティファの体を借りたまま。

「……ルチル」

「また会えて嬉しいわジャミル。これでもう思い残すことは何も無い」

 感動のハッピーエンドだと言うのに何か悲壮感の漂う二人の様子にフリーデンのクルー達は揃って首を傾げた。

「私の中にあった最後の力をつかったの。これで全てが終わるわ」

「「「「――――ッ!?」」」」

「どうせわずかな心しかない私だもの。ねえ、ジャミル。私が死んだらもといた海に沈めて。海の底は静かで安らいだ気持ちでいられたから」

 歌うようなルチルの懇願に、ジャミルは深く頷いた。

「――ルチル、一つだけ教えてくれ。あの時、私を助けた声……彼はどこかで生きているのか?」

「わからないわ。今はもうあの気配は感じない。でも、一つだけ教えてあげられる。少なくともあの子はどこかとても遠い場所で、ずっとあなたを見ていた」

「……彼は私を恨んでいるだろうか?」

 その疑問は15年間ずっとジャミルの中で燻り続けていたものだった。

 ジャミルは彼の全てを奪ったといってもいい。
 連邦軍最強の座も、命も、最後に約束した平和な世界の夢も。

 戦友でありライバル、そして兄のような存在であった彼がもし生きて現れたら自分をどれほど恨むだろうか。

「――ふふっ。馬鹿ねぇ、ジャミル。仮に恨んでいたとしたら、そんな相手に向かって"シャキっとしろ!"だなんて言葉が出ると思う?」

「それは……」

 ジャミルのそんな内面を見透かしてクスクスと笑うルチル。
 思いがけない答えを受け取ったジャミルは大いに狼狽えた。
 二人の様子は15年前と変わらない。教官と教え子の姿そのままだ。

 ひとしきり笑った後、ルチルの足どりがフラフラとし始めた。

「なんだか眠くなってきたわ。きっともうそろそろね。とっても気持ちがいい……なんだか夢を見ているみたい」

「すまない……。結局、君を助ける事ができなかった」

「いいのよ。私嬉しかった。大人になったあなたに会えて」

「………………」

「――さようなら、ジャミル」

「――ああ、おやすみ。ルチル」


 力を失ったティファの体をジャミルが受け止める。
 そのサングラスは遥か遠く、ルチルの思念が溶けて沈んでいった茜色の海原に向けられている。

 どこまでも広大な夕日と海に囲まれたジャミルの背中は、わずかだが重い物が取り除かれたようだった。





***同日 ゾンダーエプタ島 大型艦船ドック***

 日が落ちて数時間の後。
 通常シ警備から夜間警戒態勢に移ったゾンダーエプタ島のドックにオルバ・フロストが降り立った。
 出迎えるようにドックの照明の影からシャギア・フロストが現れる。

「――大破したベルフェゴールの回収が完了したよ、兄さん」

「ご苦労だったな、オルバよ。C-01はどうだった?」

「バーベキュー……と言いたい所だけど生憎、欠片も残っていなかったよ。例のシステムの方もブロックごと完全に融けていた」

「そうか。それは都合がいいな。アシュタロンとヴァサーゴの兄弟機にあたるガンダムベルフェゴール、この機体の稼働データを得られれば我々の機体は更なるパワーアップが可能になる。その際に連邦軍に余計なシステムを組み込まれては困る」

「ベルフェゴールはこの後中央アジアのニュータイプ研究所に送られるらしいね。機体の修理しながらビームサーベルやフラッシュシステムのログを解析してあの異常な戦闘力の原因を突き止めるんだって」

「――となると、そろそろあの場所を葬らねばならんな」

「そうだね。僕達には扱えない力――そんな物を研究させるわけにはいかない」

 ニュータイプ研究所。
 フロスト兄弟にとっては古巣であり、自分たちにカテゴリーF――ニュータイプの出来損ないの烙印を押した憎むべき場所だ。

 彼らには力があった。
 兄弟二人、どこにいてもお互いに通じ合う異能。
 ツインズシンクロニティ、あるいはツーマンテレパシィ。
 既存の物理や科学を凌駕するその能力はしかし、フラッシュシステムに対応しないという理由によって誰からも評価されなかった。

「ねえ兄さん。僕はC-01……いや、ああなる前のロビオ・アラーナに会ったことがあるよ」

「ほう」

「嫌な奴だったよ。自分の持つ力を鼻にかけて、ニュータイプでない人間は全て自分より劣っていると言っていた。その後、実験が始まってアイツの悲鳴が一日中部屋で聞こえた時は楽しかったなぁ」

 その時のことを思い出したのか、恍惚とした表情のオルバ。
 そんなオルバの肩をシャギアが優しく叩いた。

「オルバよ、わかっているな? 我々は全てのニュータイプを駆逐する。特別な力を持つのは我々だけでいい」

「そうだね、兄さん。もうすぐ次の戦争が起こる。そうなれば今度こそ、僕達の時代が幕を開ける」

 夜の闇に浸されたドックは野心と憎悪に燃える兄弟の周囲から更にくらい色に染まっていく。


――第7次宇宙戦争が生み出した人魚と魔王は倒れた。

――次に訪れるのは新しい世代による新しい時代。


「我々は全てを勝ち取る。そして戦いに勝利したその後に――」

「――僕達は新しい存在"ニュータイプ"と呼ばれている」


――しかしニュータイプの呪縛から抜け出せない世界は、再び歴史を繰り返す方へと進み始めていくのだった。





***
お待たせしました。
今回はAW世界、ローレライの海編になります。
書く前は原作があるんだからすぐに作れるだろうと思っていたのに、まさかアニメの活字化がこんなに難しいとは……。
セリフを並べて情景描写するぐらいなら簡単なんですけど、原作の台詞回しを使わなければならない上に、隙間を埋めて盛り上げるために必要な感情描写や設定挿入などが自分の頭の中の物ではないので、結局またしても難産でした。

追記  おお! タイトルを作中で使っていなかった!




[32864] 20、「ようやく来たか」
Name: 大蒜◆9914af20 ID:86f1a2a8
Date: 2013/06/24 00:41
20、「ようやく来たか」~Muv-Luv:Reduced Moon~



***1989年12月16日 8時00分 日本帝国 千葉県 成田国際空港***

――1989年。
 この年、国連が月周回軌道上に設置したSHADOWが成果を上げた。
 二度にわたるBETA着陸ユニットの飛来を受け、国連安保理が1975年に構築を決定した月軌道監視網・L1早期核投射プラットフォーム・地球周回軌道核攻撃衛星群による最終迎撃ラインの3つを柱とする対宇宙全周防衛拠点兵器群「シャドウ(SHADOW:Spaceward Hardwares for All-Round Defensive Ordnances and Warheads)」がついにその有用性を証明したのだ。
 月面より飛来したBETA着陸ユニットと思われる物体に対し、対宇宙全周防衛拠点兵器群 SHADOWによる迎撃を初展開、この軌道を逸らせることに成功する。
これによって人類が何よりも恐れていた後方国家へのハイヴ建造による対BETA二正面作戦の可能性は回避することができた。

 そしてこの年の日本帝国は治安良好にして大陸戦線の活発化に伴う軍需によって経済も好調。
 極東最大にしてもはや唯一の経済大国となったこの国の玄関口、成田空港に極北の国から二人の姉弟が降り立った。

「ここが日本かぁ……私、ついに外国に来ちゃった」

 少女が感慨深げに辺りを見回す。

 2人がいるのは千葉県成田市に11年前に建設された成田国際空港だ。
 東京へのアクセスの不利や面倒なチェックが多いせいで羽田空港ほどの利用客は無いが、羽田と違って米軍に航空管制権を握られていないのでソ連の旅客機の発着はこちらが主になっている。
 成田自体は温暖な千葉の中でも比較的内地にあり、周囲に大きな山が無いせいで冬はやや厳しい。

 とはいえそこはロシア人である二人。この程度は涼しいくらいにしか感じない。
 二人は祖国を出立する際にコートと毛皮の帽子―ロシア人のシンボルであるウシャンカ帽―を用意していたが、この予想外の気温のせいで今や余計な荷物となっていた。

「おい、見ろよリュー、食い物屋に蛸≪シミノォク≫の絵が描いてあるぞ! 日本人≪ヤポンスキ≫お得意のゲテモノ料理だ! 行ってみようぜ!」

「ちょ、ちょっと待ってよ! 私達、まだルーブルしか持ってないのよ!」

 リュドミラは置いて行かれまいと慌てて荷物を掴んで走り出した。
 その途中でなんとか両替所を見つけ旅行用の財布の中身をすべて円に両替してもらう。

 彼女がようやく店にたどり着けばユーリーはすでに注文を終えていて、店主がレジに数字を打ち込んでいる所だった。

「おい、美味いぞ! 見えなきゃタコも食えるもんだな」

「むぅ……」

 リュドミラに半分残した皿を差し出し、唇についたソースを舐めとるユーリー。
 納得いかない様子でリュドミラは支払いをしながらソレを受け取る。

 お店で出していたのはたこ焼き――ボール型のピザのような食べ物だった。
 後方国家の日本にも食糧難の余波はあったらしくタコ以外の食材は合成物であったが、それでも前線で出すカロリーと見た目だけの食事とは雲泥の差だ。

「思ったより高かったわ……あれだけあったルーブルがエンになるとこんなに心細くなるなんて……日帝恐るべし」

 財布を握りしめて戦慄するリュドミラ。
 舟の半分を食べてたこ焼きの味には納得したが、たかが軽食で500円も取られるとは思ってもみなかった。

「ルーブル安の円高だしな。大陸の戦況悪化で安全な南半球や島国に資本や産業が集まってる。台湾や東南アジアと違って大規模な米軍基地を抱えて戦術機の独自開発を行っているこの国は今一番狙い目の投資先になってるんだ。ま、どうせ国に帰っても前線勤務で金の使い道なんてないんだし、今日は旅行と割り切ってぱぁ~っと遊ぼうぜ!」

「ぱぁ~っとって言われても……、スケジュールはどうなってるの?」

「18時にヨコハマの白陵迎賓館って所でレセプションが行われるらしい。一応博士から代理の一筆もらってるけど、俺達はどう見ても子供だからな。面倒くせえ事聞かれないようにギリギリに入る。トーキョーならどこでも寄れるぜ」

「ふーん。……あ、そうだ。私この国のスポーツが見たい」

 ポンと手のひらを叩いてリュドミラが言った。

「日本のスポーツ……? あの大男が裸で戦うスモーってやつか? それなら多分チケットとれるぜ。ザンギエフのおっさんの知り合いにオーゼキタイトルがいたはずだ。セラウィクの葬儀に来てただろ? あのやたらと声のでかい歌舞伎男」

「ううん、スモーじゃないわ。もっと別の物よ。このガイドブックによると400年以上前から伝わる|日本人≪ヤポンスキ≫究極のスポーツがあるんだって」

 彼女が広げて見せたガイドブック――どこで手に入れたか気になる胡散臭い出版社の物――の挿絵には白い陣羽織をはだけて上半身にサラシを巻いたサムライの姿がある。
 どこかの野外で大勢のギャラリーに囲まれる中、鬼気迫る表情で佇む姿はまさしく試合に臨むアスリート、という風にユーリーには見えた。

「この絵、どっかで見覚えがあるな……? けど、究極のスポーツなんて代物だったか?」

 ガイドブックを見るが競技の名前と挿絵以外は大した情報が載っていない。
 国交の少ないソ連に伝わっている程なのだから、よほど有名なスポーツなのかもしれないと推測できる。

「ねえユーリー。とりあえず東京の方に行ってみましょうよ。横浜までの通り道だし、途中で〝国技館"って場所に寄れば実際にこれを見られるかもしれないわ」

「そうだな。俺たちも少しは日本語喋れるし、向こうで誰かに聞けばわかるだろ。えーっと〝ワタシワ"……なんだっけ?」

「ふっ、まだまだ勉強が足りないわね。いい? 私達ナァスは"ワタシタチ"、見たいヴィーデチは"ミターイ"だけどこの場合は丁寧語になって"ミセテクダサイ"。だからこの場合は――」

 文章が続かず、日本語の教科書を取り出したユーリーに先んじて、リュドミラが胸を張って鼻高々に言い放つ。

「――"私達にセップクを見せてください"って聞けばいいのよ!」


 あまりに間違えた彼女の発言に、周囲の日本人達が一斉にズッコケた。




***12月16日同日 17時30分 神奈川県横浜市柊町 第2児童公園***


「ふぃ~遊んだ遊んだ」

「お城、凄かったね」

 夕暮れから夜へと差し迫った柊町の公園のベンチで休む二人。
 今日はほぼ一日かけて成田から両国、日比谷、お台場、浅草そして横浜を回ってきた。
 二人は前線はもちろんソ連のセラウィクですら見られないような土産物や食べ物を見つける度に、財布を軽くしながらしながら日本を満喫していったのだ。
 レセプションの開始まではあと少し。既に日は沈みかかっていて街では街灯が灯されている。
 再び遊びに向かうには短過ぎ、しかしただ立っているには長すぎるこの時間のために、二人は偶然通りかかった公園に腰を落ち着けることにしていた。

 公園自体は少し高い場所にあるのか、ここからは町全体が見渡せる。
 街には各家庭に電灯が通い、どの民家からも夕食と風呂の準備によってアチコチから暖かそうな湯気が上がっている。穏やかでありながら賑やかな光景。
 電力制限や24時間の工場可動によって常に誰かが働いているセラウィクでは有り得ない、眩しいほどの平和の光景だ。

「……いい国だな。BETAもいねえし飯も美味ぇ。緑もあるし何より活気がある」

「そうだね。歩いてる人達、みんな暖かい色してた」

「外国語を喋れる奴が少ないってのは難点だけどな」

「――だねっ! あはははっ!」

 成田空港を離れる際に日本人たちが身振り手振りで一生懸命本来の"セップク"について説明しようとしていた様子を思い出してリュドミラは笑い出した。

「あ、誰か来るよ」

「……子供?」

 二人の方へ近づいてくるのは気の強そうな茶髪の男の子とその影に隠れる赤い髪の女の子だ。見た感じでは二人はユーリーとリュドミラよりも年下。

 
――や、やめようよ~。あの人たちの言葉、なんだか英語っぽくないよ? ちゃんと通じないかもしれないよ?

――うっせーぞ純夏。本場の英語は聞き取り辛いって先生も言ってただろ。それに大人よりも子供の方が話しやすいに決まってる

 日本語は半分ほどしか聞き取れないが、リーディングで大体の思考がわかる。
 敵意はなさそうだ。

 リュドミラとユーリーがベンチに座りながら二人組を眺めていると、近寄ってきた茶髪の男の子の方がたどたどしく片手を上げた。

「は、ハロー!」

「Привет! (よう!)」

「ぷ、ぷりヴぇ……? えっ?」

 悪戯心を発揮したユーリーの反撃にあって、目論見を崩された男の子は狼狽えた。

「А как тебя зовут?」

「え、ええとその……」

 半泣きになる少年。

「Я из――痛ってぇ!」

 これは面白いとユーリーがさらに畳みかけようとした瞬間、頭頂部に鋭い拳骨が飛んできた。

「イジワルは禁止! ――ビックリさせてゴメンね。私達少しはニホンゴ喋れるよ」

「えっ? そ、そうなのか?」

「うん。私はリュドミラ。それでこっちが私の弟」

「ユーリーだ。あ~~、いてぇ。……ま、日本語なら今日一日でコツは掴んだと思うぜ」

「――あの、お兄さん達は横須賀から来たんですか?」

「ヨコスカ……? ああ、在日米軍の基地か。違う違う。俺たちソビエト連邦から来たんだ」

「ソビエト――って確かロシアの国で、何十年も戦争してるんですよね? あ、あの! 私たちに戦争の事について教えてくれませんか?」

 日本語ができるとわかると赤毛の少女が身を乗り出すようにして聞いてきた。

「――戦争の事を? お前ら、ひょっとして軍人になりたいのか? 止めとけ止めとけ。俺達が言えた義理じゃないけど、ロクなとこじゃないぜ。シンドいし、給料安いし、汗臭いし、上下にうるさいし、朝も早い。あとついでに命も危ない」

「ユーリー、子供の前でそんな風に言っちゃうのはちょっと……」

 ジト目でリョドミラが睨みつける。

「私達、この間横須賀のベースのお祭りに行ったんです。その時にナントカっていうロボットを見て――」

「――ロボットじゃねえ、戦術機だ! それより、教えてくれよ。俺、衛士になりたいんだ! でも衛士ってなるには軍隊に入る前から、いっぱい勉強しなくちゃいけないんだろう? 俺も純夏も勉強苦手だからさ、戦場に近い国の人から色々聞いておきたいんだ!」

「ほぅほぅ」

 二人共かなり積極的だ。
 単なる外国人珍しさで近寄ってきた子供だと思っていたユーリーとリュドミラは素直に感心した。

「その年でフィールドワークとはな。よしよし、勉強熱心な子供達にお兄さん達がちょっと教えてやろう。お前らも知ってると思うが戦術機ってのは最新技術の結晶だ。戦術機ができる動きは人間の体とはかなり違う。空は飛べるし、四重構造の関節は逆に曲がる。それに背中や腕から武器を取り出すための背部兵装担架も付いてる。逆に人間の体ほど器用じゃないし、コンピューターの処理の関係で動作ごとに硬直もある。とにかく人間のカラダと全然構造が違うんだ。それらの機能を効率的に運用するためには――って……」

「「………………」」

 気づけば茶髪の少年は目を虚ろに、赤毛の少女はポカンとしている。
 年齢以上の熱意を持っていると言っても、所詮は小学生だった。

「難しすぎたか……。要するにイメージだよ、イメージ。自分が脳みそだけになって直接操縦する所を想像しろ。手足を動かしてレバーやペダルを操作するんじゃなくて、自分が求める動きを直接機体に反映させるんだ。早く前に進みたきゃ、ドシドシ走るんじゃなくてブワーって飛ぶんだよ。腰のロケットも背中のアームも、戦術機の機能を付属品じゃなくて自分の体の一部だと考えられるようになれば、衛士になるのなんて簡単なもんさ!」

「なるほど……」

「お、今度はわかったか?」

 理解の色を示す少年に安堵するユーリー。
 だが――

「いや、ほとんどわかんねえ。でもそこで目を回している純夏よりはマシだぜ!」

「そ、そそそそそんな事無いよ、バッチリだもん! 大体、私のほうがちょっぴりお姉さんなんだからね! 年下にわかって年上にわからないわけないじゃない!」

「はははは、やっぱ純夏は馬鹿だな! 残念でした。俺は今日が誕生日。お前と同い年だぜ!」

「――あっ、そうだった……。あうあう~~」

「……そういえば、お兄さん達も俺と純夏とそんなに年は変わらないよな? どうしてそんなに戦術機のこ」「あ――――っ!」

 少年の言葉を遮ってリュドミラが絶叫を上げた。
 彼女はベンチを立ち上がるとそばに置いていたトランクケースを大急ぎで引き寄せる。

「ユーリー! 時間!」

「ん? ――おっ? うぉおおおおお!?」

 公園の時計が指す時間は6時10分。迎賓館はここから車で5分の距離とは言え完全に遅刻だ。

「やべぇ! 急いで着替えないと……おい、お前ら! ちょっと荷物見ててくれよ!」

「ええっ?」「ふぇっ?」

 慌てた様子でビニールに包まれた服を持って茂みに消えていくユーリーとリュドミラを二人は呆然と見送る。

 それは果たしてどんな早業か。一分もしない内に服を着替え茂みを出てきたロシア人の姉弟は赤星付きの完璧な正装――ソビエト連邦陸軍の二種軍装の姿をしていた。
 二人の変身に驚きながらも、少年はその胸元に煌く翼の紀章に気がつく。

「あ、あんたら、そのウィングマーク……!」

「ごめんね、二人共! 私達これから用事があるの!」

「少年とスミカ! もし軍隊に入って訓練が厳しくても挫けるなよ! 好きな人、好きな場所……なんでもいい! 一度何かを守りたいと思ったら、どんな時でも絶対に譲るな! ――ヘイ、タクシー! 白陵迎賓館だ!」

 リュドミラとユーリーはそれだけを告げると、風のような速さで公園を飛び出し通りかかったタクシーを掴まえる。
 タクシーはタイヤを焦がしながら急発進し、話のお礼どころか挨拶をする間もなく二人は行ってしまった。

「……なんだかすごい人たちだったね」

「……そうだな」

 平和な日本で育った幼い二人には、前線国家で育つ実感を込めた言葉を完全には理解することはできない。
 だが彼らの言葉が大げさだとは感じない。子供ながらの直感で、彼らが言おうとした事はとても大事なのだと感じ取っていた。

「なあ純夏。俺やっぱり大人になったら軍人になるよ。軍隊に入って衛士になればあの外国の人達が言ってた事がわかるかもしれない」

 ポツリと呟いた少年の背丈は年相応に小さい。
 だが少年をずっと見てきた少女にはこの短い時間だけで彼が少しだけ大きくなったように見えた。

「仕方ないなぁ。じゃあ私は武ちゃんのロボットを直す整備士になるよ。そしたら私達ずっと――」

 赤毛からピンと跳ねた少女の髪の一房がクルクルと動いてハートマークを象る。
 続くセリフは彼女にとって一生に一度の大勝負となるはずだったのだが――

「――はぁ~!? 整備士ぃ~~? おい、純夏、お前なんでそんな地味なのになろうとしてんだよ?」

「なぁっ!? そ、それは、……ゴニョゴニョ……整備士と衛士との恋愛は鉄板ってラジオドラマで……ゴニョ……」

「小声で喋るなよ、聞こえないぞ。それより俺が衛士になってもお前の整備した戦術機なんて絶対乗らねえからな。お前のことだ。うっかり部品何個か忘れてそうだ」

「う、うるさいなー! 整備士を馬鹿にしたら許さないんだから! 謝れ! 世界中のうっかり整備士さんに謝れ!」

「……馬鹿だ。やっぱ馬鹿だわ、お前」

「ムキィーーーーッ!!」

 周囲はすっかり暗い。
 二人は賑やかに家路を急ぐ。

 子供たちは迎賓館で何が行われるか知る由もなく、横浜柊町は今日も平和を謳歌していた。



***同日 18時15分 柊町白陵迎賓館***

 やたらとノリのいいタクシー運転手にお礼を言って、姉弟は目的地の迎賓館へと降り立った。
 迎賓館の門に立っていたボーイに招待状を見せてその白亜の扉を開く。

 オレンジ色に煌くシャンデリア、吹き出す暖房の熱気と料理の匂い。
 先進戦術機技術開発計画という近未来を語るレセプションであるにもかかわらず、会場はまるで中世の舞踏会のようだった。

 世界中から集められた技術者(大半は無名の人物)は煌びやかな照明の中で皆料理を片手にお互いの情報交換に勤しんでいる。その中には談笑しつつ油断なく周囲に目を配っている者もおり、少なくない数の諜報部員がここに紛れ込んでいるようだ。

「東郷って人はどこかしら?」

「わかんねえ。でもここに残っている奴らは殆どが金を掠め取る事しか考えてない詐欺師かスパイばっかりだ。もしトーゴーって奴がそんな中にいれば身動きが取れなくなる。きっとどっか別の場所で目当ての奴らを待ち構えているはずだ」

 ユーリーはキョロキョロと周囲を見回すが迎賓館の中は中央ホールは広く、人通りも多い。
 さすがのリーディングも、名前しか知らない相手のイメージを捉えるのは困難だった。

「別れて探しましょう。一人一人読んでいけば、誰か居場所を知っている人がいるかもしれないわ」

「ああ」

 頷いて、リュドミラと分かれて人ごみの方へと歩き出す。

 会場には老若男女国籍を問わない多くの集団があったが、大まかに官僚や議員らしきグループと技術者のグループに分かれているらしい。
 周囲の色をリーディングで捉えながらユーリーは前者のグループの方へと近づき一人一人の表層を"見て"いく。ふと、そのグループ中でも殊更派手な装いをした集団の中にザラついた思念を感じた。

(………………?)

 思念は感じる。だが、色が見えない。

 肉眼で確認しようにも、思念の主は背が低いらしく大人達の中にあってその姿が見えない。
 もっとよく見ようと、背伸びしたその時――

「――これ、そこの露助ろすけ。名も名乗らずに妾を盗み見ようとは、無礼が過ぎるのではないか?」

「――――ッ!」

 凛、と女の声が響いた。
 まるで使用人にベルを鳴らしたかのように、それまで集まっていた人だかりをユーリーに向かって二つに割れる。

 下僕たちの中央に居たのは14、5の少女だった。
 白皙の肌に磨かれた銅線のごとき赤銅あかがね色の髪を翻し、孔雀の尾を写したような深い緑色の瞳が勝ち気に光っている。胸元には大きなロザリオ、瞳と同じミントグリーンのドレスを身に纏い、キセルから煙を吹かした少女は視線を下から上へと向け、舐めるように自分を品定めしていた。

 驚嘆すべきはその存在感。
 とにかく格が違う。この煌びやかな会場の中でも更に彼女の周囲だけが極彩色で描かれたようになっている。

 貴族――いやそれ以上。王族だ。

生憎今まで一度も高貴な人間とやらに会ったことの無かったユーリーだが、たった今彼女を見て特殊な血統の意味を否が応にも理解させられた。 

「――ふむ……其方、名はなんと申す?」

「ソビエト連邦陸軍のユーリー・アドニー・ビャーチェノワ中尉です姫殿下」

 やや緊張しながら、しかし礼を欠かないよう背筋を伸ばす。
 当てずっぽうで姫と言ったが周囲の取り巻きの反応がない事からこれが正解なのだと知れた。

「そうか。妾はアロウラ・エルナディス・マリーア・デ・サヴォイア。スペイン国王アマデオ2世陛下が第3王女である」

「サヴォイア……?」

 うろ覚えの記憶によればスペイン王室といえばブルボン家。世界でも最も権威のある王室の一つだったはずだ。
 元いた世界では王政こそ廃止されて久しかったもののスペインのブルボン王家は国家の顔としてニュースに登場していたはずだ。

 そんなユーリーの僅かな逡巡を見て、王女の視線が鋭く凄みを帯びた物になる。

「ほう……そなたこちらの・・・・歴史には疎いらしいな。ところでユーリー某、もし妾が"昔の官姓名を名乗れ"と問うたら、そなたは何と答える?」

「――――ッ!!」

 先ほどのザラついた感触を思い出す――彼女も進化した人類、それも力に慣れた強力なニュータイプだ。
 加えてこの質問で彼女が自分と同じ東郷一二三が呼び寄せた"記憶持ち"の一人なのだと確信した。

「――思い出せません。しがないエースパイロットでした」

「……ふ、はははっ! なるほどのぅ! その年でエースパイロットときたか! あいわかった。――これ、そなた達。妾は少し酔ってきたので休む。後はこの露助にエスコートを任せるゆえ、この場はお開きといたせ」

 ユ-リーとアロウラ意味不明のやりとりに周囲の取り巻きは頭に幾つもハテナマークを浮かべていたが、王女の命令とあっては仕方がない。渋々といった様子で散っていく。
 周りに人がいなくなったのを確認したアロウラはキセルとワイングラスを手に会場の奥へと歩き始めた。

「なあ、おい! あんたもあのガンダムの設計図を見て来たんだろ? 俺と同じ地球連邦軍の人間だったのか?」

 ユーリーは取り巻きがいなくなったのを確認して、素の口調に戻す。
 一国の王女に話しかけるにはあまりに馴れ馴れしい態度にアロウラは目を丸くした。

「そなた、存外肝が太いのぅ……まあよい。以前の妾は地球に降りたことは一度もないコロニー生まれのコロニー育ちじゃ。もっとも、今生はコロニーどころか宇宙に行けるかどうかもわからんがな」

「コロニーつーことは、宇宙革命軍の側か……――ああ、別に前世の恨みがどうこうってわけじゃないぜ。同じ世界の人間だって確認したかっただけだ」

 空気を悪くしないよう、ユーリーはにこやかに笑いながら手をヒラヒラ。
 だがアロウラは振り返ると、こちらを推し量る冷たい氷のような視線を向けた。 

「宇宙革命軍……? ……これ露助、東郷の手紙で気になったのは本当に設計図だけか?」

「ああん? そりゃ、大事なモンだし一応何度か読み返したけど――」

 首を傾げて記憶を漁るが、送られてきたのはガンダムの設計図とV作戦とやらの計画概要、それに今日のレセプションへの案内だけ。

「――大事なのはあの設計図だけだろ。ガンダムって名前を合言葉にして、俺達みたいな記憶持ちをより分ける気なんだろうさ」

「そうか……」

「それより、どこに向かってんだよ」

「そなたも東郷とやらを探しているのであろう? 生憎、妾はこの会場に一番乗りでのぅ。大体の目星はついておる。あそこの奥の扉じゃ。先程から何人かそれらしいのがあそこへ入って戻っておらん」

「ん? ……――――――ッ!」

 彼女の指の射す方――誰も通らないような通路の奥に一つだけ、宇宙ステーションで使うようなエアロックのドアがある。
 ドア一枚を隔てた空間から放たれる猛烈な威圧感を受けて、ユーリーは体中の毛が逆立つような感触を覚えた。

(ちょっと顔合わせのつもりだったが……これはこれは。俺、とんでもねぇ化物共の巣窟に来ちまったみたいだな)

 あの中に東郷がいるのは間違いない。リュドミラを呼ぶという選択が意識の端に昇るがすぐに打ち消した。
 あんな人外魔境に入ってもし何かあっては、さすがの自分も姉を逃がしきる自信はない。

 怯んで足を止めたユーリーに対し、隣りのアロウラはワインを空けながら自室に戻るような気軽さでプレッシャーの元へと近づく。
 彼女がドアの端末を操作すると、あっけないほど簡単にそのドアは開かれた。

「――ようやく来たか」

 男の声。

 そして次の瞬間、ユーリーは7人の死神の視線を受けた。

「――――――ッ!」

 部屋は照明が落とされていて殆ど見回せない。
 暗く清潔で暖かい部屋だが、この部屋からはこれまで自分が渡り歩いてきたどんな戦場よりも死の匂いがする。
 見えるのは唯一の光源――プロジェクターに写された種々の技術情報と壁際に沿って立っている7つの人影だけ――

 いや、隣にいたアロウラがなんでもないように部屋に入り、その輪に加わるのを見てユーリーはこの人の死神が全員、自分と同格以上の実力を持つ恐るべき猛者達である事を理解した。

「――二人共、よく来てくれた。私は国連軍所属の東郷一二三とうごうひふみ中尉だ」

 闇の中からプロジェクターの光に照らされて男が現れた。
 国連軍の軍服を着て、肩までかかる長い髪に釣り上がったキツネのような顔をしている。パーソナルデータによれば今年で19歳。東郷一二三という人間は想像に反して線の細く神経質そうな男だ。

「アロウラ・エルナディス・マリーア・デ・サヴォイアである」

「ユーリー・アドニー・ビャーチェノワだ」

「――対価は持ってきているな? データなら端末に、書類ならスキャナに入れる」

 差し出された東郷の手にユーリーとアロウラが事前に用意しておいたデータスティックを乗せた。
 部屋の奥へと戻った東郷がプロジェクターに接続されたコンピュータにデータスティックを挿入する。

「――79年型のチタン・セラミック複合材にヘリウム3を使わない小型核融合炉。……素晴らしい。これで全てが揃う」

「………………」

 ガスパロフには自信のある風に言ったが、今回の遠征はユーリーにとって大きな賭けだった。
 ユーリーが渡したデータスティックの中身は、この三ヶ月間レセプションに間に合わせるためにソビエトの前線全ての光線級掃討跡を駆けずり回って手に入れた小型核融合炉の情報だ。
 後期生産型ドートレスのために開発されたこの主機はガンダムタイプのメインジェネレータとまではいかないが、これまで戦術機が使っていた燃料電池に比べてケタ違いの発電量を得ることができる代物である。
 無論こんな物を流出させたと国家保安委員会KGB《カーゲーベー》に知られれば機密漏洩の角で拷問付きの死刑になるのは間違いない。

 だが重要なのは中核部品とは言え、たった一つの部品分の情報を手に入れるのにロシア中を三ヶ月も回らなければ手に入らなかったということだ。

 ある程度の部品は戦術機のもので代用するにしても、開発が飛躍的に進まなければ、MS――特にガンダムの開発は10年、15年先になってしまう。それまで生きていられるかどうか分からないし、仮に完成してもそこまで戦争が続けばもはや人類の劣勢を覆すことはできないかもしれない。

「さて、諸君。今日は世界各地から遥々ご苦労だった。この部屋に集まったという事は、諸君らが私と同じくこことは違う世界での一生の記憶を持つ人間ということでよろしいだろうか?」

「――――――」

 沈黙。誰も答えない。
 肯定の意味だ。

「よろしい。では前世の名前を思い出せないのも、戦場に出ることで軍事技術を獲得する事も間違いないか?」

「――――――ッ」

 今度は僅かに声が漏れた。ユーリーの物だった。

「私は自分に起こった現象の正体を探るべく幾つかの実験と情報収集を行った。結論から言おう。我々が別の世界の記憶を持ってこの世界に生まれた理由はわからない。だが、もっとも不可解な技術の取得に関してはある程度原因が判明した」

 電子音がしてプロジェクターの画面が切り替わる。
 表示されたのは大きな球体が重なり、小さな粒子がその周囲を飛び交っている原子のモデル図だ。

「――これは米国のウィリアム・グレイ博士が発見した17種類のBETA由来物質、通称〝G元素"の一つ。中でも"用途不明元素"と呼ばれるグレイ・ツーのラザフォード図だ。BETAの着陸ユニットから発見されたG元素はそれぞれ常温超伝導、重力作用など人類がこれまで発見した元素には無い性質が確認されているが、その中でも特に光線属から発見されるこのグレイ・ツーと呼ばれる元素は際立ったものを持っている」

 プロジェクターの画面が動き出し、それまで原子核の周りをランダムに動いていた小さな球が合流し、核の上で天使の輪のようになって回転を始める。通常の元素では有り得ない変化だ。

「グレイ・ツーの周囲にあるのは未知の素粒子だ。この素粒子は普段は電子と同じく原子核の周囲を覆っているだけだが、0,5G以上の重力を受けるとこのように集合し重力に対して水平、時計回りに運動を行う性質がある。この運動状態となったグレイ・ツーは人体で一定量以上集まると今度は素粒子同士で結合を起こし、その後突然不活性状態となる。ここからは私の推測になるが……恐らく素粒子の持っていた運動エネルギーは別の世界の因子を持つ我々の中に入ることで平行世界――隣り合う世界への扉を開いた。そして望んだ情報の対価としてエネルギーが消費されるのだ」

 東郷はなかなか努力しているようだった。
 BETA由来の物質、特にG元素の詳細なんてものはオルタネイティヴ計画に深く関わっているユーリーにも知らされていない。一介の衛士である東郷がそんな高度な情報を得るには相当な資金の投入や危ない橋を渡る必要があったはずだ。

「ちょっと聞きたいんだが――」

 7人が黙って聞いている中、ユーリーが声を上げた。

「要するに俺達が光線属からそのグレイ・ツーって物質を手に入れて、それが一定量を超えた時にあの頭痛が起こるんだよな? その不活性状態ってのはどれくらい続くんだ? つまり技術を得る代わりにそのグレイ・ツーって物質が不活性になるなら、どうにかして再活性させればいくらでも取り寄せられるんじゃないか?」

「再活性化までの期間については結論が出ていない。素粒子結合が発見された時から7年近く観測が続けられているが、未だに不活性状態からの回帰は確認されていない」

「チッ、やっぱりこれまでどおりチマチマ光線属のBETAから集めるしかないってことか……」

「いや、そうとは限らない。原因がBETA由来の物質にあり、着陸ユニットにそれが大量に搭載されていることがわかったのだ。もはや我々が戦線の維持などという雑務に忙殺されることはない」

 東郷は戦線の維持を雑務と言い放つと、プロジェクターに繋いでいた端末からデータスティックを抜き出し8人それぞれにむかって放り投げた。

「今君たちに渡したデータスティックには今日この場に提出された全ての技術情報をコピーしてある。真のV作戦……これを持って我々は念願であったMS〝ガンダム"の製造を行い、その武力を持って敵の巣窟であるハイヴを強襲する」

 突如、それまで暗かった部屋に照明が灯される。

「――――っ!?」

 部屋の壁と床一面に掲げられた船の錨《いかり》のような懐かしい地球連邦の旗。そしてこれまで闇に隠れていた"記憶持ち"達の素顔が顕になった。

「ハイヴを陥落できれば我々は大量のグレイ・ツーを入手し更なる戦力強化ができる。我々は共同でそのサイクルを繰り返す事で力を蓄え、不甲斐ない米国や国連に変わってこの地で人類の真の守護者たる地球連邦を再建するのだ! そしてその未来でこそ、我々のV作戦は再びアースノイドの希望として歴史に刻まれるだろう!」

「「「…………………………」」」

 東郷の目は熱を帯びていてどこか遠くを見ている。強い執着と依存。近づきがたい冷たい色が彼の周りを覆っている。
 周囲のだれも彼についていけていないがそれを気にした様子もない。

「――ぷっ! ははっ、あはははははっ!」

 壁際に立っていた一人、ユダヤ人風の衣装を着た性別不詳の子供が堪えきれずに吹き出して笑っていた。

「貴様、何がおかしい!」

「あーあー、嫌だ嫌だ。やはり下等生物の考える事は滑稽だな! 真の守護者? 地球の救済だって? ハハッ、どこのマイスターが生まれ変わったのか知らないけど、たかだかガンダム一機のデータを集めたくらいで支配者気分とは。さては、僕を笑い殺す気かい?」

「――なっ!?」

「生憎、僕は君の革命ごっこに興味はない。こちらはこちらで好きなようにやらせてもらうよ」

 それだけ言うとユダヤ人の子供は止める間もなく部屋を出て行く。

 唖然とする東郷に、今度は腕や顔にネイティヴアメリカン風のタトゥーを施した筋骨隆々の大女が近づいた。

「アタシもひとついいかい? さっきから気になってたんだけどねぇ! あんたら、本当にガンダムファイターかい? いっぱしの格闘家を名乗るにしちゃあどいつもこいつも体格、筋肉の付き方が貧弱すぎるように見えるよ」

「――ガンダムファイター? 格闘家だと? 何を言っている? お前こそ、本当に地球連邦軍の人間なのか?」

「地球連邦軍? ハンッ、あんたこそ何を言ってるのさ。あたしぁ向こうでは地球全土を回ったけど、そんな組織はついぞ聞かなかったねぇ!」

「――なんだと!?」

 言い放つ筋肉女と混乱する東郷。
 先ほどのユダヤ人といい、風向きが怪しくなってきたとユーリーは感じた。

「貴様もあの設計図を見て来たのではないのか!?」

「設計図は見たよ。確かにあれはガンダムだ」

「ならば連邦軍は存在しているはずだ! あれは我が軍の兵器だぞ!」

「さあね。あのオカマっ子と同意見ってぇのは癪だけどね、あたしも自分より腕っ節の弱い男と手を組む気なんてない。悪いね、ここは降りさせてもらうよ」

 筋肉女が部屋を後にすると、残りの五人も無言のまま東郷の側を通り過ぎ部屋を出て行った。
 部屋に残るのはユーリー、アロウラと混乱する東郷の三人。

 話しかけにくい雰囲気ではあったが肩を落とす東郷の様子が余りにも哀れに見えて、ユーリーは思い切って彼の肩を叩いた。

「盛大にフラレたな。ま、安心しろよ。俺は元連邦軍だ。自分の名前は思い出せねーけど、所属はブラッドマン中将の直属の特務部隊だった」

「そうか……私は月方面フォン・ブラウン市駐留艦隊所属の第113試験小隊だ」

「あ……?」

 記憶が確かなら自分の元いた世界の連邦軍は月に駐留艦隊なぞ置いていなかったはずだ。フォン・ブラウン市などという地名にも全く身に覚えがない。

 頭上にハテナを幾つも浮かべるユーリーの前に、キセルを咥えたアロウラが進み出た。

「――お主ら、まだ気づかんのか? くだらん寸劇も今日で3度目となるともはや愛想笑いも起きぬわ」

 可愛らしいピンクのルージュで光る口元は悪戯っぽく笑っている。

「のう、東郷。この露助が戦っていたのは"宇宙革命軍"なる軍隊だそうじゃ。お主が知っている連邦軍の敵とは別口――そうであろうフォン・ブラウンの狩猫よ?」

「な――っ!? 貴様、なぜっ!?」

「他にも色々知っておるぞ。お主が一年戦争末期から軍に入ったこと。戦場では新鋭のMSを乗りこなして多大な戦果を出したが、敵のエースや精鋭部隊と戦ったことはない。雑魚《ザコ》や臆病者《チキン》でばかりスコアを稼ぐことから猫と呼ばれた。ああ、そうそう、お主はそれを大層コンプレックスにしておったな」

 アロウラはニヤニヤと笑いながらキセルをクルリと回した。
 派手なキセルだった。吸い口は宝石で飾られ、火皿は赤地に金で作った家紋のような物が象られている。

「そのキセル――!! 貴様、まさか――!?」

「ほう、ようやっと気が付きおったか。向こうでは何度もシミュレーターの相手をしてやったというに。てっきり妾の親愛なるグレミー・トトの名前を出さねばならんかと思ったぞ」

 東郷の視線が困惑から敵意のこもった物に切り替わる。何やら因縁のある相手らしい。
 19の青年が14の少女を睨みつけ、睨まれた少女はキセルを咥えながらニヤニヤ笑って青年を挑発している。

 完全に二人の世界に入りつつあるこの部屋で、会話から締め出されていた10歳児――ユーリーがおずおずと手を上げた。

「あー……あのさぁ、結局どういう事なわけ? 2人が知り合いってのはわかったんだけど……」

「なに、難しい事などない。こんな世界に来てまで故郷と同じ兵器を作ろうなどと、自分が元の世界の戦争に未だに囚われている事に気づいておらぬ。我ら9人全員がガンダムという言葉に縛られた阿呆だったというわけじゃ」

「お、俺も、囚われているってのか……!? あの戦争に……」

「そうでなければ今頃、そなたは自分の国で真面目に兵器開発に取り組んでおるはずじゃ」

 鋭く突き刺さるアロウラの言葉。
 だが内心で少しだけ、その通りだと認める自分がいる。

「――――クソッ」

「お主はどうする? 東郷は地球連邦を作るらしいぞ。そちらは知らんが、我々の世界の地球連邦は戦争組織、破壊の権化よ。もし人殺しの戦争をやりたいというのならここに留まるがいい」

「貴様ッ! 勝手なことを!」

 東郷が抗議の声を上げた。

「そうでないのならデータだけ失敬して国へ帰るがよかろう。その場合、こやつの面目は丸潰れじゃがな!」

 キセルを咥えながらカカカッ、と年齢に見合わぬ笑いをアロウラが零した。

********


お待たせしました。ようやく20話の投稿となります。
しかし最初から考えていたとはいえこの展開にキャラ増加、読者の離れる未来が見える……。というかセップク丸知っている人いるのかな。

今回の新キャラクターは4人(8人ですが未消化4)一人一人が主人公と同程度かそれ以上の能力を持っています。
彼らは全員元の世界でガンダムと深く関わった事があるという設定のオリジナルの登場人物で、原作には直接関わりません。
 あと一応、ユダヤ人の性別不詳はこの世界では人間として生まれています。前世がアレで今も米怒としての能力を持っているという事で人間を見下しています。

 以下は蛇足になりますが、彼らは一人であれば地球を救う事ができます。多くのSS作者様が書いてらっしゃる通り、強力な単一兵器によるハイヴの攻略と主力兵器や戦術戦略の近未来化を推し進める事が人類勝利の最短路なわけですから、彼らの能力はそれにうってつけの物です。


 しかしG元素の争奪、前世の因縁、信条の不一致などから同盟を組めなかった彼らは今後オルタ世界の国家関係と合わさって二重の勢力争いへと突入していきます。
 二次創作の他の作品に対してメタな展開になってしまいますが、オルタの一つになれない人類というテーマとも重ねられるという事で、この展開で進む事となりました。あとガンダムX自体メタテーマを取り扱う作品でもありますしね。

 何はともあれ次回からはようやくガンダムの開発に取り掛かれます。いやー長かった。
 拙い作品ですが、今後も頑張って書き続けていきたいと思います。
 読者の皆様、何卒よろしくお願いいたします。








[32864] 21、「何をしてでも、必ず」
Name: 大蒜◆9914af20 ID:86f1a2a8
Date: 2013/06/24 00:42
21、「何をしてでも、必ず」~Muv-Luv:Reduced Moon~


***1991年11月26日 ソビエト連邦アラスカ特別区 ベーリング海峡 シシュマレフ***

 1991年の11月26日、あの白陵迎賓館のレセプションから2年が経とうとしていた。


「――CPより9900《キュウキュウマルマル》、天候の悪化は想定以上です。テストプランの変更を通達す。コースBよりAへと変更」

 将来のアラスカ最終防衛線の構築を見据えて建設計画が進められているシシュマレフ航空防衛基地。ベーリング海に面したこの基地には冬のこの時期になると強い風と波が押し寄せる。
 極北の厳しい寒気の中、海すら凍らせんばかりに吹き付ける吹雪の中を一機の黒い影が粉雪を切り裂いて飛んでいた。

「コースAのターゲットは1から5番まですでに設置してあります。9900は最大速度を維持して射撃を行ってください」

『こちら9900a、了解』

『9900b、了解』

 操縦者のペダル操作に応じて核融合炉に直結したバーニアが青白い炎を吐き出す。
 常識はずれの推力によって装甲に押し出された空気が圧縮されて徐々に弾力を持つと、それまで装甲を叩いていた氷粒が徐々に遠のき始めた。

――音の壁
 ソニックブームが起こる一歩手前の状態であり、近代ジェット機以前の航空力学では人類には決して越えられないとされていた境界をこの黒い巨人はヒトガタであるにも関わらず指をかけて乗り越えつつある。

 管制室に詰めていたソ連の兵器設計者達はこれまで築きあげてきた努力や実績、理論や常識を打ち砕かれるその光景を複雑な表情で見ていた。

「これは夢……悪夢なのか? 空虚重量(兵装の無い状態の重量)だけで我々のMiG-27《アリゲートル》の6割は重いはずだ。そんな機体が何故、あそこまでの速度が出せるのだ」

 最高速度だけではない。
 この直前に見せた離陸実験においても9900と呼ばれるこの試作機は静止状態からの緊急離脱や、垂直離着陸などでこれまでの戦術機など歯牙にもかけない驚異的な加速性能を見せつけている。

「失礼ですが……あの推進機構はミグの設計ではないのですか?」

 彼の隣で同じく顔色を悪くしていた技術者――やや若いスフォーニの現場代表。
 本来ならば犬猿の仲であるはずの彼らも、ここまでの物を見せられながらプライドや因縁を持ち込んで情報収集を怠るほど愚かではない。

「確かに直接の動力源である核融合炉は我々が受注したが……バーニアと呼ばれる推進系は英国メーカーのBAEの物だ。君達はカメラやレーダー、アンテナ系だったか」

「ええ。ですがそれも半分は日帝や米国の部品を使っています。他にも装甲材をスペイン海軍工廠、電装周りはイスラエル製、駆動系のフレームは米国のボーニング社から入れているとか」

「そして我々も同じだけ受注した製品を輸出している……百歩譲って国連が独自開発を始めたというのならわかるが、そんなはずあるまい。こんな化物を一体誰が作っている……?」

 黒い機体の右肩にはハッキリと赤い星――ソ連の所属である事を示すナショナルマークが塗装されている。

 とにかく不気味な計画であった。
 突然、自分たちの上司から提示された設計図。そこには理論でしかなかった小型の核融合炉の作成方法が記され、この開発計画のためにこれまで関わっていた9・12計画を凍結して一年以内に完成させろという。
 ウダウダと口上を述べて詳細を一向に伝えようとしない上役に貴重な酒《ウォッカ》を浴びるほど飲ませ、ようやくわかったのはこれが戦術機に搭載する主動力であり、完成の暁には自国だけでなく受注を受けた外国にも輸出するという事。
 わけがわからないまま原子力学者を集め、二ヶ月遅れで核融合炉を納品してみれば、そこには既に世界中から部品が集められあとは組立を待つのみという段階にまで開発が進んでいた。

 通常の手続きなど一切無視。
 主導メーカーどころか設計チームすら姿を見せないこの機体の開発現場指揮を取っているのはなんと一二歳の中尉だ。
 低階級は不審気に、高級将校ほど恭しく接するこの衛士の元で進む戦術機の開発に、興味を飛び越えて気味の悪さを覚えるまで時間はかからなかった。

『9900b、射撃を開始します』

 薄暗い太陽の光が頼りなさを露呈する空でパパッ、パパッと断続的にマズルフラッシュが光る。
 発射された百発ほどの36mmの弾はそれぞれの的へ向かうと、甲高い音を立てて140mm厚の鋼板でできたターゲット――重すぎて不採用になった最新の戦艦装甲素材――に弾かれた。

「全ターゲットに着弾を確認。外れ無し、着弾中心点にて誤差無し。さすがですね、少尉」

『おいおい。こんなの当たって当たり前だろ。昨日もやったプログラムだぜ』

『もう、ユーリーってば。今日は風が強いんだよ? 全弾皆中させたお姉ちゃんを少しくらい褒めてくれたっていいじゃない』

 おどける9900a――主衛士であるユーリー・アドニー・ビャーチェノワ中尉に対して彼の姉である9900b――射撃管制を行う副衛士のリュドミラ・アドニー・ビャーチェノワ少尉が頬を膨らませて抗議。

『命中したっつってもターゲットに当たって"カンカンカンッ"ではなぁ……』

『あ、あれは36mmだから仕方ないじゃない! ――じゃあもういいわ。9900よりHQ、テストプランの再変更を申請。プランを再びBへ。コイツを使います』

 9900が腰のマウントから取り出した銃器――突撃砲でもない。狙撃型のロングバレルでもない。放熱機構とスコープらしき物が取り付けられた少し大きめの銃器。

 自信有りげにソレを構える9900を見て、CPの顔が僅かだが引きつった。

「……HQより9900。コースBは現在波が荒れていて危険な状態です。耐水試験をクリアしていない現段階の9900ではコースBの利用は認められません」

『コースBは使いません。さっきと同じコースAを使ってコースB上のターゲットを狙撃します』

 地図上の距離、約2000。海上にあるコースBはコースAとほぼ平行に走っているので射線は通っている。
 しかし停止目標とは言え、最大速度で動きながらそれほどの距離の的を狙えるものなのか。

『お、いいなそれ。ルートはさっきのを完璧にトレースしてやるよ』

「あの、中尉……」

 CPの女性は疲れたような声色だった。

『悪りぃな。危険があるならともかく、難易度の変更なら決定権は俺にある』

 そう言うなり9900がコースAの始点へと戻る。
 バーニアを点火。すぐに最大速度に乗った機体は再び雨粒を弾いてコース上を疾風の如く駆け抜けた。
 宣言通り先ほどと同じような軌道でコースを辿っていくが、射撃地点に入る直前、機体が前へとつんのめり宙で半回転。軽く手足を振って姿勢を安定させた9900は飛行しながら反転倒立――逆さま立ちの状態になっていた。

『――――ッ!?』

『さあ、当ててみろよリュー!』

 ウィンドゥの中で面白そうに笑うユーリーにリュドミラは怒ったように眉根を寄せる、が言い返すことはしない。
 彼女は長い髪を頭上に垂らしながら、一瞬で集中力を練り上げると照準を補正しトリガーを引き絞る。

 ライフル内部のエネルギーCAPに膨大な電力が送られ、生成されていたメガ粒子の一部が銃身まで送られる。
 縮退寸前までエネルギーを内包していたメガ粒子は解放された瞬間に質量の欠損によって膨大な運動エネルギーを獲得し、光速の千分の一のエネルギー弾として銃口から撃ち出された。

 9900の銃器――ビームライフルと呼ばれる新兵器から放たれた赤い閃光は140mmの極厚鋼板の中心を捉えると、そこで持っていた運動エネルギーと熱量を解放。
 その威力に最新の戦艦装甲だった五枚の鋼板は全く耐えられなかった。信じられないほどあっけなく貫通されると一拍遅れてひび割れ、氷粒で拡散しガス化したメガ粒子を受けて安ガラスのように砕け散った。

『――やたっ! 見た? ねえ、ねえ!』

『――ぐっ、普通に上手ぇ……』

 キャッキャと賑やかな姉弟。

 対して今日初めてビーム兵器の威力を目の当たりにしたミグとスフォーニの担当者は苦々しく呻き、近くの座席にドサリと腰を下ろした。

「これがメガ粒子……これは危険な兵器だ」

「はい。しかし祖国には必要な力です」

 音速の1000倍で、戦艦の装甲板すら貫通する攻撃――これはつまり光線級の攻撃に等しい。こんな兵器が世に出れば戦場は一体どうなるだろうか。

 これからの戦術機は歩兵や車両に対しては戦車のように堅牢に、戦車に対しては滞空する戦闘ヘリのように軽やかに、ヘリに対しては航空機のすばやさで、そして航空機に対しては歩兵のように遮蔽物に隠れながら攻撃できる全対応兵器となる。

 無論、単一兵器だけで勝てるほど現代の戦争は甘くないし、どんな兵器も最終的には物量の前に屈するのは間違いない。

 だがこれほど万能で、便利な兵器は歴史上無かった。今後もしも、この兵器がこれ以上の進化を遂げたら戦場は一機の兵器の性能と個人の力量が計り知れない影響力を与える場となる。
 そうなれば政治は英雄とは無縁ではいられないだろう。

『『――9900これより帰投します』』

 モニターの向こうに映る9900は人類の希望になるかもしれない。
 だが同時に封建社会、議会制民主主義、全体主義――これまで人類が築いてきた社会制度の全てを破壊する恐ろしい悪魔にも成りうる。

「あの技術の全てを手に入れる……! 必ず。必ずだ」

 野心に逸る心を抑えながら、彼らは帰投する9900をにらみつけていた。




***同日 シシュマレフ基地 г―2ハンガー***

「――ゥプッ……胸焼けがするよぅ……」

「おいおい、大丈夫かよ!」

「ユーリー、お姉ちゃんはもうダメかも……」

 ヨヨヨ、と嘯きながらエチケット袋を手にリュドミラが近くの柱にしなだれかかった。
 彼女の手元のエチケット袋はまだ空だが、それも予断を許さない状況のようだ。

「……いや、わけわかんねえ。飛行中の全力機動のGにはついて来れるくせに、なんで帰りの歩行だけで酔ってんだよ。普通逆だろ」

「気持ち悪いものは気持ち悪いの。仕方ないでしょ」

 リュドミラが目覚めてからかれこれ2年。
 昏睡状態で筋肉の落ちていた彼女はリハビリに精を出し、トレーニングも怠らなかった。そんな努力の甲斐もあって軍人として年齢相応の体力を取り戻した彼女はユーリー付きの副官兼射撃管制担当の副衛士としてデビューを果たしたのだが、軍人として正規の訓練を受けなかった弊害もある。

 その一つが衛士訓練兵なら誰もが一度は体験する戦術機酔い――主にシミュレータや実機の搭乗時間の不足が原因で起こる物。
 そして2つ目――

「大体さ、なんでいつもウォーニングジャケット着てるんだ?」

「――ひっ!?」

 近づこうとにじり寄ったユーリーから逃れるように、胸元を隠したリュドミラが後ずさった。

「……お前、ひょっとして胸無いの気にしてんの?」

「違うわよっ!! ……いえ、違わないけれど……気にしてるのは胸じゃなくてコレよ! ほら、この強化装備、男女同規格なのに妙に体の線が出るとことか、プロテクターは重いのに肝心な部分を隠してない所とか! こんなの絶対おかしいわ!」

 リュドミラは強化装備の、特に保護皮膜と呼ばれる半透明の素材を指差している。

「お、お前……言ってはならない事を! この強化装備が男性衛士の士気向上にどれだけ役立ってると思ってるんだ! 男共はこれを見るために毎日の辛い戦いを耐えているというのに!」

「他に見るべき物はたくさんあるでしょ!?」

「いーじゃねーか、性能は折り紙付きなんだし。それに国際規格なんだから。どうせ今更変えられねえって」

「……この変態」

 リュドミラの視線が氷点下まで下がるが、紳士には絶対に譲れない事もある。
 断固として主張するユーリーに対して彼女は頬を膨らませてそっぽを向く。が、機体の簡易チェックを終えた整備兵の軍曹が走ってくるのを見てしぶしぶ矛を収めた。

「お疲れ様です、中尉! 少尉も。いやぁ、やっぱりすごい性能ですねGX-9900ジーエックスきゅうきゅうまるまる! ええっとガンダム型でしたっけ?」

「まあな。確かにスペックはこれまでと桁違いだ。けど……」

 軍曹から端末を受け取ったユーリーは顔を曇らせる。
 昔の愛機の型番を与えた試作機――戦術機とMSのミックスと言える新兵器だが、期待とは裏腹にその実態は理想には遠く及ばない。

「あ、ここ姿勢制御にエラーが出てる。さっきの反転倒立、やっぱりただのイジワルじゃなかったんだね」

 端末を覗き込んでいたリュドミラが言った。

「やっぱりって……お前怒ってなかったか?」

「あれはユーリーが煽ったからだよ」

 そのまま画面をスクロールさせるが、機体のログからは他にも色々な箇所から赤い警告サインが出ている。
 実機試験が始まって既に3ヶ月以上が立つ。にも関わらずたった30分足らずの稼働試験でこれだけ多くエラーが出るのは異常な事だ。

「チッ、所詮は寄せ集めか……」

 小型核融合炉、チタンセラミック複合材、内骨格フレームに熱核スラスター。最新技術の粋で構成されたこの機体の長所はそのまま弱点となって跳ね返っている。
 未熟な工業技術で作られたこれらの部品は元の世界なら不良品と判断される程度の完成度でしか制作できなかったからだ。
 具体的に言えば、このソビエトで作られた核融合炉は予定の80%までしか出力が上がらない。スペインから取り寄せたチタンセラミック複合材は理論値よりも10%以上重く、米国のフレームは不純物が混じっているために強度が不安定で、イスラエル製のOSは挙動不審、日本の光菱製ビームライフルもたった10発で使用不能という体たらく。
 また手に入った9つの部品以外の場所を戦術機の技術で代用しているのも良くない。
 爆発的な進化を遂げた九箇所に対して、既存の戦術機の規格は全く対応できなかった。技術格差もあるが、元はといえば重装甲重火力の機体を高いパワーの主機で引っ張るモビルスーツという兵器に対して、求める機動力を確保するために可能な限りの効率とバランスを考慮しながら築き上げた戦術機という兵器。同じ人型という共通点こそあれ、出自や目的の全く違う兵器を組み合わせて不都合がでないはずがない。

 つまり現状、彼らは性能向上のために試験を行っているのではない。故障やシステムトラブルを押さえるために固定バルカン等の負荷の大きな機能をオミットし、各パーツを調整し性能をダウングレードさせる事で安定性と総合力のバランスが取れるギリギリの妥協点を探している。

 扱い難いじゃじゃ馬を乗りこなす方が性分に合っているユーリーとしては複雑な気分だった。

「――あ、ユーリー。あの子、そろそろ着いてる頃じゃない?」

「おお、もうそんな時間か」

 今日の試験の結果を踏まえ、整備兵達にパーツの発注の指示を出していた所にリュドミラが声をかけた。
 時計を見て予定を思い出したユーリーは手元の端末を放り投げると、シャワー室へ入りBDUへと着替える。

 ドレッシングルームを出て同じく着替えを終えたリュドミラと共に基地の賓客室へと向かえば、待ち人は既に席について二人を待っていた。

「待たせたなチビ! それに……トルストイ大尉!? 大尉じゃないか!」

「やあユーリー! それにリュドミラちゃんも元気そうだな」

「………………」

 席についていたのは第六世代《シェスチナ》のトリースタとザンギエフの副官だったトルストイ大尉だ。
 特にトリースタの身長が年相応であるのを見てユーリーは胸をなでおろす。

 一方イワン・トルストイは大きく様変わりしていた。
 肌が見える所には幾つも傷跡が見え、手袋とサングラスを着用している。

 彼はあのシベリアの最後の光線級吶喊で負傷し、左手指と視野の一部を失った。
 再生治療を受ければ衛士としての復帰も可能だったかもしれないが、彼はそれを拒否してソ連国家保安委員会――西側の悪名高きKGB《カーゲーベー》に転属して本部職員として働いている。

「大尉はどうしてここに?」

「この子のお付に志願した。しばらく本国を離れるので、その前にお前に会っておこうと思ってたのさ」

「へえ、"百貨店"の仕事か?」

「ああ。全く散々な仕事だ。電話番で腫れ物扱いがようやく終わったと思ったら、今度はおもちゃ売り場の仕入れ担当だ。これが終わったらすぐアメリカに飛ばなきゃならん。お偉方はいつでも目新しい物をお探しらしい」

「そいつは大変だな」

 彼らが言う百貨店とはソビエト連邦がその首都をアラスカに移した際に新設されたKGB本部のことだ。
 元はといえばモスクワのルビヤンカの商業ビルにあったのだが、その際百貨店"子供の世界"ビルが隣接していたためKGB本部の勤務者は身分を明かす際、"百貨店子供の世界の隣の者だが~"という風に名乗っていた。
 セラウィクに移転するにあたり、新しい本部施設の位置が非公開となるのと同時に部署の再編も行われたため機密名称に百貨店に因んだ物を付け直したのだ。

 ユーリーとトルストイが挨拶を交わす一方、トリースタが感情の薄いガラス玉のような瞳でこちらを見ていた。

「………………」

「――おっ、チビ! 元気だったか!」

「……はい」

「久しぶりだなぁ、どうだ? 俺ちゃんと約束守ったろ?」

「……会いに来たのは私です。ユーリー兄さんは私を呼び出して結局タルキートナに戻らなかったじゃないですか」

「こまけぇことはいいんだよ! そんな事気にしてると、身長伸びねーぞ」

「……非科学的です」

 むくれるトリースタ。よく見なければわからないような差異だが、それでもわかる程度に感情を持っている。
 彼女も少しづつ成長しているらしい。

「ねえ、チビちゃんはユーリーの事を兄さんって呼んでるんだよね? ――じゃ、じゃあさ、私の事お姉ちゃんって呼んでみてくれない?」

 そんな初々しい年下の少女の出現にリュドミラがウキウキしながら話しかける。
 皮肉屋のユーリーと違い、こちらは無垢な子供。軍隊に入ったせいで周囲に大人しかいない現状、彼女は仲の良い女友達か妹分を探していたのだった。

「……はい。リュドミラアドニービャーチェノワオネエチャン」

「んんっ?」

 トリースタは早口言葉でも言うように一息で言い切る。
 なんだか想像と違う、とリュドミラは固まる。

「……リュドミラアドニービャーチェノワオネエチャン?」

「ええっと……やっぱり無理に呼ばないでいいわ。あなたが呼びたくなったら、その時にそう呼んでちょうだい」

「……? はい」

 小首を傾げるトリースタに対してリュドミラは無念そうだった。

「……あの、ユーリー兄さん」

「ん?」

「……ラフマニノフ教授が言っていました。もうじきオルタネイティヴ計画の最終作戦が始まります。私は訓練が間に合わないけど、第四世代や第五世代、一部の戦術機適正の高い第6世代はハイヴ突入の準備を進めています」

「――ッ!! いよいよか! 場所は? どこのハイヴだ?」

「……H-13 ボパールハイヴ、です」

――ボパールハイヴ
 1990年、インド亜大陸のほぼ中央に位置するマッディヤ・プラデーシュ州に建造されたハイヴである。
 現在の規模はフェイズ4、もしくはフェイズ4に以降中のフェイズ3。既に地表構造物は280メートルを突破し地下茎構造物の水平到達半径は4キロに迫る規模だと推定されている。
 カシュガルのオリジナルハイヴをけん制するはずだったユーラシアの要所に建設されたこのハイヴは、現在の最大人口を持ち貴重な資源排出国家だったインド共和国を大きく圧迫し4億の人口を重大な危機にさらしている。住民避難のため、あるいは資源の持ち出しを考えればこの人類反抗作戦がパレオロゴス作戦以来の規模となるのは間違いない。

「ボパール……! クソッ、遠すぎる……!」

 オルタネイティヴ計画は秘中の秘。
 第三計画の最終作戦であればソ連が参加するのは当然のはずだが、さすがに地理的に遠すぎるのと表立った理由を用意できない等の理由から直接戦力の派兵は考えにくかった。

「――いや、そうでもない」トルストイが補足を加えた「今回の作戦に当たって関係各国からは我が国の参加が強く求められている。国連軍は勿論、米国からも要請がある。党も乗り気のようだ」

「どうして……――そうか、陸上戦艦!」

――アルプス級、改めヴリャーノフ級陸上戦艦

 シベリア防衛戦の立役者であり、現状陸上を進む事のできる唯一最大の船である。
 2年前に国連へと公開されたシベリア防衛戦のデータの中、単艦でしかもただの試作兵器でありながら常識外の戦果を挙げたこの兵器の登場は世界を騒然とさせた。

 即座に世界中の海軍や軍需工廠から殺到する見学/観船の要望/売却要請。
 これを受けたソビエト海軍はヴリャーノフ級が未だ試作艦であるにも関わらず、即座にこのヴリャーノフ級陸上戦艦の量産を決定し、これまでの冷遇の鬱憤を晴らすかのように膨大な緊急予算を党に認めさせた。
 わずか1年で3隻、そして二年目の先日8隻目のロールアウトという脅威の工期を達成した彼らは内1隻を社会主義連盟に供給したものの、たった2年で世界初の"内陸殴りこみ船団"を完成させてしまった。
 その原動力にはこれまで陸軍に予算を食われ続けてきた海軍将校達の反逆心と情熱があったのだが、独自の最先端兵器による国威発揚を狙った党中央委員会の意図と合わさりここまで迅速な編成となったのである。

 いまやソビエト海軍と言えば陸軍の拡大に喘ぐ世界中の海軍軍人の希望の星であり、陸上で最大最強の火力を持つ組織だ。内地であるボパール攻略作戦となれば喉から手が出るほど欲しい戦力なのは間違いない。

「いける……! これなら鬼に金棒だぜ! 後はGXが作戦に間に合うようスケジュールを詰めれば――」

「――駄目だ」

 いよいよガンダムでの初陣。
 鼻息も荒く、予定を急ごうとしたユーリーをトルストイが制止した。

「今回の作戦、お前と9900には出撃禁止命令が出されている」

「――っ!? なんでさ! 俺には独立行動権があるんじゃないのか!?」

「確かにレッドサイクロンは政治局直属。実質、党書記か中央会議くらいしか直接命令する権利を持たない。だが今回はその両方から命令が降りているんだ。なあユーリー、上層部の連中は開発中の9900の性能を見て眼の色が変わったよ。お前はもう代えの利かない特別な存在なんだ。だから他国のハイヴ攻略になんて出すわけには行かない。今回の件は大佐のシンパや国連のラフマニノフ少将も了承済みだ」

「そんな……! なんとかならないのかよ! でないとあいつらが……!」

 せっかく手に入れた力。ようやく手に入れたガンダムとザンギエフが残してくれたレッドサイクロンという称号。
 全てを救うはずだった二つの力はしかし、今は枷としてユーリーを縛っている。希望を与えた人工ESP発現体の子供達を見捨てるしかできないと言っている。

「作戦前後はソビエト国内で陽動のための漸減作戦が行われる。間接的だがそこで戦う事も重要じゃないか? それともお前は仲間を救う以外に――ハイヴに何か特別な用事でもあるのか?」

「他の理由なんか必要ねえ。俺はできることをやりたいんだ」

 間髪無い返事。
 どこまでも澄んだ蒼穹のごとき瞳に、トルストイは懐かしい上官の面影を見た。

「……ハイヴ突入にも躊躇なしか……。やっぱりこいつは特別な人間ですよ、大佐……」

 これまで幾度と無くBETAの脅威を目の当たりにしながら、ユーリーはハイヴを恐れていない。
 無謀なのではない。過信しているのでもない。誰にもできないことができる人間――今ならザンギエフが自分の称号をこの子供に託した理由が解る気がする。

「…………?」

「ユーリー、もし本気でボパールに行く気があるなら1つだけ手がある。だがこれをすればもう後戻りはできない。ボパールに行きたければ一生この国のために戦う覚悟が必要だぞ」

「――――ッ!?」

「お前にその覚悟があるか? 大佐が与えた自由と権利、お前はそれを捨てられるか?」

「……俺は――」



***同年 12月3日 アラスカ タルキートナ国連軍基地***


「ようやく認められたなベリャーエフ。これで今日から貴様も栄えあるソビエト科学アカデミー金樹会の一員じゃ。おめでとうと言っておこうかの」

 ここは基地の研究室の一角、オルタネイティヴ第3計画技術顧問という世界最高頭脳の部屋である。
 一見した限りではデスクの周辺に空のウォッカ瓶、それ以外にはブランデーやウィスキーの酒瓶が転がっている飲んだ暮れの部屋にしか見えない。
 だが、よく見ればそれは違うとわかるだろう。部屋を囲むように配置された本棚、そこに詰め込まれた専門書や論文書類の半分がこの部屋の主、セルゲイ・ラフマニノフの著作なのだ。
 ページ数にして数百万にも及ぶ知識の大海。ソビエト連邦発足以来発表された学術論文の2割を個人で占めるこの老人はあらゆる観点から見て世界最高頭脳と讃えられるに値する人物であった。

「恐縮です先生」

 腰を折るベリャーエフ。
 シベリアにでる前までは何の色も無かった瞳が、今は黒々とした翳りに覆われている。イーニァとクリスカが見た黒い大蛇は未だこの男の中にあり、着々とその身を肥えさせていた。

「ふむ……やはりいい眼になりおった。シベリアに出る前の貴様は単なる研究者だった。才はともかく、世俗の何もかもを置き去りにする執念が2流だった」

「………………」

 あのロゴフスキー少佐ですら怯ませた凄みはしかしラフマニノフには通じない。
 ベリャーエフのような定まった形は無いものの、この老人もまた数多の業を心に住まわせている。蛇と対峙するそれは更なる知を求めて、底無し沼のように彼の周りで波紋を広げていた。

「何、貴様を愚弄する気など無い。あの装置、出所はともかく解析して機能を発展させたのは間違いなく貴様の手柄じゃ。加えてП3計画の結果を反映できたおかげで残存する人工ESP発現体の能力を引き上げることもできた」

「では、このまま全てのカテゴリ5-6に処置を続けてよろしいですか?」

「よかろう。オルタネイティヴ第3計画は既に最終段階への秒読みを開始しておる。全てはこの作戦の成功次第。ここでBETAの情報を入手できればわれわれはそのままオルタネイティヴ4として人類反攻作戦を任されるはずじゃ。その際にベリャーエフ、貴様を中核とした新たな組織にしてやってもいい」

 ゴクリ、とベリャーエフの喉が鳴る。
 科学は神の如く万能である――資金と時間さえあれば。
 いよいよその階梯に上れると聞いてベリャーエフの野心は否応無く掻き立てられた。

 オルタネイティヴ計画は人類が世界を救うために最高の頭脳を揃えた計画だ。予算、設備ともに糸目のつけないこの計画を率いることができれば自分の研究は飛躍的に――いや、完璧に終える事ができるだろう。かくいう目の前のラフマニノフ教授もオルタネイティヴ計画の恩恵があってこそ人工超能力者の生産などというSFじみた研究を実現させた。
 ならば自分にもできるはずだ。ここで手を伸ばせば、新たな人類を創造する神となる事ができるはずだ。

――そのために、邪魔な物がある

「先生、ひとつ気になる動きがあります」

「なんじゃ?」

「例のイレギュラーやガスパロフ少将が参加しているというV作戦です。あの試作機――9900の性能がもし報告どおりであれば我々オルタネイティヴ計画を脅かす重大な障害です」

 共産党政府に提出された9900の性能データは圧倒的だった。
 勿論、ベリャーエフはその報告に幾分かのプロパガンダと誤魔化しが入っている事を疑っていない。しかしそれを除いたスペックだとしてもそんな機体が世界に9機。
 コストの増大で批判の相次ぐオルタネイティヴ計画の推進派にとっては十分に現実的な脅威だった。

「V作戦についてはオルタネイティヴ計画司令部が手を打っておる。にわかに信じがたいが、我らの基地指令殿はこうなることを見越してスポンサーの繋ぎ役を買って出ておったらしい。関係国の利害を潰さない限り大体の事柄について融通を利かせられるじゃろうて」

「では……?」

「少なくとも今回のボパールハイヴ攻略であの機体が出てくることは無い。アジンのイレギュラーも国内の陽動作戦への参加で今回は承諾しておる。まあ、レッドサイクロン派も大事な神輿を好き好んでハイヴに送りたいとは思うまい」

 人類はBETAの侵攻を防ぎ、領土を維持するには戦力が足りない。兵器の出てくる魔法の壷が無い以上、BETAと戦って勝つには情報を集めて効果的な戦術や戦略を組み立てる事は必須である。そのためのオルタネイティヴ計画であり前身のディグニファイド12だ。
 だがもしも人類が新しい魔法――ガンダム型と呼ばれる戦術機が成果を出してしまえば情報収集の必要性は薄くなる。オルタネイティヴ計画は完全には無くならないにしても少なくとも国土の奪還以上に優先されることはなくなり、その規模は大きく縮小されるはずだ。

 そんな事はあってはならない。
 人類を救うのはオルタネイティヴ第三計画か、自分が関わったП3計画のはずだ。そうでなくては自分の内でとぐろを巻くこの飢餓にも似た感情が満たされない。

「ベリャーエフ。この作戦、貴様の手元にある440番と15番は残しておけ」

「イレギュラーに対抗するため……でしょうか?」

「そうじゃ。今のアレは力を持ちすぎておるわ。ESP能力、レッドサイクロンとしての権力、そして9900……有象無象共が危機感を覚えるには十分じゃて。おかげで党政府の派閥は二つに割れつつある。例のトライアルで負けこそすれ、あの2体の戦闘能力は他の検体とは比較にならん。もはや国内でイレギュラーを抑えられるのはあの人形共しかおらぬじゃろう」

――やはり、あのイレギュラーか

 ベリャーエフの全身の毛穴からドス黒い物が噴出した。それを吸って彼を取り巻く蛇が一段と大きくなる。
 嫉妬と憎悪、彼の中の汲めども尽きぬ感情が再び膨れ上がる。

 だが同時に何かがストンと音を立ててはまった気がする。
 長年のライバルであるニコライが生み出したイレギュラー。科学の何たるかを弁えず才だけで学問を蹂躙してきた男が偶然生み出した突然変異を、自身の最高傑作が打ち破る。

 明晰な結果だ。
 研究に全てを捧げてきた人生が正しかった事をこの眼で確認することができる。
 これこそが運命であり、自分が求めた未来なのだとベリャーエフは神に啓かれた気分だった。

「では来るべき時に備えて、私の作品を完璧に仕上げて見せます。何をしてでも、必ず」








[32864] 22、「謝々!」
Name: 大蒜◆9914af20 ID:86f1a2a8
Date: 2013/06/24 00:42
22、「謝々!」」~Muv-Luv:Reduced Moon~



***1992年 3月4日 中国江蘇省 国連第11軍基地 作業室***

 夜もすっかり更けた部屋で端末を叩く音がする。

 この部屋の主に与えられた階級に見合わない雑務。単調で、だが量だけは多いその仕事は苦痛以外の何物でもなかった。
 そんな仕事を続けていると段々どうでもいいことまで気になってくる。
 例えば使っている端末の性能が低いのも許せない。彼の元居た世界ならばコンピューターとはその容積をほとんどモニターとキーボードだけで構成されたごく手軽な物であり、このように鈍い動作で机の全てを占領しながらうるさい音を立てる物ではなかったはずだ。

 そんな作業を消化しながら、この部屋の主―― 東郷一二三はこの仕事を押しつけてきたブルックス・黄《ホァン》中将の事を思い出し、何かを殴りたい衝動に駆られた。

「何故だ……何故、私はこうも……」

 苦悩の吐息がこぼれる。
 彼はこの方面軍を代表する最も優秀な兵士と言ってもいい。
 実際にBETA撃破スコアはダントツであるし、加えて戦術機開発という大きな計画の責任者でもある。

 不幸なのはここの指揮官たる黄中将が中国系アメリカ人であり筋金入りの日本人嫌いであったことだ。
その度合いは苛烈であり、雑用を押し付けるのは当然として東郷を様々な所属でたらい回しにして部下を取り上げたり、補給や整備に難癖をつけてサボタージュさせたりもする。
 今回のV作戦に至ってはスポンサーから得た資金の一部を司令官権限で凍結されたりもしていた。
 ここまですれば問題になりそうだが、この中将が日本人以外に対しては公平であり有能なせいで、上層部に東郷の訴えが届くことはない。

「この体たらく……。やはり国連は統一政府足り得ない。戦争に向けてもっと強大な権限をもった本物の世界政府――地球連邦でなくて人類はBETAに勝てない」

 ふ、と息を吐く。
 何はともあれこの仕事を終えなければ話は進まない。このまま朝を迎えれば東郷のV作戦は更に遠のくだろう。
 プライドの高い東郷は自身の失敗という物を極端に嫌っている。

 眉間を揉みながら再び端末に向かおうとした時、そよ風が彼の肌を撫でた。

「誰だっ!!」

 風で膨らむカーテンの方へ、すぐさま拳銃を抜き放つ。

「――おいおい、穏やかじゃないな。ここの基地では換気のために窓を開けてくれた人に対して銃を向けるのかね?」

 渋い男の声。
 だがそれ以上に重要なのはこの男がすでに室内にいるということ。

「外から開けて、しかも部屋に入れば不法侵入だ。手を挙げてゆっくりこちらへ来い!」

「大きな声をあげないでくれるか? こっちには子供もいるんだ」

「子供……?」

 二人が暗がりから出てきた。

 一人はこの中国大陸の最前線にそぐわない上等なスーツを纏った男。世界を股に掛ける一流企業の商社マンといった体だが、その身のこなしは軽い。ほとんど足音がしないのを聞いて東郷は最大級の警戒が必要だと悟った

 もう一人の子供は5、6歳くらいで、汚れたベージュのワンピースを纏い、煤や脂で固まった黒い髪を三つ編みにした女の子だった。こちらはこのあたりでは珍しくない。どこにでもいる中国人の難民の子供だ。
 ただ上記の男と共に無断で国連軍基地に侵入していなければの話だが。

「――お、おい! 何をしている!?」

「君は目が悪いのかね? 部屋の主人が茶も出さないから、こちらで勝手に準備しているのだよ」

 男の方から目を離したのは一瞬、されどその一瞬で男は机の上に菓子を並べた挙げ句部屋の奥のポットの側に移っている。

 銃を握る東郷の表情に困惑が混ざる。
 よほど憲兵を呼ぼうと思ったが、難民の少女の存在がそれを躊躇させる。
 どうみても普通の民間人だ。それがもしこの男と共に捕まっては憲兵にどんな尋問を受けるかわかった物ではない。

「ふむ、先ほどから君は私に銃を向けている癖に彼女の方ばかりみているが、もしや小児性愛のケでもあるのかね?」

「そんなわけあるか!」

「そうか。まあそんなことはどうでもいい。今日は君が発表したV作戦について日本から話を持ってきた」

「日本……貴様、いったい何者だ?」

「私か? 私は絶妙に怪しい者だ」

 答える気がないとわかり統合は苦々しい顔でソファに腰を下ろす。テーブルでは既に難民の少女が両手に菓子を取り頬張っている。
 男が淹れた緑茶は二人分で、東郷の分は無かった。

「さて一昨年のレセプションだが、大荒れだったようだね」

「……なんのことだ?」

「隠すまでもないだろう。君は手当たり次第に世界中のめぼしい技術者たちに声をかけて集めていたようだが、集まった人間の中にはその場には到底そぐわない者――ユダヤの高僧ラビやスペインの王女が混じっていた。加えて君たちは当日会場で姿を見せない時間が三十分ほどあり、その後すぐ彼らは会場を離れている。まあ、こんな情報がなくとも今の君の状況を見れば何があったか大体想像はつくが」

「………………」

 嫌な記憶が蘇り、東郷は歯を食いしばる。

 あの日、当初の目的だった部品製作技術は集まった。しかし肝心の同志を集めるという点において彼は完全に失敗していた。
 集まった連中は地球連邦を作るという彼の構想に賛同せず、技術だけを持ち帰って好き勝手に自国で開発を始めてしまったからだ。おかげで彼はせっかく築いた国連上層部の信頼を失い、前線でも後方でもない中途半端な基地に飛ばされてしまった。
 幸い、どこも財政事情は苦しいらしく、スポンサー周りから各国に口を利き何とか部品の相互生産体制だけは整えたが、この件によって彼の計画は達成まで大きく遠のいた。

「こちらでも苦労しているようだな。ヤリ手だが日本人嫌いの黄中将の元では試作機も宝の持ち腐れだろう。ソビエトや米国はもう最終調整に入っているというのに」

「どうやってそのような最高機密を……」

「はてさて、ネバダの土産話は今度にしよう。東郷一二三、君は日本帝国軍に戻る気はないか?」

「帝国軍だと? V作戦はどうなる? それに今更私が日本に戻れると思っているのか?」

「残念だがV作戦は一度失敗を報告してもらう事になる。黄中将は嬉々として君を扱き下ろし降格にするだろう。そこを日本帝国が計画ごと君を買い取るつもりだ」

「私に汚名を被れというのか……っ!!」

 東郷が言葉に怒気を滲ませた。
 だが男の涼しい顔は揺るがない。

「どうせ他国に遅れれば価値は下がる。これが誰にとっても都合がいいのだ。それに君にとって最後のチャンスでもある。今なら光菱は戦術機開発に本腰を入れているし、何より売却に際して国連軍からの協力者も得ている」

「協力者……」

「タルキートナの基地司令官でチェコの英雄だ。今回の件にはとある条件で介入している。君も面識はあるのではないか?」

「――ガスパロフ少将か」

 東郷が直接集めたスポンサーではないが、彼はこの計画の最大の協力者の一人である。
 東郷自身、資金と人脈において期待するところは大きく、向こうもその気はあったようだが、あのロシア人衛士――ビャーチェノワと繋がっていると知ってから東郷は協力を仰がなくなった。

 何が気に入らないのか、と聞かれたらあの子供が周りから評価されているのが気にいらないと答える。
 ビャーチェノワは自分の対極だ。戦に恵まれ、評価に恵まれ、そして理解者にも恵まれている。東郷にはパイロットとしての力しかないのに、向こうは全てを持っている。
 だから百歩譲って鼻持ちならないユダヤ人やネイティヴアメリカン、ジオンの女と組む事は考えてもビャーチェノワと協力することはどうにも受け入れ難い。
 卑屈な考えだと自覚しているが、相手の実力を自分と同等以下だと見切っているだけに東郷はどうしても彼を受け入れられなかった。

 つまりV作戦がこのような形になってしまった原因は東郷自身にもあったのだ。

「阿叔叔! 已經好?(ねえおじさん! もういい?)」

 それまで菓子を頬張っているだけだった少女が不意に声をあげた。

「おお、すまないね。だが、もう少し待ってくれないか」

「……その子は貴様の娘なのか?」

「なんだ? 婚姻の許可が欲しいのか? 馬鹿な、君も少しは年と道徳を考えたまえ。みっともない」

「――――――」

 東郷は今度は黙って拳銃を持つ手を上げた。

「おお、恐ろしや。安心したまえ、私には息子しかいない。……うん? そういえば息子のような娘だったかな?」

「………………」

「――我是、劉青華(私はリュウ・チンファ)!」

 場の空気を読んだ少女が割り込んだ。

「そうか。私は東郷一二三だ」

「トーゴーヒミ、フミ、……トーゴー! 我来了遇到弥(私、あなたに会いにきたの)」

「私に?」

「彼女はこの基地の周辺にあった村落の唯一の生き残りだ。少し前に村がBETAの襲撃に会い、食われかけていた所を君の戦術機が救ってくれたらしい」

「なんとなく覚えがある……そうか、あの時の子供だっか」

謝々シェシェ! 謝々! 弥是生命的恩人(あなたは命の恩人だわ)」

 満面の笑みと共に青華が東郷の腰元に飛びつく。

「あ……君、その……」

 少女をどうしていいか分からず、しどろもどろになる東郷。
 彼女の泥が軍服につくが、不思議と嫌な感じは無かった。

「どうやらファンがついたようだな。だが、悪いが本当に時間が無いのだ。明後日までに彼女を米国まで連れていかなくてはならないのでね」

「米国?」

「青華は私の同業者の親戚でね。この基地に行くなら保護してデトロイトまで連れて欲しいと頼まれていたのだ」

 そして保護して話を聞いてみれば東郷と縁のある人物だったのでここまで連れてきたらしい。

「そうか……」

「取り急ぎ、今夜の返事を聞かせてもらえるかな?」

「環境の向上は望む所だが、私の希望は前線勤務だ。開発に成功したはいいが後方に塩漬けでは困る」

 G元素獲得のためには前線に出るしかない。
 未だ後方国家である日本帝国では戸口が一つしかないため、開発担当者がBETA戦線に出られる可能性は限りなく低い。

「わざわざ国連軍に入隊した君の意図は知っている。上層部には光菱が掛け合おう。結果を出せば大陸派遣軍に組み込まれるはずだ」

「――いいだろう」

 しばしの瞑目の後、東郷はそう答えた。

「了解した。近いうちに本国から誰かを寄越そう」

「再見了東郷! 學習很多,我發出信! 謝々!(バイバイ東郷! 字を書く練習をいっぱいして、きっとあなたに手紙を出すわ! シェシェ!)」

 男に手を引かれた青華がブンブンと手を振る。
 東郷も戸惑いながら曖昧に振り返すと、彼女は更に嬉しそうな声を上げた。

 二人が窓枠を乗り越え野外の闇に消える。

「………………」

 再び沈黙を取り戻した部屋では驚くべきことに彼らが侵入した形跡は全く消えていた。
 靴跡は勿論、さきほど広げていたお菓子のゴミもお茶を入れるのに使った道具も元通り。念入りなことに使用したカップも持ち去られている。

「――謝々、か……。2度も生きてきたというのに、人に感謝されたのは初めてだ」

 不思議な言葉だった。
 この出会いで自分の中でずっと曖昧だったものが固まったような気がする。
 二度の生で自分がやってきたことは正しかったのだと、胸を張れるようになった。
 あれほど捨て難かった感情の整理があんな子供の他愛無い一言でついてしまった。

「――なんと、私はこんなに簡単だったのか」

 今度は自分で緑茶を入れて再び席へと戻る。

――スワラージ作戦まであと4ヶ月。

 その晩は遅くまで部屋の明かりが消えることは無かった。




***1992年 某日 フィリピン沖 スペイン領カブリリョ島***

 フィリピンはミンダナオ本島から西南へ250キロ、セレベス海のインドネシアに程近い場所にその島は浮かんでいた。
 植民地化開始から1898年米西戦争のスペイン敗北までフィリピン総督のためのリゾートとして開発されていたカブリリョ島は大型船に対応した港を備え、機の管理に十分な土地を持っている。
 そのためBETAの侵攻に備えた避難先の候補として1980年に租借地として金銭契約を交わし再びスペイン領となり、本土が陥落した今ではイギリス、メキシコ内のスペイン共和国租借地に続く重要な拠点、第三王女が率いる機動親衛隊の根拠地となっていた。

 親衛隊は108機の戦術機を主戦力として、支隊として戦車大隊(45両)、歩兵4個大隊さらには緊急展開用の輸送艦隊すら含む立派な戦力だ。 その前身はベータ西進の折に規模を拡大した外人部隊であり、東欧を含む前線諸国からの優秀な外国人を集めた欧州指折り精鋭部隊でもある。
 練度において西ドイツのツェルベルスと並びEU戦力の中核にもなりうる彼女達がこんな場所にいる理由――それはひとえに指揮官であるアロウラの家庭内の問題によるものであった。

「|王女殿下≪プリンセッサ≫、本国のフェルナンド殿下からお電話です。上納費の加増を要求されています」

 常夏のビーチと生い茂る熱帯植物の甘い匂いが立ち上る白亜の建物――カブリリャ島内のVIP用慰安区の一角、アロウラの屋敷の中庭。

 衛星電話を手に王女の傍に侍るのは背の高い金髪の女、ドロテア・カナリス中尉という。

 赤道直下の晴天であり気温が40度を超えるにも関らず本国の侍女が着る布地の多いエプロンドレスを几帳面に着こなしている。彼女はアロウラの秘書兼副官であり、基地の中の誰もが休日でも仕事着以外の服を着ているのを見たことが無いというとてつもない堅物だ。

「またか。兄上の奴、飽きもせず掛けてきおって。取り次ぐ必要はないぞドロテア。妾はシエスタの最中じゃ」

 対照的にビーチチェアにうつ伏せの赤い髪の女――サヴォイア王朝の華であるアロウラはトップレスのビキニにサングラスというほぼ裸と言ってもいい姿。
 彼女が上体を起こすと、それまで潰されていた乳房がユサリと揺れて姿を現した。
 同性でも見惚れる少女の肢体――あられもない姿のせいで晒されそうな彼女の桜色を長い赤銅色の髪が辛うじて覆い隠し、掲げられた右手がヒラヒラと拒絶の意を示す。 

「かしこまりました」

「まったく、兄上の無能な所は好きだが、王族の癖にケチなのは許しがたいのぅ」

 眠たげなままフルーツ皿に手を伸ばして無花果を取った。
 整った歯で噛みきられたルビーの果肉から同じ色の果汁が飛び散り、彼女の真っ白の喉元や乳房に滴るがアロウラは気にした様子も無い。
 一度だけ舌を伸ばして腕を伝う果汁を舐めただけで、乱暴に果実を貪っている。
 白い肌に赤い果汁を滴らせる姿は太陽の下にあるにも関らずどこかヴァンパイアを思わせた。

「――プリンセッサ、一般は立ち入らないとはいえ、ここにも人目はあります。さすがにいつまでもそのお姿はいかがなものかと」

「笑わせるな。我が宮殿で妾がどんな姿でいようと勝手であろう。そもそも男日照りのご時勢、顔と腕の良い男なら喜んで我が閨に招いてやると言っておろうに」

「勘弁してくださいませ。陛下の許しもなしに王女を男を同衾させたとなれば我々は破滅です」

「ハハハッ、案ずるでない。いざとなったら兄上が庇ってくれるさ。妾が王位継承権を失うのは大歓迎だからな」

 ドロテアが近づきタオルで果汁で汚れた胸元を拭うが、アロウラは口を挟むこともなく大人しくされるがまま。使用人が自分に触れる事など気にしない。
 一度目の生では地球圏最大の独裁者の家系に、そして二度目の生において由緒ある王族に生まれたアロウラにとって身分とは自分の体の一部であり、平民が自分のために何かをするのは当たり前の事だ。

「もうよい、報告にうつれ。兵達はどうか?」

「ハッ!」

 語調を変えた王女に対し、ドロテアの目つきもメイドのそれから猛禽に似た軍人の物となる。

――スペイン共和国第三王女アロウラ・エルナディス・マリーア・デ・サヴォイアはただ浪費を貪る人間ではない。

 高貴とは君臨すること。上に立つ者は絶対であり、下から自分の支配力を疑わせるような事はあってはならない。

 彼女は怠らない。実力を常に結果で示し、民に王族の格を決して疑わせない。

 王制が絶え、共和国になって久しいスペインに生まれた王の中の王。それが目の前の少女だ。

「第一大隊は機種転換訓練を終えました。米軍払い下げのイーグルはきわめて良好です。第二大隊は本日0900時にタイ王国から一個中隊を受け入れて教導を行っています」

「第三大隊はまだインドのボンベイか」

「はい。今朝は大規模なベータの奇襲があったそうです。まだ戦闘中ですので詳細は不明ですが、少なくとも2機の損失があります」

「ふむ……」

 アロウラが何かを探るようにゆっくりと瞳を閉じる。
 チラリと伺うようにドロテアがアロウラの方に目線を向けた。

「リチャードとアンネセか。そのまま神の御許へ行けばいいものを。わざわざ挨拶に来るとはな……。便せんと筆を出しておけ。遺族には妾が一筆書かねばならん」

「……もう何度も目の当たりにしていますが、相変わらず信じられません」

 ドロテアの王女に向ける視線に歓喜と畏怖の感情が混ざる。
 戦場でいつ散るともしれぬ兵士にとって自分の最期の声を聞いてくれる存在は心強い。だが同時に兵達は人知を越えた力を持つ王女にどこか近寄りがたい雰囲気も感じていた。

――彼女には死者が見える。生者の心も、世界の未来も見えているのだという。
――ならば彼女は神の遣いではないか。少なくとも神の加護を受けた人間には違いない。

 聖職者でもないのにこんな風に言われる女を信心深いスペイン人が恐れるのも無理は無い。肉親である王や王子でさえこの力のせいで彼女を遠ざけたのだ。

「信じたくないのなら別に構わん。それよりもインドの件の原因は国連軍の内輪もめじゃ。これはたっぷり請求せねばならんぞ。本国の連中と違ってこちらはあきないじゃからな」

――傭兵稼業

 国民の人気と高すぎる能力を疎まれ、親衛隊の一部を仕度金に本国を追い出された彼女がこのカブリリャ島で始めた商売である。

 対BETA戦争は東南アジア諸国がこれまで経験した対人戦争とは全く異なる物であった。
 BETAの主戦力である戦車級に対して歩兵は勿論、機関銃を積んだ装甲車両ですら明らかに性能不足。
 戦場に立つ資格があるのは戦術機や主力戦車といった先端兵器であり、最低限の数を揃えるだけで青息吐息といった後進国では、毎回最低2ケタの損害を出す前線にこれらの部隊を置く事は到底できなかった。

 だが損害が怖くて出撃しないでは話にならない。国家には同盟国との協約や軍としてのメンツもある。
 そこで彼らはスペインの機動親衛隊と契約を結んだ。アロウラ達は戦闘の無い間は各国軍の教導を行い、有時には戦場に出て各国の所属として戦果を挙げる。
 おかげで東南アジアの戦力は徐々に整い、親衛隊の助言を得ることで組織編成や装備は実戦向きになりつつある。
 割高ではあるが、東南アジア諸国にとってこの傭兵契約は十分許容できる支出であった。

「プリンセッサ。新型の開発費用につきましては親衛隊の収支は既に打撃から立ち直りつつあります。ここは無理に責任者を叩いて金銭をせしめるよりも、貸しにしてしまった方が後々の為になるのではないでしょうか?」

 なんといっても国連軍は巨大だ。
 わざわざ恨みを買って一割、二割増しで料金を請求するよりも、後日楽に儲かる仕事を融通してもらった方が収支でプラスになるのではないか。

 副官としては真っ当な回答である。

「フフン、分かっておらぬな。どのような形であれ、我々とガンダムが世に出る以上もはや国連は終わりよ。貸しなど返ってこぬわ」

「それは――」

 どういうことなのか、と問いかけようとしてアロウラの口元だけが笑っているのが眼に入った。
 彼女が人前以外でこの笑みを浮かべている場合、大抵碌なことを考えていない。

「直にわかる。それより例の8人に放った密偵の報告を知らせい」

「それが……残念ながらどの国もガードが固くほとんど情報を得ることができませんでした。ただプリンセッサの仰った通り東郷は国連軍内部で孤立しているようです。開発作業が妨害され、資金の一部も凍結されているとか」

「――やはり露助とは組まんかったな。ま、そも人間として相性が悪い上に妾があれだけ煽ったのじゃから当然といえば当然じゃがの。これでV作戦が元の軌道に乗ることはなくなったのぅ。この世界で再び地球連邦軍を作るか……妄執もあそこまでいけば滑稽、滑稽」

 目尻を吊り上げそれは愉快そうにアロウラは笑う。
 能力という面で今ひとつながらも幾多の死線を潜り抜けてきたユーリーと、能力を持ちながらも力を示す機会がなかった東郷。
 お互い素性をはっきりとは知らなかったはずだが、相手が自分のコンプレックスを刺激するのは感じただろう。加えてあのような空気の中で手を組もうなどとは言い出せないはずだ。

「国連軍のガスパロフが各国財界を纏めなければ本当に9カ国それぞれ独力での開発になっていたかもしれませんね。そうなれば一つ一つ部品を作るのに膨大な資金が掛かるところでした」

「この妾もあの御仁を通じて少なからず金を借りておるしのぅ。立ち位置から言えば恐らく露助のバックなんじゃろうが、それほど強い繋がりがあるとは思えん。第三者がこのような胡散臭い話によくもまあ、あれだけの金をかき集めてきたものじゃ」

 ただでさえ大きな金額を、機密もへったくれもない国際計画に出してくれる人物は多くない。
 王女であるアロウラでさえ、銀行や財閥に頭を下げてようやく工面できる金額なのだ。
 おそらく他の8人とも財界との関係はキナ臭い事になっているだろう。

「――まあよい、所詮ここまでは余興。次のステージへ上がれるのは金持ちでも権力者でもない。特別な力を持つ人間だけだ」

 サングラスを外したアロウラが立ち上がり両手を広げる。それまで纏わり付いていた髪がはだけて今度こそ彼女の全身が露になった。

 ドロテアを含めて軍人の肉体というのは小柄な女であっても固く逞しくなる物だが、アロウラにはそれがない。
 薄い脂肪の下に浮かぶ筋肉の筋は間違いなく鍛えられた一流の衛士の物だが、同時に年相応の華奢な少女のラインも消えずに残っている。

 その肌すらもまるでたった今象牙から削りだした彫刻のようだ。
 アロウラとて訓練兵時代に匍匐前進や格闘訓練で幾度も軽傷を負っているはずが、そんな痕跡はどこにもない。

 彼女の裸身が晒されていたのはバスローブを着せるまでの一瞬だけだが、その姿を見て特別な人間とはまさしくアロウラの事を指すのだとドロテアは思った。

 彼女は賢者のように賢く、大地のように確固とした意思を持ち、天使のように美しく――そして神のように強い。

 こんな人間に世界が救えないなら、人類は絶対にBETAに勝てないだろう。

「ドロテア」

「はっ」

「ビャーチェノワと東郷、そしてあのユダヤ人――ユフダ・コーンズ……この3人の情報は重点的に集めよ。他は捨て置いてもよい。じきに世界は変わる。その時に時代の核となる人間が誰になるか見極めねばならん」

「――っ! 未来をご覧になったのですか?」

「――いいや、これは妾の勘よ」

 アロウラが振り返り、悪戯っぽくウィンクする。

「ただの乙女の勘じゃ。しかし良い女の勘というのは絶対に外れぬと決まっておる」








[32864] 23、「二人が揃えば」
Name: 大蒜◆9914af20 ID:86f1a2a8
Date: 2013/03/24 19:08
23、「二人が揃えば」~Muv-Luv:Reduced Moon~




***1992年7月26日 インド ボパールハイヴ***

 この日は記念となるはずだった。
 インド共和国を蝕む13番目のハイヴ、ボパールハイヴ。その攻略作戦であるスワラージ作戦において初めて実践投入された宇宙軌道戦術が絶大な成果を挙げた。
 低軌道から投入された再突入殻はブースターによって加速され高度2000で戦術機を開放、幾筋もの光線を押し返し地表に衝突したそれらは轟音と共に地上に蔓延るBETA共をなぎ払う。
 こうしてハイヴ攻略作戦の第一段階は歴史的な大成功を収め作戦に集った各国の将兵達の絶大な喝采を上げた。

 しかしそんな状況とは裏腹にオルタネイティヴ計画特殊戦術情報部隊の士気は低い。
 彼らもこんな状況でもなければ素直に降下戦術の成功を喜べたのだ。
 西側最強クラスの第二世代機であるF-14の配備と命がけの降下軌道兵達の先導によるハイヴ突入。だが肝心の突入部隊――彼らに与えられた至高の戦略目標が士気を下げさせている。
 人類反抗の狼煙《のろし》、国土奪還など歌ったこの作戦の第一目標はハイヴ攻略ではない。
 戦死する180万人の兵士も、消費される877万トンの弾薬も、そして投入された3000億ドル以上の戦費も全ては管制ユニットに積んだ人工ESP発現体――人間のカタチをした化け物をハイヴの底まで送り届ける為の露払いでしかなかった。秘密作戦故致し方ないとはいえ、彼らの中にはこの星に生きる全人類の期待を裏切っているという罪悪感がある。

 地獄の門をくぐりながら、フサードニク中隊の衛士達は罪悪感とやり場の無い不満を容赦の無い憎悪として人工ESPの少女達にぶつける――はずだった。






 そうなるはずだった。





***同日 ボパールハイブ内 深度350メートル***


 不気味に薄明るいハイヴ内に佇む12機の戦術機。
 シベリアでのトライアルを経て正式にオルタネイティヴ計画に採用され、UNブルーに塗装されたF-14 AN3《マインドシーカー》の中隊である。

「ん~~~~~っ!! カァ~~~~~ワイイし~~~~~~っ!」

「………………」

 ハイヴ攻略中という極限状態の中、狭い管制ユニット内部で前席の人工ESP発現体――他の個体と比べていつも眠たげと評される目付きの78番が後ろから抱きつかれ、頬ずりされている。
 誰からみても考えても迷惑な行為だが、彼女は事前に党から受けた命令どおり委細気にすることなく淡々と作業に従事していた。

「ねえ、あなたってシェスチナ? それともビャーチェノワ?」

「……シェスチナ」

「いい匂いするし~、肌スベスベ~。お風呂に入ったことある? シャワーじゃなくてバスタブにお湯を張る奴だし」

「…………」

 肌が綺麗なことと、風呂がどう関係するのか。
 若干の思考を挟みフルフルと首を振る。少女のコシの強い銀の髪が肩の辺りで翻えり、後席のフサードニク4の強化装備に包まれた乳房に押し付けらる。

「うへへへ、じゃ、じゃあさ、これ終わったら私と一緒に――」

「――いい加減にせんかフサードニク4! 貴様、ここがどこだかわかっているのか? 今はハイヴ攻略中なのだぞ!?」

 涎を垂らさんばかりのフサードニク4へついに堪忍袋の尾が切れたフサードニク1――中隊長の男から叱責が飛んだ。

「レーダーチェックは大丈夫だし。ついでに今は補給中でヒマで、コソコソ寄ってこようものならこの娘が見つけてくれるし」

 ポンポンと78番の頭を叩く。
 フサードニク4の言うとおり、何をされてもAN3装備の走査から目を離すことは無い。

「――調子に乗りおって……人形などアテになるものか!」

「に、人形なんかじゃないし! 大尉だってシベリアでユーリーのアレを見たっしょ? この子達は人間だし!」

「あれは幻覚だ! 放電現象のフラッシュと誘発された落雷が引き起こした集団幻覚だ! あんな幻覚さえ無ければザンギエフ大佐も、あのような気の迷いを起こしたりせずにすんだものを…………」

 嘆かわしいと言わんばかりに頭を振るフサードニク1。
 彼はザンギエフに一喝される最後までユーリーがレッドサイクロンになる事に反対していた。

「落雷なんてミグのこじつけだし! 大体、アレがあったおかげでシベリアで何十万人も助かったじゃん。大佐だって命を賭けて――」

 小さなアラーム音。
 補給作業の終了と前進再開を示すサイン。

「――話は終わりだ。貴様がどう思おうと俺はこいつらをモノとして見て扱う。フサードニク4、もし足を引っ張るような真似をすれば、俺が大事なお人形ごと貴様を撃ち抜いてやるからな」

「そんな――っ!」

「フサードニク中隊、前進再開!」

 各機から了解の斉唱。
 ここは既にハイヴの中層に至ろうかという深度だが、未だ敵との遭遇は少ない。

 その理由が薄光りするハイヴ中で各坐したF-15の残骸だ。ほとんどは戦車級によって齧られた物だが、いくつかは原型を留めている物もある。
 軌道降下という新戦術の先駆けとなった彼らが命を掛けて自分達の道を切り開いてくれたのだ。

「やー、ごめんごめん。うちの隊長ゲイだから女に当たり強いんだよね。シベリア組がいる他の中隊ならもうちょい雰囲気いいし」

 重い空気を誤魔化すようにフサードニク4が明るい声で話しかけた。

――共産圏ではゲイは御法度。
 特に男性の比率が圧倒的に減少しているこの国では反社会的・個人主義的な性癖であるとして、ゲイはある種の犯罪者のように扱われている。
 上司の弱みを偶然知ったフサードニク4は表向きは中隊のNo2兼中隊長の恋人として振る舞うかわりに、内輪では彼の首根っこを完全に押さつけ隊の陰の権力者として君臨していた。
 そのため部隊内の関係はかなり不穏だ。

「……シベリア組?」

「そ。祖国の英雄、ミハイル・ザンギエフ大佐が戦死したシベリア防衛戦に参加した大隊の生き残り20人。そしてシベリアでユーリーの光を見た20人の事だし。あ、ユーリーは知ってるっしょ?」

「…………はい」

 ユーリー・アドニー・ビャーチェノワ。
 同じ人工ESP発現体は何百体といたが彼は特別な存在だ。直接本人を見たことはないが、実験とそして調査の一環として彼の映像を見させられたことがある。
 映像の中の彼は笑って、泣いて、叫んで、怒る。自分達と同じ実験動物ではない、他人と感情をぶつけ合う事のできる生きた普通の人間だった。わずかに感情のあるビャーチェノワの中には羨望とわずかな嫉妬を込めて許された命、そう呼ぶ者すらいたほどだ。

「そーそー。あのエロガキの事だし。全く、アイツに何回胸揉まれた事か。ナニが起つ歳になってから出直せっての」

「ナニ?」

「あー……」

 不穏な単語を拾われた中尉は頬をポリポリと掻きつつ目を泳がせる。

「そ、そういえば貴女達って名前無いんだっけ? 私がつけてあげるし!」

名前イーミャ……欲しい」

 それまでよりはっきりと、期待のこもった声。
 ようやく見つけたコミュニケーションの足がかりに中尉の頬もゆるんだ。

「うんうん。そうだなー、天使みたいに可愛いから……アンジェノビッチ!」

「それ、男性名」

 眠たげな眼をやや鋭くして78番は素早く反応した。

「おおう、ツッコミ入ったし。じゃあドミニオ……いやケルヴィナ……いやいや、ここはセラフィータとかもアリだし」

「天使ってそんなにいっぱいいるの……?」

「うーん、そういえばいっぱいいるなぁ。私もクリスチャンじゃないから詳しくないし。でも想像はできる。神様はね、人間に未来を作るためにたくさんの天使が必要だったのサ!」

「……未来を、作る?」

 天使や神という概念は当然学んで知っていた。
 だが未来を作るというのはどういうことだろう。
 フサードニク4の言う天使の被創造物、自分と同じ存在という観点が幼い少女の琴線に触れる。

「神様ってさ、6日で世界を作ったり、アレもしてない処女を妊娠をさせたり、すっげー強い悪魔を雷の剣で倒しちゃったり……とにかくなんでもできちゃうし。でも世の中の全部が全部をそんな風に神様のやり方に任せてたら世界はずっと変わらないままじゃない? 天使は確かに万能じゃないかもしれないけど、でももし神様が天使と仕事をしていれば世界は3日で作れたかもしれない、キリストは5つ子だったかもしれないし、もしかしたら悪魔は滅ぼすだけじゃなくて和解できてたかもしれない。どんな事でも新しい可能性が生まれたはずだし。私が思うに、神様が自分より弱い物を作ったのはそんな素敵な事を考えたからじゃないかな」

「……わからない」

 自分の学んだ事とは全く違う。
 少女は理解の及ばない観点を持つ中尉に対する感想を素直に口に出した。

「あはは、私も神学なんてよくわかんねーし。でもさ、これって私も貴女も同じ。私は中隊で一番戦術機の操縦が得意。あなたは肌がスベスベで心を読むのが得意。一人じゃできることは少ないけれど、二人が揃えばハイヴだってぶっ飛ばせるし!」

「……ハイヴは飛ばせないと思う。あと肌は関係はい」

「漫才ならできそうだし!」

 その後もフサードニク4は78番に色々な事を話した。
 中隊長の愚痴、軍の給料が少ないこと、彼女の実家に咲く美しい向日葵の事。

 しかし結局、名前は決まらないままだった。

 陸路からハイヴへと突入しすでに2時間近く、到達深度は500メートルを越えている。
 それ以前の戦闘回数は少なかったが、軌道降下兵団の最後の残骸を見つけた当たりからベータの襲撃が増え始め、フサードニク中隊の戦闘は激しさを増しつつあった。

「12時方向から敵反応600! いいえ900……1000以上っ!? ありえないしッ!!」

「フサードニク4! 後続のC小隊が来るまでここを確保するぞ!」

「了解だし! ――野郎共、宇宙人を血袋に変えちまえ!」

『『『了解!』』』

 冥界の底から上がってきた亡者達。千にも及ぶ戦車級と要撃級の集団は真っ赤な波飛沫として絶え間無く襲いかかってくる。

 狭い坑道というロクな機動の取れない中で、フサードニク達は良く戦っていると言えるだろう。

 しかし戦闘の明暗は徐々に分かれ始める。

 過熱状態が常態化した銃身は熱で橙色のまま正確な照準を失って久しい。加えて目減りしていく弾薬、そして推進剤。
 F-14 AN3は衛士の操縦によく応えていたが、やはりAN3装備を稼働させているせいで本領を発揮できてはいなかった。

「クソッ! さっきから電圧がカツカツだ! おい人形共、まだ終わらないのか!」

 機体を思うように動かせない現状に苛立ったフサードニク1が怒鳴る。

「…………」

 前席に座る人工ESP発現体達は応えない。
 バイザーの下で裂けんばかりに目を見開き、額に汗を浮かべている。戦術機の操縦こそ行っていないものの、彼女達も今自分の戦場で戦っている。

「…………存在を確認。???を要請……」

「なんだ!? 何を言っている?」

「最深部に存在するBETAらしき意識とのコンタクトに成功しました」

 バイザーを外し、振り向いたフサードニク1の人工ESP。
 薄気味悪いほど澄んだ瞳がこちらへ向けられるとフサードニク1は嫌悪感を隠そうともせずに顔を歪めた。

「何……だったらすぐに戦闘を止めさせろ! 最優先事項だ! 貴様ら全員、死ぬ気でやれ!」

「……はい。全員に命令を通告します。…………、…………」

 再び顔の上半分を覆うバイザーを降ろして作業に戻る少女達。
 さらに多くの電力を与えられた肩部のレーダーが唸りをあげて仲間とハイヴの中枢へと思考波を送信する。
 だが、戦闘は一向に止まない。

「こ、こちらC小隊フサードニク7! 後ろからもBETAが……あ、あ、ああ……! すげぇ数の要撃級だ!」

 合流するはずのC小隊の遅れが気になりだした頃、ノイズ交じりの絶叫がフサードニク中隊に届いた。

「イワンコフ!? そこはもういい、すぐに合流しろ!」

「――ああ……おおぁああああああああああああ!!」

 野太い男の断末魔。同時にC小隊4機の識別反応が消滅。

 フサードニク7――中隊長のセックスパートナーであり、生還の可能性を高めるために突撃前衛の適性を無視し、わざわざ制圧支援のポジションを与えた恋人が死んだ。

「イワンコォーーフッ!! クッソォォォ!!」

「全員、後方注意チェックシックス! 後ろから大隊規模でBETAが来るし!」

 C小隊を襲ったBETAが合流し、中隊は前後からの挟み撃ちになった。
 戦況は圧倒的に不利。例えここを凌げても、それ以上の戦闘をする余力が無くなってしまう。

 と、そのときフサードニク4の搭乗しているESPが横坑の下部から分岐する別の通路を発見した。

 戦術機が入れるギリギリのサイズの縦坑。即座に探査――通路内に敵反応は無し。

「クソッ! クソォ!! B、A小隊の順に噴射跳躍! 一列縦隊になった後に前方の縦坑シャフト噴射降下ブーストダイブ! いくぞッ!」

『『了解!』』

 戦車級と要撃級が押し寄せる坑道の中で、青白い炎を吹き出した8機の戦術機たちは一斉に空中へ離脱、そして間隔のほとんどない完璧なタイミングで縦坑に飛び込んだ。

「――BETA共、ここは通行止めだし!」

 最後のフサードニク4が一瞬だけ滞空し粘着瑠弾の連射で入り口を爆砕。余波に巻き込まれた要撃級の死体と瓦礫で進入坑は完全に塞がれた。

 縦坑に飛び込んだ戦術機たちはそのまま100メートル近くの距離を垂直に下っていく。
 その底は複数の横坑が繋がる広場《ホール》だ。200メートル四方の僅かな空間だが、この地獄の中でかろうじて得た安全地帯である。

 だがフサードニク中隊の面々の心情は重い。
 特に恋人を失ったフサードニク1は恥も外聞も無く号泣していた。

「イワンコフ……おのれ、おのれぇ!! 人形は何をしていた! 索敵は貴様等の仕事だろう!」

「……フサードニク7の121番は機体の解析ロットをすべて対BETAコンタクトに当てていた。あなたの命令」

 フサードニク4に搭乗する78番が答えた。

「~~~~~~ッ!! 人形風情がっ! だったらそのコンタクトの結果とやらを教えろ!」

「……はい。BETAは我々から発した和平や戦闘停止に対する68の提案に対して無反応。生態や目的に関する147の質問に対して141が回答無し。ただし反応の得られた6つの質問から、ベータは論理的な思考を持ち、尚且つ我々を生命体と認識していないと結論付けられる」

「「「――――ッ!?」」」 

「わ、わけわかんねーし! 生命体として認識していないってどういうこと?」

 フサードニク4がすかさず問いただした。

「石や砂、その他無機物と同じ扱い。我々の和平や戦闘停止のプロジェクションに反応しないのは、彼らにとって戦闘行為を行っている自覚が無いから」

「石や砂って……そんな、何かの間違いっしょ?」

「複数の根拠を持つ確定情報。そしてこの問題を解決しなければBETAに対する情報戦略はほとんど意味を成さない」

 どこまでも平坦な声で応える少女。
 想像もしなかったリーディングの結果とBETAの生態に中隊に重い沈黙が降りる。

 これ以上の成果が見込めない以上、この作戦は間違いなく失敗だ。
 これほどの大規模作戦をおいての失敗、それは間違いなくオルタネイティヴ第三計画の終焉を意味する。
 彼らが信じていた世界を救うはずだった希望、人類勝利への唯一の道筋、それが完膚なきまでに否定された。

「生命体とは認識していない…………。そうか、そういうことか」

 フサードニク1が何か吹っ切れたように呟き、だらりと立ち上がった。
 小さなウィンドウの中で空ろな視線を彷徨わせている彼を隊員達が不審気に注目する。

 すると突然、フサードニク1は無言のまま拳を振り上げ、周りが疑問に思うまもなく思い切り振り降ろした。

「大尉?」

 管制ユニット内のカメラの視野は狭い。
 最初、自分達の隊長は絶望のあまり壁に八つ当たりをしているのだと思っていた。
 だが何度も拳が振り下ろされ、グシャッという湿った殴打音に加えてくぐもった悲鳴と赤い飛沫が映されるのを見て、彼らはようやく事態を悟る。

「た、大尉! 何をしてるっしょ!?」

「――何を、だと」

 フサードニク4の声に血に塗れた拳を止めて答える。

「見ての通り不要な装備を処分している。BETAが戦闘停止に応じないのはこいつらのせいだ。人間の代用品……オルタネイティヴ計画とは良く言った物だ。つまりは! こいつらが生き物ではないせいで我々は生命体と認識されず、イワンコフが死んだということではないかっ! 石ころと同価値とわかった以上、もはやこいつらを連れて行くのは無意味だ。最初からBETAという来訪者と語り合うのは純粋な生命体であり、世界の模範たる我々ソビエト連邦市民であるべきだったのだ!」

「そ、それは……」

――人間の代用品
 フサードニク1の言葉には一片の説得力があった。
 その理由は自分達が感じている違和感。
 フサードニク達は恐る恐る前席に座る人工ESPの少女達に眼を向ける。

 人形と蔑まれ、仲間が殴り殺されようとしている。
 人間ならばここで何らかの弁解か、命乞いでもする場面だろう。

 彼ら――フサードニク4が期待したのはそんな生きた反応だ。せめて怯えている素振りでも見せてくれればいい。
 だが彼女達はこちらを振り向くどころか怯えている様子もない。ただそれまでと同じようにコンソールを操作して何かのステータスを呼び出している。

 人間ではない――兵士である自分達ですら身を震わせるようなこの異常に全く心を動かすことがない。

 虚ろな目をした上官が銀色の髪を乱暴に引っ張り再び人工ESPに殴打を加える。ブチブチという音がして血のついた長い銀色の髪だけが彼の手元に残った。
 ここにいるのは憤怒によって狂気に落ちた男とそしてその迫力に飲まれかけている衛士達、そして物言わぬ人形だけ。

「「「「……コード666Dの発生を確認」」」」

 地獄の坩堝のような状況の中、7機のF-14AN3《マインドシ-カー》、それぞれの前席に座る人工ESP発現体の声が重なった。

「――マニュアルに従い第六世代78番及び第五世代215番、530番は行動を開始します」

「天使ちゃん? 何を……?」

 フサードニク4に答える声はなく、管制ユニット内でシェスチナの小さな手が何かのパスコードを送信する。

 観測機材以外の操作権限は無いはずの人工ESP体達の突然の行動に反応できた者はいなかった。
 まず、現場の最上位権限者であるはずのフサードニク1の管制ユニットがスライドして解放され、次いでフサードニク4、6、8の機体も同様となる。

 敵地の真ん中、ハイヴの底で突然地下の冷たい外気にさらされた4人の衛士達は狼狽えた。
 立ち上がる3人のESP。フサードニク1を三方向から囲む形で立つ彼女達の手には不似合いの拳銃が握られている。
 彼女達は何の感情も浮かばない眼でフサードニク1を狙っていた。

「人形風情が敵討ちのまねごとか! 小癪な!」

「「「………………」」」

 いくら数を揃えようが、その手にあるのは軍の制式拳銃――5,56ミリ弾のハンドガンでしかない。
 強化装備の防弾能力で十分に対処できると判断したフサードニク1は、回避ではなく頭だけを守り自分の拳銃に手を伸ばす。
 だがその判断は致命的な間違い。

 三つの銃声。
 人工ESPが放った銃弾は強化装備に弾かれることなくフサードニク1の体を貫いていた。

「――ぐぅぉおおおおおおおお!!? ば、馬鹿な……!」

『た、大尉ぃ!!』

『大尉!? な、何が!?』

 フサードニク1の巨体が崩れ落ち、管制ユニットに更なる血が流れ出す。
 思いも寄らない事態に中隊の全員が驚愕に震えた。

『まさか……対皮膜弾頭!? そんな! 党は人形に俺達の生殺与奪を任せるのか!?』

『そ、それより大尉の手当てを!』

『衛士殺しの弾頭だよ!? どうせ助かんないよ! ねえ、もう出ようよこんな場所! リーディングは無駄だったんでしょ!?』

 訓練と実戦を経て勇気と技量をもつ完璧な兵士となったフサードニク達にしても、これはあまりにもショックが大きかった。
 中隊達を統率する上位者がずっと自分の目と鼻の先に座っていた人間モドキに殺されたのだ。

 そもそも彼らとて胸中に恐怖が無かったわけではない。

 ずっと怖かった。
 無数に迫り自らを喰らわんとする戦車級が、知覚するまもなく自らを消し炭に変えてしまうレーザーが、感情のない目で心の最も深い所まで盗み見るESPの少女達が、そして出口のない地獄であるこのハイヴが。

 恐怖を忘れた事などない。ともすれば無限に湧き上がってくるその感情を、訓練で慣れさせ、あるいは愛国心や使命といった意図的に作りだした狂気で覆い隠し続けてきた。
 しかし今、予想外の衝撃を受けてそのメッキが剥がれかかっている。

 ハイヴの底での士気崩壊――それが全滅に直結するにも関わらず。

「皆しっかりするし! とにかく私達はこれから――」

「――ゆ"る"ざん…………!!」

「なっ!?」

 通信に割り込んだくぐもった声。

――フサードニク1は生きていた。より正確に言えば即死しなかった。

 先ほどまでは人工ESPの返り血で、今はそれ以上に自分の血で染まった男の体が立ち上がる。

「ゆ"る"ざん、ゆ"る"ざん、ゆ"る"ざん、ゆ"る"ざんんんんん!!」

 フサードニク1は死に瀕した肉体に猛烈な復讐心で最後の力を与えると、虫の息の人工ESPを引き寄せ懐の銃を奪い取り狙いを定めた。
 最も腹立たしい敵――フサードニク4の管制ユニットに立つシェスチナを殺すために。

「じね"ぇえええええええええええい!!」

「…………はい」

 震える銃口が徐々に定まっていく。
 だが、少女はそれを避けようとしない。
 78番はその青い眼で自分を狙う銃口を認め、自らの死を受け入れるように目を閉じて体の力を抜いた。

「――ッ!! 天使ちゃん、だめっ!!」

「………………」

 トリガーが引かれる。

 同時に絶命したフサードニク1も管制ユニットへ倒れこむ。

 78番の体が宙に浮いて、そして座席に叩きつけられた。

――……あ、良い匂い

 まるで太陽のような暖かい匂いが。人工ESPに肉親は居ないが、もし自分に親が居るならこんな匂いがするのだろうか。

 だが、次第に良い匂いよりも鉄臭い血の匂いが鼻をつき、そこで少女は自分の体に何の痛みも無い事に気づいた。

 ゆっくりと眼を開けば、そこには微笑む女――おびただしい量の血を吐きながら自らに覆いかぶさるフサードニク4。
 つまり撃たれたのは自分ではなく――

「う……くっ……良かった。弾、私の体で止まったみたいだし」

「――――ッ!! どうして……!」

「へへへっ、おねーさん可愛い子の為なら火の中水の中、銃口の前だっていけちゃうし……」

「そんな……私は、そんな……」

 可愛い子供などいない。ここにあるのは量産品だ。
 一体2000万ルーブルの、動いてしゃべって超能力を持つだけのお人形。オルタネイティヴ計画を果たすために作られた使い捨ての命で、そして今やその使命を永遠に果たせないことがわかった欠陥品でしかない。

 だから、78番はあの瞬間撃たれてもかまわないと思った。

――コード666D
 戦闘時以外で党の許可無く人工ESP発現体を処分しようとした衛士に対する殺害命令。

 事前に定められていた処置とはいえあの大尉を殺したのは自分。どうせ作られた命ならせめて自分が殺した人間の恨みを受け止めて死のうと思った。

 中尉の強化装備のわき腹に開いた銃創から白い煙が立ち上っている。対皮膜弾頭――通称衛士殺しに封入されたBETA由来の溶解液が彼女の肉体を中から焼き溶かしている。
 彼女は間違いなく死ぬだろう。先ほど生命反応を失ったフサードニク1と同じように、物言わぬ死体と成り果てる。

「ごめんね、結局、あなたの名前――――ッ!! ゲホッ!」

「名前なんて……」

 想像を絶する痛みで蹲り、中尉はそれでも笑顔を作ろうとする。
 そんな彼女を見下ろすのが痛ましくて、78番は強酸の煙が手を焼くのも構わずに中尉の傷口を押さえ続けた。
 正しい処置かは分からない。だが何かをせずにいられなかった。

 せめて自分が人形でなければ、中尉の望む"本物の"可愛い女の子であったならば、もっと気の利いた言葉を掛けられたのに。
 もっと色々な話ができたかもしれない、名前だってすぐに決まったかもしれないのに。

「……ごめんなさい……ごめん、なさい……」

 偽物でごめんなさい。人間モドキでごめんなさい。

 この人は死んではいけない。

 死ぬべきは自分だ。
 こんな事になるくらいなら、オルタネイティヴ計画の役に立たないとわかった時点ですぐさま自分の始末を付けるべきだった。

「死なないで……お願い……!」

 必死で命を繋ぎ止めようとする小さな手に暖かい滴が弾けた。

「……あ、これ――」

 その滴の源泉――自分の両目。

 私はコレを見たことがある。知っている。

 心が作る水、生き物が流す感情の滴――涙だ。

 人形の目からこんな物が出るはずが無い。
 それが信じられなくて、ほんの一瞬、中尉の事も忘れて78番は手の平に落ち続ける涙を呆然と眺める。

 絶望と後悔と驚きと、そして他人の死に直面して涙を流す。その姿はもはや人形ではなく年頃の少女でしかない。

 それを確認した中尉の手が穏やかに微笑み、少女の頬を愛おしげに撫でた。

「あ……はは、……見たかホモ野郎。やっぱこの子達は人間……だ……し……」

「………………ッ!」

「私の……天…ちゃ……どう、か……」

 頬を撫でていた手が激しく震え、中尉は口から大量に血を吐き出す。
 体は芯から力を失い、心の色は煙のように拡散して完全に見えなくなってしまった。

「………………」

『――フサードニク4a、生命反応消失』

 時が止まったかのような静粛をフサードニク3のESPの声が破った。

『――こ、こんなのってあるか……!? 大尉どころか、中尉まで死んじまった!』

『これが……こんな結末が私達の最後だっていうの? 人類の希望なのよ!? 味方同士で殺しあって……本部や外にいる同志達になんて言えばいいのよ!!』

 部隊の中核を占めていた三人――フサードニク1、4、7を失い残ったのは少尉階級の士官だけ。
 上司と冷静な判断を失った彼らはもはや軍人として機能しない。

 だがこの地獄に出口は無い。彼らには更なる悲報がもたらされる。

『6時方向感知限界範囲より、BETA群接近。数2100。なお、上部の崩壊縦坑からも振動を感知。打通まで10メートル。こちらは時間がありません』

 絶望的な報告だった。

 つい五分ほど前であれば、死中に活を見出せたかもしれない。
 だが彼らの緊張の糸は切れてしまっている。人類を救うオルタネイティヴ計画の一員であり、一流の衛士であるという自負と誇りは内輪揉めによる中隊長と副長の死という衝撃によって完全に吹き飛んでいた。

『嫌だ……嫌だ嫌だ嫌だぁ! こんな所で、こんな事で死ねるか! 俺は逃げるぞ!』

『お、おい、待ってくれ! 俺も連れて行ってくれ!』

 錯乱したフサードニク3、続いてもう一機がBETAのいない方――即ちさらに深部の方へ向けて飛んでいく。作戦も何も無い、完全に衝動的な行動だ。

 彼らは生き残る事はできないだろう。
 現在の深度は約700メートル前後。中間は越えたが未だ終わりは見えていない。奥へ行けば行くほどBETAの密度が増すのがハイヴである。

 そしてそれは居残った者も同じだ。進むことも、退くことも留まることも許されない。ここを凌いでも、生きて出るためには未だ数千のBETAを倒さなければならない。

「……私死ぬの?」

 開け放たれたままの管制ユニットで、まだ暖かいフサードニク4の遺体を抱きしめる少女が呟いた。

 ようやく人間になったのに。
 せっかく命を貰ったのに。

 それがたったこれだけで終わってしまうのか。

「……怖い」

 そう思うと急に怖くなった。
 先ほどまでは簡単に受け入れられた銃口が、迫り来るBETAの群れが、そして貪り食われる自分の姿を考える事が恐ろしく感じられるようになった。

「……怖いよ。こんなのは嫌……」

 こんな恐怖を持った心など保ってられない。

 ガチガチと歯を鳴らし震える体が、すがり付くように遺体を抱きしめる。

「……だったら……」

――生きる事がこんなに恐ろしいのなら、いっそ再び人形に戻ってしまえばいい。

 吐息すら凍りつくようなハイヴの底、F-14AN3の管制ユニットの中で少女は抵抗を諦めた。

(……ごめんなさい)

 目を閉じて心を硬く硬く、冷たく冷たく。
 感情を消して心を透明にすれば何も感じなくなる。死を悼む心を消して、涙を枯らして、中尉との幸せな時間を忘れて、少しだけ時をさかのぼって、天使だった少女は再び78番となる。

 命の無い石《メドゥーサ》の像に――













――そんなの駄目だしっ!!












「――――ッ!?」

 死体に寄り添って最期を待っていた少女を襲ったのは機体が揺らぐほどの爆風だった。
 腹の底まで響くような重低音、わずかに暖かい地上の空気、焦げ臭い匂い、――そしてたった今、永遠に失ったはずの声。

 彼女を守るように管制ユニットが自動で機体に再格納される。

 驚きのまま、涙の乾いた眼でその手にある遺体を凝視――間違いなく死んでいる。

『なんだ、今のは!?』

『――おいッ!? 観測機器が勝手に作動してる? 一体何が……!」

 フサードニク達が叫ぶ。
 F-14 AN3に設置された5つのレーダー全てが勝手に動作していた。過電流でスパークし、グルグルと回転しながら何かのデータを受信している。

 しかも膨大な電力を消費するはずのAN3にも関らずバッテリーに変化は無い。
 この機材はいま完全に未知のエネルギーで動いている。


『データリンク回復……? こんな地下で!?』

『おい、ほ、他の突入部隊のマーカーがあるぞ! ボォバ中隊、ドゥシア中隊……まだ生きている! あいつら、まだ戦ってるぞ!』


 1割も生きていれば良い方というハイヴ突入部隊。それがまだこんなに居る。まだ人類は戦っている。
 思いがけぬ朗報に沸き立つフサードニク達。

 そんな彼らの傍を再びあの声が駆け抜ける。




"――確かにこの世界には辛い事も悲しい事もある! でもそういう事を抱えて、嬉しい事や楽しい事を増やしていくのが生きるって事なんだ!"



 そう、声がするのだ。

 こんな地下深くで、無線やスピーカーではなく誰かがすぐ傍で自分に語りかけている声がする。

「中尉の声……? ううん、今のは違う……でも、この言葉は――」

 78番が自分自身に確かめるように呟いた。 

『なんだ……何が聞こえてるんだ……? それにESPの様子が変だ』

『私の所も……』

 何が起こっても自分の仕事に忠実だった人工ESP達が操縦桿から手を離し、呆けたように声を漏らして管制ユニットの天井を見上げている。

 それは絶望に落ち、石像となりかけていた78番の少女も同じだった。
 顔を覆っていたバイザーが外れ、枯れたはずの涙がとめどなく流れている。

「……この言葉は……この明るい色は…………」

『ハイヴ内の未確認のIFFがこちらに接近――っ!! 何よこれ!? 速すぎる!』

『戦術機……いや、航空機でも持ち込んでいるのか? こんな狭い場所で?』

 蟻の巣のように複雑なボパールハイヴのマップ上で、点滅する無数の赤い敵標を突破しながら青い光点が流星のような速度で迫っていた。フサードニク達が2時間以上かけて降ってきた道のりを、マップ上ですら眼で追うのがやっとという速度でだ。

 もしもこの時、後部座席に座る衛士達が冷静ならば人工ESP達の視線の向こうが未確認機の座標と同じである事に気づいたかもしれない。
 加えて彼らがシベリアで戦っていた仲間の言葉を思い出せれば、この現象が誰によるものか想像はできたはずだ。 






"――俺達だって生きていいんだよ! 悲しいまま心を閉ざしちゃ駄目だ! そんな風に何もかも放り投げて、誰もいない所へ行こうとするんじゃない!"






 マインドシーカーの管制ユニットから漏れ出していた小さなスパークはその声をキッカケに膨らんで、機体を包むほどのオーロラとなる。
 そこに至って、ようやく衛士達はこの異常を肉眼で捉えることができた。

 光だ。

 目をき、心を焦がす強烈な色彩。
 特別だが、特別ではない、人類が忘れてしまった不思議な感情の色。
 人形紛いの人格である人工ESP発現体達は勿論、狂科学者ばかりのオルタネイティヴ計画の研究員にも、人類の行く末に絶望している兵士もこんなに強烈な感情を発露させることは無い。


「……これは、命の光、優しい光、暖かい光、正しい光――――私達の希望の光……」


 フサードニク4の管制ユニットには彼女の冷え切った体を癒すような光が周り中から注がれている。

 接近警報が鳴った。

 先程フサードニク4が崩落させた縦坑《シャフト》がついに突破され、無数の戦車級がこの広間の天井に侵入している。
 蟻のように湧き出し、視界を真っ赤するほど天井にびっしりと張り付いた戦車級が一斉に青い戦術機達に感覚器官を向けた。

「――――ッ!!」

 恐怖で78番の喉が引き攣る。
 だが戦車級の落下よりわずかに早く、正体不明の機体――GX―9900がフサードニク中隊の居るこの広間にたどり着いた。

『せやぁあああああああああああああっ!!』

 不明機は広場に飛び込んだ勢いそのままに中隊の上空へと飛び込むと、左腕で肩口に取り付けられていた柄を引き抜く。
 薙ぎ払われた光の剣は扇状に超高温の粒子を伸ばし、驚くほど簡単に戦車級を刈り取った。

 勢いを殺さぬまま、黒い機体はクルクルと独楽のように回転。ミキサーのブレードのように一回り、二回りするたびに天井のBETAが切り刻まれる。沸騰したBETAがボロボロの黒い炭となって降り注ぐ。

 天井のBETAがあらかた片付いた所で右手で腰にマウントしたビームライフルで真上――BETAの源泉、先ほどフサードニク達が通った天頂部の縦坑を突き刺す。
 紅い閃光、破裂音。
 光の柱が昇り、狭い縦坑内でひしめいていた数百のBETA達が爆裂し一挙に黒ずんだ肉片となって振りそそいだ。

 そのときの光景を彼女は一生忘れないだろう。背中から青いバーニア炎を伸ばし、紫電を纏う剣を構えるその姿は――


「雷の剣……かみさま……?」


 マインドシーカーを包むオーロラの向こうで、あの人フサードニク4が微笑んでいるのが見えた。





***同日 インド亜大陸 マッディヤ・プラデーシュ州東部 上空 ***

時間は少しだけさかのぼる。
ボパール作戦第2フェイズの開始。それに伴ってレッドサイクロンにセラウィクの党本部から中国戦線への出撃命令が発令された。
極東軍管区で戦っていたユーリー達は中国へ向かうために9900と共に専用機であるイリューシン Il-76改で飛んでいる。

――だが結論から言おう。その命令は偽物だ。

 本来なら中央会議の軍関係者、そのほんの一握りだけが知るレッドサイクロンへの命令コード。
 トルストイがそれを手に入れ、シベリアで横領を行っていたとある高官の名前で自分達へ偽造命令書を発行したのだ。
 当然そのまま中国に行くつもりなどさらさら無い。彼らは不意にハイジャックを受けた事を口実にボパールへ向かうつもりだった。


「ほ、本当に降りられんのかよ!」

 珍しくユーリーが情けない声を上げた。

 イリューシンは現在インド大陸の上空。あともうすぐでハイヴが見える距離であり、直にBETA達からレーザーの大歓迎を受けるはずだ。
 そのためレーザーを可能な限り避けるため輸送機としては低すぎる高度2000メートルを更に下げながら飛んでいる。

『イリューシンの機首には積めるだけ対レーザー装甲板を積んであるし蒸散膜加工も何重にも施してあるわ。正面から来る限り、素のまま重光線級に狙われても少しは大丈夫よ!』

 暗号通信――海軍名誉少佐となったイズベルカだ。
 大鑑巨砲主義の士官や将校の圧倒的支持を得て海軍をすっかり乗っ取っしまった彼女は、今回も試作砲の持ち込みと自身の乗艦許可をもぎ取り、なんとボパールで直に戦場音楽を聴く悦に浸っている。

『現在重光線級は10体ほどが確認されてるわ。あんた達の突入と同時に重金属雲を展開させるからタイミングを逃しちゃダメよ』

「「了解」」

『じゃ、これで通信終了。どこまでやらかすのか知らないけど、頑張りなさいよ』

 ブツンという音と、録画の削除を行う赤いサインが点滅する。
 途端に静かになった9900の管制ユニット。網膜投射で写されるのは後部ハンガーに繋がれるGXのカメラではなく、このイリューシンのコックピットに設置されたカメラの映像だ。本来なら整備担当も含めて50人は乗っていてもおかしくない機内に今はユーリーとリュドミラだけがいる。

――現在このイリューシンはハイジャックされたことになっていた。
 偽造された命令書はソ連の反動分子による物で、犯人は奪取した試作機をボパール作戦のドサクサに紛れて某国へ引き渡しそのまま亡命することになっている。
 それを直前で気づいた二人がハイジャック犯達を射殺し、操縦不能となったイリューシンをやむなく捨てて9900でハイヴへと突入するというシナリオだ。

 尤もユーリー達はこの目論見がバレないとは思っていなかった。
 証拠は出ないはずだが、権謀術数溢れるこの国の人間なら何人かはこの一連の真実に気づく者もいるだろうし、そうでなくともザンギエフの仇の一人とはいえ汚職高官を無理矢理に反動分子の協力者として仕立て上げたのだ。真実を探ろうとする者は多いだろう。

 だから、ここからはユーリーはもう政治とは無縁でいられない。
 この作戦を終えれば、これまで静観を保ってきたザンギエフの友人――レッドサイクロン派も接触してくるだろうし、そうなれば既得権益を握る派閥との軋轢は大きくなる。
 彼らを捌き、この国をザンギエフが目指した正しい姿へ戻すためにはガスパロフだけでなく、ユーリーが政治的に大きな影響力を持つ必要がある。そうなればもう自由などという暢気な事を言える立場ではなくなる。 

「ガスパロフの旦那、怒ってるかなぁ。この世の終わりみたいな顔してたもんな」

 脳裏に思い浮かぶのはハイヴに侵入すると聞いて真っ青になっていたガスパロフだ。
 彼は元々ユーリーがハイヴに突入したがるとは露にも思わず、党の出撃禁止命令をむしろ後押しする立場だったらしい。そこをなんとかと拝み倒して今回の作戦に協力させたのだった。

「あれは心配の色よ。帰ったらきっとユーリーを叱ってくれるわ」

 リュドミラがいかにも楽しみな様子で笑う。怒鳴られたり、怒られたりすることはあれど、心配して叱ってくれる人間が待っているというのは彼女にとっては始めての経験だ。

「へぇへぇ。ま、しゃーねーか。けど、どうせ怒られるなら俺達の兄弟姉妹をいっぱい連れて帰らないとな!」

 そんなリュドミラの存在を頼もしく思いつつ、ユーリーも気を引き締めなおす。

 作戦開始まで残りわずか。
 イリューシンは輸送機としては限界に近い高度200メートルにまで降下。いよいよ重金属雲に覆われたハイヴ構造物の影が見えはじめ、荒れたインドの大地にボパール攻略部隊を支える後方の集積所が見え始める。

『こちら国連第10方面軍。そこのソビエト輸送機、直ちに転進せよ。繰り返す直ちに転進せよ。この区域は重光線級を含む光線級が確認されている。今は重金属雲が展開されているが、それでも直に照射を受けるぞ!』

「――こちらソビエト連邦陸軍所属ユーリー・アドニ・ビャーチェノワ中尉だ。当機は、あーー……そうそう。ハイジャックを受けて操舵不能、現在ハイジャック犯は排除したがコントロールが戻らない。かくなる上は祖国の名誉を守るため、あのモニュメントに肉弾攻撃をしかける」

『な―――ッ!? 正気か!?』

 どこか棒読み気味のユーリーに対して戦域管制は騒然となった。きっと今頃は大慌てでソビエト連邦政府に事実の確認を行っているのだろう。

 ここで引き留められてはかなわないと、リュドミラはGXの機内から少しだけイリューシンの出力を引き上げる。

「よせっ! 中――――」

 短い警告音の後に管制との連絡が途絶える。
 機体全体に振動。戦闘機のジェラルミン装甲すら貫通する破滅的なレーザー照射がイリューシンの表面の蒸散皮膜を蒸発させた。

「ユーリー、重金属雲外の光線級からレーザー照射開始! NE82ゲートまで110秒!」

「いよっしゃ! ポイント到達か、レーザーが最終装甲板まで届いた時点でイリューシンは放棄、機体を強制開放だ!」

 モニュメントに近づくに連れて1条、2条とレーザーが増えていく。外部モニタはとっくに焼け落ち、二人が見れるのはGPSによる位置情報と、機内のダメージコントロールだけ。
 照射を受けて30秒足らずで機体はノーズの半ばまで融解し大きくバランスを失いつつあった。しかし前部に高価な対レーザー装甲を大量に積んだだけあって、イリューシンはいまだ原型を留めている。
 光線属の狙いは常に正確。飛翔体に対して質量の大きい部分、あるいは中心点しか狙わないためこういったピンポイントでの防御は有効だ。

「――ッ! 降下ポイント! 固定具を強制解除!」

「――ガンダムX、出るぜ!!」

 リュドミラがコンソールを叩くと、爆砕ボルトに火が入り、小さな爆音と共に機体を固定していたクレーンや電源ケーブルが弾け飛ぶ。
 半壊状態の後部ハッチを蹴破りレーザーの残滓煌めく戦場へ、ソビエトの未来を背負う黒の機体が躍り出た。


 GX-9900 ガンダムX

 しなやかにして無骨なその曲線。それは戦術機と呼ぶには恐ろしく頑丈で重量感のある機体だった。
 機体は宙にあるにも関らずイリューシンから剥離した破片や部品が当たってもビクともしない。時折装甲を舐めるジェット燃料の紅蓮の炎すら意に介さない。
 メタルからカーボン、そしてまたしてもメタルへと逆方向の進化を遂げた機体は重量を増した代わりに圧倒的な耐久性を得たのだ。
 そしてこの戦術機の腰には跳躍ユニットが無かった。あるいはソ連機のシンボルであるワイヤーカッターやモーターブレードさえも無い。かろうじてサテライトシステムの代わりに背負った背部兵装担架と2つの突撃砲が戦術機の名残を残している。 

 地面に着地する寸前に背部のバーニアが青い炎を吹き出し、機体を十分に減速させてから両脚が大地を踏みしめる。

 上空ではいよいよイリューシンがレーザーに耐えきれなくなり空中分解を起こした。本体はすでにほとんどが蒸発し、翼からもげて火だるまとなったエンジンが火山岩のように地上を跳ねる。
 ただ一つ、燃料を満載したままの右翼が原型を留めてモニュメントにほど近い門へと突き刺さった。



――私死ぬの?



 悲しみと恐怖に満ちた少女の声が二人に届いた。

「なんだ……? ラジオの混線か?」



――怖い。怖いよ。こんなのは嫌……


「違う。これ、通信回線じゃないわ。ハイヴの中……、誰かがのこした優しい想いがこの子を助けてって言ってる!」

 ボパールの地に刻まれたいくつものクレーターの一つにぽっかりと口を開ける暗い穴――NE82番の門。
 この闇の底には何万というBETAがいる。その物量の前にあのザンギエフ大佐でさえ逃げ出したこの場所は、まさしく悪魔の住まう地獄だ。

 タルキートナに居たとき、ユーリーはこの深淵に突入させられる運命を嫌い、自由を得るために抗った。

 だが今の彼は違う。
 シベリアの戦い、クラーラとそしてザンギエフの死を経た今ならばもう躊躇わない。


――だったら……


「無力感と強い絶望……――急いでユーリー! でないと、間に合わなくなる!」

「わかった、俺に任せろっ!」

 背部のバーニアに溜めた力を一気に解放して、GXは一気にハイヴへと飛び込んだ。
 推進剤の出し惜しみは無し。飛びついてくるBETAだけを36mmで迎撃し、スロットルペダルを踏み込んだまま狭い坑道を突き抜ける。

「――場所は……」

「大丈夫。あの人が導いてくれるわ……!」

 迷うことなど無い。彼らの行き先はぼんやりとした女の影が示してくれる。
 こういった"力"の使い方が苦手なユーリーに変わってリュドミラが女の意思を汲み、マップにルートを示させる。



――ごめんなさい



 か細く、ほとんど消えそうな透明な謝罪は誰に向けてか。

 そして彼女を蝕む絶望はいかほどの物か。

 ようやく芽生えたばかりの心が絶望によって石ころのように無味の物となっていく。

 瞬間、胸の中に沸きあがった強い激情をユーリーはそのまま言葉にした。


"――そんなの駄目だっ!!"


 彼一人ならすぐに消えてしまうはずのその言葉の力を、リュドミラの同調が正しい姿に変えていく。
 2人の力によって偽りの無い確かな想いが無明の波動として広がってあらゆる壁を越えていった。

 ほぼ同時、主縦坑の近くの門へと漏れ出したイリューシンの航空燃料が引火し、大爆発。
 轟音とともに熱風の壁に押し出されたGXが更なる加速を得て地下へと飛ぶ。





"――確かにこの世界には辛い事も苦しい事もある! でもそういう事を抱えて、嬉しい事や楽しい事を増やしていくのが生きるって事なんだ!"





「――500メートル先! 右に330度のカーブ!」

 急転回のためにGXがハイヴの内壁に右手を突き立てた。少しでも推進剤を使わないようにするために。
 五本の指の間で激しい火花が起こり、二人が猛烈な振動と減速Gに内臓を引きずり出されるような感覚とうめき声を漏らす。
 十分な減速を得たGXはすぐさまバーニアを吹かし、再び疾風の勢いで飛び出す。

 声の主まではあと僅か。
 だが、もう少しでというところで広間への狭い横坑に殺到し、道を塞いでいるBETAの集団に出食わす。

「――邪魔よ! どきなさい!」

 躊躇無くビームライフルを引き抜き3連射。機体が潜り抜ける分をこじ開けて、BETAの集団があった空間に飛び込んだ。

 ビームライフルによって蹴散らされた残骸――狭い空間に突き出したBETAの屍骸の甲殻や骨が装甲を削るが、気にした様子も無くさらにスロットルペダルを踏み込んで空間が崩れる前に無理矢理機体を進ませる。



"――俺達だって生きて良いんだよ! 悲しいまま心を閉ざしちゃ駄目だ! そんな風に何もかも放り投げて、誰もいない所へ行こうとするんじゃない!"



 そしてついに二人はフサードニク達の居る広間にたどり着いた。

 既に天井の坑からは赤いBETAが溢れ出していて、今にも戦術機達に降り注がんばかりになっている。

「せやぁあああああああああああああっ!!」

 天井に溢れるBETAの集団に向けてビームサーベルを最大出力で振り上げる。
 まず横一文字に振り切って赤く不気味に蠢く戦車級を纏めて消し飛ばし、さらに空中で踏み込んだ回転斬りで360度を薙ぎ払えば天井に張り付いていたBETAはほとんどいなくなった。

「――リュー!!」

「――うんっ!」

 前席の弟の声に答えて引き抜いたビームライフルを天へ向ける。
 高速で動くGXの射軸と縦坑が正確に重なるのは僅かな瞬間のみ。
 その瞬間を見計らって吐き出されたビームの弾丸は狂い無く縦坑に侵入、メガ粒子は直撃した個体のみならず、拡散した余波で坑内の全ての敵を引き千切りながら上階層の天井と突き刺さった。

「――ふ~、間に合ったか」

「――よかった~」

 胸を撫で下ろしてGXの状態を確認。
 何せあれだけの無茶をしたのだ。
 自動探査で過剰熱と過負荷が発見されたGXは緊急モード――体中から冷却材の蒸気を噴き、ダメージを受けた主回路から予備回路へと切り替えていく。

「推進剤残3割、残弾は8割か……よぉ、皆! 久しぶりだな!」

『ビャーチェノワ、今のは……いや、その機体は一体何なんだ!』

「へへっ、格好いいだろ。俺の新型だ。それより状況を教えてくれ」

『…………』

『…………』

 生き残った4機が無言のままお互いに顔を見合わせた。
 まだ混乱が無くなっていない今、中隊町と副隊長の二人の顛末を話すのはいささか荷が重いようだ。

「別に言いたくないなら良いけどな。でも――よっと!」

 言うなりハッチを開けてユーリーは機体から飛び出した。
 伸ばされたガンダムの右腕を器用に伝って、F-14――フサードニク1の機体へと向かうと、開け放たれたままの管制ユニットから瀕死の人工ESPを拾い上げた。

「助けてやったんだから、こいつの手当てと搬送は断らせねーぜ」

『フサードニク1の人工ESP……生きていたのか』

「強化装備の心拍モニタが壊れただけだ。でも骨が何本かイってるから丁重に扱えよ」 

「……あの、私が地上まで連れて行きます」

 みんなが沈黙を守る中、78番がおずおずと手を挙げた。
 その声には覚えがある。

「お前、さっきの……」

「―――――ッ」

 ビクリ、と78番は肩を震わせる。
 親に叱られるの子供そのものの様子にユーリーは肩をすくめた。

「――俺からこれ以上言うことはねーよ。でもよ、お前のために命を張ってくれた人の気持ち、ちゃんと伝わったか?」

「……はい」

「だったらいいさ。お前はもう人間だ。――おい、フサードニク共! さっきの一撃で上の縦坑の敵は大分減ったはずた。後ろから敵が来る前にとっとと上の階層から地上に戻りな! それとも未だ任務とやらがあるのか?」

『――い、いや、我々は使命を果たした。そちらは一緒に撤退しないのか?』

「俺は奥に進んだ2機を連れ戻してくる。まだ他の中隊もいるしな」

『そうか……ひとまずこちらのログを送る。俺達が戻れなかったらそのデータをラフマニノフ教授に渡してくれ』

「わかった。でも俺って忘れっぽいから、できるだけ自分で持って帰ってくれよな」

 無人となった1機だけを残してフサードニク達が広間から縦坑の方へと向かっていくのを確認して、再びGXに戻った。

 GXの管制ユニットではリュドミラが慌しくコンソールを操作している。

「――ユーリー、フサードニク1の機体はまだ動けるわ。遠隔操作で連れて行きましょう」

「できるのか?」

「ええ。それより、リーディングログを見ていたんだけど、ハイヴの一番奥に意思疎通の可能なBETAがいたみたい」

 ユーリーの網膜投射にもログが映し出され、今回のリーディングの大まかな情報が与えれらた。

「このハイヴの親玉って所か……。よし、先行した2機を追うついでに最下層に向かうぞ。どんな奴か知らねーけど、こっちの言い分がわかるならよし分らず屋ならぶっ飛ばす!」











[32864] 24、「私を信じてくれる?」
Name: 大蒜◆9914af20 ID:86f1a2a8
Date: 2013/04/30 15:56
24、「私を信じてくれる?」~Muv-Luv:Reduced Moon~




***7月26日 ソビエト連邦、セラウィク特別区 最高会議場***

「どうなっている? 何故レッドサイクロンがボパールにいるんだ!?」

 この日、ソ連の政界は大混乱に陥っていた。

 きっかけはボパールで行われているスワラージ作戦の司令室から届いた戦域へ乱入したというイリューシン改の照合要請だった。
 そこからすぐにKGBからシベリアの大物ソロボコフ国防委員長から国防会議の承認を得ずにレッドサイクロンへの出撃命令が出ているという報告が入り、そして更にその5分後に問題のソロボコフが車で移動中に爆殺されたという情報が入った。

 全世界規模でのハイヴ攻略作戦中のテロ行為――特にソロボコフと近しく、身の危険を誰よりも敏感に察知した高官達は、自らの社会的身分と生命の安全を確保するために召集命令が出る前からソビエト中央委員会の臨時会議へと駆け込んでいた。

「――同志サダマフスキー、君は本当にソロボコフ議長が反動分子と繋がっていたのを知らなかったのかね?」

「だから何度も言っているだろう! 俺はレッドサイクロンへの命令など知らん! あいつとは7年前にイルクーツクで組んでそれっきりだ!」

「イルクーツク! なるほど、シベリアの道路建設か。それはさぞかし仲良しだったろう。なにせ600億ルーブルかけて400メートルの軍用道路を作る大事業だったからな。……おっと、失礼。君達はアレを170キロメートル作ったと言い張っていたな。それもそうか、でないと予算の帳尻が合わないからな」

「くっ……!」

 痛い所を突かれて押し黙るサダマフスキーと呼ばれる男。赴任地の関係で最も到着が遅かった彼は、会場に着くなり殺されたソロボコフとの関係を指摘されて議台に立たされている。

 窮地に立たされたサダマフスキーは血走った眼で議場に座る別の委員を指差し、声を荒げた。

「ま、待て! こいつだって弾薬費の横領でソロボコフとずいぶん儲けてたんだ! 今、俺の部下に証拠を運ばせている! そう、もうすぐ――」

「………………」

 サダマフスキーが唾を飛ばしながら弾劾するが、相手の男は顔色一つ変えない。

 直後、議場の外が俄かに騒がしくなった。
 外から押し出されるように場内に転がり込んできた黒服の男がサダマフスキーに駆け寄って耳打ちする。

「な、なんだとっ!! 拉致っ!? そんな――」

「――どうした、同志サダマフスキー。私の不正の証拠とやらは来たのかね?」

「貴様……!」

 ニヤニヤしながら声を掛ける――暗に自分の仕業だと仄めかされながらも、今のサダマフスキーには打つ手が無い。

 全ての原因であるソロボコフは軍に影響力を持つ大物だったが、その努力はもっぱら不当な利益の搾取にのみ注がれており、関係者同士での連絡や派閥形勢といった面倒事は一切行っていなかった。
 彼らは不正の共犯でありながら潜在的な敵としてお互いを警戒し続けて、これまでやってきていたのだ、不満が表面化したのはこの二人だが、この議会では既に水面下では他にも大小のせめぎ合いや口封じがありここ以外でも既に数件暴行や殺人事件が起きている。

――貴様もか!

――反動分子め!


「――やれやれ、まあまあ」

 先進国の議会とは到底思えないような低俗なやり取りを見ていた一人の女が呆れたような声を上げた。

「お偉方というのは、どうしてこういつもいつもやかましくしてないと気が済まないんでしょうねえ」

「会議とは声が大きければ勝てるのだ。政治家としては健全な反応だろう。最もこの程度というのではやや幼稚な気がするが」

 施設の上段、開会中なら党新聞の記者や様々な団体の代表者が座り議場を一望できるであろう席にその二人はいた。

 一人は国連軍の制服を着込んだ中年――タルキートナ国連軍少将のヴィクトール・ガスパロフ。

 そしてもう一人は赤いビロードのドレスを身にまとったブロンドの女――バーバチカと呼ばれている女性は節制と団結を常に標ぼうしているこの国にあって、ハリウッドの銀幕からそのまま抜け出したような派手さと、成熟した40代のような若々しい20代のような年齢不詳の美貌を兼ね備えていた。

「あら? じゃあ、あなたが参加すればいいんじゃない?」

「参加できるわけないだろう。私はただの国連軍人だ」

「フフ、ただの国連軍人がわざわざタルキートナからこんな場所にまで来るはずないでしょう」

「………………」

 婀娜っぽい仕草でしな垂れかかってくる女性。
 そっとポケットに伸びた手に気付いたガスパロフは素早く振り払い、女の手にあった小さな機械を取り上げる。

「あぁん、いけず」

「――これが最近の盗聴器か。すでにボタンのようなサイズなのだな」

「あら、貴方が現役でプラハにいた頃に渡していたのはまだ手のひらサイズだったかしら?」

 ガスパロフの現役時代――チェコが混沌の渦中にあった頃の事だ。

「いや、当時はハードカバーのサイズが精一杯だった。……あれからもう12年、いやたった12年か。欧州のやっかい事を押し付けられる中間管理職だった君が今はKGBの第一局長で国外の諜報と非合法活動の元締めになっている」

 旧知というが隣のバーバチカを見るガスパロフの眼は鋭い。
 相手は知り合いだが同時に世界最大の秘密警察の筆頭、ソビエト共産党のために国内の反動分子の悉くを処分してきた彼女の前では一瞬の油断が身の破滅に直結する。

「そうね。たった12年……だけどその間に国家を救った英雄が地味な軍人になって、不死身の男ザンギエフが戦場で死んだ」

「党と人類のための止むを得ない犠牲だ。だが犠牲には対価が与えられなければならない」

「私の仕事にもね」

 そう言ってバーバチカは写真の付いた数枚のレポート用紙を手渡した。

「ご依頼の情報。大体はあなたの想像通りの人物よ。89年のシベリア防衛作戦を作成しツァーリ・ボンバの発動をゴリ押しで認めさせたのが国防委員長のソロボコフ、工兵を入れ替えてツァーリ・ボンバの埋設地点をずらしたのが元シベリア軍管区政治委員で現民生省長官のサダマフスキー。そのシベリア以外ので働いていたのが5人。そしてそいつらの元締めが――」

 レポートの最期のページ。
 KGBの毒蝶と呼ばれたバーバチカをもってしてもA4用紙の半分程しか裏の情報を手に入れられなかった男の姿がある。

「ラブレンチー・ジェニーソヴィチ・ポノマレンコ中央委員会委員長……では彼が――」

「赤きサイクロンを殺した男、というわけ。名実共にこの国のナンバー2にして、次期書記長に最も近いと言われている男。あなたの手駒のヴァシチェンコじゃ逆立ちしたって勝てそうにないわね」

 写真の中のポノマレンコは白い物の混じった髪をオールバックにした精悍な男で知性と冷酷さを感じさせる鋭い剃刀のような雰囲気を持っている。
 ザンギエフの推薦があってようやく国防省の要職に付けたヴァシチェンコとは大違いだった。

「――情報がほとんど無いようだが、どうしてこの男が黒幕だと?」

「あら、失礼ね。私だってなんの根拠も無く他人を名指したりしないわ。根拠はその情報の少なさにあるの」

「ふむ」

「ガードが異様に堅いのよ。調べるのに西側のスパイを使ったんだけど、ちょっとスケジュールを覗いただけで党の"猟犬《オプリーチニキ》"に消されてしまったわ。何よりソロボコフ死亡の第一報が届いて即座に、二局(KGB防諜保安部門)の連中が動いてポノマレンコの自宅を守っている」

 単なる連続テロへの警戒であれば軍か党の護衛を使えばいい、だがポノマレンコはわざわざKGBを使った。
 書記長による粛清の動きを警戒したのだ、とこの国の人間なら容易に想像が付く。

「ポノマレンコは他にどれくらいの影響力を持っている?」

「そうね。ソロボコフと繋がりがあったのなら軍の参謀本部は全部彼の手にあると考えてもいいわ。民生省や政治局、後は党のお爺様方かしら」

「なんということだ……」

 ガスパロフがソビエト共産党に干渉するにあたって利用しているのは外交省と軍の中堅将校―所謂レッドサイクロン派―と党の若手と呼ばれる層とのコネクションである。
 ソ連の勢力の殆どは書記長が握っているが、バーバチカの言うことが正しければそれ以外の守旧派と改革派が綺麗に二つの陣営に分かれている事になる。ガスパロフは気付かぬうちにこのポノマレンコとの対決への道を歩んでいたということだ。

「良かったじゃない。このまま正体を知らずにいればいずれ政敵としてポノマレンコに消されていた。少々強引だったけど損害を覚悟した事で結果的にアナタは敵の片腕を奪うことができた」

「………………」

 今回のガスパロフの損害――ソロボコフ暗殺のリスクは言うまでもなく、結果的にスワラージ作戦にソ連の試作機が抜け駆けする形になったお陰で作戦に参加しないよう止めていたV作戦の繋ぎ役としての立場とオルタネイティヴ計画の監査役の立場が危うくなっている。
 加えてもしここでユーリーに戦死でもされればレッドサイクロン派は中核を失い、ソビエトでの後ろ盾を無くしたガスパロフはチェコに帰るしかなくなるだろう。
 普通なら乗るはずのない賭けだったが、一度だけの我侭とあの子供の口車に乗せられて正解――いや、あの子供の無理をも通す熱意がガスパロフの冷徹な計算をいつの間にか塗りつぶしていたのだ。
 やはりあの子供にはザンギエフと同じ様な特殊な勘があるらしい。

「もう戻るの、ヴィクトール?」

「ああ。約束通り人工ESPの何人かを君に引き渡そう。これだけの大作戦だ。ハイヴで死んだと言えば調べることは困難だろう」

「……本当にインドからそれだけの人工ESPが戻ってくるんでしょうね? 言っておくけど、ハイヴに潜れなかった出来損ないを掴ませたら即座にアナタを殺すわよ」

「――構わない」

 バーバチカの険しい眼差しを受けて、ガスパロフは即座に答えた。

「約束は守る。多分、君の期待以上の形でな」





***同日 ボパールハイヴ内 深度940メートル***



「中隊規模の突撃級が接近中……ユーリー、傍の側坑に入りましょう。うまくすれば戦闘を避けられるわ」

「――わかった」

 言われたとおりバーニアを吹かし少し高い所から伸びる狭い道にGXを滑り込ませる。
 すぐに地響きを立てながら突撃級が傍らを過ぎていった。

 常に何千というBETAに囲まれていた中層部と違い、下層部に入った彼らが先ほどから遭遇するのは百未満の単一構成ばかりだ。
 ただしその分下層部はBETAの出入りがとてつもなく激しい。
 ひとつやり過ごしてもすぐに次が出てくる。
 無限に思えるハイヴのBETAはどうやら最下部で繁殖し容積の広い中層部でそれを纏めてから地上に送っているようだった。

「よし、奴ら行ったみたいだな。リュー、機体状況は?」

「――推進剤が残り13%、36mmは半分。ビームライフルはあと40%。ダメージも両膝と右腕がイエロー。マインドシーカーもそろそろまずいわ。これじゃ敵を突破しては帰るのは無理ね」

 お手上げだ、という風にリュドミラが肩をすくめる。

 ダメージ自体はそれほどでもないので推進剤さえあればまだまだ戦える。
 だがこんなハイヴの奥底で補給が受けられるなら誰も苦労はしない。強靭な装甲を持っているとはいえ、機動力を失った人型兵器はそう長くはBETAとは戦えない。

「もう後が無いな……」

「先に行った二機は主縦坑の近くみたい。推進剤が無くなったから逃げるのは諦めて、隠れながらBETAとコンタクトを試みてるわ」

「とりあえず安全は確保してるってことか。他の中隊は?」

「撤退しつつあるけど……そろそろ危ないかも。中層部のBETA集団が動き出している。多分、直に総反撃が来るよ」

「時間もないのか……っ! よし、チマチマ進んでもどうせBETA共とはかち合うんだ。こっからは最短ルートを突っ切って行くぜ!」

 唸りを上げて主脚走行を始めるGX。次いでリュドミラの動かすF-14が後ろにぴったりとくっつける。

 側坑を走って何秒も経たずに又してもBETAの集団と行き当たった。
 GXは壁や天井から飛び掛る戦車級を突撃砲の最小限の弾幕で打ち落としつつ、弾幕を掻い潜って接近した突撃級をかわして進んでいく。
 核融合炉とビーム兵器を装備したGXは第2世代までの戦術機とは違い、機動力に頼らずとも小型種を踏みつけ硬い甲殻を持つ大型種を切り伏せる事を可能にしている。
 だが――

「――くっ!」

「きゃあっ!!」

 そんな防御で全てをしのげるはずもない。
 取りついてきた戦車級の噛み付きによって肩の装甲が不気味な軋みをあげた。すぐさま腕の動きで振り払い、突撃砲の射撃で沈黙させたが、一瞬の隙で潜り込んできた要撃級の腕の一撃が装甲を抉り取り、黒い装甲に引き攣った火傷のような銀色を刻んだ。
 カーボンを遥かに超える強度を持つチタンセラミック複合材でさえBETAの攻撃を完全に防ぐことはできない。
 怯んだ隙に更に4体もの戦車級取り付かれ、いよいよGXは身動きを封じられる。

「ユーリー、このままじゃ機体が保たない!」

「もうちょっと――見えたっ! 主縦坑メインシャフトだ!」

 二人の眼前に現れた直径100メートル以上の巨大な空洞――ハイヴの最奥である大広間へと繋がる主縦坑――へ向けて残り少ない推進剤を使ってGXとF-14AN3は飛び込んだ。
 取り付いていた戦車級が振り払われ、重力に捕まって100メートル近く落下し、地面に赤い花を咲かせる。
 その血肉を踏みしめた二機の機体がほぼ14年ぶりにハイヴの最奥に辿り着いた。

 小さな町ならすっぽりと入ってしまいそうな巨大な大広間に蒼く不気味に光る巨大な反応炉が鎮座している。その機能はよく分かっていないが、配置とエネルギー量から人類はそれがBETAにとっての最重要の建造物であると予想している。

「ここが最下層と反応炉……! 例のBETAの親玉ってやつはどこだ?」

――敵の反応は無い。
 罠なのか、それともBETAにも立ち入り禁止の神聖な場所というのがあるのか。

 リュドミラが素早くF-14AN3からリーディングログを呼び出した。

「はっきりとはしないけど……すぐ近くよ。多分反応炉の中にいると思う」

 リュドミラが指差した先には反応炉がある。

「あの中……? 寄生虫みたいなタイプってことか? それとも群体とか……――リュー、どうにかして向こうと意思疎通できないか?」

「わかった。やってみるわ」

 ユーリーの問いかけに頷いたリュドミラがF-14AN3とのリンクを最大にしてBETAとのコンタクトを開始。
 周囲の空気がピリピリと電気を帯び、2つの機体の管制ユニット内部の様々な機器がリュドミラの出力に答えようと明滅を繰り返した。

「――2倍処理……4倍処理……駄目、全然読めない……!」

 正面を睨みながらリュドミラが頭痛を堪えるように頭を振った。

「リュー?」

「――このBETA、思考速度が桁違いに速いわ。論理のプロセスも人間と全然違う。私じゃ反応の有る無ししかわからない」

 リーディング自体に手応えはある。読めていないわけではないのだ。
 だがその速度が速すぎて、ここにいるであろうBETAの思考はマインドシーカーのリーディング補助機能をフルに作動させてもほとんど意味が汲み取れない。100倍速、200倍速の映画をいきなり脳に取り込んだようなものでリュドミラが頭痛を覚えるのも無理は無かった。

「俺達に話を合わせるつもりもねえって事か……だったら話は簡単だ! コミュ障の宇宙人にもわかり易いように今の自分の立場って奴を教えてやるぜ!」

 叫ぶなりGXはビームサーベルを抜いて飛び上がる。
 逆さにしたイチゴのような形の反応炉。地面付近のパイプ吸入口のような構造物を踏み越えて、反応炉の根元へ。

 飛び込んだ勢いそのままにバチバチと火花をあげるサーベルの切っ先をねじ込めば、反応炉は傷口から熱量の無い青白い炎を噴出した。
 続いて後ろを付いてきていたF-14 AN3がS-11を取り出し、反応炉の傷口の奥まで押し込む。
 手動操作でタイマーを3分にセット。

――2:59

「どうだ!」

「――反応が有ったよ! でも、これじゃあまるでこの反応炉自体が――」

 リュドミラが何かを言いかけた瞬間、巨大な地揺れと共に緊急事態を告げるアラートが管制ユニットに響いた。

「――待てっ!! 測定不能なレベルの地下振動反応!? 何だ、何か来るぞ!?」

 地響きが更に大きくなり、GXだけで無く反応炉までもが大きく揺さぶられる。

 危険を感じ、咄嗟に後ろへと飛んだ瞬間――大広間の地面が一斉に爆ぜた。

「――ぐ、ぅうううううううっ!!」

「――きゃぁあああああああっ!!」

 回避は間に合わなかった。

 せり出した何かに胴体を貫かれたF-14がスパークを撒き散らしながら爆発した。
 同様にGXの右腕に食い込んだ先端が関節を破壊し、肘から先がパルスオイルを撒き散らしながら宙を舞う。

「マインドシーカーがっ!!」

「な……なんだコイツら!? 新種のBETAか!?」

 彼らの戦力の半分を奪ったのは地面に生えた鋭利な牙だ。岩山にも似た巨大なそれが円周状に突き出して並んでいる。

「生体反応が一つ……! |コレ≪・・≫って群じゃない、全て巨大なBETAの一部……?」

 リュドミラの絶望的なつぶやきと共に、突きだした牙が身じろぎを始めた。
 10m、20mと伸びてくる牙に続いて歯茎のようなピンク色の壁が地面からせり出し、あっという間にGXの視界を越えていった。

 上へ、上へ。
 BETA特有のグロテスクな存在感を持つソレが無限の塔のように大地から生えてくる。

 自分たちが乗り込む機体とて全長17メートルの巨人である。だがそんなGXをもってしても比較にならないサイズのBETAが今、城壁のようにせり上がり広大な大広間を埋め尽くしつつあるのだ。

 余りにも現実離れした光景に緊張や警戒感といった物が振り切れた二人はポカンと口を開けて眺めているしかなかった。

「音紋探査……直径120メートル!? 全長に至っては1000以上で計測不能って……――あ、あんなのが上がってきたら、地上は撤退どころじゃないよ! 全滅しちゃう!」

 脱帽から一転、冷汗を流しながらリュドミラがセンサーの解析結果を報告した。

「――わかってる! こいつでどうだっ!!」

 左腕だけで放ったビームライフルの閃光が未確認種の鱗を走り貫通した挙句、反対側の肉まで同じように切り裂く。
 だがそれだけだ。傷は全長一キロの内の数メートル。人間でいえば数ミリの手傷を負った程度にすぎない。タフさが飛びぬけて高いBETAが相手では致命傷には程遠かった。

「デカ過ぎる! サーベルもおっつかねえ……リュー、実弾ならどうだ?」

「あの巨体を支えるだけの強度……120mmの至近弾でも無理よ」

 これほどの巨大質量を妥当しうるのはS-11ぐらいだが、生憎GXにはS-11は搭載されていない。
 使いたければ反応炉に埋め込んだS-11を取り出すしかないが、それでは今度は反応炉の破壊が覚束ない。

「畜生……っ、みすみす行かせるしかねーのかよ!」

 歯軋りしながらユーリーが管制ユニットの操作盤を殴りつける。
 じっと手元を見ていたリュドミラが何かを決心して口を開いた。

「――ねえ、さっきの牙の間……あの口の中に飛び込める?」

「考えがあるのか……?」

「うまくいくかわからないわ。でも、私を信じてくれる?」

 いかにも言い辛そうなリュドミラの様子。
 あまり成算のある作戦ではないらしい。

「………………」

 命を賭けた戦いになる。
 果たして自分はリュドミラにこの二度目の命を預ける事ができるのだろうか。

 以前――前世で宇宙革命軍のランスローと戦った時の自分は一人だった。
 どうしようもない敵だったにも関らず一人で戦って、一人で負けて、一人で死んだ。そしてそれが最悪の結果を生んだのだ。
 当時の自分には精一杯の判断だった。自分の足止め無くしてはコロニー迎撃は厳しくなっただろうし、そうなればどちらにせよコロニー落としは止められなかった。

 だが今ならば――この世界に生まれてで様々な人間の戦いと生き様を見てきた今ならば、それは違うとわかる。

 もしもあの時、自分がジャミルと共闘していれば未来はきっと変わっていた。
 あいつと一緒に戦うのは最強のNTではなくても、フラッシュシステムなど使えない普通のパイロットでもよかった。
 二人が揃えば敵など無い。二人が揃えば、あの時きっと何かをやり遂げてあの絶望の世界にも少しは希望を残せていたはずだった。

「――二人が揃えば……か」

「え?」

「なんでもねえ。なあリュー、さっきの質問、お前が俺の立場だったら断ってるか?」

「――そ、そんな事しないよ!」

「へへっ、だよなぁ! ――じゃあ、行くぜ。あの口に入ればいいんだろう?」

「う、うんっ!」

 バーニアに点火。
 残り少ない推進剤のメーターが見る見る減り、その代わりにGXの高度が上がる。

「よっ!」

 大広間の天井ぎりぎりの高さまで飛び超大型BETAの直上へ辿り着いたGXは、襲い掛かる牙の一撃を噴射降下で避けるとBETAの腹へと飛び込んだ。

 思いのほか広いBETAの体内。
 想像していたグロテスクで狭い内臓ではなくピンク色の洞窟のようだ。妙な酸や小型のBETAが入っている様子も無い。地中を進むにも関らず岩や土の残留の少ない小奇麗な様子からこのBETAが先ほど生まれたばかりの赤ん坊なのだと直感した。

「さあ、頼むぜ!」

 コンソールを操作しGXの操作権を副衛士《リュドミラ》へ譲渡。
 自分の手に双子の弟と地上の数百万人の運命を預かった彼女は大きく深呼吸。

「――任せて!」

 カッと眼を見開いて叫ぶと、なんと刃を延ばしたビームサーベルを振りかぶって大きく上へ放り投げた。
 まさかいきなり武器を捨てると思っていなかったユーリーは驚きの声を必死に飲み込む。ここで口を挟めば彼女を信用していないのと同じだ。

 リュドミラはサーベルから視線を外さないまま腰元のビームライフルを抜き放つと空中で一旦停止。

「――――っ」

 半秒後、サーベルのビーム刃に直撃した閃光はIフィールドが保持していたメガ粒子を散らし、周辺に破壊的なビームの風を炸裂させた。

――ベータの内壁が鮮やかな赤からドス黒い色へと変化する。
 見た目にはわかりにくいが、ガス状に拡散したメガ粒子がベータの体組織に無数の穴をあけたのだ。

「――そこっ!!」

 集中力を途切れさせないままリュドミラは刃を残したまま滅茶苦茶に回転するサーベルを強引に再狙撃。

 直撃ヒット

 すでに変色しているのとは別の箇所が赤黒く染まる。
 そして最後の残弾をもはやビーム刃を形成しなくなったサーベルの本体へ向けて放ち、塗り絵の終わっていない箇所へなけなしのメガ粒子を吹きかけた。

 体の内側からメガ粒子のスプレーをかけられた超巨大BETAの筋肉と骨はスポンジとなりもはや40万トンを超える自重を支えきれなくなっていた。
 常識外の強度を持つ筋肉の壁が力を失い、軟体動物のようにだらしなく伸び始める――

「――やった!」

「よくやったぞ、リュー! さあ、とんでもデカブツ野郎――」

 著しく強度の低下した超巨大ベータの体組織が重力に負けて引き延ばされていくのを見たユーリーは即座に残弾の無くなったビームライフルを投棄。
 背部に背負っていた2挺の突撃砲を前面に展開させる。

「――っ駄目押しだぁあああああああああああ!!!」

 激しいマズルフラッシュとともに全周囲に吐き出された劣化ウランの36ミリ徹甲弾がスポンジ状となった内壁をえぐりった。同時に無差別に発射される120ミリ砲――HESH弾は爆裂し、キャニスター弾が広く痛めつけ、HEAT弾はメタルジェットで組織を焼ききる。

 突撃砲による攻撃は規模から言えばベータの自重による崩壊をほんのわずかに後押しする程度の物でしかない。
 だが一発の装弾筒付翼安定徹甲弾APFSDS弾が偶然にも巨体を支えていた重要な骨のつなぎ目を破壊したことでその速度は一気に速まった。

 ブチブチという肉が千切れる音がそこかしこから響くようになり、行き場を失った赤い血液が滝のように吹き出して降り注ぐ。
 血塗れの悪鬼のようになったGXはそれでも射撃をやめない。銃身が熱で悲鳴をあげるのも厭わず再装填《リロード》、全力射撃、再装填、全力射撃。

 そして引き延ばされた筋繊維が穴あきチーズのようになり、所々外が見えるようになった頃

――0:00

 設置されたS-11が起爆した。
 鎮座していた反応炉の青い光が一際強くなったかと思うと、次の瞬間絶叫のような精神波を放ちながら粉々に砕け散った。

 同時に、爆風は巨大ベータの横腹を打ち据える。
 既に限界だったBETAの巨体は大きく揺さぶられ、そしてついに千切れて落ちた。

「やったか!? ――痛ッ!?」

「ユーリーっ!!?」

 突然に脳味噌をかき回されるような激しい頭痛。
 まだ砂煙が視界を遮る中、どこからともなく現れた青く光る粒子がGXに集まっていく。


――"フラッシュシステム"

――"半永久蓄電池"

――"超々大容量エネルギーコンダクター"

――"多機能MWリフレクター"

――"ルナ・チタニウム合金♯11"

――"スーパーマイクロウェーブ発信器"

――"スーパーエネルギーCAP"

――"G-9000型核融合炉"

「あ、ああ……ぐぅああああああっっーーーー!!」

 大量のG元素の取得によって起こった久しぶりの技術の獲得。
 だが得られた技術の貴重さと数に比例して痛みは想像を絶する程激しい。
 頭痛、という言葉が生易しい程の痛みが通り過ぎ、意識が白く塗りつぶされていく。

「がああああああああああっ!」

「ユーリー! ユーリーッ! ――ああ、もう! しっかりしなさい!!」

「――ィビっ!?  ゲホッ、ゲホッ!」

 その場で失神に至らなかったのは、リュドミラがとっさの判断で作動させた強化装備の電気ショックのおかげだった。

「――ハーっ、ハーっ、……あ、あぶねえ、寝ちまう所だった……!」

 未だ虹色になったりモノクロになったりする視界を落ち着けるために荒い息で深呼吸をする。
 電気ショックのお陰で頭痛は収まったが、まだ胸の中に溶けた鉛を注ぎ込まれたかのような不快感があった。

[接近警告!]

「――ちょっ!!? ユーリー、上っ!!」

「――っ!?」

 リュドミラの切羽詰った叫び。

 大広間の天井に食い込むほど上昇していた頭部が剥がれ落ち、GXのいる方へ落ちてきている。
 下手なタンカーよりも巨大な質量。しかもカチカチと牙を鳴らしながら迫ってくる様は明らかにこちらと差し違えるつもりだ。

「やべぇ――!」

「推進材残量0、2%! ――駄目、もう飛べないよ!」

 推進力を失ったGXが力無く重力に捕らえられる。

 その数瞬後、40万トンを越える巨大ベータの骸が反応炉の残骸もろとも大広間にあった全てを押し潰した。



***同日  インド ボパールハイヴ 国連軍スワラージ作戦司令部***



――その瞬間を、その光景を、夢見なかった者がいただろうか。



 当時スワラージ作戦司令部は極めて難しい判断を迫られていた。

 止まらない被害に戦線は既に限界。各国から集められた戦力は既に半減し、潤沢だった物資すら底を尽き近隣の基地からなけなしの備蓄を緊急輸送して糊口を凌いでいるという有様。

 司令部が悩んでいるのは戦線の維持の方策でも事態の打開でもない。既に状況は一線を振り切り、あとは全軍をいつどうやって撤退させるかという所まで追いつめられていたのだ。
 そのような状況で当時作戦参謀であったパウル・ラダビノット中佐が同僚と撤退の手順をいかにすべきか話し合っていた頃、前線の戦術機部隊から一つの奇妙な報告が入った。

――ハイヴがゲップをした

 報告を受けたCPは意味が分からず首を傾げる。
 しかしラダビノットの行動は素早かった。彼は真っ直ぐに中央の端末に向かうと共有カメラをモニュメントへ向ける。

 重金属雲の――激戦のため規定よりかなり薄くなっている――向こう、高くそびえるモニュメントの上部に微妙に青く光る不思議なもやが漂っていた。

「これは・・・・・・?」

 こんな現象はデータにはない。
 新手の攻撃なのか?
 しかし前線の部隊が影響を受けたという報告はない。いや、というよりも――

「被害報告が……止まった?」

 先ほどからひっきり無しに鳴っていた救援要請や被害報告のアラート。
 悲痛を通り越して無感動にすらなって受け止めていたソレが消えていた。

『ほ、報告します! ポイントAからE……いえ、戦域の全ての地点でBETAの活動停止が観測されています!』

「どういうことだ?」

 撤退するには絶好のチャンス。
 だが同時にある期待が参謀たちの脳裏をよぎって即断を躊躇わせる。

「――もしや……勝った、のか?」

 ラダビノットが思わず呟いた。
 失言にも近い言葉を最高責任者であるパートランド中将がたしなめる。

「いや、バカな。突入部隊が最後の補給を行ってから一時間以上が経っているのだぞ。いくらなんでも遅すぎる。生きているはずがない」

「しかし、この状況は――」

『――ソビエト海軍旗艦ヴリャーノフ級ヴリャーノフから入電! "勝機ヲ見タリ。我ニ突撃ヲ命ジヨ"』

「止めさせろ! 戦線の維持を最優先にするんだ!」

 幾分かせっぱ詰まったようなCPの声に対して、参謀たちよりも先にパートランドが素早く反応した。

 勝機――確かにこれは勝機だ。動きを止めたベータなど戦車の敵ではないし、ソ連の陸上戦艦が肉薄すれば撃破効率は劇的に向上する。
 だが同時に国連軍にはここで動けない理由も存在していた。

『――戦線の各部から同様の要請が入っています!』

「ならば全員に伝えろ! 現状維持以外は許可しない!」

「――どの国の兵も思いは同じ、というわけか……」

 嬉しいような、しかし悔しいようなラダビノットの表情。
 本音を言えばここでBETAを撃滅してハイヴ突入部隊を援護したいという思いが彼の中にはある。

 だがこれが敵の罠だった場合、深入りはあまりにも危険だ。ただでさえガタガタの前線。反撃を受ければフォローする間もなく全滅する危険すらある。
 そもそも国連や米国がこれほどの大戦力をインドに投入したのはハイヴ攻略だけではなくインド戦線全体の建て直しのためだ。例えハイヴが攻略できなくとも、ここで揃えた戦力やインフラを維持できればこの国はまだ数年は大陸で戦える。そういう目論見でこのスワラージ作戦は計画されているのである。
 だから彼らには全軍の存亡を賭けるような判断はできない。

 どうしても攻撃しなくてはならないような状況が生まれない限り――

『――大変だ……! 命令無視です! ソビエト海軍が前進を開始!』

 CPの悲鳴が司令部に響き渡る。

「一体何を考えている!? すぐに止めさせろ!」

「いや……閣下、これはチャンスです! 行かせるべきだ!」

 制止しようとするパートランド中将にラダビノットが叫んだ。

「ソビエト海軍が突出してくれたのなら我々は前線への火力支援を密に行いながら前進できます。最悪、罠だとすれば命令違反を犯した陸上戦艦を盾として後退すれば被害は最小限に抑えられる。政治的なリスクは可能な限り取り除かれています」

「馬鹿な……! それを見越しての命令違反だというのか!? バンクーバー協定違反だぞ? 共産党アカの政治委員どころか、世界中がこの戦場に注目しているのだぞ!」

 驚愕をそのままに叫びだした司令官の気持ちがラダビノットにはよくわかった。
 バンクーバー協定の適用される戦場で命令を無視して戦艦を前進――重大な国際問題だ。軍法会議が行われれば艦長一人の命ならばまだよい方で、下手をすれば提督クラスが射殺されてもおかしくはない。

 自分がもしインド共和国ではなく、ソビエト海軍の指揮官としてあの戦艦に乗っていたのならこんな判断は絶対にできないだろう。勝利のためならば戦場で戦死する勇気はあっても、甘んじて軍事法廷で死刑判決を受けるのは別次元に難しい。

(――だが、彼らにはそれができた)

 インドとは無関係の他国の人間、それも北の果ての海軍の軍人が見せた勝利への執念にラダビノットは拳を握り締めて己の不明を恥じる。

「閣下! さあ、今しかありません!」

「止むを得まい――第1、第2砲撃陣地は通常弾に切り替えつつ前進300! 司令部直掩の戦術機中隊も出せ! ソビエト艦よりも前に出るなよ!」

 事実上の全力攻撃を命じた司令官の額から一筋の汗が滴り落ちる。
 この命令は大きなターニングポイントになる。下手をすれば人類の命運を危うくするほどの。

 司令部が集積していた正真正銘最後の燃料と弾薬を積み終えた戦術機中隊と補給トラックが出発し、損害を受けていた前線の部隊の方へと向かう。

『右翼に展開の戦術機10個中隊、物資補給35%完了! 前進させます!』

『同じく中央部の戦術機8個中隊、弾薬推進剤28%を超えました。司令部直掩の中隊と合流し次第前進を開始!』

 推進剤の補給と援軍を受けてアウトレンジでの戦いから果敢な近接戦へと切り替えた戦術機部隊が戦果を順調に増やし始める中、前進を終えた砲兵陣地から多数の榴弾が放たれた。

 即座に光線級がレーザーを放ち砲弾を迎撃する。
 放たれたレーザーの数は直前まで補足していた数字と一致。

 だがその迎撃効率は著しく低下していた。

『こ、これは――砲弾着弾率88%! 大戦果です!』

「同一目標への過剰照射……! やはり敵は主軸を失っている――!」

 人類が始めてBETAと戦ってから25年――長い、余りにも長い敗北の歴史の中で人類は初めて敵の混乱を見た。

 その会心の手応えに沈着な鉄面皮を誇るラダビノットですら思わず唇が吊り上る。

 そして進撃から僅か後、前線がハイヴモニュメントに迫った時点でついに人類の初勝利を確信させる決定的な情報がもたらされた。

『――全戦域から報告です。戦域のBETAが北方向へ移動を開始、進行方向は北、繰り返します、全BETAは北へ移動を開始!』

 敵の撤退――夢にまで見た、そしてついに現実となった勝利の報告を受けてスワラージ作戦司令部にワッという歓声が湧いた。

 司令部だけではない。情報はデータリンクによって後方を含む300万全軍へと一瞬で伝わり、それらが一斉に勝ち鬨を上げた。
 その凄まじさたるや、通信量の爆発的な増加に作戦司令部に置かれた通信システムがパンクをおこし、短時間とはいえ全軍の通信が麻痺してしまったほどだ。

「いかんっ」

 慌てたラダビノットや同僚の参謀達がすぐさまシステムを制限する。

 同時に顔を真っ赤にしたパートランドがノシノシとCPに歩み寄り、マイクを奪い取ると胸が破裂するのではないかというほど大きく息を吸いこんだ。

「――何をやっとるか、貴様らぁあああああああっ!! こんな所で気を抜いてどうする! 大馬鹿者共がっ!! お喋りしか脳の無いウジ虫共め!! こんなつまらん事で負けてみろ! BETAの食い残しにされる前に私が貴様らを殺してやるからな!!」

 元陸軍のレンジャー部隊教官だったかれはその声量を遺憾なく発揮して、全ての将兵にスピーカーが割れるほどの怒声を浴びせかけた。

 彼が通信を繋げた中には監査として来ていた米国の元帥や国連の事務次官までもが含まれていたが、国籍も階級もお構いなしの彼の怒声に全軍がすぐに統制を取り戻す。

 司令官を恐れたのではない。
 彼らは思い出したのだ。この勝利が自分達だけの物ではないということに。

「――ふぅ。追撃は物資の残量が一割を切った部隊から順次後退させよ。なお全軍の攻勢限界はNW145までとする。出遅れて門から出てくるBETAに注意させろ。この場面で死ぬような阿呆には戦死手当ては出ないと脅して置けよ」

 一通りの支持を終えたパートランドは緊張の糸が切れたのかネクタイを緩めながら、体を揺らして席に戻る。
 CPからの細かい報告を聞き流して、近くに居た兵卒に合成コーヒーを入れるように言い渡すと完全にリラックスした様子で大きく伸びまでして見せた。
 先ほど全ての将兵に対して怒鳴って見せただけに司令部の外には到底見せられない光景だ。

「よろしいのですか?」

 ラダビノットが横目で問いかけた。
 NW145―ボパールハイヴ最北端の門―に設定された境界線。これは意外と短い。燃料の少ない現状ではあるが反撃を受けない事を考えればもっと足を伸ばせるはずだ。

「構わん。我々は十分に勝っている。これ以上危険な橋を渡る気はないからな。それよりもハイヴ内に送る救護部隊の編成とソ連海軍の責任者の呼び出しを急がせろ。こんな大層な事を仕出かしてくれたアカの奴らをなんとしても儂の前に連れてくるのだ。女ならハグとキスをしてやる。男なら儂のワインのコレクションを好きなだけ持って行かせろ」

「しかし海軍の責任者はともかく、突入部隊の衛士は生きておりますかな? 現に今も突入部隊の情報は何一つ入ってきませんが……」

 ハイヴ突入部隊の損耗率を考えれば無事に生還できる可能性など殆どない。
 全世界的に認められているヴォールクデータにおける最も成功率の高いハイヴ攻略手段は全軍で主縦坑《メインシャフト》を目指し、S-11を起動させながら機体ごと落下して反応炉を破壊するバンザイアタックだ。

 ハイヴで散った若い命達の事を考えてラダビノットは絶望的な気分に陥っていたが、コーヒーを啜るパートランドはそのような不幸が起こる可能性など全く考えていないようだ。

「生きてるさ。心配するだけ無駄だよ中佐。儂の経験上、こういう奇跡みたいな戦果を上げた兵士というのは大抵ケロっとした顔で帰ってくる。報告も連絡も無くとも、どうせ今頃は自分で倒したBETAの死骸に押し潰されて身動きが取れなくなってるんだろうよ」

「はぁ……その、そうだとよろしいのですが……」

 HAHAHA、といかにも米国人らしく笑うパートランドにラダビノットはなんと言っていいのかわからず曖昧な返事を返すのみだった。







***あとがき***


この主人公まだ24話なのにもう4回も撃墜(or大破)されとる……。
ちょっと文体が馴染まないのでちょくちょく最近の投稿の物を直していきます。
今後ともよろしくお願いいたします



[32864] 25、「天上の存在」
Name: 大蒜◆9914af20 ID:86f1a2a8
Date: 2013/06/17 11:22
25、「天上の存在」


――旭日新聞 1992年7月27日付 号外

"BETAに反撃成功! 国連軍が人類初のハイヴ攻略!"

 国連安全保障理事会は26日未明から行われているインド共和国マッディヤ・プラデーシュ州ボパールに建造されたハイヴ(以下H-13)の攻略作戦(国連軍公称スワラージ作戦)を成功裏に終えたと発表した。
 作戦は当初、史上初となる軌道降下戦術によって順調に推移していたが、H-13からの度重なる増援によって戦線が消耗し徐々に後退。一時は補給物資が枯渇するなど極めて危険な状態に陥っていた。
 事態を重く見た国連軍司令官パートランド中将は偶然近隣地域に試作戦術機を輸送中だったソ連航空機に応援を要請。ソビエト連邦政府はこれを快諾し試作戦術機GX-9900とコードネーム"レッドサイクロン"と呼ばれる衛士にハイヴ突入を命じる。
 そして突入から30分後、レッドサイクロンによってH-13最奥部の重要施設を破壊されたBETAは混乱をきたし全軍をインド北部ヒマラヤ方面へ撤退させた。
 BETAの前進基地であるハイヴの攻略は1967年のBETA戦争勃発以来初であり、今回の朗報は人類全員に希望を与える事となるだろう。

 なおハイヴ攻略の切り札となったガンダム型と呼ばれる試作戦術機は1990年に日本帝国陸軍東郷一二三大尉(当時は国連軍中尉)が発案したV作戦において設計された機体が元となっており、現在は我が日本帝国が保有する1機を含めて世界に9機存在している。
 ガンダム型には熱粒子兵器や核融合炉など実用化されていない高度な科学技術がふんだんに使われており、V作戦の発表当時はどの国も眉唾物として関与しなかった。だが今回の作戦で機体性能が実証された事により、今後はこのガンダム型を基準とした戦術機の開発が世界中で本格化しそうだ。




***1992年 7月27日 アフリカ東部 イスラエル租借地 ***



――パン、パン!

 薄暗い石畳の廊下に拳銃の発砲音が反響した。

 廊下には電線から直接垂らされた電球の貧弱な灯りの下を老人が走っている。

「……ハァッ! ハッーハッー!」

 その目は恐怖で開ききり、荒い息で硝煙と血脂の匂いを吸い込む度に視線が大きく揺れている。
 黒い服に小さな帽子――ユダヤの高僧《ラビ》たる老人は汗を流しながら走り時折後ろを振り返る。

「どうして……! どうして、どうして! 何故、我々が殺されなければならん!」

 この建物は元々400年前のとあるイスラム王国が砦として建てた物であり、少々構造が入り組んでいる。隠れる場所ならいくらでもあるし、追っ手も追跡にも手間取るだろう。
 それよりも事態を少しでも把握するために老人はその頭脳をフルに回転させる。

 つい10分前まで彼らは宴を行っていた。
 今日は――いや、既に昨日か。
 とにかくその日は記念すべき日だった。人類反抗作戦たるスワラージ作戦、そのハイヴ攻略段階において初めて成功が報じられたからだ。
 BETAによって神から与えられた聖地を追われ、憎きムスリムの土地に避難せざるを得なかった彼らにとって人類の勝利は自分達の勝利も同然。
 早速に祝祭を開き神に与えられた吉報を喜んでいた彼らだったが、その席で突然、一人の若者が銃を抜き放ち各宗派を治めるトップを次々と撃ち殺したのだ。

――いや、ここまでは特段驚くことではない。

 厳しい戒律と序列に縛られたユダヤの信徒の中には時折こうして若者が暴発することもあるし、それを地位ある者が煽って世代交代を促すのは常套手段だ。
 そして複雑に過ぎるユダヤ組織と熱しやすい信徒のコントロールの為に自分のような小規模な宗派の指導者を殺すことはご法度となっている。
 個人的な恨みさえ買っていなければ自分は安全。後は自分の皿とグラスに血が飛ばなければいい――誰もがそう思っていたのだ。

 最初に違和感に気付いたのはこの老人だった。

 彼はまずこの凶行の犯人を見て驚いた。

――ユフダ・コーンズ

 拳銃を撃ったのはこの場に在籍を許された最も若い指導者であると同時に、陸軍から将来を嘱望された新進気鋭の衛士。
 確かに権威ある者であればこの若者を唆すのは簡単であろうが、コーンズを失うのはこのイスラエルにとって痛恨事である。

 一体誰がこんな若者の将来を台無しにしたのだ。

 憤慨しながら辺りを見回すがそれらしい人物には当たらない。

 そしてふとコーンズの金色の瞳と視線があった瞬間――屠殺場の豚でも眺めているような絶対零度の眼差しを受けた瞬間、老人は背筋に走った生存本能の警鐘を受けて椅子を蹴倒しその場から全速力で逃げ出した。

 後は何も知らない。
 彼の耳は銃声と悲鳴がきっちり8回ごとに間を挟んで繰り返されるのを聞き、彼の足は少しでも命を繋ぐ為に必死で動いている。

「何故だ、何故に我々が……」

「――邪魔だったからだよ」

「――コ、コーンズ!?」

 若い女のような、少年のような性別の無い不思議な声。
 不意に正面に現れた人影に心臓が飛び出す如き衝撃を覚えつつ、しかし即座に地に膝を着き平伏した。

「助けてくれ! 今日の件は言われたとおりに証言する! 俺はお前の下に付く!」

「生憎、生かしておく理由はないね。この宴の参加者は僕以外全員、ムスリムの暴徒達に殺される事になっているんだ」

 老人の背後から聞こえる蛮声。何十人という人々が先ほどの広間で暴れている。
 表はすでに死体しかないはずだが、彼らには関係ないのだろう。
 大昔の魔女のように残酷な拷問と死体を辱められる姿を想像し老人は身を竦ませた。

「――ヒッ!? い、いや理由ならある! ウチの宗派は穏健派だ! 例えムスリム共と戦争になっても俺がいれば最期の一線は越えさせない! 世論だってお前の望むようにコントロールしてみせる!」

 彼らの信奉する教えは民族の団結を説き力を合わせることを是とする。それゆえ他の宗教に対して攻撃的だ。
 周囲に敵も多く作っており、次の世界大戦が起こるなら中東から――以前はそう言われるほどだった。

 老人が震えながら自らの有用性を説き期待を込めてコーンズを見上げる。
 コーンズの表情は笑顔に見える。だが瞳の色は恐ろしく冷たいままだ。

「必要無いよ。この国は今日から生まれ変わるんだ。もうブレーキ役はいらない」

「どういうことだ!?」

「聞くまでも無いじゃないか。戦争を起こすんだよ。楽しそうだろう?」

 まるで遊園地に行く予定でも話すかのようにコーンズが言った。

「しょ、正気かっ!? わが国は敵だらけになるぞ! 下手をすれば、世界中を巻き込む戦争になるんだぞ!」

「滅びてもいいさ。滅亡の後には新たな世界が再生される。古くて下等な人類の国を天上の存在である僕が管理する正しい世の中に作り変えてあげるって言ってるんだ」

 背筋に寒気が走るほどの傲慢。

 どうして? 何故?
 ようやく与えられた答え――この男は狂人だった。

「――お、おお! 神よ! 神よっ!! 貴方の敬虔なしもべの声を聞き届けたまえ! 遍く世界のために、どうか! どうか、この悪魔に炎の裁きを下したまえ!」

 正面のコーンズに背を向けて、月明かりの差し込む窓へと老人は必死に祈りを捧げた。
 月は彼らの神のシンボルというわけではない。だが、世界を破滅させる悪魔の目論見が自分の死によって隠されようとしているのだ。残された僅かな時間は命乞いに費やすよりも切なる願いを聞き届けてもらうために使わねばならない。

 例え今日まで権力や贅沢に堕落していたとしても、この瞬間ここにいる老人は間違いなく聖職者であった。

「――さようなら。今日はたくさん命乞いを聞いたけど、神に祈ったのは貴方だけだ」

 動物の芸でも見るように無邪気な笑みを浮かべるコーンズ。
 彼が放った弾丸はいとも容易く老人の背中の中心を打ち抜いた。崩れ落ちる老人。血溜りが広がるのを確認した彼はその場を後にする。

 パチパチと焦げ臭い匂いが漂う。
 目論見どおり乱入した暴徒によって古城の内部は血と炎が彩る悪夢の宴会場となっていた。

「あは――はははっ!」

 晴れ晴れとした気分だ。

 これで国民の扇動を邪魔する者もいなくなった。
 軍ですら既にそのほとんどを自分の手中に収めている。

 もはや自分を縛る物は何も無い。
 この世界には数百年に渡る世界改変計画も、その遂行者である私設武装組織も、小うるさい監視者も、計画の進行役で目の上の瘤であった高慢なアイツもいない。
 唯一BETAという存在は脅威だが、それすらも戦乱へのチャンスを作ってくれる小道具に過ぎない。

「さあ、ロシア人の抜け駆けのせいで大分計画が狂ったけどようやく僕にも手札が回ってきた。次は――」

 次は――アンバールハイヴの攻略。

 世界を動かす偉業を、しかも独力でこなせば自分の権力は格段に上がる。
 加えてアンバールハイヴのG元素を手に入れ電子世界の神たる量子コンピュータさえ製造できれば、もはやこの地上は自分の物となる。

「ふっ、ふふふふ。楽しみだなぁ。いよいよ僕だけのヴェーダが手に入る。そして僕が、この世界で僕だけが真実の救世主として君臨するんだ! ――ふ、はははははははっ!! あはっ、あはははっ!!」



******



――京都日報  1992年7月28日付

"東アフリカのイスラエル租借地でジェノサイド!"

 26日深夜、スワラージ作戦成功を祝うユダヤ教徒の集会に近隣に住むイスラム住民100人以上が乱入し参加していた男女35人を殺害した。
 イスラエル当局の発表によると虐殺は住民に混じった過激派イスラム青年団アル・サフヴィーのメンバーによって行われ、警察はすでに容疑者の内半分以上を確保している。
 なお殺害されたのはイスラエルの国教であるユダヤ教の指導部にあたる高僧達であり、今回の事件によってアフリカに疎開しているイスラエルと中東イスラム諸国の関係は極めて危険な状態に突入したと見られる。


――共通同信社配信 1992年8月2日付

"若きユダヤ指導者の誕生"

 先日の事件によって上層部不在となったユダヤ教の高僧による合議が本日2日付で行われた。
 イスラエル国内の各宗派を集めた合議は2時間ほどで終了し、新たな指導者代表としてイスラエル陸軍所属のユフダ・コーンズ少尉が10代にして異例の抜擢を受けた。
 コーンズ少尉は300年以上にわたるユダヤの富豪であり、陸軍では試験部隊の開発衛士兼システム製作担当者としてトップエリートの道を進んでいる。27日の夜も最年少の神官として宴会に出席、蛮行に及んだ暴徒の拳銃を奪い6人を射殺、突破して救助を呼ぶなど非凡な才覚を見せている。
 ユダヤ教の指導者にはカトリックのローマ法王のような権力は無いが、ユダヤ教の多くの宗派が同時に被害を受けた今回の事件を受けて彼の立場は相対的に強化されるだろう。
 就任挨拶は現地時間で明日3日の正午。同日にイスラエル行政府から重大な発表が行われると現地では報じられている。

――BP通信 8月4日付

 イスラエル行政府は3日、イスラエル及び中東諸国による近日中のH-9アンバールハイヴ攻略作戦の実施を発表した。
 同作戦はイスラエル及び中東諸国の合同作戦となる予定で先日の事件による国家間の緊張状態を解消する狙いもある。同国は隣国のイスラム諸国に攻略作戦への参加を呼びかけているが、同地域に展開可能な国連軍は先日のスワラージ作戦で大きく疲弊しており参加を見合わせる公算が大きい。
 なお国連安保理はバンクーバー協定及び投入戦力が過少である事を理由に作戦の中止を要請しているが、米国が賛成の立場を取っていることから実施の見通しは不透明だ。イスラエルは所謂ユダヤロビーによって米国に対して強い影響力を持っている事に加えて、人類による初のハイヴ攻略直後だけにどの国も世論の熱狂を抑えるのは難しいだろう。







***1992年8月4日 セラウィク ツェー・カー・ベー中央入院病院 特別病室***

 ボパールハイヴが攻略されて数日間、世界は大いに沸き立った。
 経過はともかくとして結果は人類の初勝利。
 前線各国の人々は厳しい食事情にも関らず祝杯を上げ、マクロな次元では戦勝効果で起こった投資や消費の増大で世界経済が少しだけ活性化したという報告もある。


 そのおすそ分けとでも言うのか。
 セラウィクの中でもVIPだけが入れるこの病室には怒涛の如く果物や花が届けられていた。送り主のほとんどは中華や中東、インドの王族など前線国家の富裕層である。


「デカブツを倒したその直後、ちょうど推進剤が切れてな。やーははっ! さすがの俺もその時は死ぬかと思ったぜ!」

「………………(コクコク)」

「けどよ、ちょこっと残ってたロケット燃料で最後に少しだけ軌道変更ができたんだ。それでなんとか生き延びたってわけよ!」

 病院の白いベッドの上で体中を包帯だらけにしたユーリーがいた。
 彼は見舞いに来たトリースタを前に自分の武勇伝を語り、朗らかに笑っている。
 元気に見えるがこの男、つい先日打ち身18箇所、鎖骨2本、肋骨5本の骨折に加えて大腿骨にヒビまで入れたばかりの立派な重傷者である。

「――本当、良く生きていたよね私達。落ちていたもう半分の残骸が頑丈で助かったわ」

 同じく、隣のベッドで感慨深げに見舞い品から淹れた天然玉露のお茶を啜るリュドミラ。

 彼女はユーリーのような大きな怪我こそ無かったものの、あの落下の際にひしゃげた管制ユニットに左半身を圧迫され皮膚下内出血を起こし、しばらくは体の半分が赤紫色というかなり悲惨な見た目になっていた。

「それにイズベルガ博士の癇癪《かんしゃく》。あれが無かったら助けも間に合わなかったぜ」

――"元"海軍名誉少佐となったイズベルガ・イングリート・オッティールト・ピュヒョの事件

 陸上戦艦に同乗していた彼女はパートランドに突撃要請を拒否された際にヒステリーを起こしモニタへハイヒールを投擲 / 不幸な操舵士の後頭部に命中 / 弾みで艦が前進 / 国連軍全軍がその行動に釣られるという前代未聞の不祥事へ。

 戦闘後に簡易軍事裁判が開かれ、最終的には作戦の利益になったことと彼女に恩があるソビエト海軍本部とスワラージ作戦司令本部からの必死の擁護を受けて関係者の降格と本人の軍籍剥奪で済む事となったが、おかげでイズベルガは永遠に戦艦への乗艦を禁止された。

 知る人ぞ知るスワラージ作戦最大の恥部である。

「――お。これ本物の林檎じゃん。2人とも食うだろ? 俺が剥いてやるよ」

「……はい」

 不自由な手で見舞い品の山から無造作に林檎を取り出した。

「ちょ、ちょっと私がやるよ! ユーリーは手を怪我してるでしょ」

「あぁん? リューは本物の林檎見んの初めてだろ。皮なんて剥けんのか?」

「う"っ……」

 甲斐甲斐しくもリュドミラが声を掛けたが、やはり料理のスキルはなかったらしい。
 ユーリーは包帯を巻いた手で器用に林檎にナイフを食い込ませると鼻歌を歌いながら8匹のウサギを作り上げた。

「……! うさぎ……」

 皿と共に差し出された林檎の飾り切りをトリースタはすぐに食べることはせず、愛らしい姿のウサギにキラキラとした眼差しを向ける。

「ふっ、手慰みの技ですら無垢な心を奪っちまう自分の才能が怖いぜ」

「皮で赤い目まで再現してる……ユーリー、恐ろしい子……」

 何でもないように作ったにも関らずこのクオリティ。
 家事スキルにおける圧倒的な戦力差にリュドミラはがっくりとうな垂れた。

 と、外で何やら気配がする。


――ねえ、東塔特別病室ってここ?

――~~~~?

――うん。連絡に来た


 衛兵の誰何に答える声。
 程なくして二人の発現体の少女が病室に入ってきた。

 一人は眠たげな目つき――ボパールハイヴでフサードニク4に搭乗していた78番。

 もう一人はベリーショートの髪に両目に包帯を巻いて、顔中に怪我の後らしき痣とカサブタがある。
 こちらの方も見覚えがあった。トロネと同じくボパールでフサードニク1から救い出した重傷の発現体だ。

「お前達……!」

「トロネ・シェスチナ少尉です、……だし」
 
「ケルビナ・ビャーチェノワ少尉です」

 ケルビナと名乗った方はともかく、いかにもやる気のなさそうな78番の敬礼。しかも気恥ずかしいのか顔を赤くしながら語尾を付け足した。

 彼女は名乗りの後に懐から書類を取り出すとそれをユーリー達の方へ向けて一歩踏み出した。

「――党中央委員会の決定と国防省人事部からの辞令を伝えます」

「決定と辞令?」 

「――8月1日付でユーリー・アドニ・ビャーチェノワはで大尉に昇進、リュドミラ・アドニー・ビャーチェノワは中尉に昇進。加えて党の決定により新たにレッドサイクロン小隊が編成されます。お二人はそれぞれ隊長と副官に、トロネ・チェスチナ少尉と私ケルビナ・ビャーチェノワ少尉両名は今日付けでお二人の部下となります」

「……私とケルビナはG-bit開発計画の被験者として配属された。今日から貴方たちの部下だし」

――G-bit開発計画

 先日ユーリーが手に入れた技術を元に国防省に提案した、フラッシュシステムによる最大12体の無人機操作を可能とするガンダムのオプション計画である。
 現在の戦術機に装備されている自立戦闘プログラムや無線操作は様々な弱点を抱えているが、それらと違い電波妨害に強く完全な連携を可能とするこれを用いればハイヴ攻略の難易度は格段に引き下げられると予想されている。
 何よりも搭乗者の特殊能力による操作を前提としたこの装備はたった"二人"で一個中隊を形成するという、軍事上見過ごせない利点があるのだった。

「お、おい! 被験者ってど――むぎゅ」

「ねえねえ!! トロネちゃんの名前ってカッコイイね! もしかして自分で付けたの?」

 何かを言おうとしたユーリーを後ろから押し潰したリュドミラ。
 彼女の青い海のような眼が好奇心で輝いている。

「……うん。座天使の名前。私、お姉さんがやりたかった事をやってみたい……みたいし」

「きゃ~~~~っ!! 素敵!! それってとっても素敵な事だわ! ねえ、こっちの子の名前もあなたが付けたんでしょう?」

「……智天使。ちょっと調べた」

「いいなぁ! 二人で天使の名前でお揃いなんて羨ましいわ!」

 手を叩いて誉めそやすリュドミラにますます顔を赤くして萎縮するトロネ。
 それを目を瞑ったままのケルビナがクスリと笑う。

 どこにでもある普通の人間の普通のやり取りの光景がそこにあった。

「――――」
 
 眩しい彼女達の様子にユーリーは目を細める。

 スワラージ作戦における人工ESP発現体の生還率――37%。
 180人が参加して、実に100人以上が帰ってこなかったという残酷な現実。
 他にどうしようもないこれが精一杯の結果だが、一人であがいていた頃よりもなんと眩しい結果だろうか。

 せっかくできた妹分をリュドミラから取り上げるのは忍びなく、とりあえず最低限の意思確認だけを行う。

「――言っとくけど辞めるなら今だぞ。俺達と同じ部隊って事は激戦区、それもとんでもない貧乏くじの任務ばっかりになるぜ」

「――神様は一人でもなんでもできる。でも私達がいればもっと凄い事ができるし」

「はぁ?」

 トロネのドヤ顔Vサイン。
 フサードニク4とのやり取りを知らないユーリーには意味が分からない。
  お約束に漏れずこの新しいシェスチナのコミュニケーション能力にも難があった。

「あなた、神様でしょ? コンゴトモヨロシクだし」

「――はあっ!?」

 ちなみにもう一人――トリースタは未だに林檎の兎を眺めている。

 埒の明かない状況にトロネのパートナーという損な役割を負ったケルビナがため息を吐きながら進み出た。

「辞めるも何も、彼女と私は志願してここにいます。それに私とトロネは既にフラッシュシステムとフィットするように調整を受けています」

「調整……? 俺無しで脳の波形をいじったのか?」

 同調者によるフラッシュシステムの操作補助――向こうの世界の地球連邦軍ですら実用化できていなかった技術だ。
 ユーリーですら宇宙革命軍のベルティゴとの戦闘でアイデアを見出し、例の現象によって手に入れたゲルヒンレグルン槽とその内部データを用いることで可能となるオーバーテクノロジー。
 少なくとも百年ないと実用化は無理な筈だったが――

「技術的な事は知りません。同志ベリャーエフがゲルヒンレグルン槽を用いて私達を調整しました」

「ベリャーエフ? イェーゴリ・ベリャーエフ……!? あ、あいつがゲルヒンレグルン槽を持っているのか!?」

 ザンギエフを失った日にテロリストによって失われたはずのゲルヒンレグルン槽。
 あの見るからに気弱そうなベリャーエフが80人もの人員を殺したというのは驚愕だが、現物を所持しているという事は間違いない。

「ガスパロフ司令も大層驚いておられました。オルタネイティヴ計画関係者にもゲルヒンレグルン槽は同志ベリャーエフによって発明された物だと公表されていましたから。ただ証拠が無い以上こちらから手は出せないそうです」

「パクリ野郎め……。いつか落とし前をつけさせてやるぜ」

 苦々しげにそう呟くとユーリーは腕に刺さっていた点滴の針を外す。
 勢いよくベッドから飛び降りると、アルミの松葉杖を突きながら器用に着替えを始めた。

「ユーリー? 何してるの?」

「出かけるぞ、リュー。お前も準備しろ」

「え? ええ!? まさか、今から殴りこみ?」

 上着を羽織るユーリーを見たリュドミラが素っ頓狂な声をあげる。
 慌ててポシェットを開いてマガジンの数と拳銃の動作を確認する姉を見てユーリーは苦笑した。

「馬鹿、それは今度だ。今日はこいつらの歓迎会だよ。セラウィクなら飯屋くらいあるだろ。こいつらに腹いっぱいうまいもん食わせて、ついでに俺達の怪我もとっとと治しちまおうぜ!」

「怪我は食べても治らないと思うけど……」

 不承不承ながらもリュドミラも着替えて靴を履く。

 部屋に残りそうな一人――未だに林檎の兎を見ているトリースタにユーリーが手を差し伸べた。

「ほらっ、行くぞチビ。官庁の方に行けば甘い食い物もあるからな。多分お前も気に入ると思うぜ」

「………………」

 その手を、トリースタがじっと見つめているる。
 まさか自分が呼ばれると思ってなかったのか、それとももしかすると外食を許可されていないのか。
 いっそ強引に連れて行ってしまおうかと考えた頃。
 
「…………はい」

 蚊の鳴くような声でトリースタが答え、小さな手がそっと伸ばされた。






****同日 ソビエト連邦領セラウィク 共産党本部 第一会議室 ***

 セラウィクの中心の中心。この会議室にはソビエトの最高幹部が集まる。
 大方の人間の予想を裏切ってここは極めて質素な部屋であった。
 
 まずその部屋には壁紙が無い。打ちっぱなしの強化コンクリートの壁は恐ろしく無機質で冷たい印象を与える。その代わりに対爆性能は世界最高を誇り、直上に落とされた核中性子爆弾ですら防ぐ事ができる。 
 その部屋には窓が無い。灯りは全て天井に埋め込まれたLED照明で賄われ僅かな電源のコンセントさえ存在しない。電源は唯一部屋の隅に置かれた小型の発電機にのみ存在し、抗振動板で囲われたこの装置にはいかなる盗聴器の設置も不可能だ。

 臆病者の円卓――この部屋の存在を知る米国CIA職員からそう揶揄されるほどこの部屋の防御は鉄壁であった。


 そして現在、この部屋には14人からなるソビエト共産党の関係者がおり、その頂点にヤーコフ・レオーノビッチ・ゴルバチョフ共産党書記長が座っている。
 この国の真のトップが集まった会議であり、先日内外に醜態を晒したサダマフスキー達とは全く格が違う集まりだ。

「オルタネイティヴ第3計画もこれで終わりか……」

 手元のスワラージ作戦の報告書を読みゴルバチョフ書記長が深い溜息を吐いた。
 オルタネイティヴ計画の失敗は彼の権力を減退させる事はないが、それでも国運を傾けるほどリソースを費やした計画の失敗には大きく落胆せざるを得ない。

「面目次第もございません……」

 深々と頭を下げる老人――セルゲイ・ラフマニノフ教授

 ハイヴ攻略の顛末とリーディングの結果を受けてからラフマニノフ率いるオルタネイティヴ計画技術チームは今日までずっとデータの解明と改善策の考察に費やしてきたが、結局どうあがいても人工ESP発現体によるアプローチではオルタネイティヴ計画の達成は困難だと結論を出した。
 その報告はすでに国連の計画本部にまで届いているはずで、程なく向こうから第4計画移行が申し渡されるはずである。
 つい先日まで老人とは思えないほどの探究心と生気に溢れていた男が、今や暖炉の燃えカスのように真っ白になっていた。

「そう気を落とすな同志ラフマニノフ。我々はこの件で責任を問うつもりはない。……しかしまさか我々人類が生命体として認められないとはな。この太陽系の外の常識は一体どうなっているんだ」

 幹部がラフマニノフを慰め天を仰ぐ。
 生憎、視界にはコンクリートしか映らないが、その遥か彼方にはSF小説作家ですら想像もできない世界が広がっているらしい。

「それを知りたければ、やはり奴らの頭を覗くしかないと思うがね。――さておき同志諸君、会議の時間だ。早速オルタネイティヴ計画に関しての善後策を提案するとしよう。――同志ヴォルフ君」

「はっ」

 書記長の紹介に合わせて書記長のKGBの情報分析官が立ち上がった。

「まず現状を説明いたします。ご存知の通りオルタネイティヴ第3計画は26日のスワラージ作戦において最深部に存在したBETAに対する情報収集に成功。これにより今まで不明だった多くのBETAの生態情報を入手しましたが、同時に当計画ではBETAとの相互のコミュニケーションが不可能である事が判明いたしました」

 プロジェクターに投射された発現体達の結果報告。
 予定されていた質問項目、提案項目はほぼ全てに赤い×が付けられている。

「原因はBETAの我々に対する認識――すなわち人類が生命体と見られていない事と考えられます。妙な話ですが我々はこの地球における独自の自然災害か何かのように思われており、これが解消されない限りBETAは我々からのアプローチに一切反応しないと考えられます」

「レッドサイクロンの搭乗機が最深部攻略の際に至近距離でリーディングを行ったと聞いている。そちらからは何かデータは取れなかったのか?」

 幹部の一人が手を上げた。

「皆無です。当時レッドサイクロンの他に2機のマインドシーカーが近距離からリーディングを行っていましたが、A-01が中層でリーディングを行っていた時点に比べ思考速度が100倍以上に加速されていました。現在もレコーダからデータを取得し解析を行っておりますが、読み取るのは生身の発現体なものですから……把握能力と論理思考において最高の第六世代300番を投入してもデータは入手できませんでした」

「ではなぜ突入部隊はデータを入手できたのだ?」

「睡眠中、あるいは半覚醒状態であったため思考が鈍っていたと推測されます。詳しくは問題のBETAを捕獲しなければ分かりかねます」

「自分達の巣が攻撃されているにも関らず寝ぼけていたというのか……? 反応炉の残骸の中から死体は見つからなかったのかね?」

「国連のBETA研究関連人員を総動員して探索中ですが……S-11の使用によって反応炉自体が原型を留めていないのと、例の40万トン級の超々大型BETAの肉片のおかげで現場がボルシチ鍋のようになっています。すでに腐敗も始まっており、発見は不可能でしょう」

「……せめて地上に上ってから撃破してくれれば良かった物を。新しいレッドサイクロンは余計な事しかしないな。これならば前の方が良かった」

 全くだ、と同意する声が上がる。

 同時に黙ったままの人間も多くいる。
 新しいレッドサイクロンは人工ESP発現体にしてマインドコントロールを受け付けないというとんでもなく扱いにくい人材だが、同時に僚機も無しにハイヴの最深部まで到達、反応炉を破壊し未知の超巨大BETAを撃破するという有り得ない成果を叩き出してもいる。
 能力だけならミハイル・ザンギエフの代役としてこれ以上無い物を持っているのだ。
 ソビエトという国の窮状を分かっているならこういった英雄はなんとしても必要だ。

「ちなみに当のレッドサイクロンですが、軍は今回の功績を鑑みて8月1日付けで大尉としました」

「――昇進? 何かの冗談か? 党の出撃禁止命令に背いた行動だぞ、本来なら反逆罪になってもおかしくない」

「――止むを得ない突入だったのでしょう? それに対外的に考えれば反逆罪は絶対に不味い。彼は既に有名になりすぎている。外務省としてはレッドサイクロンの2階級の昇級を持って我が国の姿勢を示したかった」

 言外に処分を勧める党の政治局員と有力な外交材料を確保したい外務省の長官の間で火花が散る。
 白熱しそうなその場に書記長が割り込んだ。

「止めんか。その件に関しては本人の意向も確認しておる。そうだな、同志ガスパロフ?」

「はい。ビャーチェノワ姉弟きょうだいは党の命令を遂行できなかった事を深く悔やんでおりました。しかし人類初のハイブ攻略の立役者を昇進させなければ国内、国外ともに批判が増大します。そこで命令違反を犯しボパールに突入した時点で1階級の降格、ハイヴの攻略によって2階級の昇格を行い帳尻を合わせることとなりました」

「私もそれに同意した。決定に異があるならここで言うといい」

「「………………」」

「よろしい。同志ヴォルフの話は以上か? ならば次に移ろう。オルタネイティヴ計画の善後策についてだ。同志ガスパロフ、君に提案があるのだったな」

「はい、書記長閣下。僭越ながら私から説明させていただきます」

 書記長の問いかけにガスパロフは大きく頷いた。

「こちらをご覧ください」

 操作されたプロジェクターの画像が切り替わる。

「この少女は・・・・・・? それに因果率量子論?」

 表示された紫髪の少女と論文のタイトルらしき物を見て幹部等が声を上げた。

「このユウコ・コウヅキという日本人は国際学会から世紀の天才と呼ばれるほどの科学者です。その彼女が書いた学術論文――因果率量子論が現在、日本帝国における次期オルタネイティヴ計画案の候補として上がっているのです」

 続いて因果律量子論の概要が表示されるが、2行ほど読んだところで彼らはうめき声を漏らした。
 概要は政治家向けにマイルドに表現し直された物だがそれにしても難解すぎる。
 自然、彼らは説明を求めてこの場の最高頭脳――ラフマニノフの元に視線を寄せた。

「……この理論は要するに我々が存在する世界とは違う可能性の世界、つまり並行世界への干渉方法を時間軸を基準とした仮説を元に具体化する方法を論じています」

「……つまり、具体的にどういった事ができるようになるのかね?」

 更なる簡略化を要求する幹部達。
 内心で嘆息したラフマニノフは誤解を承知で思い切った説明を行うことにした。

「もし理論が真実なら人類はあらゆる事ができるようになります。例えば何かの化学実験を行わなければならない時にこの理論を用い"実験に成功した自分"の記憶が手に入ればもはや失敗はありません。情報だけでなく並行世界から物質をやりとりできれば無限のエネルギーを得る事すら可能です。可能性がある限り、という制限が付きますが」

「現在と未来を自分の物にできるのか……まさしく神の所行だな」

「恐らくオルタネイティヴ計画案としてはその初歩の初歩、並行世界に電子サイズの門を作ることでデータをやり取りし、事実上無限の演算能力を持つ量子コンピュータを作る事を目標とするでしょう」

 ざわめく幹部たち。
 無限の演算能力、という単語を聞き取り、そこでようやく科学に疎い彼らにもこれがどういった計画なのかが見えてきた。

「率直に教えてほしいのだが、同志ラフマニノフ。この計画・・・・・・実現の可能性はあるのかね?」

 深刻な表情の書記長が言った。

「……コウヅキには2年前に帝都大学へ講演に行った時に会ったことがあります。その時点で既に量子学に対して世界中のどの科学者よりも見識がありました。才能だけで測るなら現時点で彼女以上の専門家は世界にいないでしょう」

「つまり可能性はあると」

「はい。ただし高くはありません」

 むぅ、と書記長が唸り声をあげる。
 会議の停滞を見て取ったガスパロフが立ち上がる。

「恐れながら皆様方。この際、因果率量子理論の実現可能性はあまり関係ありません。つまりこのコウヅキという女性が我々のバックアップによってオルタネイティヴ計画の技術主任に就くという事が重要なのです」

「・・・・・・どういうことかね?」

「我々にとって最悪の未来は米国が次期オルタネイティヴ計画のホストとなって人類反抗を成功させ、東西両陣営への影響力を絶対化することです。仮に例の新型爆弾が公表通りの性能を持っているとすれば米国は将来のユーラシア奪還において大きなプレゼンスを持つことになります。現在東欧社会主義同盟や中華は既に我々の影響下を離れつつありますが、このような事態が起こった場合我々との決別は決定的になるでしょう」

「オルタネイティヴ計画の権限の縮小はできんのかね? 今回のスワラージ作戦では新型の戦術機一機だけでハイヴの攻略に成功した。GX-9900を量産すれば地球奪還は十分に考えられると思うが」

「もちろん今後のオルタネイティヴ計画の権限は縮小されるでしょう。しかしそれで終わりにしてしまえば30年にわたるオルタネイティヴ計画の失敗はすべて我々の責任になります。機密指定があるのでしばらくは問題ないでしょうが、後に情報公開されれば、我が国は人類の危機に膨大な国連予算を浪費し非道な人体実験を繰り返したBETA大戦の戦犯として非難されるでしょう。これは外交で考えうる最悪の事態です」

 オルタネイティヴ計画には高度な情報秘匿が行われているがそれは国連の――ひいてはアメリカの都合次第でどうにでもなることだ。BETA大戦の状況が好転し、戦後の世界秩序を考えなければならないのならこういった情報戦略は大きな意味を持つことになる。

「そこで日本案か」

「まさしく。コウヅキの計画案は日本帝国で主流とはいえません。我々のバックアップの条件として国連に提案する際には第三計画のブラッシュアップという形にさせます。仮に計画が成功するのなら良し、失敗しても国際世論の非難の先は二つに分かれるでしょう。日本は孤立するぐらいなら我々と接近する事を考えますし、少なくともユーラシアにおける米国の強力な同盟国を離脱させる事ができます」

「私が心配しているのは、仮に日帝が計画を成功させた場合その科学技術が我が国に牙を向く可能性があるということだ。場合によっては米国の爆弾の方がよいのかもしれん」

 オルタネイティヴ3は莫大な遺産をソビエトに残した。
 心を読む超能力者、遺伝子操作技術やクローンの培養技術、そして――今や世界的な英雄となった2代目レッドサイクロンもそうだ。
 科学技術の恐るべき可能性を見せつけられた彼らは他国が自分達を上回る力を得ることを恐れている。

「ご心配なく。元よりこの戦略の目的は新たなオルタネイティヴ計画に鈴をつけること。うまくやってみせましょう。それに日本帝国の躍進を何よりも危惧している国があります」

「米国か」

「まさしく。世界の盟主でなければ満足できない輩が極東の島国の専横を許すはずがありません。そこに我らが加われば日本は世界中を敵に回すことになるでしょう」

 日本の戦略的弱点は小さな島にしか根拠地を持たないことだ。資源に乏しく両側を大国に囲まれているこの国は海洋国家としては優れた地力をもっているのかもしれないが、それでも軍事力や経済力で米ソと殴りあえるほどの力を持つことはない。
 米国は傲慢さに関しては一点の曇りも無い。もしも自分たちをさしおいて突出しようという国があれば即座に行動に移るはずだ。

 オルタネイティヴ計画は驚異だが、それだけに地盤の不安定な日本の国際的な立場は極めて難しくなる。そこに付け入ればソビエトの再興に近づける、というのがガスパロフの考えだった。

「いいだろう同志ガスパロフ。我が国は今後失ったユーラシア本土の復興を考えなければならん。その為ならばこれが最も良い選択だな」

「ありがとうございます」

 会釈したガスパロフが席に戻る。

 入れ替わりにポノマレンコが立ち上がった。

「提案があります、書記長閣下」

「なんだ、同志ポノマレンコ?」

「同志ガスパロフの党への忠誠と能力はもはや疑いようがありません。彼が今後オルタネイティヴ計画が終了し国連軍の監査という立場から解放されるのなら、これを機に我が党の中央委員会の委員となってもらうのはいかがでしょうか」

 不意を打たれ眉を寄せるガスパロフと怪しい笑みを浮かべるポノマレンコ。
 二人の視線が交錯し見えない火花を散らす。

「私に異存はない。だが同志ガスパロフはチェコスロヴァキアに戻れば最高指導者の座に座れるのだが……」

「チェコスロヴァキア共産党は協力的ですしよくやっております。同志ガスパロフでなくとも問題はないでしょう。この男の力は我々にこそ必要なのです」

(なるほど……手の届かない欧州で暗躍されるよりも自分の手元で飼い殺しにしようと言うのか)

 微妙なニュアンスからポノマレンコの狙いを読みとった。
 恐らくポノマレンコの中ではまだガスパロフは敵対する存在ではないのだろう。だから適当に恩を売り、適当に自由を奪おうとしている。

 あるいは既に自分が党書記になったきでいるのかもしれない。
 彼がライバルの蹴落としではなく将来のための人事調整を行っているつもりなのだとすれば――

(雲の上にでもいるつもりか。ならば油断の代償が高くつくと言うことを教えてやらねばな)

「どう思うかね、同志ガスパロフ」

「はっ、私も以前からこの国に留まって党のお力になりたいと考えていました」

「ハラショー。我々は相思相愛というわけだ」

 裏表の無い笑顔を見せる書記長。

「――ただし私は表向きはただの国連軍人。そんな人間が突然党の中枢に入れば戸惑う声も大きいでしょう。そこで今現在空白となっているポストをいただきたい」

「空白のポスト?」

「空白の……? ――ッ!?」

 ポノマレンコがようやく自分の失敗を悟る。
 だがもう遅い。なんといってもガスパロフの能力と忠誠にお墨付きを与えたのは彼自身なのだから。

「――反逆者ソロボコフの座っていた国防委員長の座をお願い致します。栄光ある我が祖国の軍から反動分子に魂を売った裏切り者の影響を除去する役目を賜りたい」

「――同志ガスパロフ、君は国連軍では後方勤めでユーラシアの前線には不勉強だろう。最終的には国防委員長にするとしても今少し時間が必要だと思う」

 ポノマレンコがすかさず口を挟む。
 つい先日まで腹心がいたポストに飛び込んできた異物――黙って通すには危険過ぎる。

「いや、構わないだろう同士ポノマレンコ。元より同志ガスパロフは前線国家の出身で国連軍でも中将の職についていた。そもそも国防委員長などソロボコフ程度の人材でも回せるのだ。軍団の指揮をするわけでもなし、彼がついても何の問題も無いように思う」

「しかし…………」

「心配ならば彼が職務を全うできるように補佐と監視役をつけよう。直属の特務部隊としてレッドサイクロンを預け、彼の傍には猟犬<オプリーチニキ>をつける」

「オプリーチニキ……!!」

 ガスパロフの表情が驚愕に染まった。

――オプリーチニキ
 元々はロシア帝国イワン雷帝の秘密警察であり帝政時代の民衆弾圧の象徴である。
 本来なら共産党組織図にこのような名称は相応しくないのだが、党の敵に対する秘密理の粛正を任務とする彼らは幹部相手であっても素性を明かさない。
 故に在るはずのない名前として誰とも無く呼び始めたのだ。

 そしてガスパロフの知る限り党のオプリーチニキの内一人はポノマレンコの手下として働いている。

「二人とも、これで構わないな」

「……かしこまりました同志ゴルバチョフ」

「……はっ」

 命の危機が身近に迫り、顔色を悪くするガスパロフ。

 だが一方、完全勝利を得たはずのポノマレンコもまた同じような表情をしている。

(――何故この男はこんなにも緊張している? 王手が掛かっているのは私の方なのに)

「では、期待しよう」

 書記長が手を叩けば閉会の合図だ。
 長居していい場所ではないので皆足早に出て行く。
 ポノマレンコもこちらに声も掛けずに去っていった。

(彼はレッドサイクロンを恐れているのか? いや、有り得ない。彼はミハイルではないのだ。戦場ならともかくセラウィクでポノマレンコと戦えるはずがない。となると彼が受け継いだというミハイルのデータ、あそこに何かがある……!)

 ソ連のナンバー2の顔色を変えるほどの巨大な案件だ。
 敵は死に物狂いで謀略を張り巡らしてくるに違いない。

 隣室に待機させていたヴァシチェンコを連れ出し、足早に駐車場へと向かった。

 予想されるポノマレンコの動き――少なくとも自分なら相手の体勢が整うまでにケリをつけようとするはずだ。
 つまりは正念場。ここさえ凌げば反撃のチャンスが巡ってくる。

 ガスパロフはチェコスロバキアの動乱以来、久しく感じていなかった強い感情が自分の中を駆け巡っているのを自覚する。

「ヴァシチェンコ、この後すぐに国防省に向かって信頼できる護衛を私とレッドサイクロンに回せ。少なくとも一個中隊だ。その中でも妙な動きをする人間がいたらすぐに外せ」

「一個中隊!? 閣下、ここは天下のセラウィクですよ!?」

 首都で中隊単位の戦力を動かすことを躊躇したヴァシチェンコが叫ぶ。

「そうだ、ここはセラウィク――我々の最前線だ」

 死んでいった全ての英霊達に報いるために、ガスパロフはもう一度国家の暗部に立ち向かう事を決意した。








+++あとがき

ポノマレンコの役職を中央委員会第二書記に変更します。



[32864] 26、「絶対駄目っ!」
Name: 大蒜◆9914af20 ID:86f1a2a8
Date: 2015/01/07 01:55
26、「絶対駄目っ!」


***1992年8月4日 アラスカ州ソビエト連邦領 セラウィク特別区 ホテルレニングラード***



「で、わざわざ病院を抜け出してどういうつもりなの? 病室だと話しにくいこと?」

 日光の差すカフェの窓際。そのテーブルの一角でホイップクリームの載ったケーキを頬張りながらリュドミラが言う。
 ここはホテルレニングラード。以前ガスパロフが宿泊した外国の賓客向けのホテルだ。

 歓迎会のためにトロネ、ケルビナ、トリースタを連れ出したユーリーとリュドミラは病院からそう離れていないこの店に入った。
 このホテルは最高級とはいかないが、他国の企業人や国連の調査官を泊めるために作られた施設で、この界隈では一般の人間でも金さえあれば天然食材の料理が食べられる。

「ああ。あそこじゃ護衛が近すぎるからな。盗聴機もあるし、落ち着いて屁もこけやしねえ」

 ユーリーがストローでアイスコーヒーを啜りながら、ちょいちょいと窓の外を指差すとホテルの出入り口に歩哨二人が陣取っている。
 これだけ離れていれば会話を聞かれる心配は無い。

「話ってのはこれからの事だ。今回の件で俺達は一躍有名人になったし、新顔も入った。今の内に色々決めておこうぜ」

「色々って……例えば?」

「例えば俺達の機体の事だな。ケルビナ、だっけか? 俺達が入院してる間に設計局周りで新しい話は出ているか?」

「…………」

「ケルビナちゃん?」

「――――ッ!? は、はい!」

 ケーキに載っていたシロップ漬けサクランボを一心に味わっていた包帯少女、ケルビナがハッとした様子で顔を上げた。

「ぐ、軍参謀本部と中央戦略開発軍団がそれぞれGX-9900の追加生産をミグ・スフォーニ設計局に打診しています。党は部品の国産化を進める事を条件に2機分の予算を認める方針です」

「チッ、もう量産前提か。話が早すぎるな……まだ何日も経ってないってのに」

 報告を聞いたユーリーは思わず舌打ちした。

 部品の国産化とは要するに量産化のための前準備だ。
 今回のハイヴ攻略成功を受けてソビエトは世界に先駆けてガンダムを量産しようとしているのだろう。

 世界最高のスペックを持つ兵器をいち早く自軍で使いたいという気持ちは当然である。
 しかし実際に機体を開発した側の意見として、この機体を主力にするのは間違いだ。

「…………? お二人のプロジェクトが認められたという事ではないのですか? ニュースでは世界初の第3世代戦術機として公表されていますが」

「違うのケルビナちゃん。あの機体はなんていうか、普通の戦術機じゃないの」

 怪訝そうなケルビナにリュドミラが答える。

「空力とか機体特性が戦術機と全然違うのよ。オリジナルOSも反応が早くて自由度が高いけど、代わりにシステムアシストが受けられなくて操作がとにかく煩雑だわ。戦術機の経験が全く役に立たないから、多分若いヒトでも機種転向だけで半年は掛かっちゃうんじゃないかな」

「半年、ですか……」

 一般に衛士一人を育てるには戦術機一機分のコストが掛かるといわれている。一度に大人数を、そしてシミュレーターを活用する事である程度支出は減らせるものの、それでも歩兵などとは比べ物にならないほど衛士は高価なユニットだ。
 そうして苦労して育てた衛士を更に半年、アラスカまで連れ戻して再教育するなど教育総監の官僚が卒倒必至の計画だった。
 
「そもそも機体の製造コストが高すぎるのよ。今のGXなら作るだけでMig-31ブラミャーリサ一個中隊が揃えられちゃう。メンテナンスとか消耗部品やらの維持コストを考えたら、それなりの数を揃える前に陸軍は破産よ」

「そこまで高いのですか!?」

 核融合炉、ビーム兵器などコストが上がる要因を考えたらキリが無い。
 各国で分業生産しているとはいえ、一度組んでから部品を調整しているため手間も比べ物にならないくらい多い。純粋な"工業製品"である戦術機と比べて値段が跳ね上がるのも無理はない。

「馬鹿らしいでしょう? けど今は世界中どの国もハイヴを攻略したGXのスペックしか見ていないわ。党はきっとどんな無理をしてもこの機体を量産させるでしょうね」

「そんなことになったら前線はもっと苦しくなる。だから、そうなる前に俺達で主力機開発計画に介入する。G-bitの開発にかこつけて俺達で安くて強い戦術機を作るんだ」

 ユーリーがビシっと人差し指を立てる。
 主力機開発計画への介入――世間話のつもりがいきなり大事になってケルビナが目を丸くした。

「……神様はミグかスフォーニに頼むの?」

 頬にクリームをつけたまま、眠そうにケーキを咀嚼するトロネ。

「そっちはアテがある。つってもミグやスフォーニはねぇな。俺達が欲しいのはそこそこの機体じゃなくて、十年は使えるような傑作機だ。そんなのを作れるのは本物の天才だけだからな」

「……さすが、神様」

「うんうん、だよね。さすがは私の弟。――店員さん! 次はこのアイアーシェッケってドイツのケーキを2つ頂戴!」

 威勢よく店員を呼びつけたリュドミラがメニューを指差しながら追加注文を発する。
 この時点で彼女が陣取る席の前には10枚以上の皿が積み重ねられていた。

「まだ食うのかよ! お前、もう一週間分は食ってるだろ!?」

「奢りなのにケチケチしないでよ。この間のボパールハイヴ攻略で軍からいっぱい褒賞金をもらったの知ってるんだからね」

「ぐぬぬぬ……!」

 香ばしい小麦粉の匂いに、甘酸っぱい宝石のような果物。天然食材を惜しげもなく使うこの店の料理は高い。

 しかし見るからに食の細そうな少女4人に奢る程度なら痛くも痒くも無いと豪語して飛び込んだ結果、リュドミラという思わぬ伏兵が財布に痛打を叩き込んだ。

 しかもリュドミラに勧められるがままにケルビナやトロネ、トリースタが食べるため、損害は加速度的に増していく。
 普段は節約をするよう叱る立場だというのに、恐るべきは女性の甘味に対する執念というべきか。
 
 完全敗北を喫したユーリーがっくり肩を落として、再びアイスティーを啜る。

「ちぇっ、どこに行っても女ってこえーのな」

「……ユーリー兄さん」

「ん? おお、トリースタ。どうだ、食ってるか?」

 袖を引くトリースタに微笑を向けるが、彼女は焦った様子で首を振った。

「……すぐにここを出ましょう」

「おいおい、俺の財布を心配してくれてるのか? それなら大丈夫だぞ。報奨金の話は本当――あ、おい? トリースタ?」

「……~~っ!」

 半泣きになって袖を引くトリースタに松葉杖をつきながら窓へと向かう。
 トリースタが必至に窓を指差すので、不承不承ユーリーは窓を開け――

「…………なんだ、あれ?」

 窓の下、ホテルの向かいの道路上を、3メートルはある人型ロボットが小規模な地震を起こしながら横断していた。

 異常に気付き、護衛の歩哨がアサルトライフルを向ける。

Стой ストーイ!! 止まれ、止まれ!』

「何あれ……?」

「強化外骨格、なのか?」

 窓の外の巨人。パワーアシストと動力を備えた機械仕掛けの鎧、戦術機を除けばBETAと格闘戦を行える唯一の兵器、強化外骨格だ。
 小型で機動力があり戦術機より安価で運用しやすい等、世界中どこの戦線にも配備されている兵器だが、目の前で闊歩するこの機体には一つ問題がある。
 ナショナルマーク無し、認識標無し。――即ち、所属不明機である事だ。

『そこの白いの、止まれ! ここは現在、VIPの利用によって第三者は立ち入り制限を行っている! 貴官の官姓名を名乗れ!』

 タイヤを重ねたような不細工な胴体と、電磁炭素伸縮繊維が見え隠れする異様に太く長い腕。それが頭のセンサーから些細な部品の隙間まで念入りに、病的に思えるほど白く塗装されている。
 前面全てを覆う戦車のような分厚い装甲版を着込んだ体はとにかく重そうで、歩くたびに地面のアスファルトが悲鳴を上げ、黒い粒を飛び散らせる。

「あれは――ッ! 参謀本部の拠点防衛用強化外骨格ESX-11<ブリトヴァ>!? 設計段階でお蔵入りになった機体が、どうしてこんなところに!?」

 蒼白となったケルビナが叫ぶ。 

「ブリトヴァ……?」

 足を止める様子のない白い外骨格に、業を煮やした二人の兵士がAK74突撃銃の引き金を引く。
 2つの銃口から吐き出された無数の5.45x39mm弾は白い装甲に対して激しく火花を散らすが、傷一つつけられないまま跳ね返った。

『駄目だ! へこみもしないぞ!』

『ち、近寄るな!!』

 ブリトヴァが更に一歩近づき腕を振るうと、指先から視認できないほど細い何かが走る。
 ヒュン、と風を切る音がして、切断された兵士の体が真っ赤な液体に濡れる肉のブロックとなる。 

「なんだあれ!? ウォータージェット? レーザー?」

「モノフィラメントワイヤーカッターです! 人間はおろか、戦車ですら両断できると噂されていましたが……!」

――キャァアアアアッ!!

 惨状に気付いた他の客の悲鳴によってホテルは一挙、パニックに包まれた。
 何人もの客がすり抜けるようにしてエントランスから出て行くが、ブリトヴァは一瞥しただけで殺そうとはしない。

「……とても冷たい色。あれ、神様を殺す気だし」

「狙いは俺か! トロネ、他の敵はいるのか!?」

「……うん、20人くらいがホテルを半包囲中。目的はあの白い奴のバックアップだし」

「半包囲……まだ抜け道があるな。ケルビナ、お前はトロネとトリースタを連れて客に紛れながらホテルを出ろ」

「……神様は?」

「俺の足はこのザマだから長くは逃げられねえ。向こうもそれをわかってるから包囲が適当なんだ」

 ユーリーが脇に抱えた松葉杖を指す。先日の墜落で大怪我を負った彼は長時間に動くことができない。

 年長のケルビナは何か言いたげだったが、一個小隊規模の兵士や強化外骨格の怪物相手に素手では相手にならない。
 悔しそうに唇を噛み、すぐ応援を呼んできますと言って3人は裏口へ向かっていった。

「ユーリー、敵の正体はなんだと思う?」

 リュドミラが可愛らしいポーチから軍用拳銃を取り出し、薬室に弾を装填する。

「正規の軍人じゃないぜ、どこかの私兵だ。装備はすげーけどバックアップも作戦もお粗末過ぎる。このタイミングで襲ってきたって事は十中八九、今日の共産党のトップ会談絡みだろうよ。多分いきなり命令されたから、こいつらはこんなに準備不足なんだ」

「せっかくインドのハイヴを落としたのに、今度は同じ人間同士の戦いなんて……」

「その点についちゃ俺達も潔白じゃねえ。ボパールに行くために悪党一人を利用させてもらったんだ。ま、大人しくやられてなんてやらねーよ!」

 二人がいるのはホテルの入口が見下ろせる2階のカフェ、エントランスを抜けたブリトヴァは1階に繋がる大きな木製の階段の下にいる。

 カフェの窓から階下を除くアドニー姉弟の視線と強化外骨格特有の真っ赤な単眼モノアイが交差した。

「ところであいつを倒す作戦を――」

「まずは速攻っ!!」

「えっ!? あっ、ちょ、ちょっと――」

 リュドミラが止める間もなく、ユーリーが階段上からブリトヴァの頭上に立ちはだかった。

「やい、雪ダルマ野郎! 大きな顔もそこまでだ!」

「――――――」

「今からその着ぐるみをぶっ潰して、テメエのケツの穴に指を突っ込んで―――げぇっ!?」

 仁王立ちで中指を突き出したはいいが、ブリトヴァの頭上の装甲がスライドし、ガトリング砲が飛び出してきたのを見て急遽Uターン。

――耳をつんざく轟音。

 四つん這いでゴキブリの如く這い回りながら、オレンジ色の火線に追い回されて再び店に逃げ込む。

 壁を貫通した大口径の弾丸が室内をズタズタにし、ガラス片や木屑が雨のように降り注ぐ中、ユーリーは頭を守って芋虫のように丸まった。

リューッダダダダ!! なんとかしろーーっダダダダダダダダダ!!!」

「馬鹿じゃないの!? 馬鹿でしょ!! ううん、世界で一番の大馬鹿だわ!! ちょっとは考えてから飛び出しなさいよ!」

 コメカミに青筋を立てたリュドミラが素早く立ち上がって、窓から身を乗り出す。
 片目を瞑り、すぐさま狙いをつけMP-443拳銃の引き金を引くと9mm弾がきっちり2発、機銃の銃身に命中した。

「――――――ッ!」

 敵の動きが一瞬だけ止まる。

 試作拠点防衛用強化外骨格ESX-11――通称"ブリトヴァ"の武装は二つしかない。
 頭頂部のガトリング砲。そして最大の特徴である五指から伸びるモノフィラメントワイヤーカッター。
 原子40個程度の幅しかないこのカーボンナノチューブのワイヤーは対小型BETA用に考案され、高周波振動と特殊な磁力場によって地球上の殆どの物質を瞬時に溶かして切断できる。
 だが、使い方を誤れば自機すら真っ二つにしてしまうこの武器の前では、ロケットや榴弾といった爆発物の装備は許されない。加えてワイヤーに引っかからないよう装甲の角さえ丸く落としたこの機体に火器を載せられるのは頭上だけなのだ。

 武装を壊される事を恐れてガトリングがリュドミラへと照準を変えた瞬間、弾幕が収まったのを見計らって二階の窓からユーリーが飛び降りた。

「隙ありぃ!! チェストォオォォーーッ!!」

 全体重を乗せて振り下ろされたアルミ製の松葉杖がガトリングを叩いた。
 ギィンと鈍い音を立てて銃身が歪み、内部を走っていた銃弾が銃身のライフリングを滅茶苦茶に潰す。

「――――――!!」

 折れ曲がった松葉杖を放り投げると、装甲の凹凸に指をかけてブリトヴァの平坦な頭部にしがみついた。
 頭上の敵に対してブリトヴァは両腕を伸ばすが、可動域の狭い太腕では頭上の敵を捕らえるのは困難。

「へへっ、ここならあのとんでもねえ武器も使えねえだろ!」

(開放パネルにさえ手が届けば……!!)

 一方、ユーリーも強化外骨格の背部にあるはずの非常用の搭乗員開放パネルに手を伸ばそうとするが、足が不自由な上、激しく身動きするブリトヴァの上に居てはなかなか手が届かない。

 それでもなんとか体を入れ替え背後に回ってみれば、本来あるべき開放パネルは塗料によって完全に白く塗り込められていた。

「嘘だろっ!?」

 搭乗者を故障から守る最後の安全装置。
 まさかそれを自ら潰しているとは思いもよらず、隙を晒した瞬間にブリトヴァの太い五指が服の裾を摘みあげる。

 そのまま振り回されて、壁に叩きつけられそうになった所をリュドミラの銃弾が救った。

 摘まれていた服の布地が千切れ、ブリトヴァの手を逃れたユーリーは振り上げられた勢いを使って跳躍。両手を2階の窓枠にかけると懸垂の要領で体を持ち上げて、再び2階のカフェに舞い戻った。

「わりぃ、助かった!」
 
「こっちは駄目よ。9mmじゃ狙えそうな場所はないわ。そっちは?」

「開放パネルも駄目だ! あのイカレ野郎、パネルまで塗料で塗りつぶしてやがった」

「どれだけ白色が好きなのよ……打つ手無しってことね」

 松葉杖でガトリングを潰されたブリトヴァはまだ一階から動かない。
 だが、それも長く続かないことは明白だ。

「逃げるしかねーな。周囲の敵の動きはわかるか?」

「ん……数は20のまま。全周を等間隔に包囲。……ごめんなさい、私じゃこの距離の相手の"色"まではわからない」
 
「十分だ。このままホテルの上に逃げる。適当な窓をぶち抜いて路地の方から突破するぞ」

 包囲が完全な円形なら3~4人を倒せば突破できる。
 そもそもこれだけの建物を包囲するのに20人というのは少なすぎる。
 あの白い強化外骨格は脅威だが、それさえどうにかすれば残りの戦力は取るに足らない。

 リュドミラに肩を借りながら、3階への階段を目指そうとしたその時――

「待って! さっきの20人の反応が離れていくわ!」

「お、撤退か? 意外と呆気なかったな」

「違うわ、あの白い奴が何か――」


――ィィィィイイィィィン!!!!


 力強いロケットモーターの音が1階から聞こえ出した。

 直後、足元が大きく揺さぶられる。続いてガラガラと堅い物が崩れる音がして、二人は恐る恐る音源へと視線を向けた。
 吹き飛ぶ床材と基礎部分のコンクリートそして――

「飛び上がって鉄筋の柱と床をぶち抜きやがった……! 無茶苦茶だろ、おい!」

 もうもうたる土煙を上げながら、一階から一直線に床を貫いたブリトヴァが頭だけを出していた。
 純白の機体にはコンクリート内部を支えていた頑丈な鉄筋が絡み付いているが、それを無理矢理に押し広げて上半身を出そうとしている。
 赤いモノアイが二人を捕らえるのと同時、身じろぎした二人の間を銀色のワイヤーが通り過ぎる。

「――――――――」

「ユーリーッ! 逃げるよ!」

 続いて床下から放たれた5本のワイヤーが床板を貫通。店の椅子や花瓶を切断しながら二人に迫る。
 舞い上がる木屑すら切り裂いて迫る死のギロチンに対して、ユーリーとリュドミラは2度3度と転がり、這い蹲ることで難を逃れた。

 しかし敵の攻撃は止まない。
 銀色の線が閃く度に服や靴が削れていき、食器が、スプーンが、キッチンが、そして板金のオーブンまでもが滑らかな切断面を見せる。

「――――ッ! 私の髪ーーっ!! コイツ、許さない!」

 ギリギリの回避によって自慢の長髪を30センチをほど短くしたリュドミラが憤怒の叫びを上げた。

「言ってる場合かよ! それよりもやべーぜ。あいつ、俺達よりも建物を壊す方を狙ってやがる。さっき包囲を緩めたのはそのせいだ! このままじゃホテル丸ごとで押し潰されちまう!」

「えぇーっ! また生き埋め~!?」

「上に逃げるのはもう駄目だ! なんとか脱出するぞ」

 日本などと違い厳格な強度基準など無いアラスカの建物である。
 カフェのある南側の壁や柱を徹底的に壊されたせいで、ホテルは3階以上の部分が徐々に傾きつつあった。
 建築物としてはもはや致命的。このまま放っておいても倒壊は確実である。

 二人は降り注ぐ木屑や土ぼこりに紛れながら、ブリトヴァが完全に2階へ昇りきる前にカフェを飛び出し、正面の大きな階段を転がり落ちるように1階へ降りた。

「正面、4人構えてるわ!」

「――――ッ!」

 そのままエントランスへ向かう二人へ、ホテルを包囲していた部隊からいくつものアサルトライフルの火線が襲う。

「駄目ッ! 狙い撃ちにされる!」

 辛うじて原型を留めていたソファの後ろに隠れるが、重厚なはずのソファは銃弾に削られ木屑を撒き散らしながら徐々に小さくなっていく。
 すでにボロボロだった1階の内装がより一層破壊的に作り変えられた。

「リュー、俺が引き付ける! お前だけでも突破しろ!」

「そんなのイヤよ!」

 身を乗り出して反撃するリュドミラだが、大きく距離をとっているアサルトライフルを相手に、彼女の手にあるハンドガンはあまりにも射程が足りない。
 ろくに狙いもつけられないまますぐに敵の火線が集中し、リュドミラは退避を余儀なくされる。

 そしてすぐ背後からはブリトヴァが近づいてくる気配があった。

「あいつらの狙いは俺だ。白い奴を巻き込んで敵の包囲を崩すから、お前はその間に逃げろ!」

「――ッ!! ダメぇーーッ!!」

 言い放って飛び出そうとするユーリーの腕を、リュドミラが掴んだ。

「リューッ!?」

「駄目だよ! 絶対駄目っ! 何か……まだ何かできるはずだよ!」

 振り払おうとするが、指が折れんばかりに握られたリュドミラの手は離れない。

 AKの弾幕によってソファの最後の木板が砕け散り、身動きの取れないまま体を縮こまらせる姉弟きょうだいに対して、追いついてきたブリトヴァがワイヤーカッターを振りかぶったところでソレは起こった。

 バラバラというヘリコプター特有のローター音と共に突如、上階のガラスが砕け、空から人影が飛び込んでくる。

「―――――――」

 人影はまっすぐブリトヴァの方へ墜落し、手に持った何かをすれ違い様に振るった。

「――……兜割り」

 チィンという金属が震える音の直後、アドニー姉弟の側を飛んでいく白い物体――切断されたと思しきブリトヴァの右腕。

「―――――――」

 片腕となったブリトヴァはすぐさま左腕のワイヤーを展開、闖入者へと向けるが、闖入者は複雑に乱れる5本の銀閃をすり抜けて接近。
 逆袈裟斬り。今度は胴体の最も厚い装甲に浅い亀裂が刻まれた。

 振り返った人相は厳顔の東洋人。ユーリーはその人物に見覚えがあった。

「あんた、――モリ大尉っ!!」

「…………今は少佐だ」

 言うなりモリは自らの獲物を一瞥。
 刃が割れ、刀身が微妙に曲がったソレがもう攻撃に耐えないのだと判断するや、放り捨て腰から新たな武器を抜刀する。

「カタナ……嘘だろっ!? ビームとかじゃねーのかよ!?」

 そう、日本刀だ。
 鋼とスーパーカーボン。硬度では到底及ばないのは勿論、信じられないことにこのサムライは旧世紀の白兵武器でもって戦車装甲並みに分厚いスーパーカーボンを切断したのだ。

 自分達の後方で、断ち切られたブリトヴァの右腕が滑らかな切断面からスパークを起こしている見て、ユーリーは思わず問いただした。

「俺は夢でも見てるのか? カタナなんかでどうやってスーパーカーボンを……!」

「……当然。これは斬るための道具だ」

「いや、でも――」

 物理的に有り得ないだろ、と言おうとしたユーリーとリュドミラの周囲に何本かのロープと共に完全武装の兵士達が降下。
 ユーリー達を中心とした円陣を敷いてその銃口をブリトヴァに向ける。

「こちらаアーチーム、第一保護目標と接触! 中隊は攻撃を開始」

 中隊長らしき兵士の命令と同時、ホテルを半包囲していた敵部隊から俄かに悲鳴が上がった。
 重火器の存在を示す爆発が続き、ホテル直上のヘリからはローター音とモーターガンの銃声が鳴り響く。

бベーチーム、奇襲に成功。戦力は優勢』

『同じく。敵は小隊規模と見られる』

 モリが連れてきた戦力は明らかに襲撃者側を上回っている。
 人数的な差は勿論、アサルトライフル程度の武装しかない襲撃者達に対して火力支援を受けられる有利は圧倒的だった。

 一挙に形勢不利となったブリトヴァの動揺を表すように赤いモノアイがチラリと外を窺い、切断された右腕とそしてモリの方を見た。

「――――――」

「………………」

「――――――」

「………………」

 日本刀とワイヤカッター。
 2人の白兵武器の使い手がもたらす息苦しいまでの沈黙。

「残り17人、15人、12人――敵が撤退を開始したわ」

「――――――――」

 ブリトヴァはまだ少しだけ逡巡していたが、やがてくるりと背を向ける。
 背部のバックパックからから青白い炎が噴出したかと思うと、爆風そのものの噴射を伴いながら一発の砲弾となってエントランスの壁を破った。
 砲弾のように飛び出した強化外骨格に向けてモリが配置した兵達の火線が集中するが、一切の銃弾を弾きながらブリトヴァは空を飛ぶ。

 速度はそれほど速くはなかったが、見る見るうちに高度を上げ、ビルの陰に消えてからそのまま見えなくなってしまった。

「おとといきやがれぇーー!」

 中指を突きたて、さんざん罵りながらユーリーはドサリと腰を落とす。

「痛っ、いちち……ちきしょう、アチコチ痛むぜ。好き勝手暴れまわりやがって」

「――ユーリー……」

「リュー? ――げっ!? 危ねえッ!」

 ポツリと自分の名前を呟かれる。
 安堵で地面にへたり込んでいたところへ、突然拳銃本体を投げつけられた。

「おい、バカリュー! 拳銃を投げ――」

「馬鹿はあなたでしょ! 考え無しに敵の前へ飛び出して! 足の骨にヒビが入ってるのに2階から飛び降りて敵にしがみつくし! あげく俺がひきつけるー、なんて映画みたいに格好つけちゃって……あなたって本当に宇宙一馬鹿な弟だわ!」

 涙ながらにリュドミラが駆け寄ってくる。

――泣かせちまった!

 滅多に見ない姉の涙を見て、怒鳴り返そうとしていた剣幕は一気に萎んだ。
 なんと言い返していいかわからず、ぐるぐると言葉が喉でつっかえるような感覚がした。

「い、いや……それは、ほら。その場のノリ……じゃなくて、緊急避難っていうか、正当防衛っていうか……」

「あなたっていつもそう! 危ない事は私に相談もしないで、なんでも自分で勝手に決めて勝手に飛び出して行っちゃうんだから! 一体何度痛い目を見れば学習するの!」

「わ、悪かったよ……」

 泣いている姉を無碍にする訳にもいかず、肩に手を置いたその時、腹部に猛烈な衝撃が突き刺さった。

「―――ッッッ!? ぐおぇええええっ!?」

 一度ではない。
 胃腸にめり込んだ右拳を引き抜くや、何度も何度も拳を突き上げ――

「ちょ、げふぉっ! これ、ぐぇっ!? シャレになら――ぐぇぇっ!!」

「馬鹿弟! 一生ぐぇぐぇ言っていればいいのよ!」

 内臓が歪まんばかりのボディブローの連打。
 生存本能が両腕で腹部を守らせるが、防御を掻い潜る鋭いパンチに為す術も無く、ドスドスと遠慮呵責無く突き刺さる拳を受け続ける。

「向こう見ず! スケベ男! 甲斐性無し!」

「おごぉっ!? うおおぉっ!!? 」

 いつの間にか銃声は止んでいて、敵の掃討を完了した中隊の面々が周囲に集まり始めていた。
 モリが手早く警護の数人を選抜して、倒壊しかけているホテルの周辺の人間を避難させるべく指示を繰り出す。

「……終わったら声をかけろ。ガスパロフ中将がお前の安否を確認したがっている」

「アホーッ! ポンコツ弟ぉー!」

「ぐぇええっ!!  死ぬ"、死"ん"じまう"……!」

「………………」

 モリの声に気付いた様子も無く殴られ続けるユーリーに対して、この日本人は滅多にしない溜息を吐くのだった。




***1992年8月4日 アフリカ東部 イスラエル共和国租借地 大統領官邸***

 アフリカ東部のソマリア近郊にある政府官邸。
 日没をとっくに過ぎた大統領の執務室の扉を塞ぐSPに身分証明書を押し付けるようにして一人の日本人が部屋に飛び込んだ。

「エシュコル大統領、失礼いたします!」

「タマセ事務次官補、また君か……。何度来ても無駄だよ。我が国はこの件で計画を変える気はない」

――珠瀬玄丞齋
 紺のスーツと英国紳士顔負けの立派な髭。
 すでに50手前ではあるが、遅くに授かった娘の写真を持ち歩く家庭的な日本人男性である。
 と、同時に国連の事務次官補という責任を担う彼は国際政治の場では知らぬ者はいないと断言されるほどの実力派のネゴシエーターであった。

 数々の外交交渉で鍛えた辣腕は今回も振るわれ、大統領の業務が終わる直前の僅かな時間に国連の正式な要請としてアポイントメントをねじ込んできたのだ。
 扉を蹴飛ばしかねない珠瀬の様子に、大統領はうんざりとした表情を隠そうともしなかったが、さすがに国連事務総長のサインの入った面会要請を無下にするわけにはいかない。

「どうかご再考を、大統領! 安保理は……いえ、我々国連は本気ですぞ。あなた方の決定は一国家の独断専行を禁ずるバンクーバー協定に真っ向から違反しています。周辺国家の支援を受けずにほぼ単独でのハイヴ攻略作戦など、集団自殺以外の何者でもない! 言語道断だ!」

 珠瀬が持ち緒込んだのはイスラエルが先日発表したアンバールハイヴ攻略決定の一件だ。
 ボパールハイヴの勝利に世界中が沸いた夜に起こったあの惨劇に、国連の事務次官補である珠瀬は大いに驚いたが、それから一週間足らずで発表されたこの作戦の目標にさらに愕然とさせられる事になった。

 彼らは当初の一度だけ、周辺諸国への参加を呼びかけたがスワラージ作戦直後で国連軍が消耗している中で更なるハイヴ攻略になど乗り出せるわけなど無い。
 結局一国も支援に名乗り出ぬまま、彼らは作戦日程を決定してしまっていた。

「集団自殺、ね。私はそうは思わない。あのボパールハイヴの攻略作戦ではガンダムタイプと呼ばれるソ連の第3世代戦術機は殆ど1機で最下部の反応炉まで到達している。成功例があるのならばそれを前提とした事前の作戦立案と十分な支援によって同じ結果を得ればいいだけの話だ」

 エシュコルの手元には国連が提出したボパール作戦の戦闘詳報がある。

 今回の勝利で一躍有名となった作戦司令官のパートランド中将がハイヴ攻略のきっかけとなったGX-9900の戦果をこれでもかというほど褒めちぎった代物だ。

 珠瀬も当然眼を通していたが、人類初の快挙に沸く国連軍広報部がバーゲンのビラのように各国に配っていた物が、まさかこんな結果を生むとは思いもしなかった。

「国家の命運を賭けたハイヴ攻略作戦の成否をたった一機の戦術機の性能に基いて作戦を行おうというのですか? 国民に対してそれはいささか無責任では?」

「違うな、ミスタータマセ。いくら年寄りの私でもただの軍事兵器に民族の全てを賭けるほど耄碌してはいない。私が信じたのはそれを操る衛士――ユフダ・コーンズ導師・・のお言葉があればこそだよ」

「コーンズ導師!? 失礼ですが、彼はあなた方にとって大切な宗教的指導者では? あなたはそんな人物をハイヴ攻略の最先鋒に衛士として送り込むと?」

――ユフダ・コーンズ

 イスラエル陸軍の開発衛士兼主席エンジニアであり、先日の過激派ムスリムによるジェノサイドを生き残った唯一の高僧である。
 輝かしいほどの経歴と能力を見せ付けるこの衛士は、ユダヤ指導者会議によってイスラエルという国家の中心に据えられた。
 珠瀬の感覚で言えば征夷大将軍のような立場にある人物である。それを戦場の最も生還率の低い任務に送り出そうなどと一体誰が想像できただろうか。

「送り込むも何もこの作戦の立案者は彼だ。前線における師団単位の戦力配分を始め後方の輸送計画まで彼が立てている。これは彼を通して神が我々に与えたもうた救済なのだ」

 チャリ、チャリとエシュコルが胸元から取り出した六芒星のペンダントが音を立てる。

 ダビデの星と呼ばれるユダヤ人のシンボルである。

 彼らの最も偉大な祖先であるダビデ王(David)の名前の最初と最後の文字『D』――転じてギリシャ文字『Δデルタ』二つを組みあ合わせたこのシンボルは、国旗のデザインであると同時に現代では神から与えられた土地を失ったユダヤ人にとっての祈りの象徴だ。
 コーンズの話を始めると共にほとんど無意識にこのペンダントを取り出したエシュコルに珠瀬は危険の狂信の兆候を感じ取った。

「……神、ですか」

「神だよ。君達日本人のような無宗教の民には理解し難い物だと思うが」

「……大統領、私は神を否定しません。あなた達の教えは貧しい人達に希望と規範を与え、富める人々に奉仕の喜びと義務を与えている。しかし――」

 途中から語気を荒げて盲信を諌めようとする珠瀬だったが、その途中で大統領が手を伸ばし珠瀬の言葉を遮る。

「正論を言おうとしているな。だが、やはり君は日本人だ。宗教の本質をまるでわかっていない。神の教えの本質とは救済なのだ。神への奉仕を決心する事で人間は初めて他者を救うようになる。善行<ミッヴァ>を積んだ人間だけが、最後の日に救世主メシアによって救われるからだ。その点は我々以外にもブディズムや十字教も共通している。我々人類は皆ここにはいない存在による救済を求めているのだよ」

「ユフダ・コーンズがその救世主だと?」

「……導師を知らないのなら理解できないのは無理もない。私も初めはそうだった。だが彼に会って、自分がいかに愚かな人間であったか気付かされたのだ」

 珠瀬の言葉にエシュコルはふっ、と溜息を吐き遠くへ視線を向ける。

「このイスラエルという国は常に崖っぷちだ。しかし、私が大統領に就任して10年間、どれだけ頑張っても我が国の状況は良くならなかった。いつだって周囲は敵に囲まれあらゆる手段で我々を脅かそうとする。血と汗を流して築き上げた都市は、同じだけの数が瓦礫へと変わった。そして先日の事件ではついに神の僕である尊師達を野蛮なムスリム共によって惨殺されてしまった。私に指導者として相応しい力が無かったせいだ……」

 イスラエルは独立当初から滅亡の危機に晒され続けてきた。
 この国は第一次世界大戦の折にイギリスへ戦争協力を行い、その見返りとして1948年にパレスチナで建国宣言を行ったが、周辺諸国の意向を無視したこの宣言は必ずしも祝福はされなかった。
 ダヴィド・ベン=グリオン首相によるイスラエル独立宣言がなされた翌日には第一次中東戦争が勃発、BETAによる侵略が開始されるまで合計で4回にわたって周辺のイスラム国家との激戦を戦い抜かなければならなかった。

 こういった怨嗟は共通の敵ができたからといって簡単に無くなる物ではない。
 BETA大戦以降、大規模な衝突は起きてはいないが、原理主義者による両国へのテロと暴力事件は多発している。特に先日の暴徒によるユダヤ教徒へのジェノサイドでエシュコルを含む国民感情は完全に反イスラムへと傾いていた。

「あなたはイスラエルの独立を維持するために、常に政治の陣頭に立ち続けた。工業や科学技術の発展を振興し、外交や軍事力で抑止力を持つことで周辺諸国との紛争を最小限に食い止めてきました。BETA南進の折には実現不可能と言われていたアラブ諸国・イスラエル共同の防衛線を築き上げ、5年も持たないと思われていたアラビア半島を今なお堅持している。そんな事をあなた以外の誰にできたというのですか!」

「そうだな、ミスタータマセ。実際、当時は私の他に適任者はいなかった。しかしこれが普通の人間の限界だ。ムスリム共の本性を見抜けずに協調路線などとってきた自分が恨めしい。時間を戻せるのなら、と何度思ったことか。だが所詮私の懊悩など、コーンズ導師による真の救済の前ではほんの徒労に過ぎなかったというわけだ」

「その徒労によって人類は今も希望を繋いでいるのです! 大統領、どうかご再考を……! 今、イスラエルが無謀な攻勢で戦力を喪失してしまえばアラビア半島の防衛戦は崩壊してしまう!」

 間違いなくアラビア半島は人類にとっての生命線である。
 とりわけ重要なのがイラクやサウジアラビアから湧き出る石油の存在だ。
 人類の経済と工業を回すのに不可欠な石油は全世界の産出量の内69パーセントがこのアラビア半島から採掘されるが、アンバールハイヴが徐々に拡大している現在供給への不安から石油は継続的な値上がりを続けている。

 こんな情勢で中東からの石油供給が途絶えれば、各国は車の燃料は勿論、都市活動に不可欠な電力にすら事欠くことになるだろう。
 加えて先進国の頭を悩ませるのがアラビア半島とアフリカ大陸の間にはスエズ運河の存在だ。人類の大動脈であるこの運河がレーザーの脅威に晒されることになれば、あらゆる物資の輸送コストが跳ね上がり、世界経済に致命的なダメージを与えかねない。

 この砂漠の土地は下手をすれば数倍もの人工密集地帯である欧州や東アジアよりも重要な戦略拠点なのだ。

「ミスタータマセ、国連にとって最悪なのは作戦が成功した場合の方だ。もしも我が国単独で第3世代戦術機によるハイヴ攻略に成功してしまえば、各国軍の戦略的連携を目的としたバンクーバー協定は意味を成さなくなる。第3世代戦術機を保有する先進国は思い思いにハイヴ攻略を始め、君達は大昔の拷問のように繋いでいた鎖で組織をバラバラに千切られてしまうだろう」

「わかっているのなら何故! 成功しても失敗しても、我々は世界人口の半分を喪ってようやく築き上げた国際的な連携を失う事になります! 人類滅亡の引き金になりかねないのですぞ!」

「……いいや、滅亡ではない。これは再生の始まりだ。導師が教えてくれた。これは再生のための破壊だと。彼の新しい世界のために古い時代の遺物は破壊しなければならない。我々を縛り脅かし続けてきたアンバールハイヴ、そこに蔓延るBETA共、バンクーバー協定、国連、ムスリムの異教徒。全て壊れて無くなってしまえばいい。そうすれば――」

 チャリチャリとエシュコフが手元の六芒星をいじる音だけが響く。
 エシュコフがその手を止めてこちらを見上げた瞬間

「――――ッ」

 ゾッと空気が冷え込んだ。
 エシュコルの灰色の瞳の奥に灯った、大切なものを奪われた怒りで燃える炎は珠瀬をしても言葉を失うほどだった。

「――そうすれば新しい世界が始まる。特別な力を持った特別な人間だけが統率する世界だ。もう我々のような旧き人類が起こす過ちに苦しむ者は現れない。私達は本当に救済されるんだ」







 1992年8月7日 0830時
  イスラエル国はバンクーバー協定からの脱退と同時に、同国国防軍による中東のH9目標:通称アンバールハイヴに対して単独でのハイヴ攻略作戦:アリヤモーセ(モーセの救済)作戦の開始を発令。

 その日、人類は今まで築き上げてきた人間同士の絆がどれだけ脆弱だったのかを思い知る事になる。
 そしてまさにこの日から人類にとっての真の暗黒の時代が始まった。
 


***

お世話になっております大蒜です。
前回の更新から一年半も経ってしまいました。
楽しみにしてくださっている皆様に本当に申し訳ないです。
ブラック企業に入ってしまってなかなか書く時間を見つけられませんでした。
長らく書いていなかったので、お眼汚しの文章になってしまっていたらすみません。



[32864] 27、「僕がニュータイプだ」
Name: 大蒜◆9914af20 ID:35aff7a0
Date: 2016/08/13 23:27
27、「僕がニュータイプだ」



***1992年8月4日 19時20分 セラウィク特別区郊外 Г2高速道路***

 結局、セラウィク屈指の高級ホテルであるホテルレニングラードはその日の内に消滅した。
 正確に言えばホテルが倒壊確実となった事を知り、周辺への被害が出ることを憂慮した内務省の判断で爆破解体されたのである。

 再びユーリー達と合流したトリースタやケルビナ/呆然。
 ついさっき前まで飲み食いしていた建物が小さな爆発の後に一瞬で瓦礫の山に成り果てる姿をポカンと口を開けて見送っていた。
 
 その後、装甲車や小隊の護衛を引き連れたガスパロフが現れ、セラウィクの中心街から50キロ程の警備基地に向かう事を告げユーリー達を装甲車に押し込んだ。 

「ひ、ひでぇ目に遭った……。モリ大尉、いや少佐! あいつらは一体なんなんだよ!」

 体の節々を痛めたユーリーが唇を尖らせながら言った。
 とはいえ外見上の悲惨な被害の大部分は自分の姉から受けた物だったが。

 刀を磨いていたモリが手を一瞬だけ止めてユーリーに視線を向ける。

「……お前を殺しにきた刺客だ」

「それは俺でもわかる」

「……そうか」

 ツッコミを意にも介さず、モリは再び刀を磨き始める。
 腕を組み目を瞑っていたガスパロフ/呆れた様子/仕方ない/やれやれといった感じで口を開いた。

「党の汚れ仕事を専門とする猟犬、オプリーチニキだ。しかもあの独特の塗装は東欧の白い切り裂き魔……1年前に訓練中の事故でMIAだったはずが、何故あんな機体に乗っていたのか」

「確かペーパープランまでで実際に開発されなかった機体なんだよな。どうなってんだこの国は……」

「今後君たちには重装の歩兵小隊が護衛につく。近隣にはヘリで展開可能な3個小隊を待機させる予定だ。あの重装甲強化外骨格への対策に対戦車榴弾砲RPGも手配している。今後はお忍びの外出などは控えてくれ」

「これから毎日、汗臭い野郎ども周りをウロウロされなきゃなんないのか……まてよ、巨乳のブロンドを回してくれるなら一日中でも――ひっ!? じょ、冗談。冗談だよリュー」

「ふんっ」

 リュドミラが拳を突き上げるのを見て、反射的に腹部を守ってしまう。
 鼻を鳴らして、あからさまに不機嫌さを見せるリュドミラに対して、ユーリーはしばらくの絶対服従を誓うのであった。

「それよりも、君が襲われた理由についてだ。我々は今後ラブレンチー・ジェニーソヴィチ・ポノマレンコと敵対することになった。彼はほぼ間違いなくシベリアの防衛予算の流出やツァーリボンバの設置に関っているはずだ」

「ポノマレンコ……確か今の共産党のナンバー2だよな。そいつがザンギエフのおっさんの仇ってわけか」

「そうだ。だが解せないのは、何故最初に狙ったのが私ではなく君達だったのかということだ。会議中でもレッドサイクロンが私のサポートにされたときの彼の反応は妙だった」

「うーん、ポノマレンコ、ポノマレンコ……悪いけど心当たりはねーな。リューは?」

 念入りに思い出そうとするが、特に記憶に引っかかることはない。
 隣に座るリュドミラに視線を向けるも、彼女も首を横に振った。

「私もありません。ザンギエフさんが遺してくれたデータには全て目を通しました。機密書類や名簿に戦闘中の動画データ……中身は色々あるけどその人の名前や関係のありそうなデータは見つかりませんでした」

「だが、必ず何かがあるはずだ。あの完璧な男の鉄面皮を揺さぶるほどの重大な何かが」

 ガスパロフは確信を持ってそう告げる。

――シベリアの防衛予算流出に関してその全容はほとんどわかっていない。
 中央最高会議の幹部で10人以上、末端の人間を含めると5万人超が関った横領事件であるのも関らず、未だに被害総額すらわからないのである。
 バーバチカを筆頭とするKGB第1局は他の部署と連携を取りながら横領された金を追っているが、ほとんど全てがシベリア内部で足取りが消えている事がわかったくらいだ。
 ポノマレンコを犯人と断定するに至ったソロボコフ爆殺の件が無ければ、恐らく今でもこれが組織的な犯行だとはわからないままだっただろう。

「我々が狙うべき事柄は3つ。ポノマレンコが金をどうやって集めているのか、集めた金を何に使っているのか、そして何故君達が狙われたのかだ。このどれか一つでも見つける事ができれば、ポノマレンコを追い落とすことができる。逆に見つけない限り――」

「あの白い奴に狙われ続けるって事か! クソッ、俺は忙しいんだぞ。こっちの都合もお構いなしかよ!」

 主力戦術機開発計画に参入する気マンマンだったユーリーが毒づく。
 前線でBETAと戦いながら新型戦術機開発を行うと、自由時間や睡眠時間を著しく削られるということを彼はよく知っていた。

「私はこれからオルタネイティヴ計画選定委員会への交渉や、国防省の掌握を急ぐ。君たち二人はテロを警戒しながら、もう一度ミハイルの残したデータを洗いなおしてくれ」

「情報分析ならアンタの部下やKGBの方が得意だろ? そっちに任せられないのか?」

「レッドサイクロンの生体認証にはAAAクラスの公的プロテクトが設定されている。君たちの機体に収められているデータはKGBの一級秘匿ファイルザブリエートニ・クニーガや内務省の基幹システム並みの信頼性によって、法廷ではポノマレンコも手を出せないほどの証拠能力がある。編集はおろかコピーすら許されない以上、君たちの機体から移すのは法廷に提出する時しかない。着座調整中でも休憩時間中でもいいから時間を見つけて、マメに取り組んでくれたまえ」

「「………………」」

 それは休憩と取るなということじゃないのか。
 姉弟の思いは一致したが、ガスパロフの真剣な様子に、今後の膨大な作業量を想像し嘆息しながら天を仰いだ。


***1992年8月12日 ソマリア 国連軍ガルカイヨ基地 中東連合会議室***


――イスラエル国防軍 H-9アンバールハイヴ攻略作戦
  通名:アリヤモーセ作戦

  戦車機甲4個師団
  国防軍戦術機甲6個連隊(570機)
  陸軍強襲ヘリ2個旅団
  第2砲撃師団、第7砲兵師団14連隊
  参加兵員数21万
  総車両台数2万4千4百台

 かつてエジプトの奴隷であったヘブライ人達のために聖人が紅海を割った逸話が作戦名の由来だが、大仰な名前に反してハイヴ攻略作戦としては史上最小の規模であった。アラビア半島防衛ラインを構成する戦力の4分の1、近々のスワラージ作戦と比べても10分の1以下の規模と言えばその様子がわかるだろうか。

 とはいえ、これはイスラエル国防軍(以下IDF)の正真正銘の全力である。
 特に戦術機に関しては退役していたF-5F《クフィル》から開発実証中の試験機F-16改《ラビ》までかき集めての総力戦であった。

 突入までの前段階として、各地の防衛ラインから集合させた作戦部隊は主力を旧アンマン市街に集結させ、そこからBETA勢力圏内まで砂漠を強行軍で横断。
 ハイヴ到達までの予備段階で消耗した戦力は全体の39%。死傷者は4万人を越え、特にヘリ部隊に至っては2個旅団88機全てが完全に消滅した。

 だが、それほどの甚大な犠牲を支払ってIDFがハイヴに突入させることが出来たのはユフダ・コーンズ大尉が駆る第3世代戦術機を含む17機の戦術機部隊のみ。

 この絶望的な途中経過を聞いた全ての国はイスラエルという国家の消滅を確信する。

 しかし30分後。予想だにしなかった結果が彼らを待っていた。

「――衛星画像でアラビア半島に展開中のBETAの撤退を確認した。信じがたいが……アンバールハイヴは攻略されたようだ」

 緑のターバンを巻いた男――サウジアラビアの情報省長官が憂鬱な様子で手元の報告書を帝政イランの宰相とUAEの長官へと放り投げる。
 米国から供与された衛星情報がもたらす結論は、ほぼ確実と思われたイスラエルの消滅を覆す物だった。

「馬鹿な……! あれっぽっちの戦力でか!? 米国が例のBETA由来の試作爆弾を使ったのではないのか?」

「BETA共の地上構造物は健在だ。至近まで潜入していた工作員からも報告が来ている。G弾はおろか軌道艦隊が支援攻撃を送った様子も一切無い」

 なだめられながらも信じられないといった様子でレポートを睨みつけるが、それで衛星写真に写った地上構造物と撤退中のBETAが消えるわけではない。

「やはり新型……第3世代戦術機の力か。ボパールに続きこの戦果。本当にほぼ単機でハイヴ攻略を行える性能があるのだな」

「どうする。我々は今回1兵も出さなかった。独力で領土を奪い返したユダヤ共はまたこちらを挑発してくるぞ」

 深刻な様子で、UAEの長官が首を振る。
 イスラエルの厳しい要求は勿論、指を咥えてハイヴ攻略を見過ごした以上、自国世論の追求も考えなければならない。
 他の大国ならばいざ知らず、宿敵であるイスラエルが単独で半島を奪回したとなれば国民の糾弾はどれほどになるのか想像もつかない。

「エシュコルはどう言っている。ユダヤが悪魔のような奴ばかりなのはいつものことだが、奴だけは政治家として期待できる」
 
「駄目だ。先日のジェノサイド以来、まったく聞く耳を持ってくれん。仲介を頼んだ国連のタマセもお手上げだ」

 エシュコル大統領と折衝を行った国連の担当者――珠瀬玄丞齋。
 UAE、サウジアラビア、帝政イラン。ここにいるアラブ三国の長官が少なからず関っている調停のスペシャリストである。
 彼の手腕に少なからず和解を期待していただけあって、三国の落胆は大きい。

「タマセでも駄目なのか……。奴め、本気で我々と袂を分かつ気か? ラビを殺されて正気を失ったという話は真実のようだな」

「あの事件……とにかくタイミングが悪かった。租借地の境界でデモをするだけのゴミ共がどこで武器を手に入れて、どうやってラビ共の祝宴に雪崩れ込んだのやら」

「なんにせよ、譲歩は免れない。奪回した土地からシナイ、ガザ、ゴラン……間違いなく全て要求に入ってくる」

「待て、――待て! ガザはおろかゴランやシナイだと!? それはさすがに皇帝シャーがお許しにならない! 我々だってボパールでは多くの血を流したのだ。何故奴らに同胞の領土を譲らねばならん!」

 血相を変えた帝政イランの宰相が声をあげる。
 あげられた地名はどこもBETA大戦以前の中東戦争でイスラエルと争った土地だ。歴史的な因縁もあるが、放棄されたアラビア半島の中でもBETAの被害が少ない南側にあるため、戦後の復興が期待されている経済的要衝でもある。

「そうだ。我々はバンクーバー協定と国連の戦略に則ってインド大陸の奪還に貢献した。アラビア半島の領土権利は当然、我々にもある」

「しかし国連もそうだが、米国の仲裁もアテにならん。アリアモーセ作戦に賛成していただけで胡散臭いが、そもそも奴らはただ石油が欲しいのだ。この機に一気に備蓄量を増やそうという魂胆に違いない」

「しかし米国はうまく話を呑ませれば――」

「いや――だが――」

 その後も中東連合の三人は米国やEU、ソ連の反応などを交換したが、状況好転のための情報は出てこない。

「………………」

「………………」

「………………」

 長い沈黙の後、サウジアラビアの長官が口を開いた。

「この場ではどうにもならないな。全てはエシュコルが条件を出してから、というところか。場合によっては我々がイスラエルの野望を阻止する必要がある」

「第5次中東戦争……再び対人類戦争を我々の手で行わなければならないとは。とはいえ、あの国相手なら罪悪感など欠片も沸かないが」

「米国や国連の介入だけは防がなければならん。手持ちの戦力だけですぐに片付けなければならんぞ」

「構うまい。打撃艦隊が一個あれば、ハイヴ攻略で消耗しきったIDFを叩くには多すぎるくらいだ。それに歩兵やら戦車やらまで全滅させる必要もない。戦術機戦力さえ潰してしまえば奴らは領土をBETAから守れなくなる。……そういえば、3日前だったか。うちの若手の将校から対イスラエルの強襲作戦案が出ていたな。その時は血気に逸った若者の戯言だと思っていたが……」

「ほう、聞かせてくれるか」

「そうだな、たしか――」

 始めはシミュレーションだったイスラエル侵攻が徐々に現実味を帯びていく。
 攻撃時期、戦力規模、命令系統、交戦規定など。BETAの襲来から20年以来、錆び付いていた復讐と怨嗟の歯車が急速にその回転を上げていく。

 H-13ボパールとH-9アンバールの両ハイヴ攻略が引き金となり、ついにBETA出現以来初の国家間戦争が産声を上げた。




*** 1992年8月14日14時20分 イスラエル国旧首都テルアビブ ש1国防軍港湾基地***


心に秘めて今もなお、ユダヤの魂が呼んで、
そして東方の岸へ、前へ、
目がシオンを目差している限りある
我々の、希望はまだ失われていない、
その2000歳の希望とは、
自由なる民として生きること、
シオンの地、エルサレムの地において
シオンの地、エルサレムの地において


――テルアビブ
 イスラエルのかつての首都であり、1909年にシオニズムの絶頂を極めたユダヤ人によって築かれた中東有数の巨大な港湾都市である。
 アンバールハイヴ建設によって、純粋な意味での住民はすでにソマリアへ疎開してしまっているが、港湾・空港や高速道路などのインフラは健在で、アラビア戦線における対BETA戦線への補給基地としてその姿を作り変えていた。

 夏真っ盛りの晴天。地中海は青く輝き、白亜の都市は蜃気楼によって揺らめいている。
 テルアビブの港湾には、アンバール州からハイヴ攻略を成し遂げたIDF軍車両が続々と帰還していた。総数は出撃時の6割ほどにまで落ち込むほどだったが、兵士の表情は皆一様に明るい。
 真夏の強烈な日射と43度を超える気温によって今も体力と水分を失いつつも、暑さに負けじと延々とハティクヴァ――希望を意味する国歌を歌いながら。

 アリヤモーセ作戦の要諦としては先のスワラージ作戦における第3世代戦術機による一点突破の再現でしかない。
 しかしイスラエルは圧倒的に少ない戦力と時間でこれをやり遂げた。インドで行われたスワラージ作戦の結果を辛勝とするなら、アリヤ・モーセ作戦は圧勝と言ってもいい結果だ。

 空前の戦果を挙げてIDFの士気は頂点に達していた。

「ハーッ! レーッ!ルーヤッ! お前ら、突入部隊のご帰還だ!」

「たいしたもんだぜカナフ大隊! あんたの部隊、たった17機でハイヴに突入してBETA共を追い出しちまうんだからよ!」

 歓声に包まれて自走整備支援担架に乗せられて搬入されてきたシナイグレーの機体――F-16改《ラビ》。
 車両から降り立った長身の女性衛士――ハイヴ突入大隊の隊長であるカナフ01の背中を駆け寄ってきた補給修理の責任者らしき髭面の男がバシバシと叩いた。

 イスラエルという国家と民族すべての戦力を結集して、たった17機の戦術機部隊しかハイブに送り込めなかった激しい戦い。
 誰もが疲労と不安で絶望に塗りつぶされていた所を、ユフダ・コーンズ率いるこの部隊は突入からたった30分でハイブの反応炉を攻略し、20万以上と言われるアンバールハイヴのBETAを追い払ってしまった。
 ハイヴ攻略による領土の奪還は全人類の悲願だったが、いっそあっけない程の結末にハイヴ内にいてBETAの撤退を目撃していないカナフ大隊の衛士達の方がついていけていなかったほどだ。

「全て導師のお導きです。結局、我々はハイヴまでの露払い程度しかできませんでしたから」

「外の部隊もそうだぜ。結局、戦場全体が導師が連れてきた戦術予報士とかいう奴らの指示で動いていただけだ。中学を出たぐらいの子供に見えたが……判断は恐ろしく的確で早かったよ」

 髭面の男が指揮所の方へ畏怖と困惑の入り混じった視線を向けた。

 戦術予報士――IDFで新設された参謀と統計学者を合わせたような能力をもった役職の軍人である。
 戦場で発生するあらゆる事象を統計学的に解析し、最適な戦術を現場に提案する――言葉にすれば簡単だが、とても普通の頭脳で務まるような仕事ではない。
 そんな不完全なシステムを初の実戦、それも全軍を挙げての大作戦でこなしてしまうのだからもはや異常事態だ。

「我々カナフ大隊もアンマンからの戦闘で彼らの指揮を受けました。若いはずですよ。あれは元々コーンズ導師の教え子らしいです」

「導師もまだ20歳前だ。つーことはこのアリヤモーセ作戦は全部、10代のやつらの仕切りで取り回したってことか。もはや天才なんて言葉じゃ説明がつかないな」

 髭面の男は40歳過ぎ、カナフ01の女性衛士も30歳である。
 どちらも人生のほとんどをBETA戦争に捧げてきたが、負け続けだった戦況を自分の半分しか生きていないような子供に簡単に覆されてしまった事に複雑な思いがあった。

「そういえば米国の生物学会からという触れ込みでBETA大戦によって人類が進化しているって説を聞いたことがあります。あのV作戦発案の日本人も当時は10代だったとか。この間のボパールハイヴ攻略をしたロシア人なんて8歳から戦場に出て戦術機に乗っていたなんてヨタ話もありますし……」

「そのヨタ話なら俺も聞いたことがある。異星間戦争に適応した新種の人類だって話だ。実際に第3世代戦術機開発を主導した9人は国籍も性別もバラバラだが、全員BETA大戦勃発以降の生まれなのは間違いないそうだ。そいつらみたいな賢い奴がきっと、俺らに業を煮やして自分たちだけで集まってBETAと戦うと決めたんだろうな」

「新種の人類、ですか……操縦技術といい、飛び抜けた知能といい、本当にそれ以外に説明がつきませんね。どちらにせよ、神は我々旧き人類ではBETAに勝てないと仰っているのでしょう」

「神か……――おっと、おいでなすったな」

 髭面の整備主任が顔を上げると同時。周囲の整備士が作業を止めて、再び大きな歓声を上げた。
 歓声は1台の自走整備支援担架に向けられており、カナフ大隊のF-16に続いてスカイブルーとアッシュホライトで塗装された一際ヒロイックな印象の戦術機が戦術機ハンガーに運び込まれた。
 ジャッキが機体を持ち上げ、大型のガントリークレーンがエンジン音を響かせて武装や腕部を固定しながら、キャットウォークを管制ユニット傍まで持ち上げる。
 固定化が済み、その威容が露わになるとどこからともなく拍手が起こった。

「おお、これが……我らの救世主≪メシア≫!」

――イスラエル製第三世代戦術機 CBY-001
 試作機であるため型番以外の正式な機体名称は発表されていないが、コーンズが設計図のメモ書きに残した単語から開発周りの人間からはガンダムアストレアなどとも呼ばれている。

 核融合炉と熱粒子兵器、チタン・セラミック複合素材。同系機が世界で9機だけ生産されているが、中でもこの機体は電装・アビオニクスを専門とするコーンズが機体の基幹OSを更新し続けているため、他国と比べてソフトウェア面での完成度は随一であった。
 実際、ハイヴ内ではコーンズが戦術機17機分の音響反射情報を統合して反応路までの攻略ルートを算出するなど、それまでの機体では考えられない成果を上げている。

 彼らにとっては神が遣わした聖遺物にも等しい兵器。
 拍手はなかなか鳴りやまず、手を叩きながら涙を流すくらいはいいほうで、感極まって嗚咽を漏らす者もでてきた。

 それにしても、中からユフダ・コーンズが出てこない。
 カナフ01が疑問に思ったが、まさか管制ユニットをノックするわけにもいかない。

「主任殿ぉーー!」

 詰め所からFAX用紙らしき物を持ち出した若い整備士が慌てた様子で髭面の男まで走り寄った。

「主任殿! これを……!」

「何を――なんだとっ!!」

 意気顕揚に機体の搬入を見ていた髭面の整備主任だったが、彼の部下が持ってきた書類を見て、突然驚声を上げた。

「……どうしました?」

「たった今更新された整備計画表だ! てっきりこの後は全機体オーバーホールだと思ってたんだが、機体優先順位付きで戦闘補給コンバットサプライの命令になっているぞ!」

「なんですって……!? 間違いでしょう? だってもうこのアラビア半島にBETAはいないんですよ!」

 戦闘補給とは、平時の整備とは違って防衛戦闘中などに行われる緊急の修理や補給の指示である。
 作戦行動中の再出撃なので、サイクルを短縮するために極々短い時間で行われる必要があり、整備士は死に物狂いで作業を行う必要がある。

「わからん! でも、命令は命令だ! カナフ01、あんたもすぐに管制ユニットに戻ってくれ。部品疲労度確認なんてやってられん。各部ブロックごと付け替える!」

 整備主任は何人かの作業をしていた整備士の名前を叫ぶを、彼らに向けて片腕を大きく回すジェスチャーを見せた。
 ジェスチャーを見せられた整備士達はびっくりしたような表情を見せながらも、頷いて周辺の整備士に指示を指示を出していく。
 資材集積エリアの奥からフォークリフトが3台がかりで跳躍ユニットが運ぶなど、にわかにハンガー内が騒がしくなり始める。

「とにかく急げっ! 各機体の割当ては担当者に任せる!」

 先ほどまでの弛緩したお祭りムードから、格納庫は一挙に蜂の巣をつついたような大騒ぎに発展した。
 何故戦闘補給なのか、何が起こるのか。疑問を持ちながらも、理不尽な命令を受けることに慣れた軍人である彼らは奔走する。
 唯一事情を知るであろうコーンズは、未だに姿を現さない。

 カナフ01がキャットウォークを駆け上がり、管制ユニットに飛び乗った。
 着座調整の時間もそこそこに、機付きの整備士と連絡を取りながら跳躍ユニットの連結解除操作を行う。

『IDF総司令部よりハイヴ攻略遠征部隊の全兵員へ。傾注っ!! これは本国よりIDF全軍への通達である!』

「なんだっ! この忙しい時に……!!」

 オープンチャンネルによる全軍通信だった。
 驚きながらもただ事ではない様子に、カナフ01は網膜投射ウィンドウに通信を映す。

『アンバールハイヴ制圧に伴って我が国が行っている外交交渉・・・・について、先ほどイラン帝国、サウジ、UAEの3国から我が国に対して以下の返答があった。彼らの要求は4つである。一つ、イスラエルが奪還したアラビア半島におけるゴラン、シナイ半島を含む領土係争地の権利放棄。一つ、イスラエル国から中東連合への第3世代戦術機の製造技術公開と実機の提供。一つ、周辺国家への攻撃的な言動を繰り返すエシュコル大統領の退任。一つ、悪戯に世論を煽り、宗教紛争を誘導するユフダ・コーンズ導師の身柄引き渡し。以上の要求を即時受け入れない場合、3国はイスラエルに対して宣戦を布告する、と』

「な――っ!?」

 横暴、と言ってもいい内容にカナフ01は、そして基地内にいたすべての兵士は息をするのも忘れるほど驚愕した。
 イラン帝国、サウジアラビア王国、そしてアラブ首長国連邦。
 いずれもイスラエルにとっては建国以来の仇敵であり、同時に中東連合の中核を担う存在としてBETAと共闘してきた最も身近な同盟国でもあった。
 カナフ大隊も戦場では何度も3国の衛士と肩を並べたことがある。宗教的な軋轢こそあったものの、曲がりなりにも同じ人類の同胞として認めつつあった彼らが、よりにもよってハイヴを攻略したこのタイミングで宣戦布告。

『現在、大統領府では対応を協議中だが、当然この一つとて我々は受け入れることはない。中東連合とは事実上開戦する事になる』

 裏切られたという怒りと、祖国の前途を憂う絶望でカナフ01は目の前が真っ暗になる思いだった。
 現在、IDFのほとんどすべての兵器がハイヴ攻略遠征軍としてこのテルアビブにある。だがハイヴ攻略によって猛烈に損耗したためすぐに動かせる部隊はほとんどない。
 よしんば出撃可能な戦力で敵に応戦できたとしても、完勝に近い戦果でなければBETAに対する防衛力を喪失する。いくら人類に勝ってもBETAから領土を守れなければ意味がないのだ。

「異教徒め……! ハイヴ攻略に戦力を出さないばかりか、弱った我らに卑怯打ちとは!」

『現在テルアビブ沿岸より西南西の方角から所属不明の洋上艦隊が接近している! 詳細は不明。イラン帝国を中心とした合同艦隊とみられる。全軍は即時戦闘態勢に移行せよ! これは訓練ではない! 繰り返す、全軍は即時戦闘態勢に移行せよ!』



***同日 14時45分 ש1国防軍港湾基地 CBY-000管制ユニット内部 ***


「改サーム級重巡洋フリゲート艦が3隻、ミサイル艇20隻、車両輸送強襲艦6隻、戦術機揚陸艦が8隻96機、中身はF-15C《イーグル》とF-14D《トムカyット》か。なんだ、つまらない。宣戦布告の時刻も侵攻戦力も僕のお膳立て通りとは。全部他人の手の上で踊っているとも知らずに馬鹿な奴らだ」

 管制ユニット内で酷薄な笑みを浮かべる衛士――ユフダ・コーンズが戦域データの表示を次々と閲覧している。
 コーンズの網膜に直接投影されるモニターは戦術データリンクによって共有されているものだが、この機体に入る情報は他のソレとは少々勝手が違っていた。
 青い友軍フリップは海上にあり、赤の敵対フリップの全てがこのテルアビブの港湾にマークされている。コーンズは中東連合側のデータリンク情報を手に入れていた。

「作戦概要……フリゲートと強襲揚陸艦を分散配置。艦艇を囮にした、戦術機8個中隊による集中侵攻。最優先目標はIDFの戦術機のせん滅と僕の殺害か。敵の現在位置、作戦推移表。すべて戦術予報士に送信する」

 イラン帝国の最重要機密である艦隊司令部のプロテクトをあっさり破ると、艦隊旗艦である改サーム級重フリゲート「アルヴァンド」からいとも容易く作戦プランと戦域データを抜き出して自軍の司令部に送り出す。これだけの情報でも彼が鍛えた戦術予報士達は完全な作戦案を出すことができるだろう。

 そのまま、通信暗号や進路予想図など迎撃に必要なめぼしいデータを手に入れる。ほとんどが戦闘中の片手間でも解析できそうな詰まらない物ばかりだったが、一つだけ、中東連合の戦術機部隊の中でユフダ・コーンズ殺害を担当するイラン帝国皇室親衛隊第1戦術機中隊――鋭爪を意味するザフィーラという部隊のデータで目が止まった。

「最新型のF-14D《トムキャット》で構成された精鋭部隊か。ふぅん。この装備……ずいぶん奮発したようじゃないか。せっかく僕のために用意してくれたんだ。これなら遊んであげてもいいかな。――HQ、迎撃準備の状況を報告しろ」

『はい、メサイア01。現在、稼働可能な機体は33機、敵艦隊の戦域到着予想時間までに出撃可能な戦術機は45機。その後20分以内に更に25機が出撃可能となる予定です』

 アリヤモーセ作戦に参加したIDF戦術機の総数は570機。
 そのうち、231機をハイヴ攻略のための戦闘で失い、28機を修理不可能としてアンバール周辺で廃棄した。テルアビブまで輸送した残り311機の内、簡単な修理で出撃できるのが上の機数である。
 当然どの機体もベストコンディションではなく、同数の敵戦術機部隊との戦闘でさえも苦戦は免れない。

「その他の戦力はどうか」

『第4戦車機甲師団がすでに沿岸に展開を完了しています。第1から第3戦車機甲師団及び歩兵部隊はネタニア方面で輸送艦搬入中のため戦闘に間に合いません。海軍はテルアビブ付近の艦隊に急行を指示しましたが、到着まで3時間以上かかる見込みです』

 こちらの援軍は無し。全て予定通り、か。
 オペレーターに聞こえぬ声でコーンズが呟いた。

「敵艦隊の接近は待たない。すぐに出るぞ。今動ける機体全てを追随させろ。残りは沿岸で戦車機甲師団と連携しながら阻止戦闘だ」

『了解。各部隊に通達します』

 ハンガー内でサイレンが鳴り響き、アストレアや周辺の戦術機を取り囲んでいたクレーンやケーブルが解除される。
 周囲にいた整備士達は、出撃まで時間を残していたはずの戦術機たちが突然歩き出した事で、ほとんどパニックになりながら踏みつぶされまいと進路から離れていく。

「――ユフダ・コーンズ、出撃する」

 コーンズの出撃を皮切りに周囲のハンガーから続々とF-16やF-5F《クフィル》などの修理が終わった機体が飛び立った。
 
 出撃できた機体はF-16《ファルコン》が11機とF-5F《クフィル》が22機。
 真夏の猛烈な日射を受ける地中海に、一直線に並ぶ混成戦術機部隊の影が映る。
 可能な限り燃費のいい速度を保ちながら、数十分。それでも敵艦を捉える頃にはすべての機体が50%以上の推進剤を消耗していた。

『航空レーダーに東北東方面に感あり。34機……イスラエルの戦術機部隊と見られます!』

 コーンズの元に中東連合側のデータリンクを通じてイラン帝国の旗艦オペレーターの音声が流れてきた。

『陸地まで往復できる距離じゃない……! 奴ら、死兵を繰り出してきたか!』

「フッ、違うね。死兵になったのは君達の方だ」

 中東連合艦隊が連れてきた戦術機揚陸艦。
 世界中、どこにでもある中型のタンカーなどを改造した物だが、航空機母艦などよりはるかに安価に戦術機を輸送することができる。
 VTOL(垂直離着陸)が可能な戦術機はカタパルトを必要とせず、また作戦後はそのまま上陸し、地上部隊と合流する事が多い等の理由から船内の整備・補給施設は最低限で十分だった。
 だからその性質は航空機が使う空母とは似ているようで違う。
 陸上に建設した戦術機ハンガー違い、整備用の重機が動き回れるようなスペースは無いし、出入庫の度に固定具を伸縮し、移動させなければならない。
 出撃させる機能はともかく、戦術機を受け入れる機能が弱いのだ。
 
 だから戦術機揚陸艦から発艦した機体は一度燃料弾薬を消費すると、母艦で補給を受けて再出撃するまでかなりの時間を要する。当然、その間揚陸艦は無防備になってしまう。
 連合艦隊は接近するIDFの戦術機部隊に対して、あまり多くの機体を出撃してしまうと損害がなくても一時的に戦力低下してしまう。その状態でIDF第2陣の襲撃を受ければ揚陸艦などひとたまりもない。

『先頭の機体――速い! F-16《ファルコン》ではありません!』

『例の新型だ! 親衛隊を全機出せ! 他は3個中隊を発進させろ! 同数で対応、揚陸艦に近づけるな!』

 旗艦司令部の通信を聞き、すべて自分の想定通りである事を確認したコーンズは、今度は味方の戦術機に通信を繋いだ。

「こちらメサイア01。全機、傾注せよ。これより敵艦隊からF-14D《トムキャット》の中隊とF-15C《イーグル》が3個中隊こちらにやってくる。F-14D《トムキャット》はすべて僕がやる。命を捨てて敵のF-15《イーグル》を阻め」

「「「了解!」」」

 安価な軽戦術機であるF-16と第1世代機のF-5F《クフィル》の混成部隊であるIDFの部隊に対して、敵は第2世代機傑作と呼ばれるF-15Cによる完全編成大隊である。
 同数で勝ち目などあるはずがないため、コーンズは即座に彼らを使い捨てる命令を下し、イスラエルの衛士達は躊躇なく了解した。元より、帰還用の推進剤が足りないと分かっている以上命を捨てることは覚悟している。

「メサイア01!? そちらに超高速で飛翔する物体が接近! これは――!!」
 
 カナフ01が叫び、水平線の彼方で何かが光った――と思った次の瞬間、何かが音速の3倍近い速度で迫ってきた。
 目で追えない程の速度で迫るソレは素早く機体を仰け反らせたアストレアの頭上を通り過ぎると、背後を飛んでいたF-16《ファルコン》を直撃、撃墜。

 IDFの衛士達は何が起こったかもわからないまま、火の玉となり地中海へ沈んでいくF-16を呆然と見送ることしかできなかった。

『ジュー(ユダヤ人の蔑称)共! 我ら皇帝陛下の鋭爪ザフィーラにより、己の傲慢の報いを受けるがいい!』

 侮蔑の叫びとともに、水平線の向こうから12機のF-14D《トムキャット》の編隊が現れる。
 海上には不似合いな砂漠迷彩の機体。その肩部アタッチメントを見て、先の攻撃の正体を悟った。

「なるほど、これが君たちの切り札……」

「AAM――空対空ミサイルだと!!」

 F-14D《トムキャット》は肩部分には本来あるはずのフェニックスミサイルではなく、AIM-9サイドワインダー短距離空対空ミサイルを6発装備していた。
 弾頭におよそ60キロの炸薬を備えた本体は、F-14《トムキャット》から放たれると個体燃料ロケットによって約2秒でマッハ2.8まで加速し、赤外線センサによって誘導しロックオン対象まで9メートルの有効距離で起爆する。
 超音速戦闘機ですら確実に捉え、破壊する性能を備えたこの兵器は戦術機にとって回避不能の必殺武器となりうる威力があった。

「クソッ……我々では無駄死にするだけだ! メサイア01の指示通り、F-15へ向かうぞ! ……導師、どうかご武運を」

 再び、サイドワインダーにロックオンされる前に、カナフ01を含む戦術機部隊が次々と進路をそれていく。
 ザフィーラ中隊がそれを追う気配はない。最初から、彼らの獲物はただ一機だけだ。

「前線国家の財政状況でこれだけ空対空ミサイルを用意してくるとは、まったくご苦労な事だよ。どうせ米国のお膳立てだろうけど、そのために君たちはどれだけの物を手放したのかな」

 光線級の出現によって航空戦闘機が駆逐されたこの世界では、空対空兵器の需要は極々少ない。
 積極的に開発できるのは米国くらいの物で、公式には輸出制限がかかっているサイドワインダーを手に入れるなど至難の業に違いない。

『ザフィーラ05、09! 小隊を率いて攻撃を開始! 新型の性能は未知数だ! C小隊は減速、突破に備えろ!』

「僕にとっても珍しい玩具だ。せいぜい楽しませてもらうよ」

〔ロックオン警告!〕

『A小隊、B小隊! フォックス1! フォックス1!』

 管制ユニットで酷薄な笑みを浮かべるコーンズ。
 ほどなく、管制ユニット内部でロックオン警告が鳴り響き、猛火の猟犬とでもいうべき16基のサイドワインダーが解き放たれた。
 F-14D《トムキャット》のアタッチメントを離れた弾頭は数メートルの落下の後、ロケットモーターを点火。やや蛇行した白煙を引きながら、名前の通りガラガラヘビの強襲のごとく刹那の間に音速の壁を破らせる。

「――――ッ」

 コーンズは脚部が海面を掠めるぎりぎりまで高度を落とし、迫るミサイル群に向かって36mm弾をばら撒く。
 一見すると雑にばら撒いたように見えたが、しかし次々と36mm劣化ウラン弾はマッハ2を超えた弾頭を捉えていった。

――敵弾残り15

――14

――13

『無駄だ! いくら新型でも一気に16発も落とせるわけがない!』

――12

――11
 
――10

 サイドワインダーが残りが10発――接触まで1秒を切った。

「ビーム兵器とはこう使うのさ!」

 コーンズは左腕に構えたビームライフルのトリガーを握りながら、0,5秒の照射時間でミサイルの弾幕へ無造作に一閃。
 ビームの弾丸はいずれのミサイルにもF-14D《トムキャット》にも命中せず空を切るだけだったが、その熱量によって膨大な赤外線を周囲に放つ。
 冷却フィルターを超えた赤外線をカメラに受けて、有効範囲内にターゲットを捉えたと誤認したサイドワンダーが次々と信管を作動/爆発。

『サイドワインダーが! 一体何が起こったんだ!』

『あり得ない……!』

 必中必殺であるはずの武器を防がれたザフィーラ中隊の反応は奇しくも、先のIDFの衛士達と同じ。
 自分たちにとって未知の物を目の当たりにして、認識が追い付かない。

 だが、先と違うのはお互いにすでに接近しすぎていた事で、その隙が命取りになったことだった。

『――ッ!! 呆けるな! 敵はすぐに白兵距離に……!』

 蒼穹と蒼海の戦場に再び、紅の閃光がった。
 今度の閃光は真っすぐに進み、直線上にいたF-14《トムキャット》の2機を貫いてそのまま空へ昇る。

『10、11が撃墜! 敵のビーム兵器です!』

『白兵戦用意! 小隊、突撃アーティダー!!』

 接近していた8機の内、2機が撃墜されたと知るや、2個小隊だった編成を2機編成エレメント3分隊の編成にシフト。
 最も近かったB小隊の2機が77式近接長刀を抜刀。噴射降下ブーストダイブでアストレアに向けて襲い掛かった。

『我らの連撃を躱せるか、新型ァ!!』

 鋭いフェイントを織り交ぜながらの左右を襲う平面機動挟撃《フラットシザース》。
 AH対人類戦闘にも習熟したその動きに、コーンズはそれまで見せなかった兵器――ビームサーベルを引き抜いた。

 右側から迫ったザフィーラ05、逆袈裟に切り上げた長刀を右腕の装甲で受け止められる。77式近接長刀の重量を生かした攻撃は、鉄筋コンクリート建造のビルですら容易に両断せしめるはずだったが、チタン・セラミック複合材は大きめのヒビを作っただけでその衝撃に耐え抜いてしまった。
 
 一方左側から迫ったザフィーラ08には思いもよらない結末が待っていた。急降下によって速度の乗ったF-14D《トムキャット》による完璧なタイミングの振り下ろし。
 熟練の一刀がコーンズの無造作に振るわれたビームサーベルと交差する。圧倒的な熱量を持ったメガ粒子の刀剣は金属皮膜とカーボンナノ構造による近接長刀をいとも容易く斬り飛ばす――だけに留まらなかった。
 近接長刀を貫通したビームはそのままF-14本体胴部を切断。更にはそのまま真横に振るわれ、右腕に長刀を叩きつけていたザフィーラ05の機体と接触。まさか近接長刀はおろか僚機ごと一緒くたに切られると思わず、ザフィーラ05は禄に回避もできないまま肩部分から管制ユニットに至るまで切り裂かれた。

 またしても、1撃で2機の撃墜。
 倒した相手2人分の断末魔の思念を感じ取り、コーンズはいびつに口許を歪める。

 さらなる悦楽を得るために、今度は上空で制圧射撃を目論んでいるザフィーラの4機を睨んだ。

「データリンクを解析……イラン帝国改サーム級旗艦アルヴァンド、第155-Cセキュリティで変更無し……全艦隊を掌握。サウジアラビアミサイル艇、国連軍第2軍C224種セキュリティ、解除実行。さあ、これが君たちにとって最後のチャンスだぞ。足掻くといい。このまま何もできずに死ぬか――それとも僕を楽しませて死ぬか」

 勝利を確信したコーンズ。

 敵の隊長機らしき機体を含む小隊が半壊した2個小隊と合流して8機となる。F-14D《トムキャット》は可変式翼の跳躍ユニットを駆使しながら、猛烈な36mmのウラン雨をアストレアに浴びせかける。
 最初の何発かが海面を叩き、ついに機体を捉えようとする直前、アストレアの熱核ジェットエンジンに吸い込まれた空気がプロペラント溶媒と混合されながら核融合炉の超高温によって一気に膨張。プラズマジェットとなって海面を蒸発させる猛烈な青い炎を吹き出す。
 コーンズの強化装備が強力に体を締め付け、予想されるGに備えた。

『来るぞ……!!』

――ザフィーラとアストレアの高度差は140メートル。
 戦術機同士の戦いであれば、与えられるはずの一拍の猶予がこの戦いでは与えられなかった。
 
 ドンッという重い音とともに海面を爆発させてアストレアは一気に空へと駆ける。所々で被弾する敵の36mm弾と猛烈な加速が激しい振動を生み、アストレアのCPUですら補正できない程銃口をぶれさせる。
 酷薄な笑みを浮かべながら、コーンズは火器管制をマニュアル制御に切り替え。左腕からビームライフルを、右腕のチェーンガンの36mm劣化ウラン弾を吐き出しながら、F-14D《トムキャット》4機に肉薄し、そのまま後方へと抜き去った。

『こちらザフィーラ09!! 私と12は損傷軽微! 06は跳躍ユニットをやられました! 07は脚部被弾、推進剤に引火! 火災が発生しています!』

『06と07はペイルアウト! 救助を待て! 残りは反転、新型を追うぞ! 旗艦《アルヴァンド》とサイドワインダーで挟み撃ちにする! 敵の装甲硬度と攻撃力は馬鹿げているが最高速度と運動性能はF-14D《トムキャット》でも追随できる!』

 ザフィーラ中隊を抜き去ったコーンズは追撃することなく、一直線に艦隊旗艦の方へ向かう。
 F-14D《トムキャット》は主機であるFE110-GE-400から青白く光るアフターバーナーの炎を吐き出しながら、機体限界速度でもってコーンズを追いかける。 

『こちらザフィーラ01。目標は旗艦へ向けて接近中、そちらの火器管制を寄越してくれ! 対空砲火と連携し、今度こそコイツを落とす!』

『こちら旗艦アルヴァンド。了解。艦砲及びCIWS《シウス》の火器管制を共通データリンクへ接続。いつでもいけます』

〔ロックオン警告!〕

『意地汚いジュー共の新型め! これで、落ちろぉぉぉぉっ!!』

 ザフィーラ中隊に残された最後のサイドワインダー ――27基にも及ぶ究極の対空兵器が一斉に放たれた。風を切り裂きながら音速を突き破り、後方の全方位からアストレアを追い込むように接近する。
 同時に前方から重巡洋フリゲートに搭載されたCIWS《シウス》ガトリング砲が唸りを上げて30mm弾を分間4000発×8基という未曽有みぞうの鋼鉄の嵐でアストレアを迎える。

 一方アストレアは減速することなくひたすら前へ。バレルロールを繰り返しながら背部兵装担架からミサイル迎撃のための銃撃を放つ。

 迎撃によって僅かずつ数を減らしながらも、最後には速度と数で圧倒するサイドワインダーが一斉にその有効範囲に捕らえる――はずだった。

 サイドワインダーが次々と空中で爆発する。それがアストレアによる迎撃であればいい。予想通りだ。
 だがガンダムを避け、次々とサイドワインダーを破壊していっているのは前方の改サーム級から放たれているCIWSだった。

 鋼鉄の嵐は見る見るうちにミサイルを捉え、最後の一発の爆発を確認したコーンズが空中で減速、嘲笑うかのようにザフィーラ01の方へ機体を振り返る。
 敵が格好の標的となるが、CIWSの火線はアストレアを捉えず、むしろ追随するザフィーラ達の進路を妨害するに弾幕を張り出した。

『アルヴァンド! 何をやっている!』

『き、緊急事態です! 共有データリンクから全艦艇機能へ電子的侵入!! 操舵・火器管制がコントロール不能! ――ダメ、避けて!』

『―――ッ!!』

 女性通信士の悲痛な叫びとともに轟音――改サーム級に装備された160m連装主砲が火を噴き、CIWSによって足止めされたF-14《トムキャット》に命中。
 戦艦の主砲という最大級の火力は直撃を受けた1機に加え、発生した火球と衝撃波によって至近にいた更に2機までもを打ちのめし焼き尽くす。

 一撃で3機が全滅したのを見て取ったザフィーラ達が、とっさに散開。今度は何もいない空間を極大の砲弾は貫いていった。

「ハハッ、アハハハハハッ!! 聞こえるかい、ザフィーラ中隊。僕に感謝しなよ。彼らを苦しむ間もなく殺してあげたんだからね」

『なっ……! ユフダ・コーンズ!?』

 もはや残り3機となったザフィーラ達の網膜投射に高笑いするコーンズが映った。
 恐るべきことに、そのウィンドウの表示は広域開放通信《オープンチャンネル》ではなく艦隊旗艦からの秘匿回線となっている。同時にF-14Dのトリガーが友軍誤射回避のためにロック。

 ここにきてようやく、ザフィーラ01は艦隊の電子制御全てが目の前のユダヤ人に掌握されている事を思い知らされた。

『コーンズ! 貴様どうやって我々のデータリンクに侵入した!?』

「どうやってだって? 本当に度し難く、愚かな生き物だよ君たちは。この程度の暗号技術で僕から隠した気になっているとはね」

『随行中の友軍ミサイル艇が戦術機揚陸艦と改サーム級2隻をロックオン……!! このままでは全艦艇が撃沈されます!』

『こちら旗艦アルヴァンド、ザフィーラ隊! 今すぐに目標の新型戦術機を破壊しろ! そのためなら、当艦の艦橋ごと打ち抜いても構わん!』

『くっ……!! 了解!』

 アルヴァンドの主砲上部で停止するアストレア。
 それによって主砲の発射は止まったが、改サーム級のCIWSが吐き出す猛烈な数の30mm弾が、のたうつ鞭のように今度はザフィーラ01と僚機2機に襲い掛かる。
 追う側から一転、追われる側となった彼らは、それでもアルヴァンドから離れるわけにはいかず、必死に弾幕を掻い潜り続けた。

『04、09聞いたな!? それ以外に活路は無い! 各機無線封鎖後にFCSのロックを解除!』

『『了解!!』』

「さすがは下等生物。まだ僕に適うと思っているんだね。学習能力は獣以下じゃないのか」

 皇室親衛隊という特殊な立ち位置にいる彼らザフィーラは対人類戦闘を基本目的として、クーデター等の対策のためにFCSのトリガーロックを解除する権限が与えられている。
 パスワードを打ち込み、交戦規定を無差別に再設定。しかしすぐには反撃せず、アルヴァンドの周囲を周回しながら機会を待ち続ける。

 そして彼らを苦しめ続けていたCIWSが合計で16,000発の携行弾薬を撃ちきった瞬間、それぞれ時計回りに周回していたザフィーラ3機が身を翻して襲い掛かってきた。

『――今だ! 全機吶喊!』

『『アッラーフ・アクバル!!』』

 銃身の過熱も、命中率も考えない我武者羅な弾幕が3機のF-14D《トムキャット》から降り注ぐ。10時方向、2時方向、6時方向からの完全な包囲射撃だが、コーンズはヒラリ、ヒラリと砲弾を躱しながら、突撃砲を放り投げ、ビームライフルとサーベルを抜き放つ。

「――ひとつ、君たちに教えておいてあげよう。先ほどから新型、新型と言ってくれているけどこんな機体はね、所詮僕が〝本物”を作るまでの繋ぎにしか過ぎない」

 ビームライフルの照準が突撃砲を連射するザフィーラ04に向けられた。ザフィーラ04は咄嗟に左下方への緊急回避を選択したが、ライフルの銃口は即座に回避未来位置へ。

『――――ッ!! この機動でも避けられないっ!? うわああああぁ!?』

 吐き出されたメガ粒子が、防御した両腕ごと腰頸部のバッテリーを打ち抜く。
 力を失ったF-14D《トムキャット》はそのまま戦艦の右舷側面に衝突/爆発。

 更にコンマ1秒も置かず、正面から近接短刀を向けて吶喊してきたザフィーラ09に対して無造作に右腕のビームサーベルを突き出した。

「――真に優れているのは、新しいのはこの機体じゃない。他の8人も違う」

『白い悪魔《アブヤードシャイターン》っ! 例えわずかの間でも、俺の命で貴様を抑える!!』

 ザフィーラ09のF-14D《トムキャット》は差し向けられたビームサーベルを避けようともせずに吶喊。正面装甲を貫かれ、衛士が焼き殺されるでも止まらない壮絶な前進。
 衛士が消し炭になってもなお、無人のF-14D《トムキャット》は直前の入力に従い2本の腕でアストレアのビームライフルとサーベルを握る右腕を抑えた。

 コーンズの眉がわずかに動く。
 死に体のF-14D《トムキャット》にも関わらず、その両腕はすぐには振り払えない。

『ユフダ・コーンズゥーーーーッ!!!』

 アストレアの背後からザフィーラ01が猛烈なロケット炎を吹き出しながら、機体限界を超えた速度で迫った。
 近接短刀を真っすぐに突き出し、装甲の薄い管制ユニット後部からコーンズを刺し貫かんと殺気を漲らせる。

「――この世界で”新しい”のはただ一人。そうだ――」

 コーンズの指先が操縦桿をわずかに動かした。アストレアの左腕がビームライフルを手放す。
 そして空いた腕で腰元に固定されていた筒状の装備を逆手でそっと掴む。すぐさま網膜投射にステータスが反映された。

〔CIWS Beamsaver connected〕

 獰猛な笑みとともに背後から迫るザフィーラ01に対して、コーンズは振り向きもせずに後ろへ向かってもう一本・・・・のビームサーベルを展開。

「――僕がニュータイプだ」

 武器を塞がれていたはずのアストレアの腰元から、突如発生したビーム刃は完全にザフィーラ01の虚を突いた。
 熱粒子で構成されたピンクの刃は。突き出されていた近接短刀やF-14Dの腕ごとザフィーラ01の体を貫く。

『畜生……!! 畜生、畜生ーーっ!! うわァァァ!!』

 無線から届く中隊長だった男の断末魔。
 ザフィーラ01の元に集まっていた衛士達の残留思念が、無念とともに霧散するのを感じたコーンズは、死者の安寧と希望を奪う暗い快感に思わず口許が緩むのを止められない。

「くふっ……くふふふふふ、はははっ!! あーあっ! 楽しかったよ、君たちと遊ぶのは! あはははははははっ!!」

 前後でビームサーベルに貫かれていたF-14D《トムキャット》が同時に爆発。
 ザフィーラの残滓とでも呼ぶべき破片が航空燃料の炎と共に飛び散り、衝突したアルヴァンドの甲板でゴゥンと、虚しい金属の衝突音を響かせる。

「さあ、フィナーレの花火だ」

〔2BattleShip 7 TSF Carrier 6 Army Landing Ship Lock On ――Fire〕

  どこまでも眩しい地中海の青空へ、中東連合が展開していた20隻のミサイル艇から数十条に上る白煙が昇る。
 アルヴァンドの艦橋スタッフの祈りも虚しく、各標的から送られる位置ビーコンによって誘導されながら、ミサイルは一発も外れることなく目標に命中した。


――――15時48分 イラン帝国軍皇室親衛隊 第1戦術機中隊 全滅

――――15時50分 中東連合テルアビブ侵攻艦隊 全ての戦術機揚陸艦が大破または撃沈。

――――同時刻 艦隊旗艦アルヴァンドより侵攻全部隊がIDFへ降伏の申し入れ

――――16時25分 国連安全保障理事会より停戦勧告が発令。中東連合外交会議とイスラエル国エシュコル大統領はこれを受け入れた。

 災厄の第5次中東戦争は完全に決着のつかないまま。
 人類史上初となる戦術機を用いた国家間戦争は、あまりにも一方的な戦闘から始まることとなった。


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