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[32649] イリスのご主人様(ファンタジー)
Name: ギネマム茶◆aa993394 ID:65e8c4a0
Date: 2012/12/11 12:09
始めましての方は始めまして。 そうでない方はこんにちは。
どうもギネマム茶と申します。

この作品は、「クク・・・今日から俺が新しいご主人様だ!」という記事と、小説家になろうで掲載されている「彼は優しいご主人様」を読み影響を受けたものです。

差別化を図れるよう努力してまいりますので、どうかよろしくお願いします。

なお、作者は超遅筆ですので、気長に待っていただければ幸いです。


※2012/07/15 チラシ裏からオリジナル板へ移動



[32649] ヒャッハー! 第一話だ
Name: ギネマム茶◆aa993394 ID:65e8c4a0
Date: 2012/04/19 19:01
 薄暗いその部屋は、燭台に灯された頼りない炎だけの黄昏のように淡い薄闇に包まれていた。 造りそのものは、葉の一枚すら挟ませない緻密かつ頑強なものであるのだが、如何せん、そこは冷えた。 立地のせいか、それとも元々そういった造りなのか、薄着では風邪をひいてしまいそうになるほど、その部屋は静かで寒かった。 そんな冷えた部屋を利用して、食料庫として活用するのであれば、なるほど、うってつけの場所である。 もし資金に余裕があるのであれば、ワインセラーとしてしまうのだって構わない。

 だが、人を招く場として考えた場合、とてもではないが適任の場所とは呼べないだろう。 これがもし、数多の戦場を駆け抜け、野営なども慣れた屈強な騎士や、人ではなく物品として扱われる奴隷が雑魚寝に使うのであればまた違ったのだろうが、間違っても年端のいかぬ少女を招き入れていいところではない。 むしろそのような場面を目撃でもされようものなら、巡回騎士を呼ばれ、今度は此方が冷たい牢屋に放り込まれる羽目になる。 だが、目撃者を作ることさえなければ、人目を憚るような内緒の話や物品を扱う遣り取りの場所として活用するのであれば、この部屋は文句のつけようのない場所だった。
 
 そして今夜、享楽を貪る獣の新たな贄として、罪なき幼子の穢れなき身体と魂が、貪欲なる金貨によって売買されようとしていた。
 
「ぐふふふふ……。 今回は随分と可愛らしいのを連れてきたな」
 
 その笑い声は醜く太った蛙のようだと、少女――――イリスはこの薄暗い部屋の中に入ってきた人物の声をそう心中で評した。 のしのしと石畳を踏みしめる足取りや、薄暗闇に浮かぶ影をみれば、あながち想像は外れていなさそうであった。 そして、淡い蝋燭の赤い光が声の主を照らし出したとき、彼女は悲鳴を上げられぬまま、目を見開いて固まってしまった。
 
 金に飽かせて贅を凝らした結果、プライドのみならず己の肉まで脂肪で膨れ上がらせたかのような醜い顔。 蛇のようにイリスを品定めする妖の双眸に、ガマ蛙のようなてらてらと脂ぎった頬。 ニヤリと笑ったときの大きな口をみて、イリスは本の中に登場した人間を丸呑みしてしまうオーク豚を連想した。
 
 装いもまたケバケバしい。 蛙のように横に広い巨体を、ゆったりとした豪奢なローブに包み、巨大な芋虫のような指には金や宝石を散りばめた指輪をいくつも填めたそのスタイルは、まさに物語の中に出てくる悪の親玉そのものだった。
 
「へい。 東からやってきたやっこさんらが後生大事に隠してたんで、ちょいと……。」
 
「ちょいと、か。 ぐふふふ………。」
 
 何が彼の琴線に触れたのか、蛙のオバケのような男はその姿身のとおり、暫くの間、蛙のように喉を鳴らして笑っていた。 まるで魔物のような男を前にして、イリスは自分の身に降りかかった災厄に涙を零しそうになる。 だが、彼女は己が種族の誇りに賭け、このような化け物の前で自身の弱みをみせるような真似はしなかった。
 
「ほぅ………。 気の強い目だ」
 
「ぁあん?! てめぇ、アスクの旦那に向ってなんて目ぇしやがる! テメェは大人しく愛想振りまいていりゃあいいんだよ!」
 
 アスクと呼ばれた蛙の親玉より一歩前に踏み出して、イリスを射殺さんばかりの視線を送ってくる男。 この男もアスクに負けず劣らずの極悪人面であるが、まだ体型も顔面の肉付きも人間と呼べる許容範囲内に収まっているものの、それでも悪人であることに代わりはなかった。 シニック。 それがこの男の名であり、そしてイリスをこの冷えた地下室まで連れてきた張本人であった。
 
 深い森に隠れ住むエルフ族。 彼らは他種族との交流をあまり好まず、独自の文化を形成し静かに暮らしてきた。 しかし、隠者の如く人目に厭い、人里から離れた森の中を活動の拠点としてきたはずのエルフ族は、皮肉にもその外見の美しさと希少性故に、むしろ衆目を集めてしまっていた。 とりわけ、やんごとなき身分の者達にとっては、是が非でも手中に収めたい存在である。 と、なれば心ない人間がやることなど決まってくる。 攫ってくるのだ。
 
「それともあれかァ? 高値で売られる自分は、何もされねぇと高ァ括ってるんじゃねぇだろうな?」
 
 神ならぬ身でありながら、そのプロポーションは完璧であり、染み一つないミルクを流したかのような滑らかな白肌や、瑞々しい肉も全てが美の化身と謳われるのがエルフ族である。 そんな彼らが万が一奴隷として市場に流れることになれば、それこそ爵位を有する高貴なる方の一夜の相手を務める超一流の高級娼婦以上の値が動くことになる。 裏を返すなら、それだけの高級商品であるエルフは、細心の注意を払い丁重に扱わなければならない、ということなのだ。 それをあえて無視してまで恫喝するシニックは、よほどイリスの態度が腹に据えかねたのか、はたまた、多少の傷がついてもアスクであれば買い取るという、信頼にも似た確信でも持ち合わせていたがためか。
 
 実際、遊び女や奴隷と戯れるのは二流の慰みとみなされるのが常であるはずが、それがエルフとなると俄然話が変わってくるのだ。 たとえ色々な意味で壊れかけであろうとも、買い手は星の数である。 むしろそういった各専門の倒錯した趣味の持ち主こそが、お家が傾こうとも大枚をはたいて購入するのだ。 そういう意味では、イリスも特殊な嗜好の手合いには垂涎の的かもしれない。
 
 年端もいかぬ少女の繊細な体躯は、まだ肉付きが薄く、お世辞にも女性として完成しているとはいえない。 だが、十数日もの間、狭い馬車の中に閉じ込められ、身体も碌に洗えていなかったにも関わらず、尚もその髪は美しく柔らかさがありありと見て取れ、肌からも悪臭の一つたつこともない。 そして、このような絶体絶命の状況下にあっても屈することのない翡翠色の眼差しこそが、彼女を際立たせる一番の要因であり、禁じられた欲望をもつ雄たちからすれば、そこが堪らないのだ。

 この見目麗しい天上の存在を、貶め、屈服させ、魂すら汚しつくす。 そんな陵辱の味を、こんな陰鬱な地下室には不釣合いすぎる少女に噛みしめさせ、屈服せしめることがでたとするのなら、果たして買値はいくらになろうか。 もしアスクが恐怖と悲鳴を好む嗜虐の徒であったのなら、これからシニックが魅せるであろう行いにも万金に値する価値を見出すことだろう。 だが………。
 
「良い、良い。 子猫が鳴いた程度のことで、そう目くじらを立てるな」
 
 イリスを射殺さんばかりに睨め付けていたシニックに向け、低くくぐもった声が制止をかけた。 つい先ほどまで牛蛙の鳴き声と聞き違えそうになりそうな笑いを喉の奥で鳴らしていたアスクその人の声である。
 
「へ、へい。 旦那」

 まるで錆びたブリキの玩具のような動作でシニックは、後方から聞こえてくる声に従い、怒りにかまけ飛び出す前までへと身体も思考も戻す。 だが、殊更アスクの様子を気にかけるシニックとは裏腹に、悪の親玉の表情には彼をどうこうしようという負の感情は欠片もなく飄々としたものだったが、だからといってシニックとしては気安い態度や軽口で応じれるはずもなかった。
 
 アスク・エイムブラ―――――、シニックが率いる傭兵団の拠点、湾岸都市フリッグの街の顔役である。 街を割拠する勢力のうち、その地方を治める領主すら押し退ける力を持つ大物だ。 シニックにとっても得意先の顧客であり、間違っても顔に泥を塗るような不義理は許されない。
 
「ふむ。 これでなお悲鳴一つも上げぬか………。」
 
 毅然たる態度をもって巨悪に立ち向かっていたイリスを、この場の支配者が誰であるのかを思い至らせたのは、重く冷えた大気の中に、そのときツンと香り立った高級葉巻の芳香であった。
 
「度胸もある……。」
 
 オーク豚と巨大蛙を掛け合わせたかのような醜い顔がにたり歪む。 だがぞろりと生え揃った歯だけは不思議と綺麗であり、イリス程度であれば簡単に丸呑みできそうな大きな口は、殊更彼女の恐怖心を刺激した。
 
「気に入ったぞ―――。」
 
「ッ!?」
 
 そこまで言いさしたアスク。 しかしそれはイリスにとって最大級の絶望へ陥れる悪夢へのカウントダウンを意味していた。
 
「言い値で良い。 買おうじゃないか、シニック」
 
「へい! ありがとうございやすッ!!」
 
「あ、あぁ………。」
 
 恐怖。 そして絶望。 悲鳴を呑み込んだイリスであったが、それでも怯えた吐息が隠しようもなく漏れた。 このアスクという蛙の化け物がイリスを買ったということ。 それは、取りも直さず、死ぬまで家族と会うことが叶わなくなったという事実に他ならない。
 
「そんな………、私………。」
 
 イリスの悲嘆に、だが男たちは気付かない。 いや、彼女の目に滲む涙の意味すらも肴にして、下卑た笑みを浮かべ嬉々として外道たちは商談を進めていた。
 
「では、後のことはいつもどおり一任するが……。 構わんな?」
 
 アスクは冷ややかな命令口調で、誰にともなく語りかける。 勿論、商談人であるシニックに向けた言葉ではない。 傍から見ている彼すらも、上客であるアスクの奇怪な発言をまったく訝る素振りを見せない。 むしろ、突然沸いて出たこの場に居るはずのない第三者の声に、イリスだけが悲鳴を呑みこんで目を見開く、などという間抜けを晒すのこととなった。

「委細お任せください、ご主人様」
 
「ッッ?!」
 
 燭台に灯され揺れる赤い光源の影から、ゆらりと人影が湧き上がった。 まさに、それまでただの壁面の陰影に過ぎなかった暗闇が厚みを得て人型を成したかのようだった。 その人物は、燭台の光というこの部屋で最も目立ち、明るい場所に潜んでいたにも関わらず、最後までイリスに気取られずにいたのだ。 無論、そう広くない室内の中には人、一人を隠しておけるほどの遮蔽物などない。 事実、"彼女"の姿は幾度となくイリスの視界に入っていた。 しかし、『砂漠の国』と呼ばれるこの地から遥か南の―――イリスの故郷からはさらに遠方の地に秘かに伝わる自らの存在感を完全に遮断する陰形の術がこの世に存在し、尚且つ、それを習得したものがこの場にいようなどとは、想像できるはずもなかった。 
 
 燃え上がる日差しと焼けた砂で埋め尽くされた骸の大地に、邪精霊<ジン>と契約を結び、森羅万象の法を捻じ曲げ行使する術、即ち魔術という存在があったことを幼い少女が理解していなかったことは、無理からぬことだっただろう。

 そんな陰陽の法を操るのは、紺色のドレスシャツにネクタイ、そして瀟洒なダークスーツという取り揃えに身を包み、銀糸もかくやとばかりの美しく波打つ銀髪を携えた女性だった。 それらを決して華美なものにさせずしっくりと調和させるほど気品に満ちた執事姿の出で立ちは、彼女の褐色の肌と合間ってどこか浮世離れした色艶とはまた異なった魅惑さを醸し出していた。 だが、その玲瓏な美貌に、数多の男性の目を奪って止まないだろうが、氷のように磨き抜かれた紫水晶色の瞳で一瞥されようものなら、どんな色事師であろうとも篭絡は諦めるに違いない。
 
「あ、貴女ッ―――――。」
 
「……………………。」
 
 不意に現れた第三者に驚きも露にしていたイリスだったが、その正体を知るや烈火の怒りにその身を焦がし、口から出かかった言葉が音になる―――、次の瞬間、主人の下知を待つ猟犬さながらの冷徹さを孕んだ瞳に睨み据えられ、イリスは悲鳴すら出せぬまま萎縮してしまった。
 
「む? どうかしたか?」
 
「いえ、何でもございません」
 
 イリスの癇癪など肩に付着していた糸屑を掃うも同然の作業だと言わんばかりの態度で主人へ返答を返す。 そんな女性の態度に腹立たしさを感じるイリスだが、今の彼女は猟犬に殺気を向けられ、その場に縫い止められた得物に過ぎない。 彼女の生殺与奪の権はこの冷酷な犬のご主人様であるアスクの胸先三寸次第なのである。 しかし、幸いにもその彼だが、ハンティングの心得があるのか、ないのか、未だ此方に銃口を向けてくるような気配は見せてはいなかった。

「うむ、そうか。 なら頼んだぞ、ソフィーヤ」
 
「はっ!」

 アスクの言葉に、ソフィーヤと呼ばれた執事服の女性は恭しく、かつ優雅な仕草で一礼する。 まさに模範演技ともいうべき一連の動作は、彼女の美貌も合間って、もはや溜息すら禁じえないほど美しかった。 しかしイリスには、それ眺めてなお同じ女性として羨望も憧憬も懐くことはなかった。 なぜなら、眼前の女性はイリスたちエルフ族とは不倶戴天の間柄であるダークエルフ族だったのだから。
 
「行くぞ、シニック」
 
「へ、へい旦那!」
 
 自身よりも上位に位置する者に呼ばれれば、たちどころに腰を低く、もみ手をしながらヘコヘコと頭を下げながらその背に付き従うシニックの姿は、まさに腰巾着の見本とも呼ぶべきものだった。 そんな彼が薄暗い地下室から出ようとした時。
 
「今日からあの方がお前の御主人様だ。 逃げたりしたら分かってんだろうな、ぁあん?」
 
 そう自分だけ言いたいことを言うと、シニックは今度こそアスクの後を追って部屋を出ていった。 ほどなく、地下の部屋の中に反響する石畳を踏みしめる音が聞こえなくなるまで、ソフィーヤは礼の姿勢を崩さなかった。
 
「……………………。」
 
「な、なに?」
 
 アスクたちの気配が完全に消えてから姿勢を正し、改めて正面から向き合ったソフィーヤの視線に、イリスは思わず身じろいで後退してしまった。 その瞳に宿るものは、さながら部下を叱責するかのような容赦のない非難の眼差しであった。
 
「今回は仕方ありません。 が、今後そのような身なりでご主人様の前に立たれては困ります。 よって先ずは、その採れたての牛蒡のような汚い身体を綺麗に洗います」
 
「なッ! ご、ご、牛蒡ゥ!?」
 
「ご主人様の目に触れるこになるのです。 牛蒡から少なくともサンドローズ程度にはなって頂かなければ、話になりません」
 
 語調は穏やかでありながら、それはあからさまな挑発であった。 見下しているとすら受け取れる冷ややかな眼差しを、年端のいかぬ少女へと注ぐソフィーヤと、その屈辱に口や肩といわず、全身を怒りで震わせるイリスの様は、どう贔屓目に見たところで友好的とは言えまい。
 
「貴女も既に偉大なるエイムブラ家の家財の一つとなったのです。 恐れ多くも栄光あるご主人様が歩まれる覇道の脇に、花咲くことを許されたのですから、最低限の装いと教養を身につけて貰わなければ困ります」
 
「な………なッ………!」
 
 これ以上はないというほどの屈辱だった。 イリスは憤怒すらも通り超え、貧血めいた眩暈に囚われながら全身を身震いさせた。
 
「ふ、ふざけないで!!」
 
 許せない。 イリスは、自分が穏やかな気性であると自負しているが、それでもこれはどうあっても許せるわけがなかった。 静かにひっそりと、誰の害になるでもなく暮らしてきただけなのに、ただそれだけなのに何故人間の仕掛けた罠に捕らえられ、さらにこんな仕打ちを受けなければならないのか。
 
 "たかが人間の分際で"などと蔑む気持ちは毛ほどにも無い。 むしろ、イリスたちエルフ族のような内向的な種族たちとすら取引を行い、技術を取り入れあらゆる方面において目覚しい成長を遂げ、文明を開花させてみせた素晴らしい種族だとすら思っていた。 だが、そんな光輝く彼らの行いから視点をずらせば、このような悪の所業が鎌首を擡げていた。 その行いは、今まで信じていた期待に裏切られたかのようで、イリスの心は今にも怒りではち切れそうだった。
 
 きちんとした手順を踏んでからでなければ、入ることを許さない神々の時代よりその形を変えていない深い森。 そこに住まうエルフ族たちは当然のことだが、何かしらの理由で外からやってきた者たちにも、長年行ってきた風習を厳守させてきた。 しかし、土着の風俗に対し敬意をもって接するべきものを、一部の心のない人間がエルフの奴隷欲しさに禁を破ったのだ。 中でも一層許しがたいことは、禁忌を冒し捕らえられたエルフ族がイリスが始めてではなかったということだ。 むしろ、捕らえられた時に盗み聞きした話と、イリスの扱い具合から推察するに、かなり手馴れていた。
 
 イリスよりも前に囚われた者たちが、どのような末路を辿ったのか彼女は知らない。 しかし長い時間、狭い馬車の中に押し込められ、何人かの下卑た笑みを浮かべた商人だか、貴族だか分からない連中の下を経由して、最後には底辺の底辺とも呼べる最悪の人物に買われるとなれば、今後の人生、碌な最後を迎えないだろう。
 
「勝手に人を誘拐してッ! 勝手に物みたいに扱って! 勝手に私の人生を決めないでよ!」

 だが、それで「はいそうですか」と唯々諾々と従う気など、イリスには毛頭ない。 ほんの僅かな抵抗かもしれない。 それでもエルフ族であることに誇りを持っているイリスは、抗い続け、自分は決して屈服しないことを見せ付けてやるのだ。 それで、あの蛙のお化けが不機嫌に顔を歪めるのであれば、少しは気分がよくなる。
 
「私は絶対に貴方たちなんかには従わない。 こんなことをしている貴方たちは、絶対に許さない!」
 
「許さない…………、ですか」
 
「えぇ、そうよ。 でもダークエルフ族としての誇りすら見失っていそうな貴女には分からない感覚でしょうけど」
 
 先ほどのお返しだ、と言わんばかりに嫌味をたっぷりと乗せたイリスの皮肉だが、ソフィーヤの表情を崩すまでには至らなかった。 未だ感情と呼べる表情の起伏がないこの執事に対し、今持てるだけのありったけの胆力を総動員して臨んでいるイリスから見れば、ソフィーヤというダークエルフは不気味だった。 額に汗を滲ませ、必死に虚勢を張って対抗しているのも、名状しがたい不吉さに押し潰されないよう必死になって抗っているが故である。
 
「誇り…………。」
 
 ソフィーヤは小さくそう呟いて、それからやおら手を伸ばした。 淀みなく静かな、あまりにも作為のない動きのせいで、イリスは奴隷の証として課せられた首輪に付けられた鎖を掴まれ、犬のように引っ張られて立ち上がらされたその瞬間まで、ソフィーヤの意図に気付けなかった。
 
「貴女の誇りとはいったいなんでしょうか白山羊<エルフ>。 是非、お聞かせください。 珈琲豆<ダークエルフ>ごとき劣等種を荒野へと駆逐した先祖の武勇でも謳って頂けるのでしょうか?」
 
 唐突すぎる暴力に、予想も覚悟も間に合わなかったイリスが、隠し切れない怯えと悲鳴を漏らした。 その僅かな恐怖の気配を、ソフィーヤはイリスの顔を鼻先に寄せ、まるで得物を前肢で押さえ込んだ猟犬のように。 じっくりと舐るように嗅いで確かめる。
 
「……………、まだ理解が足りないようなので、言っておきます。 貴女が意思や誇りを持とうが捨てようが、"どうでもいい"のです。 貴女の脳が覚えておくことは、その髪から血の一滴、死後の魂に至るまで全てが、アスク・エイムブラ様の所有物であるということです。 それを努々忘れないで頂きたい。 それを弁えた上であれば、どのような行動を起こそうとも咎めるつもりはありません」
 
 ゆっくりと、あくまで語調は穏やかに、だが念を入れるように語り聞かせてから、ソフィーヤは手を緩め、相手を拘束から開放した。
 
「さて、無駄話はこのあたりにして、湯殿へ向いましょう」
 
 出会った時から崩れることなく張り付いた氷の表情のまま、ソフィーヤはイリスにこの部屋からでるように視線で促した。 イリスも内心では抵抗したいのだが、大人しく従うほか選択肢がない。 恐らく彼女が僅でも反抗の意思を表にみせようものなら、首輪に付いた鎖を引っ張り、犬のように強引に引きずっていくことだろう。 現にソフィーヤの表情は徹底して無表情を装っているが、イリスの一挙手一投足を観察するアメジスト色の瞳だけは、どこか狩猟動物めいた危険な光を宿していた。
 
「ク…………ッ!」
 
「大変素直で結構。 今後は返事を返すことも意識してください」
 
「…………、なんで貴女なんかにッ」
 
 やり場のない憤りを噛み殺しつつ、掠れた声でイリスは反駁する。 だが、それ以上の反抗が許されない我が身の情けなさに、彼女は屈辱にわななきながらも、ただ睨み返してソフィーヤの後に続いて歩くことしかできなかった。 もちそん、そんなイリスの憤怒の凝視すらも、このダークエルフはどこ吹く風だ。 

「…………………。」
 
 沈黙が針のように空気を刺激して、空白の間が痛々しい悲鳴をあげる。 もともと両者共に共通の話題があるわけでもなく、仲睦まじいわけでもないため、道中は終始無言だった。 いっそこのまま、永久に目的地に辿りつかなければいい。 内心穏やかならぬものを押し殺しながら、顔を俯かせながら歩いていたせいでイリスは、ソフィーヤがいつの間にか歩くのを止めていたことに気付くことができなかった。

「ッ!」

 あわやソフィーヤの背中に激突しようという寸前に、身を翻し眼前に迫る彼女を、蹴球の選手よろしく、追い抜くようにして前に躍り出ることで衝突を回避した。 その強引な体勢の変化に、イリスはふらりと傾ぎ、あわやというところでたたらを踏みながらもバランスを取る。 そんな危なげな少女の挙措を冷ややかに見守った後、ソフィーヤは何事もなかったかのように、丁度停止した位置の真横にある扉を開け放った。
 
「さ、手早く済ませてしまいましょう。 時間は無限ではないのですから」
 
 ソフィーヤがぱちんと指を鳴らすと、暗闇に包まれ中の様子を窺うことの出来なかった部屋が、途端に生を受けて動き出したかのように茜色に照らし出された。 檜の香り、だろうか。 室中はそれまでの冷たく硬質な雰囲気の石造りではなく、その上から木板を填め込んだ温かみのある造りとなっていた。 

「………………。」
  
「……………、ふん!」
 
 両者ともに険悪な雰囲気を隠そうともせず無言のまま睨み合う。 だが、暫し視線を交差させた末、ソフィーヤを見ながらも、ちらりと明るく灯された部屋に目を向けてしまったのは、獣同士が睨み合い、視線を逸らしてしまうのに似ていた。
 
「私は、言いなりになんて、ならないんだからね」
 
「構いません。 ですが身は清めて頂きます」
 
 さも憎々しげに口元を歪ませつつ、イリスが押し殺した声で吐き捨てる。 だが、そんな彼女を全く意に介さない様子のソフィーヤは早くしろ、と言わんばかりに目で促してくる。
 
「ッ! ダークエルフは機微に疎いって聞いてたけれど、本当のことだったようね!」
 
「私も、エルフは皮肉に優れ、陰湿で根暗な引き篭もりだと聞き及んでおりました」

「……………………。」
 
「……………………。」
 
 お互いが毒を吐いてまた沈黙。 会話の遣り取りを交わすだけこの剣呑な雰囲気である。 エルフ族とダークエルフ族。 両者の種族間の抗争は、歴史にもその項目が太字で載るほどに苛烈を極めた。 今ではお互いの棲み分けが出来上がり、睨み合い程度に落ち着いてきてはいるものの、未だ根強い遺恨を残していた。 とはいえ、ここまで水と油のように反目しあう両者は珍しい。 いっそのこと『喧嘩するほど仲が良い』という言葉を送りたくなってしまうほどにだ。
 
「ふん!」

 これ以上話すことは無いとばかりに、鼻から牛のような荒い息を吐き出すと、イリスはずんずんと明るく暖かな室内へと進んでいく。 その後にソフィーヤも続くと、静かに戸を閉め室内と外界との繋がりを絶った。 今この扉の向こう側は女人のみが進入することを許された不可侵の聖域である。 たとえ二人の主であるアスクであろうとも、開けることはまかりならないのだ。

「なんで貴女まで入ってくるのよッ!」
 
「無論、監視と貴女の身体を身奇麗にするためです」
 
「私は、誰かに自分の身体を洗われる趣味も、見られる趣味も、もってないわ!」
 
「えぇ、ご安心ください。 私も他人の入浴を覗き見て喜ぶような趣味は持ち合わせておりません。 もっとも、貴女のような未成熟の身体なら、特殊な性癖をお持ちの方でもない限り、そう滅多なことは起こらないでしょうが……。」
 
「なっ!? 貴女だって前と背中の区別がつかない体型の癖にッ!!」
 
「―――――――――黙りなさい。 今すぐ発言を撤回することを要求します」


 そんな姦しい遣り取りから、イリスの甚だ不本意な新たな人生が始まった。






あとがき

叶うのなら、エルフの美少女に「貴方って本当、最低のクズねッ!」って罵られたいです
どうもギネマム茶です。

この作品は、色々制限を設けずやっていこうと思っているので、色々自重しない部分が出てきてしまうと思います。
やや、実験的な部分もあり変な印象を受けるかもしれませんが、なるべく下手を打たないよう、努力してまいります。
早めの更新ができれば、と思いますが………どうなるか。

それでは、また次回



[32649] ヒャッハー! 第二話だ
Name: ギネマム茶◆aa993394 ID:65e8c4a0
Date: 2012/04/19 19:01
 フリッグの市街地より、馬車に乗って街を離れれば、九十九折の細道が顔を覗かせる。 そこから、乗り物が通過する道としては、お世辞にも適してると言えない黄土色の大地を行けば、小高い丘に壮麗な古城もかくやとばかりの館が見えてくる。 王侯貴族が夏期の避暑や地方巡幸に使用する邸宅だと言われれば、そのまま頷いてしまいそうになるその一城の主であるのが、湾岸都市フリッグに割拠する勢力の一角を担うアスク・エイムブラであった。
 
 各地の権力者に莫大な金額を貸し付け、代わりに諸々の特権を引き出し、地場経済を掌握して勢力を拡大していった彼は、今や地方都市のみならず、『ミッドガル王国』の黒社会の雄として威名を轟かすほどだった。 そんな男がもし、金貨の山を右から左へ流すような買い物をしたとして、いったいどれ程の人間が難癖をつけられるだろうか。 これが道端の妓夫のような者ならば、嫉妬逆恨みの的にもなっただろうが、相手がアスクとあっては皆閉口するしかない。 ただ、訝るだけだ。 今度はどんな物を購入してきたのか、と。 
 
 しかし、今回の購入品の秘密を知る者は、家僕を除けば商品をアスクの下に連れてきたシニックのみ。 人間よりも長く尖った耳を持つエルフ族の少女であるイリスが、その商品であることが外部に漏れ出ることはありはしない。 つまり、彼女を救い出してくれるような存在はいないということだ。 そしてそんな彼女は今、己の身に降りかかった不幸を嘆く暇すらない窮地に追い立てられていた。


 目が回る忙しさとは、まさにこのことだ。 イリスがアスクに買われてから五日が経過したとき、彼女が懐いた心からの感想がそれだった。
 
 原生林の生い茂る深い森の奥、エルフ族が住まう隠れ里で育ち、山の中を庭代わりにしてきたイリスは、同年代の人間の少年少女たちと比較してみても、それなり以上の運動量がある。 だが、それと同時に彼女は人間の一般家庭では当たり前のように手伝うべき雑事の一切を、十余の年齢に至るまで自らの手を煩わせることなく生きていた。 仮にそれがエルフ族の間では当たり前であったとしても、人間たちの感覚で言えば、力仕事は無論のこと、炊事、洗濯、掃除、など雑事の経験のないイリスは世間でいうお嬢様、という認識になる。 

 しかし、悲しいかな今のイリスは奴隷という身分である。 そしてここはアスクの屋敷であり、イリス本人は甚だ不本意であっても買われてしまった身だ。 雑事の経験が皆無に等しいからといって、彼女が甘やかされる理由はない。 働かざるもの喰うべからず。 仕事をしない、ただ可愛いだけのマスコットなど不要とばかりに、彼女の不倶戴天の敵であるダークエルフのソフィーヤが、氷の眼差しをもって「雑役女中見習い」の役職をイリスに与えたのである。
 
 雑役女中とは本来、財政上の理由から多くのメイドを雇えない家で、このオールワークスが一人で仕事を行う役職である。 すなわち、一人で全ての仕事を受け持つメイド、ということだ。 当然重労働であるが、メイドを雇い入れている大半の家は、この職種で間に合わせているため、イリスのような子供でもこうして奉公に出されることも決して稀有なものではない。
 
 だが、それは財政的に余裕があるとは言えないお家の場合である。 男性使用人に比べ賃金が非常に安価である女性使用人であっても、人数が揃えば馬鹿にならない金額になる。 しかし、その程度の賃金が払えないほどエイムブラ家の財政力は脆弱ではない。 だというのに、イリスが女中の内でも底辺に属し、アスクの屋敷には必要ないであろう雑役女中の見習いを命じられているのは、ひとえに彼女が"何も出来なかった"からだ。
 
 何か手に職があるでもなく、あっても家事には役立たない技能。 有しているのは見目麗しい姿形だけで世間一般で役立つような知識も乏しいため、こういう場では使いものにならなず、イリスはどうしても蚊帳の外に置かれてしまっていた。 何かしたいのに何も出来ないし、させて貰えない。 その無力感たるや、彼女と同年齢かそれよりも小さい子供までもが全身を精一杯使って働いているというのに、その様子を邪魔しないように隅で小さく縮まっているしかできないのは、名状し難いモノがある。
 
 そんな彼女を見かねて、ソフィーヤがとりあえず何処でもいいから仕事を覚えるようにと、取り計らったのが全ての仕事を受け持つメイド―――雑役女中だったのだ。
 
 女中頭の指揮のもと、部屋の管理や掃除など、主に屋敷を清潔に保つ館の管理を行っている"家女中"や、洗濯場にて洗濯を行う"洗濯女中"。 料理人の下で厨房の準備や料理の下ごしらえ、簡単な料理などを仕事としている"台所女中"。 そのキッチンメイドに付随して洗い場で食器を洗う"洗い場女中"。 それらの多種多様な仕事のどれもこれもを日替わりに、それも容赦なく与えてくれるものだがら、いくら体力に自信があったイリスであろうとも、これには目を回した。
 
 さらにそれらに加えて、見た目の容姿に優れているイリスは将来を見越され、主人の身の回りの雑用をする"家政婦"であったり、来客の取次ぎや、客間での食卓の準備や給仕を行うメイドの花形である"客間女中"となるべき教養も叩き込まれていた。 ただでさえ重労働な仕事をこなさなければならないところでこれでは、精神的にも参ってしまう。
 
 本来のイリスなら知らないことを習う、ということにそこまで辟易することはなかった。 ただ、その教育を行うのがメイド長だけであればまだ良かったのだが、彼女が忙しくイリスにまで手を回せない状態になると、決まってソフィーヤが監視官として訪れるのだ。 ただでさえ疲労困憊なところに、イリスの精神力を一気に削る輩が傍に居るとなれば、彼女でなくとも苛立つのが当然だ。
 
 そして、ついに高級煙草よりも多少長いイリスの気が尽きた時、彼女はソフィーヤに吼えてかかった―――、はずだった。
 
 なぜ、はずだった、かというのは彼女が次の瞬間に目にしたのが天井で、身を寛がせていた場所がベッドの中だったからだ。 まるで白昼夢でも見ていたかのように、嫌味な執事に掴みかからん勢いで迫ってからの前後の記憶が曖昧だったせいで、最後に見たソフィーヤの姿は、疲れから見えた幻覚か何かだったかのでは、とすら思ってしまったのだ。 ここ数日間は、色々なことが立て続けに起こりすぎた為に、記憶も曖昧になりかかっていたのが、推論の硬度を高める要因にもなっていた。
 
 それ故に、イリスは気がつくことはなかった。 彼女がベッドから身を起こしたとき、実に付けていた服装が、仕事着として着用していたメイド服ではなく、寝巻きに変わっていたことに。



 ◆ ◆ ◆ ◆ ◆



 夜半―――自室でくつろぐアスクの許を、ソフィーヤが訪れていた。
 
「―――――――、報告は以上になります」
 
 アスクは独り黙々と玉杯の扮酒を傾けながら、鷹揚に頷いて忠実な僕を労った。
 
「ご苦労。 気が強い、とは思っていたが………。 世話をかけるな、ソフィーヤ」
 
「勿体無きお言葉、ありがたく頂戴いたします」
 
 最上の礼は尽くせど、必要以上は阿り萎縮することのない端然としたソフィーヤの態度に、アスクも満足げに頷いてみせた。 事実、彼女ほどに教育が行き届いた家僕など、国中をくまなく捜し求めたとしても、なかなか望むべくもない。 それ故に、アスクも腹心の中でもこの執事には格別の信頼を寄せていた。
 
「苦労ついで………、で悪いが……。」

 言いさして、アスクは玉杯の中身を飲み干した。 パンのように膨れ上がった手や、横に巨大な姿形では、手に持つ杯もそうだが身を預けるソファーすら、ごっこ遊びの小道具のように見えてしまう。

「例の一件はどうなった?」
 
「はっ。 詳細はこちらに」
 
 まさに打てば響く素早さでソフィーヤは、まるで魔法か何かのように懐から数枚の用紙を取り出して、それをアスクに差し出した。
 
「ふむ………、やはりシニックの証言どおり、東の動きがキナ臭くなっている、か」
 
「…………………。」
 
 家僕であるソフィーヤが退がるのを待つでもなく、アスクは機密と思われる書文の内容を仄めかした。 しかし、それは彼女が居ても居なくても同じ、といった空気として扱うような誰にともなく語りかける口調とは違う、事の次第を理解している者へ半ば同意を求めているそれであった。 事実、彼女は、アスクに仕える臣下の中でもただ一人、『例の一件』について知る立場にあった。
 
 資産家であるアスクへの風評の操作から、彼を不利へと導く証拠や証言の隠滅。 また逆に主の欲する情報を入手に奔走したりと、エイムブラ家の中でも古参に位置づけられている彼女だからこそ任される事柄は、他にもまだ数多い。 もっとも、こういった情報工作の腕前を披露することは、ソフィーヤからすればオマケみたいなものである。 彼女の真価はもっと他の部分に占められているのだ。
 
 加えて彼女は、執事という職種からかアスクの傍に控えていることが多い。 いかにソフィーヤが法の網目の隙間を掻い潜ることを得意としていたとしても、あくまで彼女が第一に優先することは、アスクの身の回りの補佐である。 その責務を任されている彼女は必定、この館に身を置かざるを得ない。 となれば各地で奔走する工作員は、彼女の息の掛かった銀狐たち、ということになる。

「ふむ………。 よくもまぁ、ここまで臭うようになるまで放っておいたものだ」
 
 ソフィーヤから手渡された資料に、ざっと流し読みを済ませたアスクの目が僅かに細まる。
 
「周囲を山脈に囲まれ、外界と隔絶された都市『ヘイムダル』。 そこと国境で睨み合うのが、鉄と炎の『グルヴェーグ帝国』。 外部と遮断されがちの立地の揃ったこの二つが、カーテンの裏側で何をしているのか………。」
 
 間諜からの報告内容の大部分は、グルヴェーグ帝国の台所事情に関する考察―――かの国で主に使用されている貨幣の流通率についてや、その純度の変化の分析に費やされていた。 記述されている文字を目で追っていけば、グルヴェーグ帝国がある特定の貨幣を集めているという報告が載っており、さらに読み進めれば、蛮族平定と称した急速な国土拡張と無茶な出兵により引き起こされた財政難ではないか、という推測まであった。 確証はないにしても、列挙された情報を読む限りでは確かに信憑性が高いとアスクも思っている。
 
 報告書に記述されている文字を、ただなぞって読み取れば、なるほど、これは小悪党が小遣いを稼ぐのに誂え向きな悪巧みだ。 経済が逼迫した状況に追い込まれているグルヴェーグ帝国は、何においても貨幣を欲していた。 それも世界の果てであろうとも、価値が揺らぐことのない信用の置ける貨幣をだ。
 
 貨幣とは、身体を巡る血液のように絶えず循環していなければいけない。 もしそれができなければ、国という身体はあっという間に壊死してしまうことだろう。 たとえ貨幣が流通していたとしても、質の悪い貨幣では末路は同じだ。 誰もが悪貨などでは商売に使えないと知っているから、使いたがらないのだ。 故にグルヴェーグ帝国のお歴々は、商人たちは無論のこと、子供でもその輝きと天秤の傾きから、それがとても純度の高い硬貨であることを知らしめる必要があった。
 
 その為にも、グルヴェーグ帝国は、たとえ鋳潰したとしても、そのまま別の用途で使用できるだけの純度を保った貨幣が必要なのだ。 それこそ純度がとても高く信用のおける他国の硬貨が……。
 
「いやはや、分厚いカーテンの影に映る人物を想像しただけで震えが走りそうだ」

 つまりかの国は、掻き集めた貨幣を改鋳させてしまい、帝国の歴代の皇帝たちの肖像を刻み込んでしまおうという魂胆なのだ。 そうなれば、他国の硬貨一枚をこの世から消すことができ、さらに帝国の新貨幣が三枚生み出される、という魔法が完成する。 そして、その金を生み出す魔法の杖の役を担っているのが、グルヴェーグ帝国と国境で睨み合っているはずのミッドガル王国領の一部であるヘイムダルなのだ。
 
「山の奥地でひりだした代物が、潮風香る港町にまで臭ってくるのですから、オーク豚すら遠慮する大物ではないかと」

「ぐふふふふ、あの悪食どもが食わぬとなれば、腐肉の中でも極上の不味さなのだろう」
 
 普段と変わらない穏やかな語調でソフィーヤが毒を吐いた。 それに乗るアスクも誰の事を揶揄しているのか、自覚しているのだろうに恐れを見せる様子はない。 むしろ此処には居ない見えざる誰かを、鼻で笑うかのような冷めた笑みを浮かべていた。

 他国からも『鉄と炎の国』と称されるほど、帝国ではあらゆる工房、あらゆる職人を抱え込んでる。 当然、腕の良い職人たちが豊富で質の良い鉱物を用いて、他国の商人たちが見たら顔を真っ青にするような出来と値段で商品を軒先に並んでいるし、それを武器に他国へを輸出していた。 そんな良質の商品を貨幣欲しさに、いつもよりさらに安値で売りに出したとき、果たしてヘイムダルが各地で転売したときの差額はどれほどのものになるだろうか。
 
 さらに云えば、それだけの大口の取引であれば、使用する貨幣は当然金貨で行うことになるだろう。 しかし、市井で流通している硬貨は銀貨や銅貨が主流なのだが、グルヴェーグ帝国では貨幣が不足している。 だから帝国は、銀貨や銅貨といった細かいお金も欲する。 しかし、需要があるということは、値段も高騰する。 故に、金貨の価値化が下ろうとも鋳造したばかりの新金貨を用いて、細かい貨幣を得るべく帝国はヘイムダルと取引に臨むしかない。
 
 そうなってくると、ヘイムダルの狸たちはもはや笑いを止めることができないだろう。 何せ往々の貨幣相場ではありえない換金比率で金貨を手に入れることができるのだ。 このまま取引に応じれば応じるほど、儲けが膨らむのなら永遠に続けていたい、というのが彼らの心情のはずだ。 それに、金貨の取引で質が良く安い商品が軒先に並べば民だって喜ぶ。 八方が笑顔で事が進むのなら、誰だってそれを止める気をおこしはしまい。 

 だからこそ、この一件のその裏に潜む危険性の度合いも、アスクは読み取っていた。 闇に潜むものは、表面だけに映る小悪党の小遣い稼ぎなどとはワケが違う。 この件に関わるということは、歴とした国への反逆だ。 国家そのものを虚仮にすれば地獄の果てまで追われる羽目になるというのに。 ヘイムダルの古狸たちは、それをどうにか出来るだけの切り札を手に入れた、ということなのだろうか。 さもなくば―――――。

「こちらのお偉方はこの事態に気付いているのか、いないのか」
 
「普段から馬糞の山で生活をなさっている方々のことです。 きっと鼻が利いていらっしゃらない可能性が高いかと」
 
「ふむ……。 なら鼻薬を嗅がせてやるのが、優しさというものか」
 
「―――――よろしいのですか?」
 
 そう言って目を瞬かせるソフィーヤの顔に張り付いているのは、紛れも無い驚きの表情だった。 もしこの場に彼女を知る第三者が居合わせていたのなら、断固として自身が見たものを否定するか、さもなくば脳天を拳銃で打ち抜きたくなるほどの衝撃に駆られたことだろう。
 
「ほう、ならよろしくない理由が何処にある?」
 
「………………。」
 
 アスクの問いに、氷を髣髴とさせる執事は沈黙で応えた。 
 
 確かにグルヴェーグ帝国とヘイムダルの取引は、報告書を読む限りでは甘く誘われる魔法の利益を生み出していた。 だが、それは既に導火線に火が付いた制限時間付きのもでしかない。 現に、アスクのような遠方の地の者にすら事が露見してしまっているのだ。 いずれ火薬庫に着火して、盛大な爆発をあげることだろう。 それこそ、火事場に居座って花火を眺めるような酔狂な人間でもない限り、二人の取引に噛ませろと横槍を入れるようなまねはしない。 むしろ、長期的にみればこの一件の情報を国に流し、恩を売っておくことのほうが賢いやり方である。 ただソフィーヤは、彼女の主の真意を、察知したからこそ黙していたのだった。
 
「ふん、私の縄張りで"ちょろく"稼ごうとはな。 気に入らない、実に気に入らないぞ」
 
「ご主人様の仰るとおりでございます」
 
 誰が何処で疚しいことを行おうとも、アスクは一向に気にすることはない。 何処の国、どこの街であろうと、そういった汚物は必ず落ちているものだからだ。 ただそれをノックも無しに他人の家の框を勝手に跨いだかと思えば、いきなり此方に尻を向け、あろうことか巨大な代物をひり出したとなれば、流石に話は変わってくる。 つまり、筋の通し方を知らない金物臭い田舎者のせいで、今のアスクは製鉄所の炉よりなお熱く、真っ赤に怒っているのだ。
 
「今回のシニックの報告にあったモグリの奴隷商人――――。」
 
 そこでいったん話を区切っると、それまで直立不動だったソフィーヤが犬笛の音を聞いた猟犬のような素早さで、黒檀の机の上に置いてあった黒革の小箱の手にして、それをアスクへ恭しく差し出した。 
 
「――――そして、今回の東の動き。 こうまであからさまだと、むしろ他にも見えぬ意図が潜んでいるのかと勘潜ってしまいたくなるな」
 
 ソフィーヤが差し出した小箱の中から葉巻を取り出すと、彼女はすかさずマッチを用意した。 芳香が醍醐味の葉巻に対して、近年になって出回り始めたオイルライターを、携帯するのに便利という理由から使用する者がいるが、アスクからすればそれはナンセンスである。 嗜好品である以上、各々が好きなスタイルで楽しめば良い。 だが、それでも小粋な心というものを待ち合わせて欲しいと彼は常々思っていた。

 綺羅星の輝きを放つ豪奢な宝石の指輪を填め込んだ手が、主の好みの吸い口をギロチンでカットすれば、アスク専用の杉マッチの炎が、淡く彼の口元を照らし出した。 こうして、彼の為に用意されたマッチを使用できるのは、家僕の中でもソフィーヤだけに許された特権である。

「ふむ………。 それなりの成功を収め、尚且つ、火遊び好きな奴であれば、多少高額で危険と知りつつも手を出す馬鹿者が、一人や二人いてもおかしくはない。 だが……。」
 
 口内に拡がるまろやかな薫りと豊かな風味を満喫しつつ、アスクは天井に向けて吹き上げた紫煙を眺めて、地割れのような、奈落のへと呑みこむ底なしの深淵のような笑みを浮かべた。 それはまさしく、ヒトを食い殺すことに何ら躊躇を覚えない、怪物の哄笑だった。

「そう容易く尻尾を見せるかどうか。 いかに魂よりも先に、思考のほうが天上への門を潜っているような輩でも、自分の性癖ぐらいは行儀良く隠すだろうしな………。」

 そこまで言ってからアスクは、白々しいほど、さも今思い出したといった態度でソフィーヤの方を見やった。

「あぁ、そういえば一人、年端のいかぬ子供や、人間<ヒューマン>とは毛色の違う者でなければ、"燃え上がらない"奴がこの街に一人いた筈だったな」
 
「………、ニコラス卿でございますね」
 
 普段の穏やかな口調の彼女を知る者が聞けば、先ずは己の耳を疑いそうになるソフィーヤの辟易とした声音。 おそらく当人は努めて平静を装っているつもりなのだろうが、それが隠しきれていない。 いや、この執事の鉄壁の精神を剥がすほど、件のニコラス卿なる人物がそれだけの難物であるということだ。 現にダークエルフ族特有の、厚ぼったく垂れた彼女の耳が、極限まで研いだ鋭利なナイフのようにピン、とエルフ族のように尖っているのだから、これはただ事ではない。
 
「お前の時も、かなり熱烈な求愛行動に出ていたな」
 
「……………………。」
 
「いや、これは余計だったな。 許せ」
 
 その時の光景を思い出したのか、ソフィーヤの鉄皮面が極寒の怒りで表情を凍らせた。 ニコラスの名を話題に出した瞬間からの彼女の態度は、不倶戴天の間柄であるエルフ族を会話のネタに出したとしても、まだ小春日和のような上機嫌のうちに交わされたものだと思ってしまうほどのものだった。 今の彼女の紫水晶色の瞳は、まさに地獄の釜を煮る業火のそれだ。
 
 ソフィーヤはニコラス卿を嫌悪し、それを主の前でさえ隠そうともせず、アスクもアスクで、そんな執事を咎める素振りを微塵も見せない。 それだけでニコラス卿の人間性の度合いが知れるというものである。
 
「所詮やつは父祖の代より受け継いだ財産と処世術だけで地位を得た男だ。 卿、などと持て囃されてはいるが、風聞が地に落ちればそれまでだ」
 
 社会の秩序の裏側に潜む、法なき街の法を統括するアスク。 その彼が自ら事を動かすとなれば、それは掛け値なしの大災害が発生することを意味する。 喩えるならドラゴン。 老齢の域にまで達した龍が放つブレスと同義だ。 そして仁義を弁えず、街の流通網を乱そうとするニコラスは、その眠れる龍の逆鱗に触れてしまったのだ。
 
「――――――とはいえ、これはまだ憶測にすぎないことだ。 それだけで街の色を変えるなど、できない」
 
「…………………。」
 
 この街に割拠する勢力はアスクやニコラスだけではなく、他にも規模は劣るものの幾つかの組織が存在する。 もし、ニコラスの勢力と全面戦争に発展した場合、別の組織が漁夫の利を狙ってくることになるだろう。 それでもアスクが勝つだろうが、大きな損耗を被るだろうし、そのときは態勢を立て直す暇もなく、さらに外からやってきた侵略者たちに食い潰されることになる。 何事も抗争に至りかねない不用意な火種は禁物なのだ。 ただ、根回しさえしてしまえば、その限りではないのだが………。
 
「もちろん、とても悲しいことに奴が明らかな黒だった場合。 そうだな、国からヤツを陥れる一手を賜ろうではないか。 なに、国のために忠を尽くすのだ、それ位の褒賞があってもいいはずだ」
 
「素晴らしいお考えです、ご主人様」
 
 圧搾されたソフィーヤの怒りの表情が、ここにきて初めて彼女の口元が笑みめいた形に吊り上った。 だが、果たしてそれを笑みと呼んでいいものかどうか。 およそヒトが浮かべうる表情として、あまりにも歪で危険にすぎるソレは、限りなく冷酷で、残忍な、触れた者すべて焼き殺さずにはおかない残酷無比なものだった。
 
「なら、私がいま一番欲しているものが何か、お前には分かるな?」
 
「はっ。 必ずやあの毛の薄い古狐を巣穴から引きずり出してご覧にいれましょう」
 
「ぐふふふ、期待している」
 
 アスクの言葉が空気と混ざり消えていくのと同調するかのように、恭しく頭を垂れたソフィーヤの姿が霞みの如く立ち消えた。 おそらく主の下知を受け、行動を開始したのだろうが、部屋を退出する際ドアの開閉音すらなく、空気すら微塵の乱れも出さない彼女の手練には畏怖の念すら覚える。 しばしの間、葉巻から立ち上る煙を燻らせていたアスクは、口内に拡がる薫りを天井に吐き出して、ポツリと呟いた。
 
「グルヴェーグめ、最早なりふり構っていられん、ということか。 この一件で巻き込まれたアレは災難であるが…………。」
 
 そこまで言いさして、アスクは短くなった葉巻を灰皿に押し当ててから続きの言葉を接いだ。
 
「運が良かった……。 まぁ、アレにとってどうかは知らないが」
 
 そう呟いて、アスクは寝室へ向うため部屋を後にする。 残るのは、得物を誘い込む食虫花のように甘い、高級葉巻の芳香だけだった。






あとがき

一度でいいから狂犬型メイドと命がけの追いかけっこをしてみたいものです。

後、何故地名が北欧神話から取っているのか、それは…………。 特に、意味はない。
エル・プサイ・コングルゥ

どうもギネマム茶です。

今回は幼女成分であるイリスの出番がほぼなくて申し訳ないです。
その代わりに秘孔を突かれ息ができなくなって死にそうな顔のご主人様とFARCの元ゲリラのメイドに似た執事の成分を増やしてみましたが、如何だったでしょうか?

次こそは、新キャラと共にイリスを出せればいいな、と思います。
ではまた次回。 ラ・ヨダソウ・スティアーナ



[32649] ヒャッハー! 第三話だ
Name: ギネマム茶◆aa993394 ID:65e8c4a0
Date: 2012/12/03 19:06
 寝返りを打つ。 その日の夜は、昼寝をしていたわけでもないのに眠れなかった。 ただ、気付いたらベットの中にいた、という怪異なことはあった。 恐らく未だ慣れない環境の変化のせいで、身体が妙な興奮を起こしているせいだろう。 イリスはもう一度寝返りを打って、溜息をつく。
 
 奴隷として蛙の化け物であるアスクに買われてから今に至り、イリスは今まで幸せだった日々を振り返ってみると、自身が両親にどれだけ大切にされていたのかを改めて理解した。 自分と同じ年頃か、それよりも小さな子供たちが当たり前のようにこなしている仕事が彼女にはできない。 いや、今までする必要のないことだったので、したことがなかった。 家具の磨き方、窓の拭き方、廊下の掃き方、本の叩き方、刺繍の縫い方。 全てがこの館に来てから知ったことだ。
 
 使用人は家の一部故に、家格に相応しい物腰を心がけねばならない。 だから一つ一つの仕事が完璧であって当たり前。 労いの言葉も、お褒めの言葉もなくただ日々を同じように繰り返す。 そしてこのまま使い古されて、ボロ雑巾のように捨てられてしまうのかもしれない。 イリスは身を震わせて寝返りを打つ。
 
「寝れない………。」
 
 独り寂しい夜を過ごすことに不安を覚える齢では、もうないはずなのに何処か奇妙な心細さを感じてしまう。 一人部屋にしてはやや広い、観葉植物と備え付けの机がポツンとある程度の無味乾燥な造りになっている室内にいるのもその原因の一つだろう。 だが、大本となるイリスの精神を苛む要因とは果して―――――。
 
「水……。」
 
 そこまで巡らせていた思考を、強引に打ち切った。 実際に喉が渇いていたということもあったが、それ以上に負の方面に考えが陥ることをイリスが本能的に厭ったのだ。
 
「あれ? 空っぽだ」
 
 銅製の水差しは夜の空気ですっかり冷たくなり、氷のようになっていた。 イリスは中身のない水差しを手に持つと、クローゼットの中に仕舞ってある支給品のガウンを羽織り、部屋を後にした。
 
 時刻は既に草木も眠りにつく真夜中である。 時折木々が風に吹かれ、枝先が漣のように揺れる音も夜の闇へと消えていく中、イリスは石畳の上に敷かれた絨毯のうえをそぞろ歩いた。 窓の外から差し込む青く淡い月明かりに照らされて、彼女の影法師が長い廊下にその姿を写し込ませる。 歩を進めるその途中、何か漠然とした印象に心の片隅を捉えられて、イリスは足を止めた。
 
 視線の先に、階下へと繋がるひときわ大きな階段がある。 渡り廊下やら、中庭へと通じる道。 掃除をする際、バケツ運びの難所ともいえる区間。 そこから誰かがこの階に上がってこようとしている。
 
「そこに居るのは、誰です?」
 
「あっ…………。」
 
 不意に雲が月を隠し、暗闇が辺りを覆った。 夜闇に包まれた廊下は、まるでインクを零したかのような黒一点に染め抜かれた世界だった。 しかし、闇に包まれて尚、ある一部分だけが月明かりと同じ青い淡い光を放っていた。 恐らく、『光石』だろう。 真夜中の不意の用事の時や、夜番が灯りとしてよく使うものだ。 そして、イリスはこの暗闇の中で、唯一の光源を携え、使用するであろう人物に心当たりがあった。
 
「メイド長………。」
 
「まぁ、イリスなの? こんな時間に何をしているの」
 
 警戒心も露に此方との距離を測りあぐねいていた女性は、対峙していた相手がイリスだと認めると、途端に語調が柔らかくなった。 だが、そんな相手とは対照的に少女の面持ちは、どこか苦々しい。 まるではしたない場面を見咎められた子供のように、彼女は俯いてしまうのだった。
 
「あ、あの。 ちょっと眠れなくて、それで水を飲んで落ち着こうと思ったら水がなくて、それで………。」
 
「そうなの……、それで井戸のある中庭に向おうと?」
 
「はい…………。」
 
 子供らしい要領を得ない説明で、それでも必死に事の成り行きを説明しようとするイリスと、それを柔和な面持ちで聞き手に徹している女性。 まるで齢の離れた妹でもあやすかのような、慎ましくも暖かな微笑みである。 だが、その柔らかな物腰こそが、この館のメイド長である人物――――シャルロットに懐く、イリスの小さな苦手意識の根元でもあった。
 
「なら、私の部屋にいらっしゃい」
 
「――――え?」
 
「こんな寒い夜に、わざわざ外まで出向いて身体を冷やすことなんてないわ。 温かい飲み物を用意してあげるから、一緒に飲みましょう?」
 
 ゆっくりと、物柔らかな態度で接してくれるシャルロット。 そこには、思惑や打算といった不純な感情は一切混じっておらず、まるで子を想う母のように本心からイリスの身を案じて出た言葉を掛けてくれる。 しかし、だからこそ少女は眼前の女性のことが苦手だった。 それこそソフィーヤと同等か、それ以上なぐらいに。
 
「でも、それだとメイド長に迷惑が………。」
 
「迷惑なものですか。 それよりも、こんな真夜中に貴方を一人にしておくことの方が心配よ」
 
 くす、と微笑んでから違和を感じさせない仕草で、いとも簡単にシャルロットはイリスの手を引いてみせた。 イリスは、一瞬だけ驚きに表情を固まらせたが、無理にその手を解こうとはせず、結局おとなしく身を任せることにした。 女性としては、背の高い部類に入るシャルロットと並んで歩くイリスの姿は、傍目には親子のように映ったかもしれない。 腰まで届く彼女のストロベリーブロンドの髪は、美の化身と謳われるエルフ族と比較しても勝るとも劣らぬ美しさで、月明かりに照らされ、金色の輝きを魅せるイリスの髪とはまた違った魅力がある。
 
 容姿は十二分だ。 器量も女中頭という職務を与えられているのだ、問題があろうはずもない。 性格もお淑やかで、イリスのような子供にでさえ分け隔てなく接してくれる。 もし、シャルロットが実は何処其処のお嬢様だと言われても、イリスは疑いもせず信じるだろう。 故に少女は困惑するのだ。 この館は悪の首領であるアスクの根城である。 ならば、なぜこんな場所にこんな良い人がいるのだろうか。
 
 仮に、シャルロットもイリスのように、奴隷のような扱いを受け、この地に流れ着いた身であり、後からやってきた少女の境遇に嘗ての自身の身を重ね、同情して優しくしてくれているのであれば、まだ頷けた。 だが、彼女の言動には、同情や憐憫といった感情が一切含まれていなかった。 ならば、あのいけ好かないダークエルフ族のソフィーヤのように、イリスのことを監視するため、わざと友好的な態度をとっているのかと問われれば、それもまた違う。
 
 だからこそ、イリスは取るべき態度に迷いを生じさせてしまう。 ここはイリスのような子供すら、奴隷商品として並べば買い取ってしまう悪が跋扈する場所なのだ。 無論、そこで働く全ての人間が悪人だとは思わないし、むしろイリスも最初の最悪の印象さえなくここで働く人々と触れ合うことが出来たのなら、もっと好意的な感情を寄せることができたかもしれない。 だがそれでも、シャルロットを始め、周囲の人たちの温かい好意に流されてうっかり信用するようなことは絶対に避けなければならなかった。 そうさせてしまうだけの経緯を彼女は経験してきたのだから……。
 
 悪意ある人間らに強引に拉致され、嘗てない辛い仕打ちを受け、物の様に扱われ、流れに流れてきた。 見知らぬ土地に面識のない人間たち。 誰も彼もがイリスという個人ではなく、エルフという商品として扱い、厭らしい笑みを浮かべてくる。 そして最後にたどり着いたこの地で、突然降って沸いた好意である。 誰であれ疑いの目を持ちたくなるというものだ。
 
「……………。」

 淡い光を放つ光石を填め込んだランタンを手に持ったシャルロットに連れられて、彼女の部屋の前に辿りつくまで間も、イリスはずっと懊悩としていた。

「さ、入って。 自分の部屋だと思って遠慮しないで寛いでね」
 
 シャルロットに案内された彼女の部屋は、イリスの一人部屋と比較しても、かなり上等なものだった。 柔らかな毛布を重ねた上質なベットに、森の住人であるイリスの目から見ても羨む、一本の木からくり貫いて造られたと思しき重厚なクローゼット。 作業机の隣には小さいながらも本棚が据えてあり、ちらりと横目に見た程度でもシャルロットが女中頭であることを再認識させられる教養溢れる題名の本が並んでいた。 ただこの部屋にはイリスの部屋にはあった、観葉植物が見当たらない。 もしかしたら昔、そこを使用していた住人の忘れ物なのかもしれない。
 
「ちょっとだけ待っていてね。 直ぐに用意しちゃうから」

「あ、ありがとうございます」
 
 通された室内を、子供の様に忙しなく視線を動かして眺めていたイリスに対し、彼女の行動が一段落するまでシャルロットはただ微笑みを湛えて待っていてくれていた。 それが余計に少女の羞恥心を刺激するのだが、朗らかに微笑むシャルロットはそんなイリスの心中に気付いていたのか、いなかったのか、そのまま静かに扉を閉じて、温かな飲み物を用意するため一時部屋を後にしてしまった。
 
「………………。」
 
 遠ざかる足音が完全に聞こえなくなってから、イリスは可愛らしい唸り声を喉に篭らせた。

「―――――――むぅ」

 らしくない、とイリス本人も思う。 本来の自分は、もっと活発で喜怒哀楽の感情表現は豊かであるはずなのだ。 現に、血も涙も無い冷徹猟犬女であるソフィーヤの前であれば、此方も牙を向いて応対することが可能だ。 なのになぜか、シャルロットの前では思ったように感情を表現することができない。
 
 ただイリスも彼女への苦手意識がそうさせているのだ、ということぐらいは何となしに理解している。 だがそれが三日、四日と続けばどうだろう。 程度の差はどうあれ、それなりの人付き合いができているのに、シャルロットだけ態度が違うのは、いかにも不味いし、なによりイリス本人が良く思わない。 だが、どうにかして普段の自分を取り戻そうにも、何故メイド長だけが苦手なのか、その理由が分からないので改善のしようがなかった。
 
「……………。」
 
 勧められた椅子に腰掛けてからそのまま、身動ぎもせずイリスはテーブルの一点を見つめたまま思考の渦に飲み込まれていく。 しかし、いくら自問したところで答えが返ってくるわけではない。 イリスとて分かっている。 それでも、考えずにはいられなかった。 いっそ、ヒトの温かみなぞ知らないまま、絶望を、運命を、受け入れてしまえていたのなら。 ここまで懊悩することもなく、楽に生きていけるのではないだろうか。
 
 普段のイリスであれば脳裏に掠めもしない弱気の虫がじわりと、彼女を蝕みはじめた、その時だった。
 
「!」
 
 風に枝先が揺れる音が響くだけの静かな夜の部屋に、此方に近付いてくる足音が耳に引っ掛かった。 身体を音の方へ向ける代わりに、彼女自慢の細長く尖った耳がピクリと反応を示す。 それが、なんだか主人を待っていた犬のよう様で、無性に恥ずかしかった。
 
「待たせちゃって、ごめんなさい」
 
 控えめなノックの後、静かに扉をあけたシャルロットがそう言った。 ここは彼女の部屋であり、立場も遥かに上なのだからもっと堂々と自由に振舞えば良いと思いつつ、イリスはやんわりとかぶりを振って、自分があまり待たされていないことを示す。
 
「熱いから火傷をしないように、気をつけて飲んでね」
 
「ありがとうございます」
 
 受け取った白いコップの中には、初雪を思わせる陶器に負けないぐらい真っ白な煮詰めたミルクが波打っていた。 取っ手の部分を使わずコップを両手で包むようにして持ち上げて、口元にまで寄せてみれば蜂蜜とブランデーの薫りが仄かに鼻を擽る。
 
「美味しい……、です」
 
「そう? なら良かったわ」
 
 甘く飲み口の良いミルクを、舐める様にしてチビチビと飲み続けていると、ふとした拍子にコップの表面に何かが描かれていることに気がついた。 これはいったい何だろうか。 湯気を立てているコップに描かれた動物の顔は、イリスが今まで生きてきた中ではお目にかかったことのない凶悪で名状し難いものだった。 もしかしたら、これが世に言う悪魔、と呼ばれるものなのかもしれない。
 
「あ、気がついた?」
 
 イリスの視線が、コップの一点に集中したとき、シャルロットはまるで悪戯が成功したかのように、表情を綻ばせてころころと上品に笑い出した。

「あの、これは?」

「それ? ふふふ、何に見える?」
 
「………………。」
 
 シャルロットの問いにイリスは沈黙する。 別段、問いに、問いで返されたことに怒ったわけではない。 質問の内容であるカップに描かれた物体が、動物なのか、人物なのか、本当に分からなかったからだ。 そんなイリスの姿を見やって、シャルロットは茶目っ気すら乗った笑みを浮かべて、答えを切り出した。

「猫よ」

「あははは」
 
 イリスは思わず笑い、笑い終わってから「は?」と聞き返した。
 
「これを創作された本人が、そう仰っていたわ。 だからこれは間違いなく猫よ」
 
 シャルロットは驚きのあまり言葉を出せずにいるイリスを目にして、してやったりとばかりに、にっこりと微笑む。
 
「やっと普段の貴女の笑顔が見れた気がするわ」
 
「そ、それは。 あの………。」
 
「ずっと、気になってたの。 私の前では俯いてばかりだから、もしかして私がどこかで貴女を傷付けてしまっていたのではないかって……。」
 
 そこで言葉を区切って、しばし言葉を捜すような逡巡をみせてから、シャルロットは意を決したかのように話を続けた。

「――――それで、貴女に嫌われてしまったのでは?って」
 
 そう言われ、即座に否定の言葉を口にしようとした。 こんなに他人を思い遣ることができ、優しく接することのできるシャルロットの事を嫌うなど、できようはずもない。 だが、喉には鉛のような蓋がつかえていて、言葉にできなかった。 嫌いでないのならば、なぜ自分は優しいはずのシャルロットに苦手意識を持っているのだろうか。 そんな考えが、脳裏を掠めてしまったのだ。

「やっぱり、そうなのね」
 
 イリスの沈黙は、シャルロットの言葉への肯定を意味してしまう。 少女の小さな胸中での渦巻いていた葛藤など、知る由もないメイド長は寂しそうに微笑んだ。 その表情を彼女にされたとき、かつて些細な諍いを起こしてしまい、友人から絶交宣言をされたときと同じぐらいの衝撃をイリスは受けた。 そこまでされて、漸く搾り出すかのように言葉を吐き出すことができた。

「違います………。」
 
「え?」

「私は、メイド長のこと、嫌いじゃありません」
 
 この言葉に嘘はない。 だが、絶対に信用してもらえるほどの自信が篭っていたわけでもなかった。

「………………。」
 
 シャルロットは、鳶色の瞳で少女の真意を探るかのようにじっと見つめていた。 重い沈黙に、イリスは緊張のあまり耳がピクピクと動きそうになるのを必死で堪え、見つめ返す。

 まったくの余談であるが。 何故イリスがシャルロットを苦手とするのか。 それは、イリス当人すらも自覚していない深窓意識が、自身に好意を向けてくれているシャルロットをあえて遠ざけようとしたせいだった。 他の人たちとは違う、無償の愛とも呼ぶべき温かさで包み込んでくれる彼女と距離を置かなければ、あっという間に「メイド長」と言う呼び名が変わってしまうからだろう。
 
 イリスは、家族の許になんとしてでも帰りたい、と思っている。 しかし、自分が心許した相手と築き上げてきた絆、というものも少女にとって同じぐらいに大切なものだった。 仮に、いつの日かどちらかを選ぶことを強いられることになった時、果たしてイリスはどちらを選ぶべきなのだろうか。 無論、本来あるべき世界に帰るべきなのだろう。 しかしそれでも………。
 
 そういった感情と想いが、自覚なく複雑に入り混じってしまい、シャルロットへの苦手意識が今も膨らみ続けていたのだった。 つまり、今のイリスは、素直に好意を受け取れない自分への自覚の無い自己嫌悪の真っ最中なのだ。
 
「ごめんなさい、イリス……。 らしくない事を言ってしまったわ」 
 
 濃い霧の中、薄氷の上を進むような感覚だった。 しかし、それでもイリスの拙い思いがシャルロットの胸に届くことは成功した。

「私ったら駄目ね……。 貴女にそんな悲しそうな顔をさせたかったわけではないのに」

「い、いえ。 私もメイド長に対して、その、あまり態度が良くなくて、ごめんなさい」
 
「あぁ、そんなこと気にしないで。 ――――ふふ、でも良かったわ。 イリスに嫌われていたわけではないくて」

 シャルロットは静かに微笑した。 それはイリスの心遣いに対する謝意の顕れであり、それでいてどこか、肩の荷が下りたかのような安堵の色が乗った笑顔だった。
 
「いきなりこの館に連れてこられて不安も多いはずなのに、それを表に出さず、真っ直ぐに前を見つめている貴女を見ていたら、自然と身体動いてしまっていたの」
 
 どこか過去の過ちを告白するかのような、やや気後れした風な口調でシャルロットが語る。 この幼い少女が立たされ境遇の辛さを、メイド長という立場上十分すぎるほど知る彼女である。 使用人として、そして一人の女性としての立場からそれぞれに共感できる部分もあった。 だからこそイリスには、これ以上の不安を抱え込ませてはいけないという母が子に懐く感情に似たものが、シャルロットを突き動かしていたのだった。 それこそイリスから、『アスクの使用人』という色眼鏡で見られてしまう可能性すら忘れてしまうほどにだ。
 
 故に、その行動が空回りでなかったという根拠は何処にもなかった。 出会って僅か数日間だけが、シャルロットにとってはイリスと過ごした全てなのだから。 だからこそイリスの口から、たどたどしくも真摯な眼差しをもって語ってくれた言葉は、不安に絡め取られていたシャルロットの心を解きほぐすには十分すぎるものだった。 この少女は悪を厭っても、憎んだりなどせず、負けん気の強さで現状に屈することなく、決して諦めることのない不屈の闘志をもって前に進むだけの力を持っていたのである。 その時点でシャルロットは、苦衷から開放されたも同然であった。

「もし、貴女さえよければ、またこうやってお話をさせてもらえないかしら?」

 それは、シャルロットからのより深い交友を求めるサインだった。 この少女には過度な手助けも、行く末を案じる必要もないと分かって、彼女も遠慮することを止めたらしい。 仕事では立場があるが、個人の付き合いでは肩を並べたい。 そうシャルロットに思わせるだけの根性が、イリスの小さな身体にはあったのだ。

「それは、勿論………。 私なんかでよければ」

 突然の申し出であったが、今度は言葉に詰まることなく答えることができた。

「良かった。 できれば、他の子たちも交えてお茶会なんて開けら良いのだけれど」

「他の、人たちですか?」
 
 イリスは耳ざとく聞き咎める。

「えぇ、そうよ。 イリスは気が付かなかったかもしれないけれど、貴女のことを気にしている子達は結構いるのよ?」

 それは、興味本位でということだろうか。 そう問いかけるのは無粋だろう。 何せ、純粋に他の者たちを交えてイリスとお茶を飲み交わす未来を想像して、慎まし微笑を湛えているシャルロットだ。 そんな姿を見てしまった後では、悪意ある考えを浮かべ疑心暗鬼に陥ってしまうなど馬鹿のすること、というものだ。

「アイリーンに、ミリアリアでしょ。 セレス、リーゼ、エマ、シンシア、ベアトリス――――。」
 
 頭に浮かぶ名前と一緒に指を折ってはまた広げて読み上げるシャルロット。 まるで濁流の如く止まる気配のない同僚たちの名の列挙にイリスは思わず目を白黒させた。
 
「あ、あのッ!」

「――――ノエルに………うん?」
 
 先ほどから続きっぱなしの指折りは、既に五回は開いたり閉じたりしている。 このまま放っておけば、朝日が昇るまで同僚の名前を呟き続けて居そうなシャルロットに向けてイリスは思わず問いを投げかけていた。
 
「そんなに大勢の人たちが私のことを?」
 
「勿論よ。 言ったでしょ? 真っ直ぐに前を見つめている貴女を見ていたって……。 それは私だけではないのよ?」
 
 まるでそれが当然のことであるかのように、シャルロットはごく普通に、普段の優しげな笑顔を湛えながらそう言った。 その返答を聞いた瞬間、イリスの心に一陣の爽快な風が吹き込んだことも、きっと気がついていないに違いない。 現に、泣きたくなりそうなイリスの心境など知らぬとばかりに、微笑を湛えながら彼女の頭を優しく撫でているのだから。
 
「貴女からすれば、此処にいる人たちは敵に見えてしまうのかもしれない。 けれど――――――。」

 そこで一度言葉を区切ったシャルロットは、イリスの頭を撫でる手に想いを込めるかのように、少し力を強めてから言葉を接いだ。

「皆、本を正せば優しい人たちなの。 ただ、此処にいる人たちは様々な理由で、他人と距離をおいてしまったり、近付くことを恐れている人もいる……。 だから、貴女のことが一寸だけ眩しく映っているのね」
 
 そういう意味では、イリスもまた似たようなもの、という見方もできなくはない。 この幼い少女がシャルロットたちに向ける感情も、臆病さから端を発しているのだから。
 
「それでも、貴女と仲良くしてみたい………。 たぶん他の皆もそう思っている」

「……………………。」

「………そう思って、皆を恨まずにいてくれる?」
 
「それは―――――。」
 
 即答ができなかったのは、イリスの脳裏にソフィーヤの影がチラついたからだ。 一瞬だけ間を空け躊躇をみせた様子から、シャルロットも察しがついたらしく、困り果てた笑みを浮かべるのだった。

「フィー……。 ソフィーヤのこと?」

「―――――はい」

 正直に頷くべきか、視線を左右に動かしたあと迷った末、イリスは小さな声で答えた。 ここで嘘を言ったとしても無意味だからだ。 それぐらいあからさまに、お互いが反目しあっていたことは、この館内では周知の事実だったからだ。

 エルフとダークエルフ。 両者の間に横たわるものを考えてしまえば、確かにイリスの態度も仕方のないことかもしれない。 だがそれにしてもイリスとソフィーヤ共に、お互いが挑む姿勢としては度が過ぎていた。 視線が合えば牙を剥き、口を開けば皮肉の応酬、それでも相手を無視などせず正面から喧嘩を吹っかける。 もはや両者共に種族間の諍いを越えた意地の張り合いである。
 
 その状況をシャルロットのような傍目から眺める人から見ると、莫迦の極み以外の何ものでもなかった。 特に彼女のような立場ある者であれば、両者の諍いには大いに不満を感じていたに違いない。 なにせ二人が争いごとを起こす度に、メイドたちが怯えてしまうのだ。 幸いにもまだ仕事に支障をきたすまでには至っていないが、状況が悪化するようではそうも言っていられない。

 しかし窘めようにも両者共に、頑なな態度を崩さないため取り付く島もなく、とやかく口を挟もうものなら此方が噛み付かれかねない。 周囲を巻き込んでも止まることのない、まさに子供の意地の張り合いをしている二人の関係を、シャルロットたち第三者が心底面倒臭いと思うのは当然のことだろう。
 
「まぁ、それは仕方のないことよね」
 
「え?」
 
 この優しいメイド長のことだから、やんわりと諭してくるものだとばかり思っていたイリスは、気がついたら問い返していた。 そんな少女の様子から、シャルロットもやや言い難そうに視線を下げて答えた。
 
「エルフとダークエルフ。 こればかりは、貴方たちだけで解決しなければいけないことだもの。 それで、どうあっても相容れない、という結果が出てしまっても私はそれでもいいと思っているわ」
 
 実にあっさりとしたシャルロットの結論に、幾つかの切り返しの台詞を頭の中に用意していたイリスは、む、と口ごもる。
 
「ただし―――――。」
 
 そこで言葉を止めたシャルロットは、やおら手をイリスの頬に当て、そして―――――。
 
「ふぁ!?」
 
「喧嘩をするのにしても、場所を選んでね?」
 
 聖母のような微笑を湛えながら、イリスの両頬をむにむに、と引っ張りまわした。 ゆっくりと穏やかでありながら、割と力が込められており、それだけでシャルロットの腹の底に溜まっていた物の嵩が知れるというものである。
 
「ふぁ、ふぁぃ………。」
 
「はい、宜しい」
 
 そう言ってから開放された頬は赤みを帯びており、手で擦りながら恨めしげな視線を投げかけるイリスに、シャルロットはどこ吹く風のすまし顔だ。 そして、会話も一段落したことを区切りに、メイド長は話し合いを終わらせ仕事へ戻ることにした。
 
「さて、今日はこの辺りにしておきましょうか。 部屋まで送っていくわ」
 
「あ、はい…………。」
 
「コップは後で私が片付けておくから、そのままでいいわ」
 
 淡い光を放つ光石の入ったランタンを手に持ったシャルロットの姿を見て、イリスは彼女が夜番をしていたことを思い出し、心底申し訳なさそうに眉根を下げた。 そして、自身のためにシャルロットに時間を割かせてしまった事を謝ろうと口を開きかけたとき、少女の唇にそっと何かが触れた。 白魚のようなシャルロットの指だった。
 
「私が好きでしていることだから、いいのよ。 それにね――――。」
 
「?」
 
「ううん、なんでもないのよ? 気にしないで」
 
 笑み崩れた顔で誤魔化して、シャルロットは歩き出す。 その様に、捨てられた仔犬のようだったイリスが、水飛沫を飛ばされた猫のような顔になり、次いで尾を踏まれた狼のような唸り声を、その可愛い喉に篭らせた。
 
「教えてください、メイド長。 気になるじゃないですか」
 
「ふふ、こうして貴女の百面相が見れるのなら、仕事をサボるのも悪くはない、と思って」
 
「むぅ…………。」
 
 意地悪された仔犬のような顔をするイリスを見て、シャルロットは慎ましやかに笑う。 それを見てイリスはますます憮然となる。 シャルロットの仕事を停滞させてしまったことを、申し訳なく思う気持ちは確かにあるが、だからといってイリスをからかうダシに使われるのも甚だ不本意なものがあった。
 
 決して長くはないが、短くもない二人の部屋までの距離。 だが、会話を楽しむには短すぎて二人の歩みは普段よりも幾分か遅かった。 それでも歩を進めれば、その分だけ目的地までの距離は縮まる。  もう少しだけ、そう思っていてもイリスの部屋の前に辿りついてしまい、彼女はまるで祭りの後の広場を眺めるような気分になった。
 
「さ、着いたわ。 明日も忙しいから、あまり夜更かししちゃ駄目よ?」
 
「……はい」
 
「まだ夜も冷えるから、しっかり毛布をかけて寝るのよ?」
 
 まるで母親な気遣いに、イリスは擽ったそうに頷いた。
 
「それじゃあ、イリス。 おやすみなさい」
 
「おやすみなさい、メイド長」
 
 シャルロットが廊下の角を曲がり、淡い光石の光源が夜闇に消えたのを見送ってから、イリスは静かに自室へと戻った。 ここ数日間使って、それなりに慣れたと思った部屋だが、女中頭であるシャルロットの一人部屋と比べれば、無論それよりかは手狭だ。 それなのに、妙に広く感じる部屋の中で独り、ベットに仰向けに寝転がった。 だが、不思議と心細さは感じなかった。 きっと口の中にミルクと蜂蜜の甘い味が残っているからだろう。

 その日、イリスは、その小さな胸の内に煮詰めたミルクのような、暖かいものを感じながら眠りに着くことができた。






あとがき

できれば、年上のお姉さまに「今だけはあのヒトのことを忘れさせて」と言わせて見たいです。
どうもギネマム茶です。

今回は、金平糖のようにささくれたイリスの心を、マシュマロのように丸くできるキャラ。 というコンセプトのもと登場してもらったメイド長の回でした。
まぁ、これからの話の都合上、イリスがツンツンし過ぎると話が進まない、といった部分もありましたが、母性あるお姉さんキャラというのは出しておきたかったので、問題なしです。
とはいえ、メイド長一人だけではイリスの心を完全に開かせる理由付けとしては足りないので、もう少しだけ新しくキャラを登場させてみたいと思います。

それではまた次回。



[32649] ヒャッハー! 第四話だ
Name: ギネマム茶◆aa993394 ID:65e8c4a0
Date: 2012/05/07 19:32
 ニンニクの匂いは貧しい食事の代名詞。 特に旅籠や節約しながらの旅の途中で食すものなど、正直食べれたものではない。 なにせ、鮮度が相当悪くなった肉やら野菜、塩や酢に漬かった臭いのきつい保存食の味を誤魔化す為に使うのだ。 もしその匂いを嗅いで食欲をかき立てられる者がいるならば、きっと枯れたカブの葉か、三つ葉ぐらいしか食べた事がない人物なのだろう。
 
 イリスも不覚にも捕まってから、アスクの屋敷に辿り着くまでの十数日間、狭い馬車の中に押し込められていた時に与えられた食事がそういった類のものだったので、保存食とニンニクの不味さは良く知っている。 舌が馬鹿になりそうなほど塩辛い鰊や干し肉に、鼻がもげそうなほど酸っぱい匂いの酢漬け。 今にもカビの生えてきそうなライ麦パンを齧って飢えを凌いでいた時は、流石のイリスも泣きそうになった。 だが、それでも彼女に与えられた食事は、イリスが高級な商品として扱われていたこともあり、彼女を運んでいた運び手よりも幾分か上等な物を与えられていたというのだから、それだけで幼い少女が過ごすには耐え難い、劣悪な環境であることが分かる。
 
 ただ、だからこそイリスはアスクの館で食した料理の出来栄えが信じられなかった。 もはや魔法である、とすら思ったほどだ。
 
 筋張った肉や羊の足の骨を、唇で千切れるぐらいになるまで煮込んだスープ。 丁寧に灰汁を取り除き、薄っすらと黄色い脂が浮かぶ透明なスープは、味付けに塩や香草が入ってはいるが、その材料の大半がイリスの記憶に苦いものを残す粗悪な保存食と大差ない物ばかりで出来ていた。 それも一番の隠し味が、旅の怨敵とも呼ぶべきニンニクであったというのだから驚きだ。 料理とはまさに作り手の腕次第で、何にでも変身するのだとイリスは教えられた。
 
「お前たち! ちまちま飯掻っ食らってるなら、塩でも舐めながら鍋を振りやがれ!」
 
『へい、姐さん!』
 
 朝と呼ぶには太陽が高い位置に差し掛かった時間帯。 朝食に焼いたパンの残り香がまだ漂っていそうな厨房では、コックや台所女中たちが戦場さながらの慌しさで、後に控えている昼食や夕食の下拵えに追われていた。 そしてイリスに、魔法を教えてくれた人物もまたこの戦場で、兵士たちを鼓舞する指揮官の如く、厨房全体が震えんばかりの声を張って鍋を振るっていた。

「賄い喰ったら、さっさと腕を振るえ! 雛鳥じゃねェんだ。 テメェの食い扶持はテメェで稼げェ!」
 
『へい、姐さん!』

「姐さん言うな、このボケどもがァ!」
 
 自身より二回り以上もの身長があろうかという屈強な男たちに向って、良く通る声を張り上げる女性が一人。 黒い巻き毛を三つ編みで束ね、威勢よく腕まくりして厨房に立つ姿は、一見すれば何処かの居酒屋の若女将に見えたことだろう。 だが、齢もまだ二十に届くかという若く瑞々しい美貌を窺わせているのは、顔の左半面だけに留まった。 残りの右半分は恐らく過去に凄絶な何かがあったのだろう、右目から頬にかけてその内側を隠すかのように眼帯で覆われており、その表情の変化を窺うことは叶わない。 それが、アスクの屋敷で女だてらに副料理長という地位を任せられた彼女――――アイリーンの風体であった。
 
 もし、より恐れ知らずに彼女のことを知ろうと首を突っ込んだのなら、『隻眼のアイリーン』という渾名を知ることも出来ただろうが、当人を前にしてそう口にできるのは、余程の豪傑か馬鹿者ぐらいなものだろう。 彼女の細い腰に括られた、肉といわず骨ごと叩き斬りそうな武張ったナイフもまた、アイリーンがただの料理人であることを否定する要素に拍車をかけていた。
 
「おぉ………。」
 
 菓子パンの生地を煉っていたコックの手際が悪かったのか、アイリーンの鋭い蹴りがコックの太股に食い込むところを見て、イリスは思わず作業の手を止めて目を見開いた。 相手の小さな挙動まで見逃さない鋭敏な感覚は、まるで縄張りの中で侵入者の臭いを嗅ぎつけた肉食獣のようだ、とイリスはジャガイモを手の中で弄びながら心中でごちる。
 
 こういう威圧感がある美人と一緒に居ると大抵の人間は気疲れを感じてしまいそうなものだが、不思議と厨房内の雰囲気が乱れた様子はない。 現に、罵詈雑言の限りを尽くして叱責されているコックは、彼女の美貌に当てられているのか、恍惚とした表情を貼り付けている。 むしろ、周りの者たちなど羨むような視線を投げかけているほどだ。 アイリーンの良く通る張りのある声であれば、男という生き物は汚い言葉遣いであろうと不思議と不快にはならないらしい。
 
「あん?」
 
 低く、掠れたような呟きを漏らしてから、アイリーンは訝しげに眇めているかのような視線をイリスの方へと向けた。
 
「おい、イリス………。 アタシがさっき、なんて言ったか覚えてるか?」
 
「え?――――あッ!」
 
 イリスの動きが止まっていたことを、アイリーンは視界の端だけで察知したらしい。 ネコ科の肉食獣を思わせる笑みでそう嘯いて、アイリーンが緩やかな動作でイリスの傍までより―――――。
 
 腰に携えたナイフを抜いた。
 
「―――ッ」
 
 イリスの首筋を、痺れるような悪寒が一撫でする。 冷たく固い刃が、ズルリと皮を剥いた時点でも、イリスは表情を変える暇すらなかった。
 
「ほれ、こうやって刃物は動かさないで皮を剥くんだよ」
 
 するすると、まるで欠伸でもするかのように自然な滑らかな手捌きでジャガイモの皮が剥かれていく。 己の髪を梳かすよりも慣れているかのような、否、それどころが指先の延長も同然の扱いであった。 それを凍りついた表情で眺めていたイリスの口が、今になってようやく溶け出して、間抜けな吐息が漏れ出た。

「へ?」
 
「へ、じゃねぇよ。 包丁の使い方が分からなかったから、コッチ見てたんだろ?」
 
「えぇと、あの…………。」
 
 貴女のローキックに見惚れていました、とは言えないイリスは思わず口篭ってしまう。

「それは、その、見ていなかったワケではないんだけれど……。 その……。」

「あん?」

 そんな煮え切らないイリスの態度を見て、アイリーンは何を勘違いしたのか豪快な笑い声を上げながら自身の膝を叩いた。 どうやら彼女は、イリスが要らぬ遠慮をして縮こまっていると思ったらしい。
 
「なに小さなことで遠慮してんだ。 ナリが小さいんだ、態度ぐらいデカくなったって誰も気にしやしないよ」
 
「は、はぁ………。」
 
「ふぅむ。 どうにもシャッキリしないねぇ」
 
 ずいっ、と寄せられた三白眼の左目にイリスは軽く仰け反った。 その時だ、アイリーンの右半面を覆い隠している眼帯に、猫の目のような刺繍がされていたことに気が付いたのは。 野山を駆ける獣の如く、一切の無駄を削ぎ落としたかのような細い体躯の、色白の端正な美人。 その右目に浮かぶ感情のないアーモンド形の瞳は、ヒトの心の奥底まで覗き込んできそうな気がして、イリスの頬に冷たい物が伝った。
 
「あん?――――あぁ、これかい?」
 
 少女の視線の先が何であるかを察したアイリーンは、眼帯を指で叩くとニッと歯を剥いて笑った。
 
「可愛いだろう、これ? ミリィのヤツが縫ってくれたんだ」
 
「は、はい……。 可愛い、です」
 
 頭から先に食べるのがいいか、それとも足から食べるのがいいか。 そんな言葉を狼から投げかけられた旅人とは、さながらこのような心境なのかもしれない。
 
 実に威圧的な笑みを湛えながらも、アイリーンは手先だけは器用にジャガイモの皮を剥き続けている。 ガラス細工のような繊細な指先と、熾烈な使い込みに耐えぬてきた、業物のような鋭利な笑みを浮かべる彼女の姿は、ある種の矛盾を綺麗に合致させて出来た奇跡の絵に見えた。
 
「だろぅ? アタシはああいう細かいのは、からっきしでね。 そこをな、ミリィのヤツが―――――。」
 
 昔を思い出すかのように、しんみりとした口調でそこまで言いさしたアイリーンが言葉を止めたのは、なにも続きの言葉が出てこなかったわけではない。 明らかに此方を意識しながらも、それでいて距離を詰めるでもなく、ただ様子を見ているだけの気配を、アイリーンが持つ動物じみた感覚でもって肌で感じ取ったからだった。 それも、経験と感覚からいって無視できない手合いのものある。
 
「悪ィなイリス。 ちと野暮用が出来たから、席外すぞ」
 
「え? あ、はい……。」
  
 イリスが一生懸命芋の皮を一つ剥き終わる間に、アイリーンは十個目をボウルの中に放り込んだところだった。 何度か厨房へと足を運び、ほんの少しではあるが刃物の使い方のコツが分かってきたイリスであったが、まだまだアイリーンとの差は圧倒的であった。 ただの素人と比較すること事態が可笑しな話ではあるが、それでも数百という人間の胃袋を満足させる大厨房の副料理長の面目躍如といったところだろう。 都合よく皮を剥き終わったアイリーンは厚みのあるナイフを収めて立ち上がった。 それから数歩足を動かしたところで何かを思い出したのかイリスの方へ振り向いた。

「あぁ、そうだ。 包丁は刃物が手前に来るようにしてから剥け」
 
「わ、分かりました。 覚えておきます」
 
「よし、いい子だ」
 
 イリスの返事に猛獣の笑みを浮かべると、アイリーンは厨房全体が震撼したと思うほどの大声音で吼えた。
 
「お前たちィ! アタシは今から外に出るが、その間、サボったりしてたらアタシが直々に三枚に下ろしてやるから覚悟しときな!」
 
『ヘイ、姐さん!』
 
「だから、姐さん言うなこのボケナスどもが!」
 
 都合よく近くにいたコックの臀部を膝で蹴り上げると、アイリーンは苛立たしげな表情もそのままに厨房を後にした。 まるで嵐のようにイリスの許にやってきたと思ったら、旋風のように去っていくアイリーンの行動の素早さに、少女は驚きと戸惑いに目を白黒させているだけで精一杯だった。 彼女は獲物が狩れない手合いだと分かったら、すぐさま身を翻す太古の森に住まう狼たちのそれだ。
 
「ひゅー、姐さん絶好調」
 
「あぁ、姐さんは今日も輝いてるな」

 アイリーンが厨房から立ち去る姿を、コックたちは油断なく窺ってから彼女の気配がないことを確かめると、各自が軽口を交えた雑談を始めた。
 
「いつもながら姐さんの蹴りのキレは最高だ」
 
「応さ。 鍋と包丁だけで此処まで上り詰めた腕っ節は、伊達じゃねぇってことだ」
 
 互いが絶妙な合いの手で言葉を重ね合い、アイリーンを賞賛する言葉を口々にしていく。 もしこの場に本人が居ようものなら、顔を真っ赤にさせ怒鳴り散らしながらここに居る全員の尻を蹴り上げていたことだろう。 そんな和気藹々と、軽口を叩き合いながらも仕事の手は止めず料理を仕上げていく中、臀部を蹴り上げられ、もんどり打っていた青年が漸く復活の兆しをみせていた。

「たはは、尻が横に割れるかと思った………。」
 
 ぽつりと呟いた青年の台詞が雑談で賑わう厨房に放り込まれると、まるで酒席で笑えない冗談で場が白けた時のような空気が周囲に充満した。

「あ? おいリロイてめぇ、我らが姐さんの愛の鞭を素直にヨロコべねぇってのか?」
 
 厨房で作業する男達全員がギロリとリロイと呼ばれた男を睨み据え、骨付き肉の形容を整えていたコックが、ダンッ、と肉切り包丁で骨ごと牛肉を両断してみせてから言葉の続きを引き取った。
 
「おめぇ……。 最近、姐さんに叱咤"してもらえる"こと多すぎだよな? まさかワザと近くまで寄って、姐さんの気を引こうなんて不貞ぇ考えしちゃいねぇだろうな?」
 
「はは……、ま、まさか……。」
 
 どうやらリロイの厨房での立場は低く、尚且つ、先輩コックたちからの受けがあまりよろしくないらしい。 彼らと少なからず交流を重ねてきたイリスから見ると、皆の反応はやや攻撃的すぎるような気もするが、完全実力主義の男の世界ではこれが当たり前なのかと、この頃はそう納得していた。 それだけ、彼らが料理へと向ける気持ちは熱く、だからこそ出される食事も出来栄えも味も完璧なのだろう。
 
 実際イリスも賄いで出された食事には、大いに満足させて貰っていた。 簡単、手早く、と手間隙をかけずが標語であるはずの賄いが、ここの料理人たちの手にかかれば定食屋の看板メニューになっても可笑しくない代物に変身するのだから、それだけで彼らの腕前が一流であることが窺い知れる。
 
 今は、ジャガイモの皮むき程度しか戦力にならないイリスであるが、それでも足繁く厨房へ仕事を貰いに行くのは、家女中など厨房とは別の仕事を割り振られたメイドたちへ出される食事には無い裏メニューに心惹かれていたからでもあった。
 
「また始まった………。」
 
「ほんと、男って馬鹿ねぇ」
 
「え?」
 
 哀れリロイ青年が豚の丸焼きの刑に処させるか、という審議に入ったときイリスの近くで作業をしていたキッチンメイド達が深々と溜息を漏らす。 どうやら、アイリーンの目が届かなくなると、毎度こうした遣り取りに発展しているらしい。 彼女たちがその瞳に宿して男達を見る色は、遠くから吠え掛かってくる野良犬でも見るかのような淡白なものだった。
 
「未だまともなリロイ君も、災難よねぇ……。」
 
「まぁ……ね」
 
「??」
 
「でも私、彼も直ぐに染まっちゃうって思ってたんだけど、意外と芯がしっかりしてるよね」
 
 白磁の器を磨きながらも、メイドたちは仕事の合間を縫うかのように会話を重ねていく。 口が動いていても、動かす手に淀みがないのは年期の違いが成せるものか。

「あぁ、分かる、分かる。 ナヨっとしてて、頼りなさそうな割りには、アイリーンさんの影響受けてないよね」
 
「もう、アイリーンお姉様強すぎですよー。 もっと夢見させてほしかったですよー。」
 
「あははは。 長いものには巻かれろってことじゃない? 男っていつまで経っても強い人に憧れちゃう子供だから」
 
 呵々と憚りなく口を開いて笑い声をあげ、腕まくりをしながら、皿を磨き上げていくメイドたちの姿は、ひどくどっしりしているように見えた。 ただ実用本位の凄味といえばいいのか、火を扱う場所ということもあって、熱を逃がすため胸元や腕などの肌の露出が多いこともあり、それはそれで、とても魅力的に映った。

「あーあ、もっと大人な雰囲気漂う殿方が、わたしを此処から連れ出してくれないかしら?」
 
「なら、あと数年待ってみたらいかが?」
 
「うん?」
 
 メイドたちが一斉にきょとんとした顔で聞き返す。 イリスも思惑が分からなかったので、自慢の耳を一度だけピクッと動かして聞き耳を立てる。
 
「若芽も時が立てば、大樹になるものよ。 それが待てないなら、貴女が磨いて育てなさい」
 
 その答えに皿を磨いていたメイドは軽く顎を上げて、唇を片方だけつり上げた。

「うふふ。 わたくし、こう見えても磨くことに関しては、一日の長がありましてのことよ?」

 流した浮名は数知れず。 どこぞの看板娘に納まっていれば、その店はさぞや繁盛したことだろう。 それを間近で見ることの出来る立場にありながら、そんなメイド達の輝きに気が付かないとは、男と云う生き物は心底見る目が無い、とイリスは誰に知られるでもなく溜息を漏らす。
 
 砥ぎ師の腕が一流でも、磨くべき石がただの礫では腕の振るい甲斐がないというものだ。 イリスは未だ土の中に埋まっている宝石候補の方を向いて、息をつく。 見れば男達はリロイ青年をハムの如く締め上げて、火で炙るか、蒸すか、と未だ審議の真っ最中であった。 その姿を見てイリスはメイドたちに習い、ぼそりと呟いた。
 
「男ってほんと、バカね………。」
 
 森を熟知したエルフ族の狩人の耳ともなれば、風の音だけで、息を殺した狼たちの頭数すら言い当てることができる。 そんなエルフ族の血を受け継いでいるイリス自慢の細長い耳は、此方に向ってくる獣の足音を確実に聞き取っていた。 音も無く獲物に差し迫るかのような、無駄の無い足運びは聞き違えるはずも無いものだ。 そう遠くない未来、足音の主が、この厨房に入ったときの咆哮に備えてイリスは、自分はさも関係無いとばかりに厨房の片隅でジャガイモ剥きに勤しむのだった。



 ◆ ◆ ◆ ◆ ◆



 太陽がいよいよ昼時に射しかかろうかという時間帯。 窓から差し込む光が、屋敷を賑わす活気となって人々に元気を分け与えている中、アイリーンは人気の少ない廊下の片隅へと足を運んでいた。 アイリーンは耳を澄まし油断のない眼差しで周囲に気を配ったあと、近くに誰も居ないことを確認してから、今まで真一文字に切り結んでいた口を開いた。
 
「――――おい。 用があるなら、さっさと済ませてくれ、アタシも暇じゃないんだ」
 
 有無を言わさぬ威圧を込めた呼びかけに、暫くの沈黙を置いた後、建屋の支柱の陰影が交差して出来た濃い影が人型に盛り上がる。 昼といえど陽光が届きにくい薄暗い廊下の片隅で、そのような怪奇現象を目撃しようものなら、悲鳴を上げて逃げ出したくなるのが普通だ。 しかし、アイリーンは見飽きた奇術でも眺めるかのような、淡白な反応に留まった。 やがて、黒一色に彩られたヒトガタが他の色を付けたときに露にした姿は、果たしてアイリーンのよく知る人物であった。
 
「お忙しいところ、申し訳ありません。 副料理長」
  
 語調は穏やかであるが、紫水晶色の瞳が真夜中の猫の目のように冷たくアイリーンを見据えていた。 薄暗い廊下に浮かび上がるのは、褐色の肌に黒を基調とした執事服。 月のような銀髪に厚ぼったく垂れ下がった長い耳とくれば、アイリーンが知る限りにおいてこの館ではただ一人だけである。 ダークエルフ族の執事、ソフィーヤだ。
 
「そう思うなら、時間帯を考えてくれよ。 アンタならそんぐらいこと分かってるだろ、ソフィーヤ」
 
「それは無論。 だからこそ、いま貴方の耳に入れて置かねばならないことなのです」
 
「あん?」
 
 ソフィーヤのもって回した言い方に、アイリーンは目を眇めた。 それを正面から受け止める執事は、普段通りの無表情を崩さず先を続ける。
 
「近日中に野良犬が残飯を漁りにきます。 処理場を掘り返されないよう注意してください」
 
 無論、本当に野犬などがここまで食べ残しを漁りに来るわけではなく、アスクの屋敷を探りに来る間者に注意しろ、と言外に言っているのだ。

「なんだ、また旦那はぞろ面倒臭い手合いに因縁吹っかけられたのか?」
 
「それはもう……。 男の嫉妬心で醜く頭髪を禿げ散らかした、女の腐ったような方に」

 街の有力者や商売敵をもっとも手早く調べ上げる方法が、相手が出したゴミを調べることである。 たとえ街中では見栄を張り、威張り散らしていたとしても、人目を気にしなくて良い家中で食す料理などは嘘をつかないからだ。 だから時として、街に根付く物乞いたちが一掃されたりすることがある。
 
 彼らは教会や町の有力者から施しを受け、日々を凌いでいる。 時にはゴミ場を漁ったり、目が見えない、などと嘘をついて相手の同情をかって貨幣を得ようとする者までいる。 だからこそ、だろう。 物乞いたちはどんなに小さな噂話であろうとも彼らは聞き漏らさない。 何処の街の教会は羽振りがいい、あそこの権力者は危険だから近寄るな、という塩梅だ。 施しを当てにして暮らしている彼らは、自然と街の有力者たちの台所事情に通じていく。 だから文字通り台所事情を預かるものは、細心の注意を払い廃物を処理する必要があるのだ。
 
「ふぅん……。 ま、誰が相手だろうがアンタがいれば、旦那は安泰なんだ。 なら、アタシも遣る事は変わんないね」
 
 窓の外へ視線を向けながら、アイリーンは何処か気怠げにそう言った。 彼女からすれば、ソフィーヤの忠告など今更に過ぎる。 故に、視線を銀髪の執事へと戻したとき、続きを促す言葉は用いず、ただ沈黙だけでアイリーンを呼び出した本命の用件を問うた。
 
「…………ご主人様が動かれます。 備えの程、ゆめ忘れなきよう」
 
「げっ、旦那が?」
 
 穏やかながらも淡々とした口調で語られた話の内容に、アイリーンは珍しく狼狽の色をみせた。 ソフィーヤの言う備えとは、万が一、アスクがフリッグ市内における拠点を失うような局面に至った場合、秘密裏に準備してある兵站保管庫をいつでも使えるようにしておけ、というものである。 つまり、いつでも戦を始められるだけの準備をしておけと、ソフィーヤは言っていた。
 
「あー………。 どこのボンクラか知らねぇが、そいつ頭ウジ沸いてるんじゃねえの?」

「副料理長の推察は概ね正しいかと」
 
 今後アスクと敵対するであろう人物に対し、もはや呆れるのさえ通り越して感極まったかのように、ぼそりと呟いたアイリーンだった。 それに反応を返すソフィーヤは相変わらず淡白なものである。
 
「うわぁ………まさか、本丸に攻め入ってくるような真似しでかすぐらいキレてる?」
 
 アイリーンだけでなく、メイド長であるシャルロットを始め屋敷内におけるソフィーヤの信任は、極めて大きいものである。 その彼女が戦に備える必要ありと、敵勢力の脅威度を認めた時点で、アイリーンはフリッグの港町が火の海に沈む未来すら確率の高い可能性として受け止めていた。 むしろアスクに喧嘩を吹っかけた大間抜けなどよりも、いざ事を起こした後に控えている、篭城戦など極限の状況を想定しなければならないことにアイリーンは肝を冷やした。

「そこは万事抜かりなく。 獲物の追い込みこそが狩の醍醐味ですから」
 
「あぁ、なんだ。 後はもう皮、剥ぐだけなのかよ」
 
「絞める時が、一番噛まれやすいといいます。 油断は煮込んで、腹に収めた後にしようと思っております」
 
 油断も隙も、そして一切の慈悲も躊躇も無いと宣言したソフィーヤに、アイリーンは感嘆とも呆れともつかない溜息を吐いて応えた。

「へいへい。 お見逸れしましたよ。 アタシの杞憂なんてとっくの昔に解消済みってワケですか」
 
 アイリーンは耳にたこができるほど聞き慣れたジョークを酒場で聞かされたかのような、二日酔いじみた憂鬱そうな目つきでソフィーヤを見やる。
 
「いえ、私とて万能ではございません。 副料理長たちのお気遣いがあればこそ、私も精魂を傾けることができるのです」
 
「よく言うぜ」
 
 語り手に似合わぬ謙虚さを、アイリーンは肩を竦めて笑い飛ばした。
 
「アタシに言わせりゃ、アンタはとっくに魔人の域に踏み込んでるよ。 "血塗れ"」
 
「おや? そういう貴方はどうなのでしょうか? "隻眼"」
 
 普段と変わらない静穏な口調で語りながらソフィーヤは、禁忌の名を口にする。 だというのに、アイリーンが浮かべる表情は昔を懐かしむかのような郷愁漂うものだった。
 
「刃と腕一本で、並み居る傭兵を未通女を組み伏せるかの如く扱ってきた百戦錬磨の女傑に、怪物扱いされるのは殊更心外です」
 
 普段のソフィーヤからすれば珍しい饒舌さで、他人の過去を混ぜ返した。 お互いに脛に傷を持ち、尚且つ、過去を知るもの同士だからこそできる戯れである。 そんな軽い――ソフィーヤからすれば撫でる様な――一撃からどのような切り替えしがくるかと身構えてみるが、しかしアイリーンの反応はソフィーヤが予期していたものとは全く違った。

「なっ! アタシは、お、おおお、未通女じゃねえッ!! エロい事いうな馬鹿野郎!」
 
「……………………いまの会話の何処から淫猥な匂いを嗅ぎ取ったというのです」
 
「う、五月蝿ぇ! バーカ、バァカ!」
 
 顔を熟れた林檎のように真っ赤にさせたアイリーンは、気が動転しているのか、普段の彼女では考えられないほど上擦った声を上げ、ソフィーヤに吼えてかかる。
 
「はぁ、いまだ卑猥と感じる単語には免疫がない――――。」
 
 呆れ混じりの嘆息を吐くソフィーヤが黙らないと分かるとアイリーンは、うー、と獣のように歯をむいて脅かすように唸った。 それを見て、普段は鉄の表情を崩さぬ執事も観念したのか、嘆息交じりに息を漏らした。

「えぇ分かりました。 私が軽率でした。 ですので、この話はお終いにしましょう」
 
「あったりまえだ! けったクソ悪い。 もう用件が済んだってんならアタシはもう行かせてもらうぜ」
 
 そう相手に確認を取りながらもアイリーンの足は既に踵を返していた。 彼女としては、巫山戯たこと抜かした執事の面をギタギタになるまで殴り飛ばして鬱憤を晴らしてやりたいのだが、そうするには生憎と相手が悪すぎた。 ソフィーヤ相手に腕試しと札遊びはするなかれ。 それがこの屋敷の不文律なのである。 故に一先ず吐き出したい文句を棚上げして、火照る顔を無かったものにしようとするかのようにアイリーンはズンズンと歩を進めていく。 そんな彼女にソフィーヤが不意に一言投げかけてきた。
 
『あともう一つ。 貴方に可愛いものを愛でる趣味があるのは理解していますが、イリスを甘やかすのは止めてください』
 
「あ?」
 
 ぎょろり、と並みのごろつきなら失禁しかねない眼光が振り向く。 しかしそこには視線を向けるべき対象の姿はなく、声だけが不自然な反響を伴い、何処からともなく薄暗い廊下に響いた。
 
『あれは此方の管轄、出過ぎた干渉は控えて頂きたく思います』
 
「あん? 厨房に居るうちはアタシらの、だろ。 なら、アンタにとやかく言われる筋合いはねぇな」
 
 一度周囲を見渡すが、声の主の姿は見当たらない。 アイリーンの前から霞の如く姿を消した執事は、もはや見せる気がないのか、あくまで声のみで会話を行う腹でいるらしい。
 
『えぇ。 ですので、持ち場から離れ忠告だけに留めております」
 
「ヘェ………。 なら聞けない相談だ、って言ったらアタシはどうなる?」
 
『別段なにも。 ただ公私を混同されなければ、それで構いません』
 
 それだけ言うとソフィーヤが、すっ、と遠のいたのを感覚で感じ取った。 アイリーンの予想に反して、ソフィーヤは奇妙なほどしおらしく我を折った。 意地を通さぬところみると、さては徒にアイリーンを刺激しないようアスクからいい含められているのか、さもなくばこの執事の独断専行ということだ。 最後の最後だけ姿を見せなかったのは、結局のところ、そこだけは"仕事"ではなく"遊び"でということだろう。
 
「ったく、種族の争いだか何だか知らねぇが、仲間内に不和持ち込むなよな………。」
 
 アイリーンはまるで項についた毛虫でも払い落そうとでもするかのよに、乱暴な手つきで髪を払った。
 
 いったい何を企んでいるのか知らないが、陰に隠れてコソコソとするのは生憎とアイリーンの趣味ではないし、興味もない。 よって先ほどの話は無かったものとして、彼女は結論をだして動くことにした。 もし、この決断で後々にどんな禍根が及ぼうと、それはそれである。 それでソフィーヤが着々と整えている舞台が、アイリーン一人の手によって想定外の方向に拗れるなら、その程度、という達観をもって舞台の幕が下りるまで待つ覚悟を決めた。
 
「あー………。 まったく、面倒臭い」
 
 アイリーンの雇用主が悪戯めいた催しを企てていることもそうだが、ソフィーヤがもし舞台袖の脇から忍び笑いで覗き見るだけの唾棄すべき行為を行ったのなら、灸を据えなければならないからだ。 なにも悪い遊びをしてはいけない、とは言わない。 ただ友人には上等な悪党でいて欲しいのだ。 やるなら徹底的にとことん突き詰めて、自らも舞台に上がって踊り倒せる洒落者であれば、それだけで一等舞台が映える。 ソフィーヤほどの綺麗所なら主役にだってなれる筈なのだから。
 
 アイリーンも口説き文句次第でなら、踊りに参加することも吝かではない。 ただ今は、どんな窮状にあろうとも目の輝きを失わない子役がどう化けるのか、が気になって仕方がないのだ。 だから、まだステップの踏み方すら知らない子供にも関わらず、つい骨っ節があるばかりに悪い遊びへ誘おうとする友人を袖にしたのだ。
 
「やれやれ……。」
 
 今後のことを思い、さも大儀とばかりに首の骨を鳴らすとアイリーンは、何事もなかったかのように踵を返し、自らの舞台である厨房へと戻るのだった。






あとがき

もし偶然にも、美人不良少女がヌイグルミとか可愛いもの抱きかかえてニヤニヤとしている姿を発見できたのなら、写メを撮って、アワアワさせてみたいです。 そして腹パン食らいたいです。

どうもギネマム茶です。

今回はイリスのお仕事内容を少々と、またもや新キャラ登場でした。
今後もちまちまと新しいキャラを出したいと思っていますが、一先ずはこれ位を区切りにしたいと思います。

今後は徐々に物語が加速できればと思います。

ではまた次回。



[32649] ヒャッハー! 第五話だ
Name: ギネマム茶◆aa993394 ID:65e8c4a0
Date: 2012/06/13 19:44
 海からの爽風に青々と茂る草原が、波のように揺れる。 丘の頂の古城から港町まで続く黄土色の細道から視点をずらせば、先に広がるのは大草原。 ゴロリと大の字になって空を見上げたのなら、さぞや爽快なことなのだろう。 そこで空に浮かぶフワフワの羊たちを眺めながら、ランチバスケットの中に入れてきたサンドイッチを齧るのだ。 きっと思い出に残るピクニックになるに違いない。 あぁ、中々どうして名案じゃあるまいか――――。
 
「イリス! 何処へ行くのですか!」
 
「ひゃッ!?」

 木陰で涼みながら一寝入りする、と云うところまで空想を膨らませていたら、不意にかけられた声にイリスは思わず身体を浮き上がらせた。

「あ、えっと! ご、ごめんなさい」
 
 その日、アスク邸で催される晩餐会の準備に追われ、朝から城中を駆け回っていたイリスは、あまりの慌しさのせいで、ついうっかり現実逃避しかけていた。 割り当てられた階段周りの清掃を終わらせれば、すぐさま女中頭であるシャルロットから次の仕事を命じられたのがつい先ほどのことである。 だというのに、上の空だったイリスは群れから逸れた羊の如く、ふらふらとあらぬ方向へ向おうとするのだから、これにはシャルロットであっても語調を荒げざるを得ない。

「イリス。 私は貴方にホールの手伝いに向いなさい、と申し付けましたね?」
 
「は、はい………。」
 
「なら向う先はそらちではないでしょうに……。」

 嘆息して視線をイリスから逸らす。 シャルロットの指示通り階下にそのまま進めば、目的地の玄関ホールがすぐ目の前にあるというのに、何故イリスは画廊へと続く道を進もうと思ったのだろうか。 だがそんな疑念は今のシャルロットには二の次である。 これからお客様を迎え入れなければならない忙しい時に、メイド一人の事情にかまけていられるほどシャルロットも暇ではないのだ。
 
 彼女はいま鋼鉄の意志を衣に纏ったメイド長として、館における家政全ての監督者とて使用人の統率にあたり、メイドの階級において最上位に位置する者として、不出来なメイドたちを躾けなければならない立場にあるのだ。 イリスたちメイドの一挙手一投足がそのままエイムブラ家の教育の深さ、つまり家格として他家から見定められるのだから、彼女はいついかなる時であっても教育に目を光らせる義務がある。 今も難所である階段掃除が無事に終わり、ほっと安堵の息を漏らして気を抜いていたイリスが、要らぬ醜態を晒さないよう気を引き締めさせるため、厳しく詰問していたのだった。

「ご、ごめんな―――。」
 
「申し訳ございません」
 
「はい。 申し訳ございませんでした」
 
 頭髪、着衣の乱れの無さなど当然のこと。 頭を垂れる姿勢と角度にもシャルロットは目を光らせる。 こうした日々の厳しい教育と、メイドたち自身の弛まぬ努力が成果を生み出すのだ。 これを怠るのであれば、その者はこの屋敷には必要とされない。 厳しいようであるが、生きる為に足掻かない者を養うほど、ここは寛容ではないのだ。
 
「よろしい。 以後、気をつけなさい」
 
「はい、メイド長……。」
 
 意気消沈。 そんな言葉を顔に書きなぐれば、今のイリスが出来上がりそうである。 そんな少女を見下ろすシャルロットの面持ちも、巌の如く硬い眼差しを向けているのか、泣くのを我慢して歯を食いしばっているのか判然としない微妙なものであった。
 
「…………行っていいわ。 ホールに着いたら、ノエルの指示を仰ぎなさい」
 
「はい、分かりました」
 
 普段は母のような優しさに溢れたシャルロットに叱られたせいで、イリスの肩が心なしか萎んでいた。 その背を見送るシャルロットの表情もまた蔭りが見える。 これではどちらが叱られていたのか分かったものではない。 もし、他のメイド達に見咎められようものなら、それこそ一大事である。 シャルロットは威厳の張り付いた仮面を急いで顔に被り直した――――。 その時だった。

 階下に向ったイリスの姿が見えなくなったその頃合を見計らったかのように、不意に背後から声をかけられたのは。

「――――――貴女の職務はなんですか、シャル? 貴女が必要だと思った処置を施したのなら、それが正解です。 地面を見るような真似はよしなさい」
 
「フィー…………。」
 
 夜空を舞う梟の如く、音もなくシャルロットの背後から声をかけてきたのは、この館の執事を勤めているソフィーヤだった。 その端正な容姿は大いに衆目を集めそうなものだが、むしろ人目に留まることなく風景の中に埋没するかのように行動できる陰形の術は、相変わらず冴え渡っているようだ。 つい先ほどまでイリスの視界に入っていたであろう位置に、堂々と佇んでいたにも関わらず、結局最後まで少女はソフィーヤの存在に気付くことが出来なかったのだから。

「副料理長があの入れ込みようでしたので、様子を見てみれば貴女も、ですか。 シャル」
 
「それは……。」

 つい先ほどまで行っていたイリスとの遣り取りは、余すことなく監視されていたのだろう。 ソフィーヤの含みのある言い方に、シャルロットの眼差しが険しくなる。 すぐにも普段の物柔らかな表情へと戻るものの、それでも突如として現れた執事への不審の色は隠しようがなかった。
 
「公と私は分けているつもりよ。 それよりもフィー。 貴女が何故此処にいるのかしら? ワインの選定はもう終わったの?」
 
 この屋敷でも使用人としての地位は最上位に位置するだけあって、互いに今日の勤務行動は把握済みである。 シャルロットが知る限りでは、ソフィーヤは来賓に備えて今はワインセラーへ赴いていたはずだ。 予定には存在しない場所にいるソフィーヤのサボタージュとも取れる行動に、シャルロットの鋭い指摘が入るも、だがそれすらもこの執事は予想済みなのか、彼女は何の痛痒でもないと云わんばかりの普段通りの鉄皮面のままであった。
 
「無論。 ヴィザールの北東ケニング地区、第二級の上作物……。 最高の一品を用意しました」
 
 淀みのないソフィーヤの説明に、シャルロットは黙って頷くしかない。 舌と鼻、そして知識の正確さは信用に値する人物の言葉だ。 彼女の選んだものであれば、という説得力も充分にある。 だがそれでも、ソフィーヤを良く知るシャルロットだからこそ釈然としない。
 
「ケニング地区の何処の、かしら? 物によっては、晩餐会に出される料理に合わないものもあるわ」
 
 そう呟いたシャルロットの言葉に、ソフィーヤは底知れぬ微笑を浮かべるのみである。 それを見て、メイド長としての彼女の直感が警鐘を鳴らしていた。
   
 ケニング地区といえば、十代ほど前のミッドガル王自らが、生産技術改良に力を注いだ『王の葡萄園』と呼ばれる場所のことである。 当時の若人が王の号令と共に村を興し、ワインを生産を主とする葡萄園が瞬く間に広まり、そのお陰で上流階級へ販路を広げた最高級ワインは、今では背伸びをすれば中流階級の者でも僅かながらではあるが、口に含むことが出来るようになるまでになった。
 
 タンニンの癖の強さと、酸味と渋みのバランスが程よく、風味に底力があるのがケニング地区のワインの特徴だ。 ともすれば癖が強い分、相性の問題は避けて通れないものとなってくる。 特に晩餐会などで振舞う場合には、ゲストの好みを把握した上で細心の注意を図って然るべきはずだ。 その程度の事、弁えているはずのソフィーヤなのに、何故彼女はあえて癖の強いケニング産のワインを選んだのだろうか。
 
「――――なにか、する気?」
 
「何のことでしょう?」
 
「………………。」
 
 視線だけで真意を問い質す。 この執事相手にそんな芸当ができるのは、この屋敷ではただ一人しかいない。 故にシャルロットはいつになく神妙に、抑揚を抑えた声で次を問う。
 
「主様は、承知しているの?」
 
「ご主人様から、とある一件について、全てを任せられている、とだけ」
 
 柔らかな口調でありながら、どこか素っ気無くソフィーヤが言った。 その言葉の真意はきっと、シャルロットの思っていることが正しい、ということだろう。 つまり裏に関わる事情からソフィーヤは、今回の晩餐会に招待された人物の中の誰かに、何かを仕掛ける気でいるということだ。
 
 そうシャルロットは結論付けた。 だが、それが突飛な発想だとは彼女は思わない。 ソフィーヤの様子を窺い、一つずつ可能性を潰していったら、そこへ到達しただけなのだ。
 
 ソフィーヤが数多存在する葡萄園の中で態々、ケニング地区産の物を用意したということ。 ケニング地区の更に小さく区分けされたとある場所に、見目麗しい少数部族が住まう深い森があるということ。 最近になってこの館に買われてきたイリスという名のエルフ族の少女の存在。 そして、本日のゲストの中には、女性の敵と呼んでも差し支えのない噂がしつこい油汚れのように付き纏う人物も居るということ。
 
 それらの情報を統合すれば、妖精が人をかどわかしたり、風の精霊が気紛れに物を攫わない限り、幼い少女が何故災難に見舞われ、この街にやってきたのか容易に想像でるというものだ。
 
 多少の道楽であれば詮索されず、遊興に現を抜かしても咎められない。 アスクが主催する晩餐会に招待された面子は、そんな条件に合致した人物ばかりである。 さぞや舌も肥えているに違いない。 そうであるのなら、きっとソフィーヤが選んだワインの産地が何処のものであるかなど、たちどころに理解してみせることだろう。 きっと癖の強いワインを口にして、その芳醇なる薫りと口当たりから、此方が驚くほどの反応を見せてくれる人物が、来賓の中に一人いたってなんら不思議なことではない。

 それにワインのような酔いの廻りやすい物を口に入れれば、きっと直ぐにでも酔っ払ってしまうことだろう。 そして酔っ払いとは得てして無茶な言動が目立つようになってくる。 恐らく気が大きくなりすぎるせいなのだろう。 強引に飲み進めていけば、酷いときなど記憶を飛ばしてしまうことだってある。 そう、時として致命的な発言すら忘却の彼方に置き去りにしてしまうほどに。

 そんな未来図を容易く想像できるぐらいには、シャルロットとソフィーヤの付き合いは長く深い。

「――――メイドたちに危険が及ぶようなことは?」
 
 シャルロットはしばし考えを暫し巡らせてから、条件付ではあるが、その返答如何によってはソフィーヤの悪巧みを事実上容認すると言外に口にした。 もとより彼女たちの主であるアスクの許可が既に下りている。 ならば、シャルロットに否はなかった。
 
「ない、とは言い切れません。 要らぬ粗相を犯し、エイムブラ家の家格………延いてはご主人様の顔に泥を塗るような者が出れば、その様な輩は、どのような仕置きを受けても仕方のないことです」
 
「―――――ッ!」
 
 柳眉を逆立てるシャルロットが何かを言う前に、さらにソフィーヤは言葉を継ぐ。
 
「無論、そのような失態を可能性といえど見過ごすような貴女ではないのでしょう、シャル?」
 
「……………えぇ、そうね」
 
 出かかった怒気を呑みこんで、得心したシャルロットは普段の柔らかな笑みを浮かべる。
 
「能力に不安を覚える子達は、奥に下げておきましょう」
 
「賢明な判断です。 あわよくばご主人様の隙を、虎視眈々と狙い続ける者たちも招かれていますから」
 
「目を光らせておくわ。 忙しさのあまりに上の空になっていた子なんて、特に」
 
 どこか張り詰めていた空気を混ぜ返すように、シャルロットがくすりと微笑んだ。 対するソフィーヤの瞳がさも愉しげに揺れた。
 
「そうして下さい。 長い一日となるでしょうから、貴女も休める時に休んでおくことを薦めます」
 
 ふと、そう投げかけられたソフィーヤの言葉は、会話の流れどおりに受け止めれば、これから行われる晩餐会への準備、そして後の片付けの事を労わってのもの、であろう。 だが、それでも内に秘められたどこか予言めいたソフィーヤの言い回しに、不吉な意味合いを感じ取ったシャルロットは、笑みを引っ込めて表情を引き締めた。 
 
「…………それを伝えたくて、私の所まで態々来てくれたの?」
 
「貴女には、下手を打って欲しくありませんから」
 
 それは表面上、話が成立しているのに今までの会話とまったく繋がりのない物を匂わす発言だった。 無論、それだけでしかない僅かな違和感を見逃すシャルロットではない。 ソフィーヤの言いたいことを正しく理解した彼女は、眉根を下げて大きく息を吐いた。
 
「あまり脅かさないで欲しいわ。 私にそれだけの器量がなければ、それまで………。 と言いたいのでしょう?」
 
「さて、物事を見誤りませんよう私は祈るばかりです」
 
 言葉尻を捕らえられないようにワザと、どうとでも解釈できる言い回しをするソフィーヤはまるで無慈悲に、容赦なく目的だけを達成させる死の商人のようだった。 だがそんな言葉を聞いて、怒りや悔しさに表情を歪めているようでは使用人としては二流である。 たとえ心に疚しいものを忍ばせていたとしても、知らぬ存ぜぬの無知を装った笑みを浮かべるか、不敵に口元をつり上げて笑い返せて、初めて一人前と呼べる。 笑みとは時として何よりも頼りになる武器となるのだ。
 
「えぇ、貴女の忠告。 心しておきます」
 
「………………。」
 
 果たしてシャルロットが湛えるのはツンと澄ました猫のような微笑だった。 そんな一筋縄ではいかないメイド長にソフィーヤは降参だとばかりに肩をすくめた。
 
「流石はシャル。 理解が早くて助かります」
 
「貴女は、物事を婉曲にを言い過ぎよ。 そんなんだと、いつか性根まで捻くれちゃうんだから」
 
「私のは、冷めすぎて丸まっていますから。 ご主人様に報告を入れる前に失礼がないよう、誰かさんに温めて引き伸ばして貰おうかと思いまして」

 無表情でありながら、からかい混じりの語調で切り替えしてきたソフィーヤにシャルロットは呆れるでもなく、むしろ微笑みすら湛え、古い付き合いになる親友を見つめ返す。 しかし次の瞬間にはとっておきの悪戯を思いついた子供のように、だが大人の女性である彼女は艶然と静かに微笑んでいた。 

「あら、それはいけないわ。 ふんぞり返って腰を曲げることを忘れてしまっては困るもの」
 
 無論シャルロットは、ソフィーヤが胸をそり返すような横柄な態度を取るとは思ってなく、わざとらしい執事の口上にわざとらしく付き合っただけである。 言うなれば、これは彼女たちのじゃれ合いなのだ。
 
「老君は腰と性格を曲げると言いますが、弓のように反り返れるのは、若者の特権でしょう?」
 
「若鶏は肉は柔らかいけれど、出汁にはならない。 老鶏は筋張っているけれど、煮込めば骨と共にとても良いスープになるそうよ?」
 
「ほう……。 なら、明日から鍋を枕にして寝ることにしましょう」
 
 悪戯っぽい口調。 それに合わせるシャルロットもまたどこか気楽な、剽げた語調で返した。

「それは、頭が柔らかくなるから?」

「固すぎて、歯噛みされるよりはマシでしょう?」

 ソフィーヤの問いにシャルロットが眉根を下げて困り顔をしたのは、上手い返しが思いつかなかったからではなく、思わず笑い出しそうになったのを必死に堪えているからだろう。 激務の合間に止まり木で羽休め。 シャルロットは今が仕事の途中であると云う事を忘れてしまい、ソフィーヤとの会話をいつまでも楽しんでいたかった。
 
 だが、そんな誘惑に負けてしまうほど、彼女たちは子供でもなく無責任でもない。 立ち話を始めてから今に至るまでの経過した時間を考えれば、そろそろ羽根を羽ばたかせなければならない頃合である。
 
「なら、明日から調子の変わったフィーを見るためにも、今日は失敗できそうにないわ」

 心底残念だ、と思いながらシャルロットは居住まいを正してそう言った。 それを見てソフィーヤの紫水晶色の瞳が鋭さを増した。 これでお仕事再会である。
 
「それは重畳。 此方も愉快な明日を迎えるためにも、今日の勤めを終わらせると致しましょう」
 
 肩を竦めてから、ソフィーヤの足はアスクの居る執務室へ。

「貴女はいいわね。 私なんてこれから長い一日になるそうなのよ?」

 そう言ってシャルロットは、ソフィーヤの用意したワインと、晩餐会に出される料理との相性を確認するため厨房へと向った。 もし急な変更が必要があったとしてもアイリーンの腕前であれば、難なくこなしてくれることだろう。 とはいえ、愚痴の一つは聞かされることは覚悟しなければなるまい。 全くもって割りの合わないが、それがメイド長であるシャルロットの仕事なのだから仕方ない。
 
 近い未来、雇用主に同労者らに背負わされた精神的損失を鑑みて休暇を申請したいところである。 ここ最近は、下の者達に任せて街に買い付けにも出ていない。 やや固めの細長い蜂蜜とバターを何度も丁寧に塗ったパンや、牛肉や豚肉を薄く切って刺した串焼きも食べたいところだ。 流行に聡い客間女中の子たちの話しでは、今は珊瑚や真珠を填めた銀細工や、薄手の明るい衣服が当世風な恰好だという。
 
 もちろん、指輪や毛皮の服などといった贅沢が出来るのは貴族のような心や金銭に余裕のある者たちに限るのだが、シャルロットは街を見て回れるだけで十分に楽しめた。 街中を練り歩き、時折ふと足を止め、活気に満ちた露天や店先に並んだ女性向けの品物を眺めたりするだけで幸せな気分に浸れる。
 
 それを虚しい行為だと思うなかれ。 空想を膨らませて楽しむのは、淑女であれば誰であれ嗜み程度には備えているものなのだ。 何より安上がりであるということが、世の女性の人気を博している理由の一つである。 加えて、これを肴にお喋り会に発展することなど、川の水が上から下へ流れる事と同じぐらいに当たり前であり、世の心理なのだ。 だが…………。
 
「きゃんッ?!」
 
 そんな逞しい空想も時と場合を弁えないでいると、壁に激突するような間抜けを晒すことになる。 子は親に似る、と言うが上司と部下の関係も似たようなものなのかもしれない。
 
「いたた………。」
 
 シャルロットは赤くなった額を擦りながらよろよろと立ち上がると、コホンと咳払いを一つ。 次いで素早く視線を巡らして誰にも見られていなかったか確認を取る。
 
「…………………。」
 
 どうやら誰にも見られていなかったようである。 ほっと安堵の吐息を漏らしつつ、シャルロットは気恥ずかしさからか、そそくさとその場を後にした。

 未だ屋敷の中が蜂の巣を突いたような騒ぎの中にある。 普段通りの落ち着いた雰囲気を取り戻すには、今しばらくの時間を要するようだった。 シャルロットが屋敷内の整い具合をを歩調も緩やかに監視していると、不意に彼女を呼ぶ声が遠くから聞こえてくる。

「メイド長ォ~。 メイド長は何処ですかー」

 シャルロットを必要としているメイドたちの足音がバタバタと近付いてくるのを耳にして彼女の形の良い眉が僅かに吊り上がった。 女中たる者、埃が舞うようなはしたない歩き方など言語道断である。 美しい水鳥がその実、水面下では必死になって水かきをバタつかせているのと同じように、メイドたちはさも涼しい顔を装いながらも丈の長いスカートの中では、小刻みに両足を動かして全速前進、というのが出来て当然の嗜みなのである。
 
「まったく………。」

 先ほどの自身の醜態など存在しなかったかのように溜息をつく。 シャルロットを呼ぶ声が徐々に近付いてくるのを耳で確認しながら、彼女は吐き出した空気を肺に溜め込むかのように大きく息を吸い込んだ。 そして次の瞬間、彼女の肺の中に溜めた息が、雷へと変換され屋敷中の空気を軋ませた。



 ◆ ◆ ◆ ◆ ◆



 暗澹たる思い。 持て余し過ぎて、吐き出す事すら出来なくなった巨大な癇症を可能な限り意識すまいと、今日もガームラ・ウプサラ・ニコラスはアルコールに耽溺していた。 何事であれ希望が絶望へと流転した時ほど心を病むものはないだろう。 今のニコラスにはそれが痛いほどよく分かる。 きっと今まで彼が海に沈めてきた愚か者たちや、様々な趣向を凝らしてもてなしてきた可憐無垢な少女たちも、きっとこんな気分だったに違いない。
 
「あぁ………僕の天使よ。 いま君はいったい何処にいるんだ?」
 
 深い溜息とともに眦には涙さえ浮かべた彼の悲嘆ぶりには、事情を知らない者であれば誰であれ同情したに違いない。 無論、湾岸都市フリッグにおける市井で噂になっているニコラスの『趣味』を耳にしたことがなければ、の話であるが。
 
 彼は倒錯した特殊な嗜好を持つ、所謂嗜虐の徒、と呼ばれる人間だった。 女と呼ぶには未発達な可愛らしい身体と声の少女たち。 脆くて臆病で、天使の囁きのような悲鳴は、彼の耳をいつも甘く蕩かせてくれた。 特に気に入った子供などは、永遠にそのままの姿でいてもらう事にしたり、日常生活の一部となることもしばしばだった。
 
 フリッグの街ではニコラスは暴君さながらの振る舞いが許される地位にあり、それに難癖をつけれるような剛毅な人間が居なかったことも、彼の無道な振る舞いに拍車をかけていた。
 
 とわいえ、そんな貴族らしい優雅な余裕を持つ彼であっても如何ともし難いことは、やはり存在してしまう。 かれこれ数十人あまりの犠牲者を餌食にしてきた彼だったが、既に思いつく限りの手法を試しつくしてしまったニコラスは、人間<ヒューマン>の子供とは毛色の違う者であったり、年齢や肉質に気を使ってみたりしても、もう以前のような心の高鳴りを感じなくなってしまったのだ。
 
 そんなモチベーションの低下という由々しき事態を打開する為、彼は思いきった奮発をしてみることにしたことが、今の彼へと繋がる全ての始まりであった。

 天上の美とも謳われるエルフを手中に収めんがために、あらゆる艱難を排し事に及んだニコラスだが、無事商品の買い付けを終えてあとは二週間ほどの時間を恋焦がれる乙女のような気持ちで待ち続ければ良いだけのはずが、気を揉んで待つ彼の許にようやく届いたのは、沈鬱な面持ちの年老いた家僕からの凶報だけだったのだ。
 
 盗賊か流れの傭兵の手によるものか、何れにせよニコラスの恋は無頼の輩の非道によって引き裂かれ成就することはなかった。

 当然、そんな認め難い現実を甘んじて受け入れるようなニコラスではない。 ガームラ・ウプサラ・ニコラスの威信に賭けて、彼の天使を悪漢どもの手から救いだし、このような非法を仕出かした輩には恐怖というものを徹底的に理解させてやらねばならない。
 
 そのとき、何の前触れもなくニコラスの自室に響いたノックの音が、彼の諸々の想念を断ち切った。
 
「………なんだ?」
 
 ニコラスが呟くような声で応じると、老年の家僕がするりと部屋へ入り込み、彼の耳へ一報を告げる。 話を聞き終える頃には、ニコラスの眼差しには先ほどまでの沈鬱な表情はどこにもなく、怜悧な鋭さがそこにはあった。 主への報告を済ませれば、そそくさと部屋から退出した家僕のことなど既にニコラスの頭には片隅にもない。
 
「クク、なるほど、なるほど………。 エイムブラの豚が……。」
 
 フリッグの街に住まう者たちは、法なき街の法を心得ている。 街の出入り口や市場の近辺と、各所に張り巡らされた情報網には様々な獲物が飛び込んでくる。 当然、与太話を吹き込んでくる馬鹿者も世にはごまんと存在するのが普通だが、ニコラスが管轄する場でそんな勇ましい行為に及ぶような人間はこの世には存在しない。 彼の耳に届くのは蒸留済みの高純度の真実のみである。 が、その情報元が何処の誰か齎されたものなのかなど、ニコラスにはどうでもいい。 どうせ、アスクに対し深い怨恨を懐いている何処かの誰かなのだろう。
 
 そんなことよりも、いま彼が関心を向けるのは、フリッグの街を抜けた先にある小高い丘の上に建つアスクの屋敷に、ニコラスの想い人が囚われている、という事実である。 

 抑えきれぬ笑いが、ニコラスの喉の奥から沸いて出た。 歓喜すら伴う武者震いが総身を駆け抜ける。 高じ過ぎた憎悪とは喜びと表裏一体であることを、ニコラスはこのとき初めて知った。
 
「クハハハハ……あのブタめッ! オークを胎盤にして生まれた蛆虫風情がよくも、よくもッ!!」
 
 待ち望んだ時がきた。 年来の怨敵に向け双眸血走らせ、ニコラスは圧搾されていた憤怒の感情の捌け口をついに見定めたのだ。
 
 アスク・エイムブラ
 
 高貴なる血を蚊ほどにも通わせない、およそ人とも呼べぬ蛙の出来損ないの分際でありながら、高雅で優艶たるガームラ・ウプサラ・ニコラスからダークエルフの少女を奪い去った南京虫。 彼が焦がれた砂漠の妖精を横から掠め取っただけでは飽き足らず、今度は森の天使までニコラスから略奪しようという、憎んでも呪ってもなお足りぬ怨敵。 そんな奴がのうのう悪徳の限りを尽くし、清廉なるニコラスが恥辱に塗れる。 そんな理不尽、そんな不条理がこの世に罷り通って良い筈がない。 

 今こそ昔年の恨みを晴らすのだ。 嘗て味わわされた屈辱を帳消しにし、否、倍にして返してやる時がきた。
  
 アスクを殺すのは後回しでいい。 まずは奴が築き上げてきたものを根こそぎ奪いつくし、常にニコラスを見下し続けていた愚者を絶望のどん底に叩き落してやる。 挫折と屈辱にまみれたアスクの顔の顔を思い浮かべただけで、腹のそこから喜悦の笑いが込みあがってくる。
 
「溝鼠め……。 漸く報いを受けるときが来たようだな」

 本来であれば、代を重ねた高貴なる血を受け継ぐニコラスと、オーク豚の出来損ないでのアスクとの『格』の差など比べるべくもない。 ここ最近になって小金を稼いだ程度で得意絶頂になっなっているアスクなど、乞食も同然だ。 だが、貴紳を自負するニコラスであってしても、金儲けに明け暮れ心身共に醜く肥え太った野豚のような男のことで、これ以上思い煩うということは、あまりにも不快の度が過ぎた。
 
「ククク、この街が誰の物であるのか。 それをとっくりと教えてやろう……。」
 
 もはや血をもってしか鎮めようがないのか、ニコラスの双眸には異様な光が宿っていた。 今であれば山をも動かせるに違いない。 それだけの力が腹の底から沸々と沸き上がってくるのをニコラスは感じていた。 思い描いた未来が現実のものになるのも近い。
 
 そんな妄想に酔いしれて、笑い転げるニコラスを余所に日は刻々と暮れていく。 宴の時間まで、もうまもなくである。






あとがき

最近になって強気受け、というものの良さが分かってきたような気がします。
どうもギネマム茶です。
 

いや、駄目ですね。 神算鬼謀とか権謀術数なんて単語が似合う頭の良い会話させようと思って見事に詰まって失敗していました。
書き手よりも優秀なキャラってこういう時に手を余らせます。
あぁ、出来ればお頭の良し悪しが分からない展開で進められればなぁ……。
 
この山場が終わったらまたほのぼの展開が書ければ、と思っています。

後、次回の投稿から『オリジナル』版に移動しようと思いますので、その辺りのことはご承知してください。

ではまた次回。




[32649] ヒャッハー! 第六話だ
Name: ギネマム茶◆aa993394 ID:0e79e9f3
Date: 2012/12/03 19:06
 茜色に染まった空が徐々に青みを帯び始め、群青色に差し掛かった頃。 人々は夜の闇を厭う様に、営みの場を外から中へと移し変える。 酒場に足を向ければ、給仕の女たちが忙しなく駆け回り、男達の野太い笑い声で溢れかえっていることだろう。 家屋に目を向ければ、仲睦まじい夫婦や親子の会話が聞こえてくるに違いない。 それは絶えることなく繰り返されてきた日常の夜。
 
 しかし、そんな平穏な夜が許されるのは、市壁の内側だけである。 夜の街の外へ一歩踏み出せばそこはもう闇一色に染まり、遠くからは野犬や狼の遠吠えまで聞こえてくる危険地帯なのだ。 これが普段の夜であれば、旅人などは身を震わせながら野宿したことだろう。 だが、その日だけに限っていえば、黄土色に踏み固められた小道より少し外れた場所で眠る者たちの表情には安堵の色があった。
 
 湾岸都市フリッグから九十九折の細道を抜けた先にあるアスクの屋敷までの道のりに、その日、要所要所でかがり火の用意があった。 アスク邸で催される宴の参加者への道しるべである。 他にも篝火が用いられている理由を強いて挙げるとするなら、ゲストを強く怨むような輩が不埒な行動を起こさぬよう見張るためだ。
 
 いや、むしろ、襲われる側がアスクの主催する宴に招かれる者たち、ということを考えれば、襲う側に配慮してのものと言い換えても差し支えないだろう。 尻尾も取れない蛙の赤子であっても、蛇を前にして臆さない勇ましさを持ち合わせていたのなら、たとえ歯応えが無くとも食指が動かされることもあるのだ。 活きのいい得物は噛み砕かず丸呑みにして、胃袋の中で徐々に弱り朽ちていく様を愉しみにする者も今日の宴に招待されていた。

 まさに触らぬ神に祟りなしである。 

 そのような理由から今日だけは巨大な権力者たちの威を借りて、道の脇で高鼾をかいて寝ていられる旅人たちを余所に、粛々と進む馬車と人の一行は、まるで亡霊の行列のように音を立てず前に行く。 緩やかな蛇行を繰り返しアスクの屋敷まで煌々と光る炎の道は、まるで巨大な蛇のようだ。 海の恩恵に預かるフリッグの街には、そんな類の話は事欠かない。 あるいは、幾つもの勢力が犇く魔都だからこそ、だろうか。
 
 風が吹く。
 
 馬車とそれを護衛する一行は暗闇の中、小高い丘の上に建てられた古城から溢れ出す光源の下へ、生贄を祭壇に捧げる信徒の如く、静かに進んでる。 そんな揺らめく鬼火の群れを一番最初に出迎えるのは、エイムブラ家の執事の役目であった。
 
 徐々に闇の濃さが増す夜の帳の中、ソフィーヤは主の命を待つ猟犬のように佇んでいた。 彼女が対応した先触れは、今のところ五名である。 いずれも主に良く仕えている侍者たちのようで、常に袖口へ意識を払わなければならない癖者たちばかりであった。
 
 アスク邸に集うのは、いずれも『エイムブラ』の名に勝るとも劣らぬ百戦錬磨の剛の者たち。 当然ながら疚しい過去を持たない清廉な者など一人としていない。 いずれも運び屋、奴隷商、口入れ屋など他人の不幸を貪って栄華の階段を上がり続けた者たちである。
 
「あらあら、まあまあッ! 久しぶりねソフィーヤちゃん!」
 
 馬の太い嘶きと共に馬車の足が止まった途端に、中から飛び出てきたのは朝焼けに染まった麦穂のような金髪の女性。 重ねた年月すら感じさせぬ円熟とした美貌を惜しむことなくソフィーヤに押し付けるのは、フリッグの街を中心とした一帯の女衒たちの総元締めとして君臨するマダム・トリシアだった。 彼女もアスクが主催する宴に呼ばれたうちの一人で、決して粗相を犯してはならない相手である。
 
「お久しぶりです、マダム」
 
「ンもうッ! マダムなんて他人行儀な言い方はダメダメ。 トリシアって呼んで頂戴」
 
「マダムと懇意にさせて頂ける事は嬉しく思います。 ですが私はエイムブラ家に仕える身、故……。 マダムのご好意はありがたく頂戴致しますが、平にご容赦の程を」
 
 豊満な体躯を押し付けてくるマダム・トリシアに思うことが無いわけではないソフィーヤであったが、何とか謝辞を口にして切り抜けを図る。 トリシアに好意を向けられることは、ソフィーヤの―――ひいてはアスクにとってプラスになる事だ。 しかし、だからこそ彼女の前では、ただの一挙手とも間違いは赦されないのだ。
  
「あらヤダわ水臭い。 でもそうね、アスク坊やが嫉妬したらいけないから、今はこれぐらいにしておきましょう」
 
「では、またの機会があった折には……。」
 
 圧倒的な双山の圧迫から開放されたソフィーヤを見つめるトリシアの顔は、我が子をあやす慈母もかくやという柔和さだ。 しかし、その表情に騙されるなかれ。 彼女はアスクが産湯に浸かっていた頃には、教会の紋章や王国や帝国の旗をその時々に切り替えては担ぎ、女の武器で男達をきりきり舞いにしてきた毒婦である。 ほんの僅かでも気を許そうものなら、次の瞬間には頭から貪り食われていても何ら不思議ではないのだ。

「そうそう、坊やに愛想を尽かして出て行く気になったら、私のところにいらっしゃいな。 ソフィーヤちゃんもだけど、天使のような可愛い子なら最高の待遇で迎え入れる用意があるわよ?」

 なんとも返答に困る言葉を残して館の中へ消えていくトリシアを見送って、ソフィーヤは溜息を一つ。 彼女の主であるアスクとトリシアの関係はお互いに小細工を抜きにした紳士的なものである。 しかし、伏せ札を持たない両者でもない。 諜報戦<化かし合い>において歴戦の老練家たちを容易く出し抜ける、などと自惚れるようなソフィーヤではないが、それなりの自信と自負は持ち合わせている。 だというのに、国の裏の裏まで知り尽くしたトリシアの前では、ソフィーヤですら初潮を向かえる前の小娘扱いである。
 
 小高い丘の上に聳えるアスク邸を目指し、細道を上ってくる者たちとは、つまりそういう人物たちなのだ。 流石アスクの知友と言うべきか、あるいは矢張り怪物と言うべきか。
 
 招待客が全員揃うまで、あと何度このように出迎えをすればいいのだろう。 まだ到着していない客人を頭の中でリストアップすれば、さしものソフィーヤですら緊張を隠しきれない、壮々たる面子の揃い踏みだった。
 
 館の中から灯りと一緒に漏れ出る笑い声の主たちの正体を探り、長年彼らを追い続けていた監察官がその場を目撃しようものならきっと卒倒したに違いない。 ミッドガル王国のみならず、各国にまでその悪名を轟かせる黒社会の雄が一堂に会し、ささやかな世間話を交わそうというのだ。 誰が聞いてもぞっとしない話であろう。 唯一の例外を除いて―――。
 

「はははは」
 
 屋敷の奥、客人を持成す数ある部屋の中でも、最も上等な部屋は、いま窮屈に感じられた。 しかし、それは部屋自体が狭いからではない。 壁際や部屋の中央など、各所から聞こえてくる情報の波が濁流となって、部屋の外にまで溢れんばかりの勢いとなっているからだっだ。 砂漠の国からはサフランや胡椒。 鉄と炎の帝国からは家具材に使われる高級木材。海を隔てた先にある島国では羅紗や衣服。 それらの商品を何処の誰が欲しがり、何をどう売りさばくのか、そんな話が部屋の隅から隅まで飛び交っていた。
 
「ほぅ、では矢張りグルヴェーグの侵攻は頭打ちか。 となれば、武具の類はじきに鉄屑と変わらなくなるが……。 いや、幸いにもうちの船は馬で儲けさせてもらったよ」
 
「それは羨ましい。 今年は干草の質が良かった為か、馬もよく食べてくれる。 これなら私も安心できそうですよ」
 
「何を仰るか。 エーデンドッドの麦は相変わらず不作知らずな様子。 アレだけよく実った麦を毎年見せられては、粉屋も其方に目が釘付けでしょうに」
 
「あぁ、釘といえばヴァーリ地方で良い鉄が取れる場所が見つかったと云う話を耳にしたな……。」
 
「その鉱山地区というのはあれだろ、見つけたはいいが独自開発がほぼ不可能なことを理由に、近隣の貴族様が『援助』に乗り出したという? お陰でこっちのお得意さんの貴族様方が街道整備と物流促進に乗り気になってくれて大助かりだよ」
 
 部屋から溢れ出る会話だけを聞いていたら、ここが一体どこであるのか混乱してしまうことだろう。 各種の専門の人間が寄り集まり、自身の分野と重なり合う話から話題を広げていくだけで各地方の情勢が丸裸になっていく。 荷馬車に荷を積み各地を練り歩く行商人からみても、それはまったく空恐ろしい情報伝達の速さと確度だ。
 
 華やかな宮廷で交わされる貴族たちの会話とは違い、実利を追い求めた資産家たちの会話は、いっそ泥臭さすら匂い立つ。 だが、その匂いを厭うような人間はこの場には存在しない。 ここに集う者たちは、ダンスや遊猟よりも儲け話とちょっとした娯楽が大好きな、頭だけが一足先に天上の門を抜けてしまった罪深い連中なのだから。
 
「うひゃー。 あそこにいらっしゃるのは『シーサーペント傭兵団』率いるリューネブルク卿に、あっちは『バーゼル商会』のバーゼル様………。 危険な男たちが選り取り見取り……コナかけたいわぁ」
 
「はいはい、アンタは向こうで飲み物を配ってらっしゃい」
 
「あぁん、意地悪ぅ。 いいわよ、あちらの小麦肌の素敵なオジ様も危険な香りを漂わせているみたいだし?」
 
 分厚いカーテンの奥でなければとても聞かせられない内緒話に花を咲かせるゲストの合間を、するり、と空間の隙間を縫うかのように擦り抜け、給仕を行う客間女中たち。 その職務の性格上、主人や客人の前に出る機会が多いため、容姿の整った者の中でも頭一つ抜けた逸材で揃えられる。 無論アスクの屋敷でメイドの花形を勤める彼女たちも当然のように美人であり、下手な貴族の次男、三男坊など歯牙にもかけないほどである。 働く場所さえ違えば、高級な毛皮の服や金銀宝石を散りばめた指輪などを山のように手にしていたに違いない。
 
 だが、人目につく見目麗しい彼女たちでも、今日だけは決してゲストの心の隙間に入り込むような真似はしない。 なにせこの場に集うのは海千山千の古狸たちだ。 仮に彼女たちが美しさを武器に上手に立ち回っても、傾国の美女とみられるよりかは、生意気な小娘、ぐらいにしか見られない可能性のほうが高かった。

「ふーん……。 アルカイオス様は確か南の方で宝石商をなさっていた方だったわね。 ふむ、あとでソフィーヤさんに一言入れておきなさい」

「はぁい」

 しかし、真に彼女たちが客人たちの目を惹きつけ過ぎず、さりとて忘れ去られないよう絶妙な位置で立ち回る理由は、人畜無害なメイド、と印象づけるためだった。

 愉しい余興の渦中にあり、そこに美味い酒が入ると普段は岩の如く口の堅い人物でも、うっかりと口を滑らせてしまうことがままある。 特に使用人などは空気と同じと考えている者などそれが顕著に現れる。 彼女たちパーラーメイドは強い蒸留酒を勧めつつ、会話に聞き耳を立てているだけでいい。 あとは上役である執事のソフィーヤやメイド長のシャルロットなどが会話の内容を吟味して、情報となる物だけを篩にかけ、アスクの下へ伝えることだろう。
 
 敵の敵は味方と言うが、裏の裏は表というのもまた真理だ。 それは当然、義に悖る卑劣な行為といえよう。 しかしこの場に集まる客人たちもその程度のことは弁えているし、誰かの邸宅に招かれるということは、つまりそういうことなのである。
 
 美味い食事と酒。 それと即座に意味を持たない部分的な情報を対価の秤に乗せ、代価の秤には用心と自身が場に出せる手札。 揺れ動く天秤の針が止まった時、相互に益があり、と判断するから彼らは集い笑いあい合う。 要は恩の売り買いがこの宴会の目的であるのだ。
  
「いや、今回も有意義な話を聞かせて貰えた。 エイムブラ殿には感謝しているよ」
 
「なんの。 私も皆様にお集まり頂いたこと、嬉しく思いますよ。 どうぞ、ごゆるりとお寛ぎください」
 
「ははは、もう寛がせてもらっているよ。 ただ難点をあげさせてもらうなら、ここでは煙草が吸えないということぐらいか」
 
「ぐふふふ。 そこが愛煙家の辛いところですな。 あぁ、そういえば最近はご婦人でも吸われる方が増えてきたそうですが――――。」
 
 アスクがいま相手をしている男も獅子の鬣のような立派な顎髭を撫でながら、威厳ある笑みを浮かべている。 だが、彼らが本当に笑みを浮かべるときは、ほんの僅かに目元を歪ませるのだ。 今はささやかな緊張感を身に乗せた愉しいお喋りくらいの感覚で、腹の擽り合いを楽しんでいた。

 その時だった――――。

 家僕が新たな客人の名を告げ、盛り上がった室内にゲストが侵入を果した瞬間、水の中に油を浮かべたかのように、その人物だけが場にぷっかりと浮かび上がった。
 
「おや皆さん、お揃いのようで」
 
 敬虔な信徒が集う教会でうっかり異教の神々の話を口にした信者とは、さながらこのような視線に曝されたに違いない。 物理的な痛みさえ伴いそうな視線とは、まさにこのことだ。 そんな眼差しを浴びてもなお、彼―――ニコラスはにっこりと微笑みながらアスクの方へと足を進めてきた。 ふとアスクが隣にあった気配が動くのを感じ、それを目を向ければ、先ほどまで談笑していた立派な髭を蓄えた男は、他のグループに声をかけているところだった。

 さもなりなん、である。 アスクは逃げられたと捉えるよりもむしろ、良くぞ抜け目無く出し抜いたと思わず感心の溜息が漏れそうになった。
 
「こんばんは、ミスター・エイムブラ。 本日は招いてもらったこと事を本当に感謝しているよ」
 
「私の方こそ、招待を受けていただいたこと、感謝しておりますよニコラス卿」
 
 すっと差し出されたニコラスの左手にアスクもやんわりと応じる。 その瞬間、部屋中にあった雑談や身動ぎからくる小さな雑音が、一瞬だけ途切れた気がした。
 
「なに、僕も是非君に相談したいことがあったから渡りに船だったよ」
 
「ほう、それはそれは……。 私ごときで役立てることであればいいのですが………この場で?」
 
「問題ないよ」

 挨拶もそこそこにして、二人は数多備え付けてあるチェアの一つに腰を落ち着かせた。 アスクの横に広い巨体を乗せても、軋み一つあげない立派な造りのものだ。

 周囲に聞き耳を立てる客人は皆無である。 とはいえ万全を期するなら、完全に二人きりになれる個室を用意したほうが安全なのだろうが、ニコラス本人が問題が無というのだから、その程度の重要度なのだろう。
 
「して、相談事とは如何様なことで?」
 
「実は、こうして誰かに打ち明けるには恥ずかしいことなのだけれど………。」
 
「今この場の中で交わされている会話の大半が、世に出せぬ聞くに耐えないものばかり。 ですのでどうぞ、存分に」
 
 まるで告解を受ける司祭のような言い回しでアスクは、ニコラスが口を開くのを待つ。 それをどこか勿体つけた態度で、言葉を口の中で転がして弄ぶニコラスはまさしく古き貴族という表現が相応しかった。 きっとこの男は、毎日よく磨いた鏡の前でひたすら自身の振る舞いを練り上げていたに違いない。 対面するニコラスの素朴な顔立ちが今、嫌味ったらしいくらいに笑顔に塗り固められているのだから。
 
「ミスター・エイムブラ……。 ここ最近、街の様子に違和感を感じたことはないか?」
 
「違和感……。」

 貴族階級にある者がよくみせる、ひどく持って回った言い方である。 それにアスクは大した反応を顔に出すこともなく、同じ言葉を繰り返しニコラスの様子を窺った。
 
「そう、違和感だ。 それを僕はフリッグの街に、良くない何かが紛れ込んだからだと思っている」
 
「ほう、それは街から排斥されるに足るほどの道理であると?」
 
「勿論だとも――――。」
 
 そこまで言いさして、膝の上で組まれていたニコラスの親指が、左右の上下が入れ替えられる。
 
「どこの馬の骨ともしれない新参者が、この街を我が物顔でのさばることは、殊更に業腹なことだ。 それが理由で如何かな?」
 
 ニコラスはそれだけを云うと、あとは事足れりとばかりの表情である。 そんな無様な貴族の態度を見て、アスクは思わず鼻で笑いそうになった。 新参者とは無論アスクのことであるし、先ほどの『左手』を差し出しての握手。 これは言外にアスクへ宣戦布告しているも同然の挑発行為に他ならない。
 
 そこまでしてニコラスがアスクを排斥したい理由とはなにか、など論ずるに値しない。 古今において男が狂気に走るに足るものなど女と相場が決まっているのだから。
 
 ともあれ、ニコラスが建前として挙げた理由付けは、表面だけ見れば別段おかしな点は無い。 永い年月を費やし川が作られるが如く、数多存在した勢力が現れては消え、今のフリッグという街が形作られているのは事実である。 それを踏まえて考えれば、確かに嫌われ者が排斥されるのは、いつだって誰かの都合によるものだった。 故に、ニコラスの言い分は腹さえ探らなければ、至極真っ当な理由といえよう。 ただこの場合は、ニコラスの都合だけが多分に含まれてたものではあるが……。 

「――――成る程。 そういうことであれば手を貸しましょう。 卿の手を煩わせる人物に心当たりは?」

「残念なことに、朧気な影程度だね……。 だけど糸口はある」
 
「それは、どのような?」
 
 アスクはさも興味深いとばかりに大仰に片方の眉をつり上げてみせた。

「人に行き先を詮索されず、大量の荷を背負って街と街の間をうろついても怪しまれず、傭兵に攻撃を受けない。 そんな連中だよ」
 
 その言い回しは、まるで謎かけのようであった。
 
 数多ある人の目を掻い潜り、大量の荷物を持って傭兵に見つからず街を行き来するなど、空を飛ぶかあるいは透明になれる術を身につけるぐらいか。 はたまた、風の精霊の気紛れに巻き込まれ偶然にも目的の場所に辿り着けたのであれば、といった程度だろう。 そんな芸当を難なくこなせる者の名など、アスクには神ぐらいしか思いつかなかった。 だが―――――。

「傭兵………。」
 
 だがこの世には、神や悪魔を抜きにして、それらの条件に合致する存在がいた。 それは、傭兵だ。 彼らは餓えていれば旅人や商人などを襲うし、積荷などを十分に蓄え腹が満たされていてもやはり金稼ぎの為に人を襲う。 そんな血に餓えた傭兵団に見つかっても積荷を奪われず、尚且つ殺されない存在など同業者である同じ傭兵団しかありえない。
 
「その通り。 奴らは街の嫌われ者だ。 だから何処に行こうと皆興味を示さないし、誰を相手に人を売り買いしていても何ら不思議なことじゃない」
 
 村や町を襲い荒廃させ、金さえ払えばどのような無法もやらかす殺人集団。 そんなイメージで世間では恐れられている彼らだからこそ、誰もが深く関わろうとはしない。 だからこそ数少ない横の繋がりで保たれた同業者たちには、情にも似た絆をもって接しあうのが古き時代からある傭兵団の流儀なのだ。
 
 ただ彼らには彼らの理屈がある。 権力者たちはそこを弁えた上で傭兵たちの手綱を握らねばならないのだが、彼らのやり口は独特で、ついそれを忘れがちになってしまい、そのことが争いの火種になる、という話は枚挙に暇が無い。 此方が知らぬ間に餓狼たちの尾を踏んでいた事態に陥っていたなど、絶対に避けなければならないことだ。 故に雇用主は傭兵たちの性格を見極めた上で、特定の者とだけ契約を結ぶことが多い。
 
 当然、アスクやニコラスを初めこの客室に集まった者たちも、傭兵達の独自の流儀がどういうものか知っているし、どう御せばいいのか弁えている。

「ふむ、私も幾つか懇意にさせてもらっている傭兵団はありますが………。」
 
 そこまで言いさしてから、アスクは横目に部屋の片隅で談話を楽しんでいた男に視線を投げかけた。 それを目敏く見咎めたニコラスはやんわりとかぶりを振る。
 
「海蛇ではないよ。 波は穏やかで凪いだままさ。 だから下手人は陸路だ、間違いない」
 
「となると、私の名簿に綴られた名の数も絞られてきますな」
 
「腕利きの傭兵団というのは、仕える客も選ぶが、繋がりを持てば長く付き合いを持つと聞くが、どうだろう?」
 
 ニコラスの問いに、アスクは微塵も揺るがぬ、むしろ笑みさえ浮かべたまま答える。
 
「概ねその認識で問題ないでしょうな。 私も何か頼み事ができれば、長年の付き合いのある信用の置ける傭兵団に仕事を依頼するでしょう」
 
 アスクが手札を開示してみせているのに対し、ニコラスは尚も食い下がるように賭け金を積み上げてきた。
 
「ミスタ・エイムブラ、ここからが本題なんだ。 僕はフリッグの玄関口から寝室の奥の秘め事だって知っている。 だけど、絶対に街に届かなければならない荷物がいつまで経っても届かず、それを持ち去っただろう下手人は街近辺で突如として煙のように消えてしまった。 ミスター・エイムブラ………君はこれをどう思う?」
 
「そう、ですな……。 ニコラス卿が問題とするその者は、街の内情を熟知しており、秘密裏に街の内外を移動できる手段を持ち合わせている。 おそらくは街の有力者と強い繋がりをもつ人物でしょうな」
 
「…………そんな人物に心当たりは?」
 
 慇懃な微笑とは裏腹に、ニコラスの声には半ば恫喝めいた含みさえある。 天上の門を潜ることが出来る薬に手をつけた末期中毒者たちとは、さながらこのような風情かもしれない。 鬼気迫る眼光を隠しきれていない貴族の顔を、アスクは眺める。 もしこれが商談の席であったのなら、一刀両断に叩き斬って儲けをもぎ取る場面である。
 
「そうですな…………。」
 
 そこまで言いさしたアスクを、まじまじと凝視するニコラスを一瞥して、次に此方を窺う女中や他のゲストの様子を見やってから続きを接いだ。
 
「誤解を恐れずして口にするなら、この場に集まった面々であれば誰であれ、とだけ……。」
 
 ニコラスの双眸が憎悪に澱むが、すぐさま貴族然とした自信に満ち溢れた笑みを取り戻す。 しかし、口端を引きつらせた彼の表情は、愛想笑いと解釈するにはあまりにも無理があった。
 
「そうか………いや、そうだったね……。 ミスター・エイムブラ、相談に乗ってらったこと感謝するよ」
 
「………いえ、大した役にも立てず申し訳ない」
 
 言葉を濁したアスクだったが、黙っていたところで仕方ないと思いなおしたのだろう、溜息混じりに立ち上がると、重い声で呟いた。
 
「どうやら仕度が整ったようですな。 食堂の方へ参りましょうか、ニコラス卿」
 
 この屋敷にゲストを招いた名目は晩餐会である。 招いたからには食べて、飲んで、語って、とゲストを満足させる義務がアスクにはあった。 それがたとえ形骸化された食事の席であっても、一様の取り決めとして事を運ぶことが、主催者の役目であるのだ。 無論、その相手の中にはニコラスも含まれている。 ここでニコラスの茶番劇に一端の終止符を打ったのも優先すべき事柄は未だ多く、彼の思惑だけに気を取られ、物事の順番を見誤ってはいけないからである。
 
「何か口に入れた後のほうが、妙案が浮かぶもの。 それに、この日の為に良いワインを用意しましてな。 是非、卿にも堪能してもらいたい」
 
  卿と呼ばれた名士の相談事よりも、食事会の段取りに重きを置いた。 事の事情がなんであれ、それはつまりアスクはニコラスを虚仮にしたのだ。

 本来出ればそのような不遜が是とされる道理はない。 が、この二人に限ってはその限りではなかった。 支配階級者とそこからの落伍者、互いに手を取り合い平和を模索するような道はとうの昔に断ち切れていた。 そして哀しいかな、戦いの趨勢は既に決している。 いかに古より続く血脈を尊ぼうとも、最後に審判を決するのは、必要な時にどれだけの『力』を持っているかなのだ。
 
 それ故、一方は憎悪と憤りに身を焦がし、もう一方はそれに怖じることもなく飄々と。 それがこの二人の会談の裏に隠れた遣り取りだった。

「……………あぁ、そうさせて貰おうかな」

 そう言って立ち上がったニコラスは、この部屋に入ってきた時の不敵な表情とは対照的な、感情を現さない能面のような顔を貼り付けて退出していった。 アスクはその後に続くでもなく、他の客人たちが動き出す姿を目で追っていた。
 
 やがて、全ての人間が室内からいなくなると、今まであった活気は火を消したかのように静まり、まるでそこだけの空気が静止したままアスクを永遠に捕らえ続ける牢獄のように、静謐さを通り越えてむしろ、殺風景な空気を醸し出し始めた。 
 
「ふむ………。 ニコラスは何処からアレの事を嗅ぎ当てたのか……。」
 
 目元だけを歪めて、アスクは声なく笑う。 そして、誰にとも無く冷ややかな命令口調で語り始めた。
 
「情報漏洩は重罪だ。 必ず下手人を探し出せ」
 
 それだけ言うと待たせている客人の許へ向かうため歩を進めた。 一歩、二歩目を踏み出しかけたとき、アスクは横目でもう一度、部屋の中を見渡した。 つい先ほどまで熱いとすら感じた人の熱気で溢れた客間。 それが今、魔物の胃袋の中のような底冷えした静寂さに包まれている。
 
「それと、あの椅子は破棄しておけ。 もう使わん」
 
 そう言い残し部屋を後にするアスク。

 彼の下知に応える者のいないはずの部屋に、三日月の笑みがぷかりと浮かび上がった。






あとがき

暑いのでクーラー入れたい………。 でも悔しいッ! 節電しちゃう!
どうもギネマム茶です。

今回は途轍もなく難産でした。
読み返して見ましても、何がここまで時間をかけさせたのか、私本人すら頭をひねらせております。

次回、次々回と漸く話が転がりだしたので、あとは雪だるま式に話を膨らませてきれば、と思っております。

ではまた次回。



[32649] ヒャッハー! 第七話だ
Name: ギネマム茶◆aa993394 ID:0e79e9f3
Date: 2012/12/03 19:07
 テーブルを囲み、内容は慎ましくても明るい語らいで団欒の場を楽しむのが、ごく一般的な家庭の食事の風景といえるだろう。 だが、格式を重んじる階級に身を置く者たちの場合では、食事というものの意味合いは大きく異なる。
 
 場にふさわしい会話。 気遣い。 身につけているべき教養。 正しい発音。 あらゆる素養を持つ者たちが格式に則り、手順に沿って運ばれてくる料理を淡々と処理するのが上流階級に身を置く者たちの食事だった。
 
〝姐さん! ちょいとソースの味見してくれませんか?〟
 
〝―――――おし、いい味だ。 ネッガー! 付け合せは終わったか?!〟
 
〝終わりやした姐さん!〟
 
〝じゃあシュワルツ手伝え! ……………おい、アーノルドまだか! いつまで待たせやがる!〟
 
〝もうちょいッス、姐さん―――〟
 
 彼らの食卓を一番最初に彩るのは前菜。 塩や酸味を利かせ、味付けはあからさまにならないよう引き立たせる様に……。
 
 料理前の準備運動が終わったら次いで、スープ、パン、魚料理と続き、口直しにキンキンに冷やした旬の果実等を挟んでから、フルコースの主役となる肉料理がここで堂々の登場となり、後はサラダやチーズ、甘いデザートが終盤の華を飾っていくことになる。 それら絢爛豪華な料理を作業の如く彼らは口に運ぶのだ。
 
〝―――――ん、完璧ッス! さすが俺!!〟
 
〝無駄口叩いてるんじゃねえぞ、ドンガメが! 早くしやがれ、いわすぞ!〟

〝うわわ……堪忍してくださいよぉ姐さん〟
 
〝うるせェ! あとテメェら!! アタシのこと姐さんって呼ぶんじゃねえ!〟
 
 勿論出てくる料理の一つ一つには、それらに合った食器があり、それを用いて食事をとる。 もし間違えて魚料理で肉用のナイフを使うような粗相を犯そうものなら、次の日から社交界の笑い話の種にされることだろう。 貴人が未熟なまま外界に出ることは、何よりの恥である。 故に彼らは紳士、淑女として完成されるまで人前に出されることなく、館内のみで育て上げられる。 それぐらい厳格に、呼吸をするも同然に振舞う事を彼ら―――特権階級者たちは義務付けられていた。

 無論彼らも美味しい料理に舌鼓を打ち、満足のいくだけの食事をとっているのだろう。 生まれてからこのかた、そういう作法を用いて過ごしてきた者なら、テーブルマナーなどおそらく苦にも感じていないのかもしれない。

 とはいえ、そのような堅苦しい場で頂く食事が、果たして満腹感以外に何を得られるのだろうかと、イリスは厨房から漏れ出てくるアイリーンの怒鳴り声に耳を傾けながら、とある奥まった一室にてそんな益体も無いことを考えていた。
 
「大変なんだなぁ………。」
 
 長い耳は厨房へ、視線の先は夜も耽った窓の外へ向けながら、イリスはしみじみと呟いた。 彼女は今、全ての客人がお帰りになったあとの後片付け部隊の一員として、来るべきお仕事に備え英気を養っている最中であった。 夜食の内容は余り物のパンとスープと質素ではあるが、小腹が空き始める今の時間帯にはとてもありがたい一品である。 それをイリスを始め、各々が数あるテーブルのどれかに腰を落ち着かせて、談笑の片手間に頂いていた。
 
 今日という日を迎えるため、朝も早くから夜遅くまで駆け回っているコックや台所女中、家女中の人たちには、心底頭の下る思いである。 もしイリスがやれと言われても、間おかずに根を上げることだろう。 事前に知らされていた、本日の晩餐会に参加する客人たちの名と職業を思えば尚のことである。 しかし、それでも彼、彼女らは一切の手抜きなどしなかった。 

 ゴミや埃が落ちていないか。 シーツやテーブルクロスに皺や染みが付いていないか。 有るべきものを不足なく揃え、然るべき場所に間違えなく整えておくメイド達の連携した動きは、見ている此方が小気味良さを覚えるほどであったし、厨房のコックたちにしてもそうだ。 彼らも料理という名の作品を作り上げる過程で、仲間同士で協力し、一つの目標を目指して皆が同じ方を向いて笑い合っていた。

 イリスからすると、彼らはまるで同好の士の寄り集まりのようで、見ていて微笑ましいものである。
 
 とはいえ、彼らも給与を貰っているからこそ、職務に準じている。 当然今回のような大きなイベント事であれば、特別なお手当てを狙ってみたりするだろうし、多少打算的な声が大きくなってしまったとしても仕方の無いことだろう。 
 
 しかし、である。 もし本当に下心で動いていたとしても、彼らの目は真剣そのものであり、その熱はイリスの小さな胸がほんの僅かだが温かみを帯びたほどだった。 まさに死力を尽くして事にあたっている彼らは、本当に今の仕事に全力を賭しているのだということが、良く分かった。
 
 だから、彼らが晩餐会の成功という目標に向かい、今まさに自身が持ちえる全てを出し切っている姿は、たとえ打算や自己満足的なものが含まれていても、イリスは格好いいと思うのだ。 どんな言葉で澄まして取り繕ってみせても、結局のところ格好いいではないか。 そこにあるのは一つの戦場であり、鍋や包丁を執りただ其処にいる仲間と共に腕を振るう。
 
 その決して揺らぐことのない絆が。 イリスでは身を置くことの叶わない世界が―――――。

「ちょっと羨ましい?」
 
 ふいに横合いからかけられた言葉に、イリスは驚きも露わに振り向いた。 それまでイリスから少し離れた場所で談笑していたメイドのうちの一人が、まさか自分の所まで足を運び、あまつ声までかけてくるとは思わなかったからだ。

「ぁ―――――」

 たが、イリスが何よりも驚いたのは、メイドの身長だった。

 偉容、と評せばいいのだろうか。 女性に対して用いる単語と考えれば大変失礼なことだろうが、恐らくイリスが今まで出会った女性の中で、二位以下を大きく引き離して堂々の一位を獲得出来るほど、眼前の彼女は大きかった。
 
 まさに山のように巨大な存在が、さも当然のようにイリスの前に居座る。 その圧迫感は正直筆舌し難いものがあった。
 
「アイリーン姐さんの声が聞こえてくる度に、仲間に入れて欲しそうな顔を厨房の方へ向けてたから、そうなんじゃないかって思ったんだけれど………違ったかい?」
 
「えッ!?」

 唐突に話を切り出したメイドの声音は、その外見と比べると意外なほど高く、そして若々しかった。
 
 だが、そんな印象を懐いたのも一瞬のこと。 まるで心中を見透かしたかのような、つい先ほどまで考えていたことを言い当てたメイドの言葉にイリスは、思わず素っ頓狂な声を上げてしまった。 確かにアイリーンの声は良く通り、耳にも残る。 だからイリスとしては周囲の人たちに気取られぬよう、さも無表情を装って聞き耳を立てていたつもりだっただけに、思わず自分の顔に手を当ててしまった。
 
「あはは、図星か。 アンタ分かりやすいね。 さっきからずっと顔に出てたよ?」

「あ―――ぅ」
 
 からからと笑うメイドにそう指摘されたイリスは内心の動揺を窺わせまいとでもしているのか、まるで恥じ入るかのように、紅潮した顔を伏せる。 だが、ピンッと張った自慢の耳は上ってきた血の気のせいで真っ赤だ。 そんな傍目には丸分かりな動揺ぶりを披露するイリスを余所に、メイドは相好を崩した。
 
 とはいっても、笑顔七割に悪戯心三割といった、どう見ても苛めっ子な面持ちであるが……。
 
 それを隠すため、誰も食べず手付かずのまま残っていた炒った豆を口に運ぶメイドの仕草は、如く自然体な振る舞いであり今のイリスにはとても真似できるものではなかった。 場数を踏んだ経験が違う。 幼い少女にそう素直に思わせるくらい彼女はどっしりとしていた。 勿論彼女の名誉のために言えば、体格が、ではなく雰囲気が、である。
 
「はは、ごめんよ。 ちょっと意地悪が過ぎたね」
 
「あ、いえ―――。」
 
「まぁ、なんだね………。」
 
 未だ動揺の収まらないイリスが何か呟こうとした言葉を、メイドは言葉を被せるようにして遮った。 そして、会話に一瞬の間が出来た隙に再び豆を口に運んで空白を埋めたのは、苦笑いを隠すためだったのかもしれない。

「あたし達じゃあ、アンタの話し相手にもなれないもんなのかい?」

 イリスは一瞬メイドの言った意味が分からずに、どこか決まり悪気に揺れる彼女の青い瞳を見つめ返した。
 
「こうも暇で死にそう……て言っちゃアレだけどさ、手持ち無沙汰にしているアンタを見てたら、何となくそう思ったわけさ。 あぁ――この子は暇で仕方の無い時でも、気心知れた相手が傍に居なけりゃ暇なままでいる子なんだ、ってね」
 
 そう言ってから炒った豆を口に放り込んで噛みしめる彼女は、別段悪気があって言ったワケではないのだろう。 そのことは、メイドの瞳に悪意の色が無かったことから分かる。 しかし無遠慮が過ぎる女の言葉に、生来が勝気な性格のイリスは思わずムッと顔を顰めてしまう。
 
「―――それがなにか、貴女に関係あることなの?」
 
 そう突っぱねる口調で言葉にしてから、イリスはすぐさま後悔する。 確かに真正面切ってあんなことを言われれば、少女にもちょっとした苛立ちが生まれてくる。 だが、相手があの冷徹極まりない性悪執事でもないのだから、何もそこまで喧嘩腰にならなくてもよかった筈だ。 なのに口から出てくる言葉は攻撃的なそれ。 一度火が付いてしまえば容易に鎮火できない自身の性格を、イリスは恨めしく思った。

「……………」

「……」
 
 しばし生まれた痛い沈黙に耐えかねて、イリスは気まずげに視線をテーブルへと落とした為、眼前のメイドが次にどのような表情を浮かべたのかは分からない。 それでも、恐らく彼女は怒るでも呆れるでもなく、苦笑いを貼り付けたままだったのではないか、とイリスは思った。
 
「――――確かに関係ないさね」
 
「なら、大きなお世話………ですよ」
 
 溜息をついたあと、はっきりとそう言葉にした。 せめてもの礼儀として、添え物程度に敬語を付け足しておいた。 最後の方が尻窄みになって掠れてしまったのはご愛嬌だろう。
 
「ありゃりゃ……こりゃ手痛く振られたもんだ」
 
「なーにが、手痛く振られたもんだ、よ! この馬鹿リーゼ」
 
 と、突然メイドの後頭部を叩いて現れたのは、先ほどまで眼前の大女メイドと一緒に少し離れたテーブルで談笑していた者たちの一人だった。
 
「ごめんねイリスちゃん。 この馬鹿、繊細さってものをどこかに落してきちゃったような奴でさ」
 
「痛っいねぇ、これから巻き返しを図ろうとしていたところだったのさね」

「なら今までの会話は、イリスちゃんを困らせていたのと同じってことでしょ。 その制裁よ」
 
 中身が空になった木の皿の角で、イリスと今まで会話をしていたリーゼと呼ばれた大女を再び小突く。 傍目の体格差だけで見ればリーゼの方が、突如現れたこの威勢の良いメイドよりも遥かに上回っているはずなのに、まるで母親に叱られた子供の様に萎れたリーゼの姿を見る限りだと、どうやら力関係では逆のようである。 そんなリーゼの姿は先ほどのからかわれた鬱憤もあってか、イリスは笑ってしまいそうになったが、新たに登場したメイドの視線が自分に向けられたものだから、慌てて笑顔を奥に引っ込めた。
 
「この馬鹿のせいで気分悪くさせちゃってごめんね。 だけど、こいつを許してあげてくれないかな。 こいつも悪気があったワケじゃないんだ」
 
「そう人のことを馬鹿、馬鹿、言うもんじゃないよシンシア。 それじゃあ、あたしが考え無しのようじゃないか」
 
「考え無しじゃなければ何だっていうのよ」
 
 どん、と拳でテーブルを叩いた音の大きさに、イリスは無論だが体格に恵まれたリーゼすら腰を宙に浮かせた。
 
「『あたしに任せておきな』なんて言うものだから、暫く様子を見させてもらっていたけれど、交友を深めるどころか要らぬ敵愾心煽ってただけじゃない!」
 
「だからそれは、後々挽回しようと思ってたところで……」
 
「はいはい、貴女に任せていたら何時まで経っても進展が無いことは良く分かったわよ」
 
 居酒屋の酔客でも扱うような話半分の態度で、シンシアはリーゼの方を見向きもしていなかった。 まさに情け容赦がないとはこのことだろう。 言い訳を挟む余地を与えぬよう、追いに追いたてて迫るシンシアの遣り口は、相手のことを本人以上に熟知していなければ出来ない芸当だ。 こんな方法では下手を打てば窮鼠よろしく思い切り喉笛に食らいつかれて大喧嘩に発展するのは明々白々。 だがその予兆が欠片も見えないということは、おそらく二人付き合いは、それなり以上に長いのだろうとイリスは思った。
 
「もう要点だけ私が伝えるから、リーゼもそれで良いわよね?」
 
「むぅ…………分かった。 シンシアに任せる」
 
 どうにも納得しかねるのかリーゼは不機嫌面であった。 とはいえ、このまま彼女に交渉役を任せていても進展は望めるものではない。 いや、あったとしても悪い方向に転がるだけだろう。 なら、傷口が小さい今のうちに選手交代を済ませてしまったほうが、まだ望みがあると考えるのは当然の流れだ。 それをリーゼ本人も自覚しているため、それ以上のことは彼女も口に出さなかった。

「ま、そういうワケで後は私が引き継ぐワケなんだけれども……。 あー、改めて口にするとなると、結構難しいものね………」
 
 勢い良く後を引き継いだはいいが、上手い言葉が頭に浮かばないでいるシンシアは、言葉を選ぶかのように数瞬の間、視線を虚空へ投げ出したあと。

「まぁ、そうね……」
 
 何かしら適当な言葉が見つかったのか剽げたしぐさで続きを接いだ。

「―――要はあたくし達とお話しましょうよってことよ、レディ」

「…………は?」
 
 『レディ』とは一体誰のことを指しているのか首をかしげてしまったイリスだが、すぐに、自身の台詞の恥ずかしさに頬を朱に染めるシンシアを見て、自分がそう呼ばれたのだという事に思い至った。 そんなに恥ずかしかったのなら、なぜ気取った言い方をしたのだろうか。 イリスはつい漏れ出てしまった疑問符を誤魔化すように、いちど咳払いをしてから、質問を口にした。
 
「えっと、そもそも何で貴方たちは何で私に構うのよ………あ、いや、構うんですか?」
 
 訊く方がむしろ間抜けな問いであるが、まずはそこから問い質さなければ話が進まないのは事実だった。
 
「いや、だからさ、それはアンタが――」

 まるで覚えの悪い子供に、根気良く言い聞かせようする教師のような口調でリーゼが何か台詞を口に出したとき、シンシアがそこへ割って入った。

「貴女が心細そうに見えたからよ」
 
「――だから、私に構う? そんなの余計なお世話……ですよ」
 
「いや、イリスちゃんの世話焼きの為じゃなくて、私達のためなのよね、コレが」
 
 シンシアは待ってましたと云わんばかりに、イリスが言い終るよりも早く、予め用意しておいた言葉を被せてみる。 すると、イリスは――。

「――――どういうこと?」
 
 謎かけめいたシンシアの言い回しに、案の定イリスは興味を示しながらも、眉根を寄せた。

「ふふん、それはね」
 
「それは?」

 もしシンシアが吟遊詩人や楽人の如く民衆の耳を生業にしていた者であったのなら、今のイリスはさぞ極上の聴衆といえたことだろう。 どんな急転直下な展開に話が進もうとも、決して驚きはすまいと固唾を呑んで続きを待つ少女の姿は、まるで英雄叙事詩に耳を傾ける子供のそれであった。

 ここまで表情豊かに、且つ、真剣に聞き入ってくれる相手というのは実に貴重な存在だろう。 メイドが生業であるシンシアすら思わず何かを語って聞かせて、後にある反応を楽しんでみたい衝動に駆られてしまうほどだ。 が、生憎と彼女の記憶に残っている「むかし、むかし」で始まる四方山話など片手で済んでしまう程度にしか知らない。 即興で語れるだけの娯楽を知らない自分への悔恨の念は特にないが、それでもシンシアは眼前の『美味しい存在』のことを思うと残念だ、という気持ちが胸に湧き上がってくるのを感じた。 なにせ、この話のオチを語ればきっとこの少女はまた困惑に眉根を寄せることになる姿が、ありありと眼に浮かんでしまうのだから。

「簡単なことよ。 貴女が退屈そうな顔をしていると、コッチまで気が滅入っちゃうワケ。 だからそのせいで私達は、食事にも会話にも気が向けられないのよね」
 
「……え?」
 
 ほら、こうなった。 シンシアはそんな言葉を思わず漏らしそうになった。

「気が付いてないの? 貴女って結構目立つのよ?」
 
 狐につままれたような面持ち、とはまさに今のイリスにぴったりの言葉だった。 埒外の言葉をかけられ、思考を停止させた美少女の間抜け面を眺めているのも、中々に乙なものではあるものの、シンシアとしては先に進まなければ、文字通りお話にならなかった。 故に彼女は理解の追いついていない少女を置いたまま、一気に口上をまくし立てることにした。
 
「そんな貴女が鬱々としているのは、ちょっと…………まぁ、気になっちゃうワケよ。 あぁ、勘違いしないで欲しいんだけれど、別に含むものは何も無いわよ? ただ無性に気になっちゃうのよ、壁のシミをふと見つけちゃった時みたいにさ。 だから、ね? 犬に噛まれたと思って、私たちの気が済むまでお喋りに付き合ってくれないかな?」

 これで言いたいことはお終いだ、とシンシアは最後に肩を竦めて見せた。 後は怒るでも呆れるでも如何様にもでもくれ。 そんな冗談めかした軽い態度と口調には、そんな意味合いが込められていた。 きっと本音を言葉にする時ほど口が重くなってしまうから、そうさせてしまうのだろう。 だが、そんな繊細な乙女心の現れなど露知らぬイリスは、本気なのか馬鹿にされているのか相手の真意をいま一つ掴みきれず、複雑な表情でシンシアを見つめ返していた。
 
「…………私は壁のシミと同列の扱いなわけ?」
 
「あー、その、うん………何かそういうのって気にならない?」
 
 それほど上手い喩えではないと自分でも理解しているらしく、シンシアの言葉にも今一歯切れが無い。 そんな彼女の様子にイリスは若干呆れ混じれに小さく息を吐く。
 
「――――悔しいけど、ちょっと気になる。 だから『シンシア』の言い分は何となく分かった」
 
 そう早口に捲くし立てたイリスの言葉の中に、聞き捨てなら無い言葉を耳にして、シンシアを思わず、「お」と口を丸くした。 一体どういう心境の変化なのか、つい先ほどまでの猫のような警戒心も露な様子から随分とイリスの態度が軟化したではないか。 

「でも、まだ貴方達の言い分全てを理解できたわけじゃない。 だから、話し合ってお互いの溝を埋めあいましょう」

 そう言って、淑女然とした態度を装うイリス。 おそらくだが、彼女の上司であるシャルロットを模倣したことが容易に想像できた。 高潔で私情に流されない鋼の精神を持ちながらも、慈愛の心を損なわない女性、というのがこの少女の理想像なのだろう。 とはいえ、突けば簡単に百面相を決め込んでしまうようでは、まだ理想には程遠いものがある。 そのことをアレコレと指摘すれば、きっと顔を真っ赤にして噛み付くように反論してくるに違いない。 

 シンシアは、自身の中にむくむくと沸き起こってくる嗜虐の感情を努めて無視して、本人は勤めて淑女足らんとしている傍目には見栄っ張りな少女へ、優雅に一礼の仕草をとって、それを返礼とした。
 
「寛大な心遣いありがとうございます…………なんてね?」
 
 彼女達の上役であるシャルロットであれば、やんわりと笑みで応じて飲み込むのだろうが、イリスはからかい混じりの返答が御気に召さないらしく、ムッと眼を眇めた。  なんと分かりやすく、愛らしい反応であろうか。 シンシアは、思わずイリスの頭へと手を伸ばしたいという衝動を堪えるので必死であったが、もちろんそんなことは顔に出さず、少女の方もメイドの葛藤など気がつきもしていない。
 
 それを幸いに、シンシアは話の種を膨らませていく。
 
「あはは。 やっぱりイリスちゃんは、そうやって忙しそうに表情を変えてたほうが似合ってる」

「む……。 それはシンシアがからかうから、嫌でも変わっているだけよ」
 
 ムスッ、と不満そうに顔を歪ませるイリスに、シンシアはにんまりと笑ってこう答えた。
 
「暇して仏頂面しているよりずっとマシよ。 不機嫌でもなんでも、表情が生きている貴女のほうがずっと魅力的だもの」
 
「ッ!?」
 
 突如浴びせられた口説き文句にイリスは驚きも露に眼を見開いた。 が、その驚きも長くは続かなかった。
 
「………………また私をからかっているんでしょ?」
 
「まさか、本当のことよ」
 
 一度や二度目ならばまだしも、どんなに鋭い攻撃でも使い続けていれば対策ぐらいできてくる。 虚を突かれ終始シンシアに会話の主導権を握られっぱなしのイリスでも、幾分は調子を取り戻してきたようで、居住まいを正してシンシアを見つめ返すその瞳には実に挑戦的な色が宿っていた。

「嘘。 口元が笑っているじゃない」
 
「これはイリスちゃんと話すのが愉しくて、ね?」

「…………」
 
 少女は返事をしないが、その目には僅かな戸惑いと安堵の色が見て取れた。 この女性は本当に自分と話しをすることに楽しみを覚えてくれているのではなかろうか、と。 そう思っているのが透けて見えた。 基本的に人を疑うということをしないのだろう。 あるいは、慣れていないのか。 兎にも角にも、二人の間には力量の差がありすぎて、シンシアの心に宿っていた嗜虐の色は膨らむどころか、むしろ保護欲へと取って代わってしまうほどイリスは無防備に過ぎた。
 
 思い切り甘やかして懐かせたら、さぞや可愛がり甲斐があることだろう。 あるいは、これが全て幼い少女の計算し尽くした演技だったのだとしたら、シンシアは人間不信に陥ってしまうかもしれない。
 
「まぁ、なんにせよ」
 
 シンシアがそう言ってからしばし語りに間をおくと、イリスは次の台詞に警戒して身体を強張らせる。
 
「ハウスメイドのシンシア。 シンシア・ベルティーニよ。 よろしくね、イリスちゃん」
 
「え、ええ。 よろしくね、シンシア」

 差し出された手をおずおずと握り返すイリスの様子は、まさに警戒する子猫のそれ。  どうにもからかい過ぎた、と苦笑がつい漏れかけそうになったのを押し留め、シンシアは奥歯で笑みを噛み殺した。 だが、そんな彼女の心内など知る由も無いイリスは、こほん、と咳払いをして少女は憧れのメイド長を模して居住まいを正す。 そして自己紹介をする時の所作は、中々どうしてお嬢様然とした愛らしいものであった。
 
「私はイリス。 イリス・アルビジア・ヴィージ・シャーウッドよ」
 
「―――――――――――」

 つつがなく名乗りを終えたイリス。 だが、対面するシンシアの反応は何故か鈍い。
 
 いや、シンシアはいま言葉に言い表すことのできない、背中に張り付く恐怖感を体験している真っ最中で、周囲の反応を気にしている余裕など皆無だった。 ――突然腐った臭いがしたと思えば、路地裏に屯する野良猫が苦しみもがいて死に始めた町に住まう町民というのは、おそらくこういう心境なのだろう。 錬金術師たちが行う怪しげな錬成術。 魔女の釜の底から沸きあがる毒々しい煙りに曝される恐怖感。 そんな物凄く不味い空気を、彼女は身をもって知ってしまったのだ。
  
「…………シンシア?」

 つい先ほどまでの勢いが嘘のように鳴りを潜めてしまったシンシアを訝るようにリーゼは眉根を寄せる。 とはいえ此方の出方を待っているイリスをそのまま放置するワケにもいかない。 よって一先ず反応の薄い友人は脇に置いておき、リーゼは先に自己紹介を済ませてしまうことにした。

「まぁ、いいさね。 あたしは、リーゼさ。 リーゼ・ブルームハルト。 シンシアと同じハウスメイドをやってる」
 
 リーゼの自己紹介は、鍛えぬいた青い鋼のような率直な物言いで、それが言葉足らずで無礼と思うよりむしろ彼女らしいと何故か思えてしまう雰囲気があった。 そんな妙に堂に入ったリーゼの態度を見て、イリスは苦笑を漏らす。 きっと彼女は誰にでもこんな調子なのだろう、と。
 
 イリスがそんな事を考えているその時だった。 リーゼが重々しく口を開いたのは。
 
「あー、イリスちゃん?」
 
「なに?」
 
「うん、とね………。 その………」
 
 ようやく声を上げたと思えばそう言って口ごもるシンシアの表情は、まるで鼻孔の掃除をしていたら鼻糞以外のものを見つけてしまったかのような、何とも名状しがたいものだった。 気になるが、下手に藪を突くような真似はしたくない。 それがシンシアに張り付いた表情であり、彼女が懐く嘘偽り無い心境だった。 しかし―――――。
 
「ねぇ、イリス。 ちょっと気になったんだけれど、アンタは貴族か良い所のお嬢様か何か?」
 
「え?」
 
「ちょ、ちょっとリーゼ!?」
 
 まるきり空気を読まない大女が単刀直入に聞いてしまった。 名前長いんで、貴女もしかして貴族なんですか?と。
 
「…………えと」

 最悪である。 元貴族。 血縁者が貴族。 あるいは直系。 いずれにしても相手が「はい、そうです」と答えたらその時点でシンシア、リーゼ共に物凄い面倒な事に巻き込まれることが確定してしまう。 この常闇に包まれた悪徳の城で慎ましく働くには、第一に弁えなければならない金科玉条がある。 古の書物に曰く、『君子危うきに近寄らず』である。 つまり長生きする秘訣とは、何事も深入りしないこと、と云うことだ。
 
 ところが、まるで酒場で与太話を聞くよな気軽さで、超えてはいけない一線を躊躇無く踏み越える困った奴が一人。

 ちなみにシンシア達の住まう湾岸都市『フリッグ』の大元である国家『ミッドガル王国』の法に照らし合わせた時、つい今し方の彼女達の言動を貴族相手に行ったとした場合は、まことに残念ながら無礼打ちにされても文句の言えない内容である。 さらに遺憾なことに、シンシアは今すぐに、尚も迂闊なことを口走ろうとする大間抜けの口を封じる必要に迫られており、木の皿を用いて実力を行使して黙らせる外になく、脳みその足りていないリーゼの頭を全力で殴打したとしても、それは致し方の無いことなのである。
 
「この――――ッ!」
 
「―――ぇ?」
 
 リーゼの間抜けな声が音になろうとしたその刹那、憤怒の形相へと変貌を遂げたシンシアの眼が〝クワ〟と見開かれ―――――。

「馬鹿リーゼが!!」

 鋭い一喝と一撃がリーゼの頭部を一撃し、脳の芯まで痺れさせる。
 
「だッ!?…………ぁ…………」
 
 痛みのあまり声が出せない。 身体が動かない。 餓えた肉食の獣を想わせる炯々と底光りする危うい双眸から、視線を外すことができない。 完全に硬直したリーゼの思考。 だがそれでも頭が警鐘が鳴らす。 それは、もうどうしようもなく危険で致命的な〝ヤバイ気配〟を本能が感じ取ってしまったからだ。

「…………死にたいの、リーゼ?」
 
 ふらつくリーゼの胸倉を掴み上げ、耳元でそう囁くシンシアの瞳は、不自然なほどにまばたきが無くなっていた。 そこには、もはや後に控えた仕事のことなど完全に棚上げしてでも黙らせる、という覚悟が窺い知れた。
 
「――――――――」

「――――――ッ」
 
 完全に場が凍りついた。 驚きのあまりに身を硬直させるイリスに、自分達に被害が飛び火しないか此方の動向を遠巻きに窺う他のメイドたち。 視線を交わし合わせる音すら聞こえてきそうなほど空気が沈黙した。
 
 もはや誰もが一体どうやってこの場を収めればいいのか判らなくなったそのとき、ある意味、最高ともいえるタイミングで颯爽とこの場に救世の英雄が登場した。
 
「あー、お取り込み中の所、悪いんだけど……」
 
 状況を鑑みると、明らかに一線を踏み越えて見えるものの、そこへ果敢にも挑むのは、つい先日要らぬ事を口走り厨房の先輩達に縛り上げられ、あわや火炙りにされかけたリロイという青年だった。

「あ、え、えっと…………リロイさん?」

「おぉ! 俺の名前覚えてくれたんだ嬉しいなぁ」
 
 イリスに自分の名を覚えてもらえていたことがそんなに嬉しかったのか、リロイはなにやら小躍りを始めそうなほど顔を歓喜の色に染め上げた。 だがそれも一瞬のこと、視線だけで周囲を見渡し自分の存在が場違いであると悟るとリロイは、悪戯がばれた子供のような笑みで話を切り出した。

「ま、それはいいや……。 それよりもイリスちゃん、ちょっといいかな?」
 
「はい?」
 
 爽やかな少年のような笑みを浮かべてイリスを呼ぶリロイは、傍目には場の空気が読めていない間抜けに映ったことだろう。 だがその真意を――嘗てエルフ族の狩人たちが持つ瞳の色と似たものを発するリロイを見て――イリスはたちどころに察することが出来た。 この青年は、部屋にいる全員の虚を突いたのだ。 メイド達の意識が何処に向かっているか、どのタイミングで声をかけるのが一番効果的なのか、それらを全て読み取った上で、彼は小石のようなたった一言を場に放り込んだけで話の主導権を強引に捥ぎ取って見せた。
 
 実に肝が据わっている人だとイリスは思う。 彼は女性のみが集う食堂の真っ只中でただ一人、メイドたちの猜疑的な眼差しを余すことなく受け止めている。 そのせいで極度の緊張からか引き攣った頬が隠しきれていないし、異性から敵意にも似た視線を投げかけられれば当然怯みもするだろう。 だが、その瞳だけは揺るでいない。 喩えるなら肉食の獣と対峙した狩人の眼差しだ。 危機を理解し、恐怖に身体を震わせようとも、眼だけは逃げ道を求め揺れ動くのではなく、ただ一点のみを見据えていた。 即ち、勝利を―――生き残ることだけを考えている。 今のリロイはそんな眼をしていた。
 
「あの、私に何か用事ですか?」
 
 リロイから直々の指名を受けてたイリスは居心地の悪さに身動ぎする。 大して親しい間柄でもない人物から呼びつけられれば無理からぬ反応と云えよう。 彼もそれを察したらしく、申し訳なさそうな笑みを顔に貼り付けながら話を切り出した。

「あぁ、うん。 シャルロットさんが君の事を探していたみたいでね。 俺はそのお手伝いで君を探していたんだ」

「………メイド長が?」

「そうみたいだよ? だから、食事中のところ悪いんだけど、ちょっと一緒に来てくれないかな?」
 
 そう口早に説明するリロイの様子は、まるで他の者達に口を挟ませる隙を与えまじとしているようにも見て取れた。 だがそれもむべなるかな、である。 余所者扱いを受けていると判っていながらその場に居座りたいと思う人間はそうは居まい。 加えて、そうされる原因を作ってしまったのが自身にあるとなれば尚のことである。 現にシンシアやリーゼなどは露骨に訝るような視線で、また他のメイドたちも大なり小なり不審な眼差しで、それぞれがリロイたちの動向を窺っているのだから。
 
「分かりましたリロイさん。 メイド長のところまで案内して貰っていいですか?」
 
「勿論。 お安い御用だよ」
 
 そう気さくに笑ってイリスを部屋の外へと促したリロイは、ふいにシンシア達のほうへ振り向くと今度は心底申し訳なさそうな表情を浮かべると――。
 
「そういうワケなんで、みんな本当にゴメン。 ちょっとの間、イリスちゃんを借りるよ」
 
 そんな言葉だけを残してリロイは、さっさと部屋を出て行ってしまった。 遠ざかる足音を聞いて、誰からともなく深い溜息を漏らす。 いま部屋の中は、まぎれもない安堵の空気によって満たされていた。 実際には、シンシアから折檻を受けたリーゼを除いた面子だけであるが。
 
「………シンシア、今のは本当に痛かったよ」

「貴女がそれだけのポカを犯したからよ」

「むぅ………。 あたしはそこまで不味いこと言ったかね?」
 
 聞かれては拙い本人が居なくなったことで、リーゼは遠慮することなく内心を口にした。 頭を擦る彼女を見下ろすシンシアは、内に溜まった怒気を吐き出すかのように無造作に頭を掻きながら深く溜息をつく。
 
「言ったのよ……。 リーゼ、もしイリスちゃんがあの場で自分貴族だって言ってた場合、どうしてたのよ?」
 
 貴族と平民と云う組み合わせは、本の中以外では何であれ、あまり良い結果を生まない。 楡は丘に生え、葦が水辺に生えていることが自然であるように、住む世界の違うものは交じり合うべきではない。 自由と無秩序は同じではないからだ。 しかしそれでもなお、鳥と魚が一緒に暮らす魔法の世界を夢見たいのなら、現実から目を背けるのが一番手っ取り早い。 知らないままでいれば魔法が解けることはないのだから。 
 
 そんな他人の付き合うには些か小心で弱腰なシンシアの思考を読んで、リーゼは鼻を鳴らす。

「まぁ……確かにイリスが貴族だったら、さっきのあたし達の態度は問題だらけさね。 それでイリスの親御さんが顔を真っ赤にさせて押しかけてくるっていうんなら、その時はあたしも腹括るよ。 けど〝それだけ〟さ。 ここは〝そういった一切合財が関係ない〟場所じゃあなかったかい?」
  
「それは―――」
 
 リーゼの口上にシンシアは思わず口篭る。 しかしそれは、相手の思わぬ反撃に怯んだからではなく、むしろ彼女の言い分に頷いてしまう所が多分に含まれていたからであった。 そしてリーゼは、沈黙した隙を逃がさぬとばかりに重ねて畳み掛けにかかる。
 
「それにだ。 まだイリスが貴族だって決まったワケじゃあない。 そうやって早合点するのはシンシアの悪い癖さね。 育ちは良いみたいだけど案外、一ヶ村の領主の娘様ぐらいか………あるいは村の名士の……くらいかもしれない。 そう心配性になり過ぎたって良い事なんてないよ」

 それで話は終いだとリーゼは、炒り豆を口に放り込んで黙った。 確かにイリスがエルフ社会の中で郷士や騎士爵の位に準ずる息女であれば、まだそこまで神経を尖らせるような話ではない。 それぐらいの爵位であれば、普段は農夫達に混じり田畑を一緒に耕す生活が普通であり、領民との差はほぼ無いといって良い。 故に、面子に泥を塗るような行為さえなければ、たとえ伝法な口調で接しても目溢しをもらえることが殆どである。 しかし――――。
 
「―――リーゼ、金言その一」
 
「ん? あー……『他人の過去を詮索しない』だっけ?」
 
「そうよ。 ここに来たということはさ、つまり〝そういう〟ことなんだろうってことは、解りきった話。 ……でしょう?」
 
 リーゼの言い分は十分に理解できる。 だがそれでもシンシアが必要以上に神経を尖らせていたのは、当然理由があってのことだった。

「イリスちゃんから見れば、私たちはまだ気心知れた相手ってワケじゃないんだからさ、少しは遠慮してモノを言いなさい」
 
 お世辞にも聖人君子とは口が裂けても言えないシンシアたちの雇用主。 むしろどう逆立ちしても悪としか呼べない類の人間と談笑を交わすことを仕事とするような人物だ。 たとえば今回の晩餐会のように。
 
 そして、そんな人間の身の回りの世話を任される者たちは、果たして〝まとも〟と呼べる類の人物だろうか。 イリスがただのお嬢様であるのならシンシアとてここまで慎重になりはしない。 だが、あの少女が〝この屋敷に連れてこられた貴族かもしれない子供〟というのが、彼女の胸中を憂鬱一色に染めている原因であった。
 
 おそらく、火の粉程度では済まされない火種を抱え込んでいると考えてまず間違いないだろう。 当然シンシアには、そのことに興味本位程度で触れる気は毛ほどもない。 だが、もし万が一『知らなかった』で大火傷、下手を打って死ぬような羽目になるなど、それこそ馬鹿らしい話である。 故に備えとして情報を確保しておく努力は惜しむつもりはない、と彼女は思っている。 
 
 とはいえ、初手から相手の心の深部へ土足で踏み入るような行為、というのも性急過ぎるだろう。 だから徐々に相手との距離を詰め、お互いに許容の出来る範囲で線引きを行う予定だったのだが、リーゼの暴走のお陰で全てが台無しである。
 
 それでもあえてここで良かった探しをするのであれば、リロイという救世主が場を引っ掻き回してくれたお陰で話が遮二無二なったことだ。 このままイリスがリーゼの質問を綺麗さっぱり忘れてくれることが、シンシアにとっての一番の理想であるが、流石にそれは都合が良すぎるというものだろう。 ならば、後に残る選択肢は薄氷の上を慎重に、且つ、素早く進む以外ない。 つまり、今後イリスと会話を重ねていく上では、細心の注意を払って『貴族』という単語が話の話題に乗らないよう気を払い続けるということだ。 想像するだけでなんと胃が痛くなることだろう。
 
 シンシアは改めて、眼前の呑気が過ぎる友人の顔面を張り飛ばしたい衝動を努めて押さえつけつつ、言葉を接いだ。
 
「私は下手に藪を突きたくないのよ……。 貴女だって早死にはしたくなんてないでしょう?」
 
「そりゃあ、まぁ……」
 
「なら線引きはきっちりしておきなさい。 何かあったら辛くなるのは自分なんだから………」
 
 最後の方は、尻窄まって掠れてよく聞き取れなかったシンシアの声に、リーゼは苦笑交じりに最後となった炒り豆を口に放り込む。

「臆病だねぇ、どうにもさ」
 
「うっさい。 貴女が無神経なだけでしょ」
 
 シンシアは眉根に、不機嫌さを印す縦皺を寄せた。
 
「………まったく嫌な臭いしかしないのよ。 今回は」
 
 そうシンシアがぼやくもの無理からぬことであった。
 
 曰くつきの新米がアスク館にやって来る事態は、そう珍しい話ではない。 ここでは、暗く心に傷を負う過去を抱えていても、せいぜい軒先で騒ぐ野良猫が喧しい、と同程度の意外性と注目度しかない。 しかし今回の場合は、引き篭もりの代名詞とも言える『エルフ族』が関わっていたことで、酒の肴ぐらいの話題性を持ったとも言えなくもない。 が、そもそもの発端であるこの館へと連れてこられた理由については、誰も気にも留めてさえいない。 この館でもソフィーヤやシャルロットといった上位に分類される面子を除いては、だが。
 
 もしシンシアの今回最大の失態を挙げるとするなら、普段通りに行動しすぎたことだ。 尻に火が付くような不味い匂いを感じれば、即座に身を翻す心算でいたし、何よりこの城に住まわせる以上、相手の素性を把握して問題ないと検疫済みの判子が押されているのが道理だろう。 なのにまさか平民にとってここまで頭を悩ませる人材を手の届く範囲に放り込んでくるとはシンシアも想像だにしなかった。
 
 そう、失態を犯した今だからこそシンシアは思う。 エルフ族の幼い少女の存在は、あまりにも違和感を浮き彫りにさせすぎではないだろうか。 今までとは違う『見習いオールワークス』などという役職を無理に与えてまで方々に顔を覚えさせようとしているのが良い証拠だ。 顔は覚えさせる。 なのに彼女の来歴に関しての情報は、不思議と耳に入ってこない。 まるで故意に与えないようにしていると思ってしまうほどにだ。
 
 そしてつい今し方も同じではなかったか。 シンシア達がイリスの過去に触れようとした、その瞬間。 そんなタイミングでリロイは現れたのではなかったか。
 
 唐突に降って沸いた疑念をリーゼに吐露すれば、流石に空想が逞し過ぎると一笑に付されてしまうことだろう。 つい先ほども、心配性すぎると忠告を受けたばかりではないかと、シンシアはそう自分に言い聞かせる。

 それでも不吉な直観に苛まれたシンシアの憂い顔は晴れないままだった。

「イリスちゃんの方で、何もなければいいんだけどね………」






あとがき
あ…ありのまま、今、起こった事を話すぜ!
投降の間隔が空いてしまったと思ったら気がついたら、もう師走になっていた!

どうもギネマム茶です。

早いものでもう一年の最終月です。
今年を振り返ると同窓会をやったりエヴァQ見たり鹿ブッ飛ばしたりで色々なことがあった気がします。

やり残したことも多すぎて、未練タラタラな年ではありますが、来年に向けてラストスパートをかけていきたいと思います。

ではまた次回。



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