巨大なビルが立ち並ぶ都市-第三東京市のその中心。
けん制するように二本の触手をブンブンと振り回す巨大なイカのような化け物と一機の人造の人型が対峙していた。
その都市の地下深く、その様子を映し出したモニターで、対峙するその様を厳しい表情で睨みつける女が一人。
彼女は無理やり絞り出したように悔しげな声で、イカのような化け物―シャムシェルと対峙する機体―エヴァのパイロットへと指示を与える。
「体勢を整えるわ。ソウシ君、一度下がって!」
『いえ、いけます! このまま行かせてください!』
しかしパイロットから帰ってきた答えは否。
しつこく念を押すべきかと一瞬大声を上げかけたが、どうせ下がらせた所で今のままでは良い対策案も思い浮かばずジリ貧、ならば今は少年のやる気に賭けてみるかと思い直す。
「……分かった、あなたに任せるわ。行って!」
『はい!』
動き出したエヴァに対し、容赦なく触手が襲うも、時にかわし、時に手に持つナイフで弾き飛ばし、じりじりと間合いが狭まっていく。
一見、こちらのペースで距離をつめているように見える……だがその光景にわずかな違和感を感じた女は、注意深く観察する事で、相手が気を逸らすように上体のみを狙い攻撃していることに気づいた。
「相手は足を狙ってるわ。避けて!」
狙いに気づき、注意を促す為に声を上げるが、時既に遅く、すぐに光の鞭が薙ぎ払われ、急な一撃についていけず、右足を無残にも切り落とされたエヴァは、ズン! という地響きと共にその身を横たえた。
『ぐぅっ!』
「03のシンクロカット急いで! ミキちゃんはパレットライフルでシャムシェルの気を引いて!」
『は、はい!』
新人パイロットの少女が、パレットライフルでシャムシェルを攻撃し、指示通りに気を逸らす様を視界に入れながら、エントリープラグ内の少年の様子を確認すれば、ぐったりとパイロットシートに横たわり、荒い息を吐いている。
量産型は従来のものと比べれば、ダメージフィードバックが抑えられているとはいえ、シンクロ率50パーセント台で片足を切断されたのだからたまったものではない。
痛みで気絶しなかったその精神力は称えられるが、それでももうあの様子では戦闘続行は不可能だろう。
「……ソウシ君聞こえる? 今、迎えをよこすから下がって」
『はぁはぁ……ま、まだいけます……シ、シンクロを戻してください……』
「無理しないで。何とか注意を反らすからその間にエヴァを降りて合流して!」
『し、しかし片方は自己修復中とはいえ二体の使徒相手に一人じゃ、しかも残っているのが如月じゃ無理で……す』
「だからって動けない人間がいても邪魔になるだけでしょ! いいからさっさと下がりなさい!」
尚も言い募ろうとする少年が二の句が告げぬように勢いよく怒鳴った女性は、使徒の映るモニターへと視線を集中させ、ギリッと爪を噛んだ。
「現れた使徒を一体も倒せずにエヴァ四機沈黙、残った一機も右腕がやられてる……鈴原君一人抜けただけでこんなに追い詰められるとはね」
「手放す時期を見誤った……どうやら自分達の力を過信しすぎていたようね」
彼女の横に並び立つ白衣の女性は他人事のようにそう言い、ふぅと息を吐き出す。
本部ネルフの誇る数少ない第一次使徒防衛戦の経験者である葛城ミサト、赤木リツコの両名は、一週間前、新たに選出された新人パイロットの入れ代わりで手放し、今は遠い異国の地にいる少年の姿を同時に思い浮かべる。
再三に渡り要求され、引き延ばし交渉が限界に来ていたとはいえ、せめて新たに入ったパイロットが実用に耐えるまでは何としても手放すべきではなかったと今更ながらに思うが、全ては後の祭り。後悔しても状況がよくなってくれるわけでもない。
作戦部長を任されるミサトはこの窮地を乗り切る為に残された、たった一枚の切り札を切ることにした。
「……リツコ、彼を呼んでくれる? 今確か日本にいるはずよね?」
「数時間前に入国したとは聞いているけどね……でも良いの? これから先の戦いのために彼らだけで何とかしたかったんじゃないの?」
「五人いた戦力が既に一人を残すのみ。しかもその子はペイペイの素人なんて最悪の状況で、そんな事言ってられないでしょ? これから先も確かに大事だけど、今を生き延びなきゃ意味が無い。背に腹は変えられないわ」
たった一枚とはいえ、それは正しく最強の切り札であるジョーカー。
彼さえ来てくれれば、状況は好転してくれるとミサトは確信していた。
がしかし……
「呼ぶにしても今からじゃ時間稼ぎが難しい……ミキちゃんも明らかな経験不足なのに頑張ってくれているけどどうあがいた所で二体相手は不可能、出来れば動かせる状態で引継ぎさせたい。状況はかなり厳しいわね……戦自からいくつかN2兵器を借りれば、少しくらいなら時間を稼げるか」
戦自への協力要請を視野に入れた作戦を立てるミサトの思考にリツコは声を割り込ませた。
「その必要は無いわよ。彼には入国した時すぐにネルフへ直行してくれるよう言ってあるから、上手くいけばもうそろそろ着くと思うわ」
「あ、あんたまさか!」
「勘違いしないで、最初から予定通りなんて思ってないわ。ただ私が私的に会いたかっただけよ……入国したその日に使徒が現れ、ピンチに陥ったのは全くの偶然だしね」
初めから子供達の実力を疑っていたわけではない。
自分の考えを冷静に否定する親友の常と変わらぬ横顔を、ミサトは訝しげに観察する。
今までの傾向と数々の事例により研究が進み、使徒の出現ポイントや、出現時間は大分正確になってきてはいるが、それでも数日の誤差が未だにある。
狙って出来るものでは無いし、普通に考えればそうなのだろうが、それでもこの親友は顔に出ない性質なので、時々信じられなくなる。
嘘か真か、その言葉の真相を疑っていたその時。
『葛城さんっ!』
「どうしたのミキちゃん! 何処かやられたの!?」
通信から聞こえてきた少女の悲鳴に近い声に焦るミサト。
今のは完全に迂闊だった。
今優先すべきでは無い事で戦闘から数秒間意識を逸らす事は許されない事だ。
『いえ、そうではなくて、あそこに人が!』
大事に至らなくて良かったとほっとしつつも、何を見つけたのかと彼女の乗るエヴァの視覚とモニターを繋げさせれば、映しだされたのは戦場を疾走する一台の原付バイク。
『フンフンフ~フ、フンフンフフ~♪』
メットとゴーグルで搭乗者の表情は伺えないが、集音マイクが拾う鼻歌は場違いに暢気。
その異様な姿には発令所にいる誰もが使徒戦の真っ最中である事を忘れ、一瞬言葉を失った。
「も、もしかしてあれ?」
「みたいね」
「あの馬鹿。何考えてんのよ……」
それが間違いなく自分たちの切り札である事に気づき、リツコは苦笑を浮かべ、ミサトは頭を抱える。
上層部に勝手に納得されて困るのは、その訳の分からぬ人物を見つけてしまったパイロットの少女だ。
『ど、どうするんですか?』
「ミキちゃん悪いけどそれ拾って乗せて!」
『え、えぇ!? 確か関係ない人間を乗せるとシンクロ率が下がるんじゃないんですか?』
「その子は大丈夫だから。戦っている最中に難しいかもしれないけど、ミサトの言うとおり乗せてあげて」
『は、はい!』
何処か抜けている作戦部長の言葉だけなら不安だが、いつも冷静な技術部長にまで言われれば納得するしないに関わらず、言うとおりにするしかない。
シャムシェルとの間合いを確認しながら、そろりそろりと移動し、止まった原付の目の前に左手を差し出し、その人物がメットとゴーグルを外し、掌の上に乗ったことを確認すると同時にそのまま首筋へと運ぶ。
「早く乗ってください!」
ハッチを開け、切羽詰った様子で少女は叫ぶが、その人物は焦る事無く暢気そのもの。
その身長から少女よりも1,2歳年上には見えるものの、中性的な、といえば聞こえは良いが、童顔で全体的に線の細い頼りなさげな青年は場違いにふわりと微笑んだ。
「こんにちは。ちょっとお邪魔するよ」
「は、はぁ……」
友達の家を訪ねたような気軽さで、エントリープラグへと入ってきた彼に毒気を抜かれ、呆然と頷く少女。
『ミキちゃん。早く席を彼に渡して!』
「は、はい! ってえっ、へっ?」
状況も分からなければ、指示の内容も意味不明。
もう何が何やらわけが分からないと頭を混乱させる。
「相変わらずミサトさんはアバウトだなぁ。パイロットは戦うのに必死だっていうのに、説明もなしにそんな事いきなり言われても困るよ」
ねぇ? と同意を求められても、彼女は頬を盛大に引きつらせた曖昧な笑みで頷くのみ。
彼女が状況についていけず、完全に置いてけぼりを食らっている事を悟ったのか、彼は苦笑を深くし、申し訳無さそうに言う。
「ごめんね。説明が欲しいと思うけどあまり時間がないのも確かだから。って危ない!」
「えっ、あっ、きゃああ~~~~!?」
いきなり操縦桿を握っていた手に手を重ねられ、顔を真っ赤に染めた少女だったが、続いてきた衝撃に悲鳴を上げる。
「慣れている01タイプだ……まさか使徒来襲と重なるとは思わなかったけど僕の悪運も尽きてないみたいだなっと!」
あっ、いつの間にか敵が接近してたんだ……それより私動かしてないのに
目の前のシャムシェルは光の鞭を振るってはいるが、華麗な動きで飛び回るエヴァ相手には全く通じず、空を切り続ける。
そして……
「食らえっ!」
光の鞭を掻い潜り、懐に潜り込んだエヴァの左の突き手が目の前の赤い玉を正確に突き刺さる。
一瞬にしてコアを失ったシャムシェルは、その場に崩れ落ちた。
「パターン青消滅。目標は完全に沈黙しました! ってとこかな?」
す、凄い……この人は一体
自分はただおろおろとするばかりで、何もしていない……ならばインターフェースも身につけず、どうやっているのか分からないが、この謎の人物が動かしているというのは明白だ。
少女が驚愕と尊敬の入り混じった瞳で青年の顔を見上げていたその時、発令所より通信が入る。
『さっすが。でも油断しないでラミエルの自己修復がもうすぐ終わるわよ』
「えっ、もう一体いたんですか?」
『いたのよ! そら来た。加粒子砲よ備えて!』
備えてってどうしたら良いんですか!?
青ざめる少女の頭に浮かぶのは、先ほど三機のエヴァを用いてようやく防ぎ……しかしそれでも数秒持っただけで耐え切れず、仲間達を戦闘不能にまで追い込んだ強大な光の力。
『来るわよ!』
三機でもやっとだったというのに、たったの一機ではどうやっても防ぎようが無い。
発光を始めた宙に浮かぶ正八面体―ラミエルの姿に少女は自分の死を確信し、ぎゅっと目を瞑る……が一秒経ち、二秒経ち、いつまで経っても予想していた衝撃は一向に訪れなかった。
「大丈夫だから心配しないで」
大丈夫って……えっ?
優しい声に恐る恐る眼を開いた少女は、目の前のありえない光景に驚愕した。
目の前に展開されたオレンジ色の光が、完全に光の力を遮断している……つまり少女の絶望的な予想を裏切り、たったの一機で防いでいたのだ。
十数秒ほど光が包んでいたが、その間少しも揺るぐ事無く壁は存在し、光が消えると同時にその姿を消した。
「ふぅ、一発は何とか防いだ。今の内に攻撃したいところだけど、次の発射までにこの距離は詰められないし……利き腕無しでラミエルはちょっときつい……リツコさん、こっちも自己修復しちゃっていいですか?」
『ええ、構わないわ』
「というわけだからちょっと席に座らせてね。あっ、インターフェースも貸して」
「は、はい!」
言われるがまま青年へと素直にインターフェースと席を譲った少女の頭に恐怖はもう無い。
この先、何が起こるのか見てみたい。
少女が期待の眼で見守る中、彼は目を瞑り……
「ふっ!」
嘘……
彼が短く息を吐き出しただけで、先ほど壊され、上がらないはずの右腕が持ち上がっているのだ。
その機能を確認するように、ニ、三度拳を握った後、青年はにやりと笑い。
「さぁ、そろそろフィニッシュと行こうか」
『第二射来るわよ!』
「折角直ったのに悪いけど、君にはご退場願うよ!」
横っ飛びしたエヴァは、再び襲ってきた加粒子砲の範囲から逃れると同時に、右腕でウェポンラックからプログレッシブナイフを引き抜き、そのままラミエルのコアへと一直線に投げつけた。
光が止まり、そして続くのはズズンと音を立てて、地に堕ちるラミエルの姿。
「どうですか? リツコさん」
『今パターン青消滅を確認したわ。使徒二体を一分足らずで殲滅……文句の付けようもない見事な手際ね』
「ご期待に沿えて良かったです。でミサトさん。僕らはこれからどう行動すれば良いですか? 使徒の亡骸でも回収しておきますか?」
『あなたも長旅で疲れたでしょうし、後始末はいいわ。こっちの用事を終えたら、迎えにいくから、着替えた後、ケージでその女の子と少し待っててくれる?』
「はい、了解しました。あ、後、出来ればそこら辺に止めてある僕の初号も回収しておいてくれますか?」
『初号? ああ、あの原付ね。分かったわ』
頭の上で交わされる通信を少女は半ば呆然と聞き流しつつ、何でもないことのように奇跡を起こした青年の横顔を呆けた表情で見ていた。
数十分後、通っている中学校の制服に着替えた少女は、慌しいケージ内で適当に腰を下ろし、ぼんやりとその様子を眺めていた。
そんな少女に歩み寄ってきたのは先ほどの青年。
シャワーを浴びた後、それしかなかったのか、ネルフの制服に着替え、乾いていない頭にタオルをかぶせたまま歩き、その接近に気づき、緊張したのか身を硬くする彼女に並んで……といっていいのか分からない微妙な距離を置いて、同じように腰を下ろした。
「匂いが取れないや……やっぱりLCLの匂いは未だに慣れないなぁ。君はどう?」
「そ、そうですね……私もちょっと」
「だよねぇ。味も何かあれだし……無理だと分かっててもあれだけは何とかして欲しいよね」
「そ、そうですね……出来れば何とか欲しいです」
「やっぱりそうだよねぇ。で話は飛ぶけど、ここにあるエヴァはかなりやられたみたいだけど、他のパイロットって大丈夫だったのかな?」
「た、多分……葛城さんが大事になる前に下げてくれましたし、通信もしていましたから」
「それは良かった。整備班の人には悪いけど、エヴァは壊れても直せるし、やっぱり人が一番大事だからね」
「は、はい……そうですよね」
どもりながら俯き、それでもちらちらと自分の顔色を伺う少女に、ガシガシと乱雑に頭を拭いていた青年は苦笑を浮かべ、自分から距離をつめた。
肩が触れ合うほどに近づいた距離が恥ずかしいのか真っ赤になって動揺する少女の顔を覗き込んで彼は尋ねる。
「その顔は僕の事を色々疑問に思っている顔だね?」
「えっ、あの……はい」
「だよねぇ。さっきから僕ばっかり質問して悪いからね。ミサトさんが来るまでまだまだ時間掛かりそうだし、その間に何でも聞いてよ」
その言葉はどう話を切り出そうかと迷っていた少女にとって渡りに船だった。
あなたは一体誰なの?
どうしてあんなに上手くエヴァを扱えるの?
作戦部長や技術部長と親しげに会話をしていたがどういう関係なの?
次々と疑問は浮かぶ……何せこの青年は全てが謎なのだ、疑問はつきることがない。
長い沈黙も苦にせず、青年が微笑を浮かべてじっと待ち続ける中、慎重に言葉を選んでいた少女は、ようやくその口を開いた。
「どうやったらあんなに強力なATフィールドを張れるんですか?」
「へぇ……その質問が初めに来るとは思ってなかった。君は仕事熱心なんだね」
「そ、そんなんじゃないです。私少しでも皆の役に立ちたいから……」
照れて俯く少女に彼は一層笑みを深くした後、あごに手を当て、ああでもないこうでもないと悩み、少しして身振り手振りを交えながら説明を始めた。
「え~っと、まずATフィールドは心の壁ってのは教わったよね?」
「は、はい。訓練で何度か……でもその意味がさっぱり分からないんです」
「だよねぇ。あれじゃ抽象的すぎていまいち……もうちょっと言い方考えてくれれば良いのに。まぁ、その言葉通りにATフィールド。つまり心の壁は相手を拒絶する事でより強固なものになるんだ。具体的には嫌いなものを思い浮かべて、相手に重ねて拒絶する。お前なんかいらない、私の世界に入ってくるな! って考える事がコツかな」
「な、なるほど」
これは分かりやすい答えだった。
何度も頷く少女にでもねと青年は言葉を続ける。
「ここで注意なんだけど、壁を強くするために心を閉じ込めてはいけない。そうすると今度はエヴァへのシンクロ率が下がるから、結果としてATフィールドの強度も下がっちゃうんだ」
「……難しいですね」
「と思うかもしれないけど言うほど難しくないよ。コツさえ掴めばどちらも簡単にこなせるようになるから」
決してそんな簡単な事ではないはずなのだが、こののほほんとした青年に言われると何となくそんな気がしてくるから不思議だ。
はい。と幾分かリラックスしたように頷いた少女を見ていた彼は、何故か急に笑みを消し、真剣な表情で更に続けた。
「ただこれだけは覚えておいて。強くなる事は意外に簡単だけど、どんなに強くなったって一番大事な人と人との関わりがおろそかになっちゃ意味が無い。心を閉ざす事、心を開く事。自分なりのやり方でバランスを取って上手にこなし、他人との絆をより強固にしていく……人が生きていく上でそれは戦うことなんかより、ずっと大切な事だからね」
急な表情の変化についていけず少女が呆然としている事に気づき、彼ははっとしたように先ほどと同じように人の良い笑みを浮かべ、参ったなと頭を掻いた。
「いや、ごめん。初回の講義にしてはいきなり飛ばしすぎたね。あまり難しい事は考えないで、少しづつでも前に進めば良い。最後に言った人と人との関わりを大切にして欲しいというのは僕の我侭で、ただ単純に僕が君と仲良くなりたいってだけだから」
「私と……仲良くですか?」
首を傾げる少女にうんと頷く。
「人との絆を結ぶ事は僕にとっての第一目標で、仲良くなってくれるととっても嬉しいな……君みたいな可愛い子だと特にね」
「か、可愛いなんてそんな!」
「あれ? 友達とかに言われない?」
「言われたことありませんよ」
「またまた~謙遜しちゃって」
「本当に……無いですよ」
辛そうにそう呟いた少女は表情を暗くし、消え入りそうな声でぽつりぽつりと呟く。
「……私、こんな暗い性格をしてるから。お父さんに言われたようにパイロットの適正試験を受けたら、合格しちゃって……一週間前に引っ越してきて一人暮らししているんですけど、学校には馴染めないし、パイロットの皆ともあまり話も出来ないし……」
「そう……なんだ。辛いこと聞いてごめんね」
「良いんです……私には何も無いから……他に何も出来ませんから」
暗い顔で悲しそうに俯く彼女を痛ましげに見やり、青年も同じように暗い表情で俯いた。
パイロットの適正検査を受けるのは強制ではない。
世界を守護し、英雄視されるパイロットに憧れる少年少女は多く自ら受ける者も多いが、周囲の人間に薦められてというケースも意外に少なくは無い。
それでも両親に薦められてというケースはあまり多くない……それも当然だ。誰が好き好んで、命のやり取りをする組織に自らの子供を差し出すというのだ。
その行動が一概に愛情を持っていないとは言えないが、命の危険と天秤に掛けても英雄になることを望まれ、言われるままに行動させられた気弱な少女の悲哀は計り知れるものでない。
頭を振って、顔を上げた青年は、少女の頭の上に手を置き、短い黒髪をやさしく撫ぜた。
驚いたように顔を上げた少女が見たのは優しい微笑み。
「何も無いなんて事無いさ。まだ自分では分からないだけで、きっとその内見つかるよ」
「……そうでしょうか?」
「そうさ。人はたくさんの可能性を持っているから……でもまず今の君に必要なのは自信だね。もっと自分に自信を持って。って言っても難しいか」
「はい……」
少女は頭を撫ぜられる気持ちよさに眼を細めながら、心の奥にまで染み渡るような優しい声を心に刻む。
「気長に行こう。少しの間だけどこれから僕が手助けをしていくから」
「本当……ですか?」
「うん。何でも聞いて、何でも頼って」
その暖かい言葉に嬉しさに泣き出しそうな自分を抑える為、ぎゅっと拳を握り締めた少女は、頭の上に置かれた手が離れていく事に気づいた。
止めちゃうんですか?
小動物のような瞳でそう物欲しげな表情で見上げられ、苦笑を浮かべた青年は、何か思いついたようににやりと笑い。
「な、何を!?」
先ほどまで頭を撫でていた手を彼女の頬に添えた。
「恥ずかしがらないで僕の眼を見て……」
「は、はい……」
言われるままに、見つめていると吸い込まれそうになる曇天の夜空のような瞳に捕らえられ、少女の瞳が潤む。
「……良いかな?」
「……」
何が? 等と野暮な事は少女も聞かない。
この体勢になってやる事などたった一つに決まっている。
今にも火を噴出しそうなほど顔を紅潮させた少女は黙って頷き、青年はゆっくりと顔を寄せ……
「中学生をいきなり口説いてんじゃないわよ!」
「ぐへっ」
触れようかという瞬間、横合いから飛び込んできた女性によるジャンピングニーが青年の頬を綺麗に捕らえた。
吹き飛ばされ、ゴロゴロと転がる青年の体の勢いは止まらず、そのまま壁にグチャッと嫌な音を立てて叩きつけられた。
こ、これは死んだ……
慌しく働いていた整備員達もその音に驚き、注目が集まる中、意外にもひ弱に見えた青年が何でも無いことのようにわずかに腫れた頬を撫ぜ、苦笑しながら体を起こ
す。
「あいたたたぁ。いきなり蹴るのは酷いなぁ……後輩にちょっとしたジョークを交えて早目の講義をと思っただけなのに」
「講義はともかく、ジョークの方は受け取る側がそう取れなきゃ成立しないわよ。ここにいるのはあなたみたいにちゃらんぽらんじゃない純情な年頃の子ばかりなんだから」
「ちゃらんぽらんって……僕は結構、責任感がある方だと言われてますよ、ミサトさん?」
何が起こったのか分からず眼を白黒させながら少女が事態を見守る中、青年をジャンピングニーで蹴り飛ばした女性―葛城ミサトはひくひくとこめかみを引きつかせながら仁王立ちで見下ろした。
「あの噂を聞く限りじゃ私にはそうは思えないんだけどねぇ。それに噂はともかくとしても、ドサクサ紛れでネルフから逃げ出した男の何処に責任感があるのかしらあ?」
「あはは~……これは痛いところをつかれたなぁ」
立ち上がり、参りましたと頭を下げる彼にミサトは勝ち誇ったように胸を張り、そしてにこやかに微笑み……
「……おかえりなさいシンジ君」
「ただいまミサトさん」
成長した少年を胸の中へと迎え入れたのだった。
後書き
初めまして神無と言います。
『神様なんていない』を読んでくださった皆様、ありがとうございました。
ここまで読んでいただいた方には分かると思いますが、このお話本編のジャンルはEOEアフター系で、スパシンものに分類される……のかなぁ?
勢いのままに書き綴ったので、おかしな点が多々ありますが、ここまでで少しでも興味を持っていただければ御の字、これからもこの調子でいきたいと思っていますので、どうぞお付き合い下さい。
ではまた次回。