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[31477] とある神父と禁書目録【とある魔術の禁書目録 未来設定】
Name: 1◆9507d07e ID:6af538b7
Date: 2012/03/11 10:26
はじめまして、1と申します。
当SSは鎌池和馬氏のライトノベル『とある魔術の禁書目録』に対する二次創作です。
メインキャラクターに禁書界隈屈指のヘタレくんことステイル=マグヌスを据え、平和になった世界での禁書キャラたちのその後を描写していきます。
パートナーはインデックスなので、彼女が上条さん以外の男といい感じになるのが許せない、という方は今のうちに回れ右を推奨します。
そういった方々にもなるべく受け入れられるような展開にするべく努力はしておりますが、こういったことは個人の嗜好の問題ですので、注意事項として事前に告知させていただきます。


※カップリングはステイル×インデックス他多数!


差し当たり、注意事項はこの一点だけとなっております。
また当SSは、『SS速報VIP』様にて過去に投下したものの加筆修正版となっておりますことを予めご了承ください。
その旨については向こう側でも明記したので規約に抵触してはいないと認識しておりますが、なにかしら問題があった場合はご一報いただけると幸いです。

前置きが長くなりましたが、皆様に少しでもステイルというキャラを好きになっていただければこれ以上の喜びはありません。
あとついでに、「ステイン」という単語が歯の汚れのことだけを指す言葉ではないのだと覚えてもらえるともっと嬉しかったり。
ではお読みいただけるという方は「次を表示する」ボタンからどうぞ。



[31477] Ch.1 とある神父と英国清教
Name: 1◆9507d07e ID:6af538b7
Date: 2012/03/11 10:28


 昼下がりのロンドン市ランベス特別区、聖ジョージ大聖堂。その中庭で神父服の男が紫煙を燻らせていた。


「はぁ……」


 煙と共に大きく息を吐く長身赤髪の神父。名を、ステイル=マグヌスという。その無駄にデカイ図体に向けて、彼の目の前に立つ女が腰に手を当てながら口を尖らせていた。


「なぜにそのような溜め息をついたる、ステイル? 私の護衛がさように気の重くなりぬる仕事と言うの?」


 背にかかるほどの豊かなアッシュブルーが右に左に揺れる。ステイルに人差し指を突きつけている女性は、絶世と言って差し支えない美女であった。神々しささえ醸し出す美貌にそぐわぬ稚い仕草は、ステイルの心臓の拍動を速めるに十分な効果がある……あるにはある、のだが。
 女の美貌は現実逃避の受け皿としては悪くなかった。だが、そうも言ってばかりはいられない。この状況には一つ、ステイルにとって無視しがたい問題が介在していた。


「はぁぁぁ…………」


 問いかけには一切いらえを返さず、ステイルは先ほどよりさらに長く呼気を吐き出す。これ見よがしに、である。
 ステイルの様を見て取った女は眦を軽く上げ、
 

「言いたき儀があるのならはっきり申せばいいと思うにつき!」


 餅のような弾力にあふれる頬を、可愛らしく膨らませた。対するステイルはいま一度煙草の煙を、女から顔を逸らしながら青空へと逃がす。それでもなお、鬱屈とした気の塞ぎは霧散してはくれなかった。
 目の前の女性の存在そのものに関して、ステイルに否やなどあるはずもない。なぜなら彼女はステイルにとって、世界の何物と天秤にかけても傾く、絶対的な守護の対象であるからだ。ただ、どうにも世間知らずというか、有事が身に迫っていない際の警戒心の薄さに定評があって困る。
 その女性の名を――――


「ならば一つ質問をよろしいでしょうか、最大主教アークビショップ

「なにかしら?」

「…………その馬鹿げきった馬鹿な口調は、もしや土御門の差し金によるものですか」





 Index-Librorum-Prohibitorum、と言った。





「え? ローラが言うには『最大主教たるもの格式に則った話法で各国との協議に臨むべし』って……」

「(元)最大主教ゥゥーーーッ!!! あの女狐またやらかしてくれたなぁぁっっ!!!」



◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇


1st Chapter

とある神父と英国清教



Passage0

プロローグ


◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇



 イギリス清教第零聖堂区、通称『必要悪の教会ネセサリウス』。存在しないはずの零番目の教区を司る彼らの存在理念は、一文でもって言い表すことができる。
 すなわち、日本で言うところの『毒をもって毒を制す』。聖職とは対極に位置する魔術師という名の異端者を狩るべく、主敵と同じ魔道に身を染めることを許された集団。異質にして異常な空気を纏う清教派の嫌われ者。しかし独裁者であった前最高権力者の裁量により、事実上イギリス清教の中核を担っている戦争屋。
 ステイル=マグヌスが在籍しているのは、そんな薄汚れた人殺し集団だった。


「内にも外にも問題児が多すぎるわ! こんなイギリス清教に誰がした!?」

「むむ! 心配は無用なりてよステイル! 私が最大主教となったからにはしかと改革を推し進めて」

「それ以前に貴女の食費が財政を圧迫しているんですよ! 修道会に属する身としてそれでいいのか!」

「う……わ、我らの父は食物を粗末にしたることを第一の罪として定めておってね」

「教義を揺らしかねない問題発言は控えていただきたい! 貴女の何気ない一言で世界情勢が動くかもしれないんですよ!」


 しかしここ最近、ステイルの周辺の世界はすこぶる平和だった。こうして下らない四方山話に興じているこの状況が良い証拠だ。
 『必要悪の教会』所属魔術師の任務は多岐に渡る。世界各国でよからぬ陰謀を企てる『わるいまじゅつしさんたち』を掃討する遊撃手もいれば、特定の地域に依って『わるいまじゅつしさんたち』から信徒を守る守護者もいる。そしてステイル=マグヌスの現在の任務は、一人の女性の身辺警護であった。任務というよりは責務である、と言い換えた方が正確であるかもしれない。

 最大主教筆頭護衛官。

 神職の人間にはまったく不釣り合いの物騒な肩書が、今のステイルと“彼女”の立場を如実に象徴していた。


「エンゲル係数で揺れるパワーバランス……それはちょっとイヤかも」

「僕だってイヤですよそんな世界!」


 イギリス清教最大主教、Index-Librorum-Prohibitorum。

 彼女がとある事情から五年の間生活していた学園都市を離れ、このロンドンで聖職者としてキャリアを重ねるようになってから早いもので五年が経つ。合わせて実に十年。時間はステイルを二十四歳の精悍な青年へと――身長はほとんど伸びなかったが――成長させ、インデックスを戸籍謄本に芳紀二十五、と年輪を刻まれておかしくないだけのれっきとした女性へと変貌させた。
 それほどの月日が、いつのまにか二人の上に、そして世界に流れていた。


「ふぅ、はあ……」

「ぜぇ……はぁ、と、とにかく、近日中にはローマから就任祝いの使節が到着します。その前でこんな間抜けな訛りを丸出しにされては貴女の面目……じゃなかった、清教派の沽券に関わるんですよ」


 散々言いあった結果、矢継ぎ早に文句をぶちまけてきたインデックスの呼吸が束の間乱れた。その隙を見逃さずに言うべきを伝えるステイル。基本的に仕事に対しては生真面目な男であった。サラリーマン気質、ともいう。
 本心では大事にしたくてしょうがない相手であっても、公人としては厳しく接しようと心がけたゆえの言動。ステイルのインデックスに対する甘さをよく知る面々からすれば、驚天動地の事態であろう。 


「やっぱりステイルも、私には無理だと思いけるの?」

「……ッ!? い、いや、違うんだそうじゃなくてだね」


 ……いや、やっぱり甘々なのかもしれない。
 目尻に涙粒を浮かべた女を目の当たりにして、ステイルは途端におたおたし始めた。身体を小刻みに震わすインデックスへ、肩に手を置くという最低限の気遣いにも踏み切れない。実に情けない男である。ヘタレ、ともいう。というより、ステイル=マグヌスの名はこの界隈でヘタレの代名詞として十二分に通じてしまっているのが現実である。


「無理しなくてよきよ。うすうす、自分でも身の丈に合わぬこととは」


 しかしインデックスの発言が自虐じみたそれへと変わった瞬間、ステイルの相貌も同時に、激しく豹変した。




「違うッ!!」




 張り上げられた力強い雄叫びに、びくりと跳ねる女の背中。一つ二つ深呼吸をしてから、ステイルはうってかわって静かな声を発した。真摯な眼差しを真っ直ぐに向けて、諭すように滔々と。


「君は……貴女は、神を愛し、神に愛される高潔な聖職者だ。多くの民草が疑いようもなく、貴女によって救われているのだから…………この、僕だって」


 当のインデックス自身を救うことができたのは、この世でただ一人だけだったが。
 そう、自嘲気味に微笑みながら。


「す、すている、恥ずかしいよ」


 神父の熱弁に、聖女の丸みを帯びた頬がかすかに赤らむ。ステイルはその表情を見て我にかえった。唇を軽く噛み、反射的にインデックスに背を向ける。


「……失礼。差し出がましい口を利きました」

「……そういうことじゃ、ないのに」


 ポツリ、寂しげな声。期待と寂寥の綯い交ぜになった視線を広い背中で受け流しつつ、ステイルは咳払いをした。


「んっ、んん! とにかく、だ。少なくとも『必要悪の教会』の面々は皆、貴女の器を認めている。ご自分をあまり過度に卑下なされると、彼らも悲しみます」

「そっ、か。うん、わかったんだよ」

「口調の方はまあ、おいおい直していけばいいでしょう。今はローマ正教との会談について詰めなければ。テレビカメラの立ち入りは先方が拒否してきたんだったかな……」


 誤魔化すようにわかりきったことを口に出しながら、ステイルは内心でインデックスの前任者の顔を思い浮かべる。ステイルは激怒していた。必ず、かの邪智暴虐の魔女を遠隔操作魔術で塵にせねばならぬと決意していた。懐のルーンの貯蔵は十分だったかと確かめつつ、ステイルは神父服の内ポケットから分厚い革の手帳を取り出し、今後の予定を確かめるふりをする。
 最大主教のスケジュール管理は別部署の仕事だが、専属SPのような立場にあるステイルは当然四六時中彼女の傍に付き従うこととなる。要するにインデックスのスケジュールイコール、ステイルのスケジュールだ。びっしりと書き込みがなされたページとにらめっこをしていると、いきなりインデックスが大声を上げた。


「あっ!」

「っ、今度はなんですか?」


 すわ不審者か、と身構えるステイルを尻目に、インデックスが聖堂の中へ駆けていく。慌ててステイルが後を追おうとすると、五秒とせずに彼女は、幅三〇センチほどの紙袋を携えて戻ってきた。


「明日のことで思い出したる! もとはるが公式の場ではこの……」


 嫌な予感がする。マジすげー嫌な予感がパないんですけど。
 脳裏で誰かが囁いた。きっと世に第六感とか呼ばれる便利な概念だ、とステイルは他人事のように思った。
 ごそごそと紙袋をまさぐって取り出されたのは――――




「『神にご奉仕☆メイド風あーくびしょっぷ』を着るべし! と」




 ふざけた露出度の修道衣風コスだった。そのスジの店でうら若い娘が着用するようないかがわしさ全開の代物だった。
 こめかみからブチッ、という音が聞こえた気がした。




「土御門ォォォーーーーーッ!!!!!」




 大聖堂に本日二度目の絶叫が響き渡る。
 すっかり『必要悪の教会』の、いやイギリス清教のメインツッコミに定着したすているくんにじゅうよんさいの行く末やいかに。



[31477] 贖罪者の右腕 Ⅰ
Name: 1◆9507d07e ID:6af538b7
Date: 2012/03/11 10:28


「んっんっんー♪ メイドさんの恋しい季節になってきたにゃー」


 どこの国の何処とも知れぬ、陰惨とした路地裏の暗がり。雰囲気にそぐわないアロハシャツを血腥い風になびかせて、一人の男が鼻歌など響かせていた。オツムのどうかしてるとしか思えない世迷言に向かって、「お前にメイドさんを恋しがらない季節なんぞないだろうが」とツッコミを入れる者もなく、男は悠々と人気のない裏路地を闊歩する。
 その時、アロハシャツの胸ポケットからブゥンと唸り声が上がった。携帯電話を手に取った男は画面に表示された着信先を確かめてニヤリと笑い、それを耳許へと運ぶ。


「もっしもーし」

『私メリーさん。今すぐに背後をとってあなたを消し炭にしてあげたいの』

「おいおい、俺のバックにはイギリス清教がついてるんだぞ? それがどういうことかわかってるんだろうな……戦争だろうがッ……!」

『僕のバックにだってバッチリついてるよ! むしろ君より僕の方が地位が上だろうがッ!!』

「やーんステイルくんったら、バックをとるとかとらないとか、そういうお話はハッテン場のお兄さんたちとしてほしいにゃー」

『死ね』


 驚くなかれ、これは男と電話相手の間では日常の挨拶にも等しいやりとりである。根っこが生真面目な青年をからかうのは、同僚である男にとって数年来のライフワークですらあった。青年の日頃の苦労が窺い知れるというものである。
 会話相手が眼前にいるわけでもないのにオーバーに肩をすくめ、男は悪戯の成功した稚児のように白い歯を浮かべた。


「……さて。それで今日は、この土御門元春に何の御用かな?」



◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇


Passage1

贖罪者の右腕


◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇



「ぶっ、だはははははっ!!! インデックスに、あの馬鹿女の馬鹿口調が遷ったぁ!?  そりゃー傑作だぜい! で、オレからのプレゼントの方はお気に召したかにゃー?」

『やかましい! 君とあの婆のせいでこの忙しい時期にいらん苦労を背負いこんでるんだぞ僕は!!』


 相も変わらず金髪の女狐に振り回されている様子の青年を思い浮かべて、土御門元春は軽快に爆笑した。耳元から携帯電話を遠ざけて怒鳴り声に対処すると、その姿勢のままくつと笑い、電話相手の烈火のごとき怒りを意にも介さずのたまう。


「そいつは残念。十年前とはあらゆる意味で比べ物にならないほど成長したインデックスのボンキュッボンな肢体に、あのサイズ小さめに見積もったメイド服はさぞかし」

『OK、現在地を教えろ。ピンポイントでルーンを郵送してやる』

「なんだ、着せなかったのか?」

『着せるも着せないもあるか! 僕と最大主教の関係は上司と部下以外の何物でもないッ!!』

「飽きもせずにまだグダグダ言ってんのかお前ら。まったくじれったい連中だな」

『ほっとけ! ……で? 実際のところ、今どこにいるんだい』


 都合の悪い話になった途端に逃げやがったな。
 胸中で小さく毒づきつつ、いまやイギリス清教のブレーンを務める男は薄暗い路地を抜け、人気の多い雑踏へ出る。土御門の現在のねぐらはそう遠くなかった。


「俺のお仕事、わかってるのかにゃー? 秘匿回線とはいえおいそれと喋ってやるわけにはいかないぜよ」

『……つまり、だ。ローマの使者が到着するまでにロンドンに戻ってくる、ということはないんだな』


 声のトーンが一段下がる。こちらが本題なのだろうと土御門は察した。察したというなら、着信相手を確かめた時点でとっくのとうにお見通しではあったのだが口には出さない。言わぬが仏、沈黙は金。土御門の郷里の諺にもそうある。
 現在イギリス清教は最大主教の交代という難しい局面を迎えていた。そこにいち早く“祝賀”の使節を送りこんできたのがよりにもよってローマ正教と聞き、ステイルはきな臭いものを感じとったのだろう。なにせほんの数年前まで、ローマ正教とイギリス清教は半ば公然と敵対していた、不倶戴天の間柄なのだから。
 現ローマ教皇ペテロ=ヨグディスがどのような思惑を抱えているにしても、土御門も本来その場に同席すべきだった。現行体制の中心メンバーで政治手腕に最も長けているのは土御門である。
 しかし当の土御門は、現在イギリスからはるか大西洋を越えた地に潜伏している真っ最中。よって、というわけでもないが、此度の一件に関わる気はさらさらなかった。


「ま、深刻な事態になることはないと思うから、そう気張らずにいることだ」

『クソッ。何か掴んでるな、土御門?』

「にゃっははは」

『笑いごとじゃあない! 事は清教派の浮沈にも関わりかねないんだぞ!』

「おやぁ? お前、イギリス清教の利益なんてものに興味があったのか」

『人には立場、というものがあるだろう』

「お前が重視してるのは『イギリス清教の幹部』としてじゃあなく、『インデックスの側近』としての立ち位置だろうが」

『……どちらでも同じことだよ。今となってはイギリス清教がそのままイコールで、彼女そのものなんだからね』

「素直じゃないにゃー。『インデックスのことが心配です』って本音をそのお口からくっきり吐き出せたなら、情報をやらないでもないぜい」


 ステイルは黙りこくった。この期に及んで本当に素直になりきれない男だな、と土御門は呆れる。青年がシャイな少年だった時代からその性質をよく知る土御門としては、微笑ましい姿に映らないでもなかったが。
 なので「死に腐れ」という小さな小さな呪詛の言葉は聞かなかったことにしてやった。


「やれやれ。繰り返すが、おまえが心配するようなことにはならない。御使者が到着してからのお楽しみってところだな」


 はぁ、と電波の発信元から最近お馴染みのため息が聞こえる。苦労性というかなんというか、とある『病気』がここのところとみに顕著になってきている青年に向けて、土御門は一つ確認する。


「それから……舞夏は元気か?」

『ああ、元気さ。神裂も気をかけてくれるが、やはり立場というものがある。彼女にもかなり助けられているよ』


 頬をわずかに緩めると、小さく「そうか」と返す。
 土御門の元義妹にして現配偶者は、現在最大主教の世話係として学園都市から遠くロンドンへと移住していた。そして、土御門舞夏と最大主教とは十年来の付き合いである。
 ここ数週間、インデックスの身辺では環境の激しい変化があった。気心の知れた仲ゆえに、心労を和らげる清涼剤としての十分に役目を果たしてくれている。そう語るステイルの口調も、幾分柔らかなものだった。


『とはいえ、そろそろ帰ってきたらどうなんだ。彼女はプロだから口には出さないが、最大主教が見るには寂しさを堪えているんだろう、ということだったぞ』

「…………まあ、いずれ、な」


 やや歯切れの悪い返答だけが、重苦しい響きを帯びて空気に乗った。
 土御門の現在の仕事はやや私情が絡むものだが、教会の利益につながることは間違いない、立派な裏社会絡みの代物である。中途半端に済ませた挙句、今日では清教派の本拠地で日々を営む世界一大事な女性を、万が一にも戦火に巻き込むわけにはいかなかった。
 そうこうしているうちに潜伏先の一つとして寝泊まりだけを済ませている、違法建築の塊のようなバラックが視界に入った。土御門は溜まった郵便物をポストから無造作に抜き取るとドアを開ける。そしてしばらくぶりの清潔、とは言い難いが少なくとも硝煙や血痕の染み付いていない寝床にダイブした。


「じゃあそろそろ切るぜい。俺は久方ぶりの惰眠をこれから貪る。もう邪魔しないでお願い」

『ん、そうかい。わかった、それではよい夢路を』


 初っ端の剣幕からは考えられないほど穏やかな声が耳に入ると、ブツッと通話が切れた。土御門は怪訝に思いつつも、会話には滲ませなかった疲労に負けて、とりあえずは睡魔に身を委ねることとした。


「ん?」


 と、その時。放りだした郵便物の中に見覚えのある筆跡と名前を発見した。してしまった。


「な」


 逆立つ総毛、速まる動悸。長年の日陰暮らしで身に付いた野生のカンが危機的状況の到来を告げる。
 曰く、常識も国境も通用しない未元速達便――――「土御門元春様へ ステイル=マグヌスより哀をこめて」


「にゃ、なんでこの場所が」


 泡を食って跳ね起きた時には遅かった。中に仕込まれた炎を意味するルーンのカードが、“土御門がギリギリ死なない程度の威力”で炸裂する。


「ふっ」


 響く爆音、立ちのぼる黒煙。




「不幸だにゃぁぁぁぁああぁぁあっ!!」




 遠くロンドンの地から遠隔爆撃を敢行したステイル=マグヌスに言わせれば、「自業自得だ」の一言に尽きたであろう。



◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇



「なにかありて、ステイル? いやにすがすがしい顔をしてつきにけりなのよな」

「いや、とりあえずこれで溜飲は下がっ、た…………へ?」

「どうかしたるのよな?」

「いや、なにか……おかしい。さらに、一段と、おかしくなっているような」

「おかしき!? かような馬鹿なことがありにけるのよ? 矯正はさいじが手伝ひてくれたのよな」

「建宮斎字ィィーーッ!! お前もかぁぁぁ!!」



◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇



 普段と違い人気の失せた聖ジョージ大聖堂の奥で、ステイルとインデックスは使節の到着を今か今かと待ち受けていた。インデックスは「はじめてのこうむ」に表情を硬くしている様子だったが、ステイルはといえばそれどころではない。


「くそ、結局天草式の馬鹿どもには逃げられ、馬鹿口調もまったくもって矯正できず、この日に至るまで僕にできたのはあのふざけた露出度のメイド服を片っ端から焼き捨てたことだけか……!」


 最大主教公邸のクローゼットにこれでもかと納められていた土御門謹製らしき衣装の山。修道服とメイド服を足して二で割った後にいかがわしさを二乗して掛け合わせたようなコスチュームを目の当たりにした時、ステイルは反射的に炎剣をブチ込んでいた。


「まあしょうがなきにつき! それよりいよいよなのよな、お仕事」

「……あの、基本的に僕が応対しますので、なるべくなら黙っててもらえますか」

「いかにして?」

「本気で聞いてるんじゃないでしょうね」

「えへへ」

「笑って誤魔化すんじゃない!」


 コンコン。
 控えめなノック音に二人は口を閉じた。インデックスはヴェールがずれていないか両手を頭にやって確かめ、ステイルも神父服の襟元を正す。


「ローマ正教からのお客様の御到着です」

「お入りください」


 鈴の鳴るような、という形容がぴたり当てはまる音色がステイルのすぐ隣から発された。扉の外からの声にすかさず応答したのは、ステイルではなくインデックスの方だった。普通に喋れるんじゃないかと余程つっこんでやりたかったが、状況がそれを許さない。


(土御門の口ぶりは、間違いなく使者の正体を知っている者のそれだった……さて、鬼が出るか蛇が出るか)


 観音開きの大扉が徐々に開け放たれていく。薄暗い聖堂の中に佇むステイルは軽く目を細めた。逆光が眼球を刺して、入ってくる男の姿が定かでない。ただ、体格から男だとは見当がついた。全体として線は細いものの、それなり以上に鍛えられている。
 コツコツ、と革靴と床の間で規則的な音を鳴らしながら、男は二人の前方五メートルほどの位置で脚を止め、尊大に腕を組む。顔を見て、ステイルは息を呑んだ。


「ごきげんよう、英国清教最大主教殿。俺様が俺様だ」


 ジャイアンでももうちっとマシな自己紹介するわ。没コミュニケーションってレベルじゃねーぞ。
 喉まで出かかった言葉をぐっと飲み込む。斜陽のごとくゆらゆら燃える赤髪が真っ先に目に留まった。ローマからの来訪者に対して、ステイルはインデックスを庇うように前に出る。その男に直接会うのはステイルも初めてだったが、写真なら何度も見たことがあった。


「そう警戒するな。ステイル=マグヌス、だったか」

「申し訳ないが、チェンジで」

「残念ながらホストクラブの指名ではないのだからして、そのようなシステムは実装していないな」

「一刻も早くお帰りいただきたい。さもなくば御使者の身の安全は保障しかねます」

「俺様の身に危害を加えんとする下手人が目の前にいるのだ、確かにそうかもしれんな」


 ステイルはすでに懐からルーンの束を取り出していた。だが男は意に介した様子もない。二人の男の間で火花が散り、室温が心なしか上昇する。
 その時、真後ろのインデックスが毅然とした声を上げた。


「ステイル、止めなさい」

「しかし、最大主教」

「止めなさい」

「……承知いたしました、我が聖下」

「そうそう、下っ端風情が公使の邪魔などするものではない。下手を打てば国際問題だぞ、ステイル=マグヌス」


 インデックスとて男の顔を知らぬはずもないだろうに、とステイルは釈然としない面持ちで身を引いた。ローマ教皇直筆の公文書をヒラヒラさせて高慢な笑みを浮かべるその男とインデックスには、浅からぬ因縁があるはずだ。


「あなたを遣ひに寄こしたのは、ややもするとマタイ前聖下のはからいなの?」

「察しがいいな」

「マタイさまらしい気遣いなのよな。私も、いつかはあなたに会いたしと思うてたんだよ」

「それは、光栄なことだ」


 インデックスが真珠のような光沢を放つ口唇のラインを緩めると、男は正視を避けて顔を傾げた。
 インデックスと男の関係を表現するに相応しい言葉など、ステイルには一つしか思いつかない。その関係性に従えば至極当然の行動である。
 しかしステイルの目は驚愕に見開かれた。この男にも罪悪感などという人間らしい情感が存在していたのか、と思わされたのである。
 

「ようこそ、ロンドンへ。我らが主の御心のままに、私たちはあなたの来訪を歓迎します」


 彼はかつて、『右方のフィアンマ』と名乗っていた男だった。


「……感謝する、最大主教」


 フィアンマとインデックスは、疑いようもなく加害者と被害者の関係にあった。





[31477] 贖罪者の右腕 Ⅱ
Name: 1◆9507d07e ID:6af538b7
Date: 2012/03/11 10:28


 ステイル=マグヌスは苛立っていた。


「そこで俺様は言ってやったのさ。『おいヨハネ、昨日君の家の庭を覗いたらモンスターが土仕事をしてたぜ』」

「うんうん」

「すると奴はこう言った。『HAHAHAフィアンマ、庭にいるのはウチのワイフだよ』」

「HAHAHA!!」

「HAHAHA、とここまでなら小粋なイタリアンジョークだろう? ところがぎっちょん、この話には続きがあってな」


 合コンで女の子の気を引こうとするチャラ男でもあるまいし、なにを古典的ジョークに勤しんどんねん――――とツッコミたい衝動を抑えていたから、ではない。いや、まあ三割ぐらいはそうなのだが、こみ上げるフラストレーションの主因はそちらではない。
 「下がっていいよ」と声を掛けられようが「邪魔だ」と目線で告げられようが、ステイルはインデックスの真横にぴたりと付き従うことを止めなかった。彼女の傍を離れる気など毛頭ない。インデックスの人を見る目は確かだとステイルは知っているが、警戒しすぎてしすぎることはない相手だった。
 『右方のフィアンマ』。ローマ正教秘密諮問機関、『神の右席』のリーダー。第三次世界大戦の仕掛人。上条当麻に敗れてのち、煙のごとく世界から姿をくらましたお尋ね者。
 しかし、そのどれもがステイルにとっては瑣末な情報にすぎない。


「『いやいやヨハネ、それがモンスターは一匹じゃなかったんだ。数えてみたけど、八匹はいたぜ』」

「え?」

「『HAHAHAフィアンマ、それはウチのサンとドーターとブラザーとシスターとファーザーとマザーだよ』」

「えー」

「『HAHAHA驚いたな! それじゃあ君の家はモンスター一家じゃないか! ……ところでヨハネ、それだと計算が合わないんだが、八匹目のモンスターは誰だったんだい?』」

「え……」

「『HAHAHA嫌だなフィアンマ……モンスターならここにいるじゃあないか』」

「ゴクリ」





「『そう…………君の目の前になぁぁあぁあ!!!』」





「きゃー!」

「何者なんだよヨハネッ!! だいたい英国語クイーンズ丸出しのそれのどこが『小粋なイタリアンジョーク』だぁぁぁぁっ!!!」

「ツッコミとしては後半が余計だ。無粋というべきか。そこは『大人の事情』という呪文を振りかざせばどうにかなることになっている」

「ステイルー空気を読みてほしいのよなー」

「やかましい!!」


 ステイルにとってフィアンマは、自らの野望のために『禁書目録』を利用し、挙句彼女を苦しめた大罪人である。十年前、まさにこの聖堂で勃発した戦争にも匹敵する戦闘を、無論ステイルが忘れるはずもない。
 

「そう恐ろしい顔をせずとも、とうの昔に俺様は『神の右席』としての特性を失っている。今の俺様ではお前に勝てん」

「いけしゃあしゃあと……僕は最大主教とは違う。誠意を尽くせば信用してもらえる相手だ、などと思ってはいないだろうな」

「とはいえ、勝てないものは勝てないのだからしょうがない。場所も場所だしな。地の利がない、などというレベルではない」


 このおかっぱ頭が。ステイルは内心で思った。同時に汗が手のひらに滲み出してくる。闘って勝てるだろうか、まずそれを考えた。結論はすぐに出た。そんな思索に意味はない。
 十四歳にして現存するルーン二十四文字を極めた天才。世にそう呼ばれていることは知っていた。しかしステイルは、自分を天才だと思ったことなど一度もなかった。どうしようもない問題があって、勝てない相手がいて、救えない人がいた。ステイルの人生はそんなことだらけだった。
 だが、ステイルがどれほど弱かろうが、敵がどれほど強かろうが関係などなかった。ステイルの使命は守護である。たとえこの瞬間、フィアンマがかの『第三の腕』を振るってインデックスの命を奪わんとしたとする。それでも、ステイルは絶対に負けてはならない。彼我の戦力差など問題にすらならない。命に代えても、彼女は守り通さなくてはならない。 


「ステイル!」


 窘めるような声に耳朶を打たれて、ステイルは視線を右下に向けた。なぜだかインデックスは、悲しげな顔をしていた。


「申し訳ありません。しかし、ここは妥協していただきたい。僕は貴女とフィアンマの歓談に口を挟まない。ですから貴女も、僕が職務上当然の行為に出ることを止めないでほしい」

「思いっきりツッコんでたかも」

「あれは独りごとです」


 ステイルは軽口で流そうとしたが、針のような鋭い視線は止まない。インデックスはわずかにうつむいて呟く。

 
「……私の護衛は、ステイル一人の仕事じゃないんだよ」

「僕が役立たずだと仰りたいのですか」

「そういうことじゃあ」


 剣呑とした空気に押されて真正面から視線をかち合わせたところで、二人は第三者の存在を思い出して口を噤んだ。ふい、と互いに視線を逸らす。その様子をフィアンマは、顎に手を当て興味深そうに眺めていた。


「なにやらお前たちにも複雑な事情がありそうだな」

「君ほどではない」


 有無を言わせぬ口調で断じた。インデックスも今回ばかりは沈黙を返答に選ぶ。


「……まあ、別にいいか、どうでも」


 フィアンマにしてもこだわるつもりはなかったのか、あっさりと話題を変えるそぶりを見せた。安堵感からステイルも思わず息を吐く。その時だった。

 フィアンマの右腕が、素早く懐に伸びた。


「っ、貴様!」


 ステイルは本能的にインデックスの前にたちはだかる。悪寒が走った。右。右腕。聖なる右。とっさにそこまで連想してしまったのは、赤尽くめの男から得も言われぬ妖気を感じとったからであった。
 何か、とてつもない何かをフィアンマは繰り出そうとしている。刺し違える覚悟で、ステイルは呪言を唱えるべく口唇を上下に割り――――






「ほれ、手土産だ」






「……………………はぁ?」


 ポン、とフィアンマが投げてよこしてきた一冊の本を、反射的にキャッチしてしまった。


「お土産? なになに、ご飯だったりするのよな!?」

「残念、魔道書だ」

「そうかそうか魔道書か、ってなに考えてるんだ貴様ぁ!!」


 おおきくふりかぶって本塁へのレーザービームよろしく投げ返す。しっかりキャッチされた。


「イギリス清教が誇る魔道図書館殿への手土産としてこれ以上はないだろう。しかもこれはウチの隠秘記録官カンセラリウスが先日書き下ろしたばかり、『禁書目録』にも載っていないできたてホヤホヤの一品だぞ」

「新しい魔道書? ちょっと興味があるのよな」

「最大主教はこう仰っておられるが、どうするステイル=マグヌス?」

「くっ……ちなみに、タイトルは?」

「『異教徒の猿でもわかる! 性魔術のすべて』」

「ヴァチカンの書庫に収めて二度と世に出すなそんなもんんんっ!!!」


 今頃気が付いても遅いが、先ほどからのロクでもない悪寒はこれだったらしい。


「せ、性……!? あ、いや、別に私はそんな」

「顔を赤らめないでくださいお願いですから」

「残念だな。お前たち二人にこれを渡せばさぞ喜ぶだろう、と土御門元春にそう言われたのだが」

「あ、赤ちゃんなんてまだ私には早…………………………え?」

「ふざけるな誰がそんなデタラメを…………………………今、なんて言った?」


 聞き捨てならない名が聞こえた。聞き間違いであってほしかったが、それが希望的観測にすぎないことをステイルはなんとなく察していた。インデックスもインデックスで、どことなく引き攣った諦め顔をしている。


「土御門元春。聞いていないのか? 奴は俺様の事情を断片的にだが知っているぞ。俺様もてっきり、お前たちはすべてを承知していると思っていたのだがな」

「もとはるェ……」

「あ・の・シ・ス・コ・ン・がッ!! それならそうとなぜ先に言わないんだ!」


 ダン! とステイルは思いきり床板を踏み鳴らした。こんな重大事をも黙して語らず、とは。相変わらず何を考えているのかさっぱり読めない男だった。


「そもそも、なぜにもとはるとフィアンマに面識がありけるのよな?」

「世界を流離っている最中に、たまたま出会って意気投合してな。あの男のおかげで俺様の偏狭だった視野も少しは広がった」

「意気投合、ねぇ。おかしな世界に足を踏み入れてやしないだろうな」

「失礼な、聞いて驚け。俺様はな、いまや年商一千万ドルの大企業のCEOを務めているんだぞ」

「え、すっごい!」


 インデックスは尊敬に目を輝かせた。
 一方ステイルは可哀想な人を見る目になった。十年前の捜査資料にもあったが、到底実現し得ないような大言壮語を吐く癖はまったく直っていないらしい。妄想癖もここまでくると病気である。さらにまた、それを真顔で実現しようとするから手に負えないのだが。


「吹くホラ貝はよく吟味しろ。なんだその小学生並みの『ぼくのしょうらいのゆめ』は」 

「ウソではない、後でググってみろ」

「会社の名前はなんと言うのよな?」

「最大主教、貴女も乗らないでくださ」

「ローマ正教公認メイド喫茶『お客様は神様〜右席に失礼しますご主人様』」

「うわぁ」

「土御門ォォォーーーーーーッ!!!!」

「メイドさんかぁ。私も昔、メイドさんになりたし! と夢見たことがあるのよな」

「メイド道は険しいぞ。俺様も足を踏み入れてから七、八年にはなるが、深奥はまだまだ遥か彼方だ」

「それはいみじくわかりているかも。まいか……あ、私のお世話をしてくれてる人なんだけど、その人は『メイド喫茶なんて邪道だぞー』って言って憚らないんだよ」

「まあ、本職からすれば許せない存在なのかもしれないな」


 ああもうダメだ、マズイ。何がマズイって、この男を警戒しようと努めるだけの気力が、ガリガリ削られていく自分自身である。


「何を言っているんだ君たちは。そして何を教えこんでくれてるんだ土御門のアホは。意気投合ってそういうことなのか。馬鹿なのか。死ぬのか。こんな馬鹿と大真面目に睨み合っていたのかと思うと死にたくなるわ。いっそ死んでやろうか。こいつを殺して僕も死んでやろうか」

「お前こそ、何を小声でぶつぶつ言っているんだ」

「あ、そうだ。メイドといえば、これ」

「“これ”じゃないでしょうが! なにさりげなく一着確保してるんですか貴女はぁぁぁ!!!」


 インデックスは『神にご奉仕☆メイド風あーくびしょっぷ』をどこからともなく取り出した。ステイルが止める暇もなく、受けとったフィアンマが食い入るように観察を始める。


「むっ! ほう……これはなかなか!」

「それは土御門の罠だァァァァーーーーーーーッ!!!!」


 条件反射で繰り出された炎剣、燃え尽きる『神にご奉仕☆メイド風あーくびしょっぷ』。惜しがる表情を隠しもしない、完全無傷のメイド馬鹿がステイルの視界に入った。奇跡的にも『魔女狩りの王』をけしかけることなく踏みとどまることができたのは、日頃のこういう(気)苦労によって練磨された自制心の賜物に違いなかった。



◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇



「なんというか……しらけたな」


 噛みタバコを口に放り込みながら、ステイルは投げやりに呟いた。使者への礼節、公使の分別もどこへやら、である。それほどにステイルは疲れ切っていた、精神的に(倒置法)。


「さて、いい加減に仕事をしなければならんな」

「そうだったんだよ! さにあれども、私の初仕事を遂行しけるべきよな!」


 仮にも十字教二宗派の歴史的和解の瞬間だというのに、子供のままごとでも見ている気分だ。専属の書記官がどこかでこの間抜けなやりとりを記録しているのかと思うと、ステイルは胃と頭が痛かった。


「エッヘンオッホン! ではイギリス清教最大主教、Index-Librorum-Prohibitorum殿。この度は最大主教座への昇叙、厚くお慶び申し上げたる」

「ありがたきことよな。非才の身にあれど、主の教えに従ひて研鑽を積み、人々の救いの手となりぬのよ」


 書記官が日本の古典文学にかぶれていたことにでもしようか、とステイルは本気で考え始めていた。うん、いっそそういうことにしてしまおう。その方が皆幸せになれるはずだ。


「ローマとイギリスは長らく友好関係とは言ひ難かった。が、教皇聖下は万民の安寧を願っておられる。ことここに至って、宗派の違いなどなにほどの妨げになり得ようか、という話だ」

「それこそが御主の望みと私も考えます。ローマとイギリス、否、世界の人々の求める『救い』を丁寧に拾いてゆきてこその『救済』なりしよな」


 ……そのわりに、内容は至極まともであった。口調が石兵八陣より複雑な迷路で右往左往していることを除けば、最大主教として完璧な応対と言ってよい。陸都督も草葉の陰で喜んでいるだろう。ローラ=スチュアート? そんな奴は知らん。






「ふふ」


 ふいに、フィアンマが笑みをこぼした。インデックスとステイルは揃って首を傾げる。


「いや、な。なぜお前たちの周りに多くの善意が集まってくるのか、ようやく得心がいった。なぜ俺様が十年前、あの男に敗れたのかも、完璧に理解できた」


 二人は口を閉じた。はっとするほど、フィアンマの相貌が目に見えて引き締まっている。


「俺様がこの場に来たのは、祝福のためだけではない。十年越しの、謝罪のためでもある」

「十年、経ってしまったのはひとえに俺様の――――俺の身勝手な願望ゆえだ」

「あの男に諭されて、世界を見た。なにものをも通すことなく、この眼で直に」

「やはり、醜かった。思った通り、歪んでいた。しかし」


 フィアンマは遠い目をした。微笑む聖母を象った、二人の背後のステンドグラスを眺めているとも、その向こう側の空を透かして見ているとも、ステイルには思えた。


「美しかった」

「善は確かに、この世にあった。作り出すまでもなく、今の世界に」

「それを確かめてようやく、俺は自分の過ちと向き合えた」

「自分が間違っていたと、認められた。だから、いくら遅くなったとしても頭を下げよう」

「すまなかった」


 そのおもてが、きっちり九〇の角度を付けて地と向き合った。今ならば容易く首を取れる。ステイルは一瞬本気でそう考えた。どんなに大振りの一撃であったとしても、フィアンマはそれを躱わさないだろうということが、ステイルにははっきりとわかった。
 鎌首をもたげた考えに、首を横に振った。その時、インデックスが口を開いていた。しゃがみこむようにして、フィアンマの右手をとっていた。


「顔を上げてください」

「人には、口があります。目があって、耳があって、鼻があって、手があって、心があります」

「話し合うために、笑い合うために、手を取り合うために、神様が私たちにくださったもの。私はそう信じてます」

「だから、取り戻しましょう?」

「どんなに長い時間がかかっても、一生だったとしても」

「取り返しのつかないことを取り戻そうとしている人を、私は知っているから」


 自分のことではない、とステイルは思った。自分は、何も取り戻そうとなどしなかった。だからインデックスが言っているのは別の誰か、取り返しのつかない罪を犯した誰かのことに違いない。ステイルは自分にそう言い聞かせた。


「あなたにも、あきらめないでいてほしいから」


 聖女の慈悲はどんな陽の光よりもまぶしく、柔らかだった。そして、寄り添うようなあたたかさがあった。
 インデックスはこの五年で、意図せずして民衆から絶大な支持を集めている。この微笑みが、天性が、彼女を最大主教の座に押し上げる最後の一因になってしまった・・・・・・・のかもしれない。


「私はあなたを許します、フィアンマ」

「ありがとう、最大主教――――いや、シスター・インデックス」


 ステイルには言葉はなかった。唇を真一文字に引き結んで、眼前の救済から目ではなく、心を背けた。まるで天上の、この世ならざる光景を見ているかのようだった。そしてなにより――――


 自分が愛したままの『インデックス』がそこにいたから。
 自分以外を愛した『インデックス』がそこにいるから。


 どんな瞬間よりも強く、その隙間を思い知らされてしまったがゆえに、何も言うことができなかった。



◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇



 インデックスとフィアンマは聖堂に並ぶ長椅子の一つに、およそ人一人分の隙間を空けて腰掛けた。そうして日が傾くまで、とりとめのないことばかりを語らっていた。
 ベツレヘム以降、面白い二人組に命を拾われて世界を巡ったこと。かつて危害を加えた前ローマ教皇に赦しを請うたら、拍子抜けするほどあっさり赦されてしまったこと。それ以来、狸爺に頭が上がらないのだということ。遠くないうちに、“あの男”に会いに行こうと思っていること。メイド喫茶経営に伴う諸々の苦労話。お情けで雇ってやったチーフメイドが反抗的で困る、というどこか愉しげにも聞こえる愚痴。
 興味深い話もそこここに散見されたが、やはり大半はくだらない、とりとめのない世間話ばかりである。広間の隅に控えたステイルも、もはや余計な口を挟もうとは思わなかった。


「それでは、時間も時間だ。そろそろお暇しようか」


 ステンドグラスから夕陽が射すのを目の当たりにし、フィアンマが立ち上がりながら告げた。その後ろ姿が、名残惜しげですらあった。


「ではな、最大主教。それとついでに、ステイル=マグヌス。いい時間を共に過ごせた。そして、これからも過ごせそうだ。ローマ教皇には、そう伝えておこう」

「……我らをして御身にならいて、常に天主に忠実ならしめ、その御旨を尊み、その御戒めを守るを得しめ給え」


 フィアンマがかすかに瞠目する。へえ、とステイルは小さく声に出していた。別れの言葉に代えてインデックスが贈った一節は、「大天使聖ミカエルに向う祈り」だった。
 

「かくして我ら相共に天国において天主の御栄えを仰ぐに至らんことを」

「……御身の御取次によりて天主に願い奉る、Amen」


 苦笑してステイルが後に続くと、フィアンマが引き継いで締めた。この男も曲がりなりながら、一応十字教徒ではあったらしい。


「さらばだ」


 大扉の前でフィアンマが一度だけ振り返り、右腕に小ぶりの弧を描かせた。今になって、とんでもない男と向き合っていたのだという実感が湧いてくる。


 かつて、本気で『世界』を『救おう』とした男。


 もう一度会うことがあるだろうか。ステイルは夕暮れのロンドンに消えゆく背中を目で追いながら思った。最後に、溌剌とした声が遠くから聞こえてくる。









「機会がありければまた会いたし。主の加護があらんことよな!」

「なんか感染したぁぁぁぁぁぁ!!!?」



◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇



 どうするんだあれ。ステイルは頭を抱えてうずくまった。最近こんなことばっかである。


「気にすることないと思うかものよな」

「なくてたまるか! …………ん 最大主教、足下になにか」

「……手紙、かな? なになに」



『そうそう言い忘れた、俺様の「お客様は神様(以下略)」について、ものは相談なんだが』



「フィアンマの字かな、見たことないけど」

「いや、いつ書いたんだこんなもん」



『先ほどちらりとだが見せてもらった「神にご奉仕☆(以下略)」の出来栄えには誠、感銘を受けた。そちらに異存がなければ俺様の城、略称「ベツレヘムの星」の制服として採用したいと思う。っつーかもう絶対採用するわ、うん』



「ちょ」

「おお!」



『現物はないが俺様の「聖なる右脳」にかかれば再現など容易い。 「あのイギリス清教最大主教も絶賛着用中」のキャッチコピーで商品展開も考えているので楽しみにし』



 轟ッ!! と音を立てて紙切れは灰も残さず虚空に消えた。


「す、ステイル!? なぜにイノケンティウスなど顕現させたるのよな!?」

「ふ、ふぃ、っ」

「ふぃ?」

「フィアンマァァァァァーーーーーーーーッ!!!!!」


 鬼のような形相で『魔女狩りの王』を引き連れたステイルが大聖堂を飛び出す。通行人がびっくらこいて何人か腰を抜かした。乳母車の赤ん坊がキャッキャと笑いだし、手慣れた感のあるホームレスがありがたやと暖を取りに群がる。
 しかし本日四度目となった絶叫の元凶はすでにどこにも見えず、青青く晴れ渡る空に五度目の絶叫が響いて抜けた。


「不幸だぁぁーーーーーーーっ!!!!!」


◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇


Passage1

贖罪者の右腕

END



[31477] 神父と聖女と聖人と Ⅰ
Name: 1◆9507d07e ID:6af538b7
Date: 2012/03/11 10:28


 窓の外側で夕刻の景色が徐々に、初秋特有のかすかに温かみの残る宵闇に泥んでいく。それを横目でちらと眺めた一人の男。男は自宅のソファにどっしりと腰を下ろして寛いでいた。リモコンを握って適当にチャンネルをいじりながら、背後から鳴るトントン、という小気味良い音にしばし聞き入る。男の妻がリズミカルに包丁を操りながら、夕食の支度を進めている最中だった。


「幸せだなぁ、俺」


 若さに似合わぬ重みあふれる実感とともに、上条当麻はしみじみと呟いた。


「も、もう、なにジジむさいこと言ってんのよ。それより、電話出てちょうだい」


 高らかな電子ベルの音がリビングに鳴り響いた時、上条は妻の催促よりも早く立ち上がっていた。この世に生まれたまさにその瞬間から自立した起居を送らざるを得なかった上条には、世のお父さん方にありがちな、家事労働を厭うという発想そのものが備わっていない。


「はい、上条です……なんだ、ステイルかよ」


 上条は微妙な声色で受話器の向こう側にいる男の名を呼んだ。なぜに微妙かと問われれば、実に微妙な相手だったからである。別段、声を聞いただけで嬉しくなるような無二の親友というわけではない。だからと言って、即座に受話器を置きたくなるほど冷えきった間柄というわけでもない。
 もっとも相手の方は、そう思ってはいないようだが。


『なんだとはなんだい、上条当麻。僕だって叶うことなら、この短期間に二度も君の声など聞きたくはなかったよ』

「じゃあかけてくんなっつーの」

『いや、その、ね。この間の、ミセス浜面の件で確認しておきたいことが』


 浜面。馴染み深い名前である。確かに上条は一週間ほど前、どこからか浜面夫人の能力について聞き付けたらしいステイルに、彼女への口添えを頼まれていた。


「土御門を探してたんだっけ? あいつ、見つかったのか?」

『君には関係のない話だ』

「冷たいヤツだなー、誰の仲介だったと思ってんだよ」

『そういう問題じゃない。奴の行方は曲がりなりにも、イギリス清教にとって重要機密なんだよ』

「ま、浜面の嫁さんに聞けば教えてくれると思うけど。あの人一見天然だけどしっかりしてる…………ようでいて、やっぱり天然だからな」

『……僕も心なしか不安になってきた。まあいい、それより』

「ん?」

『最大主教のことなんだが』


 最大主教。馴染みの薄い役職名である。上条は一瞬、考えるように黙りこくって、


「インデックス? ……まさか、あいつの身に何かあったのか!?」


 呻くようにして声を絞り出す。インデックス、という名に包丁が俎板を叩く音が止んだ。妻の鋭い視線が、後頭部に突き刺さってくるようだった。
 インデックス。その名には馴染みがある、どころの話ではない。上条当麻の人生を決定づけた少女、と呼んで過言ではなかった。別の女性を伴侶に選ぶ決断を下した後も、上条にとって変わらず大事であり続けた女性ひと。もう長いこと直接顔を合わせていない。さぞや立派な淑女に成長していることだろう。
  

「くそっ、ついこないだも電話くれて、元気そうな声を聞いたばっかりだってのに……!!」


 遠く離れていても家族だ、そう思い定めていた。昔は妻ともいがみ合ってばかりだったが、今では笑い話の種にできるほどである。ゆえに妻も、親しい友人の名を焦燥に満ちた声で叫ばれて、心中穏やかではないのだろう。顔を見ずとも上条にはそれがわかった。もっと声を抑えるべきだった、と後悔しても遅かった。
 とにかく上条は、ステイルの次なる発言を辛抱強く待った。

 大丈夫だ。何もあるはずがない。もし何事かあったのなら、ステイルがこうも落ち着いていられるわけがない。

 そう、自分に言い聞かせた。それでもたった十秒ばかりの沈黙が、上条には異常に長いものに感じられた。











『はぁぁぁぁ』

「……おい、ステイル?」

『はぁぁぁぁあぁぁああぁぁぁあ……』

「……そんな不幸オーラビンビンバリバリ全開のため息をつかれると、上条さんとしては他人事に思えないんですが。何があったんだ?」

『はぁ。最大主教は君に連絡を取った。そして、ミセス浜面の連絡先を聞き出した。合ってるね?』

「な、なんだよお前気味悪ィな!? まさかこの電話、盗聴でもしてるんじゃ」

『よりにもよって君の家の電話など、誰が盗聴するかッ!! ……とにかく、もういい。OKだ。僕の用事は終わりだ。はいさよなら』

「わっけわかんねえ」

『わからなくて結構』


 切り捨てるような口調に憮然とさせられるが、こうなったステイルは決して口を割らないだろう、ということは、上条の乏しい記憶力からでも十分に導出可能な結論だった。インデックスのことは気になるが、イギリスにいる連中に任せるほかに術はない。それはインデックスが学園都市から去って五年、悩みに悩んで上条が出した結論でもあった。
 気が付けばトントングツグツ、という涎を誘うハーモニーが、キッチンから再び奏ではじめられている。上条が何かを捨てて選びとった、日常の象徴そのものだった。


『……あとは、そうだな』


 受話器の向こうで、ステイルが何度か口を開閉する気配がする。


『御夫人と、仲良くやれよ』


 駆け回るだけの気力を失った感情を、さらに太縄で締めつけたような声だ、と上条は思った。


「それこそ、お前に言われるまでもねえよ」

『フラグをこれ以上増やすなよ。君の建てまくった旗のせいで、割と世界の大部分を敵に回したあの頃を忘れたとは言わせないぞ』

「それは、言われるまでも……あった、な。…………じゃねえよ! さっさと切れ!」

『ふん、やれやれだ』


 乱暴な音を立てて通話は途切れた。


「ほんと、お前に言われたかねーよ」


 誰にも聞こえないように、上条は口の中で独りごちた。



◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇



 イギリス、聖ジョージ大聖堂。カテドラルとしてはこじんまりした部類に入るこの聖堂には実のところ、限られた者が限られた手段を用いねば立ち入ることのできない“裏”があった。空間認識と人払いの魔術を巧みに応用して防衛網を張った広大な空間に、イギリス清教の中枢としての機能が集められているのである。
 神裂火織はその中で最も豪奢かつ警備の厳しい一室、すなわち最大主教の執務室を訪れていた。憔悴しきった様子のステイルから、「火急の用件によりただちに協議を持ちたい」との連絡を受けたのだ。


「本当に、やれやれだよ」


 通話を終え、携帯電話を仕舞うステイルの表情を見て、火織は胸を衝かれた思いがした。悲しみを背負ってしまっている。そういう男の顔をしていた。


「事情は把握しました、最大主教。根本の部分でいまだに全容を掴みかねる疑問が残ってはいますが」


 ステイルが向き直ったのは、怪訝な面持ちでデスクに着いている二人の魔術師の上司――――清教派最高権力者、インデックスその人だった。一見して、異常に見舞われた様子はない。つい先刻も、ドアを破壊せんばかりの勢いで飛び込んできた火織に、朗らかな朝の挨拶を掛けてくれたばかりである。
 いったいどこに問題があるのか。そう火織がステイルに問い質すより先に、インデックスが気遣わしげに眉をひそめて言う。







「なにやら疲れが超たまりているように見えたるのよな、ステイル。でも大丈夫! さようなステイルでも私は超応援しにけるにゃーん」







「…………」

「…………」

「……不幸だ」

「あの、ステイル、これはどういった」

「神裂、僕は一度医者に罹った方がいいのかもしれない。耳鼻科がいいな。最近彼女が口を開くたびに幻聴が聞こえるんだ。いや待て、ついでだから眼科にも行こうか、あれはなんだろう、流星かな? いや、流星はもっとこう、バーッと輝いてるもんな……」

「精神科医ーーーっ!! 誰か精神科医を手配してあげてくださいぃぃぃぃっ!!!!」



◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇


Passage2

神父と聖女と聖人と


◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇



「それで……いったい全体なにがどうなって…………その、こんな有様に?」


 およそ一時間後。錯乱状態のステイルがようやっと落ち着いた時機を見計らって、火織はおずおずと問題提起した。


「むむっ! 久方ぶりに会いたる超親友にむけてその言い草はブ・チ・コ・ロ・シ・か・く・て・いなるのよな、かおり!」


 こんな有様、とはご覧の有様である。どうしてこんなになるまで放っておいたのか、とステイルを責めようにも責められない。最大の被害を被っているのは誰か、と問われれば百人中百人が当事者であるインデックスではなく、ステイル=マグヌスくんにじゅうよんさいかわいそう、との返答を憐憫の情と共に投げて寄こすであろう。


「申し訳ありませんが、少し黙っててくださいませんか、最大主教。とても捌ききれませんので」


 ステイルが額に手を当てながら無気力に告げる。しょんぼり顔のインデックスを見て、火織はわれ知らずのうちに顔を綻ばせていた。ステイルにキッと睨みつけられてようやく自覚する程度の、ほんの数秒間の無意識の産物であったが。
 はぁぁぁぁ、とステイルが再三嘆息する。長い長い吐息が、部屋の湿度をどんよりと押し上げているかのようだった。


「僕の胃もいい加減に限界だった。本当によく来てくれたね、かんざ……っと、すまない」

「ふふっ、あなたからはそう呼ばれる方がしっくりきますからね。今まで通り、神裂で構いませんよ」


 正確に言えば、もう「神裂火織」は自分の名前ではなかった。半年ほど前に入籍して、苗字が変わったのである。とはいえステイルのように、旧姓で呼ぶ者も決して少なくはない。彼女自身慣れない名で慣れない相手に呼び掛けられるよりは、その方が気楽だった。


「お言葉に甘えさせてもらうかな。さて、この危機的状況についてだが」

「冷静になって考えてみれば、なんというか。状況は読めますね、だいたい」

「……まあ、例によって元凶はあのアンポンタンだよ。髪の無駄に長い方の。それにクワガタ頭やら学園都市の能力者、とくにレベル5やらが絡むうちに」

「どうしてもこうなった、と」

「現状を嘆いても始まらない。更なる症状進行の前に手を打たないと」

「原因がハッキリすれば話は早いのですが。インデックスの完全記憶能力に端を発しているとするならば、どちらかというと科学の領分ですね」

「スットコドッコイがなにがしかの魔術を仕掛けた可能性も完全には否定できないが……今のところ、そういう形跡は見られないね」


 哀しいことに、この手の善後策の協議は二人にとっては手慣れたものだった。イギリス清教という組織は内外問わず、脳内ストッパーが絶賛職務放棄中の愉快な思考回路の持ち主が多すぎるのである。筆頭に挙げられるメンバーだけでも短い金髪のバカ、長い金髪のバカ、クワガタ頭のバカ、計三名。人材が豊富すぎて泣けてくるレベルだった。
 希望に満ちたイギリス清教の行く末に二人が目頭を熱くしていると、インデックスがひょこひょこと腕を精一杯伸ばして何事か訴えてくる。


「どうしました、インデックス?」

「ああ、すまない。発言していただいて構いませんよ」


 教師と生徒じゃあるまいし。火織は思ったが、現状はぴったり当てはまっている。二メートル越えの大男と、一五〇センチ強の幼ささえ残る女。この取り合わせでは無理もない。ましてや「実は女の方が年上なんです、ステイルくんはロリコンじゃないんです」などと釈明しても、誰も信じはしないだろう。


「学園都市には、超学習装置なるものがあるのよな。それで脳を上書きすれば」

「「却下です」」

「あれー? なぜに応援してくれぬのよ?」


 学習装置テスタメントの名には火織も聞き覚えがあったが、考える前ににべもない拒否の言葉が口をついていた。
 現実的な方法ではあるのかもしれない。かつてほどに科学というものへの不信に凝り固まっているわけでもない。ただその方法だけは、本能が認められなかった。


(もう二度とあなたの脳を、人生を弄ばせはしません)


 ステイルと目が合うと、小さく頷いた。二人の思いは一致している。そうとは知らぬインデックスだけが、息の合った二人を眺めて不思議そうに唸っていた。


「やはり、地道な矯正こそが最大の近道ではないでしょうか」

「はぁぁぁ……それしかないか。そういうことなら適任は僕と君、かな。他にはいるか?」

「信頼が置け、口が固く、かつ言葉づかいが無個性、もとい平易な人物というと……五和、ですかね」


 良い性格になったよなぁ。
 ステイルが遠い目をしながらつぶやいた気がしたが、火織にはよく意味がわからなかった。理解できないことにはこだわらない主義の火織は、次々に名前を挙げていく。


「それから……少々恐れ多いことですが、ヴィリアン王妹殿下などどうでしょう? インデックスともお茶友達でしたね」

「ヴィリアンのところに行くとえも言われぬ美味が並びてにゃーん!」

「寮の連中ならシスター・ルチアとシスター・アンジェレネに……シェリーもギリギリセーフ、と見ていいかな」

「誠に遺憾ですが、天草式の男衆どもは面白半分で引っ掻きまわしそうなのでアウトです。浦上や対馬にも手伝ってもらいましょう」


 ステイル、火織、五和、ヴィリアン、ルチア、アンジェレネ、シェリー、浦上、対馬。家庭教師という名の被害者(予定)を指折り数え上げていく。
 すると、おかしなことが起こった。


「……むー」


 インデックスが列挙される名をぶつぶつ反芻していたかと思うと、急激に表情を険しくしたのである。くりくりしたエメラルド色の瞳と、かすかに上気した頬に差す桜桃のような赤み。天から祝福された玉のごとき美貌は、眉間に厳しく皺を寄せてもなお愛らしいものではあったが――――


「もしや、彼女らと毎日毎日、その矯正とやらを行わなければ超いけなし?」

「まあ、公務に支障の出ない範囲で最大限行っていただきます。いずれは学園都市への表敬訪問もありますし……最大主教?」

「……むむー」


 はっきりと、目に見えて、インデックスは不機嫌だった。火織は助けを求めるようにステイルに視線をやった。だがステイルも、お手上げと言わんばかりに肩をすくめる。当惑も露わにステイルが説得にかかるも、むくれたインデックスが聞く耳を持ってくれるようには思えなかった。


「インデックス? その、私たちとでは不満なのですか?」


 思いつくままに、火織は可能性を口に出した。叶うならば否定してほしい可能性だった。
 十年以上前に喪った、自らの手で壊してしまった絆。長い時間を掛けて修復できたと信じていた、自分とインデックスの友情。それらをことごとく否定する可能性の存在に、それでも聖人は真正面から切り込んだ。そこにかつての弱く脆い神裂火織は、もはや微塵も存在していなかった。


「そ、そういうわけにはあらぬのよな! ただ、その」


 インデックスは慌てたように両手を突き出して、火織の発言を明快に否定した。不思議なことだが、それを聞いて胸にこみ上げてきたのは安堵感ではなかった。老婆心、という言い方は一身上の都合により断固拒否するが、それに似た感情。
 火織は昔からインデックスと接している時には、彼女にとって頼りがいのある姉でありたい、という願望にしばしば襲われたものであった。それは彼女が幾万の信徒の崇敬を集めるようになった今でも、何も変わらない。それを再確認した火織の胸の中で、小さなしこりが融けさった気がした。インデックスの最大主教就任以来わだかまっていた、彼我の距離感に対する寂しさ、と言い換えてもいい。


「その?」

「その……」


 だから火織は、決して急かそうとは思わなかった。ただ、インデックスのなけなしの勇気を促すような、呼び水の役割を果たしてくれる清らかな囁きを振りかけただけだった。待てばいいのだ。親友から追跡者へ、追跡者から同僚へ、歪に箍められた絆は、時間をかけて取り戻すことができた。急ぐことなどなにもない。自分とインデックスには、そしてステイルにも、まだまだ時間は有り余っているのだから。
 火織が穏やかな心地で微笑んでいると、大きな瞳を忙しなく左右させていたインデックスが、意を決したように腕を持ち上げた。ある高さまでじりじりと緩やかに上昇していた右腕が、突如として弾かれたように、“ある方向”を向く。


「ぼ、僕がなにか?」


 白く細い人差し指が、ふるふると小刻みに震えながら、ステイルに突きつけられていた。






「す、すているは、超参加しなくてよしにつき!」






 ピシリ。
 大理石の床にヒビでも入ったか、と火織は首を傾げた。床面に視線を落とし、異常の見受けられないことを確認してから戻す。


「あら? す、ステイル?」


 視界の先で、炎の魔術師が燃えていた。
 否、燃え尽きていた。真っ白に燃え尽きていた。限界だった精神がナニかを振りきってしまったらしい。あまりに見事な劇画調燃え尽きっぷりに、一瞬感嘆の息を吐きたくなってしまった。


「……ステイル? ステイル!? しっかりしてください!! ちょ、息してませんよこの子ぉぉぉぉ!!」

「……ハッ!? わ、私は何を言ってるのよな……かっ、かおり!! かおりの力でかように揺さぶっては!」


 ガクガクユサユサ。
 ピクピクブクブク。
 ヘイヘイステイルくん南無三。


「ああああっ! ステイルが超!ゴ・リ・ン・ジュ・ウ・か・く・て・いになっちゃうんだよ!?」

「ごご、ごめんなさいステイル! とり、とりあ、とりあえず医務室に運ばなくては! ああなんということでしょう、ほんの半年ほど前までインデックスにどんなイヤミをぶつけられても平然としていたステイルが、こんな有様になってしまうなんて……!」

「説明口調で人の黒歴史掘り起こせしとか! 実はかおりって私のこと超嫌ひなのかな!?」


 慌ててステイルのバカでかい体躯をお姫様だっこして、火織は執務室の外に転がるように飛び出した。騒ぎを聞きつけたのか、『必要悪の教会』の主要メンバーがあちらこちらの部屋から顔を覗かせる。


「か、かんざ、き……あまり、大げさにす、ウボァ!?」


 ドスッ。


「あて身」

「あて身って言いながらあて身した!?」

「せめてもの情けです」

「いやいやいやいや」


 見た目華奢な女性に横抱えにされている様を不特定多数に目撃されたと知ってしまったら、最悪ステイルは首を括るおそれがある。男という生き物はプライドだけは無駄に高いのである。大して役にも立てられないくせに。


「ぎゃあぎゃあ喧しいな、何かあったのかしら?」

「ったくうるせー連中ですね、こちとら仕事中ですよ」

「おっ、おしぼり要りますか!?」

「こりゃあ大変なのよな、くくく」

「おーいインデックス、どーかしたのかー?」

「にゃー」


 泡を吹いた姿を目の当たりにし本気で心配してくれる人員が数十名中数名。ステイルの日頃の苦衷がこういうところにまざまざと現れているな、と火織はどこか他人事のように思った。いやまあ、間違いなく他人事だけれども。

 とにもかくにもすているくんにじゅうよんさいの受難はまだまだまだ終わらない。まる。



◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇



「そういえば、ステイルの話でよくわからない部分があったのですが」

「なぁに、かおり?」

「いえですね、あなたの口調をしっちゃかめっちゃかにしてくれた表六玉とクワガタについては疑問の余地がないのですが」

(ヒョーロクダマ?)

「レベル5、というのは、その……“彼女”のことではないですよね? 彼女とは一、二度会っただけですが、口調はごく平易であったと記憶していますし」

「…………」

「あなたはいかにして、他の能力者と交流を持つに至ったのですか? その辺りの経緯がよくわからなくて」

(……かおりもステイルも、ホントとうまに似てきたんだよ)

「なにか言いましたか?」

「なんでもなし!」

「はあ……左様ですか」





[31477] 神父と聖女と聖人と Ⅱ
Name: 1◆9507d07e ID:6af538b7
Date: 2012/02/20 22:23



 懐かしい夢を見ていた。


「そ、それ待ったなんだよ!」

「おいおい、冗談だろう? チェックだ」

「ステイル! 少しぐらい手加減して欲しいかも!」

「君の頭脳にかかればあっという間に僕より上手くなるよ。これくらいの意地悪は許してほしいね」

「ステイル……それは少し大人げないですよ?」

「いいか何度でも言うぞ、耳をかっぽじってよく聞け。……僕の方がインデックスより年下だッ!!」


 あの子と初めて会った頃の夢。十年前、『奴』の手で彼女が救われるより、さらに昔。


「おかわりなんだよ」

「おい神裂! 気持ち多めに用意しておけとあれほど言っただろ!?」

「用意しましたよ、『気持ち多め』に! でもそれじゃ全然足りてないじゃないですか! なんであの身体にあんなに入るんですか!?」

「私の『宇宙胃袋』に常識は通用しないかも」

「「やかましい!!」」


 『あの子』を救えなかった時の夢。


「それじゃあお別れだね。すている、かおり」

「イン、デックス……! ごめんなさい、私は、わたしたちは……!」


 何一つ為せなかった無力な自分の姿。振り払いたい過去。消したくない記憶。


「安心して眠るといい。たとえ君はすべてを忘れてしまうとしても――――」


 もうどこを探しても見つからない、永遠になった少女との思い出にすがりながら、少年は惨めに生きながらえて青年になった。



 心は強くならないまま、かたちだけは大人になった。



◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇



「ん……ここは……?」


 ステイルが目を覚ますと、そこは清潔なベッドの上だった。上体だけでも起こして辺りを窺おうとすると、


「つっ! か、肩がっ……!?」


 柔らかい毛布に手をつくだけで鈍い痛みが走り、起き上がることさえ満足にできなかった。仕方なく首だけ回して状況を把握しようとするも、ベッドの周囲は薄いベージュ色のカーテンにすっぽり覆われている。
 手触りの良い枕に頭を預け直す。とにかく、状況を整理すべきだった。この無機質な天井、規則的な機械音、極めつけに鼻をつく薬品臭。魔術の総本山たる聖堂にそぐわない、近代的な医療機器が無数に運び込まれた、聖ジョージ大聖堂の医務室ではないか。どうやら自分は怪我を負って運び込まれたらしい。この医務室に運ばれるということはすなわち、聖堂内で倒れたことになる。


「――――っ!!」


 そこでようやく気が付いた。肩の激甚な痛みなど忘れて、ステイルはベッドから這いずり出ようとする。


(彼女は、どこだ!?)


 護衛の自分が倒れるような事態が起こったのだ。必然、彼女の身にも何かが、


(何か、が……)


 動きが止まる。脳の動作が、五体に送られる指令が、強制的にストップさせられる。
 何かを忘れている。彼女に関することだ。そうだ、脳裏に焼きつく最後の光景は、切迫した表情の彼女が、何事か、叫んで……?
 思い出すべきでない記憶が、すぐそこまで顔を出している。煩悶し、混乱するステイルはカーテンの向こう側にひそりと現れた気配に気が付かない。


(えっと、確か神裂と一緒に何かを話し合っていたんだ。そこで、彼女が……)


 息を吸っては異端を狩り、息を吐いては骸を生む。血腥い戦場に常時身を置く魔術師の端くれとして、致命的なミスだった。闖入者は前触れなくカーテンを勢いよくめくると、考え込むステイルに向かって―――






「目を覚ましたるかにゃーん、超すている! 大丈夫、こ、この人魚姫アワメイドが看病しちまうのよな!」






 魚類の鱗を意識したのだろうか、赤い網タイツ。大事な部分は泡のような謎の物質で覆い隠された下半身。ゆったりとした修道服の内側でもなお存在を強烈に主張していた部位にいたっては、大きな貝殻が二枚、直に張り付いているようにしか見えない。全体的にスケスケ素材で歩く18禁ボディをコーティングした「人魚姫アワメイド」とやらが惜しげもなく、精神年齢に明らかに合致していない艶姿をふりまいていた。


「………………」

「………………どきどき」


 凍れる時の術式が作動して数秒後。


「……ふっ」


 完全にチルド状態だったステイルが突如として笑みを浮かべた。近年稀に見る穏やかな微笑だった。スーパー(笑)イノケンティウス(笑)を発動した『法の書』事件以来かもしれない。賢者の時間フィロソファーズタイムでは間違ってもない。


「おお! そんなに気に入りてか! さあさ、これからあなたは私の超応援看病を受けなければいけね……え? 何?」


 喜々としてご奉仕(……)を開始するべく、インデックスが手に持ったおしぼりをかざすと、ステイルが首を横に振った。ステイルはさらに、油の切れたブリキ細工のようなぎこちない動作で腕を持ち上げ、次いで耳に人指し指を突っ込む。


「……? 耳を? 塞げと言いたいのよな?」


 我が意を得たり、とステイルが笑みを深めて頷いたのを見て、恐る恐るインデックスがそれに倣った――――次の瞬間。






「最  大  主  教  ッ  ッ  ッ  !  !  !  !  !」






 今世紀最大級の雷が、大げさでなくロンドンの街並を震度三ほどで揺るがした。



◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇



 憤懣冷めやらぬステイルが真っ先に行ったのは、看病させてくれと身を乗り出してくるインデックスから必死で視線を逸らしつつ、その身体を押しのけることだった。渋るインデックスを無視してピシャリとカーテンを閉めると、


「着替えてきてください」

「す、ステイルはアワメイドが気にいらねーのかな……? さすればここは超原点に帰りて、かおりもその昔着用したると噂の堕天使メイドで」

「元の主教服に着替え直してください。さもなくば僕の半径三メートル以内には近寄らせません」

「えー」

「いいからとっとと着替えてこいっ!!」

「はーい」


 そんなやりとりから十分後。
 金刺繍のふんだんに盛り込まれた純白の主教服が、忙しなく医務室を動き回っていた。


「はぁ……また土御門のアホか! んっ……ゲホッ、カホッ!」

「あまり叫びすぎては喉が潰れちまうにゃーん?」


 インデックスは桶に張った冷水に清潔な布を浸していた。しみひとつない美しい掌に似合わぬ、慣れた手つきで白布が絞られる。パン、と爽快な音を立てて布を広げると、インデックスは上半身の着衣をすべて剥ぎ取られたステイルに向き直った。有無を言わさず、の修飾先が十分前とは逆転する形となっている。看病を始めた途端に迫力を増したインデックスに、ステイルはとうに諦め顔だった。肩口にひんやりとした感触が押し当てられる。


「……貴女には、危機感というものが足りていない。まったく……」


 こんなにも男の素肌に近づいて、「清貧・貞潔・従順」を旨とする修道会三原則に抵触しないのだろうか。ステイルがそう、現実逃避気味にぶつくさ言っていると、


「怪我で苦しんでる人を助けるのに、神様がダメなんて言うわけないんだよ。ね?」


 蕾の花が春の訪れを喜ぶように、インデックスの頬がゆったりと綻んだ。日頃の天真爛漫な笑顔とはまるで趣を異にする、別世界のものかと錯誤したくなるような聖女の微笑み。ステイルは先ほどとは別の意味で顔を背けると、顔面を上ってくる血液の熱さを誤魔化すように非難の声を上げた。


「そもそも、喉が潰れそうなのは誰の、ガフッ……だれ゛のぜいだど思っでるんですか」

「さにあれども、此度の超メイド服はもとはるから貰いしものではないかも」

「なに゛……?」


 ステイルの眉が不審げに跳ねた。
 イギリス清教きってのトリックスター(メインターゲット:ステイル)がこの一件に関わってないなどとは、にわかには信じ難い事実である。しかしよくよく先刻のインデックスの艶姿を回想してみるだに、確かに全体的な意匠に違和感があった。もう少しざっくり言ってしまえば、ロリな義妹を愛するオープン犯罪者土御門元春の嗜好からやや外れている、ような気がする。
 と、いうことは。


「出でこい、貴様ら゛ぁっ! ぞごにいるのはわ゛かってるんだぞ!」


 ステイルは一定の結論を脳内で導いて、医務室の外に群がる無数の気配に向けて殺気を放った。


「ふ、ふふふ、ふふふのふ。なかなか察しがいいじゃねーのよ、神父さん?」


 どこからともなくガラの悪い声。十年前、敵味方として初めてまみえた時も、そういえばこの男の第一声は悪役丸出しだった。


「そう、最大主教に『人魚姫アワメイド』を献上したのは我々だ」

「…………さでは自作だな、あれ゛?」


 ガラッ。引き戸が開く。登場そのものは割と普通だった。





「いかにも! 我ら天草式十字凄教の総力を結集して製作した、至高にして有頂天の逸品なのよな!」





 おおおっっ!!と興奮気味に鬨の声を上げるむさくるしい集団の戦闘に立つ、珍妙にして奇抜な髪形の持ち主が一人。


「あ、さいじだ」

「建宮に゛天草式ぃ……! やばりきざまら゛の仕業かッ……!!」



◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇



 天草式十字凄教とはもともと、日本の隠れキリシタンを母体とする十字教の一宗派であった。『法の書』事件を契機にイギリス清教傘下に加わって以降、外様ながらそれなりの待遇を受けている。スタンドプレー要員ばかりが幅を利かせる『必要悪の教会』において、とある武闘派シスター集団に並ぶ、貴重な集団戦のプロだからだ。
 彼らが女教皇プリエステスと崇める女性が下した、イギリスに骨を埋めるという決断に従い、彼ら天草式もロンドンの日本人街を我が庭のようにして久しい。


「あああ、最大主教!! なんで着替えちゃってんですかもー!?」

「だって、ステイルが超着替えろってうるさいから」

「人のせい゛にしないでくだざい!」


 両の手で顔を押さえてムンクの『叫び』を全身で再現した男の名は天草式が一員、牛深。


「やーね奥さん聞きまして? ステイルくんったらまた据え膳をちゃぶ台返しで跳ねのけたらしいですわよ?」

「こうも我々のお膳立てをことごとく回避するとは……ややもすると、彼は不能なのかもしれないね」

「そこの゛オッサン二人、よほど君らの故郷の風習に従っで火葬されたい゛と見えるな」


 くね、と気持ち悪いしなを作ったのは野母崎。困ったことに、これでも既婚者である。
 野母崎の耳打ちを受けて真顔でバカをのたまった小柄な老人の方は、諫早といった。 


「…………ぼー」

「香焼、鼻血出てるのよな」

「はっ!! で、ででで出てないっすよ! 違いますよステイルさん、自分最大主教のわがままボディをもう一度だけでも拝見したかった、なんて思ってないっす!」


 ちり紙で慌てて鼻を覆う青年こと香焼は、ステイルより一つ年下だったと記憶している。天草式が誇る貴重なショタ要員も、今では立派な男に成長していた。色んな意味で。


「はーぁ、ダメなのよ、ダメダメなのよな最大主教――――否、同志インデックス!」


 そして満を持して声を上げたのは、彼ら特級の馬鹿どもを統べる超特級、否、極級の馬鹿。


「されどさいじ、ステイルには超アワメイドが通用しなかったんだよ……こんなステイルは応援できなし……」

「本人の゛目の前で攻略法の相談をしな゛いでくだざい」


 その男、名を建宮斎字。自自ともに認めるロンドンNo.1フリーキッカーでありクワガタ頭であり芸人であり元天草式十字凄教教皇代理でもある。一時期など死亡説が流れたことすらある生粋のエンターテイナーだ。曰く、年末のかくし芸大会にむけて真剣白刃取りの練習をしている最中不幸な事故にあったとか、俺たちの知ってる建宮はもういない、彼は『建/宮』となって星に還ったんだ、とか。実に様々な風説が流布したものである。


「一度や二度のアタックですべてを諦めているようでは望みは薄いのよな! 同志インデックス、我らの敵は二十四年間肉体的にも精神的にも童貞を貫き通してきた童貞の中の童貞、いわば『鉄の童貞アイアンチェリー』ッ! 一筋縄じゃいかねえのは最初からわかりきってたことよ!」


 うん、決めた。こいつは今すぐにでも焼く。肩が外れようが喉が潰れようが知ったことではない。今後のイギリス清教のためにも、この男だけは紅蓮の業火に焼かれて消えてもらわねばならない。
 しかしズボンのポケットからカードを抜き取ろうとした腕を、ステイルは直前で唐突に凍りつかせた。言い知れぬ殺気、匂い立つ死の濃密な香り。動くべきではない、と直感が告げる。


「いけいけ諦めるなどうしてそこで諦めんだそこでぇ!! ……ん? お前たち、どうかしたのよな?」


 天草式の面々が熱弁を振るう建宮に必死のジェスチャーを送っていた。口を閉じろ、そして後ろを向け、と。
 そこはさすがに武闘派の魔術師、伊達に修羅場はくぐっていない。尋常な事態ではないと察した建宮は、おそるおそる同志の導きに従って振り返る。どこからともなくフランベルジュを抜き放ち、臨戦態勢に入ることも忘れない。


「………………? な、なんもいないじゃねーか。ったく、驚かせてくれちゃってよ」


 なんだ鼠か、驚かせやがって。
 パニック系ハリウッドムービーのノリで死亡フラグを見事おっ立てた建宮は、再度ベッド側へと向き直――――



「あ な た た ち ?」

「な に や っ て る ん で す か ?」



 ――――ると、そこに鬼がいた。



「ぷ、女教皇、五和!? 違うのよな、これにはバイカル湖より深いわけが」

「おーもーいーがーしゅーんーをーかーけーぬーけーてー」

「ばさらけぇおぉぉぉぉぉぉ!!!??」


 ズサッ、バシュバシュバシュバシュバシュバシュバシュッ。建宮は死んだ。七閃(笑)





[31477] 神父と聖女と聖人と Ⅲ
Name: 1◆9507d07e ID:6af538b7
Date: 2012/03/11 10:29


 ステイルはインデックスとともに中庭を一望できるオープンテラスにめいめい腰掛けて、お茶会の準備が整うのを待っていた。十年ほど前、オルソラ=アクィナス奪還の任務を当時の最大主教から拝命したのもこの場所だったな、とステイルは意味もなく懐古に浸った。


「申し訳ありません、ステイル。宮殿からの連絡を受けて、少し目を離した隙に……!」

「別に゛構わないよ。慣れ゛てるがらね」

「……本当に、毎度毎度申し訳ありません」


 縮こまって急須を両手で抱えた火織を、ステイルは覇気のない表情で観察していた。木目のプリントされた茶缶から丁寧に葉を掻き出す程度の些細な仕草にまで、礼儀作法が行き届いた見事な手際である。惜しむらくは西洋建築と湯のみの組み合わせが醸し出す、そこはかとないミスマッチか。この典型的大和撫子、自家製の梅干しを浸けるほどに和食には一家言あるのだが、こと洋食となると残念の一言に尽きた。


「最大主教も、ご迷惑をおかけします。我が身内のことながらお恥ずかしい」

「超気にしなひで、かほり。いと慣れてるのよな」

「……すいません、ステイル。手ごろな穴を掘ってもらえませんか」

「日本のごとわざにあ゛ったね。『穴があったら入りたい』ってや゛づかい?」

「むしろ『恥を隠すなら穴に隠せ、穴がなければ作ればいいじゃない』かも」

「ある種、そんな感じですかね」

(慣用句とことわざと名言が融合したまったく新しい何かが誕生してしまった)


 さて、火織の隠したい『恥』はといえば、今まさに聖ジョージ大聖堂の中庭に連座して正座させられている真っ最中だった。全身に穴ぼこを空けられずに済んだのは、彼らにとって僥倖以外の何物でもないだろう。角を二本どころか五、六本は生やして立腹中の美しい鬼が、『恥』を前に何事かまくし立ててさえいなければ、だが。


「まったくあなたたちときたら! 私と女教皇様をオモチャにするだけでは飽き足らず、最大主教にまで手を出すなんて!」


 鬼の正体。それはやや灰色がかった黒髪を、肩口にかかるまで伸ばした素朴な美女だった。スレンダーながら出るとこ出ている肢体は、つぶさに観察しなければわからないよう、目に付かない筋肉のみが鍛え上げられている。鈍く輝く巨大なスピアさえ右手に掲げられていなければ、市井の専業主婦だと紹介されても誰も疑うまい。それにつけても元々がおっとりした顔だちだけに、目を三角にして角を生やす形相の凄絶さが際立っていた。


「五和五和、そう目くじら立てるなって。こんなんいつものことじゃねーか」

「牛深さん、反省の色なし。後で対馬さんと私と女教皇の拷も……尋問を受けてもらいますね」

「我々の味方は我々です! よって望むところ! っつーかどう考えてもご褒美です本当にありがとうございました」


 何を言っているのかよく意味がわからないが、本人が幸せそうだからそれでいいのだろう。
 ステイルは深く考えるのを止めた。


「野母崎さん、今回のことは奥さんに言っておきますからね!」

「そ、それだけはご勘弁を! 嫁の耳にこんなことが入ったら『チジョクノオリデアイニムセビナクの刑』に処されちゃうんだよ俺ぇぇえぇえ!!」

「なんですかそれ」


 野母崎の悲痛な叫びがテラスのステイルたちにも届く。


「……ちょっと興味があるかも」

「……私も、少し」

(……悔しいが、僕もだ)


 そもそもなぜそこはかとなく『昭和の電報』臭が漂っているのか。『チチキトク スグカエレ』的な。


「香焼。浦上には『香焼は最大主教のわがままボディに夢中』と伝えておきますね」

「!? なっ、え!? あれ!?」

「女社会を舐めちゃダメです。そういう話はすぐに尾ひれ背ひれ胸びれ腹びれ足びれオマケにフィンと水かきまでついてコミュニティ内を泳ぎ回るんですよ」

「どんだけ余計なひれ付いちゃってんすか!?」

「詳しく聞きたいですか? あなたと浦上がこの間朝帰りした時なんて」

「すいません聞きたくないです」


 どうやら香焼青年は、ステイルより一足早く大人の階段を駆け抜けているらしかった。悔しくはない。わずかな瑕疵もない完璧な職務の遂行こそが現在のステイルの生きがいである。悔しくなんかない。全然ない。


「私はすこぶる興味があるにゃーん」

「私も、かなり」

(…………悔しいが、僕もだ)


 だが興味はあった。確かに悔しいが、この「悔しい」は香焼に先を行かれた「悔しい」ではない。断じてない。


「諫早さん……はいませんね。あれ? 最初からでしたっけ?」

(((クソッ、逃げやがった!!)))


 男たちが胸に秘めた呪詛の叫びが、ステイルにははっきりと聞こえた。某シスコン軍曹を彷彿とさせる逃げ足の速さである。速さが足りすぎである。しばしば若い衆と一緒になって馬鹿をやっているにも関わらず、諫早老人が五和らから説教を喰らっている姿など、ステイルは一度たりとも見たことがない。亀の甲より年の功とはよく言ったものである。


「まあいいでしょう。さて……教皇代理?」


 「まあいいでしょう」の一言でお仕置きを免れたジジイの処遇に、香焼らは世の理不尽を嘆くようにかぶりを振った。が、それを口に出す勇気のある者はいない。誰しも命は惜しい。
 それはさておき、五和の矛先――比喩でもなんでもないスピアの矛先――が今日最大の怒気と殺気を孕んで振りかぶられた。いよいよラスボスとのご対面である。


「より正確に言えば、“元”教皇代理なのよな」

「揚げ足を取らないでください! 反省してるんですか!?」


 ラスボスとは他でもない。後ろ手を固く縛られながらも、どかりと芝生に座りこんで余裕の表情を崩さない、“元”教皇代理こと建宮斎字その人である。


「おうおうどうしたのよ五和? 可愛い顔が台無しなのよな」


 建宮の先制攻撃。


「そ、ん……そんなこと言っても誤魔化されません!! いい年していつまでもメイド服メイド服って、恥を知ってください、恥を! 日本の文化でしょう!?」


 しかし五和これをガード。


「我らは女教皇の御心に従い、いまや身も心もロンドン市民なのよ」


 フットワークの軽さが持ち味の建宮、続けて左フック。


「い゛や、『身』は無理だろう゛。人種はどうにもな゛らないし」

「些細なムジュンも見逃さない、その鋭い眼光とツッコミ……ステイル、あなた意外と弁護士なんて向いてるかもしれませんよ」

「むむ……『逆転宗教裁判~神父弁護士はガリレオの無罪と地動説を証明できるか~』……これは超流行るかも!」

「ゲーム化できないか企画開発部にかけあってみましょう」

「パクリじゃないか。そして有罪確定じゃないか」


 閑話休題。


「上げ足とりがご趣味なんですね建宮さんは!」

「『上げ』じゃなくて『揚げ』だぜ、五和ちゃん。『上げ足』だと株式用語になっちまう」

「あーもー! ああ言えばこう言うんですから!!」


 五和は顔を真っ赤にして興奮している。


「……勘違いしちゃいけねえぜ、五和。俺が愛してるのはあくまでメイド服の中身。そう、これはお前さんや女教皇様に対する、迸らんばかりの愛から出た行いなのよな」

「へ? あ、あっ、愛!? わ、私のことを愛し……っ!?」

「いつの日か見たお前の大精霊コス。今でも瞼に焼き付いて離れてくれねえのさ」

「~~~~っ!! ほ、本当に……? 本当に建宮さん、私のこと……?」


 よろめいたところに強烈なコークスクリュー。
 五和は顔を真っ赤にして動揺している。
 あと一押し、あと一押しでK.O.間違いなし――――







「そうよそうなのよそうなのよな三段活用! だぁーからそんな怖い顔してないでこの! 『帰ってきた超精霊チラメイド2』をぜひ」

「あの死兆星が見えますか建宮さん」

「おいおいまだ昼間……」


 きゅぴーん。てーれってー。


「ふぇいたるけえおおおおおおおお!?!?!?」

「「「あーあー……」」」



◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇



 芝生の上に積み上げられた死屍を特段哀れに思うわけでもなく、ステイルはシケモクをふかした。
 吸う。肺いっぱいに広がる潤沢なニコチン色の吐息。
 吐く。霧の街の空に融けゆく一条の白煙。


「ざまあ゛みろ、馬鹿どもが……こほっ、がほ」


 吐き出されたのは煙だけではなかった。裁きを受けた愚者への追悼と、ひどくしわがれた空咳も同時に飛び出す。
 テーブルを離れて二メートルほどの位置に、ステイルは一人寂しく佇立していた。そうまでして矮小な一服の時間にこだわろうとする愛煙家の涙ぐましい努力を、二人の女性が半ば呆れたような表情で見つめてくる。


「必要最低限の分煙意識を身に付けたのは結構ですが。そのしゃがれ声、常日頃のヘビースモーカーぶりと無関係とも思えませんよ?」

「これを機に禁煙したるなら、応援しちまうのよ」

「余計なお世話でず、だれ゛のせいだど思って………………神裂」


 至福の一時に無粋な横槍が入る。煙草を両唇の間に咥えたまま、器用に頬肉を引きつらせてステイルは反論――――しようとして、途中で言葉を切った。


「……ええ。インデックス、『ということは』と言ってみてください」


 ステイルの語調が著しく緊張したのを素早く察して、火織が『検査』を実施する。ステイルの考えが正しければ、ヨウ素液を滴下したデンプンさながら明確な、いやいっそ致命的な反応が現れるはずだ。


「ってぇこたぁ」

「……『大根』」

「でーこん」

「…………『何を言っているんですか』」

「てやんでぇ」




 無。




 そうとしか表現しようのない空虚な時間が、ひたすら未来に向かって無為に、滔々と流れていく。五和が天草式女性陣の手を借りて粗大ごみの処理を指揮する声も、どこか遠くの世界の出来事のようだった。


「こ、このイタイほどの超静けさはなんなんですかい?」

「胃と頭の他に腹まで痛ぐなってきまじたよ、僕は。いつの゛間にあの江戸っ子シスターど接触してたん゛ですか」

「そもそもアニェーゼの下町言葉は、ここまで極端ではなかったと思うのですが……」

「何やら超ごちゃ混ぜになっちまってコ・ン・ラ・ンしてきたのよな」

「「こっちの台詞ですッ!!」」


 混迷を深める最大主教の脳内情勢に頭を抱えながら、それでもステイルは次善策の模索を止めない。あるいはそれは、事態の推移を眺める脚本家からすれば、ピエロの余興に等しい足掻きなのかもしれなかった。


「……ともあれ、ここで一度状況を整理してお゛こうか。ごのままでは僕らまで頭がおかじくなって死ぬ」

「おかしくなってるのに死んでない人もいますけどね……」

「? 何の話なのかな?」

「あなたは気にしなくていいんですよ、インデックス」

「はぁ」


◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇

・超教皇級の馬鹿:馬鹿な馬鹿口調
・建宮:「~なのよな」
・浜面夫人:「応援できない」
・???:「ブチコロシ」「にゃーん」
・???:「超~」
・アニェーゼ:江戸っ子

◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇


「……こんなどころか」


 羊皮紙に書き出した奇怪な口調の羅列を、ステイルは胡乱な目でさっと見直した。大真面目にペン先を走らせている最中、「いったい僕は何をやっているんだろう」とちょっと首を括りたい衝動に駆られたのは秘密である。


「こうして改めて眺めてみると……まこと、脳内事情は複雑怪奇というべきでしょうか」

「まっだくだ。二〇世紀初頭の列強勢力図にも劣ら゛ぬ、異常な゛惨状だよ」

「人の頭の超中身を指して、いくらなんでもその言い草は酷いと思うかも! そんなステイルとかおりは応援できないんだよ!」


 湯気を出して頬を膨らます、幼子のごとく稚い聖女。反論する気力すら湧かなかった。苦笑しながら宥める火織との微笑ましいやりとりを横目で一瞥しながら、ステイルは温くなった緑茶を一口すする。湯気の消えかけた水面の発する熱が、ほどよく舌上の温点を刺激し、心持ちを落ち着けてくれた。


「失礼します、女教皇様。あの肉塊の最終的な処理ですが、いかがいたしますか」


 胃に優しい味わいを楽しんでいるところに、肩で息をした五和が額の汗を拭いながら現れる。


「いつも通り、テムズ川に流しておけば問題ないでしょう」

「了解しました」


 ……実に手慣れたものである。これもまた生物が生まれながらに有する、環境への適応能力なのだろうか。


「申し訳ありませんでした、最大主教にステイルくんも。……はぁ。それにしても、建宮さんは本当に成長がないんだから」


 折り目正しく頭を四五度下げた五和。面を上げると頬に手を当て嘆息する。ステイルとしては実に親近感の湧くため息だった。
 しかしその吐息に含まれる色に、単純な憂鬱以外の絵具が混ざっているのをステイルは見逃さなかった。薄く紅を差した唇の端からこぼれる、どこか艶めかしくすらある愁いの芳香。ひとたび強敵と対峙すれば一振りの名槍と化す、凛とした女戦士の面影はそこにはない。秋の柳にも似た純朴な佇まいと、同居する弱弱しさが男心をくすぐる。


「いやいや、楽しき時間だったにゃーん! ……ふふ、いつわもたまには、超さいじの期待に答えちまってもよきことよー?」

「別に、貴女があの男の言動に責任を取るいわれ゛などないだろ゛う?」

「生温かい目で見ないでください! 別に私は、その、そんな……ただ建宮さんがあんまり子供っぽいから」

 
 日頃温厚な五和がここ数年、“ある男”と面を合わせるたびに感情を剥き出しにしていることは、『必要悪の教会』の構成員なら誰もが知るところであった。


「……ん? どちらかと言えば建宮の野放図の責任は、私が取ってしかるべきでしょうけどね」


 ただ一人、この能天気で朴念仁な聖人を除いての話だが。


「えっ!? そ、そんな、女教皇様にはすでにご家庭があるじゃないですか!」

「な、なにをそんなに焦ることがあるのですか、五和? まああの男も教皇代理の肩書きから解放されて、元からどこか緩かったタガがさらに抜けてしまった感はありますね」

「でで、でも! 昔から建宮さん、決めるときにはちゃんと決めてくれますし!」

「はあ、いえ、それは私もよく知ってますが……あの、五和? さっきから少し様子がおかしいですよ?」


 おかしいのは君だ。
 歯列の裏側まで出かかっていたツッコミを、ステイルはすんでのところで嚥下し直す。


「……あっ、いえその、別に他意は」


 怪訝そうに表情を歪めた火織にあいまいな笑みを送って、五和は事態の鎮静化を図る。上条当麻にすら匹敵する天然記念物クラスの鈍感女が相手ならば、すこぶる正しい戦局判断である。
 

「『昔から建宮さん、決めるときにはちゃんと決めてくれますし!』」


 そう。相手が一人ならば、正しかった。


「ちょっとステイルくん!? 何を人の声で遊んで」

「『ああ……アックア戦以前のカッコイイ建宮さんはどこにいっちゃったんでしょう』」

「最大主教まで! っていうか私そんなこと言ってません!」

「いやいや。暮れの忘年会の席上で君、酒に酔ってポロリとこぼしてたよ」

「もとはるがしっかりばっちり超抜け目なく録音しといてくれたのよな。聞く?」

「うわぁぁぁぁあああぁあ!!! 不幸ですーっ!!」


 西の果てで暮れかけている太陽に向かって、五和は一目散に駆け出していった。容姿端麗、温厚篤実、料理上手と三拍子揃ったパーフェクト大和撫子二十代後半。いまだ独身である。プッツンした際のタガの外れっぷりが、男運に災いしてるともっぱらの噂だった。


「…………? 五和はいったい、どうしたのですか?」

「君の頭がいったいどうなってるのか、という命題の方が僕には気になる」

「私もなんだよ」



◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇



 親友と戦友の白眼視にもまるで気付かないまま、火織は五和が駆け抜けた明日への旅路をなんとなしに眺めていた。本当に、五和はいったいどうしたのだろうか。天草式の内部で人間関係がもつれているとすれば、その綻びを解くのは教皇たる己が役目である。
 構成員に聞き取り調査でも実施しようかと考えていたその時、火織は気が付いた。網膜を刺激する斜光が燦々たる萌黄色から、酸素を喰らって燃え上がる、蝋燭の炎のような橙に変わりつつある。


「おや、もうこんな時間ですか」

「あ、そろそろ五時だね」

「ん、本当だ。最大主教、そろそろ公邸に戻るお時間です」


 インデックスとステイルが、各々愛用の懐中時計を開いて時刻を確かめる。素材や全体の色合い、細部の装飾に至るまで実に酷似した品だった。それもそのはず、二人が使っている銀時計はまごうことなき――――『お揃い』の一品なのだから。


「なんだい神裂。気持ち悪いほど朗らかにニコニコしているが」

「いえ、お気になさらず。仲良く帰ってくださいね」

「その面を見て気にならないわけがあるか! ……ぐ、ごほっ」


 ようやく治りかけた喉を再び酷使しようとしたツケか、ステイルが二度三度と派手に咳こむ。インデックスが無言で背中に回って優しくさすり上げる様が、また一段と火織の表情を緩めた。


「この際だからはっきり言いますが、あなたは根を詰め過ぎです、ステイル。今の地位に就いて以降、ロクに休みも取っていないそうですね」

「………………仕事なんだ、仕方ないだろ」
 

 口をもごもごさせて目を背けるその姿は、思いの外幼いものだった。こういうところは昔から変わっていない。ステイル=マグヌスという少年はその成熟しきった外見に反して、時たま実に子供っぽい仕草を見せたものだった。


「何もかも、僕が自分自身で選んだことなんだ。他の誰かに放り投げていいようなものじゃない」


 そのくせ、責任だけは一端の大人ぶって一人で背負いこんでしまう。付き合いの長い火織は、当然ステイルのそういう性質を承知していた。こうなったステイルが容易には意見を翻さないことも含めて、承知の上で語りかけていた。


「自分一人でできないことは他人に任せる。それも、あなたの仕事の一部でしょうに」

「だから僕は、『自分一人でできること』をこなしているにすぎないと言ってるんだ」

「……ふう。あなたという人は、本当にもう」


 はっきり言って火織は、弁の立つ方ではない。困ったら真っ先に手が出るタイプの人種だ。言葉で彼の心を動かすことは、やはり自分には土台無理だったのだろう。


「……すているは、頑張りすぎなんだよ。少しは、自分の体のことも考えてほしいかも」

「っ!」


 その時だった。手をこまねいているばかりだったインデックスの両の瞳が、気遣わしげな光とともにステイルを真っ直ぐ射抜いていた。その視線のあまりのまぶしさに、ステイルはたじろいで肩を震わせた。弾かれたように振り向いたかと思うと、中庭を横切って門前へと歩き去ってしまう。


「…………だよ」


 聖人の常人離れした聴力でしか拾えないような微細なつぶやきが、二人に背を晒すステイルの口許から漏れた。


「それじゃあ、駄目なんだよ。他の奴らと同じことをしてるようじゃ、駄目なんだ。君を守るためには、こんな程度の強さで、足踏みしているわけにはいかないんだよ……っ!」


 悲痛だった。そして、痛切な力への渇望だった。幼い時分から『聖人』と『禁書目録』の二人に挟まれて育った、ステイルの抱く劣等感。火織とて、まったく想像したことがないわけではなかった。
 ステイル=マグヌスは決して弱くはない。どころか、現在では疑いようもなく『必要悪の教会』で一、二を争う使い手といっていい。そこに至るまでの道程にどれほどの苦悶が在ったのかも知らずに、人はステイルを天才と呼ぶ。古今東西の書物をそれこそ血が滲むほど読み漁ったことも、高濃度魔力生成のために身体機能の一部を犠牲にしていることも知らずに。すべてはたった一人の少女を守るため。寝食を忘れ、血反吐を吐き、魂を削るような修錬の果てに、教皇級と称されるほどの力を手に入れ、そして――――


「少なくとも、『奴』を越えない限り、僕は、僕は……」


 ――――失敗、したのである。救いたい人を、その手で救うことができなかったのだ。 


「私はすているのこと、もう信じてるのに」


 彼の背中を見つめるインデックスのつぶやきもまた、痛切なものだった。互いが互いを想う言葉は互いの耳には届かず、第三者にすぎない聖人の鼓膜だけを叩いて消える。火織には、二人にかける言葉が見つからなかった。消沈した足取りでステイルの後を追うインデックスをも、徒に見送ることしかできなかった。


「……それでは二人とも、また明日」


 門をくぐる男と女に向けて、火織は手を小さく振った。


「……うん! また明日ね、かおり!」

「……ああ。また明日会おう」


 お互い手を振り、また明日。
 それは今まで夢の中にしか存在しない世界だった。しかし夢と現実は違う。当然のように世界は遷ろっている。男と女の関係も、少年と少女のそれとはまるで違うものに変わり果てた。


「さて、帰りましょうか。最大主教」

「まいかがきっと、腕に超よりをかけた夕餉を作りて待ってるんだよ」


 地平線にかかって揺らめく夕陽。まぶしさと同化する男女の後ろ姿に、火織の視界で遠い日の記憶が映写フィルムのように重なる。


『おっ。あれは神裂じゃないかな、インデックス』

『かおりー! 今晩はどんなごはんを用意してくれたのかな!』


 もう二度と戻らない、あの日の追憶。少女に腕を引かれた少年が、少年を引っ張り回す少女が、こちらに顔を向けて無邪気に笑っていた、あまりにも遠すぎるあの日。


「……今でも引きずっているんですね、あなたたちは」


 稜線に霞む友たちに、火織の声は無論届かない。いつかの日より伸びた二つの影が、並んでロンドンの街路に落ちる。かつてはゼロだった二人の距離。今では一人分、無限よりも遠い『一』という距離を隔てて、ぽっかりと開かれていた。



◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇


Passage2

神父と聖女と聖人と

END



[31477] バッキンガム狂想曲 Ⅰ
Name: 1◆9507d07e ID:6af538b7
Date: 2012/03/11 10:29


 陶器の擦れる音が豪奢な室内に響く中、ステイル=マグヌスは優雅に、そしてジェントリーな所作で紅茶を口へ運ぶ。とびきり美味い。それも当然といえば当然のことだった。ここはイギリス王家の住処にして一国家の中枢、バッキンガム宮殿。『人徳』の王妹ヴィリアンが客人を通すこの部屋で、もてなされる紅茶が最上級のものでないはずがない。


「いやいや、茶葉の質がどうということではない。ヴィリアンが手ずから入れた紅茶は極上、と相場が決まっているのである」


 ステイルの独言を聞きつけたのか、ウィリアムが重々しく否定の言葉を放つ。かつてはローマ正教秘密諮問機関『神の右席』の一員、後方のアックアと名乗り――――そして現在では英国王室第二王妹、ヴィリアンの夫となった男である。


「それは私への当てつけか、貴様? 我が妻とて魚を捌かせれば一級品だ」


 やっかみ半分で噛みついたのは英国三派閥の一つ、騎士派のトップに君臨する男、騎士団長ナイトリーダー。最近の悩みは、妻以外に本名を呼んでもらう機会がないことらしい。
 ……なかなかに深刻な問題ではあるが、こればかりは神様でもない限りどうにもしてあげられない。あるいは創造主かまちーの裁量次第か。とするなら、ますます絶望的な状況なわけだが。


「そのような含みはない。すべてお前の被害妄想である」

「そうですね、捌くところまでは・・・一級品ですね」


 ツッコミを入れたステイルも、なにを隠すこともなく清教派は最高権力者、最大主教インデックスの側近中の側近である。要するにこのテーブルで交わされている会話は事実上、英国三派閥のトップ会合とイコールであると考えて差し支えない。
 だがその内容はといえば、


「なんだお前たち、他人事のように!」

「この件に関して僕と神裂は他人です。それはもう完膚なきまでに一切人生において接点の存在しえない赤の他人フォーエバーです。下手にフォローして毒物混入容疑でしょっ引かれるのはもう御免ですからね」

「まあ、彼女には十年前の一件で借りも負い目も大いにあるが……すまんな、我が友。リアル犯罪者は勘弁なのである」

「畜生、畜生!! 上はやかましいババアと年増どもに無理難題を押し付けられ、下は若い連中に突き上げられ、自宅に帰って妻の笑顔に束の間の安らぎを得たかと思えば、食卓でプラスマイナス――――ゼロになる! この状況で私を見捨てるのか、貴様らァ!!」


 繰り返すが、これはイギリスで最も権威ある野郎どものやりとりである。我がことながら、そこらの居酒屋で紅茶をビールに替えて巻かれる管と大差ない、とステイルは評価せざるを得ない。中でも派閥の長であるはずの騎士団長の中間管理職じみた嘆きは、(微妙に惚気に聞こえなくもないが)ことに悲哀の色が濃い。こちらに関しては他人事とも思えないステイルは、さすがになにかしらフォローを入れるべきかと言葉を探る。


 が、現実は非情だった。


「……………ほぉう。常々そんな風に考えていらっしゃったのですか、我が良人おっと殿」

「!? かかかか、火織、聞いていたのか!? まっ、待て待て! ノーカウント! 今のはノーカウントで頼む!」


 チャキン。


「   あ   な   た   ?   」

「おい、マジかよ、夢なら覚め」


 覚めない。現実は非情である。



◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇



 肝心要のカーテナブースト抜きでは、イギリス最強ペアの演じる夫婦喧嘩は妻に軍配が上がるらしかった。哀れ、三枚に下ろされてしまった騎士団長の切り身を眺めながらステイルは変わらず優雅に紅茶を啜る。


(この人も、なかなかに不幸な御仁だな……)


 ちょっぴり結婚願望が薄れた、すているくんにじゅうよんさいの秋の一日であった。まる。



◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇


Passage3

バッキンガム狂想曲


◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇



「……ふん! まったく、あなたという人は」


 鞘が刀身を滑らせ、鍔とかち合って甲高い音を立てた。部屋の反対側に設けられた女人ばかりのテーブルに向けて、天誅を下し終えた仕置人が帰還する。その後ろ姿に声をかけることも、あるいは床に転がるかつて騎士団長だった物体に視線を落とすことも、ステイルにはできそうもなかった。誰しも命は惜しい。
 ましてや相手は聖人だ。そう思いながらステイルは隣をちらと見やる。百年前からその場所に鎮座ましましていた木石のような重々しさを醸し出す武人が、親友の惨状に目をくれることもなく黙々と紅茶を嗜んでいる。彼が二重聖人としての特性を失った今となっては、火織はイギリス最強の使い手だった。逆らっていいことなどあるわけがない。


「あれ? あっちは大丈夫につき? あれー?」


 向かいのテーブルでは、ステイルの護衛対象が暢気に首を傾げている。無論ステイルとしては、彼女から注意を逸らすわけにはいかない。よって女たちの秘密の会話に耳を傾けることも、職務上仕方のないことなのである。


「ほらもう。よそ見しないでください、インデックス」

「うう……ヴィリアンは超意外にスパルタ教育であるのよな」

「そろそろ二時間ほどですね。進捗状況はいかがでしょうか、ヴィリアン殿下」


 きびきびした動作で椅子を引いた火織が、無数の日本古典文学に関する教本を見較べている女性に声をかけた。糊の利いたドレスシャツに丈の長いニットスカートを合わせた、温和を全身で体現したかのような高貴なる気品に満ちた女性。英国王室が一員にして最大主教の友人、『人徳』のヴィリアンだった。
 畏れ多いことに、記念すべき『第一回チキチキ! ロンドンの愉快な仲間たち大集合! お騒がせ最大主教インデックスの口調矯正講座!』の講師として白羽の矢が立ったのが、よりにもよって彼女だったのだ。馬鹿らしさここに極まれり、な依頼にも笑って快諾してくれたヴィリアンの懐の広さには、ステイルも汗顔の思いである。


「とりあえず、ローラ様の口調はあんいんすとーるできたと思うのですけれど……」


 文明の利器にいっそ致命的なまでに弱い火織は、ちんぷんかんぷんな顔で首をひねる。彼女とは裏腹に、ステイルは心の中で拍手喝采した。今後の矯正のモデルケースともなる初回の講座。彼女に任せたのは大正解だったようだ。


「ああ、えっと、つまりですね。ローラ様に似たお言葉遣いが治った、ということです」

「おお! さすがはヴィリアン殿下!」

「あまり実感がわかねーにゃーん」


 そりゃあ、その口調では無理もあるまい。


「こら! せっかく殿下が貴重なお時間を割いて下さったのに、あなたという子は失礼な口を!」

「ま、まぁまぁ火織さん。私も楽しい時間を過ごせたのですから、そう目くじらを立てないでください」


 ……なんというか、さすがはグレートブリテン屈指の人格者である。遠巻きに見守るステイルにすら、世の人々が褒め称える人となりがひしひしと伝わってきた。上司に一人欲しい人材である、切に。
 とにもかくにもステイルも、安堵と感謝の念からヴィリアンに礼を述べようと立ち上がった。




「うう……結局・・、かおりの方が超恐ろしいってわけよ・・・・・




 インデックスの一言で空気さんがお亡くなりになったのは、そんな時だった。


「…………」

「…………」

「…………」


 何やらまた増えていた。しかも今回のそれは、まったくもって接触した覚えもなければ伝聞形で又聞きしたことすらない、謎の第三者の謎口調。どうにも、不吉なものが肩に乗ってきたよう気がしてならなかった。あえて例えるなら、上半身と下半身が破局してサヨナラグッバイしちゃった亡霊さん的な。


「よくわかんない方角からビビビと、信号が来たのよな。方角っていうか方向っていうか、あえて例えるなら……地獄の一丁目の方角?」

「……はぁぁ。いったい何時になったら収拾つくんでしょうか、これ」


 火織ががくりと項垂れたが、それはまさしくステイルの言うべき台詞だった。


◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇

超教皇級の馬鹿:馬鹿な馬鹿口調
・建宮:「~なのよな」
・浜面夫人:「応援できない」
・???:「ブチコロシ」「にゃーん」
・???:「超~」
・アニェーゼ:江戸っ子
・???:「結局~ってわけよ」←New!

◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇


 一同は一つのテーブルを囲み直した。元より王宮備え付けの家具である。当然といえば当然だが、五人や六人程度の客人を招待してなお空席の方が多い。先ほどまで二つのテーブルに別れていたのは、日頃の溜まり溜まった鬱憤をぶちまけたい男衆が、男女別テーブルを希望したからにすぎない。


「んぐんぐんぐんぐ。ごくごくごくごく。もぐもぐもぐもぎゅもぎゅ……ぷはー! やっぱりヴィリアンが振る舞ってくれるお菓子は超☆最☆高ってわけなのよなー!」

「ごめんなさい、やはり私では力不足だったようで……」


 インデックスが猛スピードでお茶菓子を掻っ込む横で、ヴィリアンが伏し目がちに声を潤ませる。愛国心など人並み程度にも持ち合わせていないステイルだが、さすがにこれには目頭が熱くなった。なんと可憐で健気な淑女なのだろうか。隣の淑女(笑)の健啖さとの間に生じた、鮮やかすぎるコントラストに泣きたくなったわけではない。断じてない。


「そのようなことは断じてない!」


 ステイルの胸中を読みとったわけでもないだろうが、ウィリアムが身を乗り出して大声を張った。急に「ぬっ」と出てこられると、最高に心臓に悪い強面である。


「ウィリアム……?」

「ヴィリアン、己を過度に卑下するものではない。それで悲しむ男が、少なくともここに一人いるのであるからな」

「ウィ、ウィリアム……!」

「ヴィリアン!」

「ウィリアム!」


 がば、と美女と野獣が真正面から相身互いに固く抱き合った。


「……見てられないな」

「……見てられないかも」


 白けきった視線が二対、抱擁を続ける男女に突き刺さる。この二人、ヴィリアンの姉や母らに半強制的に婚姻を結ばされてからそろそろ十年にはなるはずなのだが。三人の子宝に恵まれておきながら、万年新婚夫婦とは彼ら(と学園都市一著名なとある夫婦)のためにあるような言葉だった。あの土御門ですら倦怠期に悩まされているというのに、お盛んなことで羨ましい限りである。


「くっ。さすがだな、我が友」


 それをやや羨ましげに凝視しながら、死に体で這いずるようにテーブルに着いたのは騎士団長だった。


「貴方、さっきまで切り身状態じゃなかったですか?」

「私は騎士だ。騎士の報国心にかかれば、甲冑姿で大西洋横断も切り身状態から奇跡の復活も、『忠義』の二文字でこの通り。な、簡単だろう?」

「その勧誘文句で騎士になりたいと思う若者はある意味将来有望ですよ。僕には無理です」


 苦労して泳いで横断した先で、出会い頭に痴女みたいな恰好をした聖人に斬られたくはないし。


「『第四子懐妊も時間の問題』、この大本営発表を持ってすればクソバ……先代女王陛下のご機嫌取りには事欠かないだろう。あー嬉しいなー」


 イギリスが誇る元祖苦労人の十年間まったく変わらぬ姿に、ステイルは同情の涙を禁じえなかった。明日は我が身かと思うと……というよりとっくのとうに、『今日の我が身』だけれども。


「こうもあっさり起き上がられるとかなりショックですね……まったく、あなたという人は。私を叩きのめした十年前のあの日と、何も変わっていません」


 ステイルや騎士団長の向かいに座る火織が、これ見よがしに眉をひそめた。ティーカップを口許に運びながらステイルはさりげなく、剣呑な空気に包まれた夫婦を見較べる。そう、夫婦。夫婦なのである、この二人は。
 そこな王妹夫妻とあらゆる意味で対照的な夫婦。ステイルも詳しいことは知らないが、二人の馴れ初めは火織が日本を離れてロンドンに渡った時期にまで遡るという。以来十を優に超える年月の間、『報国』を座右の銘に掲げる稀代の堅物男は、同じく『救民』という至上目的に邁進する堅物女にアプローチを続けてきた。数多の障害と妨害(主犯:天草式男衆)を乗り越えて女が男の求愛を受け入れたのは、男が四十路も半ばに突入する間際のことだったという。


(まあ、神裂も『ヤツ』の被害者の一人だったからな)


 一夫多妻制を採用している国でもない限り、人は普通、男女の別なく失恋の一度や二度は経験するものである。神裂火織がまさにそうだったし、五和やオルソラ、アニェーゼにその他ステイルが名も知らぬ幾多の女性も例外ではない。そして失恋が人の世において大した椿事ではない以上、そこから立ち直ることとて、ごく自然な人間の営みの一部にすぎない。

 故に。そんな当たり前のことを数年、あるいは十数年も引きずったままみっともなく生き続けている人間がいるとすれば――――それは異常なことに違いなかった。


「ん! んっ、ん……ああ、その、か……火織」


 ぼんやり思索にふけっていたステイルは、騎士団長のわざとらしい咳払いに数度目を瞬かせて現実に帰った。


(四十男がなにを恥じらってるのやら)


 胸中で呆れたようにつぶやきながら、その緊張に凝り固まった表情を一瞥する。


「なんですか?」


 夫に視線を注ぐ恐妻の双眸は、いまだ冷ややかに細められたままだった。結婚して一年も経っていないわりにはご覧の有様である。結婚などするものではない、とステイルはいっそう確信を深めた。する気もないが。というか、したくともできやしないが。


「ババ、いやエリザード様への献上話だが、もう一つぐらい、その」

「もう一つ?」

「だから、だな。もう一つ、その、えー…………け、慶事が! あると、より効果が上がると、思うのだ」

「…………はい?」


 刑事、けいじ、ケージ――――慶事。
 火織の頭の上にくるくる回る疑問符を見た気がした。


「慶事。祝賀すべきこと。喜びや祝いを表するべき、めでたき事柄。慶するべき事。実用日本語表現辞典より」

「要するに、結婚や出産などに代表されるお祝いごとだね。日本ではそういう時、オセキハンとやらを炊くんじゃなかったかい?」


 ようやく腹ごしらえに一区切りつけたらしいインデックスが、ニヤケ笑いを浮かべながら辞書の記述を暗誦した。肩をすくめたステイルがそれに続くと、火織の顔面が出来そこないの理科の実験のごとく突沸する。


「っ、な、ななななっ!? しゅ、しゅ、しゅしゅしゅ」

「ん、むう、まあ……言葉に出してしまえば、そういうことにはなるが」

「あ、うぅ」

「駄目か、火織。私はそろそろ、お前との子が欲しい」

「ひゃ、え? ここ、子供? いわゆるひとつの、ベビーれすか?」


 火織の表情は、それはそれは悲惨なことになっていた。上から下までもぎたてのトマトよろしく真っ赤っか。ちょっと肩をつつけばポロリと首から上が落ちてきそうな勢いで、呂律すら回っていない。いい加減に新婚さん気分も薄れてくる時分だろうに、夜の営みをしっかりこなしているのかこの夫婦は。ステイルが不安になるほどだった。
 いや待てよ。そもそも聖人の処女性に関する問題がある以上、まさかいまだに貫通工事すら終えていないのではなかろうか。……いやいやいくらなんでもそれは。第一あれは、どちらかと言えば『聖母』の象徴に係る話だ。結婚から半年を過ぎた夫婦に向かって「まさかまだベッドインも済ませてないんですか」、なんて。なんぼなんでもそりゃあない。


「ほ、本当に、あなたという人は、まったく! まったく!!」

「ははは。お前の照れ隠しは、いつも少々、暴力て、き、ぐふ、がっ!?」

「……付き合いきれないな」

「……付き合いきれねーんだよ」


 ステイルはインデックスとどちらからともなく顔を見合わせて、同時にやれやれと首を振った。仲良きことは美しき哉、である。


「まったく! す、ステイルやインデックスが聞いているところで、こんな! は、恥ずかしいではないですかぁ!」

「はは、は……あの、ちょ、火織? 火織さん? ごっ、がぁぁぁぁぁぁあっ!?」


 がしっ、ぼかっ、めりっ、ごきゅっ、ぶちっ。
 諸々の破砕音を意識的に耳の外に追いやる。ステイルは最大主教様の侵略からわずかに生き残った茶菓子に手を伸ばしつつ、祈った。
 

「ヴィリアン……!」

「ウィリアム……!」

「もう! もう!! 私だってちょうど赤ちゃんが欲しいと思ってたところなんですからね! 別にあなたのためじゃないんですからね!」

「……………………か、ふ、ぐふ」


 ――――結婚という名の人生の墓場に身を投じた偉大な勇者たちに、幸あれ。


「結局、結婚なんてしないに超限るってわけにゃーん」

「まあ、僕にも貴女にもできやしませんがね」





[31477] バッキンガム狂想曲 Ⅱ
Name: 1◆9507d07e ID:6af538b7
Date: 2012/03/11 10:56

 二杯目の紅茶と補充された茶菓子を交えて、茶会は仕切り直された。いくぶんスッキリした胃の調子にお伺いを立てつつ、ステイルは淹れたての一杯を口に運ぶ。やはり、得もいわれぬ美味だった。


「まあ、一歩前進と捉えるべきだろうね」

「おや、珍しく前向きな意見ですねステイル」

「本当なのよな。結局、いつもならため息をつくか、超不幸だーってなるところなわけよ」

「下を向いて不幸を数えるより、上を向いて石ころにつまずく方がまだマシですからね」

「……そこだけ聞くと、微妙にカッコイイですね」


 そこ以外の事情を考慮に入れると、微妙にペシミズムが漂っているのは残念である。
 

「しかし巨大な岩に足をとられては本末転倒だ。実際問題、治した端から新しい口調が追加になるのではいたちごっこだろう」

「しかも肝心の感染経路が電波ではどうしようもないのである。いっそ自然治癒を待つのも手ではないか」

「あう」


 再びテーブルに舞い戻った新婚戦線の雄、騎士団長とその親友がめいめい口を挟む。最大主教フルボッコ。インデックス涙目である。


「で、電波ってちょっとウィリアム。言い方があるでしょう?」


 奇特な擁護派は高潔なる人格者、『人徳』のヴィリアンただ一人。


「インデックスはですね、ほら、その……ちょっと頭がオープンチャンネルなだけです! 受信感度良好すぎる純な子なだけなんです!」

「うん、ありがとうヴィリアン。気持ちは嬉しいからちょっと黙っちまってほしいんだよ」


 ……敵より味方の方が始末に負えないことも、ままある話だが。


「まあ僕としてはやはり、あの超教皇級の馬鹿女のアホな口調が消えたことがすこぶる大きいのですよ」


 思い出すも忌々しい、インデックスの前任者たる馬鹿女との日々。この十年というもの、ステイルの帯びた任務の実に五割が彼女の供回りだったといって過言ではない。自らに苛烈な殺意さえ抱いている男を、したたかにも最も身近に置くの女狐の胆力には舌を巻くものがあるが、それとこれとは話が別。素っ頓狂な思い付きと珍妙な言葉遣いに振り回され続けて苦節十年。誰も羨ましがらないエリートコースを驀進した結果、今のステイルがあるのだ。
 であるがゆえか、嫉妬よりも同情的な視線を多く寄せられている気がしてならない。そんな同情、これっぽっちも嬉しくなどなかったが。同情するなら平穏をくれ。現在のステイルの、偽らざる本心である。


「大丈夫、確かに喋るのが楽になったにゃーん!」

「……貴女、もしかしてこの状況を楽しんでませんか」

「直面する超状況に笑って対処できてこそのプロなのよな」

「ぐずぐずの苦笑いを浮かべて超展開に対処するのは僕の仕事なんですが」


 そして、これが現在ステイルの直面する現実であった。浮世とはかくも無情なものなのか。そういう星の下に生まれついたのだ、と思い定めるほかに自分を慰める術は見つからなかった。
 ともあれ、一歩前進には間違いない。世界にあまねく存在する摩訶不思議口調とて無限ではあるまい。ヴィリアンの矯正が効果を上げた以上、この「原因不明の怪奇現象IN最大主教の愉快な脳内」にも終わりはあるのだ。


「公の場に出すにはまだまだですが、このぐらいなら日常会話もしやすいですしね」

「ねー」

「根本的解決にはなってないと思うのですけど……」

「いいのです、これで。僕の精神安定上、ね」


 能天気な聖人と聖女が揃って首を傾げる和やかな雰囲気の中、ヴィリアン一人が逆方向に首を傾げて正論を述べる。ステイルは全力で目を泳がせた。正直、耳に痛い。ここまでのステイルサイドの動きを振り返れば、後手後手の対処療法に追われる無能な政治家そのものである。


「ははは。まあ、考えてみればあの女狐のような珍妙極まる喋り方をする者など」

「世界広しといえど、そうそういるはずもないのであるな。ははは」


 中年二人の豪快な破顔は、ステイルにとっては渡りに船だった。その上、やはり正論でもあった。


「いやぁまったく、お二人とも卓見でいらっしゃる。あの馬鹿に匹敵する馬鹿口調などそうそうザラには」



◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇



「ぶェっくしゅン!」

「クシュン! ってミサカはミサカは」

「第一の質問ですが、ハックシュン!」

「突然。へっくしゅん!」

「bhown噂cixwoクチュン!ovhsa」



◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇



「おや、ステイル? 顔色が悪いですよ」

「……受信した瞬間、地球が滅んでしまうような……それほどまでに破滅的な電波を拾ってしまった気がしてね」


 気遣わしげに火織が声をかけてくる。その時ステイルの総身を駆け抜けていたのは、強烈すぎていっそひくほどの悪寒だった。大寒波だった。脳裏をよぎった受け入れがたい未来予想図。“そんなこと”が実現してしまったらステイルの胃はカタストロフ間違いなし、である。
 一方インデックスはステイルの危機的状況をよそに、人差し指をこめかみに当ててみょんみょん唸っていた。


「日本の方角から信号が来てるかも」

「うわぁぁああぁぁああ!!!」

「あはは、冗談冗談。あんまり怒って叫んで飛び跳ねてばっかだと血圧上がっちまうよ、ステイル?」

「な、なんだ冗談ですか、助かった……って貴女やっぱり僕の慌てふためく様を見て楽しんでますよね!?」

「まっさかぁ。私は別に、ステイルに含むところなんてないってわけなのよな」


 激しくテンションを上下させるステイルを、絶妙に胡散臭い笑顔でいなすインデックス。結局のところこうなると、インデックスの笑顔に弱いステイルに勝ち目はない。
 一分後。軽快な手つきで山盛りのクッキーに手を伸ばす女と、精魂尽き果てテーブルに突っ伏す男の鮮やかな対比が、舌戦の勝敗をこの上なく如実に物語っていた。
 

「んぐ、そういえば、んぐんぐ」

「こら! 口に物を含んだまま喋るものではありません!」

「インデックス、そんなことでは淑女への道は遠いですよ?」


 だからといって恥も外聞もなく、頬をリスのように膨らませている現状はいかがなものか。ステイルは悔しまぎれに口内でもごもごと毒づいた。淑やかさのかけらも見受けられない仕草であるが、それがインデックスの童顔によくマッチして、誘蛾灯のごとく男を惹きつけているのも事実だった。聖ジョージ大聖堂に参拝する男性信者の六割はロリコンである、という衝撃のデータが存在するほどだ。仮にも芳紀二十と五、妙齢の女性に対してあんまりと言えばあんまりだが、半ば以上自業自得である、とステイルは思っていた。
 しかし当のインデックスは人目を気にした様子もない。咀嚼物を飲み込み終えて人心地つくと、彼女は並んでテーブルに腰掛ける男衆へと向き直った。


「そういえば、超三人に聞きたいことがあったんだにゃーん」

「超三人? ええとつまり、四人以上、ということでしょうか?」

「……深く考えなくてよろしいんですよ、殿下」

「はぁ、そうなのですか」


 気が付けばステイルは、むくりと顔をテーブルから起こしてツッコミを入れていた。げに恐ろしきは日々の習慣である。イギリス清教の濃すぎる面々に取り囲まれるうちにすっかり体質と化してしまった。労災下りるんだろうかこれ。


「我らに何か御用だろうか、最大主教殿?」

「君が私たちに話とは珍しいな。何でも尋ねるとよいのである」

「あーっと……うん。す……んん、三人は、その………………」


 嬉々としてステイルを論破した説客はどこへやら、インデックスの歯切れは錆付いたなまくら刀のごとく最悪だった。何事か喋りかけては口を閉じ、そんなことをゆうに五回は繰り返している。さらには途中で、もの言いたげにちらちらとステイルを流し見てきた。ますますもって意味不明である。
 やや時間が経つとウィリアムたちも、さすがに怪訝な表情を隠さなくなる。インデックスは事ここに至ってようやく意を決したようで、背筋を伸ばして口唇をおもむろに開いた。かすかに紅潮した頬辺に、ステイルは根拠もなく一抹の不安を覚え、





「さ、三人って、もしかしてロリコンなのかな?」





 筆舌に尽くしがたくイヤな予感は、聖女のフルスイングによりジャストミートでバックスクリーンへ叩きこまれた。





「僕はこれからウチの馬鹿どもの居場所を特定します」


 カードを懐からダース単位で抜いて探知術式を起動するステイル。


「では私はキャーリサ様の尋問を担当するのである」

「こういう馬鹿をやる最有力候補は、やはり先代だろうな」


 アスカロンとフルンティングを各々振りかざして席を立つ両雄。


「い、インデックス! いったい誰にそんな戯言を吹き込まれたんですか!?」

「ロリ……そ、そういえばウィリアムって……」


 顔を真っ赤にして元凶を問い質す火織。何事か思い当たった様子で青ざめるヴィリアン。
 束の間の阿鼻叫喚に終止符を打ったのは、インデックスの何でもないようなあっけらかんとした告白だった。


「リメエアなんだよ」

「そうですか女王陛下のお言葉ですかなら仕方ないですねって何やってんだあの国家元首ゥゥーーッッ!!」

「おめでとう! すている は のりつっこみ を おぼえたんだよ!」

「やかましい!」

「わざ が いっぱい です どれをわすれさせますか? つっこみ くれないじゅうじ ⇒きつえん いのけんてぃうす」

「それを忘れるなんてとんでもない!」

「……なんやかんやでステイルも、意外と余裕があるではないですか」


 余裕というか、本能だった。煙草を捨てるなんてとんでもない。


「大丈夫。そんなロリコンな三人でも私は応援しちまうかも」

「いったい何を言ってるんですか貴女は!?」

「ロリータコンプレックス。性愛の対象を少女にのみ求める心理。ナボコフの小説『ロリータ』にちなむ」

「三○堂の定めるロリコンの定義を聞きたいわけじゃないんですけど! どどど、どうしてそんな話になるんですか!」

「だってだって! 超ヴィリアンも超かおりも、旦那様と十歳以上差があるかも! これはもうロ・リ・コ・ン・か・く・て・いである! 言い逃れはできねーのです!」


 その理屈に従えば教科書に登場する偉人の大半はロリコンである。人類みなロリコン。六十億総ロリコン。嫌な時代になったものだ。豊臣秀吉もびっくりである。
 あまりのアホらしさに二の句を継げないステイルを尻目に、ロリ認定された二十八歳聖人と三十四歳王族がそれぞれの良人と向き合う。


「ウィリアム……」

「な、何故そんな目で見るのだヴィリアン! 年齢がいかに離れていようと、私が愛しているのはお前だという事実は変わらないのである!」


 容疑者一、旧姓ウィリアム=オルウェル四十代半ば。妻との年齢差、推定十。


「でもあなたが私を初めて助けてくれた二十年前、私はまだ十四歳の中学生ジュニアハイだったでしょう?」

「ベ、別にあの時点でお前を見初めていたわけではない! あれはあくまで、人として国の盾としての倫理に基づいた上での行動であり」

「じゃああの時は、私のことなんてなんとも思ってなかったのですか!? わ、私はあの日から、ずっとあなたのことだけを想って生きてきたのに!」

「どうしろというのであるかぁぁぁっ!!」


 いかに騎士派の猛者どもをも寄せ付けぬ実力者とはいえ、泣く嫁には勝てない。かくしてウィリアムは撃沈した。南無三。


「私とあなたに至っては、初対面の時は倍以上の開きがあったように思うのですが」

「お前が十二の時だったか、あれは。私の方は二十代後半といったところだな」


 容疑者二、騎士団長(本名不明)四十代半ば。妻との年齢差、推定十五。


「ふっ。だがそれがなんだというんだ? この盾の紋章に誓って、疾しいことなど何一つない。凛々しく、気高く、美しい。一振りの名刀のようなお前にだからこそ、私は惹かれたんだ。年の差がどうこうなどと、言いたい奴には言わせておけばいい」

「あ、あなた……」

「実際、そんな不名誉な誹りを受けたことなどもないしな、ははは! まあそもそも、私とお前ではあまり外見年齢に差が」


 一切の物音が刹那、空間から消え去った。キン、とまるで長刀が鞘に収められたかのような甲高い音が一瞬の静寂を破る。後には十七分割された騎士団長の細切れだけが残された。
 いかに騎士派の猛者どもを取りまとめる実力者とはいえ、怒り狂う嫁には勝てない。かくして騎士団長は轟沈した。アーメン。


「……僕はあちらのアレらとは違います。冤罪です」


 容疑者三、ステイル=マグヌスくんにじゅうよんさい。彼女いない歴二十四年独身。
 ステイルは務めて冷静に、冷徹に自己弁護のみに徹する。あちらのアレら? そんな連中は知ったことではない。我が身の名誉と安全が第一である。


「でもでも! アンジェレネがこないだ『神父ファーザーステイルにスイーツおごってもらっちゃいました(笑)』ってドヤ顔で自慢してきたのであるんだよ!」

「ロンドン在住の構成員だったらたいてい一度は彼女に奢らされています。別段、彼女が僕とだけ親密だという事実はありません」


 そもそもステイルとアンジェレネはバリバリの同世代だ。不名誉な誹りを受ける謂れは砂一粒ほどもない、とステイルは顔を背ける。疾しいことがあるわけではない。アンジェレネが自分に会う度に向けてくる眼差しがいやに乙女チックに輝いている、という自認があるわけではない。そんなものは単なる自意識過剰……いや、だから認識などしていない。断じてない。フラグを立てた覚えも…………ない。


「ロリータコンプレックスとは実年齢の問題にあらず、外見の問題なのよな! 都条例が黒と見なせば戸籍上白でも黒になっちまうんだよ!」


 「※構成員は全員十八歳以上です」などとチラシにただし書きされてる秘密機関。軽くファンタジーである。


「……この際だからはっきりさせておくと、僕はシスター・アンジェレネをそういう対象としては見ていませんからね」

「む、むむむぅ…………そもそも、こもえっていう前科があるのよな!」


 始まった。
 ステイルは思わず唸り声を上げた。その女性の名前を持ち出されると、ステイルは冷静でいられなくなるところがある。そういう自覚は前々から確かにあった。声のトーンがわれ知らずのうちに一段高くなる。


「実年齢ではむしろ、彼女の方をこそショタコンと呼んでしかるべきで……というか僕と彼女はそういう関係ではない!」


 ステイルにとって月詠小萌は人生の師である。それ以上のことは何もない。だというのに、インデックスときたら事あるごとに彼女の名を持ち出してはステイルを糾弾してくるのである。恩人との関係性を邪推されて良い気がするはずもない。自然、ステイルのテンションは鰻登りに上昇していく羽目と相成るのであった。


「ぱ、パトリシア=バードウェイ! 結局、あの子絶対ステイルのこと好きなんだよ! ぴちぴちの女子大生に言い寄られてまんざらでもねーと思ってるくせにこのスケベ親父!」

「だからどうして僕と関わりのある女性をことごとく一回り以上年の差があると見なすんだ貴女はッ! 彼女と僕は二つしか年が離れていない! そんなに僕が老け顔だって言いたいのか!?」

「だったらこの際だからはっきりさせて欲しいってワケよ! アニェーゼやアンジェレネみたいなぺったんぺったんつるぺったんと、ルチアやオルソラみたいなバインバイン、すているはどっちがいいんですかい!?」


 悪意あふれる二択だった。ステイルは無意識のうちに、インデックスの顔から視線を下に二〇度ほど落としそうになってしまって、


「だぁあぁっ!!」

「!?」


 ガァン! と急加速してテーブルに頭を叩き付けた。


「すいません、クロスに羽虫が止まっていたもので」

「普通手で払うものじゃないかな!? ああもう、たんこぶになっちゃうんだよ、見せてステイル」


 腫れあがる額を一目見て、インデックスは狼狽してポケットから絆創膏を取り出した。ステイルは目尻を下げる。今の今まで角目立っていた相手に対して、躊躇いなく慈悲を示すことのできる無制限の優しさ。それがなにより、ステイルにとっては愛お―――― 


「と、とにかくッ! 別に女性を年上だとか年下だとか、む、胸があるとかないとか、そういう観点で見たことはありません!」


 脳内の世迷言を追い出すようにかぶりを激しく振った。同時に人差し指を思いきり良く突きつけて宣言する。


「……そ、そっか。よかった……よかったのかなぁ?」


 インデックスはうつむいて、諦めたように絆創膏をしまい直す。その吐息が、安堵と落胆を綯い交ぜにしたような複雑な色合いを帯びていたことに、ステイルは気が付かなかったふりをした。


「ぜぇ、はぁ、ヴィリアン様……げふっ。そ、そろそろお時間です」


 しばしの重い沈黙を破ったのは、血の気も失せて死相も露わな騎士団長だった。「騎士」とはややもすると人間ではないものの総称なのかもしれない、とステイルは思った。ホモサピエンスという種は普通、あの部位を切断されて生きていられるような身体構造はしていない。ちなみにバラバラ殺人未遂事件の加害者であるところの火織はといえば、ツンとそっぽを向いて我関せずを決め込んでいる。


「あらいけない、もうこんな時間なのですね」

「う、うむ。それでは我らはそろそろ行かねばならないのである。またの機会を楽しみにしているぞ、最大主教」

「殿下、この後は御公務なのですか?」


 口許に手を当ててハッと時計を顧みるヴィリアン。妻の涙目から解放されてホッと一息のウィリアム。万年新婚夫婦が揃って席を立つ姿を見届けてから、ステイルは社交辞令として尋ねてみた。特段、王族の予定に興味が在るわけでもない。
 しかし答えを返してきたのは、同じくスーツを羽織り直して帰り支度を始めた「形だけ新婚夫婦」だった。


「公務というと、やや語弊がありますね。とにかくインデックス、ステイル、今日はここでお別れです」

「またね、かおり! ごちそうさま、ヴィリアン!」

「公務ではない? 何やら含みのある言い方じゃあないか、神裂」


 興味はなかった、はずだった。だが不穏な気配を匂わされると質さずにはいられない、哀しき護衛官としての性が先に立ってしまう。聞かなきゃよかった。世の中そんなのばっかりなのに。ついつい猫をも殺しかねない好奇心に負けて、ステイルは尋ねてしまった。
 困ったように顔を見合わせる四人を代表して、渋々口を開いたのは騎士団長だった。


「これから、『イギリス王室わくわくふれあいタイム』だ」

「………………なんて?」



◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇



 イギリス王室わくわくふれあいタイム創設特別法案。それは先年ウィリアムとヴィリアンが第三子を授かったことをきっかけに、先代女王がこっそり議会を通過させていた特措法の一種である。曰く、「英国王室は週に一度、万難を排してでも必ず、一堂に会する機会を持つこと」。大丈夫なのかこのイギリス王室。


「……平たく言うと、ババ馬鹿が高じたババアによるババアのためのお孫さんとの触れ合いタイムだよな」


 宮殿を辞して聖ジョージ大聖堂へと戻る道すがら。ステイルは疲れきった表情で、同じく疲れきった様子の騎士団長による解説を回想する。そして「イギリス王室わくわくふれあいタイム」なる茶番について、端的にそう表現した。


「ステイルステイル、そんな失礼な口の利き方は応援できねー超」

「僕も応援しかねますね、今の貴女の口の利き方については。なにをまかり間違ったら語尾に『超』が来るんですか。どこの方言なんですか」


 その茶番に側仕えとして付き従わねばならない騎士団長夫妻の、製肉工場行きトラックに載せられた子牛のような目が思い出される。どうもヴィリアンではない方の、もう一人の王妹殿下の振舞いに起因するらしい。聞くところによれば甥御姪御にカーテナを持たせた挙句、騎士派から選りすぐられた精鋭(と書いて“けっしたい”と読む)とリアル鬼ごっこをして遊んでいるとか。もうやだこのイギリス王室。


「かおり、忙しそうだったね」

「……ええ、そうですね」


 インデックスが少しだけ寂しそうに言った。この五年ですっかり親しくなった無二の友との突然開いた距離感に、いまだ戸惑っているのかもしれない。
 インデックスがあれよあれよという間にイギリス清教最高権力者に就任していたのと同様、火織もここ数年で数多のしがらみを背負っていた。騎士派の長の妻にして天草式十字凄教の頂点、そして『必要悪の教会』の切り札。実に複雑な位置に立たされている彼女だが、あるいはそこに、今のイギリスという国家の――――否、世界の在り様が反映されているのかもしれなかった。あれから十年。派閥や勢力が互いに牙を剥き出しにして唸る時代は、幸か不幸か終わりつつあった。


「ですが人の心配ばかりしている場合ではありません。わかっているでしょう? 明日はオックスフォード、明後日はバーミンガムです。僕らにも休む暇はない」

「うん……でも、かおりが仲良くやってるみたいでよかったにゃーん」


 貴賓室を飛び交う刃の嵐を、ぞっとしない思いでステイルは振り返る。あれを「仲良し」認定してしまって果たしていいものだろうか。博愛で鳴らす最大主教様の判断基準は、時にすこぶる意味不明である。


「まあ、喧嘩するほどなんとやら、と言えなくもないか。それにしたって神裂もいい加減、洋食は諦めればいいものを」

「むっ! その言い草は聞き捨てならねーかも。かおりだって旦那さまを喜ばせるために頑張ってるのよな、結局」

「はあ……夫君の喜ぶ顔というのは、時にその本人の命よりも大事だったりするわけですか。ますます理解できませんね、女という生き物は」


 肩をすくめて両手のひらを上に向け、ステイルはやれやれと全身でイヤミに笑ってみせた。カチンときたのかインデックスが鼻息を荒げて、




「乙女心はカーテナより貴く、英仏関係より複雑なのである!!」




 どやっ。


「…………『である?』」

「あれ? ……あれー?」

「そういえばさっきから……何度かそんな事言ってたような……」

「ドタバタしてて自分でも超気づいてなかったんだよ! である!」


 渾身の力を振り絞って一歩進んだ次の瞬間、突風に押し戻されて二歩下がる(以下繰り返し)。どうやら自分はドン・キホーテばりの道化であるらしい、とステイルは悟った。物語のライオンの騎士殿より不幸な点があるとすれば、道化であると自覚した上でなおも風車に立ち向かわなければならないという、哀愁漂う滑稽ぶりか。


「うむむ! 由々しき事態であるにゃーん!」


 この道を進んだ先に――あるいは強制的に引き返させられた後に――果たして何が待ち受けているのか。輝かしい栄光のゴールでないことだけは、どうやら間違いなさそうだった。


「やっぱり、不幸だ………………はぁ」


◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇

超教皇級の馬鹿:馬鹿な馬鹿口調
・建宮:「~なのよな」
・浜面夫人:「応援できない」
・???:「ブチコロシ」「にゃーん」
・???:「超~」
・アニェーゼ:江戸っ子
・???:「結局~ってわけよ」←New!
・ウィリアム「である」←New!

◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇


Passage3

バッキンガム狂想曲

END



[31477] 刃は懐に仕舞われた Ⅰ
Name: 1◆9507d07e ID:6af538b7
Date: 2012/03/18 13:37
 十月も半ばに入っていた。
 天高く、馬肥ゆる秋。食欲という名の魔物に誰もが魅入られるこの季節を指して、日本ではそう称するらしい。ならば今自分の目の前にいる人物は、頭の中身が年中春ならぬ年中秋なのかもしれない。ステイル=マグヌスは鼻孔をくすぐる芳醇な薫りを堪能しながら、そんなことを考えていた。


「まっだであっるか♪ まっだであっるか♪」

「その口調で軽快に跳ねないでくださいお願いですから」


 ナイフとフォークを握り締めて上機嫌の筋骨隆々マッチョマンを想像してしまいそうになる。暴食の化身に魂を売った魔性の聖女の鼻歌を聞き流し、ステイルは嘆息する。するともう一方の耳には、どんより沈みきったため息が飛び込んできた。


「お行儀が、悪いですよ、インデックス……あぁ、はぁあああ…………」


 可愛らしいクマさんエプロンを身に付け、三角巾で長髪を覆った「食堂のおばちゃん」スタイルの(旧姓)神裂火織さんにじゅうはっさいだった。彼女が調理場に立つ食堂のお世話になるなど、たとえ餓死寸前でも御免被るが。本人にもその点については自覚があるのだろう、心なしかどころの話ではなく、お説教にもいつものキレがまるでなかった。
 ここはロンドン市ランベス区の一画に設けられた、男たちの夢にして女たちの花園、必要悪の教会女子寮。別名出番の終わった脇役専用収容所。普段は寮住まいの者が交代で腕を振るっているこの大食堂で、ステイルとインデックスはうな垂れる火織と共にテーブルに着いていた。
 女子寮はまごうことなき男子禁制禁断の園であるが、ステイルは最大主教の護衛という名目で特別に立ち入りを許可されている。必要悪の教会でもトップクラスの権力者であるステイルがロンドン市内で自由に出入りできない場所など、ここかバッキンガム宮殿くらいのものだ。男どもには羨望と嫉妬の眼差しで睨まれているステイルだが、言うほど羨ましい境遇でもない、と自分では思っていた。なにせ主たる寮生であるアニェーゼ部隊の面々からは、ごく一部を除いて廊下ですれ違うたびに、洗ってないドブ犬を見る目で蔑まれるのである。これのどこに妬まれる要素があるというのか、ステイルは切実に問いたい。小一時間問いたい。そういう趣味の持ち主ならば話は別だが。


「さあ出来たぞ、召し上がれー」

「待ってたんだよまいかー!!」


 インデックスが飛び上がらんばかりに全身で喜びを表現した。厨房からトレイを片手に姿を現したのは、上から下まで完全無欠のプロフェッショナル意識で固めたプロ中のプロメイド、土御門舞夏だった。そこらのメイド喫茶でお目にかかれる、「ご主人様」に媚びた一山いくらのウエイトレスもどきとは、失礼ながらモノが違う。親しみやすい美人という意味でもそうなのだが、それ以前に舞夏はまごうことなき「ホンモノ」なのである。


「ああ、天にまします我らが主よ、迷える我らはここにいっただきまーす!!」


 祈るなら最後までやれ最後まで。いちいちつっこむのもいい加減にアホらしくなってきたステイル、職務ツッコミを放棄してスプーンを握る。ところどころをわざと半熟状態に保った、金粉のごとき輝きを放つ卵黄の塊。デミグラスソースの濃厚な香りが嗅覚を、卵の上を滑る際のとろみが視覚を、それぞれ猛烈に刺激してくる。


「い、いただきます……」

「おう、どんどん食べろー」 


 最後に火織がおずおずと、日本式作法に従って手を合わせる。視線の先には盆から下ろされた、特大の洋皿一枚と小ぶりな二枚。誰の前にどれが置かれたかについては、あえてここで説明する必要もないだろう。


「この量でこの質……相変らず絶品だね、ミセス土御門」

「ふふん、まいかは超! 名門『綾乱家政女』出のプロメイドさんであるのだから、これぐらいは朝飯前なのよな! 超!」

「もしかして『超』気に入ったんですか」


 口いっぱいに皿上の料理を詰め込みながらインデックスが胸を張った。ゆったりした修道服の内側だというのに、よくまあ揺れること……じゃなくて、あんないやしんぼのハムスターみたいな口でよくまあ上手に喋れるものである。第一なぜに、インデックスが自慢げなのだろう。
 しかし気持ちはわからないでもなかった。別段食通というわけでもないステイルだが、舞夏の料理に唸らされるものがあるのは間違いない。舌に触れた瞬間溶けてしまったのかと錯覚するほど、上品で滑らかな卵黄の食感。金箔を覆うソースのジューシーな味わいと、膜の内側に隠された朱色の粒のさっぱりした下味を、これまた卵が絶妙に繋いでいるのである。絶品。月並みな表現だが、他に言葉は思い付かなかった。
 必要悪の教会女子寮といえばオルソラの厨房担当日には食堂に大行列ができることで有名だが、そのオルソラ料理と較べても遜色あるまい。これで最大主教公邸の家事全般も一人でこなしているというのだから頭が下がる。他のメイドを雇うほど金庫に余裕がないイギリス清教としては、本当に舞夏には頭が上がらなかった。


「そ、そんなに褒められるとさすがに照れるなー」

「謙遜することねーんだよ!」

「その通りだね。さすが、イギリスにもその名が轟くメイド養成学校を首席で卒業しただけはある」

「おお! 超毒舌と超嫌味でその名を轟かすステイルの口からそんな台詞が出るにゃーんて。天変地異の前触れなのよなってわけである」

「天変地異ならたった今僕の目の前で起こっている最中なんですが、主に貴女のお口のあたりで」

「や、やだ。あんまり顔をじろじろ見ないで欲しいんだよ……」

「照れるな! そして頬を染めるなっ!!」


 それはともかく、とステイルは先ほどから一言も発しようとしない聖人をちらと見た。「それはともかく」で済むあたり、ステイルも状況に適応すべく精神構造が変革されつつあるのかもしれない。ただ胃は痛い。すこぶる痛い。


「そっちの冥土送り確定判決喰らったみたいなしけた面。何か言うことはないのかな」


 “それはともかく”今日の主役のしみったれた面である。


「どうだー火織? それが洋食の基本、オムライスだぞー?」

「お、美味しいです。オムライスがこんな、こんなにも」


 滂沱、といって大げさでない量の涙をしくしくと垂れ流しながら、(旧姓)神裂火織はオムライスを口に流し込んでいた。正直気味の悪い光景だ。背筋が寒くなる。


「この間君の作ったオムライスときたら、対味覚兵器もかくやという代物だったからね。なにあれ、産廃?」

「結局、完全に産廃になっちゃう前に私が平らげたってわけだにゃーん」

「oh……ご愁傷さまだなー」


 いつかの日の『宇宙胃袋』は健在だったか、とステイルはしみじみ振り返った。


「うっ、うぇぇぇえええええええんん!!」


 三十路も近いというのにみっともなく火織が喚きはじめた。色々と限界に達してしまったらしい。正直居心地の悪くなる光景だ。背中が痒くなる。


「私だって頑張った! 頑張ったんですよ!! 慣れない洋食を! あの人に喜んでもらいたくて!!」

「愛情は料理の一番のスパイス! 間違ってないぞ、火織ー!」


 結果、騎士団長殿は塗炭の苦しみを味わっているようだったが。そう思ったが口には出さない。円滑な組織運営のためには高度なエアリーディング能力が必須なのである。


「うぅ。つ、つまりそれは私の愛情が足りていないということなのでしょうか……?」

「……励ますつもりがきっちり追いうちになっちゃったなー」

「な、泣かねーで、かおりー」


 泣きじゃくる女と、その背中をさする舞夏、頭をなでるインデックス。ステイルは大げさにため息をついた。世話の焼けることだが、構成員のメンタルケアも上役の務めである。


「やれやれ。神裂、そう嘆くことはない。僕が見るに君が犯した失敗はただ一つだ」

「ステイル……それは、それはいったい」


 ポン、と肩を叩いてやる。親指を立てて、白い歯を見せて力強く笑いかけて、


「洋食を作ってしまったことさ」

「すごく根の深い問題じゃないですかうわああん!!」

「ステイル! 今のは同じ女の子として許せねーんだよ! ……まあ、否定はできないけど」

「乙女心をわかってないなーステイルは。そんなんだから彼女できないんだぞ? ……まあ、否定はしないけどな」

「うわああぁぁあああぁああんんんん!!!!」


 席に戻り、姦しい女どもの叫喚を聞き流して、一人黙々とスプーンを口に運ぶ。ステイルは思った。


 ――――ロンドンは今日も平和である。



◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇


Passage4

刃は懐に仕舞われた


◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇



「……申し訳ありません。お見苦しいところを」

「かおりは しょうきに もどった!」

「戻ってないフラグじゃないですか」


 すんすん、と泣き虫の聖人が鼻を鳴らす音をBGMに、空になった皿が厨房へと逆戻りしていく。舞夏が目にも止まらぬ速さで手早く洗い物を終えた頃、ようやく火織は正気に戻った。多分。


「だいたい、なんで洋食にこだわるんだー? 火織は和食はちゃんと作れるじゃないかー」


 エプロンドレスの裾を払いながら舞夏が問いかける。まったくもって彼女の言うとおりだった。彼女の自宅で御相伴に預かった経験なら、ステイルにも幾度かある。自家製のウメボシやら日本からわざわざ取り寄せているらしい高級ナットウやらには、確かに閉口させられた。だがそれらを除けば、火織が丹精込めた和食は実にヘルシーで美味なものだったのだ。特に生魚をスライスしたサシミなる日本料理などは、イギリス人の食文化からすると革命的な新食感であった。
 前置きが長くなったがつまるところ、火織は和食にかけては何ら問題がないのである。それだけ作っていればいいのに。もう洋食要らないんじゃないかな。


「その、それは……あの人は、根っからの洋食派ですから……」


 頬を染めてうつむきながら、消え入るような声。確かに騎士団長は英国生まれの英国育ち、職務の性質上国外に出ることはあまりないだろう。


「自分の故郷の味を知ってもらうのは国際結婚の王道っていうか、醍醐味だと思うんだけどなー。お前の旦那は和食にアレルギー反応でも示すのか?」

「いえ、そういうわけでは」


 むしろ拒絶反応を示しているのは洋食の体裁を保ってすらいない、謎の反物質もどきの方である。


「僕らも散々言ってやったんだがね。この頑固者はちっとも聞かなくて」

「相手の好きなものを手ずから食べさせてあげてー、っていうのは超恋愛の王道なのよな。かおりはそれくらい旦那様のことが大好きなんだよ」

「あ……うぅ……」


 ますます縮こまる聖人様。瞳は潤み、リアルに「あうあう」などと漏らしている。ステイルはさりげなく目を逸らした。不覚にも「なにこの三十路間近の生き物カワイイ」とか思ったりはしていない。断じて、神に誓ってときめいたりなどしてはいない。 


「ステイル」

「いかがなさいましたか、我が聖下?」

「今ちょっと、かおりを見る目が熱っぽかったんだよ」

「…………さて、何のことやら」


 ないったらない。ないっつってんだろ。


「むむ、そうかそうか。それで私に洋食を教わりたい、という流れに至ったわけなんだな」


 得心がいったように舞夏が大きく頷いた。正にそれこそが今回の会合の目的である。これ以上夫を苦しめたくないが、さりとてオムライスのひとつぐらいは食べさせてやりたい妻。命の危機に瀕しながらも、最後のところでは妻の意向を尊重したがる夫。双方から泣きつかれた結果、ステイルとインデックスが舞夏に頼んでこの料理教室の開催に漕ぎつけた、という経緯だった。


「そういうことなら善は急げ! さっそく始めるぞー!」

「よ、よろしくお願いします! 先生!」

「味見は任せてにゃーん」

「いいですか最大主教、口にするのは『食べ物』だけでいいんですからね。それ以外の物体が出てきた時はスルーしていいんですからね。むしろしてください、スルーパスしてください」

「食物を超粗末にするぐらいなら最大主教なんて止めちまうってわけよ、結局」

「倒置法!?」


 一応事前に、医務室の手配だけは入念に済ませているステイルなのだった。



◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇



 厨房に移動した教師と生徒。ステイルとインデックスは、キッチンにほど近いテーブルから様子を見守ることにした。


「さて。まずは私も、火織のレベルがどの程度の域にあるのか確かめさせて貰おうかな」

「うう」

「そんなに緊張しなくても、ただのスクランブルエッグだー。作り方はこちら」


 1.卵をボウルに割って、よくかき混ぜろー。この時、箸で黄身を切る様に混ぜると、よく混ざるぞー。
 2.薄く油をひいたフライパンを熱するんだー。熱したときに出る白い煙が消えたらもっかい油を引けー。
 3.フライパンを弱火にかけて、1で作った物を入れて熱しながら混ぜれば、


「ウルトラジョウズニデキマシター!」

「なに言ってるんですか最大主教」

「なー? 簡単だろー?」

「りょ、了解です! 行きます!」


 意気込みも露わに三角巾を締め直す新妻火織ちゃん。気合い十分なのは結構なことだが、どこへ行くつもりなのか。


「がんばって、かおりー!」

「インデックス……待っててください、あなたの口に美味しい炒り卵を運んでごらんに入れます!」


◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇


 1.卵をボウルに割って、よくかき混ぜろー。この時、箸で黄身を切る様に混ぜると、よく混ざるぞー。


 コン、パカ、シャカシャカシャカ。
 危なげない手つきでボウルに卵が投じられる。何度挑んでも倒せない難敵を前に、緊張しきりの聖人サマは手並みのわりには汗だくだった。あの程度ならステイルでもできるのだが。


「なんだ、上手じゃないかー」

「そ、そうでしょうか?」


 聖人パワー全開、ボウルの中身をかき混ぜるつもりが気が付けばボウルがただの鉄屑に……みたいな事態は、不思議と起こらないのである。そもそもだし巻き卵などで同じ過程を踏むのだから、慣れていて当然なのだが。


◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇


 2.薄く油をひいたフライパンを熱するんだぞー。熱したときに出る白い煙が消えたらもっかい油をひけー。


 シューシュー、ツツツ、もっかいシュー。煙を上げるフライパンの前では、ひきつけを起こしたカエルのような面で火織がボウルを構えていた。


「普通に考えて、問題の起こり得ない工程だなー」

「プレッシャーをかけないでください!」


 おそるおそる、震える手でボウルが傾けられる。重力に従って落下する黄金の液体は、その姿を変えるべく灼熱(に熱されたフライパン)に身を投じた。


「ふぁいと! かおり! あと一歩なんだよ!」

「果てしなく遠いラスト一歩だな……」


 そして、運命が始まる。


◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇


 3.フライパンを弱火にかけて、1で作った物を入れて熱しながら混ぜれば


 キシャーン、キシャーン、ダダッダー!


「!?」

「!?」

「!?」

「!?」


 ダッシュ! ダッシュ! ダンダンダダン!


「…………」

「…………」

「…………」


 ドンッ!


「さ、さあ召し上がれ!」


 溶き卵と鉄板が運命の出会いを果たしたあの瞬間、いったい何が起こったのかはわからない。少なくともステイルの乏しい人生経験において、遭遇したことのない事態だった。それはステイルの真横であんぐりと口を大開きにしたインデックスにしても変わりなかったようだ。さしもの『禁書目録』にも、このような事態への対処法は記述されていないらしかった。
 ただ一つ、確かなことがあるとすれば――――皿状の物体は、断じてスクランブルエッグなどではなかった。







「…………それは、スクランブルダッシュだー」


 おーれーはーぐれーとー。


「うわぁぁぁぁぁぁんんんんんん!!!!!」


 良い子のみんなにゃわかんねーよ。あとついでに、イギリス人にも理解されねーよ。
 ステイルの声にならないツッコミは喉から鼻に抜けて、中空へと綺麗に霧散した。





[31477] 刃は懐に仕舞われた Ⅱ
Name: 1◆9507d07e ID:6af538b7
Date: 2012/03/31 10:15


 結果として、火織が差し出した皿は綺麗に空になった。


「ごちそーさまなのよ」


 人体って不思議。満足げに腹部をさする最大主教サマの姿を胡乱な目で眺めて、ステイルはつくづくそう思った。


「だいたい卵焼きやらはちゃんと作れるのに、どうして横文字が入るとこうなるんだい?」

「こ、これはもはや呪詛型の特殊魔術の介入を疑うべきではないでしょうか! おのれ魔術師ッ!」

「現実逃避はいけねーかも、かおり」

「インデックスまで!?」

「一応断っておくが、君の聖人体質に並大抵の魔術では通用しないよ」

「冷静に残酷な事実を突きつけないでくださいステイルぅぅ!!」


 ステイルは噛み煙草を口に放り込みながら明々後日あたりの方向を眺めた。長年の付き合いとはいえ、そろそろフォローの術も品切れが近い。


「いやいや、私にもプロとして意地があるからなー。このままじゃ終われないんだぞー」


 しかしこの絶望的状況も、プロメイドの視点からすればテコ入れの余地は存分に残されているらしい。仁王立ちした舞夏が、力強く腕を組んでにかりと笑う。途端に火織の表情も、パァッと明るくなった。


「ということは……これからも、御指導いただけるのですか?」

「紅茶の蒸らし時間から自家製ソースの作り方まで大船に乗ったつもりでどん! と任せておけー。ただし覚悟はしておけよ? 私のスパルタ指導を受けた者は紅茶色の涙を流すまで料理漬けの生活を送ることになると、巷でもっぱらの評判だからなー」


 思うに、それはただの病気である。


「必ずや旦那の大好物をマスターさせてやるからなー」

「ああ、ありがとうございます!! ……あ、いやしかし、貴女にも時間の都合というものが」


 火織が申し訳なさげに口ごもった。土御門舞夏は本来、最大主教専属のスーパーメイドである。朝晩は無論、イギリス一の健啖家であるインデックスの食事の用意に余念がないし、公務のため主が聖ジョージにこもっている昼日中とて、決して暇ではないはずだ。公邸の衛生管理は現在、彼女がほぼ一人で担当しているのだから。


「いいんだいいんだ。私これでも結構、昼間は暇してるしなー」

「え。君、一人であの豪邸の管理を請け負ってるはずじゃ」

「メイドさん舐めんなよ」

「……これは、おみそれした」


 苦笑しながら頭を下げた。ステイルが考えているより数段、舞夏は優秀なメイドであったらしい。


「そういうわけだから、火織。お前の都合さえつけば、いつでも私の仕事場に来るといいぞー」

「本当に、ご迷惑ではないでしょうか? たとえ任務に支障なくとも、あなたにだって私生活があるでしょう?」


 なおも火織が食い下がる。受けた恩義には必ず報いようとする彼女らしい気遣いだ、とステイルは思った。隣のインデックスも穏やかな表情でそれを見つめている。
 ただ当の舞夏だけは、無表情で黙りこくって軽く顎を引いた。そして小さく、ささやくような声で、


「いいんだ。馬鹿兄貴がいないと、毎日にハリがないからなー」


 束の間の沈黙。
 ややあって、舞夏がことさら明るい声を上げた。


「よーし、そうと決まれば修行メニューを考えないとなー! 弟子を取るのは久々だ、私も腕がなるぞー!」


 空元気なのは誰の目にも明らかだった。舞夏の夫がロンドンを離れてはや数カ月。その間彼女は、一時も変わらず一人の家で夫の帰りを待ち続けているのである。インデックスが公邸で寝泊まりするよう誘ったことも、一度や二度でない。しかし舞夏は、頑として首を縦に振らなかった。主を立てる仕え人としての矜持か、家門を守る妻としての自負なのかは、ステイルには判断がつかない。


「……そうですね。再三の固辞はかえって失礼にあたります。先生、どうかご指導ご鞭撻のほどをよろしくお願いします」

「おーおー、大船に乗ったつもりでいろー」

「がんばっちまってね、かおり! 結局、私でよければいつでも味見するんだよ!」

「インデックス、お前には仕事があるだろー」

「むー」


 女たちの微笑ましくも姦しいやりとりを、ステイルは一歩引いた位置から見守る。外に出て一服でもしようかと、席を立った。


「ん?」

「あれ、電話。誰の?」

「失礼、僕です」


 ベル音が高らかに鳴り響いた。マナーモードにし忘れていたらしい。立ち上がったのを幸いとばかりに女性陣から体を背けて、端末をチェックする。ステイルは携帯電話を常に二つ持ち歩いているが、“こちら”の番号を知る者はごくごく限られていた。
 “お仕事”用の端末の表示は、非通知だった。


「僕だ」


 ステイルは誰何すらしなかった。この端末に、この方法でコンタクトを取ってくる相手はさらに限定される。何ともタイミングのいい話だと思わないでもなかったが、ステイルには相手が誰なのか、声を聞く前からはっきりとわかっていた。


『ポイントB-74。今そこにいる』

「……ああ。すぐに向かう」


 通話は簡潔に、しかし的確に要件の伝達を為して、一瞬で終わった。


「誰からだにゃーん?」


 すかさずインデックスが、後ろから通話の切れた携帯を覗きこんでくる。目ざとい、とステイルは小さく舌を打った。
 組織のトップが組織のすべてを把握している必要などないのである。それが、組織の暗部に関わる案件となればなおさらだ。


「なに、大したことではありません。少し中座いたしますゆえ、最大主教はここでお待ちを」

「むー。連れてかないと私も超長電話してやるのよな」


 ステイルは一度だけ、インデックスと目を合わせた。普段はあまりこうして目線を交わしたりはしない。互いの顔を見ながら喋ることには慣れていなかった。
 おどけたような口調と裏腹に、聖女の目はまったく笑っていなかった。


「我儘言わないでください。おい、神裂。後は頼むぞ」

「あ、はい。任せておいてください」


 ステイルが側にいないとき、最大主教の身辺警護はこの聖人に引き継がれる。それが現在の「必要悪の教会」における暗黙の了解だった。ステイルはいそいそと外套を羽織り、舞夏に軽く会釈をして、部屋を辞そうとする。


「ステイルはいっつも、大事なことは言葉にしてくれないよね」


 暗い声だった。返事どころか、反応すら返さずに食堂を後にする。
 “気が付かなかったふり”が板についてきたな、とステイルは自嘲気味に口許を歪めた。



◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇



 ポイントB-74とはランベス区からそう遠くない、閑静な住宅街の隅を指す。人気はない。ないというより、煽動や心理操作に類する魔術の初歩概念を応用して「失くしている」、というのが正しかった。
 「必要悪の教会」はこのようなポイントを無数に国内に確保している。今回のように、人目を憚る報告や会合を持つために使用されることもある。しかし大半のケースにおいては――――魔術師の「仕事場」として有効利用されているのだった。


「ようよう、面と向かっては久しぶりぜよステイルくーん」


 だから、なのだろうか。暗がりから這い出るように姿を見せた男の、濃すぎるほどの死臭が気にならないのは。
 そこかしこから血の臭いが漂っている。死者の断末魔が聞こえるようだ。断罪を謳う教会の狗に、そうとは知らず人気のない路地裏に追い込まれ、思うさま大地に血を吸わせた、異端者たちの断末魔が。


「やあやあ、よく帰ったね」


 ステイルは男の掌を隠れ見た。大量の血で穢れた、薄汚い手のひら。自分のものと大差ない、とステイルは思った。


「土御門元春」


 もったいつけたように男の名を呼んでから、しばらくステイルは言葉を発しなかった。かわりに、その一挙手一投足に神経を尖らせる。行動のすべてに意味がある男。「なにもしない」にすら隠された意図の存在を疑わねばならない相手。土御門元春とは、ステイルがそうまでして警戒心を払うに値すると認めている、数少ない人間のうちの一人だった。
 土御門は日陰に陣取って、サングラスの奥の眼差しをステイルに窺わせようとはしなかった。ただ、唇の端がうっすらと持ち上がっている。
 一秒。
 五秒。
 十秒。
 一分は経っただろうか、とステイルは手の内に納めておいた懐中時計にちらと目をやる。三十秒と経過していなかった。


「ぷっ。相変わらず、眉間にヒビ入ったような真面目くさった面してやがるな」

「……せめて、シワ、と言ってもらえるとありがたいが」
 

 張り詰めていた緊迫感が、穴の空いた風船のように急速に萎んだ。と同時に交わる視線が、別の意味で緊張を孕んだものに変化する。


「いやーそれにしてもステイルくん、メヒコの別荘では素晴らしいプレゼントをありがとうにゃー」

「なに、君の置土産に較べればなんてことのない代物さ」


 ちくちくと互いに嫌味を投げ合う、他愛のない、お遊びのような緊張感。ナイフを突きつけ合ったかのような、先程までの対峙と較べれば何ほどのこともなかった。


「おかげで舞夏の元に戻ってくるのが一月ばかり伸びちまったぜい」

「……御夫人には申し訳なかったがね、あれは自業自得と言うんだ」


 一ヶ月ほど前、ステイルが土御門の潜伏先に送り付けてやったブラックジョークを指して、土御門は珍しくこめかみをひくつかせているのであった。
 飄々とした態度を一年三六五日崩そうとしないこの稀代のウソツキが感情的になるのは、かつての義妹にして現在の妻に関わる事柄をおいて他にない。そこを突かれると痛いものがある。寮の食堂で舞夏の空元気を目の当たりにしているだけになおさら心が痛んだ。しかしステイルにも、一応の言い分というものはあるのだ。


「なんのことかにゃー。そうそう、こないだフィアンマちゃんから新店舗の特別招待券が届いたんだぜい」

「それのことだそれのっ! くそっ、ただでさえ問題は山積みだっていうのに!」

「あ、お前の分も同封されてたぜい。今度一緒に中国の四川省の方に行かなっ、アチョーーーーーッ!!」

「あの野郎ッッ……! なにを全世界展開なんてしてるんだ!」


 ボウッ、とステイルのやりきれない怒りがアロハシャツに引火した。危うく消し炭になる寸前で鎮火に成功したグラサン野郎は、つるをクイと押し上げてニヒルに笑う。


「そう言ってやるな。これが今奴の目に映ってる世界の在りようなんだ。戦争なんぞ起こされるより遥かにマシだろう」

「君が掛けさせた色眼鏡に映ってる世界だろうがッ!! どんだけピンク色のレンズなんだ!!」

「いやぁ相変わらずよくキレるツッコミで安心させられるぜい。ロンドンに帰ってきた、って気分になるにゃー」

「ああ確かによくキレてるよ僕は!!」


 なにやら無性に悲しくなってきて、ステイルは思いきり吐き捨てた。本当に、イギリス清教にはこんなヤツばっかりなのである。加えて王室もアレ、引退したご隠居もアレ、ローマ正教も公式の使者からしてアレである。アレアレ尽くしで至れり尽くせり。まったく嬉しくない魔術サイドオールスターキャスト。そのオールスターからボケの嵐を日課のように浴びせられているステイル=マグヌスにじゅうよんさいなのであった。
 乱暴に懐をまさぐって、煙草とライターを取り出す。最近お気に入りの銘柄は『ラッキーストライク』だった。……別に、煙草の銘柄でくらいアンラッキーなファクターから離れていたいとか、そういう寂しいゲンかつぎではない。ないったらない。


「おっ、俺にも火ィくれよ」

「お好きにどうぞ」


 ライターを投げて寄こすと、手近な人家の、レンガ造りの壁に寄りかかる。一メートルほど空けて土御門も並んだ。ロンドンの秋空に二条の白煙がたなびく。白昼ながら人気の失せた街並みはどこかちぐはぐで、不気味ですらあった。魔術師の棲む世界とは、得てしてそういうものではあるが。


「新最大主教様の治世が始まって一ヶ月、ってとこか。滑り出しは上々みたいだな」


 咥え煙草が半分ほどに減ったところで、土御門が切り出した。


「前任者が典型的独裁者であったことを考慮に入れれば、ね」


 呼気と煙を大げさに吐いて、ステイルはこの一月を振り返る。
 権力移譲に伴う宗派内構造の劇的な変化は、ステイルにとってもっとも恐れる事態であった。ローラ=スチュアートが一種のカリスマ的権力者であったことは認めるが、独裁者の治世とは得てして長続きしないものである。社会的な混乱の中で破滅的に崩壊していった帝国など、歴史書を紐解けばいくらでも見つかる。
 イギリス清教にしても、第零聖堂区に強権が集中していたことで、他の聖堂区は長年相当な抑圧を強いられてきたはずである。そうした不満分子が絶対的独裁者の退位を契機に蠢動を始めたとしても、何ら不思議はなかった。
 そこでインデックスが選んだのは、対話路線だった。各区責任者のである大主教たちの機先を制して、こちらから出向いては、粘り強く自らの考えを訴え続けた。
 「必要悪の教会」の面々にも彼らなりの事情があること。さりとて現状を良しともせず、中央に集められていた権限は少しずつ聖堂区に移管させるべきだと考えていること。血を見る争いにだけは、発展させたくないこと。
 この一ヶ月というもの、インデックスはイギリス各地を回ってそんなことばかりしていた。聖人や王族やメイドとのティータイムなど、目の回るような多忙さの中でほんのひととき転がり込んできた、束の間の休息にすぎない。だがその甲斐あってか、ここまでは順風満帆だった。新体制の下で清教派がまとまる日も遠くはない、とステイルはある程度の見通しを立てている。


「ま、そのへんはお前が上手くやったんだろ」

「まさか。僕には政治的嗅覚などないよ。彼女の人柄あってのことだ」

「高徳のみで治まるほど世の中が簡単なものなら、ゴルゴダの磔刑などお呼びじゃないな」

「それでも十字教徒か、君は」


 しかし、土御門の言うことももっともだった。インデックスは味方を作ることに関しては天才だ。彼女の笑顔は見るものを惹きつける、どんな宝石でも再現できない無二の輝きがある。
 だがそれだけですべての教区を籠絡できるほど甘いものだとは、ステイルも思ってはいない。


「だとすれば、大衆政治の浸透に感謝すべきかもしれないね。彼女は一般信徒の受けがいいから、他の大主教たちもそのあたりを無視できなかったんじゃないのかな」

「……本気で言ってるんだとしたら驚きだな。お前がこの十年というもの、誰の下に付き従っていたのか。当の本人が一番自覚してないってことになる」


 ステイルが誰の下にいたのか。誰のおかげで、この地位にいるのか。


「真のローラ=スチュアートの後継者はインデックスじゃない。お前だ、ステイル=マグヌス。イギリス清教全体が、お前をそういう目で見ている。忌々しい独裁者の面影への憎悪と、畏怖の入り混じった目でな」


 煙草を、噛むようにして味わう。表情の動きはそれだけに留めた。暗黙のうちになされた質問に答えを返してやる気が、ステイルにはなかった。その間にも土御門は語り続ける。語り騙るのはこの男の十八番だ。


「そして、だからこそインデックスは上手くやっていけてる。お前がインデックスの意向を最大限に尊重することは、清教派の誰もが知っているからな」


 かくして恐怖の的であった独裁政治を、穏健な対話主義者が抑え込む、という構図が出来あがる。


「完璧とまでは言わんが、良く出来た青写真だ。誰が作ったんだろうなぁ、これ」

「僕に言えるのは」


 遮るように言葉を発した。否、実際に土御門の発言を遮った。“誰”の設計図に従った結果として、この理想的な現状が成立しているのか。ステイルは、わかっていながら認めたくなかった。


「彼女に、権謀術数など似合わない。それだけだ」

「そして、代わりにお前が手を汚すわけか。まあ時の為政者たちを顧みれば、珍しい話じゃあないがな」


 けらけら、と土御門は呵々大笑した。ステイルは無言でちびた煙草を虚空に放り投げる。燃えさしは地面にたどり着く前に、滓も残さず焔に消えた。それを眺めながら、隣にいる男のことを考え始める。
 土御門元春。日本出身の陰陽師。いかなる事情があったかは知らないが、幼い身空で単身イギリス清教に身を投じ、そこからまた学園都市に派遣された多重スパイ。敵に回したことは、幸いにして一度もない。しかし、味方だと思ったことも一度もなかった。信用はしても、信頼を置いていい相手ではない。土御門元春がこの世で裏切らないのは、ただ一つの存在だけであるからだ。
 恐ろしい男だ、と思ったことは一度や二度ではない。土御門は「譲れないもの」のためになら何だってする。無論ステイルとて、インデックスを守るためならどんな卑怯な真似でもするつもりだ。ただ、この男を見ているとそれが揺らぐ。「何でも」のレベルが違うのである。どんな拷問吏や暗殺者でも思い付くまい、という目を覆うような汚い策謀に、土御門は平気で手を染める。人間という種の闇を煮詰めた肥溜を、覗き見ているようでさえあった。


「こちらからも一つ、聞いていいかな」


 二本目の煙草を、シガレットケースから抜きながら問いかける。


「お好きにどうぞ? 聞くのはお前の自由。答えるのは――――俺の自由だ」


 歯を見せて土御門は笑った。嫌な奴だ。何度もそう思った。それでいて、ステイルは本当に土御門を嫌いではないのだった。幾百の死を見送ってきたであろう無慈悲な面を下げたまま、決して陰性のものではない笑みを浮かべられる。そういうところに、土御門元春という男の魅力があるのかもしれなかった。


「それにしても、今日は結構悠長に過ごしてるにゃーステイルくん。護衛のお仕事をほっぽりだしたまんまでいいのか?」

「僕だってたまには、彼女の側を離れてのんびりしたい」

「贅沢な悩みだな」

「自覚はあるよ」


 本当に贅沢な愚痴だった。十年前、いや五年前ならば、考えられないことだったはずだ。
 自分のような人間がこうして、おめおめとインデックスの隣でふんぞり返っているなどとは。


「本当は二十四時間、愛しの愛しの最大主教ちゃんの側にいたいくせにー」

「……そんなことは、ない」

「ウソツキ野郎が」

「ウソツキは君だろう……じゃなくてだな」

「ああ、聞きたい事があったんだっけな。ほれほれ、何でも聞いてみ? 友だちのつくり方か、それとも女の落と」

「君はなぜ、イギリス清教を選んだんだ」


 立て板をものともせぬ、清水のように流れていたおどけた文句。


「どうして、日本に留まらなかった? あの国は君の生まれ故郷だ。学園都市には友人だって多いはず。何より」


 それが、ぴたりと止まった。


「――――アイツがいる。君とアイツは、親友なんだろう?」


 “アイツ”の名を口にしてしまうことを、なんとなくステイルは躊躇った。




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