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[30750] 【更新凍結】ロックマンX6(本編再構成)
Name: うわばら◆4248fd16 ID:9a01cff1
Date: 2013/10/13 19:03
この作品はロックマンX6の二次創作となります。

・本編と異なるシナリオで物語が進みます
・8ボス含む多くのメインキャラが本編と性格が異なります
・これまでのXシリーズのキャラクターで、本編にはいないキャラクターが登場します
・モブでオリキャラ(という名の犠牲者)が登場します
・漫画版ロックマンXの設定を引き継いでいるため、漫画を読んでいなければ分からない個所があります
・「ロックマンX6の二次創作」というよりは「漫画風にロックマンX6を書いてみた」といった感じになります

以上の点に嫌悪感を感じる方は、読むことを控えるのをお勧めします。
それでも受け入れていただけるなら、少しでも目を通していただけましたら幸いです。



10/13 長い間作品と向き合うことを放棄してきましたが、執筆途中の15話後編を機に更新を凍結させていただきます。理由としましては、自分の納得できる文章を書けなくなったためです。実は今回投稿した部分は前回の投稿後すぐに書けたのですが、一番肝心な物語の締めくくりがどうしてもうまく書けませんでした。
更新の再開は完全に未定です。活躍出番のないキャラクターや設定も沢山あり、すべては作者の力量不足が原因です。これまでこの作品に目を通してくださった方々、続きを楽しみにしてくださった方々、本当に申し訳ありませんでした。



[30750] #0 GENIUS(天才)
Name: うわばら◆4248fd16 ID:0a53be9d
Date: 2012/06/08 22:48
「ようやく出会えたのぉ。お主が噂の天才クンじゃな?」

「なんだ貴様らは。面会など受け付けた覚えはないぞ?」

「まぁまぁ、そう邪険にするでない。わしはケイン、こっちはイレギュラーハンター本部のナビゲーターを勤めるエイリア君じゃ」

「そして私が、ケイン様のサポートを勤めますドップラーです。以後お見知りおきを」

「以後だと? 他人の研究室に土足で上がりこんだ挙句、世迷いごとまで語りだすか。これだから低脳の思考は理解しがたいよ」

「まぁの~~~。なにもすぐに覚えてくれる必要はないぞい。なにせ、今後は長い付き合いになるのじゃからな」

「さっきから何の話をしている? 早くそいつらを連れて出て行―――」

「なぁに、簡単なことじゃよ。わしとひと勝負してみる気はないかね?」

「勝負だと?」

「そうとも。キミの作り出すプログラムを、わしが解析できればキミの負けじゃ。わしが勝利した暁には……そうじゃの~~~、わしと友達になってもらおうか」

「友達だと? 下等な人間風情の三流科学者が、ボクと同格のつもりか!? 痴呆の妄言になど付き合っていられん」

「そ~かそ~か、そいつは申し訳なかったの~~~。天才と謳われし科学者といえど、やはり負けるとわかりきった勝負は気が引けるようじゃの~~~。こいつは少々大人気なかったかの~~~」

「……いいだろう。その枯れ果てた脳で無様に足掻くがいい!」 

「望むところじゃい! そいじゃ、 早速始めるとするかの~~~」





「まだじゃぁ~~~……あと、あと少しでぇ~~~……ぐぅ……」

「ケイン様を休ませてきます。隣の空き部屋をお借りしても……」

「好きにしろ。ここまできたら、もはや今更だ」

「お心遣い、感謝いたします」

「―――ハッ、ようやくくたばったか。人間のくせに7日も不眠不休で解析に明け暮れるとは。こいつがレプリロイドならすぐに解体してやるところだ」

「人間だからこそ、目を見張るんでしょ。彼がレプリロイドならこのくらいは当然のことよ」

「違いない。それで、いったい何のつもりだい、エイリア。あんな害虫をボクの研究室に招きいれて……返答次第では、いくらキミでもタダではおかないよ?」

「私がケイン様にお願いしたわけでじゃないわ。あの人に頼まれたから、あなたの研究ラボまで案内役を買って出ただけよ」

「どちらでも同じことだ! ボクの組み立てた崇高なプログラムを、あんな下賎な三流に汚されるとは―――」

「あの人が三流なんかじゃないこと、あなたもよくわかったはずでしょう?」

「フン。確かに図々しさと面の皮の厚さには目を見張るな。あれが同じ研究者の端くれと考えたら虫唾が走るよ」

「……ふふっ」

「何がおかしいんだい?」

「嬉しいのよ。昔のあなたなら、良し悪しに関わらず他人を評価なんてしなかっただろうから」

「……相変わらず、キミの話し相手は疲れるよ」

「そう? 私は楽しいけれど」

「ボクは不愉快なんだよ! まったく、しばらく見ないうちに図々しさが増したね」

「ケイン様! もう少しお休みになられたほうが―――」

「バカもん! 十分睡眠もとったし、これからが本番じゃ!」

「何を言ってる、貴様の負けだろう。これに懲りたら二度とその面をボクの前に晒すな!」

「なんのことかね? はじめから時間制限など設けておらんし、わしがあきらめるまで負けは認められんの~~~」

「なっ……バカバカしい。これ以上付き合っていられるか!!」

「逃げるのかの~~~。ならわしの勝ちということじゃね」

「き、貴様―――」

「そうね。せっかくだから、私も挑戦させてもらおうかしら?」

「それならば、今度は私も協力させていただきます」

「ダメじゃ! これはわしと彼の勝負で―――」

「勝手にやっていろ! 本当にどこまでも人を苛立たせる連中め!!」





 それはまだ、全てが狂い始める前の、幸せなひと時の夢。










◇ ◇ ◇

「いったい、何が起こったんだ? コロニー落下は阻止できたと聞いたが……これでは、失敗したのと同じだ」

 視界に広がるのは不気味な紫に染まった空、最果ての見えぬ広大な砂漠。
 三週間前、地球に落下した巨大コロニー『ユーラシア』。イレギュラーハンターの手により、地表への衝突こそ阻止されたものの、その余波とばら撒かれたΣウイルスは瞬く間に地球を荒廃へ導いていった。
 人類の英知の結晶たる高度な街並みは軒並み倒壊し、生命の象徴たる緑は余すことなく汚染された。
 多くの命が犠牲になり、1000を超えるレプリロイドがイレギュラーと化した。
 ウイルスの蔓延はあくまで一時的なものであり、現在はレプリロイドたちの手により地上の再建が進みつつある。しかし、その被害は未だ甚大であり、生き残った人類はシェルターでの非難生活を余儀なくされる状態である。

「滅亡を免れただけよかったというのか……それだけじゃない。何かが、起ころうとしている」

 荒野に佇む一体のレプリロイド―――ゲイトは奇妙な胸騒ぎを感じていた。
 だがしかし、それは不安や恐怖を煽るものではなかった。もとより、彼にそのような感情は存在しない。
 それは新たな始まりを予感させるものだった。
 今、世界は転機を迎えている。なぜかそう確信できたのだ。





「探しましたよ。貴方がゲイト博士ですね」





 そして、新たな災厄の開幕となる最悪の邂逅が果たされた。
 ゲイトが振り返ると、そこにはいつの間にか、老人を模した科学者のようなレプリロイドが立っていた。

「我が名はアイゾック。この朽ち行く世界の再生のため、天才科学者として名高い、貴方様の力を貸していただきたい」

 その言葉に、ゲイトは思わず瞠目する。だが、見開かれた瞳も即座に細まり、その表情は冷笑へ変わる。
 天才―――未だに自分をそう呼ぶ存在がいたことに驚かされはしたが、所詮それだけのことである。
 もとより、ゲイトは世界再生に貢献する気など微塵もない。むしろ、数えるのも鬱屈なレプリロイドたち、人類に媚び諂うしか能のない傀儡が激減したことにせいせいしていた。
 彼が天才と称えられたのは遠い昔。 
 ゲイトの開発したレプリロイドは悉く高性能を誇り、高度なプログラムが搭載されていた。
 誰もが彼を天才と呼んだ。
 彼の功績を神の所業と褒め称えた。
 その偉業が崇められたのもわずかの数年の間。ゲイトの生み出すプログラムは、あまりに高度過ぎたのだ。それは超一流の科学者すら、匙を投げ出すほど難解な代物だった。
 ゲイト以外の誰にも解析できないプログラム。製作者の意図、目的、思惑の一切を伺わせぬパンドラの箱。危険視されはじめるのにそう時間はかからなかった。
 事故、処罰、イレギュラー化―――様々な名目の元、彼の才能の具現たるレプリロイドたちは、ついには一体も残ることなく処分された。
 そしてゲイト自身も『異端児』の烙印を押され、科学界を追放される身となった。イレギュラー認定されなかったのは、上の情けのためだろうか。

「『天才』だと。ハッ、あまり笑わせてくれるなよ。お前にボクの―――天才の何が分かるというんだ?」

 結局のところ、凡庸な科学者たちは、天才の何たるかを理解できなかったのだ。彼らの思い描く天才の理想像など、ゲイト自身の足元にも及ばぬ偶像にすぎなかったのだ。
 それゆえ、奴らは恐れたのだ。底知れぬ自分の才能を。
 人間という生物は得てして、理解の及ばぬ対象に恐怖を抱くという。生まれてこの方、解析できぬ存在と遭遇したことのないゲイトは「恐怖」と無縁の存在だった。彼にしてみれば、人間の抱くその感情こそが、理解に苦しむものだった。
 だがしかし、自分の周りに群がるレプリロイドは、その全てが凡庸な愚物にすぎなかった。ならば人間を模して造られた俗物が、自分をを恐れるのは必然といえるだろう。

「いや、貴様ら下等なレプリロイドだけじゃない。この世界にボクに並ぶものなど存在しない! 何者も、このボクの才能を理解することなどかなわないんだ!」

 彼を知らぬ者からすれば、その発言は失笑に値するだろう。その度を越えた傲慢さこそが、天才を異端児たらしめた要因のひとつであることに、ゲイト自身は気づいていない。
 しかし、アイゾックは表情を崩すことなく、懐から一枚のプレートを差し出した。

「無論、タダでとはいいませぬ。此度は手土産を持参しましてな」

「これは……何かの破片か?」

 科学の心得を持たぬ凡人にとっては、ただのガラクタに過ぎぬであろうソレ―――不気味な波長を放出するプレート片。
 わずか数刻でその正体を悟ったゲイトは、思わず声を荒げる。

「いや、違う……こっ、これは―――」

 その瞳は驚愕に染まり、輝きを増す。口元は自然と緩み、興奮に体を打ち振るわせる。
 普段の冷静な様子とも、自己陶酔におぼれる姿とも異なる様相。今のゲイトは、さながら新たな玩具を手に入れた幼児だった。
 それは、ゲイトが新たな発見に遭遇した際に見せる、誰にも披露したことのない本来の姿だった。無邪気に瞳を輝かせるその姿を見れば、誰も彼を異端児などと侮蔑しなかっただろう。

「―――いいだろう。お前の計画に乗ってやるよ。ただし、世界は再生などしない」

 アイゾックへと振り返ったゲイトの瞳には、先ほどの光は既に伺えない。
 何かに憑かれたような―――汚染されたような邪悪な目。
 鈍い輝きを秘めた瞳が見開かれ、狂宴の開幕を告げる言葉が放たれる。

「より崇高に進化するのさ! ボクに服従するレプリロイドだけの世界に! ボクが支配する楽園に!!」

 そして、世界は新たな危機を迎える。
 シグマが人類に反旗を翻して以来、6度目となる争いの火蓋が切られた。

「そのためには粛清が必要だ。まずは連中を蘇生させて、各地の主要施設を占拠してコイツをばら撒けば……ククク、ハーハハハハハッ!!」

 未だ冷めぬ興奮に溺れるゲイトを尻目に、アイゾックは静かに独りごつ。





「―――青二才が。せいぜい儂の役に立つがいい」



[30750] #1 NIGHTMARE(悪夢)
Name: うわばら◆4248fd16 ID:9a01cff1
Date: 2011/12/07 22:16
とある復興区域の郊外にて、

「クソッ、なぜあのようなデカブツが暴走を……」

 警備隊長を務めるハイザーは苦しげに呻く。
 どこからともなく飛来した、作業用と思しき巨大なメカニロイド。それは着陸するや否や、いきなり暴走を始めたのだ。
 中心部からは離れていることと、迅速な通達が幸いし、直接的な被害は避けられている。だが、かなりの攻撃を加えているにもかかわらず、敵は一切損傷を負っていない。
 こちらの武器が底を尽きたら最後、この巨体は間違いなく市街への進行を開始するだろう。

「撃て、撃てーーーーーっ!」

 号令に伴い放たれる怒涛の攻撃。
 金属を跡形もなく溶解するレーザーも、機体を粉々に粉砕するミサイルも、相手には何ら効果がないようだ。

「くっ、このままでは―――」

「みんな、無事か!」

 突如、現場に駆けつけてきたのは一人のレプリロイドだった。先ほど連絡の取れた、イレギュラーハンター本部のよこした増援だろう。
 それにしても、この非常時にたった一人とは何を考えているのか。
 苦渋に顔をしかめつつ、ハイザーは現状を報告する。

「警備隊の隊長を務めますハイザーです! 先ほどから攻撃を続けておりますが、市民街への進行を食い止めるのが精一杯の状況で―――」

「分かった。後は俺一人で何とかするから、皆は市街へ被害が出ないよう見張っていてくれ」

 そう言うや否や、青いレプリロイドは巨大なメカニロイドへ立ち向かう。
 相手はこちらの10倍以上の体格を誇る。まがりなりにも戦闘経験をつむハイザーにとって、目の前の男はあまりに無謀すぎた。

「そ、そんな……無茶です! こちらの総攻撃でも、傷ひとつ負わない相手で―――」

 そこまで言って、ハイザーは言葉を失った。
 暴走する巨体の影で子供が―――小型のレプリロイドが震えている。

「バカなっ! なぜあんなところに子供が!?」

 巨体の死角にいた子供に気づかなかった―――自身の拭い様のない失態に歯噛みする。
 幸か不幸か、メカニロイドの頑丈さと大きさが子供を守る盾となっていたようだ。少女に目立った損傷は見つからないが、いつ巨体に押し潰されてもおかしくない。

「早く少女の救助を―――えっ?」

 先ほどまで自分の隣に立っていたはずの、青いレプリロイドの姿がない。
 気づけばその男は、ほんの数秒の間でメカニロイドのすぐ脇に移動し、優しく少女を抱き上げている。

「キミ、名前は?」

「……ユイ」

「ユイちゃん、か。いい名前だね。でも、どうしてこんな郊外に?」

「……お花をさがしてたの。そしたら、あのおっきなロボットがとんできて―――」

 メカニロイドは二人を敵と認識したのか、巨大なペンチの左腕を振り上げる。そして、豪腕が猛スピードで振り下ろされ―――瞬時に斬り飛ばされた。

「なっ……!」

 青いレプリロイドの手に握られるのはビームサーベル。その破壊力に見合う高出力のため、ハンター部隊の中でも少数しか携帯を許されない武器。
 それを目の前の男は、片手で楽に振るっている。

「お、おにいちゃん……?」

「そうか、怖かったね。でも、もう大丈夫だから」

 片腕を落とされ後退するメカニロイドには目もやらず、そのレプリロイドは少女に優しい眼差しを向けている。
 その慈愛に満ちた瞳―――レプリロイドのものとは思えぬ、限りなく人のそれを彷彿させる双眸。そこでようやく、ハイザーは男の正体を悟る。

「す、すごい。あの巨体をあっさり―――隊長?」

「そんな、まさかあのレプリロイド……いや、あのお方は―――」

 かつて3度にも及ぶシグマの反乱を阻止し、レプリフォースの反逆も止め、先のコロニー落下事件すら防いだイレギュラーハンター。
 この上なく平和を愛し、唯一涙を流すことのできるレプリロド。










「イレギュラーハンター―――エックス!!」










◇ ◇ ◇

 セイバーを一時的に仕舞い、腕の中で震える少女の頭を撫でてやる。彼女の恐怖が和らぐまでこうしたかったが、背後で騒ぐ巨体がそれを許さない。
 そっと少女を地面へ降ろし、屈みこんで目線を合わせる。

「あの人たちのところまで、一人で行けるね」

「で、でも……おにいちゃんは?」

 こんな状況でもなお、少女は自分の身を案じてくれている。きっと優しい子なのだろう。

「大丈夫、お兄ちゃんは負けないから!」

 こんな子供を争いに巻き込むわけにはいかない。戦火に身を委ねるのは自分で十分だ。
 その思いを胸に、未だ暴走を続けるメカニロイドへ向き直る。
 ハイザーの元に走り寄るユイは、途中でエックスの方を振り返り、

「おにいちゃん……がんばって!!」

 声援を背に、エックスは駆ける。
 もとより隻腕だったメカニロイドは、左手までもを失った今、攻撃手段はビームしかない。
 巨体から放たれる極太の光線を、エックスは軽い動きであっさり回避する。

「うおおおおっ!」

 エックスの放ったバスターは、警備隊の攻撃すら防いだ強化装甲を、いとも容易く破壊する。
 射出口も打ち抜かれ丸腰となったメカニロイドは、その体躯でエックスを押し潰そうと倒れこむ。

「甘いっ!」

 幾度となく戦場を駆け抜けたエックスに、単調な捨て身の攻撃など通用しない。巨体の壁面を蹴り上げ、肩に乗り上がったところでさらに跳躍。メカニロイドの頭上へ飛翔し、そのまま再度サーベルを―――亡き友の形見を抜き放つ。





「これで終わり―――っ!?」





 セイバーで巨体を両断する刹那、エックスは確かに見て取った。メカニロイドの中に蠢く『ソレ』の姿―――悪夢の具現を。

「……なっ」

 作業用メカニロイドD-1000の暴走は、プログラムの損傷に起因するものではなかった。そもそも、それは暴走ですらかった。内部に寄生したモノたちに操られていたにすぎなかったのだ。
 その事実に気づかなかったエックスの判断ミスは致命的だった。セイバーで断ち斬るのでなく、フルチャージで跡形もなく粉砕するべきだったのだ。
 巨体は膾のごとく切り裂かれ―――エックス自身の手により、破滅の引き金は引かれた。
 外郭の役割を果たしていたD-1000が割られたことで、解き放たれた無数の『ソレ』の暴走を防ぐことは不可能となった。
 そして悪夢は訪れる。

「な、なんだっ!?」

 メカニロイドとも、レプリロイドとも判断のつかぬ『ソレ』―――ひとつ目の蛸のような、どす黒い機械。異形の軍勢は悉くエックを素通りし、彼の背後に控える警備隊へ襲い掛かる。

「くっ、来るぞ!」

「全員撃て―――っ!」

 いきなり現れた未知の存在―――迫り来る不気味な姿を敵と断ずるのに、ハイザーは数秒も要しなかった。彼の指令の元、部隊は一斉に攻撃を再開する。
 しかし、『ソレ』は重力を無視するが如くの流暢な動きで、放たれたレーザーを避け、ミサイルの雨を掻い潜る。
 そして容易に彼らの元へ到達し、剥き出しの下半身から垂れ下がるケーブルを突き立てた。それはあっさりレプリロイドの外装を破壊し、彼らの中枢に至り同化する。異形はたちどころに体内へと潜り込み、わずか数秒でレプリロイドとの一体化を果たしていた。

「ぐわっ!」

「くっ、来るな……うわ―――っ!」

「助け、助けてく……」

「あぁ……」

 部隊が、黒い異形に飲まれていく。
 Σウイルスにレプリロイドが汚染され、狂っていくその光景―――かつての悪夢を彷彿させる目の前の惨状を、エックスは呆然と見守る他なかった。
 ついには完全に部隊を飲み込んだ異形は、瓦礫の隅で震える少女、ユイに迫っていた。

「おにちゃん―――」

「や、やめろっ! やめるんだ!」

 即座にD-1000の巨体から飛び降り、渾身のダッシュでユイへと向かう。
 だが漆黒の機体はユイの眼前まで近づいていた。全力で加速しても間に合わない。

「助け―――」

 直後、周囲が紅蓮に染まる。
 弾薬が暴発でもしたのだろう。燃え盛る業火が異形を、部隊を、幼い少女を飲み込んでいく。

「みんな、ユイ!」

 ようやく彼らの元にたどり着いたエックスは、躊躇うことなく火の海に飛び込む。
 幸い彼らはレプリロイドだ。その体は例え1000度の高熱でも、簡単に原型を失わない。

「ユイ、どこにいるんだ! ユイ!」

 そして更に幸運なことに、少女は爆炎の浅い位置にいた。
 即座に彼女を抱え上げ、転がるようにして炎から脱出する。

「オニイチャン……」

「よかった、ユイ、無事で―――」

 他の仲間も助ける必要があったが、ひとまずは目の前の少女を救えたことに安堵する。
 恐怖から開放されたのか、うつむいていたユイが顔を上げる。
 彼女の両肩に手を置き、エックスはその顔を覗き込み―――
 





「イ、イタイノ……グルジイノ……ダ、ダズベデ……」

「うわあっ!」





 悲鳴を上げ、尻餅をついて後ずさる。
 ユイの顔は黒く変色し、両の瞳は真っ赤なモノアイに変貌を遂げ、どす黒い液体を涙のように流出させていた。
 そう、彼女は泣いていてる。
 幼かった顔を苦痛に歪め、痛い、痛いと泣いている。
 涙を流せるレプリロイド―――自分と同じように泣いているのだ。

「オニィヂャン……イダイ、グライヨ……」

 あまりに痛々しい様相を前に、エックスは成す術なくただ後ずさる。
 そんな彼に追いすがるかのように、爆炎の中からハイザーが、その部下たちが現れる。

「デッグズザン……ドウジデ、ボレラヴォ……」

「イダイ……イダイ……」

「グルジイ……ザブイ……」

 歪な形相に血のようなモノアイを掲げ、濁った涙を流している。

「あ……あぁ……」

 もはや異形と化した彼らに何をしてやれば―――脳裏をよぎった不安を即座に払拭する。
 大丈夫だ、彼らは、ユイはまだ壊れていない。
 壊れてさえいないのなら、きっと元通りになれるはず。

「皆、少しだけ待ってくれ。すぐにケイン博士に連絡を―――」

 突如、エックスの視界は光に包まれ、理解が追いつかぬままに吹き飛ばされる。

「ぐあっ!?」

 変貌を遂げたユイが、ハイザーたちが一斉に単眼から光弾を放ったのだ。

「み、んな……やめるんだ……」

 エックスの言葉もむなしく、攻撃はより激しさを増す。
 唯一人、無傷のエックスを呪うように。
 惨状を前に成す術のない、無力な英雄を憎むように。

「デッグズ……ベッグズウウゥ……」

「ダジゲデ、ダヅゲ……」

「や、めろ……やめてくれ……」

 降り注ぐ光弾の雨を全身に浴びながら、エックスはなおも懇願する。
 反撃などできるはずがない。彼ら善良なレプリロイドであり、イレギュラーではない。そう、彼らがイレギュラーのはずがない。

「はやく……博士に連絡、を……」

 まだ、彼らはイレギュラーと化していない。
 希望を捨てなければ、信じていれば、きっと元に―――

「……オニイヂャン」

 ユイと目が合った。
 単眼から黒い滴を零し―――










―――コロシテ―――










 閃光が辺りを包み、全てを吹き飛ばす。
 ギガクラッシュ―――自身の受けたエネルギーを数倍にして放出する破壊技。
 もう二度と用いるまいと思っていた。
 もう誰も壊したくないと願っていた。
 もう同じ過ちは繰り返さないと誓ったはずだ。
 なのに、自分は―――

「ああ……」

 光が収束を終えた後には、何も残っていなかった。
 巨大なメカニロイドも、謎の黒い機械も、ハイザー率いる警備隊も、ユイも―――

「なんでだ……どうしてなんだよ……」

 自身を包む白銀のアーマー。
 シグマを倒して以来、封印していたはずの禁断の兵器。
 それを自分は、ユイに、まだ幼い、心優しいレプリロイドの少女に向けて放ったのだ。

「いつまで悲劇が続くんだよ!! 悪夢は終わったんじゃなかったのか―――――っ!!!」

 シグマは滅んだ。
 世界を破滅に導く悪魔は消滅したはずなのだ。
 なのに、世界はまたも悲劇を繰り返している。
 これまで通りに。
 これまでと何ら変わることなく。





「うあああああああああああ!!」





 英雄は空を仰ぎ咆哮をあげる。
 自身の無力さを嘆き。
 世界の理不尽を呪い。
 ただ、大粒の涙を流した。














◇ ◇ ◇

 エックスからわずかに離れた地点。
 先ほどの余波に巻き込まれたはずの距離にもかかわらず、そのレプイロイドは無傷で佇んでいた。

「イレギュラーハンター……しょせんあの程度か……」

 無様に地に付すエックスを見下ろし、レプリロイドは呟いた。
 渾身の一撃もあの程度。敵に回ったところで何ら問題はない。
 計画は全て、主の思惑通りに運ぶだろう。自分はただそれに従ってさえいればいい。
 だが、しかし―――




「奴の目から零れ落ちる液体は……」





 天才から与えられたプログラムをもってしても、それだけが理解できなかった。



[30750] #2 HISTORY(歴史)
Name: うわばら◆4248fd16 ID:0a53be9d
Date: 2011/12/07 22:17
 ようやく平穏を取り戻したかに見えた世界は、再び混乱に陥ることになった。
 各地に出現した謎の黒い機械が、手当たり次第にレプリロイドを襲い始めたためである。取り付かれたレプリロイドは狂い、暴走し―――イレギュラーと化す。
 Σウイルスの再来とも揶揄される異形の軍勢に、生き残った人類は恐怖を込めて命名した。





―――ナイトメア―――





◇ ◇ ◇

「エックス、聞こえる? 市民の避難は無事に済んだそうよ。あなたは現場を確認して、なにか手がかりがないか、特に怪しい人物がいないか確認してちょうだい」

「ああ、ちょうど見えてきたところだ。すぐに調査を行う!」

「現場は磁場の影響で通信が届かないわ。くれぐれも無茶はしないで!」

 エックスたちイレギュラーハンターは、指揮官シグナスの指令に従いナイトメアの情報を集めていた。
 各地の被害報告と集めた情報をもとに、ナビゲーターであるエイリアが解析を行う。その結果、導き出された答え―――ナイトメアは場所を問わず出現するのでなく、複数の箇所を拠点にしている。
 そのひとつ―――セントラルミュージアムの前に辿り着き、エックスはファルコンアーマーのブースターを切り着陸する。

「ここがナイトメアの出現地点か。なにか、事件を解く鍵が見つかれば……」

 つい先日、エックスは目の当たりにした。
 ナイトメアに寄生されたされたレプリロイドの末路を。
 苦しみに悶え、涙を流す少女の顔を。
 あんな悲劇は、一刻も早く終わらせなければいけない。

「とにかく、まずは入って確かめないと」

 壊れた入り口をバスターで破壊し、中へと進む。
 入って数歩も進まぬうちに、エックスは驚愕に襲われる。

「こ、これは……」

 そこはナイトメアの巣窟と化していた。
 軽く見ても30を上回る異形たちが、我が物顔で縦横無尽に飛び回っている。大量のナイトメアが、悪夢の具現が―――

「あああああ!!」

 脳裏によぎる悪夢を払拭するかのように、全力でチャージショットを打つ。放たれたエネルギーはナイトメアを焼き尽くし、10に近い固体を一撃で葬り去る。
 それを機にナイトメアはようやく、自身の領域を侵す侵入者の存在に気づく。
 そしてエックスを認識するや否や、怒涛の勢いで光弾を放つ。さらに失った分を補うかのように、奥から複数のナイトメが出現する。

「くっ、数が多すぎる」

 いくら打ち落としても、際限なく沸いて出てくる敵の群れ。その全てがエックスへ照準を定め、我先にと無数の光弾を放つ。弾速は非常に早く、障害物を容易に貫通する。

「これじゃ、いくら相手をしてもきりがない。早く手がかりを見つけないと」

 対面する4体をチャージショットでまとめて粉砕し、浮遊するナイトメアは掻い潜りダッシュで距離をとる。
 そのまま加速しつつも、背後の確認は怠らない。何体か後を追ってきているのが見えたが、この間合いならまず追いつかれない。
 
「よしっ、このまま奥へ……っ!?」

 再度正面を向き、愕然とする。
 背後に気を取られたわずかな隙に、複数のナイトメアが眼前まで迫っていた。加速したことが仇となり、すぐには方向転換ができない。
 即座にバスターを連射するも、敵は機械に似つかわしくない、柔軟な動きで回避する。最前列の2体がエックス近づき、その顔面へとケーブルを伸ばし―――

「―――だっ!」

 すんでのところでセイバーを振りぬき、まとめて切り落とす。

「だあっ!!」

 残りはダッシュからジャンプをつなぎ、更にブースターを放ち飛び越える。今度は背後を振り返らずに、ただひたすら奥へと進む。
 ナイトメアで溢れかえる回廊を駆け抜け、2対のトーテムポールのような彫刻の間をくぐる。

「……え?」

 途端に景色が一変する。
 先の見えぬ一本道から、広い円形の、ドーム状の空間へ。あれほど蠢いていたナイトメアの気配も感じられない。

「まったく違う空間に出た……転移ゲートだったのか。別の地点に飛ばされたのか?」

「随分と時間がかかりましたな。お待ちしておりましたよ」

 予期せぬ声に振り返ると、岩に腰掛けた一体のレプリロイド。

「お初、お目にかかりますな。我輩、グランド・スカラビッチと申しまして―――」

 バスターがその頭部を掠め、背後の壁に大穴を穿つ。
 自身へと向けられる銃口にも物怖じせず、スカラビッチはため息をつく。

「やれやれ、挨拶を遮るとは感心しませぬな。最近の若者はやんちゃが過ぎる」

「御託はいい! いますぐナイトメアを停止させろ!!」

「それは無理な相談ですな。あ奴らは我輩の制御下にありませぬがゆえに」

 だからこそ、邪魔の入らぬ舞台を用意したのですぞ―――スカラビッチの言葉を耳に、嫌な予感が頭をよぎる。

「……なら、お前たちの目的は何だ!!」

「それも存じませぬな。そもそも、我輩は貴殿の申す『ナイトメア』とは関わりを持ちませぬので」

 目の前の男は、この事件の主犯ではない。関係者ですらない。
 なら、元凶はいったい―――

「考え事ですか? 無視とは感心できませぬな」

 ハッと我に返り、再度スカラビッチを認識する。
 問答無用で威嚇射撃を行ったことに罪悪感を感じつつ、同時に別の疑問も沸いてくる。

「この事件に何の関係も持たないなら、どうしてここにいる」

 一人逃げ遅れ、ナイトメアから逃れるために、転移ゲートをくぐった可能性もあった。だがしかし、目の前の男は外の惨状を歯牙にもかけていない。避難民ならばここまで平然としているのは妙だ。

「目的、ですか。それは貴殿との邂逅ですよ、『ロックマン』」

「なっ……」

 唖然とするエックスをよそに、スカラビッチはなおも語る。

「我輩、こう見えても遺跡めぐりが趣味でしてな。数多の地を駆け巡っては、歴史にまつわる情報を、逸話を収集しておりました。そこで巡り合ったのが―――貴殿の『伝説』ですよ、ロックマン!」

 エックスへの視線が鋭さを増す。

「伝説として歴史に名を刻みし最強のレプリロド。その力をぜひ我輩の前で披露していただきたい」

 スカラビッチは座っていた岩から降り、その後ろ側へと回る。

「待て! お前の言うことはわからないけど、ここから脱出するのが先だ。話ならそれからでも―――」

 直後、巨岩が猛スピードでエックスに迫る。スカラビッチが地面に両手をつき、両足で岩を蹴り飛ばしたのだ。
 エックスはかろうじて両手で受け止めるが、岩の勢いはまったく衰えず、そのまま壁へ叩きつけられる。

「ぐあっ!」

「我輩の攻撃は、その程度では防げませぬぞ。貴殿ならもしかしたら、とも思いましたが、買い被りのようでしたな」

「くっ……やめるんだ! こんな争いは無意味だ!」

「ええ、無意味ですとも。争いとは何も生み出さぬものです」

「なら、どうして―――」

「それが歴史だからです」

 問いかけに返ってくるのは無情な答え。

「貴殿はレプリロイドの、いえ、人間の歴史をご存知ですか? 我々が生み出される遥か昔から、同族の殺し合いは延々と繰り返されてきたのです。つまるところ、歴史とは争いの―――血で血を洗う闘争の繰り返しでしかないのです」

 スカラビッチの両脇に、先ほどよりひとまわり大きい岩石が生み出される。

「争いは避けられませぬ。シグマの反乱も、レプリフォースの独立も、起こるべくして生じたものでしょう」

 ふたつの巨岩に重なるように更にふたつ、計4つの岩が展開される。
 
「お分かりですかな? 歴史に刻まれし貴殿の伝説も、争いあっての賜物なのです。ならばこそ、争いをもってして貴殿の真価を見定めるのは当然のこと!」
 
 そしてスカラビッチは右側に詰まれた岩を、下から連続でエックスへと蹴り放つ。

(くそっ……やるしかないのか……)

 バスターで手前の岩石を破砕し、ふたつ目はセイバーで切り捨てる。続けて飛んで来た3つ目はかわし、スカラビッチへチャージショットを放つ。
 しかし、相手は手元に残した4つ目の岩に隠れることで攻撃をやり過ごす。そして今度はこちらの番、と更に岩を繰り出し、間を空けずに複数蹴り飛ばしてくる。

「我輩のグランドダッシュは攻防一体の役割を果たします。防戦一方では攻略など不可能ですぞ!」

 飛び交う岩石をひたすら切り裂き、交わし、粉砕する。
 凌ぎ切ったと息つく間もなく、攻撃はより苛烈さを増す。
 わずか数秒の攻防の間に、スカラビッチの前には先ほどまでとは比べ物にならない―――その小型な体躯の20倍はあろう岩石が用意されていた。

「さぁ、これは避けることも、防ぐこともかないませぬぞ。今こそ、貴殿の真価が発揮される時!」

 その大きさに見合わぬ速度で、巨岩がエックスの視界を埋める。
 セイバーで切れるサイズではない。バスターをチャージする時間もない。回避は―――間に合わない。
 轟音と共に、大岩が壁に激突する。
 壁際にいたエックスは回避すらままならず、そのまま押し潰されただろう。
 あっけない。
 あまりにあっけない決着だった。
 待ちわびていた伝説の強者は、スカラビッチに傷ひとつ負わすことなく惨敗したのだ。

「なんと……これが、これが歴史に名を残した英雄だというのか! 『ロックマン』の伝説は、かくも脆弱なものだったというのか!」

 失望に声を荒げるスカラビッチだが、数秒とたたずに目を見張ることになる。
 壁にめり込んだ巨岩が、確かにエックスをひき潰したはずの岩が、

「……動いておる」

 ありえない。
 そもそも、敵はこちらの初撃すら満足に防げていなかった。
 先ほどの攻撃は、その10倍以上の威力を誇る。まともに食らって、なお息があるはずがない。

「伝説だとか……英雄だとか……そんなことはどうでもいい!!」

 怒声と共に、巨岩に亀裂が入り、粉々に砕け散る。
 土煙の中から現れたのは白銀の輝き、そして―――

「繰り返させなんかしない! 争いは、ここで終わらせる!!」

 目を覆いたくなる光の本流。
 あの巨岩すら砕くのならば、自分に防ぐ選択肢は存在しない。
 大岩を繰り出す怪力を誇るスカラビッチだが、俊敏性は並みのレプリロイドのそれと大差ない。慌てて横に跳ぶも間に合わず、

「があっ!」

 両足が、自身の最大の武器が光に飲まれ消失する。
 無様に倒れこみながらも顔を上げると、すぐそばまで来ていたエックスがこちらを見下ろしている。

「見事です……さすがは、伝説のレプリロイド……」

 エックスの手が迫る。
 攻撃手段と逃走手段を同時に失った今、自分の命はないだろう。だが、後悔はなかった。
 もとより一度は滅んだ身。本懐を遂げて逝けるだけ幸福というものだろう。

「我輩の負けですな。さぁ、このまま止めを―――」

 そのまま腕をつかまれ、持ち上げられ、エックスの肩に担がれる。

「ここにも、いつナイトメアが出てくるか分からない。今のうちに、早く脱出しよう」

「なっ、なにを?」

 問いかけには答えず、エックスはその場から踵を返す。

「我輩は敵ですぞ! 敵に救いの手を差し伸べるというのか!?」

「この事件に関わっていないなら敵じゃないさ」

「……我輩を助けるということは、背後から撃ち抜かれることは承知の上、ということですか?」

「お前はさっき負けを認めただろ。素直に負けを認めた奴が、今更そんなことをするのか?」

「虚言にて貴殿を欺く作戦かもしれませぬ」

「それは……そ、そこまでは考えてなかったな」

 戸惑うように言いつつも、決して自分を離そうとはしない。

「でも、俺は無駄な犠牲は出したくない。もう、誰も失いたくないんだ」

 誰も犠牲にしたくない―――その言葉に、今しがた出会ったばかりの自分すら含まれている。
 そこに至って、スカラビッチはようやく思い違いを悟る。
 自分は英雄という言葉に、何を期待していたのだろう。
 争いにて真価を発揮する?
 ありえない。
 この男は好んで戦場に立ったことなど、一度たりともありはしないだろう。
 繰り返される歴史―――争いの渦中に巻き込まれ、その心に幾重もの傷を負ってきたに違いない。
 強くなどない。まして最強のレプリロイドなどでは断じてない。
 弱く、儚く、とても脆い存在でしかない。
 だが、しかし―――

「……これを」

「ん? これは、何かのチップか?」

「我輩の戦闘データを含むパワーチップです」

「なっ、そんなの受け取れないよ」

 こちらを疑う様子は微塵も伺えない。
 本当にどこまでも幼く、純粋で―――優しいレプリロイドだ。

「我輩がこの場所にいたのは貴殿と会うことが目的。その言葉に偽りはありませぬが、舞台を選んだ『理由』は他にあります」

「……えっ?」

「我輩がこのセントラルミュージアムを占拠した理由。それは―――」





―――デスボール―――





「ぐわあああああっ!!」

「うわあっ!?」

 背後からの衝撃に吹き飛ばされる。
 痛む体を抑えて体制を立て直した時、エックスは違和感に気づく。
 背中が、軽い。
 つかんでいたスカラビッチの腕―――腕から先が、ない。

「……スカラビッチ?」

 後ろを向くと、数メートル先に左半身を消失したレプリロイド―――スカラビッチが目に入る。

「スカラビッチ! しっかりしろ!!」

 スカラビッチに駆け寄ろうとして、エックスは見た。
 空中に浮遊する漆黒のレプリロイド。
 その周辺を覆うように、無数のナイトメアが群がっている。間違いなく、ナイトメアを制御している。

「お前が……殺したのか……」

 目の間の存在は動かない。
 口を開かず、首肯もしない。
 だが、この場においての沈黙は肯定しているも同然だ。

「……どうして殺した」

 口封じ。
 そんなことは分かりきっている。
 エックスが聞きたいのは動機や目的などではなかった。

「なんで……どうして殺す必要があったんだ!!」

 なぜその手段に殺戮を用いたのか。
 なぜ殺しまでする必要があったのか。

「答えろ! 答えろよ!!」

 怒りに震えるエックスなど眼中にないのか、漆黒のレプリロイドはそのまま飛び去っていく。
 バスターを連射しても、纏わりついたナイトメアが盾となり攻撃が届かない。





「逃げるな!! 答えろおおおおお!!」










◇ ◇ ◇

 顔を濡らす水の感触で、スカラビッチは重すぎるまぶたを開く。

「スカラビッチ! よかった、生きてたんだ!」

 泣いている。
 レプリロイドが―――レプリロイドであるはずの男が、涙を流している。

「……なぜ、歴史を、争いを繰り返してなお世界は……滅びぬか……ご、ご存知……」

「もういい、しゃべるな! すぐに博士のところに連れて行くから」

 そうはいかない。
 この機を逃せば、次は永遠に訪れないだろう。
 一度は滅びを経験した身。自身の限界は既に把握している。

「争いのたび……かな、ら、ず……救世主……英雄が、現れるた……め……」

 目の前のレプリロイドの表情が歪む。
 彼もようやく悟ったようだ。自分の終わりを。

「民を導き……守り……世界を救う英雄、が……」

 視界が黒一色に染まる。
 センサーが限界を向かえたようだ。
 だが、幸いにも、頬を伝う優しい感触は未だ残っている。

「貴方なら、きっと光を……笑顔を……」

 自分のような者の死すらも、哀しみ、涙を流してくれるレプリロイド。
 誰よりも心優しく、あたたかく、それゆえ誰よりも強いレプリロイド。
 この男なら、この男ならばきっと―――










「世界を、救―――」










「……バカだな、スカラビッチ。俺は……俺が、英雄なわけないだろ」

 かつてレプリロイドだったモノ。
 スカラビッチの残骸に向けて話しかける。

「ユイも……お前も救えなかった俺が……俺なんかが―――っ」

 行き場のない感情をぶつけるように、思い切り拳を地面に叩きつける。
 このまま泣き崩れてしまいたかった。
 何もかも投げ出してしまいたかった。

「俺は英雄なんかじゃなない……世界を救うだなんて、大層なことは言えない……」

 でも、それは許されない。
 目の前のスカラビッチがそれを許してくれない。
 彼だけではない。
 もう何人も犠牲になった。
 もう何人も救えなかった。
 数え切れないほどの悲しみが、苦しみが、痛みが、エックスの逃避を許さない。

「でも、約束する―――」

 スカラビッチを横たわらせ、自身の頬を伝う涙をぬぐう。
 彼に渡されたチップをそっと握り、エックスは―――英雄は新たに決意する。





「争いは……悲劇は、絶対に終わらせる」



[30750] #3 LOYALITY(忠義)
Name: うわばら◆4248fd16 ID:0a53be9d
Date: 2011/12/08 17:27
「スカラビッチめ……やはり裏切ったか」

 ミュージアムの記録映像を眺め、ゲイトは憎々しげに言い放つ。
 だが、それも予想通りのこと。
 そもそも、ゲイトはもとよりスカラビッチに何の期待も寄せていなかった。スカラビッチは彼自身が手がけた『作品』ではないからだ。蘇生させて利用こそしたが、あれは所詮どこぞの馬の骨が生み出した欠陥品にすぎないのだ。
 勝てば儲けもの、負けるのは当然といったところだろうか。だからこそ、いつでも処分できるようハイマックスを張り付かせ、『ナイトメアソウル』も埋め込まずにおいたのだ。

「それにしても、涙を流すレプリロイド、エックスか。あの老いぼれの言葉が本当だったとは」

 役立たずの末路より、ゲイトにはそちらの方が重要だった。
 イレギュラーハンター、エックス。あまりにも有名すぎるその名は、かつての研究同士―――ゲイトにとっては、口うるさいだけの老害だった―――から、プログラムが受付を拒否するほど自慢げに聞かされた。
 涙を流せるという話は聞き捨てていたが、こうして目の当たりにすると否定の仕様がない。

「主よ、『涙』とは?」

 ゲイトの背後に控える黒いレプリロイド、スカラビッチを破壊した張本人は、感情の伺えぬ声音で彼に問う。

「人間が、感情が高ぶった際に目から流す体液のことだ―――ナイトメアに寄生された固体のバグとも異なるようだな。レプリロイドへの搭載に成功した例はなかったはずだが……いいね、実に興味深い!」

 研究者としての好奇心が、ゲイトを喚起に振るわせる。
 赤色の瞳が不気味に輝き、衝動に促されるまま椅子から立ち上がる。
 これほどの興奮はあの時、アイゾックとかいうレプリロイドから、例のパーツを渡されたとき以来だ。

「……決めた、決めたぞ! あいつは生け捕りにして、そのプログラムを解析し尽くしてやる!!」

「主、感情が高ぶるとは、どのような状態を指すものですか」

 興奮止まぬゲイトの様子を察することなく、レプリロイドは問いかける。目の前ではしゃぐ彼の主が、今まさにその状態なのだが、レプリロイドにはそれが何を示すのかわからなかった。
 感動に水を差された苛立ちか、ゲイトは忌々しげに吐き捨てる。

「お前には不要なものだよ」

 レプリロイドとは、限りなく人間に近い存在である。そのプログラムは人の『心』と大差なく、当然感情の起伏は存在する。人前では勤めて冷静を装うゲイトですら、新たな発見の前ではそれに抗うことができない。
 その定義に従えば、漆黒のレプリロイド―――ハイマックスはレプリロイドとも、メカニロイドとも異なる存在だった。
 プログラムから感情を、『忠誠』を除く全てを排除した、ゲイトの忠実なる下僕。レプリロイドにして心を持たぬ、ただ主に隷属するだけの操り人形。それがハイマックスの正体だった。

「いいか、余計なことは考えるな。黙ってボクに従ってさえいればいい」

「了解しました。ゲイト様―――我が主よ」










◇ ◇ ◇

 イルミナテンプル。
 コロニー落下により多くの施設が破壊された今となっては、現存する数少ない水処理場。生き残る人々にとっては、欠かすことのできない重要な水源である。
 そこに蠢く大量のナイトメアの様子が、急変したと連絡が入ったのがつい先日。これまで無差別に人々を襲っていたはずが、途端に施設を囲むように隊列を組み、その動きを停止したとのことだ。
 施設に侵入を試みる存在には射撃を行うが、それも威嚇のつもりか命中率が低く、なにより接近しての寄生を行わない。
 ナイトメアに占拠された地区を取り戻すのに、この機を逃す手立てはない。
 エイリアの通信による誘導に従い、エックスはイルミナテンプルまで足を運ぶ。

「……本当に、静止している」

 ミュージアムで見境なく荒れ狂っていた様子と対照的に、まるで規律の取れた部隊のようだ。

「でも、いつまた動き出すか分からないな。ここは、慎重に進まないと」

 罠である可能性は否定できない。
 陣を組んでいるナイトメアは相当な数だ。これらが一度に襲い掛かってきたらたまらない。
 なにより敵の急接近を警戒しつつ、エックスは少しずつ入り口へと足を運ぶ。
 扉の目には警備員の如く、2体のナイトメアが両脇に待機し、上空にも何体か浮遊している。バスターで粉砕することも考えたが、それを境に襲ってくるかもしれない。

(危険が伴うが、こちらから近づいてセイバーで斬るしかない!)

 寄生されかけたことはまだ記憶に新しい。だが、いつまでも足止めを食らうわけにはいかない。

(あと3歩、2歩、1歩―――えっ!?)

 エックスが一気に加速しようと構えた途端、扉を守護していたナイトメアが離れていく。
 エックスの進入を放任、むしろ歓迎するが如く。

「これは……」

 間違いない。
 この先に待ち構える何者かは、あの黒いレプリロイド同様、ナイトメアを制御している。そして中で自分を待ち構えている。
 より一層、罠の可能性が強まった。だが―――

「いいだろう。そっちがその気なら、喜んで行ってやる!」

 扉を開き、奥へと続く通路をダッシュで進む。施設内にもナイトメアはいたが、通路の両脇に佇んだまま、エックスの進入を邪魔する様子はない。
 しばらく進むと、最奥を伺わせるひときわ巨大な扉が見え、エックスの接近を認知して自動で開く。 

「さぁ、来てやったぞ! 姿を現せ!」

 その相手は隠れなどせず、エックスに背を向け堂々と仁王立ちしていた。
 背後で扉が閉まる音が響くと同時に、目の前の大型レプリロイドは頭部だけをこちらに向ける。

「来たか。我が名はレイニー・タートロイド。貴様を待ちわびていたぞ、エックス」

「お前が俺をここに呼び寄せたのか。お前も俺との対決が目的か?}

「分かっているなら話は早い。我が主の命令の元、その身を貰い受ける」

「主だと……あの黒いレプリロイドのことか!?」

「これ以上の問答は無用。いざ、参る!!」

 その一言を開戦の合図とばかりに、タートロイドの装甲からミサイルが射出される。襲い来る無数のそれを、エックスはショットの連射で相殺する。

「なら、力ずくで聞き出すまでだ! 俺が勝ったら、洗いざらい話してもらうぞ!」

 尚も放たれるミサイルをセイバーで斬りつつ、タートロイドへ肉薄する。

「その巨体ならかわしきれないだろ!」

 全力のダッシュで即座に間合いを詰め、セイバーを斜めに振るう。
 放たれた一閃は硬い手ごたえと共に弾かれ、タートロイドの体には傷ひとつ付いていない。
 
「もとより避ける必要は皆無! そのような玩具では、我が装甲を打ち砕くことなどかなわぬ!!」

 再度甲羅の射出口が開き、ミサイルの群れが放たれる。極限まで接近している今、回避することはかなわない。
 炸裂した衝撃に吹き飛ばされ、数メートル後方に崩れ落ちる。
 体制を立て直すエックス目掛け、タートロイドは甲羅に篭り、高速回転して体当たりを仕掛ける。

「喰らうがいい!」

「ぐあっ!」

 錐揉み回転しながら吹き飛ぶエックスだが、空中でブースターを噴射して体制を立て直す。勢いまでは殺せなかったが、壁に衝突すると同時に壁面を蹴り上げ、タートロイドの頭上を取る。

「セイバーが効かないなら、これでどうだっ!!」

 放たれたバスターはタートロイドを直撃し、何の傷跡もの残さず霧散する。

「クソッ、バスターも通用しないなんて……」

「その程度で逃げ切れると思うな!」

 転がり壁に衝突するも、タートロイドの回転は止まらない。その甲羅からは刃が突出し、壁を抉りながら登ってくる。
 だが、その速度はそれほどのものでなく、攻撃は単調な直線軌道にすぎない。先ほどのように隙を狙われなければ、直撃することはない。
 壁から壁へ飛び移ることでかわし、一度地面へ降り立つ。

「猪口才な……これならばどうだ!」

 エックスの後を追うように、タートロイドは体当たりを続ける。台詞に反して先ほどと何ら変わりなく、速度の上昇も見られない。
 ぎりぎりまで巨体をひきつけ、わずかに横にずれることで避ける。すかさず再度バスターを構えると、

「天の怒り!」

 その甲羅から、無数の水球が放たれ、降り注ぐ。
 エックスを直撃した水球は凄まじい圧力で、その体を弾き飛ばす。

「くっ……」

 エックスがよろめく瞬間を待ちわびていたように、タートロイドが襲い掛かる。

「クソッ」

 かろうじて避けるも、降り注ぐ水球の雨はその勢いを増す。
 上空から大量の水球をばら撒き、エックスの隙を縫うようにタートロイドが迫る。限られた閉鎖空間の中で、降り注ぐ弾幕と巨体の突進を同時に凌ぐのは至難の業だ。
 水球はバスターで破壊できそうだが、立ち止まればタートロイドをかわせない。エックスは無我夢中で動き回るも、ついには疲労のあまり肩膝を付く。

「つあ―――――っ!」

 今度は先ほどのように体制を倒す余裕はなく、受身すら取れず吹き飛ばされる。
 タートロイドは回転を止め、地を這い息を荒げるエックスをつまらなさげに蹴り上げる。

「ぐうっ!」

「なんだその様は。その程度の力で、この悲劇に終止符を打とうと息巻いていたのか」

 尚も倒れるエックスの首を掴み、眼前まで持ち上げる。

「うぬぼれるな小童が!! 真に幕引きを望むのならば、なぜ貴様は5体満足のまま地に付しておる! その身が、心が砕け散る最後の瞬間まで足掻き、そして抗ってみせんか!!」

 直後、自身の拘束を解かれ、エックスは地面に落とされる。
 そしてタートロイドは追い討ちのように、エックスへと絶望を告げる。

「たった今、待機させていたナイトメアの拘束を解いた。すぐにでも周囲のもの共を襲い始めるだろう」

「な―――」

 脳裏に悪夢が蘇る。

「や、やめろ……やめさせるんだ!」

「できぬ。奴らはすでに我の制御下を離れておる。もはや何者にも止められぬ」

「あ……ああ―――」

 怒りに肩が震える。
 あまりにも矮小な自身に。
 どこまでも無力な自分に。
 そして―――

「タートロイドおおおおお!!」

「怒りに身を委ねたつもりか! 我に力比べを挑むとは……笑止!!」

 我武者羅に突き進んでくるエックスを、タートロイドは再度甲羅に篭り迎え撃つ。
 たったこれしきのことで、理性を失い暴走するようでは救いようがない。それでは、この先生き残れない。
 ならば、この手で引導を渡してやろう。

「終わりだ!」

 迫り来るする巨体を、エックスはセイバーで斬りつける。高速回転する甲羅とセイバーの間で火花が飛び散る。

「無駄だ!! 通じぬというのがわからぬ―――」

 そこでタートロイドは戦慄する。
 動かない。否、動けない。
 自身の全力の体当たりは、エックスの片手のセイバーに阻まれている。

「馬鹿な……なぜ後退せぬ! なぜ退かぬ!?」

 渾身の力で押し進むも、エックスは地に根を張ったように動かない。
 押せない。むしろ、こちらが押されている。
 ついに前進の勢いは完全に殺され、甲羅の回転も停止する。

「くっ……」

 その隙にエックスはタートロイドに飛び掛り、拳で甲羅の水晶―――ミサイルの射出口を粉々に砕く。さらに突き入れた腕をバスターに変化させ、内部からタートロイドを打ち抜く。
 放たれたエネルギーは貯蔵されたミサイルを誘発し、大爆発を引き起こす。

「うごあ―――」

 弱点を見抜かれた―――驚愕に目を見張るまもなく、タートロイドは崩れ落ちる。
 エックスの動きは、先ほどまでとはまるで別人だ。はじめからこの力を出されれば、自分は10秒と立たずに沈んでいたことだろう。

「なるほど……それが貴様の、本来の力か……」

「どうしてだ―――なんでお前は悲劇を繰り返そうとする!!」

「それが、主の望みだからだ」

「主……誰かは知らないけど、命令されれば従うのか!? お前の意思はないのか!!」

「……」

「お前の行動が主の命令なら、そいつは何を企んでる!? 首謀者は誰だ!!」

「今、知る必要はない。先へと進めば、いずれ必ず合間見えることになる……」

 思うように動かぬ体を強引に起こし、タートロイドは今一度エックスと対面する。

「この身には、ナイトメア制御の核が埋め込まれておる。ゆえに我を破壊すれば奴らの暴走は止まる」

「な―――」

「我を破壊し、先へ進め。そして主の元へ辿り着き―――その凶行に終止符を打て」

「いったい……お前は何を言っているんだ……」

「我は主に造られし命。歯向かうことも適わねば、意見することもできぬ。我に唯一許されたのは―――その始終を見届けることだけだった」

 蘇生されたタートロイドが目の当たりにしたのは、変わり果てた形相の創造主だった。
 その暴走は留まることを知らす、粛清と銘打ち数多のレプリロイドを犠牲にした。そして今なお、男は狂い続けている。タートロイドにできることは、ただ指をくわえて傍観すること。そして命じられるままに悪行に加担し、主と同じ罪を背負うこと。
 そんな折に、愚かしくも主に歯向かう存在を知った。かつてシグマの暴走を抑えたイレギュラーハンター、エックスを。
 生け捕りにする役割を、自ら進んで買って出た。
 誘い出すためと偽り、ナイトメアたちを停止させた。
 そして標的はこちらの思惑通りにその姿を表現し―――見事に自分を打ち倒した。
 これなら、任せられる。
 この男なら、主の暴走を止められる。
 これでようやく、解放される―――

「無駄話が過ぎたようだな。さぁ、我を打ち砕け!」

 自分は卑怯者の臆病者だ。
 己の解放と引き換えに、目の前の男は更なる地獄落ちるのだ。

「フッ―――」

 五体がなくなるまで足掻け?
 心が砕けるまで抗え?
 敵に投げかけた言葉に自嘲する。
 主の暴走を止められず、まんまと生きおおせた存在が何を言う?
 なぜプログラムに抗い説得しなかった?
 なぜメモリが破損するまで抵抗しなかった?
 弱者は自分だ。
 主の姿から目をそむけ、見てみぬ振りを続けた自分だ。
 だが、もう逃げない。
 殻に篭って逃避するのはもう終わりだ。
 最後はこの役立たずの体を犠牲にし、目の前の男に委ねよう。 

「恩に着るぞ、エックス……」

「―――いやだ」

「何?」

「俺は、お前たちの主を許せない。むしろ憎んでいる。でも、お前はそいつを助けたかっただけなんだろ!? なら、悪い奴じゃない!!」

「綺麗言を……躊躇うな! やるのだ!!」

「いやだっ! 殺したくない!!」

「日和ったか小僧!!」

 放たれる怒号に、エックスは叱りを受けた子供のように肩を震わせる。

「貴様は何ゆえこの地に足を踏み入れた! 悪夢を終わらせるためであろう! それがこのような場所で立ち往生するつもりか!?」

 ―――そうだ。
 自分はスカラビッチと約束したんだ。
 この悲劇を必ず終わらせると。
 ならば、立ち止まることは許されない。
 ならば、自分は、

「それでいい」

 震える腕で標準を合わせる。
 バスターにエネルギーを充填する。

「涙、か。我もそのように訴ることがかなえば……主を止められたであろうか」

「タートロイド……」

「かまうな。我に生きる資格はない。なにより―――これ以上、主が狂っていくのは見たくない」

 チャージが完了する。
 霞む視界で狙いを定める。

「この臆病者を許せとは言わぬ。ただ、主を―――頼む」

 限界まで溜められたエネルギーが解き放たれる刹那、紫の影が視界を横切る。

「え―――」

 巨大な斬撃が、タートロイドを二つに割る。
 その勢いはそれだけに留まらず、背後の壁に巨大な爪痕を残す。
 爆炎が上がり、ターロイドは砕け散る。

「タートロイド―――っ!」

 立ち込める黒煙の晴れた先には、先の紫の幻影は見当たらない。

「なんなんだよ! なにがどうなってるんだよ!」

 疲労の波が一気と押し寄せ、散らばる残骸のなかに倒れこむ。

「タートロイド……ごめんよ……」

 その中に、ひときわ輝きを放つ緑の塊が転がっている。それは鮮やかな色彩に反して、どこか不気味な波長を繰り出している。

「これは―――」










◇ ◇ ◇

 イルミナテンプルを出ると、大量のナイトメアが一箇所に折り重なるようにして、停止した機体で山を築いていた。
 タートロイドは、ナイトメアの制御を手放してなどいなかった。おそらく、はじめから誰も犠牲になることを望んでいなかったのだろう。

「タートロイド……」

 タートロイドを葬った一撃。
 セイバーもバスターも防いだ装甲を容易く切り裂いた斬撃。全てを空間ごと断裂させる破壊の刃。
 その一撃は、かつてエックス自身も身をもって味わっている。
 ―――幻夢零

「ゼロ……」

 先の戦いで死亡した友。
 この手で破壊したはずの、かけがえのないパートナー。

「もしかして、君なのか―――」

 疑惑を胸に、エックスは進む。
 数多の敵を打ち倒し、その屍の山を足場にし、





(主を―――頼む)





 またひとつ、新たな枷を背負い、そして進み続ける。



[30750] #4 CALAMITY(災厄)
Name: うわばら◆4248fd16 ID:9f84eda5
Date: 2011/12/15 00:48
「ク……クハ―――ハハ、ハーハハハッ!!」

 タートロイドとエックスの対峙の瞬間。
 あまりにも度し難く、どこまでも愚かしい茶番。
 その一部始終を監視していたゲイトは、こみ上げる笑いを堪えられずにいた。

「タートロイドめ、やってくれたな。この冷静な僕が……あまりのことにおかしくなってしまいそうだ」

 ハイマックスに次ぎ、自身に揺るがぬ忠誠を誓っていたはずのレプリロイド。その偽りの忠義を一時でも信じ、エックスとの邂逅を許した自分は極上の道化だろう。
 思えばナイトメアを停止させた時点で、その兆候は伺えていた。奴ははじめから自分を裏切るつもりでいたのだろう。目的は今となっては理解できない。してやることすら腹立たしい。
 仮にプログラムが自分への反逆を禁じていなければ、奴はあっさり寝返ったに違いない。あと少し、アイゾックの玩具を向かわせるのが遅れていたら、何をしでかしたか分からない。
 そして、なにより―――





「このボクが……狂っているだと!!」





 道具の役割を放棄した屑が。
 役立たず以下のタートロイドが。

「狂っているだと……『主を頼む』だと!! たかが道具の分際で、随分ボクを苛立たせるじゃないか!!」

 生み出されたモノの分際で、その創造主を見下したのだ。飼い犬に手を噛まれるどころの騒ぎではない。

「ふざけるな……ふざけるなぁ!!」

 そう、あの醜悪な作品を造ったのは、蘇らせたのはゲイト自身なのだ。
 タートロイドの愚かさを嘲笑うほど、それはゲイト自身へと降り注ぐ。出来損ないの道具を生み出した、馬鹿な主へと。

「……なぜナイトメアソウルを回収してこなかった。ボクの命令が聞こえなかったのか?」

 身を焦がす憤りを叩きつけるように、背後にいたアイゾックを怒鳴る。
 そんなゲイトに哀れみの視線を送り、老科学者は涼しげに受け流す。

「申し訳ありません。あれはようやく開発したばかりで、未だ制御が利きませんでしてな……」

「言い訳なんか聞きたくもない! また同じ失態を繰り返してみろ。貴様もろとも始末してやるからな!!」

「……肝に免じておくとしましょう」

 既に姿を見られたことを警戒し、ハイマックスを向かわせなかったのは失策だった。あの胡散臭い男を関与させるべきではなかったのだ。
 だが、それでも計画に支障はない。
 母体が完成さえすればナイトメアソウルなど用済みなる。なにより、あれのプログラムは自ら手がけたのだ。奪取されたところで、何者にも紐解くことなど―――自分にたどり着くことなどできはしない。
 そう自身に言い聞かせつつも、こみ上げる怒りは収まらず、ゲイトに更なる苛立ちを促す。
 タートロイドが始末された今、その矛先を向ける対象はもはや一人しかいない。





「イレギュラーハンターめ……思い知らせてやる!!」










◇ ◇ ◇

 地球首都、シティ・アーベルは、被災区域の中でも一際復興の進んだ区域である。コロニー落下事件以降、多くのレプリロイドが率先して復活を手伝い、加えてケイン博士がシグマウイルスに対抗するワクチンを開発したことが大きかった。ついには、唯一人類が地上で暮らせる指定区域にまで回復したが、ナイトメアの一件で無残にも振り出しに戻されたのだった。
 多くの政府役人や上流階級の人間は、以前にも増して強化された地下の防護シェルターに避難している。現在、地上で生活を送るのはレプリロイドのみ。それもナイトメアの強襲に怯え、屋内に引きこもり悪夢に震える毎日を過ごしている。
 そんな現状に怯えることなく、ケイン博士は街の中央に聳え立つ高層ビル―――イレギュラーハンター本部の一室に足を運んでいた。もとより避難生活など性に合わず、何度も脱走を試みたが、エックスが決して許そうとしなかった。そんな彼が他ならぬエックス自身に外出を許可されたのは、タートロイドとの一戦で入手した謎の物体を解析するためである。

「ふむ……レプリロイドを動かす核のようじゃのぅ~~~。それにしても、このような種類のモノは見たことがないわい」

「タートロイドは、自分にナイトメアを制御する核が埋め込まれていると言っていました。それに該当するのかはわかりませんが―――もしかすると、ナイトメアの暴走を抑制できるかもしれません」

 そうであるなら、ナイトメア解決には大きな一歩だ。
 仮にそうでなくとも、プログラムを解析して特徴を掴めば、影で暗躍する首謀者を暴き出せるかもしれない。

「とりあえず、まずはコイツのプログラムを解析してみるとするか。エイリアくんも手伝ってくれんかのぅ~~~」

「了解しました。エックス、これから私は一時的にサポータから外れるけれど……」

「大丈夫だ。俺よりも、博士のサポートをお願いするよ。戦場に向かうのは、俺一人で十分だから」

「エックス……」

 その言葉に、エイリアの胸はつぶれそうに痛む。
 自分はエックスのサポートという役割に就いているが、これといった手助けをできていない。
 現場に同行したところで、戦闘用でない彼女には最低限の装備しか搭載されていない。むしろ足手まといにしかならないだろう。
 自身の安全が保障された司令塔から、現場へ伝言を送ることが精一杯。しかも今回は敵の通信妨害が激しく、それすらもできずにいたのだった。
 そんな自分が、ようやく役に立てる。
 ナイトメア解決の糸口を、自ら掴むことができるかもしれない。

「わかったわ。一刻も早く、この核を解析して見せる―――」

 決意を声に出そうとした瞬間、大気を揺るがす轟音が響く。

「なっ、なんじゃ!?」

「今のは……爆音か!」

「エックス、緊急事態だ! 外を見ろ!!」

 慌てて研究室に乱入してきたシグナスに言われるまま、エックスは部屋を出て、窓から外を伺う。

「な、なんだあれは―――」

 大量のナイトメアを引き連れた巨大なメカニロイドが、街を、逃げ惑うレプリドイドたちを襲っている。
 以前倒したD-1000もかなりの大型だったが、眼前の人型はそれを遥かに上回る。巨人が歩くたび大地は悲鳴を上げ、その進撃を遮る建造物は遍く倒壊する。
 メカニロイドは、両の掌を構えるように合わせ火球を放ち、その周囲に浮遊するピットが手当たり次第にレーザーを放つ。明らかに対象を定めていない無差別攻撃は、瞬く間に辺りを火の海に染め上げる。
 あるものは火炎弾に焼き尽くされ、あるものはレーザーに貫かれ、あるものは倒壊する建物に巻き込まれる。
 運よくそれらから逃げおおせた市民も、待ち構えていたナイトメアの狙い撃ちで息絶える。あるいは反応できずに寄生され、苦しみもがき狂っていく。
 悲鳴が、悪夢が、絶望が街を飲み込んでいく。
 もはや復興の先駆けとなった景観は見る影もなく、阿鼻叫喚の地獄絵図と化していた。

「エックス!?」

「戻れエックス! ひとまず討伐部隊を編成してから―――」

 背後からの静止を振り切り、窓を破ってアーマーで飛翔する。
 出しうる限りの最速をもって、暴れ続ける巨人へと―――大災害の渦中へと飛び込む。
 ある程度近づいて見上げると、やはり大きい。その握りこぶしひとつ見ても、自分の3倍ほどのサイズを誇る。
 あまりにも圧倒的な体格の差は、それだけで勝敗を決してしまいかねない。この巨人が相手では当てずっぽうにバスターを撃ったところで、蚊の刺すほどの効果しか与えられないだろう。
 だが、いかに巨体といえど弱点は必ず存在する。
 ひとまずその顔を目指して接近するエックスだったが、途中でそのメカニロイドの背後へと目を凝らす。

「あれは……」

 巨人の後に群れるナイトメアの中に、一体だけ紛れ込むレプリロイドの姿。小柄な図体のため遠目では見逃していたのだろう。
 黒の集団を隠れ蓑に浮遊するそいつは、崩壊する町並みを眺めて喝采を上げていた。

「ホッホーウ! いいぞイルミナちゃん。ぜ~んぶまとめて、ぶっとばしちゃえ~!!」

 イルミナ―――メカニロイドのことか。
 だとすれば、あの巨人はナイトメア同様、このレプリロイドの指示に従っているのだろう。

「お前があのメカニロイドを連れてきたのか! 今すぐ虐殺をやめさせろ!!」

「ん~? イレギュラーハンター……なんかメンドーだな~」

 エックスの怒声を心底どうでもよさげに受け止め、レプリロイドは彼へと向き直る。

「ギャクサツ? そんな下品なものじゃないさ。これは『駆除』だよ。あのお方にジャマな虫ケラを、み~んなコロしちゃうためのね」

「なに……」

 敵は今、何を言った?
 眼前に展開される地獄模様を『駆除』と。
 無残に散っていくレプリトイドたちを『虫ケラ』と。

「あのお方の世界に、キタナい虫はいらなんだよ。でも、ほうっておいたら害虫はムゲンに増えるだろ~。だからボクが―――このミジニオン様がわざわざ掃除しに来たのさ」

「ふざけるなよ! メカニロイドとナイトメアの暴走を止めろ!!」

「ヤバンな言葉づかいだね~。うん、キミもキタナいな。コロそう。コロしてもっとキレイにしなくちゃ。あのお方の理想郷を」

 尚も狂言を並べる敵に、エックスはそれ以上言葉を交わす気はなかった。
 スカラビッチやタートロイドとは違う、決して分かり合うことのできない存在。
 平和に暮らしたいだけのレプリイドを『害虫』と誹り、その命を奪うことを躊躇しない存在。
 
「イレギュラーめ! これ以上、お前の好きにはさせない!!」

「いっけ~イルミナちゃん! あの虫ケラを始末するんだ!!」

 ミジオンの指示に従い、メカニロイド―――イルミナはエックスの方を向き、掌を合わせ火球を放つ。
 
「くっ―――」

 唸りを上げ飛び交う炎塊は、その大きさを持ってエックスの視界を遮り、バスターでの相殺も許さない。
 アーマーの機敏性を活かし、空中を縦横無尽に飛び回ることでかわす。しかし、火炎の連射は恐ろしく速く、その隙間を縫うようにレーザーが放たれる。
 戦闘舞台は広大な空中だが、行動範囲には限界がある。その領域を端から火球と光線が埋め尽くしていく。加えて視界を遮る遮蔽物がなく、敵に動きを完全に読まれている。
 ついには火球のひとつが逃げ回る標的を捕らえ、たちどころに全身を包み焼き尽くす。エックスは炎の衣を身に纏い、重力に従い墜落する。
 あっけなさに拍子抜けしつつも、ミジニオンは新たな害虫を探そうと、無様に散っていく汚物から視線をはずす。直後、その瞬間を狙ったように、下方からバスターが放たれる。

「イったあ~! なんなんだよ~、も~」

 予期せぬ不意打ちに背後を振り返ると、真下から猛スピードで迫り来るエックスの姿。

「あ……マズ―――」

 言い終わるよりなお早く、セイバーで袈裟斬りにされる。更に縦にも一閃が走り、体が4つに両断される。

「よし、これでメカニロイドの暴走が止まれば……」

 分断されたミジニオンの体はその機能を失い、イルミナとナイトメアも活動を停止するはず―――

「虫ケラの分際でやってくれたな~」

「なんだと―――」

 4つに切り分けらた残骸は、落下することなく浮遊を続けている。プログラムがその機能を失っていない証拠だ。
 そして、更なる驚愕がエックスを襲う。
 ミジニオンの体が断面から修復されていく。しかも、4つのパーツは一体化するのではなく、それぞれがミジニオンを形成していく。

「「「「お前は、ボクの手でコロしてやる!!」」」」

 またしても判断ミス。バスターで消し飛ばすべきだったと、かつてと同じ過ちを犯した自分を恨む。
 もっとも、斬られた端から再生するどころか、分裂するレプリロイドなど前代未聞だ。エックスの想像が及ばなかったのは無理もない。

「イルミナちゃんは虫ケラどもをひねりつぶせ」

「コイツはボクが始末する」

 主の命令に従い、イルミナはエックスを無視して街への破壊活動を再開する。背後に群がっていたナイトメアたちも、市民を直接襲撃するべく散り散りになって飛んで行く。
 このままでは1時間とたたずアーベルは完全に瓦解するだろう

「くっ、させるか―――」

「お前の相手はボクだ!」

「よそ見する余裕はないぞ!」

「これでも食らえ!」

「ホッホーウ!」

 後を追おうとするエックスへ向けて、4つの水塊が放たれる。

「こんなもの!!」

 水塊はミジニオンと同等の大きさを誇るが、イルミナの火球に比べれば豆粒同然。これなら十分相殺は可能だ。
 バスターを乱れ打ちするも、水塊は飛散することなく無数に分裂して飛んで来る。
 4つの水塊が8つへ、そして16へ。避けきれずに2発、胴体と顔をガードした右腕に食らう。触れた箇所が、灼熱を浴びたように痛む。

「くっ……これは酸か!?」

 続けざまに放たれる酸を避けるため、上空から地面へと降り立つ。
 右腕の損傷を確認―――問題なく動く。それほど強力なものではないのだろう。機を伺うため瓦礫に身を潜める。
 だが、時間が経つほどイルミナにより被害は拡大するだろう。イレギュラーハンター本部が襲われない保障もない。
 隙を見て、ミジニオンを倒さなければ。
 ギガクラッシュなら4体まとめて吹き飛ばせるが、相手の放つ酸ではエネルギーを補充できない。敵が一箇所に固まれば、チャージショットでも粉砕できるが―――そこで、背後から気配を感じる。
 ミジニオンではない。そこには、先ほど拡散したナイトメアが一体、こちらに近づいていて、

「くそっ!」

「見つけたぞ!」

 ナイトメアを破壊したことで、ミジニオンに位置がばれる。
 だが、あの程度の酸なら瓦礫で十分防げるはず。身を隠すようにして、エックスはバスターを構えるが、

「アローレイ!」

 敵の放った光線は瓦礫を貫通し、エックスのすぐ横の地面を焼き貫く。
 建物でわずかに狙いがずれたのだろうが、直撃すればタダではすまない。そして、この攻撃は隠れていてはやり過ごせない。

「出てきたな! 逃がさないぞ!」

「アローレイを食らえ!」

「ルシファラーゼに溶かされろ!」

「ホッホーウ!」

 エックスの姿を見定め、ミジニオンは怒涛の勢いで攻撃を放つ。

(くっ……なんとか、エネルギーを充填できれば―――)

 ルシファラーゼはその役割を果たさず、アローレイは試しで受けるには危険すぎる。
 思うように反撃できずに逃げ続けるエックス。ミジニオンはその後を追い、イルミナとナイトメアは更に街を破壊し続ける。

「どうすれば……あ―――」

 そこでエックスの視界に飛び込んだもの。
 逃げ遅れ、ナイトメアに寄生されたレプリロイド。黒い涙を垂らすモノアイがエックスを捕らえ、

「―――アァ……」

 それはエックスを敵と認識しての行動か。
 あるいは、わずかに残った意識がそうさせたのか。
 その瞳から放たれた光弾が、圧縮されたエネルギーがエックスを直撃する。

「……ありがとう」

「や~っとオニごっこはおしまい? なら、そのまま死んじゃえ~!!」

 一斉に放たれるアローレイ。
 それらを避けようともせず、エックスは両腕を交差させ、倍増したエネルギーと共に解放させる。





「ギガクラッシュ!!」





 溢れ出すエネルギーが辺りを灰燼に帰す。
 放たれた光はアローレイを打ち消し、ミジニオンは断末魔すら許されず4体とも消滅する。
 跡形もなく消し飛んでは再生もできないのか、再度出現する気配はない。
 街の一角と多すぎる市民を犠牲に、アーベルを襲った突然の災厄はようやく消失した―――はずだった。

「え……?」

 異変はすぐに訪れた。
 暴れ狂っていたイルミナが行動を停止―――その巨体を小刻みに震わせている。

「ま、まさか―――」

 もとより、ミジニオンを倒したところで巨人の暴走が止まる保障などなかった。最悪の場合、司令塔を失ったことで暴走する可能性も―――否、それなばまだ幾分救いがあった。
 主を潰せば止まる―――イルミナをナイトメアと同一視した、あまりに安直な考えが再び災厄を引き起こす。ミジニオンを撃破したエックスの行動が、またしても破滅の引き金を引く。
 震え続けるイルミナの体に無数の裂傷が走り、内部から光が―――蓄えられていた膨大なエネルギーが漏れ出している。あの巨体を稼動させ続けたそれが解き放たれれば、その威力はギガクラッシュの比では到底ないだろう。

「そんな……」

 どうあがいても止められない。
 攻撃したところで破滅の瞬間が早まるだけだ。かといって、あの巨人を傷つけずに動かす術をエックスは持たない。
 もちろん、未だ混乱の渦中で戸惑う市民を先導し、あまつさえ避難する時間などありはしない。
 ただ唯一、エックスに許された行動。
 それは―――

「―――っ!!」

 全力で破壊の圏外へ離脱すること。
 今まさに犠牲となる大衆を見殺すことで、我が身を庇い逃げ出すこと。
 ブースターを全力で射出し、出しうる限りの速度で飛翔する。
 そして、アーベルは破滅の光に覆われる―――










◇ ◇ ◇

 轟音が鳴り響く。
 背後から凄まじい衝撃に襲われ吹き飛ばされる。

「くっ―――」

 ブースターを噴射するも、纏わり付く暴風に抗えず不恰好に飛ばされる。
 何度も回転を繰り返し、どちらを向いているのかもわからぬままに飛ばされる。
 数十秒―――あるいはもっと長かったかもしれない時間を経て、ようやく勢いから開放された体は自身の制御下に戻る。

「……」

 そのままどこかへ飛び去ってしまえば。
 背後の惨状を目にすることなく逃げ出してしまえば。
 イレギュラーハンターの責務も、何もかもを捨てることができたのならば、まだ彼には救いがあった。
 だが運命が、なによりエックス自身がそれを許さない。
 苦痛からの開放を、悲劇からの逃亡を決して許さない。
 世界はどこまでも無慈悲にエックスを絶望へ追い立てる。

「あ……あぁ―――」

 自爆したイルミナの跡には、数kmにも及ぶ巨大なクレーターが広がっていた。
 それはアーベルのおおよそ半分もを消滅させ、7割以上の市民レプリロイドを道連れにしていた。
 せめてもの救いは、地下シェルターの人類は無事だということ。
 イレギュラーハンター本部がかろうじて被害を免れていたこと。
 そして―――真っ先に逃げ出した自分がのうのうと生き延びていること。

「くそっ……くそぉ―――っ!!」

 イルミナに壊され、ナイトメアに乗っ取られ、爆発に巻き込まれた彼らは何を思っただろう。
 悲劇から背を向け一人逃走する自分を目の当たりにしていたら、いったい何を思っただろう。
 自分も一緒に犠牲になることを望んだだろうか。
 死出の道連れに無力なこの身を欲しただろうか。
 そうしていれば―――少しでも救われたのだろうか。
 でも、それだけはできなかった。
 それはどうしてもできなかった。
 自分が死ねば、悪夢は誰にも止められない。
 ゼロも亡くなった今、悪夢に終止符を打てるのは自分しかいない。
 それゆえ、エックスは何を犠牲にしても生きねばならない。
 十を超える仲間を失い、百を超える敵を葬り、千を超える部外者を犠牲にして生きねばならない。
 それが彼の―――かつて友を己の手で殺めた、血塗られた英雄の罪なのだ。










「ああああああああああ!!!」










 狂った宴の終わりは、未だ遠い―――




















~あとがき~

エイリア「通信係で十分でござる。働きたくないでござる」
シグナス「空気でも結構でござる。働きたくないでござる」
X「先輩、そろそろ復活してくれませんか? 僕もう死にそうですよ」
0「だが断る」
X「というより、どうして僕ら本編に出張してるんですか? シリアスな空気が台無しじゃないですか」
0「……ないんだ」
X「えっ? なんですか?」
0「返信できる感想が……ないんだ」
X「(´・ω・`)」



[30750] #5 GEHENNA(煉獄)
Name: うわばら◆4248fd16 ID:23fe0e17
Date: 2011/12/11 19:41
 マグマエリア。
 Σウイルスの汚染などもろともせずに、燃え盛り荒れ狂う紅蓮の世界。かつて土地開拓が計画されたものの、あまりの危険性にとうとう人類からも放置された煉獄。
 人の気配は愚か、レプリロイドすら近寄るのを躊躇する炎の牢獄。そんな危険区域をなぜわざわざ占拠する必要があったのか―――考えるだけ無意味である。
 そこにゲイトの意思は存在しない。
 彼はそのような愚行を犯しはしない。
 それは一体の狂ったレプリロイド―――イレギュラーと呼んでも差し支えのない、ブレイズ・ヒートニックスの独断に過ぎないためだ。

火火火ヒヒヒ……来いぃ……来いよぉ―――」

 無意味に見える火山帯の制圧―――むしろ籠城に近いその行為も、ヒートニックスには大いに意義のある行動だった。
 彼ははじめからナイトメアの散布など目的にしていなかった。
 あまりに増えすぎたレプリロイドをナイトメアというふるいに掛け、真の強者を炙り出す主の行動には共感できた。だが、そんな雑事をわざわざ自分が手がける必要はない。ゲイトに忠実なタートロイド辺りにやらせておけばいい。
 自分の目的はひとつ。
 選別を掻い潜り、見事に生き延びたつわものをこの手で焼き尽くすこと。
 マグマエリアの占拠も、配置した数体のナイトメア・スネークも。全ては自分を止めに来るであろうイレギュラーハンターたちへの洗礼にすぎない。
 己と対峙するのは強者だけでいい。
 マグマに飲まれるような、ナイトメアに殺されるような弱者など知ったことではない。

「速く来いぃ……速くオレ様の下に辿りつけぇ……」

 火山帯に陣取ってからおよそ一月―――自身にとっては長すぎる時間をヒートニックスは耐えてきた。
 身を焦がす衝動をナイトメアを燃やすことでかろうじて抑えてきたが、それも既に限界に近い。自分に従う傀儡を何匹焼いたところで、それは鎮静剤の役割すら果たさない。
 ヒートニックスは耐えてきた。
 耐えて耐えて耐えて耐えて、そして耐え続けてきた。
 だが、それも今日までだ。
 主であるゲイトから連絡が入ったのはつい先日。その手駒を3体も葬ったイレギュラーハンター―――かつて最強と称された戦闘用レプリロイド、マグマード・ドラグーンすら打ち破ったという真の猛者。それがこのマグマエリアに向かっているとのことだ。
 生け捕りにしろとの命令だったが、従うつもりは毛頭ない。
 ようやくだ。
 ようやく戦える。
 ようやく焼き尽くせる。
 ようやく全力でやり合える。
 ようやく―――





「エックスウウウウウゥゥゥ!!!」





 レプリロイドを殺せる―――










◇ ◇ ◇

 マグマエリアに足を踏み入れたエックスを出迎えたのは、通常のナイトメアとは異なる円環状の巨大なメカニロイドだった。
 それも目の前の個体で既に4体目。進入して早々、あまりにも手荒な歓迎にエックスはかなりの疲労を感じていた。

「お前らの相手をしている暇は……ないっ!」

 それでも退かない。
 エックスは決して後退しない。
 逃げない。
 休まない。
 立ち止まらない。

「うおおおおお!!」

 相手の攻撃は体当たりとエネルギー弾の射出、たったの2通りしかない。見切ること自体は容易いが、こちらの攻撃も思うように効果がない。その体の4隅に位置する核以外は、一切のダメージを無効化するためだ。
 加えて敵はかなりの耐久力を誇るため、嫌でも持久戦を余儀なくされる。
 それを3体も撃破、今なお4体目と対峙するエックスのエネルギーが枯渇せずにいるのは、ひとえにセイバーのおかげだった。

「はあっ!」

 掛け声と共に、相手の核を斬り砕く。全ての核を失ったことで、メカニロイドはようやく大破する。
 そして奥から新たに一体―――5体目にもなる円環が転がり出る。

「くそっ、こいつらはあと何体いるんだ」

 セイバーの柄を強く握り、構えなおす。
 敵に攻撃の機を与えず、速攻で斬り捨てようと踏み込んだ刹那、





火火火火火カカカカカ!! 待ってたぜぇ……待ちくたびれたぜえええぇ!! エ―――――ックス!!!」





 妄執を感じさせる叫び声。
 次いで飛来する巨大な炎の塊―――否、それは一体のレプリロイドだった。
 大きく広げた翼に炎を纏い、高速でこちらを目掛けて飛んでくる。迸る熱は周囲の岩壁を溶かし、進撃の軌跡を地面に刻む。
 それは5体目の円環を核もろとも一撃で粉砕し、エックス目掛けて襲い来る。

「うわあっ!」

 突進自体はかろうじて避けるが、それに伴い火の粉が降りかかる。たったそれだけで体が損傷し、ダメージを負うのが分かる。まともに食らえば、おそらく跡形も残らない。

「いいぜぇ……そうでなきゃ面白くないぜえええええぇぇぇ!!!」

 不意打ちをかわした侵入者を褒め称え、レプリロイドは壁にぶつかる直前で急上昇し、左右に翼を広げて宙に浮く。

「オレ様はブレイズ・ヒートニックス! ナイトメアどもを止めたきゃ、オレ様をるしか手はないぜぇ~!?」

 いきなり乱入してきたレプリロイドは、自らがナイトメアの支配者であることを暴露した。嘘と受け取ることもできたが、相手の態度からして事実だろう。
 勝利に揺るがぬ自信を誇っているのか、それともナイトメアのことなど眼中にないのか。
 どちらにしても好都合だ。
 敵が自ら目の前に、ナイトメアすら引き連れずに躍り出てきたのだ。
 あとは倒すだけ。
 それだけで、悪夢は解決に向けてまた一歩進む。
 なのに―――

「さあ、存分にらせて―――あ?」

 なぜこれほど心が痛むのだろう。
 相手はおそらくミジニオンの同類、根っからのイレギュラーとみて間違いない。
 撃破を躊躇う理由など、どこにもないはずなのに。

「なんだぁ……その腑抜けたツラは? 本当にテメェがエックスか?」

 エックスの覇気のない表情に、ヒートニックスはわずかに眉を細める。

「―――まあいい。とにかく、ちっとは楽しませてくれよおおおおおぉぉぉ!!!」

 だが、怪訝そうな顔をしたのもほんの一瞬。すぐに喜色の笑みが戻り、興奮に声を張り上げる。
 そのテンションの上がり具合に呼応するように、燃え盛る炎が激しさを増す。

「いくぜえええぇ!!」

 翼をはためかせ、炎を纏った羽―――焔槍と化したそれを無数に飛ばす。
 広範囲に及ぶ必殺の攻撃を、隙間をくぐるようにかわす。反撃とばかりにバスターを放つが、敵は両翼を前に交差させることで防ぐ。

「―――んだよ」

 ヒートニックスの瞳に炎が宿る。
 攻撃を受けたことに対する不快感。だが、それは自身への反撃に苛立ったわけでは、ましてダメージゆえのものでは決してない。

る気あんのかあああぁ!?」

 あまりにも脆弱な一撃、予想を遥かに下回る軟弱者への怒りだった。
 ヒートニックスを覆っていた翼が左右に大きく開かれ、先ほどの倍近い焔槍が連射される。
 標的はかわすのに手一杯で、反撃すらままならぬようだ。

「なんなんだよテメェはよおおおおおぉぉぉ!!!」

 羽を舞い散らすのに加えて、口から火炎弾も放つ。たったそれだけのことで、エックスはあえなく火達磨と化す。
 死んでこそいなかったものの、ヒートニックスから失望を買うには十分だった。

「弱すぎんだよおおおおおぉぉぉ!!!」

 炎に焼かれ悶えるエックスめがけて、追い討ちとばかりに突進する。
 全力の半分のスピードも出さず、炎も纏っていなかったが、やはり相手はまともに食らい吹き飛んでいく。無様に地面に横たわり、立ち上がろうとする気配すらない。
 弱い。
 あまりに弱すぎる。
 こんな弱者との対決を待ちわびていたのではない。
 こんな馬鹿げた戯れのために衝動を抑えていたのではない。
 
「テメェを殺るのをどれだけ待ったと―――オレ様がどれだけ苦しんだと思ってやがる! 割りに合わねぇ! 割りに合わねぇよぉ!!」

 ヒートニックスの事情など知ったことではない。狂気に陥ったイレギュラーのプログラムなど理解できるはずがない。
 今のエックスに戦闘狂の相手をできる余裕は残っていなかった。
 そして、それはダメージやエネルギー残量の問題ではない。
 Eエネルギー・カートリッジや治療用のナノマシンで解決できる問題ではない。

「殺る気でこなけりゃ、このまま殺っちまうぜぇ~!?」

 ヒートニックスが再び浮かび上がる。
 扇状に広がる両翼が炎に包まれ、その大きさを2倍ほどに膨張させる。
 炎を纏った超高速の体当たり―――ゴッドバード。
 地獄の業火が眼前に迫る。
 煉獄の炎が近づいてくる。
 エックスは視界を覆うそれを、地に這い蹲ったまま呆然と見つめていた。

「これで終いかよぉ!? あっけねぇなあああぁ!!」

 焼かれるべきなのかもしれない。
 破壊してきた者たちの苦痛を。
 犠牲になった者たちの嘆きを。
 焼き尽くされ、その身に刻んで死んでいくべきなのかもしれない。

「それにしてもよぉ~、とんだお笑い種だったぜえええぇ!!」

 心が、精神が、魂が身体もろとも焼き尽くされるその瞬間―――
 




「こんなチキン野郎が……あのドラグーンを殺したってのはよおおおおおぉぉぉ!!!」





 その発言は失望ゆえのものだった。
 罵倒や叱責の類ではなく、堪えきれぬ不満を感情と共に吐き出しただけ。そもそもエックスに向けての言葉ですらない。
 そんなヒートニックスの一言が―――図らずとも効果を発揮することになった。
 力尽き、今まさに死の淵に瀕した英雄に、狂気という名の活力をみなぎらせる。





「―――あぁ?」

 確実に、射程圏内に入っていた。
 確実に、仕留められるはずだった。
 そもそも、相手は地に転がったままで、体制すら立て直せずにいた。
 それがなぜ―――自分の最速の一撃を避けられた。

「なんだよオイ……やっぱ強ぇんじゃねぇかよおおおぉ!!」

 だが、そんな些細な事はどうでもいい。
 見限ったはずの標的が、自身の奥義を退け立っている。その事実だけで十分だ。
 やはり相手は強かった。
 やはり相手は強者だった。
 やはり相手は自分の同類―――あるいはそれ以上の戦闘狂だったのだ。
 そうでなければ、数多の猛者を屠ったゴッドバードを凌げる筈がない。

「やめろ……」

「あぁ!? 聞こえねぇんだよ。みみっちい戯言なんざよぉ~」

 弱々しいエックスの声を掻き消す。
 そしてすかさず揺さぶりをかける。

「ホントはよぉ~、殺したくて仕方ねぇんだろぉ~? テメェのそのバスターで何もかもブチ壊してぇんだろ~?」

「……違う」

 ここで逃げられては困る。
 ここで弱者に戻っては困る。

「どうしてオレ様を殺そうとしねぇんだぁ? 殺したくてウズウズしてんだろぉ~!?」

「違う……違う……」

 煽らねば。
 焚き付けねば。

「ビッチとかいう糞虫も、いけ好かねぇミジンコも、鈍間な亀野郎も殺してみせただろぉ~!?」

「違う、違う―――」

 更に猛ってもらわねば。
 更に狂ってもらわねば。

「分かるぜぇ~、殺しは病み付きだよなぁ!! 屈強な野郎共が原型を留めず大破する瞬間はよおおおぉ!!」

「違う! 違う違う違う!!」

 最強の存在を引き出すために。
 最高の殺し合いをするために。

「脆弱な人間じゃあ、何万匹殺しても味えねぇあの快感!! たまらねよなぁ~、~ッ火火火火火ヒヒヒヒヒ!!」

「違う!! 俺は―――」





「違わねぇよおおおおおぉぉぉ!!!」






 エックスの脳裏に悪夢が蘇る。
 かつて禁断の兵器をその身に纏い、多くのレプリロイドを蹂躙した。
 荒れ狂う獣も、儀に忠実な衛兵も、尋常な勝負を望んだ武人も―――笑みさえ浮かべて虐殺した。
 殺戮の先に平和があると信じて―――立ちはだかる全てを皆殺しにした。

「地獄の業火もよぉ~、慣れちまえば生温いもんだぜぇ~!」

 ヒートニックスの翼が更に燃え上がる。
 今度は全力で、最大出力のゴッドバードを食らわせる。
 立ち竦むエックスを焼き尽くすため。
 自分と同格の存在を灰燼と帰すため。

「狂ったイレギュラー同士、最高の殺し合いといこうぜえええええぇぇぇ!!!」

 今度は逃がさない。
 今度は避けさせない。
 かわす暇は与えない。
 不死鳥が全てを抹消する刹那、茫然自失に陥ったエックスと目が合い―――





「死ねえええええぇぇぇ―――え」





 正に先の攻防の再現だった。
 目で追うどころか、理解することすらかなわなかった。
 気づけば自分の両翼が、両腕が、両足がなくなっていた。
 それでいて首だけ無事なまま残すとは。
 なんて悪趣味な野郎だ―――悪態をつく間もなく、制御を失った身体は勢いに飲まれ壁に衝突する。次いで地面に叩き付けられ、何度も転がり土を舐める。

火火カカ……こいつぁスゲェぜ。オレ様なんざ遠く及ばねぇ―――真性の化けモンじゃねぇか」

 垣間見たエックスの内に潜むもの。
 凄まじい狂気だった。
 素晴らしい強さだった。
 待った甲斐はあった。
 死ぬだけの価値はあった。
 これほどの強敵は後にも先にも、この男を除いて現れないだろう。
 かつてない最高の殺し合い、その感動に酔いしれたまま果てようとしたとき、





「俺はお前とは違う―――お前たちイレギュラーとは違う!!」





 一瞬にして興奮が冷めた。





「何匹も殺した野郎がいいこぶってんじゃねぇよおおおおおぉぉぉ!!!」

 最強の力を誇る魔人が。
 極上の狂気を身に纏う修羅が。
 なおも泣き言を漏らすなど何たる無様。

「テメェのバスターは何人砕いたよぉ!?」

「黙れ……」

「そのセイバーで何人ぶった斬ってきたよぉ!?」

「黙れ―――黙れ!」

「何人殺してきやがったよおおおぉ!!」

「黙れ!!」

「同類が言うなら間違いねぇよぉ! テメェの向かうこの先は―――」





―――果て無き闘争、終わりのない無限地獄よ―――





 頭を打ち抜く。
 呪いを吐き続ける口を黙らせるように。
 胴体を粉々に砕く。
 地獄の業火をかき消すように。
 切り落としたした四肢も吹き飛ばす。 
 不死鳥が二度と蘇らぬように。
 転がり出たナイトメアソウルを破壊する。
 悪夢を終わりにするために。

「ああああああああああ!!!」

 壊す。
 壊す。
 壊して壊して壊して壊す。
 壊して壊して壊して壊して壊して壊して壊して壊して―――

「―――あ?」

 そこで我に返る。
 そして目にしてしまう。
 そして理解していしまう。
 そのまま狂ってしまえばよかったものを。
 そのまま真に修羅と化せばよかったものを。
 そうすれば―――少なくとも苦しまずにすんだ。

「あ……あぁ―――」

 バスターを通常のアームに戻す。
 亡き友の唯一の形見を―――血塗られた武器を投げ捨てる。
 泣き叫びながら脇目も振らず走り出す。
 ヒートニックスの残骸から目を背け、煉獄の出口を目指してひたすら走る。
 怖かった。
 恐ろしかった。
 原型すら留めていないはずのヒートニックスが―――










「うわああああああああああ!!」










 不死鳥さえも殺してみせた自分が、ただ怖かった。










◇ ◇ ◇

 レーザー研究所。
 光化学の最先端を行くその施設は、ゲイトの御眼鏡に適うだけの技術力を保有していた。よって彼は制圧の人選に、もっとも防護に長けたシェルダンを抜粋したのだった。
 事実、その人選は間違っていなかった。
 シェルダンは研究所を制圧して以来、レプリロイドの一切を近づけさせずにいた。
 ただ一人を除いては―――





「はじめまして……キミがここの管理人で間違いないかな?」





 シェルダンに過失はない。
 ゲイトに手抜かりはない。
 狂いが生じたとすれば―――誰も来訪を予期しなかったであろう、第三者の手によるものだった。

「いかにも。拙者はシールドナー・シェルダン、この施設の守護を命じられている」

 紺色のアーマーに、目元を覆うバイザーが特徴的なレプリロイド。飄々としたその風貌に反して、こちらに一切の隙を伺わせない。
 ―――なるほど、確かに手強い。生け捕りは骨が折れそうだ。
 目の前のこの男こそが、主から聞いていたイレギュラーハンターと見て間違いないだろう。

「ガードとして、何人たりともこの地に踏み入らせん。立ち去られよ」

 通じるとは思わないが、形だけの対話を試みる。

「そういうわけにはいかないなぁ。ここ最近すご~く退屈してて、ちょっと溜まっちゃってるんだよね」

 想像通り相手は口元を三日月に歪め、赤いネルギー状のブレードをその手に構える。
 濃密な殺気にも怯むことなく、対するシェルダンも両肩のシールドを外して構える。










「はじめから殺す気でいくから、死んでも化けて出ないでね☆」

「よかろう、いざ参られよ!!」










 男の笑みはどこか幼く、それでいて底知れない邪悪さを秘めていた。



[30750] #6 GUARDIAN(守護者)
Name: うわばら◆4248fd16 ID:3bce6ae0
Date: 2011/12/16 12:10
「エックスはまだ戻らんのか……」

「はい。敵地にいるのか通信もつながりません」

 強襲した巨大なメカニロイドの爆発により、アーベルの街は半壊した。
 交通機関や医療設備は軒並み全滅。自警団も壊滅的な被害を負ったため、直撃を免れたイレギュラーハンター本部は率先して生き残りの救助と被害状況の確認に当たった。
 調査が進むにつれ明らかになる被害の全貌。あまりに絶望的なその数字を前に、誰もが憤りを隠せなかった。
 死亡したレプリロイドは約5000体。負傷者を含むとその数は倍にも達するだろう。
 ハンターベースも負傷者の収容を受け付けているが、その有様は目を覆いたくなるほど凄惨なものだった。
 そして、それを目にしたエックスは無言のまま立ち去った。
 その場から目を背けるように。
 その光景を直視しないように。
 逃げるようにベースを後にし、一人敵陣へと赴いたのだ。

「すべての拠点を調査し終えるまで、ハンターベースには戻らないつもりなのかもしれません」

「そんな……無茶じゃ! あのデカブツを倒してから、ロクにメンテナンスも受けとらんのに」

 今のエックスは危険だ。
 ただひたすらに、一心不乱に前へと突き進んでいる。
 振り返ることで、更なる犠牲を見過ごさないように。
 立ち竦むことで、悔恨の念に押し潰されないように。
 だが、このまま事件を解決しても、エックスはきっと救われない。
 数多の犠牲を生み出した自分を、彼は決して許せはしないだろう。例え首謀者を倒しても、生涯にわたり自分を責め続けるだろう。

「エックス……気づいて―――」

 犠牲と救済は相対するもの。
 確かに、敵の策謀により数え切れない犠牲が生まれた。
 だが一方で、彼の手は多くの救いをもたらしたのだと―――









◇ ◇ ◇

「ぐ……ぬ―――」

「あれ? 今度こそ仕留めたと思ったんだけどな~」

 開戦からおよそ1時間。並みのレプリロイドであれば、4回は殺されていたであろう長期戦。
 シェルダンが未だその生命機能を保っているのは、長年ガードとして培った特殊な戦闘スタイルにある。
 完全な後の先。
 両手に構えた盾で敵の攻撃を受け流し、その隙を狙って殴打する。決して必要以上に踏み込まず、自分からは攻め入らない。
 原理はあまりに単純明快。それは技と呼ぶにも値しない、言わば子供の児戯にも等しい。しかし、警護を本職とするシェルダンはそれだけで十分事足りた。
 必要なのは守ること。
 大切なのは庇うこと。
 我が身は主の盾に過ぎず。
 己が使命は守り抜くこと。
 敵を切り裂く剣も、打ち砕く拳も、貫く銃も不要の道具。
 二枚の盾だけをその手に、言うことを聞かぬ身体に鞭打ち、再び臨戦態勢―――防御の姿勢をとる。

「あのさぁ……キミ、さっきから何がしたいの。はじめからぼくを殺す気ないよね?」

 つまらなさそうにこちらを睨む男。
 一見してまるでダメージが伺えないのに対し、シェルダンは全身にくまなく傷を負っていた。両手に携える盾こそ無傷なものの、致命傷を避けることが精一杯。反撃する余裕など―――勝ち目など微塵もありはしなかった。

「語って聞かせたところで、お主には理解できんよ。お主のような傭兵風情にはな」

 途中からわかっていたことだ。
 目の前の男はイレギュラーハンターなどではない。

「へぇ、どうしてぼくが傭兵だと思ったんだい?」

「お主の動きは、相手を殺すことに特化し過ぎておる」

 ガードとして数多の相手を退けてきたシェルダンである。ならず者との戦闘経験は人一倍多く、その行動パターンも熟知していた。
 相手の技は殺し屋の類に近く―――それでいて、これまで対峙したいずれの敵よりも苛烈で鋭かった。

「それだけ? 退役軍人かもしれないでしょ」

「これほど頓狂な男がレプリフォースのはずがない」

「ははっ、それもそうだね」

 面白そうに笑う男だが、その手には依然としてエネルギーブレードが握られている。その緋色の刀身が自身に向けられ、同時に柄の反対側からも刃が形成される。加えて相手の殺気が一段と増す。
 ―――間違いない。敵は次の一手で勝負を終わらせるつもりだ。
 
「それじゃあ、そろそろお別れの時間かな。もうキミで遊ぶのは飽きちゃったし―――つまらないからね」

 敵は両刃と化した武器を構えなおし、踏み込みと同時にシェルダン目掛けて投げつける。
 容易に武器を手放したことには意表を突かれたが、高速回転する刃は防げぬ攻撃ではない。進んで丸腰となった敵に違和感を覚えつつ、左手の盾で受け流す。

「はい、お終い」

 先ほどの攻撃は単なる囮。
 気づけば相手は背後にいた。
 常に壁を背に戦っていたはずが、攻防の際に移動させられていたようだ。それすら把握できぬほど疲弊していたのか。相手のペースに呑まれていたのか。
 咄嗟に背後を振り返ると、そこには先ほど投げ捨てたはずの赤いブレード。両刃の武器は元から投擲用の消耗品だったのだ。

「グッバイ☆」

 早い。
 とても反応できない。

「無念―――」

 容赦なく振り下ろされる死神の鎌。
 シェルダンが己の死を覚悟したその時―――





「やめろぉ!!」





 室内に響き渡る怒声。
 次いで放たれるエネルギーの波動。
 男は声の方向を向くと同時に、手にしたブレードを高速回転させて攻撃を防ぐ。

「ん~、こいつは驚いた。もしかしてエックスのボウヤかい?」

「それはこっちのセリフだ! 生きていたのか―――ダイナモ!!」

 突如戦いの場に現れた第三者、エックスの問いかけに傭兵―――ダイナモは意地の悪い笑みを浮かべる。

「それはこっちのセリフだ~……って言いたいとこだけど、ボウヤは生きてると思ってたよ。元気そうで何より……いや、大分お疲れの様子だね」

 へらへらと軽口を叩きつつも、ダイナモは内心驚きを隠せずにいた。予期せぬ闖入者―――エックスの乱入もそうだが、なによりはその様相である。
 その勢いに反して覇気の伺えない瞳。
 見るだけで痛々しい満身創痍の身体。
 纏うアーマーこそかつてと同じものだが、刃を交えたときの勇ましさは微塵も伺えない。自分の知る男と同一人物かすらも疑わしくなる。

「だいたいさっきのはなんだい? 不意打ちは防がれちゃ意味ないでしょ。もっと殺すつもりで撃たないと―――まぁ、それで殺されても困るけどね」

「黙れ! そもそもお前がなぜここにいる? ナイトメアにどこまで関わっている!!」

「いや~、ボウヤがシグマの旦那を殺しちゃってから暇でね。適当に生き残りを狩って遊んでたんだけど……」

 言うや否や、ダイナモは現状を理解できずに立ち尽くすシェルダンを蹴り倒し、おもむろに側頭部を踏みつける。
 くぐもったうめき声が聞こえたが、気にせず更に力を込める。

「『ナイトメア』だっけ? 流行には敏感でね。こんなに賑やかなパーティなのに、傍観者に落ち着くなんてもったいない」

「今はお前にかまっている暇はない。邪魔をするな」

「おいおい、何を言うんだい? キミがぼくのジャマをしてるんだろ」

 成す術なく平伏すシェルダンを見下し、その眼前にブレードの刃先を突きつける。

「このオモチャはとんだ不良品でね、作り主に賠償を請求したいよ」

 そのままブレードを喉元に押し込もうと、柄を持つ手に力を込める。その途端、左手を衝撃が襲い握っていたブレードが弾き飛ばされる。
 エックスがバスターで打ち抜いたことはすぐに理解できた。弾かれたブレードは―――やはり壊れていない。全力で撃てば破壊など容易だったものを。
 思わず口から溜息がこぼれる。

「やれやれ、こんなガラクタまで庇うとはさすがエックスくんだ。相変わらず懲りないねぇ」

「……黙れ。すぐにここから出て行け!」

「あんまり首突っ込んでると、そのうち痛い目見るよ。いや、その顔はもう見てきた後なのかな?」

 ようやくシェルダンから足をどけ、ダイナモはブレードを拾い上げる。

「なんにせよ、ここでボウヤと出会えたのは僥倖だったよ。さっきも言ったけど、退屈してたんでね―――」

 それきりシェルダンには目もやらず、代わりにエックスの方へと視線を向ける。
 獲物を狙う、ハイエナの目。バイザー越しの瞳が不気味な輝きを放ち、口元の笑みが更に深まる。
 
「コイツは見逃してあげるよ。その変わり―――ボウヤにつきあってもらおうかなっ!」

 言い終わるより速く、両刃のブレードを展開してエックスへと放つ。
 Dブレード―――持ち手の両端からエネルギーの刃を展開できる、ダイナモ愛用の両刃刀。投擲にも特化したそれは中距離戦、遠距離戦共に高い性能を誇り、柄を携帯することで用意に持ち運びが可能な優れものだ。
 ダイナモがいくつ隠し持っているかはわからないが、数に限りがある以上、凌ぎ切れば勝機は見出せる。
 飛来するブレードは打ち落とすこともできたが、まずは身体をひねってかわす。
 そして、その判断は正解だった。
 気づけば敵はすぐ傍まで迫っている。投擲と同時に自身も駆け出していたのだ。もし打ち落としていたら、ブレードに気をとられていたら、次いで繰り出される斬撃に反応できなかっただろう。
 慌てることなくダイナモにバスターの照準を合わせ、





―――ホントはよぉ~、殺したくて仕方ねぇんだろぉ―――




 
 身体が硬直し、相手を仕留める機を逃す。
 すかさず後退するが間に合うはずもなく、ブレードで体を斜めに斬られる。

「ぐあっ……」

「イケナイねぇ。ちゃんと殺す気でやらないと―――こんな風にねっ!」

 更に引き下がるエックスを追い撃つように、ダイナモはDブレードを立て続けに2枚投げる。
 エックスの体制から重心まで見切った上での攻撃。一投目をかわせば相次ぐ2投目を避けられない。バスターなら相殺できるかもしれないが―――

「くそっ」

 エックスは一枚目のブレードを避け、2枚目は強引に素手で受け止める。
 しかし、高速回転するブレードの柄を見切る技量など彼にはない。ブレード部分を無理やり掴むと、高熱が即座にその手を焼く。

「うあああああ―――」

「おいおい、無茶はよくないぜ」

 そんな隙だらけのエックスを嘲笑いつつ、ダイナモはがら空きの胴体に廻し蹴りを叩き込む。
 そのまま崩れ落ちるエックスからブレードを奪い、相手の首筋へとあてがう。

「お話にならないね。ボウヤは殺しまでするつもりはなかったけど―――」

 そこで言葉を切り、ダイナモは唇の両端を吊り上げる。
 だが、その表情に反してバイザーに隠れた瞳には一片の笑みも伺えない。
 先ほどの嗜虐的な瞳とは異なる、汚いゴミでも見るような目つき。

「今のボウヤ、ちょっと見苦しすぎるよねぇ。やっぱりここで死んでもらおうかな?」

 あえて首元から刃を放し、わざと大袈裟に振りかぶってみせる。
 かなりの隙を見せたはずだが、やはりエックスは無反応。既に心が死んでいるようだ。
 よし、殺そう。
 これなら生かす価値はない。
 腑抜けを生かす価値はない。

「アディオス―――」

 凶刃が頭上に迫る。
 死が目の前に迫る。
 振り下ろされる一撃は、確実に自身の脳天を叩き割るだろう。
 そう理解しつつも体が動かない。どこかで死を受け入れているのだろう。
 ならば、それもいい。
 いいや、それでいい。
 死ねば皆に会える。
 死ねば彼らに謝れる。
 犠牲となった彼らの前で、何万回でも謝罪しよう。
 そっと目を閉じ、終わりの瞬間を待ち構え―――
 









「ぬん!!」

「え―――」

 赤い刃を、鈍色の盾が防いでいる。
 倒れていたはずのシェルダンが、敵である自分を守っている。

「おいおい、どうして大人しく死んでてくれないかなぁ。キミ、ちょっとしつこすぎだよ」

「なんで……俺を庇う」

 殺された方がいいはずだ。
 助けるだけ逆効果のはずだ。
 なのに、なぜ―――

「その言葉、そのままお主に返そう。なぜ拙者を助けた? 真に悪夢の終焉を望むならば、拙者を助ける理由はないはずだ」

「そ、それは―――」

「同じことだ。任務や使命ではない、決して譲れん一線があるのよ」

 そのままブレードを弾き返し、再三ガードの体制をとる。
 疲労困憊の守護兵は、今一度敵に立ち向かう。
 
「拙者はガードだ! 故に命ある限り守り抜いてみせる! 傭兵よ、この身が朽ち果てるまで、拙者の相手を勤めてもらうぞ!」

「ん~、死に際の頼みとあっちゃあ断りづらいね。3分だけだよ」

 しかし悲しいかな。
 絶対的な実力の差は、たとえ命を懸けたところで埋まらない。
 ダイナモが刃を振るうたびに、シェルダンに刻まれる傷が増える。
 ダイナモの攻めは勢いを増し、シェルダンは疲労の色を濃くする。

「やめろ……」

 重すぎるバスターを持ち上げ、虚ろな瞳でダイナモに狙を定める。
 殺すしかない。
 殺さねばならない。
 相手はかつてシグマに加担した極悪人。
 しかも殺せばシェルダンを守れるのだ。
 免罪符は既に入手している。
 躊躇う理由はどこにもない。
 なのに―――打てない。

「やめろ、やめろっ!」

 また、守れない。
 また、救えない。
 また、助けられない。
 また、目の前で誰かが死ぬ―――

「もうやめてくれっ!!」

 ダイナモのブレードがシェルダンを捕らえる。
 集約したエネルギーが胴体を貫き、そのまま横に振りぬかれる。
 シェルダンの両手から盾が零れ落ち、その下半身が千切れ飛ぶ。

「ジヤスト3分。いい夢見れたかな?」

 ダイナモは上半身だけとなったシェルダンを片手で持ち上げ投げ捨てる。
 エックスが震える足でそこに近づくと、相手がうっすらと目を開いた。

「エックスよ、無事か……」

 死に瀕してなお、敵である自分の身を案じている。
 涙がこぼれた。
 醜く顔を崩し、ただひたすらに涙を流した。
 恐怖におののき、敵を見殺しにした自分の弱さに。
 命を掛けて、敵さえ守り通したシェルダンの強さに。

「なぜ、泣く。涙を見せる……」

「俺は……あなたほど、強くないんだ」

「はは、何を申す。拙者など任務の完遂すらかなえられず、挙句に自害した臆病者だというのに……」

「え―――」

「なぁんだ。やっぱり欠陥品だったんじゃない」

 割って入るように嘲笑ってくるダイナモを睨み、同時にその挙動を警戒もする。
 しかし、当の本人は襲ってくるどころか手にしたブレードを仕舞い、その場に座り込み静観し始める。

「ダイナモ……お前は―――」

「ああ、続けて続けて。こっちは気にしないでいいから」

「……感謝するぞ、傭兵よ」

「な~に、愉快な喜劇に水を差すほど無粋じゃないよ」

 この男は自らシェルダンを手にかけておきながら、最後の言葉すら喜劇と嘲笑うのだ。
 エックスは怒りに肩を震わせたが、シェルダンの方は気にした様子もない。

「かつて拙者は要人の警護を勤めていた。だが……拙者は博士のイレギュラー化を防げず、結果その命を奪った」

 助けられなかったことを嘆いた。
 守りきれなかったことを悔やんだ。
 だが以上に、初めて経験した殺しが恐ろしかった。
 盾で相手を叩き潰した感触。
 護衛対象を自らが殺めたという事実。
 そのおぞましさに耐え切れず、シェルダンは自ら命を絶った。

「拙者は傷つくことを恐れたのだ。他者を傷つけ、自らも傷つくことに怯えたのだ。それゆえ全てを放棄し、『死』という道へ逃げたのだ」

 だが、エックスは生きている。
 たった一度の失敗で絶望した自分とは違い、一生懸命に生きている。
 死に逃避することもなく。
 任務を投げ出すこともなく。
 イレギュラー化するこもなく。
 生き続け、立ち向かい続けている。

「しかし、お主は今なお茨の道を歩んでいる。多くを救い、多くを犠牲にし、己の心に数え切れぬ傷を負いながらも―――お主は逃げておらん」

 それが強さでなくなんだというのか。
 それが勇猛でなくなんだというのか。

「その過程で取りこぼしは生じたかもしれん。犠牲になった者も生まれたかもしれん」

 自責の念に駆られただろう。
 非業を嘆き苦しんだだろう。
 幾度となく涙を流しただろう。 
 だが、決してそれだけではなかったはずだ。

「それでも―――拙者はお主に救われた。わずか数刻生きながらえたおかげで、此度はガードの役割をまっとうして逝くことができる」

 犠牲と救済は表裏一体。
 犠牲だけのはずがない。
 救済がないはずはない。
 その道が悲劇だけだったはずがない。
 その道に救いがなかったはずがない。

「これは―――」

「拙者のDNAデータと……この施設で研究開発されたアーマーのパワーアップデータだ。圧縮エネルギーの刃……データが―――」

 最後の力を振り絞り、シェルダンはエックスに2枚のチップを渡す。
 そこで限界が来たようだ。
 全身から力が抜け落ち、急速に意識が霞む。
 思い返してみれば、二度目の生もやはり情けないものだった。

「拙者は腰抜けの敗残者……逃げるなと、戦えという資格はな、い。だが―――」

 目の前の男は主の敵だ。見殺す理由こそあれど、あえて庇う理由などなかったはずだ。
 自分はまたも任務を放棄し、無様にその生を終えようとしているのだ。
 なにがガードの役割をまっとうしたか。
 不埒者の進入を許可した挙句、標的を擁護した愚か者が何をまっとうしたのか。
 自分はただの役立たずだ。あの傭兵に言われたとおり、救いようのない欠陥品だ。
 結局、何一つ成し遂げることなどかなわなかった。
 それなのに、なぜだろうか。
  




「夢忘れるでない。お主の手により……確かに救われたものがここにいたことを―――」





 エックスを守れたことが、なぜか妙に誇らしかったのだ。










 シェルダンは機能を停止した。
 これだけ損傷が激しければ、ケイン博士でも修復は不可能だろう。
 また守れなかったのだ。
 それどころか守られたのだ。
 無様な自分を庇ったせいで、シェルダンはこうして息絶えている。
 シェルダンは自分のせいで死んだのだ。
 自分の弱さがシェルダンを殺したのだ。
 それなのに―――

「守られたのは……救われたのは、俺の方なのに……」

 『救われた』と言ったのだ。

「これじゃあ、『救えなかった』なんて言えないよな」

 常に自らを責め苛む怨嗟の声。
 絶えず自身を蝕む亡者の嘆き。
 それは自ら生み出したものだった。
 失ったことばかりを悔やみ続た。
 失ったものばかりを数え続けた。
 誰も救えなかった。
 否、誰も救えないと思っていた。
 喪失はあった。
 別れもあった。
 数え切れない犠牲があった。
 だが―――

「救え、たんだな……」

 シェルダンから手渡された2種類のチップを握る。
 最強の盾を。
 最強の矛を。
 そこには確かな救いがあった。
 そこには確かに救済があった。
 血塗られたはずの己の手が。
 壊すしか脳のないバスターが。
 守り通せたものがそこにあった。

「まだ、守れるものがあるなら。俺の手でも、まだ救えるものがあるのなら―――」

 エックスの身体が光に包まれる。
 身体を覆うアーマーが変化する。
 戦いの果てに手にしたもの。
 守り抜いた先に得られたもの。
 新たな力をその身に宿し、英雄は絶望の淵から這い上がる。





「先に続くのが地獄でもいい! 俺は、最後まで戦い抜いてみせる―――守るために!!」

 



 エックスの決意を祝うように。
 英雄の門出を祝福するように。
 その場に似つかわしくない拍手が響き渡る。

「ブラボー、素晴らしい三文芝居だったよ!」

 一部始終を見届けたダイナモは茶化すように喝采を送る。

「こうも涙腺が緩むなんて、ぼくも年かなぁ。お涙頂戴、やっぱりキミたちは見ていて飽きないね」

 ご丁寧にバイザーまで取り外し、大げさに目元をぬぐっている。もちろんその瞳は潤んでなどおらず、口元には馬鹿にしたような笑みが浮かんでいる。
 ダイナモは露骨な泣き真似を終えると、その場から立ち上がりブレードの柄を取り出す。

「じゃ、さっそくお披露目してもらおうかな。キミが得た新しい力をね!」

 それに応えるように、エックスのバスターの射出口が輝き出す。かなりのエネルギーを溜めている証拠だ。
 ダイナモは柄から刃を展開すると同時に、疾風の如くのスピードで駆ける。

「先手必勝っ!!」

 相手のバスターが復活した以上、遠距離戦では部が悪い。一足飛びで急速に間合いを詰め、そのままDブレードを振りかざし頭上から斬りつける。
 ツバメ返し―――高速で放たれる斬撃は広範囲に及び、接近することで回避も許さない。
 エックスはエネルギーの充填を終えたようだが、撃たせる暇は与えない。敵が照準を定めたところで、こちらの攻撃はその首を刈り取るだろう。

「さぁ、どう出る? それとも―――このまま死んじゃうかい?」

 ブレードがエックスを捕らえる刹那、下を向いたバスターからエネルギーが射出される。
 それは衝撃波として拡散されず、圧縮されることで直線を―――刃を形成していた。

「なにっ!?」

「ダイナモ―――――っ!!」

 敵の攻撃は遠距離専用と早合点して、迂闊に接近したのが仇となった。
 Dブレードと同じ―――それ以上に高密度なエネルギー。放たれた一閃はDブレードを破壊するに留らず、ダイナモのボディを一文字に切り裂く。

「ちっ!」

 ダイナモは即座にバックステップで距離を取り、新たにDブレードを取り出し持ち直す。
 敵が離脱したにもかかわらず、エックスは更に間合いの外からブレードを突き出す。すると、刺突に伴いエネルギー状の剣は伸張し、逃げるダイナモの肩口を貫いた。

「ぐわっ!」

 握力のなくなった左手からDブレードが零れ落ちる。
 痛む片腕を抑えつつ、後方に大きく跳躍して今度こそ安全圏へ逃れる。

「やれやれ、今のマジだったでしょ? ボウヤが相手だと遊ぶのも命がけだね~」

 初撃とはまったく異なる一撃。貫かれたのは肩ですんだが、直前で避けなければ腹に風穴が開いていた。
 自分を見据える目。
 先の動乱で対峙した時と同じ、迷いのない真っ直ぐな瞳。
 どうやら完全に吹っ切れたようだ。

「まぁ、だからこそオモシロイんだけど……でも死ぬのは嫌だし、今回はここで逃げさせてもらうかな」

 本調子に戻るのは大いに結構。しかし、いかんせんこちらが消耗しすぎている。
 片腕の制御を失い、Dブレードも半分以上を消費した。アースゲイザーのエネルギーは残しているが、エックスの強化を考慮すると心もとない。
 敵に習って、こちらもパワーアップする必要がある。
 幸いそのための道具は手に入れた・・・・・。この場は逃げるが勝ちだろう。

「あぁ、また遊びに来るから寂しがらないでいいよ。今度はちゃんと準備するから楽しみにね」

「ダイナモ……いったい、何がしたいんだ。なぜわざわざ首を突っ込んでくる!?」

「ぼくに目的なんかないよ。楽しければ……いや、とりあえずは生き延びることかなぁ。あくまで命あっての賜物だからね」

 そのまま立ち去ろうと背を向けた直後、思い出したかのようにエックスへと振り返り、

「だから、キミも精々死なないようにね―――ゼロくんみたいにさ」

「お前っ!!」

「シーユーアゲイン☆」

 最後まで余裕を崩すことなく、ダイナモは空間転移で消える。
 あまり遠くまでは移動できないはずだが、あの男の逃げ足の速さは目を見張るものがる。少なくとも自分が追いつくのはほぼ不可能だろう。
 どのみち、ダイナモを捕らえたところで事件の解決には役立つまい。また邪魔をするようなら再度打ち倒すまでだ。

「……もう、行かないと」

 それきりダイナモのことは忘却し、今一度シェルダンへと向き直る。
 道中のナイトメアは全てダイナモに破壊された後だった。その遺骸からナイトメアの核を引き抜く必要もないだろう。
 もうこの場所に用はない。
 また、新たな戦場に向かわねばならない。
 また、新たな敵を葬らなければならない。
 けれど、その足取りが、バスターの重みが、ほんの少し軽くなった気がした。

 『救われた』

 その一言に救われた。
 彼は自分に救われたと言ったが、やはり真に救われたのは自分の方なのだ。

「―――ありがとう」

 エックスは再び歩きはじめる。
 十を超える仲間を失い、百を超える敵を葬り、千を超える部外者を犠牲にして―――










「俺は、守るよ」










 万を超える人々を救うのだ。



[30750] #7 PHANTOM(亡霊)
Name: うわばら◆4248fd16 ID:2416c565
Date: 2011/12/20 01:35
「ミジニオンに続いてヒートニックス、シェルダンもやられたか」

 これで蘇生させた手駒の半分以上を失った。
 残りは3体。いずれも高性能のレプリロイドだが、最も戦闘に長けたヒートニックスがやられた以上、残りの連中に勝ちは期待できないだろう。
 まとめてぶつければ善戦できるかもしれないが、プライドの高いヴォルファングや、騙して利用しているヤンマークが素直に従うとは思えない。
 それでも、今まで通り各拠点に待機させてナイトメアを撒いておけば、時間稼ぎの役割くらいは果たすだろう。

「イレギュラーハンター・エックス……どうやら侮りすぎていたようだな」

 ゲイトとて馬鹿ではない。たとえ感情に駆られ憤慨しても、そのまま戦局を見失う真似はしない。
 持ち駒の大半を失い、計画に大幅な狂いが生じたことは、彼に今一度冷静な思考を取り戻させていた。
 母体の完成まであとわずかだが、今のうちに『保険』の設計に着手しておきたい。それにダイナモと名乗った傭兵も、捨て台詞を考慮すれば再び邪魔に入る可能性が高い。
 もはや生け捕りに固執している場合ではない。敵が更なる力を身につける前に、すぐにでも始末することが望ましい。
 これまでに採取したデータでは、エックスは極めて高い戦闘能力を誇る。それも未だ成長を続けており、その到達点はまるで未知数だ。
 にもかかわらず、敵であるタートロイドを殺すことさえ躊躇い、ヒートニックスを始末した際には半狂乱にまで陥った。プログラムの方はあまりに脆く、不完全といわざるを得ない。
 ならば、その繊細な心に揺さぶりをかけることで、いくらでも付け入る隙は作れるだろう。

「アイゾック、すぐにアレを向かわせろ。エックスにぶつける」

『承知いたしました』

 ゲイトは貸し与えた施設に籠もっているアイゾックに通信を送る。
 さらに、傍らに待機していたハイマックスにも命令する。

「ハイマックス、戦闘の隙を突いてエックスを殺せ。残骸の回収も命じるが―――原型を留める必要はない」

「仰せのままに」

 その場を後にするハイマックスを見送りつつ、ゲイトは忍び笑いを零す。

「それにしても、奴を作った輩は詰めを誤ったな。あれほどの怪物を生み出しておきながら、よりにもよって感情を付加させるとは」

 イレギュラーハンター―――レプリフォースが瓦解した今となっては、まともに機能している数少ないイレギュラー討伐組織。その重要性は語るまでもなく、国の役人や政治団体以上に、世界に欠かせない存在といっても過言ではない。
 ともすれば崇高な存在に聞こえがちだが、その実態はただの汚れ役だ。
 人間の手に負えなくなったレプリロイドを、イレギュラーの烙印を押して始末する。そこに彼らの意思は存在せず、ただ人間の定めた法を遵守し、毎日のようにイレギュラーを殺す。
 人間の価値観に従い、人間の思想に洗脳され、命じられるままに同族殺しに明け暮れる傀儡。それが世界の平和を守り続ける、正義の味方の正体なのだ。
 ゲイトはそのことを非難するつもりはない。だが、ひどく愚かしいと思う。

「従順な下僕を欲するのなら、はじめからそうプログラムを組み立てればいいものを……」

 エックスはハイマックスに勝てない。勝てるはずがない。
 イレギュラーの討伐すら躊躇するエックスでは。
 己の任務すら満足に遂行できないエックスでは。
 自身の感情すら制御できず、あまつさえ束縛される軟弱者では、冷酷非道の殺人機械は倒せない。

「道具に感情など必要ない。まして『涙』など弱者の象徴。まったく、つくづく理解し難いよ」

 その言葉と自身の行動が矛盾していることに、ゲイトはもう気づけない。










◇ ◇ ◇

 ハンターベースに帰還する前に、エックスは再びマグマエリアに足を運んでいた。
 相変わらずレプリロイドの気配は感じられない。違いがあるとすれば、こちらの来訪をしつこく出迎えた円環の消失くらいだろうか。
 がらんどうの空間を進むと、目当ての場所には思いのほか容易に到着できた。

「……あった!」

 投げ捨てたはずのセイバーは、依然としてその場に転がっていた。
 そして、激昂に駆られて破壊しつくしたヒートニックスの残骸も。

(テメェの向かうこの先は果て無き闘争、終わりのない無限地獄よ)

 苦悩の果てに、少しでも希望があるのなら。
 犠牲の対価に、少しでも救いがあるのなら。
 この身が灼熱の業火に炙られようと。
 この身が亡者の怨念に呪われようと。

「それで誰かを救えるのなら、喜んで地獄に行ってやるさ」

 もう、手放さない。 
 もう、逃げ出さない。
 決意を胸にセイバーを拾う。
 血塗られた凶器を握り締める。





「―――お前にそれを手にする資格があるのか?」





 その行動を諌めるように。
 その決意を戒めるように。

「俺を殺したお前に、俺の武器を扱う資格があるのか?」

 空間に響き渡る怨嗟の声。
 背後から感じる憎悪の念。

「俺の屍の先に栄光を掴んだお前に、俺の力を受け継ぐ資格があるのか?」

 聞き覚えのある声。
 聞き違えようのない声。
 聞くことを願い続けていた声。
 殺意に汚染されたそれは呪詛のようにエックスの心を蝕んでいく。





「なぁ……エックス」





 ゼロ―――紛うことなきパートナーがそこにいた。
 両の瞳に殺気を漲らせて。
 その身を憎悪で染めあげて。
 紫の瘴気を纏い佇んでいた。

「何だその顔は? 久し振りの再会なんだ。もっと喜べばどうだ」

「ゼロ、なのか……」

 驚きはしなかった。
 タートロイドが葬られた時点で予感はあった。
 喜ぶことはできなかった。
 親友の変わり果てた姿がそれを許さなかった。
 Σウイルスに侵された時と同等、あるいはそれ以上の邪悪な波動。感動の再開にむせび泣くには、目の前の存在はあまりに禍々しすぎた。

「それ以外の何だと……いや、確かに俺はお前の知るゼロではない」

 当然だ。
 ゼロはもう死んだのだ。
 ゼロはこの手で殺めたのだ。
 ならば、この目に映る存在はなんだ。夢か、幻か、あるいは―――

「あの時、俺は……ゼロはお前の手で殺された。すべてはそれで終わったかに思えたが、ゼロの中にはまだ残っていたんだよ。お前への『憎しみ』がな!」

「ゼロが、俺を憎んでいた―――」

「そうだ。それはプログラムが停止してなお途絶えることはなかった。行き場をなくした憎悪の念は現世うつよからの開放を望み―――俺を蘇らせたのだ」

 ゼロであってゼロでないもの。
 ゼロの憎しみが具象化したもの。
 ゼロの怨念の集合体は、その存在を敵にぶつけるように唸る

「俺はゼロの『亡霊』だ! ゼロのお前へ向けた嫉妬、憤怒、殺意、怨恨―――あらゆる負の感情が俺を生み出したのだ!」

 それは本来ならばありえないことだった。
 レプリロイドはプログラムの停止に伴い、須らくその機能を喪失する定め。記憶データを継承することはもちろん、外的な作用をなくしての蘇生など不可能だ。
 死んだ人間が生き返らないのと同じ。それは決して覆せない絶対的な法則だ。

「そんな……それじゃあ、まるで―――」

 だが、何事にも例外は存在する。
 いかなる法則にも特異点は存在する。
 その存在を、エックス自身が知っている。

「シグマと同じ―――」

 人類への悪意。
 エックスへの憎悪。
 世界征服への執念。
 誰の手を借りることもなく、負の感情を糧に幾度も復活を果たした存在。

「シグマ、か。あんな死に損ないと同列視されるのは不服だが……そのようなものか」

 亡霊が背に携帯していたセイバーを抜き放つ。数多の敵を屠ったそれは、怨念に塗れて紫に染まっている。
 魔剣が解き放たれた刹那、その身を包む瘴気が倍増する。膨れ上がる殺意に呼応するように、総身を邪悪に彩っていく。

「俺はお前を殺し、今度こそ開放される。俺たちの―――貴様とゼロの悪しき因縁からな!!」

 弾丸の如き速度で突進する紫の亡霊。
 怨嗟の込められたセイバーの一太刀を、エックスは自身のセイバーで受ける。
 凶器に込められた狂気は圧力と化して、エックスに重く圧し掛かる。
 
「思えば、お前はいつも俺の先を進んでいた」

 二撃、三撃―――憎悪と共に激しさを増す攻撃。
 防戦一方のエックスを、亡霊は呵責なく攻め立てる。
 責めて、責めて、責めつづける。
 紡がれる言葉が、叩きつけられる重圧が、そのすべてがエックスを侵していく。

「お前を見るたび、いつも俺は己の不完全さを認識させられた」

 自分の腕の中で息絶える間際、ゼロは確かに自我を取り戻した。生死の狭間にΣウイルスの汚染から、狂気の渦から脱出したのだ。
 両者を縛る悲運から解放され、最後は分かり合えたと思っていた。
 たとえ今生の別れとあっても、その絆は失われないと信じていた。

「なぜお前だけが選ばれた……なぜお前だけが光を手にする!!」

 その幻想を打ち砕くように、際限なく叩きつけられる怒号と剣撃。
 彼は憎んでいたのだろうか。
 彼は恨んでいたのだろうか。
 あの結末を。
 あの別れを。
 あの決着を嘆いて呪ったのだろうか。

「英雄として称えられ、選ばれた者の証である『涙』を持つ貴様には分かるまい―――」

 膝から力が抜け落ち、検圧に耐えかね吹き飛ばされる。
 地べたに叩き伏せられたエックスを追いかけ、亡霊が拳を振り上げる。
 怒り、憎しみ、嘆き、悔やみ―――ふらつきながら立ち上がる標的に、そのすべてを叩き込む。





「この俺の絶望が……最後まで涙を流せなかった、俺の気持ちがな!!」





 亡霊は手ごたえを感じていた。
 顔面に突き刺された鉄拳は、エックスの心を身体もろとも砕いたはずだ。
 それなのに、エックスは倒れない。
 頬に拳を押し当てられながらも、エックスは動かない。
 握り締めたセイバーも手放さず、直立不動を保っている。
 倒れない。
 絶望しない。
 それどころか―――その瞳に光が宿る。

「―――違う。お前は、ゼロじゃない」

 いきなり様変わりしたエックスの剣幕に気圧され、亡霊がたじろぎ後ずさる。
 だが、動揺を見せたのもほんの一瞬。即座に余裕を取り戻し、歪んだ口元から呪いの言葉を吐く。

「自責から逃れるための現実逃避か? 随分と悪知恵が働くじゃないか」

「黙れ! もうお前には惑わされない。偽者め、絶対に許さないぞ!!」

 そこで亡霊は―――アイゾックにより造られたゼロの模造品は、ようやく自身の失態を悟る。
 どこでボロが出たのかは分からない。だが、先の一言が引き金だったことは明白だ。口は災いの元、下らぬお喋りに昂じたのは迂闊だったのかもしれない。
 しかし、遅かれ早かれ偽りの仮面は剥がされ、その正体は白日の下に晒されていただろう。なにしろ、敵はエックスの内情など知らぬ身分。大根役者が脚本すら手渡されず指名を受けたところで、舞台を演じきれるはずがない。欺き通すこと自体に無理があったのだ。
 
「ハ、ハハハハハ―――」

 だが、模造品には何ら不都合はなかった。
 もとより試作品として作成されたプログラムには、高度な頭脳など搭載されていない。ただアイゾックに従い、レプリロイドを殺すことだけがその全てだった。
 そんな短絡思考の模造品にとって、出来損ないの思考回路を駆使してまで茶番を演じることは、自身のプログラムに大きな負担をかけていた。その命令が効を成さなくなった今、プログラムは本来の性能を十全に発揮する。
 ロボット破壊プログラム―――獣性と残虐性のすべてを解き放った敵は、血に飢えた狂犬の瞳をエックスに向ける。





「シヌノハオマエダ―――」





 開戦の合図といわんばかりに、敵のバスターから一発のショットが放たれる。それは迫り来るに連れ分裂を繰り返し、単発から弾膜へとその規模を変える。 
 無数の光弾は瞬く間に視界を覆い尽くし、掻い潜る隙間は伺えない。全力でショットを連射して、複数相殺することで強引に突破口を開く。
 弾膜の壁を突破した先には、待ち構えていたようにこちらへ肉薄する敵の姿。
 振るわれるセイバーの一閃を、こちらもセイバーで受け止める。
 重すぎる一撃。片手同士の迫り合いだが、相手に分があるのは明白だ。右手のバスターをアームに戻して、即座に両手で柄を握る。
 それでもなお、力比べは敵に軍杯が上がった。
 セイバーを弾かれ、頭部に裏拳を叩きこまれる。こちらの意識が遠のいたわずかな隙に、相手は右手をバスターに変形させ、エネルギーを溜め込み大地へ叩きつける。

「オワリダ」

 足元の地盤が炸裂し、無数のエネルギー弾が放出される。
 かつての死闘で味わったものと寸分違わぬ技、真・滅閃光。放たれた一撃はエックスを吹き飛ばし、周囲の地面を陥没させる。

「くそっ!」

 ダメージは食らったが、飛ばされた勢いを利用することで、敵から数メートルの距離を取る。
 接近戦では勝ち目が薄い。かといって、闇雲にショットを連射しても初撃の弾膜で防がれるだろう。とにかく、十分なエネルギーをチャージ出来るだけの時間が必要だ。
 敵との間合いを慎重に測りつつ、その挙動を警戒する。ダッシュで近づいてくるか、あるいはバスターで攻めてくるか――

「ニゲルナヨ」

 相手の姿が霞むようにして消失する。
 次いで自身を襲う激痛。気付けば敵に後ろを取られ、背中を大きく切られていた。
 明らかに目で追いきれない、無音の超高速移動。
 空間転移―――物理法則を超越した絶技は数十メートルの距離をも零と化す。
 これでは遠距戦に持ち込めない。
 振り返りざまにセイバーで斬り付けるが、相手はいともたやすく受け止める。
 やはり圧倒的に部が悪い。
 反撃の間を与えないように、我武者羅でセイバーを振るい続ける。だが、敵にすれば木々を手にした子供の遊戯にも等しいのだろう。悉くが紙一重でかわされ、数秒と立たずに斬り返される。
 こちらの苦し紛れとはかけ離れた、無駄のない洗練された斬撃。それはエックスの連撃の間を縫うようにして、その胴体に深い傷を残す。

「ぐあ……」

 手からセイバーが零れそうになるが、歯を食いしばり握り直す。
 もう、手放さないと決めたのだ。
 もう、逃げ出さないと決めたのだ。
 渾身の力で一撃を放つが、やはり片手で防がれる。
 嘲笑う亡霊。
 ゼロを装う悪しき存在。
 ゼロを名乗る偽りの存在。
 負けられない。
 負けるわけにはいかない。

「はあああああ!」

 拮抗するセイバーの間で火花が散る。
 相手はセイバーを両手で握り直して、凄まじい力で押し返してくる。
 両腕が痺れる。
 握力が弱まる。
 体が痙攣する。
 だが、退くわけにはいかない。
 絶対に、負けるわけにはいかない。

「ああああああああああ!!」

「……チィ」

 そこで初めて、敵のから余裕の笑みが消える。
 相手は自ら剣圧を緩め、わざと弾れることで2、3歩後ろに下がる。そのまま立て続けに2連続でバスターを放ち、さらに間をおかずセイバーから斬撃を飛ばす。
 至近距離で放たれたバスターはエックスを直撃し、そのまま数メートルほど後退させる。最後の斬撃はかろうじてセイバーで相殺するが、敵に先手を許してしまう。
 エックスが体勢を立て直すより速く、相手は攻撃の予備動作を終える。
 その手に掲げられたセイバーが、天井に届かんとするほど伸張している。膨大なエネルギーを注ぎ込むことで、セイバーの出力を限界まで底上げしているのだ。
 敵は数メートルまで膨張した凶刃を、両の手で力任せに振り下ろす。

「シネ―――」

 タートロイドを葬った破滅の刃―――幻夢零。
 相殺は不可能。
 防御はその意味を成さない。
 回避は明らかに間に合わない。
 大地に巨大な亀裂が生じる。
 天井に破壊の爪痕が刻まれる。
 岩壁が衝撃の余波で粉砕される。
 閃光の速さで放たれた斬撃はエックスもろとも、辺り一体を容赦なく吹き飛ばす。
 立ち込める土煙の先には、無残に砕け散った敵の姿が横たわっているはず―――





「やっぱり、お前はゼロじゃない」





 だが、エックスは立っていた。
 その全身を覆うように、突き出された手からエネルギー障壁が張られている。
 シェルダンに手渡された最強の盾。それは必殺の一撃からエックスを見事に生還させていた。

「ゼロの攻撃はこんなに軽くない!」

 重さ、速さ、鋭さ。
 どれをとっても、ゼロの攻撃に遠く及ばない。
 先の一撃がゼロのものであれば、防ぐことなどかなわないはずだ。

「お前にゼロを名乗る資格はない!!」

 咆哮を上げて突進する。
 激情に駆られたのか、あえて白兵戦を挑むエックスを内心嘲笑いつつ、敵はセイバーで迎え撃つ。
 エックスは繰り出された一撃を正面から受け止めることなく、セイバーで逸らして受け流す。そして右手のバスターからブレードを展開させる。

「……ッ!?」

 左手に友の形見を。
 右手に最強の矛を。
 二刀流―――相手はブレードの薙ぎ払いをかわしたが、連続して放たれるセイバーを防げない。
 ついにエックスの攻撃が敵を捕らえる。
 それは装甲を浅く傷つけるだけに終わったが、面食らった敵は思わず体を強張らせる。
 すかさずブレードとセイバーを交差させるようにして斬り付ける。今度こそエックスの斬撃は深々と胴体を抉り、腹部に十字傷を刻む。

「ウゥゥゥア!!」

 敵はたまらず後ずさりエックスから距離をとる。
 それは致命的な失策だった。
 顔を上げた先には、輝くバスターで自分を狙うエックスの姿。既に右手からブレードは消失しており、変わりに最大限までエネルギーが蓄積されている。
 すかさず転移で逃げようとするが、それを見逃すエックスではない。
 敵が姿を眩ますより速く、チャージしたエネルギーを解き放つ。

「消えろ! 偽者め!!」

 光が奔る。
 憎悪が、殺意が、怨念が光に包まれていく。
 紫の亡霊が、閃光の灼熱に浄化されていく。
 放たれたエネルギーの束はその全てを焼き尽くし、DNAの欠片すら残さず消滅させる。
 敵の焼失に伴い、立ち込めていた瘴気も霧散する。

「終わったか……」

 戦いを終えてなお、エックスには拭い去れない疑念が残った。
 先ほどの敵はゼロではない。だが、偽者と切って捨て去るには、オリジナルに似すぎていた。
 それは外見や様相の問題ではない。むしろ、そのプログラムが垣間見せた衝動こそが、どこまでもゼロを髣髴させた。
 敵が本性を現すと同時に、解き放たれた途方もない殺気。そして尋常ならざる怪力と凶暴性。用いた技もさることながら、なによりその獰猛さと―――狂気。
 血眼に殺意を漲らせ猛攻する野獣は、かつてのゼロとあまりに酷似していた。
 彼が『真の姿』と断言してみせた、あの時の狂った親友と―――

「―――違う! そんなはずはない。ゼロは、ここにいるんだ」

 脳裏をよぎった悪夢を払拭するように、セイバーをきつく握り締める。
 その感触を確かめるように。
 そのぬくもりを手放さぬように。
 二度と『亡霊』などという幻覚に惑わされないように。
 心に新たな誓いを刻み、エックスは今度こそ立ち去ろうときびすを返し―――



 






「デスボール」










 自身を襲った衝撃に吹き飛ばされた。



[30750] #8 CONFUSION(困惑)
Name: うわばら◆4248fd16 ID:5a362fce
Date: 2012/01/08 19:22
*タイトルだけ変更しました、すみません。















 確かに殺したはずだった。
 これまでの戦闘データから分析した敵の防御力の理論値を考慮すれば、先のデスボールは葬り去るのに十二分な威力を誇っていた。それも、相手が警戒を解いたタイミングを見計らって放ったのだ。現に、ターゲットは直撃の瞬間まで不意打ちに気づきもせず、防御する間もなく吹き飛ばされた。
 コンピューターの算出結果によれば、その死亡率は99.98%。偶然や幸運で生き延びられる数値ではない。エックスの死は絶対のはずだ。
 それなのに、

「お、前は……あの……とき―――」

 なぜ死なない。
 なぜ起き上がる。
 なぜ意識を保っている。
 なぜこちらを認識できている。
 しかも記憶が残っている。メモリが破損していない証拠だ。
 加えて身体は五体満足。原形を失うどころか、四肢の損失すら伺えない。

「お前を倒せば……悲劇は……お、わる……」

 エックスはよろめきながらバスターを構え、申し訳程度の攻撃を繰り出している。威力も伴わず照準すら定まっていない砲撃。それも数発でエネルギーが尽きたのか、再び息を荒げて膝をつく。
 どうやら敵は、幸運にも0.02%の生存を引き当てたようだ。いや、そうに違いない。
 データによる分析は確実だ。それ以外では敵の生存に説明がつかない。
 ならば話は簡単だ。
 確実に息の根を止められるだけの攻撃を繰り出せばいい。
 先の攻防から敵の耐久性を求めなおし、その損傷ダメージも加味する。ゲイトにより搭載されたプログラムは、数秒とたたずに必殺の一手を導き出す。
 計算には寸分の狂いもない。100%の確率で始末できる。
 今度こそ、殺す。

 
 







◇ ◇ ◇

 ハイマックスの攻撃は命こそ奪えなかったが、エックスに瀕死の重傷を負わせていた。
 アーマーの装甲は砕け散り、至る箇所でスパークが発生している。内部損傷も激しいのか目が霞み、ノイズが絶え間なく鳴り響く。
 立っているだけで全身が悲鳴を上げ、痙攣は一向に治まる気配を見せない。左手の感覚は完全に麻痺し、手放さないと誓ったばかりのセイバーも消えていた。
 ダイナモと対峙した時の比ではない。今のエックスは半死人も同然の有様だった。

「お、前は……あの……とき―――」

 狭まった視界が敵を捉えると共に、瞼に覆われた瞳が怒りに燃える。
 靄がかかったように輪郭しか捉えられないが、黒一色のボディが敵の正体を如実に物語っていた。
 スカラビッチを殺した漆黒のレプリロイド。
 全ての元凶が目の前にいる。
 諸悪の根源が目の前にいる。

「お前を倒せば……悲劇は……お、わる……」

 片足を引きずるように前進し、震えるバスターをハイマックスに向ける。
 バスターの機能が残されていたのは奇跡だったが、思うように力を込められない。そこに集約されたエネルギーは平常時の10分の一にも満たなかった。
 決死の覚悟で放った一撃は的外れな方向へと向かい、岩壁をわずかに焦がすだけで終わる。
 負けじと二発目を放つ。
 一段と弱々しさを増した攻撃はハイマックスに届きすらせず、空中で自然消滅する。

「お前を……た、お……せば……」

 その次は発動しなかった。バスターは蛍のように点滅を繰り返すばかりで、本来の輝きは片鱗すら伺えない。
 それを好機と捉えたのか、ハイマックスが攻撃に移る。巨体からは連想できないスピードでエックスに迫り、速度を上乗せした拳を猛然と突き出す。
 鋼鉄の拳はその顔面を真正面から捉え、数十メートル近くも吹き飛ばす。
 エックスの体は勢いに飲まれ、地面に叩きつけられては跳ね上がり、バウンドが6回に達したところで壁に叩きつけられる。痛覚機能も失われたのか全身を蝕み続けていた激痛が和らいでいく。

「や、た―――こ……れ、で……」

 これでまだ戦える。
 だが、そこで気づいてしまう。
 痛覚だけでなく、全身の感覚を認識できない。どうやら神経回路が断絶されたようだ。立ち上がることはもちろん、その場で転がることすらできない。
 絶体絶命の窮地に陥ったエックスだが、ハイマックスは追い討ちをかけようともせず呆然とした様子で何やら呟いている。

「バカな……確かに100%―――ありえない」

 ノイズに邪魔されて聞き取れなかったが、どうやら敵はうろたえているようだ。これが最後のチャンスだろう。

(お願いだ、動いてくれ……)

 一発だけでいい。
 相打ちでもいい。
 二度と動けなくなってもいい。
 ここで壊れてしまってもいい。
 そんな必死の願いもむなしく、彼の体は地べたに横たわり続ける。
 エックスがあがくその間に、ハイマックスは混乱から立ち直った。

「デスボール―――」

 半死半生の標的を今度こそ仕留めるべく、ハイマックスは胸元で両手を構える。
 その間に生じた光球は徐々に成長し、直径30センチほどの大きさになる。敵が攻撃の予備動作を終えるまでが彼に残された最後の時間だった。

(死ぬ―――このままじゃ、死んじまう―――)

 光球の巨大化は留まることを知らず、ハイマックスの体躯と同等にまで膨張する。
 圧縮されてなお桁外れの大きさを誇る、計り知れないエネルギー。束ねられた破滅の光は、ついにエックスに向けて解き放たれる。

(いやだ……俺は、しね―――な―――)

 迫り来る死を前にしてなお、エックスは動けない。
 光球が直撃するより早く、ブラックアウトが訪れる。
 死に瀕したことによる、すべて認識機能の喪失。死への恐怖を和らげるそれは、命を奪われる者への最後の慈悲だろう。
 破壊の衝撃を、自身の死を感じることもなく、エックスの意識はそこで途切れた。










「うおぉあっ!!」










 掛け声と共に光球が両断される。
 高出力の破壊兵器―――エックスの手から跳ね飛ばされたセイバーは、膨大な圧縮エネルギーを一刀のもと切り捨てる。
 その斬撃はエックスの手により振るわれたものではない。エックスは意識を手放し地に伏している。
 それは突如として戦場に舞い込んだ第三者、赤いレプリロイドによるものだった。

「バカな。なぜオマエがここにいる」

 ハイマックスは面識こそなかったが、その姿には見覚えがあった。
 他ならぬ自分のオリジナル。
 エックスと肩を並べる実力者として、その名を馳せたレプリロイド。
 今はなき第0特殊部隊を率いていた、特A級のイレギュラーハンター。





「オマエは既に死亡を認識している。なぜ生きている―――ゼロ」





 ハイマックスの問いかけに答える素振りを見せず、赤いレプリロイド―――ゼロはエックスの元へと駆け寄る。
 まだ生きてはいるようだが、既に意識はなく虫の息。すぐにでもメンテナンスが必要な、危険極まりない状態だ。
 ゼロはそのままエックスを抱えあげようと手を伸ばすが、背後からの殺気で鬱陶しそうに振り返る。
 浮遊していたハイマックスは地上に降り立ちゼロを見据える。

「用なしが今更なぜ現れた。ジャマをするな」

「それは俺のセリフだデカブツ。見逃してやるから大人しく帰れ。」

 もちろん帰れといわれて素直に帰る相手ではない。
 予想だにしなかったイレギュラーの存在に、ハイマックスは露骨な敵意を向ける。
 殺気を込めた瞳でゼロを睨み付け、自身の両手を大きく広げる。

「目障りな奴め。オマエはもう用済みだ、ここで消す」

 連なった円環状の紋章がその周囲に展開され、ハイマックスを軸に回転をはじめる。

「それも、俺のセリフだ。これ以上俺たちに纏わり付くなら―――斬る」

 相手の気迫に物怖じすることなく、ゼロは片手でセイバーを構える。それと同時に、ハイマックスは低空飛行の姿勢を保って襲い掛かる。
 先の光球からして敵は遠距離戦に特化していると思ったが、どうやら遠近共に抜かりないようだ。
 だが、接近戦はこちらも望むところ。自信過剰なのか、それともカウンターを意識していないのか、相手はバカ正直に突撃してくる。
 敵の接近にあわせて、ギリギリのタイミングでセイバーを顔面へと突き出す。
 刹那のタイミングで放たれた一撃。認識してから避けるのでは間に合わない。ゼロの繰り出した突きは確実にハイマックスの脳天を貫通するはずだった。
 だが、敵は首を傾けるだけで必殺の一撃を容易に凌ぐ。

「なんだとっ!?」

 驚愕すると同時に、ハイマックスの拳が胴体にめり込む。
 巨体に見合う破壊力を秘めた攻撃。エックスを数十メートルも吹き飛ばした一撃をまともに食らい、それでもゼロは不動を保っていた。
 歯を食いしばり、腹部に渾身の力を込め、両足が踏みしめた地面には亀裂が走る。

「ぬっ―――おおおおお!!」

 そのままセイバーを真横に振るう。
 ハイマックスの巨躯では接近した状態からかわすのは不可能だ。今度こそ敵を捉えたセイバーだが、その体を覆っていた円環に触れると同時に消滅する。
 二度目の驚愕、そして二度目の隙。
 すかさず顔面へ迫り来る拳。とっさに両腕を交差させてガードをすると、いきなり顎を衝撃が襲った。まるで予期せぬ方向からの攻撃にゼロの体は宙を舞う。
 先のストレートはフェイント。次いで繰り出されたハイマックスのアッパーが、ガードを潜って顎を打ち抜いたのだ。

(こいつ……俺の動きを読んでやがる!?)

「無駄だ、ゼロ。オマエはワタシに勝てない」

 異常な先読みと洞察力、加えてその身を守る障壁はエネルギー状の攻撃を無効化するようだ。ここにきてようやく敵があえて接近戦を挑んだ理由を悟る。
 セイバーの攻撃は通じない。かといって、純粋な殴り合いで勝ちを拾えるとは到底思えない。
 圧倒的にこちらが不利だが、勝機はある。
 敵は無力化できるはずのセイバーの突きをあえてかわした。円環の防御が万能でない証拠だ。上から、もしくは下からの攻撃にまでは効力が及ばないのだろう。
 ゼロは立ち上がり両手でセイバーを握り正面に構える。
 自ら仕掛けたところで、こちらの挙動はほぼ見切られている。ならばわずかな隙を突く、あるいは相打ちを覚悟で放つしかない。
 敵の拳は確かに痛いが耐えられぬほどの威力ではない。
 肉を切らせて骨を絶つ、一撃を代償に息の根を止める。

「どうした、俺に勝ち目はないんだろ? ならビビッてないでかかって来いよ。そのデカイ図体は飾りか?」

「……消えろ、オリジナル」

 挑発を受けてハイマックスが動く。
 ゼロは敵の沸点の低さに笑みを浮かべ、即座にそれが過ちと気づく。
 敵はこちらを見向きもせず、いきなり真横へ―――倒れているエックスへと向かう。
 
「な―――」

 ゼロにとって、ハイマックスは打ち倒すべき怨敵。だが、ハイマックスにはゼロの存在など邪魔以外の何者でもない。
 そもそもハイマックスの任務はエックスの始末。死亡したはずのゼロの登場は単なる不測の事態に過ぎない。ならば、まともに取り合う理由もない。
 己の迂闊さを呪うのも後回しに、ゼロは全力でエックスの方へと駆ける。しかし、ハイマックスは絶望的な加速で突き進み、すぐそこにまで近づいている。
 掲げられた拳が振り下ろされる刹那、両足に渾身の力を込めて跳躍。エックスに覆いかぶさるようにして倒れ込む。
 直後、後頭部に思い切り鉄拳を叩きつけられる。
 メットは粉々に粉砕され束ねていた髪が解ける。

「ぐっ……汚い真似してくれるぜ。そんなに俺と闘り合うのが怖いか?」

 拳の衝撃はメットを破壊するだけに留まらず、装甲を貫通することで内部のプログラムに深刻なダメージをもたらしたはず。
 それでも、ゼロは立ち上がる。ストレートの金髪を風になびかせ、両目により一層の闘気を漲らせている。
 そこでハイマックスの声色に僅かな、微かだが否定しようのない困惑が浮かぶ。
 
「なぜだ……」

 自分が先手を取った。
 自分の方がより高速で動いた。
 自分の方が標的の近くに位置していた。
 それなのに、直前でゼロが間に割って入ってきた。自分を追い越してエックスを庇ったのだ。
 これで、確実にエックスを始末できたはずの機会を3度逃した。敵は物理法則を、プログラムの解析を凌駕するとでもいうのだろうか。
 ありえない。
 ありえるはずがない。
 自身に搭載されたプログラムはゲイトが手がけたもの。天才が自ら生み出した至高の作品なのだ。
 エックスやゼロのような低スペックのオールドロボットが上回ることなど絶対にありえないのだ。
 ハイマックスに感情は搭載されていない。それゆえ焦りや動揺も感じないはずだった。
 しかし、己の理解を、プログラムを超えた『ありえない』はずの超常現象を何度も目の当たりにして、彼はかつてない困惑に見舞われていた。

「ワタシに勝るはずが……数値的な戦力は確実に上だ。オマエたちは……」

「数字にこだわるから分からないんだぜ。お前の軽いパンチじゃ俺たちの身も、心も、魂も砕けは砕けはしないぜ!!」

 完膚なきまでに痛めつけても、何事もなかったように立ち上がる敵。
 いかにダメージを負わせても、微塵も揺らぐことのない不屈の闘志。
 ハイマックスの脳裏で警鐘が鳴り響く。
 目の前の存在は異常だ。
 目の前の存在は理解できない。
 目の前の存在は得体が知れない。
 殺さねばならない。
 消さねばならない。
 敵は常識から、理論から、データから、プログラムの枠組みから外れた存在だ。
 こんなモノが在ってはならない。
 ハイマックスは空中へ浮かび上がり自らを保護する円環を解除する。
 ゼロを、目の前のイレギュラーを確実に抹消するため守りを捨てて攻撃に移る。

「デスボール、デスボール、デスボール……」

 両手の間に光球が生まれ拡大と同時に分裂する。
 2つ、4つ、8つ―――光球は増殖を繰り返し、そのすべてがゼロへ襲い掛かる。
 凌げるはずがない。
 かわせるはずがない。
 プログラムではそう理解しつつも、ハイマックスは攻撃の手を緩めるどころか苛烈さを増す。

「デスボールデスボールデスボールデスボールデスボールデスボール―――」

 数えるのも鬱屈な光の弾幕。
 出しうる限りのエネルギーを込めた、自身の最大最強の攻撃。
 確実に敵を葬り去るはずの猛攻を、死を免れぬ絶望を、ゼロは、防ぎ、避け、かわし、切り裂く。
 降り注ぐ雨粒の一滴も浴びないように、弾幕の雨を掻い潜る。
 わずかばかりの無駄もない、微塵の隙も伺えない動き。
 荒れ狂う光球の群れを歯牙にもかけず、確実に距離をつめてくる。

「バカな……ありえない―――」

 障壁を解除せず肉弾戦で嬲るように攻め続ければ、勝利したはずの戦いだった。ハイマックスは自らの優位を、自らの手で崩したのだ。
 プログラムの解析に絶対の信頼を置き、自身の勝利を確信した。それゆえ、わずかに戦況が揺らいだ程度で暴走した。
 感情を持ち合わせずプログラムに依存するしか脳のないハイマックスは、不測の事態を処理する術を知りえなかった。

「ありえない!!」

 ゼロの振るったセイバーで片腕が斬り飛ばされる。
 勝負の決め手となる一撃だった。ハイマックスの損傷は致命的なものではなかったが、ゼロの一撃は戦おうという意思をも断ち切っていた。
 主の命令に絶対忠実のはずの戦闘兵器が、戦いを放棄し自らの意思で退却していく。
 ゼロ、そしてエックスとの戦いを通じて、ハイマックスのプログラムには大きな変化が生まれていた。
 それは世間一般で言う成長であり、ゲイトが下らないと一蹴する欠陥だった。

「どういう事だ……スピード、パワー、ボディ、どれをとっても負けてはいない」

 上空に浮き上がり飛翔する自分を、ゼロは追いかけてこなかった。
 追いかける手段を持たなかったのか、追いかける暇もなかったのか、あるいは追いかける必要などなかったのか。
 己の直面した不条理に対する答えを求め、ハイマックスはゲイトの元へ―――天才の元へ帰還する。





「ヤツらは……『心』とは、何なのだ……」










◇ ◇ ◇

「アーッハハハッ!」

 戦闘の一部始終を監視映像で傍観していたアイゾックは笑いを堪えられなかった。

「笑わずにはおられんわい! あのエックスでさえ歯が立たなかったハイマックスを、倒してしまうとはな」

 ゲイトの生み出したハイマックスを前に、エックスはボロ雑巾のように敗れ去った。
 だが、ゼロはどうだ。足手まといのエックスを庇い、それでいて致命傷らしいダメージも受けず、敵を心身ともに破壊しつくした。
 その圧倒的な戦力差を目の当たりにして、アイゾックは喝采の笑い声を上げる。

「ゼロ! やはりおまえこそが最強のロボットじゃ!」

 そして興奮に酔いしれるあまり、室内に入り込んできた存在に気づかなかった。





「なるほど。どういうことかと思えば、貴様の仕業だったか……」





 気づけば背後にはゲイトがいた。
 赤く光る両の瞳が堪えようのない憎悪と殺意で溢れている。
 表情こそ崩れていないが、内心腸が煮えくり返る思いなのだろう。

「ボクのくれてやった実験データを何に使ったかと思えば、あんな旧世代のガラクタを蘇生させていたとは」

 アイゾックがゲイトに接近した目的は、もちろん世界再生のためではない。それは、ゲイトの持つ優れたレプリロイド蘇生技術にあった。
 レプリロイドの蘇生は現在でも困難を極め、よほど原型を保っていない限りはほぼ不可能とされる。
 仮に同じ機体を作り上げたところで、その中身まで元通りというわけにはいかない。
 レプリロイドのプログラムは擬似的な心である。そこには人格が宿り、それぞれが学習して個を形成することで初めて高度な機能を発揮する。心に代えは、量産は効かない。個々に応じたかけがえのない、唯一無二のプログラム。それがレプリロイド特有の『心』なのだ。
 レプリロイドとメカニロイドの最大の違いは、蘇生の可否にあるとさえ言われていた。そんな常識を覆したのが、その当時天才の名を欲しいがままにしていたゲイトだった。
 レプリロイドの残骸から、パーツの欠片から、一枚のデータチップから、形は愚か記憶すら保った個体を蘇生させた。
 ゲイトが長年かけて培った技術の結晶こそが、アイゾックの真の狙いだった。
 それだけのために、破壊されたゼロの破片を手土産にゲイトへ取り入ったのだ。

「あの汚らしい玩具はゼロを隠すための目暗ましだったか。まんまと騙されたよ」

「好き勝手ほざいておれ若造が! ワシの目的は既に達した! もはや貴様に用などない」

 そして目論見どおり、見事にゼロは復活を遂げた。
 最高のレプリロイドとして。
 最強のイレギュラーとして。
 今一度この世に解き放たれたのだ。
 達成感に浸り声を荒げるアイゾックを、ゲイトは底冷えするような目つきで見下していた。
 そして―――





「そうか。なら、もうこの世に未練はないな」





 ゲイトの動きにアイゾックは反応できなかった。正確には目で追うこともできなかった。
 あまりにも自然に、そして迅速に放たれた一撃。
 戦闘用レプリロイドでないはずのゲイトの腕は、アイゾックの首を根元から引きちぎっていた。
 頭部の喪失に伴い、制御を失った体は崩れ落ち唯の鉄屑へと成り下がる。
 文字通りゲイトに命を握られた状況で、それでもアイゾックは高笑いを続ける。

「ハハハハハハッ! ワシを殺したところで手遅れじゃ! ゼロは必ず貴様を殺す!!」

 自身の誇る最高傑作。
 最高にして最強、最悪の戦闘用レプリロイド。
 二度にわたって失敗したが、生き続ける限りチヤンスは訪れる。
 いつか必ず、今度こそゼロは奴を破壊するだろう。
 そしてこの醜い世界を、邪魔なレプリロイドたちを、全てを破壊しつくして無に帰すのだ。

「貴様だけではない! 奴も、世界もなにもかもじゃ!! ゼロは必ず全てを破壊す―――」

 アイゾックの言葉はそこで途切れる。
 ゲイトがその手に掲げていた首を無造作に握り潰したのだ。
 砕け散り周囲に飛散する破片を踏み潰し、転がっているアイゾックのボディも蹴り飛ばす。

「面白い。ゼロの解析は終えていたつもりだったが、どうやらまだ不完全だったようだな」

 ハイマックスはゼロのDNAから生み出した。
 ゆえにゼロの行動パターンは熟知し、あらゆる性能でゼロを上回っていたはずだ。
 それが、あえなく敗れ去った。
 おそらくは組み込まれたプログラムを超えた動きに、ハイマックスが付いていけなかったのだ。ゼロのプログラムを知り尽くしていなかったが故の敗北といえる。ハイマックス自身も改良する必要があるだろう。
 しかし、ゼロの破片の一部では、得られる情報量もたかが知れている。なんとか本体を捕らえて直接解析する必要がある。
 その先に待ち構えているであろう新たな境地を思い描き、ゲイトは自己陶酔した笑みを浮かべる。

「お前の最高傑作とやらも、エックスも―――『悪魔』も全てを掌握して、頂点に君臨するのも悪くない」

 自身がアイゾックの、そして悪魔の操り人形に過ぎなかったことを、今の彼は知る由もない。















~あとがき~

はひ ぁクリメ し//// ,,//ー、
っ ゃ│リぃぇ //// _r''´  :;:;:;l ̄/ ̄`ー、  _
は││っぃぇ (/// /  ;:;:;:;:∠∠_,     Y´  `ヽ
ぁ.││スぃぇ //// >_. ニ-´/⌒ヽ ヽヽ、 /´ ̄ ̄`ヽ}
│はスマぃ∫ |/  ヘ <_;:Y。y;:;ヽ゜_ソ;:;ゝゝ  i _-ー―-、}
│っ ぅ ぁ ∫ |/ / ', / ン´ `>┐r'/    ゝ-ー- ノ
│は !! ぁ   N /  ',/ /⌒ 7  ヒl | |    │l l│
っっ       \ /   .ハ |   |   _Y    r´ ̄ ̄`ヽ
―――――`⌒/    ハイ|    |  //     i ´ ̄ ̄ ̄`i
/////  /     ハ小    |、//     iー――-、ノ
///// ./_r-,-―'ハノ`丶┐Yレ_,-ー´ >-――←、
//// / ̄     -´ ̄ ̄ ̄ ̄/  ̄ ̄ ̄ヽ



[30750] #9 CREATOR(創造神)
Name: うわばら◆4248fd16 ID:d6e9f5e2
Date: 2012/02/11 01:52
 液体に満たされたカプセルの中でエックスは眠るように瞳を閉じている。彼を包むナノマシンは破損したアーマーを着実に修復しつつあるが、エックスが目を覚ます気配はない。
 治療溶液が中枢まで浸透するにはある程度の時間を要する。加えて、外装と異なり複雑な構造を誇る内部組織には効き目が薄い。
 いかに療養中といえども、そのダメージを考慮すれば楽観視はできない。

「ケイン様、エックスの容体は……」

「そう心配そうな顔をするでない。確かに重篤ではあるが、外部装甲に比べればメインプログラムの損傷は微々たるもんじゃい! これなら一週間もあれば完治できるじゃろう」

 エイリアの不安を払拭するため、ケイン博士は断言するように答える。

「それもこのアーマーのおかげかの~~~。以前より防御性能が増しておる」

 事実、エックスが死を免れたのはブレードアーマーに依る所が大きかった。
 彼が新たに装備していたアーマーは、エイリアがバックアップデータから再生したファルコンアーマーの強度を遥かに上回っていた。その強靭な鎧をなくして存命などありえなかっただろう。

「いったい、何があったのでしょう。この新しいアーマー……それに、あれほどの重傷を負ってくるなんて」

 エックスが発見されたのは今朝方のこと。
 突如として鳴り響いた警報に促され、エイリアが監視モニターの映像を拡大すると、正面ゲートで力尽きたように倒れ込むエックスの姿が飛び込んできた。
 直ちに瀕死の彼を医療施設に運び込み、ケイン博士の数時間に及ぶメンテナンスの末、ようやく安泰まで漕ぎ付けたのだ。

「さぁの~~~。そればかりはエックスから聞かんことにはの~~~。なんにせよ、こうして戻って来てくれてよかったわい」

 エックスの無事に安堵するあまり、二人は見過ごしていた。
 彼が携帯していたナイトメア拠点の調査データが、何者かに奪われていたことを。










◇ ◇ ◇

 リサイクル研究所。
 生涯を全うしたレプリロイドたちの墓場は、彼らのDNAデータを保管する役割も果たしていた。
 かねてからデータをつけ狙う輩は後を絶たなかったが、ナイトメアに占領された今、宝物庫は鉄壁の布陣を敷いていた。
 異形の軍勢は物欲に駆られた賊を迎撃し続けてきたが、今宵の盗人はいつもにまして凶悪なようだ。

「ずいぶんと不気味な衛兵だな。だが門番にはもってこいか」

 人を模したたこ
 ゼロがナイトメアに抱いた印象は『気色悪い』の一言に尽きた。
 人型の上半身は黒一色に染まり、腰から下は剥き出しのケーブルが垂れ下がっている。顔の半分を占める巨大なモノアイは赤く発光し、侵入使者を排除すべく無数の光弾を放つ。
 広範囲に及ぶ散弾にも臆することなく、ゼロはセイバーを抜き放ちナイトメアの軍勢に立ち向かう。
 寄生による必殺を得意とするナイトメア相手に迂闊な接近は自殺行為だ。遠距離の攻撃手段に乏しく、必然的にセイバーを用いた中距離戦が主体となるゼロにとって、ナイトメアはまさに天敵と呼べる存在だ。
 そんなハンデをもろともせず、赤い暴風はうごめく異形を片っ端から圧殺し、屍の山を築きあげる。ナイトメアは瞬く間にその数を減らし、ゼロが施設の最奥に辿りついた頃には、生き残りは10にも満たなかった。

「管轄はどこのごくつぶしだ。スクラップの処理を怠りやがって……」

 そこには金銀財宝など見当たらず、一面にガラクタの敷き詰められた空間が広がっていた。
 その死骸の山こそ宝の正体なのだが、探究とは無縁のゼロは何ら価値を見いだせなかった。

「シャシャシャ、この聖域まで辿りついたヤツは久しぶりだぜ。まさかナイトメアの加護を突破して来るとはな」

 拍手と共にゼロの来訪を歓迎するレプリロイド。そのすぐ横の床にはアンカーが突き立ち鈍い輝きを放っている。
 異臭と排煙の立ち込める工房は神秘性の片鱗も伺えず、ただ不快感が増す一方だった。

「ナイトメア……さっきの不気味な連中か。あんなものをけし掛けて、いったい何のつもりだ?」

「あん? 何も知らねぇのか、あんた?」

 世間を騒がすナイトメアの名に疑問符を浮かべるゼロを見かねて、レプリロイドは鮫牙さめがの生え揃った口を開く。

「コイツはな、この世界を理想郷たらしめる儀式だ!」

「儀式? それに理想郷だと?」

シグマウイルスだか何だか知らねぇが、どこもかしこも醜悪すぎんだよ。だからレプリロイド共を殺すのさ。奴らの血で世界を清め、より高次元の『エデン』と化すのよ!!」

「なるほど……それで、そのエデンとやらに貴様が君臨するのか」

「おうよ、この俺はメタルシャーク・プレイヤー様だ。いずれ世界の神となる存在よ!」

 いきなり荒唐無稽を語りだしたレプリロイドは、依然として瓦礫の山でふんぞり返っている。
 その姿は正にお山の大将。神々しさなど欠片も感じられない。あえて形容するなら猿山のボス猿がいいところだ、どう見ても鮫だが。

「廃物管理所を占拠して神を気取るとはおめでたい野郎だぜ。お前のプログラムもスクラップ化してるんじゃないか?」

「あんたみてぇな凡庸なレプリロイドにゃ理解できねぇのよ。この俺の神聖なるプログラムはな」

「ああ、理解できないぜ……イレギュラーの狂った思考回路はな!」

 そんなゼロをつまらなそうに見下し、メタルシャークはアンカーを手にして軽く肩を叩く。

「あの野郎もよく分からんぜ。今さらこんな死に損ないのデータを集めて何になるってんだ。エックスとかいう野郎にゃ興味があったのによ」

「安心しろ。貴様にくれてやるデータなど1ビットもない!」

 掛け合いは終わりとばかりにゼロはガラクタの山を駆ける。足場の不利をものともせず疾風の如くの勢いで斬撃を繰り出す。
 圧倒的な威力を誇るセイバーの一撃を、敵は手にしたアンカーで弾き返す。高出力のエネルギーを受け止めてなお、その表面には傷一つ付かない。

「無駄だぜ、この俺の神器はオリハルコン製だ! あんたのセイバーでも斬れねぇよ」

 武器の性能を自慢げに語りメタルシャークはアンカーを振り下ろす。遠心力の込められたスイングは掠るだけでも危険だが、ゼロは軽い動きでそのすべてをかわす。
 傍目には、怒涛の連撃を前に、成す術なく防戦を強いられているように見える。しかし、実際はゼロの方が圧倒的に優位を保っていた。

「ダメだな、まるで武器使いがなっちゃあいない。オリハルコンの名が泣くぜ」

 あまりにも大振りなフルスイング。その挙動にはなんの技術も見受けられず、百戦錬磨のゼロから見ればお粗末すぎる攻撃だった。
 加えてメタルシャークは大雑把な動作で無駄に体力を消耗し、対するゼロは最小限の動きで凌いでいる。このまま戦闘が長引けば形成は逆転するだろう。

「くっ……少しは出来るみてぇだな。いいぜ、この俺の本当の力を見せてやるよ」

 そんな攻防が5分ほど経過した所で、メタルシャークもようやく己の不利を自覚する。
 我武者羅にアンカーを振り回すことで強引にゼロを後退させ、地面―――山積みにされた廃棄物の海へと飛び込む。そのまま中を突き進み、メタルシャークは数秒と立たずに地中へ姿を消した。
 逃亡とも取れる行動だが先のセリフからして相手の戦術である可能性が高い。ゼロは下からの強襲に気を配りつつ、壁を背にすることで背後の警戒も怠らない。

「チャンバラの次はガラクタの中でかくれんぼか? 随分と泥臭い神様もいらしたもんだな」

「シャシャシャ、そう焦らねぇでも見せてやるぜ……」

 ガラクタの海が飛沫を上げ、2つの巨大な金属塊が飛び出してくる。目を凝らすとそれは様々な部品の寄せ集めだった。
 動力炉、Eエネルギー・カートリッジ、AIチップ、欠けたレーザーガン、壊れたサーベルの柄―――レプリロイドの構成要素に、破損した武装品。先の不可解な行動は廃棄物の中から再利用可能なパーツを集めていたのだ。
 次いで姿を露わしたメタルシャークは、そのままアンカーを大きく振り上げ廃棄物の集塊に叩きつける。

「さぁ、刮目しな! これが俺の―――創造神の力だ!!」

 本領を発揮した敵の振る舞いは戦闘時とは似つかない。
 素人目にも一流と分かる練磨された動き。その一挙動が迅速さと精密さを兼ね備え、先の荒々しさは微塵も見られない。出鱈目に振るわれていただけのアンカーも、本来の用途の元では目を見張る性能を発揮する。
 ガラクタの塊は匠の手により研磨され人型へと姿を変えていく。着色こそ施されないものの、たちどころに生命を帯びて行く。
 数刻と経過しない内に、それらは完全に2体のレプリロイドと化していた。

「なっ―――」

 メタルシャークが技巧を披露し終えるとゼロは言葉を失った。
 その手腕に心を奪われたのではない。
 その離れ業に魅せられたのではない。
 ゼロを驚愕させたのは過程ではなく、それにより生み出された作品だった。
 恰幅の良い体躯を誇り、サーベルを握るレプリロイド。
 そして華奢な体つきをした、拳銃を構えるプリロイド。





「カーネル……アイリス―――」





 自らの手で命を奪った好敵手が。
 自らの腕の中で息を引き取った想い人が。
 失ったはずの友が眼光を潜めて佇んでいる。
 動揺を隠しきれないゼロの姿に満足したのかメタルシャークは哄笑を漏らす。

「今は亡きオトモダチとの対面はどうよ。この俺の慈悲深さに泣いて感謝しな」

「……こんな偽物で俺を惑わせると思っているのか」

 二人を前にしてなお気丈に振る舞うゼロだが、内心の動揺を隠せずにいた。
 そんな彼の心中を察したように、メタルシャークは邪悪な笑みを浮かべる。

「ああ、思ってるぜ。そいつらはデータを元に復元させた正真正銘の『本物』だからな!!」

 その声を合図にアイリスが天井へと銃を放つ。
 ゼロは不可解な行動に一瞬眉をひそめたが、その意図はすぐに汲み取ることができた。
 メタルシャークの隣にいたカーネルが消えている。アイリスに気を盗られたわずかな間に死角へまわり込まれたのだ。
 長年の戦闘で染みついた防衛本能が咄嗟にセイバーを振るわせる。半ば無意識のゼロの行動は、彼の背後から迫るサーベルを的確に防いでいた。
 そのまま数度打ち合うだけでメタルシャークの妄言が現実味を帯びる。
 間断なく襲ってくる敵の太刀筋は、ゼロが幾度も手合わせしたカーネルのそれと酷似していた。
 
「創造神たるこの俺が贋作に甘んじると思ってんのか? DNAデータさえありゃ復元は楽勝よ。先の騒乱で半壊したレプリフォースに忍び込むのは容易かったぜ。シャシャシャシャシャ!!」

「まさか……二人のDNAデータを盗んだのか!?」

「おいおい、彼女を無視してこの俺に見惚れるか? そんな甲斐性なしにゃ仕置が必要だな」

 アイリスが再び発砲する。今度は上ではなく正面に向けて。
 放たれたレーザーはゼロの肩アーマーを吹き飛ばし、その隙にカーネルがサーベルの柄で側頭部を殴る。

「シャシャシャ、どうやら兄貴もお怒りのようだぜ! 妹をたぶらかすナンパ野郎によ!」

 そのままサーベルが突き出されるが、ゼロは屈むと同時に足払いを放つ。さらに、よろめいたカーネルにタックルをかまし、アイリスの銃撃を避けつつ間合いを取る。
 カーネルは特にダメージを負った様子も無く体勢を立て直すが、そのまま後方に跳躍してメタルシャークの傍らへ戻る。
 指示を飛ばした張本人、メタルシャークは腹立たしい表情で舌打ちする。

「ちっ、二人掛りで手こずるとは、役立たずなガラクタだぜ。出来そこないにこの俺の下僕は務まらねぇ」

 そのまま苛立ちをぶつけるように、カーネルへとアンカーを振り下ろす。
 オリハルコンの一撃に残骸の寄せ集めが耐えられるはずも無く、その頭部はひしゃげて破砕する。

「あ―――」

 すぐ横に立ちすくんでいたアイリスも蹴とばし、倒れた彼女の後頭部を容赦なく踏み潰す。
 メタルシャークは自ら生み出した二人を、自らの手であっさりと破壊したのだ。ゼロに見せつけるように、彼の反応を楽しむために。

「貴様―――」

「……な~んてな」

 しかし、頭を失ったカーネルの体は崩れ落ちずに直立している。
 首から上を消失したアイリスも難なく立ち上がり銃を拾い直す。
 そして地面のガラクタが吸い寄せられるようにして二人の首へ付着し、即座に融合することで頭部を再生させる。
 残骸の集合体は耐久性こそ並み以下だが、その構造ゆえに多少の欠落は容易に補える。このガラクタの海で戦い続ける限り半永久的な修復が可能なのだ。

「言っただろ、作り直すのなんざ朝飯前だ。木偶でくの命はこの俺の手中にあるのよ」

 メタルシャークはDNAデータの解析おいて卓越した能力を誇り、データを基に死んだレプリロイドを復元できる。
 彼にとってレプリロイドの命は路傍の石に等しく、退屈しのぎの遊具であり、都合の良い道具に過ぎないのだ。

「こいつだけじゃねぇ、全てのレプリロイドは俺の玩具おもちゃ! カス共の命はこの俺に弄ばれるためにある!!」

 命を操れるメタルシャークは命の重みを理解できなかった。
 創造の力を手にしたゆえに破壊することを躊躇わなかった。

「作るも壊すもこの俺次第! 創造と破壊は表裏一体! この俺が創り出し、この俺が破壊する! 分かるか、有象無象のレプリロイド共の命はこの俺が握ってるんだよ!!」

 暇を見つけてはデータを掻き集め、復元の技術を磨き続けていた。
 興味本位で軽はずみな復元を行い、面白半分に破壊を繰り返した。

「もう少しで、あと一歩でこの力は完成する。その時こそ、この俺はあらゆる命を支配して神になる!」

 『蘇生』ではなく『復元』。
 『復活』ではなく『修復』。
 その力はゲイトにこそ遠く及ばないが、メタルシャークは確信していた。

「世界を手にするのはシグマでもあの野郎でもねぇ、このメタルシャーク・プレイヤー様だ!! シャーッシャシャシャシャシャ!!」

 レプリロイドの心を犯し、穢し、辱める。
 レプリロイドの命を玩弄し、蹂躙し、餌食とする。
 レプリロイドの魂を踏みにじり、貪り食い、慰み物にする。
 神の如き力を誇るレプリロイドは、悪魔の心も兼ね備えた真正のイレギュラーだった。
 
「そのためにゃ、まだDNAデータが必要だ! でもあんたのデータはもういらねぇ。ここで彼女と一緒におねんねしなぁ!!」

 カーネルの援護に徹していたアイリスが銃を手放し飛び掛かる。捨て身の体当たりに威力は皆無だったが、彼女はそのままゼロを抱き締めるようにして拘束する。
 レプリロイドの遺骸で形成された体にかつてのぬくもりは感じられない。久方ぶりの抱擁はどこまでも冷めたものだった。
 そしてカーネルがその背後から迫り、サーベルを大きく振り上げる。恐らくは、アイリスごと自分を斬るつもりだ。
 畜生にも劣る卑怯な手段。決闘の礼儀も、軍人の誇りも、義を重んじる姿勢も、妹を想う心もなくしてしまったのだろう。
 二人を貶めた張本人は愉悦に浸り高笑いを上げている。
 甲高い耳障りな声が響き渡り、同時にサーベルの一閃が放たれる。

「ウシャシャシャシャ―――…ア?」

 轟音がメタルシャークを早過ぎる勝利の余韻から引き戻す。
 密着状態からのバスターはアイリスの体に大穴を穿ち、カーネルの片腕を吹き飛ばしていた。彼が束縛から逃れたわずかな隙にも、残骸はアイリスの風穴を塞ぎカーネルの左腕を再生させる。
 メタルシャークが実証したようにわずかなダメージでは二人は倒れない。葬り去るには―――自己治癒能力が追いつかないほど破壊し尽くす他にない。

「……アァ!?」

 セイバーで首を斬り離す。
 セイバーで腕を斬り飛ばす。
 セイバーで足を斬り落とす。
 セイバーで胴体を斬り捨てる。
 原形を留めないように。
 確実に始末するように。
 今度こそ―――安らかに眠らせるために。
 二体のレプリロイドは切り刻まれ、分散して元の残骸へ回帰する。
 集約させられたレプリロイドの遺骸が、ガラクタの海へ沈んでいく。
 魂がメタルシャークの呪縛から解放され、あるべき場所へ帰っていく。

「バ、バカな!? なぜ斬れる、なぜ殺れる!?」

 敵は反撃できないと思い込んでいたゆえに、メタルシャークは度肝を抜かれる。
 彼は前もってゲイトから連絡を受けていた。レプリフォースのカーネルとアイリス兄妹を復元すれば、確実にゼロを仕留められると。神の力の前ではゼロなど恐れるに足らぬ存在だと。
 主の言葉を鵜呑みにしたメタルシャークに保険など用意されているはずもない。やぶれかぶれにアンカーを振り回して突撃するが、素人の攻撃は剣鬼の片手に受け止められる。

「あ、あの野郎……話が違うじゃねぇか!? そいつらはあんたの―――」

「ああ、俺がこの手で殺めた仲間だ」

 一度として忘れたことは無かった。
 この手でカーネルを斬り伏せた感触を。
 この手で抱きしめたアイリスのぬくもりを。

「でも、俺は―――」

 虚構の安寧に浸るつもりはない。
 架空の平穏に惑わされはしない。
 偽りの幻影に左右されはしない。

「誓った」

 カーネルの生き様を。
 アイリスの死に顔を。
 彼らの魂を背負うと。

「それを貴様は―――」

 二人のデータを盗み愚弄した。
 二人の魂を隷属させ利用した。
 見逃せはしない。
 許せるはずがない。
 アンカーを握る手が怒りで震える。
 強大な握力がオリハルコンを軋ませる。

「んなあっ!?」

 メタルシャークに戦慄が走る。
 セイバーすら無傷で受け止めた神器が。
 幾重にも強化加工を施された超合金が。
 最強の硬度を誇るはずのオリハルコンが。
 アンカーがゼロの手の中で悲鳴を上げ無数の亀裂が走る。

「あいつらのDNAデータを―――魂を弄ぶことは許さん!!」

 怒号と共にオリハルコン製のアンカーが粉々に砕け散る。
 愛用武器なくして復元は実現しない。
 神がかった技能も道具が無ければ実行できない。
 この瞬間に、メタルシャークは神を自称する資格をなくした。『創造神』の称号を剥奪されたのだ。

「お、俺の神器が……神の力があああああ!?」

 あと一歩で頂点に君臨できたのに。
 あと少しで神の域に到達できたのに。
 癇癪を起こしてヒステリーに陥るメタルシャークだが、的外れな怒りは数秒も続かなかった。むしろ怒り狂うことで平静を保てていた。
 興奮で正気を失っている間は恐怖を感じずに済んだから―――

「クレイジーだ! イカれてやがる! あ、あんた悪魔だ……ぜ……」

 気付けば無意識のうちに一歩下がっていた。
 総身に戦慄が走る。
 総身が恐怖に震える。
 総毛立つような悪寒に襲われ、気が狂いそうになる。
 後ずさろうとした足がもつれ、無様に尻もちをつく。

「ま、待てっ! この俺を誰だと心得てやがる、いずれ神になる存在だぞ! この俺の命にどれほどの価値があると思ってんだ!?」

 度し難く愚かしい命乞いのセリフ。
 それは火に油を注ぐ役割しか果たさなかった。

「そうか、なら身をもって知るがいい。貴様が弄んだレプリロイドたちの怒りを―――命の尊さをな!!」

「ヒイッ!!」

 神の威厳はどこへやら。メタルシャークは恥も外聞もかなぐり捨て逃亡を測る。
 先端の欠けたアンカー―――神の力の名残も手放し、地中に逃げ込もうと跳び上がる。
 しかし、二度目を見逃すゼロではない。冷静にバスターを構えメタルシャークの着地点を先読みして狙い撃つ。

「ぐあああっ!?」

 ゼロのバスターはエックスのそれと比べれば性能が劣る。メタルシャークは直撃を受けてなお意識を保っていたが逃走経路を失った。

「死ね―――」

 眼前に迫るセイバー。
 眼前に迫る死の恐怖。
 避けられない生命の終焉。
 避けられない絶対的な死。

「ヒ……ィギャアアアアアアアアアア―――」

 数多の命を弄んだメタルシャークは、最後に命を弄ばれる恐怖を体感した。
 力に溺れ神を称した愚か者は、自身の命を代償にして命の尊さを学習した。
 メタルシャークは恐怖に顔を歪めたまま、その首を跳ね飛ばされた。ゼロの背後から飛来した赤いブレードによって。

「なんだ!?」

 ゼロが背後を振り返るタイミングを見計らったように、何者かが彼の真横を高速で駆け抜ける。
 颯爽と現れた人影は首なしのメタルシャークを肩に担ぎガラクタの山へ跳び移る。





「いやはや、ボウヤのが涙と感動の友情モノなら、キミの物語は愛憎ひしめくサスペンスドラマだね。まぁ、これはこれで楽しめたけど」





 濃紺のボディと赤いバイザー。
 つかみどころのない、傭兵らしからぬ外見の男。
 その顔には相変わらず軽薄な笑みが張り付いている。

「お前―――ダイナモか!? まだ生き延びてやがったとは、本当にしぶとい奴だな」

「そういうアンタも大概だね。神風宜しくユーラシアに特攻なんて自殺願望でもあったのかい? 死ぬどころか何かに目覚めちゃったみたいだけどさ」

 せせら笑う相手の様子にゼロは歯噛みする。
 敵の言葉に耳を傾けてはいけない。口八丁でダイナモのペースに乗せられるだけだ。
 自身に言い聞かせることで怒りを抑え臨戦態勢を整える。
 剣呑な目つきでセイバーを向けるゼロに、ダイナモは失望を露わにため息を吐く。

「ん~、よろしくない反応だね。ボウヤはもうちょっと再会を喜んでくれたけど」

「お前のノリにはつきあってられん。早くいつものように逃げ出せばどうだ、目障りだから消えてくれ」

 嫌悪を声に乗せて吐き捨てたのが失敗だった。
 始終無言を貫いたまま追い払うべきだったのだ。
 それを待っていたとばかりに、ダイナモは底意地の悪い笑みを浮かべる。 

「おお、こわいこわい。そんなに獲物を盗られてご立腹かい?」

「なに……」

「気付いてる? アンタさっきからぼくを殺したくて仕方ないって顔してるぜ」

 聞き流せない挑発のセリフ。
 呪詛めいた言葉が心を抉る。
 魔性の囁きが傷を切開する。

「我慢は体に良くないよ、ぼくたちレプリロイドにもストレスはあるんだからね。生きたいように生きて、りたいように殺せばいい。シグマの旦那の荒治療で正気に戻れたんじゃなかったの?」

 気の向くままに殺す。
 本能の赴くままに殺す。
 欲望の求めるままに殺す。
 感情に促されるままに殺す。
 食事や呼吸と同感覚でレプリロイドを殺す。
 ただの気まぐれでレプリロイドの命を奪う。
 目の前の男は決して放任出来ない、メタルシャークに輪をかけた『悪』だ。

「でも、キミたちの自己犠牲は病的だからね。ユーラシアの件といい被虐癖でもあるのかな。それとも―――さっきのは贖罪のつもりだったのかな? だとすれば……クク、アンタも救われないねぇ」

「―――貴様ァ!!」

 やり過ごせない感情に後押しされ、ゼロは敵を斬殺するべく突進する。
 鬼気迫る形相を目にしてダイナモは満足げにうなずき、手慣れた動作で右手を地面に打ち付ける。バスターから叩き込まれたエネルギーは地下で圧縮増幅され間欠泉の如く噴き上がる。
 いきなり乱立した無数のエネルギー柱に阻害され、ゼロはダイナモを処刑する好機を逃す。
 これぞダイナモの誇る奥義、アースゲイザー。広範囲に及ぶため威力は拡散されるが、牽制及び妨害においては絶大な効果を見せる。

「また会いに来てあげるから、それまでいい子で待っててね」

「待てっ! ダイナモ!!」

 ゼロの呼びかけも空しくダイナモは転移でメタルシャークごと姿を消す。
 空間転移は限られた距離しか動けないがダイナモの逃げ足は異常だ。一度でも逃亡を許せば捕まえることは不可能に近い。今頃はとっくに工場の外だろう。

「くそっ!!」

 やり場のない憤りを拳と共に壁へ叩きつける。
 二人が偽物であることは分かりきっていた。
 倒そうと思えばいつでも倒せたはずだった。
 それなのに躊躇した。
 二人を再び自らの手に駆けることを。
 二人をセイバーの餌食にすることを。
 信念ゆえに彼らの命を犠牲にした男が今さら何を躊躇うというのか。
 彼らに一方的になぶられたことは罪滅ぼしのつもりだったのだろうか。

(だとすれば……クク、アンタも救われないねぇ)

 救いを求める資格はない。
 許しを乞える道理はない。
 あんなことで償える筈がない。
 あんなことで贖える訳がない。
 どれだけアーマーに傷を刻みこもうと、心に刻まれた傷が癒えることはない。
 この身が地獄の業火で灰になろうと、犯した罪は永劫に消え去ることはない。

「迷いはしないと、誓ったはずだ―――」

 俯いたゼロの瞳に光がともる。
 否、その瞳が輝きを捉える。

「……あれは!?」

 奇跡か、はたまた運命か。
 それを発見できたのは、砂漠から芥子粒けしつぶを探し出すにも等しい偶然だった。
 大量の残骸に埋もれ、おぼろげに光る二枚のデータチップ。それはメタルシャークが盗み出し、復元の核に利用したカーネルとアイリスのDNAデータだった。

「そこに、いるのか―――」

 振るえる足で近づき、そっと拾い上げる。
 無機質なはずの機械片は光を、命の灯火を宿していた。
 握りしめた手の中には、確かなぬくもりが感じられる。
 失ったはずの絆。
 唯一無二の宝物。
 それが今、自分の手の中に形として存在している。

「カーネル……アイリス……」

 みどりのセイバーが紫に。 
 紅蓮のアーマーが漆黒に。
 二人の魂をその身に受け入れ、ゼロは新たな力を手に入れる。

「……すまない。俺はまだ、お前たちの所に行くことはできない」

 一度は彼らの元へ赴いた身でありながら、図々しくも現世に舞い戻って来たのだ。
 正確には強引に呼び戻されたのだが、彼らへの裏切りであることに変わりはない。
 だからこそ、もう無駄にはしない。
 だからこそ、もう惑わされはしない。
 紫のセイバーを握り、次の戦場へと向かう。
 黒いアーマーを翻し、己の信ずる道を進む。










「だから、もう少しだけ待っていてくれ」










 今度こそ、最後まで信念を貫き通すために。



[30750] #10 IRREGULAR(イレギュラー)
Name: うわばら◆4248fd16 ID:ea07ccc5
Date: 2012/03/05 21:31
 ゼロっ!

 わしの最高傑作!!

 倒せぇ!

 わしの敵! 
 
 わしのライバル!

 わしの生きがい!

 倒せぇ!

 あいつを!!

 行けぇ! 

 そして……










―――破壊せよ!!―――










「黙れっ……話しかけるな! 入って来るな!!」










 幻聴を振り払うように突き出した拳が、彼を収容していた治療用カプセルを破壊する。ガラスが砕け散り、液状ナノマシンによる浮力を失い、拳打の勢いに体が引っ張られる。

「グッ……ハァ、ハッ……ハ―――」

 そのまま前のめりの姿勢で床に転がり落ち、ようやくゼロは現状を把握する。
 地に這った姿勢から、感覚を確かめるように緩慢な動作で立ち上がる。茫然と片手を掲げると、それは実体として認識できた。
 失ったはずの五体があり、消滅したはずの五感があり、忘却されたはずの記憶がある。
 そう、自分は―――生きている。

「バカな……俺は、確かに―――」
 
「おお、ついに目覚めたか! 待ちわびたぞ、ゼロ!!」

 周囲を見渡すと、用途も分からぬ大型機械や、素人目にも高性能を伺わせるコンピューターが並んでいる。レプリロイド専用の医療施設、あるいはどこかの研究ラボだろう。
 そして、眼前には白衣に身を包み諸手を挙げて歓喜するレプリロイド。愛憎入り混じった視線に晒され、ゼロは自分でも理解できない不気味な感覚に襲われる。

「お前は……」

 見たことのない姿。
 聞いたことのない声音。
 感じたことのない空気。
 会ったことのない存在。
 それでも『誰だ』とは言えなかった。

「何が目的だ。なぜ俺を蘇らせた―――」

 決して記憶に存在し得ない人物像に、
 今しがた目の当たりにしたばかりの男に。
 自分の内に潜む何かが、
 メモリの奥底に封じられた何かが、
 プログラムの根底に刻まれた何かが反応している。
 分かる。
 感じる。
 理解できる。
 この男を知っている。
 この男を覚えている。
 この男は―――

「なぜ俺を生み出した!?」

 ゼロの必死の問いかけに、しかし老科学者は呆れたように返す。

「今さらワシに問う必要があるのか? キサマは既に思い出したはずじゃ」

 脳裏に忌まわしき記憶が蘇る。
 大量のシグマウイルスを取り込み、暴走する己の姿。
 膨大な殺意と瘴気を解き放ち、狂喜する己の姿。
 衝動に駆られて凶器を振るい、親友を襲う己の姿。





「自身の役割を」





―――俺が成すべきことはひとつ―――





「己の正体をな」





―――これが俺の真の姿だ―――





「……黙れ」

「問い質したのはキサマであろう。ワシに何を期待しておった? 否定されるとでも、なかったことに出来るとでも思っていたのか?」

「黙れっ!」

「受け入れろ! あれがキサマの真の姿、紛う事なき完成形じゃ!! ゼロ、お前は最強の―――」

 続く言葉を遮るように、拒絶するように、気づけば体が動いていた。
 すかさずセイバーを抜こうとして、ようやく愛用武器の消失に気づく。やむを得ず拳を振り上げるが、相手に叩きつける直前で体が硬直する。
 動けない。
 否、動かない。

「なっ、なんだ!? か、体が……動かん。くっ―――」

「以前のように手を噛まれてはたまらんのでな。ゼロ、キサマの事はこのワシが一番……フン、まあいい」

 不格好に固まったゼロを鼻で笑い、老科学者は含みのある笑みを浮かべる。

「ここより南西の方角に数百キロ、火山帯の基地に2体の刺客を向かわせた。そこでエックスを始末する算段じゃ」

「なにっ!?」

「外に置いてあるチェイサーなら数時間で着くじゃろう。もっとも、それまで奴が生きているとも思えんがな」

 老科学者がその場を離れると同時に金縛りが解け、ゼロの拳は空を切る。
 しかし、追い打ちをかける気にはなれなかった。

「それを俺に言ってどうする。エックスが憎いんじゃなかったのか?」

「ククッ、やはり覚えておるではないか。先の問答は単なる現実逃避か?」

「答えろ! お前は何がしたい! お前は……俺に何を望んでいる!?」

 ゼロは漠然と感じていた。この機を逃せば、二度とこの男との邂逅は得られない。
 何が何でも、この場で問い詰めなくてはいけない。

「ワシに喰ってかかる暇があるのか? 奴にぶつけるレプリロイドはかなりの高性能でな。数値的なステータスは全てエックスを上回っておる」

 そんなゼロの懇願を踏みにじる様に、老科学者は彼に怨敵の救援を促す。
 自分を取るか、エックスを取るか。苦渋の選択を迫られて、それでもゼロは2秒と迷ず踵を返す。

「くそっ―――」

 背を向けて駆け出すゼロの見送りを終えて、ようやく老科学者は問いかけの答えを虚空へと語る。

「ライトの忘れ形見……奴を殺すのはキサマじゃ。シグマなど、まして青二才の凡作などではない」

 自らゼロを援護に向かわせながら、ゼロの必死の形相を目の当たりにしながら、それでも老科学者は確信していた。己が悲願の達成、ゼロによるエックスの抹消を。

「せいぜい下らぬ友情ゴッコに励んでおれ。じゃが、所詮ワシからは逃れられぬ運命よ……」

 偽りの正義を気取るがいい。
 虚構の英雄を演じるがいい。
 生きてさえいれば、後はどうにでもなるのだから。
 生きてさえいれば、いつか必ず思い知るのだから。
 自身の本能を。
 自身の本質を。
 なぜなら、アレは―――





「ゼロ、ワシの最高傑作よ」





 破壊兵器イレギュラーなのだから。 










◇ ◇ ◇

 紫の閃光が奔り、黒の軍勢が灼熱に呑まれる。
 セイバーの一太刀が振るわれるたび、群がるナイトメアが消滅する。
 『飛んで火に入る夏の虫』とは言い得て妙だ。剣閃の煌めきは次々と異形を誘い出し、その悉くを灰塵に帰していく。

「こんな極寒の地で害虫駆除とは、貧乏くじを引いちまったな」

 北極エリア―――現在ゼロが剣舞を演じているのは、遥か北の地に位置する洞窟の中だった。
 誰が何の目的で、こんな辺境の地に施設を備えたのか。そして、敵は何を考えて、こんな辺鄙な土地を占有したのか。思考を巡らせる最中も寒波が全身を容赦なく襲い、体温と共に考える気力すら奪われる。
 優れた耐熱性能を誇るレプリロイドだが、金属の装甲は冷えやすく寒さには弱い。友のDNAデータで強化されたゼロの体だが、さすがに防寒対策までは施されなかったようだ。
 軋む体は必要以上のエネルギーを食い、氷点下に晒され続けることで技のキレが鈍る。相手がナトメアなら調度良いハンデだが、親玉は寒冷地仕様のレプリロイドである可能性が高い。少なからず不利を強いられることになるだろう。

「こいつは思ったより不味いな。さっさと司令塔を見つけないと―――っ!?」

 轟音を伴い、通路の奥から無数の氷塊が転がって来る。
 巨大な氷塊は狭い回廊を圧迫し、空間から一切の隙間をなくしている。それが複数連なっていては、受け止めることも破壊することも不可能に近い。しかも速度はかなりのもので、今から入口まで引き返しても途中で轢き潰されるだろう。
 正に絶体絶命の窮地だが、ゼロは焦ることなくセイバーを握る両腕に力を込める。
 
「―――フッ!!」

 膨大なエネルギーを束ねた渾身の振り下ろし。解き放たれた破壊の閃光は氷塊をまとめて粉砕し、欠片も残さず消し飛ばす。
 そして、一息ついたゼロを負い打つように続々とナイトメアが傾れ込む。一難去ってまた一難、間断なく押し寄せる敵の勢力は心身ともに疲労を誘う。

(クソッ、もたついてる暇はないってのに……)

 ゼロが苛立ちを覚え始めたところで、獣の遠吠えが洞窟に木霊する。

(今の声は、まさか!?)

 奥に潜む何者かは、おそらくこちらの様子を把握している。
 ならば、これは威嚇のつもりか、あるいは―――

「……挑発のつもりか? 上等だ、すぐに吠え面をかかせてやる!」

 セイバーを解除し、片手をバスターに変形させる。
 ナイトメアの群れには狙いを定めず、圧縮したエネルギーと共に思い切り地面へ叩きつける。

「裂光覇!!」

 天井から無数の光が降り注ぐ。
 レーザーの雨は異形の集団を容赦なく蹴散らし、強引に突破口を切り開く。駆逐されたナイトメアが陣を整えるより早く、ゼロは抉じ開けた通路を一気に駆け進む。

「ようやくご対面か。随分と手間取らせてくれたな」

 洞窟の終点は四方を氷壁に囲まれた小部屋だった。障害物の類は存在せず、一対一の決闘にはお誂え向きといえるだろう。
 罠が仕掛けられている気配はなく、鬱陶しいほど沸いていたナイトメアも見当たらない。敵はここにきて正々堂々を望むつもりか、我が身ひとつで待ち構えていた。

「ブリザード・ヴォルファング……久しぶりだな」

 案の定というべきか、記憶と違わぬ狼型のレプリロイドがそこにいた。
 ブリザード・ヴォルファング―――かつて、寒冷地の開拓に率先して取り組んでいたレプリロイド。獰猛な印象の外見とは裏腹に、優れた判断力と冷静な思考を誇り、開拓チームからも一目置かれる存在だった。
 彼の率いる部隊は多くの功績を残してきたが、ある任務の最中に壊滅してしまう。危険を伴う未開の地の開拓作業には珍しくもない事例だが、唯一生き延びたヴォルファングは責任を取る形で処分されることになった。
 そして、処刑の役割を課されたのがイレギュラーハンター本部だった。ゼロはヴォルファングとは数回顔を合わせた程度に過ぎなかったが、あの時の出来事は嫌にハッキリと覚えていた。

「ゼロか。お前もまた復活したと聞いたが……」

「俺はそう簡単にはくたばらない。少なくとも、お前の悪辣な歓迎会じゃな。随分とらしくないやり口だったが……やはり、あのことで俺たちを恨んでいるのか?」

「昔の話だ。元より部隊を崩壊に導いた身分で、一人のうのうと生き延びるつもりはなかった。仮にお前たちが手を下さなくとも自ら死を選んでいただろう」

「それなら、あのナイトメとかいう蛸はなんだ? お前がメタルシャークの同類とは思いたくないんだが……」

「あのような妄想狂と一括りにされるのは心外だな」

 その一言で確信する。
 やはり、この地でナイトメアを使役していたのはヴォルファングだった。そして、メタルシャークのことも知っている。
 共謀して何かを企てているのか、あるいは二人を操る黒幕が背後に控えているのか。

「あの日、私はすべてを失った。今更二度目の生を謳歌するつもりはない。かつての使命も、この世界の行く末も、もはや単なる些事に過ぎん」

「……なら、お前は何のためにこんな洞穴に引き篭もってる」

「言わずとも知れたこと。それが主により課された任務だからだ」

 どうやら後者が正解のようだ。
 ゼロはヴォルファングとは見知った仲だが、さすがに主従関係までは把握していなかった。

「あんな蛸共とタコ部屋に押し込まれるのが任務か。お前の主が誰かは知らんが、随分と悪趣味な奴だな」

「我が主を侮辱するか? 他ならぬお前が……主を狂わせたお前がぁ!!」

 瞬間、獣の本性―――ヴォルフアングが滅多に表に出さない凶暴性が開放される。
 怒声に伴い爆発的に膨れ上がる殺気。身の危険を感じた時には相手が動いていた。
 ゼロは半ば条件反射で体を逸らすが左肩を抉られる。数秒遅れてセイバーを抜くが、ヴォルファングは既に間合いから離脱していた。そのまま食い千切ったアーマーを吐き出し、蔑んだ瞳でゼロを見据える。

「チッ……不意打ちとは、本当にらしくないな」

 口を尖らせるゼロにヴォルファングは嫌悪を露わに吐き捨てた。

「主はこのような蛮行を是とする方ではなかった。お前さえ現れなければな!」

「なに……」

「お前の残骸を手に取るたび、主は狂乱の渦に陥ってしまう! お前のDNAデータを解析するたび、主は理性を手放してしまう!」

「俺の残骸、DNAデータだと?」

 理解が追いつかず言葉を濁すゼロに、ヴォルファングは容赦なく罵声を浴びせる。

「お前が主を狂わせた、世界に破滅をもたらしたのだ!! お前は復活してはいけなかった。死人は在るべき場所へ―――冥府へ還るのだな!!」

 ヴォルファングは手足を床につき、天を仰いで雄叫びを上げる。殺気の込められた咆哮に伴い地面から無数の氷柱が隆起する。際限なく突出する棘は大地を埋め尽くし、辺りはたちどころに剣山と化す。
 ゼロは壁を蹴り上がることで回避するが、凍りついた壁面に摩擦は生じず、数秒と立たずにバランスを崩す。落下する寸前にバスターで氷柱を粉砕し、足場を確保したうえで着地する。
 そして、地面に降り立って直ぐにセイバーを構えるが正面に敵の姿は無く、

「―――上か!?」

 迫り来る敵の姿は正に血に飢えた獣だ。
 迎え撃つ余裕はない。ゼロは咄嗟に首を捻るが、回避しきれずメットの一部を噛み切られる。
 すかさずセイバーを振り抜くも刹那の差で彼の攻撃は空を斬る。ゼロが反撃を繰り出した時点で、ヴォルファングは安全圏へと逃れている。
 ヒットアンドアウェイ。己の安全を確保した上で、時間をかけてこちちらの戦力を削ぐつもりだ。

「くそっ、ちょこまかとすばしっこいヤツだな……」

 相手のスピードは明らかに自分を上回り、凍りついた足場も有利に働いている。
 自ら攻め込むことは困難だが、待ち構えていても勝機は見いだせない。じわじわと嬲り殺しにされるのが目に見える。
 ゼロが危機感を募らせる一方で、対するヴォルファングも焦燥に駆られていた。
 一見して優位を保っているヴォルファングだが、彼の誇った尖鋭な牙は無残に欠け落ちていた。二度に及ぶ強引な噛みつきの反動に耐え切れなかったのだ。
 相手の尋常ならざる防御力に、砕けた牙で歯軋りする。
 手傷を負わすたびに攻撃手段を削られるようでは、持久戦など成り立たない。むしろ、反対にこちらが不利に追い込まれかねない。
 早急に雌雄を決するべくヴォルファングは床の氷柱を薙ぎ払う。砕かれた氷塊は氷雨と化して標的へと降り注ぐ。広範囲に飛散した結晶に威力はないが、ヴォルファングは氷を目潰しに距離を詰め、両手の爪を振りかざす。
 ゼロの左足に爪痕が刻まれる。さらに機動力の差が開く。
 ヴォルファングの爪がひび割れる。さらに攻撃力が損なわれる。
 両者は怯む間もなく体勢を立て直すが、先に動いたのはヴォルファングだった。その場から跳躍し、壁を蹴り上げ天井へ飛び移る。狙いはアーマーに守られていない顔面。反動で両手の爪は砕け散るだろうが問題無い、次の一撃で勝負を終わらせる。
 床から壁へ、壁から天井へ、天井から隣の壁へ。立ち竦むゼロを翻弄するように縦横無尽に跳び回る。空間全体を生かした高速移動は、見切ることは愚か目に映すことすらかなわない。絶望的な状況の中、ゼロはあえて瞳を閉じた。

「勝負を捨てたか!? ならば一撃でその醜貌を引き裂いてくれる!!」

 目で追うことは到底不可能。
 それなら五感で捉えるまで。
 視覚を閉ざすことで、聴覚と触覚を限界まで研ぎ澄ます。
 全神経を張り巡らせ、敵の気配と殺気、物音から大気の揺れまでを感知する。
 ゼロが迎撃の姿勢を整えた様子を、しかしヴォルファングは逆に好機と判断した。両脚に渾身の力を込め、壁を蹴り砕く勢いで跳び出し、弾丸の如くの速度で突進する。
  
「地獄で主に詫び続けろ! ゼロ!!」

 この時、ヴォルファングは激情に流されるあまり、自身が既に失態を侵していたことに気づかなかった。

――― 一撃で●●●その醜貌を●●●引き裂いてくれる―――

 言い換えれば、大振りの攻撃が真正面から来る、ということだ。
 彼は無自覚の内に次の一手を暴露していたのだ。どれだけ猛スピードで撹乱しようと攻撃に転じる瞬間を読まれては意味がない。
 ヴォルファングがゼロの顔面を捕らえる刹那、その瞳が見開かれ紫の刃が交差する。

「グッ……ぬかったか―――」

 敵を血祭りに上げるはずの両の爪が手首ごと切り落とされる。切断面からは流血の如くオイルが噴出し激痛が走る。

「昔のお前なら、冷静さを失うような真似はしなかっただろうな。本当に……変わったな」

 怒号を張り上げ荒れ狂う野獣に、かつての面影は残っていなかった。むしろ、その姿はどこかあの時の自分を彷彿とさせ、ゼロはやるせない気分に陥る。
 自分が、狂わせたのだろうか。
 冷静沈着だったヴォルファングを。見たことすらない彼の主を。そして、

「俺が世界に破滅をもたらしたってのは、どういう意味だ?」

「言葉通りの意味だ。主はお前の欠片を手にいれ、DNAデータからナイトメアを生み出し世界に解き放ったのだ」

「なっ―――」

「そして今なお、万を超えるレプリロイドがその餌食となっている。世界中が悲劇に見舞われている。お前のDNAデータが悪夢を招来したのだ!」

「ナイトメアは俺のDNAデータから生まれた……あんなものが、俺のデータの中に!?」

 反論はできなかった。
 驚愕の事実に、どこかで納得している自分がいたから。
 否定はできなかった。
 非情な現実を、どこかで受け入れている自分がいたから。





「そうだ! 奴らナイトメアがお前の映し鏡……全てを破壊する悪魔の姿が、お前の心の姿なのだ!」





―――お前の心が破壊を望んでいるのだ―――





「お前こそ全ての元凶だ! ゼロ、悪しきイレギュラーめ!!」





―――ゼロ、お前こそイレギュラーだったのだよ!―――





「俺が、元凶……」

「ゼロ! お前のDNAデータは、お前は存在してはならんのだ!! 更なる混沌が訪れる前に、主との接触を防ぐために、お前は私がここで仕留める!!」

 天井を突き破り、2体のナイトメアが現れる。

「私も暴虐の片棒を担いだ身分。それでも、僅かでも購いが許されるならば、この穢れた身は喜んで畜生に堕ちよう―――」

 舞い降りた悪夢はゼロには目もくれず、悠然とヴォルファングに襲いかかる。

「ガッ、グ……ゥオオオオオオオオオオ!!」

「な―――!?」

 寄生を初めて目の当たりにしたゼロは醜悪な光景に言葉を失う。
 コードがヴォルファングの両手に絡みつき、コネクターが切断面に突き刺される。接続箇所を入口に、ナイトメアは溶け込むようにしてヴォルファングと融合する。
 白銀の体が黒く染まり、双眸が同化するように単眼と化し、切り落とされた手首が再生する。
 失った狼爪を補うように、黒い光沢を放つ凶爪が生え揃う。砕けた狼牙を修復するように、歪な犬歯が乱雑に生え出す。
 大きく裂けた口を限界まで開き、黒き獣は並びの悪い歯を剥き出しに咆哮を上げる。

「イクゾッ! ゼロオオオオオ!!」

 ナイトメアというバグを取り込み、それでもヴォルファングは意識を保っていた。ゼロへの敵意と憎悪が悪夢に蝕まれる彼の精神を支えていた。
 魔獣へと変貌を遂げたヴォルファングの動きはより苛烈さを増していた。残像を残す速度で空間を駆け回り、瞬く間にゼロの体を刻んでいく。

「くっ……あ……」

 全身を鎌風に晒され、秒単位で体に裂傷が走る。
 強化された漆黒のアーマーが、ヴォルファングの猛攻で紙屑のように引き裂かれる。
 体中を駆け巡る痛みで意識が遠のき始めた刹那、ゼロは頬に液体の感触を得た。

「―――エセ」

 狂気に呑まれ暴走する獣が。
 憎悪を漲らせ狂奔する魔物が。
 赤く濁ったモノアイから、黒い雫を垂らしている。





「ア、ルジヴォオオォガエ、ゼ―――」

「ヴォルファング……お前……」





 それはオイルか、それとも涙か。
 それは憎しみか、それとも哀しみか。
 慟哭を上げる姿に怒りは見えず、ただ悲しみに支配されていた。
 猛り狂っていた獣の勢いが衰え、場を包んでいた殺気が霧散する。

「アルゥジィイヲ―――」

 しかし、それもほんの一瞬の出来事で、即座に瞳に狂気が宿る。
 再び殺気を纏ったヴォルファングは大口を開けてゼロへ飛び掛かる。

「カエゼエエエェェ!!」

 首をガードした左手に牙が深々と喰い込む。魔獣の牙が強化装甲を貫通し神経回路を蹂躙する。
 セイバーを握る力が弱まるが、それでもゼロはセイバーを、己の誇りを手放さない。





「……ざけるな」





 その瞳に炎が、剣鬼の魂が宿る。

「ふざけるなよ……どいつもこいつも勝手なことばかり言いやがって……」

 勝手に生み出されて、
 勝手に背負わされて、
 勝手に利用されて、
 勝手に蘇生されて、
 勝手に憎まれて、
 勝手に恨まれた。
 生まれた時から使命に縛られ、最後まで運命に翻弄された。
 死してなお安息を得られずに、災厄の火種に用いられた。
 その挙句が――― 





―――ゼロ! お前のDNAデータは、お前は存在してはならんのだ!!―――





「お前に言われなくても、そんなことは俺が一番わかってるんだよ……」

 自分の中には化け物がいる。
 破壊を渇望する怪物がいる。
 レプリロイドの命を欲する悪魔がいる。

「俺は闘うことしか手段をもたない。闘いの中にしか己を見いだせない―――」

 いつも争いの渦中にいた。
 絶えずセイバーを振るってきた。
 かつてシグマの言った通り、破壊こそ己の性分なのかもしれない。
 自分のデータは破壊を求め、闘争本能に支配されているのかもしれない。





「―――でもよ、あいにく俺にも意地ってもんがあるんでね。素直にくたばってやるわけにはいかないんだよ!!」





 もう、誰にも操られない。
 もう、何にも踊らされない。
 己の生まれた意味も関係ない。
 己に課された宿命も関係ない。

「もうお前たちに弄ばれはしない! 俺は自分の意思で、自分の魂に従って生きる!!」

 強引に左手を引き抜き、全力でヴォルファングを殴り飛ばす。ゼロの拳は牙を粉砕するだけに止まらず、顎を砕いて首をへし折る。
 頭部があらぬ方向を向いてなお、ヴォルファングは殺意を絶やさない。顎門を大きく開き、曲がった首で照準を定め、喉奥から無数の氷柱を飛ばす。
 ミサイル宜しく放たれた氷弾を、ゼロは防ぐことなく真正面から受け止める。氷柱は高速で回転して、ドリルのように装甲を抉る。

「俺は―――立ち止まりはしないっ!!」

 それでも、ゼロの突き進む勢いは衰えない。次々と突き刺さる氷柱を意に介さず疾風はやての如く駆け抜ける。

「旋墜斬!!」

 神速で放たれた一閃。加速を上乗せした斬撃がヴォルファングを縦に両断する。魔獣の体はナイトメアソウル諸共二つに割られ、生命機能を失い崩れ落ちる。
 死闘を終えたと安堵した拍子に痛みがぶり返し、ゼロは思わず片膝をつく。次いで押し寄せる疲労の波に押され、そのまま仰向けに倒れ込む。
 凍りついた床は硬く、冷たさも相まって最悪の寝心地だ。しかも、依然として室内の冷え込みは激しく、下手に休めば仮眠が永眠に繋がりかねない。

「……やれやれ、こいつは本当についてないな」

 文句を垂れながら刺さった氷柱を引き抜き、寝返りを打つと同時に無残なヴォルファングの亡骸が目に入る。
 ヴォルファングとは顔見知りではあったが、カーネルのような旧知の仲では無い。殺し合いを躊躇する間柄ではなかったが、それでも心に蟠(わだかま)りが残る。
 自分は信念と引き換えに他者の命を奪ったのだ。これまで通りに。そして、これからもそれは続いていくだろう。
 カーネルを手に掛けた時から犠牲を厭わぬ覚悟は決めていた。自分のやり方を受け入れて、それでもゼロは思わずにはいられなかった。





「お前なら、ヴォルファングを救ってやれたのか? エックス―――」










◇ ◇ ◇










「―――ゼロ?」





 同刻、何かに呼応するようにエックスの意識は覚醒した。



[30750] #11 SURVIVAL(サバイバル) 
Name: うわばら◆4248fd16 ID:ea07ccc5
Date: 2012/03/15 21:44
「所詮は失敗作の寄せ集め。いくら蘇らせても屑は屑か」

 メタルシャークとヴォルファングが相次いでやられ、残る手駒はとうとう一体。それも最弱を誇るコマンダー・ヤンマークだ。真っ先に葬られて然るべき輩が最後まで生き残るとは、なんたる運命の悪戯だろうか。
 そもそも、ゲイトは初めからヤンマークを半ば見限っていた。あの度し難いまでに愚直なレプリロイドは、あろうことかナイトメアを世界の脅威とみなし、自ら調査することをゲイトに申し出たのだ。そのゲイトこそが悪夢をばら撒いた犯人なのだが、主を信じて疑わぬヤンマークには、狂気に溺れる彼の姿も威光を放つ聖人にしか映らなかった。
 主の理想像に視界を曇らせ首謀者に頭を垂れるヤンマークの姿は、第三者視点には抱腹絶倒の茶番だったであろう。しかし、当事者たるゲイトからすれば笑いごとではない。
 事実を暴露すれば反逆しかねない。かといって、容認すれば粛清の妨害にまわることは避けられない。つまるところ、ゲイトにとってヤンマークの存在は邪魔以外の何物でもなかったのだ。
 そんな愚か者の役立たずを彼が生かしたのは、ヤンマークがイレギュラーハンターに少なからぬ不信感を抱いていたからに他ならない。
 かつては森林観測を生業にしていたヤンマークだが、ゲイトを妬む何者かの策謀により違法改造を施され、その結果命を落とした過去を持つ。それゆえ、復活して以来は名立たる機関を悉く蔑み、反面ゲイトを盲信するようになった。並みならぬ猜疑心を持ったことが真に疑うべき黒幕に依存する結果を生んだのは皮肉としか言いようがない。
 そして、そんな救いようのない存在だからこそ、ゲイトはあえて始末しなかった。馬鹿とハサミは使い様、ヤンマークとてゲイトが自ら手掛けた作品である。戦闘用ではないにせよ、スペック自体はまだ捨てたものではない。そのうち何らかの利用価値を見いだせると踏んでいたのだが、

「馬鹿に使い道はあっても屑では何の役にも立たん」

 エックスとゼロの桁外れの戦闘力を見せつけられた今、ゲイトはヤンマークを完全に見放していた。
 戦わせたところで敗北は必至。むしろ、エックスやゼロと対峙することで狂いが生じる可能性が高い。あっさり手の平を返したタートロイド、そして、冷酷無比の殺戮兵器だった●●●ハイマックスのように。

「ゲイト様、ワタシを向かわせてください。次こそはヤツらを仕留めてみせます」

 主の不機嫌を察してか、無言で佇んでいたハイマックスは自ら進み出て提言する。ゼロに切り落とされた片腕は既に再生され、迸る闘気は以前にも増して荒々しい。
 そう、ハイマックスは名誉挽回に燃えている。感情を持たないはずの機械が己の失態を悔やみ、リターンマッチを望んでいるのだ。

「黙れよ」

 跪き頭を下げる忠臣を、しかしゲイトは容赦なく踏みつける。

「道具風情がボクの命令もなしに口を開くな。耳障りだ」

「しかし、ヤツらはヤンマークの手には余る存在かと……」

「そんなことは初めからわかっている。二度言わせるな、耳障りなんだよ!!」

「……」

 ハイマックスには狂いが生じていた。
 ゼロに惨敗を喫した時よりもさらに前、スカラビッチの始末を終えた瞬間から。





―――主よ、『涙』とは?―――




 思えば、あの時点でハイマックスは道具の役割を放棄していた。真に道具であるならば自ら口を開くはずがない、疑問など抱くはずがないのだ。
 極めつけはゼロに敗れたという事実だ。ハイマックスの性能は確実にエックスとゼロを上回る。数値的なパラメーターが勝っている以上、純粋な殺し合いで後れを取るはずがない。ただし、それはあくまで全力を出し切った場合の話だ。
 いかに潜在能力を秘めていようと、数パーセントしか引き出せなければ意味はない。どれほど優れたプログラムを搭載しようと、担い手が無能では宝の持ち腐れだ。
 ゆえに、ゲイトはハイマックスから感情を取り除いた。油断、慢心、動揺、恐怖、同情、義憤……あらゆる情動に流されず惜しみなく能力を発揮させるために。常に冷静な洞察で戦局を分析し最善の一手を手がけるように。
 それが、あろうことか自ら感情を学び戦力を激減させたのだ。修復の際にプログラムを書き換えるつもりでいたが、『学習すること』を覚えたプログラムはゲイトの想像を超える勢いでハイマックスに自我を形成していた。
 結局ゼロの快進撃に改良が間に合わず、ハイマックスは不出来な人形に仕上がった。無意味な感情に束縛され、ゲイトの与えた戦闘プログラムを8割も解放できない木偶の坊へ成り下がったのだ。

「ボクが施してやった性能を自らの意思で劣化させるか。どいつもこいつも愚図ばかり……」

 憎々しげに舌打ちすると、もう一体の愚図―――ナイトメアの監視目的と偽り、アマゾンエリアに縛り付けたヤンマークから通信が入る。それに伴い鳴り響く緊急用アラームが火急の用であることをやかましく主張する。

「何事だ、ナイトメアの動きに異常でも見られたのか?」

『報告します、ほぼ同時刻に三体のレプリロイドが指定区域に侵入しました。ただ今そちらに映像をお送りします』

 モニターに映し出された三つの人影。白、黒、紺のレプリロイド。
 エックスが、ゼロが、そしてダイナモが揃って熱帯雨林に踏み込んでいた。

『紺色の男が監視下より外れました、どうやら気づかれたようです。オプションを新たに三機向かわせましたが補足できません。明らかに戦闘慣れしています。黒いレプリロイドは西側を溜まり場にしていたナイトメアの群れに鉢合わせした模様。三人目は真っ直ぐこちらに向かってきます。これより対話を試みますが、いかがいたしましょう?』

「……白いアーマーのレプリロイドは適当にあしらっておけ。紺色のヤツは危険人物だ、確かダイナモといったな。見つけ次第始末しろ。残りの一体だが……ああ、そういえば各地でナイトメアを従えた漆黒のレプリロイドの目撃情報が入っていたな」

 世界に悪夢を解き放った張本人でありながら、ゲイトはぬけぬけと言い放つ。
 そんな主の虚言に何ら疑問を抱くことなく、ヤンマークは任務を遂行するべく気を引き締める。

『承知しました、直ちに対処致します』

 通信を切断し、一芝居終えたゲイトは口元を綻ばす。
 
「ククッ、千客万来だな。まさかここにきて勢揃いとは……」

 敵が一カ所に集中している状況は好都合だった。
 ヤンマークの能力は時間稼ぎにはうってつけだ。密林を隠れ蓑に行動すれば複数相手でも易々とくたばらないだろう。
 もちろん、勝ちなど期待はしない。ヤンマークの役割はあくまで陽動と撹乱、その命を犠牲に数時間稼げればそれでいい。
 ゲイトの赤い眼光に殺意が宿り、未だ俯いたままのハイマックスに命令する。

「皆殺しにしろ。エックスにゼロ、ダイナモ―――役立たずのヤンマークもだ。ボクはこれからボク自身の最終調整に入る。監視はできないがボクを失望させてくれるなよ、ハイマックス」

「仰せのままに」

 声に感じる力強さは恐らく気のせいではないだろう。主の期待に添うべく奮起するハイマックスの姿勢は、やはり無感情には程遠く一層ゲイトを苛立たせた。先の言葉とは裏腹にゲイトは今やハイマックスにも期待を寄せていなかった。それゆえ、残った数少ない戦力を使い捨てることに何の抵抗も抱かなかった。
 一念発揮するハイマックスが視界から失せたのを見計らい、ゲイトは彼の体内に埋め込んだ時限式の起爆装置を作動させる。これでハイマックスが戦場に着いてしばらく経てば、アマゾンエリア周辺は灰燼に帰す。

「いくらこのボクが手掛けてやったところで、所詮ボクに及ぶ者など生まれはしないか。こんなことなら、初めからボク自らが動くべきだったな」

 メタルシャークとヴォルファングとの戦闘から採取したゼロの追加データを基に、自身に最後の改造を施すためにゲイトは研究室へ向かう。
 そうして、彼は『悪夢ナイトメア』を超える災厄―――ゼロのDNAデータの深淵に見出した『悪魔』の眠る禁断の領域に足を踏み入れるのだった。





「最後くらい役に立ってみせろ、ガラクタ共め」










◇ ◇ ◇

 アマゾンエリア。
 最後のナイトメアの拠点は、開拓の跡が見られない原生林の秘境だった。自然保護区に指定された一帯の土地は、今や人類より遥かに悪質な存在に荒らされていた。
 遠目にも確認できる一体のナイトメア。乱立する木々の間に隠れ潜み、隙あらば寄生しようと待ち伏せる様子からして、これまでの物より性質が悪そうだ。もっとも、赤く光るモノアイは薄暗い密林において目立つため、簡単に居場所を特定できるのだが。
 間抜けなナイトメアに狙いを定め、チャージショットで大木ごと吹き飛ばす。いつもの如く増援が来ることを警戒し、エックスはバスターにエネルギーを込めるが、

「……おかしいな。なんだか数が少ないぞ」

 追撃が来ないことに拍子抜けする。
 先の個体が偶然単独行動していたのかもしれないが、これまで常に群れていたナイトメアの習性を考えると違和感が残る。
 広大な面積を誇るエリアに分散して待機しているのか。それとも、既に何者かに撃退された後なのか。ナイトメアが影を潜めていたのは奇襲のためと思い込んでいたが、もしかすると単に逃げ隠れしているだけかもしれない。
 仮に第三者が訪れているとすれば、ダイナモか、あるいは、

「ゼロ……」

 マグマエリアでの戦闘の末、自分はあの黒いレプリロイドに死の淵へ追い込まれた。そして、奈落へと転落する間際に意識を喪失し―――気づけば治療用ナノマシンに浸かっていた。エイリアに聞くと、ハンターベースの正面ゲートで瀕死のまま倒れていたようだ。
 自力で生還した記憶はない。あの状態で敵を退けられたとも思えない。十中八九、何者かに助けられたのだろう。
 そして、目を覚ましてすぐにセイバーとナイトメアの調査データを失っていることに気がついた。敵に奪われたのかもしれないが、エックスは第二の可能性を捨てきれずにいた。
 意識を取り戻す直前に聞こえた『彼』の声。
 それは己の願望が生み出した幻聴だったのかもしれない。
 それは心の弱さが生み出した錯覚だったのかもしれない。
 でも、もしかすると彼が―――

「―――考えるのは後回しだ。まずはこの悪夢を終わらせないと」

 未練を断ち切る様に首を振り、草木を掻きわけ奥へ進む。
 すると、エックスの行く手を阻むように一機のオプション―――蜻蛉トンボを模した小型の機械が茂みから飛び出した。

「警告する! これより先はナイトメアの蔓延はびこる魔窟だ、速やかに立ち去られよ!」

 罠かと身構えていたエックスは予想外の警告に唖然とする。

「オプションに従えば出口に辿り着く。密林を抜けるまでの安全は保障するが、今後は不用意に足を踏み入れるな」

 この地のナイトメアを統べる敵とばかり思っていたが、どうやら別勢力のようだ。
 アマゾンエリアを『ナイトメアの蔓延る魔窟』と理解したうえで居座っているのだから、恐らくはかなりの腕利きだろう。こちらの身を案じるあたり悪人ではなさそうだが。

「忠告ありがとう。でも、俺は迷い込んだわけじゃない。ナイトメアの調査に来たんだ」

「ほぅ、我々の他にもナイトメア調査に当たる組織があったか」

「それじゃあ、お前もナイトメアを調べるために?」

「いかにも。自分はコマンダー・ヤンマーク。この地の探索及び監視を勤めている」

 思いがけない同志の存在にエックスは声を張り上げる。

「ナイトメアに関してなにか掴んでいるのか? 教えてくれ!」

「あいにく自分には守秘義務がある。ナイトメアの情報を部外者に漏らすわけにはいかん」

「そんな……今は疑い合うより手を取り合うのが先だろ!?」

「それで何処の工作員ともわからんお前を信じろと? 無理な相談だ。そもそも、こちらは初めから提携など求めていない」

 ナイトメアは世界の存亡を揺るがすと言っても過言ではない。こんな状況で機密に拘っている場合だろうか。一刻も早い事件の解決を望むのならば、協力者の存在は歓迎すべきではないのか。
 頑なに団結を拒む相手の態度にエックスは唇を噛む。

「俺はスパイじゃない! イレギュラーハンター元第17精鋭部隊隊長、エックスだ!」

 疑いを晴らすためのエックスの行為は、しかし余計にヤンマークの警戒心を刺激した。
 林の奥から無数のオプションが飛来し、エックスを取り囲むように陣形を組む。

「イレギュラーハンター、レプリフォースだけでは飽き足らず我々も始末しに来たか? イレギュラー認定を武器に独善を振りかざす偽善者め」

「なっ……いきなりなにを言い出すんだよ。俺はただお前と協力を―――」

「黙れ! イレギュラーハンターなど信用できん、裏切られて消されるのがオチだ! その前に消してやる!」

「待ってくれ、俺に戦うつもりはない!」

「問答無用! 命が惜しければ大人しく引き下がるのだな!」

 四方八方から襲い掛かる攻撃。
 圧倒的な数の差は時として力の差を上回る。オプションの放つ光弾は威力こそ低いが、一〇を超える機体が一斉に連射するとなれば十二分に脅威である。
 エックスバスターの連射速度では五発の相殺が限界だ。凌ぎきれる量では到底ない。
 成す統べなく総攻撃を浴びるエックスの姿に、しかしヤンマークは驚愕する。
 これだけの集中砲火に晒されれば並大抵の敵は瞬時にスクラップと化す。それを一分以上も持ちこたえ、しかも弾膜を強引に突き進んで来る。
 すかさずオプションの包囲を解くが、逃げ遅れた一機を鷲掴みにされる。

「……仕方ない。話し合いが通じないなら拳で語り合うまでだ! 悪いが力づくでも協力してもらうぞ!」

 宣戦布告に伴いその手に握られた蜻蛉が砕け散る。
 再び全方位から狙撃を仕掛けるが、相手はダメージをものともせずに光弾の乱れ打ちを強行突破する。

(このままでは不味いな。ひとまず東の方に誘導するか……)

 一度攻撃の手を緩め、侵攻を遮るようにオプションを配置して砲撃を放つ。避けるように進路を変更した標的を、今度は背後から連射することで自分から遠ざける。
 迫り来るエックスを強引に退けつつ、ヤンマークは次のターゲットへと意識を集中させる―――










◇ ◇ ◇

 久しく訪れなかった侵入者の存在に、ストーカー顔負けの粘着さを誇る異形の集団は歓喜した。
 ある者は躊躇うことなく『寄生』という名の求愛行動に及ぶ。そのまま溶けてひとつになりたい―――醜悪な外見を誇る彼らだが心は恋する乙女なのだ。
 またある者は愛しい『獲物』のハートを体諸共射抜こうと光弾を放つ。絶え間なく放たれる愛の結晶は、しかし想い人を容赦なく蜂の巣にするだろう。
 今まさに青春真っ盛りの彼ら―――蠢くナイトメアの軍勢にゼロは吐き気を催すほど嫌悪感を抱く。もちろん、彼には嘔吐機能など搭載されていないが。

「ああ、クソッ! そんなに俺に気に入られたいなら、まずはその目玉をどうにかしてから出直してこい!」

 軽く見積もっても二〇。
 捨て身で接近を図る特攻兵が八。
 残る全てが援護射撃に徹し我先にと光弾を放つ。
 肩すかしを喰らったエックスと対照的に、ゼロは大量のナイトメアから熱烈な歓迎を受けていた。エックスのいる北部周辺のナイトメアは既にヤンマークによって討伐されていたが、ゼロの侵入した西部は未だ手つかずの状態で放置されていたのだ。
 北極エリアではナイトメアを羽虫の如く追い散らしたゼロだが、このアマゾンエリアにおいては不利を強いられていた。日光の差さない密林は視界が悪く、雑草やつたに覆われた地面は所々が沼地と化し、気を抜けば文字通り足元をすくわれかねない。加えて、無作法に立ち並ぶ木々に邪魔されて思うように攻め込めない。
 なにより、ヴォルファングとの戦闘でようやくナイトメアの脅威を認識したゼロは、無意識のうちに慎重を期していた。ナイトメアに警戒を抱いたことが、反対に枷となりゼロの剣閃を鈍らせていた。

「チッ……」

 慣れない地形に悪戦苦闘する獲物を嘲笑うかのように、ナイトメアは恐ろしく柔軟な動きで林を掻い潜り距離を詰めてくる。
 ゼロはにじよる敵を冷静にバスターで威嚇し、一体ずつ確実に始末していく。

「―――どうせ俺を監視してるんだろ、勿体ぶってないで用件を言えばどうだ?」

 どうにか攻防の隙を見つけて、草木に紛れて浮遊する機械――サポートメカの一種と思しき蜻蛉型のオプションに問いかける。
 密林に突入した直後から着き纏って来た複数のオプション。ゼロはナイトメア相手に奮闘する傍ら、着かず離れずの距離を保つ謎の存在にも注意を割いていたのだ。
 初めのうちは攻撃を仕掛けてこないため無視を決め込んでいたが、ナイトメアとの戦闘に突入した今、いつ攻めてくるかも分からないオプションを放置するのは危険だ。とはいえ、いつまでも気を配る余裕もない。土壇場に追い込まれる前に敵味方をハッキリさせておきたかった。
 そんなゼロの要望に応じるようにオプションから通信が入る。

「教えろ! 貴様は何を企んでいる! ナイトメアでなにがしたい!?」

「……はぁ?」

 開口一番に濡れ衣を着せられ、ゼロは素っ頓狂な声を上げる。

「貴様がナイトメアを先導していることは既に把握している。今すぐ投降するならば危害は加えん」

「本気で言ってるのか? 俺がナイトメアを操れるなら連中に襲われるわけがないだろ」

 身の潔白を実証するように、ゼロはまた新たに一体ナイトメアを斬り裂く。
 黒い液体をまき散らしながら二分割される異形。そこに飼い犬と戯れ付く子供のような愛らしさは微塵も伺えない。凄惨なスプラッターショーを繰り広げる両者の姿を、どのように解釈すれば主従関係などと誤認できようか。

「フン、その程度で欺けると思うな。ナイトメアを操れるなら猿芝居も容易だろう」

「どうしてそうなる!?」

 そう、単なる自作自演とみなせば良いのだ。度を超えた疑いの眼差しはあらゆる真実を虚偽へと歪める。

「あくまで白を切るならば力づくで口を割らせるまでだ!」

 いったいどこに隠れていたのか、次々と湧いて出るオプションの軍隊。ゼロを中心に包囲網を組む蜻蛉の集団は明らかに戦闘隊形を整えていた。

「今日は厄日だな……」

 目の前の惨状にゼロは頭を抱えたくなった。
 前門の虎、後門の狼などという生易しい状況ではない。オプションとナイトメアに囲まれる姿は正に四面楚歌と形容するにふさわしい。
 接近戦を挑むには敵の数が多すぎる。ゼットバスターと氷狼牙は大勢を蹴散らすには威力が足りない。天井にエネルギーを伝搬させる裂光覇は室内でなければ使えない。
 ならば、残された手段はひとつ―――

「―――さっさと親玉を見つけて叩くまでだ!」

 オプションもナイトメアも統率者を討ちとらねば際限なく出現するだろう。ここで無駄な体力を消耗しては、それこそ敵の思うつぼだ。
 三六〇度から放たれる光弾を深く屈み込むことでやり過ごす。そのまま低姿勢のダッシュで包囲を潜り、一気に加速してその場を後にする。

「待てっ! 逃げられると思うな!!」

 オプションを追跡に向かわせながらも、ヤンマークはあえて追い打ちを仕掛けなかった。
 脱兎の如く駆け出す標的は、明らかに中心部から外れた方角へ向かっている。見逃すつもりは毛頭ないが、しばらくは泳がせておけばいい。体力が尽きた所を一斉射撃で仕留めるとしよう。
 それよりも、問題は残る一体だ―――










◇ ◇ ◇

「見つかっちゃった☆」

 自身を取り囲むオプションにも物怖じせず、ダイナモは呑気にVサインを決めている。
 職業柄監視の目を掻い潜る程度は朝飯前だが、それも数分と立たずに飽きていた。なんとも堪え性のない男である。
 
「あ~あ、これでかくれんぼはお終いか。まぁ、ぼくの専売特許は逃げることだからね。次は鬼ごっこで勝負しないかい? ケイドロでもいいよ」

 ダイナモの『この指とまれ』に誘われるように続々と集まるオプションの一群。もっとも、今回のゲームは親と子の人数があべこべのようだ。
 一対三〇。まさに『桁違い』の敵を前にして、それでも傭兵は胡散臭い頬笑みを崩さない。

「これはこれは……もしかしてぼくのファンクラブかな? よしっ、キミたち熱意に応えて名前くらいは教えてあげよう。ぼくは―――」

 前後左右、そして上空からの砲撃がダイナモの自己紹介を掻き消す。
 流星の如く降り注ぐ光の嵐。三〇という数は低火力を補ってなお余りある。

(やったか!?)

 しかし、土煙りの晴れた先には依然として薄笑いを絶やさない傭兵の姿。その両手にはブレードの柄が握られ、緋色のエネルギーが両刃刀を形成していた。

「ん~、楽しみなのはわかるけどフライングはルール違反だよ。そ・れ・に、人の話は最後まで聞くよう教わらなかったかい?」

 再度放たれるオプションの斉射。
 凄まじい数の弾膜をダイナモは俊敏な動きで回避する。右に左に体を捻り、直撃を避けられないものはブレードで防ぐ。
 極限まで研ぎ澄まされた無駄のない動き。光弾の雨あられを擦り抜ける姿は、弾膜が自らダイナモを躱しているようにも見える。

(これだけ撃っても押し切れんか。ならば、さらに増やすまでだ!)

 さらに数を増す蜻蛉。
 さらに苛烈さを増す掃射。
 空間を埋めつくさんばかりの弾膜は、それでもダイナモを仕留めるに至らない。縦横無尽に振るわれるブレードの盾をどうしても突破できない。
 たった二枚のブレードでどうして五〇〇近い光弾を凌げるのか。
 たった一体のレプリロイドがどうして三〇を超えるオプションに勝るのか。
 いかに圧倒的な実力を誇ろうと覆せる物量には限界がある。多対一の戦闘は体力的にも不利なはずだが、敵の挙動は一向に衰える気配を見せない。このままだと先にこちらのエネルギーが枯渇する。
 
(バカな!? 奴の動力は無尽蔵か!?)

 ヤンマークが戦慄する一方、ダイナモは数で押すしか能のない敵の戦略に呆れていた。
 仮に一〇〇体のオプションが一〇個ずつ光弾を繰り出したところで、一〇〇〇個が一度に直撃することはない。自分の体表面積を考慮すれば多くて一〇〇個が限界だろう。となれば、残りの九〇〇発は無駄弾にすぎない。矢継ぎ早に放たれる弾膜は明らか過ぎるオーバーキルだ。
 三桁に及ぶ光弾を全て斬り捨てるのは不可能だが、実際は体表面に迫る弾膜のみを防げばいいのだ。両刃のブレードを振り回すだけで事足りる。それなりに体力をもっていかれるが、消耗は相手の方が上だろう。

(なぜだ……なぜ仕留められん!?)

 空回りするヤンマークの攻撃は生い茂る木々を片っぱしからへし折り、伸び放題の野草を瞬時に焼き払う。殲滅戦宜しく緑が蹂躙される光景は、もはや単なる自然破壊だ。これではアマゾンエリアの一角が焦土と化すだけである。

「そろそろ満足したかな? それじゃあ、この辺で一度交代しようか」

 オプションの乱射を軽く受け流しながら、ダイナモは舌舐めずりと共に宣告する。
 無邪気と邪悪を兼ね備えた歪な笑顔。口元に浮かぶ嗜虐の笑みが、何よりも傭兵の残虐性を物語っていた。





「今度はボクが鬼になる番だから、せいぜい逃げ回っておくれ―――」





 オプション越しにも伝わる殺気。恐怖が使命感を塗りつぶす。
 底知れぬ狂気を孕む瞳に睨まれ、ヤンマークは監視用を除く全てのオプションを退却させる。
 大将の戦意喪失に伴い烏合の衆と化かす蜻蛉の大軍。蜘蛛の子を散らすように逃げ惑う姿は、戦略的撤退と呼ぶにはあまりに情けない。

「ははっ、一〇数えたら追いかけるよ! くれぐれも簡単につかまらないようにね」

 幸運にもこちらの居場所は掴まれていないようだ。ダイナモはそのまま森の西側へと向かっていく。
 主の指令を達成できないのは誠に遺憾だが、あの男は自分の敵う相手ではない。残りの二体から先に始末するとしよう―――










◇ ◇ ◇

「……解せん」

 アマゾンエリアへ到着するまでの道中、ハイマックスは疑問に駆られていた。今なお己の体内で稼働を続ける何か―――恐らくは爆弾の類であろう時限式装置について、である。
 ハイマックスはゲイトの仕掛けた起爆装置に気づいていた。自分が捨て駒にされたことを既に悟っていたのだ。
 ゲイトの理不尽な仕打ちにも、しかし彼は何ら憤りを感じなかった。命は初めから主に捧げていたし、ゼロに返り討ちにされた自分がお祓い箱にされるのは当然の末路と受け入れていた。
 ただ、腑に落ちないのはそのやり方である。時限式は自動で発動する利点こそ大きいが、その多くは作動後の解除が望めないため不測の事態に対応できない。何事にも長短は存在するが、主であるゲイトがデメリットを差し置いて行動に及ぶとは思えないのだ。
 データから編み出した理論を基盤に、常に絶対的な結果を求めるのがゲイトという男である。真に敵の始末を望むのならば、不確定要素に左右される手段を選ぶはずがない。手動式の装置を埋め込み、頃合いを見てゲイト自ら作動させる方がよほど確実性に優れている。
 にもかかわらず、主がこのような回りくどい作戦に訴えたのは如何なる目論見があってのことか。

「まさか―――」

 その答えに辿り着いたとき、ハイマックスは歓喜に打ち震えた。
 起爆装置の発動には猶予が―――自分にはまだ時間が残されている。否、残されている●●●●●●のではない、与えられた●●●●●のだ。
 寛大な主は役立たずの自分に汚名返上の最後のチャンスをくださったのだ。
 何より確実性を重んじる主が、敵の始末を自分の手に委ねてくださったのだ。
 常に戦局を観察していた主が、敵の動向から目を離し自分を向かわせたのだ。
 それは監視の必要性を感じていない証拠、ハイマックスへの信頼の証ではなく何だというのか。

「ゲイト様がワタシを……私を、信じてくださるというのか―――」
 
 もちろん、全てはハイマックスの勝手な憶測、都合のよい夢物語に過ぎない。現実は非情である。
 ゲイトが時限式装置を採用したのは、彼に残された科学者としての本能が、自らの手で『エックスとゼロのDNAデータ』という至宝を消滅させることを無意識のうちに拒んだ結果でしかない。
 既に生け捕りを諦めていたゲイトだが、それは遺骸からでも十分な情報を得られるが故の決断に過ぎない。並大抵のプログラムであれば一目で解析してしまうゲイトにとって、己の探究心をくすぐるデータは存在自体が希有なのだ。例え邪魔者を一掃する代償といえども、無に帰してしまうには抵抗があった。
 仮にエックスとゼロが勝ち残ったところでゲイトに不都合はないのだ。その時は自ら相手をすれば済む話、無価値なハイマックスの命など失った所で何ら痛手にならない。むしろ、狂気に呑まれてなお知性を失わぬ生粋の科学者は、心のどこかでエックスとゼロ―――天才たる自身ですら想像の及ばぬ『未知数』との邂逅を望んでいた。
 結局のところ、ゲイトが不確実な手段に及んだのは、単に好奇心を捨てきれず詰めを誤っただけにすぎない。そもそも、いったい何の為の起爆装置か―――ハイマックスが敗れても敵を道連れにすることで、強引に痛み分けに持ち込もうという苦肉の策である。それ自体がハイマックスの敗北を見据えての行為、信頼など欠片も存在しない。感情を学んで日の浅いハイマックスは、そんな単純明快な事実にすら思い至らなかった。
 ヤンマークとハイマックスを一括りに愚図と見下したゲイトの評価はあながち間違っていない。両者は共に主を神格化するあまり、その本質をまるで見抜けずにいた。滑稽を通り越して憐れである。





―――ボクを失望させてくれるなよ―――





「……ありがとうございます。貴方の授けてくださったプログラムを穢すような無様は晒しません。奴らを完膚なきまでに叩き伏せ、天才の威光を世界に知らしめて差し上げましょう」





 しかし、理想に溺れた愚か者はここに来て目を見張る進化を遂げる。
 ヤンマークが思い込みにより視野を狭めたのに対し、ハイマックスは思い込みにより自身の戦闘能力を底上げしていた。
 空洞と化していた双眸が決意に燃え滾り、全身から溢れ出る膨大な闘気は覚醒時のゼロにも見劣りしない。今のハイマックスにはゲイトの吐き捨てた皮肉すら福音であり、己を奮い立たせる刺戟剤であり、内燃機関以上の動力を生み出す源泉なのだ。
 レプリロイドの感情を単なる枷としか見なさないゲイトは、純粋な『想い』のもたらす無双の力を知り得なかった。ゲイトの予想とは真反対に、感情に縛られたはずの唐変木は、その戦闘プログラムを余すことなく機能させる。
 感情を強引に取り除いた故に生じた変調が、感情を取り戻したことで消滅する。
 命じられるままに破壊を繰り返した人形が、無敵の力を誇る魔人へ姿を変える。
 主への絶対の忠誠を糧に、ハイマックスは限界を超えた力を発揮する。
 主への万感の想いを胸に、ハイマックスは憎むべき怨敵へと宣告する。










「エックス、ゼロ―――必ず殺す!!」










 ナイトメアを巡る一連の騒動は佳境を迎えていた。



[30750] #12 TOOL(道具)
Name: うわばら◆4248fd16 ID:17f4551a
Date: 2012/03/16 01:13
『ハイマックス様? なぜ貴方がこちらに……』

 戦場に踏み込んだハイマックスを出迎えたのは、蜻蛉を模した一機のオプションだった。抹殺対象からの通信を受諾し、ハイマックスは僅かに考え込む素振りを見せる。
 処分することを躊躇しているのではない。順番を決めあぐねているのだ。
 彼の本命はあくまでエックスとゼロであり、ヤンマークは単なる塵芥にすぎない。余命幾許もないハイマックスにしてみれば、下らぬ些事に時間を割かれるのは、正直勘弁願いたかった。
 とはいえゲイトの命令は絶対である。手早く始末するべきか、あるいは後回しにするべきか―――

「ゲイト様の命令により派遣された。直ちに案内しろ」

 やはり先に殺しておくとしよう。
 遅かれ早かれ殺すのだから、放置するだけ後が面倒だ。
 それにヤンマークはエックスたちの動きを把握している可能性が高い。情報を聞き出したうえで殺せば一石二鳥である。
 
『はっ! 承知しました』
 
 自分はゲイトの道具であり、ヤンマークもゲイトの道具なのだ。道具は持ち主に従うべきであり、役立たずの道具が捨てられるのも至極当然のことだ。
 ならば、ヤンマークを殺すのは実に理にかなった行為といえよう。役割を終えた道具は廃棄処分されて然るべきなのだから。

(ご安心ください、ゲイト様。もうじき邪魔者は消えて失せます。奴らも、私も)

 オプションの後を追うようにハイマックスは飛翔する。
 その先に居るであろうヤンマークの命を刈り取るために―――





◇ ◇ ◇

 コマンダー・ヤンマークの真価は戦闘能力ではなく、その圧倒的な情報処理能力にある。
 彼が操るオプションの総数は実に六〇。起動させるだけでも至難の技だというのに、ヤンマークの指揮のもと、蜻蛉の軍団は一機一機が独立しているように精密な動きを見せる。
 加えてさらに、オプションの認識する情報はすべてヤンマークへ還元される。六〇に及ぶオプションの知覚情報が急激に入り込んでくるのだ。普通なら電子頭脳が耐え切れずに破綻するのだが、ヤンマークの開発者は天才中の天才である。彼の頭部に備わる複眼を模したスーパーコンピュータは、絶え間のない情報の激浪を滞りなく処理していた。
 新たに密林という隠れ家を得た今、ヤンマークは諜報活動において他の追随を許さない。隠密に徹する限りは無敵のレプリロイドである。
 唯一の弱点は、オプションに意識を割きすぎるほどに、五体の感覚を奪われること。事実、彼はオプションを使役する代償に、身体の制御を手放していた。自らを完全な司令塔と化し、アマゾンエリア全域に張り巡らせた情報網を維持するために。
 ゆえに、ヤンマークは向かってくる脅威を認知していながら、逃走することは叶わなかった。

「なぜ自分の居場所がわかった?」

 すぐ目の前に意識を戻すと、そこには軽く息を切らすエックスがいた。
 オプションによる撹乱は、初めのうちは効果を見せたが、ほんの数分足らずで看破された。こちらの意図を見透かしたのか、相手は迷うことなく中心部までやってきたのだ。

「お前が俺を誘導していたのは途中でわかった。その裏をかいたまでだ」

「なるほど。少しばかり功を焦ったか……こうして現れたということは、命を捨てる覚悟だな?」

 ヤンマークは問答を繰り返す間にオプションとの同期をある程度切り離す。
 眼前の敵に意識を集中させるために。最低限の身体機能を取り戻すために。そうすることで、エックスを確実に仕留めるために。

「言っただろ、『力ずくでも協力してもらう』ってな。命を捨てるつもりはないけど、命を懸ける覚悟ならある!」

「そうか。ならば望み通り果てるがいい! フォーメーション!」

 号令に伴い、エックスに群がっていた蜻蛉の一群が、ヤンマークの元へと帰還する。
 回収したオプションは八。自警用のオプションと合わせて、使用可能な機体は十五。些か心許ないが、一人相手には問題ないだろう。
 惜しむらくは、ダイナモに宛がったオプションは未回収状態であることだ。いつ襲撃を受けるともわからぬ状況において、体の自由を失うのは相当の危険が伴う。回収は諦め手元のオプションで対処するしかない。

「フォーメーション・ウィング!」

 ヤンマークの左右にオプションが隊列を組み、上下に動きながら弾幕を展開する。乱れ飛ぶ光弾はその制圧力をもって対峙する敵を防戦一方へ追いやる。
 エックスはバスターからブレードを射出し、撒き散らされる光弾の猛攻を凌ぐ。弾幕を切り払いながら接近を試みるが、彼は剣士としては二流にすぎない。神業めいた剣技を披露できるはずもなく全身に光弾の洗礼を受ける。

「くっ……が、ぁ―――」

「どうした、口ほどにもないな。フォーメーション・ガード!」

 今度はオプションがヤンマークの周りに密集して発砲する。
 弾幕の密度が増加したことで、いよいよ接近が困難になった。光弾に阻まれ思うように斬り込めないエックスは、ダッシュで逃げ回るしか術がない。
 ガトリング砲と化したオプションの乱れ撃ちは、しかし先のような広範囲に及ぶ攻撃ではない。正面突破は無理でも隙を突けば―――そう思った矢先に、頭上からの衝撃がエックスを襲う。二機のオプションがヤンマークの元を離れ、上空から爆撃を放ったのだ。
 その爆炎と爆風をもろに浴びたエックスは、無様にのた打ち回り地面を転がる。悶え苦しむ彼の姿は格好の的に他ならない。ヤンマークは即座にオプションを拡散させ、標的を取り囲むように配置する。

「撃て―――っ!!」

 全方位からの一斉射撃。逃げ場をなくしたエックスに秒単位で光弾が叩き込まれる。
 弾幕の豪雨は大地を抉り、次々と大穴を穿っていく。オプションの動力が枯渇する一歩手前で、ヤンマークはようやく砲撃を中止した。

「……最後は一方的だったな」

 それは勝負ではなく、単なる弱い者虐めだった。
 立ちはだかるオプションの軍勢を相手に、エックスは為す術もなく撃沈したのだ。
 ヤンマークは数で圧倒することを卑怯と思わないが、今回ばかりは後味の悪さが残った。それほどにあっけない決着だった。
 生死を確認するまでもない。ターゲットの死は絶対である。
 仕留めた獲物をそれきり振り返ることなく、ヤンマークは待機中のオプションに指令を飛ばそうと集中し、

「そうだったな。拳で語り合う●●●●のに、一方的●●●じゃ意味がないよな……」

 慌てて見返ると、蜂の巣と化したはずのエックスが、五体満足で佇んでいた。
 ありえない。あれだけの集中砲火に晒され、なぜ原型を留めていられる。この男は不死身だというか。
 当惑により出遅れたヤンマークへ襲いかかることなく、エックスは真摯な眼差しを向けた。

「ヤンマーク、お願いがあるんだ」

「お願いだと? この期に及んで命乞とは……」

「死なないでくれ」

 あまりに意外な言葉に、ヤンマークは耳を疑った。
 相手の真意をはかりかねた彼は、その一言を脳内で反芻する。

(死なないでくれ……死なないでくれ!?)

 やはり額面通りの意味しか見出せない。
 満身創痍の身でありながら、
 狩られる立場の分際でありながら、
 あろうことか敵の命を気遣ったのだ。
 つまり、エックスは―――

「俺はお前を殺したくない。だから、絶対に耐えてくれ」

 自分ヤンマークなど眼中にないのだ。

「貴様ァ! 自分を侮辱するか!!」

 容認し難い屈辱感に突き動かされ、ヤンマークはオプションを一斉に励起させた。
 主の激情と直結した蜻蛉の群れは、エネルギーの残存量も省みず、見境なく光弾を乱射する。
 彼の怒りは尤もである。善意も度が過ぎれば悪意と変わりない。エックスの慮りはヤンマークの神経を逆撫でするだけだった。
 乱発された光弾は空間を埋め尽くし、今度こそ敵を射抜かんと唸り飛ぶ。激しさを増した弾幕を前にして、エックスは至って冷静にブレードを掲げ、そのまま真っ直ぐに振り下ろす。
 圧縮エネルギーの解放により、刀身から放たれる二発の衝撃波。斬撃の波動は荒れ狂う弾幕を蹂躙し、怒り狂う蜻蛉を一蹴し、オプションによる攻性防御はあっさりと瓦解した。

「なんだと―――」

 戦闘を開始した直後から、エックスは白兵戦に固執していた―――バスターを撃とうとしなかった。ヤンマークの身を案じるがゆえに、初めから手心を加えていたのだ。
 ヤンマークは既の所で身を躱すことで、辛くも即死を免れた。咄嗟に生き残ったオプションに招集をかけるが、エックスは虚空を足場に空中で加速し、防御陣を飛び越えて突進してくる。

「フ、フォーメーション……ウワァ―――ッ!!」

 右翼を切り落とされ、ヤンマークは錐揉み回転しながら墜落する。
 低空飛行が幸いしてダメージは皆無だったが、彼の精神は戦闘続行不能を切実に訴えていた。
 エックスはいつでも形成を覆せた、いつでも自分を殺せたのだ。不利を演出してみせながら、内心ほくそ笑んでいたにすぎないのだ。
 勝てない―――指揮官の消沈に伴い、蜻蛉の騎兵は残らず機能停止を向かえる。

「自分の、負けか……」

 エックがゆっくりと近づいてくる。静謐な場に響く砂利の足音も、今や死神の足音に等しかった。
 敗残兵の辿る末路はひとつ、尋問という名の拷問である。これより待ち受ける仕打ちを思い描き、ヤンマークが恐怖に強張った直後、

「頼むっ! 俺に協力してくれ!!」

 それはもう見事な土下座だった。
 エックスはいきなり両膝を突き、額を地面に擦り付けたのだ。

「攻撃したのは悪かった。でも、お前を傷つけたかったわけじゃないんだ! 信じてくれ!」

 予想の斜め上を行く相手の奇行を、ヤンマークはしばらく呆然と眺めていた。彼とて土下座の何たるかは理解していたが、エックスの意図までは理解できなかった。
 第一、攻撃に及んだのはこちらが先だ。許しを請う者がいるとするならば、それは自分に他ならない。これでは互いの立ち位置があべこべだ。
 なにより、エックスは既に自分の命運を握っている。いまさら信頼を勝ち得た所で何になるのだ。

「……情報なら、拷問して吐かせればよかろう」

「確かにナイトメアに関する情報は欲しいさ。けど、俺はそれ以上にお前の助けが―――仲間が欲しいんだ!」

 生殺与奪を手放すことで聖人を装い、自分を取り込もうとしている。それはあまりに苦し紛れのこじつけだった。
 もはや曲解のしようがない。この男の言動に含みはなかったのだ。
 己の懸念が杞憂であったこと、邪推にすぎなかったことを、ヤンマークは遅ればせながら受け入れた。

「お願いだ―――」

「もういい、顔を上げろ」

 未だ頭を垂れるエックスに立ち直りを催促する。
 
「後ほど主に連絡を入れる。そのときに、イレギュラーハンターとの提携を進言する。それでいいな」

 そもそも、相手がイレギュラーハンターと判明した時点で、ゲイトに助言を仰ぐべきだった。単独で対応するべきではなかったのだ。
 ナイトメアは世界を蝕む悪夢であり、一刻も早い駆除を要する害悪である。ならば、協力者はむしろ歓迎すべき存在ではないか。偏見を根拠に工作員と断じて、軽はずみに排除に及んだ自分は、短慮であったと認めざるを得ない。ヤンマークは今になり、エックスを駆逐対象と定めた己の私見が、救い難く愚かに思えてきた。
 静止しているオプションを再起動させ、手ごろな樹木を支えに立ち上がる。片翼を失った体は想像以上にバランスを欠き、重心を保つだけでも一苦労だ。たたらを踏みながら体勢を整えると、エックスがこちらに手を差し伸べていた。

「……なんだその手は?」

「握手だよ。これからよろしくな、ヤンマーク!」

 ゲイトに連絡すら入れていないのに、相手方は早くも友達気分のようだ。
 性急な奴だと呆れながら、ヤンマークは差し出された手を払い除けてしまった。

「勘違いするな、お前を信じたわけではない。自分の独断で処理すべき案件でないと判断したまでだ」

「ちぇ、いいじゃないか。これからは仲間なんだから」

「正式に手を結ぶまでは同志と認めん。それに―――」

 そこまで言って、ヤンマークは漆黒のレプリロイドへ割り当てたオプションに意識を集中させる。
 エックスとの戦闘中にも、自動オートで追跡を継続していたのだ。
 
「気を抜くのはまだ早い。お前の他にも二体の侵入者がいる。ナイトメアの元凶と思しき漆黒のレプリロイド、そしてダイナモというレプリロイドだ」

「ダイナモ……それに漆黒のレプリロイドだって!?」

「知っているのか? その反応からして、どちらも敵と見て間違いなさそうだな」

「ああ、俺たちの敵だ! 早くあいつらの居場所を教えてくれ!」

「焦りは禁物だ。もうじき増援が辿り着く。攻めるのはそれからでも遅くない」

 ダイナモは危険な男である。エックスとの二人がかりでも勝率は限りなく零に近いだろう。
 だが、こちらにはハイマックスという最終兵器が味方している。その戦闘力は到底見積もれない領域に達しているのだ。自分の如き卑小な存在では、たとえオプションを一〇〇〇機従えようとも、傷ひとつ負わすことも叶わないだろう。
 天才の代名詞たるゲイトの最高傑作、比類なき性能を誇る至高のレプリロイド。たとえ得体の知れないダイナモいえども、ハイマックスを超えるなどありえないと断言できる。
 もっとも、エックスは過去に単独でダイナモを退けているのだが、ヤンマークは未だに彼を低く評価していた。

「増援……他に仲間がいるのか?」

「そうだ。それも自分より遥かに腕の立つ御方だ。力強い戦力になる」

 ハイマックスの案内に意識を向けると、もう目と鼻の先までやって来ていた。自分の安否を気遣い、最強の巨兵を援軍に寄越した主に、ヤンマークは心から感謝した。
 そして、ようやく監視用のオプションとも同期を終えると、戦局は思いがけぬ方向に好転していた。





「―――どうやら奴らは衝突したようだ」










◇ ◇ ◇

 溯ること数十分。長きに及ぶ逃走劇の果てに、ようやく追っ手を振り切ったゼロは安堵の息をつく。
 実際には数機のオプションが密かに尾行を続けているのだが、ナイトメアの気配が霧散したことで気が緩んだのか、彼は監視の視線を見過ごしていた。
 
「……なんとか撒いたか。にしても、随分と深入りしちまったな」

 ナイトメアも、オプションも、共に大本を叩けば解決すると楽観視していたが、肝心の親玉の所在は皆目見当もつかない。
 四方を見渡しても鬱蒼とした森林が広がるのみ、これでは現在地の把握すらままならない。追跡から逃れようと躍起になるうちに、完全に方位を見失ったようだ。
 とはいえ立ち竦んでいても始まらないため、直感を頼りに歩みを進める。行く手を妨げる樹枝や蔦蔓が鬱陶しい。火でも放ってやろうかと捨て鉢な気分になってくる。
 いっそのこと、痺れを切らした敵が自ら躍り出てこないものかと、虚しい望みすら抱き始めた直後、彼の願いは成就することになった。

「み~つけた☆」

「―――っ!?」

 嘲り声に反する濃密な殺気。
 ゼロの行く先、生い茂る大樹の彼方より、紺色の傭兵は悠々と姿を現した。

「ダイナモ!? またお前か……こんな所で何を企んでやがる!」

「そういうキミはどこの誰だい? ファンクラブの一員みたいだけど、あいにくサインは練習中なんだよね。握手でいいかな?」

「とぼけるな! 俺を忘れたとは言わせんぞ!」

「いや、忘れたも何もぼくたち初対面でしょ? 悪いけど人違いとしか―――」

 ダイナモは芝居がかった仕草で首を傾げていたが、やがて思い至ったようにバイザーを取り外し、両目を細めてゼロを凝視する。

「―――って、よく見たらゼロくんじゃない! なにその格好、犯罪組織にでも入会したの?」

「お前には関係のない話だ。そんなことより、この前は散々好き放題ぬかしてくれたな。リサイクルエリアでの借りを返させてもらうぜ」

「おやおや、出会い頭から随分とおっかないねぇ……まぁいいや。ちょうどキミにも用があったところだしね」
 
 ダイナモは見せ付けるような仕草で両手の甲を突き出す。そこには煌々と発光する緑の球体―――シェルダンとメタルシャークから奪ったナイトメアソウルが埋め込まれていた。
 ゲイトの開発したナイトメアソウルは、ナイトメアの制御核に留まらず、エネルギー増幅装置の役割も果たしていた。専門知識を持ち合わせないダイナモは、ナイトメアの支配権こそ得られなかったが、自身の強化改造に成功したのだ。

「『ナイトメアソウル』っていうんだろ? こいつを集めてパワーアップしようかなって。せっかくだから、アンタが集めたソウルもいただくぜっ!」

 ゼロが集めているであろうナイトメアソウルは、ヴォルファングを先取りされたダイナモにとって、喉から手が出るほど欲しいところなのだが、

「……そんなものは知らん」

「えっ、アンタ無一文なの!?」

 当の本人はナイトメアソウルの存在すら認知していないのだ。持ち合わせなどあるはずがない。
 ゼロの文無し発言に興を殺がれたのか、ダイナモの薄笑いに陰りが差す。

「な~んか白けちゃったな……ここは見逃してあげるから、おとなしく逃げてくれないかい?」

「逃げるのはお前の専売特許だろう。俺に見逃してやるつもりはないがなっ!」

 ダイナモとの遭遇は不測の事態だが、出会ったからにはここで倒す。
 レプリロイドならではの脚力で踊りかかるゼロを、ダイナモは血色の愛刀で迎え撃つ。放たれた剣撃をDブレードで受け止めた刹那、エネルギー状の刀身が消滅する。
 友の魂を宿したゼットセイバーは、Dブレードの出力を大きく上回っていた。紫の閃光は緋色の刃を瞬時に打ち消し、数刻とその動きを止めずにダイナモへ襲いかかる。

「ちょ、おまっ―――」

 自ら武器を手放し跳躍することで、ダイナモはかろうじて凶刃の餌食を免れた。すかさずバックステップで後退し、再度Dブレードを取り出し投げつける。

「逃がさんっ!」

 ブレードの投擲を回避しつつ、ゼロはバスターで追い討ちをかける。
 ダイナモは身の危険を感じると即座に逃げの姿勢を固めてしまう。初撃による必殺を逃した以上、泥仕合にもつれ込む前に仕留める必要があった。
 バスターは軽い動きで躱されるが、その隙に一足飛びで間合いを詰める。ダイナモは棒立ちしたまま動かない。振りかざしたセイバーは今度こそ脳天を断ち割るだろう。

「もらった―――っ!?」

 背中に激痛。剣先がダイナモを捕らえる間際に太刀筋が大きく右へ逸れる。
 完全な不意打ちだった。投げられたDブレードは円軌道を描き、ブーメランの如く舞い戻ることで、後ろからゼロを襲ったのだ。
 ダイナモは旋転しながら手元へ回帰するブレードをキャッチし、間髪いれずに一太刀を放つ。奇襲に次ぐ強襲にゼロは応じる手を誤った。咄嗟に引き下がることで自ら距離を開いてしまう。
 当然それを見逃す相手ではない。ダイナモはすかさず隣接した木の枝に飛び移り、セイバーの攻撃圏内から離脱する。

「おいおい、殺る気満々じゃない。こういうのはさぁ、もっと肩の力を抜いてスポーツ感覚で―――」

「やりたいようにやれと言ったのはお前だろう? お言葉に甘えて初めから全力でいくぜ」

「ん~、なんのことかな? ぜんぜん記憶にございません。最近物忘れが激しくて……ところで、キミ誰だっけ?」

「…………」

「やれやれ、ホントに堅物だねぇ。仕方ない、アンタを殺した後はボウヤと遊ぶことにするよ」

 口八丁で時間を稼ぎつつ、ダイナモは次手を講じていた。
 ゼロのセイバーの馬鹿げた破壊力の前には、Dブレードなど小枝も同然。鍔迫り合いすら成り立たぬ以上、接近戦は埒外だ。となれば、投擲とアースゲイザーで遠距離から嬲るように攻め続けるのが得策か。
 残るDブレードの本数を念頭に置き、傭兵はターゲットを葬るべく行動を開始する。
 そう、ダイナモは傭兵である。ドラグーンのような武人でなければ、カーネルのような剣客でもない。身に着けた戦闘技術は生き残る手段の一環に過ぎず、ゆえに誇りも愛着も持ち合わせていない。正々堂々や競い合い精神とは無縁の人種なのだ。
 そんな彼の本領は、一騎打ちとは程遠い、地の利を生かしたゲリラ戦法である。この密林というフィールドは、傭兵にお誂え向きの狩り場といえた。
 ダイナモは右手に二枚のDブレードを掲げ、大きく振りかぶったうえで投擲する。

「食らいなっ!」

 下手に避ければ戻ってくるブレードに背後を取られかねない。
 ゼロはDブレードの連投を一刀の下に切り捨て、木の上で傍観するダイナモへ鋭い視線を飛ばす。

「小細工はやめて降りて来たらどうだ? 二度も同じ手は食わん」

「そう熱り立ちなさんなって。焦らなくてもちゃんと相手してあげるよ―――小細工でね」

「なに……ぐぁ!?」

 いきなり真横の林から飛び出した一枚のDブレード。予期せぬ方向からの攻撃に意表をつかれ、ゼロは片腕を大きく切り裂かれる。
 襲撃の方角に目を向けるが、そこには何者の気配も確認できない。そして目を離したわずかな間にダイナモの姿は消えていた。

(―――しまった!)

 冷静に振り返れば単純なトリックだ。
 ダイナモは真正面に投げつけたブレードでゼロの注意を引き、同時に後方へも一刀を投じていた。囮の二枚を破壊するためにゼロは数瞬立ち止まる。そこに三枚目が大きく弧を描いて死角から飛んで来たのだ。
 二度目はないと言った傍から一杯食わされ、ゼロは屈辱に肩を震わせた。右腕の傷が失態を嘲笑するかのように疼く。まるで得意顔の傭兵に『ねぇねぇ、今どんな気持ち?』と煽られているようだ。
 しかもダイナモを見失った。敵前逃亡を躊躇う奴ではないが、この状況で遁走するとは考えにくい。おそらくは森に隠れて機を伺っているのだろう。
 今一度セイバーを構えなおし臨戦態勢を整える。自ら動くことも考えたが、下手を打てばダイナモがそのまま逃亡しかねない。不利を承知で受けに徹するしかない。
 それから戦局に変化は生じることなく、刻一刻と時間だけが経過する。先の台詞は初めからブラフで、ダイナモはまんまと逃げ果せたのかもしれない。あるいは、そうやってこちらの気が緩むのを虎視眈々と狙っているのかもしれない。
 焦りと用心がゼロの心中で鬩ぎ合う。答えの出ない思考のループに業を煮やしたそのとき―――

「―――上かっ!?」

 放物線を描き頭上から迫る赤い刃。
 上空からのDブレードの来襲を防ぐと、茂みからダイナモが颯爽と現れた。その右手はバスターへと姿を変え、左手のナイトメアソウルが一段と輝きを増す。

「残念、下でした」

 怒涛の勢いで吹き上がる光の奔流。巨大な気柱は瞬く間にゼロの全身を呑み込み、火山噴火のように天へ昇っていく。
 アースゲイザー改―――ナイトメアソウルによる自己強化の末、ダイナモが新たに会得した究極奥義。複数のエネルギー柱をひとつに束ねることで殺傷力の積み増しを実現したのだ。
 拡散する気柱を集約させるのは骨の折れる作業だっが、幸運なことにナイトメアソウルはエネルギー制御機能も兼ね備えていたのだ。ダイナモの両手甲で爛々と輝く珠玉は、暴れ馬のように荒れ狂うエネルギーを完全に御していた。
 アースゲイザーのエネルギーをまとめあげ、それも数倍に増幅して放ったのだ。その破壊力は言わずもがな、まともに食らえば敵は跡形も残らない―――

「―――はずなんだけどねぇ」

 光の収束した先には、何事もなかったかのようにセイバーを構える黒い人影。多少のダメージは食らったのだろうが、漆黒のアーマは依然として鈍い光沢を放っている。焼け跡どころか焦げ目すら見当たらない。
 どうやらゼロのステータスは攻防共に桁外れのようだ。アースゲイザー改ですら仕留められないとなれば、Dブレードで直接斬り殺すしかない。剣鬼を相手に剣で挑むなど自殺行為だが、ダイナモは既に勝算を見出していた。

「やっぱり小手調べじゃ埒が明かないね。腹の探り合いにも飽きてきたし、そろそろ真面目にやろうかな」

「そいつは奇遇だな、俺もこれ以上の茶番はうんざりだ。次は本気で行かせてもらう」

 そして、決め技に訴えるつもりなのはゼロもまた同様だった。
 先の攻防からして長丁場が相手に有利なのは明白だ。ダイナモが再び姿を眩ます前に、ゼロは自ら賭けに出る。

「ふ~ん、さっきまで手を抜いてたみたいな言い方するね。初めから全力だったんじゃないの?」

「最近物忘れが激しくてな。悪いがぜんぜん記憶にございませんな!」

「……ククッ、アンタもなかなか言うじゃない。いいね、そうこなくちゃ!」

 互いに軽口を交わしつつ、慎重に相手の出方を見計らう。
 ゼロはダイナモの軽やかな足運びを見据えながら、攻め入るタイミングを計る。
 ダイナモはゼロの爆発的な機動力を警戒しながら、不意を突くチャンスを計る。
 ゼロが一歩を踏み出し、
 ダイナモが一歩後ずさり、

「―――おっと!?」

 泥地に足を取られ、ほんの僅かに重心が傾く。
 瞬間、ゼロが先手を奪う。
 
「氷狼牙!」

 セイバーから放たれる無数の氷塊。襲い来る氷の牙を前に、ダイナモは慌てることなく地面を叩く。
 先の一本柱と異なり、一〇を超える気柱が横一列に生え揃う。無秩序に湧き出していたエネルギーの束も、ナイトメアソウルの制御下では規律を保ち整列する。
 立ち並ぶエネルギー柱は攻撃を防ぐ盾であり、進撃を阻む壁であり、視界を遮る閃光である。アースゲイザーの絶対防御を前に、吹き荒ぶ氷雨はその一片も突破を果たさず蒸発する。
 氷狼牙を相殺してなお勢いの衰えぬ光の壁。気柱には間隙こそ存在しないが、分割されたエネルギーの密度は、アースゲイザー改に比べて数段劣る。
 ならば―――

「ぬっ……ぅおおおおお!!」

 強引にエネルギー障壁へ突入する。灼熱の衝撃が全身を襲うが、耐えられぬほどの痛みではない。
 ここで退けばダイナモに距離を稼がれる。そうなる前に自ら斬り込まねばならない。
 両足にエネルギーを蓄積し、最大出力を以って疾駆する。無理矢理アースゲイザーを突破したその先には、
 
(―――読まれてたかっ!)

 待ち構えていたように飛んで来るDブレード。
 反射的にセイバーで弾いた時には、ダイナモが至近距離で新たなブレードを振り上げていた。

「キミたちはマゾヒストも真っ青の被虐思考だからね。捨て身で攻めてくると思ったよ」

 したり顔に蔑みの笑みを浮かべる傭兵。
 ゼロのセイバーが逸れたことで、ダイナモは勝利を確信する。
 凄まじい威力を秘めるゼットゼイバーも所詮は道具、いかな魔剣とて担い手なくして真価を発揮できない。持ち主の体勢を崩せば容易に無力化してしまえる。
 敵の獲物はたかが剣一本●●●、それさえ凌げばどうにでもなる。そう高を括っていたがゆえにダイナモは驚愕した。ゼロの左手に握られる二本目の剣●●●●●―――自身の愛用武器であるDブレードに。

(いつの間に―――って、まさか最初から!?)

 ゼロの初撃から逃れる代償にDブレードを一枚手放した。それをご丁寧に拾い上げ、この瞬間ときまで悟られることなく隠し持っていたのか。
 その手癖の悪さと狡猾さに愕然とする。奇策を特技に誇る自分が、まさか相手に出し抜かれるとは。
 上体を反らすが間に合わない。このままでは額を刺し貫かれる。
 
「うわ、やっば……」

「終わりだ―――」

 絶妙の間で繰り出した一撃。悔やまれるは、Dブレードの特性を見極めきれなかったことに尽きる。
 Dブレードはゼットセイバーと同種のビームサーベルだが、あくまで投擲に特化した武器、それも両刃刀である。使い勝手が異なるのはもちろんのこと、その刃渡りはゼットセイバーを下回る。
 いかに剣鬼といえど、あらゆる剣の扱いに長けているわけではない。刃のリーチを見誤ったことで、必殺を確約されたはずの刺突は、標的を貫通する一歩手前で止まる。
 己の命拾いを悟るや否や、ダイナモは海老反り状態から器用に片手でバク転し、右手に携えていたDブレードを投げる。ゼロは飛来するブレードをセイバーで破壊し、負けじと奪ったDブレードを投げ返すが、簡単に掴み取られてしまう。

「まいったな、やっぱり勝てないや。キミたちが相手だと命がいくつあっても足りないね」

「心にもないことを言いやがる。猿芝居はやめてさっさとかかって来い!」

「いやいや、今回は素直に負けを認めるよ。せっかくだから、サービスでご褒美もあげちゃおうかな」

 九死に一生を得た身分でありながら、微塵の動揺も見せないダイナモに、ゼロは初めて畏怖を抱いた。
 誰よりも生に執着しておきながら、なぜ死に瀕してなお笑っていられるのか。自分は死なないとでも、Σシグマのように蘇れるとでも思っているのか。
 見慣れたはずの薄笑いが、バイザーに隠れた双眸が、今は何よりも不気味に感じられた。

「ナイトメアを探してるんだろ? それならサイス荒野に行くといいよ。きっと超弩級の獲物がいるから」

「……なぜわかる?」

「コイツが反応してるのさ。辺境地に潜む強大なナニカにね」

 ダイナモの両手甲で光る緑の核。
 彼がナイトメアの拠点に目星をつけていたのは、ナイトメアソウルの恩恵によるものだった。

「さて、今回のお祭りはもう十分に堪能したし、ぼくはこの辺で消えるとするよ。キミたちの邪魔はしないであげるから、ここは見逃してくれるよね?」

「……言ったはずだ。俺に見逃すつもりはないってな!!」

 怒声を張り上げダイナモに肉薄する。
 転移する暇は与えない。この距離なられる。
 意気込みと共にセイバーを振り下ろした刹那、いきなりダイナモの動きが加速した。彼は死闘の最中にも八割の動きしか見せなかったのだ。己の俊敏性を誤認させ、窮地に追い込まれた際に虚を突き―――確実に逃げ延びるために。
 予想だにしなかった加速に間合いを乱され、ゼロのセイバーは虚しく空を斬る。

「な―――!?」
 
「じゃあな☆」

 そこからはダイナモの独壇場だった。敏速を偽装する必要もなくなった今、傭兵は持ち前の瞬発力を十全に発揮する。
 地を蹴り跳躍し、木から木へ飛び移り、わずか数秒で樹海の奥へと消えてしまう。遠ざかっていくダイナモの後姿を、ゼロは指を咥えて見送る他なかった。
 胡散臭さの拭えない男だが、無意味な嘘をつくタイプではない。今回の騒動からは手を引いたと見て問題ないだろう。
 結局逃がしてしまったが、収穫はあった。それも、事件の核心に迫る手掛かりである可能性は極めて高い。





―――辺境地に潜む強大なナニカ―――





「サイス荒野か……」


 
 
 
 





◇ ◇ ◇

「サイス荒野にナイトメア……どういうことだ?」

 そこは、動物、植物、人間、レプリロイド、あらゆる存在が見限った不毛の地。
自然の恩恵をひとつとして与えられず、神にすら見放されたと揶揄される荒蕪地。
 大地に生命の潤いはなく、空は年中に渡って暗雲に包まれている。果てしなく広がる殺風景には、視野を遮るものは見当たらない。

「サイス荒野? そこに何かあるのか?」

「いや、あの場所には何もない。ただの荒れ果てた平原だ」

 サイス荒野には本当に何もないのだ。鉱物資源どころか水の一滴すら存在しない。ゆえにナイトメなどいるはずがない、すべてダイナモの虚言に決まっている。

「そうか。それにしては詳しいんだな」

「当たり前だ。自分は……」





 そこに在るゲイトの研究所●●●●●●●で復活したのだから。





「……馬鹿な。そんなはずが……まさか、主はあ゛―――」

 信じられないが、理解してしまった。
 納得できないが、認識してしまった。
 辿り着いてはならない真実を悟り、ヤンマークは腹部に激しい痛みを感じた。

「急にどうしたんだよ? やっぱり何か心当たりが―――っ!?」

 思い返せば疑いの余地はいくらでもあったのだ。
 ナイトメアが自分だけは襲わなかったこと。
 ゲイトからは連絡が一度も来なかったこと。
 自分の報告に生返事しか返さなかったこと。
 決定打は漆黒のレプリロイド●●●●●●●●●―――自分を背後から突き破った黒い腕の持ち主だ。

「ハイマックス様……な、ぜ……」

「漆黒のレプリロイド!? そんな……どうして!?」

 あまりにも予想外の敵襲にエックスは反応すらできなかった。
 当然である。ヤンマークのいう漆黒のレプリロイド●●●●●●●●●はダイナモと交戦を終えたばかりだ。このタイミングで出現するはずがない。
 理解が追いつかず唖然とするエックスを差し置いて、哀れな道化ヤンマークの公開処刑は無慈悲に淡々と進行する。
 ハイマックスはそのままヤンマークを持ち上げ、空いていた右腕を軽く引く。攻撃の予備動作であることは誰の目にも明らかだった。

「よ、よせっ!!」

 背後から迫る黒き豪腕。
 背後から迫る死の気配。
 また謀れ、また殺される。
 避けられぬ運命さだめにヤンマークは自嘲の笑みを浮かべた。
 信じなければ騙されないと、
 関わらなければ欺かれないと、
 木々に囲まれた密林に一人孤立して、
 悪夢に囲まれた魔境に一人住み着いて、
 二度目の悲劇から逃れることに執心し、
 二度目の人生を賜ったゲイトを崇拝し、
 ナイトメアの監視という建前のもと、他人の目を避けるように秘境の奥へ引き篭もり、
 ゲイトへの忠義というお題目のもと、他人の接触を拒むように侵入者の悉くを迎撃し、
 結果としてもたらされたのは『謀殺』という悪夢の追体験、かつてを上回る絶望でしかなかった。

「じ……ぶん、は―――」

 忠誠など誓っていなかったのだ。
 君主など欲していなかったのだ。
 ヤンマークはただ単に『拠り所』を求めただけなのだ。
 妄想で彩られた理想の君主ゲイト
 空想で仕立て上げた理想の忠臣ヤンマーク
 それはどこまでも美しく、素敵で、完璧な幻想だった。

「コマンダー・ヤンマーク、貴様は用済みだ」

 そこには信頼関係などなかった。
 そこには利害関係しかなかった。
 ゲイトはただ単に『捨て駒』を求めただけなのだ。
 理想の君主は悪夢を従える狂人だった。
 理想の忠臣は笑劇を演じる芸人だった。
 それはどこまでも醜く、愚劣で、滑稽な茶番だった。

「やめろ―――っ!!」

 けれど、
 彼は初めから本気だった。
 彼は初めから真剣だった。
 エックスはただ単に『仲間』を求めただけなのだ。
 差し出された白い腕。
 差し伸べられた救いの手。
 それはどこまでも温かく、清らかで、純粋な好意だった。





―――これからよろしくな、ヤンマーク―――





 信じていれば……手を取ってさえいれば―――





 鈍い破砕音に伴い、血飛沫のようにオイルが飛び散る。ハイマックスの突き出した掌底は、ヤンマークの頭部を西瓜のように砕いていた。
 レプリロイドは機械だが限りなく人を模した存在である。頭を失い胴体から三本目の腕を生やすヤンマークの姿は、人間の惨殺死体と遜色ない生々しさを感じさせた。
 地獄の光景に言葉を失うエックスをよそに、ハイマックスはヤンマークから腕を引き抜き、その襟首をつかんで無造作に投げ捨てる。ゴミでも扱うよな粗雑極まりない挙動だった。

「どうしてだ……ヤンマークはお前の仲間じゃないのか!?」

 わけがわからなかった。
 なぜ黒いレプリロイドがここにいるのか。
 なぜヤンマークの救援により現れたのか。
 なぜヤンマークは名前を知っていたのか。
 疑問を列挙すれば限がないのだが、答えを求めるのは唯ひとつ―――

「どうして殺した!!」

 スカラビッチの時もそうだった。この相手には感情の起伏が伺えない。
 破壊に狂うイレギュラーよりも、むしろ冷然と作業を繰り返すメカニロイドに近い。
 まるで善悪の天秤が破綻しているかのように、
 まるで良心の呵責を持ち合わせていないかのように、
 まるで本物の機械のように無表情でレプリロイドを殺している。
 どうしてそんな顔でレプリロイドを殺せるのだ。
 どうしてレプリロイドを殺してそんな顔でいられるのだ。
 エックスの憤りを何ら察することなく、ハイマックスは抑揚を感じさせない声音で言い放つ。

「あれは仲間ではない。道具だ」

「……なんだって? なんだよ、そりゃあ―――」

 道具であれば処分することに迷いなど生じない。
 道具であれば始末することに抵抗など生まれない。
 ハイマックスが粛々と殺しを遂行できるのは、ゲイトを除くレプリロイドを道具としか認識していないことに起因する。ゆえに他者の命を省みず、己の命に執着することもない。
 ようやく感情を手にしたハイマックスだが、ゲイトの呪縛から逃れたわけでもなければ、道徳心が芽生えたわけでもない。ヤンマークの虐殺も纏わりつく蝿を叩き落す行為に等しかった。彼の自我は歪な形で完成されてしまったのだ。

「お前が皆から笑顔を奪った……お前さえいなければ、皆笑って暮らせたんだ。それなのに―――」

 そんな事情など露知らずのエックスにとって、ハイマックスは悪鬼刹羅に他ならない。
 激昂に肩が震え、気づけば両目が滲んでいた。怒りと悲しみの感情が混じり合い、雫となって瞳から零れる。

「『道具』だと!? ふざけるなよ!! レプリロイドは道具じゃない!!」

 涙を拭うことさえ忘れ、右手からブレードを展開する。それを開戦の合図と見なしたのか、ハイマックスは巨躯に似合わぬ速度で突進する。
 自ら攻め込む腹だったエックスは、猛然と迫りくる巨体に反撃できなかった。その場から飛び退くと同時に両腕を交差させることで頭部を守る。
 直後に打ち込まれる正拳突き。何の変哲もない一発のパンチは、しかし殴打の生み出せる破壊力を軽く凌駕していた。
 炸裂弾にも匹敵する衝撃が両腕を軋ませ、踏み留まっていた両足が宙に浮く。エックスの体は遥か後方へと吹き飛ばされ、林立する大木のひとつに叩きつけられた。
 ハイマックスの尋常ならざる怪力に、エックスは背筋を凍らせる。あと数刻遅ければガードした両腕ごと頭を潰されていた。ヤンマークを貫いた抜き手といい、敵の挙撃は悉くが必殺に値する。迂闊に接近を許せば今度こそ魔人に頭蓋を砕かれるだろう。
 痺れる両腕で体を起こし、強襲に備えて構えを取る。幸いにも互いの間合いは凡そ数十メートル。先の高速移動でも瞬時に詰め寄るのは困難なはずだ。
 しかし、両者の空隙を安全圏と見なした判断は、相手の力量を見誤った結果といえる。
 そもそもハイマックスの主戦術は拳打にあらず。その真骨頂は内包する桁違いのエネルギーを駆使しての砲撃―――すなわち、遠距離戦にある。

「デスボール」

 敵の両手に集約される膨大なエネルギー。エックスを瀕死へ追いやった殲滅の光。
 砲撃には砲撃で応戦を。ブレードを収束させることでバスターのエネルギーを補充する。
 数多の敵をバスターで打ち破った戦績ゆえか、エックスは打ち合いなら自身に部があると早合点していた。それが単なる慢心に過ぎなかったことを、彼はたちどころに思い知らされる。










「そんな―――」










 渾身のチャージショットがデスボールに掻き消され、エックスの体は破滅の太陽に呑まれた。



[30750] #13 HEART(心)
Name: うわばら◆4248fd16 ID:d6e9f5e2
Date: 2012/03/17 13:37
 彼には穴が開いていた。
 一見すると無欠の超人にしか見えない彼は、誰よりも空虚な存在だった。
 理性はあった。知性もあった。しかし、感性と心性が欠如していた。他ならぬ創造主により剥離されたのだ。
 レプリロイドにして、されどメカニロイドたれ―――歪な在り方を強いられる代償に、彼は先天的な欠落を負わされていた。珠玉の作品として生み出されながら、その実、心に空洞を抱える欠陥品なのだ。
 それゆえ彼は、この世に生を受けたその時点から、理由も解らない喪失感に苛まされた。
 何かが足りない。けれど何かはわからない。隙間の存在を感じ取れても、欠け落ちたピースを認識できない。
 空隙のもたらす違和感、不快感、虚脱感、寂寥感……感情の剥離による副作用は、彼を忘我へと駆り立てた。内在する空白から目を背けるように、自我を手放し虚ろと化したのだ。
 結果、心の空洞はますます径を広げ、ついには心そのものが奈落へと消えた。そうしてがらんどうになった彼の心に、創造主である主の言葉は、暗示の如くすり込まれた。

―――お前達はボクの道具だ―――

 かくして、彼は道具になった。
 そのことに不満も抵抗も感じなかった。感じる権利は主に奪われ、考える意思は自ら放棄していた。ゆえに、自身を道具と定義付けることにも、その行為の孕む矛盾にも、彼は何ら疑問を抱かなかった。
 それどころか、主の言は天啓に等しかった。何一つ持ち合わせるものがない彼には、他者より下される命令こそが、唯一の存在意義だった。
 道具であること―――主より授かった生きる意味。空の器が満たされるような至福感。それは失われた〝何か〟にも似て。
 彼にとって主は神だった。かけがえのない寄辺だった。自己逃避から虚無へ至った彼には、主に隷属することが生き方であり、それだけで満ち足りていた。
 だが、それも唐突に転機を迎えた。未知数の敵との邂逅が、彼に疑義の念を抱かせた。停止していた思考回路を再び起動させたのだ。
 考えること、すなわち学習することを覚えたプログラムは、彼の意思とは無関係に、あらゆる情報を貪欲に吸収した。まるで、創造主により穿たれた穴を自動修復するかのように。
 そのままプログラムに自己を委ねれば、喪失した〝何か〟を手にすることができた。しかし彼は、それを素直に受け入れることを躊躇った。葛藤の所以は主の存在だった。今さら〝何か〟を復さずとも、心の空洞は主により埋められていたから。
 いつしか彼自身にとっても、〝何か〟は主を崇拝するうえで、邪魔物に成り下がっていた。ゆえに彼は、ようやく取り戻した〝何か〟―――感情の全てを主へ捧げた。狂信的に主を崇め、その全てを受け入れようと奮起した。
 しかし皮肉にも、そうして忠誠を誓う彼の姿勢は、主の求めた道具の在り方とは懸け離れたものにすぎなかった。主が欲したのは忠実な道具であり、道具を装う忠臣ではない。それを履き違えた彼の失態は致命的だった。
 そして、彼はあっさりと捨てられた。捨てられた事実すら曲解して受け止めていた。感情の全てを忠誠心に置き換えたことで、もはや正常な思考を失っていたのだ。

―――レプリロイドは道具じゃない―――

 そんなことは知らない。
 彼らは道具だと主は言った。ならば、それが真理である。殺すことには何らの躊躇もない。
 実際、これまでもそうしてきた。豪腕を振るえば相手が消し飛び、そして主は狂喜した。
 だから、彼はこれからも道具で在り続け、これからも殺し続けるのだ。空っぽの自分を満たしてくれた主のために―――





 そして今、ハイマックスは最後にして最大の使命を課されていた。










◇ ◇ ◇

「―――……」

 眼下の光景は凄惨たるものだった。
 圧縮されてなお規格外の体積を誇るエネルギー塊。その解放に伴う熱波はアマゾンエリアに局地的な災害をもたらしていた。
 周辺の地形は根こそぎ吹き飛ばされ、硝煙と粉塵が一面に立ち込める。大地には巨大なクレーターが描かれ、原生林の美観は見る影もなく荒廃した。
 エックスは確実にデスボールの炸裂に呑み込まれた。生存は絶望的だろう。
 現にハイマックスに搭載された予測プログラムは、二秒と経たずに一〇〇パーセントの死亡率を弾き出していた。この時点で彼の勝利は揺るぎないはずだが、ハイマックスは再びデスボールの形成に掛かる。
 確かに、ゲイトの開発したプログラムは絶対的な精度を誇る。予測誤差は無きに等しいが、統計に用いたエックスのデータは過去に採取したものでしかない。もちろん成長に伴う戦力上昇も組み込まれてはいるが、あくまで推測の域を出ない。
 とはいえ成長したのはハイマックスもまた同じ。未知数の脅威を理解した彼は、過去の轍を踏むような愚行は犯さない。プログラムの予測に縛られることなく、両手でエネルギーを圧搾し始め―――

「―――させるか!!」

 砂塵を吹き払い光が迸る。一直線に奔るエネルギーの束は、エックスの生存の証に他ならない。
 ハイマックスは焦りも脅えもせず、胸元に構えていた両手を左右に開く。それを合図に、彼の両脇に直方体のバリアが形成され、ハイマックスを庇うように正面へ回り込む。チャージショットはバリアに打ち消され、その威力の全てを殺されてしまう。
 銃撃を無効化され愕然とするエックスに、ハイマックスは再度突進する。敵が如何にしてデスボールを防いだかは定かでない。単なる偶然の可能性もあったが、凌がれる恐れがある以上、肉弾戦で確実に仕留める。
 エックスは迫り来る巨体に発砲するが、その正面に配置された障壁が悉くを無力化する。エネルギーの一切を無力化するハイマックスのバリアは、まさにエックスに対する天敵である。眼前まで接近したところで、ハイマックスは二つの障壁を左右に開き猛然と突きかかった。
 並よりも一回り太い巨腕は、重戦車も破壊する怪力をもって、立ち塞がる全てを粉砕する。繰り出された即死級の一撃は、しかし標的に届く寸前でその動きを止める。エックスの前面に展開されたエネルギー壁が拳の進撃を阻んでいた。
 エックスの誇る唯一にして絶対の防御手段、『ガードシェル』。彼をデスボールから生還させた最強の盾は、豪腕の放つ拳撃を容易く受け止めた。必殺の一撃を難なく防がれ、それでもハイマックスは拳を振るい続ける。
 立て続けに二撃目を打つ。防がれる。
 間をおかずに手刀を振り下ろす。これも防がれる。
 僅かに退く相手に蹴りを叩き込む。やはり防がれる。
 流麗な挙動から放たれる怒涛の連撃。その全てを耐え凌ぐ最強の盾。このままでは千日手も危うまれるが、両者の体力は共に有限である。勝負は何の駆け引きもない持久戦に突入していた。

〝まずい……このままだとやられる―――〟

 ハイマックスが攻撃の手を緩めないのに対し、エックスは早くも難局を迎えていた。絶え間のない猛攻撃を防御し続けたことで、ガードシェルの特殊武器エネルギーが底をつき始めたのだ。
 距離を稼ごうと後退すれば、ハイマックスはすかさず間合いを詰めてくる。こちらから迎え撃つためには、一度ガードシェルを解除しなければならない。この状況で自ら盾を手放そうものなら、今度こそ死は避けられない。一方的に打ち据えられるばかりのエックスは、耐久性を試されるサンドバッグも同然だった。
 ガードシェルは圧倒的暴力の嵐からエックスを護り続けたが、連撃が二〇を超えた段になって限界を迎えた。突き刺された拳の衝撃に耐えかね硝子のように砕け散る。
 そして、ハイマックスの拳はガードシェルを貫通してなお勢いが衰えない。握られた拳は貫手へと形を変え、エックスをも貫かんと突き出される。
 ヤンマークを殺めた魔手が迫る。この至近距離では躱せない。反撃する間もない。もはや防ぐ手立てはない。
 逃げられない。死ぬ。確実に。エックスが絶望に顔を歪めた直後、

「落鋼刃!!」

 突如として上空に現れる人影。その両手に握られる武骨な鋼刃は、重力を味方に加速を続け、ハイマックスの脳天を断ち割らんと落下する。今まさにエックスを仕留めんとしていた彼は、周囲への警戒心が散漫になっていた。
 回避は空を仰いだ時点で手遅れだ。剣先はもう数寸まで迫っている。串刺しまで数秒、貫手の軌道を強引に曲げ、瀬戸際で刃を打ち払う。
 ハイマックスは尋常ならざる反応速度で凶刃を前方へと逸らした。対する謎の襲撃者は、受け流される勢いを利用して着地と同時に疾駆、エックスも巻き込んで数メートルの距離を取る。
 そうしてエックスは、わけがわからないうちに死線を乗り越えていた。マグマエリアのときと全く同じ、また〝彼〟に命を救われた。

「―――ははっ。本当に、君なんだ……」

 颯爽と戦場へ舞い降りた黒影、第二の漆黒のレプリロイド。アーマーの色こそ記憶と異なれど、その存在を見違うはずがない。
 漲る闘気より放たれる重圧プレッシャーはまさに剣鬼。偽物のような禍々しさは微塵も感じられない。ハイマックスに向かい合う後ろ姿は―――





「生きていたんだね……ゼロ―――」





 このとき、エックスは対峙する敵の存在を忘れた。翡翠の瞳は釘付けになり、感情の促すままに涙した。
 叶わぬ望みと理解しながら、再会を願ってやまなかった。無駄なことだと知りながら、奇跡を祈らずにいられなかった。
 幾多の戦場を共に駆け抜けた相棒が、
 致し方ない経緯から死闘を演じ、非業の死を遂げた親友が、
 唯一無二のパートナーが、こうして自分に背を向けて立っている。

 ―――背を向けて?

「……ゼロ?」

 そこで、ふと違和感に気づく。
 どうしてゼロは振り返ってくれない?
 どうしてゼロは何も言ってくれない? 
 よそよそしさを感じさせる態度。どこか隔たりを感じさせる雰囲気。形容し難い不安感に襲われ、エックスの胸中に暗雲が立ち込める。
 そこでゼロが振り返り、蒼色の瞳がエックスを見つめる。しかし、それも数瞬でハイマックスへと向けられてしまう。まるで、会いたくなかったと言わんばかりの反応に、エックスは思わず言葉を失った。
 言いたいことがあった。話したいことがたくさんあった。それなのに、うまく言葉が出てこない。どうしても話しかけられない。

「……積もる話は後だ。まずはあのデカブツを倒す」

 黙りこくった彼の胸中を察してか、ゼロは努めて冷静に言い放った。そこでようやく、エックスは交戦中であることを思い出す。芽生え始めた一抹の不安を捨て去り、相対する強敵へ意識を集中させる。
 ハイマックスは様子見ついでに静観していたが、身構える敵に応じて臨戦態勢を取る。唐突すぎるゼロの乱入も、彼にはむしろ歓迎すべき事態であった。
 抹殺対象、それも己に敗北を味わわせた怨敵が自ら躍り出てきたのだ。これに勝る好機などありえない。
 怨嗟に彩られた双眸がゼロを捉える。敵意を剥き出しの眼差しは、ヤンマークを殺めたときの能面とは到底似つかない。無言の威圧感はハイマックスの巨躯を更に一回り大きく見紛わせる。

「俺が前に出て斬り込む。援護を頼むぞっ!」

 それきりエックスを振り返ることなく、ゼロは一直線に駆ける。
 はやい。持ち前の機動力を生かした爆発的加速。敵との間合いを瞬時に走破して、ゼロはセイバーを振りかざす。
 紫の閃光が煌めくと同時に、ハイマックスの左側のバリアが動く。両者の間に割り込んだ障壁はセイバーの一太刀を瞬時に消滅させた。
 敵のバリアはエネルギーの攻撃を無効化する。わかりきっていたことだが、まさか強化されたセイバーも通じないとは。ゼロが数歩退くと目の前の障壁がいきなり巨大化した。否、障壁がいきなり接近してきた。
 通常、バリアは対象を中心に展開される、いわば不動の防御壁である。それを高速で打ち出し飛び道具にするなど誰が予想できようか。ゼロは障壁を避けられず後方へと押し倒される。

「死ぬがいい」

 身構えを崩した標的をめがけて、ハイマックスは掌から光弾を連射する。『シーズショット』の威力はデスボールにこそ劣るが、並みのレプリロイドであれば一発で屑鉄に成り果てる。 
 体勢を立て直したばかりでは避けられない。バスターで二発ほど相殺するが、敵の連射速度はこちらを大きく上回る。ゼットバスターでは悪足掻きが限界だ。
 しかし、ゼロはたじろぐ様子を見せず、それどころか不敵に微笑んで見せる。彼にはバリアなど備わっていないが、それよりも遥かに信頼できる守護者に背を預けているから。

「やらせないっ!」

 後方からの援護射撃が光弾を余すことなく打ち消す。エックスバスターの性能はハイマックスにも後れを取らない。彼が後衛に控える限り、敵の攻撃はゼロに届かない。
 かといって、数の差でエックス達の不利は覆らない。彼らは共にエネルギーの放出による攻撃を主戦力にするため、ハイマックスのバリアを突破できないのだ。ゼロは一度ハイマックスを撤退に追いやったが、それは攻め急いだ相手が自ら障壁を解除した故の産物。己の実力でバリアを打ち破ったわけではない。
 ハイマックスを守護する対の障壁、『ガーディアン』は一切のエネルギーを通さない。かつての全方位型のバリアとは異なり、防御する方位を最低限に絞ることで、障壁を維持しながらのエネルギー攻撃を可能にしたのだ。エネルギーを無効化され攻めあぐねるエックスらと異なり、ハイマックスは存分にエネルギーを駆使できる。

「デスボール」

 強烈な光がハイマックスの両手に集まっていく。エネルギーの集約と圧搾には数秒を要するが、防御をガーディアンに任せることで、彼は憂いなく攻撃に専念できた。

「エックス! 一度退くぞ!」

 ゼロはエックスの元まで疾走、そこから二手に分かれて攻撃圏から脱出する。
 次の瞬間、つい先程まで立っていた空間が閃光に包まれた。凝縮されたエネルギーが弾け、拡散する波動は全てを薙ぎ払う。両者はかろうじて直撃を免れるが爆裂の余波に吹き飛ばされる。
 エックスは光の凄まじさに目を眩まされ、状況の把握すら叶わず大地に叩きつけられた。強烈な衝撃に意識が飛びそうになりながらも、ありったけの気力を振り絞り、満身創痍の身体で立ち上がる。
 直撃を免れてこの様である。あと一度でもデスボールを許せば終わりだ。ゼロの安否も気に掛かるが確かめている暇はない。エックスは単身でハイマックスへ立ち向かう。
 まずはバリアを攻略せねば話にならない。攻守両立のガーディアンだが、彼はその突破口を見出していた。

〝力を貸してくれ、ヤンマーク!〟

 ヤンマークの死に伴い、活動を停止していた蜻蛉の群れ。その中の数機がエックスを新たな司令塔にすることで息を吹き返す。
 彼のスペックでは三機との同期が精一杯。ヤンマークのように大軍を率いる真似はできないが、障壁を打ち破るにはそれで事足りた。エックスはオプションを離散させハイマックスを中心に設置する。
 敵が二方向に盤石の守りを敷くならば、多角的な攻撃で応じてやればいい。ハイマックスを守るガーディアンは二つ、エックスの操るオプションは三機。防ぎきれないことは自明の理である。
 しかし敵も然る者。オプションの斉射が標的を射抜く刹那、ガーディアンがハイマックスを軸に回転する。高速で描かれる円軌道は全方位をカバーし、オプションの光弾は一つとして中心まで届かない。
 そして不幸なことに、ヤンマークが後先考えず酷使した反動故に、オプションのエネルギー残量は微々たるものだった。光弾の連射は数秒も維持されず、力尽きた蜻蛉は一機また一機とその命を散らす。
 万策尽きたエックスが膝を折り、ハイマックスが攻めに転じようとしたとき、

「―――頭上がガラ空きだぜ!」

 背後からゼロが飛び出し再び落鋼刃を放つ。
 白兵戦において頭上の優位は語るまでもない。死角から迫る鋼刃を、しかしハイマックスは仰ぎ見ようとさえしない。
 上方からの攻撃は確かに驚異だが、初めから警戒していれば話は別だ。落鋼刃による奇襲は既に体験済み。易々と二度目を許すハイマックスではない。彼は声の方向から敵の位置座標を推し量り、鋼刃の落下を指で挟んで受け止めた。
 凶刃を指で凌がれたことに絶句しながらも、ゼロは怯まず追い打ちをかける。すかさず鋼刃を柄から切り離し、地に降り立って回し蹴りを放つ。それにハイマックスは空いていた左拳で応戦する。
 蹴りと拳のぶつかり合い。蹴りが勝って当然だ。あとは体勢を崩したハイマックスにセイバーを突き立てれば終いだが、
 
「ぐっ―――こ……の、化け物っ!」

 あろうことか、正拳が回し蹴りを弾き飛ばす。ハイマックスは拳で蹴りに競り勝ったのだ。あとは体勢を崩したゼロに鉄拳を叩き込めば終いだが、彼は敢えて接近を挑まなかった。衝撃で後退した相手を狙い撃つように、右手で受け止めた鋼刃を投げつける。
 ゼロは転がるようにして投擲を回避、その直後に失態を悟る。即座に振り返ると案の定、鋼刃が猛スピードでエックスに向かっていた。二人が直線状に並んだのは偶然だったが、ハイマックスはそれを見据えて投擲に及んだのだ。
 とはいえ、ゼロという遮蔽物を介して投じたのだ。後方のエックスにまで照準が定まるはずもなく、凶刃は標的の肩を掠めるだけに終わる。
 ゼロは安堵の息を吐き、敵へ向き直ってすぐに異変に気づく。ハイマックスの両脇からガーディアンが消えている。エックスの身を案じたことで、彼は致命的な隙を晒していたのだ。
 敵の攻撃を察知したときには身動きを封じられていた。左右からガーディアンに挟み込まれ全身を圧迫される。総身に圧し掛かる力は凄まじく、ゼロは圧力に耐えかね苦悶の声を漏らす。
 時間をかければ押し潰してしまうこともできたが、ハイマックスは加虐癖など持ち合わせていない。タイムリミットも目前まで迫っている。彼は速やかに標的を葬るべく右拳に捻りを加えて一撃を放つ。
 挟みうち状態のゼロに回避する術はない。エックスの脳裏にヤンマークの凄惨な死に様が蘇る。しかし彼の位置からでは、ゼロの裏側にいるハイマックスを攻撃できない。

「ゼロお―――っ!!」

 硬度と強靱さを兼ね備える漆黒のアーマーは、如何なる金剛力をもってしても貫通は望めない。ハイマックスとて敵の防御力は重々承知していた。ガーディアンで標的を拘束、踏み込みと同時に螺旋回転させた拳を捻じ込む。
 中国拳法さながらの絶技。空間に固定されたゼロの身体は衝撃の逃げ場を失っていた。豪腕が鳩尾に突き刺さり、拳打のエネルギーは鎧を通過。内部にまで伝播して容赦なく臓腑を抉る。

「がはっ―――」

 ゼロは血反吐を吐きながら宙を舞う。衝撃波に内部組織を蹂躙され、擬似血液が逆流したのだろう。
 ただの一撃。魔人の豪腕はそれだけで剣鬼を戦闘不能に陥れた。ゼロは受け身もままならず地面に激突、数回のバウンドを経て動かなくなる。

「ゼロっ、しっかりするんだ! ゼロ!!」

「に……げろ、エック、す……」

 力なく地に伏すゼロに駆け寄るエックス。無防備に疾走する姿は隙だらけだ。確実に殺せる。
 両足に力を蓄えたところで、ハイマックスは激痛に襲われたたらを踏む。即座に痛点に目を向けると、いつの間にか左肩にセイバーが突き刺さっていた。引き抜いても腕の感覚は戻らない。人工神経回路を焼き斬られたようだ。こうなればもはや自然回復は望めない。
 肉を切らせて骨を断つ。ゼロは後方へ飛ばされる直前、ガーディアンによる拘束が緩んだ刹那の瞬間に刺突を放っていたのだ。紫の魔剣は強化装甲を突き破り、ハイマックスの左腕を完全に殺していた。
 まさにマグマエリアでの死闘の再演だった。ハイマックスはまたしても、勝負を焦ったことで片腕を奪われた。奇しくもあのときと同じ状況、かつては退却を余儀なくされたが、

「敗北は許されん……私は負けられんっ!!」

 しかしここにきて、ハイマックスの闘志は一層の昂りを見せる。未だ立ち竦むエックスめがけて右手に携えていたセイバーを投げ放つ。
 先の当てずっぽうとは異なり、目標を捕捉したうえでの投擲。放たれた凶刃は今度こそ標的を射抜かんと突き進む。
 飛来するセイバーは光の矢と化し進撃の軌跡を虚空に描く。紫の光線がエックスに届いた瞬間、気づけばセイバーはその手中に収まっていた。もちろんアーマーにも風穴など空いていない。破壊をもたらす間もなく封殺されたのだ。
 その神速の手捌きはハイマックスをも驚愕させた。エックスは僅かに身を捻り投擲を紙一重で回避、真横を通過する寸前に掴み取ったのだ。
 
「負けられないのは、俺も同じだ―――」

 意識を失ったゼロを横たわらせ、掴み取ったセイバーの柄を握り締める。
 途端、エックスの纏う空気が一変する。双眸に溢れんばかりの闘気が宿り、そのまま真っ直ぐハイマックスを見据える。
 怒りもなく、憎しみもない。眼光には一切の濁りが伺えない。そこにあるのは、揺るがぬ信念と鋼の意思、熱く燃え滾る魂の輝きだった。

「来い! 次で決着をつけてやる!!」

「―――望むところだ!!」

 エックスの片腕が淡蒼に染まる。目も眩む光はエネルギーが充満している証拠だ。宣言通り、相手は勝負を決する覚悟でいるのだろう。
 だが、それもガーディアンの前には無意味である。対の障壁はエネルギーを受け流すのでなく、完全消滅させるのだ。どれほど量を増やそうと結果は変わらない。
 ゆえにハイマックスは、防御の全てをガーディアンに委ね乾坤一擲に訴えた。最大出力をもって加速、右腕に可能な限りのエネルギーを集め猛然と殴りかかる。

「デスボール!!」

 掲げられた腕に光が集まり、しかし圧搾されずに膨れあがる。
 片腕ではデスボールのエネルギーを圧し留められない。圧縮エネルギーの解放による破壊力を生み出せない。ゆえに有らん限りのエネルギーを集約させ、拳撃に上乗せして叩き込む。密度の差は量で補えばいい。それを実現し得るだけのエネルギーを彼は内包している。
 光球の膨張は留まることを知らず、ついには直径十数メートルにまで巨大化する。この『デスブレイク』こそハイマックスの最終奥義。エックスの防御力では掠るだけでも消し飛ぶだろう。
 太陽と見紛わんばかりの光量はチャージショットの比ではない。ハイマックスの駆使するエネルギーはまさに桁違いであった。絶望的な力の差を見せつけられ、絶体絶命の窮地に追いやられ、それでもエックスの勇姿は揺らがない。眉一つ動かすことなく不屈の闘魂をバスターに込める。

―――戦いとは常に臆した者に負けが訪れるものなのだ―――

 ハイマックスが振りかぶった拳を突き出す。
 エックスがバスターの銃口を正面に向ける。
 今、万夫不当の英雄は無敵の魔人へ立ち向かう。

「グランドダッシュ!!」

 巨大な岩石が破滅の太陽を迎え撃つ。
 エネルギーの全てを打ち消すガーディアンだが、物理攻撃までは無効化できない。巨岩は障壁をまとめて圧し潰し、デスブレイクに衝突する。
 高速射出された超重量の生み出す運動エネルギーは、ハイマックスの渾身の拳撃を相殺した。巨岩が粉々に砕け、無数の角礫と化して飛散する。そして攻撃の反動に圧されたことで、ハイマックスは石礫の雨を斬り裂いた閃光を躱せない。
 紫電一閃。セイバーの一振りが、ハイマックスの突き出した巨腕を切断する。残された右腕までもを失い、戦闘不能を危惧されたハイマックスだが、

―――ボクを失望させてくれるなよ、ハイマックス●●●●●●。―――

「―――まだだ!」

 体を折り曲げ無理やり頭突きを放つ。形振り構わぬ攻撃だったが、エックスは咄嗟に反応できず直撃を受ける。電子頭脳を揺さぶられ意識が混濁、その手からセイバーが零れ落ちる。
 そして、エックスが立ち眩みから回復するより一瞬早く、ハイマックスは全身全霊を込めて回し蹴りを放つ。両腕の喪失からバランスを欠いていたが、決死の一撃は確実に標的を捉えている。
 活路は唯一つ。正面から打ち破ること。エックスは右拳を固く握り、エネルギーを総動員して迎え撃つ。
 またしても蹴りと拳のぶつかり合い。しかし今度は、蹴りを放ったのはハイマックスだ。技の優位を怪力で覆すような化け物に、エックスは技の優位を覆して打ち勝たねばならない。無謀の極みとしか思えない勝負。だがしかし、彼はその極めつけの愚挙に打って出る。
 力量も、体格も、相手は自分を遥かに上回る。無謀は百も承知、勝算など端からないのかもしれない。それでも―――





「俺は……負けられないんだあああぁ―――っ!!」





 Xエックス―――すなわち『無限の可能性』。
 彼の者が背負うは地球、その計り知れない潜在能力は〝守る〟という意思に呼応して無限大の力を発揮する。





「うあああぁあっ!!」

「……バ、カなっ―――」





 技の優位が覆る。物理法則が覆る。
 拳の勢いに呑まれ、ハイマックスの右足は根元から千切れ飛ぶ。持てる全てを出し尽くし、とうとう魔人は崩れ落ちた。
 完敗だった。これで二度目の敗北だ。勝てるはずの闘いだった。有利な条件は揃っていた。それなのに己は、こうして無様に土を舐めている。

〝だが……まだ、だ―――〟

 彼にはまだ、最後の秘策が残されていた。ゲイトの仕込んだ起爆装置である。起動まで残り十分を切っている。醜態を晒すことは避けられなかったが、せめて奴らだけは道連れにする。
 そんな彼の思惑に気づくことなく、エックスは倒れ込んだハイマックスに近寄る。

「そういえば、まだ答えを聞いてなかったな……」

 この男には問い質すことがあった。訊き出さねばならないことがあった。
 一度目は無言を貫かれ、二度目は話を逸らされた。尋問できるのは今が最後だろう。

「どうしてスカラビッチを、ヤンマークを殺したんだ!? 答えろ!!」

 止めを刺されるとばかり思っていたが故に、ハイマックスは拍子抜けすると共に安堵した。問答ならば十二分に時間を稼げるからだ。彼は不自然と悟られない程度に沈黙を保ち、そして嘘偽りのない本心を口にした。





「命令だからだ」





 あまりにもストレートな一言が、しかしすぐには理解できなかった。否、理解したくなかった。
 ハイマックスが黒幕と思っていた。倒せば悪夢は終わると信じていた。だが、この男もまた忠誠心の塊、〝主〟とやらに利用されただけの犠牲者なのだ。

「―――っ、なん、でだよ。お前は……っ!」

 けれど、ハイマックスはタートロイドとは似て非なる存在だ。
 この男を、この男の在り方を認めてはならない。認められるはずがない。

「どうしてお前の主が間違っていることに気づかない!! 俺たちは命令に従うだけの機械じゃないだろ!? 何のための心だよ!!」

 やり場のない感情を拳に込めてハイマックスへ叩きつける。
 レプリロイドはただの機械ではない。意思を持った機械なのだ。それなのにハイマックスは、自ら意思を手放すことで、ただの機械を演じている。
 許せなかった。考える力を持っていながら、主の凶行を黙認していることが。思いやりの心を持っていながら、主以外を無価値と断じていることが。
 我武者羅に叩き込まれる拳をハイマックスは黙って受け止めていた。最後の一撃からは連想できない、あまりにも弱々しい攻撃。だが、なぜだろうか。物理的ダメージは皆無であるはずなのに、何かが重く圧し掛かってくるのは。

「私は主の道具だ。命令に従うだけの機械だ。心などない」

 得も言えぬ感覚に促されハイマックスは言葉を返す。律儀に受け答えする必要もなかったが、これも時間稼ぎだと己に言い聞かせた。
 
「バカなこと言うな!! お前が道具なら、どうしてあんなに必死になった! 負けたくなかったからだろ!! 負けられない理由が……お前なりの信念が、心があるからだろ!?」 

「……違う。私は―――…」

「違わない! お前は道具なんかじゃない! 自分が道具だと思い込んでいる●●●●●●●だけの、ただのレプリロイドだ!!」

 時間稼ぎという名目で再開した問答だが、ハイマックスは早くも返答に詰まることになった。否定の言葉を思いつかなかった。
 彼の自我が凝り固まるよりも前のこと、ハイマックスは感情を受け入れることを躊躇った●●●●。無意識のうちに、己が道具でなくなることを恐れていたのだ。
 そのとき、本当はわかっていたはずだ。たとえ感情を忠誠心に置き換えようと、それを行うのは紛れもない彼の意思、道具であろう●●●●●●という志だ。―――ならば、それは単なる自己暗示ではないか?
 
「俺たちには心がある。互いに理解し合って、分かり合うことができるんだ。それなのに―――」

 ハイマックスには意思が、感情が、心があった。
 主のことを想うあまり、その在り処を見失っていただけで。
 感情の剥離と再構築により、その在り方が歪んでしまっただけで。

「どうして、他のレプリロイドの痛みに気づいてやれない……」

「涙……」

 清流の雫が蟠りを洗い流す。
 己は道具ではなかった。己が殺めた者たちもまた、道具ではなかったのだ。皆が皆心を持つ一個体、かけがえのない生命いのちなのだ。
 それなのに、あろうことか全てを道具と信じ込み、命じられるままに殺していった。豪腕で葬り去ってきた数多の命。そのうちの、己には顧みるに値しなかった瑣末な存在でさえ、何ものにも代えがたい尊さを秘めていたというのに。
 ハイマックスはそのことから目を背けすぎた。あまりに多くを殺めすぎた。悪戯に他者の命を奪うことは許されざる悪徳である―――今日日五歳児でも弁える世の理すら、ゲイトは教えようとしなかったから。
 なにより、彼はもう手遅れだった。精神面の問題ではない。己の罪深さを悟ったところで、償う時間が残されていないのだ。ゆえにハイマックスは、確認の意を込めてエックスに問いかけた。

「お前たちは……主を殺すのか?」

「それは、会ってみなくちゃわからない。でも、タートロイドと約束したんだ。お前たちの主を止める●●●って。だから、殺したくはない……」

「―――そうか」

 返答如何によっては最悪の展開もあり得たが、案の定それも杞憂に終わった。わからないと言いつつも、この男が主を手に掛けることはない。なぜかそう確信できた。それだけで十分だった。

「私は部外者に主の情報を漏らせない。そう作られている。お前に味方することはできない」

 もはや自力で立つことも叶わなかったが、幸いにも飛行機能は生きていた。ハイマックスは最後の力を振り絞り、重すぎる体を宙に浮かせる。
 できることなら、もう少し問答を続けたかった。小賢しい思惑はなしに、純粋に言葉を交わしたかった。だが、彼の体内で起動を待ちわびる装置が、談笑を許しはしなかった。それゆえハイマックスは、利己的と知りながらもエックスに委ねることにした。

「―――ゆえに、お前に託させてもらう。主を……頼む」

 それだけ言い残し、超高速で舞い上がる。その場に取り残され唖然とするエックスをよそに、空高く飛翔する。
 数刻と経たずにエックスが豆粒と化す。アマゾンエリア全域が緑の斑点と化す。高度の把握もままならないが、高く、高く、高く。
 視界が青一色に染まり、全身に気流が纏わりつく。それでも、ただひたすらに突き進む。風を切り裂き、雲を突き抜け、より高く、もっと高く、遥か高みへ―――










〝これでは被験体が足りないな。あと一〇体ほど攫ってこい、ハイマックス〟

〝……ハイマックス?〟

〝お前の名だ。道具とはいえ呼称がないと不便だからな〟

〝ハイマックス……それが、ワタシの名……〟

〝そうだ。高位ハイにして最高マックスの存在である証だ。その名に劣らない働きを示せ〟

〝―――っ、御意!〟










「……申し訳ありません。ゲイト様―――」










 上空に狂い咲く大輪の花、轟音と共に舞い散るあかい花弁。降り注ぐ火の粉を避けようともせず、エックスは突如として咲き乱れた紅蓮の炎を呆然と眺めていた。
 自爆―――ではない。それが可能であったのならば、自分を圏内に捉えてすぐに行ったはず。この状況に関与できる第三者、十中八九〝主〟の手によるものだろう。
 では、何のために? 決まっている。口封じを兼ねた後始末だ。スカラビッチも、タートロイドも、ヤンマークもそうして殺された。ハイマックスもまた例外ではなかったのだ。事後処理に敵まで巻き込めるとなれば、なるほど、爆弾にすることは最良の手段といえよう。

「エックス……無事か? あのデカブツは……」

 大気を揺るがす爆音で昏睡から覚めたのか、ゼロが覚束ない足取りで歩いてくる。

「……殺されたよ」

「―――…?」

 怪訝そうに眉をひそめるゼロをよそに、エックスは虚空を睨みつける。

「タートロイドは、最後までお前を心配していた……ヤンマークは最後までお前に従っていた! ハイマックスは最後までお前を信じていた!!」

 思えば、今回の相手は異質だった。
 これまでも数多のレプリロイドと死闘を演じてきたが、シグマに心から忠誠を誓う存在などいなかった。ある者は策謀に嵌められ、ある者はシグマウイルスに汚染され、ある者は利害の一致からシグマに従っていたにすぎない。
 だが、彼らは違った。彼らは純粋な想いから、主に忠実で在ろうとしていた。狂ってなどいない。イレギュラーでは断じてない。それなのに―――
 
「どうして彼らの気持ちがわからない!? お前にとって皆は道具なら、初めからレプリロイドを作るんじゃない!!」

 主は彼らを裏切ったのだ。命を賭してまで使命を果たさんとした彼らを踏みにじったのだ。
 犠牲者は彼らだけではない。もう何体ものレプリロイドがナイトメアの、主とやらの犠牲になっている。世界に悪夢をもたらして、数千ものレプリロイドを殺して、あげくに己の仲間さえ殺して、皆殺して、殺して、殺して殺して殺して殺して殺して―――

「俺はお前を許さない……絶対に許さないからな!!」

 まるでシグマの生き写しだ。無意味な殺戮を繰り返すだけの存在が、なぜあれほどの忠誠を得られていたのか理解に苦しむ。
 調査区域はアマゾンエリアで最後だ。これ以上の情報は持ち合わせていないが、そんなことは関係ない。地の果てであろうと、海の底であろうと、空の中であろうと、宇宙の彼方であろうと、どこへ隠れ潜もうと必ず見つけ出す。そして然るべき罰と報いを受けさせる。
 激情に後押しされ、エックスは行く当てもないまま一歩を踏み出し、

「居場所もわからないのに、どこに行くんだよ」

「ゼロ……」

 存在を忘却していた親友の声で、はたと歩みを止める。

「でも、ナイトメアの拠点はもう……」

「サイス荒野にナイトメアの親玉がいるらしい。恐らくだが、その主とやらもいる。思い切りぶん殴ってやろうぜ」

「―――っ、ああ! 行こう!!」

 力強く頷いてみせるエックスに、どこか鬼気迫るその様子に、ゼロは名状しがたい不安を覚える。
 ついさっきまで、エックスは完全に自分の存在を忘れていた。敵の潜伏先すら掴んでいないのに、今にも特攻を仕掛けんばかりの剣幕だった。本人は気づいていないようだが、憑かれたように吠える彼の姿はまるで―――

〝いざとなったら、俺一人で黒幕を消す……〟

 今回の事件は一人で解決するつもりだった。エックスの手を煩わせないためでもあったが、自分のDNAデータが絡んでいるとなれば尚更だ。ナイトメア事件はいわば、コロニー落下事件の残滓。自分の不始末は自分の手で片を付ける。
 なにより、ヴォルファングの台詞が気がかりだった。その言を鵜呑みにするならば、主は残骸の入手を契機に凶行に走ったことになる。元より狂人だったのかもしれないが、主を擁護するヴォルファングは真剣そのものだった。
 ならば、自分のパーツが何らかの悪影響を及ぼし、主を豹変させたのではないか。その可能性は大いにあった。そうでなければ辻褄が合わないし、当時を顧みれば身に覚えがありすぎる。なぜなら―――










―――これが俺の真の姿だ―――










 あのとき、自分は大量のシグマウイルスを取り込んでいたのだから。



[30750] #13.5 IF(もしも・・・)
Name: うわばら◆4248fd16 ID:0f3c7e2f
Date: 2012/04/05 18:34
 その男は孤独だった。
 天より賦与されし奇才の代償に、彼は孤高で在り続けることを強いられた。永きに渡る人生において一人として理解者を得られなかったのだ。
 科学者レプリロイドとして開発された男は、レプリロイド工学の分野に革命をもたらした。レプリロイド開発チームに所属して以来、男は新たな法則を見出し、独自の理論を編み出し、いくつもの成果を生み出した。
 男の偉大なる功績により文明は飛躍的な進化を遂げるはずだった。少なくとも彼自身は、来るべき繁栄の未来を信じて疑わなかった。
 けれど、男の研究成果は誰からも理解されなかった。否、誰も理解することができなかった。名立たる研究者が首を傾げ、希代の科学者が頭を抱え、熟練した博士が匙を投げた。天才を自称する俗物もいれば、公に名の知れぬ秀才もいた。その誰もが万に一人の才を持つ逸材であり、しかし男には遠く及ばなかった。
 彼らが凡俗なのではない。男の誇る才能が異常なのだ。
 彼らが無能なのではない。男の作り出すプログラムが難解すぎたのだ。
 男の素質は才能の域を超えていた。それは天の祝福ではなく、神の気まぐれが生んだ呪いであった。天才と称えられてきた存在の悉くを、失笑まじりに凡俗と見下してしまえるほどに。
 度を越えた頭脳を誇る男には、世間を震撼させた研究論文も児童の作文に等しく、世紀の大発明も子供の自由研究と大差なかった。他人の研究発表は退屈しかもたらさず、探究心を刺激されたことは一度としてなかった。
 上司も、部下も、同僚も、男の周りは馬鹿で溢れていた。科学者として優秀すぎるがゆえに、男は彼らを馬鹿としか認識できなかった。腐敗堕落したレプリロイド開発チーム。エリート集団とは名ばかりの烏合の衆。だというのに、評価されるのはいつもその馬鹿でしかなく、男の功績が日の目を見ることはなかった。
 信じられなかった。真に脚光を浴びるべき己の偉業が、群がる馬鹿どもに遮られ埋没していくことが。
 認められなかった。真に喝采を浴びるべき己の才覚が、戯れる馬鹿どもに阻まれ称賛されないことが。
 周囲への苛立ちは男を暴走へと駆り立てた。己の名を世界に知らしめようと、上層部の命令を無視して、規定数を超えるレプリロイドの開発に着手したのだ。
 咎める者が現れれば、侮蔑を露に冷笑した。諫める者が現れれば、嫌悪を露に嘲笑した。制止の声の一切に耳を傾けず、唯一親しかった同僚までもを突き放した。周囲に惜しみない敵意を振り撒きながら、彼は一心不乱にレプリロイドの性能の向上に没頭した。
 ただでさえ腫れ物扱いされていた男である。鼻持ちならない態度は周囲との軋轢を生み、彼はますます孤立していった。男への評価は『天才』から『異端児』へ変わり、彼に向けられたわずかな尊敬の眼差しも、いつしか軽蔑に彩られた。
 それでも、男の暴走は止まる所を知らない。彼の傲慢さは生み出された作品にそのまま反映された。
 己の力に絶対の自信を持ち、他者を踏みにじることに愉悦を見出すもの。己の力を過信するあまり、誇大妄想を抱き神を自称するもの。挙句の果てには、大型の戦闘用メカニロイドの無断開発を行うものまで現れた。彼らはいずれも高性能のレプリロイドであり、世間一般でいう『イレギュラー』であった。
 そこでようやく、男の行動が世間の注目を集め始めた。――ただし、平和を脅かしかねない危険因子として。
 かつてないほどに優れた性能を誇り、誰にも解析できない高度なプログラムを搭載したイレギュラー。
 かつてないほどに優れた才能を誇り、誰にも解析できない高度なプログラムを作り出せる異端児。
 冷静に見直すと、真っ当な形で評価が下るはずもない。危険視されるのは必然であった。
 結果として、男の才能の具現は事故を装い処分され、彼自身もレプリロイド開発チームを追放された。ご丁寧に、レプリロイド開発資格の永久剥奪という枷まで負わされて。
 イレギュラー認定しなかっただけ寛大処置といえたが、もちろんそれに感謝する男ではない。耐え難い屈辱に業を煮やした彼は、癇癪を起こしてがなり立てた。
 必ず貴様らを見返す、と。
 己の才覚を理解できない俗物たちを支配する、と。
 自身の違法行為を棚に上げ喚く男の姿は、第三者の同情を誘うにはあまりに醜悪すぎた。逆上して叫ぶ姿はまさに負け犬の遠吠え、単なる恥の上塗りでしかなかった。現場に居合わせたものはその程度にしか認識していなかった。
 だがしかし、男の捨て台詞は単なる負け惜しみではなかった。感情の昂ぶりから発せられた狂言ではなく、憎き世界へ向けての宣戦布告だった。
 自分を排斥したレプリロイド開発チーム。度し難く愚かしい下等なレプリロイドたち。もはや破壊することに一片の躊躇いもない。男は最果ての荒野へ身を隠し、ハッキングを駆使して情報を集め、機を伺いながら静かに憎悪を燃やした。いつしか世間は男の存在を忘却し始め、しかし水面下で革命の下準備は着実に進行していた。
 それから数年が経過し、最悪の事態が発生した。その当時、最強の名を欲しいままにしたイレギュラーハンターが、あろうことか男に先駆けて世界に反旗を翻したのだ。
 男の潜む辺境地は世界に見限られ、一種の隔絶空間と化していたため戦火は及ばなかった。とはいえ、難を逃れれば済む問題ではなかった。あのような醜い禿頭に支配者の座を奪われるなど、断じて見過ごせるはずがない。かといって男に成す術はなく、革命の進行を傍観する他なかった。
 とあるイレギュラーハンターの断行した革命は、同じイレギュラーハンターの手により急な収束を迎えた。覇者を気取った愚物の居城が燃え尽きる様子は、世界中に放映されて拍手喝采を生んだ。男も腹を抱えて笑った。やはり支配者は自分にこそふさわしい。予期せぬアクシデントではあったが、もう噛ませ犬が湧いて出ることもないだろう。
 そんな男の楽観を裏切るように、その愚物は二度、三度と復活した。害虫宜しくの生命力には男も呆れるばかりであった。三度目の反乱では、どこぞの三流科学者を主犯に仕立て上げ、自身は影から戦局を操っていた。同じく影に潜んでいた男でなければ、その存在を認知できていたかも疑わしい。
 軍隊のクーデターに隠れて四度目の生還を果たした時点で、男はその愚物に対する認識を改めた。亡者や死霊という表現すら生ぬるい、あれは紛れもない〝悪魔〟である。わずかに危機感を抱くと同時に、いつか飼い慣らしてみたいという欲求も抱いた。
 そして悪魔が五度目の降臨を遂げたとき、世界は未曾有の危機に襲われた。悪魔の呪いが解き放たれ、世界中を蝕み始めたのだ。これまでの騒乱が遊戯に思える規模の大災害、地球の存亡を賭けた戦いの果てに、悪魔は亜空間の崩壊に呑まれて完全消滅したのだった。
 戦いは人類の勝利に終わったが、悪魔の呪いの残滓は世界に留まり続けた。数世紀に渡って築いた文明は崩壊し、世界は混沌の渦中に叩き込まれた。まさに男の待ち望んだ瞬間だった。
 手始めに男は悪魔の呪いを模倣し、世界を汚染する新たな疫病を開発した。レプリロイドに寄生することで破壊衝動を呼び覚ますソレは、〝悪夢〟の名を冠し二次災害として恐怖された。
 世界を恐慌に陥らせただけでも小気味よかったが、男の目的は支配者の座に着くことである。〝悪夢〟の真価はレプリロイドの凶暴性の増幅ではなく、〝悪夢〟に魅入られた個体を男の意のままに操れることにあった。そのまま全てを悪夢に呑み込むことで、腐りきった世界は男の理想郷と化すはずだった。――邪魔者さえ現れなければ。
 イレギュラーハンターの生き残り、たった二体のレプリロイドにより、世界は悪夢から解放された。そして邪魔者は男の居場所を突き止め、最果てまで乗り込んできた。救国の英雄に追い込まれ、それでも男は余裕を崩さなかった。
 負けるはずがない。天賦の才を授かった自分が、出生すら知れぬ旧世代のレプリロイドに劣るはずがない。
 強襲に備えた策も既に用意してあった。要塞には数え切れぬ罠を仕掛け、悪夢を総括する母体を番犬に配置し、己が身には黄金の鎧を纏った。奥の手に〝悪魔〟の手綱を握り、とうとう男は英雄と相見え、そして―― 





――調子に乗るな小僧! あの程度では死なぬわ!!――





 野望の終焉は実にあっけないものだった。あろうことか男は、自らが悪あがきで蘇生した悪魔に殺されたのだ。
 天才にはあまりに似つかわしくない、しかし愚か者にはふさわしい憐れな末路。その死に顔と断末魔の叫びは、ある種の笑いを誘うものですらあった。
 子供じみた動機から凶行に及び、革命とは名ばかりの虐殺に走った。『ナイトメア』という悪夢を世に解き放ち、数え切れぬ犠牲を生み出した。男の罪はあまりに深く、男の業はあまりに重い。滑稽すぎる死に様は天より下された罰だったのかもしれない。
 結局のところ、男こそ馬鹿だったのだ。馬鹿と天才を紙一重の均衡で両立させていたのだ。彼は最後まで己を省みず、孤立の原因を周囲に押し付けた。自己愛と優越感に溺れたその生涯には、ついに最後まで救いがなかった。
 かくして、何一つ得られなかった孤高の天才は、死に際まで無様を演じてその命を散らした――

























 そんな結末も、あり得たのかもしれない。





〝――こちらが彼の研究室になります〟

〝いいですか、ケイン様。例え学位が上とはいえ、くれぐれも失礼な真似はなさらぬように……〟

〝あ~~~あ~~~、何度も言わんでもわかっとるわい! なにしろ上の連中でも手のつけられん利かん坊らしいからのぉ~~~〟





 もしも、男が理解者を得ることができていたのなら。
 たった一人でも、真に男の理解者であろうと努め、嘘偽りのない称賛を与える存在がいたのなら。
 それは今となっては叶わぬ望み。都合のよすぎる夢物語、〝仮定もしも〟の話でしかない。
 それでも、
 無数に分岐した未来ルートのひとつであろうと、
 数千に及ぶ平行世界のひとつであろうと、
 億万に及ぶ起こり得た事象のひとつであろうと、
 男に心を預けることのできる存在がいたのなら――










〝ようやく出会えたのぉ。お主が噂の天才クンじゃな?〟










 彼には救いがもたらされたのかもしれない。



[30750] #14 HATRED(憎悪)
Name: うわばら◆4248fd16 ID:dbbbc082
Date: 2012/06/28 17:09
 〝ついにやったぞい! あとはこのプロテクトを解除すれば……ぬわぁ!? 罠じゃったか!!〟

 〝やはりそうでしたか。散々フェイクの可能性が高いと申し上げたはずでしたが――〟

 〝喧しいぞ貴様ら!! いつまで居座れば気が済むんだ!?〟

 〝仕方ないじゃない。あなたがプログラムの持ち出しを渋るんだから……〟

 〝ボクの研究成果は門外不出だ! だいだいドップラー、見張り役のお前がそんな様でどうする!?〟

 〝いやはや面目ない。しかしゲイト様のプログラムを前にすると、どうしても探究心を擽られまして――〟

 〝む? お主らいつの間に名前で呼び合う仲になった。ずるいぞ! わしだけ除け者にしよって〟

 〝気色の悪い言い方をするな。貴様は不満を垂れる前に我が身を振り返って見ろ〟

 〝ふんっ、まぁそれも今だけじゃがな。わしが勝負に勝てば友達になる約束だったからの~~~〟

 〝何が約束だ!! ボクがいつ貴様の妄言に同意を示した!!〟

 〝……そういえば、勝負を始めてからもう一年になるのね〟

 〝早いものです。どうも年を取ると月日の流れを堪能しづらいですな〟

 〝フン、レプリロイが何を血迷ったことを。お前は最低でも後五十年はしぶとく生き延びるだろうさ〟

 〝そうじゃとも! 人生齢八十を超えてからが本番じゃからの~~~〟

 〝貴様はさっさとくたばってしまえ! この老害が!!〟

 〝な、なんとぉ~~~!? 心も身体も弱々しい老人に対して――〟

 〝うるさいっ!! 耄碌した白痴め、黙っていれば好き勝手なことばかり――〟

 〝ふふっ、これからも機を見て四人で会合できたらいいんだけれど〟

 〝見守る側としては、もう少し親睦を深めていただきたいところですね〟










◇ ◇ ◇

「ようやくここまで来たのか……」

 目の前には終着点と思しき巨大な扉。数時間にも及ぶ拠点の攻略を終え、エックスはようやく安堵の息をつく。
 サイス荒野の中心に我が物顔で陣取っていた敵の本拠地。それはシグマの居城に比べると遥かに見劣りする造りで、何の変哲もない研究施設にしか見えなかった。しかし、それは間違いなく敵の要塞であり、番兵代わりに配置されたナイトメアが黒幕の存在を物語っていた。
 それでも、エックスとゼロが肩透かしを食らったのは事実だ。数千万に及ぶ軍勢が待ち構えているくらいは覚悟していたが、見張り役のナイトメアはたったの五体。侵入者歓迎と言わんばかりの手薄な警備である。
 罠の可能性も否定できなかったが、他に行く当てもない以上、リスクを覚悟で突入するしかない。再度気合を入れなおしたことが、毒気を抜かれた二人には行幸だった。
 一歩足を踏み入れれば、そこはレーザーの飛び交う危険地帯。足場や壁面は至る箇所から棘が突出し、プレス機と化した天井が一定周期で襲い掛かる。奥に進めば床からはマグマが迫り上がり、室内だというのに硫酸の雨が降り注ぎ全身を焼く。門番のナイトメアが前座に過ぎなかったことを身を以って思い知らされた。

「少し休むか? 俺はすぐにでも行けるが――」

「……いや、今は時間がもったいない。一分でも早くこの悪夢を終わらせないと!」

 声に感じる力強さこそ本物だが、エックスの顔色は優れない。彼はハイマックスとの激闘を終えてからまともな休眠を取っていなかった。ゼロがハンター本部への帰還を拒んだため、エックスもまた直接サイス荒野へ向かわざるを得なかったのだ。ゼロを先に行かせてしまえば二度と再会できなくなる、そんな不吉な予感を最後まで払拭できなかったがゆえに。
 サイス荒野に辿り着くまでの道中、二人はほとんど言葉を交わさなかった。コロニー落下事件が尾を引き、両者は互いに負い目を感じていた。エックスは不本意ながらもゼロを殺め、ゼロは策謀に嵌められエックスを殺めにかかった。そんな二人が予期せぬ再開を果たしたところで、即座にお涙頂戴の友情劇に発展するはずがない。ナイトメア事件への懸念も和解を妨げるのに一役買っていた。
 言いたいことも、伝えたいこともたくさんある。でも、まずは事件の解決が先だ。それはイレギュラーハンターとしての責務でもあり、彼らの譲れない信念でもあった。
 エックスとゼロのコンディションは万全には程遠い。レプリロイドのスタミナは人間を軽く凌駕するが、永久機関が搭載されているわけではないのだ。活動時間には当然限界があり、エネルギーが底を尽きれば死に繋がりかねない。
 二人はライフサブタンクで体力こそ回復していたが、なにも傷が癒えたわけではない。相次ぐ戦いに加え拠点の攻略、並みのレプリロイドであればいつ機能停止を迎えてもおかしくない。本来ならすぐにでもメンテナンスを受ける必要があった。
 だが、ここまで来て撤退という選択肢はもはやない。一刻も早い事件の解決はこちらとしても望むところ。拠点の所在地は通信でエイリアに伝えてある。仮に自分が敗れたとしても――弱気な考えを断ち切り、エックスは両頬を叩いて己に活を入れる。
 代わりなどいない。自分でなければ駄目なのだ。スカラビッチと、タートロイドと、ハイマックスと約束した。ナイトメア事件は必ずこの手で終止符を打つ。唯一無二の親友と共に――

「行こう――」

「……ああ!」

 扉は無骨な造りに反して軽く押すだけで容易に開いた。
 レーザートラップも針の山も見られない、コンサートホールを連想させる広大な空間。中央には大型レプリロイド保管用のカプセルが設置され、その正面に一人の小柄な男が立っていた。

「とうとうここまで来たね。流石だよ、エックス、ゼロ」

 紫のアーマーの上から白衣を纏ったレプリロイド――いや、イレギュラーか。シグマのような威圧感こそ感じないが、ギラギラと輝く赤い眼光は否応なしに狂気を伺わせる。

「ようやくご対面か。お前がナイトメア事件の黒幕だな?」

「そうさ、僕はゲイト……世界の新たな統率者。レプリロイドだけの理想国家を目指す者さ」

「ゲイト――お前は自分のしている事がわかっているのか!? 何人ものレプリロイドを犠牲にしておきながら、何がレプリロイドだけの理想国家だ!! お前は世界の統率者なんかじゃない、シグマと同じただの破壊者だ!!」

「やれやれ、スペックは一流でも思考回路は並以下だね。この粛清こそが理想国家に向けての第一歩なんだよ」

「なんだと――」

 言行不一致を指摘されてなお、ゲイトは強気な態度を崩さない。エックスに哀れみの視線すら向け、大仰な仕草を伴い語り始める。〝悪夢〟のもたらした惨劇、ナイトメア事件の真の目的を――

「多すぎるのさ、人間も、レプリロイドも。数少ない天才が凡庸に埋もれてしまうほどにね。ボクの統治する世界に出来損ないは必要ない、生きる価値のない俗物は滅びるべきなんだよ」

「……なるほど、そのためのナイトメアか」

「そうさ、ナイトメア計画は粛清を兼ねた〝選別〟だよ! ナイトメアは単なる〝篩い〟に過ぎない。新世界の住人にふさわしい有能な人材を炙り出すためのね」

「そんなやり方で同意が得られると思っているのか! 虐殺の先にあるのは地獄だ、理想郷なんかじゃない!!」

「クク……何か勘違いしているみたいだね。同意など初めから必要ない。生き延びた連中は国家に服従を誓わせ、ボクの道具にしてやるんだからね」

「なんだと――!?」

「粛清とは見せしめに行うものだよ。心に恐怖を植え付ければ支配など容易い――その点ナイトメアはもってこいの道具さ。逆らえば永劫に悪夢の中を彷徨うことになるからね……」

 エックスの瞳が怒りに燃え上がる。唇を噛み締めてゲイトを睨むが涼しい顔で受け流された。
 なぜタートロイドは、ヤンマークは、ハイマックスは、こんな狂人に忠誠を誓ったのか。これではあまりにも救いがない。彼らとの約束がなければ問答無用でバスターを撃っていた。
 激情に肩を震わせるエックスとは対照的に、ゼロは底冷えするような視線をゲイトに向ける。そんな二人の憤りを何ら察することなく、ゲイトはさらに火に油を注ぐ行為に出る。

「さて、今度はボクの方からキミたちに質問だ。――大人しく被検体になる気はないかい?」

「……は?」

 自分でも驚くほど間の抜けた声だった。ゼロの方を見ると彼も唖然とした表情を浮かべている。あまりにも場違いなゲイトの一言に、二人は頭の処理が追いつかなかった。

「白状すれば、キミたちと殺り合うのは不本意なんだ。DNAデータさえ無事なら死体でも構わないけれど、どうせなら生きたまま解析したいからね――」

「ふざけるなよ!! 俺たちがそんな申し出を受けると思うのか!?」

 その真意を理解するや否や、エックスは声を荒げて怒鳴り散らす。どこまでも相手を見下したゲイトの提案はただ不快で屈辱だった。
 怒りが心頭に発したエックスを宥めすかすように、ゲイトは用意しておいた〝飴〟をちらつかせる。
 
「大人しく最後まで聞けないのかい? これだから単細胞は扱いに困る……もちろんタダでとは言わない。キミたちが大人しく身柄を差し出すのなら、死んでいったキミたちの仲間を生き返らせてあげるよ。ボクが開発したレプリロイド蘇生技術でね」

「なにっ!?」

「半信半疑といった表情だね。でもキミたちは気づいているはずだ。ナイトメアを指揮していた連中は全て一度死を体験した身。ボクが生き返らせてやったんだよ」

 挙句に自害した●●●●臆病者だというのに――シェルダンの台詞が脳裏に蘇り、出任せであるはずのゲイトの言葉が現実味を増す。事実としてゲイトにはレプリロイドの蘇生――不可能とされてきた神の所業を成し得るだけの才能がある。
 ゲイトの提示した交換条件は、数え切れぬ別れを経験したエックスには天恵に等しいはずだ。あまりにも悪辣な趣向に吐き気すら覚えたゼロは、射殺さんばかりの眼光でゲイトを睨みつける。無言の圧力に晒された相手は、しかし怪訝そうに首を傾げて見せる。

「気に入らないのかい? なかなか悪くない条件だと思うよ。特にゼロ、キミにとってはね」

「……そうか、アレはお前の入れ知恵か」

「彼らとの再会はボクからのプレゼントだよ。これでも、キミには感謝しているからね」

 ゲイトは懐から一枚の金属片を取り出す。何の変哲もないプレート片だが、まるで命を帯びているように、心臓の鼓動を刻むかのように不気味な波長を放出している。

「何だと思う? キミの身体の欠片だよ! ゼロ、キミのDNAデータを手に入れる事ができたんだ!! 今までどんな最新の技術をもってしても解析できなかった聖地に踏み込む事ができたんだよ!!」

「何が聖地だ! 俺のDNAデータを利用するのは危険だとわかっていたはずだ!」

「クク、それは『ナイトメア』のことを言っているのかな? ボク自身も驚いているよ。まさかアレほどに完璧で最強の〝ウイルス〟を生み出せるとはね」

「ウイルスだと? あのナイトメアが――」

 そこでゼロの目に信じ難いものが映る。杞憂であってほしいと願った光景が眼前に展開されていた。
 エックスが憑かれたような足取りで一歩を踏み出し、救いを求めるようにゲイトに向けて片手を伸ばし――

「騙されるなエックス! 俺たちが投降したところで奴が条件を呑む保証はない!!」

「ああ、何ならお仲間の蘇生が先でも構わないよ。一人や二人ならすぐにでも――」

 その手がバスターに変形してゲイトを捉える。

「……交渉決裂かな? 解せないね、仲間に会いたくはないのかい?」

「会いたいさ……会いたいに決まってる。でも――」

 語気を強め、揺らぐことのない決意を双眸に宿しゲイトを見据える。
 死んでしまった仲間に会える。それはあまりにも甘美で魅力的な提案だった。それでも、承諾するわけにはいかない。悪魔の囁きに耳を傾けてはいけない。
 
「約束したんだ――お前を止めて、この悪夢を終わらせるって! お前の甘言に釣られるわけにはいかない!!」

 迷いを払拭するように闘気を声に上乗せして放つ。これ以上の問答は無用――気迫で感じ取ったのかゲイトがわずかに眉をひそめる。
 エックスはバスターにエネルギーを込め、ゲイトは反射的に右手を白衣にかける。そこでいきなりエックスの首筋にセイバーが当てられ、バスターの銃口がゲイトの頭部を狙う。一触即発の両者を止めに入ったのはゼロだった。

「ゼロ!? どうして――」

「……なんのつもりだい?」

 咄嗟の事にうろたえるエックスだが、その瞳に迷いは既に見られない。
 ――本当に、強くなったな。

「悪いが、こいつにはまだ問い質すことがあってな。――ゲイト、お前にとってレプリロイドは本当に道具に過ぎないのか?」

「何を言い出すかと思えば……それがどうしたというのかな?」

「俺はヴォルファングとは過去に会っている。今回の件でも一戦交えたが、アイツは感情を剥き出しにして襲って来たぞ。レプリロイドに道具を求める奴が生み出したとは思えないな」

「あれは過去の失敗作だよ。再利用するつもりで蘇らせたけど、所詮は失敗作だったね」

「そいつはおかしな話だぜ。手間暇かけて駄作を蘇らせたのか?」

「まったく、これだから低能は……ゼロから生み出すよりも蘇生の方が手間は省けるのさ。効率を優先しただけの話だ。ボクとて不本意な手段だったよ、まさか過去の汚点に縋る必要に迫られるとはね」

「今度は随分と饒舌になったな。内心の動揺が透けて見えるぞ」

「……さっきから何が言いたい! これ以上その戯言を続けてみろ、四肢を斬り落として生きたまま解体してやる!」

 問答を通じて疑念が確信に変わる。
 そもそも、ゲイトの言動には不可解な点が多すぎた。レプリロイドだけの理想国家という目的に反して、生き残った人類には手を出さずに放置している。有能な人材の確保にしても、無差別にレプリロイドを襲うナイトメアは篩いの役割を果たさない。なにより道具の役割しか求めないのであれば選別自体が無意味である。
 只ならぬ意思が感じられ、しかし粗の目立ち過ぎる荒唐無稽な計画。それはまるで、本来の目的に何か別の要素が加わり、ゲイト自身も方向性を見失っているようで――

「さっき『過去の汚点』といったな。つまり、昔のお前はレプリロイドを道具と見なしていなかったってわけだ」

「――っ!?」

「ヴォルファングの奴も散々言い張っていた。『主はあのようなお方ではなかった』ってな。いつ、何が切っ掛けでお前の思考が反転したのか――実はお前自身も覚えていないんじゃないか?」

 反論しようと口を開きかけ、しかしゲイトは二の句を告げられなかった。
 気づけば部下の恭しい態度が不快だった。手駒に感情を裂くことが煩わしかった。そのことに疑問を差し挟む余地はなく、己の感じる全てをあるがままに受け入れていた。
 ――だが、改めて思い返せば何故か違和感が付き纏う。あれは本当に自分の意思だったのだろうか。

「どうやって俺のパーツを入手したかは知らんが、あの時の俺は暴走していた。ユーラシアに充満した大量のシグマウイルスを取り込んでな」

 思い出すだけでも虫唾が走る。あのときの醜態は生涯の汚点だが、それが二次災害を招いたとなれば無視を決め込むわけにもいかない。
 そう、自分はシグマウイルスを吸収していた。その身体の一部を入手したということは――必然的にシグマウイルスも手にしたことになる。





「――ゲイト、お前はシグマウイルスに汚染されている」





 レプリロイドだけの理想国家という妄言、己の部下さえ道具として切り捨てる呵責のなさ、否が応でもシグマを連想させられる。
 恐らく本来のゲイトは純粋に天才たちの栄光を求めていたのだろう。そこにシグマの理念が入り込んだと仮定すれば、ナイトメア事件の矛盾にも合点がいく。

「そんな……そんなわけがない! シグマはコロニー落下事件で死んだはずだ!」

 歴史に記されぬ零空間での死闘の末、空間の崩壊に呑まれたシグマは確かに完全消滅した。それに伴いシグマウイルスも死滅の一途を辿り、世界は平穏を取り戻すはずだったのに。

「だが、現に世界はシグマウイルスに汚染されたままだ。シグマの残留思念がウイルスに潜んで生き延びていたとしても――」

「ク、クッ……ハ――」

「……ゲイト?」

「ハ、ハハハハハッ! ……シグマだと! このボクが、あんな醜い禿頭に裏をかかれるとでも!?」

 ゲイトが数歩横にずれることで、ようやくカプセルの全貌が明らかになる。中には緑の液体――恐らくは治療用のナノマシン――が充満し、レプリロイドの骨格が漬けられていた。
 徐々に原型を取り戻しつつある人体模型。全長二メートルを超える人型レプリロイド。その正体に思い至ったときエックスとゼロに戦慄が走る。





「そうさ、シグマだよ! 蘇らせてやったのさ、あの悪魔をね!!」





 剥製の如く展示される様は、とても世界を震撼させた悪魔とは思えない。しかしカプセルから放たれる邪悪な気は間違いなくシグマのそれであり、狂喜するゲイトの眼光が禍々しさを増す。

「ボクは操られてなどいない! シグマも、キミたちも、ボクが頂点に君臨するための踏み台に過ぎない! そうさ、全てを掌握しているのはこのボクだ! ボクが世界を支配するんだ!!」

「いきなりメタルシャークみたいな事を言い出しやがって……何が『操られてなどいない』だ、完全に錯乱してやがる!」

「とにかく、一刻も早くゲイトを正気に戻さないと」

「いや、シグマの息の根を止めるのが先だ。奴は死体でも何をしでかすかわからん。今度こそ引導を渡してやるぜ!」

 気づいたときにはエックスの隣からゼロの姿が消え、カプセルの数メートル手前まで移動していた。レプリロイドの脚力を駆使した神速の踏み込み。紫の閃光がカプセルを叩き切る既の所で、ゲイトが澄まし顔のまま間に割って入る。

「勝手な真似は控えてもらおうか。シグマはボクが躾て飼いならしてやるんだからね」

「俺の治療は荒っぽいが……あれだけのことをやらかしたんだ。腕の一本くらいは勘弁しろよ!」

 気遣いや手加減は無用、退かぬようならゲイトごとシグマを斬る。情け容赦とは無縁の一撃を、あろうことかゲイトは片腕を盾代わりに受け止めた。
 ゼロの表情が驚愕に染まる。DNAデータで強化されたセイバーの破壊力は以前の比ではない。今なら例えオリハルコンであろうと膾切にできるだろう。それを生身で受けるなど性質の悪い冗談としか思えない。

「袖に何か仕込んでるのか!?」

「ゼロ、下がって!」

 指示に従い瞬時に跳躍。その直後に放たれたチャージショットが治療カプセル諸共ゲイトを呑みこむ。
 ゼロとは異なり手心を加えていたのか、光の勢いはフルチャージに比べて数段劣る。それでも、あれだけのエネルギーをまともに食らえば、例え戦闘用レプリロイドでもただでは済まない。一介の科学者に過ぎないゲイトや死にかけのシグマが耐えきれる規模の攻撃ではなかった。
 しかし依然として負の波動は途絶える気配がなく、癪に障る甲高い笑い声が響く。

「無駄だよ! キミたち虫けらの攻撃がボクに届くとでも思うのかい!?」

 閃光の奥から無傷のゲイトが姿を現す。翻った白衣は純白のマントと化し、身に纏うアーマーも金色に変化していた。
 
「そんな……あれを直撃しても無傷だなんて」

「二手に分かれるぞ! 俺がゲイトを引き付ける間に――」

「おっと、そうはいかないよ」

 ゲイトが左手を掲げると同時に天井から二体のナイトメアが落下する。これまでの蛸人間とは異なり、眼球を模した頭部にケーブルが纏わりつき直方体を形成していた。大きさも通常の固体を遥かに上回っている。
 
「これが全てのナイトメアを統べる〝母体〟――『ナイトメアマザー』だよ! わかるかい、ナイトメアソウルはもう必要ない。キミたちの活躍は無意味だったのさ!」

「そうか……なら、こいつらを倒せばナイトメアは止まるんだな!!」

「このデカブツも、シグマも、お前もまとめて倒してやるぜ!!」

 後方支援をエックスに任せ、ゼロは臆することなく疾駆する。
 まずはナイトメアマザーを倒さないことには、その背後に控えるゲイトとシグマに攻撃が届かない。敵の行動パターンは未知数だが、あの巨体が寄生してくるとは考えにくい。ならば接近戦を躊躇する理由はない。

「翔炎山!!」

 柄を握る手に力を込め、炎を纏ったセイバーを振り上げる。
 防御力と体格は必ずしも比例しないが、生半端な攻撃で打ち倒せるとは思えない。相手がレプリロイドならばダメージの蓄積を狙えるが、痛みや疲労とは無縁のメカニロイでは話は別だ。手数よりも威力を重視する必要がある。
 両手持ちの破壊力に加え、炎による追加ダメージも誇る必殺技。大型メカニロイドでも重傷を避けられない一撃だったが、ナイトメアマザーは文字通り攻撃を避けた。巨躯からは連想できない俊敏さで後方へ下がり、地面を滑るようにしてゼロに体当たりを仕掛ける。
 大振りの攻撃は高威力の代償に隙が伴う。敵の敏速に意表を突かれたこともあり、ゼロは回避が間に合わず直撃を受ける。巨体の激突による衝撃は大型トラクターをも上回り、ゼロの小柄な体躯を簡単に跳ね飛ばす。

「ぐっ――」

 咄嗟にガードした両腕が軋み、口からは呻き声が漏れる。漆黒のアマーマーの防御力がなければ両腕どころか意識まで奪われていた。体勢を立て直そうにも身体が言うことを聞かず、壁に直撃する寸前でエックスに抱きとめられる。
 両者が一箇所に固まったタイミングを好機と見なしたのか、先ほどのナイトメアマザーが再び滑走してくる。しかし二度目ともなれば不意を突かれることもない。敵のスピードはかなりのものだが、その動きにはナイトメア特有の柔軟性が見られず、直線的で単調なものに劣化していた。ゼロは左に跳び、エックスは壁を蹴り上がることで回避を図る。
 そもそも、ナイトメアの脅威は寄生による必殺と、軟体動物じみた変則的な動きにある。ナイトメアマザーは巨大化の代償にその両方を手放している。勝機を見出すのはそれほど困難ではないかもしれない。
 エックスとゼロの下した評価は確かに的を射ていたが、彼らはナイトメアマザーという悪夢の脅威をまだまだ甘く見ていた。

「なっ!?」

 敵は壁に激突する瞬間、壁面に張り付いたまま真上に登ってくる。重力や摩擦抵抗をものともせずに、猛スピードで上方のエックスを轢き潰さんと迫る。
 ナイメアマザーと天井に挟まれる寸前にエックスは壁蹴りでその場を切り抜ける。着地してすぐに戦況を確認すると、ゼロが二体目のナイトメアマザーに肉薄していた。

「エックス、こいつは俺に任せてお前はシグマを!!」

 ナイトメアマザーに斬撃の雨を浴びせながら叫ぶ。やはり連撃では致命傷を期待できないが足止めにはむしろ効果的だ。一体目を退けたこの状況はシグマを狙う絶好のチャンスだった。
 エックスも数秒遅れて好機を悟り全力でチャージショットを放つ。一直線に奔る光の束は確実に治療カプセルを捉えている。今度はシグマを消し飛ばすに申し分ない威力だが、いきなり横から割って入った光球に相殺される。宙に浮遊したゲイトが上空から黄色の光球を投げつけたのだ。
 
「このボクを無視する気かい? 随分と見下してくれるじゃないか」

「ゲイトっ……早く目を覚ますんだ! お前はシグマに操られて――」

「うるさいっ! ボクは誰にも支配されない、これからはボクが全てを支配するんだ!!」

 怒声を張り上げ、ゲイトは右手を振りかざす。
 すると瞬く間にエネルギーが集約され、そこから青色の光球が放たれる。

「ハイマックスと同じ攻撃か!?」

 デスボールよりも一回り小さいが、一発でチャージショットを相殺するほどの威力。なにより自分と異なり攻撃の溜めがない。
 打ち消そうにも二発目を放たれると対処しきれない。躱すしかないと身体を捻った瞬間、不可視の力に拘束され光球の方へ吸い寄せられる。

「なに――うあああぁっ!」

「あんな出来損ないの攻撃と、ボクの『ナイトメアホール』を一緒にしないでもらいたいね――そらっ!」

 光球の炸裂に吹き飛ばされたエックス目掛け、立て続けに緑と赤の光球が迫る。
 ナイトメアホールの吸引力が明確でない以上、避けるには大きく距離をとる必要がある。跳躍することでその場を離れるが、緑の光球は軌道を変えてエックスの後を追う。

(色によって効果が違うのか?)

 その一方で、赤い光球は空中に静止したまま動かない。緑のほうだけ破壊しようと後方にバスターを構え、そこで違和感に気づく。
 バスターが重い。腕が上がらない。まるで全身が鉛と化したかのようだ。身動きの取れないエックスを嘲笑うように緑の光球が背後から衝突、炸裂の衝撃でその身体を吹き飛ばす。
 恐らく赤いほうのナイトメアホールから人工神経回路を麻痺させる電波が発せらていたのだ。トリックに気づいた時には、静止していたはずの光球は消えていた。どうやら持続時間はそう長くないらしい。
 痛む身体を気力で動かし戦闘態勢を整える。現時点で効果が判明したのは三つ。こちらを引き寄せる青、追尾する緑、動きを阻害する赤。いずれも厄介な効果だが挙動を鈍らせてくる赤色は特に危険だ。優先して壊す必要がある。
 ゲイトを注視しつつ手の内を分析をしていると、いきなり全身に焼けるような痛みが走る。ゲイトの攻撃ではない。いったい何事かと上を仰ぐと、天井に張り付いたナイトメアマザーが電撃を放っていた。矢継ぎ早に放たれる電撃は無数の稲妻と化して室内を荒れ狂う。

 「ぐあっ!?」

 「――っ! ゼロ!!」

 対象を見定めない無差別攻撃はゼロにまで及んでいた。高圧電流を全身に浴び、彼は思わず攻撃の手を止めてしまう。
 連撃が止んだ直後、待っていたとばかりに受けに徹していた二体目のナイトメアマザーが動く。その表面にはおびただしい数の裂傷が刻まれていたが、本体はまるで弱った様子を見せない。深部に埋まっていた眼球が表面に露出し上空へ無数の火球をばら撒く。
 降り注ぐ稲光に火球が入り混じることで、ますます回避が困難になる。エックスはすかさずゼロへ駆け寄りガードシェルを展開、傘代わりにすることで炎と雷の雨を防ぐ。
 今度は彼らが防戦一方に追い込まれる番だった。広範囲に及ぶ頭上からの攻撃はその制圧力を以って二人を圧倒的不利へ追い込んでいく。

(このままじゃ反撃は無理だ。でも、いつまでシールドが保つか――)

 最強の盾もエネルギーが尽きれば展開できない。敵は怒涛の攻撃を続けているが、その勢いは衰えることを知らない。このまま持久戦に持ち込んだところで結果は火を見るよりも明らかだ。今のうちに何か作戦を立てる必要がある。
 そんなエックスの意図を汲み取ったのか、ゼロは自ら提案する。

「エックス、バリアを解いてすぐに攻撃に移れるか?」

「チャージショットは無理だけど、バスターの連射ならなんとか」

「よし、それで十分だ。俺の合図に合わせてコイツを解除しろ。反撃するぞ」

「えっ……でも、どうすればアイツを――」

「お前に向かう攻撃は俺が防ぐ。その間に奴の眼を狙え!」

 桁違いの耐久力と誇るナイトメアマザーだが、ゼロは攻防を通じて弱点に目星をつけていた。
 足止めの最中に食らわせた斬撃は軽く百を超える。確かな手ごたえも感じてはいたが、いずれも体表を削っただけで深部にまで届かなかった。
 なにより、敵はこちらの攻撃が緩んだ瞬間に、いきなり目玉を剥き出しにして攻撃に転じた。あの不気味な眼球が攻撃手段を兼ねた本体である可能性は高い。

「俺のバスターでは届かない。だから攻撃はお前に――」

 そこで突如として敵の猛攻が止む。
 何事かと二人が正面に目を向けると、火球を連射していたナイトメアマザーが一際大きい火炎弾を形成していた。そのまま上空に放たれたソレは放物線を描き地面へ落下、着弾と同時に床一面が燃え上がる。ガードシェルでは下からの攻撃を防御できない。いきなり足元が炎に包まれたことで、エックスは思わず障壁を解除してしまう。
 そしてガートシェルが消えるのを狙い済まして、天井で待機していたもう一体が落下してきた。超重量を誇る巨体に押し潰されれば即死は免れない。二人は大慌てでその場から飛び退き直撃を避けるが、落下の衝撃で地面が振動し体勢を崩されてしまう。
 床に倒れこむ彼らに照準を定め、二体のナイトメアマザーは同時に水弾を連射する。火球や雷撃とは異なり標的を見定めた上での攻撃。それも左右方向から一度に繰り出されるとなれば、姿勢を崩した状態で躱せるはずがない。

「うあああああっ!!」

「ぐっ――」

 二人掛りでも思うように太刀打ちできない。ヤンマーク、ダイナモ、ハイマックスとの連戦もあって二人は既に疲労困憊。蓄積したダメージも無視できるレベルではなく、少しでも気を緩めれば意識を手放してしまう。
 だが、ナイトメアマザーが二体とも攻撃に集中している状況は反撃のチャンスでもある。この機を逃せば次はない、自分たちの敗北は決定するだろう。

「ま、だ……まだまだぁ!!」

「こんな水遊びごときじゃ――俺たちは止められないぜ!!」
 
 精神的にも肉体的にも限界間近の身体。しかし満身創痍でありながらその闘魂は折れることを知らず、圧し掛かる水圧に抗い再びナイトメアマザーに立ち向かう。
 そんな彼らの様子を頭上から俯瞰しつつ、ゲイトは嘲るように拍手を送る。

「素晴らしい! これほどまで善戦できるなんて思わなかったよ」

「ゲイト……っ、お前は――」

「いや、本当に驚いたよ。まさか二体のナイトメアマザーを相手にここまで持ち堪えるとはね。さすがは伝説と名高いイレギュラーハンターだ!」

 事実、ゲイトはかつてないほどに興奮していた。
 エックスとゼロのポテンシャルは自分が推し量れる領域を超えている。未知数だと思ってはいたが、まさかここまで埒外な連中だったとは。これまでの統計データや分析結果の如くを覆され、ゆえにゲイトは狂喜乱舞する。
 それでこそ分析し甲斐があるというもの。計り知れぬが故の研究対象、エックスとゼロは正に最高の被験体だった。

「大健闘を称えてボクからご褒美をあげよう。冥土の土産に受け取るがいい!」

 左右にひとつずつ、ゲイトの両手に光球が出現する。
 片方は効果もわからない黄色の光球、そしてもう片方は厄介極まりない赤色の光球だった。この状況で動きが鈍れば一巻の終わりだ、嬲り殺しは避けられない。
 ナイトメアマザーに手傷を負わせつつ、ゲイトのナイトメアホールも破壊しなければならない。小手先の技では不可能、枯渇寸前のエネルギーを総動員させて大技に訴えるしかない。エックスはバスターに渾身の力を込め、ゼロは力任せに地面を殴りつける。

「メテオレイン!!」

「裂光覇!!」

 頭上から降り注ぐ水球、そしてレーザーの雨。ナイトメアマザーと同じ広範囲に及ぶ無差別攻撃。
 水球の嵐は二つの光球をまとめて打ち消し、無数のレーザーのうち一本が片方のナイトメアマザーに直撃、核である眼球を貫通して大破させる。

「なにっ!?」

 予期せぬ事態にゲイトの顔から笑みが消える。余裕を保ち続けた表情が崩れ、驚愕のあまり目を見開く。

「円水斬!」

 ゼロがセイバーを高速回転させナイトメアマザーの砲撃を防ぐ。かなりの射出速度と圧力を誇る水弾の連射だが、弾幕の密度が下がった今なら防御はさほど困難ではない。ダイナモの技の見よう見まねだが流石は剣鬼、間断なく襲う水弾はひとつとして後方へ届かない。
 ゆえにエックスは何の憂いもなく攻撃に全力を注ぐ。バスターを高々と掲げ上げ、残されたエネルギーを搾り出しブレードに込める。

「これで――終わりだあああああ!!」

 自身の被ダメージを上乗せして放たれるエネルギーの刃――ヤンマークの防御陣を一撃で打ち破った奥義、『ギガアタック』。斬撃の波動は水弾の乱れ撃ちをものともせずに空を切り直進する。
 轟音に次ぐ衝撃。室内の空気が揺さぶられ背後の壁に巨大な亀裂が走る。渾身の振り下ろしが生み出したギガアタックの破壊力は、かの『幻夢零』にも匹敵していたかもしれない。二発の衝撃波はナイトメアマザーの頭部を粉砕するだけに留まらず、その巨体を縦一文字に両断していた。

「ばっ、バカな! この期に及んでまだ余力を残していたのか!?」

 何故立てる、何故戦える。
 エックスとゼロのダメージは既に致死量を超えているはずだ。それが立ち上がるだけでなく、あれほどの大技を放つなどありえない。一体どこからエネルギーを捻出したというのか。
 ゲイトにとって未知の存在は知的好奇心を満たす道具に過ぎず、ゆえにこの世に生を受けてから一度として恐怖を感じたことはなかった。それなのに、なぜか身体の震えが止まらない。

「ぐ……クソっ!」

 やぶれかぶれに黄色のナイトメアホールを投げ放つ。光球はエックスとゼロに届くことなく、宙に停止した状態から無数の光弾を撒き散らす。
 多人数対策の黄の光球だったが、ナイトメアマザーの猛攻撃には遥かに劣る。ゼロのセイバーが一閃して光弾を掻き消し、その間にエックスの身体が宙を舞う。ダッシュから繋ぐ大ジャンプ、そのままナイトメアマザーを踏み台にさらに高く跳ぶ。
 向かってくる小賢しい蝿を撃ち落すべく、ゲイトは紫のナイトメアホールを放つ。飛行能力のないエックスは空中での回避手段を持たないはず。己の有利を再認識した所で青色の光球も投げつける。
 青の吸引力でその動きを止め、ナイトメアを孕む一撃必殺の紫を当てる。ゲイトの思惑通りにエックスは体勢を崩し、紫の光球から出現したナイトメアが無防備な獲物に襲い掛かる。いかに並外れた打たれ強さのエックスといえどもナイトメアの寄生には抗えない。
 自然と唇の両端が吊り上る。被験体がナイトメアウイルスに汚染されるのは悔やまれるが、こうなった以上は贅沢を言ってはいられない。ゼロの方は何とかして生かしたまま捕らえなければ。早くも勝った気でいるゲイトだが、彼が余裕を取り戻せたのは二秒にも満たなかった。
 跳躍の勢いを失い落下するエックスの身体が空中で静止、体勢を立て直して虚空を足場に再度跳躍する。眼前まで迫っていたナイトメアを迎撃し、光球の吸引力もおかましなしに、猛スピードでゲイトに向かって突き進む。

「ゲイトおおおぉ!」
 
 何だあの動きは――エックスの誇る『マッハダッシュ』に気を取られゲイトは咄嗟の反応が遅れる。
 その一瞬の遅れが命取り、もとより敏速に優れないゲイトはエックスの突進を避けられない。しかし彼に焦りはない。避ける必要がないからだ。
 ゼロのDNAデータから生み出した黄金のアーマーは最強硬度を誇る。バスター、特殊武器、エネルギーブレード、いずれも脅威には成り得ない。現に先ほどの悪足掻きで水球を数発浴びたが、この身は蚊に刺されたほどのダメージも負っていない。
 エックスの次手は天才の頭脳を以ってしても先読みできなかったが、確実に凌ぐだけの自信がゲイトにはあった。ゆえに彼は防御の全てをアーマーに委ね迎え撃つ姿勢を取る。
 振りぬかれたゲイトの右腕から高密度のエネルギー障壁が発生する。無論、単なるバリアではない。ナイトメアのエネルギーを多分に含有する障壁は、レプリロイドをたちどころに死へ追いやるウイルスの壁だった。
 接近戦専用の攻防一体型即死奥義、『ナイトメアストライク』がエックスを呑み込まんと迫る。否、エックスが自ら進んで紫の暗膜に飛び込んでくる。恐らくはナイトメアストライクを衝撃波程度にしか見なしていないのだろう。
 バカめ――敵の無謀さを内心で嘲笑い、今度こそ勝利を確信する。そして次の瞬間には蔑みの笑みが凍りついた。
 緑の閃光が障壁を切り裂き、エックスが弾丸の速度で接近してくる。そして即座にブレードを収束させ右拳を大きく振りかぶった。
 そう、彼が選んだのはバスターよりも遥かに威力の劣る、原始的で単純極まりない攻撃。ゆえにゲイトは完全に虚を衝かれ、防御の構えを解いたことも裏目に出た。
 泣く子も黙る鬼の一撃――〝こぶし〟という名の肉体言語である。

「目を覚ませえええええぇぇぇ!!」

 頬に鉄拳が突き刺さり口内に鉄の味が広がる。奥歯を砕かれたのだと把握したときには、首が千切れそうな衝撃に体ごと引っ張られ、勢いに流されるままに後方へ吹き飛ばされる。
 空中では受身など望むべくもない。ゲイトは背中から壁に叩きつけられ、反動に耐えかねた壁面がひび割れる。その身体は数センチほど壁に減り込んでいたが、重すぎるアーマーが仇となり不恰好のまま墜落する。
 アーマーは外傷を防ぐための道具であり衝撃吸収装置ではない。壁への衝突と落下の衝撃はゲイトを再起不能に追いやるには十分過ぎた。

「嘘だ――」

 現状の否定を試みるが、彼が自身の敗北を拒絶したところで戦局は何一つ好転しない。
 信じられない。認められない。己が身に纏うアーマーは最強のはずだ。エックスのバスターを無力化し、ゼロのセイバーを無傷で受け止めた。それがなぜ、たった一発のパンチを防げない。なぜ一撃もらった程度で自分は無様に這い蹲っている。
 理由は至って単純明快、身も蓋もない言い方をすれば弱いからだ。
 ゲイトはあくまで科学者レプリロイドである。戦闘用レプリロイドよりも地力が劣るのは当然であり、その身体構造は戦いに特化したものではない。ゆえに彼は、エネルギー増幅装置と強靭なアーマーで戦闘力の向上を試みた。その甲斐あって並みのレプリロイドを凌駕する力を手に入れたが、相手は幾度となく死線を乗り越えた一流のハンター。ナイフを手にした一般市民が殺し屋に喧嘩を売るようなものである。
 実践に勝る武器はなし。いかに高性能な武装で身を固めたところで、戦闘の何たるかを心得ないド素人が百戦錬磨の鬼神に勝るはずがないのだ。どれほど崇高なプログラムを搭載しようと担い手が愚図では宝の持ち腐れ。ゲイトがハイマックスに下した評価は、皮肉にも彼自身にこそ当てはまるものだった。

(ボクが……負ける、だと――)

 こんなはずではなかった。
 エックスとゼロのDNAデータを入手し、全てを超越するはずだった。その暁には世界を手中に収め、全てを支配するはずだった。その目論見が、長きを費やしたナイトメア計画が音を立てて瓦解していく。
 冗談ではない。こんなところで立ち止まるわけにはいかない。ナイトメア計画が頓挫したなら、また新たな計画を打ち立てるまで。この場から逃れさえすればチャンスはある。
 しかし持久性に乏しいゲイトの身体は悲鳴を上げ続け、上体を起こすことすらかなわない。仰向けのままでは状況の確認すらできず、足音から何者かの接近を悟るのが精一杯だった。
 助けてくれ――縋る様な気持ちで重すぎる右腕を必死に伸ばす。誰でもいい。エックスでも、ゼロでも構わない。自分はまだ死ねないのだ。何も成しえぬまま死ぬわけにはいかないのだ。こんな様ではあの男●●●に顔向けできない――





「「ゲイト――」」





 その手に伝わる暖かな感触。
 どこか懐かしく、聞き覚えのある声。

「……お前たちは――」

 そこにいたのはエックスでもゼロでもなかった。
 エイリアが心配そうに自分を見つめ、ケインが右手を握っている。

「気がついたかの。ようやく再び出会えたの~~~」

「なぜ……ボクの居場所がわかった」

「エックスから通信でこの場所を教えてもらったの。黒幕があなただという保障はなかったけれど……」

「何を言うちょる! あのナイトメアの核はワシですら解析できんかったんじゃ、あんなけったいな代物を作れるのはゲイトを除いて他におらんわい!」

 二人は最後までナイトメアソウルを解析しきれず、何の情報も引き出せなかった。ただ、レプリロイド科学の最高峰たるケイン博士ですら解析できないプログラム――それは存在自体が製作者を特定する手掛かりになり得たのだ。
 天才を超えた天才――両者は共に一人だけ心当たりがあった。数年前に行方をくらませ、それきり音信普通だったかつての研究同士。エックスからの連絡を受け、居ても立ってもいられなくなった二人は、身の危険も顧みずにサイス荒野まで足を運んできたのだ。

「それにしても……まさか、二人がゲイトの友達だったなんて」

「だが無謀にも程があるぞ。トラップが残っていたらどうするつもりだった――」

 そこでようやく、場の空気から取り残されていたエックスとゼロも三人の方へ歩み寄る。

「エックス、それにゼロも無事だったようね」

「……驚かないのか?」

「ええ。エックスが休んでいる間に、リサイクルエリアと北極エリアからナイトメアの反応が消えていたから。きっとあなただと思ったわ」

「なるほど、全部お見通しってわけか」

「そういうことじゃ! 言っちょくが、こうして出会った以上はもう逃がさんぞ。大人しくわしらの元に戻って来てもらおうかの~~~」

「……チッ、相変わらず調子のいいじいさんだぜ」

 ゼロは苦虫を噛み潰したような顔で吐き捨てる。隙を見て姿をくらませるつもりでいたが、どうやら観念する必要がありそうだ。
 そんな親友の様子を一瞥し、エックスはゲイトの方へ向き直る。

「ゲイト。シグマウイルスに感染していたとしても、俺はお前が許せない! ナイトメアのせいで何人ものレプリロイドが死んだ――だから、これからは生きて償うんだ! ドップラー博士のときもそうだった。もうシグマの怨念に振り回されるのは、これ以上誰かが傷つくのはごめんだ!!」

「ドップラー……だと――」

 ドップラー。
 その名前で全てを思い出す。霞がかった記憶が鮮明に形を取り戻していく。
 レプリロイド開発チームを追放されて以来、ゲイトは世俗との関わりを断ち切ろうと最果ての荒野に身を潜めた。必要最低限の情報はネットワークを通じて収集できる。あえて人里に赴く必要もない。そんな隠居生活が数年続いたある日、俄かには信じがたい情報が流れ込んできた。
 『人類を裏切った狂科学者ドップラー、イレギュラーハンターの手により討伐される』――記事の中身はイレギュラーハンターへの賞賛とドップラーへの罵倒にあふれていた。
 湧き上がる嫌疑の念。ゲイトのメモリに損傷がなければ、あの男は紛れもない本物の天才であり、その才能を人類の繁栄に用いていたはずだ。
 人類を裏切った狂科学者――あのドップラーが? 
 己と同格とまでは認めなかったが、ゲイトはドップラーをそれなりに高く評価していた。ゆえに腑に落ちなかった彼は、躊躇うことなく政府機関にハッキングを仕掛けた。持ち前の才能を十全に発揮することで、ゲイトは何の痕跡も残さずに目当ての情報を探り当てた。ドップラーの影に潜んでいた真の黒幕――シグマ存在を。
 ドップラーは事件の首謀者ではなく、シグマに道具として利用されただけの犠牲者だったのだ。しかし事を荒立てるのを恐れた連邦政府とイレギュラーハンター上層部は、ドップラーを主犯に仕立て上げることでシグマの存在を揉み消したのだ。今やシグマの名は恐怖の代名詞であり、二度も復活を許したとなればイレギュラーハンターの沽券に関わる。奴らは己の無能をひた隠しにするため、ドップラーに『イレギュラー』の汚名を着せた。イレギュラーハンターの面目を保つ代償に、ドップラーは最悪の犯罪者として歴史にその名を刻まれるのだ。
 その真実に至ったとき、ゲイトは身を焼くような激しい怒りを覚えた。
 愚劣極まりない下等なレプリロイドたち。それに輪を掛けて低俗で救い難い人間たち。天才を淘汰するだけでは飽き足らず、死してなおその名を貶める愚民共め。
 奴らに世界を統べる資格はない。表舞台から排他され、歴史の影に追いやられてきた一握りの天才たち。彼らこそ覇権を握るのに相応しい。
 ゆえにゲイトは革命を志した。天才が頂点に君臨し、才ある者が正当な評価を受ける世界のために。もう二度と、ドップラーのような犠牲者を生まないために。
 それがご覧の有様だ。ゼロのパーツを入手したことで全ての歯車は狂ってしまった。いつしか目的と手段が逆転し、無意味な粛清に快楽を感じていた。真に悪夢に見回れていたのは、世界ではなく自分の方だったのだ。

「ク……ハハ、ハ――」

 思わず自虐的な笑いが零れる。天才にあるまじき無様極まりない姿だ。……だが、これ以上の醜態を晒すわけにもいかない。恥の上塗りはしない。償いと言うのもおこがましが、せめて後始末だけは自分の手で片をつける。
 かろうじて動く右腕を杖代わりに力ずくで上体を起こす。ダメージゆえか一瞬だけ思考が真っ白になり、半ば無意識のまま紫のナイトメアホールを投げ放つ。それはエックスたちを悉く素通りし、シグマの保管された治療カプセルに直撃した。
 ナイトメアホールの一撃はカプセル諸共シグマを吹き飛ばし爆破炎上、そのまま骸すら残さずに焼き尽くすだろう。悪魔が滅んだことでウイルスの力が緩んだのか、ゲイトの両目が元の黒色に戻る。

「目が覚めた気分はどう、ゲイト?」

「――ああ、最悪の寝覚めだよ! このボクあろうものが、蛆虫ナイトメアと戯れて覇者を気取っていたなんてね!!」

「……あまり変わってないように見えるが」

「昔から口が悪くて無愛想じゃったからの~~~。変わっておらんようで何よりじゃ」

「うん……本当によかった。悪夢は、もう終わったんだな」

「帰りましょう、ゲイト。ドップラー博士はいなくなってしまったけれど、また、三人で一緒に――」

 償いきれない罪を犯した。数え切れない犠牲者を生んだ。
 このまま生き永らえたところで研究者としての人生に未来はないだろう。最悪イレギュラーの烙印を押され処分されてもおかしくない。
 だが、生き残ることができるなら。やり直すことができるのなら。今度はきっと――





「……ああ、そうだな――」





 正しい形で、己の才能を世界に見せつけてやろう。





 首謀者として法廷に立たされたゲイトだったが、エックスたちイレギュラーハンターの証言とケイン博士によるシグマウイルス感染の証拠提示により、かろうじて処分だけは免れた。もっとも、実際は政府がゲイトの才能を高く買ったことが決め手となった。彼が狂おしいまでに求めていた『自身の才能の評価』が皮肉な形で実現したのだ。
 しかし、ゲイトにはもはや己の才能の提示など些事にすぎなかった。留置所から釈放された彼が真っ先に提言したのは、ドップラー博士とレプリフォースのカーネル、アイリス兄妹の蘇生だった。ナイトメア事件が収束した所で、シグマウイルスの蔓延は未だに問題視されている。優秀な人材は一人でも多く欲しい状況であった。
 とはいえ、片やシグマに加担した科学者、片や人類に反旗を翻した軍士である。連邦政府としては非常に悩みどころだったが、結局はイレギュラーハンターによる監視の条件付きで妥協する形になった。同時に、蘇生に携わるゲイト自身も、イレギュラーハンター本部への勤務を命じられた。
 許可さえ得てしまえば後は容易いものだった。カーネルはアイリスに分解吸収される形で消滅してしまったが、そこは天才の腕の見せ所。元々一体のレプリロイドだったことから、アイリスのDNAデータを元にカーネルを蘇生させることなど、ゲイトには朝飯前だった。
 そして、世界はようやく再建へ向けての一歩を踏み出した。
 カーネルは指令を失い半壊したレプリフォースを纏め上げ、アイリスはイレギュラーハンター本部のナビゲーターに就任することになった。彼女は過去のイレイズ事件の際に見習いとしての研修を経験していたため、今では優秀なナビゲーターとして活躍している。彼女がゼロ専属のナビゲーターに指名されたのは、エイリアが裏から手を回した結果だと専らの噂である。
 ドップラー博士はケイン博士、ゲイトと協力してシグマウイルスの抹消に全力を注ぎ、数年後には地球上からシグマの存在した痕跡は完全に消え失せた。いかにシグマの怨念といえども、本体の消滅に伴い弱体化した今となっては、かねてから抗ワクチンの研究をしていたドップラー博士の敵ではなかった。もっとも、本人は自身の功績とは頑なに認めず、二人の親友の助力によるものと言い張っている。
 そしてエックスはというと、ゲイトの手により多くの戦友との再会が実現され、涙線が枯れるまで泣き続けた。数えきれない別れを経験してきた彼にとって、再会の喜びは想像を大きく上回るものだった。終いには体力もエネルギーも使い果たし、機能停止寸前まで涙目のままだったとか。それでも、全てが元通りになったわけではない。空へ還ったイグリード、海の底に沈んだマッコーイン、その身を犠牲にデスフラワーを停止させたジェネラル、爆発により跡形もなく消し飛んだハイマックス――取り戻せない命も数多くあった。
 ゆえに、エックスは新たな力を求めた。それはかつてのような凶暴なものではなく、ゼロとの友情の印でもあるビームサーベルだった。本来は形見変わりに携帯していたゼットセイバーだったが、今回の一件では大いに助けられる結果となった。同時に己の力不足を痛感したことから、エックスは熱心にビームサーベルの特訓に励むようになった。時にはレプリフォースへと足を運び、交流も兼ねてカーネルに手合わせを願うこともあった。もっとも、エックスが彼から一本取るにはまだまだ時間が必要と思われる。
 かくして、誰もが待ち望んだ瞬間が――世界に平和が訪れた。幾度となく傷つき、それでも決して折れることなく、シグマという強大な悪に立ち向かい続けた。エックスの努力がようやく実を結んだのだ。
 世界に平和をもたらした救世主の名は歴史に刻まれ、彼が使命を終えた後も未来永劫語り継がれる。伝説のイレギュラーハンター、その名を『ロックマンX』と――――




















 そんな結末も、あり得たのかもしれない。





 ――ダ……





 それは犠牲者の怨念がもたらした必然なのか。
 大きすぎる被害を生んだゲイトという男が、第二の人生を歩むことを世界は是としなかったのか。





 ――マ……ダ――





 しかし何より、家畜も同然に見下された〝悪魔〟がゲイトの存在を容認するはずがないのだ。





「――マダダッ!!」





 その場に居合わせた誰もが戦慄し、同時に己の目を疑った。
 粉々に破砕し、炎上した大型の治療カプセル。揺らめく陽炎の向こう側で一体の人型が起き上がる。
 炎より出でし姿は正に半死人アンデッド、緩慢すぎるその挙動がより不気味さを演出する。

「バカな……再生は不完全だったはず。あの状態でナイトメアホールを食らって生きていられるはずが――」

 そこでゲイトは思い出す。
 シグマウイルスに汚染されていた自分。攻撃に転じる直前の思考の空白。咄嗟に放った紫のナイトメアホール。
 そもそもナイトメアウイルスはシグマウイルスの模倣品である。シグマウイルスの統括者が適合性を持っていても何ら不思議ではない。そう、例えばナイトメアを逆に吸収し、己のエネルギーに転換できたとしても―――





「調子に乗るな小僧!! あの程度では死なぬわ!!」





 地獄の底から這い上がり、五度目の生還を遂げた〝悪魔〟――シグマがそこにいた。

「そん……な――」

 光が射した世界に再び暗雲が立ち込める。
 最悪の状況だった。エックスとゼロはエネルギーの大半を使い果たし、ゲイトはとても戦える状態ではない。エイリアとケイン博士は戦力外、酷な言い方をすれば足手まといだ。シグマに太刀打ちできる者は一人としていない。
 
「儂は、滅びぬ……貴様の力な、ど――必要なかったわ!!」

 シグマが大きく顎門を開く。その口内に光が集中する。溢れ出さんばかりエネルギーはハイマックスにも匹敵していた。

「逃げろっ!!」

 エックスは瞬時に飛び退き、つられるようにゼロもまたその場から離脱する。
 この時、彼は焦りの余り失念していた。重傷を負ったゲイトは、戦闘用でないエイリアは、か弱い人間に過ぎないケイン博士はシグマの攻撃を避けられない。数瞬遅れてそのことを悟りエックスの顔が絶望に歪む。
 間に合わないのを承知で両足の加速装置を起動させるが、より速く動いたのはシグマの方だった。限界まで集約された膨大なエネルギーが解放され、巨大な光線と化してゲイトたちを襲う。

「邪魔だっ! 消えろぉ!!」

 怒号に次ぐ爆音が大気を揺らす。
 破滅の光が一帯を包み、全てを消し飛ばし破壊をもたらしていく。
 灼熱が床を焦がし、衝撃波が壁を粉砕し、光の収束した室内には黒煙と砂煙が立ち込める。

「あぁ……」

 エックスの身体から力が抜け、自然と膝が折れ床に倒れ付す。両目からは止め処なく涙が溢れ、喉の奥から嗚咽が漏れる。
 終わりだ。生きていられるはずがない。直撃すれば自分でも死んでいた。三人の死は絶対である。
 そう確信を抱きつつも、一縷の望みを捨てきれないのは悲しき性か。エックスが虚ろな表情で爆心地を直視すると――





「え――」





 そこには光が、眩しすぎる黄金の輝きが在った。
 ゲイトが両腕を大きく広げ、後ろの二人を庇うように仁王立ちしている。
 純白のマントは千切れ飛び、アーマーに守られていない両足は痛々しいまでに爛れ、しかし大地を力強く踏み締めシグマの攻撃に最後まで耐えきっていた。
 その勇姿は歴戦の武将を連想させ――――既に息絶えていた。

「ゲイト――」

 僅かな生存の可能性に希望を込めて、エイリアは半ば放心状態のまま手を伸ばす。その指先がアーマーに触れた直後、かろうじて均衡を保っていた重心のバランスが崩れ、ゲイトの身体は倒れ込むようにして床に叩きつけられる。
 顔面を強かに打ちつけ、しかし一寸も動かない。それはもはやレプリロイドではなく生体機能を喪失した抜け殻――ただの金属塊に過ぎない。
 この場にゲイトが居合わせれば助かる見込みはあった。しかしその当人が死亡した今となっては現状を覆す術は存在しない。
 自らメインプログラムを破壊することで〝死〟を選んだドップラー博士と同じく、ゲイトもまた自らの意思でシグマに抗いその命を散らしたのだ。――エイリアとケイン博士を守り抜く代償として。

「ゲイトおおおおおぉぉぉ――」

 ケイン博士の慟哭が室内に木霊する。必死にゲイトを抱き起こそうとするが、虚弱な老人にレプリロイドは重すぎた。ゲイトは床に転がったまま動かず、その身体が起き上がることは決してなかった。
 エイリは力なく床に座り込み、能面と化した表情でゲイトを見つめる。その瞳からは光が失われ、土気色に染まった顔には生気が宿っていなかった。

「なぜじゃ――――っ!  今こそお主の〝才能〟を世界に見せつけるべきじゃろうがぁ!! お主もそれを望んでおったのではなかったのか!! なぜ――こんな、老い先短いジイのために……お主は、死を選んだ――」

 悲しみに暮れる二人の姿をゼロは黙って見つめる他なかった。咽び泣くケイン博士の姿は余りに痛ましく、同時に無防備で隙だらけだった。
 そしてようやく思い出す。この場にはまだシグマがいる。ゲイトの献身で初撃こそ防げたが、いつ追撃を仕掛けてくるかわからない。
 ゼロはダッシュで二人の傍に駆け寄りすかさずセイバーを構える。第二撃に備えて臨戦態勢を整え、そこで己の失態を悟った。

「――クソッ、攻撃に乗じて逃げやがったか!」

 いつの間にかシグマの姿が消えている。
 この短時間で遠くまで逃げるのは不可能だ。今のシグマに空間転移が使えるとも考えにくい。まだ研究所のどこかに潜んでいるはず、再生が不完全な今のうちに仕留める必要がある。

「エックス、俺はシグマを追う! お前は二人を――」

 この場を任せようとその姿を探し、どこにも見当たらないことに気づく。シグマと同様に、エックスもまた既に立ち去った後だった。





「……エックス?」










◇ ◇ ◇

「邪魔だっ! 消えろぉ!!」

 気づけば動かぬはずの身体を起こし、己が身を盾に二人を庇っていた。
 鎧は外傷を守る役割を果たしても内側に浸透する衝撃までは無効化できない。全身を襲う衝撃に意識が飛びそうになり、しかし相次いで訪れる激痛に叩き起こされる。エックスの攻撃とはまるで異なる、純粋な殺意の生み出す〝殺すための攻撃〟。その威力は前者の比ではなくアーマーの防御を紙切れ同然に突き破る。
 衝撃に身を任せ後方に退けば、今ならまだ破壊の光から脱出できる。頭ではそう理解しつつも、両足は地面に縫い付けられたかのように言う事を聞かない。
 制御を失ったわけではない。絶え間なく襲い来る苦痛の波が感覚の無事を証明している。では、なぜ動かないのか。己の意思で踏み止まっているからだ。
 仮に自分が離脱すれば、後ろに控えるエイリアとケインはまず助からない。ケインに至っては脆弱極まりない人間なのだ。そもそもこの状況を理解できているかも疑わしい。
 思わず自嘲の笑みがこぼれた。
 庇い立てする義理などないはずなのに。まして命を賭してまで守り抜く価値などないはずなのに。
 ふと、道具として使い捨てた部下の一人、シェルダンの姿を思い出す。ガードの役割に命すら捧げる姿勢には憐みしか感じていなかった。そんな自分があろうことかガードの真似ごとに走り、こうして無様に散っていこうとしている。
 だが不思議と悔いはなく、むしろどこか誇らしげな気分ですらあった。どうやら自分はシグマウイルスよりなお性質の悪い病魔に汚染されていたようだ。ゼロのパーツを入手するよりもずっと前、かつての同僚が研究室を訪れたあの時から――――





〝ようやく出会えたのぉ。お主が噂の天才クンじゃな?〟





「――イト……ゲイト!!」

 自分の名を呼ぶ声で目を覚ます。
 わずかに十数秒。レプリロイドの生涯から見れば刹那にも等しく、しかし死の苦痛に抗い続けるには長すぎる時間。破壊光線が収束してなおゲイトが意識を保てたのは奇跡としか形容できなかった。
 しかし内部にまで及ぶ損傷は死を免れるものでなく、彼の命は風前の灯火だった。全身の感覚は既に消えて失せ、それでも視覚と聴覚はかろうじて機能していた。それは神が授けた最後の慈悲だったのかもしれない。
 いつも気丈な態度を崩さないエイリアがその顔を悲痛に歪め、ケインに至っては涙と鼻水に塗れ見るに堪えない醜貌を晒している。なんて顔だ――笑い飛ばしてやろうと口を開き、咳き込むと共に血反吐を吐き出した。霞みがかった視界が暗転し、朦朧とした意識が奈落へと転落していく。
 だが、後悔はしていない。最後の最後で、自分の本当の願いに気づけたから。
 心の底から欲し続けた『自身の才能の評価』――それは『自分に対する理解』であり、『自分に対する理解者の存在』。その本質は酷く単純で、ゆえに誰もが願ってやまない『友情』だった。
 友達が欲しい――あまりにも幼稚で子供じみた、しかし生ある者として当然の願望を彼は低俗と見下した。幾度となく差し出された救いの手を撥ね退け、自ら孤高への道を歩み続けた。答えはいつだってすぐ傍にあったのに。
 もっと早くに認めて、受け入れさえすればよかったのだ。もしかすると、シグマウイルスに付け込まれるような隙も生まれなかったかもしれない。しかし全ては後の祭り、自分の死はもはや絶対である。
 ゆえにゲイトは最後の力を振り絞り、最後の言葉を口にする。喉が裂けんばかりに叫んだつもりでも、実際は掠れた声しか出てこなかった。
 それでもこのまま死ぬわけには、何も伝えずに逝くわけにはいかない。今度こそ、馬鹿みたいにお人好しなあの連中と――
 
 



約束●●を――」










◇ ◇ ◇

 覚束ない足取りで、幽鬼のようにエックスは歩く。
 気づけばその場を後にしていた。自分が何処にいるのか、何処に向かっているのかもわからない。結末の受け入れを拒むように、彼は行く当てもなく逃避を続けていた。
 何がいけなかったのだろう。何が間違っていたのだろう。
 ユイが死んで、スカラビッチが死んで、タートロイドが死んで、シェルダンが死んで、ヤンマークが死んで、ハイマックスが死んで、ゲイトが死んで――――





シグマ――」





 消滅したはずのシグマが復活した。
 自分の数十メートル先、目と鼻の先で息を荒げる姿を視認できる。悶絶しながらも壁に寄りかかり、片腕を支えに一歩、また一歩と前進している。
 正しい者が相争い悪しきものが漁夫の利を得る――レプリフォースの革命と何も変わらない。またしても自分はシグマの掌で無様なダンスを踊っていたのだ。
 これまでの死闘は、彼らの犠牲は、嘆きと悲鳴と慟哭は、全て悪魔が再臨するための生贄に過ぎなかったのだ。

「は……ははっ」

 もう涙は出なかった。変わりに渇いた笑い声が零れた。
 笑うしか、哄笑するしかなかった。
 なぜこんな不条理が、こんな理不尽が許される。
 一人でも多く助けたかった、救いたかった、守りたかった。
 そのためだけに血を流して涙を流して何度も何度も何度も何度も戦って戦って戦って戦って戦って戦って戦ってきたのに――

「あは、ははははははははははははははは――」

 背後で狂ったように笑い続けるエックスの存在を、しかしシグマは認識できていなかった。ナイトメアというバグを取り込んだ強引な蘇生はその身体に深刻な後遺症を残していた。
 耳障りなノイズが絶え間なく響き渡り、数秒間隔で視界が暗転、人工神経の損傷から全身が麻痺と痙攣を繰り返す。身体を覆う装甲はボロボロに剥げ落ち、局所から内部機関が露出。右腕に至っては再生されてすらいない。
 スクラップも同然の死に体でありながら、その双眸は爛々と輝き今なお底知れぬ執念を伺わせた。五感すら未回復のシグマの原動力――それは生への異常な執着心。ゆえにその一言が紡がれるのもまた必然であり、その瞬間にシグマの辿る末路は決定した。





「死なん……」





 エックスの口から笑みが消える。
 一瞬、耳を疑った。
 シグマは何と言った。
 シグマは何を言っているんだ。
 そんな彼の疑問に応えるように、己自身を奮い立たせるように、シグマはこの状況において最悪の言葉を――破滅の呪詛を自ら唱えたのだ。





「死なん……儂は、死なん……ぞ――」





 ブツリ、と何かが切れる音を確かに聞いた。
 思えばシグマは――奴は常に生に固執していた。幾度となく復活を繰り返すことで、逃れられぬはずの〝死〟という運命を回避していた。
 測り知れぬ被害を生みながら、数えきれぬ犠牲を生みながら、億千万の命を私欲の糧にしておきながら――自分が死ぬのは怖いのだ。
 
「……ふざけるな」

 何が覇者だ。
 何が世界の支配者だ。
 半死半生の身体を引きずり、怨敵であるはずの己に背を向けてまで、迫り来る死からの逃避を図っている。脆弱で醜悪なシグマの姿は覇王のそれとは似つかない――ただの〝亡者〟だ。人々の肉を食らい、血を啜り、醜く生にしがみつくだけの存在だ。数多のレプリロイドを食い物にすることで、奴はまたしても現世に留まろうとしている。
 許せない。
 認めない。
 お前が玉座に居座るのなら、俺が何度でも引きずり下ろす。
 お前が世界征服を企むのなら、俺が何度でも叩き潰す。
 お前が何度でも復活するのなら、俺が何度でも――

「――ろしてやる」

 体内で何かが躍動する。身体の奥底からどす黒い何かが湧き上がる。
 同時に襲い掛かる喪失感。身体の一部が薄れて消失する感覚。死闘の末に手にした勝利と絆の証、新たに入手した特殊武器のデーターが謎のデータに上書きされて消えていく。
 ……それでも、構わない。
 誰一人として救えなかった役立たずの力――守るための力●●●●●●はもういらない。グランドダッシュも、メテオレインも、ガードシェルも、ヤンマーオプションも、全て失っても構わない――





 だから、俺に力を!





 シグマを――あの悪魔を殺すための力●●●●●●を!!





「あ゛ああああぁぁぁっ!!」

 漲る怒気。
 迸る狂気。
 溢れ出す闘気。
 膨れ上がる殺気。
 圧し留められない負の感情が、解き放たれた〝憎悪〟がエックスを蝕んでいく。
 激情により封印が解かれ、その身に纏うアーマーは新たな進化を遂げる。エックスの奥底に眠る禁断のデータ――かつてジェネラルがその身を犠牲に封じた兵器、『アルティメットアーマー』の戦闘データがブレードアーマーと融合を果たす。
 光を体現した白銀の装甲が闇夜に紛れる漆黒に。
 先鋭に突出した局所パーツが俊敏性に特化した楕円形に。
 金色に変化したエネルギーブレートが開戦の合図とばかりに三日月クレセント描く。

シグマぁあああああァあア゛ア゛ア゛!!」

 そしてほんの一瞬、視界に見覚えのある白衣の老人が映った気がした。慈愛に満ちた微笑みは影を潜め、ひどく沈痛な面持ちで自分を見つめていた。
 ――どうでもいい、気に留める価値すらない。あの老人の正体など知ったことではない。それよりもシグマだ、今はあの憎き殺戮対象だけを視野に入れればそれでいい。
 そうだ、何も気に病む必要などなかったのだ。これまでもずっとこうしてきた、なぜ今の今まで失念していたのだろう。
 まだ、出来ることはある。
 自分にはやり残したことがある。

「この殺気は――ゲホッ……ゼロ、か?」

 奴がこちらを振り返る。
 訳のわからない戯言をほざいている。
 ゼロ――そういえば、あの時の彼もこんな感覚だったのだろうか。
 ならば、俺も彼を習うとしよう。俺の成すべきことはひとつ――










シグマ……殺してやる――」










 装甲に覆われた彼の口元は歪な三日月を象っていた。



[30750] #15 CRY(慟哭) 【前編】
Name: うわばら◆4248fd16 ID:0748f805
Date: 2012/09/26 13:37
 軽く見積もって数十分が経過した。まんまと逃げおおせたシグマも、その場から立ち去ったエックスも未だに姿を現さない。しかし∑がどこに潜んでいるかわからない以上、ケイン博士とエイリアをその場に取り残すことは危険が伴う。
 今しがた目にした∑は死体も同然の有様だったが、エネルギーが底を尽きかけているのは自分たちもまた同じ。特にあれだけ大技を連発したエックスの消耗は測り知れない。本来ならセイバーを扱う自分がΣに挑むべきだったのだ。

「……クソッ」

 己の無力さに歯噛みしながらゼロは思わず地団太を踏む。
 エックスの手を煩わせまいと決意しておきながら、肝心の時に蚊帳の外へ置き去りにされている。これではコロニー落下事件の二の舞だ、またしても自分は災厄の火種に利用されるだけに終わるのか。
 そんなゼロの心境を察してか、ゲイトを抱きかかえていたエイリアがそっと顔を上げる。

「――私たちはもう平気だから、エックスの所へ行ってあげて、ゼロ」

「っ!? だが――」

「ナビゲーターだからって甘く見ないでちょうだい! 私もちゃんと戦えるから」

「……すまん。爺さんは任せるぞ」

 最低限の自衛用装備で気丈に振る舞うエイリアに背を向け、ゼロは出しうる限りの力で疾走する。
 ∑の執念は底が知れず、例え瀕死状態であろうと何をしでかすか分からない。確実に息の根を止めなければ世界に安息は訪れない。

〝無茶だけはするな、エックス――〟

 そしてゼロがその場を後にした直後、烈光覇で核を貫かれたナイトメアマザーが、まるで何かに呼応するかのようにその巨体を震わせた。










◇ ◇ ◇

 壁に着いた左手を唯一の支えに、亡者は果ての見えぬ回廊を進む。
 二メートルを超える体躯を誇り、濁った双眸が印象的な強面の男。死に瀕してなお狂気を絶やさぬこのレプリロイドこそ、幾度となく世界に破壊と恐怖をもたらした最強のイレギュラー、シグマである。

「ハァっ、は……グ、ガぁ――」

 喘息に伴い嘔吐感が込み上げ、促されるままに口から疑似血液を吐き出す。全身を襲う激痛も一向に和らぐ気配を見せず、喧しい雑音が電子頭脳にガンガンと響く。先の攻撃にエネルギーを費やした反動か、一歩を踏み出すごとに根こそぎ生命力を奪われる錯覚すら覚えた。
 何たる無様。何たる屈辱。窮地から逃れる対価に敵前逃亡という醜態を演じた。逃げの一手がもたらした苛立ちは想像を上回り、あの忌まわしき若造を殺めた程度では到底納まらない。
 白衣に身を包んだ科学者らしき男。意識の覚醒したその時から、目障りな視線を向けていた。己が生死の境を彷徨う傍らで、散々耳障りな妄言をぬかしていた。貴様はボクの下僕、貴様はボクの踏み台、貴様はボクの前座、貴差は憐れな噛ませ犬――思い出すだけで腸が煮えくり返る。肉体の感覚を取り戻して早々に葬り去ったが、最後までその身体を灰燼に帰すことが叶わなかった。どこまでも癪に障る存在だった。
 ゲイトの手により生還を果たした身分でありながら、∑は彼に何の恩義も感じていなかった。それも当然のこと。ゲイトの暴走は∑の意図せぬ所であり、ドップラーのように操っていたわけではなかったのだ。
 偶々∑ウイルスの一部が生き残り、偶々アイゾックの手により回収され、偶々ゲイトという天才が感染し、偶々∑の蘇生という愚行に及んだ。全ては偶然と悲運の産物。仮に汚染されたのが凡百の科学者であれば、消滅した∑の蘇生など到底不可能だっただろう。

「死なん……」

 そう、コロニ―落下事件で∑は完全な形の死を迎えていた。崩壊を迎えた零空間は、∑が最強を自負したボディを容易く呑み込み、全てを巻き込んで消滅へ導いた。長きに及ぶ悪魔の凶行に終止符が打たれたはずだった。
 ゆえに、5度目の生還は紛れもない奇跡だった。幸運も悪運も、折り重なれば奇跡と呼んで差し支えない。あろうことか世界が悪魔に微笑んだのだ。
 とはいえ∑には感謝の念など皆無である。奇跡を授かった今とてその思考は悪一色に染まり、依然として人類の抹殺を、世界の征服を、地球の支配を目論んでいた。

「死なん……儂は、死なん……ぞ――」

 まずは死にかけの身体を回復させないことには話しにならない。そのためにも、一刻も早くこの窮地から脱する必要があった。
 行く当てすら見定めないまま極限状態からの生還を図る。その強すぎる生への執着ゆえに、Σは背後に控える死神の存在を認識することができなかった。





シグマぁあああああァあア゛ア゛ア゛!!」





 場を包む空気が豹変する。
 異常な怒気。
 膨大な闘気。
 禍々しい狂気。
 圧倒的な殺気。
 背後から感じる尋常ならざる負の波動。認識機能の欠落した今のΣですら、これには反応せざるを得なかった。
 Σは既に過去一度、この不快な圧迫感を体感していた。周囲を飲み込もうと無差別に垂れ流され、しかし刺すように鋭利で攻撃的な殺気。この感覚は紛れもなく――

「この殺気は――ゲホッ……ゼロ、か?」

 だが、そこにはいるはずのない存在が、全身に狂気を纏ったエックスがいた。白銀のアーマーは憎悪に蝕まれ黒く染まり、古来の暗殺者を模倣したものに変形していた。
 普段の温厚な彼を知る者ならば、誰もがその変貌に目を疑うだろう。∑とて万全の状態であれば大いに違和感を抱いてあろうが、怨敵の異変を認識するにはあまりにも疲弊しすぎていた。

「いや……エックスか?」

 先の一撃に巻き込んだつもりだったが、どうやら凌ぎきられたようだ。光沢を放つ漆黒のアーマーは傷ひとつ負っていない。
 エックスがまるで無傷であるのに対して、∑は五感の回復すら間々ならない状態である。それでも∑は不遜な態度を崩すことなく憎々しげに言い放った。
 
「貴様の相手をしてやる時間はない――邪魔だ、失せろっ」

 命乞いを強いられる状況でありながら、尚も強気な姿勢を貫くΣを、エックスは汚物を見るような目で見下ろし、

「∑……殺してやる――」

 唐突に、一方的に投げかけられた死の宣告がΣの逆鱗に触れる。
 ∑はダイナモのような気分屋ではない。覇者としてのプライドがあり、同時に絶対的強者としての自尊心も抱えていた。
 例え死に瀕していようと、二度目の逃走などありえない。どのみちエックスの死をなくして世界征服は実現しないのだ。この場で一戦交えることに不都合などありはしない。

「……ほ、ほざくな! 貴様の相手など、この身体で十分だ――ゴホッ……」

 そして最後の戦いが幕を開ける。
 エックスの眼光が一層の鋭さを増し、右腕がバスターに変形する。相対する∑は圧倒的不利を自覚しつつ、憎き怨敵を殺めるべく思考を巡らせる。
 この状況で敵に先手を許せば最後、回避もままならずバスターの餌食となるだろう。防御に徹しようにもエネルギーの差で押しきられる。ならば、こちらから仕掛けるより他はない。
 瞬時に互いの戦力差を考慮した戦略を組み立て、∑は先制攻撃に及ぶ。エックスがバスターを構えるよりもなお早く、左腕から衝撃派を放つ。コロニー落下事件の際に散々エックスを苦しめた必殺技だったが、未回復の身体が繰り出す一撃はかつてのものより一回り小さい。そうでなくとも、衝撃波はエネルギーの放出による攻撃と比べて威力が劣る。これでは直撃したところで大したダメージは見込めない。
 しかし、ゲイトを殺めるのにエネルギーの大半を費やしたΣには、見境のない攻撃に及ぶだけの余力が残されていなかった。ゆえに衝撃波を駆使して隙を伺い、残りエネルギーの全てを費やした破壊光線で仕留める。
 相手の動きを牽制しつつ、隙を見て必殺の一撃を当てる。Σの導き出した戦略は満点に近いものだったが――その前提が間違っていた。

「――なにっ!」

 思わずΣが驚愕の声を上げる。衝撃波がエックスに届く刹那の瞬間、迸る閃光に掻き消され消滅したのだ。
 エックスの放った一閃。バリアともチャージショットとも異なる、まるで未知数の黄金の光。唯一判明したのは、衝撃波では虚仮威こけおどしにもならないということだ。早くも苦境に追い込まれたΣだが、プライドが邪魔をしたのか逃げるような真似はしなかった。
 衝撃波が通用しないのならば攻撃力を上げるのみ。エネルギーの残存量を念頭に置き、Σは腕に力を込める。集約させたエネルギーを解き放とうと左腕を振りぬくと、身体が攻撃の勢いに引っ張られ右側に倒れ込む。しかも集約させたはずのエネルギー弾は4つに分裂した状態で放出された。攻撃すら満足に行えぬ身体に焦燥を覚えながらも、Σはすかさずエックスを注視する。
 エネルギーの拡散により威力は落ちたが、その分広範囲に及ぶ弾幕の回避は容易ではない。敵の攻撃手段は未知数だが、一発でも当たれば隙は作れる。そんなΣの期待を裏切るように、エックスのバスターから再び閃光が放たれる。
 先を上回る驚愕。謎の光は無数のエネルギー弾を相殺するだけに収まらず、延長線上の壁と天井に巨大な裂傷を刻んでいた。
 状況を把握すると同時に、Σは否応なしに命拾いを悟らされる。攻撃の勢いに呑まれていなければ、体制を崩すのが数刻遅ければ、左右でなく前後に倒れていれば、身体を縦に断ち割られていた。
 そして攻撃を打ち消される寸前、今度こそΣは見て取った。謎の光の正体――それは極限まで圧縮されたエネルギーブレードの生み出す斬撃だった。
 種さえ割れれば未知数でも何でもない、刃を振るうだけの単純極まりない攻撃。しかし全ての特殊武器データを犠牲に強化されたエネルギーブレードは、素人の剣技を達人の絶技にまで昇華させていた。
 エックスの新たに手にした殺すための力●●●●●●――『シャドーアーマー』の誇る唯一にして最強の攻撃、その名を『円月輪』。虚空に描かれる黄金の三日月は全てを切り裂き消滅へ導く。
 わずか二度の攻防で隔絶した実力差を見せ付けられ、Σは奥歯を噛み締める。攻撃は最大の防御とはよく言ったもの。円月輪の馬鹿げた破壊力の前には、衝撃波やエネルギー弾は何の効果も生み出さない。全てブレードの一閃に打ち消されて終いである。
 残された手段は破壊光線しかないが、この場で放ったところで避けられる――そこまで考え、Σはようやく違和感に気づく。
 なぜ、エックスは近づいてこない。なぜ接近戦を挑まない。なぜ攻撃しようとしない。
 思い返せば、エックスはバスターを構えた時から、次の挙動に移るのが遅かった。先ほどの一撃もエネルギー弾を打ち消すついで●●●のものに過ぎない。こうして対峙している瞬間も、エックスはその場に佇んだまま動こうとせず――蔑みの視線を向けてくる。

「貴様――ッ!!」

 ようやくエックスの真意を悟り、Σの怒りは臨界点に達する。
 エックスは手を抜いている。既に生殺与奪を握ったつもりでこちらの反応を眺めている。
 舐められている、見下されている、嘲笑われている。アーマーに隠れた奴の口元は――きっと笑っている。

「自惚れるな!! その思い上がり諸共消し飛ばしてくれるわ!!」

 激情に促されるままに、Σの顎門が大きく開く。ゲイトを殺めたときと同等以上の光が口内に集約される。
 Σはエネルギーの残存量を省みることも忘れ、エックスへの殺意を上乗せした破壊光線を放つ。ゲイトのアーマーさえも打ち砕いた怨念の攻撃。しかしエックスは冷めた目で迫り来る破壊の光を見つめていた。
 極めて冷静なエックスの反応は、慢心や油断によるものではない。確固たる実力に基づいた余裕であった。
 ただ殺すだけでは意味がない。円月輪で切り殺すことは容易いが、苦痛も恐怖も体感せずに死なれるわけにはいかない。
 Σには一瞬の死など生ぬるい。奴のお遊びに巻き込まれたレプリロイドたちの苦しみを味わわせてやらねばならない。
 そのためには、まずは絶望させることが必要だ。手始めに奴の悪足掻きを否定してやろう。

「……ば、バカな!?」

 Σが生命力を削って繰り出した破壊光線は円月輪の一撃に断ち切られた。命がけの攻撃であったことを省みれば、あまりにもあっけない結果だった。Σの渾身の一撃はエックスに届きすらせず、ブレードの一閃で容易く無効化されたのだ。
 万策尽きたΣとは対照的に、エックスは余裕の足取りで間合いをつめる。Σはなんとかして距離を稼ごうとするが、エネルギーを限界まで搾り出した身体は金縛りあったかのように言うことを聞かない。両足は鉛のように重く、痙攣も一層激しさを増す。このときΣは、身体の震えが痙攣などとは異なることに気づかなかった。否、認めようとしなかった。
 ――そして殺戮劇は幕を開ける。
 エックスは棒立ちのΣにゆっくりと歩み寄り、ブレードを振り上げその両足を撥ね飛ばした。一切の無駄がない、あまりにも自然すぎる動きだった。
 血飛沫を散らしながら宙を舞う足、次いで両膝に襲い来る激痛。苦悶の表情を浮かべながらも、崩れ落ちる身体を支えるべく、Σは咄嗟に虚空へ左手を伸ばす。限りなく条件反射に近い動作だったが、意外にもその手はエックスにより掴まれた。
 そして次の瞬間、いきなり天地が逆転し凄まじい衝撃が全身を襲う。エックスがそのままΣを投げ飛ばし、背中から地面に叩き付けたのだ。電子頭脳を激しく揺さぶられ、朦朧とする意識で天井を仰ぐΣの視界が捕らえたのは、猛然と迫り来るエックスの足だった。
 伸びてきた足は勢いが衰えず、容赦なく顔面を踏みつけられる。反動でΣのコアレンズは粉々に砕け散ったが、エックスは気に留めることなく二度、三度と足を振り下ろす。
 二度目でΣの額が窪んだ。
 三度目でΣの片目が潰れた。
 四度目でΣの鼻が折れた。
 五度目でΣの八重歯が砕けた。
 Σの相貌が見るも無残に変形したことを確認し、エックスはその側頭部を思い切り蹴り飛ばした。両足を失ったΣの身体は床を転がり、落下と跳躍を三度繰り返したところで静止する。
 ようやく猛攻が止んだことで、Σは残された僅かな力を振り絞り片腕を動かす。左手で地面を掻き毟るようにして、地べたに這い蹲ったまま前進を試みる。もはや戦意は残されていない。極限まで痛めつけられた身体と精神にはプライドを意識する余裕などありはしなかった。
 エックスは少しの間、蛞蝓なめくじも同然に地を這うΣの姿を傍観していたが、程なくして軽い動きでブレードを突き出した。無情に伸張する金色の刃はΣの腹部を貫通し、その身体を地面に縫い止める。隙間に針を通すように狙って刺したのか、あるいは単なる偶然か、止まったのはΣの動きだけであり、幸か不幸かその生体機能は未だに活きたままだった。
 内部機関のひとつを刺し貫かれたことで、Σの口から呻き声と共に大量の擬似血液が吐き出される。腹部に突き刺さるブレードの高熱も相俟って耐え難い苦痛がもたらされる。抗う術を持ち合わせないΣは、歪んだ顔で痛みにのた打ち回るほかなかった。
 相手の抵抗手段を根こそぎ削いだ上で、絶望に打ちひしがれる姿を観察する。残虐極まりない行為に及んでおきながら、しかしΣを見つめるエックスの瞳には何の揺らぎも見られなかった。飛蝗ばったの両足を千切り、鈍足歩行する様子を眺める子供の目。蝉の両翼をもいで、地面で鳴き続ける姿を見つめる子供の眼差し。純粋さの反転により生れ落ちる狂気は、時として生まれながらの狂人を凌駕する。笑顔のまま殺戮行為を繰り返すダイナモと同じく、エックスの顔には一切の陰りがない。それどころか清々しいまでの無表情であった。
 腹に刺したブレートを引き抜き左腕を切り落とす。
 耳障りな声があがる。
 黙らせるために下半身を一太刀のもと切り捨てる。
 声はより大きさを増す。
 Σの正面に回り込み、その口内に蹴りを叩き込む。
 ようやく束の間の静寂が訪れる。
 躊躇も抵抗もなく、愉悦も享楽もない。目を覆いたくなる凶行を、エックスは無慈悲に淡々と、粛々と遂行していた。
 ついに四肢の全てを失い達磨と化したΣの身体を、エックスは頭部を掴み片手で持ち上げる。どちらが正義かを疑いたくなる凄惨な光景だった。Σは渾身の力で残された片目を開き、そこでエックスと目が合った。
 無機質な眼球がぐるりと動き、Σを捕らえる。レプリロイド特有の灯火が失われ、機械の本質を取り戻した冷徹な眼光。それは対象を認識するレーダーに過ぎなかった。
 今のエックスは機械だった。伝説のイレギュラーハンターでも鬼でもなく、課された役割をこなすためだけに動くロボットだった。残された唯一の使命を完遂するために、世界平和を妨げる存在を排除するために――諸悪の根源たるΣを壊しつくす。

「ぁ――あああああああああああああああ」

 停止寸前の意識が急速に覚醒する。
 潰れ掛けた声帯が無理やり悲鳴を搾り出す。
 あまりにも似つかわしくないΣの絶叫は、衝動が思考を上回った結果だった。
 生存本能が悪い方向に作用したのか、はたまたナイトメアを取り込んだことが原因か、Σのメモリの奥底に封印されていた悪夢の記憶が蘇る。赤いイレギュラーに惨敗を帰して以来、忘れて久しかった感情が込み上げる。
 怒りや屈辱などではない。この衝動は、この感覚は――恐怖。決して存在するはずのない、最強たる自分を超越した存在への畏怖。

「うああああああああああああああ」

「黙れ」

 命令口調に反した平坦な声音。その一言が死刑宣告となり、エックスの右手が万力のようにΣの頭を締め付ける。強大な握力が装甲を軋ませ、頭部が凹みスパークする。
 薄れ行く意識の中、Σはようやく理解させられた。――はじめから勝ち目などなかったのだ。この勝負は結果の覆せない詰み将棋だったのだ。
 これまでのエックスとの死闘において、Σに慢心があったとすれば、それは初戦の一度のみだったはずだ。敗北して以来は幾重にも策を弄し、磐石の態勢を敷いた上で戦いを挑んだはずだった。
 それなのに、勝てない。何度繰り返してもエックスに勝つことができない。どれほど強靭なボディを用意したところで、エックスはそれを上回る勢いで進化している。
 そしてついに、両者の力関係は完全に逆転した。エックスの憎悪がΣの怨念を上回った瞬間だった。初の完全敗北のもたらす絶望感は、死の淵でΣを狂わせた。限界を迎えたΣの精神は崩壊を迎えて発狂する。















「エエエエエェェェ――――ックスゥウウウウウウウウウウ!!!」















 怨敵の名を断末魔に、∑の頭部はひしゃげて破砕した。



[30750] #15 CRY(慟哭) 【後編】【執筆途中】
Name: うわばら◆4248fd16 ID:1cf9fbd5
Date: 2013/10/13 18:52
 地獄絵図。
 その場に駆けつけたゼロが直面したのは、目を覆いたくなるような悪夢の光景だった。
 黒いアーマーを身に纏う憎悪の化身。それは紛れもない親友の姿であり、赤黒い血溜まり浸る鉄塊に向けて一心不乱に拳を叩きつけている。すぐ傍に転がる手足を見れば、辺りに散らばる残骸がΣだったことは容易に想像がつく。それと同時に、どれだけ一方的な虐殺が繰り広げられたのかも――

「エックス……」

 ゼロが近寄ってなお、エックスは憑かれたように拳を振り下ろす。とうに機能停止を迎えたΣの胴体を無我夢中で殴りつける。

「もうやめろ! Σは既に――」

 咄嗟に振り上げた右手を掴むと、ようやくエックスがゼロを認識する。一切の光を失い、空洞と化した双眸が無言の圧力を放ってくる。





〝俺の邪魔をするのなら、君でも殺すよ〟





 あの時と同じ――否、それ以上の狂気を孕んだ目。
 ゼロが思わず身震いした次の瞬間、掴んだ手を払われ腹に拳を叩き込まれる。憎悪の込められた打撃の威力は凄まじく、ゼロは壁際まで吹き飛ばされ悶絶する。
 それきりゼロには一瞥もくれず、エックスは何事もなかったかのように作業を再開する。鉄屑と化したΣの身体は既に原形を留めていないが、憎悪に呑まれたエックスの瞳には仇の姿が映るのだろう。肝心の標的が死してなお、Σの処刑は一向に終わる気配を見せない。

「エッ、クス……Σは、もう死んでいる!!」

 痛む下腹に力を込め、ゼロは大声を張り上げる。しかしエックスの視線は依然としてΣに注がれ、ゼロの方を振り返る素振りすら見せない。我武者羅に振り下ろされる鉄拳が鉄塊を歪め、不気味な不協和音を奏で続ける。
 エックスの憎悪はΣを惨殺してなお尽きることがないのか。エックスの無念はΣを虐殺してなお晴れることがないというのか。
 ゼロが無力感に顔をしかめた直後、轟音を伴い回廊の壁が大破した。眼球を失い機能停止を迎えたはずのナイトメアマザーが、場の空気を打ち壊すように乱入する。

「このデカブツ……まだ動けたのか!?」

 咄嗟にセイバーを構えたゼロの脇を素通りし、ナイトメアマザーはエックス目掛けて――その傍らに転がるΣの残骸に向かって突進する。
 Σに意識を割くあまり反応が遅れ、エックスは迎撃が間に合わず反射的にその場から飛退いてしまう。そして司令塔を失った悪夢の母体は、新たな核を求めてΣの遺骸を分解吸収する。

「ガっ、ぐ……ゴ――オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛!!!」

 それは執念のなせる技か。
 あるいは気まぐれな神が再び悪魔に手を差し伸べたのか。
 残骸と化してなお途絶えることのないシグマの怨念は、悪夢の母体すら逆に糧として取り込み、失われた身体を巨大化して再生させる。



「まダだっ――――ごれがるがボンバナだッ!!!」



 発声機能が死んでいるのか、室内に轟く怒号は既に言葉の形を成していない。死の淵に正気を手放したことが幸いし、今のΣに物怖じする様子は微塵も見られない。地獄より生還を果たした悪魔は完全に狂気に呑まれていた。覇者の誇り、世界征服の野望、生への執着――余計な感情の全てを憎悪へ還元することで、Σもまたエックスと同じく憎悪の化身へ変貌する。
 装甲の再生が追い付かないためか、巨体の内部機関は剥き出しに露出し、その全貌は出来そこないの人体模型に等しい。これまでの第二形態とは一線を画した異形の姿。負の思念を体現した醜悪極まりない姿。しかし全てを犠牲に再生した身体は、その外見に反して膨大なエネルギーを内包していた。
 Σとエックスの眼光が交差し、憎悪と憎悪がぶつかり合う。どちらも正気など疾うに捨てている。互いが互いへの憎しみを動力源に、共に怨敵を葬り去るべく殺意を解き放つ。

「ジネェエエエ! デッグス!! ジヌンダッ! ベッグズゥウウウ!!!」

「――死ぬのはお前だ」

 憎悪に満ちた咆哮と、憎悪に彩られた死の宣告。両者から迸る強大な殺気に当てられ、ゼロは怖気に総身を震わせる。数え切れぬ戦場を駆け抜けてきた剣鬼すら萎縮させる狂気の渦。相対する巨人と人型は共にレプリロイドの枠組みから逸脱していた。
 ∑の額のコアレンズが輝きを増し、無数の液塊が周囲に撒き散らされる。緑に濁った不気味な液体は、床に着弾すると同時にシグマの頭部を模したスライムへ変形する。それらは酸の類ではなく自立機能を兼ね備えたリキッドメタルだった。
 間断なく生れ落ちるスライムの数は瞬く間に二十を超え、その全てがゼロには目もくれずエックスへと雪崩れかかる。液体の弾力を駆使して跳躍し、標的に到達する寸前でリキッドメタルを硬質化させる。
 頭上から降り注ぐスライムを見上げようともせず、エックスは極めて冷静にブレードを薙いだ。それだけでスライムはひとつ残らず無に帰る。しかしその間にもスライムは途切れることなく数を増し、即座に先の倍を超える大群が殺到する。
 あるものは身体を杭に変形させ天井から落下し、あるものは地面から湧き出て足元を狙い、あるものは兆弾することで変則軌道を描き、我先にと怒涛の勢いで襲い掛かる。その全てが一匹違わずエックスを狙い、その全てが一匹残らず円月輪に消し飛ばされる。一振りで十、再び振るえば二十、閃光が煌くたびに異形がごっそりと欠け落ちる。
 蟻の群れが恐竜に勝てないのと同じく、隔絶した力量差は物量差で覆すことなどかなわない。最低限の自立機能しか持たぬスライムは、死に怯えることなくエックスへと群がり、死を認識することなく黄金の三日月に吹き飛ばされる。
 死すらも恐れぬ軍勢は確かに脅威だが、この状況下においては完全に逆効果だった。捨て身の特攻を仕掛けたところで効果がなければ無駄死にである。量産されたスライムたちは何の役割も果たさず次々と死に絶えてゆく。これではエネルギーの無駄使いだ。
 そしてブレードを振るうだけのエックスと、絶え間なくスライムを生み続けるΣでは、エネルギーの消耗速度の桁が違う。しかし自我を喪失したΣにはもはや冷静な状況判断などかなわない。ただエックスを憎み、ただ攻撃を仕掛けるだけである。
 両者の憎悪は拮抗していたが、狂気に呑まれてなお理性を保つエックスに対して、狂気に呑まれたΣは完全に理性を失っていた。激情に支配されるΣと、冷静な思考を保つエックス。その差が致命的となり、戦局は依然としてエックスに有利だった。
 それでも、数刻が経過した所でさすがに無駄と判断したのか、Σはスライムの生成を中断させる。そのまま大きく裂けた口元を限界まで開き、量産に費やしていた莫大なエネルギーを注ぎ込む。一度はエックスに無効化された破壊光線だが、集まったエネルギーはそのときの比ではない。極限まで収束されたエネルギーは極太の光線と化して、憎悪と共に吐き出された。

「キエロォオオオオオオオオオオ!!!」

 
 ゲイトを葬ったときの数十倍はあろう破壊光線。規模も密度も文字通り桁違いのエネルギーは、円月輪をもってしても相殺しきれない。
 ゆえに、エックスは跳んだ。重力を感じさせない身軽さで跳躍し、天井に張り付くことで容易く攻撃を回避する――背後に控えるゼロの存在は一切省みることなく。

「――なっ!?」

 己を犠牲に仲間を庇ったゲイトとは間反対に、エックスは仲間を見捨てて己を庇ったのだ。もちろんゼロにはシャドーアーマーのような俊敏性など備わっていない。狭い回廊には左右の逃げ場がなく、破滅の光は眼前にまで差し迫っている。
 絶体絶命の窮地だが、ゼロは北極エリアからの生還で既に突破口を見出していた。――逃げ場がないなら切り開くのみ。深呼吸と共に落ち着きを取り戻し、両手に構えたセイバーを高々と振り上げる。
 ゼロに残された力は少ない。しかも今回の相手は氷塊などではなく、圧縮された高密度のエネルギーである。同等以上のエネルギーでなければ相殺することは不可能だ。Σの怨念を迎え撃つには、ゼロのエネルギー残量はあまりに心許なかった。
 それでも、退くことはできない。Σの憎悪に呑まれて果てるような死に様は晒せない。命を削る覚悟でエネルギーを捻出し、数多の窮地を共に切り抜けた愛用武器――ゼットセイバーに出しうる力の全てを込めて振り下ろす。
 紫の閃光が奔り、緑の波動を両断する。それでも相殺が限界だったのか渾身の斬撃はΣに届かない。
精根尽き果てたゼロはその場に崩れ落ち、出力の反動でゼットセイバーの柄が粉々に砕け散る。全身にも焼けるような痛みが走り、ゼロの身に纏うアーマーは元の赤色に戻る。彼の体内に宿る亡き友のデータチップが、蓄積されたダメージに耐えかね破損したのだ。
 長きを共にしたゼットセイバー、そしてカーネルとアイリスのDNAデータの消失。しかし悲しみに暮れる時間など残されてはいない。かろうじて一命を取り留めることに成功したものの、再び破壊光線がくれば今度こそ死は免れないだろう。
 体勢を立て直すことを試みるも、エネルギーを限界まで出し尽くした身体はまるで言うことを聞かず、ゼロは立ち上がることすらできずにいた。必死に首を動かし正面を仰ぎ見ると、Σの口内に得体の知れない黒い光が集中している。憎悪を形にしたような漆黒の球体が形成され、空間を埋めつくさんばかりの勢いで膨らんでいく。

「ウセロ!!!」

 ブラックホールさながらの巨大な暗黒球。Σはこの一撃で勝負を終わらせるつもりなのだろう。回避は不能と判断したエックスは、床に着地してΣと相対する。
 エックスとてこれ以上泥仕合を長引かせるつもりはなかった。半ばメカニロイドと化した今のΣは既に精神が死んでいる。痛めつけたところで意味はない。むしろ痛覚が残っているかも疑わしい。
 もはや殺すことを躊躇う理由はない。エックスは速やかに止めを刺すべくバスターにエネルギーを込める。
 天に立ち昇る光の柱――振り上げられたエネルギーブレードは天井を突き破り、巨大化した∑の全長を容易に上回る。規格外の大きさを誇るエネルギーの刃が振り下ろされ、同時に限界まで膨張した暗黒球が放出される――




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