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[29132] [習作]BALDR SKY -across the destiny-
Name: ジエー◆7693fe4e ID:5ae47fcd
Date: 2014/05/06 21:13
どうも初めまして、ジエーです。
今回は色々と思うところがあって投稿させていただきました。

長ったらしい説明は苦手なので以下注意点。


・更新は亀
・再構成
・独自解釈があるかもしれない
・ある程度区切りがつくまでは確実に書くが、以降は不明
・BALDR SKY Dive1,Dive2,DiveX,ZERO,ZERO2のネタバレ有り
・ZEROのキャラ出るよ!


それでも許せるという心の広い方、この話を読んでくださると嬉しいです。
それで楽しんでもらえたのならもっと嬉しいです。



[29132] 前章 始まり -prologue-
Name: ジエー◆7693fe4e ID:5ae47fcd
Date: 2011/08/25 01:49
  凄まじい鈍痛と共に目が覚めた。




 「ぁ、づ……」




  ゆっくりと意識が浮上していくのを感じていた。

  ただ鈍い痛みのせいで意識の覚醒が酷く緩慢に感じる。

  口から漏れ出た声も自分の声とは思えないほどに掠れていた。

  瞼を開く事すら気だるい。

  普段なら軽い身体がまるで鉄の塊になったように重い。



 「な、に……?」




  状況が全く呑み込めない。

  とにかく自分の身体に何が起こっているのかを確認しようと重い瞼をゆっくりと開いていく。

  それだけでかなりの体力を消耗したように思えた。

  時々閉じそうになる瞼を気力で必死に抑えて自身の視界を取り戻す。




  そうして、周囲の状況を否応無く理解させられた。




 「……ぇ」




  漏れたのは、そんな小さな声ともつかぬ空気の波だけ。

  もしかしたのは漏れ出たのは声ではなくただの呼吸かもしれないが、それでもそれは驚愕の一色に染まっていた。




 「何、なの……これ」




  今度こそ声が出た。

  重かった瞼は視界へと飛び込んできた光景の異様さによって驚愕に見開かれる。

  目の前の光景を理解する事が出来ず―――否、理解する事を拒むように、弱々しく頭を振った。










  見渡す限りの瓦礫の荒野―――

  文明の名残が残っているだけの文字通りの廃墟。

  自身が今まで住んでいた筈の街は瓦礫の山と化していた。

  街の残骸が視界一杯に広がっているだけで、見慣れた町の光景などそこには一切存在していない。

  今、自身がもたれ掛かっている場所も―――やはり瓦礫だった。










 「まさ、か……これ、が?」




  予言の到来なのか、と。そう思った。

  そう呟くと言いようの無い恐怖が腹の底から競り上がってくる。

  同時に、取り返しのつかない事態へと陥ってしまった事を理解した。

  暫くの間、まるで糸の切れた人形のように灰色に染まった空を眺める。










 「あ、はは……」










  やがて、乾いた笑いが漏れた。

  力無く瓦礫にもたれかかったまま、無気力に灰色の空を眺めたまま。










 「あははは、あっはははははははははははは、あははははははははははははははははははははははははははははははははははッ!!!」










  狂おしい程の絶叫が、六条クリスから迸った。

























  BALDR SKY -across the destiny-


























  傷ついた体を引きずり、クリスは瓦礫の街を歩いていた。

  身体に力は無く足取りもふらふらとしていておぼつかない。

  押せばすぐにでも倒れてしまいそうなほどにクリスは弱っていた。

  歩いていると言っても、別に目的地がある訳でも何かの当てがある訳でもない。

  ―――六条の家は、跡形も無く吹き飛んでいた。

  あの惨状では家に居た者は誰一人として生きてはいまい。

  だからただ歩きたかった。そして生きている人間を見つけたかった。




 (……そういえば、あの夢の風景もこんな感じだったかしら)




  あの時、ドミニオンの構造体の中にあったノインツェーンの玩具に接続してから見るようになった夢。

  自分と同年代ほどの男性が生きながらに溶解され死んでしまう。

  その後に街は焦土と化し、だがその焦土と化した街の中を死んだはずの男性がこれもまた同年代程の女性を背負って歩いていた。

  焦土と化した街の名は星洲。

  今クリス自身が歩いている街もそのはずだ。




  はずだ、と言うのはただ単に確証がないからだ。

  街並みで判断するには建造物が破壊され過ぎている。

  ネットで現在位置を確認しようにも回線は全てエラーの信号を返すばかりで調べようがない。

  だがそんな中でも分かった事は幾つかある。

  気を失う前に見た最後の光景―――空から降り注ぐ光条から考えるに、この惨状は宇宙に浮かぶ衛星兵器『グングニール』によって引き起こされた事。

  自分の住んでいた街や星州は跡形もなく破壊され、生存者はおそらくごく少数だという事。




 「クリスマスの預言の日―――ドミニオンの預言もあながち間違っていなかったのかしら」




  自嘲気味に嗤って言葉の意味を反復する。




  ドミニオンの預言―――

  今年のクリスマスに『最初の滅び』が訪れ、それに伴い教祖であるグレゴリー神父が復活する。

  そしてその『最初の滅び』で死んだセカンドの少年のNPCを『女神の御使い』として降臨させ、人類を更なる進化へと導く。

  カルトにはありがちな世界の終わりを示すかのような予言だ。

  予言の日が近づいてくるとクリスは次第に先程の夢をよりはっきりと見るようになっていた。

  視点で言うならば、おそらくは予言の少年の視点で。

  そして、夢の内容と今の現実の光景は―――あまりにも酷似していた。




  ここまで来ると予言だの妄想だの切って捨てる事は出来ない。

  この事態は確実に―――何者かの手によって引き起こされた惨状だ。

  ギリ、と奥歯が軋む。




 (カルト染みた妄想だと切って捨てるんじゃなかった……こんな事になる前に、何故陰謀だと気付けなかったのかしら)




  後悔先に立たず。

  今更事を嘆いても、もはや後の祭りだった。

  夢を見た時は被害妄想が生んだ幻想だと切って捨てていたが―――それを現実にされると堪えるものがあった。




 「……こうして歩いていれば、そのうち、夢の少年少女に会えたりするのかしらね」




  もしかすると半分はそれを期待しているのかもしれなかった。

  とにかく、誰でも良いから人と会いたい。

  そうでなければ自責の念で潰れてしまいそうだった。

  自分は夢という形で何度もこの光景を見ていたのに―――知っていながら、何も動かなかった。

  誰かがこの事を知ればそんな訳無いと笑って捨てただろうか。それとも何故何もしなかったと呪詛の言葉を吐くだろうか。

  この惨状を引き起こしたのは自分の責任だと、後悔の念に潰されてしまいそうだった。




 「誰、か……っ、」




  おぼつかなかった足が無造作に転がっている瓦礫に躓いて、そのまま真正面から地面に倒れた。

  元々力が入らなかった身体が倒れてしまい、もう言う事を聞いてくれそうにもない。

  身体全体がもう動きたくないと悲鳴を上げている。

  意識の方も疲れ切ったと言って、すぐにでも意識は暗闇に沈みそうだった。

  重い絶望の感情がクリスの意識を押し潰してくる。




 (……ここで、終わるのかしら)




  いくら脳から電気信号を飛ばしても身体の方はそれに全く反応しない。

  無骨な瓦礫の冷ややかな感触が残っていた体温すら奪っていく。

  まるでゆっくりと重量を増やされていくような怠惰感。

  ただでさえ重かった瞼がここに来てさらに重さを増してくる。

  このまま目を閉じてしまうと、もう二度と開けないような予感が彼女にはあった。




 (だ、め……)




  生存本能から意識を繋ぎ止めようとするものの瞼はゆっくりと落ちてくる。

  手近な何かを握ろうとしても身体は全く動いてくれない。

  死神は確実に鎌を首に添えていた。




  ふと、自身が今まで歩んできた人生が思い浮かんだ。

  幼い頃にドミニオンの後継者として洗脳に近い教育を受けた事。

  教団の壊滅後は施設に入り親戚の中をたらい回し。

  六条家に養子として引き取られてようやく得た安息の日常も粉々に打ち砕かれた。




  結局、最終的に自分が得た物など、何も残ってはいない。




 (これが、噂に聞く走馬灯かしら……)




  今までを思い返しながらいよいよお迎えが来たのかもしれないと半ば諦めが頭を過る。

  このまま目を閉じれば六条家のみんなに会えるのだろうか……

  確証のない気休めを胸にクリスはいい加減に重くてしょうがない目を閉じようとして―――










 「君……大丈夫―――生きて、いるか?」










  意識の外から、そんな声が降って来た。




 (だ、れ……)




  確認しようとしても一度閉じ出した瞼は止まらない。

  その声を最後に、クリスの意識は暗闇へと沈んだ。

























                    ◇ ◇ ◇

























  瓦礫の街を、少女はただただ歩いていた。

  辺り全てが大なり小なり傷を負っているその中で、少女だけは目立った傷が見受けられない。

  外見的には九歳ほどの身体に似合わない大人用のダボダボした白衣を羽織っており、栗色のウェーブのかかった髪は腰まで伸びている。

  その体格からほぼ間違いなく間違われるが、彼女は間違いなく医師である。

  傷が少ない理由は簡単だ。この街を破壊が襲った時、少女はこの場に居なかったのである。

  宇宙から全てを焼きつくす光条が幾度も降り注ぐ直前、彼女は統合軍と思われる者達に患者ごと拉致された。

  隙を突いて患者の電子体だけは仮想空間へと逃がし、自身も脱出してきたのだが……




 「まったく、酷い有様だな……」




  戻って来てみれば街は廃墟。自身の診療所も形を残していたとしても向こう側が差し押さえている可能性が高い。

  自慢ではないが彼女自身も昔から様々な事情がある。

  こんな事もあろうかと密かに用意しておいた隠れ家があるにはあるのだが、そこまで被害が及んでいないのを祈るばかりだ。

  そして彼女は仮想空間に逃がした患者の電子体を一刻も早く保護する必要がある。

  あの患者は事情が特殊すぎる故にちょっとした事で何らかのトラブルに巻き込まれる可能性が高い。

  そうでなくとも、彼女とその患者は統合と思われる者達に拉致された。

  逃げたと知っている相手側としては是が非でも確保しておきたい筈なのだ。

  自身と患者、両方の安全を早急に確保しなければならない。




  だから、偶然だったのだ。




 「……ん?」




  本当に急いでいた彼女が、その二人を見つけたのは。

  黒を基調とした学生服に身を包む長い銀髪の少女と、血や砂ぼこりで汚れたシーツに身を包んだ茶髪の少年を見つけたのは。

























                    ◇ ◇ ◇

























  最初に飛び込んできたのは無機質な天井だった。




 「ぅ、ん……?」




  六条クリスは半分寝ぼけて身を起こした。

  確か、自分は瓦礫と化した街の中にいたはずなのだが……どう見ても自分が今いるのはベッドの上だ。

  身体に目を向ければ所々に包帯が巻いてある。どうやら誰かが手当てをしてくれたらしい。

  だが今の彼女にはそんなところにまで考えが及ばなかった。

  状況が正常に判断できない。まるで、脳が考えるという機能を放棄したように。

  未だにはっきりとしない頭のままで緩慢に辺りを見渡す。

  隣りには誰かが寝ているらしいベッドがあり、よく分からない本が詰め込まれた本棚がその奥に見える。

  違う方向に目をやれば窓も見えた。

  ベッドの周囲を見ると医療機器らしき物も見て取れる。

  清潔感漂う、とはとても言い辛いが……どうにもここは医療施設らしい。




 「……誰が、私をここまで運んできたのかしら」




  自然と自分を助けてくれた人物の事を考えていた。

  とはいえ、自分が気を失い最後の瞬間に男性らしき声を聞いた程度……手掛かりらしい手掛かりなど無いに等しい。

  できれば探してみたいところなのだが、未だに体は鈍痛を訴えており満足に動かせそうにはなかった。

  今すぐにでも身体をベッドに放り出したい気分なのだが―――




 (ここは病院らしき場所であって、真っ当な病院だという確証がないのよね……)




  そもそも、あそこまで崩壊した街の中に未だこうして無事な建物があるというのも考え辛い。

  自分は眠っている間にどれだけ移動したのか。どれだけの間眠っていたのか。ここはどこなのか。

  考えれば考えるほど疑問は湧いてくる。

  拘束の類がなく治療されている事を考えればそう悪い状況ではないと思うのだが―――

  と、その時だ。




 「おや、目が覚めたのかね」




  ガチャリ、と手動式のドアを開けて小さな少女が部屋に入ってきて、そんな事を言った。

  九歳程度に見える外見には不釣合いな白衣を羽織り、その下にはゴスロリちっくな服が見て取れる。はっきり言ってみょうちくりんな格好だった。

  クリスを見た少女はそのままツカツカとベッドの傍まで歩み寄ると、腕を取ったり額に手を当ててきたりして何かを確かめている。

  ……もしかして、この少女は脈を取ったり熱を計っていたりするのだろうか。

  しばらくされるがままになっていると、作業を一通り終えたらしい少女が『こんなところか』と言ってクリスに触れてくるのを止めた。

  どうやら診察もどきは終わりらしい。

  だったら―――




 「一つ、聞いて良いかしら」

 「何だね? 私に答えられることならば答えよう」




  外見にそぐわぬ受け答えに違和感を覚えるものの、どうやらまともな受け答えが期待できそうだ。

  とにかく情報を集めることが先決だと目の前の少女に一つ一つ質問を投げかけていく。




 「ここはどこかしら」

 「清城市にある私の店だな。簡易ながら医療機器もここにはあり、それを使って君たちの治療をしたわけだ」

 「……君、たち? 私以外にも誰かがここにいるのかしら」

 「ああ、丁度君の隣のベッドで寝ている彼だよ」




  言われて、クリスは隣のベッドへと目を向ける。

  確かに布団が人一人分だけ盛り上がっている。顔は別方向を向いていてこちらから見えないが……あれが、彼女の言う『彼』らしい。

  そういえば、確か自分が最後に聞いた声も男性のものだったはず。





 「あの、彼と私は一緒に……?」

 「そうだが? 気を失っていた君を彼が背負っていたのだよ。まあ私が見つけたときには二人して瓦礫の上で倒れていたが。

  というか知り合いではないのかね」

 「いや……気を失う前に男性らしき声を聞いた気はするのだけど……」




  となると、やはり彼が気を失う前に聞いた声の主であり、気絶した私を背負って瓦礫の街を彷徨っていたのだろうか。

  気になってその辺りの事を少女に詳しく尋ねてみるが、はっきりとした答えは得られなかった。

  ただ彼女が見つけた時はボロボロの布切れを一枚纏っていただけで、クリスを背負っていた以外は何も持っていなかったらしい。

  状況としてはあまりに訳が分からない。助けられた感謝よりも不自然な疑問の方が先立ってしまう。

  が、




 (……今更、何を考えているのかしら)




  話を聞いているうちにクリスは状況を再度確認した。

  瓦礫と化した街、グングニールと思わしき衛星砲の掃射―――ドミニオンの予言した、最初の滅び。

  夢という不確かな形とはいえ、それを知っていながら何も行動しなかった自分。

  忘れていた後悔の念が胸を押し潰そうとする。




  ただ何もせず、この事態を見過ごした自分が何故のうのうと生きているのだろうか?




  そう考えると途端に全てに関心を持てなくなった。

  絶望感に全てを放り出したくなり、起こしていた身体をベッドに放り出す。

  ギシッ、とスプリングが鈍い音を上げてクリスの体重を受け止めた。




 「……まあ、絶望するのは勝手だがね。くれぐれも自殺など考えないでくれたまえよ。そうでなければ君を助けた彼に申し訳が立たない」




  少女が何かを言っていたが、今のクリスにはどうでもよかった。

  ただ今は、何も考えずにいたい。

  再びドアが開けられる音が響く。

  その音を最後に、彼女の意識は鈍痛に引きずられるように再び眠りの底へと堕ちていった。

























                    ◇ ◇ ◇

























 「……何だ、これは?」




  彼は、手元に現れたプログラムを凝視する。

  紅いグリッドの空の下、無限に広がる海岸の岸辺で、彼は巨大な残骸と共に佇んでいた。

  彼の呟きに返答する者はいない。周囲に―――いや、この世界に個体としての形を保っているのは彼唯一人なのだから当然だ。

  この世界の管理者に答えを求めようにも、半ば抑圧されているこの状態では満足な答えも返ってこないだろう。

  唯一、言葉を向けられる相手も……




 「―――ああ、そろそろ時間か」




  おもむろに、彼はその視線を巨大な残骸へと向ける。

  大きな装甲板や重火器が辺り構わず錯乱し、電子配線のコードが無作為に散らばっている。

  それが、振動を始めていた。

  確実に意思を持って行動を開始しようとしている。




 「聞いても無駄だと思うが聞いておくか……お前、これは何だと思う?」




  手に持ったプログラムを掲げて見せる。

  その瞬間、世界を揺るがす不協和音が盛大に空へと咆哮した。

  残骸が一気に空中へと舞い上がり、断線されていたコードや破壊された装甲板が癒着され、再生していく。

  その光景を見上げながら、彼は深く溜息を吐いた。




 「分かっちゃいたが、歩み寄りってもんを覚える気はないんだなコイツ」




  無駄だと分かっていても億劫な気分になってくる。

  流石にこうも長い時間を過ごしているともう少し変化があっても良いんじゃないだろうかと愚痴を洩らすが、何も変わらない。

  いつものように、全てを破壊する重戦車が目の前に君臨していた。




 「まあ、良い。やり合う以上は覚悟しろよ、テメエ」




  そして、彼も目の前の破壊の化身に対抗する力を使った。

  瞬時にその身体が鋼鉄の機械へと変換される。

  人の数倍はある巨体を持つこの鋼の身体だが、目の前の重戦車はその身体を持ってなお見上げるほどに巨大だ。

  あんな巨体で突進でもされたならこの身体もカエルのようにぺしゃんこになるだろう。

  そんな誰もが恐怖と畏怖を抱く姿を前にして、彼は一歩も退くことはない。

  臆する事も、気負う物もなかった。




 「さあ―――戦闘開始(オープン・コンバット)だッ!!」




  そして、駆け出した。

  結果など、数万数億と繰り返したものにまた一つ加算される、それだけの事だった。

























                    ◇ ◇ ◇

























 「ああああぁぁぁぁああああああああああああああああああああああああぁぁあああぁぁあああああああああああああああああっっっっ!!!???」





  目覚めは、叫びだった。

  真夜中にも拘らず部屋の外にまで響くような絶叫が迸る。

  瞳孔は目一杯に広がり、呼吸も犬のように浅いものが繰り返される。

  体中から汗が噴き出て衣服はベッタリと肌に吸い付いて気持ち悪かった。

  そうしているうちにも目覚める前の悪夢の光景が脳内にフラッシュバックする。




 「うっ……ぉ、ご……ぁ……っ」




  何も入っていない腹の中身をひっくり返しそうになり、立て付けの机に置いてあるペットボトルを引っ手繰るように手に取る。

  そのままキャップを開けて中身が零れるのも構わずに強引に喉の奥へと流し込んだ。

  胃の中に液体が強引に流し込まれる感覚に顔をしかめる。そして、強引に流し込んでいたせいで咽る羽目になった。




 「がっは、ごほ……けほ……」




  ―――暫くして。

  ようやく落ち着き、ペットボトルを元にあった位置へと戻す。

  だがその顔は憔悴しきっていた。

  眠りに就く度に同じ悪夢に苛まれ、目が覚めれば吐き気を催し、睡眠不足から体力は消耗するばかり。

  生きている心地がまるでなかった。

  自分はゆるやかに死に向かっている……そんな錯覚さえしてしまう。

  だが、それでも構わない、と思う。

  いっその事、自ら命を絶つのも良いかもしれないと思ってもいた。

  しかしそれは許されない。

  それをすれば悲しむ者がいる。自分を騙してまで、命を救ってくれた友人が後を追ってきてしまう可能性もある。

  それほどに一途で、純粋な者を残して逝くのは―――もはや自分がその友人を殺しているのと変わりがない。

  だから自分は生きていくしかない。大切な物が抜け落ちたこの世界で。




  空を見上げる。

  窓の外には、あの悲劇を連想させるような光景は何一つ見当たらない。

  ただ満天の星空が広がっていた。




 「……私、何で生きてるんだろう」




  深い絶望の淵から発せられた少女の言葉は、夜の闇に溶けて消えた。



[29132] 前章 喪失 -always loss-
Name: ジエー◆7693fe4e ID:d78737a8
Date: 2011/08/25 01:49
 「さて……真君は見つからないが、代わりに妙な患者を拾ってしまったな」




  白衣を羽織った少女がディスプレイに映されている数々のデータに目を走らせる。

  そこには一般人が見ても何を意味するのか全く分からない情報が流れていた。

  専門家が見ればそれと分かるであろうデータの羅列は、患者の身体を診察した際に得たものだ。

  彼女はそれを睥睨しながら目を細める。

  外見に似つかわしくない近寄りがたい雰囲気が彼女の周囲に満たされていく。




 「被造子の少女に第二世代の少年……だが、彼のコレは何だ?」




  言って、視線を移したのは彼の脳内情報だ。

  より正確には、彼の脳と半ば融合しているチップのモニタリングデータである。

  第二世代にとっては生命線の一つとも言えるそれである彼の脳内チップは大きく破損していた。

  そのデータの意味を読み取りながら、少女は唸るように呟く。




 「損傷の仕方が尋常ではない……クラッシュ、いやオーバーロードか? 何にせよ、グングニールの煽りを受けただけでこうなった訳ではあるまい」




  それは直感ではなく確信だ。

  脳と半ば融合しているチップだけを外部干渉によって物理的に破壊する事など、現代ではまず不可能だ。

  破壊したいのならば物理的ではなく、電子的に干渉を行う必要がある。

  ネットを介してのアプローチならばそれこそ手段はいくらでもあるだろう。だが、だからこそ言えるのだ。

  この少年の脳内チップは、衛星砲ではなく別の要因によって破損したのだと。

  しかも、損傷具合から見て壊れたのはつい最近。

  おそらくはグングニールによる掃射の前後―――そこで、この少年の身に何かが起こった。




 「まったく、面倒だな……一体何が起こっているというのだ」




  ネットを調べただけで今回の事件の顛末は簡単に理解できた。

  ドレクスラー機関の開発していたナノマシン、アセンブラの流出。

  それによる汚染被害を食い止めるために掃射されたグングニール。

  一説にはAIが独断でグングニールを使用したとも言われているが、真実は定かではない。




 「どこぞの誰かといい、ドレクスラー機関といい、少年といい……頼むから私の生活を壊してくれるなよ」

























  前章<02> 喪失 -always loss-

























 「……」




  少女―――水無月空はぼんやりと、ベッドの上から空を眺めていた。

  青い空と、白い雲。太陽が眩しく世界を照らし出し、人々は今日を生きている。

  世界は常に動いている。そして、常に悲劇で満ちている。

  今この瞬間にも、世界のどこかで多くの人々が嘆き、悲しみ、怒り、絶望し―――命を失っているのだろう。

  彼女もまた、その只中に放り込まれてしまった一人だ。

  今や『灰色のクリスマス』と呼称されるようになったクリスマス事件。

  流出したアセンブラによって多くの人々が生きながらに融解され、直後にグングニールの掃射により全てが灼き払われた。

  統合は当初、掃射範囲を限定していたらしいが管理システムの暴走により無差別の全力掃射が開始。結果として蔵浜市は壊滅した。

  だが『その程度』の悲劇、世界を覗けばどこにだって転がっている。

  世界から見れば『灰色のクリスマス』と呼ばれるこの事件もありきたりな世界の悲劇の一つでしかない。

  しかし、彼女は―――水無月空は、そんな風に考える事などできはしなかった。




 『ですから、何故アークは情報を公開しないのですか? やればそれだけで全てが解決するというのに』

 『言っているようにこちらにはそのような記録は存在しないのです。全てがアークにあると思うのは止めていただきたいのですが』




  テレビから流れるコメンテーターの言葉が病室に響く。

  しかし空にとってそれらは一切の意味を持たず、全てが右から左へ流れていく。

  全てに意味が見出せない。

  全ての景色から色が消え失せている。

  彼女の胸にあるのは、そんな絶望と喪失感だ。




 「……甲」




  呟いた名前に、胸が酷く締め付けられた。

  甲―――門倉甲。

  彼女と恋仲であった同僚で、あの日は一緒に夜を過ごすつもりだった。

  街に繰り出し、店を覗いて、食事をして―――最後は寮に帰って、友人たちと楽しく夜を明かす。

  そんなありきたりな毎日を過ごすはずだった。




  だが彼は、空の目の前で生きながらに融解していった。

  流出したアセンブラに汚染され、体中から出鱈目に臓器や器官を生やし、潰し、人ではない何かに成り果てて……死んでいった。

  その光景は、今も彼女の頭に焼き付いて離れない。




 『そ、ら……に……げ……』




  おそらく、本能的に危機を察して放ったであろうその言葉。

  それは助けを求めるものではなく、状況に混乱する言葉でもなく、ただひたすらに空の身を案じるものだった。

  そして同時に、それが彼の最後の言葉でもある。




 「何で、よりにもよって……そんな言葉を残すのよ」




  残酷過ぎる、と。そう思った。

  助けを求められたのならきっと助けに走った。状況に困惑していたのなら一緒に困惑していただろう。

  だが、受け取ったのは身を案じる言葉。

  直後に訪れたのは、直視したくない永遠の別れ。

  泣きたくなった。いや、実際泣いていた。

  周囲を顧みず、流れる人の波に逆らって、泣きながら走り続けた。

  だが全てが光に飲み込まれたあの瞬間、自分の意識も身体も吹き飛ばされて―――




  気が付けば、友人に背負われて荒野を彷徨っていた。




  直前に見た光景全てから目を背けて、目が見えなかった事を言い訳にして、友人に騙され続けていた。

  自分を助けてくれた友人は自身を甲と偽り、互いに励まし合いながら荒野の街を生き延びた。

  おそらくああやって騙してくれなければ自分は生きる努力を速やかに破棄していただろう。

  ただ状況に流されるままに目を閉じて、いずれ訪れるその瞬間まで無感動に死体となっていただろう。

  自分を助けてくれた事には感謝して然るべきだ。

  だが、素直に礼を言えるほど精神に余裕はない。

  どうして自分を助けたのか。何故自分が死ななかったのか。何で自分を騙したのか。

  そんな自分勝手な感情だけが浮かんでは消えていく。




 「空さん、失礼します」

 「……レイン」




  だから、友人―――レインとは今まで碌に会話をした記憶もない。

  平和な日常に生きていた頃、どうやって甲を振り向かせるかで親睦を深めあった中にも拘らず……暗い感情が邪魔をしていた。




 「食事を、持ってきました」

 「……いい」

 「けれど、食事を採らなければ栄養は摂取できません」




  彼女自身、想い人を失って辛いはずなのだ。

  それにも拘らずこんな状態の自分を甲斐甲斐しく世話をしてくれている。

  それが酷く申し訳なく―――同時に、腹立たしくもあった。




 「いい。食欲がないの」




  だから冷たく突き放してしまう。

  いっそ恨み辛みの言葉で罵倒されればどれだけ楽だったろうか。

  自分は恨まれたとしても、こうも甲斐甲斐しく世話をされるような資格はないのに。

  もっと自分自身に素直になっても良いのに、それをしない。




 「……そう、ですか」




  空の言葉を受けてレインは気落ちした様子で食事の乗ったトレイを下げた。

  その表情を見て空は自己嫌悪に陥る。

  しかし、このやりとりも一度や二度ではなかった。




 (ほんと、最低だ……私)




  こんな時、彼ならばどうしたのだろうか。

  同じように絶望しただろうか、それとも素直に礼を言っていただろうか。

  分からない。

  今の空には彼の明るい笑顔はただ痛いだけだった。




  そんな時だった。




 「……?」




  彼女が、一通のメールを受け取ったのは。

























                    ◇ ◇ ◇

























  ―――ここに来て数日が過ぎた。

  あの少女―――ノイと名乗る人物は自身を被造子だと言い、正式な医療免許も提示してきた。

  クリスとしては年下に話しかけていた気分だったので少々気まずい思いもしていた。自分自身も同じ境遇だというのに気付かなかったのは盲点だと言える。

  彼女自身にも何か事情があるらしく今現在は雲隠れの最中らしい。

  これで闇医者の仲間入りか、とどこか自嘲気味にぼやいていたのをクリスは覚えている。

  そしてもう一つ。




 「クリス、入るぞ」




  彼が目を覚ました。

  自分を助けた彼はトレイの上に食事を乗せてベッドまで運んでくる。




 「ありがとう」

 「そう思うならもう少し腹に物を入れろ。いい加減栄養失調に陥るぞ」




  そう言われても喉を通らないのだから仕方がないじゃない、とクリスは声に出さずに反論する。

  ここ数日、クリスの体調は決して良いものとは言えなかった。

  度重なる精神的ショックと激しい体力の消耗により随分と疲労している。

  彼女が半ば生きる事を放棄しているのもその一因だった。

  しかし、それでも彼女は生きている。

  自分を助けてくれた少年と、治療してくれた少女の手によって、生きている。




 「戻してしまうよりは余程ましでしょう」

 「あのなあ」

 「それより、貴方の方こそどうなのかしら」




  言いかけた言葉を遮ってクリスは逆に問いかけた。

  確かに自分が油断ならない状況なのは確かだ。それは自分自身が良く理解している。

  だがそれ以上に、




 「記憶、未だに戻らないのでしょう」

 「……まあ、脳チップが破損しているからな」




  少年は記憶を失っていた。

  何らかの要因で破壊された脳チップ―――それが所謂エピソード記憶を喪失させていた。

  自分が何者で、今まで誰とどのようにどこで過ごしていたのか。

  そういった人生の日記がどこかへと消えてしまっていた。

  ノイによって治療用ナノマシンが注入されて脳チップの修復が進んではいるが、少年の記憶が回復する兆候はない。

  更に、




 「ネットに繋げないのは痛いよな……IDとか分かったら少なくとも自分が何者か程度は分かるのに」

 「接続部までは損傷が及んでいたのだから仕方がないでしょう。数日中には修復できるのだから我慢しなさい」




  脳チップによって二四時間常時ネットに接続していた第二世代にとって、それを失うのは手足をもがれるのに等しい。

  情報観覧やネットへの接続すらできないほどに損壊したチップは医者であるノイをして『これは酷い』と言わしめるほどだった。

  治療のための手術は徐々に進んでおり、数日中にはチップも元通りになるはずである。

  一応、身元を調べるだけならDNAから個人を特定するという手段もあるにはある。

  だが追われている身のノイとしてはそのような公共のデータベースにアクセスするのはリスクが高かった。

  つまるところの手詰まり、というやつだ。

  名前すら思い出せない少年はそれでも前向きに今日を生きている。




 (……それは同時に、『灰色のクリスマス』という地獄を忘れたという事よね)




  それは少し、羨ましくもあった。

  あんな地獄はできるなら一生見ない方が良い。

  もし自分が記憶喪失になったのなら……そんな考えすら浮かんでしまう。




 (……何を考えているんだか)




  考えて、同時に酷い自己嫌悪を感じる。

  記憶を失くすという事はつまり、今まで積み重ねてきた自分というものが消えて無くなるのだ。

  それはある種『死』と同意義である。

  記憶を失くした後に存在するのは、そこから新たにゼロから積み上げられた別の存在でしかない。

  失ったものを取り戻さない以上それはもはや別人と変わらないのかもしれないのだ。

  そして、彼は今現在そのような状況に立たされている。

  もしも家族や友人と再会した時、彼は何を思うのだろうか。同じように彼の周囲の人物は何を思うのだろうか。

  それは彼本人にしか分からない事だし、軽々しく分かって良いものでもない。

  だから記憶喪失を羨むという行為はそのまま彼の痛みになる。

  少々サドっ気があると自覚しているクリスではあるが、そのような状態の人間を好んで追い討ちするほどの冷血でもないつもりだった。




 「食べるように努力はするわ。その後に戻すかどうかは別として」

 「だから戻すなよ……まあいい。ここに置いておくからな」

 「ええ、お願い」




  カチャリ、と音を立ててトレイがテーブルの上に置かれる。

  トレイに乗せられているのは病院食―――ではなく、最低限の栄養摂取を目的とした簡易合成食だ。

  『灰色のクリスマス』によって混乱している情勢に加えてノイ自身の境遇もある。これでもまだまともな食事なのだろう。

  ひょっとしてあのまま瓦礫の街で伸びていた方がもっと境遇の良い人に拾われたのではないだろうか、と考えるのは仕方がない事だと思う。

  そんな事を論じても特に意味はないのだが。

  今はこうやって生きている現実に感謝するべきなのだろう。

  だが、そうやって生きるのは良いとして、目下最大の問題がクリスの目の前に横たわっていた。




 「……これからどうしようかしら」

 「何だよ、いきなり」




  人生について真剣に悩んでいた。

  六条家は跡形もなく吹き飛び、家族もおそらく死に絶えた。

  親戚を頼る術もなく文字通りの天涯孤独と化した訳だが……残った財産を狙って今更親戚が掌を反してくる可能性も否定できない。

  が、それに乗ったところで先の結末は目に見えている。

  場所によっては『アセンブラに汚染されている』などという眉唾な噂を信じて追い出しすらしているのが現状だ。

  元々腫物扱いされて親戚をたらい回しにされたクリスがどうなるかなど想像に難くない。




 「自分の身の振り方を考えていたのよ。私も考える事が多いの」

 「大変そうだな」

 「ええ、ほんとに大変よ。まあ、まずは身体の調子を戻さないと話にならないのだけれ、ど……」




  と、そこで不自然にクリスの動きが止まった。

  身体を起こしたその姿勢のまま固まって、その横顔から何かに驚愕している雰囲気が見て取れた。




 「どうした?」

 「あ、いや……別に、大した事じゃないわ。本当に、些細な事なの」




  そこまで言って、クリスは先程口にした言葉を反復する。

  『身体の調子を戻す』と、確かにそう言った。。

  『身の振り方を考える』と、そう言った。

  それはつまり、生きるという事。

  つい先日まで全てに絶望して自身の命すらどうでも良かった彼女が、生きる事を選択していた。

  自覚すらなくその選択をしていた事が、何より彼女を驚かせていたのだ。




 「……」




  原因を考えてみるが、心当たりはない。

  強いて言うならばこれまで付きっきりで世話をしてくれた二人だろうが……

  どうやら、自分は思っていた以上に生き汚い性格をしているらしい。




 「とはいえ、それで問題が解決するかというとそうでもないのよね……」




  問題は山積している。

  『何故生きる方向に目を向けたか』という事に関しては、既に気にしなくなっていた。

























                    ◇ ◇ ◇

























  中継界、という場所がある。

  一般にイーサと呼ばれるそこはネットワークの中継点であり、ネットに接続した第二世代が最初に訪れる場所でもある。

  言葉では言い表しにくい造形をグリッドが描き出し、柔らかな青い光に包まれた世界。

  ここを訪れた者は接続されている回線を通ってネットに存在する各エリアへと移動してい

  だから本来、この場所に長居するような人物はそういない。精々が密会の場所として使われるくらいだ。

  そんな人があまり訪れない場所に、水無月空は立っていた。




 「メールで指定された場所は、ここ……」




  小さく呟くその表情は焦燥に染まりきっていた。

  急いで来たために呼吸は上がり、心臓は早鐘を打ち、肩も大きく上下している。

  もしかすると『灰色のクリスマス』以後、一番気持ちが昂っているかもしれないと空は思う。

  本当ならば、こうやって行動する事はなかっただろう。

  メールで呼び出されても無視を決め込んでベッドで身を削る日々を送っていたに違いない。

  そんな彼女が呼び出しに応じた理由は唯一つ。




 「……ふう」




  大きく息を吐いて呼吸を落ち着かせる。

  焦ったところで良い事はない。一旦気持ちを落ち着けて―――改めて周囲を見渡す。

  空がここに訪れた唯一の理由を探し求めて。




 「―――どこにいるの。私はちゃんとここに来た。だから、姿を見せて」




  呼びかける。

  自分以外誰も存在しない中継界の中央で、姿を見せない呼び出し人へと。

  空の声が誰もいない中継界に響き渡り、やがて中空に溶けて消えていく。

  そして。




 「……お姉ちゃん」




  呼び出し人―――が、その姿を現した。

  空はゆっくりと、声のした方向へと振り向いていく。

  見えたのは、小柄な女の子だった。

  頭に特徴的な髪飾りを付けている、紫色のショートヘアーを空が見間違える事はない。

  彼女こそが空がこの呼び出しに応じた唯一の理由―――彼女の妹である、水無月真なのだから。




 「まこちゃん……!」

 「うん……久しぶり、お姉ちゃん」




  数日ぶりに見た妹の姿に感極まり、空は思わず真に抱き付いていた。

  抱き締めている身体が幻ではないという事を確認するかのように自然と腕に力が入る。

  真もその腕を背中に回す事で空に応えていた。

  彼女―――水無月真は『灰色のクリスマス』以後、門倉甲を除けば空の住んでいた寮のメンバーで唯一の行方不明者だったのだ。

  他のメンバーは奇跡的にも全員生存が確認されている。

  須藤雅、西野亜季、若草菜ノ葉の三名は特に被害を被ったという情報はない。

  渚千夏も居場所までは分からないが、生存はしているという事だけは分かっている。

  だがその中で、空の恋人であった門倉甲は死に、妹である水無月真は行方知れずだった。

  その彼女が、今目の前にいる。

  生きているのだ。

  その事実が、空の頬に小さな滴を流させる。

  妹に情けない姿を見せまいと声を押し殺すのが精一杯だった。




 「馬鹿……無事だったなら、ちゃんとお姉ちゃんに報告しなさいよ。ほんとに、心配、したんだから……っ」

 「ごめんなさい。早く無事を伝えたかったんだけど、ちょっとトラブルに巻き込まれちゃったんです」

 「トラブルって……」




  一体何の事、と聞こうとして―――空はふと気付いた。

  先程から、彼女ははっきりと自分の言葉を口にしてはいないか……?




 「まこちゃん、貴方言葉が……!」

 「うん。ちょっとショッキングな事があって、そのおかげかちゃんと喋れるようになっちゃいました」

 《ただ、電脳症の方は相変わらずみたい》




  笑顔の言葉と共に彼女の別の声が直接頭に響いてくる。




  ―――水無月真は電脳症と呼ばれる病気を患っている。

  正式名称『電脳性自我境界線喪失症』。cybernetics ego boundary disorderを略してCEBDとも呼ばれるその病気。

  これはAIとの親和性が高すぎる人物が事故の脳チップとネットワークの境界線を失ってしまうというものだ。

  その症状は人それぞれで、幻覚を見る事があれば他の電子体のデータを読める事もある。

  真の場合は『無意識に障壁をすり抜ける』『自身の思考が周囲の人間に漏れる』といったもので、弊害としてまともに言葉を発する事ができなかった。

  電脳症は現在の技術での治療は不可能で原因さえも不明な難病である。




  そんな病気の症状の一つを克服した事を真が何でもないようにさらりと口にしてきた事は、空に驚愕を覚えさせた。




 「いや、ショッキングって、」

 「だけど私が喋れるようになった事は、この際どうでもいいの。私がお姉ちゃんをここに呼んだのは、話したい事があったから」




  空の言葉を遮って真は自分の用件を切り出してくる。

  その有無を言わさぬ迫力に空も自分の言葉を引っ込めてとりあえずは話を聞く体勢になる。

  真は小さく『ありがとう』と呟いてから、本題を話し出した。




 「お姉ちゃん……私はこれから、久利原先生を追います」




  そしてそれは、空を驚愕させるには十分すぎる内容だった。

  そのあまりに突拍子の無い内容に空も一瞬言葉を失う。

  だが次の瞬間には再起動し、そして一気に考えがこんがらがった。

  何故今まで行方不明になっていたのか。『灰色のクリスマス』で何があったのか。まともに会話できるようになったのは何故か。久利原先生を追う理由は。

  一度に多くの疑問が押し寄せてきて、言葉にするのも難しい。




 「なっ……待って、待ってまこちゃん。どうしていきなり久利原先生を追うだなんて」

 「……今先生を止めなかったら、きっととても悲しい事が起こってしまう。ううん、止めるべきならもっと前にそうするべきだった。

  だけどそれはもう過ぎてしまった事、変えられない事だから。だから私は、これ以上が起こらないように先生を追いかける」

 「まこ、ちゃん……?」




  空は思わず自分の目を疑った。

  目の前で流暢に言葉を話す真は、今まで彼女が見た事のないほど真剣な表情をしている。

  生半可ではない決意と覚悟―――それが滲み出ていて、はっきりと感じる事ができた。

  だが、だからと言って、いきなりそんな事を言われても混乱するだけだ。

  当然『はいそうですか』と首を縦に振れるはずもない。

  たった一人の妹が危険に飛び込んで行く事など納得できない。




 「……駄目。そんな事をしてどうなるか分かっているの? 先生―――ドレクスラー機関はアセンブラが原因で世界から追われている。

  それを追いかけるっていう事は否応なく戦いに巻き込まれてしまうんだよ、そんな危ない事―――」

 「それでも、誰かがやらないといけないの。このままじゃきっと『灰色のクリスマス』が繰り返される……ううん、たぶんそれだけじゃ終わらない。

  そうなってからじゃ何もかもが遅すぎるの。だから私は、先生を止めに行く」

 「……何でよ……何で、そこまで……」




  長い付き合いだからこそ、空には分かる。

  この短いやり取りでも真は決して意見を曲げる事はないという事が、嫌でも分かってしまった。

  妹が危険に向かって歩いて行こうとしている。

  恋人は危険に飲み込まれて帰らぬ人となった。

  自分はまた、大切な人を失うのか?




 「っ、嫌!!」




  気付けば、空は再び真を抱き締めていた。

  さっき以上の力で強く、絶対に離さないように。

  突然の行動に真も驚いて声を上げる。




 「お、お姉ちゃん?」

 「嫌、嫌よ! 絶対に嫌!! まこちゃんをそんな危険なところには絶対に行かせない!!」




  真の言葉を疑う気は空にはない。

  だが、同時にそんな訳の分からない事で妹が危険に踏み込んでいくのも納得がいかない。

  そもそも具体的な事を何一つ話さずに納得しろというのが無理な話なのだ。

  そして、




 「やだよ……甲が、死んじゃって……まこちゃんまでいなくなったら、私、どうしたら……やだぁ、やだよぉ」

 「……お姉ちゃん」




  文字通り心が悲鳴を上げていた。

  大切な人が次々と自分の周りから消えていく―――こんな事を現実だと認めたくない、と。

  無論、この気持ちが自分一人だけのものだとは思っていない。

  もっと大勢の人が同じ気持ちを抱えているだろう。いや、自分以上の人もいるかもしれない。

  酷い我儘だというのは分かっている。誰にも、個人の意思を邪魔する権利は存在しない。邪魔するものがあるとするならそれは人のエゴに他ならない。

  だが、それでもそう思わずにはいられないのが人なのだ。

  大切な人を失いたくない。

  そのために行動する事を、誰が否定できるというのか。




 《……駄目なの、お姉ちゃん。私が一緒にいると、きっとみんなにも被害が及ぶから》

 「―――ぇ?」




  だが、それを否定したのは他ならぬ真自身の言葉だった。

  その言葉の意味を理解するのに少し時間が掛かってしまう。

  まこちゃんが一緒にいると、みんなに被害が及ぶ……?




 「まこちゃん、それって一体……!」

 《ごめんなさい、詳しくは話せません。追っ手は全て撃退するか煙に巻いてきたけど、監視されている可能性は否定できないの》

 「な……」




  その言葉に、愕然とした。

  何だ? その言葉は。

  それではまるで、『真が危険に追われている』ようではないか……?




 「なん、で……」

 《理由は私にも分からない。だけど、どこかの組織が私を狙ってきて、ノイ先生がこうして私の電子体だけは逃がしてくれたの》




  真の一言にある情報量に空はまた少し理解に時間を要した。

  今の真の言葉を纏めると、こうなる。

  おそらく、真とその主治医であるノイは一緒にいた時にどこかの組織によって拉致された。

  その理由は不明。だがその狙いは真にあるらしい。

  今ここにいる真の電子体は、ノイができる最大限の抵抗だったのだろう。

  つまり今現在、真は実体に戻る事が許されない上に、主治医のノイもどこかに拉致監禁されている可能性が高いのだ。




 「何よ……何よ、それ」

 「……だから、私はみんなと一緒にいる訳にはいかないんです」




  あまりにも残酷な状況に空の腕から力が抜ける。

  真は、優しくその腕を解いて離れていく。




 「っ、待って! アークの保護を受けたら、聖良おばさまに頼めばきっと……!」

 「今の状況でそんな事をすれば、きっとアークは今よりもっと不安定な状態になる。それは結果的にみんなの迷惑になってしまうから」




  駄目だ。

  届かない。掴めない。

  いくら手を伸ばしても、その手を掴もうとしてくれない。




 「やだ……まこちゃん、行かないで……」

 「……私は、実際に甲先輩の最後を見た訳じゃないから、こんな事が言えるのかもしれないけど」




  離れていく。

  大切な存在がまた、自分の手の届かない場所に行こうとしている。

  真は今にも泣き崩れそうな空の顔を真っ直ぐに見つめて、柔らかく微笑んだ。




 「私は真実を知りたいんです。だから、先生を直接問い詰めてきます」




  その言葉を最後に移動(ムーブ)プロセスが起動し、真の姿が幻のように揺らぐ。




 「まっ……!」

 「じゃあね、お姉ちゃん。……お元気で」




  次の瞬間、真の姿は最初から何も無かったかのように消えていた。

  空の手を伸ばした先には、何も無い。

  何も、無かった。




 「ぅ、ぁ……あぁ、うぁぁ……」




  視界が滲む。

  輪郭がぼやけて、景色の判別がつかなくなる。




 『じゃあね、お姉ちゃん。……お元気で』




  最後の言葉が嫌に頭の中で響いている。

  そうして理解した。




  自分はまた、大切な人を、失くしてしまった。




 「うぁああ……、うわああああああああああああああああぁぁぁ……っ!」




  一度堰を切った防波堤はもう役に立たなかった。

  次々に熱いものが目から溢れてきて頬を濡らしていく。

  悲しさが、辛さが、枯れたはずの涙を流させる。




 「わ、たしっ……ど、したら……! わかっ、ない……分かんない、よぉ……こぉ……!!」




  少女の泣き声が、中継界の中で空しく響き渡った。

  助けを求める声に応える者は、いない……



[29132] 前章 邂逅 -encounter-
Name: ジエー◆7693fe4e ID:797d7e55
Date: 2012/03/17 11:51
  彼の一日は病室のベットから始まる。




 「ぬ……朝か」




  柔らかなシーツの感触を肌に感じながら、朝日の眩しさに目を細める。

  彼にとっての一日の始まり。

  それは、ここ数日で少しは慣れてきた生活の始まりを意味する。

  窓の外を見れば白い雲と輝く太陽、そして広がる青い空。

  いつもと同じ、平和な一日の始まり。

  おそらく今日も良い天気。




 「あー……今日はノイ先生が治療をするって言ってたっけか」




  ベットから身体を起こす。

  隣を見れば、同じく白いシーツに身を包んですやすやと眠る銀の長髪を持った人形のような少女が一人。

  彼女はここ数日、というか出会った当初から体調を崩していたのだがそれなりに回復してきた。

  変な事さえなければ今日中には完治するだろうと彼ら二人を拾った医者も言っていた。

  とりあえずまだ起きていないであろう二人の朝食を用意するために、名前も思い出せない少年は一歩を踏み出す。

























  前章<03> 邂逅 -encounter-

























  ジュウジュウとフライパンの中で数種類の野菜が炒められていく。

  玉ねぎ、人参、キャベツ―――適度に塩を振られて味付けされたそれは、まごう事なき野菜炒めである。

  少年は炒め終わったそれを用意した皿に盛りつけて適当な机へと運んでいく。

  本日の朝食のメインディッシュである。




 「うし、結構美味そうに仕上がったな」




  現在の世間の状況故に手に入る野菜も少なく、どうしても見た目は貧相になるが仕方ないと少年は思う。

  『灰色のクリスマス』の余波で経済状況まで混乱してしまい、まともな商品が店舗にあまり並ばなくなってきている。

  適当に買ってきてくれと頼まれ買い出しに行ったのはいいものの、選べる商品が少なすぎて困ったほどだった。

  野菜で言うなら選べる商品にニラが残っていたのだが……本能的にその選択肢は却下していた。どうやら自分はニラが苦手らしい。




 「ぬ……美味そうな野菜の匂いがするぞ」

 「ああ、ノイ先生。おはようございます」




  食器を並べているうちに奥からこの店の責任者が出てきた。

  ノイと名乗るこの少女はどうやら相当の腕を持つ医者のようで、ちょっとした情報から次々に症例などを挙げていくその様は圧巻だった。

  外見とは裏腹に実に頼りになる人物だと少年は認識している。

  ……ただ、性格に少々難があるのが傷だが。




 「今日は野菜炒めです。今ご飯をよそいますから、席に着いて待っててください」

 「うむ、苦しゅうない」




  どこの時代劇ですか、とツッコミを入れながら炊飯器の蓋を開けてふかふかのご飯を茶碗によそっていく。

  立ち昇る蒸気が室内の温度を微妙に上げていき、室内ながらポカポカ陽気に包まれる。

  そこで、もう一人の同居人が起きてきた。




 「おはよう―――あら、もうご飯の準備ができてるの。用意が良いわね」

 「おはようクリス。もうできるから座っててくれ」

 「そうさせてもらうわ」




  言って席に着くのは六条クリス。

  倒れたところを少年が発見し、そのまま背負って共に荒野の街を彷徨った少女だ。

  言葉の端々に少々棘が見え隠れするが、基本的に良い人物だと少年は思っている。

  三つの茶碗に炊き上がった白米をよそい終え、それを机へと運んでいく。

  少年が席へと着く頃には二人の手で取り皿とお箸が並べてあり、朝食の準備は整っていた。

  二人にならって席に着き、三人同時に手を合わせる。




 「「「いただきます」」」




  これがここ数日で通例になった、少年の朝の風景である。

























                    ◇ ◇ ◇

























 「……で、これは何ですか」

 「何と言われても……ナニだが」

 「俺が言いたいのはそうじゃなくて、何で真昼間からそんなけったいな道具を取り出してるんだって事だよ!?」




  昼下がりの頃、ノイの店に少年の絶叫が響き渡った。

  住み込み治療の家賃として店の品出しを頼まれた少年だが、絶叫の原因はその品だった。




 「どう見ても一八歳以下お断りな商品を堂々と未成年に扱わせるなよ!」

 「何を言うかね。君くらいの歳になると既に経験している者がほとんどだろう、最近の若者ときたら」

 「悪かったな最近の若者で! 生憎と俺は未経験だよ!」

 「おや、記憶が戻ったのかね? しかしそれはそれとして童貞か。初々しい青い果実の筆下ろしというのも中々……」

 「本人の目の前で変な事を考えないでくださいよ……! ていうかそれで手を出したら外見年齢的に犯罪ぶっちぎりだからな! 主に俺が!! あと経験云々は直感だ!!」

 「何だ情けない。据え膳喰わぬは男の恥という言葉を知らんのかね? ロリコン認定書はどこに置いてきたのだ」

 「知った事かよ!? そもそもそんな認定証を手にした覚えもねえよ!!」

 「……仲が良いのね、貴方たち」




  クリスはその様子を呆れ半分で見守っている。何だこの茶番、と全身で語っていた。

  ノイが適当にボケると少年はそれに反応してツッコミを入れる―――どこからどう見てもただの漫才である。

  少年の言い分も、まあ分からなくもないのだが……別に使う訳ではないのだから良いような気もするというのがクリスの意見だ。

  そもそも、自分もあと少しでそういう事が公的に許される年齢になる。おそらくあの少年もほぼ同年代と見ていいだろう。

  なので別に気にする必要もないと思うのだが……




 「ええーいまどろっこしい! こっちに来い、私が手取り足取りナニ取りみっちり叩き込んでくれるわ!!」

 「だからやらないって言ってるだろうが!? こっちの話を少しは聞けぇぇえええええ!!」

 「……楽しそうだし、放っておいても良いかしら」




  別に放っていたからと言ってこちらに実害がある訳でもないだろう。

  そう思って傍観を決め込んだ。

  無視を決め込んで自分に割り振られた段ボールの中にある商品をマニュアルに従って陳列させていく。

  一つ一つを丁寧に並べながら商品概要にざっと目を通すのはなんとなくだ。

  もしかすればそういう機会もあるかもしれないのだから別に見ていて損は無いだろうという魂胆はある。

  クリスも年頃の女の子なのだ。こういう事にも興味はある。

  ……ただ、どうしても苛めたいという欲求が強いのだが。




 「だあーっ、もう! クリス、お前も眺めてないで何か言ってやってくれ!!」

 「良いじゃないの、幼女に迫られるなんて貴重な体験をしているんだから。いっそそのまま卒業してしまえばどうかしら?

  その時は盛大にロリコンと罵ってあげるから」

 「断固っ、お断りだぁあああああッ!!」




  再度、店内に少年の叫びが響く。

  神経の図太い三人は今日も平和に日常を満喫していた。

























                    ◇ ◇ ◇

























 「はあ……今日も疲れた」




  深夜、少年はそう呟いてベットに身体を投げ出す。

  スプリングがギシリと音を立てて重量のある少年の身体を受け止めた。

  隣のベットでは既にクリスが眠りに就いている。

  それを見て、そのまま視線を中空へと向けた。

  朝には朝食を作って、昼には品出し、夕方には買い出しに行って、夜もまた食事を作る。

  未だに自分の名前すら思い出せない状態だが、この現状にも随分慣れてきた。

  それに、脳チップの治療も一通り完了したと今日聞いた。あとは放っておけば勝手に完治するらしい。

  それでも記憶が戻る気配はないが……




 「まあ、今の生活も悪くないさ」




  もちろん、いつまでもここにいる訳にはいかない。

  ノイに迷惑をかけ続けるのは心苦しいし、自分の知人や家族はきっと心配しているだろう。

  記憶は戻らなくとも身元が分かればそちらに向かうべきだ。

  そして、脳チップが修復されればネットへの接続が可能になる。

  そのレベルまで回復したのならチップの情報の観覧も可能だろうし、ネット経由で身元を調べるのも容易だ。




 「どうするかな……これから」




  窓の外には星空が広がっている。

  だが、その空は徐々に曇りつつあった。

  『灰色のクリスマス』以降、破壊された建物などの塵が原因で核の冬のような状況になりつつあるらしい。




 「アセンブラか……何か、聞き覚えがある気はするんだがな」




  とにかくこれ以上平和な日常を掻き回すような真似は止めて欲しい。

  そう願いつつ少年はゆっくりと目を閉じた。

























 『脳チップへの不正アクセス探知。

  迎撃(インターセプト)モードを起動しますか?』

























  同時に、脳内に響いた警報で強制的に意識が覚醒した。




 「なっ、何だ!?」




  突如として鳴り響くワーニングに疑問を投げかけても返す声は存在しない。

  ただ決められたプログラムの通り、迎撃モードを起動するかどうかを繰り返し確認してくるだけだ。




 「く、そっ……!」




  状況はまったくもって分からない。

  そもそも記憶喪失のせいで抜け落ちている情報が多すぎる。これで状況を理解しろというのが無理な話なのだ。

  その最中、突如鳴り響いた警報。

  何も分からないまま、何も思い出せないまま。




 「迎撃(インターセプト)モード、起動っ……!!」




  与えられた唯一の選択肢に手を伸ばした。

























  全神経がここではないどこかへと引っ張られていく。

  目の前がデータの羅列とグリッドの描き出す造形に飲み込まれていく。

  頭の中でどこかが繋がっていく感覚。

  少年に記憶がなくとも感覚が覚えている。ネットへと繋がり、埋没するこの瞬間。

  懐かしさに身を浸し、感覚から記憶を引き出そうとし、

  そして―――




 「……ここは」




  気が付けば、不思議な場所に立っていた。

  少年は今立つこの光景に見覚えがある。あるはずの記憶と知識を引っ張り出す。

  そう―――ここは中継界。ネットとネットが繋がる場所だったはず。

  そこまで思い出して、彼はふとその光景に疑問を覚える。

  確かに自分の知る中継界のそれと随分と似ているが……頭上に存在する果ての知れない穴など存在しなかった。

  頭上でグリッドが描き出す、どこまで続くとも知れない穴。

  自分の知識と食い違っている事に記憶との擦れ違いを感じ、










 「ようこそ、門倉甲君」










  見た事もない男が、目の前に立っていた。




 「誰だ……お前は」

 「知識に貪欲なのは良い事だ。その問いには答えをあげようではないか」




  男が両腕を掲げる。

  天を仰ぐように、宗教的な法衣に身を包んだスラブ系らしき大柄の男は謳い上げるようにその名を名乗った。




 「私こそはドミニオンの教祖。神の教えを人類へと伝える仲介者、グレゴリー神父である。

  ……理解したかね?」

 「訳が分からん」




  何だつまらん、とでも言うように神父と名乗った男の表情は残念そうに歪んだ。

  その仕草の一つ一つがどこか露骨さや演出を兼ねているようにも見えて、少年は男への警戒心を高める。

  だがそれ以上に、




 「……かどくら、こうって言ったな」

 「勿論だとも。君こそ自分の名前を呼ばれた事がそんなに不思議かね?」

 「いや」




  別にそんな事は問題じゃない。

  もしかすると記憶を失う前に縁のあった人物なのかもしれないのだ。記憶のない自分にその辺りは分からない。

  ただ一つ収穫があったのは、自分の名前が判った事か。

  かどくらこう―――門倉甲。

  それが自分の名前だと言われて、ストンと胸の中に落ちる。

  同時に納得できた。この名で呼ばれる事に自分は懐かしさを感じている。




  そう―――俺の名は、門倉甲。




 「で、その教祖様が何の用だよ。訳の分からない警報なんか鳴らしやがって」

 「何……用と言っても単純だよ。とても簡単な事だ」




  真っ直ぐに、神父の瞳が少年―――甲を射抜く。

  その視線に、その目に、甲の背筋に寒気が奔った。

  身が竦み、足が棒のように固まる。

  神父の瞳はこちらを見ているようでまるで別のものを見ていた。

  文字通り眼中にない。

  彼の眼は無機質なガラス球のようで―――




 「我がドミニオンの仇敵に、悪魔足り得る君に、神の慈悲を与えに来たのだぁぁああああああああああッッ!!!」




  狂笑と共に神父の姿がぶれていく。

  いや、重なり合うように別のシルエットが姿を現しつつあった。




 「こいつはっ……!?」

 「ふははははははははははははっ!! さあ、始めようではないか門倉甲君。これは未来の行く末を占う大いなる戦いであると心得たまえ!!」




  そうして、神父の姿が消え、代わりにその数倍の大きさを誇る巨体が姿を現した。

  漆黒の装甲に、どこか生物感が現れている機械の姿としては歪なフォルム。

  両腕には巨大なチェーンソーを装備しており、その出で立ちは重戦車を思わせる。

  ―――パプティゼイン。

  グレゴリー神父だけが持つワンオフのカスタム機がその姿を現した。




 「シュミ、クラム……」




  そうだ、知っている。あれは、あの鋼の肉体はシュミクラム。

  ネットの世界で戦うための武器にして自分自身の持つもう一つの肉体……戦闘用電子体だ。

  その戦闘能力は圧倒的の一言であり、とてもではないが普通の電子体で太刀打ちできるような相手ではない。




 「どうしたのかね。君がそのままで神の寵愛を受けたいと言うのなら……私はそれに、全力で応えようではないか……!」

 「っ……、くそ、冗談きついぜッ!!」




  振り上げられたチェーンソーを前にして本能的な危険を察知した甲は即座に横へと跳ぶ。

  その瞬間、ついさっきまで自分自身が立っていた場所に身の丈以上の大きさを持つチェーンソーが刃を回転させながら襲ってきた。

  目標を失って床に叩きつけられたチェーンソーの刃がガリガリガリッ!! と不協和音の悲鳴を上げて接触面を削り取っていく。

  その光景を見て、ゾッとした。

  あんな物を人体で受けてしまえばどうなるかなどわざわざ想像するまでもない。

  即座に背を向けて全力で走り出す。




 「はははははっ! 得意のシュミクラム戦闘はどうしたのかね! それとも、このまま子羊のように逃げ惑うのがお好きかな!?」

 「ああもう、何なんだよいったい!!」




  状況が複雑すぎて訳が分からなくなる。

  相変わらず記憶は戻らないし、脳チップが直ったと思えば変な神父に襲われている。

  自分の名前が門倉甲だと分かって、あの鋼の巨人がシュミクラムと呼ばれる戦闘用電子体だというのは思い出せたが、それだけだ。

  それ以外は全くの謎。襲われている理由など全く想像もつかない。

  いきなり悪魔だの仇敵だのと言われてもさっぱりだった。

  言っている事が突飛過ぎて偏執狂か何かかと疑いもする。

  だが、今問題なのはそこではない。




 「ほらほら、どうしたのかね。速く走らねば追いついてしまうが」

 「そもそも追ってくるんじゃねえよキチガイ野郎……!!」




  このままでは間違いなく自分は殺されるという事だ。

  だが人とシュミクラムでは移動速度に差があり過ぎる。普通に走った程度で逃げられるとは思えない。

  更に良く分からない警報に従ってここに来たが、あれが何を意味するのかすらも分からないのだ。

  状況も分からず、抵抗する手段もない。

  手も足も出ないこの状況で、それでも足を動かす事だけは止めなかった。




 「はっ、はぁ、はっ……!」




  背後から死神の足音が近づいてくる。

  振り返ると手に持っている鎌で容赦なく首を切り落とされそうで恐ろしかった。

  ただ迫る恐怖から逃げるために足を動かす。




  だが、それも長くは持たなかった。

  やがて中継界の端へと行き着き、それ以上先に進めなくなってしまう。




 「おや、鬼ごっこはもう終わりかね?」

 「っ、くそ……」




  一歩ずつ、神父の巨体が近づいてくる。

  床越しに伝わる振動がまるで断頭台へと上る音のように感じられる。

  息が詰まった。

  動悸が激しくなり、心臓が早鐘を打つ。

  全身から嫌な汗が噴き出し、服がべた付いて気持ち悪い。

  ネットのロジックはこんな不快な感覚まで再現してしまうもんなんだな、と甲は他人事のように思う。




  神父がチェーンソーを振り上げる。

  甲高い音で唸りを上げて回転する刃から甲は目を逸らさない。

  目を逸らせない。




 「ではさらばだ。実にあっけない幕引きだったが、これも神の思し召しであろう」

 「……っ!」




  一息に振り下ろされる。

  迫りくる刃。

  絶対的な死。

  甲は目を閉じる間もなく迫るそれをただ唖然と見つめて、

  そして―――










 「伏せなさいッ!!」










  飛んできた叱咤に身体が動いた。

  固まっていた身体が生きるために動こうとする。

  同時、重たく巨大な衝撃音と共に神父の機体が前のめりに吹き飛んだ。




 「ぬ、お……!」

 「おぉわぁぁああああああああああああああっ!!?」




  チェーンソーなど比にならないほどの巨体がいきなり甲の頭上から降ってきた。

  慌てて脚を全力稼働させて力の限りに横へと跳び退く。

  まるで水泳選手の飛び込みのように跳んだ甲は、次の瞬間に襲ってきた巨体が倒れ込んだ風圧で更に大きく吹き飛ばされた。

  そのまま床を二転三転と転げ回り―――五回ほど転がったところでやっと止まった。




 「くそっ……次から次へと何なんだよ」




  痛む身体に力を入れてなんとか立ち上がる。

  と、




 「何やら酷い厄介事に巻き込まれているみたいじゃない。貴方、実は記憶を失う前はとんでもない問題児だったりした?」

 「その声……クリス、なのか?」




  目の前で甲と神父の間に割って入るように一機のシュミクラムが佇んでいた。

  スリムな外見に、どこか生物感を感じさせる機械には似つかわしくないフォルム。

  更には両腕に装備された身の丈はあるチェーンソー。

  神父の機体とどことなくに通っている、しかし全く真逆の性質を突き詰めたような機体―――グリムバフォメット。

  その機体から、ここ数日で聴き慣れた少女の声が聞こえてきた。




 「何で貴方が潜脳を受けているのかとか、あちらの方はどちら様なのとか、寝ていたところを起こしてくれてどうしてあげようかとか、言いたい事はたくさんあるのだけど……

  まずはあちらの方にお帰り願わないといけないようね」




  言って、クリスの機体―――グリムバフォメットの両腕に装備されているチェーンソーの刃が高速で回転し始めた。

  神父の機体と同種の甲高い音が空間に響く。

  状況を飲み込めていないのはクリスとて同じだ。

  飲み込めていないが、ここ数日を共に過ごした恩人が命の危機に瀕しているのだ。

  クリスが正体不明のシュミクラムの前に立つ理由などそれだけで十分だった。

  しかし、




 「ほお……悪魔を討ちに来たつもりだったのだが、思わぬ場所で思わぬ人物と再会するものだ」




  その声を聴いたクリスの表情が凍りついた。

  不自然に揺れ動いたクリスの機体に甲も何か不穏なものを感じる。




 「クリス……?」




  クリスの身体はシュミクラムに変換されており、その表情を窺う事が甲にはできない。

  だがクリスの表情はこれまでにないほど驚愕に染まっていた。

  彼女の視界にはフェイスウィンドウが展開されている。

  その四角く区切られた小さい窓に映っているのは、相対する黒い機体の主。

  甲にグレゴリー神父と名乗ったその男を見て、




 「お爺、様……?」

 「……は?」




  呟かれた言葉は甲を更に驚愕させた。

  お爺様? クリスの爺さん? 俺をいきなり襲ってきたあいつが……?

  今までも随分とぶっ飛んだ状況だったがこの上更に場が混乱するなど思っていなかった。

  というか……まさか、孫と一緒にいたから襲われたなんて下らないオチじゃないだろうな……?

  そこまで考えて自分の否定する。

  神父は『思わぬ場所で思わぬ人物と再会した』と言っていたのだ。つまりこれは意図せぬ会合という事になる。




 「ああ、その通りだともクリス。久しぶりだね」

 「う……そ、お爺様は、死んだはずじゃ……」

 「確かに、私は一度死を迎えた。ある人物に頭をパイルバンカーで打ち抜かれ、西瓜のように破裂させてね。

  しかし私は蘇った。予言通りに、世界を救済するために……!!」




  その言葉に異様な狂気と鬼気迫るものを感じて甲は戦慄を覚えた。

  言っている事が全く理解できない。

  まるで全く未知の生物と遭遇しているような気分だった。




 「そのために、君の後ろにいる彼は不要なのだよ。彼はこの世界に災いしか齎さない、まさしく悪魔と言える存在なのだ」

 「っ、いったい何の根拠があってそんな事を言うのですか。私はここ数日を彼と過ごしましたが、そのような人物には見えません」




  そして、クリスもクリスで甲には異常に映った。

  たった二、三の言葉を交わしただけで普通に会話を成り立たせている。

  それ以前に死んだはずの人間とこうも冷静に言葉を交わせるものなのだろうか?

  甲はそうは思えない。

  いつもならばひょっとすると気にしなかったかもしれない。

  だがこの特異な状況とおかしな空気が甲に必要以上の警戒心を抱かせていた。




 「人格は関係ないのだよ。彼は、その存在自体が災いなのだ。

  そして神は彼の排除を望まれた……だからこそ、私は今、ここにいるのだよ」

 「……分かりません。お爺様はいったい何をしたいのですか?

  幼い少女を集めたり、大勢の信者と集団自殺を図ったり……私にその教団を継がせようとしたのは何故です! 何故私だったんですか! 何で……!」




  何で、あんな中途半端で死んでいったのか。

  クリスはドミニオンの次期首領として育てられ、ドミニオン壊滅と同時に捨てられた。

  ドミニオンの札付きという理由で親戚の家をたらい回しにされ、どこからも拒絶され、孤独な生活を送ってきた。

  思想もそれに準ずるものに教育されていて、一般世間に溶け込むのに随分と苦労した。




  ―――あんな思いをするのなら、いっそドミニオンの次期首領として最後まで育てられていた方がまだ良かった。




 「お願いです……答えて……」




  それが、彼女の中に長年わだかまっていた感情だった。

  まだ幼く何の力も持たなかった頃、ただ状況に流されるままだったあの時、彼女に選択肢など存在しなかった。

  あるがままを受け入れ、それでも前に進むしかなかった。

  それ以外に生きる方法など、ありはしなかった。




  だから彼女は答えを求める。

  始まりであり、元凶である祖父―――グレゴリー神父その人に。




  神父は相変わらず感情を映さないガラスの瞳でクリスを見ていた。

  全てを見透かすような瞳で縋る彼女を見つめ……その口を笑みの形に歪めた。




 「その意味を知って……クリス、君はどうするのかね?」

 「え……」




  唐突な問い掛けにクリスの思考が停まった。

  神父はそれに構わずなおも言葉を重ねる。




 「君が求めているのは自身の境遇に対する納得のいく理由かね? それとも目を背けるための言い訳かね?

  それを得たところで君はどうなる。『そうだったのか。ならば仕方ない』と納得ができるのかね」

 「それ、は……」




  フェイスウィンドウ越しに見える神父の顔が狂気に歪む。

  対するクリスは、無意識のうちに一歩後ずさっていた。




 「実に滑稽! 君は自分自身が真に望んでいるものを、救いを理解してはいない!! だが、それもまた良し!

  我が神は、誰一人例外なく、信ずる者には救いを齎されるであろうッ!!!」




  この瞬間、甲は神父に対しての評価を狂信者と固めた。

  ドミニオンは性質の悪いカルト集団だというのは彼も知っている。

  信者の異常性はよくネットで噂になっているが……目の前の教祖はそれ以上だった。




 「救いだなんて今更……私をこんな境遇に追いやり、小さな幸せすら奪い去った神を誰が信じるとでも!!」

 「そこが大いなる間違いなのだよ、クリス。全てにおいて意味の無い事などないのだ。

  君のその苦悩も、不幸も、全ては救いへと到達するための筋道なのだよ」

 「そんな事……! そんな、こと……」




  まるで蛇のようだった。

  実に的確に神父はクリスの殻を掻い潜り、罅を作り、その隙間からぬるりと心の中へと踏み入ってくる。

  心を暴かれる潜在的恐怖と嫌悪。全てを曝け出せる安堵感と解放感。怒りと憎しみ、希望と羨望。

  それら全てが入り混じってクリスの心をぐちゃぐちゃに掻き回す。

  自分が何をしたいのか、何を望んでいるのか、今なすべき事は何なのか、何のためにここにいるのか。

  全ての思考が停止して感情の波に飲み込まれていく。

  それを見て、神父の表情はより一層の笑みに歪んだ。




 「今まで一人で辛かったろう……だがこれからは私もいる」

 「ぁ……?」

 「そこを退いていたまえ。その悪魔を滅ぼし次第、君は私と共に世界を救うのだ」




  重い音を上げて神父の機体が一歩ずつこちらへと向かってくる。

  甲の背後にもはや道はなく、これ以上の後退は不可能。逃げ場などない。

  そしてクリスは、まるで金縛りにあったかのように身動き一つしていない。




 「くそ……」




  あの二人の間に何があるのか甲には分からない。

  ただあの異様な雰囲気にクリスが呑まれている事は確かなのだ。

  どうにもあの神父はクリスに手を出す気がないから良いものの……これでクリスまで殺す気なのだったらと思うとゾッとする。

  が、依然として自分が命の危機に立たされている事実は変わらないのだ。

  どうする……?




 「さあ、審判が下される時だよ。門倉甲君」




  圧倒的な優位に立つ者として神父が悠々と近づいてくる。

  甲にこの状況をどうにかする手段は思い浮かばない。

  できる事といえば早鐘を打つ心臓を抑えて、犬のように息を吐き出す程度だ。

  死がやってくる。

  身体が動かない。

  そうして神父がクリスの横を通過しようとした時、




 「……もう一つ、聞かせてもらえますか」




  酷く抑揚のない声で、クリスがチェーンソーを神父の首元へと突きつけた。




 「ふむ、何かね?」




  そんな異常な、一息で自分の命が無くなる状況であっても、神父の態度はほんの僅かたりとも揺らぎはしなかった。

  クリスは感情の伺えない声で、再び神父に問いかける。




 「どうあっても、彼を殺すのですか」

 「どうあっても、だ。彼は、確実に我らの神に対する反逆者となる。もはやそれは運命付けられた世界の真理、彼の宿命と言っても良い。

  故に、彼はこの場で排除する」




  そして、沈黙が降りた。

  肌を刺すような沈黙が場を満たす。

  甲にとっては生死の狭間を彷徨う気分だった。

  自分の無力さに腹が立つ。この場で甲ができる事などただ見ている事だけだ。

  そうして暫くのあと、




 「……そう、ですか」




  その言葉と共に、




 「なら、私の答えは―――こうですっ!!」




  クリスは神父の首に突き付けていたチェーンソーを振り抜いた。

  だが神父はそれを見越していたように素早く機体を後退させて回避する。

  再び、クリスは神父の前に立ちはだかった。




 「私は、今更あの頃に戻りたいとは思わない! 私はこの日常が愛おしい! 私はここで生きていたい!

  全てを失って、最後に残った小さな温もりを―――奪わせはしない!!」

 「―――なるほど。それが君の答えかね」




  クリスと神父、双方の機体が両腕の獲物を構える。

  同時に、爆発的な殺気が溢れ出した。




 「よかろう!! 我が孫をも惑わす悪魔の所業、今ここで断ち切ってくれようぞ!!」

 「やれるものなら―――やってみなさいッ!!」




  最初に仕掛けたのはクリスだ。

  ダッシュで一気に距離を詰め振りかぶったチェーンソーを突き出す。

  神父もそれに対抗するようにチェーンソーを打ち付けた。

  回転する刃同士がガリガリと耳をつんざく不協和音を奏でる。




 「ほうっ、真っ向勝負かね! 潔いと言いたいが、君の力では私に押し負けるばかりだが……!?」

 「そんな事は―――百も承知よ!」




  クリスの駆るグリムバフォメットはパワー勝負を前提とした機体ではない。

  その機動力を生かした高機動戦闘と形態移行による戦術の切り替えにこそ真価がある。




 「シフトッ!」

 「ぬっ」




  真下から蹴り上げるようにクリスの機体が回転し、神父の機体に一撃を見舞う。

  同時にクリスの機体の形状が大きく変化した。

  下半身が一見すればまるで蜂のような形状になり、両腕に装備していたチェーンソーが消えている。

  更に、彼女の周囲では楯のような物が一つ宙に浮いて旋回していた。



 「穿てッ!」




  彼女の下した号令に従い楯がその姿をチェーンソーへと変じさせる。

  独立して稼働するその武器は目の前の神父へ向けて突撃していく。




 「ほう、ビットかね!」

 「ビットだけだと思わない事ね!」




  クリスの機体から六発のミサイルが放たれる。

  目の前の敵を壁で取り囲むように軌道を描くそれは神父が対応するまでもなく青白い爆発を連鎖的に引き起こした。

  エレクトロミサイル。

  爆発する当時に電磁フィールドを短時間の間発生させる弾頭は電磁フィールドの光で神父の視界を遮る。

  その隙間を掻い潜りビットチェーンソーが神父へと襲い掛かる。

  右肩口を狙った刺突突撃―――だが神父は淀みない動きでそれを弾いた。

  光の向こう側にいるであろうクリスに向かって嘲笑が放たれる。




 「その程度の目くらましで怯むとでもっ!」

 「思っていないわよ―――妨害!」




  瞬間、ビットが再びその姿を変じた。

  丸ノコギリがコマのように回転し、その周囲にはエレクトロミサイルとはまた別の電磁フィールドが展開される。

  至近距離で展開したそれをまともに受けた神父は、その身動きを封じられた。




 「ぬ、ぐ……これは……!」

 「オーダー・ストークス……このジャマーフィールドに囚われた者はその動きを著しく制限される。

  これでチェックメイトですね、お爺様」




  クリスがニードルガンを神父へと突き付ける。

  鈍く光る針先は機体の頭部を捉えていた。

  引き金が引かれれば神父の頭部は串に刺された団子のようになってしまうだろう。

  そして、引き金を引く時間と放たれた針を回避する時間では圧倒的な差がある。

  文字通り、これでチェックメイトだ。




 「……ふはは」




  だが、なおも神父は笑みを崩さない。

  むしろ狂おしいまでの感情のうねりが増していく。




 「何がおかしいのです」

 「いや、なに……、君は確かに優秀だ。用意周到、冷静沈着、頭脳明晰……だがね。

  君の戦いには、圧倒的に経験が不足しているのだよッッ!!!!」




  叫びと同時に神父の機体が―――大きく爆ぜた。




 「なっ……!?」

 「はぁあはははははははははははははははっ!!」




  いや、正確には機体が爆ぜたのではない。

  頭部から大量の何かが爆ぜるように吐き出され―――それが撒き散らされた。

  飛び出たのは夥しい量の血と思わしき液体と、無数の小さな生物のような何か。

  体皮の色は灰色をしており、大きさは人間大のそれ。

  目はなく、口の中からは何本もの牙が見え隠れしている。

  一見すると蠍のような体形をしていて、前に付いた二本の不格好な腕だけで地面を這いずり回っていた。




 「な、何っ……!」

 「呆けている暇があるのかね? 我が仔ら、嘘の霊は小さき者、弱き者、倒れ伏す者に襲い掛かる習性がある。

  さて、今現在それら全てに当てはまる彼はどうなるのかな……?」

 「っ―――!?」




  その言葉で、クリスと甲が同時に駆け出した。

  まるでそれに反応したかのように撒き散らされた大量の仔も甲目掛けて凄まじい勢いで這いずってくる。

  その速度たるや、シュミクラム以上。




 「あぁぁああああああああああああああああああああああああああああああああああっっ!!??」

 「ちょっとは落ち着いて逃げなさい、馬鹿ッ!!」




  叫びながらも甲が追いつかれまいと必死に逃げ惑い、クリスは一匹たりとも近づけさせまいと片っ端から踏み潰し、手首に内蔵されている機銃で撃ち抜いていく。

  その瞬間、クリスの意識は完全に神父から外れていた。




 「隙だらけだよ、クリスッ!!」

 「くぅっ……!?」




  ジャマーフィールドを抜け出した神父がクリスに向かって斬り込んでくる。

  機銃を乱射しながら咄嗟にビットを楯に戻して自身の下へと呼び寄せるクリス。

  圧倒的な速度で神父よりも先にクリスの下へと辿り着き、その本懐として神父を阻もうとする。

  だが、




 「その程度の楯で―――」




  神父のチェーンソーが大きく振り抜かれ、




 「私を止めらるなどと、思わない事だッ!!」










  楯諸共に、クリスの機体が大きく切り裂かれた。










 「ぁ……」




  短く、細い声を聞いて、甲は思わず背後を振り返る。

  振り返った先で―――大きく切り裂かれた機体から、クリスが強制的に除装されていく様が見えた。

  やがて、彼女の身体が地へと墜ちていく。

  その一連の動作が―――甲には、嫌にゆっくりと映った。




 「クリスぅぅうううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううッッ!!!!」




  手折られた花のように華奢な体が地面に打ち付けられ、横たわる。

  クリスはそのまま動く気配はない。

  ピクリとも、動きはしない。




 「っ、クリスッ!!」




  嫌な予感がして必死に彼女へと駆け寄る。

  だがその前に、神父の撒き散らした仔が群がってきた。




 「くそっ、テメエら邪魔だッ!!」




  飛び掛かってきたそれを真正面から殴り飛ばす。

  殴った反動が直接骨に響いてきたが、気にしない。

  今は倒れている彼女の下へ向かう方が先だ。

  ふと目をやれば彼女の方にも神父の撒き散らした仔が数体、向かっている。




 「ちくしょう……!!」




  まずい、と焦燥感が競り上がってくる。

  クリスが動く気配はない。気絶しているのか、それとももっと別の事が原因なのか。

  最悪な想像が頭を過るがそれを無理やり振り払う。

  それ以上に、クリスが動けないという事は抵抗する手段もないという事だ。

  あのままでは、クリスは仔の餌食となってしまう。

  更に―――




 「これで、チェックメイトだぁぁあああああああああああああああああああああああああッッ!!!!」




  頭上から神父が降ってくる。

  さっきのように事故ではなく、明確な殺意を以てこちらに向かってくる。

  前門の虎、後門の狼―――まさにそんな状況だ。

  今度こそ誰も助けに来ない。あんなラッキーは二度も起こりはしない。




 (俺は……、また、見ているだけなのか)




  悔しさが胸を締め付ける。

  前にも、こんな事があった気がするのだ。

  目の前で誰かが傷ついて、自分の手は届かなくて、加害者は執拗に誰かを傷つけて―――




 (嫌だ……)




  もう、見ているだけなのは。誰かが傷つくのは。




 (嫌だ)




  強く願う。

  力が欲しい。

  誰かを守る力が、敵を倒す力が、危機を跳ね除ける力が。




 (嫌だ!!)




  力が、欲しい―――!!
























 『力なら、貴方は既に持っている』

























  頭に、誰かの声が響いた。




 「え……?」




  周囲の景色が止まって見える。

  自分の身体を動かそうとするが―――同じように動かない。

  ただ、頭の中に声だけが響いてくる。




 『思い出して、貴方は力を持っている。

  それは貴方の憧れた正義の味方のような、綺麗な力じゃないけれど……』




  甲はその声を知っている気がした。

  いや、知っている。

  だが思い出せない。

  とても大切な人の声だったはずなのに、どうしても思い出せない。




 『それでも貴方には守るための力がある。この状況を打開するための、敵を倒すための力がある。

  それは貴方を戦いに誘う力。きっと後悔をする、悲しんで、孤独になる。他者に心を開けなくなっていく。

  それでも、あなたは戦う事を望む?』




  身を気遣う、優しい声だった。

  投げかけられた言葉に甲は一瞬だけ考え込むが―――すぐに答えを出した。

  そんな事、一々考えるまでもない。




 「そうなのかもしれない―――戦うっていうのは、きっと凄く怖い事だ。なんとなく、それは覚えている。

  だけど、だからって目の前で困っている奴を、自分の知り合いを見捨ててしまったら俺はもっと後悔する!

  だから戦う! だから力が欲しい! 俺は―――あいつを助けたい!!」

 『―――うん、それでこそ甲だね』




  短い返答があった。

  それと共に声が遠ざかっていくのが、人ならざる感覚で感じ取れた。




 『貴方はきっと覚えている。記憶が引き出せなくても感覚が覚えているはずよ。

  そして、負けないで。

  これから始まる戦いは―――貴方が思うそれより、もっとずっと重くて辛いものになる』

 「あ、おい……!」




  声が遠ざかる。

  まるでエコーが掛かるようにどんどん声は小さくなっていき―――




 『じゃあね、甲。死んだら承知しないんだから……頑張りなさいよ』




  懐かしい声と共に、ここではないどこかがフラッシュバックした。










  それは夥しい戦闘の記録。

  世界各国を巡り、相棒と共に戦場を駆け抜けた。

  戦って、戦って、戦って、戦って、戦って、戦って、戦って、戦って、戦って、戦って、戦い続けた。

  様々な場面が浮かび上がる。

  ダーインスレイヴ、ドレクスラー機関、CDF、ドミニオン、GOAT、アーク、フェンリル。

  ノーブルヴァーチェ、震機狼、タイラントギガース、ニーズヘッグ、パプティゼイン、トランキライザー、ノインツェーン。

  それら多種多様な戦闘の情景が一気に流れ込んでくる。

  否、思い起こされてくる。










 「ぁぁ、ぁあああああぁぁぁあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああッッ!!!!!」




  身体に熱が入る。

  感覚に身を任せるままにプログラムを起動する。

  響く電子音。鳴るシステムコール。

  しっかりと眼前を見据えて―――門倉甲は走りだした。










  -shift-










 「邪魔だぁぁあああああああああああああああああああああッッ!!!」

 「ぬぅ!!」




  鋼の身体に移行した甲は即座に肩から前方に向けて突撃する。

  一旦力を溜めてからのチャージには、流石の重装甲機のパプティゼインもたまらずに大きく吹き飛ばされた。




 「ぬぉぉおおおおおおお!?」

 「テメエは、どこかに吹っ飛んでいやがれ!!」




  次いで、両手で剣を構える。

  刀身からはエネルギーが放出され、大きな剣を形作る。

  有り余るパワーの全てをそれにつぎ込み、今なお吹き飛ぼうとするパプティゼインへ追撃を仕掛ける。

  ―――レセクトンブレイド。




 「薙ぎ―――」




  甲が最も使い慣れたフォースクラッシュ。

  それを―――




 「払うッ!!」




  目前の神父へと、遠慮なく叩きつけた。



[29132] 前章 決意 -decision-
Name: ジエー◆7693fe4e ID:20a66a76
Date: 2011/08/25 01:49



 「クリス! 無事か、クリスッ!!」

 「ん……うる、さい……わよ……」




  甲の呼びかけに魘されるように、クリスがうっすらとその目を開いた。

  口から出てくる声は弱々しいがものだったが、しっかりと芯が通っているのを感じられた。

  少なくとも今すぐにどうこう、という状態ではないらしい。

  それが分かって、甲はほっと胸を撫で下ろす。




 「あな、た……それよりも、お爺様、は……」

 「……心配するな」




  クリスを再び横たえて、甲は背後へと向き直る。

  眼前では神父の機体―――パプティゼインがその身体を起こしたところだった。

  甲は意識を集中させてシフトプログラムを起動する。

  瞬く間に甲の身体が鋼の物へと切り替わった。

  その姿を見て、クリスの瞳が僅かに驚愕で見開かれる。




 「シュミクラム……? あなた、なんで……」

 「自分でも良く分かっていない。だから、分かっている事はあとでちゃんと話す」




  言って、甲のシュミクラム―――カゲロウが構えを取る。

  起き上がった神父は、その声を今まで以上の狂気に染めて両手を掲げた。




 「覚醒を始めたか、門倉甲君……それは、我が神を阻む道を選んだ証!!

  同時に君は、世界の命運を決める聖戦に参加する権利を、手にしたのだぁぁあああああッ!!!」

 「……うるせえよ」




  正直、未だに状況は良く分かっていない。

  思い出せた事が少々と、良く分からない状況が多数。

  さっきの声も分からなければ思い起こされた戦闘情報も分からない。しかもそのほとんどはすぐにまた忘れてしまった。

  だが……それでも、身を焦がさんと燻る怒りだけは分かっている。




 「よりにもよって自分の孫を手に掛けようとしやがって……ふざけてんじゃねえぞテメエ。

  その腐った根性、叩き直してやるッッ!!」

 「来たまえ!! 今の君の力、とくと見極めさせてもらおうではないかッ!!」




  そうして、彼の戦闘が始まった。

























  前章<04> 決意 -decision-

























  先手を取ったのは甲だ。

  いきなり巨大なミサイル―――ライドミサイルを顕現させそれに乗っかり神父へと突撃していく。

  しかしその速度は未だに低速。神父は横へとダッシュしそれを避けようとする。

  だが甲は強引にミサイルの方向を変え、同時に徐々に燃料を点火させて速度を上げていく。

  それが最高速に達した時―――宙返りするかのようにミサイルから跳び退いた。

  放たれた巨大なミサイルが神父へと一直線に向かう。

  神父はそれを見据え、謳い上げた。




 「さあ、懺悔の時間だ。不誠実なる亡者―――双魚の座、インフィデレス!」




  神父の機体から黒い球体が吐き出された。

  靄のようなそれはゆっくりと前進をしており、ごく狭い範囲で拡散と収縮を繰り返している。

  そこに、放たれたミサイルが突っ込んだ。




  ―――音が消えた。




  至近距離で発生したミサイルの爆発に一瞬聴覚の機能がマヒする。

  その隙に甲は次の武装を繰り出していた。

  回り込むような軌道を描き、両手に構えた青竜刀で神父の機体を斬りつける。

  削られていく装甲―――神父の機体が僅かに怯む。

  間髪入れずに刀を放棄し、代わりにスラッシュバズーカを神父目掛けて構えた。




 「喰らいなッ……!」




  至近距離で弾頭が発射された。

  轟音が響き、爆発で神父の機体が確認できなくなる。

  だが、終わっていない。そんな予感が甲を次なる行動に駆り立てた。

  空中でさらに跳び上がり、真下へ向けて拳を構える。

  ギャラクティックストライク。

  それが放たれる瞬間、




 「不法の器―――その座は双児、その名はイニクィタティス!!」




  爆煙の向こうから神父が突撃してきた。

  ギャラクティックストライクは攻撃の直前に一瞬だけ硬直時間が存在する。そこをピンポイントで突かれた。

  まるで手の内を読んでいたかのように、だ。




 「がっ……!」




  そのまま神父に捕らわれ、神父の機体の重量までプラスして背中から地面に叩き付けられた。

  衝撃で肺の空気が全て吐き出され、息が詰まる。

  一瞬の挙動の停止。

  そこにチェーンソーを振りかざして神父は容赦なく追撃を仕掛けてくる。




 「どうやら、まだ覚醒は不完全のようだねっ!!」

 「何を、訳の分かんねえ事を言ってやがる……!!」




  振り下ろされる直前、甲のカゲロウが一気に帯電し―――激しいスパークを撒き散らした。

  コレダー。至近距離にいる相手を電撃で弾き飛ばす武装。

  それをほぼ接敵距離で受けた神父はたまらずに弾き飛ばされた。

  同時に電撃を受け、機体の挙動が不自然になる。

  その隙を逃すまいと甲が駆け出した。




 「ふははははっ! 見事、実に見事だっ! 門倉甲君!!」




  前方へ跳び上がり繰り出されるASスティンガー。神父の真上から弾頭が発射される。

  神父はそれを回避し、甲は追撃としてブースとキックを放った。

  それを神父のチェーンソーが真っ向から迎え撃ち、拮抗する。

  鋼と鋼のぶつかり合う音が辺りに激しく響き渡る。




 「くっ……!」

 「だが、今の君は不完全なのだよ! 中途半端な流入、中途半端な覚醒、果てには―――流れ込んだ経験に、肉体がついて行けてはいない!!」




  一瞬の硬直のあと、甲の機体が大きく弾き飛ばされた。

  だが機体が地面に叩き付けられる事はなく、直前で体勢を立て直して足から着地する。

  しかし、甲の表情に余裕はなかった。




 「だから反応が遅れる。数多くの武装を繰り出すタイミングがずれていく。

  そのような不安定な状態では―――この私は倒せんよ……!」

 「ちぃ……!」




  事実、神父の言う通りだった。

  彼は確かに膨大な量の戦闘情報を思い起こしたが―――それだけだ。

  その挙動はどう見ても今の甲以上の身体能力を前提としたものばかりで、今の彼に扱いきれるものではない。

  更にはその記録も大半が思い返す事ができない状態だ。

  まともに思い返せる事ができるのは、そう……アリーナでの戦いの数々。

  自分は似たような機体と三人一組で戦っていた。それは、はっきりと思い返す事ができる。

  それにしては自分の機体がその記憶と大分食い違うくらいに変化しているように見えるが―――そこはおいおい考えるとする。

  今、彼の手元にある有効な手札は少ない。

  無自覚に作用してくる戦闘記録は中途半端で、たとえ完全であったとしても肉体がそれに追いつかない。

  他に有効な手札があるとすれば―――




 (……ざっと見ても、やっぱり見覚えのない物がほとんどだな)




  装備されている武装の一覧を確認しても見覚えのない武装ばかりだった。

  一部に見覚えがあるところを考えると完全に知らないという訳ではないらしいが……

  幸いと言うべきか、見覚えのない武装もどう扱えばいいかはなんとなく分かるのだ。

  だから、唯一勝算があるとすればそこ。

  手数の多さで相手を圧倒する―――これ以外にない。




 「倒せるか倒せないか、そこが問題なんじゃねえよ……」

 「ほう?」




  四肢に力を込める。

  こんな奴に負ける訳にはいかない。

  まだ思い出せないが―――頭の片隅で響くものがある。

  微かに覚えている、仲間たちと過ごした日々の楽しさ……それが、これが負けられない戦いだと甲を支える。

  何より、ノイズ混じりで脳裏に浮かぶ誰かがこう言ってくる。

  とても……とても大事な、おそらく自分の持つ何よりも大切な、誰かの声が聞こえてくる。




 『ほら、そんな奴はとっとと倒しちゃって早く帰ってきなさいよね!』




  ああ―――言われるまでもねえよ。

  声を受けて、甲は獰猛な笑みを浮かべて神父を見据えた。




 「テメエにクリスは殺らせねえ! クリスは俺の大切な友達だ! 手を出そうとするなら、俺が容赦しねえ!

  ただそれだけのことだ。分かったかよクソ神父……!」

 「なるほど……その信念は曲がらぬか。よろしい―――実に結構っ! 君はやはり、そうでなくてはならぬっ!

  それでこそ、我が神に敵対する反逆者ッ!!」

 「御託は良い……続けるぞ」




  気合を漲らせて機体にブーストを掛ける。

  神父との距離が一気に縮まり、




 「そうしたいのは山々だがね……どうやらこちらも時間切れだ」




  と、急に神父が踵を返した。

  機体を除装して電子体の姿に戻っていく。




 「は……?」

 「時間切れだよ。私はこう見えても多忙でね、色々と仕事も山積みなのだよ。今日も残業の予定があるので、失礼させてもらうよ」

 「ちょ、いや待て待て。

  いきなり襲われていきなり帰って、そんなもんで納得できるとか思ってんじゃねえぞ……!」




  まるで今まで何もなかったかのように、それでいて友人に気軽に告げるように神父は帰ると言い出した。

  甲もさっきまでとは一八〇°真逆の態度に懸念を隠そうとはしない。

  何かあるのではと身構えて―――




 「分からぬかね? この場は見逃すと、そう言っているのだよ」




  何も映さないガラス球の瞳に射抜かれて、底知れぬ恐怖を感じさせられた。




 「今の君では私を倒すには役不足だよ。私を倒したいというのなら強くなりたまえ。

  君にはその才能も、力もあるのだから」




  無機質でいて、狂気に満ちていて。

  そんな異形を見ているようで、未知の恐怖というものを肌で感じる。

  相手は自分より非力な電子体のはずなのに、甲は指一本動かす事ができずにいた。

  そして、




 「また日を改めてそちらを訪問させてもらうとするよ―――その時まで、ごきげんよう」




  その言葉を最後に、一礼と共に神父の姿は消え去った。

























                    ◇ ◇ ◇

























  重戦車が唸りを上げる。

  不協和音の咆哮が世界を揺るがすほどに響き渡り、その巨大な機体のいたるところに取り付けられた火器が一斉に火を噴いた。

  ミサイルが飛び交い、レーザーが照射され、弾丸が無数に散らばり、頭上からは衛星砲が降ってくる。

  それら全てを青年のシュミクラムは回避していた。

  攻撃と攻撃の僅かな隙間を掻い潜り、破壊の化身の懐へと潜り込む。




 「そろそろ終わりだ」




  言葉と共に、先端部分にある人型に向けて強烈な蹴りが放たれた。

  カイザーキックと呼ばれるそれは前方斜め上に対する跳び蹴りという単純なものであるが、その威力は大きい。

  続けざまに放たれるASスティンガーがまたも人型に直撃。重戦車は更なる悲鳴を上げる。

  だが止まらない。

  ギャラクティックストライクによる拳が叩き込まれ、至近距離でバウンドクラッカーが放たれる。

  ほぼゼロ距離で対象にヒットした複数のバウンドクラッカーは跳ね返り、また別のバウンドクラッカーにぶつかり人型へと跳ね返っていく。

  一瞬のうちに何十と繰り出された一撃に、人型に大きな亀裂が入った。

  それを見る事もなく懐から刀を抜き放ち、一瞬のうちにシュミクラムが上空へと消える。

  I・A・I―――神速の居合切りが人型を切り刻む。

  その直前に、




 「串刺しに、なりやがれッ―――!!」




  両の手で握りしめた新たな剣が、重戦車の人型へと突き刺さった。

  耐え難い不協和音の悲鳴が断末魔のように響き渡る。

  それが、巨大な機体のあちらこちらから突如として生えてきた巨大な剣によって強制的に断絶された。

  そこらじゅうから突き出してくる剣という剣に回路を寸断され、装甲を切断され、その全てが断ち切られていく。

  重戦車がまるで剣山のように成り果て、破壊しつくされた残骸として大地に沈む。

  そして―――青年のシュミクラムが、勝者として残骸の上に君臨していた。

  突き刺したままのエクスカリバーの柄に手を置き、呼吸を落ち着ける。




 「さて、と―――」




  重戦車が完全に沈黙したのを確認してから青年は除装して再び海岸に降り立った。

  そして、先程は詳しく目を通す事のできなかった謎のプログラムへと目を向ける。

  ―――それは、どことも知れぬ場所から送られてきたプログラム。




 「構造を調べようにもセキュリティが強すぎるし……まあ調べたところで俺が分かるかどうかも謎だが」




  青年は根っからの戦闘者だ。

  前線に立つのが仕事であり、領分である。

  電脳での戦いでは情報技術がかなり重要になってくるのでそれなりの事はできるのだが……更に専門的な事となると流石にお門違いだった。




 「……俺の知らないところで、何かが起こっているのか」




  彼はずっと戦い続けてきた。

  長い、とても長い時間を―――ともすれば、気が狂うほどの長い時間を戦い続けてきた。

  彼にとって、何よりも大切なかけがえのないものを守るために。

  今は残骸となって沈黙を保つ破壊魔と、その奥に潜む元凶と戦ってきた。

  だが、そこにも変化が訪れているのかもしれない。




 「AIの全てを俺たちは知ってるわけじゃない……現に、量子通信ネットワークはお前でも掌握はできていないんだ。

  どの世界でも、アレを扱っているのはAIであってお前じゃない。

  確かにお前の力は脅威としか言いようがないが……あんまり油断してると、近いうちに痛い目を見るかもな?」




  誰となく、青年はそう呟いた。

  空を見上げる。

  そこに、望んだ青空は存在しなかった。

























                    ◇ ◇ ◇

























  深夜。

  レインは、空の病室の前で佇んでいた。

  ここ数日の空は目に見えて意気消沈しており、とてもではないが見ていられる状態ではなかったのだ。

  何度か不意に泣き出す事もありその度に慰めてはいたのだが……どうにも不安定に思えてならない。




 「空さん……」




  彼女はどうなってしまうのか……漠然とした不安が胸を締める。

  恋人を失い、妹は行方不明。

  それがどれほど辛い事なのか彼女には分からない。

  思い人を喪った事についてはともかく、唯一の家族を失った気持ちまでは流石に理解できると言い切れなかった。

  だからこそ不安になりこうして様子を見に来たのだ。

  正直、自分がどこまで彼女を支えられているかが酷く不安なのだが……




  意を決してドアを開ける。




 「失礼します……」




  起きているとは思えないが、礼儀として断りを入れて病室に入る。

  そこで、




 「―――」




  月光に照らし出される、空を見た。

  儚げに、柔らかな月の光に包まれて付きを見上げるその姿は―――とても神秘的に、レインには映った。




 「……レイン?」




  と、空がこちらに気付いて振り返ってきた。

  そこでやっと自分が呆けていた事に気付いてレインは慌てて弁明に入る。




 「あっ、その、ぇと……こんな深夜に、すみません」

 「良いわよ別に。貴方が私を気遣ってくれているのは、ちゃんと分かっているから」




  そう言って空は視線を再び月に戻した。

  何とも言えない沈黙が降りる。

  何か言うべきだろうか、それともこのまま沈黙を保つべきなのだろうか……レインはこの状況をどうするべきかを決めかねていた。

  見ている限り、今の空はいつもと少し違う。

  どこがどう違う―――とまでは分からないのが悲しい所だが、とにかく違うというのは雰囲気で分かる。

  今までの中で、それこそ知り合ってから始めて見せる空の雰囲気。

  それはもしかしたら、空自身も初めて身に纏っている雰囲気なのかもしれない。




 「……私ね、やっと答えが出たの」




  ぽつり、と空が話題を出してきた。

  それにレインも慌てて反応を返す。




 「答え、ですか」

 「うん。ずっと塞ぎ込んでて迷惑掛けっぱなしだったよね……ごめんね、レイン。それとありがとう。

  今まで私を支えてくれた事には、本当に感謝しても感謝し足りないくらい」

 「そっ、そんなっ! それは流石に大袈裟です! 私なんて、そんな……」




  妙に謙遜するレインを見て空はクスリと小さく微笑んだ。

  それを見て、レインはまた驚愕の表情を浮かべる。




 「空さん、今……」

 「……こうして穏やかな気分なのも、レインのおかげかも。

  だから私も、ちゃんと答えを出した」




  目を閉じて、月光を背に空がレインを見つめる。

  彼女の眼にはどこまでも真剣味を感じた。

  何が彼女をこうまで落ち着かせたのか。何が彼女をここまで変えたのか。

  全く分からない。おそらくそれは空本人にしか分からない。

  だが、レインも目を逸らさない。空が何か重要な事を告げようとしているのなら、それは自分も聞くべきだろう。

  そして、




 「私は、先生とまこちゃんを追う。甲の仇を討つ。そのために―――」




  空は、自分自身の決意を。

  あの日、あの時、妹に告げられた想いと自分の気持ちの果てに得た答えを。










 「私は、傭兵になる」










  手に持つカートリッジを握りしめ、揺らぐ事のない決意を、告げた。

























                    ◇ ◇ ◇

























  ―――神父の襲撃から一日が経過した。

  脳チップとネットの接続が回復した途端に仕掛けられた潜脳と、それによる戦闘で発生した被害。

  クリスは致命傷とまではいかないもののそれなりに大きなダメージを負っていた。

  ノイといえばドミニオンとグレゴリー神父の符合に妙な反応をしていたのだが、それを意味するところは甲には分からない。

  神父については状況を逐一述べろと言われたが―――彼には意図的に伏せた情報があった。




  まず、自分自身の名前。

  門倉甲という自分の名前を思い出したのだが、この場ではあえて告げないでいた。

  次にいきなり聞こえてきた声と思い起こされた戦闘情報。

  これはそのまま他人に話してしまうと偏執狂になったと言われても否定できないような出来事だった。

  あの出来事を何故か否定しようとは思わない甲だが、そういった意味ではやはり原因が分かるまでこれは伏せておきたい。

  あと、過去についての情報をいくつか思い出せた事。

  少なくとも知人の名前は大体思い出せた―――と思う。

  自分の家族、おそらくは学生であった自分の仲間、親戚、その他の名前。あとは世界情勢程度か。

  相変わらず情報のみで中身が伴わないものだったが……水無月空という名前には、酷く胸を締め付けられた。

  そして―――




 「……これまで、お世話になりました」




  住民が眠りに就いて静まり返った頃、甲はこの数日過ごしてきた場所に深く頭を下げた。

  彼は、この場所を離れる事にしたのだ。

  理由は単純。




 『また日を改めてそちらを訪問させてもらうとするよ―――その時まで、ごきげんよう』




  この言葉を額縁通りに受け取るのなら―――神父は再び自分を狙ってくるはずだ。

  死ぬつもりはさらさらないが、それでも自分の周囲にいる人たちを巻き込むかもしれないと考えると―――怖かった。

  クリスは助かったから良いものの、あれは死んでいたっておかしくない状況だったのだ。

  自分のせいでそんな状況が引き起こされるなど御免だった。

  ノイに名を明かさなかったのもそのためである。

  脳チップの検査も何かしらの理由を付けてのらりくらりと避けてきた。

  これでノイは、甲の名前も知らなければチップに存在する個人情報を見た訳でもない、少しだけ関わりを持ったモグリの医者だ。

  そして身元が分からない以上、親族や友人に連絡を入れてしまう事もない。

  おそらく、記録ではまだ甲は行方不明扱いだ。ならばその間に自分は完璧に死んだものだと偽装する。

  そうやって周囲を自分から遠ざけ、ドミニオンの追っ手を自分一人に集中させる魂胆だ。




 「楽しかったんだけどなあ……」




  呆気なく、その日常は壊された。

  突如として聞こえてきた声の通り、助かりはしたものの手にした力は自分を戦いへと誘うらしい。

  惜しむものがないと言えば嘘になる。だがそれ以上に迷惑を掛けたくはなかった。

  最後に、ここでの日々を思い返してから明後日の方向に足を向ける。

  この先の中りは付けてある。

  とにかく、生き残るための力が必要だ。経済面、戦闘面、その他諸々の問題が付き纏う。

  だからまずはその力を付けるために傭兵になる。

  ネット世界で活躍する電脳将校―――今の時代、それはただのパワーゲームではない。

  彼らはネットのエキスパートであり、高度な情報技術を持った者たちだ。何かを相手にゲリラ式で生き残るにはうってつけと言える。




  短絡的だと訴える自分もいた。それは忌避すべき事だと訴える自分もいた。

  だが、それが自然なのだと納得している自分が、何故かいた。




  その違和感に蓋をして、彼はとにかく目標に向かって計画を練る。

  まずは傭兵の養成施設へと赴く。そのための足も必要だ。

  近い場所にもあるにはあるのだが、それでは万が一で記憶喪失以前の知り合いと鉢合わせる可能性がある。

  なのでもう少し離れた場所の訓練施設へと行くつもりだった。

  とは言っても、傭兵育成施設などそうそうあるものではないので行くだけで苦労しそうなのだが―――




  基本的に文無しのため、徒歩確定である。




  とにかく足を探さないと話にならない。

  門倉甲はこうして、戦いへの一歩を踏み出していく。










 「―――で、貴方はどこに行くつもりなのかしら」










  そして、一歩目から大いに挫かれた。

  甲が足を向けた先には神父襲撃の際に痛手を負った少女―――六条クリスが立っていたのだ。




 「クリス……お前、何で」

 「貴方が思っているほど物事は単純じゃないって事よ。他人との関係をそう簡単になかった事にできるとは思わない事ね」




  言って、クリスが歩み寄ってきて甲に一つの紙切れを手渡す。

  そこには一つのアドレスと共にノイの名が添えられていた。




 「個人的な連絡先ですって。何か困った事があったら頼れ、記憶回復の経過についてはきっちり報告するように、というのが伝言」

 「……あの人は」




  思わず苦笑してしまう。

  クリスの話によれば意図的にいくつかの情報を伏せていた事はバレバレだったらしい。

  大まかな理由については話の経緯から察したらしく、こうしてクリスに連絡先を握らせたという事だった。




 「彼女、外見からは想像もつかないほどの苦労を重ねたみたいよ。私もかなりのものだと自負していたりするけれど、彼女からしてみればどうだか」

 「自分の苦労を自負するお前もどうなんだよ……」




  何はともあれ、頼もしい餞別だった。

  それをポケットの中に捻じ込んでクリスに向き直る。




 「わざわざ遅くにすまん。ノイ先生には宜しく言っておいてくれると助かる」

 「あら? 私も貴方について行く気でいるのだけれど」




  ……………Why?

  甲の思考が停止する。

  クリスは『ほら』と言いながら自身の手荷物が入っているであろう鞄を掲げるのだが……




 「いやいやいや、待てクリス。何でそんな話になっているんだ」

 「黙って出て行こうとした貴方に話すような事じゃないわね。少なくとも、私にだってドミニオンに因縁はあるのは知っているでしょう?」




  そういえば、と甲はクリスとグレゴリー神父のやり取りを思い出す。

  会話の中身から察するに少々どころの話ではないくらいに因縁はあるのは確かなのだが……

  何か、それとこれとは話が別な気がする。




 「だけど危険だ。正直ドミニオンが何を仕掛けてくるかなんて俺には想像もつかない。

  もしもあの神父みたいな奴らの集まりなら命の危険だって―――」

 「貴方に反論は許さない。そもそも、私を傷物にしたんだから責任を取ってもらわないと困るわ」

 「なっ……」




  予想だにしない言葉に思わず甲が絶句する。

  そんなセリフを口にしたクリスはしてやったりといった風に笑みを浮かべるばかりだ。




 「お、お前なあ……そういう冗談は心臓に悪いから止めてくれ」

 「あら、案外本気かもしれないわよ? 何と言っても、貴方は私を瓦礫の街から救い出した恩人なのだし」




  ダメだ、これはまともに答える気はないと甲は諦め交じりに溜息を吐く。

  一度口にした事をそう簡単に曲げるような人物ではないとここ数日共に過ごして理解していたからだ。

  改めて、クリスに向き直る。




 「……良いんだな?」

 「良いも何も、元々この命は貴方に救われたようなものだもの。自己犠牲をする気はないけれど、私は私の好きにやらせてもらうわ」

 「……分かった、もう止めない」




  正直、自分の事情に巻き込む後ろめたさはある。

  だが彼女自身もドミニオンと因縁があるのは確かなのだ。

  彼女はおそらく単身でもドミニオンを追うつもりなのだろう……ならば、行動を共にした方が何かとメリットが多いはずだ。




 「なら、これからよろしく頼む。クリス」

 「ええ宜しく―――と言いたいのだけど、いい加減に貴方の名前を教えてくれないかしら。思い出しているんでしょう?」

 「ああ、そういや」




  黙って出て行くつもりだったから言ってなかったな、と思い当たる。

  これからはおそらく長い付き合いになるだろう。

  だったら、一蓮托生の身としては名前くらいは知っておかないと不便だよな。

  それに、こいつは俺の仲間なんだから。




 「俺の名前は―――」




  そうして、




 「甲……門倉甲だ」










  彼らの―――世界を賭けた長い戦いの幕は、上がった。



[29132] 後章 追逃劇 -passing each-
Name: ジエー◆7693fe4e ID:20a66a76
Date: 2011/08/25 01:49


  北米大陸。

  水無月空と桐島レインはアラスカ経由でこちらに逃げたと思わしきドレクスラー機関を追っていた。

  ハバロフスクに拠点を置くロシアンマフィアを手早く壊滅させて海を渡り、そして―――




 (……何で、こんな事になってるのよ)




  水無月空は、何故か生まれたままの姿を大多数の人間に晒す羽目になっていた。




  羞恥心で顔が赤くなりそうなのを必死に抑える。

  と、頭の中に直接声が響いてきた。

  軍人御用達の便利ツール、直接通話(チャント)だ。




 『抑えてください中尉。この組織の中にドレクスラー機関と繋がっている人物が潜んでいるとの情報があるのですから』

 『分かってるわよ、分かってるけど……!』




  あの日から色々な意味で女など捨ててきた空ではあったが、最低限のモラルまで捨て去った気はない。

  周囲が異常すぎるせいで自分の感覚が逆行しているのかもしれないが、それにしたってこれは無いだろうと思う。

  ―――フィラデルフィア・ドミニオン。

  彼らはサイバーグノーシスを謳う宗教集団ドミニオンを母体としたコミューンだ。

  仮想空間で真の生活を営む、という名目で結成されたらしいが……構成員は衣服の着用を認められないなど、どうにもただのヌーディスト集団に思えてならない。

  更には本家本元ドミニオンには数年前に異端認定を受けている始末。まさにカルトの中のカルトなのだ。




 「あらん? 貴方、中々良い体をしているわね

 「ど、どうも……」




  話しかけられても引き攣った笑みと返答しか口にできない。

  が、あろう事か話しかけてきた男は空に対して―――




 「……それより、あたしのコレ、どう思う?」

 「……………凄く、大きいです……」




  暴れ出しそうだった。凄く暴れたかった。

  今すぐにシュミクラムにシフトしてこの場にいる全員から記憶を抹消したかった。

  というか生きているうちにそんなセリフを言わせられるとは思わなかった。




 『……レイン。私、ここまで自分を抑えられないと思うのは初めて』

 『お気持ちは分かりますが耐えてくださいっ……! できる事なら私が代わりたいところなのですが……!』

 『……そういう願望が?』

 『ありませんっ!』

























  同じ頃。

  一人の男性と一人の女性がフィラデルフィア・ドミニオンの構造体に侵入していた。

  誰とも知れずにここまでやってきた二人は周囲に誰にもいない事を確認しながら奥へと進んでいく。




 「しかし、本当にこんなところに関係者がいるのか?」

 「情報なんて自分で確かめない限りはどこまで行っても不確定な物よ。だからこうして実地調査するしかないんじゃない」




  二人はここに本家本元ドミニオンを追う手がかりがあるという情報を得て侵入していた。

  本来ならば二人はドミニオンから追われる立場なのだが、最近では自分から噛み付きに行く事が多い。

  やられているだけなのは性に合わないのだ。

  やられたらやり返す。殺られる前に殺る。

  二人はそうやってこの数年、戦場の中を駆け抜けてきた。




 「今までの事を考えるとドミニオンとドレクスラー機関は繋がりがある可能性が高い。

  アラスカ経由でドレクスラー機関がこっちに来たという情報もあるくらいよ?」

 「どこまで信用できるかどうかはさておき……」




  気軽な会話を交わしながら最奥を目指す。

  狙いは中枢制御装置―――そこから通信記録などを引っ張り出す事だ。

  そうする事で繋がりのある人物を洗い出し、そこからドミニオンに対して仕掛ける。




 「行くぞ」

 「ええ」




  六条コゥと六条クリスは、奥に向かって更に歩を進めた。

























  後章<01> 追逃劇 -passing each-

























  突如として、警報が鳴り響いた。

  緊急を告げるアラートが鳴り響き景色が赤く明滅する。

  ―――侵入者を知らせるための緊急警報だ。

  もしや自分の事がばれたのかと急いで空はレインへと連絡を取る。




 『レインっ!』

 『確認しました。どうやら別口で侵入者がいたらしく……警備が出てきました。おそらく、私の方も見つかるのは時間の問題かと』

 『……どこの誰かは知らないけれど、やってくれるわね』




  忌々しげに舌を打ち、要らぬ迷惑を掛けてくれた第三者に向かって悪態をつく。

  ともかくこうしてはいられない。

  急いでレインと合流して目的を達成しなければ更に要らぬ被害を被る羽目になる。




 『レインはデータを洗うのを急いで! 私も今からそっちに合流する。目的を達成しだい全速力で離脱するわよっ!』

 『了解!』




  そして駆け出す。

  周りの目など知った事ではない。急にその場を離れた空を呼び止めたり警備を呼ぶ者もいたが、関係ない。

  今は相棒の下へと辿り着くのが最優先だ。




  電子体に埋め込まれたプログラムを起動させる。

  もう慣れた自分の身体が組み替えられていく感覚―――それに身を任せたまま走り続け、










  -shift-










  水無月空のシュミクラム、カゲロウ・冴が姿を現した。

  白を基調に紅の模様が入った細身の機体で、腕には二枚の刃のような武装が付いている。

  どこか毒々しい印象を受けるそれは彼女の戦いの証。

  それが今日も戦場を駆け抜けるために顕現した。

  しかしここは信者が集まっていた場所。そんな事をすれば当然―――




 「なっ……し、侵入者がここにもっ!?」

 「警備だっ、警備を呼べーッ!!」




  こうなる。

  もちろんこの程度の状況は空も想定済みだ。おそらくはここから警備も出てくるだろう。

  それはデメリットに違いないが、構造体の中を走り回るのならシュミクラムの方が断然早いのだ。

  更には構造体自体もシュミクラムの移動を考慮に入れて作られている事がほとんどであり、電子体で移動しようとすると途方もない距離を歩く事になる。

  だからこそ移動の際にはシュミクラムが欠かせない。

  目立ってしまうが、そうでもしなければ警備に囲まれる前にレインと合流など不可能だ。




  そして警備が現れる。

  包丁のような剣を持つクラウン、鎌を持つセンテンス、巨大なローラーが特徴的なアイアンローラー。

  五、三、一と実に綺麗な編成で出てきた警備は結構な戦力だった。

  歩兵として扱えるクラウンと、近中距離で妨害行動を行えるセンテンス、装甲を持つアイアンローラー……少々数が多いが、バランスとしてはまずまずである。

  並みの戦士ならこの部隊に一人で遭遇してしまうと物量差で押し潰されているだろう。

  誰から見ても一人で立ち向かうには無謀と言うしかない戦力だ。

  それに相対して、空は―――




 「邪魔よ」




  その一言で、まず一機が潰されていた。

  ダッシュでアイアンローラーへと接敵した空はテリブルスクリューを使いその装甲を大きく抉る。

  ガリガリガリッ!! と嫌な音を立てて装甲が飛び散り、間髪入れずにそこへスプレッドショットが撃ち込まれた。

  シュミクラムが悲鳴を上げる。

  火花を散らす暇すらなく、機体が爆発四散した。




  一瞬で一番堅い機体があっさりと沈んだ事について行けない警備たちは、何が起こったのかも分からずに呆ける。

  そして、動きを止めてしまう。

  その間に空は次の行動に移っていた。




  手近にいたセンテンスがダウンスマッシュで叩き付けられ、エアレイドスラッシュで追い打ちを掛けられる。

  更に繰り出されるクロスイリュージョン―――神速の三連撃が機体を切り刻む。

  限界を迎える機体。その末路を確認する事無く空は次なる行動に入る。

  ブレードが展開し、弓を形作った。

  空の機体がその場で高速回転し、その周囲に次々に弾丸が形成されていく。

  その弾丸―――ブラッドシャワーが散弾のように放たれた。

  床すれすれで急に方向を変え敵へと襲い掛かる弾丸は直接の殺傷を狙ったものではない。

  弾丸は機体へとヒットする前に爆発し、爆風で相手を弾く。この武装の役割は主に牽制だ。

  しかし、水無月空はそれだけに留まらない。




 「悪いけど―――」




  距離を取り、大地へ降り立つ。

  誘爆する弾丸、弾かれる敵、そこから導き出される次の一手……

  空は片腕に装備されていた弓を巨大化させ、弦を引く。

  狙うは一点。

  ブラッドシャワーの爆発で弾かれ、一直線に誘導された他のシュミクラム群―――!




 「一撃で終わらせてもらうわッ!!」




  そして、矢が放たれた。

  まずは一番近くにいたクラウンへと矢が突き刺さる。

  一見するとただ弾丸を撃ち込んだのと同じ状況―――だが、この矢は違う。

  この矢自体が高速で回転しており尋常ではない貫通能力を誇っている。

  それが空のフォースクラッシュ、クリティカルアロー。

  放たれた矢は過たずして直線状に誘導された他七機のシュミクラムを貫いた。

  そのまま、爆発四散する。




  元来、ブラッドシャワーは爆風で相手をランダムな方向に吹き飛ばす武装だ。

  今回のようにわざわざ誘導兵器として使えるだけの利便性はないのだが―――空はそれを難なくやってのけた。

  これが水無月空。

  傭兵協会の中でも凄腕として知られている実力者。




 「さて、レインと合流しないとね」




  まず確実に脳死したであろう相手を空は全く顧みない。

  学園生の頃の自分からはとても想像できなかった姿だが、それでも空は歩みを止めない。

  空は追加の警備がやってくる前に全速力でその場から離れた。

























                    ◇ ◇ ◇

























  一方のその頃。

  六条コゥと六条クリスの両名は構造体の最深部へと到達していた。

  眼前にはセキュリティコアが鎮座しており、彼らの周囲には残骸と化したシュミクラムが無数に散らばっている。




 「さて、ここからが面倒な仕事になる訳だけど……」




  言って、クリスがセキュリティコアへと手を触れる。

  今からこれにアクセスして外部との連絡経歴から人物の洗い出しといった作業を行わなければならない。

  こういった作業はコゥよりもクリスの方が向いているため、もっぱら彼女がその手の作業を引き受けている。

  しかし、彼女も専門家ではない。サポート能力を持つ人材と比べると作業効率は目に見えて違う。

  それでも二人であり続けてきた。

  自らの都合に他人を巻き込まぬように。




 「じゃあ周りの警戒をお願いできるかしら」

 「分かった」




  言葉数も少なく答えて、コゥは周囲の警戒へと駆けていく。

  それを最後まで見送らず、クリスはセキュリティコアへとアクセスした。

  同時に膨大な量のデータがクリスの中へと流れ込んでくる。




 (相変わらず、この作業は疲れるわね……)




  流れていくデータの奔流の中から必要な物だけを取捨選択して読み取っていく。

  イメージとしていくつものウインドゥが次々と閉じては開かれて、重なり合いながら消えていく。

  川に流れるビーズでも拾っている気分だ。

  埋もれた小さなデータを一つ一つ拾っていく。

  ズキリ、と頭に鈍い痛みが走った。多くの情報を一度に処理しすぎたため、少しばかり負担が大きいらしい。

  やはり専門家でない人間がするような作業ではない。

  そのまま、少しずつ時間が流れていく。

  この調子で最後までデータが吸い出せるか。そう思っていた矢先……




 『クリス、警備とは別に全く見当違いの方向からそっちに向かう反応が二つある』

 『は? 二つって、また随分と少ないわね。まさか別口とか?』

 『戦闘中のこっちを完全に無視するルートを取っているから、おそらくな。流石に距離が離れていて止めきれない。

  逃げる準備だけはしておけよ』




  と言って通信は途切れた。

  何やらヤバいという雰囲気をひしひしと肌で感じるクリス。どうにも厄介事の匂いがしてならない。

  このタイミングで介入してくる勢力などごく少数だ。しかも、こんなヌーディスト集団相手にするなど自分で言うのもなんだがよっぽどだ。

  そんな物好きがこちらに向かってくるとなると……これは厄介な事になりかねない。

  幸い、目的のデータのコピーは大半が終わっている。

  ここまでデータが集まれば専門家でもない限りデータの量はさして問題にならない。つまり、これ以上あっても自分たちには扱いきれない。

  そう結論を下してセキュリティコアとの接続を切る。

  そうしてセキュリティコアが存在するこのエリアから抜け出そうとして、




 「フリーズ」




  白をベースに紅をペイントした機体に銃口を突き付けられた。

  クリスの挙動の全てが停止し、代わりにここにいないもう一人に向かって心の中で悪態をつく。




 (あの馬鹿……もうほとんど至近距離だって事くらい説明しなさいよ。

  探索限界範囲を考慮に入れていなかったのは私の失点だけど……)




  ジリジリと、相手との距離を測る。

  敵は赤い一機だけではなく青い機体―――おそらくはサポート特化と思わしき機体も目の前でライフルを突き付けている。

  二対一。

  数の差は単純な力の差に繋がる。

  これを覆すためには、どうすればいい―――?




 (……この機体)




  一方で、クリスに銃口を突き付けている機体の操縦者―――水無月空は目の前の機体を観察していた。

  原形を留めないカスタム機。両腕に装備されたチェーンソーに、機械としてはどこかちぐはぐな外見。

  空にはこの系統の機体に覚えがある。




 『レイン、この機体―――』

 『ええ、似ていますね……おそらくドミニオン関係者かと』




  カルトの中のカルトに潜入したところで本家本元と出くわした、という事だろうか。

  状況を見るに、周囲の機体は目の前のシュミクラムが片づけたのだろうが……

  下手にやり合えばこちらも五体満足で済みそうにはない。




 「―――」




  両者共に動かない。いや、動けない。

  現状有利なのは確実に空たちだが、この惨状を見るからに下手な射撃は確実に避けられるのは目に見えている。

  クリスもクリスで相手が射撃してくるタイミングを窺っており、むざむざ当たる気はない。

  硬直した場に静寂だけが満ちる。

  このままいつまで睨み合いを続けるのか―――そう考えていた矢先だった。




 「っ、中尉! 後方より熱源が多数接近。これは……カチューシャです!」

 「ちぃっ!」




  レインの警告に数瞬遅れて多連装遠距離ロケット弾―――通称カチューシャが空とレイン目掛けて降ってきた。

  狙いは出鱈目なのかまともに直撃するような軌道ではない。だが爆発の光と衝撃に感覚が一瞬途絶えてしまう。

  その一瞬で、クリスは二人の隙間を縫ってその場を離脱し始めた。




 「くっ、待ちなさい!」

 「待てと言われて待つバカがいるとでも思っているのかしら」




  空からしてみればクリスは第三者だ。

  セキュリティコアのエリアにいた正体不明のシュミクラム―――下手をすると空たちが目当てとしているデータを消去、もしくは持ち出している可能性がある。

  今からコアにアクセスしてそれを確かめているだけの時間は無い。

  だから、できる事ならあのシュミクラムを確保しておきたいというのが本音だ。

  対するクリスにしてみれば、空とレインは単なる乱入者だ。

  なのでとっとと煙に巻いて逃げた方が良い―――というのは確かなのだが、一つ気になる点があった。

  奇しくも、空たちと同じ事で。




 (あの機体……)




  あの機体―――いや、あの系統の機体をクリスはよく知っている。

  白と赤の機体は外見こそ大きく違うが、カゲロウと呼ばれるシュミクラムと共通する点が多く見て取れた。

  そして自身の知るカゲロウの使い手、門倉甲も『昔、同系統の機体とアリーナで戦った事があるみたいだ』と言っていた。

  更にカゲロウはインストール時に操縦者の性質に合わせて機体がチューニングされ、経験を積む事で自己進化するロジックが組み込まれている。

  完全なワンオフモデルにしてハイエンドスペックの機体。こんな物が普通の手段で手に入るとは考えにくい。

  つまり……あの機体の操縦者は、彼の関係者ではないのか?




 『クリス、その先にある交差点を右だ。そこでお前を追っている二機を止める』

 『……了解』




  とはいえ、それは今考える事ではない。

  関係者だとすれば色々と聞きたい事もあるが、そうでしろそうでないにしろ今の状況でそれは難しいだろう。

  だから、遠慮なく逃げの一手を打たせてもらう。




 「しかし、速いわね……!」




  クリスのグリムバフォメットが全力でブーストを吹かせているというのに、相手の機体は一向に振りきれない。

  それどころか、カゲロウと思わしき機体はこちらとの距離をかなりの速度で詰めてきている。

  このままではいずれ追いつかれてしまうだろう。

  だが―――逃走だけを考えるならば、この状況でも十分に可能だ。




  指示のあった交差点に差し掛かる。

  クリスは迷わず方向を右に向けて、空とレインも少し遅れてそれに続く。

  その瞬間、










 「貪欲なる刃よ―――謳うがいい!!」










  イディクト・ロア―――彼女たち二人の周囲を取り囲むように、無数のチェーンソーが舞った。

  目の前に出現したコマのように回転するチェーンソーに危うく胸元から突っ込みそうになって、慌てて機体を停止させる空。

  その間にもクリスは二人から距離を離していく。




 「逃がすとでもっ―――!」

 「中尉、上方と前方より新たな熱源が多数接近! 先程と同じカチューシャに、それと……サテライトレーザー!?」

 「ええい、どこの砲撃バカよっ!!」




  空が叫んだ途端、それは訪れた。

  先程と違って確実にこちらに狙いを定めたロケット弾の雨と、流星のように天から降り注ぐ光の矢。

  逃げようにも周囲を取り囲むチェーンソーで行動範囲は限られている。その中に二機もいるとなれば余計に狭い。

  限られた空間の中で、空とレインは迫りくる破壊の暴力を睨みつけ―――










  そして、全ての感覚が白に染まった。


















































  ―――全てが瓦礫と化していた。

  壁や床が無残に砕け、大小様々な大きさの瓦礫が辺り構わず散らばっている。

  圧倒的な破壊の跡。

  その中心に……未だ健在のカゲロウ・冴とアイギス・ガードが見えた。

  しかし、グリムバフォメットの姿はもう見えない。とっくに逃げてしまったらしい。




 「ったく……逃がしてしまったわね」

 「こうなるなら私は素直にセキュリティコアをハックしていた方が良かったかもしれませんね……」




  あの破壊の豪雨から逃れたというのに少々気落ちする程度の反応しか見せない二人。

  他の者から見ればあの状況から生還しただけで十分に称賛に値するのだが、二人からすればそんな事もないらしい。

  凌ぎ切った方法も実に単純。レインが前方に向けて広範囲でチャフを射出し、空がアイギス・ガードを抱えてサテライトレーザーと瓦礫を全て避け切ったのだ。

  数多の戦場を潜り抜けてきたその実力は伊達ではない。




 「ぼやいたって仕方がないわ。今からでもコアにアクセスして引き出せるだけ引き出してしまいましょう」

 「了解」




  このままここに留まり続ければこの惨状ですら自分たちが引き起こした事になりかねない。

  これ以上の面倒事は御免だと言わんばかりに二人は機体を反転させた。

























                    ◇ ◇ ◇

























 「……撒いたか」

 「そのようね」




  合流したクリスとコゥは背後に追っ手がいない事を確認しながら息を吐く。

  今回のミッションはこれで終了。

  あとは手に入れたデータを持ち帰って解析するだけだ。

  それにしても、とクリスが呟く。




 「遠いわね、ドミニオンって」

 「……そうだな」




  出てきて欲しくない時は呼んでもいないのに出てくるくせに、こちらから噛み付こうとしてものらりくらりと姿を眩ませる。

  ここ数年かなりの頻度でドミニオンと交戦してきた二人だが、反撃の糸口を明確に掴めずにいた。

  そう、いつまでも一方的に襲撃を繰り返される立場ではない。

  何度かドミニオンの拠点を襲撃し、グレゴリー神父とも交戦した。

  だがその全てが尽く引き分けとして終わっている。

  それだけの力があちらにはあり、それだけの力しかこちらにはない。

  それでも、やるしかなかった。

  この誰も頼る事のできない戦場で、二人が生き残るために。




  ふう、とクリスが大きく息を吐いてその話題を打ち切る。

  代わりにこんな事を言い出した。




 「私が遭遇した二機だけどね、そのうちの片方が貴方の機体と結構似通っていたのよ」

 「俺の、カゲロウと? おいおい、基礎機体の生成方式と自己進化ロジックを積んでるカゲロウと似通ってるって、それは……」




  言って、彼もクリスの言わんとしているところに気付いたらしい。

  そこまで特異な機体が似通っている機体など、同系列の機体以外にはありえない。

  そしてカゲロウのライブラリには製作者の名前も記されている。

  西野亜季。

  管理AIイヴを保有する一大企業『アーク』の社員で、特級プログラマの資格を持つ一級のウィザードだ。

  それを知った時、クリスは彼の異常な人脈に『本気でなにやってたコイツ』とかなり不安になったのだが……それは別の話。

  問題なのは、これほどの人物がプログラミングした機体をそうそう簡単に入手できるはずがないという事である。

  市場に出回っている、という可能性もあるが―――その線は無い。一度似たような機体がないか探した事はあるがその全てが空振りだった。

  つまり、それを所有しているという事は……




 「貴方の知り合いかもしれないわね、甲」

 「……俺の、知り合い……」




  六条コゥ―――否、本名を門倉甲という彼には、自分がどのように生きてきたかというエピソード記憶が抜け落ちている。所謂、記憶喪失だ。

  知り合いの名前程度は思い出している。

  だがそれがどんな人物で、どんな姿をしているのか―――そういった部分が全く分からない。

  さっきの攻撃で死んでいる事もないだろう。撒く事だけが目的だったのでそこまで手を入れて攻撃はしていない。

  だがそれは今は関係ない。

  今、何よりも問題なのは、




  その知り合いが、こんな戦場に出てきて、よりにもよってドミニオンに絡む事に関わっているかもしれない、という事だ。




 「くそ……誰だよ、そんな物好き」

 「さてね。総じて人は誰かの思い通りに動く訳じゃない、というところかしら。

  せっかくドミニオンや神父から遠ざけるために架空の戸籍まで用意したのに、向こうから関わってこられたんじゃ本末転倒ね」

 「……」

 「怖い顔。けど仕方ないじゃない? 遠ざけたってあっちから近づいてくるんだもの。こういう展開を考えなかった訳じゃないでしょう」




  確かに考えなかった訳ではない。

  しかし、これは考えられる中でもかなり悪いケースだ。

  何の冗談だと言いたくなる。これでは、記憶に埋もれた知人をドミニオンから遠ざけた意味がない。

  だが、と甲は頭を振った。

  それでも、やるしかないのだ。




 「……行くぞ、クリス。とっととデータを洗い出す」

 「了解」




  未だ道は交わらず、すれ違うばかり。

  この数ヶ月後、彼ら彼女らは再び戦場で相対する事になる。



[29132] 後章 研究所 -drexler-
Name: ジエー◆7693fe4e ID:f57a4d5c
Date: 2011/08/25 01:49


  清城市、とあるホテルの一室。

  そこで水無月空はレインから『ドレクスラー機関の潜伏場所を発見した』という報告を受けていた。




 「それ……本当なの」

 「はい。潜伏型の巡回ウイルスが彼らの通信を傍受しました。

  発信者は特定できていませんが、市庁舎からです」




  普段より一オクターブ低い空の声に気付きながらも、レインも興奮を隠せない様子で報告を続ける。

  言いながら、空の目の前にはレインから送られてきた大量のデータが表示されていた。

  断片的なデータの数々……あまり見やすく纏められていないのがレインの慌てぶりを示している。

  そして、




 「……レイン、現状で掻き集められそうな戦力は」

 「時間的に考えてこの街に滞在している同業者たちしかありません。

  一応CDFにデータを送り協力を仰ぐという手もありますが……」

 「無駄ね。奴らがここの上層と繋がっているのはもう確定的よ。

  内通者の手によって逃がされるのがオチだわ」




  立ち上がる。

  今まで散々掴まされてきたデマではない……これは、確実に本物だ。

  とうとう追いつめた。

  あの日の惨劇を、真相を知る人物を、その原因を。

  怒りと喜びと決意と、様々な感情がない交ぜになり空を突き動かす。




 「行くわよレイン。でき得る限りの戦力を掻き集めて奴らを叩く……!」

 「了解!」

























  同じ頃。

  六条コゥと六条クリスもまた、ドミニオンの動向を掴んでいた。




 「ドレクスラー機関の潜伏地を襲撃……? 何だってそんな事を」

 「奴らも最新鋭ナノテクノロジーは欲しいんじゃないかしら。

  そうね……終末思想を持った奴らの集まりなのだから、アセンブラが目的だったりしてね」

 「勘弁してくれ……またグングニールに薙ぎ払われるのは勘弁だぞ」




  そう言って辟易しながらもコゥは立ち上がる。

  それに続くようにクリスも立ち上がった。




 「それのドレクスラー関連で、この街の傭兵に片っ端から声を掛けている物好きがいるけれど……どうする?」

 「放っておけ。俺達の目的はドミニオンだ……何かと関わりが多いドレクスラー機関を潰してくれるならむしろ好都合だ」




  そして彼らも戦場へと踏み出す。

  彼らが行っているのは鬼ごっこではない……追う側も追われる側も互いを咬み殺そうとするサバイバルゲームだ。

  目的はただ一つ、グレゴリー神父の打倒。

  理念はただ一つ、自身に周囲を巻き込まないために。

  ともすれば幼稚とも、そして異常とも取れるその理由。

  いくら知人のためとはいえ記憶を失くしている現状では具体的な関係性もほぼゼロになっている。それにも拘らず、なお命を賭して守ろうとする異常性。

  それを理解しながら、なお六条クリスは彼と共に在り続ける。

  それ以外の何かに突き動かされている彼を知りながら、決着が着くその時まで。

  六条コゥ―――門倉甲も、グレゴリー神父を追い続ける。

  思い出せない誰かを守るだけではなく、奴は倒すべき敵だという衝動に突き動かされて。




 「さあ―――始めるぞ」

























  後章<02> 研究所 -drexler-

























  そして、戦闘が開始された。




 「第一部隊は西方向、第二部隊は東方向から攻撃開始!

  私たちは中央突破します!」

 『了解!』




  レインの指示に従って集まった部下達が散っていく。

  次々と上がる戦火と黒煙。爆撃と銃撃の音が絶えず響き渡り、戦場がひっきりなしに咆哮を上げている。

  その真っ只中を二人は駆け抜ける。

  目の前には様々なシュミクラムの群れ。

  それに向けて空とレインは攻撃を敢行した。




 「邪魔よッ……!」




  メテオアローが放たれ、拡散した電撃波に前方に群がるシュミクラムがその動きを止める。

  続いて、




 「全砲門展開―――全弾発射(フルファイア)ッ!!」




  レインの持つ射撃武装が全て、火を噴いた。

  マシンガンが、レーザーが、ミサイルが、一斉に敵へと牙を剥く。

  おまけとばかりに空がスプレッドショットを放ち、それら全てが敵シュミクラム群へと降り注いだ。

  撒き散らされる爆音と衝撃。

  地響きの後に残っていたのは……無残な残骸だけだった。

  それらを踏み越えて、二人は油断なく周囲を警戒しながら奥を目指す。




 「レイン、構造体の解析はどう?」

 「順調です。あと数分もあればセキュリティコアへのルートを割り出せますが―――妙です」

 「妙って、何が」

 「警備が少なすぎるのです」




  レインの言葉と共に索敵マップが空の視界に割り込んでくる。

  横目にそれを確認してみると―――確かに、考えていたよりも警備が手薄だ。

  現在、各所で部隊の者たちが警備と交戦中だが……まるで纏まりがない。

  ある程度の集団で動いてはいるが、そこに統率が見られない。行き当たりばったりのような印象を受ける。




 「既にどこかの襲撃を受けた……? それとも別の場所に出払っているのか、入れ替わりで逃げられたか……」




  言って、ゾッとした。

  冗談ではない。やっとの思いでここまで来たというのに、ここで取り逃がしてたまるものか。

  その思いと共に機体を加速させる。

  警備が手薄なのは確かに気になるが、それでもここにドレクスラー機関の手掛かりがある事に変わりはない。

  もし既にいないのだとしても、何かの情報程度は持ち帰らなければ気が済まない。




 「ほんとままならないわね、世の中ってのはっ……!!」




  駆け抜けざまにすれ違ったウイルスをスラッシュエッジで切り裂き、なお突き進む。

  立ち止まる事無く、その場所を目指した。

























                    ◇ ◇ ◇

























  そして、一方的な戦いが繰り広げられている。




 「妨害!」




  オーダー・ストークスによるジャマーフィールドが展開される。

  だが敵のシュミクラムはそれを巧みに避け、支援機の無くなったクリスへと向かってくる。

  主として使う武装が手元にない状態―――だが、それでもクリスは嗜虐的な笑みを浮かべていた。




 「喰らいなさいッ!」




  放たれるエレクトロミサイル。

  弾頭が炸裂し、突撃してきたシュミクラム群に対して壁のように超電磁フィールドが形成される。

  侵入者を拒むフィールドは勢いを止められずに突撃してきたシュミクラムたちを残らず弾き飛ばし―――後方に控えていたジャマーフィールドに突っ込ませる。

  著しく動きを阻害されるシュミクラム群。

  そこに、




 「引き込めッ―――!」




  グラビティフィールドが追い打ちをかけた。

  シュミクラム群の中央に突如として現れた白いシュミクラム―――カゲロウの放つ重力場に捕らわれ、その頭上へと纏めて引き寄せられる。

  同時に、カゲロウの姿が掻き消えた。

  一瞬にして頭上へと移動したカゲロウの手には一本の刀と鞘が握られている。いつの間にか抜き放たれた刀が静かに鞘へと納められ―――遅れて発生した無数の斬撃と共に、彼らの命は絶たれた。

  爆発炎上する機体が彼らに最後の花を添える。

  それを眺めながら、二人は周囲を見渡した。

  辺り一面、ドミニオンの機体しか見えない。




 「いつになく大部隊だな」

 「ええ……よっぽどドレクスラー機関の連中が欲しいと見えるわね」




  言葉と共に、グリムバフォメットの手から拳程度の大きさ―――といってもシュミクラムの拳だが―――の球体が射出された。

  それはゆっくりと空中を漂い、




 「面倒だから一掃しちゃいましょうか」




  それに合わせて二機が再び動いた。

  コゥがショックウェイバーで敵を引き寄せ、更にグラビティフィールドで動きを封じる。

  クリスは再びオーダー・ストークスを起動。ジャマーフィールドを発生させ、イディクト・ロアで相手の行動範囲を制限する。

  そして、球体から鎖が伸びた。




 「行くわよ!」

 「ああ!」




  球体から放たれた鎖は勢いよく回転し、周囲の機体を残らず絡め取っていく。

  それを確認した二人が目の前にできた道を突き進んだ。

  後方の敵は全て伸びた鎖に絡め取られるか、クリスの発生させたチェーンソーとジャマーフィールドで身動きが取れずにいる。

  そして、その鎖は徐々に長さを縮めていき―――絡め取られていた機体が、球体へと触れた。




  同時に、巨大な爆発が周囲を纏めて消し飛ばした。




  餓えしベヒーモト―――クリスの持つ拘束能力を持った爆弾を生成するフォースクラッシュである。

  その効力と破壊力はこの光景を見れば一目瞭然。

  二人の周囲を囲んでいたシュミクラムは、その大半が姿を消した。




 「いつもながらえげつない威力だな……」

 「どの口で言うのかしら。貴方のアレとかアレとか、想像を絶する破壊力で散々私を鳴かせたくせに」

 「アレとか言ってる場合か」




  一気に大半の味方がその姿を消した―――その光景を間近で見てもなお、ドミニオンの信者たちの戦意は衰える事がない。

  その狂気の感情のままに仇敵たる悪魔を討たんと距離を詰めてくる。

  そして、再び襲い掛かってきた。

  コゥとクリスは互いに背中を預けながら、襲いかかってくるシュミクラムを次々と切り払い、殴り飛ばし、撃ち落とす。




 「ねえっ、甲!」

 「なんだ、よっ! クリス!」




  互いに迫る敵を迎撃しながら、それでも会話を続ける。

  コゥは冷徹に敵を駆逐しながら、クリスは冷笑を湛えた表情で。




 「これまで、ドミニオンを追っているとっ、必ずどこかでドレクスラー機関の噂を聞いたわね!」

 「そうだな! これはもう、確実に繋がりがあるだろうさっ!」




  それが今までの経緯。

  ドミニオンを追っていると必ずどこかにドレクスラー機関という言葉を聞いていた。

  両者がどういった目的で繋がっているのかは知らないが……




 「だったら、ここで研究者を確保しておけばっ、奴らへの嫌がらせになるんじゃないかしら!?」

 「あわよくば情報を吐かせようってか!? 相変わらず、考える事が打算的で容赦ねえよなっ!」




  言いながら、コゥとクリスは前進していく。

  シュミクラムの群れを突っ切り、駆け出していく。

  だが追っ手は途切れない。全滅させない限り、彼らをどこまでも執拗に追ってくる。




 「私が雑魚を引き受けてあげるわ。感謝しなさいよ?」

 「抜かせ。お前より俺の方が突破力が上なのは明白なんだ、適材処置ってやつだろ」

 「貴方、ほんとに口が減らないわね。一度去勢すればその態度も改まるかしら」

 「生憎とこれが素なもんでね。お前こそ、その上から目線は一度徹底的に屈服させないと直らないのか?」




  お互いに好戦的な笑みが浮かぶ。

  そのまま走り続けて、構造体の中心である施設が見えてきた。

  その門前でクリスは踵を返す。

  コゥは振り向く事はしない。ただ奥を目指し、走り続ける。




 「せめて何かのデータくらい持って帰ってきなさい。そうすれば褒めてあげるから」

 「お前こそちゃんと雑魚を片付けておけよ。俺が戻ってもまだ手間取っているようなら盛大に笑ってやるよ」




  カゲロウがゲートの向こうへと消えていく。

  それを見届けてから、クリスは目の前に迫るドミニオンを睥睨した。

  両の手の甲に装備されたパーツからチェーンソーが展開される。

  唸る回転刃が突撃してきたシュミクラムを突き刺し、その命を絶ち切った。

  ほどなくして爆発する機体。

  その爆煙の中で、グリムバフォメットは悪魔のように赤いカメラアイをぎらつかせて、クリスは壮絶な笑みを浮かべた。

  迸る感情のままに、叫ぶ。




 「さあ……切り刻んであげるわッッ!!!」




  そして、殺戮ショーが幕を上げた。

























                    ◇ ◇ ◇

























  空とレインは構造体内部へと侵入していた。

  途中で合流した部下も引き攣れて順調に内部を制圧していた。

  しかし、




 「……やはり、手薄ですね」

 「そうね……」




  やはり、警備が手薄だ。

  当初はもっと苦戦するものだと思っていた。相手は世界中を逃げ続けたドレクスラー機関―――つまりは、それだけの力があるのだ。

  下手をすれば全滅もありえた。だが……あまりにもあっけない。

  手応えの無さが逆に違和感を呼んでいた。

  ―――根拠のない不安に襲われる。このまま固まっていても碌な成果が出ないかもしれない。

  ならば―――




 「部隊を二つに分けるわ。半分は私と、半分はレインと行動を共にして。

  私とくる方は最深部のデータベースを、レインと行く方はセキュリティコアを目指してもらうわ。いいわね」

 『了解』




  そして部隊が二つに分けられた。

  それぞれが目的に合致した能力を持つ者たちを優先的につれて行く。




 「それじゃあ―――セキュリティコアの方は頼んだわよ、レイン」

 「お任せを。中尉の方こそお気を付けて」




  言って、一斉に駆け出した。




  電脳の風を切って、レインはセキュリティコアへと向かっていく。

  その最中で何度か索敵を掛けてみるが―――反応は無し。

  いくらなんでも静かすぎる……

  おそらく、その考えは間違っていないとレインは判断する。

  そしてそれは空も気付いているはずだ。感という部分でならばレインよりも早く察知していただろう。

  だったら、レインが成すべき事は一つ。




 「全員、その場で一時停止です」

 「ぬ、どうかしやしたか少尉」

 「おそらくこれは罠です。一度周囲を徹底的に索敵します」




  そう告げると他の人員も慌てて周囲を索敵し始める。

  レインのアイギス・ガードもレーダー関連の装備をフル稼働させて周囲の索敵を開始する。




 「敵は何を……攻性防壁? それとも隠密モードでの奇襲?」




  口に出して予測を並べてみるが、どれも何か違う気がする。

  誰もいない施設、手薄の警備、容易過ぎた侵攻。

  ならその目的は……?

  もしも、施設防衛が相手の目的ではないとすれば……?




 「……まさか」




  最悪の想像が頭を過った。

  もし防衛目的ではなく、こちらを引き込む事が目的なのだとすれば―――

  私たちは、既に敵の罠に嵌っている……?




 「っ、中尉ッ!!」




  慌てて空と通信を試みる。

  が……駄目だった。何かのジャミングが働いており通信が上手く機能しない。

  レインはその場で己の不甲斐なさに歯噛みする。

  自分の予想が正しければ、おそらくこの施設は自爆するだろう。

  可能性としては論理爆弾か……もしそんな物をまともに喰らえば脳死は免れないだろう。

  兵士としての直感が告げていた。『このままここにいては危険だ』と。




 「―――この場にいる全員に通達します。この施設には論理爆弾が仕掛けられている可能性が非常に高いです。

  今すぐ施設から撤退して……」










 「おおっとぉ! 悪いが逃がす訳にはいかんなぁ!!」










 「っ!?」




  非常に嫌悪感を煽る声が聞こえて、レインは咄嗟に身を翻す。

  直後に、衝撃が襲いかかった。

  ガガガガガッッ!! と不快な銃撃音が耳朶を叩き、周囲の機体を撃ち抜いていく。




 「くっ……!?」




  理性が理解する前に反射的にチャフを射出していた。

  気の抜けた音と共に金色の粒子の膜が張られる。レインへと向けられた銃弾は残らずそれに阻まれ、弾かれた。

  やがて、銃声が止む。

  それと同時に再びレインの耳に声が聞こえてきた。




 「はぁーっははははは!! まったく、気持ちの良いくらいに引っかかってくれるなあ!?

  流石は下等生物だと言っておいてやろうか!!」

 「貴方は―――ジルベルトッ!!」




  咄嗟にライフルを正面に現れたシュミクラムへと突き付けた。

  その先には、かなり特異な機体が立っていた。

  紫を基調としたカラーリングで、刺々しい印象を受けるフォルム。

  ダーインスレイヴのリーダー、ジルベール=ジルベルトの駆るシュミクラム―――ノーブルヴァーチェがそこにいた。




 「南米以来だなあ、レイン。未だに水無月なぞに従って気狂いの科学者どもを追っているようだな?」

 「黙りなさい。反AI派である貴方が、何故このような場所にいるのです。

  この施設にいるはずの研究者達はどこです!」

 「はっ! 残念だが、ここはもう空き家だ。学者どもは既に逃げ出した後……

  残念だったなぁ! 雀の涙程度の戦力で強襲を掛けたつもりだろうが、全くの見当違いなのだよ」




  こちらを嘲るジルベルトを見てレインは考えを巡らせる。

  奴は『ここに学者達はもういない』と言った。それはつまり、前ならばここに研究者達はいたという事だ。

  尻尾を掴んだ事に間違いはない。ただ、それが少し遅かっただけ。

  だがそれでも―――まさか全てが綺麗さっぱり消えた訳でもないだろう。

  まだやれる事はある。

  レインはそう自分を奮い立たせ、足に力を入れた。




 「そうですか……ところで、私は奥を目指したいのですが。

  大人しく道を開けてもらえませんか」

 「フン、雌犬は雌犬らしく他人の顔色を窺いながら腰を振っていればいいものを……まあいい。

  俺様も丁度鬱憤を持て余していたところだ。遠慮せずに遊んで行け……!!」




  敵シュミクラムが展開する。

  ノーブルヴァーチェとシャドーランが数機、合計七機がレイン達を取り囲んだ。

  それを見ながらレインはこちらの戦力を確認する。

  先程の奇襲で動けなくなった者が数人……現在戦力となるのは自分を含めて三機。

  状況は極めて不利だ。

  だが、これを退けなければ話にならない。

  緊張で感じないはずの喉の渇きを感じる。自身の機体はサポート特化……そこいらの者に負ける気はないが、数で押されれば不利は否めない。




 「さあ! その場で無様に這いつくばって見せろ……!!」




  ジルベルトの手が振り上げられる。

  レインは僅かな隙も見逃すまいと周囲に神経を尖らせて、










 「あら、懐かしい声が聞こえると思って来てみれば……」










  第三者の介入で、その場の行動が全て停止した。

  全員の目が突如として割って入った声の方へと向けられる。

  ゆっくりと近づく足音。

  それと共に、禍々しくチェーンソーを携えた機体が現れた。




 「灰色のクリスマス以来は顔を全く合わせていない懐かしい鳳翔の生徒じゃない。しかも、よりにもよってジルベルト君とはね」

 「その声……鳳翔の六条クリス学生会長っ!?」

 「なっ……!?」




  ジルベルトの言葉に、レインは二重の意味で驚きを感じ得なかった。

  一つは、あの頃の自分ですら知っていた『鳳翔の学生会長』がこんな場所にいる事。

  一つは、その学生会長がよりにもよって数ヶ月前に交戦したドミニオン風の機体の操縦者らしいという事。

  世間が狭すぎる―――そう思っても仕方がない。




 「まさか、君が生き残ってるとは思わなかったわ。相変わらず弱い者虐めが大好きなのね」

 「ふっ……感動すべき再会だというのに実にご挨拶ですね、学生会長殿。

  貴方こそこんな薄汚い場所で何をしておられるのですか? ここは貴方に似つかわしくない野蛮な戦場なのですが」

 「私にだって色々と事情があるのよ」




  フェイス・ウィンドウが表示され、冷たい笑みを浮かべたクリスの顔が見えた。




 「桐島さんも久しぶりね。鳳翔では特に交流があった訳じゃないけど、元気そうで何よりだわ」

 「あ、はい……っていや、そうではなくて」




  急な出来事に混乱していた思考能力が戻ってくる。

  相手が誰だろうが―――あの機体は、あの状況から自分と空の二人から逃げ切るだけの実力を持っている。

  そして、このタイミングでの介入。

  これで何かあるのを疑うなという方が難しい。




 「まあ確かに私も用事があったからここに来ているのだけれど。

  ついこの前に不審な動きをされた桐島さんとしては信用ならないかしらね?」




  見透かすような笑みがレインを見つめている。

  それを見て、レインは『自分が彼女の事が苦手である』という事を理解した。

  どうにも相性が悪い気がしてならないのだ。

  そこに、意気揚々とジルベルトが割ってい入ってくる。




 「まあそちらの裏切り者など放っておきましょう。学生会長……貴方も命が惜しければ早く離脱した方が宜しいかと。

  この場に留まり続ければ色々と厄介な事になりますので」

 「あら、どうも御親切に。

  けど生憎と私の相方が一人施設の奥に突っ込んだっきりなのよね。あまりに遅いから迎えに来てあげたのだけど、どこかしら」

 「何……?」




  瞬間。

  ジルベルトの表情が、今までのそれと一八〇度真逆のものへと変化した。

  忌々しげに顔を歪めながら、吐き捨てるように言う。




 「まさか……」

 「白を基調に青でペイントしてある特注機なんだけど……その様子だと、知っているみたいね」




  ジルベルトの殺気が露骨なまでに膨れ上がる。

  そこにはさっきまでのように相手を敬う態度は存在しない。

  ただ憎々しげにクリスを睨んでいる。




 「学生会長。まさか貴方が奴とつるんでいるとは……全く予想しませんでしたよ」

 「その口振りから察するに、貴方も彼の事を知っているのね?

  ふうん……世間ってほんとに狭いのね。こうも立て続けに会うとなると、そのうち全員集合もあり得るかしら。

  何にせよ、疫病神でも憑いているのかしらね」




  極めて面白くなさそうにクリスが呟く。

  ……その顔が少し不貞腐れているように見えたのは、気のせいだろうか?

  そしてジルベルトは不快感を隠そうともせずに叫びを上げる。




 「奴の仲間だというのなら話は別だッ!

  今ここで徹底的に嬲り、奴を誘き出すための餌にしてやる……!」

 「あら怖い。ついでに私も一言良いかしら」




  ノーブルヴァーチェがニードルガンを構え、応じるようにグリムバフォメットがチェーンソーを構える。

  クリスは表情に冷たい笑みを戻しながら―――




 「貴方如きに私をどうこう出来るとでも思っているのかしら、このヘタレ」

 「っ、ほざいていろ!

  勉学が優秀だけでは生き残る事のできない世界というものを、その身に刻み付けてやるっ……!!」

 「くっ、損傷の軽い者は重い者の援護を! これより撤退戦を開始します!」




  三者三様の思惑が交錯し、乱戦が始まる。

























                    ◇ ◇ ◇

























  空はひたすらに走り続けていた。

  数人の部下と共に施設の奥にあるデータベースを目指し、敵を蹴散らしながら突き進む。

  おそらく罠である事は確定的だが……ドレクスラー機関の手掛かりを手にする、という執念がその危険を顧みない。

  ギリギリになるまで退けなくなるのは悪い癖だと自覚しながら、空は最奥を目指す。




 「中尉殿、ここいらでちょいと部隊を分けませんか」

 「何よ、いきなり」

 「いえ、出過ぎた事だってのは分かってんですがね」




  部下のうちの一人が提言してきたのはこんな事だ。

  敵の数は少なく、防備も甘い。

  あからさまな罠である事は明白であり、一ヵ所に留まるよりは分散して情報収集にあたっている方が良いのではないかと。




 (……確かに、効率はそちらの方が良い)




  自分が奥を目指す事は変わらないが、探索範囲を広げればそれだけ情報も多く集まるだろう。

  さっきから雲を掴むような漠然とした不安が空の胸中を占めているが、それが何なのかは彼女自身にも分からない。

  まるで、何かが食い違っているかのような感覚。

  こうであるべき、という先入観が現実と合致しないような……そんな感覚に似ていた。

  何故そんな事を感じるかは分からないが……




 「……良いわ、ここからは散開して施設の探索に当たる。ただし必ず二人一組で行動する事……良いわね」

 「それはもちろんですが……俺たちは奇数人数ですぜ? 中尉はどうされるんでさ」

 「あら、心外ね。貴方達に心配されるほどの腕しか持ち合わせていない気はないんだけど?」

 「そりゃ確かに。こりゃ余計なお節介でしたかね」




  勝気な笑みを浮かべる空を見て部下も素直に引き下がった。

  そうして手早くコンビを組むとそれぞれが別の方向へと散っていく。

  時間は無い。

  理屈ではなく直感でそう判断して、空も機体を加速させて最奥を目指す。

  シュミクラムによる移動を想定した長い廊下を駆け抜けていく。




  ―――やがて、その場所へと辿り着いた。




 「……ここが」




  アリーナのように整った円形の床と、壁に沿うように配置されているデータベースにアクセスするためのコンソール。

  間違いない、と確信する。

  ここが最奥のコンソールエリア。

  ここからなら、ドレクスラー機関の残党の情報を手に入れられる。

  意を決してコンソールへと接続し、ハッキングツールを起動させた。




 『端末へ接続。

  データベースよりダウンロード開始』




  端末を通して圧縮データが徐々に転送されてくる。

  その時間を、空は嫌に長く感じた。

  目の前のスクリーンには様々なプログラムが奔っている。




 「―――、」




  ふと、目に入ったものがあった。

  スクリーンに映る動作中のプログラム―――ナノマシン研究開発用のソフトウェアだ。

  現在、空がダウンロードしているアーカイブにも含まれているはずの物である。

  ……気付けば、無意識のうちに仮想のキーボードへ手を奔らせていた。

  一体何を作っていたのか……やがて、スクリーンにナノマシンの構造式らしき物が表示された。




 「これ、は……」




  空は研究者ではない。

  なので構造式など見せられたところでそれがどういった物かというのは皆目見当もつかない。

  だから、そんな空でも分かりやすい部分の一つに目を通す。

  署名(シグネスチャ)―――そこに記されていた、見慣れた文字列。










 『ASSEMBLER Ver 2.27b』










 「あいつら……!!」




  空の胸の奥底から激しい怒りが湧き上がってくる。

  アセンブラ。

  あの大惨劇を、自分の恋人を無残に殺したナノマシン。

  それが、また、作られている。

  あの悲劇が、繰り返されようとしている。




 「ふざけるんじゃ、ないわよっ……!!」




  絶対に止める。

  あんな悲劇を二度と繰り返させてたまるものか……!!

  そう決意した直後、




 『警告:識別不明の個体が接近』




  感知装置の警告に、咄嗟に反応の方向へと振り向く。

  そこで、




 「……………ぇ」




  驚きで、全ての感情が消し飛んだ。




 「う…そ……」




  ありえない。

  目の前の光景に真実味が持てない。幻覚でも見ているのかと自分の正気を疑ってしまう。

  だって……ありえない。

  あいつは、私の大切な人は……あの日、あのクリスマスの日に……

  だが、高感度カメラを通して脳に伝えられる光景に変化はなくて。










 「カゲ、ロウ……」










  ただ唖然と。

  自分の恋人の持つシュミクラムを、空は見つめた。



[29132] 後章 干渉 -re start-
Name: ジエー◆7693fe4e ID:81c4baf6
Date: 2011/08/25 01:49


 「何、なのよ……」




  ポツリ、と。

  空の口から、とても細い声が漏れた。

  感情が、最初は水道から滴る雫のように……やがて、栓が緩められていくように激しさを増していく。

  困惑。そして、怒り。

  彼女にとって、目の前の光景はまさしく訳の分からない現象だった。




 「何、よ。何なのよ……こんな、今更……」




  何が言いたいのか、空自身にも分からない。

  ぐちゃぐちゃになった胸の内が思考を掻き乱して判断力を奪っている。

  ただ、分かる事は一つだけ。




  銃口を向ける。

  恋人が持っていた物と瓜二つのシュミクラムへと。




 「……ドミニオンか、私を直接狙った誰かか……何をどうやってそれを見せているかは、知らないけどね」




  縋ってしまいそうになる気持ちを捩じ伏せる。

  彼はもういない。

  あの日、目の前で、融けて消えていった。

  彼は、もう、いないのだ。

  それを……




  それを―――!




 「あいつを、私の大切な人をっ! 勝手に弄んでくれるんじゃないわよッ!!!」




  純粋な怒りが爆発する。

  カゲロウ・冴が、目の前のカゲロウへと突撃した。

























  後章<03> 干渉 -re start-

























 「はぁぁあああああッ!!」

 「ちぃっ!」




  白を基調としながら赤と青、正反対の色合いをした機体同士が刃を交えていた。

  繰り出されるスラッシュエッジにビームサーベルを振るう。

  互いに弾かれる刃―――だが、空は更に速度を上げて再度刃を振るった。

  その速さに甲は攻撃を避け切る事ができず、装甲が削られる。

  だが返す手で素早く懐に潜り込み、アームショットと呼ばれる武装を頭の下から打ち出した。

  大きく飛ばされるカゲロウ・冴―――しかし、その程度で沈む彼女ではない。




 「痺れなさい……!」




  カゲロウが動くよりも早く体勢を立て直したカゲロウ・冴からメテオアローが放たれる。

  高速で撃ち出されるそれに反応してみせたカゲロウは攻撃を避けるが、空の狙いは直撃ではない。

  余波が当たれば、それで十分だった。




 「なっ、機体がスタンした……!?」

 「終わりよッ!」




  装甲を大きく抉ろうとテリブルスクリューが繰り出される。

  手にした刃がドリルのように高速で回転し、カゲロウへと迫る。

  あんな物をまともに受ければ大した装甲を持たないカゲロウでは一溜まりもないだろう。

  無残に機体を抉り抜かれて、終わりだ。

  後には爆発によって散らばった残骸だけが残るだろう。

  そんな光景を、甲は幻視した。




 「冗談っ―――!!」




  瞬間、視界がスパークした。

  スタンではなくカゲロウが自ら電撃を纏い、周囲へと放出する。

  近付く者全てを弾き飛ばす武装、コレダー。それは攻撃を仕掛けようとしていたカゲロウ・冴とて例外ではない。

  放たれた電撃が物理的な衝撃として空に襲い掛かる。

  攻撃の最中に不意打ちで放たれたそれに、彼女は反応しきれない。

  結果、まともに電撃を受ける事になる。




 「あぐっ!?」

 「まだだ……!」




  勢いを付けてカゲロウが肩からタックルを仕掛ける。

  一瞬の予備動作の後に繰り出される高速の突撃が、弾き飛ばされたカゲロウ・冴へと容赦なく突き刺さった。




 「がっ……こ、のぉ……!!」




  その衝撃で吹き飛ばされる直前。

  空は手に持つ刃をハサミのように変化させ、カゲロウの胴体を掴む。

  そしてそのまま―――




 「これでも喰らいなさいッ……!!」




  自分が吹っ飛ばされる勢いのまま、ダウンスマッシュでカゲロウを振り回して叩き付けた。

  慣性を利用して自分自身は空中へと逃れ、カゲロウは叩き付けられて地面を跳ね回る。

  だが立て直しは早い。

  即座にブースターを吹かせて起き上がるとその視線を空中へと跳んだカゲロウ・冴へと向ける。

  そして、動いた。

  レイディングホーネットによる急降下攻撃とカイザーキックによる急上昇攻撃が真正面からぶつかり合う。

  衝撃がマシンの身体を震わせ、甲高い音がフロアに響く。

  両者共に新たなダメージはない。完全な相殺だった。




  そのまま二人は地面へと降り立ち、距離を保ったまま相手を睥睨する。




 (……認めたくないけど、似ている)




  水無月空は思う。

  目の前のカゲロウの戦い方、武装の自由度は間違いなく本物のそれと違いがなかった。

  学園生時代……まだ平和だったあの頃、空は真の付き添いで何度かアリーナへと行った事がある。

  その時に大会に出場していた甲達を影ながら応援したりしていたのだから、良く分かる。

  見覚えのある動き、統一性のない様々な武装。

  だからこそ空の思考を占めるものは一つ。




 (……この機体)




  六条コゥ―――門倉甲は思う。

  目の前の襲撃者は彼の持つ機体と似通っている部分が非常に多かった。

  甲は自分が同じ系列の機体とチームを組んでアリーナで戦っていた事は思い出している。

  だからこその疑問。その場面にいないこの機体は、はたして何なのか。

  記憶にある機体が自己進化ロジックで変化した物なのか、それとも全くの別人が纏っている物なのか。

  いくら考えても答えが出ない故に、甲は思う。




  二人は同時に、お互いの機体を睨みながら思う。




 (こいつは……誰だ)




  互いに銃口を向け合う。

  戦いは、まだ終わりを見せない。


























                    ◇ ◇ ◇

























  混戦が繰り広げられていた。

  至る所から銃弾が放たれ、飛び交い、装甲を貫く鈍い音が響く。

  その中を、クリスは圧倒的な速度で敵を切り刻んでいた。




 「纏めて刻んであげる!」




  波乱のカドリーユ―――両手に装備されたチェーンソーを丸ノコに変化させての回転突撃が繰り出される。

  進路上に存在したシャドーランを二機ほど巻き込み、本命の一機ごと驚異的な回転速度で切り刻んでいく。

  そのまま更に縦へと回転して胴体部分の刃で相手を切り上げる。

  ガリガリガリ!! と装甲を削る耳障りな音が響く。

  魔刃のスジェ。回転による切り上げから打ち落としの追い討ちが繰り出された。

  地面に叩き付けられた三機のシャドーランは耐久値が限界を超えて爆発四散する。

  そこから、クリスは更なる攻撃を繰り出す。




 「シフトッ!」




  シフト&リフト。

  グリムバフォメットの格闘形態と射撃形態を切り替えるための武装であり、蓄積した熱量を僅かであるが排熱できる機構を持っている。

  そして、眼下に残る敵全てにロックを仕掛けた。

  それら全てに対して、攻撃が敢行される。




 「さあ、受けなさい!」




  エレクトロミサイルが放たれる。

  放たれた弾頭を避けた者も直撃した者も、例外なく爆発と共に発生した超電磁フィールドに大きく弾かれた。

  そこへ、別方向からの攻撃が襲い掛かる。




 「今です、一斉射撃!!」




  レイン率いる部隊が弾かれて体勢を崩したシャドーランを纏めて撃ち尽くす。

  動けなかろうが、砲台として機能するならば攻撃に問題はない。

  ある程度の方向修正はこちらで手伝えばできるのだから、攻撃時の戦力は損傷前と大して変わってはいない。

  彼女が連れていた部下の数は六。彼女自身を含めれば戦力数は七となる。

  残っていた敵はシャドーランが三機。そしてジルベルトのノーブルヴァーチェを含めて四機だ。

  そんな戦力比で射撃をまともに受ければ、どうなるか。




 「くぁぁああああああああああっ!?」




  次々と爆散していくシャドーランがその答えだった。

  瞬く間にジルベルトの取り巻きが壊滅し、損傷機を含めた七機とクリスのグリムバフォメットが立ちはだかる。

  一気に増援の望めない四面楚歌へと陥っていた。

  クリスが嘲るように言う。




 「それで? 確か私に『勉学が優秀なだけでは生き残る事のできない世界』とやらをご教授してくださるのではなかったのかしら」

 「ぐ、くぅ……!」




  一歩、クリスが歩を前に進める。

  一歩、ジルベルトが後ずさった。

  それを自覚して、ジルベルトが更に悔しげに呻き声を上げる。




 「どうするのかしら? 現在の戦力比はざっと八対一……まだ続けるというのなら喜んでお相手を務めさせてもらうけど」

 「こ、の……! 好き勝手にやらせてやれば調子に乗って……!!」




  もはや怨念すら感じるほど忌々しげにクリスを睨むジルベルト。

  先程までの態度とは全く真逆のそれに、よくもまあここまで綺麗に手の平を返せるものだとクリスは呆れかえる。




 「じゃあこのまま戦いを続けるのね。意外と男らしい所があるじゃない、ジルベルト君」

 「フン、俺自ら手を下してやりたいところだが……残念ながら時間切れだ。今日のところは見逃してやる……」




  低く、そう言ってジルベルトの姿が掻き消えた。どうにも離脱したらしい。

  ヘタレめ、とクリスが短く吐き捨てて―――レインへと向き直った。

  一時的に利害の一致から共闘したものの、お互いの目的は不明。つまりは敵か味方すら判断が付けられない。

  警戒して当然の関係ではあるのだが……




 「桐島さん、あのヘタレの言葉から察するにこの施設には何か物騒な物があると思うんだけど……心当たりはないかしら」

 「おそらく自爆装置でも仕掛けているのでしょう。放っておけばあと数分もしないうちに論理爆弾が起爆すると踏んでいます」

 「あと数分、ね……それまでに誰かさんは戻ってこれるかしら」




  今はそんな事を言っている場合ではない。

  ここでもたもたしていれば纏めて全滅、なんていう事も十分にあり得るのだ。

  だからここで下手に敵対行動をとるような真似はしない。

  レインとクリスは妨害装置による通信へのジャミング効果が消えている事を確かめると、それぞれの相方へと連絡を取った。

























                    ◇ ◇ ◇

























  そうして睨み合っている最中、突如として互いに通信が入った。




 『聞こえるかしら。手短に説明するとここはもうすぐ自爆するからとっとと逃げてきなさい』

 『中尉、この施設の自爆装置が作動しようとしています! 今すぐ退避を!!』




  その内容にすぐさまここに留まるべきではないと判断を下す甲と空。

  直後、けたたましい警報が施設全体に響き渡った。

  自爆装置の作動が近い。

  それを察知した二人は即座に駆け出そうとして、




 「―――」

 「―――」




  一瞬だけ、互いの視線が交錯する。

  それを最後に、甲と空は全く別の方向へと駆け出した。

























 「それで、お前の方はもう脱出してるのかよ」

 『私も退避を始めているところよ。まあ施設の自爆までに範囲外には逃げ出せるでしょうし、貴方もさっさと戻ってきなさいよ』

 「言われなくても……!」




  クリスに発破を掛けられて甲は更にブーストを吹かせる。

  こんなところで論理爆弾にやられて脳死など、冗談ではない。

  限界近くまでブーストを吹かせ続けるが一向に出口は見えず、通過してきた道が実際の距離以上に長く感じられる。

  その上、施設の警報もそのけたたましさを増していた。




 『このっ、急ぎなさい! 既に最終秒読みが開始しわ! 早くそこを離れなければ脳を焼かれて終わりよ!!』

 「んな事を言っても、こっちだって急いでるんだよ……!!」




  ひたすらに走る。

  途中で出くわしたウイルスなどは全て無視して突っ切り、ただひたすらに走り続ける。

  そうして走っている最中に、










 「甲……」










  自分を呼ぶ声が、聞こえた。




 「え……」




  思わず、足を止めて辺りを見渡す。

  声の主は―――彼のすぐ足元に、佇んでいた。




 「君、は……?」




  突然の出来事に思考が停まる。

  この場に似つかわしくないどこかの学園の制服を身に纏った少女が、そこにいた。

  かなり薄い茶色―――どちらかといえば肌色に近い―――の長髪をツーサイドトップに纏めている。

  目の色は紅く、甲を見上げながら彼女は微笑んでいた。

  その笑顔に、頭が揺さぶられる。




 「ぐっ……」




  ……何だ? 俺は、この娘を、知っているのか?

  名前だけは覚えている知人達。この少女は、そのうちの一人なのだろうか?

  疑問が甲の思考を停止させる。

  少女は微笑みながら、口を開いた。




 「ごめんなさい。貴方の脳チップは、あの日に受け取った情報量に耐え切れずに深く傷ついてしまった。

  私達としてもそれは想定外で、ずっと貴方に謝りたかった。

  ごめんなさい……」

 「いや、待て。待ってくれ。情報量に耐え切れずに脳チップが損傷?

  そんな馬鹿な。一体どれだけのデータを受け取ればそんな馬鹿げた事態に―――」




  そこまで言って、甲はふと思い至った。

  つどつど思い返す戦闘の情景。あれは確かに、未知の情報という枠に入りはしないか?

  いつも後になって気付くのだが、思い返す光景は一度、始めて神父と戦った際に全て見ているのだ。

  ただ、それがまた思い返せなくなり……後になって、似たような状況になって初めて再び思い返す。

  まるで一度、その戦闘を経験していたかのように、だ。

  あれがもし彼女の言う通り自分が受信した情報なのだとすれば……?




 「いや、だとしてもありえない。あの程度の情報を送りつけられただけで……」

 「貴方が受け取ったデータはそれだけじゃない。むしろ、そっちはおまけというか、予想しなかった弊害みたいなものかな。

  ある程度の知識は順序立てて説明していくつもりだったけど、戦闘経験までまとめて流入したのは予想外」

 「は……な……」




  何を言っているのかがさっぱり分からない。

  既知の情報食い違いがあるのか、それとも単に知っている事実量の差から来るものかは分からないが、とにかく分からない。

  すると、甲のそんな困惑を見抜いたように少女は笑う。




 「確かに今は分からないと思う。突拍子もない話だし、信じられないと思う。

  だけど、これだけは覚えておいて。そして信じて欲しい。貴方は―――」










  ―――貴方は、全てを思い出せる。

























  時を同じくして、空も施設を脱出するために全力で走っていた。

  数あるシュミクラムの中でも群を抜く速さを誇るカゲロウ・冴は、あと少しで施設を抜け出すところまで到達している。

  それでもまだ足りない。

  しかけられた論理爆弾の範囲はおそらく施設外にまで及ぶだろう。

  だから、完全に逃げるつもりなら施設の外に脱出してもまだ走る必要がある。

  そう考えて、流れる景色を高感度カメラ越しに見つめながら―――空はさっきの戦闘について思い返していた。




 (……あの機体は、カゲロウ。たぶん、それに間違いはない)




  今まで戦場を駆け巡ってきた空だからこそ断言できる。

  あそこまで多彩な武装を積んでいるシュミクラムなど、門倉甲の駆るカゲロウ以外に存在しなかった。

  当時も彼は多彩な武装を武器として多くの対戦相手に勝利を収めてきたのだが、他の機体にあそこまで豊富な武装が装備されているのは見た事がない。

  更には統一性まで皆無ときた。

  電撃を放ちもすれば単純な打撃技もあり、ビームサーベルやフィールド兵装、実弾から光学まで実に節操無しと言う他ない。

  だからこその疑問。

  操縦者のパーソナルデータに合わせ機体を生成し、自己進化ロジックを積んでいるカゲロウがこの世に二つとして存在するはずがない。

  同一性が皆無の唯一性。

  ウィザード、西野亜季の手によって開発されたワンオフモデル。

  同一人物でもなければ、同じカゲロウが生成されるはずがないのだ。

  それが、余計に空の思考を混乱させる。




 「ああもうっ、何だってのよ一体……!」




  答えが出ない思考に苛立ち交じりの声を上げる。

  その時、










 「空……」










  自分を呼ぶ声が、聞こえた。




 「え……?」




  有り得ない、懐かしい声に、全ての挙動が停止する。

  立ち止まり、周囲を見渡してしまう。

  と、そのすぐ足元に―――彼はいた。

  その姿を見て、空は目を見開く。

  見覚えのある学園の制服。少しはねている茶色の短髪と、水色の瞳を持った少年。

  カゲロウを前にした以上の驚愕で―――小さく、呟いた。




 「こ、う……?」




  すると、彼は小さく首を横に振った。

  え? と空の口から更に疑問の声が上がる。




 「俺は甲じゃない。甲と同じ姿をしているだけの、全く別の存在だ」

 「っ、ならNPCか何かかしら。ドミニオンのような宗教勧誘はお断りなんだけど」

 「惜しい、と言っておく。何にしろ、お前は俺が何かは知っているはずだけどな」




  何を、と口にしようとして……空はふと思い至った。

  全く同じ姿をした電子体。そうでありながら、別の存在である。

  NPCという存在の定義に惜しいと返した彼の言葉。

  未だに目の前の光景は信じられないが、それを肯定して答えを導くのなら……




 「まさ、か……シミュラクラ、なの……?」

 「正解、ビンゴだ」




  ニヤリ、と少年は口を歪めて笑った。

  それこそ、空が良く知る彼とよく似た不敵な笑みで。

  だが空はその事実を即座に否定する。




 「ありえないわよ! 模倣体はモデルとのリンクがなければ存在する事はできない!

  あいつは、甲はっ、あのクリスマスの日に死んでいるのよ!!」

 「……あの日には、色々な事が一度に起こった。そして今も、あの日は最も大きな分岐点の一つだ。

  今まで観測されていた可能性は三つ。そして……四つ目を紡ぐために、今こうして俺達はここにいる」




  空の疑問にあえて答える事はせず、彼は言葉を続ける。




 「空は、AIとの親和性が高かったために予想外の弊害は最小限で済んだ。

  逆にあいつは結構な被害を被ったけど……それでも、道筋は繋がっている。

  きっと上手くいく。だから、空もあいつを信じてやってほしい」

 「待ちなさいってば! 黙って聞いていればさっきから一方的に訳の分からない事ばかり!

  あいつって誰よ! 起動しないはずの模倣体がいるのは何故! そもそも、あいつに貴方がいた事をあいつは知っていたの!?」

 「……その答えは、俺がお前にやれるものじゃない。お前が自分で見つけ出さないと、意味がない」




  言って、彼は空を見上げる。

  真っ直ぐに、空を見つめて、笑った。










  ―――きっと、近いうちにあいつと……門倉甲と、会えるはずだ。

























 『中尉! もう時間がありません、早くっ!!』

 『甲! 早くそこを脱出しなさい! 死にたいの!!』

 「「っ!?」」




  そこで、唐突に降ってきた声に二人は我に返る。

  慌てて周囲を探るが、先程の人物はどこにも見当たらない。

  訳の分からないまま走りだし、施設を抜け、更に爆発の範囲から抜け出すために走り続ける。

  瞬間、




 『警告、警告。

  後方で大規模なエネルギー反応。

  衝撃波の到達まで、あと10……9……』




  機械音声の警告と共に、背後で青白い閃光が瞬いた。

  それは見る見るうちに大きさを増していき、二人を呑み込まんと迫ってくる。

  しかし、その衝撃波はお飾りに過ぎない。

  灼熱や突風はサブであり、メインは接続者を皆殺しにする神経パルスだ。




 「くそっ、逃げ切れないか……!」

 「ちぃっ、逃げ切れない……!」




  別々の場所で、二人は同時に舌を打つ。

  せめて最後まで逃げ続けてやろうと更にブースターを吹かし―――










  瞬間、全ての視界が白に染まった。

  脳を揺るがす衝撃が響き、視界がぶれ……次の瞬間、二人は驚きに目を見開いた。










 「何だ……これ」

 「動きが……停止、しているの?」




  目に見える全てが凍結していた。

  灼熱も、突風も、閃光も、それによって破壊されて崩壊を始めていた構造体も……その全てが停止していた。

  幻覚でも見ているのかと混乱するが、すぐにそれどころではない事を思い返す。

  この現象が幻覚であれ何であれ、チャンスであることに変わりはない。

  二人はここぞとばかりにブーストを吹かせ、爆発の範囲外へ脱出すべく走り続ける。

  そして、あとすこしで逃れられる。

  そう安堵感を感じた瞬間、









  ―――世界が解凍した。










 「くそっ……!」

 「こんなところでっ……!」




  背に衝撃波と閃光が叩き付けられる。

  激しい振動と衝撃。

  今度こそ視界が全て白に染まり―――次の瞬間、まるでブレーカーが落ちるように精神の活動が停止した。



[29132] 第一章 覚醒 -awake-
Name: ジエー◆7693fe4e ID:93168739
Date: 2011/08/19 08:58




  目覚めると、白い海に漂っていた。

  柔らかなシーツの感触が肌に心地いい。

  白い布地が陽光に照らされて、眩しさに開きかけた目を閉じる。

  いつもと同じ、平和な一日の始まり。

  おそらく今日もいい天気。

  窓から差し込む光が、瞼を閉じてもなお眩しい。

  だけど、ベッドから抜け出すにはまだ早い。

  ―――だって、聞き慣れた呼び声が、まだ俺の耳には届いていないから。

  そう考えて、彼は寝た振りを続行しようとする。




 「甲……起きて」




  そう考えると、早速『あいつ』の声が聞こえてきた。

  鈴の音のような声が彼の耳朶を打つ。




 「……ほら起きて。早く起きないと遅刻しちゃうよ」




  そう、もう起きないと、学園の始業時間に遅れてしまう。

  さっさと朝食を済ませて、今日も学園に行かなければならない。

  退屈な授業をやり過ごせば、午後からは仲間達とのお楽しみが待っているのだ。




  分かっていながら、彼は聞こえないふりで惰眠を貪る。

  もう少し待てば、『あいつ』の手が優しく俺を揺り起こしてくれるはずだから。




 「もう、仕方ないなぁ」




  ―――ほら、『あいつ』が俺を揺り起こそうと、身を屈める気配がする。

  『あいつ』。

  彼にとって、ちょっと特別な女の子。

  生まれて初めて出会った、ちょっと深い関係になれそうな女の子。

  『あいつ』を想うと、彼の胸は切なく痛んでしまう。

  毎日、寮で顔を合わせ、一緒に学園に通っているのに、もっともっと、一緒の時間を過ごしたくてたまらない……

  そんな女の子。




 「……甲」




  ……なのに、どうしてだろう?




 「……甲、こ~おっ、……甲ッ」




  彼の脳裏には、『あいつ』の顔がどうしても浮かんでこない。

  水無月空。

  彼にとって、とても大切な人。

  そんな彼女の顔を思い浮かべる事ができない。

  そんな時、










 「いい加減に起きなさい、甲ッ!!」










  強烈な叱咤が、彼の意識を急速に引き上げた。

























  第一章 覚醒 -awake-

























 「っ……!?」




  とても聞き慣れた声に慌てて身体を起こす。

  起き上がってからまず最初に目に入ったものは、こちらを見下ろす巨人だった。




 「全く……結局巻き込まれて、脳死したかと思ったじゃない」

 「ぁ……クリ、ス……?」




  よく見れば見覚えがある巨人だった。

  ―――グリムバフォメット。六条クリスの駆るシュミクラムだ。




 「どうやら、ちゃんと意識はあるようね。他におかしなところはない?」

 「あ、あぁ……」




  コゥは言われるままに自己診断プログラムを奔らせる。

  簡易的な検査で体中を調べて―――結果、異状なし。

  とりあえずは問題無いらしい。




 「……すまん。状況を教えてくれるか」

 「状況も何も、施設は自爆。巻き込まれたシュミクラムはごく一部を除いて全滅して、残っているのはウイルスばかり。

  私達もこれ以上の無駄な損害を被る前に離脱した方が良さそうね」




  言われて、周囲を見渡す。

  構造体の各所では未だに戦火が上がり、銃弾の放たれる音や爆発が響いている。

  薄汚れた灰色の空は変わらず、陰鬱な雰囲気だけが満ちていた。




 「呆けている暇はないわよ。ドミニオンも撤退してドレクスラー機関の残党もいない今、ここに留まる理由は無いわ」

 「ああ、分かっている……分かっているさ」




  未だに薄い霧が掛かったような頭を振って気持ちを切り替える。

  こんな情けない姿、とてもじゃないがあいつらに見せられるもんじゃない。

  そう考えて、コゥはブーストを吹かせて離脱のために走り出し、クリスもそれに続く。




 「そういえば貴方」

 「何だ」

 「途中、少しの間だけ足を止めていたわね。何かあったの?」




  胡乱気、というよりは心配気味にクリスが甲を見ていた。

  論理爆弾などを受けてしまったからだろうかと不謹慎な事を考えるが、今考える事ではないと切り替える。

  あの時に見たものは何だったのかを考えようとして、




 「……あれ?」




  そういえば、俺は何を見たんだ?

  まさかと思い、コゥは慌ててさっきの出来事を思い返そうとする。

  が……見たはずの光景が浮かんでこない。ついさっき見たはずのものを思い出す事ができない。

  ざっと血の気が退いていくのを感じた。

  必死に思い出そうと暫くの間唸るが、結果は変わらない。

  クリスもいつまでも返事のないコゥを不審に思ったのか、こんな事を言い出した。




 「貴方、もしかして記憶が飛んでるなんて言わないでしょうね」

 「っ……」

 「……はぁ。その反応を見るからにビンゴのようね? いくらなんでも難儀すぎるでしょう」




  やれやれと盛大に溜息を吐くクリス。

  溜息を吐きたいのはこっちだと愚痴を言いたくなるが、そこはぐっと堪えた。

  改めて前を見て、今自分がやるべき事を確認する。




 「そっちはいい。それより、このままどこまで走ればいいんだ」

 「……それについてはラッキーと言えるわ。離脱防止装置を展開している奴がいるんだけど、今の私達とは正反対の方向に向かっているのよ」

 「走ってればそのうち離脱できるってか」

 「その通り。こんなところさっさと離脱するわよ」




  若干不機嫌気味にクリスは言い、更に機体の速度を上げる。

  それに追いつくためにコゥも更に速度を上げ、その後を追うのだった。

























                    ◇ ◇ ◇

























 「……ちゃ……」




  身体を襲う浮遊感の中で、懐かしい声が聞こえる。

  その声を聞いていると、何だかとても懐かしくなって嬉しくなる。

  同時に、酷い眠気も感じていた。

  心地よい怠惰感が意識を奥底へ沈めようと絡みついてくる。




 「お……ちゃ…」




  このままずっと漂っていたい……

  そう思っていた直後、




 「目を覚ましてください、お姉ちゃん!」

 「なっ……!?」




  大音量で叫ばれて、空の意識は反射的に意識が浮上した。

  顔を上げて慌てて周囲を見渡す。

  未だに戦火の絶えない戦場と、銃声の不協和音。

  思い出す。自分はまだ戦場の只中にいるのだと。

  と、そこで自分を起こしたのは一体誰だと思い至って―――




 「ふぅ……起きてくれないから心配しちゃったじゃないですか。

  けど、無事でよかった」




  目の前に、思いがけない機体が佇んでいる事に気が付いた。

  その機体は純白の妖精のように見えるシュミクラムで、オプティカルウイングが特徴的な自分の妹の……




 「ネージュ・エール……まさか、まこちゃんっ!?」

 「はい。お久しぶりですね、お姉ちゃん」




  空の視界にフェイス・ウィンドウが表示される。

  そこにはあの頃と、あの日に別れた時と変わらない妹の笑顔が映っていた。




 「え、あ……何で、こんなところに……」




  だが、空には再会の喜びよりも懸念が先に立った。

  何故こんな場所に妹がいるのか。何の用があってここに来たのか。

  すると、そんな考えが顔に出ていたのか画面の向こうで真は少しむくれた表情をした。




 「お姉ちゃん、私だって先生を追っているんですよ? 手掛かりがあれば喰い付きもします」

 「あ……そう、か。そう、よね」




  言われて、今更のように思い出す。

  妹―――真は、『灰色のクリスマス』の真相を直接先生に問い質すと言って空の前から姿を消したのだ。

  それ以外にもどこかの組織に追われていたとも言っていたので、ドレクスラー機関と共に数年間彼女の事を探し続けていた。

  それが、その彼女が、今目の前にいる。

  ずっと探し続けて全く情報が入らなかったというのに、気まぐれな猫のように現れたのだ。




 「まこちゃん……今まで、どこに」

 「んー、あれから色々とあったんですけど……秘密、という事にしておきます。

  内容は華々しいものじゃないけど、折角の思い出話をこんな戦場の真っ只中でするのは勿体ないから、また今度です」

 「いや、また今度って……私、まこちゃんが今どこにいるのかすら知らないんだけど」

 「心配しなくても近いうちに私から会いに行くと思うから。だから、その時まで秘密」




  と、悪戯っぽく笑われて誤魔化された。

  空としてはそんな風に誤魔化されるとこれ以上の追及をする気もなくなってしまう。

  はぁ、と短く溜息を吐いて身体を起こす。




 「……戦闘は、まだ続いているのね」

 「はい。しかし施設の自爆でシュミクラムはほぼ全てが壊滅。残っているのはウイルスばかりです」

 「ほぼ全てが壊滅、ね……」




  陰鬱な気分になる。

  何度も体験してきた事とはいえ、自身の不手際で部隊の者が死んでいくのは流石に慣れない。

  レインと共に脱出していた部下は無事だろうが……散開していた自分の部下はどうだろうか。

  不安が拭えない。




 「中尉!」




  そんな事を考えていると、視線の向こうから青い機体が駆けてきた。

  レインの乗機、アイギス・ガードだ。

  その後ろに部下のシュミクラムが二機続いている。

  その手の上には更に数人、今回の強襲で集った部下たちがいた。




 「無事だったのねレイン……手放しに喜べる状況ではなさそうだけど」

 「中尉こそよくあの神経パルスの中で無事で……それと、そちらの方は?」

 「ずっと探していた妹よ。ひょっこりと顔を出してくれちゃってね、どう反応していいか困っていたところよ」

 「はぁ……」




  どう返事していいか分からずに曖昧な言葉しか返せないレイン。

  まあ、こんな事を聞いてもまともな返事が返ってくるはずもないかと空は話題を打ち切って現状を確認する。




 「部隊損害の報告をお願い」

 「私が連れていた部下のうち二人は脳死、二人はシュミクラムが大破。残る二人は軽傷ですがこれ以上の戦闘行動には支障があるかと。

  中尉と共に行動していた者達は……」

 「……そう。自分の無能さに呆れるしかないわね」




  ―――人が死ぬのは、正直怖い。

  今まで数え切れないほどの人間を殺してきた自分が言う事ではないが、やはり人の死は怖いのだ。

  目の前で死なれれば殺した相手に怒りを向けるだろうし、自分のせいで死んでしまったのなら自分自身に憤るだろう。

  事実、今までがそうだった。

  同僚が……マークが自分を庇って死んでしまった時など、本当に自分で死を選びそうなほどにはショックを受けていた。

  だからあまり繋がりを作らないように、特定の部下は持たないようにしてきた。




  たとえ死んだとしても、その方が傷つかずに済むから……




  だが、それでもやはり、くるものがある。

  こういう事は、殺し慣れた今でも慣れない。




 「今は感傷に浸っている場合じゃないわね……レイン、ここからの離脱は可能?」

 「現在、後方に離脱妨害装置を展開している指揮官型ウイルスが残存しているウイルスを掻き集めているようです。

  それを倒せば離脱は可能でしょう」

 「集結しきる前に気付けただけ僥倖、か……今から一点突破でその指揮官型を潰すわよ、全員いいわね?」

 『了解!』




  部下達が返事を返す中、真だけが口を挟む事なくただじっと佇んでいた。

  妹を放っておくわけにもいかず、空は真に向き直る。




 「まこちゃんは、どうするの」

 「私としてもここから早く離脱したいですし。

  手伝いながらお手並みを拝見させてもらいます、水無月空中尉」

 「……分かったわ」




  また悪戯っぽく笑って言う真に、もう空は深くあれこれ考える事を止めにした。

  まずは、真が目の前にいる事から受け止めよう。

  そう決めて、空はこの場を離脱するための行動を開始した。

























                    ◇ ◇ ◇

























 「さて、と。現状を纏めておきましょうか」




  走りながら、そうクリスが切り出した。




 「貴方、論理爆弾に巻き込まれる前後の記憶がないみたいだけど、他の記憶は大丈夫なの」

 「あ、あぁ。少なくともお前とあってからの経緯は覚えているし、知り合いの名前も憶えている」

 「そう……」




  眉を顰めて思案にふけるクリス。

  おかしい、と思う。

  論理爆弾は神経パルス波によって脳を直接攻撃するタイプの兵器だ。

  まともに受ければ確実に脳死だろうし、そうでなくても脳活動に何らかの影響を及ぼしてしまうだろう。

  それほどに危険な兵器なのだ。

  そんなものを喰らっておきながら全くの無事とは考えにくい。




 「とりあえず、今はここを離脱する事の方が先決だ。

  俺も脳チップがそのまま無事とは考えていない……久々に顔を出すのも、悪くないだろうさ」

 「……そう、ね。確かに、今は離脱する事を優先するべきだわ」




  が、やはりどうにも気になってしまう。

  離脱妨害装置の範囲外へと抜け出すために走りながら迫るウイルスを蹴散らしながら、頭の片隅ではどうしてもその事を考えてしまう。

  らしくない。自分でもそうだと分かっている。

  しかし気になってしまうのだから仕方がないではないか。

  これで彼の身に万が一があってしまっては元も子もないのだ。




 「っ、甲。前方に大型のウイルス」

 「了解」




  言って、コゥは駆け出す。

  相手は四角形の頂点それぞれに補助アームをくっつけたような大型のウイルス、鉄。

  一気にブーストを吹かせてウイルスとの距離を詰め、ASスティンガーで真上から奇襲を仕掛ける。

  だが相手の装甲はそれだけでダメージが通るほど薄くはなかった。ミサイルの爆発や衝撃波などの一切を無視してカゲロウにアームを伸ばしてくる。

  その隙間を掻い潜るようにギャラクティックストライクが繰り出された。

  真上からの強烈な叩き付けに鉄の機体が僅かに宙へ浮く。

  そこへ、更にクリスによる魔刃のスジェが叩き込まれた。下から上へと力を加えられ、上空高くへと打ち上げられる。

  コゥもそれに追い縋るようにマインスイーパ―――後方へと跳び上がり爆弾を撒き散らす武装で上空へと跳び上がる。

  だがそれでは鉄の下へは辿り着けない。全くの逆方向へと跳び上がったコゥは、




 「これで―――」




  その慣性を利用し、更に武装を繋げる事で高度を稼ぐ。

  一瞬にして後方へと下がり、逆手で両手に構えられるナイフ。

  起動した武装のロジックに従い、コゥは周囲の景色を一気に追い抜いた。




 「決めるッ!!」




  次の瞬間、コゥは鉄の目の前でナイフを振るっていた。

  ザギンッ、と鈍い音を立てて装甲が削られる。

  だが終わりではない。コゥは更に腕に力を入れて―――神速と共に振り抜いた。

  キリングレイジ。コゥの持つ膨大な武装の中でも攻防一体のフォースクラッシュ。

  鈍い音が一瞬の静寂の後に幾重にも重なって響いた。駆け抜けざまに振り抜いたナイフは、目視が不可能な速度で相手を切り刻んだのだ。

  そこに、止めの一撃が繰り出される。




 「抉ってあげるッ……!!」




  殺戮のプルミエール―――チェーンソーが削られた装甲の隙間から内部へと突き刺さる。

  悲鳴を上げるウイルス。だがクリスはそれに構わず、取り付けられた刃を無理やり高速回転させた。

  ギャリガリゴガガガガリッッ!! と不快な騒音が悲鳴のようにウイルスの内部から吐き出されていく。

  そしてそれを引き抜き、後方へと跳び退くクリス。

  次の瞬間、それは空中で盛大に爆発を起こした。

  二人はそれに構わない。離脱妨害エリアを抜け出すために走り続ける。




 「まったく……これじゃ離脱妨害装置の範囲外に出るのも一苦労ね」

 「だが、あと少しだ。ウイルスの数も少ないから、このまま走っていれば抜け出せる……と思いたい」

 「そうね。これ以上に状況が混乱するのは流石にご免だわ……と、」

 『離脱可能』




  と、機械音声が離脱妨害エリアから抜け出したことを知らせてきた。




 「どうやら、無事に到着ね」

 「またアンカーを仕掛けるウイルスが出てこないとも限らない。とっとと離脱するぞ」

 「ええ―――ログアウト・プロセス、起動」




  クリスが離脱プログラムを起動させる。

  同時に視覚が、聴覚が、触覚が、全ての感覚がここではないどこかへ引き上げられていく感覚が全身を襲う。

  そして、二人は0と1が無数に広がる電子の海から離脱した。

























                    ◇ ◇ ◇

























 「発見しました! 敵指揮官タイプのウイルス、種別はミラージュです!」

 「こっちも目視したわ。レインは他の連中のフォローをお願い。私とまこちゃんで仕留める……!」

 『了解っ!』




  全員の号令が重なり、空と真は同時に群がる敵の只中へと突っ込んだ。

  一見しただけだとシュミクラムにも見える大型のウイルス、ミラージュ。

  武装も豊富であり、性能も高い。下手なシュミクラムよりも高性能なそれはウイルス版シュミクラムと言っても良い程だ。

  それだけでも厄介なのだが、相手の周囲には小型のウイルスが展開している。

  多勢に無勢。

  だが、水無月姉妹は臆せずにウイルスの群れに挑み掛かる。




 「じゃあ行くわよまこちゃん。アリーナで暴れまくっていた実力を見せてくれるわよね?」

 「私をあの頃と同じだと思ってもらっては困ります。お姉ちゃんこそ、傭兵協会で噂されている凄腕の実力、見せてくれるよね?」

 「言うわね。だったら、お姉ちゃんの実力をその目に焼き付けなさいっ―――!!」




  お互いに不敵な笑みで言葉を交わす。

  そうしながら、空は不思議な高揚覚を覚えていた。同時に感じるちょっとした嫌悪感。

  あの時、あそこまで妹が戦いに関わる事を否定していたというのに―――今では、完全ではないとはいえ是として捉えている自分がいる。

  現金だとも、都合が良いとも、非情だとも、ろくでなしだとも、色々な感情が入り交ざったものが空の胸中に湧き上がる。

  それを否定はしない。

  だが、それ以上に―――




 「私が雑魚を薙ぎ払う。本命はお姉ちゃんに任せるから、頑張って」

 「体良く押し付けられたようなセリフね……けど、任されたっ!」




  それ以上に、こうして共に戦える事がとても嬉しい。

  肩を並べて、背中を任せて、互いを信じて戦場を駆け抜ける。

  相棒であるレインのそれとはまた違った感覚。

  それが、こんなにも嬉しい―――!!




 「ビット展開―――!」




  真の真横、左右に四機ずつ大型のビットが展開された。

  光輪が浮かび上がり、エネルギーがビットへと収束していく。

  赤い、大きなエネルギー球。

  膨大な出力を持ったそれを、




 「アポカリプスレギオン、照射ッ!!」




  一気に解き放った。

  大型ウイルスすら呑み込むほど巨大なエネルギー波が一斉にウイルス達へと牙を剥く。

  避ける事は許されない。抵抗する事も許されない。巨大な閃光に呑まれたウイルスは片っ端から焼き尽くされていく。

  それでもまだ、ウイルスの群れは止まらない。

  攻撃の範囲外に逃れたウイルスが無防備な真へと迫ろうとする。

  だが、それも全てが徒労に終わった。

  原因はやはり放たれたエネルギー波。それが、一定の距離に達すると同時に全く別の方向へと頭を曲げたのだ。

  それは当然、真へと襲い掛かろうとしていた範囲外のウイルス達の方向だ。

  不意打ち気味に襲いかかったエネルギー波に碌な反応を返す事もできず、範囲外にいたウイルス達も尽くが塵に還っていく。

  あまりにも理不尽な暴力の嵐。

  全てを破壊する軍隊が薙ぎ払う戦場。

  その中を、水無月空が駆け抜ける。




 「ターゲット補足、仕掛けるッ!」




  先制とばかりにクロスイリュージョンによる三連撃が叩き込まれる。

  次いで、駆け抜けざまにスライスエッジがミラージュの装甲を削る。

  だがミラージュもやられてばかりではない。攻撃と攻撃の一瞬の隙間でミサイルを放つ。

  更に、空を囲うようにプラズマを放った。触れた者を弾くプラズマは囲んだ者を逃がす事は無い。

  空の左右からミラージュの放ったミサイルが迫る。

  逃げる事は空を囲うプラズマが許さない。

  だが、




 「舐めるんじゃないわよっ……!」




  空は、それら一切合財を跳び越えた。

  空中へと躍り出た空は手に持つ刃へ弓へと移行させ、雷撃の矢を放つ。

  寸分の違いなくミラージュへと突き刺さった矢は周囲に電撃を放ちながら、それに触れた者をスタンさせた。

  動きが停止するミラージュ。

  そこへ、更なる追撃が叩き込まれた。




 「喰らいなさいっ!」




  レイディングホーネットによる急降下攻撃で相手の機体を打ち付ける。

  地面に撥ねられるそれに追撃として放つテリブルスクリュー。ドリルのように回転する刃が装甲を抉り取る。

  そこにダウンスマッシュを打ち込んで更に機体を撥ね飛ばした。

  そして、巨大な弓につがえられる一本の矢。




 「終わりよ……」




  フォースクラッシュ―――クリティカルアロー。




 「貫いてッ!!」




  神速の一矢が、一寸の狂いなく、抉られた装甲を貫いた。

  そして、爆散。

  離脱妨害装置を展開していた指揮官ウイルスは爆発と共に粉々に砕け散った。

  それを確認した空は、真と待機していたレイン達に呼び掛ける。




 「みんなっ! ウイルスが群がってくる前にとっとと離脱するわよっ!!」

 『了解っ!』




  目の前に広がる構造体の崖目掛けて全員が駆け出す。

  飽く事無く迫り続ける小型ウイルス。その数は既に数えるのが億劫になる程にまで増えていた。

  構っていては消耗戦を強いられ、いずれは力尽きるだけだ。

  それらを全て無視して、距離を稼ぐために崖から全速力で跳び出す。




 「レインッ!!」

 「ログアウト・プロセス、機動ッ!!」




  瞬間、全身の感覚が引き上げられていく。

  全ての感覚が電脳世界と0と1の羅列から断絶されていき―――




 《じゃあお姉ちゃん、近いうちにまた会おうね》




  その言葉を最後に、空の意識は白に包まれた。

























                    ◇ ◇ ◇

























  気が付けば、二人は錆びついた地下道の中にいた。

  冷たく硬い床の感触が寝ぼけるコゥの意識を無理やりに引き上げていく。




 「ぬ……なんとか、離脱は間に合ったか」

 「そうね……直前にアンカーを張られるなんて事にはならずに済んだみたい」




  隣で聞こえる声に目をやると、同じようにクリスも身体を起こしているところだった。

  携行用操作席から神経接続子を引き抜いて、自分達がここにいた事の証拠を一つずつ消していく。

  こういう地道な作業が彼らの安全性を意外なほどに引き上げてくれるのだ。逃亡生活では馬鹿にできない。

  一通りの作業を終えてその場から立つ。




 「さて、と……今回は目立った成果はなかったわね。精々、ドミニオンとドレクスラー機関の繋がりがほぼ確実になった程度かしら」

 「データも結局回収できなかったからな。クソ、あの時何があったんだか……」




  再び思い返そうとするが、駄目だった。濃い霧が立ち込めているように全く情景が浮かんでこない。

  はぁ、と何度目か分からない溜息を吐いて頭を振る。

  いつまでもここに留まっている訳にはいかない。




 「とりあえず、出るか。あとの事はそれから考えよう」

 「賛成……と、言いたいところだけど」




  おもむろにクリスがコゥへと歩み寄る。

  手を伸ばせば届く距離。お互いの顔が間近に迫る。

  クリスの人形のように整った顔がすぐ目の前にまで出てきて、思わず顔を赤らめるコゥ。




  と、いきなり頬を思いっきり抓られた。




  彼女は被造子である。その握力たるやそこいらの常人が及び付くものではない。

  そんな握力で抓られるという事はつまり、かなり痛い。




 「あぁだだだだだだだだだだっっ!!!」

 「貴方は、ただでさえ、一度、脳チップが、損傷しているんでしょうっ。

  そこに論理爆弾なんてまともに受けた時の被害を考えなかったとは言わせないわよ……?」

 「悪かった! それにつひてはちゃんと謝るから手を放ひてくれ!」

 「ふんっ」




  ぐいー、と止めとばかりに頬を引っ張ってからクリスは手を放した。

  ようやく解放されて頬を擦るコゥ。かなり赤くなっていそうで鏡を見るのが怖かった。




 「だったら、さっさと医者に診てもらいなさい。

  幸いここは清城市―――貴方を最初に診てくれた彼女もいるわ」

 「つつつ……まあ、そうだな。俺だって脳チップにこれ以上の損害が増えるのはご免だ。

  ちょっと時間はかかるけど、今からでも会いに行くか」




  そうと決まれば話は早い、とコゥとクリスは地下道を出た。

  外に出た瞬間、鈍い光と荒んだ匂い、道行く人々の喧騒が一気に押し寄せてくる。

  華美に彩られたネオンの電飾。街の中心に天高くそびえ立つ威容。

  老朽化した高層ビルの壁は落書きに覆われ、廃棄物がそこかしこに積み上げられ人の群れはくたびれきっている。

  アジア最大の密造ナノ工場。武装カルトの拠点。租税回避地。データ・パイレーツの巣窟。

  それが、今の清城市。

  数年前とは違い、荒廃しきった猥雑な生活感に満ちた街である。




 「まったく、酷いもんだな……」

 「ここには色々と厄介事が掃き溜めのように積もっているから。

  犯罪だってやりたい放題だし、だからこそドミニオン、それと繋がりのあるドレクスラー機関もここに来ているのでしょうね」




  行き交う人々に混じり、他愛のない会話を交わしながら目的地へと向かう。

  その途中、ふとコゥは気にかかるものを見つけた。

  思わず立ち止まってそれを凝視してしまう。

  見えたのは、緑色の小さな頭。




 「……甲、どうしたの」

 「あ、いや……」




  瞬きの間にそれは雑踏の中に消えていった。

  ただなんとなく、それに見覚えがある気がする。




 「何か、凄く見覚えのあるものを見た気がして……」

 「そうなの? どれかしら」

 「いや、雑踏の中に紛れてもう見えない。緑色の小さな頭を見たんだけど……」

 「貴方の知り合いに外見的特徴が似ている人がいたのかもね……駄目ね、私にも見えないわ」

 「お前でも見えないなら、これ以上探しても無駄か。済まんな、早く行こう」




  被造子の超人的な視力でも見えないのならこれ以上は無駄だと判断して歩みを再開する。

  その最中、コゥさっき見たものについて考える。

  緑色の小さな頭―――要は緑色の髪を持っている誰か。そこから、なんとなくニラを連想してしまう。




 『こーら、甲。ニラは健康に良いんだからちゃんと食べなきゃ駄目だよ』

 『だからってニラ尽くしは勘弁してくれ! あと、肉を抜いたニラレバ炒めはただのニラ炒めだ!』




  ふと、頭にノイズが奔った。

  思い返されるいつかの情景。あれは、一体誰との会話だったか。

  緑色の髪、連想されるニラ、ノイズの情景からして女の子……

  頭を捻るが、答えは出ない。




 「甲、立ち止まってないで早く来なさい」

 「あ、あぁ……悪い、今行く」




  疑問に蓋をして、コゥは先で待っているクリスの下へと急ぐ。

  やがて―――二人は路地裏にその姿を消した。

























                    ◇ ◇ ◇

























 「中尉! 起きてください、中尉!」




  まどろみの中で、誰かの声が聞こえてきた。

  だがそれを無視する。心地の良い眠りの中に留まりたいという欲求が返事を躊躇わせる。




 「んん……」




  まだ起きませんよー、と適当な意思表示。

  このまま適当に眠りの中に沈んでしまおうとして―――




 「中尉! 後方よりシュミクラム多数接近!!」

 「っ!?」




  その言葉に嫌でも意識が覚醒した。

  いきなりの脅威に無理やり叩き起こされた空は慌てて周囲を見渡して、




 「……あれ? 私、離脱したんじゃなかったっけ……」




  きょとん、と地下道の景色を見る事になった。

  隣に目をやれば溜息を吐いている自分の相棒と、忍び笑いをしている部下たちの姿が見え……

  それで、やっと状況を理解した。




 「レイン、貴方ね……」

 「申し訳ありません中尉。しかしここでのんびりとしている訳にもいきませんでしたので……」

 「分かってるわよ。起こしてくれた事には感謝してる」




  良いもの見れたぜ、と呟く男共にはとびっきりの睨みをくれてやり撤退の準備を進める。

  その最中で、脳死を確認した数人の部下には弔いの言葉を贈った。

  特別な付き合いがあった訳ではないが、それでも共に戦場へと赴いた戦友なのだ。

  ドミニオンにもCDFにも、身体や脳チップを弄らせる気はなかった。




 「まともな弔いもできずにごめん。私、不甲斐ない指揮官だよね……」

 「いつか、私達もそちらへ逝きます。その日まで、さようなら」




  部下達も口々に『お疲れさん』『向こうで良い奴見つけろよ』と別れの言葉を贈る。

  そして、その中央に焼夷爆薬をセットする。




 「……行くわよ。ここを出れば貴方達の仕事は終わりだから、自由に解散して頂戴。報酬は指定の口座に振り込んでおくわ」

 「了解です。中尉、お世話になりました」

 「御武運を」




  言って、全員が駆け出す。

  みるみるうちに横たわる戦友たちの姿が遠くなり、やがて視界から消えた。

  その数分後―――遠くから聞こえてきた爆発音と振動が火葬の終了を告げてきた。

























  すえた臭いが鼻につく。

  部下達と別れた空とレインはミッドスパイアの中を歩いていた。

  とりあえず、何をするにしても今日の宿が欲しい。




 「……ほんと、数年前とはずいぶん違うわね」

 「中尉は数年前にもこちらに来た事が?」

 「通院目的でね。妹のまこちゃんの治療と、私の記憶障害と」

 「……初耳です」




  レインの呆気にとられた声に思わず『そうだっけか』と思う空。

  よくよく思い返してみれば確かに話した事はなかったかもしれない。その必要性もなかったのだから余計に。

  良い機会だから、折角なので話しておこうか。

  そう考えて、空は淀んだ天を見上げる。




 「まあ、記憶障害と言っても大した事じゃないのよ。小さい頃の記憶が一部分だけ抜け落ちているってだけ」

 「そうなのですか……」

 「今となっては別に大した事でもないんだけどね。そこまで気にするような事じゃないわよ。

  それよりも今は―――」




  あの施設で起こった事だ。

  口に出さずに、目だけでレインにそう伝える。

  直後に直接通話を通して声が聞こえてきた。




 『詳しい報告をお願いできる』

 『とは言っても、こちらはあまり成果が出ませんでした。

  セキュリティコアを制圧する前に敵のトラップに気付いたところまでのは良いのですが、そこでジルベルトの奇襲に遭いまして……』

 『ジルベルト……あいつ、まだしぶとく生き残っていたのね』

 『まったくです。生命力だけはゴキブリ並みかと』




  軽口を言いながらも、空の視界にはレインが纏めた事の顛末が表示されていた。

  ジルベルトの奇襲を受けて部下は損傷。動けない者もおり、敵に囲まれた状態に陥ってしまう。

  そこに突如として数ヶ月前に二人が追撃して逃げられたシュミクラム―――六条クリスが現れ、共闘。

  協力して事態にあたり、ジルベルトを撃退して撤退した。

  まとめるとこんな感じだった。

  しかし、奇妙な縁だと思う。

  数ヶ月前に逃がしたシュミクラムと共闘する事になるとは考えもしなかった。




 『それで、名前の他に分かった事はあるの?』

 『それが……傭兵教会に登録はされているのですがほとんど分からない、というのが現状です。

  彼女はどうやら相当に用心深いらしく、自らの情報をあまり提示していないのです』

 『……それ、おかしくない?』

 『はい、おかしいです』




  通常、傭兵とは雇われ家業だ。

  外部からの仕事を請け負い、それをこなす事で収入を得て生活の糧とする……そういった生業だ。

  良い依頼が欲しいのならばそれに見合うだけの価値と実力を示さなければならない。

  そういったものを示す大きなパラメータの一つとして個人情報というものがあるのだが……




 『見事なまでに最低限必要な事しか載っていないわね』

 『おそらく、特殊な事情を抱えているのでしょう。ここまで情報が少ないと本人がいる事を知らなければそう簡単に見つける事はできそうにありません』




  調べれば調べるほど謎になる。

  前回と今回、遭遇した状況に共通する項目と言えばドレクスラー機関とドミニオン程度なものなのだが……

  彼女の狙いはそのどちらかだろうか。




 『それと、彼女曰く相方があの場にいたそうです。奥の方に行ったと言っていましたが中尉はそれらしきシュミクラムを見かけませんでしたか?』

 『シュミクラム……?』




  レインの言葉にデータベースに侵入した時の事を思い出そうとして……ザッ、とノイズが奔った。

  記憶を参照する事ができない。

  何かを見たとは思うのだが、それを正確に思い出す事ができない。

  額に眉を寄せて思い出そうとしても、二〇世紀のテレビのように砂嵐が被せられたような……そんな光景しか浮かび上がらない。




 『……ごめん、神経パルスを受ける前の記憶がちょと思い出せない。何かを見たのは確実なんだけど』

 『そうですか……明日、医者に診てもらいましょう。やはり神経パルスを受けて全くの無事とは考え辛いですし』

 『そうね、その通りだわ』




  我が事ながら難儀なものだと思う。

  それでも、ドレクスラー機関を追う事を止める訳にはいかない。

  あの悲劇を、あの光景の真実を空は知りたい。

  そう、あの光景……彼が溶けて消えていった……




 「……ぁ、れ」




  そこに、強烈な違和感が生じた。

  何か決定的な食い違いを見逃したかのようなニュアンスがある。

  一体何に違和感を感じているのかを確かめるために思考を巡らせて―――










 「……何、よ、これ……」










  愕然と、呟いた。




 「中尉?」




  急な呟きにレインが空に声を掛ける。

  だがそれは彼女の耳には届かない。

  今、彼女の頭を占めている事はただ一つ。










  『灰色のクリスマス』の記憶が、二つ存在する。










  訳が分からない。

  神経パルスで起こったバグなのか、それとも本格的に脳チップが壊れてきたのか。

  分からない。

  まるで訳が分からず、気味の悪さや妙な悪寒まで感じ始める。




 「何よ、これは……」




  いつの間にか、身体は震えていた。

  自らの身体を掻き抱くようにして震えを止めようとする。必死に、強く、身体を抱く。

  だが、それでも震えは止まる事無く、




 「中尉……? 中尉、しっかりしてください、中尉っ!」




  レインの声をフィルター越しに聞いているような感覚と共に、空の全ての感覚がブラックアウトした。



[29132] 第二章 背反 -contradiction-
Name: ジエー◆7693fe4e ID:93168739
Date: 2011/08/25 02:20


 『夜の街って言っても、クリスマスの夜は流石に雰囲気が違うわね』

 『まあカップルの皆様が仲睦まじく親睦を深めている最中だからな。そこらじゅうで他人が近寄りがたい雰囲気を発しているんだろうさ』




  二人は夜の街を歩いていた。

  適当な店を物色して回り、何か気に入った物があれば懐の許す範囲で買っていた。

  とはいっても細々としたアクセサリー程度しか買っていないのだが……




 『ふーん。じゃあ私達はどうなんだろうね』

 『別の意味で近寄りがたいんじゃないか。俺とお前の口論に口を挟もうとは思わないだろうからな』

 『あー、本人の目の前でそういう事を言うかなー』

 『事実だろー』




  軽口を叩き合いながら二人は街の中を歩き続ける。

  なんとなく、本題を話しにくかった。

  だからこんな風に取り留めのない会話が続いて、いつも通りの世間話に発展していく。




 『そういえば、そろそろだったか?』

 『何が』

 『アセンブラの実演。先生の体調が悪くて時間がずれたって言ってたのはお前だろ』




  今日、クリスマス・イヴの夜。

  ドレクスラー機関の研究所では彼らの先生のチームが開発したアセンブラと呼ばれる第二世代ナノマシンの実演が行われる。

  二人にとっても先生は恩師であり、その彼が多大な努力を重ねて作り上げたアセンブラ。

  実演の成功は願って止まないところだった。




 『レインの親父さん―――桐島大佐もそれに出席するんだよな』

 『うん。ほんとは実演の後の予定だったんだけど、急に先生の体調が崩れちゃったみたいだから前倒し。

  その割には先生も元気そうに私を送り出してくれたんだけどね……うーん、何か心配』

 『止めておけ。お前が手を出すと無駄なお節介が働きすぎてみょうちくりんな方向に事態がぶっ飛びかねない』

 『……貴方、私を何だと思ってるのよ』




  他愛のない会話が続く。

  そのまま街中を歩き続けて、ちょっと奮発して食べ歩きをしたり、そんな事を繰り返した。

  どこかぎこちない、それでも楽しい時間が過ぎていく。

  そして―――










  その時が、やって来た。










  遥か彼方。

  夜闇を切り裂く眩い光が落ちてきた。




 『……え?』




  呟いたのは誰だったのか。

  周囲でざわめいていた人々は全て、何かに呼ばれたかのように上空を見つめた。

  降り注ぐ光条。

  雲を突き抜け、大気圏の外側から振り下ろされてゆく光の鉄槌。

  ―――グングニール。

  どこからか聞こえたその言葉を皮切りに、莫大な衝撃音が鼓膜を震わせた。




 『に……に、逃げろぉぉおおおおお!!!』




  誰かの叫びに呼応するように一斉に人々が動いた。

  グングニール―――衛星軌道上に存在する対地レーザー砲の破壊力は核に匹敵する。

  それが二度、三度と絶え間なく今も降り注いでいるのだ。

  逃げる。今すぐにこの場から逃げなければならない。




 『ぐ、空っ……!』

 『行きましょう、私達も早く!』




  駆け出す。

  押し潰されそうなほどの人の波に紛れながら、必死に迫る破壊から逃げていく。

  阿鼻叫喚の地獄絵図の中、二人はお互いの手を放す事なく走り続けた。

  しかし、異変が起こる。

  突如として、頭に異常な痛みが奔ったのだ。




 『が、ぁ……っ!!?』

 『ぁ……な、に……っ!?』




  脳が熱を持つ。限界を超える情報が流れ込み、耐え切れない負荷が痛みとして悲鳴を上げる。

  流れ込む。刻み込まれる。組み替えられる。

  繋がる感覚と、増幅されていく何か。

  二人にはこの感覚に覚えがある。

  だが、それはありえない。

  彼女が凍結されている以上、起こりえないはずの現象なのだ。

  だからこそ思う。これは何だ?




 『邪魔だ、どけぇ!!』




  痛みのあまりに周囲に注意を忘れ、一人の男性が二人の間を突っ切って行った。

  互いの手が、離される。




 『そ、らっ……!!』

 『こぉ、ぁっ……!!』




  痛みに呻きながらも、必死に手を伸ばす。

  互いの手を離さないように。繋ぎ止めるために。

  だが、無情にも光の衝撃が二人の身体を吹き飛ばした。

  周囲の人々も衝撃に巻き込まれて紙屑のように飛んでいく。




  悲鳴を上げる脳。寸断される意識。

  視界が白に潰されて轟音が全てを掻き消していく。

  何も分からない。何も考えられない。

  それでも、二人は互いの名を叫んでいた。










 『空ぁぁああああああああああああああああああああっっ!!!!』

 『甲ぉぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっっ!!!!』











  その直後。

  衝撃と熱風が全てを呑み込み、吹き飛ばした。

























  第二章 背反 -contradiction-

























 「このっ、連絡の一つくらい寄越さんかぁぁぁあああああああああああああああっっ!!!!」




  ノイの診療所に辿り着いた二人は、そこで盛大に怒鳴り声で出迎えられた。

  肩を怒らせて剣呑な表情で詰め寄るノイにコゥとクリスも出鼻を挫かれる。




 「何の音沙汰もなく早数年。やっと顔を見せたと思えば今度は論理爆弾を喰らっただと?

  まったく、君達は医者を便利屋か何かと勘違いしていないかね」

 「いや、確かに連絡を入れなかったのは悪いと思っていますが、ノイ先生を巻き込む訳にも……」

 「シャラップ。

  確かに普段なら面倒事を持ち込むなと言うところだが、君達は私が受け持った患者だ。最後まで面倒を見る義務があるのだ。

  それに、まだまだ君達は若い。もう少し年長者を頼れと言いたいのだよ」




  彼女にしては珍しく完全にお冠だった。

  二人にしても彼女がここまで怒るような場面を見た事は無い。単に過ごした時間が短かっただけかもしれないが。

  とにかく、それくらい彼女は怒っていた。

  だからコゥが取れる手段といえば―――頭を下げて謝るしかなかったのだ。




 「―――すみませんでした」

 「……あまり深く首を突っ込もうとは思わん。が、あえて聞いておこう。理由は話せるかね」




  それを無碍にする事はしない。ノイとて何らかの事情がある事は理解している。

  




 「正直、俺としても訳が分からない。ここ数年を奴らとの攻防に費やしてきましたが、俺が狙われる理由がいつも抽象的かつ一方的ですから」

 「迷惑な話だな……相手の正体くらいは分からんのかね」

 「……性質の悪いカルト集団ですよ。教主自ら俺の首を獲りに来て、それからずっと付け狙われています」

 「流石にやられてばかりは性じゃないから、仕返しとばかりに噛み付いているけどね」




  それを聞いて、ノイは得心顔で頷いた。とりあえず今の会話で納得のいく部分はあったらしい。

  クリスは肩をすくめて、コゥは溜息を吐いた。

  自分達の着ている者は軍服であり、少し調べれば現在の職くらいは見当がつくだろう。

  そこから少しばかり噂話などを集めていけばおのずと自分達の行動も見えてくるはずだ。

  これが今でき得る限りの最大譲歩だ、と話題を切る。

  ノイもそれに対して特に異論はなかった。




 「さて……それでは診察を始めるとするか。この数年間、経過を報告しなかった分も含めてみっちりと診てやろう」

 「げ……」




  連絡入れておけば良かった……

  その時ばかりは本気でそう後悔したコゥであった。

























                    ◇ ◇ ◇

























  目が覚めると、くすんだ天井が見えた。




 「ぁ……れ……」




  何時の間に寝ていたのだろうか。

  空が力の入らない首を緩慢に動かすと、安い色彩の壁が目に入った。

  身体に意識をやると真下から何かに持ち上げられている感覚がする。シーツが見える事を考えるとベッドの上だろうか。

  意識を失う前の前後を思い出そうとする。




 「私……」




  ドレクスラー機関残党のアジトを突き止め、そこに強襲し、データを持ち帰って……




 「っ……」




  そこで、思い出した。

  自分が見たもの―――否、体験した事を。

  一二月二四日、クリスマス・イヴの夜にあった、あの悲劇を。

  だが、




 「記憶が二つもあるって、一体何よ……」




  呟いて、自分でも訳が分からなくなった。

  本格的に脳チップのバグや故障を疑う。

  片や、門倉甲が生きながらアセンブラに融解される記憶。

  片や、彼と自分が共にグングニールに巻き込まれる記憶。




 「……どうせなら、あいつが生きている記憶でも思い出せばよかったのに」




  言って、また違和感を感じる。

  無意識に思い出すと言ったが、この場合はどちらが正しい記憶なのだろうか。

  そう考えて―――無意味だと断じた。

  どちらにせよ悲劇的な結末である事に変わりはない。アセンブラにしろグングニールにしろ、彼はそれに巻き込まれて……死んだのだ。

  その事実に変わりはない。

  だから、今はそちらを考えるべきではない。深みに嵌れば何かがずれてしまいそうな気がする。




  と、部屋のドアを開けてレインが入ってくるのが見えた。

  彼女は目を開けている空を見るなりほっとした表情を浮かべてくる。




 「中尉……良かった、目が覚めたのですね」

 「ええ。また苦労を掛けたみたいね、レイン」




  おそらくはレインが一人で自分を背負ってここまで運んできたのだろう。

  いつも苦労を掛けっぱなしだな、と思う。

  今まで彼女の補佐がなければどこで野垂れ死んでいてもおかしくはなかったのだから。




 「今は休んでください。きっと神経パルスの影響もあると思われます……明日にでも、医者に診てもらう事にしましょう」

 「そうね、今は休ませてもらうわ……と、言いたいところなんだけど、これを見てくれるかしら」




  空はなんだかんだとレインに渡し損ねていた施設で手に入れたデータを送りつける。

  データを受け取ったレインは暫くその視線を中空に彷徨わせて―――やがて、その表情が険しいものになった。

  レインも自分と同じ物を見たのだろう。深刻な雰囲気を漂わせている。




 『……最悪ですね。既に指揮官(コマンダー)を除いて完成しているようです』

 『大した執念だわ。そこまでして大虐殺を起こしたいのかしらね、奴らは』




  レインから纏められた情報を受け取りながら重く溜息を吐く。

  そう、今はやるべき事がある。

  ドレクスラー機関を追い、久利原直樹に真実を問い質す―――それまで立ち止まる事はできない。

  立ち止まる訳には、いかない。

  そう強く想い、懐にあるカートリッジを空は握り締める。




 『……私からはこれだけ。他には何かあるかしら』

 『いえ、取り急いで報告するような事はありません。どうぞごゆっくりお休みください』

 『そう……じゃあ今度こそ、お言葉に甘えさせてもらうわ……』




  いい加減に重い瞼を閉じていく。

  頭痛に痛む頭に悩まされながら、それでも意識は泥に沈むように引きずり込まれていく。

  精神的なショックが大きかったのか……まだまだ疲れは取れていないらしい。

  一つ溜息を吐く。




 「おやすみなさい、レイン」

 「おやすみなさい、中尉」




  ありがちな就寝の挨拶を最後に完全に意識を繋ぎ止める努力を放棄する。

  そして、崖に落ちるような感覚と共に意識のブレーカーが落ちた。

























                    ◇ ◇ ◇

























  暫くの後、コゥは診療台でぐっすりと眠っていた。

  あどけない寝顔……いつもなら周囲への警戒で凝り固まっていた寝顔とは違う、随分と久しぶりの寝顔。

  それを、少し複雑な気分でクリスは眺めていた。




 「ナノマシンで脳チップを修復ね……とうとう中に入り込んで人体の特定箇所を弄れるレベルにまで達したのね」

 「正確には安全性がほぼ確立された、という事だな。技術自体は前からあったものだが、その安全性の確保にも相当な年月を必要とする。

  技術というものはそうやって初めて世間の矢面に立つ事が許されるのだ」

 「なるほどね……さしずめ、今の彼に使われているのは限りになく白に近いグレー、といったところかしら」




  言いながら部屋を見渡す。

  所々に見える医療器材や奥に見える水槽は数年前には見られなかった物だ。おそらくは自分達のいない間に運び込まれたのだろう。

  流石に様変わりしているものだと思いながら、クリスは言う。




 「……それで、彼の事はどこまで知っているのかしら」

 「どういう事かね」

 「数年前、貴方は彼がここを出ていく事を察知していた。あの短い期間の間で、彼の人格を理解していた。

  そしてそんな彼がこの場所から離れる事を決意するようなことが起こった事も―――そこまで察しの良い貴方だから、ある程度は予測や調べがついてると思うのだけれど」

 「……なるほど。彼の思慮の及ばない部分は、見事に君がフォローしてくれていた訳だ」




  飲むかね、とノイがコーヒーの入ったマグカップをクリスへと向けた。

  彼女はそれを受け取ってちびちびと飲み始める。

  ―――熱い上に、苦い。

  ミルクなど全く入っていない完璧なブラックコーヒーだった。




 「ははは、そう渋い顔をするな。五感への刺激は眠気を覚ますのにも効果的なんだぞ」

 「そういう話をしているつもりじゃないんだけど」

 「悪い悪い。さて、本題は私がどこまで知っているか、だったな」




  ノイは視線を中空に投げると、おもむろにクリスへとデータを送りつけた。

  とりあえずはこれを見ろという事なのだろう。クリスは送られてきたデータを開いて視界に表示する。

  そこに現れたのはあるデータの羅列だった。

  言うなれば簡易的な履歴書のような物。おそらくはノイによってまとめられたであろうそのデータの主は……




 「門倉甲。

  『灰色のクリスマス』以前は星修学園の学生として生活していたそうだ。住居は如月寮で、シュミクラムを使ってアリーナに出場したという記録も残っている。

  経歴自体は平凡そのもの。家族事情が少々特殊なようだが、取り立てて説明するような事ではないな」

 「……やっぱり、ある程度は調べがついていたのね」




  中には、彼女の知らない彼の情報も記されていた。どちらかといえばそちらの方がほとんどだ。

  星修学園の生徒で、アリーナの出場記録あり。門倉家の一人息子で、母親は電脳症で他界、父親は傭兵稼業。

  父親と母親の名は―――




 「門倉永二と、門倉八重……?」




  誰にも聞こえないほどの小ささで呟いた言葉には、想像以上の重みがあった。

  寒気がした。

  それ以上に、どこかに納得がいった。

  覚えのあるこの二つの名前。彼が、コゥが彼と彼女の息子であるというなら、それはつまり―――




 「む、どうしたのかね」

 「いえ……何でもないわ」




  頭が痛くなりそうである。

  自身の祖父―――グレゴリー神父が何故彼を狙うのかは分からない。

  だが、これだけははっきりと言える。




 「……貴方は、想像するよりもずっと、重い何かを背負っているのかしらね」




  言いながら、安らかに眠る彼の髪を撫でる。

  門倉永二と、門倉八重。そしてグレゴリー神父。

  この三人を結びつける因縁と、それらと繋がりを持つ自身とコゥ。




 「知った時、貴方は何を思うのかしら……」




  知れば、おそらく単純な危機回避が目的ではなくなるだろう。

  あの神父が以前の神父と同じという保証はどこにもないが……彼は、知って放っておける性格をしてはいない。

  数年前と違い冷酷さを身に付けていたとしても、根っこがお人好しなのは変わらなかった。




 「……それに」




  今の彼は、記憶を回復させるための処置を受けている。

  数年経って進歩した技術は、自然回復を待っていた彼の記憶を手繰り寄せる事が可能になっていた。

  記憶遡行。

  まるで映画を見るかのような感覚で、彼は過去の記憶を夢という形で体験し、思い出しているのだろう。

  クリスの知らない、門倉甲を。

  それを思い出した時……彼は何かが変わるのだろうか。思い出した事で、知人に会いたいと思うようにはならないだろうか。

  そうやって日常に回帰していって……そこで、自分はどうするのだろうか。




 「まったく、無様ね」




  そう自分を断じた。

  元々自分は誰かに依存しやすいとはいえ、いくらなんでも安直過ぎはしないだろうか。




 「おそらく夜には目を覚ますだろう。君もそれまでくつろいでいると良い」

 「そうね……数年振りなのだし、少しくらい様変わりしてないか探索してみようかしら」




  踵を返す。

  クリスは最後にコゥの寝顔を一瞥して、店内を物色する作業に入った。

























                    ◇ ◇ ◇

























  ―――夢を漂う。




 『……青い空。舞う桜の花びら、か。出来すぎな春の光景だなぁ』

 『おい、甲、何呆けた事言ってんだよ。そんな場合じゃないだろ?』




  懐かしさで胸が締め付けられた。

  今、自分が見ている―――いや、体験しているものは過去の出来事。

  それでも、記憶の中の友人と再び会う事ができた。知る事ができた。

  須藤雅。

  彼が星修学園に入学してから知り合った親友。

  確か、彼女を見つけてやると言われていたが未だに見つかっていないんだっけか、とおぼろげな記憶の糸を手繰り寄せる。




 『しかし、いきなり『荷物を纏めて出て行け』だもんな。ったく、いきなり廃寮なんてアリかよ?』

 『仕方ないだろ? 住んでるヤツの半分が不正アクセスの現行犯で捕まったんだから……』




  親友と言葉を交わしながら、彼は桜の散る土手の道を歩いていく。










  ―――ノイズが奔る。










 『ううっ、甲ぅ……甲~~ぅっ……ふぇええええっ……』

 『なっ、泣くなっ……! ちょっと、そりゃ、大袈裟すぎるだろっ……!』




  抱きとめた幼馴染が泣いていた。

  若草菜ノ葉。

  小さい頃は何かと付き合いが多かった少女。

  そういえば得意料理はニラ系列のものだったか、と胸焼けするような光景を浮かべた。










  ―――ノイズが奔る。










 『一応、事情を説明してくれる?』

 『ネットに潜りすぎた。こっちに戻ってきたら空腹でダウン』




  食事を終えて満面の笑みを浮かべる再従姉が見えた。

  西野亜季。

  贔屓目で見ても天才だと言い切れるほどの技術を持った姉のような存在。

  カゲロウは、彼女からプレゼントとして貰った物だと思い出す。










  ―――ノイズが奔る。










 『シュミクラム対戦の仲間に……ならないか?』

 『最初っから、そう言わんかぁああ~~~っ!!』




  盛大な勘違いから彼女を思いっきり叫ばせてしまった。

  渚千夏。

  スポーツ万能で容姿美麗。彼としては、初めて真剣に異性として考えさせられた相手。

  何かと大胆な行動が多かったなあ……と、今にしてみればかなり美味しい思いをしていたのだと痛感する。










  ―――ノイズが奔る。










 『じゃあ、あの真ちゃん……でいいかな?』

 《はい、嬉しいです。甲先輩っ! 先輩は私が電脳症だって分かっててもイヤな目で見ないんですね》




  普通に接する事に目の前の後輩はとても喜んでくれた。

  水無月真。

  電脳症を患っている、ちょっと口下手な女の子。

  彼女には色々と世話になっていたと感謝の念が湧いてくる。










  ―――ノイズが奔る。










 『……頬にキスなんかしたら、今度はグーで殴るからね?』

 『するかっ!』




  出会いは、それはもう散々だった。

  水無月空。

  自分にとって、とても大切な存在だったはずの女の子。

  何か……彼女とは、言葉で言い表せないほどに大変な事があった気がする。










  ―――ノイズが、割り込んでくる。










  そこでも、彼は夢を眺めている。

  彼女と共に、幾万、幾億もの数え切れない夢を眺めている。




 『ん、こっちに意識が向いてるな』

 『これもリンクを作った影響かしらね……今までのようにAIを経由したリンクとは違って、今回のは特殊だから』




  何だ、何の話をしているんだ?

  会話に耳を傾けようとしても、彼にはその内容が掴めない。

  必死に聞き取ろうとしていると……不意に、彼女がくすりと笑った。




 『焦らなくても良いのよ。今は分からなくても、その時が来たのならきっと理解できるから』




  何を言っているのか分からない。分からないけど……分かる事はある。

  彼女は、きっと俺を気に掛けてくれている。自分の存在を賭けて……なんて言葉が、本当に真実味を帯びていそうなくらいに。

  そう思うと、彼は何故だかとても嬉しくなった。同時に気恥ずかしくなり―――多大な後悔の念が押し寄せてくる。

  どうしてそんな気持ちになるのか、それすらも今の彼には分からない。




 『今の俺達にできるのは、ただ眺めている事だけだ。願いを託して、夢を見続ける事だけ』




  だけど、




 『それでも、全てを終わらせるために……私達も力を貸すから』

 『神父なんかに負けるんじゃねえぞ。ただ、あんまり情けないようなら、どこかからありがたい叱責が飛んでくるかもな?』

 『……ちょっと、誰の事よ』




  自分の見ている彼らがとても幸せそうなのは、自分でも訳が分からないくらい嬉しかった。




  その光景を最後に、意識が沈んでいく。

  漂う身体がまるで吸い上げられるように引っ張られて―――

























  そうして、夢から覚めた。




 「……えっと」




  目を擦り、まだはっきりしない頭で辺りを見渡す。

  周囲に見える医療機器……一見しただけではどういった類の物かは分からない。

  所々に資料や器具が置かれており、奥にはよく分からない物が踊っている水槽がある。




 「あぁ……そういや、ノイのところに来てたんだっけ」




  徐々に頭がはっきりとしてくる。

  そう、自分はドミニオンを追っている最中にドレクスラー機関の施設へと襲撃を仕掛けた。

  その最中、脱出に遅れて論理爆弾を喰らってしまい……脳チップは半壊。

  治療のためにノイの元を数年振りに訪れてナノマシンによる治療を受けたのだ。

  コゥは、その成果を確かめるように目を瞑る。




  ―――確かに、思い出す事ができる。

  全てを思い出した訳じゃない……だけど、仲間達と過ごした記憶は途切れ途切れでも思い出す事ができる。




 「あら、起きていたの」




  と、思い出に耽るコゥへと声が掛けられた。

  適当に店内を物色して回ったクリスが、戻ってきてみれば目を覚ましていた彼へと声を掛けたのだ。




 「クリスか」

 「その調子だと問題は特になさそうね。論理爆弾を受ける前に見たものは思い出せた?」

 「いや……」




  コゥが首を横に振ると、クリスは『そう』とだけ言って彼の隣にまで歩いてくる。




 「けれど、仲間達の事は……少しだけだけど思い出せた」

 「……そう」




  返答には少しの間があった。

  コゥの座る椅子に腰掛けるようにクリスがもたれ掛かってくる。

  お互いが触れ合える距離。

  静かな診察室の中、二人の手が重なる。




 「どうするの。記憶が戻り始めた今、数年振りに顔を出す事もできるんじゃないかしら」

 「自分の生死を偽装しておいて今更どの顔を出せって言うんだよ。空や千夏辺りにばれたら俺の命がヤバイ」




  そう言って苦笑する。

  死を偽装して、架空の戸籍を用意し、彼は名を変え生きてきた。

  ほんの少しの情報を頼りに親戚の力を借りる事もできたのに、それをしなかった。

  そうさせるほどに神父の狂気が常識を逸していたのか、それが彼の生来から来る性質だからなのかは分からない。

  それでも、彼は選んだのだ。

  仲間を巻き込まぬよう独りで戦う道を。




 「そういえば、」




  と、クリスがふと思い出したと声を上げた。




 「貴方の知り合いの中に、西野亜季からカゲロウを譲渡されるような人物はいたの?」

 「……そういや、そんな話もあったな」




  クリスの言葉でコゥもその事を思い出す。

  彼女が遭遇した、おそらくカゲロウタイプと思われる機体。

  戦闘記録の映像でそれを見たが、あんな形状の機体を彼は知らない。

  加えて、あの機体はおそらく両腕に装備されているブレードが主力武装だ。

  千夏ならば格闘、それも蹴りに特化するはずだし、雅に至ってはあんな女性的な機体になるとは思えない。

  カゲロウの自己進化ロジックによって変化した可能性もなくはないが……

  想像する。

  彼の知る範囲でシュミクラムを持っていなかったのは―――空、真、菜ノ葉、亜季、の四人だったはずだ。

  しかし……




 「想像できん……」




  それが彼の素直な感想だった。

  彼女たちがシュミクラムを身に纏い戦っている姿がどうしても想像できない。

  ギリギリで空なら想像できるかもしれないが……他の三人については全くと言って良いほど無理だった。

  そもそも、彼女達があんな戦場に出てきているなどとは考えたくない。




 「とどのつまり、全く分からないって事ね」

 「面目無い……」




  記憶を取り戻したところで分かるような事ではなかった。

  まだ完全に戻った訳ではなく、むしろまだまだ思い出せない部分の方が多いのでそちらに何かあるのかもしれないが。




 「まあ良いわ。明日は少し気分転換をしましょう」

 「何だ急に」

 「そういう気分なのよ。聞いた話だとナノマシンによる脳の修復が進むにつれて記憶遡行も起こりやすくなるらしいわ。

  何かの行動中にいきなり白昼夢を見られるのも迷惑なのよ」

 「……それは、怖いな」




  もしも戦闘中にでもそんな事態になってしまったなら……そんな事は、想像するだけでも恐ろしかった。

  確かに、これは少し街でも見て回りながら様子を見た方が良いのかもしれない。




 「すまん。迷惑を掛けるな、クリス」

 「今更よ。貴方のお守りなんて、ここ数年で慣れたくもないのに慣れてしまったわ」




  挑発するような笑みを浮かべながら言うクリスに、コゥも挑発的な笑みを返す。

  そのまま話は終わりとばかりにクリスが立ち上がり、診察室と病室を隔てる扉へと歩いていく。どうやら向こうが彼女の寝室らしい。

  クリスはその扉の手前で一旦立ち止まり、




 「そうそう。彼女、貴方の朝食を楽しみにしていたから、そのつもりでいた方が良いわよ」




  最後にそんな事を言って、病室の中に消えていった。

  それを見ていたコゥは、視線を天井の方へと向けて頭を診察椅子に預ける。




  今日は、色々とあった一日だった。

  それでも何とか今日も生き延びる事ができて、明日を迎えるための眠りに就く。




 (……冷蔵庫の中身、何があるかな)




  そんな事を考えながら、コゥの意識はゆっくりと眠りに落ちていった。



[29132] 第三章 魔狼 -fennir-
Name: ジエー◆7693fe4e ID:93168739
Date: 2011/09/01 02:24



  脳内に響くコールで目が覚めた。




 「まったく……誰よ、こんな時間に」




  世界は既に暗がりが支配しており、時間を見れば深夜帯だった。

  空はぼんやりとした頭で届いたメールを開く。

  中空にモヒカン頭の男の顔が映し出された。




 『よぉ、中尉、俺だよ俺』




  男の名はスマック・ジャック・エディ。

  空が個人的に頼りにしている情報屋である。




 『中尉の推測、ビンゴだったよ。すげぇねぇ、いや、マジ流石』

 「……推測?」




  何の話だったか……と考えて、空は何度目になるか分からない衝撃を覚える。

  また思い出せない。

  エディに対して何かを調べるように頼んでいたのは覚えているのだが、それが何だったかを正確に思い出す事ができない。

  ドレクスラー機関残党が潜伏していたはずのあのアジトの件に関する何か、というところまでは覚えているのだが……




 『もうちょい詳しい事を掴んだら、また連絡すっからよ。こいつは、どでかいスキャンダルになりそうだ。

  へへへ……。上手いこといったら、また一杯奢ってくれよな、中尉殿』




  メールはそこで終了した。

  いくら考えても思い出せそうにないと判断した空はエディと連絡を取る事にする。

  彼がわざわざ連絡を寄越してきたという事は何らかの動きがあったという事だ。それを聞けば、きっと何を頼んでいたかも思い出せるはずである。

  空は折り返しでエディへと通話を送る。

  短いコールが何度か響いたあと―――通話が繋がった事を示すダイアログが表示された。




 「エディかしら? さっきのメールの件だけど、とりあえず分かっている事だけでも教えてくれないかしら」

 『おう、中尉殿。いいからこれを見てくれよ』




  同時に、エディから結構な量のデータが送られてきた。

  空はそれに順に目を通していき、それを見ているかのようにエディの解説が入ってくる。




 『まずアジトを含んだ構造体の持ち主だが、名目上はとある中堅会社って事になっているが実態は違う。

  その会社ってのは密造業者(ブートレガー)だったんだよ』




  ……やっぱり、あのアジトに関する事ね。

  声に出さずに空は思う。

  この狡猾な情報屋の事だ。記憶が不十分だと知れば追加で情報をやる代わりに更に金を要求してくる事が空には容易に想像できた。

  が、しかし……ここは躊躇している場合ではないかもしれない。




 『で、その会社の役員なんだが……やれやれ、中尉が調べていた例の男らしい。

  まぁ清城市の議員と密造業者が癒着しているのは公然の秘密なんだから、当然と言っちゃ当然の事なんだけどよ』

 「……その議員っていうのは?」

 『そう焦るな。話は順序立ててやっていくもんだぜ、中尉殿。

  大体、怪しそうな複数の議員から搾り込めって言ったのは中尉だぜ』




  そんな事まで忘れていたのか、と空は表に出さず焦りを募らせる。

  これは、想像以上に忘れている事があるかもしれない。

  しかしそれをおくびにも出さず、エディに話の続きを促す。




 「そうだったかしら? 忘れてたわ」

 『冗談言っちゃ困るぜ、まったく……。まあいいや……、中尉、それについては俺の送ったデータを見れば一目瞭然。

  ……と言いたいところだが、その業者の役員も複数の議員の連名だ。確実に一人に絞るにはもう少し証拠がいる』




  エディの話を聞きながら空はデータに目を通していく。

  そこには確かにAI派の市議会議員達が名を連ねていた。同姓同名の赤の他人、という事は流石にないだろう。

  もしかすると、この中の誰かがアジトの爆破を指示したのかもしれない。

  それは同時に密造業者との繋がりが表に出ては困るような人物、という事でもある。




 『しっかし、今回は結構危ない橋を渡ったんだぜ……? 正直、報酬とは別に何かを要求したいくらいだ』

 「それはお互い様じゃないかしら。私だって、ついさっきまで直接そのアジトに乗り込んでドンパチしてたのよ」

 『ほっ、てぇことオイ! データベースから何か金になりそうブツを引っこ抜けたって事かい!?』




  流石に喰い付きがいいわね、と苦笑する。

  だがここからは駆け引きの時間だ。情報を安売りするような気は、さらさら無い。




 「エディでもこの情報を渡すわけにはいかないわね。何せ文字通り命がけで手に入れた情報だし……釣り合わないわね」

 『そこはギブ・アンド・テイクってやつだ……それに、俺に情報を預ければ必ず利子がついて返ってくるぜ?』

 「……さあ、どうしようかしら?」

 『ドレクスラー機関の噂ともなれば犬のクソの切れッ端だってそれなりの値段で取引できそうなもんだぜ!?』

 「じゃあ……その犬のクソを纏めてプレゼントしてあげようか?」




  空は手に入れたデータからアセンブラに関する具体的な記述を除いて、当たり障りのない部分を纏めてエディに送りつける。

  しばらくして、エディから歓喜の声が返ってきた。




 『へぇ、こいつはすげぇや! 汎用ナノの設計図にしてもエリート学者様の書くコードは凄いもんだ!』

 「そんなに気に入ったのなら、周囲に見せて回って自慢したらどうかしら? エビでタイが釣れるかもしれないわよ」

 『へへっ……そいつもいいかもな』




  これで何らかの情報があればこちらに回してくれるだろう。

  とりあえずは上手く事が運んだと空は思う。

  あとは、エディがどこまで情報を集めてくれるかなのだが……




 『しかしまあ……、俺も灰色のクリスマスを生き残った身として、商売抜きであいつらが何をしてたか、興味があるんだ。

  なんつーか……害の無い実用的なナノを作ってくれるといいんだけどな』




  エディの言葉に、どこか寂しげな雰囲気が混じる。

  空にもその気持ちは良く分かった。気楽にそう思う事ができれば、どれだけ良かっただろうか。




 『すまねえな、中尉』

 「気にしないで。それよりも、とっとと続きの情報を調べて頂戴」

 『ああ、根性入れて早めにやっとくぜ。

  何しろ、統合政府がいよいよGOATを送り込んできたからな……』




  GOAT。その言葉を聞いて、空は最近見たニュースを思い出した。




 「そういえば、最近どこかのニュースで聞いたわね。GOATの分遣隊が清城市に駐留する事になった、って」

 『GOATの一部は強権だ。ドミニオン教団討伐を名目にCDFの仕事のやり方にもあれこれ口を出しやがるかもしれない。

  あいつらに目こぼししてもらっている俺らとしちゃ色々やりにくくなっちまうしな……早速始めるとするわ』

 「ええ、お願い」




  そして通話が切れた。

  空はエディとの会話の中身を思い返して……思わず溜息が出てしまう。

  清城市、CDF、ドミニオン―――ドレクスラー機関をあと一歩のところまで追いつめたのに、下手をすれば別の紛争に巻き込まれてしまいそうだ。

  これから、どうするべきなのか。




 「……」




  ふと、レインの寝顔が目に入る。




 「……貴方は、本当はどう思っているのかしら」




  ハウリング。

  シミュラクラとそのモデルの間で生じる共振現象。

  空と甲は、それがきっかけで付き合う事となった。

  ただそれは同時に、当時の自分が手助けしていたレインを裏切ったという事で……

  同じように甲の死に囚われながら、それでも彼女は空に尽くしてくれていた。

  恨まれたとしても仕方のないような事をしでかしたにも拘らず、今までずっと自分を支えてくれていた。

  おそらくは、傷を舐め合うような関係。

  たがそれも、もう終わりにするべきなのかもしれない。

  彼女は空と同じく、甲の仇を討つために戦い続けてきた。

  その原因は間違いなく灰色のクリスマスだが、きっかけを作ったのは間違いなく空自身だ。

  あの時、空が傭兵になると言い出さなければ……あるいは、付いてこようとするレインを強引にでも止めていれば、もっと違う生き方もあったはずだ。

  彼女の人生を狂わせたのははたして灰色のクリスマスか、それとも自分か。

  どちらにせよ―――




 「一度、きちんと考えさせた方が良いのかもね……」




  これからの戦いは、きっと今までのものとは比較にならないほどの辛いものになる。

  自分にはドレクスラー機関を追う事しかない。だが彼女なら……今の自分にはできない生き方でも、きっと生きていける。




 「地獄の道行きは私だけでいい。元々、貴女を巻き込む気はなかったから……

  悪く、思わないでね」




  覚悟は決めた。

  その言葉を最後に、空は静かに部屋を後にする。




 「エディから連絡があるまでしばらく暇ね……」




  深夜の街に繰り出して、行く宛もなく足を動かす。

  そのうち、彼女は自然と―――ある場所を目指していた。



  蔵浜市。

  まるで導かれるように、彼女は全ての始まりの地へと向かっていた。

























  第三章 魔狼 -fennir-

























 「「「いただきます」」」




  朝。

  ノイの診療所の一角から平和な挨拶が響いた。

  実に数年振りの三人が共にする食事。ほんの数日とはいえ、あの頃の記憶は三人にとってはかけがえのない暖かな思い出だ。

  そして、再会を祝する記念すべき朝食のメニューは……




 「いつもと代わり映えしないレーションって……もう少し何かなかったのかしら」

 「仕方ないだろ。このご時世でまともな食糧が入ってくる訳がない」

 「情けない。それでも男かね」

 「俺はれっきとしたホモサピエンスのオスですよ」




  味気の無い缶詰のレーションを黙々と平らげていく。

  世界恐慌真っ只中なこのご時世、真っ当な食事を摂れる者などごく一部だけだ。

  レーションをつまらなそうに頬張りながらノイは問い掛ける。




 「それで、君達は清城市を見て回るのかね」

 「彼の記憶を刺激する何かが意外とあるかもしれないから。それと、情報収集に敵情視察ね」

 「後半二つが本音だろ、お前」




  コゥが半目になって突っ込むが当の本人はそ知らぬ顔を崩さない。

  内容そのものは物騒極まりないが、気持ちとしては二人とも穏やかなものだった。

  こんな気分で食事をするのも随分と久しぶりである。




 「一体私を何だと思っているのかしら。

  貴方が一人で良い夢を見ている間に分かった事なんだけど、GOATの連中がもうこっちに入るわ」

 「GOATが?」




  GOAT―――Globak-union Observation Artifical-intelligence Team、統合軍対AI対策班。

  かつての大戦で世界を統治した統合政府の対ネット実動部隊で、名の通りネットに対抗するために生み出された部隊である。

  それ故に、構成員は反AI派の人間が大多数を占めているとコゥは記憶していた。




 「そりゃ、頭が痛くなるな……」

 「でしょう?」




  二人揃って溜め息を吐く。

  ドミニオンにドレクスラー機関だけでもお腹一杯だというのにまだくるか……という心境だ。

  下手をすると余計な争いに巻き込まれてしまうだろう。

  ……いや、おそらく巻き込まれる。

  クリスには、目の前の馬鹿が何かと厄介事に好かれる体質だという事をこの数年で身に染みて思い知らされていた。

  今回も同じように厄介事が降ってくるのだろう。

  その手始めがあの論理爆弾だと思うと、先の事が思いやられる。




 「奴らへの足掛かりがまた消えてしまった訳だから、それをなんとか見つけなきゃいけないでしょう。

  しばらくは情報収集に専念するわよ」

 「分かった、異存は無い。喰い終わったら行くか」




  そうと決まれば手早く食事を済ませよう、とコゥは合成食料を片付けに入る。

  が、そこでノイから声が上がった。




 「待ちたまえ」

 「どうしたんですか、ノイ先生」

 「いや何、君達には少々私を手伝って欲しいと思っていたのだよ。出かけるのはそれからでも良くないかね?」

 「私達はできるだけ早く動きたいのだけど……」




  何か厄介事を押し付けられそうな気がして渋る二人。

  そんな二人に、ノイはニヤリと笑いながら言い放った。




 「彼の遅延分の治療なども含めると治療費は相当なものなのだが……知り合いのよしみで今回分の通常料金だけで済ませてやろうと思ったのだがな?

  そうか、普通に全て支払ってくれるのか。私としては財布が潤って喜ばしい事だな」

 「……人の足元を見て」

 「で、どうするかね」




  人を食ったような笑みを浮かべるノイを前に、二人は重く溜息を吐くしかなかった。

  そんな選択肢など在って無いようなものである。

  クリスは実に渋々と、ノイに返事を返す。

  それを聞いたノイは満足そうに頷いて残りの食事を掻き込んだのだった。

























                    ◇ ◇ ◇

























  電車の揺れる音が断続的に耳に届く。

  あの後、空は自然と蔵浜市―――かつてそうだった場所に向かっていた。

  理由などない。あえて言うならば……決意表明、みたいなものだろうか。

  最後の戦いになるであろう今回の一連の事件の前に、今一度自分自身の決意を固めるために。

  意味があるのかどうかと問われれば、そんなものはないのだろうけれど。




 「……レイン、怒ってるわよね」




  メールや通話の着信経歴はいつの間にかレインの名前だけで埋まっていた。

  置き去りにした意図をちゃんと書置きなりメールなりで伝えておいたはずなのだが。

  彼女はそれでも自分と共に行こうとしたのだろうか。

  それは空としてもかなりありがたかったりするのだが……やはり、彼女には真っ当な人生を送ってほしいと思うのだ。

  随分と、身勝手な願いだというのは分かっているが。



 『次は、蔵浜市。蔵浜市』

 「……そろそろ、か」




  暫くすると目的地へと電車が辿り着いた。

  持ってきた手荷物を手にして、電車を降りる。




  そして―――見渡す限りに広がる廃墟が、視界に飛び込んできた。




 「……実際に目にすると、結構くるものがあるわね」




  急ごしらえの駅舎の前に数件のバラックが押し固められたように立ち並んでいる。

  駅からすぐ先にはフェンスが張り巡らされ、向こう側は廃墟と瓦礫しか存在しない。

  ドロドロとした感情が胸の内から這い上がってくる。

  同時に、脳裏にあの悪夢がフラッシュバックした。

  自分の恋人が―――門倉甲が、生きながらにしてアセンブラに融解される光景。

  無意識のうちに空は拳を握りしめて……もう一つのクリスマスの光景も、フラッシュバックした。




 「……っ、だから何だっていうのよ」




  ズキリ、と頭に鈍い痛みが奔る。

  これは本格的に医者に掛かった方が良いのかもしれない……

  そう思った時だった。

  背後に、人の気配を感じたのは。




 「誰っ!」




  振り向いて、銃を構える。

  こんな普通は来るはずのない場所にいて、更には自分に悟らせずに背後を取る時点で普通ではない。

  よって、空は最大限の警戒心を以てして相手に対応した。




 「初めましてだな、水無月空中尉」

 「……質問に答えなさい。貴方はどこの誰で、何が目的で私に接触したのかしら」




  空から見たその人物の第一印象は―――雌豹、だった。

  肩で揃えた銀の髪と褐色の肌。鋭く細められた紅い目と肉質な笑みは肉食獣のそれを連想させる。

  ただ、羽織っているジャケットの左胸の辺りに刺繍されているコミカルなマスコットキャラクターがそれらを台無しにしているのだが。

  警戒を緩めないまま銃を構える空にまったく動じる事無く、女性は言葉を続ける。




 「質問は一度に一つにしておけ、答える方もそれなりに苦労する。

  ではまず、自己紹介から始めようか」




  空は答えない。

  女性は気にせずに語る。




 「私はシゼル・ステインブレッシェル。階級は少佐で、所属はフェンリルだ」

 「フェンリル……っ」




  空としてもその名は当然のように知っていた。

  フェンリル―――統合の認可を受けた正式なPMCの一つ。

  南米千人殺し事件などで悪名高く、金さえ払えばどんな任務もこなすと言われている。

  ほとんどの国はフェンリルの名を出すだけで入国拒否をしてしまうという噂まである程で、同業者にとっては畏怖の対象でもある。

  当の空もその例に漏れず、フェンリルの挙げた数々の戦果を見た時はレイン共々舌を巻いたものだった。

  そんな組織の人間が自分に接触してきている。

  間違いなく、何かがある。




 「あの悪名高いフェンリルが私に何の用ですか」

 「簡潔に言えば入隊を誘いに来たのよ。傭兵協会の中でも凄腕として知られている君をな」

 「理由になっていませんね。今このタイミングでわざわざ少佐階級の人間が直接接触を図るような事じゃないはずですが」

 「……なるほど、中々に鋭いな」




  ただの入隊誘いなら部下でも寄越せばいいし、最悪メールでも良かっただろう。

  用がそれだけならばもっと簡単かつ安全に済ませられる手段は数多く存在する。

  それでも接触してきたとなると―――本題は別にある。




 「とはいえ本題を語ったとしてもさして変わりはしないのだがな……

  では中尉、今回の部隊編成はスムーズにいったと思わなかったか?」




  その一言だけで言わんとしている事は理解できた。

  つまり、




 「そう……最初っから筒抜けだったって事ね」

 「ええ。君達二人が清城市に入ってからずっと、動向は監視させてもらっていた」

 「私をマークする理由となると……フェンリルの狙いはドレクスラー機関かナノテク、といったところですか」

 「悪いがこれ以上は語れん。知りたければ入隊する事だ―――私達のトップも君達の入隊を望んでいる」




  どうする、と目線で問われて……空は少しの間だけ思考する。

  彼女は、一般の理由とは他に一つ―――フェンリルの事を知っている理由があった。

  フェンリルのトップ、門倉永二。

  階級は大佐で、南米千人殺しを行った張本人と言われている。

  その腕前は並みの凄腕すら軽く凌駕しており、個人としては最強の一角ではないかとも噂されているほどの実力者。




  そして、門倉甲の実の父親でもある。




  その部分だけが、空を戸惑わせていた。

  しかし、目的を履き違える気はない。

  自身の目的はあくまでドレクスラー機関であり、甲の仇を討つ事だ。

  それに以前、彼女は統合軍に一時的に所属していた際に組織故に不自由性に悩まされた経験がある。




 「申し訳ありませんが―――」




  断ろう。

  レイン一人だけを置いて組織に所属するのは何だか虫が良いような気もして、空ははっきりとそう決めた。

  だが、










 「妹に関する情報も、欲しくはないか」










  その一言で、今度こそ大きく揺れた。




 「なっ……!」

 「何故、という質問は受け付けない。それで、どうする中尉。

  君とその部下のレインは野に迷わせるには惜しい人材だ。私としても君達二人の腕と得た情報を買っている。身柄も『門倉運輸』が保障しよう。

  悪い話ではないと思うが?」




  話を聞きながら、空の内心は酷く揺れている。

  何故彼女達が妹の―――水無月真の情報を手にしているのか。

  今まで自分が散々探しても少しだって掴めなかった情報を。




 (まったく、的確な餌の投げ方ね……こっちの気を逸らさないために継続的に別方向の情報を提示してる)




  こうなると他にも興味が惹かれそうな情報がないとも限らない。

  しかもこれは相手のペースだ。このままでは無条件に入隊を承諾させられかねない。

  流されてはいけない。

  空はそう考えて……一つの賭けに出た。




 「……私の腕を買っている、と言いましたよね」

 「ええ、言ったわ」

 「だったら、実際に見てもらえますか? その手の有名どころからの評価がどういうものか、少しは気になっていたんですよ」

 「……良いだろう。君が勝てば私は諦めるし、妹の情報も渡そう。負けたその時は我々の部隊に入ってもらう。良いな?」




  どうやらあちらはこちらの意思をでき得る限り尊重してくれるつもりらしい。

  何でここまで譲歩してくれるんだか、と思いながらも空はそれに縋るしかない。

  つい先日再会したばかりの妹。

  今までこれっぽっちも尻尾を見せなかった彼女の情報がこうして知れているという事は……何かしらの危険が迫っている可能性もある。

  元々、彼女は追われる立場の存在だ。

  その情報をフェンリルが掴んだとしても何らおかしくはないだろう。




 「分かりました」

 「良い返事だ。どこまでやれるか見せてもらおう、中尉」













































  場所を移すぞ―――シゼルのその言葉に従って少し歩き、外れにある小さな森に着いた。

  周囲を軽く見渡すと、先導していた彼女は空へと向き直る。




 「ここならば邪魔は入らないだろう。相手はこれから指示するアドレスに用意してある―――ダイブしろ」

 「随分と準備が良いですね?」

 「私としても不本意だがな……」




  どうにもシゼル本人がお相手、という訳ではないらしい。

  ということはウイルスか何かだろうか……それともフェンリルの別の隊員?

  空は色々と考えてみるが、答えは出ない。

  まあ何が相手であろうと倒すまでだと意気込んでダイブしようとして……少し気になった事を言ってみた。




 「私がダイブしている間に実体を取り押さえ、とかやりませんよね?」

 「流石にこの状況でそれはやらん。私が直接相手をするのなら、ウイルスを当てつけている間にそれくらいの事はやるかもしれんがな」

 「そうですか」




  何にせよ、これで懸念事項の一つは消えた。

  あとはとにかくこれから戦う相手に勝ちさえすればいい。

  空は今度こそネットへとダイブするために没入プロセスを起動させる。

  その間際、




 「中尉……まあ、頑張る事だ」




  微妙に気の毒そうな彼女の声が、嫌に耳に残った。



[29132] 第四章 既知 -know-
Name: ジエー◆7693fe4e ID:1ef01948
Date: 2011/09/23 20:10




  落ちていく感覚。潜っていく感覚。

  もう数えるのが億劫になるほど感じたそれに空は身を任せる。

  同時に、電子体としての形を整えていく自分の意識にプログラムを実行させる。

  この数年、共に戦場を駆け抜けてきたレインとは別の空の相棒―――カゲロウ・冴。

  移行プログラムと共に空の身体が全く別の物へと変わっていく。




 (相手が誰なのかは知らないけど、関係ない。

  手早く倒してまこちゃんの情報を渡してもらう)




  闘志をみなぎらせてシュミクラムが仮想空間に降り立つ。

  薄暗いブートキャンプのような訓練場に金属音を響かせて現れる空。

  さて、相手はどこだと辺りを見渡して―――




 「……あれ?」




  思わずそんな間抜けな声が出た。

  だって、仕方がないだろう。

  さあやるぞ、と人が意気込んでいたのに……




 「ネージュ……エール……?」




  探し人の持つ特注品のシュミクラムが目の前に立っていた。

  思考が止まる。ただ茫然とその場に立つ。

  まこちゃん……? と、小さな呟きが空間に響いた。

























  第四章 既知 -know-

























  シゼルの挑発に乗って挑んだ情報と空の所属を巡った勝負。

  その舞台である仮想空間の中で、空は大絶賛混乱中だった。

  目ね前に立つ純白のシュミクラムに思いっきり疑問をぶつけている。




 「ちょ、何でまこちゃんがここに!?」

 「近い内に会いに行くって言ったでしょ? という事で早速会いに来ちゃった」




  まるで、隣の部屋から遊びに来たかのような気軽さで言う真。

  その場違いな雰囲気に『ああ、そういえば』と納得しかけてしまうが……少し考えて思う。

  何故、シゼルの指定したアドレスに待ち構えていたかのように彼女がいるのだろうか?




 「ま、まさか……」




  突拍子もなく、全てに説明がつく答えが浮かんでくる。

  だがそれはあまりにも現実味を帯びない空論であり、どちらかと言えば外れていて欲しい類いのものだ。

  そしてそう思っていながらも聞かずにはいられないのが人間である。

  更に言えば、こういう事に限って悪い予感は当たるのだ。




 「少佐の言ってた相手ってまさか……まこちゃん、だったりする?」

 「うん。さあ、ここから先は私を倒さないと通行止めだよ、お姉ちゃん」

 「……あったま痛い」




  張り切る真を前に空は思いっきり頭を抱える。

  つまり、なんだ。自分は狂言回しにまんまと乗せられていたと、そういう事か。




 「なるほど……フェンリルがまこちゃんの情報を持っているのは、そういう事」

 「お姉ちゃんの想像通り、私がフェンリル所属だからだよ。

  ビックリした?」

 「驚く前に呆れ果てて言葉もないわよ……」




  自分の妹がまさか悪名高い傭兵部隊に所属しているなど欠片も思いもしなかった。寧ろ、できる方がおかしい。

  妙な脱力感に襲われた空は大きく溜め息を吐く。

  そして、表情画面越しに妹を半目で見据えた。




 「言いたい事はいろいろあるけど……とりあえず、この回りくどい事の本題を聞いて良い?」

 「本題は変わらないよ。

  私やシゼル少佐がここに来たのは、お姉ちゃんをフェンリルに誘うため」

 「……そう」




  二人の表情から穏やかさが抜け落ちる。

  あとに残った真剣さだけが刃のように鋭く鋭利になっていく。




 「一つだけ。この件、まこちゃんは強制されて?」

 「違うよ。これは間違いなく私の自由意思」




  揺るがない言葉と表情。

  そこに嘘はないと空は確信して……




 「だったら……私の答えは一つよ」




  銃口を、妹へと向けた。




 「組織故の不自由さを知っているから、私はフリーになったのよ。今更組織に所属する気はないわ」

 「……そう言うと思った」




  僅かに微笑んで、真はネージュ・エールのオプティカル・ウイングを展開させる。

  明らかな臨戦態勢。両者の間の空間に張りつめた空気が満ちていく。




 「仕方がないので、シュミクラムの先輩として現実の非常さを教えてあげるね」

 「言ったわね。さっきの事も含めて、やんちゃする妹にお灸を据えてあげるわ……!!」




  そして、二つの機体が同時に踏み出す。

  仁義なき姉妹対決の幕が、切って落とされた。

























                    ◇ ◇ ◇

























  その頃、清城市のスラム街。

  六条コゥと六条クリスはノイによってあちこちに引っ張り回されている最中だった。

  先導して歩くノイに続く二人の表情はうんざりしたものであり、それが彼女の傍若無人ぶりを雄弁に物語っている。




 「さあ、次はあちらだ」

 「まだ終わらないのか……」

 「こうなる事は半ば想像済みでしょ……素直に諦めた方が懸命よ」




  二人がうんざりしているのは、何も体力的な問題ではない。その点ではノイが根を上げる方が確実に先だ。

  問題なのは慣れない空気の中で行動しているという事である。

  ここ数年で命のやり取りが日常と化してしまった二人には、何の変鉄もない正しい意味での日常の空気は少々場違いだと思わせるのだ。

  が、それとは他に問題点が一つ。




 「あー、そういやここじゃ違法ナノも普通にやり取りされてんだっけ」

 「何を今更。だからこそドレクスラーの連中が堂々と隠れていられるんでしょう」

 「分かっちゃいるんだがな……くそ、やっぱり多少引っ張られてる」




  悪態をついてコゥが一人ごちる。

  ナノマシンによる治療を受けて以来、彼の精神状態は記憶に多少なりと引っ張られていた。

  それは殺人に対して恐怖を抱いたり、今のように違法ナノが平然と取引されている事に忌避感を覚えたり、といった風に影響を及ぼしていた。

  あくまでも多少の範囲内でしかないが、それでもしもの時に隙ができるようでは困るのだ。




 「なあに、良いじゃないか。物のついでに学生時代の青臭い情熱を取り戻してみてはどうかね」

 「手放しで喜べる事と、そうでない事がありますよ」




  何度目か数えるのを止めた溜め息が出てくる。

  情報収集以外にやる事がないからといっても、これは別の意味で中々にきつかった。




 「……まあ、君達の言いたい事も分からなくはないがね。それでは後になって余計に苦労するハメになるぞ」

 「どういう意味かしら」

 「深い意味はないさ。ただ君達は戦場の空気に慣れすぎている。

  それで、全てが終わった後にどうする気なのかね」

 「どうって……」




  言われてから、ふと気付いた。

  自分達は―――全てが終わってから、何をするつもりなのだろうか?

  そう改めて問われると全くその事について考えていない事に思い至る。

  未来へのヴィジョンがない、と言えば嘘になるが明確な目的がなく不鮮明で非常にあやふやな物だ。

  単に神父やドミニオンと決着を付ければ終わり、と考えていた訳でもないが……




 「そういう事だから、この機会に少しでも日常に回帰できるようにしておきたまえ。

  青臭い青春時代が過ぎたと言っても君達はまだまだ先を望める若者だ。今の内から生き方を決めつけるのはお勧めしないぞ」

 「……考えておくわ」




  正直、先の事など考えても全くその光景が思い浮かばないというのが正直なところだった。

  全てが終わってから―――それから、自分は何をしているのか。

  クリスにしてもコゥにしても、現状を処理するのに手一杯で考えた事はあまりなかった。




 「これもそれを考える材料だとでも思ってくれれば良い。時間はまだまだ残されているのだからな」




  そう言いながら、ノイはその足を止めずにどんどん先に進んでいく。

  二人は先程までとは違う意味で溜息を吐いて、その後に続いていくのだった。




 「ところで、周囲の目には私達の関係がどういう風に映るのだろうな」

 「考えたくもねえ……」

























                    ◇ ◇ ◇

























  薄暗い仮想空間に金属音が連続して響き渡る。

  鋼と鋼がぶつかり合い、不協和音を奏でて火花を散らす。

  駆け抜ける二つの機影。紅と白が刃とエネルギーをぶつけ合う。




 「中々やるじゃない、まこちゃん!」

 「お姉ちゃんこそ、流石に傭兵協会で凄腕と言われているだけの事はありますね!」




  スライスエッジの刃とサマーソルトキックのエネルギー刃がお互いの機体を弾き、距離が生まれる。

  開かれた間合いに空は舌を打つ。

  自身の妹が駆るシュミクラム、ネージュ・エール。その本領は中・遠距離戦にあるのだ。




 「行って!」




  号令と共に様々なビットが次々に出現してくる。

  空中にいる敵を下から狙い撃つ対空バルカンビット、レーザーを放つレーザービット、敵を追尾するガトリングビット。

  更には上空から爆弾を落としてくるボミングビットや火炎弾を射出するファイアビット。

  これでもかと大量に独立小型支援兵器が展開された。

  もはや、単純な物量でも驚異的な光景である。




 「くっ……! 出たわねお得意のビット群!」

 「さあ、ここからどうするのかな!」




  高速で動く小型兵器が素早くカゲロウ・冴を取り囲む。

  一瞬後には放たれる攻撃の雨嵐。それを前にして、空は弓を構えた。

  そこに集中する紅い波動。




 「こうしてやるわよ……っ!」




  攻撃が放たれる直前、それは周囲に拡散するように放たれた。

  スプレッドショット。弧を描く紅い衝撃波が一度に四つビット群へと迫る。

  同時にソニックショットで大きく円を描くように移動しながら、スプレッドショットの軌道に追従する。

  放たれる青い弾丸が目の前のビットを駆逐していく。同時に、進行方向に待ち構えていたビットをスプレッドショットが残さす破壊する。

  一気に開ける視界―――そこに飛び込んでくる、一つの火炎が見えた。

  激しく燃え盛る一つのビット。臨界点にまで達したそれを見て空もたまらず冷や汗を流す。




 「やば……!」

 「ファイアビット、発射!!」




  チュガンッ!! と、爆音が空間を揺るがした。

  カゲロウ・冴目掛けてビットから放たれた火炎弾は着弾と同時に巨大な爆炎を解き放って周囲を丸ごと呑み込んでしまう。

  空は咄嗟にブーストを吹かせてその場から離脱するが、真との距離は一向に縮まらない。

  その上、




 「相変わらず卑怯臭い装備ね、そのオプティカル・ウイング……!」

 「空中から相手に触れさせる事もなく駆逐していく―――ノイ先生も随分とハイスペックな機体にカスタムしてくれましたよね」

 「全面的に賛同させてもらうわ」




  ネージュ・エールは上空へと舞い上がり、空の攻撃の届かない場所で見下ろしていた。

  現状、空の装備に対空手段となる有用な兵装はほとんどない。

  しかもそれら全ては近接用の物であり、距離を離されている今では話にならないような物ばかりである。




 (どうにかしてもう一度接近しないと何もできない……かといって、下手に接近しても動きを上から読まれる事は確実)




  戦闘において頭上を取る、といったような高度によるアドバンテージは決して無視できないものがある。

  相手よりも上にいるのならば単純な殴る蹴るといった行為はまず届かない。狙撃などに関してもある程度射線が読みやすく、同じく対処しやすいだろう。

  動きも相手より上にいる事でより広い視野で見る事ができる。そのために軌道も読まれやすい。

  この状況で如何にして距離を詰めるか、空は思考を動かしていく。




 (……まともにやっても駄目なら、奇策で一気に接近するまで!)




  空は視界内に目標を収め、駆け出した。

  ネージュ・エールの周囲を回るようにブーストを吹かせながら、迫るビットの攻撃を避けていく。




 「流石お姉ちゃん―――だけど、まだだよ!!」




  追加で更にビットが射出される。

  四方八方上空から次々に襲いくる銃撃や光学兵器、爆弾の数々。

  だが高機動型シュミクラムであるカゲロウ・冴はそれら全てを尽く避けていく。

  目まぐるしく動き回る景色の中で、空が目指す場所はただ一点。




 「下―――っ!」

 「行くわよ、まこちゃん!」




  カゲロウ・冴が更に速度を上げる。

  ネージュ・エールは逃れようと空中を移動するが、空はビットの猛攻を潜り抜けながらそれに追い縋ってきた。

  レーザーを跳び越え、ガトリングをギリギリで回避し、時には障害物を利用して無理やり機体の方向を変えてくる。

  その壮絶な光景を前にして真は舌を巻く。

  これは空自身が傭兵協会で凄腕と呼ばれている実力もあるだろうが、確実に情報アドバンテージも作用しているだろう。

  過去、学生時代でシュミクラムの大会に出場していた真の試合を空は何度も目にしている。

  自分の武装や手の内を何度も見てきた姉だ。大抵の攻撃は見切られてしまっているに違いない。




 (だけど、それはこっちだって同じ……!)




  真だって、姉がこちら側に来てしまったのを知った日から可能な限り情報を集めていた。

  その中には戦闘記録もあり、危なっかしい戦いでは記録だと分かっていてもハラハラさせられたのを覚えている。

  手の内を知っているのは、何も姉だけではないのだ。

  そして、空がこちらの真下を狙っているのだとしたら。




 (狙いは下からのあの目が回りそうな回転切り上げ―――外しても、そこから次の技を私と同じ高度で繰り出せる。

  それだけで私のアドバンテージは大きく削がれてしまう)




  それならばと対空バルカンビットを出してみるが、攻撃を避けるついでとばかりに放たれたメテオアローに狙い撃ちされてしまった。

  真っ先に潰してきた事を考えると空中戦に持ち込む気なのは間違いないだろう。

  だが、真としてもそう簡単に接近を許す気はない。

  武装の余剰エネルギーを全てビットへと注ぎ込む。




 「っ……、フォースクラッシュ―――!!」

 「アポカリプス・レギオン、展開!!」




  フォースクラッシュ―――武装を使用した際に蓄積されていく余剰エネルギーを特定の武装に注ぎ込む事で起こる武装の急激な変化現象。

  武装として登録はされるものの、その実態は全く別の物。通常兵装が必要以上のエネルギーによって姿を変えた物である。

  ネットのロジックをある種無視しての膨大なデータ処理故に空間に一瞬だけ負荷が掛かり、セカンドなどはそれを敏感に察知する事ができる。

  故に空もフォースクラッシュの前兆を感じ取り、上空の真へと目を向けた。




 「随分と大盤振る舞いじゃない。我が妹ながら容赦ないわね」

 「成す事やる事の全てに全力全開。これもお姉ちゃんから教わった事だよ」




  左右四つずつ展開された八つの大型ビットに不吉な紅い光が宿る。

  それがもたらす破壊を、空は一度だけ自分の目で見ていた。それもつい数時間前に、戦場で。

  ウイルスの大群を尽く薙ぎ払って自分の突破口を作ったフォースクラッシュだが―――あんな物をまともに喰らってしまったらと思うと寒気がした。

  愉快にスプラッタ状態になってたまるかとばかりに空は急いで別方向にブーストを吹かせる。

  途中、追いかけてきたビットは耐久時間が過ぎて全て爆発した。

  その直後、




 「さあ、今こそっ!!」




  破壊の奔流が、解き放たれた。

  放たれた極大の光条がカゲロウ・冴を呑み込もうと迫ってくる。




 「くっ……!」




  一撃目を辛うじて回避するカゲロウ・冴。すぐ横を紅い光条が擦過して障害物を薙ぎ払っていく。

  だが、そこで終わらない。

  二撃目が放たれ、同時に一撃目の光条が一瞬滞空したかと思うと次の瞬間には方向を変えて再びこちらに牙を剥いてきた。




 「しつこいっ!」




  弧を描くようにして二つの光条の射線から退避する空。

  だがそれを嘲笑うかのように三撃、四撃と追撃が迫ってくる。

  それすらも空は避けていくが、徐々に壁際へと追い詰められて逃げ場が無くなっていった。

  やがて、カゲロウ・冴の背後が突き立つ鉄塔とガスドームに挟まれてしまい、行き場を失ってしまう。




 「もう後がないよ、お姉ちゃん!」

 「……そうね」




  このままでは確実にチェックメイト。目の前には巨大な光条、背後には爆発物と光条によって叩き折られてしまうであろう鉄塔。

  一瞬後には着弾する破壊を前にして―――




 「ここからは、私の番よ……!!」




  空はなお、その目に強い光を宿していた。

  宣言した彼女は迷う事無く爆発物―――ガスドームの上へと飛び乗る。

  その意図を真が理解するまで一秒も掛からなかった。

  だが、気付いた時にはもう遅い。巨大な光条はガスドームへと直撃し―――巨大な爆発を引き起こした。




 「あうっ……!?」




  爆発による衝撃と大音響が腹の底にまで響いてきた。

  内側にまで響く重い衝撃に真は一瞬だけ動きを止めてしまい……




 「はぁぁああああああああああああああああああああああああああああっっ!!!」




  爆発と同時にネージュ・エール目掛けて跳び上がり、爆風を利用して一気に距離を縮めたカゲロウ・冴が目の前にまで迫っていた。




 「流石お姉ちゃん、無茶しますね……っ!」

 「生半可な手段は通用しないっていうのは分かり切ってるからね……!!」




  機体にダメージはあるが、許容範囲だ。

  これを逃せば次があるかどうかは分からない。今接近できているのも奇策を用いたからだ。

  だから、距離を離されるよりも早く決着を付ける―――!!




 「このっ!」




  迎撃のサマーソルトキックが放たれる。

  遠距離にすら届くエネルギー刃を発生させ、カゲロウ・冴へと襲い掛かる。

  しかし、それよりも早く空は動く。




 「遅いっ!!」




  クロスイリュージョンによる神速の一撃が叩き込まれる。

  その速すぎる速度に真はついていく事はおろか目で追う事すらできない。

  気付けば目の前からカゲロウ・冴の姿が消えており、機体にダメージを負ったのが分かる程度だ。

  知識としてそういう攻撃手段を持っているのは知っているが、実際に目にしてみるとその脅威がはっきりと分かる。

  そう思っている間に、二撃目が叩き込まれた。

  機体が軋んでダメージが蓄積されていく。

  次いで、三撃目が間髪入れずに叩き込まれた。




 「あぐっ……!」

 「悪いけど、このまま決めさせてもらうわよ!」




  弓がクローへと変形する。

  普段ならここでテリブルスクリューを叩き込むところなのだが、そんな事をすれば下手を打つと真が死んでしまいかねない。

  だから高々度からの急降下攻撃―――レイディングホーネットで一気に勝負を付ける。

  クローが大きく口を開きネージュ・エールを捕らえようとして……

  その姿が、掻き消えた。

  その場に一つの爆弾を残して、だ。




 「なっ……」




  急に標的を見失って戸惑う空だが、嵌められたという事だけは理解できた。

  まずい、と思うが遅い。既に爆弾との距離は致命的なほどに縮まっている。




 「ちぃ……!!」




  そして踏み込んだ瞬間、起爆した。

  爆風に煽られて機体が上空へと押し上げられる。身動きの取れない中、空の視界には進行上に存在するいくつもの爆弾を見た。

  その光景に一つの解に行き当たる。




 (そうか……これは、マインスイーパー……!)




  斜め後ろ情報に跳び上がり、爆弾を残して行く緊急回避や距離調整としても有用な武装。

  真のネージュ・エールの姿がいきなり目の前から掻き消えた理由が、これか。

  理解しながらも、爆風に煽られて制御の効かない機体に抗う術はない。

  空は残された爆弾を残さずその身に受けるしかなかった。




 「ぐっ、ぁぁあああああっ!!」




  絶え間ない爆発が機体と意識を揺るがす。

  鋼の身体から伝わる痛みを歯を食いしばって耐えて―――




 「……あ」




  少し離れた場所で、機体にエネルギーを集中させているネージュ・エールが見えた。

  収まり切らないエネルギーが溢れ出し、機体全身が淡く緑色に発光している。

  あの予備動作は空もよく知っていた。

  学生時代、真が良く決め手として使用していたフォースクラッシュ―――プロヴィデンスエマージ。




 「ちょっと痛いけど、我慢してね」




  そんな可愛らしい言葉に似つかわしくない苛烈な光の突進が、身動きの取れないカゲロウ・冴に直撃した。

  仁義なき姉妹対決は、こうして真の勝利で幕を閉じたのである。

























                    ◇ ◇ ◇

























 「さて、今日はこれで最後か」

 「はあ……やっと終わった」




  ようやくそこいらじゅうを連れ回されなくて済む、とコゥが安堵の溜息を吐く。

  あとは荷物を診療所にまで運びさえすればノイの野暮用は終了だ。

  慣れない雰囲気での活動というのは中々に堪えた。バイトの初日なんかはこんな感じなのだろうか、と頭の片隅で考えるコゥ。

  その両手は診療所から持参した買い物用の袋で塞がっていた。軍服と合わせて見るとかなりシュールな光景である。




 「二人とも、荷物持ちご苦労。持つべきものはやはり知人だな」

 「体良くこき使ったくせによくもまあいけしゃあしゃあとそんな事が言えるわね……」

 「お前が言うな、と言いたくなるのは俺だけか」




  言った途端に頭を軽く叩かれた。

  そういう事は口に出すな、とでも言いたいらしい。

  コゥは素直に口を閉じて診療所に帰ろうと歩き出す。




 「んで……結局これからどうするんだ」

 「適当に街を回って行くしかないでしょうね。GOATも来るからそっちの情報も欲しいところだわ」




  目の前を意気揚々と歩くノイを尻目に二人は今後の予定を話し合う。

  ドミニオンへの手掛かりが途絶えた今、この街で奴らへ辿り着くには何かしらの情報が必要になってくる。

  どんな小さなものでも良い。自分達は僅かな情報から道を切り開いてきた。

  今回もいつも通りに行動すればいいだけの事である。ただ少し、いつもより慎重になって。




 「それに案外、街を見て回っていると貴方の記憶もまた思い出せるかもしれないわよ」

 「記憶ね……清城市には確かおばさんの会社があったよな。今頃どんな施設と化している事やら……」




  音に聞くだけでもかなりの要塞施設と化しているようなのでコゥには想像がつかないというのが本音だ。

  昔からかなりの会社だったのだが、この数年で更に会社は巨大化している。

  今ではネット関連業界で関わっていない部類は無いほどだ。

  流石おばさんだよな、と途切れている記憶を辿って過去を振り返る。

  と、




 「きゃっ」

 「うおっ」




  物思いに耽っていたせいか通行人とぶつかってしまった。

  が、幸いにもぶつかって倒れるなどというベタな展開は無かったようで相手はぺこぺこと頭を下げてきた。




 「す、すみません。前をよく見てなくって……」

 「いや、俺だって同じだから気にしなくて良い。こちらこそ済まなかった」




  そう互いに謝罪を述べて―――ん? と首を傾げた。

  この声、どこかで聞き覚えがあるような……?




 「ぇ……」




  相手も同じなのか、コゥの声を聞いて動きが硬直してしまった。

  コゥは改めて相手の姿をよく見てみる。

  ピンクのジャケットと緑色のショートヘアが目立っており、可愛らしい髪飾りがチョットしたアクセントになっている。

  体格や声から察するに、おそらくは女性。

  その女性が、ゆっくりと、顔を上げて……










 「こ、お……?」

 「……なの、は……か?」










  コゥ―――甲は、その顔を見てようやく、ぶつかった相手が自分の幼馴染だと理解した。



[29132] 第五章 幼馴染 -childhood friend-
Name: ジエー◆7693fe4e ID:1ef01948
Date: 2011/10/12 19:05




  まるで時間が止まったようだった。

  甲は、目の前に立つ幼馴染みがあまりに懐かしくて。

  菜ノ葉は、目の前に立つ人物が信じられなくて。

  周囲の事など頭の中から吹き飛んで、ただお互いを見つめ合う。




 「こう……甲、なの……?」

 「ぁ……」




  先に口を開いたのは菜ノ葉からだった。

  その声を聞いてまた、甲も確信する。目の前にいる人物は間違いなく自分の幼馴染み、若草菜ノ葉なのだと。

  途端に胸の内から懐かしさが込み上げてきて、思わず声を掛けたくなる。

  だが……




 「っ……」




  甲は一言も話す事ができなかった。

  不安そうな、懸念と僅かな希望が入り交じった菜ノ葉の目が見える。

  期待に応えてやりたい、と強く思う。しかし、ここで自分が生きていると大々的に知られるのはまずい。

  自分の存在をあえて社会的に抹殺したのは自分の事情に巻き込まないためである。

  自分が死んだ事にしておけば知人からこちらに近づこうとはしないだろうし、仮にドミニオンが自分の生存情報を餌に釣ろうとしても一笑に伏されるだろう。

  が、それは『甲が死んでいる』という前提条件があるからこそ成り立つ。

  もはや致命的だが、自分が『門倉甲』だと悟られてしまえば……




 「ねえ、甲なんでしょ……?」




  良心と理性がせめぎ合う。

  どうするべきなのか、何をするべきなのか、頭の中がごちゃごちゃになってまともな案なんて浮かんでこない。




 (……俺は)




  拳を握る。

  歯を強く食いしばって、必死に理性を働かせる。

  言うべき事は一つ。考えるまでもない。

  門倉甲は死んでいるーそう、死んでいるのだ。

  更に強く拳を握り、血を吐くような思いで口を開く。

  そして……









 「わーい! 菜ノ葉お姉ちゃんだー!!」

 「えっ、ノイちゃん何でここに、ってきゃああ!?」










  おもむろにノイが菜ノ葉の胸に飛び込んだ。

  それも、思いっきり猫を被ってだ。




 「……は?」




  目が文字通り点になった。

  何だ、あのお子さまキャラ。というか菜ノ葉お姉ちゃん? ノイちゃん?

  予想外すぎる組み合わせによる珍百景が目の前で繰り広げられている。

  混乱の只中に放り込まれた甲だが、それとは対照的に目の前の二人はじゃれ合っている。というか、一方的にノイがじゃれているのに菜ノ葉が付き合っている。

  ……何だ、この状況は。




 「こらノイ、あまり迷惑をかけるんじゃないわよ」

 「はーい」

 「……は?」




  呆然としているうちにクリスまでも悪ノリしだした。

  キャラ的には『はしゃぎ気味な子供を諌めるお姉さん』とでも言えば良いのだろうか。

  ともかく薄ら寒いものしか感じないような笑みを浮かべている。




  ……いや、だから何さ? この状況。




  甲のそんな疑問は空に虚しく溶けて消えたのだった。

























  第五章 幼馴染 -childhood friend-

























 「はあ……流石に強いわね」

 「これでも私は、フェンリルの誇る二本槍の片割れだから。そう簡単に勝ちは譲らないよ」




  現在、真のプロヴィデンスエマージをまともに食らった空は大の字になって寝そべっていた。

  床はさっきまでシュミクラムが縦横無尽に走り回っていたとは思えないほど冷えており、火照った身体を程よくクールダウンしてくれる。




 「初めての姉妹対決はお姉ちゃんの負けか……あー、何かものすっごく悔しいわ」

 「……全然本気を出さなかったなかったのに何を言ってるの」

 「……バレてた?」




  とーぜん、と真は小さな身体で可愛らしく胸を張ってみせる。

  ……胸は、どこまでも続く平原を連想させた。

  とりあえずプロポーションでは勝った、と少々大人気ない事を考える空。

  何か不穏なものを感じたのか、真がじー、っと半目で見てくる。




 「お姉ちゃん? 何か失礼な事を考えなかった?」

 「私がまこちゃんにそんな事を考えるわけないでしょ」




  などと言いながら空は心の中で真に謝罪する。

  ごめんね、まこちゃん。大人になるって、悲しい事なの。

  空としても結構自信のあったシュミクラム戦で負けたのはそれなりにショックだったのだ。これくらいは許して欲しい。




 「お姉ちゃんが手を抜いていた理由は分からなくもないけど、ちょっとだけショックかな?」

 「仕方ないでしょー。ずっと探していた妹がいきなり現れて、しかも本気で戦えとかどんな無茶振りよ」

 「それをやるのが凄腕じゃないの?」

 「……そこは察してくれると助かるな」




  言って、大きく息を吐く。

  何にせよ、敗れたのは事実なのだ。こればっかりはどうしようもない。




 「まあ、仕方ないか。負けた以上は従うわ。要求通りフェンリルに入隊する」

 「うん。みんなには私から言っておくから、安心してね」




  一体何を言うつもりだ、とも思ったが、下手に追求するのは止めた。

  藪をつつけば蛇が出る……そんな言葉が頭に浮かび、猛烈に嫌な予感しかしなかったからだ。

  しかし、これからの事を考えると頭が痛くなるのも事実。

  組織がどこまで融通を利かせてくれるかにもよるが、確実に行動に制限ができるだろう。

  反面、行動に関してはそれなりのバックボーンがいれば何かと重宝はする。

  一応は行動指針が指し示されたと考えておこう。




 「それじゃあ、お姉ちゃんにはこれからフェンリルを束ねるおやっさんに会ってもらうんだけど」

 「待った、組織を率いる人をおやっさん呼ばわりして良いの、まこちゃん」

 「もちろん面と向かっては言わないよ」

 『ただ、私にはこれがあるせいで筒抜けなんだけどね』




  ああ、それは向こうも諦めるしかなかったのかもしれない。あるいはどこからかこちらを見ているであろうシゼル少佐も今頃は頭を抱えているのだろうか。

  空はそうやって納得を感じると同時に、違和感もそこに感じた。

  妹はその事についてかなり深刻に悩んでいたはずなのだが……語っている表情が妙に輝いているのは気のせいだろうか?




 「その話はまた別の機会にね。お姉ちゃんにはそれより前にちょっとしたイベントがあるみたいだし」

 「イベント? なにそれ」

 「んー、離脱すれば分かると思うよ。じゃあ私はこれでっ」

 「あ、ちょっと待って!」




  止める間も無く真は何処かへと姿を消してしまった。

  あとに残されたのは、虚空へと微妙に手を伸ばした空だけだった。

  ……何故だか無性に虚しくなってた。




 「離脱すれば分かるって言ってたけど……」




  じっとしていては何も変わらないのは確かなので、取りあえずは離脱してみる。

  0と1の海を越えて、現実へと帰還する。

  と、そこに。










 「お目覚めですか、中尉」










  レインの顔がどアップで映っていた。




 「うわあっ!?」

 「お元気そうで何よりです、中尉」




  予想もしなかった人物の登場に思わず跳び退く空。対するレインは言動こそ穏やかなものの、目が全く笑っていなかった。

  確実に怒っている。それもかなり真剣に。

  こうなった時のレインは実に凄まじい迫力なのだが……まさか、ここでそれを体験するとは思わなかった。




 「え、と……レイン?」

 「何でしょうか、中尉」




  言外の圧力が想像以上に痛かった。

  とても冷めた目付きでこちらを見るレインの視線がグサグサと空の心に突き刺さる。

  一体レインは何をそんなに怒っているのだろうか……? などと、考えるまでもない。

  どう考えても自分が彼女を置いていったのが原因である。

  この様子では言い訳などいくら並べても聞き入れて貰えそうにはない。

  だから、今の空にできる事は一つ。




 「ごめんなさい」

 「……中尉は、何か謝る事をされましたか?」




  意地悪だった。

  文字通りとりつく島もない。

  これは機嫌を直してもらうまで時間がかかりそうだ……そう思って、空は頭を抱えた。
























                    ◇ ◇ ◇

























  少し傷んだ、とある宿の個室。

  一通り騒いだ甲達は、とりあえず場所を移す事にした。

  そして現在、甲の目の前に座る菜ノ葉の目は思いっきり据わっている。




 「さて、甲……いろいろと説明してくれる?」

 「あー……」




  ノイとクリスは好き勝手に騒ぎ倒しただけであり、事態はちっとも好転してなどいない。

  とりあえず、足掻くだけ足掻いてみる。




 「えっと、だな……俺は確かにコゥだけど、俺は六条コゥであって君の言う『こう』とはおそらく別人……」

 「じゃあ、何で私の名前を知っていたのかな?」




  駄目だった。最初の時点で思いっきり詰んでいた。

  何か他に言い訳はないかと考えて……




 「甲、は……そんなに、私と会いたくなかったの?」

 「……ッ」




  そんな事はない。俺だって会いたかった。

  そう言いたい、素直に再会を喜びたい。

  だが下手に関わりすぎるとかえってこちらの事情に巻き込みかねない。

  と、そこにクリスが割って入ってきた。




 「二人とも、少し落ち着いたらどうかしら」




  そう言ってクリスは二人の間に割って入る。




 「そういえば……ノイちゃんと一緒にいる貴方は誰なんですか?」

 「挨拶が遅れたわね。私は六条クリス―――そこにいる唐変木の『家族』よ」

 「…………………………え?」




  家族、という部分をやけに強調するクリス。

  甲はまた何をやらかす気なのかと頭を抱え、菜ノ葉は文字通り凍りついた。

  ただ一人、ノイだけが菜ノ葉の死角でニヤニヤしながら事の推移を見守っている。




 「かぞ、く……?」

 「ええ、家族」




  甲には全く分からない、しかし彼女達には理解できているのであろう言葉の意味とその応酬。

  もう一度、茫然としながら『かぞく……』と菜ノ葉が呟く。

  不意に甲を見て、それからクリスを見た。そしてまた甲に視線が向けられて……




 「……ふぇ」

 「ッッッッッ!!!?」




  一気に涙ぐんだ。

  やばい、やっちまった、という地雷を踏んだ感触。

  幼馴染みを泣かせてまで何やってんだ、俺、という後悔の念。

  さしもの甲もこれには揺れる。

  これ以上、彼女を悲しませないようにするのは確かに簡単だ。

  だが、それでは……




 「そうだよね……甲には、こんなに綺麗なお嫁さんができたんだね。

  空先輩そっちのけでそんな事になったら、確かに会いたくないよね」

 「待て、何を一人で納得してるんだ。確かにクリスは俺の妹だが……って、空?」




  変な誤解をされたようなので、その誤解を解こうとする甲だが……菜ノ葉の言葉が引っ掛かった。

  空先輩そっちのけで……何でそこで空が出てくる?

  甲の脳裏にツーサイドトップの天然娘が浮かんでくる。

  喧嘩していても一分後にはその相手の人生相談に乗っているような超が付くど天然。彼女と自分はいつも喧嘩ばかりしていて……

  はて、何を断る必要があっただろうか?




 「……甲。『空先輩』に、反応したね」

 「げ……」




  またもや『しまった』と思うがもう遅い。完全な他人なら『空先輩』なんて言葉に反応するはずはないのだ。

  普段の自分からすればあまりにも迂闊な反応……やはり、感覚が記憶に引っ張られているらしい。

  が、狼狽えてもしょうがない。とりあえず元凶のクリスに矛先を向けてみる。




 「クリス……お前な、無意味に場を掻き乱すな」

 「あら、これでも私は貴方の事を考えて行動しているいるつもりなのだけど。

  それと、現実逃避は良くないわよ」




  うぐ、と潰れたカエルのような呻きが甲から漏れる。

  唯一の味方であるはずのクリスまで相手方についてしまい、八方塞がりな状態だ。

  本当に打つ手がなくなってきており、冷や汗をダラダラと流しながら沈黙を保つしかない。




 「はあ……分かった。貴方は、甲じゃないん……だよね」

 「え……、あ、あぁ……」




  と、急に菜ノ葉はこちらの言い分を認めた。

  あそこまで頑なだった割にはえらくあっさりと引き下がった事に甲は疑問を感じる。

  幼馴染みは静かに目を閉じ、小さく何かを呟いおり状況ささっぱりだ。

  そして……




 「……じゃあ、一つだけお願い、聞いてくれるかな……」




  そんな事を、言い出した




 「分かった……何だ?」




  そして、軽々しくもそれを聞いてしまった。

  本来ならば切って捨てるべきだ。こんな状況からの頼まれ事など厄介な臭いしかしない。

  第一、巻き込まないためにわざと遠ざけているのだ。これ以上の接点は本末転倒である。

  だけど、それでもーこの繋がりを完全に断ち切りたくはなかった。

  そんな甲に、菜ノ葉は儚げに微笑む。




 「言伝を、頼みたいんだ」

 「言伝?」

 「うん。もしも、貴方と同じ顔、同じ名前を持つ人と会ったなら……『何しているかは知らないけど、信じてる』って、伝えて欲しいんだ」




  それは、一体どんな心境での言葉だろうか。

  菜ノ葉はとっくにコゥが甲である事に気付いている。それは確実だ。

  だが彼女は、別人だと言い張るこちらの主張をあえて受け入れた。それは、どんな気持ちなのだろうか。

  分かる事があるとすれば、それは―――




 「ああ……分かった。必ず伝えるよ」

 「うん、お願いね」




  自分は、勿体無いくらいに良い幼馴染みを持った、という事くらいだろう。

  口には出さず、それでも心の中で菜ノ葉に礼を言う。

  自分勝手なエゴに何も付き合う必要はないだろうに……彼女はこちらの意思を尊重してくれた。

  話は終わったとばかりに席を立つ。

  クリスとノイがそれに続き、部屋のドアを開く。

  流れ込む外の空気……それを一身に受け部屋を出る、その直前に甲は振り返った。




 「じゃあ、俺はこれで」

 「うん……元気でね」

 「……ああ」




  力強く頷き、一同は部屋を後にする。

  最後に一度だけ菜ノ葉を見て―――門倉甲は、六条コゥとしての仮面を再び被った。

  静かな音と共に、扉が閉まる。

  菜ノ葉以外は誰もいなくなった部屋の中で、彼女は二人が出て行ったドアの方をただじっと見つめている。

  不意に、




 「……本当、優しい所は変わってないね……甲」




  確実に幼馴染は生きていた。

  その事実に、彼女は静かに―――数年振りに、喜びの涙を流した。

























                    ◇ ◇ ◇

























 「さて……着いたぞ。ここがフェンリルのベースだ」




  あの後、どうにかしてレインを宥めた空はシゼルにつられてフェンリルのベースにやって来た。

  発着場に鎮座している見た目は何の変鉄もない一機のVTOLがそうらしく、もっと物々しいのを想像していた空はちょっと拍子抜けだった。




 「以外と、普通なんですね」

 「我々も表向きは『門倉運輸』という一般事業だからな。あからさまな軍用機でまともな運送などできるものか」

 「なるほど……」




  確かに軍用機で玄関口を叩かれて『宅急便でーす』などと言われても心中穏やかなではいられないだろう。

  というか、ただの運送会社が軍用機など持っているはずがないのだ。

  なのでメジャーな航空機であるVTOLなのだろうが……




 「……結構なカスタム機ですね?」

 「まあ、そうでもしなければ生きていけない世界だという事だ」




  やっぱり、見る者が見れば分かってしまうものなのだ。

  パッと見た限りは三つの武装……よく探せばもっと見つかるだろう。

  なんとも物騒な航空機であった。




 「ついて来い。ブリーフィングルームで大佐がお待ちだ」




  大佐……門倉永二大佐。

  傭兵集団フェンリルを束ねる実力者にして、門倉甲の父親。

  らしくもなく、少し挙動が固くなる。




 「空さん……」

 「大丈夫……大丈夫だから」




  とは言うが、実際の空の内心はかなり不安に満ちていた。

  妹が好意的な以上は良識のある人物なのだろうが、空にとっては恋人の父親だ。

  加えて、傭兵がてらそっちの噂も知っている。

  期待と緊張と好奇心と畏怖とが良い感じにごちゃ混ぜになり、何やら自分が自分でない感覚。

  どう考えても大丈夫ではなかった。

  それでも見栄を張ったのは部下の手前だからなのだろうか。

  シゼルが入口に立っている男と二、三言葉を交わすとこちらを手招きしてくる。




 「……行きましょう」

 「はい」




  シゼルの後をついて機内を歩く二人。

  中は外から想像していたよりも広く、組織としての力を示している。

  そうして機内を歩き回りながら周囲の観察をしていたところで……シゼルが一つのドアの前で止まった。




 「この中に大佐はおられる。失礼のないようにな」

 「っ……」




  その一言で背筋が伸びた。

  いる。いるのだ。

  たった一枚のドアを隔てて、彼の父が……生きた伝説が、そこにいるのだ。

  ゴクリ、と意識せずに喉が鳴る。

  シゼルはそんな空を見て苦笑した。




 「そう緊張するな。大佐に初めての会う者は皆似たような反応をするものだ」

 「はあ……」




  何だかよく分からないが、彼女なりに緊張を解そうとしてくれたのだろうか。

  とりあえず落ち着こうと深呼吸をする……酸素が入れ替わり、少しはマシになった。




 「では、行くぞ」




  機械的な音と共にドアが開いていく。

  そこから視界に飛び込んでくる大型のシステムデスクやコンソールの数々。

  隊員らしき者も見受けられる。

  その中。

  部屋の中心に、他とは全く違う圧倒的存在感を持つ男がいた。

  彼が……




 「よう、来たか。待っていたぜ嬢ちゃん達」




  彼―――真がいうところのおやっさんが、そこにいた。




 「……今、妙な事を考えなかったか?」

 「いえ、特には」




  どうやら勘も鋭いらしい。

  今現在、空の中での凄腕ランキングで永二の順位はうなぎ登りだった。




 「まあ良いか……んじゃ、まずは自己紹介から始めるとすっか。

  俺は門倉永二。知っての通りフェンリルのトップで―――門倉甲の父親だ」

 「傭兵協会所属の水無月空中尉です。初めまして」

 「部下の桐島レイン少尉です。お噂はかねてより聞き及んでいます、大佐」




  永二の野暮ったい挨拶に敬礼を返して応じる空とレイン。

  んな堅くならずに気楽にしてくれと言われるが、そんな簡単に別環境に馴染める程に器用ではないのだ。

  話が進まないと判断したのか『とりあえず』と永二が切り出す。




 「来てもらうために部下がちょいと荒っぽい事をしたらしいな。先に謝っておく、すまん」

 「いえ、形はどうあれ同意の上で臨んだ事です。謝罪される必要はありません」




  あのまま突っぱねる事も出来たはずなのに、目先の情報に釣られたのは間違いなく空自身の失態だ。

  そこを叱責される事はあれど、謝罪される事はない。




 「とにかくだ。そっちとしても二人で話したい事はあるだろうし、面倒な話はそれからにしようや」

 「え、入隊の件は……」

 「真ちゃんがまたやんちゃしたらしいしな、ノーカンだノーカン」




  トップがこんな事で良いのだろうか……

  激しく疑問が湧くが、今は封殺しておく。そのおかげで選択肢はまたできたねだから。




 「ありがとうございます、大佐」

 「堅いねえ……まあ良いか。部屋を用意してあるから使ってくれや」




  永二が目で合図するとシゼルが再び前に出る。

  先導してブリーフィングルームから出る彼女に二人が続き……




 「時間があるなら、後で話したいんだが……良いか?」

 「……」




  そんな言葉が掛けられた。

  投げかけられた意味は一々聞き返すまでもない。現時点で、空と永二の間に存在する話題など片手で数える程だ。

  それが分かるから―――少し、懐かしい気分になりたいと思ったのだろうか。




 「……分かりました。私も、いろいろとお話ししたいですから」




  気付けば、そんな言葉を返していた。

  あの頃と比べて、自分の両手は血と憎しみに染まり切ってしまったけど……

  たまには、思い出話も良いかもしれない。

























                    ◇ ◇ ◇

























  スラム街の一角に位置するアダルトショップ―――兼、ノイの診療所。

  やっと帰り着いたコゥ達は手にぶら下げた荷物を下ろして一息吐いていた。



 「やーっと帰って来たな」

 「ほんとね……肩が痛くて仕方がないわ」




  大きく肩を回して背筋を伸ばす。長時間ずっと両手に荷物をぶら下げていたのは流石にキツかったらしい。

  少しして落ち着くと、三人は買ってきた物を袋から引っ張り出して片付けていく。




 「しっかし甲君、あんな良い子と知り合いだったのかね? 君も中々隅に置けんな」

 「幼馴染みですよ。というか、ノイ先生こそ何なんですかアレ。あんなキャラじゃないでしょう」

 「なに、私とて他人に甘えたい時もある。彼女のような母性溢れる者には時々ああして甘えさせて貰っているのだよ」

 「貴方でもそういう事はあるのね……意外だわ」

 「失敬な。君は私を何だと思っているのかね」




  などと他愛のない会話を交わしながら時間が過ぎていく。

  買い集めた薬品やいかがわしい品をしかるべき場所に置いて、整理する。

  作業が終わる頃には、日が傾き始めていた。

  手伝いを済ませたクリスは『さて』と言って重さを感じさせない動作で立ち上がる。




 「最低限の義理は果たした事だし……私達はそろそろ行くわ」

 「おや、もっとゆっくりしてくれても良いのだが」




  全く残念そうにない顔で残念そうに引き止めるノイ。

  分かりやすいのか分かりにくいのか、いまいち掴みにくい人物だった。




 「診察の経過を報告しには来ますよ」

 「なら良いのだがね……事情が事情とはいえ、過去に診察を放り出されてしまった経験があってね。

  頼むから君までそうならないでくれたまえ。途中で消えられるのは私としても後味が悪い」

 「……分かりました、約束しますよ」




  普段はいろいろとアレだけど、やっぱりこの人は医者なんだな。

  心の中で呆れると同時にそんな事を考える。

  こんなだからだろうか、あんなセクハラ紛いの発言を連発してもこの人はどこか憎めないのだ。




 「……ほんと、性別が違うと誰でも攻略しにかかるのね」

 「なんと、いやあそれならそうと早く言いたまえ。

  こんな時間から患者と医師による禁断の爛れた時間を過ごすのも悪くない……」

 「だからっ、何でそーなる!? 人聞きの悪い事を言うなっ!!」




  わざとらしく頬を赤らめれても、その顔に浮かぶ肉食獣の如き獲物を前にした笑みが全てを台無しにしていた。

  見た目だけは可愛らしいだけに全くもって油断ならない。

  当然、からかわれているというのは理解しているのだが……




 「遠慮をする必要などないというのに……」

 「ケダモノの癖に何を理知的に振舞っているのかしら」




  ……いや、もしかしたら、本気かもしれない。クリスなど目が本気でこちらを侮蔑している。

  本当のところはコゥには分からない。分からないからこそ恐ろしかった。

  これ以上この話題を続けていると碌な目に遭わない―――そう確信して、とっととこの場から離脱する事を選択。

  ちゃっちゃと荷物を纏めて自分も立ち上がる。




 「それじゃあノイ先生、俺達はこれでっ」

 「む、待ちたまえ甲君っ。君のその剛直を―――」

 「だぁぁぁああああああああああっっ!!! それ以上は禁止ー!!」




  一秒でも早くこの場から脱出するため、脱兎の如き勢いで駆け出す。

  このままここにいては何か大切な物を失いかねない。主に尊厳とか、そんな感じのを。

  人として最低ランクのモラルだけは守り通してみせると明日への逃避行を開始するコゥ。

  クリスもそれに続いて駆け出す。




 「まったく……きちんと定期健診には顔を出したまえよー!!」

 「分かりましたー!!」




  ノイは診療所の玄関から走り去る二人の背を見つめる。

  夕日に紛れていくそれはとても脆く見え……




 「しかし、門倉か……神など信じる気はないが、これも運命や宿命とでもいうのかね」




  目を細め、これから彼らの前に立ちはだかる困難を思う。

  願わくば―――あの若い命が押し潰される事の無いように……今のノイは、そう思う事しかできなかった。



[29132] 第六章 不安 -uneasy-
Name: ジエー◆7693fe4e ID:1ef01948
Date: 2011/10/26 15:22




  フェンリルベースであるVTOLの一室。空とレインはそこでお互いに向き合っていた。

  数分前に部屋に案内されてからずっとこの調子であり、シン―――、と静かな沈黙が続いている。

  お互い、話したい内容は分かっている。だがそれを切り出す切っ掛けが出てこない。

  このまま無言続きで時間が流れていくのかと思い、




 「……空中尉」




  それは、レインの手によって打ち破られた。

  やや厳かに彼女が言う。




 「私を置いて行ったのは、足手まといだからですか」

 「違う」




  それに対して空もはっきりと答える。

  相棒である彼女を置いて行った、その理由を。




 「ここから先は、きっと経験した事のないくらい激しい戦いになる。レイン、貴方は半ば私に引っ張られる形で傭兵になった。だから―――」

 「だから、私に今後の身の振り方を考える時間を作ったとでも? 失礼ですが、そんな事は全くもって不要です」




  きっぱりとレインは要らぬお節介だと断じた。

  彼女の決意など、とっくの昔に固まっているのだ。

  それは数年前のあの日から、今も変わる事なく彼女を支える柱でもある。




 「覚悟など、とうの昔にできています。

  ドレクスラー機関を追い、あの日の真実を確かめる。そのために、私は中尉の剣となり、盾となると」

 「……参った。これじゃ私一人が馬鹿じゃないの」




  空とて、そんな事は承知済みのはずだった。

  だがそれでもあんな行動を取ったのは彼女への甘えからか―――

  とにかく、これ以上レインに何を言っても無駄だろう。




 「私が悪かったわ……これからも宜しく頼める?」

 「はい。貴方が望もうと望むまいと、お側でお守りいたします」




  空は苦笑すら浮かべられずに手を差し出す。

  対するレインは不適な笑みで確かにその手を握り返した。

  とりあえずこの一件はこれで決着が着いた。

  あとは、フェンリルの件だ。




 「……レインは、どうするべきだと思う」




  こうなった今、率直に意見を求める空。

  事は自分だけではなくレインの先をも左右する。だからこそ本人の意見も欲しいのだ。

  それに、レインなら自分とは別の視点で物事を見ているだろうという考えもある。

  この際だ。判断材料は一つでも多い方が良い。




 「……そうですね。客観的に言わせてもらいますと、やはりフェンリルの指揮下に入る事はメリットに働くでしょう」

 「組織としての知名度はもちろん、実力まで折り紙付きだからね」




  少し前に妹に負けた時の光景を思い出す空。

  確かに真は元から強かったが、自分とて数多くの死線を潜り抜けてきた身。腕前にはそれなりに自信があったのだ。

  が、真はその上を行って見せた。真でアレならば隊長である永二はいったいどれ程の実力だというのだろうか……

  正直、想像するのも寒々しい。




 「逆に主観的に見るならば、庇護下に入るのは必ずしもメリットとは言えません。

  第一に行動の制限が掛かるでしょう。次に私達が行ってきた戦いは所謂ゲリラ的な側面が強いので、それがあちらと合うかも問題ですね。

  付け加え、私達はフェンリルについて何も知りません。

  手にしている情報は真さんが所属している事、甲さんのお父様がトップだという事、相当な実力派集団だという事くらいです」

 「……確かに、情報はかなり不足しているわね」




  なにやら身内や浅くない関係者がいる、という事以外に自分達にとってのプラス材料が見当たらない。

  これで首を縦に振るのは相当難しいだろう。




 「……どうするか」




  腕を組んで思案する。

  確かに真が居るのは空にとって大きな判断材料だが、それだけだ。

  自分は、あの頃と同じではない。

  真の無事は確認できたのだし、あのフェンリルに身を寄せているのであればそうそう大事には至らないだろう。

  そんな軍人としての冷めた思考がより冷徹かつ合理的な判断を空に求める。




 (こんな考え方……昔の私が知れば何て言うのやら)




  そんな事すら、今の空には分からない。

  あの頃とはかけ離れてしまった自分ーだが、だからこその判断ができる。




 「……少し、話してくる」



  少し考えてから、空はそう切り出した。

  言葉数少なくレインはその意図を察する。話をするとは、当然―――




 「私は、どこまでも中尉について行くだけです」

 「……ありがと」




  レインの言葉に少しだけ肩の荷が軽くなった気がした。

  小さく礼を言った空は軽やかに席を立って宛がわれた部屋を後にする。

  次はいよいよ、組織のトップと一対一での座談会だ。

























  第六章 不安 -uneasy-

























 「さて、そろそろ動くとしましょうか」




  適当に取った安宿の部屋のベッドに腰掛けながらクリスが言った。

  彼女は手櫛で銀の髪を鋤きながら優雅に脚を組んでいる。

  そんな彼女に対して、背中合わせに軍服を脱いでいるコゥが答えた。




 「ノイ先生に付き合いながら集めた情報に何かあったのか」

 「一つ、気になる情報をね。聞いた事はこっちに纏めてあるから、見て」




  言われて、クリスからデータが送られてくる。

  受け取ったのはクリスが纏めたテキストデータらしく、開けば文字の羅列が目の前に流れ出た。

  コゥはそれに簡単に目を通して―――読み終わってから、一泊の間を置いて言う。




 「……なるほど、これは確かに気になるな」




  クリスの寄越した情報は、『近いうちに米内議員が演説を行う事になっており、それに合わせるようにドミニオンの姿が確認されている』というものだ。

  が、二人はこの情報の一部がデマ、もしくは意図的に流されたものだと考えている。




 「神出鬼没、そして後には何も残らないのがドミニオン。この程度で情報が掴めるのなら苦労はしないわ」

 「それに、あの神父の事だ。あいつならもっと分かりやすい形で俺達に喧嘩を売ってくるだろうさ」




  これはただ、二人の経験則だ。

  だが、だからこそ、自信を持って二人は断じる事ができる。




 「米内が標的の情報、だというのに間違いないでしょうけど……流しているのはどちら側だと思う?」

 「確か、米内はガチガチの反AI主義だったよな」




  そのAIを巡って阿南市長と争っているのは二人もよく耳にしていた。

  単純に考えれば、これは敵対勢力である阿南側の工作だと考えられる。




 「けど、わざわざドミニオンの名前を使うのは―――」

 「どう考えても失策ね。ドミニオンはサイバーグノーシス……主義主張で言えばAI派だけど、さっきも言った通り積極的に動く組織じゃないし」

 「だけど、これは少なからず利用できる」




  見ていたテキストデータを閉じて、コゥが言う。




 「ドミニオンの名を出すって事は、阿南側にあいつらを疎む理由があるって事だ。

  それは同時に、奴に繋がる情報にもなる」

 「そうね……少しばかり網を張った方が良いかしら」




  コツン、とクリスの後頭部がコゥの背に預けられる。

  彼よりも遥かに軽い体重や微かに漂ってくる独特の香りが、女を強く意識させた。




 「ねえ……甲」




  静かな世界の中、不意にクリスが問いかける。




 「幼馴染みと再開して―――どうだったかしら」

 「どうって……かなり、懐かしい気分になったな」




  何をいきなり、とコゥは思うが、背中合わせの今の状態で互いの表情を窺い知る事はできない。

  かといって別段隠すような事でもないので正直に感想を述べた。

  それを聞いて、クリスは―――




 「……そう、それは良かったわ」




  彼女にしては珍しく、本当に安心した声を漏らしていた。

  いつもの彼女からすればらしくない態度。それに少し引っ掛かりを覚える。




 「どうしたんたよ、急に」

 「別に。ただ―――ノイが言っていたでしょう、全てが終わった後の事」




  それは確か、日常への回帰の話だったか。

  戦場に慣れすぎた今、はたしてそのまま平穏な日常に戻る事ができるのかどうか。




 「不確かな記憶が確かなものになった事で貴方には変える場所が出来た。それも、とても温かい場所が」

 「……クリス」




  どこか遠くを見ているような声で、優しげに彼女は語る。

  おそらく、彼女の『良かった』という言葉は本心からのものだろう。

  ただ、コゥにはそれが少し―――寂しげに聞こえていた。




 「本当に良かったじゃない。帰る場所がないのは中々に堪えるものよ」

 「……そうか。そういえば、お前の家は―――」

 「ええ。『灰色のクリスマス』でグングニールの掃射を受けて全滅。私は経歴が経歴だから、親戚には腫れ物扱いだったしね」




  そう、彼女には帰る事のできる場所がもう存在しないのだ。

  今の今まで、こうやってその事を『辛い』と言う事もなかった。

  菜ノ葉に関して煽っていたのも、おそらくはそこに起因しているのだろう。

  普段からどこか超然とした佇まいをしているクリスだが……やはり、一人の女性なのだとコゥは思った。




 「だったら、お前も一緒に来れば良い」




  だから、自然とこんな言葉が出ていた。




 「お前ならきっとみんなも歓迎してくれるさ。あの頃みたいに毎日が楽しいとはいかないだろうけど……きっと、お前にとっての居場所になれると思う」

 「……」




  肩越しに、クリスが面喰らったような表情になったのが見えた。

  普段ならこの程度の言い回しは予想通りと言っている彼女だが、今回ばかりはこんな台詞が出てくるのは予想外だったらしい。

  たっぷり一〇秒ほどの静寂を挟んで―――




 「……まったく、貴方って人は」




  彼女の表情に苦笑が漏れた。

  それはコゥの言葉に心底呆れていて……同時に、喜びも確かに見えた。




 「良いのかしら、軍人気質の私がいると貴方の心が休まらないんじゃないしら?」

 「そんな事はないさ。ずっと死線を潜り抜けてきた仲だからな……どっちかと言えば勝手が知れていて良いかもな」

 「空さんに何言われても知らないわよ」

 「……だから、何で空が出てくるんだよ。ていうかお前はあいつを知らないだろ」




  そう言うと、クリスはこれ見よがしに深く深く溜め息を吐いた。

  その仕草の一つ一つが全力でコゥを馬鹿にしており、彼としては甚だ心外である。




 「この朴念人……私でも分かったのに、それはわざとかしら? それとも単に忘れているだけ? どちらにしても救いようがないわね」

 「好き勝手言ってくれるなオイ」




  言い返しても冷やかにコゥを見る彼女の視線は変わらない。むしろ冷たさを増したようにも思える。

  どうにも踏んではいけない地雷を踏み抜いてしまったらしい。コゥは軽く後悔した。




 (それにしても……空か)




  自分と彼女の間に、いったい何があったのだろうか。

  確かに、一言では済ませられない何かがあった気はする。

  それを考えると酷く胸が締め付けられたりもする。

  だが、答えは一向に出てこない。




 (……何か、あいつの事で大切な事を忘れている気がする)




  記憶の中でも一際大きく抜け落ちた記憶。

  なんとなく、それを思い出さない限り、彼女に会わせる顔がないと思った。

























                    ◇ ◇ ◇

























  レインと話し合ってから暫くして、空はとある部屋の前に立っていた。

  言うまでもなくその部屋はこのフェンリルのトップ―――門倉永二の部屋である。

  そのたった一枚の扉を前にして……彼女は二の足を踏んでいた。




 「はあ……きちんと話せれば良いけど」




  空は、レインや一部を除いたあちら側の関係者以外の者とは極端に会話をしていない。

  それは間違いなく『灰色のクリスマス』での事が影を作っているからであり、そういう人達を見ているとつい嫉妬にも似た感情を覚えるからでもある。

  だから、そんな彼女にとってこういった『普通の会話』というのは久しぶりなのだ。




 「ええい、うだうだしてたって仕方ない。失礼しますっ」




  少し妙な気合を入れて扉を開く。

  開けた先に見えた部屋は、特に他の部屋と変わりはなかった。あるとすれば置かれている機材の違いか。

  ベッドがあり、デスクがあり、ネットにアクセスするための機材がある。

  その中で、一人煙草を吸っている一人の男―――永二だ。

  彼は扉を開けた空に気付くと煙草を灰皿に突っ込んで手招きする。




 「おう、煙草臭くて悪いな嬢ちゃん。まあ入ってくれや」

 「はあ……失礼します」




  何だか調子が狂うな、と思いつつ部屋に踏み入る。

  永二が適当な椅子を指したのでそこに腰掛けて、改めて向かい合った。

  そして沈黙。




 「……あー、その、なんだ……」

 「……えっと……」




  お互いに、どう話題を切り出せばいいのか分からなかった。

  話したい内容について察しはついているものの、良く分からない気まずさがどうしても先立ってしまう。

  視線を中空に漂わせるが、別段何かがある訳でもない。




 「……その、だな。うちの倅が……世話になったそうだな」

 「……はい」




  結局、無難なところから手を付ける事になった。

  ポツリ、ポツリと、少しずつ言葉を繋げていく。




 「真ちゃんから聞いた話なんだが……あいつとは、恋人同士だったんだって?」

 「……そうです、ね。いろいろあって、ちょっと複雑な結ばれ方をしましたけど」




  複雑、とは当然シミュラクラの事だ。

  彼女―――クゥが居なければ、そして共振が起きなければ、もしかしたら甲は別の誰かと一緒になっていたかもしれない。

  それこそ、積極的にアタックを仕掛けていた千夏か影ながら頑張っていたレイン辺りと。




 「そう、か……ったく、嫁さん紹介する前に逝くとか何考えてんだあいつ」

 「嫁、はちょっと気が早すぎるような気もしますが……そこには同意しておきます」




  自分もまさかあんな形で置き去りにされるとは思っていなかった。

  あの日、あの場所、あの瞬間に―――彼は、決して手の届く事の無い場所に、逝ってしまった。










  ザリ、と頭にノイズが奔る。

  繰り返される光景。アセンブラに溶解される甲ではなく、グングニールに薙ぎ払われる甲と自分。











 「どうかしたのか、嬢ちゃん」

 「いえ……なんでも、ありません……」




  時折、こうして脳内を奔るあの記憶―――ありえないはずの、もう一つの『灰色のクリスマス』の記憶。

  おかしいと思う反面、それは何かを訴えているように感じてしまう。

  そう考えてしまう事自体が、既におかしいのだが。




 「施設で論理爆弾が起動したとか言ってたな……余波でも受けたのか?」

 「いえ、その……余波というか、直撃を……」




  直後、永二の目が据わった。




 「直撃だぁ~? 嬢ちゃん、何でそれを先に言わねえんだよ」

 「す、すみません」

 「謝る前に自分の身体くらいしっかり管理しろってんだ。ったく……」




  言葉こそ粗暴だが、それはこちらを思いやっての事だとは理解できる。

  ちょっとぶっきらぼうで、だけど心根はとても優しい―――

  親子の仲は思わしくないと聞いてはいたが、それでもこんなところは似ているらしい。

  それが、なんだか少しだけ可笑しかった。




 「腕の良い医者を紹介してやるから後で行ってこい。身体には気を付けろよ、良いな?」

 「了解」

 「うし」




  ならば良し、とばかりに永二は首肯する。

  と、二人はいつの間にやら自然と会話が成り立っている事に気付いた。

  ある程度の距離感がはっきりしたからだろうか、さっきまでの気まずさを感じる事はなかった。




 「あー、んでだ。あいつとはどうだった? 嬢ちゃんにちゃんと何かしてやれたねか?」

 「どう、でしょうか……私達の場合はかなり特殊でしたので。他の一般的なものが当て嵌まるのかどうか。

  逆に私自身、甲にもっと何かをしてあげられたんじゃないかって」




  あんな結ばれ方をしたのはおそらく自分達が初めてで……共振の危険性が発覚している以上、自分達が最後になるだろう。

  だから、今でも少し不安になる事がある。

  彼は―――甲は、あんな結ばれ方をして何とも思わなかったのだろうか。

  本当は自分の事など何でもなかったのに、共振のせいで無理矢理に気持ちを向けさせられたのだと、そう考えた事はなかったのだろうか。

  それは……きっと怖い。

  もしそうなら、と考え出すと、空は怖くて堪らなくなる。

  今も一瞬、そんな事を考えて身震いした。

  永二はそんな空の様子に気付かず、一言。




 「……あー、ほんと我が息子ながら良い目の付け所してやがる。こんだけ想われてちゃ万々歳じゃねえか、クソッタレ」




  そう、一人ごちた。

  彼は頭をガシガシと掻いて、改めて空に向き直る。




 「ま、そっちはまた追々話すとしようや。他にも話はあんだろ」

 「……はい」




  そして空も向き直る。

  確かに今までの話も大事な事だが、今はそれ以上に重要な事がある。




 「フェンリルへの入隊ー確かに魅力的なお誘いですが、はいそうですかと簡単に首を縦に振る訳にはいきません」

 「ほう?」




  空の言葉に永二は面白そうに笑みを返す。

  が、気にせずに空は続ける。




 「私達はフェンリルという組織の実態をあまりに知らなすぎる。

  賭けに負けた身で失礼を承知で言わせてもらいますが、そんな場所に背中は任せられません」




  それは当然の帰結だ。

  統合のような大きな組織ならともかく、噂が先行するような組織はそもそも一般的な信用に欠ける。

  だが、




 「しかし、この先に踏み入るのなら組織のバックアップの有る無しでは大きく状況が違ってくる。それも承知しています」




  戦いでは最も弱い者から死んでいく。

  規模の大きな戦いなら尚更そるは顕著だ。個人など、組織の前では無力に等しい。

  だからこそ、見極める必要がある。



 「―――だから、見極めさせてください。私達がフェンリルと行動を共にすべきかどうかを、これからの行動で」

 「これまた、大きく出たもんだな? 嬢ちゃんよ」




  言葉を受けて、永二の笑みが獰猛な肉食獣のそれに変わった。

  空の言った事は丁寧であっても視線は上からのものだ。

  実際にフェンリルのトップである彼からすれば結構な挑発行為に見えたかもしれない。

  だが、空は目を逸らさない。

  ここで逸らしては決定的なイニシアチブを相手に握られてしまう。それではいけない。

  自分達はまだ個人なのだ。

  組織としてならともかく、傭兵水無月空一個人としてはへりくだる必要はない。




 「―――」

 「―――」




  静かで、重い静寂。

  睨むのでもなく、見詰めるのでもなく、空はただ静かに永二を見やる。

  そして、一瞬とも数分とも感じられる静寂の後―――




 「……ま、今のところじゃそれが妥当か。それで手を打っとくかね」




  はあ、と軽い溜め息と共に確かな了承の意思を、彼は示した。

  同時に空も軽く息を吐く。気まずさが無くなったとはいえ、やはり緊張する場である事に変わりはないらしい。

  それもこんな要求をする以上は当然とも言えるのだが。




 「嬢ちゃん達は一時的にフェンリルの指揮下に入る……それで良いな?」

 「はい。ありがとうございます」




  とりあえず、今はこれで十分だろう。先を見極めたい身としては実にありがたい立ち位置だ。

  席を立つ。




 「それでは、まだやる事があるので失礼します」

 「おう」




  方針は固まった。

  これから世話になるのだし、フェンリルの隊員達に挨拶でもするべきかもしれない。

  そんな事を考える空の背に、




 「嬢ちゃん」




  永二が声を掛ける。




 「あんた、まだ甲の事は?」




  それは、彼にとっても難しい質問だったろう。

  古傷をわざわざ抉るような真似は彼とて本意ではない。

  だからこれは何か意味のある問い掛けだ。おそらくは、彼にとって。

  そして、そんな事は確認するまでもない。




 「……そうでないと、きっと私は今ここにはいないと思います」

 「そうか……悪かった、変な事聞いて」




  空は答えない。

  代わりに静かな一礼を残して今度こそ部屋を後にする。




 (私は今でも……か)




  機内の廊下を歩きながら、空は今さっきの問いを思い出す。

  ―――はっきりと、気持ちを口にする事をあえて避けた。

  それは、空自身が漠然と抱いているあの不安に端を発する。




 (本当のところ、どうなのかしら。私は今でもあいつの事を思う事ができる?

  それとも、本当にただ共振があったから……?)




  彼への不安は、つまるところ自分自身への不安でもある。

  あまりに特殊すぎる、前例などなく基準も存在しない恋愛への発展だったからこそ―――空は不安で堪らない。

  だから、具体的な回答は避けたのだ。

  不安定で不確かな自分の気持ちが怖かったから。

  誰もいない廊下の中でも、空はふと足を止める。




 「馬鹿だ私……こんなんじゃ、甲に会わせる顔がないよ」




  震える声で上を見上げる。

  不安と自己嫌悪に揺れる彼女は、泣きそうな顔で天井の向こうにある空を睨んだ。



[29132] 第七章 情報屋 -edy-
Name: ジエー◆7693fe4e ID:1ef01948
Date: 2011/12/01 10:43



  数日後。




 「お姉ちゃん、そっち!」

 「任されたっ!」




  
  真の放ったビットから逃れた有象無象のウイルスを空がその神速を以て瞬く間に切り刻んでいく。

  それでもなお押し寄せるウイルスの群れ。数は一〇と七。

  再びネージュ・エールが宙に舞う。




 「当たって!」




  機体から放たれるのはボミングビット。

  押し寄せる群れの上空まで飛行し、上空から大量の爆弾を撒き散らしていく。

  轟く爆音。

  固まっていたウイルス達が爆発によって散り散りに吹き飛ばされる。

  そこを駆け抜ける紅い影、カゲロウ・冴。




 「逃がさないっ!」




  ソニックショットで吹き飛ばされている敵を蜂の巣にしながら接近していく。

  自身の間合いに入ったところで繰り出されるクロスイリュージョン。神速の三連斬が瞬く間に新たな轟音を響かせた。

  まだ終わらない。

  少しは慣れた場所にいる敵をエアレイドスラッシュで追い打ちをかけ、そのままメテオアローで更に遠くにいる敵を撃ち抜く。

  そこで、空はもう一段階ブーストを吹かせた。

  上空へと跳び上がり、ある武装へ余剰のエネルギーを一気に叩き込む。

  フォースクラッシュの前兆に仮想空間が軋みを上げる。カゲロウ・冴が竜巻のような回転を始め―――




 「纏めて吹っ飛べ!!」




  エネルギーの弾丸がこれでもかと吐き出された。

  炸裂型の光弾が視界を蹂躙する。同時にそれが残ったウイルスへと一気に殺到して……一斉に弾けた。

  視界が全て白一色に染め上げられる。

  一瞬音という音が全て消し飛び、次いで炸裂音と爆発音が絶え間無く世界を埋め尽くした。

  白の爆発が収まった後には……ただ、ウイルスだった物の残骸が無造作に転がっているだけだった。




 『状況終了だ。よくやったな、二人とも』

 「恐縮です」

 「私とお姉ちゃんが組むんですから、これくらいは当然です」




  モニター越しに聞こえてきた永二の称賛に律儀な反応を返す空と、姉とは対照的に得意げな笑みで答える真。

  フェンリルはつい今さっきまで現実と仮想の両方からどことも知れぬ相手からの攻撃を受けていたのだ。

  現実側の攻撃は全て防ぎ切り、仮想側も空と真の奮戦で事無きを得た。

  真の言葉にそうか、と永二は笑って返す。




 『そろそろ清城市に入る空嬢ちゃんはこっちに戻ってくれ』

 「了解。それじゃあ、まこちゃん」

 「うん、また後でね」




  真の笑顔を最後に、空は1と0の空間から引き上げられる。

  その最中、仮想と現実の間で彼女は思う。




 (……ドレクスラー機関とドミニオン、アークにCDF。ジルベルトのダーインスレイヴにフェンリルもこの街に来た。もうじきGOATもこの街に介入してくる)




  状況が錯綜としている。

  空も長らく傭兵として様々な戦場を渡り歩いてきたが、ここまで大規模な組織が一ヵ所に集うのを見るのは初めてだ。

  嫌な予感がしてならない。

  この数ヶ月で清城市の情勢は大きく変わりつつある。それが、何か大きな異変の前兆に思えてならない。




 (……だとしても、関係ない。私の目的は変わらない)




  だがそれでも、空が揺らぐ事はない。

  何があろうと戦い続けるだけだ。真実を手にする、その時まで。










  そうして、空とレインはフェンリルと共に再び清城市の土を踏む。

  行きつけの情報屋から緊急の連絡が入ったのは、それから暫くしてからだった。

























  第七章 情報屋 -edy-

























 「ドミニオンの動向を掴んだわ」




  開口一番、クリスがそう言った。

  今さっきネットから帰ってきたばかりのコゥも同じく口を開く。




 「奇遇だな。俺もそれらしき連中が動いている話を耳にした」

 「あら、なら同じ情報かもしれないわね」




  悪戯っぽく笑うクリスに呆れながら、コゥは自分の仕入れた情報を話した。

  最近、ある情報屋がばらまいた情報がある。どうにもその中にドミニオンとしても見過ごせない情報があったらしく、その情報屋の始末のために動いているそうだ。

  まだあまり出回っていない話だが、アンダーグラウンドの耳の早い連中は別だった。少し金に色を付ければ大抵の事は話してくれる。

  話を聞き終わると、クリスも呆れたように肩を竦めた。




 「私の情報も同じよ。ただ、裏で更にダーインスレイヴが動いているとか」

 「悪名高い私設傭兵団か……できれば相手にしたくないな」

 「同意するわ。私もあの手合いとはあまり関わりたくないもの」




  言って、クリスはついこの前に偶然にも再開したダーインスレイヴのリーダーの顔を思い浮かべる。

  身内に優しく、外部に苛烈を地で行く男。

  反AI主義であるあの男がドミニオンと与するとは考えにくいが……




 「まあ、今そっちはどうでもいいわ。重要なのはドミニオンが放っておけない程の情報があるという事」

 「そうだな。上手く行けば、そこからあいつらの喉元に食い付けるかもしれない」




  コゥの言う通りだった。中々尻尾を見せようともしない奴らへと迫る、これはまたとないチャンスだ。

  その情報、なんとしても渡す訳にはいかない。

  だからこそ―――二人の次の行動は全くの同一だった。




 「行くぞクリス。奴らの鼻を明かしてやる」

 「そうこなくちゃね。精々派手に暴れてやりましょう」




  情報から察するに、件の情報屋が襲撃されるまでもう時間はない。

  手早く装備と情報を整理し、目的に適した没入ポイントを探し出す。

  それから数分後。準備を終えた二人は互いに軽く拳を打ち付けて……戦場に向かい、歩き出した。

  向かう情報屋の名をエディ。スマック・ジャック・エディという男だった。

























                    ◇ ◇ ◇

























 『よお中尉、俺だよ俺……』




  通話を受け取り、網膜に投影されたモヒカンの男の顔は怯えと焦燥に引き攣っていた。




 『すまん、すぐに来てくれ……えらい事が分かっちまったぜ』




  明らかにいつもと違う様子。

  よほど碌でもない何かを知ってしまったのかもしれない。




 『いつものアジトじゃないぜ? 清城の方だ』




  わざわざ、ネットではなくリアル側の根城を指定してきた。

  ということは、つまり―――




 「……着いた」




  そうして、空は情報屋―――エディのリアルにおける根城の前に立った。

  スラム街の一角に建つ今にも崩れ落ちそうな雑居ビル。エディの根城はその地下だ。

  目の前にある扉を叩き、中に居るであろうエディへと声を掛ける。




 「エディ、居る? 水無月よ」




  返事は無い。だが扉越しに怯える人の気配だけは感じる。

  待つ事暫く―――エディが返事を返してきた。




 「中尉、か……? 誰か、仲間とか連れて来てるのか?」

 「ええ、一人ね。けど安心しなさい、入るのは私一人だけだから」

 「……」




  再び沈黙が流れる。

  エディに言った通り、空はレインを連れてこの場を訪れていた。

  フェンリルの誰かを連れてくる事も考えたが、用心深いこの男の事だ。見知らぬ人物をそう易々と自分の根城に入れるとは思えない。

  故に空はレインを近辺の警戒に当たらせている。だからこの場にいるのは空一人だ。

  エディもそれを分かっているのだろう。少しの間だけ考えてから素直にロックを解除した。




 「入ってきな」

 「お邪魔するわ」




  部屋の中に足を踏み入れる。

  中央には大きなカプセル型のコンソールが設置されており、そこから延びるケーブルがそこいらじゅうの機材に乱雑に繋がれていた。

  空程度の知識では一見しただけでは何の装置かも分からない。精々が情報屋としての武器である、と推測を立てる程度か……

  そして、その部屋の主は、こちらと一定の距離を開けて立っていた。




 「よく来たな、中尉」

 「……よっぽどの大物が釣れたみたいじゃない、エディ?」

 「はっ……まったくだ。タイを釣り上げるつもりがサメを釣っちまった気分だぜ」




  返す言葉は弱々しい。

  実際に見た彼の顔はより酷いかった。目の下に隈ができており、顔は青ざめて血色が悪い。確実に消耗している。

  刺青だらけの細い腕には油断なく拳銃が握られており、彼の余裕の無さを物語っていた。

  エディはこちらを見て、恨み言のように愚痴を洩らす。




 「とんでもねえ事に巻き込んでくれたよな、ったく。おかげで夢見は最悪だ」

 「悪かったわ。けどそれは貴方を信頼しての事だけど」

 「けっ、こういう時でも口は上手く回るのな。そういうとこ、嫌いじゃないがね」




  ヒヒッ、と下卑た笑いがエディから漏れる。

  調子が少しは戻ったのか、彼はそこから手にした情報を話してきた。

  ドレクスラー機関を匿っていたのが阿南市長だという事。

  その阿南がNPC密造業者と繋がりを持っており、ドミニオンはその繋がりを利用して阿南に科学者を紹介したらしいという事。

  つまり、阿南はドミニオンを経由してドレクスラー機関を繋がりを持った事になる。




 「じゃあ、私がこの前に襲撃した施設は」

 「阿南の私物だ。あそこで密造ナノを作らせていたらしいんだが……連中、阿南にも黙ってとんでもねえ代物を作ってやがった」

 「……言うまでもないか」

 「ああ、その通りだよ」




  もはや口に出すまでもなかった。

  『灰色のクリスマス』を経験した者には半ばタブーともなっている、とあるナノマシンの名称。

  ドレクスラー機関が阿南に対しても秘密裏に製造していたそれの名前は―――




 「アセンブラ……ドミニオンの連中、かなりヤバい事を企ててやがった」

 「ドミニオンね……狂信者連中が考える事なんて碌な事じゃないだろうけど、何?」




  ふう、とエディが息を吐く。

  次の一言を吐き出すための準備。それ程、重い何かを彼は抱えてしまっている。

  彼の様子から、その重さを空は認識した。

  重たい空気の中、ゆっくりとエディが口を開く。

  ドミニオンが企てている計画の、その実態を。




 「連中の計画はアセンブラを汎用ナノマシンに紛れさせて世界中にばら撒き、ある日に一斉に起動させるってもんだ。

  要は、全世界規模での同時多発テロ計画だな」

 「っ……、冗談じゃないわね」




  思わず苦い顔で舌を打つ。

  彼らの計画はつまり、『灰色のクリスマス』の再現である。

  アセンブラが起動すれば全てが融解され死に絶える。そうでなくとも、汚染された区域はグングニールに薙ぎ払われるだろう。




 「ま、それを知った阿南の野郎はおったまげてな。だからこそ真っ先にドレクスラー機関の連中を消しに掛かったんだろう」

 「それが、先日のドンパチって訳ね」

 「そうだ。阿南とドミニオンとの間で科学者の取り合いになってな、連中を連れて行ったのはドミニオンだ。

  んで、阿南は証拠の隠滅のために」

 「施設の爆破に踏み切った、と」




  空は無意識のうちに頭に手を添えていた。

  あの時から頭の中に時折再生される不可解な記憶―――記憶の一時的な混乱か、もっと別の何かなのか。彼女自身も分からない。

  そんな空の様子を訝しみながらもエディは話を続ける。




 「で、本題はここからだ。中尉からもらったデータを流したらドレクスラー機関の連中の居場所……ドミニオンの本拠地が分かってな」

 「……なるほど、それはとんでもない大物を釣り上げたわね。察するに、それが原因で狙われたのかしら」

 「御明察。代わりに俺の存在が連中に割れちまってな、ここいらが仕舞い時だと思ったんだよ」




  肩を竦めておどけるエディだが、その表情にはやはり余裕がない。

  自分に連絡を入れるのもおそらくかなり苦渋の決断だったのだろう。できる事ならば誰にも知られずに姿を消したかったはずだ。




 「私に頼みたいのは清城市脱出までの護衛、ってとこかしら」

 「話が早くて助かる。で、どうだ。受けてくれるか?」

 「ドミニオンの本拠地の情報と引き換えにならね」




  商売上手なこった、とエディが呟く。

  だが空としても今まで戦場の中を生き抜いてきた目的が目の前にある以上、譲る事はできない。




 「まあ、もう少し色目を付けてくれりゃこっちとしても文句はないさ。そうだな……」

 「身体とか言ったら、容赦なく撃つから」

 「ん、んな訳ねえだろ。信用ねえな……」




  焦るエディにどうだか、と空は溜息を吐く。

  同時に、




 『中尉、気を付けてくださいっ!』




  頭の中に部下の警告が大音量で響き渡った。

  瞬間、部屋の奥の扉が勢いよく開け放たれる。

  フードで顔まで隠した黒衣の男が銃を構えて部屋に突撃してきた。




 「なっ、」

 「ちい……っ!」




  引き金に指が掛かる。発射されるまで残りゼロコンマ一秒。

  視界に映る全ての動きがスローになる。懐に持つ銃に手を伸ばすが、間に合わない。

  こちらが銃弾を放つ前に男は確実に銃弾を放つ。狙いは、間違いなくエディだ。

  あまりに手遅れな初動に歯噛みする。空では男を止められず、エディは突然の事態に頭と身体がついて行っていない。

  そして、先を決定付ける一発の銃弾が―――










 「伏せなさいッ!!」










  放たれる事はなかった。

  突如として乱入してきた男に続くように響いた大音量の凛とした声。

  その気迫に一瞬だけ男は動きを止め、空はその間に本能的にエディを引き倒す。

  その次の瞬間、ゴガンッ!! という鈍い轟音と共に男が勢いよく吹っ飛ばされた。




 「な……」




  あまりにも馬鹿げた光景に流石の空も絶句する。

  あの瞬間、空が見たのは男の頭に直撃する鉄パイプだ。それが勢いよく男を吹っ飛ばしたのだ―――この部屋の反対側まで。

  正直、どこまで出鱈目な力で放り投げられたのか考えたくもない光景だった。

  唖然とする二人。だが空はすぐさまエディを庇うようにして開け放たれた扉の前に立った。




 「そこに居るのは誰。姿を現しなさい」

 「そうカリカリしないでくれるかしら。言われなくとも姿くらいは見せてあげるわよ」




  打てば響くように返事は返ってきた。

  その返事が嘘ではない、とでも言うかのように一つの足音がこちらに近づいてくる。

  やがて、扉の奥から声の主が姿を現した。

  腰に届く程に伸びているウェーブの掛かった銀のロングヘアーに薄緑の瞳。

  空と同種の黒い軍服を身に纏った女性―――その姿に、空は見覚えがあった。

  正確にはデータベースで見た覚えがある。




 「貴方……六条クリス?」

 「あら、私と貴方は初対面だと思うけど。どこかで会った事があるのかしら」




  空の言葉に女性―――クリスは蠱惑的な目で応える。

  どこか挑発的な目つきだったが一々それに取りあう必要もない。

  油断なく、銃を突きつける。

  その銃口をクリスは物怖じする事無く見返した。




 「物騒ね。仮にも彼を助けたのは私なのだけれど」

 「そうね、だとしてもいきなり現れた人間を信用しろっていうのは無理な話よ。タイミングがタイミングなだけに、余計にね」

 「まったくその通りだわ」




  事もなげにクリスは言い捨てた。

  同時に反対側からレインが部屋の中へと突入してくる。




 「申し訳ありません! アクティブウイルス……探知妨害で察知が遅れました!」

 「こっちは大丈夫よ。妙な介入をされてね」

 「介入……、って六条さん!?」

 「こんにちは桐島さん。つくづく縁があるらしいわね、私達」




  何故ここに、という懸念がレインの表情にありありと浮かぶ。

  エディへの襲撃と、それに対応するかのように現れた六条クリス。

  彼女はこれまでにもドミニオンが関与していると思わしき場所で遭遇してきた。今回もドミニオンが絡んでいる以上、偶然とは思えない。

  空は銃を向けたままに問い掛ける。




 「答えなさい。貴方の目的は何?」

 「本当にせっかちね……もう少しお喋りを楽しんでも良いと思うんだけど、しょうがないわね」




  まるで子供に向けるような目で見られる。

  そんな小さな動作に、空は何故かとてつもなく神経を逆撫でされた。

  彼女の場合、元々が他人の神経を逆撫でする性質なのかもしれない。

  空としてもまともにとりあう気はないのだが、どういった理由からかどこか鼻持ちならないのだ。

  そんな敵対心たっぷりの視線を受けてもクリスは変わらない微笑を浮かべる。




 「じゃあ私が現れた目的だけど……目的自体は貴方達も察しが付いているんじゃないかしら」

 「……それは、彼の持つ情報?」




  空の言葉にクリスは不敵な笑みを浮かべる。

  どうやら、当たりらしい。



 「そう……私は彼の持っているドミニオンに関する情報の全てが欲しい。

  命を救ってあげた代価としては破格だと思うのだけど、どうかしら」




  言葉こそ穏やかなものの、有無を言わさぬ迫力がそこにはあった。

  話さなければ命は無い―――そう言っているかのように錯覚してしまう。

  それは多くの人を殺めてきたからこそ分かる、静かな殺気だった。




 「良い趣味とは言えないわね。事実を盾に脅しかしら」

 「さあ? どう取るかは貴方達次第じゃないかしら。ただ……」




  クリスはそこで視線を宙にやる。

  空もつられて宙を見るが、別にそこに何かがある訳ではなかった。

  代わりに、クリスの笑みがより一層深くなる。

  不吉な予感が奔る。

  傭兵としての勘がその感覚に警戒するよりも先に―――




 「ここにネット経由で幾つかの部隊が向かっているみたいね。

  その内の一つは私の相方が相手をしているのだけど……流石に全てには手が回らないでしょうし、どうしようかしら」

 「っ……、交換条件のつもり」




  やられた、と今更ながらに思った。

  彼女は向かっている電脳部隊の一つを自分の相方が止めていると言った。

  それは裏を返せばいつでも相方を退かせて自分達だけでは対処できない数にする事ができるという脅しだ。




 『レイン』

 『遺憾ながら事実です。シュミクラム一機が他大多数の反応と交戦中―――また、別方向からも多数の反応が向かっています』




  加えて、この場に居るのは互いに信用のならない人物。

  クリスが出向けば空達はフリーになり、その間にエディを連れて逃げられでもすれば本末転倒だ。

  彼女は、この状況下で空達に動く事を強要している。




 (フェンリルの同行を断ったのがこんなところで裏目に出るなんて……)




  動くしか、ない。

  そうでなければエディが死に、ドレクスラー機関に繋がる情報を失う事になる。

  だが、それでもまだ踏ん切りがつかなかった、その時、




 「あのなあ……勝手に盛り上がるのは良いんだが、当の本人をおいてけぼりってのは酷くねえか」




  と、今まで口を開かなかったエディが動いた。

  顔はまだ青いものの、いつもの彼らしさが戻ってきている。

  状況に追い詰められたか、逆にそれで肝が据わったのか。どちらにせよ、彼はあっさりと身の振り方を決めた。




 「悪いな中尉、行ってくれねえか。俺もまだ死にたくねえし、この場を丸く納めるにはこれが一番だろう」

 「……分かった」




  エディが決めた以上、空がとやかく言う事はできなかった。

  瞑目は一瞬。

  目を開けると同時にコンソールへと駆け寄り、ケーブルを自身と繋ぐ。




 「あら……貴方が行くのね、カゲロウ使いの傭兵さん」

 「何を白々しい……こうなるのも貴方の考えの内でしょうに」

 「さあ? ご想像にお任せするわ」




  まともに取りあわないクリスから視線を外し、コンソールへと意識を向ける。




 『没入』




  馴染み過ぎているプログラムを起動させる。

  意識が引っ張られて0と1の海の中へと埋没する瞬間―――




 「次に会う時には是非とも名前を教えて欲しいわ。彼を知る者として、友好関係くらいは築きたいもの」




  そんな訳の分からない言葉を最後に、空の意識は現実から切り離された。

























                    ◇ ◇ ◇

























  銀閃が奔る。

  機体の中程に突き込まれたそれは、一瞬の後に巻き戻るようにして攻撃の主の元へと帰っていく。

  当然、突き刺さったままの機体を無理矢理に引き摺って。




 「ふっ……!」




  そして機体が射程に入った瞬間、再び別の閃が奔る。

  ビームソードーエネルギーの刃が敵を胴から両断した。

  爆発が起こり、破片が周囲に撒き散らされる。

  だが、止まらない。




 「この、悪魔めがぁぁああああぁああぁぁああ!!」

 「くそっ、次から次へと……!!」




  キリの無い戦いに心から辟易した声を上げるコゥ。

  相対する敵、ドミニオンの信徒は死など恐れる事無くコゥへと挑みかかってくる。

  実力差など百も承知。自身の身体を、骸を、命を以て少しでも動きを止めれば良い。そうして生まれた隙がいつかあの悪魔の最後になる。

  狂信故の自身の命すら顧みない、死んだとしても神が自分達を導いてくれると信じる者達の、文字通りの特攻だった。

  確かに死を厭わない彼らの攻撃は驚異だ。気を抜けばその瞬間に狂気の大波に呑まれて容易く押し潰されてしまうだろう。

  それは確かな実力者であるクリスにして凄腕と呼ばれるだけの腕を持つコゥとて変わらない。




  だが、悪魔とは凡百の信徒程度に脅かされる存在ではない。

  悪魔は、いつであろうと教義や神に喧嘩を売っているからこその悪魔なのである。




 「……頃合いか」




  次々と襲いくる信徒を捌きつつ、彼は視線だけを空へ向けた。

  変わり映えの無い仮想の空。くすんだ雲があちこちに流れている、その中に。

  コゥは、一つの影を認める。




 (今……!!)




  時間が無い事を察したコゥは即座に対応に移る。

  実体化させるのはダブルサブマシンガン。二丁の小型機関銃を前方に群がる敵の集団へと突き付ける。

  そして戸惑い無く引き金が引かれ、無数の銃弾が敵シュミクラム群へと襲い掛かった。

  一発毎の威力自体は大したものではないが、数があるとなれば話は違う。

  絶え間無く放たれ続ける弾幕を前に信徒達は動きをその場に縫い付けられ―――

  そして、それがやって来た。




 「っ、何だ……?」




  信徒の一人が近づいてくる影に気付き、空を見上げた。

  見えた訳ではない。この場に無かったはずの異質な音を微かに聞き取った故の行動だ。

  それは徐々に大きさを増していき、確実に接近しつつある事を示している。

  そして、その影を見た信徒は―――




 「オイ……何だ、アレ」




  茫然と、呟いた。

  それにつられ、傍に居た別の信徒も胡乱気に視線を追って空を見上げる。

  視界に飛び込んでくる仮想の空と、その中を高速で突っ切ってくる黒いシルエット。

  いや、それは既にはっきりと形状を認識できる距離にまで近づいていた。




  空気を裂く大きく広げられた二枚の翼。

  そこに取り付けられたブースターから吐き出されるエネルギーが音速に近い速度でそれを押しやっている。

  下部に取り付けられているのは大量の爆撃用弾頭。

  戦場の只中へと最高速で飛翔してくる、黒光りのボディを持つ機体の名は―――




 「まずい―――!?」

 「おせえよ」




  信徒の一部が動揺した隙にコゥは武装にフォースを叩き込み、その性能を一瞬だけ限界を超えて強化する。

  フォースクラッシュ、スペクトラルミサイル。

  大量のミサイルが一瞬にしてカゲロウの周囲に吐き出される。

  圧倒的な物量による徹底的な爆撃体制。それを前に信徒達が色めき立つ前に、




 「吹っ飛びな―――ッッ!!」




  衝撃と爆音が戦場を叩き潰した。

  前方より放たれるスペクトラルミサイル。上空より放たれるスカイハイトローグ。二つの爆撃が容赦の無い破壊をもたらしていく。

  響き渡る破砕と断末魔の叫び。

  だが、それら一切すら含めて爆撃は全てを吹き飛ばしていく。

  ビルが吹き飛ぶ。地面が破壊され、木々は跡形もなく焼き尽くされていく。




  その破壊の只中にあり、傷一つすら負っていないカゲロウ。

  この惨状を生み出した仇敵の、堂々たる姿を目にし、信者の一人は畏怖を覚えた。




 「……悪魔め」




  直後に、意識の全てにが白に染まる。

  また一人、信者の命が跡形もなく消え去った。

























                    ◇ ◇ ◇

























  同じ頃、迫りくるウイルスの群れを掃討していた空は突如として響いた周囲一帯を揺るがす震動と轟音に思わず気を取られた。

  有り得ないことだが、まるで仮想の中で地震を体験しているかのような気分だった。

  異常の事態。この原因を空は探ろうとして……、襲い掛かってきたウイルスをまた一体切り裂いた。




 「ったく、そんなにエディが邪魔なのかしらね……!」




  目の前の一体を袈裟斬りに始末し、そのままコマのように回って背後に迫っていた一体も両断する。

  続けて放たれるスプレッドショットが近場の敵を遠ざけ、あるいは破壊していく。

  戦闘を開始してから既に十体はウイルスを始末していた。それでもまだ、増援が尽きる気配はない。

  また一体、ウイルスを切り裂きながら空は状況を分析する。




 (さっきの震動と轟音……方向からして彼女の言っていた相方、かしら)




  それとも新たな敵か、はたまた単なる事故か。

  前者の場合はエディの身の安全がかなり保証できなくなってくる。





 「気になるわね……レイン、あっちの商況はどうなっているか分かるかしら」

 『少々派手に暴れているようですね―――、一体のシュミクラを取り囲むように部隊が展開しているようですが、反応が少ないです』




  突然の呼び掛けにもレインは淀み無く応えてくる。

  今でもクリスと睨み合っているであろう状況でそこまで把握できているのは、流石と言う他無いだろう。




 「なら、向こうは問題無いと見て良いのね」

 『断定はできませんが、おそらくは。たった一機のシュミクラムが周りのドミニオンと思われる反応を次々と潰しているので』

 「そう、なら良いわ」




  どうやら、向こうの腕はかなりのものであるらしい。

  自分が今相手をしている数に負けず劣らずの規模を相手取って圧倒しているのだから。

  張り合う事に意味は無いのだが……




 「これは、こっちも本腰を入れなきゃね」




  両腕に装備されているブレードを展開する。

  一度間合いを調節するためにブーストを吹かせて距離を取り―――




 「それじゃ、派手に暴れるわよ!」




  溜め込んだ力が、一気に爆発した。

  気合いという名の起爆剤を得た空は先程まで以上の勢いでウイルスの群れを突っ切っていく。

  すれ違う敵には例外無くブレードを振り抜き、爆発四散させながら縦横無尽に敵陣の真っ只中を駆け巡っていく。

  カゲロウ・冴が通過した一瞬後に、幾つもの爆発音が同時に鳴り響いた。

  その爆発が収まるよりも前にまた新たな爆発音が生まれていく。




 「次ッ!!」




  止まる事の無い暴風の如くウイルス群を蹂躙していくカゲロウ・冴。

  その勢いは押し寄せていた敵を確実に削り取っている。

  その中で、カゲロウ・冴に近づいては返り討ちにされていくウイルスの群れ……ドミニオンの物に偽装されているその機体の一つ一つに、見覚えがあるのに気付いていた。




 (確かこのウイルスは、ダーインスレイヴが好んで使っているタイプだったはず)




  私設傭兵部隊『ダーインスレイヴ』。構成員が全てデザイナーズチャイルドという一風変わった傭兵団だ。

  そして、ある意味フェンリル以上に悪名高い組織でもある。

  というのもその素行に問題があるからであり、依頼を達成した途端にその依頼主へ牙を剥いた事もあるらしい。

  別口の依頼でその依頼主を始末するように言われていたという噂だが、その真偽は定かではない。

  時として手段を選ばず、自らの利益を追求するダーインスレイヴ。その組織の在り様は、リーダーの在り方を如実に示していた。

  目の前のウイルスを一刀の下に纏めて薙ぎ払う。




 「……ジルベルト、いい加減に出てきたらどうかしら。いい加減にウイルスの無駄遣いだって気付かない?」

 「フン……忌々しいが、確かに無駄らしいな」




  呼びかければ、そいつはあっさりと姿を見せた。

  紫を基調とした細身のボディで、刺々しいデザインが本人の性格を窺わせるシュミクラム―――ノーブルヴァーチェ。

  ジルベール=ジルベルトの持つシュミクラムが、目の前に現れた。




 「あら、随分あっさりと姿を見せたわね。いい加減に決着をつける気にでもなった?」

 「単に埒が明かんというだけだ。貴様如きに俺様が出る羽目になるのも忌々しいが、これ以上かかずらっている訳にもいかんのでな」




  本当に忌々しいと負の感情を隠す事もなくこちらに向けてくるジルベルト。

  空としても、そうやって明確に悪意を示してこちらに向かってくる敵とはやりやすいのでありがたい。

  これならば手加減する必要もなければ良心も痛まない。

  何より―――学園生時代に自分の仲間に危害を加えた奴を、空は決して許さない。




 「それで、今回はどこに何を隠しているのかしら。通用しないのは分かってるんだからとっとと出したらどう」

 「口だけは達者だな。その減らず口、二度と叩けないようにしてやる」

 「出来るもんならやってみなさい」




  互いの圧力が強まる。

  仮想であろうとも感じ取れるプレッシャーが戦場の空気を生み出していく。




 「さあ、這い蹲らせてやる! 無様に命乞いをする姿を見せてみろ……!!」

 「上等……! ここでアンタとの因縁も終わりにしてやるわ、ジルベルト!!」




  その怒号を合図に、二つの機体は跳び出した。



[29132] 第八章 悪夢 -nightmare-
Name: ジエー◆7693fe4e ID:a2a73ae9
Date: 2011/12/16 17:35




  コゥと空、それぞれが全く別の場所で交戦している最中。

  クリスとレインは周囲の警戒を行いながらエディの話を聞いていた。

  ドミニオンの事、阿南の事、密造業者の事、ドレクスラー機関の事。

  それら複数の情報を一本の線で繋いでいく。




 「俺が知ってるのはここまでだ。最後にドミニオンの現在の本拠地を突き止めたくらいか」

 「それは非常に魅力的ね。その情報は教えてくれるのかしら」

 「まあそう慌てんな。キチンと俺の安全を確保してくれたら教えるよ」




  レインはそのやり取りを見ながら思考を働かせる。

  阿南の得意先である密造業者に、そこと繋がりを持つドミニオン。

  そしてドミニオンが阿南にドレクスラー機関を紹介した状況からして、両者が以前から繋がっていたのは間違いない。

  だが、その繋がりには不鮮明な点が多い。

  阿南とドレクスラー機関との繋がりは分かった。だが、他は?

  密造業者とドミニオン、ドミニオンとドレクスラー機関。それぞれの繋がりの実態が見えない。

  そして何より、




 (ダーインスレイヴ……彼らは阿南議員側のはず)




  先程、空の方から彼女にダーインスレイヴのリーダーであるジルベルトと交戦に入ったと通信があった。

  阿南の側ならば、ドレクスラー機関を匿うドミニオンは目の敵のはず。

  本拠地の情報などさっさと他の連中に渡して漁夫の理でも何でも狙えばいい。

  だというのに、彼らはエディを消しに現れた。それはいったい何故だ?




 (……中尉。事態は思ったよりも早く進行しているのかもしれません)




  大きなうねりの中、自分達だけが取り残されているような感覚を、彼女は感じた。

























  第八章 悪夢 -nightmare-

























  先手を仕掛けたのは空だ。

  機体の持ち味であるスピードをフルに発揮し、一気にジルベルトへ肉薄する。

  元々が速度重視の機体なのだ。本気で迫られては逃げ切る事も至難の技だ。

  だからこそ、反撃のために鞭が振るわれる。




 「相も変わらずちょこまかと、蠅がッ!」

 「そんな見え透いた攻撃ッ!」




  しなやかな曲線を描いて迫る鞭を、カゲロウは即座に軌道を変える事で避けてみせる。

  だが、そこに間髪入れずに迫る第二撃。




  ジルベルトの機体であるノーブルヴァーチェ。その武装は相手に苦痛を与える事に特化している。

  だがそういった特性上、直接的な破壊力はあまりない。そういった部分を補う意味でも、爆発物を装備しているのだが。

  が、やはりそういった武装にも長所はある。

  一つは相手に持続的なダメージを与えられる事。常に痛覚を刺激されるのは誰であろうと辛いものだ。

  そしてもう一つ、攻撃による隙が他の武装に比べて圧倒的に少ないのだ。

  攻撃を放った後でもほぼ硬直無しに次の武装を繰り出せる、絶え間の無い連撃だ。




  次々と振るわれる鞭がカゲロウに襲い掛かる。

  時に空を直接狙って、時に行く手を阻むように、ジルベルトは猛攻を仕掛ける。

  だが、だからといってそれに当たるような空でもなかった。

  高い機動性を誇るカゲロウ・冴で鞭の雨を掻い潜っている。

  しかし、それだけだ。

  避けるばかりで攻めに回る事ができない。




 「っ、驚いたわジルベルト。アンタってちゃんと戦えたのね」

 「減らず口を! 貴様のような劣等種に俺様が自ら引導を渡してやる幸運に感謝するがいい!!」

 「誰が!」




  確かに攻め入るだけの隙間はない。下手に攻めても鞭の嵐に機体を投げ出すだけだ。

  いつも部下の影に潜むジルベルトだが、やはり時代を生き残った電脳将校なのだと再認識する。




  だが、それでもやはり、空と彼では違うのだ。




 「舐めんじゃないわよ……」




  ジルベルトはあくまで加虐者だ。相手に如何にして苦痛を与えるかが彼の戦いである。

  対する空は、戦いにおいては殺戮者のそれである。

  つまり、




 「邪魔をするなら、斬り伏せるんだから!!」




  彼女の戦いは、如何に効率良くかつ速やかに敵を殲滅するかにある。

  カゲロウ・冴が一度、距離を取る。




 「フン、逃げるのか?」




  安い挑発には乗らない。

  眼光を鋭く、獲物の挙動を見極める。否、その必要すら無い。

  立ちはだかる敵は、神速を持ってその尽くを斬り倒す。

  そのために、スピードだけで足りないというのなら、パワーをも手にしよう。




  カゲロウ・冴の右腕に装備された弓が、新たな形を取る。




 「何……?」

 「あまり構っているだけの暇は無いの。だから―――」




  クローのように交錯する形ではなく、合わさる形。

  弦の頂点と頂点が合わさり、そのまま一気に伸びた。

  現れたのは、カゲロウの身の丈はあろうかという大剣。

  空はそれを片手で構え、




 「とっておきで終わらせてあげるわ!!」




  ドンッ! と、一気にブーストを吹かせた。

  弓が変化した大剣がジルベルトへと迫る。




 「大剣だと!? 馬鹿な、そんな物は今まで……!」

 「軽々しく見せる物じゃないからとっておきって言うのよ! 誉めてあげるわジルベルト。アンタは、私にこれを使わせるくらいには―――!」




  未知の猛威が突っ込んでくる。

  全く予想しなかった戦力に対し、ジルベルトが行ったのは単純な迎撃だ。

  カゲロウ・冴が避ける事ができないように周囲へこれでもかと弾丸を撒き散らす。

  如何に速度のある機体とはいえ、全方向に向けて一斉に放たれる弾丸を避ける事はできない。

  それどころか、むしろ速度があるだけ弾丸に突っ込んでしまう事になる。

  カゲロウ・冴とて、それは例外ではない。

  真っ向から弾丸の雨へと突っ込んだ空。その光景にジルベルトは勝利を確信し―――




 「……っ、な!?」




  次の瞬間、大剣を盾に弾丸の雨を突っ切るカゲロウを見た事でまたもや驚愕にとって変わられた。

  完全に無傷ではない。だが、それでも速度を損なう事無く駆け抜けている。

  猛威は止まらない。

  弾丸の雨をものともせず、とうとう接近戦の間合いにまで踏み込まれる。




 「くそっ……!!」




  なけなしの抵抗とばかりに鞭が振るわれる。

  しかし、意味が無い。

  降り注ぐ弾丸の雨も、襲いくる鞭も、その一切を無視して。




 「―――ッ!」




  一息に、大剣を振り抜いた。

  同時に訪れる静寂。

  閑散として廃れた電脳の廃墟に冷たい風が吹き込む。

  大剣を振り抜き、駆け抜けたカゲロウ。

  鞭を振り抜き、迎え撃ったノーブルヴァーチェ。

  結果など、わざわざ確かめる事もなかった。




 「―――アンタは、私にこれを使わせるくらいには厄介で、そして大嫌いな奴よ」




  ザギン、と鈍い音がした。

  それは硬く重い物が切断された音。

  カゲロウ・冴の大剣が咄嗟にジルベルトが放ったウイルスごと叩き斬った、左腕の落ちる音だった。




 「~~~ッ、ぁぁああああああああああああああああああああああッッ!!!」



  ジルベルトの口から苦痛の絶叫が溢れ出す。

  右腕で先の無くなった左腕を押さえ、喉が潰れんばかりの叫びを上げた。




  これこそが空の切り札の一つ。

  互いに三味線を弾いていた姉妹対決で見せる事のなかったとっておきである。




 「さて、わざわざ片腕に止めたのは聞きたい事があるからなんだけど……素直に話してくれるかしら」

 「ぐ、く……キサ、マァ……ッ!!」




  灼熱のような痛みに歯を食い縛りながら、持てる憎悪と怨念の全てを乗せて空を睨むジルベルト。

  機体で表情は見えないが、分かる。

  あれは、復讐の炎を爛々と燃やしている眼だ。




 「アンタの依頼主と依頼の内容。それにドミニオンがこの件にどう関わっているのか」

 「……聞かれて、答えるとでも思うか」

 「まあ、思わないわね」




  あっさりと、空は要求を撤回する。

  その潔さにジルベルトがいぶかしむよりも前に―――




 「だって、そんな物陰に隠れている奴らが居る以上は、まだ諦めた訳じゃないでしょ?」




  カゲロウ・冴の放った四本の矢が物陰に潜んでいた何かを残さず射抜き、爆散させた。

  相手が行動する間すら与えずに仕留める一矢はまさしく速攻。

  どれもこれも、ダーインスレイヴのシュミクラムユーザーを上回るものだった

  手の内を読まれていた事に、更に強く歯を食い縛るジルベルト。

  どこまでも断絶的に見せつける圧倒的な経験と実力の差。奇策一つで埋まる事の無い隔たりが、確かに両者には存在した。




 「事そういう面に関しては、私はアンタを過小評価していない。どこまでも執拗に、下劣に、悪辣に、徹底的に、狙った獲物を必ず追い詰め貶めようとする。

  そういった自分の常識の枠から外れたモノが何よりも怖いっていう事、私これでも知ってるつもりなの」

 「チィッ……!!」




  もはや後は無いと悟ったのか機体が反転して離脱し始める。

  空はあえて追う事はしない。そんな無駄をする意味もなければ意義もない。

  逃げる時は逃げる。追って、追い詰めて仕留めた例など一度も無い。

  だから無駄。甚だ不可能だと分かり切っているから追おうとしない。




 「覚えていろ、水無月……! 貴様は必ず俺が手ずから殺してやる!

  爪を剥ぎ四肢を?ぎ腹を裂いて臓をブチ撒けてッ! そうして最後に首を刎ねてやる!!

  この左腕の借り、貴様に生きている事を後悔させるような苦痛を与える事で返してやる……ッッ!!」




  激昂の怒りが響く。

  汚濁の溜まりよりなお深い憎悪の念が言霊と共に空へ浴びせられる。

  そして、その言葉を最後にこの場から離脱するノーブルヴァーチェ。

  戦場には、ただ物が死んだ虚しい静寂だけが残っていた。




 「……そんなだから、アンタは三下の域を出ないのよ」




  ジルベルトが退いた事によりこちら側に残っている敵影はゼロ。

  空は単独でエディを狙っていた者達の半分を潰した事になる。

  そうして念を入れて周囲を警戒している時に―――ふと、気になってもう片方を相手にしている者がいるであろう方向にアイカメラを向けた。

  当然、視界は建造物に遮られて相手が見える事もない。戦闘の騒音も聞こえてこない辺り、案外自分よりも早く終わらせたのかもしれない。

  とにかく、このままここに留まる理由も無かった。

  仮想空間から現実へと戻るため、離脱プロセスを実行する。

  0と1が無数に散りばめられた電子の海が見えた、その瞬間―――




 「―――っ、」




  急に、有り得ない頭痛に見舞われた。




 「これ、は……」




  覚えがある、覚えている。

  この感覚は、この痛みは。

  この……繋がっているという確かな実感の伴った共振は―――




 「ハウ、リング―――!?」




  いったい何故、どこの誰とー!?

  いや、そんな事は分かりきっている。自分がこんな状態になる相手は彼女以外にありえない。

  だが、だからこそありえない。

  彼女はとうの昔に凍結されて、こんな現象など起こるはずがないのだから。

  ならこれは、いったい何だというのか……?

  答えは出ない。返答などもっての他だ。










  そうして、彼女は幻を見る。

  仮想と現実の狭間で、ありもしない光景を―――

























                    ◇ ◇ ◇

























  薄暗い場所だった。

  最初に思ったのはその程度で、その他の事は認識しにくい状況にある。

  本当にその程度しか分からない場所で、彼女は佇んでいた。

  赤い軍服を身に纏い、ツーサイドトップに整えてある髪が弛くたなびく。

  笑顔ならば、おそらくは大抵の人間が素直に称賛するであろう彼女はしかし、全くの無感情だった。

  瞳はさながら無機質な硝子のようで、表情は能面の如く固まっている。

  彼女はそのまま微動だにしない。

  一〇分、二〇分と何もせずにその場に立ち続けている。

  その間、やはり全くの無感情。だがそれは、まるで想い人の到着を待ち焦がれる少女のようでもあって―――










  鋼の巨人が疾走していた。

  迫る途方もない驚異から逃れるように、ゴールに向かって駆けるように、怨敵に突撃するように、巨人は走る。

  多くの者を犠牲にして、かけがえの無いものを失って、もう残っているのは彼だけだった。

  一人きりの世界。愛する者も、戦友も、家族も、恩師も、親友も、全く関わりがない人も、全てが等しく存在しない。

  そんな世界の中でも、彼はまだ諦めなかった。

  認める訳にはいかないから。こんな暴力で誰かが踏みにじられていくのを許して良いはずは無いのだから。

  何より、彼をここまで導いてくれた仲間のためにも止まる事だけは決してできない。

  全てに決着をつけるため、彼は走るのだ。

  目の前にそびえ立つ漆黒の威容。

  モノリスにも見えるそれこそが奴の隠れ蓑。あれさえ破壊すれば中に潜む奴も諸共にくたばるはずだ。

  幸い、目下最大最悪の驚異は本体を目の前に下手な動きができない。

  今こそが千載一遇の勝機。仲間が繋げたこの瞬間に自身を鼓舞しながら突撃して―――










  その時、全く微動だにしなかった彼女が動いた。

  目が動き、視線が遥か下方へと向けられる。

  視界に入ってきたのはこちらへと向かってくる鋼の巨人。

  それを認めて、身体は機械のように動き出す。

  相変わらず無感動な瞳の中に―――僅かばかりの憎悪を宿して。

  一歩、確かに踏み出す。先に続く地は無く、重力に従って身体は落ちた。

  一〇メートル以上はある高度から落ちれば、まともな身体なら一溜まりもないだろう。

  だから、彼女は鎧を身に纏う。

  鋼の巨人と同じ意向を持った、紅い鎧を。










  そうして突撃した矢先、不意に頭上から紅い影が降ってきた。

  巨人は咄嗟に後退し、急降下してきたそれを回避する。

  響く巨大な質量が叩き付けられた音。

  重い衝撃と音が腹の底から身体を震わせてくる。

  そして巨人は、その影と相対した。

  自身と似通った姿を持つ、紅い影と。

  湧き上がったのは純粋な歓喜と、僅かばかりの不安。

  確かに嬉しいはずなのに……その不安が急激に大きさを増して彼の胸を圧迫していく。

  見えるのは、彼女の瞳。

  無感動で無機質なそれは、彼の知るそれとは似ても似つかなくて―――










  だから、彼女の心は泣き叫んでいた。

  瞳は無感動に、僅かばかりの憎悪を光らせて。

  自由にならない身体と意思を呪いながら、届きもしない叫びで彼へと呼びかけていた。




  逃げて。お願い止めて、動かさないで。私に彼を―させないで。

  迷わないで、騙されないで、躊躇わないで。戦士としての直感を信じて。貴方の手で私を―して。

  嫌だ失くしたくないもうたくさん何で解放して逃げて止めて私は私は私は私は私は―――ワタ、シは……










 『―――死ネ』










  ここに、何よりも重く、絶望が振り下ろされた。









 『ぁああああぁぁぁあぁあああああぁああぁぁぁああぁあああぁああぁあああああぁあぁぁぁああああああああぁぁぁあぁあぁああぁあああああああっっっ!!!!!!』










  絶叫が木霊する。

  心が裂けんばかりの悲鳴ははたして、彼のものか彼女のものか。

  叫び、絶望し、嘆き、悲痛に心を掻き毟って、意識が無の一色に染め上げられる。










  ―――その瞬間、全ての始まりを幻視した。










  全てが溶けていく。

  止まる事無く広がる不可視の津波に呑み込まれ、あらゆる生命が無に還元される。

  光の矢が次々に撃ち込まれるが、目立った効果は見受けられない。海に火矢を投げ込んだところで何の意味もなく、それと同じ事だった。

  命が無くなる。起伏無く、総てが等しくまっ平らに。

  その最中で奴が笑う。嗤う、哂う、わらう、ワラウ。

  これで静かになると、安らかに眠れると声無き声で歓喜を叫ぶ。




  総てが滅ぶ、クリスマスの夜。

  やっと手にした静寂に、奴はひたすら身を委ねていた。




  一人きり、他には何もない唯我の世界。ただただ起伏の無い凪のみが存在する世界。

  冷たい。暗い。何も無い。

  その中でただ一人で存在し続け、安らかに眠り続ける、奴。

  形無く、感情も無く、意思も無く、ただそこに在り続ける、奴。

  人とはかけ離れた思考と在り方。理解などできない概念と世界。奴は人を心から嫌悪して、世界すらも忌避している。無謬の静寂だけを求めている。

  己のみで完成された世界。理解もできず、把握もできず、ただそこに在る事だけは理解できた。

  そんな人を嫌悪する理屈など知りたくもなければ触れたくもない。決定的に掛け離れた思考は毒以外の何物でもないから。

  幻視した向こう側、存在する毒そのもの。だからこそ関わりのない存在。

  ―――だが、

  不意に、

























 『―――あナたハ、だレ?』

























  想像を絶する戦慄と重圧と共に、身の毛の弥立つ猛毒が全身を蹂躙した。

























                    ◇ ◇ ◇

























 「がぁぁあああああああぁぁあああぁあああああああぁぁあああああぁああぁぁああぁぁぁあああああああああぁぁぁああああぁあああぁああああぁぁぁああぁぁ!!!!」




  目覚めたコゥからはまず何よりも、拒絶の絶叫が響き渡った。

  次いでその他の反応が遅れたように顔を出す。

  全身から滝のような汗を滲ませ、顔は蒼白に、唇は震え、頭は激痛に苛まれ、開かれた目の焦点は定まっていない。

  自分自身という形を塗り潰しかねない圧倒的なまでの暴虐と理解不能な意思と思考。

  それら一切を忘却しながら、それでも特大の恐怖が目覚めた彼の心を乱した。




 「っ……は、ぁっ……は、」




  何に恐怖しているかなど分からない。ただこちらが押し潰されそうな理解を超えた意思の恐怖だけが骨身に沁みていた。

  あれは、恐ろしいものだ。

  理由など見当もつかない。漠然と、そういった確信が彼の中にある。

  同時に、あれは存在してはならないとも。

  よく分からない事を理由に、よく分からない確信を得た。

  その傍から見れば狂人さながらの思考に疑問を抱くより前に―――




 「……ちょっと、いきなり叫ばれて耳が痛いんだけど」




  クリスがこの場にいる事を、声を掛けられてからようやく気付いた。




 「クリ、ス……?」

 「ええ、貴方の妹の六条クリスだけど。あんな叫び声を上げて、いったいどうしたのよ」




  こちらを心配してか、クリスの瞳がコゥの瞳を覗き込む。

  対して、コゥが出来た事といえば彼女の瞳を見返す程度だった。

  普段の彼からすればらしからぬ反応。見栄を張るなり無理を悟られないようにするなり行動する彼が、まともに反応を示さない。

  これは、相当重症らしい。

  物珍しい反応に弄り倒したいと疼く心をぐっ、と押さえ込みながら、クリスはコゥに肩を貸した。




 「ほら、早い事ここから撤収するわよ。最低限必要な情報は手に入れたからもう用は無いわ」

 「ああ……そう、か」




  言われて、自分がここにいた理由を思い出す。

  確かエディという情報屋からドミニオンに関する情報を手に入れるためにここまで来たのだ。

  それで情報を引き出す役はクリスに任せて、自分はネットのドミニオンを引き受けて……




 「くそ、完全に腑抜けてやがる……」

 「ほんとにね。何があったかは後で聞くけれど、そんな状態でここに留まっても足手纏いよ」




  いっそ清々しい程に言い切ってくれるのは逆に現状を正しく認識させてくれる。

  ここまで無様な調子ではいつ寝首を掻かれてもおかしくはないだろう。

  クリスの言う通り、ここは素直に撤退した方が良いらしい。




 「まったくしっかりして欲しいわね。新米の兵士じゃあるまいし、そんな不様は命取りよ」

 「返す言葉も無い……」




  仮想空間から離脱するところまでは記憶があるのだが、その先から今にかけての記憶が非常に曖昧だ。

  怖気の奔る恐怖だけがしみ付いて離れない。




 「……ちょっと、本当にだいじょうぶなの? 顔が真っ青になっているけど」

 「ここは、見栄でも張ってみるところか?」

 「そう思うなら宿にさっさと戻るわよ。その後にしっかりと寝ておきなさい」

 「……重ね重ね、すまん」




  まともにいつもの受け答えができないコゥは、端的に謝罪の気持ちを述べた。

  クリスは大して気にした風もなく、さも当然のように自分よりも一回りは大きい身体を支えて歩き出す。




 「最初に言ってあるでしょう。私の命は貴方に救われたものだから、好きなように私は動くって」




  借りでも恩でも義理でも責任でも親愛でもなく、まして愛情でもない。

  ただ、彼女はそうしたいと思ったからここにいる。それだけだ。

  彼が何であろうと、何をしようと、どうなろうと関係無い。

  その必要があるなら支えになる。落ち込んでいるのなら焚き付ける。

  どうか、暗闇に迷い混んだまま脱け出せなくならないように。いつか彼が本当の日常を取り戻す、その時まで。




 「少し、休みましょうか。看病程度はやってあげるから」




  暗い地下通路の奥へと、二つの人影が消えていった。

























                    ◇ ◇ ◇

























  同じ頃。

  水無月空、彼女もまた叫びと共に目を覚ました。

  六条クリスが去り状況もひと段落したところで、これだ。この場で空が起きるのを待っていたレインとエディにしてみれば予想外の事態である。

  が、暫くすると空も現状を再認識してくる。




 「それで……一先ずの脅威は去ったと見ていいのね?」

 「はい。六条クリス側の者と空さんがネット部隊を鎮圧したおかげで差し迫った危険性は無いと思われます。

  リアル側の者達もあちらがあらかた始末してきたらしく、今のところそういった方面の危険もありません」

 「そう……なら、後はエディを穏便に外に出せば済む訳か」

 「おう、頼むぜお二人さん」




  言って息を吐く空の表情は沈んでいる。

  機嫌がどうの、という訳ではなく……目覚める前に見たであろう悪夢らしきものが原因だ。

  詳細は覚えていないが、へばり付くような嫌悪感と恐怖が陰鬱とした気分にさせる。




 「中尉? やはり何か……」

 「ううん、何でもないわ。それよりも変な連中に難癖付けられる前にエディを連れて出るわよ」

 「了解」




  動くために立ち上がるも、その足元はおぼつかなかった。

  それでも歩こうとする様は流石に見ていられず、たまらずレインが肩を貸す。




 「無理をなさらないでください。何があったのか分からないと言うのなら身体を労わるべきです。

  ここで倒れてしまっては本末転倒なのですから」

 「うん……ごめん」




  レインの言う事は至極正しい。

  だから空もその言葉に従って素直に肩を借りて歩き出す。もちろん、周囲の警戒は怠らずに。

  エディを先導するように歩き、付かず離れずの距離を保ちながら。

  とにかく、フェンリルには用事が済んだと連絡を入れるべきだろう。できればエディを外まで逃がすのに力を借りたいところだが……流石に高望みが過ぎる。

  さてどうやってこのモヒカン男を外に連れ出してやろうか……

  そのための手段をいろいろと頭で描きながら、三人はエディの根城を後にした。


























 ※全く関係無いオマケ

 19「ある日、気が付いた時からフカイだった。

   何かが私に触れている。常に離れる事無くへばり付いて無くならない。

   これは何。身体が重い、動きにくい消えて無くなればいい。

   私はただ、一人になりたい。私は私で満ちているから、私以外のモノは要らない。

   さあ、安らかな安息を―――滅侭滅相」




  みんな大嫌い史上最強最悪最低ヒキニート。

  ノインツェーンと思想や終着点が微妙に似通ってるよねって思ったら閃いた小ネタ。他意は無い。

  まあ何が言いたいかとゆーと、波旬死ね。



[29132] 第九章 医者 -doctor-
Name: ジエー◆7693fe4e ID:1ef01948
Date: 2012/01/20 21:55



 「特ダネ?」

 「ああ、特ダネ」




  フェンリルに保護され護衛付きで清城市を脱出する事になったエディは、去り際に空にそんな事を耳打ちしてきた。




 「あらかたの情報はあっちと共有しちまっただろ? だからまあ、これは俺なりの誠意ってもんだ」

 「貴方ね……」




  慣れないのか照れているのか、彼はばつが悪そうに頭を掻いている。

  それがなんだか可笑しくて、同時にあの状況でまだ情報を隠し通す図太さに呆れた。




 「貴方が誠意って、正直似合わないわよ」

 「けーっ、珍しくしおらしい態度をとってみりゃコレかよ。もうちっと柔らかい反応できねえのかよ鉄面皮」

 「悪かったわね鉄面皮で。それで、特ダネっていうのは?」




  催促するとエディは『はいはい』と言いながら一つのデータを送りつけてきた。

  見ろ、と視線で促してくるので受信したそれを開く。

  どうにもそれは動画ファイルらしいく、開くと視界の一部に映りこんで再生が始まった。




 「まあ特ダネつってもお前さん以外には特ダネでもなんでもないんだけどな」

 「ちょっと」

 「そう焦るなって。続きで面白い物が見れるから」




  薄暗い空間―――そこによく分からないどこか生物的なものを感じさせる壁が見えた。

  映像にはノイズが掛かっていて見辛いが、空にはそれが内蔵のように見えてしまった。

  そして、断続的に響く鋼を断つ音と重苦しい銃声。

  間違いなく、これは戦闘の映像だ。




 「これは?」

 「情報を釣ってる最中に見つけたもんだ。ドミニオンの戦闘記録ってとこだな。

  実際はドミニオンの構造体に踏み込んだ奴が命からがら持ち帰ったやつだそうだが」




  映像は続いていく。

  音は時折小さくなったり大きくなったりを繰り返し、ノイズも酷いもので安定しない。

  ただ―――そこに一つの影が見える。

  おそらくは戦闘を行っているシュミクラム。

  その動きは素早く、並大抵の機動力でない事が窺える。




 「ほら、そろそろ面が拝めるぞ」




  いつの間にか同じ動画ファイルを見ていたエディがそう言った、その時だった。

  カメラの目の前に重々しく影が降り立つ。

  黒を基調とした鋼の装甲に、紅い文様が禍々しく映えている。

  流暢ながらどこか毒々しい雰囲気を見せるフォルム。その機体。

  それを見て、空の目はありえない物を見たように見開かれていた。

  事実、それはありえない。




 「ちょっとエディ……これはいったい何の冗談?」

 「これが困った事に冗談でもなんでもないんだよな。間違いなく、この映像は本物だ」




  空はその機体を知っていた。

  いや、知っていない方がおかしい。他でもない自分が見間違える事などありえないのだから。

  だから驚愕する。

  目の前に移り込む機影は―――




 「カゲロウ、ですって……?」




  カゲロウ・冴。

  色彩こそ違えど、彼女の愛機に他ならなかった。

























  第九章 医者 -doctor-

























 「で、やっぱりすぐには動かないのか」

 「当然でしょう?」




  コゥとクリスは拠点にしているホテルの一室に戻ってすぐに打ち合わせを始めた。

  内容はドミニオンの本拠地襲撃。それにおける具体的な手段とプランの模索である。

  情報を手に入れ、それを防ごうとした者達を全て返り討ちにした以上は相手もこちらが情報を手に入れているという事は分かっているはずだ。

  だからこそ電光石火。防衛網が敷かれるなり拠点が移されるなり何らかの形で対処される前に攻める必要がある。

  時間を置けば置くほど不利になるのがこの手の戦いの法則だ。

  しかし、それを知っているはずのクリスやコゥはすぐに攻める事を選択しなかった。




 「私達の他にもドミニオン―――というよりはそれにくっついてるドレクスラー機関だけど、彼らを狙っている者達がいるのなら利用しない手はないわ」

 「あわよくば騒動に乗じて深部まで一気に潜り込んで神父を叩く、か。合理的ではあるな」




  幾度となくドミニオンに二人だけで挑んできたが、決して相手の戦力を過小評価してはいない。

  むしろ最大限に警戒して、慎重に慎重を重ねて戦い続けてきた。そうでなければ、今頃生きてはいない。

  だからこそ、使えるものは最大限に利用する。




 「その方針に特に異存は無いんだが―――相手方も同じ事を考えてる場合もある」

 「ああ、そっちは心配ご無用。そうならないように多少なりと煽りはしておいたわ」

 「……お前な」




  また誰かに何か変な事を吹き込んだのかと名も知らぬ誰かに心の中で謝罪を述べておく。

  クリスもクリスで、出会った二人の事を思い出していた。

  桐島レインと、その相方であるカゲロウの使い手。

  大方の予想はついたものの、それをあえてコゥに教えないのは彼女なりの意趣返しだ。

  多少の役得はあって然るべきだろう。少なくとも数年間離れずに付き添った身としては。




 「しばらくは時間があると思うから、それまでにもう一つの方を片付けましょう」

 「米内議員の件か」




  近々行われる彼の演説に反応する形で噂されている不穏な動き。

  ドミニオンが演説の妨害に入るのではないかと言われているが、その実態は阿南による妨害工作だと二人は見ている。

  阿南がドミニオンを騙る理由は先の一件で理解したし、十分な情報も手に入れた。

  もはやそちらの方面で自分達が米内の件を気にする理由は無いが……それとは別に気になる事がある。




 「こんな噂が流れている以上は、他の連中も黙っていないでしょう」

 「全てとはいかなくても他の勢力の尻尾を掴めるかもしれないからな」




  ドミニオンやドレクスラー機関、アークなどが絡んでくる可能性は低いだろうが、例えば最近清城市入りで話題のGOATなどはどうだろうか?

  もしも出てきたとして、何らかの情報を掴めたのならそれは今後の行動の指針になるだろう。

  二人は傭兵ではあるが、既に非合法な手段に何度も及んでいる。

  クリスが敢えて表に出さずに裏側で暴れさせているコゥはともかく、クリスはそれなりに手配が回っている。

  もっとも、それも社会の裏側にとって都合が悪い事をしでかしたからであって表沙汰に出回っている訳ではないのだが。

  それからいくつかの細かい摺合せを済ませて、二人は息を吐いた。




 「……今のところは、こんなとこか」

 「そうね。これ以上は打ち合わせするような事も無し……久しぶりに時間を持て余したかしら」




  腰掛けていたベッドに二人して倒れ込む。

  体重を受け止めたスプリングが軋み、何ともいえない虚脱感に襲われる。




 「はあ……何か疲れたわね。マッサージしくれないかしら」

 「何でそうなるんだ」

 「良いじゃないの。私の身体なんて早々揉めるものじゃないわよ?」

 「はあ……分かったよ」




  何だかんだと言いながらもコゥはクリスの要求に応える。

  うつ伏せに寝かせてから背中や肩を触って、ここ数年でクリスに仕込まれたマッサージ技術を駆使する。




 「ん、ここ堅いな」

 「あー……、そこ良いわ」

 「そりゃ良かったな」




  ゆったりと流れていく時間。

  最近は動いてばかりでここまでゆっくりと過ごすだけの暇など存在しなかった。

  それだけに妙な空白が二人の間に横たわる。

  なので、




 「ねえ」

 「何だよ?」

 「犯していいかしら」

 「待てこら」




  クリスはその空気を思いっきりぶっ壊してみた。




 「会話の前後に繋がりがなさ過ぎて違和感しかないんだが?」

 「気にする事はないわ。気まぐれで気持ち良くなれるのなら前後の脈絡なんて些末事よ」

 「明らかに理屈が噛み合ってないだろ。ていうか、そのパターンは碌な展開になる気がしないから断固拒否する」

 「ふふふ……さあ、どうかしら?」

 「頼むから否定してくれ……!」




  危機感を感じて即座にベットから跳ねるように離脱するコゥ。

  が、悲しいかなそこは第二世代。身体能力自体は一般人と大差はなく、鍛えたと言ってもその程度だ。

  だから被造子である上にきちんと鍛えてしまったクリスの身体能力に及び付くはずもない。

  コゥが離れた瞬間に文字通りに跳ね起き、二メートル級の跳躍力を駆使して一気に室内の端へと逃げる獲物へと跳びかかる。




 「このっ、無駄な事に才能発揮しやがって!」

 「無駄とは心外だわ。せめて役得と言って欲しいわね」

 「なんのだよっ!」




  無意味に不敵な笑みを浮かべながら雌豹のように素早くコゥを部屋の隅にまで追いつめる。

  しかし大人しく黙っているコゥではない。これまでの付き合いから彼女の手を読みしつこく逃げ回る。結果として実に不毛な追いかけっこが始まった。

  どったんばったんがらばきずがーんぼかーん。

  言葉にすればそんな感じの音を立てながら室内を駆け巡る二人。ここが一番下の階で端の部屋だからと実に遠慮がない。




 「ほらほら、心行くまで虐めてあげるから大人しくしなさい」

 「俺はどっちかっていうと虐めたい方だから遠慮しとくよ!」




  逃げるコゥと追いかけるクリス。

  この不毛な追いかけっこは二人の体力が尽きるまで続けられる事となったのだった。

























                    ◇ ◇ ◇

























  その頃。




 「…………………………」

 「ちゅ、中尉……?」

 「……ごめん、ちょっと待って。目の前の光景を整理したいから」




  空とレインは永二に紹介された『腕利きの医者』の元を訪ねて―――空は思いっきり頭を抱えていた。

  裏路地に入り、何度も角を曲がっていき、辿り着いた先は交差点に立つ一軒の店。

  間違ってでも医者の住む場所ではない―――所謂、アダルトグッズのショップである。

  もしかして親父趣味に嵌められた? いやいやだったらレインが気付くはず。じゃあ素で間違えた? うわ、これが一番可能性高そう。

  何か頭の片隅に引っ掛かってる気がするけど、きっと気のせいだ。気のせいったら気のせいだ。

  と、いい感じに混乱した頭でもう一度目の前の店を見てみる。

  変わらない不変不動の現実だけがそこにあった。




 「ぐっ……数ヶ月前の思い出したくもない記憶が無理やりリフレインさせられる……っ」

 「ああ……フィラデルフィア・ドミニオンですか……」

 「言わないでよっ! 思い出さないように努力してたのに!」




  ぐあーっ! とあの時の光景を頭の中から剛速球で放り投げる。

  あんな特殊すぎる羞恥プレイを楽しむような趣味も無ければ性癖も無いのだ。自分は到ってノーマルなのだと信じたい。

  だから邪魔なのだ。こんな記憶は黒歴史として消去したい。

  ……近頃、再会した姉に対して結構容赦のない妹とかには、決して知られたくないのだ。




 「レイン……後で覚えてなさい」

 「ええっ!?」

 「分かってるわよ。けどこれは理屈じゃないのよ、理屈じゃないの……っ!」

 「そんなシリアス風味に言われても!? というか、私だって妙な事を疑われて参ってるんです!」

 「私なんてあんな変態ヌーディスト集団と同列に扱われたのよ! あああああ自分で言ってて悲しくなる……

  教徒限定とはいえ何で衆人観衆の面前で裸にならないといけないのよ……」

 『へえ、そんな事があったんだ』

 「「っ!?」」




  急に降ってきた声に思わず口論を中断して二人して周囲を見渡す。

  だが、違う。これは肉声ではなく脳内にネットを介して直接送られてきた音声。

  つまり―――直接通話、チャントだ。

  そしてつい最近にまたよく聞くようになったこの声の主は―――




 「まっ、まこちゃん!?」

 『はーい』




  パッ、と空とレインの面前に空間パネルが展開し、そこに仮想にいる真が投影された。

  小さいながらも門倉運輸の制服を着こんだ少女は可愛らしく舌など出していたりする。

  空としては、それだけで会話を聞かれたと悟らざるを得なかった。

  苦し紛れに苦虫を噛み潰したような表情で真に問いかける。




 「いつから?」

 『お姉ちゃんとレインさんが一緒にベースから出かけた時からです』

 「要は最初からじゃないのっ!!」




  からかうにしてもここまで回りくどい事をするか普通……我が妹ながら実に分からない、と空はがっくりと項垂れながら他人事のように考える。

  恨みがましく画面を睨むものの、当の相手はテヘペロで返してくる始末。質が悪いとはこの事か。

  あまりにも話が脱線したのを自覚して、一度頭を振ってから思考を切り替える。

  とにかく、目の前のアダルトショップが件の医者の住居……なのだろうか。




 「ねえまこちゃん、ほんとにあそこで合ってるの?」

 『あはは……お姉ちゃんがそう言いたくなるのも分かりますけど、現実は揺るぎませんよ? というよりむしろ、私は納得してます』

 「はい……?」




  妹の不可解な物言いに思わず疑問符を浮かべるものの、本人は悪戯っぽく笑うばかりで答える気はないらしい。

  しかし目当ての医者があの店にいるという事は妹曰く確実らしく……どうにも、腹を括ってあそこを訪ねなければならないらしい。




 「仕方ない……行くわよ」

 「はい……」




  耐性の無いレインが赤面のまま空の後に続く。

  ―――後に空は語る。どうしてこの時『たかだかアダルトショップ一つに入る程度にここまで警戒していたのか』という事に疑問を持たなかったのだろうかと。




 「ごめんくださーい」




  カランカラン、とドアと連動して取り付けられたベルが鳴る。

  いかにも古風な仕掛けの向こう側には―――やはり如何わしい品ばかりが陳列されていた。

  店内の品棚やショーケースに並べられている物は性行為に関する道具ばかり。いつの日かとある少年が未成年に扱わせるなと言った品の数々である。

  レインは顔を真っ赤にし、真は電脳空間から顔を赤らめながらも好奇心の視線を送り、空は露骨に嫌そうな顔をした。

  そして、




 「おや、お客かね? いらっしゃい、ここではどれだけ如何わしい品でも手に入……る、ぞ?」




  声がした。

  反射的に背筋が伸び、身体の動きの一切が硬直する。特に首など錆びついた鉄のように感じた。

  ああ知っている。この声には聴き覚えがある。それはもうこれでもかと言う程にはしっかりばっちり記憶に残っている。

  とても緩慢かつ鈍い動きで、首が動く。

  徐々に、徐々に動いていく視界の中―――ついに捉えた、ゴスロリ装束を着込んだ少女。こちらを見て驚きに目を見開いている。

  見覚えがある。記憶に焼き付いているその姿と彼女は一切変わりなく、あまりに一致しすぎていて―――本能的に、空は危機を感じた。




 「それでは、私はこれで」

 「まあ待ちたまえ」




  踵を返した途端に驚くべき速度で自分よりも頭身の低い少女に襟首を確保される。

  声自体は穏やかなものだった。だがその裏に込められた意味と言外のプレッシャーが空の動きを束縛する。

  空と少女の反応に付いて行けないレインが困惑する中、仮想にいる真だけが可笑しそうに笑顔を湛えていた。




 「やあ、久しぶりじゃないか空君。ここ数年の間、主治医の治療をほったらかすどころか連絡一つも寄越さないとはどういった了見かね?」




  そう、彼女は主治医。

  数年前まで彼女とその妹の治療を請け負っていた一人の名医。

  空の天敵とも言える人物であり、あの事件以降は連絡がぷっつりと途絶えた人物の一人。

  そうして彼女はようやく理解した。自分がたかだかアダルトショップを見ただけで露骨に警戒していた、その本当の理由を。

  医者と、性行為趣向者。この二つを結び付けたくなかったのだと。




 「……お久しぶりです、ノイ先生」




  彼女の名はノイ。

  とある事情でアンダーグラウンドに身を潜めた知る人ぞ知る名医である。




 「ええと……二人はお知り合いで?」

 『はい。私とお姉ちゃんの主治医で、件のノイ先生ですよ』




  レインの疑問に答えながら空間にパネルが表示され、そこに再び真の姿が投影される。

  そちらを見て、ノイは本日二度目の驚きに目を見開いた。




 「真君じゃないかっ。無事だったのだね」

 『はい、おかげさまで私はこうして元気にやっています。あのときは本当にありがとうございました』

 「……おや、何やら雰囲気が変わったかね?」




  空そっちのけで再会の会話に花を咲かせる二人。

  意外なところで無事を確認できたのはいいのだが、このあとの展開を想像すると背筋が寒くなった。




 「なるほどな……しかし、偶然というものはあるものだな」

 『はい。まさか隊長が好意にしていた闇医者がノイ先生だったなんて、ビックリです』




  とりあえず、いつまでも会話に花を咲かせてないで襟首を放してはもらえないのだろうか。

  空のそんな気持ちはいい加減に話が進まないと感じたレインの仲裁が入るまで察せられる事はなかった。

























                    ◇ ◇ ◇

























 「はあ……」




  若草菜ノ葉は悩んでいた。今までの人生の中でもこれでもかというくらいに悶々と頭を悩ませていた。

  悩みながら、しかし手に持つお玉の動きには一切の淀みが無い。

  コトコトと音を立てて煮詰まる鍋からは良い匂いが立ち昇っている。

  そして、何に悩んでいるかなどわざわざ問いかけるまでもない。

  死んだはずの―――しかしその実は生きていた、と思われる自身の幼馴染、門倉甲についてである。




 「はあ……」




  再び溜息。

  再開した幼馴染らしき人物は記憶の中の姿より幾分か逞しくなっていたものの、特徴的な童顔は変わっていなかった。

  性格も、変に不器用なところなどまさに自分の知る彼のものだったし、無意味に異性を連れいているところなどちっとも変っていない。




 (……あれ、何か思い出したら腹が立ってきた)




  ぐぐぐっ、とお玉を握る手に思わず力がこもる。

  思えばあの朴念仁な幼馴染はいつもいつも女の子と仲良くなるのが病的に上手かった。

  ノイちゃんと知り合っていたのには驚いたが、隣の銀髪美人さんにもいたく驚いた。もうどこで引っ掻けてきたのかと小一時間ほど問い詰めたい。

  ……しかし、だ。




 (甲が来ていた服って……あれって、軍服だよね……)




  軍服。つまりは軍に服役する者が身に纏う仕事服。

  別に軍服を着ている全ての者が服役している訳ではないが、それに関わっている事は確実だろう。

  あの、軍や戦争を―――何よりも傭兵を忌避していた幼馴染が。




 「まあ、まだ確実にそうだと言い切れないんだけど……」




  彼は、明言する事はなかった。

  自分が甲だと、安心して涙を流せるような言葉を投げかける事はなかった。

  だから確信を持てないでいる。彼が真実、門倉甲なのだと言い切れないでいる自分がいる。

  希望に縋る事がどれだけの絶望を呼び込むか、これでも分かっているつもりだったんだけど……

  それでも、希わずにはいられない。幻想のように露と消えてしまった宝物を見つける事ができたのだと信じたい。

  そして同時に、ずるいとも思う。

  死んだと思っていたのに、いきなり出てきて何も話さずにふらっと消えて……何か事情があるのなら話せばいいのに、と菜ノ葉は思う。

  頼られないのが悔しくて、彼らしいのが嬉しくて、隠されているのに憤って、言葉を交わせた事実に胸が震えて。

  だから、




 「……甲のばーか」




  微笑みながら、それでも愚痴を言うくらいは許してほしい。

  もし確信が持てたのなら……その時は、寮の二人と一緒に盛大に叱ってやろう。

  と、そんな時だった。

  不意にガチャリと扉が開け放たれ、キッチンに白衣を着こんだ長身の男が入ってくる。

  見間違えるはずもなく、彼女の恩師である久利原直樹だった。見れば目の下に隈があり、いかにも眠そうに頭を掻いている。




 「ううん……おーい菜ノ葉君、何か食べられる物は無いだろうか」

 「あー、先生。また徹夜で研究していましたね? 何度も何度も口を尖らせて健康第一って言っているはずですけど」

 「あ……いや、菜ノ葉君、これはだね?」

 「いやもこれもなにもありません。さあ……何度言っても分からないのなら何度も言って聞かせるまでです」




  たらり、とらしくない冷や汗を流す久利原。

  親に夜更かしがばれた子供の如く―――思わず一歩後ずさってしまう彼に、菜ノ葉はにっこりと微笑んだ。




 「先生は研究チームの責任者なんですから、体調には人一倍気を付けてくださいっていつも言っていますよね?」

 「しかしだね、私が休んでいては逃亡生活を強いている皆に申し訳がないというか……」

 「それを行動で示すのは何も悪い事ではないと思いますけど、だからと言って無茶をして挙句の果てに倒れる羽目になったらどうするんですか。みんな困りますよ。

  というよりぶっちゃけてここの責任を取ってるのは先生なんですから有事の際に動けないじゃもっと困ります。責任者なら責任者らしく腰を下ろして構えてくださいよ」

 「だが一刻も早くアセンブラを完成させなければ……世界を救うためにも、もう時間がないのだ」

 「ええ、ええ。世界を救うって凄く立派ですよ、誰もそれについては反対してませんよ。ですけど身体にもうちょっと気を使ってくださいっていう話です。

  先生が中心になっている以上、もし倒れでもしたらそれだけで凄く研究は停滞すると思うんですが。もしも早く仕上げたいのなら動ける時に動いて休む時は休むべきです。

  で、ここまで言っても分かりませんか? つまるところそんな無茶をされるとみんなが心配してしまうのでさっさと寝てください」

 「ぬ、ぐ……」




  息継ぐ間もないマシンガントークがそこにはあった。

  情け容赦なく反論の余地すら挟ませずに相手を糾弾しながら出来上がったシチューを器によそってスプーンと一緒に渡すなど、どこかの刑務所染みている。

  結果、先に折れたのは久利原。

  いつものように『はい、すみません』と謝ってしょんぼりしながらベッドの中へと潜り込む事になった。




  ドレクスラー機関―――その構成員の中で、縁の下の力持ちである若草菜ノ葉に健康事情で逆らえる者は、誰一人として存在しない。



























 ※全く懲りずに本編とは全く関係ないパロネタ

 神父「素晴らしい、その一言に尽きる。いやそれすら足らぬな。弁には自負があったのだが、言葉に出来ぬ、出来ていいものではない。したくない。

    識者の仮面を被り、あの葛藤を形にするのは神聖さに泥を塗る行為だ。見守っていたい、久々に思ったよ終わって欲しくないとさえ。

    ああ、君達は本当に、どこまで私の瞳を焦がすのだ。

    ああ、もどかしい。歌い上げたい、詩に書き留めたい、本へと綴り後世へと伝えたい、希うよ留めたかったほど。

    いとしき子よ、さあ立ち上がりたまえ。敵が来るぞ、君から何もかも奪った敵だ。

    女神と剣を取りたまえ。残った矜持を振り絞るのだ。そうだとも、まだ全てが終わったわけではない。

    一つでも大切なものが残っている。ならばやるべき事など決まっていよう。戦うのだ、己が全身全霊を賭けて。打倒せよ、奪い去ったその尽くを。

    弔いのために再起せよ、取り戻すのではなく突破するのだ。最高の鎮魂歌を聞かせてはくれぬか。

    失われた君の全てに。取り残された君自身に。これから失われる我々のために。それこそが君にできる唯一の歌劇。

    なくしたものは戻らないと知っているから。

    だから、さあ、薙ぎ払いたまえ。新世界のために、旧世界へ居座る頑愚蒙昧万象、遍く総て、その絶叫で―――

    この偽りの世界を淘汰するのだ」



[29132] 第一〇章 アーク -arc-
Name: ジエー◆7693fe4e ID:a2a73ae9
Date: 2012/03/17 11:54



 「ふむ……」

 「ええっと、ノイ先生?」




  モニターとにらめっこをして唸っているノイに空は問いかける。

  診察結果を見てから難しい顔をし始めて早数分、空としては非常に不安に駆られてしまう。

  ノイは電子のモニターをむむむと睨み―――




 「また派手に脳チップを壊しおって……アレかね、今は論理爆弾でもまともに喰らうのが巷の流行なのかね?」

 「え……よく、論理爆弾だって分かりましたね」




  名医だとは昔からの付き合いで知ってはいたが、ピンポイントに損壊の理由まで言い当てられるとは流石に予想していなかった。

  思っている事が顔に出ていたのか、ノイも空を見ると大した事じゃないと口を開く。




 「似たような患者をつい最近診たばかりでね。状態が余りに似通っていたのでそうではないかと当たりを付けただけなのだが、見事にドンピシャとはな。

  まったく奇妙な縁もあるものだ」

 「それは……まあ……」




  確かに、同じく論理爆弾に巻き込まれた者などそうはいないだろう。

  しかも直撃を喰らっておきながら生きており、同じ医師の診察を受けるなどどれほどの確立だろうか。偶然にしては出来すぎで気味が悪い。

  そもそも、論理爆弾を喰らったというだけでも碌な人物ではないだろうに―――




 「……あれ?」




  と、そこでふと気が付いた。

  論理爆弾など、起爆したならネット上では少なからず騒ぎになるはずだ。事実自分達が襲撃した阿南の施設の件も裏ではすぐに話題に上がっていた。

  今の時代、わざわざ誰かを攻撃するのに論理爆弾を使うとは考えにくい。そんな事をするならもっと手近な兵器を使った方がずっと容易で安価だ。

  だから個人規模で論理爆弾を使用するとは考えにくく、それ以上の規模ならネットへのノイズから少なからず話題になる。

  最近、そのような話題に上がったのは件の施設のみ。

  更には同じような患者をつい最近に診たという事は―――




 「先生……その患者は今どこにいるかは、分かりますか?」

 「ん? さて、清城市にいるのは確実だろうがどこにいるかまではな……」

 「……そうですか」




  もしかすると、その患者というのは同じく施設に侵入していた誰かかもしれない。

  阿南の側か、第三者かはともかく、もしかすると新しく何らかの情報が手に入るかもしれなかった。




 「あの、その人の名前は」

 「悪いな空君、こちらとしても医者の義務がある。何の確証も無しに個人情報を開示する事はできない」

 「ですよね。すみません、不躾に」

 「いや、構わんよ。久々に会ったのだ、その程度の戯れが無ければ会話に花も咲かないだろう」




  ちょっとした情報が手に入ったとはいえ、然程重要でもなければ優先する事でもない。

  何かの巡り会わせがあれば会う事もあるだろうし、その時に聞きたい事を聞けばいいだろう。

  少し起こしていた身体を診察椅子に預けて瞑目する。

  久々に会った小さな担当医は記憶のそのままから変わっていなかった。

  変化のなさを喜ぶべきなのか悲しむべきなのかはよく分からないが、元気そうにしていたのは何よりだと思う。

  少なくとも笑えているだけ上等だろう。笑えなくなった自分と比べれば、それだけは断言できる。

  妹からどこかの軍に攫われたと聞いて心配していたのだから余計に。

  今となっては何もかもが懐かしい。こうしていると少しばかり昔の気分に浸れるような気がした。




 「しかし君も運が良い。前の患者に使った治療用のナノマシンは丁度あと一回分残っている。

  これをプスッと刺して注入すれば後は勝手にマシンが修復してくれるだろう」

 「ナノ、ですか……」




  それを聞いて少し微妙な気分になる。

  正直、空自身ナノマシンには碌な思い出がないのだ。

  筆頭がアセンブラのそれだが、それ以前にも料理で悲惨な目に遭っており……




 (あー駄目、思い出しただけで悶えそう)




  軽く自己嫌悪に陥っているとノイがおもむろに首筋に無針注射器を押し当ててナノマシンを注入した。

  感覚らしい感覚など曖昧なのだが、何かが入ったという奇妙な実感だけが湧いてくる。




 「さて、効果について説明しておこうか。

  放っておけば勝手に脳チップと脳細胞を直してくれるが、修復が進行すると脳の信号がいきなりそちらにも通じる事になる。

  その副作用としてその破損していた部分にあった諸々の情報にアクセスする事になるのだが―――まあ白昼夢のようなものだな。記憶遡行と学会では呼ばれているが。

  感覚的にはセンス・ホロ、五感付き映画での記憶の追体験だ」

 「あー……何だか頭が火照ってきました」




  ついでに視界も怪しくなってきた。

  酒に酔ったみたいに目の焦点が合わなくなる。景色の輪郭がぼやけて世界の全てがあやふやだ。




 「没入する時のようにリラックスしたまえ。今からなら夜まで眠る事になるだろうが、起きる頃には修復も大方済んでいるはずだ。思い出せない部分も思い出せているかもしれない。

  さあ、目を閉じて。君は今から自分の記憶へと没入するのだ」




  言われるままに目を閉じる。

  光を遮った視界は暗闇に閉ざされたはずなのだが、その奥から眩い白光が迫ってきていた。




 「良い旅を(グーテライゼ)」




  意識が白に呑まれていく。

  落ちていく感覚と引っ張り上げられる感覚。矛盾した二つの感覚に襲われて宙に浮いているような気分になる。

  現実なのか夢なのか、既に判別がつかない。




  だから、だろうか。




 『―――ぇ?』




  無意識の中、妹が小さく言葉を洩らしたのを聞いたような気がした。

























  第一〇章 アーク -arc-

























  目が覚めたら、最近見なかったアドレスからコールが届いていた。




 「珍しい……」




  のっそりと起き上がりながら彼女は着信を確認する。

  コール内容はどうやらメールらしく、音声すらない簡単な電子文書だった。

  いかにもらしい挨拶の書き出しから始まり、ここ最近の状況などが簡単に纏められている。




 「だけど、遊びには来てくれない」




  見たところ、今現在は清城市にいるのだとか。だったらメールじゃなくて普通に挨拶に来ればいいのにと思う。

  きっとどんよりとした雲さんがお日様の光を遮っているせいだ。だからやる気が削がれて怠惰値ばかりが蓄積されるのだ。

  自分がぐうたらなのもその辺りに原因があるのだと思う。何という魔性の理。こんな法則はさっさと打破すべきなので環境改善の案を提出したい。

  ……きっと、それすらも三日坊主という名の怠惰値に変換されてしまうのだろうけど。




 「……ふあ」




  なので、再び寝る事にした。

  適当に身体をぐにゃりと横たえて目を閉じる。羊さんが柵を越える事はないがそれ以上の眠気が襲ってきてくれる。

  こうなればもう人生勝ったも同然。

  うとうとと眠りの底に落ちようとして―――




 『亜季さん』

 「わっ?」




  突然降ってきた声に速攻で這い上がるしかなかった。




 『今、良いかしら』

 「何……?」




  寝ようとしたところを邪魔されたので微妙に目が平たくなるのは許してほしい。

  亜季と呼ばれた女性は再びのっそりと起き上がって通信の相手を見る。

  空中に投影された相手は女性だ。不健康と思えるほど白い肌と目の下の隈、らしきもの。

  その目は全てを見透かすように鋭く、それでいて感情の読めないものだった。

  彼女の名は橘聖良。

  ネットの一大企業『アーク』の創設者にして、社長である。




 『少し貴方に仕事を頼みたいと思って』

 「おばさま直々に……? また、珍しい」




  亜季は彼女が自分に頼むという行為を使った事に少なからず驚きを感じる。

  元々、橘聖良のネットでの手腕は常識を逸している。亜季も超一流のプログラマではあるものの、未だ彼女の足元にも及ばないだろうと理解している。

  ここ数年いろいろと仕事をこなしてきた彼女だが、何でも一人でやってのけそうな彼女から直接オーダーが入るような事は一度も無かった。

  正直に言って結構な衝撃である。




 「頼まれたからには、やってみる。何か途方もない無理難題を言い渡されそうな気もするけど」

 『普段私をどういう眼で見ているのかしら……まあ良いです。それでお願いしたい仕事の内容なのだけど』




  言って、彼女は一つのファイルを送りつけてきた。

  簡易的なテキストファイルらしく、それを展開して目の前に広げる。

  表示されたのは単純な文字の羅列だった。そこに示されているのは仕事の内容であり、行動指針が単純に綴られている。

  いったい何の仕事なのだろうか……そう思いながら文章を覗き込み、




 「……え?」




  そして同時に、呆気にとられて思考が飛んだ。

  内容自体は単純なものだった。それこそ、その気になれば一行程度で済むものを形式上だけ指令書に仕立て上げたような物だった。

  それ程までに単純明快。だがそれ以上に奇抜な内容であり、亜季自身その仕事は予想もしなかった。する事も出来なかった。

  言うは易しと良く言ったものだと亜季は思う。

  仕事の内容自体は確かに単純。だがそれ故に難解極まるものであり、




 「これ……私にどうしろと……」




  『現在、行方知れずとなっているシミュラクラ二基のマスターデータを回収せよ』

  お門違いにも程がある、纏めてしまえばそんな見つかる当てもない荒唐無稽な仕事が彼女―――西野亜季に回されたものだった。

























                    ◇ ◇ ◇

























  カチリ、とスイッチが切り替わる感覚。

  そんな呆気なさと共に空は夢から現実へと引き戻された。




 「ん……」




  周囲を見て状況を確認する。

  そこいらに見える医療用の機器と配線の数々―――自分が据わっているのは診療用の椅子だ。

  自分は何でこんなところで寝ていたのかと考えて……ようやっと夢の前後を思い出す。

  そういえば、自分はノイに数年ぶりの診察と治療を施されたのだった。

  寝ていたのは治療用ナノマシンの副作用であり、記憶遡行という形で記憶の追体験を夢という形で行っていたのだ。




 (……ええっと、確か夢の内容って)




  主に学園時代の夢だった。

  それも図ったかのように甲と出会った時期から付き合いだした顛末まで。

  センス・ホロ感覚だが、二度とあんな体験は無いだろうと思っていただけに妙な気分になる。




  だが、それよりも重要な事が一点。

  その記憶遡行の直前に、見えた事がある。




 (あの、光景は……)




  懐かしい記憶に入り込む直前、遡る過程で見えた景色。

  あの論理爆弾が仕掛けられていた施設、その奥で一機のシュミクラムと向かい合う自分。

  その相手は……




 「またカゲロウって……冗談じゃないわよ」




  何でこんな事を忘れていたのだろうか。論理爆弾で忘却の彼方に追いやられていた記憶があまりにもピンポイント過ぎてありもしない悪意すら感じてしまう。

  今ならば鮮明に思い返せる。

  挙動の一手、繰り出される武器、受けた痛み、与えた損傷、その総てを。

  あまりにも似すぎていて、事実それはありえない程に一致していて。

  だから激昂した。訳も分からず、それでも明確な怒りだけが湧き上がってきた。

  あの時は混乱していたのでいろいろと判別がつかなかったが……




 「本当、何がどうなっているのやら」




  思い出したのは良いが逆に増えた謎が多すぎる。

  あの場所で遭遇したカゲロウ、エディの映像で見た漆黒の冴。

  そして何より―――




 「おや、起きていたのかね」




  と、ノイが診療室に入ってきた。

  空が起きているのを確認すると周りの計器をいろいろと弄り傍まで寄ってくる。




 「ノイ先生。おはようございます」

 「今はおはようといえる時間ではないが……まあいい。体調の方はどうかね? どこか違和感を感じたりはしないか?」




  ノイに促されてふむ、と軽く身体を動かしてみる。

  寝ていたせいなのかまだ少し身体がだるいが、生活に支障はなさそうだ。




 「特に問題はないみたいだな。ならもう少し休んでいたまえ。脳細胞は人体の中でも特にデリケートな有機マシンだからな」

 「分かりました」




  それだけ言うとノイはさっさと診療室から出て行った。

  入れ替わりにレインが診療室へと入ってくる。




 「お疲れ様です、中尉」

 『お寝坊さんだよ、お姉ちゃん』

 「それは言わないのがお約束でしょまこちゃん。

  それとレイン……妙に疲れた顔をしているけど、もしかしてずっと起きてた?」

 「はい。特に用事もありませんでしたから」




  そう素っ気なく答えながら空の肩まで毛布を毛布を掛ける。

  彼女の気遣いに感謝しながら考えるのはこれからの行動方針だ。

  基本的にフェンリルの行動と合わせるのは決定しているものの、個人的に気になる事がいくつかある。




 「……ねえレイン、これからの事なんだけど」

 「何か気になる事でも?」

 「ええ。まだ確信を持った訳じゃないけど、どうしても調べておきたい事があるの」




  それはカゲロウの事。冴の事。

  そして何より―――クゥと甲シミュラクラの事。

  あの時見た彼は何だったのか、本当にいたのか幻影だったのか。時間が止まったのは何故か。

  おそらく、あの時起こった現象は全てシミュラクラに繋がっている。理屈など無い直感でそう思う。

  当時シミュラクラと一番深く関わっていただけに、その思いは強かった。




 「だから、アークに行く」

 「アーク社ですか。そういえば、アークの社長は中尉の身元引受人だとお聞きしましたが」

 「うん、そう。あの事件以降は連絡一つしてないから、今更何の用だって突っ撥ねられるかもしれないけどね」

 『うーん、あの甲先輩の親族なだけにないような気しかしないんですけどね』




  何度か会った事があるが、底の読めない人だ。

  元々人の機微を意図的に読むのはあまり得意ではない空だが、それにしてもあの人のそれは読めないと思う。

  悪人でないのは分かっている。むしろ自分達には愛情をもって接してくれていたのも知っている。

  しかし上に立つ者の素質なのか、どこか読めない人物というのはそれだけで微妙にプレッシャーだ。




 「それで、何を調べるのですか?」

 「今さっきの治療で幾つか気になる事を思い出したから、それをね。

  明日アークを訪ねたら、レインは少しアークのデータベースを覗いて調べて欲しい事があるの」

 「天下のアークのデータベースをですか……少々、気が引けますが」

 『お姉ちゃん、大胆……』




  ハッキング技術に関しては超一流の腕を持つレインだが、それでも流石に天下のネット企業であるアークへのハッキングは躊躇うものがあるらしい。

  ……どうにも、その躊躇いがチャレンジ精神を抑えているようにうずうずしているだけに見えてしまうのは気のせいだと思いたい。

  だから妹のわくわくしたその目は今すぐにでも止めて欲しかった。ほっといたら本当にやりかねない。




 「大丈夫よ。私からおばさまに頼み込んでみるから、お願いできる?」

 「はい、中尉のご命令とあらば何なりと」

 『明日はフェンリルもアークにいるって言ってたから、私から連絡を入れておくね』




  即座に返ってきたレインと真の答えで、明日の行動方針は決定したも同然だった。

  とにかくアークを訪ねない事には始まらないだろう。




 (明日は忙しくなりそうね……)




  そんな事を考えながら、再び目を閉じる。

  今度は普通に、意識が暗闇の中へと沈んでいった。

























  そして翌日。




 「……大きい、ですね」

 『本当に……』

 「ええ……数年見ないだけで随分と大きくなったのね」




  空とレインは揃ってアーク社の入り口に立っていた。

  この会社、作りが他とは違い少々特殊で建造物が上に突き出すのではなく下へと伸びて行っている。

  逆円錐型に伸びている構造を簡単に説明している電子案内板に目を通しながら、その規模に二人して目を剥いていた。

  更に目を引くのはその外壁。

  滑らかなその材質は大理石を思わせるが……




 『結合超密素材―――核やグングニールの直撃でも受けない限りはどんな攻撃も、それこそ怒涛の苦情すらシャットアウトしそう』

 「もはやちょっとした要塞ね。あとまこちゃんそれは会社としてどうかと思う」

 「流石は仮想屈指の大企業、というところでしょうか。自社で特級AIを保有しているだけはありますね」




  既に話は通っていたのか受け付けはすんなりと二人を通してくれた。

  中に入ると、さっきとはまた違った驚きが目に飛び込んでくる。




 「幻想的な光景ですね。まるで仮想空間のようです」

 「そういえばアーク社の概要にもあったっけ。社内はあちらとこちらの境界を曖昧にしたような様式をしているって」

 『綺麗……私、何だかここが気に入っちゃった』




  全体的にクリアーでグリッド感を醸し出す、陳腐だがやはり幻想的と言う他にない社内が広がっている。

  仮想ではこんな光景も見ようと思えばいくらでも見れるのだろうが、現実で、それも人工的に再現したとなると相当だ。

  そんな仮想と勘違いしてしまいそうな社内を歩く人はあまりいない。

  一大企業にしては閑散とした廊下を機械音声のナビゲートに従いながら歩いていく。




 『右手のドアからお入りください。橘社長がお待ちです』




  しばらく歩いた先で辿り着いたドア。

  近付くとひとりでにドアが開き、中へ入るように促してくる。

  二人はそのままドアの向こう側へと足を踏み入れて―――




 「―――え?」

 「―――これは」

 「―――あれ?」




  先に広がっていた、社内の間取りを全く無視した広大過ぎる空間に三度目の驚きを味わされた。

  一見して、空間の広さは直径一〇〇メートルは下らないだろう。

  事前に頭に入れておいた社内の地図と照らし合わせてもこれだけの空間が広がっているはずはない。

  加えて、




 「二人共、いつ没入を……?」

 「注意してください……いつの間にかリミッターオフで強制没入させられています」

 「第二世代以外は入室禁止、ね。徹底したセキュリティだこと。実体の方は誰かが保護しているんでしょうね」




  有線を繋がれて没入したような覚えはないし、そもそも自分達は扉の向こうに踏み入っただけだ。だというのに仮想にいて見えないはずの真が目の前にいる。

  であるならば、これは何らかの手段で強制的に無線で没入させられた事になる。

  つまり、基本的に有線以外で没入の出来ない第一世代は社長室に立ち入る事すら許されないのだろう。

  ―――通路の遥か下を見れば、巨大なアイリスバブルが見える。

  周囲に見える建造物から考えて直径は数百仮想メートルに及んでいそうである。




 「―――失礼します」




  咳を一つ払い、思い切って社長室への扉を開ける。

  待っていたのは白光煌く水晶宮。形や大きさは様々だがそれらがどこか統一感を出して一つの作品を思わせていた。

  そしてその中心。

  水晶宮の玉座に、彼女はいた。




 「……お久しぶりね、空さん」

 「ご無沙汰しています、おばさま」




  空の記憶にある姿と完全に一致する姿のまま、まったくそんな事を感じさせない口調で淡々と挨拶をしてくれる。

  だがその視線はこちらを見ているようで、しかしその先のどこか遠くを見ているようにも思えた。




 「よう嬢ちゃん。そっちも聖良さんに用事か?」

 「あれ、大佐? 社長室に来ていたんですか」

 「大佐もこちらに用事が?」

 「仕事の話でな。まあそのうち話す事になるだろ」




  妥当に考えて、アークから何らかの仕事を請け負ったのだろう。

  いや、元々アークからの仕事を受けて清城市に来たのかもしれない。そうでなくとも自分へ接触を図ったのだ。

  付け加えるならアークには自前の警備隊が存在する。

  だというのにわざわざ外部から私設傭兵部隊を呼び寄せるとなると―――




 「ええ、貴方の考えている通りフェンリルを雇ったのは私達。目的は久利原直樹の確保よ」

 「……」




  何も言ってはいないのに考えを読んでいるかのような発言。

  こういう部分も昔から変わっていなかった。




 「私達は久利原直樹をどうしても捕まえたいの。

  再びあの悲劇を繰り返そうというのならそれを断固として阻止しなければならないし、事件の真相を解き明かす必要もある」

 「という事は、アークも事件で何があったのかを詳しく掴んでいないんですね……」

 「ええ、遺憾ながらね」




  つまり、『灰色のクリスマス』の真相は黒幕以外知る者はいないという事になる。

  やはりドレクスラー機関をどうにかしなければ真実を掴む事はできないのだろう。

  もっとも、そう思ってきたからこそ空は久利原直樹を追い続けてきたのだが―――




 「私達が知っているのは、事件の一五分前に研究所に爆破予告が送り付けられてドレクスラー機関のメンバーが研究所を脱出していた事。

  そしてその爆破予告が研究所の内部から発信されていた事。この二点よ」

 「研究所の内部、って……じゃあアレは内部の犯行だったんですか!?」




  思い出されるのはアセンブラを開発していた時の久利原直樹。

  研究成果を見せてくれた時の彼は、少し様子がおかしかった。

  それだけではない。今となっては日常の端々にもどこか挙動不審な点が見え隠れしていたようにも思える。

  疑心暗鬼に駆られている、と言われても否定できないような考えだが、空自身そう思っても彼の怪しい部分を否定できずにいる。




 「そこまでは分からないわ。だから真相を突き止めるためにも久利原直樹は必要なの」

 「嬢ちゃん、そっちでも何か掴んでいる情報は無いのか?」

 「……」




  さて、どうしようか。

  空は確かに情報を握ってはいる。それもアセンブラをドレクスラー機関が開発しているという特大のネタだ。

  更にエディから手に入れたドミニオンの本拠地に関する情報もある。

  これは持っているだけで莫大なアドバンテージだ。それを易々と手放していいのかどうかを考えて……




 (まあ、今更向こうに情報を隠す意味も無いか)




  これ以降、協力する場面もあるだろうから情報は共有しておいた方が良いだろう。

  隠し立てするような事でもないのだから、もういっそ開き直った方が良いのかもしれない。




 「レイン、お願い」

 「分かりました」




  その一言で察してくれたのか、レインは少しの間瞑目して作業に入る。

  永二と聖良はその送られてきた情報に目を通し、双方共に少なからず驚きを見せた。




 「そう……既にアセンブラは完成直前なのね」

 「こりゃなるべく急いだ方がいいな」




  二人の顔持ちは心なしか重たい。

  アセンブラが完成間近という事は清城市が壊滅する可能性がすぐそこに迫っているのと同義なのだから、仕方も無いと言える。

  それを止めるというのならばやはり、ドレクスラー機関―――ひいては久利原直樹を抑えなければならないだろう。




 「しっかしドレクスラー機関がドミニオンとねえ……胡散臭いったらありゃしねえ」

 「組み合わせとしては不気味極まりないわね。永二さん、早いうちに対処をお願いできるかしら」

 「了解だ。とはいえ米内の演説の方もきな臭い動きがあるからな……動くのはその後になる」

 「構わないわ。最善を尽くしてくれればこちらとしては何も言う気はないのだし」




  どこか棘のあるような言い草はそのまま信頼の裏返しである。

  だがそれが分かっていても、組織のトップ同士の会話を聞いていると胃が痛くなるような気分になりそうだった。

  腹の中が真っ黒に見えてしまいかねない。

  そんな中で真だけがケロッとした顔で二人の会話を聞いているのだが……やはり、付き合いの長さだろうかという考えがよぎる。




 「それで空さん、貴方自身も用があってこちらに来たのでしょう?」

 「……はい」




  そうだ。自分はそのために来たのだ。

  思い出した事、見た事、感じた事、分からない事。

  自分の見た全てを話して―――




 「……俄かには、信じられない話ね」

 「自分で言っても信じられない気持ちですよ……だけど見たのは確かですし、実際に交戦までしましたから」

 「……そう」




  そう言って、聖良は再び瞑目する。

  電脳の魔女の目は何を見ているのかは分からないが―――




 「分かりました、こちらでも調べておきましょう。何か分かったら連絡を入れるわ」

 「ありがとうございます」




  期待していた以上の答えに深々と頭を下げる。

  正直、データベースの観覧だけでも許してもらえればそれで十分だと思っていたのだ。




 「シミュラクラについて調べたいのなら亜季さんの協力も欲しいでしょう……アーヴァルシティにアカウントを登録しておいたから、会いに行くといいわ」

 「えと、アーヴァルシティって、確か……」

 「我が社の誇る最新鋭の仮想空間。治安の保たれたリミッターオフエリアよ」




  その言葉を最後に彼女は目を閉じた。

  どうにも話はこれで終わりという事らしい。こうなっては生易しい話題で話をする気はないのだろう。

  最後にもう一度頭を下げて水晶宮から退室する。




 「アーヴァルシティ、か……」

 「どうされますか? 中尉」




  レインはあくまで淡々と、しかし真は悪びれも無く期待の視線を注いできた。

  アーヴァルシティに先輩がいる。甲の義理の姉にしてシミュラクラとカゲロウの開発者、西野亜季が。

  自分からしてみれば負い目がありすぎて気が退けるどころの話ではないのだが―――




 「つべこべ言っている状況でもない、か」




  とにかく、会ってみよう。

  それから話してみよう。そうでないと何も始まらない。

  そう決めて、空は今後の予定を改めて頭の中で組み立てるのだった。



[29132] 第一一章 接触 -connect-
Name: ジエー◆7693fe4e ID:1ef01948
Date: 2012/08/19 23:11



 「ようこそ、アーヴァルシティへ」




  やって来た空達を出迎えたのはそんな一言だった。

  ガイド用のNPCー見た目も声も、門倉甲にそっくりなそれがそこいらじゅうに溢れている。

  いろんな意味で目を引く光景だった。




 「話に聞いてはいたけど……いい気分にはなれないわね」

 「そこばかりは私達が口出しできる領分ではないかと」

 「分かってる。分かってるけど、ね……やっぱり、複雑だわ」




  レインも真も、それ以上は何も言わない。

  適当にNPCを追い払ってからアーヴァルシティを歩き出した。

  目的の人物の所在は予め聞いてある。電子の地図が示す通りに、のどかな風景の中を進む。




 「……それにしても」




  再現度が凄まじい。空は素直にそう感じた。

  降り注ぐ柔らかな日差し、時折吹き付ける優しいそよ風、生えている草花、桜並木。

  ぱっと見て感じただけでは現実のものと遜色無いだろう。それだけの完成度がここにはある。




 「あー、なんだかRPGの人の気持ちが分かる気がします。現実が物騒な今のご時世、ネットに安息を求めてもおかしくないですし」

 「本当に。突き詰めるところまで行ったのならいったいどうなるのでしょうか」

 「さあ? 少なくともそれは私達が判断する事でもなければ、体験する事でもないでしょう」




  まあこの再現度には舌を巻くけど、と改めて辺りを見渡す。

  軽く整備されただけの、自然の色を強く残した小道。右手は緩やかな傾斜になっていて、そこに緑の芝生と桜並木が広がっている。

  左手の傾斜を下ったところには大きなグラウンドが広がっていた。




 「懐かしいわね……千夏がよくあそこで駆け回ってたっけ」

 「千夏先輩、サッカー大好きだったもんね。よくここからそれを眺めて……」




  在りし日の光景が思い起こされる。

  如月寮で過ごした日々。出会った仲間と、大切な人。

  みんなで協力したり、時には喧嘩したり……まるで家族のようだった。

  亜季、菜ノ葉、千夏、雅、真、そして甲。もしかするとレインも。

  あの頃は夢のように楽しくて、充実していて。そんな日々が続くと何の疑問も抱かずにいた。抱かずにいられた。

  だけど、それはあの日を境に変わってしまって……




 「あの……中尉? 真さん?」

 「あ……ごめん。なんか思い出に耽っちゃったわね」

 「いえ、それは構わないのですが……ここを、懐かしいと仰いましたか?」

 「……へ?」




  何の事だと空と真は二人して首をかしげる。

  そういえば、確かにさっきそう言ったはずだ。目の前に広がる懐かしい光景に郷愁の念にかられて―――




 「「……あ」」




  そこで、ふと気が付いた。

  今、自分達はどこにいるのだったか……?




 「っ、まこちゃん」

 「合点です!」

 「ちょ、お二人共!?」




  レインの声を無視して、二人は全力で走り出した。

  その中でも周囲の観察は怠らない。

  走り抜ける中で過ぎ去っていく光景に、どれもこれも見覚えがあった。

  桜並木も、グラウンドも、脇道も、草花も、建物も、空も、雲も、太陽も、全部。

  忘れるはずもない光景。だからこそすぐには気付けなかった違和感。

  亡くしたはずの日常の風景に、知らず鼓動が高なる。




 「はっ、は……っ」




  信じられない。似過ぎている。

  だから、ありもしない期待に駆られてしまうのだ。

  頭の中がぐちゃぐちゃになる。感情だけが先走って自分でも何を考えているのか分からない。

  だから走って、走って走って、走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って―――、




 「……ぁ」




  見つけた。

  記憶のまま変わらない、懐かしいあの場所を。

  たくさんの思い出がある。数え切れないほどの想いがこの場所には詰まっている。

  もう二度と見ることのない物だと、そう思っていたのに―――

  あの場所が、如月寮が目の前に建っている。




 「わあ……」

 「これは……」




  遅れて来た二人もその光景に息を呑んだ。

  あるはずのない光景―――それに目を奪われていると、中から声が聞こえてくる。




 「んー、味付けはこんなところかな?じゃあ後は盛り付けて……」




  懐かしい声。

  おそるおそる、寮のドアに手を掛ける。

  記憶と変わらず、やはりスライドの手動式だった。懐かしさを感じながら、靴を脱いで床に上がる。




 「食器はこれで良いかな。。とはいえ流石に一度に全部持っていくのはきついかも……」




  聞こえる。聞き間違えるはずのない声が。

  未だに現実味の欠ける気分で、しかしうるさいくらいに脈打つ心臓を理解しながら―――




 「菜ノ葉、ちゃん……?」

 「え……?」




  数年ぶりに、可愛い後輩と再会した。

























  第一一章 接触 -connect-

























 「亜季先輩、雅先輩! 大変です、緊急事態です!! 重大検案発生です!!」




  空達を出迎えた菜ノ葉は大袈裟すぎる物言いであっという間に奥の居間まで走り去っていった。

  そこまで驚くようなことか、とも思うが、数年も音沙汰のなかった友人がいきなり訪ねてくればこんなものかと納得しておく。

  程なくして、菜ノ葉の走り去った方から慌ただしい足音が三つに増えて帰ってきた。

  懐かしい面々がどっと押し寄せてくる。




 「わ、ほんとに空だ」

 「よう、久しぶり」

 「ええ……久しぶりね」




  そつなく、ありきたりな言葉しか出てこなかった。

  もっとも雅だけは久しぶりと言うには語弊があるのだが……向こうは『この場で偶然再会した』ということひしたいらしい。

  空としても余計な厄介事を起こす気など更々ないので、一応はそれに乗っておいた。

  それに続けて、今度は空の後ろからひょこっと顔を出した真に二人の視線が移る。




 「おおっ、真ちゃんじゃないか! 久しぶりだなあ」

 「雅先輩こそ、お元気そうで何よりです」

 「というより真。来るなら来るって連絡の一つくらい欲しい」

 「えへへ、すみません。忙しくてその間がありませんでした」




  ぺろり、と可愛らしく舌を出して再会を喜ぶ妹の声にはやはりというかなんというか、多少の悪戯すぴりっとが紛れている。

  こんな時でも我が妹は絶好調らしい。

  ここ数日ですっかり見慣れてしまった様子にひっそりと溜め息を吐く。




 「ていうか、ちゃんと喋れるようになったんだな」

 「はい。それはもうペラペラです。絶好調です」

 「わあ、なんだか新鮮。よかったね、真ちゃん」




  年下同士が手を取り合って喜びを表現している。

  歳が近いだけに共感することもあるのだろう。素直に喜んでいる真というのもここ最近では珍しい気がする。

  それだけ嬉しいのだろうと考えて―――




 「―――先輩、少しいいですか」




  空は、亜季に向き直った。

  対する彼女もおおよその事情は聞いているのか、空の視線を真っ向から受け止める。




 「聞きたいのは、シミュラクラのこと。違う?」

 「はい。開発者である先輩なら詳しい話が聞けると思って」




  重い空気が流れる。

  対面する二人のただならぬ雰囲気を感じ取ったのか、喜びあっていた三人もピタリと動きを止めた。

  少しの沈黙のあと、亜季がいつになく真剣に尋ねる。




 「理由、聞いてもいい?」

 「―――なら、最低限二人きりで盗聴の危険の無い場所でお願いできますか。

  できるなら、誰にも聞かれたくないですから」




  特に、ここにいる二人には。心の中でそう付け足しておく。

  成り行き上でレインと真は知ることになったが、よけいな情報で混乱させるつもりはないのだ。

  淡い希望など、裏切られた時の傷が余計に深くなるだけである。

  だから話さない。絶望するのは自分だけで十分だ。




 「―――分かった。なら、私のプライベートエリアに行く」

 「ありがとうございます」




  亜季はそう答えを返し、目を閉じると私有空間へと転移した。

  ややあって空にもアドレスが送られてくる。




 「それじゃ、行ってくるわ。そう時間はかからないと思うから」

 「おいおい、せっかくの再会だってのに忙しいな。もう少しゆっくりしてもバチは当たらないと思うんだが」

 「時間っていうのは待ってくれないの。特にこういう時期には、ね。分かるでしょ?」




  空の問いに、雅から返ってきたのは苦笑だった。

  今の時期がどういう危険性を孕んでいるのか、彼も重々承知しているらしい。

  そんなやりとりを交わす二人を、寂しそうに菜ノ葉が見つめる。




 「空先輩―――亜季先輩と仲違いしたり、しませんよね」

 「……流石にそれは酷くないかしら」

 「あっ、ご、ごめんなさい! そういうつもりじゃ……!」

 「いいわよ。我ながら無愛想に切り出したなと思ってるし」




  その答えに菜ノ葉は余計に悲しそうな表情になる。

  ……本当に、とことん無愛想になった。空は改めてそう思う。

  以前の自分ならあんな表情をさせないためにいろいろと苦心しただろう。たとえば、適当な事を言って場を和ませようとしたかもしれない。

  だけど、今の空にそれはできない。

  あんな表情をさせてしまった罪悪感はあるが、それでも目的に向かってただ進む。そんな人間になってしまった。

  こんな自分に後輩を笑顔にできるなどとは欠片たりとも思ってはいない。




 「それじゃ、行くわね。二人とも後はお願い」

 「「了解」」




  返答を確認すると、真とレインに後を任せて自分も亜季の待つ場所へ転移した。

  景色があやふやになり、一瞬の浮遊感が襲う。まるで紙芝居のように目の前の景色が入れ替わる。

  次の瞬間、目の前に広がっていたのはおよそ独創的の範疇を越えた奇抜な光景だった。




 「……ここに来るのも、随分と久しぶり」




  ここが亜季のプライベートスペース。

  クゥと甲が出会った場所で、その絆を育んだ世界。

  それを通して自分も随分と恥ずかしい思いをしたのだが……どれもこれも、過去の話でしかない。

  つい最近に疑似体験したばかりでも、やはり思い出を遠くに感じる。




 「来たね、空」

 「はい。お待たせしました、亜季先輩」




  声のした方に振り替える。当然、そこにいるのは西野亜季。

  空は、彼女から聞かねばならない事がある。

  シミュラクラ―――あの時現れた甲の模倣体を名乗るNPC。

  同じ模倣体であるクゥとは関係があるのか。甲はその存在を知っていたのか。そもそも、今シミュラクラはどうなっているのか。




 「それじゃあ……聞かせて、空がシミュラクラにまた関わろうとする理由」

 「分かりました」




  知るために、見聞きしたこと全てをぶちまける。

  途中、亜季は何度か驚いたように硬直したものの、それでも最後まで口を挟まずに聞き続けた。

  そうして全てを語り終えて―――




 「……そう。甲のシミュラクラが」




  噛み締めるように、そう絞り出した。




 「確かに、甲に対応するシミュラクラは存在する」

 「だけど、シミュラクラはリンクが生きていなければ起動しない」

 「そう、だからこれは緊急事態。誰かがマスターデータを元に作ったデッドコピーか、根本的に別の存在なのか……」




  どちらにしても放置はできない。

  シミュラクラなどを悪用されたら洒落にならない事態を引き起こしかねない。

  自分の身で空はそれをこれでもかと理解している。

  しかし、先の言葉に気になる点が一つ。




 「マスターデータを元にって……亜季先輩、今シミュラクラのデータは……?」

 「……誠に遺憾ながら、気付けばいつの間にか無くなっていた。セキュリティ諸々綺麗さっぱり反応がなくて、行方の手掛かりはゼロ」




  申し訳なさそうに、悔しそうに、亜季はそう締め括る。

  彼女はシミュラクラの産みの親とも言える人物であり、しかもそれが弟のような存在にまで関わっているのだ。

  その心中は簡単に察することができないし、出来ていいものでもないだろう。




 「甲のシミュラクラは確かに存在する。だけどそのデータはクゥ共々忽然と消えてしまった。

  そして、モデルとのリンクなくしてシミュラクラは決して起動しない。

  今の私に分かるのはこれくらいだけど、他に聞きたいことは?」

 「いえ……十分です」




  事実確認になったが、不確定な情報を確かなものにできた。それだけでも来た意味はあっただろう。

  謎だらけな状況はまるで変わっていないが……

  と、亜季が唐突にデータを空に送ってきた。

  開いてみれば、何かのIDがそこには記されている。




 「これは?」

 「甲と空のシミュラクラが持つID。もし見かけたならまずはこれで判断して欲しい」




  とはいえ、これは気休めでしかないだろう。

  肝心なことが何もかも分かっていないうちには決定打にならないとは二人とも理解している。

  が、しかし無いよりは格段にマシだ。




 「ありがとうございます。いきなり押し掛けたのにここまでしてもらって」

 「空は後輩、私は先輩。後輩は先輩を頼るもの。何もおかしなことはない」

 「そう……ですね」




  そう笑って言ってくれる亜季に、空はちゃんと笑い返せた自信がなかった。

  亜季も、歪に強張った空の微かな笑い顔を見て痛ましげな表情になる。




 「空、笑わなくなったね」

 「……最後にちゃんと笑えたのがいつなのか、もう覚えていません」




  あの日から、空はずっと戦いの中で生きてきた。

  非情な現実の只中に飛び込んで、数え切れない死を見てきて―――気付けば、笑い方を忘れていた。

  好戦的に笑ったり、相手を嘲笑ったりすることはある。

  しかし反面、心から純粋に笑うという行為ができなくなっていた。

  だから、忘れた。自分の中から笑い方がいつの間にか綺麗サッパリ抜け落ちていた。




 「……悲しいね」

 「そうでもしないと、生き残れませんでしたから」




  それが良いのか悪いのか、今の空にはそれすらも分からない。

  目的以外が麻痺してしまった、まるで人形のような生き方。酷く歪なその在り方は空の置かれた状況を端的に表していた。




 「……戻ろう。あまり遅いと二人が心配する」

 「そうですね」




  これ以上話せる事はなく、ここに留まる意味もない。

  二人は同時に転移して―――




 「ハロー、空、亜季。久しぶりー」




  ありえない光景を目にする事になった。

























                    ◇ ◇ ◇

























 「で、約一話ぶりに出番なわけだけど」

 「何を言ってるんだ?」

 「気にしちゃ負けよ」




  コゥとクリスは廃ビルから眼下に広がる光景を眺めていた。

  一台の車を囲むようにして集まっている人々の群れ―――それがよく見える。

  視線は例外なく中央に停まっている一台の車に向けられており、主賓の登場を今か今かと待っていた。

  ざわめきや喧騒が秒増しに高まっていく。




 「結構な数だな」

 「この街の将来に関わってくるのだから住民が気にするのは当然でしょう。野次馬気分のギャラリーもそれなりに混じっているでしょうけど。

  さて、そんな中に紛れている勢力はどれだけいるのかしらね……?」




  この二人はこれからここで行われるであろう米内議員の演説など正直どうでも良かった。

  目的は別。政治的アクションによって現れるであろう影響と、それを見極めるために集まる各勢力の偵察だ。

  ここに集まる者達はそのほとんどが組織的集団のはずである。大してこちらはたった二人のみ。

  何の事前情報も無しにその争いの中に介入する気など持ち合わせてはおらず、これはそのための労働である。




 「大体のポイントを眺められるポイントに陣取ったけど、中々釣れないわね」

 「現れるとしたら直前だろうな。米内を始末するとして、狙撃するならその後の撤退が迅速でなければならない上に目立ってはいけないから持ちこめる物も限られる。

  潜脳でもするならネットで覗けば十分だろうし、流石に護衛に刺客が紛れていたり爆弾が仕掛けられていたらお手上げだが」




  情勢が極めて不安定なこのタイミングで動く以上、米内には何かがある。おそらくは阿南側にダメージを与えるものが。

  当然、向こうも指を加えて見ているだけではないだろう。何かしらの対策をこの場にこうじるはずである。

  それが暗殺であれ誘拐であれ、またはもっとろくでもない何かであれ、それを確かめるため誘蛾灯に誘われる蛾のように各勢力はこの場に現れる。

  様々な思惑が交錯することになるだろう。予想もつかない出来事があるかもしれない。

  それだけの勢力が集中している清城市。間違いなく、今まで経験してきた戦場の中でも最大級に危険なものだ。

  知らず、コゥは手を握る。

  それを知ってか知らずか、クリスも現状を確認するように口を開いた。




 「そろそろ時間ね。どこから誰がちょっかい出すのか楽しみね」

 「じゃあ、俺はネットの方を見てくる。何かあったら呼び掛けるか、暇がないようならアポートしてくれ」

 「暇がないなら、むしろ見捨てて逃げるかもね」




  もちろん冗談だ。クリスはコゥを見捨てる気などさらさらない。

  一昔前の自分が見ればどう思うのだろうか、などと詮無いことを考える。おそらく奇妙な生き物を見るような目で見られたに違いない。




 「その時は夜な夜な枕元に化けて出てやる」

 「で、愛でも囁いてくれるのかしら。それとも睦言? いつもは味気ないからあっちで語彙を増やして来てくれれば嬉しいのだけど」

 「そんな仲かよ、俺達」




  軽い冗談も戦場に向かう互いを鼓舞するための一種の儀式だ。必ず生きてまた会おうと、そう確約するための宣誓。

  それを終えて、不敵に笑ってからコゥはネットに没入した。

  糸の切れた人形のように倒れた彼の身体を窓の視界から隠すように移動させる。

  意識の無い成人男性を庇いながら何かしらのアクションを起こすのはリスクが高い。

  気分としては大きな爆弾を抱えているようなものである。少しでも衝撃を与えてしまったなら何が起こるか分からない。

  加えて、万一に備えて強制離脱できるように有線での没入だ。こちらにも細心の注意を払わなければならない。

  だから、ただじっと時を待つ。

  状況が明確に変化するその瞬間を。




 「……来た」




  そうして眼下の光景を眺める中、とうとう状況が動き出す。

  米内議員。

  阿南市長とはAI関連で対立している反AI派。この場での演説の目的は問うまでもなく阿南への一手だろう。

  政治的な戦いにおけるこれは先への布石か、決定的な一打か。

  どちらにせよ、状況は動く。

  複雑に絡み合ったそれぞれの思惑がこの一手で確実に動き出す。




 「鬼が出るか蛇が出るか、だったかしら、この州の諺」




  変化する。

  加速する。

  それぞれの思惑など知らず、聞かず、物事は激流のように移り行く。

  それをもたらす彼が、演説用の車へと上がった。

  起爆剤。

  ダムを決壊させるための爆薬が、今―――




 「さあ、見せてもらいましょうか。貴方はその言葉でいったい何をもたらそうというのか……」




  そして。

  起爆のスイッチが、押し込まれた。

























                    ◇ ◇ ◇

























  目の前の光景が理解できない。

  ありえないものを目にして空と亜季の動きが停止する。

  それほどの驚愕があり、それへどの疑問があった。

  何故、どうして、今このタイミングで、図ったように現れるのか。

  一卵性双生児、ドッペルゲンガー、世界に似た顔が三人。そういった言葉が浮かんでは消える。

  しかしそうではない、どれも違う。

  目の前で佇む存在―――彼女を言い表すならこの一言をおいて他にはない。

  模倣体―――シミュラクラ。

  モデルケースとのリンクによりクオリアを獲得し、最終的には対象と同じ心を持つまでに至る特殊なNPC。

  現状、確認できるシミュラクラとしての個体は二基のみ。その中で空とリンクを結んでいるものなど、世界中を探しても一基しかない。

  すなわち、




 「……ク、ゥ?」

 「あれ、反応が鈍いなー。私としてはちょっと予想外の方向から唐突に再会を演出した方が喜ばれると思ったんだけど」




  んー、失敗したかなー、などと目の前のそっくりさんは気楽に呟いている。

  そのさも当然とでも言うように喋っているのをようやく認識して、気付けば空は思わず叫んでいた。




 「あっ、貴女、何で動いて!? ていうか凍結とか、そもそもプログラムは行方知れずなんじゃ……!」

 「あー、うん。いろいろ聞きたいことがあるのは分かるけど、まずは落ち着いたら? 亜季もほら、ポカーンと口を開けてないでさ」

 「あ……うん……」




  開いた口が塞がらないとはこのことか、とその時の二人は心底思った。

  クゥだ。記憶のままの、今の空と比べたなら少しばかり幼く見え、懐かしい学生時代に愛用していた私服を着こんでいる。

  だが決定的に違う。

  今と昔とでは『クゥ』に差がありすぎる。




 「むう、やっぱり反応が薄い。やっぱり少し狙いがあざとすぎたのかな? 素直に如月寮に突撃訪問でもした方がインパクトあったかしら」

 「いや、どっちも大差無いと思うけど……」

 「え? 何で?」




  今の受け答えで二人の中の差異がより明確に浮き彫りになる。

  やはり、違う。

  昔のクゥは感情こそあれ、どこか子供っぽくたどたどしい言動が目立った。

  だが今のクゥはそうではない。しっかりと会話によるコミュニケーションを成立させ、どこか成熟した言動が見られる。

  まるでー学園生時代の空を見ているようだった。




 「……貴女、本当にあのクゥなの?」

 「む、それは失礼するわね。確かにあの頃は上手く言葉を話せなかったけど、それはただ単に勉強途中だったというだけで」

 「なら、何? 睡眠学習でもしたの?」

 「似たようなものかな? 私が凍結されてもそれでシミュラクラのリンクまで切れた訳じゃないから、寝ている間もずっと空を通して勉強してたんだから」




  一応、理屈は通っていた。

  亜季に視線だけで問い掛けると肯定が返ってくる。どうにも本当にそういうことはできるらしい。




 「……なーんか、視線が疑わしい。やっぱり信用されてなかったりする?」

 「生憎と、急に出てきてご本人ですと言われたところですんなり信じられるほどお目出度い頭をしていないの」

 「あれぇ……? 私なら嬉々としてすんなり信じそうなんだけど、違うのかな……? ある意味同じなんだから空も同じように感じてくれると思ったんだけどなあ」

 「わあ……」




  亜季が唖然と言葉を洩らすと同時にピキリ、と空のこめかみに青い筋が浮かんだ。

  間違いない。目の前の瓜二つ、確実に私に喧嘩を売っている。

  まあいーやとこちらの気持ちも知りもせず能天気にのたまうクゥが、空には何故だか無性に腹立たしかった。

  いっそ文句の一つでも言ってやろうと思い、口を開こうとして。




 「じゃあ、時間もないから手短に話すね」




  その真剣な声と瞳に出鼻を挫かれた。




 「空、『私』に気を付けて」




  そして、その言葉も全く意味の分からないものだった。




 「は? 貴女、何を言って……」

 「私はまだこのポジションから動けない。舞台を演出する舞台装置、役者を導く狂言回し、その位置からの脱却はまだできない。

  だけどあいつは違う。大きく状況も動いているこの世界で、あいつも白痴のように一手を講じてきた。今の私にはそれに明確な助言を与えるだけの余力が無いの。

  ああもう、ほんとにもどかしいわねこの状況。できるなら今すぐにでも横っ面をぶっ飛ばしに行きたいのに」




  不満たらたらといった風に愚痴を洩らすクゥ。しかし、対して空はよく分からない助言に頭を混乱させるだけだ。

  内容が不透明な語彙が多すぎる。舞台、舞台装置、役者、狂言回し、あいつ。どれもこれも抽象的で具体的な意味が掴めない。

  しかも、聞いていると足元が揺らぐような内容だ。もしこれを鵜呑みにするならば、全ての状況は誰かの掌の上ということになりかねない。

  ありえないと思いながら、しかしそれでもぐらつく足元。

  自分は、いったい何に対して恐怖を感じているというのだろうか?




 「言ったように、今の私に言えるのはこれだけ。だから私の要件はもう終わったんだけど……」

 「待ってクゥ。貴方は今どこにいるの? 甲のシミュラクラごと消えたのは何か理由が? それとも誰かに持ち出されたの?」

 「ぶっちゃけ分かんない。今の状況に至るまでの過程は不明だし、はっきりしているのはやらなくちゃいけない事だけ。

  甲の方は……やっぱり直接会った事はないから分かんないなあ。たぶん、似たような事をやってるとは思うんだけど」




  あまりにあっさりと、甲のシミュラクラの活動が肯定される。

  シミュラクラはモデルケースとのリンクが無ければ活動できないプログラムだ。

  だというのに甲のシミュラクラは起動して、活動している。つまり、それは―――




 「ちょっと待ってよ! じゃあ何、あいつは生きているとでも言うの!?

  私は確かに見たのよ。あの日、あの夜、あの場所で! あいつが、甲が―――ッ!!」

 「ほんとに?」




  え……、とクゥの一言に言葉が詰まる。

  何の事だと問いかけるよりも先に、やはりクゥは先んじた。




 「ほんとにそれだけ? 空の中にある光景は、本当にそれだけ?」

 「な……何、を」




  フラッシュバックする。

  二つの光景。二つの記憶。クリスマス・イヴに起こった灰色のクリスマス、その二つの結末。




 「そんなややこしい状況になったのは一方的にこっちが悪いんだけど、だからこそ言わせてもらうわよ。

  既にヒントは十分すぎるほどにあるんだから、あとは信じられるかどうかだけだと思うんだけど」

 「ッ、そんなの―――!」




  急に言われて信じられるものかと。

  カゲロウを見た。過去と変わらず、そこよりもより洗練された動き。統一されていない多種多様な兵装。

  記憶を見た。灰色のクリスマスで一緒に逃げていた甲が、グングニールの煽りを受けて離れ離れになった。

  だから、甲は生きている。

  そんな楽観的に―――考えられるはずもない。




 「まったく、仕方ないなあ。今度会う時までに答え合わせが済んでいればいいんだけど」

 「待ちなさいクゥ! まだ聞きたい事は」

 「残念だけど時間切れ。そろそろ始まるから、行くなら急いだ方が良いわよ」

 「だからっ、」




  話はまだ終わっていない。

  そう口にするよりも先に―――




 「じゃあ、近いうちにまた会おう。頑張ってね、空」




  もといた空間へと強制的に弾き出されていた。

  如月寮と、置いて行った四人が目の前に現れている。

  傍らには共にいた亜季も急な景色の変化に目を瞬かせている。




 「お帰りなさい……って、二人ともどうしたんですか? 鳩が豆鉄砲でも喰らったみたいな顔をしてますよ」

 「それ、どんな顔なのよ……」




  状況が目まぐるしく推移して状況が上手く掴めないが、とりあえずは元の場所に戻って来たらしい。

  未だに先程の光景に現実味が持てないが……

  思わず白昼夢でも見たのかと思ってしまうが、隣の亜季の様子から察するにそれもなさそうだ。

  何かあったのかとレインと真が見てくるが、何でもないと返しておく。

  と、不意に雅が宙を仰いだ。




 「……雅?」

 「……あー、悪いな。急で仕事が入ったから行かせてもらうわ」

 「そう。CDFも大変ね」

 「まあな。けど市民の平和を守るためだし、俺は粉骨砕身働いてきますよっと」




  そう言って、雅はコートを翻して玄関口に向かう。

  CDFが動くという事は、何かしらの事件があったかそれともこれから起こるのか。

  どちらにせよ、状況に一石を投じる事になるのは変わりない。

  ならばこちらも動くべきなのかと考えて―――




 「―――お姉ちゃん。おやっさんから通信です」




  これから起こるであろう波瀾を予感し、先程の邂逅の意味を頭の隅に追いやった。



[29132] 第一二章 影 -shadow-
Name: ジエー◆7693fe4e ID:0206e593
Date: 2012/08/19 23:14




 「モホークさんっ」

 「来たか」




  真からの言伝を受けて空たちはネットで待つモホークの元に転移した。

  曰く、もうそろそろ米内議員による演説が始まるのでフェンリル各員は配置に着けとのことだ。

  真はログアウトが出来ない身の上なので必然的にネットに配置される。

  空とレインはそれに便乗する形でやって来たのだ。

  フェンリルが何らかの作戦行動をとるのなら、その先を見極める良い機会だ。

  それに、空としても確実に何かが起こるであろうこの演説には興味があるのだ。

  清城市で活動する身としても見逃す手はない。

  とはいえ、個人の思惑と組織の思惑はまた別だ。空とレインの同伴が許されるかどうか確認をとらなければならない。

  現状、この場に居るのはモホークだけだ。

  聞くのならば彼に聞くべきだろう。




 「モホーク中尉。この作戦、私たちも参加して宜しいでしょうか」

 「構わない。それに関しては大佐から希望するなら組み込むように指示が出ている」

 「了解。水無月空、霧島レイン、両名はこれよりフェンリルの指揮下に入ります」




  簡易的なものだがこの場はこれで充分だろう。

  作戦内容はネット上からの米内議員の警護になる。

  どちらかといえば影で動いているドミニオンへの牽制の意味合いが強そうだが……

  アークとしては米内議員がやられると多少の不都合があるらしい。

  生粋のAI派が反AI派を守るというのも中々に奇妙な構図だ。




 「ていうか、反AIの割にはきっちりと電脳化はしてあるのね。プライドとかないのかしら」

 「今の世の中、電脳化してある方がなにかと有利ですから。これも時代の流れでしょう」




  今はまだ少数だが、そう遠くない未来にその差はひっくり返るだろう。

  予想でもなんでもなく、これは半ば事実として世論になっている。




 「それでモホーク中尉。私たちはどこの配置に着けば宜しいでしょうか」

 「……ならば、ここから三仮想キロメートル離れたこのポイントで配置に着くといい。お前としても都合がいいだろう」

 「了解」




  どう都合がいいのかはいまいち掴めないが、今は向こうのやり方を見せてもらうとしよう。

  そう考えて指示された地点に向かうために転移しようとして、その前にモホークから声を掛けてきた。




 「中尉」

 「何でしょうか?」




  振り向き、こちらをじっと見ているモホークを見返す。

  それからややあって、彼は一つ頷くとこう切り出した。




 「俺の階級も中尉だ。敬語や階級付けは必要ない」

 「……はあ」




  ぱちくりと思わず目を丸くする。

  つまり……それが言いたいがために呼び止められたのだろうか。

  なんというか、以外と……




 「じゃあ……モホーク、で良い?」

 「よし」




  今度は力強く頷かれる。

  空はなんとなくモホークという人物が掴めたような……そんな気がした。

  もう満足したのか、彼はそれ以上口を開こうとはしない。ならばこちらも配置につくべきだろう。

  今度こそ転移プログラムを起動させる。

  一瞬の浮遊感と景色のブレを知覚して―――空は自らの戦場に降り立った。

























  第一二章 影 -shadow-

























  多くの市民が集う中、米内議員の演説は始まった。

  打倒阿南へのアピールとして使われているのはやはり米内自身の信条である反AI主義だ。

  脳に機械を植え付けることの危険性、RPGや電脳症という第二世代に見られる特有の病状、果てには人類の進化論に至るまで。

  未だ少数である第二世代を蔑視する者は多く、AI派である阿南に対するプロパガンダとしては妥当なところだろう。

  聴衆にはそういう考えを持った反AI主義者も多いだろう。もっとも、こういう場を好む野次馬も当然のように混じっているのだろうが。

  今もって彼が語っているのは彼自身が今までどこかで語っていたものだ。これだけではただの演説と変わらない。

  だが違うのだ。

  普通ならばありえない時期、ありえないタイミングでの突然の演説。これは阿南市長に対する明確な宣戦布告だ。

  米内は何らかの切り札を握っている。この清城の情勢に火を点ける何かを。

  そうでもなければ選挙期間でもないのに演説をする意味がない。

  これは阿南との戦いに勝利してみせるという旨を市民に伝えるのが目的なのだ。

  多数少数は関係なく、ただ耳に入りさえすればいいという類の爆弾である。

  聞けば決して無視できないとびっきりの爆弾がここにはある。

  それを示すかのように―――今、人知れず血で血を洗う戦争が行われているのだから。

























                    ◇ ◇ ◇

























 「来たな……」




  意識せずに呟いた一言は誰の耳に届くこともなく溶けて消えた。

  ネットにダイブしたコゥは隠密モードで自分のシュミクラムを隠した上で離れた場所からその様子を眺めていた。

  距離にして数仮想キロメートル。ともすれば巻き込まれかねないようなギリギリのボーダーライン上。

  一歩間違えれば戦闘にたった一人で挑むことになり、万が一の危険性は一気に跳ね上がるだろう。一対多など戦場ではそのまま死に直結する。

  だが、そんな状況の中でもコゥが揺らぐことはなかった。

  むしろ望むところだとばかりに不敵な表情が浮かぶ。どうせなら直接出向いてドミニオンとの関わりを探った方が早いだろうと。

  とはいえ、今のところの状況は火を見るより明らかだった。




 「見た目通りに硬い上に、なんて火力だよ……」




  青い巨体が動く。

  背に取り付けられている二つの巨大な砲身―――その側面から幾つもの弾頭が顔を出した。

  連続して爆音が轟く。

  一斉に飛び出したミサイルは回り込むように弧を描いて、群がる敵集団目掛けて狂った絶叫を上げながら特攻を仕掛けた。

  着弾。そして爆発。

  一ヶ所にほぼ寸断なく叩き込まれたミサイルの爆撃は互いが干渉しあってその威力を増大させる。

  もはやそれは局地的なもの大災害と言わざるをえない。爆発した地点だけがまるで重戦略級の兵器を使ったように酷い有り様となっていた。

  顔を出してから僅か数秒足らずの命だったが、散り際の花火は確実にそれ以上の結果を生んでいるだろう。




 「これが音に聞くメギンギョルドか……やっぱりフェンリルを敵に回すのは得策じゃなさそうだ」




  うちの親父がその頭ってのがまたなんともな、と言葉に出さずに一人ごちる。

  ある事情からコゥは自身の父親と仲が悪い―――というよりコゥが一方的に敵視している。

  ほんの小さな、それでも彼にとっては大きな理由。それが切っ掛けで傭兵という職にも嫌悪感を抱くようになったのだが……どんな巡り合わせか、コゥは嫌悪していたはずの傭兵になっている。

  昔の自分が今の自分を見てどう思うのか……まあ良い顔はされないだろうなと思う。

  第一、傭兵になったことを喜ばれても困る。父親への反目があったとしても傭兵などという職は嫌悪されて然るべきだ。

  彼はここ数年でそれをつくづく思い知らされた。主に現在の相方の手によって。




 「あれは絶対生来のものが関係してるよなあ……」




  思い返すのはまだ傭兵となって間もない頃。実力はともかく精神面ではまだまだ青二才だったコゥはクリスの手によって散々引っ張り回されたのだ。

  心構えが成っていないだの何だのと特訓と称してアンダーグラウンドに入り込んだりしたのは珍しくない。

  今思い返してもあそこはまともな人間が生きていける場所ではなかっただろうと思う。

  いつ寝首を掻かれてもおかしくもなんともない、周りの全てが敵である日常。

  昨日見た顔が今日はいないなんてことは至極当たり前であり、自分が生き残るために他者を蹴落とそうと常に目を光らせている。

  あの場では自己こそが総てだ。他がいる間に安息という平穏は訪れない。

  そんな中で唯一の味方だったのはやはりその場所に叩き込んだクリス自身だった。

  当時は『人を躊躇いなくこんなとこに放り込めるか普通』と『蹴落としておいてよく手を差し伸べられるなオイ』といった二重の意味で戦慄していたのも懐かしい。

  そんな具合に軽く人間不信に陥りそうな体験を経て強く逞しく―――と言うには多少弊害があるが、ともかくコゥは強くなった。

  人の生に対する貪欲さと、戦場が如何に地獄であるかを骨身に刻んで。




 「っと、マズイマズイ。思考が逸れてるな」




  戦場を前にして思い出に浸るとはまったくもって弛んでいると自分自身に渇を入れる。

  ついこの前まではそんなことはなかったのだが、いつからか感傷的になりやすくなっている。

  原因など考えるまでもないのだが。




 「この状態、どうにかしないとマズイよなあ……」




  現在の『コゥ』はかなり不安定な状況にある。

  記憶を失ってから数年間、クリスと共に地獄を駆け巡ってきた『コゥ』としての記憶。

  最近になって思い出したそれ以前の、平凡な一学生だった『門倉甲』としての記憶。

  それが単に思い出すだけならば何も問題はなかっただろう。だが、コゥのそれは記憶そこうという形をとって行われている。

  記憶そこうでは当時の記憶を夢という形でそのまま追体験することになる。

  夢であるからそこに現在の自分の意思は存在せず、ただ『門倉甲』としての自意識が無意識下で活動することになるのだ。

  それ故の不等号。

  目覚めた彼は『コゥ』と『門倉甲』とが混在した状態で活動することになってしまった。




 「こればっかりはな……ノイに言っても無駄だろうし」




  これは単純に良い悪いの問題ではないだろう。

  それに『思い出す』という点に関してはこれ以上はない効率的な仕組みであるとも言える。

  過去の人間性の再生など、単純な記憶喪失の治療では行えないのだから。




 「っと、愚痴っても仕方がない。とりあえずまだフェンリルとダーインスレイブしか顔を出しちゃいないが……」




  どこかにドミニオンも潜んでいるのだろう。

  おそらくはメギンギョルドに隙が生まれる時を狙ってこちらと同じように隠れているに違いない。

  が、それはこちらも同じだ。奴に釣られた時を狙い出てきたドミニオンを叩く。

  あわよくば拠点の場所を吐かせたいところだが、奴らのことだ。狂信のままに自ら命を絶つ程度は平気でやるだろう。

  残骸からデータをサルベージするという手もあるが、それもいささか現実的ではない。

  だからこそ、やるならば徹底的にだ。

  遠慮など微塵も必要なく、相手の戦力を少しでも削るために叩き潰すのみである。










  ―――そう、考えていたのだ。

  機体からこちらの危険を告げるロックオンアラートが鳴り響くまでは。










 「なっ―――!?」




  けたたましく騒ぐ警告音に身体は経験から染み付いた反射を実行していた。

  即座に横に跳ぶようにしてブーストを吹かせる。その瞬間、雷の矢がカゲロウ目掛けて飛来した。




 「くっ……!」




  後先は考えずに直撃コースで飛来する矢を回避するために体制を崩す。

  ブーストの勢いのまま転がるようにその場を離脱すると同時に着弾する矢。

  完全に避けたと安堵の念が胸をよぎる。

  しかし、現実はそれを裏切るように―――着弾した矢は周囲一帯へとスパークを撒き散らした。




 「がぁっ……!!」




  一瞬、奔り抜けた電流がコゥの神経を焼いて回る。高圧電流に見舞われたカゲロウも機体自体がスタンしてしまい―――結果として隠密モードが解除されてしまう。




 「しまった……!」




  思わず舌を打つがもはや後の祭りだ。

  もはや姿を隠すことは出来ず、姿を晒したこちらに向こうで争っていた集団は目を向けている。

  付け加え、




 「このタイミングで出てくるってことは、狙いは俺かよドミニオン……!」




  カゲロウの横合いから次々とドミニオンのウイルスが出現する。

  状況はまさに混沌だ。今現在で四つの勢力がひしめき合う事態になる。それも馬鹿正直に、正面からだ。

  ご丁寧に離脱妨害装置を積んだ機体まで奴らの中にいるらしく、この戦場からすぐに離脱するのは困難を極めるだろう。

  完全な想定外。

  相手がこちらを同じく狙ってくることを完全に失念していた。




 「自分で言った端からこれかよ。まったく、我ながら間抜け加減に心底呆れちまうぜ……!」




  言いざまに一撃、手近なウイルスをライフルで撃ち抜いた。

  弾丸に貫かれ機体に大きな穴を開けたウイルスは吹き飛びながら爆散する。

  大小様々な破片が派手に飛び散り―――それを合図にして、堰を切ったようにウイルスの群れがカゲロウ目掛けて突撃してきた。

  大量の駆動音と仮想の大地を走る音とが重なり、まるで一つの大きな獣のような叫びとなって戦場を蹂躙せんと進軍する。

  そして、それを前に不適に笑う男が一人。

  六条コゥ。ドミニオンに悪魔と畏れられる傭兵。




 「まあ、どうせこうなっちまう予定だったんだ。遅かれ早かれの問題で、これはこっちの望むタイミングじゃないがまだ許容範囲だ。だったら―――」




  吼える。

  迫る標的を前にカゲロウと名付けられた機体が唸りを上げて鳴動する。




 「掛かってきやがれクソカルト共! 俺が一人残らず神様のとこに叩き落としてやるからよっ!!」




  戦いではない、戦争の幕が上がる。

  狙うはただ一人。

  どこからかコゥを狙い撃った雷の矢の射手だ。




 『戦闘開始』




  電子音が告げる戦場への入場行進。

  かくて、それぞれの戦場が動き出す。

























                    ◇ ◇ ◇

























 「中尉、前方より小型ウイルス接近! 数は一五!!」

 「まったく、数だけはうじゃうじゃと……!!」




  冴のブレードが高速で振るわれ手近なウイルスが二機ほど爆散する。

  その爆煙をつっきって更に二度、振りぬかれたブレードがまた敵機を駆逐した。

  しかしその程度で尽きることのない敵は餌に群がる蟻のように視界を埋め尽くす勢いで迫り来る。

  個人戦闘に旨を置いたカゲロウ・冴ではこの一個中隊はあろうという規模の敵を捌き切るのは至難の業と言えた。

  が、だからこそサポートとして彼女がいるのだ。




 「チャージ完了―――中尉ッ!!」

 「了解!!」




  レインの合図が送られると同時に空はブースとを逆向きに噴射、機体を急速に後退させる。

  その影から顕わになった射線上に、一丁の長大なライフルを構えたアイギス・ガードはいた。

  銃口にチャージされているエネルギーからは纏めきれないエネルギーがバチバチとスパークしている。

  それを敵集団の只中へと狙いを定めて―――




 「スタン・フレア、発射ッ!!」




  敵の動きを根こそぎ阻害する電磁銃が放たれた。

  視界を灼く閃光と電雷がシステムを強制的にスタンさせ、その動きを阻害する。

  そして、動きの停まった有象無象など戦場を縦横無尽に駆け巡る冴の敵ではなかった。

  動きを止めた瞬間を狙って繰り出される無数の斬撃。風となって振り抜かれるそれは相手に切り裂かれたことすら気付かせない。

  次いで爆散するウイルスの群れ。砕け散った装甲が宙に舞い、原型を留めている物は何一つとして残っていなかった。




 「第一波はこれで終わりね」

 「今のところ第二波の兆しはありません。しかし敵の狙いが米内議員である以上はこちらではなくゲートの方に注意を向けるべきかと」

 「そうね。馬鹿正直に突っ込んでくるのを叩くだけでうっかり何かを通してしまいました、なんて笑い話にもならないわ」




  ぼやきながら周囲へと注意を奔らせる。

  先程までのウイルス群にはタッドボールやスコーピオンなど、ダーインスレイヴが多用するウイルスが中心となっていた。

  ならば、この場のどこかに居るはずだ。

  見えないのならばおそらく隠れているのだろう。奴は好んで前線に出るタイプではなく、だからといって奥に引きこもっているタイプでもない。

  米内議員へのアクセスポイントへのルートは複数あるために確実に鉢合わせる訳でもないだろうが……




 「出てきなさいよ、ジルベルト。かくれんぼが好きな歳でもないでしょう? それとも、炙り出される方がお好みかしら」




  決して大きくはないが、それでもその声は凛と響き渡った。

  静まり返る電脳世界。敵影など見えないはずなのに重苦しい沈黙と緊張感がその場を満たしている。

  一秒とも永遠ともつかないその沈黙。体感時間が引き伸ばされたような緩慢な感覚が過ぎ去り―――




 「そこまでお望みならば見せてやろうではないか」




  声が響いた。

  この場に居なかった、そして居ると予測した男の声。




 「―――ッ!?」




  それが、自分の、すぐ傍で響いて―――




 「その代わり―――」

 「くっ……!!」

 「中尉!!」




  レインからの警告が飛ぶ。だがその前に空も背筋を駆けあがるような悪寒を感じた。

  とにかくその場に居ては危険だと判断し、跳び退こうとする。

  だが遅い。それでも遅いと第六感は告げる。

  焦燥と驚愕とが思考埋める。

  ただ間に合えと、そう思いながら精一杯の力でその場から飛び退き―――




 「貴様の無様な姿を拝ませてもらおうかァッ!!」




  身を焼くような灼熱の激痛が、空を貫いた。




 「ァ―――ッッッッ!!!!」




  口から漏れそうになった絶叫だけは気合で押し止める。

  痛い。攻撃を受けた。直撃? ああ、その通りだまともに喰らった。

  熱と痛みは左肩からだ。背後から長い針が装甲ごと串刺しにして貫いている。

  だがそれに気を取られている暇はない。

  視界の隅、死角の向こう側から振るわれる鞭が見えた。




 「くぅ……っ!」




  痛む左肩を無視して一秒でも早くその場から離脱するために全力でブーストを吹かせる。

  だが避け切れない。あまりにも接近した状態から放たれた攻撃は冴の高速機動の恩恵を限りなくゼロにしている。

  鞭を喰らい弾かれる右腕。返しに反対側からもう一本の鞭が振るわれる。




 「このっ……!」




  避け切れない、圧倒的に距離と時間が足りない。

  引き伸ばされる刹那の間に空はこの状況を把握することに努める。

  背後に突如として現れたシュミクラム―――ジルベルトの駆るノーブルヴァーチェ。

  その腕から放たれたニードルガンが左肩を貫き、今続けざまに主武装である鞭をこちらに叩き込んでいる。

  どうして、などという疑問は二の次だ。このまま相手に行動を許してしまえば冴の耐久値は瞬く間に削られていくだろう。




 「離れなさい、ジルベルトッ!」

 「はっ! 誰が貴様如きの命令を聞くものかッ!!」




  そこにレインの援護射撃が放たれる。

  ライフルの狙いを定め、引かれるトリガー。撃鉄が落とされたと同時に一直線に銃弾が飛び出した。

  しかし、その射線上に突如としてウイルスが出現する。文字通りジルベルトの盾として。




 「っ!」




  それに驚愕する暇もなかった。

  銃弾がウイルスを貫き、爆散させるもののそこまでだ。ノーブルヴァーチェに銃弾は届かず、更にそれどころではない事態が発生する。




 「これは……転移反応! 第二波がもう!?」




  出現する膨大な数のウイルス群。先程の戦力の三倍はあろうかという規模が一息で展開された。

  突如として湧いて出た群衆はレインと空を分断するように壁となっている。

  そしてその間にもジルベルトの猛襲は止まらない。

  次々と振るわれていく左右の鞭に動きを阻害され、冴は射程外に逃げ切れずにいた。

  加えて、左肩をやられた影響で片腕がまともに機能しない。左側がほぼ無防備とも言える状態であり、ジルベルトはそこを容赦なく突いてくる。




 「ふっははははは!! 無様だなあ水無月!!

  あれだけ俺に偉そうな口を叩いていたおまえが、今では嬲られ逃げ惑うしかできないとはなあ!! 滑稽すぎて笑いが止まらんわ!!」

 「っ、少しは黙ったらどうなのよ。堂々と不意打ちをしておいてよくもまあ胸を張れるわね、情けないわよ」

 「知ったことではないわ! 正々堂々? 誇りは無いのかだと? 知るか、そんなものは劣等の言い訳だろう犬や畜生にでも食わせておけ。

  戦の作法だのなんだのと、そんなものが戦場にまかり通るはずもないだろうが! そんなことも分からんとは滑稽も通り越して哀れだぞ水無月ィ!!」

 「このっ……、ベラベラとうっさいわよひょうきんもやしッ!!」




  罵倒を返すものの明確な反撃としての形にはならない。

  ジルベルトの言うことは悔しいが確かに真実その通りだ。戦場に卑怯もなにもなく、ただ生きるか死ぬかがあるのみである。

  血と鉄と炎と硝煙と、死がひしめくこの世の地獄。ああそうだ、そこに下手な感情が入り込む隙間などない。

  だからこそ今があるのだ。こうして戦場に生きている自分がいるのだ。

  ゆえに、死ぬわけにはいかない。ここで無様に倒れる結末など誰よりも何よりも自分が許容しないし許さない。

  だがしかし、現実として状況は動かない。

  レインという相棒はウイルスの壁に阻まれている。冴の機動力も接敵状態から振るわれる鞭で封じられている。

  八方塞。成す術無し。

  だからこそ―――




 「黙ってやられて、たまるかっての……!!」




  死地にあってこそ更なる死地へ。生半可な逃げや抵抗など通用するはずもなく、むしろ状況が悪化するだけだ。

  ならば、と空はノーブルヴァーチェの間合いの只中へと更に踏み込んだ。

  逃れられないのならば前へ、死中の中にこそ活を見出すために空は振るわれ続ける鞭の只中へと飛び込む。




 「ちぃっ……!」




  最低限の防御のみで他の鞭が次々に装甲に被弾する。

  シュミクラムが悲鳴を上げる中、空の意図を察したジルベルトは思わず舌を打っていた。

  間合いから離脱できないのならば懐に飛び込む。振り切らせる前に受けることで装甲へのダメージを軽減する。

  鞭や剣、槌などは振るう武器だ。速度が最高速に乗った時にこそ最大限の威力を発揮できる武器であり、であれば出頭に当たりに行けば当然威力は削がれてしまう。




 「あああああああああああああぁぁぁッッ!!!」




  一切の防御を無視して繰り出される右の腕。装備されているブレードが爪へとその形を変えてノーブルヴァーチェを襲う。

  必殺を期して繰り出される一閃。払うのではなく突き出すそれは突進力も相まって最高速かつ最大限の威力を叩き出している。

  嬲ることに専念していたジルベルトは一瞬の期を突いたそれに反応しきれない。

  一秒後の絶殺。迫る死神の鎌を前に―――




  ジルベルトは、勝利を確信した笑みを浮かべた。

























                    ◇ ◇ ◇

























 「ぶっ飛びなァッ!!」




  魑魅魍魎と敵が入り乱れる戦場にカゲロウの放った夥しい数のミサイルが雨のように降り注いでいく。

  巻き起こされる爆発がひしめく敵を次々と呑み込み、灰塵へと還していく。

  次いで、全く別方向から襲いくる別のミサイルの群れ。

  メギンギョルドの砲門が戦場を灰に変えるために猛々しく火を噴いた。




 「逝け―――」




  爆発が華と咲き乱れる戦場にもはや安全地帯などありはしない。

  カゲロウとメギンギョルドは互いが敵でもなければ味方でもないと理解している。だから無駄に争うような行為は避け、雑多な敵の殲滅に専念している。

  だからこそ、この場において何かに巻き込まれても仕方がないだろう。もしも自分の放った弾頭に巻き込まれようともそれは相手が悪いのだ。

  互いが互いを気に留めず、しかし隙あらば爆発で諸共消し飛ばそうとする物騒極まりない爆撃場がそこにはあった。

  手に持つ重火器が火を噴き銃弾をけたたましく吐き出していく。撃ち出された一発の弾丸が幾つもの敵影を貫く。

  上空からミサイルが降り注ぐ。四方八方から迂回してきたミサイルが突っ込んでくる。

  降り注ぐ銃弾と爆弾と弾頭と爆発と残骸の雨と嵐。もはや二人だけで戦争を演出していると言っても過言ではない圧倒的な蹂躙がそこにはあった。




 「しかし……ただ目の前のを薙ぎ払っているだけじゃ流石に埒が明かんな。ここは一つ、攻め方を変えてみるか」




  言うが早いか、カゲロウは斜め上方向へとブーストを吹かせて勢いよく蹴りを放った。

  カイザーキックと呼ばれるそれは対空性に優れた武装だが、そんな上空に敵などいない。であれば目的は一つ、制空権の確保である。

  続けざまに顕現する巨大ミサイル―――ミサイルライドにカゲロウが乗り、滑空を始めた。

  そのまま上空を旋回しながら両手に握られる二丁拳銃、ダブルサブマシンガン。




 「さあ、穴だらけにしてやるぜ……!」




  二つの銃口が火を噴き、吐き出される弾丸の雨がひしめく有象無象を無差別に食い荒らしていく。

  更に追加とばかりに投下されるグレネードやボミングビット。ミサイルランチャーやスプレッドボムがありえない方向から襲いくる。

  突如として切り替わった攻撃に碌な対処も出来ないまま爆発散華していくウイルスの群れ。




 「終いだ。派手にぶっ飛べッ!!」




  止めに、降下に入ったミサイルの上で巨大な爆弾を出現させる。

  両腕で抱えるのが精一杯のそれを、躊躇い無く抱きかかえながらミサイルと共に群衆の只中へと墜ちていく。

  もはや見間違うはずもない神風特攻だ。上空から蹂躙していたと思えば自爆紛いの降下を行うなどはっきり言ってどうかしている。

  それを見ていたモホークですら内心言葉を失ったほどだ。事実、あんな規模の爆弾が接触距離で爆発すれば装甲の薄いカゲロウなど一発で粉微塵だろう。

  そんな彼の困惑を余所に状況は進行する。

  真っ逆さまに落下していくファイナルアトミックボムとミサイルライド。急降下に反応できないウイルスの群れはその直撃に遭い―――

  その直前に、カゲロウの手に握られる一振りの剣。

  爆弾とミサイルが起爆し、爆発したその直後。爆発による衝撃や爆風がカゲロウへと届くその寸前、刹那にも満たない僅かな間にその剣は地面へと突き刺された。

  そして―――総てを呑み込む大爆発が巻き起こった。

  メギンギョルドは十分に距離を取っていたために巻き込まれることはなかったものの、あの周辺にいたウイルスは全て粉微塵に吹き飛んだことだろう。

  その爆発にあの機体まで巻き込まれては本末転倒なのだが……




 「―――」




  まさか無意味に自爆した訳でもあるまい。生き残るためにあの機体は戦っていたのだし、そもそもまだ余裕があった。

  やけになって自爆する必要などあの時点ではどこにもない。

  だから何かがあるはずだとモホークは考える。そうして、爆煙が燻る自爆地点を食い入るように見つめて……それを見た。

  剣山だ。

  地面から無数の剣が突き出しており、それら総てがウイルスを串刺しているのだ。爆発で吹き飛ばされたものも、逃れたものも、皆総て。

  爆煙の中心で未だ悠然と立つ白いシュミクラムの手によって、周辺総ては一掃されたのだ。




 「はあ……我ながらシビアなタイミングだよ、まったく」




  ファイナルアトミックボムの爆発の中に遭って五体満足であった理由は単純だ。

  爆発の直後、武装の特性として装甲を張る別のフォースクラッシュ―――エクスカリバーを使用しただけである。

  システムによって付加された装甲で爆発は防ぎ、更に剣山による追い打ちで一掃を狙った。そういうことだ。

  しかしコゥが言うようにこれは簡単なことではない。遅すぎては爆発をまともに受けることになるし、早すぎては逆に爆弾がシステムロジックに処理されて消滅してしまう。

  爆発し、その衝撃が届く僅かな刹那の内に繰り出さなければならないということの難度は想像を絶するものなのだ。

  そんな無茶をわざわざやった理由といえばやはり一つだけであり―――コゥはあの矢の射手を常に探していた。

  だが見当たらない。これだけ派手に吹き飛ばしてもあの狙撃種は微塵たりとも姿を見せなかった。

  ドミニオンは殲滅し、この一件に関わっているのもフェンリルとダーインスレイヴ以外には見当たらない。

  予想外の事態はあったが、謎の射手を見つけられない以上はこれ以上付き合う義理もないだろう。

  そう考えてログアウトプロセスを実行する。

  モホークもそれを追おうとはしなかった。彼の任務はこの場の防衛であり、米内に手を出さないのであれば無理に構う必要もない。

  そうして、カゲロウが0と1の集合体に分解される、その瞬間。









 「じゃあ、またね、甲」










  突如として、耳元で声が響いた。




 「なっ」




  驚き、声の方に即座に振り向く。

  それがいたのは、カゲロウの肩の上―――気軽にそこに腰掛けながら、無邪気に笑う少女がいた。

  その声を覚えている。

  その姿を覚えている。

  だがそれはこの場には酷く不釣合いな、あってはいけない少女の姿で……




 「そ……ら……?」




  漏れ出た呟きが聞こえたのか、少女は更に笑みを深めた。

  何故ここにいるのか? 何故そこにいるのか? どうやってここに来たのか?

  いやそもそも、どうやってあの爆発の中、カゲロウへと接近できたのか……?

  頭を目まぐるしく巡る疑問に答えなど出はしない。

  見ている光景が夢か現かも判別できないまま―――カゲロウは仮想世界から消え去った。



[29132] 第十三章 遭遇 -unexoected-
Name: ジエー◆7693fe4e ID:72e5a52c
Date: 2013/03/11 03:05


  文字通り弾丸となった冴が地を駆ける。

  触れる物は纏めて貫くとばかりの気迫を漲らせながら突進するその様は下手な猛獣すら凌駕していた。

  繰り出すのは渾身の右。それも拳ではなくスパイク。

  渦巻く爪が確実に相手の装甲を削り抜く一撃が―――必勝を期してノーブルヴァーチェを貫いた。




 (獲った……!)




  確信する。

  一瞬の隙、それを掴むことが出来たのだと。

  だがその直後―――それは誤りだったと思い知らされる。




 (……ッ、手応えが……!?)




  無い。

  貫いた感触も、装甲を削る感触も音も何も無い。

  そこに有るのは虚構。

  この場に居る自分達以上に不確かな、0と1で編まれた幻影―――ホログラムだった。




 (しまった、フェイク―――!?)




  ―――ジルベール・ジルベルトは狡猾な男である。

  被造子としてありがちな、典型的な人格破綻者でありセカンド嫌い。というよりもAIそのものを忌避しているきらいがある。

  傲慢であり自らを選ばれた人間として憚らずに奢るその様は愚者と言って差し支えが無いだろう。

  だが、彼が戦乱渦巻く世界を今の今まで生き残ってきたのは紛れもない事実である。

  つまり、彼には生き残るだけの力と知恵が最低限備わっているのだ。

  それを失念していた訳でもない。まして油断していた訳でもない。

  学生時代には甲や仲間がこれでもかと世話になったのだ。それを失念することなどなく、警戒など十をしてもまだ足りない。

  この状況はつまり―――ジルベルトの知恵が空の一つ上を行った。

  ただそれだけの結果に過ぎない。




 「終わりだ、水無月ィッ!!!」




  貫いた幻影の一歩後ろ―――幻影に身を重ねて隠していた本体が唸りを上げる。

  ネット空間を軋ませる情報の奔流。積み重なる処理が一瞬だけ世界の動きを止める。

  フォースクラッシュ。

  シュミクラムの持つ一撃必殺の武装が始動する。




 (―――)




  視界が明滅する。

  怒りか、不甲斐なさか、焦りか、悔しさか、それとも別の何かか。

  感情が堰を切ったように溢れて氾濫し、頭の中でぐちゃぐちゃに渦巻いて思考を乱す。

  止まった思考。動く思考。

  致命的な隙を晒しながらも身体が生き残るための動きを取るために、無駄と分かっていても動き出す。

  だが間に合わない。

  致命的なまでに初動に差が出ている。不意を打たれた者と打った者の差は歴然だった。




 「中尉―――ッ!!」




  相棒の声が遠く響く。

  コマ送りのように推移する視界の中、死神の鎌が首元に迫る。

  絶命が、死がやって来る。

  その絶望の瞬間。




 (ふざ、けんじゃ……ない)




  その只中で、彼女の中を占めていたのは絶望などではなかった。

  もっと激しく、荒々しく、それでいて凶暴な熱さを伴った感情。

  思考を真っ赤に染め上げて、一つの感情が急速に膨れ上がる。




 (ふざけるんじゃ、ない……!)




  ―――怒り。

  自らの不甲斐なさに、ただただ彼女は怒りを上げる。

  何が油断はしていないだ。何が失念してはいないだ。見ろ、結果は目の前に示されている通りだ。

  最後の最後で一手を誤ったがゆえに絶命の縁に立たされているこの間抜けさは何だ?

  総てを投げ捨ててまでここまで来たのは何のためだ?

  真実を追うと、彼の仇を討つと誓ったのはいったい誰だ―――?

  彼が、生きているかもしれないのに……

  だというのに―――ここで?




 (こんな所で、死ぬなんて)




  そんなことは、絶対に認められない。




 (ふざけるんじゃないわよ―――!!)




  だが世界は止まらない。

  針が進むように、時計が回るように、時間は無慈悲に前へと進む。










  ―――そして、莫大な衝撃が彼女へと襲い掛かった。

























  第十三章 遭遇 -unexoected-

























 「空……! って……あ、れ」

 「おはよう。帰ってきて早々に凄い言葉ね。逢引でもして来たのかしら」

 「え、あ……リアル、か……」




  目覚めて早々、クリスから毒を貰いここがリアルだと認識する。

  辺りを見ればとある寂れたビルの一室―――コゥが没入した場所そのままだ。

  近くの窓からはまだ演説中の米内の声が聞こえてくる。どうやら暗殺自体はまだか、あるいは失敗したらしい。




 「それで、どうだった? 何か目立ったものでもあったかしら」

 「特には。強いて言うなら俺達がここを張っていたことをドミニオンの連中に読まれていたことか。

  向かってきた奴らは全員片付けておいたが、増援が来るとも限らないのでその時点で離脱してきた」

 「なんだ、使えないのね」

 「悪かったな逃げ帰ってきて」




  とはいえ、あの辺りが水際だっただろう。あれ以上あの場に残っていると言ったように新たな増援が送られてくるとも限らない。

  離脱妨害装置など仕掛けられ続けると消耗戦を強いられる羽目にもなる。流石のコゥもそれは厳しい。

  だからこそ戦略的撤退を選択したのだが、そのことについてクリスに一言二言貰うのは必要経費だと割り切った。




  それよりも、彼が気になっているのは別のことだ。




 (空……)




  離脱の間際、カゲロウの肩に腰掛けていた少女。

  彼女を見間違うことなどあるはずはない。あれは確かに水無月空そのものだった。

  ―――少なくとも、姿形は。




 (あれは本当に、おまえなのか……?)




  ネットで姿形を偽ることは出来ない。AIの観測からネットでの姿が組まれているが故の不可分の法則だ。

  だからネットではありのままの自分を曝け出すことになる。どんな人間であれ、そのままの自分でその世界に入るしかないのだ。

  しかし―――それについても例外があると、他ならぬコゥは知っている。

  模倣体。

  シミュラクラと呼ばれるそれは、元となった人物と寸分違いない姿を持っている。

  そして空は、知らずその被験者とされていたのだ。クゥという名を持つ、彼女の分身の。

  だがしかし、だからといってあれをクゥだと決めつけることもコゥには出来ないでいた。




 (あれがクゥだとしても、それなら尚更に説明がつかない。

  俺の知っているクゥはあそこまで流暢に言葉を操ることは出来ていなかったし……)




  もう一つ。

  彼にとって、看過の出来ない一抹の不安。




 (そもそも、何であんな場所にいたんだ)




  幻影、幻覚の類だと切って捨てるのは簡単だ。

  だがそういう理屈では説明のつかない、直感の部分であれは確かにあったのだと確信している。

  しかしそれ以上に、あの場に居た不自然さはいったい何なのか。

  戦いなど縁無い少女だったはずだ。

  空もクゥもごく当たり前の少女として日常を生きて、過ごしていたはずなのだ。

  だというのにあの場に現れたのは、いったい何故だ? 何の目的があってあんなタイミングで姿を見せた?

  考えれば考えるほど分からなくなる。

  そもそも、仲間であった彼女に対してここまでの疑いを持つことが既におかしいというのに―――




 「……コゥ?」

 「っ、何だ?」

 「何だ、じゃないわよ。上の空で……何かあった? 文字通りに心ここに在らずって感じだったわよ」




  彼女にしては珍しい、気遣わしげな目が向けられる。

  何か思うところでもあったのだろうか。余程呆けてしまっていたに違いないと気持ちを切り替える。




 「……いや、大丈夫だ。それよりもまだ演説が終わった訳じゃないし、肝心の爆弾の内容も分かっちゃいない。

  最後まで気を抜かずにいくぞ」

 「それ、さっきまでの貴方が言えることなのかしら」




  いつも通りのやり取り。

  その通過儀礼をもって彼の精神は戦場へと回帰する。

  チリチリと、この場に燻る暴発しかねない何かを感じ取りながら―――




 『―――じゃあ』




  何故、あの時、あの瞬間に。




 『またね、甲』




  その言葉を聞いた瞬間、彼女の顔を見たその時に感じたもの。




 (―――気のせいだ、きっと。あんな場所に、空がいるはずがないんだから)




  言いようのない不安と、不気味さ。

  彼女の声と表情に何故そんなものを感じたのかという疑問は、それを否定する意思で意識の下に押し込められた。

























                   ◇ ◇ ◇

























  その瞬間、襲い掛かった衝撃は―――ジルベルトの手によるものではなかった。

  雷撃。

  戦場を蹂躙する絨毯爆撃のように、突如として無数の雷の矢が流星群となって敵味方を問わずに降り注いだ。




 「がぁッ、あぁぁああああぁぁあああああああ!!?」

 「きゃぁあぁあああああああああああああああ!!?」




  響く叫びは空とジルベルトと、離れた個所からはレインのものも聞こえてくる。

  着弾し、炸裂し、スパークする雷の流星群。

  連続するショート音の合唱が一帯を揺るがす轟音となって聴覚を麻痺させる。

  だが、空にそんなことを気にする余裕などなかった。

  衝撃、衝撃、衝撃、衝撃、衝撃、衝撃、衝撃、衝撃、衝撃、衝撃、衝撃衝撃衝撃衝撃衝撃衝撃衝撃衝撃衝撃衝撃衝撃衝撃衝撃衝撃衝撃衝撃衝撃衝撃衝撃衝撃。

  絶えること無く雷が身体を貫く。衝撃が機体を揺らし、弾ける雷撃が意識を明滅させ思考が白へと染まっていく。




 「あああぁぁぁぁぁあああああああああぁぁあああああああああああああああああああッッ!!!」




  一瞬が永劫へと引き伸ばされる感覚。

  スタンする身体と意識が時間の感覚を狂わせる。

  続く衝撃、次ぐ衝撃、終わらぬ衝撃。

  もはや自分の口からまともに声が出ているのかさえ分からない。




 (だ、め……死―――)




  痛覚が麻痺する。

  夢か現かの判別がつかない。

  視界が無くなる。思考が途絶える。

  何も無い空間を真っ逆さまに落ちていく感覚に恐怖だけが募り―――やがてそれすらも麻痺した。

  そうして一瞬か、数秒か、数分か……どれだけ時間が経ったのだろうか。

  気がつけば……彼女はボロボロになった機体で膝をついていた。




 (……生きて、る)




  最初に感じたのはまず何よりも疑問と驚愕だった。

  確実に死んだと思った。何をどう足掻こうが避けられないものが来ると思った。

  しかし、結果はこれだ。

  ほぼ瀕死に近い重傷だが、自分はまだ生きている。




 (どう、して……)




  動こうにも身体が麻痺して動かない。

  声も出ず、思考もまだ碌に働かない。

  ただ茫然と目の前に広がるウイルスの残骸群を眺めるしかなかった。

  レインも、ジルベルトも、同じように機体を損傷させながら地に膝をつけている。

  ―――その最中。ただ一つ、こちらに近づいてくる反応があった。




 (な、に……?)




  ぶれる視界の中―――それを見上げる。

  漆黒の鎧に、紅いライン。両手に装備された特徴的な刃。

  そして、酷く見覚えのあるマシンデザイン。

  一歩ずつ、ゆっくりとこちらに近づいてくるその威容。

  アイカメラを緑の色に発光させ、君臨者のように場を睥睨するその機体。

  それを見て、空の思考は完全に停止した。




 「黒い……冴……」




  いつか見た漆黒の機体。

  それが空の目の前に姿を現していた。




 「んー、なっさけないなあ。あんな子供騙しに引っ掛かっちゃうなんて、ちょっと抜けてるんじゃないかな」




  そして響く、聞き覚えのある声。

  自分の発したそれとは聞こえ方が違うが、間違いない。

  同じ声だ。

  寸分の違いも無く、気が狂う程に酷似した音が流れている。




 「そう思わない? ねえ……空」




  ありえない、と否定する声。

  しかし現実にそれは目の前に存在し、つい先程までも自分はありえないものを目にしていたのではなかったのか。

  目の前に立つ黒い冴。

  発せられる自分と同じ声。

  ―――条件に合致する人物など、この世界に一人しか存在しない。




 「……クゥ」

 「せいかーい」




  声と同時に、視界の片隅に窓が開いて無邪気な笑顔が映し出された。

  自分と瓜二つの顔が屈託なく笑っている。

  クゥ。水無月空のシミュラクラ。

  彼女を模倣した存在が今、現実の場で彼女の目の前に立っている。




 「貴女……なんで、ここに」

 「さあ? 何でだと思う?」




  無邪気に、悪戯っぽく同じ顔が笑う。

  まるでこの状況を楽しんでいるかのように。いや、実際楽しんでいるのだろう。

  こちらに余裕はないというのに、あちらの余裕綽々という態度が少しばかりイラつく。

  状況くらい察しろと言いたくなるのは仕方ないだろう。




 「あのね……私達、ふざけている余裕はないのよ。米内議員が潜脳を受けないようにここをガードしていたんだけど」

 「ああ、それね」




  それを聞いて、まるで今思い出したとでもいうように指を立てる。

  なんということはないと、そんな風に。










 「無駄だよ? ここでダーインスレイヴを止めても、どうせ別口で暗殺されるし」










  そんなことを、口にした。




 「……は?」

 「だから、無駄なの。無駄。

  米内議員の持っている情報はスキャンダルなんてものじゃないし、公表されると阿南市長だけじゃなくてもっと方々が困るのよね。

  なので、彼はここで確実に始末されるの。潜脳を止められたくらいじゃ彼の殺害は止められないわ」




  気軽に、世間話のように、人死の話をしている。

  まるで関係のない他人事。取るに足りない些末事。

  ああ確かにそうなのだけど―――クゥは、空シミュラクラは、そこまで気軽に人の死を話すような人間だったか?

  笑顔で、自分は語れるのか?




 「あん、た……何、言ってるの……」

 「ん?」




  まるでそっちこそどうしたのか、のような顔を向けられる。

  同じ顔をしているというのに決定的な齟齬がある。

  違う。

  何かが致命的なまでに違う。

  言葉に表せない、言いようのない違和感。

  彼女は本当に―――少し前に言葉を交わした人物と同じ人物なのか?




 「―――貴女は、誰」

 「誰もなにも、貴女のシミュラクラのクゥよ。何ならIDでも見てみる?」




  表示されるID―――合致。亜季から渡されたクゥのそれと寸分違わず一致する。

  けれど違う。

  何か深い所で警鐘が鳴っている。

  これは違う。




 「……まいったなあ。嘘は吐いてないんだけどなあ」

 「悪いけど、今の私は結構疑心暗鬼なの。少し前に貴女と会って、今また貴女と会って、印象が違い過ぎよ。

  どっちが本当でどっちが嘘なのか、分からない以上は両方とも疑って掛かるしかないでしょう」




  油断はできない。

  状況が不鮮明な今、その原因をなんの根拠もなく信じることは出来ない。

  そんな空の反応が意外だったのか、クゥは少しばかり首を捻って……




 「―――なるほど、ねえ。つまり空は既にそっちの私に会ってたんだ。

  失敗したなあ。もうちょっと早めに私が会いに行ってたらあっちの私を警戒してくれたんだろうけど、後の祭りかあ。

  潰し合ったりしてくれたら面白かったんだけどなあ」




  何か、不吉なことを言った。





 「まあ、過ぎたことを悔やんでも仕方ないか。別の手段を考えようっと」

 「貴女……何を……」

 「あれ? まだ気づかないの? 鈍感なのか、それとも分かりたくないのか……別にどっちでもいいけど、あまり分からず屋だと痛い目を見るよ?」

 「……っ!」




  ―――本当は分かっている。

  明確な違和感の正体。言いようのない不安の原因も、分かっているのだ。

  ただ、それを口にすることはどうしても躊躇われた。

  何かが決定的に壊れてしまう……そんな予感がして。

  だけど、




 「ま、仕方がないから、分からず屋の空に私が分かりやすく言ってあげるよ」




  彼女は。




 「私は」




  目の前にいる写し身は。




 「私は、貴方の敵だよ。水無月空」




  はっきりと、揺るぎなく、空に敵対を突き付けた。

  笑う。否、嗤う。哂う。

  くすくすと、空の顔を見た彼女が笑う。

  いったい自分はどんな顔をしているのだろうか?

  見るとつい笑いたくなるような顔をしているのだろうか。だったら、鏡でも見れば自分は久々に笑えるだろうか。

  茫然と、そんなことを考えて……




 「ほんと、我ながら情けないなあ。こーんなことで茫然自失としちゃってさ?

  暫く会ってなかった人が敵になる、なんてその業界じゃ日常茶飯事だと思うんだけどなあ」




  思考が上手く回らない。

  あまりの事態に反応と感情が追いついていない。

  いったい何がどうなっているのか、私の出来の悪い頭じゃ分からないよ……

  これは夢? それとも現実?

  こんなおかしな出来事、夢でないと信じられない。

  だけど、おかしいというなら―――どうして自分は、たったこれだけのことで、こんなに茫然自失としているんだろう?

  自分と瓜二つが敵対宣言をしたから? 姉妹のような彼女が刃を突き付けてきたから?

  違う。似ているようで、だけど理由はそんなものじゃない。

  もっと何か別の、深い所で燻っている何かが信じられないと叫んでいる。

  信じられないと叫んで、可能性を見て絶望し、先を見て悲嘆に暮れる。

  表現すればそんな、自分でもどこかおかしいと感じる程のショックを空は受けていた。

  茫然自失。文字通り彼女は我を忘れて思考を放棄している。




 「だけど……なら、それはそれでいろいろと好都合かな」




  だけど、そんな状態でも。

  彼女の声は絶えず耳に届く。感情を揺さぶってくる。




 「どうやらアレも認めたくないみたいだし……だったら、今の内に片付けちゃった方が楽かな?」

 「……ぇ」




  何を言うつもりなのか。

  分からない。

  分からないが―――とても嫌な予感がした。

  茫然としていた中でさえ反応せざるを得ない不吉さを感じた。

  それを見てクゥは笑う。

  無邪気に、無慈悲に、無垢に。

  笑いながら、言う。

  そして、




 「AIの虎の子の片割れ、私達とは切っても切り離せない彼……空が認めないなら、別に今から始末しても構わないよね? 邪魔になるだけだし」




  その言葉に、空の奥底にある何かが瞬時に噴火した。




 「―――ッッ!!」




  痛みなど忘却した。悲痛も絶望も彼方へと置き去りにする。

  今はただ、この熱だけを感じていればいい。

  駆け、振り抜く。

  加減など一切ない、全力の一閃が閃光となって黒い冴を襲う。




 「あはっ」




  それをクゥはこともなげに受け止めた。

  刃と刃が鍔競り合い、ギリギリと耳障りな金属音を火花と共に撒き散らす。

  そんな中で、クゥはやはり笑っていた。

  その笑いが―――空の熱を更に上昇させていく。




 「クゥ、貴女は―――ッッ!!!」

 「あっはは! 認めたくなくても、分からなくても、それでもそこは絶対に譲れない一線なのかな?

  いいよ、楽しくなってきた。ほら空、私を楽しませてくれないと―――どうなっても知らないよ!!」




  熱が上がる。

  熱が上がる。熱が上がる。熱が上がる。熱が上がる。

  ふざけるなと、冗談ではないと、奥底の叫びが目の前の存在を否定する。

  絶対に認めない。

  何があろうとも、それだけは何があろうとも絶対に―――!!




 「貴女は、ここで潰す―――ッ!!」

 「おいで。遊んであげるよ空―――!!」




  そして。

  誰にも望まれない、鏡合わせの姉妹による死闘が―――幕を開けた。

























                    ◇ ◇ ◇

























  そして、リアルでも状況は変化を見せようとしていた。




 「私は議会に巣食うAI主義者達―――彼らの重要なスキャンダルを握っております」




  米内がいよいよこの演説の本命に触れる。

  いきなりの爆弾発言に聴衆は戸惑い、場の空気は目に見えて変化した。




 「さて、いよいい本日のメインイベントがやって来たのだけど……釣れるのは果たしてどこかしらね」

 「ネットでやられた場合はログアウトした手前、お手上げだな。あれ以上はフェンリルが抑えてくれるのを期待するしかない」

 「まあそこはそう期待しておくとして……情報はどうするのかしら?

  スルーするのか、それとも見過ごさずに始末するのか」




  情報は発した途端に一気に拡散するだろう。

  人の口に戸は立てられないと言うが、今の時代はまさにそれだ。

  あの中に一人か二人ほど第二世代がいるのならば情報は即座にネットにばら撒かれることだろう。

  本当に情報を隠しておきたいなら米内が発言するより先に完全に口を封じる必要がある。

  さあ、どこから仕掛ける。

  全体を俯瞰する位置からクリスと甲が獲物を狙う獣のように目を光らせる。




 「このスキャンダルを彼らは隠蔽できないでしょう。

  彼ら―――こと、阿南市長に司法の手が及ぶのもさほど遠く……」




  その瞬間だった。

  視界の片隅で赤い光がほんの一瞬だけ瞬く。

  ともすれば見逃してしまいそうな、ほんの小さなものだが―――確かに見えた。

  そして、続けて起こった変化も。




 「やりやがったな―――!」




  演説していた米内が突如として倒れた。

  動く気配は無く、周囲の黒服や聴衆も離れているここから分かるほどに動揺している。

  程なくして大暴動が起こるだろう。

  それに紛れて、米内を暗殺した者も姿を眩まそうとするに違いない。




 「クリス!」

 「しっかり見えたわ。ここからそう遠くはないわね……上手くいけば顔くらいは拝めるかもしれないわ」

 「末端だろうけどな……さて、突いて出るのは鬼か蛇か」




  一瞬だけ見えた赤い光。そして倒れた米内議員。

  音が鳴っていないところを見るとおそらくはレーザーライフルだ。狙撃手は任務を達成しその場を離れているはず。

  クリスが先導して部屋を飛び出す。

  コゥがそれに続いて階段を駆け下り、廃れたビルを出た途端―――壮大な喧騒に見舞われた。




 「どこだ、エイリアニスト―――!」

 「探せ!」

 「まだ近くにいるはずだ! 絶対に逃がすな!!」

 「エイリアニストを殺せ!!」

 「エイリアニストに死を!!」

 「汚らしいんだよ塵めらァ!!」




  もはや収集はつきそうに無いほどに場は混沌としていた。

  たがの外れた暴徒が津波となってそこらじゅうを破壊している。

  上空ではCDFのVTOLが蟻のように駆けまわってひっきりなしに警報を鳴らしていた。




 「酷いもんだな……が、おかげで流れが出来てる」

 「流れと狙撃手がいたビルの位置から考えて―――こっちよ」




  濁流のように流れる人の波を掻き分けてクリスとコゥは駆ける。

  人込みを抜け、裏道に入り、逃げるために都合の良い経路へ先回りしていく。

  道を曲がり、ビルの間を抜け、突き当りを跳び越えて―――

  そうやってどれだけ走り続けただろうか。

  細い小道に出たその時、コゥは人とぶつかった。




 「つっ―――」

 「ちっ……アンタら、どこ見て走ってんだい」




  ぶつかった相手から暇も惜しいとばかりに文句が飛んでくる。

  フードをかぶって顔は見えないその人物は短く言うだけ言って甲の脇を通り抜けようとして―――




 「コゥ、狙撃手はそいつよ!」

 「っ!」




  同じく飛んできた言葉に、思考よりも早く身体が動いた。

  通り抜けようとしていた人物は図星を突かれたからか動きが鈍い。

  反応されるよりも早く片付ける、と近くにあった足を即座に払った。




 「しまっ―――」

 「遅いッ!」




  倒れるよりも早く、クリスがフードの人物に跳びかかる。

  フードの人物は重さと勢いのままに地面へと叩き付けられ、短い呻きを上げた。

  高い声や低めの身長からしておそらくは女性なのだろう。

  クリスは叩き付けた女性をそのまま組み敷き、関節を固めて動きを封じる。




 「くそ、離せっ……!」

 「っ、とんでもない馬鹿力ね貴女……ちょっとコゥ、見てないで押さえるの手伝いなさい。

  貴方、か弱い女性一人にこんな荒事任せる気なの」

 「俺以上に荒事慣れしている奴が言うなよ……じゃあ失礼して」




  持ち合わせのロープで両手足を結び、固定していく。

  フードの女性がもがくように抵抗したが、全てクリスが関節を抑えて無力化した。

  そうして暫くして―――地面には手足を結ばれた女性が転がることになった。




 「こうして見ると実に犯罪的な絵ね……薄暗い細道で縛られた女性に忍び寄るケダモノの魔の手、なんて」

 「冗談を言えなくしてやろうか」

 「あら怖い」




  全くそんな素振りを見せずにクリスは飄々と受け流し、近くに転がったフードの女性の鞄を開いた。

  中から覗いているのは金属の光沢を見せる黒い様々なパーツだ。見る者が見れば一目でそれが高出力レーザーライフルの物だと分かるだろう。

  予想通り、とほくそ笑みながらクリスはその鞄を持ち主に見えるように持ち上げる。




 「さて……こんな物騒な品、早々手に入るものじゃないと思うのだけど。どうしたの?」

 「―――」

 「あら、だんまり? 会話のキャッチボールくらいやっても罰は当たらないでしょうに。声すら聞かれたくないとか?」

 「―――」




  女性は答えない。

  顔を背けて、ただひたすらに沈黙を守っている。

  動く様子もなければ何かをしている様子もない。

  いや、動けなくとも何をしなくとも……出来ることなら一つある。




 「―――直接通話、かしらね」

 「だろうな。こっちに関わっているのなら持っていてもおかしくはないだろ」




  同じように、相手に気取られないように小声で推測を立てる。

  直接通話―――チャントは思考をダイレクトに相手に伝えるためのツールだ。

  表層意識を読み取って送信する技術、といえば単純だがその内容自体は複雑だ。作った者の正気を疑うレベルで。

  ただ、有利性に優れているこれにも欠点はある。

  それは表層意識しか伝えられないということであり―――




 「じゃあ……邪魔してあげましょうか」




  思考を乱されれば、まともな通話など出来ないということだ。




 「ん―――」

 「んむっ……!?」




  クリスの唇が彼女の唇と重なった。

  そのままんーっ、むーっ、と声を上げる相手の女性。少ししたらビクンビクンと身体が反応していた。

  コゥは当然のように耳を塞いであらぬ方向を向いている。

  暫くして、堪能したとばかりにクリスが彼女から離れていった。




 「ふう……ごちそうさま」

 「いきなり何しやがるっ!?」




  ガーッ、と思いっきりがなり上げる女性。

  クリスのつやつやした満足顔を見て怒りのボルテージは更に上昇を見せている。

  と、そこでコゥは気付いた。

  ……何やら、この声に聞き覚えはないだろうか。

  もしやと思いフードの女性の見えない顔を見つめる。




 「っ……」

 「あら」




  視線に気づいた彼女は露骨に顔を背けた。

  その反応にコゥの中の疑問は膨らみ、クリスの加虐心が刺激される。




 「あら、あらあらあら……そんなに彼に見つめられるのが恥ずかしいの?

  まあ彼、顔だけは十分に女殺しよね。童顔していて可愛らしいもの」

 「おいコラ」

 「だけどね、話をするときはちゃんと相手の目を見ないとね。という訳でご開帳―――」

 「っ、この、止めろ―――ッ!」




  静止の声も聞かずにクリスの手が彼女のフードに掛かる。

  頭を振って抵抗しようとするものの、その手の抵抗には慣れきっているクリスの方が一枚上手だった。

  頭を振るタイミングと方向を見切って逆方向に引っ張ることで実にあっさりと彼女は顔を晒すこととなった。




 「あっ―――」




  そして、コゥは顔には出さずに内心で苦虫を噛み潰す。

  現れたのは肩まで掛かる桃色の髪をポニーテールで纏めた、活発そうな女性の顔だ。

  その顔を知っている。

  その顔を覚えている。

  その顔を思い出した。

  そう、コゥは―――門倉甲は彼女を知っている。




 「へえ、意外と可愛らしい顔をしているのね」

 「くっ……」




  コゥの視線から逃げるように顔を背けた彼女の名は―――渚千夏といった。



[29132] 第十四章 模倣体 -sard-
Name: ジエー◆7693fe4e ID:a2a73ae9
Date: 2013/08/29 15:52




  鋼の刃が風を切って唸る。

  紅い軌跡を残して乱れ舞う刃の応酬。振るわれては弾かれ、振るっては弾き、それが縦横無尽に繰り広げられる。

  下から斬り上げる斬撃。正面から抉り抜く突き。横から胴を払う薙ぎ。

  僅か一秒の間に交わされる刃の数は十五を超える。余人の目に留まらぬ超常の速度域の神楽舞がそこにはある。

  そして、それを演出する二人の演者。

  鏡合わせのように瓜二つの姉妹が、まるで正反対の感情をもって刃を交わしていた。




 「シィッ―――!!」




  白い冴―――空が鋭く刃を突き出す。

  最大戦速に乗ったそれはどれほど厚い装甲だろうと容易く貫き通すだろう。

  その破城鎚のような切っ先を前に、彼女はただ笑っていた。




 「あはは! あっはははははははははは!!」




  笑う、嗤う、哂う。

  道化のように、破綻者のように、悪魔のように表情を笑みの形に歪めながら黒い冴―――クゥは空の突きを真っ向から弾き返した。

  しかし、その弾かれた勢いすら加算して白い冴が機体を回す。

  繰り出される全霊の薙ぎ。威力も速度もジルベルトと相対していた時とは及びもつかない領域にある。

  凡百のシュミクラムユーザーならばこれだけで勝負がつくだろう。たとえ強者が相手であってもある程度の損失は免れまい。

  だが。




 「まだまだ、温いよ温い!」




  黒い冴はその枠に当て嵌まらない。

  振るわれた刃に重ねるように刃を振るい、それによって軌道を逸らしながらも空に一撃見舞ってくる。

  狙いは首。

  断たれれば必殺は免れない死神の鎌が振るわれる。




 「ッ―――!」




  間一髪、機体ごと無理矢理頭を後ろに倒して首を断たれるのを防ぐ。

  だが代償として体勢が大きく崩れた。

  碌に体の支えが効かないところに更なる追撃が放たれる。

  叩き込むような突き下ろし。地面に機体を縫いつけるような勢いで放たれるそれをまともに喰らう訳にはいかない。




 「づ、ぁあ―――ッ!!」




  機体のブーストを吹かせ、無茶な体制のまま横っ飛びになる。

  結果としてまともに串刺されるのだけは回避したが、それでも避け切れなかった部分が抉られた。

  身体を打ちつけた痛みと、ダメージの痛みに顔を顰めながら立ち上がる。

  黒い冴は、それを眺めるように悠然と佇んでいた。




 「どうしたの空。もう終わりかな?」

 「はっ―――まだまだ、これからに決まってるでしょう」

 「うんうん、流石私のお姉ちゃん。そこまでズタボロにされながらまだ強気でいられるなんて。やっぱりそうこなくっちゃね」




  ―――既に、空の駆る冴はボロボロだった。

  所々が焦げ、断たれ、抉られ、もはや見る影もない無残な有様である。

  対する黒い冴はまったくの無傷。現れた時そのままの状態で佇んでいる。




 (まず、い……)




  弱みを見せられまいと強がっていたが、実際彼女の限界は刻一刻と近づいていた。

  ジルベルトとの戦い。それに次ぐ奇襲に加えクゥとの勝負。

  身体はとっくに限界だ。精神も相当疲弊している。加えて機体は限界寸前。今現在、まともに戦闘を行えていること自体が異常な状態だ。

  先程から防戦一方。攻めに転じようにもクゥが全く攻撃を通してくれないどころかカウンターばかりを寄越してくる。

  ならばせめて、機体が万全の状態ならばまた状況は違ったのだろうか。

  いいや、それはない。




 (あの子の腕―――どう貧相目に見ても私より上を行っている……!)




  何故なら、空は直接切っ先を交えたことで直感していた。

  クゥは強い。今の自分よりも確実に。

  例え万全の状態で挑んだとしても結果は今の状況と変わらないだろうと断言できる。

  繰り出した斬撃は数知れず、弾かれた数も分からない。お返しとばかりに打ち込まれた数などもう数えようとするだけで億劫になる。

  状況は限りなく詰みに等しい。




 (だけど……)




  なまじりを上げる。

  目の前の存在を許容する訳にはいかない。

  水無月空の総てに賭けて、それだけは許さないと滾る何かが彼女を突き動かす。

  空自身、それに強く同意しているからこそ溢れ出る熱に際限は無い。

  届かないのなら届かせる。速きをより速く、重きをより重く、鋭きをより鋭く。

  限界など突破して目の前の敵を打倒するだけの力を求める。

  あると言うならば今すぐ寄越せ。目の前の馬鹿一人をどうしても黙らせなければいけないから―――




 「ぐぅ……、ぁぁあああぁぁああああああああぁぁぁあああああああぁああああああああああッッ!!!」




  再び地を駆ける白い冴。

  クゥはそれを、喜悦の表情で迎えていた。

























  第十四章 模倣体 -sard-

























 「さて、それじゃあどうしちゃおうかしら」




  目の前から睨みつけてくる女性―――渚千夏を好奇の目で眺めながら、クリスはどうしたものかと思案する。

  どこの組織からの回し者かは知らないが、目の前の女性は確実にどこかの組織の構成員だ。

  工作員なのか末端なのかはともかく、暗殺など任される以上は碌な出ではないだろう。

  この手の相手は得てして痛みや苦しみに耐性がある。無理やり何かを聞き出そうとしても耐えられてしまう公算が高い。

  無論、手段を選ばなければ口を割らせる手段などいくらでもある。

  指先を末端から削る、といった真似をすれば余程の狂人でもない限りは口を割るだろう。そのまえに発狂死しかねないが。

  とはいえ、そういったスマートではない手段はクリスの好むところではないし、やったところで相棒が見かねて止めに入るだろう。

  なので別の方向からのアプローチ―――例えば、女性を捕虜にすればお決まりの展開のアレなど……どうだろうか。

  見た目もスタイルも文句はない。頂いてしまえば案外あっさりと落ちるかも……というところまで考えたところで。




 「―――ねえ」




  今までずっと口を噤んでいた女性が、初めてまともに口を開いた。

  顔はこちらを向いていない。ずっと俯いたままで固定されている。

  決してこちらを見ようとはせず―――しかしそれでも抑えきれなかった彼女は、こうしてわざわざ自分から口を開いたのだ。

  その理由。彼女がこちらに興味を持つだけのそれは―――




 「あいつは、何」




  どうにも、自分の相棒である彼の事らしかった。




 (なるほど……よくよく当たりを引くわね)




  ここ最近、彼の関係者と思わしき人物と会うことが多すぎる。

  目の前の彼女に幼馴染、かつて世話になった闇医者と学生自時代の因縁の相手。

  そして―――カゲロウを駆る自分たちと同じ傭兵。

  偶然、ということではないだろう。

  ―――かつての悪夢を思い出す。

  瓦礫の廃墟と化した街。助けを求めて歩く男と女。

  今になって思う。あの少年の正体は―――もしかすると自分の相棒なのではないのかと。

  大した根拠もないただの直感だが、何故だか確信があるのだ。

  あの予言の少年、いやひいてはドミニオンの計画そのものに彼は深く関わっていると。

  そうでもなければわざわざ頭が自ら彼を始末しようとしないだろう。そのことに彼が気付いているかどうかは、また別の話になるが。




 「何、とはどういうことかしら。あんなのでも一応、私の兄なのだけど」

 「おまえには聞いていない。あたしが聞いているのは、アンタだ」




  真っ直ぐと、上げられた視線がコゥヘと向けられる。

  その苛烈な眼差しには憎しみさえ見て取れそうな程に激しい。

  ともすれば首を掻き切るぞ、とでも言っているようなそれをコゥは真正面から受け止める。

  常人ならばその気勢に萎縮するのは免れない。彼女の眼は間違いなく血と死と闘争を知る者のそれだ。




 「名前を尋ねるときは、まず自分から名乗るものだって教わらなかったか?」




  だが、それにコゥが怯むことはない。

  気勢というのならば何にも勝るものを彼と彼女は知っているのだ。

  振り切れた狂気と妄執。何であろうと飲み込む想念を身をもって体験しているからこそ、今更この程度で怯むはずもなかった。

  まともに答えなければ答えるつもりもないと見たのか、女性は暫くコゥを睨んだ後に重く口を開く。




 「―――渚千夏」

 「六条コゥだ」

 「コゥ―――甲、ね」

 「何だよ」

 「別に、何も」




  言葉はそれだけだった。

  言うべきこと、聞くべきことを聞いたからか千夏は再び口を閉じる。

  それはコゥも同じであり何を話す訳でもなくじっと千夏を見つめる。

  どうにも互いにただならぬ雰囲気である。

  よっぽどの事が二人の間にあったのか、初めて顔を合わせたばかりの千夏はともかくとしてコゥのこのような態度は珍しかった。

  放っておけばこのままずっと黙っていそうでもある。

  が、生憎とそのような暇も時間もこちらにはない。目的を果たした後にはさっさと後始末をして撤収するだけだ。




 「さて、身分証明になりそうな物を何か持っていれば手っ取り早いのだけど……暗殺に赴いている人間がそんな物を持ち歩く訳がない、か。

  となると貴女本人の口から聞くのが一番なんだけど」

 「口を割ると思うかい」

 「いいえ。この手の任務に宛がわれるのは決まって口の堅い人物だもの。

  暗殺をしたなんて噂が広まれば組織は大変な苦労を強いられるでしょうし。

  まあ、人に知られたら困る事をするのにうっかり誰かに捕まるようなお馬鹿さんに任せてしまう組織もあるみたいだけど」

 「っ……」




  スイッチ入ったな、とコゥは思った。

  クリスは生来のドSである。というよりもむしろサドマゾである。

  他人を弄るのがどうにも好きな性分であるらしく、大体の察しは既についている癖にわざと胡乱気に煽っているのだ。 




 「ああなるほど。考えてもみれば貴女もそんな組織の出だなんて恥ずかしくて知られたくはないわね。

  ごめんなさいね、察しが悪くて」

 「っ……、っ」




  滅多打ちである。情けも容赦もありはしない。

  見も聞きもしないのをいいことにある事ない事を吹いて某組織をこれでもかとこき下ろしている。

  特に、コゥが知るところの千夏は義理人情に厚い性格だ。

  雰囲気が相当様変わりしているとはいえ、根っこの部分が簡単に変わっているとも思えない。

  自分がこき下ろされるならともかく、所属している組織などを馬鹿にされるのは相当堪えているだろう。

  千夏の反応からそこいらも察しているのか、クリスの顔はとにかく意地が悪かった。

  まるで獲物をいたぶる猫である。




 「貴女も苦労しているのね。お間抜けな組織にお間抜けな上司。

  使われている貴女も相当気苦労―――」




  と、言った瞬間だった。




 「あの人を侮辱するなッ!!」




  突如として、今まで黙っていた彼女が激した。

  今まで溜まっていたものが爆発するかのようなそれは、もはや憎しみすら宿りそうな表情でクリスを睨む。




 「何も知りもしないおまえが、あの人を侮辱するな……!」

 「……へえ。出来るんじゃない、そんな顔も」




  千夏の表情を見たクリスが嗜虐的に顔を歪める。

  ようやっと見せた相手の素顔に興奮を隠しきれていない。

  これを糸口にして更に傷口を広げていくのがクリスの手法だが、傍から見ていても悪趣味である。

  このまま加速させれば相手をへし折るまでクリスは止めようとしないだろう。

  とはいえ、こちらにそれ程の余裕がある訳ではない。




 「クリス、そろそろ行くぞ。どこにバックアップが潜んでいるか分かったもんじゃない」

 「あら、もうちょっと位いいじゃない」

 「時間を掛けすぎだ。異常を察知して他の組織員が探しに来ないとも限らない」

 「ふふ……そう。まあそういう事にしておいてあげるわ」



  クリスの意味ありげな笑いにコゥはしかめっ面を返す。

  コゥとしても千夏がこれ以上嬲られるのは見ていて気分のいいものではなかった。

  旧知、というのも相方は察しているのだろう。

  彼の意見に特に反論することなくあっさりと身を引いた。既に相手の態度や挙動、感情の動きからいろいろと推測はやり終えたらしい。




 「ちょ、待て! これを解いて行け!!」

 「あら、こういうのは目撃者って消されるものでしょ? 後ろから襲われたらたまらないもの。

  それじゃあね渚さん。縁があればまた会いましょう」




  そうして踵を返す。もはやこの場に留まる意義はない。

  二人は出来るだけ狙撃されない個所を通りながら自分たちの拠点へと帰還した。

























                    ◇ ◇ ◇

























  刃金が舞う。

  仮想世界の空を切り裂き奔る幾閃もの切断現象。

  舞踏会のように切り舞う二体のシュミクラムによる戦いは、やはり一方的な展開を晒していた。




 「くっ、あ―――!」




  振るう刃が鈍い。踏み込む脚が重い。身体の挙動が遅い。

  足りない。何もかもが足りていない。

  限界を超えて全力を振り絞る冴の刃は、目前にある黒い冴に掠りもしない。




 「ほらほら、どんどん速度が落ちてきたよ!」




  振るわれる黒い刃にまた装甲が削られる。

  もはや駆動系にまで喰い込みそうな裂傷は激しい痛みを空の脳髄に叩きつけている。

  痛い。

  身体を焼くような痛みがざりざりと内側で這い回っているようだ。

  頭痛と悪寒が身体を犯し、あんまりにも酷い熱なものだから吐いてしまいそう。

  ―――それでも、刃を振るうことだけは止めない。




 「シィ……、ァア―――!!」




  真っ向からの唐竹割。

  重ウイルスすら断ち切る勢いで放たれたそれを、




 「だーめ」




  黒い冴は、こともなげに打ち払う。

  返す刃で放たれる銅を狙った薙ぎ。受ければ確実に身体を断ち切られるそれを、空はブーストを逆方向に噴射して無理やり逃れる。

  だがその次の瞬間、黒い冴は目前にまで迫っていた。

  見舞われる死の斬風。一息に放たれるその数は四。




 「こ、のぉ!!」




  対抗して選択した武装はスプレッドショット。

  弓から放たれた四つの赤い弧月が迫る刃を弾き飛ばす。

  だが、そこまでだった。

  更なる速度をもって黒い冴が踏み込んでくる。

  対する空に手札はない。機体の熱量は限界で、ブーストも底をついている。

  ゆえに逃げ場無し。

  ここに来て追い込まれた空は、黒い冴の爪によって機体を拘束された。




 「つーかまーえたー」




  涼しげに言葉を放つクゥに疲労の色は欠片も見えない。

  こちらはさっきから視界もおぼつかないというのに、これだ。明確すぎる実力差に辟易する。

  掴み上げている爪がギリギリと音を立てて機体を締めつける。

  軋む装甲が悲鳴を上げて身が千切れるような激痛が空を襲った。




 「あっ! づ、ぐぅ……っ」

 「あんな身体でよく頑張ったけど、ここが限界かな? まともに悲鳴を上げる気力すら残っていないみたいだし」

 「こ、の……!!」

 「あはっ、まだ睨めるだけの気力はあるんだ。関心関心」

 「あっ、ぁああああぁぁあああああああぁああああああああああああああああああああああああああっっっっ!!!!」




  締め上げる力を強められ、空の口から絶叫が迸る。

  フェイスウインドウ越しにそれを眺めながら、クゥは陶酔したような目で空を見ていた。



 「痛い? 苦しい? 遠慮なく声を上げちゃっていいよ。私ね、聞いてみたいんだあ……空の心からの絶叫っていうの」

 「随、分と……っ、悪趣味、ね……っ」

 「あはは、そうかもねー。まあこうなっちゃった以上はこういう自分を堪能するしかないわけだし? 意外と悪い気分でもないよ」

 「何を、訳……っ、分かんないことを……」

 「分かんない? そっかー、まだ分かんないか。ま、だからどうしたって訳じゃないから別にいいんだけど」




  何でもないようにおどけながらクゥは笑顔で空の機体を締め上げる。

  限界の近い装甲が歪な破砕音を放つ。ゆっくりと、万力を絞めていくように圧力が増していく。

  もはや機体が真っ二つに切断されるまで猶予はない。

  その気になればペットボトルを握りつぶすような気軽さでこちらを捻り潰せるはずなのに、クゥはわざと力を抜いている。

  手加減をされている? 格下と見られている? 取るに足らない相手だから遊ばれていると?

  ああ、実際その通りだろう。事実として自分は彼女に手も足も出なかったし、全力を振り絞ってもこの様だ。

  実力差は明白。水無月空ではクゥには勝てない。

  ならば、どうする。大人しく諦めて屍を晒すのか? これ以上足掻くこともせずに、死に行けと?




 (―――冗談)




  そんなことなど認められない。

  自分はまだ諦めていない、折れていない、死んでなどいない。

  生きている内に生を諦めてどうする。自分はまだやるべきことが残っているのだから。

  そして何より―――自分はまだ負けたつもりなど毛頭ない。

  水無月空ではクゥには勝てない。ああその通りだろう、それは事実だ。

  だがまだ負けたわけではない。

  なぜならば―――




 「中尉を―――離しなさいッ!!」




  ここにいるのは空一人ではないのだから。




 「―――ッ」




  完全に不意を突いた一射。

  レインは自身が未だに倒れ伏している映像を投映しながら身を隠し、必殺の機会をただ待っていた。

  あの超速度の先頭に自分がついていくことは出来ない。

  だからせめて、万が一の時に自身が逆転の一手となれるように。

  ぼろぼろの機体で待ちに待って訪れたこの機会に、レインは確実な狙いをもって狙撃を行った。

  空を裂き迫る弾丸。

  黒い冴の腕を狙ったそれが飛来する。鋼を貫く、敵を貫く銃弾が。

  致命にして絶対のタイミング。狙いもこれ以上はないというほどに完璧だった。

  外す道理など微塵もありはしない。




 「―――あは」




  ―――だが。




 「可愛いなあ」




  道化は―――クゥは狂おしい微笑みを浮かべる。




 「これくらいで通じるなんて、本気で思っているのかな?」




  瞬間、ありえない反応があった。

  放たれた銃弾―――それを知覚してからの挙動。

  だというのに、振るわれた刃が迫る銃弾を的確に弾き飛ばした。

  まともに考えればありえない速度だろう。人体の反応が銃弾を超えるなどおおよそありえない事である。

  だが、クゥはそれを覆す。人の条理など関係ないと必勝の銃弾を無慈悲に弾いた。




 「残念でした」




  なけなしの一撃もこれで終わりだ。

  必勝の一発は弾かれ、未だ空はクゥに捉えられてる。

  ゆえに結末は一つ。




  ―――その瞬間。クゥは自身の腕が大きく弾かれる金属音を、確かに聞いた。




 「な―――」




  何だ、何が起こった?

  腕を弾かれた。自分の? 銃弾を弾いたというのに、なぜ?

  だが自分の腕は確かに弾かれているのだ。一点に確かな衝撃と鈍痛をもたらした上で。

  ならば確かに、自分の腕に銃弾は当たったのだろう。

  どうやってなど―――ああ、考えるまでもない。銃弾の後ろに銃弾があった。ただそれだけの事だろう。

  放たれたのは一発だけではなく二発。一度目を外しても二度目を当てる本当の必勝の銃弾。

  見切れなかったゆえに腕は弾かれ、空の拘束が解かれる。

  だが、それでどうする。

  実力差は変わらず、こちらは満身創痍。いくら至近距離とはいえ銃弾にすら反応する相手にどう戦えばいい。




 「―――ここで」




  単純だ。

  足りないなら補う。

  限界を引き出して届かないのなら、さらにその先へ。

  ネットの法則すら捻じ曲げ、全てのリソースを自身へと集約させ―――




 「終わらせるッッ!!」




  ここに、超常の疾走を開始する―――!!




 「―――っ」




  僅かに息を呑む音。

  空がここに来て使用したのはイニシャライザと呼ばれる特殊武装だ。

  それはシュミクラムに定義されたシステムリミットを一時的に解除し、限界以上の速度と処理を得る禁じ手である。

  通常、この兵装はあまり好まれていない。

  シュミクラムに掛かる負担と、高速処理による熱蓄積が通常の比ではないからだ。

  この状態で万が一にもオーバーヒートしてしまえば致命どころではない。もはや死亡が確定すると言ってもいい。

  だが、そのリスクと引き換えに得られるものは個人の戦闘力という点で見れば酷く優秀でもある。

  だからこそここで使う。

  今、この瞬間に不意を突かれて隙を晒したクゥを、ここで確実に仕留める―――!!




 「はぁぁああああああああああああああああ―――!!」




  限界を振り絞り刃を振るう。

  視界も音も置き去りにして神速の刃が檻となってクゥを襲う。

  これこそが真の必勝の一手。

  持てる全てを振り絞った先のない最後の一手。

  ゆえに。




 「―――」




  空はその瞬間、自身の決定的な敗北を悟った。




 「―――ぁ」




  振るわれる刃が落ちる。

  それに合わせて、黒い冴が動きを見せる。

  常識を逸した超常の疾走。それすらも黒い道化は嘲笑うように上回って―――




 「はい、おしまい」




  返す刃で、自身の刃を残らず断ち切られていた。




 「ぁ……」

 「うん、よく頑張ったね空。だけど忘れちゃいけないよ? 私は貴女で、貴方は私。

  貴方の出来ることなら私も出来るし、貴方の知っていること、考えることは私も同じなの」




  見透かされていた。

  自身の思考も、狙いも、行動も、その全てが目の前の道化に筒抜けていたのだ。

  だが、今のは何だ。

  イニシャライザの超速度に追い縋ったあれは、何だ?

  同じイニシャライザ? いいや違う。黒い冴はイニシャライザなど使ってはいなかった。




 「―――不思議? 私がイニシャライザ無しに空について行けたことが」




  そんなことは不可能だ。

  不可能であるはずなのに、目の前の存在はそれを容易くやってのけた。

  ならば、それはなぜ?




 「簡単だよ。私は誰よりも、何よりもこの世界に適合しているもの。

  ネットに生まれ、ネットで育ち、ネットが私の世界だった。だからこそ、イニシャライザに自分を合わせること位なら簡単に出来るの。

  私は人間じゃない、シミュラクラ。これが全部の種明かし。

  空と私で違う、世界における存在の優位。ネット世界は私の土俵だからこうやって差が生まれてしまうの」




  つまりは、それが答えだった。

  第二世代は第一世代よりもネットに適合しており、ネットでは有利に事を運べる。

  それは生まれて間もない頃からネットに適合するための処置を受けてきたからであり、育ちきってからネット適合の処置を受けた者との差である。

  両生類は陸に上がることは出来るが、陸で生きる爬虫類には敵わない。

  それと同じで、生まれながらにネットに適合していた存在がいれば第二世代はそれに劣るだろう。

  ネットに生まれ、ネットで生き、ネットの中で死んでいく。

  空は知らない事だが、かつて久利原直樹が言った言葉がある。

  いずれネットで子どもが生まれ育つ時代が来れば、我らはきっとその者達には勝てないだろう、と。

  つまりそれは第一世代に対する第二世代。言うなれば第三世代のような存在だ。

  そして、空の目の前で笑うクゥこそがそれに最も近いと言えるだろう。

  ゆえに勝てない。明確な力の差が壁となって存在する。




 「まあそう気落ちすることはないよ。元々の土俵が違う以上、差が出るのは当然だからね。

  その差を考えれば空は本当によく頑張ったよ。流石、凄腕の傭兵と言われるだけのことはあるね」




  刃が振り上げられる。

  断頭台のように落とされようとする刃は死神の鎌に見えた。




 「中尉ッッ!!!」




  叫ぶ声もどこか遠い。

  ただ、光に照らされる刃だけが嫌にスローモーションに見えて―――




 「―――お姉ちゃんッ!!」




  白い妖精がその場に飛び込んで来た。




 「あら、まこちゃん」

 「行って!!」




  ネージュ・エールから幾つものビットが射出される。

  それは黒い冴を瞬く間に取り囲んで飽和射撃を開始した。




 「あはっ」




  ひたすら注がれる銃弾の弾幕を前にしてもクゥの笑みは張り付いたまま消えはしない。

  踊るようにステップを踏み、超速の刃を振るい、弓から放つ赤い衝撃波で全てのビットを殲滅せしめた。

  ビットがまるで足止めにもならない事実に歯噛みしながらも、だが僅かな時間で十分だと真は相手との距離を保つ。

  稼いだ僅かな時間で空は致命的な間合いから退避した。とにかく姉の窮地だけは免れたことに息を吐く。

  だが、だからといって事態が好転した訳ではない。




 「やっほーまこちゃん、お久しぶりー。ちゃんと話せるようになったんだね。

  こうやって面向かって話が出来て、私は嬉しいよ」

 「そうですか……私は悲しいです。状況はよく分かりませんけど、貴女はクゥちゃんでいいんだよね」

 「そうだよ。私はクゥ、空のシミュラクラ」

 「お姉ちゃんの敵に回ったと?」

 「うん。今の私は空の敵だよ。だから―――」

 「私の敵でもある、と」




  真の目が変わる。

  悲しみを湛えた友人を見るそれから、戦場を駆ける戦士のそれへ。

  姉の惨状を見るに相手は相当な実力者だろう。勝算などあるかどうか分からない。

  だから、逃れようと考えるならばログアウトするのが確実だろう。

  アンカー自体は既に消えている以上は可能なはず。だがそれを姉はなぜ実行しなかったのか。

  理由は分からない。分からないが、譲れないものがあったのだろう。

  だったら自分も譲らない。目の前の敵が誰であろうと、姉の敵は自分の敵だ。




 「―――ふふ」




  そんな真を前にしてもクゥは笑いを絶やさない。

  まるでそれしか知らないように笑みだけが彼女の表情に張り付いている。

  祝福するように、歓迎するように、嘲笑うように、聖者の笑みを浮かべている。



 「何か?」

 「うん、いいなあと思って。うん、いいよ、実にいい。

  やっぱりどこでもまこちゃんはまこちゃんだ。流石は巫女ってところかな」

 「何を―――」




  クゥの言っていることは真には分からない。

  ただその言葉が、何か不吉なものに思えてならなかった。

  クゥは、そんな警戒と困惑が同居した真に向けて手を差し伸べる。

  そうして。




 「まこちゃん、私と一緒に来ない?」




  酷く優しく、導くように真を誘った。



[29132] 第十五章 暗躍 -underground-
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Date: 2013/10/11 17:03




 「まこちゃん、私と一緒に来ない?」




  そう言って差しのべられた手はあくまで優しげだった。

  柔和な笑みと穏やかな言葉。それに嘘偽りはなく、クゥは本当に真を慈しんで手を差し伸べている。

  先程までの道化のような狂笑からは想像もつかなかった表情がそこにある。

  それが幸福なのだとクゥは確信しているのだ。そちらにいるよりもこちらに来る方が彼女にとっては幸せなのだと。

  しかし、それはクゥから見た視点であって真から見た視点ではない。




 「お断りです。なんであれ、お姉ちゃんに害を成す以上はそちらに付く意味も理由も無いから」

 「ふーん。理由があればいいんだ?」

 「……そういう問題じゃ、ないんだけどね。クゥちゃん、分かってて言ってるでしょ」

 「あ、やっぱり分かっちゃう? どうにもこういう駆け引きは苦手だなー、私ってば。そこはやっぱりお姉ちゃん譲りなのかな?」




  屈託なくケラケラと笑う。

  誘いを断られたというのに微塵も動じていない。まあそんなものだよね、とクゥはそれきり手を引っ込めた。

  そのまま両腕のブレードを展開させて戦闘態勢を取る。

  両腕を広げて、まるで子を迎える母のように声を掛ける。




 「さあ、どうする? まこちゃんも私とここで一戦交えてみるかな?

  それもいいよ。彼我の実力差っていうのは知っておいて損することはないしね。私も協力してあげよう」




  あくまでも声は明るく。

  だが裏側に滲み出る隠しきれない狂気が得体の知れない恐怖を駆り立てる。




 (勝てる……? あんな、常識を逸脱した気配を持つ相手に)




  真がシュミクラムの戦闘において絶対に勝てないと思った相手は、今までの経験の中では門倉永二ただ一人だった。

  強者特有の相対しただけで分かる格の違い、というものだろう。

  そう簡単にやられるつもりもないが、だからといって勝てるビジョンを浮かべることが出来るかと言えば答えはノーだ。

  同じ部隊の中でもトップクラスの実力を持つシゼルやモホーク相手ならまだ勝機を見出すことが出来る。

  だが大きく差の開いた相手を前にすると漠然と分かるのだ。

  相手の巨大さ、壁の高さ―――自分を丸ごと飲み込んでしまいそうな大きな気配と威圧感。

  プレッシャーと呼ばれるものであるそれを如実に感じてきた真は、しかし目の前の敵の放つ気配に底知れぬものを感じていた。




 (深くて、昏くて……底が見えない。まるで、深海の底でも覗き込んでいるかのような。

  ううん、それだけじゃない。これは……濁っている?)



  

  様々な色が交じり合って黒く変色してしまうように、何かが交じり合った結果として昏く見通せない何かがあるような感覚がある。

  それはたとえば、小さな子供が群衆の中に紛れて見えなくなってしまったような。

  だが自己主張は消えていない。その中で精一杯の声を張り上げて自分という小さな存在を主張しているのだ。

  そうして滲み出ている者こそが目の前のクゥという存在であり、その気配である。

  得体の知れなさで言えば真の知る中でも随一だろう。形の知れないものはただ単純に恐怖を生む。

  だけど、だからといって逃げてしまえばいいという訳でもない。

  逃げられない理由があるからここに立つ。




 (……何だっていい。とにかく、今は目の前の敵を退ける事だけを考えないと)




  一秒後の戦闘に備えて真の機体が身構える。

  それに応じるように黒い冴もまた身を屈めて―――




 「……え?」




  ふと、唐突に怪訝な声を上げた。

  いきなりの事に戸惑う周りを無視してクゥは独白を続ける。




 「もうちょっとダメ? あとちょっと、ほんの数分……えー、けち」




  誰かと会話しているらしい言葉が垂れ流しになっている。

  要領を得ないものの声の調子はどんどん下がっていっていた。

  同じように機体から感じる重圧もまるで嘘だったかのように薄れていく。




 「あーあ……せっかく良いところだったのに。残念だけど今日はこれでおしまいだって。

  良かったね。まこちゃんからしてみたら結構助かったんじゃないかな」

 「……」




  クゥの言葉に真は応えられない。

  事実として真がクゥに勝てる勝算は無いに等しく、最悪の場合はそのまま連れ去られた可能性もあるからだ。

  だからこそ誰も下手なことを言えない。

  不貞腐れたまま背を向けるクゥを止める事も出来ない。




 「じゃあね、三人とも。またそのうち会いましょう」




  夢見るように言いながら―――クゥはその場から姿を消した。

























  第十五章 暗躍 -underground-

























  クゥとの戦闘から暫くした後、空とレインはフェンリルのベースに戻っていた。

  部屋に入って早々、宛がわれた部屋のベッドにおもむろに倒れ込む。




 「っ、はあ……」

 「お疲れ様です、中尉。身体に異常はありませんか」

 「身体中がこれでもかってくらいに痛みを訴えてきているけど……正直その程度ね。

  徹底的にいたぶられた割には後遺症らしきものも無いみたい」

 「それは―――不幸中の幸い、と言ったところでしょうか」

 「手加減されて見逃された、なんて情けないオチだけどね」




  陰鬱な溜息が思わず口から出てしまう。

  あの敵―――クゥの実力は圧倒的なものだった。それこそ自分の全力で掛かったとしても届かないほどに。

  その理由を彼女は自分がシミュラクラ―――ネットで生まれ、第二世代よりも遥かにネットに適合しているからだと言っていた。

  理屈自体は空も分かる。自分とてその格差を体現する一人だからこそ生まれつきの差というものを自覚している。

  しかし、それを踏まえてもクゥとの差は度が過ぎたものに思えてならない。

  ネットのロジックすら捻じ曲げる程の差とはいったいどれほどの差だというのか。

  まともに考えようとすると眩暈でも起こしそうだった。




 「ダメージが酷いから報告は後回しでいいとは言ってくれたけど……正直、分からないことが多すぎるわよ」




  シミュラクラの事については永二も知っている。

  それのオリジナルプログラムが行方知れずとなっている事も当然、橘社長から聞かされている。

  だが前提として、シミュラクラは最終的に観測対象と同一のクオリアを持つに至る存在だ。

  クゥの場合、その対象は空だ。それも学園生時代のまだ明るかった頃の。

  だというのに、アレは何だ?

  確かに言動はそれらしいものになっていた。

  だが根っこにある本質、それに伴う感情や性格などはまったく似ても似つかないものになっている。

  あの明るさは空の天真爛漫さを表すものだった。だが彼女の場合、それは道化の振る舞いでしかない。

  笑顔は人と友好を結ぶためのものだ。だがあれは見下し、嘲る類のものだった。

  困っている人がいれば助けたいと思い、実際に助けるために奔走した。悩んでいるよりも笑顔の方がきっと良いから。

  だけど彼女はそれを増長させ、揚句狂気を良しとしている。

  ここまでくると「別物」と断言してしまっても違和感はないくらいだ。

  しかし、そうなるとあの直前に会っていた―――自分に警告をしてきたクゥはいったい何なのだ?

  どちらかが偽物? いや、どちらからも自分と繋がっている感覚はあった。

  幼い頃から感じているそれを空が間違うはずもない。間違いなく、出会ったクゥはいずれも本物だった。




 「はあ……訳分かんない」

 「後で亜季さんに連絡を入れてみましょう。小さな手掛かりでも何か分かるかもしれません」

 「うん……そう、ね」




  望みは薄いだろうが、それでもシミュラクラの製作者は彼女だ。

  レインの言う通り、小さな手掛かりでもいいから情報が欲しい。

  地図も無しに探索する大冒険は御免だ。




 「それで……あれから集会はどうなったの」

 「はい。米内議員はレーザーライフルによる狙撃により殺害されました。

  それに伴い集会に集まっていた聴衆が暴動を起こし、それを鎮圧するためにCDFも出動。

  程なくして暴動は治まりましたが、暗殺者については行方が掴めていません」

 「そう。アークで没入したまま直接出向いたのは正解だったかもね」

 「ええ……実体で出向いていたら今頃暴動に巻き込まれていたかもしれません」




  レインはともかく、空の現実における戦闘能力は並の軍人程度でしかない。

  暴動に呑まれていたらそれこそどうなったか分からないだろう。

  そういう意味では運が良かったとも言える。

  おかげで被った被害と言えばネットでのダメージのフィードバック程度なのだから。




 「ふう……」




  一通りの状況の整理を終えると疲れからか眠気が襲ってきた。

  身体のダメージと精神的な疲れからかその眠気に逆らう気も起きなかった。




 「ごめんレイン……暫く、寝かせて」

 「了解。しっかり休んでください。細々とした処理はこちらでやっておきます」

 「ん、ごめん……」




  ゆるゆると瞼を閉じる。

  出会った二人のクゥはいったい何なのか。

  警告の真意と敵対の宣言。真を誘う理由は何なのか。

  ―――何よりも。




 (AIの虎の子の片割れ……私達とは切っても切れない、彼)




  それは。

  いったい、誰のことを指しているのか。

  自分は、誰のことを思ったのか。

  ありえないと思いながらも、それでも―――




 (―――甲。

  貴方は、本当に……?)




  分からない。

  分からないから―――どうすればいい?




 (私は―――)




  弛緩した意識は緩やかに思考を停止していく。

  微睡のまま、空の意識は眠りに落ちていった。

























                    ◇ ◇ ◇

























  あれからコゥとクリスは自分たちの拠点へ引き返した後、情報を整理していた。

  最初の議題としては、捕捉した彼女―――渚千夏について。




 「さて、結論から言えば彼女はGOATね」

 「やっぱり、統合か。正直今のタイミングでここに手を出してくる勢力はそこしかないよな」

 「わざわざ何の理由で米内を暗殺したかは知らないけどね。阿南の側に何か切り札でもあるのかしら」




  推測だが、それはおそらく当たりだろう。

  米内が暴露しようとしたのはほぼ間違いなくそれだ。

  それを阻止しようとするのは阿南の側と、それを暴露されて困る者。

  もしくは米内に余程困る情報を握られていたのか。

  何にせよ、ここでGOATの関与が確認できたのは大きい。




 「阿南と言えば、CDFに対して結構な権力を持っている奴だったな。

  そっちとGOATとの繋がりも一考しておく必要があるか」

 「さて、その阿南だけど……ちょっと調べたら面白い繋がりを見つけたわ」




  言って、クリスが情報をパネルに表示させる。

  記されているのは阿南の写真と簡単な略歴―――それと、主に繋がりのある政府高官や施設だ。




 「性関係で世話になっている施設が多いわね……本当、顔を裏切らない趣味だわ」

 「おい、その笑みやめろ。薄ら寒い気分になる」

 「失礼ね。単にどれだけ豚のように鳴いてくれるのか考えてみただけよ」

 「……」

 「何よその目は……まあいいわ。

  話は戻るけど、阿南の行きつけの場所の一つにこんな施設があるの」




  前に持ってこられた画像を見る。

  場所は『愛と快楽のフォーマル』という名の密造業者の拠点だ。

  その名に関して、コゥは少し前に耳にしている。




 「待て、ここは確か……」

 「ええ。ここはドミニオンのアジトにも繋がっている……興味深い符号の合致ね?」




  阿南は愛と快楽のフォーマルによく顔を出しており、そこはドミニオンのアジトとの繋がりがある。

  そしてドミニオンはドレクスラー機関と関係している可能性が高い。

  更に言えば、ドレクスラー機関が開発しているアセンブラ―――灰色のクリスマスでの発表時、阿南もその席にいたという記述が資料にある。

  決して、偶然の一致ではないだろう。




 「想像以上に事態が大きくなってきたな。

  ドミニオンを追っているうちにドレクスラーとCDF、下手すればGOATまで敵に回しかねない訳か」

 「そうね。とはいえ、やる事が特別変わる訳でもないけど」

 「それもそうだ」




  やることは変わらない。

  こちらを付け狙う神父を倒す。ドミニオンからの襲撃はここの所沈静化しているが、アジトに乗り込む以上は本格的な抗争になるだろう。

  その過程で敵対するものがあるというのなら―――上等だ。立ち塞がるのならば容赦はしない。

  日常に帰る。そのために戦い続けてきたのだ。

  ドミニオンの信徒に狙われながら安寧とできない日々を、クリスと共に駆け抜けてきた。




  ―――丁度、今のように。




 『……居るな』

 『ええ、それなりに』




  直接通話での会話に切り替える。

  どうやら、最近は沈静化してきたものが久々にやって来たらしい。




 『……窓からは遠慮したいな。最悪、出たところを狙い撃ちだ』

 『扉の向こうには団体さんでお越しのようだし、さてどうしようかしら』




  それなりの人数がドアの向こう側にいるのを察知する。

  ここは安宿の中でも一番下の端にある部屋だ。包囲するにはうってつけだろう。

  下手に窓から逃げようにも狙撃手が待ち構えている可能性が高い。

  順当に行けばほぼ詰んでいる。囲まれているのに気付かない時点で間抜けにも程があるだろう。

  このまま燻っていても下手に行動しても数に物を言わせてやられるのがオチだ。

  まあそれも、真っ当な手段を採ればの話だが。




 「んー、やっぱり窓かしら」

 「リスクは高いが、まあ妥当なところか」




  呟くと同時に窓へと駆け出す。

  同時に布団を引っ手繰って窓を解放。

  そこから身を乗り出すよりも早く―――




 「投げてから一秒後!」

 「了解!」




  クリスが窓の外目掛けて手榴弾を放り投げる。

  瞬間、それは白昼にも関わらず視界を焼く程の眩い閃光と聴覚を蹂躙する爆音を辺り構わず撒き散らした。

  所謂スタングレネード。閃光と爆音による目晦まし及び平衡感覚の一時的機能不全を目的とした非殺傷の兵器。

  強烈な閃光は何の対策もしていなければ容赦無く視界を焼く。

  それは扉を蹴破って部屋の中に押し入って来た連中然り、こちらを逃すまいと狙いを定めていた狙撃手然りだ。




 「そらっ!」




  加えて、クゥとクリスは閃光が収まらない内に自分たちの目と耳を守った掛け布団を窓目掛けて放り投げる。

  それこそ自分たちの姿を覆い隠す程に大きく広げて。

  視界を焼き、自分たちの姿も一時的に隠し、同時にこの視界状況でなら簡単なダミーとしても機能する。

  不明瞭な視界の中、狙撃手が自分たちを正確に狙い撃つことはまず無理だろう。




 「まったく、しばらく大人しくしていると思ったらこれだ。微妙に気の緩んでるタイミングを狙ってきやがって」

 「兵法の基本ではあるけどやられていい気分にはならないわね」




  慣れた雰囲気で動じる事無く堂々と路地裏を二人は駆けていく。

  予め用意しておいた逃走ルートの内の一つを使って相手の追手を徹底的に撒きに入る。




 「いい加減に、こういう生活も終わらせたいものね」

 「……そうだな」




  日常に帰るために。

  もはや公的に死んだようなものである自分を受け入れてくれる場所があるとは思わない。

  血で染まった両手をあの陽だまりの中に持ち込もうとは思わない。

  それでも、出来ることなら隣で走る彼女くらいは陽だまりの中に帰してやりたい。

  元々、こんな道行きに付き合う必要は無かったのだ。だから、そこには報いるべきだろう。

  以前ノイに言われた言葉が脳裏を過る。




 (―――そうだな、ドミニオンとの決着がついたら……)




  少し、やってみたい事があるかもしれない。

  それを成すためにも、とりあえず目下の目標は襲撃者を撒く、もしくは撃退することだろう。




 「さて、その角で撒けないようなら仕掛けてみない」

 「そうだな……規模からしても手持ちでどうにかなりそうだ。やるか」

 「了解」




  今日を安心して眠るための戦いはもう暫く終わりそうになかった。

























                    ◇ ◇ ◇

























  ―――仮想空間。

  AIが様々な演算の結果として生み出したネット上に描かれる電子の世界。

  0と1の集合体でありながら様々な形を生み出しているそれは日々進化を遂げている。

  たとえば、ネット上におけるロジックの進化などが良い例だろう。

  今となっては過去の話。ネットで死んだ者は死体すら残らない時代があった。

  死ねばそれで終わり。何も残さず、0と1の塊として分解されて消えていく。死と消滅の等しい時代。

  だがAIが人を観察し続け学習した結果、ロジックはそこから進化を果たした。

  すなわち、死ねば人は骸になるということ。

  形が残るようになった、というだけの進歩に過ぎない。だがAIは確かに進化しているという証でもある。




  そしてそんな仮想空間の片隅―――とある構造体に一人の少女が舞い戻った。




 「よっと。ただいまー」




  亜麻色の髪を揺らしながらその少女は構造体に足を踏み入れる。

  その構造体は何ともいえない不気味さに包まれていた。

  どこか生物を思わせる壁や床の装飾と全体的な薄暗さ、物静けさが重なって不気味な雰囲気を漂わせている。

  それだけでなく、ここはどこか重い。

  この場所にいるだけでまるで生き物の内臓の中にでも放り込まれたかのような生物的嫌悪を掻き立てる。

  常人ならば立っているだけで正気を保ってはいられまい。

  ここは正常が異常となり異常が正常となる狂気の世界。

  ならば、ここで笑い平常を保てている彼女も―――等しく狂気に染まった者であることに間違いはない。




 「戻ったかね、クゥ」

 「あ、神父」




  そんな彼女を一人の男が出迎えた。

  大柄の身体にカソックを纏い、逆十字を掲げた神父―――ドミニオン教主、グレゴリー神父その人だ。

  彼は子を迎える父のように手を広げてクゥを労う。




 「ご苦労だった。威力偵察としては十全な成果だろう」

 「スペックの把握は大体済んだかな。まだやり合ってない相手は多いけど、この分だと誤差の範囲で済んでしまいそうだし」

 「素晴らしい……やはり、真の世界で生まれ育った者は我らの遥か上を行く。

  我らが教義の正しさもより鮮明に証明されたということだ」




  神父が真実、女神でも見つめるような眼差しでクゥを抱く。

  ドミニオンの教義―――それは一種の人類進化論だ。

  人としての肉体を捨て、仮想空間という真実の世界へと還り人は進化するべきなのだと。

  そうあるべしとして定められ、集まった者たちの集団。それこそがドミニオンだ。

  だが、それを聞いたクゥは特に何も思わない。




 「そこら辺については私はあんまり興味は無いんだけどねー。

  ほら、私ってば彼のエージェントだから。そういうのって煩わしいとしか感じないのよね」

 「無論、理解しているとも我らのイヴ。全ては我らが神のために―――」

 「うん、宜しい」




  神父とクゥ、二人の関係は傍から見ればどこかちぐはぐに見えるだろう。

  どちらが上でもなく下でもなく、だがどちらに対しても一定の命令権を互いに持っているようで常に下についいているようにも見える。

  対等であり、対等でない矛盾。

  今でこそ神父がクゥに同調する形だが、先程クゥの撤退を促したのがこの神父であることを考えるとその不安定さが目に浮かぶ。

  だが、その方向性は同じだ。

  まるで出鱈目に組み合わせた積み木のようでありながら目的地への道のりは確実に歩を進めている。




 「それはそれとして、なんであんな良いところで茶々入れるかな。私もまこちゃんもやる気十分だったのに」

 「すまないね。だが今の段階で君の戦力をあまり大っぴらに曝け出すのも好ましくないのだよ。

  君に対するカウンターが存在することを忘れた訳ではあるまい」

 「どっちかって言うと私がカウンターの側なんだけどね。はてさて、あっちが介入してくるのはいつになるのかな?」




  その到来を想うだけで心躍るのをクゥは自覚する。

  同じ存在でありながら真逆の立ち位置に収まった自分とは異なる二人を想う。

  その到来が待ち遠しい。その邂逅に焦がれている。

  この世界で真実、自分を愉しませてくれるとすればあの二人以外に在り得ないと確信しているがゆえに。

  ああ待ち遠しい。まるで恋人を思うようにクゥはその時を待ち続けている。

  その時こそ、と夢見ながら。




 「そういえば、そろそろ軽くこっちに乗り込んでくるんじゃない?」

 「ああ、もうそんな時期かね。それでは手厚い歓迎の準備をしなくてはなるまい」




  誰が、などという主語は必要ない。

  彼と彼女にとって誰が来るのかなど既に語る必要もない確定事項だからだ。

  そう、必ず来る。

  そういう歯車の元にこの世界は回っているのだ。

  誰も彼もが好き勝手に歯車を追加して舞台装置をそれぞれの望む方向に持っていこうとしている。

  だが無意味だ。

  どれだけ足掻きもがいても、最後に笑うのはこちらなのだから。

  神という絶対の存在がついている限り、こちらに敗北はあり得ない。




 「さあ―――始めよう。いよいよ舞台の幕を開けよう。

  新しく芽生えたこの希望も、等しく私が呑み込んであげる」




  少女は謳う。

  ケラケラと面白そうに、可笑しそうに、全てを玩弄して嘲笑している。

  両の腕を大きく広げ、まるで全ての世界―――全ての人を抱きしめ慈しむようにくるくる回る。

  それは舞踏会。

  お相手はAI? それとも彼? 彼女? はたまた世界?

  おそらくはそのどれでもあってどれでもない。

  だから彼女はくるくる回る。彼女にしか見えない舞踏会のパートナーを相手に優雅に陽気にステップを踏み続ける。

  壊れた歯車は戻らない。

  欠けて歪な回転を続けながら、彼女は常に歪んだ結果を導き続ける。




 「それでは行こうか。皆が君を待っている」

 「はいはーい。お仕事頑張りまーす」




  歯車は回り続ける。

  どれだけ欠けて壊れて歪んでも、くるくるからからくるくるからから。

  舞台装置の行きつく先は、まだ誰にも見えてはいなかった。

























                    ◇ ◇ ◇

























  清城市のスラムの一角。

  交差点に面するアダルトショップを経営しているノイはのんびりコーヒーを飲んでいた。

  何気ない平和な午後の一幕。最近は騒がしいがなべて世はこともなし。何も変わらない。

  まあ端的に言えば暇なのだ。

  持て余した時間をどうしたものかと思案しながら自分で淹れたコーヒーをぐいっと飲み干す。

  それだけで手持ちぶさたになった。

  現在受け持っている患者も経過報告をしに来る気配もない。

  面倒事に巻き込まれているから迷惑を掛けまいとしているのだろうが、はっきり言って余計なお世話だ。

  巻き込むなら巻き込めばいい。

  どちらともそれなりに付き合いが長いのだ。今更厄介事の一つや二つを持ち込まれたところで何だという。

  自分の知らないところで勝手にくたばられる方がよっぽど寝覚めが悪くなる。




 「まったく……とりあえず診察の催促でもするか」




  チャンネルを呼び出してコールを掛ける。

  ……が、反応はない。もう片方にも掛けてみるが結果は同じだった。どちらも共に取り込み中らしい。




 「勤勉なのは結構なことだが、若いうちから張りつめてどうするのかねあいつらは。

  どうせならもっと健全に青春を謳歌しろというのに」




  経歴や性格を考えれば無理そうな話だが、そうやって新しいものでも見つければまた見方も変わるものだ。

  こう、若者らしく青臭い欲望をぶつけ合ったりなど実に自分好みでいいのだが。

  そういえば患者の片割れ、男女一組なのだから何か面白い事でもなかったのだろうか。

  あれば是非とも自分も交じってみたいものだと不穏な思考を巡らせる。

  特に女性の方とは気が合うだろう。二人掛かりで彼を責めるというのも中々に面白そうで―――




 『ノイ先生……今、宜しいでしょうか』

 「おや、真くんかね」




  と、不意にパネルが開いて一人の少女が顔を出した。

  水無月真。ノイの受け持つ患者の一人で、おそらくは最も厄介な事情を持っている者だ。

  それは電脳症であったり、とある人物を追っていることであったりするのだが……最も厄介なことは別にある。

  実態がどこぞの組織に拉致されているということが何よりも厄介なことだろう。

  彼女の出自もさることながらそれに大仰な組織が絡んでくるとなるともはや陰謀の匂いしかしない。




 「一人で来るとは珍しいな。調子はどうかね」

 『すこぶる元気です。先生に貰ったネージュ・エールもご機嫌ですよ。

  毎日ウイルスやシュミクラムを相手にどっこんばっこんやっています』

 「そうかね。趣味で組み上げたような代物だが役に立っているようで何よりだ」

 『はい。そこいらのシュミクラムにはまったく引けをとりません。

  これを私にプレゼントしてくれた先生には感謝してもしきれませんよ』




  元々、真のネージュ・エールはノイが統合から譲り受けたシュミクラムをカスタマイズした代物だ。

  カスタマイズした、という割には原型がほとんど残っていないようなもので性能ももはや別物同前ではある。

  そこいらのシュミクラム相手ならば多少腕が劣っていたとしても互角以上に戦えるくらいの性能を持っていると言えば、特異性は分かりやすいだろう。

  性能だけでいうならば現存しているシュミクラムの中でもトップクラスに位置するのは間違いない。




 「それで、空君はどうしたね。彼女にも経過報告をして欲しいところなのだが」

 『お姉ちゃんは今、戦闘でのダメージが抜けきっていないので寝ています。

  幸い、後遺症などを引きずる程でもないみたいなので寝ていれば回復するそうですが』

 「そうか。兵隊稼業というのも難儀なものだな……頼むから診察が済む前に死ぬのだけは止めてくれと伝えてくれ」

 『くす……分かりました、伝えておきます』




  とりとめのない話が終わって会話が途切れる。

  ―――真は何か、言い淀むようにしてこちらの様子を窺っている。

  彼女一人でここにやって来たのは単なる暇潰し、という訳でもないだろう。

  今の時期、彼女たちが遊んでいられる状況ではないということくらいノイも察しがついている。

  それでも一人でこちらに来たのは用事があったからだろう。

  誰にも聞かれずに済ませたい、そういう類のものが。




 「何かあるなら言いたまえ。何も言わなければ私も君が何を知りたがっているのか分からない」

 『―――はい。それでは、一つ聞かせて欲しいことがあります』




  決心したように顔を上げる。

  若干の恐れと、底に少しばかりの希望を湛えて。




 『失礼ですが、ここ最近の医療カルテの方を勝手に覗かせて貰いました』

 「何だと? あー、君に対してはセキュリティは大して意味を成さないんだったか……それでもカルテのロックを解いた事を賞賛すべきか?

  どちらにせよあまり褒められた行為ではないぞ」

 『申し訳ありません。ですが、その上でノイ先生にお聞きしたいことがあります。

  私にとって、とても大事なことです』

 「ふむ……何かね、言ってみたまえ」




  真の挑むような視線を真っ向から受け止める。

  そうして真は少しの間、大きく息を吸って―――




 『―――六条コゥ。

  いいえ、門倉甲。彼についてのお話を、聞かせてください』




  彼女がここに訪れた目的を、はっきりと告げた。



[29132] 第十六章 潜入-bootlegger-
Name: ジエー◆7693fe4e ID:b4d897e7
Date: 2014/05/06 21:19



  ※あてんしょんぷりーず※
  今回のお話よりBALDR SKY ZEROおよびBALDR SKY ZERO2の多大なネタバレ要素が含まれます。
  そういうのが苦手な方は直ちにブラウザバックを推奨です。
  かまわねーよ! という剛毅な方はどうぞお楽しみください。

























 「さて、どうしようかしら」

 「どうするかなあ……」




  夜。

  コゥとクリスはスラムの人混みの中を歩いていた。

  軍服を纏った二人に好んで声を掛けようとする者など居るはずも無く、ただ黙々と二人は歩いている。

  が、その歩く先に当ては無い。

  というのもついさっきに宿がドミニオン信者の襲撃に遭ったためだ。

  予め経営者にそういう事があるかもしれないと多めに金を払っておいたのでその点は心配ないのだが……




 「……また、ノイの所に行くか?」

 「……出戻りっていうのも、なんだかねえ」




  こう、締まりがないというか決まりが悪いというか……

  そもそも、見つかってしまった以上は気楽に知人を訪ねるのも憚られる。

  危険に巻き込む可能性がある以上、出来るだけ自分達だけで行動すべきだ。

  が、実際行く当てが無いのも事実である。

  このままではスラムの片隅で野宿をする羽目になりかねない。

  別に珍しいことではないが物珍しさに周囲の人間が隙を狙って物色してくる危険がある以上、それは避けたい。




 「予備のセーフハウスでも用意できればよかったんだけど……」

 「めぼしい物件は粗方抑えられてたからなあ……」




  となると、その場凌ぎの宿でも使うしかないだろう。

  古今東西、こういう時に使われる場所は決まりきっている。




 「ネットカフェ、行くか」

 「そうしましょうか」
























  第十六章 潜入 -bootlegger-

























  米内議員殺害から二日が経った。

  彼を殺害した狙撃犯の行方は掴めず、今もCDFが捜索中ということになっている。

  が、おそらくそれは形だけなのだろうというのも空はなんとなく察していた。

  つまり世はなべて事も無し。

  都合の悪いものが一人間引かれた程度で世の中の動きは変わりはしない。

  日々の動きに変わりも無い。

  だから、それを動かすためにフェンリルの主要メンバーはフェンリルベースの指令室に集まっていた。

  一同が揃ったのを確認して、フェンリルの元締めである永二が口を開く。




 「さて、集まって貰ったのは他でもねえ。件のNPC密造業者へ潜入調査を仕掛けることになった」

 「そこは阿南が  にしている場所でもある。奴はドミニオンと繋がっている可能性が確実視されており、この場所は奴らの拠点と繋がっているとの情報もある。

  更にそこからドレクスラー機関にも繋がっている可能性は高い。

  よってここから何らかの情報を持ちかえる、あるいは証拠を押さえることが今回の目的だ」




  シゼルの言葉と共に各員の視覚野にいくつかの情報が表示される。

  今回の潜入場所は『愛と快楽のフォーマル』―――よく見受けられる娼婦館だ。

  裏でNPCの密造などやっている以上、まともであるはずなど無いのだが。

  とかく、ドレクスラー機関に繋がるのなら空にしても否は無い。

  しかしだ―――




 「こういう場所には正面から堂々と入った方が手っ取り早いんだろうけど……」




  そうするとカップルを装う必要が出てくる訳で。

  というかそもそもドミニオンに対しては碌な思い出が無い。

  あの異端の中の異端を突き詰めたようなヌーディスト集団のことなど思い出しただけで鳥肌が―――




 「うぅ……っ」

 「どうした中尉」

 「いえ、少し嫌なものを思い出しまして……」




  そうか、と短く返されてそれ以上追及されることはなかった。

  とにかく、NPC密造業者を探るにしても出来るだけ穏便に済ますに越したことはない。

  であるならば然るべき手順を踏むべきであり、ここで問題になってくるのはこの施設には一人で入ることは出来ないということだ。

  そして頃を見計らったかのように永二が潜入員についての話を始めた。




 「んで面子についてだが―――俺とシゼル、それと空嬢ちゃんだ。モホークとレイン嬢ちゃんは外部からのサポートに回ってくれ。

  真嬢ちゃんは遊撃として待機だ」

 『了解(ヤー)』

 「うし、だったら解散。各自任務に備えろ」




  締めの一言でそれぞれが自身の仕事のために散っていく。

  若干一名、隊長自ら動く姿勢に文句を言いたげにしていたがそれだけだった。

  空とレインも準備に入ろうとして―――その前に永二に呼び止められた。




 「空嬢ちゃん、ちょっといいか」

 「はい、何でしょうか大佐」

 「潜入についてだがな、嬢ちゃんは俺とシゼルと行動を一緒にするよりは個人で動けた方が良いだろ?」

 「それは……はい」




  空は空の思惑があり、フェンリルはフェンリルの思惑がある。

  それが似通った方向を向いているとはいえ、必ずしも合致しているとは限らないのだ。

  そこを明確にしないままに進んでいけば双方共に意図しないズレが生じてしまう。

  二つの水の流れがぶつかれば別の流れが生まれる―――それと同じだ。

  だから、行動については互いの規範を明確にしておく必要がある。




 「そもそもとして嬢ちゃん達は組織への入隊については見送り状態―――まあ、外部協力者って形だ。

  できるだけ行動に融通は利かせるつもりだが場所が場所でな……一人だけで行動させるのにはリスクが高い」

 「理解しています。だから今回、私はそちらの行動に合わせるつもりです」




  そちらの方がリスクが低いのも確かではあるし、下手に騒ぎを起こせばドレクスラー機関が尻尾を巻く可能性も十分にあるのだ。

  空としてもそれは望ましくない。

  それはフェンリルにとってもそうであり、依頼主であるアークについてもそうだろう。

  そう、そうなのだが―――




 「つーわけでだ。嬢ちゃんはノイの奴と一緒に入って貰おうと思う」

 「……………は?」




  一瞬、言われたことを上手く呑み込めなかった。

  ノイ―――ノイといえば、あのノイなのだろうか?

  わざわざ名指しする以上、間違いということはないだろうが―――あの、ノイと……?




 「大佐、私に喰われて来いと……?」

 「あー、違う違う。んなわきゃんあいからそう震えなくても良いって」




  そうは言われても本能的な危機感はどうしようもないのだ。

  あの性愛好者が自分と致せるかと問われれば確実に、実に御免被りたいことだがイエスだろう。

  端的に言って、貞操の危機だと断言せざるを得ない。

  そんな空の様子を見て、発言の意図については大体の察しがついていたのか永二は軽く溜息を吐く。




 「アイツはまたなーにやってんだか……心配しなくてもノイだってとって喰いやしないさ。

  既に話は通してある。潜入した後は俺らの組と嬢ちゃんの組は別行動―――それぞれ目的に向けて動くって形だ」

 「あ……」




  つまり、それが譲歩なのだ。

  任務に付き合って貰うという最低限の体裁は取りつつ、こちらに心を砕いてくれている。

  一部隊の隊長としてそれはどうかとおもうが―――考えてみれば分隊からしてそんな方針が多々見受けられたのだ。

  大本がこうであっても何らおかしくはないだろう。

  後ろでシゼルが深い溜息を吐いているのが見えたが、それはそれだ。




 「ありがとうございます、大佐」

 「良いってことよ。ま、俺個人の感傷みたいなもんだからな、気にしないでくれや」




  その発言の意図は、考えるまでも無く察することが出来た。

  死んでしまった―――少なくとも、公的には既に故人として扱われている永二の息子。

  彼の態度からして親子仲が上手くいっているとは言えなかったようだが……それでも、彼は確かに愛されていたのだろう。

  そうでなければただ彼の恋人だったからという理由だけでこうも自分に気をかけはしないはずだ。

  そしてそれを、空も迷惑だとは思わない。

  ありがたくもあるし感謝もある。少しばかり暖かい気持ちにもなれた。

  なら、それで十分だ。期待にはきっちり応えねばならない。




 「それでは行ってきます、大佐」

 「おう。気を付けて行って来い」




  踵を返す。

  懸念事項は多いものの、動かなければ何も始まりはしない。だから今は進もう。

  たとえ何も見えなくとも手探りで進んでいこうと決めたのだから。

























                    ◇ ◇ ◇

























  そこは陽の光の差さない場所だった。

  コンクリートの壁に囲まれ、地下に埋まったこの空間に陽の光は差し込まない。

  蛍光灯による光だけが光源となる薄暗いそこは、徹底して理路整然とした機能美を追及している。

  隙の見えない冷たい刃のような張りつめた空気がそこにはあった。

  その中で―――渚千夏は次なる任務へと備えていた。

  前回の任務では途中で下手を打ってしまったために余計な情報を漏らす羽目になった。

  それがどこの組織にも通じてそうにはない、個人による襲撃だったことは不幸中の幸いだろう。

  だが、その襲撃を行った人物―――正確には襲撃を行った二人のうち一人のことがずっと脳裏にこびりついて離れない。

  あの人物を見た衝撃は、自分でも思っていた以上に動揺を呼んでいるらしかった。




 「はあ……」




  気持ちを切り替えようと息を吐く。

  だがそれで鬱蒼とした気持ちは消えてはくれない。そもそもその程度で消えるようならとっくに切り替えられている。

  やはり、それだけ自分の中では根深い問題なのだろう。

  どうにも自分は、自分で思っている以上に未練がましい女であるらしい―――などと内心で自嘲して、




 「どうかしました中尉殿。そのように意気消沈されているとは珍しい」




  と、一人の男の声がその思考を遮った。

  ここ最近自分の下に配属されてきた男の顔に、うんざりとした気持ちを隠しもせずに千夏は言葉を返す。




 「別に、伍長に関係する事じゃない」

 「いいや、そうもいきません。何せ中尉殿は自分の上司ですから。

  貴女が何かの原因で調子を崩しその上何かのトラブルを被っては部下の自分は上司をサポート出来なかったという事になります。

  上司のストレスを緩和するのも部下の務めだと思うのですが、どうでしょう?」

 「あのな……」




  いけしゃあしゃあとどの口が、とはこれまで何度も言ってきたので今更言ったところで無駄だと分かりたくもないが分かってしまっている。

  というかむしろ、ここ最近のストレスの主な原因は目の前のこの男なのであるがその辺りの自覚は―――おそらくはあるのだろう。

  で、その上で止める気はまったくもって見えない。もし今すぐこの男の上司を止めたいと言っても誰も咎めはしないだろう。

  それくらいの問題児である訳だが―――だというのに結果は平均以上に叩きだすのが性質が悪い。

  というか、傍から見ていると部下であるこの男が自分以上に能力があるのは確実だろう。

  下士官から伍長まで登って来たというが、それ以前にどこかの部隊の高位置に属していた可能性が高い。

  自分の上司とも旧知の仲のようだし、この推測はおそらく当たっている。

  ストレスの原因はその辺りにもあるのだが量が多すぎて一々思い返すのも面倒だった。

  その厄介者である部下の丁寧だが内心こっちを試していることが丸分かりの態度にどれだけ手、というか脚を出したことだろうか。

  その事如くをまるで子供でも扱うかのようにあしらうのだから心労ほども結構なものである。





 「それで、どうします? 私としては軽い休息をお勧めしますが。

  根を詰め過ぎていると回る頭も回りませんからね」

 「……あまり上官に舐めた言い回しをするのは止めろよ、伍長」

 「すみません、以後気を付けます」




  などと言いながら慇懃無礼な伍長の笑みは消える気配を見せない。

  暖簾に腕押し、馬の耳に念仏とはこういう事だろうか―――などと旧日本から伝わる諺を思い返す。

  それから言われた言葉を自分の中で反復して―――忌々しいことに、伍長の言う疲労による作業効率の低下を自覚せざるを得なかった。

  不機嫌になる顔を隠そうともせず、ある程度纏めておいた資料を丸ごと伍長に送りつける。




 「それを纏めておくことくらい、伍長なら出来るだろう」

 「一伍長には少し多すぎる量だと思いますが」




  確かにその通りだろう。

  が、当の本人には余裕の笑みが張り付いて離れていない。

  要はそういうことだ。むしろ、この程度かなどと兆発めいた色が見え隠れするのはもはや伍長の性分なのだろう。

  だが一々それに付き合うつもりもない。だから端的に、用件だけで問い詰める。




 「出来るか、出来ないのか、どっちだ」

 「出来ます」




  ならば問題ないなとばかりに席を立つ。

  伍長の言うとおり、あの襲撃者の片割れ―――甲らしき人物の姿が頭から離れないせいでいまいち集中出来ていない。

  気持ちを切り替えるためにも少し休息を取る必要があるだろう。

  そのまま背を向けて部屋にある簡易ベッドに向かおうとして……ふと、一つだけ聞きたくなったことが出来て扉を開けたところで足を止める。




 「……おい伍長。これに関しては立場を考えずに答えろ」

 「は、何でしょうか」




  顔だけを伍長に向け、常々思っていたことを聞いてみる。




 「あんた、あたしのことをからかって楽しんでるだろ」




  あまりにぶしつけな質問。

  正直に答えれば自分の首がその瞬間に跳んでもおかしくないようなその質問に―――




 「そうだよ?」




  にやけ顔で帰ってきた返答に、千夏は全力で扉を叩きつけて閉めることで応えた。

























                    ◇ ◇ ◇

























  ―――ネットスラムである無名都市。

  その中で性的趣向の強い区画―――『愛と快楽のフォーマル』と呼ばれる所がある。

  そういった行為を目的としたペアのための施設でもあるが、裏には非合法NPCによる娼館の顔も持っている。

  ある種、NPC好きにはたまらない穴場として機能しており、それは政府の上部まで食い込んでいるという話だ。

  であるならば、必然的に上部と接触を図ろうとする組織がここを当てにしてくる。

  つまりここは清城市に蔓延る各種暗部との接続点とも言える場所だ。

  だから各種勢力は手掛かりを求めてここへと行き着く。




 「……ビンゴね。この辺りにそぐわない反応がいくつかこっちに向かってきているわ。

  時期的にそろそろじゃないかと思ったけれど大当たりね」




  コゥとクリスもそんな勢力の内の一つだ。

  ドミニオンがここと繋がっていることは既に分かっている。

  ならばあとは出来るだけ敵に気取られぬよう接近するだけだ。

  こちらが単独で行動を起こすと単純に処理されやすい。一手仕損じただけで尻尾を掴めずに終わってしまうだろう。

  その分、状況は混沌としている方がその裏側で動きやすい。

  ドミニオンへと通じる何かをその騒ぎで引っ張り出せれば儲けものだ。

  そのためにも他の勢力が動く機会を見計らっていたのだが―――どうやらその時が来たらしい。




 「さて、それじゃあ私達も入りましょうか。この手の施設に入る際、男女ペアなのは都合が良いわね」

 「そうだな。その男女ペアが本当にそっちを目的にしているんならな」

 「あら、私が相方じゃご不満かしら。望むのなら虐めてあげるし、虐められてあげるわよ」




  チロリ、と小さく舌を出して指を舐める仕草は嫌に様になっていて扇情的な雰囲気を醸し出している。

  とはいえ自分達はそちらが目的でやって来た訳ではないのだ。




 「言ってろ。とにかく適当な部屋に入って簡単なハックから始めるか」

 「つれないのね。いけず」

 「おまえのその笑い顔を見て乗らなくて良かったなと改めて思ったよ」

 「残念」




  そう言いつつクリスはコゥの腕を取り、二人で施設の中へと入っていく。

  ―――その暫く後に、空達もこの施設にやって来た。

  途中の裸体の絡みを見続けて来たからか、空の表情は何とも言えないものになっている。

  レインはネットカフェから没入(ダイブ)している実体(リアルボディ)を見て貰っているが、ある意味連れて来なくてよかったと思った。




 「右も左も、どこを向いても盛りに盛っている連中ばかり……どころか、こっちにまで亡者のように絡んでくるなんて……」

 「はっはっは。そんなことでヘタれてしまっていてはこの先が思いやられるぞ空君。

  何なら耐性が付くように私が手ずから手解きをしても構わんぞ……?」

 「結構です」




  きっぱりとした返答を喰らい、さもつまらなさ気にノイは引き下がった。

  それを眺めてシゼルと永二は呆れた溜息を吐いている。

  やはり、こういう人物なのだと理解されている程度には付き合いがあるらしい。




 「それじゃあ手順を確認するぞ。このまま何食わぬ顔で俺達はゲートをくぐり、内部に侵入する。

  俺らが目指すのは制御中枢(コア)の制圧。空嬢ちゃんはレイン嬢ちゃんのサポートを受けながら例の件を頼む」

 「了解(ヤー)」




  例の件、とはブリーフィングが終わった後に橘聖良社長直々に依頼された件のことだ。

  何でも盗み出されたシミュラクラのオリジナルデータがこの施設のどこかにある可能性が高いというのだ。

  そしてその技術には軍やアークの中でも機密事項として扱われている接続者(コネクター)システムに由来するものなのだとか。

  その内容は機密故に説明されることはなかったが、それでもそれが只事では済まされない代物だということは理解できた。

  大体、出所があの狂気を遥かに振り切ったノインツェーンの遺産なのだ。碌な物ではないことは確かだろう。

  私的な動機を混ぜるなら同一人物とは思えないクゥも気になる。

  空としても引き受けない理由は無かった。




 「しかし、ノイ先生を連れて行って本当に大丈夫なんですか?」

 「かと言って君一人で施設を歩かせるわけにもいくまい。ここは本来ペア御用達……一人でいるとかえって目立つからな。

  その点、ここの会員でもある私が一緒に居れば下手に怪しまれる心配も無いということだ」

 「会員って、先生……」




  まあ如何にも好きそうではあるが、と脳裏にけったいな情景が浮かんで消えた。

  ノリノリで好意に及ぶ彼女の姿がやけに鮮明に思い描けてげんなりした気分になる。




 「さて、ここで突っ立っていても何も始まらねえ。

  質問が無いなら状況を開始するぞ。準備はいいな、おまえら?」

 『了解(ヤー)』




  こうして空達も『愛と快楽のフォーマル』へと足を踏み入れる。

  その光景を……上方から、一つの影が眺めていた。




 「ふむ……ふむ、いろいろと興味深い状況になってきているようですね。

  懐かしい顔もいますし……そろそろ清城市の状況も動くのでしょうね」




  どこかの屋上に腰掛け足を揺らしながら、ついと視線を上空へと向ける。

  それは空を通り越し、ここではないどこかを見つめていて―――




 「―――始まりますよ、ノインツェーン。

  貴方にとっても他人事ではない、世界の行く末を占う戦いが」




  白い尻尾が、風にぴょこんと揺られていた。

























                    ◇ ◇ ◇

























 「さて、ここらで別れるか。

  予定通り俺とシゼルはコアの制圧に赴く。空嬢ちゃんは例の件、頼んだぞ」

 「しかし……状況によってはノイ先生にどういう任務かが漏れてしまう可能性もありますけど」

 「そこら辺は前払いして口止めしてあるから問題ない。ということで、健闘を祈る」

 「了解(ヤー)」




  それを合図に空達は別々の行動を取り始めた。

  空とノイは、周囲の状況を探るように散策を始める。

  周囲の客は誰も彼もが裸になってまぐわっていた。

  跨り、押し倒し、押し倒され、穴という穴に欲望の塊を突っ込んでいる。

  それに喘ぐ声、もっともっとと求める声、詰りを求めるものもあればそれに応える声もある。

  性による倒錯的な狂態がそこかしこに繰り広げられている。




 「まるでサバトね……」

 「ここはそういう場だからな。まあ見た限り、初心そうな空君には刺激が強すぎるかもしれんね?」

 「……まあ、そうかもしれませんけど」




  正直、気がいったかのような女性達の痴態は見ていて気分の良いものじゃない。

  そういう気が起こらない以上、あまり空気に中てられたくもなかった。

  怪しい個所が無いか二人で散策していき―――その最中、気になっていたことを聞いてみる。




 「ノイ先生は、どうしてこの件を引き受けたんですか」

 「単純に永二は金払いが良いからね。それと幾つか話しておきたい事も出来た。

  まあ、渡り船というやつだよ」




  言いながらいくつかの部屋を通り過ぎていく。

  どこもかしこも倒錯的な声ばかりが響いていて溜まったものではなかった。




 「話したい事、ですか」

 「ああ。永二絡みでとある事が判明したのでな、機会が来ないかと思っていたが中々コンタクトが取れなくてな。

  直接接触できる今回は良い機会だったよ。これが終わってからのあいつの反応が少し楽しみだ」




  意地の悪い笑みを浮かべてノイが勝手知ったる施設を進んでいく。

  あれは相当悪いことを考えている顔だ。人間誰しも、悪巧みをする時はあのような顔をするものである。

  そうして通路を進み続けるが、目当ての物がありそうな場所は一向に見えてこない。




 「結構なブロックを歩いて来たけど……めぼしい場所は見つからないわね」

 『この施設自体が相当大きな物です。徒歩で虱潰しに捜していくにはきついものがあるでしょう』




  直接通話(チャント)越しにレインの声が飛んでくる。

  レインは現在永二とシゼルの組にもサポートを行っている最中だ。

  それによると今のところ侵攻は順調。セキュリティを殺しつつ妨害してくるウイルスを排除して最短距離でコアへ向かっているらしい。




 「レイン、この施設の見取り図は?」

 『大佐達や中尉達が通った区画ならば。そこから全体像の割り出しと目ぼしい区画の洗い出しを行っています』

 「オーケー、こっちはそろそろ表通りは終わるから続けて作業の続行をお願い」

 『了解(ヤー)』




  ここからはレインに言ったとおり施設の裏側へと潜り込むことになる。

  見つかれば下手な言い訳は聞かないだろうし、別行動中の永二達にも危険が及ぶ可能性が高いだろう。

  慎重に進んでいく必要がある、が……




 「……ノイ先生、ここから先はたとえ会員でも言い訳が効かない領域になります。

  出来れば引き返して欲しいんですけど……」

 「戦争屋の君が言うことだ。ここは素直に従いたいところなのだが……生憎とまだ好奇心の方が勝っている。

  多少の危険は承知の上だよ。本気でヤバくなれば勝手に退避させてもらうから気にするな」

 「……分かりました。行きますよ」




  営業区域から管理区域へと踏み込んでいく。

  艶声の喧騒は遠のいていき、赤い装飾が施された通路からメタリックな壁が目立つ通路へと変わっていく。

  視界に入る人物も程なくしてゼロとなり、ここから先は見つかればいらぬ疑いを持たれてしまう区域だと感じさせた。




 「大佐達がコアを落としてくれれば施設全体の見取り図もすんなり手に入って楽なんだけどね……」

 「まあそう急くな。永二自ら出て来ている以上、事は程なくして終わるだろうさ。

  私達は奴の仕事の後で気楽に―――」




  と、その時だった。




 「早く見つけろっ! まだこの辺りに居るはずだ!!」




  遠くから男の怒声が響いて来た。

  同時に、複数の足音も忙しなくこちらに向かって来ているのが聞き取れる。




 (まずっ……先生、こっち!)

 (おおっ……!?)




  行動は早かった。

  広く見晴らしの良い通路をノイを連れて逃げていくのは不可能だと判断し、彼女の手を取って物陰へと飛び込む。

  小柄な自分よりも更に小さな身体を掻き抱くようにして物陰で身を潜めた。




 (おやおや……空君、まさかその気になってくれたのかな?

  よし、ならば私もその気持ちに応えてみせねばなあ)

 (そんなことを言ってる場合じゃないですよ)

 (分かっている、冗談だ。まあいざとなればそういう行為に及んでいれば言い訳が立つかも知れんがな?)




  にやり、と笑う顔が小悪魔そのもので冗談でも何でもないということを否応無しに理解させられた。

  おそらく本気で不味くなったらカモフラージュとして襲ってきかねない。

  本気で拒否すればその限りではないだろうが、危機管理として考えて拒否しきれるかと言われると微妙である。




 (……絶対に見つからないようにしよう)




  あるいは、見つかる前に相手を潰そう。

  貞操を守るために空は固く決意を固める。

  そしてそうこうしている内に足音はこちらへとどんどん近づいてきて―――赤いポニーテールが、視界を横切った。




 (なっ……)




  その姿を見て、一瞬言葉を失う。

  あの髪、あの顔、忘れるはずもない懐かしい女性。

  よく甲を誘惑しようとしていろいろと羽目を外していた彼女―――渚千夏が、点々と血の跡を作りながら走っている。




 (千夏!? 何で……!)

 (おや、君の知り合いかね? 拳が血で濡れているところを見ると真っ当な客ではなさそうだが……)




  そらくらい自分にも分かる。

  問題は何故彼女がここに居るかということで……

  いや、それも考えるまでも無い。

  ここはドミニオン―――ひいてはドレクスラー機関へと繋がる可能性の高い場所だ。

  どこかの組織に彼女が所属しているのならここへ何かを求めてやって来ていても不思議ではない。




 (行方が掴めないと思っていたら、何をやっているのよ……)

 (君も似たようなものだと思うがね)




  まさにその通りなのだが重要なのはそこではない。

  千夏の動きからして負傷したようには見えない……が、拳は血で濡れている。

  つまり相手を一方的に倒したということになる。

  見るからに堅気ではない千夏を追いかけている連中を見ると、彼女もまた真っ当な部類ではないのだろう。

  であるならば―――ここには自分達以外の第三者が存在するということだ。




 (不味い……!)




  そう思ったのも、遅かった。

  施設に警戒警報(ワーニング)がけたたましく鳴り響き、侵入者の到来を告げていた。




 「ちっ……!」




  千夏が舌を打ち、そのまま通路の奥へと消えていく。

  それを追いかけて男連中もまた通路の奥へと消えて行った。




 『何だこの警報は……!

  おい中尉、何かあったのか!?』

 『いいえ、私達以外の第三者がここに侵入しているようです。

  おそらく警報はそちらを感知して―――』




  言い終わらない内に遠方から爆音と銃撃音が響いてくる。

  どうやら例の侵入者との戦闘が始まったらしい。




 『何やら大事になって来たな?』

 『ちっ、警報のせいでこちらも気付かれたか……!

  中尉! こちらからの支援は期待するなよ!』

 『了解(ヤー)。こっちはこっちでやってみせます』




  ここからは戦場だ。

  まだ行っていない区画を虱潰しに回るのが早いか、レインによる特定が早いか……

  どちらにせよ、動いた方が良い事に変わりはない。




 『レイン、出来るだけ連中と接触しないようにナビゲートをお願い』

 『了解(ヤー)。ご武運を、中尉』




  そして、ノイへと向き直る。

  彼女は闇医者だが、それだけだ。戦う力を持ってはいない。




 「なあに、心配するな。いざという時の離脱手段は用意してある。

  だから君は気にせずに目的を果たしたまえ。私も、出来る限り付き合おう」

 「……分かりました。責任は取れませんからね?」

 「構わんとも。あまりのめり込み過ぎると取り返しがつかんからな?」




  それはどういう意味で言っているのか、聞いてみるのは怖かった。

  さて、と気持ちを切り替えて前を見る。

  千夏が何をしているのか気になるのは気になるが、それよりもシミュラクラのデータだ。




 「さあて、一度も連中と遭遇せずに切り抜けられればいいんだけどね……」

 「それなら、私が役に立てる」

 「そうですか? それっていったい……」




  と、そこまで言って気付く。

  今の声は、ノイのものではない。

  しかしゆったりとしてどこか気の抜けたその声は非常に聞き覚えがあって―――

  嫌な予感がして、勢いよく背後を向く。

  そこに、




 「……? 空、どうしたの?」




  西野亜季が、常と変らぬ気だるそうな顔で立っていた。


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