2001年10月22日(月)
「……ここ、は……?」
目を覚ましたとき、白銀武は強い違和感に襲われた。
そして体を起こして周囲を見回し――その違和感の正体に気付いた。
「……オレの……部屋、か?」
呟く。その瞬間武は、自分が『元の世界』の自分の部屋にいるのだという事実を、はっきりと認識した。
――帰ってきたのか……。
だが、武がその事実に無邪気に歓喜することはなかった。
ベッドに視線を落としても、そこには誰もいない。元の世界の10月22日、武に寄り添うように眠っていた少女の姿はなかった。
閉められたカーテンに手を掛ける。ごくりと喉を鳴らし――一気に開け放った。
朝の陽射しに網膜が焼かれ、視界が奪われる。
やがて光に目が慣れたとき、武の目に映ったのは、毎晩のように言葉を交わした幼馴染みの部屋の窓――ではなく、下半身を失った戦術機、撃震の残骸によって押し潰された、無人の廃屋だった。
「…………」
思ったより、落胆はなかった。
既に同じ経験をしたことがあるからか、それとも『この世界』でなすべきことが定まっているからか――あるいは、十年前から覚悟していたからか。
――それとも。そこに、どこか黒く濁った昏い悦びがあったからか。
一瞬、思考にノイズが走る。ざらざらと頭の内側が削れる音を聞いた気がして、武はかぶりを振った。
最後の記憶は、曖昧だ。2011年の末頃……だったように思う。
帝国軍――元々帝国に所属していた軍に加え、接収された元国連軍横浜基地所属の軍――によって構成された大隊を率い、大反攻作戦として甲20号目標――鉄源ハイヴに突入したことまでは憶えている。
それが今ここにいるということは、任務は失敗したか、超高性能爆弾G-11でハイヴの中枢たる反応炉諸共自爆したかのどちらかだろう。
どちらにせよ、今の武には関係ないことだ。こうして、再び戻ってきてしまった――戻ってこられたのだから。
「夕呼先生の言った通りだったな……」
『前の世界』での2002年6月8日の出来事を思い出す。
『あんたはきっと、もう一度この世界をやり直すことになる。あんたがループすることになった原因を取り除かない限りね』
泥酔しながらではあったが、夕呼ははっきりとそう言った。
そして、現実にその通りになったのだった。前回の記憶は保ったまま、肉体も鍛え上げられたまま。どちらも、前の世界で目覚めたときと同じだ。
夕呼はこうも言った。
『あんたになら、きっと世界を救うことが出来るはずよ。この世界の因果には縛られないあんたになら。だから……あんたに託すわ。世界を頼んだわよ――白銀武』
込み上げてきた悔しさに、武は苦虫を噛み潰したように表情を歪めた。
――まただ。
また、届かなかった。『こちらの世界』を経験するのは、これで三度目になる。
これまでに辿ってきた二度のループ、どちらの世界でも、人類がBETAに打ち勝つための切り札であるオルタネイティヴ4は成功しなかった。半導体百五十億個の並列処理装置を手のひらサイズにすることが出来なかったのだ。
そのために必要な理論が完成していなかったのか。あるいは、夕呼の理論に対応するだけの技術力が人類になかったのか。
……どちらであるかを論じても、それは詮無きことだ。武は夕呼の理論について詳しくは知らないし、人類の詳細な技術力についても知らないのだから。
明確なのは、オルタネイティヴ4が失敗に終わったという事実と。
そしてオルタネイティヴ5が発動し――人類は、敗北したという、動かしようのない結果のみである。
何かが足りなかった。世界を救うには、武の持っている力では足りなかったのだ。
「……でも、今度は違う」
そうだ、今回はこれまでとは違う。今の武には、情報がある。『二度目の世界』の2002年6月8日に、オルタネイティヴ4の責任者である香月夕呼から託された情報が。
そして……強い、強い想いが――。
――ざ、ざざ……。
ノイズが走る。
沸々と湧き上がる熱い想いに、衛士という自分の殻で蓋をする。奥歯を噛み締め、白銀武の一部を削り落とす。
「今度こそ……今度こそ、オルタネイティヴ4を成功させてみせますから……。見ていてください、夕呼先生……!」
もう二度と、地球は棄てさせない。
もう二度と、誰も犠牲にはしない。
護るのだ。この地球を。掛け替えのない故郷を。そして――仲間達を。護り抜くのだ。今の自分にはそれが出来るはずだ。
今でもはっきりと憶えている。自分の目の前でBETAに食われて死んだ恩師を。戦場で散っていった仲間達を。人類を救うことが出来ずに泣いて悔しがったもう一人の恩師を。
そのいずれも、決して忘れまいと、深く心に刻み付けた記憶だった。とりわけ最後の一つは、出来の良くない頭に、ただただ刻み込んだ。
一度目は12月24日。二度目は6月8日。そしてその日……どちらの世界でも、武の信頼する香月夕呼は、溺れるほどに酒を飲み、ベロベロに酔って――泣いていた。
武が彼女のそんな弱さを見たのは、元の世界を含めてもその二回だけだった。
だが、オルタネイティヴ4の終了、そしてオルタネイティヴ5への移行は、強い彼女をそれほどまでに打ちのめすほどの出来事だったのだ。
戦場で散っていった仲間達の無念は背負うことが出来る。語り継ぐことが出来る。……でも、彼女の無念を、一体誰が語り継ぐことが出来たというのだろう。
それが出来たのは、武と、社霞という名の少女……そして、シリンダーの中の脳だけだ。
その無念を背負って、武はここにいる。
夕呼だけではない。戦場を共にした仲間達、武の目の前で犠牲となっていった家族のような人達、そしてBETAとの戦いに命を懸けた数多の人々の無念を、白銀武は背負っているのだ。
――だから、まだ。まだ、抑えられる。
「…………行こう」
時間を無駄にすることは出来ない。
もう二度と立ち止まることは許されない。他の誰でもない白銀武自身によって、そんな真似は許されないのだ。
オルタネイティヴ4を完遂するためには、一分一秒さえ惜しい。
衛士訓練校の制服によく似た、元の世界の白稜柊の制服に着替え、部屋を後に――する直前で踏み止まった。
二度目の世界では、武が横浜基地に行っている間に、この家は廃墟――恐らくはこの世界の白銀武の家本来の姿――になってしまったのだ。一度目の世界でも、確かめることは出来なかったが、たぶんそうだったのだろう。
ならば、必要なものは今の内に持ち出しておく必要がある。特に、武が別の世界から来た人間であることを裏付けることの出来る物があるのとないのとでは全然違う。
三分ほど掛けて、ゲームガイを始めとしたいくつかの品を集め、元の世界で使っていた通学鞄に押し込むと、今度こそ武は家を後にした。
まだ午前9時にもならない頃、武は横浜基地へと続く、長い坂道を登り始めていた。
多少前回と異なる行動を取ったところで、そこまで大きく未来が変わることはないということは、前の世界で経験済みだ。逆に言えば、未来を大きく変えるには、前回とは大きく異なった行動を取らなくてはならない。
つまり、オルタネイティヴ4を成功させるためには、これまでの二度のループとは決定的に違う何かをしなくてはならないということでもある。
前回のループでも大きく変わった部分はあったが、それでもまだ足りないということだ。
何かが足りないのだ、人類の最後の希望――オルタネイティヴ4の根幹たる00ユニットを完成させるためには。
当面の目標は、その足りない何かを見つけ出すことになる。
それが出来なければ、今回のループもまた失敗に終わるだろう。
……そんなことは、許されない。
絶対に今回のループで決着を着ける――武は決意を新たにした。
それとほぼ時を同じくして、武は桜並木の坂道を登り切った。目の前には、見慣れた建物が横たわっている。
国連太平洋方面第11軍横浜基地。
建物の上には、かつて死ぬほどバカにしたレーダーのアンテナがくるくる回っている。ゲートの前には、前の世界でもそれなりに顔馴染みだった二人の衛兵が立っていた。
全てが記憶の通りだ。当然だろう、時間を遡って、同じ世界をやり直しているのだから。
「こんなところで何をしているんだ?」
ゲートの前に突っ立ったまま、武が建物を見上げていると、二人の衛兵の内、東洋系の方が話し掛けてくる――これも記憶通りだった。
「外出していたのか? 物好きな奴だな。どこまで行っても廃墟だけだろうに」
「隊に戻るんだろう? 許可証と認識票を提示してくれ」
訓練校の制服に瓜二つの制服を身に着けた武を不審者と思うはずもなく、気さくな態度で身分照会を求めてくる。
だが、今の武の身分を証明してくれる物など、世界中のどこを探してもありはしない。許可証は勿論、認識票も認識番号も当然ながら持っていない。
しかし、ここで無駄なトラブルを起こすわけにはいかない。そのための方法も考えてある。
「いや、許可証はないんだ。オレはこの基地の人間じゃない」
武が軽い調子で言うと、衛兵達は一瞬呆け――すぐさま厳しい顔付きになって銃を構えた。銃口は武へと正確にポイントされている。
だが、武は動揺することなく言葉を続けた。
「オレは白銀武。夕――香月博士に会いに来た。詳細については軍機につき答えられない……博士に取り次ぎを頼みたい」
「香月博士に……? 何のために?」
「言う必要はない……今言ったように、これ以上は軍機につき答えられないんだ。いいから連絡してくれ」
「……わかった」
東洋系の衛兵が頷く。それに、もう一方の黒人の衛兵が驚きの声をあげた。
「いいのか!?」
「博士に関係することについては、全て報告しろって言われてるだろ?」
「それはそうだが……とにかく、全てがハッキリするまではおとなしくしていてもらうぞ」
渋々といった様子で、銃口を武に向けたまま、黒人衛兵は頷いた。
「わかってる……伍長、『白銀武という男が五番目ではなく四番目を成功させるために隣からやって来た』と伝えてくれ」
「なんだそれは? 何かの暗号か?」
「みたいなものだよ……たぶん、夕呼せ――香月博士なら、それでわかってくれると思う」
東洋系の衛兵は首を傾げながらも詰所へと向かっていった。
しばらくして、内線で夕呼の執務室に連絡し終えたのか、衛兵が戻ってくる。
「おい、シロガネタケル……」
「なんだ?」
武が呼び掛けに答えると同時、
「――おいっ!?」
武は驚呼した。東洋系衛兵が、銃口を武へと向けたのだ。
「しばらくおとなしくしていてもらおう……」
「どういうことだ!?」
武は思わず声を荒げた。一度目の世界や前の世界とは違い、今回はちゃんと夕呼の興味を惹く材料をちらつかせたはずだった。これでは、何も考えず闇雲に夕呼との連絡を頼んだ前回と変わらないではないか。
だが、衛兵はそんな武を見て、にやりと笑って言う。
「慌てるな。じきに香月博士が来られる。それまで、お前を拘束しておけというお達しだ」
「――! ……そう、か」
武の顔に、微かな安堵が浮かぶ。
思惑は成功したらしい。ここに夕呼が来てくれれば、事情の説明もしやすい。
やがて、黒い軍服に白衣というお決まりのスタイルで夕呼が現れた。
その懐かしい姿に、武の視界が僅かに滲む。
二人の衛兵が敬礼する。それに呆れた様子で、夕呼は問うた。
「連絡をくれたのはあなた?」
「は! そうですっ!」
敬礼したままの姿勢で衛兵が頷く。
「で、この男が……シロガネタケル?」
夕呼は武へと視線を向けた。前回や前々回は気付かなかったが、その視線には、じっくりと武を見定めようとする意図が感じられた。
――チャンスだ。
あとは手持ちの材料を用いて夕呼と交渉するだけだ。幸い、夕呼の興味を惹く材料はまだまだいくらでもある。
「お久しぶりです……先生」
「先生? あたしは教え子を持った憶えはないわよ?」
呆れたように言う夕呼。だが、その言葉に食い付いてくれた時点で、既に武の思惑にはまったも同然だ。
「ああ……すみません、隣ではそうだったもので、つい」
「…………!」
隣という言葉の意味するところが、夕呼にわからないはずはない。さらに畳み掛けるように武は続けた。
「時間はもうあまりありません。のんびりしていると手遅れになりますよ、先生。……今だってたぶん……空の上では……造っているんでしょうね?」
夕呼は無言で武を睨め付けてくる。
「ああ、そうそう。霞は元気ですか? 純夏の相手をして疲れてたりはしませんか?」
「――!」
霞と純夏の名前は決定的だったのだろう、夕呼の表情が一瞬凍り付いたのを、武は見逃さなかった。
これまでの時点で、夕呼が武に強い興味を抱いたことは間違いない。
あとは夕呼次第だ。ばらまいた餌に食い付いてくれるかどうか。だが、武は確信していた。オルタネイティヴ計画をここまで知っている男を、夕呼がむざむざ野放しにするはずがない。
「あなた……あのシロガネタケル?」
――食い付いた。
よし、と武は内心で笑みを浮かべる。
「ええ……ご無沙汰してます、先生」
小躍りしたい内心の喜びを押し隠し、武はにやりと笑って頷いた。
「あんまり変わってたものだからわからなかったわ」夕呼は衛兵へと視線を横目に投げ掛け、「……連れて行って……いいわね?」
「は!」
敬礼する伍長。しかし、その内心には武に対する疑念が浮かんでいるのだろう。じっと睨んでくる。
それに苦笑しながら、武は夕呼について基地内部へと……戻っていった。
数時間後、武は微かな疲れの色を顔に浮かべたまま、B19フロアのエレベーターホールに立っていた。何しろ、これまで四時間にも及ぶ厳重な身体検査や血液検査を受けていたのだ。前の世界でも経験があるとはいえ、慣れることではない。
先程まで武を案内してくれていた、夕呼の秘書官も務めるイリーナ・ピアティフ中尉はもういない。今更案内など必要なかったのだが、今の武は初めてこの基地へとやって来た、いわば客人ということになっている。断るわけにもいかなかった。
慣れ親しんだ廊下を進み、夕呼の執務室の自動扉を潜り……武は、部屋の中に入った。
最初に抱いた感想は、懐かしい、というものだった。武にとっては、前にこの部屋に入ってから、既に八年が経過している。至極当然の感慨だった。
「単刀直入に聞くわね……オルタネイティヴ計画のこと、どこで知ったの?」
部屋に入ってきた武の姿を認めるなり、夕呼は怪訝も露わに言った。
本当に単刀直入だ、と思いつつ、武は答える。
まだるっこしい腹のさぐり合いをするつもりはなかった。
「……初めてその言葉を聞いたのは、12月24日の夜……基地司令の口からです」
「12月24日? 一体いつの12月?」
「今年です…………今から二ヶ月後……」
夕呼は黙って武の言葉を聞いている。沈黙は先を促すサインだ。
「その日、基地司令はこう言いました。この横浜基地は、対BETA戦における極東防衛の要であると同時に、人類勝利の鍵を握る極秘計画――つまり、オルタネイティヴ4の研究拠点だって。……けど、オレ達がそれを知ったときには、既に全てが終わっていた。そのときにはもう、オルタネイティヴ4は挫折し、オルタネイティヴ5への移行が決定していたから」
「それが……12月24日……」
「そうです。オルタネイティヴ4は何の成果も残せなかった。だから、5に移行した。……時間がないのは、さっきも言った通りです。何も成果を残せなければ、オレの知る限り、早くてクリスマスにはオルタネイティヴ4は打ち切られる」
「早くて……?」
夕呼が眉をひそめた。
頷いて、武は答える。
「一度目の世界では12月24日、二度目の世界では6月8日――それが、オルタネイティヴ4のリミットでした」
その半年のズレは、12・5事件や新型OSであるXM3の開発によってもたらされたものだろう。二度目の世界と一度目の世界の決定的な違いはそのくらいだった。
「……あと……二ヶ月?」
「実際には正味二ヶ月もないかもしれません」
一度目の世界でオルタネイティヴ4の終了が告げられたのは12月24日だったが、その何日も前から、武達207訓練小隊は基地内待機を命じられていた。武の知らないところで、基地上層部や国連、米国のオルタネイティヴ5推進派との駆け引きがあったのだろう。
「だから先生はそれまでに半導体百五十億個の並列処理装置を何とか手のひらサイズにしなくちゃいけない。純夏を――00ユニットを完成させるために!」
「――!?」
武が00ユニットの、そして純夏の名を口にした途端、夕呼の表情が一変した。
これまでの怪訝そうに武を探るような表情から、一瞬明らかな狼狽へと変わり――すぐさま取り繕われ、猜疑と警戒に満ちた厳しい表情の仮面が被られる。
同時に、白衣から銃を取り出すと、右手を武へとまっすぐに伸ばして銃口を向けた。
「…………何が目的なの?」
「オルタネイティヴ5の発動の阻止、オルタネイティヴ4の完遂……そして、BETAに勝利することに決まってます。……信じられませんか?」
夕呼の指の動き一つで命を奪われるという状況にあって尚、武は完全に平静を保っていた。
「……あなたが、反オルタネイティヴ派の工作員である――って話の方に、より信憑性を感じるんだけど」
そういえば前の世界でも同じことを言われたな……と、武はぼんやりと思った。
あのとき自分は、突き付けられた拳銃に怯え、その現実が何故だかあまりにも悲しくて、ただ感情のままに言葉を吐き出すことしか出来なかった。
――でも、今回は違う。
勿論、頭の奥で燻る熱と、胸の奥で燃える炎、抑えようのない悔しさと哀しさ。それらが失われたわけではない。
むしろ、熱はどんどんと膨れ上がっている。
それでも武は、自分の感情を押し殺して、問うた。それが出来るくらいには、成長していた。
「本当にそう思ってますか?」
冷静に、言葉が出た。
「……どういう意味?」
「オレを本当に工作員だと思ってるんなら、護衛も監視も付けずにオレを部屋に入れるなんてこと、あり得ません。もしオレが工作員だったら、部屋に入った時点で勝負は決まってます。これでもオレは軍人ですよ? 武器なんかなくったって、夕呼先生一人殺すくらいわけありません。
オルタネイティヴ4を潰すには、その中心にいる先生を殺すだけでいい。香月夕呼の替えも、社霞の替えも……そして、鑑純夏の替えも、この世界には存在しないんですから」
「――ッ!」
再び、狼狽に夕呼の表情が強ばる。だが、顔の神経に意識を集中させているのか、仮面が剥がれ落ちるということはなかった。
「……この状況でよくそんな落ち着いてペラペラ喋れるものね」
「そりゃそうですよ。射撃訓練も受けたことない人間がいきなり9mmなんて、この距離でだって当てられるはずありませんから。当たらないってわかってれば恐いはずがないです」
夕呼は典型的な学者肌の人間だ。筋肉も付いていないし、構え自体がなっていない。命中率は一割にも満たないだろう。
今だって、銃把を握る手は姿勢を保持することが出来ずに、小刻みに震えている。
ふう、と武は腹に宿った熱を吐き出すように、一つ溜息を零した。
「……ねえ、先生。もうくだらない駆け引きはやめませんか? こんなまだるっこしい真似しなくても、先生はオレのこと工作員だなんて思ってないでしょ? ……それに、少なくともオレが嘘を言ってない――嘘だと思ってないことは、霞のリーディングの結果を見ればすぐわかるはずです」
「……それも、基地司令が言ったわけ?」
「いえ……霞については、夕呼先生から聞きました。前の世界でオルタネイティヴ4が打ち切られたときに。『次の世界』……要するにこの世界で人類を救ってくれ、って。そのための情報は殆ど全て託されました」
オルタネイティヴ計画の概要、これまでの米国や帝国との水面下での遣り取り。記憶が曖昧な部分もあるが、その大半は克明に憶えている。
「本当なら、次の世界に賭けるなんてこと、しないで済めば良かったんですけどね……」
湧き上がる悔しさを堪えて、武はそう付け足した。
「…………あなたが言っていることをあたしが信じられるという保証は?」
銃を構えたまま夕呼が問うてくる。
「そんなものありませんよ。強いて言えば今言ったように霞のリーディング……ですかね。オレが未来から来たってことについては、先生の因果律量子論で説明出来ると思いますけど」
「……!」
因果律量子論という単語に、夕呼は息を呑んだ。
何しろオルタネイティヴ4の根幹を成す理論だ、武の存在はそれで説明出来るし、自分自身の理論を疑うわけにもいかない。
尤も、武は、それで自分がここにいることについて説明出来るとしか知らないのだが。
「……それじゃ、もう一つ。あなたが秘密を暴露しないという保証は……あるのかしら?」
「オレの知ってる情報に根拠がないのは事実です。因果律量子論を提唱する先生や真実を知る一握りの人間以外、誰がオレの言うことを信じるっていうんですか」
「…………」
「この世界でオレの身元を保証出来るものは……何もない。何しろ、この世界の白銀武は、もう死んでるんですから」
「――! 知っていたの……」
武は無言で頷いた。
『何故死人がここにいる』というのは、既に何度か言われてきた台詞だ。初めて言われたのは一度目の世界の帝国斯衛軍第19独立警護小隊の月詠真那中尉。二度目も前の世界の同じく真那で、三度目が情報省外務二課鎧衣左近課長。
前の世界で夕呼にも確かめた今、それは武にとっても認めざるを得ない事実だった。
「オレは未来の情報を持っている。オレはその情報を活かしたいし、先生はそれを利用出来る。けど、オレの持っている情報は、先生がいなきゃ何の役にも立たない……」
「あたし達は……ある種の利害が一致している……ということかしら?」
武は頷いた。
深い溜息を吐いて、夕呼は銃を下ろした。セーフティを掛けて白衣にしまう。
「それにしても、12月24日に6月8日か……連中も随分と皮肉な真似してくれるわ。クリスマスプレゼントにバースデープレゼントのつもりかしら」
夕呼は呟いた。
そう言われて、武はふと元の世界での出来事を思い出していた。2001年の6月8日、夕呼の誕生日を盛大に祝わされたのだ。
「……じゃあ、仕切直しといきましょうか。いくつか質問をさせてもらうわ」
「はい」
「あなたは何某かの原因によって、死ぬたびに時間を遡るようになった。そして三度目のこの時間を体験している……ってことでいい?」
「はい。……その前には、別の世界にいたんですけど」
「別の世界?」
「オレは元々、この世界の人間じゃないんです。BETAのいない、人間同士の戦争はあるけど、概ね平和な世界で……その世界の日本でオレはただの学生だったんです」
「……BETAが……いない世界? それがあなたの言っていた隣で、あなたが持ってたあの小さな端末もその世界の品だってワケ?」
小さな端末――ゲームガイのことだ。
あれは明らかにこの世界にはない技術を用いて作られている。網膜投影技術が発達したこの世界では、美麗な液晶が発達することはなかったし、そもそも科学技術を娯楽に利用する余裕などありはしない。そんなものを見て、夕呼が武に興味を持たないはずがない。
頷いて、武は答えた。
「その世界じゃ、207小隊の連中はオレのクラスメイトで、神宮司軍曹は担任、夕呼先生は物理の先生でした。……そしてある朝、目が覚めたら、この世界だったんです。夢だと思って学校に行ったら……それがこの横浜基地だった」
それから武は、今までに経験した二つの世界のことを話した。
衛兵に捕まり、営倉に入れられ、夕呼と会ったこと。突然現れた武に夕呼が興味を抱き、セキュリティの高いIDをくれたこと。207B分隊に配属されたこと。クリスマス、オルタネイティヴ4の終了が告げられたこと。霞を乗せた駆逐艦を送り出したこと。
気付いたら時間を遡っていたこと。今と同じような問答の末、再び207B分隊に配属されたこと。帝国軍のクーデターが起こり、鎮圧後任官したこと。新型OSのトライアル中にBETAが現れ、まりもが死んだこと。その後、A-01第9戦術機甲中隊に配属されたこと。6月8日、再びオルタネイティヴ4の終了が告げられたこと。その後、バビロン作戦――G弾の集中運用による全世界のハイヴへの攻撃――を実行し、いくつかのハイヴの攻略には成功するものの、G弾が無効化され、世界は恐慌状態へと陥ったこと。2007年1月1日に国連軍横浜基地は帝国軍に接収され、さらにその数年後、甲20号目標――鉄源ハイヴ突入時に恐らくは死亡――再び時間を遡ったこと。
それ以外にも、霞のこと、純夏のこと、元の世界のこと、三つの世界での人間関係、現時点では見つかっていない新種のBETAのこと、そして現在武が知っているオルタネイティヴ計画についての情報などを、出来るだけ子細に、ただし後の交渉材料となるであろう要素を少しだけ残して説明した。
「……正直、やりにくいわね」
一通り説明し終えたところで、苦虫を噛み潰したような表情を浮かべ、ぽつりと夕呼が呟いた。
「やっぱりオレ、知りすぎてますかね?」
「その通りよ……中途半端にしか知らないんであれば、都合のいい駒として使えたかもしれないのに」
「そうは言っても、先生の下に就いて動かされるだけじゃダメなんだってことはもうわかってますからね。出来るだけ対等にやらせてもらいますよ」
「へえ……言うじゃない」
にやりと夕呼は笑う。それは、武の見慣れた夕呼の笑顔だった。
「それじゃ、あなたの今後について話をしましょう……確認だけど、あたしがあなたを衛士訓練学校に入れたのよね? 我ながらいいアイディアだわ……今回もそうしましょう」
「先生……さっきも言いましたが、時間がないんです。それに、訓練兵なんかじゃ何も出来ない。すぐに衛士として配属してください」
「こっちにも事情があるのよ……あなたがさっき言ったように、この世界の白銀武は死んでるの」
「国連のデータベースを改竄するくらい、先生にとってはわけないでしょ? かなり念入りにやらないとバレちゃいますけど……オレとしてはむしろ多少バレた方が都合がいいです。基本的には、夕呼先生直属ってことにしておけば、誰も追及なんてしてきません。多少の追及なら、オレの方で誤魔化せますし……それに、オレが何者かってことを気にしてる余裕なんて、今の人類にはないでしょ?」
事実、一度目の世界でも二度目の世界でも、武の身元を疑問に思っていたのは月詠真那中尉率いる帝国斯衛軍第19独立警護小隊や鎧衣課長だけだ。実際にはもっといたのかもしれないが、表立って疑問視してきたのはその五名だけ。問題にはならない。
そのことを話すと、
「それなりには頭が回るってことね」
「そんなんじゃありませんよ。前の世界のことを考えれば当然です」
「……わかったわ……ただし、実際に衛士として配属するかどうかは、あなたの実力次第よ」
「望むところです。使いものになるかどうかは、先生がその目で確かめてください」
シミュレーターの操縦桿を握って、武は目を瞑った。
身に纏うは黒い99式強化装備。体にぴったりとフィットするその着慣れた服は、ある種の心地良ささえ感じる。しかし同時に、フィードバックデータがないという事実が、武に違和感を与えていた。たとえるなら、おろし立ての服を着ているような感じ。
フィードバックデータがないということで、加速度病対策にスコポラミンを三錠服用してある。今まで加速度病というものに罹ったことのない武ではあるが、フィードバックデータなしの実戦機動などして、嘔吐しては目も当てられない。
『確認するけど……本当に管制はいらないのね?』
網膜に映し出される、無表情な夕呼の顔。微かな苛立ちを見て取れる気がするのは、付き合いの長さ故か。
目を開き、武は答えた。
「はい。本当のハイヴじゃ、管制なんてものありませんからね」
『……まるでハイヴに潜ったことがあるみたいな物言いね』
「ありますよ、四度ほど」
『――!』一瞬絶句し、『……いいわ。それだけの大口を叩くなら、相応の結果を出してみせなさい』
了解、と頷いて武は自己に埋没する。
自分の中に、黒い濁流が渦巻いているのがわかる。肚の裡に溜まった、どろりとした澱。
記憶が津波のように押し寄せる。
目の前で恩師が死んだ。
仲間が一人死んだ。二人死んだ。
強くなろうと誓った。もう二度と誰も失わなくて済むように、と。
しかし、それも虚しく、仲間達は三人、四人……そして十一人いた戦乙女は皆、武を残して一人残らず逝ってしまった。
それでも尚、武は強さを求め続けた。飽くなき強さへの探求は続いていた。
夕呼の言葉があったからではない。理由も目的もなかったように思う。仲間を失い、将軍殿下を失ってからはもう、護るべき者など誰もおらず。帝国に横浜基地が接収されて三年が経った頃には、白銀武という人間を知る者は誰もいなかった。知っている者はいたとしても、親交などないに等しかった。
敗北が決定的となってから数年が過ぎた頃には、お互いを識別するのは最早、個人の名前ではなく、階級とかつての所属――それぞれが最も愛着のあるかつての所属部隊――に由来するコールナンバーだったから。
――エインヘリヤル1。それこそが、武の選んだコールナンバー。
戦乙女達に仕える、神々の尖兵。
またの名をベルセルク――その名の通り、狂戦士となってBETAと戦い続けた。
だから、きっとそれが理由だったのだろう。狂熱に冒されたかのように。ただ、戦うために戦い、強くなるために強くなった。
ただ、それだけ――。
――さあ、行くか。
ガチリ、と頭の中でスイッチが切り替わる。ここから先は衛士としての白銀武の領分だ。
目に映るのは、薄暗い洞穴。青白い燐光に照らし出された、吐き気を覚える光景だ。シミュレーションとはいえ、この景色はあまりにもおぞましい。
ヴォールク・データ。二十三年前、パレオロゴス作戦にて、ソビエト陸軍第43戦術機甲師団ヴォールク連隊がH05ミンスクハイヴより持ち帰ったハイヴのデータを用いた、ハイヴ制圧シミュレーション。
現在と当時とでは戦術機とその兵装のスペックが大幅に異なるために一概に判断することは出来ないが、歩兵と戦車、戦術機の混成部隊であるヴォールク連隊は、僅か三時間半で壊滅した。生還したのは、三十分ごとにデータを持ち帰った七半小隊――十四名の衛士のみ。
ハイヴとは、それほどまでに絶望的な戦場なのである。
――故に、この武の提案は無謀としか言い様がない。
手っ取り早く自分の力量を確かめさせるためとはいえ、単機でヴォールク・データに挑戦しようと言うのだから。
連携する相手はおらず、兵站も皆無、地上陽動の機能率は50%。
シミュレーションとはいえ、絶望の上に絶望を塗り重ねたような想定状況。世界中の衛士が無茶だ無謀だと断じ、そんな挑戦をする衛士は狂っていると言うだろう。
――だが、それがどうしたというのだろう。
狂っている? その形容は、狂戦士にとっては褒め言葉以外の何物でもない。
「く、は……は、はは……」
唇の隙間から零れるのは、乾いた笑声。
武は唇の端を歪め、スロットルペダルを踏み込んだ。
機体はタイプ94不知火、日本帝国の生み出した初の実戦用第三世代戦術機。武にとって、最も身に馴染む機体の一つ。装備は87式突撃砲が二門、74式近接戦闘長刀が二振り、65式近接戦闘短刀も同様に二振り……前の世界と同じ、突撃前衛でありながらの強襲前衛装備。
兵装を確認する武に向かって、BETAの群が前方から迫り来る。見る間に不知火とBETAとの距離は狭まり、
――そして、侵攻という名の殺戮劇が始まった。
愚直に直進する突撃級の壁を噴射跳躍で飛び越える。着地地点の要撃級に36mm砲弾を点射、動きが止まった一瞬の隙を突いて唐竹に割り、次いで迫る皺塗れの白い巨体を三発の砲弾で無力化、死骸を踏み付けて跳躍、うじゃうじゃと待ち構える戦車級に劣化ウラン弾の雨をプレゼントしてやる。
一瞬とて止まることなく、撃ち、斬り、刺し、立ちはだかる異形の生命体を骸へと変え、蹂躙し、冷徹に冷酷に残酷に残虐に暴虐に暴疾に迅疾に迅速に惨殺を虐殺を抹殺を暴殺を残殺を鏖殺を撃殺を斬殺を繰り返しながら突き進んでいく。行く手を遮る全てに容赦なく、迸る憤怒と憎悪を弾と刃に込めて。
その姿、正しく突撃前衛――嵐纏いし尖兵の名に相応しい。
無数のBETAを飛び越え、あるいは壁を、あるいは天井を蹴り、群がるBETAさえをも足場と変えて、己が道の障害となる全てのBETAを駆逐しながら、誰もが成し得ぬであろう単機での中階層突破を易々と果たす。
尚も武は止まらない。暴風は止まず、尚も最下層へと向けて侵攻する。
体現するは疾風迅雷、開く血路、踏破した道筋に無数の亡骸を積み上げ、不知火はただただ前へと進み続ける。
シミュレーターの筐体の中、武は歪な笑みを浮かべてスロットルペダルを強く踏み込んだ。
一瞬の噴射跳躍。同時にぐるりと上下を反転。36mm砲弾で肉片へと変えた戦車級の死骸を踏み潰すように天井に着地、重力を無視するかのように、不知火はハイヴの天井を駆ける。
――単機でのヴォールク・データ。武にとって、こんなにも楽なことはなかった。
誰かの命を心配する必要もない。自分の命をベットする必要もない。討ち漏らしを無視して、己が最速を以て突き進むだけでいい。
光線属種のレーザー照射がないが故に、武の最大の持ち味である、本来想定されている以上の三次元機動を阻むものなど、OSの性能以外には何もない。
ましてや、現れるBETAはシミュレーターにより生み出された紛い物でしかなく、その数は現実のハイヴには遠く及ばない。これまでに四度のハイヴ突入を経験したことのある武にとって、この程度の数のBETAが問題になるはずがなかった。
攻撃を躱し、奴らを殺害し、進んでいくだけでいい。こんなにも楽なことはない。
まるでゲーム。もう十年以上も遠ざかっているバルジャーノンを思い出す。
――このテストは、楽しい。
誰に憚ることもなく、たとえ虚像であろうとも、好きなだけBETAを殺すことが出来るのだから。
ぞわぞわと胸の奥で昏い愉悦が触手を動かしている。武の心臓を締め付け、全身を支配する。
――恍惚とする。
トリガーを引いた次の瞬間、BETAの体に穴が開き弾け飛ぶ光景に。
長刀を振り下ろす主腕から伝わる、肉を裂き血を噴き出させる感触に。
武にはわかっていた。自分が異常であると。
緩やかに壊れていく――否、白銀武はとうの昔に壊れていた。次々と仲間を喪っていったあのときから。自覚的に壊れていった。
――今ならばわかる。
体中から血を噴き、双眸から血を流し、胃の腑から血反吐を吐いたあの日々は、このためにあったのだと。
BETAを殺すために。ただ、そのためだけにあったのだと。
この世に存在する全てのBETAが赦せなかった。
大切な仲間達を護れなかった自分が赦せなかった。
――だから、抑え付ける。記憶という感情の奔流に流されてしまわぬように。壊れても尚白銀武であり続けるために。衛士として戦い続け、もう二度と失わぬように。そして、オルタネイティヴ4を成功させるために。
決意は固く。全身を焼き尽くすような憤怒と憎悪を体の内に滾らせようと、氷のような冷徹さを内に秘め、決して呑まれはしなかった。
しかしその刹那、前の世界の戦場の光景が、脳裏に過ぎった。
壊れた戦術機。血塗れの肉塊。食い散らかされた屍体。散っていった、仲間の姿――。
――ざりざりとノイズが思考に混じる。
視界に走る一瞬の砂嵐。
白銀武が停止する。荒々しく雄々しく猛々しく、その実精密に精緻に精確に突き進んでいた不知火が、僅か一瞬、最下層に到達しようという瞬間にその動きを乱し。
その刹那、機体は一斉に現れた数百単位のBETAの怒濤に飲み込まれ――シミュレーションは失敗に終わった。
――武の全身を支配していたどす黒い感情が、一斉に引いていく。前の世界の戦いの記憶に蓋をして、鎖で縛り付けて心の奥深くへと閉じ込める。
偽装横坑と偽装縦坑――その入口が薄い構造材で閉塞されている横坑と縦坑――に警戒するというハイヴ突入時の基本を、武はすっかり失念していた。
実戦であれば、取り返しのつかないことになるところだ。
「失敗したなぁ……」
ぼやきながら、けれどさほど悔しくもなさそうに、至極平然とした様子でシミュレータから降りてくる武を、夕呼は呆気にとられた様子で出迎えた。鳩が豆鉄砲を食らったような、とはこのことだろう。少なくとも武は、夕呼がこんな顔をしたところを見るのは初めてだった。
いつも夕呼にはしてやられてばかりだったから、一種爽快ではある。
だからといって、諸手をあげて喜ぶことは出来ない。シミュレーションと実戦は違う。実戦において、単機で出来ることなど、陽動程度のものだ。BETAの群の中での孤立は即、死へと繋がる。実際、今もそうだった。
たった一人優れた衛士がいたところでBETAには勝てないということは、前の世界で証明されてしまっているのだ。
「えっと……どうですか?」
結果はわかっているものの、一応訊ねてみる。
強化装備のフィードバックデータもなしにこれだけの成績を叩き出してみせたのだから、夕呼も武の実力を認めざるを得ないだろう。少なくとも、一訓練兵として扱っていい腕では決してない。
「どうもこうもないわ……あなた、ほんとに人間?」
驚きと呆れ、それに少しだけの恐れを混ぜた表情で夕呼は答えた。
機動を指して変態呼ばわりされたことは多々ある武だが、人間であるかを疑われたのは初めての経験だった。
「これでも、戦術機乗ってもう十年以上ですからね」苦笑しながら答える。「実戦経験も十一年ですから。前の世界の不知火と勝手が違うんで、最初は戸惑いましたけど……」
正確には、挙動が違うというよりも、機体が武の操作に追い付いてくれていないのだった。
キャンセルや先行入力が使えないために動きに制限があること、コンボがないために一手間二手間余分な操作が必要になるということ、そして即応性の低さのために、何度かひやひやさせられた。
「勝手が違う……? ああ、そういえばそんなこと言ってたわね。新OSを開発したんだったかしら?」
「はい。試作段階だけど、戦術機には十分すぎるくらいの並列処理能力を持ったコンピューターがあるって言って……」
そこで武は前の世界でXM3と呼ばれていた新OSに組み込まれていた、コンボやキャンセル、先行入力といった、操作の簡略化や、パターン認識と集積による機動制御の簡略化について説明した。
それらは既存のコンピューターでは不可能な要求であるはずであったが、自他共に認める天才である夕呼の手によって可能となったのだった。前の世界では流石先生だ、くらいにしか思わなかったが、今思えば、00ユニット用に試作した並列処理回路を転用したのだろう。
夕呼は武の説明を黙って聞いていたが、「ストップ」と言葉を遮った。
「あなたの言いたいことはわかったわ……けど、それを開発することによるあたしのメリットは?」
メリットとデメリット――それは、武と夕呼の間において最も重要な要素の一つだ。
二人は、互いに利害が一致しているから協力しているに過ぎない。少なくとも、夕呼にとってはそうだろう。霞のリーディングや自身の理論という裏付けがあるにせよ、今の武は、情報を知りすぎている厄介な協力相手でしかない。
武もそれはわきまえていた。
「少なくとも、ある程度は帝国や米国、他の国連軍との取引材料として使えるはずです。戦術レベルでは対BETA戦における人類の劣勢を覆す一つの鍵になりますから」
「へえ、大した自信ね」
「そりゃ、夕呼先生が開発したOSですからね。実際に使ってきたオレが言うんですから間違いありません」
唇の端を吊り上げて言う武に、「参ったわ」とでも言うように夕呼は一つ息を吐いた。
「わかったわ……考えておいてあげる」
「ありがとうございます」
武は軽く頭を下げた。
その後、二人は夕呼の執務室へと戻り、今後の調整を行った。
まず、武に与えられる階級を決めることになったのだが、夕呼は武に問うた。
「あんた、指揮官教育は?」
「簡易教育ですけど、受けてます」
「そう……じゃあ、とりあえず少佐にでもなってもらいましょうか」
「少佐……ですか」
「あら、不満?」
なんなら中佐にでもしてあげましょうか、と夕呼は言い放つ。慌てて武は固辞した。夕呼のことだから、それくらい本当にやってのけるかもしれない。
不満などあろうはずもなかった。
夕呼直属の部下、オルタネイティヴ4における片腕として動くには、それなりの地位が必要となる。
地位の重要性を痛感したのは、一度目の世界でも二度目の世界でも同じだった。
尉官が言うのと佐官が言うのとでは、同じ言葉でもまるで重みが違ってくる。
それに、夕呼の部下として動くなら、ある程度の自由を確保しなくてはならない。少尉程度では制限が多すぎるし、面倒な妬み嫉み、周囲からの悪意を避けることは出来ないのだ。夕呼直属として与えられる特権を最大限に活用するには、それらを実力ではなく階級で手っ取り早く抑え付け黙らせる必要があった。
そういう意味では、少佐という立場はありがたかった……が、同時に驚きもある。
未だに武を完全に信じ切っているわけではないであろう夕呼が、武にそれだけの地位を与えてくれたのだ。これは夕呼からの信頼の証か――あるいは、首輪ということなのかもしれない。「たとえ少佐の地位にあったとしても、あんたはあたしの手の平の上なのよ」という。
それについては文句などない。むしろそれくらいの方が夕呼らしくて安心出来る。
そして武には、それ以外にも感慨があった。
「前の世界じゃ、最後は少佐だったんですよ」
「あら、そうなの」
「早く死ねとばかりに戦場に送り出されては手当たり次第BETAを倒してたら、いつの間にか昇進してただけですけどね」
夕呼の腹心であったA-01は、オルタネイティヴ5推進派からしてみれば、邪魔な存在でしかない。皆実力はあるから尚更疎まれ、最前線へと何度も派遣されていた。
仲間を喪い、それでもがむしゃらに戦場を駆けていた結果だ。指揮官教育も、指揮官であった上官が命を落としていくに連れ、必要に迫られて受けさせられたものだ。
オルタネイティヴ4が失敗して、階級にはさほど執着もなくなっていたと思ったのに、意外にも少佐という肩書きは武にとって思い入れの強いものになっていたらしかった。尤も、少佐になってからは昇進を蹴っていたりもする辺り、やはり階級そのものには特別な執着はなかったのかもしれない。
「それじゃ、IDや制服なんかは後でピアティフにでも届けさせるわ。あなたはA-01とは別の、あたし直属の特務兵ってことにしておくから。……他に何か希望があれば聞いておくけど?」
「そうですね……207小隊の教官とかって出来ます?」
「どうして?」
訝しむように――けれどそんなことはおくびにも出さずに――夕呼は問い掛けてくる。恐らく今、彼女の頭の中では、武に207B分隊を預けることのメリットとリスクが瞬時に計算されているに違いなかった。
夕呼は武の実力を認め、高い地位を用意してはくれたが、それがイコール無条件の信用や信頼を意味するわけではない。夕呼がリスクの計算をするのも当然だった。
それを見ながら、武は懐かしむように目を細めて答える。
「あいつらはみんな、オレの大切な仲間なんですよ。だから、もう二度とあいつらを喪いたくない……そのためには、出来る限り強くなってもらうしかない。それには、オレが鍛え上げるのが一番です。そうすれば、いざというときにオレが護ってあげられます。」それに、と言葉を句切って、「――あいつらは、ただ護られてるだけじゃ満足してくれませんしね」
武の顔は夕呼に向いているが、その目は夕呼を見ていない。彼が見ているのは、前の世界で共に戦場を駆けた、掛け替えのない朋友達の記憶だった。
――ああそうだ、護るんだ。今度こそ。絶対に死なせない。死なせてたまるか。あんな穢らわしいイキモノごときに、アイツらを殺させてなんてやらない。オレの仲間を殺そうとするなら、奴らの全てを根絶やしにして――
「そうね……」
夕呼の言葉に、武ははっとして意識を浮上させた。
――駄目だ。
意識という現在が、記憶という過去に引きずられそうになる。
ノイズ混じりの思考に蓋をして鎖で封印し、意識の底へ底へと追いやっていく。
「あたしとしても、使える駒が増えるのは望むところだわ」
どうやら、メリットの方がリスクに勝ったらしい。武は体内の熱を吐き出すように、ほっと溜息を零した。
「……それじゃあ、まりもは用なしってこと?」
「まさか。オレが教えられるのは戦術機の機動くらいです。多少口出しはするかもしれませんけど、神宮司軍曹には教官続けてもらいますよ。……それに、まりもちゃんの夢を奪うわけにはいきませんから」
「へえ……先生になりたかったってまりもの夢、知ってるんだ。それに……何? まりもちゃん、だって。随分仲良かったみたいじゃない」
にやにやといやらしい笑みを浮かべる夕呼。元の世界で何度も見た、猫が鼠をいたぶるときに見せるような、嗜虐心に満ちた笑みだ。
ぞわりと背中に寒気が広がる。
慌てて武はばたばたと手を振った。
「元の世界じゃ、そう呼んでたんですよ。こっちじゃ……たまにぽろっと呼んじゃってましたけど」
それで睨まれたのも一度や二度ではなかった。それも、今となってはいい想い出だ。XM3のトライアルのあの日を境に、武の前から“まりもちゃん”はいなくなってしまったのだから。
その時を境に、甘さを捨てようと決めた。神宮司教官は、武の中で、最も尊敬すべき人となった。
訓練兵であった頃の武にちゃん付けで呼ばれて怒るまりもを想像したのか、夕呼はけらけらと笑っていた。
気恥ずかしくなって、武は俯くしか出来なかった。
どうやら、内面の年齢は並んでも、一生この人には頭が上がりそうにない。
「ま、いいわ。それじゃ、教官として軍曹って階級も付けておいてあげる」
笑いながら夕呼はそう付け加えてくれる。
「……二重階級ですか?」
「まあ、訓練校の教官をやってもらう以上、便宜上ね。基本的には少佐として動いてもらうから、教官をやっている時間だけ、一時的に軍曹っていう扱いになるってだけよ」
訓練校の教官としての最高階級は軍曹となっている。教官を務める場合、必然的に階級は下がってしまうことになるのだった。
また、本来ならば二重階級は禁止されているのだが、軍曹という階級に就くのは、207B分隊の訓練中のみの特別措置。それならば混乱も来さないで済むだろうということだった。
無論、こんな無茶が許されるのも、香月夕呼副司令の名と力があってこそなのだが。
「あ……あと、新OSが形になり次第、A-01の方でもたまに戦技指導の教導官やらせてもらえると嬉しいんですけど。どうせ、OSのテストやらせるんでしょ?」
一頻り夕呼が笑い終わった頃、武は言った。
伊隅戦乙女隊――彼女達もまた、武にとっては掛け替えのない戦友だった。
「ああ……伊隅達のことも知ってるんだっけ……ま、その辺はあなたの好きにしなさい。報告さえしてくれれば、好きにしてくれて構わないわ」
「そうさせてもらいます」
一礼して、何かあったときには遠慮なく呼び出すということで、武は夕呼の部屋を後にした。