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[27243] Lyrical Night(Fate/stay night×リリカルなのはsts)
Name: リリナイ◆23c1d855 ID:76699dfe
Date: 2011/05/04 13:44
これはFate/stay nightとのクロスオーバーです。
そのような作品がお嫌いな方は掲示板一覧に戻るようにしてください。


注意1)
本作品は「型月×リリカルなのはクロススレ」で投稿済みのものを、第1話から再投稿したものです。
再投稿は第17話までで、以降は二重投稿になります。
なお、そのスレでは二重投稿を宣言済みです。


注意2)
出血描写・暴力描写が多く存在します。
苦手な方は閲覧を控えるようにしてください。



[27243] 第1話 黄金の光
Name: リリナイ◆23c1d855 ID:76699dfe
Date: 2011/04/17 00:05
 ―― 一日目 AM00:05 ――

ミッドチルダに夜の帳が下りた。
沿岸部に設けられた、遺失物対策部隊 機動六課隊舎。
その窓から漏れる明かりも既にまばらで、隊自体も眠りに就こうとしているかのようだ。
都市部の喧騒もここでは遠い。
先ほどまで聞こえていた訓練の声もしなくなった。
ただ潮騒だけが、規則的な満ち引きのリズムを闇夜に響かせていた。

「もうこんな時間かぁ」

スバル=ナカジマは枕元の時計を見て、小さく呟いた。
就寝時間はとうに過ぎていた。
日付も少し前に変わってしまっている。
もう一時間は眠ろうと努力しているのに、その成果が表れる気配は一向になかった。
疲労した身体とは裏腹に、不思議と目が冴えてしまっているのだ。
明日も早朝から訓練が待っている。
夜更かしをして、今日の疲労を持ち越すわけにはいかない。
そう考え込んで頭を使えば使うほど、余計に眠気が吹き飛んでしまう。
つまるところ、スバルは典型的な悪循環に陥っていた。

「ああー、あと何匹羊数えればいいんだろ」

うつぶせに、枕に顔を埋める。
どん、と寝台の下から衝撃がきた。

「まだ起きてるの? 早く寝なさいよ」

二段ベッドの下段で寝ていたはずのティアナ=ランスターが、スバルに声を掛けてきた。
まどろみと目覚めの狭間にあるような、気の抜けた声。
どうやらスバルの騒がしさに安眠を妨害されていたようだ。

「寝不足で訓練やって、なのはさんに叱られても知らないわよ」
「うぅ……」

最も懸念していたことを指摘され、スバルはますます焦ってしまう。
外の新鮮な空気でも吸えば気分が変わるかもしれない。
そう考えて、ゆっくりと身を起こす。

一瞬、もう朝になったのかと錯覚した。

部屋の壁面に並ぶ大きなガラス窓。
その全てが、まるで朝陽を浴びているかのように光り輝いている。

「何……あれ」

スバルはすぐに気が付いた。
地平線――あるいは水平線の彼方から垂直に伸びた、巨大な光柱に。
それはまさしく、空を裂く黄金の光。
帳を破り、水面を金色の鏡に変え、見渡す限りを照らし尽くす輝きだ。
数秒、スバルはその光に意識を奪われていた。
突如として地面が揺れる。
海面には同心円状に波が立ち、窓ガラスが割れんばかりに振動する。

「な、なに!?」

眠りかけていたティアナが跳ね起きる。
何事かと寝台から身を乗り出して、スバルと同様に窓の外に釘付けになった。
二段ベッドも大きく揺さぶられていたが、スバルの視線は光に向けられたまま動かない。
地震のような鳴動の最中、2人は呼吸すらも忘れていた。
夜空に迸る光の奔流。
それが何であるのか2人には知る由もない。
ただ純粋に心を奪われていた。
美しさという陳腐な言葉で括りきれはしない。
たとえ万の宝石を並べてもこれほどの輝きは放たないだろう。
夜空を貫いた黄金の光は、やがて星々の彼方へと消えていった。



 ―― 一日目 AM07:00 ――

「凄まじいな、これは」

騎士シグナムは嘆息した。
吹き付ける潮風に乱された髪を直しながら、その縁の間際で立ち止まる。
目の前の舗装された地面には、巨大な孔が空いていた。
目分量で直径を推し量るのが馬鹿らしくなるほどの大きさだ。
メートルで換算すれば3桁の大台に迫るだろう。
孔の反対側に立つ局員の顔がぼやけて判別できない。
それほどまでの、巨大な孔だった。
戦艦が地上に誤射してしまったと言われれば、疑いもなく信じてしまいそうになってしまう。
あの現場に居合わせたシグナムでさえそうなのだ。
調査に従事する局員達に至っては、原因の見当も付いていないだろう。
事実、風に混ざって根拠のない憶測や噂が聞こえてきていた。
シグナムはそれらを聞き流し、落下しないように気をつけながら孔を覗き込んだ。
舗装材の焼けた厭な臭いが、喉の奥に不快な感覚を生じさせる。

「十二、三メートルといったところか」

円柱状に抉られた深さを目測する。
更にその奥、孔の最深部には、ビル街の一画がすっぽり収まりそうな空間が広がっている。
配されていた雑多な機器は残らず薙ぎ倒されていて、何のための施設だったのか見当も付かない。
「降りてみるか……いや、そう急ぐこともないな」

シグナムはすっと立ち上がった。
辺りを見渡せば、遺失物対策部隊の隊員達がせわしなく駆け回っている。
彼らは皆、五課の隊員たちだった。
担当任務の関係上、六課の出る幕はないはずだ。
何故なら全てが終わった後なのだから。
残されたのは巨大な孔一つ。
繰り出されたのは、ただ一撃。
起きたことの重大さとは裏腹に、あっけない幕切れだった。

「いいえ、まだ終わってないわ」

背後からの声に、シグナムは思わず振り向いた。
赤いコートを身に纏った少女が、腕を組んでシグナムを見据えていた。

「なんだ、『魔術師』殿か。読心術も使えたとは知らなかった」
「顔に出てたわよ」

魔術師がシグナムに並び立つ。
年の頃は主はやてとそう変わるまい。
しかし、僅かにウェーブの掛かった長い黒髪を背中に流したその姿は、妙に大人びて見えた。
シグナムは魔術師の言うことが理解できないと言いたげな表情になった。
彼女は「まだ終わっていない」と言った。
だがアレは確かに破壊されたのだ。それはシグナムも確認している。
ならば終わっていないとはどういうことなのか?

「3つか4つ――止め損なったみたい」

シグナムが疑問を口にする前に、魔術師は理由を述べた。
それを聞いて、顔をしかめる。
状況が変わった。
遠からず、六課は激しい戦闘に晒されることになるかもしれない。
いや――ほぼ必定だ。
敵になりうる相手の戦闘能力を鑑みれば、新人達は間違ってもぶつけるべきではないだろう。
だとすれば自ずと手は限られてくる。
ヴォルケンリッターと隊のエース達のリミッターを外し、全力投入。
こちらの被害を最小限に抑え、尚且つ勝利を得るにはそれしか手段はない。

「それじゃ、私はあなた達の隊長さんと話し合ってくるから。ここはお願いね」

魔術師はひらと手を振って、孔から離れていった。
シグナムは無言で見送ろうとしたが、訊ねておこうと思っていたことを思い出し、呼び止めた。

「あの騎士は、今どこに?」
「お腹がすいたって言ってたから、どこかで食べてるんじゃない?」


 ―― 一日目 AM10:25 ――

隊舎の廊下で2つの欠伸が重なった。

「ふゎあ……眠ぅ」

スバルは周囲の目を気にすることもなく、大きく口を開けて新鮮な空気を吸い込んだ。
結局、あれから興奮で眠ることができなかった。
目を瞑れば、眩い金色の光が目蓋の裏に甦る。
夜空を引き裂いたあの光は一体何だったのだろうか。

「そんなに口開けないでよ。みっともない」

スバルの欠伸を咎めるティアナ。
彼女もスバルと同じように眠そうな目を擦っている。
ティアナもまた、スバル同様に光のことが気になって仕方がなかったのだ。
とはいえ、凄いものを見たと純粋に興奮しているスバルとは違い、その正体を考えていたせいなのだが。
早朝訓練が終わったら調べてみよう――
最初はそう考えていたが、寝不足の身体で受けた訓練は想像以上に堪えていた。
元より、スバルほど頑丈な造りをしていないティアナのことだ。
さっきの訓練はどうにか乗り切ったものの、いつ集中力が切れるか分かったものではない。
休息時間の合間に、少しでもいいから仮眠を取っておきたい。
今はそんな思いで胸が一杯だった。
曲がり角に差し掛かったところで、小さな影と出くわした。
スバル達よりも頭一つか二つは低い位置で、赤いお下げがぴょこっと揺れた。

「おまえら動き悪かったぞ。ちゃんと寝てんのか?」

はふ、と欠伸を噛み潰して、ヴィータが2人を見上げる。
ティアナとスバルは顔を見合わせた。
2人とも、意外な人の意外な姿を見たという驚きと、仲間を見つけたような妙な連帯感を感じた。

「ヴィータ副隊長も睡眠不足ですか?」
「あー、夜通しでちょっと一仕事な」

そう語るヴィータの顔には、微かな疲労の色があった。
肉体的な疲れというより、精神的重圧から解放された後の疲労の残滓というべきか。
どれほど神経をすり減らす任務に就いていたのだろうか。
ティアナは小さな副隊長の身を案じ、労わりの言葉を掛けようとした。
それを遮ったのは、相方の気楽そうな声だった。

「あ、なのはさんだ」

出鼻を挫かれ、がくっと崩れるティアナ。

「何でアンタは空気が読めないのよ……!」

ぎゅっと頬を引っ張られながらも、スバルは廊下の一角を指差していた。

「だってほらぁ! 知らない男の人と話してるんだよ?」

その一言に、空気が凍りついた。
ティアナとヴィータはことの重大さを理解していないスバルを引っ張って、即座に角へ身を隠した。
一番上からティアナが、一番下からヴィータが顔を出し、間からスバルの顔が控えめに覗く。
3人の頭が壁から縦に並んでいる光景はブレーメンの音楽隊を思わせた。
傍から見れば滑稽以外の何物でもないのだが、本人達は至って真面目なようだ。
当のなのはと言えば、親しい友人と語らっているときのような表情で、見知らぬ男と談笑していた。
職場では滅多に見ることがない表情だ。

「知らない奴だな……」

なのはとの付き合いが長いヴィータも首を捻っている。
シグナムよりも少し高い程度の背丈に、赤銅のような短髪。
六課の制服を着ているのだが、今まで一度も顔を合わせた覚えがない。

「ティアナ、何話してるか聞こえる?」
「ううん、全然」

話の内容を聞き取ろうと、スバルは身を乗り出した。
それが悪かった。
不意打ちで体重を掛けられたヴィータがバランスを崩し、がくっと倒れこむ。
支えを失ったスバルの身体も、当然のように倒れてしまう。

「わ、バカ!」
「うわああぁぁ!」

大きな音を立てて転がるスバルとヴィータ。
ティアナは頭を抱え、観念した様子でなのは達の前に出た。
スバルは倒れた格好のまま誤魔化し笑いを浮かべ、ヴィータは不機嫌そうな顔を崩していない。

「みんなどうしたの?」

驚き、掛けよるなのは。
立ち上がろうとするスバルに手を貸して、服についた埃を叩き落とす。

「すいません、なのはさん」

礼を言いながらも、スバルは件の男に視線を向けた。
意志の強そうな人だ。
それが彼に対するスバルの第一印象だった。
スバルの視線に気が付いたのか、なのはは男の紹介を始めた。

「ヴィータちゃんも、会うのは初めてかな? 本日付で機動六課に配属になった――」
「衛宮士郎。階級は――えっと、三等陸尉待遇、だったかな。それとも陸曹だっけ」

三等陸尉で合ってるよ、となのはが小声で補足する。
どちらにせよ自分達より上の階級だと教えられ、スバルとティアナは反射的に敬礼をしていた。

「よ、よろしくお願いします!」
「ああ、こちらこそよろしく」

そんな2人に、衛宮士郎は敬礼を返さずに右手を差し出した。
一瞬理解が遅れるが、すぐに握手を求めているのだと分かった。
変な人だ。ティアナからの第一印象はそんなものだった。
管理局の規律からは外れた行動であるはずなのに、不思議とそちらの方が似合っている。
スバルは少しだけ戸惑いながらも、差し出された手を握り返した。
無数の剣を握ってきたような、固い掌だった。



[27243] 第2話 静かな始動
Name: リリナイ◆23c1d855 ID:76699dfe
Date: 2011/04/17 01:12
 ―― -3742日 PM11:05 ――

街は静かな戦場と化していた。
駆け抜けるは、伝説に謳われる兵達。
交わるは、神話の域に至った剣戟の極地。
住民達の知らない世界の裏側で、彼らはたった一つの勝者の座を巡り、己の全てをぶつけ合っていた。
褒賞は唯一無二。
全てが秘密裏に遂行される。
故に、闖入者は決して望まれない。

街を二分する川がある。

それに架けられた、全長六〇〇メートルに達する大きな橋。
名を冬木大橋という。
橋の支柱、行きかう車を見下ろす高所に長身の騎士が立っている。
身に貼り付くような薄い黒衣に、琥珀色の双眸。
余りにも美しすぎるその貌は、しかし苦渋に歪んでいた。
騎士が右腕で突き出すは赤き長槍。
その切っ先には、余りにも幼すぎる少女がいた。
力なく崩れ、刃を首筋に当てられたその姿は、戦場とはまるで似合わぬ様相だ。
傷らしい傷はない。しかし大きな瞳には怯えと絶望が色濃く浮かんでいる。
夕餉の席から飛び出してきたような普段着に金属製の杖を抱きかかえ、少女は声もなく騎士を見上げていた。

破魔の紅薔薇ゲイ・ジャルグ

魔術的効果の一切を無意味と化す魔槍の前に、その少女は無力だった。
騎士が眼光を鋭くする。
闖入者は許されない。
見てしまった者は、いてはならない。生きていてはならない。
しかし誇り高き騎士にとって、その実行は屈辱と同義であったのか。
騎士は左手の、黄色の短槍を振るった。
切っ先は少女を避けて、その杖のみを打ち砕く。
第四次聖杯戦争。
その最中、本来あるはずのない闘争の一つが、幕を下ろした。



 ―― 一日目 PM03:40 ――

六課専用の訓練場に戦闘の音が響く。
ヴィータが繰り出す一撃をスバルが凌ぎ。
なのはの誘導弾をティアナが撃ち落し。
フェイトの指導する回避機動にエリオとキャロが追随する。
日々繰り返している、日課ともいうべき基礎訓練。
しかし今日は、普段とは違うことが一つだけあった。

「ティアナ! 次いくよ!」
「はい!」

なのはの周囲に浮遊していた色とりどりの魔力弾が励起され、絡み合う軌道を描いて飛来する。
ティアナはそれらのコースを先読みし、一つずつ確実に迎撃する。
リロード、射撃。射撃、射撃。
複雑な軌道で迫る最後の魔力弾に追尾弾を放つ。
あの魔力弾は撃墜されないコースを選択して飛んでいる。
ならば追尾弾によって、飛行する路を『撃墜されない唯一の飛行経路』に限定してやればいい。
小刻みに軌道を変える追尾弾。
その追撃マニューバに明確な隙を加えておけば――

「……そこ!」

クロスミラージュから放たれた弾が魔力弾を撃ち落す。
――標的は必ずそこを突く。
行く場所が分かっているのなら、撃墜するのは容易いことだ。
ふぅ、と気を緩めるティアナ。
昼下がりも過ぎて段々調子が上がってきた。
これなら午前の遅れも取り戻せそうだ。
そんなことを考えていた時点で、既に油断しているも同然だった。
役目を終えた追尾弾は制御を失い、森の方へと飛んでいく。
追尾弾の向かう先に、ふらりと人影が現れた。

「危ない!」

思わず声を上げるなのは。
追尾弾はその人影の死角から、もはや回避不能な距離にまで迫る。
彼の手に得物はない。
ティアナの脳裏に、己の不注意がもたらす一秒後の光景が過ぎった。
制御を失った追尾弾は防がれることもかわされることもなく、無防備な頭部に直撃する。
放ったのは純粋魔力弾だったのか。
そんな自明のことすらも、混乱した思考では思い出せない。
もし物理的な破壊力のある弾を放っていたとしたら――

だがそれは、実現しなかった。

刃物が空気を裂く音。
切り裂かれて形を失い、霧散する追尾弾。
ティアナは我が目を疑った。
彼の左手には、いつの間にか黒い片刃の剣が握られている。
デバイスを発動した様子もない。
どこかに剣を隠し持っていた様子もない。
それなのに、男はさも当たり前のように剣を振るい、追尾弾を切り裂いたのだ。

「衛宮君、大丈夫?」
「すいません! 怪我はありませんか!」
「ああ。ごめんな、訓練中に近付いて」

男――衛宮士郎は黒い剣の峰を肩に乗せ、2人に向き直った。
機動六課の訓練風景に混ざった小さな変化。それは彼の存在だった。
今日付でスターズ配属となったという彼だが、隊の殆どは、今日になるまで彼の存在を知らなかった。
隊の全員に確認したわけではないが、ティアナが訊ね回った限りでは、ただ一人。
高町なのはだけが彼との面識を持っていた。
フェイトやヴィータのようななのはの旧友ですら「名前を聞いたことがある気がする」程度なのだ。
過去を詮索する趣味は無かったが、同じ分隊に属する隊員になるのだ。
必要最小限の情報は知っておきたかった。

「ええと、エミヤ三尉」

初対面に近いのに馴れ馴れしくないだろうかと悩みながら、ティアナは切り出した。

「三尉は六課の前にどこの隊に所属されていたんですか?」

なるべく差し当たりのない、無難な質問を選んだつもりだった。
なのに、彼の反応は芳しくない。
どう説明したものかとばかりに頭を掻き、なのはと目配せしあう。

「前も何も、管理局なんて入ってなかったからな。魔導師ランクなんてのも持ってないし」

それは想像もしていなかった返答で、ティアナは一瞬理解することができなかった。
じゃあどうして六課に、と問いかけようとして、口を噤む。
出自はどうあれ、八神部隊長も承認した人事のはずだ。
それなら自分が口出しすることじゃない。
ティアナが無理に自分を納得させようとしているのに気が付いたのか、なのはがフォローを入れる。

「スターズとライトニングのフォワードを1人ずつ増員することになって、わたしの知り合いにお願いしたの。
 ちょっと裏ワザみたいになっちゃったけど、そうでもしないと時間が足りなくって」

ランクは近代ベルカ陸戦C扱いだよ、と付け加える。
どういう知り合いなのか聞きたいんです、という言葉を飲み込んで、ティアナは頷いた。

『増員』

『三等陸佐待遇』

『陸戦C扱い』

『時間が足りない』

バラバラの情報をつなぎ合わせると、おぼろげながら背景が見えてくる気がした。
機動六課は、今すぐでもに戦力を増強する必要に迫られているのではないか。
それも、正規ルートの人事異動ではなく、わざわざ外部から引き抜いてこなければならないほどの。
想像の底なし沼に飲まれかけているのを感じて、ティアナは小さく頭を振った。
何かあれば自分達にも通達されるはずだ。
それまでは普段通りに訓練を重ねていればいい。
クロスミラージュのグリップを握る手の平に、知らず汗が滲んでいた。

「なのはさーん! 大丈夫ですかー!」

底抜けに元気な声が飛んできた。
土の付いた訓練着のままのスバルが、マッハキャリバーの車輪を唸らせて走ってくる。
危ない、となのはが叫んだのを聞きつけたのか。

「うん、大丈夫だよ。ね?」

なのははスバルに微笑みかけつつ、衛宮に同意を求めた。
当然、衛宮も頷く。
後ろを歩いて付いてきたヴィータが、やれやれと肩をすくめる。

「だから言ったろ。心配すんなって」

あははと笑いながら、なのははここにいる全員を見渡した。
スターズ分隊隊長、高町なのは。
同隊副隊長、ヴィータ。
同隊隊員、スバル=ナカジマとティアナ=ランスター。
そして新入隊員の衛宮士郎。
図らずもスターズ分隊の全員が集合している。
衛宮が加わってから初めての集結だった。
これからの任務、スターズはこの5人で戦うことになる。

「エミヤシロウだっけか。シロウが苗字でいいのか?」

ヴィータが真面目な顔で訊ねた。
衛宮は不思議そうに首を傾げ、ヴィータの問いを小声で反芻する。
数秒経って、単純に姓名の順を訊ねているのだと気付く。

「いや、エミヤが苗字でシロウが名前。高町と同じ順番だな」
「じゃあ、シロウ。一つ聞くけど、それがあんたのデバイスか?」

衛宮が左手に握っている黒剣を指差す。
ティアナの魔力弾を迎撃した、どこからともなく取り出された黒い剣。
外見は地球の古代王朝で鍛造されていた刀剣に良く似ている。

「デバイス? 一応ただの剣だと思うけど」

答えながら、剣をヴィータに渡した。
片手剣であるはずなのに、ヴィータが持つと両手剣のように見える。
ヴィータは耳を寄せて刀身を軽く叩いた。
鍔らしい鍔はなく、陰陽を模った円があしらわれており、武器というよりは祭具に近い雰囲気の刀だ。
如何なる製法によるものなのか、幅広の刀身には深い赤色の正六角形状の文様が蜂の巣状に浮き出ていた。

「魔力をかなり帯びてるみたいだけど、確かにデバイスじゃねーな」

事実、この剣にデバイスのような機械部品は組み込まれていない。
スバルも興味津々に、鈍く太陽光を反射する刀身を眺めている。
その瞳は、博物館か美術館に飾られた貴重な品に引き寄せられた子供のようだった。

一方で、ティアナは、自身の中に疑念の芽が生まれているのを感じていた。
確かにエミヤシロウという人物は、魔力弾に不意を打たれても対処できる程度の実力はあるらしい。
ひょっとしたら自分よりも強いかもしれない。
でもそれとこれとは話が別だ。
はっきり言って、素性不明にも程がある。
彼がどんな人物で、何が出来て、何のためにここにいるのか、ティアナは全く知らないのだ。
思い返せば行動の節々にも違和感があった。
敬礼を返さずに握手を求めてきたこともその一つだ。
隊長に軽い口調で話しかけたり、デバイスを使わずにただの剣を振るったり……
どれも管理局の常識から著しく外れている。

つまるところ、ティアナはエミヤシロウという男を信頼しきれないでいた。
まだ出合って間もないからだ、と理由を付けることは簡単だ。
しかし、このまま素性不明を押し通されるのであれば、彼を信頼することは永遠にないだろう。
そう確信できた。

「ティアナ?」
「は、はいっ!?」

急になのはの顔が現れて、ティアナは飛び上がる勢いで背筋を伸ばした。
つい考え込んでいて、周りのことが目に入っていなかったようだ。
ティアナは顔から火が出そうになるのを必死で堪えている。

「小休止、取っていいよ。スバルと衛宮君の模擬戦が終わるまでね」

先ほどまでなのはとティアナが訓練をしていた場所で、スバルと衛宮が向かい合っている。
入念に足回りの柔軟をするスバル。
感覚を確かめるように2,3度黒い剣を振るう衛宮。
ティアナの懸念を余所に、スバルは新しい隊員に馴染もうとしているようだった。

「手加減しませんよー」
「こちらこそ」

審判役のヴィータがすっと腕を上げる。

「それじゃ……はじめっ!」

号令の直後、リボルバーナックルと黒い刀身が衝突する。
火花が飛び散り、甲高い金属音が森に響き渡った。



 ―― 一日目 AM10:30 ――

冷たい海風が、潮の香りを運んでくる。
機動六課の隊舎前にいるのは、赤毛の青年。
彼は空を見るでもなく、目蓋を閉じて静かに佇んでいた。
すっと右手を前に突き出す。
手の平を下に向け、何かを掴み取るように軽く指を曲げる。

「――――――、――」

青年の口が、ごく短い言葉を紡ぐ。
一瞬の閃光が走る。
何もなかったはずのその手に、一振りの長剣が握られていた。
装飾を極限まで排した、機能的かつ実用的な剣だ。
青年は長剣を様々な角度から見、満足そうに頷いた。
ぱちぱち、と。
何処からか拍手の音がする。

「久しぶりに見たけど、ほんとに凄いね」

青年が振り向くと、教導隊の制服に身を包んだ高町なのはと目が合った。
青年――衛宮士郎は彼女の賞賛をくすぐったそうに受け取った。

「これくらいは基礎練習だって」

長剣を傍らに立てかけ、自身も壁にもたれかかる。

「まだ、話してないのか?」
「うん……。なんて言ったらいいか分からなくて」

そりゃそうだよな、と同意する。
衛宮士郎は空を仰ぎ、遠い昔を懐かしむように目を伏せた。
振り返れば短い、しかし生涯忘れないであろう日々。
それを他者に聞かせるには、とても一日では足りないだろう。
その場にしゃがみ込み、膝を抱えるなのは。

「もう終わったと思ったのになぁ」

衛宮士郎は無言で剣を取った。
眼前で振るい、冷えた空気を切り裂く。
鉄色の刀身が月光を弾き、水面のように輝く。

「何度だろうと終わらせてやるさ」

彼の言葉には、一かけらの迷いも躊躇いもなかった。
なのはの口元が緩み、笑みに変わる。

「変わってないね、衛宮君」

立ち上がるなのはの表情に、もう陰りはない。

「たった半年で変わってたまるか」

2人はどちらからともなく並び、夜の道を歩き出した。
その背中は、命を懸けて死線を潜り抜けてきた戦友のようだった。

「でも、まずはこっちに馴染まないとな」
「じゃあ今度みんなでご飯食べにいこっか」

何気ない談笑。
しかし互いの胸には、言い表せない不安が渦を巻いていた。




 ―― 二日目 AM02:00 ――

――廃棄都市区画。
一般人は元より、管理局局員ですら理由がなければ立ち入ることのない場所。
たとえ入ってよいといわれても、一般人はよほどの無謀でなければ拒絶するだろう。
廃棄されたという在り方そのものが人を遠ざけるのだ。
人々は想像しうるありとあらゆる危険をその区画に重ね合わせ、目を背けている。
故にそこは、人の手のみによって生まれた異界であった。

そう、結界である。

魔術的な意味合いを持たず、一切の魔力を用いず、その在り方のみで成り立つ結界。
ここにいる限り、逃亡者はそう簡単には発見されはしない。
任務を帯びた局員以外で侵入するとすれば、大なり小なり脛に傷持つ者。
社会的に褒められはしない立場の人間くらいのものだ。それに例外はない。
たとえ善良な市民であったとしても、ここに立ち入ること自体が責められるべきことなのだから。
すなわち、密告のリスクは限りなく低いということになる。
今、廃棄ビルの3階に陣取る男達もそのような類の人種であった。
人数は4人。服装などから見るに、2人ずつのグループの会合のようだ。
互いに、持ち寄ったバッグを交換する。
片方には金塊が、もう片方には、片手に余る大きさの赤い宝石が。
両者は中身を確認しあうと、にやりと笑った。
とてもではないが善良とは思えない笑み。
そして事実、彼らは社会的に『悪』と看做される行為に及んでいた。
想定外の目撃者などありえない。
この場に居合わせるとすれば、明確な意図を持って踏み入れるものだけだ。

キュイ、と機械の機動音がした。

その場の全員が振り向き、窓の外に浮かぶモノを認識する。
カプセル状の奇妙な機械が、無機質なカメラでビルの内部を睥睨していた。
各々が杖型デバイスを取り出し、謎の機械に向ける。
発動するはずの魔法は、その予兆すら起こらない。
謎の機械から熱線が放たれた。
宝石の入ったバッグを持つ男の胸に穴が開く。
他の3人がそのことに気付いたのは、男が床に倒れ付してからだった。
悲鳴を上げ、逃げ出す男達。
機械は彼らを追うこともせず、倒れた男の傍らのバッグに近付いた。
初めからこのバッグだけが目的であり、男達は眼中にないような手際だ。
機械はバッグを破壊し……

――ヒュッ

風切り音が男達の脇を抜ける。
バッグの中身を検分していた機械の装甲が突如として貫かれ、壁面に串刺しにされる。
火花が散り、焦げ臭い煙を残して、機械は機能を停止した。
突き刺さったのは、鋭い切っ先の金属棒だった。
長さは2メートルとあるまい。
男達は呆然と足を止め、金属棒を投擲した人物の姿を見た。
正気では、ない。
両目に尋常ならざる光を宿し、逆立つ髪は鬣のよう。

狂戦士。

それ以外に、アレを形容し得る言葉は存在しなかった。
獣の唸り声のような音を口から漏らしながら、右手に握った赤い槍を振りかぶる。
大気に満ちる魔力が凍りつく。
彼らは、一瞬でも「助かった」と思った自分達を呪った。
こんなことなら、あの機械に殺されていればよかった。
後悔しても既に遅い。
放たれた槍は中央の男の胴体を貫き、風船のように破裂させる。
左右の男達も引き裂かれた空気に巻き込まれ、まるで襤褸のように宙を舞う。
3つ分の残骸が床にぶち撒けられた直後、鮮血が雨のように降り注いだ。

時計の針は進み続けている。
今起きていることを、そしてこれから起こることを知る者は、まだ少ない。



[27243] 第3話 戸惑い
Name: リリナイ◆23c1d855 ID:76699dfe
Date: 2011/04/17 01:15
 ―― 二日目 AM10:00 ――

忙殺とはこのような状況を言うのだろう。
八神はやては椅子の背もたれに体重を任せて、天井を仰いだ。
目蓋は重く、視線が宙を泳ぐ。
髪や衣服が少々乱れていることを気にする余裕もない。
一歩踏み外せば底なしの眠りに落ちてしまう――そんな境にはやては浮かんでいた。

「はやてちゃん……少しは寝ないと身体壊しちゃいますよぉ」

小さな曹長がデスクに降り立つ。
怒っているような口調だが、その表情は心配そうだ。
はやては隈のできかけた目を擦り、リインに微笑みかけた。

「心配せんでええって。お客さんとの話し合いが終わったらちゃんと寝るから」

そう約束されても、リインの顔から不安の色は消えなかった。
責務が普段の2倍にも3倍にも増えたような疲労のしようなのだ。
本音を言えば、今すぐ無理にでも休息をとらせたい。
けれど、最後の最後ではやてが抜けてしまえば、もうじき表沙汰になる緊急事態に対処できなくなってしまう。
するべきことをする。それが責任というもの。
分かってはいるけれど、大切な人が疲れ果てているのを見るのは嬉しいことではない。
リインは喉まで出掛かった言葉を飲み込んで、自分の席へ戻った。
『お客さん』が来る予定の時刻までまだ時間がある。
はやては半透明のコンソールを操作して、最後の確認に勤しんでいる。
今にも倒れてしまいそうで、見ているこちらがはらはらする。
リインはまだ来ぬ来客を待ち侘びた。
そのとき、コンコン、とドアを叩く音がした。

「来たっ!」
「どうぞ、入って」

来客はこの場に似つかわしくない格好の女だった。
一番に目に付くのは、鮮やかな赤いコート。
サイズが大きめなのか、裾は膝を隠すほどの長さで、下げた手は指先しか露出していない。
しかも、その赤い装束からは魔力の存在が感じられた。
こんな格好で管理局の施設を歩いていてはバリアジャケットを着ているのかと誤解されそうだ。
長い黒髪を背中で束ねる髪飾りにも、これまた赤い宝石があしらわれている。
初めて彼女を見たリインは、思わず目をぱちくりさせた。
受け取った資料にははやてと同年代であると記されていたが、実際会ってみると2,3歳は大人に見える。
なのはさんやフェイトさんみたいに髪を括れば、印象が変わるのかもしれない。リインはそんなことを思った。
こう、後ろに流してる髪の毛を左右に分けて、2つに括って……

「わざわざここまで来てもらってごめんな、魔術師さん。本当はこっちから出向くべきやのに」
「気にしないでいいわ。ホテルにいたって状況は良くならないんだから」

いつの間にか、はやては服装を正して来客に応対していた。
リインも脱線しかけていた思考を元に戻し、気持ちのスイッチを切り替える。
慣れた手つきでコンソールを叩いて報告書を読み上げた。

「一昨日の真夜中から昨日未明にかけての作戦の結果を受けて、状況はプランBに移行。
 作戦準備段階からの予定通り、衛宮士郎氏を機動六課スターズ分隊に配属。
 配属に関連する管理局各部署との調整も終了。本日から各種任務に参加可能となります。
 ……今朝までの報告は以上です」
「ありがと、リイン」

次善の策プランB
事態が望ましい方向へ向かっていないことの揺るぎない証明。
はやてと魔術師は、交わす言葉こそ多くないものの、同じ認識を共有していた。
一歩間違えば破局が待っている。
にも関わらず、それを知る者のなんと少ないことか。
はやてはデスクに両肘を突き、両手の指を絡めて、本題を切り出した。

「とにかく情報収集を密に。それがこれからの大原則や。
 その為にも管理局の上層部ともっと連携して、アンテナをあちこちに向けなあかん。
 だから、まずはお偉いさんに正確な経緯を知ってもらいたいんや」

核心に触れない、遠回しな要請。
魔術師は胸の前で腕を組んだ。
想定通りとばかりに、不適に笑う。

「上層部への報告に私も立ち会って欲しいってわけね。いいわよ。こういうのは私が適任でしょう」
「ありがとうな。スケジュールが決まったら連絡させるから」

ささやかな会談は終わった。
状況を把握している者同士であるのだから、至る結論も同じだった。
赤い魔術師は扉の方へ向かい、直前で立ち止まる。

「止め損ねた分は4つ。大人しく力尽きるか拠り所を確保していればいいんだけど……」

そこで言葉を切り、はやてに振り返る。

「どちらでもないなら死体の山ができるわ」

魔術師は断言した。
有無を言わさぬ、確信の篭った響き。
リインは知らず胸元で手を握り込めていた。

「もしどちらでもなかっても、なんとかしてみせる。そのための機動六課や」

はやての声に躊躇いは無かった。
部下達への、仲間達への信頼に満ちた眼差しで、赤い魔術師を見据える。
魔術師は軽く頭を振ると、はやての視線を真っ直ぐ受け止めて、口の端を上げた。

「上等ね。私の使い魔サーヴァントも力が回復したら戦力に加えさせるわ。
 それで少なくとも五分には持っていけるでしょ」

自信に満ちた笑いを浮かべる魔術師。
はやては柔らかい微笑みで答え――ばたんと机に突っ伏した。

「……! はやてちゃん!」

慌てて飛び出すリイン。
どうにか意識を取り戻させようと机に降り立つ。
規則正しい呼吸と共に、はやての背中は小さく上下していた。
どこからどう聞いても健やかな寝息だった。
リインの表情が安堵に緩む。

「はやてちゃん……」
「しばらく寝かせてあげたほうがいいんじゃない?」

魔術師に言われるまでも無く、リインはそのつもりだった。
人形のような手がはやての頬を撫でる。
疲れ、荒れている白い肌。
これははやてちゃんの頑張りの証だ。
リインは言葉にできない愛しさを感じていた。



 ―― 二日目 AM10:40 ――

「ねぇ。エミヤ三尉のこと……どう思う?」

そう唐突に切り出したのはティアナだった。
目の前の相手にだけ聞こえる大きさで、しかしはっきりと。
スバルは目をぱちくりさせて、質問の意図が分からないと言いたそうに首を傾げた。

「ふぇみやはんは?」
「ごはん飲み込んでからでいいから」

時刻は昼前。
訓練を一段落させたスターズ分隊は、休憩を取って少し早い昼食を広げていた。
ティアナとスバルは、大きな木の根元で向かい合うようにして腰を下ろしている。
なのは達は少し離れた場所にいて、ライトニング分隊はまだ訓練中だ。
今なら話を聞かれることもないだろう。
無論、ティアナはそれらを全て確認した上で、スバルに問いかけているのだが。
スバルは急いで口の中の昼食を飲み込んで、ティアナに向き直った。

「んぐ……。エミヤさんがどうかした?」
「そのまんまよ。スバルがあの人のことをどう思ってるのか知りたいの」

出合って間もない相手なのに、どう思っているのか、なんて聞かれても困るだけ。
頭では理解していてもつい訊ねてしまった。
かくいうティアナ自信も、あの人物には漠然とした第一印象しか抱けていない。
それも、積極的な受け入れとは異なる感情だ。
表現する言葉は思いつかないが、端的に言えば、ティアナは彼のことをまだよく知らない。
けれど同じ隊の隊員として経験を重ねれば、きっと信頼関係を築くこともできるはずだ。
しかし今はまだ情報が少なすぎる。
いくら隊長の決定とはいえ、見ず知らずも同然の相手に命は預けられない。
ティアナの思考回路は、当然としか言いようのない結論にたどり着いていた。
それでもスバルにあんなことを訊ねたのは、純粋に他人がどう思っているのか知りたかったのか。
あるいは自分の考えに同意して貰いたかったのか。
だが、相方の返答は至極簡潔だった。

「良い人だと思うよ。なのはさんの友達なんだし、悪い人なわけないじゃない」

笑顔で言い切るスバル。
ティアナはがくっと肩を落とした。
難しい理屈や分析を求めていたわけではないが、正直言って期待はずれな答えだった。

「なのはさんから紹介されたからって理由で? ちょっと安直過ぎるでしょ」

思ったことを、ついそのまま溢してしまう。
言ってから、スバルを非難するようなニュアンスになっていたことに気付き、内心後悔する。
スバルは不服そうに唇を尖らせた。

「安直じゃないって。悪い人をわざわざ管理局に引き抜く意味なんてないでしょ?」

あまりにシンプルな反論に、ティアナは返す言葉が無かった。
確かに当たり前のことなのだ。
裏ワザみたいな手段とやらを使ってまで、信頼できない相手を呼び寄せる理由など存在しない。
人事部から一方的に割り当てられた人員ならともかく、だ。
隊長自らが選んだのだから、戦力的に不足であるとも考えられない。
不和が生じるとすれば、性格などで個人的に反りが合わない場合くらいだろう。

……そうだ。

ティアナはようやく己の感情を理解した。
何だかんだ言って、一番気になっていたのはそこじゃないか。
客観的に見える理由を積み重ねたところで、結局は主観的な理由でしかないんだ。

「そりゃそうだけど……」

「でも、心配になるのも分かるな。
 エリオ達と初めて会ったときもそうだったけど、ちゃんと仲良くなれるのか心配だよね」

スバルは三分の一も残っていない昼食を、再び口に運んだ。
ちゃんと考えているのか、それとも能天気に何とかなると思っているのか。
ティアナは自分の膝に視線を落とした。
昼食は半分も減っていなかった。

「考えすぎ、なのかなぁ」

呟き、空を仰ぐ。
木々の梢では、太陽の光が水面のように輝いている。
重なり合う木の葉の影と、その間から注ぐ光が、まるで万華鏡のように形を変える。
胸にくすぶる漠然とした不安は消えていない。
けれど、多少は気が楽になった気がした。

「……あれ?」

視界に妙なものが入り込んだ……ように見えた。
葉っぱとは違った、大きな影。
ここから少し離れた樹木の上に何かがいる。
ティアナは昼食の容器を置いて、その木の根元に向かった。

「あれ? ティアどうしたの?」

スバルは声を掛けるだけで、追いかけようとはしない。
最初は空戦魔導師が横切ったのだと思った。
――なら同じ場所にいるのはおかしい。
次に鳥が止まったのだと思った。
――それにしては大き過ぎる。
だから自分の眼で確かめた。

「へっ?」

ティアナは一瞬言葉を失った。
どちらの仮説も半分間違っていて、半分正解だった。
木の頂上に近い大きな枝に、人間が腰掛けていたのだ。

「エミヤ三尉! そんなところで何してるんですか!」

枝に座っていた衛宮士郎が木の下のティアナに顔を向ける。
声が届かないかもしれないと思ったが、どうやらちゃんと聞こえたようだ。
衛宮士郎は脚を軽く振って、そして、足から真っ直ぐ落下した。
ティアナが驚きの声をあげる暇もなかった。
彼の体は重力に引かれて加速し、むき出しの地面に到達する。
靴が土を巻き上げる。
両膝は衝撃を吸収するように曲げられて、制服の裾が風を受けて短いコートのように膨らんだ。

「よっと」

なんて事はないとばかりに、平然と立ち上がる。
ティアナは気を取り直し、10センチは高い位置にある顔を見据えた。

「どうしてあんなところにいたんですか」
「街の様子を見ようと思ったんだけど、なんかまずかったか?」

街と言われて、ティアナは海岸線に臨む街並みに目をやった。
大きな建物などの輪郭は見えるが、街の様子までは判別できない。
不思議そうにしているティアナの横で、衛宮士郎も同じ方角を向いた。

「橋のタイルの数を数えられるってほどじゃないけど、海沿いを歩いてる人の顔くらいは分かるかな」

ティアナがいくら目を細めても、そんな遠くのものなど見えはしない。
――ああ、この人もあたしには見えないものが見えているんだ。
スバルと正面から打ち合うなんてことも、魔法もバリアジャケットもなしで飛び降りることも、あたしにはできない。
あたしにできないことを、この人は当然のようにやっている。
心に浮かべた自分の言葉に、ティアナは思わず唇を噤んだ。
事実をそのまま表現したに過ぎない。
それなのに、一度収まったはずの感情が再び沸き起こりそうになってくる。
この不安感がどこから来るものなのか、自分でも分からない。
それがまた不安を煽る。
ティアナは彼に気付かれないように――自分すらも気付かないうちに――僅かに後ずさっていた。

「お、ちょうど全員揃ってるな」

唐突にヴィータが声を掛けてきた。
赤いドレスのようなバリアジャケットの裾と大きなお下げを揺らしながら、二人の前に歩いてくる。
ティアナは知らず安堵の息をついていた。
もしヴィータが来なければ、間違いなく逃げ出していただろう。
行為に至る理由はさして重要ではない。
後になってから、逃げたという事実を後悔することしかできなくなったはずだ。
ヴィータが不機嫌そうに衛宮士郎を一瞥する。
その眼差しを受けた当人は、当惑した様子で後頭部を掻いた。
ヴィータからあまり良い印象を受けていないことを自覚しているようだ。
だが、その理由までは想像できていないらしい。

「何でなのははこんなヤツと……あー、なんでもない。明日のスケジュールが変更になったから、連絡だ」

指摘を許さない勢いで畳み掛ける。
ティアナは発言の前半を頭から追い出して、姿勢を正して次の言葉を待った。
「明日は廃棄都市区画での実戦演習だ。スターズとライトニングの合同でな。

隊長二人は午後になるまで別の仕事があるから、午前中はあたしとシグナムとエミヤシロウが敵役だ。分かったな」



 ―― 二日目 AM11:00 ――

隊長室のドアをノックして数秒。
幾ら待っても、反応らしい反応はなかった。
なのはは首を傾げ、再度ノックする。
やはり返ってくるのは沈黙だけだった。
もしかしたら部屋を空けているのかもしれない。
そう思い、念のためドアノブに手を掛ける。

「あれ? 開いてる」

そっと中に入る。
返事が無かった理由はすぐに分かった。
部屋の主であるはやてが、机に突っ伏してすやすやと眠っていた。
足音をなるべく立てないように、はやての傍に歩いていく。

「……ぁ」

ドアの近くから見たときには気付かなかった。
眠るはやての頬に寄り添うようにして、リインも可愛らしい寝顔で横になっている。
二人ともまるで子供のようだ。
なのはは、自然と口元が緩むのを抑えられなかった。
はやての肩に掛けられた赤いコートの位置を整え、真新しいハンカチをリインの体に被せる。
勿論、用件があるからこそ、なのははここに来たのだ。
けれどこうして眠る姿を見ていると、無理に起こすのが悪いことのように思えてしまう。
少しくらいなら良いだろう。
そう考えて、なのはは静かに隊長室を後にした。

「もう一週間も働き詰めだもんね……。たまには休まないと」
「他人の心配もいいけど、自分のことも気遣ってやれよ」

はっと顔を上げると、廊下の真ん中で仁王立ちするヴィータと目が合った。
ヴィータはいつもの不機嫌そうな表情で、なのはをじっと見据えている。

「どうしたの? こんなところで」
「新人達がそろそろ訓練再開したいんだとさ。だから呼びに来た」

腕を組み、なのはに道を譲るように廊下の壁際へ身を寄せる。
なのはは少し考えて、ひらと手を振った。

「ごめん、まだやることが残ってるから、ヴィータちゃんに任せていいかな」

ヴィータの表情が沈んだ。
顔を伏せ、なのはから目を逸らす。

「やっぱ、アレなのか」

二の腕を掴む指にぎゅっと力が篭っていく。
ヴィータは急に顔を上げると、なのはの返事を待たずに二の句を継いだ。

「いくら急がなきゃいけなかったからって、あんな小数でどうにかしようってのが間違ってたんだ。
 それに公表どころか、まだ管理局でも知らない奴が殆どなんだろ? 上の連中は何を考えてるんだか……」

溜まっていた不満を吐き出すように言い募る。
今度は本物の不機嫌だ。
いや、不機嫌よりもずっと純粋な、優しい感情だった。

「そりゃ、あたしもアレを見たのはこの前が初めてだけど、アレがとんでもなく危険なのは間違いないんだ。
 だからなのはは関わっちゃ駄目だ! "聖杯"なんかに!」

肩で息をしながら、ヴィータは目元を指で拭った。
なのははヴィータの頭に手を置いて、くしゃっと撫でた。

「それは違うよ。私が関わらないと駄目なの。
 本当は六課のみんなも巻き込みたくない――
 私と衛宮君達だけで解決できるなら、それが一番良かったんだけど」

またエミヤかよ――
そう呟いたヴィータの声は、なのはには聞こえなかったようだった。

「だから明日はみんなと別のお仕事。管理局の皆にも手伝ってもらわないと、何にも出来ないから、ね?」

優しく微笑みかけるなのは。
ヴィータは口を閉ざし、また俯いた。
しかし今度は先程と様子が少し違った。
なのはの制服の袖を、指先で摘むように、けれどしっかりと握っている。

「……わかった。なのはは好きに飛んでいいよ。あたしが絶対護るから」



[27243] 第4話 魔槍Ⅰ
Name: リリナイ◆23c1d855 ID:76699dfe
Date: 2011/04/17 15:21
 ――三日目 AM04:00――

ぜぇ、ぜぇ、ぜぇ。
手足に力が入らない。


ぜぇ、ぜぇ、ぜぇ。
視界が霞む。


ぜぇ、ぜぇ、ぜぇ。
耳鳴りは止むことがなく。


ぜぇ、ぜぇ、ぜぇ。
頭が今にも割れそうだった。

 
もう数年は人が通っていないであろう裏路地。
男はここで、一人死に掛けている。
頭から被ったローブは薄汚れ、その下の衣服は傷だらけ。
まるで何日も絶え間なく這いずり回ったかのよう。
そんな見てくれなど気にする余裕もないのか、男は空を仰ぎ、無心に呼吸を繰り返している。
東の空が不気味に明らみ始める。
廃墟の街を焼き尽くさんばかりに、白い光が染み込んでくる。
男はビルの上に立つ影を、呆と見ていた。
何と形容すれば良いのだろうか。
ヒトの形をした、それ以外の何か。
狂気と殺意を泥人形のように固めれば、或いはあんなものが生まれるかもしれない。
それほどまでに禍々しい影。
髪が逆巻き、眼球は焦点を結んでいない。
口を動かせば、聞こえるのは意味の無い唸り。

――狂っている。

男はずっと前から直感していた。
いずれ自分はこの狂人に殺される。
傷ついた身体を動かす。
壁伝いに、歩行と表現するのもおこがましいたどたどしさで、少しずつ動いていく。
このままでは生命を吸い尽くされてしまう。
干からびて朽ち果てるまで、解放されることはないだろう。
唯一の救いは、ヤツが自分を直接手に掛けることがないということだけだ。
『俺を殺すな』と告げた命令は、確かにヤツを縛っている。
しかしそれも一時の延命に過ぎない。
武器はとっくに奪われた。
抵抗する術など持ちえていない。

だからもっと――が必要だ。
もっと――があれば、ヤツも多少は満足するだろう。

ずり、ずり、と壁を擦りながら、進む。

――を与えろ。

――を探せ。

――を食わせろ。

――を

――を

――を

――ニンゲン――を。 

男の爪が建造物の壁を削る。
右腕に刻まれた二画の刻印が、赤黒く瞬いていた。



 ――三日目 AM8:55――

『皆さん、配置に着きましたかー』

小さな軍曹の呼びかけがモニタ越しに響き渡る。
昨日の打ち合わせ通りに、新人達は廃棄都市区画の各所に待機していた。
班構成はツーマンセル。
スターズのスバルとティアナが第一班、ライトニングのエリオとキャロが第二班。
実戦におけるコンビネーションを想定した組み合わせだ。

「第一班、ティアナ=ランスター、準備できました」

ティアナは手にしていたクロスミラージュを収め、モニタに向き直った。
モニタの中のリインフォースは軽く頷いて、ティアナの後ろへ視線を向ける。

『スバルは準備いいですか?』
「はいっ、オーケーです!」

足回りの柔軟を繰り返しながら返答するスバル。
いつも準備運動を欠かさないが、今日はいつになく入念だ。
それだけ普段より気合が入っているということだろうか。
ティアナは青く澄んだ空を見上げた。
雲一つない背景に、無機質な廃ビルが建ち並んでいる。
しばらくそうしていると、騙し絵を見せられているような感覚に陥ってしまう。
青空とビルがあまりにも不釣合いで、ビルの輪郭が浮いて見えるのだ。
広大な空に崩れかけの建造物。
まるで不出来な合成写真のようだ。
あるいは青いパネルの前に置かれたミニチュアセット。
いや、それとも――

『演習開始は五分後、きっかり九時からです。ルールは昨日説明した通りですよ』

リインが訓練の説明を開始する。
ティアナは思考を切り替えて、昨日受けていた事前説明の内容を反芻した。
前もって与えられた情報は演習エリアの地形データと、自分の班のスタート座標だけだ。
エリオとキャロの配置は、スバルとティアナには伝えられていない。
演習エリアはこの廃棄都市区画内の8km四方。
敵役を務める副隊長達の追撃から逃れ、エリアから脱出することが目的となる。

つまりは撤退演習だ。

戦場において最大の被害を出すのは、戦局が決して撤退するとき。
背を向けたところへ容赦のない攻撃が飛んでくるタイミングだ。
防御や味方への援護すら難しく、応戦すれば足を止めざるを得ない。
即ち全てが不利に働く戦況。
第二班の位置を教えられていないのも、部隊が分断された状況を想定しているからだ。
ティアナも知識としては理解しているが、幸か不幸かそんな窮地を体験したことはなかった。
だからこそ、この演習に手を抜くことはできないと考えていた。
練習は本番のように、本番は練習のように。
今日の経験はいつか必ず役に立つ筈だ。
しかし実戦ではなく演習であるため、幾つかの制限が設けられている。
一番大きな制限はタイムリミットの存在だろう。
開始からきっかり一時間。それが与えられた時間的猶予。
その間に脱出できなかった場合は問答無用で演習失敗となる。
敵役との交戦は自由だが、なるべく避けるべきだとティアナは考えていた。
そもそも副隊長二人と正面から戦って勝てるとは思えないのだが。

『そろそろ開始時間ですね……みんな、頑張って下さいね』
「はいっ!」

昨日、演習の概要を通達されてすぐに、ティアナはすぐに作戦を考え始めていた。
自分達の開始位置は、ビルの合間を縫うハイウェイ跡。
南北どちら向きに辿ってもエリア外まで一直線だ。
しかし余りにも見晴らしが良過ぎ、隠れる場所が殆どない。
こんなあからさまなルートなど、確実にマークされているに決まっている。
追っ手を戦って退けようなんてしたら、十中八九返り討ちにされて捕まってしまう。
ならば自ずと選択肢は決まってくる。
遮蔽物がそれなりに多く、尚且つ距離の短いルートを全力で駆け抜ける。
シンプルだが、下手に複雑な作戦を立てて失敗するよりはずっといい。
ティアナは横目で、ぐっと伸びをしている相方を見た。

「スバル。上手くやれるかはあんた次第なんだから、失敗しないでよ」
「大丈夫だって。今日はかなり調子良いから」

今回の演習とスバルのウィングロードは相性抜群だ。
なにせスバルの思うままに逃走経路を創り出せるのだから。
ティアナは大きく息を吸い込んで、ゆっくり吐き出した。
大丈夫、作戦通りにやればクリアできる。
シミュレーションも重ねたんだから。
何度もそう自分に言い聞かせる。

……唯一未知数なのは、衛宮士郎の存在だった。

まだ出会ってから一日か二日。
どんなスキルを持っていて、どんな魔法を使えるのかすら、まだ知らない。
あの黒い剣を出現させたのは転送系の魔法だろうか。
剣そのものはデバイスではないとヴィータ副隊長も言っていた。
昨日のうちに暇を見つけて訊ねておけば良かったと、今更ながらに後悔する。
どんな魔法を使うんですか? その一言で充分だったのに。
一応仲間なのだから、渋って教えてくれないなんてことはないだろう。

――ああ、また思考が脇道に。
気持ちを切り替えないと。

ティアナはパンと両頬を叩いた。

「……よし、行くよ、スバル!」
「うん!」

カウントダウンがゼロを刻む。
二人は朽ちた道路を蹴って駆け出した。


 ――三日目 AM09:00――

撤退演習が始まった。
舞台は廃棄都市区画の一画を区切った急ごしらえの演習場。
ルールは単純。逃げるか、捕まえるか。
要は派手な鬼ごっこだ。
ヴィータは相変わらずのむすっとした表情で、刻々と移り変わるタイム表示を睨んでいる。
最初の3分間、追っ手役は初期位置から動くことができない決まりになっている。
この演習を企画した側である以上、新人達の開始地点を完全に把握しているからだ。
移動する猶予がなければ演習にならず終わってしまう。

「やっと1分……長いな」

ヴィータは小さな声で呟いた。
ヴィータ達の待機場所は大きなビルのエントランス前だった。
他のビルに遮られて数十メートル向こうも視認できない。
とんとん、と靴底でコンクリートの道を叩く。
赤いバリアジャケットに身を包み、グラーフアイゼンを担いだ姿はまさに臨戦態勢。
3分が経てば即座に飛び出していきそうな雰囲気だ。
だが、出動が待ち遠しいというのとは、少しばかり様子が違うようだった。
ヴィータはエントランス前で待機するもう一人の人間に向き直った。

「おいエミヤシロウ。お前も新入りなんだからな。ヘマしたらあいつ等と同じように怒るぞ」
「ああ、分かってる」

脅すようなヴィータの言葉に、衛宮士郎は至って真面目に返答した。
その格好は、ヴィータのそれとは見事に正反対だ。
着衣は明らかに普段着で、簡単な武装の一つも手にしていない。
待機モードのデバイスを携行している様子すら無かった。
まるで、うっかり危ないところへ迷い込んだ一般市民のようだった。
つまみ出したほうが良いかもしれない、なんてことまで思えてしまう。
ヴィータは周囲に聞こえるような溜息を吐いた。
心底、不可解だ。
どうしてこんな男が機動六課に加わっているのだろうか。

「なのは……何隠し事してんだよ」

ミッドチルダで何かが起ころうとしている気配がする。
先日の任務も、エミヤシロウの存在もそうだ。
自分が知らないところで、刻一刻と事態は動いているのではないか。
そんな気さえしてくる。
ふとタイム表示に視線を移す。
残り十秒ほどで追っ手側もスタートだ。
出発を促そうと、ヴィータは衛宮士郎に向き直った。
次の瞬間、けたたましい警報が鳴り響いた。

「なっ!?」

咄嗟に視線を巡らせる衛宮士郎。
ヴィータは反射的にリインフォースⅡとの通信を開いていた。

『大変ですっ! 演習場外部から侵入者が!』
「何だって……人数は! 目的は!?」

勢いに任せて問いかける。
警報は依然として鳴り止む気配がない。
耳障りな機械音に鼓膜がどうにかなってしまいそうだ。

「演習場周辺のセンサが、外側から内側へ侵入する反応2つを確認しました!
 両方とも陸上を移動していて、片方は時速数百キロなんてスピードだったみたいです!』
「ヴィークルか何かに乗ってるのか……? こんなときにっ!」

小さく毒づいて、ヴィータは歯噛みした。
ここにいるのは新人達4人と追っ手約3人だけだ。
隊長達は別件でおらず、ロングアーチは演習場の外からモニタリングしている。
もし悪意ある侵入者だとしたら、現状は決して望ましいものではない。
バラバラに逃げ出した新人達を早くどうにかしなければ。
ヴィータは今後の対応を一気に組み上げる。
緊急通信で演習の中断を通告。
現在位置を教えさせ、副隊長が合流までその場で待機。
一秒の遅れが命取りだ。
視線だけ動かして、衛宮士郎を見る。
慌てたりパニックを起こしたりしている様子は無い。
状況が分かればすぐにでも対応できる面構えだ。

「リイン、新人達に通達頼む! 演習はすぐに中……」

ザ、とノイズが走る。
音声と映像が急激に乱れ、リインの顔が判別できなくなる。
よりにもよってこんなときにトラブルが発生してしまうとは――

「――いや……通信妨害……?」

把握していた現状を、より悪いものへ書き換える。
報告された速度から考えて、速い方の侵入者は最悪1分程度で新人達と遭遇しかねない。
通信の復旧を待っている猶予はないだろう。

「あたしは空から探す! 陸は頼んだ!」
「分かった!」

衛宮士郎に振り返ることもせず、ヴィータは地を蹴った。
赤いドレスの騎士は、一陣の風となり空へ駆け登っていった。



 ――三日目 AM9:10――

不意に地面が揺れた。

「――え?」

最初に気が付いたのはティアナだった。
走るのを止めて、辺りを見渡す。
地震とは違う奇妙な振動。
風に混ざって、ゴゴゴ、という不気味な音が聞こえてくる。

「ティアナ、どうしたの?」
「シッ! 静かにして」

相方が立ち止まったことに気が付いたのか、スバルもブレーキを掛けた。
デバイスを使って移動していたために振動には気が付かなかったのだろう。
そもそも揺れ自体はそう大きくなかったのだ。
ティアナが感じたのは、鳴り響く音の奇妙さだった。
最初に大きな音が聞こえ、暫くそれが継続したかと思えば、あっさりと聞こえなくなっていた。
ここからでは、建ち並ぶビルに阻まれて視界は良くない。
二人は開始地点のハイウェイ跡を降りて、通常の道路を走っていた。
追っ手側に見つかりにくいようにとの判断だったが、こういう場合はマイナスだ。
しかも上空から隠れることを考えて、あえて高架下を選んでいる。
周囲の様子を把握するという点においては失敗だったかもしれない。

「ひょっとして、キャロとエリオ、見つかっちゃったのかな……」

心配そうにスバルが呟く。
もしそうだったとしても助けに行く余裕はない。
わざわざ発見されに向かうようなものだ。

「……行こう」

相方に促すティアナ。
急がないと追いつかれてしまう。
スバルもそれを理解しているようで、こくりと頷いて同意する。
前に向き直り、再び走り出そうとしたその矢先。

「待てっ!」

背後から男の声が飛んでくる。
思考は一瞬。
二人はすぐに現状を理解した。

「ティア、背中乗って!」
「うん!」

振り向くこともせず、ティアナはスバルの背中に飛び乗った。
ヴィータより先にエミヤシロウに見つかったことは予想外だった。
けれど予定通りに動くだけ。
今回は二人一緒に逃げ切ることが先決だ。
ティアナがしっかりと掴まったことを確認して、マッハキャリバーを駆動させる。
加速にそう時間は掛からない。
わずかな間に、二人乗りで可能な速度にまでたどり着く。
ティアナは後ろ向きに引っ張られる感覚に抵抗するように、スバルの身体をぎゅっと掴んだ。
砂煙を上げ、所々にある瓦礫を避けながら、無人の道路を疾走する。
流れる空気が髪を巻き上げ、肌に風圧を感じさせる。
速度は既に時速50kmに近付こうとしていた。
何かしらの乗り物に乗れば容易く出せる速度だが、生身に近い状態で体験すると凄まじい高速に感じる。
ティアナは息を呑んだ。
スバルはいつもこんな風に走っているのかという気持ちと、これなら上手くいくという手ごたえを同時に覚えていた。
振り落とされないように気をつけながら、後方に視線を送る。
遥か向こうにエミヤシロウの姿がある。
ティアナはそう信じて疑わなかった。
だからこそ、言葉を失った。

「え、嘘っ」

距離が開いていない。
エミヤシロウの姿は依然として十数メートル後方にあった。
生身の疾走で、デバイスを用いた移動に追いすがっているのだ。
いや、それどころか、徐々に間を詰めつつあった。
前傾姿勢で腕を振り抜き、幅広のストライドで道路を蹴って、風のように走っている。

「スバル! 追いつかれそう!」
「えええぇぇぇ!?」

驚くのも無理はない。
マッハキャリバーが出しているこの速度は、人間が生身で実現できるレベルではないのだ。
四脚走行の獣であれば或いは叩き出せるであろうスピード。
その領域を、あの男は二本の脚で駆け抜けていた。

「待てっ、止まれ!」

エミヤシロウが声を張り上げる。
だが、その言葉が聞き入れられる状況ではない。
ティアナはクロスミラージュを右手に取り、左手でスバルの肩を強く掴んだ。

「止まれって……」

素早く上体を捻る。

「……言われてもっ!」

大まかな狙いだけ付けて魔力弾を三連射する。
殺傷力は持たせてはいないが、当たれば充分な足止めになるはずだ。
魔力弾が凄まじい相対速度でエミヤシロウに迫る。
着弾に要する時は僅か一瞬。
その僅かの間に、エミヤシロウは短い言葉を紡ぎ上げていた。
右手の指が何かを握るような形に曲げられる。

ティアナは思わず目を見開いた。

光を放つ魔力が格子状に編み上げられ、瞬時に黒い片刃の剣を具現する。
それは紛れもなく、つい先日目の当たりにしたエミヤシロウの武装であった。
エミヤシロウが軽く身を屈める。
先頭を飛ぶ魔力弾がこめかみを掠めた。

残るは二発。

具現した剣を握る手に力が篭る。
直後、黒剣は初めから手中に収まっていたかのような自然さで、二つの魔力弾を切り捨てた。
まさか、とティアナは言葉を呑む。
あの剣がデバイスでないのなら、転送魔法で取り寄せているのだと思っていた。
しかし予想は大ハズレ。
この男はデバイスの補助すら受けず、ただ魔力のみで武装を物質化させていたのだ。

「スバル!」
「オッケー!」

マッハキャリバーの車輪を唸らせ、急停止。
同時に身体を反転させ、脚を突っ張って速度を殺す。
削れた舗装材が砂埃のように舞い上がる。
ティアナはスバルの背から飛び降りて、その隣に並び立った。
各々のデバイスを構え、臨戦態勢で追っ手と対峙する。
ただ走っているだけでは逃げ切れないと判断し、作戦を切り替えた。
副隊長がいないのなら数の上では2対1だ。
個人では実力差があったとしても、数の有利があれば突破できるかもしれない。
ところが。

「――ストップ。演習は中止だ」

からん、と黒い剣が路上に投げられる。
戦うつもりはないという明らかな意思表示。
スバルとティアナは顔を見合わせた。
演習が中止? どうして?
二人の顔には同じ疑問が浮かんでいた。

「あ、あの」

スバルが一歩前に出る。

「演習が中止って、どうして――」

そのとき、何の前触れも無く、視界を赤く鋭い光が横切った――



[27243] 第5話 魔槍Ⅱ
Name: リリナイ◆23c1d855 ID:76699dfe
Date: 2011/04/18 15:51
 ――三日目 AM09:12――

そのとき、何の前触れも無く、視界を赤く鋭い光が横切った。
まるで流星のように斜め上から地上へと突き刺さる。
瞬間、凄まじい爆風と共に地面が爆ぜた。
音の域を越え、膨張する大気の壁と化した爆音が周囲を薙ぎ払う。
巻き上がる瓦礫の柱。
衝撃が大地を揺るがせ、亀裂とクレーターの重なった歪な形に打ち砕く。
道路の舗装材は砂細工のごとく粉砕されて、元が何であったのかすら分からない。

「――っあ……」

最初に起き上がったのはスバルだった。
身体を伝い、ざぁ、と砂が落ちる。
右足を踏み出す。
たったそれだけで、スバルの口から苦痛の声が漏れた。
全身が悲鳴を上げている。
どこが痛いのか具体的に言い表せないほどに。
頭がくらくらする。
口中がじゃりじゃりと不快な感触で一杯だ。
バリアジャケットを纏っているとはいえ、『爆心地』の間近にいながらこの程度で済んだのは僥倖だろう。

そう、爆心地。

何者かの放った攻撃が着弾と同時に爆発したとしか考えられない。
辺りは吹き飛ばされた砂埃で靄が掛かっていて、視界がとても悪い。
それでもスバルは視線を走らせていた。
すぐ傍にティアナがいたはずなのだ。
自分と同じように吹き飛ばされて、もしかしたら怪我をしているかもしれない。
靄の向こう、スバルはそびえ立つソレを見た。
奇怪なオブジェだった。
どこかで見たことがあるような、不思議な既視感。

「――――」

紛れもなく、それはハイウェイの残骸であった。
支えとなる巨大な柱の一つが砕け去り、ぶつ切れの車道がそこかしこに散乱している。
破壊は今も収まらず、少しずつ崩落を続けていた。
巨人の拳に叩き潰されたかのような惨状だ。
スバルは、全身に走る痛みも忘れて、引き寄せられるように歩き出した。

あそこに何かがある。

粉塵の霧に覆われた瓦礫だらけの道を進む。
数十秒か、数分か、数時間か。
ぼろぼろの身体では時間感覚も不確かだ。
やがて、マッハキャリバーの車輪が、瓦礫のない地面を踏みしめた。
舗装材が完全に吹き飛んで、土そのものが露出していた。
微風が吹き、粉塵が流れていく。
広がっていたのは、平たく均された土砂以外には何もない、大きなクレーター。
その中央に、真紅の槍が突き刺さっていた。
ぞくりと、背筋が震える。
流れたばかりの鮮血のように禍々しい紅。

これだ。

これが『原因』だ――

スバルは自分が呼吸すら忘れていることに気付いた。
脚がすくむ。
槍の放つ圧倒的な威圧に気圧されて、これ以上先に進めなかった。
だが――

――ジャリ

靴底が砂を踏む音がした。
クレーターの向こう側から、一歩ずつゆっくりと、誰かが近付いてくる。
スバルの視線は音のする方向に釘付けになっていた。
逃げ出そうという発想が麻痺している。
すぐにでも逃げ出すべきなのに、身体が言うことを聞かない。
粉塵の霧が割れる。
現れたのは、一人の男だった。
狂気を孕んだ紅い瞳に、肩まで届くざんばら髪。
屈強な肉体は薄い鎧に包まれて、左手にも槍のようなものを握っている。
その貌には、欠片ほどの正気もない。
喩えるならば狂える獣。

「■■■■■■■■■」

言語としての意味を成さない唸り。
狂戦士は大地に突き刺さった紅い槍を握り、一気に引き抜いた。
片目がぎょろりと動き、スバルの姿を捉える。
その直後、スバルは胸の中央を貫かれた。
――そう錯覚した。
ただ見据えられただけで、死を実感させられる。
呼吸が上手くいかない。胸が痛い。
あそこに在るのはヒトの姿をした狂気だ。
死が――狂戦士がスバルに向き直る。
あの爆発は、アイツが起こした。
アイツが、ティアナを。

「……ぁぁぁあああああっ!」

瞬間、スバルは弾かれるように飛び出した。
可能な限りの速度まで加速したマッハキャリバーが、膨大な量の砂煙を巻き上げる。
スバルは狂戦士から目を逸らさず、右腕を振り被った。
カートリッジを一発リロード。
ナックルスピナーが高速で回転を始め、これから放たれる一撃の威力を高めていく。

「リボルバー……シュートッ!」

螺旋状の衝撃波を帯びた魔力の一撃が繰り出される。
辺りの粉塵を吹き飛ばし、無防備に立つ狂戦士へと迫る。
紛れもない必中の軌跡。
だが、外れた。
狂戦士の姿が突如として揺らぎ、リボルバーシュートの射線から掻き消える。

躊躇は一瞬。

スバルは思考するよりも早く、真横へと飛び退いた。
攻撃のために伸ばした右腕。
それが作るほんの僅かな死角から、紅い槍の凶刃が突き出される。
着地し、態勢を整えるスバル。
その瞳が、長槍を構え音もなく突進する狂戦士の姿を映す。
穂先がスバルを貫くまでに、もはや秒の猶予もない。

≪Protection.≫

辛うじて展開されるプロテクション。
堅牢なるその守りは魔槍の切っ先を押し止め――貫かれた。

「――え」

押し止めたのはほんの一瞬。
最初から防壁など無かったと言わんばかりに、切っ先は速度を緩めない。
狂戦士が地を蹴った音が今更になって響く。
すなわち、音速を越える突撃。

だが一瞬は止まったのだ。

その一瞬のうちに、スバルは素早く身を捻り、辛うじて狂戦士の牙から逃れる。
死をもたらす凶刃が数センチ先の大気を切り裂く。
回避できたと安堵する暇もなく、槍が消えた。
凄まじい衝撃がスバルの胴体を襲う。
狂戦士は槍の一撃が回避されるや否や、棍棒の如く殴りつける行動に出たのだ。
上向きに振り抜かれた槍がスバルを軽々と持ち上げ、その身を宙に浮かせる。

「――ぁぐ……!」

バリアジャケットのお陰で致命的なダメージには至らない。
しかし掻き混ぜられた三半規管は正しい感覚を失い、スバルの思考をフリーズさせる。
虚ろな視界が捉えたのは、左手の短い武装を構える狂戦士の姿だった。
放たれるは筋力に任せた野蛮な投擲。
それですらも音を置き去りにし、大気を引き裂いて飛翔する。
プロテクションをも容易く貫く威力に耐える術を、スバルは持たない。
抵抗の余地はなかった。
スバルは本能的に目蓋を強く瞑り、貫かれる痛みに堪えようとしていた。
響き渡る金属音。
思わず眼を開くスバル。
飛来していた槍が黒い刀身の剣と衝突し、宙を舞っていた。

「スバル!」

重力に引かれて、何か柔らかいものの上に落下する。

「痛たた……」
「ティ……ア……?」

スバルの下敷きになりながらも、ティアナが上体を起こす。
落ちてきたスバルを助けようとしたが、支えきれずに潰されてしまったらしい。

「どうして、ティアが……」
「どうしてはこっちの台詞! どうして一人で戦ったりするの!」

ティアナは砂塗れの顔をスバルに近づけた。
怒っているというよりは、心配していたという感じの表情。
スバルは言葉を選ぶように口をもごつかせた。

「……ごめん」

最初に出てきたのは謝罪だった。

「ティアがあいつにやられちゃったんだと思って、つい我慢が……」
「……馬鹿」

顔を背けるティアナ。
怒らせてしまったと思ったのか、スバルはしゅんと身を縮めた。
先程の衝突だけで理解できた。
相手は自分とは次元が違う。
逆立ちしたって勝てる手段がない。
そんな敵に一人で向かっていったのだから、怒られるのも当たり前だと思えた。

「――そうだ、アイツは!」

慌ててクレーターの方を見る。
紅槍一本を構え、狂戦士は立ち止まっていた。
そして、スバル達と狂戦士の間に立つ、一人の男。

「エミヤ……さん?」
「――――投影、開始トレース・オン

エミヤシロウの両手に魔力が迸る。
瞬時に輪郭が構成され、二振りの剣が具現化する。
左には、赤い六角形の幾何学的文様で彩られた、漆黒の片刃剣。
右には、黒剣と同じ形状でありながら一点の曇りもない、白亜の片刃剣。
これこそが宝具・干将莫邪。
対となって存在することを前提に鍛造された、夫婦剣の姿だった。
狂戦士が大地と並行に跳躍する。
もはや突進の域ではなく、肉体そのものが砲弾と化している。
更にそこから上体の膂力を乗せて槍が加速。
視覚の限界はとうに越えた。
禍き残光が一直線にエミヤシロウを穿たんとする。
それを黒剣を以って凌ぐ。
穂先を打ち軌道を逸らす程度の防御。
残像が消えるより早く、槍は狂戦士の元へ引き寄せられ、再び繰り出される。

「――――はぁっ!」

赤い鋭光の奔流を、白色と黒色の旋風が辛うじて押し止める。
嵐のような――比喩ではなく、局所的な暴風が吹き荒れる。
しかし、それも数合。
双剣を重ね、心臓を狙った一撃を正面から受ける。
咄嗟の行為といえ無謀な防御であった。
黒い刀身に亀裂が走り、砕ける。
槍は更に貫通し、白い刀身をも打ち砕いた。

「がっ……!」

直撃は防いだ。
しかし次はない。
間髪入れず致命的な刺突が放たれる。

「――――投影、開始トレース・オン……!」

槍を目掛け振り下ろされる無手。
瞬間に形を成した双剣が、再び槍の軌跡を押し曲げた。
激しい衝突の轟音が都市区画に響く。
そして、静寂。
両者の動きが止まっていた。
双眸は互いを睨み合い、武器と武器は尚も擦れあっている。
神速の剣戟から、一時の膠着状態へ。
スバルとティアナは、呆然と戦いを見守っていることしか出来ていなかった。
エミヤシロウはあの狂戦士と互角に打ち合っているのではない。
死力を尽くし、どうにか食い下がっているに過ぎないのだ。
そのことは互いの姿を見ればすぐに分かる。
肩を上下させて荒い呼吸を繰り返すエミヤシロウ。
疲労の色を微塵も見せず、最初と変わらず唸りを上げる狂戦士。
もう一度打ち合いを始めれば、数秒耐えられるか否か――
ティアナはクロスミラージュを握り締めた。

援護するしかない。
けれど、果たして通用するのか。

不安が震えとなって身体を駆け巡る。
そのとき、狂戦士が嗤った。
口の端を歪め、獰猛な牙が露出する。
アレは戦いを愉しんでいるのだ。
理性を不要とし、戦に狂う。
紛れもない"狂戦士"の姿だった。
殺刃の気迫がエミヤシロウの、ティアナ=ランスターの、スバル=ナカジマの身体を貫く。
眼に見えそうな殺気が背筋を粟立たせ、本能に近い感情を呼び起こす。
即ち、死への恐怖。
今までの戦いなど戯れに過ぎなかったのだと言外に告げている。
それだけで脚は竦み、敵対の意志を砕かれる。
しかしただ一人、エミヤシロウだけは前進を続けた。

「……ぁあ!」

槍を弾き、白剣を持つ右腕を引く。
守るだけでは勝てない。その思いが急襲に転じさせたのか。
エミヤシロウの放った突きが、紅い槍の穂先と衝突する。
歪む刀身。

「■■■■■!」

槍が回転し、右手の剣を弾き飛ばすと同時に、左の剣で放たれた斬撃をも弾く。
その勢いを残したまま、石突がエミヤシロウの鳩尾を打ち据えた。
足が地から離れ、数メートル後方へと吹き飛ばされる。
瓦礫の上、四肢を投げ打って、エミヤシロウは倒れ伏した。

「がはっ……」

胃液とも血液ともつかない飛沫が散る。
常軌を逸した剛力で無防備な急所を打たれては、立ち上がる力もないだろう。
気力は萎えずとも、肉体が動きはしない。
狂戦士がゆっくりと振り返る。
周囲を睥睨し、次なる獲物を探しているのだ。
しかしすぐ近くにいるはずのティアナ達になかなか気が付かない。

――気付くはずがない。

戦闘中の隙を縫って発動させたオプティックハイドによって、二人は光学的に不可視となっているのだ。
これは一種の賭けだった。
エミヤシロウが戦っている間にスバルを抱えて離脱するか、姿を隠匿して耐え忍ぶか。
選ぶことが出来た選択肢はこの2つだけ。
前者は逃げ切れなければ終わり。
後者は狂戦士に幻術を看破する能力があれば終わり。
少しでも確率の高い方を、と考え、ティアナはオプティックハイドの使用を選択していた。
けれどこれで終わったわけではない。
狂戦士がその場から立ち去ればそれでいい。
そうでなければ、持久戦だ。
ティアナは未だ立てないでいるスバルを抱き寄せて、片手でクロスミラージュを構えた。
スバルは傷ついている。
エミヤ三尉も倒されてしまった。
いざとなったら戦えるのは自分しかいない。

恐い。

震えが止まらない。

眼から勝手に涙が零れてくる。

「でも……!」

狂戦士が、ティアナ達に背を向けて動きを止めた。
槍を振り被り、乱暴に叩き下ろす。
瓦礫が砕け、噴水のように土砂が吹き飛ぶ。

「■■■■■――――!」

次いで横薙ぎに振り抜き、ハイウェイの支柱だったものを抉る。
無差別に暴れているのだ。
理性以外のどこかで、残った敵が隠れおおせようとしていると判断したのか。
このままでは一帯が更地になるまで暴れ続けるだろう。
それが、ティアナの心に焦りを生じさせた。
立て続けに2度のカートリッジを消費し、ヴァリアブルシュートのチャージを開始する。
近付いてきたら不意打ちで叩き込むための準備だった。

しかしそれが裏目に出た。

狂戦士がこちらに振り向く。
偶然ではない。
紛れもなく、ティアナ達の存在を把握していた。
魔力収束の気配を察知したのか、それともカートリッジの音を聞き取ったのか。
どちらであろうと関係ない。
このとき明らかに、ティアナは冷静な判断を失っていた。

「あ……当たれぇ!」

魔力外殻の精製も不完全なまま、ヴァリアブルシュートが放たれる。
頭部に当たるコースで放たれたそれを、狂戦士は首を軽く傾けるだけで回避した。
最悪の展開だ。
弾道で完全に位置がばれてしまった。
こうなっては、オプティックハイドの隠匿も意味がない。
一歩ずつ、狂戦士はティアナとの距離を詰めてくる。

「あ……ああ……」

クロスミラージュを握る手が震える。
恐怖に身体が竦んでいた。
逃げ出せば、背中から槍が突き刺さる。
戦えば、一分と持たず殺される。
どう足掻いても、ここから先には死だけが待っていた。
と、不意に身体が軽くなる。

「ティア、早く逃げて」

スバルが立ち上がり、ティアナを庇うように両腕を広げている。
停止していたティアナの思考回路が再び回り始める。

「バカ、何言って……!」
「だって、ほら……ティアが一番元気だから。
 ティアがヴィータ副隊長やシグナム副隊長を呼んできてくれれば、きっと勝てるよ」

嘘だ。
適当な理由を並べただけなのが見え見えだ。
砂埃の向こうで、エミヤシロウまでも身を起こす。
黒い片刃剣を左手に持ち、右手に失った白い剣を出現させる。
ぼろぼろの肉体とは裏腹に、眼光はその鋭さを無くしていなかった。

「ほら、ティア」

優しい声で言いながら、スバルは拳を握り締める。
回りだしたナックルスピナーの唸りが、彼女の戦意を周囲に知らしめる。
前後をエミヤシロウとスバルに挟まれながらも、狂戦士は動揺する様子一つ見せない。
そもそもそのような感情があるのかも分からないが。
狂戦士が紅い槍を構える。
それを合図に、二人は同時に狂戦士へと駆け出した。

「――――同調、開始トレース・オン!」
「リボルバー……キャノン!」

剛拳が狂戦士の胴へ繰り出され、双剣が右腕と頚椎を狙う。
だが、攻め手が一人から二人へ増えたところで、狂える獣は止まらない。
いつ振り上げたのかも分からない速度で、リボルバーナックルに切っ先が叩き付けられる。
その勢いのまま遠心力を乗せて反転し、エミヤシロウの胴を薙ぐ。
咄嗟に双剣を防御へ回すも、一振りを砕かれ、吹き飛ばされるままに地面を転がる。
狂戦士はそこから地を蹴って、更に反転。
粗暴な蹴りをスバルに見舞った。
わずか数秒。
たったそれだけで、抵抗は潰された。
残されたのは、ティアナ一人。
剥き出しの地面に膝を突き、力なく俯いている。
狂戦士が最後の敵に向き直った。

「……し、だって……」

風が吹き、粉塵が巻き上がる。

「……わたし、だって……」

狂戦士が再度槍を構え、獲物に狙いを定める。

「私だって! やれるんだ!」

絶叫に近い叫びがこだまする。
狂戦士が駆けた。
到達時間など観測できない。
紅い槍が華奢な左胸を貫通し、心臓に孔を穿つ。
その瞬間、ティアナの姿が消滅した。

「――――――!?」

狂戦士の貌に、初めて狂気以外の色が混ざる。
ティアナは目にも止まらぬ速さで狂戦士の懐に入り込んでいた。
否、そんなことは出来ない。
オプティックハイドとフェイク・シルエットを併用し、この接近を実現したのだ。
二人を迎撃するために背を向けた一瞬に、自身をオプティックハイドにより不可視化。
その場にフェイク・シルエットの幻影を残し、肉薄する。
狂戦士は完全に意表を突かれていた。
対応されるより早く、渾身の攻撃を叩き込む――!
展開するはダガーブレード。
魔力刃を得て即席の双剣と化したクロスミラージュの銃口を、狂戦士の身体に突き立てる。

≪Variable Barret.≫

同時にクロスミラージュによる自動詠唱。
何発もの魔力弾が密着距離から叩き込まれていく。
物理ダメージに設定された全身全霊の連続攻撃。
いかにこの狂戦士が屈強とはいえ、決してただでは済まないはずだ。
なのに――

「嘘……でしょ」

なのに――狂戦士は完全に無傷だった。
銃口を押し当てられた部分にすら傷一つ付いていない。
ヴァリアブルバレットの連射はおろか、ダガーブレードすらも効いていなかったというのだ。
耐えられたのではなく、無効化されたとしか言いようががなかった。
だが原因を理解する猶予などない。
狂戦士がティアナの腕を掴み、乱暴に投げ飛ばした。

「きゃあ!」

原型を留めていたハイウェイの支柱に背中から叩き付けられる。
ふっと視線が焦点を失い、ティアナは力なく崩れ落ちた。
仮に連射による追撃を捨て、ダガーモードで攻撃していたのならダメージがあったかもしれない。
しかしそのようなことなど知る由もなく、結末はこの通り。
荒れ果てた区画に動く者はおらず、狂戦士だけが立っている。
狂戦士はもはや振るう理由もないとばかりに、無造作に槍を持ち直した。
獲物を捕らえた肉食獣のように歯を剥き出しにする。



不意に空が暗くなった。



「轟天爆砕!」

太陽を隠した巨大な槌が、振り子のように狂戦士に叩き込まれる。
一身に炸裂する超絶の運動エネルギー。
狂戦士は凄まじい速度でビルのエントランスを突き破り、更に隣のビルディングの壁面に衝突した。
衝突の余波で一階部分の半分が崩れ、三十度以上の角度をつけてビルが傾く。
直撃を確認し、グラーフアイゼンがハンマーフォルムに戻される。
赤の戦衣を纏った鉄槌の騎士が、荒れ果てた戦場に降り立った。

「酷ぇ……。おい、スバル!」

ヴィータは一番近くにいたスバルを抱き起こした。
苦痛にスバルの顔が歪む。
どうやら意識はあるようだ。

「ヴィータ……副隊長……?」

目を開き、右手を伸ばす。
どんな力を受け止めたのか、リボルバーナックルは破壊寸前だった。
ナックルスピナーは三分の二が砕け欠落し、装甲全体にも亀裂が走っている。
それでも肉体へのダメージが大きくないのは不幸中の幸いだろう。
他の二人の容態も確かめなければ。
ヴィータはスバルを横たわらせ、ティアナの方へ向かって走り出した。
その耳に、誰かが走るような音が届く。

「……はぁ?」

辺りには誰もいない。
ぶっ飛ばした敵が近付いてくる様子もない。
けれど確かに音はしていた。
走る音が、硬いものを蹴り跳躍する音に変わる。

「まさか!」

ヴィータは狂戦士を吹き飛ばした先を見た。
ビルの上空に人の姿がある。
赤い槍を携えた狂戦士の姿が。
ヴィータは何が起きたのかをすぐに理解した。
奴はギガントシュラークを受けてなお動き、ビルの壁面を駆け上がり、そこから跳んだのだ。
狂戦士が空中で槍を構える。
刺突ではなく、刺翔の一撃を放つべく。

「まずい……!」

対抗の手を探るヴィータ。
だが、遅い。
紅の魔槍は閃光となり大地に突き刺さる。
爆震と共に巨大な亀裂が走り、砕けた岩盤が崩落し、暗闇が顎を開けた。

――地下通路。

ヴィータは舌打ちした。
狂戦士が狙ったわけではないだろう。
しかしここで繰り広げられていた激戦が、地形に多大な損傷を与えていたことは想像に難くない。
都市区画の直下を走っていた地下空間の天井が破壊され、奈落のようなクレバスと化していく。
粉塵が、土砂が、瓦礫が、人が。
高架の支柱が、ハイウェイの残骸が、そして廃墟のビルが。
およそ地下空間の真上に存在していた全てのものが、突如として開いた大孔に飲み込まれていく。
規模に反して、崩壊には数十秒も掛からなかった。
やがて天変地異にも等しい破壊が終わったとき、そこにスターズ分隊の姿はなかった。



 ――三日目 AM09:20――

どこかで大地の砕ける音がした。
しかし、男には何が起こったのか理解できない。
理解するだけの力が残されていないのだ。
男は廃棄されたビルの壁にもたれかかって、虚ろな眼差しを空に向けていた。
肉体も精神も、生きるための力を失ってしまったかのよう。
ただ右腕の赤い刻印だけが煌々と輝いていた。

「あーあ。チンク姉、こいつ死にかけてるよ。せっかく私達が援護してあげたのに」

誰かの声がする。

「問題ない。まだ間に合う」

別の誰かの声もする。
男には何を言っているのか理解できないが。

「お前には二つの選択肢がある。
 このままバーサーカーに魔力と生命力を根こそぎ吸い上げられて野垂れ死ぬか。
 それとも――」

ついに聞き取ることすらできなくなった。
少女の唇が動いているだけで、何も聞こえない。
男はただ無心に、純粋な願いを呟いた。
それを聞いた少女達が頷き合い、道を明けるように左右に分かれる。
男の前に、三人目の少女が現れた。

「さぁ、ルーお嬢様」

比較的背の高い少女に促され、三人目が手袋のようなものを外す。
線の細い右手の甲に、三画の聖痕が浮き上がっていた。



[27243] 第6話 夕焼けの記憶
Name: リリナイ◆23c1d855 ID:76699dfe
Date: 2011/04/17 15:22
 ――三日目 AM09:25――

空を仰ぐ。

地下だというのに、澄み渡る青空がよく見える。
天井には幅数十メートルはあろうかという大穴が開いていた。
陽光は燦々と降り注ぎ、涼やかな風が吹き下りる。
ややもするとここが地下であることを忘れそうになってしまう。
そう、ここは廃棄都市区画を横切る、巨大な地下道の中だ。
見えるのは天井ではなく、地上の裏側。
遥か上方の地表から、道路の断面が垂直に切り立っている。
周囲を見渡せば、崩落した地上の構造物が瓦礫の平野を築いていた。
砕けたビルが丘を成し、横たわるハイウェイは大河のよう。
無機質な水面には亀裂の細波が広がっていた。

「ずいぶん派手にやってくれたな……」

自然に擬態した瓦礫の上で、ヴィータは憎々しげに呟いた。
バリアジャケットは砂埃に汚れてはいたが、損傷らしい損傷はない。
崩落の際に立っていた位置が良かったのだろう。
幸いにして巨大な瓦礫の下敷きになることはなかったようだ。
思い返せば、実にシンプルな一撃だった。
渾身の膂力と魔力を込め、槍を投ずる。
種も仕掛けもあったものではない。

それなのに――あるいはだからこそ、出鱈目だった。

誇張ではなく地形を変えた投擲。
地下道の老朽化が進んでいたというのも一因にあるだろう。
しかしそれを差し引いても、凄まじいと言わざるを得ない破壊力だ。
ヴィータは内心で舌打ちして、瓦礫の傾斜を滑り降りた。
盆地の底のように平らな場所に、二人の少女が並んで横たえられていた。
ヴィータは自分が駆けつける前のことをまだ把握していない。
あの槍使いが如何なる理由で新人達を襲い、如何なる戦闘が行われたのか。
可能なのは想像だけだ。

ヴィータは横たわる新人達の傍らに立った。
地面から突き出た、枯れ木のような鉄骨にもたれかかる。
二人ともまだ気を失っているらしく、四肢を力なく投げ出している。
かなりのダメージを受けていることが一目で分かった。
それでもティアナの方はまだ軽症といえるだろう。
背中に打撃を受けたような跡があるが肉体への被害は少ない。
バリアジャケットを初めとした幾重もの防御機構の恩恵だ。
衝撃で気を失ってはいるが、いずれ目を覚ますだろう。
ティアナの呼吸が安定しているのを確認して、ヴィータはスバルへ視線を移した。
スバルの身体には痛々しい打撃痕が何箇所も残されている。
バリアジャケットを纏っていながら、肉体へのダメージの浸透を許した証明だ。
それでもスバルはきっと運が良かった。
槍使い相手に打撃痕ということは、穂先による攻撃は直撃していないということ。
これで切っ先が直撃していたら、致命的な深さで肉が抉られていたはずだ。

はぁ、とヴィータは安堵の溜息をつく。
どちらも一歩間違えば確実に命はなかった。
犠牲者ゼロというのは奇跡以外の何物でもない。

「……くそっ」

ヴィータは苛立ちを押さえきれず、帽子をぎゅっと握り、深く被った。
心の中がぐちゃぐちゃだった。
一体誰を責めろというのか。
あの敵か。
無謀な戦いを挑んだ新人達か。
ギリギリまで駆けつけられなかった自分自身か。
そもそも奴は何者なのか。
アレもやはり"聖杯"と――

「副隊長、上はどうだった?」

瓦礫の山の向こうから、赤毛の青年が姿を現した。
着衣は戦闘によって痛んでいるが、身体にはそこまで被害がなさそうだ。
崩落直後、ヴィータの次に意識を取り戻したのもあの青年だった。

「とりあえず、待ち伏せされてる様子はないな。そっちは?」
「奥はビルで塞がってた。歩いて脱出するのは難しいな」

ヴィータは腕を組み、即座に思考を切り替えた。
纏まらない考えは隅に押しやって、ここから脱する術だけを考える。
一番早いのは天井の大穴から飛んでいく方法だろう。
自分が三往復すれば全員外に連れ出せる。
問題は、奴に待ち伏せされていると一転窮地に追い込まれてしまうことだ。
人間を抱えたままでアレから逃れ切る自信はない。
撃墜されるパターンだけが何通りも思い浮かぶ。
上手くいくケースは一つも浮かんでこないというのに。
別の案として、地下道を歩いて脱出する方法もある。
しかしエミヤシロウの話を信じる限りでは、現実性の低い案と言わざるを得ない。
仮に抜け道があったとしても、そこから地上へ抜けられる保障はない。
下手をすれば死ぬまで彷徨う破目になりかねない。
最後に、最も消極的な案。
身を潜め、救助が来るのを待つ。
これも奴が下りてくれば完全に袋の鼠になってしまう。

「あー、全然駄目だ」

ネガティブに考えればきりがない。
そもそもアレが地上にいると決まったわけではないのだ。
もしかしたら既に撤退して、この近辺にはいないかもしれない。
しかしそれも所詮は希望的観測。
ヴィータは思考の袋小路に入り込んでいた。

「副隊長、何か脱出できそうな手段はあるのか?」
「それを今考えてるんだろっ!」

苛立ち紛れに、肘でエミヤシロウの鳩尾を小突く。

「――づっ!」

軽く押した程度のつもりだった。
なのに、返ってきたのは苦悶の声。
ヴィータは咄嗟にエミヤシロウの着衣を捲り上げた。

「おまえ……」

鍛えられた腹筋の少し上、左右の肋骨の間付近が、赤黒く陥没していた。
明らかに酷い傷だ。
皮膚が破れて血が噴き出す一歩手前まできてしまっている。
恐らくは、槍の石突。
ヴィータは言葉を失った。
鳩尾――つまり水月は一撃受けるだけでも昏倒しかねない急所だ。
意識を手放すまではいかずとも、呼吸困難に陥ることも充分ありうる。
バリアジャケットもなしに直撃を受けて、どうして平然としていられたのか。

「怪我してるならそう言え!」

知らず責めるような口調になる。
シャツが伸びそうになるまで握り締め、きつい眼差しでエミヤシロウを睨む。
当のエミヤシロウは、困った表情で頬を掻いていた。

「サーヴァントと戦ったのも初めてじゃないし、これくらいなら……」
「おまえが一番の重症だって言ってんだ! いいから大人しくしてやがれ!」

反論も待たず、ヴィータは瓦礫の山の頂上に飛び移った。
もう考えるのは止めにした。
上が安全かどうかはこの目で確認するのが一番確実だ。
空へと続く大穴を見上げ、飛翔するべく身を屈める。

「――あ」

急に、その動きを止めた。
そして眼下のエミヤシロウに向き直る。

「おまえ、サーヴァントって、さっきのアレのことか?」

しまった、と手で口を覆うエミヤシロウ。
その反応は肯定でしかなかった。

「アレが何なのか知ってるのか!?」
「……ああ」

ヴィータは何か大声で叫ぼうとして、口を噤んだ。
呼吸を整え、努めて冷静に問いかける。

「教えて、くれるよな。アイツのこと――"聖杯"のこと」



 ――三日目 AM09:28――

薄暗い会議室の中、正面のスクリーンだけが煌々と照らし出されている。
楕円の卓を囲む男達は一様に言葉を失っていた。
瞬きも忘れ、スクリーンに映し出される"戦争"を見続ける。

「こんなことが……」

ようやく一人が声を漏らした。
高い地位を示す階級章と制服の、初老の男だ。
見渡せば彼以外にも各部署の高官が顔を並べている。
スクリーンで繰り広げられているのは、不可視の"戦争"。
あまりにも速く、あまりにも激しい剣戟。
彼らの目では残像を追うのがやっとだろう。
槍の穂先と双剣が衝突し、閃光と轟音が迸る。
これはたった2人の騎士が技を競い合う"戦争"だった。

青い騎士が、物理的な限界を超えた速度で後方へ飛び退く。
赤い騎士は一瞬の躊躇も無く剣を棄て、右腕を突き出した。
渾身の膂力を以って擲たれる魔槍。
立ちはだかる花弁の盾。
激突の瞬間、全てが砕けた。

目蓋を閉じたように映像が途切れる。
記録されている映像はここまでのようだ。

「これが、半年前に高町一等空尉が記録した映像の一部です」

暗闇の中、少女――八神はやては特徴的なイントネーションで切り出した。
高官達は目の当たりにした光景を信じきれていないのか、せわしなく目配せしあっていた。
互いに「お前が話せ」と言い合っているのが簡単に見て取れる。

「で、『それ』が何なのか、もっと詳細に説明して欲しいものだな」

不意に、恰幅の良い男の声が会議室に響いた。
地上本部防衛長官、レジアス=ゲイズ中将。
たじろぐ高官達の中で唯一、彼だけが平静を保っているようだった。
はやては他の高官を視界から外し、レジアス中将に向き直った。
今まともに話ができるのは彼だけだろう。

「詳細については私より高町空尉が詳しいと思います。なのは、後お願い」

最後だけ小声で、傍らの少女に立ち位置を譲る。
なのはは軽く呼吸を整えると、奥に立つフェイトに視線で合図を送った。
頷き、スクリーンの機器を操作するフェイト。
また新たな画面が眩い光と共に表示される。
シンプルな線だけで構成された地図だ。

「先ほどの映像は、第97管理外世界で秘密裏に行われていた魔術的儀式の一部です。
 時期は今から約半年前。場所は冬木市という地方都市です」
「私の目には戦闘のように見えたが?」

レジアスが口を挟む。

「はい。あの戦闘も儀式の一環といえます」

なのははレジアスの指摘をあっさりと肯定した。
高官達がどよめく。
レジアスだけは動揺するそぶりも無く、続けるよう促した。

「儀式の目的は、すべての願いを叶える『聖杯』を手に入れることだとされています。
 聖杯に選ばれた7人の魔導師が、それぞれ1人ずつの騎士を使い魔として従え、殺しあう。
 それが――聖杯戦争です」

まるでコドクだな、と誰かが呟いた。

「……次の写真を」

スクリーンにミッドチルダの沿岸地域の俯瞰写真が映し出された。
会議室にどよめきが広がる。
かつては倉庫街であったであろうそこに、巨大な穴が穿たれている。
残された建造物と比較すると眩暈を起こしそうになるほどの大きさだ。
被害は穴だけではなく、周囲は無残になぎ払われているようだ。
空から強大な熱量を撃ち込まれたことによる破壊。
現場に居合わせていない者からはそう見えただろう。

「先の聖杯戦争――第5次聖杯戦争は、聖杯自体の破壊をもって終結しました。
 しかしその残骸が時空犯罪者の手によって――」
「ミッドチルダに持ち込まれた、と?」

ざわつく高官達を制して、レジアスはなのはに視線を向けた。
けれど一度広がった波紋は簡単には収まらない。

「沿岸地域の地下に秘匿されていた聖杯の残骸は既に再破壊を完了しています」

なのはは声のトーンを上げた。
そうでもしなければ聞こえないほど、どよめきは大きくなりすぎていた。
動揺していた高官達が思い思いのことを口に始める。
まるで、騒げば全てをなかったことにできるとでも思っているかのように。

もう終わっているなら何故我々を集めたのだ。
あの大穴は機動六課が原因なのか。
過剰な破壊は責任問題だ。

このままでは収拾がつかなくなる。
なのはは右手を握って、すぅっと息を吸い込んだ。
突如、なのはから遠く離れた円卓の一角が弾ける。

「みなさん、ご静粛に」

暗闇の中から、よく通る女の声がした。
周囲の視線がその声の主に集まる。
赤いコートは暗い会議室の中でもはっきりと見えた。
ウェーブの掛かった長い髪に、意志の強さを表しているような瞳。
服装からして管理局の人間でないことは明らかだ。

「申し送れました。私、遠坂凛という者です」

慇懃な口調で言いながら、完璧な微笑を浮かべてみせる。
遠坂と名乗った女は、スクリーンを挟んでなのはの反対側に立った。

「トオサカ、と言ったな。君は関係者なのか?」

誰かがそう尋ねた。

「ええ。あなた方がいうところの、第97管理外世界の魔術師――
 そして第5次聖杯戦争の最終的な勝者です」

どよめきすら起こらなかった。
赤いコートの女の発言は、高官達にとって衝撃的過ぎたようだ。
誰もが無言になり、次の言葉を待っている。
どうにか説明を聞かせる状況が整ってくれた。
なのはは安堵に小さく息を吐いた。

「高町さん、後は任せてもらえる?」
「うん、お願い」

なのはと入れ替わるように、遠坂凛は一歩前へ出る。
高官達を前に物怖じする様子もなく、その面々を見渡していく。

「――さて、何からお話しましょうか」



 ――------ -- -:--――

夕焼けの光が眩しい。

逆光の向こうで、友達が小さな手を振っている。
ああ、もう帰らないといけない時間なんだ。
寂しいのを表に出さないように、笑顔で手を振り返す。
友達が走って帰ってしまうと、静けさが私にのし掛かってきた。
音が聞こえてこないわけじゃない。
車の音や人の会話、鳥の鳴き声はあちこちでしている。
そんな静けさではなくて。
ココロをぎゅっと鷲掴みにされるような、胸の痛くなる静けさ。
世界に音は満ちているけれど。
私に向けられている音は、一つもない。

振り返れば、私の小さな足元から、びっくりするくらいに長い影が伸びている。
さっき帰っていったトモダチは、きっとお母さんに「ただいま」と言っているんだろう。
そして「おかえりなさい」と言ってもらっているんだろう。
ナニかを堪えきれなくなって、私は走り出していた。

逃げ出したくなったのだ。
胸の奥を締め付ける、目に見えないものから。

けれど、走っても走っても、それは一向に離れてくれない。
きっと私は泣いていたんだと思う。
見れば分かるような、道路の段差にも気づかなかったから。
段差に躓いて、私は受身も取れずに転んでしまった。
顔を伏せたまま、立ち上がることもしなかった。

両方の膝がずきずき痛む。
両手の掌がじんじんする。

痛さと情けなさで、声を上げて泣きそうになる。
その時、大きな手が私の身体を持ち上げた。

『ティアナ、大丈夫か』

夕日が眩しくて、その人の顔はよく見えない。
だけど声だけで分かる。

『お兄ちゃん……』

兄さんは肩で息をしているようだった。
きっと私が転んだのを遠くで見て、大急ぎで駆けつけてくれたんだ。
私のために声をかけてくれたんだ。
泣いちゃ駄目だと頭で分かっていても、ぽろぽろ零れる滴は止められない。
兄さんは何も言わずに私を背負うと、家に向かって歩き始めた。
大きな背中は、私をしっかりと受け止めてくれる。
いつの間にかココロが楽になっていた。
あんなに強く締め付けられていた胸の奥が、嘘みたいに楽になっている。
大きくて、強くて、温かくて――
兄さんの記憶は、いつも優しい。

「……おにぃ……ちゃん」



ざくり、ざくり。

瓦礫を踏みしめる振動が、身体を伝わって鼓膜を震わせる。
どこかを歩いているんだろうか。
目蓋が重たい。
意識がぼうっとする。
ティアナは半覚醒の脳髄で、自分が眠りに落ちていたことを自覚した。
だけどそれ以上は考えられない。
ここがどこなのか、いつの間に眠ってしまっていたのか。
そんなことを気にする思考回路も働かない。
手足はまるで鉛のようで、力なく垂れ下げているのが精一杯だ。
背中が鈍く痛むのも不快だ。

こうなったら、辛いことを全部投げ出してしまおう。
意識を手放してもう一度眠ってしまえばいい。
そう思い、誰かの背中に体重を預ける。

「――え?」

誰かの、背中に。
ティアナの意識が一気に覚醒していく。
顔のすぐ横に、短い赤毛の頭がある。
両腕は肩越しに垂らしていて、両脚は何かによって支えられている。
要するに。
ティアナは誰かに背負われていた。

「ひゃあ!」

思わず、背中を押して後ろに避けようとする。
けれどそんなことができる体勢ではなく。
ティアナは脚を支えられたまま、奇妙な格好でしたたかに後頭部を打ち付けた。
衝撃が頭の中に響き渡って、意識が一瞬どこかへ飛んだ。
なんて、無様。
こんな意識の手放し方は望んでいなかったのに。

「お、起きたか」

少し先を歩いていたヴィータが足を止める。
ティアナは差し出された手を取って立ち上がった。
ヴィータの手だと思っていたそれは、やけに大きくて骨張っていた。

「えっと、大丈夫か?」

クリアになる思考回路。
目と鼻の先に衛宮士郎の顔があった。

「は、はいいっ!」

よく分からない言葉を口にしながら、思いっきり後ずさる。
不意打ちもいいとこだ。
さっきまで背負われていたんだ、とか。
変な寝言を言っていなかっただろうか、とか。
無様な格好を見せてしまった、とか。
色んなことがぐしゃぐしゃに絡み合って、ティアナの顔の体温を上げていった。

「え、えーっと」

どうにか誤魔化そうと、辺りをきょろきょろと見渡す。
どうやらここは廃棄都市区画のどこかのようだ。
眠ってしまったのは、確か……
いや、眠ったんじゃない。気絶していたんだ。
記憶がはっきりしていくにつれて、ティアナの顔から血の気が引いていく。

「そうだ! 敵は!」
「もういねーよ。赤くなったり青くなったり忙しいな」

少しばかり呆れた口調で、ヴィータがティアナの混乱を遮った。

「いな……い?」

ぽかんとするティアナ。
その背中に、柔らかくて温かいものが押し当てられた。
土埃に汚れた腕が、ティアナを包むように回される。

「スバル……?」
「ティア……よかったぁ……」

背中越しに聞こえたスバルの声は、少し潤んでいた。
ティアナは、デバイスに覆われたスバルの右手を撫でた。
リボルバーナックルの表面には亀裂が幾筋も走り、欠落した箇所もあった。
頑丈なはずのデバイスがここまで壊れるなんて。
ティアナの脳裏に狂戦士の貌が過ぎる。
ぞくり、と背筋が震えた。
人の形をした狂気。
アレと対峙していながら、こうして生きていること自体が不思議だ。

「あたし、生きてるんだよね」
「そうだよ。ティアも、エミヤさんも、ヴィータ副隊長もみんな」

スバルの腕に力が篭る。
少し痛いくらいだったけれど、今はそれが嬉しかった。

「二人とも大丈夫みてーだな」

一時はどうなることかと思っていたが、事態は良い方向へ向かっているようだ。
ヴィータは隣に立つ衛宮士郎を見上げた。
――はずだった。

「あれ?」

そこに衛宮士郎の姿はなく、立ち並ぶビルと青空だけが広がっていた。
慌てて視線を巡らせる。
と、見覚えのある背中が、路地裏の入り口で屈みこんでいるのが見えた。
駆け寄り、背中の真ん中を軽く蹴りつける。

「コラ、何してんだ」
「ちょっとこれ見てくれ」

蹴られたことを全く気にせずに、衛宮士郎は目の前のボロ切れを指した。
どこからどう見てもうず高く盛られた布の塊だ。

「いや……これって!」

ヴィータは布を引き剥がした。
そして、息を呑む。
布の下には、人間が転がっていた。
生きているのか死んでいるのかも定かではない。
四肢はやつれ、目は窪み、口元には吐血の痕跡まである。
どうやら若い男であるようだ。
しかしこれはどうしたことなのか。
生きるための力を根こそぎ吸い取られでもしないと、こうはならないだろう。
衛宮士郎は男の首筋に手を当てた。

「一応、生きてはいるみたいだ……」

そう言ってヴィータに向き直る。
だがヴィータは、倒れた男に視線を向けたまま、身体を硬直させていた。

「こいつ……まさか……」

漏れた声は微かに震えていた。



 ――三日目 AM09:40――

廃ビルの屋上に波紋が浮かぶ。
強固なはずのコンクリートから、まるで水の中から現れるように、少女の上体が浮かび上がった。
少女は額に貼り付いた空色の髪を整えながら、靴を鳴らして屋上に立った。

「チンク姉。予定通り、アイツを管理局に見つけさせたよ」
「ご苦労様」

給水タンクの日陰から、別の少女が姿を現した。
空色の髪の少女よりも一回り小柄で、銀色の頭髪が鮮やかな外見だ。
しかしそれよりも、右目の大きな眼帯が少女らしからぬ異彩を放っている。

「私はこれから、ルーお嬢様を連れて帰投する。セインはあの男の監視を頼む」

チンクと呼ばれたその少女は事務的にそう告げると、踵を返した。
一方、空色の少女は腕を組んで何事か考えているようだった。

「うーん、やっぱりアレをもう一度けしかけて四人とも倒しちゃったほうが……」

空色の少女――セインの独り言が耳に入ったのか、チンクが足を止める。
セインはしまったとばかりに口を噤んだ。
何も言っていないとアピールするように顔の前で両手を振る。

「バーサーカーは既にルーお嬢様と繋がっている。
 つまり、暴走の負荷は全てお嬢様に跳ね返ってくることになる。
 バーサーカーを使うタイミングは選ばないといけないんだ」
「分かってます、はい……」

落ち込みを露にしながら、セインは屋上に脚を沈めた。
比喩ではなく、セインの身体がコンクリートに潜っていく。
肩の辺りまで潜ったところで、チンクが「あ」と声を上げた。

「大切なことを忘れていた。今回の監視は二人で行ってもらう」
「二人? あと誰が……」

チンクの方を見ようと、セインが顔を上げる。
当然、視界に入るのはチンクの姿だけだ。
だがその光景は、言いようのない違和感を伴っていた。
逆光で、チンクとその後ろの給水タンクは暗い影に隠れている。
その影がどこかおかしい。
セインは目を細めて、違和感の正体を探った。

「――あ」

誰か、いる。
給水タンクの上に誰かが立っているのだ。
人がいる気配などしなかった。
意識して見つけようとしなければ、絶対に気が付かなかっただろう。
その人物は、まるで暗闇の塊のように、給水タンクの上に佇んでいる。
黒い布を頭から被ったその姿は、まるで死神のよう。
本来顔のあるべき場所は真っ白で、表情を窺うことはできない。

「髑髏……」

そう、白い顔は髑髏の仮面。
白昼の下でありながら、暗闇に紛れているのと等しく、その存在を認知させない。
黒衣の髑髏は、嗤うようにセインを見下ろしていた。



[27243] 第7話 離岸流
Name: リリナイ◆23c1d855 ID:76699dfe
Date: 2011/04/17 15:23
 ―― -3日 PM01:25――

「教授はもうすぐ戻ってくると思います。お掛けになってください」

案内をしてくれた男の子に促されて、わたしはソファーに腰を下ろした。
歳はわたしと同じくらいだろうか。
にこにこと愛想よく微笑んでいるのが印象的だ。

「ナノハさん、でしたっけ。紅茶淹れますね。ミルクティーでいいですか?」

フラットと名乗ったその男の子は、わたしの返事を待たずに、てきぱきとお茶の準備をしている。
手持ち無沙汰になってしまったので、部屋を見渡してみる。
右も左も本棚だらけだ。
背表紙に書かれているのは英語だろうか。
わたしには内容の予想も付かない。
さすがは教授と呼ばれる人の部屋というだけのことはある。
ところで、あちこちに置いてあるエアメールは何だろう。
そこそこ大きな小包で、日本語を音写したローマ字みたいな単語が並んでいる。
教授っていうくらいだから、日本とも色々やりとりしているのかな。

「はい、どうぞ」

フラット君がわたしの前にティーカップを置いた。
それと同時に部屋の扉が開く。
入ってきたのは赤いコートの男の人。
黄色い肩紐と長い髪を靡かせて、気難しそうな顔をこちらに向ける。
その姿は、記憶の中の彼となかなか一致しなかった。
戸惑いながら、とりあえず言葉を口にする。

「十年ぶり……ですね」
「そうなるな」

彼は表情を崩さずに、私の向かいに腰を下ろした。
すかさず、フラット君が彼にも紅茶を渡す。
その顔はにこにこを通り越してにやついていた。
わたしだけでなく、彼もそれが気になったらしい。
紅茶を飲もうとした手を止めて、フラット君の方を見る。

「なんだ」
「教授も隅に置けませんね。こんな可愛いガールフレンドがいるなら教えて……」

一閃。
目にも止まらないスピードで彼の腕が伸びる。
気づけば、フラット君の顔はアイアンクローの餌食になっていた。
わたしにはリアクションする間もなかった。

「私の耳がおかしくなったのか、お前の頭がおかしくなったのか、どちらだ?」
「お……おれ、俺です……」

アイアンクローから解放されると、フラット君はおぼつかない足取りで部屋を出て行った。
彼は小さく口元を歪めると、わたしに向き直った。

「失礼。彼は性格に多大な難がな」

たった数秒のやりとりで、わたしの中に出来ていた、今の彼のイメージが塗り替えられた。
気難しくて近寄りがたいなんていうのは誤解だったらしい。
それでも、昔の姿とはとてもじゃないけれど重ならない。

「教授――ですか。まるで別人みたいでびっくりしました」
「それはこちらの台詞だ。あんな小さな子がここまで成長するとは。

……そういえば、まともに会話するのは初めてだな」
言われて、記憶の糸を手繰り寄せる。

「確かに……」
「私は日本語が話せなくて、君は英語が話せなかった」

改めて、彼はティーカップを傾けた。
わたしもそれに倣って紅茶を口にする。
微かな甘さと風味がいっぱいに広がった。

「――では用件を聞こうか」

彼に真顔で促されて、わたしも思わず背筋を正す。
ここには思い出話をするために来たんじゃない。
もっと大切な理由があるんだ。

「第5次聖杯戦争が起きて――聖杯が破壊されました」
「それは把握している」

何てことはないという風に、彼は言った。
気難しさを刻み込んだような表情には少しの変化もない。

「五十年も早かったせいで、他の教授達は大童だったよ」
「……その後です」

なに、と彼の眉が動く。
無言だけど、説明を要求しているのが伝わってくる。
わたしは間を置かずに言葉を続けた。

「破壊された聖杯の残骸の一部を、次元犯罪者がこの世界から持ち出したようなんです」

彼は、苦々しく短い単語を吐いた。
あまり上品とはいえない罵りの言葉だ。

「冬木の聖杯は厄介ごとしか生まんな。幹部達が聞いたら一瞬で胃潰瘍を起こすぞ。
 で、そのことを管理局とやらは知っているのか」

彼は苛立ちを露わにしていた。
わたしは、正直に首を左右に振って答える。
魔術協会の存在を知っているのは、管理局でも一握りの人間だけ。
他の部隊を動かす要請なんて、とてもじゃないけど通らないだろう。
それにまだ不確定なことが多すぎる。

「とりあえず、状況を話してくれないか」

問われるままに、これまでの状況を簡潔に伝える。
わたしは、半年前の第5次聖杯戦争に関わった。
大きな影響を与えることはなかったけれど、その結末までを見届けた。
全ては解決した。
そんなわたしの思い込みが砕かれたのは、今からほんの数日前のことだった。
とある次元犯罪の容疑者の、第97管理外世界への不自然な渡航記録の発覚。
日付はよりによって聖杯戦争終結の直後。
そして、聖杯の存在を知る者にとってはあまりにも決定的な――
わたしは何も言わず、上着の左裾を肘までずらした。
左の前腕部に浮き上がった、三画の聖痕。
サーヴァントの召還によって令呪に姿を変える、聖杯顕現の証明だった。
彼は暫くわたしの左腕を睨んで、溜息混じりに口を開いた。

「そちらではなく、こちらの人間による行為の可能性は?」
「六割……いえ、五割」

半々か、と彼はもう一度溜息をついた。

「正直、別の魔術師に話を持ち込んでくれれば助かったのだが」
「ごめんなさい……。わたしが知ってる倫敦の魔術師は貴方だけだったんです」

彼は天井を仰ぎ、深々と息を吐いた。
わたしは黙って彼の言葉を待つことしかできない。

「……わかった。幹部や他の教授には私から話をつけておく。

君は君なりに事態の収拾を図ってくれ。ただし――」

「分かっています。魔術と協会の存在はぎりぎりまで明かしません」

ここがお互いの妥協点だ。
わたし達が聖杯をどうにかするには、魔術協会の支援が不可欠になるだろう。
けれど、協会や魔術の存在が広まることは、ここの人達にとっては不利益にしかならない。
理想的なのは、わたしに出来る範囲だけで解決してしまうこと。
そうできればどんなに良いか――

「でも、もしわたしの力だけで止められなかったら、管理局の力を借りないといけないかもしれません」
「万が一の場合に提供可能な情報の範囲も幹部達と話し合おう。

その結論が出るでは苦労をかけることになる」
わたしはこくりと頷いた。
苦労なんて覚悟の上。
背負う覚悟があるからこそ、倫敦までやってきたんだ。
彼は残った紅茶を飲み干して立ち上がった。

「時間だ。すまないが次の講義がある」

それを聞いて、わたしも慌てて立ち上がった。
開けて貰った扉を潜って廊下に出る。
ひんやりとした空気が、わたしの肌を静かに撫でた。

「ありがとうございました、ウェイバーさん」

彼に向き直って一礼する。
今日初めて、わたしは彼の穏やかな表情を見ることができた。



 ―― 三日目 PM02:40――

目蓋を開くと、そこには白い天井が広がっていた。
見覚えがあるような、初めてみるような。
どこからか消毒液の臭いがする。
着衣は妙に軽装で、普段は二つに結っている髪も解かれていた。

「――あ」

数秒経って、ティアナはようやく、ここが病室であることに思い当たった。
朦朧とする頭で、眠りに落ちる前の記憶を手繰る。

「そうだ、あの後自分で歩いていこうとして……」

ようやくライトニング分隊と合流したところで、気が緩んで倒れてしまった。
ティアナは片手で顔を覆った。
結局迷惑を掛けてしまうなんて。
情けなさで顔から火が出そうだった。
しかもダメージが回復しきっていないせいか、まだ記憶が曖昧だ。

「……情けない」

それにしても、静かだ。
耳鳴りがしそうなくらいに音がない。
自分の呼吸音がやけに大きく聞こえる。
四人部屋だというのに、寝ているのはティアナ一人だけだ。
一応、隣のベッドだけは誰かが使っていた形跡がある。
今は空っぽなのだが。

「……」

呼吸どころか心臓の音まで聞こえそうな気さえした。
ふと見ると、枕元に待機状態のクロスミラージュが置かれていた。
手に取ってコンディションを確認する。

――幸いにも、損傷らしい損傷は一つもない。

よかったと呟いて、ティアナは口を噤んだ。
クロスミラージュが、そして自分が無事だったのは、スバル達が頑張ってくれたからだ。
圧倒的な力で倒されても諦めず、立ち上がって戦い続けたからだ。
対して自分はどうだったのか。
あの狂戦士に威圧されてばかりで、最後にようやく放った攻撃も掠り傷すら与えられなかった。
いや、役に立たないだけなら良かった。
恐怖に負けた不用意な攻撃で、皆の足を引っ張ってしまったじゃないか。
それさえなければ、スバルとエミヤ三尉に余計な負担を掛けずに済んだかもしれない。

「情けないよ……ほんと……」

三尉のことを信頼できないなんて粋がっていたことが恥ずかしかった。
役に立たず、足を引っ張った自分が何をした?
無様に二度も気絶して、迷惑を掛け続けてしまった。
スバルみたいに、ぼろぼろの体で立ち上がることなんかできない。
三尉みたいに、あの紅い槍に正面から身を晒すことなんかできない。
なんて――非力。
ティアナはクロスミラージュを胸に抱き込んだ。
両目の端が、焼けるように熱い。

「お兄ちゃん……」

静かな病室の中、ティアナは声を押し殺して、ベッドに身をうずめた。
震えるその両肩は、誰にも支えられることはない。
窓から流れ込む涼やかな空気に、ティアナは気づかない。
独りきりで肩を震わせて、微かな声を漏らすだけ。
壁を隔てた廊下にはその声すら届かない。
しかし、たった一人だけ。
たった一人だけ、彼女の声を聞き届けていた。

「ティア……」

病室の外、スバルは壁に背を預け、床に視線を落とす。
聞こえてくるのは、人の声ともつかない小さな音。
けれどスバルは理解できた。
胸に抱いた紙袋を静かに抱きしめる。
袋の中身は、二人分の軽食と飲料。
包帯を巻かれた右手が、左の二の腕をきつく握った。

「こんなところで何してるんだ?」

不意に掛けられた男の声。
スバルがはっと顔を上げと、赤毛の青年が不思議そうな表情をしていた。

「エミヤさん……」
「えっと、ティアナ、はもう起きたかな」

衛宮士郎は病室のドアを開こうと手を伸ばした。

「駄目っ!」

小さく、しかし鋭く、スバルは叫んだ。
伸ばされた腕を掴んで引き止める。
スバルは、驚く衛宮士郎の顔を見て気まずそうに目を逸らした。

「今は……駄目です」

それ以上は何も言わない。
俯き気味に視線を彷徨わせながら、引き止めた腕を握っている。
衛宮士郎はスバルと病室のドアを交互に見て、すっと身を引いた。

「分かった。今は入らない」

空いた手で、スバルの頭を軽く撫でる。
そして、病室からほど近い長椅子に腰を下ろした。
廊下に静けさが戻る。
時間が止まってしまったかのような静寂。
この場にアナログ式の時計があれば、時を刻む音が大きく鳴り響くだろう。
数分か、それとも数秒か。
沈黙に耐えかねて、スバルはちらと衛宮士郎を見た。
彼は正面にある窓の外の風景を眺めているようだった。
その表情があまりにも穏やかで。
スバルは思わず、彼の傍まで歩み寄っていた。

「――えっと、エミヤ三尉。何か考えごとですか?」

紙袋を椅子に置いて、衛宮士郎の隣に座る。
開けた間は一人分。
我ながら唐突な質問だったかな、とスバルは思った。

「士郎でいいよ。そうだな……皆が無事で良かった、かな」
「あ、わたしもそう思います、シロウさん」

それっきり、会話は続かなかった。
廊下を包む静けさに身を任せるように。
二人は言葉を交わすこともせず、窓の外を眺めていた。
窓とはいえ、元より風景を楽しむために備えられたものではない。
明り取りとしての意味が強く、床からかなり離れた位置にある。
椅子に腰掛けた状態では、見えるのは青空と白い雲くらいだ。
窓枠に切り取られた空を見上げたまま、士郎が口を開いた。

「俺はちょっとした検査だけで、夕方には帰れるんだってさ」
「えっ、わたし達は一晩検査入院ですよ? ずるーい」

大きな声ではなかったが、スバルは普段の調子で反応した。
と、思い出したように、隣に放置していた紙袋を膝の上に持ってくる。

「そうだ、今のうちに食べちゃおっと」

紙袋をごそごそとまさぐる。
そうして取り出したのは、売店で売っているような菓子パンだった。
勢いよく包装を破くスバルの姿は、まるでおやつを与えられた子供のようだ。

「……検査入院なのに、そんなの食べて大丈夫なのか?」
「シャマル先生からオッケー貰ってますからー」

士郎の心配をよそに、スバルは丸い菓子パンに噛り付いた。
ひと齧りでパンの三割は減っている。
小動物のように頬を膨らませ、幸せそうにパンを頬張る。
中に入れられていたチョコレートが口元に付いているのも気にしていない。

「どうかしました?」

パンを殆ど食べきった頃になって、ようやく横からの視線に気付く。

「いや、ちょっとデジャヴを」
「……?」

最後に残ったひとかけらを口に押し込む。
それで満足したかと思うと、今度は袋からスポーツ飲料のボトルを取り出した。
キャップを捻り、一気に呷る。

「……ぷはっ」

士郎はスバルの食べっぷりにしばし気をとられていたが、不意に廊下の奥へと目を向けた。
たったったっ。
近付いてくる足音。
スバルも釣られて視線を動かす。
六課の制服に身を包んだなのはが、息を切らせて駆けていた。

「スバル! 大丈夫? 怪我は?」

なのははスバル達の前でしゃがみこむと、包帯を巻かれたスバルの右手を取った。
そのあまりの動揺ぶりに、スバルは逆にうろたえていた。

「な、なのはさん……どうしたんですか」

こんな隊長を見るのは初めてだった。
心配してもらえた嬉しさよりも、慣れない状況への戸惑いがずっと大きい。
スバルは、少し遅れて来たヴィータのほうを、助けを求めるような目で見た。
バリアジャケットは既に解除していて、六課の制服に着替えている。

「あたしも知らねーよ。紅い槍の男と戦ったって報告したら、急に病室へ行くって言い出したんだ」

そして、ヴィータは士郎を睨んだ。
長椅子に座る衛宮士郎の太腿に膝を乗せ、顔と顔を突き合わせる。
十センチあるかないかという距離で睨みつけられて、衛宮士郎は身を引こうとした。
しかし当然ながら、背もたれと壁に阻まれて、距離は少しも離れない。

「てめぇ、あたしに全部話したわけじゃなかったんだな?」

目の前の人物だけに聞こえるような声で、ヴィータは言った。
声量こそは抑えてあったが、込められた怒気は隠しきれていない。
数時間前、崩落した地下道の中で、ヴィータはサーヴァントというモノについて教えられた。
過去の英雄を召喚し、条件付で使役する規格外の使い魔。
宝具と呼ばれる強大な威力の切り札を持ち、ただの人間には太刀打ちできない存在。

――この説明は決して誤りではない。

だがヴィータは、なのはの動転を目の当たりにして、それらが全てではないと直感した。
サーヴァントにはもっと危険な事実が隠されているに違いない。
更に言えば、サーヴァントと"聖杯"には何らかの関係があるはずだ。
ヴィータはそう確信していた。
なのはがその正体を隠したがる"聖杯"
そして、なのはをあそこまで動転させる"サーヴァント"
ここまで材料が揃っていて無関係などあるものか。
どういう理由があって、なのは達がこのことを秘密にしているのはまでは分からない。
ならば、聞き出すまでだ。

「ま、待てって。確かに全部は話さなかった。けど……」
「けど、何だよ」

ヴィータは衛宮士郎を逃がさないように、その両腕を掴んだ。

「わぁ……」

横合いから変な声が聞こえる。
ヴィータは眉をひそめ、動きを止めた。
さっきから周囲の雰囲気が妙だ。
士郎もそれを感じ取っているのか、どうにも落ち着いていない。
恐る恐る、二人揃って、真横へと首を向ける。
なのはとスバルが、まじまじとこちらを見つめていた。
それどころか、スバルに至ってはほんのりと頬を紅潮させている。
数秒の思考。

「……お前らっ!」

向けられる視線の意図を悟り、ヴィータは思わず立ち上がった。
衛宮士郎への怒りは、新たに湧き上がった憤慨にあっさりと塗りつぶされている。

「わー、ヴィータちゃん大胆なの」

わざとらしく囃し立てるなのは。
こちらはふざけているだけなので、幾分かはマシだ。
問題なのはもう一人。
視線を泳がせるスバルの表情は、現状を明らかに誤認していた。

「えっと、その、ヴィータ副隊長……」
「スバルッ! そこっ、正座ッ!」

威嚇する猛犬のようにヴィータが吼えた。
病院だぞと嗜める士郎の言葉も届いていないようだ。
急激に騒がしさを増した病室前の廊下。
そこに、ドアの開く音が混ざった。
まず士郎となのはがそれに気付いた。
少し遅れて、スバルもドアのほうを向く。
ヴィータは最後まで説教をしようとしていたが、周りの様子に気付いて、口を閉じた。

「もうっ。うるさくて眠れないじゃないですか」

患者服のティアナが、開けられたドアから身を乗り出していた。
微かに赤くなった目を擦りながら、病室前に集まった面々を見渡す。

「ティア……もう大丈夫?」
「あんな怪我、大したことないわよ」

不安そうなスバルに、ティアナは屈託のない笑みを見せた。



 ―― 三日目 PM03:00――

執務室のデスクに、大きな封筒が投げるように置かれた。
厚みは三センチから四センチほどはあるだろうか。
とてもじゃないが郵便ポストには入らないほどの大きさだ。
材質も明らかに上質で、量販店で売られているのとは比べ物にならない。
はやては唐突に渡されたそれと、それを渡してきた赤いコートの少女を見比べる。

「これは?」
「魔術協会からの連絡事項よ」

封筒を手に取って裏返してみる。
なんとも古風なことに封蝋で封がされていた。
印璽の刻印も本格的で、否応無しに中世ヨーロッパを思わせる。

「デジタル全盛のご時勢になぁ」
「魔術師はそういうのに頼らないの。といっても、その封筒はどこぞの教授の趣味らしいけど」

少女は赤いコートを脱いで、来客用の椅子に座った。
保守的な組織とは聞いていたが、そういう人物ばかりなのだろうか。
一抹の不安を抱きながら、はやては封筒の口に指を引っ掛けて封を開けた。
封蝋が砕け、赤い蝋の破片がデスクに散る。

「うわぁ……」

はやては心底絶望的な声を上げた。
一目で心が折れたと言わんばかりに、デスクに突っ伏してしまう。
書類の厚さも然ることながら、問題はその内容だった。
文頭から文末まで、全てが流れるような筆記体の英文で記されていたのだ。

「なんや……これ拷問?」
「日本語に訳してくれる親切心は発揮されてなかったみたいね」

少女の言葉には、わずかに同情の色があった。
いくら難題とはいえ、隊長が目を通さないわけにはいかない。
はやては半死人のように一番上の書類と睨めっこを始めた。
二割ほど読み進めた頃だろうか。
どこからか、リインフォースⅡが飛んできた。

「はやてちゃん! 大変ですー!」
「どうしたん、リイン。私もすっごく大変なんよ」

話半分で聞き流そうとするはやて。
リインはデスクに勢いよく着地すると、はやての裾を何度も引っ張った。

「スターズ分隊が運んできた重要参考人が目を覚ましたんですよぉ」

はやての耳が、ぴくりと動いた、ように見えた。
書類をデスクに勢いよく叩きつけ、バネのごとく身を起こす。

「そっちの方が急務! うん、そうや!」

はやては書類を置き去りにしたまま、リインを掴んで椅子を蹴った。
掛けられていた上着を引っ掴み、嵐のように執務室を出て行く。
数秒置いて、開けっ放しの扉から顔を出す。

「遠坂さん、悪いけど書類の和訳頼める? じゃ!」
「ちょ、ちょっと!」

少女が立ち上がるより早く、はやては廊下の彼方へと走り去っていた。
取り残された少女は、デスクの書類を一瞥して、額を押さえた。

「まるで疾風のような方ですね、リン」

こん、こん、こん、こん。
開けっ放しの扉を四回ノックして、漆黒のスーツに身を包んだ人物が執務室に入る。
まさしく絵に描いたような金髪碧眼。
背丈は小柄で、かなりの細身だ。
それでいて見事にスーツを着こなしている。
見かけだけでは、華奢な美少年なのか男装の麗人なのか区別が付かない。

「今の全然ジョークになってないわよ」

少女はデスクの縁に軽く腰掛けて、書類の一枚目をつまみ上げた。
スイッチが切り替わるように、少女の表情が冷徹なものへと変化する。

「バーサーカーが動いたわ。あなたの出番、そう遠くないわね」



[27243] 第8話 ジャハンナムの天使 Ⅰ
Name: リリナイ◆23c1d855 ID:76699dfe
Date: 2011/04/17 15:24
 ―― 一日目 AM00:00――

「突入!」

部隊長・八神はやての号令一下、4人の騎士と魔導師は一気にトップスピードまで加速した。
一切の光源が排された暗闇の中を風切り音が駆け抜ける。

「フォトンランサー……!」

先陣を切る白い外套の魔導師が槍状の魔力弾を放つ。
それは暗闇に閉ざされた地下道を直線的に飛翔し、唐突に弾けた。
消失の瞬間、二色の魔力光が微かに散った。
後を追う騎士が口の端を上げる。

「バリアか。やはり簡単には通してくれないようだな」

フォトンランサーがバリアに阻まれた瞬間は、後方で待機するはやてにも見えていた。

「なのはちゃん、お願い!」
「オッケー!」

はやての位置から遥か後方に、桃色の魔力光が輝く。
部隊の最後方でデバイスを構えるは、エース・オブ・エース高町なのは。
シューティングモードを取ったレイジングハートの周囲を、4つの環状魔法陣が取り巻いた。
魔法陣によって膨大な魔力が加速され、更に一点へと収束していく。

「みんな、当たらないでね! ……いっけぇ!」
《Divine Buster》

解放される魔力。
大河のごとき光の塊が大気を揺るがし、暗闇を貫く。
眩い魔力光が先行する魔導師達を追い抜き、地下道を隅々まで照らし上げる。
発射から秒の間も置かず、地下道を塞ぐ魔力の壁と衝突。
拮抗は一瞬。
障壁は容易く砕かれ、閃光と爆音が地下道を埋め尽くした。
破壊の余波も収まらないうちに、フェイトとシグナムが地下道の最奥へ突入する。

「――!」

瞬間、大量の魔力弾が二人を半球状に取り囲んだ。
恐らくは、地下道を突破した侵入者に対する迎撃機構。
視界に収まるだけでも百を超える魔力弾が、津波のように押し寄せる。
非殺傷設定など成されていないだろう。
二人の思考回路が、全速突撃から回避と防御へと切り替わりかける。
その瞬間。

「止まるな!」

響き渡る獣の咆哮。
魔力の軛が地下道の床を貫く。
幾重にも折り重なった軛は鉄壁の守りとなり、無数の魔力弾を受け止めていく。
シグナムはザフィーラと一瞬だけ視線を交わし、即座に加速した。
立ち止まるなと叱咤されたのだ。
礼を言うために止まるなど、選択肢にも上がらない。

「広い……」

フェイトが小さく零した。
彼女の言うとおり、地下道の奥には異様に広大な空間が広がっていた。
ちょっとしたビルディングならば容易く収まってしまうだろう。
いくら郊外とはいえ、ミッドチルダの地下にこんな空間があったとは。
シグナムは脳裏を過ぎる違和感に暫し意識を傾けた。

「――来る!」

先を行くフェイトが急角度で上昇した。
間髪入れずシグナムも右手へ急旋回する。
数瞬遅れて、直前まで彼女らがいた空間を、数十発もの魔力弾が引き裂いた。
掃射を構成する魔力光は四種類。

「四人か。テスタロッサ、半分は任せるぞ!」

例え暗闇に紛れようとも、敵意が剥き出しでは意味がない。
ましてやこちらには、状況に則した一手があった。
レヴァンテインを構え直すと同時に、カートリッジロード。
刀身が瞬時に分裂し、シュランゲフォルムへと変形する。

「はあぁっ!」

振り抜かれるレヴァンテイン。
大蛇のごとく無数に連なる刃が、襲撃者のいるであろう地点を一気に薙ぎ払う。
視認できようとできまいと関係ない。
居場所さえ分かるならば事足りる。
だが――

「――っ!」

暗闇に火花が散る。
腕に伝わる予想外の衝撃と、鈍い金属音。
シグナムは思考を挟む間もなく刀身を引き戻した。
レヴァンテインがシュベルトフォルムへ再変形すると同時に、虚空を袈裟懸けに斬り付ける。
凄まじい音と共に、大気が爆ぜる。
咄嗟の判断で放たれたレヴァンテインの一撃は。
それを上回る速さで繰り出された黒い剣に弾かれていた。
即座に後方へ飛び退き、距離を離す。
剣戟の閃光に照らし出されたのは、紛れもなく騎士の鎧であった。

「シグナ――」

フェイトの背筋に悪寒が走る。
本能のレベルで発せられる危険信号。
即座に身を引くと、鼻先を鋭いナニかが掠めた。
闇に奔る紅い魔力の残光。
地下空間の暗さに慣れてきたフェイトの眼は、それの形状を僅かながらも捉えた。
魔槍と呼ぶに相応しい、禍々しさに満ちた紅の槍だ。
フェイトは胴体を護る盾のように、ザンバーモードのバルディッシュを構え直した。
刹那、魔槍が消える。
一瞬の間も置かず、フェイトの身体を凄まじい衝撃が襲う。
視覚の限界を超えて繰り出された槍の一撃がバルディッシュの刀身を打ち据えていた。
その狂気染みた攻撃は、ガード越しでもフェイトの意識を揺さぶった。

「くっ……」

体勢が大きく崩れる。
しかも衝撃に耐えかねて、バルディッシュの柄から右手が離れてしまった。
近接格闘においては致命的な隙だ。
敵は間違いなく、無防備な身体に第二撃を繰り出すだろう。
頭では対処しなければならないと分かっていても、四肢が思うように動いてくれない。
強烈な一撃を受け、意識が肉体の制御を失っているのか。
初撃より一秒も経たず、魔槍が狂気染みた速度で唸る。
崩された体勢のまま、フェイトは左腕だけでバルディッシュを振るった。

轟音。

バルディッシュはフェイトの手を離れ、高く打ち上げられる。
片腕の力と、全身の膂力。
比較にならないほどの差が、明確な結果となって表れた。
フェイトは奥歯を噛み締めた。
初手を許した時点で、既に圧倒的に不利な状況に追い込まれていたのだ。
煌く残光。
もはや抗する術を失ったフェイトの身体に魔槍が迫る。

「させん!」

フェイトの前に立ちはだかる長身の影。
銀色の手甲に覆われた腕が魔槍を握り押さえた。

「ザフィーラ!?」
「うおおおおっ!」

腕の筋肉が膨れ上がる。
粗暴に槍を引き寄せ、魔槍の騎士めがけて拳を繰り出した。
騎士の拳がそれを迎え撃つ。
剣戟とは違う鈍い音が鳴り響く。
直後、騎士の片足がザフィーラの胴に当てられる。

「ぐぉっ!」

騎士はザフィーラを蹴り、その反動で槍ごと後方へ飛び退いた。
猫科動物のように身をしならせ、虚空に着地する。
まるで見えない壁でもあるかのように。

――結界。

フェイトは直感した。
地下空間の奥には何かを覆い隠す結界がある。
恐らくそれこそが、作戦目標。
結界を足場に身を屈め、跳躍の力を溜める魔槍の騎士。
フェイトは落下してきたバルディッシュの柄を受け止めた。
そのとき、地下空間全体をかき混ぜるような風が吹いた。

「ギガントハンマーッ!」

巨大な体積が高速で振り下ろされる。
ギガントフォルムのグラーフアイゼンがフェイトの眼前を横切った。
魔槍の騎士が飛び退く。
大質量の鉄槌が、数瞬前まで騎士のいたところへ叩き付けられる。
鳴動する大気。
衝撃が破壊力を帯びた音となり、地下空間全体を震わせた。
爆発的な打撃を受けた結界に亀裂が走る。
あっけないほど容易く、結界は砕けた。

「――あ」

そう漏らしたのは誰だったか。
突入した起動六課の隊員は、ただの一人も例外なく、動きを止めた。
紅い光が地下空間を侵す。
あまりにも禍々しい、闇色の紅。
莫大な魔力が渦を巻き、呼吸までも圧迫される。
まるで不可視の手に喉と肺臓を握り締められているかのように。
魔力にべっとりと染み付いた悪意は知覚すら躊躇われれる。

「なんだ……あれは」

塔のようにそそり立つ漆黒の祭壇。
シグナムは瞬きすら忘れ、ソレに目を奪われた。
質感は濁った臓物を編み上げたかのよう。
悪意と怨嗟で塗りたくられた光景は、常人であれば眼を覆わずにはいられないだろう。
ヴォルケンリッター達ですら言葉を失っているのだから。
祭壇の元に八つの影が動いた。
恐らく四つはフェイトとシグナムを迎撃した魔導師のものだ。
そしてそれぞれの傍らには、明らかに異質な四騎の姿があった。

「待ちやがれ!」

急加速するヴィータ。
中央に立つ男が、余裕に満ちた動きで腕を振るう。

「――!!」

一条の光芒がヴィータの脇腹を掠めた。
バリアジャケットが焼き切れ、素肌が高温に晒される。
苦痛の声が漏れる。
安定を失ったものの、どうにか地面に着地した。
歯を食いしばり、その男を睨む。

遠い――

狂った距離感は、果たして脇腹のダメージだけによるものなのか。
ヴィータは傷口を押さえた。
痛みはあるが出血はしていない。
高温に曝された傷は変質して、血管が焼き潰れていた。
だが、決して重いダメージではない。

「野郎……!」

腕を地に突き、立ち上がる。
確実に奴らは強い。
エースであるフェイトやヴォルケンリッターのシグナムと互角以上に切り結び。
たったの一動作でバリアジャケットを貫く攻撃を繰り出してくるのだ。
その戦闘能力は、紛れもなくオーバーSランクに相当するだろう。
だが、そんなことで退くわけにはいかない。

「……そこ、動くなよ……」

ヴィータは目の前の敵を睨み付けた。
通常状態に戻ったグラーフアイゼンを握り、振り向ける。
禍き祭壇は依然としてそこにあり、異様な光を放ち続けている。
口を歪めて、吐き捨てるように呟く。

「詐欺みたいな名前だな――アレのどこが"聖杯"だってんだ――!」



 ―― 三日目 AM03:25――

モニタールームでは、既に十名近いスタッフが作業を始めていた。

はやては入り口の近くから部屋の様子を見渡した。
ここがどのような目的で作られた部屋なのか、一瞥しただけで分かる。
入り口の向かいの壁はガラス張りで、隣室の様子が目視できた。
隣のフロアは二階分の高さの吹き抜け構造になっている。
モニタールームは、ちょうどその二階部分と隣り合う位置関係だ。
つまり、こちらからは隣室の床を見下ろす形になる。
その壁に沿って幾つものコンソールが並べられ、それぞれにオペレータが付いている。

隣室には椅子が一脚。
座っているのは、赤い合成素材の拘束具に縛られた男。
ぼさぼさの髪を垂らして俯いているため、表情は見て取れない。
それどころか、生気の欠片も感じられなかった。
文字通りの半死人だ。
本来なら、こんな状態の人間を拘束するなんて考えられないことだろう。
だがこの男にはこうされる理由があるのだ。
彼が発見されたのは、スターズ分隊が謎の騎士の襲撃を受けた直後であった。
帰還途中だった同分隊によって発見され、身元不明の怪我人として収容された。
そして身元を調べるためデータを照合したところ、とんでもないことが分かったという次第だ。

「八神部隊長、モニタリング準備は完了です」

オペレータに促され、はやては席に腰を下ろした。
リインもその傍に着地する。
白で統一された無機質な部屋の中、男の赤い拘束服はひどく目立っていた。

「あー、次元犯罪者イスト・アベンシス。私の声が聞こえますか」

はやての呼びかけに、男が僅かに頭を動かす。
恐らくは肯定の意思表示。
声を出すことも出来ないのか――
はやては躊躇いを押し殺して、尋問を続行する。

「貴方は三名の仲間と結託し、第97管理外世界へ不法に侵入。
 とある魔術的儀式で用いられていた"聖杯"の残骸を盗み出した。
 これに間違いはありませんね」

微かに頷く男。
二日前、如何なる手段によってか聖杯を再現し、四体のサーヴァントを召喚した次元犯罪者。
彼はその一員であると目されていた。
ところが、発見時には魔力を根こそぎ奪われた半死半生の状態だった。
その上、所持しているとされていた槍型のデバイスすら失っているという有様だ。
彼に何があったのかは定かではないが、相当悲惨な目に遭ったことは想像に難くない。
はやてはオペレータに小声で指示を出した。
数秒の間をおいて、二人分のデータがはやての前に表示される。

「三名のうち二名までは既に身元が分かっています。
 アコード・ホーネット、ランディ・スティングレー……」

歯切れ悪く、はやては名を読み上げた。
彼らを容疑者として割り出したのは、地球への不可解な渡航が確認できたことが切欠だ。
元々この三人は共同で犯罪行為に及んでいる容疑が掛かっていた。
犯人候補としてこれ以上に怪しい人物はいない。
だが、あまりにも奇妙なことが多すぎた。
彼らに掛けられていた本来の容疑は、遺跡からの発掘品の密売だった。
歴史的価値こそあれど、ロストロギアどころか魔術的アイテムですらない品である。
本来ならば機動六課が関知する類の犯罪者ではない。
犯罪に等級を付けることが許されるならば、ケチな犯罪者であるといえた。

それがどうだ。

秘密裏に行われていた聖杯戦争の存在をキャッチする情報力。
ほんの半年程度で、高等極まりない理論で編まれた聖杯を再現する技術力。
そしてそれを起動させるための莫大な魔力の用意。
どれをとっても、彼らだけで成し得ることでは有り得ない。
はやては半ば確信していた。
――彼らは『手足』に過ぎない。

「まだ分かっていない一名を加えてもたったの四人……。
 端的に言います。他にも、誰か貴方達に手を貸しているんですね」

ぴくりと、男の肩が動いた。
力なく垂れていた首が持ち上がる。
死体のような眼球はまともに焦点を結ばず、虚空を泳いでいる。

「……そうだ……俺達は乗せられたんだ……ダグとかいう野郎が……!」

搾り出された微かな声が、拡大されてモニタールームに響く。
はやては手近にいるオペレータに視線を送った。
頷き返すオペレータ。
声のみならず、男の全てのバイタルサインは複数の装置によって記録されている。

「ダグ、それが四人目の名前なんやな」

核心に近付いている感触が、はやての言動に焦燥感を滲ませる。
男は明らかに錯乱状態にあった。
どうにか発言を誘導して、情報を引き出さなければならない。

「それで、ダグが黒幕なんか?」
「あいつは俺達を利用したんだ……あの連中に取り入るために……俺達を……」

男の身体は小刻みに震えていた。
怒り故か、それとも肉体の限界か。
かちかちと歯を鳴らし、ここにはいない何かを睨む。
この様子では、じきに証言を聞くこともできなくなるだろう。

「大丈夫や。あんたを騙した奴らは私達がどうにかしたげる。
 だから教えて欲しいんや、そいつらのこと!」

ばね仕掛けの人形のように、男が顔を上げる。
その瞬間、全てが闇に閉ざされた。
両方の部屋の照明が同時に落ち、数センチ先も見えない暗闇に包まれる。
一瞬、モニタールームが混乱に支配された。
即座に非常電源に切り替わることが分かっていても、驚きと戸惑いは抑えることができない。
監視の目が途切れたほんの僅かな合間に、『それ』は現れた。
男の眼前に白いものが揺れる。
嗤っているようにも見える、真っ白な髑髏の仮面。

――キキ……キ

黒衣が音もなくはためく。
暗黒の中、常人の四倍はあろうかという腕が高々と掲げられた。

 ――妄想心音ザバーニーヤ――

「電源、回復します!」

消えていた照明が一気に再点灯する。
はやては目が眩むのを堪えながら、隣室を見た。
男は最初にそうしていたように、力なく頭を垂れていた。

「ごめんな、びっくりさせて。大丈夫?」

返答はない。
はやてはしばし間を置き、再び語りかけようとした。
それをオペレータの震えた声が遮る。

「大変です、八神部隊長……バイタルサインが停止しています」
「え……?」

発言の意味が理解できなかった。
バイタルサインが停止した?
きっとさっきの停電で計器が壊れたんだ。
そんな都合のいい考えは、淡々とした報告によって否定される。

「生存反応、完全に途絶。イスト・アベンシス、死亡を確認」
「嘘……やろ」

はやてはコンソールに腕を突いた。
愕然と、拘束された男に視線を落とす。
男はほんの少し前と同じように、椅子に身を拘束されて項垂れている。
不可解な現状を処理すべく、はやての思考回路が高速回転する。
あんな近くで、本当に目と鼻の先で、あっさりと死んでしまったというのか。

突然の停電のショックで?
そんな馬鹿な。

表示されているバイタルサインは、彼が何の前触れもなく死亡したことを示している。
ショック死の直前に見られるような乱れは発生していない。

侵入者による殺害?
それこそありえない。

あの部屋に入ることができる経路は一つだけ。
侵入に利用したならば、必ず形跡が残るはずだ。
何らかの手段で姿を消して、今もあの部屋に潜伏している?
否、幾通りもの状況を考えて配置された監視装置を完全に騙すことができるとは思えない。
ならば考えられるのはただ一つ。
停電で計器が停止したほんの僅かの隙に、何者かが『突如として出現』したのだ。
そして照明が回復する前に彼を殺害し、現れたときと同様に『突如として消失』した。

「警備部隊に通達! 侵入者が存在する危険性が考えられる!」

オペレータに指示を飛ばし、はやては踵を返した。
普通なら一笑に付していたような仮説だった。
だが、機動六課が相対しようとしている相手は、普通とは程遠い相手に違いない。
いくらありえないと思えても、可能性があるならば、十二分にありえると考えるべきだ。

「リイン、行くで。他の隊の隊長さんも引っ張って作戦会議や」
「あ、待ってくださいよぉ!」

慌てて追いかけるリイン。
早足で駆けるはやてに追いつこうと、思いっきり速度を出して飛んでいく。

「でも、もう機動六課が取り扱うレベルの事件じゃないですよー」

機動六課は古代遺物管理部の所属として設立されている。
それ故、活動の内容はロストロギアに関連したものに限られてくる。
更に、機動六課は『レリック』専任部隊として運用される性質が強かった。

「"聖杯"はロストロギアじゃないんですし、別の部隊に任せられるだけじゃないですか?」
「それがどうした、や」

はやては不敵に笑ってみせた。
廊下に人の姿はなく、はやての靴の音だけが鳴り響いている。

「巨大な魔力の供給源を失ったサーヴァントは、新たな供給源としてレリックを狙う恐れがある。
 ……こういう風に言えば、誰も文句は付けられんやろ」

無論、はやてがこの一件に関わろうとするのには理由があった。
それは、機動六課設立の真の目的。
カリムによって予言された『いずれ起こりうる最悪の事態』を回避すること。

「リインも分かってるやろ? 私が機動六課を創ったわけ」
「この事件が引き金になるかもしれないなら、動かないわけにはいかない、ですか……」

そう呟いて、リインは黙り込んだ。
はやての少し後ろを、歩くような速さで浮かんでいる。
正直にいうと怖かったのだ。
二日前の地下空間での戦いも、今日の廃棄都市区画での戦いも。
どれも敵の異様な強さを知らされるばかりだった。
推定オーバーSランク相当の敵が四人というだけならまだマシだ。
相手は御伽噺に出てくるような英雄なのだ。

文字通り、掛け値なしの伝説との戦い。
地球にいたころ、はやての本棚から昔話を引っ張り出して読んでみたことが何度もある。
その中には地球の伝説や神話について書かれた本もあった。
勇壮絢爛な武勇伝に、壮絶無比な最期の瞬間。
すべてが輝かしい幻想の存在。

そんな相手と戦うなんて、不安で仕方がなかった。
ついさっきの出来事だってそうだ。
不可能としか思えない状況で完遂された異様な暗殺。
あれもサーヴァントの成せる業ではないだろうか。
二人は会話を交わすこともなく、執務室の前まで辿り着いた。
扉を開けようとするはやての眼前に、リインが不意に飛び出してきた。

「決めた! わたしも覚悟決めちゃいました! はやてちゃんについていきます!」

ぐっと拳を握り、高らかに宣言するリイン。
はやては不意のことに瞬きを繰り返していたが、すぐに満面の笑みを浮かべた。
リインフォースの小さな頭を、揃えた手先で優しく撫でる。

「ありがとな。リインが協力してくれたら百人力や」



[27243] 第9話 ジャハンナムの天使 Ⅱ
Name: リリナイ◆23c1d855 ID:76699dfe
Date: 2011/04/17 15:25
 ―― 三日目 PM03:30――

「やれやれ……人の親切な忠告を無視するなんてね。黙ってれば長生きできたのに」

機動六課隊舎の裏、水色の髪の少女は独りきりで空を仰いだ。
天頂を過ぎた太陽は、次第に西へと傾きかけていた。
空は青く、千切れ雲が幾つか漂っている。
ゆっくりと休息を取るには絶好の天気だろう。

「それにしても、よく出来てるなぁ、この服」

水色の髪の少女――セインは自分が着ている服を摘んだ。
濃いブラウンを基調とした落ち着いた配色で、全体的にシンプルなデザインの制服。
それは、機動六課の制服だった。
細部に多少の差異こそあるが、遠目に見るだけでは本物と判別できない。
これならば、下手な行動を取らない限り、見咎められることはないだろう。
腰に下げたポーチも違和感なく馴染んでいる。
セインはタイトスカートの裾を軽く持ち上げた。

「たまにはこういう服も悪くないかな」

新しい制服に袖を通した女学生のように、その場でくるりと回ってみる。
誰が見ているわけでもないが、見栄えを意識した仕種だった。

「おまえ、そこで何をしている」

不意に声を掛けられ、セインはびくりと動きを止めた。
跳び上がりそうになるのを抑えて、勤めて自然な素振りで振り返る。
今は偽の制服を着ているのだ。
動揺してしまっては却って不信感を与えてしまう。

「え、えっとぉ」

機動六課の制服に身を包んだ女が、責めるような視線を向けてきていた。
女の歩みに合わせて、後頭部で結われた桃色の長髪が左右に揺れる。

「サボりのつもりならもう少し目立たないところでするんだな」
「はいっ、すみません!」

とにかく話を合わせなければ。
セインは気取られないように唾を飲み込む。
ディープダイバーで逃亡を試みるのは簡単だ。
だが、それでは作戦が全て台無しになってしまう。
チンクから与えられた任務、それはイスト・アベンシスの監視と、もう一つ。
不用意な証言をしようとした場合の、暗殺。
ここでISを使用してしまえば、自分がその実行犯であると自白するも同然だ。
逃げ切ったとしても捜査の対象になり、逃げ切れなければ更に悲惨な結末となる。
強行に逃走するのはあまりにもリスクが高過ぎた。

「分かったなら早く持ち場に戻れ」

幸運にも、女はセインの隣を通り過ぎていった。
思わず安堵の溜息をつくセイン。
どうにか誤魔化しきれたのか。
早くこの場を立ち去ろうと早足で歩き出す。
次の瞬間、冷たいものが首筋に触れた。

「え――?」
「動くな。抵抗すれば首を刎ねる」

無機質な刀身がセインの首に刃を立てている。
ほんの少しでも力を入れて引けば、薄い紙を切るように容易く、華奢な首は切り落とされるだろう。
背後から投げかけられる冷徹な声は、通り過ぎたはずの女のものだ。

「やめてくださいよ……こんな悪い冗談……」

零した声は震えていた。
まだ誤魔化せるかもしれないという淡い希望を抱くつもりはなかった。
それでも、諦めるという選択肢など存在しない。

「下手な芝居はよすんだな。六課の隊員の顔は全員覚えているが、貴様など知らん」

刃が肌に食い込む。
ぷつりと皮膚が裂け、血の玉が浮かんだ。
――本気だ。
冷たい汗が頬を伝い落ちる。
もしセインが逃げ出すような素振りを見せれば、彼女は即座に刃を引くに違いない。
後に残るのは、泣き別れした首と身体。
セインは身体を動かさないように、視線だけを走らせた。
偽装を見破られた今となっては、もはや能力使用を躊躇うことはできない。
一瞬の隙を突いて、ディープダイバーによって離脱する以外の手はなかった。
しかしこの状態から直接潜行しようものなら、潜り切るより早く剣の錆となるのが明らかだ。
何か――何か打開の術を――

「……ッ!」

迫る風切り音。
突如、剣がセインの首筋から離され、女の背後へ振り抜かれる。
甲高い金属音を響かせて、刀身が何かを弾いた。

「これは……」

地面に黒塗りの短刀が突き刺さる。
手に持って振るうよりも、最初から投擲することを目的とした形状の刀。
数瞬だけ、女はそれに意識を向けた。
セインはその隙を見逃さず、真横に飛び退いた。
隊舎の外壁にぶつかると同時にISを発動し、壁の中へと潜行する。
女が振り向いたときには、そこにはもうセインの姿はなかった。

「……逃げられたか」

周囲を睥睨する女の足元から、セインの腕が生えた。
それは地面に刺さった短刀を手に取ると、音もなく地面に沈んでいく。
女は口元を歪め、剣を眼前にかざした。
白刃の縁に微量の鮮血が朱を落としている。

「証拠はこれだけか……まぁ、いい。解析班に回しておこう」



 ―― 四日目 AM0:15――

しんとした夜の闇。
薄いカーテン越しの月影が、ほのかに病室を照らす。
冷たい静寂の中、ティアナは寝台に臥せたまま、淡い窓辺を見つめていた。
ブランケットからそっと腕を出す。
少し日焼けした肌に、真夜中の空気は冷たすぎた。

「細いなぁ……」

握れば折れてしまいそうな、頼りない腕。
――昔、強くなりたいと願った少女がいた。
殉死した兄の無能を否定するため、強くなろうと決意した少女がいた。
それがどうだ。
数年を経てもなお、この程度にしか辿り付けていない。
強敵を前に無様に震えて、足を引っ張って、簡単に倒されて――

「……弱い、なぁ」

ティアナは自嘲気味に哂った。
相手が強かったのだという言い訳なら幾らでもできる。
けれど、それでは意味がないのだ。
たとえ勝てない相手だとしても、可能な限り食い下がらなければ意味がない。
自分があの騎士にできた抵抗はたったの一撃。
しかも全くダメージになっていなかった。
傷は与えたが倒すに至らなかったというなら、まだいい。
掠り傷の一つも与えられなかったのだから、いよいよ救いようがない話だ。
それでは何もしなかったのと大差がない。
救出の手間を増やした分、むしろ『いなかったほうがマシ』ではないのか。
ティアナはぐっと眼を瞑り、身を起こした。
薄いブランケットが上体から滑り落ちる。
昼間にも同じようなことを考えて、同じような後悔をしていた。
今のままでは、何度後悔しても足りないだろう。
自分が弱い限り、ずっと。

――寒い。

外気に体温を奪われていく以上に、胸の芯が締め付けられるように冷えていた。
ティアナはブランケットから脚を出し、氷のようなタイルの床につけた。
冷たさが、じん、と沁みる。
両方の足で立ち上がり、身体をまっすぐ立たせてみる。
まるで夢の中にいるような、不思議な気分だった。
隣のベッドではスバルが幸せそうに眠っている。
きっと、彼女は『ティアは弱くなんかないよ』と言ってくれるだろう。
だけどその言葉には、心が安らぐ以上の意味はない。
いくら褒められ慰められても、自身の実力が理想と程遠いという事実は変わらないのだ。
客観的には過剰に思える卑下も、今のティアナにとっては明確な真実だった。

ティアナはスバルの寝顔を横目で見ると、音も立てずに歩き出した。
どこかへ行こうと思ったわけじゃない。
ただ身体を動かしたくて、裸足のまま病室を出る。
夜の廊下は真っ暗で、数歩先もよく見えない。
非常灯の鮮やかな光だけが、一定の間隔を置いて自己主張をしているだけだ。
普段は外の風景を見せる窓も、今は鏡のようにティアナの姿を返している。
一歩踏み出す度、結われていない髪の毛が背中でふわふわと揺れる。
冷え切った床材が足の裏に突き刺さるようだ。
それでもティアナは廊下の奥へ向かって歩き続けた。
吸い込まれそうな暗闇が滲み出す方へと、夢遊病のように引き寄せられていく。
ぺたり、ぺたりという地を這うような足音が、静けさの中で異様に響く。
本来なら耳にまで届かないであろう、些細な音。
それですらこの静寂においては大きすぎた。

「――ぁ」

ティアナは曲がり角の直前で立ち止まった。
硬い音が聞こえる。
靴を履いた足で廊下を歩く音だ。
思わずティアナは壁に背を付けた。
ちょうど、近付いてくる足音の主から死角になるように。
隠れてしまってから、ティアナは唇を噛んだ。
検査入院とはいえ真夜中に意味もなく出歩くのは望ましいことではないだろう。
だがそんなことなどよりも、今の情けない自分を誰かに見られたくなかった。
気付かれないうちに部屋へ戻ろう。
そう決めて顔を上げた瞬間、目も眩まんばかりの光が視界を覆い尽くした。

「きゃあっ!」
「うわっ!」

あまりの眩しさに、受身も取れずに尻餅を突いてしまう。
暗闇に慣れていた視覚には強烈過ぎる光だった。

「大丈夫か……?」

差し伸べられているであろう腕も、ティアナの目には殆ど映っていない。
眼を閉じているのと変わらない視界のまま、手探りで相手の手を掴む。
骨ばった硬い感触――男の手だ。

「すみません、エミヤ三尉」

顔は見えなくても声だけで分かる。
助けられながら立ち上がり、軽く頭を下げた。
取り落とされた懐中電灯が、床の上で音を立てて転がっている。

「こんな時間にどうしたんだ?」
「ちょっと外の空気を吸いたくて……三尉こそ何をしてらしたんですか?」

無意識のうちにティアナは視線を落としていた。
左の手で、身を護るように右の二の腕を抱く。
衛宮士郎は懐中電灯を拾い上げると、ティアナに直接当たらない方を向けた。

「警備の手伝いだよ。今日は別件に人員が引っ張られてるらしくって」

こともなげに答える衛宮士郎。
ティアナは少し呆れ気味に相槌を打った。
手伝いをするよう頼まれたのか、それとも自分から手伝おうと言い出したのか。
どちらにしても妙な話だ。
この人物は六課に来てまだ2、3日程度のはずだった。
そんな馴染みのない相手に警備を頼むことも、その逆も奇妙に思える。
……いや、案外そうでもないかもしれない。
ティアナは衛宮士郎の顔を見て、考えを少し変えた。
この人は見回りの仕事を嫌がっていない。
真夜中の警備はかなり大変な職務のはずだ。
無理に押し付けられたのなら、こんなに平気そうな表情などしていないだろう。
頼まれて引き受けたにせよ、自分から引き受けたにせよ、その動機は純粋な善意に違いない。

「そうだ、身体は大丈夫か?」

それはこちらの台詞ですと言いたかった。
自分も戦って傷ついた身だというのに。
彼は彼女のことを気に掛けている。
ああ、そうか――
ティアナはようやく悟った。
あの騎士を前にして臆することがないほどに。
狂気染みた力を前に屈することがないほどに。
自身の傷よりも他人のそれを気に掛けられるほどに。
彼は、強いのだ。

「――――」

ティアナは口を引き結び、俯いた。
違う、そうじゃない。
強いのは彼だけではなかった。
単純な戦闘能力の評価では自分と同じ程度のはずのスバルもまた、強かった。
ティアナの脳裏に、魔槍の騎士の前に立ち塞がるスバルの姿が蘇る。
不意に、心の中でせき止めていたものが一気に溢れ出してきた。

「お、おい」

痛みがぶり返したとでも思ったのか、衛宮士郎はティアナの顔を覗き込もうとした。
今はその心遣いが、痛かった。
ティアナは堪えきれず、来た道を逆向きに駆け出した。
赤くなった素足で廊下を蹴って、暗闇の中へ消えていく。
追いかけてくる足音は聞こえない。
気付けば病室はとうに通り過ぎ。
ティアナは階段の踊り場で、独りしゃがみこんだ。

「強く、なりたいよ……私だって……」

誰に聞かせるでもない、噛み潰すような声。
月明かりすら差し込まない階段に、哀しげな音だけが反響していた。



 ―― 四日目 AM01:00――

機動六課隊舎の屋上に、人影が一つ落ちていた。
既に日付は変わり、空には上弦の月と、砂粒のような星が散っている。
海からの微風が、纏められた長髪を靡かせた。

「ん……」

なのはは流されそうになった髪を押さえて、暗い空を仰いだ。
真夜中とはいえ、ミッドチルダに営みは絶えない。
例えばビルディングの照明や、往来する自動車のヘッドライト。
眠りに落ちた世界の中にも人工的な光達が煌いている。
まるで、人が生きていることを証明するように。
消えることがないようでいて、簡単に吹き消されてしまいそうな灯火だ。
そんな仄かな明かりが、なのはの横顔を静かに照らしていた。

「やっぱり、全部うまくはいかないよね」

呟きながら、左腕を押さえる。
腕に浮き上がる聖痕が疼いたような気がした。
復元された聖杯の破壊から七十三時間が経とうとしている。
プランA――聖杯の起動前に突入し、破壊を完了する理想的な展開。
これはもう失敗してしまった。
サーヴァントの召喚を阻止するには至らず、少なくとも四騎が放たれた。 
聖杯を破壊したのだからといって事態が終息するわけではない。
仮に、敵の目的がサーヴァントを手に入れることだとしたら。
聖杯の喪失は初めから止む無しと考えていたのなら。
敵は既に目的を果たしてしまったことになる。
事実、スターズ分隊はサーヴァントと思しき騎士と交戦したという。
聖杯の破壊から数十時間を経てのサーヴァントとの戦闘。
すなわち、聖杯なくしてサーヴァントを維持する手段が講じられていることを意味していた。

「なのは、こんなところにいたのか」

不意に歳若い少女の声がした。
屋上という開放された空間では、音は四散して響くことがない。
それでもなのはは、声のした方へ向き直った。

「ヴィータちゃん、どうしたの?」

赤いお下げを二つ揺らして、ヴィータが階段の傍にいた。
もう何年も聞き馴染んだ声を聞き間違えることなどありえない。

「それはこっちの台詞だ」

不機嫌さを隠すこともせず、なのはの隣へ歩み寄る。
背よりも高いフェンスにもたれ掛かり、おもむろに腕を組んだ。

「あたし達が拾ってきた男、死んじまったらしい」
「うん……はやてちゃんから聞いた」

聖杯復元の『実行犯』が死亡した件は、発生後すぐになのはの耳にも届いていた。
あまりにも出来すぎたタイミングであり、口封じのために暗殺されたことは疑いようがない。
どうやって侵入したのか、どうやってイスト・アベンシスの命を奪ったのか。
まだ分からないことは幾つもあるが、貴重な情報源を失ってしまったことは確かだった。
それでもはやては、折れることなく事件を追い続けるつもりのようだ。
だが、なのはの心の中には漠然とした不安が根を張っていた。
はっきりと言い表せるほどではないが、どうしても無視できない嫌な予感。
遠からず、致命的な何かが起こってしまうような――
二人の間を冷たい夜風が吹き抜ける。

「なぁ、なのは。あたし等のこと、そんなに信用できないのか?」

唐突に――そんな言葉が聞こえた。
なのはの思考が凍る。
ヴィータは今、何と言った?
わたしが、みんなを、信用していない?
混乱するなのはを他所に、ヴィータは更に言葉を次いだ。

「聖杯を壊すときだって何も教えてくれなかった。
 廃棄都市区画にサーヴァントが出てからも、本当のことは教えてくれてないんだろ?
 それって信用されてないってことじゃないのかよ」

キッとなのはを睨むヴィータ。
なのはは思わず、左胸を押さえた。
心臓を握り潰されたような痛みが滲む。

「……ごめんね。秘密にしておくのが、約束だったんだ」

ヴィータは何も言わずに顔を背けた。
言い訳ならいくらでもできる。
秘密主義の魔術協会と協力する以上、聖杯戦争の真実を広く触れ回るわけにはいかない。
協会から許可があるまでは、一定以上の地位にあるものに対してのみ、重要な情報の開示を行うこと。
それがロード・エルメロイⅡ世と交わした約束だった。
即ち部隊の隊長クラスと、管理局の高官――あちらとしても最大の妥協だったろう。
客観的に、合理的に考えるのなら、ヴィータ達に対しても秘密を貫くのが正しい。
なのはは腰を落とし、ヴィータの肩に手を掛けた。
いくら理屈は正しくても、心がついていけるとは限らない。

「何だ、よ――」

振り向いたヴィータの身体を、温かいものが包み込んだ。
なのはの長い髪の毛が、目の前でふわりと揺れる。

「ごめんね……」

突然抱きしめられて、ヴィータは眼を丸くしていた。
両方の腕が背中を抱き寄せ、頬が触れるほどに深く身を寄せる。
柔らかな膨らみがヴィータの華奢な身体を受け止めている。
ヴィータの頬と耳朶が、淡い赤に染まった。

「ば、馬鹿! 何やってんだ!」

咄嗟になのはを押しのけて、数歩後ろへ後ずさる。
身を護るように腕を組み、わざとらしく背中を向ける。

「とにかく、話せるようになってからでいいから、ちゃんと説明しろよな」
「……うん」

ようやくなのはの顔に笑顔が戻る。
ヴィータは安堵した様子でフェンスにもたれかかった。
その隣に、なのはも身を預ける。
「そうだ。スバル達と戦ったサーヴァントのこと、どこまで話したんだっけ」

赤みの引かない頬を誤魔化すように指で掻きながら、ヴィータは話題を変えた。
わざわざそんなことを訪ねなくても、どこまで報告したかは覚えている。
ただ、今の妙な雰囲気をどうにかしたかった。
なのはの返事を待たず、報告の続きを再開する。

「紅い槍を使ってたってことは、言ったよな。
 それと――あたしは見てないんだが、最初はもう一振り持っていたらしい」

すなわち、二槍の騎士。
本来は両手で扱う槍という武器を二つも扱う者など、ヴィータの記憶にも殆どいなかった。
闇の書の守護騎士として戦い続けた記憶――
いわば膨大な戦闘経験を綴った書物をめくって似たような情報を思い出そうとする。
それゆえ、ヴィータは見逃してしまった。
なのはの表情が、暗く沈んだことを。

  ゲイ・ジャルグ
「破魔の紅薔薇――」
「……えっ?」

ぽかんとするヴィータに、なのはは何でもないと首を振った。
ヴィータの頭を一撫ですると階段の方へ向かって歩き出す。

「ここは寒いから、お話は中でしようよ」
「お、おぅ」

釈然としない様子でヴィータも後に続く。
やがて誰もいなくなった屋上を、月影が音もなく照らしている。
ミッドチルダの灯も、今はその明るさを失っていない。
夜はこれからさらに更けるだろう。
夜明けは、まだ遠いのだ。



 ―― 四日目 AM01:52――

「ご苦労だったね、セイン」

暗がりに男の声が響く。
灯火は弱く、その表情は見て取れない。
だが労をねぎらう言葉の中に、僅かな愉悦の色が混ざっていた。

「彼は役に立ったろう?」
「はい、ドクター。でもあたしがちょっとミスっちゃって……」

気まずそうに答えるのは、水色の髪の少女だった。
日中に着ていた制服は既に脱ぎ、青いボディースーツに身を包んでいる。
セインの返答を聞き、ドクターと呼ばれた男は楽しそうに笑った。
高らかに声を上げるのではなく、己の内側に笑い声を響かせるように。

「心配しないでいい、ある程度のトラブルは想定している。それと――」

男はセインの隣の誰もいない空間に視線を向けた。
琥珀色の瞳が光を受けて微かに輝く。

「感謝するよ黒衣の暗殺者。君がいなければこの作戦は成就しなかった」

セインは、はっと隣を見た。
いつの間に現れたのか。
そこには漆黒のマントで全身を覆う、髑髏の仮面が佇んでいた。
セインはため息を漏らしながら、髑髏の頭から足元までゆっくりと眺める。
こうして間近でみるとかなり長身の男だと分かる。
仮面を被った顔はセインの頭よりも更に高い位置にある。
ひどい猫背を伸ばせば背丈は2メートルの大台に届くだろう。
黒衣越しにでも、枯れ木のような細さと鍛え抜かれた屈強さの矛盾した様相が見て取れる。

「――」

髑髏は黒衣の下から左腕を出した。
常人の倍はあるであろうそれを男に向け、発言を促すように五本の指を動かす。
セインにはその行為の意図が分からなかったが、男には伝わっているようだ。

「ああ、無論だとも。あれは確実に君の主の為になる作戦だった」

そう答えた男にセインが意識を向けたのは一瞬のことだった。
たったそれだけの間に、髑髏は完全に姿を消してしまっていた。
もはや気配の欠片も感じられず、用件は済んだと言わんばかりの潔さだ。
男の言葉に納得したのか、失望したのか、セインには分からない。
しかし、男は後者の可能性など気に掛けていないらしかった。

「彼は本当に忠義者だな。我々としては大助かりだが」
「そうですね、ドクター」

男の背後から女が一人、姿を現す。
セインと同じボディースーツの上からコートらしき上着を羽織っている。

「他の客将ではあそこまで思い通りに動いてはくれません」

口元に笑みを浮かべる。
だが、丸い眼鏡の下の瞳は笑っておらず、まるで氷のようだった。

「客将って……」

すっかり置いていかれていたセインは、腰につけていたポーチに何気なく手をやった。
偽造制服を着ていたときに身に着けていたものだが、どうして今もここにあるのだろう。
セインは少し前の記憶を辿り、あっ、と小さな声を上げた。
指で弾くようにポーチの蓋を開け、掌大の金属塊を取り出す。

「これ返すの忘れてた」

黒塗りの短刀を手に、セインは溜息をついた。
偽の隊員であると見抜かれて窮地に陥ったとき、この短刀が敵の気を逸らして助けてくれた。
きっとあの髑髏が投げてくれたのだと思って、返すついでにお礼を言っておこうとしていたのに。
それをすっかり忘れているなんて。
このポーチも短刀を入れて持ってくるために付けっぱなしだったんだ。

「早いうちに返した方がいいよね……でも、どこにいるんだろ」

見れば見るほど、よく手入れされた道具であることが分かる。
愛用の品だというならすぐにでも返却した方がいいだろう。
何せ、暗殺者は馴染んだ道具に命を預けると言うではないか――
セインは短刀をポーチに滑り込ませると、叩くようにして蓋を閉めた。



[27243] 第10話 聖剣の騎士Ⅰ
Name: リリナイ◆23c1d855 ID:76699dfe
Date: 2011/04/17 15:26
 ――四日目 AM05:15――

機動六課に出撃要請が下ったのは、太陽が昇り切らないほどの早朝のことだった。
はやては執務室のデスクに腰掛けるなり、画面に要請の内容を表示させた。
ぼうっとした眼といい、頭の横で跳ねた髪の束といい、明らかに寝起きの出で立ちだ。
イスト・アベンシスの一件が発生したのが昨日の午後三時半。
すぐさま報告書を作成し、地上本部に容疑者暗殺の一部始終を報告。
同時に上層部に捜査体制の強化を具申。
更に捜査上で連携することになるであろう部隊への挨拶も行った。
そうして、一連の事務処理を済ませた頃には既に午後十一時を回っていた。
後は機動六課の残務を片付けて、就寝できたのは今日の午前一時過ぎ。
連日の激務も相成って、たった四時間の睡眠では疲労が抜け切らないでいる。

「もぅ、昨日の今日で任務なんて……」

疲労の色を隠すこともせず、はやては頬杖を突いた。
口では不満そうにしてはいるが、文字通りの『口だけ』だ。
頭の中では目の前の任務をどう完遂するかに思考が切り替わり始めていた。
要請書の送信元は地上本部からとなっている。
まだ眠気から脱しきっていない眼を擦りながら、簡潔な文面に眼を通す。

「第七管理世界、現地時間における午後十九時、レリック密売組織の拠点を摘発。
 二個のレリックを確保し、次元間航路を介してミッドチルダに輸送を開始。
 到着したレリックのミッドチルダ内における護送任務を機動六課に要請する……かぁ」

はやてはぎしりと椅子の背もたれに体重を掛けた。
実に真っ当な任務内容だ。
一見サーヴァントも聖杯も無関係この上ない。

「まぁ、こういうお仕事もやらんとね。今日の訓練はナシで待機させたほうがいいかな」

画面に表示されている文書の記述によると、レリックの到着時刻は午後四時頃。
訓練は中止か、早めに切り上げさせて任務に備えさせたいところだ。
特にスターズ分隊は昨日の戦闘の消耗が回復しきっていないかもしれない。
激しい戦闘になる危険性が充分考えられる以上、コンディションの調整は必須事項だった。

――レリックの輸送任務において想定される敵は、通常は以下の二種類。
一つは、ロストロギアの密売や違法研究を望む次元犯罪組織。
一つは、レリックの発見現場で多く出現する、ガジェットドローンと呼ばれる戦闘機械。

これらだけで考えれば、今回戦闘になる可能性が高いのは後者だろう。
管理局の武装部隊が護送するロストロギアを強奪しようとする馬鹿はそういない。
あまりにも成功する望みが薄く、万に一つ成功しても簡単に足がついてしまう。
このように、人間であればある程度の行動予測は付くものだ。
逆に、行動を予想できない相手ほど厄介なものはないと言える。
まさにガジェットドローンがこれに当てはまった。
ガジェットドローンにはまだ未知数な点が多い。
精々が、他のロストロギアには目もくれず、レリックのみを狙うことが分かっているくらいだ。
無条件でレリックを狙う造りであるなら、リスクを度外視して襲撃してきてもおかしくない。

「中央区画を通らなあかんのが、地味に厳しいかなぁ」

リスクを考えない相手は戦う場所も選んではくれない。
襲撃の機会さえあれば容赦なく攻撃を仕掛けてくるだろう。
たとえそこが人々の往来する街中であったとしても、だ。
はやては困った様子で頭を掻いた。

「……悩んでいるのか?」

どこからか低い男の声がした。
部屋の中には、はやて以外の人間の姿はない。
しかしはやては驚く素振りも見せず、当たり前のように応対する。

「うん……。順当に行けば楽な任務やけど、もしもの場合が厄介なんよ」

陸上本部が見積もった護送計画案のファイルを開く。
表示されるマップを睨むはやての横に、一頭の狼が身を寄せた。
通常の狼よりも数割増しで大きな体躯のそれは、首をもたげてマップを覗き見ていた。

「確かに、襲撃を考えなければ気楽な任務だな」

男の声は紛れもなくこの狼が発していた。
はやては狼から画面が見やすいように、椅子を動かした。

「戦闘があると考えても、スターズとライトニングで何とかなるとは思うけど……。
 シグナムは廃棄都市区画の現場調査に引っ張られてるから、七人体制かなぁ」
「地球の魔術師は計算に入れないのか」

狼は、魔導師ではなく魔術師という言葉を使った。
管理局では滅多に聞くことのないその単語は、当然のように、管理局の外の存在を指している。

「遠坂さん達?」
「彼らも名目上とはいえ、機動六課の隊員だろう」

はやては軽く腕を組んで天井を仰いだ。
確かに狼の――ザフィーラの言うことは正しい。
しかし、どうにも気が進まなかった。

「あの人達は聖杯の件をどうにかするために、なのはちゃんが無理言って連れてきてくれたんやろ?
 関係ない任務までお願いするのはちょっと……」
「気が引ける、と。だがこの任務も完全に無関係というわけではない」

うぅん、とはやては唸った。
この任務、想定される敵は二つだけではない。
同じ人間に過ぎない次元犯罪者よりも。
単なる機械に過ぎないガジェットドローンよりも。
更に厄介で、戦うことを想像したくない相手。
――サーヴァント。
次元犯罪者の手によって召喚された、超常の域に在る騎士。
聖杯を破壊された今、サーヴァントは存在の維持に莫大な魔力の供給源を必要としているはずだ。
例えば、ロストロギアのような。
はやては机に突っ伏すと、顔だけをザフィーラに向けた。

「でもなぁ。こっちの任務をやってるときに、別の場所にサーヴァントが出たらと思うとなぁ」

とにかく不確定要素が多すぎるのだ。
過去のデータも殆ど役に立たず、何が起こるのかも分からない。
模造聖杯の破壊以降、明確に敵サーヴァントを観測できたのは一度きりなのだから。

「……遠坂さん達と相談してみよ」

ここで悩んでいても埒が明かないと考えたのか。
はやては表示させていたディスプレイを閉じると、ザフィーラと共に執務室を後にした。



 ――四日目 AM05:25――

「ん……っ」

スバルはぐっと伸びをしながら、深く息を吐いた。
生地の薄い病院服が前身に密着する。
張りのある身体のラインが浮き上がるも、全く気にしていない様子だ。

「ゆっくり寝たら、だいぶ楽になってきたかなぁ」

上体を捻り、固まりかけていた背筋をほぐす。
表情も晴れやかで、昨日の戦闘のダメージも殆ど残っていないようだ。
スリッパに足を入れ、窓辺まで歩いていく。
そして、閉められていたカーテンを指で軽くずらした。
朝霧立ち込める涼やかな朝の風景。
窓を開ければ心地よい風が吹き込むことだろう。
でもきっと、今の服装には冷たすぎる。
スバルは名残惜しそうに窓の外を眺めた。
その代わりとばかりに、両手でカーテンを一気に開く。
早朝の淡い陽光が病室を満たす。
窓一杯に大写しになった朝の情景は、昼間のそれとはまるで別物だった。
活気に溢れる昼下がりを油絵と喩えるならば、これは水彩画だ。
絵画として窓枠ごと切り出すことができるなら、最高のインテリアになるだろう。
仄かな暖かさを満身に浴びてから、スバルはベッドの方へ戻った。
自分が寝ていた床を通り過ぎ、ティアナが眠る隣のベッドの横で立ち止まる。
ティアナの目元は、ほんの少しだけ、赤くなっていた。
スバルは何も言わず、ティアナの額に掛かった前髪を指先で整えた。

「んん……」

もぞりと身を動かすティアナ。
足を伸ばした拍子にブランケットが大きく下へずれ、上体が露わになる。

「――あ」

スバルの視線が止まる。
微かに汗ばんだこめかみと、そこから続く白い首筋。
華奢さを一層際立たせる鎖骨に、襟元からほんの少しだけ覗く胸骨。
そして、病院服越しにもはっきりと分かる、なだらかな双丘。
仰向けでありながら、尚もはっきりと存在を主張し続けていた。
――理由を問うならば、魔が差したというより他にない。
おもむろに、スバルは左右の膨らみをそれぞれの手で包み込んだ。
柔らかい感触の中に指が沈んでいく。

「……おおっ」

ティアナが目覚める気配はない。
ならば、悪戯心が加速するのは必然だった。
スバルは口元に悪童のような笑みを浮かべながら、膨らみを包む手を動かした。
四本の指で輪郭をさすりながら、親指と人差し指の間で形を変えさせる。
弾力と柔らかさが絶妙に混ざり合った感触が、スバルを更なる行為へと誘った。
眼を覚ましてしまうかもしれないという懸念を置き去りに、手の平一杯に揉みしだこうとする。
次の瞬間、スバルの額を鋭い手刀が打ち据えた。

「あいたっ!」
「スバル……何やってんのよ」

自分を見上げる憮然とした視線に、スバルは誤魔化すような笑いを返した。
ティアナは呆れ返りながら、両手を伸ばして相方の肩を押し返す。

「あら、お邪魔しちゃった?」

その手がぴたりと止まる。
ドアの方から聞こえた馴染みの薄い声。
スバルとティアナは、同じような動作で顔を声のした方へ向けた。
いつの間にか開いていた入り口から、赤いコートの女がこちらを眺めていた。
年齢は自分達より一回り上といったところだろうか。
波打つ黒髪をコートの背に自然に流した髪型の影響か、少々大人びて見える。
管理局の人間という雰囲気ではなく、かといって病院の関係者というわけでもなさそうだ。
彼女は面白いものを見たという感じの表情で、胸の前で組んでいた腕を緩めた。

「あのっ、これはっ」

取り繕うように離れるスバル。
まずいところを見られたという思いが二人の思考を埋め尽くす。
しかし彼女は、スバルがしていた行為を別段気にしていないようだった。

「えっと、あなたがスバルで、あなたがティアナ。合ってる?」

白い指先がスバルとティアナを交互に指す。
二人は顔を見合わせた。
どちらもが、突然の来客を知っているかと視線で尋ねあう。
その仕種が面白かったのか、女はくすりと笑みを溢した。

「士郎に頼まれて様子を見に来たけど、その様子なら大丈夫みたいね」
「シロウって……エミヤ三尉とお知り合いなんですか?」

次に声を上げたのはティアナだった。
まずいところを見られたという思いはあったが、それよりも聞こえた名前が気に掛かった。
思い返せば三日前。
なのはからエミヤシロウを紹介されたとき、ライトニングにも一人増員すると伝えられていた。
あれから何の音沙汰もなく、半ば忘れかけていたのだが、今になってその記憶が浮かび上がってきた。
ひょっとして、彼女はその増員なのではないのか。
ティアナはそう考えたのだが、尋ねようと二の句を次ごうとした直後、スバルが身を乗り出して割り込んでくる。

「シロウさんと知り合いってことは、なのはさんとも?」

言いかけた言葉を飲み込むティアナ。
横合いから割り込んできたスバルを横目で見やる。
発言を遮られたのは不本意だが、スバルの問いも気になる内容ではあった。
赤いコートの女は備え付けの椅子を引いて、おもむろに腰を下ろした。

「まぁね。半年くらい前になるかな。『私達の世界』で起きた事件で、ね」

女の語り口は、最低限の要点を押さえていながら、それでいて核心からは外れていた。
隠しておきたいことがあるようにも、単に詳しく語る必要がないと考えたようにも取れる。
決して不自然な受け答えではないのだが、ティアナはもっと踏み込んだ答えを期待していた。
例えば、その事件の詳細とか、高町なのはとの関係とか。
――初対面なのに、何でも聞くのは失礼かな。
ティアナは詮索したがる心を抑えて、出会ったばかりの見舞い客に向き直った。

好奇心を押し退けた隙間に、ふと、小さな違和感が浮かび上がる。
隣に腰を下ろしているスバルという少女。
さっき『シロウさん』と発言していたような気がする。
先日までは、スバルが彼を呼ぶときは『エミヤさん』か『エミヤ三尉』だったと記憶していた。
大抵は前者だったと思われるが、それでも呼ぶときは姓だった。
……まったく、人懐っこさはここまで筋金入りだったのか。
浮かんだ言葉は口には出さず、溜息だけを吐き出した。
と、不意にドアがノックされる。

「一等陸尉。八神二佐から連絡が入っています」

事務的な女性の声だ。
コートの女はスバルとティアナに子供っぽく目配せすると、椅子から立ち上がった。

「アイツ、結構無茶するから。迷惑掛けるようだったら遠慮なく言ってやればいいわよ」

言うこと聞くかは分からないけどね、と付け加えて、女は病室の扉を開けた。

「あのっ……」

立ち去ろうとする赤い背中をティアナは思わず呼び止めてしまった。
足を止め、振り向く彼女。
ティアナは一瞬考え、なるべく失礼にならないであろう問い掛けを口にする。

「お名前、聞かせて貰えませんか?」

女はきょとんとした表情になった。
数秒間をおいて、納得したように何度か小さく頷く。
まるで、自己紹介をしていなかったことを今更思い出したかのように。

「――遠坂凛。こっちでの肩書きはロングアーチの一等陸尉になってるわ」



 ――四日目 AM08:07――

がらりと足元の瓦礫が崩れる。
ギンガ・ナカジマ陸曹は、眼前の光景に息を呑んだ。

「随分と大きな穴が空いたものね……」

ミッドチルダ北部に広がる廃棄都市区画。
その一角に陸士108部隊は展開していた。
先日まで、ここは廃棄以前の面影を色濃く残した区域だった。
それがどうだ。
穿たれた巨大な縦穴によって四車線の道路は完全に寸断され、断崖絶壁と化している。
周辺のビルも足場を失って倒壊し、大きく口を開けた穴に飲み込まれたようだ。
近辺を走っていたハイウェイまでも食い千切られたように欠けていた。

「地表で強烈な衝撃が発生して、老朽化していた道路とその基礎が連鎖的に崩壊。

そのまま地下道まで崩れ落ちたってところかな」
ギンガは穴の縁から五十メートルほど離れた地点で、現場の観察を続けた。
これだけ離れても、穴の大きさと比べれば至近距離にしか感じられない。
まるで巨人の拳が垂直に叩き込まれた跡のようだ。

「それにしても……」

ギンガはディスプレイを空中に出して、報告書を表示させた。
交戦部隊は古代遺物管理部機動六課スターズ分隊。
交戦対象は正体不明の騎士一名。
訓練中に遭遇し、攻撃を仕掛けられたため、応戦。
軽傷者三名、重症者、死者ゼロ名。
騎士は逃走したと見られる。
槍状の武器を二種装備するも、魔法行使の様子は確認できず。
地上本部のデータベースにも該当するデータは皆無。
撤収途中、次元犯罪者のイスト・アベンシスを発見し、身柄を確保。
所持しているとされるアームドデバイス・ブライトスローンは発見されず。
尋問中に何者かによって殺害されたため、本件との関係性は不明――

「これが信じられないのよね」

報告書中の一文を指でなぞる。
――魔法行使の様子は確認できず。
この大穴は、交戦対象の騎士が武装を投擲したことで起きた崩落が原因だと記述されている。
つまり、魔法を使うことなくこれだけの破壊を成しえる人物がいるということだ。
無論、予め強化魔法などを掛けていたことも考えられる。
武装に特別な仕掛けが施されていたのかもしれない。
それでも、これだけの脅威が野放しになっているというのは危険過ぎた。

「ナカジマ陸曹。部隊長より、地下道も調査範囲に含めろとの通達です」
「分かったわ。何人か集めて地下調査班を組んでおいて」

通達に来た一等陸士に指示を出し、ギンガはブリッツキャリバーの車輪を駆動させた。
大小の瓦礫を避けながら、歩くような速度で穴の縁まで移動する。

「着陸地点、決定。移動ルート算出……っと」

ナカジマ三佐が自分に地下調査を命令した理由は分かっている。
108部隊で唯一、この断崖を迅速かつ安全に降下する手段を持つからだ。
穴の縁からは先遣隊が使ったらしいロープが垂れているが、これでは少々心許ない。
ギンガの足元で藍色の魔法陣が回転する。

「ウィングロード、展開!」
《All right》

デバイスが呼応すると同時にギンガは虚空へと滑り出た。
間髪入れず帯状魔方陣が出現し、ギンガを支える足場を構成する。
それは縦穴の奥底へ滑るギンガを先導するように、なだらかな坂道を編み上げていく。
ものの数秒で穴の底まで辿り付き、車輪を軋ませ停止する。

「中から見ると……これは……」

ギンガは嘆息して空を見上げた。
空は円形に切り取られ、縦穴を塞ぐ蓋のようだ。
断層も露な壁面からは曲がった鉄骨やパイプの類が覗いている。
崩れ落ちたハイウェイとビルディングが無残に散らばり、風が吹くたびに粉塵が巻き上がる。
まるで、世界の終わりを切り出した箱庭のよう。
ギンガは、退廃的な名画を眺めているような、不思議な感覚を覚えていた。

「……いけない、しっかり調査しないと」

首を振って気を取り直す。
ここで犯人に繋がる情報を得なければ、捜査は一歩も進まない。
捜査が遅れるということは、その分だけ危険な存在を野放しにすることになってしまう。
特に今回は異常だ。
目的も正体も分からず、一方的に管理局の部隊へ攻撃を仕掛けてきたのだから。
次元犯罪者が、自分達を追跡する局員を攻撃をするのならまだ理解できる。
しかし今回のケースは違う。
機動六課は訓練中で任務には就いていなかったのだ。
つまり、攻撃は逃走のためといった手段ではなく、目的そのものである可能性がある。
管理局部隊への攻撃を目的とした武装組織――

「あまり考えたくはないわね」

もちろんそうでない可能性も充分にある。
例えば、管理局に気付かれたくない取引をしていたところに六課が現れ、逃走の殿として交戦。
そういうことも考え得る。
だからこそ、捜査を進めなければならない。
これ程の"人災"を撒き散らす敵を止めるためにも。
ギンガは瓦礫の道をゆっくりと滑り始めた。
じきに後続の隊員達が降りてくるだろう。
それまでに多少は地下空間の状況を確認しておきたかった。
元は資材か何かを輸送する地下通路だったのだろう。
人間が通るには大き過ぎる空洞が前後に貫通している。
空洞の向こうで、赤い光が煌いた。

「――ッ!」

ギンガは反射的に、巨大なコンクリート片の後ろに身を隠した。
リボルバーナックルに覆われた拳を、胸の前で握り締める。

「誰だっ!」

身を隠したまま、空洞に向かって呼びかける。
ギンガの思考回路を数パターンの状況推定が駆け巡った。
最悪の場合、後続が来る前に片をつけるか、それとも後続を待ってから戦闘に――
しかし返ってきたのは、拍子抜けするほど危機感のない声だった。

「ああ、ごめん!」
「……はい?」

警戒を解くことなく、ギンガはコンクリート片の端から顔を出した。
いつでも身を引けるようにしながら、通路の奥に目を凝らす。
暗がりの中から、男が一人歩いてくる。
敵意のないことを表しているのか、両手は肩の高さまで上げられていた。
ギンガは毒気を抜かれたように、コンクリート片からから半身を覗かせた。
男はギンガにとって見覚えのある服を着ている。
ブラウン基調で纏められた機動六課の制服だった。
男が陽光の当たる場所で立ち止まる。
ギンガは男の姿を頭から靴の先まで観察した。
階級章は三等陸尉。
陸曹であるギンガよりも階級は上らしい。
頭髪は髪質の硬そうな赤毛で、顔つきには若干の幼さが残っている。
制服の前ボタンを全て外し白いシャツを露出させるという、士官とは思えないラフな格好だ。
その手には、細い鎖に繋がれた真紅の宝石がぶら下がっていた。
どうやら先ほどの赤い光は、太陽光がこれに反射したものだったらしい。
ギンガは安堵の溜息を吐いて、男に向き直った。

「なんだ……失礼しました、三尉。陸士108部隊所属、ギンガ・ナカジマ陸曹であります」
「こっちこそ驚かせてごめん。えっと、機動六課所属、衛宮士郎三尉、でいいのかな」

慣れていない様子で敬礼を返すエミヤシロウ。
待機状態のデバイスすら持っておらず、完全な丸腰だ。

「三尉、ここにはどのようなご用件で?」

ギンガは不審そうに尋ねた。
衛宮士郎という人物を疑っているのではない。
機動六課にそういう名前の人物が赴任した、ということは既に聞いている。
言葉の通り、奇妙に感じたのは『彼』が『今』ここにいるということだ。
いくら先日のこととはいえ、戦闘があった現場に赴こうというなら、せめて護衛くらいは要るだろう。
しかし目の前の人物は護身用の武器すら持っている様子がない。
それに、機動六課からはシグナム二尉が調査に合流する予定だが、彼が来るとは聞いていなかった。
エミヤシロウは、右の手に持った赤い宝石をギンガに見せた。

「大事なもの落としてたみたいでさ。これ探しに来たんだ」

丸みを帯びた三角形のそれは、銀色の細工と鎖に結ばれて、ペンダントとして加工されているようだ。
ギンガはエミヤシロウの所属を思い出した。
機動六課スターズ分隊。
ここで謎の騎士と戦ったのはこの部隊だ。
戦っている最中に落としたものを拾いに来たということか。
ギンガは微笑むように表情を緩めた。
見たところ、あれは男物のアクセサリーではない。
女性が首から提げることを考えて作られたデザインだ。

「申し付けて下されば捜索しましたよ」
「高町にもそう言われたんだけどさ。
 俺の不注意で落としたのに、他の人に任せるのはなんだか悪くって」

高町、とは六課の高町一尉のことだろう。
何気ない一言だったが、ギンガはそれに微かな違和感を感じた。
空尉と陸尉の違いこそあれ、一尉と三尉では二階級も違う。
加えて、同じ分隊の分隊長と隊員という関係だ。
それを姓で呼び捨てにするなんて常識では考えられない。
問い質そうとギンガが口を開く。

「お言葉ですが、三尉――」
「そういえばシグナム副隊長はまだ来てないのか?」

――あれ?
内心、ギンガは首を傾げた。
今度はシグナム二尉のことを役職を添えて呼んだ。
高町一尉のことは『高町隊長』なんて呼ばなかったのに。

「え、あ、シグナム二尉でしたら、調査本部の方に赴かれているかと……」

しどろもどろに答えるギンガ。
失礼な人だと一瞬でも思ってしまったことを気取られたくなかった。

「ギンガさーん。地下捜査班、集合しましたー」

そう遠くないところから幾つもの足音が聞こえてきた。
バリアジャケットを着用した十人ほどの隊員がウィングロードを駆け下りてくる。
ギンガは気を取り直して、隊員達に向けて指示を出した。

「各員、崩落現場を中心に調査を開始して。地下通路は後でいいから」

散開する隊員。
ギンガはエミヤシロウに向き直り――目を見開いた。
エミヤシロウの左手に煌く三つの白刃。
刀身が異様に細長く、赤い封蝋のような柄を指で挟む異様な構え。
その瞳には明確な攻撃の意志が灯っていた。
ギンガは間髪入れずリボルバーナックルにカートリッジをロードする。
ナックルスピナーが回転を始めるが速いか、一歩で距離を詰め、拳を繰り出す。
それとほぼ前後して、エミヤシロウも腕を振り抜き――

「……っ!」

金属の砕ける音が響く。
全く同時に、二機のガジェットドローンが砕け散った。
一機は機体を捻じ切られ。
もう一機は三本の長剣に貫かれ、その存在を鉄屑に帰した。

「――大丈夫か」

エミヤシロウは、ギンガの肩越しに左腕を振り抜いたままで。

「そちらこそ――お怪我は」

ギンガは、エミヤシロウの脇腹の横に左腕を振り抜いたままで。
互いの健在を確認しあった。
隊員達は何が起こったのか分からず呆然としている。
ギンガのリボルバーシュートを受けたガジェットの残骸が墜落し、爆発した。
その衝撃に、ただでさえ不安定な瓦礫が大きく揺れる。
二人が足場にしている横倒しの巨大な瓦礫に亀裂が走った。

「きゃ……!」
「うわっ!」

瓦礫の亀裂が広がり、数十センチほど崩落する。
たったそれだけの崩壊でも、そこに立つ人間のバランスを奪うには充分だった。
仰向けに倒れたエミヤシロウの上に、ギンガが受身も取れずに倒れ込む。
背中と胸から同時に圧迫されて、エミヤシロウは苦しそうな声を漏らした。

「……すみません」

覆い被さった格好から、上体を起こすギンガ。
その視界の端に妙なものが写った。

「あ、あれ見てください」

言われて、エミヤシロウは横になったまま首だけを動かした。
瓦礫が動いたことで、今まで見えなかった箇所が露わになっている。
そこに一つ、異質なモノがあった。

「あれは――」

丸く細長い形状の金属塊。
色は金色、あるいは光沢のある黄色。
大地に突き刺さった槍の柄が、瓦礫の狭間から陽光を受けていた。



[27243] 第11話 聖剣の騎士Ⅱ
Name: リリナイ◆23c1d855 ID:76699dfe
Date: 2011/04/17 15:26
 ――四日目 PM03:50――

背の高いフェンスにヴィータは体重を任せた。
ぎしりと金網が鳴り、錆の破片がこぼれ落ちる。

「そろそろ四時だな……」

肩越しに空港を見やる。
フェンスの向こうに広がる風景は、いつものように穏やかだ。
人知れず行われている作戦のことなど知る由もなく。

「連絡、ありませんね」

ヴィータとそう背丈の変わらない少女がぽつりと呟いた。
小さな指で金網を掴み、遠くの空港へ不安そうな眼差しを向けている。
建造されてそう年月が経っていない、まだ真新しい白い建物。
一部がガラス張りにされた外壁が、太陽の光を受けて水面のように輝いていた。

「キャロ、隊長二人が行ってるんだぞ? 大丈夫に決まってるだろ」

なのはとフェイトはレリックの引き継ぎのため既に空港へ向かっている。
キャロの呟きに答えながらも、ヴィータも落ち着いているようではなかった。
爪先で何度も地面を叩き、胸の前でわざとらしく腕を組む。

「あっちの隊の人、ちゃんと着いたのかなぁ」

今度は、少しばかり高い位置からスバルの声がした。
フェンスに沿って停められた大型車の屋根に座って、両足をぶらつかせている。
作戦の足として手配された車両だが、見かけも性能も何の変哲もない普通の車だ。
3列シートで通常7人、予備座席を使えば8人まで乗ることができる。

「ちょっと。そこ座るところじゃないわよ」

ティアナがドアの開いた助手席から身を乗り出す。
ここにいる機動六課の隊員達は、誰も制服やバリアジャケットは身に着けていない。
私服を着て一般人のように振舞うという単純な偽装だ。
これだけでも、事情を知らない相手を誤魔化すには充分な効果はあるだろう。
後は何があっても管理局の局員であると悟られないようにするだけだ。
今回の作戦は『気付かれないこと』が第一。
そのために私服を着て、在り来たりの車両を用意したのだから。
憮然とするヴィータの横で、金網が小さく鳴った。

「……あの、宜しいですか?」
「あん?」

振り向くと、淡い緑の繋ぎを着た少女が佇んでいた。
帽子と胸ポケットに縫い付けられたワッペンは、空港職員の作業着に付けられるものだ。
その少女は俯き気味のままで、フェンスの隙間から金属プレートを差し出した。

「管理プレートです。駐車されるのでしたら、それをフロントガラスの前に置いてください」

ちらりと見えた少女の顔で、ヴィータは彼女が俯いている理由が何となく分かった。
少女は片目を中心に、顔の半分近くを包帯で覆ってしまっている。
どこかで怪我でもしたのだろう。
ヴィータは少女の顔を見るのをやめて、プレートを受け取った。

「ご丁寧にどうも。……スバル!」

屋根の上のスバルにプレートを投げ渡す。
スバルは両手でそれを受け取ると、屋根に沿って身体を伸ばし、フロントガラスに滑らせた。
まるで猫か何かだな、とヴィータは思った。
いつの間にか繋ぎの少女はいなくなっていたが、別段気に留めはしなかった。
今は空港に赴いたなのはとフェイトのことが気がかりで、他のことは思慮の外だ。
そんな少女達の様子を、赤毛の少年達は後部座席から眺めていた。

「皆、落ち着いてないな」

窓の外に視線をやりながら、士郎はぽつりと呟いた。
応じるように、もう一人の赤い髪の少年が頷く。

「そうですね……。普段はこんな風じゃないんですけど」

少年――エリオは士郎の言葉に同意しながら、窓の外を見た。
車から降りたティアナが、ヴィータやキャロと何か話し込んでいるようだ。
きっと任務についての会話なのだろう。
キャロのバッグから顔を出したフリードが暇そうに首を動かしていた。
士郎は皆と言ったが、彼よりも機動六課に慣れているエリオから見れば、正確な表現ではない。
普段と様子が違うのはヴィータとティアナの二人だけだ。
スバルはいつもと変わらないし、キャロは場の雰囲気に飲まれてしまっているに過ぎない。
それでも、ヴィータ達の様子がおかしいのはエリオも気になっていた。

「何だか焦っているというか、急いでいるというか。心当たりとかありませんか?」
「俺に聞かれてもなぁ……」

士郎は困った様子で首を傾げた。
機動六課に加わってからまだ数日しか経っていないのだ。
彼女達の様子がいつもとどう違うのかなど、はっきり分かるはずもない。
エリオは、ですよね、と軽く話を流した。

――実のところ、彼らがまともに顔を合わせたのは、今日が初めてのことだった。

簡単な紹介はされたし、隊舎や訓練場で何度か姿を見かけてはいる。
だが、機動六課が結成されたときにスバルやティアナと交わしたような対話は出来ていない。
編入早々に、正体不明の騎士やら次元犯罪者の暗殺やら、大きな事件が重なったことが原因だろう。
端的に言うならば、そんな暇がなかったのだ。
それでも多少の会話をする程度になっているのは、前線部隊で数少ない男同士という親近感からなのか。
これではいけないな、とエリオは漠然とした考えに思いを巡らせる。
同じ隊の仲間として戦っていくのなら、もっと明確な区切りが必要だ。
仲間になったのだと実感できるセレモニー。
別に派手でなくてもいい。
互いのことを語り合って理解を深めるといった、基本的なことでも充分だ。

「何かないかなぁ」
「えっ?」

頭の中で考えているつもりだったのに、言葉に出てしまった。
気まずそうに笑って誤魔化そうとするエリオ。
今すぐ考えをまとめようにも、彼の決して豊富ではない人生経験からは、気の利いた案は浮かんでこなかった。
エリオは窓の外に顔を向け、そして、目を見開いた。

「――空港が!」

隊員達の視線が一斉に空港に向かう。
ガラス張りの屋根の一部が音もなく崩れ、ぽっかりと大きな孔が開いていた。
目を凝らさなければ分からないほどの小規模な崩落だったが、明らかな異常事態だ。
空港の異変を見止め、ヴィータは即座に行動を起こした。

「スターズ! ライトニング! 行くぞ!」

金網に指を引っ掛け、小さな身体を宙に浮かせてフェンスを飛び越える。
次なる異変が起きたのは、そのときだった。
ヴィータの間近で
突如として車のボンネットが爆発したのだ。
外装の隙間から爆炎が吹き上がり、エンジンの残骸が煙を引きながら弧を描く。
一瞬遅れて、引火した燃料が巨大な火柱となって車体を包み込む。

「……なっ」

爆風が金網を激しく揺らす。
高温の空気が、フェンスを越えたヴィータのところにまで津波のように押し寄せてきた。

「わあぁっ!」

スバルが、車から数メートル離れた地面に落下した。
舗装されていない湿り気を帯びた土の上を何度か転がって、仰向けに停止する。
爆発で吹き飛ばされたのではなく、車体が炎上する間一髪のところで飛び退いたのだ。
だが咄嗟に逃げ出したはいいが、着地のことまでは考えていなかったらしい。
ずぶ濡れの子犬がそうするように、首を大きく振って髪に付いた土を落としている。

「痛ぁ……へ?」

燃え上がる車にようやく気付き、目を丸くする。
あまりに急な出来事だったからか、何が起きたのか理解し切れていなかったようだ。
車体はもはや輪郭しか残っておらず、それすらも黒い酸化物に成りかけていた。

「エリオ君!」
「こらっ、危ないって! キャロまで……!」

燃え盛る残骸に駆け寄ろうとするキャロを、ティアナは慌てて引き止めた。
ティアナも、エリオとエミヤシロウが見当たらないことにはもう気が付いている。
だからといって燃え盛る車に近付くのは自殺行為だ。
赤い火の粉が鼻先まで飛んでくる。
離れていても熱気は肌を炙り、熱された空気が肺を焦がす。
生身であの中に取り残されてしまったなら、間違いなく助からない。
ティアナはキャロの両肩を掴む手に、知らず力を込めていた。
フリードがキャロのバッグから抜け出して、鳴き声を上げながら車の周囲を旋回し始める。

「……フリード、無事だったのかぁ」

そんな緊迫感をぶち壊すように、炎の向こう側から力の抜けた声がした。
キャロの顔が喜色に満ちる。
ティアナ達から見て車を挟んだ反対側の路上に、士郎とエリオは四肢を投げ出して転がっていた。
服や顔に多少の煤が掛かっている程度で負傷もしていない。
――こうも都合よく助かったのは、完全に偶然の産物だった。
エリオが空港の異変に気付いたと同時に、士郎は手近なドアを開いていたのだ。
無論、爆発のことを察知したわけではない。
すぐに飛び出して空港へ向かおうとした結果、好都合な脱出ルートが確保されたに過ぎなかった。

「シロウさん、怪我……してないですか」
「大丈夫、だと思う、たぶん」

空を見上げたまま交わす言葉からは、偶然とはいえ無事に脱出できた安堵感が滲み出ている。
初めてまともに顔を合わせた間柄だというのに。
二人の間に奇妙な連帯感が生まれかけていた。



 時間は少し遡る――



 ――四日目 PM03:55――

平日とはいえ、空港は多くの人で溢れていた。
数時間の航海を終えてミッドチルダの地を踏む人。
遠い地を目指してミッドチルダを発つ人。
様々な足音が巨大な建物一杯に満ちている。
ガラス張りの天井の向こうには涼やかな青空が広がり、平穏な雰囲気に拍車をかける。

「なのは、私達だけで大丈夫かな」

出発の時間を報せるアナウンスが待合室に響く。
フェイトは少々落ち着かない様子で、隣に座るなのはに話しかけた。
二人は待合ロビーの端にある長椅子に並んで腰を下ろしている。
服装も機動六課の制服ではなく、街中で見かけるような普通の衣服だ。

「大丈夫だよ。地上部隊の人も私服で来てくれてるし、六課のみんなも外に待機してるから。
 何か起こってもきっとカバーできるよ」
「だといいけど……」

フェイトは待合ロビーを見渡した。
時に立ち止まり、時に行き交う人々の中に、周囲と違う雰囲気の人物が混ざっている。
目当ての便を待っているわけでもなく、かといって到着したばかりというなさそうな人。
予めそういう人がいると把握しておかなければ気付かない程度だが、確かに違いはあった。
彼らが地上本部から派遣された陸士なのだろう。
陸士の配置を一通り確認して、フェイトは目線を逸らした。
下手に彼らを目で追っていては、自分が周囲に違和感を感じさせてしまう。

――この任務は秘密裏に遂行しなければならない。

第七管理世界で確保されたレリックは、管理局の次元航行艦で輸送されることになっている。
そしてレリックを運ぶ予定の次元航行艦は、まだ第七管理世界を出ていない。
すべて、表向きには。
今まさにレリックの引継ぎが行われようとしていることは、ごく一部の人間しかしらないのだ。
故に表立って部隊を運用するわけにはいかなかった。
他のメンバーが空港の外で待機しているのもそのためだ。
大人数が集まって受け渡しをするのは目立ち過ぎる。
第七管理世界からレリックを運ぶ担当者、一名。
地上本部の配慮で隠れ潜んでいる、潜伏に秀でた陸士が三名。
それに機動六課のなのはとフェイトを合わせた六名だけが、受け渡しに立ち会うことになる。
大規模な陽動を背景とした、極少人数によるロストロギア輸送作戦。
管理局ご自慢の次元航行艦を持ち出しておきながら、それが空荷だと誰が思うものか。

ここまで手の込んだ作戦が必要となったのには、最近の情勢の変化が大きかった。
確実にレリックを狙ってくるガジェットドローンの活動活性化。
レリックを求める危険性が高いと目される、サーヴァントと次元犯罪者。
どちらにも気付かれにくい方法があるのなら、それを選ぶべきだと考えたのだろう。
地上本部の立案にしては堅実さを重視した作戦だと言えた。
だが、フェイトは隠しがたい不安に襲われていた。
確かに、これなら秘密裏に作戦を進められる。

だけどもし見抜かれていたら――

地上本部が立案し、既に進行している作戦とはいえ、湧き上がる不安は拭えない。
万全を期するならば、多少目立つとしても大人数で輸送をしたほうが安全ではないのか。
サーヴァントの戦闘能力を警戒するにしても、それなりの部隊を組めば襲撃される危険は少ないはずだ。
フェイトは改めて周囲を見渡す。
ここにいるのは何も知らない人ばかりだ。
自分が事件に巻き込まれることなんて予想もせず、いつも通りの生活を送る人々。
もしここが戦場になってしまえば、彼らに大きな被害を与えてしまうかもしれない。
そう考えると、この作戦、心が重かった。

「フェイトちゃん。だから私達がここにいるんだよ」

右手を、なのはの両手がそっと包む。
いつの間にか強く握り締めていた手が、温かい感触にほぐされていく。
微笑むなのはの瞳は、まるで心を見透かしているかのよう。

「……そうだね」

万が一のときには交戦状態に入る許可も下りている。
――何が起こっても絶対に守り抜いてみせる。
この力は、そのためにあるのだから。

「失礼。少々お時間、頂けますか?」

不意に、髪の長い少女が二人の前に立った。
肩から足までを覆うコートを羽織り、僅かに波打ったブラウンの髪を腰に流している。
そしてその手には、一抱えもあるケースが提げられていた。
少女は目深に被った帽子を指で軽く上げ、なのは達と視線を交わす。

「管理局地上本部の方で宜しいですね」

帽子の下、黒い色眼鏡越しに、琥珀色の瞳が微かに笑った。
一瞬だけ視線を交わすなのはとフェイト。
その表情には不信と警戒の色が浮かんでいた。
事前の打ち合わせでは、デックスという名の陸士がレリックを運んでくる予定になっていた。
管理局に登録されたデータを見ただけだが、外見も把握している。
だからこそ少女の存在は不可解だった。
デックス陸曹は、男性なのだから。

「お名前、伺ってもいいですか?」

なのはは警戒心を隠すこともなく問いかけた。
陸曹が何らかのトラブルに巻き込まれ、代理が来た。
そんなことはまずありえない。
もしそうなら、現場を担当する機動六課に連絡が入ってくるはずだ。
フェイトは待機状態のバルディッシュを左手で握った。

「いえ、名乗るほどの者ではありませんよ」

少女が嗤う。
機械的なまでに冷たい眼で、人間的なまでに口元を歪めて。
そして片手に提げたケースを無造作に突き出す。
刹那、ケースの蓋が弾けるように開き、目も眩む閃光が迸った。

「――!」

視覚が白く塗り潰される。
破壊力などない、単なる目眩まし。
しかしケースから放たれた激しい光は、なのはに一瞬の思考停止を余儀なくさせた。
その隙を縫うように踏み込む少女。
懐から白刃を取り出し、なのはの首筋へと滑らせる。
――ザン、と短い音がした。
繰り出された短剣が空を切る。
絶妙なタイミングで放たれた奇襲の一撃は、しかし標的を捉えるには至らない。
唯一、首から提げられたレイジングハートの紐だけを切断したのみ。
少女の顔が強張る。
何が起こったのかを理解するより先に、全力で飛び退いて距離を取る。
少し遅れて、細長く平べったい金属塊が床に落ち、澄んだ音を響かせた。
信じがたいといった表情で、少女は右手の得物に視線を落とす。
成程――これでは標的に届く道理もあるまい。
短剣は刀身の中程から先端にかけてを完全に失っていた。

「させない――」

鎌状に展開されたバルディッシュが少女に突きつけられる。
フェイトは激痛にも等しい光量を浴びながらも、即座にバリアジャケットを展開していたのだ。
その眼差しは少女に焦点が合わさっていない。
恐らく今のフェイトは周囲の様子を視認で来ていないのだろう。
閃光から身を守るのではなく、その後の襲撃を見越して反撃に転じた結果だった。
一方、なのはの身体には傷一つなく、眼前にかざした腕の隙間から、強い視線で少女を見据えている。
視覚への影響も腕と目蓋に遮られて最小限に留まっているようだ。

少女に不信を抱いた時点で、なのはとフェイトの間には一つの共通認識が生じていた。
『この人物は、何か危険なことをするかもしれない』
言葉は交わさなかったが、なのはが率先して少女に問いかけた時点で、役割分担は決定していたといえる。
なのはが相手と接触し、万が一のときにはフェイトがそれをカバーする。
故に、なのはは閃光から身を守り被害を押さえ。
フェイトはケースから閃光が放たれた瞬間、我が身を省みず即座に少女へ斬りかかったのだ。
短剣だけが切断されて少女の肉体が健在なのは結果に過ぎない。
偶然にもバルディッシュの刃が少女の腕を捉えなかっただけのこと。

閃光から三秒余りが経過する。
騒ぎはすぐに周囲へ広がるだろう。
そうなる前に少女を確保しようと、なのはは床を蹴り、低い姿勢で跳びかかろうとした。
その瞬間、甲高い悲鳴が鼓膜に突き刺さった。

「きゃあああああっ!」

乗降口へ通じる通路の方からだ。
なのはが悲鳴に意識を向けた一瞬のうちに、少女はどよめく人の波に身を躍らせた。

「待ちなさいっ!」

悲鳴が聞こえた方向から津波のように人が押し寄せる。
混乱の渦中をすり抜けて遠ざかる少女。
人の波を掻き分けても、とても追いつけるような距離ではないだろう。
なのはは歯噛みして視線を巡らせた。
不意に人垣の一角が崩れ、悲鳴の原因が露になる。
蹲り、倒れこんでいる一人の男。
そして、冷たい床材に流れ出る鮮やかな赤色。
苦痛に歪んだ男の顔は、なのはを動揺させるには充分すぎた。

「デックス陸曹!」

崩れ落ちた男の周りには、彼が持っているはずのレリックケースが見当たらない。
しまった――
考えれてみれば当然のことだ。
襲撃者が狙うとすれば今現在レリックを持っている者に決まっている。
少女が目の前で起こした派手な行動ばかりに気を取られて、優先すべき事柄を失念してしまった。
その結果が、これだ。

「……っ!」

なのはは首を振って悔悟の念を払った。
後悔なんていつでもできる。
今は自分が取るべき最善の手を尽くすだけだ。
少女の姿は既に人混みの中に消えている。
今から自分が追跡しても見つけられるかどうかは分からない。
そして陸曹は――床に倒れ伏したまま、どこか離れた場所を睨み付けていた。

「あれは……!」

その意図するところを察し、なのはは駆け出した。
渦を巻く人の波に肩をねじ込み、腕を伸ばして道を確保しようとする。
絡みそうになる脚も、肘や鞄があたる痛みも気に留めず、わき目も振らずに駆けていく。
視線の先には、ひとつだけ床に転がっている、偽装されたレリックケース。
陸曹は片方だけでも奪われまいと、咄嗟にアレを遠くへ投げたのだ。
それをみすみす奪われるわけにはいかない。
なのはは転びそうになりながらも、両腕でケースを抱え込んだ。
腕に掛かる重みを確かめて、安堵に口元を緩める。

そのとき――くすり、と――嘲笑が耳をくすぐった。

唐突に、幾つもの影が床と人ごみに投射される。
数はおよそ七。
どれも一様に幾何学的な楕円形で、滑らかな曲線を描いている。
ガラス張りの天井を仰ぐなのは。
次の瞬間、空とロビーを仕切るガラスの仕切りが、音を立てて砕け散った。
太陽光を乱反射させながら降り注ぐ硬質の瀑布。
そして、その中を急降下する楕円の機械。
――ガジェットドローン。

「レイジング……っ!」

首から提げているはずの"相棒"を呼び起こそうとし、言葉を詰まらせた。
"相棒"たるデバイスは、先の奇襲によって身体から離されて、長椅子の傍に転がっていた。
それでも走って拾いに行けばすぐに手が届く程度の距離だ。
だが、状況がそれを許さない。
我先にと逃げ惑う群集の中、なのはからほんの数歩先で、幼い少女が突き飛ばされるように倒れる。
ガラスの雨は一秒と待たずに降り注ぐ。
もはや立ち上がる時間すら残されていないだろう。
なのはは息を呑んだ。

レイジングハートを拾うこと。
バリアジャケットを展開すること。
そしてあの少女を救い出すこと。

全てを同時に行うには、あまりにも時間が足らなさ過ぎる。
気付いたときには既に身体が動いていた。
レイジングハートを残したまま、庇うようにして少女に覆い被さり、ケースと一緒に強く抱きしめる。
一瞬遅れて、無数のガラスの破片が床を隙間なく打ち据えた。
背中に鋭い痛みが駆け巡る。
いや、厚手の上着に守られた部分はまだいい。
露出した肌を裂く痛覚が総身を震わせ、大小の破片が砕ける音が鼓膜を麻痺させる。
それでもなのはは身じろぎせず、少女の身体を庇い続けた。

しかし迫る危険はこれだけではない。
七機のガジェットドローンが、数メートル直下に残る二人に向かって照準を合わせる。
無慈悲な機械の目が無防備な背中を捉え―― 一機が、瞬時に両断された。
翻る白布。
両断された機体が爆散する間もなく、魔力の大剣を携えたフェイトが二機目を切り捨てる。
まさに雷光のごとき連撃だ。
間髪入れず、常人の知覚外の速度で三機目との距離を詰める。
バリアジャケットに守られた肉体にとって、ダイヤモンドダストのように輝くガラスの雨も脅威ではない。
切っ先で三機目を刺し貫くと同時に横へ薙ぎ、その勢いのまま付近にあった四機目もを粉砕した。
流れるように振り返り、残り三機を視界に納める。
しかし、フェイトが次なる行動を起こすまでもなく、それらは瞬時に鉄屑へ変わり果てた。
まるで不可視の爪に引き裂かれたかのように、破壊力を帯びた指向性の暴風によって砕かれていく。
暴風の余波が周囲のガラス片と共に残骸を巻き上げる。
僅か数瞬の間に、七機ものガジェットドローンは全て宙を舞う鉄屑と化した。

だが、出来るのはそこまでだった。
降り頻る瑠璃の白雨を止める術をフェイトは持たない。
子供の背丈ほどもあるガラスが、なのはの目と鼻の先に落下する。
直撃すれば重傷は避けられなかったであろうソレは、床に衝突して水飛沫のように砕け散った。
飛散した破片の一つがなのはの頬を掠め、赤い血の筋を残す。
時間にして数秒足らずのガラスの豪雨。
凶刃にも等しいそれが止んだ後には、不気味な静寂だけが残された。

「……大丈夫?」

そっと身を起こし、なのはは少女に微笑みかけた。
恐怖と混乱と涙に溢れた大きな瞳が縋るようになのはを見返す。
見たところ怪我らしい怪我は負っていない。
あったとしても、転んだときに擦りむいたらしい膝の傷くらいだろう。
フェイトもなのはの健在を確かめ、安堵に息を吐く。
みしり、と。
鉄の軋む音がして、フェイトの視界を巨大な塊が掠めた。
――鉄骨。
ガラス張りの天井は、強度を保つためその形状に沿った支柱で支えられている。
ガジェットドローンによって損傷した支柱の一本が、今になって自重に耐えられなくなったのだ。

「あ――」

一瞬、フェイトは落下する鉄骨を目で追った。
動かなければならない状況だというのに、緩んでしまった緊張の糸は急には戻らない。

「なのはっ!」

張り上げた声がなのはに届いたときには、もう遅い。
数トンもの質量はもはや回避不能な距離にまで迫っていた。
最悪の結末が訪れる刹那、金色の光が宙を斬った。
鳴り響く轟音。
ロビーの大気が鳴動し、内壁に折れ曲がった鉄骨が突き刺さる。
余りにも常軌を逸した出来事の連続に、退避した利用客は一様に言葉を失っていた。
フェイトも例外ではなく、何が起きたのか理解できていない表情で、ガラスだらけの床に着地する。
その中でただ一人、なのはだけが笑顔だった。
体中に傷を負い、肌も服も赤い血に塗れて、それでも普段の明るい顔を失っていない。

「来てくれてたんだ……ありがと、セイバーさん」
「いいえ、礼には及びません、ナノハ」

まるで少年のような後姿。
濃紺のスーツを戦装束のように纏い、一括りにした金糸の髪が肩に揺れる。
凛とした声色は少女のそれに近いものの、精悍な横顔からは幼さを微塵も感じさせない。
――少女は構えを解き、なのはに向き直る。
その右手には、光輝を織り成したかのような剣が煌いていた。



[27243] 第12話 聖剣の騎士Ⅲ
Name: リリナイ◆23c1d855 ID:76699dfe
Date: 2011/04/18 15:47
第12話「聖剣の騎士Ⅲ」


 ――四日目 PM04:00――

「刻印ナンバーⅩⅢか……残念、ⅩⅠじゃなかったみたいです」

通信を終えるなり、セインは肩を竦めた。
言葉の行き先は紫の髪をした幼い少女。
少女はセインの報告を聞きながら、窓の外に視線を投げている。
空港から一キロほど離れたビルの十五階。
セイン達はその一室から、空港で繰り広げられる戦闘を傍観していた。
建設途中で放棄されたという経緯からか、このビルには人の気配というものがまるでない。
がらんとした部屋には内装すら施されておらず、天井から床に至るまでコンクリートがむき出しになっている。
少女――ルーテシアは窓枠に手を掛け、軽く身を乗り出した。
無論、窓枠といっても金属の枠組など設けられておらず、コンクリートの壁に四角い穴が空いているだけだ。

「もうひとつは……?」
「横取り失敗ですよ。元々、片方だけでも盗れれば儲け物って作戦ですしね」

現場の姉妹から伝えられる戦況は、セインにとっては十二分に喜ばしいものだった。
輸送されていた二つのレリックのうち、一つの確保に成功。
要注意と目されていた魔導師が負傷。
そしてこちらの損害は数機のガジェット・ドローンのみ。
無駄に手の内を晒して戦力などの情報を与えるような真似もしていない。
充分に勝利と呼んで差し支えない成果だ。
データにない剣士の出現は想定外だったが、それも戦況を覆すほどのイレギュラーではなかった。
むしろあの剣士の存在を早い段階で認知できたことに感謝するべきだろう。
戦場において、隠された戦力ほど脅威となるものはないのだから。

「アサシンとバーサーカーに手伝って貰うこともなかったし……って、ルーお嬢様!?」

セインは思わず目を見開いた。
コンクリートの窓枠を足場にして、ルーテシアが外気に身を晒している。
セインにとっての理想的展開と、ルーテシアにとってのそれが一致するとは限らない。

「ナンバーⅩⅠは渡せない……」
「いや、ですから、管理局が持っていったのがナンバーⅩⅠだとは限らないですって!」

慌てて駆け寄るセイン。
伸ばした腕はあと少しのところで間に合わず、空気を掴むだけだった。
方形に切り取られた空へと落下するルーテシア。
その身体を、暗黒色の外殻に包まれた人型の召喚獣が抱え上げる。

「あたし達の担当はイザってときのフォローなんですよ! 率先してトラブル起こしてどうするんですか!」

セインの声など届いてもいないのか、召喚獣は紫の羽を広げて地上へと滑空していく。
主人に忠実なあの召喚獣にとって、他者からの静止の言葉など小鳥の囀りにも等しいのだろう。
悠然と遠ざかっていく影を、セインは溜息混じりに見送るしかなかった。



 ――四日目 PM04:02――

空港の待合ロビーからは、普段の喧騒がすっかり消え失せてしまっていた。
人々はにわかに訪れた破壊から逃げ惑い、今やロビーには一人も残っていない。
透明な吹き抜けの天井はその一部が砕け落ち、床にはガラスの破片が飛び散っている。
朱色に染まりつつある陽光を反射して、まるで夕陽に照らされた海のようだ。
その中央で、なのはは自力で歩き出そうとし、膝を突いた。
細かな破片が肌に刺さり、血を滲ませる。

「なのは!」

白衣を翻し、フェイトはなのはの元に駆け寄った。
ガラス片が音を立てて踏み砕かれていく。

「私は平気……」

フェイトに助け起こされながら、なのはは傍らの少女に視線を移した。
少女はなのはの服をしっかりと握り締めて、震える身体を委ねてきている。
なのはは自らの身に刻まれた傷よりも、流れ出た鮮血よりも、この少女のことをずっと気にかけていた。

「それより、フェイトちゃんはレリックをお願い。みんなのところに届けてあげて」

フェイトにレリックケースを手渡し、なのはは少女を抱き寄せた。
事前の打ち合わせでは、スターズとライトニングのメンバーが空港の外で待機することになっている。
敵襲を受けてしまった以上、迅速に空港から離脱してレリックの確保を最優先にするべきだろう。
しかしフェイトは、レリックケースを渡されてもなお、ここから離れることを躊躇っていた。
理由は、決して合理的なものとはいえない。
敵の第二波が襲ってこないとも限らないこの場所に、負傷したなのはを置いていくのが不安なだけだ。
躊躇いを拭えないでいるフェイトの目の前に、濃紺のスーツを纏った少女が割り込んだ。

「この場は私が請け負います。あなたは先を急いでください」
「セイバーさん……」
「まだ数度しか会っていない私を信じるのは難しいかもしれません。しかし……」

フェイトはセイバーの言葉を、首を振って遮った。
レリックケースを左手に、バルディッシュを右手に携え、なのはとセイバーを真っ直ぐに見据える。

「ここはお願い」

そう短く言い残して、フェイトは高く舞い上がった。
天井に空いた穴から宙に身を躍らせ、地面と水平に軌道を変えて飛び去っていく。
あっという間に小さくなっていくフェイトの後姿。
セイバーは短い息をひとつ吐くと、なのはに向き直った。
周囲の大気が渦を巻き、黄金の剣を取り巻いて透明な鞘を形成する。

「やれやれ、自分の身を省みないのは相変わらずですか」
「性格はそう簡単には変わらないよ……」

なのはは困ったようにあははと笑った。
セイバーも、最初から責めるつもりではなかったのか口元を綻ばせ――

「――ッ!」

即座に笑みを消した。
床に散らばったガラスの破片を蹴散らして身を捻り、何もない空間を不可視の剣で切り伏せる。
ガラス片が粉砕される音と、大気が切り裂かれる音に混ざって、甲高い金属音が待合ロビーに響き渡る。
知覚よりも速い直感に従った迎撃は、確かに標的を打ち落としていた。
黒塗りの短刀が床に跳ね、スピンしながら壁際へ滑っていく。
なのはは少女を強く抱き寄せた。
素早く視線を巡らせて、姿無き襲撃者の居場所を探る。
その構造上、待合ロビーには人が隠れられるような遮蔽物がほとんどない。
ならば短刀を投げた相手は、その数少ない物陰に潜んでいるか、既に逃げおおせているか、あるいは。

「随分、堂々としたものだな」

セイバーが壁際の柱に剣先を向ける。
果たしてそこには、黒衣にすっぽりと包まった人影が、まるで蜘蛛のように張り付いていた。
黒衣から伸びた細い両脚と片腕が内装の隆起を捉えている様は、まさしく節足動物のそれを彷彿とさせる。
なのはは少女の顔を胸に埋めさせ、黒衣の男を睨みつけた。
頭巾に相当する部位から覗く髑髏の貌が、ソレの非人間性を著しく強調しているように見えた。

「何者かは知らないが、今の投擲は敵対の意志と看做して構わないな」

セイバーの布告にも黒衣は反応を示さない。
それは肯定と同義であった。
革靴の下で床材が爆ぜる。
尋常な力学的作用を無視して急加速するセイバーを前に、黒衣は手足を発条に跳躍した。
その白い顔はセイバーには向けられていない。
狙うは無防備に蹲る二人の女。
黒衣の手に数本の短刀が現れる。
壁から空中へ放物線を描く黒衣に対して、セイバーはひたすらに直線的だった。
魔力放出と同時に斜め前方へ跳び、壁を足場に体勢を強引に変える。
同時に剣を振り抜き、刀身を覆う風を解放する。
成さんとするは直角の方向転換。
単なる物理現象の範疇では不可能な運動だが、それを膨大な魔力のジェットでねじ伏せる。
もしこの瞬間を目撃した者がいたならば、我が目を疑わずにはいられないことだろう。
遅れて踏み切ったセイバーが、先に跳躍した黒衣に空中で追いついていく。
それは両者の出力の差を現す結果に他ならない。
黒衣の投擲に、セイバーの斬撃が先んずる。

「はぁっ!」
「……!」

短刀は黒衣の手を離れることなく、金色の刃が黒衣を滑る。
――浅い。
セイバーは自らの一撃が標的を仕留めそこなったことを悟った。
音速を超える奇襲に晒され、紙一重でそれを回避するなど人間の行いではない。

「まさか、貴様が『アサシン』――?」

口を突いて出たセイバーの疑問に答える声はない。
黒衣――アサシンの足がセイバーを打ち据える。
両腕をかざして防御したためダメージにはならないが、その反動はアサシンをより高い位置へと移動させるには充分だった。
天井の穴から更に上へと浮き上がり、停止する一瞬に短刀を投擲する。
速度・火力共に携行火器の領域すら越えかねない投擲であるが、剣の英霊の前では石飛礫にも等しい。
セイバーは短刀を容易く弾き、猫のようなしなやかさで着地した。
間髪入れず後方へ飛び退く。
一瞬前までセイバーがいた付近に、三本の短刀が立て続けに突き刺さっていく。
アサシンはガラス張りの屋根に陣取って、大穴の傍を狙撃地点に攻撃を続行していた。
セイバーからすればロビーを一望できる位置から一方的に攻撃を加えられる状況ということになる。
なるほど遮蔽物が少ないという地形は、アサシンにとって不利に働くばかりではないらしい。
それでも、床から屋上までの距離はあまりにも致命的だ。
速度が同じなら距離が遠ざかるほどに到達までの時間は延びていく。
そして到達までの時間は対処のしやすさに直結する。
しかも暗闇ならともかく、こんな陽光の下では攻撃の軌跡の隠蔽すら望めない。
ありとあらゆる状況が、アサシンの投擲がセイバーに当たる可能性をゼロに近付けていた。

だが――
セイバーの思考に言い知れない疑念が浮かび上がった。
アレがアサシンであるのなら、こんな暗殺者として悪手極まりない戦い方をするとは思えない。
何かしらの目論見があると考えるべきだろう。
令呪による強要?
仲間との連携のための陽動?
それとも、足止め――

「ナノハ! あれは囮だ!」

セイバーは直感的に声を上げていた。
アサシンがあえて姿を晒したということは、その行為自体に意味があるに違いない。
なのはは少女を庇いながら、レイジングハートが落ちているはずの場所に向かって駆け出した。
無防備なその背中をカバーするようにセイバーも併走する。
アサシンがいつどの角度から短刀を投擲しても対処できるように身構える――が、いつの間にか屋根から黒衣の姿が消えていた。
なのはが走りながらレイジングハートを拾い上げ、靴底を床に擦りながら停止する。

「レイジングハート・セットアップ!」
≪Yes, my master!≫

なのはの身体を魔力光が包み込み、瞬時にバリアジャケットが展開される。
少女を挟んでなのはと背中合わせになる形で、セイバーも剣を構えた。
遮蔽物が少ないとはいえ、アサシンのサーヴァントならば完全に身を隠すことも容易だろう。
全方位に視界を巡らせ、死角からの攻撃にも気を張り詰める。
セイバーは内心で歯噛みした。
なのはも焦りを露わにしている。

仮にアサシンの目的が足止めだとするなら、二人は完全にアサシンの目論見に嵌められていることになる。
アサシンが今までに繰り出した攻撃は五本の飛刀のみ。
それらと気配遮断スキルのみを以って、アサシンはエース・オブ・エースと最優の英霊を釘付けにしているのだ。

確かにアサシンを無視して空港を出ようと思えば、それは実に容易いに違いない。
しかしその場合は、なのはが助けた少女が枷となる。
少女を置き去りにすればアサシンの標的となる危険性が高い。
適度に傷つけて動揺を誘うなり、拉致して人質にするなり、扱い方は選び放題だ。

だが少女を連れて逃げ出すのも困難が付きまとう。
少女という錘を負った状態で全力の動きが出来るわけもなく、いい標的になるのが関の山だろう。
最善の選択肢は、どちらかが少女を抱え、もう一方がフォローに徹し、強行突破を試みること。
そのためにはアサシンの動きを探り、タイミングを計る必要がある。
いずれにせよ、足を止められているという現状は簡単には変えられないということだ。

「ナノハ、エリアサーチを」
「もうやってるけど……全然見つからない」

まさか既に逃げ出しているのか?
そんな疑念がセイバーの思考を過ぎった瞬間、短い風切り音が後方から飛来する。
振るった剣に弾かれる短刀が、アサシンの存在を明確に証明していた。



 ――四日目 PM04:03――

空港周辺の広大な平地をフェイトは低空で飛び続けた。
郊外の土地を利用した立地というだけあって、この空港の敷地は無駄に広い。
拡張工事を視野に入れた土地の確保という名目になってはいるが、繁忙期などは駐車場として利用されているのが実態だ。
しかし、いくら広いとはいえ、そこまで非現実的な面積をしているわけではない。
インパルスフォームの速力を以ってすれば後一分も掛からず空港外へ辿り着くだろう。
何事もなければ、だが――

「そこっ!」

詠唱と同時に身体の向きを反転し、アサルトフォームのバルディッシュを片腕で振るう。
魔力の刃が真紅の槍を弾く。
逆光を背にフェイトに迫るその姿は、まさしく狂戦士のそれであった。
交錯する視線に理性の光は無い。
髪は燃え上がる炎のように逆立ち、貌には原始的な情動が渓谷のように刻まれている。

「バーサーカー……!」

フェイトは事前に伝えられていた七つのクラス名のひとつで、眼前の敵を呼んだ。
これほどの狂気に身を委ねた存在を、それ以外の如何なる名で称すればいいというのか。
総身が俄かに粟立つ。
人間ではなく、魔獣の類と相対しているかのような緊張が総身を貫いていた。
音に先んじて繰り出される魔槍。
残像すら残さない一撃を、フェイトは身を翻して回避する。
バリアジャケットのマントが浅く裂かれる。

≪Sonic Move≫

瞬間的な加速によってバーサーカーとの距離を広げる。
フェイトがこの敵と刃を交えるのはこれが初めてではなかった。
四日前、地下の大空洞で交戦した騎士は間違いなくこのバーサーカーだ。
暗闇と太陽の下では印象が多少異なるが、こうも狂える殺気を放つ相手など、他にはそういまい。
故に、フェイトは彼我の実力差を認識していた。
先刻も槍が放たれるより早く回避を始めたにも関わらず、結果は間一髪。
とてもではないが、一対一で優勢に持ち込める相手ではない。
ましてや左手にレリックケースを携えた現状では、勝ち目など微塵もあるものか。

「プラズマランサー!」

環状魔法陣によって加速された弾体が一挙にバーサーカーを狙い撃つ。
着地の瞬間を狙った掃射は、そう簡単には対処できないはずだ。
しかしバーサーカーはそんなフェイトの想定を裏切り、蛇のような軌跡で振るった槍で八射全てを弾き飛ばした。

「ターン!」

バーサーカーが地を蹴る瞬間、フェイトはプラズマランサーに再攻撃を命じた。
全方位から迫る魔力の槍。
しかしそれらが到達するよりも早く、バーサーカーは圧倒的な速度で駆けていた。
猛犬の如き猛々しさで音速の壁を突き破り、ソニックムーブによって開いた間合いを瞬時にゼロにする。
爆発的な速度と膂力を乗せた粗暴な刺突。
技術もなにもあったものではなく、手にした棒状の凶器を本能で振るっているも同然だ。
フェイトは再度ソニックムーブを発動して真横に飛び退いた。
あんなスピードとパワーの攻撃など、片腕が塞がっている状態でまともに対処できるわけがない。
地表すれすれで急停止する。
真っ当に戦い続けるメリットなどないのだから、優先すべきはレリックの運搬。
フェイトはバーサーカーから逃れる手段を数通りシミュレートする。

不意にフェイトの背後で空気の震える音がした。
原因を探るより先に、フェイトは前方へ身を投げた。
視界の隅に新たな敵の姿が映る。
暗い色の甲殻に身を包んだ、人に良く似た形状の生物。
背中に広がる細い翼が昆虫の羽を髣髴とさせる、バーサーカー以上に人間離れした容貌だ。
フェイトはバーサーカーが迫る気配を感じ、咄嗟に上方へと跳躍した。
飛翔魔法によって一気に十数メートル上空まで距離を取る。
同時にバルディッシュがカートリッジ二発の薬莢を排出。
バーサーカーだけでも難敵だというのに、増援まで現れたのでは生半可な手段では離脱すら叶わないだろう。
故に選ぶ手段は、完全な強攻策。
レリックケースを宙に放り、魔力を収束させた左手を眼下の地表に向ける。

「トライデントスマッシャー!」

展開された魔法陣より魔力が迸り、三叉に分かれたエネルギーの塊が放たれる。
それらはバーサーカーと人型の間に着弾し、雷撃を伴う爆発を巻き起こした。
衝撃波が地を舐めていく。
地上を覆う舗装材が砕け散り、内側の土砂と共に舞い上がる。
フェイトは宙に投げていたレリックケースを左手で受け止めた。
AAAランクを超える砲撃魔法の直撃を受けては、さしものバーサーカーといえど無傷では済まないはずだ。
――受けていれば、だが。
フェイトの背後に魔力が集う。
狂気の色に染まった、莫大な魔力の奔流。
質量を生み出さんばかりの高密度の魔力が形を成す。
脚を、腰を、胴を、胸を、腕を、貌を、そして魔槍を――
フェイトは振り向くことすらできなかった。
魔槍の柄がフェイトの胴を左腕ごと薙ぐ。

「あぐっ……!」

フェイトはバーサーカーの怪力の直撃を受け、独楽のように宙を舞った。
上も下も分からないままにバランスを制御して、どうにか姿勢を戻そうとする。
その無防備な身体に、バーサーカーと甲殻の人型が上下から襲い来る。
回避は、不可。
フェイトは落下しながらも上体の力だけでバルディッシュを振るおうとした。
まず狙うべきはバーサーカーだ。
あの槍の矛先で突かれては、バリアジャケットですら意味を成さないだろう。
アサルトフォームの刃を後方に振り、真上から迫るバーサーカーに狙いを定める。
バーサーカーが間合いに入ったその瞬間、バルディッシュの柄が凄まじい力で引き止められた。

「しまった……!」

甲殻に包まれた二本の腕がバルディッシュの柄をしっかりと掴んでいる。
フェイトは、狂戦士であるバーサーカーに連携など取れないと考えていた。
この挟撃も偶発的に発生したものであると錯覚していたのだ。
確かに、バーサーカーが理性的に誰かと連携することなどできはしないだろう。
しかし今戦っているのはバーサーカーだけではない。
人型の甲虫の方がバーサーカーに合わせるという形であれば、連携は充分に成立してしまうのだ。
反撃の出鼻を挫かれ、フェイトの思考に一瞬の空白が生まれる。
時間にすれば一秒にも満たない判断のラグ。
しかし、この場においてはあまりにも致命的だった。
バーサーカーが魔槍を振りかざし、フェイトの心臓を――

「グゥアアアアアアアッ!!」

突如、巨大な影がバーサーカーに衝突した。
空を切る白銀の翼。
刃のように鋭い爪。
まさしく、フェイトが良く知る白竜の姿であった。

「フェイトさん! 大丈夫ですか!」
「キャロ!?」

白竜フリードリヒの背から、キャロが大きな声で呼びかけてきた。
フリードは地面に叩きつけられたバーサーカーを踏みつけるように着地し、周囲の舗装を粉々に砕いた。
体長十メートルに達する竜のスタンプは単純ながらも強力な一撃だ。
フェイトは掴まれたままのバルディッシュを強引に捻り、刃を甲虫の胴に向けた。

「バルディッシュ、ハーケンフォーム!」
≪Yes, sir! Haken Form.≫

斧状の刃が展開。
甲虫は即座に手を離し距離を取ろうとするも、反応が僅かに遅い。
発生した魔力刃の先端が、甲虫の甲殻の隙間に勢いよく突き刺さった。
甲虫が身を捩る。
人間であれば苦悶の声を上げているところだろう。
傷は致命傷というほどではないが、決して浅いものではない。
フェイトは即座に距離を離し、もがく甲虫にバルディッシュを向けた。

≪Plasma Lancer.≫

連射された魔力弾が尽く命中し、爆炎を撒き散らす。
甲虫は弧を描いて吹き飛び、煙を曳きながら地面に落ちた。

≪Assault Form.≫

魔力刃を解除するバルディッシュ。
一応の決着を見届け、フェイトは地に降り立った。
そこにタイミング良くヴィータ達が駆け寄ってくる。

「フェイト隊長ー!」

スバルを先頭にティアナとヴィータが後に続く。
全員バリアジャケットを着用しており、見るからに戦闘体勢だ。

「大丈夫ですか!? 怪我は? こっちも色々大変で……!」

随分焦っているのか、スバルの説明は要領を得ない。
ヴィータはグラーフアイゼンを肩に担いだまま、やれやれと首を振った。

「車が爆破された。怪我人は一応ナシ。……情報が漏れてたみてーだ」

スバルの説明を引き継ぐヴィータ。
その口振りはどことなく悔しそうだ。
無理もないだろう。
今回の作戦は大規模な輸送船団を陽動に、秘密裏に遂行されるはずだった。
だというのに、敵はこの空港をピンポイントで襲撃してきただけでなく、待機していたヴィータ達まで攻撃したというのだ。
考えられるのは、情報漏洩。
それも本作戦に関わったごく狭い範囲からの。

「俄かには信じられないけど……そうとしか考えられないよね」

地上本部発令の秘密任務が洩れていたとすれば、管理局を揺るがすスキャンダルにも繋がりかねない。
レリック密輸。
聖杯の復元。
サーヴァントの召喚。
そして今回の一件。
もうどこまで問題が大きくなるのか見当もつかなかった。

「まずはなのはとも合流しないとな。それで……」
「フェイトさん! ヴィータ副隊長! アイツまだ動きます!」

ティアナがクロスミラージュを構える。
その銃口はフリードの片足の下、地に叩き付けられたバーサーカーに向けられている。
フリードの質量の半分以上が掛かっているはずの脚が、少しずつ、確実に持ち上がりつつあった。

「嘘……」
「グワァ!」

キャロとフリードも戸惑いを隠し切れていない。
踏み潰さんばかりの勢いで圧迫されたにも関わらず、バーサーカーは己に掛かる重量に抗おうとしているのだ。
総身の肉を膨らませ、片膝を立て、さながら天蓋を支えるアトラスのように。
フリードの足が浮き上がっていくにつれて、バーサーカーの下で舗装材がバキリと軋む。

「フリード、離れて!」

キャロの命令を受け、フリードは翼を一打ちして大きく後方へ跳ねた。
それと同時に、フェイトの手信号に従って、ヴィータが右へ、スバルが左へ回り込む。
ティアナはフェイトの隣でクロスミラージュの照準を合わせ続け、発射のタイミングを窺っている。
バーサーカーが静かに構える。
完全に包囲されているにも関わらず、その瞳に宿る狂気は微塵も揺らいではいなかった。
だが――

「まずい、消えるぞ!」

バーサーカーの肉体が急激に薄らいでいく。
消滅ではなく、恐らくは撤退。
ティアナは反射的にトリガーを引き絞った。
放たれた魔力弾は、ほんの直前までバーサーカーが存在した空間を貫き、地面を浅く穿つ。

「逃げられた……」

静けさを取り戻した一帯に、ティアナの悔しそうな声だけが取り残された。



 ――四日目 PM04:04――

空港の敷地の隅、建築当時の資材が放置された一角で、ルーテシアは身を抱えていた。
たった数百メートル先で彼女の召喚虫とバーサーカーが戦闘を繰り広げているにも関わらず、それに視線を向けてすらいない。
高く積み上げられた鉄骨の上で、震える身体をぎゅっと抱き締め、漏れそうになる声を必死に抑えている。

「ガリュー……」

ルーテシアは召喚虫の名を呼んだ。
そうでもして自分を勇気付けなければ、すぐにでも二人に撤退を命じてしまいそうだった。
原因ははっきりしている……バーサーカーだ。
数々の召喚虫に加えて新たに使役することになったあの怪物は、確かに信じがたいほどのスペックを有している。
仮に全性能を引き出してやれば、人間を対象とした魔導師ランクでは計りえないパフォーマンスを発揮することだろう。

しかしそれは机上の空論に過ぎない。

何故なら、あの怪物は単なる一挙手一投足ですら大量の魔力をルーテシアから吸い上げていくのだから。
それもルーテシアの負担などお構いなしに、魔力があればあるだけ持っていこうとするのだ。
ルーテシアがこうして苦しんでいるのも、バーサーカーへの無茶苦茶な魔力供給の影響に他ならない。
今はバーサーカー自体が貯蔵する魔力も使っているようだが、それが尽きれば全てのエネルギーソースをルーテシアに求めるに違いない。
つまり、アレは猛獣だ。
餌を与えられているうちは従順に従うが、餓えれば飼い主すら食い殺す猛獣なのだ。
以前にバーサーカーと契約していたイスト・アベンシスとかいう次元犯罪者も、こうして魔力を吸われて破滅していったということか。
早く勝負をつけないと――
ルーテシアの心に焦燥が滲んだ。

「……見つけた。君があの召喚獣を喚んだんだね」

ざり、と砂を踏みつける音。
赤い髪をした少年が、槍型のデバイスをルーテシアに向ける。

「それと、バーサーカーのマスター、だろ?」

もう一人、赤毛の青年がルーテシアを挟んで反対の位置に現れた。
少年の髪を赤とするなら、こちらは赤銅色とでも言うべきか。
バリアジャケットを着込んだ少年とは違い、普段着としか思えない格好をしている。

「邪魔しないで……!」

ルーテシアはそっと立ち上がった。
呼吸の荒さを悟られないように、鉄骨の山の上から二人を俯瞰する。

「吾は乞う……小さき者、羽搏く者。言の葉に応え、我が命を果たせ。召喚!」

なけなしの魔力を振り絞ってインゼクトを召喚。
即座に散弾のように二人へ襲い掛からせる。

≪Sonic Move≫
投影、開始トレース・オン

今のルーテシアにとってはギリギリの先制攻撃だったが、しかし威力と精度は平時のそれには遠く及ばなかった。
少年に向けて放たれたインゼクトは、視認の限界に迫る起動に翻弄され、いとも容易く掻い潜られていく。
ルーテシアが次に少年を視認したとき、彼女の首筋にはデバイスの冷たい刃が宛がわれていた。

「投降してくれないかな……。抵抗しなければ痛いことはしないから」

少年はルーテシアの瞳を真っ直ぐ見据え、優しい声で投降を促す。
ルーテシアの後方では、青年が白と黒の双剣を携えて鉄骨の上の二人を見上げている。

「……」

遠くで立て続けに爆発が起きた。
電撃を伴うあの爆発はガリューやバーサーカーが起こしたものではない。
恐らくは、管理局の魔導師が放った攻撃。
それもかなり強力なものなのだろう。
ルーテシアはガリューも含めた召喚虫すべてを送還した。
加えてバーサーカーにも念話で――理解してくれるかは分からないが――撤退を命じておく。
召喚虫の送還を投降の意思と受け取ったのか、少年がデバイスを僅かに離す。
しかし、ルーテシアにはそんなつもりなど毛頭ない。
少年の気の緩みを好機と見、後ろ向きに鉄骨の山から飛び降りる。
彼女にはどうしても手に入れなければいけないものがあるのだ。
こんなところで捕らえられるなど、あってはならない。

「トーデス……」

少年と青年はルーテシアの急な行動に判断が追いついていないようだ。
その隙に反撃を――
――ぐらり。
頭の中が揺らいだような感覚。
耳に入る音が遠のいて、視界が隅から暗闇に侵食されていく。
構築されかけていたトーデス・ドルヒも霧散する。
ああ、無理をしすぎたんだ――
その思考を最後にルーテシアは意識を手放した。
地面に落ちる直前、少年の腕に抱きとめられたことなど知る由もなく。



[27243] 第13話 Heavens Feel Ⅳ
Name: リリナイ◆23c1d855 ID:76699dfe
Date: 2011/04/17 15:27
―― -3742日 PM05:32 ――

新都へ向かうバスの中は興奮醒め止まぬ空気に満ちていた。
貸し切られた車内に乗り合わせているのは、三、四十人ほどの幼い子供達。
年齢は十歳にも満たない程度だろう。
学年で言えば小学校の中学年といった程度だ。
誰もが『幼い』という形容詞から逃れられてはいない。
しかし、白を貴重とした揃いの制服は、彼らの通う学校が普通ではないことを暗に示している。

私立聖祥大学付属小学校。

某県鳴海市に居を構える私立学校であり、その仰々しい名称に恥じない実態の学校である。
小学校から大学までのエスカレーター式進学制度。
公立校のそれを優に上回る水準の学力と学費。
世間でいう名門校の条件を見事なまでに満たした私立校といえるだろう。
そんな彼らが冬木市にいる理由は、別段特殊なものではない。
義務教育にありがちな、単なる社会見学旅行である。
二泊三日の日程で他県の工場施設を見学するという差し障りのない内容だ。
本日分の見学日程は既に終わっており、今は宿泊する予定のホテルへと向かっているところだった。
バスが冬木市の市街に近付いていく。
車内の喧騒が数割増しに大きくなった。

冬木市、新都。

川によって二分された冬木市の東側にあたる地域であり、大規模な再開発計画の最中にある街である。
現状はオフィス街の六割までと駅前パーク、ショッピングモールまでが形を成しているところだという。
彼らの住む街とて、決して新都に引けを取るものではない。
だが、見知らぬ町並みはそれだけで子供達の興奮を煽るのに充分なようだ。
何か珍しいものでも見つけたのか、座席の一角から歓声が上がる。
教員達が咎めないのをいいことに騒がしさは増していく一方だ。
無理もないだろう。
多くの児童にとっては、退屈な工場見学よりもこれからの時間の方が楽しみなのだから。
ある少年は新品同様のビルに夢中になり、ある少女は友達と自由時間をどう過ごすかの相談をしている。
そんな中、一人の少女だけが、不安そうに口を閉ざしていた。
少女は、名を高町なのはという。
ジュエルシードを巡る戦いの中で成長し、後に『闇の書』が巻き起こす事件に遭遇することになる少女である。

「何だろ、この嫌な感じ。もしかして……魔力?」

不安もあらわに、なのはは車窓の外に目をやった。
新都の街並みが後方へと流れていく。
その風景は平穏そのもので、異様なところなど見当たらない。
真新しい歩道も、建設中のビルも、どれもごく普通の物だ。
けれど、この感覚だけは紛れもなく異常だった。
言葉では言い表せない不気味な悪寒。
体内を巡る魔力がさざめき、内から肌を粟立たせる。
恐怖に慄いているわけでもなければ、体温の低下に震えているわけでもない。
ただひたすらに、異質。
なのはは気分を紛らわせようと、軽く車内に視線を巡らせた。
クラスメイト達は誰もが雑談に興じていて、僅かな違和感すらも感じている様子はない。
単なる思い過ごしであればと願うなのはの耳に、教師達の会話が入ってきた。
不自然なまでに潜められた、深刻そうな雰囲気の声。

「あの犯人、まだ捕まってないんですよね」
「らしいですよ。……やっぱり宿泊先を変更しておいた方が良かったかも」

教師達が懸念するモノについて、なのはは一つ心当たりがあった。
いつかのニュースで報じられていた覚えがある。
とある地方都市で発生している連続殺人事件。
表現こそ抑えられていたが、手段の残虐さと異常性は例を見ないものであるという。
その都市の名は、確か「冬木」ではなかったか。
ブレーキ音を響かせてバスが止まる。
どうやら信号待ちの集団に捕まったらしい。
定められた道を行く車両の列は、さながら働き蟻の行進だ。
自分の命を脅かす存在が潜んでいるにも関わらず、いつものように道を走っているのだろう。
事実、これから数時間の後――
彼らは自分達を、蟻のように潰し得るモノを目の当たりにするのである。



―― -3742日 PM10:50 ――

なのは達が宿泊するホテルは、未遠川から程近い、十五階建ての中規模なものだった。
ランクも決して低くはなく、近辺に存在した冬木ハイアット・ホテルほどではないが、聖祥大付属の宿泊先としては相応だろう。

「レイジングハート……やっぱりおかしいよ」

十二階の一室、五人の児童が宿泊する部屋の片隅で、なのはは自身のデバイスに語りかけた。
班員達は既に就寝している。
それを察してか、レイジングハートも音量を控えて答えを返す。

≪Yes, I also think so.≫

近辺に『存在した』冬木ハイアット・ホテル。
このある種異様な表現は決して間違いではない。
現時点で冬木市最大の高さと最高のサービスを誇る三十二階建てのホテルは、今や残骸と成り果てている。
原因は不明だが、小火騒ぎの直後に突如として倒壊したのだと報道されている。
冬木という街のおかしさを感じているのは、何も彼女達だけではない。
四件に及ぶ連続殺人事件。
連続児童失踪事件。
湾岸地域での原因不明の爆発事故。
冬木ハイアット・ホテル倒壊。
これほどの事件が積み重なって、異常を感じないほうにこそ無理があるといえるだろう。
もう少し事件の発生が遅れていれば、あるいは旅行の日程が先であれば、この研修旅行は間違いなく中止されていたはずだ。
しかし現実にはそうならず、教員達が絶えず心労に胃を痛めているのだが。
なのははベランダに通じる窓に近付き、カーテンの隙間から外の風景を眺めた。

――霧が、濃い。

未遠川の周辺が濃密な霧に包まれている。
そのせいで川に架かる大橋の輪郭すら定かではなく、電飾ばかりが霞んで見える。
だが、なのはが感じている異常はそれだけに留まらない。
川の中央に渦巻く、尋常ならざる量の魔力。
常人には決して近く出来ないであろうそれが、なのはの白い肌を粟立たせる。

「やっぱりおかしい……」

なのはは同じ台詞を繰り返した。
理屈の上では理解している。
悪意を持った魔導師が、霧の中で危険極まりない行為に手を染めようとしているのだと。
だが、感情がそれについてこない。
異様な密度で猛り狂う魔力は、まるでどろどろの生き血を絵の具に使った絵画のように狂おしい。
術者の心の底を描き出した地獄絵図だ。
故に、なのはには信じられない。
ここまで歪みきった心の持ち主が、目と鼻の先に存在しているという事実を。

「――っ!」

濃霧の向こうで、水面に変化が起こる。
霧の中、大気を震えさせながら、巨大なナニカが悠然と身を起こしていく。

巨大。
ただひたすらに巨大な、肉の塊。
形容する言葉を思い浮かべることすら躊躇われる異形。

なのははその怪異を呆然と見上げるしかなかった。
そう、ホテルの十二階という高層にありながら、なのははソレを『見上げて』いた。
巨大という言葉が生温く感じるほどの巨体だ。
恐らくは地上――いや、史上においてこれ以上の生命体が地球に存在したことはないだろう。
川岸の民家に次々と電灯が灯っていく。
ガラス戸を閉めていなければ、なのはにも狂乱の声が聞こえたかもしれない。
名伏しがたき存在が、沿岸を目指して行動を開始する。

≪.....er! Master!≫

レイジングハートの呼びかけに、なのはの意識は現実へと引き戻された。
焦る手で鍵を開き、ベランダへと飛び出す。

「いくよ!レイジングハート、セット・アップ!」
≪stand by ready.set up.≫

桃色の魔力光がなのはを包み込む。
瞬時にバリアジャケットが展開され、真の姿を現したレイジングハートがなのはの手に握られる。
アレが何であるのか考えている暇はない。
なのははベランダの手摺を蹴り、夜の空へと身を躍らせた。
ホテルから未遠川までの距離は短い。
余分な思考を挟む暇もなく、なのはは未遠川の上空に到達した。

「…………」

形容しがたい巨獣の周囲を一定の距離を置いて旋回する。
あまりに常軌を逸したグロテスクな外観に、なのはは直視を躊躇った。
頭部に相当する部位はどこにもない。
目も、口も、鼻も、耳も、首すらも見当たらない。
指もなければ手足もなく、胸と胴の境目すら見当もつかない。
ただ只管に大きな肉の塊が、アメーバのように這いずっている。
特徴的な器官といえば、肉のそこかしこから突き出した触手らしきものくらいだろう。
まるで畸形のイソギンチャクだ。
なのはは胸の奥からせり上がってくる酸味に口を閉ざした。
百メートル以上の距離を取って飛んでいるのは、怪物を警戒しているからというだけではない。
生理的嫌悪感が見えない壁のように立ち塞がっているためだ。

「でも……このままじゃ!」
≪Divine buster. Stand by.≫

なのはは空中で足を止め、レイジングハートを槍のように構えた。
帯状の魔法陣が杖の周囲を囲み、魔力の集積と加速を開始する。

「ディバイン……」

あれほどの巨体だ。
もはや精密に狙いを定めるまでもない。
砲身と化したレイジングハートから繰り出される爆発的な魔力は、どう放とうと巨獣の肉体を穿つに違いない。
――それゆえ、心のどこかに油断があったのだろう。
なのはが魔力の解放を宣誓するよりも速く、巨獣から繰り出された触手が、彼我の距離をゼロにした。

≪Protection.≫
「きゃあ!」

瞬時に百メートル以上伸びた触手がなのはを打ち据える。
間一髪で展開されたプロテクションによって直撃こそは免れたものの、サイズに相応しい衝撃力までは殺しきれない。
視界がぐるぐると回り、上下の感覚が消失する。
吹き飛ばされているのか落下しているのかも分からないまま、なのははどうにか姿勢を整えようと足掻いた。

「……あうっ!」

背中から生じた衝撃が全身を駆け巡る。
どこか硬いところに落ちたのだと気付いたのは、首筋に伝わる冷たさと、眼前に広がる夜空を認めた後だった。
普通なら身動きどころか命すら危うい高度だっただろう。
だがバリアジャケットに護られた身体にとっては致命的なダメージではない。
なのはは痛みを堪えて上体を起こし、軽く周囲を見渡した。
豪奢に装飾された大きな橋――冬木大橋。
どうやらそのアーチの中、鉄骨の支柱の傍に落下したようだ。
鉄骨を足場に、なのはは立ち上がる。
見上げるは巨体の異形。
地上五十メートルの高さを誇るアーチと比しても、更にその倍以上はあるであろう体高。
なのはの最大魔砲を以ってしても一撃ではカバーできそうにないサイズである。
どうやって進行しているのか見当もつかないそれは、少しずつではあるが確実に市街へと迫っていた。

「あんなのが街に上がったら……させない!」

再び飛び立とうと、両の脚に力をこめる。
倒せるか否かは問題ではない。
人々に不幸を撒き散らすであろう怪物を放っておくなど、なのはという少女には出来ない。
ただそれだけのことだ。
飛翔の直前、なのはは確かに怪物を見据えていた。
その視界が突如として黒い影に遮られる。

「……っ!」

それが人間の輪郭であることを理解したのは、咄嗟に後方へ飛び退いた直後だった。
闇夜に琥珀色の瞳が光る。
鎧と呼ぶには薄く、平服と呼ぶには異質な濃緑の装備。
絶世と称するに相応しい美貌は、今は怜悧な刃物のような威圧に満ちていた。

「レイジングハート……あの人が近付いてくるの、分かった?」
≪......No.≫

緩やかなアーチの内側で、なのははその男と対峙する。
赤色の長槍を右手に、黄色の短槍を左手に携えて、男はなのはの姿を見据えている。
なのはは無意識のうちに半歩退いた。
あの男の顔を見ているだけで、魔術染みた力の負荷に晒されてしまう。
直接的な害こそは感じられないが、正体の分からない力というのはそれだけで恐ろしいものだ。
――レジストに成功しているとはいえ、魔貌の効力に一切気がつかないのは、幼さ故なのだろうか。
男が赤い槍の切っ先をなのはへと向ける。

「貴様がキャスターのマスターか?」

その表情は、ただ固い。
苦渋、嫌疑、あるいは否定。
表情から男の真意を確かめることは、なのはには出来なかった。

「……キャスターの、マスター?」

聞き慣れない言葉の羅列を鸚鵡返しに問い返す。
なのはの反応を見て、男はどこか安堵した様子で首を振った。
どうやら彼が抱いていた懸念はある程度払拭されたらしい。
だが、それはなのはにすれば一方的な納得でしかない。
そもそもなのはから見れば、男は巨獣を庇うかのように現れたのだ。
男の真意はともあれ、なのはが彼を味方と考えうる要素は皆無である。
高波のような水飛沫を上げながら、巨獣が沿岸へと迫る。
四百メートルを越える遠大な川幅が幸いして、タイムリミットには幾許かの猶予がある。
なのはは男の視線が巨獣へ移った瞬間を見逃さず、周囲に複数のディバインスフィアを展開させた。
不意を衝いたにも関わらず、男は攻撃の気配を察知し、なのはへ向けて砲弾の如く加速する。
そこまでは予測の範疇だった。

「ディバインシューター、シュート!」

繰り出される五条の魔力弾。
先行して放たれた三射は男の左右と頭上から迫り、回避経路を封殺。
残りの二射が正面から男に襲い掛かっていく。
恐らくこの奇襲は簡単に防御されるだろう。
だがそれで構わない。
これをあえて防御させ、その隙を狙って本命の一手を叩き込むのだ。
直線的に放たれた魔力弾は、吸い込まれるように男の胴体へ命中し――消失した。

「そんな!」

男は防御も回避もしなかった。
呪文の詠唱どころかデバイスのような補助装置すら使用していない。
それなのに、二発のディバインシューターは一切の効力を発揮することなく掻き消えてしまったのだ。
まるで、肉体そのものに魔法を打ち消す力を備えているかのような――

≪Protec――≫

緊急防御を図るレイジングハート。
その先端部分、赤い珠を囲む金色の環状パーツの隙間に、真紅の長槍の切っ先が滑り込んだ。
火花が散り、削ぎ落とされた金属片が宙を舞う。
切っ先は更に奥へと突き入れられ、バリアジャケットを掠めて停止した。
戦闘の終結は一瞬だった。
なのはの身を護る白亜のバリアジャケットが、魔力の欠片と化して霧散する。
大きな瞳が驚愕に見開かれ、やがて自身の身体へとその視線を落とす。
そこにあるのは、普段着に身を包んだ華奢な体躯だけ。
レイジングハートは突如として機能を停止し、最後の護りたるバリアジャケットも消滅した。
戦闘の体が成り立つ余地すらない。
男が繰り出したのはたった一撃。
その一撃で、なのはは抵抗の余地を残らず刈り取られていた。

「魔術師よ――それがどのような礼装かは知らんが、破魔の紅薔薇ゲイ・ジャルグの前には全て無力だ」

ゲイ・ジャルグ。
恐らくは赤い魔槍の名。
しかし、男の言葉はなのはに届いていない。
なのはは力なく崩れ、冷たい鉄骨にぺたりと座り込んだ。
瞳に浮かぶ感情は驚きか、それとも恐れか。
男が眼光を鋭くする。
苦々しそうに左腕を持ち上げ、黄色の短槍を振り被る。

「命は取らん。しばらくそこで大人しくしていろ」

雷のように繰り出された短槍がレイジングハートの柄を打ち砕く。
水面にレイジングハートの破片が散って、小さな波紋を残した。
ガラス細工を砕く方が遥かに手ごたえがあったであろう。
あまりにも一方的な、そして決定的な決着であった。
双槍使いの男はへたり込んだなのはを一瞥すると、現れたときと同じように、虚空へと姿を消した。
冷たい風が吹き抜ける鉄骨の足場。
霧は依然として濃いままで、彼女の目では水面の様子すら分からない。


――ここで、なのはは目撃することになる。
夜空を斬る亜音速の翼。
それすらも容易く叩き落す異形の腕。
光り輝く神話の船と、漆黒の魔力に染まった戦闘機の食らい合い。
そして、魂の隅々まで余すとこなく照らし尽くす、目も眩まんばかりの黄金の光を――




―― -3742日 PM11:00 ――

極光は河面を舐め、異界の巨獣を余さず焼き尽くした。
かの征服王の宝具を以ってしても足止めが限度であった巨獣は、遠方より振り下ろされた一太刀によって、肉の一辺も残さず消え失せていく。
眩い光が夜景を貫き、そして消えていく。
光輝の御名は約束された勝利の剣――

「何だよ、あれ……」

河の沿岸で、少年、ウェイバー・ベルベットは呆然と呟いた。
セイバーの左腕は対城宝具だと聞かされてはいたが、これほどだとは予想もしていなかった。
暗さと静寂を取り戻した水面に、深淵の水魔はもはや細胞の一片すら残されていない。
あまりにも壊滅的な破壊力。
ライダーの固有結界やアーチャーの名も知らぬ宝具も凄まじいが、それらと比べても明らかに桁違いだ。
込められた魔力。
圧倒的な熱量。
この世のものとは思えない閃光。
その破壊力はもはや魔術の枠にすら収まらないだろう。

「流石のキャスターも消えたようだ! さっさと引き上げるか!」

鳴り響く雷鳴と、それに掻き消されないほどの大きな声。
ウェイバーは紫電を蹴って降下してくるチャリオットを見上げた。
巨大な牡牛の蹄と車輪が道路を砕き、地震のような衝撃が土手を揺るがす。
慣性をねじ伏せて強引に停止するチャリオット。
巻き起こる粉塵に吹き飛ばされそうになり、ウェイバーは苦々しそうな顔で御者台を見上げた。
「もっと広いところに着地しろ……って……」
御者台に座する巨漢の横から、小さな頭がちょこんと顔を出している。
茶色い髪を二つに結んだ、見たこともない少女の頭。
歳が二桁に達しているかも怪しい顔つきだ。
ウェイバーはしばし呆然とし、そして叫んだ。

「誰だそいつー!」
「ん?橋の上で震えとったんでな。拾ってきた」

豪放に笑うライダー。
ウェイバーは頭を抱えて蹲った。
橋の上?震えてた?
そんなところに女の子がいるはずがないだろう。
けれどライダーがそんな意味の分からない嘘を吐くとも思えない。
少女が身を乗り出して何か話しかけてきているが、生憎ウェイバーにはヒアリングすら叶わなかった。

「あー、どうやらランサーめに喧嘩を売って返り討ちにあったそうだ。
マスターならばサーヴァントに勝負を吹っかけるわけもないだろうし、大方、聖杯戦争とは無縁の魔術師ってとこじゃあないか?」

硬い顎鬚を擦りながら、ライダーが通訳の真似事を始めた。
時空を超えた知識を付与されているサーヴァントならば、ウェイバーと少女の両方の言語を解するのも容易いのだろう。

「……で、どうして拾ってきたりしたんだ」
「何を言っとる。あの高さから落っこちたら間違いなく死ぬぞ?」

魔術師なら幾らでも手段があるんだ、とはウェイバーは言わなかった。
高所からの落下など、魔術師にとっては気流制御などの初歩的な魔術を駆使するだけで対処できる状況に過ぎない。
だがウェイバーにはそのことをこのサーヴァントに説いて聞かせる気力が残っていなかった。

「はぁ……。とりあえず、その子がどこの誰なのかってことを聞きだしてくれ」

相手は犬猫ではなくれっきとした人間である。
元の場所に戻してきなさいで済む話ではない。
ウェイバーは、手早く少女を送り返してマッケンジー邸へと帰ろうと決めた。
魔術師であるらしいとはいえ、夜の街にこんな幼い少女を置き去りにするのは流石に気が引ける。
すぐに隠蔽工作に訪れるであろう魔術協会や聖堂教会へ引き渡そうにも、果たして取り合ってくれるかどうか。
さしもの彼らといえど、今夜はキャスターの所業の後始末に追われてそれどころではないに違いない。
御者台によじ登り、早く出発するようライダーを急かす。
多少の厄介を背負い込むとしても、さっきからセイバーの同行者が向けてきている『可哀相なものを見る目』からさっさと離れてしまいたかった。
と、ウェイバーは少女に語りかけるライダーの言葉の中にマッケンジーという単語を聞き取った。

「おい、まさかうちの住所とか教えてないだろうな」

剣呑に睨むウェイバーに、ライダーは不思議そうな表情を返す。
一体何が問題なのかという疑問がありありと浮かんでいる。
頭を抱えて御者台に突っ伏すウェイバー。
太い指でこめかみを掻くライダー。
そんな二人を戸惑った様子で見比べる少女――高町なのは。
チャリオットを曳く牡牛たちは、背後の騒がしさを気にすることもなく、出発の命を待って喉を鳴らしていた。



これが当時の彼女が知りえた、第四次聖杯戦争。
半月後、兄に無理を言ってマッケンジー邸を訊ねたときには、既にすべてが終わっていた。
バスで通った冬木の街並みはその多くが焼け落ちて、川岸には極光の名残の廃船が無残に座礁。
ライダーは戦いの果てに消滅し、彼女を迎えたのはマッケンジー夫妻とウェイバーだけであった。
聖杯戦争という名すら知らず、偶然に戦場へと迷い込んだ一羽の小鳥。
すべてが終わってから事情を明かされる蚊帳の外の端役。
居ても居なくても影響のない一時の賓客。
それが彼女の配役であり、彼女自身もそれで終わると思っていた。
六十年後に起こるという『次』には関わりえないのだと信じていた。
この不思議な邂逅は次第に記憶の片隅へ追いやられ、本人すらも思い出せないようになっていく。

――十年後の、とある冬の日までは。





―― -3742日 PM10:58 ――


「置き去りにするだけしておいてこの様とは、大した不実だな……」

薄まりつつある夜霧の中、ランサーは自嘲気味に呟いた。
橋上で戦いを挑んできた魔術師の少女。
マスターでないのなら命を取ることもないと、礼装だけ奪ってここに残してきたはいいが、どうやら誰かに先を越されたようだ。
空を仰げば、征服王のチャリオットが稲妻を撒き散らしながら弧を描いている。
着陸する角度を探っているらしいその御者台に、小さな頭がひょっこりと覗いていた。
その様子だけ見れば、サーヴァントに助けられたマスターという構図だ。
しかし、ランサーはあの少女がライダーのマスターではないと知っていた。
ライダーが、自分とセイバーとの戦いに闖入したとき、隣に座していたのは少年であった。

「己のマスターでもないのに助けたのか。まったく、器の大きな王で在らせられることだ」

どことなく皮肉染みた言葉を残し、ランサーは高く跳躍した。
かのサーヴァントの性格を考えれば、あの少女を悪く扱うことはないだろう。
ランサーは疾風のごとき速度で夜の街を駆け抜けた。
今夜、己の破滅が定められたことなど、夢想もせずに。



[27243] 第14話 夜天に駆ける
Name: リリナイ◆23c1d855 ID:76699dfe
Date: 2011/04/17 15:19
第14話「夜天に駆ける」


 ――四日目 PM05:45――

予め温めておいた陶磁のポットに茶葉を放る。
分量は人数に合わせてティースプーン6杯。
沸騰した湯を注ぎ、すぐに蓋を閉める。
ここから3分待つのがポイント。
ティーマットで熱が逃げないようにして、茶葉を熱湯で蒸らし続けるのだ。
紅茶の適温は90度から100度。
茶葉がしっかりと開き、適度に味が抽出される温度。
時間をかけて熱を加えるのではなく、最初から高温のお湯を注ぐといい。
ポットの準備を待つ間に、用意しておいたティーカップから、予熱のためのお湯を捨てておく。
紅茶の味を引き出すためには、高温を維持しておくことが肝要だ。
淹れる前にティーカップもポットを温めておくのもそのひとつ。
温めたポットに高温のお湯を注ぎ、高温のままに蒸らして、温めたカップに注ぐのだ。
だが、蒸らし過ぎも味を損ねる。
頃合を見計らって蓋を開け、ポットの中をスプーンでひと混ぜする。
これで準備は整った。
ティーストレーナーで茶葉を漉し取りながら、ティーカップに紅茶を注いでいく。
濃さに偏りが出ないよう、順番に少しずつ。
6杯分ちょうどを量って淹れているので、ポットの紅茶は最後まで使い切る。
最後の一滴、ベスト・ドロップまで残すことなく。

「……よし」

士郎は満足げに頷き、ティーカップをテーブルに着いた面々に配っていく。
スバルに、ティアナに、キャロに、エリオに。
残りは士郎と、この場にいないもう一人。
しかし四人はカップを取らず、ぽかんとした表情でカップと士郎を見比べている。

「どうした?」
「いや、あまりに本格的だったので、ちょっとびっくりしたというか」

スバルが、四人ともが抱いたであろう共通の感想を代弁する。
紅茶でも淹れてこようと言って、士郎が席を立ったのが5,6分ほど前。
そのときは、まさかこれほど凝るとは思ってもみなかった。
インスタントのパックか何かを調達して、手軽に飲むものだとばかり。

「どこで借りてきたんですか、これ」

テーブルに並ぶティーセットの華麗さに気圧されて、ティアナは遠慮がちに辺りを見渡す。
豪奢な装飾に彩られたロビーは、まるでちょっとした宮殿の一画のようだ。
吹き抜けの天井からは眩く光るシャンデリアが吊り下げられ、壁には高価そうな絵画が飾られている。
床材やカーペットも妥協を排除して選び抜かれた品だろう。
ソファーに腰掛けている男も、カウンターで何か話している女も、いかにも紳士淑女といった風体である。
ティアナは思わず身を竦ませた。
こうして見ると、自分たちがあまりに場違いな存在だと思わされる。

空港の戦闘からおおよそ一時間と三十分。
負傷したなのはは後方へ移送され、フェイトはレリックの護送を兼ねてそれに付いていった。
なのはの指揮権を引き継ぐ形で現場指揮官となったヴィータは、すぐさま現地部隊との交渉に引っ張り出され、まだ戻ってきていない。
どうやら、先の戦闘で保護した少女の取り扱いで揉めに揉めているらしい。
ヴィータはレリック関連の重要参考人として機動六課で身柄を確保すると主張。
対する現地部隊の指揮官は、自分達の管轄で起こった事件の主犯もしくは共犯として身柄勾留を要求。
どちらも譲歩するつもりはないらしく、落としどころを探る段階にすらなっていないという。
取り合えず、現在は暫定的な処置として、空港近くの高層ホテル、つまりここの最上階に少女を勾留している。
防犯を強く意識した設備や社員教育は、そのまま侵入者への警戒にも効果を発揮するだろうという、現地部隊指揮官の推薦だ。

「カウンターに言ったら貸してくれたぞ」
「やめてください……」

今のところ少女の意識は戻っていない。
だが、医師の見立てでは命に別状はないらしい。
急激に魔力を消費しすぎたせいだろうとのことだ。
交渉は副隊長の役目で、少女の保護と観察は自分達の役割。
脱走を許したり、少女の仲間に奪還されたり、そんな不手際を犯すわけにはいかない。
ティアナはそう考えていた。
しかし保護観察とはいえ、全員で囲み続けるのは現実的に不可能だ。
ホテルという施設柄、他の利用者もたくさんいる。
そんな中で厳重すぎる監視体制を敷くのは、いくらなんでも迷惑になりすぎる。
そのため、少女の監視は現地に残ったメンバーが交代で行っていた。
今はセイバーという騎士がそれを担当している。
セイバーはティアナからすれば初対面の人物である。
だが、なのはや士郎の知人であり、以前なのはが言っていた『二人目』だと言われれば、拒絶する理由もない。
スターズとライトニングのフォワードを1人ずつ増員する。
士郎がスターズ5にあたるとすれば、件の騎士はライトニング5ということか。

「……」

目だけを動かして、ティアナは周囲を窺う。
どこかに潜む敵を探るというよりは、むしろ自分達に向けられた視線を気にするように。

「ねぇ、スバル。やっぱり着替えてきたほうがいいんじゃない?」
「え、なんで?」

スバルに耳打ちするも、不思議そうに問い返される。
ティアナが気にかけているのは、自分達の服装であった。
このホテルへ移動したのは戦闘終了直後。
休みを入れる暇もなければ、汚れた着衣を取り替える時間もなかった。
そのため、ティアナ達の格好は場違いこの上ない服のままなのだ。
流石に物騒だろうということでバリアジャケットは解除しているが、まだそちらのほうが格好がついたかもしれない。

「そんなことよりティアも飲みなよ。冷めたら美味しくないよ」

スバルに促されるまま、ティアナは紅茶に砂糖とミルクを注ぎ、一口呷った。
程よい甘味と心地良い芳香が口の中で膨らみ、鼻腔を抜けていく。
想像もしていなかった味覚と嗅覚の恍惚に、ティアナは目を丸くした。
自分達が気紛れで淹れるものとはまるで別物だ。
ホテルで調達したのだから、一級品の茶葉だったりするのかもしれない。
しかしそれを差し引いても賞賛せずにはいられない出来栄えだった。

「……美味しい」
「でしょ?」

自分が淹れたわけでもないのに、何故か味の良さを自慢するスバル。
お菓子も欲しいなぁ、なんて気の抜けたことまで口走っている。
一応まだ任務中であることを忘れているのだろうか。
ティアナは友人の奇行をひとまず無視して、残りの二人に目を向けた。

「あの魔法ってどうやってるんですか?」
「ん? あれは投影って言って……」

エリオは士郎と話し込んでいて、キャロはそれを横から見ているという構図。
話の内容は魔法についての雑談らしい。
ティアナもその会話に耳を傾けた。
確かに士郎が使う魔法は不思議な代物だ。
何もないところに剣を作り出す魔法。
ティアナは最初、それを召喚魔法の一種かと思っていたが、話を聞く限りではそうではないらしい。
基になるのは、魔力とイメージ。
見たことがある刀剣類はほぼ例外なく複製可能で、イメージに綻びが生じない限り不滅。
しかし精密機械は形だけの複製であり――デバイスの完全複製は恐らく不可。
つまりキャロの錬鉄召喚とは別系統ということだが、物理攻撃手段をいつでも調達できるという点で、ガジェット対策には有効だろう。

「ベルカ式、かな」

ティアナはぽつりと呟いた。
古代か近代かは分からないが、ここまで近接戦闘に偏った術式ならベルカ式に違いない。
騎士を目指しているエリオが興味を持つのも当然だ。
交わされる会話は理論めいた内容から程遠く、抽象的な効果と用法の説明だけに留まっている。
だがそのお陰で、ティアナが抱いていた衛宮士郎への疑問が幾つか氷解した。
自力でこの魔法を行使できるから、攻撃のために補助を必要とせず、デバイスに頼っていないのだろう。
しかし、いくら攻撃面に自信があるのだとしても防御のためにデバイスは必要だ、という思いは消えていない。
今のティアナには、管理局も把握していない魔術系統があることなど、想像すらできていなかった。

「……あ」

何気なく時計を見やると、もうすぐ六時に差し掛かろうという頃合だった。
ティアナは席を立ち、銀のトレーに最後のティーカップを乗せた。

「そろそろ交代の時間だから、あたし行ってきます」
「いや、俺が行くよ」

あくまで自分が動こうとする士郎を制し、ティアナはひとりでエレベーターに乗り込んだ。
衛宮士郎という男は、頼めばどんなことでやってくれそうな人物だ。
昨夜の警備だってそうだ。
他の誰もが嫌がるような仕事でも、顔色一つ変えずに引き受けていた。
そういう人に頼り過ぎるのは良いことではない。。
……と、正論を自分に言い聞かせて、ティアナは少しずつ増えていく階数表示を見上げていた。

軽い音を鳴らして上昇が止まる。
開いた扉の向こうには、静謐な廊下が広がっていた。
最上階というだけあって、その雰囲気は下階のそれとは比べ物にならない。
落ち着いた色合いの内装と淡い間接照明が、実に上品な高級感を演出している。
だが、ただの通路というわけでは断じてない。
ティアナが見渡しただけでも3種類、見つけられないものを考えれば更に多く――
物理的、魔法的を問わない警戒手段が、幾重にも厳重に張り巡らされているのだ。
先ほどティアナがエレベータを降りたことすら、瞬時に警備担当者の知るところとなっている。
VIPの宿泊もありうる階層だからこその警戒なのだろう。
今はそれが好都合だった。

少女を閉じ込めた部屋はエレベーターから廊下をまっすぐ進んだ先にある。
その部屋の前に、セイバーがまるで彫像のように控えていた。
姿勢は文字通りの直立不動。
無駄な身動きなど一切見せず、完璧な集中を続けている。
黒いスーツという現代的な装束に身を包んでいるが、それを含めてなお、神秘性に溢れた光景であった。
思わず声を掛けるのを躊躇うティアナだったが、そうも言っていられない。

「セイバーさん、そろそろ交代の時間です」

そう話しかけながら、ティーカップの乗ったトレーを差し出す。
少々冷めてはいるものの、まだまだ味は十分だろう。

「ありがとう。もうそんな時間でしたか」

セイバーは口元を綻ばせてカップを取った。
厳重な護りが施されているのは廊下だけではない。
部屋の内装、そして外装には強固な魔法的防御が施されており、素材自体の強度も加わって、鉄壁と呼ぶべき堅牢さとなっている。
狙撃等による暗殺を防ぐために用意されたとのことで、およそ市街地に持ち込める破壊力では貫けないという。
流石に軍事兵器レベルを動員すれば別だろうが、そんなものを持ち出しては、ホテルに近付くことすら不可能だろう。
気をつけるべきは、外部からの攻撃ではなく、内部からの侵入だ。
厳重な警備を潜り抜けてイスト・アベンシスを暗殺した『敵』の存在は、ティアナの耳にも入っている。
警戒はいくらしても足りないくらいだろう。
ちらりと、セイバーの方を盗み見る。
背丈はスバルと殆ど同じ。
年齢もきっとそれくらいだろう。
絵に描いたような金髪碧眼で、体格はむしろ華奢な域だ。

「どうかしました?」
「え、あ、その」

見ていたことを気付かれた気まずさに言いよどむ。
しかしそんな反応をした方が危ないと悟り、どうにか呼吸を整える。

「……あの、エミヤ三尉ってどんな人なんですか?」

ティアナの口をついたのはそんな問いだった。
間を持たせるための質問だったが、知りたいと思っていたことに間違いはない。
セイバーは飲み干したカップをトレーに戻して、そうですねと前置いた。

「他の誰かを助けるためなら、我が身を省みない。そういう人です。
 莫迦なのかと問われれば、否定はできません」

あんまりと言えばあんまりな評価だ。
しかし語り続けるセイバーの表情に悪意はなく、むしろ穏やかですらあった。

「己の理想を貫いた果てならば、それが永遠の地獄であっても、最終的には良しとしてしまうのでしょうね」
「理想……」

ティアナは思わず息を呑んだ。
誰かを護りたい。
スバルもそんな願いを語っていた。
彼女がすぐ懐いていたのも、同じ理想の匂いを嗅ぎ取ったからなのだろうか。
けれど――

「それでは後をお願いします、ティアナ・ランスター」
「あ、はい」

カードキーを手渡し、トレーを持って立ち去ろうとするセイバー。
ティアナは慌てて、その後を継いで扉の横につく。
そのとき、廊下の向こうでエレベーターの扉が開いた。

「……?」

起動六課の誰かが上がってきたのかと思い、視線をそちらに向けるティアナ。
だが、現れたのは見たこともない二人組みの男だった。
管理局の制服を着てはいるが、起動六課の隊員ではない。
廊下を行くセイバーとすれ違う瞬間、セイバーが不穏に眉をひそめた。

「起動六課のティアナ・ランスターだな」
「そうですけど……」

ティアナは突然現れた男に対し警戒を露にしていた。
シグナムが目撃したという、偽の六課隊員の情報は既に聞き及んでいる。
この連中がそうでないという保証はどこにもない。
だが、男たちが見せた書状は、そんな疑念を一瞬で払拭するものであった。

「レジアス中将の命令だ。ここで保護している少女を引き渡してもらう」
「なっ……!」

疑問を差し挟む余地も与えず、男たちは開錠を要求する。
だが何の前触れもなく要求されて、はいそうですかと開けるわけはいかない。

「そんな話、聞いていません!」
「だから我々が伝えにきたのだ。
 要求が受け入れられないなら強硬手段を取らざるを得ないが?」

見下すような視線に反感を覚えながらも、ティアナは押し黙った。
自分ひとりの判断で決めていいことではないのは明らかだ。
だが、他の隊員と相談する時間など与えてはくれまい。
現に男達は、ティアナを囲むようにして立ち位置を変えてきているのだから。

「もし君が快く扉を開けてくれないのなら、無理にでも鍵を渡して貰うことになる。
 無論、それを実行するだけの権限も与えられているが……こうして交渉している理由、分かって欲しいものだ」

何を言っているのか。
初めから交渉するつもりなんてないくせに。
エレベーターの方を見ると、セイバーが鋭い視線を向けてきていた。
誰かを呼んできて。
ティアナはそんな思いを込めて目配せし、カードキーを扉に通す。
扉が開くなり入ろうとする男達を押しのけて、ティアナは真っ先に部屋へ足を踏み入れた。
豪奢な内装に見合った大きなベッドに、件の少女は仰向けに横たわっていた。
手袋型のデバイスは既に没収してあるので、万が一目を覚ましても大したことは出来ないだろう。

「まだ意識は戻っていません。それでも連れて行くんですか」

ティアナは責めるような口振りで男達に問いかけた。
返事は返ってこなかったが、沈黙は何よりも饒舌な回答だ。
ベッドを挟むようにして、どうやって運び出すのか話し合っているらしい男達。
ティアナは待機状態のクロスミラージュに手を掛ける。
彼らがこれ以上強引に事を進めるのなら、こちらも乱暴な手段に訴えるしかない。

「二人で運搬する必要はないな。お前だけで――」

そのとき、風が動いた。
男達の首筋に赤い筋が走る。
赤い筋はすぐに深い切れ目へ変わり、鮮やかな血液を噴出させた。

「――っ!」

断ち切られた頚動脈から迸る動脈血が、床を、壁を、シーツを、そして天井を赤く塗りたくる。
やがて、生臭い液体を撒き散らす壊れたスプリンクラーに成り果てた男達が、思い出したように床に倒れた。
ティアナの目の前で、高価なカーペットが鮮血と鉄の臭気に染め抜かれていく。
しかしティアナの意識は、そんな陳腐な惨劇には向けられていない。
部屋の中央で翻る黒衣。
『そこにいるのに、そこにいると思えない』という怪奇。
髑髏じみた不気味な白仮面。

「……クロスミラージュ!」

クロスミラージュがカード状から銃型へ変形。
同時にトリガーを引き絞る。
必殺を期した抜き打ちは、しかし標的を捉えられない。
標的の消失から僅かに遅れて宙を切り、頑強なガラスに当たって四散する。
ティアナが黒衣を見失った一瞬後、常人に倍する左腕がティアナの手からクロスミラージュを叩き落とした。
しかしティアナは右手に痛みが走った瞬間、原因の判断を即座に放棄して二挺形態へ移行。
至近にいるはずの敵への掃射を敢行する。
それでもなお届かない。
黒衣は床から壁へ、壁から天井へと跳ね回り、クロスミラージュの射線から逃れ続ける。
ティアナは焦燥に口元を歪ませた。
このままでは何万発撃っても当たる気がしない。
額を伝う汗が瞼に触れる。
反射的な瞬きがほんの僅かな時間だけ、瞼を閉じさせる。
秒にしてコンマ以下。
皆無にも等しい暗闇が晴れた瞬間、ティアナの眼前に黒塗りの短刀が迫っていた。



刹那の隙を抉り抜かれた――



筋肉の動きが追いつかない。


神経の伝達が間に合わない。


脳髄の判断が働かない。


眼球の理解が及ばない。


切っ先が眉間の肉にめり込み、肌を破る。
楔を打ち込まれた岩のように頭蓋が震える。
そのまま、痛みを感じるよりもなお早く――甲高い音が鳴り響いた。


「やはりな。来るとすれば貴様だと思っていたぞ、アサシン」


弾かれた短刀が床を滑る。
いつの間に割って入ったのか。
ティアナと黒衣の間に、スーツではなく銀と青の鎧を纏ったセイバーの姿があった。
透明な剣を持っているかのように右腕を突き出し、獅子もかくやとばかりの殺気を迸らせている。

「ティア!」
「大丈夫ですか、ティアさん!」

セイバーが呼んできてくれたのだろう。
ロビーで待っていたスバル達が次々と部屋に駆けつけてくる。
ティアナは安堵して肩の力を抜いた。
何が起こったのか把握しきれていなかったが、危ういところをセイバーに助けられたのは間違いない。
そして仲間も全員揃ってくれた。
いくらあの黒衣が怪物でも既に袋の鼠だ。

「キキ……キ……」

奇妙な音が聞こえる。
それが髑髏の奥から漏れた笑いであると悟るのに、ティアナは数秒の時間を要した。

「笑っている余裕があるのか?」

セイバーが身を屈める。
床を蹴ると同時に最高速へ到達。
不可視の剣を黒衣へ振るわんとする。
それと同時に、黒衣が身を翻した。
セイバーの突進にとっては誤差でしかない回避運動。
少々深く踏み込めば余裕を持って両断できる。
だが。

「っ!」

セイバーは足を床に突っ張った。
脚甲がカーペットと床材をめり込ませ、急加速を更なる急激さで相殺する。
そして、何もない空間を目掛けて腕を振り抜いた。
背筋を貫いた直感の告げるままに。


同じ瞬間。
日没の残光に染まったガラスが亀裂に覆われる。
鋭い一撃が幾重もの防護を尽く貫通し、窓と周辺の壁を諸共に吹き飛ばした。
セイバーの繰り出した不可視の剣と、飛翔する光が激突する。
剣との接触により減速し、露わになるその実体は、金色の宝槍。
驚愕に見開かれるセイバーの双眸。
袈裟懸けの一撃を叩き込まれた宝槍は下方へ軌道を変え、セイバーの足元を穿ち抜いた。
床は常軌を逸した破壊力に屈し、抵抗の片鱗も見せずに崩壊する。
驚きに気を取られていたセイバーは、にわかに生じた崩落から逃れきれず、数階下まで穿たれた孔へ落ちていった。


激突の爆風。
カーペットが巻き上がり、天井の電飾が激しく揺れ、四方の壁が音を立てて軋む。
固定されていない調度品が次々に吹き飛び、窓に残っていたガラスの残骸がひとつ残らず砕け散り、外へ飛んでいく。

「きゃあ!」

風圧に負けたキャロが転倒し、スバルに抱き止められた。
爆心地付近で衝撃に晒されたティアナは、壁に激しく叩きつけられながらも、敵の姿をしっかりと見据えていた。
呼吸もままならない風圧の中で、黒衣が動く。
さも無風であるかのような軽やかな身のこなし。
浮き上がりかけた少女の肢体を異様に長い左腕で捉え、外套の内側にそっと抱き込む。
暴風が血飛沫を帯びて旋風を巻き――あからさまに黒衣を避けて吹き抜けていった。

(風が、避けてる!?)

荒れ狂う風が止む寸前、壁の大穴から黒衣が身を投げた。
宵の暗闇に溶け込みながら、道路を挟んだ一回り小さなビルの屋上に消えていく。

「待――」
「待てっ!」

追いかけようとしたティアナの動きより早く、エリオがストラーダを構える。
ブースターから魔力を噴出して急加速。
床に開いた孔の手前で踏み切り、黒衣が抜けた大穴へ一直線に飛翔する。


「――止めておけ」


一閃。

槍型のデバイスがストラーダを打ち据える。
不意打ちで安定を崩されたエリオは、一度床に叩きつけられ、大穴から転がり落ちた。
寸でのところで淵を掴み、落下は免れる。

「くっ……」

睨む先には、丈長の外套を纏った大柄な男の姿。
槍を携え、窓外に浮いたままで、部屋の中を睥睨している。

「ゼストの旦那。ルールーも助けたんだし、早く行こうぜ」

男――ゼストの周囲を飛び回る小さな影。
赤い髪をしたその人影は、あの少女から没収したはずの手袋型デバイスを抱えていた。

「そうだな」
「……させるか!」

エリオが外壁を蹴る。
同時にストラーダを上方へ構え、ロケットの如く垂直に打ち上がる。
しかしゼストは、半身分後ろに身をずらすだけで、その不意打ちを回避した。
掠めるような交差の一瞬、エリオとゼストは互いの目を見据え合った。

「行くぞ、アギト――」

離脱せんとするゼストの頬を、黒の片刃剣が浅く断つ。
ゼストは反射的に真下へ急降下した。
足元をホテルの外壁が走り抜けていく。

「む……!」

ゼストの左腕が乱暴に引かれる。
銀色の鎖が手首から肘に掛けて絡みつき、杭のような刀身が鎖を留めていた。
そして、鎖の端を握る赤毛の青年――衛宮士郎。
鎖で動きを縛り、両足で壁面を食んで、ゼストの降下に追い縋る。
突っ張られた両の靴からは、壮絶な摩擦によって煙が立ち、壁面に黒い跡が焼き付けられていく。
驚愕がゼストを圧倒したのは一瞬のこと。
口元に笑みが浮かぶ。
落下から反転、垂直に飛翔。
急速に彼我の距離が縮まっていき、鎖がたわんで張力を失う。
士郎はゼストの反転を見るや鎖を投げ捨て、左手に白い剣を投影して双剣と成した。
そして身を低くし、壁面を蹴る。
落下速度が更に加速。
ゼストもそれを迎え撃たんと槍を構える。

夜天に駆ける二つの影。

士郎が双剣を投じる。
ゼストは槍を素早く一回転させ、それらを弾いた。
即座に再投影。
新たな双剣を左右に広げ、ゼストに向けて最後の加速を踏み切る。
壁と化して迫る大気の圧力を潜り抜け、両腕を振るう。
それでも、間合いはゼストの方が遥かに広い。
槍を直線に突き出せば、それだけで十分に事足りる。

「――!」

だが、ゼストは横に跳んだ。
直感か、あるいは聴覚による危機察知か。
刹那の後に、寸前までゼストがいた空間を一対の双剣が飛び去っていった。
回転する切っ先が掠り、ゼストの肩口に傷が生じる。
先手で投擲された双剣は無為なものではなかったのだ。
士郎が壁を蹴って跳躍し、体勢を崩したゼストの懐へ迫る。

「うおおおおっ!」
「むうっ!」

白い剣の切っ先がゼストの胸を裂く。
槍の柄が士郎の脇腹を打つ。
交錯は一瞬。
士郎の身体は真横へ吹き飛ばされ、ゼストはそのまま屋上の遥か上へ飛び抜けた。

「あああああああっ!!」

二人のどちらとも違う叫びが響き渡る。
最上階の壁の穴から、直滑降に近い角度で伸びていく青い光の道。
そして、凄まじい速度でそれを滑り降りていくスバル。
バリアジャケットに身を包み、マッハキャリバーの車輪を軋ませる。
減速するどころか更に輪転させ、放物線を描いて落下する士郎に追いついていく。

「やあっ!」

地上十数メートル。
スバルは遂に士郎を抱き竦めた。
ウィングロードの角度がなだらかに変わる。
魔力で編まれた坂道を、スバルと士郎は転がるように落ちていく。

「……無茶をする」

ゼストは屋上を見下ろす高さから、坂を転がる二人を横目で追っていた。
胸に刻まれた傷は浅くはないが、行動できないというほどでもない。
左腕に巻きついた鎖を解き、釘剣を放り捨てる。

「旦那、大丈夫か!?」
「ああ」

屋上からは、ストラーダを構えたエリオが間断なく警戒を向けてきている。
じきに屋内の者達も駆けつけて来るだろう。
ゼストは静かに屋上に背を向けた。

「逃げるな!」
「やなこった!」

ストラーダのジェットで追おうとするエリオの機先を制し、アギトが火炎を炸裂させる。
巻き起こる焔が途切れたときには、もうゼストとアギトの姿はどこにもなかった。

「くそっ……」

悔しがるエリオの真下、ホテルの壁に開いた穴の淵から、ティアナが身を乗り出す。
額の傷から溢れた少量の血液が、鼻筋を伝って頬へと流れていく。


「なんて、人」

他の誰かを助けるためなら、我が身を省みない――

己の理想を貫いた果てならば、それが永遠の地獄であっても――

誇張のように聞こえたセイバーの言葉。
それが文字通りの意味だったなんて。
飛行魔法も使えないのにあんな無茶をして、一歩間違えば潰れたトマトの出来上がりだ。
誰にでも優しいだとか、飛び切りのお人よしだとか、そんな次元の話じゃない。
喩えるなら、理想に殉ずる狂信者。
それほどの覚悟。
それほどの――異様。


「えっと、セイバーさぁん!」

屋内。

床に開いた孔を覗き込み、キャロが声を張り上げる。
堅牢な防御を突き破った一撃は、数階分の床と天井をも粉砕し、即席の吹き抜けを作っていた。
その最下、衝撃で二つに割れたベッドに落下した格好のまま、セイバーは表情を険しくしていた。

「あの槍はまさか……しかしアレは士郎が……」

思考を巡るは最悪の想定。
そして恐らくは、的中する未来。




 ――四日目 PM06:15――


件の高層ホテルは遥か遠方。
無秩序に並ぶビル街のひとつを成す建造物の屋上。
そこに、ぱちぱちと手を打ち鳴らす音が響いていた。

「お見事です。偉大なる御名に相応しい狙撃でした」

拍手の主は、クアットロ。
普段から着用しているボディースーツではなく、街中を歩いていても遜色ない服装の上から、シルバーケープを羽織っている。
眼鏡越しの視線の先にいるのは簡素かつ壮麗な装束に身を包んだ一人の男。
クアットロの賞賛を一笑に付し、男はフェンスに背を預けた。
額に下ろした髪は金糸の如く、怜悧な双眸は紅玉の如し。
男の纏う濃厚な気配は、ぎしりと軋む錆付いたフェンスですら、豪奢な帳と見紛わせる。

「我の手を煩わせるに値せぬ些事だな。
 まぁ、今回は貴様らが献上する魔力への報奨と思ってやろう」
「感謝いたしますわ、ギルガメッシュ王」

上辺だけの賛美を聞き流し、彼方のホテルを見やる金色の王。
底知れぬ倦怠と僅かばかりの期待を込め、端正な口元を緩ませる。

「我が財宝をしかと目にしたのだ。
 セイバーめも、我の存在に気付いていることだろうよ」

何を想像したのか、金色の王はくくと喉を鳴らした。
己の残虐性を隠すこともせず、むしろ見せ付けるかのような含み笑い。
繰り広げられた死闘も、そう遠くない将来に起こるであろう悲劇も、この絶対者にとっては喜劇でしかないのだろう。
人々の足掻きは道化の踊りにも等しく、雀の涙ほどの憐憫すら呼び起こさないに違いない。
クアットロは微かに目を細め、また別のビルの屋上に在る影を見止めた。
ルーテシアを受け渡すアサシンのサーヴァントと、それを受け取るゼストの姿。

「容貌は不気味ですが、命令を確実に果たすのは評価に値しますわね。
 アレのマスターを我々が確保している限り、造反もありえないでしょうし……あら?」

いつの間にか、金色の王は屋上からその姿を消していた。
絶え間なく放っていた濃厚な気配も、少々の残滓を残すばかり。
クアットロはわざとらしく肩を竦めた。
用件が済んだ以上、自分と会話を交わす必要すらないと判断したのか。
だとすれば随分と嘗められたものだ。

「王様はこれだし狂戦士は論外。
 使い物になるのが、顔も分からない暗殺者だけだなんて」

屋内への扉を潜り、薄暗い階段を下りていく。
その途中、クアットロは表情を消したまま、ぽつりと呟いた。

「そろそろ『最後の一人』を呼び戻すべきかしらね……」

呟きは暗闇に消え、聞き届ける者は誰もいない。
故に誰も知ることはない。
この瞬間、凄惨なる未来が確定したことなど、知る由も――



[27243] 第15話 凪の日、そして
Name: リリナイ◆23c1d855 ID:76699dfe
Date: 2011/04/17 15:18
 ――五日目 AM4:20――

早朝。
沿岸の朝霧が消えきらない時刻。
コンクリートで護岸された波打ち際を、ティアナは一人走り続けていた。
シャツの襟元は汗でじっとりと湿り、荒い呼吸が無人の沿岸にこだまする。
今日は不思議と早く目が覚めてしまった。
二度寝するには遅過ぎるが、起きているには早過ぎる。
そんな中途半端な時間を、ティアナは自主的な訓練に充てることにしたのだった。
埠頭の先端までたどり着き、そこでUターン。
進んできたルートを逆向きに走っていく。
特別なことなど何もない、単純な走り込みである。

「強く、ならなきゃ……」

ティアナは波の砕ける音を右手に聞きながら、地を蹴る力を強めた。
本当は自分でも分かっている。
こんなに早く目を覚ましてしまった理由も。
人目につかない場所を選んでまで、計画外の訓練に手をつけた理由も。
一朝一夕では成果の出ない基礎トレーニングに必死になっている理由も。

「はぁ……はぁ……」

廃棄都市区画での戦闘。
一矢報いることすら叶わず、次元違いの力を見せ付けられただけであった。

「……はぁ……」

空港での戦闘。
仲間と共に取り囲んでおきながら、あっさりと逃げ出されてしまった。
しかもレリックの片方を持っていかれるという有様だ。

「……」

ホテルでの戦闘。
もはや完敗と言っても過言ではない。
一方的に目的を果たされ、阻止どころか妨害すらできなかった。

「…………」

ティアナはゆっくりと速度を落とし、立ち止まった。
頬を伝う汗を手首で拭い落とす。
わずか数日の間に重ねた戦い。
それらの中で、自分はどれほど役に立てたのだろうか。

強くなりたい――

想いだけが膨らんでいく一方で、結果がついてこないという現実。
鍛えてもすぐに強くなれるわけではないと、頭では理解できている。
一夜にして力が手に入る機会なんて都合よく転がり込んでくるわけがない。
そんなもの一生に一度巡り合えることすら奇跡だろう。
けれど、感情は収まらない。
癇癪。苛立ち。不平不満。
突き上げてくる焦燥と伸び悩む成果とのギャップが、ティアナの心を責め立てていた。
こんな状態で戦闘になったら、間違いなく焦りに負けて無謀を冒す――ティアナはそう確信していた。

「これじゃスバルのこと怒れないな」

ティアナは自嘲気味に呟き、視線を落とした。
朝霧の中、響き渡る潮騒。
規則正しく寄せては返す音色を割って、硬い靴音が近づいてくる。
単なる通りすがりかと思ったが、どうやらそうではないようだ。

「おや、こんな時間に珍しい」
「……セイバーさん」

足音の主――セイバーはティアナの少し手前で足を止めていた。
機動六課の女性隊員用の制服を着てはいるが、どうにも似合っていない。
地味なデザインが、彼女の放つ雰囲気に負けてしまっているのだ。
シニヨンを結って纏めた金髪に、凛とした碧眼の取り合わせが出来過ぎなくらいに整っている。

「鍛錬ですか。感心なことです」
「ええ、まぁ……セイバーさんは何を?」

ティアナはそれとなく話を逸らした。
こんな時間に訓練をしていた理由を尋ねられるのは気恥ずかしかった。
昔馴染みの仲間ならまだしも、新規編入のセイバーとは出会って日が浅い。
弱いところは見せたくなかった。

「件の大孔の調査に参加していました。それで付近を通りかかったので」

セイバーの答えを聞き、ティアナは息を呑んだ。
四日前の未明、この近辺で倉庫街が破壊される事件が起きていた。
管轄が違うことと、まだ調査中であるということから、その事件についてティアナは詳しくない。
夜空を引き裂いた黄金の光――あの光が『それ』だったのでは、と直感しているだけだ。
奇怪でこそあれ、無縁であったはずの事件。
セイバーがその事件の調査に関わっているということは、即ち――

「……あの大孔って、私達が戦ってる相手と何か関係があるんですか?」

セイバーは答えない。
澄んだ瞳でまっすぐにティアナを見据えているだけだ。

「私達、何も聞かされていないんです。
 あの狂戦士は……黒尽くめの髑髏は……何者なんですか?」

やはり答えは返ってこない。
ティアナは睨むように、セイバーと視線を重ねる。
全てを話して貰えるとは、最初から期待していない。
ただ――信じられなくなるだけだ。
ティアナは静かに足を踏み出し、セイバーへ近づいていく。
それでもセイバーは表情を変えようとすらしなかった。
ティアナは言葉を選び、最後の問いを口にした。

「あなた達は……何者なんですか」
「……」

初めてセイバーが目を伏せた。
問いかけに込められた不信の色を、聡くも感じ取ったのだろう。
一呼吸置き、改めてティアナと向かい合う。

「私達の世界から持ち出された、災厄の元凶――それを破壊するため、私達はこの世界へ赴きました」

ティアナはセイバーの言葉に、静かに耳を傾けていた。
厳重に情報統制されているトップシークレット。
それを自分のような末端隊員に語っているのだから、問題でないはずがない。
普段のティアナならこれ以上は喋らないように止めているところだ。
けれど、それができない。

「標的の破壊は四日前に成し遂げましたが、一歩遅かった。
 彼らは首尾よくサーヴァントを召喚し、何らかの手段で現世に繋ぎ止め続けている……」
「その……『サーヴァント』っていう召喚獣を倒すのが、セイバーさん達の今の目的なんですか?」

セイバーが小さく頷く。
罪悪感の影でティアナは焦燥にも似た高揚感を覚えていた。
繋がっていく。
バラバラで共通点のなかった出来事が、一本の線に収束していく。

「召喚獣というよりも使い魔に近いものです。空港とホテルに現れたのはアサシン……
 貴女とシロウが市街地で戦ったという相手は、恐らくバーサーカーでしょう」
「アサシン……バーサーカー……」

セイバーが語る『敵』の名を、ティアナは深く心に刻み付けた。
彼らとの戦闘は偶然ではなかった。
ならばそう遠くないうちに、軌道六課は再び彼らと戦うことになるのだろう。
果たしてそのとき、ティアナ・ランスターは役割を果たせるのか――

「……私でも、サーヴァントに勝てるようになりますか?」

ティアナは小さく呟いてから、しまった、と顔を伏せた。
こんなところで本音を零してしまうなんて。
顔が赤くなっていくのが分かる。
走り回っていたせいだと自分に言い訳をしてみても、漏らした言葉は取り返せない。
どうか聞き逃していて欲しい――内心で祈りながら顔を上げる。
セイバーは困ったような表情で微笑んでいた。

「不可能と言い切りたいところですが、シロウはそれを成し遂げてしまった。
 ですから、否定することは出来ません」

セイバーの答えは、ティアナにとって望ましいものであるはずだった。
しかし、ティアナは曖昧な表情を浮かべて言葉を濁す。
あの怪物達を倒せる可能性。
それは確かに喜ばしいことだ。
けれどどうして――

「……エミヤ三尉、ですか」


どうしてまた、あの人の名前が出てくるんだろう。


ティアナは知らず唇を噛んでいた。
胸を突く、正体の分からない感情に喉が詰まる。
ここから逃げ出したくなる衝動を堪えながら、ティアナはセイバーに一礼した。

「なんか大変なこと聞いちゃったみたいです……ごめんなさい」
「気に病まないでください、ティアナ。
 大切なことを伝えずに轡を並べるのは、私としても本意ではありません」

違う、そんな気の利いた理由なんかじゃない。
言葉は喉まで競り上がり、無理矢理に飲み込まれて消え失せる。

「それに、サーヴァントの召喚が阻止できなかった以上、いつかは明かさなければならないことですから」

ティアナはセイバーと視線を合わせることができずにいた。
自身のちっぽけな自尊心を護りたいがための一言に、あの少女は本気で応じてくれている。
掛け値なしに向けられる好意的な素振りは、まるで光のよう。
眩しければ眩しいほどに、後ろめたさがティアナの心に濃厚な影を残していく。
不可能を果たし遂せたという彼に対しての想い。
彼女自身も気付いていない、昏い感情。



 ――五日目 PM01:20――


「……大体の事情は分かったけど」

会議室の椅子の背もたれに、ヴィータがぎしりと体重をかける。
これ見よがしに組んだ腕は不機嫌さの表れか。
気難しげに眉をひそめ、向かいに座る赤コートの女をじろりと睨む。

「やっぱ納得いかねー……何であたし達まで蚊帳の外だったんだ」
「そういう協定だったんだから仕方がないでしょう?」

赤コートの女――遠坂凛はヴィータの不満を軽く受け流す。
服飾の尽くが赤と黒で統一され、胸には大粒の赤い宝石のペンダント。
背中に流した黒髪を今日は襟元で一つに括っている。

「ふん……。地球の魔法組織なんて胡散臭いにも程があるっての」

ヴィータはとわざとらしく視線を外した。
ここで目の前の相手に不服を告げたところで、返ってくる答えは決まっている。
遠坂凛の返答はまさにその通りで、これ以上は望めない。
今回の事件に関して管理局と魔術協会との間に敷かれた協定は、強固な情報統制を必須としているのだから。

それにしても、とヴィータは思考する。

地球は魔法が発達していない世界だというのが彼女の認識であった。
ヴィータのみならず、この場に同席しているシグナムやフェイトもそうだろう。
高町なのはや八神はやてという、例外的な才能の持ち主は、確かに存在している。
だが地球で平凡に暮らす限り、その才を開花させる機会は永遠に訪れない――はずなのだ。
しかし今、生きた反証が目の前にいる。
地球に生まれ地球に育ち、管理世界の干渉を一切受けぬまま業を修めた魔導師。
そして彼女らが属する管理組織、魔術協会。
魔法ではなく魔術という呼称だが、四桁の年月を重ねてきた古い技術であるという。
そんな代物が殆ど知られていなかった背景には、かの組織の徹底した秘密主義がある。
こうして列挙した情報も、ごく一部の管理局局員にしか開示が許されていない。
副隊長であるヴィータですら、つい先ほど伝えられたばかりなのだから。

「シグナムも何か言ったらどうだ」
「……正直、驚いてはいる」

ヴィータは隣席のシグナムに話を振った。
シグナムもヴィータと同様、仔細な情報を聞かされたばかりだ。
"聖杯"の破壊任務に就いた時ですら、それが地球に由来するものだとは知らされていなかった。
ましてや廃棄都市区画と空港に現れた怪物との関連など。
後でエミヤシロウを締め上げてやろう――ヴィータは本気でそう考えていた。
シグナムはヴィータの危険な計画など気にも留めず、淡々と発言を続けていく。

「だが先方が秘密を護りたいというなら尊重すべきだろう。
 いくら"聖杯"が絡むとはいえ、犯罪の解決は我々の責務であって、彼らは大切な協力者なのだからな」

非の打ち所の無い正論に、ヴィータは押し黙った。
状況の詳細が伏せられた任務など珍しくもない。
時には政治的な、時には道義的な理由によるもので、今回もその一例に過ぎないのだ。
事実、"聖杯"の破壊作戦に携わったときは、秘密の多い作戦であることに疑問を差し挟んだりはしなかった。
不審を募らせるようになったのは、その後の顛末に違和感を感じ始めてからのこと。
要するに個人的な感情だ。
ヴィータは、反対側の席に座るなのはに、さりげなく視線を向けた。
なのはは拗ねたような表情のフェイトをなだめようと、あの手この手で頑張っているようだ。

「でもやっぱり、危険なことに巻き込まれてたなら、後からでもいいから教えて欲しかったなぁ。
 半年も知らなかったなんて、少しショックかも……」
「ごめんね、フェイトちゃん! そういう約束だったから……」

二人が話しているのは、半年前に勃発したという"第五次聖杯戦争"のことだろう。
聞くところによると、なのはは地球に帰省していたときに偶然巻き込まれ、そこで彼らと知り合ったらしい。
今回の事件は、聖杯戦争中に破壊された"聖杯"の残骸の一部が、この世界に持ち込まれたことから始まったのだ。
ロストロギアの定義から外れる"聖杯"に、機動六課で対処しようと主張したのは他ならぬなのは自身だという。
その理由もよく分かるというものだ。

「もうそんな無茶したら駄目だからね」
「うん、絶対しないから」

フェイトが詳細を知らされたのはヴィータより数日早いはずだ。
知らないところでなのはが危険に晒されていたことに、よほどのショックを受けたのだろう。
もう無茶はするなと何度も念入りに釘を刺している。
そんなフェイトの姿から、ヴィータはなかなか目を放せずにいた。

「さて……」

遠坂凛はテーブルに両肘を突き、顔の前で指を絡めた。
シグナムに目線を送り、発言を促す。

「これからはサーヴァントとの戦闘も視野に入れるわけだけど、戦力の配分はどうするつもり?」
「当初の予定通り、編成はスターズとライトニングの二分隊制を維持する。
 私も他部署での任務は切り上げ、こちらに専念するつもりだ」

二分隊制の維持。
つまり、スターズとライトニングの員数を五人に引き上げるということ。
単純なように聞こえるが、実際に行うとなると、そうはいかない。
今までの連係は殆ど使えず、指揮官の負担も単純計算で三割ほど上昇してしまう。
本来なら、新体制での訓練期間を充分に取る必要がある大仕事なのだ。
だが、現実はそんな猶予を与えてはくれない。
明日にでも、或いは今日のうちに状況が動き出す危険すらある。
と、フェイトが小さく手を上げた。

「分隊をもう一つ増設するのは、どうかな」
「それはちょっと難しいです」

フェイトの提案に答えたのはリィンフォースだった。
会議室のテーブルの上に立ったまま、同席する面々をくるりと見渡す。

「各分隊にサーヴァントとの戦闘経験がある人を配置したいんです。
 シロウさんとセイバーさんが独立しちゃうと、ライトニングが経験ゼロになっちゃいます」
「そっか……」

ライトニングの隊員がサーヴァントと交戦したのは、空港周辺での小規模な戦闘のみ。
とてもではないが、充実した戦闘経験とは言いがたい。
それはフェイト自身が一番よく分かっていた。

「で、いつまであいつらを騙しておくんだ」

ヴィータが身を乗り出し、凛を睨むように見据える。
非難の色を隠そうともしていない。
真っ直ぐに、想うままの言葉をぶつけていく。

「自分達が何と戦ってるのかも教えずに、命だけ賭けさせるつもりなのか?」

現状の情報開示レベルでは、副隊長未満の隊員には碌な情報が与えられていない。
"聖杯"の存在自体を知らされず、正体不明の怪人との戦闘を強要されるのだ。
スバルとティアナに至っては、既に一度命を落としかけているというのに。
これではまるで捨て駒ではないか。

「大丈夫よ。要は魔術との関わりを教えなければいいんだから」

ヴィータの憤りを凛は真っ向から受け止めた。
横に座るなのはへ目配せし、発言の続きを譲る。

「もちろん、みんなへの説明はちゃんとするよ。
 地球との関係は全部伏せるけど、事件の経緯も、サーヴァントの強さも、できる限り説明する」
「……それならいいんだけど」

なのはに直接諭されて、ヴィータはようやく矛を収めた。
納得のいかないことはまだまだあるが、今この場で捲くし立てるようなことではない。
議題から外れた事柄に拘るのは、単なる妨害だ。

「それじゃあ、もうええかな」

議論の動向を見守っていたはやてが口を開く。
ひとりひとりに視線を送り、反応を窺ってからポンと手を打つ。

「話も纏まったことやし――」

事の発端から早五日。
煩わしい事務的処理の殆どが、機動六課のトップであるはやてに集積している。
故にまともな睡眠など取れていないのだろう。
浮かべた笑顔の陰には、隠しきれない疲労の色が滲んでいた。



 ――五日目 PM01:30――

調理室に食欲をそそる匂いが立ち込めていた。
材料が焼け、水気の弾ける音が、芳香を周囲に飛び散らせる。
それらの中央で、士郎が慣れた手付きで調理器具を振るっている。

「よっと……ほら、出来たぞ」

厨房内のテーブルに熱々の料理を乗せた皿が送られる。
見栄えよく、それでいて食べやすく工夫された形。
空腹感を刺激する香り。
味を確かめずとも絶品と分かる品々である。

「いただきまーす!」

真っ先に箸を伸ばしたのはスバルだった。
香ばしい風味の肉を頬張り、幸せそうに表情を綻ばせる。

「凄い、プロみたいだ……」

エリオは料理の味に感嘆しつつ、スバルに負けない勢いで皿を空けていく。
その横顔をちらりと盗み見ながら、キャロも遠慮気味に口をつける。
簡素なテーブルに並んだ四人の食事風景を背に、士郎は次の料理を作り始めていた。
スバルとエリオの食べっぷりは、食べ盛りというのを差し引いても相当なものである。
油断しているとあっという間に完食されてしまいそうだ。
フライパンに食材を躍らせながら、さりげなく後ろに目を向ける。
キャロの皿の上で、ニンジンとそれ以外とが綺麗に選り分けられていた。
飾りつけのパセリまで無くなっている隣人の皿とは大違いだ。
しかし、キャロの好き嫌いよりも気になることが一つ。
テーブルの端に座ったティアナの料理が殆ど減っていなかった。

「会食ですか。私を除け者とは感心しませんね」
「げ、セイバー……」

調理室に入ってきたセイバーは、そう言うなり四人の隣に腰を下ろした。
食欲の権化を見たかのような反応は完全に黙殺されている。

「ティアナ、体の具合でも悪いのですか」

席に着くなり、他の者には聞こえないような小声で、すぐ隣のティアナに囁く。
年少のキャロよりも明らかに食が細いのだ。
不思議に思わないほうが難しい。

「え、あの……ちょっと考え事してたんです」

誤魔化すように、ティアナは一気に料理をかき込んだ。
そして当然のように喉を詰まらせ、キャロから渡された水で飲み下す。
普段ならありえない慌てように、エリオとキャロが顔を見合わせる。
何かあったとしか思えないが、何があったのか訊ねられる雰囲気ではない。
フォローを求めてスバルの方を見やる。

「わぁ、これも美味しそう」

しかし当のスバルは、いつの間にやら席を立っていて、調理台の傍で歓声を上げていた。
テーブルに背を向けていて、親友の異変に気付いているのかどうかも分からない。
キャロは何か言おうとして視線を泳がせ、口をつぐんだ。




不意にスバルが士郎に身を寄せる。
肩が触れ合う感触に、士郎は思わず調理の手を止めた。

「おい……」

スバルは陰の差した表情で、飛沫をあげる流し台を見下ろしていた。
蛇口から吐き出される流水は、さながら小さな滝のよう。
金属のボウルがあっという間に冷水で満たされる。
溜めきれなくなった水はオーバーフローを起こして溢れ出し、周囲を水浸しにしてしまう。

「最近、ティアの様子がおかしいんです。
 思い詰めてるっていうか、一人で抱え込んでるっていうか……」

ぽつりぽつりと、スバルは話し出す。
後ろの皆には聞こえないように。
士郎はさりげなく調理を再開しながら、小さな声で囁き返す。

「……俺は普段のアイツを知らない」

最初の日から、たった数日。
それが全て。
それ以前は何も知らない。
だから何も言えない。
気の利いた慰めも、知った風な助言も。
士郎は蛇口を捻り、水を止めた。

「けど、力になれることがあるなら言ってくれ」
「……はい」

突き放すような、それでいて親身であるような返答。
きっとこれが衛宮士郎の距離感なのだろう。
スバルはカップを手に取ると、溢れんばかりの水を湛えたボウルに沈めた。
ざぷりと幾らかの水がこぼれる。
カップを引き上げると、その分だけボウルの水が減っていた。

そう、こんなふうに。
溢れそうな――も、減らしてあげられるはずなのだ。

スバルはフライパンから熱々のエビを摘み、口に放り込んだ。
そうして笑顔を作り、食卓の仲間達のところへと戻っていった。




 ――五日目 -- --:--――


暗闇に淡い光が浮かんでいる。

蛍火のように儚い色彩。

摘めば枯れ、砕けば潰える生命の色。


円筒形の生体ポッドに浮かぶ幼い少女。
金糸の髪を揺らし、未発達の四肢を力なく伸ばしている。
肌はシルクのように白く細やかで、一片の瑕もない。


ただ一点――
右腕に刻まれた"二画"の紅い文様を除いては。


少女の瞼が微かに開く。
翡翠と紅玉の双眸が、暗い風景を写し取る。
視覚はまだほとんど機能していない。
ただ漠然と、暗がりに浮かぶ輪郭を反射するだけ。


白い髑髏のような貌の輪郭を――



[27243] 第16話 暴君の剣Ⅰ -Tyrant Sword the First-
Name: リリナイ◆23c1d855 ID:76699dfe
Date: 2011/04/17 15:18
 ――八日目 PM01:10――

「……以上が事件の概要です」

説明を終え、はやてはブリーフィングルームに集まった隊員達を見渡した。
スターズ。ライトニング。ロングアーチ。
そして機動六課以外の関係部隊の隊長格達。
ブリーフィングルームを埋め尽くすほどの視線が、壇上のはやてに注がれている。

「不明な点があれば仰ってください。解答できる範囲でお答えします」

発言を促すも、聴衆達は口を閉ざしたままだ。
無理もないだろう。
先ほどの説明で伝えた状況は、歴戦の士官達を黙らせるには充分だった。
数日前に高官達へ報告した内容よりも情報は削られていたが、あえて伏せた部分を差し引いても異常過ぎる。
"聖杯"と"サーヴァント"――
未知なる魔導技術の結晶である祭壇と、それによって召喚された人外の戦士。
そんな代物がミッドチルダに解き放たれたのだ。
臨席している現場部隊の指揮官達は、文字通り寿命が縮む思いをしていることだろう。

「八神二佐」

陸士部隊の三佐が声を上げた。
外見は若いが、階級から考えて部隊長クラスのようだ。

「召喚装置……その、聖杯とはロストロギアなのですか。
 機動六課は古代遺物管理部隷下で、それもレリック専任の部隊なのでは」

要するに、この案件を機動六課が主導するのは越権行為ではないかと訊ねたいらしい。
こういう疑問は想定の範囲内だ。
はやてはアクセントをできるだけ抑えて、落ち着いた声色を心がけて返答する。

「仰るとおり、聖杯そのものはロストロギアの定義には当てはまりません。
 しかし、先日の一件を顧みれば、サーヴァントを維持する魔力源としてレリックが狙われていることは明白です」
「では、初動の聖杯破壊任務に機動六課が当たった理由は?」

容赦ない追求だが、三佐の態度からは悪意や敵意は感じられない。
あくまで健全な意見交換の一環として、疑問点を問い質しているだけなのだろう。

「最も大きな理由は、陸上部隊に出動を要請する時間的な余裕がなかったことです。
 当時の状況から考えて、突入があと少し遅ければ、更に多くのサーヴァントを召喚されていたと思われます。
 被害を最小限に食い止めるための緊急措置――そう考えて下さい」

三佐は納得した様子で頷いた。
はやては真面目な表情を維持したまま、心の中で胸を撫で下ろす。
毎回のことだが、他部隊との折衝には多大な精神的疲労が付きまとう。
古今東西、陸海空軍はそれぞれ仲が悪いものらしいが、機動六課の立場はとりわけ不安定だ。
元々、六課は様々な裏技を駆使して編成された部隊である。
その上、現在は局外の人間まで雇い入れている――という扱いになっている。
そんなイレギュラーに向けられる視線は温かいものではない。
不当に縄張りを侵されたと誤解されないためにも、細かなことでもしっかり説明する必要があるのだ。

「二佐、私も発言していいですかね」

壮年の士官が軽く片手を挙げる。
さっきの三佐とはまるで雰囲気が違う。
現場からの叩き上げだと一目で分かった。

「実行犯はレリックを狙っていて、ガジェットドローンとの関係も疑われる……
 それは理解できますが、今後の対策はどのようにするのですか?
 まさか場当たり的に撃退するだけというわけにはいかないでしょう」

この人、わたし達を試しとるな――はやてはそう直感した。
前線部隊で経験を積んできた士官にとって、はやては新品同様の上官だ。
今後の方針すら示せないようでは指揮官失格だと考えているのだろう。
これは佐官として乗り越えなければならないハードルだ。

「対策は二つの方面から行ないたいと考えています。
 一つ目は、実行犯と目される次元犯罪者の足取りを捜査すること。
 これについては皆さんの捜査能力に頼ることになると思います」

組織というのは不思議なもので、地位や階級が重要視される一方で、経験豊かな古株の影響力も極めて大きい。
恐らく、あの士官は陸士に少なからぬ影響力を持っているはずだ。
はやてがナカジマ三佐を頼りにしているのと同様、多くの上官が彼を信頼しているに違いない。
もしもここで無様を晒せば、機動六課は陸上部隊からの信頼を一気に失うことになる。

「もう一つは、レリック密売組織の徹底的な検挙です。
 こちらは主に機動六課が請け負うことになるでしょう」
「と、言うと?」

壮年の士官が発言の続きを促した。
どうやらはやての指針に関心を示したらしい。
まるで、模範解答を知っている教師が生徒の解答を待っているような雰囲気だ。

「空港の一件では、彼らは異様なまでの正確さで、我々の想定を遥かに上回る戦力を投入してきました。
 そして、陽動として用意されていた偽の運搬計画には全く反応を示していません。
 考えられる原因は……管理局が密売組織の拠点を摘発する以前から、その組織に目をつけていたというところでしょう」

要は、管理局がレリックを『横取り』する形になったということだ。
『目をつけていた』というのが、襲撃対象としてなのか、取引相手としてなのかは分からない。
どちらにせよ、摘発の時点からずっと追跡されていたと考えれば、偽の輸送作戦に引っかからなかったことも頷ける。
……この仮説に弱点があるとすれば、より可能性の高い仮説が存在するということ。
地上本部立案の陽動作戦が漏洩したという、致命的な仮説が。

「第七管理世界で摘発したのは拠点の一つに過ぎず、例の密売組織自体は活動を継続しています。
 まずはこの組織の壊滅と、保有するレリックの回収を作戦目標とします。
 構成員を逮捕できれば何らかの情報を得られるかもしれません」

はやては壮年の士官から一旦目を離し、周囲を見渡した。

「サーヴァントの弱点は、存在の維持にすら魔力を消耗するというコストの高さです。
 その魔力的コストは生身の人間が支払うには莫大過ぎます。
 供給源を断てば大きな打撃を与えられるはずです」

情勢は混迷の只中にある。
こんな状況で身内を疑い出したらきりがない。
第一、地上本部の情報漏洩など、それこそ機動六課の権限が及ぶ事案ではないのだ。
それに、既に専門の部署に調査を要請してある。
六課は自分達にできることをすればいい。

「なるほど、実行犯の追跡と魔力源の撲滅を二本柱とする戦略ですか。こいつは忙しくなりそうだ」

壮年の士官は上体を揺すって笑った。
はやての示した方針は、彼が考えていた戦略とおおよそ合致したようだ。
ハードルは越えた――はやての肩から力が抜けた。
これできっと、彼の指揮する部隊ははやての方針に従ってくれる。

「他に質問が無いようなら、部隊の配置を決定したいと思います」

はやては緩みかけた気持ちを引き締め、声を張り上げた。
今はまだ、味方との衝突を回避した段階に過ぎない。
本当の戦いは、まだ始まってすらいないのだ。



 ――八日目 PM05:51――

「やれやれ、随分長引いたわね」

ブリーフィングルームから程近い、白く清潔な廊下の一角。
遠坂凛は全身に溜まった疲労感を搾り出すように、ぐっと伸びをした。

「時間通りに終わる会議なんて幻や」
「幻だからこそ期待しちゃうのよ」

はやては休憩用のソファーに腰を下ろした。
他部隊とのミーティングは、予定されていた終了時間を二時間もオーバーし、先ほどようやく終了した。
合計五時間以上に及ぶ会議は体力だけでなく精神力も削っていく。
ここ一週間の多忙さも手伝って、はやての疲労はピークに達しつつあった。

「それで、今後のスケジュールはどうなるの?」
「せやな……ここんとこ出撃してなかったし、一週間以内には戦線復帰かな」

疲労を胸の奥に押し込めて、はやては和やかな笑顔を浮かべた。
空港とホテルでの戦闘を最後に、機動六課は戦闘行為に参加していない。
理由は極めて単純。
新隊員を加えた部隊運用の訓練に掛かりきりだったのだ。
スターズに衛宮士郎。
ライトニングにセイバー。
二人とも、近接戦闘を得意とする魔導師と騎士である。
既存のフォーメーションとの相性は悪くないが、それでも調整は必要不可欠。
贅沢を言えば、後一ヶ月はかけたいところだ。

「あなたも大概ワーカーホリックね」

凛が呆れたような態度を見せる。
彼女も書類上はロングアーチの隊員だが、役割はあくまで地球との折衝と情報解析。
他の二人とは異なり、戦闘のコンビネーションを考慮する必要はない。
そういう意味では、あまり忙しさを増やさない人である。

「好きで忙しくなってるわけやないんよ」
「どうだか。たまには休まないと、糸がぷつっと切れちゃうわよ」
「あはは。シャマルにも似たようなこと言われたわ」

尤も、シャマルの場合は凛のような冗談めかした口調ではなく、本気の忠告だったのだが。
ふと時計に目をやると、今まさに午後六時になろうとしているところだった。

「お腹すいた……」

はやての口からシンプルな欲求がこぼれ落ちた。
朝は会議の準備で忙しく、朝食を摂る暇もなかった。
会議の開始までの短い時間に軽食を食べ、後は延々とミーティング。
空腹度を示すメーターがあるなら、針が最低値を振り切りそうな勢いだ。

「それじゃ、何か食べにいこっか」

凛は休憩用ソファーから立ち上がり、ぐっと伸びをした。
赤い服が身体に密着して細身の輪郭が浮き出る。

「ここの食堂でええ?」
「んー、士郎に作ってもらうとか」
「それもええなぁ」

先日、衛宮士郎に振舞われた料理の味を思い返す。
料理を得意とする者にとって、他人の作った美味しい料理は否応なしに興味をそそられる。
ましてや同年代の男の料理とあっては、物珍しさも手伝って関心数割増しである。
"聖杯"の件が一段落したら、今度は自分が作った料理を食べてみてもらおう。
色々苦労をかけてしまったお詫びと、ささやかな対抗心の充足とで一石二鳥だ。
そんなことを考えながら、はやては凛の後を追って立ち上がろうとした。

「――――あれ?」

ぐらり――と。
廊下が歪み、傾いた。
おぼつかない脚で辛うじて踏み止まる。
建物に異変が生じたのではない。
身体に異常が生じたのだ。
視界が急激に暗くなっていく。
頭の中身が頭蓋骨の内側を走り回っているかのようだ。
はやては両手で膝を押さえ、平衡感覚が元に戻るのを待った。

「大丈夫、八神さん?」
「……うん、ちょっと立ち眩みしただけや」

顔を上げ、深く息を吸い込んだ。
視界の縁に滲む暗闇が急速に消えていく。
大した症状ではないはずだ。
貧血か、もしくは立ち眩みか。
どちらにせよ一過性のものだろう――はやては自分にそう言い聞かせた。
ここからが正念場だというのに、隊長が過労でリタイアなんて笑い話にもならない。

「やっぱり立ちっ放しは疲れるなぁ。座っとったみんなが羨ましいわ」

そもそも、疲労が溜まっているのは自分だけではないはずだ。
未知の敵との戦いを強いられているスターズ分隊とライトニング分隊。
慣れない土地と組織に馴染まなければならない衛宮士郎達。
編成再編を終えたばかりの両分隊を支援するロングアーチの面々。
"聖杯"の全貌を知らされることなく任務に就く陸士部隊。
彼らの苦労を思えば、自分の疲労など軽いものだ。

「それじゃ、遠坂さん。今日は和食がいいって、衛宮君にお願いしといてな」

意識しての行為か、それとも無意識の所作か。
はやてはさり気なく壁に手を突いて、身体の負担を軽くしようとしているようであった。

皮肉なことに――
彼女の献身は、八神はやてという少女の心身を想像以上に消耗させていたのだ。
その事実を彼女自身が悟るのは、まだ先のことになる。




 ――第七管理世界 辺境  現地時間 AM10:15――


山脈を囲む、鬱蒼とした森林地帯。
辺りに人工物の陰はなく、文明の音も聞こえない。
響き渡るのは風が木々を撫ぜる音色と、梢に羽を休める鳥の囀り。
そして雪解け水を含んだ渓流のせせらぎ。
陽光を弾く水面は、さながら砂金を散りばめた玻璃のよう。
清流は水晶よりも澄み渡り、巌の狭間を流れ落ちる様は静謐と呼ぶに相応しい。
まさしく人の手に寄らぬ芸術である。

その流れの只中で、一人の少女が身を清めていた。

積もりたての淡雪よりも白い肌。
望月の光を紡いだ柔らかな髪。
流麗で、しかし情動の欠落した面貌は、まさに彫像。
自然美の懐中にありながら、少女の美しさはまるで埋没していない。
それどころか、この秘境そのものが少女を際立たせるための舞台にすら思えてしまう。
万人が見惚れる美貌と、万人が傅く威容。
相反する要素が矛盾なく内包されている。
ちゃぷりと少女の手が水に沈む。
そうして汲み上げた一掬いの水を、少女は己の顔に打ち掛けた。
飛沫が頬を跳ね、首筋と乳房を伝って落ちていく。
不意に少女が顔を上げる。
唸るような音を引き連れて、小さな影が空を横切った。
管理局がガジェットドローンⅡと呼称する飛行機械。
下弦の月にも似たその機体が、大きな弧を描いて少しずつ高度を落としている。

「ようやく来たか」

少女は裸体のまま河原に上がった。
途中でアタッシュケースのような箱を拾い、遮蔽物のない場所で立ち止まる。
その堂々とした振る舞いからは、羞恥の気配が微塵も感じられない。
仮にここが数百の観衆に囲まれた舞台だとしても、少女は怜悧な表情を崩しはしないだろう。

「望みの品だ、受け取れ」

ガジェットドローンが低空を飛来する。
両者の影が交錯する瞬間、少女は一抱えもあるケースを腕力だけで真上に放り投げた。
同時に機体底部のアタッチメントが展開。
すれ違いざまにケースを確保し、木々を掠めて飛び去っていく。
風圧の残滓が木の葉を舞わせ、水面を激しく波打たせる。
数秒と待たず、ガジェットドローンは豆粒ほどの点に姿を変えた。
旋風が止み、河畔に静けさが訪れる。
少女は何事も無かったかのように、太い枝に掛けてあった着衣を回収し始めていた。
飛び去ったガジェットドローンがどこから来てどこへ行くのか。
そんなことには一切関心を払っていないようだ。

「しかし、興醒めだ。これでは掃除屋の方がまだ早い」

少女はぽつりと呟いた。
未だ来ぬ思い人を待ち侘びる乙女のように。
獲物の接近を待ち伏せる狩人のように。
森の彼方、火の粉を孕んだ黒煙が静かに立ち上っていた。



 ――十二日目 第七管理世界 辺境  現地時間 AM11:15――


「なるほど。話に聞いていた以上に広大な樹海だ」

セイバーは一旦足を止め、眼下の密林を見渡した。
青空の下、地平の果てまで広がる広葉樹林。
山脈と河川が横切る以外に途切れた箇所はなく、ただ手付かずの森が続いている。
人類が科学を手にする以前、ヨーロッパ大陸を埋め尽くした森林地帯を髣髴とさせる。

「ここは管理世界の中でも特に自然が残されている場所らしい」

吹き付ける強風を物ともせず、シグナムがセイバーの隣に立つ。
二人が下っているこの岩山からは、地平線までを余すところなく一望できる。
その分、森の上を吹き抜ける風が集中し、ちょっとした突風の吹き溜まりとなっていた。

「犯罪者には勿体無い環境だな。自然保護区の認定を与えておくべきだ」
「仕方ないでしょう。ここは明らかに潜伏向きの地形です」
「ああ、それは否定しない」

一時間ほど前、彼女らはレリック密売組織の残党掃討の任を受け、第七管理世界に降り立った。
その密売組織とは、先日の空港におけるレリック争奪戦の発端となった組織である。
つまり、今回の作戦は"偽造聖杯"を造った者達への牽制でもあるのだ。

作戦内容は以下の通り。
まず二個分隊を五つの班に分けて捜索を行う。
第一班――高い空戦能力を持つなのはとフェイト。
第二班――スターズ分隊副隊長のヴィータと補充要因の衛宮士郎。
第三班――コンビとしての相性が高いスバルとティアナ。
第四班――第二班と同様の理由により、シグナムとセイバー。
第五班――第三班と同様の理由により、エリオとキャロ。
適正と相性を考慮して編成された各班は、地上と空中の両面から拠点を捜索することとなった。

……もっとも、全く危なげのない編成かといえば、否と言わざるを得ない。
昔からの関係である第一、三、五班は心配する必要はないだろう。
シグナムとセイバーからなる第四班も、両者の性格からして衝突することはないはずだ。
問題は第二班だ。

「さて……シロウは上手くやれているのでしょうか」
「保証はできないな。ヴィータはどうしても感情を優先しがちだ」
「シロウも似たようなものですが、優先する感情の種類は違いますね」

互いの評を聞いて、二人はそれぞれ肩を竦めた。
態度とは裏腹に、大切に思う人のことを優先してしまうヴィータ。
己のことを大切に思えず、他者のことを優先してしまう士郎。
あり方の輪郭が類似していながら、全く異なる中身を持つ二人。

「ましてや、士郎は私のようなものすら庇わずにはいられない性格ですから」
「なるほど、それは確かにヴィータと相性が悪い」

シグナムは短く息を吐いた。
ヴィータは衛宮士郎のことを快く思っておらず、相互理解がまるで進んでいない。
ここ数日の共同訓練も、第一印象の悪さを払拭するには足りなかったのだ。
そんな状況で、ヴィータのプライドを逆撫でするようなことが起これば、本格的に衝突しかねない。

「……編成を間違えたかな」

小さく苦笑を漏らした瞬間、シグナムの元に緊急通信が入った。
第五班――エリオとキャロの班からだ。

『た――助けて――助けてください!』
「どうした、キャロ!」
『エリオくんが、エリオくんが――!』

並々ならぬ雰囲気に、シグナムだけでなくセイバーまでもが身を引き締める。
キャロが放つ必死の叫びは、事の重大さを認識させるには充分過ぎた。

『エリオくんが――――殺されちゃう!』



 ――十二日目 第七管理世界 辺境  現地時間 AM11:00――


「これは――――」

遡ること、十数分前。
森林地帯を探索していたエリオとキャロは、突如として開けた土地に出くわした。
川の流域でもなければ、樹木の生えない湿地帯でもない。
事前に取得した地形図によれば、ここには十数メートルほどの大岩が座しているはずなのだ。
しかし、二人の眼前に広がる光景は、完全な更地――

――――否、大地に深々と刻み込まれた、一直線の傷痕であった。

エリオは深い断層の縁に膝を突き、大地の傷痕の表面を調べた。
手をかざすと、高熱の残滓が僅かに感じられる。
表層の岩や砂はガラス状に変質して固まっている。
巨大な重機で掘り返されたのではない。
凄まじい高温によって、地表そのものがごっそりと蒸発させられたのだ。
周辺の木にも焦げた跡があり、小規模な火災が起こっていたことを窺わせる。

「大出力の魔法……? まさか、いくらなんでも……」

熱が残留していることから考えて、実行犯はまだこの世界から出ていないだろう。
皆を呼ぶべきかもしれない。
そんな考えがエリオの脳裏を過ぎった。
この破壊が自然現象によってもたらされたとは考えにくい。
だとすれば、強力な兵器か神話級の召喚獣、あるいは超高ランクの魔導師か。
もしくは―――サーヴァント。
いずれにせよ、自分たち二人だけで対処できる代物ではない。

「フェイトさんを……駄目だ、広域探索中だからすぐに来れるわけがない」

次に思い浮かんだのは『誰を呼ぶべきか』という選択肢である。
できるだけ近くにいて、できるだけ強く、できるだけ迅速に呼べる班。
広域探索中の第一班を呼んだとしても、二人が来るまでに実行犯は遠くへ行ってしまうかもしれない。
しかし、第三班と合流しても戦力が二倍になるだけで、規格外の強敵に勝てるとは限らない。

「エリオくん、あれってもしかして……」

悩むエリオの傍らで、キャロは断層の端を指差した。
炭化した木々の近辺に人工的な物体が落ちている。
エリオはその正体を理解し、表情を強張らせた。

「建物の……残骸」

直感が二つの事象を結び付ける。
機動六課が追いかけていた密売組織の拠点は、ここに『在った』のだ。
ほんの少し前に、何者かの手によって、僅かな痕跡を残して抹消されてしまっただけで。
恐らくは、口封じのために――

「キュクルーッ!」

突如、フリードが甲高い鳴き声をあげた。

「ようやく来たかと思えば、幼子が二人か」

森に澄み切った声が響き渡る。
エリオは咄嗟に顔を上げ、ストラーダを構えた。
断層の向こう側の森林から、小柄な少女が歩いてきていた。
背丈はスバルと同程度。
肌は透き通るように白く、美しい金髪を後頭部で編んでいる。
黒を基調にまとめられた衣装は、少女らしさと高貴さを併せ持っているように見えた。
そして何よりも、新たにライトニングに加わった少女、セイバーと容姿が酷似していた。

「キャロ! 逃げて!」

少女の琥珀色の瞳に見据えられた瞬間、総身を圧倒的な殺気が貫いた。
咄嗟に放った叫びが終わるより早く、黒き少女は一歩で断層を越えていた。

「まず、一人」
「――――!」
≪Sonic Move.≫

可能な限りの速度で跳び退くエリオ。
その胸を激しい灼熱感が襲う。

斬られていた。

少女の手には漆黒の剣。
その切っ先には赤い血糊。
灼熱感から数瞬遅れ、胸に走る激痛――

「エリオくん!」

キャロの悲鳴が、揺らぎ掛けていたエリオの意識を繋ぎとめた。
両足で地を踏み締め、ストラーダを黒き少女に振り向ける。
血の飛沫が足元に赤い斑点を散らした。

「くっ――――」

思ったよりも傷は深いらしい。
バリアジャケットのお陰で助かったというべきか、バリアジャケットがありながらこの有様というべきか。

「――我が求めるは、戒める物! 捕らえる物!」
「キャロ!?」

エリオの叫びにも関わらず、キャロは錬鉄召喚の詠唱を開始した。
友人が目の前で傷つけられたという事実が、彼女から離脱という選択肢を奪っていた。

「言の葉に答えよ、鋼鉄の縛鎖! 錬鉄召喚、アルケミックチェーン!」

魔力を帯びた鋼鉄の鎖が、瞬時に黒き少女を拘束する。
だが、少女は顔色一つ変えることなく、冷徹にキャロへと視線を移した。
氷の杭を打ち込まれたかのような怖気が、キャロの背筋を走り抜ける。
憎悪なき殺気。敵意ではなく、純然たる排除の意思。
少女の手の中で、漆黒の剣が握り直される。

「そ……蒼穹を走る白き閃光! 我が翼となり――」
「駄目だ! 逃げるんだ!」
「――――この程度か」

鋼鉄の鎖が一瞬にして砕け散る。
黒き少女から放たれた魔力の奔流が、物理的な衝撃となって鎖を粉砕したのだ。

「――て、天を、駆けよ!」
「キャロ――!」

詠唱よりも更に速く、黒き少女の姿が掻き消える。

≪Sonic Move.≫

もはや思考を挟むことすらもどかしい。
目にも留まらぬ神速に、限界を超えた最高速で追い縋る。
漆黒の剣による刺突がキャロの細身を抉る刹那、ストラーダの切っ先が刀身を打つ。
僅かに軌跡の逸れた刃は、バリアジャケットに包まれたキャロの左肩を掠めるに留まった。

「僕が相手だ! キャロに手を出すな!」
「……私に挑むか」

黒き少女はストラーダの刃を払い、一歩で数メートルの距離を離した。
痛みを堪えるエリオの後ろでキャロは力なく崩れ落ちた。
その膝にフリードが降り、黒き少女を激しく威嚇する。

「娘、私と同じ顔をした女に覚えがあるだろう?」

そう告げて、黒き少女は剣の切っ先をキャロへと振り向ける。
あの少女と同じ顔――

「奴をここに呼べ。猶予はそこの男が死ぬまでだ」
「そんな……!」

突然の宣告に凍りつくキャロ。
エリオは胸の鮮血を拭うことも忘れ、決意と共にストラーダを構え直す。

「大丈夫。心配しないで、キャロ」

恐らく勝ち目はないだろう。
それでも、ここを退くわけにはいかない。
たとえ何があろうとも。

「―――行くよ、ストラーダ」
≪Empfang. Speerangriff.≫



[27243] 第17話 暴君の剣Ⅱ -Tyrant Sword the Second-
Name: リリナイ◆23c1d855 ID:76699dfe
Date: 2011/04/22 21:29
 ――十二日目 第七管理世界 辺境  現地時間 AM11:05――


「標的の分散を確認。引き続き観察を続行」

機械的に強化された視覚が、遥か遠方の光景を捉える。
地平の果てまで広がる遠大な樹海。
その一角に突き出した岩肌に、青い装甲服を纏った長髪の少女が座している。

「やはりそうくるか。ディエチは監視を継続、他の者は指示を出すまで待機だ」

紫色の髪を短く切り揃えた女が少女の隣に立つ。
ディエチと呼ばれた少女は、小さく頷いて遥か彼方に視線を向けた。
彼女らの後方では、同じ設計の装甲服に身を包んだ少女達が、思い思いの有様で戦いの時を待っていた。
そのうちの一人、赤い髪をした小柄な少女が、不満そうな表情で紫髪の女に異を唱える。

「トーレ姉、どうしてすぐ攻撃しないんだ?」
「この作戦行動では『彼ら』の協力を受けている。
 騎士王が相手を見定めるまではこちらが手を出すことはしない」

トーレと呼ばれた女は、表情を崩すことなく少女の発言に応じた。
しかし、それでも赤髪の少女は納得できていないようだった。
腕を組み、しきりに足を鳴らして、森林の彼方を見やっている。

「ノーヴェってば、そんなにイライラしてどうしたッスか」
「ウェンディ……」

深桃の髪をした少女が声を潜めて話しかける。
決定を下したトーレの手前、表立って尋ねることが憚られたのだろう。

「あいつら、信用ならないんだよ」

赤髪の少女――ノーヴェは苦々しく吐き捨てた。

「英霊だかサーヴァントだか知らないけど、あいつらはドクターの考えを理解しようとすらしちゃいない。
 それどころか、真っ当に話ができる奴がひとりもいないだろ」
「うーん……確かに、唯我独尊が二人と、意識があるのかも分かんないのが二人ッスけど……」

ノーヴェに釣られてウェンディも言葉を濁す。
彼女達が『彼ら』と呼ぶ者達は、ありとあらゆる面で理解の範疇を超えている。
人格、価値観、戦闘能力。そのことごとくが別次元。
だがそれは単に超越しているという意味に留まらない。
純粋に、思考回路を理解することができないということでもある。

「でも、一応協力はしてくれてるッス」
「それもどうだか」

ノーヴェは岩肌にもたれ掛かり空を仰いだ。
その顔は明らかな不快感で歪んでいる。

「ウェンディ……あんた、あの金ぴか野郎と会ったことあるか?」

唐突な質問に、ウェンディは戸惑う様子を見せた。

「金ぴかってアーチャーのことッスか? 遠くから見たことはあるッス」
「面と向かってみれば分かる……」

一旦、言葉が途切れる。
ノーヴェの右拳が、ぎり、と音を立てて握り込まれる。

「あいつ、私達のことガラクタだって言ったんだ」
「ガラクタ……」

ウェンディは言葉を失った。
当人を前にして言い放つには、余りにも常軌を逸した発言。
まがりなりにも共闘関係を結んだ相手に向ける言葉ではないだろう。
ノーヴェは掌に拳を叩き付けた。
乾いた音が岩山に響き渡る。

「だから連中は信用できないんだ!」
「―――そこまでにしておけ、ノーヴェ」

岩山の下方から別の少女の声がした。
四人がいる場所より一段下がった場所に、黒い眼帯を巻いた銀髪の少女が佇んでいる。
その姿を見止め、ノーヴェは急に大人しくなる。

「チンク姉……だけど……」
「信頼できないなら、しなくても構わない。だが彼らとの共闘はドクターの決定だ」
「……分かったよ」

チンクに諭されて、ようやくノーヴェも矛を収める。
それを見届け、トーレは姉妹達に次なる指示を下した。

「ディエチ。敵戦力の分散の内訳は把握できそうか」
「十人を五つのグループに分けたみたい。隊長格は……空中からの探索に移る模様」
「それ以上は分からないか……ノーヴェ! ウェンディ! 我々も行くぞ」

トーレに名を呼ばれ、二人はハッと顔を上げた。

「りょ、了解!」
「了解ッス!」

挑むべき標的は樹海の奥底に。
彼我の戦力はおよそ二倍。
それでもなお、彼女達に撤退の文字はない。
チンクはコートを翻し、遥かな崖下を睨み付けた。

「今回の目的は戦闘データの収集だ。手の内は晒すな」

そう告げて、チンクは先陣を切って斜面を駆け下りていく。
眼下の森林地帯には、一直線の爪痕が深々と刻み込まれていた。



 ――十二日目 第七管理世界 辺境  現地時間 AM11:15――


「―――行くよ、ストラーダ」
≪Empfang. Speerangriff.≫

エリオは力強く大地を蹴りつけた。
ストラーダの噴出口からほとばしる魔力が、エリオの肉体を一気に加速させる。
唯の一歩で即座に最高速へ到達。
地表を飛翔するが如く、黒いドレスの少女へ一直線に突進する。

「ああああっ!」

間合いはたったの数メートル。
スピーアアングリフの速度ならば一秒と掛かるまい。
だが――

「――遅い」

黒き少女が僅かに身体を反らす。
ストラーダの切っ先がドレスを掠め、幾許かの繊維をちぎり取る。
だが肌を裂くには至らず、エリオは勢いのままに少女の真横を通り過ぎた。

「このっ……!」

エリオは初撃の失敗を悟るや否や、利き脚を地面に叩きつけて強引に身を捻った。
強烈な慣性が臓腑を圧迫する。
ストラーダを握る腕が容赦の無い遠心力に苛まれる。
五体が千切れんばかりの苦痛を捻じ伏せて、エリオは再び黒き少女に狙いを定めた。

――少女と視線が重なる。
その瞳に敵意はない。
ただ邪魔なものを見るような目を向けている。

しかし、エリオはそれに憤りを覚えることができなかった。
相手の態度に感想を抱けるのは、精神的な余裕があるときだけの特権だ。
敵が笑っていようが泣いていようが、精神に余裕がなければ気にかけることすらできない。
今のエリオは明らかに決着を急いでいた。
密売組織の拠点を消滅させたのが彼女なら、その魔法を使われる前に倒さなければならない。
それはエリオにとっての絶対的な勝利条件であった。

エリオの背後では、キャロが通信画面に向かって必死の要請を繰り返している。
黒き少女の要求通りセイバーを呼ぼうとしているのだろう。
だが、第四班の担当区域までは相当な距離がある。
今から救援を要請しても、数分やそこらでは到着しまい。
せめてそれまで耐え切らなければ。

「ストラーダ!」

エリオがストラーダを振るい、ルフトメッサーを少女へ繰り出す。
同時に地を蹴り、スピーアアングリフを発動し再加速。
空気刃の後を追って黒き少女に急接近する。

「小癪な真似を」

片手で振るわれた漆黒の剣がルフトメッサーを打ち払う。
――やはり、速い。
この剣速なら、返す刃でストラーダを迎撃することすら容易だろう。
スピーアアングリフの速度など黒き少女には問題にもならない。

≪Sonic Move.≫

だが、そんなことは承知の上だ。

「――――――――っ」

黒き少女の眼前から、エリオの姿が掻き消える。
直線から曲線へ。
エリオは最大速で少女の背後に回り込み、渾身の刺突を放たんとする。

「その技は二度も見た」
「がっ……!」

苦痛の声を漏らしたのはエリオの方だった。
脇腹に漆黒の刀身が突き刺さっている。
滲む血液がバリアジャケットを赤く染め、冷酷な刃を伝って白い手を湿らせる。
少女は剣の柄を逆手に握り、振り返ることなくエリオの腹を抉っていた。
まるで、そこに現れることが分かっていたかのように。

「わざわざ前方に注意を引いた以上、次の一手は奇策だろう」

漆黒の刃が引き抜かれる。
粘り気のある血糊が糸を引き、溢れた鮮血が脚を濡らす。
エリオは力なく崩れ落ち――――

「まだ、だっ!」
「…………!」

――――上体を捻り、刺突の続きを繰り出す。
少女は猛獣じみた瞬発力で、弾かれるようにしてエリオから離れた。

「これで終わりか?」

それでもなお、黒き少女に傷を与えるには至らない。
ドレスの傷を気にする素振りも見せず、少女は剣の切っ先をエリオへ振り向けた。
ストラーダが地面に突き立てられる。
エリオはストラーダを支えにして、少女を睨みつけた。
肩で息をする度に、脇腹の傷から血液が溢れ出る。
速度、力、戦闘経験……全てにおいて遅れを取っているのは明白だった。

「……キャ……ロ……」
「エリオ君……」

胸の傷からも依然として鮮血が滴っている。
少女の体躯とは裏腹に、繰り出される斬撃の威力はでたらめだ。
バリアジャケットが露ほどの役にも立っていない。
恐らくは、攻撃に合わせて魔力を放出し、速度と威力を底上げしているのだろう。
原理はスピーアアングリフと同様だ。
ただ、その出力が桁外れなだけで。
一合にどれほどの魔力を解き放っているのか想像するだけで恐ろしい。

「ストラーダ…………もう一度、行くよ」

あちらの単なる一撃が、こちらの必殺に匹敵、あるいは凌駕する。
それは埋めようもない力の差。
しかし裏を返せば、必殺を当てることさえできれば充分な一撃になるはずだ。

≪Nein! Halten Sie!≫

ストラーダが主の無謀を制止する。
エリオはそれを聞き流し、腰を深く下げてストラーダを構え直した。

「なるほど、死を望むか」

黒き少女が剣の柄を両手で握り込む。
少女の獲物は明らかに両手剣だ。
今まで片手で振るっていたのは戯れに過ぎなかったのだ。
次の一撃はこれまでの斬撃を凌駕する。
それでも、なお。

「――――!」

キャロが叫ぶ。
けれどその声は、スピーアアングリフの加速に入ったエリオへは届かない。
あるいはキャロと共闘すれば、ここまでの傷を受けることはなかったかもしれない。
だが、代わりにキャロが傷つく危険性が跳ね上がる。
この胸と脇腹の刀傷がキャロに刻まれていたかもしれないのだ。
それだけは絶対に許容できない。
幸いにして、黒き少女はエリオが戦う限りキャロに手を出さないつもりらしい。
ならば、それに乗ることこそがエリオにとっての最善手。

「あああああっ!」

間合いそのものはストラーダの方が長い。
だが黒き少女は一撃目でストラーダを打ち払い、二撃目で自分を両断するだろう。
血の詰まった皮袋を断ち切るように、何の感慨も、手応えすらもなく。

漆黒の刀身がストラーダを弾き飛ばす。
返す刃が動けば、それで終わり。

次の瞬間、エリオはソニックムーブを発動した。
彼我の距離が瞬間的にゼロとなる。
吐息すら感じられそうな間合い。
凍りそうな瞳が目と鼻の先で見開かれている。

「これで――――」

右拳を握り込む。
無意識に収束した魔力が資質を示し、微かな紫電を放つ。

「――――どうだ!」

抉るような拳が直撃する。
衝撃緩和を放棄した高速移動のままの一撃。
しかし響き渡った音は生身の身体に対する打撃音ではなく、金属を殴ったような音であった。

「貴様を甘く見ていたことは認めよう」

エリオの放った拳は、鈍い銀色の手甲に包まれた掌に防ぎ止められていた。
黒いドレスを纏った身体の中で、右腕だけが甲冑を身に着けている。
まるで騎士甲冑の一部だけを展開したかのように。

「だが、私には届かない」

黒き少女がエリオの拳を握り締める。
まるで重機械に挟まれたかのような圧力で拳を掴まれ、エリオは苦痛に喘いだ。

「う、ぐぁ……!」

骨格が軋み、激痛が脊柱を貫く。
少女は乱暴に腕を振り上げ、エリオを高々と放り投げた。
人体を片腕で投げ捨てるという不条理も、次に生じた異変の前では些細なことだった。

「私に触れられた褒美だ。我が旭光の錆と消えよ」

莫大な魔力が一瞬のうちに集積し、漆黒の剣を暗黒色の魔力光で包み込んだ。
聖性からは掛け離れた殺気に大気が凍りつく。
少女は禍き光の大剣と化した剣を振り上げ、落ちゆくエリオを冷たく見据えた。

約束されたエクス――――」
「駄目ぇーーー!」

キャロの叫びと共に、無数の鎖が黒き少女に絡みつく。
それは先に発動したアルケミックチェーンよりも、遥かに力強く少女の身体を拘束する。
得られたのは一時の執行猶予。
ささやかで、か弱い抵抗。
少女は魔力の迸りで鎖を吹き飛ばし、光の大剣を薙いで跡形もなく焼き払う。
余りにも圧倒的な暴力の前では、鋼鉄の鎖も糸屑に等しい。
けれど、勝ち取れた一瞬は決して無駄ではなかった。

「お願い、フリード!」

白竜が翼を広げて旋回し、落下していたエリオをその背で受け止める。
旋回を続けて高度を落としながら、フリードは少女めがけて火球を乱れ撃った。

「――竜種擬きが」

黒き光の大剣が火球を一刀の下に薙ぎ払う。
その隙にフリードは着陸を果たし、満身創痍のエリオをキャロの許へと送り届けていた。

「エリオ君!」

エリオは意識を失っていた。
キャロの腕の中で力なく倒れ、鮮血を流し続けている。
必死に声を掛け続けるキャロの傍へ、黒き少女の足音が近付いてくる。
光の大剣は既に解体され、漆黒の刀身が露になっていた。

「身命を挺して姫を護る騎士と、その身を案ずる姫か――
 騎士どもが見れば手放しに賞賛しそうな光景だ」

それはまるで死刑執行人のように。
一歩近付くごとに、死が明確な形を帯びていく。

「何、案ずるな。共に逝かせてやろう」
「……!」

キャロはきつく唇を引き結び、黒き少女と対峙した。
ケリュケイオンを付けた手を突き出し、抗戦の意思を明確に示す。
しかし華奢な脚は小刻みに震え、大きな瞳は動揺に揺れている。

「エリオ君に近付かないで……」

やっとのことで搾り出した声からは、明らかな恐怖の色が見て取れた。
黒き少女はキャロの抵抗など気にもしていない。
フリードの咆哮にすら怯みもせず、淡々と歩を進めていた。

「終わりだ」

漆黒の剣を片手で構え、たった一歩の踏み込みで、残された間合いを塗り潰す。
キャロには悲鳴を上げる猶予すら与えられなかった。

「あ――――」

気付いたときには全てが終わっていた。
眼前で降り抜かれる漆黒の剣と、それを受け止める黄金の剣。
聖剣同士がぶつかり合う金属音が響き渡る。
一瞬の間を置いて、二振りの聖剣が互いを突き放し合った。

「待ちかねたぞ、セイバー」

黒き少女は表情一つ変えることなく、殺気の矛先を闖入者へと切り替えた。
少女と生き写しの容姿の騎士。
金色の髪に碧い瞳。黄金の剣と白銀の鎧。

「セイバー……さん?」
「すみません、遅くなりました」

キャロの呟きに、セイバーは振り返ることなく応えた。
如何なる手段を用いて、たったの数分でここまで辿り着けたのだろうか。
その答えはセイバーの姿を見れば見当がついた。
両足を包む装甲に土と泥がこびりついている。
文字通り走り抜けてきたのだ。
人知を超えた脚力を駆使し、密林を踏破して掛け付けたのだ。

「キャロは早くエリオの手当てを。このサーヴァントは私が引き受けます」

セイバーの声を聞き、キャロはハッと平静を取り戻した。
自分が今なすべきことはサーヴァントと戦うことではない。
何のために治癒魔法を習得したというのだ。
キャロはフリードの助けを借りてエリオを運び、治癒魔法による応急処置の準備を始めた。

「貴様が遅いものだから、つい戯れが過ぎてしまった」

黒き少女がエリオとキャロを一瞥する。
死力を尽くして挑んできた敵だというのに、治療を止めるつもりはないようだ。
つまるところ、エリオはもはや関心の対象ではないということだろう。
セイバーは聖剣を隙なく構え、いつでも黒き少女を斬り捨てられる姿勢を取った。

「"偽造聖杯"が召喚したサーヴァントは四体……貴様がその四体目だな。
 だが……何故私と同じ姿をしている……!」
「私はお前だ。それ以外の理由はない」

下らない問いだと言わんばかりに、黒き少女は言い捨てた。
肌と瞳の色合いに差異こそあれ、両者の背格好は完全に同一だ。

「なるほど……サーヴァントは属性が反転して召喚されることもありうる。
 貴様は"偽造聖杯"によって召喚された、私の悪の側面ということか」
「悪、か。それはどうだろうな」

睨み合う二人の騎士。
その後方で、キャロは空を見上げて視線を巡らせた。
第四班はシグナムとセイバーの二人で構成されている。
しかし、何故かシグナムの姿が見当たらない。
通信で助けを求めたときには、二人とも同じ場所にいたというのに。

「シグナムは第三班のところへ向かいました」

キャロの疑問に気が付いたのか、セイバーは問われるより先に話し始めた。
構えを崩さず、黒き少女に対する警戒を一切緩めぬままに。
第三班といえばスバルとティアナからなる班だ。
どうしてそこにシグナムが向かわなければならないのか。
理由を想像して、キャロは恐怖に竦んだ。

「まさか……」
「第三班は、正体不明の敵の攻撃を受けています」

もう一体のサーヴァント――
最悪の想定がキャロの脳裏を駆け巡る。
だが、セイバーはそれを否定する。

「いいえ、サーヴァントではないようです」

字義通りの正体不明。
素性も目的も分からない突然の攻撃。
ある意味ではサーヴァントよりも厄介な敵だ。
それはセイバーの表情に浮かんだ焦りの色からも読み取れる。

「もう一人の私よ! あれは貴様の配下か!」
「答える舌を持たん」

嘲りを込めた言葉が吐かれる。
黒き少女は完全武装のセイバーとは反対に、漆黒のドレスという軽装のままだ。
唯一の例外は、エリオの拳を防ぐために出現させた右腕の手甲のみである。

「セイバー。私が何故武装しないか分かるか?」
「何……?」

黒き少女は漆黒の剣を地面に突き立て、無機質な瞳でセイバーを見据えている。
突如、右腕の手甲が暗黒色の燐光と化して消失する。

「脆弱な貴様の相手をするには不要だからだ。その剣は私に触れることすら叶わない」
「世迷言を―――!」

セイバーは一瞬にして間合いを塗り潰し、神速の一撃を繰り出した。
音すらも追い抜く斬撃は、しかし黒き少女に届かない。
片手で握られた漆黒の剣によって完全に防ぎ止められていた。

「失望したぞ、セイバー」

両腕に対して腕一本。
たったそれだけで、セイバーの斬撃はやすやすと受け止められた。
黒き少女は黄金の剣を弾くと、大きく後方へ飛び退いて間合いを取った。

「第五次の聖杯を破壊して以降は、マスターの魔力に頼って現界し続けているのだろう。
 能力は良くて全盛の四割……いや、三割も出せればいい方だ。違うか?」

黒き少女の指摘を受け、セイバーは押し黙った。
サーヴァントの維持には莫大な魔力が必要となる。
それが足りなければ、性能の発揮に支障が生じるのは自明の理である。

「だがそれは貴様も同じだ!」

セイバーは声を荒げた。

「"偽造聖杯"は確かに破壊した! 今の貴様も魔力が足りていないはずだ!」
「現実を見ろ。見苦しい」

黒き少女は、漆黒の剣を両手に持ち替えた。

「貴様は"偽造聖杯"を破壊するために聖剣を使い、魔力の大半を使い果たした。
 だが、私はこの断層を作り出してなお魔力の不足はない。それは揺るがし得ぬ事実だ」

漆黒の剣に莫大な魔力が集積する。
禍々しい魔力光が折り重なり、再び光輝の大剣を顕現させる。
壮絶な密度の魔力が、際限のない加速と増幅を繰り返し、漆黒の剣に比類なき力を与えていく。

「好機をやろう。宝具を構えろ」

あからさまな誘いだった。
ただセイバーを殺害することが目的なら、有無を言わさず宝具を放てば良い。
それをしないということは、英霊の象徴たる宝具を以って、正面からセイバーを打ち破るつもりなのだろう。
同一の宝具の撃ち合いとなれば魔力量が勝負を左右する。
本当に魔力量の差が圧倒的なら、試すまでもなく結果は見えている。
だが、セイバーに拒否権はなかった。
何故なら、すぐ後ろではキャロがエリオの治療を行っている。
セイバーが拒否すれば、禍き旭光は二人を焼き払う。

「くっ……!」

――光が集う。
黒き少女の魔力とはまるで異なる、清浄な光輝の渦が聖剣を包み込む。
輝きは更なる輝きを呼び、光の渦が聖剣の周囲に束ねられていく。
しかし、足りない――
あの暗黒を祓うには出力が圧倒的に不足している。
少女が述べていたことは真実だったようだ。
セイバーと黒き少女の間には、確然たる魔力量の差が存在していた。

「理解したか。それが今の貴様だ」
「…………ッ!」

歯を食いしばるセイバー。
その視界の端に小さな白い影が躍り出た。

「キャロ!」
「私も戦います! 護られてばかりなんて……!」

キャロの手を包むケリュケイオンから薄桃色の光が溢れる。

「我が乞うは、城砦の守り。聖剣の騎士に、清銀の盾を」
≪Enchanted Defence Gain.≫
「猛きその身に、力を与える祈りの光を」
≪Boost Up. Strike Power.≫

複数種類の強化を同時に掛けるツインブースト。
攻撃と防御の双方がブーストを受け増幅されていく。
たとえ結果がどちらに転ぼうと、確実にセイバーを支えられる術式である。

「感謝します……無駄にはしません!」

セイバーは柄を力強く握り、光輝の剣を高らかに掲げた。
それを見て、黒き少女も暗黒の剣を振りかざす。


約束されたエクス――――!」

「――――約束されたエクス


莫大な魔力が空間を軋ませる。
唯一無二の聖剣が激突するという異様――あるいは、奇跡。
その結末は、一瞬のうちに訪れる。


「――――勝利の剣カリバーッ!」

勝利の剣カリバー――――!」



密林の奥、白光と黒光が互いを刻み合う。
その衝撃は莫大な熱量を帯びて拡散し、木々を容赦なく焼き払い、薙ぎ払っていく。
二つの光がもたらす破壊の灼熱が、地上にもう一つの太陽を生み出していた。



[27243] 第18話 暴君の剣Ⅲ -Tyrant Sword the Third-
Name: リリナイ◆23c1d855 ID:76699dfe
Date: 2011/04/25 03:09
 ――十二日目 第七管理世界 辺境  現地時間 AM11:15――


道とは人々が歩んだ痕跡にできるもの。
先人が原野を行き、木々を払って初めて人の通る道が生まれるのだ。
故に、手付かずの森林には林道などという気の利いたものは存在しない。
この森林地帯も、例に漏れず獣道以外の道は拓かれていなかった。

「……おい」

ヴィータは木の根を跨ぎ、グラーフアイゼンで枝を除けながら、ぽつりと呟いた。
声量が小さかったのか、返答はない。
少し間を置いて、ヴィータは改めて後ろを行く衛宮士郎に声を投げかける。

「おい。今、何か聞こえなかったか?」
「そうか……?」

士郎は怪訝そうに辺りを見渡した。
今は、二人分の足が草木を踏む音と鳥の囀りだけがささやかに響いているだけに過ぎない。
深い森だ――ヴィータは足を止めずに梢を仰ぐ。
重なり合う枝葉の狭間から漏れる木漏れ日は、まるで光をはじく水面のよう。
人の手が加わっていない森林は空気すらも清浄で、息を吸うだけで疲労が消えてなくなりそうだ。
これで、涼しい風さえ吹いてくれれば言うことなしなのだが、生憎と無風の状態が続いていた。

「何だったんだろうな、あの音……」

異音がしたのはほんの一瞬で、もう聞こえなくなっている。
まるで金属と金属を激しくぶつけ合うような、甲高い音だった。
金属音と言っても、街中であれば聞き流してしまう程度のものだ。
工事現場の騒音の方が何万倍も耳障りなくらいである。
しかし自然環境下で生じる音ではないで、どうしても気になってしまう。

「――そんなことより」

ヴィータは唐突に振り返り、じろりと士郎を睨んだ。
バリアジャケットを着込んでいるヴィータに対し、士郎は相変わらずの服装だった。
即ち、機動六課の制服を着用して、上着の前ボタンを全て外した格好である。

「お前な、ここは戦場だぞ? こんな格好でどうするつもりなんだよ」
「こんな格好って、普通だろ?」
「全然普通じゃねぇぞ」

もはや呆れ返るより他になかった。
機動六課の制服には魔術的効果は一切付与されていない。
防御力はいわゆる『布の服』も同然だ。
そんな状態で攻撃を受ければ、生身の身体に直撃するに等しい打撃を受ける。
緊急時ならまだしも、今回は自ら敵地へ乗り込む作戦なのだ。
プロテクションもバリアジャケットもなしに臨める戦場ではない。

「バリアジャケットなら用意してあるだろ。何で着てないんだよ」
「そうなんだけど、鎧とか着て戦うのは慣れてないからな……」

士郎は左手首に巻かれた簡易型のストレージデバイスを軽く撫でた。
待機状態のストラーダよりも小さく、腕輪かリストバンドを連想させるデザインをしている。
はやて経由で陸上本部に掛け合って用意した装備だ。
搭載されている機能は限定的で、通信機能とバリアジャケットの展開に絞られている。
それでも作戦効率を高める役には立つだろう。

「使いたくないっていうなら――任務の邪魔だから今すぐ帰れ」

ヴィータは知らず厳しい口調になっていた。
衛宮士郎という男と一緒にいるだけで、不思議なくらいに心がざわつく。
解釈のしようがない感情だった。
自分自身の感情だというのに、どうして苛立ちを覚えてしまうのか分からない。

知らないところでなのはが危険に晒されていたから?
いや、それは筋違いだ。
首を突っ込んだのは、なのは自身の意思。
衛宮士郎を恨む理由にはならない。

"聖杯"やサーヴァントについて肝心なことを隠していたから?
……それも違う。
確かに納得はできないが、理解はしているつもりだ。
第一、情報の隠蔽は組織からの要請なのだから、一個人で翻せるものではない。

それとも――――我が身を省みない無謀な戦い方が癪に障るから?

「……ちっ」

会議の折、後で士郎を締め上げてやうと思っていたことを、今更になって思い出す。
一週間も前のことを引きずっている辺り、自分は意外と根に持つ性質のようだ。

「副隊長?」
「いいから、作戦中はバリアジャケットを着ろ。いいな」

ヴィータは命令口調で言い含めた。
衛宮士郎の書類上の階級は三等陸尉であり、三等空尉のヴィータと同程度の階級に相当する。
しかし、実務上は名実共にヴィータの立場が上という扱いになっている。
理由は幾つか存在するが、士郎の階級は一時的な任官に過ぎないのが最大の理由だろう。

「まさかとは思うけど、聖杯戦争とやらの間も、そういう格好で通したんじゃねーだろな」
「そういう格好っていうか、制服や普段着だったかな」

それを聞いて、ヴィータは呆れ返ったように溜息を吐いた。
あのバーサーカーのような人外が跋扈する戦場を、よもや普段着で戦い抜こうとは。
生き残れたから良かったようなものの、冷静に考えれば自殺行為、むしろ自殺そのものだ。
普通なら間違いなく何十回と死んでいる。

「無謀ってもんじゃないだろ、それ」

ここまでくると変な意味で尊敬の念すら覚えてしまう。
地球の軍隊の方が、よほど充実した装備で身を護っているくらいだ。
ヴィータは語気を強め、更に士郎へ詰め寄った。

「いいか? あんたは曲がりなりにもあたしの部下なんだ。
 勝手に無茶されて勝手に死なれるのはお断りだからな」
「…………分かった、試しに着てみるよ」

士郎は気難しそうにそう答えた。
ああ、これは納得できていない反応だ――ヴィータは腰に手を当てて吐息を漏らした。
バリアジャケットを着用することには同意したが、無茶をしない保証はできない、というところだろう。
無茶をすることに慣れた人間に対して、口頭での注意はあまり意味がない。
身体に染み付いた感覚のまま、息をするように無茶をしてしまうものだ。
そしていつか、取り返しのつかない事態を招く。
なのはが撃墜されてしまったときのように――――

「これ、どうやって使うんだ?」

ヴィータが考え込んでいる間、士郎は簡易デバイスを弄り回していた。
放っておいたら使い方を調べるために解体しそうな勢いにも見える。

「普通は一言で展開できるんだけど、こいつはとにかく機能を簡略化してるからな……
 バリアジャケットを展開するときは、ここをこうして……」

ヴィータが士郎にデバイスの扱い方を教えていると、唐突にリインからの通信が入った。
それも単なる連絡通信ではなく緊急通信だ。

『大変です! 緊急事態です!』
「緊急なのは分かったから落ち着け!」
『えっと……第三班と第五班が攻撃を受けています!』

そのとき、ヴィータの視界の端に銀色の光が奔る。
ヴィータは反射的に士郎の身体を突き飛ばした。

「避けろ!」
「うわっ!」

短剣が士郎のいた空間を横切り、樹木の幹に突き刺さる。
ヴィータは一瞬のうちに思考回路をフル回転させた。
攻撃地点――三時方向、上方三十度。距離は不明。樹上からの投擲と思われる。
攻撃手段――短剣一振り。空港を襲撃したサーヴァントと手法が類似。

『何があったんですか!?』
「リイン! さっきの訂正しろ! 第二班も襲われてるってな!」

ヴィータは振り向き様に四つの鉄球を展開。
勢いのままに、グラーフアイゼンで打ち飛ばす。

≪Schwalbefliegen.≫

魔力を帯びた鉄球が木々の枝葉を散らし、推定攻撃地点に殺到する。
シュヴァルベフリーゲンが幹を粉砕した瞬間、二つの影が凄まじい速度で飛び出した。

「来るぞ、エミヤ!」
「分かってる!」

士郎の手の中で魔力が格子を描き、瞬時に細身の両刃剣を構成。
銀の刃が高速の敵襲を迎え討つ。
それと同時に、ヴィータのパンツァーシルトがもう一つの攻撃を防ぎ止めた。

「……女!?」

士郎が驚きの声を上げる。
両刃剣と鎬を削る薄刃の短剣。
それを握っていたのは、銀色の髪をした小柄な少女だった。
琥珀色の隻眼が至近距離から士郎を見据える。
材質の差か、短剣が両刃剣の刃にめり込んでいく。
短剣が寸断されるや否や、銀髪の少女は後方へ大きく飛び退いた。

「こいつらサーヴァントじゃないのか!」

ヴィータはグラーフアイゼンを振るい、殴りかかってきた長身の女から距離を取る。
少女は地に足をつけて短剣を構え、女はふわりと宙に浮いて士郎とヴィータを見下ろした。
どちらも青と薄紫のボディースーツに身を包み、少女はその上から長の長いコートを羽織っている。
士郎とヴィータは互いに目配せした。
この敵を知っているかと、言外に尋ね合う。
返答は、どちらも否。
聖杯戦争の縁者でなければ、機動六課の知る犯罪者でもない。
完全に未知の敵なのだ。
警戒を露わにする士郎とヴィータを、紫髪の女は冷徹に睥睨していた。

「お前たちに恨みはない。運が悪かったと諦めろ」
「何を言って……――――!」

刹那、女の姿が突如として掻き消え、ヴィータが真後ろへ吹き飛ばされる。
殴り飛ばされたのだと気付いたときには、打ち上げるような追撃がヴィータを襲っていた。

「がっ……!」
「ヴィータ!」

駆け寄ろうとする士郎の鼻先を、銀髪の少女の蹴撃が掠める。
首筋を狙って放たれた短剣を剣で弾き、士郎は少女と対峙した。
少女の得物は短剣二本。
それらを左右に一本ずつ逆手で握っている。
長剣を相手取るには間合いが不足しすぎている武装だ。
士郎は剣を左手で構えながら、右手で左手首のデバイスを起動させる。

≪Set up.≫

陸士部隊共通デザインのバリアジャケットが士郎を包む。
白兵戦を考慮した造りになっており、純粋に防御力の向上だけを望める設計だ。

「デバイスか――データの修正が必要だな」

少女が左手の短剣を、士郎の顔面めがけて投擲。
同時に重心を低くした体勢で疾駆する。
士郎は飛来する短剣を打ち落とし、少女の右手の短剣目掛けて剣を振るった。
が、少女は即座に右腕を引き、身体を翻して士郎の手元を鋭く蹴り上げた。

「このっ……!」
「まず、一人」

長剣が手を離れて宙を舞う。
士郎はそれの回収を諦め、素早く次の剣を投影する。

  トレース・オン
「投影、開始!」

形成するは取り回しに秀でるソードブレイカー。
攻撃用としては物足りないが、少女の追撃を防ぐには最善の武装だ。
だが――

≪Analyse error! Emergency shutdown!≫

悲鳴のような警告音声が鳴り響く。
次の瞬間、バリアジャケットが弾けるように消滅した。

「なっ……! お、おい!」

想定外の出来事に驚きながらも、士郎は少女の短剣を受け止める。
しかし、左手に握られた三本の新たな短剣は、完全に意識の外であった。
少女の擲った短剣が、無防備になっていた士郎の胴体に突き刺さる。
更に、少女は士郎の胴を蹴りつけて間合いを離した。

「――――くそっ!」

弾かれた長剣が落下し、士郎と少女の間の地面に突き立った。
デバイスの故障にしては最悪のタイミングだ。
よりによって懐へ踏み込まれた瞬間に壊れてしまうとは。
士郎は歯を食い縛り、胸と腹に刺さった短剣を引き抜いた。
ねっとりとした血糊が糸を引き、制服のワイシャツに赤い汚れを広げていく。

「痛っ……」
「…………」

血腥い光景を前にしても、少女は僅かに眼を細めるだけであった。
それを見て、士郎は少女の覚悟を理解した。
この少女は敵対者を傷つけることに迷いがない。
場合によっては生命を奪うことも辞さないだろう。
だが、それを楽しむような素振りは全く見出せなかった。
つまるところ、彼女は彼女なりの理由と決意を抱いて、士郎とヴィータに刃を向けているのだ。

「……本気、なんだな」
「無論だ。戯れで刃を振るう趣味はない」

少女の手元に、左右三本ずつ合計六本の短剣が出現した。
それに呼応するように、士郎も両手を大きく広げた。
放棄されたソードブレイカーと両刃の長剣が、魔力の燐光と化して消失する。

「――投影、開始トレース・オン

士郎の手中で、陰陽の夫婦剣が形を成していく。
少女は両腕を交差させて投擲の構えを取った。
次に繰り出される一手は、どちらが先手を取ったとしても、これまでの剣戟を越えるだろう。
短剣を握る少女の指に、ぎり、と力が篭る音がした。





「はぁ、はぁ、はぁ……」

士郎と少女が刃を振るう上空で、ヴィータは肩をしきりに上下させていた。
初撃を無様に喰らい、追撃も回避しきれず、戦いの場を強引に空中へと移された。
弄ばれている――そう表現してもいいだろう。
ヴィータを奇襲した女は十数メートル前方で滞空している。
呼吸すら乱さず、表情一つ変えることなくヴィータに視線を向けている。
手足の計八箇所に展開したエネルギー翼は飛行魔術の類だろうか。
未だに、ヴィータはそれすら見切ることができずにいた。

「…………畜生」

悪態を突き、額の汗を拭う。
あの女は強力な武装を用いているわけではない。
ただひたすら、速いのだ。

「本気を出せ。そんなものではないだろう」

女の姿が掻き消える。

「しまっ……!」

打撃が頬を叩き、乾いた音を響かせる。
直後に反対側の脇腹に一撃が入り、背中に強烈な衝撃。
間髪入れず腹部と肩口、顎を痛みが襲う。
あまりに速過ぎて、殴打なのか脚撃なのかすら見切れない。

≪Panzerhindernis.≫

多面体のバリアがヴィータを覆う。
すると女は攻撃を中止し、再び一定の間合いを置いてしまう。
護りを固めれば間合いを取られ、攻めに転じれば一方的に甚振られる。
さっきからこれの繰り返しだ。
戦闘速度が違いすぎる。
ヴィータの攻撃は、威力偏重の重い一撃か直線的な突進が中心だ。
シュワルベフリーゲンの速度を誘導精度では確実に振り切られるだろう。
選択肢の殆どが、圧倒的な速度差の前に封殺されているのが現実であった。

「相性最悪だな……」

当てられるとすれば、コメートフリーゲンの榴弾による面制圧。
だが、そのためにはギガントフォルムのグラーフアイゼンを振り抜かねばならない。
相手の速力なら、効果範囲から容易く離脱できるに違いない。

「けど……」

基本的なところに思考を立ち返らせる。
あの女は、一体何のために自分達を襲ったのだろうか。
真相は分からないが想像することはできる。
恐らく"偽装聖杯"絡みの勢力だ。
密売組織の残党か、サーヴァントを率いる勢力かは定かではないが。

もしも、ここで自分達が敗れたら、奴らは満足して引き上げるだろうか。
――――答えは、否だ。

奴らは他の隊員達にも攻撃を加えるだろう。
新人達を、シグナムを、セイバーを、フェイトを。
そして、なのはを。
もしかしたら、既に別働隊が襲い掛かっているかもしれない。
そこにこんな強敵が合流すればどうなるか――想像するまでもない。

「けど……やるっきゃない!」

ヴィータはパンツァーヒンダネスの障壁を解除した。
そしてシュワルベフリーゲンの鉄球を配置する。

「無駄なことを――――…………む?」

攻撃を再開しようとした女が足を止める。
ヴィータは何度も腕を振るい、際限なく鉄球を出現させていた。

四つ――
八つ――――
十二――――――
十六――――――――
二十――――――――――
二十四――――――――――――

大量の球がヴィータを覆い隠し居ていく。
まるで鉄球で編み上げた球形の檻のようだ。

「それで私の攻撃を防ぐつもりか?」

女が高速の旋回を開始する。
風を切る音がヴィータの周囲を飛び交い、逃げ場などないことを知らしめる。
だが、ヴィータは女の行為を気にすることもなく、己のデバイスに命令を下した。

「いくぞ、グラーフアイゼン!」
≪Jawohl. Raketenform.≫

カートリッジが排出され、グラーフアイゼンがラテーケンフォームに変形。
噴射口から放たれる推力を受け、ヴィータはその場で猛烈な回転を開始する。
そして、勢いのままに周辺の鉄球を次々に弾き飛ばした。

「――――小癪な」

全方位シュワルベフリーゲンの高密度掃射を、女は曲芸じみた機動で回避し尽くしていく。
ヴィータはその隙に、グラーフアイゼンをハンマーフォルムに再変形。
無数の鉄球を制御する体勢に入る。
如何にハンマーフォルムが魔法制御能力に長けるとはいえ、これだけの数を操るのは困難だ。
それを見逃されることなどありえない。

「血迷ったか、ベルカの騎士」

鉄球が大きな弧を描いて戻ってくる。
長身の女は再攻撃を許さない速度でヴィータに向けて加速した。

「ぐっ……!」

脊柱まで響く打撃が内臓を揺らす。
二発、三発と重ねて繰り出される攻撃を、一向に見切ることができない。
この女の速度は桁外れだ。
少なくとも、かつてヴィータと戦った頃のフェイト・テスタロッサを凌駕している。
あれから更に能力を昇華した、今のフェイト・T・ハラウオンにも迫るだろう。
そのスピードを何とかしなければ反撃すらままならない。

≪Panzerhindernis.≫

多面体のバリアが再びヴィータを包み込む。
ただし、真正面を除いて。
前面を解放したパンツァーヒンダネスの籠の中で、ヴィータはグラーフアイゼンを振りかざした。
奇妙な形状のバリアを前に、長身の女が高速移動を停止する。

「何のつもりだ……?」
「どうした? 正面からは怖いのかよ」

速力の差が圧倒的なら、移動経路を限定して対抗する。
初歩にして至難ともいえる戦術を、ヴィータは全方位が開けた空中で成し遂げようとしていた。
バリアタイプの障壁も熟練すればシールドのように展開できる。
ヴィータが実行したのはその逆だった。
全方位バリアから一部を除いた状態で展開し、攻撃を正面からのみに限定しているのだ。

「無駄なことを」

女の姿が消えると同時に、ヴィータの頬に打撃が炸裂する。
直後、離れた場所に女の姿が見えたかと思うと、またも消失と同時の打撃が繰り出される。
超高速のヒットアンドウェイ。
打っては離れ、離れては打ち込むシンプルなアクション。
単純な手段ではあるものの、迎撃をかわすには最善の方法だ。

「…………っ!」

ヴィータは押し負けたボクサーのように防御を固め、眼にも留まらぬ猛攻を耐え忍んでいる。
被弾箇所が身体の前面に限定されただけで、状況は全く変わっていない。
これではまるでサンドバッグだ。
宙を飛び交う無数の鉄球も、一つ一つの制御が甘いせいで容易く回避されていた。
けほ、と小さな咳をする。
微かな血の飛沫が飛び散った。

「まだだ……まだ、早い……」

一方的に痛め付けられながらも、ヴィータの眼は死んでいない。
防御の隙間から、攻撃が来る方向を睨み続けている。

腹部に一撃。

ガードしていた腕に一撃。

脚の残像が下方から蹴り上げる。

――――少しずつ慣れてきた。

遠ざかる寸前、焦りを抱いた表情が見えた。

十数メートル先で停止し、心臓が止まりそうなほどの超高速で接近。

ガードの緩んだ顔面に右のストレートが――

「そこだっ!」

ヴィータは繰り出された女の腕を掴んだ。
もう片方の腕で女の胴体を抱き込み、離脱を強引に阻止する。

「何っ!?」

女が初めて感情を露わにする。
グラーフアイゼンによる打撃が間に合わないなら、素手で捕まえるまでだ。
しかし、それも口で言うほど簡単ではない。
狙っていると気取られればお終いの一発勝負。
自分の動体視力と反射神経に全額賭けるギャンブルだ。

「これでもう、逃がさない」

女の顔を見上げ、口の端を吊り上げて笑う。
敵に向けた嘲笑ではない。
己に向けた自嘲の笑みだ。
衛宮士郎の無謀に苛立っておきながら、自分も無茶をしようとしている馬鹿への嗤いだ。

ここで負ければ、自分のせいでなのはが苦しむ。
だから、退けない。

結局のところ、あの苛立ちは同属嫌悪だったのかもしれない。
動機は違えど輪郭は同じ。
大切なもののためなら、自身を省みない大馬鹿者だ。
――――ふと、思う。
自分がこんな理由で無茶をするなら、衛宮士郎の無謀にはどんな理由があるのだろうか、と。

「グラーフアイゼン!」
≪Jawohl!≫

空中を飛び交っていた無数の鉄球が一斉に進行方向を変えた。
すべてはこの瞬間のための布石。
魔力を帯びた起爆性の鉄球が女の背中目掛けて殺到する。

「ちょこまか動く鳥には、鳥籠がお似合いだろ」
「――――――――」


狙い通りの展開。狙い通りの一手。


一つだけ誤算があったとすれば、それは女の左腕を自由にさせていたことだろう。


筆舌に尽くしがたい激痛が、右肩から体内を貫いた。


「――――この使い方だけは、隠し通すつもりだった」
「か――――ふ――――っ」

呼気と共に、真っ赤な血が口から溢れる。
ヴィータは霞む視界で、激痛の原因を見た。
女の左腕から生えたエネルギー翼が右肩に突き刺さっている。

――やられた。

アレをなのはのアクセルフィンの同類だと思い込んでいた。
飛行と高速移動のための付属品に過ぎず、攻撃には全く寄与しないと。
腕から力が抜ける。
制御を失った鉄球が、慣性のままに殺到する。

「なの……は……」

女がヴィータの戒めから逃れる。
爆破範囲から離脱する刹那、両腕の光刃がヴィータの総身を切り刻む。
鮮やかな血飛沫が舞う中、無数のシュワルベフリーゲンの爆発が全てを包み込んだ。





士郎が何度目かの短剣の投擲を弾いたとき、凄まじい爆風と爆音が密林を揺らした。
咄嗟に空を仰ぐと、木々の梢の向こうで、爆発の余波が破片を撒き散らしていた。

「まさか……」

爆炎を割り、真っ赤な装束の少女が煙を引いて落ちていく。
その色は布地の色だけではない。
全身から流れ出る鮮血が、白磁の肌までをも染めていた。

「ヴィータ!!」

士郎は干将莫邪を投げ捨てて駆け出した。
突然のことに、銀髪の少女が攻撃の手を止める。
いくら味方が窮地に立たされているとはいえ、迷うことなく敵に背を向けたのだ。

「――何をしている!」

少女が六本の短剣を投擲する。
短剣は狙い過たず士郎の背中に当たり、血肉に柄まで突き刺さった。

「がっ……」

激痛に表情が歪む。
それでもなお、士郎は走り続けた。
ヴィータが地面に叩きつけられる寸前で、滑り込むように受け止める。
事はそれで終わりではない。
二人分の体重と運動エネルギーが士郎に襲い掛かる。
背中に突き刺さった短剣が、身体と地面の間で掻き乱され、血肉を深々と抉り取っていく。
受け止めた衝撃に腹部を、短剣に背部を痛め付けられながらも、士郎はヴィータを支えて立ち上がる。

「ヴィータ! しっかりしろ!」

返答はない。
ヴィータは士郎の腕に抱かれ、意識を失っていた。
まるで糸の切れた人形のようだ。
全身、負傷のないところを探すほうが難しい。
刀傷に打撲痕、火傷に爆発物の破片。
だが確かに呼吸はある。
今すぐ手当てをすれば間に合うはずだ。

「計画変更だ。お前達には死んでもらう」

目と鼻の先に長身の女が降り立つ。
士郎は反射的にヴィータを付近の草むらへ突き飛ばした。
次の瞬間、右腕の光刃が士郎の胸を袈裟懸けに切り裂いた。
眼にも留まらぬ神速の斬撃。
苦痛の声が漏れるよりも速く、二撃目が肉を断つ。

「…………がはっ」
「辛うじて身を引いたか。だが――」

切り込まれた深さからすると確実に肋骨は切断されている。
吐血したことを見るに、あるいは肺にまで達したか。
絶え間ない斬撃の嵐が士郎の血肉を切り刻む。
飛び散った鮮血が草木に掛かり、緑の葉を赤く染めた。

「――――っ!」
「む――――」

視線が交差する。
女の瞳はまるで狩人のように冷たく。
士郎の瞳は折れることのない意志に満ちていた。

「――――投影、開始トレース・オン!」

女が僅かに動きを止めた一瞬、投影された剣が斬り上げるように振るわれた。
逆袈裟に切り裂くはずの斬撃は、しかし女の高速移動によって空振りに終わる。

「なるほど。戦意は折れていないようだな」

無傷で距離を離したかと思われた直後、女の頬に一筋の血が伝う。
いつの間にか、左の頬に斜めの傷が刻まれていた。
執念と言うべきだろうか。
士郎が放った斬撃は切っ先だけとはいえ届いていたのだ。
そこに、銀髪の少女が後方から声を掛ける。

「負傷したのか」
「……掠り傷だ」

女は顔色一つ変えずに言い捨てた。
確かに士郎の一撃は届いていた。
だが、それだけだ。
命を奪うには程遠く、撤退させるにも至らない。
対して、士郎は少女との連戦も含めて体中に傷を負っている。
傷は決して浅くはなく、放置するだけで失血死しかねない有様である。

「く……は……」

それでも士郎は、剣を構えたまま女と少女の前に立ち塞がっていた。
士郎のすぐ後ろには気を失ったヴィータが倒れている。
故に、衛宮士郎という男は退かない。
心臓が止まる瞬間まで、立ち上がることを諦めない。


そのとき、遠方で凄まじい爆発が巻き起こった。


黄金色と宵闇色の魔力が鬩ぎ合い、地上に灼熱の領域を創り出す。
爆圧が木々を薙ぎ、遥かに離れた士郎達をも呑み込んでいく。
肌を焼く暴風の最中、士郎は剣を地面に突き立てて、猛烈な圧力に抵抗した。

「ぐうっ……!」
「潮時だな――終わらせる」

紫髪の女が逆巻く暴風を切って肉薄する。
もはや、士郎に抗う術は残されていなかった。
骨肉は深く傷つき、残された体力も暴風に耐えることに使い切ろうとしている。
剣を持ち上げて盾にする動作すら難題であった。
できるとすれば、この身を盾として受けることだけ。

防ぎようのない斬撃が振り抜かれる。

だが、光刃が士郎に届くことはなかった。
渦を巻く光の盾が光刃を防ぎ、女の動きを押し留めていた。

「何――――?」
「そこまでだ」

低木が力強く踏み折られる。
鬱蒼とした木陰から、重厚な手甲を付けた男が姿を現す。
褐色の肌は鍛え抜かれた筋肉で膨れ上がり、肉体そのものが強靭な盾のように思われた。

「まだ続けるというなら、この『盾の守護獣』が相手をしよう」

手甲の男――ザフィーラは士郎を庇うように足を止め、拳を握り込んだ。
暴風が止み、森林が静寂を取り戻す。
女の背後で銀髪の少女が短剣を構える。
それが投じられるより更に早く、ザフィーラは拳で地面を殴りつけた。

「させるか!」

鋼の軛が怒涛の勢いで地面を吹き飛ばし、女と少女の周囲を一瞬にして制圧する。
樹木を根ごと掘り返し、成木の幹をも砕き、堅牢な拘束条の檻で二人を覆う。
地形すら変える牢獄に閉じ込められ、少女は焦りに眉をしかめた。

「しまった……!」
「これは想定していない事態だな」

少女とは対照的に、女は平静を崩していない。
まるで現状を窮地とは考えていないかのようだ。
ザフィーラの背後で、士郎が血に塗れた顔を上げる。

「……盾の……守護獣?」
「この姿で会うのは初めてだな。本隊からの増援だ」

ザフィーラは手短に答えた。
余計な説明で時間を食うわけにはいかない。
ヴィータと士郎は重傷を負い、女と少女は完全には無力化されていない。
迅速に片を付けなければならない状況なのだ。

「潮時だな、退くぞ」

女が誰かに合図を送るように手を上げる。
次の瞬間、彼方の岩山から凄まじい威力の砲撃が放たれ、鋼の軛を直撃した。

「なんだと……!」

破壊までは及ばないものの、表層に少なからぬ亀裂が走る。
女は即座に光刃を振るい、砲撃を受け脆くなった箇所を切り裂いた。
破片が飛び散る中、女と少女が宙に身を躍らせる。
隙のない連携に、ザフィーラの阻止も間に合わない。
女は小脇に少女を抱え、森の奥へと飛び去った。

「逃げられたか」

ザフィーラは悔しそうに呟き、鋼の軛を解除した。
掘り返された地面が崩れ、樹木の残骸が音を立てて倒壊する。

「そうだ、早く合流地点に戻ってシャマルの治療を……」

投影された長剣が形を失って消滅する。
支えを失った士郎は、そのまま前のめりに倒れこんだ。

「いかん!」

すかさずザフィーラが士郎を受け止める。
――意識を失っているようだ。
深過ぎる胸の傷からは鮮血が止め処なく流れ、ザフィーラの騎士甲冑を濡らしていく。
傍で横たわっているヴィータも目を当てられないほどの重傷だ。

「よもや、これほどとは……」

ザフィーラはヴィータと士郎を担ぎ上げた。
大きな肩に乗せられたヴィータが、ザフィーラの青い衣を弱々しく握る。
単なる無意識の行動か、それとも悔しさの表れか。
それを悟る手段をザフィーラは持ち合わせていなかった。



[27243] 第19話 暴君の剣Ⅳ -Tyrant Sword the Fourth-
Name: リリナイ◆23c1d855 ID:76699dfe
Date: 2011/04/30 20:45
 ――十二日目 第七管理世界 辺境  現地時間 AM11:20――


「こうなっては千年の樹海も儚いものだ」

熱気を孕んだ風が吹き抜ける。
黄金の光輝と漆黒の旭光の衝突は、今まさに静かな終幕を迎えようとしていた。
残されたのは焼けた地面。
そして、薙ぎ払われた無数の木々の残骸。
甚大な破壊をもたらした灼熱と暴風も、もはや僅かな残滓を残すのみ。
視界を遮るものは何もなく、ただ荒涼たる青空が広がっている。

「悠久の時を経た樹海も、灰燼に帰せば原野に等しい……」

黒きドレスの少女は漆黒の剣を払い、焼け爛れた土に突き立てた。
硝子細工のような少女の肌には傷一つ付いていない。
爆風の中心付近に在りながら、衣の端々が煤汚れているに過ぎない。
見渡す限りを尽滅の光に均された荒野の上で、倦怠を隠すこともせず佇んでいる。

「そうは思わないか? セイバー」

怜悧な瞳が、セイバーの変わり果てた姿を捉える。
白銀の鎧は其処彼処が砕け、青き衣も絶え間ない流血で赤黒く染まっている。
そして聖剣の柄を握る右腕は、肩口からごっそりと千切れかけていた。

「……貴、様……」

澄んだ碧眼が黒き少女を睨み返す。
大勢は決した。
聖剣同士の激突はセイバーの敗北に終わった。
あえて敗因を述べるなら、魔力量というリソースの差だろう。
黒き少女が指摘したように、今のセイバーは魔力が著しく不足していた。
こうして立っていられることが奇跡に等しいほどに。
もしキャロの強化を受けていなければ、激突の余波を受けた時点で消滅していたに違いない。

「セイバー……さん……」

セイバーの後ろで、キャロが弱々しく立ち上がる。
バリアジャケットは全壊一歩手前まで破損し、顔も四肢も土塗れだ。
しかし幾重もの守りに保護されたためか、身体へのダメージはさほどではなかった。
限界寸前まで耐え切ったバリアジャケット。
ケリュケイオンが発動した防壁。
そして、自ら壁となって余波を浴びたセイバーの肉体。
三重の守りがキャロを圧倒的な暴力から守り抜いたのだ。

「無様だな。その程度の傷、充分な魔力があれば半刻と待たずに癒えたはずだ」
「黙……れ……!」

セイバーは右肩を反対の手で掴み、力任せに胴体の断面に押し付けた。
食い縛った歯の間から苦悶の声が漏れる。

「キャロ……鎖を召喚して、右肩を縛ってください……」
「は、はい!」

キャロは請われるままにアルケミックチェーンを召喚。
セイバーの千切れかけた右肩を胴体に縛り付ける。
爛れた肉が圧迫され、濁った体液が滴り落ちる。
拷問にも等しい苦痛に耐えながら、セイバーは聖剣を左手に持ち替えた。
さしものサーヴァントといえど、肩が繋がるまでは右腕で剣を振るうことは不可能だ。
その意味でも既に決着は付いていた。
両者の基礎性能が同等ならば、片腕を欠いた側に勝機はない。

「……答えろ、もう一人の私」

セイバーは口の端から伝う血を拭い、黒き少女を見据えた。
その戦意に満ちた眼差しを、黒き少女は無手のまま受け止める。

「貴様達の目的は何だ……何故この世界に害を成す!」
「それは我々に問うべきことではないな」

ブーツの底が冷え固まった土を踏み締める。
黒き少女は漫然とした足取りで、苦痛に喘ぐセイバーへ近付いていく。
地面に突き刺した剣はそのままだ。
今のセイバーには武装すら不要という意思の表れであろうか。

「我々は召喚された身の上に過ぎん。召喚者の意図など興味もない。
 お前と剣を交えようと考えた理由ならあるが――どうやら無駄足だったようだ」

無手の敵が近付いてきているというのに、セイバーとキャロは何もすることができなかった。
少女はおもむろにセイバーの顎を掴み、強引に顔を上げさせた。
琥珀色の無機質な瞳がセイバーの碧眼を覗き込む。

「私と貴様、どちらの在り方が王に相応しいか競うつもりでいた。
 だが、よもやここまで零落しているとはな」
「なに……!?」

黒き少女の声色に失望の色が混じる。
予想だにしない侮辱を受け、セイバーは柳眉をしかめた。
言うに事欠いて零落とは。
とてもではないが聞き捨てられる言葉ではない。
しかし、黒き少女は鉄のような表情を崩そうとすらしなかった。

「傷の治癒もできぬほどに魔力を使い果たし、それでも私に傷一つ与えられていない。
 これを零落と言わず何と言う。その小娘を庇って消滅したほうが、まだ名誉を守れたろうに」

セイバーは砕けんばかりに歯を食い縛った。
生き残るよりも名誉ある死を――
それは暗に、今の姿は無様極まりないと言い切ったも同然だった。

「ここで息の根を止めておくのが慈悲というものか。やはり『私』が落ちぶれるのは見るに耐えん」

やおら踵を返し、黒き少女は突き立てていた剣を引き抜く。
剣を手に、セイバーに止めを刺すべく振り返り――

「フリード!」

キャロの叫びに応じ、白竜の咆哮が響き渡る。
主を救うべく、フリードが地表に触れんばかりの低高度を飛来する。
樹木が消え失せた荒地の上には、巨大な竜の滑空を妨げるものなど何一つない。

「――竜種擬きが」

唯一、黒き少女を除いては。

「いや……あの小娘か」

フリードは聖剣の余波を上空でやり過ごしていた。
しかし黒き少女の読み通り、それはフリード自身の判断ではない。
キャロがセイバーの支援に回る直前に、予め指示を出しておいたのだ。
激突が起こる前に離陸するように。
そして万が一のときには救援に来るようにと。

この瞬間を以って、黒き少女の標的は切り替わった。

焼け焦げた地面を靴底が踏み締める。
地を蹴りつけた反動と膨大な魔力の奔流が、華奢な体躯を瞬間的に加速させる。
フリードの背中にキャロとセイバーが飛び乗る。
再上昇のため翼を振り上げんとした刹那、頭上に小さな影が翻った。

「厄介な芽はここで摘ませて貰う」

漆黒の剣がキャロの首を目掛けて振り抜かれる。
それを受け止めたのは、満身創痍のエリオが翳したストラーダの柄であった。

「うぐっ――――!」
「――――貴様」

柄に右手を、穂先に左手を。
まるで盾のように斬撃を防ぎ止める。
この防御は幸運に幸運が重なった結果だった。
フリードが上空へ退避したとき、エリオもその背に乗せられていたのだ。
それが絶好のタイミングで意識を取り戻し、凶刃を防ぐ好機を手に入れたのである。

文字通り、ストラーダを『盾』として。

ストラーダに亀裂が走る。
斬撃が停止したのは一瞬に過ぎず、バターにナイフを通すように柄を寸断する。
だが、その一瞬が明暗を分けた。
フリードは黒き少女から遠ざかるように上昇し、刃はエリオとキャロに触れることなく宙を斬る。

重力に引かれて落ちていく黒き少女。

重力に抗って飛翔する白き竜。

少女は空中で身を捻り、猫科動物のごとき軽やかさで着地する。
そのときには、既にフリードは遥か彼方まで飛び去っていた。
やがてフリードの影が見えなくなったところで、黒き少女は踵を返す。
鉄面皮を貫いていた横顔に、表情らしきものが薄っすらと浮かんでいた。

「……懐かしい眼だ」

漆黒の刀身が魔力に還元されて消失する。
随分離れたとはいえ、聖剣を振るえば容易く撃ち落とせる距離だ。
しかし、黒き少女は追撃を加えようとしなかった。

「円卓を囲んだ騎士共も、かつてはあんな眼をしていた」

それは懐古か、憐憫か。
黒き少女は焼き払われた地を歩き去り、森の中へ姿を消した。

「ああ……いずれ絶望を知る瞳だ」




 ――十二日目 第七管理世界 辺境  現地時間 AM11:20――


二振りの聖剣が極大の光をぶつけ合った直後のこと――

ティアナは独り、道なき道を走り続けていた。
入り組んだ樹の根。
生い茂る低木。
スポンジのような腐葉土。
天然の障害物が隙あらば足を取ろうと待ち構えている。

「はっ、はっ、はっ……」

開きっ放しになった口から、荒い呼吸音が漏れる。
喉の奥に血の味が広がってくる。
どうしてこんなことになってしまったのか――
ティアナは数分前のことを回想して、現実から意識を遠ざけようとした。

あれは作戦開始から半時間ほどが経過した頃。
スバルと二人で森林を探索していたところ、不意に正体不明の敵が襲い掛かってきた。
当然、ティアナ達は密売組織の残党だと判断して応戦を試みた。
ところが、突如として森の奥で巨大な爆発が起き、その隙にスバルと分断されてしまったのだ。

遥か前方から金属塊同士をぶつけ合うような音が響いてくる。
スバルと敵が戦っている音だ。

地面を蹴る足に力が入る。
早くスバルに追いつかなければ。
しつこく追いかけててくる、もう一人の敵を振り切って。

「連れないなぁ。無視しないで欲しいッス」

広葉樹の梢が激しく揺れ動く。
大きな金属のプレートを担いだ少女が、梢から飛び降りてティアナの行く手を塞いだ。
蒼いボディースーツに、背中でまとめられた桃色の髪。
ティアナとさして年頃の変わらない少女だ。

「このっ……!」

ティアナは咄嗟にクロスミラージュを振り向け、直射の魔力弾を放った。
しかし少女は器用にプレートを傾けて射撃を防ぐ。
先ほどからティアナの射撃は一発も少女に届いていない。
あるときは回避され、あるときはプレートで防がれ。
全てを巧みに対処されていた。
だから、今度の攻撃は一手加えてある。

「それだけッスか? 何だかつまらな――」

余裕ぶっている少女の真横から、もう一発の魔力弾が飛来する。
直射弾は少女の注意を引き、プレートで視界を塞がせるためのブラフ。
それと同時に横へ放った誘導弾が少女を襲う。

「――うわっと!」

紙一重のところで少女は身を引いた。
誘導弾が鼻先を掠め過ぎていく。

「まだまだっ!」

二撃目を回避されるのは想定の範囲内だ。
カートリッジを左右二発ずつリロード。
十発前後のスフィアがティアナの周辺に出現する。

「クロスファイアシュート!」
「ちょ、や、わぁ!」

防御と回避のために体勢を崩した少女へ魔力弾が殺到する。
射撃の雨に押し流され、少女は受身も取れず転倒した。
多くはプレートに遮られたが、何発かは確実に直撃したはずだ。
少女が立ち直る前に次なる一手へ移行する。

≪Optic Hide.≫

身体とバリアジャケットの表面に複合光学スクリーンが展開。
全身を光学的に不可視とした上で、ティアナはスバルの戦っている方向へ駆け出した。

「あ、あれ? どこ行ったッスか!」

肩越しに戸惑いの声が聞こえる。
少女はティアナが消えた瞬間を目視していない。
つまり、ティアナの姿が見えなくなった理由を知ることができないのだ。
単に隠れたのか、見えないところまで移動したのか、あるいは不可視になったのか。
それすら理解できていないに違いない。

「――――っ!」

だが、ティアナは唐突に足を止めた。
前方に光の球が浮かんでいる。
大きな木と木の間を漂うように、流れるでも落ちるなく、静かに道を塞いでいる。
設置型の魔力弾――
ティアナは即座にその光球の正体を看破した。
恐らくは、機雷のように接触を感知して起爆するタイプだろう。
周囲を見渡すと、同じものがあちらこちらに設置されている。

「しまった……」

爆発が直撃すれば大ダメージは逃れ得まい。
風圧を受けるだけでも、オプティックハイドを解除させるには充分な衝撃だ。
問題はそれだけではない。
起爆させてしまえば、一発で少女に居場所がばれてしまう。
そうなれば今までの努力が水の泡だ。

「おっと、逃がさないッス!」

後方から魔力弾が見当違いの方向に飛んでいく。
二発、三発と立て続けに放たれるが、どれも向きや高さがばらばらだ。
まるで狙いが定まっていない。
居場所が分からないのを弾数でカバーするつもりなのだろうか。
そのうちの一発が、ティアナの傍の木に直撃した。
瞬間、魔力弾が炸裂し、衝撃波と破片を撒き散らす。

「榴弾!?」

連射された魔力弾が、群生する広葉樹に当たっては炸裂していく。
殺傷力のある断片や砕けた木片が飛散して、木々の間を隈なく塗り潰す。
ティアナは思わず歯噛みした。
姿さえ隠せばどうにかなるというのは、些か考えが甘かったようだ。
直撃を避け、榴弾の範囲から逃れ、設置型の魔力弾を潜り抜けなければならない。
森の向こうではスバルの戦う音が聞こえ続けている。
ティアナは思考回路をフル回転させ、最短経路を迅速に算出しようと試みた。
そのとき、頭上の梢で榴弾が炸裂。
撒き散らされた木の葉が、ティアナのすぐ近くの設置型魔力弾に接触した。

「……え?」

――――起爆。
間近で生じた爆風がティアナの身体に襲い掛かる。
爆圧が体重を押し流し、薄い鼓膜に衝撃を叩きつける。
オプティックハイドの光学スクリーンを剥ぎ取られながら、ティアナは土の上を転がった。

「くうっ!」

頭が痺れる。
耳鳴りが意識を掻き乱す。
間近で爆風に晒されたせいで、鼓膜が悲鳴を上げていた。

「痛たた……」

口に入った土を吐き出して、どうにか身を起こす。
相手は抜群の万能型だ。
直射に榴弾に設置弾。更には盾としても使える補助装備。
この調子なら誘導弾や砲撃魔法まで使えてもおかしくはない。
充実した射撃に補助装備とくれば、中距離戦において隙を見出す余地はなさそうである。

「…………」

救援要請は既に済ませてある。
もう少し粘れば、シグナム副隊長が到着して助けてくれるはずだ。

――それで、どうする?

助けが来るまで格好悪く逃げ惑う?
一人では窮地を打開することもできない弱兵として助け出される?

「そんな、こと……」
「やっと見つけたッス」

片膝を突いたティアナの眼前に、大型プレートの砲門が突きつけられる。
桃色の髪をした少女は、どこか楽しそうな表情でティアナを見下ろしていた。
まるで最後の一人を見つけた、かくれんぼの鬼のようだ。

一度武器を捨てて、応援が来るまで時間を稼ごう。

そんな考えが脳裏を過ぎった瞬間、心の底から猛烈な反発心が湧き上がってきた。
逃げるのは嫌だ。
降伏するのは嫌だ。
助けられるのは嫌だ。
弱いのは――――嫌だ。

「……嫌だ……」
「はい?」

客観的に見れば、この状況はチェックメイトに近い。
目と鼻の先には大口径の砲門。
一方、自身は立ち上がることすらできていない。
クロスミラージュは手元に握ったままだが、構える暇など与えてはくれまい。
それでも、ティアナは諦めることができなかった。

正義感ではない。
誇りと呼べるほど美しくもない。

ただ――弱い自分を認めたくないという、意地のためだけに。

ティアナの輪郭が素早く横へ動く。
砲門は瞬時にそれに追随し、息が掛かるほどの至近距離から魔力弾を放つ。
着弾した瞬間、ティアナの輪郭は陽炎のように掻き消えた。

「嘘っ!?」

少女がフリーズする。
動いて見えたのは、ただの幻影。
ティアナ自身は動いてなどいなかった。
フェイク・シルエットの幻影を高速で移動させ、少女の咄嗟の反応を誘ったのだ。
策は成り、少女は完全にティアナから注意を逸らしていた。
地面を蹴って立ち上がり、同時にクロスミラージュを少女へ振り向ける。

「動かないで。……これで形勢逆転ね」
「あっちゃあ……」

ティアナと少女の間合いは僅かに数十センチ。
少女は戦闘の全てを大型プレートに頼り切っている。
つまり、プレートの内側にさえ踏み込めば砲撃の標的にされることはない。
砲撃以外にも武装があれば話は別だが、今はそこまで考慮していられる状況ではなかった。

「武装を解除しなさい。それから両手を頭の後ろに持っていって、そこに伏せて」

ティアナは平静を維持したまま、一語一語ゆっくりと語りかけていく。
非殺傷設定といえど、この距離なら充分なダメージになる。
相手もそのことは理解できているはずだ。
だが、桃髪の少女は余裕の表情を崩していない。
銃口を突きつけられているという現状すら、突破可能な状況なのだといわんばかりに。

「早くしなさい!」
「いやぁ、一本取られたッス。まさか幻術まで使えるなんて」

少女が開いた手で頭を掻こうとしたのを、もう一丁のクロスミラージュを突きつけて制止する。
ここまできたら油断はできない。
いざとなれば力尽くでも武装を奪うつもりで、ティアナは重ねて命令を告げる。

「喋らないで武器を捨てて」
「武器ってこれのことッスか?」

次の瞬間、少女が異常な速度でティアナに密着した。
プレート後部から噴出する推力が、少女を強烈な勢いで加速させる。
少女の腕に掴まれて、ティアナは後ろ向きに宙を舞った。

「けふっ……!」

不意打ちの加速が内臓と脳髄を揺らす。
スバルの声があっという間に遠退いていく。
想定外だ――
少女のプレートは想像以上に高機能の武装だった。
射撃装置としての攻撃的機能。
物理的な盾としての防御的機能。
そして、この移動的機能。
まさに万能兵装と呼ぶに相応しい代物だ。
少女はティアナを両腕で抱えたまま、プレートの上に飛び乗った。

「今度は幻術なんか使わせないッス」

相当まずい状況だ。
この速度で大木にでもぶつけられれば大打撃は避けられない。
喩えバリアジャケットの上からでも意識を奪うには充分だろう。
ティアナは拘束から逃れようと試みたものの、両足が宙に浮いた状況では暴れることすら難しい。

「こ……のぉ!」

今度は銃口を少女かプレートに向けようとする。
だが、巧みに腕を掴まれて上手くいかない。
攻撃を当てることができず、さりとて強引に抜け出すこともできない。

――――だからといって、諦めるつもりも毛頭ない。

ティアナは両腕を左右に突き出し、立ち木に向けて魔力のアンカーを射出した。
クロスミラージュと樹木を繋いだワイヤーが、ティアナと少女を引っ張って減速させる。

「くうっ!」
「きゃん!」

プレートが少女の足から離れて飛んでいく。
衝撃を受け止めた腕と肩に激痛が走り、クロスミラージュを取り落とす。
慣性のままに、ティアナと少女は重なり合ったまま弧を描いた。
無茶苦茶なやり方だが、これで拘束からは脱出できた。
後は、この速度で地面に叩きつけられる衝撃に耐えるだけだ。

不意に視界が開ける。

空を覆い隠していた広葉樹の枝葉が消え、真っ青な空が視界を埋め尽くす。
何が起こったのか理解した瞬間、ティアナの思考回路は凍りついた。

視界の隅には断崖の岩肌。
遥か下方には広大な樹林。

プレートから投げ出された二人は、進行方向にあった崖から投げ出されてしまったのだ。
上向きの勢いが途切れ、吐き気のする浮遊感が総身を包む。

「きゃあああああーーーっ!」
「いやぁぁぁぁぁ! ノーヴェぇぇぇぇぇ!」

成す術もなく、重力に引かれて落ちていく。
二人分の悲鳴だけが、空しく樹海に響き渡った。




 ――十二日目 第七管理世界 辺境  現地時間 AM11:22――


デバイスに覆われた右拳がぶつかり合う。
激突音が消えるより早く、インラインスケート型のデバイスのハイキックが相殺し合った。

「まさかこの程度なんて言わないよな!」

赤髪の少女が吼える。
更に足のローラーを急回転させて距離を取り、右腕を突き出す。
拳から放たれた魔力弾がスバルの足元で炸裂し、土と朽葉を舞い上げた。

「つっ……!」

スバルは戦いにくそうに表情を歪めた。
まるで鏡と殴り合っているような気持ちだ。
少女とスバルのデバイスは異常なまでに似通っている。
右腕のスピナー付きのガントレット。
両足のインラインスケート。
形状から機能に至るまで瓜二つだ。
武装が同じなら、必然的に戦い方も類似してくる。
その結果、二人の戦いは同じ流派の格闘家が打ち合うような状態となっていた。

「ギン姉と組み手してるみたい……」

相手に聞こえない程度の小声で呟く。
酷似しているのは外見もなのだが、スバルはそれを実感していない。
自分の顔というものは想像以上に記憶に残らないものなのだ。
仮に、この場にゲンヤかギンガのどちらかがいれば、両者の類似に目を剥くことだろう。

「まだまだぁ!」

赤紙の少女の足元でローラーが唸りを上げる。
急加速と同時の右ストレートを、スバルはナックルスピナーで受け流す。
続けて繰り出される、密着状態からの膝蹴りと肘鉄も凌ぎ切り、飛び退くように距離を離す。
スバルは足を突っ張って減速しながら、手元に魔力のスフィアを形成した。

「ディバイン……バスターッ!」

加速をつけた右拳で魔力スフィアを射出する。
直撃すれば一撃で敵を打ち倒し得る威力を秘めた魔力弾。
だが、赤髪の少女はボクサーのような身のこなしでそれを回避し、一気に間合いを詰める。

「そんなの当たるかよ!」

伸び切った右腕の間合いの内側に潜り込まれる。
右手では防御も迎撃も間に合わない。

「終わりだ!」
「このっ……」

腕を引き戻すより先に少女の右拳が放たれる。
スバルは咄嗟に、自由になっていた左拳で少女の右肘を殴りつけた。
大した威力のない素手の一撃だが、拳の軌跡を僅かに乱すには充分だ。
豪拳がスバルの頬を掠め過ぎる。

「……やるじゃねぇか」

二人は互いに右腕を突き出した格好で目線を合わせた。
スバルの顔の真横でスピナーが回り続けている。
その抉るような回転音が、スバルの神経をざわめかせる。
今はまだ、どちらも決定的な打撃を受けていない。
無傷で攻撃を凌ぎ合っているだけだ。

均衡が破れるとすれば、予想だにしないことが起きた瞬間だろう。

どちらからともなく、ローラーを逆回転させて間合いを離す。
戦闘スタイルが似ているということは、望ましい間合いも同じということ。
二人は申し合わせすらなく、同時に停止して構えを取った。

「ねぇ、どうして攻撃なんかしてきたの」

スバルは警戒を維持したまま、少女に疑問を投げかけた。
最初は密売組織の残党かと思ったが、それにしては戦いを楽しみすぎているように思える。
目的のために戦っているわけではなく、戦うこと自体が目的であるかのようだ。
少女が口の端を上げる。
疑問をぶつけてはみたが、実のところ返答は期待していなかった。
わざわざ奇襲を仕掛けてきた相手が情報を漏らすとは考えられない。
だが、少女の反応はスバルの想像を越えていた。

「半分は任務で、もう半分はあたしの興味かな」

そう言って、インラインスケートの爪先で地面を叩く。

「あたしと同じ奴が、どういう風に生きてきたのか知りたかったんだ」
「……わたしと……同じ?」

呆然とするスバル。
少女は首肯し、獰猛に笑った。

「けど良かった。多分――――あたしの方が強い」

その瞬間、森の向こうから絹を裂くような悲鳴が聞こえた。
ティアナともう一人、聞き覚えのない少女の声だ。
スバルは反射的に悲鳴のしたほうへ振り向いた。

「ティアナ!?」
「余所見してんじゃねぇ!」

気付いたときには手遅れだった。
赤髪の少女の拳が胴体にめり込んでいく。

「――――ッ」

吹き飛ばされ、背中から大樹の幹に叩きつけられる。
スバルの口から声にならない呼気が漏れた。
衝撃で肺の中の空気が押し出される。

「終わりだ、タイプゼロ!」

赤髪の少女が拳を振り被る。
スバルは指一本動かせないままに、渾身の打撃を叩き込まれようとした。
そのとき、銀色の蛇が木々の間を滑り抜け、少女の手甲を打ち払った。
強靭なワイヤーで無数の刀身を繋いだ、刃の大蛇。
シュランゲフォルムに変形したレヴァンティンの刃だ。

「ちっ、増援か。運が良かったな」

少女は即座に状況を判断、その場で急ターンして走り去った。
一対二の不利を直感したのだろう。
遠ざかるローラーの回転音と入れ替わるように、シグナムがスバルの傍らに降り立った。

「大丈夫か、スバル」
「は、はい……それよりティアが……」

腹部と背中の鈍痛を堪えて身を起こし、悲鳴のしたほうへ向き直る。
あの悲鳴はただ事ではない。
しかし、知らない誰かの悲鳴も混ざっていたことも気に掛かる。
もう一人の敵にやられてしまったのなら、聞こえてくるのはティアナ一人の悲鳴のはずだ。
駆け出そうとするスバルに対し、シグナムが緊迫した声を投げた。

「待て! 単独行動はするな」
「でも……!」

スバルは抗議しようと振り返った。
だが、シグナムの真剣な顔を見て言葉を呑んでしまう。

「他の班も攻撃を受けている――被害は甚大だ。これ以上の犠牲を出すわけにはいかない」

犠牲という言葉に、スバルは凍りついた。
シグナムは大袈裟なことを言う人物ではない。
あえて過激な表現をしたということは、実際にそれだけの被害が出ていることを意味する。

「重傷四名、軽傷一名。重傷者のうち二名は意識を取り戻していない」

合計負傷者五名。
これは作戦に投入された前線兵員の半数に相当する。
一般に、兵力の二割が戦闘不能になれば、その部隊は正常な継戦能力を失うとされる。
半数というのは壊滅に近い大打撃だ。
スバルは顔を青ざめさせ、消え入るような声で呟いた。

「あの……意識がない二人っていうのは……」

シグナムは暫し間を挟んだ。
その情報をここで伝えるべきか考え込むように。

「――――第二班、ヴィータとエミヤシロウだ」



 ――十二日目 第七管理世界 辺境  現地時間 AM11:24――


ノーヴェは一人森の中を疾走していた。
足のローラーを高速で回転させ、不整地を滑るように進んでいく。
目指す先はウェンディの悲鳴がした方向。
確か、あそこは切り立った崖になっていたはずだ。
悲鳴の原因は、恐らく崖からの転落。
戦っている最中に誤って敵と諸共に落ちてしまったのだろう。

「……ちっ」

思わず舌打ちをしてしまう。
ノーヴェは内心の焦りを隠しきれなかった。
確かにあそこは崖だが、バリアジャケットでも着ていれば死にはしない程度の高さだ。
ウェンディが無事であること自体に疑う余地はない。
問題は、武装を失ったウェンディが管理局に捕らえられる危険性の存在である。
ライディングボードを持つウェンディが落下したという事実は、彼女がボードを失っている可能性を示唆する。
装備を失った状態で敵に見つかったら、抵抗の余地もなく捕縛されてしまうだろう。

「最悪の展開だな……」

一刻も早く駆けつけたいと思う反面、最短距離を走ることができないという現実が立ちはだかる。
崖下にはウェンディのみならず管理局の局員まで落ちているはずだ。
つまり、先ほど交戦した二人も崖下を目指すに違いない。
最短距離を走るならば、崖下へ向かう敵からの妨害に耐えなければならない。
故に最短距離は走れない。
少々の遠回りをし、それでいて敵よりも早く辿り着く必要があるのだ。
更に加速を加えるノーヴェ。
その足元で激しい火花と破裂音が生じた。

「うわっ!?」

インラインスケート型の武装に亀裂が走り、金属部品の破片が飛び散っていく。
利き脚を突っ張って急制動をかけるも、遂にホイールまでもが砕けて弾け飛んでしまう。
結局、停止に成功した頃には武装の原型が殆どなくなっていた。

「こんなときに……ドクター、ちょっと恨むぞ」

ノーヴェは泣き言交じりに呟いた。
タイプゼロの装備をコピーした武装だったが、やはり複製品では性能的な限界があるらしい。
本物との打ち合いに加え、戦闘機人の身体能力で用いたことも重なって、部品への負荷が閾値を越えたようだ。
しかも、ノーヴェはタイプゼロよりも蹴撃に偏重した戦い方を好んでいる。
移動用を想定して作られた武装では強度に不安があった。

「……回収は後でいいな」

両足の装備と右腕のガントレットを外し、草陰に放り投げる。
ガントレットも使用感がいまいち身体に合わない。
ノーヴェの弱点を補うための射撃兵装を追加したせいで重量が増し、使い勝手が悪くなっているのだ。

「やっぱり、あたし用の武装を設計して貰わないと」

装備を放棄し、ノーヴェは己の脚で走り出した。
同じ先天技能を持つということで、武装もデータから複製したものを与えられた。
しかし、それでは己の性能を活かしきれないということがよく分かった。
それだけでも今回のデータ収集作戦には価値があった。
だからこそ、必ずウェンディを助け出して、一人も欠けることなく帰還しなければならない。
ノーヴェは非武装状態での速度低下に舌打ちをし、走りながら通信ウィンドウを開いた。

「チンク姉……ごめん、救援お願い!」



[27243] 第20話 暴君の剣Ⅴ -Tyrant Sword the Fifth-
Name: リリナイ◆23c1d855 ID:76699dfe
Date: 2011/05/04 13:40
 ――十二日目 第七管理世界 辺境  現地時間 AM11:25――


青空に無数の爆発が巻き起こる。
ガジェットドローンⅡ型の残骸が、金属片の雨となって樹海へ落ちていく。
火の粉と黒煙の帳を割り、純白の外套が空を切る。

「これで十五機……」

フェイトは自らが破壊したガジェットドローンに一瞥もくれず、一直線に飛び続ける。
――ぎり、と奥歯を噛み締める。
先ほどから立て続けに飛び込んでくる通信は、どれも悪いニュースを伝えるものばかりだった。

作戦目標であった密売組織の拠点の消失。
サーヴァントを含めた正体不明の敵の出現。
エリオとキャロ、セイバーとシロウ、そしてヴィータの負傷。
ティアナのシグナルロスト。

実に、投入戦力の半数が離脱するという有様だ。
バルディッシュを握る手に力が篭る。
こんなにも被害が広がったのは、作戦立案のミスに原因があるとしか思えない。
捜索範囲を広げるために班を細分化し、結果として一斑あたりの戦力を低下させてしまった。
言い換えれば、各個撃破を容易にしてしまったのだ。
その結果がこれだ――悔やんでも悔やみきれない。
せめて通常の分隊単位で行動していれば、被害はこれほど甚大にはならなかっただろう。

「早くしないと……!」

フェイトは更に速度を上げた。
第五班とセイバーが戦った相手は、セイバーと同じ能力のサーヴァントだったという。
それが何者なのかは、後でセイバーから聞きだす必要がある。
だが、その正体が何者であるにせよ、最も警戒すべき存在であることは変わらない。

最初の夜に"擬似聖杯"を破壊したセイバーの力。
謎のサーヴァントも同じ力を使っていたという。

はっきり言って、新人達が相手取るには強大すぎる相手だ。
エリオ達はフリードに乗って離脱したが、それで相手が諦めるとは限らない。
最悪のパターンを防ぐためには、一刻も早く皆と合流する必要がある。
先を急ぐフェイトの前方に、十数機のガジェットドローンⅡ型の機影が見えた。

「邪魔しないで!」

急制動を掛けバルディッシュを構える。
それに呼応するように、ガジェットドローンが全方位に散開した。
ガジェットドローンが"擬似聖杯"の一味の配下にあるのか、それとも偶然居合わせただけなのかは分からない。
しかし、今はどちらだろうと同じことだ。
邪魔をするなら撃破して進むのみ。

≪Plasma lancer.≫

周囲に展開したスフィアから弾体が四方八方に放たれる。
直撃を受けたガジェットドローンは一撃で爆砕。
外れた弾体も軌道を切り替えて追いすがり、標的を次々に撃ち墜としていく。
半分と掛からず全てのガジェットドローンが爆発の中に消える。
一機残らず墜としたことを確認して、フェイトは再び飛翔しようとする。
そのとき、後方から聞き馴染んだ声がした。

「フェイトちゃん!」
「なのは……」

フェイトは空中に留まって、なのはが追いつくのを待った。
申し訳なさと気恥ずかしさで顔を伏せる。
早く合流しなければという焦り、ついなのはを置き去りにして先を急いでしまっていった。

「その、ごめんなさい、先走ったりして」

皆が心配なのは、なのはも同じはずだ。
それなのに自分だけが平静を失い、他人に負担を与えている。

「それはいいの……けど、お願いだから、一人で行かないで」

なのはのお願いは、どこか矛盾しているように聞こえた。
フェイトは思わず口を噤む。
先を急ぐのは構わない。けれど一人で行くのは駄目だという。
それはつまり、自分がサーヴァントに倒されてしまうことを心配しているのではないだろうか。

「……分かった」

フェイトは頷き、合流地点の方へ向き直った。
自惚れるわけではないが、それなりの実力を備えている自負はある。
管理局から与えられている空戦ランクS+は伊達ではないのだ。
だが、なのははフェイトの実力を正しく踏まえた上で、あえて身の安全を心配している。
ならば忠告を聞き入れない理由はない。

実のところ、フェイトはサーヴァントの脅威の大きさを把握し切れていない。
それは相手を甘く見ているというわけではなく、判断材料が少なすぎるという意味だ。
断片的な映像資料。
魔術協会から提供された情報。
なのはや遠坂凛から聞いた証言。
フルパワーとは思えない相手とのたった二回の交戦。
これらがフェイトの知る全てである。

『百聞は一見に如かず』という言葉の通り、一度の実戦は百回の情報収集に勝る。
しかし魔槍使いとの二度に渡る交戦は、相手の全力を受け止めたとは言い難かった。
"偽造聖杯"の破壊に際して、僅か数合打ち合っただけの一戦目。
レリック輸送作戦に際して、実力の一端を垣間見た二戦目。
どちらの戦いも、バーサーカーが全力を出していたように思えなかった。
あの魔槍に秘められた魔力の作用が、たかが物理的な強度の向上で終わるとは考えられない。

思索を打ち切って、フェイトは小さく頭を振った。
机上の空論であれこれ考えても意味がない。
それに、自分となのはが揃えば怖いものなんて――――

「行こう、なのは」
「待って!」

飛び出そうとしたフェイトの行く手を、なのはの腕が遮った。
何事かと横顔を見やる。
なのはは何もない空間を睨みつけ、口元をきつく引き結んでいた。

「どうしたの、急に―――」


そう言い掛けた瞬間、何の前触れもなく虚空が揺らぐ。
高密度の魔力が渦を巻き、空間自体を歪めかねない圧力で幾重にも捩れ重なっていく。

陽光を余さず束ねたかのような黄金に輝く魔力光。
物質の域にまで収束した魔力が、質量ある存在として具現する。

それは、神話が形を成した如き黄金の船。
揚羽蝶の翅のようなエメラルドの翼を広げ、虹の後光を背負う神域の威容。


「――――久しいな、魔導師」

甲板に据えられた黄金の玉座から、その男は尊大な声を発した。
贅を極めた黄金の甲冑。
逆立つ金色の髪。
全てを黄金色に彩られた中にあって、埋没することなく燃え盛る紅の双眸。
この世の全てを見下す眼差しで、黄金の男は嗤っていた。

フェイトは言葉を失っていた。

そして、理解した。
これが英霊というものだと。

「ギルガメッシュ……!」

フェイトの隣で、なのはが絞り出すように言葉を紡ぐ。
数年を共に過ごしたフェイトですら、初めて聞くような声だった。

「我を拝する許可を与えた覚えはないが。……まあ良い、許そう」

黄金の男―――ギルガメッシュは、玉座に頬杖を突いたまま二人を見下ろしている。
その表情と声色はあくまで尊大。
その態度と姿勢はあくまで悠然。
武器を手にするどころか、身構える素振りすら見せていない。
なのはとフェイトを対等の相手と思っていないことが明らかだ。

「まさか、本当にあなたが召喚されているなんて……」

対するなのはは、いつでも攻撃に移れるようにレイジングハートを構えている。
その横顔は緊張感と警戒心に満ちていた。
まるで、ギルガメッシュの一挙手一投足から目を離さまいとするように。
フェイトは声を潜めて、なのはに疑問を投げかけた。

「なのは……あれは……?」
「アーチャーのサーヴァント、ギルガメッシュ……でも……」

なのははフェイトに視線を向けず、うわ言のように答えた。
――アーチャー。
何らかの武装による射出攻撃を得意とするサーヴァント。
だが、黄金の船に搭乗したその姿は、むしろライダーのクラスに相当するように思えた。

「でも……どうして私のことを覚えているの?」
≪Gilgamesh. You should have been killed by Mr.Emiya.≫

レイジングハートがなのはの言葉に同調する。
貴方は衛宮士郎に倒されたはずだ、と――
ギルガメッシュの顔に初めて感情らしい感情が浮かぶ。

「下らぬことを思い出させおって」

憎悪か、それとも生理的な嫌悪感か。
いずれにせよ、ギルガメッシュは苦虫を噛み潰したように表情を歪めた。
それを見て、なのはが更に声を荒げる。

「消滅したサーヴァントは記憶を引き継げないはずでしょ? どうして私や衛宮君のことを覚えてるの!」
「喚くな、魔導師。貴様の声は頭に響いて耳障りだ」

ギルガメッシュが片手を上げる。
それに呼応するように、背後の空間が水面のように波打った。

≪Master!≫
「…………っ!」

なのはがレイジングハートの先端を振り向ける。
背後の波紋から現れたもの――――それは、金細工で飾られた濃緑色の豪奢な酒瓶だった。
目を丸くするなのは。
余りにも場違いな代物の出現に、フェイトはきょとんとして酒瓶を見やった。
まさか、何らかの武器なのだろうか。
そう思ってみたが、やはりどう見ても酒瓶以外の何物でもない。

「サーヴァントの得た経験は、書物に記された記録程度にしか引き継がれない……確かにその通りだ。
 だが、我は貴様と贋作者のことをしかと覚えている。その意味をせいぜい考えておけ」

更に別の空間が波打ち、金と宝石に彩られた杯が、ギルガメッシュの手元に現れる。
こちらも一目で至宝と理解できる美麗な杯だ。

「どういう意味なの……?」
「推測するに充分な材料は与えた。後は己の頭で考えろ」

ギルガメッシュは、敵前とは思えない様子で器に酒を注いだ。
いや、この男にとって、この場は敵前ですらないのだろう。
玉座に凭れ、泰然と頬杖を突き、美麗なる酒器を傾ける。
それはさながら、臣民を睥睨する王者の眼差し。
戦場で酒を煽るという常軌を逸した行動に、フェイトは思わず声を上げた。

「あなた……何のつもり!?」
「――ん?」

ここに至り、ギルガメッシュは初めてフェイトへ目線を向けた。
燃えるように紅く、氷のように冷たい瞳。
なのはに向けていた関心は微塵もなく、宴に紛れ込んだ異物を一瞥するような様相すら感じられる。

「見ての通りだ。今は貴様らと事を構えるつもりはない」
「じゃあ、どうして……」

どうしてこんなところに現れたのか。
そう問おうとした矢先、ギルガメッシュはフンと鼻を鳴らす。

「戯れだ」

口を開くのも面倒だと言わんばかりの態度で言い捨てる。
フェイトは思わず耳を疑った。
戯れ――つまり、この行為は単なる暇潰しでしかないということだ。
今までに戦ってきた敵とは決定的に異質だ。
己の利益を求める次元犯罪者とも、切なる願いのために戦っていた者達とも違う。
戯れと称して戦場に乗り込んでくるなど聞いたこともない。

そのとき、フェイトを眺めるギルガメッシュの眼差しに、初めて無関心以外の感情が混ざった。

口元を歪め、淫靡な笑みを浮かべる。
まるで、新しい玩具を見つけた獅子のように。

「ふむ……そうか、貴様がスカリエッティの言っていた……」
「スカリエッティ!?」

フェイトは目を見開いた。
――ジェイル・スカリエッティ。
よもやこんなところで、あの広域次元犯罪者の名を聞こうとは。

予想だにしない展開に焦燥が掻き立てられる。

このサーヴァントはスカリエッティと繋がっている。
それは、スカリエッティが"偽造聖杯"を巡る一連の事件に関わっているということではないのか。
フェイトが数年に渡って捜査し続けてきた次元犯罪者。
プロジェクトF.A.T.E.の嚆矢たる男が。
ギルガメッシュは混乱するフェイトの心情を構う様子もなく、総身を舐めるように観察する。

「…………っ!」

フェイトの背筋に悪寒が走る。
大蛇に睨まれた仔栗鼠の心境は、きっとこういうものなのだろう。
対等の存在だと思われていないことが、視線からだけでありありと理解できる。
フェイトはザンバーフォームのバルディッシュの柄を強く握り締めた。

「喜べ、拝謁を許す。今日の我は機嫌がいい。人間の贋作には望外の僥倖であろう?」


――人間の、贋作。


その一言を聞いた瞬間、フェイトの中で何かが弾けた。
雷光の如き速度で飛翔し、無防備なギルガメッシュにバルディッシュを振り下ろす。
有無を言わさぬ神速の一撃。
しかし、フェイトの奇襲は一枚の盾によって完全に防ぎ止められていた。

「贋作――誰に刃を向けている」

ギルガメッシュは指一本動かしていない。
片手で頬杖を突き、もう片方の手で酒器を持ち、玉座に深々と腰を下ろしているだけだ。
バルディッシュを防いだ瑠璃色の盾は、突如として虚空に現れたのだ。

「フェイトちゃん!」

なのはの叫び声が聞こえる。
一瞬にして逆上した頭が急速に冷静さを取り戻していく。

「くっ……」

フェイトは盾に弾き返されるようにして、なのはの隣へと戻った。
盾は現れたときと同じく、何もない空間に溶け込んで消えていった。
後に残されたのは、何事もなかったかのように杯を傾けるギルガメッシュの姿のみ。
あの一言は侮辱でも挑発でもなく、純然たる本音に過ぎなかったのだろう。

「……ごめん、なのは」

軽率な行動だったことは理解している。
けれど、どうしても憤りを抑えることができなかった。
自分自身が否定されたからではない。
ギルガメッシュの暴言は、フェイトだけでなくエリオまでもを否定する。
それだけは許すことができなかったのだ。

不意にギルガメッシュが動いた。

酒瓶と杯を空間の彼方へ戻し、甲冑を鳴らして立ち上がる。
なのはとフェイトは咄嗟にデバイスを構えた。
バルディッシュとレイジングハートが口々に苦言と忠告を呈する。

≪Master. The act ahead was rash.≫
≪There is no chance of success. I propose withdrawing.≫

だが、ギルガメッシュはなのは達から視線を外し、どこか森の彼方を眺めていた。
口の端に邪悪な笑みを浮かべ、不快そうに目を細める。

「狂犬め、勝手に飽いて引き揚げたな」

そして、横目で二人を一瞥する。

「戯れは終わりだ。贋作よ、次に会うことがあれば、身の程を弁えた振る舞いを覚えておけ」

ギルガメッシュと黄金の船が眩い光に包まれる。
あまりの眩しさにフェイトは目を細めた。
太陽を直視したかのような痛みが眼窩を貫く。
数瞬の後、黄金の船は光輝と共に姿を消していた。

「消えた……」

魔力光の残滓が大気に溶けていく。
後に残されたのは荒涼とした青空と、微かな熱を帯びた一陣の風。
フェイトは痛いほどに力を込め、バルディッシュの柄を握り締めた。

「フェイトちゃん、気にしちゃ駄目だよ」
「うん、ありがとう……」

浮かべた微笑は、わざとらしいくらいの作り笑顔。
人間の贋作―――
ギルガメッシュの残した呪は、フェイトの心の底に墨のように染み込んでいた。
あの男はスカリエッティを通じてプロジェクトF.A.T.E.のことを知っている。
その上で、フェイトのことを贋作と言い切ったのだ。
理解できない……理解したくもない思考回路。
分かり合うことができないと確信できる存在。


世界の全てを軽んずるその紅眼を、フェイトは忘れられそうになかった。




 ――十二日目 第七管理世界 辺境  現地時間 AM11:30――


「――…………んっ」

目を覚ましたティアナの視界に、いっぱいの木漏れ日が飛び込んだ。
眩しくて、思わず目蓋を閉じそうになる。
けれど、再び意識を手放しそうになってしまい、ティアナは無理やり意識を覚醒させた。
身体がひんやりと冷たくなっている。
地面に手を突いて起き上がろうとして、自分が置かれている状況を理解した。

眼前には切り立った崖が聳え立ち、断崖の真下を見るからに深そうな川が流れている。
川の周りには丸石の敷き詰められた河原が広がり、その周囲には深い森。
流水の音と鳥のさえずりが、辺りの静けさを一層強調している。

ティアナは立ち上がり、自分の体を検めた。
バリアジャケットは解除され、六課の制服姿に戻っていた。
その上、全身が頭から靴の中までずぶ濡れだ。
どうやら川に落水した後で河原へ上がり、そこで意識を失ったらしい。
落下時の状況を思えば大怪我をしていないだけで幸運だろう。

……となると、気に掛かるのは川から上がった方法だ。
自力で這い上がったのだが、単にそのことを忘れているというなら別に構わない。

問題は、他の誰かに助けられた場合だ。

この地区には定住者がいない。
旅行者が来ているという情報もないので、その『誰か』とは十中八九――

「うわっ! やばい、起きてるッス!」
「誰っ!?」

ティアナは声のした方へ振り返った。
思わず『誰』と言ってしまったが、声の主は見当がついている。

「起きないうちに済ませちゃおうと思ってたのに……失敗ッス」

想像したとおり、濃桃色の髪に蒼いボディースーツの少女が森の傍に立っていた。
両手を肩の高さに上げていて、戦意のないことをアピールしているようにも見える。
―――いや、実際に戦意がないのだろう。
少女が使っていた武装は、ティアナ達が断崖に投げ出されたと同時に、どこかへ飛んでいった。
こうして手ぶらでいるということは、未だ回収できていないに違いない。

「…………」

ティアナは少女の行動に気を配りつつ、クロスミラージュを手に取ろうとした。
そして、崖の上でクロスミラージュを紛失していたことを思い出す。

「しまった……」

小声で失態を悔やむ。
デバイスを失ったのは止むを得なかったが、それを失念していたのは明らかなミスだ。
警戒を露わにするティアナに対し、少女はひらひらと両手を振って見せた。

「そんなに怖い顔されると困るッス。ここは一時休戦ってことで……どうッスか?」





「よしっ、点いた」

ティアナは燃え上がる種火を前に、会心の笑みを浮かべた。
緊急時のために管理局支給のサバイバル道具を所持していたのが幸いした。
この火種を使って焚き火を起こせば、冷えた身体を温めると同時に、居場所を知らせる狼煙にもなる。
ポシェットが防水仕様だったことにも感謝しなければ。

「後は消えないように燃料を加えて……と」

あらかじめ集めておいた枯葉と枯れ枝を少しずつ加えていく。
これは訓練生時代に受けたサバイバル講習で得た知識だ。
都会生活に馴染んでいると実感しにくいのだが、生木は想像以上に燃えにくい。
乾燥していない木材は、質量の五割が水分で構成されるという。
そのため、生木をそのまま火にくべても、水分が真っ先に熱を奪って蒸発し、燃焼を妨げてしまう。
いわば消火剤と燃料を同時に燃やそうとするようなものだ。
全く燃料にならないというわけではないが、乾燥させた状態に比べると質が劣ってしまう。
どうしても使いたい場合は工夫が必要となる。
だが、幸いにも乾燥した枝葉を多めに収集することができたので、余計な苦労をする必要はなかった。

「やっぱり覚えておいて損はないのね」

ティアナはしみじみと呟いた。
訓練生時代の実践演習もたまには役に立つようだ。
当時は、使うかどうか分からないサバイバル講習よりも、もっと有意義なことを学びたいと思っていた。
今となっては、当時の自分を殴ってやりたいとすら思っている。
焚き火が充分な火力を得たことを確かめて、ティアナは少し離れたところで二つ目の焚き火の準備に入った。

一つ目は暖を取りつつ着衣を乾かすためのもの。
二つ目はあえて煙を立てて狼煙とするためのものだ。

通信装置が手元にあればよかったのだが、流石にそこまで都合はよくなかったようだ。
火力が強まったところに、今度は生木を投入する。
生木は燃えにくい。
水分が多過ぎるせいで不完全燃焼を起こしてしまう。
しかし狼煙として使う場合は、あえて不完全燃焼させて大量の煙を発生させるという使い方があるのだ。
全ての準備を終えて、ティアナは煙の少ないほうの焚き火の前に座った。

「ふぅ……」

上着を脱ぎ、平らな岩の上に広げて置く。
川の水でワイシャツの生まで濡れ鼠だ。
肌にべっとりと張り付いて、かなり気持ちが悪い。
シャツ越しに身体のラインや下着が露わになっているが、特には気にならなかった。
異性と居合わせているならまだしも、一緒にいるのは名前も知らない赤毛の少女。
恥じらいを覚えるシチュエーションではない。

「スバル、大丈夫かな……」

ワイシャツの胸元を引っ張り、塗れた布と胸の間に隙間を作る。
胸に何かが張り付いていると変な息苦しさを覚えてしまう。
ティアナはさり気なく、赤毛の少女へ目線を向けた。
あの少女とは一応の停戦協定を結んでいる。
といっても、互いに手を出さないという簡潔なものなのだが。
少女は河原の傍の大樹にもたれかかって、何やら神妙な顔付きで―――

「――――くしゅん!」

盛大な、くしゃみをした。
ティアナは思わず呆れ返った。
妙に真剣な顔をしていると思ったら、単にくしゃみを我慢していただけだったらしい。
警戒してしまった自分が馬鹿みたいだ。

「ちょっと、あんた」
「……何ッスか?」

呼びかけてしまってから、軽く後悔する。
けれど今更引っ込めるのも格好がつかない。
ティアナは少し間を置いて、馬鹿を重ねる覚悟を決めた。

「場所くらいなら貸してあげるわよ」

そう言って焚き火の反対側を指で示す。
馬鹿らしいことだとは思っている。
幾ら停戦協定を結んだとはいえ、自分達の命を狙った敵なのだ。
そんな相手に暖を与えるなんてお人よしにも程があるだろう。

けれど今回に限っては、こうしなければ何かが負けてしまうような気がした。

崖から落ちた後、ティアナは間違いなく気を失っていた。
知らないうちに自力で川から上がっていたというのは、正直に言うと考えにくい。
つまり、あの少女がティアナを河原へ引っ張り上げたに違いないのだ。
その行為にどんな意図や気紛れがあったのかは分からない。
単に捕虜として情報を引き出すつもりだったが、味方の到着前にティアナが目覚めただけかも知れない。

だが、少女の真意はどうあれ、助けられたという事実は本物だ。

要するに、つまらない意地を張っているだけ。
助けられっ放しでは居られないという、ささやかなプライドの表れだった。

「ほんとッスか!?」

少女は満面に喜色を浮かべて焚き火の傍にしゃがみ込んだ。
ティアナの苦悩などまるで気付いていないようだ。
何だか、あれこれ考え込んでいることが馬鹿らしく思えてくる。
自分もこれくらい能天気になれたら、生きていることがもっと楽しくなるのだろうか――

「……そうだ。助けはすぐには来ないと思うッス」
「えっ……?」

急に話を振られて、ティアナはつい聞き返してしまった。
不意打ちだったので聞き逃しかけたのもあるが、それ以上に発言の内容が予想外だった。
崖下の河川に落下しただけなのだから、救助も崖を降りるだけで充分だろう。
徒歩で降りるのは難しくても、飛行魔法が使えれば容易いはずだ。

「さっきの崖を降りたらすぐに助けて貰えるとか、そんなに単純な状態じゃないッス」

だが、少女は首を左右に振って、ティアナの考えを否定した。
恐らく表情から考えていることを読み取ったのだろう。

「あの崖の下は深くて流れの速い川になってたッス。
 だから、どうにか岸まで辿り着いたときには、随分流された後だったッス」
「そっか……ここは下流ってわけ……」

頭の中で周辺地形の地図を思い浮かべる。
確か、あの川は途中で二つに分岐していたはずだ。
ここが分岐点より下流なら、少々厄介なことになる。

「狼煙を見つけてくれることを祈るしかないわね」
「そうッスね……」

焚き火を挟み、揃って空を仰ぐ。
まさに呉越同舟と呼ぶに相応しい状況だった。
森と川に囲まれた小さな船の上で、敵と味方が揃って助けを待っている。
全く以って奇妙なシチュエーションである。

「ねぇ、どうして私たちのことを襲ったの?」

ティアナは会話が途切れる前に次の話題を振った。
流石に面と向かった状態で沈黙していられる度量はない。
真相を聞きだせる見込みは皆無だが、黙って相対しているよりはマシだろう。

「あーっ、それは駄目ッス。任務の内容は秘密ッス」

そうか、任務なのか――ティアナは内心で呟いた。
本人としては情報を隠蔽しているつもりなのだろうが、いまいち詰めが甘いようだ。

或いは『任務』であること自体はバレても問題ないという考えなのか―――?

思考が深読みに陥りつつあることに気付き、ティアナは小さく頭を振った。
相手の目的と全容が分からないせいか、嫌でも考え過ぎてしまう。
ひょっとして、このとぼけた態度も作戦ではないか、だの。
実は仲間が物陰から観察し続けているんじゃないか、だの。
色々なパターンの想定が次々と浮かんでは消えていく。

「それはそれとして。今の自分にどんなことができるのか確かめるのって、結構楽しくないッスか?」

――そんな雑多な考えは、たった一言の前に全て霧散してしまった。
頭がフリーズする。
自分にできることを確かめたい。
まさか、敵と考えていた相手から、こんな台詞を聞くだなんて。

「ば……馬鹿じゃないの? そんな理由で襲われる方は堪ったもんじゃないわ」
「そりゃそうッスよね」

赤毛の少女は笑いながら髪を掻いた。
自分の意見を馬鹿にされたというのに、あまり気にしてはいないようだ。
その余裕がどこから来るのかは分からない。
けれど不覚にも――――少しだけ、羨ましいだなんて思ってしまった。



「――――――――おー……い……」


森の向こうから誰かの声がする。
ティアナと少女は反射的に眼を見合わせた。
申し合わせるでもなく同時に立ち上がり、大急ぎで別々の茂みに身を隠す。
無論、乾かしていた上着を回収した上での緊急避難である。
来訪者が少女の味方であればティアナが窮地に陥り、ティアナの味方であれば少女が窮地に陥る。
双方の事情が重なったが故の行動の一致だったが、奇妙な連帯感すら感じられる瞬間であった。

「…………」

ティアナは息を潜め、声の主の出現を待った。
暫くして、木陰からコートを羽織った少女が姿を現した。
銀髪に黒い眼帯、そして青系統の色合いのボディースーツ。
機動六課の隊員でもなければ、管理局の人間でもない。
明らかに赤毛の少女の仲間だった。
その姿を見止めたのか、遠く離れた草陰から赤毛の少女が飛び出した。

「チンク姉ぇ!」
「ウェンディ、こんなところにいたのか」

ウェンディ――それが赤毛の少女の名前らしい。
明らかに年下の少女を『姉』と呼んでいるように聞こえたが、それはどうでもいいことだ。
ティアナは、赤毛の少女の名前を知ったという事実に対し、奇妙な感情を覚えていた。
あえて表現するなら、高揚感の一種だろうか。
けれど、敵の名前という情報を得られた高揚感とはまるで違う。
適切な表現が喉元まで出掛かっているが、それ以上は意識がストップをかけてしまっている。

「管理局の人間はどうした」

銀髪の少女がウェンディに問いかける。
管理局の人間、つまりティアナの居場所を尋ねているのだろう。
ティアナは手元に魔力スフィアを生成した。
クロスミラージュのサポートがなくても、これくらいのことならできる。
万が一のときには、これを使って逃げる時間を稼ごう。
ティアナはそう考え、覚悟を決めた。

「逃げられちゃったッス」

さも当然であるかのように、ウェンディは答えた。
ティアナが森に逃げ込んだところを見ているはずなのに、何故かそれを告げようとしていない。

「それより、あたしの武装と拳銃みたいなデバイスが落ちてなかったッスか?」
「ライディングボードなら姉が回収した。だがデバイスの方は見ていないな。何ならディエチかノーヴェに捜索させよう」
「いや、ちょっと気になっただけッス。早く帰還しないとクア姉に怒られるッスよ」

ウェンディは銀髪の少女の背中を押して森の奥へと姿を消した。
それを見届けた後で、ティアナは木に背を預け、ぺたんと座り込んだ。
どうやら見逃されてしまったらしい。
だが、不思議と嫌悪感は湧いてこなかった。

自分にできることを確かめたい。
赤毛の少女――ウェンディはそう言った。

それは必然的に、自らを高めようとする向上心の存在を意味する。
だからという訳ではないだろうが、ウェンディに対するティアナの感情は複雑怪奇に揺らいでいた。
他の敵がどういう考えをしているのかは分からない。
もう一人の赤髪の少女などは、容赦なくスバルに襲い掛かっているように見えた。
さっきの銀髪の少女も、幼い顔には不釣合いな性格をしているのかもしれない。
だけど――――

「何に考えてるのよ、わたしは……!」

――世迷言だ。
ティアナは激しく頭を振って、浮かび上がってきた妄想を振り払う。
不思議と理解できてしま思考回路。
分かり合うことができるかもと思わせる存在。
そんな相手が敵にいた。
ただそれだけのことではないか。


思考をリセットしようと、空を仰ぐ。
どこまでも澄み渡る青空を背景に、桃色と黄色の魔力光が大きな旋回と降下を始めていた。



[27243] 附録:人物補足資料
Name: リリナイ◆23c1d855 ID:76699dfe
Date: 2011/05/06 17:52
話数が切りのいい20回に達し、5話に渡った戦いも一段落したので、
備忘録として本作の登場キャラクターを取りまとめたものを公開します。



○本作のオリジナルキャラクター
原作に存在しない登場人物のうち、個人名があるキャラクター。
オリジナルキャラクターとは言っても、要するに名有りのモブや脇役である。

後で「こいつ誰だっけ」となったときの資料としてどうぞ。



○本作に登場するサーヴァント
登場サーヴァントのステータスとスキルの一覧。
やっぱりFateといえば、ステータス表を眺めるのも楽しみの一つ。

宝具は原作そのままなので割愛。一部項目は隠蔽済み。



○派生作品からの登場人物
今回のオマケ。
本作に登場したキャラクターのうち、原作の派生作品が出展の登場人物を紹介。
殆どはFate/Zeroのキャラクター。

「派生作品までは把握していない」という人向け。



-----------------------------------------------------------------------------

○本作のオリジナルキャラクター


【イスト・アベンシス】
登場話:第4話、第5話、第8話

"偽造聖杯"事件の重要参考人。発掘品の密売容疑で手配されていた次元犯罪者。
魔術的アイテムではなく、歴史的な価値のある品物を盗掘して売りさばいていた。
どのような経緯で"偽造聖杯"に関わったかは、現状不明。

バーサーカーの元マスター。
召喚に成功するも莫大な魔力消費に耐えられず、ルーテシアに権限を譲渡。
管理局に逮捕された後、情報を漏らそうとしたため、アサシンによって暗殺される。

槍型のアームドデバイス・ブライトスローンを所持するとされるが詳細不明。
デバイスの種類からして近代ベルカ式の術者だったと思われる。



【アコード・ホーネット】
登場話:第8話

イスト・アベンシスと共同で犯罪行為に及んでいた次元犯罪者。
管理局にプロフィールを把握されている。

現時点ではシルエットでの登場と、会話で言及されたのみ。



【ランディ・スティングレー】
登場話:第8話

アコード・ホーネットに同じ。



【ダグ】
登場話:第8話

"偽造聖杯"事件の重要参考人。詳細不明。
少なくとも、イスト・アベンシスの一味ではなかった。
イスト・アベンシス曰く、何者かに取り入るために自分達を利用した人物。
"偽造聖杯"によるサーヴァント召喚に居合わせた四人の魔導師の一人と目される。

現時点ではシルエットでの登場と、会話で言及されたのみ。



【デックス】
登場話:第11話

管理局所属。男性。階級は陸曹だが等級は不明。
レリック輸送作戦において、回収したレリックを機動六課へ引き渡す役割を担っていた。
空港で襲撃を受けて負傷、二つあるレリックの片方を奪われる。
だがもう一つを奪われることだけは阻止し、辛うじてなのはに回収させることに成功した。

事件後は、他の局員によって後送されたものと思われる。



-----------------------------------------------------------------------------

○本作に登場するサーヴァント


【セイバー】
マスター:遠坂 凛
真名:アルトリア
属性:秩序・善

クラス別能力
対魔力:A
騎乗:B

保有スキル
直感:A
魔力放出:A
カリスマ:B


┏━━┳━━━━━┳━━┳┳━━┳━━━━━┳━━┓
┃筋力┃◇◇◇◆◆┃ C ┃┃魔力┃◇◇◇◆◆┃ C ┃
┣━━╋━━━━━╋━━╋╋━━╋━━━━━╋━━┫
┃耐久┃◇◇◆◆◆┃ D ┃┃幸運┃◇◇◇◇◆┃ B ┃
┣━━╋━━━━━╋━━╋╋━━╋━━━━━╋━━┫
┃敏捷┃◇◇◆◆◆┃ D ┃┃宝具┃◇◇◇◆◆┃ C ┃
┗━━┻━━━━━┻━━┻┻━━┻━━━━━┻━━┛



◇備考
マスターは凛だが、聖杯なしでの強引な現界のため、宝具以外のステータスが2ランク低下したと仮定。
宝具はマスターが士郎のときの値に準拠。
スキルはFate/stay nightのランクをそのまま適用。



【セイバー(黒)】
マスター:????
真名:アルトリア
属性:秩序・悪

クラス別能力
対魔力:A
騎乗:B

保有スキル
直感:A
魔力放出:A
カリスマ:E


┏━━┳━━━━━┳━━┳┳━━┳━━━━━┳━━┓
┃筋力┃◇◇◇◇◇┃ A ┃┃魔力┃◇◇◇◇◇┃A+┃
┣━━╋━━━━━╋━━╋╋━━╋━━━━━╋━━┫
┃耐久┃◇◇◇◇◇┃ A ┃┃幸運┃◇◇◇◇◆┃ B ┃
┣━━╋━━━━━╋━━╋╋━━╋━━━━━╋━━┫
┃敏捷┃◇◇◇◆◆┃ C ┃┃宝具┃◇◇◇◇◇┃A++┃
┗━━┻━━━━━┻━━┻┻━━┻━━━━━┻━━┛

◇備考
ステータスはセイバー(マスター:凛)とセイバーオルタの平均(切り上げ)がベース。
スキルは折衷で、騎乗は通常セイバーを、カリスマはセイバーオルタを採用。


【ギルガメッシュ】
マスター:????
真名:ギルガメッシュ
属性:混沌・善

クラス別能力
対魔力:E
単独行動:A+

保有スキル
黄金率:A
カリスマ:A+
神性:B


┏━━┳━━━━━┳━━┳┳━━┳━━━━━┳━━┓
┃筋力┃◇◇◇◇◆┃ B ┃┃魔力┃◇◇◇◇◇┃ A ┃
┣━━╋━━━━━╋━━╋╋━━╋━━━━━╋━━┫
┃耐久┃◇◇◇◇◆┃ B ┃┃幸運┃◇◇◇◇◇┃ A ┃
┣━━╋━━━━━╋━━╋╋━━╋━━━━━╋━━┫
┃敏捷┃◇◇◇◆◆┃ C ┃┃宝具┃◇◇◇◇◇┃ EX ┃
┗━━┻━━━━━┻━━┻┻━━┻━━━━━┻━━┛

◇備考
言峰がマスターの状態から、耐久と魔力を1ランク上乗せ。
Fate/Zero時と比較すると敏捷が1ランク低い。
スキルはFate/stay night時のものを適用。



【バーサーカー】
マスター:イスト・アベンシス
真名:????
属性:秩序・狂

クラス別能力
狂化:C

保有スキル
????


┏━━┳━━━━━┳━━┳┳━━┳━━━━━┳━━┓
┃筋力┃◇◇◇◇◆┃ B ┃┃魔力┃◇◇◆◆◆┃ D ┃
┣━━╋━━━━━╋━━╋╋━━╋━━━━━╋━━┫
┃耐久┃◇◇◇◆◆┃ C ┃┃幸運┃◇◆◆◆◆┃ E ┃
┣━━╋━━━━━╋━━╋╋━━╋━━━━━╋━━┫
┃敏捷┃◇◇◇◇◇┃ A ┃┃宝具┃◇◇◇◇◆┃ B ┃
┗━━┻━━━━━┻━━┻┻━━┻━━━━━┻━━┛

◇備考
狂化のランクがCなのは、幸運をEに維持するため(狂化:Bだと幸運も上昇する)
元のステータスが低いのはマスター適正の問題。



【バーサーカー】
マスター:ルーテシア・アルピーノ
真名:????
属性:秩序・狂

クラス別能力
狂化:C

保有スキル
????

┏━━┳━━━━━┳━━┳┳━━┳━━━━━┳━━┓
┃筋力┃◇◇◇◇◇┃ A ┃┃魔力┃◇◇◇◇◆┃ B ┃
┣━━╋━━━━━╋━━╋╋━━╋━━━━━╋━━┫
┃耐久┃◇◇◇◇◇┃ A ┃┃幸運┃◇◆◆◆◆┃ E ┃
┣━━╋━━━━━╋━━╋╋━━╋━━━━━╋━━┫
┃敏捷┃◇◇◇◇◇┃A++┃┃宝具┃◇◇◇◇◆┃ B ┃
┗━━┻━━━━━┻━━┻┻━━┻━━━━━┻━━┛

◇備考
適正の高いマスターに移ったため、ステータスが大幅に向上。
幸運:Eはきっと呪いの域。



【アサシン】
マスター:????
真名:ハサン・サッバーハ
属性:秩序・悪

クラス別能力
気配遮断:A+

保有スキル
投擲(短刀):B
風除けの加護:A
自己改造:C

┏━━┳━━━━━┳━━┳┳━━┳━━━━━┳━━┓
┃筋力┃◇◇◆◆◆┃ D ┃┃魔力┃◇◆◆◆◆┃ E ┃
┣━━╋━━━━━╋━━╋╋━━╋━━━━━╋━━┫
┃耐久┃◇◆◆◆◆┃ E ┃┃幸運┃◇◇◇◇◆┃ B ┃
┣━━╋━━━━━╋━━╋╋━━╋━━━━━╋━━┫
┃敏捷┃◇◇◇◇◇┃ A ┃┃宝具┃◇◇◇◆◆┃ C ┃
┗━━┻━━━━━┻━━┻┻━━┻━━━━━┻━━┛

◇備考
ステータスが原作から大幅に変動。これもまたマスターの影響だろう。
筋力、耐久、魔力が2ランク低下した一方、さり気に幸運が3ランク上昇している。



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○派生作品からの登場人物


【ウェイバー・ベルベット】
元作品:Fate/Zero
本作登場話:第13話

第四次聖杯戦争に参加したマスターの一人。
魔術師としては歴史の浅い家柄の出身で、本人の才能もはっきり言って低い。
何とかして周囲に認められようと、師から聖遺物を盗み出して聖杯戦争に参加した。
師の制裁に怯え、豪放磊落なサーヴァントに振り回されつつ成長した、愛すべきヘタレである。

本作では、第四次聖杯戦争のキャスター戦の直後になのはと遭遇。
Fate出展のキャラクターでは一番古い知人ということになる。
それどころか、時系列的には無印とA'sの間に当てはめているので、出会ったのはフェイトに次いで早い。



【ロード・エルメロイⅡ世】
元作品:Character material、アーネンエルベの一日、Fake/states night、Fate/strange fake
本作登場話:第7話

本名ウェイバー・ベルベット。上記と同一人物。聖杯戦争を解体した男。
色々あって魔術協会でも屈指の教育者として名を馳せている。
教え子は例外なく大成し、元生徒を集めれば魔術協会の勢力図が変わるとも噂されるほど。
しかし、自分自身の魔術師としての実力が認められたわけではないので、本人は至って不満。

日本嫌いを公言するが、唯一の趣味は日本のテレビゲーム。
第7話でなのはが見つけたエアメールは、ゲームのアンケート葉書を送ったときに当選したグッズの小包。

生徒からも評判の名物講師であり、様々な有り難くない異名を付けられている。
―――以下、異名の一例。
「プロフェッサー・カリスマ」
「マスター・V」
「グレートビッグベン☆ロンドンスター」
「女生徒が選ぶ時計塔で一番抱かれたい男」
「絶対領域マジシャン先生」←new!!

本作では、聖杯の復活を予測したなのはから相談を受け、魔術協会側の折衝を請け負った。
彼を経由してロンドン留学中の凛と士郎に話が行き、本作に至る――という設定があるのかもしれない。



【フラット・エスカルドス】
元作品:Fake/states night、Fate/strange fake
本作登場話:第7話

成田良悟のエイプリルフール企画、並びに同内容の外伝小説の登場人物。
魔術の才は過去に類を見ないものだが、性格は魔術師に要求されるものとは正反対。
その無邪気で締まりのない性格で数多くの教師に胃痛を与え、
最終的にロード・エルメロイⅡ世の生徒となった。

本作では、ロード・エルメロイⅡ世を訪ねたなのはを応接する。
そのときうっかり軽口を漏らしてしまい、師からアイアンクローの制裁を受けた。



【ランサー(ディルムッド)】
元作品:Fate/Zero
本作登場話:第2話、第13話

第四次聖杯戦争で召喚されたサーヴァント。
マスターはケイネス・エルメロイ・アーチボルト。ウェイバーの師にあたる人物。
ウェイバーがイスカンダル召喚の聖遺物を持ち出したため、急遽用意された代用品で召喚された。

正体はケルト神話のフィオナ騎士団所属の騎士ディルムッド・オディナ。
騎士道を重んじ、名誉ある戦いを好む騎士の鑑。
主君の婚約者との恋愛譚が有名。しかし、後にそれが遠因となって死亡する。

所有宝具は、魔力による防御や強化を無効化する『破魔の紅薔薇(ゲイ・ジャルグ)』と、
如何なる手段でも回復・再生が不可能な傷を与える『破滅の黄薔薇(ゲイ・ボウ)』の二つ。
これらに加え、大魔術すらも防ぎうる高ランクの対魔力スキルを保有している。
攻防共にバランスがよく、魔導師にとっては天敵どころの騒ぎではない。

本作では、明確になっている限りで第2話と第13話に登場。
当時のなのはをあっさりと無力化して、キャスターとの死闘から遠ざけた。
元作品に照らし合わせれば、第13話の直後に非業の死を遂げる運命にある。

なお、もう一つのスキルとして、対峙した異性に恋愛感情を抱かせる『愛の黒子』を持つ。
なのはに効果がなかったのは、豊かな才能故か、或いは幼すぎたためと思われる。



【ライダー(イスカンダル)】
元作品:Fate/Zero
本作登場話:第13話

第四次聖杯戦争で召喚されたサーヴァント。
マスターはウェイバー・ベルベット。

正体は僅か十年で広大な帝国を築き上げたアレクサンドロス大王。
(イスカンダルはアラビア語圏における呼称で、Fate/Zeroではこちらが真名とされている)
理想的な理念や超人的カリスマではなく、人間的な魅力で大軍勢を率いた王者である。

所有宝具は、ゼウスを象徴する牡牛に牽かれる戦車『神威の車輪(ゴルディアス・ホイール)』による、
超高速の蹂躙走法『遥かなる蹂躙制覇(ヴィア・エクスプグナティオ)』と、
固有結界を展開し、英霊となった近衛兵団を召喚する『王の軍勢(アイオニオン・ヘタイロイ)』の二つ。

こう記述すると凄まじい怪物に思えてくるが、豪放磊落で人間味に溢れる一面もある。
図書館から愛読書の『イリアス』を強奪したり、新作ゲームを本体ごと購入したり、
世界征服に備えて戦略爆撃機を欲しがったり、知らないうちに食べ歩きをしていたりとエピソードに事欠かない。

本作では第13話に登場。ランサーとの戦闘で橋梁に置き去りにされていたなのはを発見した。
元作品でいうと、ギルガメッシュを挑発して飛び去った後に相当する。



【キャスター(ジル・ド・レェ)】
元作品:Fate/Zero
本作登場話:第13話

第四次聖杯戦争で召喚されたサーヴァント。
マスターは雨生龍之介。

正体はジャンヌ・ダルクと共に戦ったフランスの英雄ジル・ド・レェ。
ジャンヌの死後、猟奇的殺戮や悪魔召喚の儀式などに耽ったとされ、青髭とも呼ばれている。

所有宝具は、魔導書『螺湮城教本(プレラーティーズ・スペルブック)』
表紙が人皮で装丁されており、表紙と裏表紙に悪趣味な装飾が施されている。
本自体が魔力炉としての機能を持ち、自前の魔力で水魔の類を召喚する。
どう見てもルルイエ異本です。本当にありがとうございました。

本作では本人の露出は全くないが、実は第13話の巨大怪物の内部に納まっていた。
あの怪物は、100m以上はありそうな巨体と全身を覆う目、戦闘機を撃墜した伸縮自在の触手を持ち、
肉体の三割を吹っ飛ばされても即再生する正真正銘のモンスターである。

宝具がルルイエ異本ということは、召喚されていた怪物とは…………


――――いや、そんな! あの手は何だ! 窓に! 窓に!

(附録はここで途切れている)



[27243] 第21話 鉄槌の騎士、大いに惑う
Name: リリナイ◆23c1d855 ID:76699dfe
Date: 2011/05/19 22:04
 ―― 十三日目 PM11:40――


暗闇に幾つもの空間モニターが浮かんでいる。
大きさは様々。映し出される光景も千差万別。
時間も場所も、映像の主役たる人々もそれぞれ異なっている。
あるモニターは深い森林の中を。
あるモニターは地平線まで抉れた更地を。
あるモニターは荒廃し尽くした市街地の痕跡を――
一つだけ共通しているのは、どれも死力を尽くした戦いの瞬間であるということだ。

「さて……実戦データも充分に蓄積できたわね」

見渡す限りの空間モニターを前に、クアットロは冷ややかにも見える笑みを浮かべた。
第七管理世界における管理局部隊への強襲作戦も、おおよそ計画通りと言える成果を収めることができた。
多少のトラブルはあったが、それも許容範囲内の出来事に過ぎない。
現状、全てはクアットロの思惑のままに進んでいる。

「後は、今までのデータを解析して最終調整に反映すれば……」
「クアットロ」

不意に名前を呼ばれ、クアットロは声のした方へ振り返った。
出入口の所から、銀髪の少女がクアットロを見やっている。
その右目は黒い眼帯に覆われ、左目のみが暗がりで爛と光を湛えていた。
急なことだったので少し驚いたが、別段特別なことが起きたわけではない。
十二人のナンバーズの一人、チンク―――
第七管理世界での作戦行動に参加していた彼女が、ようやく帰ってきただけのことだった。

「あら。お帰りなさい、チンクちゃん」
「ドクターはどこに?」

チンクはクアットロの猫撫で声を聞き流して、単刀直入に本題を切り出す。
クアットロは不満足そうな顔をしながら足元を指差した。

「下にいるわ。例の新しい玩具に御執心みたい」
「そうか、あれのところに……」
「ドクターらしいといえばそうだけど、最近は特に顕著ね」

そう言ってわざとらしく肩を竦める。
空港襲撃とレリックの強奪。
ホテル襲撃とルーテシアの奪還。
第七管理世界での管理局部隊襲撃と戦闘データの収集。
ここ最近の作戦行動は、全てクアットロの発案と指揮によるものだ。
元より、彼女たちの主は綿密な戦術や策略などに然したる興味を示さない性格だった。
関心の対象には並々ならぬ労力を注ぎ込むが、そうでなければ放置することも厭わない。
――だが、近頃は少々度が過ぎている。
本来の目的を忘れていやしないかと思ってしまうほどである。
無論、クアットロには主のことを責める意図など全くない。
それが主の意思というならば、粛々と従うだけだ。

「そんなに"聖杯"は興味深い対象なのかしら」

クアットロは流れるような仕草で空間モニターを操作した。
大小のモニターがサイズを変える。
やがて幾つかの大画面を残して、残りの画面が消失する。
それを見て、チンクは隻眼を細めた。

「これは……先ほどの戦いの……」
「ええ、入手したばかりの戦闘映像よ」

四つの画面が暗闇に浮かび上がっている。
クアットロはそれぞれの画面を順番に見やった。
ガジェットドローンによる遠距離撮影なので音声は殆ど拾えていないが、映像は充分に実用的だ。


ノーヴェとウェンディが管理局の陸士と戦っている映像――
戦況は概ね優勢だった。
圧倒的な優位というわけではないが、互角以上という評価は下せるだろう。
ノーヴェの固有武装が試作段階である点と、ウェンディの性格的なマイナスを考慮に入れれば、性能面では勝っていると判断できる。

トーレとチンクが管理局の騎士と戦っている映像――
戦闘データとしてはこちらの方が有用だろう。
充分なスペックを持つ戦力同士の衝突は、実戦でもなかなか得られないデータである。
特に、情報が不足していた双剣士のデータを集められたのは僥倖だ。

黒い騎士……セイバーの戦闘映像――
セイバーの実力を改めて確認できたという以上の意味はなかった。
大抵の魔導師では勝ち目がないことは既に分かっている。
あえて言うなら、管理局側の白いセイバーとの性能差がはっきりした点が収穫だろうか。

そして、ギルガメッシュとエース・オブ・エースの映像――
これは最も『惜しい』映像だ。
ギルガメッシュは未だに力の底を見せていない。
エースとの戦闘を通じて片鱗だけでも確かめられたらと期待したのだが、上手くはいかなかったようだ。


一通り目を通した後で、クアットロはチンクの映っている戦闘映像を拡大した。
全身の数箇所を負傷した双剣士が、白と黒の刀でチンクの短剣を弾いている。
魔法体系は、既知のもので言えばベルカ式に近い。
当然、ミッドやベルカと独立して発展した魔法体系が、既知の概念に収まるとは限らないのだが。

「物理的な刀剣類の転送か、魔力からの生成かってところかしら?
 強力な魔法を使うわけじゃなさそうだし、警戒には値しないか……」

クアットロは同意を求めるようにチンクへ視線を送った。
しかし、チンクは気難しそうな表情で映像を見上げている。

「何か言いたそうね」
「ああ……」

相槌だけ打って、チンクは口を噤んだ。
この反応を見るに、直感では注意すべきという感想を抱いたが、その理由を言語化できていないのだろう。
直接鎬を削った者だけに分かる感覚というものだろうか。
クアットロはモニターの映像を一時停止した。
チンクの投じた短剣が双剣士の背に刺さった瞬間だ。

「そんなに警戒するなら、あなたのインヒューレントスキルを使っておけばよかったでしょう」

ナンバーズはそれぞれ独自のスキルを持つ。
チンクのそれは、金属を爆発物に変換するランブルデトネイター。
あのとき投げつけた短剣を爆破していたなら、今更警戒する必要などなくなっていたはずだ。

「こちらの情報を与えないため、あえて戦闘能力の隠蔽を優先した。
 ……今は判断ミスを犯してしまったと思っている」
「ふぅん。でも、トーレにあっさり斬り捨てられてるわよ?」

クアットロは興味なさそうに映像を見上げた。
たとえ双剣士の実力が想定以上でも、ギルガメッシュかセイバーをぶつければ容易に潰せるに違いない。
所詮はその程度の脅威でしかないのだ。
あの男がセイバーを斬り伏せ、ギルガメッシュを追い詰める姿など想像もできない。

「私の直感的な判断だ。無理に理解を求めようとは思わない」

チンクは踵を返して廊下の方へ歩いていく。
そして、途中で足を止めて振り返った。

「アレは眼前の敵に背を向けてまで、他人の保護を優先した。
 よほどの善人か、あの騎士と深い関係にあったのか、さもなければ、価値観が――――いや、これはよそう」

そう言い残して、改めてこの場を後にする。
一人残されたクアットロは、全ての空間モニターを消して浅い溜息を吐いた。
まるで、妙な謎掛けを残されたような気分だった。
よほどの善人――管理局に組するくらいなのだから、少なからぬ自己犠牲の精神を持ち合わせていても不思議はない。
深い関係――クアットロは全く興味のないところだが、自らの命を投げ出す理由としては説得力がある。
ここまでは理解できる。
だが、最後に言いかけたのは何だったのだろう。
あの剣士との戦闘で、発言を躊躇うほどの違和感を感じたとでもいうのだろうか。

「……考えるだけ無駄かしら」

クアットロは自分の判断を信じることにした。
双剣士の人格がどうあれ、戦力的にはサーヴァントを打倒しうる程度ではない。
そんなことよりも、我の強すぎる英雄たちを如何に御するかが問題だ。

「過ぎた力は身を滅ぼす……あの連中の二の舞だけは避けないとね」




 ―― 十四日目 AM10:10――


ヴィータは廊下の壁に背を預け、真っ白な天井を見上げた。
天井も壁も清潔な白色で統一されている。
鼻腔をくすぐる消毒液の臭いといい、実に病院らしい光景である。
廊下に他の人影はない。
ヴィータだけがぽつんと佇み、むき出しの二の腕を抱くように腕を組んでいる。
今のヴィータは機動六課の制服や騎士甲冑ではなく、薄手の患者衣を着用している。
露わになった肌には包帯が巻かれ、痛々しい傷跡の存在を暗示していた。
そして普段は二つに纏めてある長髪も背中に流し、足元は素足にスリッパ――いわゆる入院患者の装束だ。

「ったく、あたしも人のことは言えねぇな……」

思わず悪態が口を突いて出る。
先日の戦闘における負傷は、ヴィータに少なからぬ休養を強要していた。
プログラム体のヴォルケンリッターであるためか、通常よりは短い入院で済むらしいが、それでも暫くは戦線に出られそうにない。
入院沙汰の直接的な原因となった傷は、件の女に突き刺された右肩の貫通傷だ。
シュワルベフリーゲンの誤爆は、咄嗟にパンツァーヒンダネスの障壁を完成させることで防いでいた。
全身への斬撃は比較的浅く、騎士甲冑の護りもあって、重篤なダメージには至っていない。
けれど、ヴィータは不機嫌そうな態度を崩していなかった。

「……ふん」

ヴィータは苛立ちも露わに鼻を鳴らす。
敵の思惑通りに分断され、一対一で敗北を喫した……それ自体は構わない。
敗北は恥ではなく、恥じ入る暇があるなら、問題点を見直して今後に繋げるべきだからだ。
しかしその『問題点』を考えると、己に対する苛立ちを覚えずにはいられなかった。
他人の無茶を咎めておきながら、自分は無謀な戦いで病院送りなんて、正直言って笑い話にもならない。

「ほんと、どの面下げて会えばいいんだか」

当の相手も同じ病院に運び込まれたらしいが、まだ会いに行っていない。
形式上とはいえ部隊内の上役なのだから、無事を確かめてやるくらいはするべきだろう。
理屈では理解できているのだが、どうしても気が進まなかった。
素知らぬ顔で接するべきか。
あるいは反面教師にしろとでも言って開き直るべきか。
いずれにせよ無様なことになりそうだ。
それを思うと、病室へ向かう足が鈍ってしまう。

「おや、もう傷はいいのですか」
「…………?」

不意に廊下の向こうから少女の声がした。
そちらに目線をやると、真っ白な廊下の真ん中にダークスーツの少女が立っていた。
背丈はヴィータよりも頭一つほど高い程度。
涼やかな碧眼と背中で括った金糸の髪が特徴的な要望だ。

「なんだ、あんたか。そっちこそ怪我してるんじゃねーのかよ」

ヴィータは胸の前で腕を組み、ダークスーツの少女と向かい合った。
彼女のことは知らない相手ではない。
聖杯戦争を識る騎士――セイバー。
衛宮士郎から少し遅れて機動六課に合流した、なのはの『知り合い』とやらの一人だ。

「先日は魔力が尽きて丸一日動けませんでしたが、重篤な負傷はありません」
「へぇ、頑丈なんだな」
「いいえ。キャロの護りがあってこそです」

微笑みを湛え、セイバーはヴィータの言葉に答えた。
ヴィータは腕を組んだままセイバーを観察する。
年齢はスバルやティアナと同年代、或いは少し年下といったところだろうか。
少々服装が中性的だが、線の細い輪郭といい、脂肪の少ない体つきといい、普通の少女にしか見えない。
勿論、そういうギャップは自分が言える立場ではないのだが。

「そういうもんなのか? というか、その……何だ……」

視線を泳がせながら、気まずそうに頬を掻く。
もしセイバーがスバルやティアナと『同じ』なら、ヴィータもこんな戸惑いは覚えなかっただろう。
管理局において、若年層の戦闘員は珍しくない。
十代半ばで最前線に立ち、類稀な戦果を挙げるというだけであれば異端視するほどではないのだ。
けれど、セイバーの場合は事情が異なる。
何故なら彼女は―――

「やはりサーヴァントと共に戦うのは不安ですか?」

生真面目な態度でそう言われ、ヴィータは慌てて首を横に振った。

「まさか。あんたのことを悪く思ってるわけじゃねーよ」

―――サーヴァント。
聖杯と呼ばれる儀式装置によって召喚される、地球の英雄達の化身。
この"偽造聖杯"事件においても、その規格外の力で機動六課を苦しめている存在である。
ヴィータが聞いた話では、セイバーは前聖杯戦争の勝者であり、終結後も自らの意志でこの世に残っているそうだ。
確かに、機動六課と敵対する者達と同じ仕組みで形作られた存在ではあるのだろう。
しかしそれは、さしたる問題ではない。

「……エリオとキャロを襲った奴のことだ」
「…………」

ヴィータは真剣な表情でセイバーを見上げた。
先日の戦闘で新たに現れたサーヴァント。
"偽造聖杯"から召喚されたと思われる四騎の一体。
その姿はどういうわけかセイバーに瓜二つだったという。

「まさか、双子の姉妹っていうオチか? それとも同じ奴が重複して召喚されることもあんのか?」
「……本来ならありえないことですが、アレは紛れもなく私自身でした」

セイバーは、暗に『ありえないことが起こっている』と断言していた。
英雄をデータベース内の情報と捉え、それをコピーしてくるだけと考えるなら、重複召喚も起こりうるように思える。
だが、それは門外漢の勝手な想像に過ぎないのだろう。

「姿形のみを真似るサーヴァントはいるかもしれません。ですが、英霊を象徴する宝具は唯一無二。
 宝具を模倣しうる英霊など――私は一人しか知りません」
「で、その一人は姿を真似たりできないわけか」

ヴィータの予想を、セイバーは小さく頷いて肯定する。

「根本的な性能が同等であれば、付加的な要素が明暗を分けます。
 ですが、私は聖杯の補助を受けずに現界しているので、十全の力を発揮できていません。
 しかもその上に、先日の莫大な魔力消費が重なっては……」

それはつまり、彼女が『黒いセイバー』に性能面で劣ってしまうということを意味する。
物理的には存在しない人物を、魔力等を駆使して具現化させる―――
こういう風に考えれば、サーヴァントはヴォルケンリッターに似ていると言える。
だが、両者の間には大きな差異が存在していた。
ヴォルケンリッターは最初から具現化されることを想定して創られている。
闇の書が人造物であることを考えれば、間接的ながら人の手によって生み出されたものであるとも言える。
一方、サーヴァントは過去の英雄――即ち『英霊』を、特殊な使い魔として召喚したものだという。
成り立ちが異なれば、聖杯や闇の書といった『後ろ盾』なしで存在し続けることの難しさも変わってくるのだろう。
むしろ代償が戦闘能力の低下だけで済むのなら、安すぎるくらいなのかもしれない。
そこまで思考して、ヴィータは一つの矛盾に思い当たった。

「……ちょっと待てよ。"偽造聖杯"はあんたが宝具とやらでぶっ壊したんだろ? それなら条件は同じじゃないか」

通常、サーヴァントは聖杯なくして存在できない。
その理を覆すならば、少なからぬ代償を支払わなければならない。
ならば、"偽造聖杯"から召喚されたサーヴァントが超絶的な戦闘能力を維持しているのは、一体どういうことなのか。

「考えうる可能性としては、まず受肉していることが考えられます。
 実際に、物理的な肉体を得ることで十年以上現界した実例もありますから。
 ですがサーヴァントの受肉を可能とするような奇跡など、そう起こせるものでは……」

セイバーの言葉にも戸惑いの色が見え隠れしている。
サーヴァントは戦場を駆けた英雄であり、学問として魔道を修めた者ではないはずだ。
自分達のこととはいえ、魔術的な仕組みについては専門外なのだろう。
ヴィータはしばし考え込み、ある仮説に辿り着く。

「ロストロギアか……」
「魔術が今よりも発展していた時代の遺物……ですか」
「ああ。過去の英雄の召喚なんて規格外のことができるロストロギアは無いだろうけど、
 サーヴァントの存在を維持したり、受肉させたりする程度なら可能かもしれない」

現代の人間に成しえないことなら、現代には存在しない技術に頼ればいい。
安直で他力本願な考えだが、ロストロギアの絡む大事件というのは、大概がそういう動機で起こされている。
有名どころで言えばPT事件もそうだ。
何事かに行き詰ったとき、人は過去に解決策を求める。
今回の事件がそうではないと、どうして言い切れるだろう。

「くそっ……いよいよ大事になってきたな。悠長に入院なんてしてる場合じゃなさそうだ」

サーヴァント四騎に、青いボディースーツの謎の敵。
更にはガジェットドローンと呼称される自動機械。
機動六課はこれだけの戦力を敵に回さなければならないのだ。
それを思えば、地球からセイバー達を招いたなのはの判断は適切だったと言わざるを得ない。
魔導師ランクを持たない外部協力者という体裁であれば、部隊ごとのランク制限にも邪魔されずに済む。
仮のランクを付与するにしても、機動六課に都合のいい値を割り振ればいいだけのこと。
つくづく、扱いやすい言い訳を考えたものだ。

「あたしは外出許可を貰って六課に戻る。あんたはエミヤに養生するよう言っといてくれ」

病室に帰ろうとするヴィータの背中に、セイバーが意味深な言葉を投げかける。
それは呆れと諦めが混ざり合った、溜め息交じりの一言だった。

「ヴィータ、もう手遅れです」
「……あん?」

手遅れだと――――?
一瞬、最悪のシチュエーションが脳裏を過ぎる。
ヴィータは即座にそれを振り払った。
衛宮士郎の容態が急変したなら、セイバーが落ち着き払っているはずがない。
ならば、手遅れとはどういうことなのか。
数秒だけ思考を巡らせた後、ヴィータは思わず眉をしかめた。
動揺とも激昂ともつかない感情が、ふつふつと背筋を沸き立たせる。

「シロウは今朝方、病院を抜け出しました」
「――――あの馬鹿ッ! てめーも止めろよ!」

セイバーが言い返すのも待たずに、ヴィータは自分の病室に向かって駆け出していた。
廊下は走るな。病院では静かに。そんな社会通念はとっくに頭から抜け落ちた。
重傷を負って二日やそこらで復帰しようとするなんて無謀過ぎる。
ヴォルケンリッターやサーヴァントならまだしも、衛宮士郎は純然たる人間なのだ。
肋骨を寸断されるほどの傷が命に関わらないわけがない。

仮に、士郎の負傷が彼自身の責任であったなら、ヴィータがここまで焦ることはなかっただろう。
けれど実際にはそうではない。
二対二の戦いで、どちらか一方が先に欠ければどうなるか―――答えは明白だ。

ヴィータは病室に飛び込むや否や、洋服棚から外出用の服を引っ張り出した。
病室の扉を閉めることすら後回しに、大急ぎで私服に袖を通す。

≪Meister, schliesen Sie bitte eine Tur.≫
「いいんだよ、んなこと!」

ベッドの枕元で、待機状態のグラーフアイゼンが慎みの無さに苦言を呈す。
しかし、ヴィータは即座にその苦言を突っぱねた。
ここは個室であり、通行人もいないのだから、誰に見られることもない。
そもそも、こんな貧相な体を見ようという物好きなどいるものか。
ヴィータは数分とかからずに着替えを終え、背伸びをして備え付けの鏡を覗き込んだ。
赤色の長髪は一晩寝込んだせいですっかり荒れ放題だ。
だが、櫛を通したり三つ編みに結っている余裕などない。
ヴィータはグラーフアイゼンを掴み、長髪をなびかせたまま、廊下へ取って返した。

「ああ、待ってください、ヴィータ」

病室を出たところで、セイバーがヴィータを呼び止める。
ヴィータは先を急ぐ気持ちにブレーキを掛け、足踏みをしながら振り返った。

「……どうかしたのか?」
「ちょうど私も帰るところです。送っていきましょう」

そう言って、セイバーは片手を挙げた。
人差し指に引っ掛けられたキーホルダーに付いていたのは、見るからに使い込まれた単車の鍵であった。



 ―― 十四日目 AM10:20――


高架上のハイウェイを、二人の少女を乗せたオートバイが走り抜けている。
ハンドルを握るのはダークスーツを纏ったセイバー。
ヴィータはその細い腰にしがみつき、風圧に攫われないよう堪えていた。
猛烈な風切り音が鼓膜を震わせる。
絶え間なく耳を騒がせる風音の合間を縫い、車のエンジン音が遠ざかっていく。
――凄まじいスピードだ。
さっきから何台もの自動車を追い抜いている。
ドップラー効果を残して消えるエンジン音にも慣れてきた。
ふと、下らない雑念がヴィータの脳裏を過ぎる。
サーヴァントは歴史や神話の英雄を召喚したものだと聞いている。
ということは、バイクの運転は召喚されてから習得したのだろうか。

「右に曲がります。気をつけて」

容赦なく吹き付ける向かい風に混ざって、セイバーの警告が聞こえる。
ヴィータはセイバーの柳腰を抱きすくめた。
その数秒後、二人を乗せたバイクは大きく右に傾き、緩やかなカーブを抜けていった。
繊細で確実なハンドル捌きだ。
あんなに速度を出していたのに、不安定さを微塵も感じさせない。
ハイウェイを降り、閑散とした一般道を疾走する。
この調子なら後十分と掛からずに隊舎へ戻れるだろう。

「…………」

セイバーが言うには、衛宮士郎は例の作戦から丸一日経って目を覚まし、即座に六課へ戻ろうとしたらしい。
一体何が彼を突き動かしているのか、ヴィータには見当もつかない。
義務感、正義感、焦燥感、反骨心、自尊心、恐怖心――――
どれもありえるようでいて、どれもありえないように思える。
ただひとつだけ言えるとすれば、鉄槌の騎士もすっかり腑抜けてしまったということだ。

「…………くそっ」

ヴィータはセイバーの背中に額を押し当てた。
轟音を立てるエンジン部の振動が、背中を通じて頭の中にまで伝わってくる。

八年前―――なのはが瀕死の重傷を負わされた一件以来、無茶なことをする連中のことが、やけに気にかかるようになってしまった。

心配なら通信でも何でもすればいいと思われるかもしれないが、今の士郎は通信用の道具を持っていない。
最悪のタイミングで壊れた役立たずのデバイスは、シャーリーのところに送って原因を調べてもらっているところだ。
外の隊員に通信を繋いで取り次いでもらうことも考えたが、却下した。
そこまでしたら、まるで衛宮士郎のことが心配でしかたがないように誤解されてしまいそうだ。

無茶といえばティアナのことも気になる。
ここ最近、ティアナは何かに焦っているようであった。
今のところ、問題視されるほどのミスは犯していないが、その予兆らしきものは見え隠れしている。
今回の作戦におけるシグナルロストがいい例だ。
やむをえない事情があったことは理解できる。
だが、一歩間違えば命を奪われていたかもしれない状況だったことも否めない。

「どうかしましたか、ヴィータ」
「いや……なんでもない」

二人を乗せたオートバイは、依然として速度を緩めることなく、六課隊舎への道を辿っている。
ヴィータは返事をしてしまってから、ひょっとしたら無意味な返答だったかもしれないと考えた。
セイバーの声は風に混じって辛うじて聞き取ることができる。
けれど、ヴィータの声は向かい風に逆らう形にならざるを得ない。
そんな状況で返答を聞き取れるのだろうか。

「……なぁ、セイバー」

聞こえるかどうか分からないなら、面と向かっては聞きづらいことを訊ねてみよう――
何気なくヴィータはそんなことを思いついた。
返事があればそれでよし、返事がなくても問題はない。

「エミヤって昔からあんな奴なのか?」

遠くに機動六課の隊舎が見えた。
ここまでくれば到着までほんの少しだ。
けれど、セイバーは何も答えようとしなかった。
恐らく質問が聞こえていなかったのだろう。
だが、それで構わない。
元より返答を期待した質問ではないのだから。
セイバーは無言のまま駐車場にオートバイを滑り込ませる。
車体が停止すると同時に、ヴィータは後部座席から飛び降りた。
結われていない長髪が風圧で乱れ放題になっていたが、今はそんなことを気にしているときではない。
そのまま隊舎に向けて走り出そうとするヴィータに、セイバーが声を投げかける。

「ヴィータ」
「ん……?」

何事かと振り返ると、セイバーは柔らかな微笑でヴィータを見やっていた。

「シロウは今も昔もああいう人です。きっと死んでからも変わることはないでしょう」
「――――そっか。参考になった」

ヴィータはセイバーに向けてひらりと手を振って、隊舎へ駆け出した。
馬鹿は死んでも治らないということか。
しかし、この格言を誇らしげに言われる人間など初めて見た。
まるで死んだ後のことが分かっているかのような口ぶりではないか。

「さてと。命令無視して脱走した仕置きは、キッチリしとかないとな」

左の手の平に右拳を叩きつけ、乾いた快音を響かせる。
衝撃で全身――とりわけ右肩の傷に鋭い痛みが走る。
だが、ヴィータは平然と口の端を吊り上げて、大股で隊舎の中へ入っていった。
その背中を見送ったセイバーは、誰もいない駐車場の中央でぽつりと呟いた。

「……まぁ、やりすぎたりはしないでしょう」

単車を押して格納庫へと歩いていく。
二人の仲裁に入るのは、これを持ち主に返してからでも遅くはなさそうだ。



[27243] 第22話 インフェリオリティ・コンプレックス
Name: リリナイ◆23c1d855 ID:76699dfe
Date: 2011/05/26 21:49
 ―― 十四日目 AM09:55――

ヴィータが士郎の病院脱走を知り、大いに荒れる少し以前。
六課隊舎の一室に二人の女の姿があった。

「これで四騎のサーヴァントが全部分かったわけだけど……ちょっと想像以上だね」

なのはは窓際にもたれ掛かり、浅く顔を伏せた。
半月前にミッドチルダに降臨した四騎のサーヴァント。
バーサーカー、アサシン、セイバー、アーチャー。
正規の定数である七騎には届かないが、これだけでも脅威としては大きすぎる。
まして、先日の戦闘で姿を現したセイバーとアーチャーの真名を考えれば、脅威という表現すら過小評価となってしまう。

「まさか……よりによって、ギルガメッシュが召喚されてるなんて」
「そうね。可能性があるってことは分かってたけど、現実を突きつけられると眩暈がするわ」

赤い外套の女――遠坂凛もなのはに同意する。
第五回聖杯戦争におけるギルガメッシュの強大さは筆舌に尽くしがたいものがあった。
絶対的自尊心を背景とする油断と慢心がなければ、この場にいる二人は半年前に死んでいただろう。
これは誇張などではない。
実際の戦闘を経て得た確信である。

「それにもう一人のセイバーまで現れたわけだから、こっちのセイバーが万全でも互角以上にはなれないわね」

凛は淡々と、しかし焦燥感を帯びた声で現状を確認する。
先日の戦闘は六課に悲観的な状況をもたらした。
それは未知なる敵の確認でもなければ、多数の戦闘要員の負傷でもない。
新たなサーヴァントとの遭遇――最優と最悪が敵に回ったという事実である。

「この調子だと、ちょっと厳しいかも……」

なのはは片手で顔を押さえた。
沈む思考と平行して、現行戦力を以って敵戦力に対抗する手段を模索する。
どんなに困難な状況であろうと、諦めるという選択肢は決して持ち得ないのが、高町なのはという人間だ。

まず、新人達を対サーヴァント戦に臨ませることはできない。
そもそも、サーヴァントを人の身で打倒しようと考えること事態に無理があるのだ。
考えうる最善の一手はマスターを攻略すること。
或いはサーヴァントの存在を維持している『何か』の効力を失わせることだ。
対サーヴァント戦はそのための時間稼ぎか、純粋な迎撃・撃退と考える。
倒せなくて当たり前だと割り切ってしまえばいい。

そうなると、この戦略を他部隊に周知徹底する必要性が生じてくる。
現時点で共有しているのは、管理局の管轄下における戦闘で得られたデータと、ごく基本的な情報のみである。
殆どの魔導師は、ギルガメッシュやセイバーの具体的な戦闘能力について何も知らない。
情報共有を疎かにすると、現場の独断で無謀な戦闘を挑み、悲惨な結末を迎えてしまう危険がある。
それだけは避けなければならない。

ということは、魔術協会に仔細を報告し、理解を求めなければならなくなったということだ。
こちらでサーヴァントが発揮した力については、管理局が把握できた範囲であれば、上層部の判断で情報の拡散と共有ができる。
しかし、地球における聖杯戦争でなのはが得た知識と経験を拡散するのは、魔術協会との協定に抵触する恐れがあった。
明確な禁止事項として挙げられているわけではないが、幾つかの条項に掠めていると想定されるのだ。
場合によっては、エルメロイⅡ世に骨を折って貰うよう頼まなければならないだろう。

もしも理解が得られなかったら。
そのときは――――

「高町さん」
「え? な、何?」

急に名前を呼ばれ、なのはは顔を上げた。
腕を組んだ凛が、じっとなのはの瞳を見据えている。

「一応言っておくけど、暫くの間は私とセイバーを戦力に数えないでね」
「……うん、分かってる」

なのはは真剣な表情で頷いた。
先日の戦闘で、セイバーは魔力を殆ど使い果たしてしまった。
戦線へ復帰するには三日か四日、宝具の再使用には更に一週間以上掛かるだろう。
これには根拠がある。
最初の日、セイバーは宝具を使って"偽造聖杯"を破壊した。
そこから数えて、前線に合流したのが三日余り後、宝具を使ったのがそれから八日から九日後にあたるのだ。
この状態で宝具を発動し、結果としてガス欠寸前になったことを考えると、宝具の使用は最低でも十二日、できれは半月ごとに限定したいところである。

無論、この日数は凛が魔力の大半をセイバーに傾け続けた場合の計算である。

彼女が大量の魔力を消費すれば、その分だけセイバーの魔力の回復が遅れてしまう。
得意の宝石魔術ならば、本人の魔力を温存しながら、事前に貯蔵した魔力を使って戦うことができる。
しかし弾数に限りがあり、魔力の余裕がないため新規調達も難しい。
これはいざというときのために取っておくべきだろう。

「遠坂さんの魔力に余裕がないってことは、衛宮君に供給するのも……」
「難しいわね。ギルガメッシュが召喚されてると分かった以上、何とかして融通したいところだけど」

凛は掌を下にして、ひらひらと片手を振った。
あちらを立てればこちらが立たない。
まるで鎖か何かで縛りつけられたかのような息苦しさだ。
もちろん時間さえ掛ければ、充分にコンディションを整えることはできる。
ただし、敵がそんな猶予を与えてくれるとは到底思えないのだが。

「……あ、もうこんな時間……」

なのはは何気なく時間を確かめ、はたと窓際から腰を離した。

「そろそろティアナが来る予定だから、込み入った話はここまでにしないと」
「今日もミーティング? 隊長さんは大変ね」

からかうようにそう言って、凛は部屋を後にした。
一人残されたなのはは、複雑そうな表情で窓外を見やった。
訓練場の片隅でスバルと士郎が準備運動をしている。
格納庫付近ではヘリのメンテナンスが行われ、何時でも作戦に臨める準備を整えている。
以前と変わらない、朝の風景。
けれども、なのはの顔から憂鬱の色が消えることはなかった。

このままでは、機動六課は確実に敗北するだろう。

それは確信にも似た予感。
あと少しだけ運命を味方につけなければ、互角の戦いを演じることすらできない。
強力な追加の戦力。
敵の弱点となる情報。
優位に働く状況。
今以上の大部隊を統制できる権限。
どれでも構わないから、せめてもう一匙の幸運を。
贅沢な願いだというのは分かっている。
だけど、そうでもなければ、あの子達を護れない―――

なのはは祈るように瞼を閉じた。





 ―― 十四日目 AM10:15――



「シグナムさん! ちょっとお時間よろしいですか?」

六課隊舎の廊下を歩いていたシグナムの背中に、人好きのする声が投げかけられた。
振り返ると、小包を抱えたシャリオ・フィニーノが、小走りで駆け寄ってきているところだった。

「シャーリーか。多少なら構わないが、どうかしたのか」
「先日の依頼の件で、お話ししておきたいことがあるんです」

なるほどその件か、とシグナムは納得した。
二日前の作戦が終了した直後、シグナムはシャーリーに二つの依頼を申し込んでいた。
それらは、どちらも衛宮士郎のデバイスに関する依頼だ。
本来なら指揮権上の上役にあたるヴィータが処理すべき案件だったが、状況が状況である。
ヴィータと衛宮士郎は、両者共に戦闘で負傷し、病院へ後送。
その際、シグナムはヴィータから調査依頼の代行申請を頼まれていたのだ。

「分かった、話を聞こう」
「ありがとうございます。でも、ここでは少し……」

そう言って、シャーリーは不安そうにあたりを見渡した。
まるで、誰かに話を聞かれることを恐れているかのようだ。
重大な問題を孕む依頼ではなかったはずだが。
シグナムは首を傾げながらも、近くのブリーフィングルームを視線で示した。
あそこなら外部に声が漏れる心配もない。
二人は足早にブリーフィングルームへ入り、扉をしっかりとロックした。

「……シャーリー。三尉のデバイスに何か問題でもあったのか」

声のトーンを僅かに落とす。
先日の戦闘で、衛宮士郎に供されたデバイスが誤作動を起こし、バリアジャケットの展開に失敗したと聞いている。
シャーリーに依頼した案件の一つが、その事故の原因究明であった。
素直に考えれば、デバイス自体の初期不良といったところだろう。
だが、そのデバイスはヴィータが地上本部に要請して用意させたものだ。
初期不良があったとすれば、それは本部の管理下において発生したトラブルと見て間違いない。
幾ら何でも、簡易的なデバイスの製造にすら失敗するほど、地上本部の技術力が低下したとは思えない。
シャーリーは暫しの間を置き、一言ずつゆっくりと語り出した。

「要求された仕様に不足点はありませんでした。エラーの原因は、そこに要求していない機能が付与されていたことです」
「何……? 要求していない機能だと?」
「はい。エミヤ三尉のデバイスには、魔法を解析するための機構が組み込まれていました」

シグナムは思わず表情を歪めた。
誰がやらかしたのかは知らないが、信じがたい行為である。
大方、長きに渡って存在を秘匿してきた魔法組織の技術に興味を惹かれたのだろう。
しかし、これは極めて軽率な行いだったと言わざるを得ない。
衛宮士郎の魔法を無断で解析するということは、協定外の手段で情報を入手しようとしたことを意味する。
これは協力相手――魔術協会に対する背信行為と捉えられてもおかしくない。

「恐らくは、解析エラーが発生した場合の処理記述が不完全だったために、システム全体がハングアップしたものと思われます。
 きちんとエラー処理を記述できていれば、解析だけを停止させて他の機能を走らせていたんですが……
 初歩的なバグですけど、実装に費やせる期間が短いときは見落としがちな箇所ですから」

シャーリーはシグナムの顔色を窺いながら報告を続けている。
彼女の地位では、魔術協会という未知なる魔法組織の存在は知らされていないはずである。
それでも、組み込まれていたプログラムの異質さから、事の重大さを悟ってくれていたらしい。
特に人のいる場所で話すのを躊躇ってくれたのは助かった。

加えて、解析プログラムの存在が分かりやすい形で露呈したのも不幸中の幸いだ。

正常にエラー処理を終えて終了していたら、悪質な仕込みの存在に気付くことなく、例のデバイスを使い続けていたかもしれない。
そして解析プログラムを組み込んだ首謀者は、何らかの理由をつけてプログラムをアップデートしていたに違いない。
こう考えれば、早い段階で企みに気付けたこと自体が最善の展開なのだ。
勿論、誤作動のせいで怪我をした衛宮士郎の前では口が裂けても言えないが。

「他に、このことを知っている者は」
「私とシグナムさんしか知りません。デバイスの解析は私一人でやりましたし、話したのはシグナムさんだけです」

シグナムは口元に手を当て、無言のまま考え込んだ。
率直な考え方をすれば、情報が無闇に拡散していないのは運が良かった。
事実を明かすのを最低限の範囲に留め、弊害を最小に押さえ込むことが期待できる。
残る懸念は、問題の機能を組み込むことを決定したのが誰で、どんな目的を抱いているのかということだ。
せめて――情けないことではあるが――単純な功名心や知的好奇心に突き動かされた結果であってもらいたい。
これ以上の陰謀を抱え込むのは御免だった。

「状況は把握した。ヴィータには私から伝えておく。この件については、今後一切他言しないように」
「……了解しました」

あえて厳しい表現を使い、厳重に言い含める。
拡散さえ防ぐことができれば、手の打ちようはいくらでもある。
シャーリーは重大な問題なのだと確信するであろうが、それくらいなら許容範囲内だ。
重苦しい空気がブリーフィングルーム全体を覆う。
雰囲気を変えようと、シグナムは新しい話題を持ち出した。

「ところで、もう一つの依頼はどうなってる?」
「あっ、はい。順調に進んでいます。でも、やっぱりエミヤ三尉の意見を聞いておきたいですね」

シャーリーは顔に掛かる前髪をかき上げ、彼女らしい笑顔を見せた。
やはりこういう表情の方がずっと似合っている。
シグナムは柄にもなく、そんなことを思った。
気の滅入るような策謀や駆け引きは自分達の役割だ。
こんな裏社会じみた領域に、何も知らない者を巻き込んでしまうわけにはいかない。

「三尉の意見はすぐに必要なのか?」
「それはもちろん。何てったって、エミヤ三尉の専用デバイスの設計なんですから」




 ―― 十四日目 AM10:30――


鉄拳と長剣が激突し、火花を散らす。
強烈な金属音の反響が消えるより早く、振り抜かれた片手剣の刀身をローラー付きのブーツが蹴りつける。

「――――はぁっ!」

スバルは上体を素早く捻り、全身を宙に浮かせて二段目の回し蹴りを繰り出した。
旋風のようなその連携を、士郎は身を僅かに逸らして回避する。
勢いを殺さぬまま、スバルは左腕だけで着地し、右脚のローラーの側面を地面に触れさせた。
直後にローラーが高速回転。
スバルの全身が左腕を中心に回り、士郎の軸足を蹴り払う。

「このっ――――!」

士郎は重心を崩されると同時に、左手の剣を投擲。
咄嗟に投げつけた剣は、リボルバーナックルのスピナーに容易く弾かれるも、士郎が体勢を整えるだけの時間を稼ぎ出す。
スバルの繰り出す追撃の拳が、再度長剣と相殺する。
次の瞬間、スバルの眼前に片刃の長刀が突きつけられた。
それは、片手剣を擲って無手になっていたはずの左手に握られていた。

「はぁ……はぁ……」

二人とも動きを止める。
やがてスバルは呼吸を整え終えると、朗らかに口元を綻ばせた。

「ちぇっ。今度こそ一本取れると思ったんだけどなぁ」

士郎の武器が魔力の破片と化して消えていく。

「段々動きが良くなってるじゃないか。すぐに追い抜かれそうだ」
「まさか、まだまだですよ」

二人は互いに矛を収め、思い思いの体勢で談笑をし始めた。
ティアナは少し離れたところから、その光景をぼうっと眺めている。
スバルと士郎の訓練はいつもこうだ。
口頭での指導や魔法の教育は他の人に任せて、ひたすら一対一の模擬戦を繰り返している。
これはもう模擬戦ではなく組み手の類ではないだろうか。
思い返せば、最初に会った日もそうだった気がする。
どうやら、互いに組み手方式の訓練スタイルが気に入ったようだ。

視線を僅かに動かし、士郎を視界の中央に収める。

それにしても奇妙な話である。
士郎がこんなに早く訓練に復帰するなんて、ティアナは予想もしていなかった。
前回の作戦が終わるなり重傷を負ったとして後送され、丸一日帰ってこなかったと思えば、こうして平然と隊に顔を出している。
同時に後送された二人は、まだ退院していないというのに。
単に、重傷だというのが大袈裟な表現だったのだろうか。
それとも――

「一人で考えたって意味ないか」

ふぅと短く息を吐く。
理由はどうあれ、衛宮士郎はここにいる。
無許可で病院から抜け出したのでもない限り、問題のある状況ではないと考えていいのだろう。

そんなことよりも……
ティアナは思考の方向を切り替える。

先ほどの組み手は、確かにいい勝負だった。
スバルと士郎の組み手の中では、最も勝ち星に近付いた一戦だったように思われる。
これを素直にスバルの成長と捉えることは容易だ。
今までの訓練と、先日の戦闘経験で一気に能力が向上したと見ることもできる。
だが、ティアナはそれを率直に受け止めることができなかった。
あの組み手の結果は、スバルが急成長したというよりも、むしろ逆ではないだろうか。
そんな気持ちが頭の中から離れてくれなかった。

「…………」

ティアナは士郎を凝視すると、その様子をじっと観察した。
士郎は地面に直接腰を下ろして、立ったまま休憩するスバルを見上げている。
微笑みを浮かべてはいるが、額には薄く汗が滲み、呼吸も荒い。
どうやら随分と疲労しているようだ。
体力馬鹿のスバルと正面から打ち込みあったのだから、疲労を覚えるのも当然のことではある。
しかし今日はその度合いが尋常ではない。
以前の組み手では、もう少し体力的な余裕を残していた気がする。

まるで、別のことに体力を奪われているかのようだ。

これ以上考え込んでも答えは出そうにない。
どうせなら二人の会話に参加してみよう――
ティアナはそう考え、スバル達のところへと歩き出した。

「エミヤ三尉。一昨日の戦闘の分析は聞いていますか?」

用意しておいたドリンクを二人に手渡しながら、何気ない態度で訊ねてみる。
多少意味深な態度で質問しても、彼ならきちんと答えてくれるだろうが、そこは気分の問題だった。

「いや、まだ聞いてない。昨日は殆ど寝込んでたからな」
「そうですか」

ティアナは士郎から数歩分の距離を置いて腰を下ろし、ポケットからメモを取り出した。

「確認された敵戦力は最小で六人。姿は確認できていませんが、更にもう一人いた可能性もあるそうです」

メモを広げ、内容を淡々と読み上げていく。
確認戦力は六名――または七名。
スバルとティアナが交戦した、スバルに鏡写しの戦闘スタイルの少女と、多機能ボードの使い手。
ヴィータと士郎が交戦した、空戦技能持ちの女とナイフ使いの少女。
そして、その二人に対する援護砲撃を放った未確認対象。
ただしこれについては、他の四名の誰かによる援護の可能性も考えられる。

「残り二名は、サーヴァントだと思われます。どちらもミッドチルダでは初めて確認された対象です」

ここまで読み上げたところで、ティアナはさり気なく士郎の反応を注視するようにした。
見ておきたいのは、残りの報告を聞いた瞬間の反応だ。

「最後に―――これは隊長達の会話を偶然聞いて得た情報なんですが」

ティアナは一呼吸おいて息を整える。
これを耳にしたのは本当に偶然のことだ。
今朝、本日の訓練スケジュールを確認するために、なのは隊長のところを訪れたときだった。
なのは隊長がロングアーチの遠坂凛に対し、深刻な表情で何かを話しているのを聞いてしまったのだ。
突然のことだったので、聞き取れた内容はほんの少しに過ぎない。
それに、立ち聞きしたと告白する勇気がなかったので、一部とはいえ会話を聞いていたことは、隊長達には秘密にしてある。

「サーヴァントの一体はギルガメッシュと言うそうです」

次の瞬間、士郎がドリンクのボトルを握り潰す。
樹脂製の容器がひしゃげ、淡白色の液体が地面に飛び散った。

「……っ!」
「シロウ……さん?」

予期せぬ反応に、ティアナは思わず身を竦めてしまった。
スバルも大きな瞳を一層丸く見開いて驚いている。
敵となるサーヴァントの詳細を少しでも得られたら、という意図で漏らした情報だった。
しかし返ってきたのは、楽観的な想像を遥かに越える反応。
驚愕と疑念と――それ以上の敵愾心を滲ませた戦士の眼差し。
まるで、あの狂戦士と対峙したときのような。

「……あ、悪い」

士郎はすぐに普段どおりの雰囲気に戻り、ばつが悪そうに手元を見下ろした。
二度と使い物にならないボトルから、半透明の滴がしたたり落ちている。

「やっぱり知ってるんですね。そのサーヴァントのこと」

ティアナは強い語調で問い質した。
だが、士郎は答えない。
視線を逸らし、口をかたく引き結んでいる。
それは肯定にも等しい沈黙であった。

「ちょっと、ティアってば」

スバルが後ろからティアナの肩を揺する。
まるで尋問のような物言いに、気が気でなくなったのだろう。
それでも、一度加熱してしまった感情は収まらない。

「どうして私達には秘密にしてるんですか? 私達が弱くて頼りないからですか!」

身を乗り出し、声を荒げる。
士郎は唐突に激昂したティアナに対する驚きを浮かべ、仲裁を求めるようにスバルを見た。
けれどスバルも親友の豹変に戸惑っているだけで、場を収めることができずにいる。

私は、なんてことを―――

ティアナは思考の片隅で己の愚行を呪った。
情報管制が敷かれていることはとっくに分かっている。
セイバーから聞いた機密が数日後に正式発表されたように、聖杯絡みの情報は必要に応じて公開される取り決めになっていることが明らかだ。
それは明確な事実であり、同時に、一個人が勝手に情報を漏らしてはならないことの証明でもある。
なのに、ギルガメッシュというサーヴァントの存在が伏せられていた責任を、衛宮士郎に押し付けようとしている。
これを愚行と言わずになんと言うのか。

「貴方みたいな人には分からないかもしれないけど、私だって頑張ってるんです!
 強くなりたいって、頑張って…………それなのに…………」

声が潤む。
滲んだ視界の向こうでは、士郎が戸惑った表情でティアナを見上げている。
もう止められない。
後はもう全てを吐き出してしまうだけだ。

「それなのに……」

強い人――――
心も、身体も、自分よりずっと。
狂戦士を相手に怯むことなく、かつてはサーヴァントを倒したというほどに。

「私は……信頼されていないんですか……?」

倒すべき敵のことを明かされない。
それはつまり、彼らと共に戦う資格がないということ。


ティアナ・ランスターはその程度の力しか持たない、弱い人間なのだ。


そんなこと、分かっているつもりだった。

彼らや隊長達のような天才とは違う。
自分はサーヴァントと戦えるほどの力を持っていない……と。

だけど、現実を突きつけられるのは身を裂かれるように辛かった。
苦しくて、苦しくて、苦しくて、気が狂いそうだった。
『護られるだけの足手まといに過ぎない』と断言されてしまったかのように感じていた。

――その結果が、これだ。

「……ランスター」

士郎に名を呼ばれ、ティアナはびくりと肩を震わせた。
興奮状態から一転し、この場所に居たくないという衝動が、胸の奥底から湧き上がってくる。
名前を呼んだその口は、次にどんな言葉を紡ぐのか。
慰めか。憤りか。説教か。同情か。型に嵌った綺麗事か。
たとえどんな言葉だとしても、今のティアナには耐えられそうにない劇薬だった。

「あ、あ……」

喉が震えて声が出ない。
激情の冷めた思考回路は後悔の渦に沈んでいた。

「……ごめんなさい!」

どうにかしてその一言を絞り出し、ティアナは弾かれるように駆け出した。
自己嫌悪が胸をぎりぎりと締め付ける。
何故あんなことを言ってしまったのだろう。
何故エミヤ三尉にぶつけてしまったのだろう。
この愚行そのものが、己の精神的な弱さを浮き彫りにしたようなものではないか。

「ホントに……莫迦だ……!」

後ろの方からスバルの声がしたけれど、今更足を止める度胸なんてない。
いっそ消え去ってしまいたいという思いを抱えたまま、ティアナは訓練場から走り去った。



[27243] 第23話 For whom?
Name: リリナイ◆23c1d855 ID:e1085049
Date: 2011/06/26 02:00
 ―― 十四日目 AM10:35――



ミッドチルダ時間、午前十時三十五分。
管理局の凡その部署と同様に、機動六課も日々の業務に取り掛かる時刻。
出勤した隊員達がいつものように施設を行き交い、敷地内に独特の雰囲気が満ちていく。
そんな中、ヴィータは廊下を脇目も振らずに走っていた。

「くそっ……。何であたしがこんなこと……!」

頻りに毒づいているものの、足を止める気配はない。
ただ只管に、屋外訓練場までの最短ルートを一直線に駆け抜けていく。
警備担当の局員に尋ねたところ、衛宮士郎は隊に戻るなり訓練場へ直行したらしい。
怪我人のくせにどういうつもりなのだろう。

「ヴィータ副隊長!?」
「どうかしたんですか?」

隊員達とすれ違うたびに、驚きと好奇の入り混じった眼差しが向けられる。
怪訝な目で見られるのは無理もない。
今のヴィータの格好は、副隊長という立場にまるでそぐわないのだ。
いつもの三つ編ではなく、背中に流したままの髪。
六課の制服ではなく、普通の少女が着るような服。
どれを取っても、職場に出勤した士官の格好ではない。
『何か緊急事態でもあったのか』と勘ぐられるのは当然だ。

「野暮用だ! 気にすんな!」

ヴィータは隊員達の声を適当にあしらった。
いちいち立ち止まって説明するなんて、面倒くさいにも程がある。
第一、どうやって事情を他人に説明しろというのだ。
向こう見ずな大馬鹿野郎が病院を抜け出したので、居ても立ってもいられず追いかけた、とでも告げるのか。
そんなこと、口が裂けても言えるものか。

何やら作業中だった隊員を押しのけ、ヴィータは屋外訓練場に足を踏み入れた。

朝方の風がふわりと髪を揺らす。
少し奥へ進むと、林の向こうから複数人の声が聞こえてきた。
ティアナとスバル――そして士郎。
話の内容は聞き取れないが、談笑しているわけではなさそうだ。

「訓練できる体調じゃないだろうに……何やってるんだ?」

ヴィータは士郎達の会話に加わろうと歩き出した。
会話が弾んでいるところ悪いが、少しばかり士郎を借りてこよう。
ここまで振り回されたのだ。いっそ説教でもしてやらなければ気が済まない。
そんなことを考えながら、ヴィータは木陰から顔を出し――

「私達が弱くて頼りないからですか!」

――咄嗟に幹の後ろに身を隠した。
突然の出来事に心臓が激しく鳴っている。

「貴方みたいな人には分からないかもしれないけど、私だって頑張ってるんです!」

ヴィータは幹に身体を隠したまま、こっそり三人の様子を窺った。
地面に座り込んだ士郎に対して、ティアナが必死に食って掛かっている。
スバルはその傍で戸惑っているだけだ。
一体どういう状況なのか、さっぱり分からない。
はっきりしているのは、ティアナと士郎の間に軋轢が生じてしまったということだけだ。

「強くなりたいって、頑張って…………それなのに…………」

ティアナは涙ぐみながら訴え続ける。
強くなりたい。
強くありたい。
純朴な理想の前に立ちはだかる、現実という壁の存在を。

「それなのに……私は……信頼されていないんですか……?」

今にも泣き出してしまいそうな横顔だ。
ヴィータは幹に背を預け、口をきつく引き結んだ。
ティアナが激情を露わにした経緯は分からない。
けれど、彼女にとっては譲ることのできない『何か』があったのだろう。

「…………」
「…………」

不意に会話が小さくなる。
ティアナと士郎が、何やら短い言葉を交わしているようだ。
しかし、ヴィータのところまでは声が届いてこない。
どうにか聞き取れないかと身を乗り出した瞬間、ティアナが弾かれるように駆け出した。

「ティアナ!」

その後を追ってスバルも走り出す。
ヴィータは唖然としたまま、その光景を見やっていた。
何が起きたのか即座に理解することができなかった。

「アイツ何言いやがったんだ……?」

一人残された士郎を、ヴィータは身を隠したまま睨みつけた。
聞き取れなかった会話の中身は見当もつかない。
けれど、それがティアナをおかしくさせたのは明白である。

「おい! エミヤ――――」

士郎がティアナを追って立ち上がろうとした瞬間、ヴィータは木陰から飛び出した。
直後、士郎の身体がぐらりと傾く。
士郎は苦痛に顔を歪め、地面に膝を突いた。
シャツの胸元に赤黒い血が滲む。

「ぐっ―――」
「―――なっ!?」

ヴィータはフリーズしかけた思考をたたき起こして、士郎の傍に駆け寄った。
袈裟懸けに刻まれた胸の傷。
流血はそこから滲み出ている。

「この馬鹿っ! やっぱり塞がりきってねーんだろ……」

思わずきつい言葉が口を突いて出る。
しかし、ヴィータは血の気が引くのを自覚せずにはいられなかった。
自分が青いボディスーツの女に勝ってさえいれば、こんな傷を負わさせることもなかったのだ。
どうしても少なからぬ自責の念を感じてしまう。

「大丈夫だ……気にしないでいいから」

そんなヴィータの心境を知ってか知らずか、士郎はそう呟いた。
呼吸は荒く、額はに大粒の汗が浮かんでいる。
ヴィータは歯を噛み締めた。
一体何が大丈夫だというのだ。明らかに激痛を堪えている顔ではないか。
逆上にも似た怒りが喉元まで上ってくる。
だが、ヴィータは辛うじてそれを飲み込み、努めて冷静な態度で声を掛けた。

「さっきティアナが走っていったけど、何があったんだ?」

あえて傷のことから話を逸らす。
『傷は痛むのか』と問い質してみたところで、この男は頑なに否定し続けるに違いない。
無謀を厭わない者が、無謀を諌める声に耳を貸すわけがないのだ。
それに、胸からの出血も大分収まってきている。
いきなり身体を動かしたせいで、塞がりかけの傷口が少し開いただけなのだろう。

「……どこから聞いてたんだ?」
「自分達が弱くて頼りないからなのか――って怒鳴ってたところからだな」

ヴィータは正直に答えた。
どうやら士郎は、別に盗み聞きを咎めるつもりはないらしい。
ならば包み隠さず答えたほうが懸命だ。

「そうか……」

士郎は短い前髪をくしゃりと掻き乱した。
俯き気味のその顔からは、明らかな困惑と後悔の色が見て取れる。
そのまま数秒ほど躊躇してから、士郎は囁くように事情を口にした。

「『どうして大切な情報を秘密にしてるんだ』って言われたんだ」
「…………秘密って、おい…………」

ヴィータは思わず口篭った。
立ち聞きしたティアナの発言と、士郎の証言。
この二つを繋ぎ合わせるのは、余りにも容易過ぎる。
重要な情報を与えられていないという事実――
それによる疎外感がティアナを苦しめているのだ。

「くそっ……考えてみりゃ当たり前だ」

苦々しく呟き、ぎゅっと唇を噛む。
犯罪捜査において、事件に関連する情報は何よりも重要なファクターである。
事件に至る顛末を把握し、推定される犯人像を共有し、関係者との連携を密にする……
それらは捜査の基本中の基本であり、欠かすことのできない基本原則だ。

だが、今回は少しばかり状況が異なってる。
政治的に複雑な事情のため、ティアナのような末端の局員には、正確な知識や情報が与えられていないのだ。
"聖杯"がミッドチルダに齎された経緯。
"サーヴァント"なる『召喚獣』の正体。
捜査協力者たる"魔術教会"の存在、並びに衛宮士郎達の来歴。
これらは高度の情報統制を受け、機動六課の中枢部と一部の将官クラスを除いて秘匿されている。

ヴィータ自身、それが任務遂行の支障になることは想定していた。
しかし情報統制を受けているという事実そのものが、新人達のプライドを傷つけるというのは想定外の展開だった。

「俺も、本人から聞くまで気付けなかった」

士郎の言葉はどことなく沈んでいた。
声のトーンを落とし、悔やむように訥々と喋り続ける。

「何が『力になれることがあるなら』だ。何も出来てないじゃないか……」
「エミヤが気に病む必要なんかねぇって」

ヴィータは士郎の自責に割って入った。

「ティアナはあたし達の部下だ。あいつが悩んでるなら、あたし達が真っ先に気付かなきゃ駄目だったんだ。
 あんたにそこまで責任を負わせるわけにはいかねーよ」

そう。衛宮士郎という男にとって、ティアナは一時的な共闘関係にあるに過ぎないはずなのだ。
メンタル面のフォローに手が回らないのも当然であり、むしろそれをやらせようというほうが間違っている。
むしろ、ティアナの件で責を負うべきなのはヴィータのほうだろう。

「副隊長としてあるまじき失態って奴だな……。
 他の心配事に気を取られて、新人に向ける注意が疎かになってたんだ」

陸上部隊の場合、新人陸士の教育は主に陸曹クラスや先任の陸士が行う。
しかしスターズ分隊とライトニング分隊では、下士官に相当する兵が欠落している上、陸士も新人しか在籍していない。
そのため、士官クラスである隊長と副隊長が新人教育を直接担う、ある意味で歪な運用形態を採っていた。
歪ではあるが、豊富な実戦経験を直に伝えられるという利点を持つ体制でもあった。

だが、今回はこの体制が裏目に出た。

"聖杯"の出現に"サーヴァント"の召喚――それらとレリックの関係性。
ここ半月、機動六課にとって無視できない大事件が連続的に勃発している。
隊長陣は管理局内外との会議や折衝に追われる日々が続き、従来の業務に注力できていない。
シグナムも事件の調査に駆り出されることが多く、新人教育に関わる時間は殆どなかったはずだ。

「あたしがしっかりしてなきゃいけなかったのに……」

―――不甲斐ない。
ヴィータは己の横っ面を殴りつけたい衝動に駆られた。
他の隊長や副隊長が忙殺される中、新人達の状態を最も間近で把握していたのは、他ならぬヴィータ自身である。
それなのに、これまで一体何をしていたのか。
事件のことや私的なことばかり気にかけて、ティアナの変調を見落としてしまったのではないのか。

「いや、俺にも責任はある」

そう言って士郎は首を振った。

「何日か前に、ナカジマから相談されてるんだ。ランスターの様子がおかしいって。
 たぶん、高町達が忙しすぎたから俺に相談したんだと思う」

士郎は木の幹にもたれ掛かり、苦しそうな吐息の合間を縫って話し続ける。
額に浮かんだ脂汗の粒が、顔の起伏に沿って滴り落ちていく。
胸からの出血が収まったとはいえ、傷の痛みまで消えたわけではないのだろう。

「けど、俺に出来ることなんか殆どなかったからさ。
 魔術の腕は他人に教えられる程じゃじゃないし、ランスターのことをよく知らないから、相談にも乗ってやれない。
 だからせめて訓練の相手くらいはと思ったけど……結局、何の力にもなれなかった」
「………………」

ヴィータは短く息を吐いた。
士郎の物言いからは誇張や偽りは感じられない。
今、この男は本心を曝け出しているはずだ。
ただし、それは意外を通り越して、尊敬の念すら感じてしまう代物であるのだが。

「そんな理由で病院から脱走したのか?」

呆れた―――心底呆れ返った。
一時は意識を失うほどの重傷を負ったというのに、他人のために病室を抜け出すなんて。
勿論、それが『親しい人』や『大切な人』のためというなら共感できる。

しかし、新人達と士郎は半月前に会ったばかりの間柄に過ぎず、そんな命令など下っていない。
これはもう、お人好しというよりも―――

「……馬鹿だろ、アンタ」
「はは……よく言われるよ」

自分のことよりも、付き合いの浅い他人のことを優先する。
きっと世間一般では『善人』と呼ばれる性格だろう。
それは紛れもない美徳だ。
けれど、美徳も度が過ぎれば欠点となる。

「笑い事じゃねーぞ!」

ヴィータは思わず士郎の胸倉に掴みかかった。
ティアナの件で一時的に静まっていた苛立ちが、再び鎌首をもたげてくる。

「こんな無茶ばかりしてたら、いつか酷いことになるに決まってる!
 溜まりに溜まったツケが最悪のタイミングで爆発して! それで……!」

―――脳裏を過ぎる鮮やかな光景。
白いバリアジャケットを染める鮮血。
腕の中で冷たくなっていくなのはの身体。
心が真っ黒に塗り潰される音を、ヴィータは一生忘れられないだろう。

「あたしは……そんなの、もう見たくねぇんだ……」

きつく握り締められたシャツから、赤い血がじわりと絞り出される。
士郎が負った傷は紛れもない重傷だった。
医者の見立てによると、あと二センチ深く踏み込まれていたら、心臓に致命的な傷を負っていたかもしれないという。
僅か二日で歩き回れていること自体が、ある種の奇跡のようなものなのだ。

「ヴィータ…………」

士郎はヴィータの急変に目を丸くしている。
無理もないだろう。
事情を知らない士郎にしてみれば、ヴィータが唐突に取り乱したようにしか見えないはずだ。
それでもヴィータは感情を抑えることができなかった。

「頼むから、無理だけはしないでくれ……」
「……ごめん」

士郎の返答はひどく簡潔なものだった。
たった一言の謝罪の言葉。
しかし、それは無謀を冒したことへの謝意ではない。

「ごめん……。俺には、こんなやり方しかできそうにない」

ヴィータの瞳をまっすぐ見上げ、士郎はそう言い切った。
微塵の迷いも躊躇いもなく、無謀な生を送ることしかできないと断言したのだ。
それこそが真実であると確信した眼差しが、ヴィータの青い瞳を見据える。

「……っ!」

ヴィータは思わず目線を逸らした。
掴んだままの胸倉を突き放し、士郎に背を向ける。

「勝手にしろ!」

色々な感情が入り交ざって、頭の中がぐちゃくちゃになっていた。


あの男は無謀な生き方しかできないと自覚していて。

そんな人生を変えるつもりなんかなくて。

けれど、それを『ごめん』と言うような変な奴で。

まったく訳が分からない。


そのとき、ヴィータの後ろで士郎が立ち上がる音がした。

「え、おい、どこ行くんだよ」
「決まってるだろ。ランスターを追いかけないと」

ふらつく足取りで歩き出す士郎。
ヴィータはその裾を引っ掴み、強引に歩みを止めた。

「お前は―――!」

お前は馬鹿か。
そう言い掛けて、ヴィータは口を閉じる。
これは無意味なこと極まりない一言だ。
衛宮士郎という男は、自覚症状のある馬鹿野郎なのだ。
そんな相手に『馬鹿か』と言っても止められるわけがない。

「―――行かなくてもいいんだよ。
 ティアナのことはスバルが良く知ってる。あたしよりもな」

一言ずつ、区切るように喋っていく。
こうやって話すことで、熱くなりすぎた思考回路が少しずつ冷えていく。

「だから今はスバルに任せとけ」

機動六課の他の誰よりも、スバルはティアナのことを知っている。
新参者や上官が相談に『乗ってやろう』と言い出すより、ずっと心安く話せる相手だろう。
士郎もそれを自覚していたらしく、足を止めてヴィータへ向き直った。

「なぁ、ヴィータ」
「で、アンタはまず医務室に行け! まずはさっさと包帯巻き直してこい! 着替えもあるから!
 それが終わったら病院に戻って診察! 早期退院できるように申請しといてやるから! 分かったな!」

士郎が何か言い出すより先に、ヴィータは畳み掛けるように命令を飛ばした。
こういうときは勢いで圧したほうが懸命だ。

「分かったら復唱!」
「わ、分かった」

さしもの士郎も、ヴィータの勢いに負けたのか、大人しく返答した。
ヴィータは腰に手をあて、ふん、と鼻を鳴らした。
もしかしたら、最初からこうやっていたほうが良かったのかもしれない。

「けど、病院に行くのはヴィータと二人でだな」
「は? 何言って……」

士郎の顔を見上げようとして、頭を上向きに傾ける。
その瞬間、空がぐるぐると回転し、視界が隅の方から急速に黒ずんでいく。

「……あれ……?」

奇妙な浮遊感の中、ヴィータは自分の体が仰向けに倒れていくのを感じていた。
平衡感覚や上下感覚がまるで働かない。
立ち眩み―――それもとびっきり酷い奴だ。

『しまった』と悔やんだときには、もう遅い。

重傷を負っていたのは士郎だけではなかったのだ。
ヴィータ自身の負傷も、どう見積もっても軽傷とは言いがたい。
それを失念していた原因は、士郎への憤慨と少なからぬ慢心。
ヴォルケンリッターという人外の存在であるという油断が、ダメージの深刻さを甘く考えさせたのだ。

「おっと!」

そのまま転倒するかと思われた瞬間、大きな手がヴィータの背中を支えた。
頭に張っていた黒い靄が、時間の経過と共に薄れていく。
視界に写ったのは、澄み渡った青空と、見慣れてきた男の顔。
意地っ張りの大馬鹿が心配そうにヴィータの顔を覗き込んでいた。

「……悪ぃ、もう大丈夫だ」

ヴィータは逃げるようにして、士郎の腕から離れた。
無茶を咎めた直後にこの様とは、幾らなんでも情けなさ過ぎる。

「やっぱりヴィータも病院から抜け出して来たんだろ」
「う……」

隠しきれるとは思っていたわけではないが、面と向かって指摘されると、流石に気まずくなる。
ヴィータは士郎から視線を逸らしながら、さり気なく後髪を手櫛で梳いた。
櫛も入れていない長髪に、ただ動きやすいだけの私服。
今のヴィータの服装は、お世辞にもきまりのいい格好とは言えない。

「アンタが脱走しなけりゃ、あたしだって大人しくしてたんだよ」

それらしい憎まれ口を叩きながら、ヴィータは思考を巡らせる。
ヴォルケンリッターであるということに慢心し、被害を甘く見積もりすぎたのは事実だ。
しかし、そもそもヴィータの実態はプログラム体であり、人間とは根底的に造りが異なる。
それを思えば、むしろこの程度で重体となっているほうがおかしいのではないか。
これではまるで、人間のような―――

「そりゃそうだけどさ。そっちこそ、あまり無茶するなよ。ヴィータは女の子なんだから」

―――ぷつん、と。
思索の糸が千切れる音がした。

「…………はは、ははは」

ヴィータは待機状態のグラーフアイゼンに手をかけた。
そして、そのまま握り潰さんばかりに力を込める。

「グラーフアイゼン。ギガントフォルムだ」
≪Meister!?≫

士郎の放った呟きは、面白いくらいにヴィータの神経を逆撫でした。
頭の中で渦巻いていた雑念が消え、思考が急速にクリアになっていく。
理由はよく分からない。
分からないが、どうしようもなく腹立たしくなったのだ。

≪Beruhigen Sie sich bitte.≫

落ち着くよう進言するデバイスの声も、今のヴィータの耳には届かない。
獰猛な笑みを浮かべ、掌に拳を打ちつけながら、士郎へ一歩ずつ歩み寄る。
つい先ほど倒れ掛けたばかりという事実は、もはや思慮の埒外だ。

「お、おい。ヴィータ?」

士郎は戸惑った様子で後ずさった。
どうやら、自分の一言が相手を怒らせたことに気付いていないらしい。
これはもう身体に直接教え込まなければ。

「よく分かんないけど、落ち着けって」
「うるさい! いいから逃げるな!」

逃亡の隙を与えず飛び掛る。
数秒後、訓練場に二人の怪我人の怒号と悲鳴が響き渡った。



[27243] 第24話 紫電の原石
Name: リリナイ◆23c1d855 ID:e1085049
Date: 2011/08/15 04:11
 ―― 十四日目 AM10:35――


「起きてる? エリオ」

フェイトは病室の扉を少しだけ開けて、小さな声でそう言った。
個室の窓際に据えられたベッド。
その上に病院服のエリオが横たわっている。
扉をゆっくりと押し開く。
ベッド脇の椅子に座るキャロの背中が見えた。

キャロがフェイトへ向き直り、唇の前に人差し指を当てた。

『静かに』というジェスチャーだ。
どうやらエリオは眠っているらしい。
フェイトは物音を立てないように気をつけながら、後ろ手に扉を閉めた。

「さっき眠ったばかりなんです」

囁くようにキャロは言う。

「……そっか」

フェイトはエリオの寝顔に視線を落とす。
思っていたよりも安らかな寝顔だ。
一昨日の戦闘で、エリオは胸と脇腹に深い傷を負った。
治癒魔法による応急処置のおかげで大事には至らなかったが、暫しの入院は避けられなかった。
それは確かに痛ましい出来事ではある。
しかし、周辺が更地よりも酷く破壊されていたことを考えると、これだけで済んで良かったと思わずにはいられない。

「フェイトさん。あの施設跡の捜査はどうなってるんですか?」
「うん……まだまだこれから、かな」

小声を維持したまま言葉を濁す。
結論から言うと、エリオが負傷した場所は確かにレリック密売組織の拠点が『存在した』地点であった。
ただし施設そのものは『黒いセイバー』の宝具によって、僅かな痕跡を残して消滅させられていた。
当然、ろくな証拠物品など残されているはずもなく、生き残りがいるか否かも判然としていない。
これは、ある意味では最悪の捜査妨害だ。
密売組織の構成員の総数は、地道な捜査によって推定できている。
たとえ皆殺しにされたとしても、遺体さえ確認できれば『組織は壊滅した』と認識することができる。

だが、今回のケースではそうはいかない。

一人残らず殺されたのか、幸運な生き残りがいるのか、それとも施設の抹消は偽装に過ぎず全員逃げ延びているのか。
そんな根本的なことすら把握する術がないのだ。
組織の壊滅さえ確信できれば、その追跡の任に就いていた人員を別の捜査に回すことができる。
けれど、現状ではそれができない。
全員物理的に蒸発した可能性すらある組織の為に、少なからぬ人員を割き続けなければならないのである。

「でも良く頑張った。それは間違いないよ」

エリオの額に掛かる前髪を指で除ける。
フェイトは微笑みを浮かべようとしたが、ぎこちない中途半端な表情を作るのが精一杯だった。
黒いセイバーとの戦いにおいて、エリオがどれだけ死力を尽くしたかはフェイトも聞き及んでいる。
管理局局員として、騎士としては間違いなく賞賛に値する働きだろう。
だが私的な身内としては、無茶をして欲しくないという思いがあるのも否めない。

――――そんなこと、エリオが管理局に入ると決めたときから覚悟していたはずなのに。
いざ傷ついたエリオを前にすると、どうしても個人的な情が強くなってしまう。

バリアジャケットすら意味を成さない英霊の斬撃。
エリオは二度も血肉を抉られた。
痛かったはずだ。苦しかったはずだ。
それでもエリオは立ち上がり、最後までキャロを守り抜いた。
それが誇らしくて、胸が苦しかった。

「ねぇ、キャロ……」

フェイトはキャロの方へ視線を落とした。
そして、思わず言葉を詰まらせる。
キャロは膝の上でぎゅっと拳を握り、小刻みに震えていた。

「……私、怖かったんです」
「それは仕方がないよ。それにキャロは怖くても頑張ったでしょ?」

キャロの細い肩に腕を回す。
あの戦いでは、誰も責められるようなことをしていない。
誰もが力の限り戦い、自分に出来ることを成そうとした。
不幸にして目的に届かなかったとしても、それを責める者などいるはずがない。

「違うんです……」

キャロはおずおずと首を振った。

「エリオ君が死んじゃうんじゃないかって、それが怖かったから……
 ……ううん、今も……今も怖くて……」

膝の上に置かれた拳は一層強く握られ、大きな瞳は遣る瀬無く揺れ動いている。
彼女を支配している感情は、恐怖かそれとも罪悪感か。
いずれにせよ、本当に言いたいことを言えないでいるように見えた。

「誰かに生きていて欲しいと思うのは当たり前のことだよ」
「……違うんです……私は……」
「大丈夫。キャロは何も間違ってない」

フェイトはそっとキャロを抱き寄せた。
恐らく、目の前で仲間が傷ついたことにショックを受けて混乱しているのだろう。
そのせいで感じなくてもいい自責の念を感じているだけなのだ。
だから今は、少しでも心を落ち着かせてあげなければ。

「皆すぐに良くなるから。安心していいの」
「…………」

キャロはエリオの寝顔を哀しそうに見やった。
そうして静かに席を立つと、扉のところで肩越しに振り返る。

「私、もうエリオ君に戦って欲しくないって……そう思っちゃったんです」
「……! キャロ……!」

呼び止める間もなく、キャロは病室から出て行ってしまう。
フェイトは伸ばしかけた腕を力なく下ろした。
足音がぱたぱたと遠ざかっていく。
まるで、この場から逃げ出そうとするかのように。

「そう……だったんだ」

さっきまでキャロが使っていた椅子に座り込む。
キャロの気持ちを理解し、慰めていたつもりだった。
しかし、どうやらそれは完全な空振りであったらしい。

つまるところ、キャロの不安はフェイトの想像よりも深いところに根ざしていた。

いわば『このままでは死んでしまう』という瞬間的な恐怖ではなく。
『こんな戦いを続けていたら死んでしまう』という継続的な恐怖心。
戦いそのものへの参加を忌避する、戦士にあるまじき思考。
けれどフェイトは、そんなキャロの憂いを非難しようとは思わなかった。
――――否、非難することができなかった。

「私と同じこと……考えてたんだ」

確かにエリオは死力を尽くして戦った。
しかし、勝機のある戦いであったかといえば、贔屓目に見ても否定せざるを得ない。
キャロはそれを誰よりも近くで目の当たりにしてしまったのだ。

刃に裂かれる肉を。飛沫となって飛び散る鮮血を。
命など容易く刈り取られるモノだという現実を。

彼女にとって、エリオは死んで欲しくない存在だった。
それが仲間意識や友情によるものなのか、もっと親密な感情なのかは、フェイトには分からない。
とにかく、キャロは例の死闘を通じてそれを確信し、同時に理解したのだろう。
この戦いを続けている限り、エリオは死の危険から逃れられない。
つまり、死んで欲しくないという願いを成就させるには、エリオ自身が戦いから遠ざかるしかない、と。

「我が儘だなんて、怒れないよ」

ほんの一瞬とはいえ、フェイトもそれを望んでしまっていた。
部隊長失格と言われても仕方のない弱音だった。
しかし、そんな私情を抜きにして考えても、現状の作戦体制を続けることには異論の余地がある。

「今のままだとサーヴァントとは戦わせられない……それなら、いっそ……」

フェイトは俯いて目を伏せた。
"偽造聖杯"に、そして"サーヴァント"に関わり続ける限り、前回のような戦いからは逃れられない。
仮に新人達とサーヴァントを戦わせないよう決めたとしても、敵がその意図を理解してくれるはずがないのだ。
常識的に考えれば、組みし易いウィークポイントとして狙われるに決まっている。
戦闘に関わらせる時点で危険――そう考えるべきだろう。

「……やっぱり私一人じゃ決められないよね」

これ以上は機動六課の部隊運営方針に深く関係する。
たかが一個分隊の隊長、それも遺失物管理部の正規隊員ではないフェイトの裁量を超えてしまう。
けれど、一度はやてとなのはに話してみる価値はあるはずだ。
機動六課の大きな方針転換。
新人達の実戦参加の一時中断について――





 ―― 十四日目 AM11:00――


「…………結局、眠れなかったや」

病室のベッドの上でエリオは一人呟いた。
顔に乗せていた腕を除け、真っ白な天井を見上げる。

「ちゃんと寝なきゃいけないのは分かってるんだけどな……」

黒いセイバーとの戦闘から二日。
腹部と胸の傷は未だ塞がりきってすらいない。
今は体力を回復するためにも十分な休養が必要な時期だ。
それは嫌というほど分かっている。
けれど頭の理解とは裏腹に、身体はどうしても寝付いてくれなかった。

「よっと」

エリオはゆっくりと身を起こした。
キャロの回復魔法と病院での治療のお陰で、これくらいの動作なら痛みもあまり感じない。
とはいえ、まだ訓練に参加できるほどではないのだが。

「訓練……か」

訓練。トレーニング。強くなるためのルーティンワーク。
何度も耳にして何度も口にしてきた言葉。
そんな当たり前の単語が、聞いたこともないような響きを帯びて、胸の奥へと溶け込んでいく。
まるで渇いた喉に冷たい水が沁み込むように。

不意に、エリオは身体を動かしたくなる衝動に駆られた。

それを自覚するが早いか、足先にスリッパを引っ掛けて立ち上がる。
既に申し訳程度の眠気も覚めてしまっていた。
医師からは無理に動かないように言われているが、これくらいなら問題ないだろう。
一歩踏み出すごとに、胸と脇腹の治療跡が軽く疼いた。

「――だから――っての」
「けど――だろ――?」

扉に手をかけたのと同じタイミングで、廊下から誰かの話し声が漏れ聞こえた。
幼子に近い少女と青年に近い少年の声―――どちらにも聞き覚えがあった。
エリオはちょっと躊躇ってから、病室の扉を一気に開けた。

「どうしたんですか? ヴィータ隊長にエミヤさん」

通り過ぎようとしていた二人組が振り返る。
想像通り、そこにいたのはヴィータと衛宮士郎だった。
エリオの記憶が確かなら、彼らもこの病院に入院しているはずである。
しかし彼らの格好はどう見ても私服だ。
それに二人とも様子がおかしい。
まるで、拙いところを見られたと言わんばかりの反応だ。

「あー……ちょっとな」

ヴィータはあからさまに言葉を濁していた。
さり気なく士郎を見上げ、睨むような視線を送る。

「あ、ああ。別に何かあったわけじゃないぞ」

士郎はぎこちない態度でヴィータに話を合わせている。
どうやら二人して何か隠し事をしているらしい。
エリオは少し考え込んで、頭に浮かんだ疑問を思考の隅に追いやった。
不可思議な態度ではあるが、わざわざ理由を聞き出すほどではないだろう。
第一、訊ねたら答えてくれる雰囲気でもない。

「それより! お前、ベッドから降りて平気なのか?」
「えっ? ……あ、はい。痛みもないですし」

ヴィータに詰め寄られ、エリオは遠慮気味に答えた。
実際は、痛みが無いのは麻酔や治癒魔法のお陰なのだろうが、あえてそれには触れなかった。

「それに……皆が頑張ってるのに、僕だけ動けないなんて嫌ですから」
「……はぁ。どいつもこいつも」

ぽつりと呟いて、ヴィータは士郎に向けて目を細める。

「何だよ」
「何でもねーですよ」

やっぱり何かあったらしい。
しかし、エリオの想像力では何があったのか想像することはできなかった。

「それにしても、二人とも元気そうで良かったです。……けど、その……」
「セイバーなら大丈夫だ。俺達よりずっと早く回復したよ」

言いよどむエリオの言葉を士郎が引き継いだ。
エリオは驚いて目を丸くした。
確か、セイバーはエリオよりもずっと重篤な傷を負っていたはずだ。
それも、半身が千切れかけたという表現が比喩にならないほどの重傷である。
たった二日で回復したと言われても、俄かには信じられない。

「ひょっとして、もう部隊に復帰してるんですか?」
「あたしが聞いた限りだと、ロングアーチのほうに顔を出してるみたいだ。
 スターズとライトニングはしばらく自主訓練だからな」

今度はヴィータが応えた。
どうやらセイバーが回復したのは本当のことらしい。

「……凄いなぁ……」

胸に去来する驚きの感情。
そして、それ以上に大きな気持ちの高鳴り。
エリオは思わず息を呑んだ。
二人の隠し事の内容は分からないが、この感情の正体なら理解できる。

「……あのっ! 聞いておきたいことがあるんです。
 僕達を……新人達を戦列から外すっていう話、隊の議題に挙がってますか?」
「はぁ?」

ヴィータと士郎は顔を見合わせた。

「そんな話は聞いてねぇな。あたし達が蚊帳の外っていうなら別だけどさ」
「……そうですか。すみません、変なこと訊いちゃって」

キャロとフェイトの会話を聞いたのはわざとではない。
目を瞑って眠ろうとしているところに、フェイトがやって来てキャロと話し始めたのだ。
盗み聞きは宜しくないと分かってはいたが、どうしても寝た振りを止められなかった。

エリオに戦って欲しくないというキャロの願い。
キャロと同じことを考え、サーヴァントと戦わせられないというフェイトの迷い。

それらはエリオにとって思いもよらないものだった。
彼女達から見れば自分も心配され守られる立場に過ぎないのか。
プライドが傷ついたというわけではないが、自身の未熟さを見せ付けられたような気がした。

「まさかとは思うけど、お前も訓練に戻りたいって言うつもりか?」
「ええっ!? いや、あの、それは」

心の片隅で思っていたことを言い当てられ、エリオは慌てふためいた。
ヴィータはエリオの反応を訝しげに眺め、語気を強める。

「焦る気持ちはわかる。けどな、自分が弱いと思って焦っても何の特にもならねぇんだよ。
 そうやって先を急いでも結局は自滅するだけだ」
「分かってます……けど、違うんです」

エリオは躊躇い、視線を落とした。
そして、意を決したようにヴィータと視線を交わす。

「後もう少しで何かが掴めそうなんです。
 だから、この感じを忘れないうちにやれることをやりたくて……」

今よりも強くなりたい。
強くなって皆を守れるようになりたい。
それが、エリオの心を昂らせる衝動の正体。

黒いセイバーと自分の戦闘能力には絶望的なまでの差があった。
腕力、技術、精神力。全てにおいて天と地ほども掛け離れていた。
それでも――いや、だからこそ得られたものがある。

圧倒的な腕力の相手をどう凌ぐか。
圧倒的な技術の相手をどう掻い潜るか。
圧倒的な精神力の相手にどう挑むか。
ただの訓練や凡庸な戦闘では決して得られない、異質の経験値。
思い出すだけで胸が高鳴る。
脇腹を貫いた刃の感触も、今となっては『こうすれば回避できたかも』という試行錯誤の対象だった。

この感覚を忘れてしまう前に、自らの糧としたい。
もしもエリオが焦っているとしたら、きっとこの衝動によるものだろう。

「だから、僕は……」

一昨日の戦いを通じて、エリオは己が更に強くなれるはずだと確信していた。
黒いセイバーとの戦いで見せた技と動きは、その殆どが直感的な肉体の反応の結果であった。
それを訓練にフィードバックして鍛えこめば、きっとあのとき以上に―――


―――キャロを護り切れるはずだ。


「……はぁ、分かったよ」

ヴィータは根負けしたように溜息を吐き、額を掻いた。

「早いこと訓練に戻れるように具申しておいてやる。
 ただし、退院許可が下りるまでは安静にしろ。いいな?」
「……はい!」

エリオは思わず姿勢を正して返事をした。
それを見て、ヴィータは苦笑にも似た笑顔を浮かべる。

「エリオ。良かったら俺も訓練を手伝おうか」
「本当ですか!?」

気前良くそう言った士郎だったが、ヴィータに軽く肘打ちされて顔をしかめた。

「お前のじゃエリオの手本にはなれないっての」
「なんでさ」
「当たり前だろ」

くるりと踵を返すヴィータ。
エリオに背中を向け、士郎と向かい合う格好だ。
髪を解いて私服を着ているせいか、普段と雰囲気がまるで違う。
これではまるで普通の女の子のようだ。
……そんなこと、エリオは口が裂けても言えないのだが。

「お前の戦い方は自分から突っ込んで押し切るタイプじゃないだろ?
 どっちかといえば、相手の攻撃を捌いて押し返すやり方だ。
 組み手や模擬戦の敵役ならともかく、エリオの手本になるにはタイプが違い過ぎるんだよ」

士郎はヴィータに胸を突かれながら押し黙っている。
どうやら、ぐうの音も出ないほどに言いくるめられているらしい。

「で、今のエリオに必要なのは、戦闘スタイルを改善してくれるお手本なわけだろ。
 畑違いな大馬鹿野郎はお呼びじゃねーってわけですよ」
「言いたい放題だな。それじゃあセイバーなら向いてるっていうのか?」

飛び交う言葉は罵声一歩手前だが、会話の雰囲気自体は悪くないように見えた。
エミヤさんも隊に馴染んでるんだな―――エリオはそんなことを考え、軽く安堵した。
特に、ヴィータは他人に対して棘のある態度を取る癖がある。
決して悪意があるわけではないのだろうが、付き合いの浅い人から誤解を受けやすいのも否めない。
そんな彼女と打ち解けることができたのなら、他の皆とも上手く付き合うことができるはずだ。

「セイバーか。あいつならぴったりだな」

ヴィータがエリオへ向き直る。

「後はシグナムと……高速戦闘についてはフェイト隊長から教わるのがいいか」
「それならセイバーには俺から話しておこうか。……多分、凛に許可を貰わないと駄目だけど」
「セイバーにシグナム、フェイト隊長。後はあたし達も敵役くらいならしてやれるな」

ふと、エリオは場の空気が変わりつつあることに気がついた。
何故か集団でエリオを鍛えることが前提になりつつある。
鍛えてくれること自体はありがたいのだが、急速に話が纏まり過ぎている気がしてならない。

「あの、他の人達と相談しなくてもいいんですか?」

おずおずと懸念事項を切り出す。
自分が言ったことが切欠とはいえ、こうも上手く話が進むと気後れしてしまう。
しかし、二人の反応は至極あっけらかんとしていた。

「セイバーなら快く受けてくれるって」
「シグナムも向上心のある奴は好きだと思うぞ」

それはどちらも鬼コーチ気質ということではないだろうか。
考えていたことが表情に出ていたのか、ヴィータは意味深に微笑みながらエリオの肩を抱いた。
――いや、抱いたというよりは掴んだというべきか。

「皆がお前みたいに前向きならよかったんだけどな」

そう囁いたヴィータの横顔は、どことなく哀しそうに見えた。
何があったのか尋ねることすら憚られるほどに、自虐的な哀しい笑みだった。

「あの……」
「今日はゆっくり休んどけ! 無理してると復帰が遅れるぞ? なぁ、エミヤ」
「そうだな。ヴィータを見てるとそう思うよ」

ヴィータは陰りの消えた顔でにやりと笑う。
士郎もその皮肉を受けて肩を竦めている。
どうやら適当にはぐらかされてしまったらしい。
エリオは釈然としないままに病室へ戻ろうとして、ふと扉にかけた手を止めた。

「そうだ。もしフェイトさんやキャロに会ったら伝えてください。僕は大丈夫だから――って」

二人は怪訝そうな表情を見せたが、すぐにエリオの頼みを受け入れた。

「分かった」
「会ったらそう言っといてやるよ」
「――――お願いします」

迷いも疑いもない返事を聞いて、エリオは病室の扉を開ける。
これで少しはゆっくりと眠れるような気がした。



[27243] 第25話 君の声
Name: リリナイ◆23c1d855 ID:e1085049
Date: 2011/08/17 05:10
 ―― 十四日目 AM10:40――


時空管理局地上本部、防衛長官執務室。
その主であるレジアス・ゲイズは、恰幅の良い体を椅子に沈め、部下の報告に耳を傾けていた。

「以上が本件の調査報告です」
「…………」

頭痛を堪えるようにこめかみを押さえる。
先日、機動六課からのクレームがレジアスの元に飛び込んできた。
内容は本局支給の簡易デバイスの初期不良。
本来ならレジアスよりも下の部署で処理される、些細な案件に過ぎない。
だが今回は少しばかり事情が違った。

「要するにデバイスを用意した担当者の独断専行ということだな?」
「はい。それ以外の者の関与は見受けられません」

余計なことをしてくれる―――レジアスは小さく吐き捨てた。
この一件は、よりによって地球の『魔術協会』からの出向者が被害を受けている。
担当者は功名心から実行に至ったのかもしれないが、論外もいいところだ。
『魔術協会』の人間に対して無断で魔法を解析しようとは。
あの組織がどういう性格をしているのか知らなかったに違いない。

「フォード一佐。地上本部は魔術教会との協調関係を最重視している。何故か分かるか?」

急に問いを向けられ、一等陸佐の階級章をつけた士官は戸惑いの色を見せた。
しかしすぐに態度を正し、教本に載せられるくらいに整った答えを返す。

「『聖杯事件』を迅速に解決し、市民への影響を最小限に留めるためであります」
「一つはそれだ」

レジアスは椅子を軋ませて立ち上がった。
大きな窓の外にはミッドチルダの街並みが広がっている。
道行く人々は『聖杯事件』なる戦いの存在すら知らず、普段と同じ平穏な日々を送っている。
この平穏を維持することは、地上本部に架せられた大きな使命である。
だが、それだけでは足りない。
ひと時の平和を、現在の平和を守るだけでは意味がないのだ。

「もう一つの理由は、この『聖杯事件』が終わった後でも関係を維持する足掛かりとするためだ」
「関係維持……でありますか」
「そうだ。現状は、魔術協会という秘密主義の集団と接触できる千載一遇の好機でもある。
 今回の事案を処理するにあたっては、決してこのことを忘れないように」

一佐はしばし切れ長の目を丸くしていたが、やがて事の重大さを把握したのか、表情を引き締めた。
本件の事実関係の追跡調査と事後処理は彼に一任されている。
その責任の大きさを改めて実感し、心持ちを新たにしたようだ。
間違っても重責に押し潰されることはないだろう。
さもなければ、佐官のトップである一等陸佐は勤まらない。

「肝に銘じます。それでは、失礼致します」

一佐はお手本のような敬礼を残して執務室を後にした。
レジアスはそれを見送り、再びデスクの椅子に腰を下ろした。

「奇跡的に掴んだ糸口なのだ。簡単に手放してたまるものか」

いわゆる『聖杯事件』の解決は地上本部の果たすべき役割。
それ自体に誤りは一切ない。
だが、レジアスの思考は更に先を向いていた。

現在の平穏を守るだけでは足りない。
更に先の――未来の平穏をも守る備えが必要なのだ。

不本意なことに、今の管理局は本局隷下の部隊に戦力が偏重する傾向が強い。
その理由として事件規模の大きさが挙げられるが、市民の住まう地上を蔑ろにするなど言語道断だ。
事件さえ解決できれば良しとする本局には、永遠に理解されないであろう理屈かもしれない。

「この好機を本局の連中に横取りされるわけにはいかん。
 何としても魔術協会を繋ぎとめておかなければ……」

―――魔術協会。
魔法関連技術が存在しないとされた第97管理外世界において、長きに渡って息衝いてきた自治組織。
その歴史は千年に迫るとも、或いは越えるともされ、古代ベルカの崩壊よりも遡るのは確実だと思われる。
だが、真に驚くべきは単純な歴史の長さではない。
管理局による幾度もの調査を経ても、存在の片鱗すら気取らせなかった隠蔽と情報操作の技術。
更に言えば、それほどの技術を発達させた原動力――――狂気じみた秘密主義である。

恐らく魔術協会は、事件解決後には外部との干渉を再度遮断するつもりに違いない。
そして、長年に渡って研鑽を重ねた隠蔽技術によって、管理局の追跡を容易く回避し続けるはずだ。
こうなってしまえば、たとえ本局でも魔術協会と接触するのは困難だろう。

では、もしも魔術協会との間に十分な信頼関係を築くことができたとしたら?
管理世界に組み入れることは不可能でも、人材や技術を融通しあう状態に至る希望はある。
それも地上本部が独占的に。

「ああ……そうだ。故にしくじりは許されん」

レジアスは重々しく独り言を呟いた。
『聖杯事件』の捜査機能と魔術協会から提供された情報は、今のところ全て地上本部に集約されている。
しかしそれは、魔術協会が折衝の窓口として指名した機動六課が、地上本部の隷下部隊であるという以上の理由はない。
万が一、地上本部の働きに不満を抱かれでもすればどうなるか。
協会が事件から手を引いてしまうだけなら、まだいい。
最悪の場合、地上本部は当てにならないと考えて、本局に鞍替えされてしまう恐れもあるのだ。
下手をすると、本局が魔術協会との間に関係を築き、交流から得られる利益を独占してしまうかもしれない。

「軌道六課は気に食わんが、協会に繋がる糸口として相応の働きをさせなければな」

これまで、レジアスは合法非合法を問わず様々な手段で地上の戦力不足を補ってきた。
スカリエッティの研究にも少なからぬ期待を寄せていたが、結局は犯罪者のすることなのか、実用化の目を見ることは無かった。
このように手痛い失敗を喫した件もあったものの、全体としては犯罪発生率の低下を実現できている。
しかし、まだ足りない。
地上本部の権力を手中に収めたレジアス・ゲイズも、いずれは後進に地位を譲るときが来るだろう。
果たしてその後継者は、今の自分と同等以上の戦力維持策を執ることができるのだろうか。
それを考えると、引退までに長期的な戦力確保の道筋を確立しておかなければ、と思わずにはいられない。


事と場合によっては、再び非合法的な手段に訴えることになるかもしれない。
きっと、それでもレジアスは迷わないだろう。
全ては地上の平和と平穏の為に。それがレジアスの信念なのだから。




 ―― 十四日目 AM10:35――


機動六課の隊舎裏で、ティアナは一人座り込んでいた。
どこからか工具の音が漏れ聞こえてくる。
兵員輸送ヘリの整備でもしているのだろうか。

「何やってんだろ、私」

日陰の涼やかな風がほてった体を冷ましていく。
それと同時に、加熱した思考回路も平静を取り戻していく気がした。

「焦ったって何にもならないのにね」

ティアナは額に掛かる前髪をくしゃりと掻き揚げた。
とてもではないが、自嘲せずにはいられない。
ここ数日のティアナ・ランスターは明らかに平常心を欠いている。
それこそ無様すぎて嗤えてくるほどに。

発端は、サーヴァントとの数回の戦闘を通じて、己の弱さを再認識したことだった。

未熟であることは理解していた。
まだ成長途中に過ぎないことも自覚していた。
―――そのつもりだった。

だが、見せ付けられた現実はあまりにも過酷であった。
遥かな高みにあると思っていた隊長達や副隊長達ですら、死力を尽くさなければならない戦いがあると知ってしまった。
つまり、これまで自分が歩んできた道程は発展の『途中』ではなく、ほんの始まりに過ぎなかったのだ。
喩えるなら、砂漠を横断するキャラバン。
地獄のような灼熱に耐え、目的地までの数分の一を踏破したと思っていたら、実はゼロにも近い微々たる距離であり―――
そんな絶望が襲い掛かってきたのだ。

これがティアナの心に焦燥感を生じさせた。
早く強くなりたい。
兄の汚名を雪げるほどの実力が欲しい。
先を急ぐ感情と、引き上げられたハードルのギャップは、もはやどうしようもないところまで広がっていた。

彼女を更に焦らせたのは、身近な仲間達の自然な態度であった。
圧倒的な相手にも臆することなく立ち向かい、諦めることを知らない闘志。
そして、それを特別なことだと考えず、当たり前のように振舞う姿。
無様に焦る自分とは正反対であるように感じられ、直視することすら憚られた。

「……訓練……戻らないと」

ティアナは俯いたまま立ち上がった。
強くなりたいなら鍛えなければならない。
たとえ、それがどんなに情けなく思えたとしても。
訓練場に向かって歩き出そうとしたところで、聞き慣れた声がティアナを呼び止めた。

「ティア!」

振り返ると、スバルが息を切らせながら駆け寄ってくるところだった。

「途中で見失っちゃって……探したんだから……」

スバルはティアナの目の前で立ち止まり、膝に手を置いて呼吸を整えている。
どうやら延々と走り続けていたらしい。
子犬のような瞳で見上げられ、ティアナは視線を逸らした。

「別に追いかけてこなくても良かったのに。どうせすぐに戻るつもりだったんだから」
「いいのいいの。あたしが好きでやってるんだから」

相変わらず、スバルの表情には屈託の陰もない。
この半月で遭遇した出来事は殆ど同じなのに、焦りや自虐がまるで感じられない。
――――そう。ティアナが羨んでいるのは、この強さだ。

「ねぇ、ティア」

スバルがティアナの顔を覗き込む。
何だか不安そうな表情だ。
考えていることが面に出るのも、昔からあまり変わっていない。

「何か悩んでるなら、あたしに相談してよ」
「――――――」

思わず息を呑み込んでしまう。
思考が顔に出るのは自分の方だったか。
いや、あんな荒れた態度で走り去ってしまったのだ。
何も悩んでいないと考えてくれると期待するほうに無理がある。

「……スバルは平気なの?」
「えっ……?」

ティアナに問い返され、スバルはきょとんとした表情になった。
やはりティアナがどんなことに思い悩んでいたのかまでは理解していなかったようだ。

「あたし達、何の役にも立てないかもしれないんだよ?
 戦力になれないだけじゃなくて、足を引っ張るかもしれない……見捨てられるかもしれない……」

不安を口にする度に、胸の奥のざわめきが一層大きくなっていく。
事件の捜査から外されて、六課の戦力としても数えられなくなる―――
他者から見れば行き過ぎた妄想に思えるかもしれないが、ティアナにとっては十分に可能性のある結末だった。

「それでも、あんたは平気なの?」

スバルは答えない。
二人の間を冷たい風が吹き抜ける。
沈黙は氷のように空気を固くし、ティアナの心に圧し掛かる。
ティアナは唇を引き結び、眼差しを伏せた。
こんな形で心情をぶつけて締まったのは失敗だったかもしれない。
軽蔑してくれと言っているも同然ではないか。

「ティア……」

スバルの腕が動く。
ティアナはぎゅっと瞼を閉じた。
しかしスバルの取った行動は、ティアナの想像とはまるで違う、穏やかなものだった。

「……えっ……?」

柔らかい感触がティアナの体を包む。
目を開けると、スバルの肩と横顔が間近にあった。

「ティアの気持ちは分かる――なんて言わない。
 そんないい加減なこと言えないから。でも……」

背中に回された腕に力が篭る。
そして、名残を惜しむように離れていく。

「役に立てないかもしれないって思うのは、役に立ちたいっていう決意の裏返しだと思うんだ。
 あたしは、ただ自分に出来ることを精一杯やろうとしてるだけ。
 ティアみたいに立派なことは考えられないし、ティアのそういうところ、凄いと思ってる」


ああ、どうして―――


「だから、そんな顔しないでよ。……ね?」


―――どうしてこんなに、屈託のない笑顔で笑うことができるんだろう。


「……ごめん。あたし、あんたみたいに楽観的にはなれない」

ティアナは自分の腕を抱いた。
スバルと向き合っていると、知らず知らず彼女のペースに引き込まれそうになってしまう。
いっそスバルのように振る舞えば気持ちが楽になるのかもしれない。
だが胸の奥に淀む意地と躊躇いがそれを拒んでいた。
この期に及んで情けないとは思う。
けれど、これは不安の楔が心に深く突き刺さっていることの表れでもあるのだ。

「大丈夫だって。あたしも一緒に頑張るから」

それでもスバルは、心の垣根を強引によじ登ってきてしまう。
更に性質の悪いことに、それが不思議と不愉快には感じられないのだ。
スバルにぎゅっと手を握られて、ティアナは目の前の笑顔から視線を逸らす。
油断したら顔が緩んでしまいそうだった。

「頑張るって、何を頑張るのよ」
「うーん……他の人に聞いてみよっか」

余りにあっさりと言うものだから、ティアナは危うくスバルの暴言を聞き流すところだった。

「……他の人に!? あんた何を……」
「あー、悩みを打ち明けるとかじゃなくてね。
 スランプはなかったのか、とか。どうやって強くなったのか、とか。
 そういうのをさり気なく聞いて参考にすればいいんじゃないかな」

ティアナは押し黙った。
確かに建設的な意見ではあるが、どうにも気が進まない。
気恥ずかしいというべきか、気が退けるというべきか。
とにかく肯定の返事をすることに抵抗があった。
そもそも、ティアナが抱く悩みを解決する手段にはなっていない。
効果的に鍛える方法を教えて貰ったとしても、効果が出るのはだいぶ後になるはずだ。
偽造聖杯絡みの事件で活躍できないという焦りの解消には、何の役にも立たないだろう。

「でも、私は……」
「遠慮してたら何も始まらないでしょ。ほらほら!」

スバルがティアナの手を握ったまま走り出す。
―――スバルはいつもこうだ。
一度これと決めたら決して譲らず、さながら暴走特急のように突っ走ってしまう。
迷惑だ。全くもって迷惑だ。
こんなことをされたら、付き合わずにはいられないじゃないか。

ティアナは知らず、口元に優しい笑みを浮かべていた。

心の奥に根ざした不安は未だ消えていない。
けれど、今だけはその存在を忘れることができる気がした。



 ―― 十四日目 AM10:45――


「えー。エミヤ三尉、もう帰っちゃったんですか?」

シャーリーが心の底から残念そうな声を上げた。
シグナムは通信用のウィンドウを閉じ、項垂れるシャーリーを見やった。
まるで遊び道具を取り上げられた猫のような落ち込みようだ。
よほど新しいデバイスの開発を進めたかったとみえる。

「先ほどヴィータと連絡が取れた。どうやら病院を無断で抜け出していたらしい。
 もう帰ったというか、連れ戻されたというほうが正確だな」

シグナムは『連れ戻された』という部分を強調した。
重傷を負ってから三日と経っていないのに、こうも無茶をやらかすとは。
ワーカーホリックのようには思えなかったが、人は見かけによらないということだろうか。
呆れ返った様子で事情を説明するヴィータの顔が、今も脳裏に残っている。
あんなに愉快な表情のヴィータは滅多に見られない貴重品だ。

「デバイスの機能とバリアジャケットのデザインについて話し合いたかったのに……」
「それは残念だったな」

あまりに口惜しそうにしているものだから、ついからかうような口調になってしまう。
しかし、三尉のデバイスとやらにはシグナムも興味があった。

戦い方からすると刀剣型のデバイスが相応しいように思われる。
だが自分の魔法で得物を作り出せる以上、わざわざデバイスを武器とする必要はないかもしれない。
ならば防具型にして機能を防御と支援に集中させるのも一つの手だ。

そこまで考えて、シグナムは小さく苦笑した。
こういうことを考えてしまうのは生まれついての戦士の性という奴だろうか。

「デバイスの機能は本人と相談しないと駄目だが、バリアジャケットのデザインは構わないんじゃないか?
 こちらで草案を考えておけば話し合いも円滑に進むだろう」
「そうですね。デザインについては、他のお二方の意見を取り入れて叩き台を作ってみましょう」

他のお二方とは、三尉と同じ世界から来た遠坂凛とセイバーのことである。
彼らは元の世界で共に戦った関係だという。
それなら相談相手としてこれ以上の適役はいないだろう。

「確か二人ともロングアーチに詰めていたはずだ。少しばかり時間を貰ってみようか」

シグナムは近場にいそうなロングアーチの隊員に対して念話を試みようとした。
その機先を制するようにシャーリーが口を挟む。

「それには及びません。既にトオサカ一尉からはリクエストを取ってあります」
「……そうか。準備がいいな」

シャーリーは手早く空間ウィンドウを開くと、デザインのラフスケッチらしきものを表示した。
正規のデザイン規格ではなく、あくまで大まかな要望を絵にした状態らしい。

一見したところでは、露出の少ない服に僅かばかりの装甲を足したような外観をしている。
特徴的なのは丈長の腰布とコートだろうか。
特にコート周りの設定はやたらと細かくなっている。
ノースリーブの上からコートを羽織るように、という指定は如何なる拘りの産物なのだろう。
色指定は赤が七割程度に、黒が三割。
この辺りは一尉の服の配色とよく似ている。

ふと、シグナムは首を傾げた。
シャーリーはリクエストを取ったと言っていたが、ここまで詳細だと草案も同然だ。
もしかして、デザイン上のモデルが存在しているのだろうか。

「シャーリー。一尉はどんな様子でリクエストに答えていたんだ」
「えっ、様子ですか?」

唐突に質問を投げかけられ、シャーリーは戸惑ったように虚空を見上げた。

「楽しそう……というか、悪戯でもしてるみたいな感じでした。
 考え込んだりはしていませんでしたね。リクエストもすらすら答えて頂いて」
「そうか」

何となくだが、このデザインに込められた意味が読めてきた気がした。
恐らくは三尉にとって思い入れのある意匠なのだろう。
それも、一尉の悪戯心やからかいの標的となるような思い入れが。

「とりあえず、これは案の一つとしておこう。三尉には要相談だ」
「色についてはトオサカ一尉を説得したいところですね。
 スターズとライトニングは白を基調としてますから、三尉も合わせて頂きたいところです」

シャーリーは大真面目にそんなことを言った。

「それは重要なことなのか?」
「もちろん! まず形から入れば心も繋がりやすくなるはずですから」

拳を握って熱弁されるシグナムだったが、内容は話半分に聞き流していた。
そもそもシグナムとヴィータの騎士甲冑も白から逸脱した配色なのだ。
今更バリアジャケットの色がどうこう言われても、正直困る。

「まぁ、冗談は置いときまして」
「……冗談か」
「当たり前ですよ。それで、デバイスの機能の件なんですけど」

シグナムの反応をさらりと受け流して、シャーリーは空間ウィンドウを閉じた。
ここから先は口頭での報告になるということらしい。

「防御関連の機能は一式取り付けるとして、やはり詠唱補助機能は除外すべきですよね。
 ミッド式ともベルカ式とも違うみたいですし、技術的な懸念が多すぎます。
 詠唱代替用のプログラムを構築するだけでも数ヶ月は必要でしょう」

先ほどの冗談めかした態度から一転、真剣な口調で語り始めるシャーリー。
シグナムは無言の首肯でシャーリーの主張を肯定した。
技術的な難易度もあるが、政治的にも三尉の魔法を解析することは望ましくない。
もちろん先方がそれを希望すれば話は別なのだが。

「そうだ、シャーリー。一旦ヴィータと通信を繋いで、三尉に取り次いでもらうのはどうだ?」

デバイスを持たない三尉とは直接的な遠距離通信を行うことができない。
しかし、同じ病院にいるヴィータと通信を繋ぎ、三尉にもその場に居合わせて貰うという形なら実現可能だ。

「なるほど、それなら今すぐに相談できますね」
「問題はヴィータが納得してくれるかどうかだな」

ふと、先ほど見せられたバリアジャケットのデザイン案を思い出す。
あの赤を主軸とした配色は、ヴィータの騎士甲冑を髣髴とさせる色合いだった。
ヴィータがその案を知ったとき、どんな反応をするのだろうか。


……傍にいた三尉に訳もなく怒りをぶつける。
そんな光景が、自然とシグナムの脳裏を過ぎっていた。


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