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[27169] 【番外編更新・完結・ネタ】孵化物語~ひたぎマギカ~【化物語×魔法少女まどか☆マギカ】
Name: ミドリ◆02e976c9 ID:2270504e
Date: 2017/07/07 18:11
 『孵化物語~ひたぎマギカ~』がこの物語の題名です。

 主に"阿良々木暦"と"暁美ほむら"この二名よって語られる物語となっています。
 ※副題は順次登場人物や内容に副って増えていく予定です。

 ひたぎウィッチ   witch  :【魔女】
 ほむらウォッチ   watch  :【観察する・見張る・警戒する】【時計】
 こよみキャッチ   catch  :【見つける】【捕らえる】
 まどかスケッチ   sketch  :【短編・寸劇】【滑稽な人
 こよみハッチ    hatch  :【孵化する】【企む・目論む】
 おしのジャッジ   judge  :【判断する】
 しのぶリミット   limit  :【極限】【制限する】【限定する】
 こよみコネクト   connect :【(二つのものを)つなぐ 】【関係をもつ】
 ほむらコネクト   connect :【(二つのものを)つなぐ 】【関係をもつ】
 こよみシャンブルズ shambles :【大混乱】【修羅場】
 ひたぎアタック   attack :【来襲・攻撃する】【(異性に)アプローチする】
 さやかスイッチ   switch :【転換する・変わる】【ポイント】
 きょうこマッチ   match :【勝負】【好敵手】【マッチ棒・ロウソクの芯】
 まよいスピリット  spirit :【幽霊】【魂】
 つきひトリック   trick :【策略】【悪計】【巧妙な手段】
 ともえパーティー  Party :【集まり・宴会】【仲間・味方】
 かれんフール    fool   :【騙されやすい人・馬鹿】【欺く】
 しのぶシークレット secret :【秘密・隠し事】【ナイショの話】
 つばさサーチ    search :【調査する・ 探りを入れる】【追求】
 ほむらトラブル   trouble :【悩み・心配事】【厄介事・面倒事・いざこざ】
※注意事項
◆『物語シリーズ』並び『魔法少女まどかマギカ』のネタバレが含まれています。
◇メタ発言や他作品のネタ、残酷(?)な描写が含まれていますので、気になる方はご注意下さい。
◆ほむらの“変態成分”と“性格の悪さ”が割り増しとなっており、原作のクールな『暁美ほむら』は存在しませんので、要注意です。
◇まどかに対してはデレですが、その他に対し病んでます。まどか至上主義。
◆クロスの関係上、原作との設定に矛盾が生じたり、意図しての改変(独自設定の追加・過去の捏造)なども多々あると思われます。
◇特に『まどマギ』勢のキャラ崩壊が顕著です。
◆『ハーメルン』様では『燃月』名義で投稿させて頂いております。

※ほむらの能力《時間停止》と遡った《ループ回数》について
 色々調べましたが、曖昧な点が多く本作品で語っている解釈とは異なる可能性があります。
 ですので、これはこの物語だけの独自設定として捉えて貰えれたらと思います。
 また、盾に触れて能力を発動させるのは小説版設定の引用です(アニメ版は触れる必要がない?)。

 以上を踏まえ、それでも問題ないという方はどうぞ。
 少しでも楽しんで頂ければ幸いです。



[27169] ひたぎウィッチ~その1~
Name: ミドリ◆02e976c9 ID:2270504e
Date: 2016/10/26 21:29
~001~

 出会いは突然だった。いや、“出会い”とは違うか……だって“そいつ”は……僕たちを、いや彼女を―――戦場ヶ原ひたぎを待ち構えていたのだから、これは得てしてこうなったと言える。
 偶然ではなく必然の邂逅。待ち伏せである。

 その相手は人間ではなかった。動物……四つ足で歩行する、獣の類……だと見受けられる。だけど、確証はないし断定することは憚られた。

 どうにも曖昧で、煮え切らない言い回しであるとは自覚しているけれど、僕だって別に好きではぐらかしているわけじゃない。
 外見にだけ注視して言えば、猫や兎に類似した可愛い小動物然とした生物であることは間違いない。

 かなり珍しい見た目をしているが、そういう品種もいるのだろうと納得することはできる。許容することは可能だ。その点に関して言えば……だが。

 しかし事も有ろうに、“そいつ”は、喋ったのだ。
 平然と。ごく自然に。恐るべきことに。

 動物は鳴いたとしても、喋りはしない。
 いや、鳴き声や超音波などを用いて仲間と交信なんかはしているのだろうから、一概に言葉が話せない、喋れないと論じるのは早計なのかもしれない―――が、“そいつ”は“人語”を介して喋りかけてきたのだから、やはり動物の範疇にカテゴライズするのは、間違いなのだ。

 差し当たって、『謎の生命体』と定義しておくのが、当たり障りのない正答だと思う。






~002~

 戦場ヶ原には重さがない。
 重みがない―――重さが足りない。
 正確言えば、彼女の体重は現在5キロしかないということだった。5キロ。たった5キロである。

 一匹の蟹と出会って、戦場ヶ原はその体重の大半を―――重さを根こそぎ奪われてしまったらしい。

 そう―――らしいのだ。これはすべて戦場ヶ原から伝え聞いたことなので、僕にはその全容が今一つピンときていない。

 いや、戦場ヶ原の体重が5キロしかないというのは、その身体を直に受け止めた事で既に体験済みなのだから、間違いなく事実ではあると断言できるのだけれど、『蟹』というのがなんなのか、さっぱりだ。

 戦場ヶ原には理解しなくていいと言われはしたものの、『蟹に出会って、重さを奪われた』って、そんな情報だけじゃ理解できるはずもない。
 もしかしたら、ただ単にはぐらかされただけかもしれないし、何らかの暗喩じみた禅問答なのかもしれない―――だけど、どうしてだか、戦場ヶ原の言葉に虚偽は含まれていないように感じられた。

 高校三年間、ずっと一緒のクラスだったにも関わらず、今日初めて言葉を交わしたぐらい関わり合いがなかった、稀薄な関係である彼女の物言いを鵜呑みにするなんて、僕は案外いいやつなのかもしれない。

 ただ、解らないなりにも、皆目見当がつかないという訳ではなかった。それが“何なのか”ぐらいは、“見当”がついていた。

 春休みとゴールデンウィーク。
 この二つの時期に僕が遭遇したのは『鬼』と『猫』―――『吸血鬼』と『障り猫』。
 詰まる所、戦場ヶ原が遭遇したのは『蟹』―――総じて一纏めに言ってしまえば、“怪異”に出くわしたってことだ。

 彼女は今も尚、重みがない症状を煩っている。僕のように2週間という短い期間ではなく、高校生になってから、ずっとだ。そして……これからも、ずっと。

 そんな事を知ってしまったら、見過ごすことはできなかった。
 僕には無理でも、アイツなら力になってくれる。そう思い立って戦場ヶ原に声をかけたのだ。一度は、徹底的に拒絶された彼女に―――性懲りもなく声をかけたのだ。
 力になれるかもしれないと。随分と頼りない言葉だったのだけれど……。


 初めは僕の申し出を訝しがり、それこそ戦争を吹っ掛けてきた、気性の荒い彼女ではあったが、どうにか、僕の後遺症―――吸血鬼だった頃の名残である再生能力―――を目の当たりにしたことにより、矛ならぬ、文房具の数々を収め、一応は聞く耳をもってくれた。

 なぜ僕が下手にでて話を進めているのか、大いに疑問ではあるが、まあ、それはさておき、僕たちは、奴が寝床としている学習塾跡地へ自転車で向かうに至る。
 その移動時間を用いて、大まかにではあるが、吸血鬼に襲われたあの地獄のような二週間を戦場ヶ原に語り、その流れで、その折に尽力してくれた、自称怪異の専門家、妖怪変化のオーソリティ、などなど胡散臭いこと甚だしい肩書をもった三十路のおっさん―――忍野メメについても話しておいた。

 忍野は胡散臭くはあるが、信用はできる。彼なら戦場ヶ原の力になってくれるだろう。





 ほどなくして目的地に到着する。塾跡地は、取り壊し作業が途中で中断されてしまい、安全第一と記された黄色いフェンスによって外周を囲まれていた。私有地につき立ち入り禁止なんかの、侵入禁止を促す看板が目に付く。
 とは言っても侵入するのは容易い。フェンスで囲まれているものの其処ら中が隙間だらけで、金網が破れている場所があちこちにあった。それに有刺鉄線なんかも設置されていないから、金網をよじ登れば簡単に中に入ることが可能だ。

 自転車はフェンスの脇に駐車し、金網の裂け目から敷地内に踏み込む。すんなりと通過することができた。
 続いて戦場ヶ原が潜ってくるのを待つ。

 だが、一向にこっちに来ない。まぁこんな怪しい場所に立ち入りたくはないか。警戒心が肥大し、躊躇しているのだろう、なんて考えていた僕だったが、どうやらそういうことではないらしい。

 当の戦場ヶ原は、こちらを見向きもせず、フェンスの上に視線を繋ぎ止めていた。目を細め、見つめる。険しい、鋭い眼差しで。
 戦場ヶ原の視線の先。その先に、奇妙な小動物が佇んでいた。

 見た目はなんというのだろう。ぬいぐるみになんかにしたら人気が出そうなぐらい愛らしい外見をしている。
 白い毛並みに赤いつぶらな瞳。猫と兎を足して2で割ったような顔に、フェレットのような体躯。
 そして、なにより特徴的なのは、長く垂れ下がった耳であろうか。いや、その垂れ下がった耳らしきモノの付け根の辺りからも猫のような耳が生えているので、どちらが本当の耳かは解らない。もしかしたら両方とも耳なのかもしれないし、他の動物には見られない特別な器官という可能性もある。

 そんな奇怪な風体をした生き物だった。

 器用にフェンス上でお座りをし、その小動物もまた、戦場ヶ原を見つめている。大きな尻尾を緩慢に揺らして、じーっと戦場ヶ原を直視する。

「やあ。戦場ヶ原ひたぎ」

 ……………………ん? 喋った?

 喋っただとっ!?
 
 自然と僕と戦場ヶ原の視線がかち合う。
 戦場ヶ原は瞬きを繰り返し、怪訝な表情のまま口を開く。

「ええっと、これが……忍野、さん? 聞いた話とはずいぶん違うようだけど」
「違う、んなわけないだろ」

 戦場ヶ原の解りきった問いかけに、僕は上の空で返答する。

「あらそう。なら―――あなたはいったい何者なのかしら?」

 再び視線をフェンスの上に戻し―――警戒心の籠った棘のある声音で問い質す。相手を射殺さんばかりに研ぎ澄まされた剣呑な眼光。マジ怖い。


「僕の名前はキュゥべえ。僕は、君にお願いがあって来たんだ」


 戦場ヶ原のガンつけに対し萎縮することもなく、泰然自若とした態度で謎の生命体―――キュゥべえは応えた。
 ……はあぁ…………空耳でも聞き間違いでもなかったか。



「いきなりお願いだなんて、獣の分際で図々しいことね。万死に値するわ」

 戦場ヶ原は傲岸不遜に言い放つ。
 何でこいつはのっけからこうも敵愾心を剥き出しにしているのだろうか? コミュニケーション能力が欠如している奴だな。

 忍野が相手だったなら、確実に例の軽口を嘯かれていたはずだ。

「そんなに警戒しないでよ。僕は君と少し話がしたいだけなんだ」
「私は獣風情なんかと話たくなんてないわ」

「君にとっても有益な話になると思うんだけどな」
「消えなさい」

 取りつく島も与えずキュゥべえの言葉を突っぱね、聞く耳を持たない戦場ヶ原。何もそこまで邪険にしなくてもいいだろうに。

「おいおい、戦場ヶ原。少しぐらい話を訊いてやったらどうなんだ? 可哀相だろ」

 見るに見兼ね仲裁に入る僕。

「嫌よ」
「嫌って……そんな毛嫌いすることないだろ」
「生理的に受け付けないのよ。仕方ないじゃない。ゴキブリや阿良々木くんを見たら誰だって始末しようって思うでしょ。それと同じよ」
「まてまて。ゴキブリと僕は同列なのかっ!?」
「辛うじて阿良々木くんの方が上よ。光栄に思いなさい」
「思えねーよっ!」

 ったく。ほんととんでもないことを平然と言いやがるな。

「っつーか生理的に受け付けないって、やっぱり喋るのが気持ち悪いのか?」
「いえ、そういうことではなくて、ただ単純に嫌いなだけよ。でも、そうね。言われてみれば明確な理由はないわね………………前世に因縁でもあるのね、きっと」
「なんだよそれ…………」

 などと一人納得した風の戦場ヶ原だった。そんな理由とも言えない理由で嫌悪されるキュゥべえっていったい。理不尽にも程がある。



「ええっとキュゥべえ、でいいんだよな。お前のお願いってのはなんなんだ?」

 とりあえず、戦場ヶ原の代わりに僕が話を進めることにした。

「あれ、君は僕の姿が見えるのかい?」

 僕の問いかけには応じず、逆に質問される。というか、なんだその物言いは?

「そりゃ……見えてるけど」

 戸惑い気味に僕は口を開く。
 ここで初めて、キュゥべえが僕の方を直視した。
 矯めつ眇めつ、じっくりと検分するように―――赤玉の瞳が僕を捉える。

「おかしいな。普通の人間には僕は見えないはずなんだけど」
「普通の人間……ね」

 なるほど、合点がいった。
 だとしたら、僕に“それ”は当て嵌まらない。僕の血の幾許かは吸血鬼の其れだから。視力だって常人の及ぶところではない。普通の人には見えないモノだって、僕には見えてしまう可能性は十分にあった。多分今回はそういう事なのだろう。

「う~ん……まぁ特に支障を来すことでもないし問題はないか……ああ。そうだ。僕の願いがなんだったかだね」

 キュゥべえにとってはイレギュラーな出来事だったのだろうが、特に難色を示すことはなく、僕が最初にした質問に答えてくれるようだ。

 そして、僕から視線を外し、改めて戦場ヶ原に向き直る。

「僕の願いを訊いてくれるなら、その対価として、何だってひたぎの望みを叶えてあげる。どんな奇跡だって起こしてみせる」

 キュゥべえは力強く言葉を紡ぐ。心の内に打ち響かせるように。心の隙間に染み入るような声音で豪語する。

「だから、ひたぎ―――」


 そしてキュゥべえは言った。戦場ヶ原への願いを口にした。


「―――僕と契約して、魔法少女になってよ!」





[27169] ひたぎウィッチ~その2~
Name: ミドリ◆02e976c9 ID:2270504e
Date: 2013/08/17 08:22
~003~

「魔法……少女?」

 僕はキュゥべえの言葉を反芻する。その言葉の意味を理解するのに数秒。
 
 …………魔法少女って、あのアニメとかで活躍するあの魔法少女のことだよな?
 いやはや、選りにも選って戦場ヶ原が魔法少女って……。

 ついつい魔法少女に扮した戦場ヶ原の姿―――可愛らしくメルヘンチックに装飾されたコスチュームに身を包んで、魔法のステッキを片手に駆け回る姿を想像してしまう。

 世の魔法少女のイメージ(参考までに僕が想像した魔法少女のイメージはプリキュア風のものだ)を戦場ヶ原に当て嵌めると、似合わない……というか、無理にも程がある。
 
「っう……くっ……くく」

 ダメだ。ここは我慢するべきところだと重々承知しているが、堪えきれず忍び笑いが漏れ出てしまう―――その瞬間だった。

 耳元を通り過ぎる風切音と、カンカンカンッと断続的に響く甲高い音。そしてフェンス越しに僕を睨み付け、“何か”を投擲し終えた戦場ヶ原の姿が目に入る。
 僕の顔の側面を横切ったモノの正体を確かめるべく、恐る恐る振り返ってみると、コンクリートの壁面に彫刻刀が三本突き刺さっていた。
 戦慄せずにはいられない。

「馬鹿かお前っ!! 当たったらどうすんだよっ!?」

 彫刻刀をクナイのように扱うとは恐ろしい女だ。洒落になってねえ。

「あなたが私を嘲弄するからでしょうが。身の程を弁えなさい」
「それにしたって限度ってもんがあるだろ!」
「手元がくるったのよ。手が滑ったの」

 ぞんざいな口調で戦場ヶ原は言う。

「何をいけしゃあしゃあと、そんな言い訳が通用するか!」
「いえ、本当に。阿良々木くんがのた打ち回る姿を期待していたのに、残念だわ」
「当てる気だったのかよっ!!」

 ゾッとすることに威嚇射撃ではなかったらしい。

「阿良々木くんって不死身なんでしょ。だから大丈夫。当たったところで大した問題になりはしない―――その上でのことよ。それぐらい考えてるわ。私が分別のつく人間でよかったわね。感謝なさい」
「大問題だよ! というかお前、僕の治癒能力を知るより先に、ホッチキスで綴じやがっただろうが!」
「終ったことをねちねちと、女々しい男ね」

 悪びれた様子もなく、心底不快げに眉根を寄せる。こいつに罪悪感はないのだろうか。


「そんなことより―――」

 僕への『傷害未遂』を『そんなこと』の一言で切り捨て、僕からキュゥべえへ視線を移す。表情は露骨に顰め面のままだった。

「―――なんでも願いを叶えてくれると言ったかしら?」
「うん。僕と契約して魔法少女になってくれるのなら、どんな願いでも一つだけ叶えてあげるよ」

「そんな仰々しいことを臆面もなくよく言えたものね―――まあ、いいわ。で、その魔法少女って何なのよ? まさか、世に蔓延る悪の化身なんかを魔法少女に変身して倒すのが目的とか―――そんな正義の味方まがいのものになってくれ、なんてことじゃないでしょうね」

 険のある声で、戦場ヶ原が問い質す。

「んん~いや、あながちひたぎの見解に間違いはないよ。補足するなら、この世界には普通の人間には知覚できていないだけで、惨禍を撒き散らす悪しき者が存在しているんだ。僕らはそれを『魔女』と呼んでいるんだけど―――魔女は人間の心に巣食い、ありとあらゆる負の感情を増大させる。そうなった人間の末路は悲惨だよ………………ひたぎには、魔女をやっつける手助けをしてもらいたい。魔女と戦いこの世界を平和に導くのが、僕と契約した魔法少女に課される使命というわけさ」

 にわかには信じがた内容ではあったが、だからと言って一笑に付すことも、おいそれと否定することも僕には出来なかった。
 恥ずかしながら、この現代に『吸血鬼』に襲われ、あまつさえ『吸血鬼』に成った事があるこの僕に、『魔女』の存在をとやかく言う資格はないだろう。

 まぁ、これは僕個人が勝手に抱いた感想なので、魔法少女に勧誘されている戦場ヶ原自身の真意は不明だ。
 その氷のように冷え切った表情からは、確かな情報を得ることは難しい。ただ、キュゥべえの話を肯定的に受け止めているとは思い難かった。

「なぜ私を魔法少女に?」
「ひたぎには、その素質があるからさ。誰でもいいってわけじゃない。これだけの潜在能力を秘めた子は、そうは居ない。だから僕としては、是が非でも君と契約を結びたいな」
「あ、そう」

 戦場ヶ原はキュゥべえの言葉を軽く受け流し、更に質問を続ける。いや、戦場ヶ原にとっては、これこそが本題なのかもしれない。

「魔法少女になる見返りとして、何でも望みを叶えてくれる、どんな奇跡だって起こしてみせる、その言葉に嘘偽りはないかしら?」

 念を押すように、戦場ヶ原。

「もちろんさ。約束するよ」

 二つ返事で首肯するキュゥべえ。この時、戦場ヶ原が口端を吊り上げ、不気味に微笑したのを僕は見逃さなかった。こいつ、絶対よからぬことを考えてやがる!

「ええと…………そうね―――」

 口元に手を添え、考え込む仕草を取る戦場ヶ原ではあるが、その瞳に逡巡の色はない。それがただの見せかけのポーズに過ぎないことは明白だ。

「―――例えばの話、願いの数を増やすなんてことは可能?」

 なんとも低俗な、ある意味では誰しもが考える『願い事』の真理とも禁忌タブーともいえる要求を口にする戦場ヶ原だった。

「それは無理だよ。単独の願いだからこそ奇跡は遂げられる。それは揺るぎのない絶対条件。願いを叶えてあげられるのは、あくまでも一つ。これだけは遵守しなくちゃならない不文律だ」

 やれやれとキュゥべえは顔を振り、付け加えて「はぁ……似たような事を言ったのは君で5人目だよ」とため息まじりのぼやきを漏らす。
 よくあるベターな、お約束的な要求だったらしい。

「あら、そう」

 戦場ヶ原も駄目元で訊いてみただけといった感じで、気に留めもせず言葉を続ける。

「じゃあ、あなたが抱えている問題の根源―――魔女と戦う使命だったかしら? その願いを私の願いで解決してみせる、なんてのはどう? 殊勝にも私があなたの願いを叶えてあげる。その魔女だとかいう存在を根絶やして欲しい。それで万事解決になるんじゃない?」

 本末転倒な、矛盾を孕んだ戦場ヶ原の願い。こいつ解って言ってやがるな。性悪な女だ。まぁ当然の事ながら―――

「…………そうか……そうだね。僕の言い方がマズかったみたいだ―――訂正させてもらうよ。僕に出来る限りの事なら、なんだって願いを叶えてみせる」

 ―――ここはキュゥべえが折れるしかない。

「はっ、自分の力が及ばない相手には干渉することも出来ない輩が、どんな奇跡だって起こせるだなんてよくのたまったものね。所詮神龍シェンロンと同等のことしかできないってことじゃない。とんだお笑いぐさだわ。大言壮語も甚だしい」

 ここぞとばかりに戦場ヶ原が責め立てる。相当キュゥべえの事が嫌いらしい。揚げ足を取るというか、僅かな損傷を見つけ出し、無理やり傷口を抉じ開けるような、えげつない論法だ。
 つーか、神龍を引き合いに出して貶めるとは、こいつは何様のつもりなのだろう。神龍すごいじゃん!

 しかし、当のキュゥべえは戦場ヶ原の舌鋒ぜっぽうに対し、然程―――いや、微塵も意に介した様子はなく、悠々とした態度で口を開く。

「ん~その『しぇんろん』と言うのが、僕にはよくわからないけど……大抵の願いなら叶えてあげられるのは本当だよ。これまで僕と契約した子たちの『願い』は、例外なく全て『成就』しているからね」

 自身の力を誇示するというよりは、客観的事実をありのままに伝えているといった印象を受けるキュゥべえの物言い。

「例えば―――そうだね。ひたぎの“本来あるべき体重”を元に戻すことなんていうのは、造作もないことだろうね」

 だからこそ、キュゥべえの言葉には真実味があった。

「私の体重を? もとに?」

 戦場ヶ原を苛み続ける窮状を打破することができると、キュゥべえは言ってのけたのだ。


「どうだい。ひたぎ? 君が望めば、直ぐにでも契約は可能だよ。無論、他の願いがあるなら、それでも一向に構わな―――んぎゅぅ」

 不意に、キュゥべえの口上が止まった。いや、“戦場ヶ原の手”によって遮断される。これは“文字通りの意味”でだ。

「…………お、おい、戦場ヶ原……?」

 恐る恐る戦場ヶ原に声を掛ける。

「何よ」

 一瞥をくれ、僕の姿を見咎めた戦場ヶ原は、あからさまに不機嫌な様子で短く応える。その声音は酷く凍えた極寒を思わせ、訊く者の心を底冷えさせる。


 それは刹那の早業だった。

 戦場ヶ原はさっとフェンスに右腕を伸ばし、キュゥべえの頭を引っ掴む。より適切に、状況を誤りなく伝えるならば、キュゥべえの頭部を鷲掴んだのだ―――世にいう脳天締めアイアン・クロー(正式名称はブレーン・クロー)のように。

 僕の視力だからこそ鮮明に見えるのだろうが、手の甲には青筋が浮かび上がり、力の限り締め付け爪がめり込んでいる―――というより、意図して爪を立てているように見受けられた。


 女子高生が伸ばした腕の先で、愛らしいマスコット的外見の生物が宙吊りになっている―――とても映像化できない凄惨な図がそこにはあった。






[27169] ひたぎウィッチ~その3~
Name: ミドリ◆02e976c9 ID:2270504e
Date: 2013/08/17 08:22
~004~

「私の記憶が確かなら、あなたとは初めて遭ったはずよね」

 無表情で、酷薄に。抑揚なく、淡々と。
 感情の起伏が伴わないぞんざいな口調。けれどその声音からは確かな怒りが感じ取れた。

「うん。そうだね。ひたぎとの接触は今回が初めてだ」

 戦場ヶ原によって握り潰されんばかりに頭部を圧搾されているにも関わらず、白い体躯をした生き物は、まるで意に介した様子もなく答える。
 恐怖も戸惑いもなく平然としており、感情らしい感情を読み取ることは不可能だった。

「でも、あなたは私が名乗る前から私の名前を知っていた。阿良々木くんが私を呼ぶときは苗字であって、ファーストネームを用いたことは、ない―――それに、私の『重さ』に関した事柄は限られた人間しか知りはしないことなのよ。無論、私が誰彼かまわず多弁する筈もないし、有事の際はしっかりと“口封じ”もしているから、そうそう外部に漏れることはない―――ええ……私の事を嗅ぎまわる、下賤な輩がいない限りね」

「つまり、何が言いたいんだい、ひたぎは?」
「そもそも初対面の輩に馴れ馴れしく名前で呼んでほしくないものだわ」

「名前は君たち人類に宛がわれた、個別の記号のようなものだろう。だったらその個体名で呼ぶのが最も合理的じゃないのかな? 互いの共通認識さえ通じていれば、呼び方に重要性を見出すことは出来ないし……でも君が嫌がるというのなら、控えておくけど。なら、なんて呼べばいいんだい?」

「戦場ヶ原さま。戦場ヶ原さまで勘弁してあげる」
「そうか。解ったよ。ねぇ戦場ヶ原さま」


「まてまて! おい戦場ヶ原」

 戦場ヶ原の言葉に唯々諾々と従うキュゥべえもキュゥべえだが、様付けで呼ばせる戦場ヶ原の人間性の方が大いに問題があるように思える。

「何よ。下賤な輩ね。高貴な私を呼び捨てにするなんて。戦場ヶ原さま、でしょ」
「僕にまで適用してんじゃねーよっ!」
「っち、煩いわね」

 こいつ舌打ちしやがった。女子高生が舌打ちなんかすんなよ。

「ともかく、幾ら気に入らない相手だからって様付けで呼ばせるのは感心しないぞ。つーか僕は断固として言わないからな」
「誰よ。あなた? 気軽に話しかけないでくれない」
「さっきまで普通に話してただろうがっ!?」

 いきなり見知らぬ他人にまでランクダウンされた!

「で。単刀直入に言って、あなたは私の身の回りを勝手に調べ上げた。違う?」

 僕のツッコミに反応を示すことなく、元の話題に戻る薄情な戦場ヶ原だった。
 あと、もう一度言っておくが、キュゥべえは戦場ヶ原に脳天絞めされた状態のままだ。
 平然と対話がなされていることに戦慄を覚える。絵づら的にかなり酷い。

「それはそうだよ。誰でも魔法少女になれるわけじゃない。生まれ持った本人の資質、生活環境、経験してきた出来事や、周囲に与えた影響――他にも様々な要素が絡み合って因果の密度が決まる。それを見極め、魔法少女たる資格があるかどうかを推し量り、選別することが僕の使命だからね。事前の調査は当然のことだと思うけど」

「悪びれもせずよく言うわ。いえ、本当に悪いなんて、欠片ほども感じていないようね。この下種が」
「酷い言われようだ。情報の収集は理知的な行為でなんら責められる謂れは無い筈――君はいったい何が不満なんだい?」

「それは、そっちの勝手な都合でしょ。それに――」

 言葉を区切り、戦場ヶ原は語調を強める。

「なぜ、この“時期”この“時”この“瞬間”を狙って接触してきたのかしらね。大いに疑問だわ」
「どういうことだい?」

 戦場ヶ原の言わんとすることが理解できず、キュゥべえが再度説明を要求する。って、僕もよく解っていないから、助かる。

「私としてみても半信半疑で、物は試しという気持ちが強いし、どちらかと言えば阿良々木くんの顔を立ててあげようという私の粋な計らいで、こんな廃墟まで脚を運んだきたわけだけど――」

 ここまではキュゥべえに向けてというよりは、僕に向けての言葉だ。上から目線なのが少々腹立たしいが、まぁいいだろう。

「――もしかしたらとはいえ、“私の抱える『重さ』の問題が解決できるかもしれないって時”に、なぜあなたは接触してきたのかと、そう訊いているのよ」

 圧搾している指に更に力を込めたのか、キュゥべえの頭部が歪んでいく。

「楽天的な考えはしない主義なのだけど、首尾よく問題が解決していたとしたら、私に言い寄る口実がなくなってしまう、私があなたと契約する確率が下がってしまう、そんな邪な計算があったのではと勘操ってしまうわね」
「邪な計算と言われるのも不本意だけど、うん、そうだね。訂正するほど間違ってはいないね」

 戦場ヶ原の指摘を泰然自若の構えで肯定するキュゥべえだった。

「ただ勘違いしないで欲しいのは、僕は戦場ヶ原さまに対し悪意を持っているわけじゃないし、君の体重を元に戻したいという願いを、より確実に解決できる方法を提示したに過ぎない。選択の幅が広がっただけで、君がどう判断しようとそれは自由だ。それに、他の願い事でも構わないわけだしね。僕はいつだって歓迎するよ、戦場ヶ原さま」

「あれね。獣風情に様付けで呼ばれるっていうのも、それはそれで不快ね」

 眉根を寄せ、苛立ちを顕わにする。

「お前が自分で言い出したくせに、今更文句言うなよ」

 キュゥべえの肩を持つつもりはないけど、公正な判断のもと戦場ヶ原を諌める。けれど、それがどうも癇に障ったらしい。

「何よ。学生風情がこの私に文句でもあるの? 死ねばいいのに」

 間髪入れずこの暴言。

「お前もその学生風情だろうが! つーか気軽に人の死を願うな」
「そういえば、そこの獣が何かほざいていたわね。何でも願いを叶えるとかなんとか」
「まさかお前! 僕の死を願おうなんてわけじゃないだろうなっ!?」
「ふ、ふ、ふ」

 口端を吊り上げ不敵に嗤う悪女が居た!!

「例えばの話、其処にいる冴えないチビの役立たず、かっこ、阿良々木くん、かっことじ、をこの世から抹消するなんてことは可能なのかしら?」
「わざわざ鍵括弧を口にしてまで強調すんなや!」

 嘲笑的意味合いが飛躍的に高まる悪辣な言い回しだ。

「そもそもそんなジェノサイド的な願いを、曲りなりにも力を貸そうとしている同級生に対し行使しようとするなんて、お前は正気か!?」

「で、どうなの?」

 僕の呼びかけを聞き流し、キュゥべえに返事を促す。

「なんだそんなこと。その程度、君が望むなら造作もない事だろうね」

 戦場ヶ原の言葉に、なんとも軽い調子で――しかし確信に満ち溢れた声で言い切る。

「へぇ。そうなの」

 ちらりと僕に一瞥をくれる戦場ヶ原。その絶対零度の眼差しに背筋が凍る。こいつ、まさか……口封じに僕を消すつもりか!?

「ええ。わかったわ。わかりました」
「え。ちょ、嘘だろ、おい! 待て戦場ヶ原! 何がわかったんだよ! 何がわかっちゃったんだよっ! いやさ戦場ヶ原さま! 少しばかしお待ち頂けないでしょうか!?」

 平身低頭。堪らず戦場ヶ原に媚び諂う。僕だって命は惜しい。

 キュゥべえの頭のように――僕の心臓は今、戦場ヶ原の手によって掌握されていると言っても過言ではない状況なのだ! 言ってしまえば、ローの心臓がヴェルゴさんの手中にあるみたいな感じ。恐ろしすぎる!

 ただ、戦場ヶ原は僕の惨めなまでの狼狽振りには目もくれず、眼光鋭くキュゥべえを睨め付けている。
 無視されていると言うよりは僕の言葉が耳に届いていないという感じで、その鬼気迫る表情に僕は言葉を呑む。

「あなたが考えている人間への価値観がどういったものなのかよくわかったわ。ねぇ“キュゥべえ”」

 今まで頑なに呼ぶことのなかった名前を、戦場ヶ原は口にした――最大限の敵意を込めて、吐き捨てるようその名を呼んだ。

「それって、どんな願いだろうと取捨選択することくそのままに叶えてしまうってことでしょう?」

「それがどうしたんだい? それこそが、魔法少女になって貰う見返りとして払われる対価なのだから、特に不都合があるように思えないけど」

「あなたの口ぶりから察するに、私以外にもまだ魔法少女になる資格とやらをもった人間はいるはずよね。その魔法少女候補がもし、他者の不幸を願ったとしたら、お前はそれを嬉々として受け入れるってことじゃないの? そんなの悪魔と同じでしょ」

「う~ん……それでなぜ僕らが悪いというふうになるのかが理解に苦しむなぁ。僕は君たちの願い事を叶えてあげる、ただそれだけだ。その願いがどのようなものであっても、僕の関与することじゃない。願いはあくまでも君たち人類側の問題であって、それがどのように作用しようとも、僕らを責めるのは筋違いじゃないのかな」

 第三者の立場で戦場ヶ原とキュゥべえの会話を訊いているが――ああ、なるほど。
 まったく。まったく噛み合っていないな、これは。

「それに、そんな倒錯した願いを抱く娘は、そうはいないよ」
「暗に私の人格が否定された気がするわね」

 キュゥべえなりの皮肉……いや、ただ純然たる感想なんだろうけど、強ち間違っていないのが悲しいところだ。

「まぁ、いいわ。詰まる所あなたは、人間の命を軽視している、人間という存在を蔑ろにしてるってことよ」
「そんなつもりは毛頭ないんだけどな。例え魔法少女を生み出す為に、人間が一人二人死んだところで、その犠牲は微々たるものだよ。人間は今この瞬間だって生産的に増え続けているし、幾らでも補完がきくじゃないか」

 これを何の疑問を抱くことなく、“釈明として”口にしているのだから、致命的だ。

 戦場ヶ原はキュゥべえと相対したその瞬間から嫌悪感を抱いていたが、今なら彼女の気持ちが理解できる。痛感した。
 こいつは人間を替えのきく、補充のきく“便利な道具”と見做している。そこに人間側の価値観は存在しない。

 確かにこの生物―――キュゥべえは不気味だ。


「まぁ私も、あなたを非難ができるような殊勝な心を持ち合わせているわけではないのだけど。だからといって、見す見す災いの根源を見過ごすほど愚かでも寛容な人間でもないつもりよ」


 そこからの出来事は一瞬だった。僕が口を挟む暇すらない。

 言葉を言い切るや否や、徐にキュゥべえを空高く放り投げる。戦場ヶ原による脳天締めから開放され、宙を舞う白い体躯をした生物。
 その光景に気を取られていると、耳に異音が届く。音の出所は、戦場ヶ原の右手に握られていたカッターナイフで、一気に刃を引き出し時に生じた音が異音の正体か。

 本来正しく使用するのなら、刃となる部分は一センチ程度あれば十分事足りる筈だが、いまの状態は刃が全て出されており、まるで脇差ような見た目となっている。

 それを視認した直後。
 キュゥべえに向け戦場ヶ原は殊更簡潔に言い放つ。

「死ね」

 なんとも明示的な意思表示とともに、落下してくるキュゥべえに向け、限界まで刃が引き出されたカッターナイフを横薙ぎに一閃する。

 結果――――キュゥべえは切断された。一刀両断である。
 頭部と胴体。ギロチン要らずの見事な太刀筋。

 僕は呆気に取られ絶句するしかない。
 茫然と、戦場ヶ原のカッターナイフを扱う技術が人並み外れていたのか、切れ味そのものが凄まじかったのか、なんて事を考える。
 次いで、つい一時間程前、カッターナイフとホッチキスで襲われた事実を思い出し怖気が走る。
 僕、あんな危険な奴に戦争を吹っかけられてたのかよ……。

 足元に転がる亡骸に視線を落とすも、同情心を抱くわけでもなく――ただただ戦場ヶ原ひたぎの恐ろしさを再確認する僕だった。





[27169] ひたぎウィッチ~その4~
Name: ミドリ◆02e976c9 ID:2270504e
Date: 2015/09/10 08:22
~005~

「しっかしむごいことするよな、お前」
「そうかしら」

 真っ当な生き物と呼べるか怪しいとはいえ、一つの生命を終わらせた後だというのに気負いもなく、すました表情で答える。当然ながら罪悪感を抱いた様子はないようだ。

「悪・即・斬――それが私の信条よ」

 しかも新撰組三番隊組長の有する正義をキメ顔で言う戦場ヶ原だった。
 さっきのカッターナイフ捌きは見事だったし、もしかしたら、牙突の使い手なのかもしれない。

「とりあえず、どうすっかな。これ」

 短絡的な戦場ヶ原の判断により、無残にも物言わぬ骸と成り果てたキュゥべえを見据えながら思案する。
 死体をそのままにしておくのもあれだし、

「埋めるか? いやそもそも普通の人間には見えないんだっけか?」
「そこまでしてやる義理もないでしょうに。カラスの餌にでもすればいいんじゃない」

 それとなしに相談ともいえない口調で尋ねてみるも、至極どうでもいいと言わんばかりに、投げやりな調子で返される。別にチベットなどで行われている供養の一種、鳥葬を提案したわけではないだろう。
 もう捨て置くことで決定済みらしい。

 何はともあれ、当初の目的である戦場ヶ原の『重さ』の件と併せて忍野に報告した方がよさそうだな。
 ならこの遺体を処理する前に、一緒に見せた方が話は早いだろうか。忍野にこいつが見えるかは解らないけど……。
 相談するなら正直なところ、もう少し情報を聞き出すべきだったかもしれない。

 だが、時すでに遅し。もうキュゥべえが口を開くことは決してない――



「酷いじゃないか。まさか、いきなり殺されるなんて思いもしなかったよ」

 ――はずだったのだが。

 頭上から聞き覚えのある声がした。
 ってこの声は! まさか!
 視線をあげると――そこには、フェンス上でこちらを見下ろす白い獣の姿があった。

「キュゥべえ!?」

 僕は驚きの声をあげる、その横で戦場ヶ原も少なからず戸惑いの表情を顕わにしていた。

 いや、おかしい……なら、この地面に横たわった死体はなんだ?

 新たに出現したキュゥべえは軽い動作でフェンスから飛び降りると、そのまま屍骸に近付いていく。戦場ヶ原が息の根を止めたはずのキュゥべえだったモノに、だ。

「代わりならいくらでもあるけど、だからといって意味もなく殺されるのは困るな。勿体無いじゃないか」

 戦場ヶ原を非難しながら、おもむろに死体に顔を寄せる。
 いや……これは!!
 食ってる……? 
 むしゃむしゃと、くちゃくちゃと。自分の死体を食べている……だと?
 いや、人間からみたらほぼ動物なんて見分けはつかないのだし……見た目が同じだけで、同種の別個体なのかもしれないが……。

 その姿は、暴走したエヴァ初号機が使途ゼリエルを貪り食っていたあの光景を想起させ、一層キュゥべえの気味悪さに拍車がかかる。

「ぎゅっぷぃ」

 妙に愛らしい噫気おくびを洩らし、ものの数秒で自身の死体を平らげてしまう。自身と同等の体積があったはずの肉体を、体内に納めることができてしまう辺り、僕達の常識が通じる相手ではなさそうだ。
 配管工のおっさんに使い捨てられる緑の恐竜と、通ずるものがある。

「お前は……キュゥべえ……なのか? でも……さっきお前は死んだはず――戦場ヶ原に殺されたはず、だよな?」

 故に。こいつは外見が一緒なだけの、別個体と考えるのが妥当なのだが――どうにも引っかかる。 物言いから微かに感じ取れるという程度の、明確な根拠があるものではないが、意識がさっき殺されたはずのキュゥべえと同一のような気がするのだ。

「そうだね。確かに殺されはしたけれど、それはただ単に、肉体が使い物にならなくなったってことさ。肉体が壊れたからといって、何も精神の死に至る訳じゃない。僕らに君たち人類にとっての『死』という概念を当て嵌めるのがそもそもの間違いなのさ。と言ったところで、君たちには理解できないかな?」

 などと嘯くキュゥべえに対し――

「ああ、まったくな。お前の言ってることなんて何一つもわかんねーよ!」

 僕は早々に理解を投げ出し、相互理解することは出来ないと力強く言い放った。
 ニュアンス的な話だが、殺人犯の気持ちを理解できない、理解したくもないと、突き放した言い方する探偵の如くだ。

 しかしその傍から、

「肉体はあなたにとって器に過ぎず、精神は別次元で存在しているってことかしら。肉体が死んでもその大本の精神が死ぬわけではない。別個体が同じ意識を共有しているというわけではなく、大本の精神が予備の器に移っただけ。言ってしまえば、遠隔操作されているロボットのようなものじゃないの? それを制御する中枢機関が存続する限りあなたにとっての本当の死とはなり得ない」

 戦場ヶ原が自身の見解を述べる。なんとも冷静な判断力をお持ちで!
 くそ! 僕……馬鹿丸出しじゃねーか!

「う~ん……厳密には全く違うけど、君たちが認識する上ではその考え方でも問題はないよ」

 その曖昧な肯定の仕方が気に食わなかったのか戦場ヶ原が軽く舌打ちをする。そこそこ自信のあった考察だったのかもしれない。

「つまり、お前をまた殺してみても――」

「まぁ無意味だね。とは言っても、代わりを用意するのに少なからず労力を必要とするから、できれば遠慮したいな」

「少なからずってことは、殺し続ければ相応の被害がでるって解釈も可能になるわよね」

 往生際悪く食い下がって、相手に少しでも痛手を与えようと躍起になる戦場ヶ原だった。
 相手の嫌がることになら労力を厭わないその姿勢は、ある意味敬服に値する。

「はぁ……」

 流石のキュゥべえも、億劫そうに大きなため息をつく。

「例え君がそれだけに残りの人生を費やしたとしても、それで僕らの被る被害は無きに等しい値だよ――限りなく零に近い。言うなれば海水をコップですくうようなものだ。確かに海水の量は減るだろうけど、その程度ってことさ。とても意味がある行為じゃないからお勧めはしない」

 キュゥべえが辟易とした様子で答える。

「そう、殺しても意味はない、と」

 自身の言葉を改めて確認するように、戦場ヶ原が呟く。

「ふぅ……僕としては是が非でも君と契約したいけれど、無理強いはできないしね。君に何も願いがないと言うのなら、僕は大人しく引き上げることにするよ」

 戦場ヶ原の苛烈な応対を受け、これ以上の勧誘は無意味だと悟ったのか、キュゥべえが撤退の意思を示す。
 うん、それが懸命な判断だろう。

「別に願いが一つもない、なんて言った覚えはないわよ」

 踵を返し、立ち去ろうとするキュゥべえをなぜか戦場ヶ原が呼び止める。何考えてんだこいつは?

「ふふ、『願い』と言えば前々から試してみたことがあったのよ。その点で言えば、あなたの存在は好都合よ――キュゥべえ」

 嗜虐的な笑みを浮かべる戦場ヶ原。絶対よからぬことを考えてやがる。

「その『願い』はなんなんだい? 君が叶えたいのなら、今すぐにでも――」
「その必要はないわ」

 キュゥべえの言葉をぴしゃりと遮り、

「だって、その願いは――あなたを使って、自力で叶えるんですもの」

 そう言って、戦場ヶ原は両腕を左右に広げ、瞬時に臨戦態勢に入る。

「戦争をしましょう」

 その両手には、あり得ない数の文房具が握られていた。
 本日二度目。学校の踊り場での悪夢再来。ただ、攻撃対象は僕ではないから、巻き添えを食らわないよう、密かに戦場ヶ原から距離を取る。

「……わけがわからないよ」

 キュゥべえの戸惑いもご尤もだ。僕も戦場ヶ原の思考が理解できない。ほんとに何を言っているんだろうこの子は……。

「生きているからこその地獄もあるってことを教えてあげる。そういうことよ」

「察するに、交戦の意志を明確化したってことでいいのかな?」

 戦場ヶ原の抽象的な言葉を、キュゥべえなりにそう解釈したらしい。

「厳密には全く違うけれど、あなたが認識する上ではその考え方でも問題はないわ」

 これは……ついさっきのキュゥべえの物言いをそっくりそのまま言い返してやがるな……意趣返しってことだろうけど。
 やはり、プライドが傷ついていたのかもしれない。

「僕はこんなにも友好的に話をしようとしているのに……戦場ヶ原さま。君は何が気に食わないんだい?」

「全てよ。あなたの存在そものを全否定してるの。私がこの世で尤も嫌いな存在は『詐欺師』――甘言を用いて人を誑かす忌むべき存在。お前からもそれと同種の匂いを感じるわ」

 戦場ヶ原の過去に何があったのかは知らないが、詐欺師に対して並々ならぬ憎悪を抱いているようだ。怒り心頭の彼女を刺激させないよう細心の注意を払いながら、控えめなトーンで問い掛ける。

「ええっと、なぁ戦場ヶ原。お前の願いって、一体なんなんだ?」

 文房具で武装した戦場ヶ原。
 キュゥべえを使って、前々から試してみたかったこと。
 生きているからこその地獄。

 ここから導き出される戦場ヶ原の『願い』とは…………

 何となく嫌な予感はしている。


 僕の問いに酷薄な笑みを浮かべて、戦場ヶ原は簡潔に教えてくれた――「拷問」と。











~006~

「花の女子高生なら拷問や監禁なんて、誰でも一度はやってみたいと夢想してみるものでしょう」

「殺して意味がないなら、生かさず殺さず、捕獲して自由を奪い生きながらえさせる」

「だって虫を潰してみても反応ってないのよ。だからといって人間を標的にするのは法律上許されない。これほど拷問の実験に適した存在、そうはいないわね」

 戦場ヶ原ひたぎが発した、台詞の一部を抜粋したものだ。
 意図を問い質すと、弾んだ声でこんな風に答えてくれた。
 精神鑑定を勧めようとも考えたが、己が身の保身の為、口を閉ざす。わざわざ危険な橋は渡る必要もあるまい。


 そんな会話を傍で訊かされていたキュゥべえが、身を翻し逃走を図ったのは無理からぬこと。

 このまま居座れば、拷問の実験体にされるのは目に見えているのだから、この判断は大いに正しい。正常な判断力がある者なら誰だってそうするだろう。
 
 だが、その判断を下すのが遅すぎた。既に臨戦態勢に入っていた彼女の包囲網を突破するには至らない。

 戦場ヶ原の放った一本の彫刻刀が、まるで影縫いの術のようにキュゥべえを地面に縫い付けていた。
 当然、影を縛る忍術なんて使えるはずがないので、影ではなく、尻尾をそのまま刺し貫いているんだけどね。


「阿良々木くん。邪魔したら、ただじゃおかないわよ」

 目を爛々と輝かせた戦場ヶ原は、獲物に近付きながら僕に釘を刺す。
 彼女の言葉に逆らうほど、僕は自殺志願じゃない。


 零崎が……もとい、惨劇が始まった。





 ――赤齣――






 数十分後。

 戦場ヶ原による拷問の工程は、あまりにもあんまりで……見るに耐えないおぞましい光景だった。言葉を失うには十分すぎる惨状。
 途中から視線を背けて、直視することができなくなる程ほどに……。

 だから……僕が語れることは多くない。出来るのは事件後に駆けつけた鑑識が行う、現場検証のようなものに過ぎない。



 そこには白い生物の姿はなかった。

 居るのは白黒い生物だ。

 何を言っているのだと思われたかもしれないが、言葉通りに受け取ってもらって間違いない。
 キュゥべえはパンダもどきの白黒姿に変わり果てていた。

 傍に墨汁の空きボトルが転がっていたので、それを用いたのだろう。だけど、黒くする箇所が間違っているし、体型も本物とは大違いなので違和感しか沸いてこない。

 いや、そんな悪戯的な行為に騙されてはいけない。まだこれは序章に過ぎないのだから……

 全身が刃物で切り刻まれ、要所要所に穿たれた彫刻刀が聳え立つ。
 様々な箇所を挟む、目玉クリップの数々。
 口内に棒状の物が捻じ込まれいるのか頬が左右に伸びきり、その上で、口元が丁寧に赤い糸で縫い合わされいる。
 額には油性マジックで記された『皮』の文字。
 垂れ下がった耳は輪ゴムとセロハンテープ(ぐるぐる巻き)で一纏めにされ、ホッチキスの芯と安全ピンがピアスのように装飾されていた。


 もう戦場ヶ原のやりたい放題だ。

「さぁ仕上げといきましょうか」

 何より恐ろしいことは、これだけやってもまだ戦場ヶ原の気が済んでいないってことだ。
 拷問は継続される。


「助けて……助けて……」

 悲痛な声が、脳内に響く。
 口が塞がれようとその声が止むことはない。
 良心の呵責に苛まれながらも、僕はそれを無慈悲に聞き流す。

 拷問中も絶え間なくSOSを送ってきたが、僕が耳を貸すことなかった。

 キュゥべえの本質を知ってしまった以上、助けてやることはできない。
 人類に仇なす存在となり得た伝説の吸血鬼を助けた僕だけど、ここだけは見誤ってはいけない。付け入る隙を与えちゃ駄目なんだ。

 戦場ヶ原の機嫌を損ね、新たな生贄にされるのが怖くて黙っているわけじゃない。

 手には新たな文房具――凶悪な武器、瞬間接着剤アロンアルファが握られており、キュゥべえの目に近付けると、躊躇無く中身を押し出す。

 いや、押し出そうと力を込めた、その間際――

「やめなさい! あなた達、いったい何をやっているのよっ!?」

 ――悲鳴にも近い鋭い声が響き渡る。

 その声の主は一人の女の子だった。

 予期せぬ人物の介入に、戦場ヶ原は動きを止める。

 うん、あれだ。これはどう見ても、幼気いたいけな小動物を虐待する猟奇的な二人組みだよな。
 通報されれば、弁明の余地はない。
 戦場ヶ原を止めなかったのは確かだが、僕まで共犯として扱われるであろう事実に、絶望にも似た感情を抱き、どう言い訳すればいいのかと考える。

 ん? 待てよ。そう言えば、キュゥべえの姿は普通の人間には見えないはずじゃ……いや、それが実証されたわけではないから、狂言ということも考えられるか……。

 しかし、この場所は忍野が張った結界とやらによって、一般人が迷い込むことはない。道を間違えた程度じゃここに辿り着くことはないとか、なんとか言っていた。そこは忍野の言葉を信用していいだろう。

 だとしたら、確固たる意思のもと、この場所を目指してやってきたって事になる。
 偶然ではなく必然。目的があって訪れた。

 なら、この女の子は何者だ?

 改めてよくよくその姿を確認してみれば――なるほど。全貌が掴めた気がする。
 キュゥべえの役割を思い返せば、明白だ。

 だって、その女の子が身に纏う衣装がまるで。そうまるで……
 世に聞くところの、世界の平和を影ながら守る、正義の使者――魔法少女そのものだったのだから。





[27169] ひたぎウィッチ~その5~
Name: ミドリ◆02e976c9 ID:2270504e
Date: 2013/08/17 08:23
~007~

 僕達の住む町ではあまり見ることはない明るい髪色。
 羽飾りの付いた焦げ茶色の帽子を頭に乗せ、ロール状にカールされた髪を二つに結んでいる。
 西洋風コルセットと一帯になった白いブラウスに、薄黄色のスカート。胸元にはスカートと同色のリボンがあしらわれていた。

「私の友達を――返して貰うわよ!!」

 舞台演劇で着る衣装のような、派手な格好をした少女は、そう宣言して僕達の方へ腕を伸ばす。
 けれど距離は5メートル以上離れている。そんな離れた場所で何をしているのかと疑問に思ったその矢先――少女の腕の先から帯状のリボンが無数に伸び、それが戦場ヶ原に襲い掛かった!

 いや、違う。

 無数のリボンは地面すれすれを滑空すると、横幅を広げながら一つの絨毯のように形を変え、キュゥべえの下に滑り込む。そして、そのままキュゥべえを掬い上げると、正に魔法の絨毯さながらの動きで、少女の元へ引き戻されていく。
 瞬く間の奪還劇に、僕と戦場ヶ原は呆気にとられるしかない。


「キュゥべえ、大丈夫!?」

 切迫した声で少女が呼びかける。
 僕達には目もくれず、無惨な痛々しい姿に変わり果てたキュゥべえに向けて手をかざす。
 すると――黄色に輝く淡い燐光がキュゥべえを包み込み、見る見るうちに傷が癒え、異物が除去されていく。
 これもさっきのリボンと同様、魔法の力で治癒しているということなのだろうか?
 その不思議な力に驚きながらも、感心する僕だった。

「マミ。来てくれたんだね。ありがとう、助かったよ」

 元の健全な姿となって息を吹き返したキュゥべえは、感謝を伝え尻尾を大きく揺らす。
 犬のような感情表現の仕方だ。

「よかった……ほんとうに、よかった。心配したんだからね」

 少女はキュゥべえの無事を確認すると、目元を拭いながら安堵した表情を浮かべる。見ている僕が感じ入ってしまう優しい顔付きだ。



「あなた達、これはどういうつもり?」

 だけど……僕達を見据えた時には、もう優しげな表情は消え失せていた。
 怒りに打ち震える冷めた声音で、僕達を責め立てるように詰問する。

「いや、これは…………」

 キュゥべえを助けにきた、この子にどう説明しろと?
 間違いなくキュゥべえに対し、好意的に接している人間だ。

 ありのままを伝えるなら、『キュゥべえの本質が人類にとって危ないものだったから、危険因子と見做して、制裁を加えた』ってことになるんだろうけど、そんな言い分が通じるなんて、とてもじゃないが思えない。
 っていうか、僕だって戦場ヶ原はやり過ぎだって思ってた訳だし……。

 僕はしどろもどろとするだけで、言葉を紡げない。

「どういうつもりも、なにもないわ。人間様に向かって嘗めた口をきいた畜生に、罰を与えてやっただけよ」

 だが、其処は戦場ヶ原さん。
 取り繕うことも、弁解する気も全くない彼女は、寧ろ相手を挑発するように、言い返した!
 火に油を注ぐとは正にこれ。

 微塵も臆することなく応じる戦場ヶ原は、なんて頼もしい味方なんだ!
 僕にできないことを平然とやってのけるッ! そこにシビ(ry


 なんて、僕が思う訳がない!
 もう和解への道は閉ざされたと言っていいだろう。こいつと同じ仲間だと思われていることに僕は苦言を呈したい!
 あーもう! 平和的解決を願う僕とは相反する存在だ。


「キュゥべえがいったい、何をしたっていうの?」

 問答無用で怒鳴り返しても許される場面だが――自制して、戦場ヶ原の意図を探ろうとする辺り、やはり正義の味方を称する魔法少女ってところか。
 少女の大人の対応に、影ながら感謝の念を送る僕。

「怪しい契約を、私に持ちかけてきたわね」
「契約? そう、よね……キュゥべえが見えるってことは、あなたも魔法少女としての素質を備えていることになる……」

「そんなことほざいていたわね。魔女を倒すだとか願いを何でも叶えるだとか、胡散臭い事をペラペラと。まぁ当然、断ってやったわ」

「確かに、簡単に信じられる話ではないでしょうけど、キュゥべえの言っていることは本当よ。それは私が保証する――なんて言ってみても、あなたが魔法少女になるのを断るのは自由よね。私が口を挟む権利はない……」

 と、そこで戦場ヶ原から視線が僕に移り、訝しげな目で見つめられる。
 怪訝な顔をして考え込む少女。そしてくまなく僕の全身を観察すると、小首を傾げながら、信じられないといった面持ちで質問してくるのだった。

「男の……人よね?」
「そりゃ勿論」

「…………もしかして……あなたも、キュゥべえが見えているの?」
「はぁ、この白い小動物のことなら見えてますよ」

「嘘!? なんで? どうして!?」

 僕の言葉にびっくりした様子の魔法少女。
 ああ、そっか。キュゥべえは普通の人間には見えないってのは、やはり魔法少女の間でも通例なのか。キュゥべえが淡白な反応しかしないもんだから気にしていなかったが、これは異例の事態らしい。

 ただ、どうしてと言われても、なんて説明したものやら。吸血鬼のことを話してなんていられないし……。

「ええ、まぁ、僕、霊感強いんで」

 結果、適当にお茶を濁す感じではぐらかすことにした。

「…………そう……こんなこともあるのね。これからは、気をつけないと」

 その言葉に納得しかねる少女ではあったが、僕にキュゥべえが見えるのは事実だったので、認めるしかなかったようだ。


「それは、いいとして――」

 仕切りなおすように少女はそう言うと、再び戦場ヶ原に向き直り、怒気を漲らせて問い掛ける。

「あなたが、魔法少女に対し懐疑的な気持ちを抱くのは理解できるけど……それでなぜキュゥべえがあんなに酷い仕打ちを受けたのか、その理由がわからない。断るのなら口で言えば済む事だし、あそこまで残虐なことができるなんて、異常よ。返答次第ではあなたを許さない。その覚悟をもって説明してもらえるかしら?」

 うん、全くの正論だ。
 あの拷問も、ほぼ戦場ヶ原の屈折した夢を実現させる為だけに行われた、悪趣味な行為でしかないのだし、そこを責められれば返す言葉もない。

「あなた、年齢は?」

 だがしかし――その追及には取り合わず、妙な質問を返す戦場ヶ原。
 相も変わらず、言動が読めない。いったい何を考えている?

「は? そんなこと今は関係ないでしょ!」

 唐突な質問に少女は戸惑いを示すも、当然そんな質問には答える必要はないと、突っぱねる。
 更に彼女の怒りを買っただけだ。

「私の名前は、戦場ヶ原ひたぎ。私立直江津高校三年、17歳」

 戦場ヶ原は脈絡もなくお構いなしで自己紹介を決行する。

「で、あなたは?」

 渋った表情で、逡巡してから――その少女は不承不承に口を開く。

「…………巴マミ……見滝原中学……三年……………14歳」

 根が生真面目過ぎるのだろう。
 名乗られたからには名乗り返す。礼儀を重んじることは美徳だが……今回に限っては礼儀を尽くす必要性はなかったんじゃなかろうか。

 まぁ兎にも角にも、少女の情報が手に入ったわけだけど――巴マミっていうのか。しかも14歳で年下……ずっと同じぐらいの年齢だと思ってたのに。まさか中学生だったとは驚きだ。

 僕が言うのもなんだが、変わった苗字だよな。苗字が名前みたいな響き。
 年下の子を苗字で呼び捨てすることに、特に抵抗はないけれど、『巴』だけだと、下の名前を呼び捨てにしてるみたいで僕的に違和感があって気持ちが悪い。

 年下だけど――あまり親交もない相手だし、ここは『巴さん』と無難に呼ぶことを心の内で決定付ける。

 あと、見滝原といえば、隣町にそういった地名があった気がする。僕の住む町よりもかなり栄えた地方都市で、開発が盛んに行われているところだ。

 というか、魔法少女の素性って普通、秘密なんじゃないのか? 一般人には知られてはいけないお約束。
 まぁそんなのは漫画やアニメの勝手な設定なわけだし、そういった制約はないのか、戦場ヶ原に押し切られ、已むなくバラしてしまったのか。僕達がもう一般人じゃないと見做されたのか。


 う~む……改めて巴さんを観察する僕。

 これで……火憐と同い年なんだよな、この子。あいつは上背が高いが、妙にガキっぽいからな……彼女が醸し出す大人びた雰囲気と相俟って、到底同じ年とは思えない。
 優雅で気品があって、年齢以上の貫禄を身に纏っている。

 うん、此処まであえて言及しないように頑張って自制してきたけど、もう限界だ。

 特に胸の辺りの自己主張が激しすぎる!
 
 いや、『胸』などと、常識人ぶった言い回しをするのは卑怯だ。僕はそんな迂遠な言い回しで言葉を濁す、矮小な男ではない!

 敢えて言おう。『おっぱい』であると!

 なんだあれは。中学生で、あの豊満さ……たしかに僕は、それに匹敵するであろうおっぱいの持ち主を二人程知っている。が、一人は人外なので除外しよう。もうあの頃の姿に戻ることはないしね。

 残る一人は、勿論あの素敵眼鏡の三つ編み委員長さんだ。
 あれこそ本物だと、僕は信じて疑わない。だけど、どうも着やせするタイプなようで、制服の上からでは、その凄まじさは伝わらない。

 けどこの巴さんは違う! 腰元を絞めるコルセットがおへそ辺りのラインを引き絞る関係で、もうこれ見よがしに双丘が強調されているのだ! いや、これは彼女のポテンシャルを更に引き出す相乗効果といえよう。
 これが今時の中学生なのか? 発育が良すぎるだろ!

 いや、今の不穏な雰囲気の状況化で、我ながら、何を語っているのだろうか。

 で、結局、戦場ヶ原が年齢を訊いた理由はなんなんだ?
 意識を戻して、彼女の言葉に耳を傾聴させる。


「よね。巴さん。私の方があなたよりも年上。なら、それ相応の言葉遣いがあるんじゃないかしら?」

 言質を取った戦場ヶ原は途端に先輩風を吹かせ、年上としての特権を最大限に利用し始める。
 年下と確信があった上で訊いたような感じだったし、どこで見抜いたのだろう?

「……そう……ですね……失礼しました、ごめんなさい」

 戦場ヶ原の理不尽な言い分に、思うところはあるのだろうが、出かかった言葉を押し留め、謝罪してしまう。
 けど、巴さんは本来下手になる立場ではない。もっと高圧的な態度が許される立場のはずだ。謝る必要なんてないんだ! 騙されちゃいけない! 
 僕は心の中で声援を送る。 

 しかし、こんな険悪極まりない状態で、上下関係を構築させた戦場ヶ原ひたぎの悪辣な手腕には驚きを禁じえない。こいつだけは敵に回したくないと心の底からそう思う。

「で、あの獣を虐げた理由? 理由も何も、あいつの存在が気に食わなかった以外ないわよ。ったく、飼い主は巴さんなのでしょう? ならペットの躾ぐらいしっかりとして、首輪にリードでもつけて繋いどきなさい。私の周囲を嗅ぎ回られていい迷惑よ」

 逆切れとも言える戦場ヶ原の言い分に反省の色はまったくといってないようだ。

「キュゥべえはペットじゃなく、友達です」
「友達? そう言えばさっきも言ってたわね、聞き間違いかと思ってたわ」

 侮蔑を含ませた声音で嘲笑するように戦場ヶ原は言う。

「キュゥべえは私の大切な友達――」

 再度巴さんは力強く言い直し、

「――それを揶揄するのは許しません、もとより友達を理由もなく傷つけたあなたを、もう許すつもりはないですけれど」

 もう怒りで自制心も限界に近いであろう巴さんに向け、戦場ヶ原は構わず捲くし立てる。

「人の交友関係に口出しするのはどうかと思うのだけど、こんな獣が友達って、あなた気は確か? 友達は選ぶべきよ。というか他に友達いないんじゃないの?」

 これには、巴さんも怒りが爆発して、襲い掛かってもおかしくない場面だと、僕はそう身構えていたのだが……事態は此処から、予想だにしない方へと転がっていく。



「そ、そんな事ないわ。クラスには一緒に話す友達だって……いるし――」

 なぜか困惑した様子で、視線をさ迷わせる。それから、しばらく逡巡し、何か思い当たったのか、両手を合わせ、仄かに表情を綻ばせる。

「――そう先日、後輩が二人、私の家に遊びにきてくれたもの! 一緒にケーキを食べて、いっぱいお話して、もうすっかり仲良しになったわ」

 その二人を思い浮かべたのか表情が和らぎ、とても魅力的な笑みを浮かべる。

「ああ。まどかと、さやかのことだね」

 それに続いて、巴さんの足元に身を寄せているキュゥべえが補足説明を入れた。

 いや、入れた事によって、その話の意味合いに余計な付加要素が加わってしまった、とでも言うべきか。
 キュゥべえがその後輩という二人の名前を、親しみの込められた声で発したって事は、つまり……。

「その後輩ってのは、あなたとも顔見知りなのかしら、キュゥべえ」

 戦場ヶ原も当然それに気付いており、キュゥべえに説明を求めてしまう。

「うん、そうだよ。鹿目まどかに、美樹さやか。君と同じく――彼女達もまた、魔法少女になる資質を持った女の子達だ」

 と、情報保護の観点などものともせず、簡単に詳細を明かしてくれるキュゥべえだった。口が軽い。

「へぇ、そうなの」

 キュゥべえの言葉と、巴さんの言葉を寄り合わせた末、戦場ヶ原は一つの予想のもと喋り出す。

「先日って、知り合いになったばかりってことよね。その子達が家を訪れ、遊びに来た。知り合って間もない後輩達が、家に……ね。いったいどんな楽しいお喋りをしたんでしょうね。あぁ、そういえば、その子達って魔法少女ってのになれる逸材なのよね、すごい偶然ね」

 はっきりとは言及せず、遠まわしに厭らしい言い回しで巴さんを嘲弄する戦場ヶ原。

「そ、そうよ。それの何がいけないの!? 運命的な出会いよ! 一緒の中学に通う後輩が、魔法少女になって共に戦ってくれるかもしれないなんて! そんな未来があるかもしれないなんて素敵じゃない!」

 それに対して、今まで見せたことがない剣幕で言葉を紡ぐ。しかし直に、自分の熱の入りように我に返ったのか、

「……まだ、決まったわけじゃないけど」

 と小さく付け加える。

「勿論、その後輩って子達とは毎日、メールや電話でやり取りする間柄なのよね? 仲良しこよしのお友達なんでしょ?」

「え?」

「してないの?」

「……知り合って間もないし……まだ連絡先も……訊けて、ない…………」

 口ごもりながら、尻窄みな声で巴さんは言う。

「え!? 嘘。連絡先さえも知らないっていうの!? それで友達っ!?」

 口元を押さえ目を見張り、大仰に驚きを顕わにする戦場ヶ原だが、その言葉も動作も全てがわざとらしい。

「違っ……、だ、だって……!」

 弁明しようとするも、巴さんの言葉は続かない。

「あなたが友達と定義付けるのは自由だけど、家に訪れたぐらいで友達になったと結論付けるのは早計ではないかしら。勝手に友達面されて、その後輩達もいい迷惑でしょうね」

「……そ、そんなことは……ないはず……だわ。あんなにも私のことを慕ってくれてるし……」

 食い下がってどうにか釈明しようとする巴さんに向かって、戦場ヶ原は端的に言い放つ。


「もしかして。あなた、ぼっち、なの?」


 そう言った。いや言ってしまったというべきか。

「は……はは……ぼっち……? ううん……ぼっちなんかじゃ……ない……うん。違う、そうじゃない」

 必死になって取り繕おうとしているが、見ている僕が痛々しく思うくらい、その表情は引き攣っている。
 余裕のあった優雅な雰囲気は――完全に消失していた。


 駄目だ。戦場ヶ原の毒舌は、こんな純真な女の子が浴びせられていいものではない。毒素が強すぎる。
 もう僕から見たら、高校生が中学生を苛めているようにしか見えない。
 キュゥべえを助けてやる義理はないが、巴さんは違う。寧ろ、かなり常識のある善良な中学生じゃないか。魔法少女なんて役割を担っているのかもしれないが、保護されて然るべき存在だ。


 戦場ヶ原に歯向かうことになるが、仕方ない。

「おい、戦場ヶ原。そもそもお前が言えた話じゃないだろうが。お前だっていつも一人でいるし、友達いないんじゃないのか!?」

 巴さんを友達がいないみたいに言う戦場ヶ原だが、こいつだって似たようなもんだ。棚上げも甚だしい!
 そして、その戦場ヶ原を責める僕さえも、そんな事を言える筋合いはない。
 僕の友達は一人だけだ。そう一人。
 最近一人、掛け替えのない友達ができたのだ! だけど零と一ではまったく違う!

「はっ。友達なんて要らないわ。“いない”ではなく“要らない”よ。阿良々木くん。そこを勘違いされては困るわね。それに、そんな上辺だけの提携関係を結んでも、人間としての弱みが増えるだけじゃない」

 やばい、まさかこんな身近に、僕の有した『友達を作ると、人間強度が下がる』と同じ主張をする、人間がいるとは! いや、僕はもう羽川に諭され、その理論から脱却することができたのだけど。


 あ、まずったな……。

 戦場ヶ原に酷な事を言ったと、遅まきながら思い至る。失敗した。
 彼女はおいそれと、他人と触れ合うことが許されない身体なのだ。彼女は『重さ』の秘密を死守するために、自ら交友を拒絶しているのだ。これは、本心ではない、戦場ヶ原の方便とも考えられる。

 それについては、後で正式に謝罪することにしよう。


 さて、巴さんの様子はと窺ってみると、未だに消沈したままで、

「――だって、友達がいないのは、魔法少女としての責務があって……魔女退治や見回りが大変で、遊んでる暇なんて……せっかくのお誘いも、断るしかなくて、私だって好き好んで、一人でいるわけじゃ……クラスには気遣って声をかけてくれる子もいるけど、なんだか……施しをうけているみたいで……いつも教室では寝たふりをして……でも魔法少女のことなんて誰にも話せない……でも、やっと、本当の私を……打ち明けることができる、後輩ができた…………けど、連絡先も知らない……ううん、何度も訊こうとしたけど、自分から訊くのが恥ずかしくて……意地張って、格好つけてただけで…………あれ? おかしいな……私って……私って……」


 独り言のようにブツブツと呟いている。だけど、声が小さすぎて僕にはよく聞き取れない。

 そんな巴さんを尻目に、戦場ヶ原がキュゥべえに声を掛ける。

「そこの白い畜生」
「それは僕のことでいいのかな?」

「巴さんとあなたはお友達なのよね?」
「そうだね、それがどうかしたのかい?」

「巴さんが勝手に友愛の情を抱くのはともかく、お前に友情なんて概念がほんとにあるのかしら?」

「僕の使命の一つに魔法少女のサポートが含まれるから、行動を共にする機会が多いのは確かだよ。それをパートナーと呼ぶことはできるし、友達と言い換えてもおかしい話じゃない、だから僕がマミと一緒にいることで――」
「そんな事は訊いていないの――」

 キュゥべえのおためごかしを遮り、

「キュゥべえ。“あなたが巴さんを、友達だと思っているか”そう訊いているの。それだけを訊いているの」

 それ以外の答えは必要ないと、戦場ヶ原は限定してキュゥべえに問い質してしまう。

「ん~生憎、何とも言えないね。僕としては個人で如何様にでも解釈してくれて構わない、僕からは特に異存はないし、断るつもりはないよ。だからマミが友達というのなら、友達で構わない」

 あー……言ってしまった……この生命体が空気なんて読める訳なかった! 人間の機微で繊細な感情を理解できるはずがなかった!
 当然それは巴さんの耳にも届いているだろう。大切な友達と言っていた相手の『無感情』な言葉を。

 信じていた友達の言葉に――巴さんは既に放心状態で……。

「ねぇ巴さん――巴マミさん」

 戦場ヶ原が名前を呼ぶと、微かに反応を示し、顔を上げた彼女に向け――まざまざ現実を見せつけるような染み入る声音で彼女は告げる。

「一方の都合で友達と言い張るのは自由だし、あなたがそこまで強く言うのなら、友達なんでしょう、けど――」

 言葉を区切り、巴さんの耳元に顔を近づけると、そっと囁いた。



「――それって本当に、友達?」



 惨禍を撒き散らす悪しき者。負の感情を増大させる災厄。
 魔法少女と対立する敵対者が『魔女』と呼ばれるというのなら、戦場ヶ原こそ『魔女』と呼ぶに相応しい存在ではないのか……なんて、そんな感想を抱いてしまう僕だった。





[27169] ほむらウォッチ~その1~
Name: ミドリ◆02e976c9 ID:2270504e
Date: 2015/09/10 08:24
~008~

 鹿目まどか。

 彼女を救う為に、私は魔法少女になった。
 まどかに待ち受ける苛酷な運命を変える、ただそれだけの為に、私は幾重もの時間を繰り返した。
 だけど、そのどの時間軸にいても、まどかは悲劇的な最後を遂げる。


 何度も、何度も。
 繰り返し、繰り返し。
 手段を変え。方針を変え。
 今度こそはと、意気込んでやり直してみても、どうしても覆せない。覆すことができない。

 まどかを救えない。

 過程を幾ら変えようとも、辿り着く先は、絶望という名の終着が待っている。
 世界の意志によって、運命が収束していくかのように結果は変わらない。

 いや、『世界の意志』なんかじゃない……。
 『孵卵機インキュベーター』――キュゥべえの策謀によって、決まった終幕が用意されているのだ。底意地の悪い、脚本家がそう演出しているに過ぎない。


 その下準備とも言える、最たるものが、『鹿目まどか』と『巴マミ』の、出会いの斡旋。
 時期の早い遅いの僅かな差異はあれど、二人は必ず巡り会い――結果、巴マミが彼女を魔法少女への道にいざない唆す。

 何度繰り返して、何度修正しようとも、この結果は避けられない。
 奴が後ろで手ぐすねを引いて、この状況を誘発させているのだから、それを阻止することは難しい。

 巴マミは、まどかを危険に晒し、キュゥべえとの契約を助長する。
 まどかを『魔法少女』にする先導者にして、キュゥべえとの橋渡し的な役割を担う厄介な存在と言えた。

 はっきり言って、彼女の存在は、まどかを救うプロセスの妨げにしかならない。

 負の感情を溜め込み穢れきったソウルジェムが、グリーフシードとなって『魔女』へと生まれ変わる――『魔法少女の仕組み』を知ることになった、美樹さやかが魔女へと堕ちたあの時も……。

 絶望し、自暴自棄に陥って、周りを巻き込んで命を絶とうとした。
 魔女を生み出す前に対処するという点では、冷静な判断と言えるのかもしれないが、まどかを救う為に刻苦こっくする私にとっては、最大の侮辱とも障害とも言える愚挙に他ならない。

 あんなところで終わらせて堪るものか。

 それに加え、キュゥべえに対し、頑なまでの信頼を抱いているのが問題だ。奴の言葉を鵜呑みにしてしまっている。

 例えるなら、悪徳宗教に嵌った信者のようなもの。
 いくら私が言葉を尽くしたところで、巴マミに私の言葉は届かない。教祖キュゥべえに心酔する彼女にとって、私の言葉は邪教に順ずる者の戯言にしか訊こえない。訊こうとしないのだ。

 元凶であるキュゥべえの暗躍を除けば、まどかを魔法少女にする一番の要因を作り出しているのは巴マミに他ならない。


 彼女とキュゥべえの繋がりを絶たない限り――

 彼女がキュゥべえを信頼し続ける限り――



 まどかの未来に、道は開けない。


















~009~

 まどかは可愛い。どの時間軸にいこうとも、それだけは変わらない。まどかは可愛い。

 私の心のオアシス。
 彼女のあどけなく愛らしいその姿が、どれ程私の支えとなっていることか。

 出来ることなら、四六時中まどかを見つめていたい。
 これは文字通りの意味でもあるし、まどかとキュゥべえの接触を阻むという意味に於いても肝心なことと言える。

 とは言っても、残念ながら、それだけに尽力している訳にもいかなかった。 
 遡行する時間の微調整は行えず、強制的に一ヶ月前まで戻される。その時点から限られた時間の間に、やらなければいけないことが山ほどあるのだから。


 時間停止の力を使えば時間はいくらでも引き延ばせると、誤解されているかもしれないが、それは間違いで、私が止められる時間には制限がある。

 総時間トータルにして一ヶ月分。巻き戻った時間と同等の値。
 その限られた持ち時間でやり繰りをする必要がある為、無闇矢鱈と使い続けることは出来ない。

 それに加え魔力も無限ではない。
 素の状態でも、微量ながらに魔力は消費され続けているし、時間を止めている間は必然的に魔法少女の姿になる必要があるのだから、その消費量は嵩んでいくばかり。

 力を使用すれば、それだけソウルジェムに穢れが溜まる。
 して、浄化もせず使い続ければ、どこかの馬鹿のように魔女になってしまう。

 魔力の源であるソウルジェムの浄化の為に、強いてはまどかを巻き込むかもしれない魔女の討伐も兼ねて、定期的なグリーフシードの調達は必須事項なのだ。

 まどかに害なす存在は全て排除する。


 あと、これらと並行して行わなければいけないのが、凶悪な魔女『ワルプルギスの夜』への対抗手段の事前準備。

 『ワルプルギスの夜』――最凶にして最悪の超弩級魔女。
 一介の魔女とは比べ物にならない程の力を有し、出現しただけで、大災害と同等の被害を周囲にもたらす。
 こいつを倒さない限り、まどかの運命は閉ざされたまま。


 そして――事前準備とは即ち、武器を収集すること。

 在りし日の私は、自作のパイプ爆弾などを使用していたが、やはり近代兵器の性能には劣る。
 まぁその近代兵器を自分の使いやすいよう、多少カスタマイズすることはあるけれど。

 その近代兵器を盗み出す事が、『ワルプルギスの夜』が出現するまでにしておかなければならない、大切な課題の一つだ。

 ただし、闇雲に武器を集めればいいというものではない。
 盗み出すにも、それなりの順序というものがある。

 とある時間軸の失敗談ではあるが、かなり早い段階から兵器の収集を開始し――陸上自衛隊から『88式地対艦誘導弾』が搭載された『74式特大型トラック』を始め、得物になりそうな物を根こそぎ強奪した時があった。

 しかしそれが、テロ組織による大規模な計画的窃盗事件として扱われ為、日本中の軍事施設で警戒態勢をしかれる大事件へと発展したのは誤算だ。
 連日ワイドショーで取り沙汰され、各方面の責任問題に発展していたが、まぁそんなのは私に関係ない瑣末さまつなこと。知ったことか。

 其の所為で、武器の調達が却って、滞る結果となってしまったのは、苦い思い出である。
 防犯機器の増設に、何重にも施錠された扉を掻い潜るのは、本当に骨が折れたものだ。それで開錠のスキルが飛躍的に高まったのは、怪我の功名とも言えるけれど。

 手痛い教訓となった出来事だ。


 盗むならバレないように。バレるなら『ワルプルギスの夜』が襲来する時期を念頭に置いて逆算し、発覚してもその後の調達に、支障を来さない頃合いを見計らわなければならない。

 初期段階では、暴力団(お得意先は射太興業事務所、近場にあって管理がざるなのでいつもお世話になっている)などの、国家機関や法的に訴えることが難しい、箇所から集めるのが得策で、発覚したとしても面子を重視し身内の間で処理されるから、その他の組織に影響が少ない、もってこいの狩場となっている。

 窃盗、強奪を解禁したいま、私を縛る法律は皆無。
 私の犯した罪状など、あげればきりが無い。
 窃盗罪、銃刀法違反なんて可愛いもの。時には恐喝、殺人未遂などなど…………もうこの手は完全に汚れきっている。



 繰り返すうちに、要領よくこなしていくことは可能になったが、それでも限界があった。
 どうしても、まどかに付きっ切りという訳にはいかない。
 その隙を縫ってキュゥべえは、甘言を用いてまどかを煽惑せんわくし、あの手この手を使って忍び寄る。


 そして、今回の時間軸でも……。

 私が“撃ち”洩らし、仕留めそこなったキュゥべえは――助けを求めまどかの元に逃げ込んだ。そして、そこに現れたのは例によって、巴マミの姿。

 またしても、まどかとの接触を許してしまったのだった。
















 それから数日後の放課後のこと。


 今日も今日とて、私はいつものように彼女の動向を見守っている。
 時間が許す限り、それだけは決して怠らない。怠ることなどあるものか。

 巴マミを介して、キュゥべえとの接触を許しはしたが、まどかには再三警告もしているし、まだ契約を結ぶには至っていない。


 視力の強化を用いて遠巻きながらまどかを観察する。


 幼さの残る、可愛らしい天使のようなその相貌。
 笑みを浮かべれば、それだけで春の日だまりのような心地よさを体感させてくれる。
 赤みがかった髪を頭の上部両サイドにまとめて結い、その両方の結い目にアクセントとして赤いリボンを付け、それがまた、彼女によく似合っていて、学生服の胸元を彩る大きな赤色リボンとの調和が見事に決まっていた。まどかママのセンスには敬意を表したい。
 脚は白いニーソックスで包まれ、スカートとの間に僅かに覗く素肌がとても魅力的だ。
 小柄な体格で、保護欲を掻き立てられる可憐な少女こそが、私が救うべき相手――鹿目まどか。

 その華奢な身体の右肩に、白い宇宙生命体――キュゥべえが乗っかっていた。
 いつもながら、まどかに引っ付いて羨ま……目障りなことこの上ない。絶対に殺す。意味が無くても殺す。
 多少は私の気が晴れるだろう、いや、見ているだけで不快感を催すのだから、本末転倒か……。

 まぁいい。

 あと……この世に顕現した最愛なる私の女神の横には、付属品である美樹さやかの姿があった。

 短髪の少女だ。


 二人で何やら話しながら歩いていく。
 だけど、その表情に会話を楽しんでいる様子はなく、どこか翳りを帯びた暗いものだった。

 まどか達を追っていくと、そこは三年の教室に向かう階段で、深く考えずとも、巴マミの元に向かおうとしているのは分かったけれど、これは珍しいことだ。

 魔女退治にいくときは、近場のファーストフード店で待ち合わせたり、校門近くで落ち合うことが多い。直接、教室にいくのは他学年ということもあり抵抗があったのだろう。
 今までのどの時間軸に於いても、直接教室に向かうなんてことはなかった。

 なんてことない日常の一場面のようだけど…………俯瞰して照らし合わせれば、異例としか言えない事態に、あの二人の思い詰めた表情が気に掛かる。


 変調の兆しを感じとった私の行動は素早かった。

 周囲に人の目がないことを確認すると、ソウルジェムを掲げ瞬時に変身を完了させる。
 私にお似合いな、黒と灰色の地味な色合いの衣装に身を包むと、すぐさま左手に取り付けられた、小盾に触れ、仕掛けギミックを作動させた。

 カチッと歯車が噛み合わさる音。

 それが時間停止の合図。

 盾に内蔵された赤い砂粒の砂時計が傾き、現実の時間を止める。

 世界の理から、私は解き放たれる。


 私は、窓を勢いよく開け放つと、そのまま飛び降りて足早に校庭へと向かう。
 そして、巴マミの教室を窺うことが可能な、校庭側に植えられた植木の枝に跳び乗ってから、時間停止を解除させた。

 以上の工程を経ているので、目撃者は皆無。生い茂った緑葉のお陰で、私の姿は部活動に励む生徒達の視線に晒されることはない。

 まどか達はまだ教室に向かっている最中のはずだ。


 巴マミが夕暮れ染まる教室で、一人座っているのは確認できたが、やはり、この距離だといくら視力を矯正したところで、得られる情報が乏しい。

 仕方なく、異空間に通じている(としか説明が出来ない。私も未だ詳しい原理を掴めていない)盾に手を突っ込み、『対まどか専用双眼鏡』(シュタイナー社製の軍用防水使用:R軍事M22LPF双眼鏡)を取り出すと、魔法の力でより性能を強化してから覗き込む。

 まどか専用の物を、巴マミに対して使うのは少し気が引けたが……これもまどかの為と割り切る。


 視力強化との相乗効果と相俟って、巴マミの様子が鮮明に窺えた。

 巴マミは一人教室で、意思なき人形のような虚ろな表情で座っていた。
 髪はほつれてボサボサで、目元は大きく腫れ上がっている。
 顔色も青白く、いつもの凛とした姿は見る影も無い。

 まるで、『魔女の口付け』を受けた人間のように、なぜか、無気力状態になっている。

 巴マミの警戒力は強く、普段なら一定の距離に近付くと気取られ、あまり迂闊に近寄ることはできなかったが、今のこの状態なら…………多少無理してでも接近し、ソウルジェムで強化した聴覚ならば、会話が聞こえる距離まで近付くことが出来るかもしれない。


 そう結論付けた私は、再び時間を止めると――彼女の教室に向け足を運ぶのだった。




[27169] ほむらウォッチ~その2~
Name: ミドリ◆02e976c9 ID:2270504e
Date: 2015/09/10 08:28
~010~

 オレンジ色に染め上げられた教室には、愛しのまどか、美樹さやか、巴マミ以外、他に生徒の姿は見られなかった。

 あと、ついさっきまで妬ましくもまどかに引っ付いていたはずのキュゥべえが見当たらなくなっている。
 いったいどこにいったのか……。

 神出鬼没はあいつの厄介な特性の一つなのだから気になどしていられないが、周囲への警戒を強化するのは怠らない。

 私は今――巴マミの居る教室の程近い場所に位置した、階段から中の様子を探っていた。
 この市立見滝原中学校は教室が全面ガラス張りという、創作意欲に満ち溢れすぎた構造になっていて、死角となる場所が階段ぐらいしかなかった為だ。

 当然、この位置からでは“直視”することが出来ず、魔法の力でガラスの表面を鏡に見立て、反射と視力の強化なども駆使して“視て”いるわけだけど。

 幸い、この手の技術はまどかを見届ける際に、幾度となく使用しているので手馴れたものだ。いまや達人の域だと、自画自賛している。

 誰かが来たとしても『友達の用事が終わるのを待っている少女』程度にしか見えない筈で、そこまで奇異な視線を向けられることはないだろう。

 友達なんて私にはまどかしかいなかったけれど――などと自嘲してみる。

 それも今となっては友達にも……気軽に話しかけることさえできない状況で…………私が関われば、それだけでまどかを危険に晒してしまう。

 まどかの心に踏み込むことは出来ない。線引きは必要なのだ。


 …………はぁ……駄目だ。

 鬱屈としていく思考を、かぶりを振って切り替える。


 あまり微調整がきかず、不自然な角度から俯瞰するようにしか中の様子を窺えないが、ある程度の表情変化ぐらいなら判別はつく。
 ただ、美樹さやかが被さってまどかの表情が見えにくい。いつもいつも、邪魔をして……心中で舌打ちをする。


 とは言っても、今重要なのは会話の方なので、意識は視覚より聴覚を優先。
 いつもの彼女になら気取られていた可能性が高かったはずだが、巴マミに変化はなく、バレてはいなさそうだ。




「マミさん……大丈夫ですか……? 何度、呼びかけてみても返事がないし……どうしちゃったのかなって……元気、ないですよ……」

 甲斐甲斐しくも、気遣うようにまどかが声を掛けていた。

 発言から推測するに、教室を訪れる前に、何度かテレパシーを用いて呼びかけていたのだろう。それで彼女の変調に気付き様子を見にきた、といったところか。 

 他者を労わる心根の優しさは、魔法少女にならずとも相変わらずで、ほんとうに健気で心清らかな子だ。

 またそういった性格の所為で、人助けをする正義の味方なんて幻想を、魔法少女に抱いてしまうのだろうけど……それは巴マミという理想像サンプルがあるからこそで、やはり、まどかにとって彼女は危うい存在と言える。

「やっぱ、体調悪そうですよ、マミさん。今日の魔女退治、止めといた方がいいんじゃないです?」

 まどかに続き美樹さやかが声を掛ける。
 美樹さやかの言う『魔女退治』とは、巴マミがお気楽にも提案した『魔法少女体験コース』のことで、図々しくも、まどかをかどわかして、家に連れ込んだ際にそんな約束をしていたのだ。
 その体験コースを今日も行う予定だったらしい。

 けれど、二人の呼び掛けにも反応は乏しい。

「……大丈夫……心配ないわ」

 呼びかけには辛うじて答えたものの、心此処にあらずといった感じで、視点も定まっていない。
 その答えも、自分の心配はいらないと言ったのか、魔女退治に行くのは問題ないという意味合いなのか、どうにも不明瞭だ。

 こんな状態の彼女を見るのは数多にある時間軸の中でも極めて稀なことだ。
 強いて言えば、魔法少女の仕組みを理解したあの時と似たような感じだが、それとも違う気がする。

 彼女の変調について考察を試みる。

 欝を撒き散らすその姿は、『魔女の口付け』を受けた人間のようでもあるが、その痕跡は見当たらなかった。
 だとしたら、魔女に不覚をとったのだろうか?
 魔女に返り討ちにあい、自信を消失してしまった――とか。

 しかし、この時期に相応の実力者である巴マミが、後れを取るような魔女は出現していないはず。彼女の戦闘能力の高さは私としても認めているところだ。

 唯一彼女が後れを取る可能性が高い魔女と言えば――『お菓子の魔女』ぐらい。

 性質は『執着』。生前にこよなく愛したお菓子を司る魔女で、包み紙でくるまれたキャンディのような頭に、人形みたいな妙に愛らしい外見をしている。

 魔女特有の薄気味悪さが欠如しているが、その見た目に油断すれば、口内から吐き出されるようにして現れる本体の餌食となることだろう。

 巴マミが一人で挑んだ時の勝率は芳しくなく、まどかや美樹さやかの助けがない限り、彼女にとって鬼門と言える相手だ。

 とは言え、『お菓子の魔女』の卵が孵化するには、まだ数日の猶予があるのは間違いない。
 “統計上”それは確認済みだ。

 だとしたら、他に何が考えられる?

 巴マミに帯同することが多いキュゥべえならば何か知っていそうなものだけど…………。


「そうだ。キュゥべえなら何か知ってるんじゃない?」

 美樹さやかも私と同様の考えに至ったようで、これは名案とばかりに声を上げた。

「っ!!」

 その瞬間、巴マミは身震いして過剰なまでに反応を示す。
 より正確に言うのなら、『キュゥべえ』と、その名を聞いた時に異常な強張りをみせたように見て取れた。
 これは、どういうこと? 聞き耳を立て情報を逃さないように気構える。

「……何か……キュゥべえとあったんですか?」

 巴マミのただならぬ反応に躊躇しつつも、繊細なガラス細工に触れるような、慎重さを感じさせる声でまどかが問い掛ける。

「……………………」

 けれど……巴マミは無言で押し黙ったまま沈鬱な空気を撒き散らすだけ。

「……いや! あの、どうしても訊きたいってわけじゃなくて……話したくないのなら無理に言う必要は……ないんですけど……」

 彼女の沈み込んだ気配を気遣って、まどかが慌てて言う。


「…………鹿目さん……美樹さん……私とあなた達って……どういう関係なのかしら……?」

 レスポンスの悪い、海外中継を見ているような、合間を経て、巴マミからやっとのことで絞り出された弱々しい声は、まどかの問いかけの答えになっていない、質問に質問で返すというものだった。


「なぁに言ってんですかー。マミさんはあたし達を救ってくれた命の恩人で、頼もしい先輩じゃないですかー。美味しいケーキも御馳走してくれたし! あたし、マミさんになら抱かれてもいい! こんな良い先輩そうはいないですよー!」

 それに最初に返答したのは美樹さやか。無理やり元気づけようと、ちゃかした発言をしたのだろうけど――効果は薄い。

「う、うん……マミさんは、かっこよくって、頼りになって……わたしの憧れで、いつかわたしもマミさんみたいになれたらなって……」

 それに習い、同調するようにまどか。
 魔法少女に夢を抱く危険な兆候が出始めた彼女に、改めて釘を刺すことを誓い、巴マミの反応を待つ。


「……そうよね、あなた達にとっては…………頼りになる先輩でしかないんだよね……」

 まどかの答えに、何の不満があるのか更に消沈し、

「……友達とはまた、違ったものなんだよね」

 呟くように、そんなことを言う。


「キュゥべえと私はね…………」

 涙ぐみながら巴マミは話し出す。やっと本題を語る気になったようだ。

「……友達じゃないんだって…………私、キュゥべえに酷いこと言って、もう来ないでって言っちゃって………あの子のことわからなくて……どうしてもキュゥべえを信じることができないの……鹿目さん、美樹さん。私、どうしたらいいの?」

 涙が堰を切ったように溢れ出し、まどかの胸に抱きついて泣き縋る。
 巴マミのその有り様に、私は驚きを禁じ得ない。
 ここまで強く感情を発露する人ではないのだ。

 断片的情報で、どうにも要領を得ないけれど、キュゥべえが此処に居ないのは、巴マミの意向を受けてということは分かった。


「……キュゥべえと……喧嘩でもしちゃったんですか?」

 訊き辛そうに、まどかが探りを入れる。

「ううん……そんなんじゃない……勝手に勘違いして、一人で舞い上がっちゃってただけで…………友達……いなく、なっちゃった…………また……ひとりぼっちだよ……わたし……」

 もたれ掛るように顔を埋め、泣きじゃくる巴マミに対し――まどかは優しく包み込むように背中に手をあてがう。

「わたしは……マミさんのこと……友達だって思ってます」

 心に染み渡る、じんわりと温もりを与えてくれる穏やかな声で――

「その……わたしなんか、マミさんの友達として相応しくないかもしれないですけど、マミさんと一緒にいたいって……思ってます。ううん、一緒にいたいんです! だから、マミさんは一人なんかじゃないです。そんな寂しいこと言わないで下さい!」

 まどかが、精一杯の気持ちを込めて、思いの丈を伝える。

 こんな風に言ってもらえる巴マミが心の底から羨ましい。
 それは、私が求めて已まないもので……どうしようもなく胸が締め付けられる。
 けれど――今の私に、それを望むことはできない。


 その懸命な呼び掛けに、巴マミは顔をあげてまどかを仰ぎ見る。
 視線をしっかりと交えさせ――まどかはゆっくりと頷くと、何も心配はいらないと、自分が傍にいると、そう知らせるように微笑みを浮かべた。

「キュゥべえに何言われたか知んないですけど、そんならさやかちゃんがぶん殴ってやりますよ! マミさんを虐めるなー! って。それにマミさんが友達だと思ってくれてないって知って、正直ショックだなー。あたしはもう友達だと思ってたのにぃー!」

 不満をぶつけるように、美樹さやかが二人の空間に割って入る。
 当然これも空気を和ませようという意図のもと、自ら道化を演じる彼女の優しさで――こういった気遣いの仕方は、とても私には真似できそうにない。
 私が認める、美樹さやかの数少ない美点の一つだ。
 まぁそれを帳消しにして、お釣りがくるほどの煩わしさを兼ね備えているのだけど。

 二人の言葉を受けて――巴マミは、しばらくの間、面食らったように動きを止めていた。


「……そうよね……そう思ってもいいんだよね。私には…………こんなにも心配してくれる後輩が……ううん、友達がいるって、思ってもいいんだよね。……駄目ね……私……こんなみっともないとこ見せちゃって。威厳もなにもないじゃない。かっこ悪い先輩だ……」

 涙声で自嘲した台詞をいう巴マミだが、それとは裏腹に、その声は嬉しさに満ち溢れ、照れたように微笑みを浮かべている。


 魔女化し兼ねない雰囲気を身に纏っていた巴マミだけど――ものの数分で、陰鬱な雰囲気は払拭されていた。

 いとも容易く巴マミの症状は回復した――と言ってしまえばそうなのだろうけど、きっとそれは私がどれだけ時間を尽くしても無理なことだ。


「鹿目さん、美樹さん」

 目尻に溜まった涙を拭って、巴マミは、恥ずかしそうに声を潜めて二人の名前を呼んで――

「よかったらなんだけど、その…………あの……携帯番号、交換しない?」

 立ち直った直後に、なぜか携帯番号の交換を申し出るのだった。

 友達としての証が欲しかったのだろうか? 不思議な感覚の持ち主だと、思うけれど……私にはよくわからない。



 心温まる光景であろうやり取りを、盗み見ている自分の在り方に疑問を感じはしているが――そのお陰で有益な情報が得られたのは確かだ。

 巴マミは『キュゥべえを信じることができない』と言った。
 
 私が何の手を下したというわけではない。しかし、どういう訳か、巴マミとキュゥべえのパートナー関係に亀裂が生じているのは間違いない。

 運命の悪戯? 神の戯れ? そんなのどうだっていい。

 この早い段階での二人の仲違いは、未だ私が成し得なかった好機といえた。

 どこでどんな蝶が羽ばたいたかはわからない。ただ、これを活かさない手はない。

 そんな打算な計算を続ける私の心は、もう間違ってしまっているのだろうけど――まどかを救う為になら…………いつでも冷徹な判断が下せるように、心なんて凍らせてしまえばいい。








 引き続き、動向を探っていると――キュゥべえの事に関しては、巴マミの心の整理がついてから、打ち明けるという運びとなり、本日予定されていた『魔法少女体験コース』は中止となった。

 巴マミは、自分のあまりにも酷い様相に気付いたようで、身だしなみを整える為、鏡のある洗面所へと向かう。その際に、残った二人には先に帰るよう帰宅を促していた。
 あの腫れ上がった目元を隠すには、相応の時間がかかると、判断したのだろう。

 後輩二人組みは、巴マミの言葉に応じ、連れ立って帰宅することにしたようだ。


 私が居ることにも気付かず、携帯の画面を見つめ、スキップに近い足取りで通り過ぎて行く巴マミ。
 浮かれた様子で、見ているこっちが恥ずかしくなるぐらいに相好を崩していた。

 取り敢えず、私は魔法少女の姿になると、すかさず時を止め――巴マミから携帯を取り上げ、手早く操作する。
 なんてことはない。《鹿目まどか》と《美樹さやか》の登録名を入れ替えただけで、携帯は元に戻してあげた。

 消去デリートすることを躊躇い、非情になりきれない自分の甘さを痛切に感じながら、まどかの追跡ルーチンワークを開始する。







 校門間近までくると、またいつのまにかキュゥべえが、まどかの肩に陣取っていた。

 美樹さやかに頬を抓られ、追及をうけているようだが、まだ詳しい仲違いの原因を知らされていない為、彼女達としても一方的に糾弾することはできないようだ。

 そもそも、押しの弱いまどかと、気の回らない美樹さやかでは、簡単にはぐらかされてしまうのがオチだろうけど。
 キュゥべえは、論点を挿げ替え話を逸らす事に卓越している。この話術を駆使して契約を迫るのだから、厄介なものだ。

 まぁ案の定、追及は校門を潜り抜ける前には、打ち切られることになっていた。






 二人は寄り道することもせず、楽しそうにお喋りを交わしながら歩いていく。
 何事もなくそれぞれの家へと向かう分岐路に着くと、別れをすませ家路を辿る。

 当然、私は美樹さやかには目もくれず、まどかの監視を続行。

 そこで、怪しい人影を見咎めた。いや、校門を出た辺りから、ずっと二人の後をつけている男がいることには当然気付いていたが、それが、まどかと美樹さやか、どちらの後を追っていたのか判断できなかったので、様子を見ていたのだ。

 これが美樹さやかのストーカーとかならば、問題はなかったのだけど、男は間違いなくまどかを尾行している。
 だったら話は違う。要対処案件だ。

 人通りのない場所に差し掛かると、その男はまどかの方へ近寄って声をかけた。

 何者?

 その男は、この辺りでは見ることのない、赤いラインの入った学ランに身を包んでいた。
 後ろ姿なので、顔付きはよくわからないが、背丈は低く、でも感じからして高校生だろうか。

 道を訊こうってわけでもない。あれは確信をもってまどかに近付いた。それも人目を避けるように、人通りがないのを見計らってだ。

 どの時間軸でも見覚えのない、その男に、私は警戒心を最大まで高め――路地に身を滑り込ませると同時に、ソウルジェムに力を込める。

 瞬時に変身を終えた私は、盾の異空間に手を差し入れると、愛用の銃『ベレッタM92FS』を取り出したのだった。





[27169] こよみキャッチ~その1~(番外編:まどかスケッチ)
Name: ミドリ◆02e976c9 ID:2270504e
Date: 2013/08/17 08:54
~011~

 戦場ヶ原が魔法少女である巴さんを、一方的に言葉で責め苛んで、精神に深刻な傷を負わせたその後の顛末について、簡単にではあるが語っておこう。

 あれから――巴さんは声を掛けるいとまもなく、逃げるように去っていった。それに併せて、キュゥべえも忽然と姿を消していた。

 一種の白昼夢でも見ていたかのような不可思議な出来事に、僕等は首を傾げることしかできなかったが――当初の目的を思いだし、戦場ヶ原に忍野を紹介し、二人を引き合わせる。

 忍野に軽口を叩かれ、戦場ヶ原には暴言を浴びせられはしたものの、滞りなく話は進み――幸いなことに、彼女の抱えていた『重さ』に纏わる問題は、自称専門家の働きと、戦場ヶ原自身の健闘の末、無事解決した。

 戦場ヶ原は自分と向き合い、折り合いをつけるに至ったのだ。

 まぁ、根源的な部分――母親との確執については戦場ヶ原がこれからも持ち続けなければならないのだから、円満解決というわけではないのだろうけど。

 それでも、きっと彼女は救われたのだ。『重み』をとり戻し、母親への『思い』を返してもらったのは、良い事なのだと思う。


 ともあれ、戦場ヶ原の『蟹』に関する諸問題については、終結したと言っていい。


 そう『蟹』に関する問題については、だ。


 戦場ヶ原と別れた僕は、とんぼ返りで学習塾跡に舞い戻って、忍野の元に再訪していた。
 要件は勿論、あの奇妙な白い生物と、魔法少女の件について。

 『蟹』のことで忍野と話していた時は、敢えてその話題に触れないようにしていた。戦場ヶ原も、自ら進んで話し出すことはなかったので、この件を報告するのはこの時が初めてとなる。

 戦場ヶ原も一緒に居た方が 話は早かったのかもしれないけれど、彼女をいらぬ面倒ごとに巻き込むのは気が引けたし、実際、居たら居たらで、そこまで協力的に話してくれるとも思えない。

 唯でさえ忍野との折り合いが悪そうなのに――加えてキュゥべえへの対応を思い返せば、僕の判断が妥当なことは察してもらえると思う。

 そんな胸算用もあって、僕一人で忍野に報告並び相談しに来たってわけだ。


 だけど……忍野は何も教えてくれなかった。
 僕の説明を訊くだけ訊いて、こちらには何の情報もよこさなかった。

 確実に“何か”は知っているようだが、説明を拒否――いや、教えることにより、僕が首を突っ込むのを阻止してくれたと言った方が正しいか。
 忍野にも事情があるらしく、いつものチャラけた雰囲気を消して、真剣な表情で深入りするなと諭されたのだ。


 それでも、僕は見て見ぬふりは出来ない。
 忍野の忠告を――厚意を無下にするようだが、どうしても知っておかなければならないことがある。

 調停者バランサーとしての責務を真っ当する忍野が、傍観を決め込んでいる案件に首を突っ込もうとしているのだから、ここからは自己責任だ。






 日付が変わって、今日の話。

 僕はバスに乗って隣町にある、見滝原市にやって来ていた。より詳細に言えば、見滝原中学校の校門前に。
 校舎に侵入するのは幾らなんでも昨今の情勢では問題になるので、校門付近の木陰に身を隠し待機している。あまり人目に触れるのはまずい。
 

 見滝原中学までやってきた目的は、大きく分けて二つ。

 一つは巴さんの様子を探る為。
 彼女の容態が気掛かりだったので、その確認と、出来れば弁解ではないが謝罪がしたい。

 もう一つの目的は、キュゥべえと魔法少女の関係――いては『魔女』についての情報を得る為。

 実際に魔法の力をこの目で見たわけだし、アレを手品の一言で済ませるのはできそうにない。
 『魔法少女』を認めるということは、それは同時に『魔女』の存在を認めなければいけないということだ。

 この世の悪しき大部分の災いを魔女が招いているだとか、魔法少女は魔女をやっつける使命だとかキュゥべえは言っていた。

 だけど、それが抽象的すぎて、いまひとつピンとこない。

 できればその辺りの事情も、巴さんから訊き出せたらなと思っている。
 あんな仕打ちを受けた巴さんが、戦場ヶ原の共犯と思われているであろう僕に、取り合ってくれるかは定かではないけれど、ひたすら巴さんが出てくるのを待っている訳だ。


 ちなみに見滝原に来るにあたって、僕は高校を早引きしている。

 学校を休むことも考えたが、下校時刻までに間に合えばそれでいいとの計算と、僕を更生しようと躍起になる羽川の顔を立てて、間をとって早退としたわけだ。

 ちなみにちなみに。朝は遅刻をした。
 神様の手違いで、僕の体重がおかしくなったのを対処する為、いろいろと東奔西走していたのだから、仕方ない。これは不可抗力といっていい。

 あと戦場ヶ原は病院に行っているようで学校には来ていなかった。突然治ったで済まされる程度の問題ではなく、いろいろと検査が必要なのだろう。
 病院でうんざりするような精密検査を受けているであろう戦場ヶ原には悪いけど、変に詮索されずに済んで、正直助っている。


 ううん、結構な数の生徒が帰宅しているけれど、いつになっても巴さんの姿を見つけることは出来なかった。

 可能性としては、部活動に励んでいるか、何らかの用事でまだ校舎内にいるか、こことは違う、裏門があって、そちらから帰ってしまったのか、僕がただ単に見落としたのか…………昨日のことを引き摺って、学校を休んでしまったのか。

 結構いろんな可能性がある。
 アポもなしにやってきたのだから仕方がない。最初から無理がある計画だった。

 自身の見通しの甘さを嘆きながらも、もう一時間ぐらいは粘ろうとそう決意したその時、奴を見つけた。

 白い体躯をした奇妙な猫兎を――キュゥべえの姿を発見したのだ!

 談笑しながら歩いてくる二人組みの少女。
 短髪の活発そうな雰囲気の女の子と、頭の赤いリボンが際立つ女の子。その赤いリボンをした女の子の肩にキュゥべえは乗っかっていた。

 このまま巴さんが出てくるのを待っていたいけれど……彼女と繋がりのあるキュゥべえをこのまま見過ごすのも、得策とはいえない……か。

 出来ることならじかに接触を図りたかったが、キュゥべえを介して連絡が取れるかもしれないし、ここは方針を変更してキュゥべえの後を追うことにする。

 もしかしたら、彼女達が巴さんと知り合いだっていうこともあり得る。

 しかし……あの子達は、キュゥべえが見えているのだろうか?
 キュゥべえが勝手に引っ付いてるだけで、もし見えてなかったりしたら、僕は精神異常者として扱われることになる。中学生に言い寄る不審な男として通報されてしまう。


 緑溢れる舗装された通りを抜け、確証がもてぬまま、女子中学生の後をつける僕。

 人目があると声が掛け辛いよな……変に勘違いされて叫ばれでもしたら現行犯だし……二人組みってのも危うい要素だ。女子が徒党を組む危険性は妹達で十分に学んでいる。

 赤いリボンの女の子が友達と別れ、一人になるのを待つことにする。それで人気ひとけがなくなったら声を掛けてみよう。

 なんだか完全に危険人物の思考みたいだけど、これは普通の人に見えないというキュゥべえのことを鑑みての判断でもある。

 人目に触れたところで、"見えない相手"の事について訊くのは、彼女にとっても好ましいとは言えないだろう。それは秘密裡に交わす話の内容になるはずなのだから。


 川に掛かった鉄橋を越えて進んだその先で友達と別れ、それからまた数分進んで閑静な住宅街差し掛かった辺りで、ようやく待ち望んだ状況が訪れた。

 人気は絶え、赤リボンの少女は一人になった。周りに人の気配はない。
 今がチャンスだ!


「ちょっといいかな?」

 僕は思い切って、そう声を掛けていた。

「えっと、わたし、ですか?」

 キョロキョロと周囲を確認し、誰も居ないのを把握すると、自分を指さしながらそう答える女の子。

「そう、君。少し訊きたいことがあるんだけど、構わない?」

 声を掛けてしまったが、もしキュゥべえのことが見えていなかったら、僕はどうしたらいいんだろう。まぁその時はその時か。

「ええっと……あの……その……」

 やばい、警戒されまくっているな。もじもじと俯き加減で視線を逸らす少女の気持ちを和らげる為、なごやかな口調を心掛けつつ、優しく語りかける。

「ほんの少しだけでいいんだけど――時間はとらせないし。いや、場合によっては聞きたいことは山ほどあるから少し時間をとらせちゃうことになるかもしれないんだけど」

 キュゥべえと面識があるのだったら、訊きたいことは増えるだろうし、

「なんなら、その辺でお茶でも飲みながら、ゆっくりと。どうかな?」

 少女は見てないかもしれないが、しっかりと笑顔も添えて。

「そんな、わたしなんて……可愛くもないし……」
「いや、可愛くないなんてことは全然ないと思うけど。十分君は可愛いくて魅力的だと思うよ」

 唐突に自分を卑下した発言をする少女に対し、フォローというか心からの感想を述べる僕。

「へ? か、可愛いって……そ、そうですかね……えへへへへ」

 頬を赤らめ特徴的な笑い方で照れる、女の子。

「でも、やっぱりわたしなんかじゃなくて、他の子に声を掛けた方が……」

「ん? 他の子って――君じゃなきゃ意味ないんだけど」

 そう言って、僕は彼女の肩で寝そべるキュゥべえに視線を向ける。
 キュゥべえは、僕を見ているのかいないのか――赤いまん丸の瞳には映っているはずなんだけど、我関せずといった感じで、興味なさそうに尻尾を揺り動かしていた。

「わ、わたしじゃなきゃ意味がないって!? えーっと、それはつまり……あ、あわわわ」

 なんだろう……何か凄く慌ててるな。それに見る見るうちに、少女の頬が紅潮していく。

 あ。

 妙にテンパりだした女の子を見て、その狼狽ぶりの原因に遅蒔きながらに気付く僕だった。
 もしかして、これ、ナンパしてると勘違いされてないか? 

 まずい! はやく弁解しなくては――

「わたしなんかに声を掛けてくれて……すごく光栄なことなんですけど……でも、あの…………ごめんなさい!」

 そう一方的に僕に告げると、少女は頭を大きく下げ――顔を真っ赤にして脱兎の如く逃げていった。
 幼気な女子中学生に妙な誤解を与えてしまったようだ……しまったな……。

 キュゥべえの事も訊けずじまいだし、結局何の情報も得られなかった……これは困った。ここで追いかけたら本当の変質者になってしまうし、どうしたものだろう。

 その場で立ち尽くし、今後の対策に耽る僕だった。










~012~

 あまりにも脈絡のない展開で申し訳ない限りなのだが、どうやら僕は女子中学生に恫喝されているらしい。

 男子高校生が女子中学生にである。

 目の前には、見知らぬ女子中学生の姿があった。

 中学生と判断できたのは、その少女が、胸元の大きな赤いリボンが際立つ可愛らしいデザインの、見滝原中学の学生服に身を包んでいるからだ。
 腰元まで伸びた長い黒髪に、前髪を上げているわけではないが黒いカチューシャをつけている。可愛らしいと表現するより、凛々しく綺麗と呼ぶに相応しい。

 常時ならば、見惚れていたかもしれない、美女とも定義できる少女ではあるが、僕の目線は彼女にではなく、彼女の腕の先。右手に持たれた『ブツ』に釘づけだった。

 見間違いでなければ、彼女が持っているのは拳銃である。

 いやいや。

 いやいやいやだ。

 ここは日本ではなかったのか?
 日本には銃刀法違反という法律の中でも比較的認知度の高い常識レベルのものがあって、米国のスラム街のように誰彼かまわず護身用の銃を所持しいるはずがない。

 ならば、あれはエアガンかモデルガンだろうか。最近のものは本物と見紛うクオリティで、容易に見分けるのは難しいと訊いたことがある。重量なんかも実物と同じようにして、色々凝った品があるそうだ。

 近頃の中学生は銃なんて持ち歩いてるのかよ。おっかねー。


 さっきまで確かに住宅街の通りに居たはずなんだけど……今は日差しが遮られた、薄暗い路地裏らしき場所に居た。
 それも袋小路となった壁に背中を押し付けられる形で、前方以外に道はない。
 とは言っても、少女が前に立ち塞がっている為、四方を囲まれていることになる。

 いったいいつの間に、こんなとこまで来たんだ? 

 記憶が飛んだかのように、僕にはこの状況に至った過程を思い出すことができないでいた。突拍子もなくいきなりにこの状況に直面している。まさにポルナレフ状態。
 後頭部がズキズキと痛むのも不可解だ。頭でも打ったのだろうか?


 キュゥべえと一緒にいた女の子に声を掛けたものの、ナンパと勘違いされ逃げられてしまった、ってところまでははっきりと覚えている。そこまでの記憶は明瞭なのだが……。


「えっと……ここ何処? 君は誰?」

 念のため、僕の名前は阿良々木暦だ。記憶喪失になっているわけではない。頭は正常に働いている。

「鹿目まどかに何のようがあったの?」
「へ? 誰?」

「惚けても無駄よ。既に現場を押さえているのだから、言い逃れはやめなさい」
「だから……知らないって言ってるだ――」

「なぜあの子に声をかけたの? あの子に何をしたの? あんなにも顔を赤くして…………あなた変質者か何か? こんな白昼堂々、いい度胸しているわ」

 僕の言葉を遮り、険しい口調で矢継ぎ早に詰問される。
 変質者の烙印まで押されたしまった。

 とりあえず、さっき声を掛けた少女の名前が鹿目まどかだということは把握できた。って、そう言えばこの名前……訊き覚えがあるような気がするけど……うーん、思い出せない。

「何か誤解されてるようだけど、ちょっと人を探していて、それを尋ねようとしただけで」
「嘘」

「嘘じゃないって、そんなおもちゃで脅かしても――んがっ!!?」

 銃身を口に突っ込まれたッ!
 ひんやりとした鉄の冷たさに次いで、舌先に触れる銃身が味蕾を刺激し、口の中に不快な味が広がる。

「生憎、本物よ。試してみる? その時にはもう満足に喋ることもできなくなるでしょうけどね」
「………………」

 え、おいおい、本物だったら危ないとかの話じゃないのは当然だけど、これがエアガンだったとしても、洒落になってないって! モデルガンであることを切に願う!

 でも彼女の言う通り――本物なんだろな……それは確信できる。嘘を言っているようにはとても見えない。

 まさか昨日の今日で、戦場ヶ原の蛮行の方がマシだと思える時が来るなんて考えもしなかった。
 ホッチキスやカッターナイフを口に突っ込まれるなんて、拳銃を突っ込まれることに比べれば可愛いものじゃないか。


 少女は感情を伴わせない澄ました表情で僕に一瞥をくれると、空いている腕で肩にかかった髪を払う。ふわっと宙を舞う黒髪。

 この状況で、何の気負いもなく落ち着いていられるってのは、どういう神経の持ち主なのだろう。
 なんだよ、脅し方が堂に入りすぎてるだろ!? 女子中学生が、どんな人生を歩めばこんなマフィアみたいな真似が出来るようになるんだよ!? 

 こんなの絶対おかしいよ!

「わざわざ彼女を尾行してまで、ただ人を探していた、ですって? そんな言い分が通じると思っているの?」

 ああ、なるほど。ちゃんと裏打ちされた理由があったのかと、ある意味納得してしまう。

 少女の凍てつくような冷め切った眼光に戦慄を覚えながらも、弁明がどこまで通じるか見当しつつ――やってることもそうだが、何処となく雰囲気までも戦場ヶ原に似ているな、なんてそんな事を思う僕だった。










【番外編:まどかスケッチ】

 いつもの通学路で、さやかちゃんと仁美ちゃんに合流して早々のことでした。

「どうしたの、まどか。ニヤニヤして、なんかいいことでもあった?」

 朝の挨拶もそこそこに、そうさやかちゃんから指摘を受けたのです。

「え? そ、そうかなー」

 両手で顔を押さえ表情を取り繕ってとぼけてみても、もう今更でした。

「おっ、何々? 隠してないで言っちゃいなよー」
「そうですわ。私達の間に隠し事はいけません」

 自分では、いつも通りの表情をしていたつもりなのに、あっさり二人には見抜かれていました。
 ポーカーフェイスというものに縁がないのかもしれません。すぐに顔に出てしまいます。

 そういえば……林間学校でしたババ抜きで負け続けていたのは、その辺りに要因があったのだと、今悟りました。

 二人の追及に、困った素振りを見せるわたしだけど――でも内心では、誰かに言ってしまいたくてうずうずしていたことなので、すぐに話してしまいます。

「うーんと……実は昨日ね……男の人に声かけられちゃった」

 そうなんです。
 なんと、昨日、生まれて初めての経験をしてしまいました。つい最近一通ぐらいラブレターが欲しいなんて言っていたのを通り越して、ちょっとした事件です。びっくり仰天です。

「嘘! ほんとに!? 悪質なキャッチセールスとかじゃなくて?」

 さやかちゃんが驚きながら、でも少し失礼なことを言います。ほんの少しむっとしている自分がいるけれど、それ以上に、やっぱりにわかには信じられないんだろうなーなんて、自分でも納得していたり……。

「う……うん。その、学生服着た高校生の人だったし……ええと……可愛くて魅力的だ、なんて言ってもらえて……」

 自分で言っていて、もう顔から火が出そうなほど恥ずかしく、照れてしまいます。

「くー仁美にならいざ知らず、まどかに先を越されるとはー! ああっ! やっぱりこの間、まどかママからなにかモテる秘訣を教わったなー。それともリボン効果は絶大なのかー! うー、くっそーまどかが裏切ったー!!」

 などと、大きな声で騒ぎながら、さやかちゃんはわたしへの攻撃を並行して開始します。

「きゃうっ!? やめて、さやかちゃん! くすぐったいよー! いやーっ!! だめーっ!」

 そうです。
 あの恐ろしい、くすぐりの刑が開始されたのです。どんなに苦しくても強制的に笑顔にされるなんて、あんまりだと思います。

 身をよじって、どうにかさやかちゃんの魔手から逃れようとするも、執拗に攻撃は続けられました。

「ついにまどかに言い寄る男が! あたしは許さんぞー! まどかはあたしの嫁になるのだー!」

 脇腹をこちょこちょと攻められ、わたしは叫びながら身悶えることしかできません。
 くすぐったいのは大の苦手なのです。

「あらあら、まどかさんも隅にはおけませんこと」

 仁美ちゃん! 感心してないで、わたしを助けて!



「で、その男の人はどんな感じの人? いい男? 高校生って何年生? もしかしてもう付きあっちゃってるとかないよねっ!?」

 わたしの弱りきった姿に満足したのか、攻撃は中断され、さやかちゃんが興味津々といった感じで食い気味に訊いてくるのでした。

「ちょっと、待ってさやかちゃん」

 さやかちゃんの言葉の猛攻を抑えつつ、昨日の名も知らぬ男の人を思い出します。
 わたしのパパよりも背が低いけれど、それでもわたしなんかよりよっぽど大きくて、恥ずかしくてあんまり顔をみれなかったけど、多分――

「かっこいい人だったと……思う、かな?」
「なんと、イケメンだとそう仰るのですかまどかさん!」

 奇妙な言葉づかいで、地面に崩れ落ちるさやかちゃん。相変わらずのオーバーリアクション。

「でもお付き合いとか、そんなのは全然ないよ……ないない……だってすぐ逃げちゃったし」

「ええっ!? なんで!?」
「……だって。まだわたしにはよくわかんないし……」

 さやかちゃんはしきりに勿体ないと、なんでお茶ぐらいしなかったのかと、せっついてきますが、やっぱり、わたしは自分に自信がなくて……。

 きっと緊張してまともに話せなかっただろうし、わたしの内面を知っちゃったら、がっかりされてしまうって気がして……あ、これはわたしの外面――見た目だけならがっかりさせないってことではないです。
 そこまで自意識過剰じゃありません。身の程は弁えているつもりです。


 それにまだわたしは『恋』というのも実感したことがありません。

 仁美ちゃんは何通もラブレターを貰う程の恋のベテランさんで、さやかちゃんには上条君に恋い焦がれる女の子――二人は、わたしなんかよりよっぽど大人の階段をのぼっています。

 みんなが憧れのアイドルなんて話題で盛り上がっていても、今一つ乗り切れないのがいつものわたしです。

 面と向かって話せる男の人なんて、パパか弟のタツヤぐらいで……異性との付き合いなんて全くもってありません。女の子同士でお喋りしている方が、落ち着きます。

 そんなわたしに降って湧いた、貴重な出会いを無駄にしてしまったのは、さやかちゃんの言う通り、勿体なかったことかもしれません。
 少しぐらいお喋りすれば、何か芽生えていたのかなと、ほんの少しの後悔を感じていたりもします。

 勝手な言い分だけど、またあの人と会えないかな、なんて、そんなことを思ってしまうのでした。





[27169] こよみキャッチ~その2~
Name: ミドリ◆02e976c9 ID:2270504e
Date: 2013/08/17 08:54
~013~

 両手を上げてホールドアップ。逆らう意志は持ち合わせていないと態度で、そして視線で懸命に訴えかける。
 必死の訴えが通じたのか、銃を口から引き抜いてくれはした……が、依然銃口は向けられままで、しっかりと牽制されている。
 
「なぜ彼女をつけたの?」

 少女は再度、同様の質問を繰り返す。
 冷淡な詰問口調。受け答え方次第では、本当に引き金を引きかねない、そんな危うさを醸し出している。
 これは、どうしたものか……キュゥべえのことは一般人には見えないという触れ込みだけど……誤魔化す方が危なそうだよな。

「えっと、さっきの……鹿目さん、だっけ? その子と一緒にいた、珍しい動物が気になって……」
「……珍しい、動物?」

 反芻するように呟く。
 僕の言葉に、何か思うところがありそうな反応を示す少女だった。

「白い猫だか兎みたいな珍妙な見た目でさ」
「どこでそれを訊いたの?」
「いや、訊いたわけじゃなくて、見たんだって」

 この感じ……心当たりありって感じだよな。なら……ここはもう一歩踏み込んでみるか。

「名前はキュゥべえって言うんだけど」
「あなた何者?」

 訝しげな視線と共に銃口が、僕の頭に標準される!

「……しがないただの高校生で怪しい者じゃありません」

 小刻みに首を横に振って、善良な一般市民であることをアピール。僕は今、狼に襲われる子羊の気持ちを痛切に実感している。

「そんな事は訊いていないわ、私立直江津高校三年、阿良々木暦」
「あれ? 何で? 僕の名前をって学校まで!?」

「それだけじゃないわ、住所も携帯の番号も既に把握済みよ」

 そう言って僕の携帯と、生徒手帳をこれ見よがしに見せつけてくる。
 いつの間に! こいつ凄腕のスリなのかっ!? いや、記憶のない空白の時間があるのだから、その時に抜き取られたと考えるのが妥当か。

「アドレス帳を見れば、あなたの家族構成も………………」

 携帯の操作に邪魔だったのか、生徒手帳を地面に捨て、携帯をいじり出す――――そして、少女は絶句した。

 あぁ。その理由は僕には分かる。だって――

「登録が一件だけ、ですって……迂闊だったわ。あなたのことを少し見縊みくびっていたようね。携帯を二台所有して、自身の交友関係を隠匿するなんて」

 いや、“見縊る”ではなく、“見誤る”の間違いだ。

「そんな諜報員みたいな真似事するかよ」

 ただ単に僕の人付き合いが零に等しく、他の主要な番号――自宅や両親の電話番号は頭の中に入っているから、アドレス帳の機能を利用する必然性がないってだけの、そんな悲しい理由。
 僕の妹達はまだ携帯電話は持たされていないし、友達になったとは言え、まだ戦場ヶ原の番号は知らない。
 
「だったら――羽川翼……名前からは断定は出来ないけれど、女性であれば、そう。たしか、恋人専用の携帯を持ち歩く人間がいるとは訊いた事があるわね。この携帯はその類のものなのかしら?」

 少女がその名を口に出来たのは、僕の携帯に登録されたなけなしの一件こそが『羽川翼』だったからに他ならない。

「違う。そいつは僕の数少ない友人で、携帯はこの一台だけだ」

 羽川を恋人だなんて大それたことだ。あいつは僕の命の恩人であって、そういう対象じゃない。色恋沙汰の対象にされては、羽川にとってもいい迷惑だろう。

「まぁいいわ。話を戻すけれど、普通の人間にあいつの姿は見えない。況して男に姿が見えるなんてそんな事、一度たりとも訊いたことがない。阿良々木暦。それはあなたが普通ではないことを、示唆している。下手な隠し事はしないことね」

 この子は本当に中学生なのだろうか……巴さんの大人びた雰囲気ともまた違うが、年齢以上の凄味が感じられる。威圧感がはんぱない! なんか幾戦もの死線を潜り抜けてきた歴戦の兵士みたいな感じ。

 巴さんに言ったみたいに、霊感があるなんて空惚けるのは、まずそうだ。ここは正直にこっちの素性を明かしてしまおう。
 別に後ろめたい理由もないし、敵対しているわけでもない。むしろ協力関係を築きたいのだから、ここはありのままを話すことにする。

「そう。僕は普通じゃない。言ってしまえば、『吸血鬼』みたいなもんだ」
「は? 馬鹿にしているの?」

 事あるごとに、銃で威嚇するのを止めて欲しい……。

「口で言って納得して貰えないなら……」

 まぁ普通はこんな世迷言を信じろって方が無理あるよな。
 まずは“視認”して貰ってからの方が説得力も増すってもんだろう。痛いのは嫌だけど。

「仕方ない」

 僕はそう言って、親指の腹を噛み切る。

 いや……噛み切ろうろうとしたんだけど、まさかの失敗! 歯が指の表面をなぞるだけに終った!
 なんだよ! 口寄せの術みたいな感じで、簡単に噛み切れるもんじゃないのかよ!
 忍者って凄いんだな!!

「何をやっているの?」

 冷ややかな声で問い掛けられる。いや、ほんとに何をやっているのだろう……恥ずかしい、恥ずかしすぎる! 

 指を噛み切るのは諦め――路地裏の壁に設置された、配水管の継ぎ目の金具で指先をなぞり、傷をつける。擦り傷程度のものだが、皮膚に赤い裂傷が入った。それを少女のよく見える位置まで持っていく。

「だから、何?」
「まぁ黙って見ててくれ」

 この程度の傷、僕の体質ならば――

「傷が……治っていく?」

 十秒もしない内に、さっきできたばかりの傷は消えていた。
 これが忍に血を与えた直後となれば、もっと治癒の精度は高まるんだけど、今の状態ではこんなものだ。

 それを見ての少女の反応は、

「変わった体質ね。でも、私が知る吸血鬼伝説には遠く及ばない」

 多少、関心は示したものの、大して驚いた様子もなく平然としている。
 まぁこの程度の特異性で吸血鬼を名乗るのはおこがましいってもんだ。寧ろ、吸血鬼らしくないってのは、僕にとっては良いことなのだろうし。

「そこは吸血鬼もどきってことだからさ。異常体質ってことさえわかってもらえれば、それでオッケーだ。僕は普通じゃないって。この体質になった詳しい経緯が訊きたいなら――」

「いえ、その必要はないわ。つまりまどかの後をつけた訳ではなく、キュゥべえの後を追っていたというわけね」
「そういうこと」

 理解が早くて助かる。
 一応は僕の異常体質の件――キュゥべえが見えているって事は認めてくれたようだ。
 

「でも最初は人を探しているといったわよね? あれは嘘?」

 刃物のような研ぎ澄まされた眼光で睨め付けられる。だから怖いって……。

「嘘じゃない嘘じゃない。だからそのキュゥべえにも関係があるんだけど、君と同じ学校に通っている巴さんって子を探してて――」

「巴――マミ?」

「お。そうそう。巴マミ! 巴さんを知っているのか? それにキュゥべえの事も知ってるようだし、君ももしかして――」

 待て。僕はここで我に返って言葉を噤む。
 やばい、『魔法少女』なんて単語、口にしたくない!
 いざ自分で口にするとなると、恥ずかしすぎるぞ! 変態だと思われる!
 いや、……もう既に変質者の烙印は押されているわけだから、今更かもしれないが……。

 そもそも、巴さんが魔法少女ってことをバラしてしまっていいのだろうか?

「もしかして、何?」

 けれど、彼女の有無を言わせぬ圧力を伴った追及に、口を開いてしまう無力な僕だった。

「――魔法少女なのかなって……?」

 尻すぼみ気味に窺いながら――彼女の言動や諸々の反応、それに不可解な突然の移動なんかも含め、魔法の力なのではと、そう推測してみたわけだ。

 何より、彼女自身が言ったのだ。『普通の人間にあいつの姿は見えない』と。

 しばらくの沈黙の後、少女は「そうよ」と短い返答で肯定を示した。

 よかった。彼女が魔法少女で本当によかった。そうでなければ、僕は中学生女子に対し魔法少女なんて夢見がちな幻想を口走る、頭のおかしな危険人物になっていたところだ。

 僕の特異体質を思いの外あっさり認めてくれたのは、彼女自身が魔法少女という特殊な存在だったからだろう。
 突飛な出来事に対しての順応力は、高いのかもしれない。


「巴マミとあなたはどういった関係なのかしら? 知り合いっていうにはそれほど面識があるわけではなさそうだけど」

「うん、まぁ昨日初めて会ったわけだし……」

 彼女が魔法少女であるなら、巴さんとのことを話してしまっても構わないだろう。
 面識もあるようだし、何より彼女が再三警告している通り、下手な隠し事は僕の命に関わる。


 昨日の出来事を掻い摘んで、それと今日見滝原までやってきた理由を包み隠さず説明する。ただ戦場ヶ原がキュゥべえに対して行った拷問に関しては、極力オブラートな表現を心がけておいた。
 キュゥべえとこの少女の関係が分からない以上、余計な火種を与えるような真似はしたくない。




「なるほどね。あなたがまどかをつけて声を掛けた理由は把握したわ。巴マミの変調の原因も」

「変調って……巴さん、何か様子がおかしかったのか?」

 マジかよ……やっぱり相当精神に堪えたんだろうな……謝罪だけで済めばいいが……。

「あなたが特に気にすることではないわ。寧ろ前以上に元気になったようだし、精神状態も今ではすこぶる良好よ。キュゥべえと仲違いさせる要因を作ってくれた、あなたのお友達にはお礼を言いたいぐらいね」
「元気にって、それはいったいどういうことだよ?」

 落ち込みはすれど、元気になるってわけが分からない。というか、キュゥべえと巴さんを仲違いさせて感謝されるってのも、それまた意味不明だ。

「怪我の功名とでもいうのかしらね。あなたが憂慮していることは既に解決済みなのだから、これ以上、余計な詮索はやめて大人しく帰りなさい。巴マミの心配はいらないわ」

 しかし、彼女としてはこれ以上の説明をする気はないようだ。彼女だけ理解を深め、僕はより謎が増えていくって……。

「いや待ってくれ。巴さんの事もそうだけど、できれば、魔法少女のことや、魔女のこと、キュゥべえのことなんかもいろいろ訊きたいんだよ」

 当初は巴さんから聞き出す予定だったが、こうして魔法少女である彼女と関わりをもてたのだ。この機を逃す手はないだろう。

「あなたには関係ないことね」

 だけど、僕の申し出は、あえなく却下される。しかし、簡単には引き下がれない!

「無関係ってわけではないだろ。僕の友達がキュゥべえに契約を迫られたのもあるし、詳細を知る権利ぐらいはあるはずだ!」

 学校を早退してまで、見滝原まで来たのだ。このまま何の成果をあげることなく帰るってのは癪だ。
 やり口が汚いようだが、

「まぁ君が教えてくれなくても他をあたるだけだけど。そうだな。君が話してくれないというのなら、さっきの鹿目さんって子に訊くことにする。あの子も魔法少女なんだろ?」

 なぜか、この鹿目って子に対して過剰な思い入れがあるようだし、それを出しにすれば、少しぐらい情報を提供してくれるかもしれない。まぁ言葉通り、その子に訊いてみるのもありだ。
 キュゥべえと一緒にいたってことは、彼女が魔法少女である可能性は高い。

 って一瞬の間に距離を詰められ、眉間に銃口を突き付けられた!
 零距離射程。彼女が引き金に力を込めれば、確実に僕の頭が吹っ飛ぶ。香水でカモフラージュしているよだが、微かに鉄のような、火薬っぽい臭いがする!
 イコールそれは――威嚇目的、護身用ってわけではなく、実戦で銃を使用してるって事に他ならない! 

 吸血鬼の名残として、視覚程ではないにしても、嗅覚もそれなりに向上していたりするのだ。
 吸血鬼がニンニクを苦手としている理由は、ただ単に、鼻が利きすぎて、臭いだけなんじゃないだろうか。

「死にたい?」

 横目で僕を睨み付けながら、物騒なことを囁く。
 彼女の逆鱗に触れたのか、完全に目が据わってる!

「いえ、滅相もございません」

「あの子を、余計なことに巻き込まないで。あと鹿目まどかは魔法少女じゃないわ。キュゥべえが勝手に付き纏っているだけ。そうね……これ以上変に周りを嗅ぎ回れるのも鬱陶しいし、訊きたいことがあれば、教えてあげる。それで満足なさい」

 何はともあれ、結果オーライってことだろうか……撃たれるかと思った……。
 心臓がバクバクいっている。

「ええっと、訊きたい事はいろいろあるんだけど、あぁその前に君の名前は?」

「……暁美」

 逡巡してから、嫌そうにではあるが、教えてくれた。でも――

「えっと、できれば苗字を」

 下の名前は呼び辛い。
 と、なにやら不快気に眉根を寄せる少女。気に障ることでも言ったか?

「それが苗字よ――――私のフルネームは暁美ほむら」

 あぁ、僕の勘違いに苛立ったのか。

「なら暁美さんは――」
「別に呼び捨てで構わないわ。あなたの方が年上でしょ?」

 一応、年上としての認識はあるのか。敬意はないにしても、礼儀はそれなりにあるようだ。いや、あるのか?

「まぁそう言ってくれるなら、僕としては有難いけど。なら、ほむらは――」
「誰が下の名前で呼べって言ったのよ」

「だって、暁美って下の名前みたいで呼び辛いだろ」
「だからって、ほんとに下の名前で呼ぶなんてそれこそ本末転倒でしょ」

「えー、気に入ったんだけどな。なんか、格好いいじゃん。ほむらって。燃え盛る炎って感じがしてさ。あ、女の子に対して格好いいってのはやっぱ失礼か……」

 漢字で書くと『焔』となって、火を宿した名前の妹達――火憐と月火と通じるとこもあるし、僕的に心地いい響きだったんだけど。無理強いはよくないか。

 そこで――異変と言うには大仰かもしれないが、今までの冷め切った少女の顔付きが一転していた。
 目を見張り、驚いているような…………様々な感情を内包させた、なんとも複雑な表情を浮かべている。

 怒らせちゃったか?

「――――好きにすればいいわ」

 しばらくの間、だんまりを決め込んだ後、投げやりな調子ではあるが認めてくれたようだ。
 彼女的には不本意なようだけど、折角了承を得れたのだし、これからは『ほむら』と呼ばせて貰うことにする。

 さて、いざ訊くとなると謎が多すぎるよな。ううむ。何から訊いたものか。
 整理も含めて、順序良く訊いて行くことにしよう。











~014~

 『魔法少女』や『魔女』に関しては、ほぼキュゥべえが言っていた内容と差異はないようだ。
 ただ教えてくれるのはありがたいことだけど、面倒事を早く片付けたいがためか、事務的にかつ最低限の説明しかしてくれないもんだから、有益な情報を得られているとは言い難い。

 ならば、僕の方から突っ込んだ質問をしていくしかない。

「魔女を狩るのが魔法少女の使命って言ってたけど、危険はないのか?」
「無論危険よ。怪我もするし、死と隣り合わせで、魔女に殺される魔法少女も少なくない。だからあなたのお友達にもよく言い聞かせておくことね」

「どうしてほむらは魔法少女になったんだ? って何か叶えたい願いがあったからか。で一体何を願ったんだ?」
「あなたにそれを教える義理はない」

 ううむ、少し不躾すぎたようだ。当然、何でも教えてくれるってわけはないか。

「キュゥべえっていったい何者なんだ? キュゥべえの役割って?」
「魔女を倒す役目を担う、少女を勧誘するのがあいつの使命で、魔法少女のサポートなんかもしているようね」

 う~ん……嘘は言っていないんだろうけど、何か適当にはぐらかされているような気がしてならない。


「そうそう、さっきから気になっていたんだけど、ほむらはキュゥべえと契約して魔法少女になったのに、どうもキュゥべえに対し冷たいというか、思わしくない感情をもっているように感じるんだけど……気のせいか?」

 あいつ呼ばわりだし、特にキュゥべえの事を説明する時はぞんざいと言うか、言葉に棘が込められている気がする。
 そう言えばさっき、キュゥべえと巴さんが仲違いしたことを、好ましい事のように言っていたよな。

 普通に考えるなら、魔法少女とキュゥべえは提携関係にあるのが道理ではないのだろうか?
 巴さんとキュゥべえは、戦場ヶ原の所為で友情に亀裂が入ったとはいえ、元々は友好的な関係だったのだし。

「そう訊こえたかしら?」
「ああ。正直なところ僕は、今一つキュゥべえの事が信用できないんだよな。もしかして、ほむらもそうなんじゃないのか?」

「へぇそう。キュゥべえの事が信用できない、ね。参考までに、なぜそういう認識になったのか教えてもらえる?」

 これまでの機械的な応答ではなく、感情の籠った声で、逆に質問を返される。

「いや、キュゥべえって、なんていうか、人間の価値観が通じないっていうかさ……魔女を倒す使命が優先されるとはいえ、魔法少女である女の子達を蔑ろにしているような感じがするんだよな。目的の為に手段を選ばないっていうか」

「意外と聡明なのね。驚いたわ」

 感心してそう言ってくれるほむらではあるが、戦場ヶ原のあの応対があったからこそ、キュゥべえの本質に気付けたわけで、別に僕が優れているわけではない。
 褒めるのならば、出遭った直後からキュゥべえを毛嫌いしていた、戦場ヶ原の直感の鋭さをだろう。


 どうやら、ほむらとしても、僕の考え方に不満はないようだ。と言うことは、やはり彼女もキュゥべえに対し、疑問を持っているってことになる。
 いや、疑問なんて不確かなものではなく、確証をもってキュゥべえを敵視しているように感じられる。

「そうね。あいつはどんな願いでも叶えるという餌をちらつかせて、少女に言い寄り、契約を取り結ぶ。契約すれば、最後。願いの代償として、一生を魔女と闘う事に捧げなければならなくなる。後戻りはできない、悪魔の契約よ。後悔したって取り返しのつくことではない。さっきも言った通り、あなたのお友達には警告することね。間違ってもキュゥべえと契約をさせてはいけない」

 僕の発言を好ましく思ったのか――ほむらの見解を交えさせた、彼女自身の言葉がやっと訊けた気がする。

「でも誰かが魔法少女として戦わなければ、いけないんだろ。魔女を放置することはできないんだし。って待てよ。そうだよ。契約すれば最後って、それじゃあ、ほむら、お前はどうなんだよ? 巴さんもだ! これからもずっと、魔女を狩る使命とやらに囚われなきゃいけないってのかっ!?」

「ええ。だから、生贄は必要なのよ」

 ほむらは感慨もなく、淡々とそんな事を言う。

 生贄って…………おい。
 ふざけるなよ……なんでそんな冷めた目をしてるんだよ。
 なんで、そこまで達観できるんだよ!

「そんなの、あんまりだろ……」

 叫びたくなる衝動を抑え、押し殺した声で、僕は呟く。

「別に魔法少女になることが、デメリットだけという訳ではないわ。リスクはあれど、前提としてなんでも願いを叶えれるのだし、確かに願いは遂げられた。それに魔法少女であるってだけで、大抵のことなら魔法の力で補える。危険が伴うとはいえ魔女を倒せばそれ相応の報酬が得られる訳だし、それを糧に、自ら望んで魔女を退治する子がほとんど。あなたが感傷する必要はない」

 懇切丁寧に魔法少女のメリットを語ってくれるが、でもそれは、後付けの理由――僕を説き伏せる為の方便のようでちっとも納得出来やしない。

「僕に出来ることはないか? なんだってするぞ」
「その心意気は称賛されるべきものなんでしょうけど、余計なお世話」

「少しぐらい頼ってくれよ」
「分からない人ね。あなたの助けは必要ない」

「何かしらのサポートぐらいなら――」
「阿良々木暦。あなたは言語を介することができないほど、能無しの人間なのかしら? はっきりいって邪魔だと、そう言っているの。それが理解できない?」

「それでも! 僕のこの体質なら、多少の怪我ならものともしないし……危険なのも承知の上だ!」
「これは魔法少女の問題。少し傷の治りがはやい程度の普通の人間に、いったい何が出来るっていうの? あなたには、踏み入る権利も、理由もない」

 憤慨一歩手前といった感じの、怒気を孕んだほむらの声音。
 完全に拒絶された。
 これ以上しつこく食い下がっても、ほむらの機嫌を損なわせるだけだろう。

 確かに彼女が言った通り、何の役にも立てないのだろうし、僕が介入する権利はないのかもしれない。

 だけど…………だけど!

「理由ならある。大ありだ!! 戦場に向かう女の子をのうのうと見送って、そ知らぬ顔して平常な日常を謳歌なんてできるかよ!! そんなの許容できる訳ないだろうが!! 知ってしまったからには、もう僕は引けない!!」

 頭に血が昇ってしまい思わず、啖呵を切っていた。
 これは発砲されかねない状況なのではと、戦慄したが、当のほむらは、僕に背を向け歩いていく。

「って、どこに行く気だよ、おい?」

 僕を置いて、勝手に歩みを進める少女の背に、声を掛ける。僕を度々脅威に晒した拳銃は、いつのまにやら消えていた。

 ほむらはその場で振り返ると――肩に掛かった髪を打ち払う。

「そこまで言うのなら、あなたのその思い違いを、その目で確かめ――いえ、その身をもって体験してもらう」

「それって……」

 挑発するように高圧的な視線を僕に向け、ほむらは言った。

「ええ。魔女の結界に案内してあげる。どんな恐ろしい目にあっても、知らないわよ。怪我なんて生易しいものでは済まない。最悪、命を落とす事もあり得る。それでもついて来る覚悟はある? 阿良々木暦?」




[27169] こよみハッチ~その1~(Patricia)
Name: ミドリ◆02e976c9 ID:2270504e
Date: 2016/10/26 21:30
~015~

 ほむらの脅しとも、最終警告とも言える誘い乗った僕は(諦めさせる腹積りだったようで、呆れた顔をされた)彼女に連れられ、魔女が姿を隠す為に創り出したという結界に侵入し――つい今し方、魔女との交戦を終えたところだ。

 とは言っても、戦ったのはほむらだけで、僕はただそれを傍観することしかできなかったのだけど。

 魔法少女に変身したほむらの装いは、巴さんの派手な服装に比べると、些か地味で、私立の制服だと言い張れば通じそうなぐらい飾り気のないものだった。
 黒、白、グレーの三色を基調としたダークなイメージカラー。
 さりとてクールな雰囲気のほむらには、これぐらいの色合いの方が似合っていると思う。

 壮絶な戦いを繰り広げた後だというのに、ほむらは涼しい顔で汗の一つも掻いていない。
 魔法少女の衣装にも、目立った汚れはなく、悠然としたその余裕の佇まいには、貫禄さえ覚える。


「なんだよ、なんだったんだよあれは……!?」

 僕は『魔女』と呼ばれる、その存在を目の当たりにして、そう思わずにはいられなかった。未だに僕の心は打ち震えている。
 それ程までに、魔女の姿はセンセーショナルなもので、脳裏に焼き付いて離れやしない。


「あんなにスカートをはためかせて生足を見せつけて……太ももが艶めかしいったらない! 目のやり場に困るじゃないか! だがそんなことで僕の視線を逸らすことはできないけどな! 不気味だったことは否めないが、それでも、制服姿。何においても制服姿! ビバ制服! それも古き良き日の、正統派、赤いスカーフの黒セーラー! 旧時代から継承される伝統ある一品を、まさか、こんなところで拝めるとは!」

 そして何より魔女の呼称が『委員長の魔女』ときたもんだ。
 なんてナイスなネーミングセンス! ほむらからその名を教えて貰った時は、いたく感銘を受け、この呼び名を付けた人物に称賛を送りたいと思った程に。
 ほんと、誰が考えたんだろうな、ほむらが勝手に付けたと言う訳でもあるまいし。


 ただ残念な事に、僕の中での委員長と言えば羽川を置いて他にはない。ベストオブ委員長の栄誉は彼女のモノだ。それだけは譲る訳にはいくまい。
 まぁ羽川に関して言えば、生足どころか生パンを見せつけてくれたのだし、相手が悪かったとしか言いようがないけれど。
 羽川翼という超次元的存在がいなければ、僕の心にもっと深く刻まれていたことだろうに、惜しいものだ。

 思い返せば――羽川と知り合う切っ掛けとなったのは、僕が彼女の純白のパンツを目撃したからなんだよなぁ。今でも克明に思い出すことができる。ふ、造作もないことだ。

 念のため……風が引き起こした天の悪戯であり、不可抗力、偶然の出来事であったのだとは、僕の名誉の為言及しておく。

 ほんとだよ。

 しかしなるほど、僕と羽川を取り結んでくれたのは、パンツのおかげ――そう言っても過言ではないのか。

 パンツ様様だ。

 おっといけないいけない。話が盛大にズレているが、つまりスカートが織りなす幻想的光景チラリズムが眼福だったってこと。

「ったく、ほんとに恐ろしいぜ。さすが『魔女』と呼ばれるだけのことはある。魔性な女と書いて魔女……か。その名に偽りなしだ。これはすぐに他の魔女を調べる必要があるな!」

「恐ろしいのは、あなたの思考よ。なんでより強い興味を抱いているのよ……」

 しまった。思考の一部が垂れ流され、余計なことまで口走ってしまったようだ。

「でもあんなエロティックな魔女を退治するなんて、勿体ない」
「は?」

 凄みを利かせ、ほむらが僕を睨む。
 むむ、これは失言だった……一般人が巻き込まれたら、死人が出るのだし、やむを得ないことか。

 結界に飲み込まれた人間の命はほぼ絶望的――とはほむらの弁。
 魔女の結界とは非常に危険なものなのだ。

 にしても、思っていたより結界内部が爽快な景色だったもんだから、今一つ結界に対しての危機感が不足しているんだよな。

 『委員長の魔女』が創り出した結界の中は、魔女の心象風景を具現した『固有結界』のようなものかどうかは定かではないが、完全なる別世界となっており――入る直前までは、夕暮れ間近、もう少しで日が落ちようかという時分だったはずなのに、中は真昼のような明るさで、晴天と呼ぶに相応しい青空が広がっていた。

 魔女を倒し、結界が消滅すると、もう辺りは真っ暗だ。

「もっとおどろおどろしい空間を想像していただけに、妙な肩透かしを食らった気分だったな。いい意味で僕の予想を裏切ってくれたと言えるけど」

 ただし危険というのは間違いないのだろう。
 なんせ地面と呼べる場所が存在していなかったのだから。

 眼下に見えるのは、分厚い雲の層のみでその先を見通すことは叶わない。
 辛うじて足場となるのは、雲海を突き抜け乱立した電信柱と、縦横無尽に伸びた電線だけといった有様だ。
 ほむらは器用にも電線の上を疾駆していたが、僕には到底真似できない芸当である。

 それと印象的だったのが、運動会などで見掛ける万国旗さながら、宙を横断する電線に、無数の白いセーラー服(夏服)が吊り下げられていたことだろう。
 見様によっては晴天のお日様のもと、大量の洗濯物を干しているようでもある。
 そういった観点で言えば『電線』ではなく『洗濯紐』か。
 何処からともなく吹く風に煽られ、大量のセーラー服がはためいている様は壮観だった。


「勘違いしているようだから忠告しておくわ。魔女の外見は多種多様で、抵抗感なく受け入れられる魔女なんて、ほんの僅か。結界についても同様で、今回のような雰囲気の結界は極めて稀。他の結界はもっと混沌とした、狂気に満ち溢れた異空間よ。妙な期待はしない事ね――――それと、これだけは言わせて貰う。『委員長の魔女』を抵抗なく受け入れるあなたの感性は正直、どうかしてる。というか絶対におかしい」

 ほむらの白眼視が突き刺さる。今まで用いられた無価値な存在を見る目とはまた違う、侮蔑と憐みが混在した何とも言えない冷たい視線。

 中学生女子が実に引いていた。ドン引きしていた。

 もしかしたら、恐ろしいモノを見たのは、ほむらの方だったのかもしれない。


 つーか、僕の人間性を否定しやがったな。ちゃんと不気味だとは提言しておいた筈なのに。

 けれども、ほむらの言い分も理解できない訳じゃない。
 改めて『委員長の魔女』の容姿を思い出してみれば、確かにその姿は面妖ではあった。

 冬服用の黒いセーラー服に身を包んだ、身の丈30メートルは越えようかという巨大な魔女で、首を含め頭部というものが存在せず、腕が4本に、スカートから覗く脚部も腕に挿げ替えられており、張り巡らされた電線いとを掴み、計6本の腕を駆使して這い回る様は蜘蛛を彷彿とさせ、ある種の妖怪染みた風体をしていた。

 妖怪女郎蜘蛛だ。

 まぁ蜘蛛の脚は8本だし、あの魔女の場合は全部が腕なんだけどね。
 考えなしに『生足』と表現していたが、『生腕』と言った方が正しかっただろうか。



「そうは言うが、委員長って肩書とセーラー服という衣装を身に纏えば、魔女とはいえ一人の少女だろ。僕のこの胸をときめかせる衝動だけは否定することはできない」

「阿良々木暦。お願いだからもう鹿目まどかに近寄らないで――」

 ほむらが真剣な面持ちで僕に懇願する。
 ありのままに僕の想いを語っただけなのに、酷い言われようだ。

「――というか近寄ったら殺す」

 訂正、僕を脅迫する。
 嘆かわしいことに、彼女の中で、僕という男は重度の変態という位置づけになったらしい。
 変質者として揺るぎない地位を確立してしまった。



「内容はアレとして……魔女と対峙したその後で、それだけの大言を吐けるってのは、見上げたものね」

 一応は僕の度胸を褒めてくれているようだ。

「まぁな、あれしきの事で怖気づく僕じゃない」
「いえ、皮肉よ。額面通りに言葉を受け取らないで」

 ほむらの態度が、幾分辛辣になったのは気のせいだろうか。
 いや、元から愛想も温かみもない、つけ放すような物言いしかしない奴ではあったが。


「で、阿良々木暦。電柱にしがみ付いている事しか出来なかったあなたに、一体何ができるっていうの? 魔女に――その配下である使い魔に対してだってさえ、対抗する術は持ち合わせていないでしょ?」

「………………」

 結界に入るに当たってあれだけの啖呵を切ったのに、いざ進入したら電信柱にしがみ付いて、落下しないように必死になっていた僕だ。

 その姿は傍から見れば、コアラのようだっただろう。
 無様な醜態を晒したのは、事実なのだし返す言葉もない。

 やはり気持ちだけでは、どうにもならないこともある。
 実力が伴わないのに大口を叩くな――なんて、いつも妹達の事を窘めていた僕だけど、どの口が言うんだって話だ。

 僕はあの場において、役に立たないどころか――寧ろ、邪魔しかしていない。

 スケート靴を履いた下半身だけの『使い魔』に轢き殺されそうになった時や、『委員長の魔女』がスカートの中から射出した、学習机や椅子の雨が僕めがけ飛んできた時には、ほむらが銃で撃ち落して対処してくれたのだ。

 自分の身すら守ることができない僕を助ける為に、余計な手間を取らせてしまった。
 年下の女の子に守られるなんて、不甲斐なくて惨めで泣きたくなってくる。

 それに…………魔女の討伐も危なげなく、いとも簡単に済ませていたし。
 洗練された無駄のない動きで飛来物を避け、正確無比な精密射撃で、使い魔を一掃。魔女に至っては、スカートの中に爆弾を投げ入れジ・エンド。

 僕が介入する隙など何処にもない。

 ほむらの無双っぷりには、驚嘆したものだ。

 そういえば、まだ触れていなかったけれど――ほむらの戦い方は魔法少女として如何なものなのだろうか?
 いや、助けて貰った分際で、別に不平不満を言おうって訳ではない。
 ただ少しばかし腑に落ちないというか、僕の常識の範疇を越えた戦いぶりだったものだから、心の内で突っ込みを入れたいってだけの、自己満足な行為だと思って頂ければ幸いだ。

 一般常識(どこを基準に一般と定義するか謎ではあるし、随分と偏った常識ではあるが)として、魔法少女が扱う武器が銃や爆弾って…………どこかの魔砲少女はまだ、魔法としての砲撃ではあったが、ほむらのは正真正銘の銃撃。魔法の要素など微塵もない。

 大きく分類すれば、『大魔法峠』に登場する『田中ぷにえ』側――魔法より肉体言語サブミッションを駆使して戦うような、魔法少女にあるまじき戦い方と言えよう。
 肉体言語にくたいげんごと言えば、ある意味において『プリキュア』もそうなんだろうけど、『プリキュア』は伝説の戦士なのだから、魔法少女のカテゴライズには含まれないか。

 果たして、この例えがどれほどの人に伝わっているか、甚だ疑問ではあるが、気にしない気にしない。

 まぁ左腕に装着した盾から、様々な種類の銃や爆弾を、手品のように取り出していたところは、魔法少女と呼べなくもないけれど。
 僕が思い描いていた魔法少女とは、何か違う。

 そのてん、巴さんのリボンを用いてキュゥべえを救出した姿は、実に魔法少女らしかったと言えよう。あれこそが、僕が思い描いていた魔法少女の姿だ。



「そう、よかったわ。自身の無力さを理解できたようね」

 僕が黙り込み言い返せないのを、ほむらはそう判断したようだ。

 確かに彼女の言う通り、僕の無力さは痛感した。思い知らされた。

 だとしても。そうだったとしても、このまま黙っていることは出来ない。

「……しいて言えば囮役ぐらいになら」
「まだ……諦めないの?」

 僕の言葉を訊いて途端、ほむらが不快気に顔を歪める。

「囮役? 笑わせないで。私があなたのお守をするのは今回が最初で最後。そもそも、これ以上あなたを魔女退治に同行させるつもりはない」

「そうはいくか! まだ見ぬ魔女が僕を待っているんだ! なに、そう易々死にやしないさ! 魔女の周りを逃げ回って、攪乱ぐらいしてみせる!」

「どこまで本気で言っているか判然としないのだけど」

「僕は本気だ」
「いえ、あなたの覚悟は本当なんでしょうけど……そういうことじゃなく――」

 急に声のトーンを変え、見透かしたようにほむらは言う。

「――幾ら虚勢を張っても、無益なだけよ」


「きょ、虚勢? それは何のことだ? お前が何を言ってるのか皆目見当がつかいないんだが」
「別に。あなたに心当たりがないというのなら、それはそれで構わない」

 とぼけてはみたが、スルーされてしまった…………見透かしたではなく、見抜かれているな……これは。

 ほむらの魔女退治に同行する為には、魔女に恐れをなしてなんていられない。そんな弱音を吐く姿なんて見せるわけにはいかない。
 僕は魔女なんか怖くないと、そういった意思表示――ほむらへのポーズが必要だったのだ。
 だけど、虚勢だと見破られてしまったのだから、もう道化に過ぎない。

 魔女への恐怖を紛らわせる為に、本心を偽ってまでセーラー服に欲情する変態を演じたのに、なんてことだ。
 いや、全部が全部出まかせってわけでもないのだけど。


「……はぁ」

 心底呆れたと、もううんざりだと僕に見せつけるように――大きなため息をつくほむら。


「阿良々木暦。あなた程、厚顔無恥で諦めの悪い人間そうはいないわ。私にとっては迷惑極まりないとはいえ、見ず知らずの魔法少女わたしたちの為に命を投げ出そうという、その崇高な精神には感服もする。何がそこまであなたを突き動かすのか見当もつかないけれど……」

 大人が子供を諭すような口調で、彼女は言葉を紡ぐ。

「だけど、それでもあなたのような足手まといのお守をしながら魔女と戦うことは、私にとって一つも利点がない。だから私の考えは最初と変わらない。これ以上私に――」


 言葉を区切り、強調するように――心から訴えかけるようにほむらは宣告した。


「魔法少女の戦いに関わるのはやめて」





[27169] おしのジャッジ~その1~(番外編:おしのジャッジ~その0~)
Name: ミドリ◆02e976c9 ID:2270504e
Date: 2013/08/17 08:55

~016~

 改めて絶縁状を叩き付けられてしまった。
 
 あの言葉を最後に、ほむらは僕の前から“姿を消した”。
 立ち去ったのではなく、文字通りに――元から其処に居なかったかのように、忽然とその姿が掻き消えたのだ。

 瞬き位はしていただろうが、別にほむらから視線を外していた訳ではない。
 とんだイリュージョンだ。


 いや、そうか――然もありなん。
 推察ではあるが、魔法の力を使ったのかもしれない。幻惑魔法なんて、如何にもありそうじゃないか。
 結界が消失した直後だったから、ほむらは魔法少女の姿のままだった訳だし――尚且つ、僕の諦めの悪さを見越した上で、反論する隙を与えたくなくて…………そう考えると、逃げられたみたいで、少し傷つくけど……。


 ただ銃火器で武装していた彼女に、そんな真似できるのかって疑問も残る。

 しかし、そんな事をうだうだ考えていても、現にほむらは僕の前から居なくなってしまったのだから仕方がない。


 時間も時間だ。これからほむらを探し出すというのも無理があるし、情けない話だが、このまま引き上げるしかないだろう……。





 ぎりぎり間に合った、最終便のバスに揺られ、帰路につく。
 経路の関係上、自宅近くにあるバス停までは路線が繋がっていないので、僕が下車したのは、駅前のバス停だ。
 まぁ乗り換えようにも、もうバスは出ていないんだけどね。田舎町なめんな。

 従って、其処からは、駐輪所に停めておいた自転車の出番。
 学校からそのまま乗り付けたので、愛車のマウンテンバイクではなく、通学用のママチャリ。

 自転車に跨り、ちゃんとライトを付けて、家路を辿る――



 ――のではなく、僕が向かったのは別の場所だ。


 引き上げはしたが、別に諦めた訳じゃない。
 厚顔無恥? 諦めが悪い? 大いに結構! そんな生半可な想いで同行を申し出た訳じゃないのだ。

 だからと言って、ほむらの言い分を無視しようって事でもない。
 多少の不死性を宿した吸血鬼もどき程度では、話にならない事は自覚している。


 その上で、ほむらの言葉を思い返す。

 ――あなたのような足手まといのお守をしながら魔女と戦うことは、私にとって一つも利点がない。だから私の考えは最初と変わらない。これ以上私に、魔法少女の戦いに関わるのはやめて――

 そう言われてしまったのだ。

 完全なる拒絶。
 そこまで強く言われてしまったら、彼女の考えを尊重する他ないだろう。

 そう、僕は“彼女の言葉を尊重し、受け入れた上で”諦めない。

 矛盾した考えではないのか?

 そう思った人もいるかもしれない。
 だけどどうだ。見方を変えてみれば、ひとつの活路が見いだせる。彼女の理屈を裏返してみればいい!


 僕が“足手まといでなければ”――
 僕が“一つでも利点を持っていれば”――

 僕がほむらにとって“利点のある、役立つ存在”であればいい、それだけの話だ!
 それで、彼女の言い分は、通らなくなる!


 屁理屈と言われようが、僕の考えは纏まった。
 ならば、その条件を満たす為に――恥ずかしい言い回しではあるが、力を得る為に、向かうべき場所は一つしかない。








~017~


「やぁ遅かったね阿良々木くん。待ちかねたよ」

 廃墟と化した学習塾の四階。
 腐食した机を並べ、ビニール紐で繋ぎあわせて作った簡易ベッドの上に腰掛け、僕を待ち構えていたのは、忍野だった。

 必要ないかもしれないが、一応紹介しておこう。

 忍野メメ。
 怪異の専門家、妖怪変化のオーソリティ、化物お化けのテクノクラート――そんな胡散臭いこと甚だしい肩書を自称する、薄汚いサイケデリックなアロハシャツを着た、三十路のおっさん。
 定住地を持たず、この平成のご時世に於いて、自身の脚を使って放浪する旅から旅への根無し草。
 だけど今は訳あって、この朽ち果てた廃ビルを寝床にしている。

 まぁその訳と言うのが、伝説の吸血鬼に襲われた僕のアフターケアを含めた事後処理(それと並行して怪異譚の蒐集もしているらしい)っていうのだから、あまり悪くもばかり言っていられないのだけど……兎も角、僕はこの男に助けられたのだ。

 本人の言葉に則って言えば、力を貸して貰った。
 実際問題、五百万円もの対価を払わなくてはいけない……全くもって払える見通しなんて立っていないけど。どうすんだよ、これ。


「二日続けてのお出ましとは、僕にそんなに会いたかったのかい?」
「ちげーよ! 気持ち悪い事いってんじゃねー!」

「はは。ちょっとした冗談だよ。元気いいね。何かいいことでもあったのかい?」

 相も変わらず、軽薄な調子で忍野は嘯く。
 神経を逆撫でする、毎度毎度の決まり文句には、取り合わない。


「で、どうしたんだい? 思いつめた顔して、何か用があるのかな?」

 自分では気づかなかったが、気が張っていたらしい。

「用と言えば用だけど、別にお前にってわけじゃない。用があるのは……忍にだ」

 そう言って――部屋の片隅で膝を抱え、体育座りした体勢のまま身動き一つしない、金髪金眼の女の子に視線を移す。

 吸血鬼の成れの果て――吸血鬼の搾りかす。
 小さな、本当に小柄な体躯をした子供の姿。それが伝説の吸血鬼と謳われていた彼女の――忍野忍の風貌だった。

 僕が来たってのに反応もなく、ただ一点を凝視し続けている。何処を見ているかは定かではない。

「へぇ忍ちゃんに」
「それでも、いろいろ世話になった忍野には、前もって話すのが礼儀だと思うから、少し話を訊いてくれ」

「ふーん。“昨日の今日”で、いったい何の話があるっていうんだい?」

 厭らしくも語調を変えて、忍野は言う。ほんとに見透かした奴だ。

「まぁ大よその検討はついているんだけどね。訊くだけのことは訊くよ」

 忍野は胸ポケットから煙草を取り出すと、火もつけずにただ口に咥える。
 煙草を吸うという名目で口にしているのではなく、単なる演出の一環みたいなものだ。このカッコつけめ。


 しかし、“訊くだけのことは訊く”……か。
 忍野にも事情があるにせよ、昨日は本当に訊くだけ訊いて、何の情報もくれなかったからな……。
 少し話し出す気勢が削がれる。

 なんて、愚痴をこぼしていても仕方がない。

「えーと、なんて言うか……まずは――ごめん」

 何はさておき、まずは謝罪した。
 言葉だけじゃなく、深々と頭を下げて。

「おいおい、どうしたんだい阿良々木くん?」

 僕の行動に、多少の戸惑いを示す忍野。

「いや……忍野。お前の見越した通りだ。今日さ、昨日話したことを調べに、見滝原まで行ってきた。お前に止められたにも関わらず……勝手な事をした。だから――そもそもお前にこうして話すのも筋違いなのかもしれないけど」

「ま、阿良々木くんだからね」

 含みのある納得の仕方。
 少しぐらいは軽口を叩かれると予想していただけに、意外ではある。

 とりあえず、僕が今日体験したこと――全部忍野に報告する。
 こいつにしては珍しいことに、ほぼ相槌を打つだけで、余計は口を挟んでくることもなく、黙って話を訊いてくれた。





「勝手な言い分だとは、重々承知しているけれど………………」

 いろいろと話したが、僕が言いたかったのは――次の一言を言うがための前ふりといっても過言ではない。
 かなり言い出し辛く――怒られる覚悟の上で罪を打ち明ける、子供のような心情で切り出す。

「忍の力を借りたい」

「そんなこと僕に言われても、挨拶に困るね。本人が傍に居るんだし、忍ちゃんに訊いてよ」

 しかし、当の忍野は我関せずの、素っ気ないこの返し。煙草を口から外し、そのまま金髪幼女を指し示す。
 それなりに精神をすり減らして、言葉を絞り出したというのに……この野郎。

「だから、礼儀として前もって話したって言ったろ。忍の力を借りようっていうんだ。事前に話を通すのが筋だし、お前は忍を名前で縛った、責任者みたいなもんだろうが!?」

「ほんと、元気いいね。まぁ気に掛けてくれる事は有り難いけど、責任者とは違うな。僕に責任の所在を求められても――ね」

 うう……確かに僕の言い方では、何か問題が生じたら、忍野に責任を負わせてしまうような物言いだったかもしれない。言葉の綾で思わず言ってしまったとはいえ、無責任な発言だった。

 忍の事に関して責任を担うのは、この僕なのだ。

 って、そうじゃない!

「忍野。お前が反対してた案件に、忍まで引き込んで介入しようって言ってるんだぞ? そんな適当な態度でいいのかよ? 『猫』の時はお前に結構強く言わただろ……専門家プロの領分だとか、素人が出る幕じゃないとか!」

 本来なら、難色する忍野を説得するのに苦心するはずだったのに……僕は自分から何を言っているんだろう?

「はっはー、ちゃんと弁えてはいるようじゃないか。でも色々勘違いしているよ、阿良々木くん。まず、僕は反対なんてした覚えはない」

「は? 馬鹿言え。現に昨日、説明を拒否したじゃないか」

「別に反対したわけじゃないよ。関わらない方がいいって言ったんだ」 
「んなもん、一緒だろ」

「一緒かねぇ。まぁ反対よりなのは確かだけど、“専門家の立場”として、助言する事は僕には出来ないからね」

 忍野の言っている言葉の真意を測りかね、僕は首を傾げる事しか出来ない。

「だから――僕もこの件に関して言えば、素人と言って差し支えないってことだよ。そりゃあ多少なり、知識はあるけどね。でも、それだけだ。手広くやらして貰ってる僕とは言えど、管轄外の分野と言える。故に僕の蒐集対象でもない」
「怪異じゃないのか?」

「んー。怪異と言っても問題はない。だけど“性質”がまるで違う」
「性質が違うって……どういう事だよ?」

「さあね。それ以上の事を教えるつもりはないよ」

 くそ。首尾一貫して、このスタンスは変えないつもりか。いつもなら、訊いてもないことまで、ペラペラ喋り出すクセに。頑なな奴だ。

「ともあれ、もう君は深入りしてしまった。それも、阿良々木くんの性格から考えて、引く気はない。そんな君に、僕が言葉を尽くしてみたところで意味はあるのかな?」

 目を細め、値踏みするかのように僕の顔を窺う忍野。
 睨まれている訳でもないのに、その視線に萎縮してしまう。そんな力があった。

「だろ? 忍ちゃんを、委員長ちゃんを、自らの命を賭してまで助けようとした、優しい……本当に優しい阿良々木くん。君は困っている人がいれば、誰でも彼でも助けずにはいられないお人好しだからね。お人好しで、いい人だよ……ったく、甘ったるくて、胸がむかつくねえ」

「……そりゃ……そうなんだけど」

 言うまでもなく一連の言葉は、僕への忠告であり、叱責だ。

 厳しい言葉のようだけど――“専門家の立場”としてではなく“大人の立場”として、忍野は僕の無謀な行いを止めようとしてくれているのだ。
 それは身に染みて解っている。感謝しなくちゃいけない。

 でも、忍野の見越した通り、僕の気持ちは変わらない。





「で、忍ちゃんの力を借りたいって、一体全体どうするつもりなんだい?」

「どうするも何も…………僕が出来ることなんて……」

 忍野の言葉を背に受けながら、忍の前に移動した。

 徐に床に跪き――左膝、右膝の順で両足を折りたたむ僕。
 瓦礫が散らばっている為、脚に破片が食い込んで、地味に痛いけれど――そんなこと気になどしていられない。

 そのまま折りたたんだ脚の上に腰を下ろし、所謂、正座と呼ばれる姿勢で金髪幼女と対面する。

 しっかりと忍の金色の目を覗き込んでから、両手の平を前方の床に着け、同時に頭も――厳密に言えば、額を埃まみれの地面に叩きつけた。

 早乙女流奥義――猛虎落地勢もうこらくちせい

 至極端的に言ってしまえば、土下座である。

 ゴールデンウィークの焼き直しだ。

 性懲りもなく、馬鹿の一つ覚えとしか言いようがないけれど…………誠心誠意、頭を下げて頼み込むことしか僕には出来ない。


 確か、ゴールデンウィークの折に行った土下座は、足掛け5日間。飲まず食わず一心不乱に土下座し続けたけど――――今回は果たして何日続くことになるだろうか…………忍の心情を鑑みれば、僕の浅ましく恥知らずな行動に呆れ果てて、永遠に成果を上げることはないかもしれない。



 だが、僕のこの行為は、何の効果も果たさなかったと言える、だって――


「それには及ばん」

 僕が土下座を開始したその直後に、頭上から訊き馴染みのない声が耳と届いたから……。
 訊き馴染みはない、けれど……どこか“訊き覚えはある”甲高い可愛らしい女の子の声。

 僕が知っている“彼女”の声は、もう少し凛とした、婀娜あだっぽい雅な声音だったけれど――訊き間違える筈もない!


 下げた頭を、すぐさま起こし、目前の幼女を仰ぎ見る。

 僕は唖然として、大口を空けたまま硬直してしまう。


 音もなく、いつの間にかその場で立ち上がって、不遜な態度で僕を見下ろす、見た目8歳程度の女の子。

 沈黙の化身となって、ずっと黙り込んでいた伝説の元吸血鬼が――――


「何とも間抜けな面をしておるの――――我があるじ様よ」


 ――――忍野忍が口を開いたのだった。






【番外編:おしのジャッジ~その0~】


「忍ちゃん。折り入って相談がある。
 相談とはいっても君は全然喋ってくれないから一方的なお願いを、僕が勝手に一人で、のべつ幕無しに――独り言のように語るしかないんだけどね。

 まぁいつものように寝ながらでも、訊いてくれ。心の片隅にでも置いてくれればいい。
 無理強いもしないし、君の気が向いたらで構わない。

 寧ろ、君がこの相談を聞き入れない方が阿良々木くんとってはいいのかもしれない。


 さて本題だ。要件の方は薄々感付いているだろうけど――昨日、阿良々木くんが僕に話した話の内容は訊いていたかな? ちゃんと聞き耳を立てていたかな? 

 ううん、返事はないにしても相槌ぐらい打ってくれてもいいだろうに、つれないね。話し辛いったらない。

 はっはー、どの口が、って心の内で突っ込みをいれてくれたかい? それなら重畳なんだけどね。

 さておき、君が阿良々木くん――半身とも呼べる彼が来て、無関心でいられる筈がないって、そう当たりを付けさせてもらった上で、昨日の話の内容は完璧に把握していると見定めた上での相談だ。


 多分、いや、十中八九、阿良々木くんは面倒事に自ら巻き込まれにいくことだろう。
 君の方が阿良々木くんの、あのどうしようもない、お人好しな性格を解っていると思うから、なぜ僕の忠告を無視して、なんてそんな疑問を抱くことはないだろ?

 それでだ、近いうちに――いや阿良々木くんのことだから、今日の夜辺りにでも、僕たちの前に姿を現すかもしれない。あれで、自身の無力を弁えている人間だ。

 それでも目の前で困っている人が居たら、助けずにはいられない人間だからね。
 自分の命を判断基準の埒外に置いて斟酌してしまう。

 君なら僕の言っている言葉の意味が、誰より理解出来るはずだ。まぁその点に置いては、委員長ちゃんもきっと同じくらいそうなんだろうけどね。


 僕は阿良々木くんに助力することはない。これは昨日と一緒だ。僕のスタンスは変わらない。
 それはきっと阿良々木くんも承知の上だろう。だからきっと君に助けを求める、そう思うんだ。

 うーん、憶測のもと話しているから、宙にういた感じというか、どうも話があやふやになってしまって――なんだかね。

 まったくの見当外れだったのなら、それはそれでいいんだ。その方がいい。
 阿良々木くんが平穏無事に、学生生活を謳歌していてくれるなら、それほど喜ばしいことない。

 でも彼、名前からして波瀾万丈の星のもとに生まれたって感じだし、平穏無事な人生ってのは縁遠い話かもしれないねぇ――君という型破りの存在と出会ったって時点で、片足は踏み外している訳だし。
 楽観的な予測は、危険だ。慎重に、慎重を重ねすぎてもいいくらい。

 石橋を叩いた上で、人が渡るのを見て安全を確かめるみたいな、それぐらいの周到さは必要だ。


 で――だ。

 はっきり言って、この案件は拙い。阿良々木くん如きが立ち入ってどうこうなる話じゃない。

 魔女と魔法少女。それと――――孵卵器インキュベーター。阿良々木くんはキュゥべえとか呼んでいたかな。

 忍ちゃんがどれ程の知識を有しているかは解らないけど、小耳に挟んだことぐらいあるんじゃないのかな? 伊達に伝説と謳われるまで、生きてきたわけじゃないだろ?

 まぁ軽く説明しとくと、なんて言うのかな、扱いが非常に難しい、根幹から腐りきったどうしようもない問題でね。
 有史以来からの、腐敗した取り決めだ。

 爛れきった関係。
 暗黙の了解の不可侵条約。
 予定調和の悲劇譚。

 日本神話で有名な八岐大蛇ヤマタノオロチの話と通じた所があるんだけど、忍ちゃんは知っているかな?
 物語そのものの結末は全く関係ないんだけど、荒振る神を鎮めるために、生け贄を差し出すってところが、特にね。

 人身御供――巫女いけにえ、を捧げることで、大多数の人間の安泰を得る、そんな話。日本だけじゃなく、世界的にも似たような悪習はあるから、忍ちゃんだって想像に難くないだろ。

 つまりだ。世界の取り決めとして、それは根付いてしまったんだ。人類の進歩の為に、世界の安寧の為に…………善良なうら若き少女達を、見捨ててね。

 根幹から腐りきっているのに、それは根強いって、どうにもおかしな話だよ。

 だから、どうしたって――阿良々木くんなんかが出張ったところで、根絶できる類の問題じゃない。

 解決するのは、不可能だと言ってもいい。僕の先輩がそう結論付けている事だから、これは本当に絶望的だ。

 阿良々木くんが出しゃばっても、のたれ死ぬのが関の山だ。




 けれど。

 忍ちゃんが居れば、君が阿良々木くんに力を貸せば、少なくとも彼の生存率は跳ね上がる。なんたって不死性を帯びた吸血鬼だからね。

 君も、本心的には阿良々木くんを死なせるのは勘弁だろう?
 どうにかして阿良々木くんの助けになりたいと思っているだろう?

 それはゴールデンウィークの時で確信した。まさか君自ら出張ってくるなんて、正直、想定の範囲外だったからね。

 そんな君のことだ。彼の期待に応えたいって思っている。そうだろ? 

 僕個人としては伝説の吸血鬼である君が介入すれば、どう転ぶかはわからない、それは博打としては面白い、なんて風にも思ってしまう。

 はっはーこれは不謹慎だったね。


 ん? そこまで言うのなら、お前が動けって、そう思ったかな? 

 でも、それは出来ない。

 “バランス”は取れている。
 “アンバランス”ながら、間違っているとはいえ均衡が保たれてしまっている。それを僕が壊すことはできない。ほんと無責任な話だ。汚い大人だよ、まったく。


 ともかく、忍ちゃん。君は阿良々木くんを見捨てることが出来ない、そう勝手に判断させて貰う。


 でも君の懸念材料の一つとして、僕の存在が目障りなんじゃないのかな? 僕の存在が、君に制限をかけているかもしれない。
 君を名前で縛った僕が、阿良々木くんの為とはいえ、好き勝手暴れるのをよしとする筈がないって、そんな風に思っているかもしれない。

 うん、それは間違いない。

 僕は調停者バランサーとして、君の膨大な力を忌避している。恐れている。
 君がその気になれば世界を滅亡に導くのも造作もないことだからね。十日もあれば世界を滅亡させることができる。地球丸ごと消滅させることだって不可能じゃないはずだ。


 それでも――今回の件については、陰ながら全面的にサポートしよう。
 阿良々木くんの為に、力を貸すというのなら、僕はそれを止めたりはしない。ここに誓う。

 あくまでも陰ながら、だから他言無用でお願いするよ――って、今の忍ちゃんに言っても無益なことだったかな、これは。
 無口なお姫様にも困ったものだ。


 はっはー、胡散臭いって顔しているね。いや、別に君の顔は全くもって無表情のままだ。少し不愉快そうではあるけれどね、それはいつものことか、勝手にそう思っただけだ、気にしないでくれ。


 僕が本来こういうことを口にするのは、協定違反みたいなものなんだけど――調停者バランサーとして逸脱した行為なのは承知した上で、改めてお願いするよ。



 阿良々木くんに、僕の友達に手を貸してやってくれ」





[27169] しのぶリミット~その1~
Name: ミドリ◆02e976c9 ID:2270504e
Date: 2016/10/26 21:31
~018~

「え? 忍?」
「これはこれは」

 僕は呆気にとられ、背後から忍野も意外そうに声をあげる。

「……喋った。忍が……喋った」

 僕の驚きの度合いを表現するならば、クララが立ったぐらいの衝撃的な出来事。計らずも似たような言い回しになってしまった。


「小僧」

 忍が視線をずらして、僕の後方――机に腰掛けた忍野を呼び捨てる。
 こんな幼気な女の子の姿であっても、実質よわい500年もの年月を積み重ねた吸血鬼。彼女にしてみれば、忍野だって小僧の範疇なのだ。

「ん?」
「儂はあるじ様と、二人きりで語らう事がある。席を外せ」

「あ、そう? 別に僕のことなんて路傍の石ころのように無視して、二人で会話を楽しんでくれて構わないんだよ。なあに、茶々は入れないさ。観覧に徹することを約束するよ」

「二度言わすな。ね」

 忍野の軽口を、問答無用で一蹴する。やはり、何だかんだ言っても、この有無を言わせぬ物言いは、貫録があるよな。だけど、それを物ともしないのが、この軽佻浮薄な男なんだけれども。

「はっはー、元気いいね。何かいいことでもあったのかい? まぁあったんだろうね。そうだね。忍ちゃんを怒らせるのは怖いし、しばらくの間、退散するとしようか。それじゃあ、隣の部屋で寝てるから――ごゆっくり」

 それでも、一応は忍の言い分に応じるようで、忍野は部屋を出ていくのだった。奴にしては、やけに物わかりのいい対応だ。





 忍野が去った部屋で、僕と忍は向かい合う。当然二人きりだ。
 なんだろう……気まずいとも違うが、やはりこうして面と向かっていると、妙に緊張してしまう。

「しかし、お前が喋ってくれるなんてな」

 僕の所為で、こんな姿に貶められたってのいうのに…………。
 こうして口を開いてくれるなんて、予想だにしなかった。

「ふん、飽きたわい。儂は生粋のお喋りなのじゃ。お前様も知っておろう? それに、いつまでも拗ねていても仕方ないしの。儂は大人じゃからな」

 僕は忍にどれだけ恨まれたって仕方がないことをした。だから、どんな罵詈雑言で罵られようとも、僕はそれを甘んじて受け入れる覚悟があったのだけど――ただ当の忍は、あっけらかんとしたもので、どうも、僕に恨み言を吐こうって雰囲気でもない。

 未だ、忍の胸中が読めず、半信半疑といった心地だ。

「そこまで驚くことかの」
「そりゃ驚くよ…………」

 あの春休みの一件以来、終始不機嫌そうに僕を睨み付けることしかしなかった忍が、こうして声を訊かせてくれることだけでも、僕にとってみてば、青天の霹靂と言える。

「おかしいの、我があるじ様よ。確か、『猫』と遊んでやった折に、二言、三言、語りかけたはずじゃが。儂のあり難い金言を、訊いてなかったとぬかすのか?」

「ん? それって…………いや、だってあれは、僕の幻聴だったんじゃ?」

「容態が容態だけに意識が朦朧としておったかの、まぁよい、難儀なあるじ様じゃ」

 補足として、忍の言う“『猫』と遊んだ”というのは、この廃墟内に子猫を連れ込んで戯れたって話ではなく、『障り猫』――ブラック羽川との間に起こったごたごたのことを指す。
 その時分には、いろいろ迷惑をかけたものだ。



「えっと……忍。僕の事、怒ってないのか?」

 話を切り替え、単刀直入に訊いてみた。
 やはり、今後の事を鑑みれば、後腐れなく、腹を割って話しておきたい。

「なんじゃ、儂に怒っていて欲しいのか?」

「……そういう訳じゃないけど」

「まぁ腹に据えかねる事と言えば、そうじゃ。またはた迷惑で鬱陶しい土下座をするつもりじゃったろう!? 三日三晩、いや、確かあの時はもう少し長かったかの……やめいやめい、寝転ぶこともできんで、相当なストレスじゃった。お前様に罪悪感を植え付ける為のささやかな抗議として、根競べに付きあってやったが、あんなの、二度と御免じゃ」

 衝撃事実発覚! 残念極まりないとでもいうか。そう言えばずっと体育座りの姿勢のまま、身動きせずにいたなぁと思っていたけれど…………本人的には寝転んで惰眠を貪りたかったとでも言わんばかりだ。
 いやしかし、忍に言わせれば、そうだよな。僕の勝手な都合に付きあわせてしまったのだから……

 というか、僕が訊いたのは、そんな意味ではなく、もっと根源的な、僕たちの『有り方』について怒っていないのかと、問いかけたつもりだったのだけど、いいようにはぐらかされてしまった。
 ううむ……忍がそういう気持ちならば、僕もこれ以上無粋な事は訊くまい。

「むくれてもばかりおれんしの。儂の寛大な御心に感謝するがよい」

 栄耀栄華えいようえいがを極めていた頃の、あの至宝というべき双丘は何処へ、真っ平らな更地となった胸を張って、忍が尊大な態度で言う。
 でも、ほんと、忍の度量の深さには感謝しなくては。


「何より、常々魔女というものに興味があってな」
「知ってるのか?」

「いいや、大したことは知りはせん。じゃが、数百年にも及ぶ吸血鬼としての日々、風の噂で何度か、小耳に挟んだことぐらいはある。しかし、魔女やつらは結界とやらにこそこそ隠れおって、未だその姿を見たことはない――――故に一度ぐらい、食してみたいと思っての。余興としては、楽しめそうじゃ」

 にやりと口端を吊り上げ、牙を見せつけながら、悪辣な笑みを浮かべる忍。


「力を……貸してくれるのか?」

 僕は思わず、無思慮にそんなことを訊いていた。
 野暮と言えば、これほど野暮な発言もない。

「ふん、勘違いするでない。私利私欲を満たすため、じゃ。儂にとってみれば、ただのグルメ旅行とかわらんよ。力を貸すとは言っても、儂自ら率先して魔女を退治することはないということは、弁えておくがよい。あくまでも、それはあるじ様の問題じゃからな。頃合いを見計らっていいとこ取りさせて貰う」

 頑なに自分の欲を満たす為だと言い張る忍だけど、それが建前だってことは解る。彼女なりに譲歩してくれたんだ。

「それに、あの小僧の戯言を連日訊かされるのにも、いい加減あきあきじゃ。というかもう辛抱ならん」

 両手をわなわなさせて、忌々しそうに忍は悪態を吐く。

「あの軽薄極まりない小僧が、知りたくもない怪異話を、一方的にペラペラと喋ってくるのじゃぞ。それを黙って訊いているしかなかった地獄の日々、読経を読み聞かされるようなあの苦痛――お前様に儂の気持ちが解るかっ!?」
「………………」

 二人がどのように過ごしているのかは、まったく関知していないことだったが、そんな風に過ごしていたのか…………それには同情する。
 つうか忍野。忍にそんな嫌がらせをしてたのかよ……本人は毛頭そんなつもりはなく、ただの暇つぶしみたいなもんなんだろうけど。

 けれど、ひとつ見解の相違がある…………。
 忍の心情を知った今、少し気が引ける発言になるけれど――

「…………ええっと忍。お前自ら付いてきてくれるつもりなのか?」
「何を戯けた事を、当たり前じゃろうが」

「だよな…………でも、そんなの忍野が許さないだろ」

 僕の腹積りとしては、僕自身の吸血鬼化が出来れば、それだけで御の字だったのだ。
 まさか忍自ら付いてくるなんて申し出があるとは思いもしなかった。これは僕に対して口を開いてくれたこと以上に、予想外の展開と言える。

 ただ、僕が提言した通り、あの忍野が、忍の勝手な行動を許可しないだろう。
 なんとなく勝手な予想として、この廃墟と化した塾の外には――忍野が張った結界の外には出れないのではないかと思っているんだけど…………。
 いや、そんなこと忍野は一度たりとも口にしていないが……。

「それに関しては心配あるまい」
「そうなのか?」

 妙に確信あり気に忍は言うけど、忍野と何らかの取り決めがあるのだろうか?
 まぁ、忍自ら付いてきてくれるなんて、願ってもないことだし、この事に関しては、後で忍野に申請するとしよう。


「これで直々にミスタードーナツを食べにいくことも可能となったわけじゃ。さぁ我があるじ様よ。ぼさっとしとらんで、さっさと案内せい」

「さっさとって……今からミスタードーナツにか?」

 なんとも溌溂とした声音で、忍は言うけれど、

「…………もう閉店してるぞ」

「なにっ!?」
「そこまで驚くことじゃないだろ…………借りではあるし、僕の財政状況を鑑みて、ちゃんとご馳走してやるからさ」

「ならば、開店するまで、店の前で待つしかないのか、口惜しいかぎりじゃ」
「まてまて。誰がミスタードーナツの開店を夜通し並んで待つ奴がいるんだよ!」

 大手新作ゲームの販売日じゃあるまいし。

「つーか、学校があるし、午前中は無理だ」

 また午後からは早退するつもりだし、僕を更生させようと躍起になっている羽川から、そろそろ何らかのお達しがありそうで、戦々恐々としているのに、もうこれ以上遅刻なんてしていられない。

「空腹は最高の調味料ともいうし、待った方が感動も一入ひとしおのはずだ」
「…………しかたないの。別に空腹ではないんじゃがの」

 渋々ではあるが、納得してくれたようだ。
 そういえば忍は、人間のように空腹から食事をするのではなく、嗜好品として食事を堪能するのだっけか。
 僕の勝手な都合に付きあわせるのだから、好きなだけ食べさせてやりたいのは山々だけれど、満腹中枢の概念が存在しない奴に、そんなこと言えば、店の商品全部平らげてしまいかねない。

 そんな金払えるわけないし、直に食べたいってことはお持ち帰りではなく、その場で食べるのだから、店員さんや周りの客の視線もある。
 金髪金眼の外国人の幼女ってだけでも注目の的になるだろうし、そんなフードファーターよろしくびっくり人間な真似を見せるわけにもいくまい。


 とまぁ、こんな具合に。利害の一致と言う名目の上、僕と忍は、和解した。



 それから――――

 元々お喋り好きだった忍と、久しぶりに彼女と語らうのが楽しくて仕方がなかった僕は――業を煮やしてやってきた忍野(寝起きっぽい)に指摘されるまで、夜が明けかけていることに気付かない程、馬鹿話に没頭していたようだ。

 そんな僕等の姿を見て、忍野なりに呆れながらも祝福してくれた。
 それに、懸案事項であった、忍の同行に関して許可を求めてみると、存外あっさりと承諾されたのだった。
 けれど、無条件で忍の同行を許可しようって訳でもないらしく――

「少しばかし忍ちゃんに制約を課させてもらう。なぁに、そう大したことじゃないよ。一応は調停者バランサーとしての仕事もしとかないとね。今はこんな幼いなりとは言え、曲がりなりにも、見る影がなくなったとしても、伝説と謳われた吸血鬼の中の吸血鬼。阿良々木くんに同行するってことは、それだけで、いろいろ面倒事を誘発しかねない。制約というより、制限と言い換えた方が適しているのかもしれない。前に説明した筈だけど、今の忍ちゃんは阿良々木くん以外の血液は受け付けない――今回も、それと似通った処置をとらせて貰う。まぁ詳しいあれこれについてはプライバシーもあるし、忍ちゃん本人に話すよ。あと、それに伴って、いろいろ根回しなり、準備することがあるから――――そうだな…………2日程度時間を貰うよ」

 ――とのことだ。


 だから、忍に設けられた『制約』『制限』とやらは、僕は知らないし、2日間――5月10日から11日までは忍への処置とやらの関係で身動きが取れなくなってしまったけれど、晴れて(?)忍は廃墟から、僕の影へと移住する運びとなったのだった。





[27169] こよみハッチ~その2~(Charlotte)
Name: ミドリ◆02e976c9 ID:2270504e
Date: 2014/08/21 15:52
~019~

「おお! 奇遇だな」
「“これ”を…………奇遇ですって?」

 僕の気さくな挨拶に、苛立ちを感じさせる冷めた声音で応じたのは、艶やかな黒髪を腰まで伸ばした美少女。
 精緻な彫像めいた顔立ちと、無表情とが相俟って、どこか人形のように見える。

 “これ”というのは、繁華街の路地裏奥深く、陽光さえ微かにしか届かない、湿り気を放った場所での、偶然を装った出会いのことなのだろう。

「はぁ…………いい加減にして頂戴。関わらないで、と言ったはずなのだけど――まさか性懲りもなくまた現れるなんて、嫌がらせのつもり?」

 黒髪の美少女こと暁美ほむらは、ごく自然な動作で通学鞄から拳銃を抜き放つ。
 まぁ鞄の中に拳銃が在中しているぐらい、ほむらと相対するに当たっては、想定の範囲内と言える。
 こんなことで臆する僕じゃない。

「嫌がらせって、そんな訳ないじゃないか」

 それでも、やはり拳銃という殺傷能力に秀でた凶器を向けられるのは、精神衛生上よろしくない。
 若干腰が引けてしまうのも、致し方ないこと。

「こんな所まで“つけて”来たのだから、尤もな理由がない限り、正当防衛の名のもとに殺されたって文句は言えないわよ」

「……殺すって、何もそこまで警戒することないだろ」

 どう考えても過剰防衛のような気がするが……いや、待て。ほむらの言葉を鑑みて――ふと自分の置かれている……むしろ自分が作り出した状況を客観的に分析してみる。

 人気のない裏通りの奥深く。
 中学生女子をつけ回す、眼つきの悪い男。
 ここでほむらが悲鳴の一つでもあげれば、間違いなく変質者にされてしまう。
 今後の人生が、限りなく好ましくない方向へと転がっていくことが、容易に想像できる!

 なんと! 僕がやっていることはストーカー行為そのものだった!

「警戒するのはわかる! でも取り敢えず、そんな物騒なもんしまってくれ!!」
「それは、阿良々木暦。あなたの返答次第ね――――私はあなたの事を“ちゃんと撒いた筈”なのに、どうして私の居場所が解ったのかしら?」

 ううむ……どう説明したものか。
 まぁ隠し立てするようなことでもない、包み隠さず話すべきだろう。僕は率直に事実を伝える事にした。


「匂いを追ってきた」


 僕の答えを訊くや否や、ほむらは躊躇せず引き金を引いた! 引きやがった!!
 耳元を掠める銃弾。というか、髪の一部を持っていかれたようで、パラパラと僕の頭髪が宙を舞っている。
 まさか、本当に撃つなんて馬鹿かこいつ!? 正気の沙汰じゃない!
 心の片隅では、威嚇用の代物で、実際人に向けて撃つことはないだろうと、高を括っていたのに!

 銃について大した知識を持ち合わせていないので、よく解らないけど、消音機サプレッサーが装着されていたのか、発砲音自体はそれほど大きくなかった。
 
 とは言っても、僕の度肝は抜いたことには違いない。

「あなたは真正の変態のようね。ここで息の根を止めた方が、世のため人のためなんじゃない?」

 照準をずらし、僕の頭部に狙いを定めるほむら。
 

「まてまてまてまて! 誤解だ! 言葉が足らなかっただけだ! 『におい』とは言っても、体臭とかそういうのじゃなくて、そう、“血の匂い”だ!」

「血の……匂い? ああ、そういえばあなた、吸血鬼だったとかなんとか言っていたわね」

 僕の発言に、察し良く理解を示してくれたようで、もう今更ではあるが得物を収めてくれる。
 瞳は依然として、鋭く細められたままだけど…………。



 さて、前後してしまったが、この状況に至るまでの経緯を、簡単にだが語っておこう。

 今日は5月12日。金曜日。
 忍を連れ回すことで生じる周囲への影響を懸念して、忍野がいろいろ手回しをしていた都合で、2日間ほど身動きがとれなかったのだ。

 そんな訳で、本日も午後から早退した僕なのだけど――移動手段にバスを用いるのは止めることにした。
 自宅を経由して、通学用ママチャリからマウンテンバイクに乗り換え、そのまま見滝原へ。
 自転車での遠征には相応の体力を要するが、その問題点も、吸血鬼度の増した今の僕には苦にならず、バスの待ち時間なんかを踏まえれば、自転車の方が早く到着するぐらい。

 理由は言うまでもなく、バス代が馬鹿にならないので、経費削減のため。なにぶん親のお小遣いでやり繰りしている、バイトもしていない困窮者なもので、無駄遣いは出来ない。


 見滝原についた僕は、違法駐車になるのを承知の上で商店の軒先に自転車を停め、行動を開始した。
 向かったのは、前回と同じく見滝原中学校の正門前。

 そこで待ち伏せすること数10分。
 目的の人物であるほむらを発見し、そのまま動向を探るため、尾行を開始したのだけど…………なぜか路地を曲がったところで見失ってしまった。
 

 普通なら、そう易々と見失った人物を探り当てるなんて芸当出来る筈がない。だが、ここで困り果てた僕を見るに見かねたのか、忍が救いの手を差し伸べてくれたのだ。

 そこで彼女のとった対応策が、前述した――“血の匂い”を辿るというもの。
 魔法少女であるほむらの血の構造は、かなり特異なものであるらしく、容易にその臭いを辿ることができるらしい。
 故に忍探知機を駆使して、ほむらを再発見することは容易だった…………ただ僕の尾行はバレバレだったようで、路地裏の奥深くに入ったほむらをつけていくと、お冠のほむらが待ち構えていたって訳だ。
 撒いても撒いても付いてくる僕の尾行に、嫌気がさしたのだろう。

 かくして、現在に至る――――


「そう、吸血鬼だ!」

 僕はほむらの言葉に応じるかたちで力強く宣言する。

「そして今の僕なら――」

 反動を付け、その場でジャンプ。
 軽く地を蹴っただけで、冗談のような高さまで跳躍した僕は――空中で壁を蹴り、前方にヨーヨーのように回転しながら着地した。
 一瞬にしてほむら頭上を飛び越え、背後をとった形だ。

 身体能力の向上具合は、春休みに遠く及ばないまでも、人間の力は遥かに凌駕している。
 少々忍に血を飲ませすぎたきらいはあるが、力を認めて貰うという名目だしこの際、目を瞑ろう。

「――この程度、造作もないことなんだぜ! どうだ、ほむら! これでもまだ僕の事を足手纏いだと言えるのか!?」

 借り物の力で得意気になるのはどうかと思うが、此処は大目に見て頂きたい。


 ただ……僕のこのパフォーマンスは、彼女の琴線に触れるモノではなかったようで、

「下らない。少し身軽になったところで――」

 僕に背を向けたまま、振り向きもせず口を開く。

 その言葉の途中で、彼女の身体が光に包まれ、瞬時に魔法少女の姿へ――そこまでは確かに目視した…………筈なのだけど。

 いつの間にやら僕の背後に陣取ったほむらは――意趣返しとでも言わんばかりに、僕の背に拳銃を突き付けながら宣告する。

「――私にとっては、足手纏い同然ね」

 なんとも手厳しいお言葉だ。
 一度下された評価は、そう易々と覆らないってことか…………さて、ほむらを説得するにはどうしたものか? 今の僕のセールスポイントと言えば、身体能力の向上なんてものではなく、やはり吸血鬼の不死性だろう。
 それを証明するには…………拳銃で僕のことを撃って貰えれば、手っ取り早く実証できるかもしれないが、あまりにも恐ろしいM過ぎる考えだ。

 他に何か、ほむらに認めて貰えるような、いい案はないだろうか?


 なんて、そんな事を思案していると――不意にほむらが、焦燥に駆られた声で呟きを漏らす。

 普通なら聞き取れない蚊の鳴くような小さな声ではあったが、吸血鬼モードの聴覚は、はっきりとその声を捉えていた。

『この魔力の波動は…………まさか!?』

 その言葉と同時に――背後からほむらの気配が消失した。






~020~

「忍、頼めるか?」

 僕はすかさず、自分の影に語りかける。
 正確には、影に身を潜めた忍に対してだけど。

『ドラえもんのように安易に頼られるのは、癪じゃが……他でもないあるじ様の頼み、無下にもできまい――』

 詳細に説明せずとも、僕の言わんとする事を汲み取ってくれたようで、

「――ふむ、此処から凡そ北北西、距離は然程離れてはおらんようじゃの」

 上半身を影から出して、ほむらが居るであろう方向を指さしながら教えてくれた。

 気取って方角を口にしているが、出鱈目である可能性が高い。まぁ方向自体はあっているのだろうけど。

 だんだんと解ってきたことではあるが、ほむらの能力は『ステルス迷彩』的な能力ではなく、瞬時に僕の背後を取ったことも併せて考えてみると『瞬間移動』のような力なのだろう。
 一瞬にして、離れた場所に移動していることが、それを裏付ける。

 “消えた”のではなく“移動した”。

 便利な能力もあるものだ――なんて感心している暇はない。

 直ぐに追跡を開始。
 僕は、吸血鬼となって増強された脚力を惜しげもなく使って、最短ルートで疾駆する。
 建物が立ち塞がっていようが、お構いなしに飛び越え、屋上や屋根を伝い一直線――そして、血の匂いを頼りにたどり着いたのは、とても大きな病院だった。

 何階建てだよ、おい……軽く見上げた程度じゃ頂上が見えやしない。都市開発が進んでいる見滝原の中でも一際大きな建造物だ。

 その病院に隣接された自転車置き場でほむらの姿を発見した。
 いや、ほむらともう一人、見滝原中学の制服を着た女の子の姿がある――――あれは確か……そう鹿目まどかって子だ。

 ちなみに今僕は、自転車置き場のトタン屋根の上に陣取っている。

 何やら神妙な様子で話しているようなので、割り込むことはせず、その場で訊き耳を立てて二人の会話を傾聴する。
 さっきまでいた繁華街の路地裏から、然程離れていないこともあり、タイムラグは微々たるもの――彼女達も今し方言葉を交わし始めた所のようだ。



「またあなたは…………何度忠告すれば理解してくれるのかしら?」
「…………ごめんなさい」

 何やら厳しい口調で、鹿目さんを責め立てている。
 果たして二人の関係はどういったものなのだろうか? 鹿目さんを過剰なまでに保護しようとしていることから、かなり親密な間柄、仲のいい友達だとばかり思っていたのに……なんかそういうのでもないような……?

「こんな危険だと解りきった場所でうろうろして、どういうつもり?」

「ほむらちゃん、違うの…………そこの壁に孵化しかかったグリーフシードがあって…………それをさやかちゃんと……あとキュゥべえと一緒に見つけて…………」
「ええ。まだ微かに魔力の痕跡が残っているようね」

「それでね……そのまま放置することも出来ないから……携帯でマミさんを呼ぼうとしたんだけど、此処からじゃ電波が繋がらなくて…………わたしが電波の繋がる場所を探して少し離れている間に、見張っていたさやかちゃんとキュゥべえが結界に飲み込まれちゃって……」

 たどたどしくではあるが、精一杯状況を説明する鹿目さん。

「なら、結界の中に美樹さやかは取り込まれているというの?」

「あ、でも、マミさんにはちゃんと連絡がついて、さっきさやかちゃんを助けに結界に入っていったから……心配はないと…………思う」
「……そう。あなたは付いて行かなかったのね。賢明な判断だけど、今までのあなたの行動からしてみれば、少し意外ね」

「……うん、本当は付いていこうとしたんだけど……マミさんが、もう危ないから魔法少女体験ツアーはお終いだって…………『危ない事に巻き込んでごめんなさい』って謝られちゃって…………でも、わたし、マミさんと一緒にいるって約束したのに……いいのかな」

「鹿目まどか。あなたが気に病む必要はどこにもない。あなたのその優しさだけで、彼女は救われているのよ。あなたの想いは絶対に伝わっている…………そう、絶対に」

 感情を伴わせないぞんざいな口調ながら――鹿目さんを労わる、慈しみを感じさせるほむらの言葉。 ただその声音が、憂いを帯びた物悲しい声に聴こえたのはどうしてなのだろう……。

「そう……なのかな……」
「ええ。だから自分を卑下しないで。自信を持ちなさい」

 最初は、辛辣な態度にどうなることかと思っていたが、やはりほむらが鹿目さんに抱く根底の感情は、思い遣りで溢れているのだと解った。

 きっと、ほむらの想いも、鹿目さんに伝わったはずだ。


 その証拠に――

「ありがとう、ほむらちゃん」

 ほむらの手を取り、目尻に涙を浮かべ微笑む鹿目さんの表情が、それを雄弁に物語っている。
 春の日差しのような、心がじんわりと温かくなる笑顔を前に、心を氷で覆った少女が、素の表情を見せていた。春の日差しに当てられては、氷だって溶けてしまうだろう。

 頬を微かに赤らめて照れるほむらが、年相応の少女のようで可愛らしい。この子、こんな愛嬌のある表情もできるんだな。

 ただ残念なことに、すぐにいつもの厳しい顔つきに戻ってしまったけれど。


 そんな心温まる情景を盗み見ている今の自分のあり方に、疑問を覚えないでもないが、スピードワゴンよろしく、クールに去ることはできない。
 僕にも、後には引けない事情があるのだ。ただのお節介だと言われれば、それまでではあるが……。


 どうやら、既に結界の中には、巴さんが潜入しているようだけど――あの冷静沈着を旨とするほむらが、焦って駆け付けた程の結界。

「念のため私も、向かうことにするわ」

 案の上、巴さんに一任するということはなく、ほむらも結界の中に進入するようだ。

 念のためと言っているが、僕の直感では、鹿目さんを心配させない為の方便のように感じた。
 いや、十中八九そうだろう。

 確か魔女を狩ると見返りがあって、それを求めて魔法少女同士で競争みたいなモノがあると、ほむらは語っていた。
 だとしたら、巴さんより早く魔女を狩ろうとするか、此処は巴さんの縄張りとして、この場を任せて退散するってのが、ほむらの取りそうな選択じゃないだろうか?

 だというのに、見返りもないであろう場所に、わざわざ足を運ぶというのだ。
 それが意味することは…………あまり楽観的予測はできそうにない。


「ほむらちゃん、頑張ってね」

 鹿目さんの声援を背に受け、ほむらが右手を掲げると、中指にはめられた指輪(訊いた話によると、ソウルジェムと呼ばれる宝石の、別形態らしい)が光り輝き、駐輪場が併設された病院の外壁に、淡い魔法陣のようなものが浮かび上がる。
 『委員長の魔女』の結界に入る際、同様のものを見た。

 これが魔女の結界への入り口だ。

 止むを得まい。
 まだほむらから承諾は得れていないが、この機に乗じるとしよう。

 吸血鬼度増し増しの脚力を活かして、跳躍する。
 何やらトタン屋根を蹴破ったような、不穏な音が聴こえたが、気にしない。

 刹那にほむら達の傍に天空より降り立った(大げさ)僕は、すかさず言った。

「おい、ほむら。僕も同行させて貰うぜ」
「…………また」

 ほむらが唾棄すべき人物を見る目で、僕を睨むと同時に、その場に居た、もう一人の少女が喚声あげる。

「わっ! ――あっ、この前の」

 僕の唐突な登場に驚いた後、まじまじと僕の顔を覗き込む。どうやら僕の事を覚えていたらしい。
 そう言えば、彼女――鹿目まどかさんの中での僕は、勘違いとはいえ、浮ついた軟派男になっていた筈だけど…………。

「一緒に結界の中に入るんですか?」
「嗚呼、ほむらを一人になんてできないからな」

 鹿目さんの問いかけに、体よく答える僕。
 うやむやの内に同行を既成事実としてでっち上げてみた。

 と、なぜか僕とほむらを意味ありげに観察する鹿目さん。
 そして、何やら妙な考えに行き着いたようで――

「うわぁ……彼女の窮地に颯爽と現れる王子様みたい。そっかぁ……そうだよね。ほむらちゃん、こんなにも綺麗だもんね!」
「何を言っているの?」

 鹿目さんの不可思議な発言に、戸惑いを示すほむら。

「いいんだよ、ちゃんと解ってるから。呼び捨てにされる間柄なんて、羨ましいな」
「いえ、多分、何も解っちゃいないわ!」

「幾らわたしがそういう事に疎いからって、それぐらい解るよ。男の人と付き合ってたりもするよね。ほむらちゃんは知らないかもしれないけど、学校でも男の子達から噂の的なんだよ。モテモテなんだよ!」
「ち、違う! 何を勘違いしているの! まどか!!」

 おぉ。ここまで狼狽えるほむらも珍しい。面白いほど取り乱している。カメラがあれば記念に一枚収めておきたいぐらい。

 もしかしたら僕は、大変貴重な瞬間に立ち会っているのかもしれない。

「別に隠さなくたってもいいのに。でも、そうだよね、ほむらちゃんはあまりこういう事、おおやけにしたくないんだよね。恥ずかしがっちゃって、ほむらちゃんかーわいぃ! うん、わかった。わたし、このことは誰にも言わないから、心配しなくていいよ」

 今までの気弱で大人しい雰囲気が嘘のように、饒舌で捲し立てる鹿目さん。
 塞ぎこんでいたさっきまでの表情より、断然輝いている。


 ううむ。ほむらの名誉の為にも、誤解を解いてあげたいのは山々だけど…………残念ながらその猶予はないようだ――

「おいほむら、折角開いた入り口が消えかかってるぞ」

 僕は無理矢理ほむらの手をひいて、結界に侵入する。

 うん、『僕は悪くない』。

「待って!! 待って!! まどかぁああああああああああああ!!」


 暁美ほむらの悲鳴にも似た絶叫が、結界内に木霊した。






[27169] こよみハッチ~その3~(Charlotte)
Name: ミドリ◆02e976c9 ID:2270504e
Date: 2016/10/26 21:32
~021~

 結界の中は、辺り一面お菓子で埋め尽くされていた。
 クッキー、チョコレート、ドーナツ、ワッフル、キャンディー、プリン、カップケーキなどなど――多種多様のお菓子が見渡す限りに広がっている。
 しかも大きさが半端なく、身の丈を越えるモノさえあり、その異常な光景には圧倒されるものがある。

 食べきれない程のお菓子に囲まれた光景は、少女が夢描く『お菓子の家』と通ずるものがあるかもしれない――けれど、決して心躍るような代物ではない。

 第一に――鼻腔に粘りつくお菓子の臭いは、胸焼けを催す程で、結界内部は甘ったるい臭いが充満していた。
 バニラエッセンスの入った瓶を、そのまま鼻に突っ込まれているかのようで、思わず鼻を摘まんでしまう程。強烈な悪臭というレベルの臭いだ。

 とは言え、忍に血を吸って貰った関係で強化された嗅覚が、人並み以上に臭いを嗅ぎ取っているだけかもしれないけれど。
 それでも、異常な臭気が蔓延しているのは間違いない。

 そしてもう一つ――お菓子に紛れ、極彩色に色付けられた医療器具が、オブジェのように点在していた。それがなんとも不気味で、この空間の気味悪さに拍車をかけている。

 これもまた、お菓子同様、現実ではあり得ない大きさで、前衛的な美術作品のように見えなくはないけれど、僕の感性では受け入れられそうになかった。はっきり言って趣味が悪い。

 結界に潜り込んだ場所が病院だったから、内部もその影響を受けているのだろうか?

 先日の――青空広がる『委員長の魔女』の結界とは大違いで、得体の知れない混沌とした異空間だ。
 なるほど、あの時ほむらが言っていた意味が、ようやく理解できた。
 こんな場所に長時間いるのは、出来れば避けたい。心が不安定になってくる。



「…………何の恨みがあるの?」

 結界に侵入して平静を取り戻したほむらは、押し殺した声で呟く。
 その声音からは、ありありと怒りの感情が読み取れ、心なし涙声にも聴こえるような聴こえないような……いや、これはきっと気のせいだ……そういうことにしておこう。

「恨みって……あれは、あの子が勝手に早合点しただけだろ?」
「鹿目まどかには近づかないでと、そう強く言い含めていた筈よ……それに、私に関わらないでとも!」

 僕の弁解にほむらが反発する。
 確かに、そういった意味では、僕に非がないとは言えないか……ならばここは、

「ちゃんと誤解だって事は説明するからさ、そう目くじら立てるなって」

 責任を持って事後処理するのが、筋と言うものだろう。

「その原因を作っているあなたに言われても、余計に腹立たしいだけね…………まぁいいわ。今はあなたの相手をしている暇はない」

 僕の相手を切り上げると、一瞬にして魔法少女に変身するほむら――シンプルな魔法少女の衣装に身を包むと、予備動作もなしに一目散に駆け出した。

 女の子ながらに華麗なフォームで、風を切るように――長い黒髪を靡かせ、どんどんと遠ざかって行く…………。


 って、おいっ!

 待て待て待て待て!!

 こんな所で取り残されたら洒落になんねぇだろーがっ!!

 ほむら曰く――結界に飲み込まれた人間の命はほぼ絶望的。
 行方不明となった人の大部分は、魔女の結界と取り込まれ、抜け出せなくなってしまった結果なのだと、そう聞き及んでいる。

 そりゃそうだ。魔法少女でなければ結界の出入り口を作製することは不可能なのだから。
 必然的に、彼女とはぐれるということは、死に直結しているといっても過言ではないのだ。

 僕にとってほむらの存在はライフラインとも言える。


 不意な出来事に、出遅れてしまったが、どうにか先行するほむらに追い付くことができた――これも吸血鬼化した身体能力のおかげだ。
 ふぅ肝を冷やした。危うく置いていかるところだったぜ。

 追い付いた僕に気付いた彼女が、舌打ちしたのはきっと幻聴の類だ。

 その気になれば、例の瞬間移動を駆使して僕を置いて一人で先を行ってしまうことも可能だった訳だしね……本気で僕を置き去りにしようなんて、考えているわけないじゃないか…………これは、ちょっとした悪戯心で、ほんの少し魔が差しただけなのだ。

 そう信じよう。


 そして――――魔女の使い魔とおぼしき一団が、せっせとお菓子を運送しているのを尻目に、入り組んだ通路を走ること数分。

 『chocolate flavor』と記されたネームプレートが掛かった扉の前で、巴さんに追いつくことができた。




 巴さんは急接近する気配を察していたらしく、胸の下で緩く腕を組み、寧ろ出迎える様な佇まいで、僕等を待ち受けていた。
 本人の自覚はないようだけど、そのポーズは、お胸様の自己主張に大変貢献しており、健全な男子にとっては眼福の極みです。本当にありがとうございます。

 心の中では、スタンディングオーベーションだ!


「やっぱり、暁美さんだったのね……ってあなたはあの時のっ!?」

 数秒遅れでほむらの横につけた僕の姿を見咎め、巴さんが目を見張る。
 ほむらの登場は予期していたようだが、僕の登場に関しては、想定外だったようだ。
 出会い方がアレだったもんな……巴さんが驚くのも無理はない。しかもこんな特異な場所で再会すなんて、夢にも思わなかったことだろう。

 ともあれ、戦場ヶ原の暴言毒舌をもろに浴びて、再起不能になったんじゃないかと心配していたが、見た限りおいては、壮健そうで何よりだ。
 まぁ心に負った傷が完治しているとは、限らないけど……とは言っても、ほむらの話では心配いらないって話だし、これで一つ懸念が解消した。

 あとは、僕からだけでも謝罪しておこう――なんて思っていたら、ほむらがすっと歩み出る。


「巴マミ。今回の獲物は私に任せて、あなたは手を退きなさい」

 軽い挨拶も会釈さえなく――巴さんの反応を一切合切無視して一方的に告げた。

「…………それは、どういう事かしら?」

 僕の存在に気を取られていた為か、少しの間を置いてから、巴さんは言葉を返し――意識をほむらへと傾注させていく。
 きつく細められた眼差しからは、警戒の色が窺える。

「端的に言わせて貰えば、あなたの手に負える魔女じゃないってことよ」

 ほむらは何の気負いもなく、至極直截的に言い切った。
 不躾な言葉に、巴さんが不快気に顔を顰めるのも無理からぬこと。

 もっとオブラートな物言いが出来ないものかと諭したいところではあるが、ほむらが殺気立っている原因は、僕の所為だもんな……いや、元からこんな感じだったっけか?

 巴さんに話しかけようにも、気軽に割って入れる雰囲気でもないし、取り敢えず、今しばらく静観を決め込む。


「はい、そうですか――で引き下がるとでも思って? 私もそれ相応に手強い魔女と戦ってきたつもりよ。どんな魔女にだって負けはしないわ。それに美樹さんが私の到着を待っているの。卵が孵るにはもうしばらく猶予はあるようだけど、はやく迎えに行ってあげなくちゃ」

「別にあなたの力を見下しているつもりはないのだけど。ただ、今回に限っては相性が悪い。あの子の安全も保証する。だから、ここは私に任せなさい」

 尚も高圧的な態度を崩さずほむらは言う。
 その言葉は、明らかに巴さんの自尊心を傷つけていた。巴さんの表情が目に見えて険しくなっていく。

「私が負けるとでも?」
「ええ。最悪、戦えば命を落とすわ」
「言ってくれるわね」

 一触即発――険悪な雰囲気で魔法少女達は睨みあう。

「お言葉だけど暁美さん。キュゥべえのことで忠告してくれたのは有り難いと思っているけれど、だからといって、前面的にあなたのことを信用した訳ではないのよ。それに……あなた私に言ったわよね。魔法少女の戦いに一般人を巻き込むなって――」

 言葉を切り、視線だけを僕に向ける。
 詳細は判然としないが、どうやら二人の間で、事前に何らかのやり取りがあったようだ。

「――そこの彼はいったい何なのかしら? ただの一般人……ってことでもないんでしょうけど、部外者を同行させるのはどうかと思うわね」

 つーか……僕の存在が、巴さんの猜疑心を増長させている……そりゃ彼女に取ってみれば、怪しさ満点だもんな。彼女が警戒するのは当然と言えば当然だ。

「ふっ、魔法少女体験ツアーなんかを企画したあなたに、そんな事を諭されるなんて、思いもしなかったわ」

 鼻で笑い、嘲弄するようにほむらは言った。なぜ更に挑発するような真似を!? あれか? おっぱいのあまりの格差を僻んでいたりするのか!? だとしたら、それは仕方ないなって、そう思うけど。

「おい、ほむら、そうかっかするなって。もっと穏便に話をだな……」

 売り言葉に買い言葉――明らかに二人とも冷静さを失っている。
 このままでは、言い争いが過熱していくことが目に見えていた。これ以上は流石にまずい。堪らずなだめに掛かる、殊勝な僕である。


 しかし、それがいけなかった。


「あなたは黙っていなさい!」

 仲裁を煩わしく思ったほむらが声を荒げ僕を一喝した。

 その一瞬の隙をついて、巴さんが行動を起こす。いや、起こし終えていた。

 巴さんが右手を翳すように突き出すと――何処からともなく無数のリボンが現れ、僕とほむらを包み込み、一気に締め上げた――気付いた時にはもう、身動きすることは叶わない。


 拘束目的の仕様なのか、リボンには鎖が仕込まれていた。
 力を込め引き千切ろうとするも、より締め付けが強固になるだけで、どうにも脱出は無理そうだ。首から上ぐらいしか動かせそうにない。


「あまり占有だとか、早い者勝ちだとか言い出すのは、信条に反するのだけれど――この魔女は私が狩らせて貰うわ」

「馬鹿っ! こんなことしてる場合じゃ――うっ!」

 拘束の力が強まったのか、訴えは途中で遮れ、苦悶の表情を浮かべるほむら。言葉を発することも儘ならない様子。
 相当な負荷が掛けられているようだ。

「始末が終れば、ちゃんと解放してあげる。それまで大人しくしていて頂戴。さもないと――安全の保証はしかねるわよ」

 脅しとも取れる言葉を残し、巴さんは扉を潜り、魔女の下へ向かってしまうのだった。










~022~

「何よ?」

 僕が口を開く前に、ほむらは牽制するようにそう言った。
 クールを装っているが、仄かに頬が赤い。
 不意打ちとは言え、大口を叩いていた相手に、ものの見事に返り討ちにあって……尚且つ、現在進行形で醜態を晒し続けているこの現状が、恥ずかしいのかもしれない。

 手足を拘束されての宙吊り状態ってのは、中々に見ない光景だ。
 蜘蛛の巣にかかった虫、或いは、何処となく蓑虫を彷彿とさせる。


「何って言われてもな」

 まぁ僕も一緒に捕まっているのだから、彼女を非難する資格があろう筈もなかった。


「なぁ、お前の能力で抜け出さないのか? 瞬間移動で脱出できそうなもんだけど…………って悪い」

 無言で睨まれた。そうか、出来ればとっくにやってるってことですね…………。


 ううむ……困った事になったぞ……巴さんを救援するつもりで駆け付けたのに、何故こんな事態に陥っているんだろう。

 そもそもだ――

「なんで同じ魔法少女同士で、いがみ合っているんだよ? 魔女を倒すのが目的なら、一緒に協力すりゃよかったんじゃないか? 別にグリーフシードだったっけ? それに固執してるわけでもねーんだろ?」

「そうね。でも巴マミは私を信用していない。無論、私も――そんな相手と一緒に共闘したところで、余計なリスクが高まるだけ…………」

 拙い連携は得策ではないって考えか……それはそれで、正論な気はするけど……。

「いや、でもさ。端っから喧嘩腰で仕掛けることはないだろ?」

 もっと穏便に話を進めれば、何もここまでされることはなかったはずだ。
 僕の存在が要らぬ疑念の種となったのは否めないし、鹿目さんに妙な誤解をされて、気が立っていたのも解かる。
 しかし、それを差し引いたとしても、もう少し上手く立ち回れないものだろうか?

「は? 喧嘩腰? 私はちゃんと誠心誠意お願いしていたじゃない」
「……………………え?」


 ほむらの言葉に、耳を疑わずにはいられなかった。
 あれが、誠心誠意……だと!?

 まさかこの女……本気で言っているのか? いや、どう見てもこの感じ、冗談を言っているようには見えないし、冗談をいうタイプの人間でもない。

 暁美ほむら……人にものを頼むのが下手過ぎるだろ!! コミュ障かよっ!?

 いろいろ物申したい所ではあるが、自覚がない相手に言葉を尽くしても、無意味そうだし……そっとしておくとしよう。
 呆れるのを通り越して、不憫になってきた。

 この話題を続けると居た堪れなくなってくるので、早急に話題を切り替える。


「つーか、そんなにやばい魔女なのか? 巴さんだって、自信あったみたいだし、杞憂なんじゃねーの?」

「そうね。杞憂であればそれに越した事はない――――だけど…………」

 ほむらは途中で言葉を噤み、その先を発することはしなかった。
 それが却って巴さんの顛末を予期しているようで――言い知れない焦燥が膨れ上がっていく。



 ――――そして、遂に、


「まずい……孵化したようね」

 僕には解らないけれど、魔女が生まれた気配を感じ取ったようだ。
 顔を顰め、悄然とした面持ちで唇を噛むほむら。それは巴さんを憂いてのことなのか……だとしたら。

 どこかでまだ楽観視していた自分を戒める。
 事態は、焦眉の急を告げていた。

 歯を食いしばり、爪が食い込むのさえ厭わず手を握り締め、渾身の力で拘束するリボンを引き千切りにかかる!

 だが――リボンに仕込まれた鎖が肌に食い込むだけで、全く手ごたえを感じない、寧ろ、僕が暴れた事により、一層締め付けが強まっていく。
 大蛇に巻き付かれたような心地だ。


「無駄よ。巴マミの拘束魔法は、魔女をも捕縛する。あなたがどんなに足掻いたところで切れはしない――こうなってしまえば……彼女が魔法少女としての力を失わない限り、解けることはない」

 客観的事実に基づいて、冷めた調子でほむらは言った。

「っんなの! わかんねーだろうがっ!!」

 それでも、僕はほむらが言うところの、悪足掻きをやめるつもりはない!!

 魔法少女としての力を失うだって? つまりそれは手遅れってことじゃねーかっ! 縁起でもねーこと言ってんじゃねーよ!

 血管がはち切れんばかりに、力を振り絞る!
 みしみしと筋肉が悲鳴を上げ、体内を巡る血が沸騰しているようだ。
 火事場の馬鹿力でもなんでもいい! 

 こんな所で手を拱いている場合じゃないんだよっっ!!!

「くそがぁあああああああああっっ!!!」


 気合一閃――蛮声を張り上げる!!




 ――その結果。



「……まさか……本当に!?」

 ほむらが信じられない光景を目にしたと、瞠目する。
 口を開け茫然とし、結構まぬけな表情を晒していた。

 その理由は他でもない。僕を締め上げるリボンが『切断』されたが故の驚きだ。

 縛めが解け、宙に投げ出され落下するも、身体能力が向上していたおかげで難なく着地することができた。
 リボンは落下途中で、跡形もなく霧散した。


「コレもお願い。この拘束を破るなんて、正直、見直したわ」

 すかさず、せっつくように催促してくるが……そんなこと僕に言われても困る。
 ほむらが珍しく褒めてくれてるってのに…………心が痛くなる話ではあるが……。

「いやこれ。別に僕の力ってわけじゃなくて……」
「吸血鬼の力ってこと? 別にいいじゃない」

 ある意味ではそうだけど、そうじゃない。ほむらは勘違いしている。

「そういう事でもなくて」
「歯切れが悪いわね、何? 勝手にリボンが解けたとでも言いたいの?」
「……違うけど」
「御託はいいわ。だから早く」

 僕の心情的にはどうにかしてあげたいのは山々なのだけど、それは現状難しいのだ…………だって。


『我があるし様よ。これだけは心得ておくがよい。儂はあるじ様の味方であっても、だからと言って決して人間の味方という訳ではない。お前様の窮地を救おうとも、そこの小娘を助けてやる義理は微塵もないという事じゃ。というか、あるじ様への蛮行の数々、儂の心中も穏やかではないのじゃよ。迂闊に頼まれでもしたら、手違いで首ごと叩き斬ってしまうやもしれん。そこのところは念頭に置いておくがよかろう』

 このように、先手を打つように釘を刺してきたのだから、無理強いもできないし…………。
 ほむらの心証はどうも芳しくないようだ。気難しい幼女である。

 誤解のないよう念のため説明しておくと、僕を捕縛していたリボンを切ったのは、僕の火事場の馬鹿力でもなんでもなく、この忍野忍の手柄である訳で…………ほむらは知る由もないが、僕が『引き千切った』のではなく、忍が『切断』したのだ。


 どこまで本気かは知らないけれど、下手に頼みでもしたら、ほむらの命が搾取されてしまう。


 そんな訳で――

「悪い、ほむら。僕の力では、どうすることも出来そうにないや」
「え? なに馬鹿な事を言っているの?」
「大丈夫、巴さんの事なら僕に任せておけ――」

 僕の言葉が理解できないとでもいう風に、唖然とするほむら。
 きょとんとしたその表情は、哀愁を誘う。
 
 雨に打ちひしがれる捨てられた子犬を、見て見ぬふりして立ち去るような心苦しさはあるが、ことは一刻を争う事態なのだ。罪悪感に苛まれるけれど、致し方ない。


「――じゃ、そういうことで」

 ほむらには申し訳ないが、ここで我慢して貰うしかなかった。


「嘘、置いてくの!? 待ちなさい…………待ちなさいってばぁぁああああああああああああ!!」


 悲痛な訴えを背に受けながら…………巴さんの後を追い、扉を潜るのだった。






[27169] こよみハッチ~その4~(Charlotte)
Name: ミドリ◆02e976c9 ID:2270504e
Date: 2015/09/10 08:35
 ~023~


 『非常』措置かつ『非情』な措置であったが、ほむらを放置し扉を潜る。
 途端――ぐにゃりと視界が歪む。
 
 こういった扉を経由して移動する際には、眩暈にも似た気持ち悪さが伴う。

 此処に至るまでの間に、何度か既に体験していたので、特に気にする程ではないけれど……扉がまだ開いている状態に関わらず、敷居を跨いだ所でほむらの声が聴こえなくなった事から推察するに、さっきまで居た場所と隣接している訳ではなく、空間そのものを移動しているようだ。

 気持ち悪さの原因は、通常の生活では体験し得ない、この空間移動の所為だろう。

 ともあれ、敷居を踏み越え到着したのは、円形の広間だった。


 其処かしこにお菓子が点在しているのは相変わらずで、ごちゃごちゃとした乱雑な印象が付き纏う。
 外周には苺が等間隔に設置されていて、ここが――途轍もなく大きなショートケーキの上なのだと、遅蒔きながら把握した。
 装飾過多が否めず、デコレーションに、センスの欠片も感じられない。
 ケーキの上から、お菓子を無作為に放り投げただけといった感じの適当さだ。

「居た」

 お菓子が障害物となって視界を遮断していた為、見落としそうなったが、丁度この部屋の中央付近に巴さんの姿が――それと、巴さんの居る位置から少し離れた所に、巨大なドーナツに身を隠す女の子とキュゥべえの姿がある。
 あの子が結界に巻き込まれた鹿目さんの友達――美樹さんで間違いなさそうだ。

 
 さてさて、ざっと見渡す限りに於いて、魔女らしき姿は見当たらない。ほむらは確かに孵化したとか言っていた筈。あれは勘違いだろうか?

 そんな疑念が湧き起こったけれど――巴さんの視線がある一点に集中していることに気付いた。

 『何か』を見据えている。

 彼女の視線の先を辿ると、其処には脚の長いテーブルと椅子があり、その椅子の上にはちょこんとぬいぐるみが腰掛けていた。

 ピンク色した頭は紙で包まれたキャンディのようで、円らな青い瞳と相俟ってなんとも可愛らしい。
 短い手足はぶかぶかな服で包まれ、それを更に覆うように大きなマントを羽織っている。
 ファンシーショップなんかで売れば、結構な人気を博しそうだ。

 なんなんだあれは? 道中見掛けた使い魔とは随分と感じが違うし…………

 って、おいおい!

 再度巴さんに視線を戻すと、彼女はいつのまにか銃を構えていた。
 銃とは言っても、ほむらが持っているような拳銃の類ではなく、ヨーロッパなどで使用されていたマスケット銃と呼ばれるものだ。
 銃身の細長い、意匠に凝った銀色の銃。
 格調高く気品に溢れ、部屋に飾って鑑賞したくなるようなアンティーク然とした趣がある。

 漫画で得た頼りない知識だけど、確か、発射するたびに弾を装填しなおす必要がある単発式の銃のはず。

 ううむ……勝手ながら巴さんは、リボン主体の戦闘をするものだとばかり思っていたから、これは意外だな。
 昨今の魔法少女は、ほむら然り――銃火器の所有が推奨されているのだろうか?
 結構な数の魔法少女がいるらしいけれど…………皆こんな物騒なもん持ち歩いてるって考えると、そら恐ろしいものがある。
 ……いや、人々の平和を守るのに武装は必要だよな、日本だって警察官は銃を携帯しているわけだしね。


 巴さんは狙いを絞るように片目を閉じ、銃口を斜め上に傾ける。
 照準を合せられているのは、キャンディ頭のぬいぐるみ。

 もしかして……あれが魔女だとでもいうのだろうか?

 いや、でも、まさか……『委員長の魔女』のセーラー服姿に胸をときめかせていた僕が言うのもなんだけど、まだあれは魔女としての薄気味悪さを持ち合わせていた。
 だけど、あれは可愛すぎないか?

 魔女の外見は多種多様と訊いてはいるが…………。


 そんな僕の疑念を一掃するかのように、風船が弾け飛んだような甲高い音が轟く。
 巴さんがぬいぐるみに向けて発砲した――ということは、あれが『魔女』なのだろう。他にそれらしい姿があるわけでもないし、彼女の真剣なその面持ちからもそれが窺える。敵と見定めての攻撃だ。


 銃弾が直撃した反動で、椅子から落下する、キャンディ頭の魔女。

 表現としてアレかもしれないが、縁日で見かける射的――台に乗った景品であるぬいぐるみを撃ち落したみたいだ。なんて、場違いな感想を抱いてしまう。

 ただ、巴さんの行動はまだ終わっていない。即座に落下する魔女の下に駆けつけると、手に持っていた銃をクルリと反転させ銃口側を握りこみ、それをバットのように扱い、魔女を殴打する。

 豪快なフルスイング。痛烈なライナー性のあたりは、フェンス直撃。
 この際ボールに該当するのは、ぬいぐるみの姿をした魔女に他ならない。

 銃を棍棒代わりにするなんて、突飛なことを…………なんて思うかもしれないが、マスケット銃を用いるにあたっては強ちおかしな戦法ということでもない。
 マスケット銃は、銃口付近に銃剣を装着して――剣、或いは槍のように扱い、白兵戦に於いても役立つ代物だったりするのだ。

 次弾を装填するのに時間が掛かるマスケット銃の、正しい活用法と言えた。


 尚も攻勢は苛烈さを増していく。

 巴さんは、何の躊躇もなく銃を投げ捨てると、その場でくるりとターンを決めた。
 すると、彼女の周りには、新たなマスケット銃が複数個、出現――ケーキに刺さったロウソクのように直立している。ケーキに関しては比喩表現でもないけれど。

 それを流れるような動作で、引き抜くと、即座に発砲。
 撃ち終えた瞬間、銃は無造作に放り投げ、新たな銃を引き抜き、更に撃つ。
 華麗にステップを踏み、両手を駆使して、間断なく続けていく。

 壁際まで吹っ飛んでいった魔女に銃弾が容赦なく襲いかかる。

 単発式のマスケット銃で、“乱射”するなんて……とんでもない事をするものだ。

 その演舞を踊る様な、優雅かつ圧倒的な光景に、僕は思わず見惚れてしまう。

 それ程までに、僕の目を釘付けにさせる光景だった。圧巻の一言に尽きる。



 おっぱいって、あんなにも躍動するもんなんだなぁ。


 ――――いや…………いやいやいや。


 仕方ないじゃないか!? だって目の前でおっぱいが弾むんだよ!? 揺れるんだよ!? 効果音が聴こえてきそうなぐらい盛大にバウンドするんだよ!? しかも、今の僕の視力は、吸血鬼化したことによって、常人を遥かに超越している。その関係で、ブラウスから透けたブラの色まで詳細に観ることができてしまう!? 僕の意志とは無関係に目に飛び込んで来てしまう!? いや、僕の意志だけど! 僕の意志だけどもさっ!! それの何が悪い!? 健全な男子諸君に、僕を揶揄することなど出来るとはずがない!? そうだろう!? だって男の子だもん!!


 阿良々木暦。魂の叫びである。

 『静』と『動』。
 ここまで破壊力が増すものなのか……躍動するおっぱいにこそ、価値がある。
 まだまだ僕も青い。おっぱいの秘めたる新たな可能性に、気付かされてしまったぜ。
 そして、更に気が付いた。
 僕を射抜く、視線の存在に。


 ぱんなこった……もとい、なんてこった!?
 巴さんが僕を直視していた。目と目が完全にあってしまった。鋭い眼差しが僕を捉えている。

「私の拘束を破るなんて、驚きました……でも一足遅かったですね。この魔女は私が狩らせて貰います」

 一瞬焦ったが、当然のことながら、僕が巴さんのおっぱいをガン観していた事実を見咎めたという訳ではなく――リボンで拘束されていたはずの僕が、この場所に馳せ参じた事へ、牽制的意味合いでのアプローチといったところだろうか。

 特に僕の返事を期待していなかったようで、すぐさま戦闘に舞い戻る巴さんである。
 しっかし、自分で言うのもなんだけど……こんな怪しい人物を、ちゃんと年上として扱ってくれるなんて、生真面目な子だ。


 なにはともあれ、戦闘が再開された。

 荒ぶる胸に気を取られて魔女の動向を見逃していたが――銃撃によって蜂の巣にされた魔女は現在、金色の糸で宙吊りにされていた。

 糸は地面から植物のように生えていて、魔女を搦め捕っている。確証はないが、着弾した折にしょうじた亀裂からその糸は生えているようだし、これも巴さんの魔法の力とみてよさそうだ。

 僕へのコンタクトも、こういった隙をみせない二段構えの攻撃があったからこそだろう。

 マスケット銃も、どうやら魔法で創り出したもののようだし、銃火器を扱うとは言え、ほむらに比べれば、しっかりと魔法少女をしている。



「私がこんな魔女に負けるだなんて、暁美さんも私を甘く見たものだわ――――そうね、憂さ晴らしも兼ねて、今回は派手に決めちゃいましょうか」

 そんな愚痴らしき独り言を零しながら、その場で跳躍する巴さん。


 そして、蝶が羽を広げるように両の腕を広げると――――
 伸ばした腕の前方に、隊列を組んだ兵隊が如く、無数のマスケット銃が顕現した!

「無限の魔弾よ! 仇なす者を穿てっ!!」

 巴さんは命令調の力強い声を張り上げ――次いで、タクトを振るう指揮者のように、腕を振り下ろす!

「パロットラマギカ・エドゥンインフィニーーータっ!!」

 その呪文染みた号令を受けて、マスケット銃の撃発機構である、打ち金サイドハンマーが振り下ろされ、全ての銃が同時に火を噴いた!

 密集隊形からの一斉射撃!
 耳を劈く轟音と共に、閃光が駆け抜け、魔女目掛け弾丸の雨が降り注ぐ。
 着弾点から次々に爆発が巻き起こり、黒煙が濛々と立ちこめていった。


 度肝を抜く、無慈悲で凄まじい攻撃。こんなのをまともに喰らっては、一溜りもないだろう。

 だが、ぬいぐるみを模した魔女は、弱弱しくではあるものの立ち上がった。ただ、もう虫の息。未だ攻撃らしい攻撃もできず、防戦一方だ。


「あら、まだ動けるのね。ならこれであなたを拘束してあげる! レガーーレっ!!」

 巴さんがまたも呪文のような横文字っぽい言葉を口にし、ポーズを決めると、魔女の足下から帯状のリボンが現れるのだった。

 さっきは流したが、これは、なんか呪文というより、必殺技の名前っぽい? それを律儀に叫ぶのは、彼女のポリシーなのだろうか?
 いや、なんせ必殺技なのだ。発動条件として、技名を叫ぶことが必要不可欠なのだろう。制約みたいなものだ。

 かとも思ったが……リボンが巻き付き魔女の動きを拘束しているこの魔法は、さっき僕とほむらが受けたヤツと一緒。なら、技名を叫ぶ必要はないはずだった…………

 巷で話題の病気を患っているのか…………だとすれば、なんて痛ましい事だ。


 と、そこで巴さんがちらりと僕を盗み見た。
 それは、あたかも、僕が見ていることを確認するように、だ。

 観客がいると、やる気が増すタイプなのかもしれない。


「これで終わりよ」

 徐に胸元のリボンを抜き取る様に解く巴さん。それを新体操のリボンのように翻す。
 リボンは螺旋を描き、次第に帯幅が広がっていき、隙間を埋め筒状に変化。それがいつの間にか銀色に輝く巨大な大砲へと姿を変えていた!

 しかも砲台付きで、ずっしりとした重戦車のような迫力を醸し出している。
 
 砲口をしっかりと魔女へと照準。
 かなりの大技のようで、魔力を込めるのに時間を要しはしたが、相手が動きようがないのだから、関係ない。その強固な拘束力は僕自身が体験済みなのだから、太鼓判を押すことができる。あの束縛から自力で抜け出すのは容易にできることじゃない。
 僕も忍の助けがなければ、ずっと捕まっていたままだったろうし。


「ティロ・フィナーーーーーレっ!!!」

 鼓膜を揺るがす爆音。
 それに負けないぐらい大きな声で巴さんは絶叫した。

 金色こんじきの奔流が魔女を射抜き、盛大な爆発が巻き起こる。
 衝撃の余波が一帯に駆け抜け、全身に振動が伝わる程だ。

 巴さんが発した『フィナーレ』ならなんとか訳せる。イタリア語で、『終幕』とかそういったお終いを意味する語句――つまりこれは巴さんの勝利宣言と言い換えてもいいはずだ。

 ただこのネーミングセンスは如何なものかと…………いや、魔法少女と言えば、必殺技ぐらい叫んで然るべきなのかもしれない。

 完全に動きを封じた相手に、巨大な大砲の一発が命中。まさに必殺の一撃。これで勝負ありだ。

 戦いを終えた巴さんは、これ見よがしに勝ち誇った表情で決めていた。それは僕へ当てつけるように、自身の力を誇示するように。ほむらに軽く見られた事が腹に据えかねていたのだろうけど、僕、何も言ってないじゃん…………。


 なんにせよ、これで一安心。
 ワンサイドゲーム。何の危なげもなく圧勝だったじゃないか。取り越し苦労とはこのことだ。

 はぁ、何しに来たんだろな、僕。一応いつでも飛び出せる体勢で気張ってはいたが――



『いや、まだじゃ』

 そこで脳裏に響いたのは、警鐘を鳴らす、鋭い忍の声。

 緩みかけていた緊張の糸を再度張り巡らせ、神経を尖らせる。

 次第に晴れていく、黒煙の切れ目から、魔女の姿を捉えることができた。
 腹部には風穴が開いていて、砲撃がちゃんと命中したことは確認できる。それに、リボンによる拘束も維持されたままだし、この状態ならば反撃の心配も要らないはずだ…………。

 いや――はずだった。


 仕留めたはずの可愛らしいぬいぐるみの口から、『何か』が這い出てくる。
 吐き出されるようにぐんぐんと伸びていく、蠢動する黒い影。

 大蛇のような細長くも太い胴体に、愛嬌さえ感じられる白い顔。カラフルな色合いの目と、尖った鼻に、大きな口。
 登場の仕方と、ポップな外見とが相俟って、びっくり箱から飛び出した蛇のおもちゃのようだ。

 小柄なぬいぐるみから出現したにしては、体積が数倍にも膨れ上がりっており、冗談じみた巨体を晒している。


 そう、晒している、晒してしまっているのだ!
 巴さんの拘束魔法は、ぬいぐるみを締め上げてはいるが、口から這い出した方に関しては、全くの野放し状態なのである。

 奇怪な風貌の生き物は、その図体に似つかわしくない、しなやかな素早い動きで巴さんの真上に陣取ると――その大きな口を開けた。

 其処には、のこぎりを彷彿とさせる鋭い牙が並ぶ。


 これがこの魔女本来の姿、いや、第二形態とでもいうべきか。ほむらはこれを予期してあんなにも警戒を促していたのだ!

 本性を現した魔女は、獲物を仕留める前の舌舐めずりをひとつ。青い舌先が歯の表面をなぞる。

 万事解決したと、誇らしげな表情でティーカップを口につけている巴さんは、未だその迫りくる存在に気付いていない。つーか、何飲んでるの! そもそも、どっから出したっ!? 馬鹿なんじゃねーの!? いろいろ突っ込みたいところではあるが――


「避けろぉおおおっっ!!!」

 兎にも角にも、大声で危険を喚起、それと同時に地を蹴り付ける!


 いきなりの蛮声と、猛然とした勢いで接近する僕に、驚きを露わにする巴さん。いや、僕じゃなく、もっと恐ろしいモノが襲いかかってるんだって!

 巴さんの目掛け急降下する、大きな口。
 吸血鬼の力を最大限に発揮し、解き放たれた矢の如きスピードで駆ける僕。

 鋭利な牙が、彼女の頭上に差し迫る。きっと造作もなくに肉を――骨まで喰い千切ることだろう。


 間に合うか!? 違う、間に合わせるんだっ!!
 地面を抉る程の踏み込みで加速し、身体を捻りながら、限界まで右手を伸ばし、ほんの僅かでも距離を稼ぐ。


 そして――――





 ――――僕の指先が、巴さんを捉えた!


「きゃあああああああああああああぁぁぁ!!」

 巴さんが、甲高い叫び声をあげ吹っ飛んでいく。絹を裂くような悲鳴だ。

 加減も出来ず、力任せに突き飛ばしてしまったが――巨大なドーナツがクッションとなり巴さんを受け止めてくれた。少しは衝撃が和らいだはずだ。

 お茶が零れティーカップも割れてしまったが、致し方ないことだろう。


 よかった…………刹那の差ではあったが、どうにか間に合ったようだ。
 本当に際どいタイミングだった。忍の警告がなければ危なかった……それともう一つ、忍の功績も然る事ながら、巴さん自身の発育の良さが、大きく運命を分かつ要因となったのだとは、言及せねばなるまい。

 彼女の身体的特徴――あの豊満なおっぱいのおかげなのだ。
 巴さんの胸がもし、ほむらみたいな絶壁だったならば、僕の手は届かなかったかもしれない。
 距離にして、僅か数センチの差が、この結果につながったのだ。おっぱいの大きさが、巴さんの運命を変えたといっても過言ではないのだ!

 だから、わざとじゃないよ!
 仕方なかったんだよ!
 不可抗力、緊急措置だったんだよ!

 などと弁解の言葉を並べ立ててはみたが、僕の言葉に耳を傾けてくれる人がどれだけいるのだろうか?

 ならば、此処は開き直って、一瞬の出来事ながら、僕の魂にまで刻みつけられた至福の時間を思い返すとしよう。

 あの柔らかくも弾力に富んだ極上の感覚。指先で押すという行為ながら、その手触りのなんと甘美なことか。
 僕は大きな過ちを犯すところだった。
 今までの僕は、おっぱいに触れずして、おっぱいを語っていたのだ。なんとも情けない話であるし、大それた事をしていた。猛省せねばなるまい。




 しかし、まいったな…………。

 折角おっぱいの感触を味わった僕の指先、というか右腕が、魔女にもっていかれるとは…………。

 肩口から噴水のように血が飛び散っていた。
 喉の先まで出掛った、叫びたくなる衝動を無理矢理押し留め、荒くなる呼吸を整える。

 そうか。『何かを得ようとするなら、それと同等の対価が必要』って錬金術師の皆さんが言ってるもんな…………。

 おっぱいの感触を得た代償に、右腕一本ってことか。
 等価交換として、これほど不釣り合いな天秤もない。


 だってそうだろう?

 至高とも言えるおっぱいの感触を得ることができたのだ。
 男にとって、この程度の代償、全然安いものじゃないか。




[27169] こよみハッチ~その5~(Charlotte)
Name: ミドリ◆02e976c9 ID:2270504e
Date: 2014/05/23 16:46
~025~

 巴さんの様子を窺ってみると、口を半開きにした放心のていで、へたり込むようにその場で尻もちをついていた。

 突然叫びながら急接近してきた男に、力いっぱい胸を触られたことが、ショックだったのかもしれない…………なんてことは断じてないと思いたい。

 悄然しょうぜんとしたその表情からは、僕の腕の惨澹さんたんたる有り様に――そして、その惨状を齎した元凶である魔女の本性に、衝撃を受けているのではなかろうか。

 人間の腕が喰い千切られる光景ってのは、相当にショッキングな映像だったことだろう。


 その当事者である僕が言うのも、おかしな話ではあるが。


 ただ幸いな事に…………いや、この場合、不幸中の幸いだが、僕の右腕は徐々に再構築されていく。
 ぶちまけた血液も間を置かず蒸発していった。
 学ランとカッターシャツに関しては、流石にそのままだけど。右半分だけ不格好な、夏服仕様になってしまった……。


 悪夢にうなされ続けたゴールデンウィークにも、『障り猫』――ブラック羽川によって、腕をもぎ取られた経験があるが、あの時は、『障り猫』の能力エナジードレインの影響もあって、こんな瞬時に回復することはなかったからな。
 今回は『異常』に『以上』なまでの、吸血鬼として備わった不死力が、遺憾なく発揮されたかたちだ。

 これでもまだ、完全に吸血鬼となった春休みの時と比べれば、治癒速度が遅いぐらいなのだから、『伝説の吸血鬼』のポテンシャルには驚かされるものがある。

 そうは言っても、痛みは軽減されることなく感じるので、この激痛には発狂しそうだし、魔女の獣性剥き出しの、血気にはやる気性には背筋が凍る。

 それでも尚、僕がこうして正気を保っていられるのはひとえに、鮮烈な印象を刻み込んだ、お胸様のおかげと言えよう。

 今まで感じたことのない衝動が、僕の中で暴れ回っている。

 心が熱い……。
 おっぱいに触れるだけで、こんなに幸せな気持ちになれるなんて…………もう何も怖くない!!





 いや、やっぱ怖いものは怖い。
 こればっかりはどうしようもなかった。



 さてと……どうしたものか……。

 巴さんの容態が気掛かりではあるが、魔女が臨戦態勢で構えている以上、駆け寄って声を掛ける暇も、そんな余裕もなかった。

 なんせ、眼光炯々がんこうけいけいとした双眸が、完全に僕をロックオンしているのだから――

 魔女の放つ禍々しい雰囲気に気圧され、怯みそうになる。
 だけど、この場で立ちすくめば、待っているのは『死』あるのみだ。

 だからと言って、『逃げる』という選択肢はありえない。今の巴さんはあまりにも無防備すぎた。
 僕がしなくてはいけないのは――しっかりと“標的”になって、魔女を引き付けること。


 付かず離れず、一定の距離をとり、常に左右に動いて、的を絞らせない。
 蛇のような体形のクセに、地を這うのではなく、上空から狙いを定め、急降下しての強襲。
 しかも、しなる胴体から繰り出される噛みつきは、鞭のような不規則な軌道で、避けるのにも相当な集中力を要し、厄介極まりなかった。

 かろうじて身を躱し続けるが、少しでも油断すれば、噛み殺される。

 いくら不死性を帯びているとはいえ、頭を丸ごといかれたら、アウトだろう。
 いや、もしかしたらそれでも再生する可能性はなくはないが…………だからと言ってそんなの試すのは御免だ。



 魔女を倒すことだけを考えるならば、ここは僕の影に身をひそませた、忍野忍に出張ってきて貰うのが、尤も確実だと思う。

 しかし、それは出来ない。
 これは事前に忍が、強く言い含めていたことでもある。

 ――儂自ら率先して魔女を退治することはないということは、弁えておくがよい。

 そう忍は言った。
 あくまでもこれは人間側の問題。これが忍による線引きだ。


 というか、

『さぁ、我があるじ様よ。これをどう乗り切るか見物じゃな。まぁこれぐらいの相手、お前様ならば、容易かろう』

 悠々と高みの見物を決め込んでやがる。元々争い事を好む性格だし、なんか嬉々としていた。
 つーか容易いって、そんな訳ないだろ! 避けるだけで手一杯だってのっ!

 そう言えば、あの地獄の苦渋を味わった春休みの折にも、歴戦の吸血鬼ハンター達の下に、単身で送り込まれたことがあったっけか…………。
 僕の――自身の眷属の力を、過大評価し過ぎなきらいがある奴なのだ。

 どんな途轍もない力を得ようとも、それのベースとなっているのが、平凡な落ちこぼれとしか言いようがない僕であるのだから、其処らへんをしっかり加味して判断して貰わなければ困る。


 でも、そうだよな。

 これぐらいで尻込みしているようじゃ、魔法少女かのじょたちの戦いに関わる資格がないのかもしれない。
 ほむらに散々言い含められていたことだ。

 ここを乗り切る事こそが、僕に課せられた試練といっていい。

「望むところだ!!」

 自分自身を鼓舞するように、敢えて口に出して気合を入れる。


 なんて熱く勇み立ってはみたものの、現状魔女に近寄ることすら叶わない。

 一応魔女と戦う事を想定しての『切り札』を用意してはあるのだ――ほむらと『委員長の魔女』の戦いを目の当たりにして、無策で魔女と相対しようなんて思い上がった考えは捨てている。

 切り札を切る為にも、魔女との間合いを詰めなければ話にならないが、あの強襲を掻い潜るのは至難の業。
 だからと言って捨て身覚悟で飛び込むのは、あまりにもリスクが高い。

 魔女の攻撃を凌ぎながら、反撃の隙を窺うも一向にそんなもの訪れやしない。

 くそ…………どうにかして、此方からも打って出なければじり貧と言える。


 と、その時だった。


「あなたの相手は私よっ!!」

 虚脱状態から立ち直った巴さんが、大声を張り上げ魔女の注意を引きつける。

 僕を庇うように――凛々しくも敢然かんぜんと、勇み立つ。


 だけど僅かながらに声が震え、上擦っているのが解る。

 そりゃそうだ。僕だって怖くて怖くて仕方がないのに……ましてや、彼女は中学三年生の女の子。
 魔法少女としての使命を懸命に果たそうと、自分の心を“偽装”して、気丈に振る舞っているだけなんだ。

 それでも彼女は魔女に立ち向かう。僕を、美樹さんを守るために、自分自身を犠牲にして――


「レガーレ・ヴァスタアリアっ!!」

 戦線に復帰した巴さんは、言うが早いか魔法を発動した。

 幾重ものリボンの帯が、これでもかというぐらい魔女に巻き付き、瞬く間に簀巻き状態へ――そして、尚も圧搾するように締め上げていく。

 不快そうに身を捩って抵抗するが、リボンは完全に魔女を搦め捕っていた。


 巴さんの手柄を横取りするようで申し訳ないが、これならすんなりと魔女の間合いに入れ…………いや、駄目だ。

 嘘だろ、おい…………魔女の大きな口から、脱皮するかの如く、同じ姿の魔女が這い出てきやがった!
 第一形態から第二形態へ移行する為の、変身的な能力じゃなかったのか…………!

 
 ――今回に限っては相性が悪い。


 意固地なまでに、巴さんを魔女との戦いから遠ざけようとしていたほむらの意図が、本当の意味でよく解った。
 実力を認めた上で、それでも巴さんの使用する魔法の特性が、この魔女に対して有効ではないと判断してのことだったのだ。

 戦闘に於いて主体と思われる、巴さんの拘束魔法は、この魔女に対して全く効果を示していない。

 これでは、折角の捕縛も意味をなさない。
 巴さんは苦虫を噛み潰したように顔を顰めると、魔女の拘束を解く。
 抜け殻となった魔女を拘束しても意味はない。魔力の無駄遣いになるだけだ。

 すぐさま、マスケット銃を呼び出し応戦するが、奴は、巴さんの決め手と言える、大砲の一撃を受けても生き延びているのだ。生半可な攻撃が通用するとは思い難い。

 巴さんもそれを痛感しているのだろう。その表情から焦りが見て取れる。


 巴さんの攻撃では決定打に欠ける。
 でも僕が有する『切り札』をお見舞いすることが出来れば、十分に勝機は見出せるはずなんだ。ただそれにはやはり、奴の警戒網を潜り抜けなければいけない。

 銃撃を浴びて巴さんに意識が傾いている今ならと――

 隙を窺って、軽く近寄ってみたが……ぎょろりと目玉が動き、僕を捕捉する。駄目だ……ある一定の間合いに入ると感付かれる。

 知性は感じられないが、野生の獣並みに、外敵を察知する能力に秀でている。
 真上から俯瞰するような見下ろす態勢の為、視界の幅が広く、気付かれずに近付くのは困難だった。


 どうにか奴の注意を逸らせれば…………。



 ――あ、そうだ!


 ふとした思い付きだが、試してみる価値はあるかもしれない。

 後方に跳躍を決め、美樹さんが身を隠している所まで退避する。巴さんには悪いが、今しばらく一人で耐えて貰う。

 魔女は銃撃を受け応戦状態なので、此方が襲われる心配はないだろう。


 身体を縮こませ震え上がっている美樹さんだったが、やにわに接近してきた僕に対し、当惑した眼差しを向け――距離を離すように後退あとずさった。
 彼女からすれば、僕は見知らぬ男で、腕が喰われたにも関わらず再生するような得体の知れない人物なのだから、警戒するのも尤もである。

 何か言いたそうな感じではあるが、口を微かに開閉させるだけで、上手く言葉が紡げないでいるようだ。


「おい、キュゥべえ! ちょっと来てくれないか!?」

 ただ用があるのは、美樹さんの傍で戦闘を眺めるキュゥべえにだった。

「どうしたんだい?」
「早く、こっちに!」

 呑気に小首を傾げているキュゥべえの問い掛けを無視して、有無を言わさず強要する。
 だけど、キュゥべえにとって僕は、ほぼ交流のない相手なのだから、素直に従うようなことはなかった。えーい! 焦れったい!

「巴さんからの伝言だ!」

 然らば――適当な理由をでっち上げ、手招きしながら呼び寄せる。時間が惜しい。

「マミから伝言って一体なんなんだい――」

 巨大ドーナツの上に陣取っていたキュゥべえが、やってきた。
 僕の言葉を鵜呑みにして尋ねてくるが、そんなのはまたもや無視――尻尾を乱暴に引っ掴み、作戦を開始すべく、魔女との間合いを一気に詰めに掛かる。

 掻っ攫われたキュゥべえの身を案じてか、美樹さんが何やら叫んでいるが、リアクションを返す余裕はない。




 テリトリー内に侵入したのだろう。巴さんに襲い掛かるのを切り上げ、威嚇するように目を剥く魔女。
 あと一歩でも近寄れば、こっちに飛び付いてきそうな危険な間合い。
 獰猛な炯眼に威圧され、射竦められそうになる。
 蛇に睨まれた蛙ってこんな気分なのだろうか………………だけど、尻込みしている場合ではない。
 はぁ、ほんと。生きた心地がしないぜ……ったく。



 そして僕は、手に持ったキュゥべえを、旋回させる。

 正確に僕がやっていることが伝わっているだろうか?

 もう少し詳細に説明しておくと、僕はキュゥべえの尻尾を掴んで――それをライブとかスポーツ観戦の時なんかにタオルを振り回して応援している感じで、回転させているのだ。
 遠心力によって長く垂れ下がった耳(と思わしき器官)が伸びきり、ぶんぶんと風を切る音が聴こえてくる。

 キュゥべえが僕を非難する言葉を投げかけてくるが、馬耳東風を貫く。


 あとは――――

「巴さんっ!! 僕に任せてくれ!! あと、ほむらの拘束を解いてやってくれないか!?」

 魔女の動きを警戒しながらも、巴さんに向け、一方的にお願いする。

 言ってはみたものの、考えてみれば――巴さん、ほむらに対し不快感を示しているからな……それに、ちゃんと彼女と言葉を交わしたこともない、信用もへったくれもない僕の申し出を訊いてくれるとは限らない。それでも、ほむらが居れば最悪の事態は免れる……はずだ。
 取れる対策は取っておかないと。予防線を張るに越したことはないし。


 巴さんが、僕の言葉を受け、どう判断するかは解らないが…………って、僕の大声が気に障ったのか、魔女がにじり寄るように距離を詰め、今にも飛び掛かってきそうな気配を醸し出していた!


 もう猶予はない。作戦決行だ!


 いい感じに勢いに乗ったキュゥべえを――あれだ、鎖鎌に付いた分銅を投げる要領で、そのまま頭上高く放り投げた。


 空高く舞い上がるキュゥべえ。
 急角度の放物線を描いて落下するその先には、魔女が待ち構えていた。

 魔女は、飛来してくる物体を視線で追いかけ、それが生き物(生もの)であることを把握すると――――

 フリスピーを追う犬さながらに空中で見事キャッチ、キュゥべえの頭が魔女の口に収まった!

 まぁキャッチとは言っても、当然『咥えている』訳ではないから……強靭な上顎と下顎が噛み合わさったことにより、口の中に入っていたキュゥべえの頭部は飲み込まれ――噛み切られたことにより、頭のない身体が、ぽとりと落下していく。


 キュゥべえ……ありがとう。

 お前の尊い犠牲を無駄にはしない!!


 魔女はキュゥべえに食い付いたが故に、身体を天に向かって伸ばしている。パン食い競争で吊るされたパンを食べようと、全身を伸ばすようなもんだ。

 そのお陰で、伸びきった胴部分が、がら空きとなっている。


 隙がなければ、つくればいい。それが戦いに於いての常套手段と言えよう!

 草薙京に言わせれば「ボディがお留守だぜ!」状態だ。

 この機を逃す手はない! 意を決し突貫する!

 とは言え何も、徒手空拳で拳を叩きこもうなんて腹積りはない。
 春休みの頃ならば、素手とは言えど十二分に武器とたり得るが、この中途半端に吸血鬼化した僕の力では、巴さんの大砲の一撃を越える威力など、望むべくもないだろう。



 だけど――――僕の有する『切り札』ならば話が違う。

 一足飛びで魔女との距離を詰めると、“僕の影から突き出した”一振りの刀を抜き放つ。

 全長2メートルになろうかという大振りの日本刀――大太刀である。

 妖刀『心渡こころわたり』。その異名を、『怪異殺し』と呼ぶ。
 全盛期――鉄血にして熱血にして冷血の吸血鬼、怪異の王と称されていた頃の忍野忍の通り名でもあるが、元々『怪異殺し』とはこの刀のあざなだったらしい。

 その俗称通り、『怪異』に対して、絶大な効果を及ぼす。
 文字通り、『怪異』を『殺す』ために存在する刀。
 怪異を殺し尽くす凶刃。類稀なる妖刀。

 怪異を屠る最強の武器と言っていいだろう。
 少し傷をつければ、それがもう致命傷となる、言うなればそう、『チンケスレイヤー』のような効果を秘めているのだ!

 あれ、おかしいな。武器の特性をうまく言い表しているはずなのに、全然強そうに思えない。
 というか『チンケスレイヤー』ってどれぐらいの人に伝わる知名度なのか。


 兎にも角にも――


 忍野曰く、『魔女』も『怪異』と言ってしまって問題ないらしい。
 性質はまるで違うとか言っていたが、相応の効果は期待できる。
 確証はないけど、分が悪い賭けではない筈だ。


 どんなに強力な魔女だろうと、それが『怪異』であれば、一太刀で殺してみせる!


 今更ながら僕の存在に気付き、急降下してくる魔女ではあるが――もう、手遅れだ。


 僕は忍から借り受けた刀を、抜き放った勢いそのままに振り上げ――魔女の伸び切った胴体目掛け、叩き付けるように振り下ろす!

 生憎、剣術は言うに及ばず、剣道の心得も有りはしない。
 それに加え『心渡』の長すぎる刀身を持て余し、傍から見れば、不格好でぎごちない動きだったことだろう。


 だけど。それでも。

 『心渡』の刀身は、確実に魔女を斬り裂いた。
 豆腐を切るように何の抵抗もなく、魔女の肉体に深々と沈み込んでいく。

 『障り猫』に対し僕は、不完全な生殺しをしてしまったが、今回は違う。

 幾ら僕の腕がなまくらで、忍が扱ってこその完全無欠の『怪異殺し』ではあると言え、掠り傷一つで致命傷となる妖刀である。

 これ程の刀傷を負えば…………。



 幕引きとしてはあっけなく、大口の『魔女』は――――この世から切り離されたのだった。




[27169] こよみコネクト~その1~
Name: ミドリ◆02e976c9 ID:2270504e
Date: 2013/08/17 09:10
 
~026~

 魔女を討滅したことによって、結界が消散していく。
 気付けば、元の場所――病院に隣接された自転車置き場の前に戻っていた。

 結界の中をどれだけ移動しようとも、戻ってくる場所は一緒のようで、結界内に侵入していた面々が一堂に介している。それに加え――帰還を待ち侘びていたのであろう鹿目さんが、小走りでやってくる。

 僕の周りはみんな見滝原中学校に通う女子中学生だ。ただこれを、ハーレム状態じゃね? とかたわけた事を思うような心境でも、そんな場の空気でもない。



「みんな無事で、よかっ……」

 駆け寄ってきた鹿目さんが、安堵した様子で声を掛けようとしてくれたが、その言葉は途中で霧散した。

 異様な場の雰囲気に気付いて口を噤み、困ったように目を彷徨わせる。

 この微妙な空気の原因は、十中八九、僕にあるのだろうと思う。
 僕の存在に対し、いろいろ言及したことがあるようで、懐疑的な視線を向けられていた。

 其々が其々に、様々な疑問を抱えている状態なのである。

 犠牲者を出すこともなく無事魔女を倒せた事に、胸を撫で下ろしている場合でもないようだ。


「何なの!? 何なのよーもー!! ぜんぜんっ! 意味わからないんだけど!? ちょっと其処のあんたーっ!」

 妙な静けさに包まれていた場の空気を一掃する、かしましい少女の声が響き渡る。
 口火を切ったのは、短い髪をした女の子――美樹さんだった。

 地団駄を踏みながら頭を掻きむしり、全身を使って苛立ちを体現したのち、僕に向かってビシリと指を突き付けてくる。
 どうでもいい事だけど、そのポーズが『逆転裁判』で有名な『異議あり!』の場面を彷彿とさせる。

「マミさんを庇ってくれた事は感謝してるけど、いったいキュゥべえに何してくれちゃってるわけっ!? それにその腕! その刀! いろいろおかしいでしょっ!?」

 矢継ぎ早に捲し立ててくる。さっきまで魔女に怯えていたのに、もう気を持ち直しているのには、驚きだ。キュゥべえが『犠牲』になった事で、感情の割合が、『恐怖』から『怒り』にシフトしたのだろう。
 事情を知らない美樹さんが、混乱し激情にかられるのも無理はない。

 しかし、訊かれた事が多すぎて何から答えればいいか…………返答に窮する僕だった。


「美樹さん、少し落ち着いて」

 僕が困っているのを見て取って、興奮状態の美樹さんを巴さんが宥めてくれる。
 美樹さんのように、取り乱した様子はなく、見る限りに於いては落ち着いていた。

 服装もいつの間にか、魔法少女のものから制服姿に戻している。はぁ~、本当に中学生だったんだ……何気に巴さんの制服姿を見るのはこれが初めてなのだ。

 それを見て気付いたが、もう人目に触れてもおかしくない屋外に居るのだから、僕もはやく刀を忍に回収して貰わないと……銃刀法違反の現行犯になってしまう。

 そんな事を思案していると――

「助けて頂いて、どうもありがとうございます。私の所為で怪我まで負わせてしまって…………」

 そっと僕の方へ向き直り、深々と頭を下げてくる巴さん。女子中学生に頭を下げられると、どうにも居た堪れない気分になってくる……。
 誠心誠意申し訳ないという気持ちが伝わってくる深謝に、僕の方が恐縮してしまう。

 キュゥべえが『犠牲』になったことで、美樹さんが怒りを露わにしているのに、巴さんが僕に敵意を向けてこないのは、本人の素養もさることながら、僕に対し、必要以上に恩義を感じているからかもしれない。
 それと、もう一つの要因として考えられるのは、キュゥべえに対し、ある種の疑念を抱いていたからだろう。

「怪我って……別に僕、無傷な訳だし……」

 吸血鬼の治癒スキルの賜物で、傷痕ひとつないのは本当だ。
 何ともないとアピールするように右腕を動かしてみたが、巴さんの曇った表情は晴れなかった。

「……もし差支えなければ…………その腕の件も含め、諸々の事情を教えて頂けると嬉しいのですが」

 躊躇いがちに口を開く。
 慎ましやかな物腰を崩さない巴さんだったが、胸中としては美樹さん同様、僕の不可解な力が気になって仕方がないようだ。

「そうだそうだ! さっさと教えなさいよー!!」

 美樹さんがやいのやいの言ってくる。
 巴さんに静止されていなければ、掴みかかってきかねない剣幕だ。だけど、その怒りの感情はすぐに収まることになった。
 いや、『怒り』から『驚き』にシフトした言った方が正しいか。

 僕にとって想定の範囲内――



「それは是非僕からもお願いしたいね」

 ――そう、何ということはない。
 巴さん、美樹さんの意見に同調し、当たり前のように謎の白い生命体――キュゥべえが現れたからだ。
 いったいこいつは、何処から湧き出てくるのだろうか?

「キュゥべえ!? 何でっ!? どういうことなのよっ!?」
「………………!」

 益々混乱しパニック状態に陥る美樹さんに、口元に手を当て言葉なく当惑する巴さん。

 鹿目さんはキュゥべえの死に際を目撃していないし、足下に転がった死体にも気付いてなかったようで、際立った反応はなく、成り行きを静かに見守っている。

 やっぱり、スペアが出てきたか。まぁキュゥべえのこの特性を知っていたからこそ、囮になって貰った訳だが……。

 僕よりもキュゥべえの生体に詳しいほむらならば、既知の事柄だろうけど、それでも一応、どんな反応をしている確かめ――

「こっちに来なさい」

 ――ようとしたのだけど、唐突に目前に現れたほむらに、面食らう事になった。
 少し離れた場所から僕を凝視していたはずなのに…………あと、手首ががっちり掴まれて地味に痛い。
 乱暴に腕を引っ張られ、さっきまで居た位置から数メートル離れた所まで連行さる。

 何がしたいんだこいつは……?
 訳が分からず、その真意を問い質そうとしたが、ほむらによって機先を制されてしまう。

「一から説明して頂戴」

 ぞんざいな口調でほむらは言い放つ。
 傲慢なこの態度は今に始まったことじゃないけれど、心なしか、怒気を孕んだ声に聴こえるような…………放置していった事を怒っているのだろうか?

 というかこいつ、まだ魔法少女の姿のままだ。コスプレ衣装だと言い張れば大事には至らないだろうが、もう少し巴さんのように配慮をだなって……僕も依然として刀を手にした状態なのだから、これはお互い様か。

 ともあれ――

「それを今から説明しようとしてんだろ。何でわざわざ離れる必要があるんだよ! って…………あれ?」

 そこで僕は異変に気が付いた。

 僕とほむらを除く周りの皆が――いや、目に映る全ての光景が『停止』していることに!

 巴さん達は、精巧に造られた人形のように、その動きを止めている。身動き一つせず、瞬きすることもない。
 風に煽られた立木も、空を飛ぶ小鳥も、人が活動すれば自ずと生じる、街の騒音さえも。

 ありとあらゆるものが、完全に止まっている。

 写真で切り取られた一場面に迷い込んだような、そんな不可思議な空間の中に僕は居た。


「何だよこれ!? どうなってんだ!? まさか魔女の結界っ!?」

 周章狼狽する僕が、尋ねるともなしに発した言葉に、

「……………………時を止めたわ」

 渋い顔をしたほむらが、至極端的に答える。

「なんだって?」

「言葉のままよ。私の魔法で時間を停止させたの」

 改めて言い直すほむらではあるが、別に聴こえなかったのでも、言葉の意味が解っていない訳でもないのだ。

「馬鹿なっ!? 『時を止めた』ってお前それ『世界ザ・ワールド』だぞ!?」
「は?」

 むむ、DIOのスタンド能力が伝わらないとは……嘆かわしいことだ。

「こんな破格な能力も扱えるものなのか魔法少女って!?」

「これは私の固有の能力ちから。便利ではあるけれど、それだけよ」

 それだけって……こいつ、『時間停止』といえば、どんな異能バトルにおいても最強に位置づけられる能力だと、解っているのだろうか?
 いや、でもそうなってくると、

「おい、ほむら。時間を止めたにしても、こんな悠長に話していて大丈夫なのか? こんなの数秒が限度だろ?」

 確か『世界ザ・ワールド』だって、止められる時間の制限は5秒程度。


「別にそんな制限はないわ。有限ではあるし、無駄使いをしないに越したことはないけれど、腰を据えて話す時間を確保するぐらい、造作もないことよ」

 半信半疑、いや僕の心情の割合としては『一信九疑』と言ったところ。
 だけど、現にこうして、その『時間停止ちから』を目の当たりにしているのだから、疑っても詮無い事か。
 もう一分近くは静止状態が続いているし、ここはほむらの言い分を信じるしかなさそうだ。

 それに思い返してみれば、ほむらが突然いなくなったり、瞬時に移動したりするのを見て、『瞬間移動』的な能力を持っていると勘違いしていたけれど……あれは『時間停止』の能力を使っていたという訳か。


「大凡の事情は呑み込めたけど、そろそろ、手を離してくれないか?」

 さっきからずっと、手首を掴まれたままなのだ。

 もう少し詳細に説明すると、ほむらが左手で、僕の右手首を掴んでいる状態で――そんな態勢で向かい合っているものだから、結構な至近距離だったりする。

 間近で見ると、本当に綺麗な顔だよな。小顔で綺麗な白い肌にはシミ一つない。こんな威圧する表情でなければ可愛らしいはずなのに、勿体ない。

 そんな感想はさておいて、魔法少女になると筋力もそれなりにアップするようで、一介の少女では考えられない力でホールドされていた。


「それは無理ね。私の手が離れた時点で、あなたの時間は止まってしまう」

 なるほど。僕がこうして止まった世界で動けるのは、ほむら伝いに、能力が伝播しているが故なのか。

「もしこの情報を誰かに漏らしたら、確実にあなたの息の根を止める。それだけは、ゆめゆめ忘れないことね。あと、これ以上の詮索も許さない」

 僕の瞳を直視して、ほむらは言う。

「……了解」

 一方的に秘密を打ち明けられ脅迫されていることに、文句の一つでも言ってやりたい所ではあるけれど、此処は無条件降伏することが、僕が取る最良の選択のはずだ。

「で……この状況に至った経緯、委曲を尽くして説明して貰えるかしら」

 自分の追及は打ち切って、僕にだけ詳細な説明を要求する理不尽なほむらである。

 でも、此処は大人の対応で。

「それなら、皆に纏めて説明した方が効率的だろ、巴さんなんかは当事者だし、美樹さんにもある程度は説明しとかないと、納得しそうにないぞ」

「それは私が訊いた上で判断する。そもそも、キュゥべえに余計な情報を与えないで」

 そう言えば、キュゥべえが居たな。奴とは敵対関係にあるようだし、僕が齎す不確定の情報を与えるのは得策ではないってことか。

 改めて観察してみれば、澄ました態度で取り繕ってはいるが相当に焦ってるようだ。
 この時間停止の能力も、状況把握の為やむを得ず使用したって感じだし……余裕のなさが窺えた。

「まぁ、説明するのは全然吝かではないんだけど……僕が言った事を信用できるのか?」

 ありのままに話したとしても、ほむらにとっては、荒唐無稽の絵空事にしか感じられないだろう。嘘吐き呼ばわりされるのは避けたい。

「阿良々木暦。あなたがその刀で魔女を倒したところは、目撃している。だから、その心配は不要よ」

「見てたのか?」

「ええ。巴マミによる拘束が解けた時は、彼女が死んだものだとばかり思ったけれど……駆け付けてみれば、あなたが魔女を仕留めていた……目を疑う光景だったのは確かね」

 ああ、魔女に突撃する前に、ほむらの拘束を解くように頼んでいたっけ。巴さんがちゃんと聞き届けてくれていたってことか。

「おっけー。信じてくれるってなら、順を追って話していこう」

 腕を掴まれた状態なので、少々話し難くはあるが――極力詳細に、事の顛末を話し始める。
 無論、巴さんを突き飛ばした際に胸を触ったことは僕の名誉の為、伏せるつもりではあるけれど。





[27169] ほむらコネクト~その1~
Name: ミドリ◆02e976c9 ID:2270504e
Date: 2013/08/17 09:24
~027~

 阿良々木暦。
 隣町に住む、私立直江津高校在学の高校三年生。

 肩まで伸びた男にしては長めの黒髪。目鼻立ちのくっきりした小奇麗な顔。
 小柄で痩身気味な体躯なれど、露わになった右腕は筋肉質で、ひ弱そうには見えない。

 黙っていれば美男子に準ずる類の男性なのだとは思う。
 そう、黙っていればだ。

 口を開けば、軽佻浮薄。魔女に邪まな感情を抱くような、危険極まりない性癖の持ち主で、でき得る限りまどかには近づけたくない。


 幾度となく繰り返してきた世界の中で、突如として現れた、男ながらにキュゥべえを視認することが出来る、稀有な人物。

 彼の言葉を鵜呑みにすれば、半吸血鬼化しているとのことらしい。キュゥべえのことが見えるのも、その影響ではないかと語っていた。

 混血。
 人間の血と、吸血鬼の血が混ざりあった状態。人間と吸血鬼との間に産まれた『ヴァンパイア・ハーフ』とは全くの別物のようで、色々と込み入った事情があるらしいが、あまり私には関係ないことなので、その辺りの説明は割愛して貰った。
 本人としては話したかったようで、少しばかり落胆していたが、正直どうでもいい。


 ただ、腕が食い千切られた程の重傷さえも完治する治癒能力は、注目に値する事柄だ。
 一応、腕と一緒に噛み切られたという、肩口から破けた学生服が、状況証拠として機能しているけれど、この件に関しては、直接見ていないので、眉唾物の話ではある。

 それならばと刀で切り落として実演して欲しいと頼んでみたが、魔法少女とは違い、痛みは痛みとして成立しているとのことで、物凄い剣幕で拒否された。

 頭のないキュゥべえの死体は、魔女の注意を逸らすため、囮として使用した結果だという。キュゥべえにこんな有用な活用手段があるなんて……なかなか侮れないことをする。


 ここまでの話は、まだ許容することは可能だった。
 だけど、まさか『お菓子の魔女』を仕留める程の力を有しているだなんて、なんの冗談だろうか。

 


 正直な話、私は巴マミの命は諦めていた。
 リボンが解けたのも、彼女が魔女にられたからだと、そう判断した。
 この魔女の強さは他の魔女よりも抜きんでている。

 生半可な攻撃が通じる相手ではなく、あの雑草のようにしぶとく再生し続ける魔女には、根っこ諸共吹き飛ばすぐらいの高い火力でなければ、有効ではない。
 その為、『お菓子の魔女』と相対する時は、改良に改良を加えた特製の『連鎖型時限爆弾』を使用する。

 刀で斬った程度で、どうこうなる相手ではないはず…………。


「それで――――いったい、どんな手品を使ったというの?」

 黙って訊いていれば、順次説明していってくれたのだろうが、それでも私は、腑に落ちない最大の疑問点を口にせずにはいられなかった。

 
「手品? 確かにほむらから見たらそうなるかもな――――真相は類稀なる大太刀。伝説の吸血鬼から借り受けた、この刀の効果のお陰だ。この世ならざる者を殺す刀。妖刀『心渡』」

「この世ならざる者?」

 私は一連の言葉の中で、尤も引っ掛かった部分を鸚鵡返しに口にする。
 『伝説の吸血鬼』というふざけた単語も気になったが、一度吸血鬼関連の説明を拒否している手前、それには触れない。

「簡単に言えば妖怪や幽霊なんかの超常的存在――知り合いの専門家は総じて『怪異』って呼んでるな。確証はなかったんだけど、魔女もその範疇とみなされたみたいだぜ。借り物だから、僕も詳しい仕組みまでは解らないけど、この刀は『怪異』に対して絶大なる効果を示す代物だそうだ」

 肩に担ぐように持った大きな日本刀に視線をやりながら、阿良々木暦は飄々と語りだす。

 銃器にはそれなりに詳しくなったが、生憎、刀剣類の知識には精通していない。
 それでもその日本刀が、規格外の長さだとは解る。時代劇で観る様な腰に下げて帯刀できるような寸尺ではなかった。

 確かに『魔女』の存在を定義すると、超常的存在に分類されるだろう。
 一番近いところで言えば『幽霊』だろうか……死者の魂が怨念とともに顕現した存在。


「お前は僕が足手纏いだとか、僕が加勢したところで一つも利点がないから関わるなって言ってたよな」

「ええ、そう言ったわ」

 そこで阿良々木暦は、にやりと笑う。
 言質をとった、そう言わんばかりのしたり顔だ。

「だったら、この『心渡』はどうだ? かすり傷一つで“怪異を殺し尽くす”キラーアイテムなんだぜ。これが利点と言えなけりゃ何が利点と言えるんだ? 僕的に自分の力じゃないみたいで不本意だけど……いや実際問題借り物の力だけどさ…………なぁ、ほむら――“この刀は”役に立つんじゃないのか?」

 言い逃れができるならしてみろと、畳み掛けるように捲し立ててくる。
 彼の言葉を要約すると……。

「刀が役に立つから、その刀を持ったあなたも必然的に役に立つ。そういうこと?」

「僕がおまけみたいで少し悲しいが……そういう事だ。ほむらにとっても悪い条件じゃないんじゃないか?」

「……そうね、その刀は使えるかもしれないわね」

 自然と口から、そんな言葉が漏れ出ていた。

「だろ?」

 何がそんなに嬉しいのか無邪気な笑顔を向けてくる。

 私には解らない。

 彼は魔法少女の戦いに身を投じて、いったい何を得ることができるのか?
 腕を食い千切られるような悲惨な目にあっているというのに――なぜこんなにも平然としていられるのだろう? 魔法少女わたしたちのように痛覚が緩和されている訳でもない。
 普通の感性の持ち主なら、二度とそんな危険な境遇に身を置きたいとは思わないはずだ。

 だけど彼は…………阿良々木暦は、自ら率先し、首を突っ込んでくる。

 魔法少女の為に、力を貸そうとしてくれている。

 頭がおかしい。常軌を逸している。常々思っていたことだけど……本当に……本当に変わった男だ。

 押し付けがましく、何度断っても諦めない。煩わしくて、相手をするのもいい加減うんざりで、私の邪魔にしかならない――そう思っていたのに…………純然たる結果を見せつけられてしまった。



 ――――“もう誰にも頼らない”



 そう心に固く誓ったはずなのに…………心が揺らぐ。


 自分自身の心が、判然としない。

 私の願いは、まどかを救う事。
 絶望の運命から、彼女を解き放つ……それだけが私の望む未来。


 まどかを救う為に必要な事…………それだけを考えるなら――――


 私は決断を下す。



「わかったわ…………あなたのその力、私に貸して貰える?」

「僕は始めっからそう言ってただろ」
「そうだったかしら」

 素直に肯定するのが癪で、惚けてみせる。

「よし、提携関係が成立ってことでいいんだな!」
「そうね。でも、邪魔だけはしないで。私にとって益にならないと判断した時点で、即刻この関係は打ち切らせて貰う。それで異存はないかしら?」

 そう、これは信用した訳ではなく、この男――阿良々木暦の利用価値を見極める為の猶予期間。
 相手の善意を搾取するだけの、軽蔑されるべき利己的な行為。

「ああ、勿論」

「でも考えてみれば、その刀を私に渡せば別にあなた自身は必要ないんじゃない?」

 ふと思いついた妙案を提案してみたけれど――

「ふ、残念だったな、ほむら。この刀は吸血鬼専用にカスタマイズされてるから、お前には扱えない。まぁそもそも借り物の刀を又貸しするのは、気が引けるし、それは却下だ」

「そう、残念ね」

 強奪しても意味はない、か――いえ、流石にこれは冗談だけど。





「ところで、グリーフシードはどこにあるの? あなたが持っていても何の役にもたたないでしょう」

 手持ちには十分な数のグリーフシードが備蓄されているけれど、数があるに越したことはない。

「グリーフシードって……魔女が落とすとかいう?」
「そうよ」

「落とさなかったぞ」
「なんですってっ!?」

 思わず大きな声を出してしまった。

「何をそんなに驚いているんだ? お前言ってなかったか、落とすのは時々だって」
「そうね…………でも、この魔女に限っては……」

 グリーフシードは確かに、全ての魔女が持っている訳ではない。
 しかし、私が繰り返してきた統計上、それはあり得ない……はず。『お菓子の魔女』に関しては、確実にグリーフシードを落としていた。
 偶々今回に限って孕んでいなかったと考えることもできるが…………私の中では既に、一つの仮説が組みあがっている。

 ――仕方ない。

 小盾の収納スペースの中から、予備のグリーフシードを取り出す。
 それをそのまま左手の甲に張り付いた状態のソウルジェムに当て、穢れを取り除く。
 とは言っても、魔力をほとんど行使していないので、その穢れの量は微々たるもの。アメジストのような煌めきを放つソウルジェムに、大した変化はなかった。

 まだまだ使用可能で、勿体ないけれど…………。

「これを、その刀で切ってみて」

 そう言ってグリーフシードを地面に落とす。

「いや、え?」
「いいから」

 私の申し出に戸惑う阿良々木暦に対し、有無を言わせぬ力強い声で強要した。
 手首を掴まれた状態では、刀が扱い難いだろうと判断して、掴む場所を腰元に移す。
 離れると彼の時間が止まってしまうとは言え、こうも長い時間、異性と接近した状態というのは、少し気恥ずかしい……いえ、相手が誰であってもだ。


「…………ほんとにいいんだな」
「ええ」

 難色を示しながらも――阿良々木暦は刀を構え、ゆっくりと刀身を下ろしていく。
 アスファルトの上に転がったグリーフシードに、刀の切っ先が触れた。
 グリーフシードは硬質な石のような強度がある。普通なら表面に当たった時点で、弾かれるはず。

 しかし――刀は何の抵抗もなくすんなりと突き刺さり…………気付いた時にはグリーフシードが消失していた。


 ということは…………。


「阿良々木暦」

 努めて平静な声で、彼の名前を呼ぶ。

「……はい」

「この刀の特性を復唱して頂戴」
「…………かすり傷一つで怪異を…………この世ならざるものを殺し尽くす…………そんな性能だと伝え聞いています」

 だとしたら、私の仮説に間違いはないだろう。

「“鶏が先か、卵が先か”」
「えっと、それは?」

「循環する因果性のジレンマを現す言葉。グリーフシードは魔女の卵のようなもの。要は、その刀の力で、魔女と一緒にグリーフシードも、殺し尽くしてしまったってことでしょうね。魔女に効果があるのなら、それと同様の性質を持つグリーフシードに効果が及ばない理由はないでしょう」

「…………知ってれば……こんな……いや、でも……ああ……僕は……何てことを……」

 取り返しのつかない事をしてしまったと、罪悪感に苛まれて狼狽する憐れな男が居た。


 だけど、彼が思う程、私はこの件を問題視していない。寧ろ、その絶大な効果を再確認できて、内心ではほくそ笑んでいるぐらいだ。


 魔女を問答無用に一太刀で殺す事ができるというのは、驚異的な力であるし、便利だと思う。
 しかし、魔女をこの妖刀『心渡』で倒すと、グリーフシードも一緒に消失してしまう。
 もし、私がこの刀に依存して魔女を狩り続ければ、今後グリーフシードを得ることが出来ないということ。

 ここだけを切り取って考えれば、大問題だけど――だったら、この刀に頼らければいいだけの話。

 私は別に、“ただの魔女”如きに後れを取るつもりはない。
 刀の力を借りなくたって、今までも一人で対処してきている。


 でも――最悪最凶の魔女『ワルプルギスの夜』に私の力は及ばない……。
 この『心渡』が如何なる効果を齎すのか、全くもって検討もつかないけれど―――もしかしたら…………孵卵器インキュベーターの策謀さへも無に帰す、途轍もない切り札になるかもしれない。

 それに、使い魔相手なら、デメリットもない有用な武器と足り得るだろう。使い方次第で、幾らでも応用が利く。

 ただ、この事をすぐに教えるのは惜しい――


「……あの……ほむらさん…………先ほど結んだ提携関係の件ですが…………」

 年下相手に、へりくだった言葉遣いで――主人の気を窺う情けない仔犬のように、不安気に私の顔色を見てくる阿良々木暦。
 その姿はまるでチワワのよう――阿良々木ではなくて、チワワ木だ。

 まどかに妙な誤解を与えた恨み。やむを得ない事情があったにせよ……私を放置していった事への腹いせも兼ね、敢えてからかい目的で私は短く言い捨てた。


「解消」


 その言葉を真に受け落胆するチワワ木の姿に、私の心の穢れストレスは“解消”されていくのだった。
 




[27169] こよみシャンブルズ~その1~
Name: ミドリ◆02e976c9 ID:2270504e
Date: 2013/08/17 09:29
~028~

 結ばれた提携関係が、数分と経たないうちに瓦解してしまった!

 ほむらの慈悲なき一言に、悲嘆に暮れる僕ではあったが…………結局のところ、僕の反応を見て楽しんでいただけということで――一応、魔女退治に同行するのは承諾されることになったのだった。


 それから――僕とほむらの間で、今後の方針を決めに掛かったのだけど――いや、方針と言うより、ほむらの都合を訊いて、僕がそれに合せるだけ、と言った方が正鵠を射ているだろうか……。

 僕的には、全てありのままに語ってしまっても、問題ないと思っていたのだが、ほむらとしては、そういう訳にもいかないらしい。

 巴さんにはある程度事情を明かしてもいいが、鹿目さんと美樹さんにはでき得る限り伏せておきたいというのが、ほむらの意向だ。
 ただ、『心渡』に関してだけは、巴さんにも内密したいとのこと。この刀を『奥の手』として認識しているのだろう。


 あとキュゥべえには、一切情報を与えたくないところではあるが――現場を目撃されている以上、隠し通すということは既に不可能。
 それでも、馬鹿正直にこれ以上情報を与えてやることもない。


 段取りも確認したし、あとは時間停止を解除するだけだ――と、その前に、『心渡』を忍に回収して貰っておく。僕と密接にリンクしている為か、忍も行動可能のようだ。

 無論、解除する前に、元の位置に戻っておくのも忘れずに――





 そして――――静止していた時が動き出す。


 本来なら、死んだはずのキュゥべえが現れた事で、大混乱とした場の収拾に、手を焼いていた筈だが――しっかりと対策を練ることができたので、中々スムーズに事を運ぶことができた。

 まずはキュゥべえに、自身の生態について語らせることにした。
 要は以前、僕と戦場ヶ原が訊いた『肉体の死が、そのまま精神の死と直結している訳ではない』という人類には理解できそうもない話を、本人の口から説明させたのだ。

 ほむらの目論見としては、当人の口から説明させることによって、キュゥべえの異常性を喚起する為だとか。

 まぁその説明前に、自分の死体を平らげる姿を視線の集まるなか晒した訳で……その時点で十分に、異常性は露見することになったのだけど。

 マスコットキャラ的な立場は剥奪され、信用度が失墜――毛嫌いされる程ではないにせよ、キュゥべえの扱いが2ランクほど下がる結果と相成った。


 そして、それ以降キュゥべえには、緘口令かんこうれいが敷かることになる。
 少し意味合いが違うけど……簡単に言ってしまえば『許可がない限り、喋るの禁止』ってことだ。
 こいつが喋ると何かと面倒なので、強制的な措置をとっておく(有無を言わせず厳命したのはほむらだけど)。

 そうそう、厳命と言えば、僕もほむらからの命令により(何に於いてもこれが一番重要だと念を押された)――鹿目さんに、僕がほむらの彼氏ではないということを、ちゃんと釈明しておいた。

 あとは、僕に関する説明をしなければいけないのだが、この状態では話せない。ほむらと打ち合わせた諸々の事情を踏まえ、僕等がとった対応策はこうだ。


 全員揃った状態で、簡単な自己紹介だけ済ませた後――鹿目さんと美樹さんには一時的に席を外して貰う事にした。
 邪魔なキュゥべえを二人に預け(美樹さんが嫌そうな顔で受け取ってくれた……押し付けたともいう)、その間に巴さんへ『詳細な説明』を済ませ、話しが終わり次第、こちらから連絡をいれる――そういう手筈になった。


 美樹さんが多少駄々を捏ねたが、巴さんの説得と、話せる事に関してはちゃんと説明するという条件で引き下がってくれた。
 まぁ一番問題視していた、キュゥべえは生きてる訳だし、彼女としても食い下がる理由が稀薄になっている。

 それにこの持て余した時間を丁度いいと、友達のお見舞いに向かうことにしたようだ。
 どうやら、この病院に居たのも、お見舞いが主目的だったようで――その折に孵化しかかったグリーフシードを見つけたんだとか。

 これで本日二度目のお見舞いになるらしいのだが、一度目はリハビリ中で会えず仕舞いだったようで、そのやり直しを待っている間にしておこうって算段らしい。


 場所も、自転車置き場の前から、リハビリテーション用に設けられた遊歩道脇の、休憩スペースへ移す。
 入院患者さんが憩いの場として使用するのだろう。雨避けの屋根の下には、石製のテーブルと円筒型の椅子が設置されてある。
 夕飯時の為か人の姿もなく、落ち着いてゆっくり話すことができそうだ。

 とはいえ、少なからず、人目に触れている。
 破けた制服を着たままだとあまりに目立つので、学ランは脱いでしまい、カッターシャツを腕まくりして、夏服使用に――これで大分見た目はましになったはず。



 ざっと話したが――このような経過を経て、僕、ほむら、巴さんの三人でテーブルを囲むことになったのだった。







~029~

「改めて阿良々木さん、命を救ってくださって、ありがとうございます――――それに暁美さん……私があなたの忠告を素直に訊いていれば…………本当にごめんなさい」

 移動を終え、さて腰を下ろそうかとしたその間際――巴さんが僕とほむらに向かって頭を下げてくる。僕には必要以上の恩義を、ほむらには相当に罪の意識を感じているようだ。

「……別に、謝って貰う必要なんてないわ……」

 ほむらは謝られるとは、欠片ほども考えていなかったようで、その謝罪に戸惑い、そっぽを向いて素っ気無い返事を返すだけだった。

 折角巴さんが態度を軟化させてくれているのに……ほむらめ……険悪な雰囲気に逆戻りさせるつもりかよ。
 これだとまた話が拗れかねないので、僕がほむらの言葉を引き継ぎ――努めて明るい感じで声を掛ける。
 
「そうそう、巴さんがそこまで気に病むことはないよ。あと命を救ったなんて大げさだって…………まぁ取り敢えず座って話そうよ」

 僕の隣にほむら、対面に巴さんという配置で、石で出来た円柱型の椅子に腰を下ろす。

 これで、なんとか話せる空気になった。


 そして――真っ先に口を開いたのは巴さん――

「はい…………それで、私の錯覚でなければ…………腕はあの時に……」

 ――魔女に喰い千切られたはず。

 沈痛な面持ちに、憂いを帯びたか細い声で、明確に口に出すことを憚り、視線だけで疑問を訴えかけてくる。

 どう説明したものかと、しばし迷ったが――その問い掛けに僕は、まどろっこしい前置きを省略して、単刀直入に打ち明けることにした。


「信じられない話かもしれないけど、実は僕、吸血鬼なんだ」

 僕の突拍子もない発言に、きょとんとした表情を浮かべる巴さん。どうも理解が追い付いていない様子。

「……吸血鬼って、あの血を吸う?」

「そう、あの吸血鬼。正確には『吸血鬼もどき』なんだけど、それは一先ず置いておくとして――人間離れした運動神経があったり、腕が完治したりしたのも、吸血鬼としての力の一端ってこと。あ、そうだ。初めて会った時にキュゥべえが見えるのは、霊感が強いとか適当な事言ったけど、それも僕が吸血鬼だったから見えたんだと思う――ええっと、随分とざっくりした説明になっちゃったけど、大丈夫かな?」

「…………本当に…………阿良々木さんは本当に吸血鬼なんですか!? ヴァンピーロなんですか!?」

 大きな声で念を押して確認してくる。というかヴァンピーロってなんだ? 一連の文脈から考えると、吸血鬼――ヴァンパイアの別称だろうか?

「信じ難い話ではあるとは思うけど……」

「いえ……信じてない訳ではないんですが、でも……阿良々木さん、日光とかも平気そうですし……あまり吸血鬼っぽくないかなって……」

「あーそういうことか。さっきも言ったけど、僕は『吸血鬼もどき』――真っ当な吸血鬼じゃないから。力も半減してるんだけど、その分吸血鬼としての弱点が消失してる。日光もニンニクも聖水だって効かない、便利と言えば便利で、融通がきく身体ではあるかな」


 そう言った意味では、ヴァンパイアハーフ――あの性悪なヴァンパイアハンター『エピソード』と体質的には近い状態と言える。利点が半減する代わりに弱点がほぼ全滅するとは忍の言だったか。

 ただ僕の場合――不死力に関してだけは、半減した上で尚、凄まじい効果を現している。伝説の吸血鬼様様である。

「春先に吸血鬼に襲われたことがあって、こんな異常体質になったんだけど…………いや、本筋から外れるし、この話はやめておこうか」

 ついさっきも、僕が吸血鬼に成った経緯をほむらに話そうとしたのだが、何の興味も示してくれなかったからな……「無駄話は必要ない」と、一蹴されてしまったのだ。
 初めてほむらと出会った時にも、似たような対応で断られたと記憶している。

 ほむらから不評を買うのも嫌だし、ささっと話を進めてしまおう。

 ……そう、思ったのだけど。

「いえ、そんなこと言わずに是非是非!! まさか本当に吸血鬼がいるなんて!! もう夢みたい!!  そのお話、詳しく聴かせて貰ってもいいですかっ!?」

 異常にテンションを上げ、机に身を乗り出してきた! 目がキラキラと輝いている。
 どうも『吸血鬼』というワードが、彼女の琴線に触れてしまったようだった。

 さっきまで鬱屈として沈み込んでいた筈のに…………いや、元気になるのはいいんだけど……。


 う~む……ここまで熱望されては、無下にも出来まい。

 となれば、語り手としてじっくりと、僕と忍との間に起こった“物語”を話してあげたいところではあったが…………美樹さん鹿目さんを待たせている状況なので、そうも言っていられない。
 何より、ほむらの無言の圧力が怖かったので、手短に纏め簡単に語ってしまう。





 そんなこんなで、一通り話し終えた訳だが…………。


「命を捧げて、吸血鬼を救い…………互いに傷付け合いながらも、生涯を賭して、一緒に生きていく事を望む…………こんなこと……誰にでも出来ることじゃないですよね。阿良々木さんが自身の身を顧みず、庇ってくれた理由が、この話を訊いて分かった気がします」

 色々と端折って、あらすじのような概略を話しただけなのに、巴さんは、感涙せんばかりの面持ちで、自分の世界に入っていた。

 いや、余計な内容(主に体育倉庫内の出来事など)を削ぎ落としたからこそ、こんなにも認識に齟齬が生じてしまっているのだ。

 巴さんの中ではとんでもない美談に仕上がっているようだけど……そんな綺麗な話じゃあない。
 這い蹲って傷を舐めあうような、見るに堪えない救いようのない話なのだから……。


 だというのに、巴さんの僕を見る瞳が、もう純真なこと純真なこと。
 もう、憧憬と言い切っていいレベルの眼差しを向けられると、無性にむず痒く決まりが悪い。

 隣で黙って話を訊いていたほむらは表情一つ変えていないというのに……この違いはなんなのだろう。感受性の違いか。

「魔女をどうやって倒したのか気になっていたんですが、阿良々木さんは、伝説の吸血鬼の眷属同然なんですよね。だったら、私が仕留め損ねた魔女を、あんなにも容易く、切り伏せたのにも納得です」

 『心渡』のことは伏せておく方針の為、どう言い逃れしようかと考えていたが、巴さんの方で勝手に解釈してくれていた。
 好都合ではあるけれど…………これでは僕自身が、途轍もない戦闘能力を持っているってことにならないか? 

 巴さんの中で、僕のイメージが独り歩きしている気がしてならなかった。
 いいのか、これ?


 訂正を加えたいのは山々だけど、『心渡』の力を伏せた状態で、説明するのも難しいし――ここは、流れに身を任せることにした。

「……ええっと、他に何か質問とかある?」

「そうですね…………あとは…………阿良々木さんと暁美さんってどういう関係なんでしょうか?」

「関係と言われても……成り行きとしか……なぁほむら」
「そうね…………元はと言えば巴マミと接触する予定だったのでしょう?」

「私……と?」

 僕とほむらが知り合う切っ掛けとなった経緯――巴さんの容態確認と、魔法少女のことを調べる為に見滝原までやってきたことを話す。
 今更ではあるが、戦場ヶ原が行った悪逆非道な行いに対しての謝罪もしておいた。

 ただ……その所為で、巴さんにとって忘れておきたい、忌まわしい記憶が呼び起こされてしまったのは失敗だった。
 そっと、触れないで置くのが正解だったようだ。

 そこまで深刻な様子ではなかったが…………心の傷は、簡単に癒えるものではないらしい。








~030~


 巴さんへの説明を終え、次は鹿目さんと美樹さんの番だ。

 お見舞いに行っている二人を呼び戻すため、巴さんに携帯でワンコール入れて貰う。
 病院内と居るということもあり、携帯で直接話すのは気が引けるので、合図があり次第こっちに来てもらう段取りになってる。
 テレパシーで直接呼び出すという方法もあったらしいが、キュゥべえ経由になるので却下となった。


 程なくして、二人とお呼びでない白い生き物が一匹やってきた。


「えっと…………転校生とそっちのあんたは……あら木さん、だっけ?」

「いや違う違う。僕の名前は阿良々木。阿良々木暦だ」

 覚えにくい苗字であることは自覚しているので、これはいいとして、『転校生』ってのはほむらのことだろうか? 随分な呼び方をするなぁ…………。

 そういえばほむらの素性って全く知らないな。まぁ訊いたところで、教えてくれるなんて微塵も思わないけど。
 ミステリアスガール、暁美ほむらである。

「そうでしたそうでした……あら、らぎさん。ん~何か言い難いな。えっと『暦さん』、でも構わないです?」
「まぁ好きに呼んでくれて構わないよ。それで、どうしたの?」

 一緒にやってきた鹿目さんが、少し後ろでキュゥべえを抱えて控えているので、美樹さん個人で、何かしらの話があるんだと思うけど……。

「なんといいますか……え~と…………」

 なかなか言い出せず、しどろもどろするばかり。
 それでも、どうにか踏ん切りがついたようで――

「なんかあたし……色々と誤解してたみたいで……ごめんなさい」

 罰が悪そうに頭を掻きながら、ぼくとほむらに向かって謝罪するのだった。

「え? ……何? あなたに謝られる覚えなんて一切ないのだけど」

 巴さんに謝られた時と似たような受け答えだが、なんかより、困惑が増している。それ程までに美樹さんの謝る姿が、意外ってことだろうか?

 そうは言うものの、僕も概ねほむらと同じ感想だ……巴さんの時はある程度、彼女の心情を察することはできたが……これはいったい?

「……いや…………だからさ……まどかから訊いたんだ。あんた達ってマミさんとあたしを助けに来てくれたんでしょ? 転校生のことさ、グリーフシードを獲ることしか考えてない奴だって、勝手に思い込んじゃってた。暦さんは……身を挺してマミさん庇ってくれたわけだし……キュゥべえがあんな摩訶不思議な生き物だってあたし知らなかったからさ……気が立っちゃって」


 なるほど、そういうことか。

 こういうのは、当人の口からよりも、人伝いに訊いた方が、ぐっと信憑性が増すものだからな。
 自分で釈明しようとしても、それは『言い訳』と変換されることが、間々あるもの。

 鹿目さん、ナイスな働きである!


 これで、“表面上”は和解したと言っていいだろう。
 まだ、完全に気を許しあっているような状態ではないから、どうにかして、協調しあえる間柄になって欲しいものだ。

 烏滸がましい話ではあるが、僕が彼女達の仲を、繋いであげられればなと思う。ほむら一人では、どうにも不安だ。


 そんなやり取りを経て――二人にも席に座って貰い、事情の説明を行う事になった。

 だけど……二人には極力情報を与えたくないというほむらの方針と――テーブルの隅には、丸まった体勢で聞き耳を立てる、キュゥべえも居るものだから、自ずと話せる内容は限られてくる。

「どこまで疑問に答えてあげられるかは解らないけど…………えっと、美樹さん、鹿目さん、何か質問ある?」

 一応形式として、Q&A方式を用いているが、きっとこの二人……特に美樹さんの抱いている疑問に対し、はぐらかす様な受け答えしかできないだろうな……。
 釈然としない、隔靴掻痒かっかそうようとした説明になるに違いなかった。

 が、僕の予測とは裏腹に……。

「暦さんの謎めいた力とか、転校生との関係とか――いろいろ問い質したいことはあるんですけど……いいです!」

「……いいですって、それは?」

 今一つ、美樹さんの言っている言葉の意味が掴めず、首を傾げ問い返す。

 その問いに答えてくれたのは、鹿目さんだった。

「さっき、さやかちゃんと話し合って決めたんですけど……この事ってわたし達には伏せておきたい事なんですよね? だからマミさんにだけ、先に話したんですよね? だったら……わたし達が無理強いして詮索したら、迷惑になるのかなって思って……」


「うんうん。そういう事。はぁーなんて殊勝なあたし達!」
「……さやかちゃん。そんなこと言ったら、台無しだよ」

 おおぉ……なんと健気で気遣いの出来る子達なのだろうか!?
 この、おちゃらけたやりとりだって、僕等が気負わないよう言ってくれているのだ。
 自分の都合を押し通そうとするほむらとは、えらい違いだ。


「正直、そう言って貰えると助かるけど……ほんとにいいの?」

「だったら暦さん……一つだけ訊かせて貰っていいですか?」


 すぐに話を切り上げればよかったのに……相手が譲歩してくれた事に対し、なんだか申し訳ない気持ちになって、要らぬ発言をしてしまった。

「これだけはどうしても知っておきたいことなんです」

 急に真剣な顔付きになって、美樹さんは言う。


「……えっと」

 どう返答したものかと、言葉に詰まる僕。


「阿良々木暦」

 横に座ったほむらが、釘を刺すように小声で僕の名を呼ぶ。

 余計な事を言うなってことですね……わかってるってば……。

「……答えれる範囲でなら答えるけど」
「いえ、暦さんの素性を探ろうとか、魔法少女の問題に踏み込むような話ではないんです」
「そうなの?」

 だったら、問題ないか……。

「じゃあ……いっか。答える答えないの判断は後でするとして、取り敢えず言ってみてよ。訊きたいことって何?」

「はい、それはですね」
「それは……」

 一呼吸置いて、じっくり間を空ける。
 そのただならぬ気配に、僕は思わず息を呑む。



 そして、美樹さんは言う。


 騒乱の幕開けとなる言葉を、口にする。



「マミさんのおっぱいの感触はいかがでしたか?」



 僕は間違っていたのだ。訊いてから判断するという、中途半端な対応なんてするべきではなかったのだ。



「……そ……それは、何のことだ?」

 冷や汗を垂らしながら――兎にも角にも、惚けてみる僕だけど…………もう遅い。
 進んだ時計の針を戻すことは出来ない――覆水盆に返らず、だ。


「美樹さん! あなた何を言ってるのよ! もうぉ、恥ずかしいじゃない!」

「阿良々木暦。私は『委曲を尽くして説明して』と言ったはずよね。初耳なのだけど、これはどういうことかしら?」

「え? え? なになに? さやかちゃん! それっていったい!?」



 状況は既に、開始されてしまっているのだから。




[27169] こよみシャンブルズ~その2~
Name: ミドリ◆02e976c9 ID:2270504e
Date: 2015/09/10 08:38
~031~

「まぁまぁ皆さん落ち着きなさいってー。いやー決定的瞬間を見ちゃったんですよねー、あんなにも盛大にマミさんの胸を揉むなんて、くーっ! 羨ましぃー! あたしもまだ触らせて貰ったことないのにぃー! 実にけしからんですなー。そんな栄えある栄誉を『手中』に収めた、そのご感想を一言だけでも頂きたいなーって思っちゃった訳ですよー! 『前人未到の秘境』に足を――いやさ、手を踏み入れた開拓者様の感想を是非!」

 ニヤニヤした訳知り顔で美樹さんはのたまう。

 このアマ…………なんて可愛げのない奴なんだろうか! 健気で気遣いの出来る子“達”と評したことを今取り消す! 前言撤回だ! 

 どこぞの胡散臭い新聞記事みたいに、やり取りの一部分だけ抜き出して、曲解した情報を流すような真似しやがって!!

 僕がした事は言わば『溺れて気を失っている女子中学生を人工呼吸で救った』のと同等の、なんら後ろ指をさされるものではなく、胸を張って正当性のある行為だと言え…………言えるかはともかくとしてだ――――それを『寝ている女子中学生の唇を奪った』と言い換えられたようなものなのだ!

 捏造報道許すまじ!!

 しかし……いいようにからかわれているのに、このデリケートな問題に対する僕の反抗手段が、全くといっていいほど見当たらない!
 胸を触った不埒な行為であるのは間違いなく……“事実無根”ではないだけに、下手に言い返すのは危険だ。僕としても、藪をつついて蛇を出すような真似はしたくない。


 ならば僕の取れ得る対策は…………黙秘権を行使すること!

「くっ…………ほむらとの協定――情報の守秘義務により、僕は何も話すことはできない。ただし、一つだけ弁明させて貰う! 断じて揉んでなどいない!」

 触っただけだ!
 『揉む』と『触る』――この二つの言葉の間には、あまりにも大きな隔たりがある!
 

「この件についての情報の開示を許可するわ。事実の隠蔽、及び虚偽の報告には相応の酬いが待っていると思いなさい」

 僕が拠り所とした協定と言う名の防壁が、一瞬にして崩壊した! 脆すぎる!
 ほむらの言葉を意訳すると、『正直に喋らなければ殺す』――そう言い換えてもなんら間違いないはずだった。

 説明を全て僕に任せっきりにして、殆ど喋らずコミュ障状態だったクセに、こういう時だけ饒舌になるんじゃねーよ!

 まさか、美樹さん側にほむらが、加勢するとは…………いや、話を訊こうと判断は保留中なのだから、まだ中立のはず――今の立ち位置を言い表すならば、大体こんな感じだろうか。

 僕、被疑者。
 巴さん、被害者。
 美樹さん、目撃者(重要参考人)。
 鹿目さん、傍聴者ぼうちょうしゃ
 ほむら、裁判官。

 となれば、黙っていても『裁判官』への心証が悪化していくだけ……仕方あるまい――ここは申し開きあるのみ!

 などと、そんな風に意気込んでみても、僕から発せられる言葉に大した勢いはない。

「…………だから……魔女に襲われそうになった巴さんを……僕が突き飛ばしたって、さっき説明しただろ」
「ええ、それは訊いているわね」

「その時に…………僕が押した場所が……胸部だったというだけの話で…………意図的ではなく、偶発的に起こった事故だったんだ!」

「そうよ暁美さん。阿良々木さんは私を庇う一心で、無我夢中だっただけ」

 おおぉ、『被害者』である巴さんが、僕の無実を証明してくれた! これで示談成立だ!

「それに、こんな中学生の胸を触ったって、阿良々木さんは何とも思ってないわよ。そうですよね、阿良々木さん」

「え? ……うん……まぁ、そうかな」

 しれっと頷いてはみたものの、そんな訳なかった。
 中学生とは言え、巴さんのおっぱいは別格なのだ。アレに直に触れて、何も思わない男などいる筈がない!

 だから……そんな純真無垢な瞳で僕を見ないで下さい。僕の良心が捩じ切れます。


「女性の胸に触れたというのは、揺るぎない事実というわけね」

 結論を言い渡す『裁判官』の声音は、ぞっとするほど冷淡なもので、糾弾こそしてこないものの――僕を見る眼差しは、明らかに軽蔑の色が含まれていた。

 至った過程より、最終的な結果を重視するタイプ――ほむらはこの歳で成果主義の人間のようだ。世知辛いったらありゃしない。

「でも、それって女の子に対して失礼じゃありません? マミさんの胸は触るに値しないものだと言ってるようなものですよ」
「もう、美樹さん、阿良々木さんをからかわないの! いい加減にしないと、私怒っちゃうわよ」

 巴さんがすかさず窘めてくれる。僕に対しては終始敬語だからだろうか――この美樹さんを叱りつけるお姉さん口調がなんとも新鮮である。

「いろいろ訊きたい事我慢してるんだし、いいじゃないですか、これぐらい。で、正直な話どうでした、暦さん?」

 だけど、美樹さんは全く気に留めた様子もなく――底意地の悪い、下劣な笑みをうっすら浮かべて、僕を問い詰める。
 悪戯を楽しむ、低級悪魔のような奴だ。

 しかし、どう答えるのが正解なのだろうか?

 さっきと同様に「別に何とも思っていない」と自分を偽ることは簡単だ。だけどそれは美樹さんが指摘した通り『巴さんのおっぱいには何の魅力がない』と言っているのと同義。

 僕は、自分自身に問い掛ける。

 一人のレディーに対し、あまりに失礼な物言いではないか?
 巴さんを傷つける結果になりはしないだろうか?


 だとしたら。

 僕が取るべき選択は――――



「実に見事なおっぱいだった」



 率直な感想を述べてみた。

「うわ、ひくわー、暦さん、それ、ひくわー」
「最低ね」
「見事だなんて……そんな」

「ほむらに最低呼ばわりされるのは、まだ許容するが……感想を言えっていったのはそっちなのに、その反応はねぇだろーがっ!?」

 一番軽蔑されてもおかしくない巴さんが、僕の言葉を素直に賛辞と受け取ってくれている事は救いか。

「あっはっはーまさか本当に言うとは思わないじゃないですかー。いやぁ暦さんは面白い人だなー、尊敬しちゃいますよ、あたし!」

 完全におちょくられている!

「それで、まどかはさっきから何やってるの?」

 そういえば、僕の問題発言(これでも自覚はしている)に対し、これといった反応をみせないでいたが――何か熱心に……自分の胸に両手をあてがっていた。


「ふぇ!?」

 美樹さんの呼びかけに驚き、素っ頓狂な声をあげる鹿目さん。

「あの……わたしの胸……ちっちゃいから……その……マミさんみたいに……大きくならないかなぁって」

 顔を真っ赤にして、馬鹿正直に答えてしまう、愛くるしい少女が居た。

「いや! 違ッ! 何もしてないよ! 違うの! ううう……」 

 そして、今更ながらに自分の愚かしい発言に気付いたようで、更に赤面の度合いを上昇させている!


「ほぉーまどかはマミさんみたいなナイスバディな美少女に変身したいと、そう仰っている訳ですなー、いやぁーまどかも女の子だねー」

 それを楽しげに冷やかす、容赦ない美樹さんだった。

 鹿目さんには悪いけど……何にしても、揶揄する対象が切り替わって、内心ほっとしている僕である。

 と思ったのもつかの間で――


「暦さんは当然大きい方が好みなんです?」

 猫が捕えたネズミを執拗に甚振るように、まだまだ僕で遊ぶ気満々――獲物を簡単に逃すつもりはないようだ。
 性悪は言い過ぎにしても、小生意気な猫といった印象を受けるよな……。

 猫……か――どうも僕は『猫』に弄ばれる性分らしい。猫は……なんというか『嫌い』ではないが『怖い』……僕の深層心理の奥深くまで刻み込まれている。


「…………それは」

 僕は、返答に窮する。
 何をもってして当然なのかは定かではないが、否定はできないのが悲しいところだ。
 貧乳に『希少価値』を見出す事のできる、稀有な人間ではないのは確かだった。
 だが、なにも「貧乳が無価値だ」などと言うような、排他的な意見の持ち主でもない。
 おっぱいには等しく価値があり、大きさは付加要素なんだとは言っておこう。

 こんな博愛主義者のような発言をしておいてなんだが――まぁ実際問題、巨乳が好きなんだけどさ。
 一時期は、羽川さんの胸の事しか考えていなかった男、阿良々木暦である。

「やっぱり……大きくないと、駄目……なのかな」


 どう答えるべきか、答えあぐねる僕の耳に、自問自答するような鹿目さんの呟きが聴こえてくる――多分、独り言だったのだろうけど、僕の吸血鬼化したことによって性能が増した聴覚が、そんな台詞を捉えてしまっていた。

 こんな少女の嘆きの声を訊いて、「大きい胸が好きだ!」などと無神経なことは言えない。
 
 いや、どの道言わないけどさ。
 つい先ほど――巴さんの胸に対して感想を口にした、僕が言うのもなんだけど、女子中学生に自分の趣味嗜好を暴露して、何の得があるのかって話だ。

 どう答えた所で――誰かしらから、非難ないし変態の汚名を着せられるのがオチだ。

 『答えのない問題』への解答法は、『沈黙』と相場は決まっている――が、しかし、黙っていても解決はしない。
 しつこく追及されるのが、目に見えていた。


 正に八方塞がりなこの状況。

 何か打つ手はないのものかと、懸命に思考を巡らせる。
 しかし、あっぷあっぷ状態――即ち、溺れているような切羽詰まったこの状況下では、真面まともな考えなど思いつく訳もなく、往々にして…………溺れる者は、藁を掴むものなのだ――――起死回生の望みをかけて、僕が掴んだ藁は……


「キュゥべえ。お前はどうなんだ?」

 全く頼りになりそうもない、謎の生命体――キュゥべえだった。

 いやしかし、話の矛先を逸らすという意味では、そこまで悪くはないのかもしれない。


「喋ってもいいのかい?」

 そういや、此方からの許可がない限り、喋るなと厳命されてたっけか。言いつけを守るとは、意外に律儀な奴だ。

「ああ、阿良々木暦の名において、喋ることを許可しよう」

「別に、キュゥべえになんか訊いてないんですけどー」

 美樹さんが不平をぶつけてくるが、

「いやいや、キュゥべえも男な訳だし、貴重な参考意見になるって!」

 ここは、強引に押し切る。
 性別の概念があるのか疑わしいけれど……一人称は『僕』だし、一応『雄』として扱っていいはず――今はそんな些細な事を気にしている場合ではないのだ!

「さぁキュゥべえ。お前の意見を訊かせてやってくれ!」





[27169] こよみシャンブルズ~その3~(QB)
Name: ミドリ◆02e976c9 ID:2270504e
Date: 2015/09/10 08:40
~032~

 あくまでもその場凌ぎであって、こんなの、問題の先延ばしにしかならないのは承知している。だが、その間に新たな対策を講じる猶予ぐらいは生まれるだろう。
 さてさて、期待している訳ではないが、どんな見解を示してくれるのやら……。

「君達が今、女性の胸の大きさに優劣をつけようとしているのは、何となく理解できるけれど――生憎だが、それに対して僕が意見できることはないよ」

 所詮、場当り的に掴んだ藁。役に立つ筈などなかった。
 人間の感情も理解していないような奴には、ハードルが高すぎる問題だったようだ。

 まぁ逆に考えれば、僕達が“人間以外の動物のどこに性的衝動リビドーを感じるか?”と問われているようなものだから、当然と言えば当然か。これでキュゥべえを責めるのは筋違い――となれば、言い逃れる手段を早急に考えなければならない。

 そんな事を思案していたら――キュゥべえが、何やら小難しいことをぺらぺら喋り始めるのだった。

「なぜ君達が、こうも胸の大きさにこだわるのか、僕には理解できない。乳房にゅうぼうは大きく区分けすると『皮下脂肪』『乳腺組織』『大胸筋』から構成されていて、およそ90パーセントは脂肪組織を保護する『皮下脂肪』で成り立っている――つまり、それはただの『脂肪の塊』に過ぎない訳じゃないか。そんなモノに、価値を見出すことなんて到底できないよ。胸の大きさに、いったい何の意味があるんだい?」

 お喋り禁止令が解除されて、その分の鬱憤でも晴らすかのようにのべつ幕無しと――しかし『おっぱい』を『脂肪の塊』とは…………なんて夢のない発言だろうか。僕はこの瞬間、こいつとは一生解り合えないと確信した。

 ただ、キュゥべえの疑問に、答える少女はいない…………。

 反応がないのを、自分の言葉が足りなかったとでも判断したのか――テーブルの隅に陣取ったキュゥべえは、緩慢に尻尾を揺らしながら更に言葉を紡ぐ。

「それに君達が普段口にしている個々人の意見を総括すると、それは矛盾だらけだ。例えばマミ」
「え? 私?」

「君は事あるごとに、大きな胸に不満を漏らしていた。肩こりが酷いとか、うつ伏せに寝ると苦しいだとか、邪魔だといつも言っていたよね?」

「……そう……だったかしら?」

 巴さんとしても、ここは惚けるしかないだろう。
 ともすれば、嫌味に捉え兼ねられない発言を暴露されたようなものなのだから。

「対して、全く胸が無いと言ってもいい、まどかに、ほむら」

 鹿目さんとほむらが、キュゥべえにより『無い乳』認定された瞬間だった。

 漫画的表現ならば『ガーン』とオノマトペが描写されそうなぐらい、鹿目さんはショックを受けていて――ほむらは足下に置いた鞄の中に手を突っ込んでいた……きっとその手には拳銃が握られているのだろう。
 人目に触れる事もあり、どうにか自制したようだけど……。

 そんな水面下の動きを知る由もなく……キュゥべえは続ける。

「暁美ほむらの事は知らないけれど、まどかを始め、僕が接してきた胸の小さな女の子達は決まって、胸を大きくしようと、効果も定かではない無駄な努力に明け暮れている。まどか――君は牛乳を飲んだり、お風呂上りによく胸部をマッサージしたりしているけれど、本当にそれは意味があることなのかい?」

「ふぅええ!? どうしてその事……!?」
「僕が見る限り、まったく成長の兆候はみられないよ」
「えっ!? そうなの!?」

 鹿目さんに、苛酷な現実が突き付けられていた。

「ともあれ……君達は正反対の主張をしている訳だ。大きな胸をしたマミは、それを不用なモノとして扱っているのに――どうして胸の小さな子達は、そんな無用の長物を求めてやまないんだろうね…………」

「そんな言い方やめてよ! ひどいよキュゥべえ……こんなのって……」

 キュゥべえの容赦のない『口撃』に、堪らず鹿目さんが非難の声を上げた。

 ちなみに巴さんは、視線を伏し目がちにして、誰とも目を合せようとしない。
 この不毛な論じ合いを発生させるに至った、責任を感じているのだろう……居心地最悪だろうな、これ。

 まぁ一番の元凶は、この人の心を察することが出来ないキュゥべえにあるのだけど。次点で、そんな奴に話を振った、僕だろうか。

 ならば、責任を持って場の収拾に努めるべきだが、この話題に介入するのは危険すぎる…………少女達には申し訳ないが、保身の為、傍観者に徹する僕である。


「酷いとは心外だな……まどかやほむらのように、胸がほぼ皆無だからと言って、別に日常生活に支障を来すわけじゃない。寧ろ便利だろう? 邪魔な脂肪が削ぎ落とされて、身軽な状態なんだから」

 自覚はないのだろうけど、年頃の女の子に対し、あまりにもあんまりな物言いだ。
 もっと他に言いようはなかったのか…………せめて慎ましやかな胸とかさ…………僕もほむらの胸を『絶壁』だとか称したことはあるが、決して口に出したりはしない。

「そんな風に思ってるなら、やっぱりあなた、わたし達女性の敵なんだね。もうぉ! キュゥべえのことなんか知らないんだからねッ!」

 温厚そうな鹿目さんでも、この無礼極まりない発言は、流石に看過できなかったようだ。
 ジッとキュゥべえ睨み付け、怒りを露わにしている。とは言っても、頬を膨らませての意思表示がとてもプリティーで、全く怖くはない。

 隣では、噴火寸前の火山の如く……ほむらが怒りで手を震わせていた。こっちはマジ切れだ。僕としては銃が暴発しないか気が気でない。

「僕はこれでも、胸のない子達を弁護しているつもりなんだけれどな…………子育てに於ける授乳の際に、機能を果たせればそれで問題ないのだし、文明が発達した現代なら、代替品だって幾らでもある。だというのに――なぜ余分な脂肪なんかを求めるんだい? 訳が分らないよ」








~033~



「そうだ、前々から疑問に思っていた事なんだけど、後学の為、この機会に教えてくれないかな?」

 重く淀んだ空気が流れているにも関わらず、キュゥべえはそんなのどこ吹く風――ここぞとばかりにお喋りを続行する。
 白い悪魔の独演会は終らない。


「あんた……まだ、何か言うことあんの?」

 この場に置いて、比較的軽傷で済んでいる美樹さんが反応を示し、露骨に顔を顰めながら、呆れたように言うが、

「うん、そうだね。さっきの事とも関連のあることだし、丁度いいよ」

 キュゥべえはまるで意に介した様子もなく――物の序でと言わんばかりの軽いノリで、その疑問とやらを口にした。


「どうして君達は、日々変動する体重の増減に、そこまで一喜一憂できるんだい?」


 その言葉に、女子全員が息を呑む。

「観察するに……体重が減少することに喜びを感じ、増加することに絶望を感じているようだった。これだけでも十分に不可解だけど…………さっきも言った通り、乳房の大部分を占めるのは脂肪に他ならない――脂肪は体重増加の最たるものだよ。胸を大きくしようする行為は脂肪の増加に繋がっている。脂肪が増えるということは、その分、体重も増加する。当然だよね? なのに君達は、この相反する行為を同時に行おうとしている。ともて合理的とは思えない。この二つを同時に達成しようなんて、虫が良すぎるんじゃないのかな?」


 人類を客観的に見ていたからこそ得られる着眼点というか、なかなかに真理を突いた『問い掛け』というなの『糾弾』だった。

 その一連の言葉のどこかしらに、少なからず思い当たる節があったのだろう。女子中学生の皆さんは一様に、顔を引き攣らせていた。
 女性にとって『体重』に関する話題は禁句なのである…………。

 当たり前のことながら、キュゥべえの疑問に答えようとする、奇特な少女なぞ存在しない。


「マミ。君はこの中で唯一、体重を落とすことにのみ専念しているのは知っている」

 が、この空気を読むことの出来ない謎の小動物は、名指しで、更に追い打ちをかけるのだった。

「…………だったら、何の問題ないんじゃないのかしら?」

「そうだね。でも君は……いや、別に君に限った話じゃなく、多くの女の子に対して言えることだけど……それでもマミが突出しているから、やはり君に言うべきなのかな」

「……キュゥべえはいったい何が言いたいの?」

 赤玉の瞳に直視され、巴さんはおっかなびっくりな態度で問い返す。

「君は体重を減らそうと躍起になっているのに、どうしてあんなにも高カロリーなケーキやお菓子を好んで食べるんだい? それだけに飽き足らず、紅茶にも砂糖を多量に加える始末――君達の行動は支離滅裂だ」

「それは……」

「君達は甘味料という物を甘く考え過ぎだよ」

 キュゥべえは言う。甘味料だけに甘く――いやいや、そんな大喜利的な意図を含んだ発言ではないのだろうが。

「例えば、ケーキやお菓子に含まれる甘味料が、体内を流れる血液――つまり血糖値に対しどれだけの影響を与えるかと言うとね」

「やめてキュゥべえ! そんな話、私、訊きたくないわ!!」

 キュゥべえの説明を遮るように、巴さんは叫ぶ。
 しかし、その訴えにもキュゥべえは応じることはなく――尚も言葉を重ねていく。

「その反応は理不尽だ――君達はいつもそうだね。事実をありのままに伝えようとすると、決まって同じ反応をする。この当たり前の仕組みを理解せずに、体重を減らそうと思っているのなら、君達には事の本質が全く見えていない」

 情け容赦なく饒舌に。無慈悲にも。

「甘い物を好きなだけ食べれば脂肪は増える……そんな当然の結末を容認できないと言うなら、そもそも、痩せようなんてすること自体が間違いなのさ」

 正論と言えば正論とも言えなくはない、この言葉の暴力を一身に受けた巴さんは、完全に沈黙してしまった。
 精神的なKO負け。再起不能だろう。

「君達はいつまで性懲りもなく、この無意味な連鎖を繰り返すんだろうね」

 言い返す気力も残されていない巴さんに対し――憐れむようにキュゥべえは言い捨てる。紛うことなきオーバーキルである。

 説明するまでもないが、『無意味な連鎖』とは、『甘い物を食べて体重を増やしては、ダイエットする』ってことだ。


「違うよキュゥべえ。みんな……みんなそんな事は知ってるんだよ」

 そんな矢面に立たされ責め立てられる巴さんを庇うように(もう手遅れ)、鹿目さんが割って入るのだった。

「ケーキだって、お菓子だって……食べた分だけ、脂肪になるってことぐらいみんな知ってるんだよ。それでも止めることは出来ないの……みんな、みんな知ってるのに、ちゃんと心では駄目だって理解しているのに、甘い誘惑に負けちゃうの! ずっとわたし達の傍に居ながら、あなたはそんなことも分からなかったの!? どんなに我慢しても……気付いたら食べちゃってるの! これは女の子にとってはどうしようもないことなんだからね!」

 女子代表として、鹿目さんが心からの衝動を涙ながらにぶつけた。

 その魂の慟哭を受け――キュゥべえなりに、その言葉の意味を忖度そんたくしているのか数秒程、思索に耽り――

「なるほど……仕組みを理解した上で、甘いモノの摂取をやめれないということなんだね…………ペレットのような、高い栄養価を誇りバランスも取れ、効率的にエネルギーを摂取できる理想的な食品があるというのに、そんな栄養の偏ったモノを好んで食するなんて…………正直、理解に苦しむけれど――――でも、君達の気持ちは分かった」

 未だ少女達の心の葛藤については、納得出来ない様子のキュゥべえだけど――それでも『生態』として、そういうものだと割り切ったようだ。
 どうでもいいが、ペレットの評価が異様に高いな……。


 そして、キュゥべえは自分なりに纏めた考えを、少女たちに忠告するのだった。


「一つだけ僕から言わせて貰えれば――そんな甘い考えじゃ、体重は減らないってことだけだ。体重を減らしたいのなら、相応の覚悟は必要なんじゃないのかな?」


「うん、そうだよね……キュゥべえの言う通りかもしれない……こんな半端な気持ちじゃ……理想の体型になるのは……無理なんだよね」

 まぁ世に言う、『二兎追うものは一兎をも得ず』という至極真っ当な結論に至ったわけだ。


「でも、方法がないわけじゃないよ。君ならこの運命を変えられる」

 だがしかし…………その結論をキュゥべえ自ら否定するようなことを言い出した。

「鹿目まどか。君が望めば、マミの胸のサイズを超えるのだって造作もないことだ」

「えっ!?」

 予期せぬキュゥべえの言葉に虚を衝かれる鹿目さん。

「体重を気にすることもなく、まどかが理想とするプロポーションを獲得することができるんだ。そのための力が、君には備わっているんだから」

「それって……もしかして……」

「魔法少女として、魔女と戦うさだめを受け入れられるというのなら、僕が力になってあげられるよ。さぁまどか。この願いは君にとって、魂を差し出すに足る物かい?」

 魔法少女になりさえすれば、条理を覆し、不可能を可能にすることができると、キュゥべえは甘言を用いるのだった。

「まどか駄目よっ! そいつの言葉を訊いては駄目っ!! 今とは違う自分になろうだなんて絶対に思ってはいけないっ!!」

 今まで静観を決め込んでいたほむらが、声を張り上げ、鹿目さんを説得しに掛かる。
 鹿目さんが魔法少女になることを、何としても阻止しようと、いつものほむららしくもない、感情の篭った心からの叫び。


 その一匹と一人の言葉を受け――鹿目さんは…………

 すっと、その場に立ち上がり、大きく息を吸い込んで…………小さな声がデフォルトな彼女からは考えられない大きな声で――

「そんな願いで契約するわけないでしょっ!! キュゥべえもほむらちゃんも馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿ぁああああああああああー!!」

 一世一代――渾身のツッコミを放つのだった!


 ほむらが、馬鹿呼ばわりされて、本気で凹んでいるのはもう救いようがないとして、

「そっか……そんな願いの使い方があったのかぁ…………マミさんを越えるスタイルに…………だったら恭介だってあたしにメロメロ……!?」

 と、美樹さんが小声で、何かを検討しているのは、放っておいていいのだろか…………。

 巴さんも巴さんで――

「週一で買っていたケーキを……二週間に一回に……いえ、紅茶を無糖にすれば……ケーキは週一だって…………」

 なにやら、悪足掻きをしている。
 ケーキを食べることは譲れないらしい……。

 なんだろう…………答え辛い質問から逃れる為に、キュゥべえに矛先を逸らし――見事僕の目論見は達せられた訳だけど…………この惨状を見ると……大人しく僕が犠牲になっていれば、よかったのかもしれない。まぁもう今更ではあるが…………。

 何にしても、キュゥべえの如何なる時でも営業心を忘れないひた向きな姿勢には、ある意味に於いて尊敬の念を抱かずにいられない僕だった。





[27169] こよみシャンブルズ~その4~
Name: ミドリ◆02e976c9 ID:2270504e
Date: 2013/08/17 09:32
~034~

「これで邪魔者が口出ししてくることもないわ」

 仕切り直しとばかりに、ほむらが口を開く。
 さっきまで消沈していたのに、もういつもの調子を取り戻している。喜怒哀楽を感じさせない澄まし顔だ。

 言葉が過ぎたキュゥべえには、再び緘口令(お喋り禁止令)が敷かれることになった。制定者は、大方予想できると思うが、暁美ほむらである。

 また、テーブルの上に居座られると目障りなので、地べたへと追いやられていた。
 当面の間は、珍獣に邪魔されることなく、有益な語らいができることだろう。



「いえ……こんなのじゃいけない……」

 と、そこで意を唱えたのは巴さん。

 やはり、キュゥべえそのものを排除しないと、奴の存在が気になって、話に集中できないということだろうか…………などと考えていたら、徐に巴さんが左腕を突き出した。

 何事かと身構えたが、すぐに魔法の力を行使しようとしているのはわかった。

 その証拠に、左手中指にはめた指輪形態のソウルジェムが、金色の光を放っている。

 そして――間を置かずして、数本のリボンが放出された!

 ふと脳裏に過ったのは、魔女の結界内で、僕とほむらを締め上げた拘束魔法。リボンでキュゥべえを締め上げるつもりだろうか? 

 だが予想に反して、数本からなるリボンの帯は、キュゥべえに伸びていくことはなく――テーブルの上でくるくる渦を巻き始めると、次第に形を成していき…………なんと!


 ティーセット一式に姿を変えたのだった!

 意匠を凝らした白磁のティーカップには、既に適量の紅茶とおぼしき液体で満たされている。
 リボンからマスケット銃を精製することができるのだから、ティーカップをつくり出すことぐらいわけないのだろうが、果たして、この紅茶はどこから呼び出したものなのだろう?
 まさか、この紅茶もリボンが変質したものなのか…………? 謎である。

「うん、やっぱり――皆でお話するんだったら、紅茶は必要不可欠よね!」

 巴さんは、満面の笑みを溢し、実に満足気だ。


「…………巴マミ……………………これは何?」

 眉を顰め、憮然とした調子でほむらが問う。
 ほむらの表情から察するに……魔力の無駄遣いも甚だしいと、暗に訴えているものと見受けられる。
 そういや、巴さんが魔女を仕留めたと早合点し、ポーズを決めていた時にも紅茶を飲んでたっけか。どんだけ紅茶が好きなんだ。
 基本的には聡明そうな子に見えるけど……案外……いや、何もいうまい。

 その軽く睨み付けるような視線を受け、巴さんは自身の落ち度に気付いたようだ。

「あら、いけない! 説明が遅れたわ。これはアールグレイ。ベルガモットという柑橘で香り付けされたフレーバーティよ。香りが少しきつめだから、本当ならアイスティーにして飲むのがお勧めね。でも抜かりはないわ。飲みやすさを考慮して少量、違う茶葉ブレンドしているから紅茶を飲みなれていない人でも――」

「そういう事ではなく」

 巴さんの口上を遮って、ほむらは言う。
 ほむらの渋い表情を見てとって、今度こそ彼女の言わんとすることを――

「そうよね、紅茶だけじゃ物足りないわよね。お茶請けが用意できればよかったのだけど……私の力が至らないばかりに……ごめんなさい」

 ――全く読み取れていなかった。

「だから……」
「大丈夫! 心配いらないわ! お砂糖はちゃんと控えめにしてあるわよ!」

「そうでもなくて」
「はっ! …………もしかして、暁美さん珈琲派?」

「………………いえ、紅茶派よ…………有り難く頂くわ…………いい香りね」

 ほむらが折れた!
 いろいろ物申したいはずなのに、ぐっと堪えてみせた!
 彼女にしては、大人の対応をしたものだ。

 形はどうあれ、これは巴さんの厚意に他ならないのだから、それで正解だ。
 全肯定しろとまでは言わないが、友好な関係を築いていくためにも、ある程度こういった気遣いぐらいできるようにならなくては。

 他者を拒絶し続けてきたほむらにとって、これは大きな前進となることだろう。

 などと上から目線で語っているが、僕も学校では浮きまくってるからな…………『人の振り見て我が振り直せ』とはよく言ったものだ。


 そんなやり取りを挟みつつ――――僕達も紅茶を頂くことにする。

 熱い飲み物が苦手なのか、懸命に息を吹きかけ冷まそうとしている鹿目さんの姿が愛らしく印象的である。
 あまり紅茶を飲むことがない僕だけど、これは相当に美味しい紅茶だというのは、一口で理解できた。
 市販されている、ペットボトルや紙パックの紅茶などとは、一線を画す味と香り。

 つーか、休憩スペースとはいえ、病院の敷地内でこんなお茶会を開くのは、常識的に考えてどうなんだろうと思わないでもないが…………気にしないことにしよう。


 キュゥべえの不用意な発言の所為で、鬱屈とした雰囲気になっていたけれど、美味しい紅茶を飲むことによって、随分と和やかな空気になってきた。紅茶効果も中々馬鹿に出来ない。

 魔法少女関連の物情騒然とした話題ではなく、ただの雑談になりつつあることも相俟って、自然と会話も弾む。



「ねぇ暦さん。さっきから気になってたんですけど」

 そんな折。ふと美樹さんが、何か聞きたげな素振りを見せてくる。

「気になるって……?」
「いえ、さっきからあたし達のこと、『さん付け』で呼んでるじゃないですか、それがちょっと気になって」
「そうですよ。わたし達中学生で年下なんですから、そんな気にしなくても」
「ええ、もっと気軽に呼んで頂ければ」

 美樹さんの意見に、鹿目さん巴さんが続けて同調する。
 初対面でいきなり呼び捨てってのも気が引けたので、中学生相手とはいえ一応敬称を用いてたのだが、彼女達的にはそんな気遣いは不要とのことらしい。


「と言われてもな……」
「何なら、あたしのことは、親しみを込めて『さやかちゃん』と呼んでくれてもいいんですよ!」

 小憎たらしい決め顔で、自称『さやかちゃん』はのたまう。

「いや、そうだな。お前に関しては、常々敬称は不要だと僕も思っていたところだ。人を敬う気持ちがない奴には、相応に対応するとしよう。となると……鹿目さんのような良くできた子を、美樹と同等に扱っていいものか……」

「なんかあたしの扱い、雑過ぎませんっ!?」

 美樹が喧しく喚いているけど、それは無視するとして、

「鹿目さんの呼び方なら、そのままでいいんじゃないか? 僕としては、何ら異存はないし」
「そんなぁ…………わたしのことも、ほむらちゃんみたいに名前で呼んで貰えたら、それはとっても嬉しいなって……思ってるんですけど…………駄目、ですか?」

 心底残念そうに落胆したのち――窺うような上目遣いを用いて訴えかけてきた!
 くはっ!! なんだ、この小動物のようなつぶらな眼差しは!!
 美樹が『猫』なら、鹿目さんは差し詰め『ハムスター』的なか弱い生き物だろう。

「駄目とは言わないけど……個人的には苗字でお願いしたいところ……かな」
「はぁ……そうですよね。やっぱり、ほむらちゃんと阿良々木さんとの、信頼関係があってこその呼び方ですもんね………………ほんとに二人は……お付き合いしていないんですよね?」

 まだ僕とほむらの関係が疑われていた!

「だからそれは誤解だってば。ほむらを呼び捨てにしてるのは、ただ何となくだって――ぐはっ! げほっげほっ!」

 そこで隣から肘打ちが入った。
 上半身だけの動きで、『残影拳』ばりの鋭い一撃を放つとは……。

「阿良々木さん? どうしたんです!?」
「まぁ大変! しっかりして下さい!?」

 咳き込む僕を、鹿目さんと巴さんが気遣ってくれる。ほむらによる犯行だとは、誰も気付いていないようだ。

 曖昧なまま放置するんじゃなく、ちゃんと誤解を解けってことですね…………僕と恋人関係だと間違われることが、どうしても許容できないらしい。
 気持ちは解らんでもないが、口で言って欲しいものだ。どうもこいつ、多人数だと会話に入ってこない傾向があるな。


「――大丈夫大丈夫…………あー、何となくじゃないか。えーっと、簡単に説明すると、僕には二人妹がいて、『火憐』『月火』っていうんだけど、二人とも、名前に『火』って文字が入ってる訳だ。でだ、『ほむら』も漢字で書くとよくわかるけど、それも『火』に関連した言葉だろ? そこになんか親近感のようなモノを感じてさ――個人的に気に入ったから名前で呼ばせて貰ってるってだけで、他に深い意図があるってことはないよ」

「そうだったんですかぁ。じゃあ、ほむらちゃんは、阿良々木さんにとって妹みたいなものなんですね」

 ほむらの事を妹だなんて思ったことは一度もないが、鹿目さんにしても、これは言葉の綾でそう言ったってだけで――変に突っ込みを入れ否定することもあるまい。
 巴さんもそうだが、ほむらのことも、あまり年下って感じがしないんだよな。
 ベクトルは違うが、二人とも年齢以上の貫禄が備わっている。

 ともあれ、今度こそは完全に納得してくれたようだ。よかった。これで、一息つける――

「『火憐』……『月火』…………『火』………『姉妹』………ってもしかしてっ!!」

 ――そう思って紅茶を口に運ぼうとしたその矢先――美樹が意味深な呟きを漏らし、何やら騒ぎ始めるのだった。

「どうしたの美樹さん? そんな大きな声だして?」

 美樹の横に座っている巴さんにしたら、耳元で叫ばれたも同然で、その大声に少し驚いているようだが、本当に驚くことになるのは、この僕だった。

「暦さんの妹って、あの名高い『つがの木二中のファイヤーシスターズ』じゃないんですかっ!?」

「…………!!」

 声にならない驚きで、驚倒する僕である。
 紅茶を口に含んでいなくてよかった。吐き出すところだ。

「『ファイヤーシスターズ』…………風の噂で訊いた事があるわ。『赤き炎の征裁オーバーキルドレッドフレイム』『死線の赫デッドレッド』などの二つ名を有する、『炎の姉妹』。その名に恥じぬ働きで、不良グループを壊滅させた数は両手では数えきれぬ程、それ以上に人命救助や、人助けを行ってきた『正義の執行者』……なるほど、阿良々木さんと血の繋がりを感じさせるわね」

「わたしも知ってます……同級生の子が助けて貰ったって話を訊きました」

 ほむらに関しては、無反応で情報を読み取ることができないが、巴さん、鹿目さんの二人も、『ファイヤーシスターズ』の存在を知っているようだった。
 
 まさか、こんな所まで妹達の噂が広まっているとは…………奴等の通う『私立栂の木第二中学校』は、どちらかと言えば自宅よりも、見滝原市の方が近いぐらいだしな――市を跨いではいるが、あいつ等の行動範囲を鑑みれば、十分見滝原市もテリトリーの内か……くそ!
 隣町の皆さんにまで迷惑かけてんじゃねーよ!

 それに何だよ二つ名って! そんなの初めて訊いたわ!

「そんな奇怪な通り名を持つような妹なんて僕は知らない! そもそも僕、一人っ子だったような気がする、あーうん。そうだ、間違いない。いったい何を勘違いしてたんだろうな。僕に妹なんていない!!」

「別に隠さなくてもいいじゃないですかー。中学生の憧れの的ですよ。勿論、あたしも憧れてますし!」
「奴等に憧れるぐらいなら、街の平和を模範的な振る舞いで護ってくれている、お巡りさんにしとけ! それが美樹、お前の為だ!」

「そうは言いますけど、通報しても中々来てくれないってよく訊きますし、受け身の精神じゃ、護れるものも護れない、正義の味方なら、率先して『悪』を成敗して然るべきでしょ。『ファイヤーシスターズ』こそ、『正義』の体現者じゃないですか」

 知ったような口を……警察の皆さんがどれ程大変な日々を送っているのか、知らない者の台詞だ。

「『ファイヤーシスターズ』を誉めそやすような発言はやめてくれ……奴等が図に乗るのは御免だ。調子に乗った分、火の粉が飛んでくる量も増える…………要らぬ面倒をしょい込むことになるのはもう懲り懲りなんだ。あんな破天荒な妹を持つ僕の身にもなってくれよ。あーほんと、妹なんていなけりゃいいのに…………ったく、いるならいるで、鹿目さんみたいな子が妹だったらなって思うけどね。理想と現実のギャップに僕は絶望するよ」

 美樹をいさめる言葉は、途中から、愚痴、願望へと切り替わっていた。

「わたしが、阿良々木さんの妹……ですか?」

 それに、鹿目さんが反応を示す。

「鹿目さんにしたら、迷惑な話だけどね」

「いえ、わたし、お兄ちゃんって憧れます! 弟はいるんですけど、年上の兄弟はいなっくって」
「そうなの。だったら僕が鹿目さんのお兄ちゃんになってもいいよ。美樹はごめんだけど」

「ほんとですか!? わたし嬉しいです!」
「なにをー! こんな可愛い妹、他にはいないでしょうに、失礼しちゃうわねー」

 社交辞令とはいえ、鹿目さんのような子に兄として慕って貰えるなら、これほど喜ばしいこともない。年上を立てることもできるなんて、やはり騒ぐだけの美樹とは違うな。

「まぁ冗談はさておいて――」

 とっちらかった話に収拾をつける為、取り敢えず区切りの一言を発しようとした、僕なのだけど――

「……暦お兄ちゃんかぁ」

 ――言葉の響きを確かめるような、鹿目さんの呟きによって遮断を余儀なくされる。
 呟くような声だけど、十分に声量はあり、この場に居る全員の耳に届いていることだろう。

「まどか?」
「ふぇ? 何さやかちゃん?」

「暦さんの話、訊いてた?」
「え? うん? お兄ちゃんになってくれるって! えへへへへへ。なんだか恥ずかしいな」

「あっちゃー訊いてないよこの子」
「え? え? えええ!? 訊いてないってなに!?」

 一連のやり取りから、鹿目さんの先の発言は、社交辞令でも何でもなく、本気で言っている事が判明した…………『冗談』だとは、伝わっていないようだ…………どうすんだよ、これ。


「あのね、鹿目さん?」
「駄目ですよぉ、『妹』を苗字で呼ぶなんて変ですよね。『まどか』でいいです。ほむらちゃんみたいに名前で呼んで下さい!」

 おっとりとした印象を受けていた鹿目さんだけど、意外とアグレッシブな一面も持ち合わせているようだ。まぁ強く言えば引き下がってくれるとは思うけど…………これで鹿目さんが喜んでくれるのなら、本人の希望を叶えてあげてもいいか。

「えっと、じゃあ…………まどかちゃん、で」

 別に呼び捨てでも構わなかったのだが、何となく鹿目さんのほわわんとした雰囲気には『ちゃん付け』の方があっているかなってだけの理由――

 ――でもないのかな……本妹ほんまい(血の繋がった妹[広辞苑より抜粋予定])である愚妹の呼び方が『火憐ちゃん』『月火ちゃん』であるからして、無意識に、妹としての呼び方を踏襲したのかもしれない……ってここまで難しく考えるような問題でもないか。

「わあぁ! やっぱり名前で呼んでもらえるのっていいですね!」

 ともあれ、鹿目さん…………じゃなくて、まどかちゃんもご満悦のようだし、なんの問題もない。



 ああ………違った…………問題大ありだ。大問題だ。

 隣に座るほむらから、ただならぬ殺気が溢れだしている。
 そういや、まどかちゃんに近づくなって、念を押して言われてたっけ…………それが疑似的であれ兄妹としての関係を築き上げてしまったのだから、ほむらの心中も穏やかではないだろう…………僕、殺されるかもしれないな。



「……あの阿良々木さん」

 忍にもう少し血を与えて、不死力を強化しておこうか検討していると――対面に座る巴さんが声を掛けてきた。

「その…………私のことも『マミ』って名前で呼んで頂けたら」

 期待の眼差しを向けてくる巴さんではあったが、それに対して僕の見解は既に固まっている。

「申し訳ないんだけど、巴さんのような良識のある子を呼び捨てなんて無理無理。もうしばらくはこのままの呼び方でいかせて貰うよ」

「…………そう……ですか」

 肩を落とし、がっくりと項垂れる巴さん。

 そんなはっきり気を落とされると、申し訳ない気持ちで一杯になるけれど――正直な話、まだこの子を年下としてうまく認識できていないのだ。
 落ち着いた物腰は、中学生離れしているし……敢えては言及しないが、他にもいろいろと。というか、既に僕の中で呼び方が定着してしまっている。
 『もうしばらくは』とか言っているが、これは『前向きに検討します』とほぼ同義である。

「…………残念ですけど、阿良々木さんがそう仰るのなら」

 渋々ではあるが納得してくれたらしい。





 そうして、しばらくの間、テンションが沈み込んでいた巴さんではあったが…………

「大事な事を忘れるところだったわ!」

 急に何か思い出したようで、それに伴って、威勢を取り戻していた。
 彼女の中で、重要な位置づけの案件であることが窺える…………何事かと注視する僕達に向け――

「阿良々木さん、もしよかったら、携帯番号交換しませんか? 勿論、暁美さんも一緒に! 折角こうして『お友達』になれたんですから! 友達なら電話番号ぐらい知ってなきゃおかしいですよね!? ね!?」

 ――巴さんから斯様な提案がなされた。

 なんか、友達になるには電話番号の交換が必須条件とでも言わんばかりの論法だが……思い返してみれば、こうなった原因は、あの女――戦場ヶ原ひたぎの所為でもある訳か…………あれは……嫌な事件だった。


「うん、構わないよ」

 このお誘いを、断る理由など一つもない。

「…………そうね。魔女と戦うにあたって、情報のやり取りも必要になってきそうだし、異存はないわ」

 申し出を突っぱねることも、十分に考えられたが――戸惑いを示しながらも、ぶっきら棒に承諾するほむら。
 よし、最悪の事態は免れた。もし、断りでもしたら、目も当てられない惨状になったことだろう。
 巴さんの精神崩壊が起こったとしても、なんら不思議はなかったからな。

 そして、流れに乗じて、まどかちゃんと美樹もこの案に賛同し、結果として、全員で携帯番号交換会が開かれることになった。



 本来ならば、『赤外線機能』を使用することによって、簡単に番号の交換が可能な筈だったらしいのだけど(機種変更して一カ月近く経つが、今一つ携帯の機能を使いこなせていない)――なぜか、その『赤外線機能』を使用しての交換に、巴さんが異議を唱え、手作業で登録していくことに。

 今一つ言っている意味が解らないのだが、

「赤外線は駄目よ。しっかり手打ちで登録しないと――赤外線だと、途中で混線することがあるみたいなの。つい先日、鹿目さんと美樹さんの番号を登録した時に、名前が入れ替わって登録されていて…………ああぁ…………ほんと恥ずかしい……今思い出しただけでも顔から火が出そう…………あんなにも時間をかけて打ったメールが逆に届くなんて…………」

 そんな、摩訶不思議な現象が起こったらしい。
 その出来事を思い出して、巴さんが身悶えていた。

 しかし赤外線で混線とかありえるのか? どちらかと言えば、手打ちで登録した方が、まだ間違いようはありそうだけど…………。

 つーか、さっきから巴さんの説明中に、ほむらがやたら咳き込んでいるんだが、大丈夫かこいつ?


 ともあれ、こんな訳で――顔を突き合わせて番号とアドレスを交換していく。

 操作途中で液晶画面のライトが消えて、文字が見えなくなるは、アドレスが無駄に長く、英文字の羅列が大半を占めるものだから、打ち込むのにも、結構な集中力と時間を要するな。
 慣れない携帯の操作に悪戦苦闘しながらも――なんとか順次、登録を終えていく。


 巴さんのアドレスの意味(全部イタリア語由来の言葉だった)を訊いたり、僕の打ち間違いでメールが届かないのを美樹にからかわれたり、携帯の操作を手こずるほむらに、まどかちゃんが付きっきりでレクチャーしてたりで――なんだかんだあったけれど、結構いい雰囲気だよな。

 ほむらも表情を平静に取り繕っているが、なんだか楽しそうだし、巴さんなんか番号(友達)が増えた事がよほど嬉しいのか、喜色満面の笑みを浮かべている。


 終わり良ければ全て良し。

 今日一日を締めくくる、最良のイベントじゃないか!








 なんて――――



 そんなふうに思っていた時期が……僕にもありました。





 一日を締めくくるには、まだ早かった。

 そいつは――予兆もなく現れた。

 気付いた時には、もう其処に居て、人知れず行動を開始していたのだ。



 『カシャ』と、そんな音を耳が拾う。その音の正体はすぐに、カメラのシャッター音だと把握できた。誰かが、携帯の操作を誤って、はずみでシャッターボタンを押してしまったのだろうか? 

 そう思いもしたが、すぐにその考えを打ち消す。
 位置関係ぐらいは把握している。
 わざわざ席を立って移動しない限り、そんな方向からシャッター音が聴こえてくるはずはないと……!

 だったら……僕は音の出処を確かめようと、首を巡らせる…………そして――驚愕した。自分の目を疑った。


「………………なんで――」

 携帯を顔の前に翳すように構えているのは、顔を隠そうなんて意図ではなく、ただ単純に、カメラ機能を使用して、撮影した直後だったからだろう。
 だが、少し顔が隠れたぐらいで、見間違える筈もない!

 その人物に、僕は戦慄せずにはいられない。巴さんに至っては、トラウマスイッチが作動して、顔面蒼白、身震いまでしてるじゃなねーか!
 魔女の偉観を見た時以上の怯え具合だ。

 腰元まで伸ばした、艶やかな黒髪。
 何を考えているのか、全く予測出来ない、鉄面皮。

 僕の視線の先に居るのは、此処に居る筈のない人物。

 見慣れた(と言う程見てもいないが)制服姿ではなく、白を基調とした清楚な私服姿で――だけど……その、どこぞのご令嬢のような見た目に反して、その性格は凶暴かつ破綻しており、人類稀に見るほどの毒舌を有する女。


「――なんでお前がこんなところに居るんだよっ!! 戦場ヶ原ひたぎっ!!!」


「あらあら、これはこれは。中学生をこんなにもはべらせて、鼻の下をのばした不埒な男がいると思ったら、阿良々木くんじゃないの」

 白々しくも『たった今、気付きました』みたいなノリで、惚ける戦場ヶ原ではあるが――

「だったら、なんでカメラで撮影したんだよ!! いったいどういう了見だよ、こら!」

 どうみても意図的な犯行だろ!

「別に校内掲示板に張り出して、阿良々木くんを強請ゆすろうなんて、そんなこと考えていないわよ!」
「脅迫材料にするつもりかよ!!」

「実家に郵送して、阿良々木家をしっちゃかめっちゃかにしようだなんて、思っていません」
「金か!? 幾ら欲しいんだ!? ってそんな事はどうでもいいんだよ! 話を戻すぞ戦場ヶ原。もう一度訊く! なんでお前がこんな場所に居るのか訊いているんだ!?」

「阿良々木くんに、私の行動を律する権限があるなんて知らなかったわ。何処に居ようとも私の勝手でしょ」

 相変わらずの冷めた調子で、戦場ヶ原は言う。
 だが、その泰然自若とした冷淡な対応に、僕の方は更にヒートアップだ! 

「そんな事を訊いてるんじゃない!!」
「偶然よ」

「……偶然、だと?」

 にべもなく戦場ヶ原はそんな風に答える。これは馬鹿にされているのか?

「何をぬけぬけと……! こんな偶然あり得るかっ!!」

「阿良々木くんが何をそんなに、訝しんでいるのか定かではないのだけど……私は病院で検査を受けていただけよ。この『見滝原総合病院』は日本有数の施設を誇る病院なのだから、当然でしょ? 私の患っていた『病』を知っている阿良々木くんなら、この意味が解る筈。まぁ結局なんの成果も得られない、退屈かつ無意味な検査なのだったから、場所に拘る意味はなかったのかもしれないわね」

 鼻息荒く、息巻いていた僕ではあったが、戦場ヶ原の話を訊いてみる限り、思いの外というか、至極真っ当な理由じゃねーか。

 そうだった。戦場ヶ原が抱えていた『重さ』の問題――『蟹』に纏わる諸問題は解決したけれど、それは『病気』として扱っていたのだから、“ポーズ”としての経過観察が、どうしても必要となってくる訳で…………戦場ヶ原は、あれからずっと学校を休んで、病院で精密検査を受けていたのだ。

 僕等の住む田舎町の小さな病院では、『原因不明の難病』なんて診断できないだろう。そうなってくると、最先端の医療機器が備わった『見滝原総合病院』を選ぶのは必然のことだったのだ。

 『偶然』などではなく『必然』。
 戦場ヶ原ひたぎが、この場所に居ることは、全くおかしい話ではない。


「寧ろ、私の方が驚きよ。こんな隣町の病院で――――阿良々木くんが一体全体、何をしているのかしらね?」





[27169] ひたぎアタック~その1~
Name: ミドリ◆02e976c9 ID:2270504e
Date: 2015/09/10 08:43
~035~

 僕は椅子から立ち上がり――善良な中学生(特に巴さん)を庇うように一歩前に進み出る。

「何をって…………ただの野暮用だよ……」

 戦場ヶ原の問い掛けに対し、尤もらしい嘘を吐くこともできず――咄嗟に出てきたのは、こんな苦し紛れの言葉だけ。どう言い訳しようか、いろいろ考えてみるが……何も浮かんできやしない。

 じっと値踏みするように、僕をめ付ける戦場ヶ原。見据える鋭い双眸は、猛禽類のそれを彷彿とさせる。

「そんないい加減な説明で、この私が納得するとでも思っているのかしら?」

 断じて、思わない。
 こんなはぐらかしが通用するような、物分かりのいい女ではないってことぐらい、百も承知だ。
 
「まぁ、大凡の推測は可能よね。阿良々木くんの足下に転がったその獣と、其処に座った金髪の彼女は見覚えがあるし、それらを踏まえてみれば、阿良々木くんがこの『見滝原』に居る理由は自ずと見えてくる――確かに、通っている中学の名前は口にしていたけれど、それだけの情報で、まさかこんな隣町まで乗り込むなんて、驚きね」

「……それは」

 僕が明かすまでもなく、戦場ヶ原はこの状況を察していた。
 見滝原市で、僕一人と会っただけならば、そこまで疑われることも、深読みされることもなかったのだろうが……巴さんと、おまけにキュゥべえまでもがこの場に居合わせている。

 容易に関連付けることは可能か……。

「阿良々木くん。そんなにも中学生とお近づきになりたかったのね。相手の秘密を握ったのだし、付け入りやすい口実だったのは解るけど、それにかこつけて中学生と、しっぽりムフフな関係を築こうとするなんて、下衆の極みね」

「待て! いろいろ待て! おかしいだろ! 僕が不純な動機で中学生に近づいたとでもお前は言いたいのか!? 勝手な憶測で、僕の評価を下げるのは止めて頂こうか! 人聞きが悪いわ!」

 魔法少女であることをバラされたくなかったら、言う事を訊けとかなんとか、僕が脅したとでも思ってるのかよ……全然察してないじゃねーか! 

「違うの?」

 澄ました表情で戦場ヶ原は首を傾げる。

「当たり前だっ! そんなわけあるかよ!! 僕がこの町にやってきた理由は……」

 っと、危ない危ない。思わず、弁解しそうになってしまった。

「あら、教えてくれないのね――残念」

 言葉とは裏腹、ちっとも残念そうじゃない。

 遅蒔きながら気付いたが……さっきのふざけた見解は、計算の内か。
 汚名を着せられれば、誰だってそれを是正したくなるというのが心情――その心理を見事についた、高度な誘導尋問だったのだ!

 知ったつもりでいたけど、改めて恐ろしい女だと認識させられる。


「暦さん。其方のお姉さんは? 知り合いっぽい感じですけど、どなたなんですか?」

 会話が途切れたのを見計らって、この中でも好奇心旺盛な美樹が尋ねてきた。蚊帳の外にいるのが耐えられなくなったようだ。

「ああ、ごめんごめん、置いてけぼりにして話し込んじゃって――えっと……必要はないかもしれないけど、一応紹介しとくか………………」

 ほんとは、紹介なんかしたくないけれど。

「この女は戦場ヶ原ひたぎ。僕のクラスメイトで――」

「――互いの『恥部』を見せ合った間柄よ」

 僕の言葉を勝手に引き継ぐかたちで、戦場ヶ原は言った。
 今まさにご飯を頬張ろうとしているのを、横から奪われ、代りに異物を口に放り込まれたような気分………………なんだかなぁ。

 戦場ヶ原の言う『恥部』というのは、大きく分けると二通りの意味を含んだ語句だ。
 一つは、『人には知られたくない、恥ずべき部分』要は『秘密』を指す言葉。もう一つは『陰部』――つまり、男女に於ける『生殖器』を指す単語でもある…………今回用いた意味合い的には、前者を指すのだとは思う。


 言葉のチョイスを少し間違えただけで――僕で言えば『吸血鬼』、戦場ヶ原で言えば『蟹』の問題を、お互いに披瀝ひれきし合った関係だと言いたい訳だ。

 言い換えれば“秘密を共有し合った仲”であると。

「そうそう、些細な切っ掛けから、お互いの内情を知ることになった仲なんだ――だから『ただのクラスメイト』ってだけの、稀薄な関係ではないんだけど、まぁ言う程深い意味はないよ」

 だとしても、他者がそれを一瞬で判別することは難しい。
 妙な勘違いが生じかねない言い回しであるのは間違いないわけで、僕としても、このままスルーすることはできず、しっかりと補足を入れておく。
 我ながら、機転が利いている。

「阿良々木くん、そういう意味じゃないわよ」

 が、すぐに戦場ヶ原から訂正が入った。

「私が言っているのは、親も居ない二人っきりの部屋で、阿良々木くんが私の裸を見たって話よ。私の裸体をガン見してたでしょ?」

 まさかのまさか! 後者の意味じゃねーかっ!!

 『重さ』の問題を忍野に相談した際のとある一場面。
 忍野からの指示で、『蟹』――『神様』への礼儀、神前での儀式を行うにあたって、身を清めてくるように言われ、戦場ヶ原の家で禊ぎとしてシャワーを浴びることになったんだけど…………シャワーを浴び終えた戦場ヶ原は、着替えを持って入るのを忘れたとかの理由で、脱衣所からすっぽんぽんの姿で、僕の前に現れたのだ。

 だから、戦場ヶ原の裸を見たということは、紛れもない事実なのである。

「それに、私も私で、阿良々木くんの一物いちもつを拝見させて貰った訳だし」

 男の子として大切な部分は隠せたと思っていたけれど、見られていたのか…………いや、こいつ、僕のシャワー中に、覗きを働いたんだぜ……どんな女子高生だよ。

 でも僕から言わせて貰えば、『見せ合った』は違うだろうに……一方的に見せつけられ、一方的に見られたって感じだ。

 故に、猥褻な行為に及んだということは一切ないわけで。

「戦場ヶ原! 有らぬ誤解を誘発するような物言いをするんじゃない!」

 事実ではあるが、僕と戦場ヶ原の間にある裏事情を知らない――知る由もない健全な女子中学生達に、邪推されてしまうではないか!

「何よ。白を切るつもり? あの夜、私の事、      したくせに!」

「待て! 不自然な空白を入れるんじゃねぇよ!」

 反転しても文字なんかでてこないんだからな!

「なにか如何わしいことでもしていたと、勘違いされるだろうが!! お前の諸々の発言からは、僕を陥れようとする、明確な悪意が感じられるぞ!!」

「ふふ。阿良々木くんはいったいこの空白に、どんな言葉を入れたのかしら? 気になるわね」

 僕の抗議を訊き流し――戦場ヶ原は、不敵に笑う。逆に僕は、顔を顰めるしかない。

「うるせぇ! 妙な誤解をされたらどうしてくれるんだ!?」


「二人きりの部屋で……シャワーを浴びて…………恥部を見せ合うって…………これって、もうアレだよね――きゃーまどか! きゃー!」
「さやかちゃん、痛い痛い……そんなに強く叩かないで……――暦お兄ちゃんはもう高校生なんだし…………そういったことぐらい……」

 美樹がまどかちゃんをばしばし叩き付け、異常にテンションを上昇させている。それとは対照的に、まどかちゃんは、恥じ入った表情で赤面していた。

「って、もう手遅れじゃねーか! お前の所為だぞ戦場ヶ原!」

 ただ、ほむらは相も変わらず無反応で、探る様な視線を向けてくるだけ。巴さんは戦場ヶ原の存在に、未だ怯えた様子で、この不毛な会話は耳に入っていないようだけど。

「何でもかんでも人の所為にするのは頂けないわね。私は事実しか言っていないのだし、まぁ阿良々木くんの人となりから判断されたのだから、これって自己責任よね。『火の無い所に煙は立たぬ』とよく言うのだし、私を責めるのはお門違いってものよ」

「いいや違う! お前がしてるのは、『叩けば埃が出る』だ! 無罪の人間を吊るし上げるような真似はやめろ! 僕が何をした? そんなに僕の事が嫌いなのか!?」

「そんなことないわ。私、阿良々木くんのこと、好きよ」
「え?」

「私の軽口に狼狽えて、滑稽な姿を晒す阿良々木くんを観ることは、至上の享楽よね。これを今後の人生に於ける、生き甲斐にしようかと考えているぐらい、阿良々木くんのことを好いているわ」

「………………」

 面と向かって異性に好きとか言われて、一瞬ドキッとしてしまった初心で愚かな、自分自身が情けない。完全に弄ばれていた。

「あら? 『これからも、阿良々木くんと一緒にいたい』という旨の発言だったのだけど、どうも、反応が芳しくないようね」

 僕には『命尽き果てるまで、奴隷のように扱ってやる』と同等の発言にしか聞こえなかった。
 無益な言葉の応酬に、精神的な疲労が蓄積されていく。その一方、戦場ヶ原は、間違いなく愉しんでいた。
 こいつ、『愉悦部』の会員じゃないだろうな…………。

 シャーデンフロイデ――他人の不幸は蜜の味。なんて嫌な生き方だ。


「でも……知らなかったわ――阿良々木くんって真性のロリコンだったのね」
「なんで僕がロリコンなんだよ!」

 たかだか中学生と面識を持つだけで、ロリコン呼ばわりされてはかなわない。

「いえ、中学生の女の子に『お兄ちゃん』と呼ばせて悦に入っていたじゃない。あの子、阿良々木くんの妹さんって訳じゃないわよね? これをロリコンと呼ばずしてなんと言うの?」
「…………いや……ほら……話の流れでさ、別に僕が強要したわけじゃないんだって」

「強要はせずとも、容認はしたのでしょ。そんなの傍から見れば、一緒よね――ろりり木くん」
「……………………」

 ぐうの音も出ないとはこのことか。

「戦場ヶ原さん……僕に落ち度があったのは重々に理解しましたから、その呼び方は止めて頂けないでしょうか」

「仕方ないわね。じゃあ……こうしましょう、幼児性愛者の阿良々木くん」
「誰がより表現を露骨にしろと言った!? まだロリコンと呼ばれた方がマシだ!」

「あらそう。ならロリコン癖のある阿良々木くんで」
「いや、マシって言ったけど、そういうことじゃなくてさ」

「なに、嫌なの? 言ってみれば、ただの子供好きよ。気にし過ぎじゃない?」

「そんな好意的解釈をする人間がいるわけないだろ! つーかお前自身、蔑称として使用していただろうが! 絶対にやめろよな。そんな呼び方が定着して…………もし罷り間違って、校内で呼ばれようものなら、そこで僕の学生生活はお終いだ!」

「それは、フリ……かしら? その期待に応えるぐらいの優しさは持ち合わせているわよ」
「やめろっつってんだろ!」



「それで――阿良々木くんが見滝原まで遠征している事情は、やっぱり教えてくれるつもりはないのかしら?」

 脱線していた話を、戦場ヶ原が元に戻した。些か強引ではあるが、この手並みの良さは見習いたいものだ。

「ああ。教えるつもりはないよ」

 でも、ここは突っぱねるしかない。

 僕は努めて、実直な声音で述懐する。

「戦場ヶ原。悪い事は言わない。お前は関わるな。折角、『病気』も治って普通の生活に戻れたんだ。わざわざ危ない橋を渡る必要もないだろ。お前には関係ない……いいや、お前は関与しちゃいけないことなんだ」

 ほむらからすれば、『お前が言うな』って感じかもしれないが。


「逆説的に言えば――阿良々木くん自身は、危ない橋を渡ろうとしているって事ってことよね。まぁそこまで頑なに話したくないと言うのなら、そうね…………わかりました――」

 納得したのか、していないのか、そんな曖昧な相槌をうって思案するように戦場ヶ原は黙り込む。
 そして、数秒の間を置いて――

「もう無理に詮索するようなことはしないわ」

「よかった、それは助かる」

 意外や意外。僕の言葉を聞き届けてくれた――





 ――なんてことは勿論なく、

「方法なら幾らでもあるのだし」

 すかさず、不穏当なこの発言。

 これは『手段を選ばなければ、訊き出す手段は幾らでもある』といった意味合いに他ならない。
 背筋に嫌な汗が流れ、自分の表情が引き攣っていくのが分かる。嫌な予感しかしない。

 そして、彼女がとった方法は――

「キュゥべえ! 知っている事を包み隠さず、話しなさい」

「なっ!」

 照準を僕から、簡単に口を割るであろうキュゥべえに切り替えやがった!
 訊かれたことなら、無頓着に答える奴の習性を、戦場ヶ原は既に把握済みだ。

 だが彼女の思惑は外れることになる。
 
 キュゥべえは戦場ヶ原の言葉に反応を示さない。
 いや、首を巡らし視線を寄越しはしたが――沈黙を貫いていた。

 どうやら……ほむらからの『お喋り禁止令めいれい』を全うしているようだ。



 まぁ当然………キュゥべえの意志ではないにせよ、戦場ヶ原からしてみれば、無視されたようにしか感じられない訳で……自分の言葉を蔑ろにされたと、そう判断した戦場ヶ原の行動は素早かった。

 自然な足取りで僕の方へ――というか、キュゥべえに接近し、無言で脚を振り下ろし――踵の尖った靴パンプスで躊躇なく、踏みにじる。

 ただ単に『踏みつけている』のではなく、キュゥべえの頭部を執拗なまでにぐりぐりと『踏みにじっている』のだ……悪意の度合いが半端ない。

 人の頬をホッチキスで綴じることができてしまう、彼女の凶悪な特性を既に知っている僕は、まだ耐性ができているからいいとして――幼気な女子中学生達(ほむらを除く)は実に引いている。


「…………おい、戦場ヶ原。やめてやれ」

 これはキュゥべえを庇ったのではなく、こんな陰惨な光景を見せ続ける訳にいかないという、少女達への配慮からだ。現に、巴さんが「ひっ」と小さな悲鳴を上げ、絶賛トラウマ更新中だ。

 だけど、僕の制止の声を戦場ヶ原が簡単に訊きいれてくれる訳もなく――

 もうこれは……こちらが折れるしかないだろう。

「わかった。僕の負けだ。ちゃんと説明するから――足をどけてやってくれ」

 手段を選ばないと宣言した戦場ヶ原が、更なる方針を開拓する前に――被害を最小限に抑えるのが賢明というもの……これは、適切な判断だったはずだ。

 実害を被っているのが、キュゥべえだけで済んでいる間に、諦めた方が身の為なのだ。



[27169] ひたぎアタック~その2~
Name: ミドリ◆02e976c9 ID:2270504e
Date: 2013/09/12 20:07
~036~

 ところ変わって、病院程近くの喫茶店。
 日が暮れてきたこともあり、店内には、まばらにしか人がいない。
 それぞれ、飲み物だけを注文して、周りに人がいない隅っこの席を確保――僕とほむらが隣り合って座り、対面に戦場ヶ原という配置で腰を下ろす。

 現在この場に居合わせているのは、僕、戦場ヶ原、ほむらの三人のみ。
 全員が揃った状態で話すと、折角、段階を置いて説明した――というより、美樹とまどかちゃんに内密にしておきたい話までもが筒抜けになるので、場所を移したかたちだ。

 まだ精神的に疲弊している巴さんを連れ回す訳にもいかないので、巴さんともその場で別れ――気力が回復次第、帰宅するように言っておいた(念のため、美樹とまどかちゃんに家まで付き添うように頼んである)。
 キュゥべえは、美樹が気を利かせて、引き取ってくれている。


 さて、談合の場を設けることはできたけど…………え、何、この針のむしろは!? 僕の精神値がガリガリ削られていくんですけど。

 牽制し合うように睨みあう、戦場ヶ原とほむら。
 共に、黒髪長髪の整った顔立ち。
 似通ったオーラを放つ、一見、姉妹のように見える彼女達ではあるが、残念ながらシンパシーを感じて、意気投合って訳にはいかないようだ。

 二人の間で、目に見えない火花が散っている。
 これ以上ない、殺伐とした雰囲気が出来上がっていた。

 移動中に自己紹介(らしきもの)はして貰ったけど、まだ会話らしい会話はしていない。


「明るくしろとまでは言わないが……少しぐらいは敵愾心を隠せよお前等…………特に戦場ヶ原。お前は一応、人にモノを訊く立場なんだから、それ相応の態度ってもんがあるだろ」

 この状況に耐えきれず――両者に向けてではあるが、比重としては、戦場ヶ原よりに、僕は呆れ気味に窘める。

「別に…………わざわざ、この子にご足労頂く必要はなかったのだけど。説明であれば、阿良々木くんから訊ければ、それで事足りるのだし」

 僕の言葉を受けて、戦場ヶ原。
 丁寧な言い回しが、かえって嫌味っぽい。

「おいおい……説明してくれるのは、ほむらだってのに」

「阿良々木暦。勝手な事を言わないで。私は、あなたが余計なことを喋らないか、ただ監視しているだけよ」

「え? そうなの? …………僕個人の見解じゃどこまで話していいか判別がつきにくいし、魔法少女や魔女に対しての知識もあやふやだから、出来ればほむらに一任したいんだけど…………」

「これはあなたが一存で決めた事。それに私が口出しするのも違うでしょ――ましてや、あなたの代わりを務めるなんて、御免よ」

 辛辣な口調でほむらは言う。
 目に見えて不機嫌そうである。

 まぁほむらはそもそも、魔法少女のあれこれを説明することに、難色を示していたからな。この状況は、本意ではないのだ。
 反対する彼女を、僕が無理矢理説き伏せたのだから、非協力的なのも致し方ない。

 つーか、説得の仕方を間違ったかもしれないな…………戦場ヶ原の危険性を提起したのは、間違いだとは思わないが、まどかちゃんにまで被害が及びかねない事を示唆したのは余計だったか。

 ある意味、脅しともとられる言い方だった。
 まどかちゃんを過剰なまでに守ろうとするほむらが、戦場ヶ原を敵視し、警戒するのは至極尤もなことかもしれない。


「ええっと……なら、僕の方で、話しちゃっても構わないんだな」
「ええ、巴マミに話した程度のことなら」

 それは、つまり……巴さんに対して伏せた内容――――ほむらの固有の魔法『時間停止』能力と、妖刀『心渡』に関しては、口外するなってことか。

「その前に――キュゥべえとの関係を先に話して貰えますか? 誰とも知れない相手に、情報を分け与える程、私はお人好しじゃありませんから」

 ほむらは、戦場ヶ原を見据えながら、険のある声で言った。

「あらあら、中学生のお嬢さんが、随分と不躾な物言いね」

 今までは、僕を経由したやり取りであったが、ここにきて初めて直接言葉を交わす二人。
 やだよー、何かこの二人怖いよー。

「相手が何者であっても、素性が知れない以上、無条件で下手に出るようなことはしない主義なもので――気に障ったのであれば、謝りますが」

 一応敬語らしき体裁を保っているが、ほむらの言葉は、どこか挑発的だ。
 って、あれ? 僕に対しては一度たりとも敬語なんか使った事ないぞ? ……ほむらの中で、どういった線引きが行われたのやら。別にいいけど。

「いいえ、結構よ。上辺を取り繕って、腹の底で何を考えているか解らない相手よりも、よっぽど好感がもてるわ」

 それに応じる戦場ヶ原は、一見落ち着き払った、大人の余裕を感じさせる態度だけど、こいつこそ、腹の底でいったい何を考えているのか解ったものじゃない。
 ただ断言できるのは、戦場ヶ原が、言葉通り『好感』を抱いているようにはとても見えないってことだ。


「特にこれといって暁美さんに語って訊かせるような素性も、経歴も持ち合わせていないのだけれど――私ってほら、少しばかり病弱な、善良ないち高校生な訳だし」

 ……どの口が言うのだ。話の腰を折るのもあれなので、いちいち突っ込まないが。

「でもそうね、関係性というか、簡単な経緯ならこんな感じ。あの獣、キュゥべえに契約を持ちかけられたのは、先日の月曜日。私に魔法少女の素質があるだとか、何でも願いを叶えるだとか、胡散臭いこと甚だしい、妄言を垂れ流していたわね」

「そう、あなたが阿良々木暦の話していた……」

 そういや、ほむらと初めて邂逅した時に、戦場ヶ原の事を話したっけか…………いや、話したというか――あの場合、銃で脅されて口を割ったと言った方が正鵠を射ているだろうか。

「まぁ当然、断ってやったけど――――ふふ、こんな“見え透いた裏のある契約”に乗るようなお馬鹿さんは、そうそういないと思うけど。ねぇ、暁美さん?」

 こいつ…………どんだけ性格悪いんだよ……。
 まだほむらが『魔法少女』であるとは明言はしてはいないけど、この話の流れで、読み取れないほど、おつむの弱い奴じゃないだろうに! 絶対にわざとだ!

 つーか、戦場ヶ原自身、詐欺師に騙された経歴の持ち主の筈なのに、よくもまぁいけしゃあしゃあと。

 しかし戦場ヶ原の言葉で、気付かされたが、この人一倍警戒心の強いほむらが、どうしてキュゥべえの契約に乗ってしまったのだろうか?
 よほど叶えたい願いがあったってことなんだろうが…………以前訊いてみた時は教えてくれなかったからな。

「あなたは正しいわ。私を含め、キュゥべえと契約を結んだ少女達は、総じて愚か者よ。理由はどうあれ、あんな奴の口車に乗ってしまったのだから…………でも、戦場ヶ原さん――私は…………私の願いを完遂する為になら、同じ過ちを何度でも繰り返すでしょうね。それが悪魔との契約だったとしても、私はそれを厭わない」

 戦場ヶ原の挑発に、ほむらは、鬼気迫る表情で抗弁した。
 ただ、その確固たる決意を感じさせる言葉の意味を、僕は正確に推し量ることができなかった。

 何でも願いを叶えられる契約の筈なのに、ほむらの弁では、それはまだ達成していないかのような物言いではないか。

 俄然ほむらの願いがなんだったのか、気になってきたけど、これはほむらにとって、繊細な問題の筈なのだから、おいそれと触れていいモノでもない。
 踏み込んではいけない領域の話だ。

 となれば、この話はさっさと打ち切り、本題に入ってしまおう。
 これ以上この二人に言葉を交わさせると、なんだか危なそうだし……。



 ということで。

 ほむらからの要請を訊きいれ、『時間停止』の能力、『心渡』の存在やらについては伏せることにして――口止めされている箇所には感付かれないように細心の注意を払い、それ以外の情報を簡潔にではあるが、僕が知っている範囲で説明し、それにほむらが一言二言補足を加えるというような運びで話は進む。

 戦場ヶ原も途中で余計な口を挟んだりはしてこず、質問は最低限に留め――場の空気は兎も角、進行自体は思いの外スムーズで、意外にすんなりと説明を終える事ができたのだった。







~037~

 基本無口なほむらと、この数年間、対人関係を遮断してきた戦場ヶ原との間で、話が弾むことなどあろう筈もなく――ほむらは説明が済むと、早々に帰っていった。

 今後の予定が、何も決まっていないのは気掛かりだけど、まぁ連絡先を手に入れているのだから、メールなり電話で確認すればいいだろう。


 さてさて。
 成り行きというか、話の流れで、戦場ヶ原を家まで送っていくことになった。

 ただ、行きの交通手段がそれぞれ違ったので(僕が自転車で戦場ヶ原はバス)、どちらかに統一する必要があったのだが、僕の大切なマウンテンバイクを長時間違法駐車して、撤去されたら敵わないので、此処は僕に合わせて貰う。

 それに――バスが到着するまでの待ち時間に乗車時間、下車した最寄りのバス停から戦場ヶ原宅までの距離(徒歩20分はかかるらしい)を鑑みれば――僕の自転車に同乗した方が、金銭的にも時間的にも効率的だ。

「精神的には苦痛だけど、我慢するわ」

 などと、感謝の念が微塵も感じられない、失礼な事を吐かす戦場ヶ原ではあったが…………こんな粗暴な奴であっても、一応は女の子。夜道を一人で帰らせるのも忍びない。
 僕も一人の紳士として、女子をエスコートするぐらいの甲斐性は持ち合わせている。



 暗がりの道を、自転車で突き進む。
 アップダウンの激しい道が続くが、半吸血鬼化した僕にとって、こんな傾斜どうってことはない。後ろに人一人乗せようとも、足取りは軽やかなもの。
 というか、“普通”にペダルを漕ぐと、勢い余ってチェーンが外れかねないので、そっと漕がなくちゃいけないぐらいだ。

「この体勢って首を絞めやすそうよね」

 後ろに乗った戦場ヶ原が、不穏な呟きを漏らす。

「ごく自然な雑談のていで、んなこと言われて……僕はその言葉になんて返したらいいんだよ!」

 マウンテンバイクの後輪に装着した、名称不明の棒の上に足を乗せた彼女は、直立状態で、バランスを崩さないよう僕の肩に手を置いているのだが、そんな物騒な発言をされると、僕としては気が気でない。
 背後から絞殺される光景が、すんなりと想像できてしまうのはどうしてだろう。


「ねぇ阿良々木くん」
「なんだよ?」

「あの子達……魔法少女の争いに首を突っ込んで、阿良々木くんは何を得るの?」

 僕等の住む町へ突入しようかというタイミングに――話題の一つとして、戦場ヶ原がそんなことを訊いてきた。

「何を得るって……別に何も得はしないけど」
「相当危険な目にあったんでしょ? 一歩間違えば、命を落とすことになっていた…………見返りもなく命を懸けるなんて、正気の沙汰じゃないわね――いいえ、たとえ見返りがあっても、ね」

 僕の事を馬鹿にするような、ともすれば叱責するような、そんなどっちつかずの声音で戦場ヶ原は言う。或いは、怒っているのだろうか?

「………………」

 彼女の心情が読み切れず、返答を窮する僕に対し、戦場ヶ原は続けて言葉を紡ぐ。

「阿良々木くんは、私の事をおもんばかって『関わるな』と言ってくれた。なのに、その当人が進んで渦中に飛び込もうとしている――なんとも、説得力のない言い分よね。お笑いぐさだわ。他者を慈しみ自己犠牲に酔いしれる、正義の味方にでもなるつもりなのかしら?」

「正義の味方って…………僕は毛の先ほども、そんなもんを標榜するつもりはないよ」

 僕の妹達、ファイヤーシスターズじゃあるまいし。

「だったら無理に深入りする必要なんてないんじゃないの? 元々は邪魔者だと、唾棄すべき汚物のようだと、うとまれていたのでしょう?」

「邪魔者は兎も角、何もそこまで強く嫌悪感を露わにされてねーよ!! まぁあれだ……結果的には役に立つって認めて貰えたわけだし……少なからず、有益な力を行使することができるんだ。それに何より、見て見ぬふりはできないだろ。助けられるモノを見過ごして、後悔はしたくないじゃないか」

 そう、だからこれは、僕の自己満足なのだ。

「はぁ……やっぱり」

 戦場ヶ原はこれ見よがしに――殊更大げさなため息をつく。

「薄々はそうなんじゃないかと思っていたけれど、阿良々木くんって、そうなのね。あなたはそういう人なのね。得心がいったわ。これではっきりとした。いえ、幻想が掻き消えたとでもいうのかしらね」

「なんだよ、やっぱりとか得心がいったとか……、今の僕の言葉で、何を納得することができたってんだよ」

 ただでさえ何を考えているか解らない女なのに、今回はその極め付けだ。

「阿良々木くんが、相手の都合を押し退けてお節介を焼く、傍迷惑な人物だと再認識できたって話よ」
「……左様で。はは、随分と失礼な評価をされたもんだ」

「勘違いされては困るわね。私にしては珍しく、阿良々木くんのことを褒めてあげたつもりなのに――阿良々木くんはね……誰にでも等価値に優しいのよ。ええ、それはもう、残酷なくらいに」

「勘違いも何も、意味わかんねーよ……お前は何を言っているんだ?」

 『傍迷惑な人物』と称しておいて、褒めたとはこれ如何に?
 戦場ヶ原の言わんとする意味が、いよいよもって要領を得ない。

「私って口下手だから、あまり素直な気持ちを伝える事が出来ないのだけど――」

 そこで、唐突に戦場ヶ原が身を寄せてきた。
 自転車で二人乗りしている状態の為、背後から背中に伸し掛かるというか、しな垂れ掛かるというか、そんな感じで。
 当然しっかりと、背筋に柔らかな感触が触れている。

 え? なにこの状況?

 右肩に戦場ヶ原の小顔が乗っかってくる。すると、微かに甘い香りが! うわ! めちゃくちゃいい匂いだ!

 そして、その甘い香りに負けない、甘美な声音でもって彼女は囁くのだった。

「――これでも私、阿良々木くんに感謝しているのよ」

 戦場ヶ原の唇が、僕の耳元を掠めるかのような、そんな至近距離からの耳打ち。


 反射的に僕は身体を捻って距離を離す。これは純粋な気恥ずかしさによる逃避だ。
 とは言っても、ほんの一瞬、密着状態から脱却しただけで、二人乗りの最中では大した効果はない。

 如何様にしても、背後を取られてたままなのだから。

「せ、戦場ヶ原……戦場ヶ原、さん?」

 不意な急接近に、あたふたと、狼狽する僕である。

「だから、細やかながらお礼でもと思っているのだけど、阿良々木くんは何がご所望かしら?」

 元の平素な声色に戻って、戦場ヶ原は言う。
 ってなんか、話の流れが一足飛びに流転しているようで、僕の中で状況の整理が全く追い付けていない。
 感謝? お礼? 

「……それは……何の話だ……?」

「この間のことよ」

「あ、もしかして忍野を紹介したことに対してか? だとしたら、それは忍野本人に言ってやれよ。僕はただ仲介しただけなんだからさ」
「嫌よ。私、あの人のこと嫌いだもの」

 嫌とか嫌いとか、えらく直截的な物言いだな。そんな感情論で片付けていい問題でもないだろうに。

「それはそれ、これはこれ、よ。どうあれ、阿良々木くんが“お節介を焼いてくれた”ことで、私の抱えていた――もう半ば諦めていた、問題が解決した。あれほど手痛い仕打ちを受けて、凝りもせず私に手を差し伸べてくれた。それが私にとって、どれほどの救いだったか。私が特別ではなかったけれど……寧ろそっちの方が単純でいいわ。そして、私は『借り』をそのままにしておくような、厚顔無恥な女ではないのよ。しっかりと、受けた恩は清算しとかないと、気持ちが悪い」

 所々言葉のチョイスに疑問を感じずにはいられないが…………段々と戦場ヶ原の言わんとすることが分かってきた。
 ついさっき、褒め言葉として、僕を『傍迷惑な人物』と称したのは、そういうことか。

 『傍迷惑な人物ぼく』の諦め悪いお節介のお陰で、戦場ヶ原じぶんは救われたのだと、そう言ってくれているのだ。

「でも、それこそ、それはそれ、これはこれだって。別に僕はお前に恩を売る為に声をかけたんじゃないんだからさ。戦場ヶ原が感謝してくれていることは、気持ちとして受け取っておくけれど、貸し借りで語るような話でもないだろ。ほら、僕達って友達だし、言うだろ『友情は見返りを求めない』とかなんとか。そういったいい意味での、遠慮のない間柄になれたらいいなって、僕は思って――」

「うだうだ言ってないで、さっさと私にして欲しい事を言えと言っているのよ!」
「強制された!?」

 結構、自分ではいい事言っている風に喋っていたのに、台無しじゃねーか!

「戦場ヶ原。それは、感謝を示そうとしてる奴の物言いじゃねーだろ」
「そうね。それについては謝罪しないでもないわ」

「いや、まぁいいんだけどさ、僕に対し恩義を感じる必要性は全くないんだしな」
「謙虚さが日本人の美徳だなんて思ったら大間違いよ」

「………………」

 この女、めんどくせぇ……。

「いいじゃない。取り敢えず、何か言ってみなさいよ。私が苦渋に耐え忍び、阿良々木くん如きの命令を訊いてあげようって言っているのだから。こんな機会チャンス、二度と来ないわよ」

 重ね重ね、めんどくせぇ!
 つーか、今に始まったことじゃないけど、基本、上から目線だよなこいつ。

「そんな殊勝な心構えで感謝してくれるなんて、ほんと有り難い話だな」

 突っ込みを放棄し――僕は投げやりな調子で、皮肉交じりに話を合わせる。

「で、お前は僕のお願いを訊いてくれるってことか?」
「ええ。何でも言ってごらんなさい。私に不可能はないわ」

「また大風呂敷を広げたもんだな。幾らなんでも大言壮語が過ぎるだろ」
「は? 私の力を見縊らないで頂戴。どんな事でもお茶の子さいさいよ」

「何でそんなに自信満々なんだよ…………」

 嘘を吐いて引くに引けなくなり、意地を張って更に嘘を重ねる小学生みたいなこと言って……こんなことでむきになるなよ。

「なんだか、失礼なことを考えている気がするわね」

 鋭い奴だ。

「どうも阿良々木くんは、私の言っている事を虚言だと思っているようだけど」
「誰がどう考えても虚言だろうが!」

「それはどうかしら? 阿良々木くんの叶えたい願いを、私がキュゥべえに伝えれば、それは間接的に阿良々木くんの願いが叶ったことになる――言ってしまえば、私には何でも叶える力があると言っても過言ではないのよ」

「過言だよ!! そう言うのを『人の褌で相撲を取る』っていうんだ! ったく……それに第一、僕の願いを叶える代償に、お前が魔法少女になる運命を受け入れるなんて、どう考えてもありえないだろ?」


「それもそうね。ならここは、『私に出来る事なら何でも』という条件にしておきましょうか」

 ここであっさり主張を取り下げることができるのは、何気に凄いよな。一貫性のない緩急自在な言動には、翻弄されるばかりだ。

 いやでも……思わず否定してしまったが、よくよくちゃんと考えてみれば、あながち戦場ヶ原の言っていることは妄言でもないのかもしれないな。

 戦場ヶ原が望めば、どんな願いでも叶えられるというのは、紛れもない事実なのだから。


「しっかし、急に何でも言うことを訊いてくれるって言われてもな、そんなパッとは思い浮かばないぜ…………」
「優柔不断ね――そもそも男なら、こういったシチュエーションに、狂喜乱舞して然るべきじゃないの」

 僕の反応に、不満を露わにする戦場ヶ原だった。
 そうは言うが…………全身で喜びを表現しようものなら、「浅ましい」とか「見苦しい」とか文句を言ってくる構図が目に見ているし――何か裏がありそうで怖いんだよ。

「まぁ、そうなんだろうけど……ならお前はどうなんだよ。逆に、もし僕がお前のいうことを何でも訊いてやるっつったら、どんなことを頼むんだ? 参考意見として教えてくれよ?」

「生涯奴隷として私に絶対服従するよう命じるわ」

 間髪を入れず、極悪非道な返答をしてくれた。

「お前な……」
「何よ。ただの冗談じゃない」

「戦場ヶ原、僕が訊いたのは参考意見なんだぞ……もし僕が、そっくりそのままお前にそれを適応したらどうするつもりだ」

「え、なに? 阿良々木くん。私のことを、一生メイドとして雇いたいの?」
「………………」

 『奴隷』が『メイド』に変換されていた。しかも、多分雇うにあたって賃金が発生している。
 なんて自分に都合のいい思考回路をしているんだ、こいつは。

「別に何だって構わないのよ。どんな辱めを受けようとも、それに耐える覚悟はしているから」
「お前は僕をどういう目で見ているんだ!? 何で如何わしいお願いをするのが前提なんだよ!」

「あら、しないの?」
「しねぇよ!」

「胸ぐらいなら直で揉ませてあげたのに」
「え? そんなのもありなの?」

 具体性を帯びた参考意見に、ぐらりと心が揺らぐ、単純な僕だった。

「いやいやいや。違う違う。今のは無しだ―――じゃあ、あれだ。お前の家に着くまで、肩でも揉んでくれよ。それでチャラにしとこうぜ」

 別段、肩がこっているって訳じゃないが――まぁ、落としどころとしてはこんなもんだろう。




 そんなこんなで――

 ドーピング状態のお陰で体力的には問題なくとも、会話と言うにはあまりにも一方的な、ただの悪口ともいうべき、誹謗中傷の数々に、精神的に疲弊した、摩耗しきった僕であるではあるが、それでも、どうにかこうにか、戦場ヶ原ひたぎが居住する、民倉荘に無事、到着した。

 痛みを感じる程の力強い指圧(もっと優しくしてくれとお願いしたら、なぜか更に力が増した)からも、ようやく解放される。


「駄目ね。こういうのは、策を弄しても、中々思い通りにはいかないものね……」

 僕の肩から手を離し、地面に降り立った戦場ヶ原は――口元に手を宛がい、何やら独り言らしき言葉を漏らす。
 次いで、深呼吸らしき息遣いを一セット。


「ねぇ阿良々木くん」
「ん?」

「私と付き合いなさい」
「…………はい?」

 数秒の間。

 戦場ヶ原の言っている言葉の意味を頭の中で咀嚼して――――そして思い至る。

「おーけーおーけー。はっ、どうせ『私と買い物に付き合いなさい』とかそういった裏があるんだろ。馬鹿正直食い付いた僕を嘲笑するつもりなのが見え見えだぜ」
「男女交際をしましょう、という意味よ」

 僕の見解には取り合わず、戦場ヶ原は率直に言う。
 誰が聞いても、意味が取り違いようのない言葉に換言する。

「えっと…………それって?」
「私、阿良々木くんのこと好きよ。つまり、そういう事よ」

 これってもしかして、戦場ヶ原から告白されているのか?
 戦場ヶ原ひたぎが?
 いや、でもそんなことがあり得るか? この女が僕の事を? 何故に? Why?

「……おいおい、冗談も程ほどにしておけよな。そりゃ、お前は僕が狼狽える姿を見て、楽しいのかもしれないけどさ、同じ手は食わないって――罷り間違って僕が真に受けたら、どうすんだよ」

「あらあら、『狼少年』ならぬ、『狼少女』になってしまったという訳ね――なら、どう阿良々木くんに思いを伝えたら、信じてくれるのかしら? そうね、手っ取り早く、『言葉』ではなく『行動』で示してみましょうか?」

 そう言って、戦場ヶ原が僕との距離を詰めてくる。
 自転車に跨って停止している状態なので、僕は後ずさることができないでいた。
 待て! 待って! 狼少女に捕食されてしまう!

「わかった! 信じる! 信じるから、それ以上顔を近づけてくるな!」
「そう、よかった。私が本気だということが伝わったようね」

「あ、ああ。本気だってことは重々理解した…………した上で改めて確認させて貰うんだけどさ、それって…………恋人同士になろうって事で……間違いないんだよな?」
「認知力の欠如した、阿良々木くんにしたら上出来な認識ね」

「こういうことを言うのも失礼というか、僕自身情けない話なんだが……なんで僕なんだ? 僕のクラスでの堕落っぷりは知ってると思うけど」
「ええ、よく知っているわ。阿良々木くんがクラスで落ちぶれていく様子を観察するのが、高一からの私の密やかな楽しみだったもの」

「悪趣味な奴だな…………いや今焦点に置いているのはそういうことじゃなくて、そんな駄目駄目な僕を選ぶ理由があるとすれば、だ…………なぁ戦場ヶ原。お前はもしかしたら、先日の件で、僕に必要以上の恩義を感じちゃって、それが負い目となって変に――」

「それは違うは阿良々木くん。『切っ掛け』ではあったのは間違いないけれど、決してそれが『理由』になりはしない」

 僕の口上を途中で遮り、戦場ヶ原は力強い声音で明言する。

「強いて理由を――阿良々木くんを選んだ理由をあげるなら、阿良々木くんとお喋りすることがとっても楽しいから。阿良々木くんと一緒にいると、飽きないから。阿良々木くんの人となりに触れて、私の心がときめいたから。そんな誰にでもあるような、至極当然のごく有り触れた理由」

「いや……え? だって……まだ僕達、そんな話してなだろ……ここ数日で会話する機会は増えたかもしれないけど――それで決断するのは、ちょっと早急過ぎやしないか? 友達として、もっと深く知り合ってからでも遅くないんじゃないのか?」

「そうね。別に、それでもよかったのだけど」

 戦場ヶ原は、僕の意見に一応は頷いて――その上で。

「だけど、阿良々木くんは一人しかいないもの」
「そりゃ、僕は僕一人しかいないけど……?」

「気に入った一点限りの商品が、迷ってる間に他の誰かに買われちゃ悲惨でしょ。だから、先に唾を付けておこうって事。一種の先行投資みたいなものね。阿良々木くんが優良物件であることを期待するわ」

「……そっか……なるほどな」

 戦場ヶ原らしい着想だ。いや、恋愛に於いては結構当たり前の話なのかもしれないな。

「見込み違いの不良物件だったなら、捨てればいいだけの話だし」
「………………」

 情け容赦ない奴だった。だけど、これこそ彼女らしい考え方だ。

「それで、返答は? あーもし、この申し出を断るような舐めた真似をしてくれたら、ふふ、そうね。私の人生の汚点になるといけないから、あのいけ好かない小動物の力で、阿良々木くんの存在そのものをこの世から抹消するとしましょうか――」

 ナチュラルに脅しをかけてきやがったよ、この女。

「――というのは流石に可哀相よね」

 が、どうにか思い止まってくれたらしい。

「だったら嫌がらせとして、本当に本当の意味での性転換でもして貰って、女の子として、新たな人生を歩んでいくというのはどう? 私、暦ちゃんとなら上手くやっていけそうな気がするわ」
「いっそ一思いに消してくれ!!」

「ん? でも待って。もし、少女暦ちゃんに魔法少女になる力があったとしたら、その時の『願い』でまた元に戻ることも……その可能性は無きにしも非ず……か。これじゃ駄目ね。でもこれが成立した場合、男の姿で魔法少女を名乗るのかしらね? 阿良々木くんはどう思う?」

「んなこと知らねーよ!!」

 なんて恐ろしい発想をする女だ。
 仮想の話であってもそんな事について考察なんかしたくない!

「つーか、戦場ヶ原。それは僕がお前の申し出を断ったらって時の、仮定としての話なんだよな?」
「ええ、そうね」

「ははははは」

 自然と笑いが漏れ出てしまう。

「阿良々木くん?」

「なら怯えたり、変に声を荒げる必要はないってことじゃないか――」

 戦場ヶ原の中で、どういう心の変遷があったのかは定かではないが、彼女に選んで貰えた事は、光栄なことだ。本当に、心の底からそう思う。

 こんな面白い奴が、僕ではない、他の誰かの手に渡ってしまうのは惜しいからな。
 僕も、戦場ヶ原に習って、先行投資させて貰うことにしよう。

「――つまり、そういう事だよ」



[27169] さやかスイッチ~その1~
Name: ミドリ◆02e976c9 ID:2270504e
Date: 2013/08/17 09:39
~038~

 今日も今日とて僕は、見滝原の地に足を踏み入れていた。

 今僕が居るのは、繁華街の一角にあるファーストフード店。その飲食スペースで、僕と巴さんは向かい合って腰を下ろしていた。
 傍から見れば、デートの最中とも映る光景かもしれないが、別に二人っきりで逢瀬を楽しんでいるということでもない。

「美樹の奴……遅いな」

 右腕に装着した腕時計(捻くれ者仕様)に視線を落とし、僕はぼやく。
 そう。これはただ、待ち惚けをくらっているだけなのだ。

 約束の集合時間は17時。そこから10分ほど経過していた。

 そういや、決まった時間――だいたい今日と同じように、17時を目安に集合することが多くなったので、無理に学校を早退する必要はなくなった。マウンテンバイクで飛ばせば、余裕で間に合う。

 まぁ副委員長としての責務は、連日ほっぽり出している現状な訳だけど。
 居ても居なくても羽川一人で十分という見解もあるが、そういう問題でもない。どこかで埋め合わせしとかないとな…………何も訊かず、笑顔で送り出してくれる羽川さんが怖い。


 ああ、話が逸れたが――美樹の遅刻に対し、苛立っているということではないのだ――

「そうですね。連絡もないし…………美樹さん、どうしたのかしら。心配だわ」

 正面に座った巴さんが言うように、僕と巴さんの携帯には遅れる旨を伝えるメールも、電話による一報も入っていないのが、少し気掛かりだ。あれでいて、結構しっかりした性格だと思うし。

 此方から掛けてみるも、一向に電話に出る気配はない。
 別に電源が切れている訳でも、電波の届かない場所にいるってことでもないのに……。

 もしかしたら、うたた寝してしまったのかもしれない。
 ここ最近は、あまりぐっすり眠れるような状況でもなかったからな…………学校が終わってから集合時間まで、微妙に時間が空いてるし、着信に気付かないほど深く、家で熟睡しているのかもな。
 それなら、今度会った時に、軽口の一つか二つでも言ってやればいいだろう。

 だけど……それはあくまでも可能性の一つだ。
 念の為ではあるが――まどかちゃんに電話を掛け、何か知らないか訊いてみることにした。

 すると――――

『う~ん……家に帰ってるってことはないと思います。さやかちゃんと一緒に駅前のショッピングモールでぶらぶらして、その場で別れたんですけど…………そのまま待ち合わせ場所に向かうって言ってましたし…………あの、さやかちゃん、まだ来てないんですか?』

 ――そのような証言が得られた。

 巴さんが言うには――駅前のショッピングモールから、待ち合わせ場所に指定した、ファーストフード店まで、徒歩約20分。
 まどかちゃんが美樹と別れたのは、16時30分ぐらいとのことだ。

 どんなにゆっくり歩いても、到着してなくちゃおかしい……。

 そうなってくると…………どうも胸騒ぎがするな。
 まどかちゃんには、何か進展があったら連絡すると伝え、通話を終える。


「仕方ないな。少し辺りを探しに行ってくるよ」
「なら私も一緒に――いえ、ここは手分けして探した方が効率的ですかね?」

「いや、巴さんは此処で待機していてくれないか。入れ違いになって美樹がやってきたらそれも面倒だし。見つけたら連絡入れるから」
「……そうですね。わかりました」

 手短にそんなやり取りを終え、僕は店を飛び出した。







 多くの人が行き交う、喧騒に包まれた繁華街。僕の地元の商店街とは比べ物にならない程賑わっている。
 こんな中を闇雲に探しても、そう簡単に探し当てれるとは到底思えなかったので、ここは、頼れる相棒に協力を仰ぐことにした。

「忍、起きてるか?」

 僕は適当な路地に身を滑らせると、影に封じられた金髪幼女に声を掛ける。

『ふぁあああああ――――んぁ?』

 どうやら惰眠を貪っていた所を、起こしてしまったらしい。
 大きな欠伸をした後、何事かと不機嫌そうに訴えかけてくる。
 脳内にダイレクトに響く声は、未だ慣れないな…………有り体に言ってしまえば、“テレパシー”みたいなものだ。
 とは言っても、一方通行だから、僕の方はちゃんと、声を発しなくてはならないけれど。


「お寝んねしてたとこ悪いな。でだ、ちょっと人探しに協力してくれないか?」

 謝罪を挟み、簡潔に要件を伝える。

『…………………………はぁ? 人探し、じゃと?』

 寝起きで、頭がまだ回転していないのか、数秒程の間を置いてから忍が反応を示す。

『嫌じゃ、面倒臭い。儂は寝る』

 即断即決。すげなく断られた!
 経緯はどうあれだ、僕の事を主君と見定めた奴が、こんな愛想の欠片もない態度をとっていいのかよ!
 主の頼みより、睡眠を優先させやがった!

 だが、今は忍の態度に腹を立てている場合ではない。
 事態は切迫しているかもしれないのだ。あまり悠長に事を構えている暇はなかった。
 だったら手っ取り早く、より確実に――

「報酬としてミスドに連れてってやる」
『ふ、少し寝ぼけておったわ。我があるじ様の命とあらば、砂漠に落ちた針一本であろうと探し出してみせよう!』

「………………」

 想定通りとは言え、この物悲しい感情はなんだろう…………卑しい奴め。お前は餌がなきゃ芸をしない犬か。

『っと、そういえば人探しと言っておったか。また何時ぞやのように、黒髪無愛想な魔女っ娘を探せばいいのかのう?』

 ほむらの事を言ってるんだろうけど、魔女っ娘って……これはまた。
 僕の個人的な感想だが、より幼児性の増した言い回しだよな。


「いや、探して欲しいのは、美樹。美樹さやかって子だ。お前、わかるか?」
「ん~全く。名前を言われても、さっぱりじゃ。際立った特徴もない有象無象の輩なぞ、判別できん」

 だよな。
 でも、際立った特徴なら――ある。
 名前までは覚えていなくとも、ちゃんとほむらの事を、認識、区別できているのであれば、きっと大丈夫だろう。

 有象無象の一般人は無理でも、美樹ならば、問題ないはずだ。


 だって彼女は――



 ――『魔法少女』なのだから。












~039~

 今日は5月19日の金曜日。
 あの日――『お菓子の魔女』との戦いを終え、なんだかんだでほむらと提携関係を結び、その流れで巴さん達とも交流を持つようになり、そして、戦場ヶ原と付き合い出した、あの日から一週間。

 この一週間の間に起こった、中でも取り分け今回の件に関した事について、順を追って説明していこう。

 僕個人としては、母の日――日付で言えば5月14日に出会った、『蝸牛かたつむり』の少女、八九寺真宵との間に起こった出来事についても触れておきたいが、今は割愛させて貰う。それはまた別件だ。


 さて、美樹がキュゥべえと契約することになった経緯についてだが、遺憾ながら、僕は何も知らない。何も“知らなかった”。

 当たり前の話だが、僕が関与しないところでも、物語は紡がれるのだ。
 僕が知った時には、もう既に『確定』していた。

 故に、彼女が一人で懊悩し、一人で逡巡し、そして、一人で決断を下したことについて――僕は、語るべき言葉を持ち合わせていない。



 事が起こったのは、5月15日の夕暮れ時。
 ほむら共々、一人暮らしをしているという巴さんの自宅に招待(半強制)され、紅茶を飲みながら色々と話しあっていた時のことだ。

 まどかちゃんからの着信があり、巴さんが電話に出ると――まどかちゃんは酷く気が動転した様子で、差し迫った窮状を訴えかけてきた。
 今にも泣き出だしそうな状態のまどかちゃんから、巴さんがどうにかこうにか状況を訊き出す。

 念の為補足しておくが、吸血鬼イヤーのお陰で、巴さんによる説明がなくても、直接まどかちゃんの声を聞き取ることができていた。


 肝心の電話の内容だが――どうも、『魔女の口づけ』を受けた人達(その中にクラスメイトの友達もいるようだ)を助ける為に、一人で奔走しているらしい。

 『魔女の口づけ』と言うのは――魔女による洗脳とでもいうのだろうか。
 『口づけ』によって魔女の支配下に置かれると、紋様のような刻印が首元に現れる。
 
 魅入られた人間は、自意識がなくなり、心が闇に支配され負の感情が増大していく――終いには、生きる気力を無くし、自らの命を絶とうとする。また、それだけに飽き足らず、近くにいる他者までも道連れにしようとすることが、ままあるようだ。

 この世界で起こる、多くの自殺や、一部の傷害事件ないし殺人事件などは魔女による影響だという。
 誘因となった魔女を倒さない限り、『口づけ』が消失することはない。

 無論、今のまどかちゃんは大変危険な状態にあると言えた。正気を失った人達が、いつ襲い掛かってくるとも限らない。

 そして、『魔女の口づけ』を受けた人間がいるということは、その近辺に、魔女そのものが潜伏していることを示唆していた。


 状況を把握した僕達は、すぐに行動を開始する。
 ほむらの指示で、まどかちゃんには、それ以上迂闊に近づかないように注意しておき、伝え聞いた郊外にあるという、とある町工場跡に急行した。




 だがしかし――――


 僕達が駆け付けた時には、事は既に終わっていた。時間にしたら、ほんの僅かな差ではあったのだろうが、僕達は出遅れてしまったのだ。

 ただ、“手遅れだった”という意味合いではない。
 先んじて駆け付けていた、一人の『魔法少女』が、事態の解決に尽力し――うらぶれた工場跡に巣食っていた魔女を、速攻で仕留めていたってことだ。

 白のマントが印象的な、青を基調とした、身軽そうな衣装。
 その魔法少女こそが、『美樹さやか』なのだった。
 

 魔女に魅入られた人達も、まどかちゃんも無事だった訳だし、本来ならば、美樹の功績を褒め称えてあげたいところではあるが――僕達は、一様に沈んだ表情で美樹を注視することしかできない。

 その視線に晒された美樹は、極まりが悪そうに頭を掻くと、

「いやー、あたしも見滝原の平和の為に、何か役立てないかなぁーなんて思っちゃいまして…………キュゥべえと、契約しちゃいました、たはははは」

 乾いた笑いでお茶を濁す。

「……さやかちゃん。……もしかして、上条くんの為に?」
「…………うん」

 まどかちゃんの窺うような控えめな問い掛けに、美樹は小さく頷くと、弁解でもないのだろうが、事の顛末を教えてくれた。

 訊くところによれば、美樹が魔法少女になる対価として願った祈りは、幼馴染の怪我を治してあげるという、慈しみ溢れる献身的なもので――そんな彼女を責め立てるようなことはできなかった。

 キュゥべえの怪しさも、魔女の恐ろしさも、十分に理解しているはずなのに…………美樹が早まった真似をしたのは間違いない。だけど、一方的に糾弾できるものでもない。

 感情のぶつけどころがない、もどかしさだけが残った。


 加えて、明らかになったことがある。
 美樹が真っ先に現場に駆け付けれた要因は、キュゥべえにあったのだ。
 どういう事かというと、契約完了後、そのままキュゥべえから魔法少女としての心得や諸注意を受けていた美樹なのだが、その折に、キュゥべえがまどかちゃんの危険を察知したらしい。

 キュゥべえからの報告を受け、いの一番に駆け付けることができたとのことだ。

 これもまた、本来であれば、キュゥべえに感謝しなければいけないところではあるのだが、どうも作為的な意図が感じられるのは、僕の考え過ぎだろうか……?


 その時の僕は、どうも考え方が、マイナス方面に偏りがちだった。

 だって…………まどかちゃんから連絡があった時に、僕達が話しあっていた内容というのが、魔法少女になる可能性の高い人物への対応や対策だったってのは、滑稽で、不条理で――

 ――余りにも皮肉な話じゃないか。





 ともあれ、このような経緯があって、美樹は魔法少女として生きていくことになったのだ。
 美樹が魔法少女になったことは、歓迎できた事態ではないけれど、嘆いていても仕方がない。
 見滝原に出現する魔女は、他の町に比べて“異常”とも言える程多いらしく、戦力が多い越したことはないとは、巴さんの弁。

 だが、まだ実戦経験の少ない美樹を、一人で魔女と戦わせるのは危険だとの判断で、ここ連日、巴さん主導による特訓が行われていた。巴さんもこの師弟関係が嬉しいらしく、笑顔で美樹をしごきまくっている。

 当然、並行して魔女や使い魔を狩るのも怠らない。まぁ魔女と出くわすことはなかったけれど。
 ソウルジェムを用いなければ、魔女や使い魔を見つけだすことができないので、僕もそれに同行するかたちだ。

 ちなみにほむらは、魔法少女同盟に美樹が加入したことによって、巴さんのマークが薄れたのを好都合と、一人で別行動することが増えた。
 基本あいつは群れたがらない、一匹狼なのだ。今日もいったいどこで何をしているのやら……。




 そうこうしている内に、忍探知機のお陰もあって、美樹の居るであろう場所にたどり着くことができた。

 繁華街から少し外れた場所に位置する、寂れた印象の付き纏う区画。外壁がボロボロに風化したビルディングの窓には、『テナント募集』の文字が――だけど、こんな場所を借りようなんていう物好きは、そうはいないだろう。

 さっきまでいた、活気溢れる街並みとはえらい違いだ。此処はなんというか廃墟の一歩手前といった感じ…………栄養を吸い取られた成れの果てとでも言うのだろうか。
 一部に人が集まれば、その分、どこかにしわ寄せが生じる。それが世の摂理。儘ならないものである。
 そんな場所に好き好んで足を運ぼうなんて人がいる訳もなく、辺りに人の気配は全くない。

「この先に美樹が……」

 僕の視線の先――ビルとビルの間に、薄暗い路地が伸びている。
 湾曲した路地で、奥の方までは見通すことができなかった。街灯も設置されていないので裏路地と言ったほうがいいだろうか。

『うむ、間違いなかろう。魔女っ娘特有の、血の匂いを感じる』

 忍は確信に満ちた声音で言い切った。次いで――

『いやしかし……少しばかり過剰じゃな』
「過剰?」

 何やら、よく分らないことを言い出した。

『充満しているとでもいうのかの……濛々と血の匂いが立ち込めておる』

 僕の疑問に答えてくれているのだろうが、何を言っているのかさっぱりだ。
 それでも、忍が警戒した雰囲気を発しているのは感じ取れたので、辺りを警戒しつつ慎重に、早足で裏路地を進んでいく。
 思いのほか道幅は広く、舗装もしっかりされていた。足を取られるようなゴミが転がっているということもなく、足取りは軽やかなもの。

 その折に、巴さんに連絡を入れておくのも忘れない。

 つーか、美樹はこんな所で、なに道草を食ってんだ?

 と――不意に、湿り気を帯びた、生ぬるい風が肌を打つ。
 正面から吹き抜けてくる風は、じっとり皮膚に粘りつくようで、あまり心地よいものではなかった。
 所謂、ビル風って奴か。

『我があるじ様よ、気を付けよ!』
「ん? いや、別に突風ってほど強い風ってこともなかったろ」

『阿呆。そうではない。くっ……一方の“溢れ出た血の匂い”に紛れて気付くのが遅れたが、どうやら、この先に居るのは一人ではないようじゃの。“同種”の匂いをもう一つ感じる』

 警鐘を打ち鳴らすような、きつめの口調で忍は言い立てる。
 忍の声は重く、おちゃらけた雰囲気は霧散していた。


 同種の匂い、か…………それが何を指し示しているのかは多分だけど察しが付く。
 いや、そんなことよりもだ、溢れだした血の匂いって……何だよその表現は……。

 ドクンと、大きく心臓が跳ねる。言い知れない不安が、止め処なく湧き上がってくる。
 心がざわめき、焦燥が募る。

 次の瞬間には、駆け出していた。
 警戒なんてしている場合ではなかった。
 僕の予感が正しければ……いや、それは杞憂でなければならない。僕の思い過ごしの筈なんだ!




 だけど――――往々にして、嫌な予感ほどよく当たるものなのだ。

 僕は立ち尽くす。声を荒げたい衝動に駆られているのに、言葉が出てこない。
 眼前の光景を、ただただ眺めることしかできないでいた。


 其処には血塗ちまみれで地に倒れ伏した美樹さやかと、真紅の衣装を纏った見知らぬ魔法少女――そして、その二人を悠然と、観察する様に眺めるキュゥべえの姿があった。





[27169] きょうこマッチ~その1~
Name: ミドリ◆02e976c9 ID:2270504e
Date: 2013/08/17 09:44
~040~

 美樹はうつ伏せに倒れ込んだ体勢から、立ち上がろうと必死になっている。
 あまりの凄惨な有り様に、最悪の可能性が脳裏に過っていたが、どうやら息はあるようだ。だけど……最悪の事態には至っていないとはいえ、彼女が満身創痍なのは火を見るよりも明らか。

 元々は白いマントだった筈なのに…………その大部分が赤く染まっていた。
 当然、それは染料などではなく、彼女自身の血液だ。

 それでも――手元に転がっていたサーベルを杖代わりに、美樹は立ち上がってみせた。

 息も絶え絶えな、荒い呼吸。あらゆる箇所から滴る多量の紅血が、足元に血だまりを形成していく。
 身体には鎌鼬かまいたちにでもあったかのような切創せっそうが、痛々しくも無数に刻まれている。

 いや、鎌鼬でもなんでもなく……身の丈を越える程の長槍によって、刻み込まれた傷痕か。

「おっかしいなぁ。どうなってんの? 意識を刈り取るには、もう十分過ぎる程痛めつけたつもりなんだけどぉ、普通なら再起不能っしょ? 幾ら何でもしぶと過ぎるんじゃないの?」

 その長大な得物を肩に担いだ魔法少女は、顔を顰め嘯く。
 年の頃は、美樹とそう変わらないように見えた。
 ノースリーブ型の深紅の衣装に、赤みを帯びた長髪を後頭部で一つに纏め、黒い大きなリボンを付けている。胸元にはルビーのような煌めきを放つ宝石が――彼女のソウルジェムだろうか。
 

「杏子も知っての通り、彼女は癒しの祈りを契約にして魔法少女になったからね。他の魔法少女よりも、特化した回復能力が備わっている。ほら、傷口がもう塞がりつつあるよ」

 少女の疑問に答えたのは、キュゥべえだった。どうやら名前は『杏子』というらしい。
 確かに、奴の言う通り、美樹の身体にあった裂傷は、擦り傷程度まで治癒されており、溢れだしていた筈の血も、既に止まっていた。

 あと数十秒もすれば、完治するのではないだろうか。
 吸血鬼化した僕の有する、治癒速度には及ばないものの、常軌を逸した回復力だ――素人判断は危険だが、命に別状はなさそうである。
 
 とはいえ、まだ意識が朦朧としているようで、視線も定まっていない。

「ふーん、耐久力だけは人一倍って訳ね。なにそれ、弱っちい癖に、手間が増えるだけじゃん! 無駄に魔力が嵩むだけってこと!? はぁ、ったく鬱陶しい――――で、何アンタ?」

 声を荒げ、苛立ちを露わにしていた少女――杏子が、すっと視線を向けてくる。
 鋭く細められた険しい双眸が、僕を射抜く。
 接近した僕の気配は、気取られていたようで、牽制がてらに、穂先が突き付けられた。


 つり上がった目尻と勝ち気な瞳は、獲物を狙う猫のようだ。とはいっても、醸し出される荒々しい雰囲気は、『猫』よりずっと大型で獰猛な『豹』なんかを想起させるけれど。
 口を開くたび見え隠れする、八重歯は、牙のように鋭い。
 あまり淑やかな印象は持てそうにないタイプの少女だった。


「怪我したくないんなら、さっさと失せな」

 横柄な口調で、脅しをかけてくる。
 男と女、年上と年下。そんなモノは微塵も考慮していない、強者としての言葉だ。

「そうはいくか。美樹をどうするつもりだっ!?」

 殺傷力の伴った武器の存在に圧され、怯みそうになる心に喝を入れ、声を張り上げる。
 そうしなければ、恐怖で心が埋め尽くされてしまう。
 眼前に迫った刃物は、先端恐怖症でなくとも、恐怖でしかない。不死性を帯びているとはいえ、そう簡単に割り切れるものじゃなかった。

「美樹? ああ、そいつのこと?」
「事情は分からないけど、もう勝負はついてるんだろ。同じ魔法少女同士で争って何になるんだよ。もしこれ以上美樹に手を出すようなら、僕はお前を――」

「『許さない』とか言っちゃうわけ? 超笑えるんですけど」

 僕の言葉を遮り、あからさまに嘲弄してきやがった!
 そして、いつの間にか手に持っていたたい焼きを、頭の方からかぶり付く。一口で魚の頭部が消えた。
 十分に咀嚼し、飲み込むと、唇に付いた餡子を舌で舐めとる。
 会話の最中に腹ごしらえを開始するとは……どこまでもふてぶてしい。

「アタシ達、魔法少女の素性を知ってて、このお目出度い頭をしたボンクラの関係者ってことは…………そっか。最近現れた男のイレギュラーってのはアンタだね!」

 こんな情報を流布する奴となると……心当たりは一つしかない。守秘義務を課していた訳ではないが、あまりいい気分ではないな。

「部外者は引っ込んどいてくんない? 何のつもりか知んないけどさぁ、迷惑だって分かってる?」
「迷惑? いつ僕がお前に迷惑をかけたよ」

「アンタもこいつと一緒になって、魔女狩りに手を貸してるんだって? それ、困るんだよね。魔女はまだしも、使い魔まで見境なく狩られちゃぁさ。さっきも、そこの馬鹿に教えてやったけど――グリーフシードを孕んだ魔女が雌鶏なら、使い魔はひよこみたいなんなの。雛が卵を孕んでる訳はないし、成長する前に締めてちゃ、鶏の数が減少する。そしたら、卵が取れなくなって、結果的にアタシのとこに回ってくる取り分が減る。この理屈、分かるよね?」

 言っている意味は分かるけど、それは……つまり――

「使い魔が魔女に成長するまでの悪行を見逃せってのか? 人が……犠牲になるんだぞ?」
「だから、何?」

 悪びれた様子もなく、訊き返される。

「何って、魔法少女は……平和を守る為に魔女と戦って……」

「はぁ? まさかとは思うけど、魔法少女が慈善事業団体とでも勘違いしてんの? あ、そう言えば、そんなもんを標榜する『紅茶馬鹿』が、この町にはいたっけ。んな甘っちょろい考えを持ってる奴がいるから、周りにも変に感化された同類が現れるわけか」


「マミさんは、間違ってなんかないッ!!」

 悪し様な物言いに対し反駁はんばくする、怒気を含んだ声が響き渡った。
 混濁状態だった美樹が、意識を取り戻していたみたいだ。
 憧れとも言える人物が貶されたことに、怒りが爆発したってところか……喋るだけでも苦しい癖に、無茶しやがって。

「美樹! お前大丈夫なのか?」
「うん……平気――暦さん…………こいつは魔女に襲われる人たちを……見殺しにするつもりなんだ。私利私欲でしか行動しない……性根から腐りきった考え方しかできない奴なんだよ。そんな身勝手な奴に、あたしは負けられない!」

「ふーん。まだやろうっての。その根性だけは認めてやってもいいけどさ、ちゃんと力量の違い位は推し量れるようになったほうがいいんじゃない? ま、やるってんなら、徹底的に叩き潰してやるけどね!」

 口端を吊り上げ嗜虐的な笑みを浮かべる杏子。
 残りのたい焼きを口に放り込むと、槍を構え、臨戦態勢に入る。

 それに対して美樹は――語調こそ勇ましいものだったが、身体の芯に残ったダメージは抜けていない様で、まだ立っているのがやっとといった感じだ。
 どう見ても戦えるような状態じゃない。

「待てって! 美樹も落ち着け。もっと穏便に話をだな――」
「煩いよ。何ならアンタから先に、ブッ潰してやろうか?」

 ギロリと視線だけで威圧をかけてくる。

「彼をあまり甘くみないほうがいいよ」

 と――そこで予期せぬ横やりが入った。
 声の主は、キュゥべえ。

「何それ、どういうこと?」

 キュゥべえの忠告に、杏子が訝しげな表情で問い返す。僕の心中も同様だ。何言ってんだこいつ。

「どういう理屈かは僕にもわからないけど、彼は巴マミが苦戦する程の魔女を倒してみせた逸材だ。一概に言えた話じゃないけど、彼は、巴マミを凌ぐ程の力量の持ち主なのかもしれない」

「へぇ、そこまでは訊いてなかったね。あのマミを…………使い魔をこそこそ狩ってるってだけじゃないんだ」
「そうだね、彼の力が未知数である以上、君とはいえ油断すれば、危ないかもしれないよ。特に彼が扱う『刀』には気を付けた方がいい」

「刀って……あいつ何も持ってないじゃん」
「君達魔法少女も、魔法の力で武器を創り出すことができる。多分、彼にもそれと同等の力が備わっているんじゃないのかな?」

「ふん。張り合いのある相手って言うなら、そんなのどうだっていいけどさぁ。最近腕が鈍ってきたみたいだし、丁度いいよ」

 キュゥべえの言葉は、杏子を諌める類の言葉だった筈なのに、なぜか、逆に闘争心を焚き付ける結果になっていた。つーか、過大評価も甚だしいって!

「よし、決めた。まずはアンタから相手してやる。ちったぁ楽しませてくれんでしょ!?」

 完全に標的が僕に定められていた。
 事を荒立てるつもりなんて一切なかったのに……どうしてこうなった!?

「ちょっと待ってよ! 暦さんは関係ない! あんたの相手はこのあた……うっ……」

 異を唱える美樹の口上が途中で呻き声に変わり――お腹を抱えてうずくまる。
 それもそのはず――美樹の腹部に、“間合いの外”から飛び込んできた、槍の石突(柄の底)が減り込んでいる。

 ただの槍に見えていた杏子の得物が、一瞬にして、多節棍に変形していた。
 仕込まれていた鎖の分だけリーチが伸びたってことか――石突の金具が分銅的な役割を果たし、不意打ちに、腹部へ一発。これは悶絶ものだろう。

「人が折角やる気になってんのに、水を差すんじゃないよ。ほんとうぜぇー奴」

「これ以上美樹に危害を加えるな。お前のお望み通り、相手になってやるからよ」

 握った拳に爪が食い込み、頭に血がのぼっていくのが分かる。だけど、激情に身を任せ、無策で飛び込んではいけない。どうにか衝動を押さえつけ平静を保つ。

 こんな時こそ冷静に――判断を見誤るな。
 美樹が手も足も出ない相手に対し、僕如きに何ができるのかを考えろ。
 杏子が美樹に勧告したように、『力量の違い』を弁えなくてはならない。

 ならば――僕は、僕に出来る事をするしかない。







~041~

 美樹には大人しく静観するよう、僕の方から強く言い含めておいた。
 年長者としての権限で、半ば無理矢理従わせた形だ。
 今は路地の壁に身を預け、安静にしている。

 外的損傷に関しては、優れた自己治癒能力のお陰でほぼ完治しているが、多量に出血したことにより、貧血を起こしている。体力も著しく低下しているので、これ以上杏子と戦えば、どうなるか…………。


 故に、僕が杏子に負けることは許されない。
 僕がやられれば、自ずと次の標的になるのは美樹になる。
 何としてでも彼女を護らなければならない。それは絶対条件だ。

 方針は決まった。
 あとは、僕がどこまで上手く立ち回れるかに掛かっている。




「少し待ってくれ。刀を用意する」

 杏子に対し、僕は一方的に告げた。
 そして、今度は、忍に対してだけ聴こえるような小声で、指示を送る。いや、指示というより懇願と言った方が正しいか。
 小声でぶつぶつと呟いている様子は、ともすれば、刀を用意する為に用いた詠唱のように映ったかもしれない。

 キュゥべえの発言により、僕は刀を扱う人物だと認識されている。
 然るに、杏子の要求である『強者との真剣勝負』に応える為にも、刀を使用しなくてはなるまい。
 これはこれで、僕にとっては好都合。

 忍の愛刀『心渡』ならば、すぐに取り出すことは可能だけど(忍の認可は必要)、『心渡』は“怪異”に対してのみ強大な力を発揮する刀だ。魔法少女相手に使用しても、長過ぎて扱いにくいただの鈍刀でしかない。

 ということで、忍に平身低頭で頼み込み、替えの刀を“創って”貰うことにした訳だ。
 忍の物質創造能力により、切っ先の方から徐々に刀が構築されていく。
 僕の影から、刀が生えてきているような構図だ。

 朧気な光に包まれ、刀がゆっくりと出来上がっていく。
 僕的には、中々に趣のある光景だったのだが、杏子はこれといった興味を示さず、退屈そうに、どこからともなく取り出した、二匹目のたい焼きを食べ始めた。



 ともあれ――完成した、刀を抜き放つ。
 『心渡』のような規格外の長さではなく、刀身は70センチ程。
 使用感を確かめる為に、数度、刀を振るってみる。重さも殆ど感じず、実に扱いやすい。

 よし。忍は僕の“注文通り”、上手くやってくれた。


「いつまで待たせんのさ。予備のたい焼き全部食っちまったじゃないか」

 非難がましく杏子が文句を言ってくるが、そんなの知ったこっちゃない。
 つーか、魔法少女は四次元ポケットでも持ってんのか? 待機中に、追加で三匹は食べてたぞ……。


「って――何だい……そりゃ……」

 杏子が僕の持った刀を見た途端、露骨に嫌そうな顔をした。

 まぁそうなるのも無理はない。
 形こそ日本刀の形状を保っているが、色の具合もあって異様な禍々しさを放っている。

 抜き身の刀身は、一切の光を通さない、闇を押し込めたような漆黒。
 それに加え、ミミズが這ったような書体で、赤い文字が書き連ねられていた。見様によっては、墓の脇になどに立てられる板塔婆いたとうばのようだ。


「前以て教えといてやるけど、この刀は曰くつきの妖刀だぜ」
「……妖刀だと?」

 僕の言葉に、杏子が食い付く。

「ああ。見ての通り文字が彫り刻まれているだろ? これは呪詛じゅそを文字にしたためたもので、この刀に斬られると、怨霊に取りつかれるだとか、運気がどん底まで低下するだとか、原因不明の腹痛に見舞われるだとか――他にも多種多様、ありとあらゆる災厄が降り掛かるって話だ。魔法少女であっても、どうなるかは分かんないぜ」

「……………………まじかよ」

 杏子が口の中で、小さく呟く。
 血気に逸る杏子とはいえど、僅かながらもたじろいだ反応を示した。

「掠り傷一つが、ある意味では致命傷だ。今後の人生にとってのな」
「ふん、上等じゃないの」

 僕としては、これで杏子が怖気ついて退散してくれることを祈っていたのだが――

「そんくらいの面白味がないとね!」

 ――そうは問屋が卸さないみたいだ。




[27169] きょうこマッチ~その2~
Name: ミドリ◆02e976c9 ID:2270504e
Date: 2013/08/17 09:47
~042~

「んじゃ。始めさせて貰うよッ!!」

 言うが早いか、先手必勝とばかりに、刺突が繰り出された。
 油断していた訳ではないが、尋常ではないスピードに驚愕の色を隠せない。
 気付いた時には、穂先が眼前に迫る。

「――なッ!」

 こればっかりは条件反射だろう。
 驚きとは無関係に身体が反応し、辛うじて躱すことができた。
 肝が瞬間冷凍された気分だ。

「……あっぶねぇ」

 即座に後方へ離脱し、出来る限り距離をとる。
 中途半端な間合いでは、恰好の的になってしまうからな……。
 杏子としても挨拶代り――ほんの小手調べだったようで、追撃を仕掛けてくることはなかった。

 杏子は槍先を前方斜め下に向け、迎撃の姿勢を取った。
 年端もいかぬ少女には似つかわしくない、圧倒的な威圧感。戦闘態勢に入った彼女からは、ぞっとするような『凄み』が感じられた。
 僕を見据える双眸は、獲物を仕留めんとする猛獣のそれだ。

 対する僕は、足を前後に開き、切っ先が目線の高さにくるよう、刀を構える。
 剣道でいう基本の『中段の構え』…………だと思う。生憎、剣道の知識は持ち合わせていないので、それっぽい構えを取っているだけなのだけど。

 得物を構えて向き合ったままの睨み合いが続く。
 一定の距離を保ち、お互いの出方を探り合う。

 杏子の視線は、僕の持つ刀に傾注されており、僅かな動きも見逃すまいという意志が窺えた。
 どうやら、この『妖刀』の特性に、細心の注意を払っているようだ。

 が――この状態に嫌気が差したのか、杏子が口火を切った。
 感覚を研ぎ澄まし、ちゃんと対応できるよう身構えていたつもりなのに……気付いた時には、尋常ではない脚力で、一気に距離が詰められていた。
 予備動作もなしに、脅威の加速力。

 当然、距離を詰めただけではなく、僕の刀が届かない絶妙な間合いをとって停止すると――下から掬い上げるような軌道で槍が迫りくる。
 
「――くそッ!」

 地を滑るように滑走し急浮上してきた槍先を、咄嗟に刀で打ち払う。
 瞬間、珍妙な甲高い音が響き渡った。材質も定かではない、未知の金属同士が打ち合わさった音色。
 音が残響する僅かな間に、更なる剣戟けんげきが切り結ばれた。

 刀と槍。刀身と長柄ながえが交差し、互いの得物を突き出した状態で押し付けて合う。

 しばしの間、同じ体勢で拮抗するも、その均衡はあっけなく消失した。

 なんてことはない。
 力任せに押しきられ、無様にも吹っ飛ばされたからだ。

「……これが女の子の力かよ」

 細身の身体からは考えられない腕力。
 刀が折れるなんて事はないだろうが、それを支える僕の腕なら圧し折れてしまいそうだ。

 なんて、愚痴っている間にも、攻撃の手が緩むことはなかった!
 後方に退避するも、すぐさま追討ちを掛けてくる。

 過激極まりない猛攻。矢継ぎ早の連撃。身の毛もよだつ風切音が耳に届く。

「チャラチャラ踊ってんじゃねーよ!」

 振り下ろし、突き上げ、薙ぎ払い、打ち下ろす。その一つ一つの攻撃が必殺。
 鉄槌が打ち付けられたような、身体の芯に残る一撃。

 どうにか受け止めきるものの、防御だけで手一杯だ。
 手のひらに痺れが発症していた。そう何度も受けきれたものではない。

 力押しで徐々に後退を余儀なくされ、とうとう壁に退路を阻まれる。

 僕を壁際に追い詰めると――彼女はその場で槍を巧みに操りながら旋回。
 すると、勢いに乗った『長槍』は、いつの間にか『多節棍』へと形態を変え――無軌道な軌跡を描き、蛇の如く襲ってくるではないか!

 予測しきれない変則的な動きに翻弄され、体勢を崩す――が、不格好ながらも、どうにか刀で弾いてみせる。
 しかし、棍の連結箇所――鎖部分で衝撃が分散されたのか、勢いを殺すには至らない。

 直後に軌道が修正され――

「ぐぁ……うぁああああッ!!」

 不覚。
 多節棍となってなお健在の槍先が、回避行動虚しく、僕の右脚を刺し貫いていた。
 完全に肉をえぐっており、僕はその場に膝をついて倒れ込んでしまう。
 激しい痛みと共に、傷口から血が盛大に噴出。深く刻み込まれた裂傷。脚があらぬ方向に折れ曲がっている。この分では、骨も粉々に砕けていることだろう。

いったそぉ。これ、もう満足に歩くこともできないんじゃないの?」

 僕の傷の具合を見て心配するでもなく、ただの事実確認として杏子が口を開く。
 槍形態に戻した得物を肩に担ぎ、もう勝負は決まったと言わんばかりだ。

「ちょっとは期待してたのに……何コイツ。てんで弱いじゃん。これでマミを凌ぐ力量? キュゥべえ――ちょっと話が違うんじゃない?」

「僕は仮定の話をしただけであって、断定したつもりはないよ」

 大きな声で、当てつけのようにキュゥべえと会話を始めやがった!

 確かに僕は弱い。巴さんと比べたら、雲泥の差。多分魔法少女に成りたての美樹にだって勝てないだろう。それについては、議論の余地もない。

 だけど、“この程度”の傷で僕を仕留めたと思っているのなら大間違いだ!
 瞬時とまではいかないが、傷はすぐに回復する。

 油断し過ぎだ、この野郎!

 治ったばかりの右脚に力を込め、地を蹴りつける!
 文字通り、“人間離れ”した脚力で、一気に加速し、僕を侮り棒立ち状態の杏子に向かって突進。

 懐に飛び込み、刀を振るう!

 並みの相手なら、この一撃で決まっていてもおかしくない――――が、残念ながら相手は並ではない。
 上体を後ろへ反らすことによって躱され、そのまま華麗にバク転を決めながら、後退していった。槍を持ちながら、なんてアクロバティックな動きをしやがる。

「ふぅ……危ない危ない。呪われるとこだった」

 刀の災厄を恐れたのか、間合いを広めにとり、ひと息入れる杏子。

「まさか、あれだけの傷を負って反撃してくるとはね――よくその足で立てたもん…………って、どういうことだ…………おい……傷が、消えてるだと……!?」

「お、気付いたか? ご覧の通り、僕も美樹と同じく、回復に特化した特異体質でね」

 これが虚偽ではないことは、彼女としても認めざるを得ないだろう。ズボンが破れ、肌が露わになっているが――傷もなければ、血だって蒸発して消えてしまっている。

「だけど、レベルは段違いだ。僕にとってあの程度、掠り傷でしかない」

 当惑した様子の杏子に、多少誇張気味にだが、自身の特異性を語って訊かせる。

「訳あって僕は『不死身』なんだ」

「不死身だ?」

 杏子が胡乱うろんな眼差しで僕を見やる。

 よし。ここが僕にとっての“勝負所”だ!

「ああ、不死身だ。どれだけ負傷しようとも、それは僕にとっては負傷になり得ない。即座に再生するからな。身体を粉々に吹き飛ばされたとしても、立ち所に復活してみせる」

「……大ぼら吹いんてんじゃねーぞ!」

「なら、試してみればいい。もう実感しただろうが、僕は大して強くない。つーか弱い。戦闘技術も何もあったもんじゃない。だけど、スピードと不死性を有する耐久力に関してだけは、馬鹿に出来たもんじゃないはずだ。そんな僕が、捨て身で飛び込めば、一太刀浴びせることぐらいできるかもしれないぜ!」

 そう強く啖呵を切って、漆黒の刀を掲げる。

「それに、忘れていないよな? ――その一太刀が、致命傷になりうることを!」

 呪いを振り撒く妖刀を、見せつけ――

 ――疾走を開始。

 小細工なしの真正面からの突貫だ!

「はッァ!!」

 一気に間合いを詰めると、裂帛れっぱくの気合で刀を横薙ぎに振り払う!

「甘いんだよッ!!」

 ところが僕の渾身の一振りは、気合虚しく長柄によって阻まれ、カウンターで強烈な蹴りが鳩尾に叩き込まれた。
 突き立てた槍を軸に身体を旋回させ、遠心力を上乗せした苛烈な一撃だ。

 続けざま――血反吐を吐きながら後ずさる僕に、上段から槍が振り下ろされる!

 視認はすれど、身体が反応しない。回避の行動を取ることもできず――左肩から胸元へかけて、袈裟懸けさがけに穂先が走り、ざっくりと肉が削ぎ斬られる。

「いぃ……っつぅッ!!」

 血飛沫をあげながら、僕は吹っ飛んだ。
 誰がどう見ても、致命傷。だけど僕にとっては、こんなのひっかき傷に過ぎない。そう、無理矢理に思い込む。

 瞬時に再生が始まる。
 腕が千切れたわけでもない。上半身と下半身が真っ二つに切り離されたわけでもない。
 ならば、容易に回復は可能。

 寝転がっている暇はない。
 即座に立ち上がる。

「残念だったな! お前の攻撃なんて、僕には通じないぜ!」

 虚勢を張って、僕は叫んだ。叫んでみせた。
 虚勢も虚勢。こんなのはったりだ。

 杏子の攻撃が、効いていないなんてそんなのある訳がない。
 傷は回復したが、確かなダメージとして身体の内に蓄積されている。

 ただ、僕の“不死性”を印象付けることには成功したようだ。
 彼女は二度、僕が致命傷から復活するところを目撃した。

「……くそ」

 だからこそ追撃を仕掛けるのに躊躇する。
 下手に接近すれば、僕が持つ『妖刀』の反撃を喰らうかもしれない。そんな捨てきれない可能性が、彼女の脚を地に縫い付ける。万が一にも刀の効果を喰らうわけにはいかないからな。

 攻めあぐねる理由としては十分だ。

 それでも彼女は、聡明だ。対処法を心得ている。

「はッ! なら――相応の戦い方があるんだよッ!!」

 威嚇するように杏子が吼える!
 途端、彼女を中心に、旋風が巻き起こった。

「近寄れるもんなら、近付いてみなよッ!? 細切れのミンチになりたかったらねッ!!」

 仕込まれた鎖が露わになり、多節棍となった得物を縦横無尽に振り回す。
 凄まじい速度で鎖が廻旋かいせんし、杏子を包み込んでいく。

 周りは壁に挟まれた路地。そこまで狭いということもないが、存分に武器が振るえるという広さでもない。
 その限られた空間で、見事な武器捌き――尋常ではない技量の持ち主だ。

 攻防一体の不可侵領域。
 領域を侵す者は、無残に切り刻まれる。
 360度。全方位。攻め入る隙が見当たらない。

 ただ、杏子は選択を間違えている。
 有無を言わさず、僕に襲いかかってくるだけでよかったのだ。
 そうすれば、殺しきることは不可能でも、戦闘不能ぐらいになら難なく持ちこめたのに。 

 こんな受け身で、守り優先の戦法を取るなんて、僕にとって僥倖でしかない。
 いや、少なからず、そうなるように仕向けたから、目論見通りといったところか。


 懇切丁寧、“わざわざ時間を掛けさせ”、忍に創って貰った刀を見やる。
 やっぱり、見た目は重要だよな。しみじみと思う。

 真っ黒な刀身に赤く刻まれた得体の知れない文字列は、不吉の一言に尽きる。
 災いが、呪いが、祟りが、不幸が――そんな悪しき災厄が押し込められたという、曰くつきの『妖刀』。

 杏子だって斬られるのは御免だろう。警戒もする。


 はったりでしかない、ただの『模擬刀』であってもだ。

 切れ味もほぼ皆無で、勿論、僕が語った刀の特性なんて、口から出任せの嘘八百。


 幽霊の正体見たり枯れ尾花。

 正体を知れば、恐ろしくもなんともないのだろうが、知らなければ、それは幽霊であり、畏怖の対象となる。

 “虚仮威こけおどし”の刀であっても、バレなければ歴とした『妖刀』である。
 偽物であっても、本物と同等の力を発揮した。
 そういった意味では、キュゥべえが刀に警戒を促していたことも大きいな。変に疑われずに済んだ。

 兎にも角にも、牽制になりさえすばよかったのだ。


 なんせ、僕には“攻め込む意志”が、これっぽっちもないのだから。

 隙あらばいつでも飛び込んでやる――そういった“ポーズ”で僕は刀を構え。
 攻撃の糸口が見つからない――そんな心情が相手に伝わるように、煩悶とした表情を“浮かべて”みせる。

 この膠着状態を続ければ、十分。それだけでいい。
 僕だって出来る限り痛い思いはしたくない。

「ほら、どうしたのさッ!? 捨て身で飛び込んでくるんじゃなかったのかいッ!?」

 彼女は絶対の自信があるのだろう。
 この技を破られることはないと。
 無謀に突貫した愚か者を、確実に仕留めることができるのだと。

 だから――煽り、挑発を繰り返す。

「そんな逃げ腰で、アタシに勝てるつもりでいたなて、とんだお笑い種だねッ!?」

 馬鹿を言うな。
 誰が勝つつもりでいたよ。
 勝ち目なんて、僕にある筈ないだろう。

 そんなの、戦う前から見切っていたさ!

 『力量の違い』ぐらい、ちゃんと弁えている!


 ――敵(彼)を知り己を知れば百戦殆うからず――

 『孫子』の有名な格言だ。

 敵の実力や現状を弁え、自身は勿論、味方の存在もしっかりと把握していれば、幾度戦っても敗れることはない。

 辞書を引けば、そういった意味合いの概説がなされるだろう。

 僕もそれに習わせて貰ったかたちだ。昔の人は、ほんと良い事を言う。

 勝ち目など端っから放棄している。
 とは言え、負けるつもりも更々ない。いや、最悪僕がフルボッコにされ、負けたとしても何の問題もない。美樹が無事ならそれでいい。

 それが僕にとっての“勝利条件”――僕の目的は、徹頭徹尾最初から、“時間を稼ぐ”ことに他らない!

 忍のお陰で、位置情報は把握できていたからな、友軍が加勢に来てくれていることは知っていた。

 そして、目的は遂げられた!


「他人の縄張りで好き勝手して、どういうつもりかしら? ちょっとお行儀がなっていないんじゃなくて? ――ねぇ、佐倉さん?」

 凛々しくも、鋭い声音で警告を飛ばす。
 一丁のマスケット銃を携え現れたのは、英国風の衣装を纏った魔法少女――巴マミその人だった。




[27169] きょうこマッチ~その3~
Name: ミドリ◆02e976c9 ID:2270504e
Date: 2015/09/10 08:47
~043~

「ふん。まさかマミ――アンタまで出張ってくるとはね」

 武器を振り回すのを止め――槍先を巴さんへ向け牽制するように突き付ける。対する巴さんも、銃口を杏子に照準させた。
 互いの名前を知っていることから、面識はあるようだ。ただ、友好的な関係とは言い難い。
 そのまま、じっと視線をぶつけ合い対峙する二人。

「どういうつもりも何も、こんな絶好の狩場、見滝原ここを於いて他にないからね。正義の味方ごっこしてるアンタ等にゃ、ちぃっとばかし勿体ないんじゃないかと思ってさ」

「つまり、縄張りを奪いに来たってことかしら?」

「ま、それもあるけど――街の平和だの人助けだのの為に、使い魔まで一掃しようっていう、輩が増えると、いい迷惑なんだって。誰かさんの所為で、そういった下らない理想を信奉する手合いが増えてるって小耳に挟んだもんでね。ここいらで矯正しとかないと、後々面倒な事態になりかねないし、新人の指導は、先輩の務め、だろ? ねぇ、マミ“先輩”」

 何やら含みを持たせた物言いで杏子は言う。

 巴さんは目線だけを動かして辺りの状況――傷は塞がっているとは言え、血だらけの衣装を纏った美樹、そして服が切り刻まれた状態の僕を一瞥した。
 ここで一戦を交えた事は容易に推察できることだろう。表情が一層険しいものになっていく。

「ふざけないで。これが、あなたの言う指導だとでもいうの?」

 平静を保っているようだけど、怒りを押し殺しているのは明白で、一触即発の気配が更に高まっていた。

「気に入らかったのなら、言い方を変えようか――そうだね、躾けてやったのさ。口で言っても解らない馬鹿には、身体に叩き込むしかないよね」
「そんな理由で二人を…………」

「ああ、そうさ。まるで歯応えのない相手だったけどね。こんな足手纏いもいいところの連中とつるんでちゃ、アンタもいつか巻き添えくって魔女の餌になっちまうよ」

「おかしなことを言うのね」

 と、杏子の発言を小馬鹿にするように巴さんが笑った。

「はぁ? おかしなことだ?」

「だってそうじゃない。美樹さんはまだ魔法少女になって日が浅いのよ。そんな相手を打ち負かしていい気になるなんて、情けない話よね。それに美樹さんの魔法少女としてのポテンシャルはかなりのもの。きちんと修練を積めば、すぐに一人前の魔法少女になってくれるわ」

「マミさん……!」

 巴さんの言葉に、美樹は感涙せんばかりの表情だ。

 更に巴さんが続ける。

「何より、聞き捨てならないことがあるわ――阿良々木さんが足手纏いですって? そんなことある訳ないじゃない。阿良々木さんのお陰で私はまだこうして生きていられるの。寧ろ、私の方が足を引っ張っている。佐倉さんが、何をどう思い違いしているのか知らないけれど、相手を見てものを言いなさい。今のあなた、凄く滑稽よ」

「おいおい、何言ってんだい? コイツはアタシに防戦一方で、終いにゃへっぴり腰で満足に攻撃もしてこなかった臆病者だったってのに。そういった意味じゃ、あっちの新米の方がまだマシだったぐらいだね」

「それが思い違いだって言うのよ。阿良々木さんは優しい人だから、魔法少女であるあなたに手を出すことができなかったのでしょうね」

「手加減されてたとでも言いたいのかよ!?」
「ええ、そうよ。間違いないわ。阿良々木さんがその気になれば、佐倉さんなんて相手になりはしないのよ!」

 確信に満ち溢れた声で断言する。
 だが、間違いありまくりだった! 思い違いをしているのは、巴さん、君の方だ! 僕の評価が高すぎるというか、買被り過ぎである。伝説の吸血鬼補正、恐るべし!

 しかし、こんなにも自信満々に言われてしまうと訂正しにくいな…………あくまでも巴さんは、僕の事を擁護してくれてるのだから。とはいえ、余りにも決まりが悪い。居た堪れない気持ちで一杯だ。
 巴さんには悪いけど、誤解の芽はちゃんと摘んでおこう。

「ええっと……巴さん。僕の事を高く買ってくれているのは大変光栄な話なんだけど……僕、言う程強くもないというか、本気でやった結果、終始圧倒されっぱなしだったのは間違いない訳で――」

 巴さんの面目を潰さないよう控えめな口調で、認識の齟齬を修正する。
 杏子が言うようにへっぴり腰だったのも事実だしね。僕はただ、時間稼ぎと言う名目で逃げ回ってただけなのだ。

「――逆立ちしても勝てる気がしないって」
「そう、なんですか?」

 僕の言葉を受け、不思議そうな顔で戸惑いを露わにする巴さんだったが、はたと何かに気付いたとでも言わんばかりに大きく頷いた。

「わかりました…………阿良々木さんがそう仰るのなら、そういうことにしておきますね」

 ああ……こりゃ駄目だ…………僕の言葉が、ただの謙遜として受け取られてしまっている!


「それで、佐倉さん。まだ事を荒立てるつもりなのかしら?」

 語気を強め、忠告を発する巴さん。返答次第では容赦しないと、暗に仄めかした最後通牒。
 基本、平和的解決を信条とする彼女ではあるが、やはり、僕と美樹に手を出した杏子に対し、業を煮やしているようで殺気立った雰囲気だ。

 物腰の柔らかい態度とは言えなかったので、それに反発した杏子が通告を突っぱね、三度みたび、不毛な戦いへとなだれ込むことも危惧されたが――


「さぁてね。それも一興っちゃ一興だけどさ――とは言え、マミの相手に加え、かつ不確定要素の高い奴までいるとあっちゃ、流石に旗色が悪いのは認めないとね」

 喧嘩っ早い直情的な性格ながらも、反面、冷静に場を見極めることのできる明敏な思考の持ち主のようだ。

「今日の所は引き上げさせて貰うよ」

 このまま事を構えるのは不利と判断したのか、槍を収めると、その場でトンと地を蹴り跳躍する。
 その軽い動作からは到底考えられない冗談のような高さまで上昇すると、上空で身を捻り、更に壁を蹴り付け、落下することなく屋上へと到達し――あっという間に僕等の前から立ち去ったのだった。








~044~

 巴さんのお陰で、無益な争いを終わらせることができた。
 とは言っても、一時的に撤退しただけであって、またいつ何時襲い掛かってくるとも限らない。

 それについての対策を練る為に場所を移しすことにした。
 移動先は、巴さんの暮らすマンション。お邪魔するのはこれで四度目か。

 何かにつけて最近、此処に来ることが増えてるな……魔法少女連合のたまり場ないし、作戦会議室みたいなノリになっている。喫茶店感覚で使用しちゃ、迷惑なのかもしれないが、寧ろ巴さんは、人が家にやってくることが嬉しくて堪らないといった感じだし、変に遠慮しないほうがいいのかもしれない。

 今回も、自ら進んで場所を提供すると言ってくれ、お言葉に甘えさせて貰っている状況だ。

 どうでもいいプチ情報として、僕のボロボロに破けた制服は忍の物質創造能力サービスで直して貰う事ができた。


 ともあれ、巴さんが用意してくれた美味しい紅茶を飲みながら、話し合いを開始した。

「改めて、ごめんなさい! あたしの所為で二人には迷惑を掛けちゃって、本当に申し訳なく思ってます。特に暦さんには……なんてお詫びすればいいか……」

 ――いや、開始しようとしたところで、謝罪が始まった。
 巴さん宅に辿り着くまでに、もう十二分に謝り倒しているのだが、それでもまだ心苦しく思っているようだ。

「気に病む必要なんかないって言ってるだろ。怪我なんて直ぐに治っちゃうんだからさ。つーかあの杏子って奴がやったことなんだし、美樹が悪い要素なんて、ないわけじゃないか」

「そんなことないです…………あたしが勝手に行動した結果、招いたことですから」

「そういや、なんであんなとこにいたんだ?」

 埒が明かないので、此方から切り出すことにした。
 これで、美樹が杏子と出くわすに至った経緯に繋がるはずである。

「それなんですけど…………集合場所に向かう最中に、キュゥべえが使い魔の気配を感じとって……」
「ああ、なるほど。その使い魔が居たのがあの路地裏ってことか。それを勝手な行動だなんて、誰が責めるんだよ」

「ええ、そうだわ。放置して見失うわけにはいかないし、美樹さんの判断は何も間違っていないわよ」

 僕の意見に巴さんが同調する。

「けど、それだけが理由じゃなくって……」

 しかし、美樹の表情が晴れることはなく、余計に沈み込むばかり。曇天模様で、今にも雨が降り出してそうな気配だ。

「本来であれば、二人に連絡するのが筋だった筈なのに……あたし、一人で使い魔を仕留めたっていう功績欲しさに、それを怠ったんです。それで一人で退治に向かって、使い魔を追い詰めたところで…………」

 杏子がやってきたと、そう繋がる訳か。

 ううむ。そういった意味では美樹に少なからず落ち度があったのかもしれないが、相手は魔女ではなく使い魔だったわけだし……それこそ本来であれば、使い魔を仕留めたのを土産話に、待ち合わせ場所に到着していたはずなのだ。

 そう、その現場に予期せぬ乱入がなければ、すんなり終わっていた話。

「うん。やっぱりこれは別種の問題だって。美樹が気にする必要は全くもってない」

 そう結論付ける。
 つーか僕的に引っ掛かるのは、またしても、キュゥべえやつが絡んでるってことだ。魔法少女のサポート要員を謳っているのだから、どうしたって関与してくるのだろうが。

「………………でも」
「ああ、もう! 美樹。いい加減、塞ぎ込むのをやめてくれ。お前らしくもない。こっちまで陰気臭くなるだろ。お前はうるさいぐらいが丁度いいんだって」

 またぞろ、謝罪を始めそうな気配を発する美樹に対し、うんざりしたと顔を顰める僕。
 まぁ激励の意味合いを含んだ、見せかけのポーズな訳だけど。

「そうですね。…………よし」

 すると、美樹が自分の頬を両手で挟み込むように叩く! 
 力加減もなく盛大に。響き渡る音からも、かなりの威力だったのが窺える。当然の結果として両頬が赤く染まっていた。

 気持ちを切り替える為に、喝を入れたってところか……その途端――

「もー、あいつは何なんなのよーッ!? むっきーーぃ!! 思い出しただけでもイライラする!!」

 ――癇癪を起した猿のようにジタバタしだした。

「気持ちは分かるけど、暴れるんじゃねーよ! 紅茶が零れるだろうが! やっぱもう少し凹んでおけ!」
「勝手な! だって、仕方ないじゃないですかー!?」

 拗ねた子供のように不満を漏らす美樹。空元気なのかもしれないが、言ってる事自体は偽らざる本心だろう。

「それで、巴さん。あの魔法少女と面識があるように感じたんだけど、あいつと知り合い?」

 お互い名前を知ってたようだし、確か、『マミ先輩』とか意味ありげに強調して言ってたはず。

「はい。彼女……佐倉さんとは、旧知の間柄ではありますね。少なからず因縁があるというか、いざこざがあったというか……」

 複雑な顔色で首肯する。
 なんだか、思い詰めた表情とでもいうのだろうか、雰囲気が重々しい。

「マミさんも過去に喧嘩を吹っ掛けられたとか、そういったことですか? あいつ、マミさんの活動方針に文句ばっか言ってましたからね。あんな奴が同じ魔法少女だなんて、あたし許せないですよ!」

 美樹が憤慨しながら、お茶請けに用意されたクッキーを口に放り込む。
 やけ食いすることで、苛立ちを中和しているのかもしれない。

「ええ、そうね。喧嘩と言えば、そうなのかもしれない…………ただ、喧嘩別れしたと言った方が正しいわ」

 目を伏せ、哀愁を帯びた悲しげな声で――その反応から、杏子に対する、怒りの感情を見出すことはできない。
 美樹もそれを感じとったのか、焚き付ける発言を自重し、空気を読んで口を噤む。

 皆、一様に黙り込んでしまった。
 何とも言えない沈黙が続き、幾分の間を置いて、巴さんが口を開いた。


「あの子……佐倉さんと私は、過去にチームを組んでいたことがあるんです。丁度今の私達の関係のように」

「え? マミさんとあいつが?」
「そうよ。魔女に苦戦していた彼女を、偶然助ける機会があって、その縁で、一緒に魔女退治するようになったの」

 杏子が、巴さんの事を『マミ先輩』とか呼んだのは、そこら辺の事情が絡んでの事か。

「ってことは、昔は仲良く協力し合ってたってことになるけど…………」
「……少なくとも、慕ってくれていたとは思うんです……あの頃の佐倉さんは今のような尖った性格ではなくて、もっと心優しい子でしたから」

 そうは言われても、あんな粗暴な振る舞いを見せつけられちゃ、容易に想像は出来ないけれど……。

「でも、ある時を境に彼女は変わってしまった」

 か細く静謐せいひつな声が、耳朶に触れる。

「佐倉さんは、魔法少女としての志を共有した、初めての仲間だったのに…………」

 胸が締め付けられるような、物悲しい響き。

「ごめんなさい。なんだか暗い話をしてしまって…………――紅茶のおかわり淹れてきますね」

 沈んだ空気を払拭するように、努めて明るい調子で巴さんは言った。


 この件についてはこれ以上触れる事はせず、そこからは、雑談を挟みながらも本題であった杏子への対策を検討していった。

 結局のところ、打開策となるような画期的な案は出てこなかったが、当面の間は、なるべく一人で行動せず、人通りの少ない場所は避けるということに落ち着いた。
 なんか、変質者に対する、ごく一般的な対応マニュアルみたいだけど…………。
 人目に触れた所で、襲ってくるほど無分別ではないはずだから、それなりの効果は見込めるだろう。





[27169] まよいスピリット~その1~
Name: ミドリ◆02e976c9 ID:2270504e
Date: 2013/08/17 09:55
~045~

「お。これはこれは、ガララ木さんではござませんか」

 日差しが眩しい麗らかな昼下がり。颯爽とマウンテンバイクを走らせていた道中に出くわしたのは、小柄な身体には不釣り合いなほど大きなリュックサックを背負った女の子だった。
 髪を両端に結わえた所謂ツインテールに、前髪を短く切り揃えた髪型で、キリリとした形のいい細眉が露わになっている。

 ブレーキを掛け近くで停止すると、少女は挨拶代りに僕の名前を言い間違えた。

「人の名前を、引き戸の玄関を開閉した時の音みたいに言ってんじゃねーよ。僕の名前は阿良々木だ」
「失礼。噛みました」

 あどけない顔立ちをした少女――八九寺真宵は、天真爛漫な笑みを浮かべてみせる。
 うん、思わず抱きつきたくなる愛らしさだ。自転車に跨っている状態でなければ、即座に駆け寄って抱擁したのち、頬ずりしていたのではなかろうか。

「いやはや、阿良々木さん、壮健そうで何よりです。お久しぶりという程日にちは経過しておりませんが、またこうしてお会いできたことを嬉しく思いますよ」
「ああ、ほんとにな」

 相も変わらず馬鹿丁寧な八九寺の言葉に、僕は同意する。再会できてよかったと、切にそう思う。思わずにはいられない。
 存在がアレであるだけに、結構心配してたんだよな。八九寺の元気そうな顔を見れて、ホッとしている僕がいる。

 単刀直入に言ってしまえば、何を隠そう彼女は『幽霊』なのである。
 死んでしまった人間。生きていない人間。人間だった少女。怪異に成った少女。
 もう少し言及するならば、交通事故で命を落とし、この世に未練を残して地縛霊と成った――僕と話すことはできても他の誰かとは話すことができない、そんな不確か極まりないこの世ならざる存在。

 母の日の公園で行き遭った『蝸牛』。
 ぐるぐるぐるぐるぐるぐると。ゴールの閉ざされた迷路で、彷徨い続ける『迷い牛』――それが八九寺真宵の怪異としての在り方だった。

 でも、それは過去形である。もう終わったこと。
 現世に残した未練が成就したことにより、八九寺の『怪異』として――『迷い牛』としての特性は既に喪失そうしつしている。

 あの不愉快なアロハ野郎こと忍野メメの助言と、それに戦場ヶ原ひたぎの道案内の甲斐あって、八九寺を母親の元へ導いてあげることができた。連れて行ってやることができたのだ。

 紆余曲折を経ながらも、どうにかこうにか解決を見た。
 目的地に帰り着いて、『迷い牛』から脱却した『怪異』――八九寺の言葉を拝借すれば、地縛霊から二階級特進した浮遊霊というのが、今の八九寺真宵の肩書なのだ。

 本来ならば、あのまま成仏しても何らおかしい要素がないというか、何で成仏してねーんだって話だからな。
 僕的には、八九寺とこうして顔を合せることができて嬉しいのだから、成仏することなく、ずっとこのまま現世に居て欲しいというのが本心だけど。
 まぁ敢えては口にすまい。この小生意気な少女を付け上がらせる要因にもなりかねない。

「しかし、こんな時分にお逢いするとは妙ですね。普通なら、まだ勉学に勤しんでいるはずの時間帯では?」
「ん? ああ、今日は休み、日曜だぞ」

 5月21日、日曜日。天気予報によると降水確率も0%の見事な快晴で、絶好のお洗濯日和となっている。

「そうでしたか。日がな一日、当て所なく放浪している身としては、曜日感覚なんてあってないようなものですからね」
「……適当だな」
「ちなみに、今って西暦の何年でしたっけ?」
「そういったことを聞くんじゃない。んなもんつまびらかにしたら、時代背景だとかに気を使わなくちゃいけなくなるだろ」

 テレビは地上波デジタル放送に切り替わり、携帯だっていつの間にか、スマートフォンが主流になってるもんな。
 僕は、いったいどこを基準にして話せばいいのやら……語り手として判断に悩むところだ。

 迂闊にプリキュアの話題も出すことができやしない。
 と、言いつつも少しばかり言及させて貰うが、歴代一位の面白さは『ハートキャッチプリキュア』なんじゃないかと公言していた僕ではあるけれど、現在の立ち位置で語らせて貰えば、『スマイルプリキュア』もそれに比肩しうる面白さだったと言えよう。

 普通に泣ける話も多かったし、ギャグのセンスも高かったように思える。
 無論、『スイートプリキュア♪』だって十二分に名作だったのは言うまでもない。
 『キュアミューズ』いいよなー。まったく、小学生は最高だぜ!!

 『ドキドキ!プリキュア』については、まだ完結していない作品なので評価は保留にしておく。

 勿論、今日も早起きして『プリキュア』を視聴してきた。録画もばっちしだ。抜かりはない。

「どんだけプリキュア好きなんですか…………もう、そこまで語るなら、西暦云々の話も気にする必要ないような気がしますけれど」

 八九寺さんが呆れるのを通り越して、引き気味なご様子なので、『プリキュア』の話題はこれぐらいにしておこう。
 総評として、僕が何を言いたいのかというと、変遷していく時代の流れを感じずにはいられないってことだ。いや、そんな大それた話ではなかったような気もするが……。

 兎も角、融通が利かなくなってしまうので、西暦やら自分の住んでいる都道府県やらは迂闊に口にすべきではない。

「阿良々木さんは、これからお出かけですか?」
「ああ、ちょっと駅近くまでな」
「ほぉ、なるほど。ということは、これからデートというわけですか。いいですね。青春っぽいです」
「ん? デートって何の話だ? 僕はただドーナツを買いにいくだけだぜ」

 まぁ僕が食べる分ではなく忍の分――ここ最近の働きに応じた報酬なわけだけど。
 そういや、お持ち帰りするかはまだ決めていなかったから、その場で食せば、それが忍とのデートと言えなくともないが…………。

「いえ、阿良々木さんとあの方――え~と…………失念してしまいましたが、あの髪の長い今にも合戦が始まりそうなお名前の……」
「戦場ヶ原か?」
「ですです」

 名は体を表すとはよく言ったもので、剣呑な雰囲気を身に纏う彼女にドンピシャな苗字だよな。

「で、その戦場ヶ原がどうかしたのか?」
「確かお二人は、逢瀬を重ねる間柄ではございませんでしたか?」
「まぁ、そうだけど」

 また古風な言い方をするな……。普通に言えよ普通に。

「こんなお天気のいいお休みの日ですから、てっきりデートに行かれるものだとばかり…………いや失礼いたしました。わたしの早とちりでしたね」

 そっか。
 八九寺の言葉で気付かされたが、真っ当な恋人同士ならばデートに行って然るべきなのか……。

 あれ? 戦場ヶ原と付き合い出して9日は経つというのに、恋人らしいイベントが全くと言っていい程発生していないぞ……。
 学校での休み時間や、昼食を取る時は一緒に過ごすことが多いが……それだけだ。
 
 放課後はずっと見滝原まで遠征しているわけだし、今日も夕方には見滝原に向かう予定。
 一応それについては、戦場ヶ原だって了承してくれているけれど…………。

「まさか、もう別れてしまっていたとは……浅慮な発言でした」
「別れてねーよ! まだ付き合ってるよ!」
「となると、これはただ単に、阿良々木さんの甲斐性のなさが浮き彫りになったってだけのことですか。はぁ情けない人ですね」

 嘆息を交え、呆れた口調で八九寺は言う。僕の評価が著しく低下した。

「言い返したいのは山々だが、甲斐性がないってのはお前の言う通りだな…………そこは猛省するしかないぜ。つっても、あいつがデートを望んでいるとは到底思えないんだけどな。なんか普通に断られそう」

 戦場ヶ原に何度か頼みごとをしたことがあるけど、基本断られるからな。
 どうシミュレーションしてみても、快諾の返事なんて期待できそうにない。

「だからと言って、誘わないでいい理由にはなりはしません。阿良々木さんがそこで手を引いてしまったらずっとそのままです。停滞は破局へと繋がりますから、気を付けた方がよろしですよ」

 小学五年生の女の子に、正論で窘められる男子高校生の図である。

 この件については魔法少女関連のごたごたもあるので、上手い事折り合いをつけて臨まないとな。
 どちらもいい加減な気持ちで向き合いたくないし、蔑ろにはできない問題だ。もう少し戦場ヶ原と語らいの場を設けた方がいいのかもしれない。

「ではでは、阿良々木さん。お引止めして申し訳ありませんでした。予定があるようですし、わたしはこれで」
「いや、別に急ぎの用って訳でもないからさ。折角だしお喋りでもしてこうぜ」

 少しぐらい遅くなってもドーナツさえ買えば、忍だって文句は言うまい。
 それに、出掛ける間際に一眠りするとか言っていたから、今は就寝中のはず。
 この頃、忍の生活リズムが不規則なんだよなぁ。僕と密接にリンクされている影響が出ているのかもしれない。


 とまぁ、そんな訳で。
 ミスタードーナツに着くまでに限ったお喋り相手ってのもなんだか味気ない話だし、通行の邪魔になるのもいけないってことで、僕達は最寄りの公園に向かうことにした。
 八九寺と親交を深める良い機会だ。

 道すがら偶然見つけた商店でアイスクリーム(バニラ味)を購入し、急ぐでもなく自転車を押しながら悠々散歩気分で、およそ10分少々掛けて公園に辿りつく。

 八九寺と初めて顔を合せた浪白公園(呼び方は未だ不明)とはまた別の場所だ。
 野球やサッカーができるような広場はないが、メジャーどころの遊具は設置された、大きくもないが小さくもない、何処にでもあるような普通の公園である。

「いやぁアイスを奢って下さるとは、阿良々木さんも中々の三段腹ではありませんか」

 ベンチに腰掛け、アイスが溶けない内に食べ終えると、八九寺が満足げな顔で言った。
 ニュアンスから褒め言葉とし使っているのが分かるので、多分、八九寺が言いたかったのは太っ腹。三段腹に気前のいいという意味はない。

「ま、これぐらいな」

 100円のアイスなんかで機嫌が取れるのならお安いものだ。
 口約束ではあったが、黙秘権を行使する八九寺の口を割らせる為にアイスクリームを奢ってやると言ったことを思い出したから、その約束を果たしただけなんだけど、八九寺はそんなこと覚えていないっぽい。

 しっかし、最近の子供は外で遊ばないもんなのかな?
 日曜の公園だってのに誰も居ないってのは、なんか物悲しい気持ちになってくる。
 僕が立ち寄った公園に偶々人がいないってだけなのか……少子化とか、人口密度の問題だったりするのかもしれないけれど。この町って田舎だからね。

 物思いに耽り、センチメンタルな気分に浸るのも悪くないが、今は八九寺との時間を楽しむことに専念しよう。

「なぁ八九寺。公園まで来たんだし、なんか遊具で遊んでみるか。ほらブランコとかあるぜ!」

 こういう時は、子供の目線に立って遊んでやるのが大人の務めだよな。いや、なんだかんだ童心に返って遊んでみたら、僕だって結構楽しめるかもしれない。

「いえ、わたし、そこまでお子様ではありません。阿良々木さん一人で楽しんできたらいかがです? わたし、ここで見てますから」

 僕の提案を、素気無く断る八九寺だった。

「嫌だよ! 小学生に見守られながら、ブランコで遊ぶ高校生って痛すぎるだろ!」
「はぁ。阿良々木さんは我儘ですね。仕方ありません。後ろから押して差し上げますから、それでいいですか?」
「よくないよ! より構図として酷くなるわ!」

 立場が逆であれば、微笑ましい光景だろうけどさ。

「何だよ、つれないない奴だな。だったら八九寺は何して遊びたいんだ?」
「別に公園に来たからと言って、何か遊具で遊ばなければいけないみたいな、強迫観念に迫られることもないと思いますが」
「……それもそうか」
「わたしとしては、阿良々木さんとお喋りできるだけでいいんですよ」
「お、嬉しいことを言ってくれるな」
「はい。阿良々木さんの不幸話が訊けるだけでわたしは愉しいですから。下には下がいるってことがわかるだけで、人の心は豊かになるものです」
「………………」

 こいつも戦場ヶ原と同じく愉悦部会員なのか…………上げてから落とすのがワンセット。世知辛い世の中だ。

「沈んだ顔をされてますが、どうかしましたかピロシ木さん」
「もう原型が殆ど見当たらないな……それでもきっと、僕の名前を言い間違えたのだろうと仮定して言わせて貰うが、ロシアを主とした東欧中心でよく食べられている惣菜パンみたいな名前で僕を呼んでくれるな。僕の名前は阿良々木だ」
「失礼。噛みました」
「違う、わざとだ……」
「噛みまみた!」
「わざとじゃないっ!?」
「カビました」
「そいつは食えないな!」

 文字通りの意味で。
 『パンはパンでも食べられないパンはなーんだ?』ってなぞなぞがあるけど、それの数ある模範解答の一つだ。
 他にもフライパンだったり、ませた小学生男子ならパンツとか言っちゃったりするのがセオリーである。

 ま、八九寺のパンツなら、食って食えないこともない。

 いやいや、流石にこれは冗談だけど。
 冗談だって。ほんとだよ?

 ともあれかくもあれ――さて置いて。

 八九寺を見ていると、身体の内から熱く滾るような感情が込み上がってくるんだよな。それはもう、止め処なく、溢れ出る程に。
 この心の猛りを否定することはできない。可愛いものを見たら、誰だって愛でたくなるのが心情というものだろう。
 そういうものだ。原始的欲求として人間に組み込まれているさがと言ってもいい。習性だ。

 お誂え向きに此処には僕と八九寺しかいない。もう一度繰り返そう。僕と八九寺しかいない。人気のない公園で二人っきりだ。
 そして、大事な要点として――八九寺真宵が法律適応外の人物であることをしっかりと明記しておく。

 こんなチャンスを逃す手はない。
 理性が何かに浸食されていく。

「何やら嫌らしい目つきで見られているような気がします!」

 ベンチに座った体勢のまま横にずれ、僕との距離を離す八九寺だった。ほほう、中々の危険察知能力だ。

「はっはっはー。なんだよ八九寺。人聞きの悪いことを言うなー。別に僕はお前に危害を加えたりしないよ。この町に住んでいる人間で、僕くらい人畜無害な奴なんて、一人もいないんだぜ?」

 顔面に笑顔をべったりと貼り付け、僕は優しい、それはもう優しい口調で言った。

「その台詞は一度訊いた記憶がありますが、今この時に限っては信憑性ゼロです! その緩みきった卑猥な笑みを消して下さい!」

 更に八九寺が僕から距離をとった。ベンチから飛び退いて、また其処から数歩後退る。

「心外だなぁ――」
 
 逸る気持ちを抑える為にも、軽く深呼吸し気を落ち着かせ――ゆっくりと八九寺に近づいていく。

「――僕は少しばかしお前とスキンシップを取ろうとしているだけだというのに…………」
「わたしは取りたくありませんっ! 近寄らないで下さいっ! 兎にも角にも指先を奇妙に忙しなく動かすのを止めて頂きたいっ! 気持ち悪いですっ! 悍ましいですっ!」 

 矢継ぎ早に言葉を飛ばす様は、キャンキャンと吼える小型犬のようだ。

「八九寺は恥ずかしがり屋さんだなぁ」
「どう解釈したら今の言葉を恥ずかしがっているだなんて受け取れるのですかっ!? 甚だ疑問ですっ!? 一度病院で診てもらうことをお勧めしますっ! というか迅速にどっかいっちゃって下さいっ!」

 より警戒度が増したようで、八九寺が両拳を胸元に構え、ファイティングポーズをとって威嚇してくる。

「胸ですねっ!? 性懲りもなくまた揉みしだくつもりですねっ!? ファーストタッチに飽き足らず、まだわたしの胸を狙うというのですかっ!?」

 いや、違った。迎撃の姿勢をとったのではなく、胸をガードしただけか。

「ふふ、八九寺よ。お前は何も解かっちゃいない!」

 僕は不敵に笑う。
 確かに八九寺の胸を喧嘩の最中、不可抗力とはいえ揉んでしまったことは事実だ。しかし、未成熟な青い果実などに心動かされる僕ではない! 八九寺は自身の価値が何処にあるのかを全くといっていい程理解していないのだ!

 よし、いっちょやってみっか!

「はっちくじぃいいいーーーーーーっ!!」

 愛する勝気な少女の元へ、一気に駆け寄った!

 僕の強襲に対し、胸を懸命に死守する八九寺。
 だが、僕の狙いはそこじゃない!

 距離を詰めた所で両の脚に力を込めると――向上した身体能力を存分に活かして跳躍を決め、いとも容易く少女の頭上を飛び越える。
 体操選手さながらの回転を無駄に披露し、背後を取ってみせた。

 一瞬にして背後に回り込んだことで、僕は八九寺の視界から消えている。
 且つ、八九寺の意識は胸を守ることに傾いており、そのお陰で下半身が完全なる無防備状態となっていた!

 そう! 僕が狙うはパンツのみ!

「隙ありっ!!」

 スカートめくりなどでは生ぬるい! 
 僕はスカート内部に手を差し入れ、一気にパンツを引き摺り下ろす!
 知る人ぞ知る、千葉氏が編み出した秘技――『高速片手パンツおろし』!!
 封印されし悲劇の技を、僕の手で復活させてやる!

「いやぁあああああああああぁーーーーーーーーーーーっ!?」

 少女の悲鳴が響き渡る。

 が、技の精度が甘かったのか、ゴム紐がしっかりしていた為か――パンツは太ももの辺りで止まってしまい、未だスカートによって覆い隠されたまま。

 くそ! しくじった!

 そう簡単に習得できる技ではなかったか。
 意表を突いた奇襲が失敗した今、後はもう力付くで奪い取るしかないだろう。即座に方針を切り替える。華麗に秘技を決めたかったが、目的の物さえ手に入ればそれでいい!

「さぁ八九寺! 大人しくするんだ!!」
「きゃーっ! きゃーっ! きゃーっ!?」
「おい、じたばたするんじゃない!」
「ぎゃああああーっ! ぎゃあああああーっ! ぎゃあああああああーっ!!」
「こらっ! 暴れるな! パンツが脱がせいにくいだろうが!」

 そうして――抵抗する八九寺をどうにか押さえ付けることに成功した!
 こうなってしまえば、もうまな板の鯉も同然。

「ふふ、はっはっはっはっは。観念するんだな!」

 勝利を確信し高笑いを上げ、僕は八九寺へと手を伸ばす。


 いや、伸ばそうとしたその瞬間に――――突如、視界がブラックアウト。


 気付けば、僕は地面に仰向けで倒れていた。

 しかも、鼻から血が盛大に吹き出している。
 鼻先に激しい痛み。念の為言っておくが、性的興奮の余り鼻血を噴出しただなんて、マンガやアニメで散見される馬鹿げた現象が起こった訳では決してない。

 これは、物理的な要因によって引き起こされたことだ。
 顔面を強打されたということだけは何となく察しがつく。

 忍による妨害かとも考えたが、違った。

「何考えてやがんだ! 信じらんねー! このロリコン野郎!」

 悪し様に浴びせられる罵倒。
 倒れた状態のまま首を巡らせると――見覚えのある人物が僕のことを見下ろしていた。
 まるで卑劣な暴漢でも見るような、侮蔑を宿した眼差しが突き刺さる。

 八九寺を庇うように立ち塞がり、刺すような視線を放っているのは、二日前に一戦を交えた魔法少女。私服姿だけど間違いない。

「この変態の始末はアタシに任せて、嬢ちゃんはとっとと逃げな」

 佐倉杏子が其処に居た。




[27169] まよいスピリット~その2~
Name: ミドリ◆02e976c9 ID:2270504e
Date: 2013/08/17 09:59
~046~

 僕の犯行…………いや自分で犯行というのもおかしい。
 訂正しよう。スキンシップは予期せぬ妨害によって阻まれ…………いやいやいや。
 責任の所在を挿げ替えるのはいけないな。潔く罪を認め、腹をくくろう。
 悪いのは僕だしね。

 更に訂正して――理性の枷が外れ、欲望のままに暴走した僕の魔手から八九寺を救い出したのは、つい先日対立した魔法少女、佐倉杏子だ。

 どう見ても現行犯。言い逃れる術など何処にあるというのか。終わった。これで僕も前科持ち…………観念するのは八九寺ではなく僕の方だった。

「てめぇ」

 胸倉を掴まれ、人並み外れた腕力で以って無理矢理起こされる。

「こんな恥知らずな真似して、覚悟はできてんだろうな!」

 眉を吊り上げ激昂した表情で、杏子は声を張り上げた。
 彼女のいう覚悟っていうのは、詰る所、握り込まれた右拳みぎこぶしのことだろう。
 女の子とはいえど侮ってはいけない。素の状態でもそれ相応に身体能力が向上しており、殴られれば絶対に痛い。

 痛いのは嫌だ。嫌だけどここは甘んじて制裁を受けるべきか。
 罪には罰が必要だ。ならば――歯を食いしばり、ただ耐えるのみ。

 と、そこで気が付いた。視界の端――杏子の後ろにいる八九寺が、慌てた様子で口を開こうしていることに!
 僕と八九寺は友達なのだ。少なくとも僕はそう思っている。
 そして、八九寺も僕のことを友達だと思ってくれているのなら、被害を受けた張本人とはいえ、友達が殴られるのを見過ごせる筈がない!

「あの……ちょっと待って頂けますか?」

 殺気だった杏子を刺激しないよう、控えめなトーンで八九寺は言う。
 僕は心の内で喝采を送る。やった! 制裁という名の暴行を阻止してくれた! 信じていたぞ八九寺!
 悪ふざけが過ぎたのは認めるし、覚悟を決めていたとはいえ、避けられるのであれば避けれるに越したことはない。

「あん? 逃げなっていってるだろ。心配しなくても、この変態にはたっぷりと灸を据えてやるって――二度と馬鹿な気を起こさせないようにね」

 真正面から僕の瞳を覗き込み――おどろおどろしい声で恫喝される。
 次いで、ポキポキっと指の関節を鳴らすと、改めて右拳を握り込む。
 …………やばい、この意気込みからして、一発殴られるぐらいじゃ済みそうにないぞ!
 タコ殴りにされるビジョンが容易に想像できるっ!!

 だけど、八九寺が黙っていない! さぁ言ってやれ!

「あーその……灸を据えるというのには、同意しないでもないのですが…………」

 ん? あれ? 同意するの? しちゃうの? 僕が殴られるのを容認するというのか、この薄情者め!

「ただ、お手を煩わせるのも如何なものかと思いまして」
「は? 何が言いたいんだい?」
「つまりですね――――それは私の役目なのです!」

 宣言するとともに、駆け出す八九寺。
 弧を描きながら助走をつけて回り込み、どことなく走り高跳びをする時の動きに似てるなぁ…………なんて感想を抱いていると。

「へ?」

 僕は間抜けな声をあげ――
 静止の声を掛ける暇もなく――
 八九寺は寸前で力強く地面を踏切ると――

 小学生とは思えない身のこなしで、僕の顔面にローリングソバットを叩き込んだのだった!
 簡単に言えば、後ろ回し蹴り。この小学生、とんでもねー技を体得してやがる!

「――つぅッ……!!」

 またも鼻先を強打され、苦悶の声が漏れ出る。
 杏子に胸倉を掴まれている関係で避けることもできず、もろに喰らってしまった。

 ただ八九寺の体重では、威力も高が知れている――痛いことは痛いが、杏子からお見舞いされた一撃に比べれば全然マシだ。

「いや~すっきりしました」

 晴れ晴れとした顔で八九寺は言った。それはもう、満面の笑みを浮かべて。

 平素であれば「何すんだこのガキ!」なんて風に、一喝して怒鳴り散らしていた場面ではあるが――――今回は状況が違う。
 自業自得ゆえの報いだからということではなく、だ。

「とまぁ、わたしの気も晴れたところで――何と言いますか、その方……阿良々木さんとわたしは、少なからず親交がございまして。出来ればその手を離してあげてくださると嬉しいのですが」
「は? コイツと親交だ?」

 八九寺の懇請こんせいに、杏子は怪訝な顔をする。
 そして、にわかには信じ難いといった面持ちで問い返した。

「だってお前、無理矢理暴行されそうになってたじゃねーかよ……!?」

「仰る通りで、結構危なかったのは事実ですし、最低極まりない劣悪な行為だったのも否定できません。ですが、先ほどの通りちゃんと反撃するぐらいの気概は持ち合わせています。……合意の上、と言うと明らかに語弊が生じますが、あれは一種のじゃれ合いみたいなものなのですよ」

「……そう……なのかい」

 まだ半信半疑といった感じ。
 それでも――真摯な態度で、懸命に語る八九寺の言葉に偽りはないと判断したようだ。

「はぁ…………ってーと、出しゃばった真似しちまったってことか」

 髪をぐしゃぐしゃしとかきながら、きまりが悪そうに僕の胸倉から手を離す。
 喉元が押さえつけられてので、咳き込んでしまった。
 そんな僕のことなどそっち退けで、八九寺は杏子に声を掛けた。

「いえ、そんなことはありません。阿良々木さんの過剰なスキンシップにはほとほと困り果てていたところです。あのままでは本当に貞操の危機だったかもしれません。この度はロリコンの手から守って頂き助かりました。どうもありがとうございます」

 感謝の言葉を並べ――力強く述懐する。

 ほんと、八九寺は良い奴だよな。つくづくそう思う。
 気遣いが行き届いているというか、角を立てず上手く場が収めれたのは、全て八九寺のお陰――躊躇なく顔面を蹴り抜いた八九寺に、僕は感謝しなくてはいけない。

 断っておくが、別にMに目覚めて痛みを快楽として享受しているなんてことではないので、そこは誤解なきようお願いしたい。

 さて、八九寺の凄さがちゃんと伝わっているだろうか?
 行動の裏を、読み取れているだろうか?

 本人は気を晴らす為の仕返し的意味合いだったと主張していたが、それは方便であり――“敢えて”蹴りを放ったのだと、僕はそう睨んでいる。

 仮にもし八九寺がすぐに仲裁に入っていたら、どうなったのか?

 どういうことかと言えば――きっと、なんだかんだで杏子も八九寺の言い分を信じ理解を示してくれただろう。僕も痛い思いをしなくて済んで、最良の結果のように思える。

 しかしそれでは、杏子が『悪者』になってしまう。
 襲われている少女を助けたつもりが、友達同士のじゃれ合い(度が過ぎていたが)を無粋にも邪魔した――そういった結果だけが残ってしまう。

 僕と八九寺の認識はどうあれ、杏子自身がそんな風にとらえてしまいかねない。
 現に今も、余計な事をしたと後悔しているような感じだし。

 けれど、“軽減”はされたはずなのだ――だって、その為に八九寺は僕へ制裁を加えたのだから。
 自分も同じ気持ちであったと主張して行動で示し、杏子の行いに正当性を持たせた。

 助けに入ったくれた杏子の顔を立てた上で、僕への被害も最小限で済ませてくれたということなのである。

 八九寺の機転には感服するばかりだ。



「手を出したのは……悪かったよ」

 ともあれ、有無を言わさず危害を加えたことを悪く思ってか、ぶっきらぼうながらにも杏子が謝罪を口にする。

「えーと…………謝られても困ると言うか、非があるのは僕だったわけだし……」

 それはもう、どうしようもないくらいに。
 この件で彼女が負い目を感じる必要は微塵もない。

「お前がやったことはどう考えても『人助け』――だろ?」
「はい、ピンチに駆け付けてくれた、正義のヒーローみたいでした」
「なっ!? ちがっ、そんなつもりは……」

 僕と八九寺の言葉に、反射的に反論しようとするも、後が続かないようだ。
 何をそんなに狼狽えてんだ?

 あ、そっか。そりゃそうだ。

 僕と美樹、ひいては巴さんのことを、散々正義の味方気取りだって虚仮にしていたもんな。自分がそういった立場に宛がわれることを認めたくないのか。

 でも実際問題、八九寺を守る為に飛び出してきたのだ。
 なんか、認識が変わってくる。

 自分のことしか考えない利己的な性格で、とてもじゃないが相容れない存在だと思っていたけれど……目の前の悪徳行為を見逃せないだなんて、根っこの部分では優しい子なんだと思えてしまう。

 悪ぶっているだけで――悪に成りきれていない。染まりきっていない。演じきれていない。

 過去に巴さんと仲間として活動していたってことを訊いたから、都合よく解釈してしまっているのだろうか?

 何にしても――向き合わなければ、人となりなんてわからない。わかるはずもない。
 表層の部分を見てわかった気でいるのは違うよな。


 いい機会だ。少し探りを入れてみるか。
 そう思い立った僕は、意を決して切り出した。
 まずは触り程度に、どうにも腑に落ちない点を訊いてみる。

「お前もこの町に住んでるのか?」
「は? ちげーよ。アタシが住んでんのは風見野……あ」

 僕の質問にノータイムで返答した杏子は、すぐに自分の失策に気付いたようだ。
 『風見野』ってのは『見滝原』の隣町。この町とは面してない。
 同じ町に住んでいない限り、こんな片田舎の公園で、偶然出くわすなんてあり得る筈がなく――だとしたら……考えられる選択肢は限られてくる。

「ってことは、僕のことを偵察していた?」
「………………」

 この場合の沈黙は肯定と同義。

「ああ、マミの奴がえらく評価してたから、どれ程の奴か見極めてやろうと思ってさ。悪かったね」
「いや、別にそれはいいんだけど。よく僕の居場所がわかったな」
「まぁこれぐらいはね――って見栄をはってもいいけど、何てことはないよ」

 僕に一歩近寄り、八九寺には見えないような体勢で後ろを指し示す杏子。
 その先には、長い尻尾をゆらゆらさせながら、ゆっくり接近してくる白い小動物の姿があった。
 なるほど。キュゥべえが教えたのか。
 居場所を探る能力ぐらい持っていても不思議ではないし、奴には情報保護なんて関係ないもんね。

「おい、迂闊にキュゥべえと喋んじゃねーぞ。なんでお前に見えるかはしんね―けどさ。アイツが見えるのは限られた人間だけなんだ。普通の奴には見えないんだから、もし話しかけられても無視しろ、いいな」

 八九寺には聴こえないよう声を潜め、杏子は言う。
 忘れがちだけど、キュゥべえが見えるのは魔法少女になれる資格がある少女だけってのが、原則なのだ。まぁ原則であって、僕のような例外もいる訳だけど。

 見える見えないといえば――杏子には八九寺が見るんだよな。
 今の八九寺は『迷い牛』の特性は消え、誰に見えてもおかしくない。とは言っても、見えない人間の方が圧倒的に多いのが現状ではあるけれど。

 魔法少女の特異体質だから見えるのか――もっと“根本的”な理由か。


「あの、阿良々木さんは、その方とお知り合いなのですか?」

 ひそひそと言葉を交わす僕達に、八九寺が不思議そうに訊いてきた。

「いや、知り合いっちゃ知り合いだけど…………えっと、お前――佐倉杏子、でいいんだよな?」
「まだ名乗った覚えはねーけど……ああ、マミの奴から訊いたのか」

 正確にはキュゥべえが呼んでいたのを訊いて知ったんだけどね。

「そういうアンタは暦つったっけ?」
「一応名乗っとくけど、フルネームは阿良々木暦な。ちなみにこいつは八九寺」
「はい。わたしは八九寺真宵といいます」

 八九寺が礼儀正しく、ぺこりとお辞儀する。律儀な奴だ。
 つーか、中学生の女の子にファーストネームで呼び捨てにされるとは…………そう呼ぶのは両親ぐらいだから、何か変な気分だ。

「で、ほら。八九寺には話しただろ。ここ最近、魔女と戦う魔法少女の女の子達に手を貸してるって」
「はぁ、そう言えば、そんなことも話してくれましたね」
「つっても、僕が助力してる子達とはまた別なんだけど、この子も魔法少女なんだぜ、なぁ?」
「テメェ! 勝手にバラしてんじゃねーよ!」

 気軽に同意を求めてみたら、怒られた!

「あ、駄目だった?」
「駄目とかそういう問題じゃないだろーが! まさか、こんなこと誰彼構わず吹聴しまくってんじゃねーだろうな!?」
「いや、喋ったのは八九寺にだけだって」

 ちゃんと、人選はしているつもりだ。八九寺にならいいかなーって、結構軽いノリだったけど。

「その反応から察するに、佐倉さんは本当に魔法少女なのですか?」
「…………まぁな」

 渋々に自分が魔法少女であることを認める杏子だった。

「そうですか…………いやー阿良々木さんの妄想か願望の類だと聞き流していたのですが……これはびっくりですね」
「小気味よく相槌を打ってくれていたけど、内心ではそんな事思ってたのかよ!!」


「おやおや?」

 と――八九寺がその円らな瞳をぱちくりとさせ、何かに気が付いた。

「きゃーなんですかー! この不思議な生き物はー!!」

 そして、歓声を上げる。
 どうやら杏子の足下にやってきたキュゥべえのことが、見えているようだ。
 まぁそうだろう。八九寺ならば――僕にとっては別段、意外でもなんでもない。が、杏子は違う認識を持ったらしい。

「なん……だと……。おい! コイツの事が見えるのか!?」
「はい? えっと、ん? 見えますけれど……何ですかこの変わった生き物は? 初めて見ます」
「やぁ、初めましてだね。僕の名前はキュゥべえ」

 まじまじと物珍しそうに見つめる八九寺に対し、普通に自己紹介をする小動物。

「な、なんと! 阿良々木さん。動物が喋りましたよ! これは世紀の大発見ではありませんか!? きゃっほーこれでわたしも大金持ちです!」
「売り払う前提で話を進めるなっ! 浅ましいにも程がある!」
「いやーなんて可愛らしい声なんでしょうか」
「声質については言及すんな!」

 それって結局自分褒めだろ。

「それで、キュゥべえさんと仰いましたか――あなたはいったい何者なのですか?」

 物怖じせずキュゥべえに語り掛ける八九寺だった。つーかキュゥべえにも『さん付け』なのな。

「漠然とし過ぎて答え難いけど……そうだね。簡潔に言えば、魔女と戦ってくれる素質のある女の子を探し出し契約を結んで、色々とサポートすることが僕の主な使命だよ」
「ほほぉ、なるほど。キュゥべえさんは言わば、『プリティサミー』に登場する『魎皇鬼りょうおうき』ポジションというわけですね!」

「この上なく正鵠を射た見解であり、絶妙な喩えだけどさ…………」

 ネタのチョイスが古い! 今の子達には伝わらないだろうに……。
 杏子が疑問符を浮かべているのも無理はない。ちんぷんかんぷん状態だ。

 う~ん……これには解説が必要だろうか?
 一応ざっくりと説明しておくと、正確なタイトルは『魔法少女プリティサミー』。

 主人公である『砂沙美ささみ』が魔法少女となって、“世界を正しく導く事”を目的とした物語(メディアによって色々様変わりするけど)で、その砂沙美(プリティサミー)をサポートするのが『魎皇鬼』なのである。
 見た目もキュゥべえと通ずるところがあり、猫と兎の中間に位置したような外見だ。 

 所謂スピンオフもの。元の題材となった『天地無用!』は、一世を風靡した人気作品で映画化もしている。
 どうでもいい情報だが、派生元である『天地無用!』に登場する『魎呼りょうこ』の声が、僕のマ……母親にそっくりだということにごく最近気が付いた。


「ということは、キュゥべえさんに頼めば、わたしも魔法少女になれたりしちゃいます!?」

 弾んだ声で八九寺。
 小学生の女の子だもんな。魔法少女に憧れを抱くのも頷ける。
 可愛いところがあるじゃないか――なんて、僕は能天気に構えていたのだが……。

「馬鹿言ってんじゃねー! 魔法少女ってのはお前が考えてるような、甘いもんじゃねーんだよ!」

 杏子の目の色が変わり、声を大にして怒鳴りつける。
 現役魔法少女の身として、聞き捨てならなかったのだろう。
 杏子の言う通り、魔法少女の使命は苛酷なもの。僕も身に染みてよく知っている。
 八九寺の不用意な発言に、反発したくなる気持ちはわかる。
 だとしても、ヒートアップし過ぎだ。

「落ち着け。何もそこまで怒ることないだろ。女の子だったら誰しも『魔法少女』に憧れを抱くもんじゃないか。僕だって小さい頃は、変身ヒーローになりたいとか口走ってたし」
「そんな話じゃねーよ! 真宵にキュゥべえが見えるってことがどういう意味なのかよく考えろ!」

「ああ、それなら心配ないって。多分、八九寺は魔法少女にはなれないと思うぜ」

 尚も殺気立っていく杏子に対し、僕は事も無げに言う。

「何を根拠に、現にキュゥべえが見えてんだろ!」
「だったら、本人に訊いてみたらどうだ?」

 このままでは埒が明かないので、話しの矛先をキュゥべえに向ける。
 そして、皆の視線を一身に受けたキュゥべえが口を開いた。

「うん、阿良々木暦の言う通り無理だね。彼女には、魔法少女になる資格がない」

 僕にとっては予想通り。
 八九寺もそれほど本気でもなかったのか、魔法少女になれないと言われても、反応は淡白なもの。
 だがしかし、杏子は違う。結論だけを言われても納得できないようで――

「は? 魔法少女になれないって事自体は構いやしないけどさ、それってちょっとおかしいんじゃないの!? キュゥべえ自身が言ってたんじゃないのさ! アンタが見えるってことは即ち、魔法少女になる資格があるって!?」
「そう言われても、何事にも例外はあるものだからね。仕方ないよ。そもそも『死んでいる人間』とは、契約のしようがない」

「…………今、なんつった!?」
「彼女は死んだ人間――この世界のことわりから外れた存在だ。僕が見えるのもそれが起因してのことじゃないのかな」

「…………おいおい。あんま人をおちょくってんじゃねーぞ!」
「いえ、キュゥべえさんが仰っていることは嘘でもありません。わたし、こう見えて幽霊というやつなのですよ」

 キュゥべえに詰め寄る杏子に、八九寺は告げた。特に悲観した様子もなく、自身の存在を打ち明けた。

「つーことだ。だから、八九寺が魔法少女になる心配はいらないぜ」

「…………ははは」

 乾いた笑い。

「結託して騙そうったてそうはいくか! んな妄言、誰が信じるんだよ!」

 まぁこうなるか。
 僕も八九寺が幽霊だと訊かされた時は、困惑し茫然としたもんだ。信じられないのも無理からぬこと。

 八九寺の存在を知覚できる人物ってのも貴重だから、出来れば幽霊と認めた上で仲良くなってくれたらなと思ってたんだけど、考えが甘かったか。

 何にしても、言葉で訴え続けるしかない。

「騙そうとなんてしてないって」
「こんな真昼間に活動する幽霊なんているわけねーだろ!」

 むむ……至極尤もな意見だ!
 血色いいし、足あるし、身体が透けてもない。おまけに、さっきまでアイス食ってたしな。
 見える側にとっちゃ、幽霊要素が皆無だ。

 うーむ……どう言えば信じてくれるのか…………あ、これなら!

「お前、魔女と戦ってんだろ? だったら幽霊がいたって何にもおかしくないじゃないか。それに、よく考えてみろよ。僕はともかく、キュゥべえがこんな冗談に協力する奴だと思うか?」
「くっ……確かに………………なら……ほんとに……真宵は幽霊なのかよ」

 お。認めてくれる気になったか?

「おう。間違いなくな」
「……アタシ、もしかして呪われてんのか?」

 表情を引き攣らせながら、震えたか細い声で問い掛けてくる。
 けれど、問われている意味がよくわからない。

「呪われてるって何の話だ?」
「とぼけんな! テメェの仕業だろッ!? あの不気味な刀の力の所為でアタシは……アタシは……いつの間にか呪われてたんだ…………そっか、アンタ自身も呪われてるんだな!? だからキュゥべえが男なのに見える…………そういうことか!!」

 何か、盛大かつ突飛な方向に勘違いをしている。
 不気味な刀ってのは、杏子と一戦を交えた時に忍に創って貰った妖刀もどきのことか――あの時、僕が出鱈目に刀の特性をでっち上げ、確か怨霊に取り憑かれるとか言ったはず。
 それ故に、幽霊が見える自分が呪われたのだと思い込んでしまったのか。

 他に僕、なんて言ってたっけ?
 そうだそうだ、原因不明の腹痛が起こるとか、運気が低下するとか適当なこと言ってたな。
 杏子の頭の中では、そういったことが駆け巡っているのだろう。

 どうしよう、反応がちょっと面白い。嗜虐心がくすぐられる!
 いけない事だと心では理解しながらも、誤解していることを教えてあげず黙って見届ける僕。

 ありもしない災厄に恐れおののき、平常心を失いおろおろとした少女の姿が、そこにはあった。




[27169] まよいスピリット~その3~
Name: ミドリ◆02e976c9 ID:2270504e
Date: 2013/10/14 22:56
~047~

 青ざめ途方に暮れる杏子。
 その様子を不憫に思ってか、横合いから八九寺がパーカーの裾を引っ張ってくる。 
 だな。もう十分に堪能したことだし、いい加減誤解を解いてやるか。
 そう思い立って僕は、杏子に声を掛けようとしたのだけど――それより僅かに早く、ぼそぼそとした囁きが耳に届いた。

「…………ああ……なーんだ……簡単じゃないのさ……大本を始末しちゃえばいいんだ」

 自分に言い聞かせる様に。鬼気迫った表情での独白。
 口にしている内容が、なんだか物騒な気がしてならない。途轍もなく嫌な予感がする。

「なぁ……始末するって……何を?」

 薄々はわかっていながらも、それを認めたくない僕は、祈るような気持ちで訊いてみた。

「何って? そんなの、決まってんじゃん……アンタを……アンタさえぶっ殺しちゃえば、呪いも消える!」

 ですよね! 心に余裕がなくなった所為か、思考回路がぶっ飛んでしまっている! 最悪の解決方法だ! 杏子にとっては、切羽詰まった窮状を打破する一筋の光明なのだろうけど、発想が短絡的過ぎる!

「待て! 待てって!」
「遅かれ早かれアンタのことは仕留めるつもりだったんだ! 命乞いしたって遅いよ!」

 手にしたソウルジェムから槍を出現させ、臨戦態勢に入る。
 そう言えば、魔法少女に変身しなくても、魔法の行使は可能だったか。
 くそっ! 見境がなさすぎるだろ!?

 つーか傍らの八九寺が「おおぉ!」と感嘆の声を上げ、目を輝かせているのは如何なものか!?
 僕のピンチなど所詮対岸の火事のようで、魔法の力に興味津々だ!

「おい、早まるなっ!? お前は呪われてなんかいない!」
「何を今更! アイツは幽霊なんだろ!?」

「そうだけど、だからといってお前が呪われているって理由になりはしないだろ!? 八九寺が見えることとは別問題だって! ただ単に霊感が強いってだけなのかもしれないし、もしかしたら魔法少女になった影響とも考えられる! もしくは、お前が家に帰りたくないと思ってるとかさ!」

「なっ!? 幽霊が見えるのと、家に帰りたくないってのに何の因果関係があるってのさっ!?」

 考えられる可能性を一息に述べ立ててみたら、杏子が面食らった表情で反応する。
 図らずも言い当ててしまったらしい。なんか反抗期っぽいし、親と喧嘩でもしているのだろうか?
 まぁ家庭の事情に深入りはすまい。

 さて実際問題――家に帰りたくないという気持ちが起因して、八九寺が見えるようになっているのかは定かではないが、保身の為、説得材料にさせて貰うことにしよう。

「あるんだよ。八九寺が見える人間ってのは限られているんだけど、要因として精神状態に左右される傾向があるからな。それが、家に帰りたくないっていう感情だ。どうだ? 思い当たる節があるんじゃないのか?」
「……なくはないけどさ」

 僕の見透かした物言いが気に障ったらしく、仏頂面で肯定する杏子。
 とは言えこれで取り敢えず、幽霊が見えても不思議ではないと証明できたわけだ。証明と呼ぶにはあまりにおおざっぱな当て推量ではあるけれど……。

「つーことだからさ、呪われてるなんてことは絶対にないから安心しろ」
「ほんとだな!? 腹痛で食い物が食えなくなったりしないんだな!?」

 念を押して確認してくる。
 彼女に取っては幽霊云々よりも、それが一番の気掛かりだったらしい。

「……ふぅーマジで焦ったぁ」

 本人としては誰にも訊かれないような独り言として口にしたのだろうが、僕の耳はしっかりと声を拾っていた。吸血鬼イヤーは地獄耳なのである。

 何はともあれ――誤解は解けたようで、ソウルジェムから伸びていた槍も収めてくれた。

「つっても、真宵が幽霊だっていうのは未だに半信半疑なんだけどね」

 矯めつ眇めつ八九寺を観察しながら杏子は言う。

「まぁ怨霊の類じゃないし害はないって。それどころか出会うことでその日一日幸せが約束される、座敷童のようなご利益のある存在だと言ってもいい」
「阿良々木さん……勝手に妙な特性を付加させないで下さい」
「いや、少なくとも、僕はお前に会えた今日一日は幸せが約束されたようなもんなんだぜ!」
「あっはっはー。気持ち悪いですねー」

 快活に笑う八九寺だった。

「それにしても、綺麗な宝石ですね」

 八九寺が目を爛々と輝かせ杏子を見やる。正確には、杏子の手中にあるソウルジェムに釘付けなご様子だ。

「ああ、これかい?」

 杏子はソウルジェムを手の平に乗せると、八九寺の目線に合わせ掲げてみせた。
 鮮烈な煌めきを放つ、丸みを帯びた卵型の宝石。透き通った赤い色合いは、まるでルビーのようだ。

「ほほぉ、何とも神秘的な輝きです」
「それは、ソウルジェム。僕と契約した少女が生み出す、魔法少女の証であり力の源だよ」

 食い付くように見入る八九寺に、キュゥべえが説明をいれた。
 それを訊いているのかいないのか、八九寺は真剣な表情で、じーっと宝石を覗き込んでいる。なんかちょっと怖いくらいに。

「おい……八九寺? どうかしたのか?」
「いえいえ、あまりの美しさに見惚れてしまいまして――ところで佐倉さんはどうやって魔法少女に変身するのですか? やはり魔法のステッキを振って、呪文を唱えるんでしょうかね!?」

 僕の呼びかけに何でもないとかぶりを振って、はぐらかすように話題を切り替える。

「はぁ? んな、まどろっこしい手順は必要ねーよ。念じればそれで一発だっつーの」
「なんと! そんなお手軽に! あの、わたし……佐倉さんの魔法少女姿が見てみたいです!」
「そいつはお断りだね。魔法少女は見世物じゃないんだ。何より、んなことで余計な魔力を消費したくないからね」
「そうですか……残念です」

 八九寺の要望は素気無く却下された。
 とはいえ、質問にはちゃんと答えてくれているし、邪険に扱っている感じでもなく、

「これぐらいのことで気落ちしてんじゃねーよ。ほら、食うかい?」

 寧ろ落胆する八九寺にポケットから取り出した『Rockyロッキー』を差し出してくれる辺り、面倒見のいいお姉さんといった感じだ。
 意外と子供好きなのかもしれない。

 八九寺は感謝の礼とともに遠慮なくロッキーを受け取ると、即座に噛り付いた。
 だが、馬鹿みたいに硬質なお菓子を中々噛み砕くことができないようで、悪戦苦闘している。お菓子に悪戦苦闘という表現もアレだけど…………原材料どうなってんだこれ。

 しっかし……人間性を知れば知る程、つい先日の出来事が嘘のように思えてくる。
 でもこれって、『雨にそぼ濡れる仔犬に優しくする不良理論』が適用されてるだけなのかな……悪い印象のある人間が少し良い事をすると、必要以上に良い人に見えるとかなんとか――これと似た事を両さんが言ってた。

 ともあれ、殺されかけたのは間違いないわけで…………最終的には僕の事を亡き者にしようと目論んでいるのだから油断はできない。またぞろ槍で切り刻まれるのは御免だ。

 出来ればそこら辺の意識改革もしておきたい。このままじゃ僕、殺し屋に随時命を狙われているようなもんだからな。どうにか折り合いをつけておかなければ。僕自身の為だけではなく、皆の為にも。
 上手い事、対話だけで和解を目指したい。

「なぁ杏子。お前ってさ、まだ僕の事狙ってるの?」

 まずは確認から。

「ふん。愚問だね。そもそもこの町にやってきたのはアンタの素性を調べる為だって言ったろ? 今回はタイミングを逃しちまったけど……次会った時は覚悟しな」
「いやいや、出来ればそんな覚悟したくないんだって」
「なに腑抜けたことを――つーかさぁ、アンタの事情なんて知ったこっちゃないんだよね、アタシとしては」

 駄目だ。
 これでは、例え平身低頭に頼み込んだとしても、訊く耳を持ってくれそうにないぞ。
 ならば、切り口を変えてみる。

「でも僕の体質は知ってるだろ? そんな奴にかまけていても魔力と時間の無駄遣いだとは思わないか?」

 不死性の力は認識しているはずなので、僕と戦っても不毛ではないかと訴えてみる。
 魔力の消耗を嫌う杏子が、割に合わないと判断してくれることを切に願って。

「そういやそうだったね。だとしても、心臓を貫いちゃえばイチコロっしょ? それが駄目でも違う手段を講じるまでだし、きっちりとケジメはつけとかないとね」

 しかし、僕の願い虚しく杏子はる気満々だった。


「あの、佐倉さん、少しよろしいでしょうか?」

 と、そこで窺うような控えめな調子で八九寺。どことなく神妙な顔つきだ。

「ん? 何さ」
「えーと……差し出がましい発言なのですが……悪い事はいいません。阿良々木さんのことは諦めた方が身の為です」
「はーん……言ってくれるねぇ」

 八九寺の言葉に杏子の口角が吊り上がる。癇に障ったようで眉間に皺が寄っていた。
 僕が吸血鬼化していることは八九寺に話しているから、杏子の身を按じての発言なのだろうけど、これでは僕よりも格下だと言っているようなもの。

 杏子の化け物じみた実力を知らないから仕方ないとはいえ、ほんとに差し出がましい発言だ!
 プライドを傷つけ、闘争心を煽っているだけじゃねーか!
 
「コイツに肩入れすんのは勝手だけどさ、あまりアタシの事を甘くみないで欲しいね。負けるつもりなんてありゃしないんだよ!」

 見縊られ軽んじられたと判断した杏子が、語調荒く吠え立てる。
 それに対して八九寺は――

「残念ながら、佐倉さんは既に負けているも同然なのです」
「なっ!?」

 ――物憂げな表情で、諭すようにそう言うのだった。
 意味ありげな台詞。どういうわけか断定口調である。
 戦うまでもなく、僕が杏子にまさっていると八九寺はそう判断したのか? 何故に!?
 僕個人の見解としては、戦闘に於いて杏子に勝てる見込みなどあろうはずがない。

「……そりゃどういうことだい?」

 杏子が苛立った声音で真意を問うと――八九寺は、大きくため息を吐き「後悔しても知りませんよ」などと妙な前置きを挟みんで、訳知り顔で喋り始める。

「佐倉さんの熱い思いはしかと感じ取れましたが……気持ちだけではどうにもならないのが世の常。見込みがないわけではないでしょうが、あまり褒められた行為ではありません。いえ、阿良々木さんの事を調べるている最中ということですし、まだ知らないのでしょうね。佐倉さんには酷な話になってしまいますがお伝えします。残念ながら……阿良々木さんには既に恋愛契約を結んだ方がいらっしゃるのです!」

「………………え?」
「………………は?」

 僕と杏子が同時に素っ頓狂な声を上げる。

「あー悪い、八九寺……僕の読解力が足りないみたいだ…………僕にも理解できるように、もう一度頼む」

「何かおかしかったです? 阿良々木さんには既に恋人さんがいらっしゃるので、佐倉さんの想いが成就することは難しいと忠告したのですが……確か阿良々木さんは、あの黒髪ロングの冷酷なお姉さんとお付き合いしているんですよね? 間違ってましたか?」

「付きあっていることは間違いないけどさ…………」

 冷酷なお姉さんはやめてやれ。否定は出来ないが。いや、これはクールなお姉さんと言いたかっただけか?

 それはさて置き――

「なぁ八九寺さんよ――お前は僕と杏子の関係というか、さっきの会話をどういう風に解釈したのか言ってみろ」

「へ? ぶっちゃけ、お菓子を食べることに気を取られ、ちゃんと訊いてませんでした」

 だろうよ。

「とは言え、断片的に情報は入ってきてますから問題ありません。何やらいろいろと複雑な事情があるようですが、詰る所、佐倉さんは阿良々木さんに好意を抱いていて、遥々この町までやってきたってことではないのですか?」
「どうしてそうなったっ!?」

「どうしても何も、佐倉さんは阿良々木さんのことを狙っていると仰ってましたよね? それに、ハートを打ち貫いてイチコロにする的なことを宣言していたではありませんか!」
「変に深読みするな! 日本語の妙ではあるけれど、杏子のいう『心臓を貫く』ってのは比喩表現じゃない!」
「おい真宵、冗談だとしても笑えねぇぞ」
「佐倉さん顔が怖いです!」 

 まじビビりの八九寺だった。

 はぁ……話が盛大に脱線したな。僕は何について話してたんだっけ?
 あーそうだそうだ思い出した。
 杏子がる気満々だって話だ。

 …………思い出したくなかった。

 話題を変えよう。


「なぁ杏子、お前って昔は巴さんと一緒に行動してたんだろ?」
「だとしたら、何」

 が、話題のチョイスに失敗したようだ。
 あまり詮索されたくない内容だったのか、不機嫌な声音とガンつけで以って威嚇された!
 八九寺に向けた怒りの数値を1とすれば、僕に向けられた数値は10を超える。

 まじビビりの僕だった。
 あと杏子の剣幕に恐れをなしてか――はぐれマヨイがにげだした!
 都合よく童心に返ったフリをして、ブランコの方へと駆けていきやがった。

 なんて非難めいたことは言えないか……きっと、八九寺なりに空気を読んでくれた結果なのだ。
 傍観者を気取って訊き耳を立てるキュゥべえの耳を引っ掴んで、強制連行してくれたのも正直有難い。杏子と面と向かって話ができる。


 何にしても少し踏み込み過ぎてしまったか。
 だが、ここで引き下がる訳にもいかない。
 話題を変えたとはいえ、その根底にある目論見は杏子と折り合いをつけることなのだから。

「いや、だからさ……仲良くできた時期があったなら、また仲直りもできるんじゃないかと思ってさ」
「はぁ? 本気で言ってんの? そんなの無理に決まってんじゃん」

「そうは言うけど、お前は独りで魔女と戦うことに恐怖とか感じないのか? 不安じゃないのか? リスクだって相当高くなるだろ?」
「んな感情とっくに麻痺しちまってるよ。リスクも承知の上さ。第一、仲良く報酬を分けっこなんて御免だね。言っとくけどさ、アタシはもう誰とも慣れ合うつもりはないんだよ」

「……獲物を独占するためってことか」
「ああ、そうさ。アタシの邪魔をする奴は誰であってもぶっ潰す。当然、下らない正義感を燃やして使い魔まで一掃しようなんて連中は特にね!」

「でも……でもさ、魔法少女同士で敵対するのも馬鹿げてるだろ。それこそ魔力の無駄遣いに繋がるんじゃないのか?」
「それは確かにね」

 頭ごなしに否定することなく、一応は理解を示してくた。そうだ。杏子はちゃんと損得勘定ができるタイプだ。
 もっとちゃんとしたメリットを提示すれば、落としどころは見つかるかもしれない。だが、そう都合よく杏子の食い付くようなメリットが思い浮かばないのが現状だった。

「つっても、余所の町じゃ魔法少女同士の縄張り争いなんてのは珍しくもない。それに、使い魔を狩られる方がよっぽど痛手なんだよね。見ててイライラするし。ああ、そうだ。アンタ等が今後使い魔を見逃すって言うのならこっちも無闇に手を出したりはしないよ。アタシは魔女さえ狩れればそれでいいんだ――さぁどうする?」

 これが杏子の妥協点。
 この条件を飲みさえすれば、当面の間は余計なトラブルは回避できるだろう。

 その場凌ぎに話を合せることもできなくはないが…………だけど……それでは、巴さんの掲げる“信念”を否定することになってしまう。美樹が血だらけになって守った“心念”を踏みにじることになる。

「折角の申し出だけど、僕の一存で決めていい問題じゃない。だから返答は保留させてくれ」

「ふーん。ま、そりゃそうだろうね。口先だけで調子のいいこと言うようだったら、今この場で叩きのめしてやろうと思ってたのに、ざーんねん。命拾いしたね」

 軽口とも本気とつかない口調で杏子は言う。
 僕の答えを、杏子がどう受け取ったのかは見当もつかないが、それでも最悪の答えだけは回避できたようだ。




 とまぁ結局のところ――交渉虚しく妥結だけつは成立せぬままに、杏子とキュゥべえは去って行った。
 思いつく限り言葉を尽くしてみたけれど、和解には至らない。
 少しでも心の溝を埋められたと思いたいところではあるが。

「ふぅ……おっかない方でした。阿良々木さん。どのような事をしでかせば命が狙われるなんて羽目になるのですか?」
「……さぁ何でだろうな」

 理由ははっきりしてるけど……こればっかりは八九寺に言っても仕方がない。

「あー佐倉さんの胸でも触りましたか」
「違うわっ! 失礼なことを言うんじゃねぇ!」

 触った子とは、ちゃんと和解が成立している!

「僕のことを見境なくセクハラ行為に及ぶ節操のない男だと思っているのなら大間違いだぞ! 僕がセクハラ行為に及ぶのはお前だけだ!」
「中々に酷い発言です!」

 いや、ほんと。八九寺を見ると心のリミッターが簡単に外れちゃうんだよな。ロリコンではないはずなのにどうしてだろう。

「僕はいつ何時だってお前を狙っているぜ!」
「はぁ……まったく、懲りない方ですね」

 八九寺は呆れた声音でそれだけ言うと、僕の相手を切り上げベンチに向かい腰を下ろしてしまった。
 もっと色々捲し立ててくると思ってたんだけど、何か全体的に反応が薄いというか、勢いがないような気がする。
 なんか、表情が暗いし、心ここにあらずとでもいうような……元気がない感じだ。

 キュゥべえと何か話してたようだし、変なことでも吹き込まれたとか?
 もし、僕の八九寺に要らぬちょっかいを出していようものなら、絶対に許さねぇ。然るべき制裁を加えたのち、心渡の錆びにしてくれる! 何体現れようと根こそぎ殲滅してくれる!

 って決めつけはよくないよくない。様子がおかしいといえば、その少し前に兆候らしきものがあったし……気になるな。

 まぁ僕と八九寺の間柄だ。変に気兼ねする必要もあるまい。気になるならば、本人に訊いてみればいいじゃないか。 
 後を追いベンチに腰掛け、優しく問い掛けてみる。

「八九寺。思い詰めた顔してどうしたんだ?」
「ええ、まぁ、少し考え事を…………」
「なんだ。悩み事か? 僕でよければ全力で相談に乗ってやるぜ」
「えっと、悩み事とはまた違うといいますか…………まぁ悩んでいると言えば悩んでいるんですが……」
「なんじゃそりゃ?」
「わかり易く言えば、阿良々木さんに伝えるべきか否かで悩んでいます。阿良々木さんは知っておくべきことだとは思うんですが…………あまり口外すべきことでもないと言いますか…………そもそも、阿良々木さんは既にご存知なことかもしれませんし……」

 言葉を濁し、黙り込む八九寺。

「何だよ。気になる言い方をするな。勿体振らずに教えてくれよ」
「……そうは言いますが阿良々木さん。知らぬが仏という言葉があります。知らなければ知らないままでいた方がいいなんてことは沢山あるのですよ――それでも同じことが言えますか?」

 僕の瞳を真っ直ぐ覗き込み、いつになく真剣な面持ちで八九寺は言う。
 どうやら、安易な気持ちで向き合っていい問題ではないようだ。

 だとしても、僕の意志は変わらない。いや、是が非でも訊くしかなくなったと言える。

「僕は八九寺の判断を信じるよ。僕が知っておくべき話だとお前が思うのなら、僕は知っておかなくちゃいけない。何か雰囲気的にシビアな話っぽいし、内容までは予測できないけど、それってアイツ――佐倉杏子についての話なんだろ?」
「お気づきでしたか」
「当たり前だろ。お前、途中から何か様子がおかしかったし」

 僕が違和感を覚えたのは――そう、八九寺が杏子の持つソウルジェムに興味を示した時だ。

「本当に……よろしいのですか?」
「ああ、腹は括ったぜ」

「では、お話させて頂きます。まぁそんな長い話でもありません。恐らく、魔法少女という超常的な存在になったことによって引き起こされた現象と言いますか、影響なんでしょうが………………佐倉さんの“魂の在り方”が明らかに普通の人と異なっていました」

「魂の在り方が……異なっている?」

 何とも、スピリチュアルな単語が出てきたぞ。

「えっと……それは何か拙いことなのか? 正直、いまひとつピンとこないんだけど。ほら、僕だって血の構造が普通の人と異なっている訳だしさ」

「拙いかどうかはわかりません。ですが異常な状態なのは確かです。阿良々木さん、わたしが今から言うことは、曲解せず言葉のままに受け取って下さい。比喩でも空言そらごとでもございません」

 念を押しての勧告。
 それほどまでに、突拍子もない発言をするってことか。
 僕は八九寺の確認に対し、無言で頷き先を促した。

「直裁的に言ってしまえば――ソウルジェムと呼ばれるあの宝石が、佐倉さんの『魂』に成り代わっています」
「……………………え? それって……どういうことだ……?」

 理解の追い付かない僕に対し――

「ですから言葉の通り、佐倉さんの肉体を動かしているのはソウルジェムだということです」

 ――追い打ちとなる真実を八九寺は告げた。

「わたしが見る限り――佐倉さん自身の肉体からは、生気が全く感じ取れませんでした」





[27169] しのぶリミット~その2~
Name: ミドリ◆02e976c9 ID:2270504e
Date: 2013/10/14 22:32
~048~

 動揺しているのか頭が上手く回らない。衝撃的な事実に僕はただ茫然とするばかりだ。心構えはしていたつもりだけど……想定以上だってこんなの。

 思索に耽ろうとするもどうにも考えが纏まらず、無為に時間だけが過ぎていく。

『おい、我があるじ様よ』

 当て所もなく街中を徘徊し、ただ漠然と自転車を押して歩いている僕に――忍野忍が不満そうに声を掛けてきたのは、八九寺と別れて30分は彷徨ったあたりの事だった。

『何時まで道草を食っておるつもりじゃ。儂はずっと胸を高鳴らせ、ミスタードーナツに到着するのを待ち侘びておるというのに!』

 直接脳内に響く声。姿を現さず影の中からダイレクト訴えられている関係で、忍の顔色を窺うことはできないが、怒っているのは明白である。

「……あぁ……素で忘れてた」

 そうだった……ミスドでドーナツをご馳走してやる予定だったな。いや、ご馳走というか謝礼としての報酬な訳だけど。
 でも。

「今はそれどころじゃないんだって」
『は? この世にドーナツよりも優先することがあるとでも言うのか!?』

「どんだけドーナツ至上主義なんだよ…………忍、僕は今途轍もない問題を抱えて苦悩している最中なんだ。悪いけどミスドはまた今度にしてくれないか?」

『戯けたことを吐かすな。途轍もない問題というが、それはアレじゃろ。あの迷子っ娘が言っておったことじゃろ。下らん』

 歯牙にもかけず忍は言い捨てる。

「お前の尺度で語るな。つーか訊いてたのか。お前、昼寝してたんじゃないのかよ?」 
『ボケが! 儂とお前様とのペアリングを忘れておるのか。お前様の受けた痛みが、そのまま儂の痛みになる事を。いい気分で寝ておったらいきなり顔面を強打されたのじゃぞ。それでどうやって眠り続けることができるというのじゃ!』

 ああ、杏子と八九寺から痛いのを一発ずつ頂戴したからな。いや、それはほんと悪い事をした……弁解の余地もない。

『それに現在進行形でお前様の動揺が儂にも伝わってきておる。気持ち悪くて眠れやせんわ! どうにかせい!』
「無茶言うなって。お前も話を訊いてたというのなら、僕の気持ちを察してくれてもいいんじゃないのか」

『そう言うのであれば、儂が抱くドーナツへの思いも察するがよい。というか、お前様が幾ら頭を悩ませたところで、どうこうなる問題でもないじゃろうに』
「それは確かにお前の言う通りなのかもしれないけど……」

 この事実を安易に魔法少女となった子達に伝えるのも得策とは思えないし……行動しようにも指標が定まっていないのが現状なのだ。

「何にしても、情報不足なんだよな。あーどうすりゃいいんだ」

 だからこそ焦燥が募るばかりで、途方に暮れることしかできないでいるのだ。


『はぁ情けなや情けなや――こんな瑣末な事で平静を失うでない。もっと泰然自若とはできんものかの。このうつけが儂の眷属であり主人だと思うと悲しくなってくるわ』

 ため息と共に忍が落胆の声をあげた。僕の評価が大幅にダウンしたことは想像に難くない。
 それでも運命共同体――血を分かち合う半身とも言える相棒は、僕の事を見捨てなかった。

『ふん、仕方ないの。儂からこの件に関する有益な情報を与えてやらんこともないぞ』
「ほんとか!?」

 僕は食い気味に喚声をあげる。

『いつまでもうだうだされては敵わんし、お前様の動揺の所為で安眠もできんからの。軽く助言をしてやろうという程度のことじゃ』

 何だかんだ言いながらも助力を惜しまないんだよな、このツンデレさんめ!

『じゃから、さっさとミスタードーナツへ向かうがよい。話はそれからじゃ』
「……………………」

 結局それかよ。色々台無しだ。
 いや、ドーナツをご馳走するってのはかねてからの約束だし、交換条件とも言えない有り難い申し出だけどさ。

 兎も角そんな訳で、随分と時間はくってしまったものの――僕は当初の予定通りミスタードーナツに急行したのだった。










~049~

「マジまいうー!!」

 国道沿いにあるミスタードーナツの飲食スペース。
 約五千円相当にもなるドーナツの山をあっという間に平らげた金髪金眼の元吸血鬼は、表情をとろけさせていた。唇の周りについた白い粉をぺろりと舌で舐め取り、至福の表情で浮かべている。

 一応は貴族の出自なんだけどなコイツ…………優雅さの欠片もなく貫録も何もあったもんじゃない。
 まぁゴールデンウィークの時みたいに、無表情で黙々と食べるよりは断然いいけど。 
 食べてる姿は可愛いし、またご馳走してやってもいいかなぁーなんて思えてくる。

「おかわりっ!!」
「んなもんあるかッ!」

 それでも限度がある!
 一日で僕が今まで食べてきたドーナツ摂取量を超えるつもりか!?
 今まで食べてきたドーナツの数は覚えてないけどね!

「つーか僕の財布の中身がねーんだよ! ほぼ全財産つぎ込んでんだ! 来月の小遣いまでひもじい生活が強いられているって解ってんのか!?」

 っと、いけないいけない。
 山盛りのドーナツを貪り食う金髪幼女ってだけでも悪目立ちしてるのに、それに加え大声で騒いだら余計に注目を集めてしまう。
 
 僕は一呼吸置いて、声のトーンを落とし忍に催促を入れる。

「なぁ、いい加減話してくれよ」
「そう急かすでない。食後の余韻が台無しじゃろうが」

 取り澄ました表情で忍は言った。

「気取ってんじゃねーよ。ほら、お前の要望は訊きいれたんだ」

 焦ってどうこうなる案件でもないが、バイトもしていない、親のお小遣いだけでやり繰りしている、高校生にとっては大金と呼べるほどの金額を投資したのだからせっつきもする。

 陳列されたドーナツを見た途端、人の足元見やがって。
 くそ。本当は『野口さん』一枚の犠牲で済ませるつもりだったのに…………『樋口さん』を投資したのは忍の口を割らせる為なのだ。痛い出費になってしまったが、ここは割り切るしかない。

 さて――これが何の催促かというとそれは勿論、八九寺からカミングアウトされたソウルジェム、延いては魔法少女の歪な有りようについてだ。

「つーかお前、本当に有益な情報なんてあるのか? 冷静になって考えてみりゃ、そもそもお前が今更僕に何の情報を提供できるんだって話だよ。お前と行動して既に一週間以上は経過してるのにさ」

 この間に忍から得られた情報など皆無。ミスドに行きたいが為の口から出任せかなんじゃないかと心配になってきた。

「ほう、この儂を疑うというのか?」
「だってお前の適当さ具合は、一緒に生活して痛いほど身に染みてるし……」

 大言壮語が過ぎるというか、ノリだけで会話している節が多聞に見受けられる奴なのだ。
 コイツから嘘の歴史を教えられたことは一回や二回じゃすまないからな。正直、信用度は低い。

 五百年もの歳月を生き抜いてきた歴史の生き証人という肩書きを信頼して、忍に教えて貰った過去の偉人の逸話を意気揚々と羽川に披露したら、全くもって歴史背景と合致しないと指摘され赤っ恥をかいた恨みを忘れはしない。

「お前様よ。それは考え違いというものじゃ。“今更”じゃなく、“今だからこそ”じゃよ」
「え~と……どういう意味だ?」

 何か意味深な物言いであることは感じ取れるんだけど、それ以外はさっぱりである。

「つまりじゃ、あの迷子っ娘がお前様に情報を開示した、“今だからこそ”儂としても隠し立てする必要性がなくなっということかの」
「ん? つーことはさ、ずっと前から気付いてたってことか!?」
「当然じゃろう。あの迷子っ娘にわかって儂が察知できん理由などあろうはずがない」

 しれっと忍は言った。
 でも言われてみれば、当たり前の話だった。
 これでも怪異の王とまで謳われた伝説の吸血鬼――その慧眼は信頼に値する。

「なら……何で気付いた時に――」
「ふん。人間についての情報は極力漏らさんようにするというのが、儂の信念というか方針ポリシーじゃからな。今回は詳細がほぼ明らかになったが故、ある程度の補足説明ぐらいはしておいてやろうってだけのことじゃ」

 そこで忍は一度言葉を区切り、コーヒー(お代わり自由の良心価格)をぐいっと飲み干してから、鷹揚に口を開いた。
 
「よし本題に入るかの。さて我があるじ様の憂い事についてじゃが、まぁざっくりと言ってしまえば、あの魔女っ娘等は皆一様にして、魂をソウルジェムとかいう宝石に移し替えられておるということじゃな。それを実行したのはあの兎もどきで間違いあるまい」
「やっぱ、そうなのか」

 兎擬き――キュゥべえ……か。 
 うら若き少女達と契約を取り結ぶことを役目とする謎の生命体。

「なぁ、忍。お前の目から見て、キュゥべえはどう映る?」
「ふーむ……我があるじ様の期待に応えれんのは歯痒い限りじゃが、正直アレは儂からしてみても得体がしれん。怪異にカテゴライズすることも憚られるような異質な存在と言えよう。こればかりは儂ではなく、他を当たるべきであろうな」

「他って言われても……忍野に訊けってのか? 確かにアイツならそれなりの事情は知ってるだろうけど、そりゃ無理な話だぜ」

 この件に関しては完全に不干渉を貫いているからな。望み薄だ。

「別にアロハ小僧とは言っとらんわ。儂が言っておるのは、あの黒髪の魔女っ娘のことじゃよ」
「ほむらに?」

「言動から推察するに、あの小娘は兎擬きの本質を見抜いておるよ。無論、自身の身体が抜け殻であり、魂を宝石に移し替えられておることも知っておるじゃろうな。素直に受け答えするかは知らんが、一度当たってみたらどうじゃ?」

 忍は断定口調で言い切った。
 確かに知っていてもおかしくない。僕にしても、思い当たる節があり過ぎるぐらいだ。

 ならば勝手に行動するよりも、ほむらの判断を仰ぐのが適切か。
 一番の問題は忍の指摘通り、アイツが簡単に情報を開示するかってことだけど、そこは僕が上手く立ち回るしかない。

 よし、取り敢えずの方針は定まった。
 思い立ったが吉日ということで、僕はジーンズのポケットから携帯を取り出すと、手早く操作してほむらに電話を掛ける。


「…………………………………………………」

 だがしかし、一向に出る気配がない。
 留守番電話サービスに繋がることもなく、耳元では呼び出し音が繰り返される。

 取込中か気付いていないのか…………もしくは僕からの電話を無視しているとか? そんな疑念が過ったところで――


『何?』
「おお、繋がった!」

 ――やっと呼び出しに応じてくれた。
 冷淡かつ最低限の応答なのは、いつものことなので気にしない。

「えっとさ、ちょっとお前に相談したいことがあるんだけど、これから時間とれないか? 出来れば直接会って話しがしたいんだけど」

 電話で済ませられるたぐいの案件ではないからな。ちゃんと顔を合せてしっかりと意見交換した方がいいだろう。

『無理ね』

 次いで、ツーツーと虚しく不通音が鳴り響く。
 交渉の余地もなく、簡潔かつ最低限の返答でお断りされたのだった。





[27169] ほむらコネクト~その2~
Name: ミドリ◆02e976c9 ID:2270504e
Date: 2013/10/18 20:31
~050~

 私は今、駅に隣接された大型ショッピングモールでまどかの買い物に付き添っていた。
 ただ兼ねてからの約束ということではなく、たまたま鉢合わせしたというていで“意図的”に同行を申し出た訳だけど。
 無論、本来の目的は、キュゥべえの魔手からまどかを守ることに他ならない。

 行動範囲が増えると、自ずと警戒網に綻びができてしまう。隙を見せれば接触の機会を与えることになる。
 まどかに気付かれないよう距離を保って護衛するには、不安要素が強いのは否めず、ならいっそのこと一緒に行動してしまえばと思い至ったのが事の成り行きだった。

 そんな思惑があるとはいえ、こんなにも穏やかな時間を共有できるのは本当に久しぶりだ。一緒にいられることで舞い上がってしまっている自分がいる。ああ、いい匂い。
 彼女の傍にいるだけで、どうしてこんなにも心が安らぐのだろう。

 まどかを余計な争いから遠ざける為に、必要以上の接触は避けるように準じてきたけれど――その自戒はあの『お菓子の魔女』との一戦の後に開かれた、奇妙なお茶会を契機に有耶無耶になってしまった。
 その場に居た全員と携帯番号並び携帯アドレスを交換しておいて、頑なに親交を拒むのもまぬけな話だ。

 寧ろ、期せずして得たこの良好な人間関係を“利用”する方が利巧というもの。利己的な打算であろうとも。全てはまどかの為に。


 佐倉杏子の動向は気がかりではあるけれど、それ以外の相手とは一応友好な関係を築けている。
 どう考えたって敵対する相手は少ない方がいいし、後に控える最悪の超弩級魔女――『ワルプルギスの夜』のことを思えば、対抗する戦力は是が非でも確保しておきたい。

 その点で言えば、巴マミの生存は極めて好都合と言えた。
 キュゥべえに対する依存が払拭されている状態かつ、天敵だった『お菓子の魔女』はもういない。よほどのことがない限り、他の魔女に遅れをとることはない。
 敵対することが多かったからこそ、彼女の力量には確固たる信頼が持てる。味方になってこれほど心強い人もいない。

 加えて魔女や使い魔退治も一任でき、まどかの警護や情報収集に専念できるのもかなりのメリットとなっている。


 しかしながら現在の状況に気がかりが一つもない訳ではなく、寧ろ問題は山積みだ。巴マミの精神の脆さは言うに及ばず、佐倉杏子も出かた次第によっては懸念材料の一つとなり得る。
 だけどそれよりも何も今尤も警戒すべきなのは、美樹さやかの存在である。

 巴マミの指導もあって、戦術面の底上げや魔力の乱用は避けれてはいるものの…………それとは別に、憂慮すべき事態が差し迫っているのだ。

 情報収集の折に察知したことなのだが、週明けにも上条恭介が登校してくるらしい。

 彼には悪いが……それは破滅への序曲であり、負の連鎖の引き金トリガーに他ならなかった。

 上条恭介が学校に通い出せば、彼に密かに恋心を寄せていた志筑仁美が告白を決意し、恋の三角関係が形成される。
 そして親友としての情けか譲歩なのか……或いは、罪悪感からくる自身への免罪符としてか、告白する旨を美樹さやかに事前に知らせ、一日の有余を与えるというのがお決まりの流れで――結果、美樹さやかは友情と愛情の板挟みに陥り、精神的に追いやられソウルジェムに穢れを溜めて魔女と化す。

 魔女化それを巴マミが知れば、彼女だって自我を保つことができなくなる可能性が高い。

 幾度となく繰り返した悪夢の再来だ。

 誰が悪いと論ずることはできないが、何というか……ただ間が悪い。
 美樹さやかが魔法少女でなければ、甘くてほろ苦い青春の一ページに過ぎなかったはずなのに…………同情しないでもないけれど、それに振り回される身としては正直もううんざりだ。

 生憎、私は異性関係については疎く、美樹さやかの心情を推し量ることは難しい。

 それでもどうにかして対策を練らなくてはならない。

 しかし頭をフル回転させてみても何も思い浮かばず、適切な助言を伝える事はできそうになかった。
 私一人の知恵では限界がある。このままでは手詰まり………………第三者の知恵を借りるという選択肢もあるけれど、それは別の時間軸で幾度か実行して、失敗に終わっていた。

 まどかも巴マミも…………お世辞にも恋愛経験が豊富なんてことはなく、佐倉杏子に至っては力づくで解決しようとする脳筋だ。残念ながら誰も当てになりそうにない。

 だからといって恋愛上級者のまどかというのも嫌な話だけど…………まどかはこのままずっと、純真無垢に穢れを知らぬままに、私とのあ――


「あの……ほむらちゃん。じっと見つめられちゃ……恥ずかしいよ」

 む……思考に没頭するあまり、気付かぬ内にまどかをガン見していたらしい。
 まどかは仄かに頬を赤く染め、困ったようにはにかんでいた。

「……いえ、服がとても似合っているから、思わず見惚れてしまったわ。センスいいのね、まどかって」

 はぐらかす意味合いもあったけど……これは満更方便でもなく、本当にそう思っていたことだ。
 
 花柄の白いキャミワンピースは爽やかに、その色調を崩さない調和のとれた淡いピンクのカーディガンを羽織っている。
 アクセントとして腰には赤いベルトを巻いており、大きなリボンのついたショルダーバッグも可愛らしい。

「そ……そうかな? ありがとう、ほむらちゃん。そう言って貰えて嬉しいな。でも……これ、ママがコーディネートしてくれたから、センスがいいのはわたしじゃないんだけどね」

 茶目っ気な笑顔を浮かべ真相を打ち明けるまどか。
 まどかを褒めたつもりが、まどかママへの賛辞になってしまった。けれど、まどかにとっては自分が褒められたことと同義であるようだ。

「ほむらちゃんはやっぱり大人っぽい服装だね」
「そう?」
「うん。モデルさんみたいでかーっこいぃ! 羨ましいなぁ!」
「そんな……ことはないと思うけど」

 実際問題、地味な色合いをした飾り気のない服装だし……道行く垢抜けた服装の女の子達とは随分と趣が違う。どう見てもダサい格好で…………だとしても、まどかに褒めて貰えて心がじんわりと温かくなっていく。

「わたしもほむらちゃんみたいになりたいなー。ほら、ウエストなんてこんなに細いんだもん!」
「ひゃっぅ!」

 腰元に触れられて、思わず変な声が出てしまった。

「あ、ほむらちゃん、脇腹触られるの苦手な人だった? ごめんね。でもね、実はわたしもそこ触られるの弱いんだぁ、一緒だね! えへへへへ」

 満面の笑みを浮かべて同意を求めてくる。
 駄目だ。気を抜くとまどかの愛くるしさに当てられて、素の自分が出てきてしまいそうだ。
 心の距離をちゃんと保っておかないと、いざという時に適切な判断ができなくなってしまう。

「ところで、まどかは何を買いに来たの?」

 気を落ち着かる為に、話題を逸らす私だった。

「うーんと、パパから頼まれたものを買いに来てるんだけど、色々あって――」

 そう言いながら、ごそごそと鞄の中を探り一枚のメモ用紙を取り出す。
 私物を買う為ではなく、家族から頼まれた御使いというのが如何にも彼女らしい。

「――パンチェッタはブロックで200グラムぐらいを目安にして、ポルチーニは乾燥したものを一瓶、フレッシュのエストラゴンは1パック。あとキリマンジャロは一袋分。焙煎は家でできるからそのままで、だって」

「え?」

 メモに記された文章を読み上げてくれたのだろうが、何の呪文なのだろう…………。
 ほぼ聞き取れなかったが、パンにドラゴンに……キリマンジャロ……は確か山の名前……?
 登山用品を買いに? 確かにそういった専門店はあるけれど、でもキリマンジャロはアフリカ大陸にあって…………それにドラゴンって? 

 何が何だかわからない。

「近くのスーパーじゃ売ってない物だから、このショッピングモールまで買いにきたんだ」
「…………そ……それって」
「ん? どうしたの、ほむらちゃん?」

 ……見栄を張りたい。当然のように知っていると、訳知り顔でいたい!

「ごめんなさい。どれもこれも初めて耳にする物なのだけど、それって何なのかしら?」

 でも、まどかにだけは嘘を吐きたくなかった。

「あーそうだね。あまり馴染みのないものばっかりだもんね。えっとパンチェッタは生のベーコンのことで、ポルチーニはキノコ。エストラゴンはハーブで、あとキリマンジャロは珈琲豆のことだよ」

 言われてみればキリマンジャロぐらいは知っていた。

「まどかは物知りなのね」
「ううん。そんなことないよ。パパのお手伝いしてる時に少しずつ覚えていっただけだし……買い間違えることもしょっちゅうあって…………それに、肝心の料理の方は全く駄目駄目で」

 照れくさそうに自身の失敗談を交えてフォローしてくれた。

 それから――まどかの話を訊きながらゆったりとした足取りで、目当ての輸入食材を取り扱う専門店に向かっていく。
 どうやらまどかの買い出し中に、まどかパパは夕飯の下準備に奮闘しているようで、何でも自家製トマトソースと手打ちの生パスタを作っているとのことだ。
 家族の話をする時のまどかの楽しそうな表情には、本当に心が洗われる。

 と、そんな折――もう少しで目的の店に到着しようかという時になって、無粋にも騒々しい電子音が鳴り響く。
 が――敢えて無視。


「ほむらちゃん。電話鳴ってるよ?」

 しかし、無理があった。
 混み合った人ゴミの喧噪に紛れはしていたものの、それでも肩を寄せ合った状態で一緒に歩いているのだから、まどかが携帯の着信音に気付くのは至極当然のことだった。
 電源を切っておくか、マナーモードしておかなかったのは迂闊としか言えない。

「……そうね」

 気付かぬふりをしていたのだから、出来ればこのまま無視していたかったけれど…………。
 そうすれば、この夢のような一時を邪魔されずにすんだのに。
 心中で軽く舌打ちをして、ポケットから携帯電話を取り出す。
 言うまでもないことだけど、この苛立ちはまどかに対してではなく、しつこく鳴り響く着信音――延いてはその向こう側にいる相手にだ。

 そして液晶に表示された相手を確認し――何食わぬ顔でそのまま携帯をポケットに戻す。

「あれ? 出なくていいの?」
「ええ」
「あの、別にわたしに気を遣わなくても……」
「そういう訳でもないのだけど」
「もしかして知らない番号とか非通知、だったり?」

 不安気な表情でまどかが訊いてきた。

「いえ……阿良々木暦からよ。だから大丈夫、問題ないわ」
「大丈夫の意味がわからないよ! ほむらちゃん、早く出てあげて! 切れちゃうよ!」

 まどかが其処まで言うなら仕方ない。億劫ながら再度携帯を取り出して電話に出る。

「何?」
『おお、繋がった! えっとさ、ちょっとお前に相談したいことがあるんだけど、これから時間とれないか? 出来れば直接会って話したいことなんだけど』
「無理ね」

 手短に通話を済ませ電話を切る。
 こちらの事情も知らないで、何を勝手な事を――この神聖な時間を侵すことは何人なんぴとたりとも許さない。

「まどか、いきましょう」
「あれ? もうお話終わったの?」
「ええ」
「えっと、暦お兄ちゃんは……何て?」
「さぁ? 相談があるとかどうとか言っていたようだけど」
「ほーむーらーちゃーん! 駄目! 駄目だよ! どうして相談を持ちかけられてるのに、電話切っちゃったの!?」

 まどかにしては珍しい――やや怒ったトーンで捲し立てられる。
 どうも阿良々木暦に対する私の対応に、不満を感じているようだ。

「いえ……その…………今はまどかとの……買い物中だし」

 剣幕に圧され、たじろぐ私がいた。
 そんな私の瞳をじっと覗きこみ、一転して穏やか声音でまどかは言う。

「お買い物に付き合ってくれるのはすっごく嬉しいけど……それで他の人への対応が疎かになっちゃ、わたしは悲しいな。だからね、ほむらちゃん――どうすればいいのか、わかるよね?」


 結局――まどかに諭される形で、折り返し阿良々木暦に連絡をとった私は、不承不承ながら彼の相談に乗ることにした。
 酷く気の進まない申し出だったけど、まどかがいる手前、二度にわたって断りを入れることは出来るはずもなく…………とは言え、阿良々木暦が地元の直江津町から見滝原に来るまでの移動時間の関係で、まどかとの買い物は無事に最後まで付き添うことができたのだった。





[27169] こよみコネクト~その2~
Name: ミドリ◆02e976c9 ID:2270504e
Date: 2014/05/26 23:01
~051~

 暁美ほむらが待ち合わせ場所に指定したのは、とある公園。
 ほんとはショッピングモールにあるファーストフード店に来るよう伝えられたのだが、ドーナツを大量購入してお金がないという何とも情けない理由で、仕方なくこの公園を指定し直して貰った訳だけど。

 ただ公園と一口に言っても、僕がさっきまでいた遊具で遊ぶことを旨とした児童向けの公園とは全くの別物である。青々と茂ったけやきの街路樹に、整備された石畳の遊歩道、更には噴水まで設置されたかなりの大きさの誇る公園で(分類とすれば、緑地公園となるのだろうか)、都市開発の進む見滝原に於いて、緑との触れ合いを体験することができる憩いの場となっているようだ。


「阿良々木暦。つまり、あなたの話を纏めると――佐倉杏子と一悶着あって、その現場に居合わせた知り合い……あなたの妄言を渋々ながら鵜呑みにするとして、幽霊である小学生の女の子からソウルジェムについて言及されたということね」

 そしてつい今し方、ほむらへ諸々の事情を説明し終えたところだった。
 客観的にみればなかなかに胡散臭い話だ。本来であれば一蹴されてもおかしくない、僕の正気を疑って然るべき場面である。
 それでも、彼女がこの荒唐無稽にも感じられる話を信じたのは――ひとえにソウルジェムに関する事柄が、紛れもない真実だったからに他ならない。

 まぁ明らかになった経緯(八九寺の事)をそのまま伝えた所為で――胡乱な眼差しで僕を睥睨するほむらではあったのだが。

「で……この話、他の誰かに話した?」

 ともあれ――幽霊のことを掘り下げても時間の無駄にしかならないと判断したのか、一も二もなく話を進行する対応は相変わらずと言えた。

「いや、まだっつーか、安易に教えていいもんでもないだろ。お前に話すのだって本当はどうかと思ってたんだからさ」

「そう。あなたにしたら賢明な判断ね。彼女達にこの真実は重すぎる…………伏せておくのが正解でしょう。口外は避けるべきだわ」

 それがほむらの下した結論だった。いや“結論”ではないのか。
 慎重を期し探りを入れてから事の真相を打ち明けた訳だけど、僕が伝えるまでもなくほむらは既に知っていたのだから――これは“現状維持”であり僕に対しての“口止め”である。

 さりとて、ほむら自身はこの事実を何時どういう経緯で知ったのだろうか?
 素朴な疑問として訊いてみたいところではあるが…………如何せん、詮索は禁じられている。
 気難しい彼女の機嫌を損ねるのも得策とは思えないし、ここはぐっと質問したいのを我慢して――

「ああ、わかった。この件に関することは誰にも漏らさないようにするよ」

 ――了承の意を示すだけに止めておく。

 ほむらにはほむらなりの心算や都合がある筈。
 ソウルジェムの秘密だって、彼女は開示すべき事ではないと判断していたからこそ、ずっと独りで黙し続けてきたのだ。
 八九寺が僕に忠告したように、知らなければ知らないままでいた方がいいなんて事は、この世の中に沢山ある。
 今はまだ、ほむらの判断に身をゆだねよう。


「で、呼び出しておいてアレなんだけど、相談したかった事はこれだけなんだ。わざわざ出向いて貰ったのに悪いな」

 もう少し話が難航するかと思っていたのに、ものの15分足らずで話が済んでしまった。まぁ話がこずれずに済んだのは、全然いいことなんだけどね。

「別にそれは構わないのだけど…………なら、事の次いでに此方からも一つ相談事があるわ」
「ん? 相談?」

 これはこれは。
 また、珍しいこともあるものだ。
 ほむらから僕に相談だなんて、予想外というか何というか。

「いいぜ。相談の一つや二つ、何だって乗ってやるよ」

 びしっと相談に乗ってやって、少しでも名誉挽回したいところ。

「それで、内容は?」
「…………………………」

 僕が先を促すも、なぜかだんまりを決め込んでしまうほむら。
 心の内で葛藤しているのだろうか、顔を顰め苦渋の表情を浮かべていた。それ程までに深刻な内容なのか…………ソウルジェム関連のことで、新たな情報でも教えてくれるつもりなのか…………。

 一つ深呼吸をして、動じない様気構えておく。
 そして、やっとのことでほむらは切り出した。

「…………その…………恋の相談よ」
「…………………………は?」


 沈黙。頭の中で理解するのに数秒の時を要し――

「恋の相談だとっ!? お前が!? 僕に!?」

 気構えていたのに思わず鸚鵡返しに訊き返してしまった!
 この冷徹な少女が恋の相談とは…………失礼ながらそれほどまでにミスマッチな相談内容だ。
 晴天の霹靂とは正にこのこと。

「勘違いしないで。恋の相談とは言っても私のではなく、恋愛関係の悩みで思い詰めている知り合いの女の子に、私がどうアドバイスをしたらいいか、という話よ」

 が、直ぐに補足説明が入った。
 なるほど。それならば、まだ納得はできる。
 だけど、まさか恋愛相談とは…………予想外過ぎる!

「で、具体的にはどういった話なんだ?」

 大見得を切って相談に乗ると宣言した手前、取り敢えず話だけでも訊いておかないと。

「個人名や詳しい説明は省かせて貰うけど、そうね。平たく言えば、自分に自信が無くて意中の相手に思いを伝えることができない――告白する勇気がないその子に、どうやって勇気を与えるか、どう決心させるか……そういった話よ。私も私なりに色々と苦心しているのだけど、どうにもその手の話に疎くて……お手上げなのが現状ね」

 所謂恋のキューピットとして、恋路の応援、手助けがしたいってのが今のほむらの立ち位置か。

 うむ、有り触れていると言ってしまってもいい程に、よく聞く話だ。が、それ故に僕は思う。

「大筋の話は分かったけど…………こんな真っ当な恋愛相談を僕にするのは…………判断ミスというか人選ミスじゃないのか? 相談して貰っといて申し訳ない限りだけど、正直、力になれそうもないぜ」

 人様の色恋に対し、指南できるほど僕は恋愛事情に通じてなんかいない。

「でしょうね。駄目もとで訊いてみただけだから、初めからあなたに期待なんてしていないわ」

 身も蓋もない事を……。

「そう言うなら、僕じゃなく他をあたってくれよ」
「ふふ、そんな伝手つてがあれば、苦労していないわ」

 肩に掛かった髪をさっと手で払いながら、自嘲気味にほむらは笑う。
 澄ました態度とのギャップで痛ましさが倍増していた。まぁ転校してきたばっかって話だし、身近に頼れる人物がいないってことなんだろう。そういう事にしておこう。

「ともあれだ。こーゆうのって外野からアレコレ言ってもロクな結果に結びつかないって気がするけどな。だとしても、お前が応援してやるだけで、その子は救われているんじゃないかな?」

「そういった綺麗事で済ませていい話ではないのよ。如何なる手段を以ってしても、この恋路を成就させなければいけない!」

 僕の何の根拠もない励ましが逆鱗に触れてしまったのか、わなわなと拳を握り込み――危機迫った表情で物騒な事を言う。
 如何なる手段って何だよ…………こんな恋のキューピットがいて堪るか。怖ぇよ。

 と、続けて何やら、ぼそぼそとした呟きが――

「………………幾度となく繰り返し、何度説得してもあの女はウジウジと言い訳をして……」

 親身になってアドバイスを与えようようという相手の事を中傷する不適切な発言(独り言)が聴こえたような気が…………いやいや、流石にこれは気のせいだ。

 そんなほむらの様子に面食らいながらも、僕は気を取り直し思索に耽る。
 彼女なりに譲れない事情があるのは、恐ろしいまでに伝わってきた。
 ならば、どんな形であれ協力したい。

 しかし、恋愛相談となると…………幾ら僕の頭を悩ませたところで、妙案が出てくるとは思えない。
 恋人がいる身の上とはいえ、僕の恋愛偏差値は低すぎる。
 付きあっていると言っても、まだ一度たりともデートしたことがないもんな……。

 告白も戦場ヶ原からだったし…………ん?

 そっか。戦場ヶ原ならば恋に悩む少女の相談にも乗ってやれるんじゃないのか?
 なんせ、告白経験者だ。実体験に基づくいいアドバイスができる………………筈ねーだろーが!
 あの女に、そんな殊勝な事ができるはずがない! それに、今回はその女の子に対してではなく、ほむらに対してアドバイスを送ることになる。

 ほむらと戦場ヶ原は言ってしまえば、塩素系洗剤と酸性洗剤のような間柄だ。対面すれば有毒ガスが発生するのは必定。その被害を喰らうのは僕なのだ。

 一瞬でも名案だと思ってしまった自分自身が愚かしい。

 とは言え、取っ掛かりとしてはいい線いっているような気がする。

「あ、そうだ」

 と、僕はふと思い至った。

「何?」

 無意識の内の発せられた閃きの声が耳に入ったようで、ほむらが鋭い視線を寄越す。

「ああ、こういった恋愛相談を、何百回ともなく受けてきたスペシャリストが身近にいるのを思いだしてさ」
「…………占い師の知人でもいるの?」
「いや、占い師の知人はいない」

 訝しげなほむらの問いは、全くの見当外れだ。
 確かに、占い師でもなければ、こんな膨大な数の恋愛相談を持ちかけられることは普通ないだろう。
 だけど、残念なことに奴は普通じゃないのだ。うん、ほんと残念過ぎることに。

「なら、その人は何者?」

 口早に急き立ててくるほむらに対し、僕は言った。

「阿良々木月火。僕の妹だよ」


 阿良々木家の末っ子。ちっちゃいほうの妹。
 正義の味方ごっこに明け暮れる、栂の木二中のファイヤーシスターズの片割れにして参謀担当。

 戦場ヶ原に負けず劣らず厄介極まりない性格をしているので、性格面での折り合い――ほむらとの兼合いが少々気掛かりではあるが、二人とも中学二年で同学年だし、月火はアレでいて地元一帯の中学生達から、崇拝とも言えるレベルで信望を集めているような奴なのだ。コミュニケーションスキルも非常に高い。

 無愛想で取っつき難いところがあるほむらであっても、上手く対応してくれるんじゃないだろうか。
 まず間違っても戦場ヶ原のように、排他的な振る舞いをすることはないはずだ。


 そして何より――こと恋愛相談に於いて、これほど優れた適任者もいない。
 前述の通り、仲間内(地域規模)から数々の恋愛相談を受けてきた月火は、引く手数多の敏腕相談役アドバイザーとして名を馳せており、驚くべきことにその恋愛相談の全てを解決してみせたという。
 あくまでも月火による自己申告なので、真偽のほどは確かではないのだが、ファイヤーシスターズとしての評判を訊く限り、口から出任せってことでもないのだろう。

 それに、恥ずかしながら僕も、『恋かもしれない相談』に乗って貰ったことがあるから、月火の恋愛偏差値の高さは実感として知るところである。

 ほむらの“如何なる手段を以ってしてもこの恋路を成就させる”というスタンスと、月火の有する“相談さえ受ければ、どんな相手とでも絶対必ず恋縁を結んでみせる”というスタンスは、見事なまでに合致している。

 名も知らぬ恋煩う少女の想いが、成就することを願って――僕はほむらと月火を引き合わせる事を決めたのだった。




 この決断が、あんな悲劇を引き起こすことになろうとは知る由もなく。









[27169] つきひトリック~その1~
Name: ミドリ◆02e976c9 ID:2270504e
Date: 2013/11/10 22:35
~052~

 僕としては近日中にでも、予定を調整してから会合の場を設ければいいかと考えていたのだが――ほむらの強い要望もあって即日、取るもの取り敢えず月火を紹介する運びとなった。

 本当ならこれから、十七時を目処に巴さん&美樹の魔法少女ペアと合流し、日課となった魔女探しパトロールに向かう手筈になっていたのに…………キャンセルするよう強要された。
 まぁ何でも独りで対処する傾向にあった彼女が、僕なんかに相談を持ちかけてきたことからも、よっぽど逼迫した状況なんだと推測できるし、仕方あるまい。

 そんなこんなで――僕はほむらをマウンテンバイクの後ろに乗せ、阿良々木家へと帰還する事に相成った。
 見滝原に着いて三十分も経たぬ内にとんぼ返りだ。



「あ、お兄ちゃん、おかえんなさーい」

 我が家のリビングに足を踏み入れると、月火の間延びした気怠げな声がした。
 浴衣姿でソファに寝そべって雑誌ヘアカタログを捲りながら、おざなりな態度でのお出迎え。

「おう、ただいま。なぁ月火ちゃん。あいつは家に居ないのか?」
「ふぇ? あいつ? ああ火憐ちゃんなら道場に行ってるよ」

 お、これは好都合――火憐の常人離れした足でさえ、道場まで片道一時間は掛かる距離だからな。自主練(行きはウォーミングアップで、帰りはクールダウン)の目的がある為、バスや自転車なんかの移動手段は使わない。空手の稽古時間も鑑みれば、それなりに帰りは遅くなるだろう。
 それに日曜日であろうとも関係なく、両親揃って仕事に出ている。即ち、今この家には月火しかいないってことだ。

 これで周りを気にすることなく、ほむらの紹介ができる。ちなみにほむらは外で待機中。
 いきなり紹介したんじゃ、月火も身構えてしまい兼ねないので、ある程度は“場”を整える必要があるのだ。

「そっか。でさぁ」
「ん?」
「折り入ってお前にお願いしたいことがあるんだけど」
「むむ、お兄ちゃんが、私にお願いとな?」

 雑誌をテーブルの上に置いて体勢を起こし、細めたたれ目で僕を見やる月火ちゃん。
 物珍しい発言と感じたのか、少し怪訝な感じ。

「おう。お願いだ。これはファイヤーシスターズの出来た方の妹であるお前にしか頼めないことなんだ! あの体力馬鹿とは違って、お前は可愛いくて頭も良いからな!」
「あははははー、そうかなー」
「やっぱり頼りにするなら、優秀な妹の月火ちゃんしかいないぜ!」

 取り敢えず火憐ちゃんを引き合いに出して褒めまくる(比較対象がいた方が褒めやすいのだ)。
 機嫌を良くして、扱いやすくする作戦である。
 よし、ここでもうひと押し!

「それにしても月火ちゃん、今日も和服姿が似合ってるな! 思わず見惚れちまったぜ! 正に平成の大和撫子! 羞花閉月しゅうかへいげつとは、お前の為にある言葉だ!」
「やだなーお兄ちゃん。ほんとのことでも照れるよー」

 相好を崩し大喜びしている。実に乗せやすい性格である。

「もぉー仕方ない兄なんだから! お願いぐらいお安い御用だよ!」
「おう! なんて頼もしい妹なんだ!」

 ふっ。妹の扱い方など、とうに心得ている。

「お金なら利子なしで貸してあげるってば! 二千円あれば足りる?」
「……………………」

 兄からのお願いとして、真っ先に想定したのがコレか! 妹に軽んじられていることが、よーく分かった! 舐めやがって!

「あれ? 違った?」

 だけど、悲しいかな――阿良々木暦くんはドーナツを大量購入して現在金欠なのである。財布の中に百十七円しか入っていないのだ。自販機でジュースも買えやしねぇ。

「違うけど違わない。有り難くお借りするぜ!」

 ここは素直に妹の厚意に甘えるとしよう。


「でもそとは別に、月火様にしか頼めない案件があるんだ」
「うむ、苦しゅうない。ほれ、何でも私に言ってみそ。下々の願いを叶えて信ぜよう」

 下手にでたら、直ぐ図に乗る小妹だった。
 浴衣の帯に忍ばせていた扇子を取り出してパタパタ仰ぎながら、足を組んで偉そうな態度で月火は言う。
 前髪ぱっつんのロングヘア――世に言う姫カットに古めかしい口調、着ているのも着物ということもあって、どこぞの小国のお姫様みたいな雰囲気だ。ただ間違っても大国の姫でない。小物臭がプンプンだ。

 うぜぇ……けど我慢我慢。煽てたのは僕だし、寧ろ上機嫌でいて貰わなければ困る。 

「慈悲深きお言葉、ありがとうごぜぇますだ」

 まぁここは月火のノリにあわせ、へりくだって下々の民を演じてみる。兄より上の立場というこの構図に、大そうご満悦そうだ。

「でだ――お前に紹介したい子がいてさ」
「ん? 紹介することがお願い?」

「早合点するな。その子の相談を訊いてやって欲しいというのが僕からのお願いだ」
「ふむふむ。まぁお兄ちゃんたってのお願いというのなら、相談を訊いてあげるくらい構わないけどさ……どういう関係の子なの?」

「ああ、僕の同級生の妹さんでな。暁美ほむらさんって言うんだけど、ファイヤーシスターズの、いや阿良々木月火個人の名高いアドバイザーとしての評判を、噂で聞き及んだらしい。で僕の方から、お前に取り次いでくれないかと頼まれた訳だ」

 無論、同級生の妹というのは偽称であり真っ赤な嘘。方便だ。
 ありのままに僕達の関係性を伝える訳にもいかないので、“設定”としてそういう事にしておいたのだ。ほむらには事前に話を通してあるので問題ない。口裏は合せてある。
 依頼者という立場なので、割り合い素直に応じてくれた。

「じゃあ、相談ってのは恋愛相談ってことなんだね」
「おお、流石月火ちゃん。察しがいいぜ」
「うんうん、私の名声も止まる所を知らないなー」

 知名度の向上が嬉しいらしく、有頂天の月火だった。
 兄としては調子に乗る妹を見るのは、ただただ腹立たしい。

 しかし何にしても、これで月火からの承諾は得られた。
 その場凌ぎの設定だったので怪しまれるかとも思ったけれど――彼女にとっては意外なことでもなかったらしい。どうやら火憐経由で、こういう類の相談を持ちかけられる事は、ままあったようだ。

「よし。じゃあ早速なんだけど頼むよ」
「早速?」
「ああ、実はその子、家の前で待たせてるんだ」
「なんと!」
「なんか差し迫った状況らしくてな。取り敢えずお前は僕の部屋で待っててくれよ。直ぐ連れて行くからさ」

 リビングじゃ、帰ってきた家族の誰かと鉢合わせする可能性があるので、協議の場は僕の部屋でいいだろう。

「あーあと、あまり愛想がよくないというか、気難しい感じのする子だけど、ここは兄の顔を立てて上手く対処してくれ。信じてるぜ月火ちゃん!」






~053~

 玄関先で待たせていたほむらを招き入れ、そのまま僕の部屋へと案内する。
 日頃から整理整頓は心掛けているので、部屋の中は割かし綺麗なほうだ。見られて困る物は、厳重に施錠し隠してあるので露見する心配はなかった。
 ただ、勘違いしないで欲しい。見られて困る物とは言っても、如何わしい参考書のような有り触れたモノではない。それだけはしっかりと提言させて頂こう。

 そうこれは、そんな低俗なモノではなく――僕にとって掛け替えのない宝物なのだ。例え家が火事になったとしても、これだけは死守することを僕は固く胸に誓っている。
 しかし、もし誰かの目に触れれば、僕の社会的地位が一瞬にして瓦解する代物でもある。まぁぶっちゃけると、羽川さんの下着(上下セット)なんだけどね。
 デスノートなんて可愛いものだ。

 そんなことは兎も角、ほむらを引き連れて部屋に這入ると――

「うわ。綺麗な子!」

 ――先んじて待機していた月火が喚声をあげた。
 ほむらの整った顔立ちを見て、瞠目しているようだ。気持ちは分からなくもないが、そういった事は胸の内に留めておけよこの妹は……。

 ともあれ、ほむらには学習チェアに座って貰い、僕と月火はベッドに腰掛けた状態で会合はスタートした。

「事前に軽く紹介はしておいたけど、改めて――こちら暁美ほむらさん。で、こっちのが妹の月火。二人とも中学二年の同学年ってことだし、変に気負わずやってくれな」

 まず僕が率先し、仲介役として二人の間を取り持つ。

「うん。暁美ほむらさん――ね。どうぞよろしくー」
「よろしく」

 笑顔を交え軽い調子の月火に対し、ほむらはあくまでも泰然自若とした面持ちで応じる。
 愛想こそないが、あの戦場ヶ原との談合を思い返せば断然マシな部類だ。ほむらにしては及第点の応対と言えるだろう。

 だがしかし、月火にとっては満足のいく応対ではなかったらしく――

「う~ん、なんか固いなー。あ、そうだ。私のことは『月火ちゃん』で構わないから、わたしも『ほむらちゃん』、んんーいや、『ほむちゃん』って呼ばせて貰っていい?」

 ここで中学生のカリスマ的存在として君臨する、我が妹のコミュニケーションスキルが遺憾なく発揮された。初対面の初絡みで、あだ名を決めてしまうとは…………僕には真似できそうもない。

「え、ええ……お好きにどうぞ。私は、月火さん、でも構わないかしら?」
「うん。いいよー」

 月火の馴れ馴れしいまでのノリに面食らった様子だけど、それでも、ほむらの表情を窺う限り、言う程不快そうでもない。まぁ表情を取り繕っている可能性も否めないし、ぎこちない受け答えではあるが。

「それで、ほむちゃんの相談って恋愛相談でいいんだよね?」
「ええ、間違いないわ」
「うん、おっけー! じゃあちょっと、お待ちあれ」

 そう言って月火は、前以て用意していたのであろう手帳とペンを取り出した。相談に乗るにあたって、ちゃんとメモをとる算段のようだ。
 ほう、中々殊勝な心がけではないか。妹に対しては基本捻くれた評価しかしない僕だが、これは素直に感心した。妹の如才なさに心中で賛辞を送る。

 と、気付けばなにやら早々にペンを走らせている。

 横合いから覗きこむと『ほむちゃん・中二・黒髪ロング』など、簡易情報を記しているようだ。

 更に――『顏・表情/95点A評価 ※美人さん、クールビューティー、表情変化が乏しいのがマイナス(要精査)、辛勝』なんて具合に、月火による採点と一口メモが……一応現時点での第一印象を月火なりに書き出している感じか。辛勝が何を意味するかは不明である。

 更に更に――『服・身だしなみ/83点B評価 ※服装は至ってシンプルで際立った点はなし、指輪が凄く綺麗(どこで買ったか訊こう!)』

 更に更に更に――『スタイル/72点C評価 ※すらりとしたモデル体型(だけど胸はない、勝った)』

 勝ったじゃねーよ!
 問答無用で妹の頭をはたいておいた。体勢を崩しベッドから落ちて突っ伏す月火。盛大に顔面を強打していた。

「痛ッ! ちょ! 何すんのよこの兄は!?」

 後頭部と鼻頭を押さえ、声を荒げる。
 非難めいた眼差しで睨んでくるが知ったことか。

「下らんことを書いてるからだろーが!」
「下らなくなんかないよ! お兄ちゃんには理解できないかもしんないけど、これはとっても大切なことなんだからね! 情報は武器でありしっかりと把握しておくのが大事なの!」

 僕が苦言を呈したのは、あくまでも私的な一口メモに対してなのだが(内容が内容だけに、特定しての指摘は憚られた)――僕の意図するところはちゃんと伝わらなかったようで、月火は自身の正当性を主張しだした。
 兄の心妹知らずとのこのことか(造語だよ)。

 高説ぶって持論を展開する月火に対し僕は言う。

「情報が大事なのは否定しないが、前提を履き違えていたら何の意味もねーだろ」
「は? どういう意味?」
「相談内容も訊かず、早計に判断すんなっつってんだ!」

 幾らほむらのスペックを推し量ったところで、今回その情報が役に立つ機会はないのだから。

「何よ偉そうにうるさいなー。じゃあ、ほむちゃん、教えてくれるかな? 情報はどんな些細なことであれ全部、知ってる事は余すことがないように伝えてね! 特に意中の相手の情報は念入りに――容姿、性格、交友関係、趣味嗜好、あーあと、苦手なモノとか弱みとかもあったら忘れずに、脅しをかける時に役立つかもしれないから」

「待てコラ! 脅しってなんだよ!」

 当たり前のように言うから、聞き逃しそうになったわ!

「やだなーお兄ちゃん。これはもしもの時の最終手段だよ? 備えあれば憂いなしっていうじゃない」

 自分の発言が、然も正論のように月火はのたまう。百パーセントの解決率を誇る、恋愛相談の裏を垣間見た。
 我が妹ながら、どういう感性してるんだ! 正義の味方を自称することさえも烏滸がましいわ!

「駄目だ、ほむら。やっぱこの馬鹿に頼るのは考え直そう。僕の人選ミスだ」
「いったい何が駄目なの? 毅然たる意気込みが感じられて、とても頼もしく思うわ」

 こっちにも同じ感性の奴が居た。そう言えば『如何なる手段を以ってしても――』とか何とか言ってたな……。

「テメェ等、自分のことじゃないからって、勝手なこと言ってんじゃねーぞ!」
「うん? お兄ちゃん、私のことはいいとして、ほむちゃんまで一緒くたに『自分のことじゃない』ってどういうこと? それっておかしんじゃない?」

 僕の言い分に違和感を覚えたようだが――

「だから、前提が違うってさっきから言ってんだろうが! 今回の恋愛相談は、別にほむら自身の相談って訳じゃなんだよ!」
「ん? どいこと?」
「ごめんなさい。言い出すのが遅れてしまったけど、月火さんに相談したいのは、彼が言う通り私の事じゃなく――想いを寄せる相手に告白できない知り合いに対し、私がどうアドバイスをしてあげたらいいかという話なの」
「ああ、前提が違うってそういうことね」

 ほむらの説明により、やっとのことで本題に入れた。

「はー、ふーん、そっか……じゃあ、ほむちゃんの恋路を応援しようってことじゃないんだね――」

 と、そこで月火は顎に人差し指を宛がい思索に耽り、改めて事実確認をする。
 そして、事も無げにさらっと言った。

「――でも、そういう話だったら、私、力になれないよ?」

「は? 力になれないってどういうことだよ?」

 月火の職務放棄発言に、少し語調を強め問い質す。

「少しニュアンスが違うかな、気乗りしないというか…………あ、そう、“前提”が違うの!」
「何を今更! 得意気にアドバイザーとしての実績を語ってたクセに、はっ、お前は所詮、口先だけか?」

「お兄ちゃんも人の話全然訊いてないじゃん。何が『内容も訊かず、早計に判断すんな』だよ。バッカじゃないのっ!」

 月火の暴言に加え、僕の発言を再現したのであろう完成度の低い声真似がかんに障って、腸が煮え繰り返る。
 それでも、月火の言い分に思うところがない訳でもないので、ぐっと言い返したい衝動を抑え込み、平静を装う。

 どーどー、落ち着くんだ僕。

「なら、お前の言う前提ってどういうことなんだ?」

「だーかーらー、幾ら私が相談に乗った相手の恋縁を確実に結ぶとはいっても――前提として、本人の意志ありきの話だからね、こういうのって。言い方が悪くなるけど、第三者による勝手な依頼は受け付けてないの。まぁその代わり、正当な依頼主からの要請には、全力で応えるよ」

 むむ、この妹のことだから、手当たり次第、片っ端から依頼を受け付けていると思っていたのに……ちゃんと月火なりの線引きは設けていたのか。

 至極真っ当な理由に、上手く言葉が出てこず返答に窮するしかない。

 と、そこでほむらが口を開いた。

「月火さん、あなたの言い分は尤もだと私も思う。でも……そこを曲げて協力をお願いできないかしら? 勝手な言い草だと自分でも承知しているけれど、私にも譲れない事情があるの」

「う~ん、そうだね。私が納得できる理由があれば、考えないでもないよ。何だか訳ありって感じだし」

 ほむらの重みのある言葉が届いたのか、月火は妥協案を提示する。
 ただ――

「そもそもお兄ちゃんの紹介って時点で“普通”じゃないんだよね――ねぇお兄ちゃん、改めて訊かせて貰うけど、ほむちゃんと“どういう関係”なの?」

「……………………」

 疑惑の視線が突き刺さり、僕が二の句を継げずにいると――月火が畳み掛けるように自身の推測を述べ立てる。

「まず同級生の妹ってのが怪しいよ。そんなの“友達の友達”以上に稀薄な関係な訳じゃない? なのにお兄ちゃん、ほむちゃんのこと名前で呼び捨てにしてたよ。多分、無意識だったんだとは思うけど、でも、それって言うなれば“習慣”なんだよね。それと、ここ数週間ずっと帰りが遅かったのって、二人の関係に起因してのことじゃないのかな? 結論として――私は、二人から強固な繋がりを感じずにはいられない、なーんて色々想像しちゃってるんだけど、どうなのかなお兄ちゃん?」

 再度月火は問い掛けを繰り返す。くそ……余計に事に勘付きやがった。

 阿良々木月火。
 ファイヤーシスターズの頭脳ブレーン――参謀担当。
 小賢しいまでに抜け目なく、したたかにして狡猾で、馬鹿な事を仕出かす妹ではあるけれど、決して馬鹿ではないのだ。

 ほぼ完全に看破されている。だけど……だからと言って僕とほむらの関係性を語るべきではないし、ほむらとしても自身の正体――魔法少女であることを開示したいとは思わないだろう。
 もうこれは……相談を諦め、有耶無耶にしてばっくれてしまうのが正解か?
 僕一人であれば、どうとでも言い訳できるし、兄の強権を発動して突っぱねることも容易い。

 なんて、対策を講じていたのだが――

「月火さんの推察通り、私の素性が同級生の妹だというのは嘘よ。ごめんなさい。でも悪意があって、あなたを騙そうとしていた訳ではないの」

「まぁそれはいいけんだけどね――で、結局のところ二人の関係は教えて貰えるのかな?」
「いえ、関係は話せない――というよりも、話さないのがお互いの為。その上で私が伝えられる事は全て伝える。月火さんが“納得できる理由”になるかは解からないけれど」

「んっと、つまり、お兄ちゃんとの関係は伏せた状態で、ほむちゃんが言うところの“譲れない事情”を話してくれるってことでいいのかな?」
「ええ、その通りよ」

「まぁそうだね。元から本題はそっちだし、二人の関係については目を瞑るよ」
「助かるわ――兎も角まずは、大まかな概要の説明から」

 ――僕が口を挟む暇もなく、当人の間で話しが纏まった。僕のいる意味が失われつつあるな。


 ともあれ、ほむらが語った話の大筋を纏めるとこんな感じになる。

 所謂三角関係のもつれが根幹にあって――構図としては、一人の男の子に二人の少女が思いを寄せている。実際にはもっと煩雑とした細々とした問題があるらしいが。

「それで、私はその内の一人に肩入れしてる訳だけど――」
「――もたもたしてる間に、もう一人の子に先を越されちゃいそうってことでいいのかな?」
「そういうことね」

 大の恋愛ドラマ好きの月火は「よくあるベタな話だねー」なんて三角関係という単語に反応し面白がって多少は興味を示したが、結局――
 
「うん、まぁ、差し迫った状況だと言えなくともないけど…………でもやっぱり、そういう話なら本人の意思を訊かないと、私は動けないかな」

 食い付きこそ良かったが、すぐに餌を離してしまった。
 月火を納得させるには至らない。

 が――しかし。

「いえ、ここで判断を下して貰っては困るわね。まだ話の核心部分には触れていない」

 話はまだ終わっていないらしく、真剣な様相でほむらは言葉を紡ぎ――

「突拍子もない発言なのは重々承知して言わせて貰う」

 ――力強い声音で彼女は言った。

「恋に破れた時、その少女は命を落とすことになる」





[27169] つきひトリック~その2~
Name: ミドリ◆02e976c9 ID:2270504e
Date: 2015/09/10 08:48
~054~

 想定外過ぎるほむらの言葉に……僕達兄妹は呆然と押し黙ることしかできなかった。
 いや、内容がショッキングであったことに対してもだけど…………それとは違うもう一つの理由で当惑せずにいられない。多分、月火も気付いているし、ほむらも“意図”しての発言なんじゃないかと思う。

「それって……自殺、とか?」

 探りの意味を込め、僕はほむらに尋ねてみる。
 痴情のもつれからくる死因としては、まぁ妥当な線ではなかろうか。

「自殺……と言えなくもないけど、持病による発作と言った方が近いかしらね」

 僕の質問に答えたことによって、疑念がより深まった。
 持病による発作というのが気になるが…………それはさて置き――

「なぁほむら。僕の早とちりだったなら、笑い飛ばしてくれて構わないし、かなり馬鹿げた憶測だと自分でも思うんだけれど………………」

 いや、ほんと、考え過ぎかもしれない。
 これでもし見当違いだったら死にたくなるな。

 それでも――僕は意を決し口を開く。

「……お前、さっきから半ば断定した言い方で、“未来の事象”について言及していないか?」

 僕の問い掛けに、ほむらは真顔で答える。

「答えは、イエス――よ」

 はぐらかすことも渋ることもなく、事実であると認めた。即答だ。

「こちらの都合で、敢えて“歪曲わいきょくした表現”を用いるけれど、私には、未来を視る力がある。言うなれば予知夢みたいなものね」

 淡々と彼女は語る。

 虚言だと断じることは容易いが――この少女に限ってそれはないだろう。
 戯れに冗談を言うような人間ではない事を、僕は知っている。

 それに何と言っても彼女は魔法少女。
 なんか感覚が麻痺している気もしないでもないが…………時間を止める能力に比べたら、未来予知なんて全然許容範囲。

 まぁこれは、ほむらの力を知っている僕の見解だ。でも僕の妹はそんなことは知る由もない訳で…………。

「…………ほむちゃん、それって本気で言ってる?」

 意外と現実主義な我が妹は、俄かには信じ難いといった面持ちで、目をきょとんとさせている。

「勿論。元より、この未来予知を前提に私は動いているのだから、さっきの話が信じられないと言うのであれば、もうこの話はお終いよ。月火さんに助力を願うのは、きっぱりと諦めるわ」

「………………むぅ」 

 月火が唸り声をあげる。
 ほむらの真剣な顔付きをみれば、とても冗談を言っているようには見えないだろう。
 だからといって、根が疑り深い月火にとって、簡単に信じれる話ではない。考えが中々纏まらない様子だ。

「ねぇお兄ちゃんは、ほむちゃんの話、信じるの?」

 静粛とした時が流れ、秒針が一周しようかというところで月火が僕に訊いてきた。

「ああ、信じる。僕、それなりにこいつのこと、信頼してるんだ」

 本人のいる前で、こういうことを言うのは少し気恥ずかしいというか、間違いなく一方通行の想いなのだろうけど。まぁ案の定、ほむらに目立った反応はないしね。
 

「ふ~ん、そっか………………」

 何にしても、月火は気のない曖昧な返事をするだけだった。
 僕の意見を訊いて、どう思ったかは定かではないが、かの有名な『考える人』のポーズで再び黙り込み、しばし思索に耽ると――

「うん」

 ――と、小さく頷いた。どうやら考えが纏まったようだ。
 おもてを上げほむらと視線を交錯させ――月火は言った。

「やっぱり、私は信じられないってのが正直なとこだね。ほむちゃんには悪いけど……私にとっては眉唾物の話だよ」

 熟考に熟考を重ねて出た答えがこれだった。



「そう。なら仕方ないわね」

 潔く諦めると宣言した通り、ほむらが食い下がることはなかった。

「時間をとらせてしまってごめんなさい」

 ――軽く頭を下げ、早々に部屋を出ようとほむらが立ち上がる。もう彼女が阿良々木家ここに留まる理由はなくなったのだ。

 月火だってちゃんと検討した上で出した答えなのだから、それについて僕がアレコレ言うのは筋違いだ。ほむらもこうなる可能性は十分に想定していただろうし、納得している。

 でも、このまま帰らせてしまうのも違うだろ。お節介だと言われようが、せめて僕だけでも力になってやらなくちゃ駄目だ! そう思い立って僕はほむらを引きとめようと――


「ほむちゃん、待って!」

 ――したのだが、それより先に月火が制止の声を上げ、ほむらを呼び止める。

「さっきのは“私の本心”を話しただけだよ」

 そして、よくわからない主張を始めた。

 ほむらも僕と同じ心境のようで、不可解な面持ちで月火を見やる。

「…………どういうことかしら?」

 月火の真意を計り兼ね、怪訝そうにほむら。

「どういうこともなにもないよ! 私、ほむちゃんのこと全然知らないもん。そんな相手の言う事を簡単に信じられる訳ないじゃない!」

 わざわざ呼び止めて、追い打ちを掛けるような発言をする。
 何を言い出しているんだ、この馬鹿は…………言動が本当に読めない奴だ。

「なら、これ以上話を続けてもむい――」
「だけど」

 ほむらの言葉を凄味のある声で遮って――月火は言い放つ。
 まだ主張の途中だったらしい。

「お兄ちゃんはほむちゃんの事を信じた。だったら今日会ったばかりで大してほむちゃんのこと知りもしない私の判断よりも、ここの所ずーっと一緒に行動していたであろうお兄ちゃんの判断を優先させる」
「…………え」

「もとより、私が信じようが信じまいが、人が死んじゃうなんて訊いて、見過ごせるはずがないんだよ」
「でも、それは…………私の未来予知を前提にした話で――」

「だから関係ないんだってそんなの。というか見て見ぬ振りでもしようものなら、絶対に火憐ちゃんに怒られるもん」

 まったく、この妹は…………自分の信念があるんだかないんだか。
 なんて出鱈目な理論で動いてやがるんだ。

 そもそも普段は僕の言うことなんて一つも訊きやしない癖に、何が僕の判断を優先させるだよ。都合のいいこと言ってんじゃねーよ。
 まぁこれはただの後付けの理由で、いいようにこじつけただけなのだろうけど。

 月火を突き動かしたのは、人が死ぬかもしれないという不穏当な事態。
 それが、月火の心に火をつけたのだ。

「“確証”がなくても“可能性”があるなら、正義の味方は行動を開始するんだよ」

 そう――これこそが、月火の行動理念。
 自分の為ではなく、彼女は一貫して他人の為に動く。それが文字通りの“人助け”であれば尚更である。

 まぁ人助けと言えば聞こえはいいが、これはただ単に、厄介ごとに首を突っ込みたがる性分というだけで、決して褒められた話ではない。

 詰る所、こいつは恋愛相談のアドバイザーとして、この話に食い付いた訳ではないのだ。

「…………それって、つまり?」

 今一つ事態を呑み込めていないほむらに向けて、月火は声高々に宣言した。

「ここで動かなきゃファイヤーシスターズの名折れだね!!」









~055~

「阿良々木暦。あなたに前以て忠告しておくけれど――取り乱さないで訊いて頂戴。それと当然、他言は無用よ」

 晴れて月火から助力が得られることになり、ほむらから事の次第が語られようかという前段階――本題に入る前の諸注意として、そんな前置きが挟まれた。

 どちらかというと、月火に対しの事情説明のはずなのに…………なぜ僕だけを名指しで? なんて疑問が湧き起こったが、その理由はすぐ知れることになった。

「どうせ後で明らかになるのだから、もう個人名は伏せないでおく――渦中の人物、私が仲立ちしようとしている少女の名前は、美樹さやかよ」

「なっ!?」

 予期せぬ人物の名前が挙がった事に、僕は驚きの声をあげた。
 恋煩う名も知らぬ少女の正体が美樹だったことにも驚きだが…………ほむらの“未来予知”で彼女は命を落とす事になっているのだから、その衝撃の度合いたるや筆舌に尽くし難いものがある。

 忠告もあって取り乱しこそはしなかったが――

「どうしたのお兄ちゃん? 知り合いの人?」
「ん……ああ……知ってる奴だ……」

 ――月火の問い掛けに、上の空の返答しかできなかったのは仕方ないことだろう。
 しかし、ここで僕が狼狽えていては、折角整った空気がまた悪くなってしまう恐れがあるので、どうにか表情を取り繕い、平常心を心掛ける。
 深刻になり過ぎるのもよろしくないしね。

 一先ずほむらの未来予知の話は置いておくとして――あの美樹が恋とは……いやはや意外に乙女チックなところがあるもんだ。
 巴さんとかまどかちゃんなら、恋する乙女のイメージもし易いんだけど――ん? いや、ちょっと待て。
 そういえば、まだもう一人の少女が誰なのか訊いてなかったが、

「なぁほむら。美樹のライバルにあたる子って……もしかして、まど――」
「違う」

 食い気味に否定された。
 早合点が過ぎたか……つーかコイツ、まどかちゃんのことになると、ほんと目の色が変わるな。

「そう睨むな。親友同士の三角関係なんて、いかにもなシチュエーションだったから、ひょっとしたらと思っただけだって」

「いえ、その考え事態は間違っていないわ」
「ん?」

「美樹さやかと鹿目まどかの共通の親友だから、親友同士の三角関係というのは間違っていないと言っているの。ただ、多分あなたと面識はないんじゃないかしら――美樹さやかのライバルにあたるその子の名前は志筑仁美」
「確かに初耳だ」

「そして、この二人から想いを寄せられている少年の名前が上条恭介」
「こっちの名前には憶えがあるな」

 僕の記憶が正しければ、美樹が魔法少女になる対価として、この少年の怪我を治してあげたんだっけか。

「ちょいお二人さん。ちゃんと私にも分かるように説明してくれないかな?」
 
 と、そこで月火が口を挟んできた。

「おお、悪い悪い」

 見知った名前が出たもんだから、つい放ったらかしにしてしまった。



 そんな訳で――月火の催促もあり、ほむらによる具体的な事情説明が開始された。

 流れとしてはほむらの説明で、気に掛かった点や腑に落ちないところがあれば、その都度月火が質問を繰り返し、認識の齟齬を埋めていくという感じで――どんな些細なことであっても、徹底的に情報を洗い出すというのが月火の方針なのか――僕からすれば何の役にたつんだってことまで詮索していた。不確定要素を排除することが何よりも大事だとか何とか。

 ほむらもでき得る限り、正確な情報を伝えようと努めていることは、傍から見ていてよく分かった。それでも伏せる所は伏せて魔法少女に関する情報を漏らしはしない。

 基本的に僕は口を挟まず、傍観者の立場として二人のやり取りを見守った。
 あくまでも相談に乗っているのは月火であるのだから、僕は口出ししない方がいいとの判断だ。

 そうして、月火による聞き取り調査が一時間を超えた辺りで、ようやく一段落ついたようだ。
 ただ訊いているってだけなのも、思いの外疲れるもんだな。


 さてさて、語り手の責務として、ほむらから得られた新たな情報を伝えておかなければなるまい。
 丁度上手い具合に月火が纏めたメモがあるので、それを参考にして(丸っこい字で読みにくいけど)――人物紹介がてら、僕の所感を交え語っていくとしよう。


 まずは――上条恭介。

 性格は実直で人当たりも良く、友達も多い。
 美樹とは幼稚園の頃からの幼馴染で、仲は極めていいようだ。ただ、それは友人としてであって、恋愛方面での進展は皆無――美樹の想いには全く気付いていない様子。

 またヴァイオリニストとして将来を有望視されていたが、中学二年になったばかりの春先頃、不幸にも交通事故に遭い大怪我を負ってしまう。
 彼にとって致命的だったのは、ヴァイオリニストにとっての生命線である、左腕が動かなくなってしまったことだ。主治医からも、現在の医学では回復の見込みはないと宣告され、自暴自棄に陥る程、心が荒んでいたらしい。

 それを目の当たりにした美樹が、彼の腕を治すことを願いとして魔法少女になったのだけど、無論、腕が治った奇跡が美樹お陰だという事は、本人は知る由もない(念の為補足しておくが、月火への説明も原因不明の奇跡で通してある)。

 まぁその甲斐あって、つい先日無事に退院することができたようだ。そして明日――月曜から学校にも復帰するとのこと。




 続いて――志筑仁美。

 美樹とまどかちゃんの親友にして、美樹の恋敵にあたる。

 社長令嬢の所謂お嬢様。習い事を複数個掛けもちし、その全てに於いて人並み以上の才能を発揮しているほどハイスペック(確認できたのは、ピアノ、日本舞踊、茶道、書道、生け花、合気道など)。

 気品もあって性格は穏やか、お金持ちであることも鼻にかけず、淑女然とした雰囲気を身に纏っており、学校ではクラス委員を務め、成績もトップレベル。

 容姿にも秀でており、かなりの数のラブレターを貰っているらしいが、誰にもなびくことはなく、全て丁重にお断りをいれている。
 彼女が男子からの告白を断った理由は、上条恭介に対し密かな恋心を抱いていたからで――ほむらの未来予知によると、退院した上条恭介が登校してきたことを契機に、告白を決意するようだ(流石にどういう心の葛藤があったかは判然としていない)。

 ただ親友である美樹の恋心を知っていた彼女は、抜け駆けして告白することを卑怯なことだと思ったようで、放課後に美樹を呼び出し、自分の正直な気持ち――上条恭介への想いを語り、幼馴染として、ずっと彼のことを想ってきた美樹の心情を顧慮して、丸一日だけ告白するのを待つという旨の宣戦布告を行う。

 要は先に告白する権利を与えられた訳だが……美樹は愛情と友情のジレンマに陥り、告白は出来ずに終わる。その後の結果は推して知るべし、もう敢えて言及する必要もないだろう。


 とまぁ、大筋の流れとしてはこんなところだ。
 あとはこの情報を元に、話を詰めていくことになるのだけど…………。

「お兄ちゃん。参考までに訊きたいんだけど――もしお兄ちゃんが上条くんの立場だったらと仮定して、この二人から同時に告白されたら、どっちを選ぶ?」

 月火がそんな質問を投げかけてきた。
 会話のやりとりは、よくキャッチボールに例えられるけど、できることなら、そのまま見送りたい類のボールだな。

「え……いや……どっちだろうな……」

 口では悩んだ素振りを演じてみるけれど…………美樹と志筑さんを比べてみれば…………誠に遺憾ながら、美樹が勝っている要素が見当たらない! なんだこの完璧超人って思わずツッコミを入れたくなるほど志筑さんのスペックは高い。だが一応、美樹には幼馴染という補正があるし…………うん、そうだ!

「ビアンカとフローラなら、僕はビアンカを選ぶ男だぜ!」
「そんなことは訊いていない。まぁ普通なら志筑さんを選ぶんだろうね」

 僕の意見など端っから参考にしていなかったようで――勝敗は既に月火の中で固まっていたようだ。

「となれば、やっぱり――志筑さんより先に美樹さんが告白するしかない訳だけど、ねぇほむちゃん。美樹さんがちゃんと告白したとして、上条くんはその告白を受け入れると思う?」
「さぁ……そればっかりは何とも言えないわね」

「未来予知を使っても分からない?」
「ごめんなさい。そこまで万能な力ではないの」

 未来予知とは言っても、何でもかんでも予測できるってことでもないらしく――感覚としては、予知夢に近いと言っていたから、好き勝手に自分が知りたいことを知れる能力ではないのだろう。


「そっか。まぁ私の見立てじゃ、告白さえできれば、多分大丈夫だとは思うんだけどね」

 何か根拠があるのか、月火の中では成功する見通しが立っているようだ。でも――

「そうなのか? 酷な話、僕からしたらかなり分が悪いって気がするけどな。正直、志筑さんと比べられたらきついだろ?」

「そりゃ志筑さんと比べると見劣りするかもだけど、先に告白さえしちゃえば、志筑さんのことは関係ないじゃない」

 ああ、そりゃそうだ。同時に告白でもされなきゃ、比較対象として上がらないのか。

「だとしても、それで上条くんが美樹の告白を受け入れるってことにはならないんじゃないのか?」

「まぁそうなんだけど。今まで数々の相談に乗ってきた経験則からくる、私の持論を言わせて貰えば――」

 と、僕の指摘を認めた上で月火は語り出す。

「こういうのって一定の基準それさえ上回っていれば、特定の相手じゃなくたって付きあうという選択肢が出くるものなのなんだよね――ほとんどの子が、付きあってみたいな~って思う相手が二人や三人ぐらいはいて、何となくだけど自分の中で順位づけなんかしてたりするもんだよ。で、仮に順位付けした内の二番目に好きな相手から告白された場合、その子がどんな選択をするのかっていうと、一番好きな人がいるからって理由で、告白を断る子は案外少ない。妥協して『まぁいっか』って見切りをつける子の方が圧倒的に多いんだよね。極論を言えば、好みのストライクゾーンに入ってさえいれば取り敢えずオッケーしちゃう、みたいな」

 ここで一度言葉を切って、異論があれば受け付けるという感じで僕とほむらの反応を窺う月火。
 が、僕もほむらも恋愛話に疎い人間なので、反論する材料など持ち合わせていない。
 経験則からくる統計であるのだから、説得力はそれなりにあった。

「当然、志筑さんみたいな一途なタイプもいる訳だけど、そういう意志の強い子っていうのは、余程自分に自信がある子であって、なかなかお目に掛かかることはないよ。そんな逸材は極めて稀だね。まぁそう言ってる、私自身も極めて稀な部類に属しているんだけどね。それらを踏まえた上で私が何を言いたいのかというとね」

 中々に鬱陶しい自画自賛を挟んで、ようやくこの話に於ける結論が語られるようとしていた。
 僕とほむらは、意識を傾注させる。

 そして、至極端的に言った。いや、ほんともっと他に言葉はなかったのかというぐらい、簡潔に言い切った。

「上条くんはちょろい!」

 一度たりとも会ったことがない人物に対し、失礼極まりない総評を下す月火ちゃんなのだった。





[27169] つきひトリック~その3~
Name: ミドリ◆02e976c9 ID:2270504e
Date: 2014/02/10 10:12
~056~

 テレビだけの情報で、芸能人の性格や人物像を得意気に語るような傲慢さを感じるけれど――しかし、ここは黙って月火の言い分を訊くとしよう。
 兄妹ならではのアイコンタクトで先を促す。

「ほむちゃんの未来予知によると、上条くんは志筑さんの告白を受け入れる訳でしょ。でも、別に二人っきりで出かけたって事もなかったようだし、志筑さんが取り立てて好きだというアピールをしたってことはないはずだよ。だったら二人の間に言う程親交はないと予測できる。なのに上条くんは告白を受け入れた。まぁ志筑さんは文句のつけようもない才色兼備のお嬢様だって言うし、断る理由はないだろうけど、上条くんが、ずっと志筑さんの事を好きだったとはとても思えない――故に、これと決めた特定の相手としてではなく、偶々、好意を寄せてきてくれ子が、自分の中の基準点を上回っていたから、告白をオッケーしたって感じじゃないのかと私は愚考するね」

 理論立てて饒舌に自身の見解を語る。
 言いたいことは何となくわかったような気がするが…………所々、月火の中では当たり前のことと処理されていて、説明不足に感じる部分があった。

「えっとさ。志筑さんが上条くんに対して、何にもアピールしてないって思うのは、何を根拠にしてだ?」

「ん? だって、志筑さんに打ち明けられるまで、美樹さんは彼女の気持ちを知らなかったんだよ。だったらずっと志筑さんは、自分の気持ちをひた隠しにしていたとみるのが普通じゃない? まぁ自然と視線が吸い寄せられて見つめたり、偶然を装って話しかけたりするぐらいのアピールをしていた可能性は否定しないけど、露骨な好き好きオーラは発していないはず」

「おー、なるほど。そういうことか」

 それが当たり前の情報として組み込まれているんだから、恋愛上級者様にはついてけねーな……。

「お前の言ってることに、異論はないんだけど…………なぁ月火ちゃんよ。流石にちょろいって評価は酷過ぎないか? 誰だって志筑さんクラスの人間から告白されたら、受けいれちまいそうなもんだぜ」

 余りにも上条君の立つ瀬がないので、男子代表として物申してみる。
 いや、別に、上条君と僕自身の境遇を重ねあわせた訳じゃないよ。全く接点のなかった戦場ヶ原の告白を受け入れたのは、ちゃんと僕の中では明確な理由があるのだから、これは上条君の名誉を守る為に言っていることなのだ!!

「うん? 別に表現は何だっていいんだけどね」

 ただ、当の月火は何となく言葉をセレクトしただけのようで、特に悪意はなかったらしい。しかし、無意識に暴言を吐いているようなものだから、それはそれで問題あるような気もするけれど。

「まぁちょろいは言い過ぎにしても、一途に相手を想っているような頑なな人より、何倍も落としやすいのは確かだよね――ある程度好意を抱いている人からの告白は、断らないってことの証明なんだからさ。付け入る隙は幾らでもある」

 と、更に月火の持論が展開される。のべつ幕無しによく舌が回る奴だ。

「それらを踏まえて美樹さんのスペックを見直してみれば――ちゃんと一定の基準は満たしてると思うよ。お兄ちゃんとほむちゃんから見ても、十分可愛い顔立ちをしてるって話だし、連日お見舞いに行って、それが自然に受け入れられるってのは、相当心を許している間柄じゃないと無理な事だと私は思うんだよね。上条くんにとっては、まだ幼馴染の親友としてしか映っていないのかもしれないけれど、ちゃんと異性ということを意識付ければ、コロッといっちゃうんじゃないのかな?」

 ふむ。今の美樹の立ち位置は言わば『友達以上、恋人未満』――あと一押しすれば、恋人関係に発展するってことは大いに有り得るか。

 というか、こう改めて訊くと、美樹の好意の示し方は露骨でさえあるな。お見舞いにほぼ毎日通うなんて、どこまで甲斐甲斐しいんだよ! それを平然と受け流している、上条君が如何に鈍感なのかって話だ。

 こんな好意を抱いてくれる相手がいて羨ましい限りである。
 多分、僕が入院したとしても、彼女である戦場ヶ原は見舞いに来ないんじゃないだろうか……まぁ、吸血鬼体質故に、入院するなんてことはそうそうないんだろうけどさ。

 何にしても、月火の予測がただの勘ではなく、それなりに根拠があるものなんだと理解できた。


「そうね。月火さんの言う通り、告白さえできればきっと上手くいく…………けれど、それが一番の問題点だと私は考えているわ。美樹さやかの意気地のなさは致命的」

 ただ、ほむらが一番危惧しているのは、美樹のメンタル面のようで、相当に評価が低いことが窺える……僕の印象では男勝りなぐらい勝ち気で、それなりに度胸もある奴だと思うんだけど…………そうは言っても恋愛となるとまた別の話になってくるのだろうか。

「どう発破を掛けても、言い訳を並べ立てるのが目に見えている」

 何とも辛辣な物言いで、ほむらは続けた。

「うん、だからほむちゃんの言った通り、まず大前提として、その美樹さんをどう説得するか――どう決心させるかって話になってくるんだけど、志筑さんのとった方法はあながち間違っていないと思うんだよね。期限を設けて後をなくし、自分が動き出さなきゃジリ貧になる状況をつくり出す。相手を焚き付ける手法としては上策なんじゃないのかな?」

「それって、このまま黙って志筑仁美に宣戦布告をさせるということ? それは駄目よ、絶対に! 親友を傷付けたくないという尤もらしい言い訳を盾にして尻込みする。彼女は筋金入りのヘタレなのよ!」

「ふっふふーん、そうじゃないってばー。ほむちゃんの懸念は重々承知してるから心配しないで頂戴な」

 ほむらがもの凄い剣幕で異議を唱えるも、対する月火は涼しい顔で、寧ろその言葉を待ってましたと言わんばかりにニヤリと笑う。
 どうやらほむらの反論は、想定の範囲内――織り込み済みだったようだ。

 しかし……筋金入りのヘタレという表現は、もっとどうにかならなかったのだろうか…………美樹が不憫で仕方がない。

 兎にも角にも――

「志筑さんが動き出すのは明日の放課後。残された時間は限られている。悠長に美樹さんを説得している時間はないし、そもそも普通に説得しても埒が明かない。だったら、リスクは多少高くとも、強引な方策を取らざるを得ない。以上の点を踏まえ、私が導き出した解決手段は――」

 月火が要点を羅列していき、纏めに入る。

「――志筑さんが動き出す前に“他の誰か”が先手を打って、美樹さんに宣戦布告をする! けしかけるという意味では、これ以上効果的なプレッシャーの与え方はないからね。これっきゃない! 相手が志筑さんでないのなら、親友云々の言い訳を使うことができなくなるし、美樹さんを焚き付けるには、これぐらいの荒療治は必要だよ」

 自信満々に月火が提言するも、ほむらの反応は芳しくなかった。

 月火の提案した作戦は、時間がない故の、窮余の一策であることを差し引いても、とても正攻法とは言えない。相当に危ない橋を渡ることになる。
 でも、ある程度のリスクはほむらも承知しているだろうから、この場合――ほむらが渋い顔をしている理由は別にある。

 僕にとっては対岸の火事なので、ここは黙って静観するとしよう。
 敢えて、火中の栗を拾う必要はないのだ。

「…………月火さん。その“他の誰か”って、具体的にいうと?」

 顔を引き攣らせほむらが恐る恐る尋ねると、月火は意味ありげに微笑した。
 それで、月火を言わんとすることを察したのだろう。ほむらの血の気が一気に引いていく。

「でも…………それは難しいと言わざるを得ないわ。私、上条恭介と面識は皆無よ」

 と、月火の作戦の欠陥を指摘する。
 まさか自分が表舞台に上げられるとは、微塵も考えていなかったのだろう。平静を装っているが、なんか必死そうだ。

「ん? 同じ中学に通う同級生でクラスも一緒なんでしょ? 別に話したことがなくたって、ずっと影から見てました、でいいんじゃない?」

「……その、私、今月の上旬に転校生してきたばっかりで……」
「また中途半端な時期だね」

「身体が弱くて、それまでずっと病院で入院していたものだから」
「そうなの? なんでそんな大事な事、先に言っといてくれないかなー」

「ごめんなさい、折角月火さんが考えてくれた案を台無しにして……」

 根底が崩れた事への謝罪をするも、ほむらの表情はどこかホッとしているように見える。

 が、しかし――

「違う違う。寧ろ好都合だって私は言ってるんだよ」

「え?」

 その安堵の表情は数秒と続かなかった。

「だって上条くんも入院してたって話だし、ほむちゃんと上条くんには、病院という共通項があるってことだよ。この接点を使わない手はないね! 病院という特殊な空間での出会いだなんて、如何にもらしいし説得力は増す。学校じゃないんだから、美樹さんに疑われず、それっぽい理由をでっち上げることも比較的、簡単になる!」

 墓穴を掘るとは、正にこの事。完全に利点として、月火の作戦に組み込まれてしまっていた。

「まぁほむちゃんがどこの病院に入院していたとか、美樹さんが知っていたら無理な話だけど」

「…………それは知らないはずよ」

 ここで嘘を吐けば、回避できたのに…………それでは誠意に欠けると判断したのか、渋々ながらも正直に答えるほむらだった。

「……けど、ほんとに私が?」
「まぁ、無理にとは言わないよ。半端な気持ちでやっても失敗する可能性が高くなるだけだろうから」

 覚悟を推し量る月火の言葉を受け、ほむらは逡巡する。
 心中で様々な葛藤が行われているであろうことは、想像に難くない。

「………………」

 目を閉じ俯いて。懊悩し思いを巡らせる。

 そして、瞑っていた目を開けると、しっかりと月火を見据え――ほむらは重い口を開いた。

「いえ……そうね、これは私が頼んだこと。如何なる手段も選ばないと言ったのも私自身――なら、それは当然、私にも適応されるべき――」

 決意の表情でほむらは言った。

「――私に出来ることは、何だってするわ」





[27169] ほむらコネクト~その3~
Name: ミドリ◆02e976c9 ID:ea6cad15
Date: 2014/10/24 20:48
~057~

「え? 放課後? あーうん、別に構わないけど」

 作戦の第一段階は、思いのほか簡単にクリアされた。
 とは言っても放課後に話したい事があるという名目で、登校中の美樹さやかに声を掛け、約束を取り付けただけに過ぎない。

 登校中ということもあり、彼女の傍にはまどかと志筑仁美の姿もあった。
 いや、タイミングを見計らって三人が合流し、仲良く談笑しながら学校へ向かおうとしているところへ、故意に割り込んだのだから確信的にこの状況を作り出したといえようか。

 これなら放課後一緒に行動することが多い彼女達への事情説明も省くことができるし、先約として約束したのを見せることによって志筑仁美への牽制にもなる。

 しかしながら、美樹さやかが難色を示した場合のことも想定して、色々と説得する言葉を用意していただけに、少し肩透かしをくらった気分だ。

 『お菓子の魔女』との一件を契機として、確執めいたものは解消されており、少なからず情報交換をする間柄になっていたことが功を奏したのだろうか。
 信用されているとまでは言わないが、警戒はされていないと言ったところ。
 繰り返してきた他の時間軸では、基本的に対立関係になっていたからこそ、この状況にどうも違和感を覚えてしまう…………。

 ただ反応からして、魔法少女関連の話があると判断しているようだけど。
 まぁまだ本当の要件を伝えるべきではないのだから、寧ろ好都合と言えた。

 ともあれ、私と美樹さやかの関係を探ろうと、興味津々な眼差しを向けてくる志筑仁美から逃れるべく、逃げるように早足で学校へと向かう――と見せ掛けて、適度に距離を離したのち、木陰に隠れて待ち伏せし、彼女達の後をつける。

 別にこれはまどかの尾行目的というわけではなく、美樹さやかの反応を確認する為。

「あれ、上条くんじゃない?」
「あら、ほんとうですわ。上条くん、退院なさってたんですのね」

 
 松葉杖をついて登校途中の上条恭介の姿を発見したようで、まどかが指差しながら美樹さやかの裾を掴み、志筑仁美は驚嘆の声を上げている。

「え、あ……うん、そ、そだね」

 美樹さやかの様子を見る限り、彼が登校してくるとは知らなかったらしい。
 退院したこともお見舞いに行った病院で、看護師の人から知らされたというし…………他人ごとながら居た堪れない気持ちになってくる。

「ねぇさやかちゃん、折角だし、声掛けてきたらどうかな? 上条くん、きっと喜ぶよ!」
「え、いいってば……ほら、恭介、男友達に囲まれて、楽しそうだし……」

 彼女の言う通り、上条恭介の周りには、クラスメイトの男子生徒達の姿があった。それを彼女はただ遠巻きに眺めることしかできないでいる。

 その構図は学校が始まってからも同様で――久しぶりに登校してきた上条恭介の周りには、休み時間や昼食時ともなるとずっと人だかりができていた……そして相も変わらず、依然として美樹さやかは彼に近寄ろうともしない。

 表面上は平静を装って、明るく振る舞っているようだけれど――陰ながら観察するかぎり、そわそわして落ち着きがないのは、傍目から見てもよく分かる。
 話かけようとする素振りはあれど、踏ん切りがつかないようで、ずっと彼の姿を目で追うだけ。

 あれだけ連日お見舞いに行っていたくせに、何を今更恥ずかしがることがあると思わずにはいられないけれど、それが乙女心というものなのだろうか。
 それとも退院したことや学校に復帰してくることを、事前に教えて貰えなかったことが響いているのか……。

 
 今朝方言葉を交わした限りでは精神状態も良好で、案外へたに介入しなくとも、このまま上手くいくのではないかという気持ちも湧いてきていたが…………そんな考えは打ち消した。

 こんな有り様では、志筑仁美の押しに負けるのも尤もだ。

 美樹さやかの心は、繊細で――酷く脆い。
 何もせずこのままいけば、他の時間軸と同様に上条恭介と志筑仁美が付きあうことになるだろう。そうなってしまえば、いとも容易く彼女は魔女へと堕ちる。全てが終わる。

 何としても、最悪の結末を回避しなければならない。

 作戦に変更はなし――決行だ。

 これが彼女の運命を左右する、大きなポイントになるのは間違いない。


 そして――運命の時が訪れる。









~058~

「ねぇほむら。結局、話しってなんのよ。ま、あたしとアンタの間で話っていうのなら、大方、魔法少女関連についての事なんでしょうけどさ」
「別に魔法少女に関したことなんて、私は言っていないわよ」

「え、そうなの? ……確かに話があるとしか、アンタ言ってなかったわね…………にしても、わざわざ“こんな所”にまで来る必要あったわけ? 喫茶店とか、他の場所でよかったんじゃない?」

 美樹さやかの言う“こんな所”とは、見滝原病院の屋上だった。
 夕焼けに染まる見滝原の街並みが一望でき、この場所が病院ではなく観光スポットの類であれば、多くの人で賑わっていた事だろう。
 とは言っても、普段は関係者以外立ち入り禁止となっており一般開放されていないので、他に人の姿はなかった。

「あなたを此処に呼んだ理由は、この病院に関係しているからこそよ」

 邪魔が入らず、人が立ち寄らない場所ということで屋上を選びはしたが、より大事なのは、見滝原病院という空間だった。

「病院が関係してるって……あ、もしかしてあの人形の姿をした魔女の使い魔がまだ潜伏してたとか? って、そういった類の話じゃないんだっけ…………えっと、ほんとよくわかんないんだけど……?」

 それもそうだろう。世間話なんてする間柄でもない。
 魔法少女関連の話以外、何も思い当たらないようで、美樹さやかは困惑した表情を見せる。

「話というのは、上条君のこと」
「え、えっと…………上条って…………もしかしなくても……恭介のこと?」

 私の口から上条恭介の名前が上がったことで、更に困惑の度合いが深まっていた。
 そんな彼女に対し、私は本題を切り出すべく、覚悟を決める。
 全てはまどかの為…………そう何度も自分に言い聞かせ、一呼吸おいてから――私は口を開く。
 演技とはいえ、かなりの抵抗のある言葉だ。

「突拍子もない発言に聞えるでしょうけれど…………私、上条君のことが…………す、好きなの」
「ふぇ?」

 素っ頓狂な声をあげ、面食らった表情で呆然とする美樹さやか。
 慣れない演技で舌が回らずどもってしまい、怪しまれるかとも危惧したが――

「へ、へー……アンタ、恭介の事が好きなんだ…………そ、そりゃ驚きだわ」

 動揺を悟られまいとするのに必死で、私のことを気にかける余裕はないようだ。
 ただ、そんな状態の彼女でも、

「って、ほむら。アンタ転校生だし時期的に考えて、恭介と顔を合せたのって今日が初めてなんじゃないの? それってつまり、一目惚れしたってこと?」

 当然の疑問というか、不可解な点に気付くのに然程時間は要さなかった。
 ただそれについては想定済み。答えは既に用意してあるのだから、慌てる必要はない。

「一目惚れとは少し違うし、上条君と会ったのは、今日が初めてではないわ。私は彼とこの病院で出会っている。そう彼が交通事故で入院して、数日たったある日のことよ」

「病院でって……あ…………そういや、なんかの病気で入院してたんだっけ…………もしかして、この病院だったの?」
「そうよ」

 本当は別の病院だったけど、何食わぬ顔で私は首肯した。

「私が患っていたのは心臓の病気――覚えたくもないほどに長ったらしい名前の難病で、決まった時間に検診や点滴を受けるだけ。ベッドの中で過ごすことしかできない毎日に嫌気がさして、私は自暴自棄に陥り塞ぎ込んでいたわ。そんな精神的に摩耗し切っていた私に、声を掛けてくれたのが上条君だった」

「……恭介が」

「ええ、それこそ魔女のくちづけを受けた人間のように、余程生気がなかったんでしょうね。見るに見かねた彼が、優しく気遣ってくれたの」

「へー、意外とやるもんだねアイツも……」

「実を言うと接点は初めて声を掛けて貰ったこの時だけ。でも彼の姿はそれからも、リハビリ室でよく見かけたわ。必死に怪我を克服しようとするその直向きな姿を見て、私は生きる気力を取り戻した。自分も頑張ろうと、そう思えた。思うことができた」

 どの口が言っているのか。
 自分でも呆れるくらい適当なことを言ってると思う。
 心臓の病気だったのは本当だけど、他は全部捏造でありでっち上げだ。
 
 嘘を重ねるあまり多弁が過ぎた気はしたが――それでも、それなりに真実味はあったようで、私と上条恭介との出会いの経緯を、美樹さやかは真剣に聞き入っていた。

 そして、ポツリと言葉を溢す。

「…………それで、恭介の事が好きになったんだね」

 反応を見る限り、疑われてはいない様子。信じていると判断して、私は更に続ける。

「ええ、だから、これは一方的に私が彼に惹かれているということであって、上条君はきっと私のことは覚えていない、いえ、今日軽く顏を合せた時の様子から察するに、残念だけど私のことは記憶にないようだったわ。だけど……だからこそ、私の気持ちを彼に伝えようと思っている」

 しっかりと『上条恭介が暁美ほむらわたしのことを覚えていない』旨を告げておく。これは後々矛盾を生じさせない為であり、作り話が露見するのを防ぐ為の大切なプロセス。

 その上で――続けざまに核心に迫ったのは、あれこれ詮索される前に話を切り替え、ぼろを出さないようにするという目的があった。
 
 攻撃は最大の防御――それは人と話す時に於いても言える事。話の主導権を手放してはいけない。
 これ等は全て月火さんのアドバイスで、彼女は人心掌握術の一種だと得意気に語っていた。

「……そ、それって、告白するってこと!?」
「ええ、そうよ」
「はー……そっか、そうなんだ。はは、ははははは……アイツも罪作りな男だねぇ」

 効果の程は覿面だったようで、もう目に見えていっぱいいっぱい。引き攣った表情で乾いた笑いをあげている。動揺が全く隠しきれていない。

「で、でもさー、そんな事をアタシに話されても、困るっていうか……ほむらの意図が読み取れないなぁ、なんて」

 声を上擦らせ彼女は言う。

「本当に?」
「ほ、本当にってなにさ」
「あなたも、上条君のことが好きなんでしょう?」

 ここぞとばかりに、私は切りこんだ。

「え……なに言ってんのさ。別に私はアイツのことなんて……」
「あまり惚けないで欲しいわね」

「惚けるも何も……」
「隠しても無駄よ。というより、あれで隠しているつもりだったら驚きだわ。あなたが足繁く上条君のお見舞いに行っていたことも、彼の為に魔法少女になったのも知っているし、そもそも好きでもない相手の為に、たった一度の奇跡を使うなんてありえない。彼が好きだから、彼の為に魔法少女になった、違う?」

「……それは、幼馴染のよしみというか……ただ恭介のヴァイオリンを聴きたかっただけというか……そういった気持ちで魔法少女になったわけじゃ」
「ないと言い切れる?」

「……………………」
「まぁそれならそれで構わない。あなたが彼に好意を――恋心を抱いていないというのなら、私は気兼ねなく上条君に告白できる」


 どうにかして美樹さやかの本心を暴かなければ、話が進まない。
 少し強引で、きつい口調になっているが、それは彼女の心を煽る為にやむを得ないこと。
 畳み掛けるように私は言葉を紡ぐ。

「私もこうして打ち明けたのだから、女同士で腹を割って話しましょうよ。美樹さやか、もう一度だけ訊くわ――あなたは上条君のことが好き?」
「………………だと思う」

「何? 聞えないわ」
「……好きだと思う」

「なら、あなたは上条君と恋人同士になりたい?」
「……そりゃなれたらいいなぁと、考えた事もなくはないけど……」

「煮え切らない言い回しね」
「だって……ほんと、自分でもわかんないんだよ!」

「そういうものなのかしらね。まぁこれであなたの気持ちはよくわかったわ。いえ、元々知っていたことだから言質をとったといった方がいいのかしらね」
「さっきからアンタねぇ、いったい何が言いたいのさ」

 本心を曝け出したことで幾分気が落ち着いたのか、訝しげな視線を向けてくる。
 さて、ここが正念場。

 何としても上手く乗り切らなければ。

「何が言いたいのかと言えば、そうね。率直に言うと、今この場で、上条君に告白するか決めてほしい。もしあなたが告白しないというなら、先に私が告白させて貰うことになるわよ」
「は!? え? それってアタシが恭介に告白するってこと!?」

「他に誰がいるのよ」
「待って待って! ちょっと待って! なんで!? いきなり過ぎてアンタの言ってることがわかんないっ!?」

 私の言葉に、またも面食らう彼女。面白いくらいに取り乱している。

「別に難しい話をしているつもりはないのだけど。つまり、私が先に告白することを許容するのか、それともあなたが先に告白するのかってことよ。わかる?」
「それはわかってるってばっ! じゃなくて、そんな勝手なこと言われても困るというか、アンタの言ってることめちゃくちゃだって!?」

「そうかもしれない。でも、美樹さやか。あなたは“勝手”と言うけれど、寧ろこれはあなたに対する、最大限の譲歩だってことは知っておきなさい」
「何よ。最大限の譲歩って……」

「察しが悪いわね。あなたに何も告げず、私が上条君に告白することも可能だったってことよ。もしかしたら、知らない内に失恋していたかもしれないということがわからない?」

 これも演出の一環。彼女の危機感を煽るのが目的。 

「…………なら……なんでそうしなかったのよ。アンタに譲歩される覚えなんて、アタシにはないんだけど」

「なんでと言われれば、それは、私があなたには感謝しているからよ」

「……感謝?」
「ええ。あなたのお陰で上条君は救われた。彼の生きる意味を取り戻してくれた。あなたの尊い願いを知っているからこそ、私はあなたに敬意を抱いている。そんなあなたを差し置いて、抜け駆けはしたくなった。それだけよ」

 志筑仁美のように親友云々の理由は当然使えないので、これが一番尤もらしい理由のはず。

「…………ほむら」

 だけど、些か理由付けが重すぎたようで、美樹さやかが変に感じ入ってしまったのは失敗だった。
 私に対する印象が良くなっても何の意味はないのに!

 私の役目は、彼女を徹底的に焚き付けること。

「それで、美樹さやか。あなたの答えをさっさと訊かせて貰えるかしら?」

 ことさら辛辣に私は言う。
 嫌われるくらいで丁度いい。

「…………答えって…………告白とかそんなこと、全然考えたこともなかったし…………もっとじっくり考えさせてよ」

「じっくり……ね。それって具体的にはどれくらいの時間を指して言っているの?」

「……一週間…………とか?」

 覚悟の程は全くもって足りていないようだ。
 こんな調子ではきっと、一週間待ったとしても同じような事を言うに決まっている。

 明日には志筑仁美も動き出すだろうし、悠長なことは言っていられない。
 できることなら自発的に告白するよう仕向けたかったが――


「少し、失礼するわ」

 そう断りを入れ――私は携帯を取り出し、事前に作成しておいたメールを送信する。
 宛先は阿良々木暦。それで阿良々木兄妹が行動を開始してくれる手筈になっていた。

「さて、美樹さやか。あと数分もすれば、ここに上条君がやってくるわよ」

 賽は投げられた。もう後戻りはできない。

「え!? それってどういうこと!?」

「言葉通りの意味よ。ちょっと知り合いに連絡して、上条くんの案内を頼んだだけ」

 私は端的に事実を伝える。

「……それ、マジで言ってるの?」

 放心にも近い愕然した面持ち。
 震えた声が、彼女の心境を雄弁に物語っていた。

「勿論。これであなたに残された時間は残り僅かよ。いい加減、覚悟を決めなさい」






[27169] さやかスイッチ~その2~
Name: ミドリ◆02e976c9 ID:ea6cad15
Date: 2014/10/24 20:48
~059~

 僕達、阿良々木兄妹に課せられた役割は、上条君をほむら達の居る見滝原病院の屋上まで連れて行くこと。
 いや、僕達とは言ってみたものの、基本的に妹任せで僕は殆ど役にたっていなかったりする。

 というのも、僕が上条君と接触するのを避けたかったというのが一つの要因としてあって、僕の存在が上条君経由で美樹に伝わりでもしたら裏工作が露見し、面倒な事になりかねない。また高校生である僕が中学生である上条君に声をかけると、余計な警戒心を抱かせてしまうかもしれない。
 罷り間違って通報でもされたら、事案が発生してしまう!

 そういった事情を加味して、彼と接触する主要な役目は、月火に任せることになっていた。
 口が達者で初対面の人間に対しても、物怖じしない月火なら説得役としても適任だろう。

 勿論、ファイヤーシスターズであることや、阿良々木姓であることも隠して。
 美樹は僕の妹達がファイヤーシスターズであることを知っているから、それもバレちゃまずいのだ。
 また、念には念をということで、ほむらから借りた制服なんかで変装して、見滝原中学の在校生と偽っての行動である。

 とまれかくあれ、その任務はどうにか完遂することができた。

 色々想定外の事態が発生したが(それについては追々語るとして)――妹の手引きで、もう既に上条君を病院敷地内まで連れてくることに成功している。

 そして僕は一足早く、くだんの屋上にやってきていた。
 美樹に気付かれる訳にはいかないので、エレベーターを使用する正規のルートではなく、非常階段から屋上へと向かい――塔屋ペントハウスに設置された給水タンクの陰に隠れ、事の成り行きを覗き見る。

 少し距離はあるが、吸血鬼アイ&吸血鬼イヤーでウォッチングは容易。かなり趣味の悪い行為ではあるが、ほむらからの命令でちゃんと見届けるよう言い含められているので致し方ない。曰く、最悪の事態を想定してとのことだ。

 で、先ほどからほむらと美樹のやり取りを観察している訳だけど――


「……無理だって…………無理無理。絶対に無理っ!! 告白なんてできるわけないじゃん!!」

 なんか美樹が盛大にテンパっている。
 心理的な逃げ道が塞がれたことで、相当にパニくっているようだ。
 そりゃ、いきなり告白しろと強要されたあげく、心の準備さえできぬままに想い人がやってくるというのだから、当然と言えば当然の反応なのかもしれない。

 『告白』という行動の先にあるのは、“誰よりも傍にいることが許される権利”もしくは“友達としても傍にいることが危うくなる現実”が待っている。
 でも多くの人は、後者のリスクを無視できない。美樹だって、わざわざ今の良好な関係を壊したくはないだろう。

「だってあたし魔法少女だし、付きあったとしても遊んでる暇なんてないわけじゃない?」
「だから何よ。それって同じ魔法少女である私に言うこと? そもそも暇さえ見つければ、巴マミとお茶会してるくせに。その時間を宛がえば問題ないでしょ」

「あれは、その……お茶会じゃなくて……そう! 作戦会議! マミさんから魔女との戦い方を指導して貰ってるだけだってば!」
「あら、そうだったの。ここのところ毎日のようにお茶会のお誘いメールが来ていたものだから、私はてっきり」

「そ……そんなわけないじゃない……」

 声を裏返らせ否定するが、まぁ僕の方からぶっちゃけさせて頂くと、九割方世間話で構成されている(僕もお呼ばれすることが多いのだ)。

「というかさ、アンタはあたしと恭介が付きあっても平気なの? ほら、困るよね!?」

 と、劣勢に立たされていた美樹が、そんな風に切り出した。
 設定上、ほむらも上条君に恋している女の子となっているので、少しばかし厄介な問い掛けである。
 これにはほむらも、返答に窮してしまうのでは――なんて思ったのだが……。

「鬱陶しいわね。私を言い訳の口実にしないで頂戴」

 返す刀で切り捨てた!

「……う」

 冷淡かつ辛辣な言葉には、有無を言わせない圧倒的な凄みが込められており、おまけに剣呑な目付きで睨むものだから、これには美樹も黙するしかない。
 
 おっかねぇ……ただこれは、美樹を焚き付ける為に止むを得ず、敢えて冷たい態度をとっているということだけは、一つ留意して頂きたい。
 裏事情を知っている身ではあるけれど、これが演技とは恐れ入るぜ。まさに迫真の演技だ。

「はぁ……あなたはまたそうやって言い訳をして、どこまでヘタレれば気が済むの!?」
「ヘ、ヘタレって……何もそこまで言わなくてもいいじゃない!」

「言うわよ。何度も何度もそれに振り回されるこっちの身にもなりなさい」

 嘆息を交え、恨み骨髄、積年の怨嗟を吐き出すような声でほむらは続ける。
 その声音から、言い知れない怒りが感じ取れてしまうのは、僕の気のせいなのだろうか?
 演技ですよね、ほむらさん?

「え……振り回されてるのあたしじゃん!? つーか何度もって何よ!? アンタと会話したことなんて数える程しかないはずなんですけど!?」

「そういえばそうね。まぁこっちの話よ、気にしないで」

 指摘には取り合わず、すげなくそう言ったところで、美樹の後方に視線を移しながらほむらは告げる。

「残念だけど、美樹さやか。時間切れのようね」












~060~

「きょ……恭介……ほんとに来ちゃったよ」

 松葉杖をついて、一歩一歩ゆっくりと近づいてくる幼馴染の姿を見て、美樹は情けない呟きを漏らした。心のどこかでは、ほむらの虚言である可能性に賭けていたのかもしれない。

「なんだ、僕を呼んだのはさやかだったんだね。用があるなら学校で直接言ってくれればよかったのに」

 美樹の姿を発見すると、柔和な笑みを浮かべる上条君。見知った人物がいたことに、ほっと胸を撫で下ろしたといった感じだ。
 まぁいきなり面識のない人間に半ば強引に連れてこられているのだから、内心ずっと不安だったことだろう。


「いや…………呼んだのは、あたしじゃないっていうか」
「あれ、そうなのかい? じゃあ僕を呼んだのは、さやかじゃなくて……暁美さん、だったよね? 君が僕を?」
「ええ」

 上条君の問い掛けに対し、ほむらは最低限の返事をするだけにとどめ(事情を説明する気はさらさらないようだ)、
 
「でも用があるのは美樹さんよ。とても大事な話があるそうだから、訊いてあげて」

 何食わぬ顔でそう言った。
 そして、そのまま二人から離れ傍観者の立ち位置をとる。

 好意的にみれば、踏ん切りがつかない美樹の事を思っての後押しアシスト――なのだろうけど……何というかこれは、戦意のないファイターを、無理矢理決戦のリングに放り込んだようにしか見えないよな。
 だとしたら、ほむらはセコンドのような立ち回りなのかもしれない。とはいえ、タオルを投入してくれるような展開は望むべくもないが。

 あと、一応言及しておくと――ほむらが距離を取るだけに止め、屋上から立ち去らなかったのは、月火の助言あってのことだろう。

 美樹がある程度決心を固めている状態ならば、二人きりにした方が効果的だが、今はその限りではない。
 二人きりにしたとしても、美樹がその場逃れに言い繕って逃げ出す懸念があるため、監視役としてこの場に留まっているという訳だ。


「ということらしいけど……さやか、大事な話って?」

 ほむらの言葉を受けて、上条君は美樹に視線を向ける。

「あの……話って言うのは……あ……何ていうか、その………………そうそう! 今更になっちゃったけど……恭介、退院おめでとう!」

 やはりというか、速攻で話題を逸らしにかかる美樹である。
 まぁまだ慌てるような時間じゃない。ここはしばらく、二人のやり取りを見届けよう。

「うん、ありがとう。それに今更と言うなら僕の方だよ、さやかには色々お世話になったのに、お礼が遅れてごめんね」
「はは、お世話だなんて、そんな大したことしてないって」

「でも……腕の怪我だって、さやかが治ると信じてくれていたからこそ奇跡が起こったんだ――なのに、あの時の僕ときたら……さやかにあたるような真似をして………」

「あー、それは前にも言ったけど全然気にしてないし、腕が治ったのも、恭介の頑張りを神様がちゃんと見ていてくれたからだって。だーかーら、そんな暗い顔しなーいの。恭介は無事退院できたことを、素直に喜んでおけばいいんだよ! そうしてくれた方が…………ほら、あたしも……嬉しいし」

「……そう、だね――それでも、さやかの励ましが僕を支えてくれたのは間違いないんだから、このお返しはちゃんとさせて貰うよ。たくさんCDも貰っちゃったしね」

「いやいや、ほんと、気を使わないでいいってば。あたしが勝手にやったことなんだし……」
「それじゃあ、僕の気が収まらないよ。何か欲しい物とかないのかい? プレゼントするよ」

「……うーん……だったら、欲しいものとは違うんだけど……また恭介のヴァイオリンを聴かせて欲しい……かな、なんて」

「え? そんな事でいいのかい?」

「うん、それだけであたしは十分――って、あたし何言ってんだろ!? 恭介はコンクールで入賞する程の腕前で、お金を払ってでも見たいって人はたくさんいるのに……それだけでって厚かましいにも程があるよね! ごめん恭介、今のは忘れて!」

「……さやか、大げさだって。そもそも、僕程度の演奏じゃお金は取れないよ。僕より凄い人なんて、ごまんといるんだからさ」

「ううん。そんなことない! あたしが保証する。恭介は絶対に、世界を股に掛けるヴァイオリニストになるって、これだけは断言できるよ」

「世界規模で活躍するヴァイオリニストって……相当にハードルが高くなってるよ。でも、さやかにそう言って貰えると心強いな。うん、期待に沿える演奏ができるかはわからないけど、それでもいいと言ってくれるのなら、喜んで演奏させて貰うよ」

「ほんとに……いいの?」
「勿論。約束する」


 とまぁ、こうして見る限り意外や意外。なかなかいい雰囲気になってきているのではないだろうか。

 茜色に染まった、夕日の照らす屋上で語らう二人。
 病院の屋上というのが少しアレだけれど、眼下には最高の見晴らしが広がっているし、シチュエーションとしては悪くない。
 ほむらもフェンス際まで退避し、二人の空間には極力干渉しないよう配慮している。


 此方としても、限られた時間でやれるだけのことはやった。
 美樹からすれば有難迷惑なお膳立てだったのは間違いない。けれど美樹の命が危ういというのだから、この強引なやり方もご容赦頂きたい。

 さぁここまで状況が整えば、後はもう美樹の勇気を信じるほかない。


 そして、とりとめのないやり取りを幾らか交わしたのち――

「あ、あのさ、恭介」

 おずおずと美樹は切り出した。辛うじて聞き取れるかという程度の、か細い小さな声。

「ん?」
「あの……その…………何ていうか……う……あ、あたし…………きょ、きょぅ……けに……つたえたぃ…………あるんだ…………けど……」

 いや、切り出そうとはしているのだろうが、しどろもどろするばかりで意味のある言葉が紡げていない。釣り上げられた魚みたいに、口をパクパクさせている。

 ただこの緊張度合いから察するに、美樹の中で幾許かの決心がついたのかもしれない。
 しかし、いざ告白しようとしたところで、オーバーヒートしてしまったって感じか。
 夕焼けに照らされているのとは無関係に、みるみる美樹の顔が紅潮していく。


「どうしたんだい、さやか? 大丈夫かい!?」

 美樹の変調を気遣って、上条君が声を掛ける。

「う、うん。大丈夫、大丈夫」

 そうは言うが、胸を抑え過呼吸の如く息を荒く繰り返す姿は、とても大丈夫そうには見えなかった。

「……看護師の人、呼んでこようか?」

 重ねて上条君が心配そうに言うも、美樹は再度心配いらないと告げ、気持ちを落ち着ける為にか、大きな深呼吸を一つ。次いで――

「恭介」

 名前を呼んで、上条君に視線を向ける。

 真正面から向き合う二人。

 羞恥心と恐怖心が綯い交ぜになった頼りない表情なれど――それでも、上条君を見つめる眼差しには力があった。

 決意の色が窺えた。

 そして、遂に――

「あ……あの、あたし………………恭介のことが好き! ずっと……ずっと恭介のことが好きでしたっ!!」

 言った。言い切った。
 震えた声で、だけど美樹ははっきりと、自分の気持ちを伝えてみせた。






[27169] さやかスイッチ~その3~
Name: ミドリ◆02e976c9 ID:ea6cad15
Date: 2014/10/24 20:48
~061~

 装飾のない、シンプルな告白。
 されど、それは決して簡単なことではない。
 散々やきもきさせられたが、よく勇気を振り絞ってくれた。僕は心中で惜しみない賛辞を贈る。

 これで後は色よい返事さえ貰えればいいのが――

「…………何て言うか……さやかがそんな風に僕のことを思っていてくれたなんて、正直、驚いたよ。さやかは子供の頃から一緒に過ごしてきた、家族のような存在だからね」

 そこで上条君は一度言葉を切り、逡巡をみせた。

「……でも、ごめん。さやかのことは好きだけど…………それは……さやかが僕に求めている好きとは、違うものなんだと思う」

 苦心の末発せられた返答は、美樹を気遣っての言葉なんだと痛いほど伝わってくる。

 しかし、結果は受け入れて貰えなかった。
 可能性としては想定しておくべき事ではあったが、敢えて考えないようにしていた結末だ。 

 ――恋に破れた時、その少女は命を落とすことになる――

 なんてほむらは言っていたが、これってまずいんじゃないのか?
 告白さえできれば、上手くいくと踏んでいただけに、振られた場合の対応策が全く立てられていない!

「…………うん、わかった。あたしこそごめんね、困らせるようなこと言って」

 申し訳なさそうに目を伏せる上条君に対し、美樹は努めて明るい口調で言った。
 気丈に振る舞っているのは想像に難くないが――現段階においては、変に取り乱したりはしていない。

 それでも、いつでも飛び出せるように身構えておく。
 一見大丈夫そうに見えるというだけであって、いつ何時なんどき感情の堤防が決壊してもおかしくはない。

 もし早まった真似でもしようものなら、全力で阻止しなくては。それが僕の役目だ。

 が――僕の憂慮を余所に、事態は明後日の方向へと転がっていくことになる。
 まさかまさかの、予期せぬ展開が待ち構えていた。



「そんなことないよ。ほんとにさやかの気持ちは嬉しいんだ。だからこそ、ちゃんと正直に白状しておくとね、今僕には好きな人がいる――いや、できたんだ」

 ん? これはどういうことだ?
 月火の見立てでは、上条君が特定の異性に好意を寄せていることはないはず。
 まぁそれはあくまでも予測であって、そもそも人の心情を正確に推し量ることなんて不可能なのだから、月火が読み間違えたってだけの話か?

 ただ上条君の言い回しが引っ掛かる。敢えて言い直して“できた”と言った意図はなんだ? 

「好きな人が…………でき、た?」

 どうやら美樹も、僕と同じような印象を持ったらしい。

「うん。さやかからしてみれば、胡散臭い話に聞えるかもしれないけど、その人と知り合ったのは、今日、学校でのことなんだ」

「今日って……恭介はその人に、一目惚れしたってこと?」

「そう、なるのかな。すごく惹かれているというか、こんな強い感情を抱いたのは初めての経験で、まだ僕自身、戸惑っているのが現状なんだけどね」

 美樹を振った手前、上条君は少しきまりが悪そうに述懐する。
 でもこれは、彼なりの誠意なのだと僕は思う。心中を隠し立てることなく打ち明けるというのは、最大限の信頼の証なのだから。


 そんな一連のやり取りを経て――

「そっか、そうなんだ。そうだったんだ………………今日……学校で……一目惚れって…………そんなの、“アイツ”しかいないじゃんか」

 再確認するように美樹は呟く。

 そして――

「ねぇ! ほむら!! あたし達の会話、聞こえてたでしょ! アンタ、こっちに来てちゃんと自分の言葉で伝えなさいよ!」

 続けざまに、声を張り上げほむらを呼び寄せた!

 上条君の話を訊いて、美樹は悟ったのだ。
 『今日』『学校』で『一目惚れ』したという情報から、容易に一つの図式が成り立つ。


 一目惚れとは、基本的に初対面の相手に恋心を抱いた場合にのみ成立する言葉であって、上条君は入院していたといっても、その期間は二ヶ月に満たず――久しぶりに登校したとはいえ、学校には見知った人間しかいないはずなのだ。

 だが、一人だけ例外がいる。
 上条君が入院していた期間に転校してきた暁美ほらむだけは違う。

 付け加えて、ほむらは美少女と呼ぶに相応しい容姿だ。
 幾ら性格に難があろうとも、それは外見には反映されないのだから、見てくれに騙さ……もとい見目麗しい相貌に魅了されることもあり得る話。

 即ち、これがどういう状況なのかと言えば……美樹は有ろうことか、上条君とほむらの仲を取り持とうとしているのだ!


「ちょ! 美樹さやか!! あなた、何を馬鹿な事を!?」

 不意の呼びかけに、ほむらが慌てふためくのも無理はない。
 離れた位置で傍観していたほむらだが、このままではまずいと二人の元へ急行する。
 だが、その途中に足をもつれさせすっ転びそうになっていた(どうにか持ち直したが)。
 想定外の事態に、動転しまくりだった。クールビューティーが台無しである。

「勝手なこと言わないで!」

 取るもの取り敢えず駆け付けたほむらは、美樹に向かって一喝した。
 だが、美樹は怯むことなく言い返す。

「それはこっちの台詞よ! あたしに好き勝手なこと言ったのはアンタでしょうが! それに、もともとその気だったくせに、今更、怖気ついたとか言わないでよ!」

 気持ちを伝え玉砕したことで吹っ切れてしまったのか、えらく強気になっていた。なんか、もう怖いものなしって感じ。

 また理由はどうあれ美樹が言った通り、散々告白しろと彼女を煽り倒したのはほむらなのだ。
 それが今、立場が逆転し、自身の発言がそっくりそのまま返ってきているのだから、下手な言い訳は通じなくなってしまった。

 相当に厄介な展開になってしまったぞ、これは。

 上条君はというと、いきなり言い争いを開始した二人の少女の剣幕に圧されたのか、呆気にとられている。


「いえ、そういう問題じゃなくて!」
「じゃあどういう問題なのさっ!?」
「だから、私は別に彼のことなんて……」

 そこで、ほむらの言葉は止まった。いや、止めざるを得なかったと言うべきか。
 その先を言ってしまえば、本当に本当の意味で破綻してしまう。

「何? もしかして、あたしに気を使ってんじゃないでしょーね。やめてよね。アンタらしくもない!」

 本来であればある種の叱咤激励であり、凄くいい台詞だったはずなのだが――もはや、ほむらの退路を断つ追い討ちでしかなかった。

「……………………」

 とはいえ、好きでもない相手に告白などできるはずもなく、だんまりを決め込むしかないほむら。

「恥ずかしがってないで、いつもの調子で言っちゃいなさいよ」

 それを無自覚に追い詰める美樹。

 なんだろう。美樹の認識では、ほむらは上条君に想いを寄せる女の子だもんな。加えて上条君は、ほむらにほの字。
 だからきっと……嫌がらせって訳でもなく、純粋によかれと思ってのお節介なのだろう。

 うん、まぁ、事実関係を知らない美樹に非があるなんて、とてもじゃないが言えないけれど。言えやしないけれど。

 しかし、こんな有難迷惑な話もない!


「……えっと……今一つ状況が呑みこめていないんだけど」

 と、そこで――沈黙の合間を縫って、上条君が恐る恐る発言する。
 渦中の人物でありならが、全くもって状況を理解していないようだ。

「なに鈍いこと言ってんのよ、恭介。それにほむらも黙りこんじゃってさ――――はぁ、ほんと仕方のない二人だね」

 やれやれといった風に、美樹はわざとらしく嘆息してみせる。
 そして、ぎこちない笑顔を貼り付け言った。言ってしまう!

「もう埒が明かないから言っちゃうけどさ、二人は相思相愛なんだって」

「え?」

「ほら恭介、男を魅せる時だよ。こうなったら恭介の方から気持ちを伝えてあげなくちゃ! あたしのことは気にしないでいいからさ。こんな美人そうはいないし、ほむらに惚れちゃう気持ちもわかるよ。ちゃんと祝福するって、そりゃちょっと、ううん、かなり嫉妬しちゃうだろうけど、恭介には幸せになって欲しいもん」

 目を見張り当惑する上条君に対し、美樹は一気に捲し立てた。
 割り切れているようでいて、全く割り切れていない。だからこそ、これが美樹の本音なのだろう。
 上条君のことを、本当に大切に思っているからこその、痛切な言葉。


 なんて、いい話風に纏めようとしてみたけれど……周知の通り、ほむらが上条君に想いを寄せているという事実がないのだから、目も当てられない。

 何とも噛みあっていない、ボタンを掛け違えたような話である。

 だが、ボタンの掛け違いに気付いていないのは、何も“美樹だけ”ではなかった。

 間抜けなことに。
 愚かなことに。
 滑稽なことに。
 致命的なことに。

 僕もほむらも勘違いしていた。

 状況を理解していないのは、上条君ではなく僕達の方だったのだ!

 困惑した表情を見せる上条君が、それはもう控えめな態度で、精一杯の気遣いを感じさせるトーンで口を開く。

「いや……困ったな……あのね、さやか…………何か勘違いさせてしまったようだけど…………その……相手は……暁美さんじゃないよ?」

「え?」
「え?」

 見事にシンクロして、フリーズする少女達。
 それでも、どうにか気を持ち直した美樹が慌てて問い質す。

「でも! でも!? ほむらじゃなきゃ、その相手っていったい誰なのさっ!?」
「誰って……えっと…………一つ上の先輩で、僕をこの場所に連れて来てくれた瑞鳥みずどりさん。瑞鳥れんげさんなんだけど」

「瑞鳥……さん?」
「あ」

 美樹は聞き覚えのない名前に首を傾げ、ほむらは遅蒔きながら過ちに気付いたようだ。
 そして僕はその名前を訊いて、ほむら同様、己の勘違いを嘆くと共に複雑な心境にならざるを得ない。完全に失念していた!

 瑞鳥れんげ。

 この名前を訊いて、ピンときた方もいるかもしれない。
 だけど、大多数の方はこんな名前の人物に心当たりはないはずだ。

 そりゃそうだろう。
 なんせ、そんな名前の人間はこの世界に存在しないのだから。いや、もしかしたら、この広い世界、そういった名前の人物がいるかもしれないけれど、少なくとも僕の知り合いにはいない。存在しない。

 でも、知っている。僕はその名前を知っている。

 別に禅問答をしようって訳じゃないので、早々に真相を明かしてしまうと、この『瑞鳥れんげ』という名前は偽名なのだ。

 もう、ここまで情報が出揃えば、察することができたのではないだろうか?

 それでも一応、最終確認をしておこう。

 彼をこの病院まで案内した人物、それは知っての通り僕の妹だ。
 見滝原中学の生徒に扮して学校へと潜入し、偽名を用いて上条君を病院まで連れてきたのは、僕の妹だ。“妹が手引きして”連れてきたのは間違いない。

 とは言っても、それは阿良々木月火のことではない。上条君の発言を思い返して欲しい。そう、一つ上の先輩と言っていた。

 上条君を説得する主要な役目は月火に任せたが、案内役はもう一人の妹の役目。足の怪我がまだ治りきっていない上条君を、“連行”するにはそれ相応の身体能力が必要だったのだ。

 だから上条君が恋してしまった、一目惚れしてしまった瑞鳥れんげの正体とはつまり!

 栂の木二中ファイヤーシスターズ実戦担当。赤き炎の征裁オーバーキルドレッドフレイム――阿良々木火憐のことに他ならない!







[27169] さやかスイッチ~その4~
Name: ミドリ◆02e976c9 ID:ea6cad15
Date: 2014/10/24 20:49
~062~

 そもそもこの作戦に阿良々木火憐が参加するに至った経緯だが、端的に言ってしまうと、ただの成り行きである。深い考えがあったわけではない。

 道場での稽古を終え帰宅した火憐が、阿良々木家の一室で行われていた密談に興味を示さないはずもなく、なし崩し的に作戦に加わったってだけの話。
 除け者にして駄々を捏ねられても困るし、人手があるに越したことはないという感じで参加を認めたのだ。
 今にして言えば、認めてしまったというしかないけれど…………ただしそれはあくまでも結果論であって、取り立てて火憐の責任だなんて言うつもりは毛頭ない。

 まさか火憐に一目惚れするだなんて、誰が予測できるかって話だ。

 ともあれ、痛ましい結末を招いた誘因であるそこら辺の裏事情について振り返っておくべきだろうか。

 ただ前以て提言しておくと、いやはや情けない話ではあるのだが、僕が語り部として語れることはさほど多くない。

 繰り返しの説明になるが、上条君を誘導する為の説得ないし交渉は妹達に一任していたこともあり、どうにも詳細を把握しきれていないのだ。
 特に、見滝原中学内部で行われた一連の“騒動”については、僕の監視下にはなかったから、直接のやり取りは知る由もなく――『伝令役』の火憐経由で月火からの経過報告を受けていたものの、それもあまり当てにならない言とうか、自分達にとって不利な情報は寄越さないだろうし……なので、大よそのあらましぐらいしか語れない点については、どうかご寛恕いただきたい。

 ちなみに『伝令役』というのは、妹達がまだ携帯電話を所持していない為、校内に潜入していた月火と外で待機する僕との連絡手段として、火憐には行ったり来たり何往復も走り回って貰っていた。


 前置きが長くなってもアレなので、本題に入ろう。

 僕達、阿良々木兄妹に課せられた任務はもうご存知の通り、美樹が告白することを拒んだ場合の強硬策として、上条君を病院の屋上に連れて行くというもの――それも出来うる限り迅速に。
 その理由は言うまでもなく、美樹が逃亡する恐れがあったが故。
 美樹をその場に止まらせるのにも限度がある。

 その為、予定では事前に上条君を病院近くまで誘導しておく手筈になっていた。
 それならば合図があり次第、直に連れて行くことができる。

 月火の行った潜入調査に於いて、上条君が足のリハビリの為病院に行く予定であることは掴んでいたので、病院に前以て向かうことに抵抗はないはずだ。


 が、予定通りに事は進まなかった。
 困ったことに上条君は学校で先生と話し込んでしまって、一向に帰宅する気配がなかったのだ。
 久方ぶりの登校ということもあり、遅れた授業の補修や、まだ完治していない足の怪我などの対策なんかについての話し合いでもしていたのだろう。

 そこに割り込んで上条君を連れだすことは流石に難しく、ここで相当時間をロスしてしまっていた。

 最終的に、痺れを切らした月火が“何らか”の策を講じて分断を図ったようなのだが、方法は不明である。

 ……月火は関係ないと否定していたが、けたたましく鳴り響いていた火災報知器が無関係だとは思えない。

 人命が懸っているが故の緊急処置なので、僕としても強く詮索はしなかったが……何を仕出かしてくれてんだよこの妹は……。

 そういった事情もあり、交渉役の月火が上条君と接触する頃にはもう時間が押しに押していたのだ。
 ただ月火の交渉能力の高さ(口八丁にそれっぽい理由をでっち上げていただけなのだが)と、見滝原中学の制服で在校生として接していたこともあって変に警戒されることもなく、説得にあまり時間が掛からなかったのは幸いだった。

 もしここで話が拗れでもしていたら、僕達は最悪の手段――略取誘拐も視野に入れて行動しなければならなかったんだよな…………そんな危ない橋は渡りたくないのでほんと助かった。

 だがそれでも時間がないことには変わりなく――ほむらからの合図がいつきてもおかしくない頃合いだったので、早急に少しでも病院に近付いておく必要があった。

 しかし幾ら急いでいるとはいっても、上条君に走って貰う訳にもいかないし、タクシーなんてそうそう都合よく見つかるものでもない。

 どうするべきか――打開策が見つからず焦燥を募らせていたその時の僕は、傍らで待機していた火憐に、駄目もとで何か案はないかと問い掛けていた。

 僕としては参考意見を聞きたかっただけなのだが…………悲しいかな、相手が単細胞の馬鹿であることを忘れていたのだ。

 気付いた時には、もう既に火憐は行動を開始しており「あたしに任せろ!」なんて言葉を残して放たれた矢のように突っ走っていく。

 僕が制止の声を上げるも――時既に遅し。

 火憐は、上条君の前に姿を現してしまっていた。

 あくまでも火憐は裏方として働いて貰っていたので、言うなればこれが火憐と上条君の初めての邂逅ということになる。

 そして上条君にとっては、衝撃的な出会いだったことだろう。
 それはもう“いろんな意味”で。

 なんせ言葉を交わす間もなく、いきなり“抱きかかえ上げられた”のだから。

 もう少し情景を判り易く解説しておくと、火憐が上条君を『お姫様抱っこ』している図である。
 その上で器用に松葉杖も持って、そのまま疾走を開始する。

 そう――火憐は短絡的にも、自らの脚で上条君を送り届けようというのだ。
 そこいらの女子中学生とは一線を画す身体能力を持った火憐ならではの芸当であり、そこいらの女子中学生とは一線を画すおつむを持った火憐ならではの発想である。

 普通、そんな考えにはいきつかないだろ。

 その現場を見届けていた月火は、どうやら僕の指示なのだろうと判断したようで姉に声援を送っていやがった。
 一応、上条君との間に交渉は成立しており、同意は得られているから、誘拐事件にはならないのが救いだった。

 ただ、この時の上条君の心情を推測すると、お姫様抱っこで連行されたことにもだが、それに加え、火憐の“見た目”にも衝撃を受けていたのでないだろうか?

 初めて火憐が“その姿”で現れた時は、僕も度肝を抜かれた。

 どういうことかというと、火憐が“体操着”を着用していたのだ!!

 だからどうしたと、何もそこまで騒ぎ立てるようなことじゃない、なんて思う人もいるだろう。
 しかし待って欲しい。それは早計というもの。

 段階をおいて説明させて貰う。
 まずどうして火憐が体操着を着ているのかと言えば、それは月火同様、見滝原中学の生徒に扮する為である。

 ならば指定の制服を着ればいいのではという話なのだが、ほむらが持っている予備は一着分しかなく、火憐の分を用意することができなかった――という理由もあるのだが、どちらかというと火憐がスカートを穿くことに抵抗を示したが故だ。

 用意しようと思えば夏物の制服だってちゃんとあって、実際候補にあがっていたのに、本人の意志で体操服の方がいいと決めたのだった。
 スカート姿を衆目に晒す状況に、なぜか尋常ではない拒否反応を持っている。

 まぁそんな経緯があったのだが、今から言うのが一番のポイントだ。

 なんと!

 見滝原中学が正式に採用している女子体操着(下)は、なんとブルマ―なのである! ブルマ―なのである! ブルマ―なのである!

 絶滅が懸念され、衰退の一途を辿るブルマ―を直にこの目で拝むことができるとは、いやはや、万感の思いだ。
 そりゃ、資料に残っている写真などで見たことがないわけでもないが、やはり有難みが違ってくるよな。感覚的な話になるので理解できる人だけ理解してくれればいい。

 授業にノートパソコンを導入しているような、最先端をいく見滝原中学に於いて、なぜ時代に逆行した遺物であるブルマ―が採用されているのだろうか? 謎だよな。

 そんな僕のブルマ―に対する熱い想いはさて置いて――とは言ってもだ、別に上条君はブルマ―に心奪われたってことではないはずだ。

 僕は兎も角として、見滝原中学に通う彼にとってブルマ―なんてものは、体育の時間などに幾らでも見る機会はあっただろうし、ごく当たり前のものとして認識されている。

 だけど――上条君は火憐の姿に釘づけになっていた。その理由は至極単純。

 火憐が着ている体操着が、サイズがあってなくてぱっつんぱっつん状態――身体のラインが扇情的に露わになっており、有り体に言ってしまうと、エロい! 途轍もなくエロかったからだ!

 借りた時に試着もせず、ほむらと火憐の体格差を考慮していなかったのが原因だった。

 なんかスポーツブラが薄っすら見えているし、丈の短いシャツ(火憐基準)からおへそがチラリと見え隠れしている。更にブルマ―から覗くすらりとした素足は艶めかしく、実の妹ながら中学生離れしたモデルのような体型には、目を見張るものがあった。

 まだ僕は実の兄だからこそ妹という認識フィルターをもって見れるが、思春期の正常な男子ならドギマギしてしまうだろう。

 やはり人を好きになる上で、見た目は大きなウェートを占めるのは間違いない訳で、一目惚れしたみたいな発言もあったことを踏まえると――上条君が火憐に心惹かれた一因に、“視覚的要素”が多大な影響を及ぼしていたのはないかと、思わずにいられなかった。

 そんな心を揺さぶられた状態で、肌を密着させたお姫様抱っこなんてされようものなら…………落ちてしまうのも無理からぬこと。男のさがには抗えない。

 いや、これは僕の勝手な憶測であって、上条君がどの段階で火憐に好意を寄せるようになったかは判らないし、もしかしたら搬送(?)されていた最中に、何らかの会話があって、火憐の人となりに惚れた可能性も否定できないが。

 真相は定かではない。

 とまぁ斯様な経緯があり、火憐のお陰で予定通り任務(上条君を送り届けること)は完遂できたのだが…………同時に本末転倒な結果に繋がってしまった訳だ。


 最後に――『瑞鳥れんげ』という人物は当然のことながら見滝原中学には在学していないので、今後再会する可能性などある筈もなく、そもそも火憐には既に付き合っている相手がいるとかいないとか(詳しく知らないし知りたくもないが)。
 上条君にとって相当に分の悪い恋になるのは確かなのだった。





[27169] こよみコネクト~その3~
Name: ミドリ◆02e976c9 ID:ea6cad15
Date: 2014/05/29 18:39
~063~

 あの惨劇のその後――美樹は一人になりたいと言葉少なに屋上を後にした。
 ずっと思いを寄せていた幼馴染に振られてしまったのだから、物思いに耽りたいこともあるだろう。

 とは言え、命を落とす可能性がある美樹を一人にすることなどできはしない。
 そっとしておいてあげたい気持ちもあるが、そんなの命あっての物種だ。


 という訳で――僕はほむらと合流して、陰ながら美樹を見守っていた。
 僕は吸血鬼の視力で、ほむらに至っては双眼鏡(軍用モデル?)でもって抜かりなく、どんな些細な変化でも見逃さないという意気込みで。どこがどうとは上手く言及できないのだが、その姿はすごい様になっていて貫禄すら覚える。

 取り敢えず今の所、美樹は河川敷の土手に座り込んで膝を抱え、ぼーっと川の流れを眺めているだけだった。絵に描いたような見事な黄昏っぷりだな。


 特に動きもなく時間だけが過ぎていく。空模様だけが次第に様変わりしていき、いつの間にか空は分厚い雲で覆い尽くされていた。月明かりさえも遮断する曇天。
 雨が降り出しそうで心配だ。

 うーむ……予断は許されないが、無言でこのままずっと無為に時間を過ごすのも、あまり有益とは思えない。なので、ほむらに話しかけてみることにした。無視されるかもだけど。

「曇ってきたな」
「そうね」

 よし。返事はある。会話のキャッチボールは成立したぞ!

「なんか色々悪かったな。こんなことになっちゃってさ……」
「別に。誰にだって予測できないことはあるわ……ええ、本当に。私自身、上条恭介の心の内を見抜くことができなかったのだから。笑いたければ笑いなさい」

 ほむらは自嘲気味に言う。
 漠然とした僕の謝罪が、当てつけのように感じてしまったのかもしれない。

 自分に気があると自惚れた勘違いをしてしまった、暁美ほむらさんである。
 恥ずべき醜態を晒してしまったことに、凹んでいるご様子だ。

 僕としてはこの件について蒸し返すつもりは毛頭なかったので、ささっと話を切り替える。
 というか、僕も勘違いしてたしね。あれは状況的に仕方ない。

「ともあれだ、美樹の様子を窺う限り……振られた事に相応のショックは受けているようだけど…………自殺……とか、そういった最悪の展開に繋がる程、思い詰めた感じでもない……ように見える。お前から見たらどうだ?」

「そうね。ほぼ同意見よ。はっきりと振られたことで、吹っ切れることができたのかもしれない。告白することもできず、うじうじと悩み続けるよりよっぽど健全だわ」

「ならさ、失敗に終ったとはいえ、お前の言ってた『予知』は回避することができたのかな?」
「さぁ? それは何とも言えないわね」

 そりゃそうか。だからこそ今現在進行形で美樹の動向を見守っているのだ。

「ああ、そういや、火憐が借りている体操着なんだけど、なんか全体的に伸び伸びになって、ちょっと駄目にしちゃったらしくてさ、責任をもって買い取らせて欲しいんだけど」

 と、尚も会話を続けようとしたその時、ほむらが徐に制服のポケットに手を差し入れた!

 え!? 嘘!? 銃取り出しちゃうの!? 僕、何かまずいことでも言ったか!? いやさっきのは、別にブルマ―を収集しようなんてことではなくて普通に弁償しようという意味合いで――って違った。

 いくらなんでも被害妄想が強すぎた。ポケットから携帯を取り出しただけだった。

 ほむらに対する認識が毒され過ぎているな。
 携帯を取り出したのは、ごくごく当たり前に誰かから着信があったからのようだ。

 そして簡潔に幾らかのやり取りを交わした後、通話を終えた。

 吸血鬼化した聴力のお陰で、会話の内容は全て聞き取れている。

「ということで、よろしく」

 聞き耳を立てていたことを前提に、僕への説明を一切省略してほむら。

 此方の方で簡単に話を纏めると――電話の相手は巴さんからで、パトロール中に魔女の結界を発見したらしい。
 本来なら僕もそれに同行している予定だったんだけどね。美樹の件で昨日今日と二日間連続でキャンセルしているからな。任せっきりになってしまっていて、罪悪感で胸が一杯である。

 で、肝心の要件なのだが――念の為、魔法少女連合のメンバーに助力を願おうと、まずはほむらに電話してきたようだ。
 けれどほむらは巴さんからの要請を断っていた。話の流れを訊いた限り、どうやら僕に任せる腹積りっぽいのだ。

 なので、もうすぐ僕の携帯にも巴さんからの連絡がくることだろう。

 ちなみに――僕とほむらは現在別行動中ということになっている。僕が隣にいることを、ほむらが巴さんに伝えなかったのはその為。なんか秘密裏の行動が多いから、立ち回りがややこしいことになってるな。

 美樹に関しては、取込中である旨を先んじてほむらが伝えたので、連絡がいく心配はない。

 しかし、出会った当初は魔女退治に同行することすら頑なに拒まれていだけに、こうして一任して貰えるってのは素直に喜ばしいことだ。大した進歩だし、その信頼には是が非でも応えたい…………応えたいんだけども――

「本当に僕でいいのか?」
「何か問題でも?」
「いや、問題というか、正直お前がいった方が手っ取り早いんじゃないかなって」

 役に立ちたい気持ちもあるが、今回の相手は『使い魔』ではなく『魔女』。
 命が懸かっているだけに、判断は慎重にしなくてはいけない。
 戦力を出し惜しんで、全滅なんてことにでもなったら洒落にならないし。

「そうでもないわ。私が行ったところで一緒よ」
「ん? そんなことないだろ?」

「あの程度の魔女なら、巴マミ一人の力で十分事足りる」
「………………ああ、そういうこと」

 別に僕が信頼されていたわけではなかった!

 と、そこで今度は僕の携帯に着信が。勿論、巴さんから。

 内容はさっき訊いた通りで――僕は巴さんの申し出を快諾し、魔女の結界がある場所を教えて貰って通話を終える。

 うん。めちゃくちゃ喜んでくれていたな…………ほむらに断られたことで落ち込んでいたのかもしれない。

「話は纏まったようね」
「ああ」
「なら一応、魔女の情報を教えておくわ」
「おお、そりゃ助かる」

 魔女あいての情報を事前に知っておければ、攻略の糸口も見つけやすくなるはずだ。

「今回戦うことになる魔女の通称は『影の魔女』。結界の中は影絵のような白黒の異空間になっているわ」

 白黒の異空間って、モノクロ写真みたいに色彩がなくなるってことだろうか?
 う~ん……今一つ、イメージが湧いてこない。 

「使い魔は蛇のような長細い身体で、伸縮自在に不規則な軌道で襲ってくる。魔女もそれと似通った感じで、枝状の触手を伸ばして攻撃してくるから気を付けることね。さっきはあの程度と言ったけれど、それはあくまでも巴マミの実力からしてであって、決して弱い魔女ではないわ。寧ろ手強い部類――使い魔との連携は相当に厄介で、対応を少しでも間違えれば一瞬で八つ裂きになるでしょうね」

 八つ裂きって、物騒なことを言うなぁ。

「……おいおい、大丈夫なのかよ」

 自然と不安が呟きとなって漏れ出てしまう。
 けれど脅しでも大げさに言ってる訳でもないんだよな。僕、腕噛み切られたことあるし。

「大丈夫でしょ」

 だが僕の心配を余所に、ほむらはなんとも軽い調子だ。

「対応策としては、魔女本体からはしっかりと間合いを取ること。これに尽きる。それで魔女の攻撃範囲から逃れることができて、あとは使い魔の攻撃を凌ぎさえすれば、一方的に遠距離から“撃ち倒す”ことが可能よ。不用意に接近し過ぎると、魔女と使い魔の恰好の的になるから接近戦はお勧めしないわね――まぁ巴マミの戦闘スタイルを鑑みれば、特に心配するような相手でもないんじゃないかしら?」

「んな事細かに、相手の能力や対処法までわかってんのかよ……」

 攻略の糸口とかそんなレベルじゃなく、もう攻略本じゃん!
 予知能力というより、もう体験談みたいな感じだよな。

 ただその話を訊く限り、刀を使った近接戦闘しかできない僕って役立たずなんじゃ…………相性最悪過ぎるぞこれ。
 何にしても、これを巴さんに伝えれば優位に事が運べるってことか。

「んじゃ、いってくる。美樹のことよろしくな」
「ええ。ここは私に任せて、あなたはさっさと巴マミの所にいきなさい」

 なんだろう。僕の気のせいでなければ、厄介払いされているような……一人で行動するのが好きな奴ではあるのだから、この態度もおかしくはないのだが――なんか釈然としないな。

 まぁ美樹の事を気にかけて、率先して動いてくれているんだし文句はない。
 ほむらならば、もしものことが起こったとしても、あの時間停止まほうがあるし、上手く対処できるはずだ。

 ただほむらが時折、美樹のいる方向とは全くの別方向に双眼鏡を向けているのが気になって仕方がなかった。
 きっと必要な作業なんだろうけど、いったい何を見ているのだろうか?






 そして、僕は吸血鬼の力を最大限に発揮し、屋根や屋上を飛び越え、かなり無茶なルート選択で最短距離を疾走する。いや、感覚としては疾走というより飛翔に近い。

 あまり人目を気にすることもなく街中を突っ切ったので、もしかしたら誰かしらに目撃されてしまったかもしれないな。
 だとしたら、夜の街を跳び回る怪異として認識されたのだろうか? 実際問題、吸血鬼の血を宿した人間擬きなのだから間違いではないのだけれど。


 程なくして到着したのは見滝原の端の端――取り壊される事も無く放棄され、廃墟と化した大規模な工場跡地。半壊した状態の建造物や、錆び付いたコンテナ群、それに朽ち果てた廃材が散乱し、辺り一帯から陰鬱とした雰囲気が溢れだしていた。

 光源となる外灯なんかも当然のことながら機能していないので、相当に暗い。月の明かりも今は厚い雲で遮られおり、もう暗闇というレベル。
 とは言え、僕は半吸血鬼状態。夜目が効くので視界は良好だった。

 視界に入った看板の文字だって読み取ることは可能だ。
 崩れ落ち斜めに傾いてしまっているその看板には『安全第一』の文字と、緑十字のマークが記されていた。
 寂寥感が一層増し増しになるな、こういうのって。


 広い工業地帯なので迷いそうなものだが、幸い巴さんが優先的にチェックしていた魔女探索の巡廻ルートにもなっている場所なので、此処には何度か来たことがある。

 それに魔女を発見したというポイントは、頭上高く聳える巨大な煙突(紅白のツートンカラーをしたもの)が目印の建物だったので、すぐに発見することができた。

 待たせる訳にもいかないので、目的の工場に向け跳躍――文字通り“一っ跳び”し、滞空中に目を凝らして巴さんの姿を探す。

「お、いた」

 ごちゃごちゃ複雑に絡み合った太い配管パイプ(実際には綿密な配置なのだろうけど)が遮蔽物となっていたものの、その隙間から巴さんの姿を発見。

 もう既に魔法少女に変身しており、しかもマスケット銃を構えて臨戦態勢に入っていた。
 まだ魔女の結界の中にも入っていないのに、随分と用心深いなぁ――なんて感想を抱きつつ、落下途中に剥き出しの配管を足場に、上手いこと落下地点を微調整し巴さんの傍に降り立った。

「あ、阿良々木さん!?」

 空より突如舞い降りた僕に、驚きの声を上げる巴さん。

 そして、背後から――

「お前はっ!?」

 巴さんとは違う女性の声。振り返って確認してみれば、そこには長大な槍を構えた赤い髪の少女――佐倉杏子がいた! そのまた後方にキュゥべえの姿も。

 なるほど。巴さんがマスケット銃を構えていたのは、杏子を牽制してのことか、なんて納得してる場合でもないよな。

 どうやら、巴さんと杏子が不穏な空気で対峙している所に気付かず、割って入ってしまったようだ。

 うん。この空気はまずい。非常にまずいぞ。

 取り敢えず、空気を緩和させるため――

「よお! 元気してたか?」
 
 ――気さくに挨拶してみることにした。ノリとしては気のいいお兄さん口調でフレンドリーに。

 が、杏子は僕の姿を見咎めると、露骨に顔を歪める。

 続けて致命的とも言える凶悪な一言を放ち、これ以上ないぐらいに空気を悪化させてくれた!

「昨日、小学生のガキからパンツ奪おうとしてた変態じゃねーか」





[27169] こよみハッチ~その6~(Elsa Maria)
Name: ミドリ◆02e976c9 ID:ea6cad15
Date: 2014/06/05 18:48
~064~

「えっと……佐倉さん、今……なんて?」

 きっと、聞こえていなかったわけでもないのだろうが、巴さんが困惑気味に問い直す。

「だから。コイツがガキのパンツを奪おうと――」
「おいおい! や、藪から棒に……な、なななな何を言っているんだ!?」

 堪らず僕は、杏子の発言を遮った。
 だが焦りで舌がもつれてしまう。それに全く動揺が隠しきれていない上擦った声なのが、自分でもよくわかる。
 それでも、何とか言葉を紡ぎ惚けてみる。

「僕がなぜ小学生のパンツなんかを――」
「あ? 何? アタシが嘘ついたってそう言いたいの?」

 が、今度は杏子が僕の言葉を遮り、睨みを利かした冷たい視線を向けてくる。
 恫喝が板に付きすぎだろ! 女子中学生相手なのに、軽く竦み上がってるもん!

 このまま白を切り通すのは危険か……杏子の機嫌を損ねる結果にしか繋がらない。
 そう判断した僕は、即座に対応を切り替える。人間、保身の為になら頭の回転は速くなるもの。

「いや、お前の表現では誤解が生まれるというか――」

 誤解も何も、杏子は事実しか話していないけど。なればこそ、僕も事実を盾に自己弁護を試みる。

「――あの子も言ってただろ。あれは一種のじゃれ合いみたいなものだって」

「あー、そういやそんな事も言ってたかな」

 杏子も別に、嘘を吐いてまで僕を陥れようとは思っていないようで、ちゃんと真実であると認めてくれた。
 よし、杏子の証言が得られたところで、今度は巴さんの認識を修正しに掛かる!
 ここでちゃんと同意(?)の上の悪ふざけであったと伝えておかなければ、今後、蔑視の視線に耐えながら巴さんと一緒に行動しなくてはいけなくなる。そんな状態はキツ過ぎる!

 どうにかして印象をマイルドなものにしなくては!

「だからさ、巴さん。杏子が言ってたのは事実ではあるんだけど、別に如何わしい行為ではなくただのおふざけというかスキンシップであって――」

「ふふ」

 と、僕の苦しい弁解を訊いていた巴さんが笑みをこぼした。

「大丈夫ですよ。阿良々木さん」
「え? 大丈夫って?」

「確かにちょっとはしたない遊びですけど、小学生の子供ってそういうので喜んじゃうところありますもんね」
「え? あ、まぁ」

 なん……だと……理解を示してくれた、だと!?

「ただ人目もありますし、あまり羽目を外して遊ぶのは気を付けてくださいね」
「うん……気を……つけます」
 
 注意されたものの、嫌悪感のようなものは特に感じられない。
 巴さんは類稀なる寛容な精神の持ち主なのだろうか? それで納得できないこともないが、そこはかとなく違和感が……。

「でも小学生と一緒に遊んでいる阿良々木さんの姿、見てみたいかもです」

 あ、違和感の正体がわかった。
 巴さんの言葉のニュアンスから僕は察した。

 確証はないけれど、多分、相手の小学生を『男の子』だと思っているんじゃ?
 そうだ、杏子は『小学生のガキ』としか言っていない。性別を明言していなかったのだ。

 多くの人は『ガキ』という表現から、男の子を連想してしまうのではないか?
 実際、そんなことはなく子供の俗称ではあるし、これは僕の勝手なイメージだけど。

 何にしても、杏子の乱暴な言葉遣いに救われたかたちだ。

 ならこれ以上の弁解は必要あるまい。寧ろ不用意な発言で墓穴を掘らぬようこの話は打ち切るのが得策! いやいや、こんなどうでもいい話をしている状況ではないのだ。

「そんなことは兎も角さ! まずお互い、その物騒な得物をしまおうぜ?」

 さっきから二人とも、手に武器を持ったまんまだからな。普通に怖い。

「………………そう、ですね」

 僕の申し出に、巴さんは躊躇しながらも応じてくれた――それでも杏子の一挙手一投足、僅かな動きも見逃さないよう油断なく警戒しているのがわかる。

「ふん。ま、余計な魔力を浪費したくないしね」

 巴さんが先に武器を収めた事をうけて、杏子も不承不承ながら武装を解除する。
 だが友好的な歩み寄りはなく、依然として一触即発の気配が漂っている。
 仲良く共闘しようって雰囲気ではないよな。
 でも、こう見えて昔は友好的な関係だったんだよな? なら出来ることなら仲直りしてほしいものだが…………。

「えっと、今の状況ってどうなってるの?」

「状況も何も、この魔女をアタシに譲ってくれりゃいいんだって」

 僕は巴さんに尋ねたつもりだったのが、杏子が口を挟んできた。

 ある意味、要点を集約した実に明瞭な説明になっているから、いいんだけど。
 で、大まかな流れは――巴さんが僕の到着を待っているその間に、杏子が現れ、そして杏子が魔女えものを横取りしようってのが今の構図な訳か。

「あなたには、自分の縄張りがあるでしょ」

 と、杏子の発言を受けて巴さんが嗜めるように指摘する。
 巴さんの言う通り、暗黙の了解として魔法少女には、それぞれある程度担当地域のようなものが決まっているらしい。だから今回の杏子のように他所の地域の魔女を狩りにくるのは、褒められた行為ではないのだ。

「だから風見野の魔女は粗方狩り尽くしたって言ってるじゃん」

 が、希少な戦利品であるグリーフシードを求めて、その規律を無視する者も多くいる。

 相互扶助の活動理念を持った魔法少女達と共に行動している僕としては、今ひとつピンとこないが、他の町ではグリーフシードの奪い合いなんてのはごく当たり前の光景なのだ。

「それはあまりにも自分勝手というものよ」

 かといって巴さんはそれを容認しないし、杏子だってそう簡単に引き下がるはずもない。

「自分勝手は百も承知してるけどさ。でもこれって、マミからしたら別に問題ないんでしょ。今回アタシは魔女を狩ってやろうって言ってんだからさ」
「何を言ってるのか、理解しかねるわね」

「自分の発言には責任持ちなよ“マミ先輩”。確か昔にアンタから『大事なのは一人でも多くの人々の命を守ること』『魔法少女同士で争うのは間違っている』って、そう教わったはずなんだけどね。ほら、だったらさ、アンタが手を引いてくれればこの場は丸く収まる」

「そんな屁理屈が罷り通るとでも思っているの?」

「別に思っちゃいないさ。アンタが融通の利かない奴だってのは知ってる」
「だったら、どうするつもり?」

「さっきまでは、ここではっきり白黒つけてやろうかと思ってたんだけど――でも余計な邪魔が入っちまったからね」

 ちらりと僕を一瞥し、杏子は言う。
 どうやら二対一で事を構えるのは不利だと判断したようだ。いや、それは僕の思い上がりで、実際は、巴さんだけを警戒しての方便かもしれないが。
 抜け目ないというか、リスクとリターンの計算には長けている奴だからな。

 まぁここで大人しく撤退してくれるなら、願ったり叶ったりだ。
 正直な話、魔法少女同士で戦いを始められたら、僕に止められそうもないし。

「じゃ」

 杏子が片手を挙げて、意外なことに別れの挨拶をしてきた――と一瞬思ったが、そうではなかった。

「早い者勝ちってことでいいよね!」

 なんて事を一方的に言い放つと、掲げた手をすっとずらし魔法陣を展開させ、魔女の結界への入り口を創り出す。そして杏子はキュゥべえを引き連れ、そのまま結界の中に飛び込んでいく。

「なっ!? くそ! あいつ!」
「阿良々木さん! 私達も後を追いましょう」

 すかさず巴さんも結界の入り口を創り出し、数秒遅れで僕達も杏子の後を追ったのだった。










~065~

 魔女の結界の中は、白と黒の異空間に繋がっていた。
 事前にほむらから訊いていたが、確かにこの空間を一言で言い表すのなら『影絵』となるだろう。
 全身、衣服も含めて黒一色に塗りつぶされ、大まかなシルエットでしか判別できない。
 その為、表情など読み取ることはできそうもなかった。

 結界自体は単純な構造で、軽い登りの傾斜がある一本道のみ。
 先に進むほど狭くなっていき、その道中中程で、先に結界内に突入していた杏子が、既に使い魔と交戦を繰り広げていた。

 頭部が様々な動物に置き換わった(シルエットなので判別し難いが、把握できるのは犬、鼠、馬、鳥、羊、兎などなど)、蛇のような体躯をした使い魔の一群と大立ち回りを演じている。

 十を超える使い魔に囲まれながらも、圧倒的な槍捌きで薙ぎ倒し邁進していく。
 が、使い魔は倒したそばから次々と湧き上がってくるので、まだ魔女の下には辿りつけていないようだ。とはいえ、苦戦しているという印象は全く受けない。
 道を外れれば奈落の底に真っ逆さまとなる狭いフィールドで、かなり動きが制限されているはずなのに大したものだ。

 そして一本道の最奥には、この白と黒にのみ色分けされた影絵空間に於いて、例外的に赤く染め上げられた塔が建っていた。
 異質なまでに禍々しく、鮮血を想起させる赤い塔――太陽を象ったシンボルが掲げられた、オブジェのような不可思議なモニュメントである。

 それに向かって、両手を胸の前で組んでひざまずいた体勢をしているのが、この結界の主である『影の魔女』なのだろう。
 魔女としての形態はほぼ人型で、少女の姿をしているように見える。
 侵入者の存在などお構いなしに、身動き一つせず一心不乱に祈りを捧げていた。



 さて――現段階に於いて、使い魔の標的となっているのは杏子だけで、魔女にも動きがない。
 警戒を怠ることはできないが、話をする余裕はありそうだ。

「癪かもしれないけどここは杏子の誘いに乗っておく? 巴さんの正確無比な射撃の腕があれば、この遠距離からでも魔女を仕留めることは可能だろうし、寧ろアイツに使い魔が集中している今がチャンスじゃないか?」

 少し卑怯な気もするが、これは杏子から言い出した勝負だ。
 あと、さも僕が自分で考えたような口ぶりで話しているが、この作戦はほむらの助言に従った攻略法である。

「阿良々木さんの仰る通り、魔女の動きもないですし、ここからなら十分射程範囲ではあるんですけれど……」

 だけど、反応は芳しくなかった。

「無理そう?」
「無理ではないんですが、魔女を確実に仕留めるとなると、少し問題が……」

 意図していることが分からず、僕は首を傾げる。

「ごめん、問題って?」
「単発のマスケット銃で狙撃するぐらいなら支障はありません。ですが、魔女を一撃で倒すとなると、ティロ・フィナーレクラスの砲撃が必要だと思うんです。でも、そうなると……射線上の佐倉さんを巻き込んでしまいそうで…………」

「あ……そっか」

 考え足らずというか…………僕は馬鹿か。
 狙撃からのヘッドショットを決めればいいなんて思っていたが、そんなので魔女を仕留められる保証はないよな。

 巴さんが危惧する通り、あの必殺技はレーザー砲みたいなもんだから、かなりの範囲を撃ち貫いてしまう。この狭い一本道で魔女を狙えば、射線上で戦っている杏子諸共吹き飛ばしてしまいそうだ。誤射しましたじゃ済まされないしな、これは考えを改めなければ。

 なら、僕達に出来ることは……リスク承知で接近戦に挑むか――悔しいけどこの魔女は杏子に譲るか……いや、でもほむらからなるべくグリーフシードは回収しておくよう念を押されてるからな。う~む、真っ当な案が浮かんでこない。

「巴さんは、どうしたらいいと思う?」

 やはりここは巴さんの、意見を訊いておくべきだろう。

「……私は、魔女退治を……優先したいです」

 巴さんが遠慮気味に口を開くも、少し要領を得ない。

「…………優先って?」
「……私の我儘なんですが、今回は佐倉さんの援護にまわって、魔女を倒すことを最優先にしたいんです」

「ってことは、グリーフシードは杏子に譲るってこと?」
「はい、多分そうなります…………けどその前に、この魔女との戦いが終ったら、もう一度、一緒に戦ってくれるよう説得したいんです! また昔みたいに……解り合えると思うんです……だから……」

 切実とした声で、巴さんが訴えてくる。
 これを我儘ということなんて僕にはできない。

「それなら僕に異存はないよ」

 グリーフシードを持って帰らなかったら、ほむらに文句を言われるかもだけど。

「いいんですか?」
「うん。僕も出来ることなら仲直りして欲しいと思ってたし、喜んで協力する。んーでもさ、結構な剣幕で言い争っていたけど、大丈夫なの?」

 あまり野暮なことは言いたくないが、さっきの言い合いをみた手前、楽観視はできそうもない。
 説得するのに骨が折れそうだ。下手したら、本当に本当の意味で骨を圧し折られるかもしれない。

「そう……ですね……正直、難しいと思います。でも佐倉さんが言ったんです」
「ん? 言ったって?」

「『大事なのは一人でも多くの人々の命を守ること』『魔法少女同士で争うのは間違っている』。私が昔、佐倉さんに言った言葉をちゃんと覚えていてくれた。私を揶揄する為の皮肉として使ったってことは、ちゃんと解かってるんですけど、でも……それでも……それが嬉しくって」

 巴さんが、すっと手で目の辺りを拭う。
 影絵空間の所為で表情は見えないが、もしかしたら涙腺が潤んでしまったのかもしれない。

 二人の過去にどんな事情があるのかは判らないけれど、巴さんの想いは確かに受け取った。

「おし。そうと決まれば、全力で杏子のサポートにまわろう!」





[27169] こよみハッチ~その7~(Elsa Maria)
Name: ミドリ◆02e976c9 ID:ea6cad15
Date: 2014/06/07 19:58
~066~

 僕達の方針が固まったのはいいものの――気付けば、既に杏子は魔女のすぐ傍まで肉薄していた。

 魔女を護らんがため使い魔達が猛攻を掛けるも、それを華麗に凌ぎつつ間合いを詰めていき――踏み込み一閃。長槍で魔女の首を撥ね飛ばした!

 血飛沫とおぼしき液体と頭部が宙を舞う。
 されど、相手は魔女。
 首が切断されても、それで仕留めきれてはいなかった。

 突如、魔女の背中から『樹木』が噴出するような勢いで生え――一気に『枝葉』を伸ばす。
 植物に対して適切な表現かは知らないが、爆発的に膨張し刹那の間に杏子の周囲を覆い尽くした。

「え? 嘘だろ……」

 敵対していた杏子に伝える機会がなかったとはいえ、ほむらから『影の魔女』との接近戦は危険だと訊いていたのに! だが後悔しても遅い。

 杏子の周囲を取り囲んでいた樹木の檻が――――圧搾された。

 逃れる隙間などなく、その中にいた杏子は…………。

「巴さん!! すぐに魔女を撃ってくれ!!」

 杏子を助けにすぐにでも飛び出したかったが、距離があり過ぎる。ここは遠距離からでも狙撃が可能な巴さんの力に縋るしかない。魔女の力を断つことさえできれば…………まだ。

「いえ、阿良々木さん。心配ありません」

 ただ僕の焦りとは対照的に、巴さんは落ち着き払っていた。

「でもっ!?」
「大丈夫です。佐倉さんの魔力の波動に、全く乱れはありませんから」

 確信した口調で断言する。

 その言葉通り――杏子を包み込んでいた樹木の檻は、一瞬にして切り刻まれ、何事もなかったかのように杏子が姿を現した。

「よかった…………やられたのかと思った……」
「私も一瞬ひやっとしましたけど、昔から佐倉さんの戦闘センスはずば抜けていますから。多分ですけど、鎖で編み込んだ結界を自分の周囲に展開させて、難を逃れたんだと思います」

 僕がホッと胸を撫で下ろしていると、巴さんがどこか自慢げに解説をいれてくれた。
 攻撃一辺倒って訳でもなく、しっかりと防御手段も持っているのか。

「これで魔女も攻勢を掛けてくるでしょうし、ここからが本番ですね――阿良々木さん。私が銃で使い魔の注意を引きつけ仕留めていきますから、撃ち漏らした時の対処をお願いできますか?」

「おっけー。やれるだけやってみる」

 巴さんの指示に僕は頷き、戦闘準備に取り掛かる。


 まぁ戦闘準備と言っても、忍に頼んで刀を用意して貰うだけだ。
 僕は自分の影に向かって(地面が真っ暗で何も見えないけど)、小声で呼びかける。
 昨日、五千円分ものドーナツを貢いだこともあり機嫌がいいようで、二つ返事で応じてくれた。

 地面から抜き身の刀が突き出てくる。
 忍が物質創造能力で拵えた特製の日本刀。

 この刀は、ここ最近の使い魔退治に使用しているので、それなりに手に馴染んできている。
 真っ黒なシルエットでしか見えないけど、外見はごく標準の日本刀。ただ忍曰く、良く切れるをコンセプトにしたらしく、薄い鉄ぐらいなら抵抗なく斬れてしまう代物だ。


 あと刀の説明ついでに――なぜ『心渡』を使用しないのかについても軽く触れておこう。

 まず大前提として、ほむらからの要請だからというのがある。

 かすり傷一つでこの世ならざる者を殺し尽くす――使い魔であれ魔女であれ、一太刀で問答無用に殺しきる、絶大な力を秘めた妖刀『心渡』。

 魔女退治に於いて、これほど優れた武器もないが――どうやらほむらは『心渡』を“切り札”に位置づけており、誰にもその存在を知られたくないようなのだ。

 特に、キュゥべえに対してだけは絶対に見せるなと厳命されている。

 なので――キュゥべえがこの結界内にいる限り、『心渡』は使用できないという訳なのだ。
 今回は杏子についてきたから、強制退場して貰う訳にもいかない。


 まぁ例え、キュゥべえがいなかったとしても、魔女に対しておいそれと『心渡』を使用することはできない。
 なんせ、魔女を『心渡』で倒すと、グリーフシード諸共殺し尽くしてしまうという致命的な問題がある。
 魔法少女にとって希少なエネルギー源であるグリーフシードが手に入らないなんてのは、あってはならないことなのだ。

 ならば使い魔に対してのみ使用すればいいとの意見もあるだろうが、あの長すぎる刀身は正直扱い辛く、ちょこまか動き回る傾向が多い使い魔相手にはデメリットの方が大きい。


 何にしても、準備は整った。
 僕は巴さんの約五メートル前方に位置取り、影から引き抜いた日本刀を構える。

「よし! どこからでもこい!」
「では、いきます! ティロ・ミラーレ!!」

 僕の気合の掛け声に巴さんが応じ、銃の撃鉄が打ち下ろされた!

 耳を劈く発砲音が連続して響き、使い魔に銃弾が命中してく。耐久力はそれほどないようで、銃弾が当たりされすれば、それで倒しきることができるようだ。

 だが使い魔は今の所、無尽蔵に湧き出てくる。
 新たに出現した使い魔がこちらに向かってきた。

 とは言っても、これは巴さんの狙い通り。
 これで杏子一人に集中していた使い魔が、分散されたことになる。 

 と、そこで杏子がギロリと視線を向けてきた――ような気が……。
 実際には一瞬振り向いただけで、例によって表情などは読み取れないのだけど、杏子の今までの言動から推測するに、『余計な真似しやがって』とか悪態を吐いてそうだ。

 そりゃ敵対している間柄だし、援護なんてされても気に食わないか。

 例えるならば、自分一人でシューティングゲームのボス攻略を楽しんでいるところに、手伝ってあげるみたいなノリで、協力プレイされたみたいな。

 巴さんの想いとは裏腹、これは杏子の神経を逆なでしただけかもしれない。


 まぁ杏子への対応は追って考えるとして、今は敵を狩ることに集中しなくては!
 改めて柄を握り込み、迫り来る使い魔の強襲に備える。

 しかし――だがしかしだ。

 いつまでたっても使い魔がやって来ない!
 別にこれは、巴さんの思惑が外れて、使い魔がこちらの誘いに乗ってこず、途中で引き返していったいという意味合いではなく――僕の元に辿りつく前に、全ての使い魔が撃墜されていたから。

 ここで確認しておこう。

 僕の役割は、巴さんが仕留め損なった使い魔への対処である。
 が、巴さんの狙撃は全弾命中。一匹たりとも撃ち漏らすことはない。

 あれ? 僕、必要なくね?

 みたいな状況になっていた。
 いや、僕が居ることで巴さんも集中できるのだろうし、これでもいいんだろうけどさ。




 ああ、それと一つ訂正しておこう。
 使い魔を“分散”させたといったが、それは過去の事象になった。

 もう――活動している使い魔はいない。ものの数秒で“殲滅”されている。

 この二人が組むと、こんなにも圧倒的になるのか。

 正確には一方的な加勢であり、共闘したわけではないのだろうが、二人ともお互いの動きが読み取れているかのような阿吽の呼吸で、瞬く間に使い魔が一掃されていった。

 新たに湧き出てくる使い魔でさえ、出現したそばから巴さんが狙撃していき(なんかモグラ叩きみたいだ)、もう杏子を襲う使い魔は存在しない。

 依然として僕は突っ立っているだけで、全く役に立っていない現状なのはさて置いて、これで杏子と魔女の一騎討ちの構図となった。

 この魔女の強みは、使い魔との連携にあるとほむらは言っていたし、大分戦いやすくなったはず。
 まぁ杏子にとっては余計なお世話であり、使い魔がいる状態でも問題はなかったのだろうが。


 使い魔の妨害がなくなったところで――杏子が仕掛ける。

 それに対し魔女は背中から生み出した樹木で防壁を張るも、そんなもので杏子の進行は止まらない。
 槍の演舞によって樹木は刈り取られる。

 使い魔も巴さんの狙撃によって随時倒されているので、これで魔女は完全に無防備となった。
 止めを刺すべく、杏子は跳躍し上空で投擲の構えを取る。

 しかし、その僅かな溜めの動作を魔女は見逃さない。
 魔女はまだ『奥の手』を隠し持っていた!

 切断された魔女の首から無数の手が伸び――まるで真理の扉から這い出てきたようなその手は、うねりながら不規則な軌道で杏子に迫る。伸縮自在の性質は使い魔と似通った感じだが、段違いに動きが早い。

 跳躍したことで動きの制限された杏子に、魔女の伸ばした異形の手が襲い掛かった!

 だが、そんな絶体絶命の状況にも杏子は全く動じない。
 槍を旋廻させ強襲する触手を弾き飛ばし、その反動で後方に退避。

 着地と同時に追尾してきた魔女の触手を、最小限の動きで回避しながら切り落としていく。

 何の危なげもなく、完全に魔女の攻撃を封殺してみせる。

 時を同じくして、巴さんの銃撃も止まった。
 どうやら使い魔の数にも上限があり打ち止めになったようだ。


 改めて実感する。
 巴マミ。佐倉杏子――この二人の魔法少女としての力量は、ほむらにも引けをとらないのではないだろうか?
 まぁほむらには時間停止なんて反則じみた魔法があるけれど。

 兎にも角にも――これで今度こそ本当に魔女を追い詰めた。

 流石にこの状態からの巻き返しはないだろう――




 ――そう安堵した瞬間に“それは”起こった。


「まさか!? こんなことって!?」

 巴さんの驚嘆の声が耳に届いたのとほぼ同時――突如視界が霞み、辺り一帯に黒い霧が立ちこめていく。

 魔女の攻撃? まだそんな余力を残していたというのか!?
 
 いや、違う。だってこの感覚は知っている。既に体験している。
 空間が歪み、不可思議な浮遊感が全身を支配する。


 一寸先は闇。
 これほどまでにこの状況に即した言葉もない。

 理由も原因も解からない。

 ただ、何が起こったのかだけは解かった。

 どこまでも不条理な事に、僕達は“魔女の結界”に呑み込まれたのだ。





[27169] こよみハッチ~その8~(Suleika)
Name: ミドリ◆02e976c9 ID:ea6cad15
Date: 2014/06/17 19:34
~067~

 期せずして辿りついたのは、闇に覆われた異空間だった。
 目を凝らして辺りを見回すと、すぐ傍に巴さんと杏子の“人影”を発見――『影の魔女』の結界内にいたメンバー(キュゥべえ含む)はこの結界に呑み込まれた際、ほぼ同じ座標に集められたようだ。

 依然として影絵空間が継続しているようで、黒いシルエットでしか判別できない。
 それに加え、この真っ暗な空間と合わさった所為で、人物そのものの視認が困難なレベルになっている。
 僅かな濃淡の差異があるので背景との同化だけは免れているが、“普通の人間”であれば、何も見えない状態だろう。

 それほどまでに闇が濃い漆黒の世界である。


 そして、もう少し念入りに周囲を確認すると、ここが頭上一面に星空の広がった、真っ暗な半球状のドームであることが判る。

 ただこれを、“プラネタリウムのような”と表現することは憚られる…………だって、夜空を彩る星々がこれっぽっちも輝いていないのだ。
 影絵空間の影響なのか、元々の仕様なのかは知らないが、星の煌めきがただの白い点でしかなく、なんともがっかりな景観になっている。

 まぁ魔女の結界にムードや風情を求めるのもどうかと思うが。

 ともあれ、僕と巴さんがお互いの無事を確認していると、杏子の苛立った声が聞こえてきた。

「ちょっと、キュゥべえ。これってどういうこと!?」
「どうやら、魔女の結界に呑み込まれてしまったようだね」

「それはわかってるつーの。アタシが訊いてんのは、何で魔女の結界の中で違う魔女の結界に取り込まれるのかってこと!」

 キュゥべえの少しずれた返答に、杏子が語調を強め詰問する。

「んーこれと似た事象として、魔女同士が同調して結界を創りだすことは、既に観測されているよ」
「っつーと、同じ場所に魔女が複数いてもおかしくないっそう言いたい訳?」

「そう考えるのが、妥当な線じゃないかな」

「ふーん。ま、見滝原に潜伏している魔女の数は段違いだからね――で、あの魔女は?」

 キュゥべえの意見に一応の納得を示した杏子は、続けて問い掛ける。

 槍の穂先で指し示すその先には、魔女らしき物体が空中でふわふわ浮かんでいた。
 巨大化した金平糖みたいな身体(?)から出鱈目な方向に手足が生えていて、なんとも珍妙な見た目をしている。


「あれは『暗闇の魔女』だね」

 杏子の問いに、キュゥべえはそう答えた。

「変幻自在に姿を変えることができる『夢の使い魔』を従え、性質は『妄想』を司っている」
「ちっ、幻惑タイプの魔女か。ちぃーとばかり厄介だね」

 相手の性質を訊いて、舌打ちともに警戒心を露わにする。
 杏子の懸念は尤もだ。この闇に乗じて、幻覚や精神に作用する攻撃を仕掛けてくるのは容易に想像できるからな。
 そして何より名前からして、かなりヤバそうな相手だ……そう思ったのだが、

「いや、幻惑とかそんな器用なことをする魔女じゃないよ。自身の妄想を使い魔に命じ具現させ、気ままに遊び呆ける怠惰な魔女だからね。此方から危害を加えない限りは、ずっと妄想を繰り返しているだけだよ」

 キュゥべえの解説を訊く限り、なんとも残念な魔女のようだ。

 魔女の周りでは、使い魔の一団がくねくねと輪になって踊っている。
 魔女の妄想が反映されているのか、使い魔の姿に統一性はなく、どいつもこいつも奇怪な姿をしていた。イメージし易いところで例えるなら、『ゲゲゲの鬼太郎』登場する妖怪たちが盆踊りしているような感じ。

「あっそ。はぁ、また手応えのない相手っぽいね。あーあとさ、さっきの魔女は何処にいっちゃったわけ?」
「それは『影の魔女』のことかい?」

「そ、折角あとちょっとだったのに、逃げられてたら最悪」
「それはないと思うよ。おそらく、まだこの結界の外に居るはず。その証拠に結界同士が干渉し合った状態にあるからね」

「あーだから、真っ黒のままなんだ」

 と、杏子が一通りの状況確認を済ませた、その流れで――

「っつーことだからさ。今度は邪魔しないでよね」

 ――僕と巴さんに向かって、憎たらしく文句を言ってくる。

「……佐倉さん。くれぐれも油断しないで」

 それに対し巴さんは、最低限の返答をするだけに止めた。
 この戦いが終ったら、杏子を説得して関係の修復を図ろうとしているのだから、これが今、巴さんが伝えられる精一杯の言葉なのだ。

「ふん。余計なお世話だね」

 そんな捨て台詞のような言葉を残し、杏子はそのまま戦闘態勢に移行――長槍を引っ提げ突貫する。
 周りで踊っている使い魔のことは無視して、いきなり魔女本体に攻め込んだ!

「あらよっと!」

 軽い身のこなしで、距離を一気に詰めると――魔女に避ける隙を与えることなく、先手必勝の刺突を繰り出した!

 魔女が串刺しになり、それだけで勝負あったかに見えた――が、杏子は即座に槍を引き抜き、更に執拗なまでに魔女を切り刻む。
 なぜか一向に、攻撃の手を緩める気配がない。

「駄目です。攻撃が当たっていません」
「え?」

 攻撃が当たっていない? ちゃんと槍は魔女を捉えているはずだけど……なんて巴さんの発言に疑問を覚えつつ、よくよく注視してみれば――ああ、確かに杏子の攻撃は全て、魔女を“素通り”していた。

 魔女の身体が霞んで……あれは透けているのか?

 何にしても、魔女の身体には、槍によって刻まれたはずの裂傷が一つも見当たらない。

 と、その時――攻撃されても、ずっと身動きせずただ浮かんでいるだけだった魔女に変化が起こる。
 金平糖みたいな身体がぴくぴくと痙攣したように蠢きだし、不気味というか、かなり不穏な気配が……。

 案の上、その嫌な予感は的中。

 身体の突起部分が鋭く尖り――まるでハリセンボンが身を護るため、全身から棘を伸ばすような感じで攻撃を仕掛けてきた。

 尖った幾本もの棘が伸びてくる。それでも杏子は直前に危険を察知していたようで、ちゃんと回避の行動をとっていた。

 しかし出遅れたのは否めず、どうしても避けきれない棘が身近に迫る。

「ちっ」

 条件反射というべき咄嗟の判断で、杏子はその棘を槍で打ち払い、軌道を逸らしにかかった。
 
 けれど、槍は先ほどと同様、魔女を実体として捉えることができない。まるで闇そのものを斬っているかのように槍は空振りしてしまう。

 それでも杏子は寸前に、格子状に編み上げた鎖の結界を自分の周囲に展開させ、ぎりぎり防御態勢に入り、魔女の得体の知れない攻撃を防いだ。いや、ちゃんと防いだはずだったのが、魔女の棘は防御結界さえも“透過”して――

「がはっ!!」

 どういう理屈か、実体のないはずのその棘は杏子の脇腹を“実体”として刺し貫いていた!


「うっ……!」

 小さな呻きを洩らし、腹部を押さえながらもどうにか後退――魔女はそれ以上の追撃を仕掛けてくることはなく元の状態に戻る。
 あたかもそれは、妄想中にちょっかいを出された事に腹を立て、追っ払っただけみたいな対応で、僕達のことなど眼中にないかのようだ。
 でもこの場合、魔女が好戦的な性格をしていなくて助かったとみるべきだろう。

「おい、大丈夫か!?」
「佐倉さん!」

 すかさず、僕と巴さんは杏子に駆け寄った。

「くそっ、ヘマしちまった…………」

 怒りに満ちた声で、自身の落ち度を嘆く杏子。
 右手で押さえた脇腹から、血が止め処なく溢れ出てくる。傷口を魔法で治癒しているのだろうが、その上で腕を伝い、ぽたぽたと血が滴り、地面に血溜りが形成されていく。

 かなりの重傷を負っていた。このままでは相当に拙い。

「すぐに治すからじっとしてて」
「いい。自分で治せる」
「駄目よ。佐倉さん、治癒魔法は変わらず苦手なんでしょ」
「いいって言ってるだろ!」

 巴さんが治療を申し出るも、杏子は訊く耳もたない。
 けれど今回ばかりは巴さんが譲らなかった。

「なら好きなだけ抵抗してみないさい。できるものならね」

 そう巴さんが言うや否や、杏子の身体にリボンが巻き付いた。
 なんというか、手術台で暴れる患者を無理矢理大人しくさせるため、手脚をベルトで固定するような感じで、杏子の四肢をリボンで拘束したのだ。

「おい!? こらマミ!? 離せ!」
「応急処置が終ったら、ちゃんと解放するから黙ってて。でないと今度は口を塞がせて貰うわよ」

 その脅し文句が効いたのか、ぼそぼそとした声で不平を漏らすものの、取り敢えず抵抗はなくなった。











~068~

 治療が始まると、程なくして杏子が意識を失った。
 これは多量の血液を失ったことと、気張っていた緊張の糸がほつれてしまった為だろう。
 とは言え、外傷に関してはほぼ完治しており、巴さんの話では命に別状はないようだ。

 これで一安心、と言いたいところだがまだ魔女の結界に取り込まれている状態なのだから、油断はできない。

 そして――これからどうしたものかとしばし相談を続け、僕達は戦略的撤退することを決めた。

 杏子も意識を失っている状態だし、魔女もなんだか得体が知れない。ここは態勢を立て直すべきだと、判断した次第だ。
 ほむらなら何か有効な対策を知っているだろうし。

 そんな訳で、僕が意識を失った杏子を抱え上げ(火憐を見習った訳ではないがお姫様抱っこである。杏子が起きていたら激しく抵抗されたことだろう)、巴さんの先導で魔女の結界からの脱出を試みる。

 が、しかし。

「……駄目……みたいですね」

 巴さんが何度試しても、結界からの出口が創り出せないでいた。
 どうも外界との接続が上手くいかないらしい。

 極力、関わるのは避けたかったが、この状況では止むを得まい。

「なぁ、キュゥべえ。これってどうなっているんだ?」

 渋々ではあるが、コイツに訊いてみることにした。

「それはきっと、魔女の結界同士が歪な形で干渉し合っているのが原因だと思うよ」

 僕の質問にキュゥべえはそう返答してきた。
 ここ最近は不快害虫を扱うような排他的な接し方をしていたから、無視されるかとも思ったが、こういうところは相変わらず律儀な奴である。

「今、僕達のいるこの結界は、『影の魔女』の結界で覆われた状態にあるからね。だから、ここからでは直接、出口を創り出すことができないんじゃないのかな」

「なら、『影の魔女』の結界に移動してそこからなら……」

 と、僕が思いつきをそのまま口にしてみたものの、

「それも、さっきから試してみてはいるんですが……」

 既に試した後らしい。

 つまり、この結界内からの脱出はできない…………。

 なら残された選択肢はあの魔女を狩る以外ないってことか。
 まぁ退路が断たれただけで、元より魔女を倒すのが主目的だったわけだし、そう悲観することでもない。撤退を決めたのも、念には念を入れた故の判断だ。

 とは言うものの『暗闇の魔女』への有効な対処法が思いついていないのも事実。さてどうしたものか。

 巴さんと意見交換してみるも、手詰まりな現状を思い知るだけだった。

 杏子の攻撃は全て魔女の身体を実体として捉えることができなかった。だから斬撃や殴打なんかは効かないとみていい。当然、僕の刀でも巴さんの銃撃でも同じこと。ダメージを与えることは不可能だと思われる。

 まだ試した訳ではないが、不用意な攻撃で魔女を刺激することは避けたい。
 できることなら、一気に勝負を決めたいところだ。

 そういった考えで、最悪の場合――キュゥべえに見られる事を覚悟の上で、『心渡』を使用すれば魔女を倒すことができるなんて考えも浮かんだが…………すぐに致命的な問題に気が付いた。

 『心渡』の特性を一言で説明すると『かすり傷一つでこの世ならざる者を殺し尽くす』――既に何度か語っている通りだ。
 で、今回の場合、その『かすり傷』がつけられない相手なのである。

 これは、大見得を切って実行に移す前に気付けてよかったと見るべきかもしれない。無様に魔女の返り討ちにあい、串刺しにならずに済んだのだから。

 うーむ……にしても、一向に打開策は出てこない。

「攻撃を無効化とか、どうしろってんだよ……」

 変わりに出てくるのはこんな泣き言だけだ。

 と、そこでふと、あの『エピソード』との一戦が頭を過る。

 ヴァンパイアハーフにして、ヴァンパイアハンターを生業にする性悪な男。個人的に大嫌いな奴だ。
 話題の俎上にあげるだけで、あまりいい気分ではないので、こいつの説明は省略して、関係ある要点だけを抽出すると、奴の得意とする戦術の一つに、自身の肉体を霧状に変化させ攻撃を全て無効化するというものがあった。

 ヴァンパイアの有する変身能力。
 この魔女の特性と似通ったところがあるのではないか?

 あの時は羽川の助言で、『霧化』したエピソードに砂場の土を浴びせることで強制的に実体化させることに成功したんだよな。

「どうにかして、あの魔女を実体化させるすべがあればいいんだけど…………はぁ……全く見当もつかないぜ」
「……ですね」

 しかし、そんな手段が簡単に思いつくようなら苦労はしない。
 巴さんからも、沈んだ返事しか返ってこなかった。

「なぁ。お前は何か有効な対策知らないのか?」

 もう駄目もとでキュゥべえに頼ってしまうような有り様だ。

「知ってるよ」

 でも、キュゥべえが知っているような、そんな都合のいい展開があるはずも…………って、ん?

「知ってんのかよ!!」

 思わず前時代的な懐かしいノリでツッコミをしてしまったぞ、この野郎!

「知ってんなら、さっさと教えろよ!」
「訊かれなかったからね」

 キュゥべえは悪びれもせず言った。言い切った。

 まぁキュゥべえに対して、基本不干渉するよう強いてきたのは僕達だからな……。
 それでも勝手な言い分だと重々理解して言わせて貰えれば、何というかもっと臨機応変に対応してくれよ! そう思わずにいられない。


「で、ほんとに有効な対策なんてあんのかよ?」
「あるにはあるけれど、言ったところで意味はないと思うよ」
「んなわけないだろ?」

 何を言っているんだコイツは?

「取り敢えず、その有効な策とやらを教えてくれないか?」
「まぁ構わないけど――まず『暗闇の魔女』はそこまで手強い魔女じゃないよ。というより寧ろ最弱の部類だ」

 キュゥべえはそう切り出した。
 魔法少女として相当な手練れである佐倉杏子を、戦闘不能に追い込んだ魔女。それを最弱の部類だとキュゥべえは評するのだった。

「いやいや…………んな馬鹿な話があるかよ」

「これは紛れもない事実だよ」

 僕の反論を受け、キュゥべえは重ねて断言した。その上で――

「ただ、“本来は”とそういった注釈をつけるべきかもしれないね」

 ――なんとも回りくどい言い回しで、キュゥべえは付け加える。

「ええっと、要するに、本来はここまで強い魔女じゃないってそう言いたいのか?」
「そういうことだね」

「まぁそれはいいとしてだ。さっさと本題に入ってくれよ。ちゃんと有効な対策があるっていうなら、別に問題ないわけだろ?」
「そうとも言えないよ。対策が明確であるからこそ、より問題が浮き彫りになることもあるからね」

 僕の催促に、妙な前置きを挟み、ようやく『暗闇の魔女』への対策を話し始める。
 僕達の置かれた状況を“懇切丁寧”に語ってくれた。

「『暗闇の魔女』はその通称通り、暗闇を好み、闇の度合いが深いほど力を増幅させる。そしてこの魔女は君達も知っての通り、闇と同化することであらゆる攻撃を無効化することができる。更に、部分的に実体化することも可能だ」

 それで杏子の攻撃が一つも通じなかったり、一方的に攻撃を受ける結果になったのか。
 闇と同化なんていう凶悪なスキルを持った魔女が最弱の部類だなんて、どういう冗談だろう?

「でも、この魔女の強みは暗闇の空間に於いてのみに限定される。言い換えれば、この魔女は光に弱い。いや、途轍もなく弱いと言える。そうだね、微量でも光源――例えば街の灯りや、微かな星の輝き、それこそソウルジェムが放つ程度のわずかな光でもあれば、十二分に効果はあるはずだよ。それで魔女の動きを弱らせ、強制的に実体化させることが可能だ」

 闇に対して光が弱点だっていうのは、まぁRPG世界に於いてもごく当たり前の理論だ。

「なんだ、こんな簡単な方法で魔女の力を抑えることができるのか」
「あの、阿良々木さん、この場合そういうことではなく…………」

「ん?」
「その、これどう見えますか?」

 巴さんが悲愴感を漂わせた声で、自身の頭を指差す。
 正確には、帽子についた花形の髪飾りを指差していた。

「どう見えるって…………この結界の中じゃ、大まかなシルエットでしか判別できないけど、確かそれ、巴さんのソウルジェムだよね」
「はい。今、かなり強めに魔力を込めてみたんですが、何か変化はありましたか?」
「いや、変化って、全くちっとも…………この影絵空間じゃ真っ黒のままで………あ……そうか」

 そこでようやく思い至った。

 ――対策が明確であるからこそ、より問題が浮き彫りになることもある――

 キュゥべえが発した言葉の意味を、遅蒔きながら理解した。

「そういうことだね。今この結界の中では“光が光に成りえない”。『暗闇の魔女』への対抗手段である光が、この状況下ではどうやっても生み出すことができないというわけなのさ」

 僕達の置かれた現状を淡々と述べ立てるキュゥべえの声が響く。

 そして、ただ事実確認だけを目的とするような事務的な口ぶりで、キュゥべえは僕達に宣告した。

「つまり、影と闇よって組成された光が存在し得ないこの空間に於いて、『暗闇の魔女』はほぼ無敵の存在になったと言っても過言ではないだろうね」






[27169] こよみハッチ~その9~(Suleika)
Name: ミドリ◆02e976c9 ID:ea6cad15
Date: 2015/09/10 08:50
~069~

 闇と同化することで、全ての攻撃を無効化することが可能――対抗手段である光がなければ、この魔女を実体として捉えることはできない。だというのに、『影の魔女』の結界の影響を受けたこの空間内では、どうやっても光を生み出すことができず――歪な状態で干渉し合った魔女の結界からは、脱出することさえできない。

 不幸中の幸いとして、魔女は自身の性質である『妄想』にご執心のようで、此方から攻撃を仕掛けない限りは安全ではあるのだが――それでも現状を理解すればするほどに、置かれた状況の悪さを痛感することになる。

 正に八方塞がり。打つ手がない。

 だからと言って、何らかの行動に移らなければ――打つ手がなくとも、一か八かで打って出なければ――一生この結界の中に閉じ込められたまま。待っているのは『死』という現実だけだ。

 助けを待つという選択肢もないわけではないが、それはやれることをやってからの最後の選択。


 そうして、僕と巴さんが無理矢理絞り出した窮余の一策は――これだ。


「ティロ・フィナーレ!!!」

 最大火力の魔法砲撃。
 実弾ではない純粋な魔力放出による熱量攻撃だからこそ、実体で捉えることが出来なくとも、闇と同化した魔女にダメージを与えられる可能性は十分ある。

 いつぞやの、キャンディ頭の魔女を相手にした時よりも更に巨大な固定砲台から、耳を劈く轟音が響き渡り、撃ち出され魔力の奔流が魔女の全身を撃ち貫いた!
 魔力を込める時間は幾らでもあったから威力の程は申し分ない。


 けれど結果は……。

「マジかよ…………」

 本来なら、凄まじい閃光を伴って貫くはずが、やはりこの空間内では光に成りえず……予想していなかったわけではないが、魔女は全くの無傷。

 そしてあろうことか、あらん限りに魔力を注ぎ込んだ巴さんの必殺技に、魔女は一切の反応を示さなかった。

 反撃を想定し、僕は杏子を抱え(例によってお姫様抱っこである)いつでも逃げ回れる態勢で待機していたのだが………相手にもされていない。

 魔女の反撃がなかったことに安堵している部分もあるが――それよりも、僕達がどう足掻いたところで無駄だと言われているようで、これは相当にショックがでかいぞ……。

 いや、ショックの度合いで言えば、僕よりも巴さんの方が大きいはずだ。

「ごめんなさい……力及ばない結果になってしまって……」

 巴さんがか細い声で、謝罪の言葉を口にする。
 渾身の一撃が不発に終わったことで、体力的にも精神的にも憔悴し切っているようだ。

「謝る必要なんてないって。寧ろ巴さんに頼っているだけの、僕の方が謝るべきだ」

 ほんと情けない。ここにきてから僕が役立ったことは一度もないもんな……。

「いえ、そんなことは……」

 巴さんは気遣って否定してくれるけれど、自分自身に嫌気が差す。己の不甲斐なさに恥じ入るばかりだ。

 なればこそ、ここら一つ汚名返上といきたい。

「まぁ、次は僕の方でやれることをやってみる。巴さんは休んでて」

 僕は努めて軽い口調でそう言って、杏子をゆっくりと地面に寝かせてから、自分の頬を挟み込むように力一杯叩く。
 気合注入の為の軽い儀式みたいなもんだ。

 よし。これで覚悟はできた。

「阿良々木さん?」

 僕のその発言と奇異な行動に、巴さんが不思議そうに首を傾げ――何をするつもりなのかと、言外に問いかけてくる。

 ただ、僕はそれには気付かない振りして、巴さんから少し距離を取ってから“交渉”に取り掛かった。この作戦を巴さんに知られることは避けたいのだ。反対されるのは目に見えている。それはもう間違いなく。



「忍」

 巴さんには聞こえないよう声量を抑え、影に潜む半身の名前を呼ぶ。

『なんじゃ我があるじ様よ?』

 呼びかけに応じ、忍が直接脳内に語りかけてくる。
 まぁ、要件は一つだけなので、単刀直入に僕は言った。

「心渡を貸してくれないか?」
『ん? 貸すのは別に構わんが、どうするつもりじゃ? 幾ら心渡が類稀なる妖刀と言えど、傷をつけれんことには、効果の程は見込めんじゃろうよ』

 当然、忍もこの致命的な問題に気付いていない訳もなく、僕に説明を要求してきた。
 んー、借りる立場なんだから、忍には話しとくべきか。

「えっと、簡単に言うと、“肉を切らせて骨を断つ”みたいな?」
『は? 何を言っているのかようわからんが……』

「あの魔女って、攻撃を仕掛けてくる時、部分的にだけど実体化するんだよ」
『ほう、して?』

「だからさ、捨て身でわざと相手の攻撃を受ければ、その箇所は実体になってるはずだろ? そこを心渡で一刺しすることができりゃ、活路が見いだせるんじゃないかと思って」

『………………………………のう、お前様よ。自分の言っている言葉の意味をちゃんと理解しておるか?』

「ああ、そりゃな。かなり無茶な作戦だってことは解かっているけど、この吸血鬼状態の身体なら何とかなるだろ。他に有効な方法も思いつかないし、多少の痛手は止むを得ないさ」

『はぁ……………………お前様は本当にアホじゃの』

 忍が心底呆れたように言う。

『身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれとも言うしの。まぁ確かにそれならば、どうにかなるやもしれん』
「そうか? お前にそう言って貰えるなら、心強いぜ。んじゃ悪いけど、心渡を頼む」
『いや、それには及ばん』

「あ? それってどういうことだ?」

 と、忍に真意を問い掛けたところで――

「阿良々木さん。どうかされたんですか?」

 ――巴さんが近づいてきてしまった。

 流石に、話が長引きすぎてしまったようだ。
 そりゃ、巴さんから見れば、何をするでもなくただぼーっと突っ立ているようにしか見えないもんな。気にもなるだろう。

 困った。まだ忍との交渉は済んでいないのに。
 というか、あれは断られたのか? 

 何にしても、ちゃんと忍の言わんとした意図を確かめたいところだ。
 そうなってくると、巴さんにも軽く事情説明しておくべきか。

 無論それは『肉を切らせて骨を断つ作戦』の方ではなく、忍と交渉中である事について――この状態で忍との会話を続行させると、僕がぶつぶつ独り言を喋っている危ない奴になってしまうからな。

「ちょっとね。忍と意見交換していたところなんだ」
「しのぶ……とですか?」

「あ、そっか。名前はまだ教えてなかったっけ。忍野忍――以前話した元吸血鬼のことなんだけど、覚えてる?」

「はい。勿論覚えています。伝説とまで謳われた伝説の吸血鬼。今は確か、阿良々木さんの影の中に封じられているんでしたよね?」

「そうそう。そいつと今、話していたところなんだ」
「あ、すみません、お話し中に割り込んでしまって」
「いやいや、いいっていいって」

 ややこしい僕と忍の関係というか、あの春休みの出来事については既に話したことがあったで、これだけで察してもらえたようだ。

「まぁそういうことだからさ、ちょっとの間独り言みたいな感じで喋ってるけど、別に気にしないで」
「はい、わかりました」

 巴さんからの了承が得られた所で、僕は再度忍に問い掛ける。

「で、忍――さっきの話の続きだけど、どういうことだ?」

 密談を続けるのは、なんか巴さんに失礼だし声量は普通に戻しておく(巴さんに忍の声は聞こえないけど)。
 聞かれたくなかった作戦内容については、もう忍に伝えているので問題もないだろう。


『のう、我があるじ様よ。儂がお前様に同行すると言った時の言葉を覚えておるか?』

 僕の問いに対し、忍は質問で返してきた。

「ん? あん時は結構色々なこと喋ってたし……んな漠然と言われても」
『なら“同行理由”と言い換えてみたらどうじゃ?』

「………………うーん」

 しばし思索に耽るも、これといった回答が出てこない。

『なんじゃ、あまりピンときとらんようじゃの』
「うん、悪い。降参だ」

『別に勝負しとったわけでもないし、降参されても困るんじゃが――お前様よ、覚えておらんかの? 儂の目的――同行理由は“グルメ旅行”じゃよ』

 グルメ旅行? なんじゃそりゃ?
 所謂、食べ歩きみたいなもんだよな?

「んな、ドーナツにしか興味ない奴に、グルメ旅行とか言われても」

『違う違う、確かに儂にとってドーナツを食すことは無上の喜びじゃが、それとは別に、食してみたいものがあると言っておいたはずじゃろ?」

 と、そこまで言われてようやく察することができた。

 ああ、確かに言っていた。一度ぐらい食してみたいとかなんとか。

 忍にとって、ドーナツは嗜好品であり、『食事』とはまた別種の枠組みである。
 そして、忍が好んで食すものなど限られている。大別すれば、二つしかない。

 一つは、『人間の血液』。吸血鬼が吸血鬼たる所以。
 ただ、忍野によって“体質改善”された今の忍は、僕の血液しか摂取することができないので、故に、今回忍が目当てにしている食してみたいものもとは、つまり――

「魔女、か」
『そういうことじゃ』

 そう。忍は怪異を喰らうのだ。
 魔女も怪異の範疇なのだから、当然、忍にとっては食糧に分類される。

 しかし……本気だったのか?
 あれは同行するにあたっての、尤もらしい理由付けなんだろうと、そう理解していたのだが…………。

『よい機会じゃからな、あの魔女は儂が頂くことにする――お前様の獲物を横取りすることになるが、それでも構わんかの?』

 いや、そうか。これもまた“尤もらしい理由付け”なのか。
 僕の無謀な作戦を止める為の口実であり、自分勝手な我儘であるという意志表示。

 忍は、事あるごとに自ら率先して人間側に肩入れすることはないと言っていたから、その体面を保ちつつ、婉曲的に魔女退治を引き受けてくれたのだ。

 感謝の言葉が湧き上がってくるが、それはぐっと抑え込んでおく。
 それを口にするほど、野暮な事もない。

「ああ…………それがお前の目的だしな。構わないよ」

 まさか、忍自ら魔女討伐に乗り出してくれるとは思いもしなかった。
 ただ、そうは言ってもだ。


「忍、勝算はあるのか?」
『む? なんじゃ、儂が後れを取るとでも言いたいのかの?』

 心外だとばかりに忍は言う。

「そういう訳じゃないけど、だって……相手は闇と同化するんだぜ」

 幾ら忍とはいえ、こんな無敵の魔女相手にどう戦う?
 実体なき相手にどう、牙を突き立てるというのだ? それこそ“歯が立たない”。魔女を食べようにも、忍お得意のエナジードレインが使えないのではないか? 

 が、僕の憂慮を余所に――

『たかが闇と同化するぐらいなんだというのじゃ?』

 ――忍は平然と言い切る。

「……お前な……それに僕達がどれだけ苦しめられていると…………でも、そこまで言うのなら、何か妙案でもあるのか?」
『妙案もなにも、普通に』

「…………普通にって、何が普通になんだよ」
『じゃから、普通に闇から引きずり出せばよいだけの話じゃろ』
「……………………はい?」
『お前様よ。何か心得違いをしておるようじゃの。闇と同化するだけで、無敵など片腹痛いわ。そんなもの、儂が数多所持するスキルの一つに過ぎんぞ』
「ああ、確かに言われてみればそりゃそうだったな」

 こいつは吸血鬼で――それも怪異の王とまで称された伝説の吸血鬼ではないか。
 無用の心配だったというより、僕の発言は忍の力を軽んじる失礼極まりないものだったのだ。

 いや、でも待て。 
 忍の自信満々な雰囲気に流されかけたが、一抹の不安は残る。

 比類なき吸血鬼――
 鉄血にして熱血にして冷血の吸血鬼――
 怪異殺しの怪異の王――

 そんな数ある肩書きも、残念ながら過去の栄光に過ぎない。

 僕が中途半端な吸血鬼もどきであるのと同じく、忍もまた中途半端な吸血鬼もどきなのである。

 元吸血鬼。
 伝説の吸血鬼の成れの果てにして搾りかす。
 それが今の忍野忍だ。
 どうしようもなく、どうしたってそれが現実だ。

 まぁ、僕が吸血鬼化していることに伴い、必然的に忍の吸血鬼度も上昇している訳ではあるのだが、それでも、全盛期の力には程遠い。

 吸血鬼としてのスキルだって、弱体化していることを念頭に置かなければならない。
 そこら辺の勘定を忍が考慮していない可能性はあった。
 基本的に、大ざっぱで己の力を過信する傾向にある奴なのだ。

「そうだ。もう少し、血を吸っておくか?」

 魔女退治に参戦するにあたって、人間味を僅かに残す程度に――ほぼ限界値ぎりぎりまで吸血鬼度を上昇させてはいるが、それも時間経過とともに減少していく。
 その減った分の吸血鬼度を取り戻すため、もう一度チューニングしておこうと言う提案である。

 万全を期すに越したことはない。

 しかし――

『今の状態でも十分じゃと思うが』

 当の忍はこの反応。

「いや、でもな…………」

 食い下がろうとしたが、その先の言葉を言いよどむ。

 これ以上続けると強要になってしまいそうだ。

 忍は今現在、僕の事を主人として見定めている。僕が否定しようともそれに意味はない。
 吸血鬼の主従関係は絶対であり、立場的に僕が命令という形をとれば、強制的に従わせることは可能なのだが――それは避けたい。というか僕個人の心情的な都合で、ただ単に嫌なのだ。

 ここは忍の力を信じるべきか。
 でも忍の無事を願うのなら強権を奮うことも止むを得ないか…………そんなことを唸りながら考え込んでいると――

「あの、阿良々木さん」

 控えめな調子で巴さんが僕を呼ぶ。

「ん? どうしたの?」
「もしよければ、私に協力させてください」

 僕が呼びかけに応じると、巴さんは真剣な声音で言うのだった。

「協力?」
「はい、私なら大丈夫です。少し怖いですけど、いえ覚悟はできています」
「ん?」

 発言の意図が読み取れず、僕は困惑する。

「え? 巴さんッ!?」

 違った、困惑どころではない! 驚嘆する!

 どういうわけか、巴さんは徐に胸元のリボンをするりと抜き取ると――続けてブラウスについたボタン代わりの留め具(フックが付いた横紐)を外していき、終いにはオープンファスナーまで下ろしてしまう!
 当然、ファスナーを下ろしたことで肌蹴た状態となり、鎖骨から豊満なバストまでが露わに(言うなれば花魁が着物を着崩してるみたいな感じ)――どうしたって僕の視線は谷間に釘付けである!

 ただここで一つ悲しいお知らせがある。
 物語の語り手として、ここでしっかりとブラの描写をしなくてはいけない場面ではあると重々承知しているのだが――この影絵空間の中では全てがシルエット化しており、幾ら目を凝らそうとも、どう頑張っても細部まで見通すことは叶わないのだ!
 くそっ。なんてこった。こんな千載一遇のチャンスを逃すことになるなんて! 『影の魔女』テメェだけは絶対に許さねぇ!

 しかし、見れば見る程に、規格外の大きさだよな。シルエットであろうともそれは一目瞭然だ。
 これで中学生だというのだから恐れ入る。もう畏怖の対象といってもいい……って、危ねぇ! そうだった! 相手が中学生女子であることを完全に忘れていた。

 今更ながらに視線を逸らす僕である。
 言い訳になるが、健全な男子ならこんなの誰だって抗えないはずだ。不可抗力であったことはご理解頂きたい。

 ともあれかくあれさて置いて。

 なぜ巴さんはいきなり胸を見せつけてきたんだ?
 協力とはいったいなんぞや? Hi-ERoハイエロ粒子で力をバーストさせろってことか?
 いや、僕にそんな能力は備わっていないけれど!

 何が何だかわからない。
 巴さんはいったいどうしてしまったのだろう?





[27169] こよみハッチ~その10~(Suleika)
Name: ミドリ◆02e976c9 ID:ea6cad15
Date: 2014/07/26 22:54
~070~

 巴さんの思いもよらぬ大胆な行動に、どう対処していいかわからず、僕は情けなくしどろもどろするばかり――ただことの真相はすぐに明らかとなった。

「血が必要なんでしたら、遠慮せずに私の血を……」
「え? 血?」

 なぜ巴さんが血を? しかも僕に?

 なんて一瞬、混乱してしまったが、なんてことはない。
 巴さんは“吸血鬼の僕”に、血を提供してくれようとしているのだ。

 ほんの数十秒前――

「もう少し、血を吸っておくか?」
『今の状態でも十分じゃと思うが』
「いや、でもな…………」

 ――僕と忍はこんなやり取りを交わしている。

 実際には忍に対して言った提案ではあるのだが…………巴さんには忍の声が聞こえないわけで――故に、僕が血を吸うことに躊躇い逡巡していると、そんな風に誤解してしまったのだろう。

 人間の血液を吸ってパワーアップするなんていうのは、世間一般に知れ渡った吸血鬼のお約束である。
 吸血鬼通だと思われる巴さんであれば、この発想に至ってもおかしくはない。

 だからこれは、別におっぱいをアピールしようとしていた訳ではなく、血が飲み易いように首元を晒してくれたってことなのだ。
 僕も忍に血をやる時は、同じようにカッターシャツを肌蹴た状態にするしな。


「大丈夫! 気持ちは有難いけど、ほんと大丈夫だからさ!」

 巴さんも相当な覚悟で申し出てくれたのだから、思慮に欠けた対応にならないよう気を付ける。

「え、でも…………いえ阿良々木さんが、そう言うのでしたら……」

 取り敢えず、一応は引いてくれた。
 ただ、途轍もなく残念がっているように見えるのは僕の気のせいだろうか?
 いやいや、好き好んで血を吸われたいなんて思うはずもないのだし、これはただ力添えできなかったことに対しての、心苦しさが現れてしまっただけか。

 何にしてもだ――僕は吸血鬼の成り損ないなので、そもそも吸血衝動などありはしないし、仮に巴さんの血を飲んだとしても意味はないはずだ。
 それに大前提として、大きな勘違いをしているんだよな。
 そこの所をちゃんと伝えておかなければなるまい。

「あのね、巴さん。そもそも僕が戦おうって訳じゃなくて――」
『待たれよ!』

 と――事情を説明しようとしたところで、忍が割って入ってきた!
 これもまた僕にしか聞こえない声なので、感じとしてはなんか電話中にキャッチが入ったようだ。

「えっと、ごめん。忍が何か言ってるからちょっと待ってて」

 そう断りを入れ――今度は巴さんが勘違いしないよう、ちゃんと背を向けてから忍の相手をする。その間に、衣服の乱れを直して欲しいという切実な訴えでもある。

「なんだよ?」
『儂が魔女を相手にすることは、そこの小娘には伏せよ』
「は? なら、どうすんだよ?」

 伏せるも何も、どうせ影から出てきて戦うのだから言ってしまっても一緒だろうに?
 忍の意図するところがわからず、説明を要求する。

『こうする。お前様よ、足元に注目しておれ』
「ん?」

 言われるがまま、忍の言葉に従う僕。
 すると――

「なっ!?」
『あまり驚くでない。気付かれる』

 んなこと言われても、“足元から人間の頭部”が生えてきたのだから驚きもするわ! どんなドッキリだ。
 頭は一瞬で影の中に引っ込んでいったので、多分、巴さんには気付かれていないはず。
 忍が影の中から生首よろしく、顏だけ覗かせるなんてのは、日常の光景として見慣れているが、僕の見間違いでなければ忍ではない男の頭だったぞ。

 いや、男の頭というか――

「あれって僕の頭じゃなかったか!?」

 かなり混沌とした会話内容なので、巴さんには聞こえないよう声量を絞って忍に問い質す。

『いかにも。即興にしては上手くいったようじゃの』

 どこか誇らしげな忍ちゃん。
 シルエットなので確証はなかったが、どうやら正解らしい。

「えっと……忍……これは?」
『なに、お前様の姿を借りるのじゃよ。要は変身能力を行使して、お前様の姿を再現してみたわけじゃな――まぁ大まかな外見だけではあるがの』

 それぐらいの芸当、今の忍になら造作もないのだろうけど、

「……んっと…………それって、僕が二人居ることにならないか?」
『そうなるの。じゃから、上手いこと誤魔化せるようそれっぽい理由を考えておくがよい』

 うーん……吸血鬼の能力と言えば、強ち嘘でもないのだし納得してくれるとは思うが、

「なんでわざわざこんな回りくどいことするんだ?」

 ミスタードーナツで食事しているところなんかは店員さんやらに目撃されているし――巴さんには既に、忍のことは話している。
 今更、存在を隠す必要性はないはずだ。

『ふむ。なんでかと言われれば、そうじゃの……あの小娘が吸血鬼に対し、必要以上に憧憬を抱き、執心しておるからじゃよ。あくまでも儂は元吸血鬼であって、堕ちた吸血鬼でなければならん。儂が力を行使するところを目撃され、“真っ当な吸血鬼”として“認識”されることは、それだけで相当な危険を孕んでおる。怪異は人口に膾炙することでその力を強めると、あのアロハ小僧からも警告されておったはずじゃろ?』

 忍は荘厳な語り口で述懐する。
 そう言えば、事あるごとに忠告されていたな。

 ――怪異とは、人間の信仰でできている。
 ――怪異は、周囲の認識通り現れる。
 ――周囲の期待通りに振る舞う。

 なんてことを忍野は言っていた。
 巴さんが忍のことを吸血鬼だと強く認識することで、忍が怪異としての本質を取り戻す――ことになるかもしれない。
 微々たる程度の力でさえ、忍が周囲に齎す影響力を鑑みれば、無視できない値になるのだろうし……確かにそれは、望むところではない。

 それにだ――罷り間違って怪異譚として広まりでもしたら、またぞろ吸血鬼ハンターに狙われることになる可能性だってある。あんな体験、二度と御免だ!

 忍が無害認定されているのは、吸血鬼としての力を喪失しているからなのだという事は、しっかりと留意しなくては。

 しかし、意外と言ってはアレだが、忍なりにいろいろ考えて動いてくれているんだな。

『本音を言えば、儂が姿を現すことで、あの小娘に目をつけられるのが面倒なだけなんじゃがな』
「…………お前な」

 どこまで本気かは知らないが――いや、どこまでも本気なのか。

 忍は僕以外の人間に対しては、素っ気無いというか、基本的に誰とも関わりを持とうとしないからな。それはあの学習塾跡地の廃墟で一緒に過ごしていた忍野だって例外ではない。


『さて、我があるじ様よ。ここで話を戻させて貰うが――お前様の懸念は、杞憂じゃと改めて宣言しておく』
「それって、『暗闇の魔女』のことか?」

 そういや、中途半端な所で話が止まっていたな。

『左様。お前様はあの程度の相手に随分と危機感を抱いておるようじゃが、間違ってもあんな小物に負けるようなことはなかろう』
「……ほんと、えらく強気だな。どこからその自信が湧いてくるんだよ…………」

『自信もなにも、儂は確信しておるのじゃよ』

 忍は高慢な物言いで断言した。

『影の中で色々試してみたのじゃが、フルパワーとまではいかんが、かなり力が底上げされておるようじゃからの。スキルもほぼ十全に使用可能じゃ。これはお前様からの血の供給だけでなく、この影と闇で形成された結界の影響じゃろうな。吸血鬼にとっては、そのどちらも恩恵でしかないからの』

 ああ、なるほど。
 忍が自信満々だった理由はこれか。

 闇夜の覇者。
 深き夜を総べる支配者。
 夜行性のノクターナルナイトウォーカー。
 闇と共に生き、影を渡り歩く吸血鬼にとって、この空間はマイナスではなく、寧ろプラスに作用しているのだ。

「うん、わかった。そこまで言うのなら是非もないよ。よろしく頼む」
『ふん。別によろしくされなくともよいわ。儂はただ腹を満たしたいだけなのじゃからな』







~071~

 念の為の処置ではあるが――僕達は先ほどと同様に、魔女からの反撃に備えいつでも逃げ回れるように身構えていた。勿論、杏子は僕が責任を持ってお姫様抱っこしている状態である。

 そして僕達の前方に、影から出てきた忍が既にスタンバイ済み――ただ現在の忍の姿は、『阿良々木暦』の姿を模したものだ。吸血鬼の変身能力を使って、僕と同じような外形になっている。
 細部の造形に関しては、かなり粗があるとのことだが、この影絵空間では見分ける術などない。

 巴さんへの説明は、“遠隔で操作できる影で創りだした分身のようなもの”と、曖昧に暈しておいた。
 影が出来ないとされる吸血鬼が、自分自身の影を操るというのは、破綻した適当極まりない設定なのだけど、口からの出任せなので致し方ない。
 吸血鬼もどきということで、そこは都合よく解釈してくれることを願う。

 まぁ、巴さんはそんな細かい設定など気にした様子もなく、

「これが吸血鬼の力…………ロッソ・ファンタズマに対応して考えるなら、ネーロ…………ネーロ・ファンタズマがいいかしら? でも……もっと吸血鬼らしさを前面に押し出した名前を考えたいわね」

 口元に手を宛がい、真剣に必殺技名を考案していた。

「あの……巴さん。そろそろ、いくよ?」
「え? あ、はい。いつでも大丈夫です」

 考えに没頭する巴さんに行動開始の確認を取り――それが同時に忍への合図となる。

 忍の話では、軽く遊んでやるとのことだが――さて、どんな戦いを披露してくれるのだろう。
 巴さん程ではないにせよ、僕も興味津々だ。

 かくして――忍と魔女との戦闘が始まった。


 まず忍はその場で跳躍を決め、数十メートル程の高さで制止した。
 というか、蝙蝠のような羽根を生やして飛んでいた。

 いや…………いやいやいやいや。

 吸血鬼としてのスキルがほぼ全部使えるとか言っていたしな。春休みの頃にも使用していたから、うん、だから別におかしいところは全くないのだけど、僕の姿で羽根を生やしてんじゃねーよ!
 吸血鬼もどきの分身(設定)とはいえ、それ色々拙いだろッ!?

 今後の僕の立場を考えろ!
 が、幾ら心の中で文句を言っても忍には伝わらない。

「すごいすごいすごい!! 阿良々木さん、こんなこともできるんですね!!」

 
 巴さんのテンションが一気に跳ね上がり、サーカスの空中曲芸を、初めて見た子供のようにはしゃいでいる。
 今更ながらに気が付いたのだが、忍の行動がそのままイコール、僕の行動になることを想定していなかった!

『さて、我があるじ様よ。儂直々に、魔女狩りの手本を見せてやるからしっかりと見とれ』

 人の気も知らずに、忍が語りかけてくる。
 例え距離的に離れたとしても、忍とのペアリングは維持された状態なので、この一方的なテレパシーも継続されていた。

『一瞬でけりをつけるのもつまらんし、物は試し――闇との同化がどの程度のものか、見定めさせてもらうとしようかの』

 忍はそんな余裕綽々の上から目線の発言を残し(どうやら実況付きで手解きしてくれる心算らしい)、大きく羽根を羽ばたかせ、魔女に向かって一気に加速――螺旋状に旋廻しながら突っ込んだ!

 感じとしては、なんかベガの得意技であるサイコクラッシャーを彷彿とさせる。正直、かっこいい。

 しかし、忍の攻撃は魔女の身体をすり抜け、そのまま通過してしまっていた。
 やはり魔女にダメージを負わせた形跡はない。

『まぁこんなものか』

 ただ先の発言を鑑みるに、魔女の力を試しただけなのか、忍に焦りの色はなく――悠然と魔女の傍を飛びまわっていた。

『ほう。気に障ったか?』

 魔女にしてみれば目障りな羽虫がうろちょろしているようなものだ。
 妄想中に邪魔が入った怒りの為か、魔女は小刻みに蠕動を開始する。
 この兆候には覚えがある。魔女が反撃する直前にみせた動きだ。

 だが忍はそれを見ても逃げる様子はなく――次の瞬間には魔女から伸びた幾本もの棘が忍に迫る!
 が、突き刺さろうかというその寸前に、忍は自らの身体を無数の蝙蝠へと変化させ、攻撃を難なく回避してみせた!

 くそ…………漫画などでも散見する、吸血鬼のごくありきたりな回避術だけど、また不覚にもかっこいいなんて思ってしまう僕がいる!
 巴さんなんか黄色い歓声を上げて大喜びしていた。


『かかっ!』

 忍が笑う。

『そんな攻撃で儂を仕留めることなぞできはせんぞ?』

 ただそれは嘲笑の類であり――魔女の周囲に大量の蝙蝠を飛び交わせて挑発を繰り返している。
 魔女にしてみれば、鬱陶しいことこの上ないだろう。忍の性格の悪さが窺えた。

 魔女が棘を伸ばし、蝙蝠を串刺しにせんとするも、忍はその全てを凌ぎきり――棘が収まったのを確認してから、蝙蝠を集結させ元の人型(僕の姿を模したもの)に戻る。

『はぁ、所詮この程度か』

 嘆息し、落胆を露わに。

『大して面白みもない。さて、底が見えた相手と戯れるのも時間の無駄じゃし、そろそろ終わりにしようかの』

 不遜な物言いで悪態を吐き――忍は右手を振り上げながら再度魔女との距離を詰める。それと同時に、掲げたその指先から爪が鋭く伸びていく。
 女の子がお洒落目的で装着する付け爪とは訳が違う、鋭利で長い猛禽類の有するような鉤爪が一瞬にして形成され――魔女目掛け、視認することも叶わない勢いで爪を振り下ろした。

 闇と同化し攻撃を全て無効化する『暗闇の魔女』。

 その実体無き虚空の身体を、忍は当然のように切り裂いてみせた。爪を突き立て――勢いそのまま魔女の身体の一部を抉り取ってみせたのだ!
 血飛沫を巻き上げながら、魔女がのた打ち回っている。

 光がなければ実体として捉えることができない。そんな理屈などお構いなしだ。滅茶苦茶過ぎる。
 けど、これこそが怪異殺しの怪異の王。
 理屈を捻じ曲げる、絶対的強者としての力。

 だが身体の一部が無くなった程度では、魔女が絶命することはない。
 まだしぶとくも生き長らえていた。

 いや、というよりも――

『喰う前に消滅されては意味がないからの。まだ死んでくれるなよ』

 どうやら、敢えて殺しきらなかったようだ。
 返り血を拭う仕草の最中、自然な流れで魔女の肉片(抉り取った身体の一部)を口に運ぶ。
 一応、巴さんの視線に配慮してくれたのだろう。

『ほう。見た目に反してこれはなかなか』

 それなりの味だったのか満足そうだ。

『ん? いやしかし、これは……』 

 ただ、なにやら気になる点でもあったのか妙な反応を示す。

 と、その時!
 魔女の異常を察知したのか、魔女自ら命令を下したのかはわからないが――今までただ周囲で踊っているだけだった使い魔の一団が動きをみせた。
 無論、魔女に仇名す敵を排除する為――忍を取り囲んだ多種多様の姿をした使い魔達が、一斉に強襲を掛ける!

 だが相手が悪い。悪過ぎる。格が違うのだ!
 雑兵が幾ら寄り集まろうとも、物の数ではなかった。

 忍はどこからともなく刀を取り出すと(多分物質想像能力で製作したのだろう。『心渡』ではなく標準サイズの日本刀だ)、迫り来る使い魔を片っ端から滅多切りにしてしいく。
 

 異形の翼を羽撃ち、中空で舞い踊る吸血鬼。

 早すぎてもう太刀筋は目で追いきれない――それでも縦横無尽に刀を振るうその様は、シルエットながらに流麗でお世辞抜きに美しく、僕がしていた剣術の真似事とは全くの別物だと思い知らされる。

 もしこれが演舞の類であれば、幾多の人を魅了したに違いない。
 巴さんはもう喜びを通り越して感涙寸前である。

 使い魔をものの数秒足らずで一掃し終えた忍は――最後に取り残され孤立した魔女の元へ刹那の間に移動する。
 魔女は苦しみ紛れの抵抗として、全身から棘を伸ばすも――

『闇との同化とは、こうするのじゃよ』

 ――闇と化した忍の身体に干渉することは叶わない。

 そして――

 忍の振るった刀の一閃により『暗闇の魔女』は一刀両断され――圧倒的な力の差を見せつけ、戦いは終局を迎えたのだった。




[27169] こよみコネクト~その4~
Name: ミドリ◆02e976c9 ID:ea6cad15
Date: 2014/08/18 23:25
~072~

 忍が吸血鬼としてのスキルを遺憾なく発揮し、圧倒的な力を誇示して『暗闇の魔女』を仕留めたその後――結界の消失に伴って、元いた結界に舞い戻った訳だが、忍は物の次いでとばかりに、『影の魔女』も一太刀に斬り伏せてみせた。
 まぁ杏子によってほぼ戦闘不能の状態に追い込まれていたので、魔女に抵抗する余力など残されていなかったが。

 兎にも角にも、これで無事魔女退治が完了した――のだけど…………ただ一つ、厄介な問題を抱えていた。いや、厄介な問題をお姫様抱っこしていたと言った方がいいのか。

 佐倉杏子。
 この子をどうするかである。

 このまま放置していくわけにもいかないし、一向に目を覚ます気配もなかったので、ほとほと困り果てていた。
 巴さんの話によると、杏子は家族と死別しているらしく今現在ホテル暮らしなんだとか。
 かなり繊細な内情があるようで、巴さんも相当に口が重く、この件に関しての詮索は控えておいた。彼女自身も交通事故で両親を亡くしているので、色々思うところもあるのだろう。

 ともあれ、そんな理由もあり、杏子が意識を失っている状態では宿泊しているホテルを訊き出すこともできず、送り届けることもできない。

 結局のところ、巴さんの申し出もあり、巴さん宅で面倒をみるということで落ち着いた。
 怪我の治療も応急処置程度しかできていなかったこともあり、自宅で改めて加療を行うとのことだ。

 そうして、巴さんの住むマンションまで杏子を送り届けて、諸々の手当てが一通り完了したのを確認して、僕はその場を後にした。

 巴さんと杏子を二人だけにするのは色々心配だったものの――巴さんが治療の一環として、魔法の力で全身麻酔のような処方をとったらしく、あと丸一日は半強制的に安静にさせるとのことだから、まぁ大丈夫だろう。

 もし仮に目覚めたとしても、杏子だって看護してくれている相手に喧嘩を吹っ掛けはしまい。
 何かあったら、直に連絡をいれるよう巴さんには伝えてある。

 巴さん一人に杏子を押し付けるかたちになってしまったが、目下の優先すべき懸案事項は美樹の方だ。あっちだって、ほむらに任せきりにはできない。

 ちなみに、僕の影(設定)として、忍が縦横無尽に暴れ回った代償というか、巴さんが僕に抱く過剰とも言える吸血鬼への憧憬に関してだが――巴さんにしても、杏子が意識を失っている状態で、はしゃぐのは不謹慎だと自制してくれたようで、変に質問攻めにあうことはなかった。
 とはいえこれについては、“現時点においては”との注釈が必要で、今後のことを考えると頭が痛い。




 とまぁ、そんなこんなで――僕はほむらの下に向かうことにしたのだった。
 忍探知機(魔法少女の血の匂いを辿る、言わばGPS機能みたいなもの)によると、依然として美樹は河川敷にいるらしく、ほむらもその場に留まって監視を継続しているようだ。
 事前に連絡を入れようかとも思ったが、ものの数分で到着するし、あのいつもの冷めた調子で邪魔者扱いされても嫌なので、ほむらへの連絡は敢えて省略する。

 そして――

「戻ってきたの」

 開口一番――露骨とは言わないまでも、絶妙に迷惑そうなニュアンスを含ませた声音で、ほむらは僕を出迎えてくれた。
 うん。予想通りの反応ではあるので、気にしない気にしない。

「……ああ、そりゃな。美樹のことも心配だし…………で、様子はどうだ?」
「これと言って何も。飽きもせずずっと同じ姿勢で川の流れを眺めているだけよ」
「……そうか」

 ほむらの言う通り、美樹は相も変わらず土手で体育座りしており、全身から哀愁を漂わせていた。
 僕が此処を離れてから、結構な時間が経過しているのに…………出来ることなら、雨が降り出す前に帰宅して欲しいものだが。
 いよいよもって、空模様が怪しくなってきた。


「あ、そうだ。ほら戦利品だ」

 僕はポケットからグリーフシードを取り出しほむらに手渡す。
 『心渡』も使用していないし、忍が魔女の一部を食べはしたが、喰らい尽くした訳ではないので、今回はちゃんとゲットできている。

「確かに受け取ったわ」

 ほむらはグリーフシードを目線の高さにかざし手早く状態の確認をすると、すぐにスカートのポケットの中へ。

 特に労いの言葉はなく事務的な対応だ。
 忍の手柄だし僕は何の役にも立っていなかったので、文句など言える筋合いはないのだけど、ほんの少しだけ釈然としない気分である。

「で、随分と時間が掛かったようだけど」

 と、謝礼の代わりに要領の悪さをなじるような語調でもって、そんな疑問を投げかけてくる。
 厳しい上司なことで。

「まぁな。何から話したものやらって感じなんだが、えっと、あの隣町の魔法少女――杏子と一悶着あってさ」
「佐倉杏子と?」
「そうそう。ほんと色々あって……戦闘中に負傷した杏子を巴さんの家に送り届けてきたとこなんだよ」

 取り敢えず、大まかな要点だけを抽出して報告すると、ほむらは少し驚いた反応を見せた。

「あの子が怪我を?」
「ああ、結構な深手だったんだけど、巴さんが応急処置してくれたから命に別状はないよ。ただ気を失っている状態だから、今は巴さんの家で静養中だ」
「…………そう……巴マミの家に」

 意味ありげに、ほむらは確認するように呟く。

「どうかしたのか?」
「いえ、都合がいいと言ってはアレだけど、丁度こちらから佐倉杏子に、コンタクトをとろうと考えていたところだったから」


「何か話でもあるのか?」
「ええ、だから怪我の具合にもよるでしょうけど――出来るなら明日の放課後辺りに、巴マミの家で会合の場を設けさせてもらいましょう。佐倉杏子を引き留めておくよう伝えておいて頂戴」

 なんとも一方的な物言い。
 連絡先知ってんだから自分で伝えろよと思わないでもなかったが――こいつは人にモノを頼むのが苦手なのだ。
 故に、僕に対しての発言は『頼み』というより『命令』ってことなんだよね。

「…………いいけど――」

 それに文句も言わず、従順に従う憐れな僕。
 奴隷根性が染みついてきているような気がする。

「――ただ、まだ杏子とは敵対関係にあるっつーか、アイツが素直に従ってくれるかは保証できないぞ。それで具体的に何を話すつもりなんだ? 揉め事はやめてくれよ」

 あまり詮索するとほむらの機嫌を損ねることになるが、取り次ぎをしようという立場的に、ある程度は話の骨子を整えておく必要がある。
 巴さんの家で問題を起こすわけにはいかない。


「別にあの子と争うつもりはないわ。寧ろ、その敵対関係を改善し『協定』を結ぶことが目的よ」

 協定を結ぶって……要は杏子を魔法少女同盟に引き入れるってことだよな?

「へぇ、珍しいこともあるもんだな」
「珍しい?」

「だってほら、お前って単独行動ばっかだし、自分から率先して魔法少女の仲間を増やそうとするなんてさ」

 人との関わりを拒みがちなほむらが……まさかこんなことを言い出すとは――なかなかに感慨深いものがある。


「…………そうかもしれないわね。でも、なりふりなんて構っていられる状況ではないから」

 何やら、物々しいトーンでほむらは言う。

「んっと……僕の気のせいじゃなければだけど、差し迫った問題でもあるのか?」

 ただならぬ様子に、不安を覚えつつ尋ねると――あまり教えたくはない内容なのか、ほむらはかなりの間逡巡してから、やっとのことで口を開く。
 
「……………………もうすぐ、この見滝原に『ワルプルギスの夜』が現れる」

「ワルプルギスの夜? なんだそりゃ?」
「超弩級の大型魔女よ。今までの魔女とは違って、結界に隠れて身を守る必要もない程に強大な力を持っている。こいつが暴れ出せば、町は壊滅的な被害を受けることになるわ」

「……被害って……どの程度のものなんだ?」
「軽く見積もっても、数千、いえ数万人の死者が出ることになるでしょうね」
「……………………」

 ほむらの説明を受けて、僕は絶句する。

「だからこそ、その魔女に対抗する戦力として、佐倉杏子とは是が非でも協力関係を築きたい」

 そうか。そういうことか。
 ほむらが仲間を増やそうとするなんて、意外だと思っていたけれど――納得だ。

 しかし『ワルプルギスの夜』か。
 これもまた、ほむらの予知能力による未来視なんだよな。
 彼女には、一体全体どんな未来が見えているのだろうか?

「詳細については、そうね。明日、佐倉杏子との交渉時に纏めて教えることにするわ。ということだから、あなたも同席しなさい」

 と、僕が質問を投げかけるのに先んじて、ほむらは言う。
 気になってしかたがないが、ちゃんと話してくれるつもりのようだし、ここでの質問は控えるとしよう。
 あと、元より同席はするつもりだ。
 険悪な状態の巴さんと杏子の間に、コミュニケーション能力に欠如したほむらを単身で向かわせるなど、危険過ぎる。

「って、ちょっと待ってくれ!」
「なに? 詳細については明日話すと言ったでしょ?」
「…………そういうことじゃなくてだな」

 これって……ほむら本人が直接杏子と交渉しようってことだよな……。

 自己本位に物事を進める傾向にある暁美ほむらに、手前勝手で我が強い佐倉杏子。
 はたして、この二人を引き合わせてしまってもいいのだろうか…………。

 つい先ほど触れた通り、ほむらは人にモノを頼むのが苦手だ――あまり本人は自覚していないようだが。
 そんな奴が、杏子と諍いを起こさず対話することが可能なのか?
 いや、高い確率で杏子からの反感を買うとみていい。すんなり事が運ぶとは思い難い。

 でも、このことをそのまま伝えるのは余りにも失礼だし、ここは慎重に言葉を選んで――

「なんというか、ほら、杏子は気難しい奴だし――素直に話を訊きいれてくれるのかなーって」

 ほむらの性格に難があることは、触れない優しさ。

「そういや……お前と杏子って直接の面識はないんじゃないのか?」

 お互い存在は認知しているようだけど、今までそれとなく入ってきている情報から推察するに、直に会ったことはないと僕は思っていたのだけど。

「ないわね」

 ほむらは当然のように首肯する。
 だよな。はぁ…………なんだかなー。

「何よ? 言いたいことがあるのならはっきりと言いなさい」
「いや…………初対面の相手だったらなおのこと、説得するのは難しいと思うぞ」
「大丈夫、問題はないわ。佐倉杏子の素性も性格も把握しているから。それにちゃんと“交渉材料”も用意してある」

 と、僕の心配を余所に、ほむらは自信ありげに豪語する。
 ほむらなりに考えていることがあるというのなら、僕がどうこういっても仕方がないか。

 でもなー。ほむらの素性はよく知らないけれど、性格に関してはこれ以上ないぐらいに把握している身としては、彼女の言葉で安心できるはずもなく気が気ではなかった。

 とは言え、願ってもない展開であるのも事実だ。
 渡りに舟とでもいうのか、この話を上手く進めることができれば、それは同時に巴さんと杏子の仲を修復させるいい切っ掛けというかチャンスにもなる。

 僕が調停役として、円滑に話が進むよう尽力しなければ。









~073~

「それにしても、驚きね」
「ん?」
「あの佐倉杏子が、『影の魔女』相手に不覚をとるなんて。私としては彼女の力をもっと高く買っていたのだけど」
「ああ。いや、違うぞ?」
「違うってどういうこと? まさか巴マミがあの子を?」
「そんなわけないだろ!」

 と、ノータイムで強く否定してしまったが、数日前に僕と美樹は、杏子と一戦を交えたこともあるし、未だ敵対関係にあるのだから十分あり得る話か。
 ほむらからしてみれば、『影の魔女』以外に杏子に深手を負わせることが可能な相手なんて、巴さんぐらいしか思い当たらないのも無理はない。

「そういや、まだ言ってなかったけど、もう一匹魔女がいたんだよ」
「もう一匹? それは何処に?」
「何処って、『影の魔女』の結界の中に」
「え!? ちょっと待って、もっと詳しく教えなさい!」
「ん、ああ、そうせっつくなって」

 剣幕に押され、少したじろぎながらも、端折っていた部分――『影の魔女』との交戦中に『暗闇の魔女』の結界に呑み込まれたことやら、その呑み込まれた結界の中で起こった出来事をでき得る限り詳細にほむらに話す。

 ただ忍が魔女を退治したことに関してだけは、忍から口止めされている事も有り、吸血鬼の力を使ってという、かなり大ざっぱで漠然とした説明になってしまったが。


 そして、一連の説明を受けてほむらは――

「魔女の結界の中に、他の魔女が紛れ込んでいた」

 ――改めて確認するように、或いは自問自答するように独白する。
 どうも腑に落ちない点があるようだ。眉根を寄せ、深く考え込んでいる。

「憶測でしかないけど、この見滝原って他の町よりかなり魔女の数が多いみたいだし、多分その所為じゃないのか?」

 そういった見解を杏子とキュゥべえが話していた気がする。

「そう考えても一応筋は通る――けれど、あまりにも不自然な部分が多い。違和感しか湧いてこないわね」
「んなこと言っても、実際問題、有り得たんだから仕方ないだろ…………まぁ相当に運が悪かったんだろうさ。偶然とか不運ってのは重なるもんなんだよ――それに、魔女が結界を創る場所ってのは、ある程度限られている訳だし」

 だからこそ、重点的に巡廻するポイントってのがあるのだ。
 あの廃工場は人気もなく、如何にも魔女が好みそうな場所だった。

「そうね、そこまでならまだ納得――許容はできた。でも、“それだけ”じゃないでしょう? 取り込まれた先に居たのは、闇の世界を好み、光を嫌う『暗闇の魔女』――あなたの話では、結界が干渉し合った影響で、そいつの弱点である光が一切生み出せない空間になっていたのよね。あたかもその魔女の為に誂えたかのようじゃない? こんな“偶然”が本当に有り得ると思う?」

 ほむらは自身の見解を一息に述べ立てる。
 指摘されるまで、全く気にも留めていなかったが――

「確かに、言われてみれば…………なら、これはどういうことになるんだ?」
「魔女の特性を把握している何者かが暗躍し、作為的にこの状況を作り上げた――そう考えるのが順当ね」

 ほむらは思い悩むこともなく、持論を展開――そして、まだ上手く考えが纏まらず軽く混乱状態にある僕に対し、続けて問い掛けてくる。

「ねぇ阿良々木暦。キュゥべえに何か怪しい動きはなかった?」
「へ? いや、魔女の動きに集中してから、キュゥべえのことなんて気にかけてる余裕は…………って、もしかしてお前はキュゥべえが仕組んだことだって言いたいのか!?」
「そうよ」

 即答。
 微塵の揺らぎもなく――確信に満ちた断定だった。

「あいつは疑って然るべき相手よ。絶対に信用してはいけない」
「そりゃ信用はできない奴だけど……曲がりなりにも魔法少女のサポート役だろ。ちょっとばかし邪推が過ぎるんじゃないか? だって、下手したら僕も巴さんも、それに杏子だって死ぬとこだったんだぜ?」

 忍の働きがなければ、まだ結界に取り込まれたままで――為す術もなく衰弱死していたか、魔女に突貫し返り討ちにあっていたか…………そんな結末が待っていたかもしれないのだ。

「なら、殺すつもりだったんでしょ」
「いやいや、それは幾ら何でもないだろ……………」

 キュゥべえの肩を持つつもりはないが、流石にこれは。

「魔女を倒すことがあいつの使命というか目的なんだから、そんなことしてキュゥべえになんの得があるっていうんだ? 本末転倒じゃないか」
「それはどうかしら。あいつにとって魔女を倒すことなんて二の次なのよ」
「は? それってどういうことだ? なら、キュゥべえの第一の目的はなんなんだよ? ほむら、お前は知っているのか?」

「それに私が答えても、意味はないでしょう。不毛な論じ合いにしかならない」

 僕が詰問するも、いつものようにさらりと躱される。
 また肝心の核心部分は聞けずじまいに終るのか――と、諦めかけたのだが、

「だから――私じゃなくて件の張本人を問い質せばいい」

「え? それって」

「こそこそ隠れていないで出てきなさい。居るのはわかっているわ」

 ほむらは僕に向けてではなく、他の誰かに向けて言葉を発する。

 そして――それに応じて今にも雨が降り出しそうな曇天の中、薄闇に紛れて小さな影が忍び寄ってくる。

 尻尾をのっそりと左右に揺らしながら、そいつは姿を現した。

 もう敢えて言及する必要もないかもしれないが、そこに現れたのは、赤玉の瞳に白い体躯をした猫兎擬き。ほむらから嫌疑を掛けられた謎多き生命体――キュゥべえだった。







[27169] こよみコネクト~その5~(QB)
Name: ミドリ◆02e976c9 ID:ea6cad15
Date: 2014/12/04 03:30
~074~

「気付いていたのかい?」
「さてね」

 ほむらはキュゥべえの言葉に取り合わず適当にあしらうと――それと同時に通学鞄の中に手を突っ込んで拳銃を取り出し、手慣れた動作でキュゥべえの頭へと照準する。

「私はあなたが怪しいと睨んでいるのだけど。どうなのかしら? 隠すと身のためにならないわよ」

 脅しをかけつつ真偽を問い詰めるのがほむらクオリティ。
 この光景にどこか既視感があるなと思い返してみれば、僕も初めてほむらと顔を合わせた時、これと似たような感じで詰問されたのだ。
 
 もう驚きこそしないが……彼女の学校生活が心配になってくる。もし持ち物検査でもされたらどうするつもりなのだろうか。

「別に隠していることなんてないんだけどな」

 ただキュゥべえは、銃に物怖じすることもなく平然とした調子で嘯いた。

 こいつに対し銃で脅す行為は無意味。
 例え銃で撃ち殺しても、何事もなかったようにスペアが現れるだけだもんな――ほむらもそれは重々理解した上で、銃口を向けているのだろうけれど。

「下らない問答に時間を割く気はないわ。御託はいいから心して答えなさい。魔女の結界で他の魔女を呼び出したのは、あなたなのかと訊いているのよ」

 銃口を突き付けながら、ほむらは語調強く問い質す。
 僕への対応も往々にして冷たいところはあるが、キュゥべえに対するものと比べてみれば、まだ温かみすら感じとれてしまうほど冷淡な声音だった。

「そんなことが可能だと思うのかい?」

 それに対してキュゥべえは、のらりくらりと煙に巻くような鬱陶しいこの返し。
 その物言いが気に食わなかったのか、ほむらのイライラ度が増したような気配が――目付きがほんの少し険しくなったような気がする。

 ここで知らぬ存ぜぬを貫かれたら、僕としてはお手上げだったのだが――そこは聡明なほむらさん。

「考えられるとすれば、穢れを溜め込んだ孵化寸前のグリーフシードを再利用した――そんなところかしら? あなたも結界内部にいたのだし、魔女に集中していた彼らに気付かれないよう暗躍することぐらい訳ないでしょう?」

「暗躍とは言われたくないけれど…………そうだね、否定はしない。特に訂正する箇所はないよ」

 具体的な推測を受けキュゥべえは――煮え切らない言い回しながら、事実であると認めた。

「嘘だろ……巴さんと杏子もいたのに、本当にあの子達を狙ったってのかよ!?」
「んーどうも誤解――認識の相違があるようだね」
「認識の相違だ?」
「うん」

 僕は信じられない思いでキュゥべえを責め立てるも、何とも気の抜けた相槌に気勢を削がれてしまう。暖簾に腕押しといった感じが否めない。
 それでも、こいつが“仕組んだ”のは間違いないと判明したのだし、ここは高圧的に詰問しても許される場面のはずだ。

「おいキュゥべえ。言い分があるなら聞いてやる! その認識の相違とやらを教えて貰おうじゃねーか!」
「だから彼女達のことをどうこうしようなんて意図はないってことだよ」

 キュゥべえはいつもの飄々としたスタンスを崩さず、弁明を口にする。
 こいつの言葉を鵜呑みにするのも危ういが…………やっぱり、ほむらの言っていた殺害を目論んでいたなんて思惑などではなく、他に何らかの目的があるということか……とはいえ、幾ら考えてもキュゥべえの思考など読めはしない。

 取り敢えず、本人の口を割らせるのが手っ取り早いか。


「だったら何の為にあんな物騒なことを? お前の本当の目的はなんなんだ?」
「それに答えるのは構わない。ただその前に僕からも幾つか質問をさせて貰ってもいいかな? 君の質問に答えるにあたっての、取っ掛かりにもなるからさ」

 そう言われてしまったら、要求を呑むしかない……か。
 一応ほむらに視線を向け、アイコンタクトで確認しておくと小さく頷きを返してきた。

 ということで、渋々ながらキュゥべえの言葉に耳を傾ける。

「…………なんだよ」
「まぁ大よその裏付けはとれているんだけど――先の魔女との戦いで、君が入手したグリーフシードは、今どこにあるんだい?」

 何とも嫌らしい前置きを挟みキュゥべえは言う。
 裏付けがとれているってことは、変にしらばくれても意味はないってことか。

「…………ほむらに渡したけど」
「それは僕もこの目で見届けた。でも“もう一つ”あったはずだよね? それはどうしたのかな?」

 『影の魔女』と『暗闇の魔女』で、合計二つのグリーフシードを手に入れているのは、キュゥべえもその場に居合わせたのだから、そりゃ当然知ってるわな。
 
「…………」

 ただ、このキュゥべえの質問には口を噤むしかなかった。
 しかし、そんな些細な抵抗が通じるはずもなく――

「魔女との戦いを経て杏子とマミの二人が、かなりの魔力を消耗したのは間違いない。杏子は魔女により致命傷を与えられ、生命維持の為に――マミは魔女に膨大な魔力を注いだ大技を繰り出した。それに加え杏子の治療行為にも魔力を割いている。相応の穢れがソウルジェムに蓄積されたはずだ」

 ――僕の反応を逐一確かめるような口ぶりで、キュゥべえはここぞとばかりに畳み掛けてくる。

「にも関わらず、今、彼女達のソウルジェムに穢れは確認できなかった。だったらその穢れを取り除くためにグリーフシードを使用したはずなんだけど――君がさっき入手した、もう一方のグリーフシードを宛がったんじゃないのかい?」
「………………それが…………どうかしたのかよ」
「いや、間違いがなければいいんだ」
 
 事前に裏付けを取った上で訊いてくるのだから、中々に性質が悪い。
 なんだか取り調べを受けているような気分になってくる。

「そして、これらのことを踏まえて君の質問に答えさせて貰うと――当初の目的はね、“君の力を視る”ことだった」

 キュゥべえは僕をまじまじと見据えながら――そう言った。

「は? 僕の……力を?」

 話の繋がりが見えず戸惑う僕を尻目に、キュゥべえは悠々と語り出す。

「君は魔女に対抗できる、魔法少女以外の稀有な人間だからね。予てから調査対象ではあった。ただ今回は“回収が滞っているグリーフシード”の行方を探る上で、君が密接に関係していると判断したから、その辺りのことを調べるのが主要な目的だったんだけどね――おかげで全容が掴めてきたよ」

 そこで一度言葉を切り、間を空ける。
 そして殊更強調するように切り出した。

「阿良々木暦。改めて訊かせて貰うけど、僕が回収すべき使用済みのグリーフシードはいった何処にあるのかな? あの量の穢れを移し替えたとなると、いつ魔女が生まれてもおかしくない危険な閾値まで達しているはずだよ」

「………………」

 キュゥべえの問い掛けに僕は――いや、僕達は言葉を詰まらせる。ほむらも同様に渋い顔をしていた。
 なぜなら――もうそのグリーフシードは“この世に存在しない”から。

 どういうことかと言えば、ほむらからの依頼で使用済みのグリーフシードを、『心渡』で消し去っていたのだ。

 キュゥべえと接する機会を少しでも減らす為であったり、穢れを溜め込んだグリーフシードを回収するのが使命だというキュゥべえにくれてやるのも癪だということで、せめてもの抵抗だった。嫌がらせと言い換えてもいいが。

 またグリーフシードを処理するのに、物理的に『破壊する』という手段もないわけではないのだろうが、不用意に刺激を与えたら、魔女が孵化しかねないし、色々危なそうだったので、確実かつ安全に処理するには『心渡』を使うのが最も理にかなっていた。

 一応、悟られないよう、気を使ってはいたんだけどな。


 キュゥべえは僕達の顔色を見て、一人納得したように大きく頷く。

「やっぱりね――前々から察しはついていたけれど、何らかの手段を用いてグリーフシードそのものを除去しているのは間違いないようだね。僕としては、君が所有する刀に特別な力を感じていたんだけど、残念ながら、今回の調査では関連性を見出すことはできなかった」

 どうやら、完全に露見したわけではない様子。
 『心渡』を魔女相手に使わなくてよかった。忍に感謝だ。『心渡』はほむらにとっての『切り札』なのだから、今後はより厳重に注意しなければなるまい。

 なんて、これからのことを思案していると、

「とはいえ、思わぬ収穫もあったよ」

 キュゥべえは嬉々とした声音で語りかけてくる。

「収穫ってなんのことだよ?」
「君が最後に見せた力のことだよ――いや、ここは『吸血鬼』の力と言った方が正しいのかな? 君の“因果”はまどかには及ばないにしても、かなり特異だ。その点で言えば、暁美ほむらも同様だね。普通ではあり得ない因果の綻びが見受けられる。ほんとうに興味深いよ」

 赤色に染められたガラス玉のような瞳が、じっと僕達を捉える。
 二重の意味で目をつけられたことに、言い知れない薄気味悪さが全身を駆け抜けた。


 ともあれだ。

 ここで話を簡単にまとめておくと――キュゥべえは使用済みのグリーフシードの行方を調べるため、以前から当たりをつけていた僕を標的とし行動を開始。
 そして魔女を嗾け作為的に僕達を窮地に追い込み、『心渡』を使用するしかない状況を作り上げた。

 が、キュゥべえの思惑通り事は運ばず、僕が『心渡』を使用することはなく、忍の活躍もあり事なきを得た(吸血鬼に興味を抱かせる要因になってしまったが)。
 しかし、結局は状況証拠――巴さんと杏子のソウルジェムの状態の変化などから、僕がグリーフシードを秘密裏に処理していることは、勘付かれてしまった。ただ除去する手段――『心渡』のことまではバレていない。

 こんなところか。

「お前の目的はわかった。でも……だけどさ……もし、もしも、僕達が魔女を倒すことが出来ず、ずっとあのままの状態だったら、お前は僕達のことをどうするつもりだったんだ?」

 例え僕が狙いであったとしても、結果的に巴さんと杏子も一緒にいて、巻き込んでいたのは揺るぎない事実だ。
 僕達――いや僕のことはこの際いいとして、彼女達のことをどうするつもりだったのか、これを問い質さずには終われない。
 
「どうするつもりって……観察するのが目的だったと言ったはずだけど?」

 だが、僕の問い対しズレた返ししかしてこない。
 このままでは埒が明かないので、僕の方から言い立てる。
 杏子が魔女に突貫して負傷したのは、彼女が先走ったのが原因だと言えなくもないので、この件は目をつぶるとして――

「そういうことじゃなくて、最終的にはちゃんと助け出してくれるつもりだったんだよな?」
「ん? 目的はあくまでも君の力を視ることだけだ。必要以上の干渉はしないよ」

「は? 待て……ふざけんな…………ふざけんなよ! じゃあ結局、それは見殺し……いや、そもそもお前が仕組んだことなんだから、殺そうとしていたも同然じゃねーか!!」

 頭に血が昇り、衝動のままにキュゥべえに怒りをぶつけるも――

「受け取り方次第でどうとでも言えるけど、僕は状況を整えたに過ぎないよ。結果的に死んでしまっても、それは致し方ないことだ。僕が関与することじゃない」

 悪びれた様子もなく、さも当然のように白い悪魔はのたまう。
 何を言っているんだこの生き物は。

「おい、お前は魔法少女のサポート役なんじゃねーのかよ!?」
「そうだけど、グリーフシードを回収することもまた、僕の大切な使命だよ?」

「だからって!」
「そいつはそういう奴よ」

 怒りに打ち震え更に声を荒げようかという僕を制してほむらは言う。言外にキュゥべえに何を言っても無駄だと諭してくれたのだろう。

 そういや、こいつのスタンスは始めから変わっていないのか。
 それは、初めてキュゥべえと接触した時から既に明らかになっていたことだ。戦場ヶ原が見抜いていたことだ。

 キュゥべえは人間の命を軽視している。
 人間という存在を蔑ろにしている。
 こいつは人間を替えのきく、補充のきく“便利な道具”と見做している。そこに人間側の価値観は存在しない。

 そして、魔法少女である彼女達だってその例外ではないということだ。

 こいつは、目的のためになら手段を選ばない。
 これは既に解かりきっていたキュゥべえの性質ではないか。

 キュゥべえという存在を――キュゥべえの異常性を――今度こそちゃんと再認識する。


 と、不意に水滴が頬を打った。
 ぽつり、ぽつりと曇天の空から滴が落ちてくる。
 ずっと空模様が怪しかったけれど、やはり雨が降り出してしまったか。

 数秒としない内に、全身がずぶ濡れになるのほど雨脚は強くなっていく。
 
 それに伴って、美樹が動きをみせた。
 流石にこの土砂降りの雨の中、じっと座ったままでいることに抵抗を感じたのか、美樹は項垂れた姿勢でとぼとぼ歩き出す。何ともおぼつかない足取りである。

 キュゥべえに問い質したいことは、まだ山ほどあるのだが――今は美樹のことが優先だ。

 僕達はそこでキュゥべえとの話を打ち切って、美樹の後を追うことにする。

 雨で濡れ鼠になった不快感に、キュゥべえに対する憤り。自分自身の不甲斐なさ。
 心の中が鬱屈とした気持ちで埋め尽くされていく。








[27169] ともえパーティー~その1~
Name: ミドリ◆02e976c9 ID:ea6cad15
Date: 2015/09/10 08:53
~075~

 あれからの出来事について――つまり、美樹のあとを追ったその後の顛末を語っておくべきところなのだろうが、残念ながら僕が語るべきことはない。
 無責任な発言に聞こえたかもしれないが、僕一人だけ蚊帳の外に置かれ――成り行きというか、ほむらの判断もあって、美樹のフォローは彼女に任せることになってしまったのだからしょうがない。

 それ自体は何も間違っていない、適切な判断だったはずなのだ。

 でも、まさか美樹があんなことになるなんて……。
 だけどそれは、既に決まりきっていたことで――遅かれ早かれ、同じ運命が待ち受けていのではないかと思う。

 その辺りの詳細は、追ってほむらの方から語られることになるはずなので、勝手ながら僕が語り部として知り得る部分から物語を語らせてもらうとしよう。




 5月23日。火曜日。放課後。
 心ここにあらずの心境で授業を終えた僕は、文化祭の準備をまたも羽川に丸投げし高校を後にした。

 嫌な顔一つ見せず快く送り出してくれた羽川はその折に、 僕が色々思い悩んでいることを当たり前のように承知していたらしく(自分的には悟られないよう隠していたつもりなのだが)、「助力が必要だったら、遠慮せずいつでも言ってくれていいからね」と、慈悲深き気遣いの言葉をかけてくれた。

 詮索することはせず、あくまでも手を差し伸べるだけにとどめ、僕が手を伸ばせばいつでも手を貸せる状態で待ってくれている。

 ほんと至れり尽くせりで、足を向けて寝られない相手だ。聖人君子羽川さんである。

 あと、恋人であるところの戦場ヶ原はというと、朝のホームルームが始まるまでの一時や、休み時間、昼食時など、会話する機会は何度となくあったのだが、僕の心情を一片たりとも察した様子はなく、いつもの調子で暴言毒舌を吐き続けるだけだった。讒謗の数々を浴びせられ心が蹂躙された。

 羽川と比べるのも違うが、なんだろうこの差は。
 戦場ヶ原が本当に僕の彼女なのか、疑いたくなってくる。

 とは言っても僕を好き勝手貶めたことで満足したのであろう戦場ヶ原が魅せた貴重な笑顔は、中々に悪いものでもないのだが。
 もしかしたら、これはこれで戦場ヶ原なりの気遣いなのだろうか? いつもの自然体で接してくれるってのも、変に気を使われるよりは有り難い話だし。
 うーむ、如何せん戦場ヶ原の心情を読み取ることは至難の業なので、真相は闇の中だ。


 ともあれ高校から自宅に直行し、通学用ママチャリからマウンテンバイクに乗り換えた僕は、全速力でペダルを回し、今しがた見滝原――正確には巴さんの住むマンションへと到着したところだった。
 腕時計を確認すると、時刻は午後4時20分。

 ほむらから頼まれていた話し合いの開始時刻は午後5時からなので(既にアポイント済みだ)、まだ予定の時間よりだいぶ早いのだが、前もって杏子の様子を探っておきたいという思惑もあって、敢えて前のりした次第である。

 エントランスを経由しエレベーターに乗って家の前にやって来た僕は、チャイムを鳴らして来訪を告げる。
 すると――

『阿良々木さん!? 随分と早いですね。今、開けますからちょっと待っていて下さい!』

 インターホン越しの、少し慌てた応答の後――程なくして扉が開く。
 そこから顔を覗かせたのは、エプロン姿の巴さんだった。

 ベージュ色の淡い色合いの布地に、お洒落な薔薇の模様が刺繍された品のあるデザインのエプロンで――またその上で、要所要所にフリルとリボンによる飾り付けが施されており、可愛らしさも兼ね揃えていた。
 巴さんの雰囲気にマッチしているし、本当に良く似合っている。

 うん、これは嘘偽りない感想だ。

 だけど――なのだけど。

 いやはや、中学生の女の子に対して適切な表現でないと重々承知しているが、それと同時に僕の頭にふと浮かんだワードは『新妻』だった。それも年上のお姉さんタイプ。
 もしここで「おかえりなさい、あなた」なんて言われでもしたら、色々妄想が止まらなくなってしまう!

 これもまた阿良々木暦の偽れない正直な感想である。

 さて、どうなのだろう。
 世の高潔なる魂を持った紳士諸君ともなれば、僕のこのイメージに共感ないし、賛同してくれる人も少なからずいるのではないかと思う。まぁ多くの人は、何に言ってんだコイツと、冷めた感想を抱くのだろうけれど。
 まぁいい。僕はマイノリティでもいいのだ。

 それに、某裸エプロン先輩の言動と比べてみれば、こんなのかわいいものじゃあないか。
 流石に流石に、裸エプロンで傅いて欲しいなどとぶっ飛んだ思考を有していないので、この僕の一連の脳内イメージは十分に許容範囲であったと自己弁護を試みておく。

 まぁ無論こんなの妄想の産物でしかなく――現実は来客用のスリッパを用意するといったごくごく普通の対応で、そのまま何事もなく部屋の方へと案内されただけだった。

 と、部屋の中に入るその前に。

「ねぇ巴さん、アイツの様子は?」

 気構えというか、少しでも事前に状況を把握しておく為、扉の向こうにいるであろう杏子には聞こえないよう声量は抑えて巴さんに聞いてみる。

「そうですね。怪我も完治していますし、もう普通に会話もできる状態ですよ。と言いますか……寧ろ元気が有り余っているぐらいです」

 苦笑いを浮かべながら巴さん。

「そっか。そりゃ重畳だ」

「あの阿良々木さん」
「ん?」
「私、今お菓子を作っているんですけど」
「そうなの? そりゃ凄い」

 そうか。エプロン姿だったのは、現在進行形でお菓子作りに励んでいたからなのか。
 お菓子を手作りなんて女子力が、いやかなり嫁度が高い。

「あ、ごめんね。お菓子作りの邪魔しちゃったみたいで。予定の時間より早く来ちゃったからなぁ」
「いえ、邪魔だなんてことは全くないです――ただ作業の途中なので、ちょっとまだ手が離せなくて、少しの間キッチンの方にいなくちゃいけないんですけど……佐倉さんと二人だけで大丈夫ですか?」

「うん、まぁ問題ないとは思うけど」

 少し心配そうに表情を曇らせる巴さんだけど、言葉の雰囲気から察するに、そこまで杏子に手を焼いている様子でもない。加えてお菓子作りができるってことは、ある程度余裕があるってことの裏付けだ。

 そんな事前確認を済ませ、巴さん先導のもと部屋の中に足を踏み入れる。

 通されたのは広いワンルームの一室。
 ガラス張りの窓からは夕日が差し込み、室内がほのかに赤く色付いていた。
 整理整頓された部屋で、観葉植物やインテリアが小奇麗に配置されており、家具のセンスもよく色合いも調和がとれていて、まるで有名デザイナーが手掛けたモデルルームみたいだ。

 ただ部屋の中央付近――ソファと三角形のローテーブルが配置されたその一角だけはやけに散らかっていた。
 とは言っても、それは巴さんが片付けを怠ったとかそういう訳ではなく、ソファに寝転がっている佐倉杏子が原因のようだ。

 彼女の周囲には、手当たり次第開封されたお菓子が散乱していて、テーブルの上だけなくソファの上にまで食い散らかしたあとが……まだ食べている途中のようだが、かなり行儀が悪い。

 それに確証はないが、多分そのお菓子の数々は巴さん宅にあった買い置きの品ではないだろうか?
 スナック菓子の類ではなく、お茶請け用のクッキーだとか、箱詰めされたチョコレートだとか、なんか一ランク上の高そうなお菓子ばっかだし。

 まぁ取り敢えず――

「よお、怪我は大丈夫か?」
「まあね」

 寝転んだ状態から身体を起こしこちらを見やる杏子と、挨拶代わりにそんなやり取りを交わす。
 ふむ。まず触りの印象としては、敵愾心は幾分薄れているような気もする。お菓子に囲まれた状態で機嫌がいいのだろうか?

「佐倉さん、くれぐれも阿良々木さんに粗相がないようにね。いい?」

 巴さんはそんなお母さんのような忠告を残し、キッチンへと姿を消した。
 僕達の様子を一見し、揉め事にはならないと判断したようだ。

 これで杏子と一対一、二人だけで話すことになるのか。
 ちょっと今までのことを思い返すと身構えてしまうが、あまり警戒していても仕方がない。

「悪いな、こっちの都合に付きあわせちゃって――というか、お前が待ってくれているなんて、正直意外だったよ」

 見たところ魔法による全身麻酔の効果もないようだし、怪我も完治している。となれば、慣れ合いを好まない杏子のことだから、話し合いなんかには参加したくないと、この場から退散することも十分有り得た話だ。
 まぁそこは巴さんが上手く説得してくれたのだろうと、勝手に解釈していると、杏子が徐に自分の足首を指差す。

「これ見ろよ」
「ん?」

 誘導されるがままに視線をやると、杏子の足首には黄色の細いリボンが巻き付いていた。
 しかもリボンは途切れることなくキッチンの方まで伸びている………………十中八九巴さんに繋がっているのだろう。
 ということはつまり、杏子が逃げ出せないように、リボンで半軟禁状態にしているってことか。
 軽くホラーだ。

「ま、抵抗してもよかったんだけど――でも好きなだけ食べ物も食わせてくれるっつーからさ、それにマミお手製のアップルパイも久しぶりに食っておきたかったし、それを食べるまでは居てやろうかなってね」

 本人としては渋々、お情けでこの場に留まっているとアピールしたいのだろうけれど、これは…………。

 いつだったか、こいつのことをネコ型の『豹』みたいだとか言った記憶があるが、今の印象を語らせてもらえば、リールに繋がれ餌付けされた『ワンコ』にしか見えない。
 こんなこと口にしたらぶっ飛ばされるが、『杏子』と『ワンコ』を掛け合わせて、『アン子』とそう呼びたくなる。

「なんだよ、物欲しそうな目で見やがって。やんねーぞ!?」

 僕の生暖かい憐憫を含ませた視線をどう受け取ったのか、お菓子をかき集め死守しながら軽く威嚇された。ごく最近拾ってきたばかりの野良犬なので、躾はなっていないようだ。


「…………なぁ、おい」

 と、そこで威嚇状態から一転――杏子らしからぬ張りのない声で呼ばれる。
 威勢がないというかなんかやけに小声だし、キッチンにいる巴さんには聞かれたくないのだろうか?

「ん? どうした?」
「……………………アタシが仕留め損なった魔女……あんたが倒したんだってな」
「あ、ああ。倒したというか、倒してくれたというか」

 それは忍の手柄だし首肯はし辛い。

「それに…………ここまで運んだり……ソウルジェムの穢れも…………その、だから…………なんつーか…………あ…………ありがとう」

 そっぽを向きながら、杏子は言う。
 ぎこちなく尻すぼみな、本当に小さな声量ながら、確かにお礼の言葉を口にした。
 まさか、こいつの口から『ありがとう』なんて単語が出てくるとはな。
 杏子的にはこの一言を口にしたことは、かなり不本意であろうことは想像に難くない。

 その杏子なりに絞り出してくれた精一杯の気持ちに対して、僕はこう返す。

「え? 何か言ったか? よく聞き取れなかったんだけど。もう一度頼む」

 聞こえなかったふりをして、もう一度杏子からお礼の言葉を引き出そうと画策する僕である。
 が、些か僕の返しがわざとらしく演技くさかったのだろう。
 もの凄い形相で睨まれた!

「てめぇ、あんま調子に乗ってると、痛い目みることになるよ。『弱点』だってちゃんと知ってんだかんな!」

「いや……え? 弱点って?」
「これのことだよ!」

 と、勢いよく僕の眼前に拳を突き出す杏子。
 一瞬、殴られるのか思ったがどうやら違うっぽい。何かを手に持っているようで、杏子の手からはチェーンが垂れ下がっており、それを僕に見せているようだ。
 よくよく見ればそれは銀製のアクセサリーで、チェーン部分には数珠みたいなのが等間隔で連なっており、その先には意匠の施された十字架が煌めいていた(こういうのは確かロザリオといったか)。

 あーなるほど。弱点ってそういうことね。

「あんたの話はマミの奴から散々訊かされたからね。つーか人が動けないのをいいことにペラペラと…………ま、そのお陰であんたの『正体』を知ることができた――まさか『吸血鬼』だったとはね。で、どうだい? 不死身の身体とは言ってもさ、これは効くんだろ?」

 強気に僕を攻め立てる杏子。

 確かに十字架は吸血鬼にとって弱点と言っていい。更に銀製というのも加点ポイントだ。
 が、今の僕は『吸血鬼もどき』――あの春休みの頃なら効果覿面だったのだろうが……今の僕にとってこんなのなんともない。

 巴さんが僕のことをどのように伝えたのかは定かではないが、かなり大げさに語ってしまったのではないだろうか? 

 いや違うな。忍の活躍を見た巴さんにしてみれば、あれは紛うことなき吸血鬼の力なのか。
 まぁこの場合、そんな裏事情はさて置きだ。

 どうしよう……ありのままに真実を伝えるべきか否か。
 でも、ここでそれを明らかにすると、このしてやったりのどや顔を見せる杏子があまりにも哀れだし――ここは大人の対応で。

「ぐわ! や、やめろっ! そんな物騒なもんそれ以上近づけないでくれ!」

「ふん。今回はこれぐらいで勘弁してやるけど、これからは言動に気を付けるんだね」

 今度の演技はなかなか真に迫っていたようで、杏子は主導権を握ったと喜んでいる。
 なんか色々残念な感じだが、満足そうだしいいとしようじゃないか。





[27169] ほむらコネクト~その4~
Name: ミドリ◆02e976c9 ID:ea6cad15
Date: 2014/10/27 23:35
~076~

 何でこんなことになってしまったのだろうか?
 どういうことかと端的に言えば、美樹さやかの様子がおかしい。
 それは私が今まで経験してきたどの時間軸でもみたこともないような変容具合で、異常事態と言えた。
 けれど、“それに”どう対処すればいいか見当もつかないのが現状であって――故に私が取れる対応はこの程度。

「その…………申し訳ないのだけど、少し離れて貰えないかしら……歩きにくいわ」
「え? なんで? 別にいいじゃんこのくらい。あたしはほむらともっと距離を縮めたいんだよぉ。あ、これは精神的な意味でね! どう、いっそのこと手でも繋いじゃう?」
「…………いえ、遠慮しておくわ」

 手と手が接触し、少し横を向けば吐息がかかるような至近距離――俗に言うパーソナルスペースにずかずかと侵入してくる彼女に、私は抵抗を示すも効果は薄い――いや、より悪化した感もある。

 そう――このように美樹さやかが過剰なまでに馴れ馴れしく、それはもう気持ち悪いぐらいに私に対して“好意的”なのだ。

 これを異常事態と言わず何と言う。


 基本的に私と美樹さやかは相性が悪い。相容れない存在と言えた。
 この時間軸に於いては、不可思議な巡り合わせによって同盟関係を結び、一応は良好な関係を築いていると言えなくもないが、それは魔女退治をするにあたって情報交換をする間柄――敵対していないというだけであって、あくまでも一線を引いた提携関係であり、それこそ親交を深めることなどあろうはずもなかった。
 互いが互いに一歩引いた状態――そこに歩み寄りはない。

 だからこそこの彼女の変容に、私は困惑しているのだ。

 とは言え、こうなってしまった原因に全く心当たりがないわけでもなく――客観的に分析・推測することは可能だった。

 この現状を招くに至った原因は、まず間違いなく昨日の上条恭介への告白が起因してのことだ。

 ただし、“それだけ”ではない。
 ともすれば、その後の彼女への対応こそが問題だったのではないかと今になって思う。


 あの後。
 キュゥべえと対峙している最中、雨が降りだし――それに伴って動き出した美樹さやかの後を追ったあれからの出来事について、ざっとではあるが思い返してみる。



 しばらくは阿良々木暦と一緒になって彼女の動向を見守っていた訳なのだが――傘も差さず全身ずぶ濡れになった有り様を見るに見かね、私は彼女に声を掛けた。

 ただ、阿良々木暦と一緒に行動していることは伏せておきたいので私一人、単独で。

 まず雨にさらされている状況をどうにかする必要があったので、不本意ではあったが彼女を私の家に連れて行くことにした。
 彼女の住むマンションまで送ることも考えたけれど――位置関係上、距離的に私の家の方が断然近くだったから仕方ない。

 それに下手に自宅に帰し家の中に籠られては、監視がし辛くなってしまいそうなので、そういった諸々の事情を鑑みての判断でもあった。目の届く範囲にいてもらわないと。

 まぁ例によってすんなり事は運ばず、彼女を私の家に連れて行くのに相応の苦労はあったが、話し出すとまた長くなりそうなので、それについては割愛しておく。

 まず家に到着してからどうしたかといえば、何はさておき彼女にはお風呂に直行してもらった。
 魔法少女の体質上、幾ら風邪を引くことがないからといって、不快感や肌寒さなどは普通に感じるのだし、流石に衣服が濡れたままで部屋の中を歩き回られたら困る。
 私に関しては折り畳み傘を持っており、言う程濡れていなかったので後回し。
 
 ちなみに、折り畳み傘は通学鞄ではなく例の小楯(異空間)の中に入っていたものだ。
 阿良々木暦からお前はドラえもんかと不愉快な指摘を受けたので、彼の分の傘を用意するのはやめた。私の傘に入れるような甘いこともしなかった。

 そして風呂上りの彼女に寝間着を貸し与え、そのまま私の家に泊まるように提案した。
 先ほど提言した通り、彼女が早まったまねをしないよう監視するのが目的であって――だからこれは此方の都合であり、決して好意などではない。

 当然、私の申し出に対し難色を……というより遠慮の姿勢をみせる美樹さやかだったけれど、無理矢理納得させた。
 今にして思えば、そこから目に見えて、態度が軟化していったような気がする。

 半ば強制的に告白させたことで、恨みを買っていたとしても何らおかしくはないはずだったのだけれど、それは彼女も彼女とて、私と上条恭介が相思相愛だと盛大な勘違いをして(人のことは言えないが)、本人の前でカミングアウトするという失態を演じたことにより、私に対し負い目を感じているのか帳消しになっているようだ。

 あと、どうやら私のことを『上条恭介に振られ失恋した同じ境遇の人間』と認識しているようで、美樹さやかから一方的に親近感を持たれてしまったらしい。

 そういった心情も合わさってだろうか、始めこそ陰鬱な雰囲気で殻に閉じこもっていたものの、買い置きの冷凍食品で晩御飯を済ませた頃になると、徐々に口数も増えていった。

 いや徐々になどではなく――“加速度的”にか。

 なんせ私が話を振るでもなく、彼女は上条恭介との馴れ初めをのべつ幕無しに語り始めたのだから。
 結局それは布団に身を潜り込ませ消灯してもなお止まることなく夜通し続いた。

 終始私は聞き手に徹し適当に相槌を打つだけだったのだけれど、それでも異様に疲れた。
 ほんと迷惑極まりない。



 そんな事情もあり、本日――5月23日は休みの連絡をいれ、私達は学校をサボっている。
 幾らなんでも眠すぎる。

 そして学校を休んで今まで何をしていたかというと、午前は睡眠にあて、午後からは特に外出することもなく家の中で話し込んでいた。

 話の内容は『ワルプルギスの夜』について。
 別にこれは私の方から切り出したわけではなく、成り行きというか……私の部屋の中には『ワルプルギスの夜』に関する資料が所狭しと散乱しているので、美樹さやかがそれに気付かないはずもなく、必然的にこの話題になっただけである。

 あとあと巴マミの家で同様の話をすることになるが、佐倉杏子の居るあの場所に美樹さやかを連れていく気はなかったし、何より、もう上条恭介のことで語り合うのはうんざりだったので、興味を持った彼女にこれ幸いと詳細を語ることにしたのだ。

 そうして『ワルプルギスの夜』の危険性について一通り言及し終えたところで、彼女は神妙な顔つきでこういった(部分的にだけれど、私達のやりとりを抜粋しておく)。

「そんなおっかない奴がこの町に……」
「ええ、そうよ」
「……恭介のことも……だからだったんだ」
「はい? それはどういうことかしら?」

「だから、そのワルなんとかって奴がくる前に、自分の気持ちに決着をつけときたかったんでしょ? そりゃ、もしかしたら死ぬかもしれないんだし、その前にちゃんとけじめっていうか、はっきりとさせたかったんだよね。……まぁ結果は残念だったけどさ。それでも、ほむらのその覚悟、本当に凄いと思うよ。心から尊敬する」

 ――このような耳を疑う発言があった。

 彼女の思考回路は全て上条恭介のことに直結しているらしく、妙な思い違いをした彼女は一人勝手に納得し、私に対する評価が飛躍的に高まっていた。

 しかしそれを否定しても面倒なことにしかならないのでスルーしておき、気にせず話を進めていくと――

「まぁ今まで相手してきた魔女よりはるかに強いって言ってもさ、皆で戦えばきっと大丈夫でしょ! 正直怖い気持ちもあるけど、アタシだって役にたってみせるよ!」

 美樹さやかが、やる気になっていた。
 が、それに関してはスルーできない。

「言うのが遅れてしまったけれど、あなたは戦わなくていいわ」
「え? なんで? アタシだって魔法少女として一緒に戦うよ。戦わせてよ! さっきは怖いって言ったけど、もう失うものもないし、何か吹っ切れちゃってるしさ。この見滝原の為にアタシにできることは何だってやる。魔法少女の使命が命懸けだってことは重々承知してるよ!」

「そういう精神論の話ではなく、もっと現実的な問題よ。あなたは魔法少女としてあまりにも未熟。私の中のであなたは戦力として勘定していない。はっきり言って戦力外だわ」

 彼女の言動に煩わしさを募らせていた私は、つい辛辣な口調で言ってしまった。まぁこれは本心であり本当のことだけど。

「………………そっか…………そう……だよね」

 私の言葉に消沈する彼女…………ではあったのだが。

「……ほむら、ごめんね。アタシの身を案じて言い辛いこと言ってくれて。アタシが無思慮な所為で、嫌な役回りさせちゃったね。ほんと……ごめん」

 どう受け取ればそうなるのか。
 あたかも、私が彼女のことを慮って憎まれ役を買い、敢えてきつい物言いでつけ放したとでも言わんばかりだった。
 そんな腹積りは一切ないのに……。




 かくして、現在に至る。

 時刻は午後4時50分。
 あと数分で会談の場である巴マミの家に到着しようかという場所まできていた。
 そして私の横にはべったりとくっついてくる美樹さやかの姿が…………。
 なぜワルプルギスとの戦闘に参加しない(というよりさせない)、彼女が一緒に来ているのかといえば、どうしてだろう? それは私が聞きたいぐらい。

 佐倉杏子の居る会合の場に連れて行くことは避けたかったので、何度か断ったのだけれど、勝手についてきてしまったのだ。
 もう何を言っても無駄だと悟った私は、渋々同行を認めたかたちだ。

「念を押してもう一度言っておくけれど、佐倉杏子のことは私に任せて、あなたは一切口出ししない。相手の挑発にも乗らないこと。いい?」

「もー大丈夫だってばー。アイツにもアイツなりの事情があるって知っちゃったし、アタシも誤解していた部分があるからさ。邪魔しないって! ほんとほむらは心配性だなぁ。でもそうやって気遣ってくれて嬉しいよ、あ・り・が・と」

 うざい。
 とは言え――軽い調子ながら、一応は素直に私の言葉を訊きいれてくれる。
 喧嘩されても面倒なので、佐倉杏子の身の上について軽く語っておいたことが、抑止力として機能しているのだろうけど、在りし日の彼女ならば、その話を訊く事自体に反発したはずだ(同行することに関しては頑なに譲らず、全くもって聞く耳を持つ様子はないが)。

 私の言うことに難色を示すことが非常に多かったからこそ、そういった観点でみれば、この彼女の変容も決して悪いものではないのだろうとは思う。
 寧ろ歓迎すべきことだと言える。美樹さやかが従順な態度でいてくれることは、間違いなくプラスであり願ってもない展開なのだ。

 だけどうざい。途轍もなくうざい。

 悪寒というか、言い知れない気持ち悪さが全身を駆け巡って無性にむず痒くなり、私自身の心理的な問題で拒否反応が出てしまいそうになる。

 今の所、表情を取り繕いどうにか堪えることはできているが、いつまで保てるか…………ほんと調子が狂う。

 美樹さやかからの好意を受け入れるには、まだまだ時間が掛かりそうだ。






[27169] ともえパーティー~その2~
Name: ミドリ◆02e976c9 ID:ea6cad15
Date: 2014/11/18 21:27
~077~

「それで――アタシへの話ってのは、もしかしなくてもワルプルギスを倒すのに協力しろってことかい?」

 一連の話――『ワルプルギスの夜』についての話が一通り終わったところで、先んじて杏子が口を開いた。
 話の流れから、大よその事情を汲み取ったようだ。

「ええ、察しが良くて助かるわ」

 それに対しほむらは、取り澄ました表情で肯定を示す。 

「今週末にでもこの見滝原に現れるんだっけ? 噂で訊いたことぐらいあったけどさ、アンタはどうしてヤツが現れる場所と日時まで予測できるんだい?」
「統計よ」
「統計だ? おいおい……それをどう信じろっていうのさ」
「別に無理に信じる必要はないわ」
「はぁ?」
「だってそうでしょ。現れなければ取り越し苦労だったってことで済ませればいいだけの話なのだし。だから今語るべきことは、一つの可能性として『ワルプルギスの夜』が来襲した場合に、あなたが手を貸してくれるかどうかよ。いつ来るか予測できない災害に備えて、準備することは決して無駄ではないでしょ」
「ものは言いようだね」

 ほむらの言い分に共感した様子もなく、杏子は憮然とした面持ちのまま手近にあったジャムクッキーを掴み取り乱暴に口に運ぶ。

 ここだけを切り取れば、張り詰めた空気に支配された、剣呑な会談風景のように思えるかもしれないが――実際にはそれほど重苦しい雰囲気というわけでもなかった。

 というのも。

「もー佐倉さん。ポロポロこぼさないの。ほら、口元にジャム付いているわよ」
「あーもういいって自分でふくから!」

 杏子が食べ溢したクッキーの欠片を拾い上げ、口元の汚れをティッシュで拭ってあげようとする巴さんの母性溢れる行動と、なぜかほむらの横にべったりとくっついた美樹の存在が、どうにも空気を弛緩させているからだ。
 些か緊張感に欠けるような気がしないでもないが、殺伐とし過ぎるのもよくないので、これでいいんだろう。

 しかし美樹は本当にどうしてしまったんだ?
 失恋の影響で、精神に異常をきたしてしまったのだとすれば一大事だけど……ほむらが自宅に美樹を泊めたというし、その時になんらかのやり取りを経て、急速に仲がよくなったとみるべきなんだよな。
 でも傍目から見ていると仲が良くなったのではなく、美樹の方から一方的に懐いているといったほうが正しい。なんかほむら嫌そうだし。

 どうすれば一夜にして、ここまで人間関係に変化が生じるのか……。

 まぁ美樹のこの心境の変化は、決して悪い方向に作用しているわけでもないんだよな。寧ろプラスに作用していると言えた。

 いやほんと、ほむらが美樹を連れてやって来た時は肝を冷やし(事前のメールではほむら一人で来る予定だったのだ)、険悪の仲である杏子とどう折り合いをつけさせればいいのかと焦ったものだ。
 なんせ数日前に殺し合いをした間柄である。

 だがどういう訳か、杏子が食って掛かるのを美樹が大人の対応でスルーしてみせたのだから、驚きを禁じえない。
 冗談でも大げさでもなく、この場が戦場になってもおかしくなかったからな。本当に助かった。


「で、もし仮にアンタの話が的中したとしてもさ、アタシが手を貸さなきゃいけない理由はないよね? 別にアタシはこの町がどうなろうと知ったこっちゃないし、噂によればワルプルギスってのは、相当に手強いヤツなんだろ? 勝てる見込みがない相手に下手に手を出して、無駄死にするのは御免だね」

 まぁ変に話が拗れなったというだけで、本題である杏子の説得は難航しそうだ。
 見滝原の命運がかかっている非常事態であれど、杏子の出身は隣町の風見野だし、例え風見野に被害が出ようとも杏子は気にかけないのかもしれない。

 それに加え杏子がほむらに対しあまりいい印象を持っていないのも痛い。
 気に食わない相手からの頼みごとなど、誰も訊き入れたくはないものだろう。事情がどうあれ突っぱねたくなるものだ。

 交渉は自分に任せろとほむらは豪語していたけれど、いったいどうするつもりなのか?
 このままでは交渉決裂が目に見えている。

 まぁなんにしても、今はほむらの抗弁に期待するしかないか。いや最悪、僕と巴さんで誠心誠意、平身低頭頼み込むことも念頭に置いておくべきだろう。

「あなたの言い分は尤もだわ。多分、私が逆の立場だったなら、訊く耳さえ持たなかったでしょうね」
「なら、大人しく諦めてくれんのかい?」

「いえ、『ワルプルギスの夜』を倒すのに、あなたの力は必要不可欠。そう簡単に諦めるつもりはないわ」
「へぇ。随分と高く買ってくれたもんだね。でも、その期待に応えてやる義理はないんだよね」

「でしょうね。あなたが義侠心にかられ、率先して協力してくれるとは思っていないし――無論、私だってただで手を貸してくれだなんて虫のいいことを言うつもりはないわ。これはあくまでも"依頼"よ。あなたが納得してくれるよう、それなりのメリットを提示させて貰う。断るのはそれを訊いてからでも遅くはないでしょ?」

 そう言えばこいつ、交渉材料を用意してあるとか言っていたな。
 だけど、秘密主義のほむらが僕に事前に教えてくれる訳もなく、それが何であるのか僕は知らない。

「ふーん、そりゃ興味深い話ではあるね。なら、早速そのメリットとやらを教えてもらおーじゃないの」

 杏子が値踏みするように眼光鋭く問い質すと、ほむらは至極端的に答えた。

「グリーフシードをあなたに譲るわ」

「ん? それはワルプルギスを倒した時に獲られる、グリーフシードの占有権をアタシに譲るって話かい?」
「それは勿論そのつもりだけど、今私が言っているのは前料金として、私が所持するグリーフシードを譲るということよ」

「そりゃ確かに一考する価値のあるメリットかもだけどさ、個人で所持するグリーフシードの数なんてたかが知れてるよね。残念だけど、アタシを納得させるにはちょっと厳しいんじゃないの。ま、どうしてもっていうんなら、グリーフシード十個で手を打つよ。そん時は喜んで協力させてもらおうじゃないか」

 ほむらの高圧的な態度(本人は自覚ないんだけどね)が気に入らなかったのか、杏子は小馬鹿にしたようなニュアンスで言った。
 無茶な要求でほむらを茶化すことが目的なのだろう。

「佐倉さん、それはあまりにも横暴だわ。あなただってグリーフシードの希少性は十分わかっているはずよ! そんな蓄えあるわけないじゃない!」

 それに対して真っ先に反発したのは、ほむらではなく巴さんだった。
 杏子との交渉役は、ほむらに一任することになっていたのだが、さすがに口を挟まずにはいられたなかっといった感じか。

 巴さんが声を荒げるのも尤もである。
 ただでさえグリーフシードの確保に苦心している状況だというのに、それを十個だなんて到底支払える数じゃない。
 おいそれと備蓄できるようなものじゃないし、慢性的に不足しているのが現状である。

 僕が知る限りで巴さんの手持ちが三個、美樹が一個。ほむらの所持している数は知らないが、言っても巴さんと同数ぐらいだろうし、これがいかに馬鹿げた数をふっかけられているのか、わかろうというものだ。これでは交渉もなにもあったもんじゃない。

「なにさ。マミにとやかく言われる筋合いはないじゃんよー! 断るのはアタシの勝手だろ!?」
「そうかもしれないわね。でも、あなたがそのつもりなら私にも考えがあるわ」

 底冷えするオーラを纏いながら、巴さんがおどろおどろしい声音を響かせ微笑する。
 それは見るものに畏怖を押し付ける、氷の笑み。
 そして――無慈悲に通告した。

「今、オーブンでじっくり焼き上げているアップルパイは、佐倉さん以外の皆で分けることにします」

「え?」

 杏子が茫然とした面持ちで巴さんを見やる。
 しかし、そんな彼女の悲嘆に暮れる様子に同情することなく、巴さんは追い討ちをかけるように一気に捲し立てる!

「知っているわよね。私が丹精込めて作ったアップルパイの美味しさは! 何層にも織り込んで作ったパイ生地が生み出すその触感はサクサク! 中には程よい甘みのカスタードクリームでコーティングされた、しっとり甘酸っぱいリンゴがこれでもかと敷き詰められているわ。そして隠し味程度に利かせたシナモンの風味。熱々のアップルパイに添えられた冷た~いバニラアイス! 一緒に食べれば極上のハーモニーを奏でることでしょうね。それを佐倉さんは指をくわえて一人で見ているだけ! 当然、この場から逃げようとしても無駄よ。今のあなたは私のリボンによって拘束されている。目を閉じようとも、甘い香りがあなたの鼻腔を刺激する。この責め苦にあなたは耐えられるのかしら!?」

 いやいや、杏子の食い意地が張っているからといって、こんなことでどうにかなるはず――

「ひ……卑怯だぞマミ!? それはアタシの為に作ってくれてたんじゃないのかよ!?」

 杏子がうろたえていた!!

「知りません。私の家の材料で私が作ったものなんだから、佐倉さんにとやかく言われる筋合いはないはずよね。断るのも私の勝手でしょ?」

 意趣返しとばかりに、杏子の台詞を真似て巴さん。

「うっ……だって……お菓子を食べる量も少なめにして……ずっと楽しみに待ってたのに…………」

 これは!? もしかしてあと一押ししたら、どうにかなるんじゃないのか!?

「巴マミ。あなたは余計な口を挟まないで。交渉は私に任せてといったでしょ」

 と、そこに割って入ったのは空気の読めていないほむら!

「え、でも」
「いいから私に任せて頂戴」
「暁美さんが、そこまでいうのなら……」

「おい、待てよ。アタシのアップルパイはどうなるんだよ!?」
「私と阿良々木暦の分をあげるから、それで我慢なさい」
「え? いいの!? お前いいやつだな! サンキュー!」

 なぜ僕の分まで!? 声を大にして抗議したかったが、ほむらの評価が上昇している手前、ここでケチをつけるのは躊躇われる。つーか文句を言おうものなら、後で泣きを見るのは僕なので、それこそ泣き寝入りするしかないのだけれど。

 つーか、あのまま見守って巴さんに任せていれば、ほぼ無条件(アップルパイのみ)で協力してくれたんじゃないのか? そう思ってしまうのは幾らなんでも杏子を馬鹿にし過ぎだろうか?


「さて、話を戻させて貰うわ。佐倉杏子、あなたの要求をもう一度確認しておくけれど、グリーフシード十個、それで間違いないのかしら?」
「ん? まぁ確かに言ったけどさ」

「そう。よかったわ。先にはっきりとした数を提示してくれて。あなた自身で言い出したのだから、今更、意見を変えないで頂戴よ」
「おいおい。意見を変えるって、そりゃどういうことだい。まさか、本当にグリーフシードを用意しようってんじゃないだろうね?」

 この反応をみる限り、やはり杏子にしても断る為の方便として言った発言で、本気ではなかったのだろう。
 だがしかし。

「そのつもりだけど」

 真顔でほむら。

「…………いや、そのつもりって、簡単に言ってくれるけど、どうやって工面するつもりなんだい?」
「なぜ、今から工面して回ると思っているのかしら? 手持ちで十分賄える数よ」
「はい?」

 杏子のぽかんとした反応を無視して、ほむらは徐にショルダーバッグの中からのビニール袋を取り出す(ちなみに僕以外この場にいるメンバーは全員私服だ)。
 それはごくごく普通のロー○ンのコンビ二袋であったのだが、その中には大量の黒い物体が……上下が細く尖った丸い球体のシルエットが透けて見える。

 ほむらの発言から鑑みて、グリーフシードで間違いなさそうだ。数は軽く十個以上。
 つーか、ビニール袋なんかに入れているから、袋から突起部分が突き出てんじゃねーか!?
 扱いが雑過ぎだろ!? 袋が破けて落としたらどうすんだ!? 希少なもんなんだから、もっと丁重に扱えよ!?

 色々突っ込みどころ満載ではあるが、ぐっと堪えて成り行きを見守る僕。

「あなたの望みどおり、グリーフシード十個。確実にはあるはずよ」
「いや……その……そんなつもりじゃ……」

「もし足りないのであれば、もう少しぐらい上乗せしても構わないわ」
「え? ううん、だい……じょうぶ……つーか、ほんとにこれ、貰ってもいいのかよ?」

「それは勿論。これは依頼だといったでしょ。正当な対価なのだから、受け取って貰わなければ、こっちが困るわ」

「……じゃあ……遠慮なく……貰っとくよ。いや、何か、わりぃな。あ、そうだ、アンタの分のアップルパイは返すよ。流石に貰ってばかりじゃ気が引けるし」
「あら、そう? ではこちらも遠慮なく」

 …………一応これで話は纏まったのだろうか?

 まぁ過程はどうあれこれで杏子の説得……いや、説得などではなく、ほぼ買収したような感じだけど、何にしても、無事新たな魔法少女を仲間に引き入れることに成功したのだった。



 しかし、なんだろこの釈然としない負の感情は。

 あ、そうか。僕のアップルパイは返ってきていないんだ。





[27169] かれんフール~その1~
Name: ミドリ◆02e976c9 ID:ea6cad15
Date: 2014/12/11 18:30
~078~

 巴さん特製のアップルパイをご馳走になりながら親睦会のようなものを開催し(僕の分は心優しい巴さんがわけてくれた)、それから今後の方針を軽く話し合ったところで、その日の会談は終了となった。

 日課のパトロールに関しては、ほむらからの提案もあり中止――彼女曰く、『ワルプルギスの夜』が現れるその日まで、見滝原周辺に措いて際立った活動を起こす魔女はいないということらしい。というかほむらの手によって既に退治されたというのが事の真相のようだ。

 そりゃあんだけのグリーフシードを手に入れたんだから、必然的にそれ相応の魔女を仕留めたことになる。
 これは勝手な憶測だが、ここのところほむらがずっと一人で行動していたのは、そういった裏事情があってのことなのかもしれない。

 まぁそんな訳で、いつもより少し早い時間に帰宅することになったのだ。ちなみに杏子は当面の間、巴さんの家で厄介になるもよう。

 自宅に帰り着いたのは、夜の八時になろうかという時分。
 お気に入りのマウンテンバイクにチェーン錠を施したのち(こんな郊外の田舎町、盗難などそうそう起こりようもないのだけれど)、明かりのついた我が家の扉を開ける。

「兄ちゃん、おっかえりー!!」

 と、同時に溌剌とした大きな声。
 なぜかそこには大きいほうの妹の姿が。

 阿良々木火憐。上の妹。栂の木二中に通う中学三年生。ファイヤーシスターズ実戦担当。
 いつもと代わり映えのないジャージ姿(部屋着用)の愚妹である。

 多分、自転車に鍵をしていた時の物音に気付いて出てきたんだろうけど……懐いたペットでもあるまいし、わざわざ玄関口にまで出迎えにきてくれるような、出来た妹ではないはずなのだが?

「おう、ただいま。で、どうした。また厄介事か?」

 だとすれば、何かしらの問題が起こったから、その報告にやってきたってのがいかにもありそうな話だ。


「何だよ。厄介事って」
「違うのか?」

 よくよく観察してみれば、表情がやけににこやかだしな。少しばかし邪推が過ぎたようだ。
 はて、何か良いことでもあったのだろうか?

 と、そこで僕は気付く。
 火憐が両手を後ろに回し、何かを隠していることに。

「なぁ、火憐ちゃん。手に何持ってんだ?」
「さっすが兄ちゃん。鋭いぜ! もう気付いちゃったか!? なら、出し惜しみせず、見せちゃおっかな! ジャジャン!!」

 そんな自前の効果音と共に、火憐は後ろ手に隠し持っていた"モノ”を披露した――僕の眼前に突き出した。

「!?」

 それを――いや、"そいつ"を目にした僕は絶句する。

「ふっふーん。変わった見た目だけど、この猫可愛いだろう! な、兄ちゃん!」

 意気揚々と同意を求めてくるけれど、それに答えてやれる余裕などあろうはずもなかった。
 確かに、見た目だけなら"可愛らしい猫"に見えなくもないが――
 
 どう見ても――
 嘘だと信じたくても――

 火憐が手に持っている猫の正体は――キュゥべえなのだから。

 って、これ以上ないレベルの厄介事じゃねーか!
 どうすんだよおい…………頭が真っ白だ。思考がままならず、呆然と突っ立っていることしかできない。

「おーい? 人の話ちゃんと訊いてんのかよ!」
「ああ、悪い。うん。可愛い……猫だな」

 動揺している所為か、どうにも反応が鈍くなってしまう。
 でもここで取り乱してはいけない。
 落ち着け。落ち着くんだ僕。まずは状況を正確に把握しなければ。
 
「で、火憐ちゃん……その『猫』……いったいどうしたんだ?」
「拾った」

「……いや、まぁそうなんだろうけどさ……何時どこで?」
「ん、ああ。道場の稽古から帰ってきたそん時に、家の玄関前に居たんだよ。なんか誰かを待ってるみたいに、ちょこんと座ってた」

「……そうなのか」
「そうなんだよ。そんでさ兄ちゃん、驚くなよ。いやちゃんと驚いてくれよ。なんと、この猫! 喋れるんだぜ!!」

「お前!? こいつと喋ったのかっ!!?」

 いや、そりゃそうか。
 キュゥべえが人間側の常識に配慮して、わざわざ普通の動物のように振舞うことなどあろうはずがない。そんな気の利いた奴じゃないのだ。

「ふっふっふ。やっぱ、驚くよなー。期待通りいいリアクションしてくれるぜ!」

 僕の驚いた反応に上機嫌な火憐ではあるが、僕達の間には決定的な認識の隔たりが生じている。
 今更言うまでもないことだろうが、一応注釈しておくと、僕が驚いているのはキュゥべえと火憐が言葉を交わしてしまった点についてである。
 キュゥべえが喋れることなど、百も承知だ。

「つーかさぁー訊いてくれよ兄ちゃん。なんか知んねーけど、月火ちゃん猫なんかいないってあたしのこと白い目で見て、頭がおかしくなったとか、拾い食いでもしたのとか言いたい放題いいやがんだよー。ひっどいよなー。そりゃ、かなり風変わりな見た目だし、世にも珍しい喋る猫の存在を信じたくない気持ちもわかるんだけどさ。最終的には相手にもしてくんないだぜ」

 どうやら、月火には魔法少女になる資格がないらしい。姉妹でどういった線引きがされているのか全く検討もつかないが、そんなこと今はどうでもいい。

「……そりゃ、酷い扱いを受けたな……うん、可哀想に」

 取りあえず火憐の愚痴に話を合わせつつ、どう対処するべきかを考える。

 いや、なによりまず先に。

「なぁ。その猫、僕にも抱かせてくれよ」
「おう、いいぜいいぜぇ――ほい」

 キュゥべえを受け取り、一応は赤子を抱きかかえるような体勢で、

「いやー綺麗な毛並みだなー。可愛いなぁ」

 などと感想らしき言葉を並べ、見せ掛けのポーズとして頭を撫でてやる(心持ち乱暴に)。
 次いで。火憐には気付かれないようキュゥべえに向かって――「これ以上一言も喋るな、いいな」と、小声で釘を刺しておいた。

 今までの経験上、こういった要求に対しては案外素直に聞き入れる傾向があるので、多分これで余計な口を挟まれることはなくなっただろう。
 これ以上話がややこしくなるのは御免だからな。

 でだ。

「えっとさ火憐ちゃん。さっき、この猫と喋ったって言ってたけど、いったいどんなことを話したんだ?」

 どうにか平静を装い、平素の口調で僕は質問した。

「ああ、それがさーあたしには素質があるだとか、悪い魔女と戦って欲しいだとか、願いを何でも一つ叶えてくれるとか」

 要点を掻い摘んだざっくりとした断片的情報なれど、これだけでどういった旨の話がされたのかは明白だ。
 そして――案の定、火憐は決定的なワードを口にする。 

「そうそう、魔法少女になってくれって頼まれた」

 くそ、最悪の展開じゃないか!

 町の平和を護る正義の味方を自認するファイヤーシスターズの火憐にとって、この誘いはかなり魅力的なはずなのだ。
 戦闘あり、かつ願いを叶えてくれるだなんて付加要素まである。これに食い付かないはずがない。
 深く考えもせず、二つ返事で承諾する火憐の姿が容易に想像できた。

「……もしかしてお前、それを受け入れたのか!?」

「お、兄ちゃん。あたしの話を信じてくれるんだ。てっきり馬鹿にされるもんかと」

「火憐ちゃんが嘘を吐くような子じゃないって僕は知ってる! で、どうなんだ!? 魔法少女になっちゃったのか!?」

 火憐が言うように、本来であれば『魔法少女のことなんて何馬鹿げたこと言っているんだ』と、そういった振る舞いをしなければいけないところだが――余裕のない僕は、つい責めるような口調でもって火憐に詰め寄っていた。

 だが、僕の予想とは裏腹――

「いや、断ったけど」

 意外や意外。キュゥべえからの要請は訊きいれなかったのか。
 ともあれ最悪の展開にならずにほっと胸を撫で下ろす。
 でもそうなると、どういった理由でこの判断を下したのか気になるな。

「なんつーか、お前のことだから、喜び勇んで応じるものかと思ったんだけどな。ほら、危険な橋があったら、嬉々として渡ろうとするだろ」

 興味本位で遠まわしに訊いてみた。

「んー面白そうな話だったけど、だってスカート履きたくなかったし。セーラー戦士のような格好で戦うのは、あたしの信条に反する!」

 思いの外くだらない理由で断っていた!
 魔法少女がどういう姿で戦うものなのかは、イメージとして一応持ち合わせているようだ。

 まぁどちらかといえば、女の子ながら仮面ライダーとかに変身して戦うアクションヒーローの方が似合いそうな奴である(注釈として、現代では女性がライダーになる作品は結構あったりする)。

「ま、それが断った第一の理由ではあるんだけどさ、何でも願いを叶えてくれるとか、不思議な力が宿るとか、そういうのって正直迷惑なんだよな」
「ん? 迷惑ってどういうことだ?」

「ほら、願いを叶えるって言い換えれば、自分の夢を叶えるってことじゃん? でも夢ってのは己の努力によって掴み取るもんだろ。あたしの今の目標は師匠とさしでやりあってぶっ倒すことだからな。自分自身の力で勝たなきゃなんの意味もないし。うん、だから与えられた力なんてあたしはいらない」
 
 ほんと、こまっしゃくれたことを言いやがる。
 深く考えずして深いことを言う奴なのだ。くやしいが、有り体に言ってかっこいい。
 生き様がどこまでも男らしい。こいつこそ男の中の男だと言っても過言ではないのではなかろうか。


「そんでさ、兄ちゃん。この猫飼っていい?」

 話が一段落ついたところで、火憐が切り出した。
 まぁキュゥべえの本性を知らなければ、普通に可愛らしい小動物だしな、気持ちは理解できる。

 しかし、そんなの駄目に決まっている。
 ただ、下手に突っぱねると、反って意固地になって駄々を捏ねられるという可能性もある。ヒステリーを起こした月火よりはまだマシだとはいえ、そうなると火憐も火憐で面倒くさい。

 なので、それらしい理由をでっち上げ、口からでまかせで言い包めるしかないのだが、咄嗟に上手い言い訳が思い浮かぶはずもない――と本来であれは、苦慮する場面ではあろうが、幸いにも(?)、常日頃から妹達に対して虚言を弄して嘘をつきまくっている僕にとってこんなの朝飯前だった。

「それは駄目っつーか無理だな」
「おいおい兄ちゃん、駄目ではなく無理ってのはいったいどういうことだよ。兄ちゃんって猫アレルギーとかあったっけ? って普通に触ってるもんな。じゃあママに反対されるとか? でもママ無類の猫好きだし、頑張って頼めば大丈夫なんじゃねーの?」

「いや、そういうことじゃなくてだな――こいつ飼い猫なんだよ。ほら耳輪つけてるだろ」

 耳輪(イヤリングを除く)なんてもの寡聞にして知らないが、つーかどう見ても浮いてるんだけど、これなんなんだろうな。

「そんでさ、今しがた思い出したんだけど、ほんとたまたま帰宅途中にさ、ふと見た電柱に猫を探していますみたいなチラシが張ってあって、多分こいつのことだと思うんだよな。うん、特徴も同じだしきっとそうだ」

 矢継ぎ早に嘘を重ねる。我ながらかなり強引な理由付けだ。

「ありゃりゃ。なら家では飼えないか」

 まぁそれでも僕の虚言をなんの疑いもなくあっさり信じてしまうのが、この妹だ。素直というか単純というか馬鹿というか。まぁ喋る猫を前にしたら、どんな荒唐無稽な話でもずっと信憑性は高いと判断したのかもしれない。

「まぁつーことだからさ。残念だけど諦めてくれ」
「うん、わかった」 
「飼い主の人も心配しているだろうし、僕が責任を持って早急に送り届けてくるよ! じゃあ行ってくる!」
「おう! 兄ちゃん頼んだぜ!」

 とまぁそんな兄妹間のやり取りをすませ――帰宅したのもつかの間、僕は阿良々木家から出て行くことになったのだった。





[27169] しのぶシークレットー~その1~(QB)
Name: ミドリ◆02e976c9 ID:ea6cad15
Date: 2014/12/22 18:31
~079~

 家からそう遠くは離れていない近所の空き地――周りに民家などの建物はなく、多少声を張り上げたところで、誰にも気付かれないような場所に僕はいた。

 なぜこんな人気がない所にやって来ているのかといえば、他でもない。

「なぁキュゥべえさんよー。いったいどういう了見で僕の家にきやがった!?」

 謎の生命体――キュゥべえに物申すため。

 首根っこを引っ掴んで運搬してきたキュゥべえを乱雑に放り投げ、語調荒く詰問する。
 心情的には、吸血鬼の力をあらん限りに使って、地平の彼方まで問答無用に投げ捨ててしまいたかったが――今ここでちゃんと話をつけておかないと、また僕の家にやってきかねない。

「どうやらあまり歓迎されていないみたいだね」
「当たり前だろうが! うちの妹を勧誘してんじゃねーよ! そもそも僕に用があったんじゃないのか!?」
 
 火憐の話では、家の前で"誰か"を待っているようだったと言っていたし、ならば僕に何かしらの話があったとみるべきである。

「うん、そうだね。本来の目的は君から吸血鬼の情報を訊き出すことだ。今でもその目的自体に変わりはないよ。だけど、あれほどの素質を持った子と巡り会う機会そうはないからね。魔法少女との契約を取り結ぶことも僕の大事な使命なんだから、黙って見過ごすことなんて出来ないよ」

 いけしゃあしゃあと、事も無げにキュゥべえは言う。

 やはり火憐への勧誘は、僕を待ち構えていた際に偶発的に起こったことのようだ。
 こいつにとっては、物のついでに過ぎないのだろうが――

「だから大目に見ろってか!? ふざけんなっ! お前との契約は解消不可能な片道切符じゃねーか! もう二度とうちの妹に近寄るんじゃねー!」

 今回は未遂で済んだものの、火憐がもし魔法少女になったいたら、取り返しがつかないことになっていたのだ。

「はぁ……わかったよ。惜しい気はするけど、僕としても無理強いをするつもりはないしね」

 これで一安心――とは到底言えやしないが、取り敢えずこの件は置いておこう。

「つーか、わざわざ僕の――いや吸血鬼の情報を探る為だけにご苦労なこったな。見滝原にいなくていいのかよ」
「これは重要な位置づけになるかもしれない案件だからね。蔑ろにはできないよ」

 確かに吸血鬼の力は絶大だし、こいつが興味を抱くのもわかる。

 しかし、僕の方から吸血鬼の情報をくれてやるつもりは毛頭ない。
 でもそうなると、こいつが満足のいく情報を得られるまで、ずっと周囲で監視され続けるんじゃないのかこれって? うわ。そんなの嫌過ぎるぞ!
 ならば、ここで強く言い含め、僕への干渉もこれっきりにして貰わなければなるまい。

「おいキュゥべえ! これ以上――」

 と、今まさに啖呵を切ろうとしたその瞬間!

 音もなく唐突に――予期せぬ介入者が現れた!

 というか、地面から生えてきた!
 月に照らされた僕の影から、忍野忍が姿を現した!

 そして顕現するや否や、蟷螂が獲物を捕らえる時の動きさながらに、一瞬にしてキュゥべえを引っ掴み勢いそのまま――小さな口を大きく開け一切の躊躇もなくかぶりつく。

 キュゥべえの頭を――である。
 むしゃむしゃと。がつがつと。喰らいつき捕食していく。

「ふん。いまいちじゃな」

 そんな感想を漏らしながらも、残すことなく尻尾の先まであっという間に完食する金髪金眼の幼女。
 なかなかに凄惨な絵面である。

 あまりの出来事に、言葉をかけるのも躊躇われ黙って見届けることしかできない。
 まぁ内心ざまーみろと思わないでもないので、敢えて止めに入るつもりもないのだけれど。


「おい、忍、お前なにしてんだよっ!?」

 食事が済んだのを見計らって、ようやく僕は突っ込みを入れた。

「別に騒ぐことの程でもなかろうよ。どうせまた代わりが出てくるだけなのじゃしな――のう“兎擬き”よ」

 例によってどこからともなく湧いて出たキュゥべえを、忍が鋭い視線でもって睨み付ける。

「“兎擬き”というのは僕のことでいいんだよね? そして――君が忍野忍だね。やっと存在を確認することができたよ」

 新たに現れたキュゥべえが、名乗ってもいない忍の名前を"フルネーム"で呼んだ。
 どうして忍のことを知っている!? なんて一瞬思ってしまったが、そういえばあの閉じ込められた暗闇の結界の中で、巴さんと話している時に、忍に関して幾つか会話を交わしていたな。
 あの場にはキュゥべえもいたのだし、把握しているのは当然か。

「それにしても、いきなり酷いことをするね」
「ただの挨拶代わりじゃ――して、我があるじ様よ」

 キュゥべえからの非難を適当に流した忍は、くるりと反転し僕の方に向き直る。
 なぜかその表情は呆れているような、ともすれば僕のことを侮蔑するような厳しいものだった。

「普通、気付きそうなものじゃがな。まったく、見ておれんわ」
「は? 気付くって何をだよ?」

「はぁ、欠片ほどの違和感さえも感じ取っておらんとは情けない」
「えっと……悪い、いったいこれは何の話だ?」

 僕のことを非難しているってことはひしひしと伝わってくるけれど、それが何についてのことなのかがわからない。言っている意味が判然としない。

「お前様、この兎擬きがあの隣町から出向いてきたとそう解釈しておるようじゃが、それは違うぞ」

「……違うって……現に今、此処にいるじゃん」

 僕の言い分を訊いた忍は、やれやれとこれ見よがしに大きく首を振った。

「まぁこういうのは、第三者の客観的視点であるからこそ、浮き彫りになるものじゃからの。当事者であれば、気付くのは難しいやもしれん」

 察しの悪い主人のフォローを挟みつつ、更に言葉を紡ぐ。

「我があるじ様よ――まさかとは思うが、この兎擬きが"たった一個体だけで活動している"と思っているわけではあるまいな」

 なんか授業中、名指しで回答を求められているような気分だな。

「はい? ああ、もしかしてお前が言いたのは、こいつの予備の身体のことか?」

 ついさっき忍に喰われた際、何事もなかったように、どこからともなく新しい個体が出てきたからな。キュゥべえの自己申告によれば、スペアの数は無尽蔵にあるらしい。

「確かに、そういった意味では、もう見滝原からやって来たとは言えないかもな」
「そういうことではない」

「じゃあ、どういうことなんだよ?」
「……………」

 無言で僕を睥睨する忍。あたかも、授業内容をまるで理解していない、駄目な生徒をみるような物悲しげな視線である! 絶対馬鹿だと思われている!

「じゃから――此処におる奴とは別に、今現在もあの隣町には同種の兎擬きが存在しておるということじゃ。この兎擬きは"複数体同時に活動しておる"。これは間違いなかろうよ」

 忍はそんな風に言い切った。
 だが情報量が多く、中々頭に入ってこない。そして数秒程頭の中で言葉を反芻したところで、ようやく僕は理解する。
 忍の言わんとしていたことを把握する!

「おいキュゥべえ! 忍の言っていることは本当なのか!?」

 兎にも角にも――真偽の程を確かめるべく、キュゥべえに話の矛先を向ける僕。

「うん、忍野忍の言う通りだよ」

 すると、あっさりとキュゥべえは認めた。やはり、訊かれた事は無頓着に答えるな……。
 僕の中では、死んだら予備の身体が現れるシステムぐらいにしか思っていなかったのだけど、まさかまさかである。ほんとキュゥべえの生態は摩訶不思議だ。

「つーか忍、よく気付けたな、こんなこと」
「いやいや、普通、気付くじゃろ。念のため言っておくが、儂の見立てでは、二匹、三匹の話じゃなく、かなりの数が同時に活動しておるはずじゃぞ」

「え? それって?」

「考えてもみよ――魔女というは、あの見滝原とかいう町にだけ現れる特有の存在なのか? 今まで訊いた話からして、そんな訳なかろう。あの町だけではなく、日本中に、ともすれば世界各地にも魔女は存在しておるはずじゃ。なら、それに応じた数の魔女っ子も必要になってくる。まぁ兎擬きが勧誘をし続けていることから見て、慢性的な人員不足なのは窺えるがの。それでも――そうだったとしても。どんなに軽く見積もったところで、百人以上は、こやつと契約した“今現在”活動中の魔女っ子がおるはずじゃ。実際は、もっと膨大な数なんじゃろうがな。兎も角、それをたった一匹でサポートするのは、どう考えても無理がある。故に、導き出される結論は、この兎擬きと同種の存在が、同時期に各地で暗躍しておる。そう考えるのが妥当ということじゃ」

 忍は、自身の見解を一息に述べ立てた。
 指摘されるまで全く気にも留めていなかったが、言われてみればそれもそうだ。

「一匹で行動しているように見せかけて、人知れず水面下でこそこそと嗅ぎまわっておったのじゃろうな。儂の推測に何か間違いはあるか、兎擬きよ?」

「概ねその理解で間違いはないよ。"僕ら"も気になることは色々とあるからね。以前にも言った覚えがあるけど、情報収集は理知的な行為であって、なんら責められる謂れは無い筈だ」

 そこで言葉を区切り――目線を忍から僕へと移す。

「ただ勘違いしないで欲しいんだが、こういった措置をとっているのは、人間側への配慮だということは理解して欲しいな。"僕ら"が同じ場所に集まると、どういう訳か、君達は好ましくない感情を抱くようだからね。だから僕らは、なるべく同じ地域には姿を現さないようにしているってだけの話さ」

「……ああ……その場面を想像してみると、相当に気持ち悪いな」
「おいおい、我があるじ様よ。そんな建て前をあっさり信じるな」

 キュゥべえの言い分に、一定の理解を示した僕に対して、忍が呆れたように言う。

「まぁこんな″尤もらしい言葉"を並べ立てられれば、納得してしまうものやも知れぬな。こうして相対して話してみると、確かにこの兎擬きの話術は目を見張るものがある。本当によく口が回りおる。お前様が、毎度毎度ことごとく、物の見事にはぐらかされておるのも解かろうというものじゃ」

「いや……え? はぐらかされるってどういうことだ? しかも、毎度毎度って」
「じゃから、言葉のままじゃ――ふむ……そうじゃな。お前様よ。先日、この兎擬きに目的が何であるのだとか、そういったことを追及しとったじゃろ? その時のことを覚えておるか?」

 僕の問いかけに、質問で返してくる。
 忍の至極真面目な表情から察するに、この質問こそが、僕の問いに対する答えなのだろう。

「そりゃ覚えてるけど」
「それで、兎擬きの目的は解ったのか?」

「まぁ一応な。どんな利用価値があるのかまでは解らないけど、グリーフシードを回収することがこいつの重要な使命――目的なんだろ」
「いやはや、それで納得してしまうとは、相変わらずお前様は人が良過ぎるというか、馬鹿正直過ぎる。あの黒髪の魔女っ子が言っとったろ? この兎擬きにとっては"魔女を倒すことなんて二の次"だとか何とか」
「ああ、そう言えば言われたな」

「して、グリーフシードを回収することが、本当に魔女を倒すことより優先する目的になるとお前様は思うのか?」

「……………………そう改めて訊かれると、どこかおかしい気がするな……するんだけど……あれ、何がおかしいんだ?」
「簡単な話じゃ。お前様はこの兎擬きに"欺かれておる”から、こういった食い違いが生じる」

 忍は言う。
 キュゥべえに欺かれていると――つまり換言すれば、

「僕がキュゥべえに騙されているってことか? 僕が……こいつに?」

 キュゥべえの方を窺うも――これといった反応は見せず、じっと静観の構えを崩さない。
 ただただ興味深そうに、忍のことを凝視し続けている。

「いや騙されておるとまでは言っておらん。分かり易く言えば、言葉巧みに論点を挿げ替えられ、曲解するよう仕向けられておるとでもいうのかの。嘘は言っておらんが、だからといって真実を話してはおるわけではない」

 真実を話していない。

「つまり、お前はこいつが何か隠しているって言いたいのか?」

「然り。あまりお前様の問題に口出しするつもりはなかったが、じゃからと言って見過ごすのも忍びない――我があるじ様と儂は運命共同体じゃしな。それになんと言ってもお前様の『選択』に興味がある」

「選択?」

「そう選択じゃ。ここいらで、はっきりとお前様の指標を明確にしといたほうがよかろう。どうせ遅かれ早かれ気付く、或いは直面することになるのじゃし――ならば今ここで知ったとしても大差あるまい。いや、なるべく早いうちに知っておいたほうが身のためじゃ。これ以上、深入りする前にの」

 忍の意味深な語りが続く。
 が、欺かれている立場(らしい)の僕には、何の話をしているのかさっぱりだ。

「ちょっと待ってくれ忍。お前は何が言いたいんだ?」

「何が言いたいかと訊かれれば、そうじゃな。この兎擬きの"本当の目的"を明らかにしておこうということかの。儂の口から語ってもよいが、真実を知るのなら、やはりこの兎擬きの口を割らせるほうがよかろう」

 僕からキュゥべえに視線を切り替え――忍は言う。

「言っておくが、儂はお前の企みなぞ全てお見通しじゃぞ? 虚言を弄そうとも無意味。時間の無駄じゃ。さぁ観念して、我があるじ様に本当の目的を訊かせてやれ兎擬き。 いや――ここは"正式な呼称"で呼んでおいてやろうかの」

 何やら語調を変え強調して言っていたが……正式な呼称っていうのは『キュゥべえ』ってことだよな? 
 まぁ忍が他者を名前で呼ぶのは珍しいことだ。忍野のことも『アロハ小僧』、ほむらのことは『黒髪の魔女っ子』みたいに、記号的な特徴で呼ぶことが多いからな。
 なんて、僕なりにそう解釈したのだが――そうではなかった。

 忍が言っているのは、そういうことではなかった。

「かかっ」

 金髪金眼の元吸血鬼は、牙を覗かせ不敵に哂う。

 そして――最大限の敵意を込め、挑発するように言うのだった。

「のう、孵卵器インキュベーター






[27169] つばさサーチ~その1~
Name: ミドリ◆02e976c9 ID:ea6cad15
Date: 2015/01/26 18:56
~080~

 総括して結論から言ってしまえば、魔法少女の魂そのものと言えるソウルジェム――それに穢れが溜まり閾値を超えると、ソウルジェムはグリーフシードへと変化し、魔法少女は魔女へと生まれ変わる。魔女と成る。魔女へと堕ちる。

 つまり『魔女』の正体は『魔法少女』ということだ。

 それがキュゥべえ――いや孵卵器インキュベーターによって仕組まれた、魔法少女の逃れられない運命だった。

 インキュベーターの導きによって魔法少女となり――インキュベーターの計略によって魔女となる。
 悪意に満ち満ちたマッチポンプ。とんだ自作自演である。

 ではなぜこんな回りくどく、手の込んだ真似をしているのかというと――本人の弁によれば、インキュベーターは宇宙全体で枯渇していくエネルギー問題解決のために、地球の遥か彼方からやってきた異星生命体(俗に言う宇宙人)であり、その真の目的というのが、魔法少女が魔女へと生まれ変わるその際に発生するというエネルギーを回収することなのだとか。

 希望と絶望の相転移。
 取り分け、第二次性徴期の少女が魔女へと生まれ変わるその瞬間に発生するエネルギーの量は、計り知れないほど膨大な値であるがために、インキュベーターは執拗に少女との契約を取り結ぼうとしているようだ。

 そうして回収された感情エネルギーは、インキュベーターが作り出した技術によって変換され、有用なエネルギー源となっているらしい。

 そんなことを遥か昔から現代に至るまで、ずっと繰り返してきたのだという。

 更には、エントロピーがどうだとか、巡り巡って宇宙全体の為になるだとか、一方的な講釈を冗長に垂れ流し、“これが”如何に崇高な使命であるのかを僕に伝えようとするインキュベーターであった。


 馬鹿げた話である。
 荒唐無稽な与太話。性質の悪い冗談だ。

 到底信じることなどできはしない――と常時であれば一笑に付し、相手にしないところではあったが、件の話を切り出したのが半身とも言うべき僕の相棒なのだから、状況的に鑑みて丸っきりの妄言だと断ずることはできなかった。

 それに――それにだ。

 それが紛れもない事実であると断定したのも、他ならぬ忍だった。

 曰く。
 あの不干渉を貫いていた忍野から、事前に大よその事情を訊かされていたようで、魔法少女と魔女の歪な関係については漠然とではあるものの把握していたらしい。
 とはいえ、忍が本当の意味で真相に気付いたのはつい先日のこと――そう、あの『暗闇の魔女』を食した時に、魔女の“構造”“成り立ち”を理解したようだ。

 そんな裏付けもあり、僕がどんなに否定の言葉を並べ立てようともそれに意味はなく――残酷すぎる真実を前に、ただ立ち尽くす事しかできなかった。

 先延ばしにすることはできても、いずれ彼女達は魔女になる。
 魔法少女になった時点で既に終着は決まっているのだ。
 魔女になる運命から逃れるには…………命を絶つしかない。

 自身の無力さを、嫌と言う程に思い知る。
 怪異性を帯びた程度の高校生如きが、立ち入ってどうこうなるレベルの話ではない。
 いや規格外なスペックをもった専門家――忍野メメを持ってしても同じことだろう。
 今になって、あのお喋りな男が頑なまでに口を閉ざしていた意味を理解する。痛感する。

 これは既に覆すことができない領域の話であり、世界に組み込まれたシステムだと言えた。
 どう足掻いた所でどうにもならないのだ……どうすることもできないのだ……。

 目下の懸案事項であった『ワルプルギスの夜』――それを首尾よく無事に倒せたとしても、それで魔法少女かのじょたちの運命が変わるわけではない。

 街の平和を護るという意味に於いて重要な事ではあるが、その身を犠牲にして戦う彼女達が救われないなんて…………。



 結局僕は、意識も定かではない夢遊病者のようなおぼつかない足取りで、すごすごと退散するしかないのだった。










~081~

「阿良々木くん。ねぇ起きて」
「……ん、ああ……」

 重い目蓋を開けると、目の前に羽川がいた。

 羽川翼。
 折り目正しく品行方正。
 一直線に切り揃えた前髪に、三つ編みといった昨今では珍しい古式ゆかしい髪型で、視力矯正のみを目的とした、お洒落とは言えない丸眼鏡をかけた、見るからに優等生という風貌の少女。
 まぁ実際問題、見た目を裏切ることなく優秀で、優等生という言葉では表現しきれない程の、学生離れした、いや人間離れした才媛である。

 そんな彼女が、僕の肩をそっと揺り動かし起床を促してくる。
 妹達が全力で激しく揺さぶり起こすのとは全く違う優しい起こし方なので、特に不快感はない穏やかな目覚めであるが、なぜ僕は羽川に起こされているのだろう?

 なんて一瞬疑問に思ってしまったが、自問自答するまでもなく意識が戻り始めたことにより、直に状況を把握していく。

 そうだ。そうだった。

 もやもやとした気持ちが邪魔をして、どうにも寝付けずそのまま朝を迎えてしまった僕は、それでも一応は学生としての勤めを果たすべく、気だるげな身体に鞭打って学校へと向かい――ただ時間差で襲ってきた睡魔にやられ、机に突っ伏した状態で眠ってしまったのだ。

 で、面倒見のいい委員長さんが、甲斐甲斐しくも起こしにきてくれた訳か。

 感謝しなければいけない――いけないところではあるが、でも今は放っておいて欲しい。
 キュゥべえから明らかにされた"あの話"が、頭の中を占拠していて、起きていようがどの道、授業の内容なんて何一つ頭に入ってこないだろうし。
 

「……悪い。授業を受けられる気分じゃないんだ」

 羽川に対して失礼極まりない態度だけれど、頭にも心にも余裕がない僕は、素っ気無いおざなりな返事をするだけで、また寝る体勢に入る。

 今は何も考えたくない。

「こら、寝ないの!」

 が、眠りにつくのを阻止された。普通に怒られた。

「……なんだよ」
「なんだよじゃないでしょ…………阿良々木くん、もうとっくに授業は終わっているの。もう放課後だよ」
「え? マジで?」

 
 今更ながら辺りを確認してみると、そこには他の生徒の姿はない。
 がらんとした教室に、僕と羽川の二人だけだ。

 自分で思っている以上に熟睡していたらしい。
 昼食をとった覚えもないからな…………それはイコールで戦場ヶ原との約束(ランチ)をすっぽかしたことにもなる。

「いつまで学校にいるつもりなのかしら?」

 からかうような語調で羽川は言う。
 これはカッコ悪い、というか情けない。

「いや、うん。帰るよ。で、お前は何してたんだ?」

 失態を演じた気恥ずかしさを誤魔かす為、羽川に話の矛先を向ける。
 他の生徒がいないことから判断するに、放課後になったばかりではなく、ある程度時間は経過しいてるはずだ。なのに、なぜ羽川は残っているのだろう?

「あ、もしかして僕が起きるのを待ってくれていたとか?」

 一向に起きない僕に痺れをきらして、已む無く声を掛けた――そういうことだろうか?
 だとしたら、かなり迷惑をかけたことになる。

「ううん、そういうわけでも……私はただやることがあったから残ってるだけだよ」

 が、それは僕の思い過ごしだったようだ。

「別にどこでも作業はできるんだけど、ほら、私、家に帰っても――ね」

「……そうか」

 言外に語られた言葉の意味は瞭然だ。
 彼女にとって家は決して心休まる憩いの場などではない。

 羽川の抱える問題――家庭の不和は、まだ何も解決していないのだ。
 そして、それは羽川にとって触れられたくない類の話なのだから、僕としても返す言葉はなく、迂闊に踏み入るわけにもいかない。

「えっと、その作業、僕にも手伝わせてくれよ」

 気まずい雰囲気に耐えかね、何の気なしに僕は言う。

「はぁ……阿良々木くんがそれをいう?」

 すると、なぜか呆れたような視線を向けてくる。

「ん? 何かまずいこと言ったか?」
「さぁ私が今してる作業は、何でしょうね、副委員長?」

 副委員長――その言葉で全てを悟った。
 なんて間抜けな発言をしてんだよ僕!
 手伝うとか、どの口が言っているんだって話だ。

 僕はまだ寝ぼけていたようだ。

「…………その作業っていうのは…………文化祭の準備、ですか?」

 僕の遜った問い掛けに、委員長は笑顔を向けてくるだけだった。
 逆に怖いって。

「手伝うも何もないですよね。ほんとごめん!」

 元より僕の仕事なんだから。
 それを連日羽川一人に任せ、副委員長としての職務を放棄していたのだ。
 やむを得ない事情があったとはいえ――だ。
 兎にも角にも、頭を下げる。
 椅子に座っている状態でなければ、土下座も厭わないところである。

「んー別にそれは問題ないんだけどね。順調に作業は進んでいるし――それはそれとして。いいの阿良々木くん? そろそろ出発しないと間に合わないんじゃない?」

「間に合わない……って?」
「ん? ほら。此処の所忙しそうだったし、今日も用事があるんじゃないのかなって。だから、無理に起こしちゃったんだけど」

「あーそうことか、いや、いいんだ今日は……大丈夫」
「あれ? そうなの?」

「うん、特に用事とかないからさ」

 これは羽川を気遣っての方便というわけではなく、嘘偽りなく見滝原に行く予定はなかった。

 ほむらが見滝原一帯の魔女を一掃したことにより、当面の間はパトロールをする必要もないし、対ワルプルギス作戦会議も、肝心のほむらが武器の調達をするとかで不在なのである。

 でも……それは違うか……。

 いや、見滝原に行く必要がないというのは紛れもない事実なのだが……本当に本当のことを白状すると、僕は見滝原に行く勇気がないのだ。

 より正確に言えば、魔法少女である彼女達と顔をつき合せるのを避けたい。
 今の不安定な精神状態で、普段通りの自分を演じきれる自信がない。

 無論、僕の方からあの真実を告げるつもりもない。
 少女が受け止めるにはあまりに重過ぎる。幾ら何でもこくすぎる。

「今日は最後まで付き合うよ」
「ほんとに? さっきのは当て付けとかじゃないから、別に無理しなくてもいいんだよ?」
「無理とかじゃないって。まぁ僕に出来ることなんて限られてるし、反って足を引っ張るかもだけど、気兼ねなくこき使ってくれ」

 笑顔を貼り付け僕は言った。

 嘘は言っていない。


 でもこれはきっと――現実逃避と呼ばれるものなんだと思う。





[27169] つばさサーチ~その2~
Name: ミドリ◆02e976c9 ID:ea6cad15
Date: 2015/01/30 19:42

~082~


 僕と羽川の二人以外、他には誰もいない静かな教室。
 作業スペースとして机を向かい合わせに引っ付け――羽川の的確な指示を受けつつ、黙々と作業をこなしていく。
 もっぱら僕の役割は雑務だった。
 羽川が書き上げた文化祭の計画表を職員室までコピーしにいき、その刷り終わった用紙(再利用のわら半紙)を、冊子のように纏めてホッチキスで綴じていったりと。

 ちなみに、軽く目を通してみたのだが、個人個人の適性に応じた割り振りが事細かに書き記されており、買い出しリストやグラフ化された進行表などなど……どこぞの一流企業に提出する企画書のようだった。

「ねぇ、少しいいかな?」

 そして作業が一段落ついたところで、羽川は徐に切り出した。
 いや、それとなくずっと機会を窺っていたのかもしれない。

「ん? どうした?」
「阿良々木くん、無理してない?」

「無理って……別にこれぐらいの作業で、疲れたりなんか――」
「そういうことじゃなくて」

 僕の言葉を遮って、真剣な表情で羽川は言う。

「自分では平静を装っているつもりかもしれないけど、すごい思い詰めた顔してるよ。作業中もどこかずっと上の空な感じだったし」
「何でもないって。ちょっと昨日夜更かししたから眠たいだけで」

 羽川の追及に、僕はそれっぽい言い訳で対抗する。
 だが、相手は火憐のような単細胞じゃない。それですんなり納得してくれるはずもなく――

「ううん、そういうのとは違う気がするな。悩み事があるのなら……んー、これもちょっと違うかな……うん、今の阿良々木くん、私には苦しんでいるように見える。そんなのほっとけないよ。私に出来ることなんて、高が知れているけどさ――私、阿良々木くんの力になりたい」

 僕の精神状態などお見通しのようだ。つーか、羽川は自分自身の力を過小評価し過ぎだ。

「……いや、これは、お前には全く関係のないことで」

「やっぱりあるんだ」

 しまった! 言質を取られた!

「関係がないなんてことあるわけないでしょ。阿良々木くんが悩み苦しんでいるのなら、それだけで関係大ありだよ」

 僕の顔を真正面から射抜くように見つめながら、更に羽川は言葉を重ねる。

「だって私達――友達でしょ?」

 力強く頼もしい、縋りつきたくなる言葉だった。

「……そうだけど。友達だけど……でも」
「その口ぶりから察するに、私を巻き込みたくないって感じかな。阿良々木くんらしいけれど、もう私決めたから。阿良々木くんの相談に乗るって」

「気持ちは嬉しいけど、そんな相談の乗り方ってあるかよ! 自分勝手すぎんだろ!」
「自分勝手で結構です」

 お節介な性格だとは、身に染みてよく知っているが、ここまで頑なな態度をとるのは珍しい。

「あのな……羽川――」

 そこから同様の押し問答が繰り返されることになる。
 僕が突っ撥ね、羽川が訊きいれず、みたいなやり取りを数回に渡って――だけど、最終的に僕が折れるしかなかった。

 決め手となったのは羽川のこの台詞。

「だったら、勝手に調べるよ」

 これ以上ない脅し文句だった。

 こいつの場合、意図も容易く真実に辿りつく。それはもう間違いなく。絶対に。
 忍野が僕に警告していたことだ――羽川は有能過ぎるのだと。

 そして羽川の力強い眼差しは、一切引く気はないと雄弁に物語っていた。
 こうなった彼女は梃子でも動かない。主張を曲げることはないとみるべきだ。

 そうなると、僕が頑なに口を閉ざそうとも無意味――反って彼女を巻き込むことになりえる。
 探りをいれるという行為は、それだけで危険を伴うものなのだ。

 もし罷り間違って、魔女の結界に取り込まれたら、幾ら羽川が有能だとはいえ抗う術はない…………のだろうか? 
 うーむ……機転を利かしてどうにかしてしまいそうな気もするが、それでもやはりリスクが高すぎる。

 ならば、前以て危険性を知らせ、警戒を促し対処してもらったほうが、幾らかマシといえよう。

 それにあの忍野が一目も二目も置く存在である羽川なら、何らかの妙案を提示してくれるのではないかという期待がないわけでもなかった。

 僕だけの個人的な問題なら、意地でも拒んだだろうが…………彼女達のことを思えば。

 そんな葛藤もありつつ、僕は重い口を開いた。
 僕が知り得る全ての情報を――ただ、ほむらの時間停止の魔法に関しては、口止めされているので伏せておいたが、それ以外のことは、出来うる限り詳細に伝えたのだった。













~083~

「…………難しい問題だね。答えがないというか、既に取り返しがつかない段階に入っているというか…………」

 僕の話を訊き終えた羽川は、重々しいトーンでそう言った。
 

 多分、僕には及びも付かない次元で、思考を巡らせてくれてはいるのだろうけれど、根本の問題が変わるわけではないのだから、この結論に行き着くのは当然と言えた。
 有能な羽川とは言えど、決して全能ではないのだから。
 至極真っ当な総評だと思う。

「悪い羽川。こんなどうしようもないレベルの厄介事、やっぱり話すべきじゃなかったな」

「謝られても困るかな。これは私が無理に訊き出したことなんだからさ――阿良々木くんこそ変に一人で背負いこもうとしないで。それにまだ、阿良々木くんが“どうしたいのか”を聞いてない。まずそれをはっきりさせとかないと」

「どうしたいって言われてもな…………幾ら考えても何も思い浮かばないぜ。どうすることもできないってのが現状だよ」

 考えれば考える程に、打つ手のなさを思い知るだけだった。

「違う違う。別に解決策を講じて欲しいんじゃなくて、私が聞きたいのは、阿良々木くん自身がどうしたいのかを教えて欲しいんだよ」

「……僕自身がどうしたいのか?」

「どうすることもできないからって、彼女達の事を諦めることができるの?」
「んなことできるかよ! 諦めるつもりなんてない! 助けたいに決まってる!」

「だよね。阿良々木くんならそういうと思ってた。じゃあさ、その上でもう一つ質問――阿良々木くんは誰を助けたいの?」
「誰って……皆だよ」

「『皆』って、それは阿良々木くんと関わった子達で『皆』かな? それとも――世界中全ての魔法少女の子達で『皆』?」
「…………」

 僕は言葉を詰まらせる。
 口で言うのは容易いが、しかし――でも、それでもどうにか僕の考えを羽川に告げる。

「…………………出来ることなら全員救いたい。世界中全ての魔法少女を…………皆」

 が、その声量は小さく、力ない言葉を返すことしかできなかった。
 僕自身、どれだけ無茶なことを口にしているかが解かっているからだ。

「けど……現実問題、これは理想論と言わざるを得ないよな……」

 唯でさえ手を拱いているお手上げ状態なのに、それを世界規模でどうにかしようなんて…………。

「阿良々木くんがそんな弱音吐いてどうするの。“諦めるつもりなんてない”じゃなかったのかしら? まぁ途方に暮れるしかない状況だっていうことも判るけど、別に私は阿良々木くんを止めるつもりで、こんなことを訊いたんじゃないよ」

 叱りつけるような厳しい口調ながら、それはとても優しい声音だった。

「ただ生半可な気持ちじゃ立ち向かえないってことを、知っておいて欲しかったから。無茶を押し通すつもりがあるのなら、阿良々木くんもそれ相応の覚悟が必要だよ。気持ちで負けてたら、絶対に上手くいきっこない。始める前から負け戦になっちゃうよ」

「そう……だよな。僕がこんな調子じゃ、駄目だよな」

 ほんと、いつも助けられてばかりだ。

「うん、いい顔付きになったね。その調子その調子――じゃあ改めて訊かせて貰おうかな。阿良々木くんは、どうしたいの?」

 再度、羽川が問い掛けてくる。
 それに対し、僕は力強く宣言した! 

「全身全霊、僕の全てを賭けて事に臨む。絶対に彼女達のことを救ってみせる! 神に誓って――いやさ羽川に誓ってな!」
「なんで神様から、誓う対象を私に変えたの!?」

「え? だって僕にとってお前は女神のような存在だし」

 存在が不確かな神に誓うより、よっぽどいいと思ったんだけど。何より僕のモチベーションが上がる。

「止めてください。本当に止めて」

 が、当の本人による切実な訴えは無視できないか。
 ならば仕方あるまい。
 代替案として、常日頃から僕が崇め奉っているモノに誓いを立てておこう。

「じゃあ、僕の家で大切に保管しているお前の下着に誓って!」
「阿良々木くん、調子を取り戻したのはいいことだけど、調子には乗らないで」

 うわ。冷淡な口調の羽川超怖い!
 悪ふざけが過ぎたようだ。

「ごめんなさい」
「よろしい――ともかく、阿良々木くんが諦めない限り、私も死力を尽くしてサポートさせてもらうから」
「ああ、よろしく頼む」

 死力を尽くすという物騒なフレーズに、少々引っ掛かりを覚える僕ではあったが、ここは言葉の綾ということでスルーしておく。
 何にしても心強い。羽川が助言をくれるというだけで本当にどうにかなりそうな気がしてくる。

「じゃあ、出来ることからやってかないとね。時間も限られているし、早速動きましょうか」

「流石羽川。もうなにか方策が決まったのか?」

「ん~その前段階の準備といった方がいいかな。それで一つお願いがあるんだけど」
「おう! 任せとけ。僕に出来ることなら何だってやるぜ! って頭脳労働とかは正直勘弁願いたいけど」

「はは、別にそんな難しいことじゃないよ」
「そりゃ重畳。で何なんだ、お願いって?」
「うん。私をキュゥべえくんのところに案内してちょうだい」

「え?」

 想定外の要求に面食らう僕。
 それを尻目に羽川は続ける。

「阿良々木くんから教えてもらった情報だけじゃ、まだ足りないというか不明瞭な部分が多いし、ちゃんと全容を把握しとく必要があるでしょ」

「いや、それは……」
「さっき何だってやるって言ってたよね、阿良々木くん?」
「…………そうだけど」
「さっき何だってやるって自分から言ったよね、阿良々木くん?」

 同様の文言を繰り返し、笑顔で僕に言い知れないプレッシャーを掛けてくる羽川さん。

「言ったけど! それとこれとは話が別っていうか――お前はなんかこうアレだ! 安楽椅子探偵よろしく現場には出張らずに、的確なアドバイスを与えてくれるだけでいいんだって!」

「私の身を慮ってくれるのは有り難いことだけど、少し警戒し過ぎじゃない? 私だってちゃんと分を弁えて動くつもりだし、それこそ、魔女との戦いにまで同行させろなんて言わないって。邪魔になるだけだしね」

「………………」

 心の奥底から羽川のことを信用している僕ではあるが、これに関しては信用できそうもない。
 あの地獄のような春休み――我が身の危険を顧みず、人外同士の戦いに首を突っ込んできた女だ。

 羽川とキュゥべえを引き合わせるなんて、論外である。
 って、あれ? よくよく考えてみれば、これって心配するまでもないことじゃないか。

「あー、そう言えば言ってなかったかもしれないけど、キュゥべえが見えるのは魔法少女だけなんだよ。僕は吸血鬼の特性が作用しているのか見えてるけどさ。いやーこれじゃあ仕方ないよな」

「ん? そんなこと全然問題ないじゃない」

 しかし僕の言い分など何ともないと、平然とした調子で羽川は言う。

「いや、見えないし言葉も交わせないんじゃ意味ないじゃん」

「たとえ見えなかったとしても、阿良々木くんを介して会話ぐらいできるでしょ?」
「あ」
「それに、多分だけどキュゥべえくんの裁量で、意図的に姿を現すことぐらい可能なはずだよ」
「…………でも」
 
 奴の厄介さを知っている身としては、これは絶対に阻止しなければならない。
 とは言うものの、頭ごなしに突っ撥ねても、先ほど同様押しきられるだけか。

 だったら――

「じゃあさ間を取って――奴と直にコンタクトするのは僕だけにして、その状態でお前に電話をかけるってのはどうだ?」

 これならキュゥべえとの接触を避けることができるし、羽川の要求を訊きいれたことになる。
 うん、我ながら悪くはない妥協案だ。

「んー、私的にはそれでも別に構わなかったんだけど」
「構わなかった?」

 なぜに過去形?

「うん。だってアレ」

 そう言って、羽川は僕の後ろを指差した。

 怪訝に思いながら振り返ると其処には――尻尾を大きく揺らしながら、此方に向かってくる四足歩行の小動物の姿があった。

 言わずもがな――キュゥべえである。
 というか窓も開いていないし、扉が開けた音もしていないってことは、こいつ…………壁をすり抜けたことになるぞ。
 当たり前のように、物理法則を無視しやがって…………。

「僕に話があるようだけど?」

 飄々とした調子で、白い悪魔は嘯く。
 探す手間が省けた……だなんて到底思えるはずもない。







[27169] つばさサーチ~その3~
Name: ミドリ◆02e976c9 ID:ea6cad15
Date: 2015/03/02 20:00

~084~

 キュゥべえが都合よく――いや、都合悪くも見計らったようなタイミングで現れたのは、何てことはない。ずっと監視していたからなのだろう。
 僕を要調査対象にしていると、面と向かって宣言されているからな…………もうこれについては諦めるしかない。

 ともあれ挨拶もそこそこに、羽川はキュゥべえに対し事の詳細を語るよう要求した。

 今し方、僕が時間をかけて伝えた話の繰り返しになるだけではあるが――羽川曰く、又聞きするのと直接当人の口から聴取するのとでは、情報の質がかなり違ってくるらしい。
 情報は人を経由する度に、どうしたってその人の意志が介入するものなのだとか――確かに、僕の情念が多分に加味され、偏った物の見方になっていたのは否めない。

 また、視点を多角的にする為には大切なプロセスなのだという。

 無論、直接やり取りを交わすことで、キュゥべえ自身の思想思惑などを読み取ることが、主目的としてあるのだろうが。

 僕にしてみたら、再度キュゥべえの有難いご高説(皮肉だ)を訊く羽目になったということだけど――昨日の夜は、精神的に相当参っていたこともあり、半ば聞き流していたからな。

 今度はしっかりと集中して、羽川とキュゥべえのやり取りを傾注するよう心掛ける。
 何か有用な手掛かりが掴めるかもしれない。

 が、しかし。ここで一つお知らせがある。
 残念極まりない悲しいお知らせだ。

 うん、正直な話。よくわかりませんでした。何の成果も得られませんでした!

 え、だってこいつら、ごく当たり前の常識みたいに、難解な専門用語を飛び交わせて議論するんだよ。
 特にエネルギー問題やエントロピー関連の話は、会話の密度が濃すぎてもう単語を拾うことしかできない。

 なんだよ『オストヴァルトの原理』って。
 他にも『不可逆変化』『熱平衝状態』『換算熱量』『限界効用』『カルノーサイクル』などなど――何となく解かりそうな単語もあったが、基本ちんぷんかんぷんである。

 こんなの僕に理解できるわけないじゃん!

 くそ……ちゃんと話を訊いていたにも関わらず、全く話の流れを掴めていないぞ……。
 僕の馬鹿さ加減が浮き彫りになってしまった。

 とはいえだ――僕が理解できないからといって逐一説明を求め、話の腰を折る訳にもいかない。
 なので、うんうんと訳知り顔で適度に相槌をうち、さも解かっていますよとアピールする憐れな僕なのであった。己が自尊心を護ることで精一杯だ。

 しかし、小難しい喋り方をする奴であるとは思っていたが、キュゥべえがここまでずば抜けた知性をもった生き物だったとは…………何だ、この言い知れぬ敗北感は……。

 まぁ兎にも角にも一通りの事情聴取は終わったようだ。


「どうだ羽川? 何か打開策はありそうか?」

 床にお座りした諸悪の根源キュゥべえに見られている状況下で、こんなことを訊くのもどうかとも思ったが、下手に隠そうとしても、盗み聞きとかしてきそうだし気にしていたらきりがない。

「……打開策だなんて到底言えないけれど、少し思いついたことなら――」
「おお! やっぱり頼りになるぜ!」
「ちょっと待って! そんな期待されても困る困る! あのね阿良々木くん、釘を刺す意味で前以て提言しておくと、はっきり言って、魔法少女の子達を救済する方法は検討もついていないからね」

 僕の食い気味の反応に、羽川が慌てて付け加える。

「……いや、なんか悪い」

 つい気持ちが先走ってしまった。

「じゃあ、お前が思いついたことって?」

「んー……………もう少し一人で検討したかったけど……そんな悠長なことも言っていられないか――ほんと過信はしないでね。まだ考察段階だし、それこそただの思いつきなんだから」

 念を押すように羽川は言う。

「おう、わかったって」
「うん。じゃあ……言うね。私が今考えているのは、キュゥべえくんの活動を抑止する――つまりキュゥべえくんに、これ以上契約を結ばせないようにする方法なんだけど」

「キュゥべえに――契約を結ばせない」

 僕は反芻するように繰り返し、その意味を推し量る。

 今現在活動している魔法少女を救うことにはならないが、新たな犠牲者を増やさない為にも、切っても切れない問題だし、とんでもなく重要なことだ。
 完全な手詰まり状態だったのだから、これを足掛かりとして活路が開けるかもしれない。

 だが――

「……本当に、そんなことが可能なのかよ?」

 半信半疑の気持ちが拭えず、無意識のうちに懐疑的な視線を向けてしまう僕。

「どうなんだろう……それはキュゥべえくん次第としか言えないかな」

 羽川は苦笑いを浮かべながらそう答えた。
 どうやら自分の提案にあまり自信がないようだ。

「そりゃそうなんだろうけどさ…………具体的には?」

 それでも、話を訊いてみないことには始まらない。

「うん、だから、キュゥべえくんの『目標』を達成させてしまえばいいんじゃないのかなって」
「は? まさかキュゥべえの求めるままに、魔女を生み出そうなんて話なわけないよな?」

「当たり前でしょ。そうだね、何から説明したものやらって感じなんだけれど、折角当事者が居るんだから直接訊いてみましょうか。いいかなキュゥべえくん?」

「勿論、構わないよ。僕らにとっても面白味のある話のようだし」

 身軽な動作で机に飛び乗ってきたキュゥべえが、尻尾を大きく揺らしながら快諾の言葉を口にする。
 続けて、羽川に向け話しかける。

「君との意見交換は中々に有意義なものだったからね。僕としても興味が尽きないよ」

 異星生命体から、高く評価される羽川さんマジぱない。

「それで、僕への質問というのは?」
「まずは質問というより改めて確認をさせて欲しいんだけれど、キュゥべえくんは人類に対して、『悪意』は持っていないんだよね?」

「そうだね。全てはこの宇宙の為に、僕は使命を真っ当しているだけであって――僕の行動理念に悪意はないよ。でも一応補足しておくと、感情そのものを有していない僕達からすれば、『悪意がない』なんていうのも、ただ状況に当てはめた言葉でしかないけどね」

「ん、ありがとう。とても参考になったよ」

「おいおい羽川、こんな口先だけの言い分を訊いてなんになるんだよ。こいつに悪意があろうがなかろうが、結局魔法少女である彼女達が犠牲になるってことに変わりはないんだぜ」

「そう言いたくなる気持ちも解るし、当然私もキュゥべえくんの行いを肯定するつもりなんてないけど――でも今だけは心情的な事を抜きにして考えてみて」

 僕の噛み付くような物言いを受けても、羽川は至って冷静だった。
 朗々とした声音で諭すように、語りかけてくる。

「キュゥべえくんの最たる目的は、別に魔女を産み出してこの世界を混沌に導くことじゃない。魔法少女の子達を絶望に陥れることでもない。あくまでも、有用なエネルギー源を回収することが重要なのであって、少し表現が悪くなるけど――『魔法少女というシステムが尤も効率的』だから――キュゥべえくんの言葉を用いるなら『エントロピーを覆す存在』だから、この手段を採択したに過ぎないんだよ」

「いやでも……さっき言った通り、前提としてそれは魔法少女の犠牲の上に成り立つもんだろ」

「それは阿良々木くんの言う通り。だけど、もし他に『エントロピーを覆す有用なエネルギー源』があれば話は変わってくるでしょ――だって、キュゥべえくんはエネルギーの回収さえ出来れば、それでいいんだから。キュゥべえくんに確固たる悪意がないというのなら、交渉のテーブルにつくことに、異存はないよね。これはインキュベーターあなたたちにとって有益な話になるはずだよ」

 僕への説明は、途中からキュゥべえへの問い掛けに変わっていた。
 いや――この場合、問い掛けではなく“キュゥべえに取引を持ち掛けていた”と言ったほうが正しいか。

 なんて無茶なことを……そう思いもしたが、これって存外、効果的なアプローチ方法なのかもしれない。
 感情がないとかほざいている奴を、改心させることは難しいが――取引であればその問題がなくなる。
 打算で動いてくれるのなら、あとは交渉次第。

 インキュベーターの立場で考えてみると――エネルギーを確保できるのなら、別に魔法少女の感情エネルギーに拘る必要はないのだし、理屈は通っているはずだ。

 しかし、そう簡単な話でもない。

「うん。そんなエネルギー源があるのだとすれば、願ってもない話だね。“本当に”そんなものがあるとすればね。いったい君の言う、替わりになるエネルギーって何なんだい?」

 キュゥべえの言う通り、まずはその『有用なエネルギー源』の証明が必要不可欠――絶対条件なのだ。
 インキュベーターの文明基準で考えるのならば、少なくとも原子力エネルギーでさえ取るに足らないものなのだろうし、果たして、羽川はどんな目算があってこんなことを口にしたのか?


「……………………」

 が――キュゥべえからの当然とも言うべき質問に、羽川は黙り込んでしまう。

「おい羽川、どうしたんだ?」

 なぜか言い渋っている様子の羽川に、恐る恐る声を掛ける。

「ちょっとね。やっぱり、もう少し考える時間が欲しかったかなって。あと何より相談する時間」
「んな一人で背負い込むことないだろ。別に口に出したからといって、それで決定って訳でもあるまいし、言うだけ言ってみろよ」

 相当気が重いのか神妙な顔をしている彼女に、僕は努めて軽い調子で言う。

「……それもそう……だね。うん、ありがとう」

 僕の後押しで、決心がついたのか大きく頷いた。

「じゃあ、私の考えた一案だけど……と、その前に――ごめんなさい。断りもなく勝手なことを言わせてもらいます。もし機会を頂けるのであれば、直接謝罪もします」 

 なぜか徐に僕から視線を外し、畏まった言葉遣いで羽川は言った。

 どうも、僕に向けての発言ではない。無論、キュゥべえでも。
 なら、いったい誰に向けてのものなのか?
 その答えは、すぐに明らかとなる。

 面を上げた羽川は、意を決した表情で言葉を紡ぐ。

「私が今考えている、『魔法少女の感情エネルギー』に替わる『有用なエネルギー源』。それは強大な力を秘めた『吸血鬼』の力――より正確に言及すれば、阿良々木くんの影に封印されている、伝説の吸血鬼と謳われた忍野忍さん――キスショット・アセロラオリオン・ハートアンダーブレードさんの力だよ」





[27169] つばさサーチ~その4~
Name: ミドリ◆02e976c9 ID:ea6cad15
Date: 2015/09/10 08:54
~085~

 伝説の吸血鬼――キスショット・アセロラオリオン・ハートアンダーブレードの詳細について、今更敢えて言及するまでもないと思うので割愛させて貰うが、確かに、これ以上ない莫大な力を内包した存在だと言える。
 この世界の理を超越した、不可能を可能にする、人知を逸脱した存在だ。

「なるほどな……盲点というか、灯台下暗しってやつだな」

 言われるまで、全く頭になかった考えだ。
 僕が真っ先に思いついて然るべき一案なのに、羽川に余計な気苦労を掛けてしまった。

「何にしても羽川が気に病むことはないって。つーか今はお眠の時間だからそもそも聞いてないっぽいし」

 忍が寝ているというのは口からのでまかせで、陰ながら――影に潜みながら僕達の話を訊いている可能性の方が高い気もするが、まぁ忍だってそこまで狭量な奴でも…………あるな。
 基本的に文句が多いし、根に持つタイプだった。
 豪気な性格ではあるが、思いの外その器は小さい。

 それに何より羽川に対しては、色々物思うことがあるはずなのだ。
 ある種のわだかまりを抱えているといってもいい。
 春休み折、口論というには些か語弊もあるが、言い争いをしていた二人である。

 ともあれ――羽川にフォローを入れつつも、僕は視線をキュゥべえへと移す。

「で、どうなんだ? 例えばの話、吸血鬼の力を提供すればお前は引き下がるのか?」

 吸血鬼の力を有用なエネルギーとして変換する方法やら提供する手段とか、他にも諸々棚上げ状態で、かなり漠然とした問い掛けになっているが、取り敢えず聞くだけ聞いてみる。

「うーん。魅力的ではあるけれど、まだ調査不足だしなんとも言えないかな。ただ正直なことを言わせてもらえば、とてもじゃないけど、僕達が目標としている値のエネルギーを賄えるとは思えない。まぁ本当にエネルギーの回収が見込めるのであれば、喜んで撤退させてもらうよ」

 どこか挑発的な物言い。
 キュゥべえの評価は今一つと言ったところか。
 興味はあるが、然程期待はしていないって感じ。

「キュゥべえくん。その言葉、くれぐれも忘れないでね」

 が、僕の認識とは裏腹に、含みを持たせた、強気な語調で羽川。
 こんな大見得を切って大丈夫なのだろうか?


「おい……いったいどうするつもりなんだ?」

「どうするって、キュゥべえくんも言ってるじゃない。“調査不足”だって。だったら吸血鬼に秘められた力を証明すればいいんだよ」
「証明?」

「うん。幸か不幸か、吸血鬼の力を最大限に発揮できる、お誂え向きの舞台がもうすぐ整うでしょ」

 羽川は言う。

「数日後、見滝原にやってくるという超弩級の大型魔女――『ワルプルギスの夜』。その魔女をもし吸血鬼の力で圧倒することが出来れば、キュゥべえくんも認めざるを得ないじゃないのかな?」












~086~

 キュゥべえとの話を終え、羽川が次に切り出した要望は、忍野のところに案内して欲しいというものだった。

「でもなぁ……あいつ、この件に関しては一線を引いてるからな、多分、行っても意味ないぜ?」

 別に連れて行くことを拒否しようって訳ではない。
 それでも一応、無駄骨に終わる可能性があるとだけは言っておかないと。

 魔女の正体を知った今、忍野が不干渉を貫いていた理由もよくわかる。
 協力してくれないからといって、責めるなんて以ての外だ。
 魔女と怪異は全く異なる存在で、あいつが収集しているのは怪異譚なのだから、こればっかりは致し方ない。
 
「そんなことないと思うな。事情を説明すれば、忍野さんだって相談にぐらい乗ってくれるよ」

 しかし、羽川の見解は違うようだ。
 先を見通すことに長けた彼女の場合、何かしらの根拠があってのことだろう。
 そう思った僕は、その理由を訊いてみる。

「ん? 忍ちゃんには前もって魔法少女と魔女の情報を教えてあげてたって話でしょ?」
「あ、そういえば」
「積極的ではないにしろ、どうにかしたいって気持ちがあった証拠だよ。それと忍野さんなりに阿良々木くんの身を案じての配慮でもあったんじゃないのかな」

「そういうもんかねぇ」
「そういうもんだよ」

 何が嬉しいのか、にやにやと笑みを浮かべる羽川だった。

「まぁそうだとしても、実際、面と向かって断られてるし、あいつが表立って動くことはないんじゃないのか?」
「でも、忍野さんって確か怪異専門の調停者バランサーだったよね?」
「ああ。そんな胡散臭い肩書きを名乗ってたな」
「だったら、もう忍野さんだって無関係とは言えないよ」

「ん? どういうことだ?」

「だって吸血鬼の力を最大限に活用しようとしているんだから、事前に対策しとかないと、荒れに荒れちゃうじゃない。それこそ“バランスが崩れる”っていうか。そうなって困るのは忍野さんだし。まぁまだ吸血鬼の力を活用すると決まった訳じゃないけど、そういったことも含めて、忍野さんには話を通しておいた方がいいんじゃないのかなって」

「…………………」

 羽川の計算が恐ろしい。もういっそ、計略と言い換えてしまってもいい。
 吸血鬼の力を組み込むことで、否応なく忍野を引き入れようとしていた。

 どこまで先を見通しているのやら……一流の棋士が、数十手先を見越して指し進めるかのような、そんな周到さである。

 後日、ほむらのことも紹介して欲しいといわれているが、羽川ならきっと上手く進めるだろうという確信がもてる。


 とまぁそんな訳で、次の目的地はあの廃墟と化した塾跡地となった。

 取りあえず、羽川には校門で待ってもらい、僕は通学用のママチャリの回収へ。
 キュゥべえの首根っこを引っ掴んで、早足に自転車置き場へと向かう。

 一応キュゥべえも連れて行くことになっているので、僕の方で責任をもって管理しておく。一時でさえ、羽川の所には置いておけないからな。

 そういや、羽川にはキュゥべえの姿が見えているんだよな。
 これってそのまま魔法少女になる資格があるという裏付けなのか、はたまた、キュゥべえの意志で姿を現しているだけなのか、どっちなんだろう。

 まぁ資格があったとしても、もう魔法少女になることの危険性についてはしっかりと把握しているのだし、間違っても契約を結ぶなんて事態にはならないはずだ。

 あ、これフリとかじゃないからね。



 でも、羽川の魔法少女姿は是非見てみたい!

 はてさて。
 魔法少女の衣装って、その少女が持つ内なるイメージがそのまま反映しているような認識なんだけど――まぁこれは僕の憶測ではあるが、勝手にそうであったと仮定した場合、羽川はどういった衣装を着ることになるのだろう?

 でも僕、羽川の制服姿しか見たことないんだよな(例外として下着姿は見たことあるけど)。
 普段、着ている私服とか知っていれば、大よその見当はつきそうなのに困ったな。全く想像できないぞ。

 もうこの際、羽川に似合いそうな衣装を考える方向に切り替えるとするか。

 まずは既知の情報を参考にしてみよう。
 となると、僕が知っている魔法少女は四人だけだが、その中の衣装で一番合いそうなのは、巴さんの着てる英国風の衣装だろうか?

 着痩せする羽川であっても、あの衣装を着ればそのポテンシャルが遺憾なく発揮されること請け合いだ!
 コルセットで腹部が絞られ、より身体のラインが強調されるという…………いや、別におっぱい基準で選んだわけじゃないよ!
 ただパッと真っ先に思い浮かんだだけであって他意はない!

 よし、次にいこう。

 次点でいえば、杏子の深紅の衣装も、中々似合いそうだ。
 モチーフとなっているのは多分神父服なのだろうが、どことなくチャイナドレスを想起させる。

 杏子が着た場合、紅く燃えるような色合いから、勇ましさとか旺盛さとか、バイタリティー溢れる印象を受けるが――羽川が着るとなれば、その評価は一変する。
 なんかこう、胸元に空いた隙間からいい感じに谷間が露わになり、僅かに見える生足とかもう魅惑的過ぎる! おっと、もうこれ以上の言及は控えておく。僕の品格が疑われかねない。もう手遅れな気もするが。


 では無難にほむらのシンプルな衣装はどうだ?
 三つ編み眼鏡の真面目な委員長さんには、こういった抑えた色合いの衣装の方がいいかもしれない。
 って、あれ? なんか妙にしっくりくるこの感覚はなんだろう。

 いや、口では上手く説明できないのだが…………デジャブともまた違うんだけど……まぁ別に大したことではないので流してもらって構わない。

 つーか、直江津高校の女子の制服って、上がピンクだしな。
 ほむらの衣装の方が、まだ普通の学生服として機能しているんじゃないのか?

 そして残るは美樹の衣装だけど、これは少し違うかな。
 活発な美樹にはよく似合っているけど、羽川のイメージには少しそぐわない気がする。


 う~ん。
 別にどれも悪くはないのだが……僕の心をグッと掴むほどではないんだよなぁ。

 やはり、個性に見合った衣装でなければ意味がないということか。

 仕方あるまい。
 こうなったら、僕の独断と偏見で羽川に適合する衣装を見繕おうではないか!

 よし。まず、僕の持っている羽川のイメージを抽出してみるとしよう――

 真面目。生真面目。清楚。高潔。完璧。本物。穏やか。善良。献身。面倒見がいい。巨乳。優秀。委員長。優等生。安産型。眼鏡。黒髪。三つ編み。少し地味。

 こんなところか。
 これらに合致し羽川の魅力を引き立てる衣装となると…………悩みどころではあるが『巫女服』なんてどうだろうか?

 羽川の持つ神聖さを更に引き出し、それでいて親近感も与えてくれる。
 悩み事の相談にも快く乗ってくれそうで、僕の持つ羽川のイメージにぴったりだ。
 少し無難過ぎる気もするけれど……まぁ奇を衒った発想でいくのなら、ベビードールとガータベルトのランジェリー風衣装に猫耳をつけたのとか提案してみたいものではあるが。

 しかし懸念もある。
 巫女服を改造して魔法少女スタイルにすると、なんか俗っぽくなってしまいそうだよな。
 巫女服本来の厳かな気品が損なわれてしまいそうだ。

 何ならもう普通に巫女服を着てくれないかな。
 巫女さんってある意味、和装魔法少女の起源だし(違うか)。

 こうなるともう、始めの趣旨と違ってきてるな……。
 ただ僕が『羽川にどんなコスプレをして欲しいのか』っていうだけの話になってしまっている。

 まぁ脱線したついでに――巫女と言えば、ナコルルの衣装っていいよな。まぁあれは巫女服じゃなく民族衣装なんだけど。大自然のおしおきを受けたいものだ。


 なんて下らない妄想をしつつ――

 校舎の角を折れ、目当ての自転車置き場が視界に入ったところで――僕の足は止まった。

 ぞくりと言い知れない怖気けが身中を駆け巡り、頭の中で警鐘が鳴り響く。

 やばい。やばいぞこれは。

 時間はなんやかんやでもう下校時刻の午後六時半を過ぎている。
 文化祭の準備もまだ本格的には始まっていないし、クラブ活動も特に盛んという訳ではないので、残っている生徒の数もまばら。

 なので自転車の数も数台しかない。

 また、ある程度自分の自転車を停める定位置みたいなものが決まっているわけで――故に、すぐに自分の自転車が何処にあるのかは発見できたのだが…………。

 なぜか僕の自転車の傍に一人の女生徒が立っていた。

 そして、現在進行形でその女生徒と視線がかち合っている。

 氷付けかはたまた石化してしまいそうなほどの眼力で以って僕を見据えていた。
 いやいや、これは被害妄想か幻覚で、普通に無表情なんだけどね。なんか睨まれているような気がしてならない。

 皆さん、もうお解かりですよね。
 その女生徒の正体は――戦場ヶ原ひたぎ。僕の彼女である。

 もう一度確認しておくが、時刻は既に午後六時半を過ぎている。
 まさかまさか……授業が終わって、三時間近くもこの場所で待ち続けたとでもいうのか!?

 制服を着たままだし家に帰ったということもあるまい。
 

 え、どうしよう……身の安全を確保するには、此処は踵を返し一目散に逃げるべきだ。
 しかし、どう考えても、後に待ち受ける制裁の方が恐ろしい。

 というかなぜ僕は――自分の彼女が甲斐甲斐しく待ってくれている状況に、恐怖しか覚えないのだろう?




[27169] ひたぎウィッチ~その6~
Name: ミドリ◆02e976c9 ID:ea6cad15
Date: 2015/09/10 10:22
~087~

 逃げ出したい気持ちをぐっと堪え、恐る恐る戦場ヶ原のもとへ。さながら危険物を解体しに向かう爆発物処理班のような心境だ。
 身体の内部から脈打つ鼓動が何ともいえない危機感を募らせ、胸が締めつけられるように圧迫されていた。
 それでもどうにか平静を装い、刺激を与えないよう慎重に声を掛ける。

「よ、よう――」
「やぁ久しぶりだね、戦場ヶ原ひたぎ」

 が、被せる形でキュゥべえが口を開いていた!

 しまった!!
 戦場ヶ原の存在に気を取られ過ぎ、こいつの存在をすっかり忘れていた!!


 どう言い訳しようかと狼狽える僕を尻目に、キュゥべえは悠々と喋り出す。

「今回こうして君の前に現れたのは、この通り、僕の意志に反してのこと――不可抗力だから、出来れば大目に見て欲しいな。別に戦場ヶ原さまと契約することを目的にやってきたわけじゃないよ」

 僕に首根っこを掴まれ宙ぶらりん状態で、釈明の言葉を並べる。
 どうやらキュゥべえもキュゥべえで、戦場ヶ原による制裁を警戒しているらしい。
 そりゃ拷問を受けたり、パンプスで頭を踏み潰されたりした過去の出来事を鑑みれば、この反応は尤もである。

 つーか、様付で呼ぶのまだ継続中なのな……。

「そうね、許して上げる替わりに、私の質問に答えなさい。あなた、羽川さん――三つ編み眼鏡の委員長さんと何か話をした?」
「うん。色々と話をしたよ」

「そう。ではそれを踏まえた上で阿良々木くん。羽川さんと何を話していたの?」 

 キュゥべえから視線を僕に移し、底冷えする平坦な声音で戦場ヶ原。

 その問い掛けは、初めて彼女から声を掛けられた“あの時”と同じ文言だったこともあり、続けてカッターナイフとホッチキスを口に捻じ込まれるのではないかとも思ったが、流石にそれはなかった。ただ『現状では』という注釈が必要であることを忘れてはいけない。

「……別に、ちょっと相談に乗ってもらっただけだよ」

 口の軽いキュゥべえの所為で、もう言い逃れは出来ない。
 まぁ戦場ヶ原の鋭い洞察力の前には、遅かれ早かれ露見していたのかもしれないし、既に大よその事情は知っているのだから、別にありのまま話してしまってもいい気もするが――それでも、出来ることなら関与してほしくない、厄介事に巻き込みたくないという気持ちから、こんな曖昧な受け答えになってしまった。

「ふーん」

 値踏みするような視線に射抜かれる。

「ごめんなさい」
「はてさて、いったいなぜ私は謝られているのかしら?」

 戦場ヶ原の放つ雰囲気に気圧され、防衛本能ともいうべき条件反射でつい無条件降伏してしまった。
 謝罪の意図を計り兼ね、戦場ヶ原はつんと澄ました調子で小首を傾げている。

「なに、もしかして人目がないのをいいことに羽川さんとイチャコラしていたの? なのだとしたら断罪が必要になってくるのだけど、阿良々木くんは『肉体的』『精神的』『社会的』どの方面の苦痛がお望みかしら? 順番ぐらい選ばせてあげるわよ」

 涼しい顔で髪をかきあげつつ平然と言い放つ。
 三択でどれかを選ぶのではなく、全て執行する算段なのかよ……この女、怖いよー!

「待て。待ってくれ! 僕は清廉潔白だ! 不純な異性の交遊なんてしていない! 信じてくれ! ほら、人目がないって言うけどキュゥべえもいたんだしさ」

「そういえばそうね。でも後ろめたいことがあるから謝ったんじゃないの?」
「後ろめたい事をした覚えなんて一切ない!」

 啖呵を切るように自身の無罪を強く主張してみたが……羽川にして欲しいコスプレ衣装を夢想していたのは、少なからず疾しいことだと言えなくもないような気もする。
 だが個人的な妄想ぐらい許容範囲だろう――なんて心の中で自己弁護を試みる。
 というか、それがもし許されないのなら、僕生きていけません。

 しかし謝罪したことによって、疑念を抱かせる結果になったことは間違いない。
 下手に勘ぐられ、痛くもない腹を探られるのも厄介だ。


「あーほら、何か待たせちゃったみたいだし」

 なので、それっぽい言い訳でお茶を濁し、事態の収拾にかかる。

「そうね。ずっと、待っていたわ」

 ん? 何となしに言った発言ではあったが、そういや何で戦場ヶ原は僕を待っていたんだろう?

 って、普通に考えて僕と一緒に帰るためか。僕達、一応恋人同士だし。

 しかし、今から羽川と忍野のところに向かう予定なんだよなぁ……。


「あー……折角待ってて貰ったのに悪いんだけどさ…………これからちょっと用事があって、一緒に帰るのは無理ってうか……だから」

「違うわ。勘違いしないでよね」

 と、僕の口上を遮り、戦場ヶ原はそんなことを言う。

 一種のツンデレのテンプレート的な台詞ではあるが、平坦な声音(棒読み気味)のせいで、全くその効果は機能していないし、どこにもデレ要素を見出すことはできない。

 つうか、僕と一緒に帰る為に待っていてくれたんじゃないのか?
 なら、何の為にこんな時間まで待っていたというのだろう?

 ただ僕が問い質すまでもなく、戦場ヶ原はその理由を口にする。

「阿良々木くんに一言文句を言ってやりたかったから、その為に待っていただけよ」
「はい?」
「昼食の約束を眠りこけてすっぽかすなんて、いい度胸しているわ」
「あ」

 そう言えばそうだった!

「万死……いえ京死に値するわ」

 億を飛び越え、桁違いな単位になっている!

 恋人関係になってからは、よく中庭のベンチに集まってお昼を食べていたのだ。
 日によって購買で飲み物やパンやおにぎりなどを買いに行く必要があるから、集合は別々のことが多いのだが、そうなると昼休み中ずっと僕が来るのを待ってくれていたのか……。

「ほんとごめん。でもさ、起こしてくれたらよかったのに」

 体育や移動教室での授業ではなかったので、戦場ヶ原も僕が寝ていたのは知っていたはずだ。
 とは言うものの、あの時の精神状態だったら、断っていた可能性の方が高いが。

「嫌よ、クラスメイトに阿良々木くんと知り合いだと思われたくないじゃない」
「恋人関係をアピールするみたいで気恥ずかしいとかそういう理由ならいざ知らず、知り合い段階から拒否するっておかしいだろ!」

「まぁ一人で食べることに抵抗はなかったし、阿良々木くんが寝ているのは確認できたから、中庭で一人本を読みながら優雅なランチだったわよ。あら? なら別に阿良々木くんが居ても居なくてもどっちでも……いえ、寧ろ居ないほうが……」

 真顔で思案する戦場ヶ原だった。僕の存在価値っていったい……。

「で、どうしてくれるの。阿良々木くんの為に持ってきたお弁当が台無しになったじゃない」
「え!? お前が作ってきてくれたの!? 僕の為に!? 手作りの弁当を!?」

「そんな目を輝かせて食いつかれても困るのだけど。そんなの嘘に決まっているじゃない」
「なんだ……嘘かよ」

「でも、そこまでいい反応をされてしまったら、そうね。ものは試し阿良々木くんがどうしてもと言うのなら、今度作ってきてあげてもいいわよ」
「うん、じゃあどうしても! どうしてもお願いします!」

「一食648円で手を打つわ」
「金取るのかよ!」

 割かし高めで、絶妙にリアルな値段設定だ。しかもしっかり税込み価格。

「当然じゃない。材料費も馬鹿にならないし、私の家は貧乏なのよ」

 確かに無償で作ってもらうのも違うが、お金を支払って作ってもらうのはどうなんだろう。とはいえ、手作りの料理が食べれる機会を逃すのも勿体ない。

「ああ、わかった。ちゃんとお金は払うから作ってきて欲しい。改めてお願いします」
「仕方ないわね」

「あと約束を破った件については、後日お詫びも兼ねて何か奢らせもらうからさ、それで勘弁してくれ」

 なんか話している感じ、そこまで本気で怒っているわけでもないようだし、これで許して貰えるだろう。

「でさ、さっき言った通りこれからちょっと用事があるんだ。悪いけどもう行くな。じゃ!」

 半ば無理矢理、話を切り上げて僕は戦場ヶ原に別れを告げたのだった。








 まぁ告げただけで、そんな一方的な言い分を戦場ヶ原が訊き入れてくれるはずもなく、どういう思惑なのかは知る由もないが、付いて来るつもりらしい。

 本心としては御遠慮頂きたかったが、羽川を連れていくのに戦場ヶ原だけお断りすることもできないし、下手に断ればどんな強硬手段を用いてくるかわかったもんじゃない。
 
 ということで羽川と戦場ヶ原――ついでにキュゥべえを引き連れ忍野のいる学習塾跡へ――自転車通学は僕一人だったので、自転車は押しながら徒歩で向かうことと相成った。
 
 道中は会話らしい会話もなく、なんとも気まずい空気が漂う。

 その空気を形成しているのは、周知のとおり戦場ヶ原ひたぎである。

 羽川が気を利かせてくれて、いくつか話題をあげてくれたのだが、戦場ヶ原は仏頂面で最低限の返答をするだけに止め、全くもって会話が弾まない。

 かと言って、戦場ヶ原を無視して僕と羽川だけで歓談するのも憚られる。
 

 ちなみに羽川はまだ戦場ヶ原の本性(暴言毒舌を吐く姿)を知らないので、人付き合いが苦手な寡黙な女の子として見ているようだ。いや、羽川のことなので本性を見抜いた上で、あわせてくれているのかもしれないが。

 とまぁ僕に蓄積していく心労はいいとして――徒歩なのでかなりの時間が掛かってしまったが、目的地である塾跡地に到着した。

 廃墟然とした四階建ての建物。
 伸び放題の雑草が生い茂り、朽ち果てた立ち入り禁止を促す看板が目を引く。所々裂けた金網には有刺鉄線が張り巡らされている。

 外観も酷いものだが、内部も荒れ放題だ。
 割れたガラスや、崩れたコンクリート片、空き缶やボロボロに破れた雑誌類。電灯も機能していないので中は外以上に真っ暗だ。
 この塾の経営が傾いて潰れたのは、たかだか数年前のはずなんだけど、そのたかだか数年でここまで荒廃するものなのかと感心さえしてしまう。

 そんな感想を抱きつつ、忍野の寝床になっている四階へと向かう。
 暗がりなので安全を確かめつつゆっくりと。僕は吸血鬼アイのお陰でばっちり見えているけど、戦場ヶ原と羽川を気遣っての配慮である。

 アポなしでやって来たので、もしかしたら不在という可能性もなくはなかったが、それは杞憂だったようだ。

「やぁ遅かったね、阿良々木くん。待ちかねたよ」

 机で作った簡易ベッドに腰掛けた、サイケデリックなアロハ服を着た怪しさ極まりないおっさんが、いつもの軽い調子で出迎えたのだった。



[27169] おしのジャッジ~その2~(QB)
Name: ミドリ◆02e976c9 ID:ea6cad15
Date: 2016/05/09 15:49
~088~

 忍野に対しての諸々の説明は、羽川に一任したこともあり滞りなく終了した。
 いや、説明だけでなく僕達の要請も二つ返事で受けいれ、全く話が拗れることはなくあっけないぐらい簡単に話が纏まってしまった。

 こっちにとっては好都合なのだから、何処にも問題はないのだが、相手が忍野であるだけに、どうしたって何か裏があるのではと勘ぐってしまう。

「なぁ忍野。別に不平不満を言おうってわけじゃないんだが……やけにあっさり請け負ってくれるんだな。いや、ほんと有り難い話なんだけどさ…………でも、あんだけ僕に対しては渋った対応したくせによ」

 女の子が相手だからあからさまに対応変えてんじゃねーのか、なんて失礼な発言は胸の内で留めたが、どういう心境の変化なのかと問い質したくもなる。

「あれ、そうだっけ?」 

 が、軽佻浮薄こそこの男の真骨頂。すっとぼけた返しでさらりと躱される。
 僕が胡乱な眼差しを向けるも、にやにやした薄ら笑みを浮かべるだけだ。

「何か隠してんじゃねーだろうな」

「疑り深いねー。ま、状況がここまで整えられちゃったら、僕としても知らぬ存ぜぬではいられないってことだよ。いやはや、ほんと委員長ちゃんは用意周到だね」

「……そういうことならいいんだけどよ」

 ちなみに戦場ヶ原はいったい何のために此処までついてきたのやら、話には一切入ろうとせず、我関せずで輪の外に――そこまで離れてはいないので、話自体は聞こえているのだろうが、一切発言するつもりはないようだ。


「でもさ委員長ちゃん。阿良々木くんなら兎も角として、聡慧な君に対しては言うまでもないことだと思うんだけど――」

 僕を卑下する鬱陶しい前置きを挟んで忍野が羽川に問い掛ける。

「代替エネルギーとして吸血鬼のエネルギーを宛がうって話――うん、忍ちゃんの全盛期の力はほんと桁違いだからね。この地球上に於いて最大のエネルギー源だといっても過言ではないよ。ただしそれは」

「あの!」

 と、口上を遮るように羽川。
 突然の鋭い声に僕は少し驚いたのだが、忍野はそれだけで“何か”を汲み取ったようで鷹揚に頷いた。

「ん? あ、ああ、そういうことかい。だよね、だと思ってた。“承知の上で”のことだっていうのなら、別にいいんだ。余計なお節介だったみたいだね」
「いえ、そんなことはないです」

 両者の間で意思疎通は完了したようだが、僕には一切読み取ることができない。
 何か雰囲気的に訊き出し辛いよな。まぁ羽川にとっては想定内の事象らしいし、僕が気にすることでもないのか。


 少し釈然としない部分もあるが…………これで中立の立場を崩さなかった忍野からの協力が得られることになったわけだ。

 ただ協力とはいっても、あくまでも裏方的役割を担ってもらうだけで、忍野が『ワルプルギスの夜』の討伐に乗り出してくれるなんてわけではない。

 吸血鬼――しかも伝説と謳われた最強の吸血鬼の力を使うとなると、周囲への影響力が尋常じゃないので、それらの対処を行ってくれるとのことだ。

 他にもやることは山積み。中でも重要なのは、外部に吸血鬼の力が露見しないよう結界を張ることだと言う。

 それは即ち、吸血鬼を狙う御一行に感付かせないための処置であり、僕と忍のためだと言えた。
 見滝原全域に機能するかなり大掛かりな結界を作り上げる必要があるようで、先輩を頼らなきゃいけないとか何とか、忍野にしては珍しい顰め面で愚痴を溢していた。

 どれだけ感謝してもし足りないが、当然無償で請け負ってくれるなんて気前のいい話はなく、相応の対価を後ほど僕に請求するという。

 大したことじゃないと言われているが、不安だ。
 現時点で500万円の借金があるのに、もう500万ほど上乗せされるのだろうか……吸血鬼の臓器って売れるのかな………。



 一応此処に来た目的は達成したけれど、しかし忍野が協力してくれるというこの願ってもない機会をみすみす逃す手はなかろう。

 これまでは話を訊くだけ訊いて相談にはほぼ乗ってくれなかったが、協力関係を築いた今ならば、薀蓄を溜め込んだこの男の知識を借りることできるかもしれない。

 であれば、一番の懸案事項であった根源的問題――その解決方法を模索しておきたいところだ。

 つまり――魔法少女を元の身体に戻してあげる方法はないのか――である。

 可能性の話でいえば、決して不可能ではないんじゃないのかと僕は思っている。

 そう、この僕と同じように。
 ありえない選択肢だが、僕が望めばいつでも吸血鬼から人間に戻ることができる。決して不可逆などではないのだから。

 肉体から魂を抜きとられ、ソウルジェムへと移し替えられた彼女達だって、きっと…………。

 だが一縷の望みをかけた僕の問いに対し、忍野は思い悩むこともなく即答した。

「無理だろうね。そんな都合のいい話あるわけがない。というより帳尻を合わすことができないっていったほうがいいのかな」
「……どういう意味だよ?」

 要領を得ない回りくどい言い回しに、苛立ちながらも僕は詰問する。
 すると忍野は間をとるように、胸ポケットから煙草を取り出し口に咥える。
 しかし一向に火をつける様子はなかった、というかそもそもこの男が煙草を吸っている姿を見たことがない。
 何の演出の一環かは知らないが、十分に間をとってからやっとのことで口を開く。

「だって、願いはちゃんと叶っているんだろう? 既に希望は遂げられ、本来は起こり得ない奇跡を起こしてしまった。つまり『前払いの利益』を得てしまっている。それをなかった事に出来ない以上、彼女達の身体を元に戻すことなんてできっこない――どうやっても帳尻を合わすことができないんだよ」

 薄ら笑みを消しさり忍野は言う。
 ただその真剣な表情は一瞬で消え、またいつもの胡散臭い笑みに戻っていた。

「この問題と同列に並べて語っちゃいけないんだけど、これってさ、『悪魔との契約』と通ずる所があるよね」
「『悪魔との契約』だ?」
「そ。阿良々木くんは『ファウスト』って読んだことある?」
「は?」

 予期せぬ質問に、僕が疑問符を浮かべると、忍野は殊更大げさにため息をつく。

「はぁーこれだから阿良々木くんは」

「いやいや僕が無知なのを馬鹿にしているようだけど、それって誰でも知って言るような話なのかよ」
「ん? まぁ僕も相当に偏った知識ばっか詰め込んでいるからね、断言はできないけど、それでもこれぐらい高校生にもなれば当然知っているもんだと思うよ。何なら二人のお嬢ちゃんたちに訊いてみたらどうだい?」
「……遠慮しとく、僕が浅学菲才なのは認めよう」

 羽川と戦場ヶ原に訊いてみたところで結果は目に見えている。素直に負けを認めた方が傷は浅い。

 それでも一応、折角なので。

「なぁ羽川。お前は『ファウスト』って知ってるのか?」

「うん、そこまで詳しくないけど、概要ぐらいなら話せるよ。著者は世界の三大文豪の一人として有名なヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ。その彼が六十年以上もの月日をかけて執筆した二部から構成される長大な大作、それが戯曲『ファウスト』。ざっと粗筋を語っていくなら」
「悪い羽川。詳細はまた今度訊かせて貰うよ」

 この委員長さんも一瀉千里によく喋るから、止め時を間違うと下手すりゃ数十分単位で時間が消費されていってしまう。
 まぁ羽川の長話しが苦痛なんて思わないし、寧ろご褒美の部類ではあるが、今は話を進めることを優先したい。

「そう?」
「おう。でも流石羽川。お前はなんでも知ってるな」
「なんでもは知らないわよ。知ってることだけ」

 よし、これにてノルマ達成。
 羽川のこの台詞を訊きたかったが為のネタフリである。

 個人的に満足したことで、話の主導権を忍野に戻す。

「で、どういう話なんだ?」

「そうだね。阿良々木くんにも判り易いように説明すると、何でも願いを叶えてくれるって触れ込みの話は、ほんと数えきれない程存在している。で大ざっぱに言ってしまえば、『ファウスト』もまたそれに類する物語であり、『悪魔に魂を売って願いを叶えてもらう』って形式の話ってことだ。まぁ物語の結末とかは全然関係ないんだけどね。『ワルプルギスの夜』に関した話もあるから『ファウスト』を、引き合いに出してみただけだよ」

「…………はぁ、それで結局お前は何が言いたいんだ?」

「結論を急ぐなよ。話し甲斐がないなぁまったく――――仕方ない。話を纏めると、無償で願いを叶えてくれる存在なんてそうそういるもんじゃないってことさ。願いを叶えるタイプの『怪異譚』ってのは僕が把握しているだけでもそれなりの数に上るんだけど、どれもこれも代償は必要だし、大抵の場合悲惨な目に遭って終わる。うまい話には裏がある。過ぎた願いは身を滅ぼすってことだね」

「何だよそれ。願った本人の自業自得だって言いたいのか?」

 忍野の言わんとすることも解かるが、それでも納得はできない。

「彼女達は決して自己本意な思いで願いを叶えたわけじゃ……ないだろ」

 巴さんと美樹に関しては擁護できるけど…………ほむらと杏子って結構好き勝手にやってるじゃん、ということに途中で気付いて――少し語調が弱くなってしまったが、僕は忍野に対して言い立てる。

「『願いを叶えたから、不幸になるのは致し方ない』なんて論法、僕は容認できっこないぞ!」

「別に彼女達を責めているつもりはないし、同情に値することだろうとは僕も思うけど、そんな事情知らないよ。さっきから言っているだろ。だからこそ『悪魔との契約』なんじゃないか。理不尽も不条理も当たり前のことだ。元より阿良々木くんの主義主張を否定するつもりなんてないしね。好きにすればいいさ」

 しかし、忍野は他人事のように言い放つ。いや、他人事なのか。

「ま、色々言ったけど、僕の発言は聞き流してくれて構わないよ。これは怪異の専門家としての見解だ。さっきのもただ似通った事例を話しただけで、インキュベーターは悪魔でもなく異星生命体なんだからね」

 ぞんざいな言い方に、怒りを覚えるが――忍野の言った通り、彼は怪異の専門家であり、今回の件については専門外だと始めから言っていた。
 こいつのスタンスは、何も変わっていないのだ。僕が無理に訊いたから、仕方なく答えてくれただけなのだ。

 それでも――それは重々承知した上で僕は食い下がる。

「なら、専門家としてじゃなく、個人としての意見は何かないのか!? 何か抜け穴的な解決策があるんじゃないのか? お前なら、何か知っているんじゃないのか!?」

「無茶をいうなぁ阿良々木くんは――」
「無茶だって言うさ! 少しでも手がかりがあるのなら教えてくれよ!」

「ま、“普通に考えなければ”方法はあるにはあるんだろうけど」
「ほんとかよ!?」


「ほんとも何も、阿良々木くんだって知っていることじゃないか。だってさ、魔法少女になる見返りとして、どんな願いも叶えられる――だろ?」

 どこか馬鹿にしたような態度で、ふんと鼻で笑うよう忍野は言う。
 人の神経を逆撫でする、完全に皮肉としての言葉である。

 言い返したいところではあるが、僕が無理強いして訊き出したこともあり、ここは我慢の子だ。クールになれ。

「……ぐ…………ああ、そうだな。確かに『どんな願いでも叶える』という触れ込みに偽りがないのなら、それで解決できたかもしれないのにな。でも現実問題、一つの願いで一人を元の身体に戻すことができるかも怪しいもんだ。そもそも願った人間の魂がソウルジェムになっちまうんじゃ何の解決にもならない」

 殊更、嫌味ったらしく僕は言う。
 忍野への不満を、キュゥべえに向け吐き出した形だ。

「そうとも限らないよ」

 と、僕の当てつけに対し異を唱える声――

「は? どういうことだ?」

「場合によっては大多数の魔法少女を、元の身体に戻すことができるかもしれないってことだよ。ただ保証はできないけどね」

 キュゥべえが意味深長な言葉を並べ反駁する。

「君の言う通り『願いを叶える』とは言っても、ある種の不文律があり、事の次第によっては望みが遂げられないこともあるのは確かだ。例えば、願いの数を増やすなんてのはできない――」

 誰とは言わないけど、そんなことを口にした女がいたな。

「他にも、抽象的な願い、あまりに度が過ぎた願い、あるいは矛盾撞着した願い。そういった願いはまず契約自体が成立しない」

 まぁ言われるまでもなく当たり前の話。
 『何でも願いを叶える』なんて文言は、ただの言葉の綾みたいなもんだ。

「ん? でもさっきお前はこれとは正反対のことを言わなかったか? 全ての魔法少女を元の身体に戻すなんて、お前の言う度が過ぎた願いにカテゴライズされるだろ?」

「そうだね。僕が今まで契約したどの少女達でもそんな願いを叶えるのは不可能だったろうね」
「じゃあ、無理ってことじゃ」


「でも、鹿目まどかならば話は違う」


 唐突に出てきた見知った女の子の名前に首を傾げる僕。

「……ああ、魔法少女になれる資質を持ってるって話だもんな。でもなんで今、まどかちゃんの名前が出てくるんだよ?」

 僕の疑問に対し、キュゥべえはどことなく嬉々とした声音で饒舌に語り始めた。
 それは、まるで世紀の大発見を発表する研究者のように。

「彼女が特別だからさ。まどかに秘められた力は計り知れないほど膨大なものなんだよ。僕にも説明できないレベルのね」

 キュゥべえがまどかちゃんを事あるごとに勧誘していたのは知っていたが、まさか、それほどの逸材だったのか、なんて驚く僕を尻目にキュゥべえは続ける。


「魔法少女同士であっても才能の差で力関係が生じるし、個々人の資質に左右され叶えられる願いの『規模』も変わってくる。より正確にはその少女に秘められた潜在力――因果の量に“見合った”願いが叶えられる。だからこそ、まどかならどんな途方もない願いであっても叶えられる可能性が高い。ただこればっかりは実戦してみないことには結果はわからないけどね。とは言え、魔法少女は条理を覆す存在であり、まどかはその極め付けだ。期待はできるんじゃないのかな。だからどうしもというならまどかに頼んでみるのも手だよ」

「………………」

 あまりに突拍子もない発言に面食らってしまったが、

「んなもん却下だ!」

「どうしてだい? まどか一人が魔法少女になるだけで、他の大多数の少女が元の身体に戻れるというのに。それが君の言っていた望みだろ?」

 自身の提案を却下されたことが信じられないといったような反応だ。

「まどかちゃんを生贄に捧げるみたいなことできるわけないだろ。ふざけんなよ」

 考えるまでもない。検討することさえありえない。
 これが仮に、尤も被害を少なくできる最善の選択肢だとしてもご免だ。

 うん。嫌だ。絶対に嫌だ。こんなの感情論でいい。

 理由なんてこれだけで十分過ぎる。



 しかし――もしまどかちゃんがこの事実を知れば、進んで身を捧げてしまいそうな気がするんだよな。それだけは絶対阻止しなければなるまい。


 結局、有益な情報を得ることはできなかった。
 はぁ……これについては、追って考えていくしかない。
 一朝一夕で解決できる問題ではない。





 さてさて、ことのついでにといってはアレだが、もう一つの懸案事項。
 『吸血鬼のエネルギーを提供する方法』を忍野に訊いておくことにした。

 キュゥべえとの取引材料にしようとしている吸血鬼エネルギー。
 捕らぬ狸の何とやらではあるが――無事吸血鬼の力を使って『ワルプルギスの夜』を討伐できたとし、吸血鬼の力をインキュベーターに認めさせても、それを提供する手段がなければ、取引が成立しない。
 吸血鬼エネルギーという不確かなものをどう提供すればいいのか、全く見当がついていないのだ。提供手段がないと理由で、取引がご破算になったら目も当てられない。

 まぁ発案者が羽川であるからして、何かしらの考えがあるのだろうとは思っているのだが、先に解決できる問題であれば、それに越したことはなかろう。

 しかし――

「んなことを僕に訊かれても解かるわけないじゃん。ふぅぁあああ」

 考える素振りすらなく忍野は気だるそうに大きな欠伸を一つ。
 頼みの綱はあっさり切れた。

 羽川に救いの視線を向けるも、苦笑いを浮かべるだけだった。


 ならばもうこの問題に意見できそうな存在なんて…………嫌々ながらもキュゥべえに訊いてみることにした――その結果。

「それは僕たちとしても同様だ。吸血鬼はまだ調査段階の存在だからね。それにどれだけのエネルギーの回収が見込めるのかもまだわかっていない段階で、エネルギーを変換する術を模索することはできないよ」

 こちらからも芳しい反応は得られなかった。
 が、キュゥべえの意見はまだ終わっていないようで、更に主張を展開するのだが、

「ただもし現状、何も方策が決まっていないというのなら、僕と契約した対価としての願いを宛がうというのはどうだい?」

「おい、いい加減にしろよ、さっきから言っているが少女を犠牲にするなんて考えは却下だ」

 またこいつは性懲りもなく……隙を見つけては勧誘活動に勤しんでいるな……怒りを通り越して呆れてしまうぞ。

「あと一応釘を刺しておくが、今の話、まどかちゃんに伝えんじゃねーぞ! お前の魂胆は見え見えだ!」

「うーん……別にまどかを意図しての発言ではなかったんだけどね。いや、実際まどかが契約してくれるに越したことはないんだけど」

「まどかちゃんじゃなくても他の誰であってもだよ。ともかく、そんなやり方僕は認めないからな!」
「うん、なら他の誰でもなく、君自身が犠牲になればいい。元よりこの提案は、君を意図しての発言だったんだからね。それぐらいの覚悟はできているんだろう?」

「は? いや、覚悟も何もお前は何を言っているんだ?」

 どうにも話の全容が見えない。

「ああ、少し言葉足らずだったね。吸血鬼の力を宿す君だからこそ、第三者を経由せずスムーズに力の変換が行える。これが尤も合理的な処置だ。だからこそ、君が僕と契約してくれればどうかと考えたわけだよ」

 キュゥべえの言葉を十分に咀嚼し――嚥下する。
 伝えようとしていることは一応解かったが、意味が分からない。
 空回りする思考は支離滅裂な考えとなって循環する。

 え? コイツは何を言っているんだ? 

「待て待て! お前だって人間の性別ぐらい区別つくだろ!? 僕は男だ!!!」
「勿論、そんなことは知っているよ」
「じゃあ一体全体どういうつもりで言ってんだよ!!?」

 僕の叫ぶような詰問を受けても、キュゥべえはどこまでも悠然とした態度を崩さない。

「うん、だからね相応の資質さえあれば、理論上、別に少女じゃなくても契約は可能なはずなんだ。僕達が少女に限定し契約をしていたのはね、それが最も効率的だったから――ああ、そういった意味では、戦場ヶ原さまとも早く契約がしたいかな。もうそろそろ少女というには厳しいからね。ぎりぎりだ」

 視界の隅で戦場ヶ原が徐にホッチキスを取り出したが、気付かなかったことにしておく。

「つまりエントロピーを凌駕する逸材なら、年齢も性別さえ拘る必要はないってことさ。まぁ当然、純然たる少女よりも得られるエネルギーは格段に減少することは避けられないけどね。その点を踏まえたとしても阿良々木暦――君はそれを補って余りある因果を持っている。君の因果は本当に異質なんだ。僕でさえ見極めることができない程複雑怪奇で、まだ不明瞭な部分が多い。やはり伝説と称される吸血鬼をその身に宿していることで、その異質な因果は形成されているのかな? まぁともあれ十二分に採算は得られるだろうさ」

 畳み掛けるように持論を展開するキュゥべえ。
 そして赤玉の瞳を怪しく輝かせ、唖然として反応を返すことができない僕に対し、それはもう清々しいほど弾んだ声で言うのだった。


「だから阿良々木暦、僕と契約して実験体になってよ!」









[27169] つばさサーチ~その5~
Name: ミドリ◆02e976c9 ID:ea6cad15
Date: 2015/11/19 19:22

~089~

 茜色に染まる住宅街から外れた一角にある、少し寂れた雰囲気を放つアパート。
 外壁がくすんだ薄茶色で、所々に老朽化からくる罅割れが目立つ。

 表札で苗字を確認してチャイムを鳴らすと、すぐに扉が開き――中から無愛想な少女が顏を覗かせた。

「…………………………」

 “僕達”を見た少女――暁美ほむらは無言で僕を睨み付けてきた。
 無言の圧力を感じる。誰がどう見ても、お怒りの表情だ。

「聞いていないのだけど」

 底冷えする声でほむら。

「……そりゃ言わなかったからな」
「なぜ?」

「だってお前、言ったら断るじゃん」
「………………」

 僕の弁明にしばし黙考。

「でしょうね」
「なら、秘密裏に連れてきて、なし崩し的に会ってもらうしかないわけじゃないか」
「………………」

 僕の来訪は前以て告げていたが、もう一人の帯同者に関しては伏せていた。
 こんな騙し討ちみたいな真似したくはなかったが、先の通りこれはほむらの性格を踏まえてのこと。
 そう、この場所――ほむらの自宅にやってきたのは僕一人だけではなく、三つ編み眼鏡の委員長さんも一緒に来ていたのだ!

「取り敢えず紹介しておくと、こいつは同級生の羽川」
「どうも、初めまして。羽川翼です」

 折り目正しく優美なお辞儀を交えて羽川。

 しかしそれを無視する形で――

「なぜ部外者を?」

 言葉少なに、どういう意図があって羽川を連れてきたのかを詰問してくる。
 抑揚のない冷淡な声音が、ほむらの不快指数を物語っていた。

「どういう了見かと訊かれれば、そうだな。至極端的に説明すると、この羽川に対ワルプルギス戦の陣頭指揮をとって貰おうかなと」

「は? ただの一般人に頼るようなことなんてないわ。それとも何? 彼女も魔法少女なの? 魔力の波動は全く感じ取れないけれど」

「んーそういった意味ではただの一般人――魔法少女って訳じゃないけれど、この羽川って女は世界屈指の頭脳をもった逸材なんだぜ!」

「世界屈指、ですって? 阿良々木暦。あなた、ふざけているの? 貴重な時間を割いていると言うのに――」

 眉根を寄せ、一層表情が険しくなっていく。
 やばい。ぶち切れ寸前だ。

「ふざけてなんかないない! 僕は至って真面目だって! ほら、羽川からも何か言ってやってくれ」
「……阿良々木くん、そりゃそんな荒唐無稽な発言したら暁美さんだって怒るわよ。それに私は至って普通の女の子だよ。とはいえ、そうだね――暁美さん」

 と、優しい声で呼びかける。
 流石に名指しでの呼びかけを無視することはできなかったようで、ほむらは僕から羽川に視線を切り替える。

「私のことは第三者の視点をもった協力者とでも思って貰えれば幸いかな。二人で考えるより三人いた方が気付けることも増えるだろうし。ほら、三人寄れば文殊の知恵っていうじゃない」

 和やかな笑みを浮かべ羽川は言う。
 と、そこまでは幾分柔らかい口調だったのだが、

「ただ、もし暁美さんが私のことを不必要だと判断したのなら、その時点で切り捨ててくれて構わないよ。でも、このまま何もせず引き下がっちゃたら、私を推薦してくれている阿良々木くんの期待を裏切ってしまうことになるから、ほんの少しだけでいい、お話させてくれないかな? 判断はその後で下して欲しいの」

 次いで発せられた言葉は真剣味を帯びた実直なもの――年上からの丁重な懇請を受け、らしくもなくたじろいだ反応をみせるのだった。





~090~

 僕達の言い分に納得を示したということではないのだろうが、不承不承ながら家の中に招かれる。
 玄関先での立ち話は、否応なく近隣住民の目に触れることになるから、それを避けたかったのかもしれない。

 さてさて、今更ではあるが、なぜほむらの自宅へ出向いたかについても触れておく。
 経緯としては――内々に話したいことがあるとほむらに電話で伝えた所、立て込んでいるので家まで来いとのお達しがあった(無論、羽川の存在は伏せてある)。
 問答無用で断られなかったのは、大した進歩。多少なりとも信頼されてきた証拠――だと思いたい。

 で、メールで住所が送られてきたので、それを頼りにやってきたという訳だ。

 しかし、自宅に呼びつけるなんて、一体何をしているのだろうと疑問に思っていたのだが――その疑問は部屋に入った瞬間に氷塊する。

「…………これはまた」
「不用意に触ると危険よ」

 言われるまでもなく、見りゃわかる。

 部屋中に所狭しと転がる拳銃・ライフル・バズーカ。他にも色々、無造作に置かれた手榴弾や、多種多様の用途不明の物体、弾薬の山。山。山。

 そしてライトに照らされた作業机の上には工具が並べられており、分解された爆弾と思しき物が…………物騒なことこの上ない。

 どうも、対ワルプルギス戦で使用する武器の最終調整を行っていたらしい。

「は、ははは」

 困惑した表情で、渇いた笑いを漏らす羽川さん。
 事前にほむらの戦闘スタイルに関しては伝えていたが、この光景は予想外だったのだろう。

 もし警察に見つかれば、銃刀法違反なんてものでは生ぬるい――どれ程の罪が科されるのかわかったもんじゃない。

 ある意味、重犯罪に加担するも同然なのだから、やはり相当な抵抗感もあることだろう。

「やっぱ、羽川。お前は帰ったほうが……」
「何言ってるの。これは私から言い出したことだし、どんなことになろうとも覚悟はしてる」

 それでも腹は括っているらしく、気遣う僕に対し、意志の強い眼差しで羽川は言った。

 とはいえ、僕自身がこの銃火器に囲まれた状況がどうにも気が気でなかった。


「なぁほむら。もしこれが見つかったらヤバくないか?」

 僕の両親って…………此処だけの話、警察官なんです。その境遇を踏まえれば、僕が必要以上に警戒してしまうのもご理解頂けると思う。

「何をつまらない心配しているのよ。魔法で結界を張ってあるから、私が認めない限り普通の人間がこの部屋に立ち入ることはできないわ」

「……そう、なのか?」
「それに、防音・異臭対策もしてあるから、銃の試し撃ちや、化学薬品の調合を行っても外に漏れることはないから安心なさい」
「また違うベクトルで安心できない発言があるな! なんだよ銃の試し撃ちって!」

 化学薬品の調合も、絶対科学の実験的なものではあるまい。

「別に壁を撃つわけじゃないわよ。あなたも知っての通り、私の小楯は異空間に通じているから、その中で動作チェックを行っているだけ。跳弾の心配も後片づけをする必要もないから便利なのよ」

 どこか誇らしげなほむらであった。

 しっかし、随分とラフな格好をしているほむらである。我が身が可愛いので指摘こそしないが、直裁的に言ってしまうと――ダサい。あまりにもダサい。

 語り手の責務として言及すると、紫のタートルネックに……デフォルメされた猫さんマークのワッペンが際立つピンク色のちゃんちゃんこを羽織り、下は見滝原中学のジャージという有り様。

 普段のクール美少女には似つかわしくない、あるまじきコーディネートなのである。

 まぁ相手が僕だけだと思っていたから身なりを整える必要はないとの判断であろうし、作業着も兼ねて汚れてもいい服装を選んだけで、これは部屋着として着用しているのだから、問題ないと言えば問題ないのだが…………。


 閑話休題。


 ともあれ、武器庫と言っても強ち間違いではない部屋を抜け、まだ比較的足の踏み場のある和室に案内される。

 ただ和室としての趣は皆無であり、壁や襖を埋め尽くす様にワルプルギスに関する資料が張り付けられていた。
 しかも事細かに加筆された痕跡や、マーカーによって強調された箇所があり、パッと見ながら凄い労力が割かれて書き上げられたものだと解る。

 部屋の中央には卓袱台が設置され、その上には見滝原市内全域が記された地図が広げられており、これにもびっしりと小さな文字で書き込みがされていた。

 さながら、此方は作戦本部といったところか。



「それで? 阿良々木暦。いきなり見ず知らずの他人に陣頭指揮を任せるだなんて、到底承服できないのだけど。何か私を納得させる言い分でもあるのかしら?」

「と言われても、羽川と言葉を交わして貰うしかないかな。それが一番手っ取り早いし、心の底から納得もできると思うぞ?」

「…………ということらしいけど、私はあなたと何を話せばいいの?」

「んーその前にここにある“全ての資料”を見せて欲しいんだけど。もししまってあるものがあれば、それも含めて全部――駄目かな?」

 疑念を多分に含んだ眼差しで羽川を見やるほむらに、羽川は何とも軽い調子でそんな要望を出した。

「駄目とかそういう問題ではなく、纏めた資料はかなりの量があるし、専門用語も、そもそも暗号で書かれた、私個人でしか理解できない箇所もある。それをいちいち教えるのも御免だし、そんな悠長に待っている時間はないわ」

「なら一時間。その間で目を通せる分の資料だけで構わないから。暗号もある程度見比べさせて貰えれば、法則性が見出せてくるし、読んでいるうちに把握できると思うから、暁美さんは、私に構うことはないよ。作業の続きをするなり、阿良々木くんと話しをするのでも。それでも駄目?」

「…………それは本気で言っているの?」

「あれ? 私おかしなこと言っているかな?」

 真顔で返されたほむらは、助けを求めるように僕に視線を寄越す。
 言葉こそ発しなかったが、『この人、頭おかしいけど、大丈夫なの?』そういった類の訴えだ。

 ともあれ、一時間という時間制限つきながら許可を出してくれた。

「じゃあ見させてもらうね」

 それが開始の合図となり、羽川は動き出す。


 まず、襖や壁に貼られた資料を端から順に――美術館で絵画の鑑賞をするような足取りで眺めていく。一つの資料を見るのに、20秒もその場にはとどまっていない。

 部屋を一周し終え、次いでうず高く積まれた紙の束に手を伸ばすと、上から順に数秒足らずでペラペラと捲っていき、ざっと目を通していく。

 時間がないこともあり、読み飛ばしていくしかないのだろう。
 大見得を切った手前、“形だけでも目を通しました”という体裁を保つために。


 なんて、そんな風にほむらを思っているのかもしれない。

 だが、それはない。
 羽川翼という人間に限ってそれは絶対に有り得ないのだ。

 間違いなく、一語一句読み飛ばす事無く頭の中に叩き込んでいる。


「暁美さん、この部屋にある資料の確認は済んだから、他にもあるなら用意してもらってもいい?」

 この時点で、約15分。
 別の部屋から持ってきた資料全てを確認し終えたのが、開始から約45分後のことだった。

「うん、終了。ちょっと時間余っちゃったけど丁度いいかな。暁美さん、残りの時間も使わせてもらうね」
「……別に構わないけど」

 そんな確認を取ったかと思えば、羽川は通学鞄からノートと筆記用具を取り出し、すごい勢いで何やら書き込んでいく(ちなみに、僕と羽川は学校からそのままやって来たので制服だ)。


 そして――羽川の手が止まる。

「よし、準備完了。暁美さん、今からお話させて貰ってもいい?」

 この時点で、ほむらの羽川を見る目に変化が生じる。
 正確には、羽川が10分足らずでノートに書き上げた、『等高線表現による見滝原一帯の地形図』を見てからと言った方がいいのか。

 簡略化されながらも、手書きとは到底思えない精度の地形図。
 僕には理解できない記号やら文字で書き込みがされている。

 資料の確認に関しては、見せ掛けだけのパフォーマンスにしか見えなかったのだろうが、この目に見える人間離れした芸当を目の当たりにしたことにより、ほむらも気付き始めたようだ。


 この羽川翼おんなが、只者ではないということに。






[27169] つばさサーチ~その6~ (おまけ:まどかホーム)
Name: ミドリ◆02e976c9 ID:ea6cad15
Date: 2015/12/02 02:53
~091~

 現在、僕達は卓袱台を囲んで座っている。
 さて、よくよく観察してみれば――羽川がノートに書き上げた地形図は、元々卓袱台の上に設置されていた、見滝原市内全域が記された地形図の縮小版みたいなものだった。

 故に――卓袱台上には大きさが違うだけの地形図が二つあることになる。まぁそれぞれ違う書き込みがされているので、違いはあるのだろうが――

「なんで縮尺が違うだけの地図をわざわざ用意したんだ?」
「ん? ああ、ちょっと色々書き込みしながら話をしたかったから――ほら、暁美さんの私有物に直接書き込むわけにもいかないし」

 だがら自作しました――ということらしい。
 全然大したことないように言っているが、片手間で作成できる完成度じゃないんだぜこれ。

「ではでは、随分待たせちゃったし前置きは飛ばして早速始めましょうか」

 と、羽川は筆記用具の中から赤ペンを取り出し――

「暁美さんは『ワルプルギスの夜』の出現予測地点を可能性として5箇所まで絞っていたようだけど、私の考えではこの範囲」

 ――ノートに書かれた地形図の一点に円を描いた(どうでもいいがコンパスを使ったかのような歪みのない円形である)。
 要はこの赤丸で記した箇所が、羽川の予測するワルプルギスの出現する場所ってことか。

「…………確かに、私も確率でいえばその地点が一番高いと考えてはいたけど…………なぜそう言い切れるのかしら?」

 羽川の見解に対し、疑問を呈するほむら。
 他にも『ワルプルギスの夜』が出現するかもしれない予測地点があるようだから、一点に絞れる根拠を提示してみせろと言いたいのだろう。

「んーと…………なぜって、それはさっき見せてもらった資料に纏められていた通りだよ。私がしたことは数ある統計を元に、そこからただ検証して導き出しただけだから……一から説明することもできるけど、ちょっと問題があるし……」

 はぐらかすように言葉を濁す。
 これは少し妙だ。こういった説明に関しては、僕にも理解できるよう噛み砕いて説明してくれるのが羽川の本来の在り方なのだが?

「問題と言うのは何? 有耶無耶なまま話を進めることはできないわ」
「それはそうだけど、暁美さんにとって不都合な話になるよ」

「私にとって?」
「うん。暗号で書かれていた箇所が真実であればの話だけどね。まぁ私は、事細かに調べ上げられた暁美さんの資料を見させてもらったから、もう信じちゃってるんだけどさ」

「………………解けたというの?」
「『時間』『統計』『繰り返し』、暁美さんならこの意味、解るよね」
「…………そう。まさか、あの短時間で本当に………」

「どうしようか。暁美さんがどうしてもと言うのなら、阿良々木くんに席外してもらう?」
「いえ、その必要はないわ。このまま先を進めて」

 二人の間だけで話が纏まったようだが、僕は完全に置いてけぼりだった。
 まぁほむらが納得してくれたようだし、別にいいんだけどさ。

 ただちょっと、ほんのちょーっとばかり疎外感を感じた僕は、自身の存在をアピールするため口を開く。

「なぁ羽川。お前が書いた地図のその記号は何を表しているんだ? あと隅の方にも記号と一緒に英数字が書き込まれているようだけど?」

 黙って二人の話を訊いているしかなかったからこそ、気付いた点だ!

 地図記号とは全くの別物で、地図の中に様々な形の記号が散りばめられている。
 あと、その記号と同じものが地図の枠外に記されており、それをイコールで結んで英数字の羅列が並んでいた。うん、全くもって意味不明だ。

 表記としてはこんな感じなのだが。

 ○=『M224』/△=『BGM-109』/□=『RPG-7』/☆=『AT4』/などなど。


「ああ、英数字は暁美さんが所持している武器の通称名で、記号がその武器の配置場所を表しているの」
「はぁーなるほどな」

 地図に書き込まれた記号が、どの武器を指しているか枠外に表記しているわけか。
 しかし、何で当たり前みたいに武器を通称名で書いてるんだよコイツ。いや、多分、正式名称を言われても僕にはわからないんだろうけど……羽川はそれを把握していることになる。

「それ私に見せてもらっても?」
「ええ、どうぞ」

 羽川の了承を受け、ほむらが僕の手元にあったノートを持っていく。
 気になることでも書いてあるのか、食い入るような眼つきだ。どこか平静でない感じ。

「羽川ってミリオタなの?」
「……なんでそうなるのよ」

 ほむらがノートに集中している間の、場繋ぎ的な意味合いの会話なので、まさか本当に羽川がミリオタだと思って話をふったわけじゃないのだが――

「お前って銃とか爆弾とかの知識もちゃんと持ち合わせているようだし、どういう経緯で知ったのかなって?」

「ん? 過去の歴史を知る上で戦争は付き物で、今現在もあちこちで武力紛争が起こっているんだよ。そういったことを深く理解する為には、兵器・武器の知識は必要なことじゃない。まぁ他にもドラマとか映画ででてきた銃なんかを興味本位で調べたりしているけれど」

 いや、そんな一般常識みたいに言われても。

「お前はなんでも知ってるな」
「なんでもは知らないわよ。知ってることだけ」

 お決まりのやり取りをやっているうちに、ほむらが確認を終えたようだ。

「…………これを、この場で考えたというの?」

 困惑、疑念――そういったが思いが込められたほむらの呟き。

「この武器の配置を決めるに至ったあなたの狙いを訊かせて頂戴」

 そして――急き立てるような口振りで問い掛けた。

「うん、これは暁美さんがメモ書きしていた武器の配置を元に考えたんだけど――暁美さんが元々想定していた配置は、ワルプルギスの夜が予測地点のどこに現れたとしても対応できるように防衛線を張っていたわよね。私のは、出現地点を一か所に絞った場合の配置」

 そこで羽川はノートの赤丸(ワルプルギスの出現予測)を囲むよう、もう一回り大きな円を描き、更に話しながら書き込みを加えていく。

「勿論、出現位置にずっと留まってくれる筈もないし、この円で囲んだ一帯までは戦場になると考えた方がいいかな。ただ、避難場所であるこの区画に行かせる訳にはいかない。人的被害を出さないためにも、防衛ラインはここまでとし、この地点で押し止める必要がある。だから、この場所に適した砲台の配置は火力の違いを鑑みてこっちにしておいたんだけど…………とは言っても、これは取り敢えず仮配置だし、あと暁美さんの魔法での誘導補正も、資料のデータから算出した上で組み込んではいるけど、やっぱり魔法のことは解からないし、微調整は暁美さんに任せるしかないかな」

「いえ……このままで十分活用できる段階、すごく参考になる……なります。できれば、もっと詳しく教えて下さい」

 あの暁美ほむらが、完全に教えを乞う立場で接している!
 羽川に対する信頼度が急上昇した!

 わからないなりにもほむらの魔法のことまでちゃんと踏まえて考えているあたり、もう色々おかしい。


 まぁそこからも羽川主体の講義(話し合い)は続く。
 開始当初は用意されていなかったお茶とお茶菓子まで提供され歓待を受ける。一応僕の分も用意してくれたが、明らかに茶葉の種類と湯呑の質が違ったような気がするが。

 ともあれ――文句なしで羽川の加入は認められ、いや、ほむらからお願いされるかたちで、羽川翼の作戦指揮官としての就任が決まったのだった。









※本編が短かったのでおまけ(過去に息抜きで書いた没作品です)
※『孵化物語』本編とリンクしているわけではありません(多分)
※まどかパパ(鹿目知久)視点



 まどかホーム~番外編~

「はじめまして。阿良々木暦といいます」
「いらっしゃい。その……阿良々木くんは…………中学生じゃないよね?」
「え、あ、はい。こんな小さななりですけど、高校三年生です」

「あぁ、そうなんだ。高校生か。はは。それで、まどかの“お友達”で、いいんだよね?」
「ああ、はい、そうですよ。仲良くさせてもらってます」

 僕の不躾な質問に対し、彼――阿良々木暦くんは戸惑いながらも首肯した。
 でも、そんな訳はないだろう。

 高校三年生。
 そうか。ついにこの時がきてしまったのか。

 もうまどかもお年頃な訳だしね……“彼氏”ができるのだって、ずっと覚悟していたことじゃないか…………僕の一時の感情をぶつけるのは間違いなんだ。

「そうだ。あとでお茶菓子でも持っていくど、飲み物はコーヒーでもかまわないかな?」
「はい。特に好き嫌いはありませんので。お気遣いどうもありがとうございます」

 それに礼儀正しい好青年じゃないか……髪が少し長めだけれど、十分許容範囲だろうし、別に不良ってわけでもなさそうだ。

 しかし、高校生…………繁華街を歩いている時にでも知り合ったのだろうか…………とはいえ、まどかの性格から考えて、自分から声を掛けたとは考えにくい。

 すると、彼の方から声をかけて、ナンパでもされたのだろうか?

 うん、我が娘ながらまどかは愛らしく本当に素直で、人をひきつける魅力を備えている――だから、これはある意味当然のことなのかもしれない。

 ああ……気になって仕方がない。探りを入れたい。でも駄目だ。堪えるんだ。
 色々問い質したいことが口の先まで這い上がってくるが、言葉になる寸前でどうにか押し留める。

 僕は娘の事を信じている。うん、信じている。

「そっか……いや、じゃあごゆっくり……」
「はい。お邪魔します」

 と、その時――自室の片付けにいっていたまどかが、上階の手すりから乗り出すように顔だけを覗かせ――

『パパー話し込んでないで、早く上がってもらってー。ほら、暦お兄ちゃん上がって上がって!』

「っ!?」

 お兄ちゃん…………だって!? いったい娘とどんなプレイを!?

「まど…………鹿目さん!? ここ自分の家って解ってる!? 妙な誤解を生むからねその呼び方はっ!?」





[27169] ひたぎウィッチ~その7~
Name: ミドリ◆02e976c9 ID:ea6cad15
Date: 2015/11/26 21:44
~092~

 ここから少し時間を巻き戻して、昨日の話。

 当然のことながら、キュゥべえからの勧誘(契約して実験体云々)を断固拒否し――忍野との協議を終えた学習塾跡地からの帰り道。その時の出来事について語っておこう。


 忍野のもとに到着した時刻もそれなりに遅かったし、そこから随分と話し込んでしまっていたので、廃ビルから出ると時刻は夜9時を過ぎていた。

 で、ここで一つ問題が――。
 模範的紳士を標榜している僕としては、夜道を女の子一人で帰らせる訳にはいかないのだが、戦場ヶ原と羽川。僕の隣には二人の女の子がいるわけだ。

 二人纏めてエスコートできるのであればそうするが、二人の家は逆方向。
 この場合どうするのが正解なのだろう? 紳士を標榜しているだけなので、全くといっていいほど紳士としての立ち振る舞いが身についていない!


 そんな僕の苦悩をいち早く察知してくれたのは言わずもがなこのお方。

「こういう時は彼女を優先してあげなさい」

 なんて耳打ちが聞えたかと思ったら――

「では邪魔者は退散するとしましょう。じゃあまた明日ね、阿良々木くん、戦場ヶ原さん」

 声を掛ける暇もなく羽川は一人夜道を走り去っていく。



 かくして――羽川の気遣いもあり、戦場ヶ原を自宅まで送り届けることになったのだが……。

 夜道を二人。恋人同士。無言で歩く。歩き続ける。

「………………おーい、戦場ヶ原さーん」
「……………………」

 正確には僕が再三何度となく話しかけているのだが、無視され続けていた。
 僕の自転車で二人乗りしたら、わざわざ歩く必要もないというのに、その誘いも当然無視されている。

 何か怒らせるようなことをしてしまったか? 
 真っ先に自分から戦場ヶ原を送り届けると宣言しなかったことが不服だったのか、それとも昼間のランチをすっぽかしたことへの仕返しか?
 この女の心情を正確に推し量ることは難しいのだ。

「なぁ戦場ヶ原。いい加減反応してくれよ」
「なに、どうかしたの?」

 と、前兆もなく言葉を返してくれた。
 さっきまで無視されていたことが僕の勘違いだったのではと思う程、態度が普通過ぎて逆に困惑してしまうほど。

「…………どうかしたって、ずっと僕、話しかけてたんだけど」
「あぁ耳元でずっと虫の羽音がしていると思っていたけれど、あれ阿良々木くんだったの」
「どんいう耳の構造してんだよ!」
「大きく分けて、外耳、中耳、内耳の三つに分けられているわね。内耳をさらに細かく分類すると蝸牛と前庭と三半規管あって、そこから聴神経脳へと繋がっているわ」
「………………」

 したり顔で、挑発的な視線を寄越す戦場ヶ原。言い返せるもんなら言い返してみろと言いたげだ。
 分類とすれば『子供の屁理屈』のはずなのに、中身は『知的な大人の屁理屈』だ。
 くそ……こんなの、ある意味暴力だよな。理論武装が半端ない。

「ったく……んな下らないネタの為だけに20分も無視し続けやがって……」
「ちょっとしたお茶目心じゃない。笑って流しなさいよ」
「お前のネタは恐怖でしかない。笑えたとしても苦笑いだけだよ!」
「もっぱら阿良々木くんは嘲笑の的なのにね」
「うるせーよ!」

 ずっと無視され続けた方が、精神的被害は少なかったのかもしれない。

「そう言えば、傍から見ていて感じたことなのだけど」
「ん? それって忍野とかと話していた時のことか?」
「ええ」

 わざわざあんな場所までついてきたというのに、一切会話に参加しようとしなかった戦場ヶ原ではあるが――何か言いたいことがあるようだ。

「よかったよ。お前もちゃんと心の中では参加してくれていたんだな」
「そうね、終始阿良々木くんの無能ぶりを堪能させてもらったわ」

「……なんだ、ここからずっと僕の悪口が続くのか!? だとしたら胸の内に留めておいてくれ!」
「被害妄想が過ぎるわよ」
「……ならいいんだけどさ」
「9割ぐらいよ」
「ほとんど悪口じゃねーか!! やっぱりお前は黙ってろ!」

「そういう訳にもいかないわ。だって羽川さんから………………」
「羽川から? どうしたんだよ?」
「ニュアンスが難しいのだけど――羽川さんから命れ……いえこれは聞かなかったことにして頂戴」
「いま、お前、命令って言おうとしなかったか?」

「指図を受けたから」
「いや、印象が幾分悪くなっているんだけど」
「指令を受けたから」
「それも表現としてどうなんだろうな」
「お願いされたから」
「……初めからそう言ってくれよ」

「汚れ役を押し付けらたということね」
「言葉のチョイスに悪意があり過ぎだろ!!」

 折角綺麗に収まったのに、なぜ再度ひっくり返す!

「つーか、お前楽しんでいるように見えるけどな。汚れ役なんて、それそこはまり役じゃねーか」
「あらあら、言ってくれるわね」
「いいから本題に入ってくれよ。で、結局お前は羽川にどういったお願いをされたんだ?」

「どういったと言われれば、こんな感じよ。『何か気づいたことがあれば、阿良々木くんに教えてあげてね』そんな風に強要されたわ」

 全く似ていない羽川の声真似を挟み、戦場ヶ原は言う。
 なぜ、それが強要として処理されているんだと、突っ込みたいところだが、もういちいち構っていたら先に進まないのでここはスルーしておく。

 そういや僕と忍野が忍のことで、話し込んでいる最中、羽川が何やら戦場ヶ原に話しかけていたのには気付いていたが、その時に言われたのだろうか?


「それで、気付いたことって?」
「うーんと、そうね。ただ気付いたという表現よりは、阿良々木くんの言動を傍から見ていた感じたこと――感想と言った方が正しいわね」

「ふーん……じゃあ、その感想ってヤツを訊かせてくれよ」

「仕方ないわね。まぁ一言で言ってしまえば、阿良々木くんが馬鹿ってことよ」
「…………もっと段階を踏んで説明してくれないか」

 言い返したい場面ではあるが、ここは耐え忍ぶ。
 ……ほんと話が進まねぇ。

「あら、そう? 阿良々木くんにも理解できるよう噛み砕いて説明したつもりなのだけど、どうやら伝わらなかったようね」
「お前の悪意は存分に伝わってるけどな」

「では改めて――阿良々木くんは絶対的な目標として、『魔法少女を元の身体に戻すこと』が必要不可欠だと考えているわよね」

「ん? そりゃ勿論そうだけど。お前はそれが馬鹿な考えって言いたいのか?」

「ええ、概ねその通り」

 ……肯定しやがった。

「阿良々木くんはね、いきなり高い目標を設定し過ぎているのよ。言うなれば、走り高跳びでバーの高さを10メートルにするようなもの。自分自身で無茶な設定をして、それを見て飛びこせないと嘆いている馬鹿なのよ。典型的な駄目な思考パターンに陥っているわ」

 元陸上部らしい比喩表現で、駄目だしされる。
 戦場ヶ原の言わんとすることは、何となく理解できたが……。

「そうなんだろうけど、僕なりに色々考えてはいるんだぜ」
「出ない考えなんて何の価値もないわ。テストを白紙で提出してなんになるの?」
「…………」

 気持ちのいいぐらいはっきり言ってくれる。

「じゃあお前はどうしたらいいと思うんだ?」
「そんなこと言われても、別に代案があるわけでも、解決策を提示できるわけでもない。私ができるのは忠告だけ」
「忠告だ?」
「阿良々木くん、あなたは身の程を弁えて、解決できる範囲に問題を落とし込むことを知りなさい。妥協点を模索するべきね」

 先ほどの戦場ヶ原の例えを引用するなら、バーの高さを自分の飛べる範囲に調整しろってことなんだろうけど…………。

「でも、お前がさっき指摘した通り、『魔法少女を元の身体に戻すこと』が必要不可欠だって僕は考えているだぜ――これは絶対に無視できない問題だろ」

「そうかしら? 別に魔法少女の身体でも生きていくことは可能でしょ。だったら“魔法少女のまま生きて貰えば”いい」
「魔法少女のままって――あのな戦場ヶ原。お前はもしかして聞き逃していのかもしれないけれど、魔法少女はいずれ魔女になっちまうんだよ!」

 それがインキュベーターによって仕組まれた、魔法少女の逃れられない運命なのだ。
 少々議論が熱くなってきたこともあり、僕達は歩みを止め、外灯の下で向かい合う。

「そうだったわね。でもそれってどうして魔女になるの?」
「どうしてって…………ソウルジェムに穢れが蓄積されていって、その許容量が超えてしまったら魔女になるって話だ」

 実際見たことはないが、これは確かな情報だ。

「ふーん、じゃあ言い換えてみれば、"穢れが溜まらなければ、魔女にはならない"ということよね」

「いや、それは無理なんだ。魔法少女への変身や魔力を行使すれば勿論穢れが溜まるし、普通に日常生活を送っているだけでも、微量ながら穢れが溜まっていく。だから……最終的にどうしたって魔女になっちまうんだよ」

「それで阿良々木くんが出した解決策――結論が『魔法少女を元の身体に戻す』しかない、そういうこと?」
「…………ああ…………そうだけど」

 なんださっきから。どうも会話が噛みあっていない。論点がずれているような気がしてならない。

「ふー、これだけ順序立てて説明しても、私が伝えたいことが全く理解できないなんて、ほんと呆れるわ」

 いやこれはただ単に――込められた意図を、僕が読み取れていないだけなのか。

「阿良々木くん。確かに現状、魔法少女が生み出す穢れを止めることはできない。それは確かよ――でも考えてみて? 『魔法少女を人間に戻す』ことと『魔法少女が生み出す穢れの進行を抑止する』こと。この二つを比べてみれば、難易度の違いに明確な差があるんじゃないのかしら? 攻略難易度的には多少なり現実味が帯びたと思わない?」

 ああ、なるほど、これが戦場ヶ原のいう――妥協点。解決できる範囲に問題を落とし込むってことか。

「…………うん、戦場ヶ原の言いたいことはよく解かった。…………でも、どうなんだろうな」
「というと?」
「魔法少女である彼女達の心情的な問題…………魂が抜き取られて……自分の身体が抜け殻にされていること……それを受け入れることができるのかなってさ」

「そんなこと知らないわ。まして阿良々木くんがそこまで面倒みる必要なんてないでしょ。メンタルケアなんてカウンセラーにでも任せとけばいいのよ。そもそも、懇切丁寧に伝える必要なんてないのだしね。そうそう気付くこともないでしょうよ」

 知らぬが仏…………ってやつか。
 まぁ知らないでいられるのなら、そっちの方がいいのは確かだ。
 僕も巴さんや美樹や杏子に、知られないよう口を閉ざしているのだし。

「……それでも少なからず、気付いている子もいるだろ」

 暁美ほむら。彼女は自身の辿る運命を知っているはずなのだ。
 まだ怖くて本人には聞けていなが、彼女は受け入れているのだろうか? それとも諦めているのだろうか? 

 しんみりと感傷に浸る僕ではあるが――

「は? もし真相を知ったとしてもそれが何? 忍野さんが言っていた通り、前倒しの対価を得たんだから、それぐらいの代償甘んじて受け入れろって話よ。もし受け入れることができないのなら、勝手に死ねばいい。自殺でもすれば魔女になることもないんでしょ?」

 吐き捨てるように戦場ヶ原は言う。この女は本当に…………。

「……お前な……他人事だからって」
「そうね。他人事よ。でもこれは阿良々木くんの事でもあるわ。なんで私に関係もない赤の他人の為に、私の彼氏が苦しむ必要があるのよ」

 む……これは些か返答が難しいぞ。


「まぁなんだ、僕のことを慮ってくれるのは有難いことだけど……やっぱ、どうしたって割り切れるもんでもないだろ。お前だって怪異に絡んだことで、似通った経験をしたわけじゃないか! 普通でいられなくなることの苦しさを、お前はちゃんと知っているはずだろ!?」
「……ま、そこをつかれると、私としてはもう黙るしかないわね」

 攻め口としてこれは少し卑怯だったか。
 戦場ヶ原も別に悪気があって言ってる分けじゃ…………ないはずなのだ。うん。

「悪い。別に責めるつもりじゃなくて」
「気にしてないわ」

 何にしても、戦場ヶ原は魔法少女を救う手段を考えてくれたのだ。
 元の身体に戻してあげることができれば、それに越したことはないが、それが無理だった場合、次善の策を用意しておくことは極めて重要である。貴重な意見だ。

「でも、ほんと嬉しいよ。お前が魔法少女のことを、こんなにも親身になって考えてくれてさ」

「勘違いしないでよね。私は別に魔法少女のことなんて全くもって考えてないんだから!」

「んな取って付けたよう なツンデレ発言されても」
「いえ、実際問題、本当にどうでもいいのよ。これは阿良々木くんが無茶をしでかさないよう、布石を打っておいただけなのだから」

「なんじゃそりゃ?」
「阿良々木くん、最終的にどうにもならない状況に陥ったら、アイツとの契約だって厭わないでしょ?」

「いやいや、僕だってそれぐらいの分別――」

「いえ、絶対に契約してでもどうにかしようとするわ」

 僕の反論を遮って戦場ヶ原は強く断言した。

「だって阿良々木くんはそういう人だもの。吸血鬼に自身の全てを差し出したように。だからこそ、妥協案を設けて、阿良々木くんが無茶しないで済むよう取り計らった。だから徹頭徹尾、私が考えているのは阿良々木くんのことだけなのよ」

 ……また、反応に困ること言いやがって。

「あと、そうね――これは念の為。耳の穴かっぽじってよく訊きなさい」

 大股でぐっと接近してきた戦場ヶ原は、僕の耳元に顔を近付け告げる。

「阿良々木くんがもし契約しようものなら、その時は、私も一緒に契約して心中を選ぶわよ」
「は? んな馬鹿な真似」

「なら、そうならないようにすればいいだけのことでしょう。これは私からの命れ……もといお願いよ。わかったわね。このことをよく肝に銘じておきなさい」








[27169] こよみハッチ~その11~(Walpurgisnacht)
Name: ミドリ◆02e976c9 ID:ea6cad15
Date: 2016/05/10 01:07
~093~

 この世のものとは思えないほど赤黒く染まった、禍々しい色を帯びた朱殷しゅあんの空。

 その不吉な空の下には、地獄のような光景が広がっていた。
 見滝原の中心街は大地震と超大型台風に、同時に襲われたかのような有り様だ。

 電柱は圧し折れ、車は横転し、高層ビルの半数以上が倒壊――割れた窓ガラスが一面に散らばり、道路には亀裂が走っている。

 其処かしこで火災が発生し、吹き荒れる強風に煽られ火の手が増していく。
 瓦礫と化したビル群。燃え盛る炎の柱。雷鳴が轟き、吹き荒れる暴風。
 もう都市としての景観は、完全に喪失している。

 この惨状――天変地異を引き起こしているのは他でもない。

 荒野と化した、見滝原都市部の上空に浮かぶ怪物。

 白い縁取りをされた、群青色のドレスを身に纏った細身の女性のような外見。胴体から下は、ゆっくりと回転する巨大な歯車となっており、なぜか上下逆さまの状態で空中に浮遊している。
 大きさは優に200メートルは越えようかという程に馬鹿でかい。

 耳を劈く悍ましい絶叫を上げているかと思えば、時折、不気味な嗤い声を響かせてもいた。

 そうコイツこそ――混沌の化身。災厄の権化。破壊の限りを尽くす最悪最凶の超弩級魔女――『ワルプルギスの夜』である。

 ワルプルギスを中心点とし、被害の規模は色濃くなっていた。

 事前情報である程度は、その存在について知ったつもりでいたが、実際にこれを目の当たりにしたら、その脅威性を上方修正せざるを得ない。

 ワルプルギスの廻りには、破壊された建造物の残骸が宙に浮いている。
 中程で圧し折られビルが宙を飛び交う光景なんて、誰が想定する。

 こんな化け物を相手にしなければならないなんて、本当に恐ろしいことだろう。恐怖で足が竦んで動けなくなったって何らおかしくはない。

 にも関わらず、彼女達は果敢にも魔女に立ち向かう。そんな魔法少女達に声援を送る事しか出来ない、無力な自分が情けない。


 ……………………。
 ……………………。
 ……………………。


 えー、なんと言いますか…………僕こと阿良々木暦は、今まさに開始されんとしている、魔法少女とワルプルギスの戦いを、鉄塔の最長部から傍観している状況です、はい。

 …………しかも、予想される戦闘区域から離れた、比較的安全な場所から。

 ……………………。
 ……………………。
 ……………………。


 さてさて、こうして語ってしまうと、「お前が率先して戦えよ!」だとか「何、女の子に任せて傍観してんだよ!」なんて苦言を呈されそうだが、此方にもこうしなければならない事情があるのだ。

 僕だって既に、ちゃんと臨戦態勢に入ってはいる。
 万全に万全を期し、僕は人間を辞め、完全に吸血鬼化した状態でスタンバイしている。

 即ち、あの春休みの時のように――鉄血にして熱血にして冷血の吸血鬼。伝説と謳われた吸血鬼。怪異の王として名を馳せた、キスショット・アセロラオリオン・ハートアンダーブレード。

 その眷属として――今一度、『化け物』に成っている訳だ。

 さらっと言っているが、『完全な吸血鬼』として活動することは、ある種の禁忌を犯したような罪悪感と忌避感があり、僕の中で色々な葛藤があったのだが、まぁこの件は置いてこう。自分語りは止めておこう。

 ただ解かって欲しいのは、出し惜しみなく事に望もうという僕なりの覚悟の証なのだ。
 

 だったら尚の事「お前一人でワルプルギスと戦ってこい!」なんて声が聞こえてきそうだが、少し待ってほしい。

 とはいえだ。まずは先に謝っておこう。
 吸血鬼化した僕と、ワルプルギスによる戦闘を待ち望んでいた人が、どれだけいたかは知らないが………………期待に沿えず申し訳ない。

 まぁなんというか、至極端的に言ってしまうと、僕は戦力外通告されているのである。

 ……………………。

 いや、それだと少しニュアンスが違うか………………そう! 言い換えればれっきとした作戦の内なのである!!


 これは、ごくごく当然の成り行き――もしくは役割分担をした結果とでも言えようか。
 順を追って説明していこう。


 というか僕も始めは、羽川がキュゥべえに対して言った、

『見滝原にやってくるという超弩級の大型魔女――『ワルプルギスの夜』。その魔女をもし吸血鬼の力で圧倒することが出来れば、キュゥべえくんも認めざるを得ないじゃないのかな?』



 ――吸血鬼の力で圧倒する――


 この宣戦布告とも言うべき宣言を訊いて、僕の中で漠然と――勝手な思い込みというしかないのだが、ワルプルギスの夜と吸血鬼化した僕が大立ち回りを演じ、その上で圧勝しなければならないと考えていた。
 しかし事前の話し合いをしていくと、それは僕の思い違い、自身の力を過大評価した愚かしい考えだということが判明する。

 幾ら伝説の吸血鬼の眷属として吸血鬼化した状態とはいえ、僕がどうやってワルプルギスに対抗できるのか、想い馳せていた時のことである。多分、そういった類の事を独り言で、無意識の内にぶつぶつ言っていたのだろう。それを訊きとめた羽川はこういったのだ。


 一部、その時の会話を抜粋してみよう。


「あー、ちょっといいかな、阿良々木くん」
「ん? なんだよ?」
「色々頭を悩ませてくれているのに申し訳ないんだけど…………阿良々木くんが真正面から『ワルプルギスの夜』と戦う必要はないの」

「はい? いや、でも僕が戦わないことには、吸血鬼の力を証明することができないわけじゃないか? お前も知っての通り、忍の力は借りられないんだぜ――――」

 ワルプルギスの夜との決戦に際し、完全な吸血鬼と成った僕。
 それは即ち、必然的に、忍野忍も全盛期の力を取り戻したことになる。
 『忍野忍』から『キスショット・アセロラオリオン・ハートアンダーブレード』へと復帰したことを意味するのである。望もうと望まずとも、一蓮托生にだ。

 故に、吸血鬼としての力を証明するというのであれば、フルパワー状態の忍がワルプルギスの夜と戦ってくれれば万事解決することだった。
 安易な解決方法と言わざるを得ないが、これこそ一番手っ取り早い方策なのはご理解頂けるだろう。


 しかし、それは不可能――忍の力は当てにできないことは前以て提言しておかなければなるまい。

 その理由は、忍野メメによって施された封印が原因だった。

 いや、原因だなんて、全くもって自己本位な言い方をしてしまった。
 忍野には全く非なんてないのだから、そこは誤解しないで欲しい。


 かなり前の話になるが、学習塾へ忍の力を借りに向かい、忍の同行を忍野から許可して貰った時のことを覚えているだろうか?
 その折に、忍の強大過ぎる力を忌避した忍野が、封印を施し忍の力を縛ったのだ。

 この封印の効果もあり、全盛期の力を取り戻したフルパワー状態の忍は、僕の影から外に出れなくなっている。

 正確には一時外に出れたとしても、出たその瞬間に僕の影の中に吸引されてしまう。
 それはどんな吸血鬼スキルを使用しても、抗うことができないほど、強力な力らしい。

 伝説の吸血鬼を野放しにすることは、調停者バランサーの立場として看過できないのは道理。
 危険要素が大きすぎるからこその、当然の措置と言えよう。

 なので、どんなに窮地に陥ったとしても、代わりに忍が出張って戦ってくれることはない。



「――――だからこそ、他の誰でもなく僕が戦うしかないだろ!!」

「でも、阿良々木くんって、戦闘技術とか全く無いでしょ?」

 僕の決意表明に、気遣う声音で羽川は言う。

「………………そりゃ……そうだけどさ…………吸血鬼化状態の僕は、人外の力を持った吸血鬼ハンター達に勝った実績があるんだぜ?」

 吸血鬼を狩る同属殺しの吸血鬼――ドラマツルギー。
 ヴァンパイア・ハーフにしてヴァンパイアハンター――エピソード。
 新興宗教の大司教にして、裏特務部隊を率いる部隊長――ギロチンカッター。

 どの戦いだって苦戦続きであったが、あの強敵を相手に勝ったことは紛れもない事実。

「全然誇れることじゃないけど……、戦闘に関してずぶの素人であっても、僕には、伝説と謳われる吸血鬼の眷属としての力が備わっているんだ!」

「つまり、圧倒的な吸血鬼の力でごり押すって訳?」
「まぁ……それしかないだろ」


 僕の行き当たりばったりというしかない言葉を訊いて、羽川は苦笑いを浮かべながら――

「一つ質問。阿良々木くんって空飛べる?」

 ――予期せぬ問い掛けをくり出してきた。

「空って、んなの無理に決まってるだろ。僕は舞空術を習得してもいなければ、タケコプターも持っていない」
「だろうね。じゃあさ、仮に『吸血鬼の力』を使っても無理?」
「ん? …………あ、うーん……どうだろう」

 しばし思考を巡らすも、

「いや無理だな。僕は忍みたいに羽を生やせないし……」

 僕が使用できた吸血鬼スキルは、肉体の一部を変化させるぐらいなのだが、それがまた出来たとしても、空を飛ぶことは出来ないだろう。


 そんな結論を出した僕に、羽川は致命的な言葉を投げかけてきた。

「だったら、どうやって空を飛んでいる相手に立ち向かうつもりなの?」
「ん?」
「暁美さんの情報じゃ、『ワルプルギスの夜』ってずっと空を浮遊した状態なんだよ?」
「…………………………」

 絶句。

 それでもどうにかこうにか、一つの答えに辿りついた。

「ジャンプして突貫!」

「確かに吸血鬼の膂力があれば、十分可能な戦法ではあるんだろうけど……曲がりなりにも戦闘指揮の権限を預かっている身としては、それは推奨できないかな。相手からの妨害もあるだろうし、一直線に飛び込めば恰好の的にされるだけだよ」

「じゃあ、お前はどうするつもりなんだ? 僕が力を示さない事には、吸血鬼の力を見せつけることができないわけじゃないか? これはキュゥべえとの交渉材料でもあるんだろ?」

「阿良々木くんはずっとそこに固執しているようだけど、別に『吸血鬼』と『ワルプルギスの夜』の戦闘を見せる必要性はないでしょ? キュゥべえくんには、『圧倒的な力』を証明すればばいいだけなんだから」

「いや、だからそれにはワルプルギスを圧倒することが必要不可欠であって」
「ううん、そんな必要は全然ないよ」

 僕の言葉を遮る形で、羽川は力強く断言した。

「だって、キュゥべえくんが欲しているのは、『圧倒的な力』――言い換えれば『膨大な量のエネルギー』だけなんだから。言うなれば『効率よく動き回る性能のいいレーシングカー』ではなく『大量のガソリン』にキュゥべえくんは魅力を感じている。それは阿良々木くんだって理解できるよね?」

「お、おう。それはな」


「だったら『相手の攻撃を紙一重で躱しながら華麗に戦う、歴戦のプロボクサー』と、『何の技術もないけれど、他の誰よりも強力無比な一撃をくり出せる素人』。キュゥべえくんはどちらに魅力を感じるかな?」

「そりゃ後者だろ…………? えっと……話の先が見えないんだけど?」

「うん、だから私が何を伝えたかったのかと言うとね――阿良々木くんは、確実に相手を仕留めきれる状況になるまで、万全の状態で待機していて欲しいの。華麗に戦う姿は必要じゃない、求められるのは、設置されたパンチングマシーンに最大限の一撃を叩き込むことだけ――それが私の考えている対ワルプルギス戦の戦術プランだよ」

「…………なぁ羽川…………お前の作戦にケチをつけるつもりはないけど…………」

「どうやって、そんな状況を作り出すつもりなんだ? って言いたいのかな?」

 僕の指摘を先読みする形で羽川は言う。それに僕は無言で頷き先を即す。

「それは、私と彼女達に任せて欲しい。相手の情報が不確定だし、どんな牙を隠し持っているかもわからない。そんな状況下で保証なんてできないし、達成困難なことは重々承知しているけれど、それでも、だとしても、どうにかしてみせるから!」





 なんてやり取りがあり、現状に至っている訳だが――やはり女の子に先陣を任せ、待機するって状況は、相当に心苦しいものがある。

 でも、ほむらからも釘を刺されているんだよなぁ。僕が参戦しても、戦闘の妨げにしかならないって。
 基本的に遠距離からの射撃や、砲撃、爆弾、機雷を用いる戦術だから、僕が近くに居たら本当に邪魔らしいのだ。ちなみに、杏子も接近戦主体の戦闘スタイルだから、援護に回るらしい。
 ついでに言及すれば、美樹も僕と同じく戦力外通告を受けた身で、避難区画にいる住民の護衛を任されているようだ。ほむらに対してデレデレ状態の美樹は、快くその任務を引き受けたようだが。


 さて、そうこうしているうちに、

『準備完了。二人はどう?』
『ええ、いつでもいけるわ』
『問題なし! やってやるぜ! って、いくらやる気になっても、所詮、アタシはサポート役だかんねぇ、はぁ、ったく――極上の獲物を相手にできる、またのないチャンスなのによぉ』

『もぅこんなことで、拗ねないの』
『はいはい。わかってますって。マミはうるさいなぁ』
『そんなこと言ってると、祝勝会用に取り寄せている、通販お取り寄せランキング8週連続第1位を獲得している有名パティシエ特製ケーキはいらないってことでいいのね?』
『んなこと一言もいってねーだろ! つーかもう勝った気でいるのかよ!!』
『当たり前じゃない。私達が負けるはずない。そうでしょ暁美さん』

『当然そのつもりよ、巴マミ。貴女の力、頼りにしているわ』
『ええ、頼りにして頂戴。それにしても、相変わらず他人行儀な呼び方よね。皆みたいに気軽に名前で呼んでくれたらいいのに』
『前向きに検討しておくわ』
『あら、拒否されるかもって思っていたのに、これは期待しちゃうわよ』
『おいおい、マミ。それって、断る時の常套句だぞ』

『え!? 嘘! そんなことないわよね暁美さん!?』
『美樹さやか。そちらの状況は? 問題はない?』
『暁美さん!? 私の声聞こえてるわよね!?』
『あっ! ほむら! うん。こっちは大丈夫。あたしのこと心配してくれてありがとね!』
『いえ、そうではなく、まどかに近寄る害獣がいないかの心配を……』
『もぅ照れるなって! ほむらは照れ屋さんだなぁ、だからマミさんも心配しないでいいですよ!』

『そ、そうよね! 暁美さんは恥ずかしがっているだけなのよね! そうだわ! もぅ佐倉さんの所為で、暁美さんを疑っちゃうところだったわ』
『……ま、マミがそう思うんなら、アタシはいいけどさ』
『また、私を不安にさせるようなこと言って、ほんとにケーキ上げないわよ?』
『あー! くそ! アタシが悪うございました!』
『暁美さん、この戦いが終ったらちゃんと名前で呼んでくれるって信じてるわよ!』


『阿良々木暦。貴方も気を抜かないで、しっかり戦況を見極めて、対応して頂戴』
『暁美さん!? 無視しないで! ちゃんと反応して!』


 テレパシーを用いて、女の子特有の姦しい軽口を叩きあいながらも、全員所定の位置につき、準備は完了したようだ。


「ああ。任せとけ。皆も、無理はすんなよ。危険だと判断したらすぐに退避してくれて構わないからな! ちゃんともしもの時の備えは用意してある! だから繰り返し言うが絶対に無理はするな!」

 不確定要素が多い戦いであるからこそ、最悪の事態を想定した場合の切り札を用意しいている。まぁ無論これだって羽川参謀が用意してくれた秘策なのだが。


 ともあれ――役者は揃い、舞台は整った。

 『ワルプルギスの夜』――魔女達が集う祝宴の夜。


 今まさに、戦いの幕が切って下ろされようとしていた。





[27169] こよみハッチ~その12~(Walpurgisnacht)
Name: ミドリ◆02e976c9 ID:ea6cad15
Date: 2016/08/05 22:06


~094~

 『ワルプルギスの夜』の周りには、ゆうに百は越えようかという使い魔達で溢れかえっていた。
 少女のシルエットをした使い魔がくるくる踊りながら飛び交い、さながらパレードでもするように、ゆっくりと行進していく。
 西洋版の百鬼夜行みたいなもんだ。

 所定の位置についた魔法少女達は、瓦礫の陰に隠れ、完全に気配を断った(魔力を隠匿)状態で身を潜めていた。
 ワルプルギス――延いては、その使い魔との交戦も、一切始まっていない状況が続いている。

 ただ、これで作戦の第一段階は恙なく進行中なのだから、全く問題はない。
 一応、作戦の概要を説明しておくとしよう。至極端的に言ってしまえば『罠を張り、罠に掛るのを待つ』というものだ。
 うん。言葉で説明すると、実にシンプルな作戦だ。

 が、シンプルだからと言って、そう簡単な話ではなく、闇雲に罠を仕掛けたところで、罠に掛かってくれる保証はない。

 ならば、いったいどうやって相手を罠にかければいいのかだが――方法は大きく上げて二つだろう。

 一つは、罠まで相手を誘導する。もう一つは、相手の移動ルートに罠を張っておく。

 そして現在、僕達が実行しているのは後者な訳だが……この場合、相手の動向を先読みすることが必要不可欠となってくる。

 しかしその相手は周知の通り――天災の如く無軌道に猛威を奮い、破壊と混沌を振り撒く『ワルプルギスの夜』。しかも、情報も乏しく初めて相見える謎多き存在である。

 そんな相手の動きを予測することなんて、到底不可能だ。
 いや、"不可能だと思い込んでいた"。"不可能だと決めつけていた"。

 だが、そこは羽川翼。
 彼女は限られた情報から、推察してみせたのだ。

 正確には、ほむらが溜め込んだ資料と、独自で調べ上げたデータを統合して出した、予測なのだと本人は説明してくれた。

 どうやらネットを駆使して、世界各国で過去に起こった突発的な異常気象の記録を洗い出し、ワルプルギスが原因となったであろうものを、いくつか見つけ出したようだ。
 当然、その各国々によって記されている言語が異なるのだが、それに難なく対応できる羽川さんマジぱない。

 参考資料にできそうなものは、あまり多くはなかったようだが、それでも、ある重要な共通点を見つけ出すことができたらしい。


 曰く――意味もなく、本能の赴くまま所構わず暴れ回っているのではなく、人口密度が高い場所を目指し移動している、ということ。
 断定こそしなかったが、そういった傾向が強いと羽川は分析してみせた。

 魔女の本分として、多くの人間に災いを撒き散らすことを、己が役割だと認識しているのだろうか? 迷惑なことこの上ない。

 そして、この近辺で、尤も人が集まっている場所。
 即ち今回の場合であれば、見滝原市民が避難所としている市立見滝原中学校の体育館に向かうと予測でき――あとはワルプルギスの出現地点と、避難場所である見滝原中学を線で結べば、移動経路が自ずと導き出される。





『標的、Aー7地点を通過。このままいけば、予定通り到着するはずだぜ。マミ、ほむら。準備はどうだ?』
『既にセッティング完了済みよ」
『ええ、問題ないわ』

『しっかし半信半疑だったけど、ほんとにあの羽川って奴の言う通りになったな』
『もう羽川さん、でしょ。でも、本当に凄い……ここまで正確に読み切るなんて…………驚きだわ』

 テレパシーを用いて、魔法少女達が交信を行っている。
 内容は、"ワルプルギスの移動経路を完璧に予測してみせた"、羽川の常軌を逸した推察力についてだ。予測はどんぴしゃだったわけだ。


 比較的まだ羽川との面識が薄い巴さんが、驚愕するのも無理からぬことだろうが、ここのところ、ずっと羽川の傍で行動していたほむらにしてみれば、もうこれは『当然の結果』――『既定事項』だったのだろう。

『あの人は恐ろしいまでに、全てを見通している』

 畏敬の念が込められた、憧憬を滲ませた呟き。その声音に驚きの色はない。

『流石は阿良々木さんのお友達ね』
『その言い方どうなのかしら? 別に阿良々木暦の友達と言うのは、羽川さんにとってプラス要素ではないでしょう?』
『………………えっと、暁美さん?』
『寧ろマイナス要素。ええ、羽川さんにとって唯一の汚点だと言っても過言ではないわ!!』

 巴さんの言葉に、語調強くほむらが返す。

『……確かにお前の言う通りだと、自分自身で思わないでもないが、悪口は心の内で留めてくれ』

 別に後半部分は言わなくてもよかっただろ? 
 テレパシーで筒抜け状態なんですよ?

『あら、貴方にも聴こえてたの』

 耳に掛かった髪をかき上げ、悪びれた様子もなくほむらは言う。
 絶対にわざとだろ、お前。


 ともかく、あとはこのままワルプルギスが罠に掛かるのを待てばいい。
 罠と言っても、それは巴さんがリボンで広範囲に張り巡らし作成した網のようなものであり、ある程度は調整が効く。多少軌道がズレたところで対応は可能なのである。



「阿良々木暦。君はここで見ているだけなのかい?」

 と、唐突に頭上から声が聞こえてくる。
 というか、文字通り『僕の頭の上』から。

 声の主は、自称異星生命体のキュゥべえである。
 コイツが今更、時空転移を用いて唐突に現れた所で驚きこそしないが、なぜ人の頭の上に……絵面的にはティッピーを頭に乗せたチノちゃん状態だ。

 注文なんてしていないので、どっかいってくんないかな。
 見た目がどんなに愛らしくとも、この生物にマスコットキャラとしての権限はないのだ。鬱陶しいことこの上ない。
 そういう観点で言えば、ティッピーも中身おじいちゃんだし、あまり頭に乗せたくねぇな。

 ん~無視しても構わなかったのだが、コイツはある意味重要な取引相手、あまり心象を悪くするのもよろしくないか。

「まーな。僕の役目はもうちょっと後だ」

 とは言っても、歓談するような間柄では決してないので、ここは軽く反応を返すだけに留める。
 戦闘が始まるまで残り僅か。コイツに構っている暇はない。



『…………はぁ……はぁ……あと少し』

 極度の緊張、あるいは抗いがたい恐怖のためか、呼吸が乱れ、若干震えた巴さんの声音。
 この戦いの趨勢を決める先陣を任されているのだ。相当な重圧が圧し掛かっていることは想像に難くない。

『巴さん。皆がいるんだ。一人で背負いこむことなんてないよ。大丈夫。絶対上手くいくから。自分の力を信じて!』

 羽川がならば、もっと役に立つ適切なアドバイスができたのだろうが、僕には、こんな場当たり的な励ましを言うことしかできない。

『阿良々木さん……ありがとうございます。とても……とても心強いです!』

 それでも、少しは巴さんの支えになったのかもしれない。ただ、気を使わせてしまっただけかもしれないが。



 そして――


『掛かった!!』

 巴さんの鋭い声。ワルプルギスが蜘蛛の巣のように張り巡らされたリボンの網に突っ込んでいく。

『いくわよ!! カレッラ・ヴァスタアリアッ!!』

 高らかに叫ばれた声に応じ、一斉にリボンがワルプルギスに巻き付いていく。

 巴さんお得意の拘束魔法。
 リボンが幾重にも巻き付いていき、完全に搦め捕った。


 しかし、ワルプルギスの勢いは止まらない。
 リボンを纏わりつかせた状態で、お構いなしにそのまま突き進んでいく。
 その動きを封じ込めることは叶わない。


 だが、誰にも焦りはなかった。

 なんせ、このリボンによる拘束は、相手の動きを止めるためのものではないのだから。

 全ては手筈通り。

『暁美さん! 設置完了よ!』
『了解。爆破まであと10秒。巻き込まれないよう、出来る限り距離を取って。佐倉杏子、魔法障壁の展開をお願い!』

 ほむらの指示に応じて、事前に決められていた、杏子が陣取った避難場所に退避する。


 そう。
 本来の目的は――リボンに結ばれた幾多もの爆弾による、爆破攻撃にある!

 イメージし易いように例えるなら、紐に結んだ無数の爆竹を巻き付けたようなもの。
 無論、威力は桁違いのはず。なんせ、羽川とほむらによって魔改造された特製の爆弾だ。

 何でも某国から盗んできた最新型の爆弾に、羽川が独自に配合した化学物質(同じく盗品)を組み込みアレンジを加え――サーモバリック爆薬を基礎とし、化学反応を引き起こすことで威力を飛躍的に高めた代物らしい。

 ただ羽川の話では、時間と材料、あと専用の機材さえあれば、まだまだ威力の底上げは可能だと言っていたのが恐ろしいところだ。
 


『5、4、3、2、1』

 ほむらによるカウントダウン。


 そして――途轍もない規模の大爆発がワルプルギスを包み込んだ!

「ギギャアァァアアアアアアアアアアァッ!!!!!!」

 視界を覆い尽くす目映い閃光が駆け抜け、耳を劈く轟音と断末魔が響き渡る。

 炸裂するように火花が飛び散り、辺りに流星のように四散――爆煙が天高く立ち昇っていき、世に言うキノコ雲が形作られていた。
 その光景は火山の大噴火を想起させる。

 断続して爆発が続き、『ワルプルギスの夜』の姿が目視できない程の巨大な火柱が形成されていた。


 次いで、数秒の時間差を経て、僕の居る一帯にまで爆発の衝撃波が届き、辺り一帯の窓ガラスが砕け散る。

 熱風に煽られ吹き飛ばされそうになってしまう僕。
 威力の程を完全に見誤っていた。
 爆発地点から距離が離れていたこともあり、ここまで爆発の余波がくるとは思っていなかった。

 どうにか、寸前のところで鉄塔に手を伸ばし態勢を立て直す。これは吸血鬼化したことで強化された平衡感覚やら反射神経のおかげと言える。平時の状態であれば、地面に真っ逆さまだったことだろう。
 ちなみにキュゥべえは姑息にも、器用に僕の身体を壁代わりにして衝撃波をやり過ごしてやがった。


「…………とんでもねぇ威力だな」

 鉄塔にしがみ付いた僕は一人ごち……てる場合ではない。

『おい、皆無事か!?』

 この爆発の規模。全線に居る彼女達の安否が最優先だ。

『は、はい、皆、大丈夫です。佐倉さんの結界でどうにか対処できました』
『おい、ほむら! もっとちゃんと伝えとけよな! 死ぬかと思ったぞ!』
『ぶっつけ本番だったのだから、しょうがないでしょう? 私自身にとっても想定以上、予想を遥かに超える威力だったのだし――ただ……これでも火力不足だったようね』
『は? 火力不足って…………おい、まさか!?』

 ほむらの重々しい言葉に、杏子が愕然とした声音で問い返す。

『残念だけど、そのまさかよ』

 ほむらの言う通り、黒煙の隙間から、ゆっくり浮上していく巨大な影が見える。あれだけの爆発をもろに受けたにも関わらず、魔女は生きていた。

 戦いはまだ継続のようだ。






[27169] こよみハッチ~その13~(Walpurgisnacht)
Name: ミドリ◆02e976c9 ID:ea6cad15
Date: 2016/08/08 18:55

~095~

 号砲代わりにお見舞いした爆破攻撃は、計り知れない破壊力を示し灼熱の炎が魔女を包み込んだ。
 その威力を物語る爪痕として、コンクリートで舗装されていた道路は数十メートル範囲でえぐれ、巨大隕石が衝突したようなクレーターが出来上がっている。

 立ち込めていた黒煙が薄れると、そこには身体の端々に深い裂傷を負った魔女の姿があった。
 豪奢なドレスは半ば崩れ落ち(衣服は繊維質ではないようだ)、魔力的な防壁で防がれた痕跡もない。

 奇策は見事成功したとみて間違いないだろう。

 だが……逆に言えば、このレベルの攻撃をもってして倒しきれなかったということ。
 あの威力の爆発を耐えきるとは、やはり最強の魔女。正真正銘の化け物だ。そう容易く攻略はできないか。


『マジかよ……あの爆発をモロに喰らって、ほぼ原形をとどめているって、どんなに頑丈なんだよ』
『……ちょっと、気が滅入るわね』
『そう悲観することでもないわ。相応のダメージは与えられた筈だし、それに周りにいた使い魔も一掃できた』

 確かに、敵の戦力を大幅に削れたアドバンテージは大きい。
 まだ幾らか使い魔は残っているが、十分の一ぐらいに数が減っている。


「ギャァアアアアアアッ!!!」

 悲鳴と絶叫が合わさった悍ましい咆哮が上がる。

『お、流石に気付かれたようだぜ』

 敵対者と見定められたのだろう。
 咆哮が使い魔への命令となっていたのか、まだ体勢の立て直しができていないワルプルギスの代わりに、僅かに生き残った使い魔達が一斉に強襲を仕掛けてきた!

『さぁこいつらはアタシの獲物だ!!』

 迫り来る使い魔の対処は杏子が引き受け、

『トッカ・ストラーダ!!』

 巴さんが両の腕を広げながら、魔法を展開させる。
 ちなみに、この魔法の言葉の意味は、直訳すれば『リボンの道』となるそうだ(作戦会議中に説明してくれた)。

 射出されたリボンが四方に伸びていき、瞬く間に広範囲に亘って張り巡らされる。
 更にリボン同士が格子状に組み合わさり、武器を配置したポイントを繋ぐ架け橋となった。

 最短距離の移動を可能とする、即席の足場を作り上げた訳だ。

『暁美さん、頼んだわよ!』
『ほむら! あのデカブツを仕留めてこい!』

 二人の言葉を受け、ほむらは決意高らかに宣言する。

『今度こそ、ここで決着をつけてみせるッ!!』

 ワルプルギスに立て直す隙は与えないとばかりに、即座に行動を開始。


 周知の通り、彼女は多種多様な銃火器を用いる戦闘スタイルをとる。

 巴さんもマスケット銃なんかを使用するが、あれは魔法で作成したものであるのに対して、ほむらは現実社会で使用されている本物の現代火器である。

 やはり魔法少女の中でも際立った異質さを誇っている。

 そして、今回もその戦闘スタイルに変わりはないのだが、この決戦に当たって、ほむらが用意した武器が色々おかしい。

 僕が専用保管庫(廃工場)で見て把握しているものは以下の通り。

 各種拳銃、ライフル、ロケットランチャー、手榴弾、地雷、弾薬、先の大爆発を引き起こした爆弾と、その威力を引き上げるために用いられた、危険極まりない類の化学物質。
 地対空ミサイルが積載された軍用の大型トラックと最新鋭の戦車が計10台以上。
 他にも用途不明の機材が並んでいた。

 羽川の情報をもとに、ほむらが国内のみならず諸外国から集めてきた代物である。

 どうやって調達してきたんだと突っ込みたくなるラインナップだ。
 『武器』って言うか、もう『兵器』じゃねーか。

 まぁ彼女の戦闘力は所持する武器の性能によって左右される訳だし、万全を期した下準備だと言えるが……今更ながら、こいつのことを魔法少女と称していいのか疑問を抱かずにはいられなくなってきた。 

 とは言え、幾ら武器の性能が高かろうと、それを活かす能力がなければ話にならない。
 多分、僕がそれらの武器を手にしたところで、絶対に使いこなす事はできないのだし。

 しかしほむらならば、話は違う。
 彼女の魔法少女としての能力ならば――武器のポテンシャルを最大限……いやそれ以上に引き出すことができるのだから!



『喰らいなさい!』

 いつになく感情のこもったほむらの声を認識した時には、既に彼女の攻撃は完了しており、無数の弾丸が浮上しかかったワルプルギスを取り囲んでいた!

 これこそ全力全開。魔法少女暁美ほむらの真骨頂。

 時を止めている間に、リボンで作られた足場を使って移動し、間合いを詰め、片っ端から発射したのだろう。
 ほむらの周りには、使用済みのロケットランチャーが幾つも転がっている。

 そして、弾丸は接触する寸前で位置調整されており、ほむらが時を動かしたと同時に直撃し爆発が巻き起こる。

 ワルプルギスにしてみれば、何の前触れもない完全な不意打ちを受けたことになるのだから、たまったものではないだろう。


『へぇやるじゃねーか』
『お見事ね。暁美さん』
『どうも。でもこんなのじゃまた足りない――もう一撃いくわ!』

 と、次の瞬間には何処からともなく飛来したミサイルが次々と着弾!
 更なる爆発がワルプルギスを襲う!

 どうやら、会話の最中に時間停止を行い、追撃を敢行したようだ。
 ほむらはいつの間にか(まぁ時間を止めている間にだが)、ミサイルの積載される軍用トラックが配置された地点に移動しており、僕が視認した時には、既に全弾発射されている。

『な……やっぱ時間停止って反則過ぎるだろ』

 杏子が愚痴を溢すのも頷ける。
 ほむらはあまり自覚していないようだが、『時間停止』という能力は極めて強力無比な力なのだ。

 あぁあと、対ワルプルギス戦に当たって、自身の能力を仲間に隠すのはデメリットが大きいとの判断で、『時間操作』の魔法のことは全員知っている。

 その後も地対艦誘導弾での攻撃を繰り返し、計五回もの波状攻撃を行うほむら。
 追い討ちは苛烈を極め、攻撃の手を緩めることはない。


『まだまだ!!』

 尚も攻勢は続く!! 

 今度は戦車から発射された砲弾が、ワルプルギスの腹部に突き刺さるように何発も撃ち込まれる!
 ジャブの連打からボディブローへ繋げたみたいな感じだ。

 これには堪らず、流石のワルプルギスも体勢を大きく崩し地上へと倒れ込む。

 と、その矢先、いつの間にか設置されていたクレイモア地雷が作動。炸裂した地雷から鉄球が扇状に発射されワルプルギスに撃ち込まれる。

 ほむらのバトルフェイズは終わらない。

 地に落ちた魔女に対し、この機を逃すまいと、ほむらは魔法で遠隔操作したタンクローリーを突撃させた! タンクの中に入っていた燃料はただのガソリンではないらしく、またも桁違いな威力の大爆発が起こり、猛烈な炎に包まれるワルプルギス。

 どうでもいいが、魔法で遠隔操作するため、車体の屋根に片膝立ち状態で乗車(?)したほむらのポーズが、無駄に決まっていた。


『……何でもありかよアイツ』

 槍を巧みに操り、危なげない戦いで着実に使い魔を仕留めつつ、しっかり状況を見渡せている杏子がぼやく。
 ほむらが使い魔の横やりを受けることなく、戦えているのはこの杏子の働きあってこそだ。
 影の功労者と言える。


『私も負けていられないわね!』

 そして、それは巴さんにも言える事。
 広範囲にリボンの足場を作ることで、魔法少女側に有利なフィールドを形成しているのだ。

 ただそちらの方に魔力を注いでいる関係で、あまり攻撃に参加していなかったが、ほむらの八面六臂な活躍に感化されたようだ。

『ティロ・フィナーレ!!』

 援護射撃となる最大火力の砲撃を放つ!

『暁美さん、有り難く使わせて貰うわ!』

 と、そこでほむらより宛がわれたグリーフシードの予備で魔力を回復し、一気に畳み掛ける!

『ティロ・フィナーレ・ドッピエッタ!!』

 それと同時。

『全弾発射!!』

 軍用トラックに積載されたミサイル発射装置から、一際巨大なミサイルが射出される!
 確かあれは巡航ミサイル『トマホーク』!

 ティロ・フィナーレとトマホークによる挟撃体制の集中砲火が爆裂する!

 爆発に次ぐ爆発。
 ワルプルギスに反撃の隙を一切与えない怒涛の攻撃。


 そして、ほむらが次に持ち出したのは――

『何……だと!?』
『え!? 嘘!?』
『んな馬鹿な!?』

 僕、巴さん、杏子の驚愕の声が重なる。

 目に飛び込んできたのは、翼を広げた鳥のような流麗なフォルムで、大空を旋廻する鋼鉄の塊。

 はい、誰がどう見ても戦闘機です。
 こんなものまで用意してるなんて聞いてねーよ!!
 機体名称は解からないが、多分、これも最新鋭のものだろう。

 コックピットは無人で、ほむらは戦闘機の羽に搭乗(?)している。
 タンクローリーの時と同様、魔法で外部から遠隔操作しているようだ。

『とっておきをくれてやるわ!』

 ほむらの声に応じて、両翼に搭載されたミサイルが連続で発射され、魔法の弾道補正により、全弾逸れることなくワルプルギスに直撃!

 更に、もののついでとばかりに、戦闘機自体をそのまま突っ込ませる!
 こいつ戦闘機を使い捨てやがった!


 突貫する戦闘機から飛び降りたほむらは、リボンで作成された足場に着地した。

『はぁ……はぁ…………』

 荒れた呼吸を整えながら、爆心地を見やるほむら。
 燃え盛る炎と黒煙に包まれ、ワルプルギスの状態を目視することはできない。


 その濛々と立ちこめる煙が仇となった。
 ほむらからは魔女の姿が見えない。

 だが、相手は人間の居場所を特定して移動する魔女。
 煙で視界が塞がれようが、人間の位置を特定することなど容易なのだ。

 黒煙の奥深くから夜空の煌めきを押し込めたような怪しい光線が放たれ、無防備に棒立ち状態のほむらへと強襲する!

『暁美さんッ! 避けてッ!』

 逸早く攻撃に気付いた巴さんが必死に呼び掛ける。
 その声に反応し、どうにか回避体勢に入り身を躱す。

 しかし、黒く煌めく光線はほむらの横を通り過ぎた瞬間に、使い魔へと姿を変え体勢を崩したほむらに肉薄した。

 少女のシルエットをした使い魔が三体。

 それでも、使い魔程度なら問題なく対応できる。
 即座に小楯の中から拳銃を取り出し発砲。

 それで終わりだ。

『ッ!』

 本来であれば、終わりのはずだった。
 だがほむらの放った弾丸は使い魔達に避けられる。

 あのほむらが銃撃を外した!?

 縦横無尽に動き回る使い魔に、標準が絞れていないのか!?
 らしくもなく焦りの表情を浮かべ、銃を乱射。が、一発も当たらない。

 使い魔相手に悪戦苦闘するほむらは、余裕のなさから、ワルプルギスへの警戒が完全に切れていた。
 使い魔に応戦するのに気を取られ過ぎ、ワルプルギスが放った炎の槍に気付いていない!!

 螺旋を描きながら猛烈に迫る火炎の渦が、ほむらを呑み込んだ!


『ごめんなさい!! 咄嗟だったから!』
『……いえ…………助かったわ』

 だが、どうにか間一髪で炎の槍を凌ぐことに成功したようだ。
 右足首にリボンを巻き付けたほむらが、逆さで宙吊り状態になっていた。
 どうやら、緊急措置としてリボンの足場を解除し、落下させることで攻撃を躱させたのか。

 スカートが重力にしたがい、何か見えちゃいけない物が見えているが、それについて言及している場合ではないだろう。


 ここで一度攻撃を切り上げ、間合いを取り、次の一手を模索する。
 いや…………違う。模索しなければならない状況に陥っていた。

 正直、さっきの猛攻で倒しきれなったのは痛い。

 それに、ほむらの様子がおかしい。あの状態で深追いは危険過ぎる。

『暁美さん。あなた大丈夫なの?』
『もしかして魔力切れかよ? なんならアタシの分のグリーフシード貸してやってもいいぜ?』

 そう。精彩に欠ける動きだったのは、誰の目から見ても明らかだ。

『……魔力切れではないわ。ただ『時間操作』の魔法はもう使えない』
『は? どういうことだよ?』

『言葉の通りよ。詳しく説明している暇はないけれど……簡単に言えば、私が操作できる時間、つまり時を止められる総時間は決まっている。それを使い切ってしまった、だからもう使えない。こんな大事な時に…………本当にごめんなさい』


『そんな謝罪は不要よ。暁美さん。あなたの働きは皆が知っている。さぁ今は、戦況の把握が最優先よ!』

 沈みそうな重い空気を打ち払うように、巴さんが声を張り上げる。

『暁美さんのお陰で、ワルプルギスはかなり弱っているわ。その証拠に動きが大分鈍くなっている。きっとあともう少しで仕留めきれるはずだわ』

 ここでリーダーシップを発揮してくれる存在がいるのは非常に助かる。

『暁美さん。確認だけど、火力になる武器はどれぐらい残っているのかしら?』
『前線に配置した分はもう……』

 そうなのだ。ほむらが用意した兵器はほぼ使い切っている。
 戦闘機なんて隠し玉もあったが、それさえも既に投入している。

『一応、盾の中に拳銃とライフルが収納されているけれど、正直どれも威力は乏しい。効果の程は見込めないわ』
『なら、最終防衛ラインに設置してあるのはどう? あれはまだ残っているはずでしょ?』
『確かにまだ残っているけれど、移動に時間がかかりすぎるわ。時間停止はもう使えないのだし』

『おいおい、ほむらお前が自分で言った通り、中途半端な武器じゃアイツに効果はない。だったら行くしかねーだろ』

『大丈夫よ。ここは私と佐倉さんに任せて!』
『………………わかった。ならここは任せるわ。どうにか時間を稼いで頂戴』


『おいおい、時間稼ぎだ? あまり見縊ってんじゃねーよ。別に倒しちまっても構わねーんだろ?』

 ほむらの言葉に、杏子は不敵に笑みを返し、心外だとばかりに言う。

『そうね。暁美さんと羽川さんが、二人で頑張っている間、私達も遊んでいたわけじゃないのよ。ねぇ佐倉さん』
『あぁ、あらかた目障りな使い魔は始末したし、アタシはそもそもあのデカブツと戦いたかったんだ。"アレを試す"には、こんぐらいの相手じゃないとな』

『期待してるわ。でも……くれぐれも無茶はしないで』
『おう、とっとといってこい』

 二人の後押しもあり、ほむらは巴さんが作成したリボンの道を全力で駆けていく。

『さぁて、マミ。やってやるか!』
『私ね、正直ずっと恐かったの』

『何だよ、いきなり?』
『でも私はもう一人じゃない。一緒に戦ってくれる人がいるだけで、私の心は強くなる。阿良々木さんも見守ってくれている。こんなにも心強い仲間が傍にいてくれる。ええ、相手が誰であっても負ける気がしないわ!』

『おいおい、んなこっ恥ずかしい台詞やめてくれ……耳が痒くなるだろ』
『でも本心よ! 身体が軽い。こんな幸せな気持ちで戦うなんて初めて』

 恐怖に打ち勝ち、万感の想いを込め巴さんは声を張り上げた。


『もう何も恐くない!』





[27169] こよみハッチ~その14~(Walpurgisnacht)
Name: ミドリ◆02e976c9 ID:ea6cad15
Date: 2016/08/30 20:47

~096~

 『ワルプルギスの夜』はそこまで好戦的な魔女ではない――と表現するのは適切ではないかもしれないが、自ら率先して攻撃を仕掛けてくるようなタイプではないのは確かだ。

 存在するだけで周囲に破壊を齎す、災厄の権化とも言うべき魔女ではあるものの、その破壊はある種の付随効果、ただの現象に過ぎず、ワルプルギス自身に攻撃をしているという認識はない。

 よくある例えになるが、地を歩く蟻に気付かず、象が蟻を踏み潰して闊歩していくように、ワルプルギスは移動経路にある街の被害など気にも掛けていないのだ。

 ワルプルギスの目的は、人が多く集まった場所へ向かうこと。
 魔法少女への攻撃は、目的を阻害する邪魔者を排除しようとしてのことだろう。

 追い払ったと判断したのか、一時撤退した魔法少女への追撃はなく、ワルプルギスは避難所への進行を再開している。

 こういったところは、『暗闇の魔女』と通ずる所がある。
 妄想に耽り遊び続ける怠惰な魔女――危害を加えない限りは、自堕落に自身の妄想の世界に入り浸ってるだけ。

 つまり、ちょっかいを掛けなければ"狙って"攻撃を受けることはない。

 この特性を踏まえ、巴さんと杏子が取った作戦は『先回りして待ち構え、最大火力の攻撃で迎え撃つ』というもの。方針としては最初に敢行した爆破攻撃を踏襲したような感じだ。

 不用意な攻撃は、反撃を受けることになるので行わない。

 移動経路は掌握しているし、ダメージの影響かワルプルギスの移動速度が著しく低下しているので、先回りすることも容易だった。


 高層ビルの屋上に陣取った巴さん、杏子のコンビは既に迎撃体制の準備に入っており、砲台付の大砲が設置されていた。

 いつもの大砲よりも数倍でかく、砲身がかなり長いのが特徴的だ。
 銀色の輝きを放った気合の入った出来栄えである。
 随所に煌びやかな花の装飾と、この大砲のシンボルマークなのだろうか、蠍の紋章が施されている。

『おぉこりゃ凄い! この大砲なら、相当な威力が期待できるな』
『いえ、これで終わりじゃありませんよ。阿良々木さん』

 僕の感嘆の言葉に、巴さんが含みのある言い方で反応する。

『肝心の仕上げがまだ残っていますから!』
『そうそう。アタシの存在を忘れられちゃー困るね!』

 そういや、二人で共同開発した必殺技とか言ってたもんな。
 使い魔の妨害を防ぐ結界を杏子が張っていたから、そっちの役目だけだと思っていたのだけど。
 ま、考えてみれば、杏子の性格からして防御担当だけで、納得するはずないか。

『ん、でも、もう大砲として完成しているし、杏子はいったい何をするんだ?』
『まぁ見てなって。さぁて、"装填準備″といきますか!』

 そう言うと、杏子は徐に髪を束ねていた黒いリボンを解く。


 すると、リボンの中にしまっていたのだろうか、手の平に収まるぐらいの大きさの十字架が出てきた。十字架を手に取り、そっと優しく胸に引き寄せ両膝をつき、祈りを捧げるようなポーズで目を閉じる。

『……アタシに力を貸してくれ』

 語りかけるように囁く杏子。

 髪留めがなくなり、髪を下ろした状態となっているからだろうか、粗暴な印象は鳴りを潜めていた。
 見た目補正も手伝ってか、敬虔なシスターのようだ。

『有りっ丈の魔力を込めてやるよ』

 その宣言通り、胸元のソウルジェムが強く輝き出す。
 鮮烈な赤い輝きに包まれた姿は、神々しさすら覚える。

 そして――その膨大な魔力により創り出されたのは、巨大な槍。
 それが吸い込まれるように、砲身の中に装填される!

『これは!?』
『はい。弓を大砲に、矢を槍に置き換えて創り上げた、特製バリスタです!』
『ん? バリスタって確か、コーヒーを淹れる職業の人だか、そういったコーヒーサーバーがあったような?』
『え? あ、はい。そう……ですね。一般的に知られているのはそっちの方だと思います。ただ今言っているバリスタは……その、この大型の弩砲の名称なんです』

 僕の残念な認識に、巴さんが気遣いを感じさせる控えめな声音で、訂正してくれる。
 反応に困っていらっしゃる!

『軽く説明させて頂くと、バリスタというのは、古代ギリシャや古代ローマで使われていた、攻城兵器の一種で、クロスボウを巨大化させたようなものだと考えて貰えれば。ただ本来の発射装置は弦で撃ち出す構造なんですが、これは代わりに大砲の砲撃で射出できるようにしているんです!』

 どことなく自慢げに解説する巴さん。

『なるほど』

 遠距離に発射できるパイルバンカーみたいな兵器ってことか。
 鋭い針で相手を突き刺す蠍の紋章をつけたのも納得だ。
 しかしマスケット銃といい、このバリスタ然り、巴さんは西洋への造詣が深いな。

『この二人で創り上げたバリスタに、更に魔力を込め繰り出す、合体魔法“ランツィア・サンツィオーネ”なら、きっとワルプルギスの夜を倒すことができるはずです』

『おい、マミ!! ちょっと待て! 何だよそのランツなんとかってのは!?』
『あら? そう言えば、まだ佐倉さんにも伝えていなかったわね。ランツィア・サンツィオーネ――イタリア語で"槍の制裁"という意味なの! どうかしら? 私達の必殺技にぴったりだと思わない?』

 自信に満ち溢れたドヤ顔を見せる巴さんに、杏子が食って掛かった!

『いやいやいや、お前ふざけんなよ!?』
『そうよね。相談もなしに一人で考えてしまったのは悪いと思っているわ』
『そうじゃない! アタシが言ってんのは、技の名前なんて必要ねーってことだよ!』

『なぜ!? 佐倉さんに喜んでもらおうと、寝る間を惜しんで夜通し考えたのに!』
『んなの有り難迷惑だっつーの! つーか大事な決戦前に下らないことで睡眠時間削るとか馬鹿だろ!?』
『下らなくなんてないわ! それこそ大事なことじゃない! 私のモチベーションを左右する大切なことよ! だから佐倉さん、技を繰り出す時は一緒に叫ぶのは絶対だから、くれぐれも注意してね』
『嫌だよ。アタシのモチベーションが下がるわ!』
『でもでも!』
『でもじゃねー! あーくそ、埒があかねー! おい暦。お前からも言ってくれよ』

 駄々を捏ねる子供のように食い下がる巴さんの意志は固い――それを悟った杏子は僕に矛先を向ける。

『…………言ってくれってなんだよ』

 正直、この話題に関わりたくないんですが。巻き込まないでくれよ……とは思っても口にはできない。

『んなの分かんだろ。技の名前なんて必要ないって!』
『阿良々木さん。必要ですよね!?』

『……えーっと』

 杏子と巴さんから判断を委ねられる。
 率直な本心を言わせて貰えば、わざわざ必殺技を叫ぶ必要はないと思う。だって、人間としての強度が下がりそうだもん。

 とはいえ。とはいえだ。

『うん、やっぱ、必殺技は叫んで然るべきだと思うよ。いやー巴さんの考える必殺技名は洒落てるよね!』

『そんな、でも阿良々木さんに褒めて貰えて嬉しいです』
『てめぇ、覚えてろよ』

 わざわざ僕の居る方に顔を向け、刺すような強い視線を寄越してくる。
 距離が離れているにもかかわらず、身震いしてしまうほどの眼光である。

 杏子の報復が恐ろしいが、致し方ない。
 巴さんを悲しませるぐらいなら、喜んで杏子の怒りを買おう。

『ほらほら。佐倉さん。もう決定なんだから、ちゃんと覚えたわよね? ランツィア・サンツィオーネよ?』

 こんなにも嬉しそうにはしゃぐ巴さんの姿が見れたのだから。




 なんてやり取りをしている間に、ワルプルギスが不気味な嗤い声を響かせ迫ってくる。
 上下逆さまの姿。下半身にあたる巨大な歯車が軋みを上げ回っている。

 もう少しすれば射程距離に入りそうだ。

『はぁー、結局ほむらからの報酬分はこれで全部パーか……ったく割に合わない事引き受けちまったぜ』

 悪態を吐く杏子。
 技の威力を引き上げるため、手持ちのグリーフシードで魔力の回復を行いながら、魔法の重ね掛けを行ってくれたようだ。

『大丈夫よ。これだけ大物の魔女を仕留めれば、きっとグリーフシードもそれなりの逸品に違いないわ』
『ま、そうだね。ただ働きは御免だかんね、それに期待するしかないか』

 ワルプルギスの接近に伴って緊張感は増していくが、二人に気負いはなさそうだ。

『いくわよ佐倉さん、タイミングが大事なんだから、しっかり息を合わせて、言い切ると同時に発射よ! 重ねて言うけど、ちゃんと必殺技を叫ぶこと! いい!?』
『あぁもう、わーってるよ!』

 そして――バリスタの射線上にワルプルギスが踏み入ったと同時。

 巴さんは高らかに力強く歌い上げるように――
 杏子は恥ずかしさを紛らわすため半ばやけっぱちに――

 二人の魔法少女が声を重ね叫ぶ!!


『『ランツィア・サンツィオーネ!!』』


 甲高い炸裂音とともに、猛烈な勢いで槍が射ち出される!!
 溢れ出る膨大な魔力の波動を帯び、一筋の彗星のように光の尾をたなびかせ、射出された槍がワルプルギスに突き刺さる!
 命中したと同時に凝縮された魔力が解き放たれ、目も眩む強烈な閃光が駆け抜けた!
 弾薬で起こるものとは全く異なる魔力の爆発が巻き起こる。
 赤く明滅する魔力の奔流。
 

「グガァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!」

 槍の制裁を受けたワルプルギスが、唸り声をあげながら落下していく。
 建造物や電柱を薙ぎ倒し、轟音を響かせ巨大な魔女は地に堕ちた。身体を揺さぶる衝撃が伝わってくる。地震を思わせる激しい揺れ。ワルプルギスが落下した地点には、幾筋もの亀裂が生じていた。

 土煙が舞い上がり、奇妙な静寂が訪れた。

 地に伏した魔女に動きはない。
 回り続けていた歯車の回転も止まっている。


『やった……のか?』
『いえ……グリーフシード化していないという事は、まだ生きていると見るべきでしょうね…………今までの魔女とは性質が違うから、断言はできないけれど』

 巴さんが冷静に状況を見極める。

『ま、もう虫の息ってな感じだし、止めは暦に任せるとするか。もうアタシの魔力すっからかんだしよ』
『おぉ、後は任せてくれ。良いとこ取りして悪いな』

 キュゥべえに吸血鬼の力の有用性を示すため――ワルプルギスに止めを刺すのが吸血鬼化した僕の役目だ。
 まぁワルプルギスを確実に倒すことが第一なので、これは絶対ではなかったのだが(力を示す方法なら別に用意できると羽川は言っていた)、お膳立てしもらえるのなら、それに越した事はない。

『阿良々木さん、お願いします。でも念のため私の魔法で捕縛してから……ん? 何この音は!?』

 と、不意にガタガタガタと、やけに耳に残る異音が聞こえてきた。
 その音の出処は直に判明する。

『歯車がまた回り始めたぞ……チッ、ほんとにしつこい』

 杏子が忌まわしげに顔を顰める。
 一度は止まったワルプルギスの歯車が、再度動き出したのだ。

 巨大な歯車がアスファルトを削り、土砂と粉砕された石を巻き上げ回転の速度を上げていく。辺り一帯には工事現場の騒音を、更に激しくしたような耳障りな音が響き渡っていた。

『……仕方ないわ。暁美さんのいる防衛ラインまで撤退して、体勢を立て直しましょう』

 再浮上するワルプルギスを前に、巴さんが沈痛な面持ちで苦渋の決断を下す。

『あれ?』

 ゆっくり天に昇る魔女の姿に――途轍もない違和感が。
 いや、間違い探しにもならない、一目瞭然の違いだ。

『なんなの……あれは?』
『どういうことだ……おい?』

 巴さんと杏子がワルプルギスの姿に戸惑うのも無理もない。

 しかし、これは大した変化だとは言えないのかもしれない……。
 
 どういうことかと言えば、本当に何てことはない。

 『ワルプルギスの夜』が――ごく自然な姿に戻っただけだ。
 天地に対して逆さの状態で浮遊していた魔女が――ただ上下180度ひっくり返っただけなのだ。

 頭を天に、下半身となった歯車を地に向けている。
 ただそれだけのことだ。

 なのに――"あるべく姿に戻った″だけだというのに、この不気味さはいったい何なんだ!?



「まさか、『ワルプルギスの夜』が『正位置』につくとはね。これを観測するのは、本当に久しぶりのことだ」

 僕の頭の上に座ったキュゥべえが、そんな事を口にした。
 どうやらコイツにとって、これは既知の現象のようだ。

「おい、その『正位置』ってのは何な――」

 不穏な空気を感じ、真相を確かめるべくキュゥべえに問い質そうとしたが――

『ギャハハハハハハハハハハハハハハハハハハ!!』

 呵呵大笑。
 僕の声はワルプルギスの悍ましい嗤い声によって掻き消されてしまう。
 口端を吊り上げ嗤う。哂う。笑う。

 魔女の哄笑と、蠢く様に軋みを上げる歯車の音が残響する。

 鼓膜を震わせる不協和音。大音量のヘッドホンを無理矢理装着されたように届く嗤い声が酷く不快だ。

 空気は一変し、途端に悪寒が走る。
 視界がぐらりと揺らぎ、辺りの空間が罅割れたかと錯覚するぐらいの嫌な感覚。
 世界が歪む。ぞっと言い知れない怖気が去来する。否応なく畏怖が押し付けられる。


『な……何、この気持ち悪い魔力は?』

 自身の身体を抱きしめ身震いする巴さん。

『…………やばい……あれは駄目だ』

 表情を強張らせ、掠れた声で杏子。
 基本的に勝ち気で、弱音を吐かない杏子をしてこの反応。

 恐怖に支配されたのか、筋肉が弛緩したかのように痙攣し力が入らない。
 これは僕だけではなく、巴さんも杏子も同様だろう。

 しかし、この場での停滞は、死に直結する。

『巴さん! 杏子! 一先ず撤退だ!!』

 張り裂けんばかりの大声で、雁字搦めになりつつある肉体に渇をいれると同時に、指示を送る。

『わかりました!』
『ああ、そうさせてもらう!』

 二人だって、今がどれ程危険な状況下にあるのかは理解している。
 今は逃げの一手しかない。

 だが、二人が行動を起こすより先に――更なる異変が起こった。


『え? 消えた?』
『おい、どこいった?』

 二人の視線の先に居たはずの、ワルプルギスの姿が忽然と掻き消えた。

 まだ逃げ出す前だったのだ。当然、魔女の一挙手一投足を見逃すまいと警戒していた――にも関わらず、魔女を見失ってしまった。
 逃げるべき対象を見失い、二人は動揺を隠せない。

 だが、実際は消えたわけではない――吸血鬼ぼくの眼に映ったのは、一瞬にして遥か上空まで移動したワルプルギスの姿だ。
 二人には認識できないほどの速さで、あの巨体を急上昇させたということだ!


 加えて言えば、ただ真上に浮上した訳ではなく――元いた位置から斜め上に、より正確に言えば、二人の魔法少女が居るビルの真上に移動していた。


 そして、そのまま――


『その場から離れろ!! どこでもいいから早く逃げるんだ!! 魔女が落ちてくる!!』

 僕は力の限り叫び、警告する!
 
 二人の反応は素早かった。
 僕が警告するまでもなく、彼女達も上空に漂う不穏な空気を感じとっていたのだろう。
 上空に移動したワルプルギスを確認することもなく、即座にビルから離脱する。


 しかし、ワルプルギスの落下してくるスピードは尋常ではなかった。

 離脱を図る二人の魔法少女。急降下してくる魔女の巨体。


 その場での待機を厳命されていたが、そんなことなど御構い無しに僕は飛び出した。
 鉄塔を蹴りつけた反動で加速し、吸血鬼の脚力を駆使して全力疾走する。
 頭に乗っていたキュゥべえを振り落としながら、ビル群を経由し、彼女達のもとへ向かう。 少しでも、一秒でも、一瞬でも速く! 

 二人は? 魔女に押し潰された?
 いや、ぎりぎり抜け出したのは辛うじて視えた。

 それとワルプルギスが、歯車を高速回転させた状態で、ビルに垂直落下していったのも。

 けたたましい音を響かせ回る歯車が、まるでドリルのような役割を果たし、ビルを粉々に粉砕したのだ。
 巴さん達がいたビルは一際高い高層ビルだったが――今は瓦礫の山と化し、完全に倒壊し見る影もない。
 粉砕された破片がそこら中に飛び散り――四散した残骸や、剥き出しの鉄骨、陥没した地面がその破壊力を物語っている。

 そして――破片とは言っても、その大きさは優に1メートルは超えるようなものがほとんどだった。

 砂塵が舞い視界の悪い中でも、僕の眼ははっきりとその光景が見えていた。

 理解する事は容易。

 辿り付いた着いた僕が目にしたのは――


 無残にも身体の一部が瓦礫に押しつぶされ、赤い水溜まりに沈む二人の少女の姿だった。


 折り重なるように倒れた少女達。
 その少女の上に、瓦礫が覆い被さっている。

 赤い。赤い。赤い水溜りが広がっていく。

 それが何を意味するのか……。

 目の前の惨状に、僕は絶句する。
 ドクンと大きく心臓が跳ねる。
 渦巻く感情に胸が締め付けるように痛む。


 ワルプルギスは既に再浮上しており、嘲笑うように哄笑を上げていた。







[27169] こよみハッチ~その15~(Walpurgisnacht)
Name: ミドリ◆02e976c9 ID:ea6cad15
Date: 2016/09/17 22:20
~097~

 僕がすべき事は、目の前の光景に絶望し立ち尽くすことではない。一刻も早く、彼女達を助けることだ。

 ともかく、まずは二人に圧し掛かるビルの破片を撤去しなくては。
 成人男性の背丈を越えようかというサイズの瓦礫を鷲掴み、手早くも慎重に持ち上げる。
 これほどの大きさであろうと、今の僕には発泡スチロールを持ったような感覚しかない。吸血鬼化していなければ、どう足掻いても動かすことはできなかっただろう。

「巴さん!! 杏子!!」

 テレパシーで繋がった感覚は途切れてしまっているので、声に出して必死に呼びかけるが…………反応はない。

 瓦礫を取り除いたことで、下敷きになっていた二人の姿が――惨状がはっきりと見えた。

 まざまざと。明瞭に。現実が目に飛び込んでくる。

 杏子に覆い被さるように巴さんが折り重なり倒れていた。きっと巴さんが、身を挺して杏子を庇ったのだ…………しかし、瓦礫の雨は、そんな二人を容赦なくまとめて、無慈悲に押し潰していた。

 程度の違いはあれ、両者共に損傷が激しく、目を背けたくなるような惨たらしい有り様。
 皮膚が破れ、肉が抉れ、骨が圧し折れ、内臓が潰され、止めどなく血液が溢れる。


 医療経験のない素人目に見ても、これは致死量に達していると断言できるほどの、おびただしい量の出血。致命傷だ。

 誰がどう見ても即死。
 助かる見込みは――――ない。




 だがそれは、“普通の人間”だったならばの話だ。

 そう。彼女達は魔法少女。
 
 ある時キュゥべえは言っていた。魔法少女の優れた“構造”について、悠然とした態度で語っていた。

 魔法少女の命――魂は、ソウルジェムに移し替えられている。
 故に、どれだけ身体の損傷が激しくても、それこそ心臓が破れ、ありったけの血を抜かれても、ソウルジェムさえ無事なら、魔力での修復が可能なのだと。

 人の命を物扱いする、忌避すべき理屈であったが――今はこの理屈に縋りつくしかない。
 心情的な問題は無視。命あっての物種だ。

 不幸中の幸いにして、二人のソウルジェムはまだどうにか輝きを放っている。
 穢れが進行しているようだが、微かな煌めきが見て取れる――正真正銘、命の灯だ。


 けれど、ソウルジェムが無事だからといって、手を拱いていたら本当に手遅れになってしまう。

 迅速かつ適切に対応しなければ。

 グリーフシードで穢れを取り除くにしても、先にこの傷の手当をしなければ何の意味もないのだが…………治癒魔法を扱える巴さんの意識がない。
 確か美樹も得意としていたはずだが、此処から避難所までは離れすぎている。ほむらはまだ近い距離にいるが……あまり治癒魔法が得意というイメージはないんだよな。

 それでも、魔力での治療行為と穢れの除去が必要になってくるので、ほむらと美樹にテレパシーで応援を頼むことにした。巴さん達の手持ちのグリーフシードが残っているか確認している暇はないし、もし無かった場合、予備を使わせてもらうしかない訳だし。

 が、なぜか美樹に繋がらない。感覚的な話なので説明しづらいが、巴さん、杏子のように強制的に繋がりが途絶えた訳ではなく――イヤホンの接触が悪い時みたいな感じなのだ。んー……距離的な問題だろうか?
 仕方なく、ほむらにだけ状況を伝えこっちに向かってもらうことにした。

 ただほむらもワルプルギスの変化に気が動転しているのか、反応が薄かったのが気掛かりだ。 

 そのワルプルギスはと言えば、どういう訳か、空高く浮遊したまま――目立った動きはない。



 ともあれ――今、此処にいるのは僕だけだ。

 しかし、救急隊員のように適切な処置が、僕に出来る筈もない。というか、この状態では、どんな名医であろうとお手上げだろう。

 今僕にできることは――違う。“僕にしかできない”ことをするんだ!!



 僕は覚悟を決め、意を決し“自身の左腕を引き千切った”。

 捩じ切られた傷口の断面から鮮血が飛び散り――

「ぐ……ぁ!!」

 歯を食いしばり痛みに耐えながらも、その血液をそのまま躊躇なく少女に振り掛ける。傷口から吹き出した血をシャワーのように浴びせかけた。

 常軌を逸する所業。実にスプラッターな光景――傍から見れば僕の行動は猟奇的な異常者であるが、別に僕の頭がおかしくなった訳ではない。

 これはれっきとした治療行為だ。
 もう今更言うまでもないが、吸血鬼の血液には治癒効果がある。

 しかも、この血は伝説の吸血鬼――鉄血にして熱血にして冷血の吸血鬼、キスショット・アセロラオリオン・ハートアンダーブレードの眷属としての僕の血だ。
 その治癒力は驚異的なもの。

 それと同時に、吸血鬼の再生力も発揮され、もぎ取った腕が消失し左腕が瞬時に再生――加え、僕の血液もほぼ一瞬で蒸発してしまう。

 なので、僕は繰り返し自身の腕をもぎ取り、血液の供給を繰り返す。血を流し続ける。

 その僕の自傷行為(治療行為)が実を結び――巴さんと杏子の傷がみるみる内に塞がっていく。
 傷跡も残さず、復元される。回復する。

 ふぅ……魔法少女の身体に効果があるか心配だったが、ちゃんと効果はあったようでほっと胸を撫で下ろす。意識は失ったままだが、これで急場は凌げたはずだ。

 だが、流れ出た血液が戻ることはない。
 肉体の損傷に関しての応急措置はこれでどうにかなったと思うが、やはり魔力での治療が必要だろう。


 普通なら絶対安静――あまり動かさないほうがいいのかもしれないが、穢れの進行具合も深刻だ。

 僕は少女をそれぞれ左右の腕で脇に抱え込む。
 二人の衣服は血塗れなので――その血がポタポタと垂れ、僕の服に沁み込んでいくが気になどしていられない。まぁ元々赤っぽいパーカーを着ていた事も有り、血痕も然程目立ってはいない。

 意識のない人間を二人同時に運ぶというのは思ったよりも難しく、かなり無茶な体勢になっているが猶予はない。
 僕は、ほむらとの合流を急ぐことにした。





~098~

 ほむらとの合流をはたしたのは、見覚えのある緑地公園の一角だった。
 街路樹が植えられ、舗装された石畳の遊歩道の道中に、ベンチが等間隔に設置されている。

 巴さんと杏子を芝生に寝転ばせ、ほむらが治癒魔法を唱え、グリーフシードでソウルジェムの穢れを取り除く。
 やはりほむらは治癒魔法が苦手なようで、気休め程度に治癒力を活性化させることぐらいしかできなかったようだ。
 とはいえ、巴さんは自己治癒力が高いし、杏子の傷は巴さんが庇ったお陰で比較的まだマシだったこともあり、容態は二人とも安定してきている。
 ソウルジェムの濁りもなくなり、徐々に力強い輝きを取り戻していた。
 念の為、美樹に魔法での治療を引き継いで欲しいのが、未だ彼女に対してテレパシーが繋がらない。それはほむらも同様で、その原因は不明だ。

 さて、どうにか一命を取り留めたが…………。

 二人を瀕死の重体に追い込んだ化け物は未だ存命している。
 しかも、どういう訳か魔力量が増大し、戦い始めた時よりも凶悪な魔女となっているのだから、状況は最悪だ。


 二人を強襲したワルプルギスはその後――遥か上空で浮遊しているだけで、進行する気配はなかった。どういうことかと思いよくよく観察してみれば、その理由は直にわかった。

 どうやら、魔法少女らの攻撃でボロボロに破損したドレスの修繕を行っているようだ。
 ワルプルギスの周りに人型の使い魔がひっつき、せっせとドレスの修復作業を行っている。
 一見、妖精が一生懸命洋服を仕立て直しているような、お伽噺の一風景を切り出したようなファンシーな光景である。

 破れたドレスで人前に出ることがお気に召さないとでもいうのだろうか……ワルプルギスなりの美意識ってやつか。元々は高貴な貴族だったのかもしれない。

 しかし、その修繕作業が完了したと同時、ワルプルギスは行動を再開するのだから、悠長に構えている暇はない。
 が、見た感じ、修復作業はそれほど速くはないのに加え、元々着ていたものより、豪華な衣装にするつもりのようで、ドレスのフリルが割り増しされ、群青色のドレスに金色の刺繍が施されていく。

 もうしばらくはあのままだろう。その間になんらかの対策を講じなければいけないのだが…………。


「それで、アレはいったい何なんだよ?」

「……知らないわ」

 ほむらは苦悶の表情を浮かべ俯いてしまう。
 弱々しい声音。焦燥の色が濃く、余裕がないのがありありと見て取れる。

 ほむらならば、何かしらの情報を持っていると思ったが、予知能力があるといってもこれは想定外の事象ってことか。

「これは意外だね」

 と、そこで介入者が現れた。
 のっそりと尻尾を揺り動かし、近付いてくる白い獣。
 僕の思考を読んだ訳ではないのだろうが、コイツも僕と同じ印象を抱いたようだ。

「てっきり君の事だから、知っているかと思っていたけど。そうか」

 のうのうとした訳知り顔で、一人納得したように頷くキュゥべえ。
 ん? そういえば――

「おい、キュゥべえ。さっき『正位置』がどうとか言ってなかったか!?」

「うん、そうだね。便宜上、そう呼称しているだけで、別に呼び方は何だっていいんだけどね」

 僕の質問に対し、またどこかズレた返答をしてくる。

「お前は、知っているのね。アレは何!? あんなもの私は見たこともない!」

 キュゥべえを睨みつけ、切迫した声で問い質す。
 ほむらの余裕のなさとは対照的に、キュゥべえは悠然とした態度で語り出した。

「『見たこともない』か。それは未知の存在に対して使うには、違和感がある言葉だ。この数十年、この日本に於いてワルプルギスの夜が現れた記録はない。誰にとっても、初めて相まみえる存在だ。でも、君の言動から推察すると――暁美ほむら。君は"過去"にワルプルギスの夜と戦ったことがあるんだね?」

 目を細め、ほむらの表情をじっくりと読み取るように視線を動かし――キュゥべえは確信する。

「やっぱりね。何となく察しはついていたけれど……君はこの時間軸の人間じゃないね。さっきの戦いも観察させてもらったよ。あれは時間操作の魔術だよね。まぁ僕の見た限り、時間を停止することは付与された一つの能力に過ぎない。君の魔法の本質は、時間を操作して過去に戻る『時間遡行』にある訳だ」

 半ば断定した物言いに対し、ほむらが反論することはなかった。

「僕が関与せずに魔法少女になったイレギュラー。不可解な言動の数々。鹿目まどかに対する異常な執着。僕の行動を先読みした妨害工作――点と点が線で繋がった。君の目的は鹿目まどかの運命を変えること、その為に同じ時間を何度も繰り返しているんだね」

 『未来予知』ではなく『時間遡行』。

 時間を跳躍し過去に戻れるなんて、そんな荒唐無稽な与太話…………信じられない、なんて感情は一切出てこない。寧ろ、それで辻褄が合う、納得いくことが多すぎる。

 彼女の言動を思い返せば、思い当たる節は幾らでも出てくる。欠けていたピースがピタリとはまったような気分だ。謎は全て……解けてないが、僕の中で、数々の疑問が氷解していく。


「………………絶対にお前の思い通りにはさせないわ」

 唇を噛みしめ無言を貫いていたほむらが、絞り出すような声音で宣告する。
 時間遡行について、キュゥべえと論じる気はないという意思表示。

 威圧的な言葉ではあったが、キュゥべえはまるで気にした素振りもなく――奴の弁舌は止まらない。

「そう言えば、『正位置』についた『ワルプルギスの夜』の説明がまだだったね。ねぇほむら。君が歩んできた過去の時間軸では、まどかは魔法少女になっていたんだよね? どうだった、彼女の力は? 物凄かっただろう?」

「それが……なんだと言うの? 私が知りたいのは、このワルプルギスのことだけよ」
「うん。だからね。君がこのワルプルギスの変化を知ることができなかったのは、恐らくまどかが要因となっているんだよ」

「…………それは……どういうことよ?」

「これまでにも『正位置』についた『ワルプルギスの夜』を観測したことはあるけれど、その回数は十にも満たない。出現する事自体珍しい魔女だし、対等に戦える魔法少女なんて限られている。過去の歴史を紐解いてみれば、ワルプルギスを『正位置』につかせた魔法少女は、英雄と呼ばれるような歴史に名を残すような逸材だけだ。君達もそういった快挙を成し遂げたんだから、その点は誇っていいと思うよ。そして、これは僕の勝手な考察ということは前提にして――ワルプルギスが『正位置』につく条件は、限界まで追い詰めることだ。ワルプルギスに危機感を抱かせたことで、本気にさせてしまった。まぁ単純に攻撃を繰り返したことで、怒らせてしまったと捉える事もできるけど」

 長い尻尾を揺らし、得意げに説明を始めるキュゥべえ。

「これを踏まえ、魔法少女になったまどかと『ワルプルギスの夜』が戦ったとすれば――一つの図式が成り立つ。まどかの魔法少女としての潜在能力は理論的に有り得ない規模のものだ。僕の視る限り、この歴史上最強の魔法少女になるのは間違いない。それも桁違いに突出したレベルのね。そんな彼女がひとたび力を行使すれば、例え『ワルプルギスの夜』であっても、相手にはならなかったことだろう。それこそ、一撃で『ワルプルギスの夜』を倒せるポテンシャルを秘めている。今回の戦いのように、相手を追い詰めるような戦いなんてなかったんじゃないのかな?」

 水を得た魚のように、ほむらの反応を楽しむように、嬉々として言葉を紡ぐ。

「まどかは規格外の力で手数を加えることなく――つまり魔女を追い詰める過程なく倒したのだとしたら? 当然、ワルプルギスは『正位置』につくことはない。うん、ワルプルギスを倒す方法としては、もっとも理にかなっている。まぁこんな芸当ができる魔法少女はまどか以外いないんだから、事前に知っていたところで、どうすることもできないんだけどね」

 事の次いでとばかりキュゥべえは更に言葉を連ねる。

「そして、ずっと不可解だった、まどかの魔法少女としての破格の力。なぜまどかがあれほど膨大な因果を背負っていたのか――今なら納得のいく説明ができる」

 自慢の研究結果を発表する科学者のような口振りで、一つの考察を披露するのだった。

「魔法少女としての潜在力は、背負い込んだ因果の量で決まってくる。それこそが魔法少女としての素質と言える。君の魔法――『時間遡行』の起点となっているのは鹿目まどかだ。君はまどかの運命を変えるため、何度も同じ時間を繰り返した。それが事象の揺らぎを生み、幾つもの並行世界を螺旋状に束ね、因果の糸を絡ませしまったんだろう」

 赤玉の瞳を妖しく輝かせ、淡々とした口調でキュゥべえは告げる。

 ほむらにとって、堪え難い真実を――

「まどかに繋がる複雑に絡み合った膨大な因果の糸――それを形成させたのは君だったんだ。お手柄だよ、ほむら。君がまどかの潜在力を引き上げてくれたんだ」





[27169] こよみハッチ~その16~(Walpurgisnacht)
Name: ミドリ◆02e976c9 ID:ea6cad15
Date: 2016/09/17 21:48
~099~

 自分のやってきたことで、救うべき少女の運命をより過酷なものにしてしまった。

 その真実が、重く圧し掛かる。
 悔しさもあるだろう。憤りもあるだろう。

 だが彼女は今、それ以上の無力感に苛まれているのだ。悪意ある言葉によって――失意のどん底に突き落とされた。

 ほむらは目を見開き、愕然とした表情で押し黙る。
 歯を食いしばり、握り込んだ手は微かに震えていた。

「こうなってしまったら、被害が拡大するのは間違いない。ワルプルギスは見滝原にとどまらず縦横無尽に暴れ回ることになる。壊滅する街は二つ三つじゃ済まないだろうね。どれ程の街が焦土と化し、どれだけの人間が死滅するのか、僕にも予想できない。当然、このままでは全滅だ。勿論、君達に勝ち目なんてない。この状況を打破できるのは、たった一人。『ワルプルギスの夜』を倒すことができる存在は鹿目まどかだけだ。彼女であれば、正位置についたワルプルギスとだって渡り合える。いや、圧倒することができるはずだ」

 事実を伝えるためだけの無機質な言葉。

「さて、暁美ほむら、君はどうするんだい?」

 選択肢を潰した上での問い掛け。

「頼りだった時間操作の魔術も使えない。残りの武器も僅か。マミも杏子も戦線離脱し、ワルプルギスは『正位置』についた。それでも――無謀だと解っていながら、ワルプルギスに立ち向かうのかい?」

 茫然自失としたほむらに向け、白い悪魔は心を蝕む猛毒を吐き続ける。

「或いは、このまま絶望に身を委ねるのか。うん、君たちはそうしてその存在を全うするべきだと僕は思うよ――それともまた性懲りもなく繰り返すのかい? まぁそれもいいだろう。君が繰り返せば繰り返す程、僕達が得られるエネルギーの総量は増えていく。そうやって鹿目まどかの因果はより強固なものに、絶対的なものへと昇華していく」

 唯一の活路であった時間遡行――だけどコイツは……ほむらがどう行動しようが、全てはインキュベーターの利益に繋がり、決して結末は変わらないと――言外に語っているのだ。
 執拗なまでに言葉で攻め苛み、抗えない運命を突きつける。自覚させる。理解させる。感情を誘導する。自暴自棄に追い込む。

 無力を知らしめ、無駄な足掻きだったのだと悟らせる。ほむらを絶望させるため。ほむらを絶望させて魔女へと墜とすため。

 彼女はもう前に進めない。
 戻ることもできない。

 ほむらがその場に膝から崩れ堕ち、声にならない声で慟哭する。
 キュゥべえが赤い瞳を禍々しく輝かせ、ほむらの行く末を見届ける。
 
 これがコイツにとって待ち望んだ瞬間。
 それがこの悪魔が描いた脚本シナリオだ。

 彼女の手の甲に張り付いた紫の宝石ソウルジェムが急激に濁り始める。黒い穢れを生み出す。

 キュゥべえの――インキュベーターの思惑通り、ほむらの心が折れ――




 ――させるかよ!


「待てよ! 勝手に話を纏めんな! まだ僕がいるだろうがぁあああああ!!」

 怒鳴るような蛮声を張り上げる。いや、実際僕の心は怒りの炎で燃え盛っていた。

 その声に反応し、ほむらがゆっくりと顔を上げ僕を見やる。

 放心状態。目は虚ろ。焦点が合っているのかさえ怪しく、酷く憔悴した面持ちで、その表情は今にも消えてしまいそうなほどに、脆く儚いものだった。頬に水滴を垂らし、唇が小刻みに震えている。
 いつもの凛としたクール美少女の面影はない。

「おいおい、どうしたんだほむら? この世の終わりみたいな顔して。今のお前、すごい情けない顔してるぜ。いつもの傲岸不遜なお前はどこにいったんだ?」

 僕は鼻で笑うような態度で言う。

「諦めの悪さが持ち味だと思ってたのに、何だよ、もう諦めちまったのか? ほむら。お前、何のために繰り返してきたんだよ?」

 心底呆れたと侮蔑を込め、僕は吐き捨てる。

「…………知ったような口をきかないで……あなたに……私の何がわかるっていうの?」

 確かな怒りを孕んだ声だが、その掠れた声音は酷く冷たい。
 どうやらほむらの逆鱗に触れたようで、射殺さんばかりの視線で睨みつけられる。

何がわかる……か。

 時間遡行。まどかちゃんを救うため、同じ時間を繰り返してきたって言われても、その全容は知る由もない。何度繰り返してきたのか、どんな出来事があったのか、検討もつかない。

 ただ一つ言えるのは、繰り返すってことは、その分それだけ失敗を繰り返したってことだ。挫折を味わい、もがき続けてきたってことだ。抗い続けてきたってことだ。

 たった一人で、孤独に。
 誰にも真実を打ち明けられず、理解されず繰り返す。それがどれだけ過酷な道で、どれほどの決意で彼女が歩んできたのか――僕には推し量ることもできない。

 だから――

「ああ、分かんねーよ。知らねーよ。だいたいお前が隠してきたことだろうが!」

 上っ面を取り繕って、同調することなんてできやしない。それは彼女に対する侮辱に他ならない。

「でもな、今、目の前でお前が苦しんでいることは知っている!!」

 僕は叫ぶ!

「……だから……なんなの?」

 一言、一言噛締めるように……一掃押し殺した声でほむらが呟く。

「さてな。まぁ少なくとも僕はまだ勝負を投げちゃあいないぜ」

「私たちが全力で挑み……未だかつて無い手応えがあった…………今度こそ倒せると……そう思った……でも、その結果は、ただ事態を悪化させただけ! あの膨大で凶悪な魔力……あなたは感じ取れないのでしょうけど……あんなの、もうどうすることもできなわ!!」

 僕の気休めにもならない言葉に、ほむらの怒りは増すばかりだ。
 涙を流しながら怒鳴りつけられる。感情を露わにする。

 確かにワルプルギスの発する、正確な魔力量なんて僕には感じ取れない。
 漠然と、威圧感やその脅威を感じ取れる程度だ。魔法少女は、はっきりと魔女の持つ魔力量を見極めることが出てきているのだろう。だからこそ、立ち向かう気力を根こそぎ奪われてしまった。
 絶対的な力の差を、感じてしまった。

「あなたに……あなたなんかに、何ができるっていうの!?」

 鋭く突き放すような声。
 希望のかけらも無い、冷たい眼差し。

 ま、そうだよな。僕に期待できる要素なんてない。
 吸血鬼化しても、戦力外に置かれている身の上である。

 ほむらからすれば 、相手の力量を知らず、無謀に息巻いている愚か者でしかない。

「何を今更馬鹿げたこと言ってんだよ? お前は僕のことなんか最初っから役立つなんて思ってなかっただろ?」

 そして、この開き直った態度もさぞ気に食わないことだろう。それがほむらの激情を煽る。怒りゲージは急上昇だ。


 "ほむらの如く"――怒りの火は激しく燃え盛っている筈だ!


 うん。鬱ぎ込むより怒っている方が似合っている。
 絶望は沈み込み、心に穢れを生む。対し、怒りは沸き立つものだ。まぁ憎悪だって穢れを生むのだろうが、絶望しているよりは断然いい。

 絶望とは停滞。立ち止まり諦めることに他ならない。
 だが怒りは行動に繋がる。前に進む力になり得る。
 だから後は"取っ掛かり"さえあれば、彼女はまだ歩き出せる。

 "希望"がある限り立ち向える。
 
 ほむらは強い心を持った奴だと――
 諦めの悪い奴だと――


 僕は知っている!!


「お前は僕と手を組んだ時から、そんなこと知っていただろうが」

「…………阿良々木暦。さっきから……あなたは何が言いたいの?」

 要領を得ない言葉で、煙に巻くような態度。ほむらはもう激怒寸前だ。
 返答次第ではただでは済まさない、そういった意志が滲み出ている。


「おいおい、忘れんなよな。お前がこれを切り札するって言ったんだぜ?」

 僕はそう言って、徐に影の中から一振りの刀を抜き出し、怪訝な表情を浮かべる少女に見せつける。

 長い抜身の大太刀。曰くつきの日本刀。怪異を殺す妖刀。怪異のみを抹殺する刃。掠り傷一つで、此の世ならざる者を屠る凶刃。魔女に対しても効果があることは、既に証明している。


 俗称『怪異殺し』――その銘を『心渡』という。

 そして僕は、いつか言った言葉を繰り返す。


「なぁ、ほむら――“この刀は”役に立つんじゃないのか?」





[27169] こよみハッチ~その17~(Walpurgisnacht)
Name: ミドリ◆02e976c9 ID:ea6cad15
Date: 2016/09/20 21:38
~100~

「……そうね、その刀は使えるかもしれないわね」

 ほむらが少し気恥ずかしそうに、そんな事を言った。

 魔女に対して、絶対の切り札となる『心渡』の存在。
 それに微かな活路を見出したほむらは――まだ感情の整理がしきれていないものの、どうにか気持ちを繋げることができたようだ。

 会話ができる程度には冷静さを取り戻したことで、僕の挑発まがいの言葉は、自分を奮起させるためのポーズだったと汲み取ってくれた。怒りも静まっている。

 そこから幾らか言葉を交わし――ほむらは僕に対しある問題点を指摘してくる。

「一太刀いれることさえできれば……ね。でも、その一太刀をいったいどうやっていれるつもりなの? 相手は空の上。それに、その刀ってあなたにしか使えないのでしょう?」

 ほむらの言う通り、『心渡』は吸血鬼専用にカスタマイズされているので、ほむらは扱うことができない。故に、僕自らワルプルギスの懐に潜り込み、接近戦を演じなければいけないのだが、その相手は空の遥か彼方。

 その対策が出来なければ話にならないと、ほむらは言いたい訳だ。

 吸血鬼化した今の脚力であれば、ジャンプして届かないこともないだろうが、今一つ自分の跳躍力の限界を把握し切れていない。加えて、真正面から飛び込めば、標的になる可能性が高いと、羽川に駄目だしされた案だ。いや、今までの戦闘を見た限り、ワルプルギスが迎撃の態勢に入ることはあまりなかったように思う。

 でも、やはり一足飛びでワルプルギスの元まで向かうのは、どうにも確実性に欠ける。目測で微調整できる距離じゃない。例えるなら、空を飛んでいる飛行機に対し、ピンポイントで着地することができるのかって話だ。うん、どう考えてもできそうにない。今は制止しているが、活動を再開して動き出す可能性だってある。

 全開でパンチを打ち込む特訓は事前にしたのだが…………少しぐらい空中で移動する術を身に付けておくべきだった。忍のように、羽を生やして自由に飛びまわることは出来なくても、忍の物質創造能力でハングライダー的なものを作ってもらえば、空を飛ぶ真似事はできたかもしれない――なんて今更後悔しても遅い。

 とはいえ、無策という訳でもない。大見得切ったのは僕自身。

「考えはある。うん、あるにはあるんだけど…………」

 だがろくに検討もしていない、ただの思い付きなので、いざ口にするとなると躊躇してしまう。

「何よ? 早く言いなさい」

 ほむらからの催促。
 馬鹿だと思われたらどうしよう。
 でも…………迷っていられる状況ではない。

「えっと、ほむら。まだ防衛ラインに設置したミサイルは残っていたよな?」
「ええまだ残っているけれど……それは、残りのミサイルでワルプルギスを撃ち落とす、ということ? 正直、アレに対して有効である気がしないわね」

「いや、そうじゃなくてだな…………そのミサイルに僕が乗っかっていこうかな……なんて」
「は? あなた馬鹿なの? 気は確か?」

 尻すぼみ気味に発せられた僕の提案に対し、ほむらが真顔で返してくる。
 馬鹿だと思われた! 正気を疑われた!

「いやいや、大丈夫。僕は正常だ」
「本気なの?」
「本気も本気だ。そんな心配すんなって」
「いえ、心配なんてしていなけれど」
「………………」

 おい、少しくらい心配しろよ。

「ともかく、吸血鬼ってのは常識外の生物、不可能を可能にする存在なんだぜ!」

 常識の枠に囚われるのは、吸血鬼にとっては愚行。一般常識は捨てるべきなのだ。やってやれないことはない!

「それに、お前だって戦闘機の上に乗ってたじゃないかよ。アレと似たようなもんだろ?」
「…………む」

 僕の言葉でほむらが黙る。客観的に自分の行動と照らし合わせて、思うところがあったのだろう。僕の提案は却下されることなく、検討の工程へと進む。

「でも、それは魔法での制御があって初めて成立することよ」
「うん。だからこそだ。ミサイルだってある程度は、魔法で弾道の補正ができるんだろ? それをお前に任せたいんだ」
「出来なくはないけれど…………普通に考えてあなたが爆散するだけよ」
「…………うん、それも承知の上だ。だけど僕は不死身だ。たかが一度の爆発ぐらいどうってことない。つっても、飛び移るなりして爆発には巻き込まれないようにするつもりだけどさ」

「…………そんなことが成功すると思っているの?」
「絶対成功するなんて言えやしないが、当たって砕けろだ」
「………………それは笑うところ?」

 何とも言えない微妙な静寂が流れる。僕の所為だけど。

「今僕が思いつく作戦はこれだけだ。やるしかないだろ?」

 玉砕覚悟――文字通りの意味で当たって砕ける可能性がある作戦で。
 正攻法でどうにかなる相手でもない。

 つーか、ほむらが戦闘機を使い捨てなければ、そっちを使えたのに…………なんて文句は胸の内に留めておく。

「…………元より、あなたに任せる他、選択肢はないのだし、あなた自身がいいと言うのなら、異存はないわ。それに賭けるしかない」



 これで一応、話は纏まった。

 ならばミサイルの設置された防衛ラインまで移動しなければならないが、その前に――

「なぁほむら。お前のソウルジェムかなり濁ってるぞ。さっさと穢れを除去しといた方がいいんじゃないのか?」

 魔力の消費だけでなく、心に負の感情を抱くだけでも穢れが溜まる。ソウルジェムの厄介な特性。難儀な代物だ。

「そうね」

 ほむらはそう言って、グリーフシードを取り出し、自身の手の甲に張り付いたソウルジェムに近づける。すると、共鳴するように音を立てながら、黒い霧状の物体がグリーフシードに吸い込まれていく。ソウルジェムの穢れは消え、元の透き通ったアメジストのような輝きを放ち始める。

 対し、穢れを吸い込んだグリーフシードは元々の黒より、なお一層どす黒く変色していた。
 このグリーフシードは、巴さんと杏子の治療にも使用したもの。

 三人分の穢れを溜め込み、魔女が孵化する閾値まで到達していそうだ。
 このまま持ち歩くのは危険だな。

「ほむら、パス!」

 主語のない言葉でも、意を汲んだほむらが、グリーフシードを僕の目の前に放り投げてきた。
 それを慣れた動作で斬り伏せる。


 長い刀身で扱いにくいが、僕も徐々に刀の扱いに慣れてきた。いや、吸血鬼化したことで身体能力やら動体視力が向上しているお陰か。

 グリーフシードは刀が触れたと同時に消失していた。
 うん、正常に機能している。グリーフシードを処理するお手軽な方法だ。

「ふーん。なるほどね。そうやって処理していたんだね」

 と、僕らのやり取りを観察していたキュゥべえが、興味深そうにしている。
 そういや、こいつに直に見せたことはなかったな。とは言っても、随分前から大よそのことは知っていたようだし、今更である。もう隠す必要もないのだし。

「『心渡』か。阿良々木暦。それを僕に預ける気はないかい? 調べてみたいんだけど」
「ねーよ! よく臆面もなくんなことが言えるな!」

「そうか、それは残念だ」

 図々しいとも違うが、こいつの神経はどうなっているんだ? 吃驚するわ!

 僕の中で、この害悪生物を斬りたい衝動が芽生えてくる。勿論、心渡でだ。
 うん、悪くない。心渡で斬ってしまえば、存在そのものを抹消できる――かもしれない。

 しかし、キュゥべえが怪異に属するかと言われれば、違うような気がする。
 でも物は試し、やってみるか?

 いや、待て待て。
 もし心渡の効力が作用し、キュゥべえを抹消できたとしたら、それはそれで問題だ。
 後々の交渉も残っているし、グリーフシードの処理然り、キュゥべえにしかできない役目があるのは確かなのだ。一時の感情に身を任せてはならない。我慢だ我慢。

 それに、どうせ斬ったところで、別の個体が出てきてお終いだろう。
 こいつは同時期に複数体で活動しているのだ。その末端の一部を斬ったとしても、全体に効果が及ぶとは考えにくい。
 核となる部分を直接斬ればいけるかもしればいが、その中枢が存在しているのかも判然としない。
 謎多き生物だ。

 ん? 何か引っ掛かる。なんだこの嫌な感覚は?

 キュゥべえの生態に関しては、既に把握していていた…………複数体、同時に――行動できる。
 他の場所でも、現在進行形で行動している。それは間違いない。

 だとしたら……こいつが此処にいるからと言って――


 そうだ。
 キュゥべえが狙っているのは――
 インキュベーターの最大の目的は――

 鹿目まどか――まどかちゃんとの契約だ。彼女を魔法少女にすることを最優先に動いている。
 なのに……この策略家が、何もせず静観しているだけなんてことが有り得るのか? そりゃほむらを魔女にしようと画策して、間接的に動いてはいたがそれだけでは不十分だ。

 だってそうだろう。
 もし僕達がワルプルギスの夜に対抗できなかった場合、間違いなく避難所にいる人間の命もない。
 そうなった場合、まどかちゃんも巻き込まれて命を落とすことになる――しかし、それはキュゥべえにとっても痛手だ。そんなこと看過できないだろう。

 このままではワルプルギスによって全滅――キュゥべえだってそうなる前に手を打っておかなければ…………。

 いや違う。既に手を打っているからこそ、キュゥべえは余裕綽々の態度で傍観者を気取れているのだ。

 だがこれは憶測だ。まだ確定したわけじゃ…………美樹に様子を見てもらえればいいのだが、テレパシーが繋がらない…………いや、これも――

「マズい……ほむら! まどかちゃんと連絡取れないか!?」
「まどかに? なぜこんな時に…………あ」

 ほむらも直に"僕の言わんとする可能性"を察したようで、息を呑む。
 ほむらがテレパシーでの会話を試みようとしているが、その表情から見るに――上手くいかないようだ。

「キュゥべえ! お前の仕業か!?」

 僕達を静観するキュゥべえに、怒鳴りつけるように問い質す。

「それはテレパシーが繋がらない原因のことを言っているのかな?」
「それ以外にねーだろ!」
「そうだね。僕が干渉させてもらっているよ」
「いったいどういうつもりだ!?」
「交渉の邪魔をされたら困るからね。念の為の処置だよ」

 悪びれる様子もなく、いけしゃしゃと自分の仕業だとのたまうキュゥべえ。

 嫌な予感は的中ってことか。

「まどかちゃんと契約したってのか?」
「いや残念ながらまだ交渉段階だ。まぁそれも時間の問題だろう。彼女も既に、この窮状を把握しているからね」

 ならまだ間に合う。が――その言葉を聞いたほむらが、血相を変えキュゥべえに詰めよった!

「まどかに何を吹き込んだの!?」

「何てことはないよ。僕と一時的に視覚と聴覚をリンクして、ワルプルギスとの戦い――それとさっきのやり取りをそのまま、まどかに視てもらっただけだ。彼女も強くそれを望んでいたからね」

 ってことは僕たちが苦境に立たされていることも、ほむらの秘密も知られてしまったのか……まだどういう風にまどかちゃんが受けとめているのか分からないが、キュゥべえの口振りから察するに、今この瞬間にだって、契約に踏み切る可能性はあるということだ。 

 ワルプルギスに立ち向かえるのが自分だけだと、そう思っているのかもしれない。


「まどか! まどか!!」

 ほむらが取り乱し、声を出して懸命に呼びかけるが、キュゥべえの妨害によってその声が届くことはない。 
 くそ、どうする。どうすりゃいい? キュゥべえに対し言葉で説き伏せることなんて出来っこない。

 落ち着いて考えろ。冷静になれ。
 避難所まで全力で向かえば?

 いや、そんなことより、もっと手っ取り早い連絡手段が残されているんじゃないのか?
 生憎、僕は置いてきてしまったが……。

「ほむら。お前携帯って持っていないのか?」

「え? 携帯?」

 僕の言葉に、きょとんとした様子で静止するほむら。全く頭になかったらしい。
 そして、ごそごそ盾の異空間に手を突っ込み、中から鞄を――その中から携帯電話を取り出した。
 現代っ子にとって、携帯電話は切っても切れないものだ。

 すかさず、携帯を操作して電話を掛ける。数回の呼び出しを経て――

『……ほむらちゃん?』

 繋がった! 文明の利器さまさまである。

 携帯電話の受話口から、まどかちゃんの声が聞こえてくる。吸血鬼イヤーで二人の会話を聞き漏らすことはない。
 
 しかし、その声が少し涙声なのが気に掛かる。

「まどか!! 傍にキュゥべえが居るのね?」
「うん……居るよ」

 やはりか……同じ地域には姿を現さないようにしているとか言っていたのに…………いやそんなの遵守する筈ないとは重々承知している。
 だがこれは、キュゥべえも切羽詰まっている証拠だ。
 ここにきてテレパシーに干渉してきたのも――強硬手段を用いてまどかちゃんとの契約を結ぼうと躍起になっているのだ。

 だが、そんなキュゥべえの事情はどうでもいい。
 今はまどかちゃんの心境――彼女がどう行動にでるのかが問題だ。

『あのね、ほむらちゃん……わたし、みんなの力になりたいの』
「駄目よ! そいつと契約なんて!!」

『……でもわたしが魔法少女になれば、あの魔女だって……やっつけることができるんでしょ?』
「あなたが戦う必要なんてないわ……ワルプルギスは私達の手で倒す」

『…………本当に倒せるの?』
「ええ心配なんていらないわ」

『嘘だよ……わたし、ずっと視てたんだよ……マミさんも、杏子ちゃんも……死んじゃうところだった………………』
「だとしても、まだ手は残っているわ。絶対にどうにかしてみせるから」

『無茶だよ………………もう、やなの…………誰かが傷つくのは…………』

 まどかちゃんが、涙ながらに訴えてくる。
 あの戦いを見たというのなら…………楽観的に考えることなどできやしないだろう。ほむらの言葉は気休めにもならない。劣勢にあることは間違いないのだ。

『ほむらちゃんは……ずっと辛い思いを繰り返してきたんだよね? でもね…………わたしのためにほむらちゃんが苦しむことなんてないんだよ?』
「…………それは」

『魔法少女になったら、命懸けで戦わなくちゃいけないことはわかってる。でもこんなわたしでも力があるのなら、その力をみんなの為に使いたい。みんなを守りたい。ほむらちゃんと一緒に戦いたい!! だから』

 決意の込められた言葉。
 自らの犠牲を厭わない、彼女の気高くも優しい心が伝わってくる。

 だが、彼女は魔法少女が逝きつく先を知らない。魔女の正体を――まだ知らされていない。
 それはキュゥべえが作為的に情報を統制した結果だ。だが、ほむらだって、魔女化の事実を伝えることなどできはしない。
 加えて、ワルプルギスに苦戦をしいられている状況下では、まどかちゃんを説得するのも難しい。

 危機的状況であればある程、まどかちゃんの使命感は強くなる。
 ワルプルギスに立ち向かえるのは、自分しかいないと考えてしまう。


「駄目よ……お願いだから……あなただけは…………」

 こうなってしまえば、ほむらは嘆願することしかでない。

 互いに互いのことを想いあっているからこそ生まれたすれ違い。

 彼女の決意は揺るがない。既に覚悟も完了している。


『ほむらちゃん、ごめんね。わたし魔法少女に――』


 もう誰にもまどかちゃんを止めることはできない――


 そう思った――その瞬間。


『その必要はないわ』


 まどかちゃんの言葉を遮るように発せらた何者かの声。
 電話越しということもあり少し聞き取り辛いが、女性であることは判別できる。

『え? ……あの』

  突然声をかけられ、まどかちゃんが戸惑った様子で狼狽えている。

『勝手なことをしないでもらえるかしら』

 その何者かが、距離を詰め接近してきたからだろうか、幾分声がクリアになる。
 あまり友好的とは言えない、冷たい声だ。


 というかその声は、物凄く聞き覚えのある声だった。






[27169] こよみハッチ~その18~(Walpurgisnacht)
Name: ミドリ◆02e976c9 ID:ea6cad15
Date: 2016/09/24 18:21
~101~

『ちょっと待ってね、ほむらちゃん』

 電話しながらその相手と話すことは失礼と判断したのか、慌ててほむらに一声かけるまどかちゃん。電話は繋がったままなので声は拾えるが、幾分声が遠のいた……。

 その為、ほむらにはむこう側のやり取りが聴こえなくなる。だが間を置かず、携帯を持っている手に、空いている反対の手を添え魔法を発動したようだ。多分、一時的に聴力を強化しているものと思われる。


『……あの――』

 その一方――まどかちゃんが恐る恐るという態度で、その相手に話しかけようとしていた。

 が。


『ぶっ殺すわよ』

『ひっ……ご、ごめんなさい!』

 殺意の込められた暴言を浴びせられ、まどかちゃんは恐怖のあまり謝罪する。
 そりゃそうだ。誰だってそうする。僕だってそうする。
 ただ、その発言の所為でほむらの目が据わり、一瞬にして剣呑な雰囲気に――

『あぁ違う違う。勘違いしないで。後半の言葉は貴女の足元にいる畜生に言った言葉よ』

 なりかけはしたものの、早合点だと解り元の表情に戻った。だが視線は依然として鋭いままだ。会話を聞き漏らすまいと、警戒した真剣な面持ちである。

『そ、そうだったんですね…………よかった…………えっと、戦場ヶ原さん、ですよね?』
『あら、覚えてくれていたのね』
『はい、それは勿論…………あ……なにも踏みつけることは……ないんじゃ……』
『何?』
『いえ、なんでもないです』

 聞き覚えのある声だと思ったら、やはり戦場ヶ原ひたぎだったか。
 そして、現在キュゥべえが戦場ヶ原に踏みつけられているらしい。多分、内臓が飛び出てもおかしくないレベルで容赦なく(キュゥべえに内臓なんて器官があるのか知らないが)。

 その光景を見たまどかちゃんは、完全に萎縮し怯えきっていた。大型の肉食獣を前にした、小型の草食獣の構図である。一瞬にして上下関係が構築されていた。絶対強者としての威圧感を戦場ヶ原は備えているのだ。

 しかし――なぜ戦場ヶ原がこんな場所にいる?
 もう見滝原病院への通院は終わっているはずだし、偶然で見滝原に来るわけがない。

 だとしたら……僕のことが心配で陰ながらついてきたのか?
 まぁ僕達は恋人同士であるのだし、その想いは素直に嬉しいが、危険な場所に来てほしくはなかったって気持ちの方が強い。

 いやでも何か引っかかる。どうしてこんなタイミングで現れたんだ?
 まるで――ずっとまどかちゃんの動向を見ていたようじゃないか。


『それで……その……戦場ヶ原さんはわたしに何か話が?』
『それはもう伝えたはずよ。貴女が魔法少女になる必要はないって』

 どういう訳か、戦場ヶ原がまどかちゃんの説得に乗り出してくれていた。
 それは大変有り難いことだが、なぜそんな役回りを?
 くそ……上手く状況が飲み込めない。

『でも……わたしが魔法少女にならないと、みんなが危ないんです!』
『その判断は早計ね。というか邪魔をしないで』

『邪魔って……わたしが一緒に戦っちゃ、足手まといになるってことですか?』
『貴女がどれほどの力を持っているのかなんて知らないけれど、あの程度の相手、阿良々木君だけで十分事足りるわ。私の彼氏の見せ場なんだから、援護も不要よ』

 僕だけで十分とか見せ場とか、何を言ってくれているんだこの女!?
 っつーか僕が今からワルプルギスに挑むってことをなぜ知っている!?

 キュゥべえ辺りが一枚噛んでいるのか?
 でも、まどかちゃんを止めようとしているから…………そうではないのか?

 ますます戦場ヶ原の思惑が分からなくなってくる。



『暦お兄ちゃんが……戦うんですか?』

 ん? なんだこの反応は?
 まどかちゃんは、僕が『心渡』を用いて戦うってことを知らないみたいだ。

 ああ、そうか。そんな情報があったら、まどかちゃんの決心が鈍るもんな。そう判断したキュゥべえが意図的に伝えなかったのだ。
 まどかちゃんが把握しているのは、ほむらが戦意喪失し消沈したそのあたりまでだろう。
 こすいことをしやがる。

 だが、ミサイルに乗って突貫するつもりだなんて無謀な考えを知ったら、心優しいまどかちゃんなら僕の身を案じて、全力で止めてきそうだ。

『ええ、だから貴女が出る幕はないの。おわかり?』

『……本当に大丈夫なんですか?』
『彼が本気を出せばね、この世界で最強の存在なのよ』

 不安気に尋ねるまどかちゃんに、戦場ヶ原は当然だとばかりに即答する。とんでもない過大評価だった。どれだけ僕のハードルを上げりゃ気が済むんだ!?

『そう……ですよね。マミさんも言ってました。暦お兄ちゃんは、物凄く強いんだって。どんな魔女でも相手にならないって。マミさんが、全く歯が立たなかった魔女も、暦お兄ちゃんが代わりに倒してくれたって。今回も絶対にどうにかしてくれるから、安心していなさいって言ってくれました…………そっか……暦お兄ちゃんが戦ってくれるんだ』

 だが、まどかちゃんは戦場ヶ原の発言を否定することもなく、受け入れていた。一人納得していた。

 でもそれは、戦場ヶ原の言葉に納得したからではないのだろう。

 巴さんがまどかちゃんに訊かせた、『僕の活躍』が下地にあってこそである。
 つまり、伝説の吸血鬼やら僕への過剰な信頼で、ふんだんに装飾され、盲目的な補正のかかった話を訊かされていたからだ。
 まどかちゃんにとって、理想の先輩である巴さんが語る、英雄ヒーローとしての僕。

 巴さんは、まどかちゃんにいったい何を吹き込んだのだろうか…………僕の評価が限界突破しているからな。巴さんの中での僕は、攻撃の効かない無敵の魔女(暗闇の魔女)を、一瞬にして一刀両断した最強の吸血鬼だ。でも、あの戦いを演じたのは忍なので、この評価は勘違いの産物である。

『そうよ。で、ちゃんと阿良々木くんに任せるってことで、納得できたのかしら?』
『……は、はい』
『どうも貴女は信用ならないわね』
『……そんなことは』

『なら、もう勝手に契約しないと、約束できるの?』
『わかり……ました。約束します』

 戦場ヶ原が半ば強制的に、そんな約束をとりつける。まぁこれはまどかちゃんのことを慮ってのことなのだろう。戦場ヶ原は魔法少女になった少女達が辿る結末――魔女化についても知っている。取り返しのつかない、破滅の道に繋がっていることを知っている。

 それを阻止するために動いてくれているのだ。でもこういった気の回し方……あまり戦場ヶ原っぽくはない。ってことは羽川が頼んでくれたのだろうか? 真相はわからないが、ナイスな働きである。

 口約束なので、なんの『強制力』もないが『抑止力』にはなる。
 
『そう――なら早く伝えてあげれば? 待たせているのでしょう?』

 戦場ヶ原が珍しく気を使って、まどかちゃんに言う。

『あ、はい。そうですね――――ほむらちゃん。待たせちゃってごめんね』

 戦場ヶ原とのやり取りは終わり、まどかちゃんとほむらのやり取りが始まった。

「いえ、それはいいのだけど…………本当に思い留まってくれたの?」
『あ、聞こえてたんだね。うん、私も役に立ちたかったけど……』
「その気持ちだけで十分よ」

 安心した表情で、大きな安堵のため息をつく。

 そこからまどかちゃんが気遣う言葉をかけ、ほむらがそれに短く応える――なんてやり取りを繰り返す。それだけでほむらの表情が、強張った顰め面から温和な柔らかいものへと変わっていく。
 僕には決して見せることはない類の顔だ。

 が、しかし。

『ほむらちゃん……ちょっとだけ暦お兄ちゃんと代わってもらってもいいかな?』
「え?」
『少しだけお話しがしたいんだけど』
「……………」
『あ、別に無理にってわけじゃ』
「……いえ……少し待って」

 それもつかの間。表情がみるみる険しくなっていった。

 憮然とした面持ちで、ほむらが携帯を突き出してくる。
 嫌々、渋々といった感情を隠そうともしない。親の仇を見るような鋭い眼差しで僕を睨み付けてくる。大切な語らいのひと時を、阻害する疎ましき存在に見定められていた。

 あと、携帯を力一杯握り締めいているのか、手がプルプルと震えている。
 僕に携帯を渡すまいと、全力で抵抗していた。今にも握力で携帯を握り潰しそうだ。
 どんだけ嫌なんだ……。

 それでも、どうにかこうにか携帯を借り受けることができた。
 依然として、ほむらが恨みがましい視線を向けてくるのが気になる。というか殺されそうで怖い。


「もしもし、まどかちゃん。僕だけど」
『暦お兄ちゃん!』

 僕の声を訊いたまどかちゃんが、少し明るい声を上げる。
 彼女もずっと不安だったのだ。

『……その、こういう時なんて言ったらいいのか、上手く言葉が出てこないんですけど……頑張って下さい』
「うん」

『絶対に負けないで下さい!』
「うん」

『わたし信じてますからね!』
「おう、僕に任せとけ!」

 まどかちゃんの激励の言葉に、僕は威勢よく応えた。
 心の奥底から力が湧き出てくる。

 分が悪い戦いなのはわかっている。
 それでも、僕がどうにかしなくちゃならない。
 僕がワルプルギスを倒せなければ、今度こそまどかちゃんは、魔法少女になってしまう。

 もともと負けられない戦いだったが、俄然やるしかなくなった。


『それはそうと驚きました』
「あぁ……そうだよね。戦場ヶ原が突然来たもんな。いやーごめんね。あいつが迷惑かけて」

 ほんと、心臓に悪い。
 まどかちゃんと戦場ヶ原は数回顔を合せた程度で、ほぼ交友はない。毒素が強いので、まどかちゃんのような免疫のない子には、あまり近づいて欲しくないな。会話しないで距離をとるよう忠告しておくか。
 なんて思案していると――

『迷惑だなんてことは全然ないです。あ、でもわたしが驚いたっていうのは、そのことじゃなくて』

「ん?」

 じゃあ何に驚いたんだ?
 キュゥべえを出会い頭に蹂躙したことか? うん、確かに驚きの行動だ。

 まぁそういった戦場ヶ原の突飛のない行動(いっそ、奇行と言い換えてもいい)は、ほとんど面識のない――『戦場ヶ原ひたぎ』の生態を知らないまどかちゃんにとってみれば、驚きの連続だろう。

 ほんと、読み切れない。制御もきかない。予測不可能。破天荒で傍若無人。
 僕も、未だ慣れない。予想外の言動には困惑するばかりだ。

 だが、それでも僕は見誤っていた。
 戦場ヶ原ひたぎという女のことを、知ったつもりでいた。


 まどかちゃん自身はただの何気ない会話の延長。僕を驚かせるつもりなんて一切なく――僕は知っていることだと思って発したのだろうが…………死角から鈍器で殴りつけられたような衝撃を受けた。

 驚きを通り越して、頭が真っ白になる。



『戦場ヶ原さんも、魔法少女だったんですね!』



「…………………………え?」







[27169] こよみハッチ~その19~(Walpurgisnacht)
Name: ミドリ◆02e976c9 ID:ea6cad15
Date: 2016/11/07 14:23
~102~

 戦場ヶ原ひたぎが魔法少女になった。
 現実味のない悪い冗談。到底信じることなどできない。

 しかし、まどかちゃんが僕に嘘を吐くメリットはどこにもない。であれば、ただ勘違いしているってのが一番有り得そうだ。うん、そうだ。そうに違いない。まどかちゃんが何を見てそう判断したのかもわからない状況だし、僕だって実際に確認していないのだから。

 第一、あれほど魔法少女になった子達のことを悪し様に罵っていた奴が、魔法少女になる理由がわからない。

 呆気にとられつつも、何かの間違いだと判断した僕は、詳しい情報を訊き出すべくまどかちゃんに説明を求めようとした――――が、僕が言葉を発する前に電話は切られていた。
 まどかちゃんが一方的に切るとは思えないので、十中八九戦場ヶ原の仕業だろう。
 ほむらに頼んで掛けなおして貰ったが、電源も落とされていた。

 話すつもりはないという明確な意思表示。

 ならばと、まず間違いなく詳細を知っているキュゥべえを問い質してみた訳だが――

「うん。戦場ヶ原さまと契約したのは間違いないよ。彼女が魔法少女であることは僕が保証するよ」

 キュゥべえは自身の手柄を誇るようにそう言うのだった。
 戦場ヶ原が魔法少女になったのは、紛れもない事実だと断言したのだ。

 けれど、戦場ヶ原の支配下に置かれたキュゥべえが、それ以上の情報を寄越すことはなかった。
 どうやらきつく口止めされているらしい。

 なので、戦場ヶ原が何を願い、何のために魔法少女になったのか、真相は全くわからない。予測するのも困難だ。

 あと、『戦場ヶ原さま』という不穏当な呼び方のせいで、元々戦場ヶ原の存在に懐疑的であったほむらに、余計な猜疑心を与えることになり、釈明するのに時間をとられてしまった。
 まぁ大切な保護対象の傍に、キュゥべえに様付で呼ばれるような奴がいたら気が気でないだろうし、これは致し方ない。
 キュゥべえの野郎……わざとやってんじゃねーだろうな。

 ともあれ、この場でこれ以上の情報を得ることはできそうにない。
 頑なに口を閉ざす相手に、それ以上追及しても時間の浪費にしかならないだろうし…………気になってしょうがないが――頭を振り、気持ちを切り替える。

 今は目の前のことに集中しなければ。ワルプルギスの修復作業もそろそろ終盤に差し掛かっている。
 猶予は残り僅か。魔女が動き出す前に勝負を決めなければ!






 そして――僕達はミサイルの設置された最終防衛ラインまで移動し(気を失った巴さと杏子も移送済みだ)、決戦の準備に取りかかっていた。地対空ミサイルの最終調整もほぼほぼ完了済みである。

 僕の提案した『ミサイルに乗って突撃大作戦』。
 自分自身で正気を疑う作戦であるが、もう後には退けない。不退転の覚悟で臨むだけだ。

 作戦に使用するミサイルの正式名称や詳しい性能は不明だが、かなり大きいサイズだった。
 筒型の発射装置ではなく――小型のロケットを打ち上げるようなタイプ。
 濃緑色の軍用トラックに積載されており、物々しい雰囲気を醸し出している。
 この他にもトラックに積まれたミサイルはあるようだが、撃墜目的ではなく僕の移送用なのだから、使用するのはこの一機だけだ。

 最終防衛ラインということで、それなりに兵器の配備も充実しているようで、見たこともない用途不明の機械(観測機のようなもの)がずらりと並んでいる。


 さて、流石にそのままではミサイルに乗ることは難しそうなので(そりゃそんな設計にされている訳がない)、ほむらの魔法で改造してもらっていた。

 魔法があれば、大抵の事はどうとでもなる!

 ほむらの魔法によりミサイル弾頭付近に、窪みのある突起物が左右対称に設置されていた。
 見た目は、細長い魚の頭部に猫耳がついたような感じ。もっとマシな例えができればよかったのが、パッと見のイメージなので許して欲しい。

 ほむらの魔法により創り出された、付属装置アタッチメント
 一見ただの装飾にしか見えないが、これには僕の運命を左右する重要な機能が隠されている。 

 よし、早速性能を確かめてみるとしよう。

 その突起物の窪みに左右それぞれの手を差し入れる。内部が空洞で棒状の物体が通されており、しっかりと握れる構造となっている。

 うん、これがあれば安心だ! なんて心強いんだろうか!

 名前をつけるとすれば――姿勢制御安定装置。
 これで滑り落ちることなくミサイルにしがみつくことができる!


 又の名を『取っ手』という。
 頑丈に接着された取っ手である。
 特にボタンのようなものがあるわけでもないし、まして操縦桿ってことでもない。

 ただただ握りやすさに特化した性能。

 取っ手以外の機能なんてあるわけがない!
 だって取っ手なんだもん!

 勢いで改造なんて言ってしまったが、時間もないし即席でできることなんてこの程度だ。
 魔法も万能の力ではないということ。贅沢は言えないけど、正直心もとないな。

 しかし、これがなかなか馬鹿に出来たものではない。
 ミサイルの凹凸のない流線型のフォルムに取っ手があるだけで、安定性が段違いだ。

 
「準備はいい?」
「おお! いつでもいけるぜ!」

 ほむらの作成した取っ手を強く握り込み、大股を開いてミサイルにしがみついた体勢。
 巨大な柱を抱えているような間抜けな姿だ。コアラスタイルである。

 両手でしがみついているため、『心渡』は一時的に忍に返却している。

 ちなみに忍は呑気に観戦モード。忍野に施された封印の影響で、影の外に出てもすぐに影の中に吸引されてしまい、戦いに参戦することはできないため仕方がないことだが…………それにしても、まるで危機感がない。余興程度にしか感じていないようだ。
 眷属としての僕に対する過信ぶりは健在らしい。まぁこのスタンスは前々からだし諦めるしかない。


「本当にいいのね?」

 念を押して、確認してくるほむら
 ミサイルを発射するほむらの心情を鑑みれば、ある意味、自らの手で知り合いを崖から突き落とすようなもんだ。まぁ落下するのではなく、上昇するんだけどね。

 もし自分の操作したミサイルで、僕が弾け飛んだら目覚めも悪いだろう。気分のいい役目ではあるまい。

「ああ、問題ないよ」

 実際には問題だらけだったが、努めて平静に僕は言う。
 自分で立案した作戦だが、怖いものは怖い。正気の沙汰じゃない。内心びびりまくっている。
 僕は完全無欠の超人などではない。小心者であり、臆病な人間だ。

 けれどここで弱音を吐いても、僕たちの士気が下がるだけ。ほむらも臆病風を吹かせる奴に、命運を託したくはないだろう。

「しっかし、杏子には怒られるだろうな」
「杏子に?」
「ほら、心渡で斬ると、纏めてグリーフシードも消えちゃうだろ。それが一番の気がかりだ」

 正直に言えば、これは恐怖を紛らわすただの強がりだ。
 でも、僕の軽口を聞いたほむらが微かに笑った。鼻で笑っただけかもしれないが、珍しいことだ。

「そうね。随分と楽しみにしていたようだし、ただでは済まないでしょうね。ちゃんとあなたが謝りなさいよ」

 我関せずの態度。つけ離すような冷たい言葉。

 うん、ちゃんと受け取った。彼女らしいエールである。
 ワルプルギスを倒し、自分の口から謝れと、そう言ってくれているのだ。

 さて、気合も入った。腹も括った。

 標的を見据える。まだ忙しく使い魔がドレスの修復に従事している。よし絶好のチャンスじゃないか! この機を逃す手はない!

 言うなればこれは、魔法少女の変身シーンに攻撃を仕掛ける、セオリー無視の禁じ手であるが知ったこっちゃない。律儀に待ってやる必要などあるものか。

 変身中に奇襲を仕掛ける。
 そして切り札となる、掠り傷一つで魔女を抹殺するチートアイテム。

 僕は正義の味方ではない。
 ここは僕の敬愛する『策士』に習うとしよう。


「さぁ正々堂々手段を選ばず、真っ向から不意討ってやるぜ!」








~103~

 僕の合図でミサイルが発射された。
 当然そのミサイルに抱きつき、張り付いた僕諸共にである。
 宇宙に旅立つ宇宙飛行士のように、僕は打ち上げられたのだ。

 まぁ外気に晒された状態で、何の救命装置も搭載されておらず、そもそもこのロケット(ミサイル)は爆発することを前提に造られている訳だが…………そこは吸血鬼の不死性で補うしかない。

 ジェットコースターの比ではない急加速。
 全身を揺さぶる激しい振動と、未だかつて体験したことのない負荷。
 ジェット噴射の轟音と、空気を突っ切る風切り音。

 早い早い早い!
 怖い怖い怖い!
 死ぬ死ぬ死ぬ!


 その三つのことで頭の中が埋め尽くされる!

 振り落とされないよう、必死にしがみつく。
 風圧のせいで息をするのもままならない。風除けぐらい作ってもらうべきだった!

 だが発射の瞬間に比べ、飛行中は思ったよりも安定していた。異物(僕のことだ)がくっついていたら、弾道が狂いそうなものだが、そこはほむらが上手く調整してくれているのだろう。

 タンクローリーほどの大きさの物体でも操作できるのだから、ミサイルだって問題ないはずだ。彼女の力を信じよう。


 よし、心に余裕が生まれてきた。
 ぐんぐんとワルプルギスに迫っていく。しっかりと目視確認もできている。

 速いは速いが、十分対応できる速度だ。
 今の僕は、伝説の吸血鬼と同等のポテンシャルを秘めているのだから。

 肉体の強化は勿論のこと、動体視力や空間の把握能力、その他諸々、全パラメーターが上昇していると考えていい。まぁ知力に関しては据え置きだが、それは置いておいて、ミサイルの弾道――軌道も自然と頭に浮かぶ。何となくだが――わかる。

 直撃コースではない。軌道がやや上に逸れているのは、そのまま突っ込んで爆散しないようほむらが操作してくれているのだろう。ミサイルによるダメージなんて必要ないし、僕も出来うる限り爆発に巻き込まれたくはない。有り難い判断だ。配慮に感謝。


 ミサイルの接近に伴い、使い魔の視線が集まる。気付かれた。
 使い魔がドレスの修復作業を中断し、殺到してくるが――もう遅い。

 心の中で忍に合図を送る。阿吽の呼吸――流石は頼れる僕の相棒。タイミングはばっちりだ。

 ミサイルから生えてきた刀を抜き取り(正確にはミサイルにできた僕の影からだが)、意を決して僕は飛び降りた! 


「はぁああああああああああ!!」

 大音声で叫び、自分を奮い立たせる!
 刀を両手で握りこみ、地面に突き刺すように、刃を下に向ける。

 自由落下の勢いそのまま――
 着地することもなくダイレクトに――

 ワルプルギスの脳天目掛け、刀を突き刺した!!

 深々と刀身が沈み込む。頭部を貫通して首辺りまで達している。刺し貫いている。刀の特性上、あまり手応えのようなものは感じないが、確実にワルプルギスを斬った! 

 やった! やってやった!  引導を渡してやった! これで勝負ありだ!

 歓喜の感情に胸が震える――



 だが、それはぬか喜びに過ぎなかった。

 不意に横殴りの突風が僕を襲う。いや突風なんてものではない。質量のある『風の塊』が叩きつけられる。それこそ透明な巨大ハンマーで殴られたような、そんな衝撃だった。

 え?

 なす術もなく僕は吹き飛ばされ、宙に投げ出される。

 そこで、ワルプルギスと視線がかち合った。
 僕を真っ直ぐに見据えている。

 いや、ワルプルギスに目はない。頭部の上半分は、最初から存在してないので視線という表現はおかしい。でも、確かに僕を真正面から捉え、視認している。

 そう確信できた。
 ワルプルギスの口元が悪辣に歪む。愚か者の姿を見て、口端を吊り上げ嘲笑ったのだ。


 なぜだ? 心渡は確かに魔女を――

 そこからは、もう何が何だかわからない。上も下もわからない。

 全身が押し潰されもみくちゃに。
 全身が切り刻まれ細切れに。

 前後不覚。
 絶え間なく続く激痛。
 再生を繰り返し、その度にまた即死する。
 身体が修繕される度にまた壊される。
 
 何度も何度も、殺され続ける。



 気付けば、僕は地面にめり込み空を見上げていた。

 分厚い雲に覆われた不気味な空を。
 密度の濃い乱気流を纏った魔女の姿を。

 そこでやっとあの竜巻に飲み込まれていたのだと察した。

 ワルプルギスを仕留め損なったのだと――
 無様に返り討ちにあったのだと――

 理解した。




~104~

 けれど、なぜ『心渡』で斬った魔女が生存しているのかは理解できない。

 そんな僕の疑問に答えるように、奴はまた唐突に現れた。

「別にこれは意外な展開ではないよ。起こるべくして起こった当然の結果だ」

 敗者を見下ろす赤い瞳。
 瓦礫の上に座り、仰向けに倒れこんだ僕を覗き込むように語りかけてくる。
 こちらの状況などお構い無しに、一方的に言葉を垂れ流す。

「特定の存在に対し、不可逆な抹消を付与する刀――『心渡』。普通の魔女であれば勝負はついていただろうに、残念だったね」

 一欠片の感情もこもっていない、形だけの同情。
 こんな戯言に耳を貸している場合ではない。

 絶対に諦めるわけにはいかないのだ。
 血を失い過ぎたせいか、短時間に再生を繰り返したせいか、身体が重い。
 でも、まだ身体は動く。気怠さはあるがまだ戦える。

 そういや心渡が見当たらない。竜巻に巻き込まれた時に手放し紛失してしまったのか……。
 あと、衣類も全て切り刻まれてしまったようで、身に纏っているものはなにもない。

 全裸だ。裸族だ。

 ともかく、ほむらに連絡を――――しようとしたがテレパシーが繋がらない。いや、この感覚は美樹の時と一緒だ。キュゥべえによる干渉が働いている。

 …………僕に話があるってのか?

 くそ……こいつのペースに巻き込まれるのは癪だが、『心渡』が効果を示さなかった原因を知っている風な口振りだったからな――ここは聞き出すべきか。
 ワルプルギスを倒す、重要な手掛かりになるかもしれない。

 僕は上半身を起こし、キュゥべえと視線を合わせる。

「ああ…………普通の魔女じゃないってのは…………解かる。要は『心渡』の力が、魔女に無効化されたってことか?」

 『暗闇の魔女』のように実体を透過させ、攻撃を無効化するのと似た現象で対処されたのかもしれない。

「それは少し違うね。無効化なんてされていない」

 しかし、僕の答えにキュゥべえが意を唱える。

「…………どういうことだよ?」
「ワルプルギスの夜。君はこの名前の由来を知っているかい?」

 質問を質問で返される。
 こいつと討論している場合ではないが、ここは我慢だ。

 えっと、それは羽川から説明してもらったことがあるな。

「確か……魔女の集会だか、魔女のお祭りだろ?」

 ワルプルギスの夜――魔女達が集う祝宴の夜。

 僕の答えに、キュゥべえは大きく頷いた。

「そう、その名が示す通り、ワルプルギスは寄り集まった魔女の集合体――群体の魔女なんだ」

 軍隊の魔女? いや群体か。単体ではなく複数体。

「だから効果がなかったわけじゃない。僕が観測する限り、ちゃんと魔女の一部分は、抹消されていたからね」

 ああ……そういう理屈か。歯痒いが……納得がいく。

 『心渡』でキュゥべえを斬ったらどうなるか? 

 ――こいつは同時期に複数体で活動しているのだ。
 ――その末端の一部を斬ったとしても、全体に効果が及ぶとは考えにくい

 その僕の考えが、そのままワルプルギスにも当てはまるのだから。

 ワルプルギスは、複数の魔女の集合体。故に、『心渡』の効果が薄まった。
 効いていない訳ではないが、効果が分散されてしまった。


 絶対の切り札――最強の武器に、魔女は耐性をもっていたってことか…………。

 で、キュゥべえは懇切丁寧にも、このことを僕に伝えに来ってわけだが、その理由は明白だ。

 魔女の力を理解させる為に。
 無駄な努力だったと悟らせる為に。
 僕の戦意を削ぐ為に。

 そうしてワルプルギスに対抗できる存在を排除する。

 全ては――まどかちゃんと契約する為に。

「お前は…………もう戦うのは諦めろって言いにきたのかよ!? ふざけんなよ!! お前の魂胆はお見通しだ! 絶対にまどかちゃんとは契約なんてさせねー!」

 僕は威嚇するように声を荒げる。
 こいつの思い通りになんてさせるかよ。焦燥はある。だけどまだ僕の心は折れてなどいない!

「はぁやれやれ。やっぱり人間とのコミュニケーションは難しいね」

 と、これ見よがしに嘆息するキュゥべえ。

「勘違いしないで欲しいな。寧ろ逆だよ。こんなところで諦めてもらっちゃ困る」

 などと、訳のわからないことを言い出した。

「阿良々木暦――君がワルプルギスの夜を倒すんだ!」

「…………待て待て。何言ってんだ? 僕を諦めさせて、まどかちゃんと契約するのが狙いじゃないのか!?」

「いや、少し状況が変わってね。彼女との契約は保留だ」
「ん? ああ、戦場ヶ原が邪魔で契約できないのか?」

「まぁそんなところだね。だからこのままじゃまどかの命が危ない。ワルプルギスが暴れれば全滅だ。そうなるのは君も避けたいだろう?」
「そりゃ、そうだけど」
「なら僕が力になってあげられるよ」
「力に?」

 疑問符を浮かべる僕に対し、白い悪魔は営業を開始した。

「うん、まどか以外に正位置についたワルプルギスを倒せる存在がいるとすれば、それは君しかいない。前にも一度話したけど、君の潜在力・因果の質は申し分ない。吸血鬼の君が『契約』すれば、きっと相乗効果があるはずだ。試してみる価値はある。だから阿良々木暦。僕と契約してみないかい? お互いに利害は一致しているはずだよ?」

 利害の一致。都合のいいこと言いやがって…………。

 しかし、確かにこのままじゃ全滅は避けられない。

 絶対の切り札『心渡』も、退けられてしまった。

 僕の力だけでは、厳しい状況。
 気持ちだけでは、覆せない窮状。

 それでもどうにかしなくちゃいけない。引き下がるわけにはいかない。諦めるわけにはいかない。

 例え『どんな手』を使っても!

 もう後の事を考えるのはやめだ。

 安易に頼っていい力ではない。でも力があるのなら…………それがより大きな災いを産む結果になろうとも――それが裏切りの行為であっても――だとしても!


 そして、僕は一つの決断を下す。







[27169] ほむらウォッチ~その3~(Walpurgisnacht)
Name: ミドリ◆02e976c9 ID:ea6cad15
Date: 2016/10/20 22:17
~105~

 阿良々木暦に全てを委ね臨んだ最後の賭け。
 ミサイルに乗って突撃するという無茶苦茶な作戦ではあったが、目論見通り『心渡』でワルプルギスに一太刀いれることを成し遂げ、奇襲は成功したと言える。

 しかし、『心渡』の魔女を確殺する効能は発揮されることなく、ワルプルギスは生存していた。

 そう……私たちは賭けに負けたのだ。


 ワルプルギスが巻き起こした乱気流に呑み込まれ、阿良々木暦の消息は掴めなくなっていた。
 不死身の身体ならば、まだしぶとく生き残っているのかもしれないが、もう立ち向かう気力など残されていないだろう。

 あれだけ大口を叩いたにも関わらず、呆気なく敗戦した彼に対し色々思うところはある。
 ただ不思議と責める気持ちは沸いてこない。


 そもそも最初から分が悪い勝負なのは、解りきっていた。
 ほとんど期待なんてしていなかったからこそ――当然の結果としてすんなり受けいれることができた。

 そんなところだろうか?

 それとも、自らの身を顧みず、ワルプルギスに立ち向かった献身的な姿に、感化されているのだろうか? 
 結果には結びつかなかったけれど、少なくとも彼は最大限、自分にできることをしたのだから。

 或いは、既に私の心が、"次"に向いているからなのかもしれない。

 もう、あの状態のワルプルギスを倒す手段など残されていない。

 詰る所――今回の時間軸も『失敗』に終った。
 だからこそ、"今回は"諦める。見切りをつける。

 けれど、まどかを救うことは諦めない。

 そう思うことができるのは、あまり認めたくないが…………阿良々木暦がいたからだ。


 本来であれば、私は正位置についたワルプルギスの脅威――それとループする毎にまどかの因果が増えるというジレンマを突き付けられたあの時点で――絶望し諦めていたはずだ。

 私の心はあの時――闇に押し潰され、完全に機能を停止していた。

 だが、その心をどうにか繋ぐことができたのは、彼の言葉があったから――私はまだ前に進むことができる。


 今回の時間軸は、数奇な巡り合せによって、今までにない手応えがあった。
 全てが上手くいった訳ではないけれど、大よそ考え得る最大戦力で挑むことができた。

 それでも、ワルプルギスを打ち倒す事はできなかった。手痛い敗北なのは間違いない。

 『正位置』についたワルプルギスの力はあまりにも強大過ぎる。

 それでも――もっと火力を高めれば、『正位置』につかせる前に倒しきることができるかもしれない。それが残された勝ち筋。

 落胆はあるし、挫けてしまいそうなのは否定できない。
 でも、悪足掻きであろうと、まだやり直すことは可能だ。私の心が折れない限り、道は潰えることはない。

 その為にも、次の時間軸では『羽川翼』――あの人の協力が必要不可欠。
 羽川さんの協力をもっと早い段階で得られれば、まだまだ火力を引き上げることができる。

 ただ彼女は阿良々木暦のために動いている。そう宣言している。
 彼の紹介がなければ、羽川さんが力を貸してくれることはない。


 改めて思えば、彼が全ての起点になっている。
 巴マミ、美樹さやか、佐倉杏子、そして羽川翼。

 彼の仲立ちがなければ、彼女達と協力関係を築くことはできなかった。
 いや…………私が早々に切り捨てていたのだから、築けるわけがなかった。

 阿良々木暦。
 飄々としたお調子物で、どこか胡散臭い男。言動に難があり、魔女に対して欲情するような異常性癖の持ち主。けれど彼は見返りもなく、魔法少女の為に尽力してくれている。
 煮え湯を飲まされ、苦渋を味わったこともあるし、まどかに対し必要以上に馴れ馴れしいのも気に喰わないけれど…………彼の存在が、私の中でとても大きなものになったのは認めざるを得ない。今度の時間軸でも、どうにか助力を願いたい。

 でもそれは難しいだろう。今回の時間軸では、なし崩し的に協力が得られたけれど……阿良々木暦は、今までの時間軸では一度も現れたことがない。

 私が繰り返す『世界』に、同一のものはない。大まかな出来事は同一であれ、必ず微細な相違点が存在している。場合によっては決定的な相違点も――今回がそうだ。

 だから……今後ループしたとしても、彼が私の前に現れることはないと思った方が賢明なのだ。
 阿良々木暦の介入は、事象の揺らぎで起こった、極めて稀な偶然の産物なのだから。

 今回の周回が特別な――奇跡的なイレギュラーだったとは、肝に銘じておかなければならない。


 しかし――だとしても、彼が『存在』しない訳ではない。

 受け身の精神ではなく、能動的に動けば――私が彼に助けを求めれば、次の時間軸でも彼は協力してくれるかもしれない。

 おかしなものだ。『もう誰にも頼らない』――そう心に誓ったはずなのに。


 でも、普通に考えれば断られるだろう。彼が今回、首を突っ込んできたのは、知り合いの戦場ヶ原ひたぎがキュゥべえに勧誘され、その流れで巴マミと邂逅したからだ。巴マミとの接触がなければ、彼が魔法少女の諸問題に介入してくることはない。

 そして当然ながら、今まで築いてきたこの関係もリセットされている。
 魔法少女との関わり合いが一切ないそんな状態で、何の接点もない見知らぬ他人である私が協力を申し出たところで、色よい返事など期待できるはずがないのだ。
 もし最初からありのままに、全てを伝えたところで、

 『未来からきた』『その未来では協力関係にあった』『魔女を倒す手伝いをして欲しい』

 どう考えたって信憑性皆無だ。怪しさ極まりない新興宗教の勧誘か、オカルトに傾倒した精神異常者の戯言だ。

 正常な感性を持っているのなら、こんなの信じれるほうがおかしい。
 そもそも私の経験則から言って、上手く説得ができるとはとても思えない(阿良々木暦に指摘されたことだが、私の交渉能力は壊滅的らしい)。


 けれど…………酷い言い草だか、彼は普通じゃない。正常な感性など持っていない。頭のネジが外れた、どこか頭のおかしい奇特な人間だ。そして何よりこちらの言い分も聞かない、お節介な男なのだ。

 今までだって、彼は何の見返りもなく自ら率先し――危険と解かっていながら命懸けで魔法少女のために死力を尽くしてくれている。

 そんな彼の姿を見てきたからだろうか……次の世界でだって、何だかんだ言いながらも、力を貸してくれる。決して善良ではないけれど、どこまでもお人よしな人だから――私が助けを求めれば、それに応えてくれる。

 そんな気がする。

 なんて思ってしまうのは、虫が良すぎる話しだろうか?

 あれだけ鬱陶しく思い、毛嫌いして邪険に扱っていたのに――いつの間にか彼の存在を頼りにしている。


 いや、この言い方は卑怯だ。

 『頼り』なんて都合のいい言葉を使用してはいけない。

 どんなに言い繕ったところで、私は彼の事を、利用価値の高い便利な駒だと見做しているだけで、一歩引いたところで、冷めた気持ちで打算を働かせている。

 そう、やはりこれは――『信用』『信頼』からは程遠い、相手の善意を搾取するだけの、軽蔑されるべき利己的な思惑でしかないのだから。

 自己嫌悪するほどに、私の考えは人間味のない冷徹なものになっている。

 それでも、まどかを救う為になら、私は――。



 あとはこれからどうするかだ。
 もう見切りをつけたのだから、今すぐ『時間遡行』を行うべきだろうか?
 いや、もう少し『正位置』についたワルプルギスの情報を集めておいた方がいいのかもしれない。

 例え勝利条件が『正位置』につかせないことだとしても、敵の情報があるに越したことはないのだし。望み薄だけど、弱点のようなものが発見できるかもしれない。

 この時間軸は貴重な情報が多い。ぎりぎりまで情報収集はしておいた方がいい。できることはしておくべきだ。
 効果があるとは思えないけれど、残りのミサイルを全弾撃ち込んでみるのもいいだろう。

 それに――もしかしたら、正位置についたことで、ワルプルギスが進路を変更する可能性だってある。
 今まではほぼ確定的に、まどかの居る避難所に向かっていたが、より多くの人が集まった場所――都心の方に方向転換するかもしれない。

 まどかさえ無事なら、他にどれだけ人が死のうとも知ったことではないのだし。
 大多数の命より、私はまどかの命を優先する。


 なら失敗したとはいえ、まどかを魔法少女にさせる訳にはいかない。

「…………ちっ」

 さっきまで傍にいた筈なのに…………奴の姿が見当たらない。
 キュゥべえがこんな好条件を逃すはずがない、阿良々木暦の失敗を伝える為に、まどかのところに向かった…………そう思ったけれど、そう言えば別の端末(キュゥべえ)がいたはずだ。

 であれば、この場に居たキュゥべえがそちらに出向く必要はない…………ともかく、至急まどかのところに向かうべきだ。そう判断を下したその時――

「暁美ほむら。君に伝言だ」

 何処からともなく湧き出したキュゥべえ、そんなことを言った。

「伝言ってそれは、まどかから!? あの子と契約したの!?」
「ん? どういうことだい?」
「契約したまどかが私に何か伝えようとしているんじゃないの!?」
「ああ、そうか。君が何を思い違いしているかはだいたい分かったよ――今現在鹿目まどかとの契約は成立していない。というより、戦場ヶ原ひたぎによって阻害されているといった方が正しいのかな」

 戦場ヶ原ひたぎがキュゥべえの接近を邪魔しているのだろうか。どういう腹積りなのか知らないけれど、一応阿良々木暦の為に動いているのだから、害はないはずだ。
 確か、彼女も魔法少女になったとか言っていたけど、何がしたいのか全くわからない。

「そう、じゃあ伝言って誰から?」
「阿良々木暦からだよ」

 ……そうか…………ちゃんと生きていたのか。
 吸血鬼の不死性はちゃんと機能していたようだ。

「じゃあ伝えさせてもらうよ。『紛い物じゃない、偽物じゃない本物の化物の力を、本当の吸血鬼の力を見せてやる! だからまだ諦めるな!』とのことだ」

 切り札が無為と化したこんな状況に陥っても、彼の心は折れていなかったのか……まだあの強大な敵に立ち向かう気力を残しているのか。それだけじゃない。私にもまだ勝負を投げるなと言っている。この時間軸での結末はまだ決していないと言っている。

 なんて諦めの悪い男だ。

 でも……幾ら不死身の肉体を有し、燃え盛る消えることのない熱血の心を持っていたとしても――それだけではどうすることもできない。

 勇んだところで、彼が空回っていることは明白だった。
 彼には戦う技術も、戦う術も何もない。

 客観的な判断として、彼の戦闘能力は期待できるものではないのだ。吸血鬼の膂力が凄まじいのはわかっている。近代兵器をも凌駕する突出した攻撃力があるのは確かだ。

 けれど、それを活かせるだけのスキルがない。佐倉杏子や巴マミのような洗練された動きとは比べるべくもないほどに、彼の戦闘での立ち回りはお粗末なのだ。全く力を使いこなせていない。咄嗟の判断力がなく隙が多い。だからこそ彼を戦線に立たせることなく、戦力外に置いたのだから。

 加えて、遠距離攻撃の手段がない。空に浮かぶワルプルギスに対し、これは致命的な問題だった。戦いの土俵にすら立てていない。
 …………またミサイルに乗って突っ込むつもりなのだろうか?


 キュゥべえがそれで自分の役目は終わったとばかりに、私の返答を訊く事もなく、身体ごと視線を遠くに向ける。
 視線は――瓦礫が埋め尽くす、壊滅した見滝原の中心街。
 赤黒く変色した薄気味悪い空を背に、地平に蠢く強大な魔女――自身の周りに荒れ狂う暴風を纏わせた、『ワルプルギスの夜』に向けられていた。


 と、そのワルプルギスと対峙するように、不意に一つの影が現れた。黒いシルエット。それが人影であることに、少し遅れて気付く――見間違いでなければその人影は………………異形の翼を羽ばたかせ、中空で静止している。宙に浮いている。空を飛んでいる。

 いや、でも…………いったいどうやって!?


 く……魔法による視力矯正を行ったことで、通常の人よりも視力は優れているが、それでもこの距離では流石に詳細を掴むことができない。
 仕方ない。魔法で無理矢理視力を引き上げる。限界以上の視力を得ることはできるが、目に過度な負担がかかり――度数の合わない眼鏡をかけた時に起こる、酔ったような気持ち悪さに襲われる。
 ずっとこの力を使用し続ければ、激しい頭痛や吐き気が発症するので、あまりこれはやりたくなかったけれど。
 でも、今はこの状況を見極めなければ――

 全神経を集中。目を凝らし見据える。

「!?」

 私の目に映ったのは――風変わりな衣装を身に纏った、阿良々木暦の姿。

 時代がかったどこか古くも趣のある、それでいて近未来的な要素を含んだ、SFファンタジーに出てきそうなデザイン。見た目は巴マミが好みそうなヨーロッパ風の貴族然とした騎士服で、それを現代風にアレンジした戦闘服だった。

 色合いは黒と赤のツートンカラー。彼が通っている学校の学ランの配色に近い。黒を基調にしており、そこに血液を巡らせる血管のような赤い模様が全体に入っている。
 吸血鬼に相応しい血の赤と、夜の黒。

 ところどころ肌に密着するような造りになっていて、そこから逞しい筋肉のラインが覗いていた。

 確か赤いパーカーとジーンズというラフな格好だったはずなのに――そうその姿は、まるで『変身』でもしたかのように。

 更に彼の背中からは、蝙蝠の羽が生えていた。吸血鬼らしい悪魔の翼だ。
 これは吸血鬼としての異能? でもそういった能力は、使用できないと言っていたはずだ。

 なら……これらの意味することは――――まさか? まさかまさか!?

 真相を問い掛けようとするも、キュゥべえは既に私から意識を切っており、今から始まる『演目』――巨大な魔女に立ち向かう吸血鬼の姿に注目し、興味深い視線を向けていた。


「さぁ、阿良々木暦。君の力を見届けさせてもらうよ」






[27169] ほむらウォッチ~その4~(Walpurgisnacht)
Name: ミドリ◆02e976c9 ID:ea6cad15
Date: 2016/10/24 18:07
~106~

 ワルプルギスの纏っていた密度の濃い暴風が――幕が開くように消えていく。

 暴風が消えると同時、虹色に発光する無数の魔方陣が魔女の背後に展開され、舞台照明のようにワルプルギスを照らし出す。

 ドレスの修復は、既に完了していた。

 暴風の幕が開き、魔法陣に照らされ姿を見せるワルプルギスの夜。ドレスを披露する為に用意した、演出の一環にも思えるほどに仰々しい登場だった。
 そう考えるとあの暴風は、ドレスの修復中に邪魔が入らないようにする意図があり、結界的な役割を担っていたのだろう。
 修復作業に従事していた使い魔も、役目を終えたからか姿が消えている。主演女優の邪魔をしないよう、舞台裏に引っ込んだのかもしれない。

 群青色のプリンセスドレスを纏ったその姿。
 絢爛豪華にして、演劇衣装のような派手なデザイン。 
 フリルのボリューム感が割り増しされ、胸元には光り輝くコサージュが装着されている。
 銀色の縁取りと金色の刺繍が随所に施され、総攻撃を受けてボロボロに破損していたドレスは、元の状態より一層優美な仕上がりになっていた。

「キャハハハハハハハハハハッ!!」

 歓喜を知らせるように、甲高い笑い声が響き渡った。背筋に悪寒が走る耳触りな声音。

 その途端、ワルプルギスの魔力が更に膨れ上がる。

 もう私にもその総量を推し量ることができない。途方もない、桁違いな魔力量。規格外過ぎて、変な笑いがこみ上げてくる。私の心を何度殺せば気が済むのだろうか。オーバーキルもいいところだ。

 これこそが『正位置』についたワルプルギスの、完全体とでもいうべき姿。

 私には、あれを倒せるビジョンがどうしても見出せない。何をどうしたって勝てるわけがない。
 ああなってしまえばお終いだ。破滅の未来しか残されていない。そうなる前に決着をつけなければならないと改めて認識する。それほどまでに次元が違う。

 その凶悪な魔力に当てられ、足の震えが止まらなくなる。身が竦み、全身が凍りついたような寒気に襲われる。

 私は、あんな化物と戦えない。逃げ出したい。そう否応無く思わせるほどの圧倒的な魔力。
 それこそ、今すぐに時間遡行を行いこの場所から――この絶望に支配された世界から立ち去りたい。

 でも。それでも。
 屈服してしまいそうな心を偽装し、どうにか心を保つ。必死に繋ぎ止める。

 私はこの戦いを見届けなければならない。

 無謀な戦いであったとしても――
 それが蛮勇であったとしても――
 決して勝ち目のない勝負だとしても――

 阿良々木暦が戦う意思を示す限り、私はそれを見届けなければならない。

 それが、これから彼に助けを求めようとしている私にできる、唯一のことだから。






~107~

 阿良々木暦は、既に臨戦態勢に入っていた。
 いつもの頼りない緩い表情は消え、口を真一文字に結んだ真剣な面持ち。
 吹き荒れる風に煽られ、髪が激しく揺れている。そこから覗く双眸は力強く、ワルプルギスを鋭く睨み付けている。

 あのワルプルギスを前に、恐怖の感情は微塵も感じられない。

 そしてワルプルギスに対し、ゆっくりと大胆に――真正面から近づいていく。
 あまりにも無防備過ぎる前進。無論、ワルプルギスもこの接近してくる相手に、気づいていないわけもなく――敵対者と見定められていた。

 その証拠に、ワルプルギスから真空波が放たれる!
 空間を歪ませるように迫る風の刃。無数の鎌鼬が襲いかかった!

 あえなく、阿良々木暦は四方から無残に切り刻まれ、腕が千切れ飛び、体中に深い裂傷を負い、血塗れの姿に…………なったその瞬間、その傷は跡形もなく消え去っていた。切り離された腕も、刻まれた衣服も、全て元に戻っている。飛び散った血も蒸発して、傷を負ったという痕跡が、何一つ残っていない。

 一瞬見えた目の錯覚のようだった。
 でも、そうじゃないと解っている。驚異的な治癒力でワルプルギスの攻撃を無効化したのだ。これこそが、吸血鬼の不死性。

 避けるまでもないと誇示するような、不遜な態度。

 何も起きなかったかのように、彼は前進を再開していた。
 まるで意に介していないと知らしめるように、愚直に突き進む。


 ただ、ワルプルギスにしても、あんなのはただの小手調べに過ぎなかったのだろう。
 次いで、発せられたのは、暴風を押し固めた風の塊だった。

 竜巻を無理やり押し込めたような、螺旋を宿した巨大な球体。
 唸りを上げ周りの空気だけでなく、周囲に浮き散らばっていた瓦礫を吸い込み粉砕していく。
 それはまるでブラックホールのように――通り過ぎた空間には何も残っていない。

 あれに呑み込まれたら、幾ら治癒力が優れていても、確実に死ぬ。全身が圧搾され押し潰される。肉片一つ残らない。間違いなく“受けてはいけない攻撃”の類だ。

 しかし、それが迫ってなお、彼は回避行動に移らない。

 寧ろ自ら接近するように近づいていく――いや、そうか。吸引力に抗えず、逃げたくても逃げられないのでは? でも、それにしたって、焦った様子は見られない。


 螺旋の球体が間近に迫ったところで、阿良々木暦が右腕を掲げ――

 そのまま羽虫を払うような手振りで、その右腕を振り払った。

「え!?」

 思わず声が漏れる。目の前で起こった現象をうまく理解できない。
 事実だけを述べるなら、その腕を払うという軽い動作だけで、迫り来る風の塊を掻き消した。あの軽い手振りで相殺した? 

 私の思考が追いついていない状態で、更なる攻防が展開される。


 今度は何が起こったのか、容易に理解できた。簡単に説明できる。
 
 まずワルプルギスが魔術で、近場にあった高層ビルを根元から引き抜いた。
 次いで、それを操作し、阿良々木暦に向け発射した。暴風を纏わせ、速度を底上げした状態で。

 それに対し阿良々木暦は、迫るビルを真正面から受け止め、キャッチボールの要領で投げ返した。


 ……………………幾らなんでも滅茶苦茶過ぎる。こんなことって!?

 理解できるからこそ、理解できることではないのだ。自問せずにはいられなくなってしまうのだ。

 目の前で繰り広げられたことなのに、自身の目を疑ってしまう。この出来事を、どう形容すればいい。


 だが、ワルプルギスもそう簡単にやられるようなことはなかった。

 投げ返されたビルが直撃するも、魔法の防御壁でも展開させて対処したのか、損傷は見られず――体勢を大きく崩しているものの、撃墜には至っていない。



 と、そこで。阿良々木暦が大きく動く。

 今までは敵の攻撃を受け、それに応じた反撃は行っていたけれど――ここに来て攻めに転じるつもりなのだ。

 翼を羽ばたかせ、一気に急上昇し高度を上げる。その遥か上空で異形の翼を大きく羽撃つ。
 そこで私の視界から彼の姿が消えた――これも吸血鬼の能力? いや違う。これはただ単に、目で追える速度ではなかったということ。

 それほどまでに異常な爆発的加速。

「どこに!?」

 視力を強化した上で、注意深く観察していたのにも関わらず見失った。 
 目線を忙しなく動かし、姿を探していると――――ある異変に気付く。


 ワルプルギスがまた逆さの体勢に戻っていた。上下逆さまになっている。

 でもそれは『正位置』から戻ったことを意味していない。魔力の量は全く変わっていない。
 ならば、それは何らかの予兆。危険の前触れ。ワルプルギスが大規模な魔術を放つ前段階、その準備動作なのではと考えたが………………そうではなかった。

 ワルプルギスに気をとられ過ぎて、"その存在"に気付けなかった。

 逆さになったワルプルギス。その頭部を両手で掴み、持ち上げている吸血鬼の姿を。

 刹那の間にワルプルギスとの間合いを零にし、あの魔女の巨体を"力任せに反転"させたのだ。有り得ない光景だった。

 それから何をするつもりかと思えば、弓なりに大きく身体をのけ反らせ――スローインするようなフォームでワルプルギスを地面に投げつけた!

 地響きを伴わせ地表を猛烈な勢いで削りながら、ワルプルギスは吹っ飛んでいく。
 見滝原の中心街に轍のような爪痕が出来上がる。元々戦場になっている場所なので、街に新たな被害が出た訳ではないが、目に見えて地形が変わってしまっていた。


 修復されたドレスの大部分が、また崩れている。
 それでも致命的なダメージを与えられた訳ではないようで――ワルプルギスは再び浮上を開始する。

 その浮上に伴って、周りの瓦礫という瓦礫、放置された自動車や、半壊したビルや木々を根こそぎ――ありとあらゆるものが同時に浮上していく。

 元々そういった性質を持っていたが、範囲が拡大している。
 しかも、その浮き上がった物質がワルプルギスを中心とし、渦を巻くように動きだし――次第に強烈な暴風と共に魔女の周りを旋廻し始めた。一瞬にして瓦礫の濁流が出来上がっていた。

 その異観は、昔見た有名なアニメの天空の城を守護する『竜の巣』のようだ。

 これでは迂闊に攻め込むこともできない。近付けば渦に呑まれるのは明らか。

 けれど――阿良々木暦はなんの躊躇もなく、その荒れ狂う竜巻に突っ込む!

 台風程度の強風ではない。
 局所的な一点集中型の強力なサイクロン――それもビルのような建造物を巻き上げる程の、通常ではあり得ない暴風。

 それに身を投げ入れるなんて、自殺行為以外の何物でもない。

 高密度の暴風の中に侵入した事で、その姿は見えなくなった。飛行能力があろうと、当然その制御を失うことになる。暴風に弄ばれ、瓦礫にぶつかり唯では済まない――

 そうなるはずだった。
 そうならなければ、絶対におかしい。

 しかし『吸血鬼』は人智を超えていた。私の常識を簡単に打ち破ってみせた。


 私が次に見たのは、暴風の中心――所謂台風の目と呼ばれる箇所から飛び出した彼の姿だった。

 しかも、戦利品のおまけつきで。


「ギャァアアアアアアアアアア!!」

 ワルプルギスの叫び声が木霊する。
 展開していた暴風が掻き消え、その姿が露わになる。
 そこには"片腕を無くした"魔女の姿があった。

 そして、その"無くなった片腕"は――阿良々木暦の手の中に。トロフィーを見せつけるように頭上に掲げている。ドレスも纏めて魔女の右腕をもぎ取っていたのだ。


「グァガァアアアアアアアアアア!!」

 つい先ほど上がった悲鳴とは趣の異なる咆哮。
 絶対の防御――暴風の防御壁に侵入を許し、あまつさえ自身の腕をもぎ取られたワルプルギスは、狂ったように雄叫びをあげていた。

 これは痛みによる悲鳴ではなかった。憤然たる空気を醸し出す怒号。
 ワルプルギスが、確かな『怒り』の感情を露わにしている。

 珍しい……というより初めて聞いた。こんな余裕を無くしたワルプルギスを見るのは初めてだ。


 夢でも見ているような異様な光景だった。
 完全にワルプルギスを手玉に取っている。一方的な蹂躙劇。

 敢えて自分の力を誇示するような戦い方なのは、キュゥべえに対してのパフォーマンスなのかもしれない。
 阿良々木暦は、キュゥべえとの交渉を目論んでいる。その一環として、吸血鬼の力の有用性を示すことを目的にしていると話していた。
 正直、私はワルプルギスさえ倒せればそれでいい。まどかさえ無事ならそれでいい。

 何にしても、彼の力は――吸血鬼の力は想像以上だった。

 これなら――勝てる。


 そう思った瞬間――それは起こった。


 発狂したように、悍ましい絶叫を上げ続けるワルプルギス。
 それに呼応するように、魔力が大きくうねり出す。

 この魔力の波動は間違いなくワルプルギスのものだった。

 中空に描かれた紋様の輝きが増していき、膨大な量の魔力が集まっていく。
 周囲に展開していた魔法陣が目映く明滅、発光し――大規模魔術が展開される。


 それは、一言で表すのなら――『ワルプルギスの夜』そのもの。


 別に謎かけをしたい訳じゃない。

 本来の意味で使用される『ワルプルギスの夜』という言葉は――中欧や北欧で広く行われる行事を指す。
 その行事では、『復活祭の篝火』として、火を焚く風習が残っている。大きな篝火を焚いて、春の到来を祝う祝祭の日。本来は大きな篝火を焚いて、魔女を追い払う儀式。

 そんな光景が今、この見滝原の一角で始まっていた。

 ワルプルギスの眼下に広がる荒廃した街並みに、不自然な自然発生ではない火の手が上がる。それはすぐに中心街全域に燃え広がり、見滝原は火の海と化す。

 その炎は、青、紫、黒といった色合い混ざり合い、異質な色をしていた。

 黒き炎が地表を浸食していき、地を這うように範囲を広げる。一帯が炎で覆われていく。

 生命に満ち溢れていた草木は瞬時に炭化し脆くも崩れ落ちた。
 コンクリートで出来たビルであろうと、鉄製の車だろうと――全てが等しく融解し、溶けて爛れ堕ちる。
 溶岩地帯のように、地表はドロドロになり――車の液体燃料に引火したのか、其処かしこで爆発が巻き起こっている。

 灼熱の炎――地獄のような光景だった。

 そして、燃え広がった炎がワルプルギスの巻き起こした風に煽られ、更に焚き付けられる。
 火の手が一層激しくなり、強風と合わさって逆巻く巨大な火柱となった。
 火災旋風と呼ばれる現象に近いのだろうが――それとは全く異なる魔術的な力だ。

 火柱が龍のように立ち昇り、蜷局を巻くようにワルプルギスの周囲を包み込んでいく。

 一見すれば、魔女の火炙り――それは火刑に処される魔女を想起させる。

 しかし、この炎の発生源はワルプルギスなのだから、自身が焼かれ自滅するようなことはなんてあるはずがない。

 これはワルプルギスの意志によって引き起こされた、凶悪な魔法なのだ。

 魔女狩りで行われた処刑方法。それに酷似した攻撃手段を用いるなんて、皮肉的だ。
 もしかしたら、そういった最後を遂げた魔法少女なのかもしれないなんて、場違いな考察をしてしまう。

 見かけ倒しじゃない、全てを焼き尽くす闇の炎。火種が燃え尽きようとも、その炎は消えることはない。ワルプルギスの膨大な魔力を糧にしているのだから、際限なくどこまでも延焼していく。


 その火焔地獄を前に、阿良々木暦は初めて逡巡を見せていた。
 表情は相変わらず無表情に近い研ぎ澄まされたものなので、そこから感情を読み取るのは難しいが、攻めあぐねているのは確かだった。

 当然だ。ワルプルギスは猛炎を纏っている。近寄よるだけで炙り殺される。焼き殺される。これでは手も足も出ない。

 加えて問題なのは、『火』という現象――それは吸血鬼にとって、致命的な弱点に他ならない。
 強大な力を有していることへの反動ともいうべき代償なのか、吸血鬼は数多くの弱点を持っている。
 
 日光、十字架、大蒜、聖水、銀、他にも細かなモノを上げればまだまだあるが、そうした数ある吸血鬼の弱点の一つに『火』も含まれている。世界に普及している代表的な、私でも知っている、吸血鬼の有する弱点の一つ。

 しかもそれは、『弱点』と表現するよりも、吸血鬼を退治するために用いられる、かなり有効な『攻撃手段』と言ったほうが正鵠を射ていた。驚異的な不死力、回復力を持つ吸血鬼を再生させることなく殺しきる方法だった。

 古来より炎は『太陽の断片』として、神聖なものとして扱われることが多い。現代においても、邪悪なモノを払う儀式などには用いられている。

 あの禍々しい炎が神聖なモノだなんて思えないけれど、それでも『火』という性質を持っているのは間違いない。

 吸血鬼に対する特効の攻撃手段として、ワルプルギスがこの炎の魔術を発動させた訳ではないのだろうが………………。


 あと少しだったのに…………希望を抱いた瞬間、それは儚く消える。
 なんでなんでなんで!
 どうしてどうしてどうして!

 心の中で叫ぶ。慟哭する。

 必死で手を伸ばしやっと手が届きそうだと思ったら、見計らったようなタイミングで消えて無くなる。悔しく、歯痒くて、もどかしくて、胸が締め付けられる。この行き場のない感情をどうしたらいいのかわからない。

 もう、苦しくて、見ているのも辛い。
 この現実から目を逸らしたい。
 この理不尽な世界から抜け出したい。

「…………え?」

 そんな精神的に摩耗しきった私の心に止めをさす、惨憺たる光景が目に入った。

 私は呆気にとられ、絶句する。
 血の気が一気に引いていく。

 もう駄目だ。
 何をとち狂ったのか…………阿良々木暦が、あの炎の中に――業火を纏ったワルプルギスに突っ込んだのだ…………。

 ………………他に方策があるわけではないのだから、そうするしかなかったのだとしても――本当に本当に、正気の沙汰ではない。
 生身で溶鉱炉に身を投げ入れるようなものだ。鉄を融解させる程の熱を持つ炎は、人間なんて完全に燃やし尽くしてしまうだろう。いとも容易く。骨すら残さずに灰燼に帰す。

 それが吸血鬼であろうとも。


 …………もう、十分だ。

 これ以上この世界に留まっても――より深い絶望を感じるだけだ。
 私は全てを見届けた――
 阿良々木暦の最後を――

 そう判断し、私は――もう一度『繰り返す』為に、小楯に触れ――


 ようとした――その手が止まる。


 異音。
 何かが激しくぶつかったような、不可解な轟音が響き渡った。

 次いで――


「グァギャアアアアアアアアアアアアアア」

 断末魔の叫び声。ワルプルギスの絶叫が異音に遅れて耳に届く。

 崩壊した天空の城のようにワルプルギスが地に落ちてく。いや違う。落とされたのだ!

 魔力の供給が断たれたせいか、魔法陣が消失し、黒い炎が消えていく。

 いった何が起こったというの? 阿良々木暦はいったい何をした!?


 その答えは、焦土と化した地上に横たわるワルプルギスの状態を見て、推察することができた。


 ボロボロに崩れ落ちたドレス――その半壊したスカートの奥。
 片腕のなくなった上半身と、歯車でできた下半身を繋ぐ、鉄柱のような一本の車軸。 
 身体を支える背骨の役割を担う、その太い車軸が――ぐにゃりと折れ曲がっていた。


 これが意味することは――あの灼熱の炎の中で、阿良々木暦が問答無用に攻撃を決行したということ。

 どうやってあの灼熱を耐えたのかは解からない。でも、彼は吸血鬼としての異能を使って、対処したのだろう。何かしら火に対する耐性、無効化する術を持っていたということだ。
 流石に無策で飛び込むわけがない。そう思った。


 そう、確かに――阿良々木暦は"その術"を持っていた。


 しかしそれは、あまりにもあんまりな対抗手段。
 いや――"対抗"なんてしていなかったのだ。


 阿良々木暦の身に何が起きたのか、彼が何をしたのか――私は、それを知る。


 地に横たわるワルプルギスの傍に、異様な白煙が上がっている箇所があった。
 他にも煙の上がっている場所はあるけれど、そこだけが、やけに異質な雰囲気を放っていた。

 次第に薄れていく煙。
 その薄煙の中に、幽鬼のように立つ黒い影があった。

 焦土となった黒き土壌の上に、得体の知れない何かが立っていた。でも、間違いない。それ以外考えられない。煙の発生源は、阿良々木暦だった――――そう思われるモノが立っていた。


 炭化し黒く変色した肌から、煙を立ち昇らせている。噴出している。
 無謀にも炎に身を投じた代償。無事で済むわけがない。全身の肉が焼かれ、焼け焦げた死体そのものに見える。

 だけど、彼は立っていた。揺らぐことなく、地を足で踏みしめている。
 確実に生命としての鼓動を脈打っていた。

 炭化してしまったどす黒い肌が……確かに死んだ体細胞が……壮絶な勢いで"再生"していく。

 この白煙は、再生に伴って生じる現象だったのだ。

 間違いなく『死』に直結する致命的な外傷。
 死んだモノは決して蘇らない……その不文律を覆す悍しい異観。

 生と死の混在。常軌を逸する所業。

「…………」

 あまりにも凄惨な光景に、思わず息を呑む。

 吸血鬼の治癒力が高いのは知っていた。先の戦いでもその脅威の治癒力は目の当たりにし、知ってはいたのだ――けれど、これほど馬鹿げた治癒力だとは思っていない!

 いや、そうだ。阿良々木暦の話はだいたい聞き流していたので、あまり記憶になかったが、思い出した。

 彼は伝説の吸血鬼の眷属。吸血鬼の中でも異質な存在なのだと。

 だから彼は――世に居るであろう他の吸血鬼とは『別格』であり『例外』なのだ。 

 通常なら、炎に焼かれ灰になって死んでいたはずのダメージを、それを上回る不死力で覆した。死を回避してみせた。

 そう。治癒速度が著しく減退しているものの――圧倒的な再生能力で、ワルプルギスの炎を"無視"したのだ。


 肉を切らせて骨を断つなんて言葉があるけれど、それに倣うなら、肉を焼かせて骨を断った――そういうこと。無理も通れば道理になる。

 己の身を考慮に入れず……捨て身の攻撃を決行したのだ。強引に押しきった。


 でもまだ、終わってはいない。グリーフシード化していないということは、まだワルプルギスは生きている。しかし、もう浮上することもできないようだ。既に虫の息。満身創痍なのは明らかだ。


 魔女に止めをさすべく、緩慢に歩き出す。
 横たわるワルプルギスの方へと、ゆっくりと歩みを進める。

 一歩進むたびに傷は癒されていき――皮膚も、徐々に復元されていく。ようやく、表情が読み取れる程度に傷が癒える。
 火傷なんて言葉では表せない傷を負ったにも関わらず、その表情に苦悶はなく、一切の曇りもない。

 そして、ワルプルギスのもとに辿り付いた時には、髪も皮膚も服も、時間を巻き戻したように。全てが元からそうであったように。完全に元通りになっていた。


 ワルプルギスの間近――手を伸ばせば歯車に触れられる至近距離で、阿良々木暦が構えをとる。

 その構え――その光景は、何度か見たことがあるものだ。

 彼が、ずっと繰り返し練習していた――ワルプルギスに対して、とどめの一撃を放つ為の構え。

 両脚を地につけ、腰を落とす。
 弓矢を射るかのように右腕を後方に引き、あきらかな“溜め”の動作へと移行する。

 十分に引き絞られれば、おのずと次の行動に移る。標的を射抜く為、矢を放つ。

 溜めの状態から一気に引き絞っていた右拳を繰り出した!!

 言ってしまえばただの右ストレート。力任せのパンチに過ぎない。
 けれど、それは最強の吸血鬼が、最大の力を込めて放った一撃だ。

 即ち、この世界に於ける最大の攻撃手段。

 耐久力の高いワルプルギスと言えど――その攻撃に、耐えきることはできなかったようだ。

 ワルプルギスを純然たる力で制圧した。
 その確かな証として、ワルプルギスはグリーフシードへと変化している。間違いなく、ワルプルギスは消滅した。


 ワルプルギスが弱かったなんて絶対に有り得ない。

 ただ彼が、それを上回る力で持っていただけのこと。


 キュゥべえからの伝言――阿良々木暦の言葉を思い出す。

 ――紛い物じゃない、偽物じゃない本物の化物の力を、本当の吸血鬼の力を見せてやる! だからまだ諦めるな!――


 私は一人、小さく頷く。

 本当の吸血鬼の力を見せてもらった――と。

 ワルプルギスが偽物とは言えないけれど、彼の前では、偽物同然なのは確かだ。

 彼こそが正真正銘、本物の化物だ。








[27169] おしのジャッジ~その3~
Name: ミドリ◆02e976c9 ID:ea6cad15
Date: 2016/11/09 20:01

~108~

 "目覚める"と、そこは真っ暗い部屋の中だった。
 混濁した、不確かで茫洋とした意識。思考回路が混線していて、状況が掴めない。

 無理矢理叩き起こされ――それも悪夢に魘され続けた後みたいな、目覚めの悪い不快感が伴う覚醒。脳を締め付けるような鈍痛もある。実際、意識を取り戻した直後ということもあって、頭の中がこんがらがっている。気分は最悪だ。

 えっと…………どうなってんだ?
 僕はどうしたんだっけ? って、ここは何処だ? 

 疑問が次々に浮かんでくるが、答えは出ない。

 と、手に何か握っている感触があることに気付いた。
 寝ている体勢のまま、何かを持っている右手を眼前に移動させる。

「…………これは」

 歯車のエンブレムがついた、突起がある黒い球体。
 グリーフシードだ。

 そうだ、ワルプルギスの夜と戦っている最中に僕の意識が途切れて――ああ、そうか。結局僕は………………情けない話だ。無責任なことこの上ない。

 大よその事情は察することができたが、まだ不明な点が多い。
 少し意識がはっきりしてきたところで、上半身を起こし改めて今いる場所の特定を試みる。


 明かりのない、真っ暗な部屋だが、この吸血鬼化した眼でならはっきりと視える。
 固い床。テニスコート程の広い空間。
 部屋の中が暗いのは、カーテンで締め切られているからのようだ。遮光カーテンってやつか。
 或いは、時刻が夜ってだけなのかもしれないが、壁に掛かった時計からではAMPMを判別することはできない。

 部屋の天井には、無数の穴が空いている。均等に配置された小さな穴――防音対策とかで音楽室なんかで見たことがある。ってことは、そのものここは音楽室なのかもしれない。
 ただ、学習机や椅子のようなものは見当たらない。教卓机らしきものがあるだけだ。

 無人の部屋に僕一人。

 やはり、依然として状況は掴めない。ここに至る経緯が判然としない。

 いや。僕一人ってことはないのか。僕の影には鬼が住んでいる。
 ならば、手っ取り早く彼女に訊けば済む話だ。

「おい、忍」
『おぉ。お目覚めか。我があるじ様よ』

 忍野忍。金髪金眼の吸血鬼。
 運命共同体の半身に対し、この状況に至った経緯を教えてもらうことにした。

 頭がうまく働いていない半覚醒状態なので、質問した後の僕はほとんど相槌を打つだけだ。
 そうして大よその成り行きを忍から訊き出し、やっと状況の半分程度を把握できたところで――部屋の扉が開いた。


 最低必要限、身体を横向きにしてやっと通れるぐらい扉を開いた状態で、身を滑り込ませるように入ってくる人物。

 心情的に一番会いたくない相手であり、だからこそ一番に会っておかなければならない相手。

「やぁ阿良々木くん。気が付いたようだね」
「……おう」
「中々起きないもんだから、待ちくたびれて、少し席を外させてもらってたよ」

 いつもの調子で、語りかけてくるその男。
 しわくちゃのアロハ服。清潔感に欠けるボサボサな髪と無精髭。全体的にあまり近寄りたくない風体をしている。まぁ言わずもがな、その人物の名前は――忍野メメ。見た目は、三十路を越えたおっさんである。

 この暗がりの部屋の中にあってでも、ちゃんと僕が起きていることを認識しているようだ。
 まぁあの廃墟と化した、学習塾を寝床にしているような奴なので、夜目も利くのだろう。

「えっと、忍野…………その………………ごめん」

 深々と頭を下げ――誠心誠意、自身の過ちを認め僕は忍野に謝罪する。
 その僕の謝罪に対し、

「どうしたんだい、いきなり? そんな畏まって。出し抜けに謝られても、僕としては挨拶に困るね」

 困惑……というか顎先を指でなぞり、迷惑そうに顔を顰めている。

「いやいや、お前はどうせお見通しなんだろ? "僕が何をしたのか"」

 いつも。いつだって。こいつは全てを見通している。

「んー横着は感心しないかな。僕はエスパーじゃないんから、ちゃんと順を追って説明してくれなきゃ。僕はね、意思の疎通を交わすこと――対話ってものを大事にしているんだ。まぁ僕の場合、一方的に話すことの方が好きなんだけどね。根がお喋りなもんでね」

 おちゃらけた態度で僕を諌める忍野。
 確かに言われた通りだ。お見通しだからと言って、それで手順を省力するような真似をしていいはずがない。

「……わかった。じゃあ……何から話したものやらって感じなんだけど……」
「その前に――」

 と、僕の口上を止め忍野は続ける。

「阿良々木くん。まずは君の状態を元に戻そうか。一応結界が張ってあるとはいえ、やっぱり周囲への刺激が強いからね」

「……ん? ああ、そりゃそうしたいのは山々なんだけど、封印の影響で、忍が外に出れないんだよ」

 忍野が施した忍への封印処置。その効果でフルパワー状態の忍は、影の外に出たとしても、問答無用で僕の影に逆戻りしてしまうのだ。そんな状態では、血液の循環作業を行うことができない。
 とはいえ、時間経過でフルパワー状態からは脱却するので、ちゃんと影の中から出ることはできるのだが、経験則から言って最低4時間は必要だ。

 どれぐらい気を失っていたのか忍に確認したところ、ワルプルギス討伐完了後から、一時間程度しか経過していないらしいし、まだ血の調整――チューニング作業を行うのは無理だと思われた。


 ――のだが。

「それなら問題はないよ。阿良々木くんが気を失っている間に、忍ちゃんの封印は解除しといたから」

 なんて、軽い調子で言ってくる。
 伝説の吸血鬼を封じる封印なのに……いいのかよ、そんな扱いで――いや、いいのか、"僕がそうさせてしまったのだ"。

「おっと、いけないいけない。僕がいちゃ、お邪魔だよね。また席を外させてもらうことにするかな。あと一つ注意事項だけど、まだ日も出ているから、不用意にカーテンを開けちゃ駄目だよ。ん、じゃあすぐ戻ってくるから、よろしく」

 なんて言葉を残し、忍野はまた部屋から出て行ってしまった。
 ってやっぱり、あの締め切ったカーテンは日光対策だったのか。

 ちなみに、ここは音楽室ではなく見滝原中学の視聴覚室らしい。
 忍の話では、この部屋を用意したのは忍野なのだ。まぁ学校側に対して許可をとることもなく無断使用なのだろうけど。一応、避難所として見滝原中学の体育館が一般市民に開放されているけれど、校舎内への立ち入りが許可されているとは思えない。

 もう一つちなみに、他の人物の動向も伝えておこう。
 忍探知機によると――ほむらの傍には巴さん、杏子、そして美樹の反応が集まっているようだ。多分、気を失った巴さんと杏子の介抱をしているものと思われる。

 あと魔法少女になった戦場ヶ原、それと一緒にいるであろうまどかちゃんの行方も気掛かりだが、詳しい状況はわかっていない。この見滝原中学の内部にはいるようだけど…………。
 戦場ヶ原の思惑が――全く読めず、不気味で仕方がない。ほんと、何を企んでいることやら……早急に問い質したいところだが、現状、後回しにするしかなさそうだ。



 そんな訳で――部屋の中には僕と影の中から出てきた忍――二人きり。

 だと思ったら、いつの間にか、部屋の隅に白い獣が姿を現していた。
 興味深く観察するように、視線を向けてきている。追い払うことも考えたが、後々こいつとは話がしたいので放置しておくことにする。


「忍。お前には苦労をかけたな。改めて礼を言わせてくれ」
「礼などいらんいらん」

 僕は当然知っている事柄だが――フルパワー状態とはいえ、今の忍はあの大人バージョンの麗人の姿ではなく、8歳前後の可愛らしい幼女姿のままだ。それは彼女なりのケジメ。肉体年齢の操作は忍の意のまま自由自在に調整できるので、敢えてこの姿を保っているということ。
 あの気高き美しき鬼の姿は、もう喪失した過去のものなのだ。

 そして――

 忍と血の調整――血液の循環を開始する。徐々に僕から吸血鬼としての力が消失していく。
 まぁ御存じの通り、吸血鬼としての力を完全に失う訳ではなく、少なからず吸血鬼の残滓を残したままなのであるが、これで、もう太陽の光に怯える必要はなくなった訳だ。

 行為を終え、僕の膝に乗り抱き合った状態の忍は、不敵に悪戯っぽく笑う。

「まぁお前様の気が晴れんというのなら、ドーナツでも買ってくるがよい。それで儂は満足じゃからな。寧ろ大喜びじゃ!」
「わかった……そう言ってくれるなら是非もないよ」
「何個でもよいのじゃぞ? お前様のさじ加減で構わんのじゃからな? 別に一個じゃろうと十個じゃろうとな。それでお前様の評価が変わることはないと宣言しておこう」
「…………………………」

 今度は満面の笑みを浮かべて忍は捲し立ててくる。
 僕の度量が試されている。絶対これ、一個しか買ってこなかったら、僕の評価が下落するやつじゃん! 

「ふぅわぁあああああ」

 忍の大きな欠伸。小柄な体躯なれど、吸血鬼としての証である鋭い牙がよく見える。

「慣れんことをして疲れた。儂は寝る」

 そう言って、忍は僕の影の中へ。
 確かに、彼女には負担を掛けてしまった。忍には多大なる迷惑をかけたのだ。
 それこそ一店舗分のドーナツを買い占めるぐらいじゃとても足りないほどの。ここはバイトも視野に入れてドーナツ資金を貯めるしかなさそうだ。







~109~

 さて、少々遅くなってしまった感も否めないが――僕が何をしたのか、どういった『選択』をしたのか、包み隠さず明かすとしよう。僕にはそのことを開示する義務がある。

 聞き手となるのは、戻ってきた忍野メメ。

 忍野は行儀悪くも、教卓机に腰掛けて――煙草を取り出し、僕の話を訊く体勢に入っている。例によって、煙草には火がついていない。話す気が削がれる態度だ。なんて愚痴っていてもしょうがないので、早速、本題に入る。迂遠な言い回しなど用いず、結論から言ってしまおう。

「僕は……忍の力に頼った。お前に封印されていた忍の力を使ったんだ」

「それは僕だって承知していることじゃないか。だからこそ、僕はこの街に大規模な結界を張って、外部に吸血鬼の力が露見しないよう取り計らったんだから。うん、あれは重労働だったよ――まぁ、あの被害を見て察する輩は出てくるだろうけど。それはそれとして、僕は君が忍ちゃんの力を頼って吸血鬼化していることに、今更ケチをつけたりなんてしないぜ?」

「そういう意味合いじゃなくてさ、全盛期の力を取り戻した状態の忍自らに、戦って貰ったってことだよ」

「ん? それはおかしくないかい? 忍ちゃんの封印はちゃんと機能していてたはずだろ? 僕が解除するまで忍ちゃん自ら戦うってことは不可能なはずじゃないか。それに、じゃあその服装はいったい何なんだい? 随分といかした服だけど?」

 嫌らしくも、わざとらしい口調で忍野が訊いてくる。

「……これは忍の物質創造能力で作ってもらったもんだよ」

 くそ、忍が寝る前に、普通の衣服を用意して貰えばよかった。恥ずかしいったらない。でも僕の着ていた服は乱気流に呑み込まれた際、切り刻まれてしまったし、これしか着るものがないのだ。これは替えの衣服、代用品である。
 こんなのでも全裸よりはマシだ。

 しっかし……貴族趣味とSFファンタジー要素が組み合わさったこの服のデザインセンス…………忍の趣味全開の一品。
 まぁアイツ、漫画も好んで読んでるもんな。俗世に染まり過ぎている。というか悪ノリし過ぎだ。


「何だい、僕はてっきり、阿良々木くんが魔法少年になったのかと思っていたのに」
「嘘つけ」

 対話が大事っていうより、人をおちょくるのが好きなだけじゃねーのかこいつ。

 ともあれ、僕はキュゥべえと『契約』なんかしていない。まぁその可能性はなくはなかったが、他の選択肢を選んだまでだ。そういった苦境に立たされる可能性は考慮していた。

 話を戻そう。

「忍の封印は……ちゃんと機能していたけど、それは羽川から授かった『秘策』を使って対処した」

 言うなれば最後の『切り札』。

 ワルプルギスの夜と戦う前に提言していたはずだ。

 "ちゃんともしもの時の備えは用意してある"――と。
 "不確定要素が多い戦いであるからこそ、最悪の事態を想定した場合の切り札を用意しいている"――と。
 "それは羽川参謀が用意した秘策である"――と。


 そう――羽川翼は、想定外の事が起こることを見越して、対応策を予め用意していたのだ。
 予定調和とは言わないまでも、織り込み済みだったのだ。


 もしかしたら、怪異を殺す妖刀――『心渡』こそ、その秘策ではないのか――そう考えた人がいるかもしれない。でもそれは違う。そうではない。

 だってそれは、羽川にから提示されるまでもなく、元々僕の中にあった切り札である。


「なら? その秘策ってやつで、封印を解除したってことなのかい?」
「解除なんてしていない。専門家のお前が施した封印なんだ。あれを破る手段なんて僕達にはないよ」
「そうなのかい? じゃあ、いったいどうやって、忍ちゃんが戦ったっていうんだい? 繰り返しになるけど、忍ちゃんは影の外に出られなかったはずだろ?」

「ああ、その通りだ。忍は封印の影響で影の外に出ても、すぐ影の中に強制的に吸引されちまう。でも言い換えれば――――"一瞬なら、一時的とはいえ外に出られる"ってことだろ」

「なるほど。けれど、そんな一過性の対処じゃ、何の意味もない。忍ちゃんが逐一影の中に出たり入ったりして戦ったとでもいうのかな? さながらスタンドのように」
「いや、そうじゃない」

 解かった上で惚けて指摘してくるような、忍野の鬱陶しい態度には目を瞑り、僕は続ける。
 あとスタンド言うな。

「一瞬だけでも外に出るってのは、『秘策』を行使するにあたっての手段と言った感じかな」
「へぇ、というと?」

 忍野が合いの手を挟んで先を促してくる。こういうところは意外に聞き上手な男だ。


「忍に『魅了』を使ってもらったんだよ。一瞬あれば、それで十分だったからな」


 吸血鬼の数ある能力の内の一つ『魅了』。一種の瞬間催眠。
 その力を行使するぐらいわけはない。吸血鬼とって一瞬は一瞬に成りえない。
 そうして僕の身体の主導権を乗っ取ってもらったという寸法だ。
 
 肉体の主導権を完全に奪われた状態。
 その効果は絶大で、僕の意志では表情筋ひとつ動かせなくなっていた。どれだけの苦痛を受けようとも、それで僕の表情が変化することはない。戦っている最中は、ずっと無表情だったはずだ。

 僕は忍の『操り人形』と成ったのだ。そう言った意味では、ある意味服装も弄られ、『着せ替え人形』みたいな役割も果たしていたが…………。


「…………つまり、僕の肉体を操作し、忍が戦ったってことだ」

 この手段を選んだのは、事前に羽川からの忠告を受けていたから。

――『もしキュゥべえくんに契約を迫られ、それに頼らざるを得ない状況に陥ったら――その前に、この手を使って。阿良々木くんにとって、それは不本意で、当然受け入れられる手段じゃないのはわかっているけれど、阿良々木くんと運命を共にする忍ちゃんのこともちゃんと考えてあげなくちゃいけないよ。うん、私が口出しすることじゃないよね。でも、くれぐれもこのことは忘れないで』――

 キュゥべえとの契約に踏み切りそうな僕は、この言葉を思いだし踏み止まることができた。
 自身の魂を糧に契約するキュゥべえとの取引は――僕と一蓮托生の運命をしいられた、忍に対する裏切り行為に他ならない。

 勿論、この件に関して羽川に責任はない。ある訳がない。

 全ては僕が自分の意志で選択したことなのだから。


「………僕は……忍に全てを丸投げしたんだ」


 僕は安易な力――忍の力を――全盛期の力を取り戻した彼女の力を頼った。
 忍野がその力を忌避して、封印までして封じ込めた力を――裏技のような方法で掻い潜り、強引に使用したのだ。

 忍野が認めたのは、あくまでも、吸血鬼化した僕自身で戦うことだ。
 キスショット・アセロラオリオン・ハートアンダーブレードとしての力を取り戻した忍野忍が介入することは認めていない。だからこそ封印という方法をとっていたのだ。

 面と向かって言われたことはないけれど、それが忍野の線引きだったはずで、僕はそれを承知していながら――蔑ろにした。

 言うなれば、僕は禁忌、禁術の類に手をだした罪人だ。
 暗黙の了解を踏みにじり、足蹴にした――僕は忍野からの信頼を裏切った。


 これで、僕と忍の無害認定は剥奪される。
 僕は忍野の恩を仇で返したのだ。

 訥々と、僕は忍野にそのことを告げる。懺悔するように、言葉を絞り出す。


「それが――僕の下した決断だった…………全て僕の責任だ。どれだけ言葉を尽くし謝っても、それで済む問題じゃないってことぐらいわかっているけれど、それでも謝罪はさせてくれ。どんな罰も受ける覚悟だ」

 そんな僕の切実な想いに対し――忍野は言った。

「流石は委員長ちゃんだね。こんな手を思いつくなんて。はっはー。しかし、見ようによっては、これは僕の落ち度でもあるのか。いやー専門家として恥ずかしい限りだ」

「…………おい忍野、僕の話ちゃんと訊いてたか!?」

 いつもに増して、胡散臭い道化じみた物言で、羽川の手腕を褒めるようにへらへらと笑っている。

 なんだ、その軽い飄々とした態度は。人の謝罪を何だと思っているのだ。
 真剣に謝っている僕が馬鹿みたいじゃないか。

 思わず謝罪している立場なのを忘れ突っかかってしまう。


「訊いてるよ。まったく。阿良々木くんは元気いいねぇ。何かいいことでもあったのかい?」

 例の軽口を挟み、僕の神経を逆撫でしてから、忍野は続けた。

「だからこそ、一つ訂正しておこう。忍ちゃんが使った能力は『魅了』じゃないよ。委員長ちゃんだって、そんな表現は用いなかったんじゃないのかい?」
「は? どういうことだ?」

 確かに、羽川は『魅了』という言葉は使っていない。これは僕の後付けの解釈なのは認めよう。

「まぁ同系統の能力ではあるし同種の力だけど、似て非なるものだ」
「……わかんねぇよ。何言ってんだ?」

「『魅了』ってのは吸血鬼の中でも限られた種だけが行使できる特殊能力なんだよ。忍ちゃんといえども、『魅了』は使用できない。いや、忍ちゃんなら使用できないってことはないのかもしれないけれど、今回は使用していないはずなんだ」
「でも現に僕は、忍に操られてたんだぜ?」

「うん、それは否定していない。だから、似て非なる能力って話だよ。忍ちゃんが行ったのは、主従関係にある吸血鬼。その上位者だけに許される絶対服従の強制力とでも言うのかな。血の盟約。魂の絆を結んだ吸血鬼。その主従間に於ける強固な掟。下位に位置する者の叛逆を阻止する力。支配権の占有――『隷属化』だ」

「…………ん? でも結局効果は一緒なんだろ?」

「全然違うよ。だって『魅了』ってのは総じて意識のない操り人形を作る能力。自我を持つことは許されない。相手の意識まで乗っ取るものだ――でも、君には意識がちゃんとあったはずだぜ? 最終的に意識を失っていたとはいえ、それは途中で外的要因が絡んでのことだ。それは君自身がよく知っていることだろ? なんせ阿良々木くん自身が体験したことなんだからさ」

「…………それは」

「あの炎に包まれた魔女と相対した時、攻めあぐねていたよね? それはどうしてかな? まぁ炎に気圧されて、躊躇したって考えるのが妥当なんだろうけど、それだけじゃないだろ? これは僕の憶測になるけれど、忍ちゃんが、君に判断を委ねたんじゃないのかい?」

 敢えて口にしなかったのに…………やっぱりお見通しじゃねーか。どこまでも見透かしたような男だ。

 忍野の指摘する通り、あの灼熱の黒炎を身に纏わせたワルプルギスを前に、忍は躊躇していた。

 それがもし、キスショット・アセロラオリオン・ハートアンダーブレードとして、彼女自身の肉体で戦っていたのなら、そんなことはなかったのだ。

 だってそうだろう。吸血鬼の能力をフルに使えば炎を無効化することなど本来容易い。
 闇と同化すれば、難なく対処できたはずなのだ。

 でも、僕の身体を使っている関係上、肉体の操作で翼を生やすことはできても(僕だって身体の一部を植物に変化させることはできていたので、その延長みたいなものだ)、肉体そのものを闇や霧といったものに変化させることはできなかった。
 あの戦いは、あくまでも――吸血鬼化した『阿良々木暦』にできることを最大限、発揮していたに過ぎないのだ。
 あれでも能力の大部分が制限、限定されてた状態だったのだ。

 故に僕の肉体が足枷になっていた――ということだけではない。

 一番の足枷になっていたのは――
 尤も重荷になっていたのは――
 忍が憂慮したのは――

 僕の精神だ。

 吸血鬼の肉体は、身体にダメージを蓄積させることはないが、精神へのダメージはそのまま累積する。外傷のように瞬時に回復することはない。

 そして肉体の支配権は忍にあれど、痛みそのものは僕自身にくる。
 あの炎に身を投げ入れれば、当然、その地獄の苦しみを味わうことになる。

 だから忍は躊躇した。僕に判断を求めた。本当にいいのか、と。

 結果として、忍が心配していた通り、あの地獄の炎に焼かれている最中に、僕の精神は焼き切れた。
 吸血鬼化していたとはいえ、人間としての精神が色濃く残っている僕には、耐えきることができなかったのだ。
 とはいえ、僕の意識があろうがなかろうが、忍が僕の肉体を操作しているのだから、ワルプルギスを倒すことに支障はなかったわけだけど。

 こんなこと言ったって、何の弁解にもなりはしない。
 せめてもの責任として、最後まで見届けることが僕の使命だったはずなのに……どんな言葉で罵られても仕方がない。

 しかし――僕の返答を訊かずして、忍野は喋り出す。僕が言わなくても、わかりきっていることだと言わんばかりに。

「阿良々木くん、君は僕に責められることを望んでいるように見える。そうしなければ許されない、いや許されるつもりなんて、君にはないんだろうね」

 おちゃらけた雰囲気はなく、人を小馬鹿にしたような態度でもなく、茶化すような言葉でもない。
 どこまでも真面目な、真剣な表情で忍野は言う。

「でもね。僕は君を責める気なんてこれっぽっちもないよ。全てを丸投げにしたと君は言うけれど、最終的には君の判断で忍ちゃんは動いたんだろ? あの炎に身を投げ入れるゴーサインを出したのは君自身だ」
「……そうは言っても、吸血鬼の不死性があったわけだし…………命の保証はされていたからであって」

「おいおい、阿良々木くん。命の保証があったところで、そんなの他の誰にも真似出来るはずないだろう? そういうところがズレているよね君は。まぁ阿良々木くんの場合、命の保証がなくても、同じことをしたと、僕は愚考するけどね」

「………………でも…………僕は! ……何の力にも」

「忍ちゃんの功績が大きいのは確かだけれど、それは君がいたからこそだ。誇っていいよ。この結果は間違いなく君の力が寄与してのことだ。そもそもさ。丸投げしたというのなら、それは僕のことだ。僕は君に全てを委ねていたんだから」

 きつい叱責を受ける覚悟していた僕にとって、それは全く予期していない流れだ。
 その言葉に僕は面食らってしまう。

 否定的な台詞を並べ、人を揶揄することに長けた皮肉屋は、らしくもなく実直に言うのだった。

「阿良々木くん、君はよくやったよ。僕は心からの敬意を表するよ」







[27169] おしのジャッジ~その4~
Name: ミドリ◆02e976c9 ID:ea6cad15
Date: 2017/01/09 03:23
~110~

 悪戦苦闘しながらも、どうにかこうにかぎりぎりのところで、最凶の魔女――『ワルプルギスの夜』を倒す事ができた。

 同じ時間を幾度となく繰り返してきたという、暁美ほむらの目的は、無事達せられた訳だ。

 仇敵を打倒するに至り、ほむらに取って枢要な存在であるまどかちゃんも護り通すことができた。ほむらの悲願は成就した。

 しかし、だからといって“これで”万事全て解決したという事ではない。
 残念ながら、一件落着などしていない。

 迫り来る脅威を撃退しただけで――ワルプルギス以外にも魔女は多数世界に蔓延っているのだ。

 加えて――『魔法少女』と『魔女』の歪な相互関係――悍ましいマッチポンプな『システム』が根底にある限り、状況が改善されたとは言い難い。現存する魔法少女の『窮状』は何も変わっていないとさえ言える。

 まだまだ大きな問題が山積みなのである。


 だからこそ。僕にとっては、寧ろここからが本番だ。

 この不条理なシステムを創り上げた元凶。言うなれば統括管理者。
 
 キュゥべえ――いや、インキュベーターとの交渉が残っている。


 正体不明、生態のほぼ全てが謎に包まれた異星生命体との交渉…………どう話が転がるのか、全く予期できないが…………そうだとしても。

 想定外の展開だったが――付け焼刃にもなっていない吸血鬼もどきの僕じゃなく、忍の傀儡と化した最強の吸血鬼として力を奮ったのだ。

 幸か不幸か図らずも――吸血鬼の力を見せつけるという点に関して言えば、これ以上ない程に、その有用性を示せたはず。交渉材料としては申し分ない。

 キュゥべえとの交渉も、かなり期待できるだろうなんて胸算用をしつつ、逸る気持ちを抑え、部屋の隅で傍観者を気取っているくだんの交渉相手を呼び付ける。

 念の為、忍野にも同席してもらっていた。

 忍野はこの件に対し、明確な一線を引き我関せずの態度を通しているが、一応は協力関係にあり、関係者だ。僕一人ではキュゥべえの話術に誑かされる可能性が高いので、第三者として、僕らのやり取りを見届けてもらうことにした。
 専門外とはいえ、曲がりなりにもバランサーを称する男だ。交渉事に関して頼もしい存在と言える。

 最終的な交渉に関しては、羽川を筆頭に他の関係者を交えつつ、慎重の上に慎重を期し、話を進めるとして――――だからまぁ今僕がやろうとしているのは、『交渉』と言えるものではなく、ただ相手の反応を確かめるみたいなもの。

 後々は羽川に任せるにしても、その前に話の骨子を整えておくぐらいして然るべきだろう。
 一から十まで羽川任せっていうのも、よくないことだ。

 そんな訳で、忍野立ち合いの元、キュゥべえとの対話が始まった。



「結果は見ての通り。吸血鬼の力はこんなもんだ。って今更、僕が言葉で説明するまでもないよな? さぁキュゥべえ。お前の総評を訊かせて貰おうじゃねーか!」

 下手に出ると、キュゥべえに主導権を握られかねないし、ここは強気に出る。
 吸血鬼の力を半信半疑にしか見ていなかった奴の、鼻を明かすことができたのだ。
 忍の手柄とはいえ、自然と得意気にもなろうというもの。ドヤ顔とはいかないまでも、自信に満ちた表情で、僕はキュゥべえを見下ろし啖呵を切る。

「そうだね。想定を超える力を観測させてもらったよ。まさか本当に『ワルプルギスの夜』――それも『正位置』についた状態で倒すなんて。吸血鬼の力は、有用な資源になる可能性を秘めていると、そう判断できる。要調査対象から、更に重要度を引き上げるべきだろうね」

 よし。好感触!
 キュゥべえの反応に、ぐっと右拳を握り込み、二重の意味で手応えを確かめる。

 羽川の考えでは、インキュベーターの抱えるエネルギー問題を解決することで、今後の魔法少女との契約を止めさせるなんて交換条件を提示していたけれど、今後の交渉次第では、もっとこちらに有利な条件を引き出すことができるかもしれない。
 あとは羽川の手腕に任せるべき事柄だ。

 なんて、意気揚々とした気分で、これからの事を考えていたのだが――


 ――続くキュゥべえの言葉に、僕の思考は固まる。

「とはいえ、どんなに多く見積もったところで、僕らが回収すべき目標としているエネルギー総量の、十分の一にも満たないだろうね」

「え?」

 見上げるキュゥべえの赤い瞳に、呆けた僕の姿が映し出されている。
 自信満々で提出したテストが、赤点で返ってきたかのような――その時の感情を何倍にも肥大させたよう、圧倒的絶望感。


「いや…………それは……おかしいだろ…………だって、お前、想定を超える力だって…………有用な資源になるって……」

「確かにそうは言ったけれど、それは吸血鬼の齎す力が、予想を超える数値であったというだけのことであって、僕らの回収する値のエネルギー総量を凌駕したという訳じゃない。別に矛盾はしていないはずだよ?」

 淡々とした口調でキュゥべえは言う。
 何を伝えたいのかは、理解できる。
 けれど内容が、全く頭に入ってこない。

「利用価値はありそうだから、調査は継続させてもらうつもりだけど、阿良々木暦。それで構わないかな?」
「…………そんなことはどうでもいい…………ワルプルギスを倒した吸血鬼の力で足りないって……嘘偽りなく本当のことなのかよ? 口から出まかせに、都合のいいことを言っているだけじゃないのか?」
「まぁ回収方法が不確定だし、算出方法も正確というわけじゃないけれど、見積もりとしては、期待値を込め、だいぶ甘くしているつもりだよ? そんなに僕の言っていることが信用できないのかい?」

「できるかよ。お前の今までの言動を考えてものを言え! 信じられる要素なんて皆無だろうが!」

「んー、そう言われてしまうと、これ以上言葉を交わす意味がなくなるけれど……阿良々木暦。君に一つ質問だ。君は、この宇宙の広大さを本当に理解しているかな? 例えば、地球と比較した太陽の大きさは分かるかい?」

 いきなりの質問に面食らいつつも、思考を巡らせる。
 昔、理科の授業で習った気もするが……。

「……20倍とか?」
「直径はおよそ100倍だ。体積で言えばおよそ130万倍になる。うん。君の宇宙に対する認識はだいたい把握できたよ。ついでに言っておくと、太陽を遥かに越える大きさの恒星なんて幾らでもあるからね」

 物凄く馬鹿にされていることだけは、ひしひしと伝わってくる。遅れて――僕の認識の甘さが、嫌と言う程に押し寄せてきた。

「確かに地球規模で見れば、吸血鬼の力が絶大なのは認めるよ。悪くはないエネルギー源だ。枯渇していくエネルギーの補填も可能だろう。でも、到底宇宙全体で消費していくエネルギーを賄えるものじゃない。僕らに課せられたエネルギー回収ノルマを達成するには至らないってことさ」

 理路整然とした単純極まりない理屈。
 キュゥべえの言い分に反論したいけれど、その言葉は出てこない。
 心の中で反駁できるに足る材料を探すも、僕の中に答えはなかった。
 
 コイツは自身の利益の為に嘘を吐いている。そう思いたかった。

 でもどんなに否定したくても、言われた通りなのだ。
 地球規模ではなく、宇宙規模。

 宇宙規模の問題。
 幾ら伝説の吸血鬼の力とはいえ、宇宙の全体の熱量を賄うことができないってのは、納得できる話だった。納得できてしまう話だった。

 あまりに途方もない、桁違いに大きすぎるエネルギー。その全体像を見極めることができていなかったのだ。正確な判断を下せていなかった。


 それに、最初からコイツは言っていた。
 羽川が一案として提示した、吸血鬼の力を提供するという手段を訊いて、キュゥべえはこう答えていたのだ。

――『とてもじゃないけど、僕達が目標としている値のエネルギーを賄えるとは思えない』――

 
 そう提起していた。だから、キュゥべえの結論は変わらない。
 インキュベーターの欲するエネルギー総量に届いていないのだから、無論、僕達の要求は却下されることになる。吸血鬼の力は、魔法少女のシステムを止めることに釣り合う利益を齎すほどではない。
 割に合わないのだから、当然の判断と言えた。

「そうか…………僕達は……最初から見誤っていたのか…………羽川が計算違いをしたとしても、おかしなことじゃない……よな」

 羽川翼。彼女だって決して全能ではない。
 ……これは致し方ないことなんだと、そう僕は結論付けようとした、その時――


「阿良々木くん、何を馬鹿なこと言っているんだい? そんな訳ないじゃないか」

 そう意を唱えたのは、僕とキュゥべえのやり取りを静観していたアロハ服の男だった。
 アロハ野郎――忍野メメは教卓の上で胡坐をかいた体勢で、火のついていない煙草を僕に向け、軽薄な笑みを浮かべている。

「…………忍野…………それは……"何について"言っているんだよ?」

 僕がキュゥべえの言葉を鵜呑みにしていることを、駄目だししているのか?
 だとすれば、僕の愚かしさが証明されることになろうとも、その方がいい。その方がよかった。

 けれど……忍野の指摘は、僕の待ち望んでいたものではなかった。

 キュゥべえの言い分を覆すような、起死回生の言葉などではなかった。
 寧ろ、キュゥべえの言葉を補強するだけの話で――ただただ僕の思い違いを指摘するだけのものだった。

 淡い期待は霧散する。掻き消える。


「言った通りだよ阿良々木くん。あの委員長ちゃんが、『見誤る』? 『計算違い』? はっはー。そんな訳ないって言っているんだよ」

「いや……そりゃ僕も信じられないことだけど」

 千慮の一失という言葉もある。
 僕は他の誰より、羽川の有能さを理解しているつもりだけれど……だけど、それでも、実際問題、羽川は――


 しかし、続く忍野の言葉に、僕は言葉を失った。

「違うよ。委員長ちゃんは"最初からこうなることを見通していたよ″。承知の上だ」

「え?」

 思考が停まる。どういうことだ? 言わんとしていることが理解できない。
 そんな思考停止状態の僕に対し、忍野は面白そうに言葉を重ねた。


「阿良々木くんは覚えていないかな? 阿良々木くんと委員長ちゃん。それとツンデレちゃんが一緒に僕のところまでやって来た先日の出来事だけど」

「……ほんの数日前のことだ。どんなやり取りがあったかぐらいは、多分思い出せるとは思うけど」

「そりゃ重畳。でだ、あの時、代替エネルギーとして、吸血鬼のエネルギーを宛がうという委員長の案に対し、僕が口を挟もうとしたんだけど、その時の委員長ちゃんの反応は思い出せるかな?」

「……ああ、よく覚えている」

 鮮明に思い出せる。

――『代替エネルギーとして吸血鬼のエネルギーを宛がうって話――うん、忍ちゃんの全盛期の力はほんと桁違いだからね。この地球上に於いて最大のエネルギー源だといっても過言ではないよ。ただしそれは』
『あの!』
『ん? あ、ああ、そういうことかい。だよね、だと思ってた。“承知の上”でのことだっていうのなら、別にいいんだ。余計なお節介だったみたいだね』
『いえ、そんなことはないです』――


 アレは、珍しい光景だった。あの羽川が、人の話を無理に遮るなんて、おかしいと疑問に思っていたものだ。それに慌てふためいた羽川の表情が印象的で……僕の羽川フォルダに厳重に保管している貴重なワンシーンだった。


 いや、そうな思い出に浸っている場合じゃない。
 
「なら何で羽川は? おかしいじゃないか! 羽川は最初から無理だと解っていて、この方法を選んだって言うのかよ? そんなの意味がないことじゃないか」

「意味がない? はっ、大ありだよ――"幾つか″理由はあれど、大前提として、委員長ちゃんがこの手段を選んだのは、阿良々木君、君のためなんだよ?」


「……魔法少女のためじゃなく…………僕の……ため?」

 混乱状態に、更に拍車が掛かる。
 そんな僕の様子を睥睨しつつ、忍野は続ける。

「そう、君の命を護るためにね」
「……は? どういう意味だ? 僕の命って……全く話が繋がっていないぞ?」

「そう思うのかい? まぁそうだろうね。でも、考えてみなよ。阿良々木くん。君がもし中途半端な吸血鬼の状態で、あの戦いに参戦していたとしたら? どうなったと思う?」

「…………どうなるって、そんな過程の話……まぁ結果的に見れば、完全に吸血鬼化しておいて、助かったって話になるんだろうけどさ…………」
「うん、だからこそ、委員長ちゃんとしては、君を混じりけなしの吸血鬼にしておく必要性があったってことだよ。君を完全な状態の吸血鬼にする、これ以上ない口実になっているだろ?」

「……待てよ。それはキュゥべえに吸血鬼の力を示す手段として」
「でも、それは違った――だろ? 嘘も方便ってやつかな」
「………………」
「阿良々木くん。君は吸血鬼の力に頼る事に対し、引け目のようなものを抱いている。安易に頼っていい力じゃないと、考えている。うん、その考えは決して間違っていない。でも、委員長ちゃんにしてみれば、そんな事情を差し引いても、君の命を優先したかった。阿良々木くんの主義主張を曲げさせてもね。故に、"理由付け"が――阿良々木くんを納得させる、大義名分が必要だったんだよ」

 理由付け。大義名分。僕の命を護るための、羽川の嘘。

「阿良々木くんが中途半端な吸血鬼もどきの状態で介入する可能性は十分あったからね。委員長ちゃんは、その可能性をどうしても潰したかったんだよ。阿良々木くんの性格からして、どうしたって止めることはできない。己の身を顧みず無茶をするのは目に見えていた。なら不用意に止めるよりも、完全無欠の吸血鬼にしたほうが、生存率が飛躍的に高まる」

 ここは羽川に感謝しなければいけない場面なのだろう。でも……僕は急き立てられるように忍野に問い掛けていた。今は僕の事じゃない。彼女達のことが優先だ。

「…………忍野、お前の話が真実だったとして…………じゃあ羽川は……魔法少女の問題を……解決する気は、なかったっていうのかよ?」

 声が震え、上擦る。
 忍野の話では、そういう図式が成り立ってしまう。
 僕の命を護ってくれたことよりも、魔法少女のことを蔑ろにしたという点が、看過できることではなかった。

「それも違う」

 僕の問い掛けに忍野は断言する。
 勿論、『ワルプルギスの夜』を倒す一手という側面もあるんだろうけどねと、そんな前置きを挟んで、忍野は考えを巡らせるように顎に手を当て、しばし黙考する。

「うーん、やっぱり。このまま僕が全てを開示するってのは、どうにもフェアじゃないか。僕が口出しすべき事じゃないよね。委員長ちゃんの思惑もある訳だし。うん、お喋り好きとは言え、こういうのはあまり気乗りしないな。それに安易に頼られるのは癪だしね」

 なんて今まで好き勝手に、羽川の内情を暴露し続けていた男の弁である。

「おい、こんな中途半端なところで、話を打ち切る気かよ!?」
「はっはー、それも一興だね。阿良々木くんが悶え苦しむ様が見られるのは痛快だ」

 この野郎……なんて性格の悪い。

「とはいえだ、此度の阿良々木くんの頑張りを評価していることだし、ヒントぐらいはあげようじゃないか」

「ヒントだ?」

 今になって、そんな謎かけみたいなことされても困るのだが……。

「そう。で、阿良々木くんは将棋に詳しいかい?」

 僕の胡乱げな視線など気にする素振りもなく、忍野は話し出す。

「将棋? まぁ人並みには知ってるつもりだけど……」

 将棋、囲碁(もっぱら五目並べだけど)、花札なんかは、田舎のばあちゃんの家で教えてもらったからな。

「腕前に関しては、駒の動かし方や、一般的なルールを知っているぐらいの――まぁ素人に毛が生えた程度で、そこまで詳しくないぜ?」

 知識としては、『穴熊』『矢倉』は言うに及ばず『鬼殺し』『ゴキゲン中飛車』なんかも知っているけれど、所詮とあるラノベで仕入れた知識なので、実戦できる腕前などあろうはずがない。
 あー僕も『竜王』になれる実力があればなぁ……小学生の弟子やらが…………いや、何でもない。

「うん。ま、今時の子ならそれで十分だと思うよ。でも、もし阿良々木くんが将棋好きで、それなりの棋力もあるんだったら、僕の作った詰将棋を披露するところだったんだけどね。残念だ」

 なんて、珍しく本当に落胆した様子で、肩を落としている。
 自分で詰将棋を作るなんて、かなりの将棋好きのようだ。

「で、将棋がどうしたんだよ?」

 まさか、何の意味もなく世間話として、将棋談義を振ってきた訳ではあるまい。ヒントだとか言っていた筈だけど。

「ん? ああ、そうだったね。まぁそんな畏まらず軽く思いつくままに答えてくれていいんだけど、阿良々木くんは将棋を勝つ上で大事な要素って何だと思う?」

 と、そんな質問をしてくる忍野。
 ふーむ…………思いつくままにと言われても、そこまで本腰を入れて将棋に取り組んだことがないので、何の答えもでてこない。

「例を挙げるなら、僕の大学時代の将棋仲間は、こう言っていたね。何より『思考スピード』が重要であり、『如何にして思考時間を短縮して、最適解を導き出すか』それに尽きるってね」

 僕の思い悩む姿が目に入ったのか、忍野が一例をあげてくれる。

 ふむ、なるほど。
 素人同士の対局では時間は実質無制限だが、本格的な対局――公式戦ともなると、対局時計が必ず用意されており、時間制限がつく。そうなると早指しは相手へのプレッシャーにもなる。そして思考速度そのものが、頭の良さ、思考能力を計る指標にもなる訳だ。確かに重要な要素だと言えよう。
 
 しっかし……こいつの大学時代って、色々気になるな。どんな学生生活を送っていたのだろう?

「というか、お前友達いたんだな」
「サークル内の繋がりだけどね。いやぁ懐かしいな、駒柱を作るのが大好きな奴だったよ」

 なんて不吉な奴だ。狙って駒柱を作るとか、性格がひん曲がっている。絶対ロクな奴じゃねー。あまりお近づきになりたくない人物だな。

「んー、さっきの答えだけど…………『詰み筋を見つけ出せる力』ってのは当たり前すぎるか? さっき詰将棋を勧めようとしていた訳だし、詰将棋をたくさん解いて、地力を底上げしていくことが大切なんじゃねーのか?」

「うん、それも重要だね。良い答えだと思うよ」
「……そ、そうか?」

 基本、僕の答えには否定的に入ってくる忍野には珍しく、素直に褒めてくれたのは意外だ。
 将棋愛好家だから、将棋関連の話題については甘いのかもしれない。

「で、それが何なんだ?」
「ん? 別に阿良々木くんの答えはどうだっていいよ。これは、ただの興味本位だ」
「………………おい」
「とは言っても、話しの導入として必要な手順だったからさ、じゃあ本題に入ろうか。阿良々木くん。僕が将棋を勝つ上で尤も重要視――つまり、いったい何に重きを置いて指しているのかというとね」

 そう言って忍野一拍の間を取り――殊更意味ありげに、強調するように言うのだった。

「“如何にして、相手の裏をかくか”」
「裏をかく」
「そう、言い換えれば“相手を出し抜く”――此方の意図を気付かせずに、どうやって相手を欺くか、だ」

 嫌らしい……性質の悪い男だ――なんて一瞬思ってしまったが、これは至ってごく普通の理論だな。
 将棋なんてのは、正々堂々、裏のかきあいを競い合う勝負と言っても過言ではないのだから。手の読み合い。その読み合いを制した者こそ勝者となるのだ。

「でだ、阿良々木くん。それを実践するとすれば、どういった手を指すことが望ましいと思う?」
「ん? どうって………………あまりそんなことに気を使って指したことはないからな…………」

 所詮素人なので、どうにかして詰み筋を探すことだけで一杯一杯なのだ。数手先の盤面を予想して指すことなんてできていない。

「手法としては、王手なり相手の本陣に攻め入るような目立つ一手を指す。或いは敢えて飛車や角を捨て駒に使う。そうやって相手の思考を誘導し注意を逸らす。読み違いを誘発させる――でも実際の狙いは別にある、なんていうのがオーソドックスかな。あとは、序盤の何気ない一手が、終盤に大きな役割を果たすなんてのは、漫画なんかで散見するよね」

「うん、よく見るな」

 将棋漫画じゃないけど、ヒカルの碁でよく見た展開である。
 まさか、あの序盤の不可解な一手は、この展開を見越してのことだったのか! なんてやつ。

「まぁ総じて僕が何を言いたいかと言えば、一流の棋士――天才と呼ばれるような人種は、無駄な一手なんて指さないってことだよ。必ず何らかの意図が隠されている。布石となっている。こういうのは、マジシャンの視線誘導技術にも通ずるところがあるよね。『ミスディレクション』ってやつだ。そして小説で言う『ミスリード』と呼ばれる手法もある意味似たようなもんだね――さて、これで僕からの話はお終いだ」

 ここまで解かり易く強調して言ってくれているのだから、忍野が言わんとしていること――提供してくれたヒントが何なのかは流石に読み取れる。

 共通しているのは――相手に意図を気付かせず、何かの目的を果たすこと。

 なら僕は何に気付いていない!? 何を見落としている!?


「あー阿良々木くん。別に気に病むことではないよ。君が気付かなかったんじゃなく、意図して気付かせなかったんだ。つまり術中に嵌るのは、計算通りなんだからね。寧ろ、阿良々木くんが気付かないからこそ、そこに大きな意味が出てくるとでも言うべきかな」

「…………んな思わせぶりなことばかり言ってないで、はっきりと教えてくれよ…………それとも、僕はずっと気付かないままでいた方がいいことなのか?」

「いや、そんなことはないよ。もうほぼ大勢は決しているからね。でも、それは僕が言うべき事じゃない。それに僕が教えるまでもなく、時機明らかになるだろうさ。っと、そろそろ時間だね」

 忍野は教卓から飛び降り、そのままドアの方へ歩いていく。
 話は終わったとそう態度で表すように。

「って待てよ忍野。時機明らかになるとか、時間だとかどういうことだよ!? 色々説明が足りてなくないか? 悪いとは思うけど、まだもう少し付き合ってくれよ」
「おいおい。僕はこう見えても忙しいだぜ。さっきから呼び出しがひっきりなしに掛かってきているんだ、あぁそろそろ危険だな。怒りはしないだろうけど嫌味は言われそうだよ」

 そんな小言を呟きつつ、忍野はアロハシャツの胸ポケットからあり得ないモノを取り出した。

 春休みの折――伝説の吸血鬼の心臓を取り出した時も大概驚いたものだが、今回のはある意味それ以上に驚きの一品である。

「…………携帯電話!?」

 間違いない。見間違いようもない。あろうことか、忍野メメが携帯電話を持っていた。

 機械の操作が苦手で、そういった類の機器とは隔絶した生活を好む放浪者が、現代の英知の結晶を所持しているだと!? 住所不定の人間が所持できる品物ではない!

「ん? ああ、これかい? いやぁ僕も流行に乗り遅れてばかりもいられないさ。出先で立ち寄った量販店の店員に乗せられてつい買っちゃったよ」
「嘘だろ」
「うん、嘘だよ」

 だよな。知ってた。こいつが量販店などで買い物している姿はあまり想像できない。
 でも、普通にミスタードーナツとかは購入しているし、ないってことはないのか?

「これは借り物だ。というか、無理矢理貸し付けられているといった方がいいかな。あの人は強引だからね。はぁまったく困ったもんだ。先輩に余計な借りをつくっちゃったじゃないか」

 なんて迷惑そうに愚痴を溢す忍野。
 そういや、結界を張るにあたって、先輩を頼るとかそんなこと言っていた気がする。
 忍野の言い分を無視して、携帯を付与するなんて、その先輩とやらも只者ではなさそうだ。

 まぁ忍野の場合、携帯に限らず機械を嫌悪する世捨て人ってことではない。ただただ機械音痴なだけである。状況が差し迫れば、携帯を所持することなど厭わないのだろう。

「ほんとに色々手回しが必要だから、あまり悠長にしている暇はないんだよ。事後処理でてんてこ舞いって訳さ。まぁ君のことを請け負った身としては、このままほったらかしってわけにはできないしね。サービスとして『場』は整えといてあげたから。それで我慢してくれ」

「『場』って?」
「それも時機わかるさ」

 取り合う気のないすげない態度。こうなった忍野は頑なだ。引き下がるしかないか。

「いやはや僕がこうも振り回されるなんて、彼女達は末恐ろしい存在だよ、まったく」

 そんな独り言を溢し、忍野は足早に部屋から出て行ってしまった。
 色々気になることが多すぎて、何が何やらって感じだが、どうにも最後の言葉が引っ掛かる。

 あいつ、『彼女達』って言ったよな?

 ん? 僕はずっと羽川一人を念頭に話していたが…………そうじゃないのか。羽川だけじゃない?
 ほむらとは面識がないはずだし、だとしたら、考えられる可能性は自ずと限られてくる。

 いや…………そんなの、一人しかいない。


 逃げるように去っていった忍野と入れ違いに――
 まるで答え合わせのように――
 勢いよく乱暴に部屋の扉が開かれた!

 はぁ…………遂にお出ましか。
 
 今し方、思い浮かべた人物――戦場ヶ原ひたぎの姿がそこにはあった。






[27169] ひたぎウィッチ~その8~
Name: ミドリ◆02e976c9 ID:ea6cad15
Date: 2016/12/30 20:08
~111~

 長い艶やかな黒髪をポニーテイル風に結わえた、見慣れない髪型。
 とは言え表情は相も変わらず見慣れた、不機嫌そうな鉄面皮の如き無表情。怒っている訳ではないのだろうが、どうしてもそう見えてしまう。その原因は、吊り上った目尻と切れ長の目にあると思われる。鋭い目付きが、否応なく剣呑な雰囲気を作り出しているのだ。

 服装は黒に近い紺を基調としたシックなワンピース。スカートの丈は短いが、そこから覗く太ももは黒いストッキングで覆われている。

 装いに関してはそんなもので、一応、彼女の有するデータを今一度、再確認しておこう。

 名前、戦場ヶ原ひたぎ。
 口を開けば暴言毒舌。性格は極悪にして冷淡かつ冷酷かつ悪辣。周囲を凍てつかせる程に冷たい。不用意に触れれば凍傷を引き起こす。液体窒素みたいな女だ。
 一見クールに見えるが限りなく凶暴であり苛烈。無慈悲で無愛想。傍若無人。
 取り扱いが非常に難しいというか、怒りの爆発ポイントが地雷原のように隠されており、対処は極めて困難。ただし、その本性を曝け出すことはしていない。
 学校の中では大人しく無口な――深窓の令嬢というポジションを保っており、人を寄せ付けないオーラを放っている。

 人当たりは酷い(彼女のパーソナリティスペースに介入したものに限る)。なので当然、友達もいない。

 容姿端麗。可愛いというより美人と言うに相応しい。スタイルはなかなか。身長は高く、体重は平均より軽い(本人談)。
 成績優秀。頭はいい。学年でもトップクラスの成績を誇る。

 七月七日生まれ。一七歳。直江津高校三年生。僕の同級生であり恋人。蟹に行き遭った少女。

 なんて彼女の有する情報を思いつく限り羅列してみたが、そこに新たに加わった――加えなければいけない要素があるとすれば……………………『魔法少女』ということになってしまうのだろう。

 魔法少女ひたぎ。

 だが、まだ確証がある訳ではない。往生際が悪いと思われるかもしれないが、まどかちゃんとキュゥべえの証言から、そう判断せざるを得ないというだけの話だ。


 けれども、戦場ヶ原の魔法少女化を裏付ける証拠が否応なく、目に入ってしまう。

 彼女の左手中指に装着された指輪。魔法少女の証――ソウルジェム変形状態。
 いやいやいや…………指輪なんて幾らでも偽装できる。似た指輪を買ってきてそれをはめているだけかもしれないじゃないか!

 何は兎も角、真相を彼女の口から訊き出さなければ始まらない。
 訊きたいことは山ほどある。けれど、どう切り出すべきか…………というか、真相を問い質すことを躊躇している自分がいる。
 結果は変わらないのに、訊いた瞬間、本当に確定してしまうような――戦場ヶ原が魔法少女になったという事実を恐れているのだ。そんな情けない感情で二の足の踏んでいる。

 なんて葛藤をしている間にも、戦場ヶ原は後ろ手で扉を乱暴に閉め、つかつかと急接近してくる。

「ご苦労様」

 労いの言葉にしては平淡な声で、あまり労わりの感情は感じられない。まぁいつも通りと言えばいつも通り。というか、やや不機嫌そうな感じがする。

「あ、ああ。なぁ戦場ヶ原…………何か怒ってる?」
「そうね。ったく、阿良々木くん。あなたは私の彼氏、私の所有物なのよ? つまり命の所有権も私にあるの。それをあんな無茶をして…………生殺与奪の権利が私にあることを忘れられては困るわね」
「彼氏の自覚はあるけど、お前に生殺与奪の裁量まで握らせた覚えはねーよ!」
「あの時、約束したじゃない!?」
「いつだよ! んな約束した覚えはねー!」
「あらそう。まぁ阿良々木くんの無事を祈って待っていた人がいるってことを、知っておきなさい」
「…………ああ、心配させて悪かったよ」
「ええ、羽川さんがずっと心配していたんだから」
「お前のことじゃないのかよ!」

 羽川に心配されている事実は素直に嬉しいが。

「でもさ戦場ヶ原。お前の言い分を借りるなら、お前は僕の彼女、僕の所有物な訳だよな?」
「は?」

 疑問符としでなく、何を馬鹿なことを言っているだと言いたげな、見下した物を見る冷たい目。

「飼い犬に手を噛まれるとはよく言ったものね」
「お前のいう恋人関係ってのは、飼い主とペットの関係なのか!?」
「別にそんな風には思っていないわ。私、阿良々木くんのこと蟻を観察する学者のような気持ちで見ているもの」
「ペットよりも扱いが下だと!?」
「聞き捨てならないわね。私は蟻をこよなく愛しているのよ」
「……さいですか」
「ほら喜びなさいよ」
「蟻と同等と言われて喜べるかよ!」
「何勝手にお蟻様と同等に並んでいるの。身の程を知りなさい」
「僕の方が下なのか!? いや、まぁ…………そうだな。お前がそこまで蟻が大好きだっていうのなら、いつか蟻に並び立つ男になってやるぜ!」

 自分で言っていて悲しい台詞だが、ここは大人の対応で。いつまでも戦場ヶ原のペースに乗せられてちゃ、話が進まない。

「いい心掛けね。ここで一つ、最近、蟻の巣キットで蟻の育成に励んでいる私からの有り難いお言葉よ。蟻は死んでも廃棄が楽だし、幾らでも補充ができて便利なのよね」
「その情報はどういう意味だコラ! お蟻様の扱いがそんなのでいいのか!?」

 人をおちょくるスキルが高すぎるぞこの女。

「え? 蟻なんて所詮虫けらの一種でしょ?」
「蟻を愛しているんじゃなかったのかよ!?」
「お『蟻様』の扱いなんて、この『有り様』――ということね」

 したり顔で、戦場ヶ原は言う。
 なんで、こいつは時折さも上手く言ったみたいな雰囲気で、こうも暴投するのだろう。

「さて、阿良々木くんをいたぶることにも満足したことだし、話を戻してあげるとして、私が阿良々木くんの所有物だとして何なの?」

 戦場ヶ原を所有物扱いするのなら、危険物取扱免許とか取得しなきゃいけないような気がしてきたけれど、それはさて置き、意を決して僕は本題に入る。

「だからさ……所有物…………じゃなくて、お前は僕の彼女だろ。なら何で僕に何の相談もなく、勝手なことをしたんだよ! というか、今更ながらに訊かせてもらうけど、お前は本当に魔法少女になっちまったのか!?」

「それにしても阿良々木くん、随分とハイカラな服装ね。時代を先取りしているわ」
「露骨に話を逸らすな!」

 まぁ忍特製の、このアバンギャルドな服装に関して見て見ぬふりはできないだろうが、今はその時ではない。あとハイカラって表現もどうかと思う。

「さて、どうなのかしら?」

 戦場ヶ原は小首を傾け言う。僕の反応を見て、口元に愉悦の笑みを形作る。笑顔の類ではなく、悪巧みをした者が浮かべる悪い表情だ。

 つーか、この段階ではぐらかされても困る。

「ま、阿良々木くんが知っての通りよ」
「知っての通りって…………でも……本当の本当なのか? お前のことだから、何か裏があるんじゃないのか?」

 そう言ったのは、何も戦場ヶ原の魔法少女化を認めたくないという気持ちだけで出てきた言葉ではない。
 忍野の言葉を思い出していたからだ。
 僕は何かを見落としている。欺かれている。
 だとしたら、僕が戦場ヶ原に騙されている可能性だってあるはずだ。

「ふーん。随分と疑り深いのね。話は訊いているのでしょう?」
「そうだけど……」
「なんなら、変身でもしてみましょうか? そうしたら信じられるのかしら?」

「そうだな。目の前で魔法少女の姿を見せられちゃ、流石に信じる他ないし、そうしてくれると助かるよ」

 やはり、これから今後の話をするにあたって確証は欲しい。
 戦場ヶ原の思惑を知る上でも、この目で確認しておかばければなるまい。

「とはいえ、無条件に、という訳にはいかないわね」
「なぜそこで勿体ぶる必要があるんだ!?」
「勿体ぶっている訳じゃなくて、変身をするにあたって一つ約束して欲しいことがあるだけよ」
「約束だ?」
「ええ、約束。交換条件と言い換えてもいいけれど」

 戦場ヶ原は念を押す様に繰り返す。
 何を吹っ掛けられるか、気が気でないが……ここは従うほかないだろう。
 僕は頷き、先を即す。

「そんな警戒するようなことじゃないわよ」

 僕の顔色を見て戦場ヶ原は言う。とは言え気は抜けない。

「ただ私の変身した姿、それを見た感想を包み隠さず正直に伝えてほしい、それだけよ」
「………………ほんとにそれだけでいいのか?」
「ええ、それだけ」
「……そっか」

 んーむ、肩透かしを喰らった気分だ。戦場ヶ原の言う通り、少し警戒し過ぎていたようだ。

「でも、なんでまた?」
「いえ、だって阿良々木くんが、私の魔法少女の姿を見て、内心で馬鹿にしていたら、それ程腹立たしいこともないでしょう? あーもし、嘲弄してくれようものなら、その時どうなるかは保証しかねるわよ」
「…………でもさ、正直に話せって条件なんだから、僕がどんな感想を言ったとしても、お前は我慢すべきことじゃないのかなぁなんて思っているんですけど、どうでしょう?」
「その時になってみないとわからないわね」

 何が警戒することじゃないだ! おもっくそ僕の生死に関わることじゃねーか!

「それで、約束してくれるの? 別に強要はしないわよ」
「…………ああ、約束するよ」


 戦場ヶ原がどんなプリティーな衣装に身を包んでいたとしても絶対に笑わないよう、心の中できつく戒める。
 正直に話せって条件だが、まぁそんなの戦場ヶ原には解るはずもないのだから、慎重に言葉を選びオブラートに包み込まなければ(そりゃもう何重にも)。そうしなけりゃ、僕の命が危うい!!









~112~

「どう、似合う?」

 魔法少女への変身は、一瞬だった。
 アニメのように変身バンクがある訳もなく、光に包まれた瞬間、気付いた時には戦場ヶ原の衣服は様変わりしていた。

 それを見て僕は――

「…………!」

 ごくりと、生唾を呑み込んだ。
 本来であれば、直に戦場ヶ原の衣装の感想を言うべきところなのだろうが、僕は言葉を紡げない。
 戦場ヶ原の姿に、見入ってしまう! まじまじと凝視してしまう!

 夜空を押し込めたような、煌めきを放つ漆黒の装束。
 ワンピースとチャイナドレスが組み合わさったようなデザイン。
 系統としては杏子の衣装に類似したものだが、胸元がざっくりと開いており、スレンダーな身体をしている割に意外と自己主張した胸が露わになっている。
 また、チャイナドレスのように深く大きなスリットが入っており、かなり際どいラインまで太ももが見えている。更に、その隙間から僅かに見え隠れするガータベルトが妖艶だ。

 そして、その衣装を包み込むように、大きなマントを羽織っていた。
 真っ黒くて分厚いローブのようにも見える。紫の刺繍が入った毒々しい色合いながら、さりとて禍々しさは感じられない。

 といいますか、至極簡潔に言ってしまうと――

 エロい。

 この一言に尽きる。

 蠱惑的で扇情的。艶めかしく色っぽい。
 魔性だ。完全に僕の心は鷲掴みにされていた。魅了されていた。
 戦場ヶ原の魅力的な姿に、見惚れていた。見蕩れていた。

 だから、僕が言うべき感想は、戦場ヶ原ひたぎに対して言うべき言葉は決まりきっていた。
 ある意味、僕と戦場ヶ原を繋ぐキーワード。

「…………戦場ヶ原、蕩れ」

 本心から僕はそんな間抜けな呟きを漏らしていた。
 二人だけの合言葉であり、最上級の褒め言葉。

「ふむふむ、それが阿良々木くんの感想? まぁ目は口ほどに物を言うというし、阿良々木くんに卑しい視線で視姦されているこの状況を鑑みれば、それなりには気に入ってもらえたようね。とはいえ、語彙が貧困ね。もっと具体的にはないのかしら?」

「具体的に……か…………まぁそういう約束だしな。んーあれだ。面と向かって言うのは照れくさいけど、率直に言って綺麗だ。元々美人だとは思っていたけど、その衣装を着ることによって更にお前の魅力が割り増しされたっつーか、いい意味で近寄り難いくらいだよ。いや、正直な話、お前がメルヘンチックな衣装にでもなろうものなら、どうやって笑いを堪えようかと心配していたんだけどな。茶化すこともできないぐらい、ちょっと凶悪なまでに似合ってる。あと何よりエロいな!」

 しまった、戦場ヶ原の美貌にあてられ気が動転しているのか、僕、かなり恥ずかしいこと言ってないか? あと、幾ら何でも正直に心の内を曝け出し過ぎだった。本心が駄々漏れ過ぎだ。

「…………ふ、ふふふ。ふふふふふふ」

 と、僕の感想を聞いた戦場ヶ原が、口元を手で覆い隠し、笑いをかみ殺している。まぁ大分漏れ出ているが。
 どこか琴線に触れたのか、無表情が消え去り、相好を崩していた。これはかなり珍しい反応だ。僕の馬鹿正直さ加減がそこまで面白かったのだろうか?

 しばし、笑い続けた後、戦場ヶ原はいつもの澄ました表情に戻し僕を見やる。

「ふぅ。そう、ここまで気に入ってもらえるなんて思っていなかったわ。でも、よかったわね阿良々木くん」
「ん、よかったって?」
「いえ、もし少しでも私を侮辱しようものなら、阿良々木くんを『チョキン』と断罪していたところよ」
「チョキンってなんだよ。物騒だな」
「ああ、そういえば、まだ私の武器を披露していなかったわね」

 そう言って、戦場ヶ原は徐に右腕を前につき出した。
 と、僕の目線の高さに掲げられた右手が淡い光を放ち始め、次の瞬間――。

「おおぉ」

 戦場ヶ原の手には、奇怪な武器が握られていた。
 武器――というより文房具。
 『鋏』だ。刃渡り三十センチほどの、不自然な程に大きな『大鋏』。

 文房具で武装した、『蟹』に挟まれた少女。

「でっかい鋏だな」
「まぁ大きさは自由自在だから、普通の紙きり鋏にもなるし、逆に巨大化させて両手持ちにすることも可能なのだけどね。でも、あれよね。昨今じゃ、別にハサミを武器にするなんて言っても、大して物珍しくもないわよね。『あーまた』みたいな反応になることうけあいだわ」
「そこまで言うなら、別のにしたらよかったじゃねーか。一応お前の意志が反映されているんだろ?」
「嫌よ。折角、憧れの『自殺志願マインドレンデル』が手に入ったのに」
「あ、やっぱ、そこ意識してたんだ」
「勿論、ちゃんと分解してナイフとしても利用できるわ」

 ただ、その武器、使用者の戦闘力を下げるって触れ込みだけど、いいんだろうか?

「いや、まぁでも、それでチョキンとされるのは御免被りたいかな」
「えー、一度、試し切りをしてみたいと思っていたのに駄目なの?」
「駄目に決まってんだろ! なんだよ、そのお試し感覚!」
「大丈夫ですよー痛いのは一瞬ですよー」
「それ注射を刺す時の常套句だけど、お前の場合、死んで痛みを感じる暇もないって意味合いだろ!?」

 こいつ、間違いなく『殺し名』のどこかに属しているよな。

「今、私のナース姿を想像したわね、やらしいんだから」
「いや、恐怖しか感じてねぇよ!」










[27169] ひたぎウィッチ~その9~
Name: ミドリ◆02e976c9 ID:ea6cad15
Date: 2017/01/06 19:32
~113~

 流石にここまで状況証拠が出揃ってしまっては、戦場ヶ原が魔法少女になったという事実は認めざるを得まい。

 けれど――戦場ヶ原が魔法少女にならなければならない、戦場ヶ原が魔法少女になろうとした『理由』が、皆目見当もつかない。

 戦場ヶ原の存在を警戒してか、部屋の隅に退避しているキュゥべえを一瞥して、

「で――だ。何でお前は魔法少女になっちまったんだ? あれだけキュゥべえのことを毛嫌いして――魔法少女になる『リスク』だって知っていたはずだろ? そこんとこ、詳しく教えてくれよ?」

 僕は真相を問い質す。

「魔法少女になった理由は、いたって単純よ。『リスク』より『リターン』が大きかったから。私自身の利になると判断したから、それだけよ」
「…………それだけって、いや、でも。こんなの損得勘定の問題じゃねーだろ」
「損得勘定の問題よ」
「なら、お前が得た利益ってのは何なんだ? お前は何を『願って』魔法少女の契約を交わしたんだよ?」

 戦場ヶ原の平然とした態度に、若干の苛立ちと不可解さを感じながら、僕は語調強く追及する。
 それに対し戦場ヶ原は、しばらく無言を貫き一拍置いた。

「願い――ね。はぁ……そうね。阿良々木くんには私の過去――『蟹』の件で詐欺師に騙されたってことは話していたわよね」
「ん、ああ。五人の詐欺師に騙されたってやつなら、訊いてるな」
「そう――騙されて、騙され続けて――人生の汚点だわ」
「汚点って、でもそれは既に終わったことだろ?」

 解決はしていないし、もうどうすることもできない精神的な問題も残っているのだろうが――終わったことだ。もうそんな過去に囚われることもないだろう。

「ええ――でもね阿良々木くん。人に騙されるというのは、この上ない屈辱なのよ」
「まぁその気持ちはわからなくはないけれど…………それがお前の『願い』に関係しているってことなのか?」
「そうよ」

 戦場ヶ原は短くも、力強く断言した。

「私の『願い』の根幹はそこにある」

「んー…………ということは、お前の願いは、『嘘を見抜く力が欲しい』――とかそういうのか?」

 戦場ヶ原の話を訊いて、一番に思い浮かんだものを言ってみる。
 一応、整合性は取れているはずだ。

 が――

「いえ、違うわ。そんなさとり妖怪みたいな能力、何の役に立つっていうのよ。人間不信に拍車がかかるだけじゃない」
「あれ? 結構自信あったのに…………じゃあ何なんだ?」
「はぁ……駄目駄目ね。あれだけ散々ヒントをあげたのに、全く気付かないなんて」
「ヒントだ?」
「ええ、阿良々木くんにも“既に披露”してあげたじゃない」

「は? いつだよ。もしかして、あれか? まさかあの鋏を創り出す能力が、お前の願いだっていうのか?」
「不正解。ちなみに私はこの能力を『Pinky swear(ピンキースウェア)』と呼んでいるわ」
「え? 何、バトル物の特殊能力みたいな名称があんの!?」
「ふふ、阿良々木くんには、このスタンドが見えていないようね?」
「見えねぇしスタンド言うな! あと、その首を変に傾けた妙な立ちポーズもやめろ!」

 ジョジョ立ちとかシャフ度とかしても、映像媒体じゃないと全く伝わらないんだからな!
 くそ、突っ込みどころが多すぎる。というか突っ込みどころしかない!
 しっかし忍野といい、コイツといい、僕の周りはジョジョ愛好者が多いようだ。まぁ僕も好きなんだけど。

「で、ピンキースウェアってどういう意味だ?」
「このぐらいの英語も訳せないなんて……可哀想」
「憐れむな! せめて馬鹿にしてくれ!」
「この無能が! 将来、出身の高校を言う機会があったとしても、決して口にして欲しくないものだわ。こんなのと同じ学歴だと思われるなんて、人生最悪の汚点だわ」
「詐欺師に騙された過去よりも、汚点度合が上なの!?」

 そこからも更に情け容赦ない罵倒を僕に浴びせ続けたことで(割愛)、ようやく満足したらしい戦場ヶ原が、話を戻してくれる。

「『Pinky swear』は、直訳すれば『小指の誓い』――要は『指切り』という意味ね」
「指切り?」
「そ、指切り。指切りげんまんって知ってるでしょ、それよ」

 そう言いつつ、戦場ヶ原が小指を立てた手を見せてくる。

「ああ、約束する時にするやつか」

 指きりげんまん嘘ついたら針千本飲ます、指切った――って子供の頃にやったような記憶がある。
 少しこっ恥ずかしい子供っぽい儀式だ。

「正解。つまり、私の『願い』は相手に約束を守ってもらうということね」
「へぇなるほどな」

 戦場ヶ原の『願い』にしては、えらく真っ当なものだな。指切りなんて可愛いもんじゃないか――なんてそんな印象を持った僕なのだったが…………。

「だから、別に嘘をつかれても構わない。例え口先だけの約束でもね――――だって“約束したことは絶対に守ってもらう”。『約束を遵守』させる、それが私の願いなのだから」

 戦場ヶ原が鬼気迫る表情で自身の『願い』――『能力』の本質を語る。
 初めの印象が、全くの勘違いであったと悟る!
 何が可愛らしいだ! 怖ぇよ! なんか呪いの類だよこれ! この時点で魔女そのものじゃん!

 そして、更に恐ろしい事実を思い出す。
 コイツは既に僕にこの『願い』の力を行使したと言っていた。
 それに思い当たることは、さっきのやり取りだ。

――「ただ私の変身した姿、それを見た感想を包み隠さず正直に伝えてほしい、それだけよ」――

 戦場ヶ原の魔法少女に変身した姿、その感想を正直に話す。
 そう、それが戦場ヶ原と僕が交わした『約束』だ。

 戦場ヶ原の能力が偽りのない事実だとすれば、僕の本心は筒抜け状態だったのだ。
 あの時、僕はただ口が滑ったような感覚しかなかったが――あれは…………そういうことか。

 隠し事なんてできない。もし僕が戦場ヶ原のことを嘲笑するような感想を抱いていたら、それもそのまま話していたということだ。僕は、九死に一生を得ていたのか。戦場ヶ原の鋏で試し斬りされていた未来も、有り得た訳だ…………恐怖しか湧いてこない!

「ようやく、ことの事実に気付いたようね」
「やめろよ! こんな罠にはめるような真似!」
「罠? ちゃんと念を押して確認したじゃない。強制もしていないわ。私の力は“両者の同意”を前提にしているのよ。それともなに、始めから私との約束なんて、形だけのものなの?」
「そ、そんなわけないじゃないか」

 この女、おっかねーよー! 

「あ…………あああああああああ!! もう一個思い出したぞ…………お前、どさくさに紛れて、僕の生殺与奪の権利を握ろうとしていなかったか!?」
「何の事かしら? 記憶にないわね」

 惚けやがった。清々しいまでに真顔で白を切る戦場ヶ原さんだった。

「…………なんて恐ろしい能力を手に入れやがったんだ」
「別にそんなことないでしょう」
「いや、現時点で判明している能力を鑑みるに、十二分に脅威的だよ」
「脅威的――ね。とは言っても、色々制限もあるし、それほど万能ってことでもないわ。使い所を選ぶというか、穴があるというか」

「それって具体的に言うと?」
「例えば…………そうね。阿良々木くん、今から私とじゃんけんで三回勝負しましょう。そして阿良々木くんは三回連続、私に勝たせるようにしないさい。『約束』よ?」
「いや、そんなこと約束できないだろ? どうやって勝たせりゃいいんだ?」
「御託はいいから、さっさと約束なさい」
「…………わかったよ。約束するよ」

 簡単に約束してしまっていいのかという不安……恐怖があったが、戦場ヶ原の有無を言わせぬ圧力に屈してしまった。

 まぁデモンストレーションしてくれるっていうんだから、うだうだ言ってないで、結果を見ればいいか。今回はただのじゃんけんだ。特に危険性はないはず…………ないよね?

 とはいったものの、

「ええっと確認なんだけど……やっぱ、お前が何を出すのかを読んで、その上で負ける手を出さなきゃいけないのか?」

 じゃんけんの深読みほど、愚かな行為もないが。

「いえ、頭空っぽにして適当に出せばいいわ」

 とのことらしい。
 なので、お言葉通り、僕は考えることなく気の向くままにじゃんけん勝負に望むことにした。

「まぁ元々阿良々木くんの頭は空っぽなのだから、気にする必要はないでしょう?」
「…………」

 知能関連の話で反論しても、僕の傷口が無駄に広がるだけなので、皮肉に関してはスルーしておく。


 そうして――じゃんけん勝負開始。

 第一回戦――結果。

 戦場ヶ原――パー。僕――グー。

 勝者――戦場ヶ原。

「おおぉ。すげぇ、負けた。これが約束の強制力か!」

 勝負の結果に僕が驚いていると、

「これはただの偶然よ。たまたまね」

 戦場ヶ原が淡々とした声音で言い放つ。

「おいおい。何だよそれ、その言い草じゃあまるで、僕が勝つこともあったっていうのか? だとしたら、その時点で、約束を破ったことになるんじゃ?」

 戦場ヶ原の願いは『約束を遵守』させる能力のはずなのに。

「だから言っているじゃない。使い所を選ぶし、穴があるって」
「あぁ……そういえばそうだったな。まぁ一応続きをやっとくか、三回勝負って約束だったろ」

 最後まで結果を見ずに推論で話していても、完全に納得できないし。

「ちなみに、約束を破って、僕がじゃんけんに勝ったらどうなるんだ?」
「死ぬわ」
「は? 誰が」
「約束を破った相手が、よ」
「は? え? 嘘…………だろ?」
「嘘よ」
「…………お前な……脅かすなよ」
「ただ落とし前として小指が切れてなくなるだけよ」
「………………嘘……ですよね?」
「ふふ」

 嫌な感じに薄ら笑みを浮かべる魔女がいた。

「嘘よ」

 僕の精神値がガリガリ削られていくんですけど。
 つーか、小指が代償って、指切りげんまんの由来を知っていると、背筋がゾッとするよな。
 楽しい話でもないので、知らない人は知らないままでいた方がいい類の話だ。

 で、結局のところ、最終的な勝負の行方は、一回戦、二回戦と戦場ヶ原が連続で勝利したものの、三回戦は僕が勝ってしまった。
 戦場ヶ原の言う通り、『約束』したところで、勝敗を左右する効力はないってことだ。
 当然、僕の身体に異常が起こることもなく、小指も健在である。

「見ての通り、約束を遵守させる力だとは言っても、偶発的事象をどうこうすることはできないわ。約束する内容をちゃんと精査しなくちゃ、効果が発動しないってこと。そうね。対象者の意志を『改竄・強制』する力だと考えればいいわ。言ってしまえば強力な催眠術みたいなものね」

 それが戦場ヶ原の有する能力『Pinky swear(ピンキースウェア)』の効果――ということらしい。
 不確定事項が多い、不完全な能力。

 けれど、だからこそ。
 然るべき手順を踏んで『約束』がちゃんと結ばれれば、それは絶対的な力を持つということを意味している。

 約束が結ばれた以上、意図的に破ることはできない。

「あくまでも、『約束』だから、一方的な命令に意味はないわ。私って良心的よね」
「………………だな」

 脅迫も有効だよな、とは突っ込まない。
 何にしても、今後、戦場ヶ原との約束は控えるようにしなければ。まぁ騙し討ちみたいな初見での対応は難しいが、戦場ヶ原の能力が開示された今、その脅威は幾分薄れたことになる。
 戦場ヶ原と約束しなければ、その力は発揮されないのだ。警戒すべきは脅迫に屈しないようにすることか。

 って、防衛策として対策を練っているが、僕と戦場ヶ原は別に敵対関係にあるわけじゃないし、それほど気に留めることもない………………いや、この女に対し甘い考えは厳禁だ。
 何を仕出かすかわかったもんじゃない! 常に最悪を想定しておかなければ、痛い目をみるのは僕なのだから。


「そういや、戦場ヶ原。お前に伝えたいことがあったんだよ」
「何、伝えたいことって? ああ、阿良々木くん、この服に見蕩れて鼻の下を伸ばしていたものね。コスチュームプレイでもしたいってこと?」
「魔法少女の衣装をコスチューム言うな! あとプレイってなんだよ! 僕達まだ何もして――ってそうじゃない!」
「じゃあ何よ?」

「何って、ほらアレだよ。お前、まどかちゃんがキュゥべえと契約しかけてたのを寸前のところで止めてくれただろ、そのお礼を言っとこうと思ってさ。ほんと助かったぜ」

 戦場ヶ原がいなかったら、ほぼ間違いなくまどかちゃんはキュゥべえと契約してしまっていただろう。その代わりに、戦場ヶ原が魔法少女になっているという問題は、看過できないが――それでも、まどかちゃんが魔法少女になるのを防いでくれたのはお手柄だ。

「はぁ…………勘違いしているようだけど、私は別に、阿良々木くんに感謝されるようなことはしていないわ」
「いやいや、そんなことないって。ほんと心の底から感謝してんだ。ほむらだってそのはずだぜ。あの性格だから、面と向かってお前にお礼とかはしないかもだけど」
「きっと恨み骨髄、罵詈雑言を浴びせられると予想するわ」
「何でそうなるんだよ…………」

 戦場ヶ原とほむらの相性の悪さを改善する、いい切っ掛けになると僕は思っているんだけどな。

 何にしても、戦場ヶ原の働きで、キュゥべえの目論見を阻止できたのは間違いないのだ。
 まどかちゃんと、キュゥべえが契約しないよう、半ば脅迫していたからな。

 ん? 脅迫?

 …………あれ? それって、もしかして………………。


 戦場ヶ原がまどかちゃんを、脅迫紛いの言動で言い包めた。
 魔法少女にならないように。キュゥべえと契約しないように。


 あ。

 そこで僕は気付いた。そうか。そういうことか。
 戦場ヶ原の説明は大ざっぱで、肝心の所が暈されており、まだ不明瞭な部分が多いけれど――それでも戦場ヶ原の思惑の一部が垣間見えた気がした。

 だから…………まどかちゃんと『約束』していたのか。

 あの時の二人のやり取りが、僕の頭の中でフラッシュバックする。


――『そうよ。で、ちゃんと阿良々木くんに任せるってことで、納得できたのかしら?』
――『……は、はい』
――『どうも貴女は信用ならないわね』
――『……そんなことは』
――『なら、もう勝手に契約しないと、約束できるの?』
――『わかり……ました。約束します』


 “戦場ヶ原が半ば強制的に、そんな約束をとりつける”。取り付けていた!

 口約束なので、なんの『強制力』もないが『抑止力』にはなる――と、僕はそう思っていた。


 だけど、だけどだけど!!


 そうじゃない。そうじゃなかったのだ!!

 例えそれが『口約束』だとしても、確かに『約束』は交わされた。

 ならばそれは『抑止力』じゃない。絶対の『強制力』を持つことを意味している。


 戦場ヶ原との『約束』は絶対なのだ。

 それが戦場ヶ原の『願い』だから。

 それが魔法少女ひたぎの『魔法』なのだから。







[27169] ひたぎウィッチ~その10~
Name: ミドリ◆02e976c9 ID:ea6cad15
Date: 2017/01/15 07:20
~114~

「確かに鹿目さんと『約束』は交わしたけれど、それはあくまでもこっちの都合よ。決して善意からくる行為ではないわ」

 まどかちゃんとキュゥべえの契約を封じた件について訊いてみると、戦場ヶ原は変わらず冷めた調子でそう言うのだった。
 なぜか頑ななまでに、僕からの賛辞も受け取らない。まぁコイツは天邪鬼だし、素直じゃないからな。性格がねじくれ曲がっている。ここは好意的に照れているのだと解釈しておこう。
 ひねた見方をすれば、キュゥべえに対しての、嫌がらせ行為って線も十分あり得る訳だけども。


「ところで戦場ヶ原。そのまどかちゃんは何処にいるだ? 僕はお前と一緒に行動しているもんだと思っていたんだけど?」
「ええ、さっきまでは一緒にいたわね。ここに来る前に別れたけれど」
「そうなのか……あぁ……お前、まどかちゃんと二人きりだったわけだよな……」
「何、その顔は、文句でもあるの」
「文句はないけど、心配になっただけだよ。お前が好からぬことを企んで、まどかちゃんに変な事吹き込んでんじゃねーかってな」
「吹き込んだ、吹き込んでいないで言えば、吹き込んだわね」
「否定してくれよ! って何を吹き込みやがった!?」
「色々――よ」
「詳しく話してもらおうか!」

「何てことはないただの世間話よ。例えば学校での阿良々木くんの生活態度やらテストの成績、落ちこぼれ具合――他にも阿良々木くんの性癖、購読している卑猥な雑誌、小学生女子に働いた不埒な行為について、あることないこと面白おかしく脚色して話しただけよ」
「お前には血も涙もないのか! そして捏造だけはやめてくれ!」
「でも、彼女が一番引いていたのが、阿良々木くんには男友達が一人もいないってところなのが傑作よね」
「真実だけに、余計辛いじゃねーか!」

 弁解できないじゃん!
 まどかちゃんの中での僕の評価が、直滑降だ! 頼れるお兄ちゃんとしての称号は潰えた。

「まぁ正確に言えば、二人きりじゃなく、羽川さんも一緒にいたんだけどね」
「羽川が?」
「ええ、羽川さんに止められなければ、もっと阿良々木くんの痛い話を教えてあげられたのに、残念だわ」
「痛い話って言うな。つーか、やっぱ羽川も来ていたのか」

 羽川翼の人となりをよく知っている身としては、予想通りと言えば予想通り。驚くことの程ではない。
 あの春休みの『鬼』に纏わるあれこれに、危険を顧みず率先して介入してきた女だ。

「で、その羽川は――」

 と、羽川の行方を戦場ヶ原に問い質そうと口を開いた瞬間――――

 ガラガラと、引き戸の扉が開く音。

 噂をすれば影が差すとはよく言ったもので――件の人物の姿を見せた。
 いや、その後ろにまどかちゃんと、ほむらの姿もある。

 戦場ヶ原はいつの間にかというか、羽川達が部屋に入ってきた時には、魔法少女の変身を解き、私服姿に戻っていた。
 あまり人前に晒したい姿じゃないのかもしれない。


「お待たせしちゃったかな?」

 申し訳なさそうに、そんなことを言うが、僕に羽川を待っていたという認識はない。
 羽川が見滝原に来ていることも、今し方知ったばかりだ。

 そんな怪訝な感情が顔に出ていたのだろう。恐ろしいまでの察しの良さを発揮した羽川が、僕が訊くまでもなく疑問に答えてくれる。

「あ、もしかして伝えてもらってないのかな? 忍野さんが教えてくれたんだよ。阿良々木くんがここにいるって」
「忍野が?」
「うん、ほら忍野さんから携帯で連絡を受けて」

 そう言いながら、羽川は自身の携帯電話を取り出し、着信履歴を見せてくれる。
 着信時間はついさっきだ。

 ああ、そういうことか。
 ここでようやく、忍野が整えた『場』がいかなるものなのかを理解した。

 僕が意識を失っている最中や、忍との血液循環作業を行っている時、忍野は部屋から出て行っていたし、多分、その時に携帯を使って呼び出していたのだろう。

 それはそれとして、羽川と忍野が携帯番号を交換している事実が、何か苛つくな。我ながら、みっともない嫉妬心である。

 で、羽川の話によると、忍野から僕の居場所を伝えられ、戦場ヶ原は一足先に僕の元へ。羽川とまどかちゃんはほむらを迎えに行っていたので、遅れたってことらしい。

 あと意識を失っている巴さんと杏子の治療を美樹が請け負ってくれているようだ。
 ただ、そもそもこの三人は、ほむらの『事情』を知らない訳だし、どの道席を外して貰うしかない訳だが。

 とまれかくあれ、これで『場』が整ったということ。
 忍野の話では、僕の疑問は時機わかるって言っていたけど、果たして、どうなることやら。






~115~

 本題に入るその前に。
 見滝原中学の制服を着た二人の少女が僕の元にやってきた。

「阿良々木暦。無事だったのね。怪我はないの?」
「ああ、この通り傷跡一つ残ってないよ」
「でも、本当に大丈夫なの? どこか痛みが残ってたり……」
「いや、そんな心配すんなって、僕は不死身の吸血鬼なんだぜ」
「…………そう。よかった」

 今までのつっけんどんな態度は何処へやら。ほむらの態度が目に見えて軟化していた!
 正直、気持ち悪いぐらいにしおらしい。

 というか、なめまわす様に僕の全身を隈なく覗きこんでくる、ほむらの視線がむず痒い。

「ど、どうしたんだ?」
「……羽川さんが言っていた通り、キュゥべえと契約はしていないようね」

 そうか、ほむらからしてみれば、あの強大な突出した戦闘能力――加えて、このファンタジー衣装の僕の姿を見れば、キュゥべえとの契約で変身した姿だと誤解するのも無理はないか。
 そこんとこは、羽川が事前に誤解を解いといてくれたようだけど。
 流石の手回しのよさである。

「……………………」

 で、今度はなぜか無言で僕の前に立ち尽くすほむら。

「……今度はどうした?」
「…………その…………上手く言葉が出てこないのだけど………………助かったわ……ありが……とう」
「おう」

 恥ずかしそうに、たどたどしく。消え入りそうな、か細い声で。
 けれど彼女なりの精一杯のお礼の言葉だ。

 これが嬉しくない筈がない! 今までのほむらの僕への辛辣で苛烈な応対を思い返せば、これがどれだけの偉業かわかろうというもの! 小躍りしたいぐらいだ!

 そんな僕達のやり取りを、微笑ましいものを見る、優しげな視線で見守っていたまどかちゃんが、声をかけてきた。

「暦お兄ちゃん、本当に本当に、ありがとうございます! わたし、絶対勝ってくれるって信じてました」

 涙を浮かべ、まどかちゃんが感謝を伝えてくれる。

「あと…………その…………わたし、暦お兄ちゃんのこと…………ずっと、ずっと前から…………」

 と、何やら感極まったように言葉を呑込み、胸元を手で押さえ、切ない眼差しで僕の瞳を覗きこんでくる。

 え? なにこの反応!?

 伝えにくい事をどうにか伝えたい、でも伝えることを恐れている、そんな感情がありありと見て取れる仕草。

 そう、それは正に、想いを告白するように――切実な声音で言うのだった。

「大切な友達だって思ってましたから! 同性の友達がいないからって悲しまないでください! 暦お兄ちゃんにはわたし達がついています!」
「ああ、うん、ありがとう、嬉しいよ」

 戦場ヶ原の所為で、余計な気遣いさせてるじゃねーか!!
 愛の告白を受けるのかと思って焦った、惨めで憐れな僕を笑わば笑え!

「あの、どうしても同性の友達が欲しいっていうなら、もしよければ、弟のタツヤを紹介しますよ? まだ小さいですけど、すぐに大きくなりますから」
「ああ、うん、それは心遣いだけで…………ほんと大丈夫だから、ね?」
「そう……ですよね。タツヤが居ても、学校の体育は一人でやり過ごすしかないですもんね…………」
「いや、そういうことじゃなくて」

 お願いだから、辛い記憶をほじくり返さないで!
 お願いだから、そんな親身になって僕の交友関係(男友達)について心配しないで!

「ほ、ほら、僕、ひ、一人で……行動するのが好きなだけだから」
「はい…………そうですね。わかってますから」

 その、深くは追及しませんという優しさも僕の精神を深く抉ってくる。

「この話は置いといて、まどかちゃんとほむら、二人に知っておいて欲しいことがあるんだ」
「知っておいてほしいことですか?」
「どういうことかしら?」

 話題を変えるため――もとい、二人と会話していて、僕が気に掛かっている点について、ちゃんと話しておきたい。
 二人が僕に対し称賛の言葉を並べるのは、僕一人で『ワルプルギスの夜』を倒したから――そう勘違いしているからだ。

 あの戦果は、ほぼほぼ忍野忍の手柄である。
 忍野は僕の力が寄与してのことだと言ってくれたが、やっぱり最大の功労者は僕ではなく、忍野忍なのだ。それを隠したままというのは、僕としても居た堪れない。惨めな気分になるだけだ。

 ならば、ここははっきり説明しておくべきだろう。
 ということで、僕は掻い摘んでだが、僕の影で眠りについている相棒について、包み隠さず打ち明けることにした。
 あまり『吸血鬼』について多弁するなと忍に釘を刺されたこともあり、率先して開示するつもりはなかったが、今回は仕方ないだろう。


「そう……なら、直接、その忍さんにお礼が言いたいのだけれど…………睡眠の邪魔をしちゃ悪いわよね」
「……そうだよね」

 僕の話を訊き終えたほむらとまどかちゃんが、僕の影を見据えながら困ったように言う。

「まぁ元々あまり人前に姿を現す奴じゃないからな。感謝の言葉は僕の方から伝えておくよ」
「でも……それじゃあ余りにも恩知らずだわ」
「んーそう言われてもな。じゃあお礼としてドーナツでも買ってやってくれないか? 忍の大好物なんだよ」
「それで満足してくれるのなら、喜んでそうさせてもらうけれど」
「あの! それって、別に手作りでも、構わないですか? その……少し前にパパと一緒に作ったことがあって……それがとてもおいしかったから……」
「あーうん、多分問題ないと思うよ」

 僕はミスタードーナツしか買い与えたことがないから、断言はできないが。
 何にしても、これで忍へのドーナツ供給ノルマが分散された!
 僕も僕で誠心誠意、最大限ドーナツを買ってやるつもりだったが、それでも限界はある。
 忍にしてもドーナツの供給量が増えるのだから、文句はないはずだ。

「ならほむらちゃん、よかったらだけど私の家で一緒に作らない?」
「まどかの家で!?」
「……駄目かな?」
「いいえ、問題ないわ」

 クールを装っているほむらの口元が、ひくひくと痙攣しにんまりと口角が上がっている。
 よほど嬉しいらしい。

 よし、ほむらの機嫌も良さそうなのでここは一つ――

 戦場ヶ原の存在を警戒するほむらに対し、戦場ヶ原が行った功績(まどかちゃんの契約を完全なかたちで阻止した件)について、教えておくことにしよう。これで戦場ヶ原への印象は幾分緩和されるはずだし、あわよくば良好な関係が築けるかもしれない。
 元々の相性が最悪過ぎるから、一気に打ち解けることは難しいだろうが、多少の歩み寄りぐらいは期待できる。

 ほむらだって、大切な人をキュゥべえの魔手から守った恩人に対し、邪険な扱いはできまい。

 そう思い立ち僕がほむらに対し喋り始めた瞬間――

「待って、阿良々木くん! その話は止めてもらえないかな?」

 なぜか、羽川によって遮られてしまう。
 形としてはお願いとしての体裁だが、その語調は有無を言わせない力強いものだった。
 いつもは気さくな明るい振る舞いが常の羽川だが、今は真剣な表情で冗談を言い合えるような雰囲気も一切ない。

「ど……どうしたんだよ羽川?」

 ただならぬ様子に、僕はおっかなびっくり問い掛けた。中学生二人も、空気を読んで口を噤む。

「ううん、ごめんね。驚かせちゃったかな」
「……それは全然いいんだけど、何か僕、まずいこと言ったのか?」
「そういう訳じゃないんだけど……多分、阿良々木くん、ちゃんと状況を理解していないから、話しがややこしくなるというか、誤解を生むというか……だから、ね?」
「…………おう、わかった」

 羽川にしたら、やや歯切れの悪い返答。

「それでね阿良々木くん………………私、阿良々木くんに謝らなきゃいけないことがあるんだ。それを訊いてもらってもいいかな?」
「え? そりゃ構わないけど、別にお前が僕に謝ることなんて何一つ……」
「そんなことないよ。私は阿良々木くんの信頼を裏切ったんだから」

「……それって、もしかして僕を完全な吸血鬼化にすることで、生存率を高めたとかって話のことだろ? 忍野が言ってたよ。でもそれは僕の身を按じてのことだし、とやかく言うつもりはないって。お前の感覚としては、僕を騙したみたいな感じになってんのかもしれないけど……」
「ううん。そのことじゃないの」

 羽川が首を振り――心を落ち着けるためか、一度深呼吸を挟んだ。

「阿良々木くん、私に言ったよね。『出来ることなら、世界中全ての魔法少女を救いたい』、私に、そう相談してくれたよね」
「あ、ああ。そのことか」

 あの放課後の出来事を思い出す。
 キュゥべえから魔法少女の真実を明かされ、精神的に疲弊した僕を羽川が励ましてくれた時のことだ。

「って言われても、それで何でお前が謝罪するって話になるんだ?」
「様々な方法を模索して、どれだけ考えても…………阿良々木くんが望む答えがでなかったからだよ。私は阿良々木くんの期待に応えられなかった」

「待て待て! お前が気に病む必要がどこにあるんだよ! 無理難題を押し付けたのは僕なのに、魔法少女の問題は一朝一夕で解決できるようなもんでもねーだろ。どんな責任感だ。んなことで謝罪なんてされちゃあ僕が困るって。まだ方法が見つからなくても、これから見つけていけばいいんだからさ」

「違うの…………解決……できないわけじゃないんだよ」
「は? つーことは、何か解決策があるっていうのか!?」
「……解決策なんて綺麗なものじゃないし、さっきも言った通り、この方法は……阿良々木くんが望む結末とはかけ離れた、代償の上に成り立つものだから。私の足りない頭じゃ、こういう風にしか“調整”できなかった」

 まるで懺悔でもするように、羽川は重々しい口調で言葉を絞り出す。
 その表情から、苦渋の末に導き出された答えだということが読み取れる。

「最低最悪な忌むべき選択だよ。私を恨んでくれて構わない」

「いやいやいや、僕が羽川を恨むとか、なに馬鹿なこと言ってんだ! そんなことあるはずないだろ。お前が苦心して考え出してくれた解決方法なんだぜ。それに任せたのは僕なんだ。それがどんなものだって受け入れるよ」

 自責の念に駆られる羽川を、励ますように声をかける。

 でも、それはあまりに考えなしの言葉だった。
 羽川を盲信した愚か者の、浅慮な言葉だった。

 自分自身の発言の薄さを――思い知る。
 割り込むように発せられた、戦場ヶ原ひたぎの言葉によって――まざまざと思い知ることになる。





[27169] ひたぎウィッチ~その11~
Name: ミドリ◆02e976c9 ID:ea6cad15
Date: 2017/01/17 20:06

~116~

「残念だけど阿良々木くん、その『解決方法』は羽川さんが考え出したものじゃないわよ」
「…………なん……だって!?」

 不意に挟み込まれた情報に、僕は戸惑いを隠せない。
 

「『原案』は羽川さんじゃなく、私ってことよ」
「……お前が?」
「ええ。私の案を、羽川さんが調整……いえ、軌道修正したと言った方がいいかもしれないわね――とは言え、別に私じゃなくたって思いつくものなのだけどね。それそこ羽川さんだって――思いつかないはずがない。でも羽川さんはその案を却下して、別の方法を模索していた」

 その方法が、僕が望む結末とはかけ離れた、代償の上に成り立つものだから――か。

「だから私が後押し――いいえ、突き落としたのよ。この方法を選択せざるを得ないようする為にね」

 そう言って、戦場ヶ原は意味ありげに指輪を――ソウルジェムを掲げ見せつけてくる。

 その意味は――つまり。

 戦場ヶ原が魔法少女になることで、後にはひけない状況を作為的に作り上げた――ということ。

「ねぇ阿良々木くん。なぜ事前に相談しなかったのかを、私に訊いていたわよね?」
「ああ……はぐらかされたけどな」
「なら、今その理由を教えてあげるわ。阿良々木くんに相談しなかったのは――“絶対に反対”することが目に見えていたからよ。平行線にしかならない話し合いをすることほど無意味なこともない。意見が食い違うと解かりきっているのなら、秘密裏に事を進めたほうが得策よね?」

 戦場ヶ原は抑揚のない声音で、けれど滑舌の良い滑らかな口調で言葉を紡ぐ。

 僕が絶対に反対すること――それは戦場ヶ原が魔法少女になったことだろうか?
 確かに、事前に相談されれば反対した。猛反対しただろう。どんな理由があっても考え直すように動いたはずだ。

 けれど、今の戦場ヶ原が言っている内容とは、また別の話のような気がする。

「なら……そのお前が考えたっていう解決方法をいい加減教えてくれよ。話が平行線になるからと言って、それが何なのか解らないんじゃ、僕としても意見の言いようがない」

「別に勿体ぶっているつもりはなかったのだけど、そうね、足りない頭で導き出してみなさいな――阿良々木くんが掲げる『全ての魔法少女を救う』なんていう無理難題を解決するには、どうすればいいのか? 不可能を可能にするためには何が必要か? それを考えれば自ずと答えは出てくるでしょう?」
「いや、それがわからないから苦労してんだよ」

「そうかしら? 私には、わかっているのにわかっていない振りをしているようにしか見えないわね」
「……なんだよ……そりゃ?」

「この窮状を覆すには、理屈を捻じ曲げて無理を押し通す『絶対的な力』が必要不可欠ということよ」

 絶対的な力――真っ先に思い浮かんだのは忍の力……いやでも、これは違うな……だとしたら?
 次いで浮かび上がってきたのは…………だけどそれは……。

「そして幸いなことに、そんな途方もない力を持った『存在』が近くにいるでしょう?」

 …………その考えは、確かに僕の中にもあり――けれど、検討することさえありえないと、真っ先に拒絶した答えだ。何度も提示され、僕が拒んだ選択肢。

「…………いや……でも、お前…………それ、本気で言ってんのか!?」

「ええ勿論、この現状を打破するには、彼女の力を使うのが一番手っ取り早い解決策でしょう?」

 その戦場ヶ原の発言に対し、僕が声を発するよりも先に――


「ふざけないでッ!!!」


 ――絶叫に近い怒号が響き渡った。
 その発生源は、言うまでもなく――暁美ほむら。

 更に言うまでもなく、激昂している。マジギレだ。
 目が血走り、射殺さんばかりの目付きで戦場ヶ原を睨み付けていた。

「どういうつもり!?」

 低く唸るような、怒気を孕んだ震えた声。

 だが、その怒りの感情もどこ吹く風、戦場ヶ原の反応は淡白なものだった。

「言葉通りの意味よ。鹿目まどかさんに魔法少女になってもらって、その『願い』を活用するってことなのだけど、わからなかったのかしら?」

 涼しい顔で、平然と言い放つ。

「そんな事、私が許すと思っているの!?」
「別にあなたが許さなくっても構わないわ。これは当事者の問題でしょう? それとも何、あなたはあの子の保護者なの?」

 戦場ヶ原の煽りスキルが発動し、ほむらの視線が一層険しくなっていく。

「そうね、これは当事者の問題――だったら、私の保護対象に危害を与えようとする危険因子は即刻、排除させてもらうわ」

 そう宣告するや否や、ソウルジェムを掲げ、魔法少女への変身動作に入った。
 魔法少女になれば、もう僕の手には負えなくなる。
 既に忍とのチューニング作業も終えた僕は、ただの吸血鬼もどきに過ぎない。
 銃火器を操るほむらが暴れ出せば、幾ら戦場ヶ原が魔法少女であろうと、一方的に虐殺される。

 まずいまずい、なんなんだこれは!?
 なぜ、いきなりこんな物騒な展開に陥っているんだ!?

 戦場ヶ原を睨み付けるその視線は、殺意の域にまで達している。
 はったりや脅しでもない。本気で殺る気だ!

「ほむらちゃん、落ち着いて!」

 だが、間一髪のところで、真横にいたまどかちゃんがほむらに飛び付き、説得に乗り出してくれた。

「落ち着けるわけないでしょう!? あの女は、あなたのことを!?」
「違うの! ほむらちゃん! わたしちゃんと知っているの! これはわたし私が決めたことなの!」
「決めたって……どういうこと」
「だから、戦場ヶ原さんと、羽川さん、二人の話を訊いて、私自身の意志で、決めたことなんだよ」
「いいえ、まどか。あなたは騙されているのよ。心根の優しさに付け込んで、いいように利用されているだけだわ。そうでしょう戦場ヶ原ひたぎ!? あなたはまどかを唆した!?」

「ええ、否定はしないわ」

 悪びれた様子も、罪悪感の欠片もない態度で、戦場ヶ原は真顔で首肯する。
 それを見たほむらは、歯を食いしばり、もう理性のたがが外れる寸前だ。
 まどかちゃんが抱き止めていなかったら、間違いなく魔法少女に変身し銃の引き金を引いている。

 一色触発――というか、火薬庫の中で火花が飛び散っている状態だ。
 引火して、爆発が起こるは時間の問題だろう。 

 ならば、至急その火種を消さなくてはなるまい。

 現状、取り乱しているのはほむらだけなのだから、彼女を落ち着かせることが急務だ。

「ほむら、いつもの冷静なお前に戻ってくれ!」

「どうすれば冷静になれるって言うの!? あいつは! あいつは!」

 目を見開き、声を荒げ怒鳴り散らすほむらに、僕は務めて穏やかな声音で語りかける。

「お前の気持ちはわかる。僕だってまどかちゃんを生贄に捧げるような解決方法なんて、絶対に認めやしない!」

 少なくとも、僕はほむら側の立ち位置であることを知らせておく。

 主犯格の戦場ヶ原。共謀した羽川。それを受け入れたまどかちゃん。もし、僕まで戦場ヶ原側に回れば、ほむらは文字通り四面楚歌に陥ることになる。

 そもそも、これは偽らざる本心からの言葉だし、心からの思いはちゃんと通じたらしい。
 荒い呼吸を繰り返しながらも、聞く耳をもってくれるまでには落ち着きを取り戻したようだ。

「だからもう少し、話を訊いてみようぜ。頭ごなしに否定してちゃ、何の成果も得られない。ちゃんと相手の言い分を訊いてから、その上で判断しよう」
「…………まどかが魔法少女になることは、絶対に受け入れられないわ」

「ああ、僕も同じだ。でも……戦場ヶ原はともかく、羽川が手を打ってくれたんだ。何かしらの意図が隠されている……はずだ」

 僕の言葉を訊いた羽川は、物言いたげな視線ながらも、口を開くことはなかった。
 もしかしたら僕の過剰な期待に、辟易しているのかもしれない。

「ただ話を訊くその前に、戦場ヶ原! 僕の中にある疑問に答えてくれないか?」
「疑問?」
「そうだ。お前の話を訊いて、どうしても腑に落ちないところがある。言うなれば矛盾だ」
「そう? 何もおかしなところはないように思うけど」

「いや、あるだろ。お前はキュゥべえと契約した願いとして『約束』の力を得た。それを使って、まどかちゃんとキュゥべえの契約を完全な形で阻止したじゃないか! お前の約束の力には絶対の強制力があるんだろ!」

「ああ、そのこと」

 僕の指摘を受けて尚、戦場ヶ原の表情に変化はない。
 何でもない、とるに足らないことだと言いたげな態度だ。

「何、それは? 私にも分かるように話してもらえないかしら?」

 と、ほむらが説明を求めてくる。
 そういえば、ほむらへの説明の途中、羽川に止められて伝えられていなかったな。

 でもこの話の流れじゃ、羽川も口出しはしてこない。
 なので、僕は出来る限り要点を抜き出し、戦場ヶ原の『願い』――不本意ながら戦場ヶ原の用いた名称を使用するなら『Pinky swear(ピンキースウェア)』の能力をほむらに打ち明けることにした。

「…………『願い』の力を活用して、まどかの契約を封じるなんて――考えつかなかったわ」

 戦場ヶ原の機転の良さに、ほむらも素直に感心しているようだった。
 僕からすれば、その為に戦場ヶ原が魔法少女になっているのだから、本末転倒という気もするが――それはまた別種の問題だろう。

「それで、阿良々木くんは何が言いたいの?」

「だから――お前の『約束』の力で、まどかちゃんとキュゥべえとの契約は、実質不可能になっているんだ。それなのに、まどかちゃんを契約させるなんて、おかしいって言ってんだよ!?」

「それが、阿良々木くんの言う矛盾?」
「……そ、そうだ! 僕が間違っているなら、教えてくれよ!」

 小馬鹿にするようにせせら笑う戦場ヶ原の様子に、僕は威勢を削がれながらも啖呵を切った!

 しかし、羽川がなぜ僕を止めたのか、どう言っていたのか――

――「多分、阿良々木くん、ちゃんと状況を理解していないから、話しがややこしくなるというか、誤解を生むというか……だから、ね?」――

 ――そんなことも、既に忘却の彼方だった。

 僕は、本当に何も見えていない。事の本質が全く見えていなかった。

「ねぇ阿良々木くん。私は何度も言ったはずよ。阿良々木くんは勘違いしている――と。私は阿良々木くんに感謝されるようなとこはしていない――と。あくまでもこっちの都合で、決して善意からくる行為ではない――と。そう言ったはずよね?」

「……それは、確かにそう言っていたけど、でも!」

 ただの照れ隠しで、素直になれないから…………だと…………僕は……思っていた。そう思い込んでいた。

「更に言えば、暁美さんには罵詈雑言を浴びせられると予想していたわよ。ほら、私の読み通りでしょ?」

「それが何なんだよ! お前はまどかちゃんの契約を絶対の力で封じ込めた! それは間違いないはずだろうが!!」

「そうね。間違ってはいないわ」
「ほらみろ!」
「でも、間違っていないというだけね」

「なんだよそれ。ちゃんと僕に解かるように説明してくれ!」

「なら阿良々木くんの勘違いを訂正してあげるわ。鹿目さんとキュゥべえの契約を防いだのは阿良々木くんの言う通りね。ただ、その目的は、彼女に勝手なことをされると困るから。せっかく立てた計画が狂うから、それだけの理由よ」

「それでも! 結果的には同様の効果があったはずだろ! だってお前の魔法で、契約しないよう『約束』したんだから!」

「阿良々木くん、私がどういう言葉で鹿目さんと『約束』したのかを、もう一度思い出してみて、そこに答えがあるわ」

 戦場ヶ原に促され、あの時の二人のやり取りを――再度思い返す。

――『そうよ。で、ちゃんと阿良々木くんに任せるってことで、納得できたのかしら?』
――『……は、はい』
――『どうも貴女は信用ならないわね』
――『……そんなことは』
――『なら、もう勝手に契約しないと、約束できるの?』
――『わかり……ました。約束します』

 けれども、何度考えても結果は変わらない。

「……………………わかんねぇよ。ちゃんと約束してるはずだ」

「ここまで言って分からないんじゃどうしようもないわね。本当に阿良々木くんは愚かなんだから。はぁ……埒が明かないから教えてあげる」

 そして戦場ヶ原は、酷薄に告げる。

「私は鹿目さんとこう約束したのよ。『勝手に契約しないで』って。換言すれば、『私の許可なく勝手に契約するな』という意味合いよ――つまり、私が許可すれば、『勝手に契約した』ことにはならないでしょう?」





[27169] ひたぎウィッチ~その12~
Name: ミドリ◆02e976c9 ID:ea6cad15
Date: 2017/01/27 23:44
~117~

 戦場ヶ原の言い分は、婉曲な言い回しですんなりと納得がいくものではなかった。けれど、『約束』の主観が彼女にある以上、事実は事実として受け止めるしかないだろう。

 まどかちゃんがキュゥべえと契約する芽は、潰えてなどいなかった。完全な僕の早合点だった訳だ。

「………………ああ、それは理解した。じゃあ本題に入ってもらえるか? お前の出した解決策、その具体的な方策を教えてくれ。っとその前に一つ――」

 魔法少女の抱える『闇』は根深く多岐に渡る。
 元凶であるインキュベーターが策謀するマッチポンプ。世界中に蔓延る魔女。魔法少女の逝きつく先……。

 いつだったか、キュゥべえは言ってた。
 まどかちゃん一人の『願い』で、大多数の魔法少女を、元の身体に戻すことができるかもしれない――と。

 その通りことが進み、目標とするエネルギー回収ノルマが達成できたなら、インキュベーターはこの地球から撤退するという――あくまでも自己申告などで、あまり鵜呑みにできないが。

 しかしだ。それはインキュベーターが欲しているエネルギーを回収できた場合の話であり――至極当然の帰結として、まどかちゃんが絶望し、魔女に堕ちたことを意味している。
 表裏一体――僕とほむらが絶対に看過できない譲れない問題点だ。

 そういったことを、釘を刺す意味を込め、機先を制して告げておく。

「決してまどかちゃんの契約を容認した訳じゃないと、念を押した上での質問だ。もしまどかちゃんがキュゥべえと契約したとして、その『願い』だけで、全ての魔法少女を救うなんてことが本当に可能なのか? どんな願いが叶えられるとは言っても、叶えられる願いはたった一つなんだぜ?」

 僕の指摘を訊き終えた戦場ヶ原は、大きく嘆息し、殊更嫌味っぽく言うのだった。

「はぁ、これだから阿良々木くんは阿良々木くんなのよ」

 いや、これを嫌味として受け取っていることに、疑問を呈したいところだが……悲しいことにまず間違いなく僕への罵倒として成立していた。

「…………何だよ。言いたいことがあるならはっきり言ってくれ」

「じゃあお言葉に甘えて――まず『全ての魔法少女を救う』なんて、そんな都合のいいことばかり考えているから、雁字搦めに陥るのよ。それと、もう一つ言わせて貰えば、一つの『願い』で全ての問題を解決しようなんて、愚考の極みね。難問は幾つかに分解して解くのがセオリーなのよ」

 などと得意気に嘯く戦場ヶ原だった。

「そりゃ口で言うのは簡単だけどよ、魔法少女の抱える問題は、どれをとっても、解決困難な問題ばかりじゃねーか。なぁ戦場ヶ原、そこまで言うのなら、いい加減、はっきりと解決方法を提示してくれないか?」

「――いいでしょう。ただ当然のことながら前提条件として、鹿目さんがキュゥべえと契約することを、念頭に置いていることは改めて言っておくわよ」

「…………ああ」

 ここで突っ掛かっても話が進まないので、反駁の言葉はぐっと呑み込んでおく。
 
 ほむらの様子を横目で窺ってみると、不満ありありの表情だが、どうにか自制が利いているようだ。
 まどかちゃんが両手でほむらの右手を握り込んでいるのが、精神安定に大きな効果を齎しているものと思われる。


「では比較的容易に解決できる一例として――私の『約束を遵守させる力』を使って、あの害獣が今後新たな少女と契約することを禁止する。そうすれば、新たな被害者が出ることはなくなるわ」

「……待て待て! いったいどうやったら、そんな『約束』取り付けられるんだよ!? 相手はキュゥべえなんだぞ!? 机上の空論もいいところじゃねーか!」

「机上の空論――ねぇ。阿良々木くんはそう思うの?」
「違うってのか? どう考えたって無理だろ。お前の能力は両者の同意の上に成り立つもののはずだよな? 脅しが効く相手じゃないし、お前の能力は既に筒抜け状態なんだぜ?」

 部屋の隅には、僕らのやり取りを最初から、逐一観察しているキュゥべえの姿がある。
 狡猾でしたたか。人間の価値観が通用しない白い悪魔。

「キュゥべえにとって不利益な条件しかないのに、んな要求を呑むような奴じゃねーだろ!」
「その通りよ。よく解かっているじゃない阿良々木くん」
「はい?」

「不利益を被るのなら、それを越える利益を提示すればいいだけの話じゃない」

 そこまで言われて、ようやく戦場ヶ原の意図に気付いた。
 …………そういうことか。

 キュゥべえにとっての利益。そんなの決まりきっている。

「……まどかちゃんとの契約を、交換条件にするってことか?」

 キュゥべえにとって、まどかちゃんと契約することは至上目的。
 今までのキュゥべえの行動を鑑みれば、奴がどれほどまどかちゃんに固執しているかは一目瞭然だ。

「“概ね”その通りね」

 僕のその答えに、戦場ヶ原は語調を変え、煮え切らない言い回しで首肯する。

「概ねって、なんだよ……何かしら僕の解釈に間違があるのか?」

「そうね。阿良々木くんは、私が今からあの畜生との『約束』を取り結ぶと思っているようだけど、私はそんな段取りの悪いことはしないわ。既に『約束』は締結済みよ」

「……『約束』って、『願い』の力を行使したという意味……だよな」

「当然でしょう。それが私自身が魔法少女に成る見返りとして、キュゥべえに提示した交換条件よ」

 そうして――戦場ヶ原は、自身がキュゥべえと交わした『約束』について語り出す。


 少々ややこしいので僕の方で纏めてしまえば、詳細と経緯はこんな感じだ。

 まず、キュゥべえと戦場ヶ原が交わした『約束』の内容――正確な条件は以下の通り。

 『戦場ヶ原ひたぎの手引きで、鹿目まどかを魔法少女にすることができれば、キュゥべえは戦場ヶ原が提示した要求を許諾する』――というもの。

 どうやらその『約束』を結ぶことと引き換えに、戦場ヶ原は魔法少女になったようだ。
 戦場ヶ原が魔法少女となると同時、キュゥべえと『約束』が取り結ばれる。

 キュゥべえとの口約束は全く信用ならないが、『願い』を用いた絶対遵守の『約束』なので、約束が反故にされる心配はなくなる訳か。


 また、まどかちゃんとの契約に難航していたキュゥべえにしてみれば、戦場ヶ原の申し出は渡りに船だ。
 交換条件付きとはいえ、協力者が得られるのだし、加えて、戦場ヶ原の“手引き”という制約もあるので、キュゥべえ自身の導きで魔法少女にさえすれば、戦場ヶ原から提示された条件も無効となるのだから、相当美味しい餌に見えに違いない。
 おまけに、戦場ヶ原が魔法少女になる付加要素まである。

 ただキュゥべえの誤算は、まどかちゃんとの契約が戦場ヶ原の『約束の力』によって封じられたことだ。これは想定外の出来事だったに違いない。

 まぁ今にして思えば、これも最初から戦場ヶ原の計画の内だったのだろう。

 だから、まどかちゃんが先走って、契約することをよしとしなかった。
 あくまでも、戦場ヶ原がまどかちゃんを手引きし、キュゥべえと契約させることが計画だったから。


 あと戦場ヶ原が提示した要求についてだが――先ほど言っていた『新たな少女と契約することを禁止』に加え、他にも“細かい取り決めが多数”あるらしい。

 僕としてはその“細かい取り決め”の詳しい内容が気になったので、訊き出そうとしてみれば、別紙を参照するように言われ――なんの冗談かと思えば、本当に精密機械の取り扱い説明書みたいな紙の束を羽川から渡されたのだった。
 詳細な取り決めを文書として記したのは、後々齟齬をきたさないようにする為。キュゥべえが後々やってきそうな揚げ足取りを、事前に潰しておく目的があるようだ(羽川談)。


 全文確認した訳ではないが、ざっくり一言で言ってしまえば『人間側にとって、不都合な行動をとらないように』みたいな内容がびっしりと文書として記されていた。
 僕には難解な文書であり、憲法を読んでいるような気分になった。

 どうやら、これが羽川の『調整』――――『軌道修正』の名目で追加要求した条件のようだ。

 まどかちゃんとの契約(魔法少女化)を『約束を遵守』させる力で封じた段階で、主導権は完全に戦場ヶ原が握っている。この時点で、多少の無理は押し通すことできる程の、力関係が生じていることになる。
 なんせ、戦場ヶ原のさじ加減で、まどかちゃんとの契約が左右される状況なのだ。


 差し障りない条件で最初の『約束』を交わし、意図的にまどかちゃんの契約の裁量権を掌握した後、相手の足下を見て追加の条件を出す。

 どんな制裁を受けるかわかったものじゃないので、決して口にはしないが……やり口が詐欺師めいているよな。


「まぁ『約束』というより、今回の場合は『取引』といった方が言いかもしれないわね。或いは『契約』ね」

 総括として、戦場ヶ原はそのように締め括った。

 『契約』で少女を誑かす悪魔に対し、『契約やくそく』の力で対抗するというのは、中々に戦場ヶ原らしい意趣返しだ。






~118~

「戦場ヶ原ひたぎ。話はそれで終わり?」

 だが、どんなにキュゥべえの思惑を封じ込め、搦め手で手玉に取った見事な立ち回りであったとしても、最終的な解決方法は、まどかちゃんの魔法少女化を前提に進められた企みだ。

 暁美ほむらにとって、それは、絶対に許容できない禁忌タブーである。

「結局はまどかを犠牲にするということでしょう。そんなの容認できるわけがないわ。例えこの手を血で染めようとも、阻止してみせる」

 どこまでも冷めた声音で、ほむらははっきりと断言する。
 武力行使も厭わないと、宣戦布告した。

 いや、武力行使で済むはずがない、ほむらは戦場ヶ原を殺してでもこの計画を阻止するつもりだ。ほむらと戦場ヶ原が牽制するように睨み合い、嫌な静寂が場を支配する。

「暁美さん。待って」

 その沈黙を打ち破ったのは、ぶつかり合う二人の視線を遮るように身を滑り込ませた、三つ編み眼鏡の委員長――羽川翼だった。

「戦場ヶ原さんを殺すつもりなら、その前に私からだよ。確かに、この筋書きを考えたのは戦場ヶ原さんで間違いないけれど――でも、それを調整して『仕組んだ』のは私なんだよ」
「…………羽川……さん」

 戦場ヶ原に対しては悪感情が大半を占めているので躊躇もなかったのだろうが、短期間とはいえ『ワルプルギスの夜』討伐のために協力し合っていた相手では、そうもいくまい。
 羽川に対しある種の敬意を抱いているほむらは、目に見えて気勢を削がれていた。

 それでも――だとしても。

 ほむらの優先順位は明確だ。

「………………恩を仇で返すことになろうとも……私の邪魔するのなら――如何なる手段にでも打って出る覚悟はあります」
「うん。暁美さんの覚悟が本物なのはよくわかる。でも、その上でお願いしたいの――暁美さんの望む未来じゃないことは理解できるけれど……どうか、鹿目さんの選んだ未来を尊重してあげて欲しい。鹿目さんの選択を見届けて欲しい」

「尊重ってなんですか? まどかが選択したって…………何なんですか!? あなた達がまどかを唆した結果でしょ!? そんなの認められる訳がないわ!! 見届けられるはずないでしょう!? やっとここまで辿り着いたの! まどかが契約したら、全てが台無しになる! 私が何のために繰り返してきたと思っているの!?」

 ほむらは吼えるように怒りをぶつける。
 声を張り上げ、泣き叫ぶように慟哭していた。

「残酷なことを言うけど…………見届けた『結末』が許容できない――不本意なものであったのなら、もう一度やり直せばいい。暁美さんにはその力が残っているでしょ?」

「…………本気で言っているんですか?」

 信頼していた相手に裏切られた、そんな感情がありありと見て取れる。
 あまりの暴言に怒りを通り越し、絶句するほむら。


「おい、羽川。幾ら何でも、それはあんまりだろ? ほむらがどれだけ苛酷な道を歩いてきたのか、どんな思いでここまでやってきたのか、考えてみろよ」

 羽川と対立することになろうとも、流石に黙って見過ごせる言葉ではなかった。

「考えた上での発言だよ。勿論、取り消すつもりもない」

 非難の言葉にも何ら臆することなく、強い口調で羽川は言う。
 
「…………なんだよ、えらく厳しいじゃねーか。羽川らしくないぜ」
「厳しくはあっても、らしくないなんてことはないよ」

「そうか? 僕には相当無理して言っているように見えるけどな」
「…………阿良々木くんは、優しいね…………でも、優しいだけじゃ駄目なんだよ」

「いや、別に僕は優しくなんて……」
「うん、そうだね。優しいんじゃなくて、甘いんだよね。阿良々木くんは一番弱い人の味方になるだけだから――暁美さんに対して、感情移入し過ぎているよね」

「………………そりゃ感情移入もするさ! ほむらの味方をするのは当たり前の事だろ?」
「だったら、阿良々木くんは暁美さんの意志を全肯定するの?」

「全肯定とは言わないけど、ほむらの想いを踏みにじるようなことだけはしたくないとは思っているぜ」

「そう………………うん、阿良々木くんがどう考えているのかはよくわかった。なら、ここではっきりさせようか。暁美さんの気持ちを、私もちゃんと知っておきたいから」

 そう言って、羽川は僕からほむらに視線を切り替えた。
 いつもより少し固い表情。とはいえ高圧的とは言えない自然体。
 けれど、言い知れない威圧感を放っている。

 その視線を受け、ほむらは得体の知れないものを見るような表情で狼狽えていた。

 ほむらも、羽川の異質さを直に体感している身だ。今までは協力関係にあって、味方として接していたが――その相手が敵に回った恐ろしさは、羽川という本物を相手取った者にしかわからない特有の感覚であろう。

「暁美さんに質問させてもらうね。阿良々木くんもよく訊いていて」

 強張った表情のほむらに対して、羽川は確認するように尋ね掛けた。

「暁美さんは、鹿目さんが魔法少女になるのは、絶対に認められないんだよね?」
「…………ええ」
「それは、鹿目さんが契約することなく、このままの現状を受け入れる方がいいってことだよね?」
「そうよ」

 弱みを見せないようにするためか、羽川に対しての敬語をやめ、返答するほむら。

「でも、暁美さんは知っているでしょう? 魔法少女が……魔女になることを――そうなった時、あなたはどうするつもり?」
「どうもしないわ。魔女に堕ちる前に、命を絶つ。いえ、この場で私の命が亡くなろうとも構わない。まどかさえ無事ならそれでいいわ。それ以上私が望むことはない」

「…………うん。暁美さんなら、そう言うと思ってた」

 羽川はほむらの想いを見抜いていた。

 だから――こうしてはっきりと、言葉として曝け出すように仕向けたのだ。

 ほむらの想いに、僕が“同調できない”ことを見越していたから…………。

 ほむらの目的は『ワルプルギスの夜』を倒した段階でほぼ達成している。ほむらは、自身の役目を完了したものだと見做している。

 自らが助かろうなんて意識は皆無なのだ。

 僕とほむらの想いは、全くと言っていいほどに重なっていない。


「暁美さん。あなたが、鹿目さんを救うその為に、何度も同じ時間を繰り返し、命を懸けてやってきたことは本当に尊いものだと思う。あながたどれほど鹿目さんのことを大切に想っているのかは、これでもかっていうぐらい伝わってくるよ」

 羽川は優しく語りかけるように、しかし、その声音は物悲しく憐憫の情を感じさせるものだった。


「でも…………それはね、自己満足なの。自己犠牲じゃ、人の命は救えても、人の気持ちまでは救えないよ。暁美さん、あなたは、残された側の気持ちを蔑ろにしている、見落としている」

 そして今度は一転、叱りつけるような厳しい口調で羽川は言った。

「…………自己満足でも……自己犠牲でも構わない…………私は……まどかの為なら…………それが私の生きてきた意味だから…………まどかを救い出すことだけが…………私の希望だから…………まどかと交わした……約束だから」

 戦場ヶ原の毒舌も霞むぐらいに、羽川の言葉は鋭利に突き刺さっていた。ほむらだけじゃなく、僕の心にも。
 それでも――ほむらが縋ってきた、たった一つの悲願は、そう容易く見切りをつけれるものではない。

「暁美さん。今から私、『嫌な質問』をするね。でもちゃんと受け止めて、考えて欲しい」

 そんな前置きを挟み――羽川は、畳み掛けるように止めを刺しにいく。

「もし暁美さんと鹿目さんの立場が逆だったとして、鹿目さんがあなたの為に犠牲になることを選んだとしたら――暁美さんはそれを受け入れることができるの?」

「……………………!」

 ほむらは、何かを言い返そうとしたが、一向に言葉は出てこない。

 だがしかし、答えは決まりきっている。

 そんなの、受け入れられる筈がない! 受け入れられる訳がない!

 ほむらの見落としていた――いや、敢えて見過ごしていた問題を、強制的に自覚させる、本当に嫌な質問だった。

 でも、羽川はほむらを追い詰めたい訳じゃない。そこに悪意はない。

 羽川はただ、気付かせようとしているだけだ。

「暁美さん。本当に大切なこと、本当に護るべきものを見誤らないで! 今、目の前にいる、鹿目さんの想いを訊いてあげて、彼女の気持ちを知ってあげて、理解してあげて。過去の約束に縛られないで! 迷路から抜け出した今のあなたなら、違う選択もできるはずなんだよ!」

 僕とほむらが蔑ろにしていた、当事者の気持ちを。





[27169] ひたぎウィッチ~その13~
Name: ミドリ◆02e976c9 ID:ea6cad15
Date: 2017/02/01 12:48
~119~

「ほむらちゃんがわたしの為に、独りで傷ついて……苦しみながら、頑張ってきてくれたこと……まだ全然理解できていないし……わたしが想像するその何倍も何倍も、大変だったんだと思う。ただ、そんな一言で片付けていい話じゃないし……ほむらちゃんにどんな言葉をかけたらいいのかも、正直わからない。事情を知った今でも、まだ頭の中がこんがらがっていて…………上手く整理ができていないんだ……でも、それに気付けなかった自分自身のことが、本当に情けなくて悔しかった」

 訥々とした言葉で――己の罪を懺悔するように、自身の想いを伝え始める。

「今ここに居るわたしだけじゃない。他の世界でのわたしのことも、何度も何度も、ほむらちゃんが繰り返した数だけ――これまでずっと……わたしはほむらちゃんに守られてきた。だからこそ、今のわたしが在るんだと思う。ほむらちゃんのお陰だよ? 本当に……本当にありがとうね。ほむらちゃん」

 内心を吐露するまどかちゃんは、感極まったように涙ぐみながらも、一言一言しっかりと、訴えかけるように語りかけていた。

 ほむらはもう立つことも出来ず、へたり込むように腰を下ろしていた。
 ただただじっと身動きせずに、まどかちゃんの言葉に耳を傾けている。

「ねぇほむらちゃん、一つ訊かせて欲しい――今のわたしと、ほむらちゃんが今までに出会ってきたわたし、それは全く考え方も違う別人だった?」

「…………いいえ…………あなたは……全く変わらないわ……まどかは…………気弱でも……心の芯が強くて…………いつだって……誰にでも優しくて…………幸せを分けてくれる……あなたの傍にいるだけで……春の陽だまりのような……温かさを感じさせてくれた」


「そっか…………うん。だったら、これだけは言える――過去の世界のわたしも、今のわたしも…………ほむらちゃんがいなくなっちゃうことなんて、望んでいないって!」

「…………それが訊けただけで……私は十分に報われたわ…………まどかがいたからこそ……今の私が在る……ここまで…………辿り付くことができたの…………だから……どうか……このまま……私の願いを……叶えて……」

「ごめんね……ほむらちゃん」

 ほむらの嘆願に、まどかちゃんは目を閉じて首を振る。

「もういいの……もういいんだよ、ほむらちゃん。あなたはもう傷つかなくていい。苦しまなくていい。もう立ち止まってもいいんだよ。あとは私に任せてほしい」

「嫌! いやいやいやいやぁ…………」
「本当にごめん――わたし、決めたんだ。魔法少女になるって」

 ほむらが泣き叫び訴えかけても、まどかちゃんの決意は揺るがない。

「待って…………あなただけは……」

「そんな悲しい顔しないで、ほむらちゃん。大丈夫、安心して。ほむらちゃんが積み重ねてきた大切な想いを、絶対、無駄になんかしないから!」

 涙の跡が残っている顏に、力強い笑みを浮かべ――まどかちゃんはほむらと視線を合わせるようにしゃがみ込む。

「……まどか?」
「だから――改めて、わたしの『願い』を訊いてほしいの」
「……まどかの……願い?」
「うん、そう」

 そのままゆっくりと距離を詰め、両腕で包み込むように抱擁し、子供をあやす様に背中を優しく叩く。

「でもね、きっとどの世界のわたしも、同じ願いを抱いていたと思うんだ。そこに存在する“わたしがわたし”だったのなら」

 耳元に顔を寄せ、そっと囁くように――穏やかな温かい声音で語りかける。

「わたしが望むのは――『ほむらちゃんと一緒に、この先の未来を歩いていきたい』。それが、今のわたしの『願い』だよ。その為に、わたしは魔法少女にならなきゃいけないの」

「うっ…………ぐ…………あぁ…………ああ……」

 ほむらは言葉にならない声で嗚咽を漏らす。

 嬉しくて、悲しくて、心の中がごちゃまぜで、感情が滴となって溢れだす。

 まどかちゃんが一緒の未来を望んでくれたことは、ほむらがずっと渇望していた夢のようなものだ。でも最初から達成はできないと、諦めていたことでもある。
 まどかちゃんを救うことさえできれば、それだけでいいと割り切っていたのに……こうして、まどかちゃんの想いに触れることができたのは、どれほどの悦びだったのだろう。


 だが、その為にまどかちゃんが魔法少女になるというのは、ほむらにとって堪え難い現実だ。
 ほむらは、ずっと彼女を魔法少女に――いや、魔女にさせない為だけに刻苦し、戦い続けてきたのだ。

 でも、もうまどかちゃんの決意は、揺るぎなき信念によって強く固まっている。
 その決意を自分の言葉では、変えることができないと悟ったほむらは、声を上げ泣く事しか出来ない。


 止め処となく溢れ出る涙を拭う事もできず、ほむらは号泣した。


 張り裂けるような大声を上げ、迷子になった子供のように泣きじゃくっていた。





~120~

「ようやく話が纏まったようだね」

 泣き濡れるほむらの姿にも、全く気遣いを見せることなく――無粋な介入者がやってくる。

 少女の希望を絶望に換えて搾取する、諸悪の根源にして、この歪んだ不条理なシステムを創り上げた管理者。
 白い毛並みの猫のような小動物。その実、この地球上の生物ではない、宇宙の彼方よりやってきた異星生命体。

 個の概念を持たず、種全体で統一した意識を共有する、謎多き存在――。

「キュゥべえ」

 足元にまで接近してきた相手に対し、まどかちゃんが敵意を込めた声音で呼び捨てる。

「鹿目まどか。魔法少女になる対価として、君は何を願うんだい? 数多の並行世界の因果を束ね、因果の特異点となった君ならば、どんな途方もない願いであっても、叶えることができるはずだよ。不可能を可能にし、奇跡をなすことができるだろう」

「嘘じゃない? わたしの願いは必ず叶えてくれるの?」
「うん、嘘なんて言っていない。君がそれを望むのならね」
「なら、戦場ヶ原さん。お願いできますか?」

「ええ。ということよキュゥべえ。“鹿目さんの願いが如何なるものであったとしても、お前は拒まず、絶対に叶える”――私との『約束』よ」

「はぁ……『約束』するよ。やれやれ、僕は本当に信用されてないんだね。そんなことしなくても、その願いがエントロピーを凌駕するものであるのなら、僕に拒む権利はないよ。それが僕の役割だからね」

 戦場ヶ原の能力を使い、キュゥべえとの『約束』を絶対のものにする。
 その念の入れように、ややキュゥべえが辟易したように文句を垂れていた。

 ほむらは依然として大粒の涙を流し、まどかちゃんの姿を呆然と見ることしかできない様子だ。


 しかし……僕はこのまま成り行きを見守るだけでいいのだろうか?
 ここで止めなければ、まどかちゃんは魔法少女になる。そうなればもう手遅れだ。

 でも…………僕にはある確信がある。
 まどかちゃんは、自分自身を犠牲になんてしない――と。

 だって、そうだろう? 

 羽川はほむらを説き伏せるときにこう言ったのだ。

――「もし暁美さんと鹿目さんの立場が逆だったとして、鹿目さんがあなたの為に犠牲になることを選んだとしたら――暁美さんはそれを受け入れることができるの?」――

 もし、まどかちゃんが“自身の犠牲の上に成り立つ願い”を叶えたいと言うのなら、羽川の言い分は通らなくなる。
 そして、まどかちゃんは、ほむらと共に歩む未来を望んでいる。

 それに……あの、勇ましくも凛々しい顔つきになったまどかちゃんを、もう僕には、説得することはできそうにない。

 ここまでくれば、口を挟まず見届けるしかないだろう。
 まどかちゃんの決心に、水を差すような真似はしたくない。

 複雑な胸中でありながらも、どうにか静観することを決め、僕は腹を括る。


 と――その時。


 この“構想”を企だてた首謀者が――キュゥべえに対して語りかける。

「キュゥべえ。私との『約束』の件、間違いなく達成したということでいいのかしら?」

「ああ、そうだね。確かに戦場ヶ原様の手引きによって、鹿目まどかは魔法少女になる。あとはまどかが魔法少女にさえなれば、僕と君が結んだ『約束』も成立することは保証するよ――ふぅ色々と冷や冷やさせられたけれど、この結果は君の助力あってこそだ」

 『約束』が果たされることの最終確認も完了し――長い尻尾を大きく揺らし、迫る運命の瞬間に期待を膨らませているようだ。

 その様子を、なぜか満足そうな表情で一瞥してから――

「契約内容を確認しないで、商談を纏めるなんて営業マンとしては失格ね」

 キュゥべえの行為を揶揄するように、含みを持たせた声で戦場ヶ原は言う。

「……営業マンとは僕のことかい?」
「そうよ」
「……まぁそれはいいとして、どういうことだい? 戦場ヶ原様の比喩的表現じゃ、正確な情報を読み取ることができないんだけど」
「お前は、鹿目さんとの契約に執着し過ぎて、その後の『願い』に無頓着過ぎるってことよ」

「要領を得ないな。まどかとの契約が果たされれば、僕らのエネルギー回収ノルマは概ね達成できる算段だよ?」
「ふっ、取らぬ狸の皮算用とはよく言ったものだわ――憐れな無能営業マンに、有り難い教訓を授けてあげましょうか」

 戦場ヶ原が不敵に嗤う。
 罠に嵌った愚か者を嘲るように、禍々しくも歪んだ、悪辣な笑みを浮かべていた。

「『約束』する相手は選ばなきゃ駄目なのよ。そうしないと、後々後悔することになるわ。ま、今更言っても詮無いことだけど」

 そして――最大限の皮肉を込め、愉悦を宿した声音で戦場ヶ原は言った。
 


「はぁ…………ふぅ…………」

 それに続き――まどかちゃんが大きく深呼吸し、射貫くようにキュゥべえを見つめる。

「キュゥべえ。わたしの『願い』を叶えてもらうよ」

 覚悟の完了した、迷いのない表情で言葉を紡ぎ――

「わたしの『願い」は――この世界にいる、全ての魔法少女の穢れを癒したい!」

 どんなに途方もない奇跡だって成し遂げられる――条理を覆すと言われたその強大な力を行使する!

 その瞬間――彼女の胸元から、小さな光が生まれ、光は徐々に膨張していき、神々しい輝きとなって周囲を目映く照らし出す!

「穢れを……癒すだって!?」

 まどかちゃんの『願い』を訊いたキュゥべえが、慌てた様子で声を荒げていた。

「穢れが魔女を生み出すというのなら、その原因を取り除けばいい! もう誰も魔女になんてさせない! わたしの力で抑えてみせる! 私の力で癒してみせる!」

「それが君達の狙いか!? でも、そんなことが!?」


 ああ、なるほど。そういうことだったのか。
 ここに来て、今更ながらに気付けたことがある。

 我ながら本当に察しの悪いことで、己の馬鹿さ加減に呆れ返るばかりだ。

 こんな時に、なんの話をしているのかと言えば、事前に忍野が僕に与えてくれた、あのヒントの件だ。
 覚えているだろうか? あの男が『将棋』を引き合いに出し、僕に何かを伝えようとしていたことを。

 忍野は言っていた。

――「如何にして、相手の裏をかくか」――
――「此方の意図を気付かせずに、どうやって相手を欺くか」――

 そして更に、こんな例え話もしてくれた。

――「手法としては、王手なり相手の本陣に攻め入るような目立つ一手を指す。或いは敢えて飛車や角を捨て駒に使う。そうやって相手の思考を誘導し注意を逸らす。読み違いを誘発させる――でも実際の狙いは別にある、なんていうのがオーソドックスかな。あとは、序盤の何気ない一手が、終盤に大きな役割を果たすなんてのは、漫画なんかで散見するよね」――


 その答えを、ようやく知ることができた。

 僕は、捉え方を根本的に履き違えていたのだ。

 僕はずっと――“僕が騙されている側”だと思い込んでいた。
 将棋をする上での敵側――つまり自分自身のことを対局相手として位置づけていた。

 だがそれは違う。勘違いもいいところだ。

 戦場ヶ原と羽川、この二人が敵対している相手なんて――決まりきっている。そんなの、キュゥべえしかいない!

 だから、忍野の例え話に沿って、僕の役回りを解釈するのなら、差し詰め、敵陣に攻め込み攪乱する飛車や角に準ずる――味方側の『手駒』の一部だった訳だ!

 その実、キュゥべえの注意を引きつける為の『捨て駒』だったんだけどね!

 ムカつく程に、言い得て妙な例え話である!

 相手に意図を気付かせず、何かの目的を果たすこと――戦場ヶ原と羽川はそれを見事に成し遂げていたのだ!


「待ってくれ!」

 キュゥべえが制止の声を上げるが、回り始めた歯車はもう止まることはない。

 その願いがエントロピーを凌駕するものであるのなら――キュゥべえにそれを拒む権利はないのだから!

「魔法少女になったみんなを、絶望で終わらせたりなんかしない! 呪いなんて生ませない! 魔法少女は夢と希望を与える存在なんだから! あなたの思い通りになんてさせはしない!」

 胸に凝縮した凄まじい光を一気に解放し――少女は高らかに叫んだ!!

「さぁ、叶えてよ! インキュベーター!!」







[27169] こよみアフター~その1~
Name: ミドリ◆02e976c9 ID:ea6cad15
Date: 2017/02/05 21:16
~121~

 後日談というか、今回のオチ。
 いや、オチというよりは、落とし所と表現した方がいいのかもしれない。

 あの出来事から数日たったある日のこと――

 僕はいつものように二人の妹、火憐、月火に叩き起こされた。
 まぁ一度目が覚めただけで、僕はベッドの上から出ることもなく、そのまま惰眠を貪りたいという要求に屈し、剥ぎ取られた布団を手繰り寄せ二度寝へと突入した。誰にでもある、日常の風景だ。

 深い眠りに再び辿りつかんと、うつらうつらとした心地で目を閉じる。

 と、不意に僕の頬が叩かれる。そっと優しく触れるような、軽いタッチ。

 完全に眠った訳ではなく半寝半起とでもいうべき、半覚せい状態だったので、ある程度の物音には気付くはずだ。つーか妹達の襲撃に備えて、警戒を怠る僕ではない。

 けれど、あのデンジャラスシスターズが扉を開いた音は、僕の耳に届いていない。

 だったら、その正体は自ずと限られる。
 考えるまでもない。僕の影の中に封印された、幼女吸血鬼の仕業か――なんて結論付けて、重い目蓋を開けてみれば、僕の頬に触れる、か細い手が目に飛び込んでくる。

 雪のような真っ白い肌。
 大きくつぶらな瞳。
 小さな顏に、すらっとした体躯。
 衣服も着用せずに寝床に潜り込み、僕の胸元に身体を乗せ密着してきた段階で、ようやくその正体を把握する。


「………………キュゥべえ」

 朝からテンション駄々下がりである。どんな寝起きドッキリだ。

「やぁお目覚めかい?」
「……ああ……最悪の目覚めだよ……で、朝っぱらから何のようだ?」
「挨拶にきたんだよ」
「挨拶?」
「うん、羽川翼に頼まれていた仕事が、ようやく片付いたからね」

 羽川から頼まれた仕事? あぁ世界中の魔法少女への事情説明のことか。

 世界各国に散らばるすべての魔法少女にコンタクトできるのは、キュゥべえくらいしかいない。
 羽川の指示によって、キュゥべえはここ数日、奔走していたもんな。

 こんな奴に任せて大丈夫なのかという、ご意見もあるだろうが、そこは羽川翼。抜かりはない。
 伝令任務に向かうにあたって、羽川直々による指導が執り行われていた。
 マンツーマンで模擬面接みたいな練習を、繰り返し繰り返し――羽川のOKがでるまでエンドレス。
 一種の洗脳である。

 で、肝心の伝令内容であるが――魔法を使い過ぎて穢れを溜め過ぎると死に至る可能性がある――という警告である。

 まぁご存知の通り、本当は魔女になってしまうのだが、そこは嘘も方便ということで、表現は可能な限り暈している。だが危機感を抱かせるという意味では、誇張もしている。
 それともう一つ、魔女が減少傾向にあるので、もう普通の生活に戻っても構わないということだ。

 状況の変化に伴い、色々あったからな。

 にしても……戦場ヶ原の『約束の力』を駆使して、キュゥべえを自在に操る羽川が怖い。


 まぁそれはいいとして、大よその話が見えてきた。それで挨拶ってことか。

 要は『別れの挨拶』をしに来たってことだと、僕は察する。
 そうだと解かれば、中々に清々しい朝じゃないか。

 コイツが、この地球に居座るメリットはなくなったのだ。

 丁度いい、ここらで魔法少女の現状について語っておくとしよう。
 あの出来事のその後について、語り部として最低限の顛末ぐらいは回収しておくべきだしね。
 投げっぱなしという訳にもいくまい。


 さて、何から語ったらいいのか、悩むところではあるが、やはり一番に触れておくべきは、まどかちゃんの『願い』によって齎された影響についてだろうか。

 まどかちゃんの願った祈りは――『この世界にいる、全ての魔法少女の穢れを癒す』というものだ。

 ソウルジェムに蓄積する穢れ、その総量が閾値に達した時、魔法少女は魔女へと生まれ変わる。魔女へと堕ちてしまう。

 生きているだけで少量とはいえ穢れは溜まり、負の感情を抱いた時や、魔法の力を行使しただけで、穢れはどんどん蓄積されていく。グリーフシードで浄化しない限り、穢れを取り除くことができず、それが魔法少女にとっての死活問題であり、魔女に成ることは逃れられない運命だった。

 けれど、まどかちゃんの願いによって、その呪縛は断ち切られた。

 まどかちゃんの願いは、魔法少女の穢れを癒すこと。

 つまり――穢れの『浄化』『抑制』だ。

 その効果は絶大で、ソウルジェムに穢れが溜まっても、継続的な浄化作用が働き、穢れが蓄積することはなくなった。

 ただ注意しなければいけないのは、あくまで穢れを浄化するだけなので、後先考えずに魔力を使い続けたり、精神崩壊レベルで負の感情を抱いた場合に関しては、浄化の力が追いつかいことも考えられる。

 まぁ想定以上にまどかちゃんの浄化の力が強力らしく、相当無茶な使い方をしない限りは大丈夫だろうという見解ではあるが、そこら辺はまだ注意が必要らしい。どこにどんな落とし穴があるか分からない。注意しておくに越したことはない。

 とはいえ、現時点に於いて、普通に生活する分に関しては、穢れが溜まる心配はなくなっている。
 穢れを取り除く必要がなければ、グリーフシードは必要ない。
 故に魔女と戦う必要もなく、戦いとは無縁の日常に復帰できる訳だ。


 それらのまどかちゃんの齎した影響と並び、重要な役割を果たしているのが、戦場ヶ原がキュゥべえと結んだ『約束』である。

 その内容は『少女と契約することを禁止する』というもので、まどかちゃんを魔法少女にする見返りとして、戦場ヶ原がキュゥべえに対し要求したものだ。

 その効果は、そのまんまである。キュゥべえの勧誘活動は禁止され、魔法少女が増えることはなくなった。

 もう新たな犠牲者が生まれることはない。
 その為、キュゥべえは今いる魔法少女からしか、エネルギー回収は行えない。

 けれど、穢れが溜まらない為、魔法少女が魔女になることはなく――当然、キュゥべえが最も欲していたまどかちゃんも例外ではない。
 つまり、キュゥべえがどう足掻こうとも、感情エネルギーの回収ができない!

 事実上、インキュベーターの構築した『魔法少女』のシステムが、機能しなくなったということだ!


 ついでに、ここ数日間の、世間の動向にも触れておこう。
 要は現実社会の問題である。

 『ワルプルギスの夜』が齎した破壊の爪痕は色濃く残っている。

 無論、魔女という存在が一般社会に認知されることはないので、他の原因として処理されることになる。

 見滝原の中心街で起こった、天変地異、未曾有の大災害。
 或いは、国家規模で行われた化学実験の失敗。
 はたまた、大規模テロ組織による陰謀説。

 なんて様々な憶測が飛び交う大事件として、ニュースでは報じられている。

 また、軍事施設から盗み出された兵器の件も連日ニュース番組で取り沙汰され、各方面の責任問題へと発展している。心苦しくはあるが知らぬ存ぜぬを貫くしかない。

 ただ幸いなこと……と言ってはいけないが、ほむらが使用していた兵器の大半は、ワルプルギスの炎に溶かされて、跡形もなく消え去っている。
 加えて、忍野の先輩が裏世界を牛耳る権力者のようで、情報操作なども行われているらしい(ホントかよ)。


 あと懸念があるとすれば、残った魔女の存在だけど、その件については、現在目下対策中である。

 これは――つい先日のこと。

「……残った魔女のこと、本当に大丈夫なのか?」
「大丈夫なんて軽はずみな発言はできないよ。僕が直接関わっているわけじゃないのに、無責任なことは言えない。まぁ訊いたところによると、この件に着手してから日も浅いし、問題は山積みのようだ。まだ『魔女狩り』の組織を編成している最中ってところみたいだね――協力してくれそうな魔法少女への打診もしているらしいけど、人選には相当気を使っているみたいな話だよ。当然実力も必要だし、相手は未成年だからね、色々調整が難しいってのもあるから、まぁ本格的に活動が開始されるのは、一カ月はみておいたほうがいいんじゃないかな」

 それが忍野の先輩とやらが手を尽くして創設した、魔女の残党狩りを目的とした組織の内情である。
 ほんと、この忍野の先輩は何者なのだろう…………忍野も相当に人間離れした奴だけど、それとはまた違うベクトルでぶっ飛んでいる。謎である。


 さて、この話からも分かるように、まだこの地球上には魔女が残存している。

 ただ、キュゥべえによる契約が禁じられたお陰で、新たな魔法少女が誕生し、その流れで魔女が増えるというサイクルは消滅した。

 けれど、元々いる魔女自身が使い魔を産み、その使い魔が魔女へと成長するという問題は残っているので、何らかの対処をしなくては、魔女は増える一方だ。

 とはいえ、魔女の数は元々そこまで多くはない。
 魔法少女が飽和した状態で、魔女を取り合っていたのが今までの現状だったのだ。

 魔女をこの世界から根絶できるのは、そう遠い話じゃない。


 そして、その魔女を狩るのは、魔法少女だけの役目ではなくなったことも重要な点だ。

 この世界には、僕が関わった吸血鬼退治の専門家なんて存在がいるように、それに似通った化け物退治の専門家ってのが結構な数いるようなのだ。

 世の安寧を願い、陰ながら悪しき者を退治する正義の味方――なんて奇特な人は極少数で、金銭目的としたハンターみたいな連中が多数存在しているらしい。ビジネスライクな世知辛い世界である。


 でだ。今まで『魔女』というのは、魔法少女以外は手だし厳禁の、アンタッチャブルな存在だったけど、それも今回の件で撤廃された。

 そもそも、魔女は結界の中に隠れているので、棲み分けができていたのだが、これからは率先して魔女狩りが行われることになる。

 その為には、やはり魔女を見つけ出す魔法少女の存在が必要になってくる訳だけど――それについては忍野が先ほど言っていた通り、現在有望な人物を選考中のようだ。

 勿論、強制ではなく、本人の意思ありきのことだ。
 普通の人間として生きていくもよし、今まで通り魔法少女として力を奮うことも選択できる。
 ただ魔法少女として戦う道を選ぶというなら、当然の代償として命の保証なんてものはない。

「ああ、そう言えば、阿良々木くんの知り合いにいた、あの、食いしん坊ちゃんが、結構乗り気みたいだね。ただ周りの反対もあって難航しているとかなんとか」

 うん、よく知っている。
 食いしん坊ちゃんとは、お察しの通り、佐倉杏子のことだ。
 杏子は学校に通いたくないとの理由で、魔女狩りへの参加を強く希望している。

 で、その杏子の魔女狩りへの参戦に猛反対していてるのが、巴さんなのである。
 巴さんに泣きつかれ、連日相談を受けている今日この頃。

 ちなみに、巴さんと杏子は現在、郊外の小さなアパートで二人暮らししていた。
 巴さんが元々住んでいたマンションは、あのワルプルギス戦の影響を受け半壊してしまったのだ。

 その辺りの事情については――ほむら、まどかちゃん、美樹のことも含めて、またの機会に詳しく話すとしよう。
 本当に色々と厄介な問題が起こっているのだ。巴さんと杏子の件だけじゃなく、他にも…………特に、ほむらのまどかちゃんへの依存が、度を越え過ぎていて、早急に手を打たないとマジでヤバい!
 加えて、相手の気を引きたい――仲良くしたいという感情の矢印が【巴さん→杏子→美樹→ほむら→まどかちゃん】みたいな感じで、一方通行なのが……もう……いや別にそれぞれが仲良くないなんてことは決してないのだけど…………うん。

 僕の心労はとどまる所を知らない!



「しっかし忍野。お前、えらく協力的に動いてくれているよな」

 忍野の先輩とやらの交渉は、全て忍野が担ってくれたのだ。彼の尽力無くしてこの結果は得られなかった。

「放任主義な奴だと思ってたのに、見直したぜ。つーか、本当にありがとうな」

 照れくさいが、やはりお礼は言っておくべきだろう。

「はっはー阿良々木くん。気持ち悪いこと言わないでくれよ」
「おい、感謝の言葉ぐらい素直に受け取っとけよ!」

「僕としては、言葉じゃなく、対価を希望するけどね」
「…………ああ、そう……だな。ここ最近ごたごたしてて……有耶無耶になってたよな…………で、僕が払う代金はどれくらいなんだ?」

 あまり考えたくないが……街を覆う規模の結界に各方面への交渉…………それこそ億単位の請求がきてもおかしくないので――できれば有耶無耶のままにしておきたかったんだけれど…………専門家への正当な依頼料なので、踏み倒す事はできない。

「冗談だよ。今回は別に代金の請求とかはないから」

 胸ポケットから煙草を取り出し、忍野は何でもないことのように言う。

「は? いいのか!? どういう風の吹き回しだよ!?」

 お金の扱いに関しては、結構アバウトな奴だけど、これは!?

「相変わらず阿良々木くんは元気いいなぁ、何かいいことでもあったのかい?」

 不思議がる僕の様子を眺めながら、忍野は面白そうに茶化してくる。
 いや、莫大な借金を背負う覚悟をしていた僕としては、それはいいことがあったんだろうけどさ!


 そして忍野は火のついていない煙草を指で挟み、軽薄な笑みを浮かべながら、さも当たり前のことのように言うのだった。

「崩れたバランスは、正す必要があるだけさ」

 それこそがこの男の――専門家としての矜持なのかもしれない。

 ふざけた態度で人を煙に巻き、皮肉屋で底意地の悪い、嫌味な捻くれ者。

 それでいて……心底、面倒見のいいお人好し。本当に頼りになる…………悔しくて認めたくないが――かっこいい大人の男だ。


「それがバランサーぼくの役目だからね」







[27169] こよみアフター~その2~【本編完結】
Name: ミドリ◆02e976c9 ID:ea6cad15
Date: 2017/02/10 19:11

~122~

 取り敢えず、近況を振り返るのはこれくらいにして――

「ま、お前には散々迷惑をかけられたし、別れを惜しむ気持ちなんてこれっぽっちもないんだけど、達者でな!」

 別れの挨拶に来たキュゥべえに対し、形だけの礼儀として、おざなりに僕は言う。

「…………どういうことだい?」

 が、なぜか僕の言葉に不思議そうな反応を返すキュゥべえ。

「あれ? 生まれ故郷があるのかしんないけど、元いた星に帰るんじゃないのか?」
「……そんなことは言っていないはずだけど、僕は挨拶にきただけだよ」
「だから、別れの挨拶じゃ?」
「違うよ。これから、君の調査任務を開始するから、その挨拶だ」
「……………………え?」

「一応前以て宣言していたはずだよね? 君――というより、吸血鬼は有用な資源になる可能性を秘めている。だから要調査対象から、更に重要度を引き上げたって」
「………………つまり?」
「阿良々木暦。今日からよろしく! 君のことを徹底的に観察させてもらうよ!」
「帰れ! 今すぐ出ていけ!」
「そんな邪険にしないでもらいたいな……僕らとしても、君達の所為でエネルギーの回収が滞っているんだから、その補填となるエネルギーの調査に乗り出すのは当然のことだろ?」

「知るか! 目障りなんだよ! 立ち去れ!」
「大丈夫だ、僕は姿を消すことだってできる。君の視界には映らないよう配慮しようじゃないか」
「精神的に嫌なんだ!」

 視界から隠れていようとも、ゴキブリが部屋の中にいるとわかって過ごすことは、精神衛生上よろしくないのだ。
 不快感半端ない! 

「君が協力してくれれば、早い段階で調査が済むかもしれないよ?」
「ああ鬱陶しい! 忍の餌にすんぞ!」

「やれやれ……ここまで嫌がられるなんて…………まぁ無理強いはできないし、当面は君以外の吸血鬼のことを調べるとしようかな。もし気が変わったらよろしく頼むよ」

「…………もう諦めて母星に帰れよ。それか、別の星にでも行ってくれ。よく知んないけど、地球以外にも何かしらの生命体はいるんだろう?」

「いるにはいるけれど、地球ほど珍しい生態系を形成している星なんて在りはしないよ。それに、どうせ百年の辛抱だ。今更、他の星を開拓するメリットは感じられないね。とはいえ、百年の時間を無為に過ごすのも勿体ないからね、吸血鬼のことを調査するのに、この空いた期間は有効活用させてもらうよ」


「えっと……話が見えないんだけど、その百年っていうのは何の話なんだ?」

 吸血鬼のことを調査すること自体は、別におかしいことではない。
 けれど、予め調査する期間を決めていることに、そこはかとない違和感がある。なにより“百年の辛抱”“空いた期間”という表現が、非常に気に掛かる。とてつもなく嫌な予感がする。

「あれ? 君は訊いていないのかい?」
「………………訊いていないって何を?」

 そして、往々にして嫌な予感は的中するもので…………衝撃的な事実が発覚した!

「百年経てば、僕と戦場ヶ原様が結んだ『約束』の期限が切れるってことをさ」

「なん……だと!?」


 戦場ヶ原ひたぎぃいいいいいいい!! お前って奴はぁああああああああ!!




 当然そのまま放置できる案件ではない――張本人への事情聴取開始である。


「…………ってキュゥべえが言ってたんだけど、本当に本当なのか?」
「あら、知っちゃったの? 口止めしておけばよかったわね」

 罪悪感の欠片もなく、いつもの澄ました調子で戦場ヶ原。
 この女は…………もう……どうすんだよこれ!

「はぁ…………僕的には、キュゥべえを出し抜いて、完全なる大勝利だと思っていたのに。何でこんな期限を設けちゃったんだよ! これに、どういう意味があるんだ!?」

「意味なんてないわ。自分が死んだあとの世界がどうなろうと、知ったこっちゃないじゃない」

 それが戦場ヶ原ひたぎの返答だった。
 清々しいまでにきっぱりとした発言に、僕としても引き下がるほかない。
 というより、これ以上追及することを許さないという、禍々しいオーラを発していたから、退散するしかなかったのだ。

 魔法少女は夢と希望を与える存在だと、まどかちゃんは言っていたが、こんな奴が魔法少女であってたまるか! 発想の基盤が魔女のものじゃねーか!


 でも…………戦場ヶ原の答えに今一つ納得できなかった僕は、もう一人の首謀者の元へ向かうことにした。
 彼女がこの事実を知らないなんてことはないだろう。





「あぁ……うん…………知ってたよ。戦場ヶ原さんと共謀した仲だからね……はは」

 苦笑いを浮かべて、戦場ヶ原とキュゥべえの『約束』が期限付きであることを、羽川は事実あると認めるのだった。

 戦場ヶ原とは違って、一応後ろめたい気持ちがあったのか、申し訳なさそうな表情ではある。

「…………僕には戦場ヶ原の考えがちっともわからないぞ……あいつは自分の死んだあとのことなんてどうでもいいみたいなこと言ってたけどさ…………後味が悪いっつーか、わだかまりが残るっつーか…………何でこんな意味のない期限を設けちまったんだ?」


「……うん、そうだね。阿良々木くんの気持ちは重々理解できるんだけど…………でもね、意味がないなんてことはないよ。戦場ヶ原さんがどこまで考えていたのか、本当のところはわからないけど、これは極めて重要な必要不可欠な処置なのは確かだよ」

 と、僕の愚痴めいた不満を訊いた羽川は、教え諭すようにそんなことを言った。

「……どういうことだ?」
「幾つか理由が考えられるんだけど、一つ目は、『約束を遵守させる力』をより完全なものにする為――期限を設けることで、より効果を強化できるとでも言えばいいのかな。もし永続的に、それこそ、無期限で効果が続けば、それに越したことはないけれど、限界を超えた力は、必ず何らかの不和を生み、効果そのものに、綻びが生じることになりかねない――――簡単に言えば、効果範囲を広く設定し過ぎると、その分、力が不安定なる。だから敢えて効果範囲を狭めて、力を安定させるみたいな」

「……なるほど」

「阿良々木くんも知っての通り、魔法少女がどんな願いでも叶えられるとは言っても、個々人の資質によって、叶えられる願いの規模は変わってくる。それはつまり、叶えられる願いには『上限』があるってことの裏付けなんだよね」

「…………だから、予め約束の期限を設定したってことか」

「そういうことだと思うよ。ただ、鹿目さんだけはそんな『上限』さえ無視できるほどの、魔法少女だったんだろうね。キュゥべえくんの話から推察するに、神様にも等しい存在になれたかもしれないよ。新しい世界をまるごと作っちゃったりとか」

 どこまで本気なのか、羽川がそんな推論を述べる。まどかちゃんの力が規格外に凄いことは疑う余地はないけれど、流石にそこまでの力が…………いや、ほむらでさえ時間遡行なんて芸当をやってのけている。まどかちゃんなら本当に……でも、例えそんな力があったとしても、好き好んで神様になんてなりたくないだろう。


 ただ普通に、大切な人と過ごす事が出来れば、それ以上の幸せはない。
 どれだけ素質があり、強大な力を持っていても、まどかちゃんは普通の女の子なのだから。


「それと、あともう一つ」

 と、羽川が逸れていた話を引き戻す。
 僕としては、もうある程度は納得できていたのだが、まだ何か理由があるようだ。

「今回の件を、キュゥべえくんの立場で考えてみるとね、リスクをかなり緩和できているんだよね」
「ん?」

「もし仮にね、戦場ヶ原さんの『約束』の力が永続的に働いて、キュゥべえくんの契約を未来永劫、封じ込められた場合、どうなるのか。阿良々木くんが本来望んでいた結末はこっちなんでしょ?」

「そりゃな。それこそが最良の未来っつーか、キュゥべえの企みを完全に封じてこそ万々歳ってなもんだろ?」

「うん、私たち――人間側の心情とはしては、そっちの方がいいよね――でも、そうなった場合、キュゥべえくんがどういう行動にできるのかを考えてみて」

「キュゥべえの行動? ああ、さっき言っていた、キュゥべえの立場で考えるって話に繋がっているのか…………と、言われても、アイツの思考なんて読めないぞ。何考えてるかわかったもんじゃねーし、存在そのものが謎だらけだ」

「そうだね。阿良々木くんの言う通り、キュゥべえくんは謎が多すぎる。私たちは、全くといっていいほど相手の情報を把握できていない――その上、相手は人類より、圧倒的に上位に位置する存在であり、人間を観測する立場にあるのを忘れちゃ駄目だよ。力関係で言えば、間違いなく相手が上手」

 警告を飛ばす羽川の言葉に、心臓が跳ねたような心地だ。
 心のどこかで、キュゥべえという存在を甘くみていた自分に気付き、自省の念に駆られる僕。

「そんな相手の計画を、完全に破綻させた場合どうなるのか――多分、その状況を打破しようと試みてくるんじゃないのかな。手段を選ばず強硬策に打って出てくる可能性が高いって、私はそう思うんだ。そうなった場合、相手がどんな手を使ってくるのか、私には予測しきれないよ。……可能性の話だから、必ずそうなるとは限らないんだけど」

「いや……お前の懸念は尤もだ……」

 地球を観測する立場にある異星生命体が、形振り構わず敵対してくるってのは、あまりにもぞっとする話だ。

「だからこそ、期限を設けることが、重要になってくるんだよね。だって百年経てば、また活動が再開できる。私達の感覚の百年と彼等の感覚の百年は、全く違うってのは分かるよね? なんせ相手は有史以前から人間に干渉してきた存在なんだもん。たかだか百年の停滞って捉えると思うよ。計画の大幅なロスにはなるだろうけど、決して挽回できないものじゃない。ただ計画のロスって観点で言えば――今後も鹿目さんが狙われる可能性は否めないかな……。やっぱりキュゥべえくんにとって、彼女が魔女になって獲得できるエネルギーは魅力的だろうし。ちゃんと警戒しておかないと駄目だよ。ある程度は戦場ヶ原さんの『約束』の力を駆使して、搦め手で封じたつもりだけど、絶対に大丈夫なんて保証はできないんだから」

 計画の妨害が不完全であるからこそ、インキュベーターも躍起になって問題の解決に乗り出さない。
 吸血鬼の調査に乗り出すとか言っているけど、それは無駄な時間を過ごさないようにする為の、時間潰しに過ぎないのだろう。

 百年経てば、また元通りに戻るのだから。
 インキュベーターにとって百年という年月は、ただの誤差でしかなく、十分に許容できる範囲。

 ただし、まどかちゃんのことをキュゥべえが簡単に諦めるとは考えにくいので、その点はしっかり留意しなくてはならない――ということか。

 これが羽川の言う、リスクの緩和――忍野のバランス理論ではないが、均衡を保つ為には、何事にもバランスが大事ってな訳だ。
 抑え過ぎると、その分だけ反発が強くなる。過度の改革は叛逆を招く。

 故に――これが帳尻を合わせたギリギリの調整。

 それが今回の魔法少女に纏わる物語の妥協点であり、落とし所なのかもしれない。


「でもこれは、どうしたって百年後の人類のことを完全に無視した、独善的な考え方にはなってしまうよね…………これを許容できるか否か、戦場ヶ原さんの言う通り、知らんぷりして割り切ってしまった方が賢明なのかな…………それこそ、全宇宙のために犠牲になることなんてできないしね。なんて言い出すときりがないし、問題のすり替えになっちゃうんだろうけど――それでも、人間は、どこまでも自分勝手に、利己的に生きていくしかないんだよ」







~123~

「なぁ戦場ヶ原。答えたくなかったら別にいいんだけど、お前は……魔法少女になったことを、後悔していないのか?」
「何それ」

「いや……だから、魂を移し替えられて……人間としての在り方からは、だいぶ外れちまっただろ?」

「阿良々木くんは、その事で私のことを疎んじるつもりなの?」
「それだけは絶対にないよ。お前はお前だからな」
「なら、いいじゃない」

「んーでも。やっぱ、多少なりとも気苦労はあるだろ? ソウルジェムをずっと装着しておかなきゃいけない訳だし」

「結婚指輪だって肌身離さず身に付けておくものでしょう。あーでも本物の結婚指輪を貰った時のことを考えると困るわね。ね、阿良々木くん」
「え、何そのプレッシャー!?」

「あらあら、どうして阿良々木くんは、これをプレッシャーに感じるのかしら?」

 抑揚のない平淡な声音。
 恐い! マジ恐怖!

「失礼。噛みました。本当はプレジャーと言いたかったのに、舞い上がっちゃってさ……ははは、僕は歓喜に打ち震えているってことだよ!」

 『プレジャー』――『喜び』という意味である。
 僕の恋人の冗談は見極めにくい。迂闊な対処をしたら、即制裁だ。

「阿良々木くんだって吸血鬼――でしょ。人間としての在り方から、だいぶ離れているけれど、それで何か困っているの? お互い便利な身体じゃない」
「……そうだな」

 戦場ヶ原が気にしていないというのなら、これ以上僕が変に気を回し過ぎるのもよくないか。
 デリケートな問題だから、戦場ヶ原と他の魔法少女の子達を同様に扱ってはいけないが、戦場ヶ原に関しては、もっと軽く考えた方がいいのかもしれないな。


「阿良々木くん」
「ん? どうした?」

「お互いの為に、ちゃんとけじめをつけておきましょうか」

 けじめと言う言葉を訊いて連想されるのは、先ほど上がった『結婚』という単語。
 え? 嘘。まだ僕達高校三年生ですよ? いや、嫌ってことはないし、戦場ヶ原のことは好きだけど、ちょっと早すぎませんか? なんて内心で慌てふためいている僕であったが――

「もう阿良々木くんに対し、『約束ピンキースウェア』の能力を使わないと、『約束』するわ」
「お、おう」

 ――そういう話ではなかった。
 『絶対遵守の約束』――確かに、その力があると、戦場ヶ原と迂闊に約束が交わせない。

 だから戦場ヶ原は自分自身に『約束』の力を行使して、僕との関係を対等なものにしてくれたのだ。
 さて、自分自身との『約束』が成立するのか、そもそも本当に力を使ったのか、僕には判断できないが、それを信じなくては、僕に彼女の恋人たる資格はないだろう。

 普段の彼女のことを、信用できるかは兎も角としてだ!
 この決意表明だけは、信じるに値する。

 そして、その直後に戦場ヶ原は言った。

「じゃあ阿良々木くん、一つ私と『約束』してもらおうかしら」

 だから、これは何でもない本当にただ『約束』だ。けれど、大切な。一生ものの。

 臆面も恥じらいもなく、真面目な、戦場ヶ原の本気の想い。

 戦場ヶ原が僕に何を求め、何を言ったのか、それを明らかにするのは無粋だろう。

 僕の為に、魔法少女になった彼女に対して、僕は迷わず即答する。


「ああ勿論。約束するよ」


 まだ終わらない僕達の物語を、二人で寄り添って歩き続ける為に。








[27169] 【番外編】ほむらトラブル~その1~
Name: ミドリ◆02e976c9 ID:ea6cad15
Date: 2017/07/07 18:14

~001~

 見滝原の中心街から遠く離れた、郊外のとある廃工場。

 連日雨が降り続いていた梅雨の折、そんな人気のない場所に僕――こと阿良々木暦はやって来ていた。
 今日も今日とて分厚い雨雲が太陽の光を遮っているが、幸いにもまだ雨は降り出していない。

 打ち捨てられ廃墟と化した工場に、じめっとした生温い空気。なかなかに薄気味悪い空間だった。
 罅割れたアスファルトから雑草が生え、荒れ放題といった感じ。雰囲気としてはあのアロハ服のおっさんが寝床にしている学習塾跡に近い。

 ただ荒廃の度合いで言えば、現状、見滝原の都心部の方が『|原因不明の大災害(ワルプルギスの夜)』の影響で酷いあり様なのだけど…………アレは荒れているとは別次元の、壊滅状態だからな。
 もし復興に乗り出すならば、一度被害地域を更地に戻してからの方が手っ取り早いとさえ言える程の惨状だ。
 まぁまだ原因調査やら何やら色々な問題があり、復興を目指すとかいう段階ではないのだけど。

 それはさて置き、僕の前には一人の少女が、この空模様よりもどんよりな、陰鬱とした表情で立っていた。

「深刻な問題が発生したわ」

 その少女――暁美ほむらの第一声がこれだった。

 誰にも知らせず一人で来るよう、メールでの通達を受けたのが昨日の夜。
 詳しい詳細は会った時に直接話すとのことだったので、内容は知らされていない。どんな話をされるのか気が気でなく、寝不足気味だった。

 だけど、悄然とした面持ちで発っせられたほむらの重い言葉に、そんな眠気は吹っ飛んでいく。

 魔法少女に纏わる問題は残念ながら、根源から解決できたわけではない。
 膿を吸い出しどうにか鎮静化はさせたが…………それこそ一過性の処置を施したに過ぎないのだ。
 悪性腫瘍なんてものは、一度治ったところで安心はできない。治療したとしても、再発する可能性はどうしたって出てくるものだ。

 そして、僕だけを呼び出して、秘密裏に話をしようということからも、容易に想像がついてしまう…………これは相当に厄介な問題で、他の魔法少女には話せない類の内容であることを。

 魔法少女が逝きつく先、魔法少女の成れの果てが『魔女』だという真実――――その歪んだ関係を知っている者は限られている。

 つまり……だからきっと…………今から打ち明けようとしている話は、そういうことなのだろう。

「深刻な問題……か」
「ええ、早急に対策を練らないと……まずいわ」

 想定していなかった訳ではないが、あまりにも早い日常の終焉。
 でも、どんな苦境が待ち受けていようとも、僕が取り乱しては駄目だ。平常心を保てるよう、一度深呼吸を挟み、僕はこくりと頷く。

 よし、腹は括った。

「…………そうか…………で?」
「内容を話すその前に、約束して頂戴。この件は誰にも口外しないと」

「……わかった」

 ほむらに言われるまでもなく、おいそれと話題にできた話でもあるまい。
 ただ、場合によっては協力者は多い方がいい。

 魔法少女と魔女との相互関係を知っているのは、僕とほむら以外にもいるにはいる。
 近しいところでいうならば、『ワルプルギスの夜』との戦いを終えた後――キュゥべえとの交渉に同席したメンバー、戦場ヶ原、羽川、まどかちゃんの三人がそうだ。

 他にも忍野みたいな一部の裏社会(?)に通じる専門家みたいな連中も、事情は把握しているようだが、現状助力を乞えそうなのは羽川とまどかちゃんの二人。
 戦場ヶ原を除外した理由は、敢えて説明するまでもない。

「あ、でも羽川とかまどかちゃん辺りには話しておいた方が――」

 そう思い、僕は二人の名前を口にしてみたのだが、

「まどかに話せるわけないでしょう!!」

 もの凄い剣幕で怒声をあげるほむら。
 目を見開き鬼の形相で睨まれる。

 その反応で僕は自身の落ち度に気付いた。
 ほむらはまどかちゃんを護るために、ずっと戦ってきたのだ。
 まどかちゃんを救うために、苛酷な運命に立ち向かってきたのだ。

 当然、ほむらの中には、まどかちゃんを危険に巻き込みたくないという思いがあるだろう。

 僕の不用意な発言にほむらが怒るのは尤もだった。

「悪い、僕が悪かった。軽率な発言だったと深く反省してる」
「いえ……こちらこそ悪かったわ。協力して貰おうとしている相手に対して、怒鳴るなんて…………失礼なことをしたわ」



 僕の謝罪に対し、ほむらも頭を下げ互いに謝り合う。
 まどかちゃんへの過保護ぶりは健在だけれど、出会った頃の冷酷冷淡だったほむらからは考えられない、人間味のある対応である。

「本当にごめんなさい」
「いやいや、お前が謝る必要なんてないだろ。どう考えても悪いのは僕だったしさ。で、話を戻すけれど、お前がいう深刻な問題ってのはどういうことなんだ? お前が頼ってくれてるんだ。全力で力を貸すぜ!」
「ありがとう、助かるわ。本当は自分の力だけでどうにかしたかったのだけど…………」

 そう言ってほむらは、言葉を切り、一呼吸置く。
 やはり相当厄介な問題なのだろう。

 言い出すことを躊躇い逡巡の表情を見せる。それでも覚悟を決めたようで、その重い口を開いた。

「じゃあ単刀直入に言うわね」
「おお」

 僕も再度気を引き締める。
 どんな困難が待ち受けていようとも、絶対にどうにかしてみせる!

 そんな意気込みで僕はほむらの言葉を待ち構えた。

 しかし、ほむらから告げられた話はあまりにもあんまりな…………想定外過ぎる内容だった。




「このままじゃ期末テストがヤバいわ」








~002~

「………………………………えっと…………もう一回言ってもらえるか?」
「期末テストがヤバいわ。マジヤバよ」

 ほむらは同様の文言を繰り返す。どうやら訊き間違えではないらしい。
 期末テスト? 
 期末テストって、期末テストだよな?

 いや、待て待て、そんな訳あるか! これは何らかの隠されたメッセージがあるに違いない! ならば、どういった意図が隠されている?

 期末…………世紀末とか? ヒャッハーな人々で溢れかえる衰退の時代を迎えるみたいな? テストは試験…………似通った意味として、試練と言い換えることもできるしな。

 世紀末の試練。これは確かにやばそうだが…………具体的な内容を訊いてみないことには何が何だかわからない。

「あー……そうなのか……で、何がどうヤバいんだ?」
「どうって……そうね。このままじゃ複数の教科で赤点をとってしまうかもしれない。それぐらいのヤバさよ」
「ってやっぱり普通の期末テストなのかよ!!」

 ざけんな! 僕の誠心誠意の謝罪を返せ!
 あー無神経なこと言ったなー失敗しちまったなーって後悔してたんだぞ!!

「は? 期末テストに普通ではないものがあると言うの?」
「知らねーよ! 何だよ、お前はわざわざこんな下らないことの為に僕を呼びだしたのかよ!?」
「下らない、ですって!? 私にとってはとても重要な問題なのよ! それとも何、あなたはテストなんてどうでもいいと言いたいの?」

「いや、テストが大事じゃないとは言っていないが……んなもんどうとでもなるだろ! つーかお前頭いいじゃん! 秀才じゃん! まどかちゃんが言ってたぜ、中間テストで全教科満点、学年一位の成績だって! そんなお前がどうして、期末で赤点なんかとるんだよ! 普通にやれば余裕だろ!?」

「その認識は間違いね。あなたは大きな勘違いをしているわ」

 僕の反論に対し、ほむらは真顔で言い立てる。精緻な洋人形のように整った端正な顔は、本気の表情だ。

「阿良々木暦。あなたは私の魔法少女としての能力を既に知っているはずでしょ?」
「時間を止める能力だろ? あ、まさかお前! テスト中に時間を止めてやりたい放題やってたのか!?」
「私を愚弄しているの? 貴重な時間停止能力を、そんな下らないことに使うわけないでしょう」

 僕の不躾な発言を訊いて、ほむらの目が吊り上る。

「……悪い。ごめんなさい……んーじゃあどういうことだ」
「時間停止なんてのは、私の本当の能力の副産物に過ぎないのよ」

「あ、そうだそうだ。『時間遡行』ってやつか!」
「そう、それよ。私は同じ時間を何度も繰り返してきた。何度も何度もね。であれば、テストの内容なんて自然と頭の中に入ってくるものだわ。多少出題にブレはあったけれど、出題範囲は決まっているもの。あんなのただの暗記だわ」


「なるほど。でもそれって…………なんかズルくないか?」
「なに? これはどう考えたって不可抗力でしょ? 一切不正行為は行っていないもの」
「いや……まぁそうなんだけど…………なんか釈然としねー言い分だな」

 いや、ほむらが悪くないってのは重々理解できるんだけど。

「まーそれで中間テストが満点だった理由はわかった。でもお前って、計算とかめっちゃ得意じゃん」
「計算に関しては、銃火器を扱う上での弾道計算だとか、弾薬や薬品の調合をやっていく過程で、自然と身に付いただけよ。まぁ確かに数学に関してはどうにかなりそうだけど――とはいえ、言うまでもなく、数学以外にもテストはあるのよ?」

「んー…………ただそれを差し引いてもお前って頭いい方だろ? 何をそんなに心配しているのか僕にはわかんねーぜ」
「それが大きな勘違いなのよ。よく訊きなさい阿良々木暦」

 そう言ってほむらは、肩にかかった艶やかな黒髪を払いのけながら、力強く宣言するのだった。 


「私の基礎学力は佐倉杏子レベルなのよ!」


「はい? いやいやいや杏子レベルと言われても、どういった基準なんだよ!」

 何となく、杏子が馬鹿にされていることは伝わってくるが。

「わからない? あの子って現在進行形で中学にも通っていないの。つまり、中学で習う基礎的な知識が一切身についていないってことよ。それ同様、私もほとんど中学に通っていなかったわ。あなたは知っているわよね? 私はもともと心臓の病気でずっと休学していたのよ」

「あーそういえば、そんな話訊いた気がするな」

 今の健康体のほむらしか知らないので、どうにも病弱だった頃の姿が想像できないのだが。

「それでもまだ期末テストが始まるまでには結構な猶予があるんじゃないのか?」

 だいたい期末テストなんてのは何処でも7月の上旬ぐらいに行われるはずだ。

「今はまだ6月の中旬だし、地道に勉強しとけば、幾ら何でも赤点ぐらいは回避できるはずだろ?」
「それでは駄目ね。私が目指しているのは赤点の回避ではなく、全教科90点以上。それにより重要なのは、テスト準備期間が始まるまでには、全ての教科を人に教えれるレベルで身に付けておくことよ」

「そりゃ志の高いことで結構だが、何でまたそこまでする必要があるんだ? いい高校に入って先生にでもなるつもりなのか?」

「じゃなくて、まどかの勉強を見てあげられる状態にしておきたいの」
「は? どういうことだ?」

「どういうって、当然まどかと一緒に試験勉強することになるはずでしょ? というかこれは決定事項ね。その時になって、私を頼ってくれるまどかに対し、『私も全然わからないわ』なんて言えるわけないじゃない! 私がまどかの専属家庭教師として、教えてあげられるレベルになっておかないとダメでしょ!?」

 ほむらが怒涛の勢いで捲し立ててくる。
 そんな声高に力説されても、困るのだが。

「それによ!! もし、もしまどかの誘いで同席するであろう美樹さやかが口を挟んできて、あの子に教えて貰うなんて事体にでもなったら、どうするの!? そんなの発狂ものだわ! 私の株価が大暴落よ! そうなったら阿良々木暦! あなたに責任がとれるっていうの!?」

「いや責任なんてとれませんです、はい」

 そもそも僕に責任が発生する理由が見当たらないが、ほむらさんが怖いので文句は自重しておく。
 つーか、まどかちゃんが絡むと色々酷いな…………。
 めちゃくちゃ残念な発言をしていることに、気付いていないのだろうかこの子は。

「あーだから、要するに…………まどかちゃんに見栄をはりたいってことでいいのか?」
「見栄をはるという言い方は気に喰わないけれど、否定する程間違ってはいないわ」

「で、高校生の僕に勉強を教えて欲しいってことか。まぁ直江津高校はここらじゃかなり学力が高い方だからな。でも僕、その優秀な生徒が通うその中にあって、成績だって下から数えた方が早いし、全然勉強についていけてない、落ちこぼれなんだよな。正直人様の勉強見てやれるほどの学力はないぜ?」
「そんなこと百も承知よ。誰があなたのような知能指数の低い人間に勉強を見て欲しいなんて言ったのよ」
「……………………そうかよ」

 めちゃくちゃ失礼な発言をしていることに、気付いていないのだろうかこの子は。

「じゃあ何で僕を個人的に呼びだしたんだ? それこそ羽川に頼ればいいんじゃねーの? 連絡先知ってるだろ?」

 多少ふてくされながら、僕は投げやりに言う。

「確かに羽川さんに習えればそれが一番だとは思うけど、あの人に頼るのは少し気が引けるというか、流石に後ろめたいというか…………考えてはいるけれど……最終手段ね」

 まぁその気持ちはわからんでもない。
 牛刀を以て鶏を割くなんて諺もあるもんな。安易に羽川に頼りきっている僕には少し耳が痛い言葉だ。

「それで、あなたを呼び出したのは、他でもないわ。あなたの妹――阿良々木月火さんに勉強を見て貰えないかと考えた訳。同学年だし、噂ではかなり勉強ができるそうじゃない。それに勉強の他にも少し訊きたいことがあるのよ。月火さんって携帯持ってないから、直接連絡が取れないし、だから、あなたにはその仲介をお願いしたい」

 なるほどね。ほむらの面識がある人物の中で、人の勉強が見れる同年代となれば、必然的に月火がピックアップされてしまう訳か。
 巴さんに教えてもらうという選択は、まどかちゃんにバレる可能性が高いだろうし、傍から見た感じ、そこまでほむらと巴さんの仲はよろしくないからな(なんか態度がよそよそしい感じ)。

「…………んー正直気が進まないな。月火は頭は良くても、馬鹿を仕出かす奴だからな。どんな厄介事が起こるかわかったもんじゃない」
「ただ勉強を教えてもらおうってだけなのに、何が起こるっていうのよ」
「いや、具体的にどうとは言えないけど、ほら、言動に難がある奴だろ?」

「多少過激な発言はあれど、色々学べることが多いわよ」
「お願いだから、奴をリスペクトするのだけはやめてくれ!」

 以前、美樹の恋愛相談の件でほむらと月火を引き合わせたのだが、どうしてだか、そこまで二人の折り合いが悪くはない。人付き合いが苦手なほむらには、月火ぐらいに馴れ馴れしい奴のほうが釣り合いが取れるのかもしれない。
 まぁ月火は同年代の子達からの人望は厚いようだし、あまり認めたくはないが、カリスマ性もあるのだろう。


 結局、ほむらの強い要望もあって断りきれず、押しきられてしまった。
 この二人を引き合わせたことで、僕は後々後悔する破目に陥るのだが、それはもう少し後の話だ。


 まぁそんなこんなで不承不承ながらも話が纏まったとほぼほぼ同時、僕とほむらの携帯にそれぞれメールが一通届いた。

 差出人は同じ――巴さんからで、文面こそ違えどメールの内容は同様のものだった。

 曰く、大事な発表があるから、巴さんの家に集まって欲しいというもの。
 特に断る理由もないので、それぞれ了解の旨を返信した僕とほむらは、巴さんの自宅に向かうことにしたのだった。



 これが更なるトラブルの幕開けになるとも知らずに。





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