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[26350] (デジアド無印に大輔投入)おれとわたしとぼくらのあどべんちゃー(再構成)
Name: 若州◆e61dab95 ID:e58c3713
Date: 2013/01/22 22:22
おれとぼくらのあどべんちゃーをお読みになる前に、必ずお読みください



このSSの主成分は以下の通りです。

・デジモンアドベンチャーおよび02のアニメ版
・デジモンアドベンチャー小説版1から3巻まで
・デジモンアドベンチャーVテイマー01(ゼロマルとブイモンは別個体です)
・WS版デジモンアドベンチャーシリーズ
・デジモンアドベンチャーおよび02のキャラソンおよびドラマCD
・デジモンワールドおよびデジモンストーリー
・PSP版デジモンアドベンチャー

他デジモン考察サイト様、wikipedia、データベースサイト様を参考にしています。

このSSにおける設定は、独自設定と考察サイト様をもとにしたものが混在しているため、
公式設定ではありません。
デジモン商品は、オリジナルの設定をバックボーンとする独自展開を行っているオリジナル商品と、
アニメ作品とのタイアップであるアニメーション商品の二つに大きく分けることが出来ます。
また、両者双方に関連した内容を含むその他の商品も存在します。
このSSでは、上記の商品における設定が含まれますので、予めご了承ください。



デジタルモンスターは、ウィズの考案した公式設定をベースとなっていますが、
各ビデオゲーム作品やアニメ、漫画作品によってそれぞれに独自の解釈をして、
細かな設定が存在します。
オリジナルの設定を継承しつつ発展させています。
このSSではオリジナル設定を優先的に取り扱います。



このSSにおけるデジタルモンスターの設定は以下の通りです。




『デジタルワールド』や『デジタルモンスター』は近代における電子機器や精密機械の発展や、
進む情報化社会化と絡め、リアルワールドでのネットワークの発展に伴って自然に生まれた。
人間とデジモンとの間に、特殊な関係が形成されている。
人間側の精神や感情の昂りによってデジモンが進化される。
場合によってはデジタルワールド・リアルワールド以外の世界も存在し、
物語に強い影響を与えることもある。
デジモンを知らない人間たちはリアルワールドに現れて暴れまわるデジモンたちのことを「怪獣」と呼んでいる。




















彼には6つ上の姉がいる。
6つという歳の差は意外と大きいもので、彼が生まれたとき姉は小学校に入学していて、
彼が小学校に入学したとき既に姉は小学校を卒業し中学校に入学していた。
おそらく彼が小学校高学年になる頃には、姉は中学校を卒業し高校に進学するだろう。
それは彼がまだ知らない世界を少しだけ早く、その自慢気な口ぶりから情報として知ることができて、
いずれ自分が知ることができる世界に想いを馳せる楽しみがある。
1歳でも歳の差が縮まれば小学校の時だけは、1年間だけでも同じ通学路を歩き、
おそらく日常茶飯事のケンカをしながら通うことがあったかもしれないが、事実上それはありえない。
つまり、姉は常に彼にとって一歩だけ早い人生を歩んでいて、
おそらく同じ進路を取るだろうとぼんやり考えている彼は、彼女が通ってきた道を歩むことになるのである。
それがいやとか、いやじゃないとか彼は小学校に進学するまで具体的に思い描いたコトはなかった。
ただなんとなく、姉のことを知っている人がいるから、
顔と名前を覚えてもらえるのは早いだろうなという漠然とした予感だけはしていた。
実際にそれは事実だった。
どうやらほんの少しだけ珍しい苗字は、あっという間に姉を連想させたらしい。、
姉の弟かと何回も顔も見たことがない上級生や先生、通学路沿いの近所の人達に聞かれたし、
別に隠すことでもないので肯定したし、しばらくすれば面倒になったので自己紹介するときには必ず姉の名前を先に付けるようになった。
ああ、あの、と大抵初対面よりも親しげに、時には姉が在学していたときの思い出話も交えながら話しかけてきて、
顔と名前だけは確実に覚えてもらえるのは便利だった。
しかし、とある一点において、そのある意味お約束のようなやりとりが次第に苦痛になってきたのはいつの頃だったか、彼ははっきりとは覚えていない。

姉が所構わず自分をネタにして笑っていると知ったとき、少なからず彼はショックを受けた。
そりゃあ、6つも下の弟なんて姉からすれば全てが未熟であり、
欠点だらけでプラスになるようなところなんてひとつも無いかもしれない。
何か失敗したり姉と比較して劣るところがあったとき、
いつも両親から姉を見習えと耳にたこができるほど聞かされてきたのは事実である。
彼も彼なりに姉のことはある程度見本とすべきところはあったし、姉として認めていたつもりである。
だが、上級生や先生から聞かされる思い出話の中で、姉は彼の欠点をあげては笑い、
こんな弟嫌いだと、いらないと軽口程度に話していたと、まるで濁流のように聞かされ続ければ、
小学校に入学する前姉をどのように見ていたのか彼はまるで思い出せなくなっていた。
時にはその噂を伝聞してきた上級生に、実際にそういう人間なのかと面と向かって聞かれたこともある。
もちろん全否定に全力を注いだが、そういう事が1年間続いた彼は、姉の言葉を使うとすればすっかりすれてしまった。

姉の愛情表現だと人は言う。自分の弟について話すとき、無条件で褒めちぎるのはブラコンだけだと。
普通はどうしても照れが入ってしまい、あることないこと口に出してごまかしてしまうだけだから気にするな、と励まされる。
でも、とまだ幼い彼は思うのだ。
本当に嫌いじゃなかったら、隠れて自分の弟のことをわざわざ悪く言うなんてことしないんじゃないかと。
そうこぼすと決まって、本当にお前は姉のことが大好きだなと満面の笑み付きでからかわれてしまう。
ちがう、そうじゃない、と反論したところでお門違いの揶揄は止まらず、
気づけば彼のまわりではすっかりシスコン扱いとなってしまっていた。不快である。
そういうわけで、すっかり彼は姉に習って、自分から姉のことは嫌いであると公言するようになってからずいぶんな月日が流れていた。

幸か不幸か彼は直球かつ単純な少年だった。
喜怒哀楽の表現が実に分かりやすく、端から見ているととても微笑ましい言動や行動が多々あり、
人によってはそれをからかったり、怒らせたりして楽しんでいる。
そういう意味でも非常に周囲から好かれる人間だった。
勢いに任せて行動したり、土壇場になればそれなりに根性を発揮して人を引っ張れる力のある子だった。
姉に嫌われているのではないか、という目先の疑惑に対して考えながら行動するタイプであり、
どうしてもその向こう側にある背景や人の考えを読み取るのは、まだ小学校2年生の彼にはあまりにもハードルが高すぎた。
目には目を、歯には歯をというハンムラビ法典のような単純明快な態度は、
返って姉を楽しませているのかもしれないという予感を常に抱えるはめになっているが。
なにはともあれ、彼、本宮大輔と本宮ジュンの関係は今日も元気に険悪である。


「勝手に入ってくんなよ、姉貴」


お姉ちゃんから姉ちゃんに変わり、姉貴になる頃には大輔はすっかり反抗期に突入していた。
小学二年生が口にする言葉にしてはやや乱暴であるが、内弁慶のきらいがある彼はとりわけ姉に対しては顕著だった。
勝手知ったるなんとやら、とばかりにノックも無しに堂々と入ってくる失礼極まりないジュンは、
いつものように大袈裟に溜め息をつくのだった。


「あいも変わらず可愛くないわねえ、アンタは」


ふん、と鼻を鳴らし、素で見下し状態のジュンが姉という立場に君臨しながら、
大輔と自分の関係を女王様と下僕の関係から認識を改めたことは一度もない。
それが大輔の反発をさらに強めているのは言うまでもない。
ずかずかと入ってきた色気も糞もない部屋着のジュンは、呆れた様子で大輔の部屋を見渡した。


「ちゃんと掃除しなさいよ?手伝わされんのアタシなんだから」

「うっせーなあ」

「足の踏み場もないなんて信じらんない。
アンタねえ、明日からキャンプだってのに少しは片付けたりしないわけ?
ほら、またサッカーのユニホーム脱ぎっぱなしにしてる。
ほら、さっさと脱衣所持ってきなさいよ、きったないわねー」


勝手にベッドの上を占領され、まるで汚物をみるがごとくぞんざいに摘まれた哀れなユニホームが、大輔の顔面に直撃する。
何すんだよ!とさすがに怒る大輔だが、次から次と衣類を放り込まれればたまらずそれをもって部屋から一時退却せざるを得なかった。
結局最期はしぶしぶ言う事を聞くのは、大輔の部屋は汚部屋というが相応しい惨状だったので、
弁解の余地無しであり、ジュンの言うことに寸分の横暴もないことは事実だからだった。
男兄弟の頂点に立つのに必要なのは、暴力や恐怖ではなく、完膚なきまでに叩きのめせる正論の嵐と圧倒的な話術である。
わっとまくし立てられてはさすがに対処の仕様がないのが悲しいところだ。
大好きなサッカー選手のポスターが泣いている。
しばらくして帰ってきた大輔が見たものは、折角リュックの中に準備していた明日持っていくキャンプ用の荷物を、
ポケットというポケットから全部ひっくり返された部屋だった。


「何すんだよ、姉貴!勝手に触るなよ!」

「あーあー、ほら、適当に詰めてるからチャック壊れるんじゃないの。
お父さんから借りてるやつなんだから、ほら、もっかいちゃんと入れなきゃ駄目じゃない」

「わかったわかったから、返せってば!」

「つべこべ言わずにさっさと着替えこっちに渡しなさいよ。ほら、ネーちゃん畳んであげるから」

「なんだよもー」


図星ながら、口だけは減らず口。売り言葉に買い言葉の応酬が続く。
まるで幼児のごとく一から十まで世話を焼かれるのがこれまた微妙な羞恥心を伴うから勘弁して欲しい。
出版関連の仕事についている父から借りた大きめの旅行カバンは、はちきれる寸前だった。
投げつけるように渡した衣類を手慣れた様子でたたみ、
くるくると丸めてビニル袋に入れる姉の手際の良さにより、あっという間に収納スペースが増えていく。
ん、と差し出された手に、はあ?と返した大輔に待っていたのは、さっさとプリント出しなさいよという冷たい姉の声だった。
仕方なく勉強机の上からそれをひっぱり出してきた大輔から渡されたプリントにざっと目を通したジュンは、
そのまま一つ一つ確認するとばかりに持ってくるものを呼称する。
ぼけっとすんな馬鹿と一睨みされ、しぶしぶ一つずつ姉に見せていく大輔は、
明日のカレーに使う米と集金袋を両親に伝え忘れていたことに気付き、
慌ててキッチンで肉じゃがを作っている母のもとに飛んでいった。
再び大輔が帰ってくる頃には、まだまだ余裕のある旅行かばんが用意されていた。
しかし傍らに座っている姉の様子がおかしい。


「大輔、これなによ」


げ、と大輔は思わず後退した。差し出されたのは新品のカメラだった。


「なに勝手にお父さんのカメラ入れてんの」

「いーじゃん、別に」

「よくない。いくらすると思ってんのよ、馬鹿じゃない?」

「んだよ、ケチ。姉貴の修学旅行は持ってってた癖に」

「ダメに決まってんでしょ、アンタそそっかしいからすぐもの壊すし、無くすし、危ないじゃない。
アタシが前使ってた使い捨てカメラ、まだフィルム余ってるから持ってきなさい」

「ちぇ」

油断もすきもありゃしない、と大袈裟に溜め息をついた姉は立ち上がった。
さっきキッチンで会った母の反応からして、恐らくこの一連のお節介すぎるちょっかいは母の差し金で間違いなさそうだった。
相変わらず仲がいいわねえとサラリと流してしまう母には、姉よりも頭があがらない大輔である。
残りのスペースに、ありったけお菓子やゲームを入れれば入る。
ありがとうの一言がどうしても言えず、ちらちらと視線を向けながらも、
ごそごそとリュックを漁り始めた大輔に溜め息が降ってくる。


「ったく、手伝ってあげたんだからお礼の一つや二ついったらどう?」

「頼んでねーじゃんか、俺、ひとこ、いででででっ?!」

「生意気なこと言う口はこの口かしら?」

「ごめんごめん、いういういうって!ジュンお姉ちゃんどうもありがとうございましたあああっ!」

「そうそう、宜しい。素直が1番よ、素直がね。
あーもう、素直におねーちゃんおねーちゃん言ってくれてたアンタはいったいどこに行っちゃったのやら」

「………姉貴のせいだろ」

「え?なんかいった?」

「なんでもねーよ!さっさとどっかいけってば」

「はーいはい」


すっかり赤くなってしまったであろう頬をさすりながら、涙目で睨む大輔などどこ吹く風。
まだまだアタシより身長低いくせになに言ってんのかしらねえ、このちびっ子は、と
優越心全開で笑うジュンに、再びイラッとくる大輔だった。
そうそう、と去り際に思い出したように振り返る姉に、今度は何だと身構える。


「大輔」

「んだよ」

「ほら、手え出して」

「は?」


しぶしぶ顔を上げれば、ぽん、と投げられた何かが落下する。
反射的にキャッチした大輔の手元から輪っかのひもが垂れ下がった。


「ほら、それ持ってきなさいよ、大輔」


思いの外重量があって驚いてみてみれば、中学進学と同時にジュンが両親にお小遣い一年分と引換にして買ってもらったPHSではないか。
そしてそこには、ひもが通してある。


「キャンプ場すっごく広いみたいだし、アンタ友達と遊んでるうちに迷子になりそうだから、それ首から下げときなさい。
なんかあったら、お母さんに連絡しなさいよ。使い方は聞けばわかるでしょ」

「え、あ、っと」

「壊さないでよ、何かあったら罰金ね」


思わぬ奇襲にしどろもどろになる大輔、してやったり顔で笑うジュンは出て行く寸前だった。


「ありがとう、ねーちゃん!」

「ホント、ソレくらい素直な方がいいわよ、絶対」

「うっせえ」


バタンと扉を閉じられた。大輔はPHSをリュックの上に置き、はあ、と溜息をつく。
結局今日も自分のことが嫌いかどうか問いただすことができなかった。
自分から行くなんてできないから、こういう機会でもないとなかなか話す機会なんて無いのに。
ずりいよ、ばーか、とこぼした言葉は、少しだけ泣きそうだった。








少年はまだしらなかった。ひと夏の思い出が、大きく彼を成長させていくことを。
そして、母と共に出かけたサマーキャンプが誰も知らない世界への冒険の始まりになることを……。
干ばつ。洪水。真夏に降る雪……。世界中がおかしかったその夏。
日本からは見えるはずのないオーロラを目撃した少年たちは、
オーロラの裂け目から飛来した謎の光に異世界へと連れ去られてしまう。
すべてが未知のその世界で彼らは出会い、そして学んでいく。

今、新たな冒険の幕が開く。



[26350] 第一話 激闘!サイバードラモン!
Name: 若州◆e61dab95 ID:e58c3713
Date: 2013/01/22 22:18
緊急脱出用に用意していたメカノリモンの金属特有の冷たい輝きが、吸い込まれそうな青空を映しながら駆けていく。
日の光をまぶしく照り返しながら、棺桶のように狭いコックピットには、最後の希望というべき未来の英雄の卵たちがその時を待っている。
後ろを振り返れば、成熟期型の白いメカノリモンをより強化した完全体型のメカノリモン達が、毅然と迫ってきていた。
編隊を組み、異様に長い腕が手榴弾を次々と投げ込んでくる。追尾機能が無いだけましといえるが、状況は最悪だった。
右に、左に、と辛うじてかわしていくものの、圧倒的な敵の軍勢は暴力でしかない。
何発かが背中に、何発かが肩に当たり、何発かが心臓部ともいうべき中枢へと抉り込む。
エラーを表示する真っ赤な世界が広がり、エネルギーメーターが凄まじい勢いで減少していく。
どうやらオイルタンクをやられたらしい。ぴし、ぴし、ぴし、とひび割れが入る。
操縦桿を手放すことができない彼は、そこから入り込んでくる凄まじい風に目をつむった。
なんとかさまざまな柄をしているデジタマが封印されているタグを放すまいと手探りで握り締めるが、
その行動によりがくんと高度が落ちていく。反転する世界。直撃する攻撃。
あと2つ、と手繰り寄せようとした手は、彼の目前で大きくなっていく破損部分から落下してしまった。
あわてて回収しようと軌道を確保し、降下しようとした彼だったが、その隙を執拗なまでに攻撃してくる追手が見逃すはずがない。
さいわい追っ手のメカノリモン達は彼がこぼしてしまったものの重大性を認識しておらず、
うっそうと広がる黒い森に落下していくのをあえて見逃したようだった。
回収は不可能である。彼は無念さに打ちひしがれながら、前を見据えた。
彼の脳裏には、全滅してしまったエージェントと呼ばれる同僚たちの最期の姿が焼きついているのだ。
今ここで終わるわけにはいかない。何としてでも、【この子たち】を守らなければ。
彼は再び、上昇を開始した。その時見えた空が、彼、ゲンナイという青年が見た最後の世界である。


彼が再び目を覚ました時、凄まじい激痛が体を襲い、彼は立ち上がることができなかった。
ふれた体には包帯が巻かれ、至る所にガーゼが押し当てられており、薬品特有の香りがする。
医療施設のベットにいるのだと気付いたゲンナイは、命からがらメカノリモン達の軍勢から逃げ延びたのだと自覚する。
だが、どうやって逃げ延びたのか、背中から走るこの激痛は何なのか、思い出せないでいた。
どうやら前後の記憶が飛んでいるらしく、さっぱり思い出せないのである。
にぶい痛みの先に、真っ黒な世界が広がっていたことは思い出せたものの、
ブラックアウトする寸前だったのか、暗闇の攻撃なのか判別できない。
安堵のため息をついた彼は、一体のデジモンがこちらを見ていることに気付いて、顔を上げた。
ケンタル病院とデジ文字で書かれている看板は、close の面が下げられているのが見えた。


「大丈夫ですか、ゲンナイ様」

「ここは?」

「ここは【ファイル島】の【はじまりの街】にある【ケンタル病院】です。
 ファイル島唯一の医療設備が整っている病院です。私はここの医者であるケンタルモンと申します」

「ケンタルモン、か。どうして私の名を?」

「それは・・・・・・」

ケンタルモンの視線がゲンナイの反対側に投げられた。追いかけるようにゲンナイは後ろを向く。
鮮烈な赤が脳裏に焼きついた。草花の女王とも称される妖精型デジモンがゆっくりと歩みを進めてくる。
永遠の美と強さを約束する宝石ティファレットがあしらわれた宝石が彼女を象徴しているようだった。

「そりゃアタシがここまで連れてきたからだよ、セキュリティシステムの末端君」

「あなたは・・・・・」

ベットのすぐ横に備え付けられている椅子を引いた彼女は、腰をおろして足を組んだ。
ホメオスタシスから聞いてはいたものの、実際に会うのは初めてである。
ゲンナイは自然と背筋が伸びる思いがした。妙齢の女性のような眼差しが微笑んだ。
はじまりの街に居城を構える彼女は、はじまりの街の守護デジモンにしてファイル島の統治者である。

「一体何があったか説明してもらおうか。時と場合によっちゃあ、こっちも考えがあるよ。
 どうしてここに運んでくる手筈になっていたはずのタグと紋章、それにデジタマが
 2つ足りないんだい?」

はじまりの街の主に促されるがまま、ゲンナイは、サーバ大陸で起こった惨事について説明を始めた。

「なるほどねえ。こりゃ一杯喰わされた」

面白くなさそうに彼女は舌打ちをする。明らかな動揺と焦燥が窺えた。
来るのが遅かったね、と彼女は付け加えると、肩をすくめた。

「奴さんはどうやら用意周到らしいねえ。ダイノ古代境に残してくれていたはずの
先代の子供たちが残してくれた闘いの記録を、ひとつ残らず持ち去りやがったよ」

ゲンナイに迫っていたあまりにも多すぎる追っ手は、どうやら初めからゲンナイを抹殺する気は無かったようだ。
上手く泳がされてしまったと自覚したらしいゲンナイは唇をかむ。
どうやら別の計画が同時に進行していたらしかった

「アンタが気にするこたあないさ。こっちの落ち度でもあるんだ。悪いねえ。
でもこれで炎の壁の向こう側からやって来る親玉のヒントが、これで手に入らなくなっちまったよ。
どうやって暗黒の軍勢がこの世界を掌握しやがったのか、てんで分からないときた。
 これじゃあアタシの占いもお手上げだよ」

はあ、とはじまりの街の主は、ためいきをついた。
かつてファイル島が存続の危機に立たされた時、世界を救う子供を召喚した実績がある彼女でも、
これからやって来るであろう子供たちをサポートすることができないことはあまりにも歯がゆい。
彼らが行くべき道筋を示してやれないのは、灯台もない真っ暗な海に船を出すようなものである。


「まあそれはおいおい考えるさ。ケンタルモン、ゲンナイの受けた傷の解析は終わったのかい?」

「ええ、つい先ほど」

「私は、一体?」

「どうやら記憶が飛んじまってるらしいね。まあ、無理もないさ。
 アタシもかつて行動不能になる【呪い】を受けたことがあるからねえ、
 この姿に復活するまで大分時間がかかっちまったことを覚えてる。
 端的に言うと、ゲンナイ、アンタははるかにたちの悪い呪いにかかってる」

「動くことができないよりもたちが悪いのですか?」

「ああ、暗黒の塊を撃ち込まれてるよ。下手に動かない方がいい。
 精神的に不安定になればなるほど、【呪い】はアンタを蝕んでいくのさ。
【呪い】がアンタの記憶を食いつぶして、その空白の中に暗黒の意識を芽生えさせていくんだ。
相当ねちっこいことやってるねえ、まったく。
 ネットワークセキュリティの末端が暗黒の勢力に意識を乗っ取られるなんて勘弁しとくれよ」

「不完全な【呪い】であることが不幸中の幸いでしょうか。
 ゲンナイ様が正常な状態にいち早く戻るには、最適化の手順が必要になりますが
 どうなさいます?」

「しかし、時間が」

「ああ、ないねえ。絶望的に足りない」

「何かいい方法はありませんか」

「なら、アンタ自身の容量を極限まで小さくするってのはどうだい?
そんで空いた容量を【呪いの治癒】の【プログラム】に回すのさ。
 アタシも【呪い】にかかってた時は、婆の姿になってたもんだよ」

あっはっは、と快活に笑う彼女に、ゲンナイはちょっとだけひきつった顔をした。

「それでも元の姿になるには無茶苦茶時間を食ったからねえ。
実際、ファイル島を救ってくれた子供を召喚した時なんか、すべてが終わった後だった。
 おかげでその子供はアタシの本体が婆だと思ってやがったがね!失礼しちゃうよ。
 ま、それは置いておくとして、アンタにはまだやってもらわないといけないことがあるんだ。
 ガキになるのか爺さんになるのかは知らないけど、その前に付き合っておくれよ」

「ロゼモン様、これからどちらへ?」

「これからゲンナイを案内するのさ。紋章を扱えるのはアンタだけだからねえ。
 暗黒との戦いはこれからなんだ。用心するに越したことはないだろう?
 暗黒勢力にデジメンタルまで奪われちゃたまらない。あいつ等には使えないように、
 きちんと誰のものだか名前を書いておかなくちゃねえ。さ、いくよ。
 選ばれし子供のパートナーが眠ってるダイノ古代境急域へ」



ロゼモンに案内されてダイノ古代境を訪れたゲンナイは、一歩足を踏み入れた瞬間から
現代種の楽園ともいうべきファイル島において、ダイノ古代境は極めて異質な環境だと直感した。
はじめこそ疑問に感じていたのだが、こうして巡ってみればその理由を理解できた。
太陽が昇ってから沈んでいく光景や目的地までの移動時間を換算してみると
入り口と時静域と呼ばれている地帯の体感時間は通常の2分の1と感じたにもかかわらず、
古代種の子孫が眠っているという秘境がある時急域は通常の2倍の速さで時間進んでいくのだ。
ロゼモン曰く時急域はもともと存在していたエリアであり、そこにいたるまでの時静域は、
この世界の時間という概念に直接干渉ができる能力を持ったデジモンが作り出している。
おかげでデジモンたちは命を削りながらエリアにはいる必要がなくなるというわけだ。
なぜファイル島という現代種の楽園において、時急域という恐ろしいエリアがあるのかというと、それはファイル島がデジタルワールドという世界の縮図であり、
すべてのエリアはファイル島のデータをもとに作成されていることが起因している。
この世界において初めてファイル島が造られた時、すべての時間は時急域の流れだった。
それが世界が広がるにつれて時間は次第にゆっくりとなり、現在の流れに至るのだ。
だからダイノ古代境はデジタルワールドの時間の縮図ともいえる特別な空間であると言えた。

「しかし、本当に古代種の子孫をパートナーに選定してもよいのですか?」

「ホメオスタシスから何も聞いてないのかい?」

「いえ、その子供と古代種が最も適合していることは私も重々承知しているつもりです。
 他のパートナーと違って古代種の末裔が秘めている資質は
選定された現代種と引けを取らないことは事実だと思います。
 でも、この個体は唯一の生き残りである以上、
 他のパートナーと違って進化ツリーを操作することができません。
進化ツリーを一本化させないということはあまりにもリスクが高いのでは?
 今までは育成に特化した才能を持つ子たちばかりだったからこそ、
 すべてのことをゆだねることができていたんだと私は思います。
 でも、今度来る子供たちはデジモンのことを全く知らない世界の人間です。
 同列にするには、あまりにも負担がかかりすぎる気がするのですが」

ふふ、とロゼモンは笑うと目を細めていった。

「何言ってんだい、それを何とかすんのがアタシらの仕事じゃないのさ。
ホメオスタシスが何を考えてんのかは知らないけどねえ、
誰もが思いつくようなリスク度外視で選定したんだ。きっと理由があるんだよ」

「そうでしょうか」

「きっとそうだって。きっと何百年先も見据えてんだろうさ。
なんせアタシらはそのために訳も分からないまんまここにいるわけだから。
ま、大体想像つくけどねえ。備えあれば憂いなしってこった。
デジメンタルに紋章を掘り込んで、紋章が役目を終えた時に、
 そのエネルギー体がデジメンタルに効果付与するように処理を施すなんて
想定される危険とやらを憂いてたらそれこそ頭痛くなるよ。
願わくばそんな状況下になって欲しく無い訳だけどねえ」
 
さあ、ここが古代種の末裔の眠る秘境のひとつだよ、いこうか、とロゼモンは笑った。
ゲンナイとロゼモンの話は尽きることがない。
なにせ創世記に滅亡した種族の末裔を復活させるという大事業が控えているのだ。
当時と時間の流れも文化レベルも能力の違いも何もかもが未知数なのは事実である。
当時使われていたであろう言語と現代では言葉が違うことも想定されるため、
現代種のデジモンと慣れるまでパートナー候補をダイノ古代境から出さない方がいいとか、
他のパートナー候補と交流を持たせるために、はじまりの街に移住させた方がいいとか、
細部にわたって話し合われていた。すべてはまだ見ぬデジタルモンスターのためである。
もっともほとんどが長きにわたる眠りから覚めた古代種の末裔の状態を見てから決定されるので、
卓上の空論に過ぎないのは仕方ないのだが。
洞窟の奥深くをゆっくりと巡っていくうちに、ロゼモンとゲンナイはすこしずつ最深部に近付いていく。


「どのみち、これは絶対に手放すなというのだけは確定事項だねえ」


ロゼモンが握っているのは、ゲンナイが危険をなげうってまで守り通したデジヴァイスである。始まりの街でエレキモンに託された英雄の卵はまだ孵る気配がないので、おそらくデジヴァイスを一番最初に手にするのはこの先で眠っている幼年期のデジモンと言うことになりそうだ。


「ええ、デジメンタルを持たせてやるわけにはいかないので」

「封印されたはずのデジメンタルが実在するとバレでもしたら、恐ろしいことになるから
 仕方ないさね。ホメオスタシスが想定してるその時ってやつが来るまではこっちで保護しとかなきゃいけないってのがつらい所だ」


彼女たちはこれから彼にとって命と同義なくらい大切なデジメンタルを取り上げる。
デジヴァイスというこれから出会うかけがえのないパートナーと出会える証が、
古代種の末裔にとっての大切なものになることを願いながら。
ロゼモンたちは最深部の扉を開けた。









第1話 激闘!サイバードラモン!






大輔は退屈だった。
折角キャンプ場なんていう広大な遊び場を目の前にして、団地住民の親睦だかなんだかの目的のために、
ろくな自由時間も設けられないままがっちがちのプログラムに拘束されているのが大いに気に食わない。
テントを設置するときには、ここでみんなと一緒に寝るのかとわくわくしたし、
夜になれば肝試しや花火大会、ビンゴといったココロ踊るイベントが控えているとしてもである。
空は入道雲が眩しい夏色の快晴に恵まれているし、ちょっと外に出るだけでハイキングコースとして設けられた森や渓流釣り、
鮎つかみなんていう面白そうな看板が立っているきれいな川がある。
しかもサッカーできそうなくらいの広場や遊具があり、
実際家族連れや他のイベント参加者達の、キャッチボールやバトミントンなど楽しそうな喧騒が横たわっている。
なのに、なんで自分はここでひたすら人参の皮を剥いてるんだろうと我に返るたび、大いに落胆する大輔である。


「あー!大輔、ちゃんとやってよね!」

「ちゃんとやってるだろ、うるせえなあ」

「ふーん?じゃあ大輔んちって、ペラッペラなニンジンのカレー食べてるんだ。変なの!」

「え?あ、やべっ!」

「アタシたちも食べるんだから、ちゃんと考えてよね。これだから男子はお子ちゃまなのよ」

「うっせーよ、馬鹿京」

「べーだ」


大嫌いな姉のごとくニヤニヤしながら指摘してくるのは、鶏肉のカットに悪戦苦闘している幼馴染である。
幼馴染とはいっても、お台場中学校に通うジュンと彼女の姉が親友だからの付き合いであり、
お台場小学校に在籍している大輔と彼女は別の小学校に通っている。
たった1歳しか違わないのに、下級生と上級生に分けられる区分が確かに存在していた。
カレー作りと言っても、包丁を使ったり、ガスコンロで火を使ったりするのは上級生の仕事として割り振られていて、
下級生組は危ないからとそれらの機材を触らせてすらもらえない。
納得がいかずごねた一部の女子生徒は、両親からマンツーマンの指導協力のもと悪戦苦闘しているが、
さすがに母親に見てもらいながら料理をするのは気恥ずかしくて頼めやしない。
結果として代わりに渡されたのは、百円ショップで調達したのだろうプラスチックのピーラーと、
ごろごろと入った野菜で今にもひっくり返りそうなザルとボウルだった。
下ごしらえを任された下級生たちの反応は、男子と女子で綺麗に別れたのは言うまでもない。
最初こそ滅多に無い経験に目を輝かせて、真面目にひとつひとつ水洗いする係、
ピーラーでひたすら皮を剥く係、大量のお米を洗う係と仕事をこなしていたのだが、
30分もすれば黙々とやっている女子はさておき男子は飽きてしまう。
包丁を握らせてもらえないせいで、実際に野菜を切ったり、じゃがいもの芽をとったり、
肉やウインナーを切ったり、といった作業すら上級生に独占されてしまっているのだ。
そのため、危険が伴う作業に保護者が自然と集中してしまうのはある意味仕方のないことで、
大人たちの目が手薄になり、褒めてもらえる気配すらないと察知するや彼らの手のひら返しは早かった。
単調すぎる作業ばかり押し付けられているという現実は、
たちまち慣れてしまった下級生たちに飽きと不平、不満をもたらす。





つまらない、と愚痴をこぼしたのは誰だったか大輔は覚えていない。
しかし、あっという間に広がっていった同調は主に男子の間に広がっていき、

かねがね同意だった大輔も手元がお留守になる。
やがて隣に座っている友達との会話に夢中になり、順調だった作業に滞りが見え始めると、機敏に反応したのは女子だった。
小学校低学年は男子も女子もあまり性差はでないが、成長期が早い子だと男子よりも身長も体格も精神面でもずっと大人びていく事が多い。
そのため、大輔が参加しているグループもその例にもれず、男子のことをまだ子供だと馬鹿にしている子がちらほら出始め、
そのなかでもリーダー格の子が代表して文句を言いに来ることが多かった。
子ども会のイベントでは、度々男子の不真面目さを優等生よろしく指摘する女子と男子で喧嘩になるか、
目ざとく保護者に密告した女子に男子が報復でケンカを売りに行く、という仲間割れが発生するのが恒例行事となりつつあった。
今回は後者がそれに当たる。
子ども会のイベントは学校と違ってその子供の両親が参加しているという大きな違いがあり、
直接その親に密告するほうがダメージがでかいと女子はよく知っていたのである。
こうしてアドバンテージを最大限に有効活用された結果、
その男子のある意味筆頭でもあった大輔、他数名の男子下級生は両親に捕まり、
公衆の面前でこっぴどく叱られたのは言うまでもない。
やんちゃ盛りのスポーツ少年に、ちまちまとした作業を当たらせるのは少々酷だと判断したのか知らないが、
大輔は呆れた様子で母に罰として、男子上級生達に混じって飯ごう炊さんに使うマキを拾ってくるように命じられたのだった。
してやったり顔の幼馴染をにらみつつ、そのメガネに今度落書きしてやると犯行予告を心のなかに刻みながら、
大輔は上級生グループに追いつくべく荷物を持ってかけ出したのだった。
ちなみに罰を命じられた瞬間、よっしゃ、ラッキーと反省ゼロのガッツポーズを目撃した母親は、
大いに肩をすくめてあまり遠くに行かないようにと釘を差したのは別の話である。






マキ集めなんてさらさら大輔にやる気など有るはずもない。
折角目の前に今まで行ったことのない知らない場所が広がっているのだ。
くまなく探検したってなんら問題は無いはずだ。
あとで女子に自慢してやろうと考えながら、大輔はマキ拾いの場所として教えられた場所へと急いだのである。
山道を抜けると祠が立っていた。
ここまで来てようやく知っている顔を見つけた大輔は、早速大声でその人の名前を呼んだ。


「太一さーん!空さーん!」


大輔の声に気付いた二人が手を振り返してくれる。
一目散にかけ出した大輔に、太一と呼ばれた青い服装の似合うゴーグル少年は驚いたように名前を読んだ。
何故か木の上で昼寝をしていたらしい彼は八神太一、大輔の通うお台場小学校のサッカー部の先輩である。
サッカー部のエースであり、キャプテンとして多くの部員を抱えるサッカー部を纏め上げている頼れる先輩といったところか。
ちなみにあこがれの先輩である太一のトレードマークとも言えるゴーグルを、
何度か大輔はねだっているが、今のところ却下されて撃沈している。
結局自分で似たようなゴーグルを見つけて付けるようになってから、
真似すんなよ、と軽口叩かれるようになった。
太一の妹に光という大輔と同級生の女の子がいるが、今日は風邪をこじらせて休みである。
一緒に行くと最後まで強情に粘る妹を説き伏せるのに苦労したと笑う太一の話を聞くたびに、
今まで同じクラスになったことがなく、こういったイベントで挨拶する程度でよく知らないが、
太一さんが大好きなんだろうなあと大輔は思っていた。
そりゃあ、こんなに可愛がってくれるお兄ちゃんがいるなんてうらやましい限りである。
姉といわば同属嫌悪を通り越した複雑な関係を形成している大輔にとって、
それが大きなハードルとなり、今となっては家族にうまく甘えることができないという寂しさを抱えている。
妹がいることで兄として人に頼られることが当たり前だ、
というスタンスの太一は非常に居心地がいい存在だった。
太一も、懐いてくれる下級生をもつことに満更でもないため、かねがね良好な関係を構築しつつある。
しかし、姉とのことを知られたくない大輔は、家に友達を呼んだことはない。
もっぱら遊びにいく専門のため、休日なんかは友達とも太一とも外で遊ぶことがほとんどである。
詳細について知っている人間は皆無だった。
今のところ大輔は打ち明ける気もないし、今更相談できる問題でもないため、だれも知らない状態である。
よいせっと軽い身のこなしで木から飛び降りてきた太一が、よう、と笑った。


「大輔じゃねーか、どうしたんだよこんなトコで。下級生は料理の手伝いじゃなかったっけ?
あー、まさかお前面倒になって逃げてきただろー」

「違いますよ!ただ、みや、じゃなかった女子がサボってるってちくったせいで、
マキ拾い手伝って来いって言われただけですってば!」


そんな後輩に、太一は同士を見つけたとばかりに嬉しそうに笑う。
あははっと笑った太一は、ぐいっと大輔の肩を引き寄せて、にっと笑うと、
ぐりぐりといがぐり頭を撫でまわす。な、なんすか!って大輔はビックリ仰天だ。
機嫌がいいと太一はよくこうやってちょっかいをかけてくるのだ。


「お前なあ、言ってることは同じだぞ?」

「え、そうっすか?」

「うんうん。でもま、オレも似たようなもんだって。やっぱ遊びたいよな!」

「だったら太一さんだって人のこといえないじゃないっすかー!」

「なんだってー?いったなこの野郎!」

「おわっ!」


じゃれ合うサッカー部の先輩と後輩に、忍び寄る影がある。
こーら、と二人の間に割って入ったのは、すっかりあきれ顔の女の子だった。
すぐそばには給水場から運んできたのだろう並々と注がれたバケツが二つ並んでいた。
すぐそばには小川が流れているのだが、衛生上の問題で炊事用の水は給水場の水を使わなければならないのだ。
やっと見つけた、というや否や、彼女は逃げようとする太一の首根っこを引っ掴む。
そして、足元にあったバケツの一つを太一の前に突き付けた。ちゃぷん、と波打つバケツ。
バケツは重いらしく、彼女の肩が抜けそうである。太一はから笑いした。
女の子であるにもかかわらず、石段を一人でここまで登ってきたらしい。
汗がにじみ出てきたので、額の汗をぬぐおうと彼女は帽子を脱いだ。
ショートヘアは癖がついてしまい、毛先がピンとははねているが、彼女が気にする気配はない。
乱暴に汗をぬぐった彼女は、ちょっと怒っているようだった。


「たーいーち!こんなところにいたんだ?料理する気がないならせめて、テント張るの手伝ってよね」

「げ、空」

「え?テントって午前中に張っちゃったんじゃないんすか?」

「そうよ、ホントならとっくの昔に終わってるはずなんだ。
 どこかの誰かさんがさぼってなかったらね。
 男手が足りないせいで、料理に使うバケツの水を運ぶ役を私がやってるの。
 駄目じゃない、サッカー部のキャプテンがそんなんじゃ。
大輔君。仕事はきちんとしないとだめよ?」

「はーい」


先程空さんと呼ばれたボーイッシュな服装の女の子は、
太一と幼馴染で、同じくお台場小学校5年生の武之内空という。
お台場小学校のサッカー部は、女子でも混じって参加することができる。
大輔がクラブに入ったとき、空は太一とツートップでお台場小サッカー部の黄金期を支えている紅一点の女子選手だった。
そして、親睦を深めて今に至る。残念ながら足にケガをしてしまい、休止状態である。
無理をおして出場した大会で、無念の敗北を喫した遠因となったのを負い目に感じてか、と噂されている。
俺たち、いつでも待ってますよ、とエールを送る大輔だが、
なぜだか空は、いつも複雑そうな笑顔でありがとうというだけだ。
真面目な人なんだろうなあ、と大輔は思っている。
密かにジュンじゃなくて空が本当の姉だったらいいのに、と思い描くこともしばしばだ。
空は大輔が思い描く理想の姉ともいうべき存在だった。
自分のことを否定しないし、理由もなく理不尽な命令も言わないし、悪口も言わないし、
なによりもサッカー部の大会があると必ず来てくれて、レギュラーだけでなく補欠やサッカー部のみんなを褒めてくれる。
自分がサッカー部に入ると決めてから、一度も見に来てくれたことの無い、
おそらく興味もないだろう姉とは大違いである。



お前空の前のほうが素直だよな、と口を尖らせる太一の言葉に、はあ、と大輔は首をかしげた。
なんのことかさっぱりわからない。
大輔にとって太一も空も理想の兄や姉というフィルターが掛かっているせいか、
上級生相手ではそういった方面はとんと無頓着でもあった。
ちなみに太一はかわいがっていたいとこが、
実は他の親類に対しても、結構懐いているのをみてショックを受けるのと同じダメージを受けているだけである。
意匠返しに羽交い締めを食らってちょっかい掛けられる。
なんとか逃げ出した大輔は、けほけほと軽く咳き込んだ。


「いーなー、いーなー、光子郎先輩までいるとか、ずりー!
絶対そっちの方が楽しいじゃないですか!サッカー部偏りすぎですよ、ずっりーなあ」

「大輔君までいたら私の手には負えなくなっちゃうからだめよ」

「えーっ!?酷いっすよ、空さん!」

「大輔君までってなんだよ、空。それじゃあまるでオレが問題児みたいな言い方じゃないか」

「ほんとのこと言っただけでしょ……」


意地悪そうな笑みを浮かべた空だったが、ふと何かが頬を掠めたらしく、上を見る。
つられて太一と大輔は上空を見上げた。どうした?と投げかけられる疑問符に、
空も答えあぐねていたが、掌を広げて再び見上げる。
目の前をなにやら白いものがふわふわと漂いながら落ちてきたのだ。
それはやがて空の手の甲に冷たい感触を置き去りにして消えてしまう。
残されたのは水滴だけである。


「空から何か降ってきたの。もしかして、これ、雪?」

「バカだなー、真夏に雪なんて……冷たっ!?なんだこれ」

「ほら、間違いないわ、雪よ!」

「うわ、どんどん降ってきますよ!」

「やべえな、そろそろ帰ろうぜ」

「そうね、ちょっと寒いもの。行きましょ、大輔君」

「ハイ」


こくりと大輔が頷いた時、太一さーん、という聞き慣れた声が聞こえてきて、
みんなつられてそちらに振り返る。


「光子郎!」

「みなさんここにいたんですね、捜しましたよ。あれ、大輔君じゃないですか。
 君は確か別の班じゃなかったっけ?」

「えーっと、その、あはは」

「太一と同じでサボってたから、マキひろいの罰を受けてるのよ、大輔君。
 見ての通り、思いっきりサボってたけどね」

「そんなことどうでもいいだろ、空。それより光子郎、真夏に吹雪なんて一体どうなってんだ?」

「そんなのこっちが聞きたいですよ。でも、例の異常気象のせいかもしれませんね。
 今年の夏は地球全体がおかしいんです。東南アジアでは干ばつで水田が枯れて、
 中東では大雨による洪水が発生してる。アメリカでは記録的な冷夏です。
 日本だって集中豪雨があったばかりじゃないですか」
 
「案外ほんとにノストラダモスの大予言が当たったりしてな」


へへ、と軽口をたたく太一たちだったが、急に気温も下がり、猛吹雪の予感すらしてきた。これはさすがにマキ拾いなどしている暇はない。
すると大輔の首もとにかけられていたPHSが音をたてる。
あわてて覚えたばかりの手順で耳を押し当てた大輔に、少々慌てた様子で母親の声がした。


『大輔、今どこにいるの?』

「え?あ、太一さん達と一緒にハイキングコースの崖のとこ」

『急に天候悪くなっちゃったから、とりあえずキャンプは中止ですって。
太一君達にも駐車場でまってるから、早く戻ってらっしゃいって伝えてくれる?』

「ん、わかった!」


PHSを切り、早速太一たちに事情を話した大輔は、太一が周囲にいた子供たちにも説明するのを見た。
ここにいる7名は大輔以外はサマーキャンプにより事前に振り分けられていた同じグループである。
だから大輔は太一と空、光子郎以外の4名はてんで分からなかったが、
太一がサッカー部の後輩だって簡単に説明してくれたおかげで初対面の彼らは納得してくれた。
さすがにこの猛吹雪の中行くのは危険だというメガネの上級生の意見により、
たまたま近くのお堂に逃げこむことにする。
太一に「ジョウ」と呼ばれていた彼は、5年生なのだろうか?
でも空は「ジョウ先輩」と呼んでいたはずである。どっちだろう?
そんな疑問をこっそり太一につぶやいてみると、お台場小学校の6年生だとこっそり教えてくれた。
開襟シャツにアイビー風のベストを着た眼鏡をかけた彼は、太一たちの班の最高学年であり、
名前の入った腕章を付けているからリーダーなのであると。
城戸班と腕章には書いてあるが、大輔はまだ読むことができないので「ジョウ」さんであることにはかわりない。
ぶっちゃけ頼りない。だから呼び捨てなんだって教えてくれた。
スポーツ部のキャプテンとしてそれはどうなんだろう?と思ってみたりするのだが、
顔に出ていたのだろうか、バツ悪そうに太一に軽く頭を叩かれた。
しばらくして、吹雪がやみ、一面銀世界が渓流谷を一変させていた。


「うわー!お兄ちゃん見て―!どこもかしこも真っ白だよ!」


緑色の帽子と服が印象的な見たことのない男の子が無邪気に声を上げる。
大輔と同じくらいだが、団地住まい向けの子ども会主催のサマーキャンプに、
無関係な子どもが紛れ込んでいるとは考えにくい。
小学校は普通同じなはずだし、団地に住んでいるなら顔も名前も大体憶えている自信のある大輔はてんで記憶になかった。
あんな奴いたっけ、と考えながら大輔はすっかり別世界に代わってしまった風景に見入る。
謎の小学生は、傍らにいた同じ金髪をしている上級生らしき男子に話しかけている。
あの人なら見たことある。太一さんとよくいる人。仲いいんだろうか。
そんなことを考えていると、大輔の目の前をさっきの謎の小学生が走っていく。
それを太一の友達の上級生が、危ない、とか、風邪引くとか注意しながらかけていく。
まるで兄弟みたいだが、太一さんの話では聞いたことないなあ、とぼんやり思う。
羨ましいと嫉妬の根が張ることに気付いていながら、大輔は見て見ぬふりを決め込んだ。
一目散にかけ出した大輔に、ずりーぞ置いてくなよ先輩差し置いて!と
憤るキャプテンの声がするがスルーである。
雪玉でもぶつけようかと手にとろうとした大輔は、
カウボーイハットの上級生がテンション高く上げる声に顔を上げた。


「ここってホントに私たちがいたキャンプ場なの!?別の場所みたーい!きれー!」


雪国のような景色に見とれる大輔は、ミミちゃん走ると危ないわよって叫んでる空の声にも、
天気予報ではまずありえないと頭をかかえる最上級生の言葉にも、
何故かさっきまでつながっていたネット通信も、携帯電話も、使えないと戸惑う光子郎の戸惑いにも気づかない。
謎の小学生がタケルと呼ばれていて、太一の友達に怒られているのにも気づかない。
太一が後ろから膝かっくんしようとしてることにすら気づかないのだ。
大輔のことを心配してさっきから電話をかけているのだが、
なぜか繋がらなくなっているPHSの向こう側の母親の心労など知るはずもない。
オーロラが本来オゾン層と太陽光線の関係で発生する現象であり、
オゾン層が限りなく薄くなる南極もしくは北極でなければ観測されないことなど、
まだ小学2年生である大輔が知るはずもないし、
そもそも日本で観測されるのは極北に位置する場所だけであることなど分かるはずもなかった。
ただニュースで洪水が起こったとか、地震が起こったとか、
やけにニュースが多いなあくらいしか気に留めていない小学生に、
そんな難しい話を理解するほうが困難である。






なんにせよ。
その見とれていたオーロラから突如放たれた光に気付いたときには既に遅く、
大輔、そしてたまたまその場所にいた他7名の子供たちは、
その光りに包まれてどこか知らない異世界へと飛ばされてしまったのである。









じとりと汗をかいてしまうような、湿気を帯びた緩やかな風が熱帯雨林を潜り抜け、
天まで届きそうな位高い木々から葉っぱを落として、気を失っていた大輔を起こした。
ふかふかな落ち葉のベットならばさぞかし目覚めがよかったのだろうが、
僅かな陽だまりに群生する苔のような背丈の低い草木は、質の悪い人工芝のようなざらざら、でこぼこ、トゲトゲである。
なんか痛い、痛い、なんだこれ、と目をこすりながら体を起こした大輔は、
きょろきょろとあたりを見渡しながら、チクチクとする地面から逃げるように立ち上がった。
どれくらい寝ていたんだろうか、体はすっかり葉っぱや土埃で汚れてしまっている。
これではまたお母さんに、こんなに汚してって小言を言われながら怒られるに違いない。
あーあ、なんてちょっとだけ憂鬱になりながら、大輔は服の汚れを払ってみた。
身体にくっつき虫のように張り付いている葉っぱを払いのけた大輔は、あれ?と下を見る。
雑草にしてはあまりにも蛍光色な緑色が見えた気がしたのだ。思わず拾い上げてみると、
これまた不自然なくらい表面に凹凸があり、先端はイラストの葉っぱのようにギザギザしている。
どこかで見たことがあると思ったら、お母さんがいつも作ってくれるお弁当の中に入っている、
おかずとおかずの間を間仕切りしてくれる葉っぱである。
とっても大きいサイズだが間違いない。大輔の足元に払いのけられたのは、どれもプラスチックの葉っぱだった。
え、え、え、と予想外の出来事に、ようやく自分の置かれている状況が分かり始めた大輔は、
思わずあたりを見渡していた。
砂利交じりの地面は、その一つ一つに小さな穴が開いており、ビーズが敷き詰められている。
一度プラスチック特有の光沢を認識したら、大輔は問答無用で今いる所が違和感だらけだと気付いてしまう。
樹に生い茂っている葉っぱは、よく見れば本物の葉っぱは一枚もなく、
プラスチックの葉っぱがびっしりと張り付けられているのである。
熱帯雨林のように蔦や苔が生い茂る木々もプラスチック特有のでこぼこが目についてしまう。
それなのに、熱帯雨林のような湿度と温度からくる体感は、間違いなくジャングルの中である。


「ここ………どこだよ……」


小さくかすれている声が大輔はますます不安にさせる。
次第に大輔はここに至るまでの直前の出来事について思い出してきたようだった。
朽ちた木の匂いがこもる祠からみた、季節外れの吹雪が真夏の緑を白銀が塗り潰した世界。
透き通った巨大なカーテンが、はるか上空で裾を翻し、舞い踊る神秘的な光景。
星が光っていると大輔に教えてくれたのは、たしか太一だったはずだ。
きらりと光った瞬きは、一つ二つと増えていき、オーロラを縫うように増えていった。
大輔が瞬きするたびに星は増えていった。閃きは輝きとなり、次第に大きな塊となる。
何か飛んでくると叫んだのは誰だっただろう。星が降ってくる!と大輔が気付いた時には、
危ないから伏せろって言う太一の声が響いてきて、大輔は慌ててしゃがみこんだのだ。
怖かった。ばーん、と雪の柱が2メートルほど立ち上り、女の子の悲鳴が恐怖をあおった。
衝撃の物凄さは思い出すだけでちょっと怖くなるほどのものを大輔に植え付けている。
空からの落下物はいくつもあり、そのたびに大輔は必死で目を閉じていた。
おそるおそる顔を上げた大輔は、大丈夫?って声を掛けてくれた空にほっとして、
はいって頷いた。緊張の糸が途切れそうになってしがみつきそうになったのだが、
その先に金髪の男の子を庇った太一の友人が大丈夫かって心配そうに覗き込んでいるのが見えたのだ。
大輔ははっとした。現実に帰った。空はジュンではない。お姉ちゃんではない。
だから、大輔が怖くてその場にしゃがみ込んだ時も、真っ先にその不安を払しょくするように歩み寄ってはくれなかった。
迷惑を掛けちゃだめだから、大輔は必死で泣きわめいている自分を叩きつけ、
まだ若干の顔色の悪さが残っている空を気遣うために、笑って見せたのだ。
アクシデントを面白がっている様子の太一やカウガールの女の子をみて我慢した。
好奇心に駆られて光の珠が飛来したところに飛んで行こうとしている光子郎をみつけた太一に、
行こうぜ、と手招きをされて大輔は頷いて、それで、それで、それで?


「太一さーん!空さーん!誰かーっ!いたら返事してくれよっ!!」


思わず大輔は叫んでいた。
柔らかい光を放っていたなにかが宙に浮遊してきた時のことを思い出してしまったのだ。
綿帽子のような光の塊は、7つしかなかった。それぞれが7人の子供たちの手の中に飛び込んだ。
何だろうな、大輔っててっきり大輔の前にも表れたのだろうと勘違いしてつぶやいた太一に、
大輔は何も答えることは出来なかった。
もともと太一は思ったことを意味もなく独り言のようにつぶやく癖があるので、
大輔が何か返事をしたとしても気にしないとはいえ、その時の疎外感は半端なものではなかった。
太一の手の中には、ポケベルのような液晶画面のついた、ずいぶんとごついデジタル時計が握られていて。
その表面には光の粒子が霧のように輝いていて、特徴的なリズムを刻み始めたのである。
それは目覚ましのアラームのようでもあり、警告の真っ赤なサイレンにも似ていた。
がんがんと耳に響くその音は、その時の大輔にはどこか後者のように聞こえた。
その瞬間、突風にあおられたようにカーテンが揺れ始めたのだ。
そのとき、大輔はなんとなく思った。呼んでるって思った。
太一たちを誰かが呼んでいる。オーロラの向こう側に待っている誰かがいる。
そして、少なくてもその機械が降ってこなかった自分は、その中には入っていない。
置いていかれる、そう思ったのに。
オーロラが激しく揺らめき、天空から剥がされて降り注いで来た時、
光の濁流は洪水へと変貌を遂げ、7人の子供たちと大輔ごと呑み込んで、
空が一瞬爆発したように輝いたのである。










そして、気がついたとき、大輔はテレビの中でしか見たことがない、ジャングルの密林の中にひとり倒れていたのだ。
そばにいたはずの太一も空も、他の子どもたちの姿も見当たらず、
さっきから必死に大声を上げて助けを求めているのだが、返事はなし。
代わりに聞いたこともないような猛獣らしき声が聞こえてきて、
恐怖のあまり立ちすくんでしまったほどである。


どうしよう、と大輔は思った。


迷子になったらその場からなにがあっても動くなと、大型ショッピングモールに家族連れで買い物にいくたびに、
ジュンから聞かされていたためか、体に染み付いていた。闇雲に動き回られるとすれ違いになったり、
時間が掛かったりして二度手間で迷惑をかけるだけだから、と何度となく叱咤されてきたのだ。
泣きべそかいて母親にすがった幼少期、もうこのころから既に姉は冷たい目で自分を見ていた気がする。
お客様サービスセンターで両親を待ちわびる子供は、誰もが無事でよかったと笑顔で頭を撫でもらったり、
手をつないで帰っていたのに、姉にそういう事をされた記憶はない。
探せど探せど、姉からの愛情を感じ取れるような思い出が、皆無だという事実が重くのしかかる。
そのことに気付いてから何年経っただろうか、
大輔は姉に弟として愛されることを半ば諦めていたのかもしれなかった。
だから、なおさら、無意識のうちに姉として、兄として、重ねてみていた太一と空がいないという現実は、
大輔にとって凄まじいダメージを与えていた。
ましてや、無意識のうちに置いていかれることを自覚していた状態で、
共に連れ去られてしまったという現実は、ますます大輔を混乱させていた。
泣きそうになるのを我慢して、必死に呼びつづける大輔の声が響くことなく
密林の中に溶けていく。
どうしよう、どうしよう、とパニック状態になりつつあった大輔は、
首にかけられていたPHSに気付いてあわてて母親に連絡しようと操作するが、
圏外という表示が無常にも記されただけだった。
途方にくれる大輔は、無意識のうちにPHSを両手で握り締め、祈るような思いで待っていた。
いつも待っていれば必ず誰かが声をかけてくれたのだ。
淡い思い出が、彼の性分である無鉄砲を抑えこみ、直感で進んでいくという無謀な行動を抑制していた。
彼がその自由奔放な行動を発揮することができるのは、心に余裕が有るときだけである。
まだ幼い彼が突然置かれた環境を楽しむことができるような楽天さは持ち得ていなかった。
その判断はかねがね正解といえる。
現在彼がいるのはファイル島のトロピカルジャングルと呼ばれる密林地帯だ。
中心部に位置する亜熱帯をはずれ、海岸や大河域に多いマングローブ域に大輔はいる。
現在彼が見つめている先の山道は崖が待ち構えていた。

しかし、待っていれば誰かが助けに来てくれる、という淡い期待は、この日を境に木っ端微塵に粉砕することになる。









がさり、と音がした。








ほっと安堵して大輔が振り返ると、巨大な影が落ちる。大輔は一瞬呼吸の仕方を忘れてしまった。
なぜなら、彼の何倍も大きな大きな巨体が彼を見下ろしていたからである。
真っ黒な体をした大男が、4枚の赤黒く染められた血のような羽を揺らし、
しっぽをゆらし、ゆうゆうとこちらに近づいてきたからである。
表情が読みとれない銀色の仮面からは、鋭いツノが二本頭上に突き出している。
その鈍色の仮面に歪んでうつる、今にも泣きそうな子どもが自分であると気付いた大輔は、あわててかけ出した。
大男は無言のまま、凄まじいプレッシャーを帯びながら迫ってくる。
なんなんだよ、あいつ!と大輔は訳がわからないまま絶叫した。
走って走って走って、追い立てられるように走っても、低学年の体力と持続力ではどうしてもすぐにバテてしまう。
時折後ろを振り返りながら一直線に逃げていた大輔は、突然広がった視界に戦慄を覚えた。
ころころと蹴飛ばした石が奈落の底へと誘わんとして、口を開けて待っている断崖絶壁。
退路はない。
振り向けば、正体不明の怪物がその鋭利な爪と腕にあるブレードを豪快に振り上げているところだった。

無我夢中で助けを求めて叫んだ大輔の目前に、理不尽にも容赦なく暴力が襲いかかる。
飛び降りるかどうか必死で考えた大輔は、
その豪腕で体ごとたたきつぶされて殺されるくらいなら飛び降りてやる、と即決して、
決死のダイブをはかった。
これがひとつのきっかけであったかもしれない。
少なくともこの日から、大輔は自分から動かないと誰も助けてくれないのだと、強烈に思い込むようになっていた。










その時である。









無防備に投げ出された小さな体を受け止める何かが、横からサイバードラモンのもとを飛び去った。
空振りした豪腕から振り下ろされた爪が、さっきまで大輔がいた断崖絶壁をえぐりとり、
奈落の底へと轟音をたてて落としてしまう。
そして目前で獲物をかっさらった、新たな敵を無機質な視線で見つめるのだった。


「おい、おーい、大丈夫か?起きろ、やばいんだから!」


たしたし、と軽く叩かれ、記憶が彼方に飛んでいた大輔が目を覚ますと、ものすごい風圧が大輔を襲う。
ここは?と小さくつぶやいた大輔に、風圧から守るように少年は壁になりながら笑った。
危なかったなあって言われて、くしゃくしゃに頭を撫でられて、じわりと涙腺がゆるむ。
助かったのだという事実が強烈に大輔の中で必死に押し殺していたものをずるずると押し上げていく。
ぽろぽろと前から後ろから零れ落ちていく水玉に少年は驚いた顔をする。
少年の顔に気付いた大輔は、反射的に頭に着けていたゴーグルをかけて表情を隠してしまった。
便利だなソレ、と太一くらいの謎の少年が苦笑いする。
ほら、捕まれよ、と手を差し伸べられ、わけがわからないまま、真っ青な何かに捕まった大輔は、
自分が何かの動物の上に乗っており、それが大きな羽を羽ばたかせていることにきづく。
大きな尻尾とまるで恐竜のような姿。ゲームで出てくるドラゴンを彷彿とさせるそれ。
驚きのあまり手を離しそうになり、暴れると落ちるってば!と少年に指摘され、
慌てて少年の体にしがみついた大輔は訳がわからず少年に疑問をぶつける。
若干鼻声なのは目をつむってくれるらしかった。


「え?え?ここどこ?こいつなに?!えええっ?!」

「だから暴れるなよ、落ちるってば!あーもう、賢くらいの癖に落ち着きない奴だなあ。
俺は遼。秋山遼。アンタは?」

「お、おれ?オレは大輔。本宮大輔」

「そっか、大輔。オレがさっき、崖から落ちたアンタを助けたんだ。な?エアロブイドラモン」

「そうだよ、大輔。崖から飛び降りるなんて危ないじゃないか!なんでオレ連れてないんだよ、はぐれたの?」

「うわっ?しゃべった?!」

「何いってんだよ、大輔。オレだよ?進化の姿違うけど、覚えてないの?!」

「はあっ?オレのこと知ってんのかよ、お前!」

「あれ?おかしいな。人違いじゃないのか?」

「違うって!オレが大輔のこと見間違う訳ないじゃないか!
オレだよ、大輔!パートナーのブイモンだよ!覚えてないの?ホントに?」

「ぶ、ブイモンだか、なんだか知らないけど、オレアンタたちのこと知らないって。
なんなんだよ、ここ!オーロラに巻き込まれて気づいたらここにいたんだけどっ」

「………おい、エアロブイドラモン、どーいうことだよ。ゲンナイさんが言ってた時間軸じゃないじゃないか!」

「お、オレに言われても知らないよ!オレはただゲンナイさんが言うとおり、
この先にあるアジトをぶっ潰せっていわれただけで……!」

「くっそ、こんなところにまで時間の歪が起きてんのかよ!
入るゲート、やっぱとなりの奴であってたんだ。間違えた!」

「なにわけ分かんないこと、話してんだよ、あんたら!」

「詳しいことはあとで。まずは、サイバードラモンをなんとか正気にしなきゃ」

「黒い歯車で操られてるんだよ、遼!」

「ったくもー、強い奴の気配がするって勝手に飛び込んどいて、
なに操られてんだよ、バカ!早く目覚ませよ!」



とりあえず、サイバードラモンと呼ばれたバケモノは、本来遼の仲間らしい。
遼がエアロブイドラモンに指示している方向を凝視すると、確かに後ろの背中に黒い歯車みたいなものが突き刺さって見えた。
好戦的らしいあのバケモノが飛び出していって、もともと来る予定ではなかったところに
来てしまったらしいが、大輔はそのおかげで命拾いしたわけで、
そのゲンナイとか言う人に大輔は密かに感謝した。
どうやって壊すのか遼は困っている。
サイバードラモンがこっちに気付いて、一気に急上昇したのだ。
逃れるように大きく旋回する図体にしがみつきながら、大輔は、勇ましく仲間を救おうと頑張る遼の姿を間近で見たのである。
それはそれは、強烈なインパクトを持っていた。
なにか止めるものがあれば、とつぶやいて必死に考え込んでいる。
エアロブイドラモンが言うには、サイバードラモンは容赦なく襲いかかってくる猪突猛進型だから、
背中を向けることは絶対にありえない上に、エアロブイドラモンのスピードでは撹乱は無理らしい。
だからといって逃げるのは仲間を見捨てるからできないと必死で打開策を考えている遼。
なにもできない自分を歯がゆく思いながら、大輔はふと有ることを思いついてリュックの中を探った。


「なあ、これ、使えないかな?」

「おおっ!サンキュー、大輔!これならなんとか行けるかも!
よっしゃ、行くぞエアロブイドラモン!あの脳筋の目を覚まさせてやんないと!」

「OK,遼。さっすが、大輔。オレのパートナーだけあるよな!」

「だからお前誰だよ」


さっぱりついていけない大輔は、とりあえず目の前の驚異に集中することにした。
チャンスは一度だけ。緊張のあまり震える手を必死で堪えながら、
大輔はエアロブイドラモンの頭の上までよじ登ると、追いかけてくるサイバードラモンをみた。
遼が後ろから白いデジタル時計のようなものを取り出して、構えている。
なんかのどっきりメカなのだろうか。遼が後ろから3,2,1,とカウントしてくれる。
せーの!で大輔は使い捨てカメラのフラッシュをサイバードラモンにかざした。


「よっしゃ、今がチャンス!」


一瞬まばゆい光に反射的に振り払う動作をしたサイバードラモンの隙をついて、
大きく旋回したエアロブイドラモンはその口から豪快にビームを発射した。


「Vウイングブレード!!」


放たれた光線が黒い歯車に直撃する。
その衝撃により、豪快に吹っ飛ばされたサイバードラモンが岩壁に縫い付けられた。


「だ、大丈夫なのか?味方なのに!」

「大丈夫だって、あの戦闘狂。ほっといてもピンピンしてるから」

「だな」

「ありがとうな、大輔。お前のおかげで助かったよ」


くしゃくしゃ、と頭をかきなでられて、大輔は照れくさくなって、そんな事はないと首を振った。
弟という立場でずっと生きてきた大輔にとって、人から頼りにされて感謝され、
そして褒められるという体験は数えるほどしかない。
屈託ない笑みを向けられ、ありがとう、と口にしてくれた遼は、大輔にとって凄まじい衝撃を与えたも同然だった。
人から頼りにされるということは、こんなに心が暖かくなるものなのか、
くすぐったくなるものなのか、と初めて知った感覚に戸惑いを隠せない。
生まれて初めて、対等に認めてもらえた気がして、大輔は気分が昂揚するのが分かった。
太一が下級生のサッカー部員に対して「頼れるお兄ちゃん」であろうとする理由が少しだけ分かったきがした。
この体験は、大輔の中に強く刻み込まれ、太一と同様に少しでも人から頼りにされる人間になりたい、
という大輔の初めて抱いた希望をはっきりと自覚させるきっかけとなる。
いまはまだ、その時ではないけれども。
思い出したように、大輔はつぶやいた。


「ところで、ふたりとも、何者?」


エアロブイドラモンと遼は、どこか気まずそうに目を逸らした。
微妙な沈黙の中、先程紐なしバンジーを決行した崖へと再びエアロブイドラモンは、大輔を下ろしてくれた。
ようやくお待ちかねの質問タイムである、筈なのだが、
遼とエアロブイドラモンはさっきの潔さはどこへやら何やら焦っている様子である。
さすがの挙動不審に大輔はジト目で睨みつけた。


「なあ、ここってどこ?渓流谷の近く?」

「いや、違うよ。えーっと、その、あえて言うなら、異世界、かな?」

「えっ?!異世界?どういう事だよ」

「うーん………なんていうか、どこまでいっていいのやら、ええっと、その」

「どうかした?」

「………驚かないで聞いてくれよ、大輔。実は俺たち、未来から来たんだ」

「・・・・・・・・・・・えー」

「信じてくれないの、大輔?!」

「だから、なんでお前はオレのコト知ってるんだよ」

「そりゃ、オレと大輔は運命共同体だからだよ。パートナーなんだから」

「だから、そのパートナーってなんだよ」

「だーもー、エアロブイドラモンは黙っててくれよ、ややこしい。
俺達はとある事情で未来から来て、こうして敵と戦ってるんだ。
大輔たちを助けるために」

「助けるため?」

「信じてくれとは言わないけど、本当なら俺たち大晦日に会う予定なんだ」

「大晦日?………意外とすっごい近くの未来だなあ」

「まあ、そういうわけで、未来から来たから、いろいろ喋っちゃうと未来が変わっちゃうっていうか、
俺達と大輔が出会った時点でいろいろやばいかもしれないけど、
これ以上の変化はこわいから黙っててくれ」

「えー」

「頼むよ、このとおり!」


太一ほどの年上の人間に頭を下げられることに慣れているはずもない大輔は、
なんだか申し訳なくなってきて分かったと頷いた。
あからさまにほっとした様子で遼は胸をなで下ろす。


「その様子だと、まだブイモンとは会ってないみたいだな。
これから会う仲間なんだ、大切にしてやってくれよ」

「そっちのオレにもよろしくね、大輔」

「なんか意味分かんないけど、分かった」

「ここにいれば助けはくるから、安心してよ」

「未来予知?」

「まあね」


わかったと頷いた大輔に、じゃあ半年後に会おうな、と意味不明な言葉をのこして秋山遼とエアロブイドラモン、
そしてサイバードラモンは空の彼方に消えてしまったのだった。




[26350] 第二話 幼き古代種 チビモン
Name: 若州◆e61dab95 ID:e58c3713
Date: 2013/01/24 23:39
かつて世界が氷河に覆われていたころ、ファイル島の海岸線は現在よりも極端に遠のき、
陸上の大部分が氷で覆われていたサーバ大陸と陸続きだった。
彼らは、待っていた。地表を覆い尽くしていた氷河がゆっくりと消えてゆき、
大地に樹木が芽吹き、だんだんと生い茂っていくのをまじかで見ているほどの
長い長い時間をひたすらに待っていた。
パートナーと巡り合うというただそれだけのために待っていた。
それが何のためなのかは知らないが、彼らは誰を待っているのか、それだけを知っている。
来る日も来る日も天を仰ぎ、パートナーの名前を呼んで、出会いの予感に胸を躍らせて。


「みんなー、見て!」


パートナーがこの世界を訪れる日とされているオーロラを一番最初に目撃したのは、
トコモンだった。真昼のオーロラ。その場にいた全員が空を見上げた。
運命の時がやって来たことを本能的に悟った彼らは、ぐっと固唾をのんで見守った。
空一面が一瞬、ぱっと輝いた。そして見えるのは逆さまの世界。
オーロラを見上げているパートナーたちの姿を見た彼らは歓喜した。
デジタルワールドとパートナーの世界を繋ぐゲートが開かれた瞬間である。
うれしさのあまり、ぴょんぴょんその場で跳ね回るものもいれば、
感極まって泣いてしまっているものもいて、その受け止め方は千差万別である。
それぞれが待ち焦がれたパートナーの姿を見失わないようしっかりと焼きつける。


「いくよ!みんな!」


合図を送ったのは、コロモンだった。
器用にピンク色の角でパートナーとの共にいられる証でもあるデジヴァイスを掲げる。
コロモンにつられて、一体、また一体とパートナーに届くよう、デジヴァイスを掲げる。
7つのデジヴァイスが掲げられた時、いつまでたってもその輪の中に加わろうとしない
デジモンを見つけて、不思議そうにコロモンは名前を呼んだ。


「チビモン?どうしたの?デジヴァイス、パートナーに届けないの?」


7体のまなざしに見詰められるが、デジヴァイスをしっかりと抱きしめたまま、
チビモンはふるふると首を振った。


「オレはいい。オレが渡すって決めたんだ。
このデジヴァイスはオレがだいしけに直接渡すって決めてるんだ。
だから、オレはやらないよ」


そういうことなら仕方ない。せーの、という声に合わせて、デジヴァイスは光となった。
7体のデジモンが放り投げたデジヴァイスは、デジタルワールドと現実世界を繋ぐゲートをくぐって空の彼方に消えてしまった。
しばらくして、遠い悲鳴が聞こえてくる。ひとかたまりだった8つの流れ星は、
空中で8方向に割れて飛び去っていく。
パートナーのおおよその着地点を目算した彼らは、散り散りになった。
 

「ヤマト?ヤマトだよね?」

「誰だ?誰なんだ、出てこいよ」

「オレだよ、ヤマト!ツノモン!ヤマトのこと、ずーっと待ってたんだ!」


頭に角を生やした栗色のぬいぐるみが恥じらいを含んだ声でパートナーの名前を呼んで、
ぽかんとしている少年の前に、自分の存在を主張するために飛び跳ねた。


「私ね、空のことずーっと待ってたのよ!だから、会えてとっても嬉しいわ!」

「………」

「空、私のこと嫌い?」

「き、嫌いとかじゃなくて、あなた、一体何者なの?」

「さっきピョコモンって言ったわ。ピョコモンはピョコモンよ。空が空であるように」

蒼い花飾りを付けたピンク色の生き物に親の愛情に飢えた子どもの眼差しで見つめられ、
少女は諦めたようにため息をついて、警戒心だけは取り除くことにした。


「もう一度聞くけど、ここの名前、ファイル島って言うんだよね?」

「はいな」

「よくできたテーマパークだなあ」

「なんのことでっしゃろ?光子郎はんの言うことは難しくて、わいはようわかりまへん。
 それより、みんな待ってますさかい、はよみんなのところに行きましょか」

「まあ、そういうことにしとこうか。わかったわかった。じゃあ、案内してよ、モチモン」

「はいな」


高性能の送受信機やフォームラバー、車輪による移動、と遠隔操作中の中の人がいると
考察されているとは知らないまま、パートナーは少年を案内する。
 

「よろしくねー、タケル。僕はトコモンだよ。タケルたちのことずーっとずーっと待ってたんだ」

「ほんと?」

「うん!」

「ずーっとってどれくらい?」

「えーっと、えーっと、この樹がね、タネだったころ!」

「すごーい!」
 

貯金箱のような蚊取り線香のような形をした白いぬいぐるみと一緒に、少年はこの島で一番大きな大木を扇いだ。


「どこから来たの?ここはどこなの、あなたはだあれ?」

「私はタネモン。どこから来たって言われても、最初からここにいたんだけど。
 ずっとここにいて、待ってたの、ミミのこと」

「そんな、いやあああっ。パパやママのところに帰してよ!みんなのところに帰してよ!
 こんなのいやああっ!」

「そんなこといわれても、わたし、わたし、わからなっ………」

「………なんであなたまで泣いてるの?」

「だって、ミミ、私が待ってたこと嫌だって…。私、ミミと友達になりたいだけなのに」

「………私と友達になりたくて泣いてくれるなんて、へんなの。
 でも、あなたがいい子だってことはわかったから、ごめんなさい」

少女は仲直りの印に手を差し出した。タネモンは頭の葉っぱを少女の掌に触れた。


「待ってよ、丈!待ってったら、逃げるなよう!なんで逃げるのさ!」

「こんなバカなことがあってたまるかー!非現実的すぎるじゃないかー!
 頼むからどっか行ってくれよ!僕に構うのは止めてくれ!」


へなへなと地べたに座り込んだ少年にようやく追いついたパートナーは、
にかっと笑って、おいら、プカモンよろしくな!と笑った。
少年が茫然自失なのはご愛嬌。


「たいち、たいち、太一!太一、気が付いた、よかった!」

「うひゃあっ!?なんだよ、お前!お前、しゃべれるのか?なんでオレの名前を知ってる!?お前、一体なんなんだよ!」

「僕、コロモン!そ、それ以外のことはわからないけど、太一のことずっと待ってたんだ!」


ピンク色のラグビーボールが、小さな牙の生えた大きな口の弧を描いて、笑った。
さっき驚きのあまり突き飛ばされてしまったことなどお構いなしに飛びつこうとするが、
少年は溌剌とした声をするりとかわした。


「待ってたってどういうことだ?」


その言葉は、トモダチの印だよ、という言葉と共に飲み込まれてしまった。
やがて、7人の子供たちは7体のデジモン達に案内される形で再会することになる。
トロピカルジャングルの大広場に一番乗りしていたチビモンが、今にも泣きそうな顔でうずくまっていた。


「だいしけがいないんだ、どうしよう、オレ、だいしけと逢えないの?
 もう逢えないの?落っこちた先に行ったはずなのに見つからないんだ。
 おっきなデジモンの足跡と、だいしけの足跡が崖の先でなくなってたんだ。
 どうしよう、どうしよう、だいしけ、死んじゃやだあっ!」










第二話 幼き古代種 チビモン










巨木に青い小さな腕が生えている。
うわあっと飛び退いた大輔の声に反応して、ぶんぶんと大輔の声に反応するように上下に揺れる腕が、
にゅきにょきと生え、突如歪んだ緑色の光からちっこい青い生き物が飛び出してきた。
へにょりとした三角の耳と小さいしっぽを揺らしながら、
見事に着地した青いドラゴンの子供のような生き物が、キョロキョロとあたりを見わたす。
顔の部分と腹の部分は真っ白である。誰かを探しているのか、どこか必死な様子だ。
エアロブイドラモンをマスコットにしたような小さな姿に、さっきの出来事を思い出した大輔は、
もしかして、こいつが俺のパートナーとかいうブイモンなのか?と連想する。
しかし、あの逞しいドラゴンのような勇姿とは程遠い、頼りなさそうな、ちっこい生き物である。
何となく姿の面影はあるものの、あまりのギャップの激しさに、イマイチ大輔は声をかけていいかどうか困ってしまう。
そのうちそのちっこい生き物は、大輔の姿を発見するなり、あーっと大きな声で叫んだのである。


「あーっ!見つけたっ!」

「おあっ?!見つかった!」


反射的に間抜けな返答をしてしまった大輔は、何いってんだ俺、とセルフツッコミする。
しばし目と目がかち合ったまま、お互いに硬直していた大輔とちっこいの。
瞬きすること数回、硬直していた大輔よりも先に、行動に起こしたのはちっこいのだった。
くりくりとした大きな赤い瞳が、うううう、と抗議の眼差しを大輔に向けたのだ。
今にも泣きそうな顔でじわじわと大粒の涙を貯め、ぐずり始めたではないか。
突然現れたちっこいのが何故大輔の顔を見るなり泣き出すのか理解できず、困惑と戸惑いに揺れる大輔。
お、おい、どうしたんだよ、と声を掛けるやいなや、凄まじいスピードでちっこいのは大輔に襲いかかった。
突然の出来事に状況すらろくに把握できず、うまく飲み込むことができないまま、
真正面の攻撃にもかかわらず、とっさの判断でうまく受け止めることができない。
だからといって避けるのはかわいそうだし、弾き返すのはもっての外だろう。
結局直接行動にうつす前に、無防備なまま大輔は後ろにひっくりかえったのだった。
受身なんて知らない素人同然の子供に、受け流しなんて出来るわけもなく、
豪快に尻餅を付いた大輔は、その衝撃をもろにうけてしまう。体が悲鳴を上げた。
いってえ、と若干涙目な大輔は、反射的に何すんだよ、と怒ろうとしてその言葉を飲み込んだ。
腹の上に乗っかったちっこいのが、超至近距離で大輔の顔をじいいっと覗き込んでいたからである。
その顔は今まで抱えてきた激情を爆発させる寸前までになっていて、思わず言葉を失ってしまう。
そしてちっこいのは、ありったけの不安と怒りをはらんだ声で、
それこそ、この密林全体に響かんばかりの大声で、叫んだのである。


「だいしゅけのばっかあああ!」


それはもう鼓膜が破裂するのではないか、という程の轟音だった。
舌足らずなあまり「す」の音が発音できない様子は、その愛らしさと相まって非常に保護欲をそそるが、
唾を吐かれながら大声で喚かれた大輔はたまったものではない。
耳を塞ぎたいが容赦なくちっこいのは喚き続ける。


「なんで?なんでっ?!なんでオレを置いてっ、どっか、いっちゃうんだよおおっ!
おいてくなよ、ばかああっ!」


あまりの迫力に痛みなど吹っ飛んだ大輔は、ぽかんと口を開けたまま絶句するしか無い。
ちっこいのは、なんで?なあなんで?!と大輔のアンダーシャツをぐいぐい引っ張りながら聞いてくる。
ぼろぼろ涙を流し、しゃくりあげながら、だいしゅけだいしゅけとまっすぐ見上げてくる。
まるで一人ぼっちになった迷子が、ようやく会えた両親にあえて、安心のあまり泣き出してしまったそれとよく似ていた。


「死んじゃったがどおもっだああっ!」

「はあっ!?なんだよそれ、勝手に殺すなよ」

「だっで、だいしけの足跡、おっきいデジモンの足跡に追っかけられてるし、
 崖があったはずなのに、おっきな穴が開いてるし、オレ、オレ、
 心配したんだからなああっ!うっぐ……ずっ……待ってたんだよ、オレっ!
ずっとオレ、だいしゅけのこと、待ってたんだよ!
会うの楽しみにしてたんだよおっ!なのに、なのに、う、う、ううう」


ぽかぽかと叩いてくる手に大輔は自然と手が伸びていた。
ちっこいのが暴れたせいであらぬところにひっくり返ったPHSの音がなる。
妙に首が締まって痛いが、寂しかったと泣きじゃくるちっこいのを見ていると、
こうしなきゃいけないんだ、という感じが湧いてきて、大輔はちっこいのを抱きしめていた。
ぴたり、と動きが止まる。おずおずと顔を上げてきたちっこいのに、大輔は自然と笑顔になっていた。
泣くなよ、と頭を撫でてやると少しだけおとなしくなる。


「わっ、わりい、ごめん。気づいたら一人ぼっちだったから、怖くなって逃げてたんだよ」

「オレがだいしゅけって呼んだの、気付いてなかった?」

「ごめん、ぜんぜん聞こえなかった」

「ひどいや、だいしゅけ。もう置いてかないよな?」

「置いてかないって。俺が置いてかれたのかと思ったんだよ、太一さんも誰もいないしさ」


「よかったーっ!」


安心しきった様子でにへらと笑ったちっこいのは、ぐしぐしと乱暴に顔を拭う。
そしてまっすぐ大輔を見据えて、元気いっぱいな笑顔を浮かべたのだった。


「オレ、チビモン!だいしゅけのパートナーなんだ!よろしくな、だいしゅけ!」

「よろしくな、チビモン!」

「うん!そうだ、だいしゅけ、これ!これあげる!オレがだいしけと一緒にいられる証なんだ。
 とってもとっても大事な奴なんだ。ずーっと持っててくれよ」

「これってオーロラから降ってきたやつ!なんでお前が持ってるんだよ」

「なんでって、これはだいしけのだからに決まってるだろ!デジヴァイスっていうんだ。
 オレが初めてだいしけに逢えた時に、渡すってずーっと決めてたんだ。
 オレがだいしけのパートナーである証だから。オレが渡したかったんだ。
 受け取ってくれよ」

「へへ、そんなに言われるとなんか照れるなあ。うん、分かった。
 じゃあ、ここをこうしてっと。これでいいだろ、うん」


大切なモノだとチビモンからも言われた大輔はそれをPHSと同じところに下げることにした。


「そーだ、だいしゅけ!早く太一たちのとこにいこう!みんなだいしゅけのこと探してるんだ」

「マジかよ、そういう事は早くいってくれよな、チビモン!どっち?」

「んーと、あっちだ!」


チビモンを抱き抱えたまま、大輔は走りだしたのだった。


「だいしゅけー、痛いよ、これ!」


大輔の腕にすっぽりと収まり、だっこされたまま道案内しているチビモンが悲鳴をあげる。
デジヴァイスは反対側にフックがあるため、しっかりとひもに固定されているのだが、
反対方向に引っかかっていた大輔の首にさげられたPHSが、走っている衝撃で所定の位置に戻ってきたため、
さっきからカチャカチャと音を立てて、チビモンのそこかしこにぶつかるのだ。
そのためなんとかPHSを捕まえようと躍起になるも、あっちにこっちにと揺れるそれをなかなか捕まえられず、
ようやく捕まえたと思ったら落っこちそうになり、あわてて拾い上げた大輔が立ち止まってくれて今に至る。
何とかしてくれとのパートナーデジモンの要望に、大輔はうーん、と考え込んでしまう。
圏外表示で使いものにならないPHSだが、ジュンが自分の為にと貸してくれた大切なPHSだ。
首から下げて、絶対に離さないようにと念を押されている以上、
下手にリュックにしまいこんでなくしてしまったらあとが怖い。
これを返すときには、今度こそ頑張ってジュンが姉として家族として、自分のことをどう思っているのか聞こう、と
サマーキャンプに出かけるときに決めたのだ。いわば願掛けの部分もある。
だからいつもならめんどくさがってリュックに入れっぱなしにするところを、頑ななまでに持ち続けていたのだ。
そして今や、訳の分からない、遼にいわせれば異世界に飛ばされてしまった以上、
家族との繋がりを感じることができる唯一の品物がPHSと言っても過言ではない。
もし無くしたりして怒らせたら、今度こそ大輔はジュンに対して何も言えなくなってしまう。
大っキライと散々公言しておきながら、やっぱりどこか期待しているフシがある大輔だった。
それをチビモンはなんとかしろという。
初対面で大輔のことを知っていて、パートナーだと宣言したこの頼りないちっこいのを抱えて、
俺が守ってやんなくちゃいけない、と少なからず感じていた大輔である。
無邪気なまでに一途に信頼されるのは、眩しいほどに初めての経験だらけである。
張り切るのも無理はなかったが、少々由々しき問題だった。
そんな事知らないチビモンは、どうして大輔がそれだけ頭を悩ませて、うんうん唸りながら歩くのかわからない。
そして、大輔は言ったのだ。


「じゃあ、いっぺん降りろよ、チビモン。おんぶするから」

「やだっ!オレ、離れたくない!だいしゅけ、それ、片付けろよう」

「だめ、ガマンしろよ」

「えええっ!なんで?!」

「なんでも!」

「むあーっ!オレより大事なのかよう!オレ、だいしゅけのパートナーなのにーっ!」

「ダメなもんはダメなんだよ!おねーちゃんのなんだからっ!」

「………え?」

「あ………。あ、その、あ、姉貴から借りてる奴だから、無くしたら怒られるんだよ。
オレの姉貴、すっげーこわいし、面倒だからその、わりい」


感情の高ぶりのあまり、無意識のうちにおねーちゃん、と口にしてしまった大輔は、
慌てていい慣れた姉貴という言葉に置き換えてごまかすように説明する。
何故か大輔の名前を知っていたとはいえ、チビモンは出会ったばかりの存在だ。
いろいろと説明してやらないと分からないことに気付いた大輔は、
心の奥底にある気持ちを押し固めるように言葉を紡いでいく。
やがて落ち着いてきたのか、いつもの調子を取り戻した大輔に、チビモンはPHSをつかんだまま笑った。


「分かった。じゃあ、オレが持ってればいいんだよな!」

「おう、よろしくな、チビモン」


再び一人と一匹は他の子供達と合流するべく先を急いだのだった。
道中、ふと大輔はチビモンに秋山遼やサイバードラモン、エアロブイドラモンを知っているかと聞いてみたが、
チビモンは首を振って知らないと答えた。大輔の知り合いかと逆に尋ねられ、なんでもないとごまかした。
やっぱり未来から来たっていうのは本当かもしれないと判断した大輔は、太一たちに話すかどうか悩んだ末、
結局自分でも説明しきれないと気付いて黙っていることにした。
ゲンナイさん。黒い歯車。ゲート。操られている。本来知りえない情報を聞いてしまった大輔は、
のちに彼らが本当に未来から来たのだと知ることになるのだがそれはまた別の話である。
同じく、運命共同体って何だと聞いてみたがチビモンは疑問符だ。
しかし、何となくニュアンスは感じ取れたのか、口癖にように俺と大輔は運命共同体だと嬉しそうに言うようになるのも
完全なる余談である。









大輔が7名の漂流してきた子供たちと再会したのは、それからすぐの事だった。


「よかったなー、チビモン。大輔見つかって!」

「太一たちのおかげだな!みんな、ありがとう!」

「チビモンに感謝しろよ、大輔。俺達がここに来たとき、大輔はどこだって大騒ぎしてたのチビモンなんだぜ?
おかげでみんなで手分けして探してるうちに、俺がこの望遠鏡で反対側の崖にいたお前見つけられたってわけだ」


ありがとうございます、と受け取った大輔は、どこか誇らしげなチビモンにありがとなともみくちゃにする。


「えっと、迷惑かけてごめんなさい。それと、探してくれて、ありがとうございました。
俺、お台場小学校2年の本宮大輔です。太一さんと空さんと一緒で、サッカー部に入ってます。
よろしくお願いします」


サッカー部で培った上下関係を尊ぶ運動部の規則と生活が、元気な挨拶としっかりとした挨拶を可能にした。
大輔の自己紹介が済んだところで、実は大輔を捜すために既にお互いの紹介が住んでいるらしいメンバーは、
大輔が知っている太一や空を除いて、再び挨拶してくれることになったのだった。
メガネをかけているメンバーの中で1番背が高い上級生は、城戸丈。
太一が呼び捨てにしている理由がなんとなく分かった気がする大輔である。
夏なのに日にも焼けていないところを見ると、プールに行く暇もない受験生。
みるからに頭が良さそうな彼は、太一が一番苦手とするタイプなのだ。
頼りないとはいうものの、なんとなくさん付けしたくないのだろう。
アザラシかオットセイの子供のような姿のプカモンがパートナーのようだが、
イマイチこの世界やデジモンのことを受け入れられず挙動不審気味である。
唯一の6年生ということで、何か困ったことがあったらいってよ、と言われた大輔は素直に頷いた。
どうやらこのメンバーの中では自分達が最年少らしいと気付いたのである。

次に丈の横から飛び出していたのは、太刀川ミミというカウボーイのかぶってる帽子
(テンガロンハットという言葉をまだ大輔は知らない)
とウエスタンな格好をしている4年の女の子である。
ころころとよく表情が替わる人で、言いたいことははっきりいう感じらしく、
大輔は何度か返答に困って太一や空にバトンタッチする場面が多々あった。
パートナーはタネモンという植物を乗っけたデジモンで、プカモンと違って口調が女の子だった。
パートナーによって性別が一緒なのかと聞いた大輔に、
チビモンは性別って何?オレたち、そんなのないよ?と言われて驚いたりする。


そんなミミを半ば押しのけて前に出てきたのは、太一の友人である5年生の上級生だった。
大輔は気付かなかったのだが、丈が6年生発言をするたびに、どうしようと心の中で焦っていたため、
声を掛けるのが遅れてしまったのだ。
太一が丈のことを普通に呼び捨てにして、丈も呆れながらも訂正しないものだから、
てっきりお台場小以外から参加している5年生の知りあいなのかと勘違いしていた。
でも今さら言い出すわけにもいかないし、と結局ずるずるとなってしまい、
丈の中では今のところ、上級生を呼び捨てにする生意気な5年生である。
赤い腕章を付けられるのは6年生だけであることを事前にプリントで確認しなかったのが悪い。
もっとも、赤い腕章はすっかりどこかにいってしまったのだが。
抱えられているツノをもった丸い形をしたツノモンとの挨拶もそこそこに、大輔は思った。
金髪で日本人離れした外見を持つ彼を大輔は何度か見たことはあるが、実際にこうして会うのは初めてである。
何度か太一の口から聞いているはずなのだが、太一の話は大抵話題があっちこっちに飛んでループするため、
聞かされる側はイマイチよく覚えていなかったりするので、大輔はなんですか?と尋ねるしか無い。
どこか近づきがたいクールな雰囲気を持っており、なんだか怒っていることが分かって、
大輔は少し身構えながら顔を上げた。
石田ヤマトだと短く挨拶してくれたので、軽く会釈した大輔。
彼はしばし大輔を見下ろしながら沈黙し、その気まずい雰囲気にいたたまれなくなった大輔が、
しどろもどろに成っていると、ボソリとつぶやいた。


「なんであんな所にいたんだ?」

「え?」

「だから、なんであんな崖に一人でいたんだ?危ないだろ」

「え、っとあ、その」


話さない、と決めた手前、じゃあお前は何をしていたのだと当然聞かれるであろう返答を、
全く考えていなかった大輔は虚をつかれ、ますます挙動不審になる。
眉を寄せるヤマトに、大輔の腕の中にいたチビモンがずいっと顔を上げた。


「なんで怒ってるんだよ、ヤマト。
だいしゅけはみんなと離れてて、一人ぼっちで目が覚めたんだ。
だから、わけわかんなくて、オレのことも、すぐ近くに行くまで全然気付いてなかったんだよ?
すっげー怖くて訳分かんないから、あの崖んとこでみんないないか、探してたんだ。
だいしゅけのこと、いじめるなよ!」


言い返されたヤマトは、一瞬驚いた顔をして、あ、いや、ちがうんだ、と慌てて言葉を重ねる。
なにが?と警戒しているチビモンに、大輔は落ち着けってば、と諭した。


「大輔っていったっけ、お前、タケルと一緒でまだ2年生だろ?
このメンバーの中では1番小さいから、あんまり危ないことすんなって言いたかっただけなんだ。
誤解したなら、謝る。ごめんな、心配したから」

「あ、は、はい、心配させてごめんなさい。気をつけます」

「分かってくれたんならいいんだ」


少しだけ表情を緩めてくれたものの、イマイチ、ヤマトという人は顔に出す表現が足りない。
言葉のちょっとしたニュアンスや会話の流れから、相手の思考を予想してみる、憶測する、
という作業がとても苦手な大輔にとって、動作や顔といった分かりやすい部分がほとんど無愛想なヤマトは、
正直全く何を考えているのか分からず、なにを返していいのか分からなかった。
チビモンのおかげで、心配してくれたから注意しただけだと知ることができたが、
大輔は内心この人苦手だとすっかり苦手意識をもってしまう結果となる。
なんかこえーこの人、あんま話したくないな、とヤマトに聞かれたら落ち込みそうなことを心のなかでつぶやいていた。
ちなみにヤマトの方でも、タケルと同じ年ということで守ってやらなくてはいけない、と考えていたのだが、
無邪気で素直でいい子なタケルと比べて、活発で自分のことは自分でする、自立心あふれる真逆のタイプだったため、
率直に守ってやるといっていいのかどうか分からず戸惑ってしまっただけだとフォローしておくとしよう。


そして最後に、大輔が小学2年生であると知るやいなや、さっきから話したくてうずうずしていた、
例の謎の小学生がひょっこりと顔を出した。
さっきヤマトの口からも名前は出ていたのだが、無駄に緊張していて頭に入らなかった大輔は、
その小学生を見ることにする。
よっしゃ、俺のほうが微妙に身長高い!と朝の朝礼なんかで前から数えたほうが早い大輔は、
少しだけ優越感を感じていた。


「こんにちは、大輔君。僕、高石タケル。僕も同じ小学校2年生なんだ、よろしくね。
この子はトコモンだよ」

「よろしくねー、大輔」

「おう、よろしくタケル、トコモン」


このメンバーの中では、このタケルという少年と自分が最年少のようである。
年上ばかり相手だと敬語を使わなくてはいけないので、ようやくいつもの砕けた口調で話す相手が見つかり、大輔は肩の力を抜いた。
そして少しだけ疑問がもたげてくる。
ヤマトはタケルのことを、まるで兄弟のように気にかけていたようだが、
聞いた限りではヤマトとタケルは苗字が違うではないか
同じ金髪だし、てっきり兄弟だと思っていた大輔は疑問符を浮かべた。
小学二年生に二人の兄弟が両親の離婚という家庭の事情で離れて暮らしていることなど、
察せよと言う方が無理である。
それよりも、とりあえず同じ学年なら、なんで大輔は自分が知らないのか分からなかったので、
先に聞いてみることにした。
大輔の事前情報として、サマーキャンプは団地に住む子供向けの子ども会のイベントであり、
そこに住んでいる人しか参加しないはず。
たいてい参加する子供たちは同じ小学校に通っているはずだ、という先入観が先にある。


「なあ、タケルって何組だっけ?わりい、思い出せないんだけど」

「え?あ、ううん、違うよ。僕河田小学校の2年生なんだ。
夏休みだから、お兄ちゃんのとこに遊びに来たんだ。ね?お兄ちゃん」


タケルが振り返ってヤマトを見る。ヤマトは思わぬ質問に一瞬答えを窮した。
まだ幼い弟は、家庭の事情について未だによく理解していない気配がある。
その上、ヤマトは家庭の事情について、野球部に所属する過程で、
同じ運動部という共通点から親しくなった太一や空に対しても、
自ら語ったことはない。
それは幼い弟を傷つけたくない、聞いてしまったと友人に気を使われてしまうのが嫌だ、という
ヤマトが基本的に相手が傷つくことに非常に敏感であるため、慎重である性分がそうさせていた。
ここに答えてしまえば、自分とタケルが兄弟であることが判明して、家庭の事情が知られてしまうことになる。
どう答えようか迷っているうちに、横槍が入った。


「そっか、大輔知らないんだっけ?タケルはヤマトの従兄弟なんだよ。
夏休みだから遊びにきてたんだってさ」


それは、初めてこの問題に直面したとき、とっさについた嘘だった。
夏休みともなれば、お台場という絶好の観光スポット近くに済む団地の住人たちは、
よく親類を集めて遊園地やフジテレビなどに出かけることがよくある。
そのため、いとこが遊びに来ていて、サマーキャンプに参加したのだという嘘は、
今までヤマトがタケルの存在を微塵も感じさせなかったため、あっさりと信ぴょう性を帯びてしまった。
なんだ、お前弟いたんだ?と何気ない太一の言葉に、反射的についてしまった嘘は、
あっさりと受け入れられ、またこうして大輔という少年にまで浸透している。
従兄弟ってなに?と無邪気に聞く弟に、離れて暮らす子供同士のことだと、
近からずも遠からずな表現で教えたためかタケルもうなずいている。
そんな事、知りもしない大輔は、太一が嘘をつかない性格であると当たり前のように受け入れているため、
あっさり納得した様子でうなずいてしまった。まずい。ヤマトはそう思った。
タケルも大輔も同じ年だから、きっといろいろ会話することがおおくなるだろう。
守ってやらなくては、と人一倍タケルに過保護な自覚のあるヤマトも、
3歳という歳の差は、意外と話し相手でも微妙に大変だったりするので、
大輔の存在は正直ありがたかった。
ただし、大輔が従兄弟という嘘を信じてしまったということは、
一人で従兄弟の家にきて、この漂流に巻き込まれてしまった一人っ子だと勘違いしているおそれがある。
そこからいろいろ話がいったら、バレてしまうおそれがあった。
どうしよう、と自ら付いた嘘に必死で打開策を考えているヤマトは、
タケルと大輔を見比べて怖い顔をしていることに気づかない。
それがますます大輔の苦手意識と、チビモンの不信感を煽っていることなど、知るはずもない。
やがてこの微妙な誤解が、ややこしい事態を招いていくことになるのだが、
突如現れたクワガーモンの奇襲によって、海へとダイブすることになる彼らは、
まだ知りもしないのだった。




[26350] 第三話 大好きと大嫌いの狭間で
Name: 若州◆e61dab95 ID:ab875a90
Date: 2013/01/22 22:20
「モチモンが言うには、ここはファイル島というそうです。聞いたことある人はいませんか?」


光子郎が意見を求めたのは、最上級生である丈と5年生組である空、ヤマト、太一のつもりだったのだが、光子郎の傍らにいたモチモンがはーいと手を上げたのでみんな脱力してしまう。初めからここにいたのだから知っていて当たり前だろうに、と光子郎は苦笑いするのだが、モチモンはこのファイル島一の情報通だか物知り博士だかを気取っているらしく、補足説明を始めた。


「ファイル島のなかでも、トロピカルジャングルいうところなんですわ。
 ちなみにトロピカルジャングルはファイル島の中でも一番過ごしやすいところで、
 亜熱帯地域とマングローブ域に分かれてまっせ。ここは亜熱帯地域」


いずれも聞いたことのない名前である。亜熱帯地域とはこれまたずいぶんとおおざっぱな名前だなあとは、
日本の沖縄県を含めた南国地域全体が亜熱帯だと習った4年生以上が考えた。
大輔はもっぱらトロピカルジャングルと聞いて、南国のフルーツを連想してつぶやくと、
なんでか静かにねと空に口元に指をあてられてしまった。
そういうことをいう雰囲気ではないらしい。沈黙を守っているしかないようだ。
すべてはキャンプで食べるはずだったお昼ご飯を食べ損ねてしまったせいである。
島という言葉を聞いて、太一が大輔を捜すために大木に上った時のことを思い出し、
ポケットから単眼鏡を取り出して、あたりをぐるりと眺望したことを話してくれた。
正面はかなり遠くまで森が広がっていて、その先はぼんやりとかすんでいたため、
モチモンが言うとおり相当広い森らしい。
左手には頂上を分厚い雲に覆われた白い岩肌の険しい山がそびえていて、
右手には常夏の香り漂う蒼い海と白い砂浜、いや、もしかしたら湖かもしれない。
積乱雲が見えたわけではなかったからといい直す。どのみち御神渓谷ではない。


「山はムゲンマウンテンいいますねん。湖は竜の目の湖やね」


モチモンから飛び出す聞いたことのない地名に、みんなの表情が次第に曇り始めるのは無理もない。
怪訝そうな顔をしてしまうのは無理もない。ためいきさえついてしまう。
とりあえずここが日本ではないことだけは確かであり、言葉が通じる分まだましといえる。


「これからどうする?」

「やっぱり助けが来るまでここにいた方がいいんじゃないか?
 下手に動くよりは、ここで救助を待った方がいい気がするね、僕は」

「でもせめて見つけてもらえるようなところにしないとまずくないか?
 こんな森の中じゃさすがに無理だろ」

「携帯電話もパソコンも使えないんです。せめて電波が届くようなところがあれば」

「そうよねえ、やっぱり広いところがいいんじゃないかしら?」


太一たちの話し合いは、まだまだ長引きそうである。
ぼんやりとお腹すいたなあ、なんて考えながら広葉樹林の合間から零れ落ちる陽だまりを
まぶしそうに眺めていた大輔は、ふと空の隙間が一瞬どぎついくらいの赤で塗り潰されるのを見た。
あれ?と思って瞬きするとそれは消えてしまったが、大輔と一緒に空を見ていたチビモンが反応する。
上、上に何かいる!とさっと表情を変えたのは、おそらく幼年期特有の防衛本能が働いたのだろう。
本来デジモンは幼年期から成長期に移行する場合は、時間経過によって自動的に進化する。
分岐するにはいくつかの条件を満たす必要があるのだが、いずれを満たさなくても、
満たさなかったという選択肢を選んだと見なされて、どのみち幼年期ではいられない。
にもかかわらず、チビモンをはじめとしたパートナーたちは、そうはならなかった。
幼年期のままだった。進化しようと試みたこともあるが、どんなに頑張っても進化できなかった。
つまり、強制的に弱者でいなければならない理不尽を彼らは強いられていた。
自分の身を自分で守るためには、誰よりも外敵の気配を早く察知して、逃げるしかない。
対抗手段をもたない幼年期のデジモンにできることといえば、それくらいだった。
頭上でけたたましい音がして、轟音と突風が地面のプラスチックの落ち葉を吹き散らかしながら近づいてくる。
生い茂る樹木が邪魔でよく見えないが、嫌な予感しかしないのはきっと気のせいではない。
わずかに響き渡る羽音をいち早く判別したのは、おなじ種族に進化系列を持つモチモンだった。


「クワガーモンや!みなはん、逃げた方がええでっせ!
 巨大ななハサミがついた昆虫型デジモンなんや。
全身がかたいカラに守られてて、防御力にもすぐれてます!
 パワーも強力で、ハサミの部分で一度敵を鋏むと、倒れるまで離さないおっそろしい
デジモンなんや、みんなやられてまう!」


すべてを説明し終わる前に、子供たちはパートナーを抱えて逃げ出した。
クワガーモンと呼ばれた巨体が樹木をばりばりとなぎ倒す。
ばきんばきんとかみ合わせを確かめるように、ハンマーの打ち合いににも似た金属音を
響かせながら現れたのは、巨大なクワガタの怪獣といった方がいい真っ赤な昆虫である。
極めつけは「知能がなく本能的な行動しかできない」デジモンである。
どうやら太一たちは知らないうちにクワガーモン達のコロニーに入り込んでしまったらしい。
大輔は自慢の俊足でチビモンを抱えながら、必死で前方を走る太一たちの後ろを追いかけた。


「きゃあっ!」

「ミミちゃん、危ない伏せて!」



不慣れな山道を不慣れな厚底のブーツで走っていたミミの身体がぐらついて、
空がとっさにミミの身体ごとタックルするかたちでクワガーモンの攻撃を回避した。
少しでも遅かったら空間ごと切り裂いてしまいそうな鋏の餌食だったに違いない。
わあん、と空の胸に飛び込んで、泣き出してしまったミミの長い髪を空が優しくなでる。


「またくるぞ!」


タケルを引っ張りながら一番後方を走っていたヤマトが叫ぶ。クワガーモンが大きく旋回した。
今度は地面に低く背を伏せて、攻撃を回避する。
通り過ぎて行った轟音と突風に安堵して顔を上げた大輔は、真っ二つにきられた大岩にひきつる。
草むらに飛び込んだ子供たちは顔を出し、一番顔色が悪かったのは、
その大岩に身を隠したりして、クワガーモンを回避した子供たちだった。


「太一さん、このままいったら行き止まりっすよ!崖です、崖!」

「知ってるけど、どうしようもないだろ!なあ、なんとかして降りられないのかよ、大輔!」


大輔はぶんぶん首を振った。まじか、と太一は必死で打開策を考えている。
アマゾンのジャングルも真っ青な暗い密林と蛇行する川が、絶望的な高さの下に広がっていたのは嫌でも覚えている。
モチモンが行っていたマングローブ域という地帯が広がっていたのだろう。
大輔が死を一瞬でも覚悟するような高さだったのだ。助かるとは思えない。


「………だいしけ、降ろして」

「チビモン?」

「いいから降ろして」


さっきまで大輔から片時も離れまいとぴったりくっついていたはずのチビモンが、
すりぬけるように大輔の腕から離れてしまった。空を切る右手の先にチビモンがいる。
みんな、考えることは同じだったのかもしれない。デジモン達が次々と集まっていく。


「逃げて」

「は?」

「だから、逃げてっていったんだ。大丈夫、すぐ追いつくから大丈夫だよ。
 だいしけ達は先に行ってて」

「ば、ばか、何言ってんだよ!チビモン!ずっと一緒にいるって言ったのおまえだろ!」


死にたいのかという問いかけに、チビモンは頑として譲らない。
太一たちも幼年期のパートナーを引き留めようとするのだが、彼らの決意は固い。
連れ戻そうと手を伸ばした大輔は、悲壮な決意に満ちたパートナーデジモンを見た。
自分の何十倍もあるクワガーモンが上空から現れた瞬間、チビモン達は一斉に飛びかかったのである。
シャボン玉のような泡が飛び、強い酸性が地面を抉ってクワガーモンのバランスを崩し、
巨大な鋏が大地に沈む。粘着性のある泡がすかさず鋏と足を固定化し、からめ捕る。
身動きが取れないのを見計らって、チビモン達は一斉にクワガーモンに飛びかかった。
振り払おうとして広がる轟音に、コロモンが吹き飛ばされて大木に叩きつけられるが、
すぐに立ち上がって飛びかかる。


「どうしてだよ、コロモン!なんでそこまで、オレたちのために」


太一の叫びに、コロモンは攻撃を繰り出しながら言った。


「太一は知らないかもしれない。分かってくれないかもしれない。
 でもいったでしょ?僕たちはずっとずっと太一たちを待っていたんだ。
 あんなこと、こんなこと、一緒にしたいっていう夢を見て生きてきたんだよ。
 1つも叶ってないよ。そんなのって嫌だ。ボクは強くなりたい。力が欲しい。
 太一たちを守れる強さが欲しいんだ」


すべてにおいてみなぎる気力に追いつかない絶望的な状況の中、無意識のうちに太一たちは、パートナーの名前を呼んでいた。
7条の光が突然デジヴァイスから解き放たれ、デジモン達を包み込んだ瞬間に。
彼らは知ることになる。何百年にもわたる幼年期の日々が終わりを告げたことを。
冒険の日々が幕を開けた。









第4話 大好きと大嫌いのはざまで










海だった。単眼鏡で海を眺めていた太一は、丸いレンズの中に、海と空の境界線が混じり合うのを眺める。
積乱雲が漂う常夏の島は輝いて見えた。打ち寄せる波の感触は温水プールのように生ぬるいので、
海水浴を楽しむならば、もっと奥を泳ぐ必要があるだろう。風は灼熱の大地に海水で蒸発した塩の香りを運んでくる。
いつも着ている洋服はすっかり濡れてしまい、ただ今女の子は岩場の向こう、
男の子はこっちがわで服を乾かしている所である。
何が悲しくて下着姿で海岸に漂着しなきゃいけないんだという話だが、仕方ないのだ。
コロモン改めアグモン達の活躍でクワガーモンをなんとか退けることは出来たのだが、
あのエリアがクワガーモンのコロニーと言うことはあの一体が最後の一体ではなかったのだ。
すっかり安心していた太一たちの前に現れたのは、複数のクワガーモン達。
大輔が言っていた通り断崖絶壁がその先にあって、その結果はご察しである。
ゴマモンのマーチングフィッシーズで彼らは助かったのだが、
流れに流され、ただ今全くつながらない電話ボックスのところでみんな休憩をしているところである。
塩のせいですっかりぱさぱさになった青いシャツに袖を通した太一は、ズボンにも手を伸ばす。
なにせお待ちかねのお昼ごはんが始まったのだ。


「大輔、お腹へったよー!」

「俺も、ぺっこぺこだ、腹減ったあ。そういえば、カレー結局食べそこねちまったんだよなあ」

あーあ、とがっくり肩を落とす大輔に、カレーって何?と機敏に反応した相方が食いついてくる。
チビモンの時よりもずっと大人びた声ながら、態度そのモノは無邪気で
元気いっぱいなやんちゃ坊主と変わらない。
大輔くんと良く似てるわね、と空は笑ったが、大輔はゼッテー違うと否定した。
俺、こんなに甘えたがりじゃないし、真っ直ぐ思ったことをそのまま言えないし、素直じゃないし。
もし俺がこいつとおんなじなら、かわいい弟が欲しいとのたまう姉が、これだけ自分を嫌うわけがない。
きっと姉が欲しいのは、タケルみたいな奴なんだろう。
従兄弟のヤマトをお兄ちゃんお兄ちゃんと慕い、無邪気に笑ってニコニコしていて、しかも素直でいい子である。
絵に描いたようないい子である。自分とは大違いだ。
そこまで考えてはたと我に帰った大輔は、何考えてんだ俺、とネガティブ思考を打ち消すべく首を振った。
全部腹が減ってるから悪い。だかららしくなく、うじうじ考えてしまうんだと切り替える。
余計腹減るから勘弁してくれと思いながら、目をキラキラさせている弟分にいやということもできず、
大輔はサマーキャンプで食べるはずだったカレーについて語り出す。
お互いに空腹なせいでより具体的な情景描写が入り、空想もとい妄想が余計に空腹を加速させてしまう。
何度目になるかわからない腹の虫を見かねてか、それともこの世界に来る前から腹が減っていた影響か、
持ち物を確認したときにタケルと大輔が大量のお菓子を持っていたため、
大切な食料だからと一括して管理することになったジャンケンでパーを出した太一の宣言により、
ひとつだけお菓子を選んでもいいことになる。
大輔が選んだのはチョコレートだった。
育ち盛りの食いざかり、昼飯を食いそこねている子供に、チョコレートひとつはあまりにも偏食粗食と言わざるを得ないが、
漂流の身である以上文句は言えない。とうていチョコレート一枚で空腹が満たせるとは思えないが、何もないよりはましだった。
本当なら全部一人で食べてしまいたい。
家にいたら、大抵半分こと言いながら、明らかに3分の2,いや5分の1を残して横取り独占してしまう横暴な姉がいるが、
今はそんな奴いないのである。でもなあ、と大輔はちらりと横を見た。
その代わりに、チョコレートって何何、大輔!と興味津々で甘い匂いのするパッケージをガン見している我が相棒が一人いる。
自分を運命共同体だと未来予知したエアロブイドラモンが、大切にしてやれと、
よろしくといっていた、あのブイモンが。
なに?大輔、とブイモンが言う。大輔はなんもーといって流してしまった。
チビモン改めブイモンは、ただいま大輔となんら変わらない身長まで成長してしまった。
いくらなんでも大きくなり過ぎである。
幼年期から成長期になったとしったときのブイモンの大喜びようは語りようがないほどの
大はしゃぎぶりだったのは記憶に新しいことである。
真夏のテントの中に放置していたので、嫌な予感はしていたのだが、
やっぱりチョコレートは少し溶けていた。
これでも日陰の方を置き場所に選んだつもりだったが、みっしりと沢山の荷物の中にうもれていたせいで、
あまり予防効果は無いらしい。
パッケージを破って銀紙に包まれた板を取り出した大輔は、いち、にい、さん、とブロック数を数え、
ちょうど半分あたりでパキンと真っ二つに割った。
早く早くといきり立っている食いしん坊に、その銀紙を少しだけ剥がして渡したのだった。
虫歯の詰め物のせいでうっかり銀紙をかんでしまうと、きーんとなるトラウマのおかげで、
なんだか世話をやく兄貴のような行動になっている。
そんなこと気付きもしない大輔は、自分のぶんもぱくついた。
ありがとだいすけー、と初めてパートナーと食べる食べ物に触れたブイモン。
その数分間のテンションの上がり方は尋常ではなかった。
この世のものとは思えない絶品を食べたとばかりに、大絶賛。じゃあここで何食べてたんだよと大輔は思ったが流された。
あっという間に平らげてしまったブイモンに、もっとくれと強請られて、慌てて自分の分を死守するために猛攻を交わすハメになり、
結局最後までゆっくりと貴重な食べ物の味を堪能することができなかった悲劇。
最後の一口を放り込んだ大輔に、ブイモンはあああっと大声を上げて、まるでこの世の終わりのような顔をした。
チビモンのようにわんわん泣くことはなくなったが、その代わりにずっと大きくなったためだっこできなくなった。
その時と同じくらいショックな顔をしている。いちいち行動が大げさでつい大輔は笑ってしまい、ブイモンは拗ねるのだった。
ブイモンはころころと表情が変わっていて、相手をしていても全然飽きないので楽しくてつい構ってしまうのだ。
周りを見れば、みんな思い思いに休憩時間を楽しんでいる。
クタクタに疲れていた大輔は、しばらくブイモンと色々話をすることで、棒になっている体を休めることにした。





しかし、厄介ごとはそう待ってはくれないらしかった。





砂漠に響き渡るミミの悲鳴。何だ何だと集まってきた子どもたちの前に、巨大なヤドカリのようなデジモンが現れたのである。
あろうことか太一たちが集めて置いておいた荷物の真下から現れたそれは、邪魔だとばかりに荷物を豪快に投げ飛ばし、
近くにいたミミたちに襲いかかった。
デジモン博士と化しているテントモンによれば、シェルモンというらしいこのデジモンは、海辺に住処を構え、
縄張り争いが熾烈で、とっても凶暴らしい。早く言えと全員からのツッコミを受けたのはおいといて、
あわててそばにいた太一とアグモンがミミたちを助けるためにかけ出した。
無茶だとテントモンの叫びに、うるさいとバッサリ切り捨てて、必殺技の火の玉で応戦するアグモンだったが、
とっさにミミをかばって太一がシェルモンの鞭のようなツタに捕まってしまう。
縦のように太一を差し向けられ、慌てて太一たちに加勢しようとした大輔たちは立ち往生を余儀なくされてしまう。
シェルモンのつたが太一をギリギリと締め上げる。
摩擦音にも似た不気味な咆哮が海岸に響き渡り、口から吐かれた海水の濁流が他のデジモン達を押し流した。
電話ボックスに彼らはひとまとめに吹っ飛ばされ、あまりの衝撃に電話ボックスが将棋倒しに破壊されてしまう。
ぶわっと砂埃が空を舞い、砂嵐に似た視界の不明瞭さが太一の安否を不鮮明にする。
太一の絶叫が響き渡った。不気味な触手が太一の身体を縛り上げている。
このままでは鋭利な刃物に姿を変えたそれが、太一の血しぶきに代わってしまう。


「嫌だ、死にたくない!オレ、まだ死にたくないよっ!助けて、助けてくれ、アグモンっ!」


デジタルワールドの最深部にまで到達した光の柱は、アグモンの進化ツリーの中から、
無秩序で膨大な情報の中から集積をはじめ、反応を示したデータをダウンロードする。
形態情報は螺旋状となり輝きの濁流は確かに届いた太一の叫びに、アグモンが応える形で終結した。
ボクが太一を守るんだと叫んだアグモンに、太一のポケットに入っていたデジヴァイスが反応した。
激しい振動音に溢れる光。眩しかったのか、投げ出すように太一を開放したシェルモン。
投げ飛ばされた太一を受け止めたのは、成熟期に一段階進化を遂げたグレイモンだった。
頭の皮膚が硬い殻のようになった大きな大きな恐竜が、シェルモンの前に立ちはだかる。
圧倒的なパワーでシェルモンの攻撃をはね返したグレイモンは、必殺のメガフレイムでシェルモンを海の彼方へ吹っ飛ばす。
進化によって力を使い果たし、太一の前に再びアグモンが退化した姿で倒れてしまった。
慌てて駆け寄ってきた子供たちは、疲れただけだと笑うアグモンに感謝し、
アグモンが復活するまで暫く休憩を延長することにした。
先程の進化の光、デジヴァイスの関係、などいろいろ上級生たちが難しい顔をして話し合っている横で、
さっぱり話に加われない大輔は、太一に言われてばらばらになった荷物をタケルと二人で回収することになる。
さすがに小学生2人では運べないということで、ヤマトが付き添いに同行することになった。
心のなかで、まじかよーっと一方的な苦手意識を持っているヤマトの先導のもと、
複雑な心境で沈黙しているブイモンと共に、山林へと足を運んだのだった。










「あった!俺のリュック!」


旅行かばんとは別に、いつも持っていく荷物はサマーキャンプ用に買ってもらったリュックに放り込んでいた大輔は、
唯一この世界に持ってきた私物が詰まっているリュックを草むらで見つけて、ほっと胸をなでおろした。
ありましたー!と高々とリュックを掲げる大輔に、ぶっきらぼうにヤマトがそこで待っているよう指示を出す。
どうやら他の子供達の荷物の中には、さらに奥のほうに投げ飛ばされたものがあるらしい。


「ボクも見つけたよ、おにーちゃん!」


白いリュックを抱きしめたタケルに、ヤマトは二人で待っているよう告げると、そのまま奥に消えてしまった。
はーい、とお行儀よく返事をしたタケルは、大輔のところにやってくる。
別のところを探していたらしいブイモンとパタモンも集合した。
ヤマトが見えなくなったことで、ほっとした様子で小さくため息を付いた大輔に、
タケルが興味津々で話しかけてくる。


「ねえ、ねえ、大輔くん、大輔くんがもってるそれ、オウチの人に貸してもらったの?」


光子郎との会話で、迷子防止に持たされていると聞いていたタケルの質問に、
まーな、と大輔は嬉しそうに笑った。いいだろー、と自慢気に笑う大輔に、いいなあ、ボクもほしいとタケルはいう。
素直な反応に気を良くした大輔は、得意げにかざす。
傍らに吊り下げられているデジヴァイスがカタリと音を立てた。


「おねーちゃんのだから、壊したら怒られるんだよなー、大輔」


何となく楽しそうな二人の会話に加わりたくて、ブイモンは大輔と自分しか知らない話を出して、
話題の中心になろうと躍り出た。あっ、こら!と慌てて口を抑えた大輔。
もがもがと苦しそうに手足をばたつかせるブイモンを強引に引き戻した大輔は、
恐る恐るタケルとパタモンを見る。


「へええ、大輔くんってお姉ちゃんいるんだ」

「タケルと同じだねー」

「だね!」


従兄弟のヤマトをお兄ちゃんを慕うタケルをみて、従兄弟と実の姉弟は微妙に違うだろと思いつつ、
必死で姉貴の話題をどうそらそうか考えた。くふひいよひゃいふけとバンバン叩いてくるブイモンに気付いて、
あ悪いとようやく解放する。
酸欠で危うく死ぬところだったブイモンは、恨めし気に大輔を睨みながら深呼吸した。


「大輔くんのお姉ちゃんってどんな人?」


ほらきた。一番聞かれたくない質問が飛んで来る。
姉のことは誰にも言わないで欲しいと、早いことブイモンに言うべきだったと後悔したがもう遅い。
なんで?と聞かれたら、姉と自分との間に横たわっている複雑な事情と現状、そして自分の気持ちを
一から全て説明しなければならないほど、ブイモンは大輔と同じことを知りたがる。
嫌な予感はしていたのだ。しかし、ジレンマに陥っていた大輔は、結局チョコレートの時に
ブイモンとの会話があまりに楽しくて問題を先送りにしてしまってこの様である。
俺の悪い癖だと笑った。
八つ当たりだと分かっていながら、ついついブイモンを睨んでしまう大輔である。
あれ?なんかオレ睨まれてる?と大輔の心境なんて分かりっこないブイモンは不安気に大輔を見上げて、
消え入りそうな声で名前を呼ぶ。はあ、と大げさにため息を付いた大輔はタケルを見た。



大輔の不自然な対応に、あれ?とタケルは早速違和感を覚えていた。
タケルからしてみたら、なんとなく、お姉ちゃんとお兄ちゃんの差があるとはいえ、
同じ弟の立場であることが明らかになり、いろいろと話ができるだろうと思うとうれしくなって聞いただけである。
まるでお姉ちゃんの存在を知られてほしくなかった、としか取れない行動、
そしてみるみるうちに困ってしまう大輔の態度、表情、全てがタケルにとって肩透かしだった。
話題を提供してくれたブイモンに不機嫌そうに睨みつける大輔は、一瞬ではあるが本気で怒っていた。
なんでだろう、と思うのも無理は無い。
タケルにとって、ヤマトお兄ちゃんは自分のことを気にかけてくれて、かまってくれて、遊んでくれる
とっても優しいお兄ちゃんである。
お母さんもお父さんも好きだが、甘えたいさかりで両親の離婚という家庭の事情から引き離され、
こうして長期休みみたいな機会がないと会えなくなったお兄ちゃんがタケルは大好きだった。
数年前までは当たり前のように、一緒に遊んだり、ご飯を食べたり、ゲームをしたり、
テレビを見たりという何気ない日常が確かに存在していたが、奪われてしまった思い出は戻らない。
一緒の小学校に通う夢はもう見ない。
会いたい時に会えない寂しさがお兄ちゃん子にさせる一方で、その離婚にいたるまでの経緯が、
タケルに歳相応以上の卓越した観察眼を身につけさせてしまったのが悲しいところである。
不意識のうちに、相手が何を考えているのか読み取ることに慣れてしまったタケルは、
言葉や行動に起こさないと相手が何を考えているのかよくわからない、小学生らしい感性をもつ大輔とは違い、
大輔のとったあべこべな行動が訳のわからないものとして映ってしまう。
PHSがお姉ちゃんのものだとブイモンは言う。
大輔は嬉しそうにPHSを見て、笑い、自慢気に、得意げに見せてくれたはずだ。
そしてデジヴァイスと同じように常に肌身離さず持っている時点で、とても大切なモノだ。
迷子用といってはいるが、それはきっと大好きなお姉ちゃんのものを貸してもらえたからだろう。
大輔の抱える事情を全く知らないにもかかわらず、タケルは残酷なほど大輔の真意を見抜いていた。
それゆえに、何故それを教えてくれたブイモンを、その驚くほど冷ややかな眼差しで咎めるようににらめるのか、
そして不自然なほど沈黙してしまうのか全く理解出来ない。
じゃあ、分からないことは聞いてみよう、という素直な思考回路に到達した。
タケルはいい子である。いや、無意識のうちにいい子であろうとする癖が身についている。
離婚調停が決まるまで、親戚の家に預けられ、そして母に引き取られて数年になる生活の中で、
母子家庭で仕事に忙しく家を空ける多忙な母に少しでも迷惑を掛けまいと、
お母さんや友達や先生、近所の人達が望むいい子のタケルくんであろうとしている。
それはお兄ちゃんであるヤマトにまで及んでいるが、
タケルが無意識のうちに素直で明るくて聞き分けのいい、いい子な弟であろうとすればするほど、
同じ境遇を強いられてタケルの癖に勘づいているヤマトはますます過保護になっていく。
本当はこの世界に来たときに、真っ先にヤマトに、帰りたいと抱きついておもいっきり泣きたいのだ。
わがままになって、甘えてみたい、もっと素直になりたいと思いながらもできないタケルにとって、
年上のメンバーばかりの中で唯一同学年の大輔は、背伸びをしなくていい存在として認知されていた。
いい子であることは変わらないけれども、同じ年で、弟という同じ立場なら、
ちょっとだけ話を聞いてもらえるかもしれないという思いがあったことは事実である。
タケルが観る限り、お姉ちゃんがいるとは思えないほど、大輔はしっかりしている男の子である。
それこそ、ヤマトにくっついている自分が恥ずかしくなってくるくらいに。
だから正直、ヤマトに危ないことはするなと怒られている大輔が羨ましかったりするのだが、まあそれは置いといて、
気のいい大輔だったら分からないことは教えてくれるだろう、という気持ちがそうさせた。
それなのに、投げかけた質問に帰ってきた答えは、驚くほどあいまいなものだった。


「わかんね」

「え?」

「わかんねーや、全然」

「なんで?」

「なんでって………オレが知るかよ」


困ったように大輔は頭をかく。


「まあ、いーじゃねーか、別のこと話そうぜ、タケル」


大輔は話題を切り替えたいのか、強引に話題の転換を要求してくる。
タケルの頭の中ではすっかり、大輔のお姉ちゃんイコールヤマトお兄ちゃんのような存在であるという公式が出来上がっているのに、
大輔は全く頓着しない様子で、本気で困っているのである。嘘を付いているようには見えない。むしろ答えが見つからなくて困っている。
タケルはここで引き下がるのは嫌だと思った。
大輔はおそらくお姉ちゃんと家族と一緒に住んでいて、毎日毎日同じ時間を過ごして生きているのである。
それこそタケルだけの力では、どれだけ頑張っても願っても届かない夢の世界に似ている毎日の中にいるはずの大輔が、
いつでも側にいてくれるだろうお姉ちゃんのことが分からないと言うのである。
正直、タケルには聞き捨てならない言葉だった。大好きなお兄ちゃんを否定されて、
また家族で暮らしたいと思っている自分を
否定されているような気がしたのだ。それは明確なまでの嫉妬であり、
蔑ろにする大輔への秘めた怒りでもあるが、タケルは気づかない。


「何で分かんないの?」


予想以上に食い下がるタケルに、少々大輔は驚いていた。
まだまだ出会ってから数時間も立っていないと思うが、ちょっとだけ話して、一緒に行動してきた中で把握していたタケルとは違う。
異様なほど大輔と姉の関係性について突っ込んでくる、頑固者の一面、
しかも何故か怒っているような気配さえ感じられる。
なんか俺、変なコトいったっけ?と思い直してみるが、特に変なことを言ったつもりはない。
姉との複雑な関係を知られたくない大輔は、それでもタケルの質問には正直に答えたつもりである。
だって、どんな人?と聞かれたから。答えは単純明快わからないである。
同じ屋根の下に住んでいるとはいえ、6つも歳の差がある大輔とジュンは生活サイクルが全く違う。
ジュンは中学生だし、朝は部活、夜は部活か友達と遊びにいったり、泊まったりで遅かったり帰って来なかったりする。
大輔もサッカークラブの活動で帰るのが遅くなる日もあるが、基本的にはぎりぎりまで友達と遊んでいるため帰るのは遅い。
バタバタする朝なんて、大輔が寝坊寸前に起きることには、ジュンはいないし、帰ってきても夕食は適当に済ませる。
部屋は別だし、ゲームばっかりしていて、うるさいから勉強に集中できないと怒鳴り込まれることはあるが、
基本的にお互い無干渉である。だから大輔は姉の好きなものも友達もなにをしているのかも全く分からない。
聞きたいとも思わないし、逆に聞いて欲しいとも思わない。顔を合わせたら喧嘩ばかり、若しくは下僕扱い。
ジュンが自分のことをどう思っているのかも知らないのに、答えられるわけがなかった。
そうして出した結論なのに、問われるがまま馬鹿正直に答えた大輔は、
タケルが信じられないという顔をしているのがわからない。
お互いがお互いのことを知らなさ過ぎたこと、そして同じ年だったこと、原因はいろいろある。
お互いが置かれている環境が真逆と言ってもいいにもかかわらず、無意識のうちに前提を自分の家族として会話を進めていたせいで、
致命的なまでに二人の間には認識のズレが存在していた。
それ自体分からないため、二人は次第に喧嘩腰になっていく。はらはらと見つめるパートナーデジモンなど眼中になく、
どんどん口調が乱暴になっていった。
やがて姉のことを知られたくないと考えていた大輔も、次第にヒートアップしていく中でどんどん会話が本気になっていく。


「しらねーもんは、しらねーよ。とりあえず、姉貴が俺のこと大っきらいだとは思うけどな。
姉貴のやつ、所構わず俺の悪口言いふらして、俺なんかいなきゃいいなんていうんだぜ?ふざけんな」

「大輔くん、お姉ちゃんと喧嘩したの?」

「ケンカ?んなもん毎日毎日飽きるほどやってるよ。しばらく会わなくていいんだもんな、せいせいするぜ」

「大輔君、ずるいよ」

「は?」

「大輔君ずるいよ、何でそんな事平気で言えるんだよ。僕だってお兄ちゃんと一緒に喧嘩してみたいのに」

「はあ?なんだよそれ」

「僕だってお兄ちゃんと毎日喧嘩したり、仲直りしたり、遊んだり、一緒に学校いったりしてみたいよ。
大輔くんはお姉ちゃんと一緒に住んでるんでしょ?僕は……そんなこともうできないのにっ!
ずるいずるいずるいよ、大輔くんは!なのにお姉ちゃんのこと大っきらいだなんて、ふざけないでよ!」


ここで、ヤマトがついた嘘が止めをさしてしまう。
大輔はヤマトがついた嘘を太一経由で教えてもらったため、タケルとヤマトはいとこ同士だと認識している。
大輔からすれば、大好きないとこのお兄ちゃんと住めない、とダダをこねる一人っ子の甘っちょろいわがままと同列にされてはたまらない。


「何いってんだよ、お前。ヤマトさんとお前はいとこ同士なんだろ?
兄弟じゃあるまいし、一緒に住めないなんて当たり前じゃねーか。
なに勝手に八つ当たりしてんだよ、ふざけてんのはお前だろ!」


タケルはヤマトの知識により、従兄弟≒兄弟と認識している。
大声を上げるほどの大げんかに慣れていないので、感情が先走り顔を真赤にしたタケルが叫んだ。


「なんでそんなこといえるの?なんでお母さんとかお父さんと一緒のこというんだよっ!
なんで僕だけお兄ちゃんと一緒にすんじゃだめなの?!ふざけないでよ、バカっ!
ホントはお父さんともお母さんともお兄ちゃんとも一緒にまた暮らしたいのにっ!
それだけなのにっ!」

「はあ?なんだよそれ、それじゃまるで、お前とヤマトさんが兄弟みたいじゃ……」

「僕とお兄ちゃんは兄弟だよっ!」

「苗字違うじゃんか」

「おかあさんとお父さんが仲悪くなっちゃったから、一緒に住めなくなっちゃったんだもん、
僕じゃどうしようもないもん!」


ここでようやく大輔はタケルとヤマトが抱える複雑な家庭環境を垣間見て一瞬言葉が詰まるが、
ヒートアップしてしまった頭はもうとっくに余裕なんて喪失していた。
タケルが一人っ子と言う事で我慢していたことがある。
でも、タケルがヤマトと兄弟であるということを知った今、
なんども大輔が夢見た仲の良い兄弟の姿を見せつけられてきた大輔にとって、
タケルの言葉は火にガソリンのタンクを投げ込むようなものだった。


「なんだよそれ、なんだよそれっ。一緒に住んでりゃ家族なのかよ、ふざけんなっ!
あんなやつ、家族でも何でもねーよっ!
俺みたいな弟なんていらないって、いなきゃよかったのにって平気でいって回ってるようなやつ、
お姉ちゃんでもなんでもねーよっ!タケルお前、言われたことあんのかよ。
謝っても、ありがとうお姉ちゃんっていってもぶん殴られて、
おまえなんかいらないんだって公園の真ん中でみんなの前で怒鳴られたことあんのかよっ!
どんなに頑張っても褒めてくれなくて、お前はダメだって言われ続けて、
弟だって認めてくれたことも一回もないなんてふざけたこと、ヤマトさんからされたことあんのかよ!
離れてても仲がいいならいいじゃねーかっ!ずりーのはタケルの方だろ、バカヤロウ!
俺だってケンカなんかしたくねーよ、もっと仲良くしてーよ、
でも姉貴が俺のこと嫌いなんだ、どうしろって言うんだよ!!」

「僕に八つ当たりしないでよ、知らないよ!」


取っ組み合いのケンカが始まりそうだった。
二人の剣幕に圧倒されていたパタモンとブイモンが慌てて仲裁に入ろうとしたとき、
二人を一気に現実に戻す第三者の声と力強い手が二人の間に割って入った。


「なにやってんだよ、二人とも!」


ぴしゃり、という大声に仰天した二人が顔をあげると、急いで走ってきたのか息を切らしているヤマトの姿が眼に入る。
反射的にヤマトに大輔のことをいおうとしたタケルは、ヤマトが大輔もタケルも関係なく真剣に怒っているのを感じ取って恐怖に駆られる。
こんなお兄ちゃん、知らない。見たことない。ヒートアップしていた大げんかはどこへやら、借りてきたねこのように大人しくなった二人。
ブイモンとパタモンはほっとして、お互いに顔を見合わせた。
二人の大声を聞きつけて走ってきたヤマトは、丁度大輔の姉に関する情報をしつこく聞きたがるタケルと嫌がる大輔の問答から
以下全部の内容をほとんど聞いていたのだ。
さすがに状況が状況である、大げんかの原因に自分がついた嘘が絡んでいることは嫌というほど理解している。
ここで自分がすべきことは年上としてケンカを仲裁して仲直りさせること、
ソレが二人にとって1番傷つかない方法だと判断しての行動だった。


「いいから落ち着け、二人とも。一体どうしたんだ、俺が聞いてやるから全部話してみろよ」


実の弟のほうを取るのではないかと訝しげな大輔だったが、するわけ無いだろ、と断言するヤマトにしぶしぶ事情を説明する。
タケルもタケルで意固地になっている部分もあり、大輔の目は避けていたが、主張するところは外さない。


「そうか、なるほど」


ヤマトの判断に二人はハラハラしながら見上げる。
ヤマトは二人の目線にまでしゃがむと、二人の肩に手をおいた。


「悪いな、ふたりとも。俺の嘘でケンカがこじれちまったんだ。俺のせいだな、ごめん」

「は?」

「え?」


思わぬ第三者からの謝罪に思わずタケルと大輔は顔を見合わせた。
ヤマトは苦笑いして事情を説明する。全然気付いていなかった二人は、その点についてはお互いに謝った。
そしてお互いに生じていた微妙な誤解が解消されたところで、でも、と言いながらまた喧嘩しようとした二人に、
平等にげんこつが振り下ろされたのだった。




[26350] 第四話 お姉ちゃんという宿題
Name: 若州◆e61dab95 ID:8b8e6d47
Date: 2013/01/22 22:21
それは1年ほど前に遡る。
お台場小学校サッカークラブは、各学年それぞれが、保護者やOG・OBが会員を務める後援会の全面協力体勢のおかげで
外部から指導に来てくれるコーチのもとで、思いっきりサッカーをすることが出来る環境が整っていた。
代表者の佐々木コーチは、サッカーをすることが大好きな子供達に思いっきりサッカーに打ち込める環境を提供し、
お台場小学校を卒業しても子供たちが人生においてスポーツを愛してくれるようにすることが指導方針だと話している。
関わる全ての人達に元気と感謝の気持ちを分け与える事ができるチームにするという方針のもと、
多くの子供達が広大なグラウンドでサッカーボールを追いかけていた。
毎週決まった曜日と土日祝日はサッカー練習で埋め尽くされる。
サッカークラブに入りたいと入部届けを職員室に提出してから早半年、
大輔も小学二年生以下を対象とした関東にある小学校との交流戦や地方大会ともなれば、
少しでも背番号10番のツートップの片割れに近づきたいと、一生懸命レギュラーとして日夜努力していた。
憧れの先輩は大輔がお台場小学校に入学したその年に、4年生でありながら、
その実力が認められて6年生が主力のサッカーチームのレギュラーに選ばれたことも
なおさらに拍車をかけていた。
本人は大好きなサッカー選手に憧れ、ボランチをやりたいとずっと言い続けているが、
担当コーチからこれからたくさんの壁にぶつかり乗り越え、いろんなタイプの選手と味方として敵として会うのに、
基本技術の向上やサッカーの基礎知識の学習、ボールの技術向上がまだまだ発展途上であるにもかかわらず
そんな簡単に任せられるかと突っぱねられて長いことになる。
なかなか認めてもらえないとやっきになり、どんどんサッカーにのめり込んでいる大輔他多くの子供たちのもっぱらの楽しみは、
親御さん達の差し入れ、もしくは家族が手によりをかけて作ってくれたお弁当だ。
もちろん大輔もその一人であり、その日も練習の合間、貴重な1時間半の休憩に入るやいなや、全速力で昼飯タイムに突入した。
友達と弁当のおかずを比べたり、互いに好き勝手争奪戦を繰り広げるさなか、
大輔も参戦すべく愛用のスポーツ鞄を開いたのだが、いつもあるはずのお弁当がない。
あれ、あれ、あれ、とひっくり返してみるのだが、見当たらない。
やばいやばいやばい、もしかして家に忘れてきたのかもしれない、どうしよう、と
焦りに焦りまくっている大輔は、心配そうに見つめてくる友達を待たせながら
ロッカーの中まで探していた。
そしたら、1、2年生チームの監督がご家族が届けてくれたぞとあきれ顔で教えてくれたので、
あーよかった、と胸を撫で下ろしたのである。
ありがとうございますと頭を下げた大輔に、オレはご家族にいえよと監督は至極もっともな指摘をして笑った。
校門が自由に開いていて、卒業生がちょくちょく顔を見せていた開かれた学校だった時代は終わり、
お台場小学校でもかつての関係者や卒業生であっても学校の敷地内に入ることができるのは、
運動会などの一般に開かれたイベントか、外部の人間用のゲートをくぐり、署名をして許可を得た人間のみである。
忘れ物をしたら校門前や駐車場で待っているか、無自覚だった場合、こうして関係者の人に届けてもらうしかないのだ。
またかよ、本宮、と軽く小突かれて忘れ物の常習犯は、ごめんなさいと反省しきりである。
昨日の夜に準備出来るモノは全部突っ込んであるので忘れることは少ないのだが、
早朝のバタバタしている時間帯に入れなければならないお弁当だったり、
なかなか乾かなかったユニホームだったりするとついつい忘れてしまうのだ、この少年は。
おかげで監督と大輔の家族はすっかり顔なじみである。
こうして10分ほどお小言を頂戴してしまった大輔は、愛用のお弁当箱片手にようやく食事にありつこうとして、お弁当箱を開いた。

しかし、その日のお弁当は、母親が調子でも悪かったのかと心配になるくらい、
チームメイト他本人からも大不評だったのを大輔は覚えている。
育ち盛り食べ盛りのスポーツ少年は、好き嫌いが実に分かりやすく、
彩りや栄養バランスを気にするご家族の心遣いなどどこ吹く風。
いわゆる真っ茶色な弁当が大好きだった。
ハンバーグや唐揚げ、ミートボールなんかが入っていたらテンションが上り、
嫌いな野菜が細かく刻んで紛れ込んでいるとあからさまに食欲が失せてしまう。
そして仲間たちでなんとか消費して、空っぽなお弁当を家族に見せようと努力する。
なぜなら嫌いなものだからと残したり、まずいと文句を言ったりしたら、
折角労力を尽くして創り上げたお弁当を否定されて怒ったご家族が、
お弁当を二度と作らない、もしくは自分で作れ、買って来いと脅迫めいた脅しをかけてくるからである。
そんな攻防もまた日常茶飯事な本宮家におけるその日の弁当は、
はっきりいってラインナップだけなら弁当の三種の神器が揃っていた。
おにぎり、玉子焼き、タコさんウインナー。あと付け合せのトマトとポテトサラダ。
いつも弁当箱の傾きなど考慮せず適当にカバンに突っ込んでいるせいで、
寄り弁になってしまうのが当たり前だったが、たぶんいつものようにお母さんが届けてくれたから、
当たり前ではあるが寄り弁にならずささやかな奇跡に感動したりしていた。
その日は特別「いつもの味」が徹底的に排除されていたのを覚えている。
ポテトサラダ以外。
おにぎりの形は歪だし、のりの位置がおかしいし、なんかしょっぱいし。
本宮家直伝の甘い卵焼きは焦げ目がほとんどを覆いつくし、苦くて甘さなど吹っ飛んでいたし、
タコさんウインナーはなんかいつもの四足じゃなくて二足歩行になってたし、茹で過ぎたのか体が破裂してたし。
それでも物体Xや汚弁当ではなく、食べれることは食べれたので完食したはいいものの、
大輔、お母さんに謝った方がよくね?これ怒ってるよとチームメイトに本気で心配された。
大輔の母は料理を趣味とするような人間ではなかったが、既に2年のキャリアを誇る台所の魔術師が、
ここまであからさまな失敗をするなど考えられなかったのである。
さすがにこれは幾度となく忘れ物をしてきた大輔への報復であることは間違いない。
そう、その時の大輔は思った。
しっかりやれよ、下手したら2度とお弁当作ってもらえないかもしれないぞ、なんて
恐ろしい忠告をしてきたチームメイトもいたりして、びくびくしながら大輔は帰宅した。
お帰りと出迎えてくれたのは、いつものお母さんである。
とりあえず機嫌が良さそうなので、ほっとした。
いつものように泥だらけにして帰ってきた大輔に風呂場に行くよう指示を出し、
忘れないうちにプリントと連絡帳を渡すよう言われ、かばんをひっくり返して渡す。
湯沸かし器をスイッチいれてと叫んだ大輔は、シャワーを浴びて部屋着に着替えた後、
髪を乾かしながら、思い出したようにいったのだ。


「なあ、お母さん。やめてくれよな、あんな嫌がらせ」

「なんのこと?お母さんなにか大輔に嫌なことしちゃったかしら?」

「もう忘れ物しないから!だからさ、あんなお弁当つくるのやめてくれよ」

思えばその日、朝から珍しく姉貴とは喧嘩しなかったと大輔は回想する。
やけに上機嫌でソレがかえって不気味で話しかけられなかっただけなのだが、
本人に言ったら殺されるので大輔だけの余談である。
その時大輔が見たのは、明日コロッケの調理実習があるとかで昨日の晩からキッチンで練習していた、
エプロン姿の姉だった。聞き耳を立てていたらしく、ばつ悪そうに顔を背けたジュンは慌てた様子で部屋に帰っていく。
ぽかんとしながら姉を見送った大輔に待っていたのは、なんてこと言うのアンタ、と
ものすごい剣幕で怒るお母さんである。


「今日は大輔のお弁当も作ってあげるんだって、5時からずっとキッチンにたってたんだよ、ジュンは。
それなのに忘れちゃって、アンタって子は。それなのにジュンは怒りもしないで
お弁当を届けにまで言ってくれたんだよ、それなのに……!
大輔、ジュンからお弁当もらったんでしょ?ジュンがお弁当作ったこと聞いてるんでしょ?
どうしてそんな、嫌がらせだなんてひどいこと言うの、大輔!謝りなさい!」


ここでようやく大輔は自分が勘違いしていたとはいえ、ジュンに対してとんでもない暴言を吐いていたことを自覚した。
大輔は慌てて弁解した。
知らない。知らない。なんだよ、それ。聞いてない!え、今日のお弁当、姉ちゃんがつくったの!?
だってオレはコーチからお弁当を届けてもらったから、直接姉ちゃんからお弁当もらったわけじゃない!
コーチからはご家族が届けに来たってしか聞いてないから、何時もみたいにお母さんが作ったのかと思ったんだよ!
何も聞いてない。知らない。なんだよ、姉ちゃん、オレ知ってたらこんなことぜってー言わなかったのに!
わたわたして同じことをループしまくっている弟に、お母さんはとにかくジュンの誤解を解いていらっしゃい!
そもそも謝る相手が違うでしょう、しっかりしなさい、とリビングから追い出した。
ようやく我に返った大輔は、大慌てでジュンの部屋に直行したのである。
その頃の大輔は、まだジュンのことを「お姉ちゃん」から、
何となくチームメイトに言うのが照れくさくなって「姉ちゃん」に切り替えた頃だった。
ジュンのことを知っている先輩や先生方から、自分の悪口を姉が言いふらしているということを聞いてはいたものの、
まだ姉のことを信じていた時期である。素直に自分からごめんなさいと言える時期だった。
お弁当を作ってくれたのは嬉しかったし、
今まで興味のかけらも示さなかったサッカーを頑張る自分を見てくれたのが嬉しかった。
でも何で練習を見に来てくれたんなら、一声掛けてくれなかったんだろう、
そしたらもっと頑張れたのに。
疑問に思いながら大輔はジュンの部屋を尋ねたが、鍵がかかっていた。
ジュンは昔から不都合なことが起こると鍵を掛けるくせがあり、怒っていると直感した大輔は、
いつものように「ごめん」と自分から謝り、「今日お弁当作ってくれてありがとな」と感謝した。
いつもなら、仕方ないわねー、と横暴な条件付きではあるもののジュンは笑ってゆるしてくれたのだ。
しかし、その日だけは何故か様子が違った。
いつまで待ってもカギを開ける音がしない。バンバン叩かないでよ、ドア壊れたらどうすんの、と軽口叩いて
招き入れてくれたはずの姉の笑顔が現れない。そして、なんども開けようとノズルをまわしても返事がない。
これは本気で怒らせたと次第に焦り始めた大輔は、「姉ちゃん」から「お姉ちゃん」に変わり、
嫌われたらどうしようという焦燥感と不安からどんどん嗚咽が混じった叫びに変わっていく。
しばらくしてドアは開いたものの、そこに立っていたのは真っ赤に泣きはらした姉の姿があった。
それからなにがあったか大輔はよくおぼえていない。
確かなのは、その時はまだ言われたことがなかった酷い罵声と拒絶の言葉を一方的にまくし立てられ、
ごめんなさいという言葉を繰り返しながら俯いたら、ジュンがドアを閉めようとしたので、
あわててそれを阻止しようとしたら、乱暴に突き飛ばされたこと。
ジュンは一切大輔と目を合わそうとしなかった。一人になりたいから放っておいて、と
素っ気の無い言葉だけが嫌に大輔の耳には残っている。どうして一人になりたかったのか、
未だに大輔は分からないままである。いつまでたっても居座り続ける弟に業を煮やしたのか、
ばたばたばたと走り去った姉は、帰り際からぽつぽつと降り始めた雨にもかかわらず、傘もささずに飛び出したのだ。
大輔は慌てて傘を2本もって姉を追いかけ、いつもサッカーをして遊んでいる公園の真ん中で姉を見つけた。
ざんざんぶりの雨の中、傘もささずに力なくブランコに座り込んでいるジュンを見つけた大輔は、声をかけようとした。
ここまでは断片的な記憶だから、無我夢中だったのだろうと大輔は思う。
その時ジュンが笑っていたか泣いていたか、もう思い出せない。
だが、そこでかわされた会話だけ鮮明に憶えている。
どこか遠くで夏休み期間でも活動を続ける小学校か、中学校の生徒の帰宅を知らせるチャイムが響いていた。
小学生の集団下校が見えた。


「ひとつ聞いてもいい?大輔」

「え?なに?なんだよ、お姉ちゃん」

「アンタがゴーグルを付けたがるようになったのは、八神太一君がつけてるからで間違いない訳ね?」

「そうだよ」

「八神太一君が【ゴーグルの人】だからな訳ね?」

「ごーぐるのひと?たしかに太一先輩はいっつもゴーグルつけてるけど……」


突然ジュンが口にした奇妙な言い回しがよく分からない。大輔はその意味を尋ねたのだが、
それはきっとジュンが望んでいた回答には程遠いものだったのだろう。
むしろ聞きたくなかったとでも口走ってしまいそうな悲しみがジュンの表情からはうかがえた。
一瞬だけジュンの瞳に宿っていた期待が絶望に変わる瞬間を大輔は見てしまう。
ぎりぎりとブランコの鎖がしなって、うつむいてしまったジュンは、なにかをこらえるように口元をきつく結んだのだ。
その時、ジュンはあーもう!と乱暴にブランコのチェーンをつかんだため、
錆び付いているブランコがきしんだ。
ああ、思い出した。確か、ジュンは、ジュン姉ちゃんは、生まれて初めて俺の前で泣いていた。


「あーあ、いっつもお姉ちゃんやってたアタシが馬鹿みたい。何やってんだか」

「はあ?」

「アンタはいっつもそうよね、なんにも知らないで、平気な顔してアタシばっかり空回りするんだ。
もう疲れちゃった。もういいわ、大輔、アンタ今日から家族でもなんでもないわ。
「お姉ちゃん」て二度と呼ばないで」


乱暴に傘を奪って返ってしまったジュンの姿にぽかんとした大輔は、
とんでもないことを言われたことに気付いて、あわててジュンを追いかけて走った。
謝った。ひたすら謝った。大衆の面前で同じ言葉を繰り返されたってめげなかった。
振りほどかれた拍子に、殴られたような跡が残ったって気にしなかった。
たった一人の姉だ、お姉ちゃんと呼べなくなるのが嫌だった。
でも、大輔が「ごめんなさい」を口にするたびに、ジュンはますます傷ついた顔をする。
理由が分からないのにすぐに謝るのがアンタの悪い癖よねと小さくつぶやいたのが最後だった。
気づいたら家にいた。
とりあえずびしょ濡れになった大輔とジュンはお母さんにこっぴどく叱られ、
その日は一言も話せないまま終わってしまった。
次の日目が覚めて大輔は真っ先にジュンの部屋に駆け込んだ。
もしかしていなくなっているのではないかと心配したのだ。
しかし、待っていたのはいつもと変わらず、何やってんのアンタ、とあっけらかんとして笑うジュンの姿。
まるで昨日のことは嘘だったのか、とばかりにけろりとしていて、大輔の言葉にはあっさり「嘘」だと翻してしまったのだ。
そんな事が何度か続いたある日、気づいたら大輔は姉の言うことが素直に信じられなくなっていた。










それが大輔がタケルとの大喧嘩の最中に口走った、
「謝っても、ありがとうお姉ちゃんっていってもぶん殴られて、
おまえなんかいらないんだって公園の真ん中でみんなの前で怒鳴られたこと」、
のあらましである。
生まれて初めて家族以外の人間に、自分と姉との間にある複雑な関係を積み重ねてきた一端を、
ぽつぽつではあるが話した大輔は、自然と心が軽くなった気がした。
はあ、と大きなため息を付いた大輔に、ブイモンが大丈夫か?大輔、泣きそうだよ、と見上げてくるので、
乱暴に目元を拭った大輔は、にひひと笑った。なんて言っていいのか、言葉が見つからない。
そうヤマトとタケル、そしてそれぞれのパートナーデジモンの顔に書いてある。


「だから姉貴のこと話すのいやだったんだよ。嫌いになれない俺が、スッゲー情けねえじゃんか」


はあ、と自嘲気味につぶやいた大輔に、ごめんね、大輔くんとタケルが言ってくるので力なく首を振った。


「いーって、気にすんなよ」


むしろ思わぬ形で心の黒い塊が吐き出せたことを大輔は素直に感謝していた。
そして大輔は、何か思うところがあったのか、思案しているヤマトを見上げる。
どうした?と無愛想な眼差しが向けられた。
ヤマトに対する一方的な苦手意識は、もう大輔の中から完全に消え失せていた。
相変わらず何を考えているかよく分からないものの、
タケルと自分をえこ贔屓なしで真剣に、対等に叱ってくれた人である。
ただちょっとだけ、いやだいぶ?考えていることを行動とか体で表現するのが苦手な人なのだ。
それでも本気でタケルや自分のことを1番に考えてくれる人であると分かった。
それだけで十分だった。なるほど、太一と空と仲良しなわけである。
ようやく納得いった大輔は、改めてこんなお兄ちゃんがいるタケルが心のそこから羨ましいと思った。
そして、この人ならなんか教えてくれるかもしれない、と思い、大輔は思い切って口を開いたのである。


「ヤマトさん、姉貴、なんであんな事言ったと思います?」

「うーん、そうだな。大輔、何個か聞いていいか?」

「え?あ、はい」

「ありがとう、と、ごめんは言ったんだよな?
じゃあ、ごちそうさまは?おいしかったは?またつくってほしいは?
 ついでにいうと「サッカーを見てもらえたらもっと頑張れるから、
一回練習見に来てもらいたい」って正直に言ったか?」

「えー、そんな事恥ずかしくて言えないっすよ」

「言ってないんだな?」

「………はい」

「俺の意見を言わせてもらうとすれば、ごちそうさまが言えないお前は、
もし俺の弟だとしてもジュンさんと同じでぶっ飛ばしてたと思うぞ、正直」

「えええっ?!」


予想外の過激な返答を真顔で返された大輔は、ブイモンと共に思わず声を上げた。
ヤマトの物騒な物言いに同じくびっくり仰天したタケルが、どうして、お兄ちゃんと訪ねてくる。
ヤマトはいいか?よく聞けよと前置きすると、うっすらと笑ったのだった。


「実はこう見えても、俺は料理が得意だ」

「………はい?」

「返事は?」

「へ、へえ、凄いっすねヤマトさん」

「まあな。さっき説明したとおり、俺は父さんと二人で住んでるんだ。
でも父さんは全く料理ができない。だから俺がするしかなかったんだ。
ちなみに野球部の大会とか、練習とかで必要な弁当は全部俺の自作だ。金かかるしな」

「はあ」

「大輔、お前料理なんてしたことないだろう。
 大変だぞ。目玉焼きがうまく作れないせいで、その日のテンションががた下がりするくらい落ち込む」

「ええっ」

「だから分かるんだ。弁当を作るっていうのは、思いつきでできるようなもんじゃないんだってことがな。
不恰好だって、失敗だらけの弁当だって、ジュンさんがお前のために作ってくれた弁当だろ?
 俺なら、「ありがとう」より「ごちそうさま」が欲しいな。
 「ごちそうさま」って言葉は、食べた人にしか言えない言葉だろ」

「………なるほど。でも、言い過ぎじゃないっすか?」

「まあ、俺もジュンさんじゃないから、あってる自信はないけどな。
俺がそう思っただけだ。
あとは、「お姉ちゃん」から「姉ちゃん」に変わったのもその頃なんだろ?
何でやめたんだ?」

「だって恥ずかしいじゃないっすか」

「じゃあ聞くが、太一に聞いたんだけど、お前最初は「太一先輩」「空先輩」って呼んでたそうだな。
なんで「そのころ」から「太一さん」「空さん」って呼び方を変えたんだ?」


真っ直ぐ見下ろされる視線に、大輔は思わず顔をそらしてしまった。
うまく言葉が紡げない。図星である。ばれている。誰にも口にしたことないのに。
不思議そうに相方の名前を呼ぶブイモンに、
この動揺によってうるさくなった心臓の音が聞こえないことを祈りながら、
大輔は必死で言葉を考える。なんとか言い返さなくては。
ここで言いよどんでは認めてしまうといっているようなものではないか。
必死で考えるものの、半ばパニック状態で真っ白になった頭はろくに機能せず、
ただぞわぞわとした悪寒がする。
やっぱりな、とヤマトが呟く言葉にびくりと大輔の体が揺れた。
大輔が「太一先輩」「空先輩」という、お台場小学校サッカー部の先輩、後輩の関係を連想させる呼び方から、
唯一二人だけ「太一さん」「空さん」という単なる上下関係に使われる汎用性高い呼び方に意図的に変えた時期は、
大輔の中で「ジュン」という「お姉ちゃん」像が揺らぎ始めた時期と完全に一致する。
あの日、「お姉ちゃん」であることが「疲れた」、とはっきり言い放ったジュンの言葉は、
今も強烈な印象をもって大輔に打ち込まれていた。
それはさながら、自分には「価値」があると自己肯定の礎となる条件付きではない、
無償の愛情注がれて育つはずの赤子が、
その対象である母親から、母親ではなく女としての一面を見せられる不幸に似ている。
それは、生まれて初めて大輔の目の前で「ジュン」が「お姉ちゃん」であるという存在を脱ぎ捨て、
一人の人間として現れた瞬間でもあり、未知の存在でもある「ジュン」というタダの人間を目撃した瞬間だった。
大輔は知らないのである。
「ジュン」という一人の人間は生まれた頃から大輔にとっての「お姉ちゃん」であった一方で、
「本宮ジュン」というはっきりとした自己を確立しようともがく思春期の兆候が見え始めた、
13歳のちっぽけな子供であるということを。
そして子供から大人へと変化していく中で、今までと同様に「お姉ちゃん」であることを無条件に求められた「ジュン」は、
「お姉ちゃん」の象徴である大輔の腕を振り払おうとしたのだ。
「ジュン」は気付いていたのである。
「お姉ちゃん」であることをやめた「ジュン」ではなく、新しい「お兄ちゃん」「お姉ちゃん」の形である
「太一さん」「空さん」という存在が、大輔の中にしっかりと芽生えてしまっていることに気付いてしまったのである。
本当は大輔は、八神太一のことを「太一(お兄ちゃん)」、武之内空のことを「空(お姉ちゃん)」と呼びたいのである。
しかしそれはできないと分かっているから、さん付けにする。
なぜなら、八神太一は、どれだけ頑張っても本宮大輔のお兄ちゃんにはなってくれないからである。
八神太一には、八神ヒカリという3つ年の離れた妹がおり、大輔と同じ年であるため、
そして太一が妹の存在を公言するほど大切に思っていることを、言葉の節々から、
大輔は嫌というほど感じていた。
3年前太一は光を殺しかけたことがあるという。
体調が悪い妹の世話を頼み、留守番をお願いして出て行った共働きの両親。
お兄ちゃんだからといわれ、調子にのって頷いたものの、思い出した友達と遊ぶ約束。
遊びたいさかりの太一は、風邪を引いていたヒカリを無理やり外に連れだして、
友だちと一緒に遊ぶという暴挙に出る。
もともとお兄ちゃん子だったヒカリは、丁度いろんなことを真似したがる時期だったため、
出かけるという太一になんの疑問も抱かずついていってしまう。
そうしてサッカーに夢中になる太一は、辛さを我慢してベンチでずっと待っていた光のことなど忘れ、
陽が沈むまでさんざん遊び倒し、我に帰ったときには風邪をこじらせ高熱で倒れた妹がそこにいた。
搬送される救急車、扉の向こうに運ばれる妹、そしてこっ酷くしかる母親と緊急連絡で慌てて帰ってきた父親。
あの時、太一は心のそこから妹を失うことを恐怖した。そして負い目が生まれた。
俺は「お兄ちゃん」にならなきゃいけないんだと、その時初めて太一は思ったという。
遊び半分の戯れの中で大輔は太一に「お兄ちゃん」と呼んでもいいかと聞いたことがある。
可愛い後輩の戯言に太一は少し困った顔をして、ごめんな、と笑ったのである。
俺は八神ヒカリだけのお兄ちゃんであって、八神太一は八神ヒカリのお兄ちゃんでなくてはならない。
だから八神太一は本宮大輔のお兄ちゃんにはなれないと、冗談めかして言われたのだ。
だからせめてもの抵抗で、大輔は「先輩」呼びから「さん」付けに呼び方を変えた。
どうやらすでに見抜かれている大輔の心理、ことごとくこの兄弟は自分とは相性が悪いと大輔は痛感した。
やっぱ苦手だ、この人。
もちろんヤマトも、始めこそ姉の心理を完全に理解しろという無理難題を押し付ける気はなかった。
しかし、大輔は無意識ながら「ジュン」という「お姉ちゃん像」が揺れ動いたという事実を感じ取っており、
全く知らない「ジュン」という存在が現れたことを知っていながら、怖くなって距離を置いたと気付いた。
大輔はそこまで理解できる子供だと判断した。だから中途半端にヒントを出して投げたのだ。
あと一歩。姉に嫌われていると思い悩む大輔が、その泥沼から這い上がるのは目前なようにヤマトには見えていた。
だから畳み掛ける。


「お前、ジュンさんと太一や空と比べて、どっちが好きだ?」

「え?」

「嘘つくなよ、重要なことだから」

「………………そりゃ、姉貴に決まってるじゃないっすか。嫌われてたって、姉貴は俺の姉貴なんだし」

「そこまで分かってるなら答えは簡単だな、大輔。あとは自分で考えろ」

「えええっ?!そんな、俺考えるの苦手だから相談したのに!」

「まあ、ひとつアドバイスしてやれるとすれば、理由も分からないのに速攻ごめんなさいって謝るのは、
 怒られたから、怖いから、っていう理由だけで、反射的に謝ってるようにしかみえないこともあるから、
注意した方がいいってことだな」

「でも、その理由を教えてくれなかったんすよ。どうしたらいいんすか、そんなの」

「「お兄ちゃん」や「お姉ちゃん」はお前の考えている以上に大変だってことだ。
がんばれよ、大輔、」


さあいくか、二人とも。太一たちが待ってる。大輔の頭から離れて言った手が先導する。
思わぬ宿題を残されてしまった大輔は、意地悪だこの人と心のなかでぼやく。
ヤマトと大輔のやりとりを聞いていたタケルは、パタモンを抱えて大輔と同じように首をかしげている。
分かったか?と一抹の望みを託して聞いてみたが、全然分かんないや、とタケルは肩を落とした。
分かった?大輔、と疑問符を浮かべているブイモンに、頭を抱えた大輔はわかんねーよ、とつぶやいた。
やがて大輔は知ることになる。
「お兄ちゃん」や「お姉ちゃん」という存在はあくまでも、大輔の見る絶対像に過ぎず、
彼らには彼らなりの苦悩が有るということを。
しばらくして、他ならぬヤマトと太一から教わることになるのだが、今はまだ知るよしもないのだった。



[26350] 第五話 僕らの漂流記 
Name: 若州◆e61dab95 ID:8b8e6d47
Date: 2013/01/24 23:38
なんか、ここってテーマパークみたい、と称したのはミミだった。
ぽつりとつぶやかれた発言が興味を引いたのか、光子郎が思わず、ミミさんもそう思いますか、
なんて驚いた様子で先を促したので、ミミは驚いて顔を上げた。
ミミは頭の中で構築した理論を展開するときには、そのすべてを筋道立てて相手に伝えることはしないで、
時には重要であるはずの核心をなす部分をはしょって話を進めてしまうことがあるので、
時々周囲の人間を困惑させることがある。案外それが遠からずなところもあるので隅におけない。
なんとなくそう思っただーけ、としかミミは言えない。言葉にしようがないのである。
突然目の前に現れたパルモンという奇妙な生き物が夢の世界の住人ではないとわかった時、
ミミは最初にこの生き物は宇宙人であると仮定して、今のところ進行形で接していた。
宇宙は広いのだ。日本語が通じるから太陽系のほかの惑星ということはないだろうが、
マゼラン星雲あたりならETだっているし、デジヴァイスとか言う機械は空から降ってきた。
祠の前で大波にのまれたのも、この世界に空からミミ達が落っこちてきたのだって、
異世界に召喚されるファンタジー小説としてはごくありふれた展開である。
地球からはるばる何万光年も離れた、地球とよく似た文明を持つ星に連れてこられたとか
突拍子もないことを言われたとしてもミミは信じてしまう自信があった。
なんせファイル島、龍の目の湖、シーラ岬、トロピカルジャングル、とこの世界を形作る地名に、
どこかファンタジックな要素が見え隠れしていることを考えると、児童文学の世界にいるような錯覚を覚えてしまう。
でも、そんな世界をミミがテーマパークと称したのは、大自然に見えるけれども、
なんだか違和感を覚えてしまうからだ。人工物と自然が不自然な形で融合しているからだ。
地方都市で建設ラッシュが続いている体験型の大型施設とか、コンセプトがよく分からないアミューズメントパークとか、
趣味の悪い、興味本位で一度は行きたくなるけれども、二度目はないなと思ってしまうようなレベルの遊園地にも似ている。
ミミがこの世界についてたとえるとするなら、こんな感じだった。
だからテーマパークだと言ったのだ。どことは言わない。
夏休みにお出かけしたけれど、あまりのシュールさに閉口してしまったテーマパークを思い出してしまっただけのこと。
まわりがのどかなでんえい風景が広がっているのに、突然姿を現したメルヘンチックな門の向こうは、
みんなが知ってる児童文学を中途半端にもしたイベントランドが広がっていたことを思い出しただけだ。
でも、どうやら光子郎はミミの感覚的な捉え方とは全く違う捉え方で、この世界について考えていたようである。
4年生組の発言が気になるのか、ヤマトたちの帰りを待っている太一たちが便乗する。


「実は僕もモチモンと逢った時には、極秘に開発されてるテーマパークなのかと思ったんです。
 デジモンという不思議な生き物が住む世界で冒険を楽しもう、がコンセプトの。
 そして、僕達は子供会の人たちの企画に参加してるだけじゃないかって」

「どっきりかあ、それならどんなによかったか」


丈は本日何度目になるか分からないため息をついて、肩を落とした。
丈の本音はきっとみんな一瞬思った言葉であり、すぐに打ち消してしまった言葉である。
もちろん、数十分前に生死の淵を彷徨う恐怖を味わったばかりの太一は不機嫌になる。
コロモンと出会ったころに光子郎の推理を聞いていたならば、
この冒険は思いっきり楽しんでいいわけだから、わくわくして楽しかったに違いない。
これからもこういったスリルが味わえるなら、味わってみたいもんだとさえ考えていただろう。


「そんなわけねえじゃん。おかげでこっちは死にかけたんだからな」

「ええ、もちろん今はそんなこと思ってませんよ。むしろこんな島を作り出せる人たちがいることの方が驚きです」

「そうよねえ、木の1本1本が作り物だったり、バーチャル映像だったり、
 自然のものだったりするんだもの。すごいお金がかかってそう」

「常夏の島でテーマパーク、しかも未知の生物って勘弁してくれよ。
 どこかの映画じゃあるまいし。僕はこんなところで死にたくないよ」

「でも、理論上は今の技術で南極で発見された冷凍マンモスの復元は可能だそうですから、
 あながち間違ってないのかもしれませんよ。昔はいろんな生き物が大きかったですし、
 グレイモンだってどこか恐竜に似てる気がしませんか?」

「その推理がただしいなら、この島の人間に発見されたら最後、
僕達は一生口封じに監視されることになっちゃうけどね。さすがに嫌だよ、それは」


激しい波が岩礁に打ち付けられ、潮風が冷たい。絶えず海水が雨のように舞っている。
太陽が少しずつではあるが傾き始めたことで、気温も少しずつ下り坂になってきたようだ。
風向きが変わったのか、すっかり潮の香りがするごわごわの服を風になびかせながら、
彼らはしばしの沈黙に入る。これ以上続けたら取り返しのつかないことになりそうだった。
しばらくして、おーい!と手を上げた大輔たちを見て、遅いぞ!とばかりにみんな笑みを浮かべた。


「これからどこに行くんだ?」

「真水があるのは、オレたちが流されてきたあの川しかないんだってさ。
 だから、迷わずの森を通って、成熟期がいないエリアを回っていこうぜ。
 いいところが見つかったら、そのまま野宿だ」
 

海辺の砂浜に電話ボックス、密林に立ち入り禁止の自動車標識という意味不明な組み合わせが、この世界の特異さを物語る。
西日が傾き、樹林全体が茜色に染まる。伸び始めた影が次第にゆっくりとなり、疲れた様子の足取りもしだいに重くなっている。
この世界に迷いこんでから、ずっと走りっぱなしだった子供たちは、すっかりくたくたになっていた。
のどかなせせらぎが聞こえてくることだけが救いだろうか。
ひたすらに川沿いを歩いている太一たちである。
幼年期や成長期のデジモン達が多い印象の迷わずの森は、言葉のとおり1本道であり、
迷いようがない程の広い通りとなっている。
ネズミののた打ち回ったような奇怪な看板がかかっていることがあるものの、
アグモン達が太一たちの目的地にあわせて誘導してくれるので、ナビ役は優秀だ。
時々、キノコの形をしたデジモンとか、モヒカン頭のカエルみたいなデジモンがいたりするのだが、
人間という生き物を見たことがないからだろうか、自分たちよりもずっとずっと大きいデジモンと勘違いしてよってこない。
もしくは遠くから興味津々で眺めている視線を感じることがあり、彼らはちょっとばかり変な気分だった。
みんなパートナーたちと言語能力は同じようで、パートナーたちだけが人間との会話に特化しているわけではなさそうだ。


「もう疲れちゃった。こーんなに歩いたら足が太くなっちゃう」

「ミミ、足ってのはね、根っこみたいに太いほうが素敵なのよ」

「パルモンの世界ではそうかもしれないけど、私たちの世界はそうじゃないの!
 ねえねえ、太一さん。そろそろ休まない?」


真っ先に音を上げたのは、このメンバーの中でも体育以外の運動に縁がなく、上級生としてのメンツもないミミである。
オシャレを優先して移動に不向きなブーツでこの世界にやってきてしまった彼女は、
不慣れな一日全力疾走も合わせて、もう疲れて動けないといった様子で、
丁度近くにあった広葉樹の巨木に体を預け、先に行こうとする太一に声をかける。
シェルモンに襲われた際に助けてくれた太一が、まだまだ先を目指そうと足取りを緩めないため必死で付いて行っていたのだが、
そろそろ限界が来てしまったようである。
天真爛漫で自由奔放を体現したような女の子であるミミが、わがままと取られかねない率直な意見を我慢して、
今までみんなに付いてきたのは大したものだった。
実際問題、そろそろ体力の限界を感じ始めていたメンバーたちは、ミミの言葉にここぞとばかりに便乗する。
そろそろ日が暮れてしまう。これ以上無理に進むと迷子になって遭難してしまうかもしれない。
そろそろ寝る場所を探そうという方向で固まった。昼飯はお菓子の袋一つだけ、空腹も拍車をかけている。
すぐそばに水源は確保してあるのだ。問題はみんなが野宿するだけのスペースの確保だ。
そういうことなら任せなはれ、とテントモンが、すっかり有焼け色に染まる空に豪快な羽音を立てて舞い上がる。
関西弁で真っ赤な爪を興奮気味に差したテントモンの先には、大きな湖があった。


「竜の目の湖や!運がいいでっせ、みなはん。ここはファイル島屈指の釣りの名所なんやから!」


龍の目の湖といえば、トロピカルジャングルにいた時、左手に見えたはずである。
どうやら太一たちはファイル島の中でも西の方角に向かって大移動をしたらしい。
あと数十メートル、とカウントを始めたテントモンのかわりに、
真水の匂いがしてきたよ、と嬉しそうに言ったのはガブモンだった。
果物の匂いがするわと報告してくれたのはピヨモンである。
しばらくして、ようやく彼らは今日のキャンプ地に辿り着いたのだった。


「ねえねえ、太一さん。野宿ってことは、ホントにこのまま寝ちゃうの?」

「まあそうなるなあ」

「うそお」

「仕方ないだろ、寝袋もテントも全部置いてきちゃったんだから。 
 ちょっとくらい我慢してくれよ、ミミ君」


目の前に広がる湖にホッとしつつ、安心したら考える余裕が出てきてしまい、
このままでは野宿になるという現実が嫌で、ミミはちょっとふくれ面だ。
夕焼け色に染まる湖にしばし見とれていた彼らは、ふと不釣りあいな光景を目にする。
存在を主張するように丸いヒカリを放つ乗り物、荒川区都電でおなじみの路面電車が一両、
何故か湖につきだした丸い孤島に放置されていたのだ。
本来なら不審に思う光景だが、この世界にきてから幾度も不自然な光景を観てきた子供たちはすっかり慣れてしまい、
こういう世界なのだという感想を持って、かねがね好意的に受け入れられた。
ちなみにこの電車、真っ白な車両に緑と黄緑の横線がデザインされたものである。
人がいるかも知れないという期待を胸に中にはいってみるも、だれもいない。
光子郎いわくまだ新しいらしい。
線路もなく、電気を供給する場所もないのにライトが暗くなり始めた湖を照らしている。
とりあえず、ここを今日の宿とすることが決定するやいなや、5年生組は火おこし、
その他は食べ物調達係に迅速に別れることになった。
みんなお腹がすいているという一点においては共通していたのである。










第五話 僕らの漂流記 










「大輔、こっちこっち!」

「わーっ、とっと、あっぶねえ!ブイモン、もっとゆっくり歩けよ、こける!」

「いーから早く!」


お前の鼻は犬並みか、とこっそり大輔は思いながら、ぐいぐいと大輔の右手を引っ張って先導するブイモンにつられて走った。
こっちのペースなどお構いなしで、ブイモンは未だに有り余っている元気で大輔を振り回す。
まるでゴールデンレトリバーのような大型犬に振り回される子供である。
大輔はタケルを探していた。見失って何となくブイモンに聞いた大輔は、
例の件でヤマトにすっかり相談役を取られ、むしろ大輔を怒らせてしまい、
大喧嘩のあとの仲直り=親友フラグのタケルに、
大好きなパートナーを取られるのではないかと危機意識を募らせていたことなど知らない。
大好きな大輔に頼られた!と目をキラキラさせ、ブイモンなりにパートナーとして少しでも役に立とうとしているのだが、
イマイチうまいこと伝わっている気配はない。
龍の目の湖はファイル島で数少ない真水があるエリアとあってか、生活圏の中に組み込んでいるデジモンは数多く、
どうやら自分の家の庭のように迷いなく突き進んでいくブイモンにとってもそれは言えることのようだった。
幼年期のデジモン達の住む迷いの森エリアの中にあると言ってもいい湖だ。
チビモン時代の生活サイクルではいつもお世話になっている常連だろうことが窺える。
食料調達を任された大輔に、タケルを捜していると言われる前、
ブイモンは食べ物を集めるのと魚を捕るのとどっちがいい?と二択の選択肢を示してくれた。
パタモン達は果物をとりにいくと行って、パートナーの子供たちから離れて森の奥に行ってしまっているので、
きっとパタモンたちにとってもこの役割というのはいつも通りのことに過ぎないのだろう。
この島のことを何もしらない大輔たちからすれば、大変頼りになる側面である。
もちろんブイモンも誘われたのだが、最初の出会いでのっけから置き去りにされたのではないか、という
恐怖を味わってしまったブイモンは、首を振って今に至る。
チビモン時代の狼狽ぶりを知るメンバーは心中お察しするとばかりに誰も茶化したりはせず、あっさりと別れたのだ。
それに加えて大輔が抱える悩みを知ったブイモンの中では、大輔が最優先事項であり、
他のメンバーは越えられない壁が存在していた。


「いたよ、タケルだ」


ありがとな、と頭をなでられ、にこにこと笑ったブイモンは釣竿片手に魚と格闘している光子郎と、
泳いでいる魚たちを眺めながら、水をくんだバケツを横においたタケルを見たのだった。


「あれ?どうしたの?大輔君」

「あ、いや、その……まだ謝ってなかったと思ってよ。
あんときはヤマトさんの話で頭がいっぱいでそれどころじゃなくてその、
ごめん。悪かった。なんにも知らないのに、いろいろひどいこといってごめん。
だから、その、なんだ」


えーっと、とその先をわざわざ口にだすのが恥ずかしいのか、赤面しながらばつ悪そうに大輔は目をそらす。
しどろもどろながら大輔の言いたいことが大体把握できたタケルは、ぱっと目を輝かせた。
なんだよ、ときまり悪そうに睨んでくる大輔に、ううん、なんでもないとタケルは笑いながらごまかした。
同年代の子供の中では、ある意味未来予知、先読みとも取られてしまうほど、タケルは相手の感情を読み取るのが巧みだ。
そんなタケルにとって、大輔は気持ちがいいくらい喜怒哀楽、考えていることが分かりやすい相手である。
裏表がない、隠し事が一切ない、抱えているものがない、というぞっとするほど真っ白な子供は存在しないが、
タケルの印象はかねがねそんな感じで、大輔は嘘を付くのが苦手な人間であるという高評価を持っていた。
始めこそ、大輔が抱えている問題とその背景、そして勘違いが理解出来ないせいで大喧嘩してしまったが、
今となっては大輔が常に一本の道をとおっていることがはっきりと見通せた。
基本的にタケルは、両親の離婚といい子であろうとする優等生思考が邪魔をして、
自分の意見を主張して相手と対立したり、時には争いごともじさないという強気な姿勢は回避の対象であり、
自分もそういった状況を好まない平和主義的な傾向にある。
だから、そもそも大輔との大喧嘩がタケルにとっての大事件であり、
ヤマトに二人で叱られたのが生まれて初めてのお兄ちゃんに怒られたという、出来事でもある。
今まで友達と喧嘩なんてしたこともなかったタケルは、道徳の時間や教科書、テレビ、等による知識として、
喧嘩の仲直りの仕方を知ってはいても未経験だ。
そもそも仲が悪くなった友達がいたら、相手の気持ちを本人より先に理解してしまい、
自分から意見を引っ込めて謝るのがタケルであり、大喧嘩にまで至らないのが普通だった。
だがその普通をぶち壊したのが、本宮大輔という自分とはあらゆる意味で正反対の少年である。
仲良くなりたいと思ってはいたものの、具体的な行動が伴った実績がないタケルは、
大輔に嫌われていないか、友達になりたいと思ってもらえなかったらどうしようという不安が先行してしまった。
いらぬところまで慎重なのは、大好きなお兄ちゃん譲りである。
なかなか行動に移せずにいた矢先、大輔から誤りに来てくれたのである。うれしいに決まっていた。


「僕の方こそごめんね、大輔君。僕、今まで喧嘩したことなかったから、
どうやって謝っていいのか分かんなくて遅れちゃった。許してくれる?」

「許すもなにも、謝ったんだからもうこれで終わりだろ?
つーか、今まで喧嘩したことないってどんだけヤマトさんと仲いいんだよ、お前。すげーな」

「喧嘩できなかっただけだよ、えへへ。今度、お兄ちゃんと喧嘩できるかな」

「やめとけよー、ヤマトさん怒らせるとスッゲー怖かったじゃねーか。喧嘩しないに越したことないって」

「でも、喧嘩するほど仲がいいんでしょ?」

「し過ぎはどーかと思うけどな」

「じゃあ、僕と大輔くんはもう友達だよね?」

「なっ………」

「どうしたの?」

「なかなか恥ずかしくて言えないようなこと、サラッというんじゃねーよ!こっちが恥ずかしいわ!」


わざわざ口にだすなよ!と大輔が絶叫する。
まるで幼稚園児の女の子がお互いに友達であるかどうかを確認し合い、頷き合ってニコニコしあう様子が浮かんでしまう。
ますます顔を赤くした大輔がタケルを睨むものの、それが照れ隠しであり、はっきりと友達だと肯定してくれた喜びから
タケルは自然と笑顔になっていた。なに笑ってんだよ!と大輔の怒鳴り声がするもお構いなしである。
そんな大輔をちょいちょいと引っ張る青い手がある。なーなー大輔えと甘えた態度が嫌な予感をさせる。
恐る恐る振り返った大輔は、案の定タケルの喧嘩したら友達発言を真に受けて、
喧嘩しようぜとばかりに戦闘態勢をとっているブイモンを見た。


「ば、ばっか、そんな事しなくても、俺達は運命共同体だろ?喧嘩なんかいらないっての!」


大輔は必死で叫ぶ。まるで免罪符のような使い方に少々不満げながら、ブイモンはしぶしぶ解いたのだった。
ブイモンの必殺技でもある頭突きは、中くらい木ならなぎ倒してしまうほどの威力がある。
外してしまったら大変なことになるんだ、オレが、とわりと真顔でブイモンが断言するくらいには危ないものであるらしい。
小学二年生の男子生徒、しかも平均よりしばし小柄な体格、がそんな攻撃をもろに受けたら死んでしまう。
あー、よかったと胸をなでおろした大輔は、そうだ、と思い出したようにタケルを見た。


「なあタケル、友達としてお前に言っとくことがある」

「え?なに?」

「お前ずりーぞ、なんでさっきから太一さん達にばっかかまってもらってんだよ。
お前にはヤマトさんがいるだろ!とるなよ、馬鹿」

「ええっ?!なんだよ、それっ」

「祠で雪を払ってもらうとか、帽子を整えてもらうとか、いろいろやってもらってるくせに
こけたくらいで太一さんとか空さんに声かけてもらえるとか、う、うらやましすぎるんだよお前!
荷物持ってもらえるとか、大丈夫かって声かけてもらえるとか、どんだけ贔屓だよ」

「えーっ、欲張りすぎるよ大輔君!僕、お兄ちゃん以外知らない人ばっかりだったのに。
大輔くんはもう太一さん、空さん、光子郎さんって3人も知り合いだったじゃないか!
 それに、それって大輔君なら大丈夫だからって思われてるからでしょ?
 僕、この中で1番頼りないって思われてるから、羨ましいのに!」

「そんなことねえよ」

「そんなことあるってば。大輔君の方がずるいじゃないかー」

「そんなわけあるかよ」

「あるもん!」

「ない!」

「ある!」

「ないっていってるだろ、しつこいなあ」


隣の芝は青いというか、お互いに正反対であるがゆえに無い物ねだりの極地、である。

お互いの当たり前が一番欲しいものであるという事実が、ついさっき仲直りしたばかりだというのに

再び喧嘩を火の粉を散らす光景となっている。大丈夫だろうか、この二人は。
そして二人を止めるのもまた、上級生であるという事実は変わらないようである。


「大輔君」


先程から聞いてみれば、事情はよくわからないが仲直りした下級生という現場に居合わせたのはまだいい。
微笑ましい青春の1ページを間近でみた。これもまたいいことである。
しかし、大輔が来る前に、のんびりと泳いでいたゴマモンのせいで魚影がまばらになり始めていた時点で、いらっときていた。


「タケル君」


そして、こちらの事情などお構いなしに、所構わず大声を上げて喧嘩し始め、どんどん乱暴になっていく足あとが
魚影の数をどんどん減らしていくのである。
極めつけが、空腹という何者にも代えがたいイライラの原因である。
あ、と声を上げて恐る恐る振り返った大輔とタケルが見たのは、
わなわなと怒りに震える上級生、さっきから完全に存在を抹消されていたサッカー部の
先輩ブレーン、知識の泉、光子郎だった。
魚が逃げないように、全力で感情を抑えながら声を落として話しているため、余計恐怖心を煽る。
なんか背後にいる。滅多に怒らない人を怒らせる恐怖を何度か経験したことのある大輔
は反射的に後ずさりする。


「僕は何をしてるか分かるりますよね?」

「はい」

「魚釣りです」

「どうして僕が怒っているか分かりますよね?」

「はい」

「ごめんなさい」

「二人はこれから今すぐ、ここから立ち去って食べ物を探すか、
僕と一緒に魚を釣る手伝いをしてください。そうじゃないと釣った魚、あげませんよ」


バケツには何匹か既に連れた獲物が泳いでいる。光子郎は釣竿を差し出した。
大輔君のせいで僕まで怒られちゃったよ!と目で訴えるタケルに、
カチンと来たらしい大輔はタケルをじと目で睨みつけた。
早くしてくださいってわりと本気でどすの利いた声を出されてしまった二人は、
びくっと肩を震わせて、顔を見合わせた。そして、謝る。
大輔はブイモンと共に果物をとってくると言って森に消え、
タケルはちょっとだけ機嫌を直してくれた光子郎にほっとしながら釣竿を受け取った。


「なあ、ブイモン、なんかうまいもん知らねえの?」


頭の上で好物の赤い実のなった房を抱えているテントモンがいる。
大輔と目が合ったテントモンは、わい、これに目がないんや、と掲げて見せてくれた。
とってもあまくておいしそうな果実がなっている。これは楽しみである。
ピヨモンが羽ばたきながら、空高く実を付けている木の実をとろうと悪戦苦闘し、
持ち前の間接攻撃で収穫したきのみをキャッチするという連携をとっているパタモンとガブモンがいる。
そして植物であるという特性からか、やたらときのこの知識が豊富でミミに褒められているパルモンがいる。
恐らくここにいないアグモンは、火をつけるという役割を果たしているだろう。
この世界の知識など皆無な大輔は、当たり前だがブイモンに頼る。


「まっかせとけ!どんな木だって倒してやるもんね!」

「うおおおいっ!違うって、きのみ、果物!なんか知らないかって俺は聞いてんだよ!」

「え?何だよ、大輔、それならそうと早く言えよなあ。じゃあさ、まずはエサを捜そう大輔」

「え、エサ?きのみじゃないのかよ」

「違う違う、もっともっとおいしいものだよ。期待しててよ、大輔。さ、いこいこ!」

「ってまたこのパターンかよ、うわあっ!」


しばらくして、大輔はブイモンが知っている「おいしいもの」とやらを捕獲するためのエサがなっている木の前に到着した。
大輔二人分位の高さに、たくさんのみずみずしい果実が成っている。
緑色の細長い葉っぱの間から、ハートを逆さまにしたような大きな実が沢山なっていた。


「桃だ!すげーぞ、ブイモン。ここってホントに何でも有るんだなあ」


バナナだったり、りんごだったり、ミカンだったり、ココナッツだったり、
育ちやすい気候も環境も、そして季節さえバラバラな果物が沢山あるおかしな場所である。
それはここデジタルワールドがネットの海を漂うたくさんの情報、データを元に作られており、
類似したデータが沢山組み合わさって出来上がっているという秘密がそうさせている。
そのため現実世界の常識などでは到底考えられないちぐはぐな光景がデータ処理の関係で存在しているのだが、
無論現時点で大輔たちが知るはずもなかった。


「よーし、オレ登るから大輔取ってくれよ」

「おう、まかしとけ!なあなあ、ブイモン。ホントにこれをエサにするのかよ、
 ちょっともったいないからこれもご飯用にとって帰ろうぜ」

「オレはどっちでもいいよ」


上着を脱いでアミの代わりにした大輔は、ひょいひょいと登っていくブイモンにいつでもこいと手を振る。
ほそっこい枝にこそ実が集中しているが、体重で大きくしなっている枝がなんとか届く距離まで下げていた。
大きいやつを狙い目に、8人分×2この16こ、ひとつひとつ落としていく。
こういうことは得意な大輔は、いい感じで受け止めていった。
上ばっかり見上げていて、足元がお留守になるのだけは頂けないが。


「おわっ、とっとっと」

「大輔!」


枝が折れんばかりに揺れる。ひっくり返る光景を想像して思わず目を閉じたブイモンは、しばらくして恐る恐る下をのぞいた。


「大丈夫かい?大輔君」

「あ、じょ、丈さん。ありがとうございます」

「大輔、大丈夫?!」

「おう、丈さんが支えてくれたんだ」


慌てて飛び降りたブイモンが駆け寄る。ずれたメガネを戻しながら、気さくな笑顔を浮かべて現れたのは、6年生の丈だった。
どうやら一度迷子になった前科がある大輔が、ブイモンが共に一緒であることは承知ながら心配になって付いてきたらしい。
気をつけなよ、と大輔から離れた丈は、大輔の抱えるたくさんの桃に目を丸くした。


「大丈夫かい?重くない?」

「え、あ、あはは、結構重いです」

「じゃあ持つよ、貸してごらん」

「え?いいんですか?」

「い、いいよ、いいとも。2年生の君にそんなたくさん持たせるわけには行かないからね」


見るからに優等生な外見の丈である。
身長は高いし大輔よりもずっと大きい体格をしているが、見るからに勉強一筋といった様子で、
なんというかどことなく頼りなさを感じてしまう大輔だが、あえて言わなかった。
6年生であるというプライドが全面に出ている上級生にわざわざ口答えする必要はない。
甘えればいいのである。それがサッカー部の中で学んだ下級生の特権だった。
お願いします、と差し出した大輔に、受け取った丈が一瞬、
い、という顔をしたのを大輔とブイモンは敢えて気づかないふりをした。
いや、ブイモンがダメ出ししようとしたのを慌てて大輔が止めたのだ。
なんでーとブーたれるブイモンのことを気づかれる前に大輔は指示を出す。
こういう時変に気をつかってしまうと、サッカー部の先輩あたりからよく怒られたのである。


「これをエサにするって何を捕まえるんだよ、ブイモン」

「え?この桃をエサに何か捕まえるのかい?」

「なんかうまいもん知らないかって聞いたら、ブイモンが」

「うん、釣るんだ。ホントは光子郎が持ってたデジマスが欲しかったんだけど、
 なんか怒られちゃいそうだったから、これでいいよ。
 デジタケはパルモン達がもってっちゃったし、他に食いつきがいいやつ知らないんだ」
 

さあいこう、とブイモンにつれられる形で大輔たちは元来た道を戻ったのだった。
丈はたくさんの桃をそのまま太一たちのところに届けることにしたらしく、
光子郎たちのいる川に戻ってきた大輔は、タケルから釣竿を借りた。
何を釣るのって不思議そうに見てるタケルたちを尻目に、ブイモンは迷わずの森にほど近い岸のくぼみを陣取ると、
大輔に頼んで釣りを開始した。
しばらくして、ちっちゃなデジマスが一匹釣れた。これ?と大輔は聞くが、ブイモンは首を振る。
そのデジマスをバケツに入れないで、そのままエサにしてしまった。
そして、大輔は言われるままさっきよりも遠くの方に竿を飛ばして、何かが来るのを待っている。
ちゃぽんと浮きが沈み、リールを引き始めた大輔は、さっきよりも勢いがあることに驚いて、
あわてて地面を踏みしめた。よこで、もっとゆっくりゆっくりってブイモンがうるさい。
姿を現したのは、真っ黒なデジマスだった。これか?と大輔が訊くが、ブイモンは首を振る。
その真っ黒なデジマスもバケツに入れないで、そのままエサにしてしまった。


「なんかわらしべ長者みたい」

「面白い釣り方をするんですね、ブイモン。この湖は釣りの名所らしいですけど、
 デジモン達はこうやって大物を釣り上げるんですか?」

「まねっこしてるだけだよ。今日はいないみたいだけど、幼年期のデジモン達に配ってるデジモンがいるんだ」

「そっか、ちっちゃいと魚釣りなんかできないもんね。優しい子もいるんだね」 


「釣ってるのオレなんだけどなあ。っつーかブイモン、まだかよ」

じゃぷん

「おわっき、きた!?」

じゃぷん

「ど、どうすんだよ、これ!」

じゃぷん!

「まだだよ、大輔。しばらくほっといて。そしたら、だんだん疲れてくるから」

「……………よっしゃ、きた!」


ざっぱーん、というしぶきを上げて現れたのは、茶色と黄土色の縞模様で、
まるでヒョウみたいなウロコで覆われている細長い淡水魚だった。
円形の黒っぽい斑点が2列にならんでいて、口も大きくて歯がびっしり並んでいる。
どうやら肉食の魚のようだ。おっきー!と触ろうとしたタケルをブイモンが止める。
2,3日ほっといても生きてるくらい頑丈な奴だから、注意しないと噛まれてしまう。
びちびちはねている大きな魚に光子郎たちは驚きっぱなしだ。


「これ、どうやって運びます?光子郎先輩」

「どうしよう、結構重そうですね。僕たちは僕達でこのバケツを運びたいですし、うーん」

「ブイモンと大輔君が釣ったんだもん。みんなにみせてあげようよ!」

「え?オレたちだけで持ってくのかよ!なにげにひでーぞ、タケル!」

「えええっ!?なんで!?」


考えあぐねた結果、仕方なく太一たちを呼ぶことにした大輔は、みんなを驚かせることになる。
さすがに大きすぎたので、ぶつ切りにして水にさらして皮に包んでたき火に放り込んだ。
太一たち5年生組が作った焚き火を囲んで、子供たちは星空が広がる中、念願の夕食にありついた。
やけに詳しいヤマトの手ほどきにより、魚は一匹ずつエラから尻尾にかけてぐるぐる回して、
肝臓などの器官は取り除かれ、真水らしい湖にさらわれて処理済みだ。
すごいやお兄ちゃんと尊敬のまなざしを向けるタケルに、満更でもなさそうにヤマトは
笑った。
もしかして、タケルにいいお兄ちゃんを見せるために、こっそり勉強でもしていたのかもしれない。
なんとなくそう思って指摘した大輔は、しーっという言葉と口を塞がれ、黙ってろという無言の訴えにより肯定された。
お兄ちゃん、一緒に食べようよと大輔と話しているのにむっとしたのかタケルが袖を引いてくる。
見るからに嬉しそうなヤマトである。やっぱり大切にされてるなあ、と改めて思いながら魚にかぶりついた大輔は、
骨をとってやろうかと甲斐甲斐しく世話を焼きながら、頭から行くのが男だろ、という太一のちゃちゃによりスルーされた
ちょっとかわいそうな一面を見た。
また太一さんに世話焼かれてる……と無言のまま見ている大輔に、側に座っていた空が
ぽんぽんと肩を叩いた。
慌てて振り返った大輔に、空はにこにこと笑う。


「太一ったら、こんな可愛い後輩置いといてなにしてるのかしらねえ」

「な、ちょ、空さん!」


名前を呼ばれたことに気付いたのか、何だ大輔?と太一が寄ってくる。
あわあわとした大輔が、なんでもないっす、としどろもどろになりながら言うので、
ふーん、と太一は腕を組んで見下ろした。


「なーんか。怪しい」

「へ?」

「大輔、俺に隠してることないか?タケルは同い年だからいいとして、
なんか荷物取りに行ってから、ヤマトと仲よさそうじゃねーか。
自己紹介したときはすっげービビってたみたいなのによ」

「え?そ、そーっすか?まあ、その、いろいろあったんで」

「いろいろねえ」


昔から太一の直感は侮れない。冴え渡る時が多々あることを知る大輔は、冷や汗を流した。
サッカー部を引っ張るキャプテンとしての立場は、そのみんなの中心となるカリスマ性だけではないのである。
大輔からすれば、姉との不仲というある種の弱みは、尊敬する太一の友人であるというややずれた立場にあるヤマトだからこそ、
ある意味打ち明けられたと言ってもいい。
あの人は慎重だから、こっちの心境を察して、必要でもない限り闇雲にふれ回ったりしないだろうという判断だ。
尊敬するからこそ、ひそかに兄のように慕っているからこそ、幻滅されたくないという思いが強い。
そんなフクザツな心境を後輩が抱えていることなど知るはずはない太一は、
ただただ可愛がっている後輩が不自然なまでに短時間で、ヤマトと仲良くなっているのが気に食わない。
しかもそれを秘密にするのが気に食わない。
いつもそうだ。こいつ、懐いてる割に、一度も家にあそびに来たことないし、家に呼んでくれたこともない。
こっちはいつでもいいっていってるのに、何故か友人の家か公園が選択肢になる。
大輔は姉の不仲を知られたくないため、家に呼ぶのは慎重になる。
しかも太一の家にいったら、きっといやでも八神ヒカリのお兄ちゃんである太一を見るハメになるのだ。
怖くてできるわけがないのである。
まあ、そういうわけで、徐々に入っていった誤解の兆候が、一気に亀裂を生んだのは夕食後のことである。





大輔は衝撃を受けていた。目の前で、太一とヤマトが取っ組み合いの喧嘩しているのである。
きっかけは、青いしましまの毛皮をかぶっている温かそうな恰好のガブモンに、太一がその毛皮を布団替わりに貸してくれと
冗談がわりにいったこと。
アグモンのような色をした体格を覆い隠す毛皮を取られ掛け、ヤマトのところに逃げ込んだ恥ずかしがり屋。
ヤマトは勢い余って太一を突き飛ばしてしまい、ソレが勘に触ったのか喧嘩に発展してしまった。
呆然としているうちに、でるわでるわお互いに溜まっていたらしい不平や不満の嵐。
「お兄ちゃん」という頼れる存在が、しょうもないことで喧嘩しているだけでも驚きだが、
本気の言い合いの中に、タケルと大輔がやったのと同じような、嫉妬から来る怒りが混じっていることに大輔は硬直していた。
ちょっと待ってくださいよ、太一さん。なんで俺のことまで引き合いにだしてんですか。
いたたまれなくなって、大輔は何も言えなくなってしまった。



[26350] 第六話 星明かりの下で
Name: 若州◆e61dab95 ID:8b8e6d47
Date: 2013/01/24 23:36
本宮大輔は「暗い」を経験したことはあっても、「真っ暗」を経験したことはない。
本宮家では、寝室もリビングもキッチンも、ありとあらゆる部屋の電気を切ってから寝ることは暗黙の了解で禁止されており、
何故か必ずひとつは豆電球を付けた薄暗い明かりをつけたままにしておくことが、義務付けられていた。
たまたま真っ暗な部屋があれば、わざわざ豆電球をつけるという不自然なまでの徹底ぶりである。
当たり前だと思っていた習慣が実は珍しいものであると知った大輔が、不思議に思って両親に聞いた限りでは、
災害に巻き込まれた際に真っ暗なままだと困るという、やけに説得力のある真に迫った説明だった。
ああ、なるほど、とどこからの情報源であるのかまでは大輔は気にしなかったため、知る由もないが、
もし大輔が細部にいたるまで突っ込んでいたら、家族は一般論と正論、常識の言葉を積み重ねて誤魔化されていた。
それは、このお台場にある団地に住んでいるごく一部の家庭において共通していることであり、
半ば暗黙の了解としてタブー視されている出来事がきっかけであるのだが、それらを大輔が知ることになるのはまだ先のことだ。
大輔が聞いた理由は、人は目が暗闇に慣れるには、個人差があるがある程度の時間を要する上に、
身動きがとれないことはいざという時に致命的な時間ロスになるということだった。
それはジュンが中学進学と同時に念願の一人部屋を手に入れた大輔にも、自然と身についている習慣であり、
まどろみに落ちるまでの数分間、まぶたの向こう側はいつもうっすらとオレンジを帯びていた。
それに寝付けなくてカーテンをめくれば、夜遅くまで勉強をしているのか、生活サイクルが違うのか、
ベランダの向こう側のカーテンからはいつも光が漏れていたし、
ベランダの外に出て、遠くを見れば夜遅くまで高層ビルや大きなネオンの光が溢れ、
行き交う車のライトが通りすぎていく。
小学校で雨の日の昼休みにかくれんぼをした時だって、掃除用具の中に隠れたとしても足元や上の方は光が漏れていたし、
絶好のサボり場所として大人気の体育館の準備室だって、目の前のものの輪郭が確認できるくらいには薄暗い程度。
自分が立っているのか、座っているのか、どこにいるのか、感覚的に迷子になってしまうほどの縫い目のない真っ暗な世界など、
寸分の光すら存在しない、真の意味での「真っ暗闇」など、現代を生きる子供たちがまず経験することはない世界である。
本宮大輔は、気づくと生まれて初めて経験する真っ暗闇の中にいた。
無音の静寂があたりを支配する、ぞっとするほどの真っ暗な世界の真ん中で、大輔はそこにいた。
見渡しても見渡しても、習字の時間に使う墨汁、若しくは絵の具の黒をぶちまけたような世界が広がっている。
おそるおそる、とんとん、と大地を踏みしめてみるとしっかりとした安定感があり、どうやら立っていることに気づく。
慌てて太一たちを呼んでみるが、声は響くことなく暗闇の中に吸い込まれてしまう。
大輔の心のなかをあっという間に埋め尽くしたのは、この世界の中に一人ぼっちではないかという耐え難い孤独と恐怖、そして不安だった。
ここから逃げ出したい衝動にかられるが、この世界がどうなっているのか全くわからないという、別の方向からの事実が震え上がらせた。
一歩踏み出して、実は奈落の底に続いていたらどうしよう。どこまでいっても真っ暗だったらどうしよう。
込み上げてくる感情を踏みつぶすために、口元に手を当てて大声で仲間たちの名前を読んだ大輔は、
かちゃかちゃという音が胸元にあることに気づく。
手探りで首もとにかかったままのデジヴァイスとPHSの存在に気付いた大輔は、祈るような気持ちで手を伸ばしたが、
ディスプレイの光であたりが照らせるかもしれないという安心感は、あっという間に崩れ去った。
次第に荒れていく呼吸。目尻あたりに込み上げてくる熱がある。
乱暴に拭った大輔は、何とかこらえようと深呼吸した。その時、初めて大輔は寒いと思った。
この世界に来る前の猛吹雪で感じた壮絶な冷たさが、大輔の口から肺いっぱいに満たされていく。
まるでたった今、思い出したみたいな不思議な違和感があった。
まるで感覚が戻ってきたみたいな、微妙なズレがたった今修復されたみたいな、よくわからない何か。
なんで今まで気づかなかったんだろうと首をかしげたくなるほどの寒さが、大輔を襲った。
吐き出された息が温かい。おそらく白い息が暗闇に溶けていくに違いない。
思わずはいた息で少しでも暖かくなろうと手をこすり合わせるが、ますます手先が冷えていく。
頭のてっぺんからつま先の指まで、震えたくなるような寒さが襲いかかった。
小さく悲鳴をあげながら、大輔は縮こまった。びゅうびゅうといつの間にか耳元では、風の音が聞こえる。
真っ暗な世界に音が生まれた。感覚も生まれた。でも何も見えない凍てついた世界が広
がっていた。
まるで冬みたいだと大輔は思った。木枯らしが大輔の真っ赤になった耳を撫でた。


『―――――――――て』


びくりと大輔は肩を震わせた。
風が泣いているのかと思ってあたりを見渡すが、暗闇のなかでただ木枯らしの音が響いている。
小さな声だった。聞き逃してしまうような、小さな小さな声だった。でも聞こえた、そんな気がした。
人間なのか、デジモンなのか、それともあんまり考えたくないけれども、それ以外の幽霊とかそういったたぐいの何かか。
さっぱりわからないけれど、大輔には、何かを紡いだ存在がいることがはっきりと感じ取れていた。
だれかいるのかと大輔は叫び返すが、その小さな小さな声は聞き取ることができない。
風の音が強すぎてうまく聞き取ることができないのだ、すぐ側で何か言っているという感覚はあるのに。
もどかしくて、聞こえないと大輔は叫ぶ。こっちこいよと大輔は呼ぶ。
一人ぼっちじゃないと、この世界にただひとり存在しているのでは無いのだという希望が、恐怖や不安を吹き飛ばして、
大輔を積極的な行動に取らせた。


『―――――』


聞こえた、今度こそ聞こえた。風の音じゃない、気のせいなんかじゃない、誰かの声が聞こえた。
はっきりと聞こえた!確信した大輔は一目散に走りだした。風の向こうにだれかいる。はっきりといったのだ、来てと!
全速力で走る大輔。進行しているのか後退しているのか感覚が迷子になり、方向すらわからないがただ一直線に大輔は走った。
一人は寂しい。一人は嫌だ。そう思って、懸命に走った。息が上がり、走るのが辛くなり、やがて体力の限界が来るが大輔は走った。
そして息が上がりきり、膝に手を当てながら体全体で呼吸した大輔が、再び走ろうと前を向いたとき。
突然、光が現れた。今にも消えてしまいそうな、暖かな光だった。ふわふわと大輔の目の前で浮かんでいる。


「蛍?」


ぽつりと大輔がつぶやいたとき、ぱちりと目が開いた。ぼんやりとした世界がやがてひとつの輪郭を形作っていく。
だいすけえ、と心配そうに顔を覗き込んでいるブイモンがそこにいた。


「…………あれ?ゆ、夢?」

「大輔え、大丈夫か?なんかうなされてたけど」

「ブイモン……あー、なんだ、夢か。なんか。変な夢見た」

「どんな夢?怖い夢?」


んー、と寝ぼけ眼なまま、ごしごしと目をこすった大輔はブイモンに話そうとするが、えーっと、と間延びした言葉の先が紡げない。
あれ?どんな夢だっけ?ふああ、と豪快に大きなあくびをして、涙目を再び乱暴に拭うが、さっぱり思い出せない。
まるで砂漠に垂らした一滴の水のように、思考の彼方に沈んでしまった夢の断片は、もうすくいきれないほど曖昧になっていた。
夢をみたという自覚はあるし、変な夢をみたという感覚もあるし、モヤモヤとした不安が漠然と残っているものの、
大輔が現実に戻ってきたときにはそれは霞の彼方に消えてしまっていた。


「わかんねーや」

「そっか」

「あーもう、だめだ、寢らんねえ」


すっかり目が醒めてしまったらしい頭は冴え渡り、眠気が全く訪れないことに気付いた大輔は小さくぼやいた。
ようやく慣れてきたあたりを見渡せば、みんな思い思いのリラックスする体勢のまま、深い眠りに堕ちている。
いびきが聞こえたり、寝言が聞こえたりしている。ここでだらだらとブイモンと喋っているのもいいけれど、
外を見れば相変わらず変な色をした紫色の空と薄暗い外が広がっている。時間はわからないが、夜なのは分かる。
ぼんやりとオレンジ色の光と二つの影が見えた。
そういえば、太一、ヤマト、光子郎、丈の順番で、かわりばんこに見張りをすることになったと大輔は思い出した。
俺もやりたい。夜の焚き火で見張り番とかなんかワクワクする、と好奇心を刺激されてブイモンと立候補したことも。
太一の影響を受けたのか、大輔だけずるいと思ったのか、タケルが僕もやるといいはじめて、二人でごねたのだが、
結局太一とヤマトに危ないから駄目だと却下されて拗ねたまま寝てしまったのだ。
そーだ、と大輔はいいことを思いついたと笑う。首を傾げるブイモンに内緒話。


「ブイモン、ちょっと外いこーぜ。太一さん達と一緒なら、怒られないだろ」


一人とデジモン一匹で危ないのなら、見張りをしている太一達上級生と一緒なら大丈夫だろうという屁理屈にも程がある理由づけ。
だが、どうしてこうも、こっそり抜けだして夜の散歩というシチュエーションは、冒険するみたいなわくわくを生むのだろう。
抗いがたい好奇心に抵抗できず、ブイモンも頷いた。
折角みんな寝ているのに、起こしてしまったら悪い。大輔は、電車の椅子からそっと足音を立てないように降りると、
そっと外に抜けだしたのだった。











第六話 星明かりの下で










「すっげー!」


手が届きそうな満天の星空が、大輔とブイモンの頭の上に広がっている。
この世界の空は大輔の知っている色ではない。真っ黒な空に紫色を混ぜあわせたような、奇妙なマーブル模様を描いている。
それはこの世界にきてからずっとそうだった。
青空は気持が悪いくらいの水色。空は青や水色や藍色が混じった変化があるものだと知っていれば、
一色しか無い空なんて、それこそ小学低学年が描く絵画の世界である。
夕焼けだって赤とオレンジと茜色がグラデーションを描くのではなく、マーブルクッキーのような中途半端な混ざり具合だった。
これはこれで面白い光景である。頭上に瞬く星々は、白だったり黄色だったり青だったり赤だったりするが、
星座や宇宙について微塵も知識がない大輔は綺麗だとしか思わない。
家のベランダから見る空はネオンの光に遮られて、
月はおろか星の姿さえ見せてくれないことを思えば、この光景は十分感動ものである。
北極星がないから、北半球ではないこと。でも、南十字の星座が見えないから、南半球かも怪しいこと。
知っている星座が一つでもあって、星を見ただけで結び付けられるような知識と経験、
そして冷静に考えられる現実を見通す目があったら、
こうものんきに口をとじるのも忘れて見入ることなんてなかっただろう。
大輔はまだ小学二年生である。理科なんてまだ習っていない。
夕食時に丈や太一、空たちが空を見上げて深刻そうに話をしていたのは知っているが、
好奇心を満たすのに毎回大忙しの大輔である。
わざわざ面白くもなさそうな話に首をつっこむはずもなかったので、無理も無い。
一つのことに夢中になると気が済むまで全力で突っ走る、よく言えば集中力がある職人タイプ、悪く言えば配慮が足らない子供は、
ちょいちょい、と服を引っ張られ、だいすけ、とブイモンに名前を呼ばれて振り返った。


「なんだよ、ブイモン」

「大輔はさ、どこにもいかないよな?」

「え?」

「大輔はさ、なんにも言わないで、どっかいかないよな?おいてかないよな?」

「どうしたんだよ、お前。なんかあったのか?」


心配そうに見つめる大輔に、ブイモンは、ちょっと思い出しちゃっただけだよって笑った。
うれしいことも、たのしいことも、悲しいことも、不安なことも、今日という日は、
ブイモンが今まで生きてきた中で、いろんなことが一気に押し寄せてくるような怒涛の1日だった。
それはブイモンだけではなく、他のパートナーたちや大輔を始めとした子供たち、
みんなに言えることであり、都電のシートに横になった彼らがすとんと眠りに落ちるまでには時間がかからなかった。
夢も見ないほどの深い眠りに落ちていると休養という意味ではよかったのだが、
体を休めるには不適当な柔らかさと広さは、大輔だけでなくブイモンもあまりよい睡眠を促してくれなかったらしい。
眠りが浅くなるほどに人間もデジモンも夢を見やすくなるのは同じである。
なんか嫌な夢でもみたのかと大輔にブイモンが尋ねられたのも、ブイモンがついさきほどまで経験したことだからである。


「大輔が悪いんだ。オレをおいてどっかにいっちゃうから、とっても怖かったから、
 思い出しちゃったんだよ、きっと」

「ブイモンは覚えてんのか?」

「うん。オレも大輔みたいになんにも覚えてなかったらよかったのになあ」

「ぼんやり思い出せないのもなんかやだな。なんかもやもやする。
 まあ、いいや。それよりブイモンはどんなことを夢に見ちゃったんだ?」


ブイモンはあんまり思い出したくないらしいが、喋った方が楽になることもあると
背中を押される形で、ちょっとずつではあるが教えてくれた。
チビモンだったころ、大輔と出会える日を待ち望みながら日々を過ごしていたころ。
拠点にしていたエリアは成熟期のデジモンが多く生息するエリアであり、
幼年期だったチビモンが生きていくにはそれなりに大変だったエリアである。
興味がなかったブイモンは、そのエリアの名前を思い出すことはできないのだが、
案内することはできる。ちょっと大変なんだけど。
なにせそのエリアに行くには通せんぼうしてくる意地悪な成熟期のデジモンの目をかいくぐり、
あみだの森というとっても意地悪なみちを通らなければならないのである。
迷いの森を抜けるにはいくつか道があって、その内の一つにあみだの森という特別な道がある。
4つの直線が平行に並んでいて、お互いの線が斜めや直線、グネグネで結ばれている
文字通り上空から見ればあみだのようになっている森である。
その道を通るには特別なルールがあって、直線をまっすぐに進んでしまうと、
どこからともなく大砲が飛んできて、ふっとばされてしまうのだ。
あみだくじをするように進まなければならないのである。
分かれ道ができたら絶対に曲がらなければならないし、元来た道を戻ってズルをするのもいけない。
どこからともなく大砲の弾が飛んできて、チビモンは何度となく死にかけたらしい。
それでも、チビモンはめげることなく何度も何度もあみだの森に挑んでいた。


「チビモンのすんでるところからあみだの森ってことは、迷わずの森に行きたいってこと?
 あれ?チビモンってここの湖にも来てたんだろ?なんでまた」

「オレがここの湖に来れるようになったのは、オレにデジヴァイスを渡してくれたデジモンがさ、
 コロモン達がいたところに来ないかって誘ってくれてからだよ。引っ越したんだ。
オレが住んでたところはさ、とっても意地悪な成熟期のデジモンが威張ってたんだ。
 ずっとチビモンなオレは、幼年期だから、よわっちいから、外に出ちゃだめだって。
 そのエリアから出ちゃダメだって言われてたんだ。酷いだろ?
 だから、そいつらに内緒であみだの森になんども挑戦してたんだ。
 いっつもいっつも見つかっちゃって連れ戻されてたんだけど」

「そっかあ、大変だったんだなブイモン。……って、あれ?ちょっと待ってくれよ。
 デジヴァイスをブイモンにくれたデジモンがいるって話だけど、ホントか?
 もしかして、そいつからオレたちのこと教えてもらった?
 じゃあ、もしかしてオレたちがこの世界に来ちゃった理由とか知ってるんじゃ?
 なあなあ、ブイモン。そのデジモンに会わせてくれよ。今、どこにいるんだ?」


ブイモンは期待の眼差しには答えられないとかぶりを振った。


「えー、なんでだよ」

「さっき言っただろ、大輔」


真顔でブイモンは言い返す。しばしの沈黙。
ブイモンが怖い夢を見たのは、大輔が悪いとブイモンが言ったことを考えると、
多分、大輔にべったりとすがりながらわんわん泣きわめいたことをいっているのだろう。
遼との約束だから言えないけれど、チビモンは大輔がサイバードラモンに追い詰められ、
崖が崩落しているところを目撃して、てっきり大輔が死んだのではないかと勘違いしていた。
それが引き金となってみたのだという過去の出来事は、どんなものなのだろう。
導き出される結論は一つしかない。大輔は恐る恐るブイモンに聞いてみた。


「もしかしてそのデジモン死んじゃったのか?」

「知らない」

「知らないって」

「だって、突然いなくなっちゃったんだ。
 ずっと一緒にいてくれるって言ってたのにさ、大輔たちと会わせてやるから
 楽しみにしてろって笑ってたのにさ、何にも言わないでどっかいっちゃった。
 みんな、おいてかれちゃったんだ。みんなに慕われてるデジモンだったのに」


オレ、まだ名前訊いてなかったのに、ってブイモンはちょっと泣きそうな顔で言った。
パートナーがいないチビモンは半人前だから、半人前に教えてやる名前なんてない、と
茶化されてしまったのがチビモンにとっての最後の記憶であるらしい。


「オレがそのことを知ったのは、あみだの森から逃げだそうってこっそり隠れてた時なんだ。
 オレの住処で威張ってたやつと、オレのことを迎えに来てくれたデジモンがさ、
 こっそり話してるの聞いちゃった。すぐに見つかっちゃって、どういうことだって聞いたんだけど、
誰も教えてくれなかったんだ。すぐに帰って来るって、心配するなって、そればっかり。
 でも帰ってこなかった。今もどこにいるのか分かんないよ」

 「……そっか。ごめん、ブイモン」

「ううん。大輔が期待しちゃうようなこと言っちゃったオレが悪いんだ。ごめん」

「なあ、このことコロモンたちは知ってんのか?」

「知ってるよ。パートナーのことを教えてくれて、デジヴァイスをくれたデジモンだもん。
 でもさ、思い出すことはあっても、あんまり言わないようにしてるんだ。
 あのデジモンがいなくなったのは、ここにある木がまだこれくらいしかなかった頃だし」


広葉樹の巨木に手をかけたブイモンは、もうひとつの手で大輔の膝のあたりを指した。
えええ、と思わず大輔は声を上げてしまう。樹齢何百年もありそうな巨木が苗木の頃なんて、
ブイモンたちはどれくらいの間大輔たちを待っていたのだろうか。
もしかして、ブイモンってものすごく年上なんじゃないかって気付いてしまった大輔は、
どう反応したらいいのか困ってしまい、しばしの間固まってしまった。
そんな大輔にブイモンは困ったような顔をして頭を掻いた。
もう声も姿も思い出すことができない、想い出の彼方に消えかけているのだとブイモンは言う。
だから、あんな想いをするのはたくさんだと思っていたのに、というわけである。


「だからさ、大輔。オレのこと、おいてかないでくれよ?何があっても、オレは大輔の傍にいるからさ」


わかった、と大輔は言うしかなかったのである。こくりと頷いた大輔に、ブイモンは満足そうに笑った。
どちらでもなく、星空を見上げる。そこには沈黙が辺りを包み込んでいた。





「なーにやってんだよっ、大輔!」





ばしっと後ろから両肩に手を置かれる。うぎゃっと変な声を上げてしまった大輔につられて、ブイモンも縮み上がってしまう。
慌てて振り返った一匹と一人の前に、いたずら成功とばかりにニヤニヤしている太一の姿があった。
駄目だろ、勝手に抜け出しちゃと呆れた様子で肩をすくめられ、軽く頭を叩かれた。
痛い痛いごめんなさいと力任せに肩を揉まれ、別に肩なんて凝っていない大輔は悲鳴を上げた。
ブイモンたちはさっきの話が聞かれたのではないかとハラハラしたのだが、
どうやら太一が大輔たちのことに気付いたのはついさっきのようで、
どうした?って太一は首をかしげた。ほら、こいよ、とずるずる大輔が強制連行されてしまう。
ブイモンは慌てて、焚き火を見守っているアグモンのところへ駆け寄った。





こうこうと炎が揺らめいている。常にゆらゆらと火影を揺らしながら、面白い動きをしているのを見るのは結構おもしろいと大輔は知る。
温かい光と熱が肌寒い夜を凌がせてくれている。
なんとなく夢で寒かったことを思い出した大輔は、夜が寒いからあんな夢見たんだなと、勝手に自己完結していた。
獣は火を怖がるらしい。だから、火を絶やさずにいることが、見張り番の大切な仕事の一つなのだと得意げに語る太一に
感心の眼差しが4つ。
ふふん、すげえだろ、と胸をはる太一に、さっきまで眠いとかいってたくせにー、とマイペースなアグモンがちゃちゃを入れた。
え、そうなんすか?と残念そうにアグモンと太一を見比べる後輩の眼差しに、う、と太一はつまって、あははとから笑いした。
お前余計なこと言うなよ、とアグモンを睨みつける太一。アグモンはどこ吹く風で、顔洗ってくるんじゃなかったの?と返した。
黙らせようと立ち上がった太一とアグモンのおっかけっこが始まってしまう。
いや、もう聞こえてますから、太一さん。大輔はぽんぽんとブイモンが肩を叩いてくるのをみて、小さくため息を付いた。
この世界にきてから、どうも自分の中の「尊敬するサッカー部の先輩としての太一」が、
がらがらと音を立てて崩れ始めている気がするのは、きっと気のせいじゃないだろう。
空回りしている印象があることに大輔は気づきつつあった。出来れば知りたくなかった一面である。
しばらく、お互いに話す言葉もなく、4つの沈黙が続く。しばらくして、大輔がぽつりとつぶやいた


「なんか、驚きました」

「んー?なにが?」

「太一さんでも、喧嘩するんだなーって」

「あはは、そりゃ俺だって怒ったり泣いたりするって。当たり前だろ、何いってんだよ大輔」

「そりゃ、そーですけど、その………ヤマトさんとのあれとか」

「あー……あれはなー」


かっこわりいとこ見せちまったなあ、と太一はばつ悪そうに頭をかいた。
結局、やめてよお兄ちゃんというタケルの今にも泣きそうな叫び声と、丈の仲裁により事なきを得たものの、
一歩間違えたらヤマトと太一どちらかが喧嘩別れして、メンバーの中から戦線離脱しそうな緊迫感があった。
一発触発の恐ろしい喧嘩だったと大輔は回想する。
あれだけお互いに本気を出して大喧嘩しているのは生まれて始めてみた大輔である。
自分とタケルよりずっとずっと大きい二人が、大声で喧嘩をしていた。とても恐ろしいものを見てしまった。
正直二人を見るのが怖くなって、大輔はずっとうつむいているしかなかった。
大輔の心中を察したのか空に連れられて一足早く電車に乗り込んで、大丈夫よ、と優しく背中をなでられて、
頷いて、ブイモンに手を握ってもらいながら、ハラハラしながらそのまま眠ってしまったのだ。
もう夢のことなど覚えていないが、悪夢を見るのは無理も無いかもしれないと改めて大輔は思った。
大輔にとって、太一は「お兄ちゃん」であってほしい人なのである。
姉であるジュンのように大声を上げて喧嘩をする姿など、想像したこともなかったし、想像したくもなかった、
ある意味最悪とも言える光景を見てしまったわけだから、大輔が自分が考えている以上のダメージを受けるのは無理も無い。
勝手に創り上げた心の拠り所が、自分とは望む一面とは違った一面を見せてしまったことで、
久方ぶりに大きく大輔の中で揺らいでいるものがあるが、まだ大輔は気づいていない。
太一は、少しだけ、沈黙したあとでぎこちない口調で呟いた。


「あれ、大輔も悪いんだぞ」

「え?オレですか?」


ずいぶんと子どもじみた理由だった。


「なんか、俺、のけ者みてえじゃん。なんか、ヤマトにいくら聞いても教えてくれねえし、お前ごまかすし」


覚えのある言葉である。
ヤマトお兄ちゃんがいるくせに、太一にやたらとかまってもらっているタケルの姿が目について、
ずるいずるいと駄々をこねて、なかば八つ当たり気味に喧嘩になったことを思い出す。
欲張りだとタケルに言われてカチンときたが、実際その通りだと大輔は思った。
自分のことは自分でする、という自主性と自律性を遺憾なく発揮すればするほど、
母親、父親、近所の人達、コーチ、にえらいえらいと褒められて嬉しくてどんどん一人
で頑張って、
出来ることは自分で全部することが当たり前になっていた。
クラスメイトからも友達からも、サッカー部の先輩からも後輩からも、
大輔なら一人でできるから安心だと、任せられると、頼りにしてると、言葉をかけてもらえるたびに
認めてもらえるようで嬉しかった。
対等に扱ってもらえているきがして、嬉しかった。背伸びしていると自分も大人になれた気がして余計に頑張れた。
だから、自分が転んだときは自分で立ち上がったし、大丈夫かとブイモンに言われたと
きは笑ってきにすんなと返したし、
食料集めだって誰かにくっついて手伝うのではなく、自分で食べ物を調達するという行動に自然と出ていた。
だからだからだから、一度本気で大喧嘩したからこそ、うっかりタケルには我慢していることを口に出してしまったけれど、
いつもの大輔ならば「なんだって一人でできる大輔」で有ることが自分であり、
「甘えたい大輔」は子供みたいで恥ずかしいと無意識のうちに心の奥底に押し殺してしまうはずだった。
まるで拗ねたように不機嫌そうに大輔を睨んでくる太一が、自分そっくりに見えて、
大輔は何故か心のなかにすとんと落ちてくるものがあった。
なんだ、太一さんも、俺と同じなんだ。そーいうところ、あるんだ。
思わず笑ってしまった大輔は、なに笑ってんだよこら!と半ば羞恥心をごまかすためにちょっかいを掛けてきた太一に捕まってしまう。
じーっと二人のやりとりを見ていたブイモンが、大輔に言う。


「なあ、大輔。太一にも相談してみたら?」

「え?」

「なんだ?大輔、お前なんか悩みでもあんのか?」

「え、えーっと……」


きっとブイモンは、ついさっき大輔がしてくれたように、と続けたかったのだろう。
でも、さっきのは2人だけの秘密にしたいようで、話題を切り替えた。


「ヤマトと一緒でおにーちゃんなんだし、相談したほうがいいって大輔」

「お?なーんか聞き捨てならないこと聞いたぞ、大輔。
サッカー部の先輩じゃなくて今日あったばっかのヤマトに相談することってなんだよ、おい」


やばい、と思ったときには遅かった。容赦なく脇腹と脇の下あたりをこちょこちょとくすぐってくる攻撃が大輔を襲う。
たまらず大笑いし始めた大輔は、やめてくれと必死で抵抗するが、太一は容赦なくくすぐり攻撃を仕掛けてくる。
ひいひい言いながら、涙目、呼吸困難になり始めた大輔は、この時ばかりは本気で笑死しかねないと危機感を募らせ、
とうとう言います言いますから、やめてください!と白旗を全力で振りかざしたのだった。
その場に崩れ落ちた大輔は、半ば笑いながら太一に全て白状するしか道は残されていなかったのである。


「なんで今まで相談してくれなかったんだよ、お前」

「だって、太一さん、いってたじゃないッスか」

「え?オレなんかいったっけ?」

「言いましたよっ!だからオレ、相談できなかったのにっ………」

「え、あ、おい、泣くなよ!」

「泣いてません!」

「えー………わりい、全然わかんねえや。なあ、オレ、何かいった?」

「八神太一は、八神ヒカリのお兄ちゃんじゃなきゃいけないから、
八神太一は本宮大輔の「お兄ちゃん」にはなれないんだっていってたじゃないっすか。
だから、てっきり相談しちゃだめなんだって思ったんすよ。
 やが、ヒカリちゃんの「お兄ちゃん」じゃなきゃいけないってことは、
一瞬でも「お兄ちゃん」としての太一さんに相談しちゃだめなんだって」

「あー………あんときか、だってお前、あん時そんな素振り全然見せてなかっただろ?分かんねえよ」

「言えるわけないじゃないッスか、そんなこと。嫌われたらって思ったら、怖かったし。
 オレ、ただでさえ姉貴にも嫌われてるかもしれないのに、姉貴と仲悪いってバレたら、
 姉貴とも仲良くなれない悪い子だって思われたくなかったし」

「考えすぎだって、大輔。そんくらいでオレがお前のこと嫌いになるわけ無いだろ、ばっかだなー」


辛かったんだな、とわしゃわしゃ頭をなでられて、うるっと涙腺が緩む大輔だったが、
無言のままうつむいてしまう。


「そっか、だからタケルとヤマトが仲いい兄弟だって知って、喧嘩して、相談したわけか。
ごめんな、大輔。オレ全然気付いてなかったな、オレがヒカリのこと話すたんびに辛い思いしてたわけか」

「………はい」

「難しい問題だよなあ。オレ、ヤマトと違って全然分かんねえからアドバイスとか思いつかねえけどさ、
オレがジュンさんの立場だったら、あれだな。寂しいかもな」

「さみ、しい?」

「そうそう。大輔って2年生のくせに、人一倍サッカー頑張ってるだろ。ちょうちょ結びだって一人でできるし、
コーチにあーだこーだ言いにいったりして、言われたことだけやったりなんて、絶対にしないだろ?
お前がオレの弟だったら、あれだな、お兄ちゃんとしての立場、カタナシだな。俺、いらねーじゃん、みたいな?」


なんていうか、わからないけどな、と太一は続ける。

「もっと素直にさ、甘えたらいーんじゃねえかな。お前もタケルも全然わがままいわねーじゃん。
そりゃ、年上ばっかりだし、言いにくいかもしれないけどさ、もっと頼れよ、オレ達を。
つーか頼りにさせろよ、寂しいだろ」

「そうそう、太一やボクたちを頼ったらいいんだよ、大輔。一人ぼっちでないたりしないでさ、
ブイモンとか、みんなに困ったことがあったら言えばいいんだよ」


アグモンと太一の意見に耳を傾けていた大輔は、はい、と小さくつぶやいた。
それでよし、と太一達は笑う。焚き火の勢いがやや弱まったのを確認した太一は、傍らに積んであるマキをくべた。


「じゃあさ、そろそろ寝ろよ、大輔。明日も大変だしな」

「ここはボク達に任せて、おやすみー」

「分かりました。おやすみなさい」

「ありがとな、太一、アグモン。おやすみー」

「おう」

「またあしたねー」


立ち上がった大輔とブイモンが電車へと帰っていく。ブイモンが様子を伺うように、大輔を見上げた。


「なんか、不満そうだね、大輔」

「うーん、なんていうか、嬉しいんだけど、なんかなあ」

「そうだよなあ。オレもなんかもやもやする。太一たちの言葉はうれしいけど、なんか足りない?」

「んー、なんていうか、わかんねーけど、もやもやする」

「なんでだろう?」

「なんでだろうなあ。わっかんねーや。でも、もう変な夢は見ない気がする」

「手、握っててあげようか、大輔」

「んー……おう」





どこか遠くで、ハーモニカの音が聞こえた気がした。





空が白み始めた頃である。
ブイモンと空に起こされた大輔が外を見ると、路面電車があった陸の孤島がものすごい勢いで動いていた。
ざぶんと沈んでいくシードラモンのしっぽを見た太一が声を上げた。
どこかで見たような模様だと思っていた大輔は顔を引きつらせた。
あれは陸の孤島にへばりついていた、大きな葉っぱか何かだと思っていたら、眠っていたシードラモンのしっぽだったらしい。
やばい、オレとブイモン何回も通りすぎるのに、普通に踏んでたような気がする。
あわあわとしていると、大きな衝撃と共にぐらつく。
丈にブイモンごと抱え込まれた大輔は礼を言った。
やっべーという顔をしているのは、大輔だけではなく、太一たちもである。
大輔と別れたあと、太一とアグモンは見張り番を続けていたのだが、
新しくくべたマキの中に竹と同じ構造のものが混じっていたらしく、
熱せられたそれは中の空気が膨張して破裂し、破片が飛び散ってしまう。
それが丁度ぐさりとシードラモンのしっぽに突き刺さったらしい。
お前らのせいかとその場にいた全員の心の声が一致したところで、
ようやく浮島だったことが判明した陸の孤島が、何故か沈んでいる鉄塔だらけの地帯で停止する。
しかし四方は湖。シードラモンに襲われたら為す術がない。
唯一進化した経験のあるアグモンが何度か試みるが、何故かデジヴァイスも反応がない。
何も出来ないまま、シードラモンが現れた。
デジモンたちが応戦するものの、成熟期のシードラモンの大きな巨体相手には技が届かない上に、
空中戦ができるデジモンたちの攻撃が命中する前に素早い動きでかわされてしまう。
その時、タケルとパタモンの悲鳴が聞こえた。
振り返ると、対岸に置き去りにされていたヤマトとガブモンがみんなに追いつく為に湖を渡っており、
さっきからヤマトの姿が無いことに気づいて必死で探していたタケルが、周囲の静止を降りきって駆け寄り、
さっきの衝撃で湖に落ちてしまったのだ。
ようやく岸に辿り着いたヤマトの前に、タケルを救出したゴマモンが顔を出す。
一同がほっとしたところで、シードラモンの咆哮が現実を引き戻した。


「こっちだ、シードラモン!」


タケルのことを頼んだとゴマモンとパタモンに言い残し、ヤマトは単身シードラモンを挑発して反対方向に泳いでしまう。
ガブモンがあわててシードラモンに攻撃してヤマトから気をそらそうとするが、
巨大な尻尾に薙ぎ払われたガブモンが陸の孤島に吹っ飛ばされてしまった。
一向に進化の兆しを見せないアグモンに業を煮やした太一が湖に行こうとするが、空たちに止められる。
大丈夫かと大輔とブイモンがガブモンに走りよる。
ガブモンは毛皮を背負ったせいで泳ぎが不慣れであるにもかかわらず、なんとか泳ごうとするが足がすくんで動かない。
タケルが必死でパタモンに助けを求めるが、自分の弱さを自覚しているパタモンは及び腰、
タケルを任せると言われた手前、タケルのそばから離れることができない。
みんながハラハラとヤマトを見守る。
せめて岸の上に上がってしまえば、という希望も虚しく、追いつかれてしまったヤマトがシードラモンのしっぽに締め上げられ、
湖の底に沈んでしまう。ぶくぶくと泡が沈んでいく。大輔は慌てて行こうとするが、ブイモンに全力で止められた。
ざばんと豪快なしぶきが上がる。締め上げられたヤマトの絶叫が響く。
相手が息絶えるまで締め上げるという事実を鬼のようなタイミングで告げるテントモンを、光子郎が叱責した。
泣きそうな顔で見守るタケルのお兄ちゃんという声が木霊した。


「もうヤマトの吹くハーモニカが聞けないなんて……あの優しい音色が聞けないなんて……!」  

嫌だ、と咆哮が湖全体に響いたとき、ガブモンの体が白い光に包まれた。
ガブモンとヤマトの絆に共鳴したデジヴァイスが、2つ目の進化を開花させた瞬間である。
極寒に生息している狼のような姿をしている獣型デジモンが光を突き破って現れた。
青白く輝く伝説のレアメタルといわれる「ミスリル」の毛皮に覆われた狼は、
自らをガルルモンと名乗った。
それは圧巻だった。大きく跳躍したガルルモンがヤマトを拘束していたしっぽに噛み付き、
緩んだところでヤマトが湖に落下する。
タイミングよくゴマモンの配下の魚たちが絨毯となって受け止めたのを確認したガルルモンは、
痛みのあまり水の中に逃げこもうとするシードラモンの首筋に襲いかかった。
振り払おうと暴れ回るシードラモンだが、あれだけ威力を誇ったしっぽがガルルモンに傷ひとつ付けない。
ガブモンのかぶっていた毛皮は、実はガルルモンのデータであると判明した瞬間である。
ガルルモンの毛皮は伝説上の金属のように硬いという解説がテントモンからなされるが、肝心のミスリルの単語が出てこないため、
デジモン解説講座は半ば子供たちから信用半分に聞き流され、役に立つか絶たないかわからないと手厳しい光子郎の言葉に撃沈する。
それはともかく、シードラモンの口から吐き出された氷の矢を、
高温の時に初めて現れる青光い炎が圧倒し、追撃するようにガルルモンがシードラモンをなぎ倒す。
まるで猛獣の狩りを見ているようなド迫力の光景に唖然としている子供たちは、
とりあえずヤマトの無事と、シードラモンを撃退したガルルモンの帰還を祝ったのだった。
やがて岸はゴマモンのマーチングフィッシーズ達による大移動によってもとに戻り、再び子供たちは眠りについた。
湖には、眠るタケルとパタモン、ガブモンへの子守唄に優しいハーモニカの音が響いていた。



[26350] 第七話 僕らの漂流記 その2
Name: 若州◆e61dab95 ID:8b8e6d47
Date: 2013/01/27 06:17

遅ようさん、と茶化されながら大輔が揺り起こされたのは、すっかり朝日が昇り、
龍の目の湖が丸くて白い光をきらきらと輝かせ始めた時間帯だった。
起こされたばかりで寝ぼけている大輔は、顔を洗うついでにうがいでもして来いと
はっぱをかけられて、はあい、なんて寝ぼけ眼なまま湖のほとりにやって来た。
揺らめいている人影が覗き込んでいる。魚影が見える。水をすくえば逃げてしまった。
さすがに回復したばかりの体力、気力を朝から魚釣りに費やす人はいないようで、
2本の折りたたみの釣竿はミミのサバイバルリュックに仕舞われたままである。
そういえば、昨日勉強したことがある。
それは、人間の食べ物をデジモンが食べる分には味覚の誤差は起きないのだが、
デジモンが食べるものを人間が食べると、時としてえらい目に遭うということだ。
それを教えてくれたのが、他ならぬブイモンと釣り上げたデジカムルという巨大な
淡水魚だったのは非常に悔やまれることである。
デジカムルだと知った瞬間のデジモン達の目はさっと変わったのである。
寄生虫がどうたらこうたらという心配は、丸焦げ寸前まで火を通せば大体のものは
食べられるというデジモン達の主張によりきれいに退けられたのが悪かったのだろうか。
敗因はやっぱりヌメリがきついうえに、80センチ近くある大物だったことだろうか。
ヤマトたちが悪戦苦闘しながら包み焼きにしてくれたはいいものの、
川魚特有の生臭さがデジサケと比べて比にならないほど癖があり、うーん、という人もいた。
淡白でおいしいといえばおいしかったのだが、煮物にしたり、揚げたりした方がよかったかもしれないとは調理担当組である。
結局デジカムルの包焼きはその半分以上がデジモン達のお腹の中に納まったことになる。
そのかわりに、大輔たちが重宝したのは、現実世界となんら変わらないクオリティを残している果物群だった。
デジバナナとか、デジイチゴとか、デジオレンジとか、どこかで聞いたことがある名称はだいたいそのまま反映されている。
丈の持ってきているキャンプ用のご飯でもいいのだが、昨日の昼のようにお菓子の可能性もある。
さて、朝食は何になるんだろう、と期待をにじませながらみんなのいる所に駆け寄った大輔は驚いた顔をした。


「どうしたんすか、これ」

「デジモン達が取ってきてくれたんだよ」

「それはありがたいっすけど、なんでこんなにデジリンゴが?」


昨日覚えたばかりの果物も新しいものがいくつか並んでいるのだが、どういうわけかその
甘さが控えめですっぱいリンゴが、山積みになっているが乗り切らなくて、何個かころころと転がった。
その内の一つを拾い上げたブイモンが大輔に差し出しながら言った。


「パタモンとピヨモンがケンカしちゃったんだよ」


「え?なんで?」


大輔の言葉に、近くでタケルと一緒にデジリンゴをほうばっているパタモンが、
空と一緒に少し離れて果物を食べているピヨモンをちらりと見てから、
若干すねた様子でつぶやいた。


「僕が取ろうとするデジリンゴ、ピヨモンがとっちゃうんだもん」

「わたしがとろうとした木の実が、パタモンのと一緒だっただけよ」

「うそだー、だったらなんで2個も3個も取ってっちゃうの?」

「パタモンが他の樹のデジリンゴをとればよかったんじゃない」

「なんでっ!?僕が先にみつけたのに!」


ピヨモンの意地悪!とパタモンはすっかりむくれてしまい、タケルの頭にしがみつきながら怒っている。
ブイモンが言うには、デジフルーツがたわわに実っているのは昨日収穫した桃の木のように、
結構な高さになるため、必然的にパタモンやピヨモン、テントモンに取ってきてもらい、
ブイモン達が下に落ちてきたのをキャッチしたり、拾ったり、回収していくことになる。
テントモンは好物の木の実が潰れやすいため、いっぱいになったら直接降ろしに来てくれるので問題なかったが、
どうやらパタモンとピヨモンはとろうとした木の実が同じだったようでケンカになったようだ。
なんでもパタモンもピヨモンも進化してから昨日の今日ということもあってか、
自慢の翼があるにもかかわらず上手く飛ぶことができないらしい。
体重が重いのか、体の構造的に難しいのか、それとも飛び方が分からないのかは本人のみぞ知る。
時速1キロという子供の徒歩より遅い速度でしか飛べない彼らはどうしても滞空範囲が限られてくる。
木登りした方が早いんだけど、さすがにぽんぽん落ちてくるデジリンゴの回収にてんわやんわで止めることができなかったようだ。
少しでも高いところ、高いところ、とお互いがお互いを意識し過ぎた結果、
牽制や言い合いを繰り返すうちに、気付いたらこんなことになっていたらしい。
ライバル意識が芽生えてしまった二匹はさっきからむすっとしていて口を聞かない。
ピョコモンとトコモンの頃にはこんなことなかったのに、なんてすっかり空は困り顔である。
タケルもパートナーにケンカして欲しくないらしく、どうにか仲直りさせたいようと必死で説得しているのだが、
つんとしたまま、取り付く島もない程ピヨモンとパタモンは目を合わせようとしなかった。
大丈夫かよ、と思いつつ、大輔はブイモンからもらったデジリンゴを軽く拭いてから口にした。





漂流生活2日の朝。小学6年生が1人、小学5年生が3人、小学4年生が2人、そして小学2年生が2人の計8人、
やけに上級生に比重が偏りすぎているメンバーご一行は、昨日集めた食料を上級生男子が分担で持ち、
女の子と小2コンビは特別扱いでもともと持っている荷物以外はなにも持つことを許されないまま、湖を発つことになった。
どこに行くのか、というこれからを決定する会議にも、最年少であるが故の弊害でまともに参加させてもらえない。
大輔たちは何にも心配しないで、付いてくればいいんだよ、とご機嫌斜めな後輩に太一は笑った。
どうやら昨日のうちにすっかり太一と仲直りしたらしいヤマトも、大輔のコトを太一から聞いたのかは知らないが、
心なし視線が優しい気がする。よかったわね、と空にまで微笑まれてしまえば、これ以上不満を漏らすのは贅沢すぎる気がした。
なんかタケルの目が据わっている気がする。
いや、そうだけど、なんか、なんか違うんだよおおっと心のなかでモヤモヤと格闘しながら、必死で少ない語彙の中から名前を捜す大輔は、
しっくりと来る表現を見つけられないまま、こくこくと頷くしかなかった。目立ちたがり屋だが注目されることには慣れていないのである。
昨日の夜の直談判が功を奏したのか、ほんの少しだけかまってもらえるようになった嬉しさと恥ずかしさ、もやもやを抱えながら、
しぶしぶ頷いた大輔はブイモンと共に、太一たちと離れないようにひたすら付いていくことが求められることを知った。
ふくれっ面の大輔に、タケルとパタモンが機嫌を直すよう説得する。
お前はそれでいいのかよ、とのつぶやきに、僕達まだ小さいんだよ、仕方ないよ、という返答。かち合った目にはやや不満の色。
どうやらお互いに今の置かれている立場にやや疑問があることはわかったものの、
それを解決するにはどうしたら良いか考えつかない。
せめてお互いのパートナーデジモンが進化してさえいれば、いろいろと上級生たちの目も変わってくれるかもしれないのに、と
お互いに非力すぎる身の上をこの時ばかりは呪った。
それがきっかけだったのかもしれない。
暇を持て余しているブイモンと大輔は、ひたすら進化について話し合っていた。

アグモンがグレイモンに進化した。

ガブモンがガルルモンに進化した。

いずれもパートナーである八神太一と石田ヤマトが生命の危機にさらされた時、一度だけそれは訪れていた。
パートナーデジモンが心の底からパートナーを助けたいと思ったとき、
デジヴァイスが反応してデジモン達が鮮やかな光りに包まれて、成長期から成熟期へと進化をとげている。
一度進化することが出来たデジモンならばいつでも行えるわけではなく、進化しているデジモン達本人ですら、
イマイチその進化条件が分かっていないため、何故デジモン達が進化できるのか、
何故進化したデジモンが再び成長期に戻ってしまうのか、いろんな疑問が子供たちの間で浮かんでは消えるものの、
結局何一つ解決することができないまま、今に至る。
アグモンが言うには、太一を助けたいと思ったら、凄まじい力が湧いてきたらしい。
秘密はデジヴァイスにありそうだが、この白いデジタル時計の秘密は今はまだ誰も知らないのだった。
しかし、幾度ものピンチを救ってきたデジモンの進化の光景は、まだ進化を経験していないデジモンとそのパートナーの間で、
もしかしたら自分たちもできるのではないかという期待と不安から、あれこれと予想するには事欠かない。
大輔とブイモンもその例外に漏れることなく、あれこれと予想しては空想の中でかっこ良く敵のデジモンを倒す様子を想像しては、
早く進化したいという様子を包み隠さず話しあっては、盛り上がっていた。
進化する本人すら進化するその瞬間まで、成熟期の姿も名前も全くわからない状態なのである。
誕生日プレゼントを空ける寸前のわくわくを噛み締めながら、大輔とブイモンは、
進化したパートナーを連れていることで自然と子供たちの前衛を任されるに至った、太一とヤマトを懸命に追いかける。
深い密林の木の根っ子やごろごろ転がっている石、そして足場の悪いぬかるんだ道などものともせず、
ブイモンと進化後の姿はどんな感じなのか、について本人たちは至って大真剣に話し合っていた。


「オレ、もっともっとでかくなりたい!そしたらこーんなでっかいデジモンが出てきたって、オレだけで倒せるだろ!」


ぶんぶん拳を振り回していきり立つブイモンの頭の中には、グレイモンよりずっとずっと大きく巨大化したブイモンが、
「おれがかんがえたさいきょうのわるもの」相手に勇猛果敢に勝負を挑み、
パワーで圧倒して、ブイモンヘッドでお星様に変える光景が浮かんでいた。
そしたら、大輔はきっといってくれるに違いない!自然とブイモンは口元がおもいっきり緩み、鼻歌すら浮かんでいた。
考えていることが顔だけでなく全身に出やすいのは誰に似たのやら。


「さっすがはオレの相棒だ、ありがとな!ヤマトさんや太一さんじゃなくってお前だけが頼りだ!」


わしゃわしゃと頭を撫でながら、大好きな笑顔をブイモンだけに向けてくれるに違いないのだ。
ブイモンの頭の中では、抱きしめてくれる大輔がいて、
現状において保護者的立ち位置にいる太一とヤマトが悔しそうにこっちを見ていて、
グレイモンとガルルモンが、参りましたとばかりに頭を下げて白旗を降っているのである。
四足歩行のガルルモンが何故グレイモンと共に白旗を前足でもって、
振っているのかは突っ込んではいけないところである。
そしたら大輔のことも守れるし!とそれはそれは嬉しそうににかっと笑いながら、
今はまだ大きい大好きなパートナーを見上げた。
あれ?いない?大輔は?側にいたはずの大輔の姿も形もない。あれ?あれ?とキョロキョロあたりを見渡していたブイモンは、
ようやく自分がずるずると大輔に引きずられている事に気がついた。
さっきから、明後日の方向に飛んでいってしまったブイモンの意識を戻すべく、しつこい位にブイモンの名前を連呼したが、反応はない。
振り返れば太一もヤマトもどんどん先をいってしまう。
湖を出発したばかりで、まだまだ元気が有り余っているはずのブイモンの謎の硬直。
もっと頼れと心強いお言葉を頂いたばかりであるとはいえ、
こんなしょうもないことで先陣の足取りをわざわざ鈍らせるのはあれである。
追いついてきたヤマトや空に先にいってもらって、大輔が取ったのは持ち運びだったわけである。
さすがに大輔に置いて行かれることに関して、トラウマとも言うべき心の傷を負っているブイモン相手に、
置き去りにするという選択肢はとれるほど外道ではない。大輔の頭の中では、凄まじい狼狽を見せて、
パニック状態になりながら必死で東西南北に大輔の名前を連呼して捜し回るブイモンの姿が、
寸分狂い無く想像することができた。想像力豊かなのはお互い様である。
小学校二年生男子として持ちうる限りの力を注ぎこんで、石像と化していたブイモンを引っ張っていた大輔は、
ようやく正気に戻ったブイモンに呆れながら、先を急ごうと手を伸ばしたのだった。


実際のところ、大輔の中での頼りになる存在ランキングは、今までブッチギリの1位だった太一が首位から陥落している。
だが相談に乗ってくれたので、2位に踏みとどまっている。
何かと気にかけてくれる空に首位は奪われてしまったが、
今まで圏外扱いだったヤマトと丈が急浮上しており、太一と丈が2位を争う結果となっている。
丈は今のところ3位である。最上級生だし、しっかりしてるし、なんだかんだで大輔は丈に桃を持ってもらったり、
湖に落ちそうになったところを助けてもらった。
それにいろいろ難しいことを知っている。空が先輩と呼んでいるのも影響していた。
大輔の自主性とタケルと比べてなんでも自分でやりたがる性質を知っている、大輔のことを知っていればいるほど、
上級生たちは大輔の中にある甘えたいという意識と認めてもらいたいと背伸びする意識の葛藤を汲みとってくれない。
ヤマトは4位だ。理由は簡単、苦手意識が上位3位にランクインするのを拒否したのである。意地悪な人は姉を連想してしまう。
聞きたいことを教えてくれなかったこと、こっちが嫉妬に駆られるほどの仲睦まじい姿を見せつけられること、
相変わらずタケルにものすごく過保護なのをみるたびに、顔を背けたくなってしまうなどの理由がある。
そういうわけで、ブイモンが大好きな本宮大輔の頼れる人ランキングで、堂々首位を奪取するのは、
まだまだ先が長そうだった。


「なあなあ、大輔、大輔はオレにどんな進化して欲しい?」

「そーだなあ、やっぱドラゴンだな!」

「どらごん?なにそれ、かっこいいのか?」

「そりゃそーだろ、なんたってドラゴンは空の王者なんだから!」


大好きなゲームシリーズに登場する架空のモンスターの話をする大輔の目は、さっきとは打って変わって輝いていた。
大輔の理想の進化像を聞きながらブイモンは想像してみる。
どらごんはブイモンよりずっとずっと大きくて、グレイモンより大きいらしい。
ブイモンと同じで額に角があり、大きなしっぽがあり、二足歩行でぶっとい脚とでかい腕を持っていて、
とここまで聞いたブイモンはほとんどグレイモンと変わらないではないかと大輔に返すが、全然違うと大輔に力説された。
大空を自由に飛び回ることができるツバサを持った、それはそれはかっこいい勇ましい姿らしい。
大輔の語るどらごんは、世界征服を企む魔王ってやつを倒すために、世界を救うために立ち上がった勇者の大事な大事な相棒で、
運命共同体そのものの関係性を構築しているらしい。
結局言葉の意味が分からなかったので、丈に道中聞いた話では運命共同体とは、ものす
ごく分かりやすく言うと
生まれた時から死ぬまでずっとずっと一緒にいる相手のことをいうらしい。
嬉しいことがあっても悲しいことがあっても、つらいことがあっても、未来になにがあってもずっと半分こしながら過ごしていく、
相手やグループのことをいうらしい。
まさしくオレとパートナーの大輔のことだと大喜びしたブイモンは、よくそんな難しい言葉を知ってるねと感心した丈に対し、
ちょっと聞いたのだとごまかした大輔の挙動不審ぶりに気づくことはなかった。
なにそれかっこいい。
ブイモンの頭の中では、「おれのかんがえたさいきょうのしんかけい」の姿をしたブイモンが大輔を乗せて大空を羽ばたいていた。


「ブイモン青色だから、青いドラゴンになるな。かっけー。早く進化できるといいな」

「うん!オレ、空が飛べるようになりたい!」


すっかり大輔の言葉に感化されたブイモンは、その時が来るのを夢見て、今はただ見上げるしか無い空を眺めたのだった。
大輔がかっこいいと絶賛した進化系の姿は、もちろん大輔が初めてこの世界に来たときに出会った、秋山遼とエアロブイドラモンがモデルである。
強烈なインパクトをもたらした彼らの勇姿は、鮮明なイメージとして克明に反映されているが故の結果である。
エアロブイドラモンは成熟期ではなく、さらに進化を遂げた完全体であることなど知るはずもない大輔は、
どうせならまたエアロブイドラモンに会いたいと思っただけである。
でも進化の姿は違うとエアロブイドラモンがいってたことを思い出した大輔は、
他にもいろいろ進化の姿があるのかと一瞬思ったが、そんなこと実際になってみなくてはわからない。
どんな姿に進化したとしても、ブイモンは大輔にとってのパートナーデジモンであることにはかわりなく、
でもどうせならかっこいいほうがいいなあ、という男の子なら当たり前の発想がそうさせていた。
まるでお母さんと結婚するのだと宣言したちっちゃい男の子のような無邪気な約束である。
ブイモンが割と本気で楽しみにしていることに気づくワケもなく、大輔はブイモンにつられて空を仰いだのだった。





その時である。





遥か上空を飛ぶ飛行機のようなエンジン音が、ものすごいスピードで近付いているような、
きいいいいいいいん、という音が空全体に響き渡ったのである。
何だ何だと大輔とブイモン以外の子供たち、パートナーデジモンたちも空を見上げる。
木陰が涼しい、木漏れ日の暖かなその場所で、大輔は巨木達の間からのぞく大空を横切る黒い物体を目撃した。
一瞬のうちに通りすぎていった黒い物体は、ざわざわと木を揺らす風を産み落として、
音も共に連れていってしまった。
唖然とした様子で呼吸をするのも忘れて、その黒い物体が飛んでいった方向を見つめる大輔の後ろで、
上級生たちが空飛ぶ円盤だとか隕石だとか、不気味なものだとか口々に連想ゲームみたいに話し合っている。
ヤマトが歯車みたいだと口走った瞬間に、大輔は冷たい手で心臓を掴まれたような感覚に襲われた。
毎日サッカーボールを追いかけている大輔の目は、はっきりと捉えていたのである。
間違えようがない、あの黒い物体は、真っ黒で大きな歯車だった。黒い歯車が遠くに飛んでいったのを目撃してしまったのだ。
大輔の脳裏に、まだ記憶に新しい、操られていたサイバードラモンに襲われ、崖に追い詰められた様子がよみがえる。
あの時は本気で死ぬかと思った。
あのまま無残にも暴力の犠牲になるくらいなら、と決死の紐なしバンジーを決行したので無我夢中だったが、
秋山遼とエアロブイドラモンに助けられたあの崖で、再び奈落の底に口を開けていた断崖絶壁を見下ろしたとき、へなへなと腰が抜けて立てなくなった。
エアロブイドラモンは、黒い歯車が原因でサイバードラモンが操られている、とはっきりと発言していたのを大輔は覚えている。
忘れようがないのだ、初めてこの世界に来たときに我が身に起こった最初の生命の危機である。
もしかして、もしかして、もしかして。空の彼方に消えてしまった黒い歯車を見据えて大輔は思った。ごくりとつばを飲み込んだ。
今まで遭遇してきたデジモン達は、初めから明確な意思を持って自分たちを本気で殺そうとしてきた訳ではない、と大輔は思っている。
シェルモンのときは、砂の中で寝てたのに気づかないままたくさんの荷物を置いてしまったから怒らせたし、
モノクロモンは、帰ってきたときにはすでに太一たちが襲われていたからわからないが、きっとなにかやらかしたんだろうし、
昨日にいたってはしっぽに火のついた枝を突き刺したり、気づかなかったとはいえ何度も踏んだり、と結構自業自得な面があった。
だって、あの時本気でこわいと思った、睨まれただけで心臓が止まってしまうのではないかという圧倒的な殺気やプレッシャーなど
一切感じることはなかった。
さっきの黒い歯車がまたデジモンを操って襲いかかってきたら、どうしたら良い?あの時と違って秋山遼とエアロブイドラモンはいないのだ。
なんかあったらどうしよう、という一抹の不安が大輔を怯えさせる。
頼れよ、と言われたことを思い出した大輔は、太一に言おうとしてやめた。
秋山遼とエアロブイドラモンからは、絶対にいうなと言われた。未来を変えてしまうから、言うなと言われた。
未来の大輔たちを助けるためだと彼らはいっていた。もしここで口に出して、彼らが助けに来てくれなくなったらどうしよう?
そしたら大輔の想像よりずっとずっと酷い形で、未来が変わってしまうかもしれない。
あの時、大輔は彼らの未来から来たという情報を微塵も信じていなかったが、今となっては確信を持って本当の情報だと判断できる。
今更、秋山遼という少年とエアロブイドラモン、サイバードラモンに出会ったというのか?
ぐるぐるしている大輔の後ろで、丈が興奮した様子で人間が円盤型のラジコンを飛ばしたのではないか、というトンデモ説を豪語している。
丈はこの世界に来てから、ずっと自分たち子供以外の人間がどこかにいるはずだから、助けを求めたほうがいいという立場を元に、
半ば強引にこの世界で観てきたあらゆるものごとを、第三者の人間の存在(丈に言わせれば大人)と結びつけようとしているフシがあるのは、知っている。
桃を運ぶ途中でも、メンバー最年少の大輔を励ますため、というよりは非現実的な世界にいるという異常性から、少しでも自分を離れたところから見て
冷静にあろうとする彼なりの防衛手段が講じられていた。
なんか必死だということくらいしか分からない大輔は、そんな丈の発言の後に、かつて怪しまれた(と大輔は思い込んでいる)ヤマトから
庇ってくれたブイモンの発言を無下にすることはできなかった。
それに、そんなこと口にして、どこにいってしまったのかも分からない秋山遼という少年の存在を期待させるのは、あまりにも残酷である。
いえるわけがない、と改めて大輔は言いかけた言葉に自らカギをかけた。
実際に丈とそこまで会話したわけではないものの、何かと最年少の大輔を気遣ってくれる丈を間近で観てきた大輔が、
もし自分が丈だったら、という想像を駆使して辿り着いたのがその結論である。
大輔は相手の考えていることを観察したり、空気を読むことで読み取ることが苦手である。
それが原因で良かれと思ってやったことが、相手にとって自己中心的で、自分勝手で、
独りよがりであると判断されてしまい、何度か問題になったことがある。
そんな時、解決策を教えてくれたのが、幼稚園の先生だった。いつも先生はいっていた。
相手の立場にたって考えなさいと。
同じおもちゃで遊びたくなって取り合いになったとき、いつもそうやって諭された。
実行したら、ほんの少しだけ優しくなれた。
小学校に入学することには、大輔はその小学校という集団の中で生活する上でわりと致命的な欠点を
相手の立場に立って考えることで、少しでも相手のことを理解しようとして、コミュニケーションを取ることでカバーできるようになっていた。
道徳の時間とか国語の時間の読解力の問題とかで、担任の先生はあの先生と同じことを言っていたので間違いないんだろう。
ただしこのやり方は、ある程度親しくなった相手にしか使えないこと、そしてあくまでも想像する本人が大輔のため、
相手が大輔の前で本音と建前を分ける大人であったり、ヤマトのようにクールで無愛想だったり、
想像以上の境遇に置かれていると全く通用しないという欠点がある。
それでも大輔にとっては、もはや自然と身についたやり方であり、いつものように想像力を働かせた結果の行動だった。


「大輔―っ、早く早く!置いてかれるって、おーい!」


はっと我に帰った大輔に、立場逆転とばかりにブイモンが楽しそうに笑って腕を掴んで、ぐいぐいとひっぱっていった。





気づけば、太一たちが歩みをすすめる先には代わり映えしない森から、
一気に空が近くなり見渡すかぎり広大な草原が広がっている。
背丈の高い細長い草が群生していて、乾燥地帯に強そうな木々がぽつりぽつりとあるだけである。
ひときわ目につくのは特有の乾いた土の匂いと、時折通り過ぎる赤土を巻き上げる風、
そして茶色、赤色、オレンジ色の大地と青空という強烈な2系統色の分断。
ファイル島の龍の目の湖からさらに西の方角に太一たちは進んでいくことにしたようで、迷わずの森が次第に遠ざかっていく。
ファイル島で一番高いというムゲンマウンテンはここからだと米粒みたいにしか見えないが、
かわりに草原と迷わずの森の間に横たわる山地が起伏の激しい土地であると教えてくれる。
その山地の中でもとりわけ高い標高を誇っているのが、かつてはUFO騒ぎもあったというミハラシ山だ。
ここはギアサバンナいうんですわ、とはテントモンの談である。
動物の外見をしたデジモンが多いことで知られた土地であるらしい。
ゾウとかキリンとか、シマウマとかいるんだろうか?ブイモンは疑問符なので望み薄だが。
サバンナかあ。テレビで見た光景なのは分かるが、具体的な地名や場所は全くわからない大輔である。
しかし、さすがの大輔も一面に広がる砂漠地帯は、鉄塔や電信柱がたくさん突き刺さっているような場所ではないことくらい分かる。
走って追いついた大輔たちは、足を取られないようにと太一たちのすぐ後ろを付いてくるよう言われて、従うことにした。
じりじりとした暑さが肌を焼く。あっちー、喉乾いたーという言葉がますます暑さを助長させるため禁句となり始めた頃、
大輔は暑いと強引にブイモンと繋いでいた手を離そうとしたが拒否られた。
なんだよー、とあまりの暑さに扱いがぞんざいになる薄情なパートナーにもめげず、ブイモンが小声で大輔に聞いた。


「なあ、大輔。どーしたんだよ?なんかやなことでも思い出した?」


手、あん時、すっげー汗かいてた。顔色も悪そうだったし、つらそうだったし、
太一たちに言いかけた言葉なんか飲み込んでたみたいだし、
と指折り数えながら大輔の挙動不審ぶりを並べ立てていくブイモンは、まっすぐに大輔を見上げた。
ブイモンはこの数日の間に、パートナーである大輔のことで学んだことがひとつある。
本宮大輔という人間は、基本的に「聞かれたこと」でなければ「話してくれない」「教えてくれない」。
しかも、何でおかしいと思ったのか「証拠」を話さなければ、「答えてもくれない」奴であるということ。
大輔は確かに喜怒哀楽が分かりやすい人間であり、思ったことがわりとすぐに顔に出てしまう正直な人間だ。
しかし、その癖に本人はそのことをイマイチはっきりと自覚しておらず、心のなかにしまいこんだこと、
言いそびれたこと、嘘を付いたことは克明に顔や動作、行動に反映されているにもかかわらず、
気づかれていないと明確な根拠もない自信をもって信じ込んでいるフシがある。
はたから見れば、隠し事がありますよーっと大声でひとりごとをつぶやいておきながら、周囲の注目を集めておいて、
本人は周囲の誰にも自分の隠し事はバレていないのだと信じきっている滑稽さに似ている。
人によってはそれがおちょくったり、からかったり、怒らせたりする恰好の餌食として愛される要素と成り得るのだが、
本宮大輔という人間の1番になりたいブイモンにとって、それは正直不満の塊である。
なんで話してくれないんだろう、なんで一人ぼっちで苦しんでいるんだろう、オレが隣にいるのに!という思考につながった。
ブイモンもブイモンなりに大輔が黒い物体に怯えていた理由を考えてみるが、さっぱりわからない。
だから聞くしかないのである。大輔は真っ直ぐ見つめてくる無垢の目に気圧されて、目をそらしてしまう。
今の大輔にとって、ブイモンは気まずい相手でしかない。だがそんなパートナーの冷たい反応に臆していては先に進めない。
8人の子供たちが砂漠らしき地帯を横断しているさなか、大輔とブイモンの水面下の攻防はやがて終止符を打った。


「大輔ええ」


捨てられた子犬のような庇護欲をあおる声がして、あー、とぼやいた大輔は、しぶしぶ振り返る。
チビモンの頃、大輔はずっと小さかったチビモンを守らなくてはいけないという責任感と庇護対象がいるという高揚感で、
ずっと抱っこしてくれていたという記憶がブイモンにはある。
大輔は甘えん坊の寂しがり屋の泣き虫だけど、何でも一人でしたがる背伸びする目立ちたがり屋でもあるとブイモンは、
今までの大輔との旅の中で知ってきた。だから分かる。ある意味計画犯とも言える。
大輔は、チビモン時代のことを連想させる、この声と反応には極端に弱かった。
欲を言うならタケルの頭の上を我が物顔で陣取っているパタモンのように、だっこしてもらいたいブイモンだが、
大輔の背丈は変わらないのにブイモンはチビモンから大きくなりすぎてしまって、それは叶わない夢だ。
それをぼそりと愚痴ったとき、やっぱお前犬だよと大輔に笑われたから覚えている。
まるで子供から何も成長しないまま、一気に大きくなってしまった大型犬みたいだ、
と大輔は断言した。いやオレ犬飼ったことないけど、マンションだし。
犬がどんなのか知らないブイモンだが、馬鹿にされているのは分かったから、その仕返しでもある。
ずりーぞと眼差しが語っているが、仕方ねえなあ、と手を差し伸べられたブイモンは勝った!と心のなかで勝利宣言して大輔の側に駆け寄る。
教えてくれとねだるブイモンに、しばしの沈黙の後、大輔は夜になと小さくつぶやいたのだった。
そして、大輔と共にあるためには、運命共同体になるためならなんだってするんだ、
とありがた迷惑すぎる闘志を燃やすブイモンとは正反対に、
ずーっとパートナーにべったりのデジモンもいる。
デジモンによって性格は色々なのだと大輔は改めて思う。


「アタシは空がいてくれれば、なーんにも心配いらないの。それで安心!夜も安眠!」


ブイモンが甘えるような仕草を思いついたのは、間違いなくピヨモンのせいだと大輔は気付いた。
テントモン曰く人懐っこい性格のピヨモンは、パートナーである空に、
それはもうべったり、甘えん坊さんを遺憾なく発揮していて、
子供たちとデジモン達を微笑ませていた。どうやら空の方はじゃれている訳ではないらしいが。


「だーかーら、完璧に安心されちゃっても、困るんだってば。なんかあっても責任とれないよー」


難しい言葉を使われて疑問符を浮かべ、意味を聞いてくるピヨモンを前に、
我に帰った空はあわててなんでもないと言葉をかき消した。
頼りになるお姉ちゃんな空、らしい言葉だと大輔は思った。
大輔みたいに迷惑だとはっきり突き放すような言い方をして、
振りほどくこともできるはずなのに、空は優しいからそれをしない。
ただ無条件に向けられる信頼と安心に戸惑い、困惑し、それを守るために払う労力や負担、責任を客観視できる年齢も加わって、
ほんの少しだけ天秤に掛けることができるお年頃であるがゆえの、こぼれ落ちた言葉である。
ピヨモンの存在を重いと感じてしまったのだろう。空は一人っ子である。
無条件に姉であらねばならない環境など置かれたことはない。
それがヤマトや太一との最大の違いであり、それでも求められたことを理解して、
自分なりに頑張ろうとするのが空だった。
だから大輔は空のことを姉のようにしたってはいても、「お姉ちゃん」であることをあからさまに求めたことはない。
それは迷惑でしかないのだと、本当は振舞いたい行動を体現しているピヨモンを目の前にして、改めて自覚するにいたって、
自分の判断は間違ってなかったのだと大輔は思った。
しばらくして、あまりの暑さに子供たちもデジモンも言葉少なになっていく。
相変わらずブイモンは元気なのかと思いきや、腹減ったとぼやいている。
チビモンと変わらず食い意地を張っているところは変わらないらしかった。
そして、もう一匹、暑さは得意なのか元気なデジモンが2匹いる、
ああ、そういえばアグモンとピヨモンは攻撃技が炎だっけ。


「そーら、そーら、そーらー」


なにやってんだよ、ピヨモン。ばっかだなー、そんな事したら。


「ピヨモン、あなたホント元気よねえ」


いくら優しい空さんだって。


「そーらー、元気だして歩こ、先は長いんだから、ねえそーらー!」


迷惑に思うに決まってんのに、何で分かんねえんだろ。


「そうだ、空、一緒に手を繋ぎましょう!」

「あーもう!」


ほら、やっぱり。


「いい加減にしてよ、ピヨモン!今はアタシも喉が乾いてるし、暑い中ずっと歩いてて疲れてるの!
もう喋るのも辛いの!無邪気にじゃれ付かないでよ、余計に疲れるじゃない!」

「空疲れてるの?ごめんなさい、ピヨモン大人しくする」

そんなこといっても、やっぱり空さんだって怒るだろ、普通。


「………分かった分かった、一緒に歩こうピヨモン」


あれ?




[26350] 第八話 夏の決心
Name: 若州◆e61dab95 ID:02ac1bf6
Date: 2013/01/29 05:20
ギアサバンナの砂漠地帯は、実は砂鉄で覆われた地帯だと判明した。
ギアサバンナがファイル島の西側であることは分かっているのだが、
今自分たちが歩いている方角がわからなってしまってはたまらない。
サマーキャンプと聞いて、父の持っていたキャンプセットを内緒で持ってくる、
という豪快な勘違いをかましたミミの荷物は、半ば漂流生活に欠かせないものの宝庫であり、
ご一行にとって四次元ポケットのような扱いである。
ミミが得意げに掲げた方位磁石がぐるぐると回ったことで、今歩いている方向が東西南北どこなのか、さっぱり分からない。
安物の方位磁石は強い磁場にあてられたり、金属が傍にあっても簡単に壊れてしまう。
どうやら休憩中に何度かリュックごと地面に降ろしていたのが原因のようだ。
太一たちは漂流生活のやばさと、この世界の訳のわからなさが判明してしまい、大いに落胆する結果となってしまった。
そんな中、好奇心旺盛なデジモン達に大切な電子機器を壊されてはたまらないと、
片時も離さなかったことが正解だったと安堵するのは、光子郎だ。
丈から誰かに預けておけばいいのにといわれたこともあったのだが、用心するに越したことはない。
だから、最後尾を務めている光子郎は、携帯電話やノート型パソコンという小学校4年生がもつには高価過ぎるシロモノが、
足元に広がる砂鉄の悪影響を受けないかと心配して、風が吹いて砂が入らないようにと神経質になりながら、タオルで巻き直し始める。
そして電子機器を収納しているバックに入れると、しっかりと固定した。
大輔君もPHSしまった方がいいですよ、と親切心から言われたものの、大輔は困ってしまう。
光子郎が言うとおり、PHSもなかなか高価なシロモノであり、万が一壊してしまったら無くした場合と同様、ジュンに怒られるだろう。
でもここまで来るのに、海に落ちたり、崖から落ちたり、全力で逃げまわったりしてもPHSは全く壊れていない。
むしろ今まで無くしたり、壊したりしていないのは、大輔の扱いからすれば奇跡とも言えた。
相変わらずの能天気は、積み重なった幸運を持ち前の楽観さで、これからも大丈夫だろうという根拠ない自信により、
曖昧なまま過ごそうとしていたが、マニアの芽が開花し始めていた光子郎が許すはずもない。咎められてしまった。
でも、と大輔は思う。お守りであり、願掛けの象徴であるPHSを今更しまうのは、正直言って心細い事この上ない。
唯一家族と繋がっているのだと実感できるものであり、肌身離さず持っていることが当たり前になっている大輔は、
いいっす、大丈夫なんで、と笑った。
そうですか、と受け入れてもらえなかった提案に少々不満ながら、光子郎がせめてPHSを守れるようにと渡したものがある。
本来マウスなんかを入れる、無地の真っ黒なケースだった。
光子郎いわく、子供にPHSを持たせるのならば、普通はこういった柔らかい素材でできたカバーケースに入れるのが普通らしい。
落としたり、振り回したり、乱暴な扱いが眼に見えているにもかかわらず、ずいぶんと無遠慮だと遠まわしに注意された大輔は、
苦笑いするしかなかった。
本宮家において、電子機器に関する知識が豊富なのは、出版関係の仕事柄、パソコンに向き合うことが多い父親である。
残念ながらサマーキャンプ前日、及び当日は、連日の異常気象の取材に追われて、徹夜でホテルに缶詰になっているため、
肝心の父親の姿はなかった。
姉と母は日常的に使う程度の知識しかないし、わざわざ説明書片手に格闘するようなマニュアル熟読タイプでもなく、
大輔にいたってはろくに説明書すら読まないまま、ぶっつけ本番で使い始めてしまう子供である。
ジュンの手により、父親の大切な仕事道具が無断で持ち出されるのが事前に阻止されたのは、本当に幸運としか言いようがない。
この世界から帰れたら返してくださいね、と言われた大輔は、素直に頷いた。
真っ黒なケースに覆われたPHSを首から下げてみる。
もうデジヴァイスとぶつかっても、かちゃかちゃ騒がしい音は立てなくなった。
大輔と光子郎にやり取りを見ていた太一が、なにやらニヤニヤしながら二人のところに向かおうとする。
こら、と首根っこ捕まえてそれを阻止したヤマトが、何すんだよ、と首を絞められて軽く咳き込んだ太一を見咎める。
太一からすれば、微笑ましいやりとりをしているサッカー部の後輩たちの中に混じり、
光子郎の好意を断ってしまった大輔のために、事情を説明してやろうと思っただけなのだ。
太一の直球すぎる好意からの行動は、ヤマトからすれば大輔に対する配慮に欠ける行動に映ってしまう。
内緒にしてくれって言われただろ、と小声で言われたものの、納得行かない様子で太一はでもよーと言葉を濁す。
太一の知っている大輔は、姉に嫌われているのではないか、という悩みに立ち止まって
うじうじ考えているような奴ではないのである。
もっと直球かつ熱血屋で、その単純すぎる性格と行動からムードメーカー的な役割を知らず知らずのうちに請け負っており、
大雑把すぎる楽観さとお調子者のキャラクターで、太一とは別の方向性で人を引っ張ることができるような奴なのである。
ちなみに大輔のサッカー部でのアダ名は、突撃隊長である。その場の勢いに任せてしまう所があったためだ。
らしくない後輩を見ていると、ついつい世話を焼いてしまいたくなるサッカー部のキャプテンである。
放任主義全開でタケルにいろいろいっていた方向とは、まるで逆方向ではないか。
ヤマトはそう思いながら、見守ってやれ、と相談を受けた第一人者として太一を止めたのだった。


「しかし、本当に何も見えてこないな」


代わり映えしない砂鉄の海と電信柱の突き刺さった光景は、もはや飽きの極地まで到達している。


「森に戻って、また考えたほうがいいんじゃないか?」

「まあまあ、ちょっと待てよ」


慎重派のヤマトの提案に、さっき言いくるめられた悔しさから太一は異を唱える。
単眼鏡を覗いていた太一は、あれは、と声を上げたので、みんな振り返る。


「なあ、あそこにいるのなんだ?なんか変な花が咲いてるんだけど」


単眼鏡を差し出されたヤマトたちは代わる代わる覗いてみる。
斜めに傾いた電信柱が横たわる砂地には、乾燥地帯特有の樹木がいくつかあり、
背の高い草木がその貴重な木陰を取り囲むように群生しているのが見えた。
そこに不自然な赤いものがぽつぽつと転がっている。
風で飛ばされてしまったのだろうか、丸い籠がひっくり返っており、
大きな足跡がそれを蹂躙するように踏み荒らしていったあとが奥の方まで続いていた。
その傍らには不自然なほどカラフルな青い花が黄色いおしべとオレンジ色のぜんまい状のめしべを開いて咲いていた。
一つではない。二つ、三つ、四つ、五つだ。
ここがトロピカルジャングルや迷いの森なら、群生しているようにも見えるが、
ギアサバンナの砂漠地帯ど真ん中ではどうしても浮いているように見えてしまう。
どこかで見たことがあるような、とみんなが考えているさなか、真っ先に反応したのはピヨモンだった。


「ピョコモンだわ!空、あそこに埋まってるのピョコモンよ。どうしたのかしら」


やはり進化前の幼年期時代を経験している本人が気付くのが一番早かった。
頭に大きな花を咲かせているレッサー型デジモンは、外敵から身を守るために、
ピンク色の球根と吸盤みたいなたくさんの足を地面に埋めて擬態することがあるらしい。
草食デジモンには無意味なもろ刃の剣なのだが、基本的には有効な手段である。
5体のピョコモンが花に擬態するようなことがあったと考えるのが普通だろうか。


「ねえ、太一。ちょっと気になるから行ってみない?
ギアサバンナの住人なら、私たち以外の人間がいないか知ってるかもしれないわ」

「うーん、それもそうだな。じゃ、いこうぜ、みんな」


彼らが不自然に並んでいる青い花の群れに近付くには、数十分もかからなかった。


「おーい」

「花です」

「おーいってば」

「花です」

「なにやってんだよ」

「花だって言ってんだろ!」


ぼふっと土が盛り上がり、緑色のくりくりとした瞳をしたピョコモンが飛び出してきた。
ふるふると土を払う姿は愛らしくて、思わず太一たちは口元が緩んでしまう。
出てきたはいいものの、成長期のデジモン達に囲まれていることに気付いた幼年期は、
ぴしっと固まってしまって動かなくなってしまう。どうしたの?と問う方は呑気なものだ。
彼らの後ろには二足歩行のずっと大きなデジモンもたくさんいると気付いて震える。
かわいらしい悲鳴を上げたピョコモンは、ずささささっと距離を取る。
食べないで、食べないで、おいしくないよ、ごめんなさい、助けてくれーって、
自分でも何を言っているのか分からないほどの大混乱である。べしゃりとこけてしまった。
ひっかかった茶色い籠からは、まだ残っていたデジイチゴが無残な形で転がっていく。
ピョコモンが怖がっていると気付いた彼らは、駆け寄っていったピヨモンに任せて、
見守ることにした。下手に動くと逃げられそうな気配しかしない。


「大丈夫?ピョコモン。安心して。アタシたちはピョコモンを食べないわ。
 だってピョコモンはピヨモンの進化前の姿だもの。仲間だわ」

「アタシ?ないわ?だもの?だわ?ピヨモン、変だよ。喋り方」

「へん?」

「だって喋り方がへんだ。うしろの大きなデジモンの真似してる?」

「うしろ……空たちはデジモンじゃないわ。人間よ」

「にんげん?にんげんっていうデジモン?」


この世界で自我を持って生きているものは、すべてデジモンであるという認識が窺える。
にんげんという種族のデジモンであると認識したのか、ピョコモンはピヨモンのいうことがよく分からないようだ。
器用に吸盤の足で立ち上がったピンク色の球根は、青花を揺らしてピヨモンを見上げた。
ぱちぱちと目を瞬かせたピョコモンは、ピヨモンよ、と名乗る成長期に首をかしげた。
ピョコモンの言っていることがよく分からないのはピヨモン達も同じであり、
面と向かってしゃべり方が変だと言われてしまったピヨモンはちょっとショックを受けている。
主にピョコモンはピヨモンの一人称と語尾に反応しているようだ。
うーん、と考えていた太一は肩をすくめた。


「別に変じゃないよなあ?だってピヨモン、女の子だろ?」

「ピンク色だしね。どこをどう見ても女の子だ」

「もしかしてピヨモン男の子なの?や、やだ、一緒に水浴びしてたのに!?」


ざわつき始めた子供たちにきょとんとしているのはデジモン達である。
ちょい、ちょい、とアグモンに袖を引っ張られた太一は、なんだよ、とつぶやいた。


「太一、なんでさっきからあわててるの?僕たち何を言ってるかわからないよ」

「だから、ピヨモンが女の子じゃないかもしれないから驚いてるんだよ」

「女の子とか、男の子とか言ってるけど、それってなんのこと?」

「だーかーら、って、はあ?」

「人間は男の子と女の子っていう違いがあるみたいだけど、
 僕たちはそんなのないよ。男の子と女の子っていう違いはないし、
 僕も、私っていうコロモンを知ってるけど、何の違いもないよ。
 僕たちはおんなじなんだ」

「え、じゃあお前らセイベツがないのかよ」

「セイベツがなんなのかは知らないけど、たぶんそうだよ」

「じゃあなんでお前は「ぼく」って言ってて、喋り方が男っぽいんだよ。
 ピヨモンだって「アタシ」で、女っぽい喋り方してるじゃないか」

「だってそれは太一の真似をしてるだけだよ」


無性生物だったのか、とつぶやいたのは誰だったのか、さすがに気は回らなかった。
結局、この惨状の原因がモノクロモンとの遭遇が原因であると彼らは知る。
食料を調達するために、群生するミハラシ山麓に出掛けていたピョコモン達は、
デジイチゴの匂いにつられて現れたモノクロモンから逃げるために擬態をした結果、
デジイチゴの籠をひっくり返されて、貪り食われてしまったというわけである。
すっかり涙目だったピョコモン達を不憫に思って、ピヨモン達が早朝に取りすぎたデジリンゴをあげたところ、
大喜びしたピョコモン達にぜひ村に来てくれといわれて、彼らは共に村を目指すことになる。









第9話 夏の決心











ご一行を出迎えてくれたのは、人間という珍しい生き物を間近に見て、興味津々でわらわらとたくさん住居からでてきた。
日本史を習った上級生組は、弥生時代を連想させる村の風景のスケールの小ささに驚いていた。
泥を塗り固めて、屋根には束ねたワラのようなものを敷き詰めている質素な佇まいは、
窓と入り口に当たる部分は穴があいており、当然ドアも窓をしめる扉もない。
住んでいるピョコモンが、子供たちの膝くらいの大きさしかないのだがら、当然家々はスモールサイズである。
運がよければ、休ませてもらえるかもしれないという期待は、その家の小ささのせいでもろくも崩れ去ることになってしまう。
だが、すっかり喉がカラカラの子供たちには、何よりの朗報があると真っ先に気付いたタケルがいった。
明らかに場違いすぎる、公園によくある水辺の中心にある人工的な作りの噴水が、村の中心にどんと立っていたのだ。
ピョコモンいわく、ミハラシ山というここからよく見える真正面の山から、美味しい真水が湧きでており、
ここらあたりにある井戸も噴水も湖も全て、ミハラシ山にある泉が水源であるらしい。
ミハラシ山の言葉に、テントモンが反応した。どうやら名水百選のように、この世界でもミハラシ山の水は美味しいと有名らしい。
それは期待がもてそうだ、と子供たち、デジモン達は一目散にそちらに向かったのだが………。
ついさっきまで豊富にあったハズの、ありとあらゆる水が不自然な形で消失しているではないか。
おかしいおかしいとピョコモンたちが騒ぎ始める。ミハラシ山はメラモンが守ってくれているから、
こんなことはありえないのだという。大輔は嫌な予感が的中してしまったことを知ることになる。
ミハラシ山に隣接している森が、炎に包まれているとピョコモンたちが騒ぎ始めたのだ。
太一があわてて望遠鏡を覗くと、凄まじい勢いでこちらに向かってくる炎に包まれたバケモノが見えたらしく、顔を引きつらせている。
しばし言葉を失った太一は、この世界にきてから計3回目となる、みんな逃げろ!
という言葉をありったけの力を込めて、叫ぶことになったのである。
すっかり干上がってしまっている湖は、まるでボウルのようにぽっかりと口を開けて、
ピョコモン達の先導で必死で逃げてきた子供達を待っていた。
急激な坂となっている岸辺から一気に底の部分まで駆け下りれば、遠方からでも確認できた沈没船が、その巨体の全貌を明らかにする。
真っ二つに折られた船体の半分が、まるで湖の底に突き刺さっているかのように大きく船体を傾けて、先端を空に向けて立ちふさがっていた。
湖の底に沈んでいたのかと見まごうほどの光景は、近づいてみると、どうやらもう半分が長年の泥や砂の蓄積により埋まってしまっているらしい。
氷山の海に沈んで多くの犠牲者を出したことで知られる、ハリウッド映画でも有名なタイタニック号を連想させる光景だが、
長年の月日が流れた影響か、すっかり老朽化しサビつき、泥と藻に覆われている船体は赤く黒ずんだ船名の入ったロゴすら読ませてくれない。
ぬかるんでいて滑りやすくなっているため、急勾配の坂と化している船体から直接登るのは難しい。
立ち往生する大輔達。どんどん避難してくるピョコモンたちの姿が膨れ上がり、足元は一面ピンク色に覆われていく。
わらわらわらと所狭しと密集していくピョコモン達。早く避難できる場所を探さなければ、
ピンク色の輪が広がりすぎては攻撃から守り切ることができない。
しかし、この巨大な沈没船に入るための場所が見つからない。
ロープで上がることも提案されたが、ピョコモン達は発達した指を持たないため、
何百匹、何千匹もいるピョコモンたちを引き上げては、子供たちがメラモンから放たれる炎から逃れることができなくなってしまう。
どこか他に入る場所がないかと必死で探し回っていた太一達は、
沈没船の側面に大きな切れ目があり、大きな穴がいくつも開いていることに気づく。
それは大型の船舶に見られる構造上の特徴である。長期の航海において、
バランスを安定させることは安全な航海を支える上で不可欠である。
そのため、この沈没船も右側と左側に重しとなる海水を貯めこみ、
巨大な船体を水平にするために設置されている巨大な貯水タンクがあったのだ。
丈の知識によりそれを確認した太一たちは、
なんとかそこから安全に船の上に逃げ込めるルートを確保するため、無理やり穴を空けることにした。
アグモンのベビーフレイムとガブモンのプチファイヤーにより、
急激に熱せられた箇所が赤みを帯び、強固に設計されている開閉部分を緩くする。
なんとかそこから蹴破ろうとするが、デジモン達、そして今この場にいる子供たちの力を合わせても、びくともしない。
せめてパルモンがいれば、その自在に収縮するツタの指でひかっけ、強引にこじ開けることができるかもしれないが、
大輔やタケル、光子郎、ミミ達はピョコモンたちと逃げながら、迷子に
ならないように付き添い状態のため、まだこの場に到着していない。
思わぬ問題に直面した太一たちは、何とかパートナーデジモンを進化させようと先程からデジヴァイスをかざしてみたり、
パートナーデジモンも何とか気合を入れたりしてみるものの、一向に兆候は訪れない。





まずいまずいと一行が焦りだした頃、ブイモンに後ろから支えてもらいながら、ずささささと降りてきた大輔がその勢いに任せて
太一達のところに合流する。事情を聞いた大輔は、何かを思いついた様子でブイモンを見た。大輔の言いたいことが分かったのか、
ブイモンは大きく頷いて、煌々と熱せられている船体から距離をとる。


「オレに任せとけーっ!どりゃあああっ!」


デジモン達の中で唯一、接近戦向けの物理攻撃を得意とするブイモンの必殺技が遺憾なく発揮された瞬間である。
豪快な打撃音が響いた。通常ならば、えぐれる程の大きなくぼみが形成されるだけだが、
アグモン達の支援で一部の金属はどろどろに溶けており、柔軟さと強固さを誇る金属も一部だけが異様にもろくなっていた。
開閉部分を中心に、船体の一部が轟音を立てて内側に破片を飛び散らせて、大穴があいた。
おおおっ!と太一達の歓声が上がる。
ひゃっほーう、やったー!と嬉しそうに飛び上がったブイモンが大輔のもとに一目散に駆け寄った。
やったぜ、ブイモン!ナイス!とハイタッチした大輔は、船体の塗料と泥が付いていることに気づいて拭ってやった。
やるなあ、ブイモン!とヤマトたちが声を掛け、えへへ、と照れたようにブイモンははにかんだ。
その調子で頼むと言われるがまま、ブイモンはアグモン、ガブモンと共に早速中にはいっていって、
船の上まで駆け上がるための穴をあけるために、薄暗い空洞の中に消えていく。

大輔はピョコモンたちがケガをしないように、飛び散った破片をかき集める。
この時ばかりは、サマーキャンプで罰としてマキ拾いを命じられたときに、つけていくよう言われて面倒くさがりながら、
はめた手袋が役に立っていた。人生なにが起こるかわからないものである。
備えあれば憂いなしを痛感する大輔だった。
やがてたくさんのピョコモン達の雪崩に巻き込まれるようにして、タケルや光子郎、ミミたちが追いついてきた。
ピョコモン達を守りたいと村に残ろうとしていたタケルとパタモンだったが、
空にピョコモン達の無事な避難を手助けして欲しいと頼まれてしまったので、
こうして辿り着いた訳である。
上の方に逃げろと叫ぶようなヤマトの声が奥のほうからする。
太一と空は穴の前でぎりぎりまでピョコモン達を招き入れている。
大輔もそろそろ上に行こうかと考え始めた頃、突然後ろから空の大声がした。


「ピヨモンはっ?!ねえ、太一、ピヨモンは?」

「え?あ、そういやまだ来てないな」

「えっ、嘘でしょっ。もうすぐメラモン来ちゃうのに、なにやってるのかしら、あの子!」

「空さん、ピヨモンは湖のほとりっすよ!飛んで逃げられるピヨモンは大丈夫だから、先に行けって」


大輔の言葉に反応した空が、ピンク色の列をつくっている崖の先を見上げた。
そこにはピョコモンたちを沈没船に誘導しているピヨモンの姿が、ちっぽけな姿ながら見えた。
ピョコモンはピヨモンの進化前である。ピョコモンの村において1番住人たちと
馴染んでいて、なおかつ話が弾んでいたのはピヨモンだった。
誰ひとりとして仲間を犠牲にしたくはないという意識が、
自分の生命の危機をそっちのけにして、ピヨモンをそこに留まらせている。
空は怒ったようにつぶやいた。


「あのバカ、仲間を助けてるんだ、そんなに空を飛ぶの早くないくせに、苦手なくせになにやってるのよ!」


パートナーデジモンの目前に迫る危機に、居ても立ってもいられなくなったのか、空が跳び出してしまう。
ピヨモンと、大きく名前を呼びながらかけ出した。
甘えん坊な面を疎ましく思っていたけれど、こんなデジモンと仲良く出来るのかと不安に思いもしたけれど、
空が危なくなったらアタシが空を守るのと、ピョコモン達に得意げに話していたその言葉を信じられなかったけれど。
友だちになったピョコモンたちを守ろうとするあまり、自分の危機を忘れ、
大丈夫まだ大丈夫とギリギリまで踏みとどまっている姿が、頼もしく見えたのだ。
頼れるところもあるんじゃないと見直した。無鉄砲さをみては。
やっぱり自分がいないと危なっかしくてみていられない、と強く思った。
空の頭の中ではピヨモンたちを守らなければという強い意志がみなぎっていた。
メラモンが迫っているであろう中、逆走して目の前に迫る危険に自ら飛び込もうとする空の行動に、
船上からそれを目撃した子供たち、太一、大輔たちがあわてて戻るよう叫ぶが、聞く耳持たず、どこ吹く風。
一直線に空はピヨモンの元に走った。
やがて長い長い列を作っていたピョコモン達のピンク色の列が、沈没船のところにまで吸い込まれていく。
ほっとした様子でそれを見届けたピヨモンは、自分も逃げようと立ち上がる。
その背後に、真っ赤な巨体が現れて、空は無我夢中で叫んだ。


「ピヨモーンっ、後ろよっ、逃げてええええっ!」


空の叫びも虚しく、大きく振りかざされた腕がピヨモンをなぎ払う。
激しく岩壁に叩きつけられたピヨモンがぐったりとした様子で落下。ごろごろごろと無防備な体が投げ出され、転がっていく。
空はいやああっと悲鳴を上げて、ピヨモンのもとに一目散に駆け寄ると、その小さな体が叩きつけられる前にピヨモンを抱え上げる。
ピヨモンを庇って地面に転がった空は、ボロボロになったピヨモンに呼びかける。


「ピヨモン、大丈夫?痛くない?」

「………空、ピヨモンのこと助けに来てくれたの?もう、怒ってない?」

「ばか、もう怒ってないわよ。ピヨモンはアタシのパートナーだもの、当たり前じゃない」


ぎゅうと抱きしめた空に、ピヨモンが擦り寄った。しかし、目を開いたピヨモンは、空のてから離れてツバサをはためかせる。


「空、危ない!」

「え?」

「今度は、アタシが空を助けるの!みんなが危ないのに、こんなところで負けてなんか、いられないんだからっ!」


空にべったりで甘えん坊でしかなかったピヨモンが、守られる側から守る側へと、
改めて明確に空を、子供たちを、ピョコモンたちを守るのだと強い意思をひめて、覚悟を決めた瞬間だった。
空のデジヴァイスが光りに包まれる。ピヨモンが3体目の成熟期へと進化を遂げる瞬間がやってきた。
ピヨモンの進化に必要なゲージが振り切って、メーターを押し上げ、条件を満たす。
進化ツリーの中から確定している路線へと光の渦は流れ込み、その先にあるデータを、
デジヴァイスがダウンロードする。
そして、螺旋状となった新たな進化経路がピヨモンに降り注ぐ。
鮮やかな紅の炎を身にまとい、巨大な火の鳥がメラモンを立ち塞がるようにして現れた。
バードラモンであると名乗った火の鳥は、風を生んだ。
インターネットのファイヤーウォールから生誕した、不死鳥のような神々しい姿を持つ巨鳥は、
大きな翼をひろげて気持よく大空を駆けることが大好きで、戦うことはあまり好まない。
しかし、自ら守ると決めた存在のためならば、向かってくる敵に容赦はしない。
大空に舞い上がる鮮やかな尾をなびかせ、バードラモンが同じファイヤーウォールの性質を持つメラモンと対峙する。
幾度も打ち込まれる炎の弾丸だが、同じ性質を持つ攻撃はバードラモンには通じない。無効化され、威力が増大する。
バードラモンのメテオウイングが炸裂し、周囲に炎の矢が打ち込まれる。
逃げ場を失ったメラモンに、バードラモンは滑空した状態から一気に体当りした。
空や他の子供達、デジモン達、ピョコモン達はその姿に圧倒されて確認することができなかったし、
バードラモンはその衝撃を受けて火の威力が落ち、メラモンが倒れたと判断したが、
実はメラモンの体内に食い込んでいた黒い歯車が、勢い良く地面に叩きつけられた衝撃で破壊された。
メラモンが正気に戻ったのを確認したバードラモンは、ゆっくりと羽ばたきながらピヨモンへと退化し、空のもとに戻る。
ピヨモンと空が抱き合いながら、お互いの無事を祝っているのを確認して、ほっとした太一達は、あわてて空たちのもとへと駆け寄ったのだった。


「すげえ……」


甘えん坊だったピヨモンが、勇猛果敢に空たちを守るべく立ち上がり、
そして進化するというドラマのような一連の光景を目の当たりにした大輔は、
今までのアグモンやガブモンとは違った意味で、感動と衝撃を持って、その様子を受け止めていた。
気分が高揚しているのが分かる。すっかりほてりきった体のまま、ブイモンと合流して、大輔は大量のピョコモンと共に空のもとに向かう。
このぽかぽかした感じは、覚えがある。暖かくなった心は、しっかりと憶えている。
そうだ、これは守られる側として、守ってくれる人たちの背中を見つめ続ける祈りを待つ、弱い自分じゃない。
サイバードラモンを黒い歯車から解放するために、エアロブイドラモンと秋山遼のために、
自分が、自分自身が使い捨てカメラのフラッシュという打開策を考えて、提案して、受け入れてもらえて、実行して、
サイバードラモンを正気に戻すために役に立てた、守る側になれた強い自分と出会った瞬間の思いだ。
すっかり忘れてしまっていたけれど、あの時、秋山遼はなんと言っていた?笑顔でありがとうと言ってくれたのだ。
よくやった、とか、やるなあ、という守る側の立場の人間から守られる側の人間に、思わぬ助力を得たときの言葉ではなくて、
ただ純粋に助けてくれたコトに対する感謝の気持ちと、対等な相手に掛けられると大輔は判断した、ありがとうの言葉を。
対等だと認めてもらえる気がして、歯がゆくて、恥ずかしくて、それでもとっても嬉しくて誇らしくなった気持ちを大輔は思い出した。
そして目の前には、思いっきり空に抱きついて、大好きだと素直に思いを伝えて、甘えているピヨモンがいる。
空が、空お姉ちゃんが、ピヨモンに大好きだと返して、抱きしめて、甘えてくるピヨモンを本気で可愛がっている。
その姿を見て大輔は思いついたのである。そうか、なるほど、対等な存在に認めてもらえたら、甘えてもいいんだと。
迷惑じゃないかとかいろいろ相手の立場にたって考えて、苦手で分かりもしない相手の気持ちを考えてドキドキして、
相手の様子を伺わなくても、思いっきり甘えても怒られないんだと、むしろ甘えさせてくれるんだと思った。
素敵な思いつきのように感じられて、大輔はきらきらとした目をして、決意の拳を作る。
対等な立場だと認めてもらいたいという意識と、甘えたいという意識が、いつも対立して葛藤の苦悶を抱えていた大輔は、
それらが簡単に両立して、なおかつ達成することができる方法をようやく見つけることが出来た気がした。


「いいなあ、ピヨモン。オレも空飛べるようになりたい」


なー、大輔、と顔を上げたブイモンは、今まで見たことのない大輔のキラキラとした表情を見つけて、
何かいいことでもあったのか、と首をかしげた。
興味津々でしっぽを揺らしながら、背伸びして、大輔の袖を掴んで呼びかけると、大輔はにかっと笑った。
タケルと喧嘩したり、ヤマトに相談したり、太一に秘密がバレたり、波乱万丈な展開が怒涛のように押しかけていたせいか、
なかなか心の余裕が出来ていなかったせいで、悪夢を見たり、心あらずな様子を見せていた相棒が、
こんなに嬉しそうな顔をして自分に笑いかけてくれたことがあっただろうか!
つられて笑顔になったブイモンに、大輔ははっきりとした口調で言ったのだ。


「空なんか飛べなくってもいいぞ、ブイモン。
それより、船の穴をあけた時みたいにさ、みんなの役に立つことしたほうがかっこいいんじゃねーかな?」

「かっこいい?オレ、かっこ良かった?大輔」

「おう、すっげーかっこ良かったぞ、ブイモン!


アグモン達も頑張ってたけど、あれはブイモンがいなかったらできなかったことだろ!
だからさ、俺達でしかできないこと探しまくってやるほうが、いいかもしれないって思いついたんだ。

そしたら何時できるか、わかんねー進化を待ってるよりも、ずーっと良くねえか?」


そしたら太一さん達も、もっと俺達を頼りにしてくれるかもしれない!という大輔の提案にブイモンは即座に反応した。
大輔のパートナーデジモンであるということで、ブイモンも一括りにタケルや女の子たちと共に庇護の対象となっているという現状は、
大輔の1番になりたいと考えているブイモンにとって、目の上のたんこぶとも言える現状である。
さっき太一達に褒められて嬉しかったことも考えると、大輔だけじゃなくてみんなに褒めてもらえる上に、
大輔の1番になれるのが今よりずっとずっと早くなるかもしれないのである。
それに大輔の発言からするに、ブイモンと共に頑張りたいと大輔はいっていることになる。拒否する理由など皆無だった。
さんせー、と即答したブイモンに、大輔はよっしゃ、頑張ろうぜ、と本来のお調子者の一面を取り戻したかのように、
得意げに頷いたのだった。
もともとすれ違い気味だった大輔とブイモンのお互いの考え方が、本格的にずれ始めたのはこのころからである。
大輔が対等に扱って欲しくて、甘えたい相手は上級生に限定されている。もちろんその最終目標はジュンお姉ちゃんである。
一方で、ブイモンはずっと大輔に認めてもらいたくて、対等でありたい相手は大輔一筋である。
微妙にずれた思考回路をたどりながら、表面上は全くすれ違うことはなく、大輔とブイモンは大きく頷いたのだった。
メラモンが正気に戻ったことで暴走していた炎が姿を消し、水が元に戻るというピョコモン達の発言を受け、
太一の呼びかけで大輔とブイモンは慌てて湖からピョコモンの村へと移動することになる。
この夏最大の決心を胸にひめ、大輔達は、ミハラシ山に帰っていったメラモンを見届けて、
一息つく事になったのだった。
ちなみに、謝礼にとピョコモン達がご馳走してくれたのは、肉でも魚でも
なく、
穀物らしきものを細かくくだいた正しく鳥の餌だったのは言うまでもない。



[26350] 第九話 ミミの恋愛講座
Name: 若州◆e61dab95 ID:1b10808a
Date: 2013/08/02 23:48
本宮大輔は悩んでいた。
怒られたり、迷惑に思われずに思いっきり甘えるためには、守られる側じゃなくて守る側に立つ必要がある。
そのためには上級生たちに認められたい、対等に扱われたいという明確な目標ができた。
そこで、8人の子供たちにとって「役に立つこと」、小学二年生の大輔でも「手助け」できること、「活躍」は一体なんだろう、と
必死に考え続けているのだが、全くもって思いつかないのである。
まず、限られた貴重な食料であるお菓子は、タケルや大輔が運んでいる形になってはいる。
果物は8人全員で持っている荷物の重さを考慮して、それぞれが持てる分だけ分担して運んでいる。
ピョコモンの村で新たに給水したペットボトルや水筒は、熱中症にならないようにという配慮から一人1本以上は必ず持っている。
しかし、実際にそれらを管理する主導権を握っているのは太一である。
いつ、どこで、どうやって、休憩をするのかを決めるのは、メンバーの様子を見ながらの小学校5年生以上のメンバーが多数決状態で決めていた。
つまり、大輔もきちんとみんなの食料であるお菓子や果物、水を運ぶという与えられた仕事を与えられており、こなすことがまず求められている。
この世界にきてから、決して太一は誰も特別視することなく、最年少の大輔であろうともメンバーの一員として参加できるよう気を配ってくれている。
さすがだと思うし、嬉しいと思うし、頑張ろうと思って今も必死で広大な砂鉄の砂漠を歩き続けている大輔とブイモンである。
でも、それでは駄目なのである。それが分かっているから、大輔は焦燥感ばかりが募り、現状に不満と疑問を覚え、ずっとずっと心だけが急いている。
そのままでは、大輔が求める対等な立場として認められるという目標を達成することができない。
思いついたときは簡単だと思ったのに、思った以上に現状では小学校2年生の大輔がで
きることなんて、殆ど無いのだと改めて感じてしまう。
無力な自分が嫌になってしまうばかりである。なんで俺、まだ8歳なんだろう。
もっと大きかったら、こんなことで悩まなくってもいいのに、と。
太一達からお菓子と果物と水を預かっているという使命感と義務感、前回からますます自覚した責任感から、
自分の好き勝手な判断で使うことが駄目なことは大輔も分かっているし、そんなことでメンバーのみんなを困らせたくない。
それ以外のこと、と早々に結論に達した大輔は必死で考え続けていた。
今までここまで真剣に人の役に立ちたい、人に頼られたいなんて考えたことがなかった大輔は、必死で考えていた。
いっそのこと聞いてみようか、考えるの苦手だし。
そう思ってまわりを見渡してみる。太一、空、丈、ヤマトはメンバーの中でも決定権を
もつ発言権のある人間である。
朝発つ時、彼らは大輔に我慢しないこと、無理しないこと、疲れたらすぐにいうこと、その上で遅れないように付いてくるよう言っている。
なんにも心配要らないからな、と太一に肩を叩かれたのはまだ記憶に新しい。
きっと何か出来ることはないかと聞かれても同じようなことを言われるだけだろう。
自分たちが率先して守ってやらなきゃいけない、と思っている立場の最年少の大輔が言ったとしても、却下されるのは眼に見えている。
実際に自分もなんかやりたいと手を挙げているのに、未だに採用の気配がないからさすがに大輔も分かりつつあった。
じゃあ、と考えてみる。最後尾を務めている光子郎はどうだろう?相変わらずメンバーと少し距離を置いて歩き続けている。
先輩たちよりは話しやすいかもしれない。あんまり話したことはないけれど、サッカー部の先輩だし、名前を読んでもらえるくらいには知ってるみたいだし、
きっと太一から聞いたのだろうけれども。でも、大輔はすぐに無理だと判断する。
さっきからデジモン博士のテントモンと光子郎は、この世界についてとか、進化につい
てとか、デジモンたちについてとか、
大輔が聞き耳を立てているだけでも目が回りそうなくらい沢山の難しいことを話しているのだ。
大輔は難しいことに延々と頭を使って考えることが苦手だ。
じっくり問題と向きあうと眠くなってしまうような性分である。
興味本位で首を突っ込んだところで撃沈するのは眼に見えていた。
そもそも、微塵も興味がない話で盛り上がっているあの和の中に入っていく勇気はない。
大輔はもっと、こう、誰の目からも見える分かりやすいことをしたいのだ。
上級生にアピールしたいと目的ありきの行動は、やはり現金なものに限られてくる。
例えば、手を引いてあげるとか、荷物を持ってあげるとか、そういった具体的な行動を伴うことがしたいのだ。
そしてふと、大輔よりもずっとずっと背が高くて、外国人みたいな外見をしていて、自己紹介で光子郎のクラスメイトだといっていた、
4年生の太刀川ミミの姿が眼に入る。そういえばあの人、何かと小2組である大輔とタケルと一緒に一括りにされていることが多いと気づく。
上級生の中では、自分と置かれている立場が近いことに気付いた大輔は、早速ミミとパルモンのところに向かうことにした。


「オレもいこーか、大輔?」

「え?あ、いや、とりあえずミミさん達に聞いてくるな。ブイモンは待っててくれよ」

「りょーかーい。がんばれー」

「おう、まかしとけ」


用事があるかどうか聞くだけの簡単なお仕事である。
聞いてくるだけならすぐに終わるだろうという算段で、ブイモンは列の先頭に残ったまま、大輔を見届けた。
大輔は無意識のうちに、今まで直接話したことのない太刀川ミミという少女に対して、話に行けるほどどこか親近感を持っていた。
それは、太刀川ミミという今なお新婚夫婦の一人娘として大切に育てられ、何不自由なく育てられてきた天真爛漫で純真無垢な女の子が持つ、
不思議な魅力に、知らず知らずのうちに感化されているからだった。
野宿は嫌、ふかふかのベットで眠りたい。入浴剤の入ったお風呂に入りたい。
暖かいシャワーを浴びたい。新しいお洋服に着替えたい。
テレビがみたい。パパ、ママ、お友達と会いたい。美味しいご飯が食べたい。
走ったり、歩いたり、疲れるようなことはしたくない。
みんなに聞こえるような大声でこぼしているわけでは無いけども、
みんなが心のどこかで思っていること、言いたくても我慢していること、
みんなにも同じ思いを思い出させて辛い気持ちにさせたくないから、とあえて心のなかに閉まっていることをミミはぽんと口にだす。
わがままをいって困らせているわけではない。もしミミが言わなかったら、
きっと誰かがこぼしているだろうことを彼女はきっと無意識に率先して先に口に出してしまう。
そうすると、いつだって上級生組が便乗する形でみんなそうなのだと肯定した上で、それとなくやんわりと我慢するように諭している。
そして理屈の上では理解しているけれども、どうしても我慢を知らないミミは、分かったと口には言いながらも、
その恵まれた可憐な容姿をほんの少しだけ不機嫌そうに、残念そうに歪ませながら拗ねるのだ。
それは4年生という上級生にさしかかりの年齢でありながら、まるで子供のような仕草であり、どこか微笑ましさを同居させている。
年下であるはずのタケルが、いつもニコニコして、守られている側である立場を一生懸命努め、泣き言、わがままひとつも言わずにいること、
大輔が上級生メンバーの中に混じって何かしたいのだと積極的にアピールしているということ。
これらも尚更比較対象としてミミの幼さを強調させており、ミミが言うならば仕方ない、という緩やかな寛容さがメンバーの中に生まれていた。
もしミミが自らをお嬢様とプライドを高く持ち、自分は何もしていないにもかかわらず、わがままの好き放題をいって、
駄々をこねたり、すねたり、大声で何かを言ったりという迷惑行為をもって、同様のことをしていたら、間違いなく嫌われていた。
しかし、彼女は、植物であるがゆえに灼熱地獄が苦手でへばっているパルモンに、テンガロンハットを貸してあげたり、
果物集めをしたり、といった行動をとっていることをみんな知っているのだ。
だから、彼女がお腹すいたといえば、それはある意味みんなの心の中の総意を正直に体現しており、ミミのいったあとならとタケルや大輔は弱音を吐ける面もある。
そういうわけで、ミミの発言は本人の預かり知らぬところで、半ばみんなの行動の決定を柔らかく促す判断材料となりつつあるのであった。


「あれ?どうしたの、大輔君」


いつも太一や空達先頭組に混じって歩き続けている小さな背中が振り向いたかと思うと、一直線にこちらに向かってきたのである。
自己紹介したし、みんなが呼んでいるのは聞いていたりするから、ミミもパルモンもすっかり大輔の名前は覚えていた。
しかし、この男の子は自己紹介以外では、今まで直接ミミとパルモンとお話しする機会はなかったはずだ。
ミミと大輔は純粋な意味で、この世界で初めてあった者同士の全くの赤の他人であった。
同じ小学校に通っているとはいえ、ミミはサッカー部に所属しているわけではないし、
小学4年生だから学年も違うし、しかも女の子である。
知り合う機会が無いのは当たり前で、唯一の接点はサッカー部に所属している光子郎のクラスメイトであるという共通項しか、
ミミと大輔をつないでいるものは存在しない。
そういうわけで、大輔に関する情報が皆無に近いミミは、大輔がこちらに来る理由が全
くわからない。
パルモンと顔を見合わせて首をかしげたミミは、どうしたの?と見上げてくる小さな少年を見た。


「どうしたの、大輔。パルモン達に何か用?」


パルモンも同じらしく、首をかしげている。
おう、とはっきり笑った大輔は、ずっと身長が高いミミに顔を上げて、聞いたのだ。


「なんか、困ってることありませんか?もしなんかあったら、手伝いたいなーって思って」


むしろ何でもいいので手伝わせてください、と期待とやる気に満ちた眼差しを向けられる。
さすがのミミもパルモンも青天の霹靂で、ぽかんとした顔でぱちぱちと瞬きをしていた
が、大輔は本気のようで、
早く早くと無言の圧力とも言うべき気迫が感じられて、ますますミミ達は困惑してしまう。


「え、え、あの、何で?」

「どうしたのよ、大輔」

「だって、俺もなんかみんなの役に立ちたいのに、太一さん達なんも手伝わせてくれないし、
光子郎先輩たち、なんか難しいこと喋ってて聞きづらいんすよ。ミミさんなら聞きやすいかなーって」

「そっか、だからパルモン達に聞きに来たのね、大輔。えらいじゃない」

「へへ、まあな」


正直に答える大輔は、歩みを進めながらも太一達や光子郎たちに視線を走らせながら、はあ、とため息を付いて
がっくりと肩を落としている。その表情からは不平と不満がありありと浮かんでいる。
そういえば、この本宮大輔という少年は、何かと自分でなんでもやりたがる少年だと数々の行動を見て垣間見てきたミミ達は思い出す。
なるほど、有り余る元気とやる気を何かみんなの役に立つことに向けたいこの少年は、小学2年生であるという最年少の立場であり、
ミミよりもずっとずっと小さい体格、そして光子郎のように知識や思考といった、ある方向で突出している面がない普通の男の子である。
みんな微笑ましいと思って見守る立場であるものの、なかなか大輔の求める自分だけに出来ることを提供することができないのだろう。
大輔はまだまだ幼すぎる。
持っている荷物を誰か持ってくれないかなーと考えることもあるミミだが、さすがに2歳も年下の男の子に、
体格よりも大きくて重くて大変な荷物をお願いできるほど図々しくはなれない。
大輔ならきっとわかりましたって二つ返事で返してくれるだろうが、
ミミでさえ重いなあと感じながらも肩から伸びる紐の高さが重さを分散しているのだ。
大輔にとってみれば、重さがそのまま直撃してしまうだろう。ずるずる引っ張りそうだ。
女の子は男の子に守られるべきではあるが、立派なレディは男の子に恥はかかさないものだ。
やる気と意欲が空回りしているのだ、かわいそうに。んー、と人差し指を口元に添えてミミは考える。


「どうする、ミミ?」

「うーん、何でもいいのよね?大輔君」

「はい、なんでも」

「そーだ、大輔君、お話相手になってくれない?」

「へ?」

「お話相手。みんな歩くのに夢中でおしゃべりしてくれないの。パルモンばっかりで退
屈してたから。ね?いいでしょ?」


素敵な思いつきをしたと微笑んで提案してくるミミに、思わぬ変化球をくらった大輔は大いに面食らっていた。
あれ?なんか違う。自分が求める役に立つこととは、かなりズレているではないか。
もっと、荷物を持って欲しいとか、手を引いて欲しいとか、そういったことを予想していた大輔は驚くしか無い。
おはなし相手、つまり暇つぶしにいろいろ喋りたいとミミはいっているのである。
確かにみんな暑い最中、新たな脅威がないか警戒したり、いろいろ方針を話し合ったり、思い思いに移動している。
ただのおしゃべりはしにくい空気であることは事実だ。でも、だからってそれは無いだろう。おしゃべりなんて誰とでもできるではないか。
話しかけたのは失敗だったかもしれない、と今さらながらに後悔しつつ、自分から提案した手前引っ込めるわけにもいかない。
男の子に二言はないのよね?とピョコモンの村をガリバー冒険記の小人の王国と評した、意外と博識なミミがこれまた難しい言葉を使って逃げ道をふさいだ。
分かりました、としぶしぶ大輔は頷く。これで暇が暫く潰せそうだとミミとパルモンは嬉しそうに笑った。


「大輔君って2年生なのよね?好きな人っている?」


じゃあさっそくとばかりにミミは前のめりになって、思わず後ずさる大輔の顔を覗き込む。
そして、単刀直入でミミは今現段階で自分が興味を持っている話題をいきなり大輔にぶつけてみる。
不幸にも大輔は、ミミがサマーキャンプでは、キャンプの中でみんなと恋愛話をするのをなによりも楽しみにしていたことを知らない。
この世界に来てから、他愛もない話をする機会に恵まれず、ミミは非常にこの手の話題に飢えていた。
このメンバーの中で唯一女の子は空だけであるが、空は上級生組で何かとみんなを取りまとめる立場にいることが多く、
なかなか会話の機会に恵まれない。そこにやってきてくれたのが、本宮大輔というわけだ。
2歳も年下の男の子である。滅多にお話しする機会なんてない。
そういうわけで、哀れにも大輔は不慣れな恋愛話に付き合わされる話になったのだった。


「えー、好きな女の子って言われても……」

「誰かいないの?気になる子とか」


好きな人と言われて、真っ先に家族を連想しない時点で、ミミはこの話題を続行することに決める。なんか面白そうだから。
ミミの目からすれば、大輔は小学校2年生にしてはずいぶんと大人びた印象がある男の子である。
低学年はまだまだお子様だから、あんまり話題は弾まないだろうことは分かっているが、そもそもライクとラブの違いすら分からないのが、
普通の小学校2年生である。おませな女の子のほうがこういった話題は食いついてくるものだ。
その困っている様子ながら、ミミが聞きたいのが恋愛話だと理解している時点で、大輔は恰好の餌食である。合掌。
不本意ながらも、早過ぎる思春期の兆候が見え始めるほど早熟な大輔の知識の入れどころは、もちろん思春期真っ盛りのジュンである。
よく友達との長電話がゲームをしている大輔の部屋まで聞こえるほど、大声で喋っているからいやでもそういった話題は理解してしまう。
誰が告白したとか、付き合ってるとか、好きだとか、ぺちゃくちゃしゃべっては盛り上がり、下手をすればオールナイトな姉である。
いやでも恋愛話には耳年増になってしまうのだ。しかも熾烈なチャンネル争いで、姉はアイドルのコンサートやドラマの恋愛話に目がない。
どこかミーハーな気配がある母と一緒に、朝の芸能ニュースで一大事があると食卓は大輔の肩身が狭くなるほどの大討論に突入する。
まともに落ち着いて会話に参加できるのは、父親がいる時だけであるという弟の立場の辛さであった。
でも、だからといって恋愛に興味が持てるお年ごろであるかといえば、そういうわけに
もいかない。


「いないっすよ、クラスメイトの女子はみんなうるせえし」

「ふーん、そっか。なんで?」


なんでか、にこにこしながら突っ込んで聞いてくるミミにいたたまれなさを感じながら、大輔は続けた。
学校の掃除の時間ほど、退屈な時間はない。
ホコリやゴミをほうきやモップではいて、まとめて、ちりとりでとる役目がある曜日ならば全然いいのだ。
ゴミ捨てや黒板や黒板消しをきれいにするうわぶきの役目も楽でいい。雑巾がけが1番、大輔は嫌いだった。
なんでわざわざバケツに水を汲んで、雑巾を濡らして、絞って、教室の隅から隅まで雑巾がけをしなくてはいけないのか理解出来ない。
足でやったって同じである。ずっと同じ体制は疲れるし、早く早くと机を移動させるほうき係に追い立てられるのも嫌だし、
少しでも楽しもうと競争すると拭き残しがあるとか言って、女子がわざわざ怒るのだ。自分でやれよと言いたい。
掃除なんて少しでも楽しようとするのがあたりまえだと思うのだが、がっちがちに固められた掃除の仕方一つ守らないと
ぎゃーぎゃーうるさい印象しか大輔にはない。
ちょっと友達と野球ごっこしたくらいで、先生や上級生にちくるし、まるで掃除当番の
代表だとでも言いたげな態度で、
お前が悪いのだと誇らしげに笑っているのが気に食わない。
大輔は知っている。そういう女子に限って、自分のグループの中で、こっちに聞こえているのも気づかないまま、
それはそれは大きな声でこれみよがしにこっちを見ながら笑っているのだ。
こそこそ内緒話して、トイレにも一人で行かないで、ぴったりくっついていく。ばっかじゃねーの?一人でもいけないのかよ。
そして、ちょっと仲がいい女の子が泣いたり、怒ったりすると、わざわざ集団で男子のところに押しかけ、
それって悪いと思うから直せと一方的に喧嘩を撃ってくるのである。
こちらにもこちらの言い分があるのに、女の子を泣かせるなんて最低だ、という理不尽な理由で悪者にされてしまうことが多々あった。
そして、姉のように誰それが好きだとか、誰々と一緒に帰っているのを見た、とか、あることないこと誇張して、
勝手に盛り上がって、ぎゃーぎゃー騒いでいるのだ。正直言ってうざいし、めんどくさいし、男子の友達同士でいるほうが楽な大輔は、
クラスメイトの女の子で好きな子は?と聞かれて答えられるわけがなかったりする。
うっかり標的になると根掘り葉掘り聞かれて、一方的な注目の的になるのも苦手だっ
た。
特にサッカー部のキャプテンと仲がいいことを知っている女子から、何度も手紙とか贈り物の仲介を頼まれることも多い大輔は、
便利屋扱いするリーダー格の女子グループが嫌いである。押しの強さは押し付けがましさの体現だ。
たまにそういったグループから離れて、一人だったり、少人数の仲間と話していたりする女子の中には、
まだ普通にしゃべれる女の子がいることは大輔も知っているし、まだましだと考えるけれども、
いつも本を読んでいたり、女の子同士の話をしているのをみるとやっぱり女の子は分か
らない存在として写ってしまう。
ちょっと成長が早くて、いろいろ知っているからって、自分はなんでも知っているのだという顔をしてあれこれ指図するのは、
それはもう最悪だった。
女の子の比較対象が2年生しかなかったら、きっと大輔もそのなかでいろいろ考える余地があったかもしれない。
しかし、大輔はサッカー部の空というずっと大人びていてかっこいい5年生を知っており、
不仲とはいえども時折気まぐれで姉として接してくれるジュンという中学生を知っており、
サッカー部の部員同士の交流で誰々のおねえちゃん、妹、という幅広い世界を知っているため、
ずっとずっと魅力的な女の子を知っている。もちろん興味ないから知っているだけだけども。
それと比べるともうどちらに軍配が上がるのかは一目瞭然だった。


「そっかそっか、なるほどねー。みんな子供っぽく見えちゃうんだ」

「男子はガキだって言うくせに、いってることは一緒っすよ。そういう奴に限って、女の子だからってすぐ言い訳するし」


そっか、そっかあ、とどこか嬉しそうな笑みを浮かべているミミに、大輔は嫌な予感がして身構えた。


「なんかすっごーく具体的だなあって思ってね。もしかして、そういう女の子が近くにいるの?」

「………そういう女の子ばっかりっすよ」


思い出すだけでも億劫なのか、大輔は無意識のうちにため息交じりである。
ジュンお姉ちゃんは間違いなくそう言うタイプの典型であり、お母さんの遺伝はしっかり継いでいる。
類は友を呼ぶというべきか、ジュンの親友である女友達も似たような性格の人たちは多いし、
大輔にとって一番身近なのは、サマーキャンプで一緒のグループに割り振られていた幼馴染だろうか。
お台場小学校で大輔が一番話しやすいタイプも実はそういう女の子だったりする。
単になれているだけだけれども。ふふ、とミミは笑った。
売り言葉に買い言葉、ケンカにも似た言葉の応酬をかわしながら、
会話に興じる女の子と大輔が思い浮かんだのだろうか、ミミは明らかに楽しそうである。


「じゃあ、そういうタイプじゃない方がいいの?」

「いや、あんまオレ興味ないんすけど」


いい加減話の話題を恋愛話からそらせたいあまり、それとなく話の転換を促してみるが、ミミはどこ吹く風である。


「じゃあ、じゃあ、気になる女の子は?好きとかそういうのじゃなくてもいいから、
 なんとなーく気になる女の子っていないの?」


気になるねえ、と思いながら大輔がなんとなく目を向けたのは、先頭を歩んでいる太一である。
空さん?と傍らで歩いている先輩かと聞かれ、大輔はあわててかぶりを振った。
好き勝手勘違いされて、流布でもされたら余計な労力を費やしかねない。
空はお姉ちゃんでいてほしい人なのである。好きな女の子になってしまったら、
大輔の中でいろいろとややこしい事になってしまうので、そこだけはきっちり否定した。


「太一さん、妹がいるんです。ヒカリって言う子で、オレと同級生で、クラスは一緒になったことないんすけど」

「え、そうなの?」

「はい。サマーキャンプに来るはずだったけど、風邪を引いてこられなくなったなあって思って」

「そっかあ。太一さんって頼りになるなあって思ったけど、妹さんがいるんだ。
 そりゃ頼れるお兄ちゃんだよね。なんか納得しちゃった」


で?どういう訳で気になるの?と続けられてしまい、大輔はそれだけっすと先手を打った。
えー、とブーイングが飛ぶが、大輔からしたらなんとなく思い出しただけだから仕方ない。
そこに他意は無い。あってはいけないんだと大輔は思っている。
八神光という女の子は、八神太一という男の子の妹であるというその事実だけが、
大輔にとって最重要な情報であり、彼女自身に対してはそういう意識を持ちようがない。
大輔にとってはどこまでも光は太一の妹でしかない。絶対的な地位を持っている女の子。
そこに向けられる感情は一言では片づけられない物であり、だからこそ真意を悟った太一は、
昨日以降一切話題として提供することがなくなったのだ。あんなに大事な妹なのに。
後ろめたさと罪悪感、後悔、とない交ぜになった感情以上に、正反対の感情が大輔を満たしている。
それが怖くてたまらない。気付いてはいけない。すべてが変わってしまう気がした。
だから大輔はなんでもないんだと自ら口にすることで、なにかを遠ざけようとしていた。


「どんな子なの?光ちゃんて。太一さんによく似てる?」

「あんま似てないんじゃないっすかね。あんまり喋らないし、大人しいし、引っ込み思案だし。
 でも、ものすごく元気なところとか、しっかりしてるところとか、トモダチが多いのは似てるかな」

「うーん?ちょっと難しいよ、大輔君。よくわかんない」

「なんか、その、うーん、よくわかんないなあって感じの女の子なんです。
 トモダチ多いのに、なんかひとりぼっちみたいに寂しそうにしてることあるし。
 太一さんがいるときと、いない時ですっごく違う子なんですよね。
 太一さんがいると、すっごく元気で明るくてしゃべる子なんです。よくサッカーの応援に来てますよ」

「そっか。太一さんが大好きな女の子なんだね、光ちゃんて」

「はい、それはあってると思います」
 

もういいっすか、なんていう空気がにじみ出始めている。大輔である。
つまらなさそうにしている大輔の様子に、大好きな恋愛を疎かにされたと思ったミミは、
このままではいけない、なんとか大輔君に好きな女の子が出来たときの対処法を教えないと、とやる気に火をつけてしまった。
このモードになったミミを止めることができるのは、不測の事態だけであると言う事をきのこ採集の時に嫌というほど知っているパルモンは、
心のなかであーあ、とつぶやいた。こうなってしまっては、パルモンでも止めることはできない。
余計なことをいってこっちに話が飛んでこないように、ちゃっかりだんまりをして、聞き手に回っていたパルモンは、
選択肢を盛大に間違え、地雷を踏んだ大輔に合掌した。


「えー、つまんない。それに、大輔君、だーめそういう顔しちゃ、ダメなんだから。
そういうこといってると、好きな女の子が出来たとき困るんだから。
いい?大輔君、好きな女の子ができたら、誕生日とかイベントは絶対に逃しちゃだめだ
よ?プレゼント、ちゃんと考えなきゃ」

「えー」

「これだから男の子はだめなんだから。
お洋服とか、アクセサリーとか、お人形とか、ミミが大好きなものは全部ミミを作ってるものなのよ?
お誕生日とか、クリスマスとか、イベントで男の子から貰えるプレゼントは、ミミが新
しいミミになれる大切なモノなの。
いくら面倒でも、絶対にてを抜いちゃだめなんだから。プレゼントで女の子は男の子に愛されてるってわかるの。
だから、気持ちが大切だとか言うけど、カタチにしないとだめなの!」

「はあ」

「あー、信じてないでしょ。ミミのパパが言ってたことなんだから。
パパはね、結婚記念日とクリスマスとママに誕生日には、必ずバラの花束を送ってるん
だもん、間違いないって。
ずーっと新婚さん気分でラブラブなの。ミミもああいう男の子と付き合いたいなあ。
大輔君も、好きな女の子ができたら、絶対、ぜーったいに教えてね!ミミが応援してあげるから!」

「・・・・・・・・・・・わ、わかりました、アリガトゴザイマス」


すっかりミミのペースに持って行かれてしまった大輔は、途中で考えるのを放棄したのか、呆けた顔で頷いた。
余程退屈していたのだろう。言いたいことを全部大輔に伝授することが出来たミミは、すっきりとした顔で微笑んだ。
鼻歌交じりである。
ようやく解放された大輔は、今まで以上に疲れを感じてしまったのか、大きく安堵の溜
息をついた。


ミのお手伝い終了を知ることになる。
お疲れ様、とパルモンにねぎらいの言葉をかけてもらった大輔は、力なく頷いたもの
の、
助けてくれなかった裏切り者にジト目で睨みつける。
あからさまに視線を逸らしたパルモンは、休憩まだかしらねー、ミミ、と笑いかけていた。


「どうしたんだよ、大輔。すっげー疲れた顔してる」


先頭に戻ってきた大輔の意気消沈ぶりに、心配そうにブイモンが様子を伺ってくる。


「あー、疲れた。なんで女の子ってあんな話長いかなあ………。オレってかっこわりー」


ぽつぽつとミミとの会話やパルモンのまさかの裏切りをきいたブイモンは、心底自分もいかなくてよかったと思ったのは胸のうちにひめ、
お疲れ様でした、と立派な大役をこなした大輔をねぎらうことにしたのだった。
しばらくして、大きな木陰を作る樹木を発見した太一が、休憩時間を宣言する。
もう歩けない、とその場に座り込んでいたタケルや、あんまり疲れてないけど休みたいというミミの言葉が手伝ってのこともある。
不慣れな恋愛話やミミのマシンガントークにすっかり圧倒され、精神的に疲れきってしまった大輔は、ブイモンと共に木陰に休むことになる。
タケルの隣に座ろうとした大輔に、ひらひら、とミミが手をふっている。あはは、と引きつる笑顔でなけなしの気力で手を振り替えした大輔は、
その場に倒れこむようにして、樹の幹をマクラに座り込んだ。あーすずし、と大輔はひんやりとする木陰で一息ついた。
ずっとずっと暑い中歩き続けていたため、喉が乾いていたのでブイモンと共に回し飲みした。
本来なら、ただの水を飲むよりも、スポーツドリンクみたいに塩などの汗に含まれる成分も補給してやらないといけないのだが、
さすがにスポーツドリンクの川など存在しているわけもない。
水道水を飲んでも、のどの渇きが潤わない理由を知っている大輔は、ペットボトルを空にしようとするブイモンから敢えて取り上げた。
先が長いのに全部飲まれてはたまらない。
あー、とか細い声をあげながら、ジャンプする気力もないブイモンは大輔の足の上で、ぐったりと這いつくばっていた。
大輔も体力の限界が近かったことを思い出した体がようやく悲鳴をあげだしたので、暑いとブイモンをけとばすこともなく、
そのまま目をとじてじっとしていた。
遠くで空たちが今後の方針を話し合っているが、流し聞きする気力もない。
ちょっとだけ、太一と光子郎の騒がしい声がしてうっすら目を開けたが、どうやらパソ
コンを叩いて治すという
ブラウン管テレビの治療法を太一が実行しようとしたらしい。
一緒に笑う気力もなく、休息時間はただ穏やかに過ぎていく。


「ねーねー、大輔君」

「………」

「寝てるの?」

「………どーしたの、タケル?」

「………んおー?どーした、タケル?大輔になんか用かあ?」

「おーい、起きてよ、大輔。タケルが呼んでるよー」

「あ、ちょっとまってパタモン」

「うあー?なんだよ、パタモン、うっせえなあ」

「大輔、大輔、タケルがなんか用あるんだって」

「あー?なんだよ、タケル」

「ううん、なんでもない。ごめん、大輔君」

「………んだよ、もー。用もないのに起こすなよお……んじゃおやすみ」


寝返りを打ってしまった大輔に、いいの?タケルとパタモンが聞く。
起こそうか?とブイモンが続くが、タケルは首を振った。
あとでいいや、と笑ったタケルはどこか寂しそうである。
そう言われてしまっては仕方ないと二匹はそのまま再びまどろみに落ちてしまう。
太一が工場があると大きな声で子供たちを呼ぶまで、それは続いたのだった。




[26350] 第十話 ちびっ子探険隊 その1
Name: 若州◆e61dab95 ID:ef33b9d9
Date: 2013/08/02 23:49
思えば長い道のりだった。
SOSという文字を書くんだったら、砂浜と相場が決まっているから、海岸沿いをいこう、
という提案をした太一に、誰も反対者が出なかったのはみんな楽観視していたからだ。
その日のうちに辿りついたシーラ岬はシェルモンという巨大ザリガニの巣窟で、
とてもではないが救助を待っていられる環境ではないと悟った時、
彼らが考えたのはこの島にいるはずである管理者の人間を捜そうという方針だった。
テントモンから提示された経路は、南にある遺跡エリア、東にある渓谷エリア、
北にある氷雪エリア、そして北西にある霧に覆われた森エリア、そして西にある工場エリアの5つ。
人間がいそうな場所といえば一択しかない。
トロピカルジャングルから迷いの森にある竜の目の湖をぬけ、ギアサバンナを横切り、
太一たちは海岸沿いをめざして、ファイル島の西の方角をひたすらまっすぐに進んできた。
漂流生活2日目にしてようやく彼らは、ファイル島の西岸部に位置するエリアに到着する。
午前中訪れたピョコモンの村の目印は、遠くからみえる煙だったこともあってか、
細く立ち上る黒い煙を発見した時、誰かがいると確信できるのに時間はかからない。
ファクトリアルタウンと名付けられているその場所は、巨大な工場が集まるエリアである。
その工場は、非常に奇妙な場所だった。
大きな歯車がむき出しになった機械が、働く人間の安全性を一切配慮していない、
装飾が一切ないむき出しの状態で動いている。
工場の内部は子供たちがイメージする自動化されたライン工場となんら変りなかったが、
それを管理するコンピュータ室にいなければならない職員の姿が一切見当たらないのだ。
それだけではない。同じ部品を製造し、それらの部品を組み立て、ひとつの工業製品を完成させていながら、
完成するやいなや今度は逆の工程を踏んで、わざわざひとつの部品を作る原材料の段階まで
戻してしまう、という全く無益な作業がずっと行われている。
しかも巨大な単三電池とプラモデル用のモーターで動いているのだ。意味不明である。
もしかしたら、ここもデジモンが造ったエリアなのではないだろうか、とヤマトや光子郎たちが思うものの、
きっと人間がいるに違いないという希望を捨てきれない丈やタケルたちの手前言い出せない。
あまりにも広大な敷地にこのまま8人で回るのも効率が悪いと言うことで、
太一、空、丈、のメンバーと、ヤマト、タケル、大輔、ミミ、光子郎というメンバーで分かれることになった。
そして、大輔たちはただ今、動力室と思しき部屋に入っていった光子郎とテントモンの調査結果を待機中である。
動力室の入口や通路は人間の大きさにあわせたものだから、てっきり大輔は普通の工場だと思っていた。
しかし、ヤマトが考えているのは違うようで、深刻な表情のまま肩を組んで肩に背を預けている。


「しかし、ホントに変な工場だな、ここ」

「え?なんでっすか?」

「考えても見ろよ。ここで働いてる人がいたとして、モノクロモン達が襲ってきたらどうするんだ。
 ガブモンみたいに進化できるデジモンがいるなら分かるけど、そういうのもないみたいだし」

「警備のおじさんいると思ったのになあ。あっさり入れちゃったね、大輔君」

「あ、そういえばそうっすね」

「なあ、ガブモン。お前、ここに来たことはないのか?」


ガブモンはかぶりをふった。


「実際に入ったのは初めてだよ、ヤマト。
だっていつもは入り口でガードロモンが2体いてさ、絶対に入れてくれないんだ」


ガブモンが言うには、この工場のコンピュータネットワークを守るための防御壁を担っている
マシーン型のデジモンが、24時間体制で、時折交代をはさみながら工場を警備しているらしい。
不法に侵入している者を撃退するのが主な役目のようで、こうしてあっさり侵入できたのはラッキーなようだ。


「へえ、見回りもデジモンがやってるのね」

「じゃあなんでオレたちが来た時、誰もいなかったんだろ?」

「お昼ごはんでも食べてるんじゃないかな、大輔君」

「機械なのにご飯食べるのかよ、変なの」

「だってさパソコンもお休みしないとダメなんだよ。ガードロモンもそうだよ、きっと。
 ずっと点けっぱなしだと熱くなっちゃうから、冷ましてあげないと壊れちゃう」

「へえ、そうなんだ」

「うん、光子郎さんが言ってたよ。
ゲームして遊びたかったんだけど、ダメって言われちゃった。
 それくらい大事にしてあげないといけないものだから、ごめんねって」


噂をすれば何とやら、先程別れた光子郎とテントモンが駆け足で動力室から出てきた。
光子郎はとんでもない事実に行き当たったので、知らせに来てくれたのである。
見てくださいっていわれてパソコンの中を覗きこんだものの、ミミズののた打ち回ったような文字、
英語、光子郎によればアラビア数字、ハングル文字などが壁に描いてあるらしい。
そこを解析した結果、なんとこの工場の電気を作っているのは、巨大な乾電池ではなく、
乾電池の中にあるコンピュータのプログラム、つまり情報が電気を作っていたという。
つまり、パソコンに書いた情報が、この世界ではすべて実体化しているという事実に行き着いたのである。
分かりやすく言えば、ペイント機能で書いたりんごのイラスト、という情報がこの世界では本物のりんごとして存在していることになる。
しかし、残念ながらこの話の重大性を正確に把握できる人は、光子郎が話したメンバーの中にはこの時おらず、
光子郎も興奮が先走ってなかなかうまく言葉として伝えることができなかったため、曖昧なまま終わってしまった。
そしてデータを解析したというとんでもない技術力を披露した天才曰く、デジモン達が進化するのも、
データをダウンロードするのと同じように、デジモン達のプログラムに新しいプログラムが追加されることで起こるらしい。
デジヴァイスに表示されているメーターは10本あり、それが満タンになった時、進化という現象は発生するようだ。


「そんな大事なことがかいてあるってことは、この工場ってデジヴァイスとなにか関係あるのか?」

「多分あるんだと思います。僕がハッキングして解析できた情報はここまででした。
 これ以上はセキュリティシステムが複雑すぎて、侵入できなくて」

「そうか。じゃあ、ここの工場にもなにか意味があるんだな」

「この工場自体に意味はなさそうですね」


光子郎の言葉に頷いたのはヤマトだけ。大輔とタケル、ミミは疑問符である。
デジモン達も工場は生まれて初めて見るから分かっていない。光子郎は教えてくれた。
製品は作られ、分解されている。工場では何も生産されていないと考えるのが普通だろう。
工場は何かを生産して、生産したものを売って利益を得るという目的があるから存在する。
その利益から材料を購入して、動力を買って、生産を続けることができるからだ。
しかし、この工場でできる製品は永遠に未完成であり、利益を得ることなど不可能だ。
にもかかわらず存在している。動力は文字から生み出される電気から発生し、
製品は造られて、分解されるためにずっと工場内を回り続けている。
そんな工場、普通なら存在しないはずである。理由が存在しないから。でもあるのだ。
なにか意味があるとすれば、光子郎がハッキング出来なかった極秘レベルのデータに秘密がありそうだ。
へー、としかいえないヤマトたちである。
ヤマトさんあなた5年生でしょう、なんでわからないんですか的なまなざしに、
いや、オレ、そういうのはあんまり得意じゃないんだ、とヤマトはこっそり苦笑いである。



なかなか伝わらない凄さに光子郎がもどかしさを感じ始めていた頃、がこんという大きな音が響いて、
人間を捜しに行っていたはずの太一たちがクレーンと共に転がるように逃げてきた。
現在、成熟期に進化できるのはアグモンとガブモンとピヨモンだけである。
どうした、というヤマトの問いに、太一が応えた。
アンドロモンという成熟期の上の形態である完全体が襲ってきたのだと。
詳細を聞こうとした言葉は、凄まじい轟音と共に吹き飛ばされてしまった扉によってかき消される。
真っ二つにされた鉄の扉の向こう側に立っていたのは、
スパイラルソードという腕に装備されたナイフから電子音を響かせつつ、
侵入者の排除を口にするロボットのような姿をした全身メタルのデジモンだった。
サイボーグデジモンの試作型として開発された面影は、機械をベースに作られた人型のマシーンに残っている。
意志や感情はなく、プログラムされた行動しか行なわない無機質な言動、行動が不気味さをあおる。
アンドロモンの開発技術は他の機械系デジモンに使われていることを彼らが知るのはまだ先のこと。
ようやく大暴れできる場所を確保できた太一たちは、一気に攻勢を強めるべく、デジヴァイスを掲げた。
バードラモンのメテオウイングにより、炎の流星が降り注ぐがアンドロモンはびくともしていない。
グレイモンとガルルモンが進化して対抗するものの、成熟期は一撃で粉砕してしまうアンドロモンの強さには為す術がない。
追い詰められた子供たちの中で、唯一この世界の秘密に迫りつつあった光子郎は、
自分の中にあった仮説を実証しようか、と思ったが、成功するとも失敗するとも分からない一発勝負である。
もし失敗したらみんなアンドロモンにやられてしまう。テントモンを危険な目に合わせたくない、と
いう思いから躊躇していたパートナーに、テントモンが自ら、実験の被験体を名乗りでた。前代未聞の進化の実験である。
それでも光子郎を信頼して実を委ねたテントモンは、光子郎のプログラム実行のエンターキーにより、進化をした。
カブテリモンと光子郎のパソコンに表示された昆虫型デジモンの雄たけびが工場内に響き渡る。
アリのようなパワーと、カブト虫のもつ防御性能とを合わせ持つとされ、攻撃・防御ともに能力値は高い成熟期めがけて、
アンドロモンのガトリングミサイルがさく裂するが、カブテリモンの頭の部分は金属化していて守りは鉄壁に近い。
完全体の猛攻などもろともせず、グレイモンたちの形勢を立て直すための囮を引き受けたカブテリモンに、光子郎が叫んだ。
アンドロモンのデータを分析していた光子郎は見つけたのだ。
表示された正規のデータと比較して、アンドロモンの右脚の装備に欠損があり、故障していることに。
光子郎の指示でカブテリモンのメガブラスターがアンドロモンの右足を直撃する。
そして子供たちの目の前で、黒い歯車が現れ、無残にも破壊され、データ自体が消えてしまったのだった。
カブテリモンも同様にもとのテントモンの姿に戻り、これで進化できる子供たちのデジモンは、4匹目を数えることになった。
正気に戻ったアンドロモンいわく、黒い歯車がベルトコンベアの間に挟まり作業を停滞させていたので、なんとかとろうとしているうちに、
故障している右足から侵入を許し、操られてしまったという。
アンドロモンの提案で、暑い砂漠よりも下水道をいったほうがいいと言われ、
子供たちとデジモン達は真っ暗な穴の中に進んでいくことになるのだった。






第十一話 ちびっこ探険隊 





「ねえ、光子郎さん。さっきパソコンでテントモンを進化させてたでしょ?」

「そうですよ」

「僕のパタモンも進化させられるの?」

「出来るかもしれませんね!やってみましょう」


タケルの頭の上に載っているパタモンが、ホント?!と耳であるオレンジ色大きな羽を広げて立ち上がる。
タケルも背伸びをして、ノートパソコンを抱えながらテントモンを進化させた時と同じプログラムを組み立て、
なれた様子でキーボードを打ち込んでいく。光子郎の様子を、はらはらしながら見つめていた。
しかし、なんの前触れもなくいきなり主電源を押してしまったかのように、いきなり画面が真っ暗になってしまい、
エラー音はおろか文字も一切現れなくなってしまった。
あれ?おかしいな、と再起動のプロセスを踏んでみるが、全く動く気配のないノートパソコン。
光子郎はしばらくうろうろしながら、考えつく限りの手段を講じてみるが、状況は全く変わらない。


「すみません、ちょっと今は難しいみたいです」

「ううん、ありがとう光子郎さん。パソコン治ったら教えてね」

「分かりました。その時は、パタモンが進化できるかどうか、頑張ってみましょう」

「うん!」


光子郎はパソコンの起動に時間がかかる様子で、テントモンといろいろ専門用語や難しい理論を交えながら討論し始めたので、
タケルとパタモンは邪魔にならないように、それとなくその場所から退散した。


「あーあ、残念だったね、タケル。進化できたらよかったのに」

「仕方ないよ、パタモン。パソコン動かなくなっちゃったんだから」


残念そうにオレンジの羽を横に垂れ、落ち込んでいるパタモンにタケルは励ますように笑った。
タケルがいいなら、いいや、という単純な理由で落ち込むのをやめてしまったパタモンは、
特等席である緑色の帽子からずり落ちそうになったので、慌てて羽ばたいて、タケルの頭の上ほんの少し中に浮いた。
タケルが帽子を深く深くかぶり直したので、その上から再び我が物顔でちょこんと陣取った。
パタモンは空を飛べるが、時速1キロのスピードしかでないため歩いた方が遥かに早い。
しかし、四足歩行が発達しているわけではないため、どうしても他のデジモン達と比べて小さい体をしているためか、歩くのも遅い。
そういうわけで、本人は納得してないが、必死に飛ぼうとしている姿がとても可愛いため、微笑ましい仕草が笑いを誘っていた。
タケルとにて、ちょっと泣き虫で、可愛らしい行動が多いパタモンは、実はピヨモンと同じで空を飛ぶのが苦手であり、
素早く飛べないのが悩みの種である。非常に素直で、タケルの言う事、みんなの言うことはよく守っている健気な性質をしている。
ずっと飛ぶと疲れてしまうため、移動するのに楽という理由からいつからかタケルの頭の上がパタモンの定位置になっていた。
大丈夫?と聞いてくるパートナーに、大丈夫だよーとパタモンは笑った。そんな無防備に笑っている二人に忍び寄る影がある。
抜き足、差し足、忍足、と足音と気配を消しながら、影が伸びる地下水道にてタケル達が気づかないようにしながら、
そのいたずら坊主に気付いた子供たちが視線を向けるが、人差し指を口元に置かれて、やれやれと肩をすくめた。
せーの、という小声と共に、謎の影がいきなりタケルの肩を叩いた。


「わあっ!」

「うわああっ!?」

「ひゃああっ!?」


下水道の中は想像以上に薄暗い。かろうじて下水道が通っている水路と、その両脇を歩くことができるコンクリートの道が見える以外は、
その円柱状のトンネルの形状すら忘れてしまいそうなほど先が長い。
ジメジメしていて、変な匂いもしている。水路は恐らく濁りきっていて、時折ペットボトルや空き缶、などのゴミが音もなく流れていく。
光も見えない薄暗い空間がずっとずっと続いている。なんか立っていそうで怖くて、敢えてそちらの方向を見ないようにしていた一人と一匹は、
本日の仕掛け人がやってくる方向にチラ見すらすることができず、完全にノーマーク状態だったのが拍車をかけた。
正直、何かが出る、と言われたら信じてしまいそうな雰囲気と光景が広がっている中で、すぐ側に仲間たちがいるから大丈夫だ、
オバケなんて、幽霊なんてでない、出ても怖くない、と心のなかで納得させていたタケルやパタモンにとってこの悪戯はかなり悪質だった。
耳元でいきなり大声をあげられた上に、両肩をいきなり力強く、がっと掴まれたのである。タケルとパタモンは、たまったものではない。
下水道のトンネル中タケルとパタモンの声が、さっきまで静寂に満ちていた世界に突如大きく甲高く響いていき、
何十にもやまびこにも似たエコーを放ちながら広がっていった。
慌てて飛び退いたタケルはその場から逃げるべく何十メートルも距離を取り、
置いて行かれたパタモンは涙目でタケル置いてかないでよーっと
パニック状態で叫びながら、タケルのもとへと飛んでいく。
心臓バックバクである。一瞬呼吸を忘れてしまったタケルは、目の前がにじんでいくの
を感じながら、ううう、と何とか込み上げてくるものを堪えながら、
おそるおそる振り返った。お兄ちゃん助けて、と叫ぶ寸前である。いざ、と息を吸い込
んだ時、である。
怯えるようにタケルのリュックにへばりついて、がたがた震えながら縮こまっているパタモンと共に、真っすぐ前を見た時である。


そこには、言葉を失ったまま、行き場を失った両手をそろそろと降ろした大輔と、ぽかーん、と口を開けたまま瞬きしているブイモンがいた。
タケル達の予想を超えたあまりの混乱、狼狽、大パニック寸前の態度、悲鳴にむしろ驚きすぎて、両者の間にいたたまれない沈黙が流れる。
いたずらを決行した張本人達、なんと用意していた言葉が全部飛んでしまったのである。
あはは、引っかかったー、とか、なーにビビってんだよ、おもしれえ、とか、言いながら大笑いする準備が出来ていたのだが、
タケル達の様子はむしろとんでもないことをしてしまったのではないか、という360度回って大輔たちを冷静にさせてしまっていた。


しばらく呆けていたタケルとパタモンは、自分たちが仕掛けられたどっきりに気がついて、みるみる顔が赤くなっていく。
それは大輔とブイモンの奇襲とも言えるいたずらを、誰ひとりとして止めてくれなかったという共犯関係に気づいたからであり。
タケルとパタモンだけが気づかなかったという事実があまりにも恥ずかしすぎるからでもあり。
それは明らかに笑いをこらえているみんなが、あからさまにタケル達から目をそらして肩を震わせていることに気付いたからであり。
その抑えきれない笑いの連鎖がさらに笑いを呼びこんでしまい、ある意味エンドレス状態になって地獄とかしていく様子であり。
中には腹を抱えて笑っている人もいて、その中には寄りにもよって、大好きなヤマトお兄ちゃんがいるという怒りがこみ上げてきたからでもある。
その中でも1番タケルとパタモンを怒らせたのは、やっぱりいたずらを実行した主犯格である大輔とブイモンである。
怒りと羞恥心とがごっちゃごちゃになったタケルは、うまく言葉を発することができない。
ただすっかり頭に血が上ってしまったせいで、いつもならば無意識のうちに身についている「いい子のタケル」を置き忘れてしまった。
怒りに肩を震わせながら、一歩一歩近づいてくるタケルと、頭の上で必殺技のエアショットをかまそうといきり立っているパタモンが、
じりじり、じりじり、と大輔とブイモンに迫り来る。
大輔とブイモンは顔を見合わせて、即座にヤバい状況であることに気づいて、だらだら
と汗を流しながら、じりじり、じりじり、と後退する。


「・・・・・・の」


いいから落ち着けと必死で説得しながら、両手でまったまったとサインを送る
大輔を差し置いて、すっかりビビリ腰でブイモンは逃げようと振り返った。
すかさずパートナーの裏切りを察した大輔はその青い尻尾を鷲掴みにして、べたん、とこけたブイモンを睨みつける。


「な、何逃げようとしてんだよ、ブイモン!」

「オレ悪くないもん!大輔がやるっていったから、仕方なく!」

「こらああ!お前もノリ気だったじゃねーか!逃げるなよっ、オレら運命共同体だろ!」

「こんな運命共同体やだよーっ!大輔を置いてオレは逃げるんだっ!まだ死にたくない!」

「ふざけんあああっ!お前も道連れにしてやるーっ!」

「大輔のばかあああっ!」

「うるせええっ!」

「大輔くんとブイモンのばかああっ!絶対許さないんだから!まてええっ!」

「よっくも僕達を驚かせたなああっ!僕怒ったぞーっ、エアーショット!」


間一髪かわした空気砲が、ざっぱーんと水路に大きな波を立てる。
ひいい、と大輔達は悪寒に凍りつく。
いつもその大きな予備動作と繰り出される技の威力が反比例で、避けられることも多く、あんまり威力もないことに定評のある
パタモンのエアショット。あんなに威力でかかったっけ?
大輔とブイモンは、あんまり遠くに行くなよーという無責任な太一の言葉に、仲裁という名の援護が入らないことを悟る。
何という理不尽だ、自分たちも思いっきり笑ってたくせに!助けを求めようと走り寄ろうとした足をとめる。
巻き込むな、こっちくんな、としっしと手を払う薄情すぎるサッカー部の先輩たちがいるのである。何ということだ。
逃げ場を失った大輔達は、一目散に太一達が進もうとしていた進路に一足先に駆け出すことにした。
怒りのあまり体力の消耗を自覚していないのか、火事場の馬鹿力なのか、
運動部に所属しているという話は聞かないタケルの追っ手が一向に弱まることはない。
むしろエアショットの威力が上がってる気がするのは気のせいか。つーか、なんであん
なに怒ってんだよ、あいつ。
しらないよーっとブイモンはぜいぜい言いながら走った。


「必殺技、友達に向けんなよおっ!」

「そ~言うときだけ、友達って言われても信じられないもん!」

「ごめん、ごめんってば、だからエアショットはやめてくれよっ!」

「だめーっ!まだ許さないーっ!」


後方から、大喧嘩の時よりも遙かに大きな怒鳴り声が響いてくる。正直言って、心当たりが全くない大輔はブイモンに聞いた。


「どんだけ怒ってんだよ、タケルの奴!俺達なんかしたっけ?」

「なんにもしてないよーっ!ただ、工場来る前に大輔がタケルを無視しただけじゃない?」

「えーっ?あん時タケル、何でもないっていってただろっ?!なんでオレが悪いんだよっ!」

「オレに聞かれても知らないってばーっ!」


ブイモンとの会話に必死になっていた大輔は、後ろからの追っての存在をすっかり忘れていた。
同時に二つのことを進行させることができない不器用さが、ここで足を引っ張ってしまった。
大喧嘩のあと、謝罪が遅れても許してくれたタケルである。
ちょっとちょっかいかけて怒らせても、すぐに謝れば許してくれるだろうと楽観視して
いたのが、思いっきり裏目に出てしまった。


「エアーショット!」

「うわあああっ?!忘れてたっ!ブイモン、伏せろ!」


あわててしゃがんだ大輔達。ほっとしたのもつかの間、ものすごい物音に気付いた大輔たちが後ろを振り返ると、
無我夢中で走っていたため気付いていなかったが、進行方向にあった大量のドラム缶に空気砲が直撃し、
がらがらがら、と大きな音を立てて退路をふさいでしまう。
大輔達の何倍もある大きなドラム缶が、その山からごろごろと転がってくるのだ。
ブイモンは大輔を守ろうと前に立ちふさがる。


「大輔、下がって!ブイモン、ヘッド!」


がこん、という音がして、豪快に投げ飛ばされたドラム缶がトンネルの天井に当たって、水しぶきを上げて水路にはまった。


「大輔、大丈夫?」

「おう、ありがとな、ブイモン。しっかし、あっぶねーなーもう」


ほう、と息を吐いた大輔は、ブイモンに差し伸べられた手で立ち上がる。
ぱんぱん、とジーパンを払って、大輔達は観念したのか、タケル達の姿が見えたのでそちらに向かうことにした。
その時である。ぐらぐらとしていたドラム缶がバランスを崩し、大輔達のすぐ横を通り抜けて、タケル達のところに転がっていったのだ。
ごおっという音を立てて横切っていった真っ赤なドラム缶に、大輔は血相変えてタケルに叫んだ。


「タケルっ、パタモンっ、危ない、となりの通路に飛び移れええっ!」


突然の大輔の叫び声に、え?という顔をしたタケルとパタモンだったが、ごろごろと凄まじい音を立てながら転がってくる影に気がついて、
あわてて横に飛び移ったのだった。
わーっという声がしたので、反射的にかけ出していた大輔とブイモンだったが、間一髪ドラム缶から逃れた友達の姿に安堵の溜息を付く。
せーの、でタケル達がいる対岸に水路を飛び越えた大輔とブイモンは、とりあえず、真っ先にごめんなさいと心の底から頭を下げたのだった。
今更、経験したことのないかけっこの距離がダメージに帰ってきたらしいタケルは、すっかり呼吸困難になっている。
さすがにタケルの頭の上にいるわけにもいかず、大丈夫?とパタモンは通路に降りて心配そうに顔を上げた。
こういう時は、激しい呼吸をしたがるのを我慢して、大きく深呼吸するようにして、中に空気を入れるといいというアドバイスが降りてくる。
こくこくと頷いたタケルは、言われたとおりにして、呼吸を落ち着けていく。
まさかこんな所で体力づくりの知識が役に立つとは思わなかった大輔である。
そして、パタモンが差し出したペットボトルの水を含む頃には、まだ呼吸は荒いものの、
なんとか言葉を話すことができるくらいには回復していた。


「大輔―、ブイモン、ごめんなさい。僕の攻撃のせいで」

「いいって、さっさと謝らずに逃げまわってた俺達が悪いんだしさ。お互い様だろ、パタモン」

「ううん僕達も悪いもん。喧嘩してたのに、助けてくれてありがと、大輔君」

「喧嘩してるからって、友達が怪我しそうなのにほっとける奴なんていねえよ。なーに当たり前のこと言ってんだ」


二人と一匹は笑ったのだった。


「ずいぶん遠くまで来ちゃったね。お兄ちゃんたちが心配してるから、早く戻らなきゃ」

「そうだよな。タケル、パタモン、大丈夫か?」

「うん、僕は平気だよ。でもタケルは?」

「僕も大丈夫。もう歩けるから、いこ」

「おー!」


元気の良いブイモンの声が響いて、遅れてみんなの笑い声がした。
静まり返る静寂の中、大輔達は今まで元きた道をゆっくり歩いて帰ることにする。
ところどころに曲がり角があったのは知っているが、
いちいち確認している暇はなかったため、一直線に走ってきたのだ、
また一直線に歩いて帰ればいいのである。迷いようがなかった。
それに、いくら喧嘩をしている二人が勝手に行動をとってしまったとしても、優しい仲間たちはきっと元いた場所、
もしくは最初の曲がり角があるところで、待っていてくれるはずである。
置いて行かれるという心配は微塵もする必要はない。だから焦る必要もなかった。
というわけで、自然と帰り道は二人と二匹のおしゃべりタイムが始まっていく。


「なあ、タケル、何であんだけ怒ってたんだよ。オレ、なんかしたっけ?
工場の前の休憩の時のこと怒ってんのか?なんか、らしくねえよ」

「ううん、違う。大輔君がうそつきだからだよ」

「はあ?なんでオレがうそつきなんだよ」

「だって大輔君、僕にいってたでしょ。太一さん達に構ってもらえるのずるいって。羨ましいからやめろって。
だから僕、我慢してたのに、大輔君今日の朝からなんか太一さんとか空さんとかお兄ちゃんに優しくされてるんだもん、ずるいよ。
それに、光子郎さんからプレゼントもらってるし、ミミさん達と楽しそうにいっぱいおしゃべりしてたし。
僕、みんなに置いて行かれないように歩くのにたいへんで、みんなとおしゃべりするヒマないのに」

「ヤキモチかよ」

「やきもちじゃないもん」

「ヤキモチだろ。なーんにも言わなくっても、ヤマトさんとか、空さんにずーっと付いててもらってるじゃねーか。
オレはなんにもしなくても構ってもらえるタケルと違って、みんなの役に立つことしない
と甘えちゃダメなんだ。
ミミさんとしゃべってたのは、手伝えることないかって聞いたら、お話相手してって言われただけだよ」

「え?なんで、お手伝いしないと甘えちゃだめなの?」

「・・・・・・・・なんでもない」

「むー。でも、僕甘えてないもん。遠慮してるもん」

「えー?嘘だろ、あれでか?」

「嘘じゃないよ。ホントはもうおうちに帰りたいし、お父さんやお母さんと会いたいし、
お兄ちゃんともっともっと遊びたいけど我慢してるんだ。迷惑かけちゃだめでしょ?」

「べっつにいいんじゃねーかな。ミミさんだっていっつもいってるじゃん」

「うーうん、だめなんだ。僕、お兄ちゃんに甘えちゃだめなんだ」


ぽつりとつぶやかれた言葉にしては、やけにはっきりとした声がトンネルに響いた。
いつになく真剣そのものの表情で決意めいたものを見た大輔は、
タケルとヤマトの抱える複雑な家庭環境に根ざしたものだと嫌でも気づく。
しょうもない理由だったら、ふーん、なんで?と興味のかけらもなさそうな顔を
したまま、あっさりと突っ込んでいけるが、
さすがにそんな事できるわけがない。大輔も表情を引き締めた。
聞いてくれると判断したらしいタケルは、ほっとした様子で笑った。
勇気を持って告白した心中をスルーされたと感じたら、それこそタケルは傷つくだろう。
タケルの事情をある程度把握している今なら、相手の立場にたって考えるやり方は
十分通用する。大輔は何にも言わないまま、先を促す。小さく頷いたタケルは教えてくれた。


タケルの両親が離婚したのは、タケルが丁度小学校に進学する前の年、幼稚園卒業の年だったらしい。
仕事で忙しいという建前ではあったが、なかなか両親が会いに来てくれなかったり、不自然なまでに優しい親戚の家に預けられた時から、
うすうす家庭内の違和感は感じていたらしいが、もうその頃からタケルはヤマトに守られていた。
親戚や近所の事情を知る大人たちからの含みを交えた言葉を意図的に遠ざけ、タケルではなくヤマトが一身にその言語を受け止め、
対応を迫られている場面には何度も遭遇していた。
しかし、事情を一切知らされていないタケルは、遊んでいろといって大人の中に混じっていくヤマトが、
大人扱いされていて羨ましいと見当違いにも程がある勘違いをして、不満に思って、怒ったり拗ねたこともあったらしい。
しかし、タケルを守るお兄ちゃんとしての自分を拠り所にしていたヤマトは、どこまでも優しかった。
いつもごめんと言って自分から謝ってくれるのだ。きっと両親の喧嘩を目撃して、仲裁したり、巻き込まれたり、
タケルに気付かれないように必死でかくしていたに違いないのに。
今でも直接ヤマトはタケルにすべてを教えてくれはしないけれども、もうここまで来れば嫌でもタケルは理解していた。
両親が離婚するとき、子供は必ず一度はお父さんとお母さんのどっちがいいか聞かれるということを、
引っ越した先のアパートのおばさんからタケルは初めて聞かされた。
お兄ちゃんがいるとしっていたおばさんは、優しいお兄ちゃんだねえと笑っていたが、その瞬間にタケルは全てを察したのだ。
タケルは母親と一緒に済んでおり、ヤマトは父親と一緒に住んでいる。
タケルは何故お兄ちゃんが一緒にお母さんのところに来てくれなかったのか、とずっと思っていた。
お父さんがひとりぼっちは寂しいからだとタケルは思っていた。
酷い時には、僕のことが嫌いなんだと泣いたこともあるが、その時母親にこっ酷く叱られたことで、泣き止まないタケルにいらついた母の一言で、
タケルは自分の置かれていた立場が想像以上に残酷であることを不幸にも知ることになってしまう。
長期化した裁判や世間体、親類に対する説明、トラブル続きの仕事など子供の知らないところで両親も傷つきながらの果であることを知るのは、
まだまださきである。
きっとそういった一面もヤマトの心のなかにはあっただろうが、そんな甘いものではなかったのである。
離婚調停には、様々なことが裁判の上で取り決められる。
子供の親権を争うこともそのひとつであり、タケルからすればずっと一緒に暮らせる特権だと思っている。
かつて夫婦であったタケルの両親は、父親と母親一人ひとりが子供をひとりずつ引き取ることが決定されていたのだ。
つまり、初めからヤマトはタケルと一緒に住むことはできないと決められていたのだ。
そして、まだ物心ついたばかりのタケルのことを考えて、ヤマトはその残酷すぎる質問
に対して、
まだ小学校3年生であるにも関わらず、迷うことなく即答したそうである。
俺が父さんと一緒に住むと。家事とか全部俺がやると。まっすぐ言い放ったそうである。
その時から、タケルの中では自分がお母さんをとってしまった、という強烈な負い目が生まれてしまい、
今でもなかなか遠慮が抜けず、本心からヤマトに思いっきり甘えることができないそうである。
ヤマトはきっとタケルの心中に気づいていない。そして今でもずっと一切告げないまま、過保護なお兄ちゃんでいてくれる。
それがタケルにはもどかしいが、どうすることもできない。だから、といったんタケルは言葉を切った。


「どうしよう、僕悪い子だよね」


小さくつぶやかれた言葉は、震えていた。
タケルは愛されている、大切にされていると実感することができる、守られる立場であるためには、何だってする子供である。
いい子にもなるし、我慢だってするし、わがままだって言わないし、辛くてもずっと笑っている。
だから置いて行かないで、と続くのだ。喧嘩は人がいなくなってしまう恐ろしいことだと半ば刷り込まれていたタケルにとって、
生まれて初めてした大喧嘩で大輔と友達になれたという事実は、トラウマを大分半減していた。
だから、甘えているといわれた時には、非常にショックを受けていた。もっと我慢しなくちゃだめなんだと思ったのに、というわけだ。
構ってもらえたり、遊んでもらえたりする対象が常に自分でなければ心配で心配でたまらないのである。
それを友達である大輔に取られているという恐怖と、嫌われてしまうのではないか、という恐怖を密かに抱えながら
こんなことみんながいる前では話せないから、話す機会を伺っていたら、一回大輔の方から潰された。
そして、何にも知らないくせに、ちょっかいを掛けられた。それがぷつんとタケルの中の許容範囲を超えてしまったのである。
ぽつりぽつりと話していたタケルがふと隣を見て驚いた。なんと大輔が泣いているのである。
え、え、どうしたの?!と予想外の展開に、過去を思いだして泣きそうになっていたタケルは、感傷的な感情が彼方に吹っ飛んでしまう。
ぼろぼろ涙を流しながら、うるせえよ、と鼻声でこぼした大輔は、ぽんと言葉を投げたのだ。


「仕方ねえだろ、涙が止まんないんだよ!」


ぐしぐしと乱暴に涙を拭った大輔は、目を真っ赤にしながら上を向いた。
タケルの話に完全に感情移入してしまっていた大輔は、同情を通り越して同一視する所まで突っ走ってしまっていた。
その言葉により、大輔の言いたいことはなんとなく分かったタケルは、ありがと、と小さくつぶやいた。
なんだか立場が逆転してしまっているが、しばらくして大輔が口を開いた。


「オレ、怒ったよな、タケルとヤマトさんが仲いいってうらやましいって。オレ、姉貴と仲悪いから」

「うん」

「でもな、嬉しかったんだよ。オレ、姉貴と仲よかったことないし、あったのかもしれないけど、もう思い出せねえし。
だから、仲直りしたいとは思ってたけど、そっからどうしたいのか分かんなかったんだ
よ。
今までは、オレんちが仲悪いの知られんの嫌だし、仲悪いのって変だから、仲いい兄弟見るのっていやだったんだ。
他の家じゃ当たり前なのに、なんでオレだけこんなに姉貴と仲悪いんだろうって思っちまうし。
でも、タケルとヤマトさん見てたら、なんとなく分かったんだ。
オレ、姉貴と仲直りしたら、タケルとヤマトさんみたいな感じになりてーなって。
そしたら、タケルがヤマトさんとまだ仲わりいっていうから」

「仲悪くないよ!」

「甘えらんねえんだろ?」

「そ、そーだけど、そーじゃないもん!」

「あはは、なに怒ってんだよ。第一、オレがイメージしてる仲いい兄弟ってお前なんだから、
イメージ壊すようなことすんなよな。甘えらんないんなら、甘えろよ。
おにーちゃーんって思いっきり抱きついてみろよ、ぜってーヤマトさん喜ぶぜ」

「えーっ、なにそれ!話聞いてたの?大輔君!」

「聞いてた聞いてた。でもな、タケルがお兄ちゃんっていったとき、すっげー嬉しそうな顔してると思うぜ、ヤマトさん。
あの人、なんでか、いいお兄ちゃんになろうって頑張ってるのに、隠そうとしてるよな、変なの」

「え?そうなの?」

「だってさ、魚のやつ、あっただろ?竹の奴でぐるぐるってして、病気になるやつ全部一気に取れる奴。
あれ、ぜってータケルに見せるために自慢したくて、こっそり調べて勉強して、練習してんだ。
だって、それ言いかけたら、ゼッテータケルに言うなって怒られたし」

「へえー、そうなんだ。お兄ちゃん、僕のために頑張ってくれたんだ」

「俺、全然タケルの考えてること、難しくて分かんないけどさ、
ヤマトさんに甘えるの我慢すんのは持ったいねえ気がするなあ。
オレなんて、今ここに姉貴いないんだ。それだけでもすっげーチャンスだと思うけどな」

「うーん、でも、まだちょっと難しいや」

「別に今すぐじゃなくてもいいだろー、どんなにせっかちだよ」

「えへへ。大輔君のお手本にならなきゃいけないんでしょ?頑張ろっかなーっておもって」

「ちょ、おま、うぜええ!」


もう、大丈夫かな?とブイモンとパタモンはお互いに顔を見合わせる。大丈夫みたいだ
な、二人とも笑ってるし。
パートナーがお互いの話に夢中で、ずーっと放置されているパタモンとブイモンは、とうとうしびれを切らし、
構ってくれ!とばかりにお互いのパートナーのところに飛び込んだのだった。




[26350] 第十一話 ちびっ子探険隊 その2
Name: 若州◆e61dab95 ID:6d97b25a
Date: 2013/08/02 23:50
「ひいっ!」

「どうしたの、大輔君?!」

「な、なんかオレのく、首にいっ!」


みるみるうちに顔面蒼白になった大輔は、あわてて何かを払いのけるような動作をし
て、大きく頭を振った。
突然の相棒の怯えように、反射的に戦闘態勢になったブイモンはすかさずあたりを見
渡して警戒するが、
変わらず地下水道は物音ひとつせず、薄暗い空間には、ただゴミを運んでいく水路
の音だけが響いている。
我に返ったらしい大輔はおそるおそる首筋に当たったらしい何かを確認すべく手を当
ててみる。
すると、一瞬感じたひやりとした感覚は、何か冷たい液体のようなものがあることを
示していた。
そしたら今度は手の指先に当たる冷たい感覚。顔を上げた大輔が手をかかげてみる
と、
ぴちょん、ぴちょん、と一定の間隔で落ちてくる水滴。
その一連の様子を見ていたタケルとパタモン、そしてブイモンの視線が自然と大輔に
方に向く。
張り詰めていた緊張感が一気にほぐれていく。
6つのお騒がせ者に対する冷ややかな視線にも気づかないまま、なんだよ、水かよ、
びっくりさせんなよ、もう、と
大きく脱力した大輔は、はあ、と安堵の溜息を付いた。
なーんだ、とブイモンは笑って再び大輔の傍らに駆け寄った。


「あははっ、なんだあ、驚かさないでよー。大輔君もオバケとかこわいんだ」

「うっせえ!ち、ちっげーよ、別にオバケなんて怖くない!」


オバケなんてうそだろ、寝ぼけた人が見間違えたんだって、絶対!
違う、違う、違うんだからなと必死に否定すればするほど、
先程の地下水のトンネル全体に響き渡るような絶叫とギャップが大きすぎて、あべこべに見えてしまう。
羞恥心から赤くなった顔を見られまいと、ばつ悪そうに顔を背けた大輔はさっきよりも早足で先に進む。
ブイモンがそれに気づいて後を追う。タケルとパタモンは顔を見合わせて、くすくすと笑っていたが、
問答無用で置いていこうとする友人たちに、まってよーとあわてて後を追いかけた。
なに笑ってんだよ、と不機嫌そうに口を尖らせる大輔に、ちょいちょいと袖を引いたブイモンが、
なんだよ、と振り返るパートナーに、耳まで真っ赤になっているからバレバレだと指
摘した。
一瞬虚をつかれた顔をした大輔が耳に触れてみると、確かに熱を持っている右耳。
むぐぐ、と言い返す言葉もごまかせるような言葉も浮かばなくなった大輔は、
すっかりすねてしまいそっぽ向いたまま沈黙してしまう。
そんな和やかな空気の中で、早く離れてしまった他のメンバーたちと合流しようと先を急ぐ子供たちの前に、
なにやら変なモノが見えてきた。思わず足を止めた大輔とタケル、そしてブイモン。
よく見ようとタケルの頭の上で背伸びするパタモン。
彼らの前には、何故かソフトクリームから連想できる例のあれが、ピンク色のあれが、大量に落ちていた。
なんだこれ、と彼らの心のなかの声がひとつになったとき、彼らは嫌な光景を目にしてしまう。
例のあれがこれから大輔たちが太一達と合流するために行かなければならない先に、ずーっと落ちているのである。
足の踏み場もないくらいに、びっしりと。それはもう、びっちりと。
どうしよう、これでは先に進めないではないか、と沈黙したまま大輔達は顔を見合わせた。
よく見れば、水路にへばりついて溶けかかっているものもあるし、大量に落ちている例のあれは全部踏まれた後がある。
何かぬめぬめしたものが這いつくばっていったのか、不自然なまでに形状を引き伸ばしているものもある。
嫌な予感しかしない。近くには通路が分かれていて、小さな光が見える所を見ると、外に通じているようである。
しかし、その通路もよく見れば、その例のあれを踏んづけたままズルズルと這いつくばっていたやつが、登っていたらしく、
いろいろとこびりついているのがいやでも眼に入る。


「………ねえ、こっちに来る前に、外に通じてそうなトンネルあったよね?」

「………そうだよな。引き返すのめんどくさいけど、もっかい戻ろーぜ」

「さんせー」

「オレも賛成。というか、早くこっからでないと、やばい、気がするんだ」


この奇妙奇天烈な惨状に心あたりがあるのか、ブイモンは顔を引きつらせながら、早くここから出ようと促してくる。
どうしたんだよ、と疑問符を浮かべる大輔に、いいからはやく!と大輔の後ろに回ったブイモンが、グイグイと押してくる。
そしてタケルとパタモンに振り返ると、早く付いてくるよう手招きしてくる。
訳がわからないまま駆け足で曲がり角を探し始めた大輔達の後ろから、何やら無数のうごめくものの音が聞こえ始めたとき、
ブイモンはますます血相変えて急げ急げと大輔を急かせる。
躓きそうになりながらも、なんとなく置かれている状況が理解でき始めた大輔とタケルは、おそるおそる後ろを振り返った。
なんか大きな目玉がたくさんこっちの方をぎょろりと見て、ものすごい勢いで追いかけてくるではないか。
しかも、なんか気持ち悪い甲高い声をあげながら、何かが這いつくばってくる。
粘着質の音が怒涛の勢いで近づいてくるではないか。
生理的な嫌悪感から真正面から見るのを本能的に拒んだ大輔達は、さっきよりも走るスピードを早める。
パタモンもようやくブイモンが恐れている事態を把握したのか、
タケルから振り落とされないように必死で帽子にしがみついた。
なにあれーっと思わず叫んだタケルに、パタモンがヌメモンだよーっと叫んだ。



デジモンは成長期時代の生活習慣、戦闘経験、日々の鍛練、という3要素によって成熟期が決定する。
規則正しい生活をしているか、トレーニングで体を鍛えているかなど細部にわたる判定の結果、
怠慢という烙印を押されたデジモンが等しく進化する先はヌメモンという成熟期なのだという。
その衝撃的な攻撃方法によって、進化してしまった本人は大いに反省することになる雑魚デジモンの筆頭だった。
ぎょろりとした大きな目の玉を二つ持ち、大きな口から真っ赤で長い舌をいつも舌をだしながら動いている緑色のスライムだ。
ナメクジのようにヌメヌメとした体をしている。暗くてジメジメしたところ、
つまり地下道エリアが大好きで知性や攻撃力はなく、本能のままに生きている。
ちなみに大人しくて臆病な彼らの主な仕事は、他デジモンの粗相を回収することである。
自分から戦おうとはせず毎日だらだらと生活しているが、敵に襲われると仲間達と共に集団で襲いかかってくる。
ブイモンとパタモン曰く、デジモンの中でも、この世界でも嫌われ者の筆頭だという補足が加わるが、
そんなことどうでもいいとばかりに大輔達は一目散に、ようやく辿りついた曲がり角を一気に駆け上がった。
狭くてくらい世界が一気に広がる。暗いところから急に明るいところに出た二人とデジモン達のまぶたに黒い斑点が飛んでいき、
やがて一面に広がるサバンナのような光景が現れる。
あっぶねえ、よかった、ギアサバンナに戻ってこれた、と大輔とブイモンが軽くハイタッチする。そして笑った。
空を見上げれば、雲行きがあやしいものの、雲から太陽の光が照っていた。
振り返れば、日の当るところが苦手らしいヌメモンの大群が、恨めしそうにぎりぎり影のところを境界に先に進めないのか、
みっしりとトンネルを塞ぐようにこちらを睨んでいる。
あまりの気持ち悪さに鳥肌がたったらしいタケルは腕をさすりながら、ふう、と逃げ切れた安堵感から溜め息をこぼした。
大輔も同様だが、ヌメモンは太陽の光が出ていなければやばい。
外は活動範囲が広がってしまうとブイモンに言われて、うそだろ、と顔を引きつらせた。
太陽が顔を出している間に少しでも距離を稼いでおかないと襲われてしまうのは眼に見えている。
しかし、適当に逃げたのではそれこそ太一達と完全にはぐれてしまう。
どこから来たのかわからなくなるのは、あまりにも致命的だった。
合流すべき場所に確実に通じていたはずの道が塞がれてしまった今、
別のところから地下水道に入る場所を探さなくては行けなくなった。
飛び出してきた地上への通路は、大きな大きな赤土ののぞく山にある。
つまり、この山をずーっと本来進むべき方向にたどっていけば、
太一達がいるはずの場所に通じる穴を見つけることができるはずだ

タケル達は仕方なく、ヌメモンたちから隠れる場所がないかとあたりを探し回りながら、
必死でその場所から真っ直ぐ進んでいくことにした。
パタモンがタケルの頭から離れて、ゆっくりとした速度で空高くに舞い上がってい
く。
どーだ?とまぶしそうに右手で影を作りながら、逆光のする空を見上げた大輔の言葉に、
きょろきょろとあたりを見渡していたブイモンは、ぐるぐると旋回すると、あったー!と大きく声を上げる。
どっちー?とタケルが口元に手を当てて叫ぶので、パタモンは大きく体をそちらの方
向に向け、飛んでいく。


「あっちの方に1個だけ穴があるよー!」

「じゃあ、あっちだな!大輔、タケル、急ごう!」


パタモンが飛行能力の限界からかどんどん降下していくのを受け止めたタケルは、
お疲れ様、と笑って頭の上に乗っけると、大輔たちと共にその場所へと急いだ。
しばらくして、大輔たちが這い出してきた穴と同じくらいの大きさの穴が見つかる。
一目散に駆け寄った彼らはそこを潜ろうとして、そして、
とある事実に行き着いてしまい、立ち往生するはめになってしまった。


「なんでヌメモンがここにもいるんだよーっ!太一さん達のところに行けないじゃ
ねーか!」

「なんか、いっぱい落ちてる………」


空を見上げれば、太陽はまだまだ健在であり、雲行き怪しかった天気も雲と雲の割れ
目が大きくなってきたのか、
相変わらず大輔達は暖かな光に守られて、トンネルから飛び出してきたヌメモンたち
に襲われる気配はない。
それでも、いつ太陽が隠れてしまうか分からない不安定な天気である。一瞬でも隙を
みせれば襲いかかってくるだろう。
ようやく見つけた通路もびっちりとヌメモンたちがうごめいており、先に進むことは
難しそうだ。
しかもそのまわりは、さっき下水道で見たたくさんのあれが落ちている光景が、完全
に再現されている。
大輔が怒るのも無理はなく、タケルが目を背けたくなるのも無理はなかった。
これでは太一達に会いに行けない。どうしよう、と二人は顔を見合わせた。
周りを見れば、ずーっと先にここから一直線に続いているあれの道が、
3つほどに別れて、森の中、サバンナを真っ直ぐ突っ切る道、
花畑に続く道、とわかれていく。もしかしたら、ついさっきまで曇だったのかもしれ
ない。
ヌメモン達の大行進の痕跡がいやでも眼に入る。
そして、タケルと大輔は無言のままおそるおそる顔を見合わせた。この大行進に見覚
えがあるからである。
あれ?もしかして、もしかするのか?しちゃうのか?といった様子で
大輔は薄々感じていた嫌な予感に、ちら、と後ろにあるトンネルの入口を見る。
タケルも同じことが頭を過ぎってしまったらしく、口に出していいものかどうか、
迷っている。嫌だ。正直、口にだすのは絶対嫌だ。
でも状況とタケル達が見てきた光景がそれを物語っている。答え合わせをすべく、
どちらともなく二人は口を噤んでしまった。


「なあ、もしかして、さっきオレ達が引き返してきた入り口って、これじゃねーか?」

「うん、僕もそう思う。おんなじくらい歩いたもん。ねえ、大輔君、ってことは、も
しかして」

「オレ達みたいに下水道にいた誰かが追っかけられて、逃げようとして外に出たんだよ
な」

「でも、お日様が出てなくって、曇りで、ヌメモンたちが出てきちゃって、」

「このままじゃ捕まっちゃうから、3つくらいのグループで別れて、逃げた……?」


大輔とタケルの会話にパタモンとブイモンは顔を見合わせて、あわわわわ、とヌメモンの大行列の跡を見る。
みんな青ざめるしかない。8-2=6。小学2年生なら簡単にできる引き算。加え
て、3つのグループと言うことは。
とまだ割り算を習っていない2人は、思い浮かぶ名前をそれぞれ指折り数えながら、3つのグループを作ってみる。
ぴったり丁度である。タケル達は居ても立ってもいられず、かけ出した。大変だ。その一言だけで十分だった。
大輔たちを待ってくれていたはずの太一達が、ヌメモン達に襲われて、ずーっと逃げ続けているうちに
ばらばらになってしまったのだ!
あえずヌメモン達の跡を追いかけていった大輔達は、自動販売機がたくさん立っている荒野に出た。
残念ながら全ての自動販売機はかぱりと中がオープンになっており、缶ジュース一本入っておらず、
何故かからっぽの空洞が晒されていた。そしてそこからふたたびピンク色のソフトク
リームがたくさん投げ飛ばされていた。
どうやらここからも、ヌメモン達の大群が新たに加わったらしい。想像するだけで悪寒がする光景である。
ますます大輔達は太一達のことが心配になった。そして、暫くの道なりの後、3つに別れている道で立ち止まる。


「みんな、どっちにいったのかなあ?」

「うーん、わっかんねー。早く探さないと太一さんたちが危なかったら大変だ!急ご
うぜ!」

「えーっ!ダメだよ、僕達一緒にいったほうがいいよ。迷子になっちゃったら大変だ
もん」

「えー、そうかあ?」

「そーだよ。みんな、僕達よりずーっと大きいから、きっと大丈夫だよ。だってタケ
ルや大輔が逃げられたんだから。
大輔君が心配するのは分かるけど、僕たちじゃ何にもできないよ?」          
「そんなことないって!オレと大輔がいれば、なんにもこわいことなんかないんだ。ね!大輔」

「おう。なにビビってんだよ、タケルもパタモンも。進化できなくったって、オレ達にしかできないことなんてたくさんあるだろ?
はやくさがそうぜ!」

「うーん……でも。ヌメモン達がたくさん襲ってきたらどうするの?」

「簡単だろ?逃げるんだよ。そういうの、逃げるが勝ちっていうんだって」

「えー……。でも、大輔君。今、お日様があるから、たぶんヌメモン達どっかに隠れちゃったんじゃないかなあ?
お兄ちゃんたち、大丈夫だと思うよ?」

「あー、そっか。ちぇー、太一さんたちの手助けできると思ったのに」


ブイモンと顔を見合わせて残念そうに肩をすくめる大輔に、役に立てることをしなければ甘えてはいけないのだ、という
大輔の言葉を思い出したタケルは、小さく首をかしげた。
タケルとヤマトの兄弟関係を理想像だと語ってくれた大輔は、タケルに悩みなんて気にしないで、まずは思いっきり甘えてみればいい、と
力強く後押ししてくれた筈なのに、どうして自分はわざわざそんな条件を付けて、
みんなに甘えることを我慢しているんだろう、と考えてしまう。
タケルからすれば、みんなの役に立つという大輔の語るそれは、
無謀とも言えるほどの目標であり、きっとタケルなら思いつきもしないものである。
わざわざ自分からそんなにハードルを高く設定して、辛くないんだろうか。
見る限りでは、大輔もブイモンもその目標に向かって頑張ることをなによりも大切に
しているのは、生き生きとしている様子からも感じられるし、
全く苦にする様子はなく疑問にも感じていないし、違和感も全く覚えていないようだから、
大輔とブイモンからすればそれでいいのだろう。
理由を聞いたが教えてくれなかったのは気になったが、きっと大輔とお姉ちゃんの問題に関わることなのだろう。
タケルの相談に乗ってくれたから自分も乗ってあげたいと考えるタケルだが、
大輔達は今のところ全然そんな様子は見受けられないし
未だにヤマトからの宿題は検討がつかないのはタケルも同じだったから、アドバイス
なんてできそうもない。
きっと相談に乗って欲しくなったら、タケルと違って大輔は自分から言ってくるだろ
うから、待っていればいいだろう。
そういう結論に達して、タケルはその疑問はとりあえずおいておくことにした。た
だ。

「大輔君、ブイモン、お兄ちゃん達に大変なことがあってほしいの?そんなこといっ
ちゃダメだよ」

「あ、わりい、タケル、オレ達そういうつもりじゃないんだ。ごめん」

「ごめーん」


失言を咎めるのは忘れなかった。しかし、肝心の、どちらの方向に行ったらいいのか
わからない。なかなか決まらない。
結局、グーとちょきとパーの道を決めておき、ジャンケンで勝ったときに出したカタ
チで先に進むことになった。
何度かのアイコのあとで、大輔が勝ったため、パーのまま、まっすぐに進むことに
なった。
暫く進んでいったが、まだまだあれの道は続いている。
先はまだまだ長そうだ、と思われたのだが、何故か途中でヌメモン達はおろか
この先に逃げていったであろう子どもたちの姿がぱったりとその痕跡を消してしまっ
たのである。
すっかり途方にくれていた二人は、顔を見合わせた。
メンバーの中で唯一、1番高い視点から世界を見わたすことができるパタモンは、
懸命に耳を羽ばたかせながらあたりを見渡した。


「あっちの方向におもちゃの街があるよー!」

「おもちゃの街ってなに?ブイモン」

「おもちゃの街って、もんざえモンっていうデジモンが町長さんをやってる、遊園地
みたいなとこだよ、タケル。
こーんなにいっぱいのたっくさんのおもちゃや風船が、迎えてくれる、すっげー楽し
い場所なんだ」

「へえー、この世界にも遊園地ってあるのかあ。ジェットコースターあるのか?パタ
モーン」

「うん、あるよー。すっごい速いのが。でも僕は観覧車のほうが好きだなー」

「おお!」

「お兄ちゃん達見つけたら、あとで行ってみようよ、大輔君!ねえ、パタモーン、お
兄ちゃん達みつからなーい?」

「うーん、いなーい。おっかしいなあ、って、ああ!」

「どうしたのー?!だれかいたの?!」

「ううん、みんなじゃないけど、もんざえモンが見えるよー!たっくさんの青いハー
トの風船もってる!
なにか知ってるかもしれないから、きいてみよーよー!」

「オレもパタモンにさんせー!もんざえモンはおもちゃが大好きで、おもちゃももん
ざえモンが大好きで、
みんなを幸せにするいいデジモンなんだ。きっと力になってくれるよ、大輔、タケ
ル」


ブイモンの提案で、二人はタケルの頭に帰還したパタモンの先導のもと、先に急ぐこ
とにした。
黄色い豆粒くらいしか見えなかった輪郭が、だんだんクマのぬいぐるみの形になってくる。
お腹が白く、それ以外は全身が黄色の大きなクマのぬいぐるみのパペット型デジモンは、
背中にチャックがついていて、誰かがいるのは確かなようだが、だれが入っているの
かはだれも知らない。
おもちゃの街という遊園地のような華やかで楽しい街で、おもちゃを誰よりも愛し、
また愛されながら暮らしている町長である。
愛らしい外見のわりには目が怖いが、ブイモン曰く戦いを好まない優しい性格らしいので心配はいらないだろう。
そう思っていたのだが。
急いでもんざえモンのもとに急いでいたタケル達は、青い風船が思っていたよりもずっとずっと大きなものであると、
しっかりと自分の目で確認できるような距離まで追いついたのだが、もんざえモンは気づかないまま先に行ってしまう。
待ってくれと必死で呼びかけようとした大輔は、青い風船の中に見覚えのあるシルエットが見えて、驚きのあまり立ち止まってしまった。
指差す大輔につられて、よーく目を凝らしたタケル達は、その青い風船一つ一つに、
なんとずっと探していた太一達が閉じ込められていることに気付いた。
なんとおもちゃの街のやさしいデジモンであるはずのもんざえモンが、子供たちとデジモン達を捕まえてしまっているのである。
飛ばされていく風船の数は、全部で10こ。大輔とタケルを抜いたらあと一人と一匹がなんとか逃げ延びていることになる。
それが誰なのか確認することができないまま、もんざえモンはおもちゃの街に太一達を連れ去ってしまった。


「大変だ、なんとか太一さん達を助けなきゃ!」


居ても立ってもいられず走りだそうとする大輔を、あわててタケルは腕を掴んで引き
止める。
大輔は驚いた、なんで目の前でヤマトさん達が捕まってるのを目撃してるのに、
タケルは大輔を止めようと必死になっているのかわからない。
別に真正面から突っ込んでいくわけじゃないんだ、後をつけていって様子を見てくる
だけだから、と言葉を重ねてみる。
それくらい無謀なのは大輔だって分かっているつもりである。
しかし、頑ななまでにタケルは反対の姿勢を崩さない。そして、大きく首を振った。
放せよ!みんなが!と遠ざかっていくもんざえモンの背中を睨みながら、必死で振り払おうとする大輔に、
タケルは待って、待ってよう!と必死でずるずるずるとなるまで踏みとどまった。
タケルからすれば、大輔の言葉は全部一人で飛び出していこうとする言い訳にしか聞こえない。
なんで大輔君はいっつもいっつも自分一人でどんどん決めて、どんどん先にいっちゃうんだろう!信じられない!
1番年も近いし、友達だし、いろいろ話しやすいの僕だと思うんだけど、違うのかなあ、と何度思ったか分からない。
全く頼りにされている気配もなければ、その頭の中には上級生達以外に本当に存在しているのかすら心配になってくるほど、
自分がアウトオブ眼中なのが分かってしまい、タケルは余計辛かった。
そりゃあ、上級生のほうが頼りになるだろうし、自分が1番頼りにならないし、大輔君の場合は一人で問題を解決しちゃうような子だから、
そういうことまで求めてしまうのは贅沢なのかもしれないけれど、ちょっとくらい夢見たっていいじゃないかと思ってしまう。
友達って、相談に乗ってもらったり、一緒に遊んでもらったり、一方的な関係ではないはずだ。
こういう上級生が誰もいない時こそ、一緒にいろいろ話しあって、助けあって、頑張っていくのが友達なんじゃないのか。
ちょっとくらい、相談を持ちかけてくれてもいいんじゃないかとタケルは思うのだ。
なんでブイモンは止めないで、むしろ一緒に行く気になっているのか分からない。だから止めるしかないのである。
強行なまでのストッパーに納得行かないという顔をありありと浮かべて、なんでだよ、と半ば八つ当たり気味に叫んだ大輔に、
タケルは落ち着いてよ!と呼びかけた。舌打ちをして、イライラしている大輔は、タケルを睨みつけた。
ここで大輔の長所でもあり短所でもある感情と行動が直結しているという面が、顕著にマイナス作用として現れていた。
特攻隊長とあだ名される通り、その場の感情の勢いで突発的な行動に出てしまう大輔は、頭の中では分かっているつもりでも、
この状態になるとすっかり感情に振り回されてしまい、完全にまわりが見えなくなってしまう。
通信簿でも落ち着きがありませんと書かれる理由はここにある。
こうやって目の前で自分の大切な人たちが危険にさらされているという状況下になると、居ても立ってもいられず飛び出してしまう。
自分の絆の中に入れてしまった人間に対して、非常に義理堅い性格であるが故の大輔の行動だが、
太一と違って全てを内包せずに一つのことに一直線になってしまう点、
守りたいと考えているみんな、の中に自分がすっぽりと抜け落ちてしまっている点、
そしてなによりも守るために必要な力もなければ、
自分が出来ることをはっきりと自覚出来ていないという点で、今ここではそれは単なる無謀であり、
やがて彼が尊敬する先輩から引き継ぐことになる勇気とは到底言えるものではない。
最もこれは彼が憧れている太一と同様に陥りやすい状態である。
太一と大輔で大きく違うのは、やはり年齢と兄と弟という立場による理性の作用の仕方である。
あくまでも現段階で大輔がその勇気と似た行動を冷静なカタチで行うことができるのは、
自分のことを見ていてくれる保護者的な立場の人間がいるという安心感、心の余裕があってこそ発揮されるものであり、
その存在を排除されてしまった今、非常にそれは不安定なものでしかなかった。
そういう点で、まだ大輔という少年は幼すぎた。
唯一の幸運は、やがて成長していく中で、彼の持つ危うさを止めることができる人間がいなくなってしまうかもしれないが、
現段階に置いて彼はまだ小学校2年生であり、まだ止めることができる友人が丁度側にいることだった。


「大輔君、おちついてーっ!もんざえモンは完全体なんだよ?すっごく強いんだよ?
ブイモンもパタモンもまだ進化できないんだよ?一人でいっちゃ駄目!捕まっちゃう
よ!
大輔君まで捕まっちゃったら、僕どうしたらいいのか分かんないよおっ!」

「そうだよ、大輔え、しんこきゅーしんこきゅー。どお?落ち着いた?」

「…………わっり、ちょっと頭ん中真っ白になって」

「風船10こだったから、誰かまだ捕まってないはずだよな?大輔。探そう、そんで合流するんだ、きっと近くにいるよ」

「はああ、よかったー」

「ごめんなー、タケル。オレ、かってなると自分でもなにしてんだか、解んなくなっちまう時があってさ。
止めてくれてありがとな」

「うん、いいよ、また止めてあげる。でもね、大輔君、僕もパタモンも頑張るから、
一人ぼっちでがんばらないでよ、友達でしょ?」

「・・・・・・・・・・・」

「え?どうしたの、大輔君」

「………なあ、タケル」

「なに?」

「友達だったら、相談してもいいんだっけ?それって甘えてることにならないんだっ
け?」

「あたりまえだよ!友達って、えーっと、なんだっけ、たいとーでびょうどーなんで
しょ?
なんかあったら一緒に頑張るのが友達なんだって先生いってたよ」

「あー、そっか。忘れてた。オレとタケルは友達だから、相談してもいいんだ」

「そうだよ!」

タケルは嬉しくなって大きく頷いた。
大輔は、たった今目がさめたような顔をした。上ばかり見ていて、背伸びすることば
かり考えていたせいで、
まわりを見ることをすっかり忘れてしまっていた。
本宮大輔には、高石タケルという友達と、そのパートナーのパタモンと、
運命共同体であるブイモンというパートナーがいるではないか。
がんばろうな、と大輔は自然と笑顔になっていた。
さあ、3人目の救出隊を探しに行こう。







[26350] 第十二話 ちびっ子探険隊 その3
Name: 若州◆e61dab95 ID:db010904
Date: 2013/08/02 23:50
なんでお日様が雲の間から顔を出してくれないんだろう、ミミのこと嫌いなのかなあ、
とミミは内心ショックを受けていた。
一瞬でもいいから、お願いだから、なんとかぽかぽかのお日様のヒカリが浴びたいと
心の底からお祈りしてみるが、一切状況に変化はない。
ミミ、ミミ、呼んでる、とパートナーデジモンの声が聞こえてきて、
一気に現実に戻されてしまう。なーに、パルモン、とミミはいう。
ヌメモンが呼んでるわよ、と言われたミミは、大きく首を振ったのだった。
ただいま、曇天である。


「ねえねえ、お姉ちゃん、オレとデートしなあい?」

「いーやーよっ!ぜーったい、いやああっ!なんでアンタみたいな汚ったないのと
デートしなくっちゃいけないのよーっ!」

「きっついこというお姉ちゃんだなあ、いくらオレでも傷つくぜえ」

「ホントのこと言ってなにが悪いの?きゃーっ!だから、こっちこないでよおおっ!
パルモン助けてええ!」

「ミミー、たしかにヌメモンは嫌われ者だけど、さすがに言い過ぎじゃない?って、
私を盾にしないでよおおっ!」

「アンタも言ってること変わんないぜえ」


気持ち悪い、気持ち悪い、気持ち悪い!
全身鳥肌がたってしまい、ミミはしっかり脳裏に焼き付いてしまったヌメモンの姿を
全力で頭の中から追い出すべく、ヌメモンからのデートのお誘いを拒絶していた。
がっくりと項垂れて下を向かれると、ほんの少しだけ言い過ぎたかなあ、と
良心が咎めるものの、そのナメクジみたいな体が視界に入ってしまうだけで、
生理的嫌悪感がちっぽけな良心の呵責など踏みつぶしてしまうくらい、
圧倒的なまでに押し寄せてきてしまう。
目を閉じればなんとかなるかもしれない、と頑張ってみようかと思ったが、
うっかり視線があってしまい、ヌメモンがミミ視点で、
ぐふふといやらしい笑みを浮かべてしまうものだから、たまったものではなかった。
さっきからやたらとミミをデートに誘ってくるこの不届き者のことだ。
目をとじている無防備な美少女を前にして何をしでかすか分からない。
もし目の前に現れて、その視点があっていない大きな目玉がこっち見てたらどうしよう。
そのヘドロの塊みたいな濁った緑色の手が、
ミミの大好きなお洋服に触れようとしていたらどうしよう、
もしかしたら手を握ろうとするかもしれない。
想像するだけで、もう二度とお嫁に行けなくなったらどうしよう、と
暴走する思考は止まらない。
それともその無駄に真っ白で歯並びのいい大きな口を開けて、
真っ赤な舌をだらりと垂らしながら、唾を飛ばすくらいの至近距離で、
き、き、キスされてしまうかもしれない!
冗談じゃない、こっちは大好きな人にファーストキスはあげるんだと決めているのだ、
こんな気持ち悪いヌメモンなんかにあげてたまるもんですか!と
パニック状態の中でも被害妄想と自信過剰が同居している状態で、
ミミの頭の中では満場一致でヌメモンに対する態度を一切変更しないことが即決された。
同情の余地はない。
たとえ、ヌメモンのおかげで、もんざえモンから逃げられた、という確固とした事実が
存在しており、ヌメモンがお礼としてご褒美を要求する権利があるということを、
ミミ自身が心の何処かで納得している部分があるとしても、だ。


「た、助けてくれたのは、ありがとう、ヌメモン」


すでに泣きそうな声である。泣きそうな顔である。
ヌメモンのヌの字も口にしたくはないが、だからといってお礼を口にしないのはダメだ。
感謝の気持ちを伝えないのは、女の子にとって一番しちゃいけないことだと
ママやパパから言われているのだ。
別にヌメモンを見直したとか、そういうわけじゃなくて、
ただ言わなかったら言わなかったでミミがミミじゃなくなる気がしたから、言っただけだ。
ヌメモンからすれば、ツンドラ状態の女の子がデレたようにしか見えない。
都合のいい脳内補正である。
おおお!と声が上がって、ミミとパルモンはひい、と一歩下がった。


「じゃ、じゃあオレとでいとしてくれる?」

「それとこれとは話が別なのーっ!お願いだから、かんべんしてえっ!」


なんでこんなことになっちゃったんだろう、とミミは思いっきり口にだしながら、
はああ、とその場に項垂れたのだった。
ミミは回想する。もとはといえば、大輔たちがタケル達を怒らせて追いかけっこを始めた。
そして、何時まで経っても帰って来ないのが始まりだった。
そのうち帰ってくるだろう、という暗黙の了解とも言える判断のもと、
ずーっとその場で待ち続けることになった子供たちは誰が言い始めたかは知らないが、
しりとりをして時間を潰そうと言うことになったのだ。
デジモン達も混じって始めたのだが、この世界にあるデジモン達しか知らない場所や
アイテムの名前、食べ物の名前を出されては、いちいち本当に存在するかどうかを
確認するため、なかなか先に進まない。
それはデジモン達からみてもそうだったらしい。
解説の応酬が続き、やがてグダグダになってしまった。
デジモン達は名称に必ず「モン」がつくというどうでもいい法則性が発見された頃、
いたたまれない沈黙があたりを支配し始めたため、
太一の提案で、意外とアグモンたちがカラオケに入っているような歌や流行歌を
知っていることに気付いたため、仕切りなおしということで歌詞のワンフレーズで
しりとりをすることになったのだ。
これは意外と続いたのだが、漂流生活2日目を数え始めた中、
しかも気を使わなくてはいけない最年少組が不在であるという状況である。
ずーっと元の世界の歌を歌っていたせいで、ついつい子供たちは元の世界のことが
無性に懐かしくなってしまい、ホームシック状態になってしまった。
そして、もし今家に帰れたら、まず最初に何がしたいか、という話題で盛り上がったのだ。
何時もならそんなことをみんなで話し合えるような雰囲気にはならなかっただろう。
家族や友達に会いたいと思っているのはみんな同じだが、ここには最年少組がいない。
揃ってそういうことを一切口にせず、ずーっと頑張っている二人がいない。
一番小さい二人が我慢しているような状況で、その手の話題を口にできるわけがない。
そういうわけで、無意識のうちに我慢していたこの手の話題は暗い方向にはいかず、
和気藹々と進んだ。
洗濯、お風呂、学校の宿題、友達へのメール、と来て、
ヤマトがサマーキャンプでお昼を食べそこねた上に、こっちの世界に来てから
お腹いっぱいご飯を食べられない状況が続いていることを反映してか、
焼肉が食べたいと言い始めた。
そこから食べ物の話題に移行して、ミミも冷たいコーラが飲みたい。
赤いパッケージの赤いのじゃなくて、ビンのやつ!と思い浮かべていた頃、
この横にいるヌメモンたちに襲われたのだ。
大輔達は心配だが、ヌメモンの攻撃を食らってまで待ち続けられるほど、
子供たちは我慢強くない。
そういうわけで、ヌメモンたちにずーっと追いかけられて、下水道から外に出て、
ずーっと走った子供たちとデジモン達は、たくさんの自動販売機があるところに隠れて、
なんとか逃げ延びたのである。
走り続けたらのどが渇くのは当たり前の現象だ。目の前には自動販売機がある。
ミミは我慢できなかった。
今まで水しか口にすることができなかった上に、ついさっきまでコーラのことを
想像していたのも拍車をかけていた。
そしたら、その自動販売機の中の人が飛び出してきたのである。
それが、この隣にいるヌメモンだった。あってはならない邂逅である。
マイ・スイート・ハニーとまで呼ばれてしまった美少女の悲鳴はどこまでも響いた。
クラスで1番可愛いと言われるほど容姿に恵まれていて、
可愛いをずっと努力し続けているミミが、生まれて初めて可愛いという賛辞と
一目惚れしたという告白、そしてデートのお誘いという、
元の世界でクラスメートの男の子から言われたら、ちょっとドキドキするような
一連のコンボを一切迷うことなく拒絶した記念すべき瞬間であった。
同時に災難の再来である。
その言葉に怒ったヌメモンが号令を掛け、自動販売機からたくさん現れたヌメモン達、
しかもさっき逃げ切ったはずのヌメモンたちまで呼び出してしまい、
さっきとは比べものにならないヌメモンたちが太一達に襲いかかったのである。
太一の提案で3手に別れたはいいものの、逃げるのに必死で一緒に逃げてきたはずの
太一とはぐれてしまったミミとパルモンは、
もんざえモンというデジモンと出会ったが、目からビームで攻撃された。
ようこそ、いらっしゃいました、ゆっくりお楽しみください、と満面の笑みで言われたが、
えぐれた地面を前にして、はいそうですか、と言えるわけもない。
必死で逃げ回っていたところを、このヌメモンに助けられたというわけだ。
これからどうしよう、パルモン、とパートナーデジモンに聞きながら、
もんざえモンがいないかどうか確認するため、ミミはそっと堀の中から顔を出す。
お気に入りのテンガロンハットが長い髪を落とさないように、深く深くかぶったままで。
ぐるりとあたりを探してみたが、大きな黄色いぬいぐるみの姿はどこにもなかった。
いないわね、と伸縮自在な足でミミよりも高い視界を確保しているパルモンが言うので、
一安心、ほっとしつつ頷いた。
太一達はヌメモンの大群から逃げ切れただろうか。
もんざえモンに襲われていないだろうか。
いろいろ不安はよぎるものの、ミミとパルモンは進化することができない組の一人である。
完全体相手に成長期のパルモンが太刀打ちできるとは思えないため、
初めから助けなければいけないという選択肢自体生まれていない。
まだこの時ミミは、自分以外の子供たちに起こっていること、
もちろん、自分の置かれた状況も何一つ知らないままだった。
それに、トロピカルジャングルからギアサバンナを抜けてファクトリアルタウンにいき、
地下道を通っておもちゃの街エリア付近という弾丸旅行を敢行したばかりなのだ。
疲労はピークに達しつつある。
そんなオトメの事情なんて丸無視で、じりじりじりじりとにじり寄ってくるヌメモンがいるのだ。
当然ミミは怒った。


「もう疲れちゃって一歩も歩けないの!お願いだから、少しは休ませてよ」

「そんなに大移動するなんて大した根性してるじゃないか、お嬢ちゃん!
 ますます気にいったよ、デートしようよ!」

「・・・・・・・・・」


ますますミミとパルモンは沈黙した。


「あーもう、のど渇いちゃった。ヌメモンのせいよ」

「全然関係ないのにさらっと酷いこといってるよ、この姉ちゃん!でもそこがいいっ!」

「もー、やだっていってるじゃない。しつこい男の子は嫌われるのよ」

「なあに言ってるんだよ、ミミちゅわん!こんな色男初めてえ!」



確認してしまったミミはおもいっきり引き気味なのだが、全く意に介さない。


「っていうか、ミミちゃんも隅に置けないぜえ!恥ずかしいからってあんなに否定しなくても。
ここまで二人っきりになるためにわざわざ追いかけこしちゃうなんてますます惚れちゃったぜえ!」

「なんでそうなるのよーっ!一緒に歩いてるだけでもありえないのに!っていうかデートじゃないわ!あたし、そんなこと言ってないもん!」

「またまた照れちゃってー!にひひひひ」

「もういや、だれかこの変態何とかして」


はあ、とため息をついたミミは本当に疲れてしまったようで、そのまま茂みに腰掛ける。


「そいじゃあ空気を読まずに愛情ちぇーっく!これからオイラがクイズを出すから答えてくれよ!
そしたらオイラとミミちゃんの愛情度が分かるんだ!ぜーんぶあててくれたら、
なんかいいものあげちゃうぜ!」

「いらない」

「即答!?まあまあつきあってよー」


うーん、としばし考えていたミミだったが、体は結構あちこち痛くて悲鳴を上げていて、
ヌメモンから逃げるためにここから動けるほどの余裕はなさそうだ。
足の皮膚は過度の酷使で極めて薄くなっており、靴擦れ寸前である。
仕方ないのでミミはやる気なしの表情のまま、わかったとようやくおれたのだった。


「じゃーじゃん!オレはなんの属性でしょうかっ!」

「ぞくせい……属性ってなに?なんのこと?」

「ありゃ?ミミちゃん属性知らない?属性って言うのはじゃんけんの相性の事!
 ワクチン種とデータ種とウィルス種があってー、ワクチン種はウィルス種に強くて、
 ウィルス種はデータ種に強くて、データ種はワクチン種に強いんだぜえ。
 ワクチン種はアグモン、データ種はパルモン、ウィルス種はベタモン。
 さー、オイラはなんだろな!」

「えー、いきなり難しすぎない?」

「それくらい乗り越えちゃってくださいなっ!オレへの愛でっ!」

「ないわよ、そんなの」

「そこは有ってくださいお願いします」


んー、と考えてみるミミだったが、まず属性というものがイマイチわからない。


「ねえパルモン、属性ってなに?」

「んー、アタシもあんまり意識したこと無かったけど、デジモンにはね3つのタイプがあるのよ。
 アタシやガブモンはデータだし、あとはみんなワクチンじゃない?
 ウィルスはアタシたちの仲間にはいないけど、意地悪なやつが多いわね」

「ふうん、ヌメモンってなんなの?」

「さあ?」


ウィルスといえば真っ先に思い浮かぶのは病気を運んでくる悪いやつのことである。
手洗い、うがいは大切に。ワクチンといえば真っ先に思い浮かぶのは大っ嫌いな注射。
病気がお薬に弱いのは当たり前。でもデータってなんだろう?
それだけ用語が場違いな気がしてミミは違和感がぬぐえない。
まあいいや。アグモンたちとヌメモンが一緒って何か嫌だからワクチンは無し。
パルモンとヌメモンが一緒ってのも何かやだからデータはなし。
じゃあウィルスかなあ?


「ウィルス?」

「おおおおお、よーくわかったなあ!オレ達ヌメモンは基本的にウィルス種なんだぜえ!
 で、も、オレはなんとなんとデータ種なのだあっ!すごくない?すごくない?
 レア中のレアだぜ、突然変異!いやあ進化した時オレも吃驚しちゃってさあ!」

「そんなことどうでもいいんだけど、ねえクイズ正解したわ、なんかちょうだい」

「ああもう、ひどい!自慢話くらいさせてよ、ミミちゃん!
 まだあるよい!第二問!オレの好きな食べ物は何でしょうか!
 1.木の葉 2.デジメダカ 3.ウンチ」


とりあえず、女の子にウンチと言わせようとしている魂胆が見え見えなのが気に入らないので、
適当に2番と選択したら、あっていたらしく感涙のむせび泣きが聞こえてきてげんなりである。
ウンチは好きだが食べるほど好きではないらしい。
かつては住んでいた街をきれいにするために、上司から口にするよう強要されていた時期もある
ヌメモンもいたようで、その苦労について切々と今昔物語を始めようとしたので、
今度こそミミはどっか行こうかと立ち上がりかけて制止された。
あと1問、あと1問だから、と言われてため息一つ。なあに、とミミは先を促した。


「最後の問題!オレとミミちゃんが出会ったのはどこでしょうか!」

「そんなの自動販売機にきまってるじゃない!コーラ飲みたかったのにい」

「だいせーかーい!やあっぱりオレとミミちゃんは運命で結ばれてるんだなあ!
 賞味期限の切れたどろどろコーラが好きなんて、ミミちゃんも通なところあるんだぬ!」

「え、なにそれ、どういうこと?」

「なにが?」

「あの自動販売機に入ってるのって賞味期限切れてるの?」

「そうだぜえ、電気が送られてこなくなってから、何百年も経ってるからなあ。
 いい感じに熟成した発酵感がもうたまんない!」

「・・・・・・・・・どのみち飲めなかったんだ」


数百年も経っている自動販売機なんて、ほんとうにこの世界は何でもアリである。
今思えば消費税が導入されてから何年にもなるのに、100円表記の自動販売機なんておかしすぎる。
地方に行けば個人経営の店の横なんかにオール100円の自動販売機もあったりするが、
あくまでも名前も知らない会社が出してる奴なのが多いのだ。
みんなが知ってる飲料メーカーがそんな廉価版を出している訳がなかった。
飲まなくてよかった、とミミは思ったものの、がっくりと項垂れた。


「そんなミミちゃんにオレからこれをプレゼンツ!」

「なにこれ、鍵?」

「町長が落としていった奴だぜえ。持っていきな」
 

そして、なんとなく空を見上げたパルモンとミミは、顔を見合わせたのだった。


「パタモンだわ、ミミ!」

「タケル君と大輔君ね!無事だったんだわ!」


そういえば、ヌメモンに追いかけられ、もんざえモンに追いかけられ、迷子になり、
という怒涛の展開ですっかり忘れてしまっていたが、
離れてしまった最年少コンビはどうやら無事らしい。
下水道のもとですれ違いの待ちぼうけという最悪の事態はまぬがれた。
パルモンしかいない、という状況よりは、一人でも多くの子供達と早く合流したほうがいいのは一目瞭然である。
年下の男の子だって男の子にはかわりない。一人と一匹ぼっちでいるよりはずーっと心強いはずだ。
それに、タケルや大輔達はきっとミミたちになにがあったか知らないはずである。
唯一そのときのことを全部知っているのはミミとパルモンだけである。
早く会いにかなくちゃ、とミミ達は堀を乗り越えて走ったのだった。
背後から、待ってくれよ、お姉ちゃんたちーというおっそろしい声が
聞こえていた気がするが、気のせい気のせいとミミとパルモンは、
意識の中からそのおぞましい存在を全力でスルーすることにしたのだった。
これが太刀川ミミという可愛い女の子が、何故か汚物系と呼ばれているデジモンたちから
異様に好かれて、モテモテである、という本人からすれば気絶ものの事実が判明した瞬間である。
もちろんこの時まだミミは、自分の恐るべき体質について知るはずもなかった。










第十三話 ちびっ子探険隊 その3










大輔達はミミ達と合流して、おもちゃの街に行く道中でお互いに遭遇した事について、簡単に話し合った。
結果的にどうしようもなかったとはいえ、大輔達を置き去りにする形で下水道のトンネルから脱出してしまったこと、
ヌメモンたちが大軍勢になって押し寄せてきたのは、ミミがなにが入っているか分からない自動販売機に手を出した挙句、
曇であるという状況を忘れてヌメモンを怒らせてしまったからであるということを包み隠さず打ち明けたミミは、
ごめんね、と素直に謝罪した。
言いたいことはついついオブラートに隠すことを忘れて、ずばずばとはっきりいってしまう性質のミミであるが、
裏をかえせば隠し事をするのは得意じゃない、とばかりにさっぱりと打ち明けてしまえる竹を割ったような、
からりとした性格と言えた。
ミミからの包み隠さない告白に、ある程度太一達に起こったことを
探偵ごっことも言える推理に近い行動で把握していた大輔達は、
今まで憶測に過ぎなかったことを答え合わせする形で、ミミから直接事情を聞くことが出来たので、あっさりと頷いた。
そもそもちょっかいをかけた大輔達やタケル達が怒って追いかけっこを始めることで、
太一達が待ちぼうけを食らうはめになった訳であり、
どちらが悪いのかを追求するということは良くないことだとみんな分かっている。
自分たちのことだけ棚にあげてケンカするのは、良くないことだとみんな知っていた。
何よりも、おもちゃの街に行くまで、ずーっと後ろから一定の距離を置いて付いてくる、
ストーカーと化しているヌメモンと付いてこないでと必死で逃げ惑うミミを
目の前で目撃してしまった以上、嫌というほど彼女たちの心境が理解できた。
これは逃げる。だれだって逃げる。こんなやつに好かれちゃってかわいそうなミミさん、
綺麗な人って大変なんだ、というレッテルが同情めいた視線と共に貼られていることに
気づかないまま、ミミ達はおもちゃの街にやってきたのだった。
太一達が捕まっているという大輔達の目撃情報に、さすがのミミもパルモンもおどろいたようだ。 
ブイモンもパルモンもパタモンも、誰一人として進化を経験しているデジモンがいないのが、
完全体のもんざえモンに立ち向かうには戦力的に考えるとあまりにも致命的なのは明白だったが、
ここでずっと考えていてもしょうが無いから、おもちゃの街にいってみようとミミが提案したのである。
この中で1番年上はミミである。それにもんざえモンが実際に攻撃するところを唯一
目撃したのもミミとパルモンである。その彼女達が経験も踏まえて提案している以上、
これ以上の説得力はなかったし、いい作戦が浮かぶわけでもなかったから、
タケルも大輔も素直に受け入れることが出来たのだった。



まるで遊園地のような街だった。
一番高い場所には三角柱の赤い屋根と大きな窓をいくつも持った、白いお城が立っている。
観覧車やジェットコースター、メリーゴーランド、といった様々なアトラクションが
ここからでも見えるし、西洋風の素敵な街並みを再現した通りが大輔たちを待っていた。いろんな色の風船が空に上っていくのが見える。
状況が状況でなければ、わくわくする光景だったのかもしれない。
子供たちだけではめったに来れない場所である。
しかし、大輔は不気味で仕方なかった。
静寂に包まれた遊園地は、放課後忘れ物をして警備員さんにお願いして門を開けてもらい、
職員室の先生にくっついて教室にいくまでに、嫌というほど味わった夜の学校とよく似ていた。
本来、遊園地も学校もたくさん人がいる場所である。
いろんな音や人の声で溢れていて、自分以外の存在がたくさん感じられる場所である。
とりわけ遊園地は華やかで楽しい場所というイメージが有るせいか、
想像したことがない開店前の遊園地を見ているような感じがする。
自分の知っている遊園地ではない雰囲気と風景に、
どうしようもない違和感と恐怖を感じてしまうのかもしれなかった。
7色の鮮やかな色彩でWELCOMEと大きく書かれた看板が、
しましまのアーチのど真ん中に立っている。


「なーにが、welcome!よ!」


ミミは怒っていた。


「「う、うえる?」」


なんだろう、それ、とテレビや漫画で言葉を見たことはあるけれども、
イマイチ意味を理解していないタケルと大輔は首をかしげた。
もちろんデジモン達が知っているはずもなく、自然とミミに視線が向いていく。
小学校4年生のミミは学校の授業で、英語に慣れ親しむという名目で、
簡単な英単語や英語の歌という言葉の学習をすでに始めている。
それに、ミミのパパはミュージシャンで、外国の歌や文化が大好きだったから、
ミミのまわりはいつも英語で溢れていた。
そのため、ちょっとだけ普通の小学生よりも英語の発音が上手なミミの言葉は、
聞き取れなかったようである。
ミミはふふと笑って、日本人らしい発音に変えて説明してくれた。


「うえるかむ、っていうの。英語でね、ようこそ!っていう意味の言葉なの。
なーにが、ようこそ、歓迎します!よ。
アタシのお友達をひどい目に合わせてるくせに、許せない」


なるほど、と大輔達は頷いて、大いにミミの意見に同意した。
ますます遊園地という楽しい場所であるはずのこの街が、どこか殺伐としている場所に見えてきて、
みんな緊張感を新たにおもちゃの街に進んでいったのだった。
どこかの牢屋に閉じ込められているのではないか、という大輔達の心配はすぐに解消されることになった。
捕まっていたはずの子供たちはみんな、元気に街中を走りまわっているのである。
ほっとした大輔達は早速走ってきた太一に声をかけようとしたのだが、満面の笑みを浮かべながら、
太一は3人と3匹の様子が見えないのかスルーしてしまった。大輔の空を切った右手が虚しく置き去りにされる。
驚いて何度も名前を読んでみるが、楽しいのだという不自然なまでの棒読みと共に笑顔が走り去っていく。
太一の後ろには大きな列車が追いかけっこするように走っていて、あっという間に見えなくなってしまった。
全然楽しそうじゃない。名前を読んでも、やっと会えたのに無視された。まるで感情が亡くなったみたい。
おかしすぎる現象に見舞われているのは太一だけではなかった。
ヤマトも、丈も、空も、光子郎も、みんな大きな玩具に追いかけられながら、おっかけっこを楽しむ言葉を口にしているが、
そこには全く感情が伴っておらず、むりやり笑わされて、むりやり言わされているような印象しか受けない。
はっきりいって異常事態だとしか言いようがなかった。
みんな大輔たちのことを透明人間であるかのように無視するのである。
お兄ちゃん、と泣きそうな顔でその背中を見送ったタケルに、ミミは優しく頭を撫でてはげました。
絶対に何かあったんだ、太一さんたちがこんなことするわけ無いだろ、と
大輔が不安をかき消すように言うので、頷く。薄寒い感覚に顔を見合わせていた大輔達は、
本来一緒にいるはずのパートナーたちがいないことに気づく。
色とりどりの街並みが眩しい中、どんどん進んでいくと広場のような場所に出た。
そして、ある家を通りすぎようとしたとき、大きな物音が聞こえて一行は足を止めて窓をのぞいた。
見つけたのは大きな大きな宝箱。大切に保管されているのか何錠もの鎖でグルグル巻きになっている。
なんとアグモン達が中に閉じ込められていたのである。
無理やり開けようとしたが、大きな錠が掛けられており、子供たちやデジモン達の力では空きそうもない。
カギはもんざえモンが持っているため、もんざえモンを倒して、カギを何とかして取ってくるかしか方法はない、と
アグモン達はとんでもないことを宣言した。えええっ、とさすがに大輔達は声を上げた。


「ちょっとまって!ねえ、その鍵ってもしかしてこれのこと?」

「あっ、それそれその鍵だよ、ミミ。どうしてミミがこれを?」

「ヌメモンがくれたの。そっか、この鍵だったのね。待ってて、みんな。すぐに開けてあげるから!」


あれ?もしかしてヌメモンっていいやつなの?と大輔とタケルは顔を見合わせている。
データ種の突然変異だから変わり者なのかもしれないわ、ってパルモンは笑った。
ぬめぬめしているため滑って上手くいかないが、かちりという音が確かにした。
やった、とあがる歓声。あとはこのぐるぐるまきになっている鎖を外してやらないと持ち上げられない。
じゃらじゃらなっている鍵。どれがどの鍵なんだろう、とミミたちが頭を悩ませていた、その時である。
どすん、どすん、という大きな足音が響いてきたのは。


「ようこそ、いらっしゃいました。ここはおもちゃの街、どうぞごゆっくり楽しんで
いってください」


ぎぎぎぎぎ、と壊れてしまった機械のように、おそるおそるアーチを描く大きな窓をのぞいた一行は、
Hello!とばかりににっこりと笑う赤いひとみとバッチリ目があってしまう。
黄色いぬいぐるみの顔が鏡全体に映し出されていた。
こんにちは、初めまして、アタシのトラウマ。出来れば会いたくなかったです。
両手いっぱいに、クマの形をしたいろんな色の風船を携えたもんざえモンが、
窓からこちらを覗いていることに気付いたミミは、
いやあああああっ!と力いっぱいに叫んだ。
逃げるんだ!という宝箱からの声に我に返ったミミ達は、一目散に逃げ出した。
もうすっかり3人にとってくまのぬいぐるみは、トラウマ以外の何者でもなくなっていた。
どうしよう、アタシのお部屋にあるくまちゃん気に入ってたのに、もう一緒にだっこして寝れない。
両親がプレゼントしてくれた大切な思い出を、恐怖の光景がすっかり上書きしてしまい、
もう可愛らしいとは連想できなくなってしまった。
ミミは走りながら、もんざえモンに叫んだ。


「あなた、おもちゃの街の町長さんなんでしょ!なんでアタシの友達をひどい目に合
わせるのよっ?!」

「ひどい目に合わせているのは、皆さんのほうでしょう?
おもちゃを買ってもらっても、あきたらすぐに捨ててしまう。
そんな子供たちが許せないのです。だから、そんな悪い子には、
感情を奪っておもちゃのおもちゃになってもらいました。
もちろん、みなさんにもなってもらいましょう。
寂しくないですよ、みんな一緒ですから」

「ひどい……みんな、おもちゃに遊ばれてたのね。
アタシはお友達やママたちからもらったおもちゃはずーと大切にしてるわ!
勝手に決めないでよ!」

「そうだよ!僕もおもちゃは大事にしてるよ!お兄ちゃんとまた一緒に遊ぶために大
事にしてるんだ!」

「お、俺も大事にしてるよ!」

「みんなそういうんですよ」


もんざえモンから放たれた風船が、ふわふわと空を飛んでいく。
そして、舞い上がったもんざえモンの真っ赤な目から、ビームが通路を直撃した。
粉塵があがる。轟音と爆発音に吹っ飛ばされそうになりながら、
もんざえモンから逃れるべく、一行は距離をとった。


「………無くしたり、壊しちゃったりするけど」

「「大輔くーん!!」」


小声でつぶやかれた大輔の言葉に、すかさず二人はツッコミを入れた。
なんて正直な子なのだ、わざわざこんな時に口に出さなくてもいいのに!
せめて心のなかでつぶやいて欲しかったと思いつつ、振り返ってみるが状況は変わら
ない。
どのみち、子どもたちの言葉には耳を傾けようとしないもんざえモンには、
ミミ達の言葉は責任逃れの嘘にしか聞こえないだろう。
パタモンのエアショットが炸裂するが、なぎ払うように振り回される大きな腕に叩き
つけられ、
パタモンが吹っ飛ばされてしまう。
危うく地面にたたきつけられるところだったパタモンを、なんとかタケルが受け止め
る。
かばうように前に出たパルモンが、大きく広げた両手からツタを伸ばしてその大きな
腕を受け止める。
そして、ブイモンがその足止めの間にブイモンヘッドで攻撃するものの、成長期と完
全体の差はやはり大きいらしく、
もんざえモンは微動だにしない。
まるでゴミでも払うように片手で払われてしまったパルモンは、
そのツタを掴まれて、そのまま投げられてしまう。
ブイモンも何度か攻撃してみるが、その大きな巨体に潰されそうになり距離をとるし
か方法がなくなってしまう。
このままではブイモンがぺったんこに潰されてしまうと危機感を感じた大輔は、慌て
てこっちに逃げるように手招きする。
悔しそうに後退したブイモン目がけて、もんざえモンが再び真っ赤な目から、ビーム
を発射した。
豪快に破壊されていく道路から追い立てられるように、一行は慌てて走りだした。
もう、いやあ!どうやって倒せっていうのよーっ!と叫ぶミミに、
大輔は何とかしないとダメだ、と思い始めていた。
どうする、と問いかけようとした友人の姿がない。
追いついたブイモンに大輔はタケルの姿がないことを口にする。
嘘!とミミもパルモンも立ち止まって、まさか、と振り返った。
パタモンが、タケルーっと声を上げた。
うわっと石につまづいてこけてしまったタケルの後ろに、もんざえモンが迫る。
あわててかけ出した大輔が立ち上がりかけていたタケルに手を伸ばし、
助け起こすと同時にえぐれる地面から飛び退いた。
幸い直撃はまぬがれたものの、半ばかばう形で倒れこんだ大輔たちが立ち上がるには
時間がなさすぎた。


「大輔君、タケル君!」

「どうしょう、ミミ!」

「パルモン、早く大輔君達をこっちに連れてきて!」

収縮自在なパルモンのツタのように操れる手ならば、なんとかなるのではないか、
と希望を託したミミの声。
とっさに長く伸ばされたツタが二人に向かうが、パルモンは、駄目、間に合わない!
と叫んだ。
その時である。


「おうううれに、まっかせとけー!」


どこからともなく、大きな声が響いた。
なんでこんなときに!と思わずミミは引きつるが、目の前に現れたヌメモンたちが
ミミたち、大輔たちをかばうようにもんざえモンの前に立ちはだかる。


「いっけー!」


ヌメモンの号令で、たくさんのヌメモン達が攻撃し始める。
その隙をついて、何とか大輔達はパルモンのおかげでミミたちの所に合流することが出来た。
大丈夫か、大輔っとブイモンが飛んでくる。
大丈夫大丈夫、怪我なんてしてねえよ、と大輔は心配性の相棒に笑いかける。
パタモンもタケルに抱きついて、無事でよかったとすがりついてくる。
パタモンを抱きしめながら、タケルは大輔にお礼を言った。
いいって、気にすんなよと笑った大輔は、友達のことを気づかせてくれたお礼だ
から、とタケルにはよく分からない返答をする。
パルモンにお礼を言う二人だったが、庇ってくれているヌメモンたちがつぎつぎと投げ飛ばされていく。
気持ち悪い、という理由でずっと拒み続けていたあのヌメモンが、
ミミたちのためにたくさんの仲間達を呼びに来てくれたのだ。
そして、自分の身を呈して助けてくれているではないか。
しかし、無常にももんざえモンの青いハートマークの風船がたくさん現れ、ヌメモン
たちを捕まえていく。
その勇敢な姿に煽られる形で、自分たちも何とかしなくちゃいけない、逃げ出すばっ
かりじゃいけないのだ、と感じた
ミミとパルモンが頷いたとき、ミミのデジヴァイスが反応した。


巨大なサボテンの形をしたデジモンが真っ赤なボクシンググローブを高々と上げた。
体内に栄養のデータをセーブすることができ、砂漠でも生きることができる植物型デジモンは、
のんびり屋で、一日中ボーッとしていることが多いが、一度怒ると暴走し、顔つきまで変わってしまう。
トゲモンと呼ばれた成熟期は、よくも、と怒りに震えながら格上の完全体に真っ向勝負を挑んだ。
大好きなミミ、大切な友達、大事な仲間、助けてくれたヌメモンたち、
みんなを傷つけたことを後悔させてやるんだから、と振り上げた拳がうなりを上げた。


「パルモン……ううん、トゲモン、がんばってー!」


ミミの声援を一心に受け、真っ向勝負を挑んだトゲモンと、もんざえモンの壮絶な殴り合いが始まる。
パワーではやはり不利なトゲモンが押され始めるが、トゲモンの必殺技が炸裂し、無
数の鋭い針がもんざえモンを襲う。
視界不良となった攻撃を跳ね返すべく、目からビームを発射しようとしたもんざえモ
ン。
その隙をついて、豪快なアッパーカットが炸裂した。
中を飛んだもんざえモンの背にあるチャックに何かが覗いていた。
黒い歯車である。
すかさずトゲモンのパンチがそこに炸裂し、見事破壊された黒い歯車から解放されたもんざえモンは、
そのまま地面に沈んだのだった。
トゲモンがパルモンに退化する。
そして、黒い歯車におもちゃを思う気持ちを利用され、操られていたと語るもんざえ
モンのおかげで、
アグモン達は無事に宝箱から解放され、おもちゃのおもちゃにされていた子供たちは
無事に元に戻る事になった。
いつもは守られる側である3人と3匹の活躍、特にミミの頑張りを聞いた子供たちが
大いに感謝したのは言うまでもない。
今回の騒動のお詫びに、今夜一泊泊まっていくようにと言われた一行が大喜びするさ
なか、
お礼にデートしてくれと現れたヌメモンにミミとパルモンが再び追い掛け回されることになるのは、別の話である。



[26350] 第十三話 そしてはじまる幸福論
Name: 若州◆e61dab95 ID:81b13f60
Date: 2013/08/02 23:51
ほら、と促されるがまま、大輔は右足のジーパンを引き上げた。現れたのは、う
わー、と言いたくなるような傷である。
厚手の布地が激しく肌にこすれたために出来上がったそれは、足の皮膚がめくれ上
がっている。
そして擦り傷のような箇所がたくさんできており、明らかに前のめりになって豪快に
転んだ上に、そのまま痛みをこらえて右にずれ、
そして無理やり体を動かしたがために、余計に布地がケガをしている箇所を傷つけて
しまったのが明白だった。
しかし、スポーツをやっている大輔には日常茶飯事のケガであるためか、本人はい
たってあっけらかんとしていた。
ケガをして痛いのは事実だが、これくらい別にヘッチャラなほど大輔は痛みに慣れっ
こになっている。
その証拠に、大輔の手足は実際、あっちこっちにカサブタや傷が治ってめくれがって
いる場所があちこちにある。
子供は風の子元気な子とはよくいったもので、遊びに行ってくる、と出かけては
しょっちゅうどこかしらケガをして帰ってくる息子に、
また服を汚したり穴をあけてきたりして、と半ばあきらめ気味な顔で母親は叱るの
だ。
成長期である子供は新しく服を買ってもすぐに小さくなってしまうが、大輔のような
やんちゃ坊主がいる家庭では、
服がだめになる頻度が同じ年の娘を持つ一般家庭の2倍はサイクルが早いのだ。母親
の愚痴もうなずけると言える。
怪我の多さは男の勲章、といってはその母親から父親は大輔を庇っては、一緒にサッ
カーをしようとかキャッチボールをしようとか言って、
たまに帰ってくる休みの日は誘ってくれるのだ。そんな父親も、なんだかんだいって
救急箱片手に世話を焼いてくれる母親も大輔は大好きだった。
なんとなく、救急箱やソーイングセットをこの世界に持ってきていた空に世話を焼か
れている大輔は、なんとなく両親のことを思い出していた。
いつも母親がやっているように、大輔はジーパンの袖を内側に大きく食い込ませてず
れないようにしながら、持っている。
どれくらいひどいケガなのかむしろ気になってしまい、ついつい自分の膝に前のめり
になってしまうが、
空に影になって見えないからじっとしていろ、とやんわり押し返されてしまう。
はーい、とおとなしく頷いた大輔は言われるがまま、空がポートの中から取り出した
ウエットポケットティッシュで、
すでに乾きつつある血を拭っているのを眺めているしかない。
退屈である。そわそわしていると、動くなとピシャリと言われてしまう。思わず肩を
すくめた大輔は、ごめんなさーいと口にした。


「空さん、もう血止まってるんだし、いいんじゃないっすか?」


早く動きたくてうずうずしている大輔に、はあ、とため息を付いた空はゴミ袋にウ
エットティッシュを突っ込みながら、
消毒液を探しつついう。


「ダメよ、じっとしてて」


取り付く暇もない。おかしいなあ、と大輔は思った。いつになく真面目な空である。
大輔が実はもんざえモンの攻撃を避けるときに、ほとんどスライディングのような形
でタケルを巻き込んで倒れたせいで、
右足にケガをしていて、もしこれがバレたらタケルがまた余計なこと気にして悩むか
ら、めんどくさいから黙ってよう、と
こっそり秘密にしていたのにバレてしまったときは、相当怒られたことを思い出し
て、つばを飲み込んだ。
サッカー部の活動をしていた頃の空だったなら、きっと太一と同じように、名誉の負
傷だとかほっとけば治るとか、男の子なんだからなかないの、
とかなかなか豪快なことを言って笑い飛ばすに決まっているのに。
最近はめっきり空はサッカー部の活動に顔を出さなくなっていた。たまに現れても見
に来ただけだとか、まだ本調子じゃないから、とか
いろいろ理由を付けて、結局サッカー部の全員が待ち望んでいるはずのツートップの
武之内空復活をずっと先延ばしにしている。
マネージャーの真似事をしているのを見たときは、マネージャーをやっている女子も
含めて驚いてしまったものだ。
もしかして、ケガをしているのに無理をして大会に出たのに、結局負けてしまったこ
とを気にしているから、
大輔がケガを黙っていたことに異様なほど過敏に反応してしまったのかもしれない。
ちょっと悪いことをしてしまったのかもしれない、と思った大輔はようやく空の治療
の妨げにならないよう大人しくなった。
空がみんなにケガを黙っていたことはショックだったし、実際それが原因で空がサッ
カー部に居づらい雰囲気ができてしまった時期はあるが、
空のサッカーに賭ける想いは感じていたし、ろくな治療をしなかったせいでギブスま
ではめる事態にまで病状が悪化していたことを知った以上、
もうサッカー部には空の無責任を糾弾するようなバカはいない。和解は済んでいる
し、空も気にしていないと笑っていたのを大輔は間近で見ていた。
今ではコーチからも復帰を促すような呼び出しを空が受けていることも、サッカー部
の中では暗黙の了解として存在している。
でも、が続いてだいぶ長いこと経ってしまった。空のやついつまで休んでんのか
なー、と無期限休止状態の相棒を寂しそうに見ている太一を大輔は知って
いる。
空が寂しそうにサッカーの練習を観ているのを目撃したときは、なんでだろう、とい
う疑問は尽きなかったが、2年生チームを担当しているコーチから、
いろいろあるんだよ、放っておいてやれ、と直々に注意されてしまったため、空に対
してその話題はNGと化している。
この世界でも言えるわけがなかった。


「この世界はどんな世界なのか全然わからないんだから、ちゃんと消毒しておかな
きゃ。
もし私たちの世界には無いバイキンとか、病気とかあったらどうするの?
ずーっとほっといたら、大輔くんの足、腐って取れちゃうかもしれないでしょ?
そうなったら、もう2度とサッカー出来なくなるのよ?それでもいいの?」


そのサッカーという言葉の前に、ちょっと前の空ならばきっと「私たちと」を付けて
くれたはずなのである。
ちょっとした違いに気づいてしまえるほど、大輔はずっと太一と空というお台場小学
校サッカー部のツートップだった
2人を見つめ続けてきた。目標とし続けてきた。もちろんサッカーが大好きでずっと
頑張っているけれども、
いつか同じ背番号のユニフォームが着れることを夢みて、大輔に任せたと言ってもら
えるようになるまで頑張っていた。
そのうち一人がサッカーから離れようとしている気配を感じてしまう。やめないで欲
しいと言えない歯がゆさと寂しさで、どうしても無力さを感じてしまう。
大輔は空が口にした大げさすぎる脅し文句にも似た喩え話、とは微妙にずれたところ
に反応して、それは嫌っす!と慌てて首を振ったのだった。
てっきり大げさすぎる言葉に反応しての事だと思ったらしい空は、おかしそうに笑っ
たのだった。


「ならじっとしてるの!こら、うごかない!」


落ち着きのないサッカー部の後輩目がけて、容赦なく空は消毒液を噴きかける。
じんじんとした痛みが広がり、空気に当てられてひんやりとするせいで余計に痛さが
ましてしまう。
痛いという言葉が声にならずに悶絶に変わり、思わず顔を歪めた大輔に、今度こそ空
は声を上げて笑うのだった。
やがて、包帯や湿布をしたとしてもあっという間に取れてしまうことを知っている空
により、
傷口が空気に直接触れないように、粉状の粉末剤がかけられるスプレーをかけられる
ことで、
大輔は再び声にならない悲鳴をあげることになるのだが、それはまた別の話だ。


「男の子っていいわよねえ。私も男の子になりたかったなあ」


ぽつり、とつぶやかれた言葉に、大輔は思わずえ?と聞き返したのだが、なーんでも
ない、と苦笑いされてしまう。
空はボーイッシュな恰好を好んでいるためか、制服が存在せず私服通学のお台場小学
校において、
大輔はスカート姿を見たことがない。男の子の恰好ばかりの空である。
男の子になりたいという言葉に何ら疑問点はないが、わざわざそれを口にすることの
物珍しさに大輔は反応した。
結局何一つ空に声を掛けられないまま、大輔は空にぽんと肩を叩かれて、ハイおしま
いと言われてしまったのだった。
個人的には、お姉ちゃんとして慕っている空が本当に男の子になってしまったら、大
輔はちょっと困ってしまう。
頭の中でついつい想像してしまう好奇心旺盛な想像力を慌てて頭を振ることで防止し
たのだった。










第十四話 そしてはじまる幸福論











いつもならば胡座をかく所だが、ケガを黙っていたことと我慢していたことにご立腹
の空に、散々傷口を消毒液攻撃でいじめられたせいで無理である。
しかも、一人で悩まず頼れよ、というお墨付きを直々に与えたにもかかわらず、素直
に泣きつかなかったことに対して先輩のプライドを酷く傷つけられた
太一、
痛くない!と強行なまでに主張する強情な友人に対する意匠返し、かつ見たこともな
い大怪我に興味津々のタケルによって、
黄色い粉末が乾くまでちょんちょんとつつかれたせいで、今でも膝はじんじんしてい
るのだ。もう涙目である。
ジーパンで隠してしまったはいいが、カサブタになる頃にはそれをめくりたい衝動に
駆られるのは眼に見えている。
そんな様子を彼らの前で晒したら最後、またカサブタを剥がされて消毒攻撃のコンボ
になる可能性がある、と大輔は学んだ。
もう2度とケガをしたことを黙っているのはやめよう、と心に誓った。どっかで見た
ことがある光景だと思ったらあれである。
長時間に渡るお説教で死んでしまった足の裏に嬉々としてちょっかいかけては、倒れ
こんで悶絶する大輔をケタケタと笑っては指さして罵声する姉の姿を幻視した。
そんな夜の帳が降りた空の下で、ふああ、と大輔は大きく欠伸をした。ぼすん、とふ
かふかのベットに倒れこむ。そして思いっきり足を伸ばした。
もんざえモンの計らいにより、2日ぶりのまともな食事やシャワー、真っ白でお日様
の匂いがするベット、という至れり尽くせりの衣食住。
おもちゃの街にある大きなお城に案内された子供たちは、贅沢にもパートナーと共に
とっても広い一人部屋を用意してもらって今に至る。
電気をつけなくても、空は星空と月明かりでとっても明るく、きれいである。
月明かりが強すぎると星のまたたきなど霞んでしまうことを大輔もブイモンも知らな
いため、まるでアニメのような空には何の疑問も抱かない。
息を飲むような絶景をカーテンで蓋をしてしまうのはもったいないので、大輔とブイ
モンは大きく振り返るカーテンに悪戦苦闘して、
ひもでぐるぐる巻きに縛って吊るしてある。窓の格子すら邪魔だと全開にしてある。
テントモン曰く、デジモン以外存在していないという(魚がいた時点で信ぴょう性は
ゼロに近い)この世界の夜は、
きっと明かりのもとでも窓にびっしり付いている小さな虫を気にしなくてもいいの
だ。
もともと神経質とは真逆な性質の大輔は、もしそんな光景を目撃しても全く頓着しな
いけれど、口に入ったら嫌である。
さやさやと心地良い風に吹かれながら、今日はよく眠れそうだと大輔は思った。
ついさっきまで、大輔は子供チームとデジモンチームに別れて、全員で枕投げ大会を
敢行していたのだ。もうくたくたである。
ちなみに大輔は、勝利に貪欲で意地悪なデジモン達、主にブイモンによって真っ先に
右足を狙い撃ちされたため、早々に戦線から離脱するハメになった。
我慢することができず、ほとんどやけくそで、もんざえモンの協力のもと、その大き
な体によじ登って大きな毛布を上から被り、
油断したデジモン達がやってきたことで豪快に毛布を投げ落とし、視界不良になった
隙をついて、子供たち全員で上から袋叩きで
たくさんのマクラを投げ込んだのはすっきりしたが、それ相応の報復があり、結局決
着はつかないまま大笑いしたのだった。
またやりたいなあ、と思いながら大輔は伸びをした。ここまで思いっきり遊んだのは
久しぶりである。
うとうとしつつある大輔がマクラを独占して大の字になっていると、なにやら真剣な
顔をしたブイモンがちょいちょいとつついてくる。
今にも眠ってしまいそうなほど、とろんとした目のまま、大輔は不機嫌そうにその手
を払いのけようとするが、ブイモンはまだ眠くないようだ。
ちょいちょい、と服をひっぱられ、大輔はなんだよー、とまどろみに落ちそうな幸福
を邪魔されてそっちに寝返りを打った。
横にはベットに埋まりながら、毛布の海を泳ぐブイモンがいる。


「大輔、大輔、まだ寝るなよ」

「なんでだよー、もうねみいい」

「駄目だってば、まだ話し聞いてないよ、大輔」

「話い?」

「そうそう。大輔が、黒い歯車みて怖がってた理由、まだ聞いてない。
夜になったらっていってたのに、忘れるなよ。オレ、ずーっと聞きたいの我慢してた
のに」


むう、と頬をふくらませるブイモンに、そういえばそういう約束をしたかもしれない
と言う事を今更のように思い出した大輔は、
あー、と言葉をこぼした。
はやく、はーやーく、と腕を掴んでぐいぐいとひいてくる
ブイモンのせいで、ベットが揺れる。
あまりにフカフカでおもしろいからピョンピョン何度も飛び跳ねて遊んでしまい、
ベットから落ちてしまったことを思い出した大輔は、
あわてて分かった分かった、と応じた。ちらりとドアのほうを見るが、ちょっとだけ
開いている隙間からはなんの姿も見えずにほっとする。
あのときは怖かった。本気で怖かった。ベッドが壊れるからやめてくださいね、とあ
のトラウマを彷彿とさせる真っ赤な目を全く笑わせないまま、
満面の笑みを浮かべたこのお城の主が、あの隙間からじいっとのぞき見ていたときに
は反射的に毛布をかぶってしまったほどだ。
また音もなく現れて、無言の圧力でずいっと至近距離に迫ってくる恐怖はもうゴメン
である。
誰にもういうなよ、絶対な、という念には念を入れた大輔の言葉に力強く頷いたブイモ
ンは、
ふたりだけの秘密という言葉に反応して嬉しそうに笑った。




そして大輔は語りだす。



エアロブイドラモンに進化したブイモンと、未来の大輔たちを助けるために頑張って
いるのだという秋山遼という少年のこと、
黒い歯車によって操られたサイバードラモンによって崖からバンジージャンプするは
めになったこと、
それを二人に助けてもらったこと。そして、サイバードラモンを助けるために頑張っ
たこと、褒められたこと、嬉しかったこと、
これと空とピヨモンのやりとりを見て、ブイモンに提案した話を思いついたこと。
ブイモンが次から次にと浮かんだ疑問を片っ端から説明責任を果たせとばかりに迫っ
てくるものだから、
気圧される形で大輔は洗いざらい思いつくことは全部話してしまう。
そしてその出来事を秘密にするよう言われたから、黒い歯車を発見した時点で操られ
たデジモンが襲ってくることは予想できたが、
結局未来を変えてしまうのではないか、という恐怖のあまり、いろいろと考えてしま
い、太一達に何も言えなかったことも話してしまった。
大輔がヤマトに怒られていたときに、事情を知らないにもかかわらず庇ってくれたブ
イモンの好意に甘えていたこと、
パートナーだと無邪気に慕ってくれるブイモンに嫌われるのがいやで言えなかったこ
と、いろいろ胸の中に溜まっていたことも全部全部、
溢れてしまった言葉は止まらなかった。勢いに任せて全部全部ブイモンに大輔は話し
てしまう。
眠かったため、早く話を終わらせてしまいたい、という意識などとうの昔に置き忘
れ、本意ではない秘密を抱えていた大輔には、
やはりいろいろと精神的な意味できつかったようである。楽になりたいという意識が
あっという間に濁流のような一方的な話を形成していく。
時々、ブイモンが話をまとめるためにオウム返しで聞いて、わからないことは聞い
て、大輔が説明して、という作業が行われたが、
ほとんどブイモンは聞き役に徹していた。
ブイモンは内心飛び上がりたいほど嬉しかった。うんうん、と頷いては大輔が話しす
のを聞くたびに、ニコニコしてしまう。
大輔がパートナーデジモンである自分にだけ、友達としてまた仲良くなったタケル達
や保護者的立場を顕著にし始めた太一達ではなく、
他でもないブイモンにだけ話してくれたことが、とんでもなく嬉しかった。
大輔と自分だけが秘密を共有できるのだ、という優越感とパートナーデジモンとして
の特権をはっきりと自覚できて大満足である。
大輔がブイモンにこのことを話そうと思ったキッカケは自分がもぎ取ったものであ
り、信頼関係も、頼りにされているということも、
ひしひしと感じることができてブイモンは幸せだった。
大輔の力になれたのだ、という事実がたまらなく気分を高揚させた。もっと頑張らな
くてはいけないという焦燥感も強迫概念も浮かんでくる。
だって大輔は、明日からはほんの少しだけ、まわりを頼ることになるだろうことがわ
かるから。
今まで太一達に認めてもらうことに一生懸命で、背伸びばかりしていた大輔は、大輔
が求める対等で平等な関係性に最も近い友人という存在に気づいてし
まった。
ブイモンはずっと黙っていたのである。タケルやパタモンが無茶な行動をする大輔を
止めようとしても、一緒に止めてくれと目で懇願されても、
あえて大輔の言葉に便乗する形で最後まで抵抗し続けていた。なんで止めないんだと
パートナーデジモンとしてのあり方を疑問視されることを、
こっそりあとからパタモンに言われても、気づかないふりをして知らんぷりしてい
た。
理由は簡単。そうすればずっと大輔はブイモンと一緒に目標に向かって頑張ろう、と
二人だけで考えようとしてくれたから、
その間だけはブイモンのことだけを見てくれるから、というどうしようもない独占欲
である。
大輔の一番になりたいというブイモンの目標を叶えるには、一番近道だと思ったか
ら。ただそれだけだ。
そのためなら何だってしてやるんだ、と大輔にもはっきりと宣言した事だが、なんら
嘘偽りなく、ただしたたかに大輔の知らぬところで行われている。
大輔はずるいのだ。他の子供達やパートナーデジモンのことはよくわからないけれ
ど、ブイモンがいなくっても、きっと一人で何でもやってしまう。
一人で決めて、一人で行動して、一人でどんどん進んでしまう。大輔はたった一人で
完成してしまっている子供なのだ。
完結してしまっているのだ。じゃあなんでブイモンは大輔のパートナーデジモンとし
て選ばれたのか、全く分からないではないか。
大輔のとなりにいることが居場所である、と明確なまでに存在価値を限定している訳
ではない。
ただ大輔と一緒にいたい、ならどうすればいいかを考えた結果、じゃあ大輔の1番に
なれたら絶対に離れなくてもすむ、という
単純明快な思考回路である。ブイモンは大輔が大好きだ。同じくらい大輔がブイモン
のことを大好きだったらいいけど、
なかなか大輔はブイモンの欲しい言葉や行動をしてくれない。返してくれない。か
まってくれない。寂しい寂しい。
直接行動に移したら、かまってくれるけれど、それだけじゃ全然足りないのだ。やん
ちゃ坊主の無邪気な甘えっ子は、こうして毎日頑張っていた。
ブイモンが大輔のパートナーデジモンとして選ばれたのは、ほんの少し照れ屋で早過
ぎる思春期真っ盛りなせいで、なかなか素直になれないパートナーの、
なかなか出てこないいいところをぎゅっと押し固めたような子であるということ、本
質を色濃く反映しているからだと、
お互いが自覚するのは、まだまだずっと先のことである。
でも、ブイモンはひとつだけ、大輔の話でどうしても納得行かないことがあった。


「大輔」

「どーした、ブイモン」

「ホントのホントに、それ、オレえ?」


ぶーたれるブイモンに、はあ?と大輔は訳がわからないと言いたげに疑問符を浮かべ
た。


「そりゃ、こっちの世界のよろしく、とかいってたから、そうなんだろ?」


「だって、ないって、ぜーったいありえないって。おかしい。なんでオレがパート
ナーの大輔の側から離れて、
その遼ってやつと一緒に旅してるんだよう。そっちのオレは、なんでそっちの大輔
ほっとらかしにしてるんだよう。
大輔達が危ないんなら、きっと時間を飛び越えたってオレは助けに行くだろうけど
さ、パートナーは大輔だけなのに。
納得行かない!」

「………おまえなあ」

「んー、どしたんだよ、大輔。マクラに顔埋めたりして。って、うわあっ!」


ぼすん、と上から真っ白なマクラを投げつけられたブイモンは、顔面に直撃してベッ
トから落下する。
どすん、という鈍い音がして、いたあい、という涙目の声が聞こえた。ヒドイや大
輔、と額を抑えながら再びベッドに上がってくるブイモンは、
毛布に体をすっぽりうずめながら、なぜかわなわなと体を震わせている大輔を発見し
た。
そんなに寒いのかなあ、とのんきに考えていたブイモンは、大輔が声にならない声を
挙げていることに気づかない。
落下したマクラを抱えているブイモンから、マクラが取り上げられてしまう。大輔
ばっかりズルイ、とむくれるブイモンに、
大輔がじゃあやるよとばかりに再びマクラを投げつけた。
なにすんだよーっと納得行かない様子で、今度はしっかりと受け止めたブイモンは、
力任せにマクラごと押しつぶされてしまう。
ぼふぼふぼふ、と上から何度も叩かれて、ブイモンはたまらず悲鳴を上げた。


「なにすんだよおっ、大輔っ!」

「だまってろーっ」

「えええ」

「恥ずかしいことばっかいう口はちょっとだまってろよっ!」

「なんで?!オレ本気でいってるのにっ」

「だったら尚更いうなよおっ!恥ずかしいんだよバカ!」

「大輔、もしかして照れて」

「ないいいっ!照れてない!ぜってー照れてないんだからな!変なこというなよ!」

「だって、大輔、耳まっ」

「いうなってば、ばーか!」


毛布攻撃を食らったブイモンは視界が真っ黒になる。ばたばたと暴れる塊を全力で押
し付けながら、大輔はいった。


「なんでオレじゃなくって遼さんと一緒かなんてオレがききてえよ!ホントは、オレじゃな
くって遼さんが最初のパートナーじゃねえのかよ。
覚えてないだけで!」

「何いってんだよ、大輔!」

「だって、エアロブイドラモンは、すっげー遼さんと意気投合してたんだ!オレなん
かよりずっとずっと楽しそうだった!」

「大輔、もう毛布やめろってば!」

「もし遼さんが最初のブイモンのパートナーだったら、ぜってーおんなじこと遼さん
にいうくせに。
オレじゃなくっても誰にでもいってそうだよな、ブイモン。
未来から来たのがオレじゃなくて遼さんだったのも、オレがホントは2番目のパートナー
だって思い出したからで、
オレ俺じゃなくって遼さんを選んだからじゃないのかよ。
実は2番目だって分かったら、最初のパートナーなんだって信じてた俺が馬鹿みたい
だろ!ヤキモチやくの俺だけじゃねーか!」


そんなのぜってーやだからな!ブイモンのばかやろおおっという声が響く中で、よう
やくブイモンは自分の言った一言がとんでもない失言だったと気づく。
大輔がずっとずっとブイモンにも打ち明けずに一人ぼっちで悩んだり、だんまりを決
め込んだりしていたのか、ようやく理解できた。
大輔もブイモンと同じように不安で不安でたまらなかったのだろう。
ブイモンが大輔に必要とされている存在なのか、と悩む一方で、
本宮大輔という少年は、ブイモンというパートナーデジモンにとって、自分は本当に
必要とされているのかということで悩んでいたのだ。
もしかしたら、たまたまブイモンが覚えていないだけでもっと相応しいパートナーが
居るのではないか、という
他の子供たちとデジモン達ならばまず疑問を挟む余地もないような、当たり前の関係
性について、ずっと悩んでいたのだ。
この悩みを打ち明けるということは、命の恩人である秋山遼という少年と交わした約
束を破ることになってしまう、という
二律背反の間でずっと大輔は誰にも打ち明けるという選択肢を取ることもできないま
ま、不慣れな秘密主義者にならざるを得なかったと知る。
毛布を蹴破ったブイモンは、今にも泣きそうな顔で嗚咽を必死で我慢しながら、荒い
息をしている大輔の胸に飛び込んだ。
なにすんだよ!と叫ぶ大輔に、ブイモンは大輔がしてくれたのと同じように、思いっ
きり抱きついた。


「ちがう!ぜーったい、そんな事ないって!なんでオレが大輔のこと知ってたのか、
とか、この世界のこととか全然分からないけど、
オレが大輔のこと、ずーっとずっと待ってたのはオレが覚えてるんだ!間違いない!嘘じゃない!
だからオレ、太一達がこの世界に来たとき、すっげー嬉しかったんだ。どこだろう、
オレのずっと待ってたパートナーはどこだろう、
大輔はどこだろうって探しまわったんだから!大輔も分かるだろ?オレ、チビモン
だったとき、大輔がいないって分かって、
すっげー不安になったんだ。みんなパートナーと会えて自己紹介してるのに、ずっと
オレだけ一人ぼっちで、オレがどんだけ怖かったか分かるだろ?
オレが大輔見つけたとき、なんであんだけ泣いたか、なんであんだけ大輔から離れた
くないって言い張ったのか、分かるだろ?
大輔がどっかいっちゃうかもしれないと思うとこわくてたまんなかったんだよっ!そ
の時の気持ちも嘘だなんて言わないでくれよっ!」


大輔!と真っ直ぐ見上げてくるブイモンの言葉に、大輔は何も言わないまま、ぎゅう
とブイモンを抱きしめ返すことで答えた。
何度も何度もうなずいている相棒の気配を感じながら、ブイモンはよかったと心から
思った。
やっぱりブイモンは本宮大輔という少年にパートナーとして必要とされていて、必要
としているのだ、
という当たり前のことがどんなに幸せなことか、今ここではっきりと噛み締めること
が出来たのだ。
その当たり前のことを信じることができない、疑ってしまうことがどんなに辛くて悲
しいことか分かったのだ。
まだまだ大輔の一番になることは難しいかもしれないけれど、パートナーは自分しか
いないのだ、という
確固とした地位を今ようやく確認することが出来た時点で、今まで限り無く不安定
だったブイモンの精神がようやく安定に向かう。
大輔の本質の生き写しである仲間思いであるという性質が、今まで大輔一色だったブ
イモンの心にようやく顔を出し始めたのはこのころからだ。
この自信の確立によって、心の安定を得られたことで、ほんの少しだけまわりを見渡
すことができる世界を見せる。
きっと明日から、大輔もブイモンもほんの少しだけ違う世界を見ることができるの
だ。


「もう、なんか疲れたなあ、ブイモン」

「うん。全然寝られなくなっちゃったなあ」

「よーし、こうなったら夜更かししようぜ!」

「えええっ、でも明日からまたどっか行くんだろ?大丈夫?」

「大丈夫、大丈夫、ちょっとくらい寝坊したって誰か起こしに来てくれるって。
それよりオレはブイモンの話が聞きたいな。なんか話してくれよ、もっとブイモンの
こと知りたい」

「じゃあじゃあオレも大輔のこと知りたい!」

「せっかくのお泊り会みたいなノリなんだし、夜更かしは大事なイベントなんだって
太一さん言ってたし、
ずーっと話してようぜ!」

「さんせー!」


和気藹々と話し始めた彼らの間に、すっかり涙は消えていた。
ちなみに。お静かにしてくださいね、というろうそく片手に巡回中のもんざえモンの
ライトアップのせいで、
すっかりトイレに行けなくなってしまった大輔達が、太一の部屋に泣きながら駆け込
むのは別の話である。










[26350] 第十四話 寝ない子誰だ
Name: 若州◆e61dab95 ID:fc6d36c0
Date: 2013/08/02 23:51
静寂が満ちている果てしなく凍りついた世界で、本宮大輔は一人ぼっちで立っていた。
なんか、知ってるぞ、ここ。なんか、一回来たことある気がする。どこだっけ?
ただぼんやりとこの世界に見覚えがある大輔は、どこで見たのか、聞いたのか、体験したのか、なんとか思い出そうとするけれども、
まるでもやがかかったように記憶の彼方に忘れ去ってしまった風景を思い出すことはできなかった。
ふわりふわりと舞い降りてきたのは、真っ白な光に包まれた、今にも消えてしまいそうな明かりだった。
暖かさすら感じさせる穏やかな光に魅せられて、音もなく漂い降りてくるその明かりに見入っていた大輔は、
その明かりが照らす光でほんの少しだけ世界が広がったと気づく。
その明かりが大輔が立っている場所のほんの少し先に落ちて、あたりの真っ暗な空間を照らしてくれるが、
まるで雪のようにその明かりはすぐに溶けてしまう。
名残り惜しくてしゃがもうとした大輔は、さっき見失ってしまった明かりがひとつ、ふたつと増えていき、
世界を瞬く間だけ照らし、やがては消えていく事に気づく。
思わず顔を上げた大輔の目の前には、見渡すかぎり真っ白な明かりがたくさん、ふわりふわりと舞っている光景が広がっていた。
音を立ててはいけない気がして、思わず感嘆の息をもらすのをぐぐっとこらえて、じいっと大輔は溢れていく光を見つめていた。
それでも興味津々の奮い立つ好奇心を抑えることはできなくなって、うずうずしていた大輔は、思い切ってその光に手を伸ばす。
まるで大輔の手のひらから逃れるように、その明かりはひらりと逃げていく。
じれったくなって大輔は一歩一歩と歩き出し、やがてかけ出すように明かりを追いかけ
て真っ直ぐ真っ直ぐかけ出していた。
そして気づく。まるで吹雪のような明かりは、ひとつも大輔に触れることなく、ただゆっくりと上から下へと落ちていることに。
大輔は無意識のうちにこの凍てついた暗闇の世界は冬なのだと思っていたし、この明かりは雪なのだと判断していたが、どうやら違うようだ。
雪ならば大輔はきっと雪だらけになって、あまりの冷たさと溶けてしまった雪による湿り気によって、
ますますこの寒い世界を実感するハメになると言うのに、今の今まで気づかなかったということは、もしかしてこの明かりは雪じゃないのか。
追いかけていた明かりが真っ暗闇に溶けてしまい、すっかり見失ってしまう。
それでも諦めきれずに思い切って手を伸ばした大輔の手に、たまたま降りてきていた明
かりがやってくる。
逃げないようにと両手で捕まえた大輔は、思いの外重さがあることに驚いてしまう。
想像していたような柔らかい感覚でも、すぐに溶けてしまう泡のような感覚でもなく、はっきりと質量を感じる。
しかも溶けることなくはっきりと大輔の手の中に残っているそれは、煌々とした明かりを隙間から放ち続けていた。
おそるおそる右手の蓋を開けてみた大輔の目に飛び込んできたのは、ちっちゃくちっちゃく粉砕された跡がある、
薄くて四角くて白いプラスチックの破片みたいなやつだった。それが真っ白な光を放っているのである。
なんだこれ、と思わず口にした大輔は、この幻想的な光景を形作っているのが、このプラスチックのゴミみたいなやつだと知って、
ちょっと幻滅してしまった。わくわくしていた気持ちがどこへやら、すっかり興ざめしてしまう。
なんだよ、つまんねえ、とぼやきながらちょっとだけ力を入れて触ってみる。
すると、ちょっとしか力を入れていないにもかかわらず、そのプラスチックの塊はあっという間に原型を失い、
サラサラとした砂のような粉末状態になってしまう。そして、今なお発光を続ける謎の物体は、大輔の手からこぼれ落ちて、
後ろから吹いてきた冷たい風に押し流されてしまう。あ、と声を上げたときには遅かった。
びゅうびゅうびゅう、という冷たい風の声が世界に広がっていく。あまりに風が強くて反射的に顔に手を当てた大輔は、
暫くとじていたまぶたを開く。


「すげえ」


それはさながら蛍の大群生だった。
強い強い風に煽られて、上から下に行くしかなかった明かりがたくさんぶわっと舞い上がるのだ。
真っ暗な世界で、その明かりしか存在しないというこの状況下に置いて、まるで生きているように明かりが下から上に、
そして風に流されるままに縦横無尽に飛び交っているのである。
大輔はすっかり口をとじることも忘れて、呼吸の仕方すら忘れてしまったまま、空を見上げる。
降り注ぐ明かりが世界に満ちる。
その時、大輔はしゃん、しゃん、しゃん、という鈴の音色を聞いた。お、と大輔は聞き耳をたてる。
冬、雪、鈴、と来れば大輔が連想するのは、たくさんのトナカイにそりを引かせて、世界中に子供たちにプレゼントを配る真っ赤な服のおじさんである。
真っ赤な服と真っ赤な帽子をかぶっていて、真っ白なひげを蓄えた、陽気で小太りのおじさんである。
毎年冬になると、ずっと遠くの寒い国にサンタさん宛に手紙を送ると、その子供宛にメリークリスマスと英語で手紙を書いてくれるらしい、と
クラスメイトの友達が実際に貰ったことを知っている大輔は、サンタクロースという老人の存在を固く信じていた。
世界にはたくさんの子どもがいるから、一日で全員のプレゼントを届けるのは無理だから、両親がその手伝いをしているだけであって、
クリスマス近くになると両親がやたらと自分が今欲しい物を聞きたがっているのは、サンタクロースの手伝いをしているのだ、と信じている。
今は8月である。あわてんぼうのサンタクロースという合唱コンクールの曲を知っている大輔は、
もしかして、もしかするのか、マジで?!と割とテンション高めであたりを見渡していた。
しかし、その姿は見受けられない。ほーほーほーとかいう笑い声も聞こえてこない。
良く考えてみれば、トナカイの首に付けているベルの音にしては、あまりにも小さいし、一つ分しか聞こえなかった気がするから、
違うのかもしれない。勝手に勘違いして、勝手に落胆した大輔はちょっといらっとしてあたりを見渡した。
しゃん、しゃん、しゃん、とまた鈴の音がした。
まるで幼児向けの音がなるスリッパのように、ゆっくり人が歩く足音ような一定のリズムで、その清らかな音は響いている。
これだけ風の悲鳴とも聞き間違えたのだ、と勘違いしてしまいそうなほど、木枯らしが吹き荒れているこの世界で、
不自然なまでに鈴の音が響きわたっている違和感がそこにある。
聞き漏らさないように集中しながら、大輔はその音の方角を探った。
いやにはっきりと響いている音がある。その音を頼りに再び歩み始めた大輔の足元を照らすように、見渡すかぎり明かりの雪が広がっていた。


『きて』


たった2音の言葉だったけれども、大輔はその意味をはっきりと理解することが出来たし、聞き取ることが出来た。
なんか、どっかで聞いたことがあるような気がするなあ、どこだっけ?
ふたたびもたげてきたデジャビュ的な感覚にもどかしさを噛み締めながら、大輔はまっすぐに進んでいく。
小さな鈴を転がしたような、凛とした音である。女の子の声だった。でも知らない声だった。
空でもミミでもジュンでもなく、大輔の知っている女の子、もしくは女の人の声ではない。
でも何故か大輔はその声の主を知っている気がするのだ。違和感だけが芽生えていく。
なんか気持ち悪いなあ、と思いながら、その中途半端な感覚を少しでも早く解決したくて大輔は急いで先に進んでいった。


『こっちにきて』


こっちってどっちだよ、と思わずつぶやいたが、声の主は答えない。


『わたしのところに、きて』


誰だよ、と問いかけた言葉は闇に溶けていく。
ふと気づくと、あれだけたくさんあった明かりがひとつもなくなり、ふたたび世界は闇に落ちていた。
それでも声の方向ははっきりとしているから、もう先に進むしかないだろう、もうどこから来たなんてわからないんだし、と
大輔は決意してまっすぐに進んでいった。そしてそしてそして。


「けっ、大輔っ、おっきてよーっ!大輔えええっ!!」

「うわあっ?!」


大輔の腹の上に乗っかって、アンダーシャツをガシッと掴んで必死で揺さぶっているブイモンがそこにいた。
がっくがっくがっくと揺さぶられた大輔は、たまらず悲鳴をあげる。何すんだよ!と叫んだ大輔は、
その声に反応して、よかったーっと腕の中に顔を埋めるブイモンの豹変ぶりにすっかり怒りが失せてしまう。
ぱちぱち、と目を瞬かせあたりを見渡してみるが、昨日就寝した広い広い部屋があり、大輔とブイモンは大きなベットに寝ている。
もうすっかり朝になっているらしく、暖かな太陽の光が四角いひだまりを形作っており、白くて薄いカーテンがゆらゆらと
穏やかな風に煽られてゆれていた。おもちゃの街の城の中にいるということを思い出した大輔は、ブイモンとすっかり夜更かしして、
とうとう眠気に耐えられず途中で記憶が無くなっていることに気づく。いつのまにやら話疲れて眠ってしまったようだった。
寝坊したにしては他のメンバーたちが待ちかねている気配はないし、もんざえモンがいる様子もない。
なんだかやたらと怯えているブイモンがずーっと大輔に抱きついているものだから、大輔は訳がわからないままブイモンをみる。
大輔が起きたのがそんなに嬉しいのか、ごしごしと乱暴に涙を拭ったブイモンは、にっこりとわらったのだった。


「よかった、よかった、よかったー!大輔起きた!おはよう、大輔!」

「お、おはよう?どうしたんだよ、ブイモン」


まるで雪山登山の最中に遭難してしまった仲間が眠いと言い始めたから、寝たら死ぬぞ、と必死でたたき起こした隊長のような反応だ。
イマイチ状況が飲み込めず首を傾げる大輔に、ブイモンは安堵の溜め息をこぼした後、そろそろと大輔から降りて横に座った。
なんか怖い夢でも見たのだろうか。主にもんざえモン関連のトラウマ映像なら今でも大輔の心のなかに深刻な傷を植えつけているため、
心当たりはいくらでもあったのだが、それにしてもブイモンの反応は本気で怯えと恐怖にゆがんでいたのを思い出した大輔は、
相当怖い夢でも見たのだろう、と考える。
大輔も前も見た気がする、という違和感をずっと拭いきれていなかったのだが、目が覚めて頭が動き出すと同時にようやく理解する。
そういやオレ、昨日も似たような変な夢見た気がする。気がするんじゃなくて、きっとほとんど同じ夢、いや、夢の続きを見たのだ。
すとん、とずっともやもやしていたものがようやく理解できた大輔は、小さく息を吐いた。
なんで今日はやけにはっきりと見た夢のことを覚えているのかはわからないが、相当強烈で意味不明な夢だった。
そう結論づける。全部全部、もんざえモンが悪いのだ、と大輔は早々に夢を見てしまた原因を自分なりに結論づけた。
多分、もう覚えてないけど怖かったテレビ番組のことをうっかり思い出してしまったのだろう。
夏休みの怖い話とか、ホラー映画とか、怖い怖いと分かっていてもついつい見てしまう大輔は、
その日の夜になると風呂場にある鏡や洗面所の鏡を直視することができなくなり、部屋に引っ込む時もやたらと背後が気になってしょうがなくなる。
そして決まって、時計の音やクーラーの音といったいつもならば気にもとめないような音がすっかり気になってしまい、
ぎんぎんに冴えてしまった頭がいろいろ空想してしまうのを必死で堪えて、タオルケットに丸まって震えながら眠るのだ。
でもそういう時に限って、ベッドの下に斧を持った大男がいるとか、目を開けたら真っ赤な服をきた女が立っているとか、
アリもしない気配を感じ取ってしまい、ビクビクするハメになる。
夢のなかに逃げこんでも、全く同じような夢を見てしまい、目が覚めてもはっきりと覚えていることなどよくある。
そして目が覚めた時間帯が、うっかり丑三つ時だったりしたが最後、泣きながら両親の部屋に逃げ込むハメになるのである。
こういう時、姉のもとに助けを求めると、おもしろがった姉がいろいろとこわいことが今まさに怒っているのだ、
というアリもしないことを捏造しては、大輔を泣かせると知っているからとてもではないがドアを叩くことはできなかった。
大輔助けて、と金縛りにかかったフリをして、さんざん怖がらせてきたジュンの悪行など嫌というほど大輔は覚えている。
忘れたい夢ほど全然忘れさせていくれないのだ。きっと今日見た夢も似たようなものなのだろう、と大輔は思った。


「大輔、またうなされてたけど、なんか怖い夢でもみた?」

「あー、うん、なんか変な夢みた。前は覚えてなかったけど、多分昨日みた夢の続きみ
たいなやつ?」

「どんなの?」

「え?えーっと、なんか真っ暗な場所にいてさ、こんなちっせえ欠片みたいなやつが光ってるんだ。
雪とか蛍かと思って捕まえてみたけど、すぐ崩れちまったからわかんねーや。
それがなんかいっぱいあって、すっげー綺麗だったのは覚えてる。すっげー寒かったけど」

「誰もいなかったのか?」

「んー、誰がいるとか全然分かんなかったなあ、だってホントに真っ暗だったんだぜ?
ブイモンも太一さんたちもだーれの声も聞こえなかったから、多分俺だけ、かなあ。
でも風が強かったからなあ」

「そっか。変な夢だなあ」

「そーだろ?しかも、なんか鈴の音とか女の子の声とかするし」

「女の子?大輔の知ってる子?」

「ぜーんぜん、しらねえや。聞いたことない子の声だった。
すっげーちっさかったから、初めは風の音かと思ったんだけど、なんか違うんだよ。
こっちに来てとか、私のところに来て、とか、変なことばっかいうんだ。
誰だよ、とか、こっちってどっちだよ、とか聞いても教えてくれないんだ。今思うとすっげーこわいなあ」

「大輔、その子のところにいこうとした?」

「そりゃー、見渡すかぎり真っ暗な世界に一人ぼっちだったら、こわいし、寂しいし、
一人ぼっちは嫌だろ?
誰か他にいるんじゃないかって思ったら、もうそれだけしか考えてなかったなあ」


それに、と今思い出したように大輔は言った。


「なんか、あの女の子、泣いてた気がするんだよなあ。かわいそうになってさ」


男の子である大輔だって怖かったのだ。もし女の子があの場所にいたら、大輔よりもずっとずっとこわい思いをするに違いないだろう。
もしかしたら、泣いていたのかもしれない。その場にうずくまってどうしようもなくて、誰かの助けを待っていたのかもしれない。
だから大輔に、こっちに来て欲しいと必死で呼んでいたのかもしれない。
真っ暗で寒くて凍えそうな世界で、びゅうびゅう風に吹かれながら、ずっと一人ぼっちで立っているなんて、
今思い出すだけでも身の毛がよだつ様なおそろしい状況である。そう思うと、大輔は途中で夢から覚めてしまったことを後悔した。
今日見た夢では正体不明の明かりがあまりにも幻想的で、すっかり忘れてしまっていた
けれども、朧気ながらも思い出した昨日の夢の中では、
大輔は間違いなくずっとずっと怖い思いをしていたはずなのだ。
せめて女の子のところにいってから、一人ぼっちじゃないんだということを教えてあげてから目が覚めればよかったのに、と思うものの、
覚めてしまったものはどうしようもない。
そのことを口にした途端、ブイモンが硬直した。そして首がもげるのではないか、というくらいぶんぶん首を振って、ブイモンは大輔に叫んだ。


「ダメダメ、駄目だって、大輔!行っちゃ駄目!」


顔面蒼白である。もともとブイモンは青色の体をしているが、顔の部分は白いため、それを通り越して気分悪そうな顔をしている。
全身真っ青である。なんか変な表現になってしまうが、事実なのだからしょうが無い。


「なんでだよ?」

「その夢の中で、なんか怖い思いしなかった?」

「え?全然。それだけだけど」

「大輔気づいてないだけだろ、それえーっ!オレびっくりしたんだから!」

「だーかーら、何があったんだよ、ブイモン」

「…………てた」

「へ?」

「どっかに連れてかれそうだったんだよ、大輔!」

「…………はああっ?!え?なんだよそれ、え?いつ?」

「大輔が寝ちゃったあとで、オレトイレ行きたくなったから、ちょっとだけ部屋から出たんだ。
帰って来たら、あ、あ、あのへんが、なんか穴あいてた」

「あなあ?!」


言われるがままブイモンの指差す先を見た大輔は、なんのへんてつもない絵画が飾ってある真っ白な壁を見る。
丁度大輔の真後ろである。思わず大輔はその場からそれとなく移動した。
よくよく見れば、いくら寝相が行儀よいと言えない大輔やブイモンでも、ここまであからさまにそちらの方向に向かって、
都合よくマクラやシーツ、毛布なんかを引っ張ったように蹴落とすことは不可能だろう。
ありありとブイモンの証言を裏付けるような情景が完全に残っているではないか。
さすがに力持ちのブイモンでも、わざわざ大輔を怖がらせるためにここまで用意周到な準備をしているとは考えづらいし、
大輔と仲直りしたばかりのブイモンが、また大輔とケンカするようなことを思いつくとは考えづらい。
他の子供達がまだ眠っているだろうことは、時計で確認したから判明済みだ。
もんざえモン曰く大輔たちしか夜更かししている子供たちやデジモン達はいないようだし、早寝している子供たちやデジモン達がいないのも知っている。
早起きなんて無理だろう。さすがに寝起きどっきりで4時より前に仕込みをするとは考えられない。
ひやりとしたものが込み上げてくるのが分かった。大輔は思わずブイモンの腕にしがみついた。
どうやら知らず知らずのうちに、ホラー映画も真っ青な怪奇現象の犠牲者になりかけていたようである。


「こう、なんか、ぐにゃーってなってるトンネルがあったんだ。大輔、ずーっと寝てるまんまだし、そのまま吸い込まれそうになってたよ。
オレがあわてて大輔ひぱって、なんとか起こそうとしても全然起きないんだ。もうすげーこわかった!」

「なんだよ、それええ。嘘だろお」

「嘘じゃないってば!オレ何回も何回も大輔って呼んだのに、全然気づかなかったんだろ?もう駄目かと思ったんだ。
そしたら、大輔のもってたデジヴァイスが光って、そのトンネル、あっという間になくなっちゃったんだ」

「デジヴァイス?」

「うん、デジヴァイス。進化するときとおんなじ光が追っ払ってくれたんだよ」

「そ、そっか。そうなんだ。持っててよかった」

「大輔、きっとその夢のなかの女の子が大輔をどっかに連れてこうとしたんだよ。
大輔優しいから、ほっとけなかったんだと思うけど、気をつけたほうがいいよ?
それでもほっとけなかったら、オレ呼んでくれよな。オレも行くから。一人でどっか行っちゃやだぞ、大輔」

「おう、分かった。気をつける。そのかわり、オレが呼んだらぜーったいに来いよなブイモン」

「あったりまえだろ!オレ達運命共同体なんだから、ずっと一緒じゃなきゃ駄目なんだ!」


えへへ、と笑ったブイモンに、大輔は安心したように釣られて笑ったのだった。
とりあえず、このことを太一達に知らせなければいけない、と大輔とブイモンは居ても立ってもいられず、
太一の部屋に直行することになる。
だが、昨晩遅くに何度もトイレの同行に叩き起された太一とアグモンはすっかり寝不足となっており、
夢と現実の区別がつかないまま、本当にあったのだと驚いて怖がっているだけだと解釈されてしまい、スルーされてしまう。
まだ4時である。子供たちもデジモン達も活動を早めるのは、あまりにも早すぎた。
でも、もう一度同じ部屋に行くことがすっかり怖くなってしまった大輔とブイモンは、すっかり目が醒めている。
夜更かししたため睡眠時間は極端に少ないが、変なテンションになっているのは否定出来ない。
それが信ぴょう性をますます落としこんでしまっていた。
結局、朝早くに廊下を歩いている一人と一匹を発見したもんざえモンにより保護された大輔達は、
電気をつけっぱなしのまま同じ部屋に寝させてもらう事になる。
そして、すっかり寝坊してしまい、みんなに迷惑を掛けることになってしまうのだが、それは6時間後の話である。






[26350] 第十五話 ムゲンマウンテンの麓で
Name: 若州◆e61dab95 ID:f32d0746
Date: 2013/08/02 23:52
なんだよ、なんだよ、なんだよ、太一さんの馬鹿。
困ったことがあったら、一人ぼっちで悩まずに俺に相談しろ、任せとけって胸をはって笑ってくれたのはどこの誰だよ。
頼ってもらったほうがうれしいから、むしろ寂しいからどんとこいっていってくれたのは、太一さんなのに。
甘えてもいいんだって言ってくれたのは、アグモンだって同じなのに。
やっぱ相談しなきゃよかった。嫌いだ、太一さんなんか。
心のなかでありったけの悪口を叫びながら、大輔はじーっと先を先導している
尊敬しているサッカー部の先輩の背中を恨めし気に見つめていた。
大輔は回想する。昨日、トイレに行きたくなって一人は怖いからと
太一の部屋のドアを叩いたときには、やっぱり大輔はまだガキだなあ、と
笑われながらも頭を撫でてくれたのだ。そして一緒についてきてくれたのだ。
何度も起こしてしまったのは悪いとは思うが、もんざえモンが怖かったのだから仕方ない。
おねしょなんてとんでもない失態を防ぐためにはぜひとも協力を仰ぐ必要があったのだ。1番部屋も近かったし。
大輔も大輔なりに、こんなことでわざわざ太一を起こすなんて迷惑極まりない行動を、
やっていいのかどうかブイモンと一緒に考えたのだ。
きっと昨日までの大輔だったら、選択肢にすら絶対浮かばないようなことだったが、
今までの経験がちょっとだけ大輔に素直になることを教えてくれた。
助けを求めたら、手を伸ばしてくれる、ということを学んだ。
今まで躊躇していたことをするということが、こんなに勇気がいることなんだとは知らなかった。
しどろもどろになりながら、恥ずかしさのあまり顔を真赤にする大輔に、
太一は思わず笑ってしまっていたけれども、本人からすればかなり心外であった。
それでも嫌だとは言わずに、いろいろとおしゃべりしながら助けに答えてくれた
という事実は、ますます大輔に甘えと認識していた行動を、
抑制していた行動に対するハードルをぐっと下げてくれたのは間違いなかった。
それなのにである。


大輔とブイモンは例の怪奇現象について速攻で太一とアグモンに相談したのだ。
しかし、大輔達の恐怖体験を切々と訴えたにもかかわらず、太一達の反応は淡白だった。
それどころか、悪夢にうなされるあまり、現実で起こったことと夢の中で体験したことをごっちゃごちゃにしてしまい、
パニックになっているだけだろう、と指摘され、落ち着けよ、と笑われてしまったのだ。
大輔はショックだった。いくら夢じゃないんだと訴えても、部屋を見せても、全然信じてくれないのである。
それどころか、おもちゃの街から出発したときに、あれだけ秘密にしてくれと
お願いしておいたトイレ同行の件と一緒に、大輔とブイモンが怖がりであるという
笑い話をみんなにするついでのエピソードとして、
怪奇現象についても冗談交じりに暴露されてしまったのだ。
もう最悪である。上級生組には微笑ましげに生暖かい視線を向けられるし、
大輔が甘えん坊であるという一面がまたひとつ強調されてしまったため、
からかわれるし、ちょっかい掛けられるし、頭なでられるし、
慰められてもあからさまに肩を震わせられてしまっては嫌でもその心中は把握できる。
大輔とブイモンが怒って抗議しても、羞恥にかられて意地っ張りになっているだけだ、
と受け取られてしまい大輔達の本心を全くすくいとってくれない。
実際大輔たちが取った行動はひとつも脚色なく事実だけ語られているのが
余計タチの悪さを煽っていた。
結局のところ、大輔達の気持ちなど太一は大輔たちではないからわからないのだ。
分かってくれないのだ。
その当たり前の事実に行き着いた大輔は、裏切られたような感覚を覚えてしまい、
余計太一の行動を許せない、と思ってしまう。
でも内心では、なんでここまで太一に対して激しい怒りを感じるのか大輔はわからず、
自分の感情に戸惑っているのが実情である。
今まで感じたこともない途方も無い憎しみにも似たそれは、
いだいている本人すら恐怖を抱くほどであり、大輔はそれを太一にぶちまけることはなかった。
それは、大輔の中にある八神太一と、目の前で歩いている八神太一が
全く違う人間であると大輔が無意識のうちに気付き始めており、
そのギャップの多さに、かつてお姉ちゃんという存在を崩壊させた本宮ジュンという
トラウマがある大輔が本能的に危機感を覚え、拒否反応を示しているからである。
もともと大輔の太一に対する評価には、尊敬するサッカー部の先輩である、
という事実のほかに、理想的なお兄ちゃんである、
という精神的な安定を得るために本人には内緒で勝手に創り上げた前提が存在している。
いわゆる過大評価を招いており、毎日クラブや学校であったり、
遊んだりしているにもかかわらず、大輔の中で太一という少年は、
確立した八神太一という実像からかけ離れすぎていた理想像を見出していたせいで、
八神太一という少年を現実的に見られていなかった。
それは自分を慕ってくれる後輩にカッコ悪いところを見せられるはずもない、
かっこいい先輩でいたい、という太一の思考と行動がある意味助長していたのだが、
こうやって24時間ずっと共に行動するという漂流生活を送ることになったことで、
太一もさすがに大輔が知っている尊敬するかっこいいサッカー部の先輩
という一面ばかりを見せるわけにもいかなくなったのだ。
もちろんそんな事知りもしない大輔からすれば、たまったものではない。
毎回毎回、自分の中にある安定剤と化している理想像を揺るがす大事件である。
大輔は自分が持っている感情の名前を知らない。
それはやつあたりと逆恨みであるということを知らない。
それを理解するには、まだまだ大輔は幼すぎた。
ある意味で、血のつながった姉であるジュンしかお姉ちゃんがいないから、
ずっと向きあって問題を解決するまで頑張るという道を、
ずっとずっとお姉ちゃんやお兄ちゃんをしてくれる人に恵まれてしまったという、
大輔の置かれているサッカー部の環境が阻害し、代用品を用意して、
現実から逃避してしまうという選択肢を可能にしてしまった悲劇とも言えた。
そういうわけで、現在本宮大輔は、まわりの子供たちやデジモン達が声を掛けるのをためらってしまうくらい、とっても怒っていた。





そんな大輔の様子を見かねたヤマトや空から謝罪するよう言われたものの、
なんで俺が謝んなきゃなんないんだよ、と意固地になっているのは太一である。
大輔が神聖化している八神太一という少年はお台場小学校5年生のただの子供である。
この8人のメンバーの中で、八神家のお兄ちゃんとして頼られてきたように、
人に頼られることをしたいと頑張っているから、
みんなにも自分を頼りにすることを強制してしまうため、
なにかと空回りしてしまうちょっと苦労人の子供である。
怪我したことを空がいうまで(それを最初に指摘できなかったことも
実は結構なダメージである)ずーっと我慢していたり、
いつの間にかタケルやミミといっそう仲良しになっていたりするサッカー部の後輩が
(なんか俺だけのけもん?とこっそり悩んでいる)、
何度言ってもわがままひとついうことなく、助けを求めるといった頼られていると
実感できる行動や言動をしないことにいらついて怒ったり、からかったり、
ちょっかいを掛けたくもなる行動ばかりしていた後輩がである。
一人でトイレに行くのがこわいから付いてきてくれ、
なんて可愛いことを言ったときには、そりゃあ嬉しかった。
それでも、うとうとし始めたときに何度も起こされてしまっては、
最初の感動なんてどっか彼方に飛んでいってしまうものである。
しかも朝の4時なんて、サッカー部の朝練でも起きたことがないような早朝に、
叩き起されてしまってはさすがの太一も我慢の限界だった。
ずっと歩き続けていろんな出来事があって、疲れているのはみんな同じである。
でもパートナーデジモンであるアグモンが1番最初に進化した太一は、
この世界で巻き起こる騒動に子供たちが危機に晒されたとき、
真っ先に頼りにされているし、本人もそのつもりで頑張っている。
特に女の子や最年少の大輔やタケルを守るために、
いろいろと不慣れな警戒や緊張感を持って周囲を見なければいけないし、
何かあったときのためにいつだってすぐに行動できるよう意識しているし、
それを悟られないように気を使わなくてはならない。
さすがに24時間体勢でお兄ちゃんをしなければならないのは、
本来頭を使って考えるという方向性でリーダーをやっているわけではない太一には相当な負担である。
そんな素振りは微塵もみせていないけれど、太一だって他の誰よりも疲れているのだ。
後輩と違って自分は上級生組であり、弱音とかわがままなんて言ったら
いけないことくらい太一も分かっている。
頼りにされる側の人間は、他に頼りにできる人間がいないという意味で、孤独なのである。
夜くらいゆっくり寝かせて欲しかったのだ。
つらいから。泣きたくなるくらいつらいから。現実を思い出してしまうから。
太一が大好きな存在だということも、今一番心の中を占めている存在だと言うことも知ってるが、
せめて自分がいるときだけはヒカリを話題に出さないでくれと主張しておきながら、
ミミとの会話の中で平然と話題にしている大輔の矛盾に目をつむるためにも、
必要な時間だったはずなのだ。平気そうじゃないか。何だよそれって言葉は飲み込まれた。
夢見が悪かったのは仕方ないなってなんとなく太一は思っている。



このところ、八神家の老猫は何もない場所をじーっと見つめる。
獲物を見つけたときのように目をぎらぎらさせて、興奮した様子で見つめていることがふえている。
一点をじーっと見て微動だにせず、そのうちあたりをきょろきょろ見渡しだして、
ベランダに行く窓へと直行したかと思ったらそのまま外に出ようとして脱走防止の柵をどけてくれと鳴いている。
最初の頃こそ虫でも見つけたのかと思ってティッシュ箱を引っ掴んで行ってみても、
太一に気付いて振り返ったミーコが促す視線の先には、リビングから見えるコンクリートジャングルしか見えない。
海の向こう側には観覧車が見える。臨海公園が望めるベランダしか見えない。
三毛猫のメスだからという単純明快な理由でミーコと名付けられたペットが不思議でならない太一は、
何をしているのか分からないので、何してんだお前、と本人に聞いたことがあるが、
お前には分からないだろうとでも言いたげに、ミーコはふてぶてしく鳴くのだ。
小さい虫でも飛んでいたのかもしれないな、と太一は思うのだが、こうも毎日続くと気味が悪くなってくる。
その日は誰もいないはずの網戸の方をじーっとしばらく一点凝視していたミーコがである。
いきなりしっぽをぴーんと立たせて膨らませ、怖いものを見たのだろうか
体勢を全身で逆立てて、ふー、と威嚇始めたものだからさすがの太一もびっくりしてリビングを見た。
太一がなだめようとしても全然眼中にも入れず、威嚇し続けている。
まさか野良猫でも入り込んだか、誰かいるんだろうか、と思って覗き込んでみたのだが、
相変わらず物干しざおとこまごまとしたものを干すのに使う傘のようなフック、
靴を干すために使っているハンガーが風に吹かれて揺れているだけだった。
ミーコが何をみて興奮しているのかはいまだに太一には分からない。
しばらくして、ミーコは大人しくなってそのままリビングをあとにした。
まさかとは思うけどなにかいたんじゃないかって太一はうすら寒くなって母親に相談したら笑われた。
母親に言わせれば、猫は人間に聞き取れない音をキャッチしているから、それに反応しただけらしい。
猫って言うのは周囲の騒音を無視して、聞きたい音だけを聞き取ることができるから、
近くに太一がいてもテレビがついていても、遠くで音を立てる虫とかの音をキャッチするから、
そっちの方を見るのだという。
だからオバケとか幽霊ではない。少なくても八神家の周囲においてはそういう怪談話は無縁である。
そう断言してくれたから、なーんだ、って太一は安心しきってミーコの行動を気にしなくなっていた。
でもまた思い出したのは、なんとなく似てる気がしたからだ。
何もない所をみつめて、じーっと何かを見つめている妹がぼんやりと立っていたから。
太一も視線を寄越してみたが、お菓子のアンテナショップが入っているデパートを始めとしたビル群、
青々と茂る街路樹を歩く騒がしい人々の雑踏、日光の照り返しがまぶしい午後の夏休み。
いつもと変わらない風景が広がっているだけである。ひかり、と呼んだが返事がない。
横顔の長いまつげが太一にはなんだかさみしそうに見えた。怯えているように見えた。
ちょっとだけ後ずさりをして目を逸らす。さっきあった視線の先にはアイドルの看板、
大きな電光掲示板、そして会社の看板がいっぱい軒を連ねている。原因は特定できない。
どうしようって行き場をなくした掌が結ばれるのを太一は見ていた。
ひかり、とさっきより強く呼んでみるが、聞こえていないらしい。
光、と声を掛ければ、くりっとした目がきょとんとしたまま、瞬きを繰り返している。
キャンプに持って行くためのお菓子をたくさん詰め込んだ買い物袋がかさりと音を立てた。
迷子になったかと思って不安になっていたのだろうか、太一を見つけた光はほっとした表情をみせて、
お兄ちゃんって表情をほころばせ、そのまま一直線に駆け寄ってきたのである。
もういいの?って待たせた理由でもある買い忘れたお菓子の必需品について尋ねてくる光に、
太一はおうって笑いながら小さな袋に入っているパッケージをみせた。


「どうしたんだよ、さっき」

「え?」

「なんかぼーと立ってたから心配したんだよ。何回呼んでも返事しないしさ。
 涼しい所で待ってろって言っただろ?熱中症じゃないか?大丈夫かよ」

「大丈夫だよ、お兄ちゃん」

「ならいいけどさ。なに見てたんだ?あそこら辺のビルを見てたけど」

「お兄ちゃんには見えない?」

「見えない……って、何も見えないぞ?なんか見えたのか?」

「ううん、なんでもない。気にしないで、おにいちゃん。きっと間違えちゃったんだと思う。もういないから」

「やっぱなんかいたんだな?」


興味津々で聞いてくる太一に、ちょっとだけ困ったような顔をした光はうなずいた。


「うん、さっきまでいたけどいなくなっちゃったの。まっくろなひと」

「まっくろかー、ああわかった。真っ黒くろすけだろ、
暗い所から急に明るい所にでると目がくらんで真っ黒クロスケがでるっていうし。
あ、でも影送りかもな。影を見てから空を見ると影がそのまんま空にできるんだ」


かげおくり?、と小さくつぶやいた光はもう一度先ほど見ていたビルの隙間を見上げる。
やっぱり無意識のうちに影送りをしていたんだなと感じた太一は光に帰ろうって促したのだ。
今思えば、このときすでに光は風邪だったのかもしれないと太一は考える。
ぼうっとしていたのは微熱があったからなのかもしれない。
変だなって気付いてはいたけど、まさか風邪を引いていたとは思わなかった。
もしここで気づいていれば、まっすぐに家に帰って母親に言って、
かかりつけの病院に行けたかもしれないのに、と舌打ちする。
光の体調不良に気付いたのは翌日の朝だった。サマーキャンプの前日だ。
解熱シートをペタンとはって悪寒に震える光を思い出すとため息しか出ない。
ミーコと同じようにベランダからみえる風景をじーっと見つめていた光は、
そのまま真昼だというのにカーテンを閉めてしまったから太一は覚えている。
あの日から光はちょっと家族に構って欲しいようで、ちょっとだけわがままになった。
体調が悪い時には人に甘えたくなるのは太一も覚えがある話なので、
光がいつも寝ている二段ベットの下段ではなく、両親の寝室にいくのも違和感は無かった。
2年生にもなって赤ちゃんかよって太一がからかうとむっとして怒ってくるくらいには
元気になったので安心していた。キャンプから帰ったら何を話してやろうかなって考えていたはずなのに。


そんな夢を見ていた直後に、訳の分からない怪奇現象を目撃したとか、大輔が連れ去られそうになったとか、
意味不明なことを後輩とブイモンがいうのだ。
もともと心がとっても広くて我慢強いという先輩としてのメンツは、ヤマトとの喧嘩で剥がれてしまったことを不本意ながら実感した太一は、
少しずつ大輔に対して先輩ぶるのをやめ始めていた。だって大輔がお兄ちゃんとしての太一も求めているということを知ったから。
その言葉を太一はそっくりそのまま、一緒に暮らしている妹の光に見せている素の部分も見せてもいいのだと判断した。
お兄ちゃんであるということは、そういうことだ。先輩である太一を見せなくてもいいのだと思った太一はラッキーと思った。
だから、積極的に太一を頼りにしてくれることは嬉しかったが、さすがに太一もいい加減大輔がうっとおしくなってきたので、
たまに光に対していっているような態度をとったのだ。そしたらなぜだか大輔は怒った。しかも自分一人が悪者扱いされている。
その不公平な扱いと雰囲気は、太一が大っ嫌いな状況とよく似ていた。
それは、光と玩具の取り合いやおもちゃの取り合いをした時に必ず発生する母親からの「お兄ちゃんでしょ」という台詞だ。
3歳年上であるお兄ちゃんであるというだけで、光は無条件に許されるのに自分だけはやたらと我慢を強いられる。
そしてそれは不公平だからおかしい、という太一からすれば当たり前すぎる台詞は「お兄ちゃんでしょ」という魔法の言葉で全て説明されてしまう。
今まで一切納得出来る説明をうけたことがない太一は、この言葉も状況も嫌いだった。
光は大事な妹だが、24時間365日そうかと言われたら別である。
お兄ちゃんと妹では、両親の愛情を優先的に受けることができるのは妹であると相場は決まっているのである。
サマーキャンプの時だって、光が風邪を引いたときにはお母さんが休んで、自分だけで行くハメになってしまうのではないか
という危機感を常に抱くハメになった。結局お父さんがたまたま仕事が休みだったからそれはなしになったけれども、
最後まで一緒にキャンプに行くのだと太一と良く似て、頑固で好奇心旺盛の妹を説き伏せるのは苦労した。
お母さんを独占できるなんてめったにないのである。なにせ、光は賢い上に強敵だ。
妹という立場をフル活用して、甘えるためにはどうしたらいいかよく知っている。
だから両親に構ってもらうための水面下での攻防戦はいつも熾烈を極めるのだ。
学校の八神ヒカリちゃんと八神家における八神ヒカリは大きく違っていることを知っている太一は、
いつも太一達に対等に扱われようと頑張っているくせに、甘えたがりなところがどんどん出てきた大輔が、どこか光と重なってしまったのだ。
「お兄ちゃんだもんね」と勝ち誇ったように笑う光と大輔が重なってしまい、イイトコどりで最年少という立場を利用しているようにしか見えない。
もちろん大輔がそんな難しいことができる奴ではないと太一が1番知っているが、それとこれとは別である。両親と会いたいのは太一も大輔も同じだった。
それに、大輔が太一に求めていることがイマイチちぐはぐで要領を得ないため、太一は始めて大輔のことがわからないと思い始めている。










そんな二人の抱える事情など知るはずもない他のメンバーやデジモン達、ついでにパートナーデジモン達からすれば、
なに変な意地はって喧嘩してんだ、こいつら、状態である。
喧嘩は他所でやってくれという雰囲気に気圧されてか、とりあえず激しい意地の応酬はなりをひそめたが、
ケンカをする時点で太一は大輔と同レベルで争っていることになるのだ。
どこまでも子どもっぽい理由で喧嘩している時点で低レベル次元で喧嘩していることにはかわりない。
意外と似たもの同士かもしれないという笑いを誘っていた。
そういうわけで、当事者達は、朝からずっとろくに目も合わせないまま口もきかずに喧嘩継続中だが、理由があまりにもしょうもないせいか、
太一とヤマトの言い合いの時のようにメンバー総出の仲裁とまではいかず、なかば放置されている。
ほっとけばけろりとした顔でまた軽口を言い合うだろうことは誰の目にも明らかだった。









現在、ムゲンマウンテンに向かう道が、どんどん冬に近付いている。
熱帯雨林に存在する樹木から、針葉樹林や寒さに強いとされている広葉樹に森が変化していく。
やがて雪原が広がる中、冬の風景となった。子供たちとデジモン達は目を輝かせた。
一部でブリザードが吹き荒れているが、お互いに不干渉を貫いているため、
他のメンバーたちはどこ吹く風、直接的な被害は何も無いのだからほっとけ状態だ。
今は1番最後尾を歩いている大輔は、これからの進路方向について上級生組が話し合っている様子を、
いつもなら自分がいるはずの最前列から少し離れた特等席を
ほんの少しだけ後悔しながら遠くから見つめていた。
雪合戦や雪だるま、かまくら、と季節外れの雪遊びに興じようと
目を輝かせていたタケルとパタモンが、ぼーっとしている
無防備な好敵手を放置するはずがない。
いつかのいたずらの仕返しもしたいし、ずーっとだんまりをしている大輔なんて大輔じゃない。
遊ぼと手招きするが全然気づいてくれない。
大輔と同じようにちっとも信じてくれないみんなに憤りを顕にしながらも、
目の前に広がる雪の光景にうずうずしていたブイモンは、
パートナーの手前我慢していたが、タケル達に気づいて速攻で裏切りを決意した。
タケルがありったけの力を込めて作り上げた大きな大きな雪玉が、
さくさくさく、という足音と共に豪快なフォームを描いて投げられる。
ふわふわの雪は、いくら固めても固めてもこぼれ落ちてしまう。
あまりにも温度が低すぎると形成される雪はサラサラになり、粉のようになっている。
悪戦苦闘しながら、渾身の一球を作り上げたタケルに、おおお!と
パタモンとブイモンが尊敬のまなざしを向けた。
きっといつもの大輔だったら、タケルより先に雪遊びに飛び出していたに違いない。
だって真っ白な雪原である。足あとをつける優越感は耐え難い。
ミミと競うように走っていたタケルは、いつまでも追いかけてこない大輔に
ようやく気付いたのだ。こういう時、遊びに誘うのが友達だよね。


「えーい!」

「いてっ!」


ぼろぼろと崩れ落ちながらも、見事大輔の頭に命中した雪玉があっという間にばらばらになり、
大輔はあっという間に雪だらけになってしまう。
今気づいた様子である。なんという無防備。
なにが起こったか本気で気づいていない様子である。遅れてつめてえという声がする。
びっくり仰天しながら雪を払った大輔の頭には、たんこぶが出来ていた。
きょろきょろとあたりを見渡して、奇襲の相手を捜す大輔に、
あははっと大きな笑い声を上げてタケル達は知らせた。さあ大変だ。
これからとんでもない報復が始まる。
こんなこともあろうかとばかりに、さっきから黙々と作り上げていたたくさんの雪玉が転がっている。
タケル達を睨みつけた大輔は、わなわなと怒りに震えていた。
そんなこと知ったこっちゃないとばかりにブイモンとパタモンが雪玉作成の手を休めてやってくる。


「オレもやりたーい!」

「僕も僕もーっ!」

「お、お、お前らなにすんだよっ!3対1とか卑怯だぞ、ずりいことすんな!
つーかブイモン、お前オレのパートナーのくせに何でタケルの味方してんだーっ!」

「なんだよー。太一とずーっと喧嘩してる大輔が悪いんだよーだっ!
オレが話しかけてもぜーんぜん答えてくれなかったくせに!
大輔なんかこうしてやるーっ!」


魂のシャウトが聞こえた。ありったけの気持ちを込めてえぐり込むように作られた雪玉は、とんでもない強度を秘めている。
それをデジモン達の中でも1,2を争う馬鹿力によって豪速球として投げ込まれた大輔は、反射的にしゃがむ。
しかしあまりの寒さに右足の痛みがぶり返し、うまいことしゃがめないことを思い出した時には既に遅し、
どごっというあまりにも鈍い音がして、大輔は豪快に倒れた。そしてしばらくの間両者に沈黙が流れる。
我に返ったブイモンがあわてて大輔―っという声を上げて近寄ろうとするが、
モノの見事な人型から這い上がった雪だらけの大輔の顔を見て硬直した。
大輔は無言でいつもは額に置かれているゴーグルに手を伸ばすと、そのまま目に装着した。
ずるい、それじゃあ雪が眼に入る心配がいらないから突っ込んでいけるじゃないか。
そう思ったタケルが文句を言うが、ブイモンは後退した。
ブイモンは知っている。大輔が一度だけゴーグルを装着した時を。
サイバードラモンをもとに戻すために本気で頑張ったときに装着したのだ、と
話に聞いていたから知っている。やばい、大輔が本気出した、出しちゃった、
勝てるかなあこの雪合戦。


「どうしたの?ブイモン」

「大輔本気出しちゃった、どうしよう」

「え?ホント?雪合戦は戦いだってテレビで言ってたよ。そうこなくっちゃ!僕達もがんばろ!」

「え?そうなの、タケル?」

「うん。ほっかいどーってとこでやってる雪合戦はね、すっごく大きい大会で、
勝ったチームはおっきいトロフィーもらってた」

「トロフィーってなんだよ、タケル?」

「えーと、えっと、一番強いチームだよっていうことだよ、うん」


一番強い、という言葉に反応したブイモンとパタモンの眼の色が変わった。


「どわっ!」

「うわー、すごーい」

「ホームラン!」

「ちょ、おま、オレを殺す気かよっ。ちょー痛えんだけど、お前の雪玉っ!しかも全力投球すんなよ、一瞬お花畑が見えたじゃねーか」

「えーい」

「うわっ」

「えーっ、なんで僕のだけよけちゃうの、大輔!つまんないよー!」

「おいパタモン!人が話してる時に口目掛けて飛ばす奴があるか!つーか、そんなヘボイ玉あたんねーよ!
そっちがその気ならこっちだって考えてやらー!」


やがてノリ気になってきたらしい大輔は、タケル達の猛攻を避けながら逃げ始める。
そして、雪の塊に葉っぱと石ころをくっつけて、小さなうさぎやら雪だるまを
たくさん作って遊んでいたミミとパルモンのもとに駆け込んだ。


「ミミさん、パルモン、助けてください!タケル達が3対1で雪合戦してくるんすよ!」

「えっ、ほんと?ずるーい、なに楽しそうなことやってるの、アタシもやる!
大輔君だけなんてかわいそうだからアタシは大輔君のチームね」

「えーっ、ミミさん呼ぶなんてずるいよ、大輔君!」

「そーだ、そーだ、ずるいぞー!」

「うっせえ!3人でよってたかってフルボッコにするお前らのほうが悪いだろ!」

「そうねー、ちょっとタケル君達が悪いよね。うん、だからアタシ全力で行ってもいいよね、大輔君」

「はい!」

「うわーっ!にっげろー!」


雪玉を持って追いかけていたタケル達が蜘蛛の子を散らすように逃げていく。


「ミミ、雪合戦てなーに?」

「雪合戦はね、雪をこうやってボールにして、相手に向かって投げるの。えーいっ!」


お手本とばかりにちゃっちゃと作り上げた雪玉を投げつけたミミは、
ブイモンがうわーっと倒れこむのを見てよし、とガッツポーズした。
おー!さっすがミミさん!と拍手する大輔に、ミミはまあね、とウインクした。
子供たちから教えてもらえる遊びはデジタルワールドには存在しない、
今まで見たこともないようなものばかりである。
パルモンは面白くて楽しいものだと即座に理解して、私もやるーっと早速雪玉を作り始めた。
タケル達も負けてはいられない、とばかりにパタモンを中心に空から攻撃を開始する。
なんだかどんどん大規模化していく雪合戦に、さっきからずっと楽しそうにしている
チビッコたちを羨ましいと思いながら相談を継続していた上級生たちが、
そしてそのパートナーデジモンたちがガマンできるのかといえば当然否である。
真っ先に戦線離脱したのは、パートナーデジモンたちだった。
デジモン達がずるいから参加させろといって適当に二つのチームに散り散りになって遊び始める。
そして、4年生のミミとパルモンが参加しているんだから、
クラスメイトである僕も参加していいですよね、と屁理屈こねて光子郎とテントモンが離脱すれば、
もう子供たちの崩壊は早かった。
いつの間にか、なにが原因で始まったのか誰も思い出せなくなるくらい長い間、
子供たちとデジモン達は雪合戦に没頭してしまうことになる。
ようやくみんながくたくたになって、決着がつかないまま強制終了するころには、
まだまだ前にあったはずの太陽がもうすっかり真上に登ってしまっていた。
もうすぐお昼時である。



[26350] 第十六話 ケンカするほど
Name: 若州◆e61dab95 ID:6a89e797
Date: 2013/08/02 23:53
漂流生活も数えて3日目に突入する。本来ならばサマーキャンプの最終日だ。
西に広がるトロピカルジャングルと比べると太陽の昇る位置が変わってきたので、
この世界でも日の昇る方角が東ならば、今の現在地は最北端のエリアである。
気候風土は北半球と合致しているので、南半球の島だとは誰も考えていない。
ムゲンマウンテンと呼ばれている塔のようにそそり立つ山を右手に、
うすうす子供たちは海岸沿いをまわる進路の行きづまりを自覚しつつあった。
あてにしていたファクトリアルタウンには人間はいないとアンドロモンに言われ、
おもちゃの街の村長にも人間はいないと言われてしまったのだ。
テントモンに聞いたエリアの詳細を鑑みても、人間の気配がするエリアはもうない。
これからどうするか。このまま海岸沿いのエリアをまわってぐるりとファイル島を巡る。
ムゲンマウンテンに登ってファイル島の全景を確認してみる。
どうしようかと思いつつ、今のところ誰も何も言えないまま歩いている。
海岸沿いを回るという当初の方針から一歩踏み出せないまま移動を続けていた。
気温は北の方角に近付くにつれて下がり続け、資料集で見た寒冷地体の森林へと変化する。
数日歩いただけで南の島の海岸から極寒の山という地球を凝縮したような場所は、
間違いなく地球には存在しないだろう。ここが人工的につくられた場所でなければ。
だからこそ、子供たちはこの島に人間の影がちらついて、希望を捨てられないでいた。
雪合戦で体を温めている子供たちとデジモン達を眺めながら、はあ、とため息をついたのは丈である。
そういう性分ではないからか、参加する気は無いようでずっと待ちぼうけ状態だ。


「なあにため息ついてんだよ、丈。丈も参加すればいいのにさあ」

「ゴマモンもみんなも能天気でうらやましいよ」

「えー、なんだよ、その言い方。感じ悪いなあ」

「だってそうだろ?ここは今までのエリアとは環境が明らかに違うんだ。
食料の調達だって難しくなるし、野宿することだってできない。
 僕はこのままムゲンマウンテンにむかっていくのはどうかと思う」

「丈は心配性だなあ。大丈夫だっていってるじゃん。
ファイル島にはどこにでも食べ物はあるんだから心配いらないよ」

「こんな寒いのに?」

「寒い所でしか育たない食べ物もあるんだよ」

「ずいぶんと詳しいんだな、ゴマモンは」

「だってオイラは寒い所に家があるんだよ。だから全然平気だね」


だから君達デジモンと僕らは違うんだよと丈は大いに落胆した。
こういうときパートナーを自負するゴマモンとは会わないなと丈は感じるのである。
あ、信じてないな、ホントにオイラは寒い所で育ったんだぞってゴマモンは怒るが、
丈はべつに信じて無い訳じゃないさと肩をすくめた。頼もしい限りである。
ゴマモンには分からないだろう。この言葉にできない不安というやつは。
丈が持っていたもともと3日分しかなかったサマーキャンプ用の食料は、
はじめてこの島にきたときと比べると大分軽くなってしまった。
そのかわりにリュックの中を占領しているのはこのファイル島で入手できる食料である。
はたから見ればゴマモンの言うとおりなんの問題もないのだ。
あえていうなら心理的なものにすぎない。
丈のいた世界とのつながりを連想させるものがファイル島のものに占領されていき、
どんどん隅に追いやられていく保存食の袋に、言い知れぬ焦りがもたらされる。
これが空っぽになってしまった時、どうしたらいいんだろう、と丈は思うのだ。
なんとなくこれが当たり前になってしまうのではないかという恐怖が根底にある。
この言葉を紡ぐことは認めてしまうことにもつながりかねないから、丈は言わないのだ。


「丈、どうしたんだ?ボーっとして」


心配そうに見上げてくるゴマモンに丈は一瞬言いよどんだが、言いつくろうことにした。


「いや、僕たちがここに来てから3日たつなあと思ったんだ。色々あったと思って」

「うんうんたしかにいろいろあったな」

「みんなとキャンプに来ただけだったのに、いつのまにかゴマモン達がいる変な世界に迷い込むなんてね」

「変な世界?酷いな、丈。そこまで言うことないだろ。
オイラ達にとってはこの世界がオイラ達のふつうなんだよ。丈たちの世界の方がよっぽどへんだろ」


自分の世界を侮辱されたと感じたらしいゴマモンが語気を荒げるので、ごめんごめんと丈は謝って許してもらった。


「一刻も早く元の世界に戻る方法を捜し、見つけるしかないみたいだな」

「あいかわらず心配性だなあ、丈は。オイラが守ってやるって大丈夫だよ」


へへん、とゴマモンは人懐こい笑みを浮かべた。









第十七話 喧嘩するほど仲がいい










変な臭がする、というアグモンの反応に釣られる形で空を見上げた子供たちは、
光子郎が森の中に湯気が立ち上っているのを発見し、一斉に色めきたった。
もしかしてという期待を込めてそちらに向かった。湯気がだんだん色濃くなり、
温かい空気が雪原の白を寄せ付けず、そこの周辺だけが緑に満ちていく。
やがてさらに進んでいくと岩だらけの地帯になり、
入浴剤や旅行先でおなじみの匂いだと気付いた子供たちは、いよいよ温泉だとテンションが上がった。
そこにあったのは、念願の温泉である。お風呂に入れる!と期待はますます膨らんだ。
昨日、おもちゃの街でシャワーを貸してもらえたのだが、
残念なことにシャワールームはビジネスホテルにあるようなトイレと一体式のものだった。
子供たちがいつも見慣れている思いっきり足を伸ばせるようなバスタブが付いておらず、シャワーを浴びるスペースだけが確保されていたので、くつろげるような空間ではなかったのである。
一目散に駆け寄った子供たちが覗き込んだが、みるみるうちにその表情は曇っていき、
えー、という落胆の表情に変わってしまった。
残念なことに、その温泉はすべてぐつぐつとまるで灼熱地獄のごとく煮立っており、沸騰していたのである。
いくら寒いとはいえ、この中に入るのはいくらなんでもためらわれた。
温度はどれくらいだろうか、と試しに足元にあった石ころを掴んで、
昨日樹林地帯で確保してきたツタをリュックから引っ張り出しくくりつけて、
比較的浅そうなところに、ぽいっと太一が投げ込んでみる。
沈んでいった石ころはそのまま沈んでいった。
再び引き上げてみるとツタも石も原型はとどめていて、湯気が立ち上っている。
どうやら普通のお湯よりかなり熱いくらいである、ということが判明する。
気合で何とか入れないかなって太一は言うのだが、ゆでだこじゃすまないぞって丈が止めた。
もちろん直接入るのは熱すぎるし、雪を投げ込むにしても労力がかかりそうだし、
せめて近くに川があればここまで引いてこれそうだが存在しない。
結論としてお風呂としてこの温泉を利用するのは無理である、という結論にいたり、子供たちは大いにがっかりした。
6つある温泉は全て、子供たちがテレビや雑誌、旅行先で一度も見たこともないような色、
原色のペンキをぶちまけたような強烈な色をしている。
光子郎曰く全部実在する温泉らしい。赤色をしているのは硫化鉄を含んでいるから、
黒色は酸化鉄を含んでいるから、白は硫化水素、
黄色は、と説明してくれたがもちろん誰一人としてついてこれていない。
知ったかぶりでうなずいているのが数名いるが、理解している気配はない。
さすがにこれらの色全ての温泉が存在する場所は日本中どこを探してもないし、
海沿いでもないのに緑色だったりするとお手上げらしい。
とりあえず暖かな湯気に包まれたこの一帯が、真冬並みの気候の中では天国のような地帯であることにはかわりなく、
そろそろお腹も減ってきたし、お昼ごはんにするかと誰ともなく言い始める。
食料はどうするんだ、と丈が心配そうにつぶやいたとき、タケルが冷蔵庫を発見した。
この世界にきて、今まで何度も大自然の中に人工物という組み合わせを目撃していた子供たち、
この世界で生きているため、これが当たり前だと考えているデジモン達はなんら疑問を挟む余地はなく、その冷蔵庫に殺到した。
そして冷蔵庫と冷凍庫しか無いという昭和懐かしいデザインの冷蔵庫を開いてみると、たくさんの卵が大量に入っていた。
果物や魚、お菓子しか口にしていない子供たちにとっては久しぶりの卵祭りである。
目を輝かせた大輔は、ちょっと待ってよ、という丈の声に振り向いた。
食べられるかどうか分からないんだから、まだ気が早い、という至極真っ当な危険性を指摘した丈に、
太一がさらっと自分が毒見するから心配要らないと笑う。
不自然すぎる状況に慣れっこになりつつあるため、この玉子が第三者の所有物かもしれないから、
泥棒になるかもしれないという発想はあっても口にしなかった丈は、
本来自分が取るべき最上級生としての態度と責任をいまいち果たすことができず、
太一やヤマト、空に置いて行かれることが多い現状に焦り始めているようだ。
そんな事知らない大輔は、昨日果物を集めていたときに助けてくれたときと違って、
ずいぶんとぴりぴりしていることに気づく。なに怒ってんだろ、丈さん。
そういえば、さっきの雪合戦にゴマモンは参加していたが丈は
参加していなかったことを大輔は思い出す。その時からイライラしてる気がする。
ミミの話の中で今家に帰れるとしたら何がしたい、という話題に、中学受験を控えている身であるためか、
春休みの宿題と塾の課題をたくさんやりたいと語っていたそうだから、てっきり勉強が大好きで運動が苦手な人なのかと思っていた。
或いは雪合戦は子どもっぽい遊びだから興味がわかないから、参加していないのかと思っていた。
それにしてはなんだか言葉の節々が乱暴だ。変なの。
しかし、大輔の興味はそんなことよりも卵が食べられるのかどうかにすぐに移ってしまう。
太一が試しにひとつ卵を割ってみると、現役主夫が板につき始めているヤマトの判定で、新鮮な卵であるということが判明し、今日の昼飯のメインディッシュは卵となった。
調味料も主食も副菜もないが、お湯が近くにあるということは、焼く以外の調理法もできそうである。
バリエーションが増えるのは眼に見えていた。料理経験が浅い子供たちでも簡単に作れるのが、卵料理である。



ブイモンと大輔を初めとする力持ちなデジモン達が頑張って運んできた6つの岩が、
丁度3つずつ円になるような形で置かれる。
他のデジモン達が力を合わせて薄く丸く仕上げてくれた鉄板替わりの岩が乗せられる。
特に表面は頑張ってミミとパルモンが綺麗にした。
太一と光子郎が運んできたマキがその下に敷き詰められ、アグモンの炎によりめらめらと燃え上がった。
ピヨモンが羽を羽ばたかせて新鮮な空気を送り込み、ますます火力が強くなったことで鉄板が熱せられていく。
そしてその上から空が失敗一つなく8つ分の目玉焼きを作り上げ、焼き加減を調整している。
蓋をすることはできないが、おもちゃの街から持ってきた水によって蒸発していく水蒸気が焦がすことなく目玉焼きを作っていく。
半熟、堅焼き、といろいろ好みは分かれるだろうが、アグモンとガブモンが自慢の牙とあごで荒削りの器を現在進行形で作っているため、
おそらく目玉焼きは堅焼き一択となりそうだ。
ちなみに、テーブル替わりにも使われる予定の鉄板が冷めたら、並べられる予定である。
そして太一が得意料理だと豪語したオムレツが大量に作られていく横で、アグモンがすごいねえ、とマイペースに笑った。
ヤマトとタケル達は何故か冷蔵庫の中に入っていたカゴにたくさん卵を入れ、
6つある温泉の中でどれが無事にゆで卵ができるか実験していた。
幸い全部まともなものができると分かったが、真っ黒になったり茶色になったりしたからの中はすべてゆで卵である。
残念ながら温泉卵はできそうにない。
ミミが持ってきていたキャンプ用具からナイフを借りた丈は、せっせと全員分のはしを作っている。
やがて、見渡すかぎり卵料理が出来上がった。
椅子までは出来なかったため、みんな直接地べたに座るハメになるが、
目の前にある精一杯のごちそうにいちいち無粋な文句をいう事ができるほどの余裕はな
い。
腹が減ってはなんとやらである。いっただきまーす、という合唱と共に、思い思いにみんな食べ始めた。


「あー、大輔、お前オムレツ食うなよ。お前の分作ってねえんだから」

「えーっ、なんすかそれ!こんなにいっぱいあんのに?いいじゃないッスか」

「ダメだっての、まだオレお前のこと許してねえんだからな」

「それはこっちの台詞っすよ、ばーか。けーち。調子にのって作りすぎてたくせにー」

「んなっ?!なんでお前が知ってんだよ、暇だからって温泉に石投げ込んでやけどしてた癖に!いったな、お前!」

「こらこら、食事中に喧嘩しないの!これ以上騒いだらご飯抜きだからね、二人とも」


ぴしゃりと空からの仲裁が入り、むむむ、と両者にらみ合いながらも立ち上がりかけた場所に再び座る。
そしてお互いに視線を逸らしたまま、黙々と食べ始めた。
そんな二人のやりとりを見ていたメンバーたちは、二人に気付かれないように顔を見合わせてクスクスと笑う。
これでは仲が悪いのか良いのか全然分からない。むしろただ意地の張り合いをしているだけで、
両者は喧嘩をしているつもりなのだろうが、第三者的な立場からすれば微笑ましい軽口の応酬にしか見えない。
なにせ二人とも喧嘩していると口をそろえていうのだが、お互いがお互いのことを意識しすぎているのである。
太一はマキを集めながらもあっちこっち駆けまわっては仕事を探している大輔を見ているし、
みんなから待っているよう言われてつまらなさそうに水切り遊びをブイモンとし始めたことまで知っているのだ。
大輔も大輔でちらちらと太一の方を見ては寂しそうな顔をしてぼーとしているから、
飛び跳ねてきたお湯に気づかず火傷して、雪のあるところまで駆け込む騒ぎを起こしているのだ。
はやく謝って仲直りしたいと既に顔に書いてあるのだからさっさと実行すればいいのに、
なぜだか両者ともにどちらかが謝るまで自分は謝らないと主張してずーっと平行線をたどっている状態である。
どんだけ仲いいんだこいつら、と心のなかがひとつになっていることを知らないのは、きっと太一と大輔だけである。
サッカー部の同属嫌悪同士の扱いにはすっかり慣れている空は
そんな2人のコトなど軽くスルーして、さっさと話題を転換することにした。


「みんな、目玉焼きにはなにかけて食べる?」


卵料理は美味しい。久々に食べる卵の味は腹ペコの子供たちやデジモン達にも大好評であるのは事実なのだが、
なにせここには調味料が一切無いので、いい意味でも悪い意味でも素材の良さが引き立つ料理しかできない。
つまるところ卵料理はいくら調理しても卵の味しかしないので、次第に飽きてきてしまうのだ。
もちろんあっという間に完食してしまうのは時間の問題だが、
きっとリュックの中にある果物は消費期限も気になるから食べることを考えれば、
デザート前の会話といった感じである。
空の予想ではそれなりのグループに分かれて話題が弾むかな、という感じでの提案だったのだが、実はここにいる子供達、
全員が使用する調味料がばらばらであるということが判明した。
丈はオーソドックスの王道は、やっぱり塩と胡椒だろうと強硬に主張した。素材の味が生かされるとの事である。
太一はやっぱり醤油だと言い切った。塩コショウでは半熟の黄身にかける醤油の組み合わせには勝てないらしい。
ヤマトとタケルはマヨネーズだそうだ。ヤマトは料理を始めたばかりの頃はよく焦がしてしまったため、
味をごまかすために使っていたら慣れたらしい。
タケルはお兄ちゃんと一緒だし、マヨネーズはなんでも合うし、美味しいし、
目玉焼きは味が薄いからそのままはあんまり美味しくないらしい。
大輔もタケルと同じくはっきりとした味がしないのはいやなのか、ケチャップを付けると言った。
たまにソース混ぜると美味しいと付け足すと、
空が便乗した。空はソース単体派で、たまにおたふくソースを使うとかウスターを使うとか気分によって変えるらしい。
光子郎はポン酢と口にしてみんなから引かれていたが、
大根おろしと梅にポン酢という組み合わせを聞いたらなんだか美味しそうな気がするのは何故だろう。
ミミはみんなおかしいと指摘した上で、余程の甘党なのかお砂糖を掛けるのが1番、もしくは納豆と口にしてみんなを驚かせた。
納豆に生卵の組み合わせなら父親がしているのを見たことがある子供達は、
なんとなく連想しやすいが、目玉焼きとの組み合わせはかなりの異色だ。
思わず笑いをこらえてしまったみんなに、ミミはなにようと頬をふくらませた。
そして、果物をみんなが口直しに食べ終えて、食器やらなんやらを
いろいろと処理したあと、これからどうするのかという会議が始まる。
大輔やタケル、ミミ、光子郎たちもテーブルに残っていたのだが、空が立ち上がって低学年組のところにやってきた。
何やら上級生組が色々話をしているが、どうも会議が紛糾しているらしく、
何を話しているのかは分からないが結構もめているようである。
不安そうに下級生たちが上級生組を見ていることに空は気付いたらしかった。
漂流生活初日も太一とヤマトの喧嘩を見ているため、
また激しい喧嘩が行われているのではないか、とみんな気が気ではないのである。
空は心配要らないのだと笑って話してくれた。


「ムゲンマウンテン、あるでしょう?」


目前に迫る大きな大きな山である。


「後ろは雪原でしょう?」


確かに吹雪こそ無いものの一面銀世界がこの温泉地帯を抜ければ待ち構えている。


「前を行くか後ろを行くか、みんなで一生懸命考えてるの。どっちも危ないから、みんなのことを考えるとどっちがいいか、
私たちも頑張って考えてるの。だからしんぱいしないで、ね?決まったら教えるから、
みんなあっちにある洞窟で待っててくれない?
もしどこまでいっても野宿できる場所がなかったら、多分あそこで寝ることになると思うから、
石とか取り除いてほしいの」


きっと上級生組が話し合っていることはもっともっとたくさんある筈である。
でも下級生たちが知りたいことを全部汲みとって説明してくれた空のお願いを
断ることができる子供たちもデジモンもいなかった。
わかりました、という元気の良い声のあと、光子郎とテントモンを先頭に、歩き始めていく。
最後までテーブルに残っていようか迷っている様子の大輔だったが、タケルとブイモンに早く早くと急かされて、
後ろ髪をひかれるような名残惜しさを残して、あわてて追いかけていったのだった。





なあなあ、大輔、と袖を引いてきたブイモンに振り返った大輔が、どーした?と振り返った。
腕の中にたくさん集められた石ころは、入り口まで運ばれてぽいっと捨てられている。
4人がかりで目についている石ころやゴミを片っ端から集めては一箇所に集め続けていたおかげか、
8人と8体が横になる分は確保できているようだ。
ミミは砂埃がある地べたに寝て野宿することに難色を示し、せめて温かい温泉地帯で寝たいと主張しているが、
雪がふるかもしれないこの気候を考えると、雨風もろくに防げない野ざらし紀行で寝るのはあまりにも危険だという
光子郎の指摘に撃沈している。
デジモン達が襲いかかってくることを考えると、隠れる場所がないのはあまりにも危険
であり、
温泉地帯は細い道しか無いため逃げる時に不向きであるという光子郎の指摘に挙げられた理由を聞いて始めて、
なるほど、と大輔もブイモンも思った。どうやら上級生たちは自分達が考えているよりもずっとずっといろんなコトを知っているらしい。
理解する事ができる知識と思考回路を持っている光子郎に比べて、なんで自分は何にも知らないんだろう、と改めて大輔は思ったりした。
やっぱり小学校における1年の差はずっとずっと大きいらしい。
本来ならそんなこと考える必要もないことなのに、考えるハメになるのは難儀なことである。
タケルとパタモンはミミたちと一緒に、少しでも寝転がることになる地面を綺麗にしようと、いろいろ悪戦苦闘して砂埃と戦っている。
大輔達はまだまだたくさんある石を運ぶ仕事が残っているため往復を繰り返していた。


「なあ、大輔。今日の夜ってみんなで寝ることになるんだよな?じゃあ、大丈夫かなあ?」


ぱんぱん、と手袋を払っていた大輔は、ブイモンの言葉に困ったような顔をした。
今朝のコトを思い出すと、はああ、という溜め息しか出てこない。
怪奇現象について誰も信じてくれないということは、誰も助けてくれないということだ。
自分の身は自分で守らなければいけないということになる。
ブイモンと大輔が知っていることといえば、大輔がこの世界にきてから必ず夜になると同じ夢をみることと、その夢は続いていること、
その夢を観ている間、実は大輔は誰かに攫われそうになっており、大輔自身はその夢から目覚めることができないということだ。
はっきりいって、今から太陽が沈んで夜になると思うと心配で不安で怖くてたまらない。
ずっと起きていようと思っていたのに、いつの間にか寝てしまったときに起こった怪奇現象である。
ずっと起きているという選択肢は潰れてしまっている。どうしようか、全然対策が思いつかないのだ。


「わかんねえよー、どうしよう、ブイモンずっと起きててくれよ」

「うーん、でもオレ、ずっと起きてるの無理だよ大輔。
あの時はたまたま起きてたから大輔のこと助けられたけど、ずーっと起きてたら倒れちゃうよ」

「そうだよなあ。………って、あああ!そういえば寝なかったら死んじゃうんだってテレビで見た!寝ないとおっきくなれないんだって。
ずーっと起きてるようなことしてたら、オレ、身長止まっちゃうかもしれないじゃねーか。ゼッテーやだ!」


ただでさえクラスの中では小柄な部類に入る大輔は、身長が低いことを理由に何かと女子に見下されている現状がある。
いつか大きくなって見返してやるんだと毎日牛乳が苦手な友達からもらったパック牛乳は頑張って飲んでいるし、
家でも柑橘類と一緒に取るようにしている。大豆とかお豆腐とか肉とか体が大きくなるためには大切だと言われているものも
好き嫌いを我慢して頑張って食べている途中なのである。こんなことで地道な努力を無駄に支度はない大輔は割と必死だった。


「うーん………なるべくみんなの近くで寝る?大輔」

「そうだよなあ、何かあったときに、おっきな声出したらみんな気づいてくれるよな。それしかないよなあ」


ホントはやだなー、とこぼした大輔にブイモンは同情した。
大輔は怖がりでトイレにも一人でいけないのだというレッテルが不本意ながら貼られているのである。
悪夢を現実と混同するほどの怖がりであり、ブイモンと手をつないで寝ているのだと思われているのである。
こっちはいつ怪奇現象に襲われたとしても、引き離されることがないように、
という精一杯考えた末でのせめてもの抵抗と対策なのにだ。
そんな大輔がみんなの近くで寝たがったとしたら、みんなにどう思われるかなんていくらでも想像できた。
散々笑われたのだ。絶対に馬鹿にされるに決まっている。
しょうがないなあ、なんていういたたまれない空気の中で、甘えさせてもらうのだ。
想像するだけでそれはとんでもなく大輔にとって屈辱である。耐え難いものである。
タケルのように守られる立場として甘えられるのは大輔の望むところではない。
みんなに対等に認めてもらってこそ、思いっきり甘えられるのだという目標を捨てたわけではないのだ。
だって、甘えたいという意識と認めてもらいたいという意識を両立させる他の方法である、
素直に全部話してあいてに受け入れてもらうという方法を発見したのに、
みんなに信じてもらえなかったのだから。どうせよというのだ。
正直大輔は泣きそうだった。八方塞がりにもほどがあるではないか。
相談しろといった太一には笑われるし、対等だと言ってくれた友達のタケルは信じてくれないし、
誰も大輔とブイモンの言う事を悪夢以外で受け入れてくれないのだ。
大輔とブイモンが取れる選択肢は殆ど無い。我慢してみんなと一緒に寝ることを選ぶか。
いっそのこと怪奇現象に身を投じて行方不明にでもなれば、
みんな大輔達の言っていたことが嘘じゃないと気づいてくれるんじゃないか、ととんでもないところにまで
思考が飛躍するが、さすがにそれは無理だと大輔は速攻で却下した。
訳のわからない物に襲われているから怖いのだ。なんで自分からそっちに近づくのか分からない。
本末転倒にもほどがある。もしもの事があったらと思うと、
一瞬でも馬鹿な事を考えた自分が笑えてくる。大輔の右手をブイモンが握った。


「寝るときずーっと手握ってような、大輔」

「おう、ホント頼りにしてるぜ、相棒」

「うん、オレ頑張る」


一人と一匹は顔を見合わせて笑った。
それにしても、何時まで経っても上級生組がやってこないことが、いい加減気になって仕方ない大輔たちである。
ムゲンマウンテンを登るにしろ、雪原を突っ切るにしろ、早く決めないと日がくれてしまう気がするのになにやってんだろう。
昼ごはんを食べてからずいぶんと時間が経った気がするが、空をみあげてみても、
大きな森に覆われているせいで太陽の位置がわからない。
太陽の位置がわかったところで時間の変化など分かりっこないのだが、
丈や空がよく空をみあげているのを見ている大輔達は、見よう見まねでやっていた。
洞窟の方を見ると、パタモンのエアショットで最後の大掃除が終わったようで、3人と
3匹は疲れたのが雑談を始めていた。
大輔はブイモンとしゃべっていたせいで、まだ石の山を運ぶ仕事がまだ残っている。
それに気付いた大輔達は、慌てて最後の岩の山をたくさん抱えて、入口の方まで運んで
いったのだった。
おっわりー、とたくさん積み上がった石の山に最後の山を放り投げた大輔とブイモンは、思いっきり伸びをした。
服の汚れなど頓着しないで運んでいたせいで、すっかり上着は汚れってしまっているが、そんなこと気にしないで適当に払うだけ。
体の節々が痛い気がするのは、欲張って一度にたくさん運んだからだろう。
ブイモンが力持ちであるためか、なにかとそれに付き合う大輔も結構肉体労働をしていることが多いのだ。
もう慣れっこだが、いい加減どこかで洗濯したいものである。遊園地に洗濯機なんてあるわけもなかった。


「ホントおっせーよな、なにやってんだろう、空さん達」

「さーあ?なあなあ大輔、もしかしてまだ決まんないのかなあ?」

「マジかよ、空さんと、ヤマトさんと、丈さんと、太一さんがいんのに?4人もいんのに?」


指折り数えて、まさかあ、そんなわけねーって、と笑った大輔の言葉に思わぬ返答が帰ってきた。


「そのまさかだよ」


驚いて振り返った大輔達の前には、丈が立っていた。丈さん、と声を上げた大輔に、
丈はやれやれと首を振って苦笑いした。


「みんな呑気すぎるよ。もっと深刻に考えたほうがいいと思うんだけどね、僕は」

「なんかあったんですか?」

「うん、まあね。考えたら分かるけど、これ以上気温が下がれば野宿は難しくなるし、
寒いところだと食べ物もなかなか手に入らないんだ。
僕はさっさとここから抜けだしたほうがいいと思うんだけど、みんなそこんとこ、よく考えてないんだよねえ」

「あー……ごめんなさい?」

「え?あ、いやいや、大輔君のせいじゃないよ。雪合戦に参加してこれからのこと後回しにしてた太一達が悪いんだ。
僕たちは、いや、僕はみんなを守らなくちゃいけないんだからね。ボクが1番年上なんだから。
それなのにゴマモンまで僕のこと、どうでもいいことで悩むし、融通が聞かないっていうんだ、ヒドイ話さ」

「ゆううず?」

「あー、なんかあったときに、ルールの通りにしか動けないってことだよ。言われたことしかできないってことさ」

「えー、なんで?丈は大輔助けてくれただろ?言われたことじゃないじゃん」

「だよなあ、丈さん頼りになるのにゴマモン酷いよな。少なくとも太一さんよりはずっと……」

「はは、ありがとう。大輔君、早く太一と仲直りしたほうがいいよ。なんか太一、焦ってるみたいだから」

「へ?」

「太一はムゲンマウンテンに登れば全体が見渡せるから、みんなで登ろうっていうんだ。
ヤマトは、危ないからそんなこと出来ないっていうんだ。あの山は強いデジモンがたくさんいるらしいしね。
何時までも逃げ腰じゃどうしようもないとか、太一の強引さにみんなを巻き込むなとか、大喧嘩さ。
みんな疲れてるとは思うけど、太一もヤマトも意地はっちゃってるみたいで、なかなかお互いに話しあおうとしてくれないんだよ。
太一は多分、焦ってるんだ。なんか頑張りすぎてまわりが見えてないね」

「………なんで焦ってるんすかね、太一さん」

「うーん、僕もよく分からないなあ。僕、2人兄さんがいてね、1番下なんだ。
だから兄さんたちとよく似てるから気付いただけで、それだけだよ。
あれはたぶん、お兄さんを頑張りすぎてるんじゃないかな」


お兄さんを頑張りすぎている、という言葉を聞いた大輔は、
お兄ちゃんやお姉ちゃんはお前が考えているよりもずっと大変なんだ、と
ヒントを教えてくれたヤマトの言葉を思い出した。
それが何故太一が意地を張ってまで自分の意志を押し通そうとしている、焦っている、という
事態に繋がっているのかさっぱり検討がつかないが、キッカケが大輔との喧嘩であることはなんとなく理解する。


「いっておいでよ、大輔君、ブイモン。君達はもっと話し合ったほうがいい」

「うーん………丈さんがいうなら、ちょっと行ってくるか?ブイモン」

「うん、それがいいよ大輔。いこう」

「ありがとうございます、丈さん」

「いいよいいよ、いってらっしゃい」


かけ出した二人は、結局突然現れた丈の真意に微塵も気づくことができないまま、去ってしまった。
それとなく話題を逸らした丈はため息を付いた。
年長者としてひとりですべてを背負い込んでいた丈だが、
実際には生真面目で慎重すぎる性格が災いして、なかなかみんなの為に具体的な行動に出られないでいる。
そのため、必然的に太一やヤマトにみんなのリーダーとしての立場を奪われる事態となっていることを、
こんな年下の少年に悟られるわけにはいかなかった。
その太一とヤマトのケンカを止められなかったことで、リーダーとしての自信をすっかり失っているのである
島全体を見渡すためにムゲンマウンテンに登ることを主張する太一と、みんなの安全を考えて太一に反対するヤマト。
どちらか一方を強要されて二人に意見を求められても、結局どちらにも一理あることが分かっていて、なおかつ二人を同時に納得させる折衷案を
すぐに提示することが出来なかったのである。それが丈にはショックだった。自分ならできると思っていたのだ。
太一が目指すリーダーと丈が目指すリーダーは違っている。
こういった意見の対立でグループが行き詰ってしまったときに、みんなの意見をまとめて話しあって、
グループ全体の統率力を促すのがリーダーの役目だと丈は思っている。
こんな一致団結とは程遠いメンバーばかりを抱えたら尚更。
もっとでーんと構えて、精神的な意味での支えとしてみんなの力になりたいと考えている丈は、
どうしても慎重に考えすぎてしまう。優柔不断になってしまう。
そのため、女性らしい気配りにより他のメンバーの小さなことに気が付きやすい空に、
すっかりお株を奪われている形となっているのが悲しいところだ。
今の丈は、年長者としての責任を必要以上に強くプレッシャーとして感じているせいで、成果を急いでいる。
目指すリーダーの理想と現実のギャップに焦るあまり、
精神的な意味でのリーダーは信頼されなければならないという前提があるため、
なんとかみんなに丈の存在を知らしめようとしているのだがうまくいっていなかった。
無理をして太一のように行動で示すリーダーと履き違えて行動しようとしていた。
そこで決意してこっそり此処に来たのだ。
何もできなかった悔しさや優柔不断な自分自身へのいらだち、を抱えたまま、
思いつめた表情で丈はこっそりと入り口にガリガリと石で何かかき残す。
そこには、夕方までには帰るから、ここで待っているようにというメッセージが刻まれた。
太一やヤマトたちから信頼を得るためには自分が行動しなければならない、
なら自分だけでムゲンマウンテンに登って、この島全体を見わたすことが出来ればいいのだ。
それが思い余って丈が出した結論である。
これは一人でなければならないことだった。だから大輔たちがここにいては困るのだ。
去ってしまった少年とデジモンにゴメンねと一言こぼし、
丈はそのままこっそりとムゲンマウンテン目指して去ってしまったのだった。



[26350] 第十七話 僕らの漂流記
Name: 若州◆e61dab95 ID:00522ca9
Date: 2013/08/02 23:56
「大輔え、なんでオレ達隠れてるんだよ」

「しーっ、静かにしろってば」

「太一のことが心配なんだろ?大輔。なんでこんな木陰から見てるんだよ」

「べ、別に心配なんかしてねえよ。太一さんは俺が心配なんかしなくたって大丈夫だろ、小学校5年生なんだから」

「じゃあなんで見に来てるんだよー、変なの」

「見に来てるわけじゃねーよ、お、俺はただ、その、話し合いはどうなってんのかなって気になっただけで」

「じゃあさっさと聞きに行けばいいんじゃない?大輔」

「だーもー、うっせえ。ブイモンは黙ってろよ」

口を塞がれてしまったブイモンは、むーむーと抗議のまなざしを向けるが大輔は聞く耳持たずで、ずっとこっそり木陰から様子を伺っている状態だ。
こちらの姿がバレないように大輔とブイモンは、茂みの中にしゃがみ込み、そーっと目だけだして、もくもくと白い湯気が立ち上っている場所を見つめている。
もっと近づいたほうがいいかなあ、と大輔はつぶやいた。すこし距離があるせいかあの場所にいるはずの上級生組姿がイマイチ確認できず、
なにを話し合っているのかよく分からない。シルエットすら確認できないことに舌打ちした大輔は、ブイモンにちょっとだけ距離を近づけようといった。
本当に素直じゃないんだから、とブイモンはこっそり大輔の背中を見つめながら笑った。置いて行かれないようについていきながら、パートナーを見上げる。
太一のことが嫌いだ、と公言しておきながら、大輔はずっと太一と今日一日喧嘩以外の会話をしていないことが相当ショックな様子で、心あらずなことが多い。
ブイモンは気付いていた。大輔がとっている行動は、そっくりそのまま姉であるジュンと仲直りできないと口にしたときの大輔とよく似ている。
本当に嫌いになったんなら、太一の真似をして付けている額のゴーグルなんてさっさと外して、どこかに捨ててしまえばいいのに、
大輔は今のところそんなこと思いつきもしない様子で、相変わらずPHSやデジヴァイスと同じようにずっとつけっぱなしなしなままだ。
それを指摘してもいいけれど、そうしたときにきっと大輔は一瞬だけでも傷ついた顔をすることがブイモンには分かっているから、あえて言わないままだ。
ブイモンの1番は大輔だ。その大輔にパートナーデジモンとして必要とされているのだ、とはっきりと宣言してもらえたブイモンは、すっかり心に余裕ができており、
以前のように少しでも大輔が他の人間やデジモンと仲良くなっていくのが嫌で嫌でたまらず、ハラハラ見たり、嫉妬にかられながら邪魔したりという行動は無くなっている。
ちょっとだけ一歩離れたところから行動することにもガマンできるようになっていた。
もちろん、大輔のパートナーデジモンであるという地位が揺らぐような緊急事態になったら、何がなんでも邪魔する、何だってするという方針は変わらないけれど。
ほんの少しだけ周りを見ることができるようになったブイモンは、自分以外に向けられる大輔の表情とか、行動とか、考えとか、言葉とか、
いろんなモノを間近で見られるということも結構楽しいかもしれないとも思い始めている。それも含めて全部大輔なのだ。何で気づかなかったんだろう。
大輔はブイモンが一緒にいることを当たり前のように思っているし、ちょっとだけ自分が考えていることをブイモンだけにはこぼしたりしてくれるようになったのだ。
大満足な毎日がここにある。本来ならさっさと大輔の背中に回りこんで、ぐいぐいと背中を押すべきなのは分かっている。
慌てる大輔の様子が眼に浮かぶようで笑ってしまうが、抵抗なんて聞く耳持たずで大輔をさっさとあの湯気の向こう側に特攻させて、
太一と仲直りさせたほうがいいのは知っているが、ブイモンの1番は大輔であって、太一でもアグモンでもないのだ。むしろライバルだ。
なんでわざわざライバルに協力しなくちゃいけないのか分からない。
本人に言わせればきっと丈の言葉があったから、というに決まっているが、そんな事しなくたって大輔はきっと自分からそういうコトをするだろう。
なんにも心配なんていらないのだ。だからブイモンは大輔のあとを追いかける。これ、かくれんぼみたいで結構楽しい。
太一達に見つからないように、こっそりこっそり行動するのは結構おもしろい。パートナーには内緒でブイモンはこの状況を楽しんでいた。
ブイモンは無邪気な子どものような性質を持っている。
ブイモンのいう1番とは、どこまでも遊ぶこと、食べること、寝ることと同じくらい大好きという意味である。
でも一つのことに集中すると一直線で、周りのことに気が回らなくなってしまうという悪い癖は、どうやらパートナーと同様らしい。

「大輔にブイモンじゃないか。そんなところでなにやってるんだ?」

2つの間抜けな声が上がった。

「なんだよ、人をバケモノみたいな反応して。どうしたんだ?」

「かくれんぼでもやってるの?」

ヤマトとガブモンがそこにいた。てっきり湯気の向こう側にいるとばかり思っていた大輔とブイモンの驚きは尋常なものではなかった。
しかし、復活して状況を把握したあとの1人と1匹の反応は全く違った。
え、いや、その、とワタワタしながら動揺を体現している両手が訳の分からないジェスチャーをしている大輔の横で、
違うよー、とブイモンはあっさりと白状して首を振った。
おいブイモン!、というまさかの裏切りに抗議の声が上がるが、どこ吹く風でブイモンは、ね、大輔と返した。
まさかのパートナーからの追撃である。あー、うー、えーっと、と必死で頭を回転させながら言い訳を考えている大輔は、
本当に隠し事や嘘を付くのが下手であるとこの場にいた全員に印象づけるのは言うまでもなかった。
ブイモンと大輔の会話を見ていたヤマトとガブモンは、顔を見合わせる。だいたいのことを把握したらしく、口元がほころんだ。
げ、と大輔はあからさまに嫌そうな顔をする。ヤマトは自分だけが分かっていることをわざわざ得意げな顔をして誇示し、
思わせぶりな言葉を重ねて、わからないという顔をする大輔に、まあ頑張れとニコニコしながら肩を叩くという印象が植えつけられている。
それを大輔はかっこつけ、とかクール、とか呼称している。きっと本人の耳に伝われば最後、また鉄拳が降りるのは分かっているので
わざわざ本人の前でうっかり口にするほど大輔は馬鹿ではなかった。

ヤマトからすれば、トラウマや悩みを抱えて奮闘する大人びた小学校二年生が、時折垣間見せるとてつもなく幼稚で微笑ましいギャップが
楽しくて仕方ないだけである。
もちろんヤマトもガブモンも、大輔が太一に謝りたいが、どうしても踏ん切りがつかなくてグズグズしているのだと理解している。
ここでするべきことも理解している。逃げ腰の大輔を捕まえて、ヤマトはしゃがみこんだ。目線を合わせて話せるのはヤマトのいいところである。
だがガブモンは気付いていた。
ヤマトがみんなの行動を決める上で大切な、これからの進路という重大な決定事項を、まだ決められていないこと。
そして、太一の意見とぶつかったまま平行線を辿り、仲介に入った丈とも3つどもえの争いとなってしまったこと。
挙句の果てに空からいい加減にしろと叱られた上、パートナーデジモンたちに落ち着けと説教された挙句、
会議ごと強制終了させられてしまい、頭を冷やしてこいという無言の圧力に屈して、事実上追い出されたのだというあまりにも情けない事実を、
全力で棚に上げる方針なのだと理解して、ちょっとだけジト目でヤマトのことを見つめていた。
冷ややかなパートナーデジモンの眼差しにめげることなく、全力で気づかないふりをすることにしたヤマトは、わざとらしく声を上げて笑った。
もちろんそんなこと知るはずもない大輔とブイモンは顔を見合わせた。
みんなと一緒でない限り、絶対に大笑いしたりするような人ではないと知っている分、今この状況は事情を知らない大輔たちには恐怖でしかない。
どうしよう、この人全然感情がこもっていない顔で笑ってるよ。怖い、すっげー怖い。やっぱり苦手だこの人。
またヤマトの知らないところで大輔の苦手意識が大幅に上昇していた。

「太一ならあそこにいるぞ」

「……俺まだ何もいってないんすけど」

「空は洞窟の方を見てくるっていってたし、あそこにいるのは太一とアグモンだけだ。心配しないでいってこいよ」

「…………はい」

やっぱりこの人には隠し事をするのは不可能なのだと改めて感じた大輔は、観念した様子でがっくりと肩を落としたので気づかない。
じゃあなんでヤマト達はここにいるのだという至極もっともな疑問を大輔たちが気づく余地も挟む隙すら与えず、ヤマトはたたみかける。
こっそりブイモンに話そうとしているガブモンの青い毛皮をそれとなく踏んづけながら、
引っかかってべたんとこけたガブモンからの恨めしげな視線などどこ吹く風、ヤマトは行って来いと後押しする。
まるでコントのような不可解なヤマト達の行動に疑問を覚えながらも、大輔が頷いたのでそっちを優先することにしたブイモンは、
全力でごまかしきれたと汗を拭うヤマトを目撃しながら、その場をあとにした。あとで聞けばいいや。





「太一さん」

「よう、どうしたんだよ、大輔。今は喧嘩するような気分じゃないからどっかいけよな」

拾いあげられたこぶしサイズの石が、ぼちゃんと音を立てて温泉の中に吸い込まれていく。
広がっていった波紋は、ぐつぐつに立っている水面にあっという間に飲み込まれて、見えなくなってしまった。

「いやっすよ、俺も喧嘩する気分じゃないんで」

あー言えばこう言う。今まで冗談交じりの喧嘩をしたことはあった太一だが、本格的な喧嘩になるとなかなか手強い相手だと知った。
てくてくてく、と太一のもとに歩いて行く大輔に、なんでこんな時にくるんだよ、と愚痴をこぼした太一は、はあとため息を付いた。
厄介ごとは次から次とやってくる、と太一は頭をかいた。大輔との喧嘩、ヤマトとの喧嘩、丈との喧嘩、そして空やデジモン達の言葉、
図星ばかり指摘されてしまっては、いくら元気印の太一だってうまくいかないことばかりの現状、落ち込みたくなる時だってある。
気を効かせてくれたのか、さっきから姿が見えないアグモンに感謝しつつ、なんだよーとみんなに対する愚痴を
温泉に向かって投げつけていたこの状況で、よりによって1番会いたくない奴が来てしまったのだ。最悪である。
なんでみんな俺についてきてくれないんだろう、俺だって頑張ってんのに。努力に見合う成果が得られない現状は、相当なストレスなようだった。
空回りしているという自覚はあった。ただ勢いとテンションに任せてごまかしていただけで。
そうでなければ、ヤマトにそれを残酷なまでに明確に指摘されたときに、カッとなってしまうことなんてありえないのだ。
分かってるけど、どうしたらいいのか分からない。頭がぐちゃぐちゃしているときに、大輔が来てしまったのだ。言葉だって辛辣になる。

見るからに落ち込んでいる太一の姿に、自分が知っている自意識過剰なまでにポジティブな姿が全く見出すことはできない。
泣いたり怒ったりするのは当たり前だ、何をいっているのだ、と太一本人から言われたときは、
少なからず幻滅していたが、心臓にナイフを刺されたような気がしたことを大輔は思い出す。
今回はその比ではないけれども、太一に初めて相談したとき感じたもやもやが、今心のなかで渦巻いていると大輔は気づいて戸惑っている。
言葉の意味も理解していたつもりではあるが、大輔の心のなかでは到底納得出来るものでないのは言うまでもない。
目を背けたくなるようなとんでもないショックを覚えながらも、大輔はもうここに来るときに覚悟は決めてきたので、怯むわけにもいかずそのまま隣にやってきた。
たった一言ごめんなさい、というだけにもかかわらず、なぜここまで躊躇と抵抗、葛藤の連続を体験しなければここまで来ることすらできなかったのか、
イマイチ大輔本人は理解しきれていない。
ここまで本格的な、ねじれに捻れた喧嘩は初体験だが、太一と大輔は軽口程度の言い合いならいつでもやっていたから、お互いに戸惑っている部分はある。
それにしたって、いつもなら大輔からにしろ太一からにしろ、ごめんなさいとさっさと謝って仲直りすればいいだけだと分かっているのにだ。
なんでここまで言葉が重いのか大輔はわからないが、もう太一と喧嘩をするのは嫌だと思った気持ちは本物だ。
だったらその為に行動すればいいことを大輔は知っていた。それは大輔からすれば相当な苦痛を伴う一歩である。
理想と現実の違いをまざまざと見せつけられる光景がある中で、最初の大げんかを目撃したときのように逃げるという選択肢もあったのに、
あえてそれをすることはなく行動できているのは、紛れもない一歩前進であると言えた。
こうして大輔は少しずつではあるが、ジュンお姉ちゃんとの仲直りに向けた経験を積んでいく、紛れもない成長を進めていた。

「空だろ」

「え?」

「俺達がここにいるって教えたの」

「違うっすよ。丈さんとヤマトさんです」

「あいつらー、嫌がらせかよ」

「嫌がらせってなんすか、それ。俺はただ太一さんがしんぱ」

「え?」

喧嘩中の後輩からの思わぬ言葉に、もう一投準備していた石ころが太一の手元から転がり落ちる。
その石ころが温泉に落ちて、ぼちゃんという小さな音を立てた。両者の間に沈黙が落ちる。
心配?と言い返した太一は、ぽかんとして瞬きを何度か繰り返していた。
勢い余ってとんでもないことを口走ってしまったことに気付いた大輔は、あ、いや、その、違います!と慌てて否定する。

「俺が心配なんかしなくっても、太一さんが大丈夫なのはわかってますけど、その、えと、なんていうか」

「ぷっ、くくく、あははははっ、なんだよそれ、一緒だろ!俺のこと心配してきたのかよ、大輔!
変なやつだなー、俺達今喧嘩してる途中だろ!」

「んなっ、なんで笑うんすか、太一さん!」

「普通喧嘩してる奴が心配でわざわざ来ましたなんて言う奴いねえよ!しかも本人の前で!
だめだ、死ぬ、笑い死ぬって、やべえ、マジで止まんな、あははははっ!」

「いててててっ、叩かないでくださいよっ太一さん!」

突然腹を抱えて笑い始めてしまった太一は、息をするのも辛いのかヒイヒイ言い始めてしまう。
涙目でばんばんと背中を叩かれてしまい、大輔は思わず咳き込んだ。
なんだよ、もう、と予想外過ぎる反応をされてしまい、いたたまれなくなってしまった大輔は、すっかりすねてしまった。
しかし、いつの間にかいつもの調子を取り戻したらしい太一は、ニヤニヤとしながら大輔を見下ろしてきた。
これはヤマトやガブモンから向けられた視線と同じものであると嫌というほど悟った大輔は、何とか逃げようとするが無理である。
この時の太一は大輔をからかったり、ちょっかいを掛けたりするためなら、何だってするようなとんでもない悪者顔をする。
しまった、と思ったときには遅かった。へー、そっか、ふーん、と太一は冷や汗を浮かべる大輔に笑いかけた。

「俺のことが心配で来てくれたんだろ、大輔」

「だから、違うっていって……」

「じゃあ落ち込んでる俺を笑いに来たのかよ、ひでえなあ」

「そ、そんな事いってないっすよ!」

「じゃあ何だよ、ヤマトたちからの嫌がらせか?お前らぐるかよ」

「だから違うって!」

「じゃあ何だよ」

「うぐぐぐぐ」

こうなってしまったが最後、散々からかいたおしてくるのだ、このサッカー部のキャプテンは。
大輔は不本意ながらサッカー部のチームメイトやクラスメイト達からいじられ役として見られている気配があり、
基本的に怒らせても謝れば必ず許してくれること、そのことを何時までも引きずらずにさっぱり水に流してくれるという
あっさりとしていて優しいところをみんな知っているためか、こうしてからかわれることも多いのだ。
サッカー部の中でも太一はある意味その筆頭でもあり、大輔はこういう所だけは嫌だったりするのだが、
ようやく本調子に戻ってくれたらしい太一を見てしまうと何も言えなくなってしまう。

「そうっすよ、太一さんが心配でここまで来たんすよ!」

なかばやけになって叫べば、太一はまた声を上あげて、それはそれは楽しそうに笑った。
今まで悩んでいたことが嫌になってしまうくらい、あっさりと太一と大輔は仲直りしていたことに気付いた。

「ありがとな、大輔」

「え?」

「えってなんだよ、えって。しっつれいだな、俺だってありがとうくらい言えるさ」

「あ、は、はい。その、ごめんなさい」

「あー俺もごめんな、秘密にしてくれって言われたのに。
お前が頼りにしてくれるなんて、あまりにも珍しかったもんだから、ついついヤマトや空にも自慢したくなっちまってさ」

「なんでそこで空さん達が出てくるんすか」

「さーなー」

「えー、教えてくださいよ!」

「やなこった。ぜってー教えねえ!」

べー、と舌を出す太一に、イラッとした大輔は言い返そうとしたが避けられてしまう。
やがて追いかけっこにしては、ずいぶんとお互い全力疾走しているマラソンが始まってしまうが、
双方いつものことなので気にも留めていなかった。
二人を仲直りさせるために頑張った影の功労者達は、茂みに隠れてにこにこと笑っていた。
そんな穏やかな昼下がりをぶち壊す一声が飛び込んでくることになるなど、このときは誰も予想することはできなかったのだった。

「太一、太一、大変よ!丈先輩とゴマモンがいないの!」

血相変えて飛んできたのは空とピヨモン、アグモン、そしてブイモンだった。
突然の情報に驚いて太一と大輔は慌てて空たちのもとに駆け寄ると、ぜいぜいと息を吐きながら空が状況を教えてくれた。
洞窟の前に、ムゲンマウンテンに登ってくる、夕方までに帰ってくるから待っていてくれ、と刻まれたメッセージが見つかり、
そこには城戸丈と書かれていたらしい。
光子郎達も荷物を取りに来ている丈を見たのだが、丈はいつもの通りな様子だったし、出て行こうと準備しながら、
太一とヤマトの意見により折衷案として上級生がムゲンマウンテンに登り、帰ってくるまでみんな待っているということを聞かされたため、
てっきりそれが話し合いで決まったものだとすっかり勘違いしていたため、引き止めるのは誰ひとりとしていなかったのである。
まさかその上級生が丈のみだと誰が予想できるだろうか。メッセージだって普通に考えれば、上級生組を代表して丈が書いたと考えてしまう。
太一は丈の優柔不断な態度をみてイライラすることがあったので、喧嘩になってしまったが、その折衷案をきいたとき、
太一やヤマトの意見にどちらも賛同しないで話しあおうと主張していた理由をようやく理解する。
なんだよ、丈のやつ、しっかり考えてんじゃんか、なんでいってくれなかったんだよ。そしたら俺だって。
すっかり頼りないイメージがついていた印象がガラリと変わる。見直した。やるじゃん、丈のやつ。
どうやら丈の考えを見抜いていたらしいゴマモンは、一人でムゲンマウンテンに行こうとしているパートナーと一緒に行くことを選んだらしい。
丈とゴマモンは正反対の性質であるため、よく言い合いをしているのを目にしていた子供たちやデジモン達は驚いた。
なんだかんだで丈のことを1番理解していたのは、パートナーデジモンであるゴマモンだったということだ。
ムゲンマウンテンにはたくさんの凶暴で強いデジモンがいるのだ。ゴマモンはまだ進化できない。
丈とゴマモンが危ないということを把握した太一達の行動は早かった。
ヤマトは一緒にムゲンマウンテンに行きたい気持ちをグッとこらえて、下級生組を守るため洞窟で待っていることを選んだ。
ピヨモンから進化したバードラモンにのって、太一達と空が丈達を助けに行くということが決定する。
そして、助けだせ次第、大丈夫そうだということが確認できたら、そのまま太一達は先に上る。
空はバードラモンと一緒にヤマト達に様子を知らせて、安全だとわかったらみんなでムゲンマウンテンに上ることになった。

「どうしましょう、太一さん。丈さんがイライラしてるって分かってたのに、なんで話し合いしてる途中なのに突然来たのかオカシイって
全然気づけなかった!ゴマモンと丈さんになんかあったらどうしよう!」

「落ち着けよ、大輔。大輔は悪くないだろ?」

「だって、多分丈さんがメッセージ書いたの俺達が行った後なんすよ!もっと早く空さん達に知らせてたら!」

「光子郎たちだって全然気付いてなかったんだ。俺なんて丈がイライラしてるなんて全然知らなかったんだ。
そんなこと言うなよ。無理すんな。大輔は大輔のまんまでいいんだよ。
丈がついた嘘を見ぬいて、俺達に知らせるなんてできっこないだろ?そんなことできたら大輔じゃないってみんな知ってんだから。
ここは俺達に任せて待ってろよ。待ってんのも大輔にしかできないことだぞ!つか俺のことも心配しろよ!」

「はいはい、仲直りしたのは分かったから、早く行くわよ太一」

「が、がんばってください!」

進化の光りに包まれた火の鳥が大きな翼をひろげて、湯気を一気に吹き飛ばし、岩だらけの高い高い山へと登っていく。
その様子を小さくなるまで見守っていた大輔は、空に言われたとおり洞窟でヤマト達と合流することにした。
待っていることも大輔達にしかできないことだと言われても、どこか歯がゆい大輔は何度もムゲンマウンテンを振り返った。

「大丈夫だよ、大輔。太一達が負けるわけないだろ?」

「分かってるよ」

「だったら早くいこーぜ!みんな待ってるんだからさ」

「分かったよ」

「あーあ、やっぱり太一が羨ましいや」

「はあ?」

「太一はずるいよ。だって太一はオレが大輔に会うずっと前から知り合いなんだ。
オレが知らない大輔をいっぱい知ってるんだ。それってずるい。勝てっこないじゃんか。
太一なら大丈夫なんだって一番良く知ってるのは大輔だろー、大輔、絶対オレのことそこまで頼りにしてくれっこないんだ」

「ブイモンお前」

「でもいいんだ。絶対いつかオレが大輔の1番になるって決めたんだ。大輔、見ててよ、オレ頑張るから」



[26350] 第十八話 うそつきのこども
Name: 若州◆e61dab95 ID:10839619
Date: 2013/08/02 23:57
ほんのりと明るい光が差し込む入り口から丈が洞窟から外に出た時、
外は積った雪でいつになく輝きをましている銀世界である。太陽が一番高い時間帯だ。
洞窟の入り口近くに残してきた置手紙に仲間たちが気付く前に帰ってこれたら一番いいが、
そういう訳にもいかないだろうことは丈も何となくわかってはいたが、歩みはとめない。
ムゲンマウンテンは目前に広がる雪景色からみるとまるで垂直である。
そそりたつ断崖絶壁を想像して一日二日の筋肉痛が痛む身体は持つだろうかと
若干不安も抱えながら、さくさくさくと霜柱を踏み分けて近付いていく。
どれくらい歩いただろうか。ようやく抜けることがかなった雪原の先に現れた山は、
だいぶん近くに迫り、全景が見上げられるところまで到達したことを教えてくれる。
あまり高くない山である。気楽に登れる山ではなさそうだが、これならがんばれば。
よし、と気合を入れて、丈はひとりムゲンマウンテンに挑むため、前を見据えた。
長きにわたる年月を経て踏みならされたけもの道がある。小学生でも大丈夫だろう。


「どこ行こうとしてるんだよ、丈」


あわてて振り返れば白いアザラシがいたずらっ子の笑みを浮かべて現れた。


「ご、ゴマモンか。他のみんなは?」

「いんや、オイラだけだよ。なんか変な気がしたからさ、ついてきた」

「ほっといてくれ。これは僕の問題なんだ」

「ふうん」


あんまり興味なさげなゴマモンに肩すかしの丈である。
てっきり危ないからやめろと止められるか、誰かを呼ばれるのかと思ったのに。
ゴマモンは海に生きる生物によくある足をひょこひょこと動かしながら獣道をいく。
地上を移動するには向いていないはずなのだが、今まで1度も丈に助けを求めたことはない。
それどころか丈より前に進んでいったゴマモンは、生意気そうな笑みを浮かべた。


「丈、早くいかないとおいてっちゃうぞ」

「なにいってるんだよ。ゴマモンこそ遅れるなよ」

「へっちゃらだい。筋肉痛だって愚痴ってるようなもやしと一緒にするなよな」

「うるさいな」


かちんときた丈はやり返しながら登山を始めたのである。ずっとこんな調子で。
ムゲンマウンテンを上っていくうちに、寒さはどんどん遠ざかっていくことが分かり、
自然と丈の足取りは軽くなってくるが、逆にゴマモンが遅れ始めた。
寒くても平気、むしろ寒い方がいい。やっぱり寒い地帯に生息しているのは事実のようだ。
ムゲンマウンテンの登山をくじけないでいられるのはゴマモンのおかげであると
このときの丈はまだわからないでいる。
ずるずると遅れはじめたゴマモンが気になって、手を貸そうかと右手を差し伸べた丈は、
ゴマモンには前足しかないことに気付いて言い直そうとするが、
ありがと、と笑ったゴマモンは真ん丸とした蹄つきの前足を差し出した。あれ?


「それって手だったのか」

「………怒るよ?」


きらんと光った蹄に丈があわてて訂正しようとした時、どどどどどどど、という
ムゲンマウンテンの中腹で土砂崩れでも発生したのかと勘違いするような音が響いた。
先に気付いたのはゴマモンだった。黒い歯車だ。あわてて丈たちは身を隠す。
その黒い歯車がきた方角をのぞいてみると、大きな大きな穴が開いているではないか。
洞窟のようだが中は真っ暗でどれくらいの規模があるのか分からない。
あんなの聞いたことないとはゴマモンの談である。
ぐるぐると旋回する歯車が飛び出して空を舞う。そして一気に急降下し見えなくなった。
ごごごごご、と轟音が響き渡り、まるでふたでもするように洞窟は無くなってしまったのである。
この数日間丈たちに襲い掛かってきたデジモンのうち、アンドロモンともんざえモン、
そしてメラモンはその体に黒い歯車が突き刺さっていたことを彼らは思い出す。
歯車は正気を失わせ、凶暴化させる効果があるようで、
体から直接取り除かないと正気に戻ってくれないから苦労した。
この山から飛んできていたのだ。ここにはなにかあるのだろうか。
丈とゴマモンはさっきまであった洞窟跡を調べてみるが、何も無かった。
ただの岩壁があるだけである。


「さ、行こう。まだ先は長いぜ、丈」

「気になるけど仕方ないな。僕たちの目的はここが島か確かめることだから。
 うん、いこうか」


そして、だいぶん太陽が傾き始めたころ、丈たちはムゲンマウンテンから湧き出る滝を見つけた。
枯れたと思ったらこんなに小っちゃくなってたのかとゴマモンは驚いている。
曰く、これが気になったから丈についてきたっていうのもあるらしい。
ホントならオイラだってここまで苦労する必要なかったのにさとのこと。
ムゲンマウンテンをここまで登ってこれること自体がラッキーなことである。
本来なら巨大な滝が幾重にもわたって獣道を横断していることで有名なのだ。
綺麗な流水はゆたかな自然をはぐくみ、自然とそこを生活の拠点にするデジモンが現れる。
成熟期のデジモン達が闊歩する。危険でしかない。
しかし、今はこうして滝がすっかり枯れてしまっているので、デジモン達がよりつかない。
おそらくその原因はあの黒い歯車を生み出したこの山の中にある。
ゴマモン達が様子を伺っていると、一体の聖獣型デジモンが姿を現した。
ユニモンという名の天馬は、ユニコーンのツノと、ペガサスの羽を持っている。
背中の大きな翼で、コンピューターネットワークの世界を瞬時にかけまわる白馬は、
賢くて大人しいが、性質は気難しくその気性の粗さは有名だから近づかない方がいいらしい。
成熟期だというので、丈たちはユニモンが立ち去るのを岩陰から見守っていた。
そしたら、現れたのである。山の中ほどに漂っていた雲にも似た霧を突き抜けて、
大きく反転し、一気に降下。ユニモンの背中に襲い掛かり、短い悲鳴が上がる。
背中に突き刺さった歯車は半分までめり込んでしまった。
黒い歯車は物体じゃないのかもしれないと丈は思った。
ユニモンは血を流さない。けがもしていない。ただ直撃した時の悲鳴が悲痛だった。
顔を覆う仮面の向こう側にうつる邪悪な光が丈たちを捉えた時、ゴマモンと丈は固まってしまった。
間一髪助けに来た太一達により、バードラモンとグレイモンで応戦したものの、グレイ
モンは足場を確保できず動きが鈍り、
連続で空襲を食らったグレイモンはその被弾によって1段下の獣道に転落した。
グレイモンって声を上げた太一は、迷うことなくその坂道を滑り降りはじめる。
単身空中戦を強いられたバードラモンは足に捕まっている空を庇って戦わなければならず、
隙の多さをその俊足に突かれて大苦戦を強いられる。
このままでは力尽きてピヨモンになってしまう。
2体が撃墜されてしまい、状況は逆転、今度こそ危ないというとき、
もういても経ってもいられなくなって、なんとユニモンの背中に直接飛び乗ろうとしたのは丈だった。
崖からのダイブである。無茶だ、よせっていう太一の言葉も届かないのか、丈は辛うじてユニモンの背中にしがみつく。
黒い歯車を取り除きさえすれば大人しくなってくれるはずだと分かっている丈は、
ひたすら力任せにひきぬこうと力を込めるが、黒い歯車はユニモンと一体化してびくともしない。
ユニモンはあまりの痛さに必死で身をよじる。そしてとうとう丈は投げ飛ばされてしまった。
いやーっていう空の悲鳴が響く。そのとき、ゴマモンが進化した。
ライオンにも似た咆哮がムゲンマウンテンに響き渡る。
北極探知基地のコンピュータの中で発見された真っ白な長毛で覆われた成熟期のデジモンが現れた。
イッカクモンと名乗った頑丈なカラダで極寒の地でも生活できる彼は、氷の上にいるときは、
高熱を発してで足場をとかし、ツメをくいこませて安定させる。
そのため足をすべらせることはない性質をフルに活用し、足元の岩道を溶かし爪をくいこませた。
その柔らかくも弾力のある背中に落下することに成功した丈は、ずれかけの眼鏡を直した。
自分が今どこにいるのかわからないのだ。丈の安全を確保したことで空と太一はほっとする。
不安定な足場でもしっかりと安定性を確保した彼は、一気に反撃の攻勢にうつる。
素早く空中で向きを変え口元から必殺技の白い光を吐き出したユニモンを
ミスリルで出来たツノをミサイルのように発射させた。
ユニモンは隙を突かれてよろめき、バランスを崩して落下する。
おおきくずれた白い光の弾丸が退化してしまっていたアグモンの目と鼻の先をそれて、
目下に広がる雪原の森へと落下する。豪快な雪のしぶきが上がった音がする。
ひえー、あぶなかったなあ、とつぶやいた太一が駆け寄ってきてくれたので、
怖くなったらしいアグモンはそのまま太一―って抱きついたのだった。
連続で発射されるイッカクモンの放ったハープーンバルカンは、苦戦を強いていた俊足を捉えた。
ツノから現れたのは、追尾機能が搭載されているミサイルだった。
角の外殻が四方に分解される。その中から炎をあげるミサイルが姿を現し、
ユニモンの背中に一直線に走ったかと思うと直撃した。
大きな光に目がくらむ。太一たちが見たのは黒い歯車のシルエットと粉々に砕け散った残像である。
そして、見事ユニモンを蝕んでいた黒い歯車を撃破したことで、
我に返ったユニモンはどこか遠くへ飛んでいってしまったのである。
こうして助けに来たはずがすっかり立場が逆転してしまった太一達は、
丈達と仲直りすると共に、お互いにすれ違い始めていたことを反省し、
なんとかこの世界からもとの世界に戻るための手がかりを得るために、一足先にムゲン
マウンテンの頂上目指して進んでいった。
以上がムゲンマウンテンまでの道中の安全を確認した空とバードラモンが伝えてくれたあらましである。










第十八話 うそつきのこども










洞窟前で空の知らせを待ち続けていたヤマト達は、太一達を追いかけてムゲンマウンテンを上ることになったのだった。
ちなみに、太一との仲直りを躊躇していた大輔の心中を知りながら、発破をかけて背中を押すふりをして、
ほとんど騙す形で洞窟から遠ざけてしまったことを謝罪するという伝言を空から伝えら
れた大輔は、
先に行ってしまったバードラモンと空に、キッカケをくれてありがとうと伝えて欲しいと言って見送った。
そして、ヤマトたちを先頭に、長く険しい山道を一生懸命登ることになったのである。
丈たちの体験した激しい戦闘の名残は、至る所に残されていた。
グレイモンたちが暴れまわった大きな足あと、激しく激突したらしい岩壁にはグレイモンそっくりのカタが出来ていた。
そして、たくさんのひび割れ、落ちてきた岩によってますます狭くえぐられてしまっている山道、
足を踏み外せば断崖絶壁状態のこの岩道では、スリル満点の光景である。下から上に吹いてくる風がますます背中を凍らせた。
極めつけが人の頭ほどの大きさの岩が、ごろごろと転がっているのだ。子供たちとデジモン達はゴクリとつばを飲み込んだ。
しかし、満場一致でムゲンマウンテンを上ると言ってしまった手前、今更洞窟の前で待っているとも言えないし、やっと中腹まで来たのである。
引き返すなんていう雰囲気でもないため、みんな文句ひとつ言わず必死で足を動かし続けていた。
ブイモンから伸ばされた手をつかみ、せーの、で大きな岩を一気に駆け上がった大輔は、
ブイモンと一緒にジャンプして見事向こう側に着地した。
最後はタケルとパタモンである。最初はみんなと一緒に4つ足で歩いていたパタモンは、
もうここまで来るとすっかり音を上げてタケルの帽子にへばりついている。
大輔とブイモンのやりとりや行動をちょっとだけ羨ましそうに見ていたタケルは、ヤマトに呼ばれて大岩に近づいた。
タケルは見ていた。ヤマトに手を貸そうかと呼びかけられた大輔は、ブイモンがいるから大丈夫だと笑っていた。
差し伸べた手を寂しそうに戻したヤマトを思い出したタケルは、
ちょっとだけ大輔に感化されて一人頑張ってみようと思っていたのを引っ込めた。
兄として当然の努めだとばかりに、今度こそという気概も伝わってきそうな真剣さでヤマトが手を差し伸べてくる。
いつもだったらなんにも考えずに手を伸ばしたはずだったのに、タケルはその手をとっていいものかどうか、一瞬迷ってしまった。
勇気を出してヤマトお兄ちゃんに甘えるんだ、とタケルは決めていたはずだ。それなら迷うことなく手を伸ばせばいいのである。
そして、ありがとうお兄ちゃんと笑えばいいのである。そしたらきっとヤマトは嬉しそうに笑うに違いない。
そのタイミングを逃さず、手をつないで欲しいといえば、
きっとヤマトはいつもより正直になったタケルに驚きはしても拒絶は絶対にしないはずだ。
ずっと我慢していたタケルなりのわがままや甘えたいという意思表示をするには、絶好の機会であると分かっている。
しかし、タケルは迷ってしまった。ホントにそれで良いのかなあ、と思ってしまった。
なにせヤマトの隣では、早く来いよー、と呼んでいる大輔がいるのである。
この大岩を途中までクライマーのようによじ登り、最後の最後だけブイモンの力を借りて、
ほとんど自分の力だけで頑張って乗り越えた大輔がいるのである。
それなのにタケルはヤマトから差し伸べられた手をとって、初めからヤマトの力を借りて
タケル自身はなにもしないまま岩を越えようとしている。
ちょっと悔しいと思ってしまったのだ。
ゴマモンが進化したことで、パートナーデジモンが進化していないのは大輔とタケルだけになってしまった。
相変わらず最年少組としてみんなから守られる立場として見られていることを歯がゆく思い、
頼りにされないことを悲しく思っているのは同じだが、タケルと大輔はそもそもスタンスが正反対と言えた。
タケルから見れば、となりの芝はずっと素晴らしく見えてしまう。
守られる側でいることを受け入れるか、反発するか。
守る立場になりたいと背伸びするか、自分の力の限界を冷静に自覚しているか。
ずっと24時間行動し続けて、もう3日目を数えている。
タケルと大輔はお互いに影響をうけあっているが、それが顕著に現れた。
タケルの中に、甘えたいという気持ちと共に、本来よりもずっとずっと早い形で、大輔に感化される形で、
一人でできることはやりたいと思う気持ちが芽生えてしまった。
それがタケルをそのまま素直にさせることを躊躇させてしまう。
少しの戸惑いから訪れた不自然な沈黙の後で、タケルはヤマトの手を借りることを選んだ。
タケルの中に自主性に芽生えるキッカケを与えたのは大輔である。
あくまでも大輔と比べたときの敗北感から現れたものだ。
その大輔は、タケルとヤマトが仲の良い兄弟であることを羨ましがっており、
お手本としても甘えたほうがいいとアドバイスされた。
それを考えたときに、つかの間の敗北感はあっという間に塗りつぶされ、そして優越感に置き換わる。
ヤマトはタケルが手をとったことにほっとした様子で、そのまま一緒に向こう側に飛び越えてくれた。
手を離そうとしたヤマトは、タケルが慌ててその手を追いかけるようにつないでくるのに気づいて、驚いた様子で振り向いた。
タケルは意を決した様子でヤマトを見上げて、言ったのである。


「お兄ちゃん、手、つないだまま行っちゃダメ?」

「え?」

「えっと、えっとね、僕……」


やっぱりいいや、ごめんねと言いかけたタケルの言葉を遮るように、しかし掠れるような声がした。


「だ、駄目なもんか」


それはその時、ヤマトが発することができる精一杯の肯定の言葉だった。
ただあまりにも突然だったせいで、意識が彼方に飛んでいってしまったヤマトは、
再起動するまでにしばし時間がかかってしまったのだ。
諦めかけていたときに返ってきた言葉は、タケルを舞い上がらせるには十分すぎるほどの威力を誇っていた。
ヤマトもヤマトで嬉しいやら恥ずかしいやら照れがまぜこぜになって、真っ直ぐタケルを見ることができない。


「ホント?」

「ああ、手つないだまま行こう」

「ホント?!やったー!ありがとうお兄ちゃん!」


ヤマトはタケルと手をつないだ。タケルは腕まで回して喜んでいた。
ヤマトははっと我に返る。ここはどこだ。ムゲンマウンテンの頂上に向かう道中だ。
もちろん他の子供達やデジモン達もいるのだ。
おそるおそる周りを見れば、飛び上がらんばかりに大喜びのタケルの声に気付いたらしい光子郎たちが、
ヤマトとタケルの微笑ましい行動に気づいて顔を見合わせた。
そして、ヤマトと視線を合わせると、生暖かい眼差しで、ニコニコと笑ったのだ。
その瞬間、ヤマトの中でタケルが手を取る間にとった不自然な空白なんて、あっという間に忘れ去られてしまう。
よかったねー、とガブモンまでタケルに笑いかけている。
ヤマトの心のなかは、うわあああああ、という頭を抱えたい衝動にかられるがぐっと我慢した。
大輔とブイモンは、こっそりタケルとパタモンがやったよとばかりにピースサインを出して笑っているのを見て、釣られて笑ったのだった。
それにまで気づかないほど周囲に無頓着なヤマトではない。
タケルと大輔の間になにがあったのかは知らないが、間違いなく大輔が唆すなりなんなりしたに違いない。
そう思うと兄としては心中複雑である。
余計なことを、というか、ありがたいというか、なんというか。言葉に出来ない何か、
間違いなくその中には嫉妬も多大に含まれているであろう複雑なヤマトは無言のまま、
行き場を失ったいたたまれなさを大輔たちに威圧することで解消した。
タケルはもちろん気づかない。
アングル的に大輔とブイモンだけが気づいている。
もちろん大輔はこえーよーと心のなかで絶叫し、再びヤマトの苦手意識を深めていた。


「大輔君、太一さんと仲直りできてよかったね」


すっかり上機嫌なタケルは、先導する関係以外の私情も絡み、
ついつい早足になるヤマトの歩行速度など全然気にする様子もなく、
すぐ後ろを歩いて来る友人に話しかけた。ブイモンが疲労を見せ始めた大輔の背中をぐいぐいと押している。
こけそうになるたびに大騒ぎしていた大輔は、もうこのころになるとすっかり疲れていたのかさすがに口数少なくなっていたが、
触れられた話題が話題なので、まーな、と笑って返した。
洞窟の中では丈達が無事かどうか心配でたまらなかったし、
登山中は今までいつヤマトに甘えようかずーっと考えていたタケルは、
ようやく他のことに興味を示せるようになったというわけである。
それにタケルは分かったのだ。
なんであれだけ大輔が不自然なほど甘えるという行動に対して、わざわざハードルをあげるようなことをしていたのか。
なかなか実行できないような枷ばかり付けて、まるでその行為自体から逃げるような行動ばかり、言動ばかり取るのか理解できなかったが、
今のタケルだったら分かったのだ。なんだ、大輔君も甘えたかったんだ。僕よりずっと素直じゃないから、気づかなかった。
意識して甘えるという意思表示をすることは、とっても疲れるし、勇気がいるし、ドキドキするのだ。きっと大輔は知っていたのだろう。
だから太一に対する説明として、自分に対する説明として、建前と理由を自分で作ってから実際に行動に移したのだろうと思った。
怪奇現象を見たなんて誰の目から見ても明らかな嘘をついて、大輔なりの甘えるという意思表示をしたのだろう。
なんて遠まわしな分かりにくい行動だ、それじゃあ太一だけでなく、みんなにも気づいてもらえないに決まっている。
そうタケルは思っていたが、実際には違っていたと知っている。やっぱりお兄ちゃん達は凄い。大輔君の気持ちに気づくなんて。
せっかく勇気を出してやった行動を誰ひとりとして理解してくれないとなったらそれはそれは虚しい事態である。
しかし、大輔の行動は理解されたが、太一によってみんなに宣伝されてしまったのだ。それは喧嘩にもなる。
でもそれはあんまりよくない方法だとタケルは思った。素直になれないからと言って嘘を付くのは良くないことだ。
えーっと、なんていったっけ。嘘をついてばかりいると誰にも信じてもらえなくなるというあらすじの。そうだ、あれだ。
大輔君、と呼んだタケルに、んー?と大輔はほとんど気力で歩いている状態にも関わらず、律儀に返事した。


「でもね、嘘をついちゃうのは良くないよ?狼に食べられちゃうもん」


幼稚園の先生が読んでくれたイソップ童話の絵本の中でも、代表的とも言える残虐的な
結末を迎えるお話になぞらえてタケルは言った。
タケルが知っているのは、羊飼いの少年と狼、もしくはオオカミ少年として絵本に描かれている典型的な寓話だ。
羊飼いの少年が、村の大人たちに構ってもらいたいがために、退屈しのぎに「狼が出た!」と嘘をついて騒ぎを起こす。
羊は村人とって財産であり、大切な家畜である。狼はその羊を問答無用で襲って食べてしまうのだ。
大人たちは騙されて武器を持って来るが、もちろん少年の嘘により徒労に終わる。
少年が繰り返し嘘をついたので、本当に狼が現れた時は大人たちは信用せず、誰も救援
に行かなかった。
そのため、村の羊は全て狼に食べられてしまう。嘘をつきつづけた少年自身が襲われて狼に食べられてしまう懲罰的な結末である。
人は嘘をつき続けると、たまに真実を言っても信じて貰えなくなる。
常日頃から正直に生活する事で、必要な時に他人から信頼と助けを得ることが出来る。
分かりやすく言えば、嘘を付くのはいけませんよ、ということだ。
もちろんタケルはあくまでも例えとしていっただけであり、
大輔とブイモンの話は甘えるための口実だと信じているから、そんな事が言えた。
だっていつもの大輔とギャップがありすぎたのである。
タケルよりもずっと大人びている大輔が、太一をトイレに一緒に来るよう何度もドアを叩いたっていう話自体、信じられないほど驚いたし、
怪奇現象に遭って、どこかに連れ去られるかもしれないと怯えて、もんざえモンの所に逃げ込んだなんて、ありえないと思ったのだ。
タケルは知らない。タケルが少しずつ変わろうとしている一方で、大輔もまた変わろうと必死で足掻いていることなんて知らない。
自分のことで精一杯でも誰からも怒られない、それが許される小さな目には、まだまだ理解するのは早過ぎると言えた。
それでも、紡がれた言葉はもう戻らない。お互いに心を許し始めた友人同士ならば尚更のこと、タケルの言葉は大輔をえぐった。


「…………そーかよ。もう、それでいいや」


タケル、と咎めるような声が隣から飛ぶ。ブイモンが真っ直ぐタケルを睨んでいた。大輔は一瞬泣きそうな顔をした。
あ、とタケルは言葉をこぼした。ブイモンの目からはありありと怒りが浮かんでいたからだ。
みんながいる手前ぐっとこらえていたけれども、友人であるお前が言うのか、相談しあうのが友達だと言ったお前が言うのかと
目がはっきりと訴えているのが分かった。タケルは言い過ぎたかな、と思った。そして焦る。
今日一日の出来事を通して既にデジャヴュを覚えるほど体験している大輔の目に浮かんだのは、怒りでも悲しみでもなく、
あきらめの極地である。はあ、と溜め息ひとつ、ブイモンの手を引いて内緒話。一言二言交わした大輔は、首を振った。
怪奇現象を体験して、孤立無援の中で、必死で困り果てている大輔とブイモンからすれば、お前は嘘つき呼ばわりされていることに他ならない。
もうすでに大輔とブイモンの中では失われた選択肢だ、何を今更という訳だが、その光景を初めて目撃したタケルは衝撃だった。
大輔を傷つけたことだけは分かったが、その過程が全くわからないなんて体験、タケルには初めてだったのである。
タケルは慌てて大輔を呼んだ。


「ごめん、大輔君、ブイモン、僕なにか言い過ぎちゃった?」

「俺もブイモンも嘘付いてねえよ」


何度繰り返されたか分からない会話の中で、それだけは大輔は絶対に譲らなかった。
なんでそこまで意固地になるか分からない。さっぱりわからない。
タケルの知っている大輔ならば、きっとばつ悪そうに何で嘘を付いていたのがばれたのかとぼやくのだ。そして観念したように肩を落とす。
そして嘘を付くことは悪いと知っているが、それしか方法がないんだよ、悪いかと開き直りすら見せて、苦笑いするはずなのだ。
そしたら嘘を付くのはやっぱりダメだよ、とタケルは笑っていえるのに。タケルは、そっか、ごめんね、と言うしかなかった。
はっきりと大輔とブイモンの主張を理解してくれたわけではないということを知っている大輔は、ん、と言葉短に答えた。
そして始まる無理矢理過ぎる話題転換。もうこれ以上話すことはないという最終通告とも言えるものである。
太一と和解してもなお、この件に関しては一貫して曲げようとしない大輔に、
やはりこの手の話題は触れるべきではなかったとタケルは改めて痛感した。
ちなみにタケルが抱いている心境は、他のメンバーのある意味共通見解と言えた。
諭せば諭すほど頑なに意固地になっていく大輔は、そこで妥協してしまったら最後、
ブイモンが大輔に対して嘘をついたと認めてしまうと知っている。
ブイモンがかけがえのないパートナーデジモンであると再認識したばかりの大輔にとって、
優先すべきことなど初めから決まりきっていた。
そこから続くのは果てしない平行線である。大輔も好きでみんなから向けられる説得を振り払いたいわけではないのだ。
できることは触れないことくらいだ。静寂が満ちた中で、ヤマトが気を効かせて頂上が近いと話題をふる。
待ってましたとばかりにみんな食いついてくる。
そして先程の気まずい沈黙は両者の間に残されたまま、表面上は穏やかな会話が再開された。
ちなみにタケルの知っているイソップ童話の原題は、嘘をつく子供である。
絵本は嘘をついてはいけませんという教訓ありきで書かれているため、
本来描写されている不適当な場面はすべて削除改変されている。
原作は羊飼いの少年が村の羊を全て管理しているわけではなく、あくまでも村はずれで自分の個人的な財産として羊を所有している。
村の大人たちが少年の嘘に騙されたのは、羊飼いの少年の安全ももちろんのこと、
自分の大切な財産の家畜を奪う狼の存在を恐れたからであり、
実際問題少年に羊を管理させるはずもなければ、少年の個人的な財産の結果など大人たちは問題にしないし、
何度も武器を持って駆けつけてくれたりなどしない。
それを知っていて少年は嘘をついたのである、結構なしたたかさだ。
そしてこの羊の全体の財産と個人的な財産の扱いの差は、ひとつの大きな教訓をこの寓話から削除してしまっている。
原作ではあくまでも羊だけが犠牲になり、少年は羊をすべて失うが、命までは奪われたりしない。その必要がないからだ。
そのかわり、少年の狼が来たという発言を嘘だと決めつけた大人たちの財産である羊も犠牲になってしまっている。
そこから導きだされる教訓は、先入観によって物事を決めつけ、
人の言うことを信じないという行動自体にも、相応の危険がはらんでいるという事だ。
みんなが信じてくれないから、自分たちだけでどうにかするしかない、と勝手に諦めたせいで、
狭すぎる視界でしか行動できなくなっている大輔も、
いつもの大輔の先入観が邪魔をして、客観的に大輔の行動の違和感を察知することができなかったタケルも、
これから待ちうける困難において、嫌というほど実感することになる。
思い込みによって人を信じないということが、どんなに恐ろしいことなのか、幸いにも彼らはまだ知りもしないのである。





頂上にようやく到達した大輔達は、大げさなまでに打ちひしがれている丈と、まあきにすんなってなんとかなるさ、と
励ましにもならない脳天気な言葉をかけて、尚更丈に追い打ちをかけているゴマモンを見つけた。
奥のほうでは望遠鏡を覗いて、なにやら熱心に書いている太一とそれを横目になにしてるんだと覗き込んでいるアグモン。
みんな、と真っ先に気づいて手を降った空とピヨモンの声に、ようやく気付いたらしいみんなは合流を喜んだ。
そして何故丈が絶望を叫んでいるのか、すぐに後からやってきた子供たちは気づくことになる。
この島で一番高いムゲンマウンテンから望む風景は、それはもう絶景だった。
今まで巡ってきた街や地帯が余すことなく一望できるのである。
いつもならすげえとテンションあげていくところだが、さすがに大輔も今自分たちが置かれている事態を把握し、二の句が継げない。
見渡すかぎり海である。空との地平が曖昧になって弧を描いているので、この世界も丸いのだとどうでもいいことに気づきながら、
懸命に探すがないのである。海しかないのである。船も島も何一つない。見渡すかぎり青、青、青の大海原。
この島は、無人島なのであることは分かりきっていたが、孤高の離島。
離れ小島どころの話ではなく、大海原にぽつんとこの島しかないなんて聞いてない。
この島の生まれであるデジモン達はこの島のことはとっても詳しいが、
いくら聞いてもこの島の外の世界のことはさっぱりだったので、
上級生組はうすうす嫌な予感がしていたが、必死で否定し続けていた事実がもう言い逃れできない状況で現れてしまった。
タケルがヤマトにくっついて怯えているのを横目に、大輔は大丈夫?と心配そうに見上げてくるブイモンの問いかけに、初めて首を振った。
そして友人の兄弟が目に入らないように、だっとかけ出して、すっげー、と大げさなほど大きな声を出して崖の方に向かった。
あんまり行くと危ないですよ、という光子郎の言葉に、はーい、といつものように返事して、大輔はそのまま立ち尽くした。
いろいろ限界である。ずっと心の奥底で我慢していた、母親に会いたい、父親に会いたい、友達に会いたい、サッカー友達に会いたい、
クラスメイトに会いたい、このまま死んじゃうなんて嫌だ、ブイモンや太一さん達がいるけれど、日本のどこでもないこの島でどうやって
帰れというのだ。無茶ではないか。溢れ出した感情は目頭を熱くする。もしかしたらが止まらない。
このとき初めて、大輔は姉がここにいないことを心の底から絶望した。みんな自分のことに精一杯で自分のことなんか構ってくれないのだ。
こういう時、すがりつける存在がないことの辛さがここまで堪えるとは思わなかった大輔である。
口ではいくらでもいえたが、大輔の心は嫌われていたって一方的な片想いだって構わないのだ。心はどこまでも正直に姉を求めていた。
いつもはこっそり胸の中に秘めて、いつの間にか使わなくなっていたお姉ちゃんという言葉を何度も何度も半濁する。
ブイモンは、結局勝てない姉の存在の大きさをひしひしと感じながら、そっと大輔の手を握った。
少しだけ安心したのか、大輔はぐしぐしと乱暴に目尻をぬぐって、泣きながら笑った。
素直になりかけていたのを最悪のタイミングで潰されてしまっていた大輔は、こっそり
と泣くしかできなかったのである。


「この世界に来なきゃよかったとか言わないでよ、大輔。そんなこと言ったら怒るよ、オレ」


なんて大輔は絶対にそんな事言うわけがないことを知りながらブイモンはつぶやいていた。


「ばーか、そんなこといわねえよ」


と心外だとばかりに大輔が笑いながら訂正してくれる。ほら、もう泣いてたことなんて忘れている。
大輔の笑っている顔のほうがすきだから、まだ笑えているなら大輔は大丈夫だと確認しながらブイモンは、
うん、ごめん、と返事した。


「なに書いてるの、太一?」

「地図を書いてるんだよ、もしかしたらなにかの役に立つかも知れないだろ?」

「なるほど、有効な手かもしれませんね」


太一達の声が聞こえる。太一はどうやらこの島の全景を書いているようだ。孤島のマッピングは貴重な情報源となるだろう。
後ろから聞こえてくるその会話に、思わず振り返った大輔は、えー、と声を上げた。
さっきのうるっと来た感傷など吹っ飛んでしまったらしい。
どしたの、大輔?とあいも変わらず喜怒哀楽の切り替えが激しい相棒に、ほっとした様子でブイモンが問いかけた。
子供はひとつの感情の中にずっと埋没していられるほど暇ではないのである。きっとそうしなければ壊れてしまう。
まだ大輔は大丈夫らしいことが確認できたことを安心しつつ、見上げてくるブイモンに、大輔はこっそり教えてくれた。
サッカー部において、自由研究などの夏休みの宿題は最後の1週間で済ませることが常識である子供たちを見かねてか、
後援会の保護者達は容赦なく交流会という名の勉強会、その名を夏休みの宿題を終わらせよう会を敢行して、
逃げる子供の首根っこをひっとらえて強制参加させる。
大輔もその会の犠牲者の一人であり、低学年は親との共同制作が許されているため今年
も両親の力を借りる気満々なのだが、
夏休みの友から逃げることはできなかった。たまたま太一達と一緒のグループになったときに知ったのである。
図画工作の宿題に悪戦苦闘する太一の画用紙には、ネコバスが描かれていたので、悟ったのである。
スポーツ万能なキャプテンは、図画工作が致命的なまでに苦手で、センスの欠片もないことを知ったのだ。
そこにシンパシーを感じたのか、運動はできても勉強はできないを体現したような二人が仲良くなるのは早かった。
ちなみに猫っすか?と聞いた大輔に、太一はライオンと言い切った。ついでに万年アヒルだとも聞いた。
これで真ん中普通判定なんておかしいとさすがに気付いていた大輔は、未だに小学校高学年は3段階評価ではなく5段階であるとは知らない。
大輔と一緒に笑っていたブイモンは、みんなに笑われてやけになった太一が、本人が分かればそれでいいのだと開き直るのを見た。
広げられていた地図らしきものは、目で確認しながら逐一確認しなかったせいで、輪郭を追いながらにもかかわらず、
もはや島の全景とは到底言えないような、ミミズがのたうちまわった地図が出来上がっている。
やがてみんなが雑談をこぼすほど回復し始めた頃、そろそろムゲンマウンテンから降りようという事になる。元きた道を帰ることになった。
大輔とブイモンは、そろそろ一緒に寝るという提案をしなければならない、まさに公開処刑タイムが迫っていることに気づいて、
別の意味ですっかり打ちひしがれていた。
そのとき、どごおん、という大きな音が聞こえてきたものだから、子供たちとデジモン達は慌てて先に向かった。
そこに待っていたのは、山道を切り落としてしまったライオンの獣人だった。
レオモンどうして、って驚きに満ちたデジモン達の声がする。
どうしてだって聞く子供たちに、パートナーたちは口をそろえて言うのである。
“百獣の王”や、“気高き勇者”などと呼ばれる獣人型デジモンは、
強い意志と正義の心を持ち、いくつもの傷を負うほど多くの凶悪な敵を倒してきた。
日々鍛えたたくましい肉体は、どんな攻撃にも耐えることができる。攻撃はすばやく、相手を瞬時に倒す力を持っている。
腰には先祖の形見である「獅子王丸」を身に着けているが、基本は拳なのであまり使うことは無い。
そのカタナを抜くときは、レオモンが絶対に倒さなければならない強敵が現れたという証である。
長きにわたる間幼年期であることを強いられてきたパートナーたちの事実上の庇護者がレオモンだというのである。


「選ばれし子供たち、殺す」


そんな事を言われては反対側の道に引き返すしか出来なくなる。
選ばれし子供、なんて言葉を聞いた気がするが、間違いなく自分たちを目的に襲いかかってきているのだ。
この世界に来てからというもの、テントモンを始めとしたデジモン達の知識は全くアテにならないのだ。
それは黒い歯車によるデジモン達の暴走もあれば、意外とうろ覚えな知識がそうさせている。知らなくても生きていけたのだろう。仕方ない。
デジモンからみたデジモンと、人間から見たデジモンが同じとは限らないのである。
そしてテントモンおなじみのデジモン解説講座において、獅子王丸というらしいカタナ=
敵判定と知った子供たちはますます焦る。
今まさにレオモンがその腰に備え付けられている鞘から刀を抜き、思いっきり襲いかかってきているのだ。
なんで敵扱いされているのかわからないし、なんか白目向いてるし、
ぼそぼそ小声で喋りながら追いかけてくるのだ。つか選ばれし子供って何。
黒い歯車も見つからないから操られているわけではなさそうだし、いくら呼びかけても
まともな返事はない。もう逃げるしかなかった。
そして、今まで通ったことがない反対方向に降りるであろう道を真っ直ぐ進んでいた太太一達の前に、
まさに挟み撃ちする形でもう一体凶悪なデジモンが姿を表した。


「やっと追いついたぜ!てめえら皆殺しにしてやるよ!」


緑色の鬼があらわれた。ごつごつとした大人の何倍もありそうな腕が5倍はありそうな拳を握り締め、
巨大な骨を仕立てた棍棒を振り回しながら現れた。
なんでこんなところにオーガモンがってデジモン達はもうパニック状態である。
鬼人型デジモンであるオーガモンは、頭は良いが気性は荒く、発達した筋肉から繰り出す攻撃は、
岩をも砕く破壊力を持つらしい。
本来ならばレオモンとはそりが合わず、ライバル関係にあるはずで、
盗賊のかしらを務めている凶悪なデジモンはめったにこんなところまであらわれない。
なのになぜかレオモンとオーガモンはみんな達をはさみうちにする作戦だったらしい。
本来ならレオモンがオーガモンから守ってくれる展開の筈なのに、と本気で信じられない様子のデジモン達の目の前で、
無情にも2体のデジモンが遅いかかった。
大輔とタケルはヤマトたちに押し込まれる形で岩壁の方に引っ張られ、上級生組がかばうように空を見上げる。
太一は舌打ちした。アグモン達は一度進化をするとエネルギーを激しく消耗してしまうらしく、二度目は不可能なのだ。
丈とゴマモンを助けるために一度進化したせいで、アグモン、ピヨモン、ゴマモンはもうできない。
ガブモン、パルモン、テントモンの3体だけで子供たちを守りながら、二対同時に相手するのは相当危険である。
そうこういってられず、3体のデジモン達が進化して、先に襲いかかってきたオーガモンに迎撃する。
その隙をついて襲いかかってきたレオモンに、本来進化できなかったはずの3体の体とデジヴァイスが輝いた。
2度目の進化をしたグレイモン達は、レオモンを相手に応戦する。いけーっと声を張り上げる太一は、その激闘に水をさす岩雪崩を目撃した。
気づけばオーガモンとレオモンはいなかった。
ユニモンとの戦いの時にヒビが入っていたのかも知れない、という光子郎の指摘に、浮かべていた疑問を引っ込めた太一は、
何故デジモン達が2回も進化できたのかという話題に話をそらすことにした。空はすっかり黄金色である。
せっかく下級生たちが準備してくれていた洞窟まで辿り着くのは、もうすっかり困難になってしまった。
夜になってしまえば方角が分からなくなってしまう。闇雲に歩きまわるのは誰の目から見ても危険だ。
もし夜行性のデジモンに襲われでもしたが最後、今度こそ全滅は免れない状況にある。
進化したデジモン達はもちろん、とりわけ2回の進化を経験したデジモン達の困憊は顕
著だ。
もう歩けない、お腹すいた、とかわいそうなくらいぐったりとしているパートナーに頑張れと鼓舞しながら、連れて歩いて行く上級生たち。
後ろを付いていく大輔は、元気なままのブイモンと顔を見合わせて、改めて進化できないもどかしさをかみしめた。
進化できなくてもできることはある、とはいうものの、こうしてみんなの危機が迫ったとき、なによりも無力なのは自分たちであると
改めて思い知ったのである。守りたい人たちがいるのに、守れない、むしろ守られている背中を見つめているしかない歯がゆさ。
一人と一匹はため息を付いた。


「なあ大輔、オレやっぱり早く進化したいよ」


ブイモンはつぶやいた。なんで進化できないんだろう、と自分の青い手を握りしめる。
アグモンたちが進化したのは、パートナーを、子供たちを、仲間たちを守りたいという気持ちが鮮明に思い描かれた時である、
ということをブイモンも大輔も知っている。
だからこそ、一向にデジヴァイスが輝かない、進化できない、という現実は殊の外プレッシャーである。


「大輔を守れないなんてやだ。絶対ヤダ。オレが大輔を守るんだ」


パートナーの危機が共通しているとすれば、何故昨日の夜、大輔が連れ去られてしまうという恐怖と怪奇現象を目撃しながら、
必死で大輔の名前を読んで引き止めていたときに進化できなかったのか、ブイモンにはわからないのだ。
デジヴァイスが輝いたとき、進化できるかも知れないという期待が胸をよぎったのは事実だ。
謎の空間が歪んでできたトンネルはその光によって撃退されたため、結果オーライではあるものの、落胆もその分大きかった。
夜は目前である。さっきからずっと大輔とブイモンは手をつないでいる。絶対に離れないように手をつないでいる。
みんなと一緒に寝ることが決まっても、きっと寄り添って寝ることになるだろう。ぬくもりがより一層強くなる。


「ばーか、オレとお前は運命共同体だろ?お前ばっか、かっこいいこと言うなよ。オレだって頑張りたいんだ」


本当は恐いくせに、指先が震えているくせに、大輔はそうやって笑うのだ。
森の中に突然現れた洋館に、子供たちとデジモン達の歓声が響いてくる。みんなが入っていくので、大輔たちも慌てて追いかけた。
ヨーロッパ建築の煉瓦造りが美しい3階建ての建物が大輔たちの前に現れたのである。
窓の様子からして屋根裏部屋まで完備しているらしいその屋敷は、豪華絢爛だった。
太一たちが開けた重い扉の向こう側で、シャンデリアが釣り下がっているホールがみえる。
恥ずかしがってないで、早く一緒に寝たいと提案しよう。
いよいよもってなけなしのプライドを投げ捨てて、公開処刑に臨もうと深呼吸。
太一さん、と呼びながら洋館の古びた門をくぐりぬけた大輔と、
待ってよ大輔―っと置いて行かれないように慌てて走ったブイモン。


「なんだよ、大輔」


振り返った太一がその姿を目撃することはなかった。


「あれ?大輔とブイモンは?」


その言葉に、明確な答えを示せるものは、誰ひとりとして存在しなかったのである。



[26350] 第十九話 すたんどばいみー
Name: 若州◆e61dab95 ID:57e3220e
Date: 2013/08/02 23:57
洋館はひとりずつ部屋が分かれているのか、それともベッドがたくさんある部屋があるのかわからない。
出来ることなら後者がいいなと大輔は思っていた。
後者だったらわざわざひとりで寝るのは怖いから、一緒に寝させてください、
なんて公開処刑もいいところな羞恥プレイをする必要なんて無くなるのだ。
たぶんみんなが早い者勝ちでベッドを選ぶことになると思うが、端っこや壁に近いところじゃなくて、
みんなに囲まれている真ん中あたりを選んだら、きっと少しは安心出来るだろう。
それでも度重なる夢と怪奇現象はすっかり大輔に夜に対する恐怖症を植えつけつつあり、夜が来なかったらいいのに、
なんてホラー映画やドラマを見た後と同じようなことを考えるまでに大輔は追い詰められていた。
そんな大輔がである。
洋館の扉をくぐりぬけた瞬間、先に部屋を調べるために赤いカーペットが引かれているエントランスを抜けて、
螺旋階段を登り始めていた上級生組が、そしてパートナーデジモン達が忽然と姿を消してしまうという信じられない現象に見舞われたら。
それはもう、可哀想なくらいのパニック状態になってしまう。
呆然としているブイモンのことなんてすっかり忘れて、手を振り払ってしまう。
大輔!ととっさに叫んだブイモンの声なんて、もはや大輔のもとには届かない。
ブイモンは慌ててパートナーのもとに飛んでいった。
何度か瞬きをした後、だっとかけ出して赤いカーペットを駆け抜けて、
螺旋階段の手すりに手を掛けて、吹き抜けになっている天井目がけて
ありったけの声をあげて太一達の名前を悲痛な面持ちで叫んだ。
洋館全体に次第に泣き声に変わっていく大声が響いた。
頭の中が真っ白になっている大輔は、挙動不審の極地を見せていた。返事がないか、
物音がしないか、せわしなく小動物のように動きまわり、
必死で忽然と姿を消した仲間たちの姿を探してかけずり回る。
いないいないいないどこにもいない!なんで?なんで?おかしいだろ、なんでだよ!
エントランスホールから見える螺旋階段も、吹き抜けからみえるたくさんの扉が並んでいるベランダ付きの通路も、
人っ子ひとりデジモンすらその気配を感じさせない有様である。
螺旋階段の奥のほうに通路がある。そこにも扉が続いている。
もはやこの時点で、この洋館は不自然な違和感に満ちているのだが、
すべて彼方に吹っ飛んでしまっている大輔は、わからない。
精神的な支えである太一や空をはじめとして、心を許し始めた友人であるタケルや仲良くなり始めた仲間達、デジモン達の喪失が
あまりにも致命的なダメージを与えていたせいで全く気づくことができない。
誰もいないはずの洋館で、何故シャンデリアに明かりが灯っているのか。
何故大きな暖炉には薪がくべられ火が燃えていて、洋館全体が暖かくなっているのか。
そして二階の扉の前にあるランプがすべて付けられているのか。
まるで人が住んでいるかのような気配や雰囲気が感じられる洋館である。
不気味さが満ちている。そんな中で、螺旋階段の向こう側に無我夢中で飛び込んでいこうとした大輔を必死で引き止める手がある。


「大輔、大輔、だいすけええっ!待ってよ、大輔!オレがいるよ!」


ここにいるよ、大輔の隣にいるんだよ、気づいてよ!とブイモンは必死で訴えかけた。
がしっと掴まれた右手と一途なまでに大輔のことを呼んでくれる声が、
ようやく大輔を正気にさせた。ぴたり、と止んだ大輔は、くるりと振り返る。


「なんで置いてくんだよ、大輔え。オレも一緒に行くって約束しただろ!」


ひどいや、と憤りを包み隠さずぶつけて来るブイモンのところに、登りかけていた階段を一歩一歩戻り始める。
ひっくひっくと嗚咽すらこぼし始めた大輔は、ぼろぼろと涙を流している。
乱暴に涙をぬぐったり、懸命に泣くのを我慢したり、
必死で我慢する傾向にあった大輔は、すっかり躊躇していた行動を抑制する性質が失われているようだった。
感情の高ぶりがあまりにも大きすぎて、もうちっぽけな体では抑えきることができる許容範囲をとっくにオーバーしているのだ。
ここで初めてブイモンの存在に気付いたようだ。
ブイモンの名前を読んだ大輔は、一人ぼっちではないということに心の底から安堵したのも拍車をかけた。
迷うことなく腕を広げたブイモンに飛び込んだ。ますますくしゃくしゃになる顔をブイモンに押し付けて、思いっきり抱きついた。
大丈夫、安心してよ、オレが大輔を守るんだ、と優しくささやきかけてくれるパートナーデジモンの言葉に、
うんうんと何度も何度も大輔は頷いて、今まで化石になっていた感情が溶けていくのを感じる。
そして、ありったけの声を上げて大輔は泣いた。
大輔は喜怒哀楽が激しく、沸点も低いせいで怒りっぽく、ころころと表情が替わる忙しくて騒がしい子である。
その上に想像力豊かで感性豊かなせいで、よく泣くため泣き虫であると言われることもあるが、
ここまで周りのことも忘れて子供のように泣くのは滅多にない。
大輔がわんわん声を上げて泣くのは、心の底から信頼と安心を寄せる相手にだけ見せることができる証でもある。
これがきっと大輔とブイモンにとって、パートナーとしてほんとうの意味での始まりだったのだろう。
大輔が心の底からブイモンのことを必要としたのは、この瞬間からである。
そして、ブイモンが一途に想い続けていた願いが、ちょっとだけ達成された瞬間だった。
大輔は強い子である。今こうしてブイモンを頼りにしてすがってくれるが、
きっと感情をありったけ吐き出した後は、ぐしぐしと自分で顔をぬぐって、
ブイモンのもとから離れて、自分の足で立ち上がってしまう子である。
そして自らの足で歩き始めてしまうような子なのである。
きっとその頃にはすっかり今のことなんて忘れてしまっているに違いない。
それが分かっているブイモンは、大輔はやっぱりずるいんだと思ってしまう。
嬉しくて、寂しくて、もどかしくて、いろいろとぐちゃぐちゃ考えてしまうことはあるけれども、
それが本宮大輔という少年であるということもブイモンは知っている。
自分がそんな少年のことが心の底から大好きなのだと言うことが分かっているから、
ちょっとだけこの時間が長く続くことを祈りながら、
ブイモンは大輔と一緒に赤いカーペットの上で座っていた。





ばたん、と勢い良く閉じられた洋館の古びた扉の音に、びくりと大きく肩を震わせた大輔とブイモンは、体を縮こまらせた。
後ろを振り返れば、静寂の中異様な存在感を際立たせている、大きな大きな扉が迫ってきていた。
この洋館を訪れる客人を最初に出迎える顔をになってきた、アンティーク調のおしゃれなデザインを模したアートが飾られ、
それだけの月日を重ねてきたからこそ、作り上げられる重々しいほどの雰囲気をまといながら、大輔たちを見下ろしてくる。
迫力満点である。反射的に閉じ込められた!と感じて、大輔は錆びついた金色のドアノブを回す。
錠前は落ちていないし、鍵穴がある気配はないのに、立て付けが悪いのかなかなかすんなり回ってくれない。
さっき丈とヤマトが最初に扉を全開にしたときには、すんなりと大輔たちを招き入れてくれたというのに。
がちゃがちゃと今にも壊れそうな悲鳴をあげるドアノブを乱暴に回した大輔は、
ようやく開いた扉をありったけの力も込めて、ばーんと豪快に開けた。
扉が跳ね返って再び大輔達の前に立ちはだかる。
反動でその重い扉が再び戻ってこないようにと、支えるために扉を追いかけたブイモンと大輔は、
ついさっきまで確かにあったはずの風景が一転していることに気づいてそのまま立ち尽くしてしまった。


「さっむーいっ!寒いよ、大輔ええ!」

「さっびいいい!なんで雪が降ってんだよ、しかも積もってるし!」


冬かよ!と大輔は思わず叫んだ。白い息が灰色の空からたくさん降ってきている雪の中に立ち上って、やがては消えてしまった。
それは暖かい部屋から一歩外に出た瞬間、容赦なく吹きこんでくる木枯らしに似ている。
扉の向こう側で待っていたのは、見渡す限りの一面銀世界である。
薄暗くなり始めている世界ではなおさら、縫い目のない白がどこまでも続く雪景色に、
本来そこにあるはずの森や山道などもはや見出すことはできなかった。
この風景自体異様な光景であるということを、さっきまでそこにいたハズの大輔もブイモンも気づいている。
ムゲンマウンテンの周辺は雪が積もっている寒冷地帯であり、雪合戦の記憶が新しいものの、その地帯はとっくの昔に通過したはずだ。
なぜならレオモンとオーガモンの奇襲を受けた際に、そちらの方向へ戻るはずの山道を切り崩されてしまったため、
残されていたムゲンマウンテンの反対側に降りていくルートしか行くところがなかったのである。
ムゲンマウンテンの麓ながら、気候の関係か森が一面に広がるその地帯は、密林が育つほどの熱帯ではないものの、
サマーキャンプに参加していたメンバーの夏服でも十分過ごしやすい、春ような穏やかな気候に恵まれた地帯だった。
もちろん大輔も半袖であり、ジャケットを着ているとはいえ薄着であることにはかわりなく、
すっかり油断していた大輔は、突然春を通り越して訪れた冬の猛攻の前に為す術がなかった。
一見すれば、この洋館はムゲンマウンテンの近くの森にあるという現実をすっかり忘れ去ってしまっていた、大輔達の敗北である。
季節の変わり目ならば、春と冬を行ったり来たりはよくあることだ。
この島で1番ともいえる高い標高を誇る山がそびえているならば尚更のこと。
この世界に天気予報があるのかどうかは不明だが、季節の変わり目の高山地帯の的中率は絶望的なまでに低いに違いない。
それにしたって、ついさっきまでいたはずの春の気候があっという間に冬に塗りつぶされてしまった不可解さは明瞭だ。
もちろん寒い環境に適応しているわけではないブイモンも音をあげて、突然閉まったホラー映画の冒頭によくあるお決まりの展開に
びくびく、ドキドキしていたことなんてあっという間に忘れてしまい、一人と一匹は力を合わせて再びドアを閉めることにした。
びゅうびゅう吹いてくる木枯らしと猛吹雪のせいで、扉はぴったりと洋館の壁に張り付いて、なかなか動こうとしてくれない。
すっかりかじかんでしまった指先は感覚が無くなってしまったのか、なかなか力が入らない。
せーの、とありったけの力を込めて扉と悪戦苦闘していた大輔とブイモンは、
すっかり踏み固められてしまった雪が滑りやすくなっていることに気づかない。、
そのまま踏ん張ろうとした足場が滑ってしまったブイモンが、わああ、と悲鳴をあげる。
ブイモンの悲鳴に引きずられる形で、がくっと体勢を崩した大輔は、
そのまま揃って雪が降り積もっていく後ろへと豪快に尻餅をつく事になってしまった。
まるで綿毛のように真っ白な雪が舞い上がった。ふわふわの雪はすっ転んだ一人と一匹の音すら吸収してしまう。
どさりなんて音すらしない。しんしんと降り続いている雪が、やがては起き上がった双方にどんどん積もっていく。
つめてええ!と飛び上がった大輔は、あわてて体にくっついた雪を払いのける。
ぶるぶるとシャワーを浴びた猫みたいに雪を払ったブイモンも、がたがたと体を震わせた。
振り返れば大輔とブイモンの形をしたヘコミが出来上がっている。
なんとなく顔を見合わせた大輔とブイモンは、なんだかおかしくなって笑ってしまったのだった。
ひとしきり笑っていた大輔に、ブイモンが何かに気付いた様子で、ねえねえ大輔と袖を引ってくる。
どした、ブイモンと返事した大輔に、ブイモンが指し示すのは森のほう。
降り積もる大雪の重さに耐えられず、どさりと雪を落としたせいでどんどん埋まっていく森の一本の大木だ。
モミの木によく似ている針葉樹林である。


「あれ見てよ大輔。なんか変じゃない?」

「あー?どこが。別にどこもへんじゃ………あれ?」


ないだろ、と言いかけた言葉が、大木が再び枝の雪を落としたことで
現れた幹を目にしたとたん、あっという間に飲み込まれてしまう。
大輔とブイモンは目撃したのだ。
その大木には、鋭くて大きな大きな爪の跡が残されていることに、気づいてしまったのだ。
まるで有り余る力とその存在を誇示するかのように、深く深くえぐり取られた樹の幹は、5つくらい傷を付けられていた。
大輔とブイモンは顔を見合わせた。お互いに体が硬直している。
いやでも想像ができてしまう。顔がひきつっていく。
再びその大木を見た大輔は、周囲を見渡したときに比べてみると、
その場所あたりが何故か不自然なまでに木の本数が少ないことに気づく。
まさかまさかもしかして、まじで?大木に残された大きな爪の跡で1番高いところは、
大輔よりもずっとずっと高いところにある。
大輔は顔面蒼白で背筋が凍る。悪寒のせいか、冷や汗すらうかんでいた。
白い息を吐きながら、大輔はブイモンに問いかけた。


「あれ、爪の跡だよな。あんなところにまで届くってことは、そうとうでっかいよな」

「うん」

「あんなでっけえ傷をつけられるってことは、そうとうつえーよな」

「うん」

「木が倒されてるってことは、そうとうきょうぼーだよな」

「うん」

「ち、近くにいるって事だよな?!」

「うん」

「ウン以外にもなんかいえよっ、いってくれよ頼むから怖いだろ!
つーかブイモンしっかりしろってば、お前が俺のこと守ってくれるんじゃないのかよ!?」

「ダイジョブダヨダイスケオレガマモルカラ」

「おおおいっ!棒読み、すっげー棒読みになってんぞブイモン!帰って来いってば!」


がくがくと必死で揺さぶりながら大音量で名前を読んだ大輔のおかげか、
ようやく我に返ったブイモンが遠い目から帰還する。
前途多難なこれからに凄まじい不安を覚えながら、
大輔はとりあえずブイモンと共にこの大きな扉を閉める作業を再開することにした。
頭のてっぺんから足の爪先まで、すっかり凍えてしまった大輔とブイモンは、真っ先に暖炉の前に直行した。
毛布なんて無いから、ぎりぎりの所まで暖炉の前に近づいて、手をこすりあわせながら暖を取る。
やがて温かくなってくると、すっかり霜焼けになってしまった手がかゆいとブイモンが言い始めるが、
ガマンしろと大輔はその掻き毟ろうとする手をとって諌めた。
そして、今、大輔とブイモンが置かれているこの状況を整理するべく、
なけなしの頭をフル回転させて、いろいろと話し合ってみる。
この洋館には、どうやら太一達はいないらしい。
どこにいったかは全く分からないし、なんで大輔たちだけ取り残されているのかも不明だ。
外は豪雪、猛吹雪、もはや方角すらわからないほどの積雪、一面銀世界。
とてもではないが外に出てあちこち捜し回るのは自殺行為である。
迷子になって凍えて死んでしまう、崖に落ちてしまうかもしれない、
ブイモンと大輔が離れてしまうかも知れない、と
思いつく限りのことを連想ゲーム式に言い合っていたら、
とんでもないことになったのでその方向は却下となった。
しかも大輔よりもずっとずっと大きい凶暴で凶悪で、大きな爪を持ったデジモンが近くにいるかも知れないのだ。
ブイモンは未だに進化することができないので、大輔とブイモンはもしそのデジモンと出会ってしまったら逃げるしか無い。
でも、一面銀世界では、ろくに走ることもできないだろう。
足を取られて転んでしまうだろうし、こうも寒くては満足に動けない。
絶対に100パーセント逃げられるかといえば、断じて否である。
せめてこの吹雪でも止んでくれないとろくに外にも出られない。
結論として到達したのは、この洋館から出られない、というどうしようもない現実である。なにせもうすっかり外は夜だ。
夜は夜行性の大型デジモンが活動を積極的にするから、行動の原則は基本的に太陽が登っている間だけであるということを、
先陣を歩き続けているリーダー陣の話し合いを盗み聞いていた大輔は覚えている。
早く太一達が大輔とブイモンがいないことに気づいて、見つけてくれるといいな、
という希望的な観測を胸に抱きながら、これからどうしよう?という話題に緩やかに移っていく。
大輔は立ち上がった。その瞳はこの洋館に対する興味津々な様子に溢れており、うずうずとしていた。
今まで見たこともない装飾品や骨董品、高級感ある家具などが溢れかえっている屋敷。
好奇心を抑えることなんてできっこなかった。


「探検しようぜ、ブイモン。太一さん達を探さなくっちゃ」


さらりと建前のように付け足された重要事項だが、どっちに優先事項があるのかはもはや言うまでもない。
太一達が大輔たちに内緒で、集団かくれんぼとドッキリを仕掛けているわけがないと知っていながら、
大輔は笑いながら口走った。
もしここに善良な第三者がいたならば、きっと律儀にツッコミを入れたり、
大輔の失言を咎めたりしてくれただろうが、残念ながらここにいるのは、
大輔至上主義のブイモンだけである。
どっちかというと天然が入っている彼にツッコミは無理だ。
むしろ大輔のほうがツッコミ役だが、今回はもう探検という言葉に反応して目をキラキラさせている一人と一匹に期待するのは無理である。


「さんせー!」

「あ、でもカーテン閉めようぜ!」


即決したコンビの行動は早かった。大きな大きなステンドグラスが眩しい窓の向こうはすっかり真っ暗である。
夜であるということで、怪奇現象を連鎖的に思い出したくない大輔とブイモンは、
悪戦苦闘しながら真っ白なレースが編んであるカーテンをしめた。


「まずは、あっち!」


螺旋階段の下をくぐり抜け、奥へと続いているレッドカーペットの道を選んだ。
まるで追いかけっこのように、かけ出した大輔をブイモンが追いかける。
ばたばたとレッドカーペットを走り抜けた大輔達は、ノックなんてするワケもなく、ばーんと乱暴に扉を開いた。
カギがかかっていなければ片っ端から開けて回る。
そして最初から最後まですべてのドアを開けっ放しにするという、大輔達だけしかいないからこその行動を起こした。
そこは全部でひとつの部屋だったのだ。どうやらとっても広い食堂のようである。シックな絨毯がひかれていた。
お金持ちの食卓という連想をそのまま体現したかのように、ながーいテーブルが中心に置かれていて、
真っ白なテーブルクロスが置かれていて、テーブルと同じ色をした椅子が全部で10つ置かれていた。
奥のほうにはキッチンもあったのだが、そこまでくるとこの部屋にも置いてある暖炉の暖かさは届かないらしく、
ひんやりとした空気を機敏に感じ取った大輔達はそこから逃げ出した。もちろん扉は開けっ放しである。
残念ながら広い広いキッチンには食べ物一つ置いてあらず、わくわくしていた大輔たちを大いに落胆させた。
冷蔵庫も棚も食器棚の上から下まで全部確かめたのだが、何も出てこなかったのである。



続いて大輔達は早速螺旋階段を駆け上がって、たくさんある吹き抜けから一望できるドアというドアを片っ端から開けていくことにした。
取材や編集の仕事に追われるたびに、ホテルや出版社に缶詰にされる父親が何度も母親にねだっては撃沈している書斎があった。
一ページ開いたら眠くなってしまいそうな分厚い海外の本が沢山入っている本棚の並んでいる書庫があった。
ソファがたくさん並んでいるのは、恐らく談話室である。そして念願のお風呂があった。それもとびっきり広いのが。
そしてトイレ休憩の後、最後に1番大きな部屋に飛び込んだ大輔とブイモンは、
そこに10つのふかふかなベッドが並べられているのを見た。
思わず触ってみたところ、真っ白なシーツや温かそうな毛布、クッションがあり、
旅行で泊まったときのベッドのように、なんだかものすごく綺麗で、シーツはぱりっとしていた。
なんだかテンションが上がってきていた大輔とブイモンは、ここで太一達を待っているのもいいかも知れないと思い始めていた。
そして、気の赴くまま走りまわり、はしゃぎまわっていた大輔とブイモンは、ようやく屋敷の大捜索が終了し、
なんだか名残惜しさすら感じながら、ふたたび螺旋階段のもとに戻っていった。
すっかり気分が高揚しているせいか、会話も弾む。そしてようやく晩ご飯がまだであるということに、気付いたのだった。
ぐーとそろって鳴いたのは腹の虫である。それすらもおかしくて、顔を付き合わせて笑った。
長い長い階段をグリコしながら降りていった大輔とブイモンは、これから晩ご飯はどうしようかと考え始める。
そしてふと、顔を上げた大輔は、吹き抜けの中でひとつだけ閉じられたままの部屋があることに気付いた。
おかしいな、片っ端から開けたのに。どうやら階段から見て死角になってしまうようなところにあるらしいその部屋である。
ずーっと開けっ放しのドアが並んでいるのに、そこだけ閉じられたままなのは気に食わない。
お腹すいたとうるさいブイモンを引っ張って、大輔は再び螺旋階段を駆け上がった。
その部屋は、2階の通路をずっと進んでいくだけでは辿りつけないような場所にあった。まるで隠し部屋である。
それだけでもちょっとドキドキするのだが、まるで隠れ家のように他の扉と比べて、一回り小さいのだ。
これは屋根裏部屋的な何か、秘密基地的な何かだろうか、と発想が膨らんでいく。
想像力を掻き立てられるようなものに強烈な魅力を感じるお年ごろの大輔と、
すっかり大輔が話すロマン講座に感化されたブイモンは、
お互いに顔を見合わせて、ドキドキしながらドアノブを回した。
真っ暗である。大輔とブイモンは顔を見合わせた。
すべての部屋は明かりがついているのに、どういうわけかこの部屋だけ真っ暗だ。
どうやら電気が付いていないようである。手探りであたりをさぐった大輔は、スイッチを入れてみた。
ぱちりという音がして、部屋が明るくなる。
他の部屋よりもずっと小さな空間であるにもかかわらず、その全景をみた大輔は思わず入るのに躊躇した。
今まで我が物顔で部屋に突入し、片っ端からあたりを物色しまくっていた不届き者とは思えない豹変ぶりである。
大輔の豹変に疑問符を浮かべたブイモンは、慌ててこの部屋から逃げ出そうとする大輔の横から部屋を覗き込んだ。
そして、納得した。あわあわとして狼狽しまくっている大輔は、心なし顔が赤い。明らかに照れや恥ずかしさが混じっている。
そりゃそうである。人間の部屋なんて見たことがないブイモンだって、
大輔が後ろめたさを感じてしまい、逃げ出すように出て行った理由がわかる。
パステルカラーで統一された暖かな印象の部屋は、きっと大輔が見たことのないものばかりで埋め尽くされているのだ。
ふわふわで、かわいくて、きれいなものがたくさんおいてあるこの部屋は、明らかに大輔とブイモンにとって場違いだ。
これはきっとミミの方がよく似合う。そう、女の子の部屋だった。


「そこにいるのは、だあれ?」


こんなタイミングで、いきなり後ろから女の子の声がしたのである。ぴしり、と大輔とブイモンは凍りついた。
えーっ、という声が両者の心のなかでつぶやかれる。
片っ端からドアというドアを開けまくっていたにもかかわらず、
人間もデジモンも誰もいなかったものだから、てっきり大輔達は自分たちだけしかいないのだと思い込んでいた。
しかし、あわてて振り返った大輔とブイモンの前には、いつの間にか女の子が立っていたのである。
やばいやばいやばい、と焦る。間違いなくこの部屋はこの女の子の部屋である。
つまり、この広すぎる屋敷はこの女の子のものに違いない、と大輔達は判断した。
あきらかに大輔達の方がまずい立場に置かれていた。


「あ、あの」

「あなたね、たくさんのどあ、あけていったの」

「ご、ごめんなさい……」

「ううん、いいの。さがしものはみつかった?」


女の子は微笑んでいる。大輔とブイモンは顔を見合わせた。
てっきり怒られると思っていたのだが、どうやら女の子はそんな様子は見られない。
ほっとした様子で胸をなでおろした大輔は、あはは、と
ごまかすように笑いながら頭の後ろで手を組んで頭に乗っけた。
ブイモンも曖昧模糊のまま笑う。
しかし、なにか気になることでもあったのか、じいっと女の子の方を見つめていたブイ
モンは、おもむろに匂いを嗅ぎ始めた。


「え、な、なにするの」

「こら、ブイモン、なにやってんだ、お前!」


戸惑い気味の女の子である。
初対面であるにもかかわらず匂いをかぐというとんでもないことをした変態に天誅を食らわせた大輔は、
ごめんなさい!と頭を下げた。お前もだよ!とぐぐぐっと力を込めてブイモンの頭も下げさせる。
なにやら考え事をしていたブイモンは、きのせいかなあ、とつぶやいて、女の子を見上げた。


「オレの勘違いみたい。ごめんね」

「……ええ」


かなり引いている様子の女の子である。大輔は頭が痛くなった。
お前変態だったのか、とボソリとつぶやいた大輔に、違うよーっとあわててブイモンは弁解するが全然説得力がない。
ため息を付いた大輔は、ふと、女の子を見た。そして気付いた。
てっきり外国人の女の子かと思っていたが、普通に言葉が通じているのである。
日本語がものすごく上手なのか、それともタケルやヤマトのように外国人のような日本人なのか大輔にはわからないが、
言葉が通じなかったらどうしようという戸惑いと困惑が最初の緊張に拍車をかけていたので、落ち着いてみるといろいろ気づく。
ブイモンとのやりとりを見て、首をかしげている女の子の声をどこかで聞いたことがあるきがしたのだ.
間違いなく、大輔はこの女の子のことを知っているのだ。
もしかして、と大輔は女の子に話しかけようとしたが、先に女の子の方から遮られてしまった。


「きてくれたの?」

「え?」

「わたしのこえをきいて、きてくれたの?」


大輔、もしかして、とブイモンが見上げてくる。大輔は女の子に聞いてみた。


「オレを呼んでたのって、もしかして、」

「わあ、うれしい!ほんとにきてくれたんだ、ありがとう!」

「おわっ」


花咲くように笑った女の子は、軽快に走りよってくるなり、あまりの至近距離にどぎまぎしている大輔のことなんかお構いなしで、
その手をつかんだ。そして両手で握りしめて、真っ直ぐ見つめてきたのである。


「あなたのおなまえおしえて?すきなものはなあに?おたんじょうびはいつ?けつえきがたは?わたしにぜんぶおしえて?」


積極的な女の子に迫られた経験など、健全な小学校2年生の男子である大輔にあるわけもなく、うえ、とか、あの、とか
戸惑いっぱなしで二の句が継げない大輔をよそに、はーやーく、と女の子は笑ったのだった。
ちょーっとまった!と間に入ってくるのはブイモンである。ずっとほっとかれっぱなしは嫌なのだ。
率直すぎる好意を初対面でいきなりぶつけて来る女の子を、警戒心ばりばりで睨みながら、ブイモンは大輔にくっついてくる。
なにこれ、とモノ扱いする女の子はどうやら機嫌を損ねたようで、ブイモンを睨んでいた。
突如訳の分からない空間に巻き込まれてしまった大輔は、すっかり困り果てて、両者を仲裁するしかなかったのである



[26350] 第二十話 ぼーいみーつがーる
Name: 若州◆e61dab95 ID:5e925926
Date: 2013/08/02 23:58
どんくらいかなー、と暖炉の前であぐらをかきながら、大輔はつぶやいた。
レンガ造りの暖炉では、組み上げられた薪を燃料にこうこうと火が揺らめいている。
そのオレンジ色の火影に照らされて、うっすらと赤みを帯びている大輔は熱心に暖炉の中を覗き込んでいた。
その右手に握られているのは、キッチンから拝借した見るからに高そうな銀色のフォークである。
その先に突き刺さっているのは、先程からふんわりと甘い匂いを漂わせ始めているマシュマロだ。
大輔のリュックの中に、お菓子の一つとして入っていたものである。
サマーキャンプなんてイベントでもなければ、買わないような代物だ。
綿菓子のようにふわふわで柔らかくて甘いだけである。
女の子は好きかもしれないが、すぐに口の中で溶けてしまうためあまり食べた気がしない。
普段だったら、一袋完食する前に飽きが来てしまいギブアップすることは明らかであるため、
オヤツ目的で駄菓子コーナーにやって来た場合は絶対に手を伸ばしたりはしないはずである。
この珍しすぎるラインナップがチョイスされた理由は、
飯ごう炊さんでカレーを食べた後のデザート替わりとして、マシュマロが予定されていたからである。
本来なら母親が子ども会からのお知らせにあった必需品項目を管理する立場として、お米と一緒に持っているべきものであった。
しかし、おやつが欲しいとねだる大輔と共にスーパーで買出しした母親は、
家に帰ってから買い物袋を仕分けしようと考えたまま、すっかり忘れていたのである。
いちいちビニール袋の中を確認するような性格ではない大輔は、そのままリュックの中に放りこんでしまい、今に至るというわけだ。
そして今晩のご飯は何にしようかとリュックの中を漁っていた大輔の目に止まり、引っ張り出されたわけである。
そういえば、ともう5日も前になるサマーキャンプの時に、マシュマロの変わった食べ方があるのだと、
大輔のいたグループのまとめ役の人が熱心に説明していたことを思い出した大輔は、聞きかじったそれを実行しているというわけだ。
ちなみに、1番長いからと用意された銀色のフォークは、直火でマシュマロをとろけさせるための棒としては不向きである。
すっかり熱くなってしまったフォークを持っていられなくなった大輔は、
半分とろけたマシュマロを慌てて隣に用意していたクラッカーに置いた。
もう一本のフォークで何とかマシュマロをとろうとするが、とろけかかっているそれは、まるで水飴のように伸びてしまい、うまくいかない。
四苦八苦しながらようやく蓋をした。マシュマロサンドの完成である。
匂いはとっても美味しそうだが、見た目はあまりに不恰好だ。
フォークを口にくわえた大輔は、まるでべっこう飴のような甘さの塊に驚いた。
ちょっと冷えてしまっただけなのに、もうフォークにくっついていたマシュマロはネトネトになっている。
これは甘すぎる。クラッカー選んでよかった。チョコチップクッキーとか、マーブルチョコのやつとか、ブイモンはラインナップをしていたが、
却下して正解だったとほっとする。もしクッキーに挟んでいたら、とてもではないが大輔は完食する自信はない。絶対に胸焼けする。
そして、このフォークはもう大輔だけしか使えないことに気づいて、あ、しまった、と我に返る。まだフォークあったっけ?
ブイモンだけだったらそんな事気にもとめないだろう、洗い物が増えるのめんどくさいし、でもそういうわけにもいかなくなったのだ。
ふかふかのソファの背もたれから顔を出したまま、ずーっと大輔のなんちゃって料理を眺めていたのは、ブイモンである。
マシュマロサンドの試作品第一号がおかれている皿を見たブイモンが、あまりの完成度の低さに落胆する。


「大輔―、あんまり美味しくなさそうだよ」

「うっせえブイモン。文句言うなら食うなよな。つーか待ってないでお前も手伝えよ!
さっきから腹減った腹減った言ってばっかで、なんにもしてねえじゃねーか、腹減ってんのはオレだって同じだっての。ったく」


お腹が減ってしまって動けないブイモンには、あまりにも酷な台詞である。
えー、オレじっとしてんの無理、苦手だよとブイモンは言い張っている。
マシュマロを焼くというメンドクサイ調理法を実践しようとした大輔に、
お腹が空いたのだから早く食べたいと思っていたブイモンは、ずーっとごねていた。
いいじゃん、そのままでも美味しいよマシュマロ。
それでも暖かいものを食べたいという率直な意見には大いに賛成だったため、今に至るのだ。
かれこれ30分ほど待ちわびている。マシュマロのとろけさせ加減が意外と難しいのである。
真っ黒になったり、とろけすぎてしまったマシュマロがフォークから落ちてしまったり、
とろけすぎてネトネトの物体になってしまったり、完成に手間取ってすっかり冷めてしまい、
マシュマロが堅焼きせんべいのようにカチカチになってしまったりしたのだ。
試行錯誤やった末に、ようやく完成した記念すべき1個である。不恰好だが味は保証する。たぶん。
自分なりに一番ましな力作だと考えていた大輔は、それをボロクソに言われていらっときたらしく、皿を取り上げてしまう。
失言だったと気ついたブイモンがあわてて謝ろうとソファから降りて大輔のところに行くが、もう既に遅し。
マシュマロを一つ一つフォークに刺す作業を淡々とこなしていた女の子が、目を輝かせて大輔にねだっていた。
どうやらこの瞬間を虎視眈々と狙っていたらしく、勝ち誇ったような顔をしてブイモンに微笑みかける女の子は、
ありがと、と笑顔を浮かべてマシュマロサンドを食べてしまった。あー!というブイモンの声が響く。


「オレのマシュマロサンドーっ!大輔、ずるいよ、なんでなっちゃんにあげちゃうんだよ!」

「お前が文句ばっか言うからだろ?てっきりいらないのかと思ったのに」

「いらなくないーっ!オレ、腹減って今にも死にそうなのにーっ!大輔のばかああ」

「あーもー、マシュマロサンド一個でどんだけ泣いてんだよ、お前。さっきから言ってるだろ、自分で作れってば」

「ひどいや、大輔。オレが何したっていうんだよう。あんまりだあ」

「はあー、わかったわかった。すぐ新しいの作ってやるから待ってろよ」

「ホントか、大輔!やっほーい!」


だーもー、メンドクサイ奴だなあ、とわがまま放題のブイモンに大輔は頭をかいた。
くっそー、今度こそ綺麗に作ってやる、と意気込みを新たに大輔は暖炉の前に向かっていった。
わかってない、全然わかってないぞ、大輔!とブイモンは心のなかで叫んでみる。
ブイモンが欲しいのは大輔が作ったマシュマロサンドなのであって、ブイモンが作ったマシュマロサンドではないのだ。
それだけでどれだけブイモンにとって、わざわざずーっと待っているだけの価値が落ちてしまうのか、全然分かっていないパートナーにため息ひとつ。
直接直談判しようかとも考えたのだが、大輔のことである。
はあ?なんだそれ、何が違うんだよと素面で返答されてしまうのは眼に見えている。
隣にライバルが居るにもかかわらず、そんなこと出来るわけがなかった。
一目見た時から気に入らないのだ。こいつは敵だとブイモンの勘が告げている。
パートナーデジモンであるブイモンの地位を脅かしかねない存在であると、大輔の1番を横からかっさらってしまうかもしれない存在だと
一目あった瞬間からブイモンは、なっちゃんと呼んでいる女の子を判断した。
理由なんてさっぱりである。本能が叫んでいるのだから仕方ない。
ずっと何かを見過ごしているような違和感があるのに、
どうしてもそれがわからなくて、もどかしくて、ブイモンはずっとイライラしている。
敵対心をむき出しにしているブイモンに一切怖じけづくことなく、
むしろ対抗意識を燃やしている女の子はずっと大輔の隣を陣取ってマシュマロサンドづくりに励んでいる。




なっちゃんとブイモンと大輔から呼ばれ、自らもなっちゃんと呼ぶことを宣言した女の子は、のれんにうでおし、やなぎにかぜ、
というコトワザを体現したかのように、掴みどころのない、不思議な雰囲気を持っている女の子だった。
彼女は熱心に大輔のことを知りたがった。
本宮大輔という名前、年齢、生年月日、星座、好きなもの、嫌いなもの、などなど好きなこのことなら何でも知りたいという
恋に恋する女の子のような振る舞いで、今まで出会ったことのないタイプの女の子に、きゃらを掴みかねている大輔は、
どう対応していいものかわからず、すっかり戸惑いっぱなしである。完全にペースを飲まれて振り回されていた。
すぐ隣にいるのに完全スルーされて、そっちのけで大輔のことばかりに熱心な彼女が面白くなくて、
パートナーデジモンであるということを強調して自己紹介したブイモンに、彼女は凄まじい落差で対応した。
まるで存在自体に全く気付いていなかったかの如く、今更のように態度を取られたことも衝撃だったのだが、
開口一番に「なにこれ」とモノのような扱われ方をするとは思いもよらなかったブイモンである。
どうやらなっちゃんの中では、明確な優先順位が存在していて、ヒエラルキーの頂点に大輔がいて、
それ以外は全くどうでもいい取るに足らないもの、としてひとまとまりになっているようだ。
さすがに大切なパートナーデジモンを蔑ろにされて不快に思ったらしい大輔が仲裁に入ってくれたおかげで、
最初の頃の露骨すぎる態度はなりを潜めたものの、それはあくまでも大輔が言ったから実行しているに過ぎないのだろうことは、
ブイモンは嫌というほど分かっていた。そしてその心中も理解できてしまう。
自己紹介が済んだ後、大輔達は簡単にではあるがこの世界にやってきた経緯とパートナーデジモンとの出会い、デジヴァイスによる進化、
思いつく限りの出来事と未だ分からない謎、そしてこの世界に迷い込むまでの経緯について包み隠さず話した。
なにせこの世界にきて初めて出会う人間の女の子なのである。
もし、この世界の住人なのだとすれば、この世界についてもいろいろ話が聞きたかったし、太一達と合流することも考えると、
是が非にでも聞きたいと思うことが山ほどありすぎて、どれを取り上げるべきか迷ったほどだった。
しかし、大輔たちが言葉を紡げば紡ぐほど、彼女はどんどん悲しそうな顔をして言葉少なになり、
とうとう最後はうつむいてしまったのである。
自分たちのことばかり話していたせいで彼女が傷ついたのだと気付いた大輔達は、あわてて謝罪したのだが、
そのときぽつりとつぶやかれた言葉が、彼女のすべてを物語っていた。


「わかんない」


大輔とブイモンは顔を見合わせた。
マシンガンのようにぶつけられた無遠慮すぎる質問の数々に、たった一言、
全ての心中を濃縮したような一言は、あまりにも破壊力があった。
律儀にも彼女はその一言ですべての質問に答えたのだ。
自分の名前も、どこからきたのかも、ここがどこなのかも、なにもかもぜんぶ、
彼女を形成している一欠片すら、彼女は覚えていなかった。
彼女はいう。気づいたらあのお部屋にいて、ずっと一人ぼっちで、
寂しくて寂しくてたまらず、ずっと誰か来てくれないかと待ち続けていたのだと。
だから大輔が声を聞いて来てくれたと知った彼女は、ずっと一人ぼっちだったという孤独から解放されて、心の底から嬉しかったらしい。
初対面であるにもかかわらず、全てにおける過程をすべて吹き飛ばして、大輔だけに一直線で好意をぶつけたのも、ひとえにそれが理由だった。
彼女にとって、大輔が自分の声に答えてくれた、そして来てくれた、この洋館における初めてのお客様なのである。
そこまで聞いてしまっては、彼女のとる天真爛漫すぎる積極的なスキンシップに何も言えなくなってしまう。
大輔もブイモンも、この屋敷の置かれている状況が、いかに危険に満ち溢れているか嫌というほど分かりきっていた。
どうやら彼女はデジヴァイスもパートナーデジモンもいない、ほんとうの意味で一人ぼっちで、この世界に迷いこんできたらしい。
大輔が吹雪が止んだら外に出ようと考えられたのも、ブイモンがいて、デジヴァイスがあって、太一達という仲間たちがいるからである。
彼女は何一つ持っていないのだ。無防備な女の子がなにひとつ持たないまま旅をすることができるほど、この世界はやさしくはない。
彼女が今まで屋敷の外に出たことがないという言葉も、なんら不自然なものではない。
むしろ当然であり、今までよくぞ堪えられたと考えてしまう。
窓から大型の凶暴なデジモンが外をばっこしているような光景を見てしまったが最後、同じような状況に置かれたとしたら、
とてもではないが大輔だって楽観的な思考回路で飛び出していけるわけがない。
自然と大輔とブイモンは、ごめんなさいと頭を下げていた。不用意な言葉を口にしてしまった。
今まで彼女が知る必要がなかった、質問したことに何一つ答えられない、向けられる期待に答えられないという
もどかしさや歯がゆさ、羞恥心、プレッシャーというたくさんの負の感情を、知らず知らずのうちに大輔達は提示してしまったのである。
無知であるがゆえの不安や恐怖を教えてしまったことに対する罪悪感がそうさせた。
そう考えたときに、大輔のように彼女の悲痛な叫びが届いたわけではなく、ただくっついてきただけのブイモンは、
彼女にとってはただの付属品でしか無いと思われるのも仕方なかった。
今ではようやくブイモンと呼んでくれるようになったが、無邪気すぎる彼女はやや毒舌過ぎる時があった。
一般的な常識や知識、すべてにおける基盤すら喪失しているせいか、彼女はやや独創的な発想の持ち主である。
できそこないのイルカみたいだとか、ツノの生えた青蛙のようだと形容されたときに
は、
悪気がないと知っていても怒りたくなったブイモンである。
ある意味、生まれたばかりの雛のようにまっさらな彼女は、一見すると異様なほど大輔になついていた。
大輔に名前をつけて欲しいと提案してきたのは、彼女だったのだ。
名前は?と大輔に聞かれたとき、その愛らしい顔をこてんと傾けた彼女は、名前というものを知らなかった。
気付いたときには、すでにこの広すぎる洋館で一人ぼっちだったという彼女である。
当然ながら、自分ですら忘れてしまっている名前の存在など気に止めることなく、今まで生きてきていたらしい。
大輔とブイモンはその話を聞いたとき、あまりにも現実離れしすぎていて、過酷すぎる環境で生きてきた彼女の深刻さを悟った。
名前には言霊が宿るとは言うが、自分以外に誰も存在しない世界においては、きっと言葉はどこまでも無力なのである。
人が人の間で初めて人間となれるように、自分は自分であるという当たり前の意識なんてものは、
比較対象である他者がいなければそもそも成立しないのだ。
人は説明するときにどんどん長くなる形容表現が面倒だから、
名前をいうレッテルを張って会話することからコミュニケーションは始まったというのだから、
彼女が道具の使い方を知っていても名前を知らないのは何一つ不自然なことではないのである。たとえ、それが自分の名前であったとしても。
彼女の理論からすれば、彼女が彼女であるという定義付けをしてくれたのが、記憶を失って生まれて初めて遭遇した他者である大輔であり、
それを教えてくれたのも大輔なのだから、名前をいうレッテルを張るのも大輔がやるべきである、というわけだ。
さっぱり話しについていけない大輔とブイモンは、とりあえず彼女が勝手に呼んでくれればそれを名前扱いすると判断した。
彼女はわくわくしながら見守っていたのだ。これはなかなか責任重大だと思った大輔は、一生懸命考えたがさっぱり浮かばない。
困り果てた大輔は、ずーっとうなっていた。


「だいすけがすきななまえってなあに?」

「好きな名前え?」


それは好きな女の子の名前はなにか、と聞いているに等しい問い掛けである。ミミに問われたときのように返すしか無い。
そしたら、オレは大輔のことなら何だって知っているのだ、と誇示したがる症候群を発病したブイモンが、
いつだったかと同じようなタイミングで爆弾を投下した。


「ジュンだよね?大輔」

「じゅん?」

「そ、そーだけど……」

「じゃあ、わたし、じゅんにする」


彼女からすれば、大輔が好きな名前だったら何でもいいという考えなのだろうが、ジュンという名前を聞いたとき、
真っ先に思い浮かぶ女性がいる大輔は、凄まじい勢いで拒絶反応を示した。
この世界にきてから5日を数え、思い出の中でしか会えないジュンお姉ちゃんが、彼女で塗りつぶされてしまうきがしたのだ。
大切な思い出が全部全部彼女で埋め尽くされてしまう、塗りつぶされてしまう恐怖を覚えた大輔は、
ぶんぶんと大きく首を振って、断固拒否を宣言した。
ジュンお姉ちゃんのことをジュンお姉ちゃんと呼んでいいのは自分だけなのである。
弟の自分だけなのである。
大輔は自分がジュンお姉ちゃん以外を呼ぶための言葉として、一言足りともジュンという言葉を発することは絶対に嫌だった。
いくら可哀想な女の子だからって、これだけは譲れない。


「駄目、それだけはゼッテー駄目!頼むからやめてくれ、他の名前考えるから」

「そう、わかった。だいすけがきめて、わたしのなまえ」


少しだけ不満そうに口を尖らせたものの、素直にこくりと頷いた彼女は、大輔が再び思考の海にだいぶするのを見届けた。
ブイモンはチョコとかクッキーが好きだとか抜かしたが、それではまるで犬や猫に付けるようではないか、と大輔は反論した。
そしたら、ことのほか彼女は乗り気だった。大輔が好きなものだったら何でもいい、というお墨付きを頂いた大輔達は、
少しでも人間らしい名前を考慮に入れながら、好きなモノを連想ゲーム式にぽんぽんと口に出してみた。
しかし、サッカーでは、さっちゃんとなってしまう。
有名な童謡に歌われているさっちゃんは、実は交通事故で死んでしまい、バナナをちょっとしか食べられなかった、
とかいう小学校で流行っていた都市伝説を思い出した大輔は、却下する。いくらなんでも不吉すぎる。
ラーメンでは、あんまり過ぎるだろう。らっちゃんもなんか言いづらいし。
うーんうーん、と考えていた大輔は、ふと外を眺めて、猛吹雪のあまりカーテン越しに窓のきしみが聞こえてくるのを耳にする。
冬より夏のほうが好きだな俺、今寒いし、とこぼれ落ちた言葉を拾い上げたのは、彼女だった。


「だいすけ、なつ、すき?」

「そりゃー、今はスッゲー寒いし、暖かいほうがいいよなあ」

「じゃあ、なつにする」

「え?いいのか?そんなんで決めちゃって」

「うん。なつだから、なっちゃん。なっちゃんてよんで、だいすけ。よろしくね」


すっかりお気に召したらしいなっちゃんは、鈴を転がしたような声で名前を紡いだ。
それはそれは嬉しそうなほほえみをたたえている。
なっちゃんは、どう見ても外国人としか思えないような容姿に恵まれているし、服装だって女の子をしているといった感じの様相だ。
どこをどう見ても、日本人の女の子にありがちなニックネームが似合うとは到底言いがたいし、とってもミスマッチであると大輔は分かっている。
せめて外国人っぽい名前のほうがいい気がしたのだ。夏、なんていまどきの女の子がもっている名前とはあまりにも程遠い気がする。
昔の時代劇なんかで出てくる、名前の前に、おをつけるのが普通だったような、
すっごく昔の女の子だったら普通なのかも知れないけれども、だってほら、お夏とかなんかいそうだ。
絶対に彼女が持っているであろう名前とはかけ離れていることは明瞭だった。
本当にいいのかと大輔は心配になって聞いたのだが、どこまでも素直ななっちゃんは、
大輔に名前をもらえたことにすっかり舞い上がっていて、大輔の考えていることなんて
全然気にしていない様子だった。
まあ、いっか。記憶を取り戻すまでの一時的な名前なんだし、これがほんとうの名前になるんじゃないんだし、
きっとなっちゃんだって名前を思い出したら、本当の名前のほうがいいだろうから、なっちゃんなんて忘れてしまうだろう。
こうして、ぼーん、と柱時計が時間を知らせてくれた頃には、とっぷりと日が暮れて、夕ごはんの時間と相成ったわけである。
どういうわけかブイモンとずっと仲が悪いらしいなっちゃんである。ちょっとくらい仲良くしてもいいのに、と大輔は思ったのだった。
なっちゃんが大輔にぴったりくっつこうとしているのは、きっと恋愛感情とかそういったものではないと大輔は判断している。
生まれたばかりの雛鳥のように、他に頼る人がいないだけだろう。
こうやるしか方法を知らないのだろう、若しくは探しているのだろう。
時々、これで大丈夫だろうか、という様子を伺うような不自然な問いをなっちゃんはする。大丈夫だと返すと笑うのだ。
態度とか距離とかいろいろわからないから、なっちゃんなりに頑張っているのだろう。
今まで一人ぼっちで過ごしてきた女の子が、フォークの名前すら疑問符だった女の子
が、
記憶を無くして初めてであったのが、たまたま大輔だっただけで、だから頼りにしているだけなのだろう、と思っている。
だから、なっちゃんが積極的なまでに一直線に好意を示しているのは、素直にうれしいし、ありがたいけれども、
それにどうやって返したらいいのか大輔は未だに分からないでいる。
だって、なっちゃんは知らないだろうけれども、女の子にあんまり興味がない大輔だって、
その思わせぶりな態度とか、言葉とか、動作とか、あからさまに迫られてしまったらいくら何でも無関心ではいられない。
思わずドキドキしてしまうような、結構かわいい女の子なのである。
今だって結構、顔が赤いのをごまかしている部分はある。大輔は照れ屋な少年である。
クラスメイトの女子でよく話すのは、自己主張の強い気の強いグループのリーダー格とか、男女関係なく友好関係を結べる子位だ。
あとはジュンとか空とかミヤコとか、いずれも年下の大輔に対して、年上振りたかったり、先輩だったり、上下関係を強いたりと
わりと大輔よりも上からの立場で、もしくは対等な立場でやりあうような感じの人たちばかりである。
気の強い女性と縁のあるため、そういった女性ならある程度余裕を持てる大輔だったが、
その真逆とも言えるタイプはあらゆる意味で困難なことばかりだ。
どうしていいのかわからない。女の子は未知の世界なのである。
それをごまかすために、ついついブイモンを緩和剤にしたくて、巻き込みたくて意地悪してしまう。
はあ、と小さく大輔はため息を付いた。
いつの間にか、マシュマロサンドは、大輔の分だけしか残っていなかった。


「………どうしたんだよ、なっちゃん。オレになんかついてる?」


じいっと大輔の顔を見つめていたなっちゃんの視線に気付いた大輔はごしごしって
頬のあたりを乱暴にこすってみた。すすや埃で汚れてしまうのは仕方ないのだ。
ううんってなっちゃんは笑った。オレンジ色の灯が大輔やなっちゃんを照らしている。
なっちゃんは大輔の隣に腰を下ろす。女の子が座らないような座り方なので、
スカートが翻り、思わず大輔は視線を前にずらした。たぶん大輔の座り方を真似している。


「ほんのすこしだけ、思い出した気がするの」

「なにを?」

「ずっとずっとまえにね、こうやってだれかと一緒にご飯を食べてた気がする。
 お話してた気がするの。笑ってた気がするの。
思い出せないけど、とっても大切だった。ぽかぽかするの、思い出すと」

「そっかあ、よかった。ゆっくり思い出してやれよ、なっちゃん」

「うん。ねえ、大輔」

「ん?」

「私が思い出すまで、思い出せるまで、一緒にいてくれる?」

「オレもブイモンも一緒にいるからさ、心配スンナって。大丈夫だよ」


オレも、といった時にはとっても嬉しそうに笑ってくれたのに、
ブイモンもと続けるとちょっとだけ不機嫌そうに頬を膨らませて拗ねてしまう。
ちょっぴり不満は残るようだが、大輔の答えに安心したのかなっちゃんは
ありがとう、大輔って見たこともないような顔で微笑んだ。
笑っているのに泣いている。どこかおぼろげで、寂しそうになっちゃんは笑った。
なっちゃんって思わず声を掛けてしまった大輔は、なに?て疑問符を飛ばす少女に
後が続けられず詰まってしまう。
えーっと、えーっと、と言葉を捜した大輔は、リュックをがさごそと探り始める。
あれじゃない、これじゃないって中身をひっくり返す大輔はようやくお目当てのものを探り当てた。


「今度はこれ食べようぜ、デジリンゴ。ちょっと腐ってるけど。
 すっぱくてあんまおいしくないけどさ、マシュマロならまだあるし、焼いちゃったら大丈夫だよな」

「大輔のリュックってなんでも入ってるね。なんだか魔法のカバンみたい」

「大輔、ずるいよ!なんでなっちゃんと内緒話なんて楽しそうなことしてるんだよ。
 オレも混ぜてくれよな!オレも食べたい、焼きデジリンゴ!なあなあ、今度はどうやって作るんだ?」

「ブイモンも手伝えよ!」

「えー、やだ」


なっちゃんと大輔にほっとかされっぱなしのブイモンは、無理やり二人の間に割って入ったのだった。



[26350] 第二十一話 そして、想いは進化する
Name: 若州◆e61dab95 ID:69dba68d
Date: 2013/08/02 23:58
想いは消えないよ
想いは残るよ
想いはいろんなコトを起こすよ
いいことも
悪いことも




















大輔が生まれたとき、既にお台場小学校一年生だったジュンは、大輔が物心ついた頃には既に自分の部屋を持っていた。
このころ、両親と共に寝ていた大輔は、もちろん自分だけの部屋なんてない。自分だけの部屋を持っている姉が羨ましくてたまらない。
自分だけの勉強机やベッド、洋服ダンス、といったあらゆる自分だけの所有物を持っているのが、ずるいと思ってやまなかった。
だから、自分の部屋があるにもかかわらず、あくまでも生活の基盤は両親の部屋であり、自分の部屋は自分のものを置いておく物置部屋として
姉が使っているのかさっぱりわからなかった。
大輔がちょっとした好奇心で入ってきたときには、女の子の部屋に入るのは最低だ、と顔を真赤にして怒るくせに、
大輔と同じく両親の部屋で一緒に寝ているのか全然理解できなかったし、父親と母親の間という特等席をいつも独占する姉が許せなかった。
小学校に入学したといっても、まだまだ甘えたいさかりの時期に生まれたばかりの弟に両親の愛情と注目、感心というあらゆる特権を奪われ、
自分よりずっとずっと腕白で元気で活発な男の子である弟が、しょっちゅう何かしらの問題を起こしたり、ケガをしたりしては、
両親の手をかけさせることで構われている、守られているのが、
お姉ちゃんであるという理由だけで不平不満を封殺されるジュンの心境などわかるわけもない、
ジュンの寂しい、構って欲しい、大輔だけの両親ではないのだから自分のことを見て欲しい、
頑張ってるんだからこっち見て!という無言の抵抗である。
もちろん両親も大輔に掛かり切りで孤独を感じて子供返りしている、小学校高学年の女の子の心中を理解しないワケもなく、
何にも言わずにみんなで川の字になって眠っていたし、なるべく両方の学校行事には積極的に参加するようにしてバランスをとる。
しかし、なんとか姉弟に対する愛情を公平にしようと頑張る両親ではあるが、大輔がサッカークラブに入ったことで、
もともとシーソーを平行にするくらい難しかったバランスは、あっという間に崩壊してしまう。
忙しさの前にはいずれの微笑ましい要望などいつでも無力である。
スポーツドリンクやタオル、クラブユニフォームなど毎日準備しなくてはいけないし、大会やイベントが入ろうものなら両親同伴が原則である以上、
お弁当にも車の送迎にも力が入り、大輔がサッカーを頑張れば頑張るほど比例して両親の負担も跳ね上がっていく。
そのしわ寄せを被るのは、いつだって中学校に進学して、すっかり大人扱いされるようになったジュンである。
その頃から、もともと言い争いや喧嘩が絶えなかった大輔とジュンの間では、姉弟同士の激しい衝突は日常茶飯事となった。
もちろんジュンにはジュンの言い分、大輔には大輔の言い分があるのだが、お互いに意地っ張りであり素直ではないという同属嫌悪が拍車を掛けて、
それに加えてジュンが思春期でアイデンティティの確立に葛藤する難しいお年ごろに突入したがための新たな問題も噴出し、
もはやこじれにこじれてどうしようもないモノになっていた。
アンタは弟だから姉であるアタシの言うことは聞くべきなのだ、という横暴すぎるジャイアニズムにずっと屈服し続けて8年になるが、
そういった不平不満は口喧嘩でも殴る蹴るの大げんかでも、ずっと体格の大きい姉に叶うわけもなく、6歳の開きは未だに超えられない。
そういう時は最終手段として両親を召喚するという奥の手を使う大輔は、姉がお姉ちゃんなんだから、と叱られるのを怒られるのも見て笑うたびに、
大輔も男の子なのだから泣いてはいけない、と強くなくちゃダメだ、と諭されてしょぼくれたりする。
両親の目を盗んでやってくる姉の報復も恐れなければならず、本宮家は大輔にとってもジュンにとっても毎日が戦争のようなものだった。



それがある日、とうとう大爆発を起こすことになるのだが、それがまさにゴールデンウイークに差し掛かったころである。
大輔はお下がりが嫌いだった。同性でないため、ジュンが使っていた体操服や運動靴といったありとあらゆるモノを共通で使い回す、という
最悪の事態はまぬがれたのだが、習字セットや絵の具セット、リコーダーなど男女差が明確でないものは両親から使うよう言い渡されていたのだ。
自分のものであるはずのものには、本宮ジュンという名前が書いてあり、それをいちいち黒いペンで塗りつぶして使っていた。
みんなピカピカの新品を使っているのに、自分だけ使い古されたものである。それが大輔には耐えられなかったのだ。
ジュンの使い方が丁寧だったため、わりと綺麗なままだったのは幸いだが、扱いがぞんざいで乱暴な大輔は、しょっちゅうものをなくす。
新しいものを買って欲しくてつい、そういう扱い方をしてしまうのだが、ジュンからすればかつて自分のものだったものを
適当にいい加減に扱われて、どんどん汚くなっていく文具をみるのが耐えられない。そこでまた喧嘩の火種がちっていく。
そして、極めつけが、小学校に進学したにもかかわらず一人部屋がもらえないということだった。
お台場の高層マンションに住んでいるというお家事情により、本宮家では自由に増改築することができない。
それにジュンと違って、自分で片付けをしたり身の回りのことをきちんとすることができず、
なにかと両親の手を借りてやっていた大輔にはまだ早いだろうという両親の判断である。
さんざんごねる大輔に、自分でちゃんと机に向かって勉強するという約束をしっかりと取り付けた両親は、勉強机だけは買ってくれると約束した。
今までリビングで宿題をやっていた大輔は大喜びだったが、今度は置き場所の問題が出てくる。
普通ならば二段ベッドを購入していたジュンの部屋に大輔の机を置いて、共同で使用してもらうのが望ましかったのだが、
当然ながら、ジュンと大輔双方からの大ブーイングが起こったのである。
ジュンからすれば、もう中学校1年生である。ずっと一人部屋だったのに、なんで大輔と一緒の部屋になるのかと怒るのも無理はない。
PHSでお友達と内緒話したり、好きなアイドルのことで盛り上がるのが大好きなのに、プライベートもクソも無くなる上に、
中学校に上がってから生活の基盤を緩やかに一人部屋に移し、着替えや就寝をこちらに置きつつあった乙女からすれば、たまったものではない。
大好きなアイドル歌手のポスターや女の子らしい雑貨品で溢れていた自分の城である。男子禁制、不可侵領域だ。
中学校に上がったことでアップしたお小遣いと広くなった活動範囲を利用して、もっともっと部屋を充実させる予定だった。
大輔にあげるようなスペースなんて、一畳も無いのである。
大輔だって願い下げだった。ジュンが一人部屋を持っているのに、なんで自分だけ駄目なのかと納得行かない。
両親と共同で使っている部屋にあるサッカー選手のポスターとか、ゲームとか、スペースを制限されて飾れないおもちゃだってたくさんある。
友達を家に呼びたいと考えていたのに、お姉ちゃんと同じ部屋なんて恥ずかしいから嫌だ、と否定した。それはジュンも同じだ。
その結果、収納スペースと化していたもうひとつの子供部屋を片付けて使うことになったのだが、
その準備には結構な時間がかかるということで、しばらくの間ジュンと大輔は不本意ながら共同の部屋を使うハメになってしまったのだった。
具体的にはゴールデンウイークの間であるその一週間は、大輔にとって生まれてから一番最悪な一週間だったと記憶している。
机の前にすわって勉強を終えてから遊びにいくという約束を守るべく、四苦八苦して大っきらいな勉強を費やしていた大輔だが、
なにかとジュンがちょっかいを掛けてくるのである。集中できるわけがない。
CDを流したり、問題が分からない大輔をからかいはしても、自分で考えろといってヒン
トばかりで答えを教えてくれないし。
それに着替えだとかお出かけの準備だとか何かと理由をつけて大輔をランドセルごと追い出すのである。
一人部屋になったら自分一人で寝るのだ、と一人部屋にすることに難色を示していた両親を納得させるため、意地を張った大輔は、
二段ベットで寝ることになったのだが、妨害がまたひどかった。
上で寝てもいいとかたまに優しいことを言うのかと思えば、マットレスを下から蹴り上げてくるいたずらを仕掛けてくる。
結局二段ベッドは下だ。しかも宿題や勉強が大変なのか、ずっと夜遅くまで勉強机に向かっているせいで、
眠たいにもかかわらず電気が眩しくて寝られない。音楽が漏れてて眠れない。電話がうるさくて眠れない。3重苦である。
文句を言っても、両親と寝ればいいだけだろう、と言われてしまう。無茶苦茶である。1週間一人で眠れたらが一人部屋をもらえる条件なのに。
結局、念願の一人部屋が手に入るまでは、すっかり寝不足になってしまった大輔は、その期間に行われた交流試合で散々な結果を出してしまうし、
ミスしてコーチに怒られるし、家でのことをチームメイトに愚痴れば、いつも嫌いだと言っているお姉ちゃんと一緒の部屋で寝ているという
あべこべさを機敏に感じ取られてしまい、からかいいじり倒される。もう思い出したくもない出来事である。
そういうわけで、その時期から今に至るまで、男の子がたとえ家族であろうとも女の子の部屋に勝手に入るのは許されないことであり、
なにがあっても文句をいってはいけないのだという無茶苦茶な暴論を問答無用で受け入れてきた大輔にとっては、女の子の部屋は嫌な思いでしか無い。
それに第二次性徴を遂げつつあるジュンは、どんどん女の子から女性という大輔にとって異性に変わっていく。
大輔のことなんて男として微塵も意識していないジュンは、私生活に置いてもなにかと大輔を下っ端としてこき使うが、
大輔が下着姿でうろうろしたり、みっともない恰好で寝てたりしても、邪魔だとぞんざいに扱うだけである。
それなのに、恥らいを覚え始めてからはちゃんと自分でいろいろするようになったし、
以前みたいにタオルを忘れたから取って来いとか言われても、ちょっと扉を空けるだけ
で姿を現さなくなった。
姉の変化は、もちろん弟にも変化を及ぼしていく。大輔が早過ぎる思春期を迎えているのは、間違いなく姉の影響が色濃い。
戸惑いや動揺、恥ずかしさや照れというものを経験した大輔は、女の子と男の子が別の生き物であると知った。
女の子から女性になっていく過程で、興味をもつジャンルもだんだん大人びていくジュンの持っているものは、
大輔にとって全てが未知の世界だったことも手伝って、訳のわからないもの、こわいもの、とされていく。
なんだこれ、のオンパレードだ。ジャイアンだって映画ではイイヤツになるのに、大輔は姉がイイ姉になることを一度も見たことがない。
だって、大輔がジュンに貸してくれと申し出ても文句を言われて怒られるのに、ジュンが勝手に大輔のものを持って行っても、
姉の権限でなかなか返してくれないのである。ヒドイ話だ。
それに、お姉ちゃんと一緒に寝ることは恥ずかしいことなのだ、とすっかりチームメイトとの喧嘩で刷り込まれてしまった大輔は、
女の子と一緒に寝ることは恥ずかしいことなのだと、まだ小学校2年生であるにも関わらず悟りきってしまっている。
空やミミが雑魚寝をするときに距離を置いていたことに何の疑問も抱かなかったし、
一緒に寝て欲しいとお願いするのは太一達男の子組にのみ向けられていたのがその証
だ。
そんな大輔が、同じ年くらいの女の子であるなっちゃんから、一緒に寝ようなんて言われたら、当然断るに決まっていた。


「どうして?どうしてわたしがだいすけといっしょにねちゃだめなの?ぶいもんはいいのに」


むう、と頬をふくらませる愛らしい女の子に、大輔はにのべもなく、取り付く島も与えずに駄目だって!と強硬に反対した。
なっちゃんは、大輔の予想を大きく上回る形で、ずーっと一緒に居たがるのである。ぴったりくっついて離れようとしない。
それはもう、一瞬だって離れたくないのだとはっきりと宣言したから知っている。ブイモンも大輔もすっかりタジタジだ。
この屋敷には大きなお風呂があったが、男女にはっきりと分かれていて、大きく女性マークと男性マークののれんがあるのに、
記憶喪失の彼女はそもそもその区別の意味がよくわかっていないらしく、説き伏せるのに苦労した。
そして本日二度目の押し問答タイムを迎えていた。
大輔にはよくわからない。なっちゃんには、なっちゃんの部屋があり、ぬいぐるみとくっしょんに覆われた女の子のベッドがあるのに。
大輔とブイモンは、この屋敷の探検で見つけた客間用のベッドルームを借りて寝ることにしたのだが、
おやすみ、と別れようとした大輔をなっちゃんが逃すはずもなく、こうして10こあるベッドの一つを占領して、
寝間着姿の女の子はじいいっと大輔たちを見ているのだ。
そしてなっちゃんは、なっちゃんの部屋にあるベッドで、大輔とブイモンと一緒に寝たいと言い出して聞かない。
あんなファンシーな部屋で見ず知らずの女の子と一緒のベッドで寝るとか、突拍子無さ過ぎる提案に絶句した大輔は、
顔を真赤にして首をふるしかなかった。
せっかくのお客様がいるのに、一人ぼっちで寝るのは嫌だとなっちゃんが考える気持ちも理解できるし、
寂しそうに、悲しそうに、目をうるませる女の子を泣かせてしまっている気分になるのは罪悪感いっぱいだが、
こればっかりは無理だった。恥ずかしさとか照れとか、そういうのがごっちゃごちゃになってしまう。
大輔は気づかないうちに、はっきりと女の子としてなっちゃんを意識し始めている。なおさら拍車をかけていた。


「だってオレと大輔はパートナーだもんね、大輔」


ブイモンは優越感に浸りきって笑っている。なっちゃんは悔しそうに、むむむ、とブイモンを睨んだ。
ブイモン曰く、デジモンには男や女という性別は存在しないらしいが、パートナーと同じ性別と思わしき性格や話し言葉をしているため、
すっかり大輔達はその事実を忘れてしまっている。もしブイモンが女の子のような振る舞いや一人称、話し言葉をしていたら、
たぶん大輔はそうとう態度を決めるのに動揺するハメになっただろうから、ブイモンの台詞は微妙にずれていた。


「ずるい、ずるい、ずるい。わたしもいっしょがいい。ひとりぼっちはもういやなの。さみしいのはもっといやなの。おねがい、ひとりにしないで」


縋られるように訴えかけられてしまった大輔は、うーん、と非情になって却下することができるはずもなく、迷いが生じる。
捨てられた子犬のようなしぐさである。ブイモンもちょっと可哀想かなあと思い始めてしまい、無言になる。顔を見合わせた。
もともと太一達との漂流生活において、みんなを守る立場になりたい、という意識に芽生え、
行動を一貫して通してきた大輔とブイモンからすれば、なっちゃんは明らかに自分たちよりもずっと弱い立場であり、
まさに守るべき対象の象徴である。ここまで絵に書いたような分かりやすい対象は、きっと珍しい。
頼りにされていることはひしひしと感じられるだけに、渇望していた立場になってみると、何やら面映い照れくさい感じがしているので、
自然と大輔の態度が軟化するのは緩やかだった。ブイモンもちょっと意地悪しすぎた反省からか、ふと思いついたことを口にする。


「じゃあ、なっちゃんがこっちにくればいいんしゃない?大輔」

「こっち?」

「あーそっか。なっちゃんがこっちにきたらいいんだ。
こんだけたくさんのベッドがあるんだから、2つ使ったって変わんないよな」

「わたしが、こっちにくるの?」

「うん。なっちゃんがこっちにきたらいいんだよ」


それが大輔の取れるぎりぎりの譲歩である。しばらく瞬きしていたなっちゃんは、ぱっと顔を輝かせた。
うん、そうするね!と笑ったなっちゃんに、大輔はほっと胸をなで下ろす。
ベッドをくっつけるとかいう提案をされたとしても、さすがに小学2年生くらいの女の子と大輔とブイモンの力を合わせても
この大きな大きなベッドを動かすのは無理だろう。すっかり機嫌を直したらしいなっちゃんは、立ち上がった。


「わたし、うさちゃんのまくらもってくるね。あのこがいないとねむれないの」

「ん、わかった。いってらっしゃい。なっちゃん」

「あんまり遅くなったらオレ達ねちゃうよ」

「はやくもどってくるね!まってて!」


ぱたぱたと走り去っていったなっちゃん。大輔達は、ばたんと閉まるドアを見届けた。
はあ、と大きくため息を付いた大輔は、大きく伸びをして、そのままベッドに倒れ込んだ。
同じ年くらいの女の子とずっと一緒に行動したり、会話したりしたことなんてない大輔は、すっかり体が疲れていた。
お疲れさま、とブイモンは笑って、大輔の隣に座った。そして、少し真面目な顔をして続けた。


「これからどうする?大輔」


なっちゃんを不安にさせてはいけないと、無意識のうちに避けていた話題である。ようやくこれからのことを検討できる時間がやってきた。
大輔もブイモンの言いたいことが分かっていたのか、ベッドから起き上がって、なにやら足元に転がっていたリュックを拾い上げた。


「どうするもなにも、ずーっとここにいちゃダメだろ」


ほら、と大輔はブイモンにリュックを見せる。あー、ほんとだ、とブイモンは中を覗き込んでうなずいた。
この世界に初めてやってきた日、大輔のリュックは今にもはちきれそうなくらい、ぱんぱんにお菓子が詰まっていた。
でも5日目になったことで、リュックの重さはどんどん軽くなっていき、ずっと歩き続ける負担も軽減されるくらい、
ずっとリュックの大きさは小さくなっている。つまり、それだけ食料がどんどん減っているということだ。
反比例して膨らんでいくのは、これからのご飯の不安である。食料は心もとない。
この屋敷にせめて何か食べ物が一つでもあれば、リュックいっぱいに詰めることが出来
たのだろうが、
冷蔵庫も棚の中も全部空っぽだったのだから仕方ない。
なっちゃんはなんにもいわないけれど、ずっとこの屋敷の中に閉じ込められる形で生活を強いられていたのだから、
きっとなっちゃんが全部食べてしまったのだろう、と大輔は考えていた。大輔たちに心配掛けないように言わないのだろう。強い子だ。
大輔とブイモンがここに来るにしても来ないにしても、遅かれ早かれ、彼女は大きな決断を強いられることは間違いなかった。
なっちゃんは大輔との出会いをとても喜んでいるけれども、こういった現実をまざまざと見せつけられてしまうたびに、
なっちゃんが夢で大輔を呼んだのは、あながち間違ってなかったのかも知れないと思う自分がいることに気づく。
もし大輔が答えようとしなければ、なっちゃんはもしかしたら、ここで誰にも会うことなくひっそりと死んじゃったかもしれないのだ。
心にナイフが突き立ってられるような恐怖が大輔を襲う。そんなのあんまりだ。かわいそすぎる。大輔は不吉な想像を頭を振ってかき消した。


「明日、もし雪が止んだらさ、ここを出ようぜブイモン」

「ずっとここにいても、太一達が来てくれるとは限らないもんな」

「それに、ここがみんなで泊まろうとしたトコなのかとか、確かめなくっちゃいけないだろ」

「もし、オレの知らないところだったらどうしよう?オレ、この島のこと全部知ってるわけじゃないんだ」

「そんときはそん時だろ?せっかくここがあるんだし、食べ物を探しに行くだけでもいいと思うぜ。
お菓子だけじゃ、腹一杯になんないもんなあ、腹減った」

「あー、ごめん、大輔。オレとなっちゃんがほとんど食べちゃった……」

「いーんだよ。そのかわり、明日はいっぱいがんばれよ」

「うん、オレ頑張るから期待しててよ、大輔。そーだ、ねえ、なっちゃんはどうするの?」

「え?なっちゃん?そりゃ、待っててもらわないと危ないだろ、女の子だし」

「うん、オレもそう思う。でもなっちゃん大輔にべったりだし、納得するかなあ?」

「大丈夫だって、なっちゃんも分かってくれるだろ」


どこまで説明しようかな、と大輔とブイモンは相談する。
もし、果物がたくさんなっている場所とか、食べ物が見つけられたら、呼んでくればいい。
もし、ここがどんな場所なのかがわかって、これからどうするのかが決まったら、なっちゃんに説明すればいい。
ずっとここにいることを強いられていたとはいえど、まるで我が家のように慣れ親しんだ屋敷との別れだ、
なんにも決まっていないのにいうのは不安をあおるだけのような気がする。
なっちゃんは寂しがりで何にも知らない女の子だ。一緒に外を探検しに行くのは楽しいかも知れないが、
外では凶暴なデジモンがいるかも知れないという危険性が残っているのだ。
パートナーデジモンがいない女の子にもし何かあったら大輔はどうしていいのかわからなくなってしまう。
だってここは病院じゃない。ちょっとしたケガだったら救急箱でなんとかなるが、大怪我したらもうそこに待っているのは言わなくてもわかる。
そこでふと、丈が言っていた、みんなを守らなくっちゃいけない責任、という言葉を思い出した大輔は、難しいなあと思った。
ただはっきりしているのは、大輔もブイモンも、その時が来たらなっちゃんを一緒に連れていくということだけである。
最終的にそれだけはなっちゃんに言っておこうという結論に達した大輔達は、何時まで経っても現れないドアの向こうを眺め見る。
変だな、と思う。すぐに来るから待っててくれと言って飛び出していった後ろ姿が脳裏をよぎる。
大輔とブイモンは顔を見合わせた。だんだん心配になってくる。時計を見ればいくらなんでも遅すぎる。
ここはどんなにゆっくり来ても、30分もかからない場所なのに。だんだん心配になってきた大輔は、なっちゃんを見てくると言って立ち上がり、
オレも行くよ、大輔、とブイモンが続いた。
がちゃり、とドアノブを回して外に出れば、ベランダのように吹き抜けから螺旋階段と談話室、エントランスが見渡せる通路に出る。
大輔はそこに見慣れないものが落ちていることに気づいて、なんだこれと拾い上げた。
真っ白なうさぎが刺繍されたクッションである。
しかし、そのクッションを見た大輔は戦慄した。可愛らしいうさぎの首のところから、思いっきり何かで貫いたような跡が残っているのだ。
ふわふわとクッションから綿毛がこぼれ落ちていき、通路に広がっていく。
まるで突き刺したものを思いっきりぶん回したように、ズタズタに引き裂かれたクッションから、うさぎの洋服についていたボタンが落ちた。
硬直する大輔を不思議に思ったブイモンは大輔の横から顔を上げて、同じく硬直した。見るも無残な光景である。
大輔とブイモンの脳裏に、夕方頃に外で見かけた大きなデジモンの残した爪痕がよぎる。
うさぎの枕がないと眠れないと出かけていった女の子のことを大輔とブイモンは知っている。


「なっちゃん!」


思わずクッションを放り投げて、螺旋階段から上の方に叫んだ大輔は、クッションから出てきた綿毛が飛んでいくのを見た。
綿毛がフワフワと上から下に落ちていく。あれ?なんでこの綿毛、こんなに光ってるんだ?デジャビュが込み上げてくる。
すっかり忘却の彼方にあった夢の続きが、今まさに屋敷全体を覆い尽くしていることに気がついた大輔は、嫌な予感がした。
違う、これは綿毛じゃない。とっさにつかんだ大輔の手の中に、夢のなかよりも、もっともっと原型をとどめている、
硬くて、白くて、プラスチックのような四角いものが生まれた。
その破片は、どこかで見たことがあるような形状をしていた。どこだっけ?あれ?うーん、と考え込んでみるが、思い出せない。


「どうしたんだよ、大輔」

「これ、夢で見た」

「え?」

「夢で見たのと一緒なんだ!いっぱいの光がたくさん!」

「それほんと?」

「間違いない!俺がなっちゃんの声を聞いたとき見た光だ!なっちゃんが危ない!
デジモンが来ちゃったのか?!行くぞ、ブイモン!」

「うん!急ごう、大輔!なっちゃんを守れるのはオレ達しかいないよ!」

「わかってる!」


いざ行こうとしたときに、うわあああ!という声が聞こえた。


「ブイモン、どうした?!って、あれ?」


いつもの定位置にいるはずの視点に、額に黄色のV字がトレードマークの青いドラゴンの子供が見つからない。
ブイモン?!と慌てて叫んだ大輔があたりをきょろきょろ見渡してみると、くいくいとジーパンを引っ張ってくる手がある。
だいしゅけえ、と懐かしい声がして、まさかと思って足元をみた大輔の目の前に、何が起こったのか全然わからず、
すっかり涙目のチビモンがそこにいた。


「お前、何でこんな時にもとに戻っちゃってんだよ!」

「わかんないよーっ!たっくさんあるヒカリにさわっちゃったら、なんか、もとに戻っちゃったんだ!」

「えええっ?!早く進化しろよ!」

「できないんだよーっ!さっきから頑張って進化しようとしてるのに、なんか、ヒカリにぶつかっちゃうと力が抜けちゃうんだ」

「これのせいで?」


信じられない、と大輔はチビモンを抱き上げて、手の中の発光する謎の物質を見せた。
大輔が触ってもなんとも無いことに驚きつつ、それを覗き込んだチビモンは、あーっと叫んだ。


「そうそれ!なんか、それにぶつかると、なんか体からひゅーんってなんかが抜けてく感じがするんだ。
えっと、これ、なんていったっけ、その、データチップだよ!」

「データチップ?」

「うん。オレたちデジモンにとって、とっても大事なものなんだ。
オレがチビモンだってこととか、だいしゅけと出会ったこととか、全部全部記憶してくれてる大事なもの。
これを無くしちゃったら、大変なことになるんだよ」


どうやったらデータチップができるのか、よく知らないけど、デジモンならみんな知ってるよ、とチビモンはいう。


「大変なことって?」

「わかんない」

「どうすんだよ、なっちゃんが危ないかも知れないのに!」


だっこしながらずっと走るには、まだまだ大輔の体は小さすぎた。


「オレも急ぐから、早く行って大輔!なっちゃんを連れて、逃げるんだ!」

「わかった!早くコイよ、チビモン!」

「うん!」


大輔は持ち得る全速力でなっちゃんがいるであろう、3階のなっちゃんの部屋へと一直線に向かった。
螺旋階段の向こうに何度もなっちゃんの名前を呼ぶが、あの女の子の声が聞こえない。姿も見えない。
無我夢中で走っていた大輔は、すっかりチビモンとどんどん距離が離れてしまう。
早く行ってあげて、という相棒の後押しを受けて、大輔は一気に階段を駆け上がり、
ばたばたばた、となっちゃんの部屋へと駆け抜けた。
そしてノックもせずに、ばん、と乱暴にドアを突き破るように開けた。


「なっちゃん!」

「だいすけ?」


そこには驚いた様子で立っているなっちゃんの姿があった。
なにやらあわてて後ろを向いたなっちゃんは、ごしごしと目をこする仕草をして、何度か頭をふる。
その声は少しだけ鼻声になっているが、大輔は最悪の想像がどんどん膨らんでいたせいで、
早とちりの勘違いだったと気づいてそれにすっかり安心しきってしまい、気づかない。
どうしたの?とただ突然の訪問にきょとんとしているなっちゃんがそこにいるだけだ。
女の子が大好きなものをたくさん詰め込んだ宝箱みたいな部屋があって、真ん中に彼女はたっている。
はー、と大きく息を漏らした大輔は、よかったー、と一気に脱力してその場に座り込んだ。
だいすけ?と不思議そうな顔をしてなっちゃんが近づいてくる。大輔は、はあはあと息を荒げながら、言葉を紡いだ。
酸素を求める体が悲鳴を上げて、なかなかうまく話をさせてくれない。


「なっちゃんが、遅い、から、心配に、なったんだよ」

「わたしが?しんぱい?………よくわかんないけど、しんぱい、してくれたの?」

「なっちゃんが、いってた、うさぎの、まくら、が、ぼろぼろに、なってたから、
デジ、モンに、おそわれたのかと、思ったら、居ても、立っても、いられなくなって」

「………そっか、ありがとう。だいすけは、やっぱり、やさしいのね」


げほげほと咳き込み始めた大輔に、なっちゃんは眩しそうな眼差しをむけた。
女の子に優しいなんて言われたことがない大輔は、思わず赤面してしまい、
顔を上げることができないためなっちゃんの表情は伺えない。
しばらくして、大輔はようやくまともな会話ができるまでに回復する。
すぐにチビモンが来るだろうから、ここで待っていたほうがすれ違いにならずにすむだろう。


「ねえ、だいすけ」

「なに?なっちゃん」

「パートナーって、どんなかんじ?」


なっちゃんはどこか寂しそうな顔をしている。その顔を見るのは、もう何度目になるだろう。
パートナー?もしかして、パートナーデジモンであるブイモンのことを言っているのだろうか?
そこまで考えてから、ようやく大輔はなっちゃんが言いたいことが予想することが出来た。
なっちゃんは、大輔のように、パートナーデジモンであるブイモンがいない。
大輔以外にも太一達がいることを話した時も、なっちゃんはパートナーデジモンがいるのだと話したときには寂しそうな顔をした。
気がついたときには、自分のことも、なんにも覚えていなかったなっちゃんの側には、一緒に寄り添ってくれるデジモンがいなかった。
もしかしたら、はぐれたのかもしれないから、一緒にさがそうと大輔は提案したことを覚えている。
ブイモンと一緒にいる大輔の言葉だから、なんだか余計に寂しくさせてしまったのか、
ううん違うのと否定されたが、きっとなっちゃんも寂しいはずだ。
大輔にとって、ブイモンはどれだけこの漂流生活の中で心の支えになってきたか、
もう数えきれないくらいたくさん感謝している。
もちろん喧嘩したり、怒ったり、泣いたり、笑ったり毎日忙しいけれども、
一緒にいることがとっても楽しくて、うっかり忘れてしまうけれども。
ここをでて一緒に行くことが決まったら、なっちゃんのパートナーデジモンも探さなくちゃいけないなと考えていたところだった。
大輔は、んー、と頭をかいてから、恥ずかしそうに笑った。


「なんつーのかな、ずっと一緒にいる、友だちみたいな、家族みたいな、相棒みたいな、言い表せないくらい大切な奴、かな。運命共同体なんだ」

「うんめい、きょうどうたい」

「うん、大丈夫。なっちゃんにも見つかるって。ブイモンみたいな奴がさ。
きっとどっかでなっちゃんのこと探してるよ。
だからさ、ここから出て、一緒に探しに行こう、なっちゃん。すぐに行けるわけじゃないけど、絶対会えるって。心配すんなよ」


な?と笑った大輔に、なっちゃんはしばしの沈黙の後、小さく首を振った。
それは欲しかった言葉を得られなかった子どもが起こす癇癪にも似ていた。


「いらない」

「え?」

「パートナーデジモンなんて、いらない」

「なっちゃん?」

「どうして?」

「え?」

「どうして、わたしじゃだめなの?」

「え、なにが?」

「だいすけは、わたしのこえをきいてきてくれたんでしょう?だから、あなただとおもったのに。
どうしてわたしじゃだめなの?どうしてぶいもんなの?
わたしなら、わたしなら………もっともっと、だいすけのこと、だいすきなのに。だれにもまけないのに」


だんだんなっちゃんは崩れ落ちていく。大輔は近寄ろうとしたが、こないでえ、と言われるやいなや、謎の力に吹っ飛ばされる。


「どうして、なでなでしてくれないの?だっこしてくれないの?わたしだけにわらってくれないの?
だいすけだとおもったのに。わたしにほほえみかけてくれたひと。もどってきてくれたとおもったのに。
ぼんやりとしかおぼえてないけど、きっとわたしがだいすきだったひと。わたしをだいすきだったひと。
ねえ、どうして?」


なっちゃんは崩れ落ちた。ぼろぼろと涙を流しながら、両手で顔を覆っていく。


「ひとりにしないで。おいてかないで。まってるのに。ずっとまってるのに。どうしてあいにきてくれないの?
どうしてどこにもいないの?もうつかれたの。もうあるけないの。もうさがしにいけないの。
もういや。もういや。なんでわたしだけひとりぼっちなの?わたしはただあいたいだけなのに!
またわたしだけ、ひとりぼっちなの?またわたしだけひとりぼっちで、ずっとまってて、ひとりぼっちでしんじゃうの?
いや、もういや」


大輔はなっちゃんの体から、無数の光が爆発したようにあふれるのを見た。


「なっちゃん!」


必死で名前を読んだ大輔だったが、もうなっちゃんには届かない。


「もう、いやあああああああああ!」


なっちゃんの悲痛な叫び声が洋館中に響き渡ったとき、なっちゃんの体からあふれた光がなっちゃんを包みこんだ。
眩しくて正面を見てられない大輔だったが、なっちゃん、と何度も名前を呼んだ。
突風が吹き荒れ、ドアから弾き出された大輔は、手すりに激しく体を打ち付けた。
うっすらと開けたまぶたの向こう側には、なっちゃんのシルエットを突き破るようにして現れたのは、
禍々しいオーラをまとう巨大なデジモンだった。
そして、光が屋敷全体に広がった。5本の大きな爪を持った何かが、
なっちゃんだった何かが、激情を込めた雄叫びを上げていた。


「なっちゃ、うわあああっ」


もう大輔のことを認識することすらできなくなってしまったのか、そのデジモンは大輔に刃を向けた。
豪快に振り下ろされた腕から繰り出された豪腕から放たれたのは、5つのかまいたち。
禍々しい光を帯びながら飛んできたそれが、大輔がなんとか立ち上がろうとして支えに
していた手すりごと崩壊させる。
轟音が響く。なすすべなく大輔の小さな体は投げ出され、3階の吹き抜けから落下する。
螺旋階段を必死で登っていたチビモンは、大輔の叫び声とともに、どんどん落ちていく大輔を目撃して、悲鳴を上げた。
だいしゅけええ!と身を乗り出して、助けようとするが、小さな体では手すりの間をくぐれず、大輔がすり抜けていく。


大輔が死んじゃう!という恐怖がチビモンにこみ上げた。
やだ、やだよう、オレが大輔を守るって決めたのに、
それで褒めてもらうんだって決めたのに、だいしゅけが死んじゃうなんてやだああ!


「だいしゅけええええ!」


チビモンの心の叫びが木霊したとき、大輔の首もとに掛けられていたデジヴァイスがきらめいた。
そして、溢れ出した光が、屋敷全体に満ちていたデータチップの雪を吹き飛ばし、チビモンに届く。
虹色の光が、爆発した。



[26350] 第二十二話 可哀想な女の子の話
Name: 若州◆e61dab95 ID:0328a3f0
Date: 2013/08/02 23:59
どこかの世界のハッカーがコンピュータ上でサイバーテロを行うために、人工知能を備えさせたウィルスを広めた。
それが、すべての始まりである。
そのウィルスはやがてハッカーの手を離れ、ネットワークを通して世界中を渡り歩くうちに、
データを吸収して姿や性質を変え、生物のようなものになっていく。
共通のウィルスからネットワーク上に存在する情報を吸い上げて、長い年月は多種多様な生物を生み出した。
ネットワークを作り出した世界に実在する動植物がモチーフになっている者もいるのだが、
現実世界と大きく違う点は、そのウィルスが作り上げた生物は実際には存在しない、
想像上、もしくは伝説上の存在が投影された者も数多く生み出されていったことだろう。
そういった知的な生命体を中心として、ネットワークの海に漂うだけだった生物は、
ハッカーの想定していた事態をはるかに凌駕する形でネットワークに出現することになる。
なんと、ただのウィルスに過ぎなかったデータが自分たちだけの世界をつくりだしたのだ。
のちにデジタルワールド、もしくはデジモンワールドとよばれることになる世界の誕生である。
このような成り立ちを経て存在しているこの世界は、現実世界にあるコンピュータやネットワーク上に存在している、
ありとあらゆるデータによって成り立っている異世界である。
いわゆる電脳空間なのだが、コンピュータやネットワーク上に広がるデータを、多数の利用者が自由に情報を流したり、
情報を得たりすることが出来る仮想的な空間としての機能が、現段階に置いて果たされてはいない。
あくまでも、現実世界から何らかの理由で流れこんできた情報やデータが、物体として実体化することができる異世界であり、
現実世界とデジタルワールドがつながるためには、ネットワークやコンピュータを介在しなければいけない。
デジタルワールドの世界で、砂鉄の砂漠に大量の電信柱が立っていたり、密林に様々な交通標識がひっついていたり、
湖のほとりに都電が一両あったり、温泉の近くに冷蔵庫と卵があったりと、現実世界と比べてどこかおかしな所があるのは、
この世界を構成しているデータに破損や欠損があるからだ。デジタルワールドを作っているデータは、
流れこんでくるまでに何かしらの問題を抱えていることが多いらしく、このような摩訶不思議な世界を作っている。
また現実世界では単なる文字列に過ぎないプログラムが、実際に力を持ったりするため、尚更それに拍車をかけている。
このデジタルワールドにおいて実体化したデータのうち、生き物であり、
なおかつ現実世界では存在しない人工知能を持つ生き物の総称を、
デジタルで出来たモンスター、デジタルモンスター、通称デジモンといった。
デジモンの体は、デジコアとよばれる細胞核のような働きをもつ電脳核、
その上方をもとに骨格であるワイヤーフレーム、皮膚であるテクスチャで出来ている。
デジモンの姿には、デジモン自身がコンピュータ上のデータから読み取り学習したものと、
人間がパソコンで作成したものとが存在する。
それらは主に、ネットワークに存在している様々なソフトから学び取ったものである。
デジモンは主にデジタルワールド上の食物を食べて生活し、さらにはネット内の様々な
データやプログラムも吸収し餌としている。
また、デジモンの生命活動を維持するためには電気が必要であり、これは人間で言う酸素に相当する。
デジモンは現実の生物と同じようにデジタマとよばれる卵から誕生し、病気や怪我などの外的要因や寿命で死亡する。
デジモンは成長の節目でより強力な形態へと進化する。
この「進化」は現実の生物の進化とは違っており、その個体が自らの構成データを大きく書き換え成長することを指している。
成熟期に至るまでは元々持っている因子や、生活の仕方や戦闘経験、住まう環境の変化などにより、様々な進化形態へと分岐する。
ただし、オスメスの区別が存在しないデジモンは、種を残そうとする本能が皆無に近く、
なおかつ至る所に豊富な食べ物が存在しているため、
3大欲求のうち2つは常に満たされていることになり、デジモン同士で捕食し合う必要はない。
結婚や家族という概念を持たないことも多いようだ。
基本的に、デジタルワールド内での攻撃行為は主に縄張り争いのためか、
自己の力を示すために行われる、ある種平和な世界といえた。
ただし種族や時と場合によっては、高度な知能を持つデジモンが、相手のデータを吸収することでより強くなるために、
デジモン同士での捕食行為も行われているようであり、人工知能を持つデジモン達も現実世界と同じように組織を作り、
派閥を作り、背反する思想に属する者同士が激しい闘争を繰り広げているのは世の常である。
デジモンには進化の段階があり、基本的に誕生から順番に幼年期、成長期、成熟期、完全体、究極体の段階を経て進化していく。
この進化経路以外にも、例外的な進化経路やモードチェンジという力を開放したり、
変質したりした個体も存在し、その例外二つを同時にこなす者もいるが、ここでは割愛する。
成熟期以上のデジモンは他のデジモンたちと戦い、勝って勝率を上げることでより強力な完全体や究極体のデジモンへと進化することができる。
また、過酷な環境の変化に耐えうることも、今後の完全体、究極体への進化に影響する。
デジモンは基本的には年齢で進化し、進化する年齢の平均は各世代ごとに決まっている。
種を残す概念が存在しないデジモンが何故今日まで、
デジタルワールドで繁栄し続けているのかといえば、それはデジタマと呼ばれるデジモンの卵の特殊な誕生にあった。



デジモンはなんらかの外因で死ぬと、そのデータを記憶した媒体、魂もしくは幽体にあたるものが
ダークエリアといういわゆるあの世、冥府のエリアに送られることになる。
その媒体がどのような存在であるかを判断する最上位の存在がおり、デジタマに孵るか冥府のエリアにとどまるか、
媒体ごと捕食されて完全に抹消される事実上の死を与えられるかのいずれかが選択される。
ちなみに堕天使に分類されているデジモンは、所属していた聖なる存在から凋落したことが危険視され、
例外的にその外観を保ったままダークエリアに送られて五感が生きている状態で永遠の責め苦を味わうとされている。
そして、前者に選ばれたデータだけがそのデータを転写したデジタマという形で転生を果たすことになる。
やがて基本的には全てのデジモン達にとって故郷とも言える、はじまりの街と呼ばれる場所へと還る。
そのデジタマから生まれたデジモンは、自分の前世もしくは祖先とも呼ばれる個体の記憶を引き継いでいることは少なく、
能力値だけは1度も進化を経験していない同じ種類の個体と比較したときに、特別強い個体が生まれる傾向にある。
ただし、その記憶の引き継ぎに関しては個人差が大きいらしく、記憶を完全に覚えたまま生まれ変わりを自覚する個体、
記憶は覚えていないけれども心の何処かで覚えているのか、特定の場所や存在に対して、懐かしいという感覚を覚える個体、
全くそういう事もなく普通の人生を歩むことができる個体もいる。
もちろんそのデジタマに、意図的に特定の情報に対して親密感を抱かせるデータが組み
込まれていたらその限りではないが、
デジタルワールドで生きているデジモン達にとって、本来ならその程度の誤差など、やがて独り立ちして生きていく上で、
なんら障害となることは無いはずであった。





しかし、いつだって例外というものは存在する。
不幸にも彼女は、その例外として始まりの街に生まれ、そして自らの意志ではじまりの街を飛び出した。
彼女が覚えていることは、たったひとつだけである。
彼女の名前を呼んで、抱きしめて、頭を撫でてくれた、微笑みかけてくれた存在があったというコト。
彼女は知らなかった。
その存在がこのデジタルワールドには存在しない人間という生き物であり、現実世界という異世界で生きているということを。
何故本来ならば知らないはずの人間のことを彼女の前世が知っていたのかなんて、彼女はわからない。
だって、彼女は記憶を完全に受け継いだわけでは無いからだ。
きっと彼女の前の人生を終えたデジモンにとって、1番幸せな記憶だったのだろう。
生まれ変わっても決して忘れたくないデータだったのだろう。
幼年期に他の個体よりも強い能力を持って生まれた彼女は、その愛情を一心に受けて育った過去の記憶にすがった。
寂しいという感情を知ってしまったのだ。
前世と自分は別の存在なのだと認識するより前に、夢という形で知ってしまった彼女は、前世と自分を混同し、同一視した。世界が歪んだ。
デジモンには家族という概念が存在しないが、幼年期に愛情をたっぷり受けて育ったデジモンが、精神的に安定して進化していくのは変わらない。
幼年期のデジモン達を世話するデジモンは存在するが、それは保育器に入れられた赤ちゃんに対する看護師、医師と同じスタンスである。
みんな一緒、みんな同じ、平等で公平な愛情は、彼女にだけ注がれていたかつての愛情と比べるとあまりにもそっけないものに見えてしまう。
比較対象が存在し、その理不尽さを理解できるだけの知能を獲得していた彼女は、夢として現れる過去と現在を比べて苦しみ、葛藤する。
なんで、なんで、どうして?かつての当たり前が満たされなくなった環境が、どうしようもない違和感となって現れてしまうのだ。
ちょっとだけ能力が高くて成長が早かった彼女は、かつての記憶と同じように、自分だけを愛してくれる存在を探して飛び出してしまう。
そしてデジタルワールドのファイル島という広大な世界を、たった一個体で冒険することになる。
しかし、愛情を受けるという一点において生きる意味すら見出してしまった彼女にとって、それ以外とのコミュニケーションの仕方が分からない。
デジモン達は、人間という存在を知らない。誰も知らない。だから夢で見たという彼女の証言を誰も信じてくれない。
否定され、諦めろといわれ、知らないと言われ続けた彼女は意固地になっていく。説明を重ねる中で具体像が固まっていく。
彼女の夢の中では、ただ抱きしめてくれたぬくもりと、撫でてくれた5本の指、優しい声だけしか思い出せないにもかかわらず、
彼女はいろんなデジモンと出会い、別れを繰り返すうちに、その存在に近い者を参考にして、どんどん勝手に想像していく。
姿も顔もわからないのに、どんどん勝手に決めていき、頭の中でパーツを組み上げ、色を塗っていく。
そして、いつしか彼女の中でどんどん理想に昇華していくその存在は、かつて夢のなかで見た存在とはかけ離れた、
彼女が考えた私だけの大切な存在という形で、ハードルをあげてしまう。理想と現実の狭間で、ますます彼女は苦しんだ。
みんなと仲良くなりたいけれども、みんな彼女の旅の目的を否定するのだ。
彼女にとって、その目的はすっかり生きる意味にすらなっているのに。
存在価値すら決定づけるアイデンティティを見出していた彼女は、
自己否定につながりかねないことしか言ってくれない他者を少しずつ避け始める。
自分は自分であり、旅の目的は旅の目的でしか無いのだと言うことに気付けない。
それほどまでに彼女は追い詰められ、盲目的になっていく。
それに加えて、本来よりもずっとずっと早い時期にはじまりの街を飛び出してしまった彼女は、
致命的なコミュニケーション障害を抱えていた。
みんなが受けているのは、愛情なんかではない、と自分だけが知っていると得意になっていたせいかも知れない。
彼女は幼年期の個体の中でも、自分自身を特別視する傾向にあった。能力的にも成長的にも早い個体である。仕方ないことだ。
自分は他のみんなとは違うのだという証明のために、彼女は自分しか知らないその存在を特別視するようになったのかも知れなかった。
幼年期に愛情を受けているにもかかわらず、それが愛情だと理解できなかった彼女の不幸である。
彼女が何者であろうとも受け入れてくれる場所があったのに、時々始まりの場所に帰りたいと思うのに、もう遠くまで来てしまった彼女は、
ひたすら前に前に進むことに無我夢中になっていた彼女は、もう戻れない。思い出せないのだ。自分がどこにいるのかすらわからないから。
従順なまでの依存と子供の癇癪にも似た破壊の衝動でしか、他者と関わり合うことができない彼女は、いつだって孤独で愛情に飢えていた。
理想と現実の間で常に揺れ動く彼女の心境を理解してくれる存在が現れなかったこともまた、余計に彼女を寂寥感に蝕ませた。
慢性的な虚脱感、感情の不安定さ、強迫概念にも似た理想への固執、それらが彼女とデジモン達を遠ざけていく。
すべては存在価値を自分で肯定してあげることができない彼女の自己評価の低さが原因だ。
しかし、デジモンも人と同じように無条件で自己肯定できるのは、愛情をたっぷり注がれたという経験があるからこそだ。
その根底からまずは決定的な欠如を抱えている彼女は、精神的に見れは幼年期のままどんどん力だけは大きくなっていく。
その力がデジタルワールドを守っている見えない何かにとって、危険視されるに至ったとき、彼女はデジタルワールドに包まれた。
人間のことを知っているという事実もまた、彼女が特例措置を取られた理由でもあるようだ。
そして、彼女が気付いたとき、心象風景を色濃く反映した、寒い場所に一人ぼっちでいることになった。
デジタルワールドは彼女にとってどこまでも厳しくも優しかった。
彼女が記憶を取り戻せるような場所を敢えて用意して、安心して眠れる場所を用意して、彼女が少しずつ前世を思い出せるようにしたのだ。
彼女は感情が暴走するたびに、進化と退化を繰り返し、自傷行為とも言えるエネルギーを浪費し続けて寿命を縮めていたせいで、
彼女の癇癪が収まるたびに、デジコアが粉砕されたデータチップを拡散し、このままではデジタマにすら戻れなくなるところだったのだ。
直接彼女に前世について教えるということは、現在のデジタルワールドの状況を考えると、いろいろと都合が悪く不可能だった。
そのため、苦肉の策として彼女はデジタルワールドの用意した揺りかごの中で、自分で答えを見つける毎日を過ごしていた。
しかし、揺りかごに入る前にはもう、データチップが光となって降り注ぐたびに、彼女はどんどんいろんなコトを忘れていた。
自分で自分を保つことすら困難になり始めた彼女は、いつの頃からか、自分の中で理想化しつつあったその存在を思い出せるようにと、
自らの姿を理想の存在にして進化の姿に固定するようになる。
この世界で人の形に近い姿をしているデジモンは極少数に限られる。
彼女が外国人にも似た容姿になったのは、彼女がデジモンであるために力を貸してくれた、
この屋敷を用意してくれた天使型のデジモンが反映されていた。
天使型のデジモンは、現実世界の天使というイメージが反映されているため、皆金髪である。
私の考えた理想の存在とするには、ちょうどいい題材だった。
もちろん、デジタルワールドが危機に陥っている今、彼女の存在を利用しようとしないデジモンが現れないわけがなかった。
強大な力を持っているにもかかわらず、幼年期の頃に精神的な成長が止まっているデジモンだ。
愛情に飢えている彼女は、善悪の区別などわからない。愛情を見せ掛けであろうとも注いでくれる存在があれば、すがってしまう。
誰からも守ってもらえない無邪気な子どもは、悪い大人に騙されてしまうのが世の常だ。
本来彼女の後ろ盾になってくれるはずのデジタルワールドが、彼女に干渉することができなくなってしまうほどの危機に陥っている隙をつかれ、
彼女は何も知らないまま、ある日、屋敷に訪れた珍しいお客様を招き入れることになる。
そこで彼女は、そのお客様からもうすぐこの世界に、人間という彼女がずっと待ちわびていた存在がやってくることを聞かされたのだ。
彼女は喜んだ。会いたいと思った。その中に彼女が待ち続けている人がいるかも知れないのである。
絶望の世界でようやく見えた光である。
この世界から出られない理由を彼女は知っていた筈だった。天使のデジモンと約束したはずだった。
それでも、ある時を境に全く姿を見せなくなった天使のデジモンとの約束は、やがて猜疑心と不安に苛まれていて、
そのお客様がいった、彼女が危険だからここに閉じ込められているという嘘を信じてしまうに至る。
待っていたのは裏切られたという思い込みと絶望だった。
そのお客様が天使のデジモンが来られないように、邪魔をしているなんて知らないまま、
彼女はずっと我慢していたこと、感情を抑えきれなくなると進化と退化を繰り返す、データチップの拡散を再開してしまう。
そして、お客様の甘言に乗せられる。子供たちとあわせてあげるから、彼女と話ができる子供がいればあわせてあげるから、
ちょっとだけ、彼女がいる世界を貸して欲しいと。子供たちを招待するから、この屋敷のデータを貸して欲しいという言葉に乗せられてしまう。
彼女は知らない。何も知らない。それこそが悪魔の甘言であるなど分かるはずもない。
デジモンが寿命を終えてダークエリアに送られるためには、ある程度のデータチップに転写されるデータが必要である。
そのため、万が一そのデジモンが幼年期であったり、デジタマの状態だったり
致命的な損傷をデータチップに負ったりして転写できるだけのデータを確保できなかった場合、
そのデジモンに待っているのは消滅であるということを彼女は知らないのだ。
ダークエリアに送られてしかるべき裁判を受けることなく、何も残らないまま消えてしまうのだ。
それは転生という手段を持っているデジモンにとって事実上の死と同義である。
彼女は何も知らないまま、自分の首をゆっくりと締め上げるような自傷行為を行っていたのだ。
死の足音は聞こえないまま、彼女をゆっくりと蝕んでいった。
彼女は無知である。
本来この屋敷は彼女を始めとしたウィルス種のデジモンしか入ることができない特殊なエリアであり、
他の属性であるデジモンたちはその存在すら知らない隠された領域であることはもちろん。
正義のデジモンであるレオモンを洗脳し、オーガモンも配下にすることで、2体のデジモンに子供たちを襲わせ、
意図的にパートナーデジモンたちに過度な進化をさせて疲弊させた先のトラップとして屋敷が利用されるなんてことも。
その先にある突如出現した洋館に子供たちを誘い込んで就寝した隙を見計らい、そのデータを幻として消失させたお客様は、
黒い歯車で侵食されていたファイル島全体を切り離し、そのばらばらになった孤島に子供たちとデジモン達を分かれさせるなんて強行に及ぶことも。
ましてや戦力の拡散と確実な戦力つぶしを狙っていたことなんて、知るはずもなかった。
そのお客様の名前はデビモン。選ばれし子供たちという言葉をレオモンに教え、
そして初めて子供たちとデジモン達の前に現れた、敵である。





彼女はただ嬉しかった。デビモンが言ったとおり、大輔とブイモンが来てくれた。
ずっと一緒にいてくれる。そう思っていたのに。
うさぎのクッションを抱えて扉の前にやって来たなっちゃんは、大輔とブイモンが自分に隠れて内緒話をしているのを聞いてしまった。
仲間はずれにされたこともショックだったのだが、大輔達が真剣に話し合っている内容は、なっちゃんにとって耐え難いものだった。


「これからどうする、大輔?」

「どうするもなにも、ずーっとここにいちゃ駄目だろ」


ぽとり、とうさぎのクッションが落ちた。
ここにいちゃダメ、という言葉が大輔から語られたことが、なっちゃんには信じられなかった。
なっちゃんは大輔とブイモンに嘘をついた。
もちろん、自分のことを思い出せない記憶喪失に陥っていることも、
ここがどんな世界なのかもわからないし、どこから来たのかもわからないのは事実だ。
でも、この世界はなっちゃんの世界である。なっちゃんのために用意された世界である。
なっちゃんが自分の記憶を思い出すまで、ずっとこの世界はとじたままなのだ。デジタルワールドには戻れないのだ。
天使のデジモンと約束したことははっきりと覚えているなっちゃんは、どうしていいのかわからなかった。
結局天使のデジモンは来てくれなかったし、孤独に怯えることを知っているから、
毎日来てくれると約束したのに一方的に破られた。
なっちゃんが危険だから閉じ込めたのだとデビモンの嘘を信じきっているなっちゃんには、
もうこの世界から脱出する手段なんて無いのだと思い込んでいる。
大輔とブイモンがなっちゃんのことをデジモンではなく、人間だと勘違いしていることには薄々気付いていたけれども、
それによっていろいろと世話を焼いてくれるのが嬉しくて、結局言い出せないままだったのが尾を引いた。
大輔とブイモンに、この世界から出られないことがバレたらどうしよう。なっちゃんがこわいデジモンだと知られたらどうしよう。
この世界に閉じ込められてしまうような、みんなから嫌われている世界のデジモンだと知られてしまったらどうしよう。
嫌われたらどうしよう。もう二度とおしゃべりしたり、笑ったり怒ったり泣いたりできないかも知れない。
一人ぼっちになってしまうかも知れない。いや、そんなのいや!混乱と焦燥の極みのはてに、なっちゃんはドアを開こうとした。
もう全部全部話してしまおう。そう衝動的に思ったのに。そしたら、聞こえてきたのだ。


「そーだ、ねえ、なっちゃんはどうするの?」


いや。


「え?なっちゃん?そりゃ、待っててもらわないと危ないだろ、女の子だし」


いやだよ。


「うん、オレもそう思う。でもなっちゃん大輔にべったりだし、納得するかなあ?」


そんなのいやだよ。


「大丈夫だって、なっちゃんも分かってくれるだろ」


そんなのいやあっ!


一方的な会話は、なっちゃんの心に止めを差した。大輔とブイモンの会話を中途半端にしか聞き取れなかったなっちゃんは、置いて行かれる!
という反射的な捉え方をして戦慄した。強烈な恐怖に直面したなっちゃんは、進化の光を帯びていることに気付いた。
今ここでなっちゃんが凶暴なデジモンであることがバレてしまったらすべてが終わる。
怖くなったなっちゃんは、いつもならば昨日の山林のように、感情に任せて破壊の限りを尽くすのを我慢した。
疲れて眠ってしまうまで、我を忘れて、八つ当たりをしまくるという行動を生まれて初めて我慢した。
気付いたとき、クッションはズタズタになっていた。そして、怖くなって逃げたのだ。
それを勘違いして助けに来てくれた大輔は、どこまでもやさしい男の子だった。でも、同時になっちゃんを傷つけていく。
パートナーデジモンは、ずっと一緒にいる、友だちみたいな、家族みたいな、相棒みたいな、言い表せないくらい大切な奴だと語った大輔は、
運命共同体なんだとはにかんだ大輔は、なっちゃんが今まで観てきた中で1番、きらきらしていた。
大輔によれば、みんなパートナーデジモンと一緒にいるという。
なんだ、勝手に舞い上がっていたのは自分だけだったのか、居場所なんて入る余地が無いくらいの繋がりがあるのか、と
心の底からパートナーを求めてきたなっちゃんに、他ならぬ大輔が言い切ったのだ。何も知らないまま、残酷な言葉を告げたのだ。


「うん、大丈夫。なっちゃんにも見つかるって。ブイモンみたいな奴がさ。きっとどっかでなっちゃんのこと探してるよ。
だからさ、ここから出て、一緒に探しに行こう、なっちゃん。すぐに行けるわけじゃないけど、絶対会えるって。心配すんなよ」


ずっと会いたいと思ってきた存在が、理想に近い存在が、なっちゃんに向かって、はっきりと言い放ったのだ。
もう、なっちゃんは、我慢の限界だった。そして、癇癪を起こす。
きらい、だいっきらい、いらない、大輔もブイモンもいらない、どっかいけ、どっかいっちゃえ、こわれちゃえ!
彼女は生まれて初めて、孤独のあまり耐え切れずに暴走する形でしかしたことがない進化を、自らの意志で行った。
今までは進化している間の破壊行為は、どこか朧気な記憶の彼方でしかなかったけれども、
凶暴で凶悪で、大きな大きなデジモンに進化してしまった彼女は、はっきりと意志を持ったまま暴れていた。
彼女の涙がデータチップとなってこぼれていく。彼女の助けてという叫びは、禍々しい怒号に姿を変えていた。
かつて闇貴族の館と呼ばれていた主無き洋館は、彼女の命の灯火でみたされていく。
蛍のように、雪のように、ほんのりと白くて淡い光が溢れていく。
ひとつひとつが零れ落ちていくたびに、砕け散っていくたびに、近付いてくるのはリミット。
なっちゃんというデジモンの消滅は秒読み段階に入っていた。



[26350] 第二十三話 古の奇跡 エクスブイモン
Name: 若州◆e61dab95 ID:9f015cfe
Date: 2013/08/02 23:59
黒い影が重厚な造りをしている木製の螺旋階段の手すりを飛び越え、べきりと重量に耐え切れず歪んだ踏み台にして、思いっきり跳躍する。
落下していく。まだまだ届かない。視界を遮るように雪のごとく降り注ぐデータチップの光が無数に飛来している世界を落ちていく。
瞬く間に見失ってしまった姿を懸命に追いかけるが、見つからない。必死にパートナーの名前を呼ぶが、届かない。
どっけえええ!と業を煮やした真っ白な翼が、ごおっという突風を産み落とした。
吹き飛ばされた光のその先に、気絶したのかぐったりとしたまま落ちていく少年の姿を見つけた。
真っ白な翼を持つ真っ黒なドラゴンが、全力で翔んだ。
鋭利な3本の爪で少年を傷つけないように柔らかく広げ、慎重に優しく、そしてまた二度とその手を離してしまわないように腕を広げる。
しっかりと抱きしめたまま、天使の翼のような神々しいそれではなく、たくましく進化を遂げた勇姿に相応しい屈強なそれで浮力を生む。
反転する。そして、どおおおん、という豪快な轟音と共にエントランスホールにもたらされる衝撃が、清潔感溢れていた綺麗な床に食い込んでいく。
みしみし、べきべきと強大な両足が床を破壊していく。反動で少しだけ後退しながらも、しっかりと大地に立つために鍛えあげられた3本の巨大な爪が、
床に深く深く食い込み、着地を無事成功させた。
生まれて初めての飛翔も着地も全てはパートナーを助けるために、無我夢中で、全力
で、その為だけに行われた。
吹き抜けの上空ではシャンデリアが振り子のように揺れている。静寂が世界を支配する。しばらくの沈黙。呼吸すら忘れていた。
守るために広げて抱き抱えていた青い腕がゆっくり開かれる。


「大丈夫か、大輔?」


大輔と呼ばれた少年が生まれて初めて聞いた声である。まるでオーケストラの演奏を支
える重低音のように、ズシンと来るとっても響く声である。
大輔を軽々と抱え上げてしまうほど大きな大きな存在にもかかわらず、鼻先にある鋭利な刃物のようなツノが大輔を傷つけないように苦心して、
本当は今すぐにでも頬ずりしたいのにできないもどかしさに、うずうずしている。
一口で大輔を飲み込んでしまいそうなほど大きな口を持っているにもかかわらず、本気で心配そうな顔をして、ぎりぎりまで大輔に近づき、
その様子を人目でも確認したいと覗き込んできている。
力加減がいまいちよくわからないのか、急に大きくなってしまったために距離感をつかむこともやっとらしく、
進化前のように手をつないだり、抱きついたりする事ができず、勝手が違うためにどうしていいのかわからなくなって、涙目になっている。
口から胸部にかけて真っ白で、頭の額にはおなじみの黄色いV字マークが刻まれていて、月の浮かぶ空や星の照らす空のような漆黒に包まれている優しい相方を大輔は知っている。
見上げたその先に、優しそうに目を細める赤い瞳を見つけた大輔は、思いっきり腕を伸ばして抱きついた。


「ありがとな、ブイモン!進化できたのか、おめでとう!」


ぎゅうと抱きしめて、歓喜に沸くパートナーに、かつてブイモンだった相方は、無事でよかったと心の底から安堵の笑みを浮かべた。


「ブイモンじゃないよ、大輔!エクスブイモン!オレ、エクスブイモンに進化できたんだ!」

「エクスブイモン?!」

「よかったっ、ホントよかったっ!大輔死んじゃうんじゃないかって思ったんだからなっ、心配させるなよバカ!
大輔はいっつもオレに心配掛けさせてばっかだなあ、ちょっとは反省しろおおっ!」

「ごめんな、いっつも心配掛けて。エクスブイモン、助けてくれてありがとう!」

「へへっ、あったりまえだろ、オレ達運命共同体なんだから!」


図体ばかりが大きくなったものの、中身は全くブイモンの頃と変化がないことがおかしくて、大輔は笑ってしまった。
ようやく進化することがかなった幻竜型の成熟期は、規則的な進化を遂げた個体の原種にあたるデジモンとして姿を現した。
ブイモンの頃からある頭のV字マークは健在であり、刀身のようなツノが鼻先に付いている。
胸部には特徴的なV字にV字を反転して書き足したようなXマークが刻まれている。
岩を粉々にしそうな強力な腕力と脚力を持ち、空を飛ぶことができる白い羽を持っているのがわかる。
拡散するデータチップの雪の灯しかない世界では薄暗いので、最初こそ大輔はエクスブイモンがよく見えていないのかと思った。
しかし、しっかりと自分を抱きしめてくれている相方の腕は闇に同化しそうなほど黒暗である。
見慣れない配色にちょっとだけ大輔は戸惑っていた。
成長期から成熟期に進化すると大きく姿が変わってしまうのは何度もこの目で見てきたものの、
どこか面影が残っている、もしくは配色的に連想できるものがあったはずである。
チビモン、ブイモンと青い色に赤い瞳をもつ龍の面影があったし、
大輔が遭遇したエアロブイドラモンも備えている特徴はそのまま継承されていたはずだ。
でも、エクスブイモンと名乗った相方は赤い瞳こそ同じとはいえ、
その真っ黒な体はエアロブイドラモンとは全く異なるものである。
これがあの時言っていた進化先が違うということなのだろうか。
大輔のぶしつけともいうべき眼差しを感じ取ったエクスブイモンは静かに笑った。


「この姿がオレにとって一番ふさわしいんだ」

「え?どういうことだよ、それ」


きょとんとしている大輔にエクスブイモンは答える。
デジモンの最も重要にして最大の特徴でもある進化というものは、
この世界に存在するありとあらゆるもの、環境や生活サイクル、秀でた能力、
かかわりのあるデジモンや人間などさまざまな影響を受けることで発生する。
より強く、より強大な存在へと無限にその姿は分岐していくことが普通である。
だから、たとえ未来からやってきた同一個体のデジモンであろうとも、同じ進化形態を辿るとは限らない。
今の大輔のパートナーとして最もふさわしい姿が黒のエクスブイモンということで、
進化ツリーからデジヴァイスは自動的にデータをダウンロードして決定したのだ。
疑問符がたくさん飛んでいる相棒に、エクスブイモンは大輔と一番お似合いなんだって教えてくれた。
あーそっか、ってようやく大輔は納得する。
エクスブイモンも大輔も知らないが、古代種の証であるフリー種ではなく現代種のウィルス種に進化したのは、外的要因が大きかった。
このエリアはウィルス種しか本来存在することが許されない特殊な地帯であるため、
万一他の属性のデジモンに進化してしまうとこのエリアからはじき出されてしまう。
そうなればウィルス種に進化しない限り二度とこのエリアに侵入することはかなわない。
それはパートナーとの離別を意味する。エクスブイモンは本能的に拒絶したのである。
それに、チビモンは現代種として200年間も過ごしてきたために古代種であることを忘れてしまっている。
純粋な古代種の末裔と接触した経験が皆無なため、本来得られるデータが皆無だったことが古代種への進化を妨げた。
なによりも、このエリアにおいて大輔と共に生き抜くためにはもっとも適応した個体に進化した方がいいと本能的は選んだ。
エクスブイモンは顔を上げる。


「大輔、後ろに捕まってて!」

「おわあっ?!」

「ほら、はやく!」


突然、大輔を支えていた両腕が大輔を抱えたまま右肩まで挙げられる。
そしてそのまま手を離されてしまい、バランスを失った大輔は慌ててエクスブイモンの右肩にしがみついた。
それだけでは心もとないので、背中にある羽の付け根辺りに足を引っ掛け、振り落とされないように首周りにある黒い突起に捕まった。
なんとかよじ登って捕まった大輔を確認したエクスブイモンは、吹き抜けを見上げる。
シャンデリアが飛んできた衝撃波によって、ひとつ残らずガラスを割られ、パリンという音が響いて振り子のように揺れたかと思うと、
その振り子作用に耐え切れなくなり、落下してきたのである。明かりを失ったエントランスホールは真っ暗になった。
エクスブイモンの咆哮が屋敷全体に反響した。胸部にあるXマークを中心に銀色の光がだんだん収束していく。
振り落とされないように必死で捕まっていた大輔は、その光があまりにも眩しくて目を凝らした。


「エクスレイザーっ!」


耳をつんざくような轟音と衝撃で吹っ飛ばされそうになるが、なんとか根性で踏みとどまる。
目も開けてられない中、Xを模した光線が解き放たれ、シャンデリアが跡形もなく破壊される。
瞼の裏には残像。やがて緩やかに消えていったそれの代わりに、光を失った屋敷全体を覆い尽くしているのは、データチップの雪である。
すっげえ、とエクスブイモンの強さに仰天し、思わずつぶやいた大輔は、その光の雪が切り裂かれるのを見た。
大輔が吹っ飛ばされる原因となったカマイタチが、ぶわっと切り裂くように上空を通りすぎていく。
そして遅れて聞こえてくるのは破壊音、そして砂埃の雨、エントランスホールに降り注ぐ洗礼は、まだまだ続いている。
そのなかでまるで泣いているようにしか大輔には聞こえない、なっちゃんだったデジモンの泣き声だけが響いていた。


「なっちゃんは?!なっちゃんはどうしたんだよ、大輔!」


はっと我に返った大輔は、なっちゃん、と叫んだ。
エクスブイモンの肩からよじ登り、まっすぐに上を指さして、ここにはいない少女の名前を口にした大輔に、
えええっ?!とさっぱり事情が飲み込めないエクスブイモンは仰天の眼差しで大輔を見る。
チビモンからブイモンに、そしてエクスブイモンへとジャンプするように進化を遂げた彼は、
螺旋階段から、3階の吹き抜けから落下していく大輔の姿を見ただけであり、一体何が起こっているのか分かっていないのだ。
まさかなっちゃんがデジモンにやられてしまったのか、とアワアワするエクスブイモンに、悲痛な面持ちで大輔は搾り出すような声をだした。


「デジモンなんだ」

「え?」

「なっちゃんは、デジモンだったんだ!」


そして、感情をぶちまけるようにして、大輔はエクスブイモンに事情を説明する。
3階のなっちゃんの部屋でなにがあったのかを、あくまでも大輔が理解できて考察することができる限界ギリギリの中で、
完璧になっちゃんのことを分かってあげられないことをもどかしく、歯がゆく、無力に思いながらも、必死で伝えた。
想像力を必死で駆使して、頭の中がパンクしそうになるまで回転させながら、
大輔がなっちゃんが零した心の叫びを言葉にして解きほぐしていく。
憶測に憶測を重ね、推理なんて到底言えないようなほころびだらけのなっちゃんの過去、正体、そして現在にいたるまでの経緯、を明らかにしていく。
要領を得ない混乱ばかりが先行していた大輔の話が、ループしまくっていた話が、だんだんひとつにまとまっていく。
言葉を紡いでいくことで、エクスブイモンという第三者に説明するという行為を実行することで、大輔の中でも同時進行で理解が深まっていく。
ぐっちゃぐちゃになっていた頭の中が整理整頓され、どんどん道が開けていく。
結論を導きだす頃には、すっかり大輔は落ち着きを取り戻していた。
根気強く聞き役に徹していたエクスブイモンが、そんな、と零した。


「ごめん、大輔。オレがなっちゃんのこと人だって勘違いしちゃったから、
大輔まで思い込んじゃったんだ。オレがちゃんとしてたら、なっちゃんを傷つけなかったのに」

「どうしたんだよ?」

「ほら、オレ、なっちゃんと初めて会ったとき、なっちゃんの匂いかごうとしたでしょ?
なんか変だと思ったんだよ。大輔となんか違う匂いがするから、おんなじ人間なのに変だなあって思ったんだ。
それになんか覚えがあるなあって思ったんだ。
でも、なっちゃん、ミミとか空みたいに普通の女の子みたいだったから、勘違いかなって思ったんだ。
今ならわかるよ、大輔。あのデジモンの匂いとおんなじだ。外で見た、あのおっきな爪の跡を残したデジモンと」

「そんなこというなら、俺だって。なっちゃんがデジモンに進化するとき、すっげえ苦しそうだったんだ。
吹っ飛ばされたって、何度だって近づいて、なっちゃんの名前呼んであげればよかったんだ。
耳をふさいでうずくまってるなっちゃんの手をとってあげればよかったんだ。でも、何にもできなかった。
なんにもできなかったんだよ!あんなに嬉しそうに笑ってた女の子を、俺のこと優しいって言ってくれた女の子を、
大好きだって、言ってくれた女の子をっ!人間だってデジモンだって関係ない、助けなきゃ、こんなのってねえよ、悲しすぎるだろ!」

「うん、行こう大輔!なっちゃんを助けられるのはオレ達だけなんだ、急がなきゃ!
このままじゃなっちゃん、消えちゃうよ!エネルギーをあんなに使いまくって、データチップ撒き散らしちゃったら、消えちゃうよ!」

「駄目だ、そんなの!ぜってーダメだ!」


大輔を乗せたエクスブイモンが一気にエントランスホールから、三階の吹き抜けへと駆け抜けた。
生まれて初めて成長期から成熟期に進化を遂げたエクスブイモンは、全てが不慣れである。
使い慣れている体とは到底スケールがケタ違いの巨体を手に入れ、力の使い方も体の使い方もぎこちなく、そして不器用だ。
勝手が違うために、イマイチ飛翔のスピードが安定しない。今まで大地しか走ったことがないため、空をとぶという感覚がつかめない。
ピヨモンのように空をとぶやり方を成長期から知っているならば、初めて進化したバードラモンがメラモンと激突した空中戦のように、
思うがままに飛翔することができるのだろうが、なんとなく、でしかやっていないエクスブイモンは本能に従うしか無い。
ただ無我夢中で、自分が今出せる全速力で、少しでも早く助けたいなっちゃんのもとに駆けつけるために、
大空よりもずっとずっと狭い切り取られた円柱を真っ直ぐ突き抜ける。想いに任せて飛ぶしか無い。
パートナーの心に反応するデジヴァイスから伝わってくる感情が、さらなるパワーをエクスブイモンに注ぎこんでいく。
ばさり、と真っ白な翼を広げて駆け上がったエクスブイモンと大輔が見たのは、地面を這い蹲るようにして、
鋭い爪を床に突き立て、ずるずる、ずるずると進んでいく禍々しいオーラを纏うデジモンのなれのはて。
エクスブイモンと大輔に気付いたのか、耳をつんざくような咆哮を上げながら突進してくるように躍動したデジモンは、
大きく爪を振り上げた。5本だった爪が3本になっている。力を失ったのか、それとも本来の姿に近付いているのか、わからない。
ただ、大輔の目には、大地に這い蹲るデジモンを覆い尽くしているのは、ガブモンがかぶっているガルルモンのデータのように見えた。
まるで空気の抜けた風船をかぶっているようにみえた。
エクスブイモン目掛けて仕掛けられたと思われたカマイタチが、見当違いの方向に飛んでいく。そして破壊されていく壁。データチップ。
狙いを定めているわけでは無いらしい。ただ本能で動くものを追いかけているわけでもないらしい。
子供の癇癪のごとく、八つ当たりのごとく、当り散らしているだけなので、非効率な無差別攻撃がエクスブイモンに襲いかかる。
全くパターンも軌道も読めないため、仕方なくエクスブイモンはエクスレイザーでカマイタチを相殺させ、少しでも近づこうと心みる。
じいっとなっちゃんだったデジモンを見つめていた大輔は、はっとした様子で辺りを見渡した。
大輔危ない!というエクスブイモンの焦った声ととっさの機転により、肩からバランスを崩して落っこちそうになった大輔は事なきを得る。
なにやってんだよ、という呆れ混じりの声に、わりい、と生返事で返した大輔は、意を決した様子でありったけの声を張り上げた。


「なっちゃん、聞こえるだろ!オレだよ、大輔だよ!」

「大輔?」

「静かにしてくれ、なっちゃんの声が聞こえねえ!」

「声、聞こえるの?大輔」

「間違いねえ、なっちゃんの声だ。おーい、なっちゃん!聞こえてんだろ、返事してくれよ!
あん時も言っただろ!声が小さくて聞こねえんだよ!」


怒鳴りつけるように叫んだ大輔の声に、まるで反応するようにデジモンが攻撃を仕掛けてくる。
今までろくに命中する気配すらなかった衝撃波が、エクスブイモン目掛けて幾重の軌道を描いて襲いかかる。
慌てて必殺技でねじ伏せながら、なんとかなっちゃんの声を聞き取ろうとする大輔が落っこちないように注意しながら、
エクスブイモンは大きく旋回する。どんどん屋敷が破壊されていく。真っ暗な屋敷を満たす光は、データチップだけである。
エクスブイモンには戦慄の咆哮にしか聞こえないが、どうやら大輔にはなっちゃんの声がしっかりと届いているようである。
大きく首を振ったり、そんな事ねえよ、勝手に決めんな、と怒鳴りつけたり、必死で説得したり、今にも泣きそうな顔で頷いたり、
どうやら大輔はなっちゃんの暴走をなんとか止めようと躍起になっているようである。
データチップを自ら破壊していくたびに、なっちゃんはどんどん原型を失っていく。
そんななっちゃんを前にして、必殺技も得意技も放つことなんてできないまま、大輔に望みの綱を託したエクスブイモンに出来るのは、
ただひたすら、少しでもデータチップを吹き飛ばして、そこになっちゃんの攻撃を誘導することくらいである。


「ごめん、なっちゃん!寂しかったんだよな?オレとブイモンの仲の良さ見て、嫉妬しちまったんだよな?
太一さん達にもみんなパートナーデジモンがいるんだって言って、なっちゃんを傷つけちまったんだよな?
そんな事ねえよ!パートナーじゃなくったって、なっちゃんはオレにとって大事な存在だよ!
勝手にきめんなよ!居場所なんて勝手に作っちまえばいいんだよ!いいんだよ、それで!な?」


目尻から溢れる熱さなんて気にしないまま、大輔は必死で言葉を紡ぐ。


「そんなことねえよ!オレがいてやるから!オレがずっと側にいてやるから!
なっちゃんが思い出すまで、なっちゃんが全部思い出すまで、ずっと一緒にいてやるからさ!
だから、約束しようぜ、なっちゃん。一緒に出よう?ここから出よう?
なっちゃんの大切な人、パートナーが見つかるまで一緒に行こう?
今度は一人じゃねえよ、オレもブイモンも、太一さんたちだってきっと力になってくれる!
この世界にいなくったって、オレ達の世界に来ればいいだろ?あっちにはたくさん人がいるんだ、絶対に見つかる!
だから、もうやめようぜ、なっちゃん!なっちゃん、今、どんな声出してるかわかるか?泣いてるんだよ!」


ぼろぼろと涙を流しながら、大輔が叫んだ。


「え?どうしたんだよ、なっちゃん、なっちゃん!?返事しろよ、してくれよ、なっちゃん!え?何だって?
にてる?エクスブイモンが?なにに?え?なんだよ、聞こえねえよ!」


ぴたり、とデジモンの動きが止まる。なっちゃん?とつぶやいた大輔とエクスブイモンの目の前で、
突如今までへばりついているだけだったデジモンのデータらしきものが、みるみる膨らみ始める。
今まで大輔たちがデジモンの腕、若しくは前足だと思い込んでいたのは、どうやら鉤爪であると気づく。
廊下を這い蹲り、手すり越しにしか攻撃を仕掛けられなかったそれが、大きな翼を広げた。


「え?ほんと?ホントに思い出したのか、なっちゃん!」


その刹那、デジモンから強烈な電撃が炸裂し、エクスブイモンはそれをモロに右の翼に受けてしまう。
がくんと揺れた体とエクスブイモンの激痛に伴う悲鳴が辺りに反響した。


「エクスブイモン、大丈夫かっ?!」

「大丈夫、ちょっとびっくりしただけだから。今度は当たらない!なっちゃんはなんて?」

「なっちゃん、思い出したみたいなんだけど、様子がおかしいんだよ!
さっきまで会いたい人のことが思い出せないって苦しんでたのに、思い出した途端、また泣き出したんだ!
行かないでって、置いてかないでって、私が悪いんだって泣いてるんだ!
ば、馬鹿なこというなよ!なっちゃんが死んだらオレが悲しいんだよ、変なこというなああっ!」


エクスブイモンは大輔の絶叫に居ても立ってもいられなくなり、一直線にデジモンのもとに飛んでいく。
大輔もエクスブイモンから落ちないぎりぎりのところで、ずいっと体を前のめりに出し、何とかなっちゃんに届かせようと左手を伸ばす。
なっちゃん!と何度目になるか分からない声を上げた大輔。
このまま飛び降りてなっちゃんのところに飛んで行きやしないか、とひやひやし始めたエクスブイモン。
ぱたり、と攻撃がやんだ。あれ?と辺りを見渡した一人と一匹の目の前で、あれだけたくさんあったデータチップの雪はもうまばらになっている。
デジモンの上げていた咆哮が、今まで聞いたことがない甲高い音となったとき、データチップが再び本来の主のもとに戻って行く。
収束していく光に包まれていく。大輔を乗せたエクスブイモンは緩やかに近づいていった。
その光が人の形を作っていく。そこにいたのは、なっちゃんだった。
大輔はエクスブイモンから飛び降りると、一直線になっちゃんのもとに駆け寄った。


「なっちゃん!」

「だいすけ」

「なに?」

「だいすけがだいすきなおなまえ、わたしがもらえなかったおなまえ、なんだっけ?」

「え?」

「おしえて」

「ジュン、ジュンだよ、なっちゃん。俺の姉貴の名前。俺にとっては、たった一人の姉ちゃんの名前」

「じゅん?」

「うん」

「そっか、だからだめだったのね?」

「そう」

「ありがとう、だいすけ。また、あえてうれしかった。きえちゃうまえに、またあえて、ほんとにうれしかった。
おもいださせてくれてありがとう、だいすけ。たいせつなきおく、うまれかわってもわすれたくないきおくをおしえてくれて。
できれば、じゅんとあいたかったけど、もうだめみたい」

「なにいってんだよ!約束しただろ、一緒にここを出ようって!一緒にパートナー探そうって、約束しただろ!」

「ごめんね、だいすけ」

「やだっ!やだっていってるだろっ!いくなよおっ!まだ俺なっちゃんの名前教えてもらってないのに!」

「ほんとうにごめんね、だいすけ。わたしのなまえはまだおしえちゃだめみたいなの」

「なんだよそれっ!わかんねえよっ!」

「おねがいがあるの、きいてくれる?」

「なっちゃんはずるいよ。断れるわけ、ないだろっ」

「うん、ずるいわたしのおねがい、きいてくれる?わたし、かえりたいの。
まもってくれた、いつでもまもられてたのに、ぜんぜんきづかなかったやさしいばしょにかえりたいの。
わたしがうまれたばしょ。しんでしまうでじもんがかえるばしょ。はじまりのまち。つれていってほしいの」

「いくらでもつれてってやるよ!どこだって、いつだって、一緒に側にいてやるよ!だから、さ、そんな事いうなよっ!」

「ほんとうにごめんなさい、だいすけ。わたし、もう、ねむいの。すごくねむいの。
こんなにあたたかくってしあわせなのひさしぶりなの。
わたしがようねんきだったころにね、なんにもしんぱいしないで、ただおいしいごはんとふかふかのおふとんのことだけ、
あそぶことだけかんがえていられた、あのころみたいなの。もう、ずっとよるはこわかったのに。いまはもうすごくしあわせなの。
おやすみなさい、だいすけ。ありがとう。………だいすき」

「なっちゃあああんっ!」


伸ばした手は空を切る。色鮮やかな光に包まれて、なっちゃんだった光は、やがてゆっくりとひとつの力にまとまっていく。
溢れ出した涙が止まらない。止めどなく溢れ出していく涙が顔を伝っていく。
その光が呆然と立ち尽くしている大輔の腕の中にすとんと収まった。
光の中から現れたのは、暖かな鼓動を感じる、不思議な柄をした卵だった。


「デジタマだ」


進化の疲労をもろともせずに、一生懸命駆け寄ってきたブイモンがつぶやいた。
もうろくに人間の言葉を発することができない大輔の嗚咽を聞きながら、
後ろから大輔の肩に腕を回して頭を載せる。


「デジモンはね、死んじゃったらデジタマに戻るんだ。きっとなっちゃんは、データチップを使い過ぎちゃったんだ。
疲れちゃったんだよ、大輔、寝かせてあげよう?
ずっと安心して眠れなかったなっちゃんが、今度こそ幸せになれるように一緒にいてあげよう?
始まりの街は、オレ達デジモンにとって、故郷みたいなものなんだ。家族みたいなものなんだ。だから、きっと大輔も気にいるとおもう。
だからさ、オレが側にいるからさ、泣いてもいいんだよ?大輔」


こくこくと頷いた大輔は、デジタマをしっかりと抱きしめて、思いっきり泣いた。ブイモンも泣いた。
この世界の主が失われたことで、この世界が存在意義を失って、緩やかに閉ざされていたデータが解除されていく。
真っ暗だった世界は一転して、青空と一面花畑の丘へと変貌を遂げたが、
そんな事気にしないまま、一人と一匹は名前も知らないデジモンのために泣いた。
涙が枯れた頃には、きっとまた立ち上がって一緒に歩くことができると知っているから、今はただ何にも考えずに感情に任せて泣いた。
なっちゃんのことだけをずっと想っていられるほど、
他のことそっちのけで一つのことに永遠にとらわれていられるほど、大輔もブイモンも子供ではない。
その残酷さと恐怖を知っているからこそ、なっちゃんからのお願いごとを叶えるために、
進むためには必要なことだと本能的に分かっているからこそ、
わんわんと泣いたのだった。誰かのために流してあげられる涙は、きっと強さになる。大輔にとっても、ブイモンにとっても。
穏やかな春の陽気に包まれた楽園で、ずっと大輔達はいた。そこは見渡すかぎり花畑が広がっている。
花言葉なんて知らない大輔もブイモンも気付きはしないけれども、それはなっちゃんからの最後の贈り物だった。
咲いているのは、ネリネ。ダイヤモンド・リリーとも呼ばれる花である。
花言葉は、輝き、忍耐、華やか、箱入り娘、幸せな思い出。そして、また会う日を楽しみにしています。また会いましょう。




DIGIMON DISCOVERY

エクスブイモン(黒)

ウィルス種

成熟期

ブイモンが規則的な進化を遂げたエクスブイモンの亜種であり、
古代種としてではなく現代種として進化した突然変異の幻竜型デジモン。
必殺技がエクスレイザーであること。
得意技が炎を繰り出すハーティシャッター、
強靭なあごでかみ砕くストロングクランチであることは同様だが、
邪悪な雷を操る事ができる蒼雷という技が追加されている。
他の個体でエクスブイモンを見たことがないため、
大輔たちはエクスブイモンという個体は黒いものであると勘違いし、
エクスブイモンと呼称することにしたようだ。



[26350] 第二十四話 いちばんだいすきなひと
Name: 若州◆e61dab95 ID:b34797ba
Date: 2013/08/03 00:00
遥か彼方に見えるムゲンマウンテンに夕日が落ちる。
ぱち、と顔を上げたブイモンは、無数のまっすぐに伸びる茎から直接花を付けている特徴的な花に気づく。
上半身を起こしてみれば、その花は8つほどの小さな花が集合体となっており、
葉っぱや枝分かれなどがない、ずいぶんと変わった花だと気づく。
赤、桃、朱、紅、白、と様々な混合種が存在しているらしく、密集した形で咲き誇っている。まるで燃えているようだ。
ネリネは南アフリカ原産の球根植物だが、もし大輔が目覚めたならば、ちょっと背筋が寒くなるかも知れない。
ネリネはヒガンバナ科の植物であり、花はもとより植物の全体像までがそっくりである。お彼岸といえば田舎の墓参りと相場がきまっている。
そんな事知らないブイモンは、すぐ隣でぐっすりと眠っているパートナーの姿が目に入って、ほっとひと安心した。
その腕の中にはしっかりとデジタマが抱かれていたので、すっかり疲れて眠ってしまったのだと思いだしたブイモンは、体を起こす。
うーん、と思いっきり伸びをして、ふあーっと大あくびをして、涙を拭う。
ちょっと目元の辺りに涙の跡が残っていたので、ゴシゴシと拭った。
ブイモンの瞳はもともと真っ赤だから充血なんてしていてもバレないが、もしかしたら顔がちょっとむくんでいるかもしれない。
試しに腕やら体やらを動かしてみると、やっぱり一晩大地に寝っ転がっていたせいか、体の節々が微妙な違和感とダルさを訴えていた。
思いっきり泣いた名残なのか、気分はすっきりしているのだが、どこか疲労感が残ってしまっている。それに声も枯れている。
初めての進化にも関わらず、長期に渡る飛行をほとんど根性でこなしていたせいではないだろう。
現に電撃を食らった箇所はもうすっかり回復しているし、痛みもない。
さすがに無茶をしたアザや打撲痕は残っているが名誉の負傷だ、元気だから大丈夫。
きょろきょろと辺りを見渡したブイモンは、大輔が起きないうちにお目当てのものを探してネリネの海を泳ぐ。
踏んづけないように飛び越えながら先を進んだ。
あった!と自然と顔がほころんだブイモンがつかんだのは、失われた洋館のベッドルームに置き去りにしていた大輔のリュックとPHSである。
よかった、もしPHSがなくなったら大変だ、と2度に渡ってパートナーデジモンとして頼りにされた誇らしい経験が行動させる。
よいしょっと軽々と二つを持ち上げたブイモンは、元きた道を帰り始める。どうやら大輔はまだネリネの絨毯で眠っている。


「大輔もう夕方だよ、起っきろーう」


すっかり寝過ごしてしまったブイモンは、全力で自分のことは棚上げすることにした。
昨日はいろいろありすぎたのだ。仕方ない。うん、仕方ない。オレ、悪くないもんね。
大声を出してみるが、身じろぎはするものの起きる気配はない。
リュックとPHSを傍らにおいたブイモンはそっと大輔に近づいた。
出会った頃から気付いていたが、大輔は朝に極端に弱い。そのうえ寝相が悪いし、寝起きはたいてい最悪だ。
本人曰く、目覚まし時計をセットしても止めたまま二度寝してしまう筋金入りのねぼすけで、
小学校に通うことになってから、今まで一度足りとも目覚まし時計よりも早く起きたこともなければ、
遅刻ギリギリまで眠ってしまい、母親に叩き起されて慌ただしい朝の準備と朝食を済ませるハメになるのはもはや習慣らしい。
何時まで経っても起きないパートナーを起こすのが仕事となりつつあるブイモンは、いつものように勢いつけて大輔に飛び乗った。
カエルの潰れたような声がしたきがするが気のせいである。ぴょんぴょん飛び跳ねながら、だっいすっけ、おっきろーっと叫ぶ。
ゆうがただぞー、ゆうがったー!と迷惑極まりない目覚まし時計に、たまらず大輔は一発で起きる寸法である。
たいてい大輔は文句を言いながら、時には怒気をはらみながら恨めし気にブイモンをにらみつつ、あくびを噛み殺して起きてくれる。
それでもブイモンは気にしない。伝授してくれたのが他ならない大輔だからである。
もちろん本人は話しのアヤで言ったに過ぎないが、後悔しきりだ。
たまに帰ってくる休暇はごろごろしたいのだと午後まで布団をかぶっている父親をたたき起こし、公園でサッカーをねだる大輔の常套手段が行われていた。


「おそよう、大輔」

「んあーっ……ふあああああ、おはよう、ブイモン」


まだ寝ぼけ眼らしい大輔は生返事のまま起き上がる。やっぱり大輔はひどい顔をしているので、ブイモンはあははと笑った。
もともと跳ねっけのある短髪は、毎回のことだが寝ぐせが凄いことになっている。
手ぐしではどうにもならないので既に本人はあきらめ気味だ。
目も充血しているし、いつもより顔が大きいし、疲れた顔をしている。
元気印の大輔にしてはビックリするほど珍しい光景だ。
一夜に2度も大泣きしたのである。当然であると言えた。
はやく近くにある小川で顔くらい洗わないといけないだろう。


「はい大輔、リュックだよ」

「おう、さんきゅー。やべえ、なんか体がだりい」

「オレもだよ、大輔。顔洗いに行こ」


もうここまで来れば頭も冴えてくるのか、このだらだらとした居心地のいい雰囲気に飲まれて変な会話をしていたと気付いたらしい。
まるで母親のような言葉に大輔はばつ悪そうに返事をした後、リュックを背負い込んでPHSを首にかける。
ブイモンがデジタマを持ってくれるので、そのまま足早に進んでしまう。待ってよっと慌ててブイモンは追いかけた。
冷たい小川で顔を洗った大輔は、なんとか寝癖をまともな形にしようと水鏡を覗き込んで、必死に手ぐしをかけている。
ぶるぶると豪快にしぶきを飛ばしたブイモンは、ふう、と一息ついて、大輔を見た。そしてジーパンを引く。


「大輔、ちょっといい?」

「んー?どうした、ブイモン」

「ちょっとだけ、大事な話」


おう、と即答してくれた大輔は、そのままブイモンに向きあってあぐらをかいた。
どうやらブイモンの違和感に気付いていたらしい。
ブイモンは大輔の顔を見つめることが出来ないのか、ちぎれ雲が流れていく穏やかな春の陽気を見上げて言った。
これだけははっきり言っておかなくちゃいけない、とブイモンが思っていたことだ。
少しだけ緊張感からか声がひっくり返ったが、大輔は揶揄することなく聞き役に徹してくれる。


「なっちゃん反則だよ、ずるすぎる。大好きなんて」


はあ、とブイモンは大きな大きなため息をついた。しゅん、としっぽも耳も元気がなくうなだれる。
今だからこそ、今の大輔とブイモンの構築してきた関係だからこそ言えるような言葉である。
なんで?と大輔は返した。そこには故人に対する暴言レベルの愚痴に対する非難や憤怒よりも、純粋な疑問の方が大きかったらしい。
なっちゃんとの風の様に過ぎ去ってしまった時間を共有し、出会いと怒涛のような出来事の果ての別れを経験した大輔は、
ブイモンが本気でなっちゃんに対して憎悪を向けているわけがないと知っている。


「………だって、だってえっ!」


ブイモンは、ぐっと両手を握りしめた。そして語りだす。
なっちゃんは、大輔とブイモンが怪奇現象に恐怖し、なんとか逃れようと苦心していた一連の日々の元凶である。
せっかく大輔が歳相応の振る舞いに抵抗を薄れさせ、素直になること、甘えること、誰かに助けを求めることを実行すると受け入れ、
これから、という最悪のタイミングでその微笑ましいながらも、大輔にとって大切な一歩を完膚なきまでに叩きのめしたのだ。
ブイモンを庇って、子供たちやデジモン達との間に距離感を作って、
孤独や孤立感すら深めながらも大輔はブイモンを信じていてくれた。
それなのに、再び躊躇してしまうに至った一連の行動について、特に素直になることの大切さについての心の柵を、
かつてよりもずっとずっと溶かしてくれたのは他ならぬなっちゃんなのである。
ブイモンは大輔の一番側で、すぐ隣でずっと一緒だったからわかるのだ。
大輔は失いかけていた意欲とやる気を取り戻していて、また頑張ってみようという気になっている。
ジュンお姉ちゃんと仲良くしたいという大輔にとって原点とも言える最終目標を結果的に再認識することになったから。
なっちゃんは、ずるいのだ。ほんとうにずるいのだ。
本来なら、なっちゃんを助けられなかったこと、分かってあげられなかったこと、
そして傷つけてしまった女の子デジモンの存在は、
大輔にとって致命傷とも言うべきトラウマを与えるはずだったのである。
再起不能にまで追い込まれることはないが、少なくとも今までの漂流生活で
すこしずつ学んできたことが一気に無に帰るほどの衝撃はあったはずだ。
しかし、そうはならなかった。後悔して悔やんで免罪符の象徴となるはずだったなっちゃんは、
最後の力を振り絞って、自らそれを全力で拒否したのだ。
負の柵にすることを無慈悲に、徹底的に、完膚なきまでにたたき壊し、
そして幾度も大輔が使ってきた逃避という手段を木っ端微塵に粉砕した。
なっちゃんは愛されることに関しては天才的な才能を秘めていたと言える。
あの可憐な姿すら、すべては自分を愛してくれる存在を忘れないように、
いわば愛されるために一生を捧げた集大成で作り上げた存在なのである。
無意識とはいえども、大輔が心から求めていた、守る側になるために必要な守られる側としてのなっちゃん、
ジュンお姉ちゃんが誰よりも大好きな大輔を理解してくれる、肯定してくれるなっちゃん、
そしてまた大輔が一歩を踏み出せるように、敢えて最後まで自分の自分勝手なお願いごとと称した、導き手としてのなっちゃんを、
あの女の子デジモンは完璧なまでに成し遂げてみせたのである。
そんなことをされて、大好き、なんて鈴を転がしたようなほほえみをたたえて消えてしまったなっちゃんを、
大輔が免罪符として使えるわけがないのである。きっと大輔はなっちゃんの件に関しては、迷うことなく進んでいけるだろう。
大輔にとってもブイモンにとっても、なっちゃんはこの上なく綺麗な思い出として鮮明な記憶と共に刻まれたのである。
これからなっちゃんのことを思い出すたびに、すべては思い出という美しいフィルターと共に昇華されていく。
ブイモンはパートナーデジモンとして、これからもずっと大輔と共に歩んでいくことになるのだが、
ブイモンの中ではブイモンだけの、大輔の中では大輔だけのなっちゃんが、ずっと生き続けることになるのだ。


「ずるいよ、なっちゃんは。大輔の1番をとってっちゃったんだ」


ブイモンはそれだけ言うとうつむいてしまう。
ブイモンには、好きになるという感情も、愛するという感情もイマイチよくわからない。全部一緒くたで好きというものなのだと思っている。
家族もしらない。友達も知らない。ほんの6日前までブイモンは知らないことだらけだった。
なんとなくわかったのは大輔から教えてもらったからであって、
大輔が家族や友達の好きについて大真面目に説明できるほど大人じゃないので
ブイモンは未だに、それらに向けられる好きというものもわからないままだ。
だから余計に混乱する。ブイモンは大輔にとっての1番になりたいと考えているけども、
どこまで嫉妬しなきゃいけないのか分からないのだ。
それでも、まだ我慢できる範囲なのだ。まだ実際に目にしたわけじゃない。
大輔の口から語られる存在についてはしぐさや雰囲気から憶測するだけだから、
比較対象にするにはまだ早い。それに人間とデジモンという大きな格差があるから。
そんなブイモンの前にデジモンという括りにおいて同族であり、比較対象にできる存在が現れてしまったのだ。
大輔がなっちゃんのことを女の子として意識していたことは分かっているし、
その意識の先にある感情が思慕なのか憧れなのか、大輔にとってこの上ない理想を体現
したような存在だからこその親密感なのか
明確な答えを大輔が自ら導きだす前に、中途半端な、もっとも頭を悩ませる最高のタイミングで別れを告げたのだ。
死んでしまったなっちゃんには、同じ土俵で戦っても、もう絶対に勝てないことをブイモンは自覚している。
だってブイモンにとってもなっちゃんは、とっても大切な存在としてこれからも残っていくことが分かっているから、余計に辛いのだ。
大輔の一番になるということは、大輔にとっての一番を蹴落とすんじゃなくて受け入れる事なのだと、
ジュンや太一達と大輔の関係を見つめ続けてきたブイモンは、なんとなく分かっていたはずなのだが、突きつけられるとキツイものがある。
中途半端な覚悟じゃとてもできそうにないことである。
それでも、哀しいかな、今この世界で最も大輔のことを分かってあげられるのはブイモンだけであり、
その一点に置いては、一生かかったって誰も分かりっこない、理解出来ない領域にブイモンはいるのである。
全力で受け止めることで響く言葉があるのだと、他ならぬ大輔が教えてくれたことをエクスブイモンだったブイモンは覚えている。
ブイモンはなっちゃんを形容するとき、あえて大嫌いという言葉を使わなかった。
だって、大好きの反対は大嫌いではないと気づいてしまったから仕方ないのである。
大好きも大っきらいも、裏をかえせば相手に対して本気で強い興味関心を抱いていることに代わりはなく、無関心が真の意味での正反対なのだ。
今ここでブイモンが大嫌いという言葉を使うのは、大好きと言っているも同じなのである。
ブイモンにとって、なっちゃんはいわば、大輔にとってのジュンと同義にほかならない。
言葉を紡いでいくブイモンに、正直そこまで真剣に考えたこともなければ、
今まで全く頓着していなかった大輔は驚きのあまり言葉が紡げない。
というか、太一やヤマト達に一時期なんかやたらと敵愾心向けてたのは分かっていたし、
タケルやパタモンにも警戒心を顕にしていた時期があることは分かっていたものの、
まさかそこまで考えぬいての嫉妬だとは考えもつかない。
ただ単に構ってくれない大輔にすねて、なっちゃんに対して怒っているだけだろうと考えていた大輔には寝耳に水だった。
どうやら我らが頼れるパートナーデジモンは、大輔が考えている以上に大輔のことが大好きらしかった。


「お前、どんだけオレのこと好きなんだよ」

「だって大輔はオレのパートナーなんだ、大好きにきまってるだろ!
もしかして、大輔がなっちゃんのパートナーになっちゃうんじゃないかって、すっげー心配してたんだからな」

「あのなあ、どんだけ信用ないんだよ。そんなことするわけないだろ、
なっちゃんには一緒にパートナー捜そうって言ってたじゃねーか」

「オレ、なっちゃんの声聞こえないんだ、わかるわけないじゃんか」

「あはは。ったくもう、何いってんだか。家族でもねえし、友達でもねえし
好きな女の子でもねえのに、ずーっと一緒にいる変なのなんて、お前だけで十分だっての。変な心配すんなよ」


くしゃくしゃに撫でた大輔は声を上げて笑った。え?と聞き返したブイモンが心底嬉しそうな顔をして立ち上がる。
もう一回言って!とねだられるが、えーやだ、と笑いながら大輔は却下する。
がーんとショックを受けたブイモンは、待ってよ大輔!とリュックとデジタマを抱えて逃げてしまった大輔を追いかける。
やなこった、と大輔はこっそり舌を出す。言葉では言い表せないくらい大切なやつ、だなんて、絶対にいってやらないのだ。
さあ、はじまりの街にいこうぜ、と大輔は憮然としているブイモンに手招きした。










「大輔、ちょっとは手抜いてよっ!」

「ばーか、だーれがするか」

「できないよ!」

「あったりまえだろ、こっちは毎日毎日頑張って練習してんだ、すぐに取られてたまるかよ」

「むあーっ、大輔の意地悪!」


はじまりの街は、おもちゃ箱をひっくり返したような素敵な街だった。
一歩ふみ出せば、ふかふかのベッドのようにスプリングが軋んでいるわけでもないのに、
超反発してくるので、まるでトランポリンみたいにジャンプしながら進むことができる。
碁盤の目のように四角く区切られた緑色の道をおもしろがって進めば、積み木のおもちゃで出来た塔がたくさんある。
たくさんの木があるのだが、そこになっているのは全部おもちゃだった。
ぬいぐるみだったり、ブリキのおもちゃだったり、昔懐かしいデザインのおもちゃがたくさんある。
どっちかというと赤ちゃんや幼少期の子どもが好きそうな、ちょっと大輔とは対象年齢が離れたおもちゃがある。
長い長い影を並ばせながら進んでいた一人と一匹は、夕焼けに染まるおもちゃの街を見ていた。
そして、デジタマがたっくさんある場所と、幼年期のデジモンが揺りかごの中にいる地帯を見つけた。
たくさんのデジタマのど真ん中に、なっちゃんが寂しくないように、とデジタマを置いた大輔とブイモンは、
幼年期のデジモン達の世話を焼いているはずのデジモン達が見当たらないことに困惑した。
おかしいな、どこにいるんだろう、なっちゃんのこと話さなくちゃいけないのに、と首を傾げる。
おーい、誰かいませんかーと呼びかけたが返事はなし。
途方にくれていると、珍しいお客様に興味を惹かれたのか、揺りかごからわらわらわらと沢山のデジモン達が集まってきたのだ。
ブイモンにより一匹一匹紹介されるが、ちっちゃくて可愛いデジモン達は、生まれたばかりのようでしゃべれないらしい。
自己紹介した大輔とブイモンは、すぐ側にあったおもちゃの木にぴょんぴょん飛び跳ねていることに気づく。
まるでだるま落としのごとく、一匹の上に一匹が乗って行く。ハラハラ見つめるしかない。
7匹までグラグラしながらいったのだが、風が吹いてきて崩れ落ちた。
あぶない!と慌てて大輔達は一匹残らず救出に成功したのだが、余計になつかれてしまったらしく、取ってくれとばかりに鳴かれる。
そのおもちゃの中に、小さなサッカーボールを見つけた大輔は、目を輝かせたのだった。
そしていまに至る。大輔達のまわりは、デジモン達の取り巻きが出来上がっていた。
なんとかサッカーボールをとろうと躍起になっているブイモンと大輔のやりとりをはしゃぎながら見ている。
みんな、ぴょんぴょんと興奮した様子でボールのまねをするのだ。もう可愛らしくて仕方ない。
すっかり得意になっている大輔は、久々のサッカーボールに夢中になっていた。
ブイモンも何とか頑張ろうとするのだが、相手は毎日努力に努力を積み重ねている生粋のサッカー大好き少年である、
大輔に挑むのは、かなり無謀と言えた。
クラブコーチの方針で、大輔はサッカーの基礎技術を叩き込まされてきたのだ、鈍っているとはいえ負けるわけにはいかない。
小学校2年生のチームは、チーム戦術で勝ち負けを駆け引きするよりも、
ひたすらサッカーボールに一分一秒でも長く触って、色々してきたことが何よりも評価される環境に置かれている。
小柄な体格の大輔は、パワーやスピードは中学からで十分だと励まされて今にいたている。
もちろん、上級生のキック技術は一級品だし、50メートル余裕でとばしたり、
カーブ掛けてキックしたり、ボレーキックを豪快に決めた我らがエースを見るたびに、
応援に熱が入るが、真似をして無茶をしても体を壊すだけでなんにもならない。
部活だけじゃなく、サッカー仲間と遊びにいったり、父親に付き合ってもらったりと
大輔にとってサッカーは何者にも代えがたいものである。
野球かサッカーに興味を持ってもらいたい、と本来ならば次男に付けるような、
二番手という意味合いがある大輔の名前をもらった我が息子に父親は大喜びのようだった。
得意になって話すのだが、専門用語が飛び交う会話にはさっぱりついていけないブイモンは、
また新しい大輔の一面も見つけて嬉しそうに笑ったのだった。


「ブイモンじゃ相手になんねーな、よーし、今からリフティングするから、カウントよろしく」

「え?あ、うん、わかった。1,2,3」


1年生のワンバウンドからの練習は地獄だった。
リフティングは練習すればするだけ上達するのだという言葉を信じて、必死にやっただけはある。
きっちりとボールの捉え方から、蹴り方、足首の力の入れ方、正確な位置で受け止め、きっちりける、
という一連の流れを一回でもみすったらテスト不合格、補習、居残りである。
勉強が大嫌いな大輔はよく算数で先生に呼び出しを食らっている。
ダブルブッキングは死んでも嫌だと必死だったから、これだけは上達が特別早かった。
リフティングばっかり上手くなっても、成績が悪すぎるとレギュラーから落っことされるのが、
小学校のサッカー部の辛い所なのである。泣きながら課題をやらされたのは今に始まったことではないが。
2年生の今は、なかなか150の壁が超えられない。
足をまっすぐに伸ばして、高い位置からのリフティングに移行してから後半の乱れが、どうしても直らない。
どうしてもバランスを崩してしまう上に、ここはまるでトランポリンの真上である。難易度は桁上がりだった。
100を超えたら、交互に足を使えとのお達しのため何とか四苦八苦するのだがなかなかうまくいかない。


「うおああああっ、だーくっそ、135とか鈍ったっ!」


ぽん、ぽん、と転がっていったサッカーボールと一緒に転がっていく幼年期のデジモン達。
大輔のリフティングを見て真似したくなったのか、頭の上にボールを乗っけて、
ポーンポーンとヘディングで繋ぎ始めた。地味に美味い。
すげえ、と大輔はカウントを開始し、すっかり本来の用事を忘れているパートナーに呆れつつ、
ブイモンも一緒になって遊んだのだった。
ちなみに最高記録は149。カウントしてくれていたペアの人は、
無常にもおまけしてくれなかった。おかげでまだ次の課題に行けていない。


「大輔、大輔、探さなくってもいいの?」

「えー、あとちょっと、あとちょっとだけ!な?こいつらにパス教えてえ!うますぎるぞ、こいつら!」

「もー大輔ええ」


すっかり自分の存在も忘れてデジモン達と遊ぶ大輔に、ふくれっ面のブイモンがずるずると引きずっていった。



[26350] 第二十五話 ともだち
Name: 若州◆e61dab95 ID:aa2b7a75
Date: 2013/08/03 00:01
ねこやひよこ、ことり、クレヨンで描いた微笑ましいイラストが並んだサイコロクッションが塔になっている。
てっぺんは三角形だったり、にっこり笑ったお星さまだったり、ハートマークだったりして綺麗な工作のようだ。
玩具の生っている木々に揺られて、木陰には生まれたてのデジモンが眠るゆりかごがある。
好奇心旺盛でいたずら好きそうな眼がきょろりと大輔とブイモンを見上げる。
9本の尻尾をクジャクのように広げて威嚇の体制を取ろうとしていた成長期のデジモンは、
くたくたの大輔たちにくっついている幼年期の大群にしばし言葉を失った。
侵入者が幼年期を襲うことが多々あるから神経をとがらせていたのだが、
むしろこれは幼年期に侵入者が襲われてる光景である。
少なくてもこいつらは大丈夫そうだと第六感が告げたので、雷による奇襲は取りやめた。


「何やってんだ、ベビーたち。っつーか、お前ら誰だ」


夕食時にもかかわらず、もっと構って構ってとわらわら集まってくる幼年期デジモン達の元気に圧倒され、
もうすっかりへとへとになっていた大輔とブイモンは、これ幸いとばかりに助けを求めたのだった。


「お、お、おちびっ、おちびじゃねーかっ!この柄のデジタマは間違いない!
4年前にどっか行っちまったおちびだっ!
どこいってたんだよーっ、心配かけやがってこの野郎っ!」


よかった、と心から大輔は思った。
なっちゃんの帰りを待ってくれているデジモンがここにいるのである。きっと寂しくはないだろう。
大輔の手から引ったくるようにして、なっちゃんのデジタマを受け取ったエレキモンの反応は、それはそれは嬉しそうだった。
ぎゅうう、となっちゃんのデジタマを割れてしまうのではないか、と
大輔達が心配になるほどのありったけの力を込めて抱きしめ、感動の再会を体全身で喜んでいる。
頬ずりして、うさぎのような耳を押し当て、デジタマの鼓動を感じて生きていることを噛み締めている。
よかった、ホントによかった、と涙すら浮かべているエレキモンは、
このはじまりの街で生まれてくる幼年期のデジモン達をベビーと呼び、
毎日のように小川から魚を取ってきたり、果物を山ほど持ってきたり、
遊び盛りのデジモン達相手におもちゃを提供して、時には一緒に遊ぶ、
この街のみんなのお父さんとお母さんを一手に引き受けているデジモンである。
エレキモン曰くなっちゃんがこの街を飛び出すころから、
このエレキモンはずっとこの街でたくさん生まれてくるデジモン達の世話をし続けているらしい。
卵の柄だけで判定してしまうということは、
この膨大な数のデジタマも幼年期のベビーたちのことも、デジタマの頃から全て知っているようだ。
はじまりの街では、デジタマは時間経過若しくは刺激を与えられることでデジモンが誕生し、
自動的にデジタマが揺りかごにデータ変換されているらしい。
たくさんの揺りかごが広がっている。
ブイモンも生まれたばかりのことはよく覚えていないけれども、ここに来ると懐かしい気分になるらしい。
きっと4年前、大輔がまだ4歳だった頃になっちゃんはここで生まれたのだろう。
そう思うとなんだか不思議な感じがする大輔とブイモンである。
デジモン達はここで生まれて、幼少期を過ごした後に、
みんな一人で生きて行くために旅立っていくとブイモンが言うので、
特別番組で見たサバンナの動物の親子を追いかけたドキュメンタリー番組を思い出した大輔は、
野生の動物達の生きる過酷さを幻視した。ということは、と指を広げて数えてみる。
ひょっとしなくても、なっちゃんが探し続けていた大切な人とは、
なっちゃんの前のデジモンの記憶なわけだから、
少なくとも4年前よりまえに出会ったことになる。これは困ったことになった。
なっちゃんが会いたがっていた人に、なっちゃんのことを知らせたい大輔は、
この世界でもし太一達以外に誰かと出会えたなら、聞いてみるつもりだった。
もしくは元の世界で聞いてみるつもりだった。
あの時大輔はなっちゃんに一緒に捜そうと言ったが、4年である。
さぞかしなっちゃんの放浪の旅は過酷を極めたのだろうコトを思うと、胸を締め付けるものがある。
あの時はなっちゃんを助けたい一心で、思いつく言葉を片っ端から並べていたけれども、
大輔の話すこれからになっちゃんが共感してくれたというよりは、
大輔が必死になってなっちゃんでは無くなってしまったデジモンに向けて、
ずっと耳を傾け、話し続ける直向さが響いたのかも知れない。
今となっては確認するすべがないし、大輔の中では既に完結した世界にいる住人である。
うだうだと考えるのは性に合わないと考えるのをやめた。
デジモンなんて変わった生き物に出会った人がもし元の世界にいるのなら、
きっと世界中どこにいたって必ず日本に飛び込んでくるニュースにあるはずだ。
新種の動物発見、とかなんとかいう情報で。
こういう時こそ、出版関係の仕事についている父親にお願いして調べてもらえばきっと分かるだろう。
今こうしてはじまりの街に帰りたい、というなっちゃんとの約束を果たすことが出来た大輔とブイモンは、
肩の荷が降りたのか顔を見合わせて笑った。


「本当にありがとうな、お前ら。えーっと、名前は?」

「俺は本宮大輔っつーんだ。こいつはブイモン」

「よろしくな、大輔のパートナーのブイモンだよ」

「おう、よろしくな」

「なあ、なっちゃん、いつぐらいに生まれるんだ?」

「なっちゃんだあ?なんだそりゃ。このオチビ、なっちゃんモンってのになったのか?聞いたことねえぞ?」


不思議そうに首を傾げるエレキモンに、あー、と今さらながらに
なっちゃんのデジモンの時の名前を知らないことを自覚した大輔は、あはは、と苦笑いを浮かべた。
まあいいけどよ、と深入りするほど興味を見いだせなかったのか、エレキモンはあっさりと話題を切り替え、
ちっと待ってろ、聞いてみる、と耳をデジタマに押し当てて眼を閉じる。
とくん、とくん、という鼓動がデジコアの音として聞こえてくる。
んー?と眉を寄せたエレキモンは、おいおいおい、と呆れた様子でなっちゃんのデジタマを見た。


「こんの甘えん坊、あんときは口だけは一丁前なこと抜かして、この街を飛び出しやがったくせに、今度はずーっといたいだあ?
ったくしょーがねえなあ、ここがどんなにいい場所か気づくのが4年越しなんて遅すぎんだよ、オチビ。
今度はゆっくりしてけ、あん時いられなかった時間を思いっきり堪能しろ。
いつでも生まれてきていいからな」

「え?言いたいことが分かんのか、お前!」

「ちょ、本気にするなよ、大輔っていったっけ?ちょっとしたジョークじゃねえか」

「なんだよ、紛らわしいな」

「まさか本気で引っかかるとは、ぶわっはっは」

「笑うんじゃねーよ、ブイモンもエレキモンも、オレに失礼だろ!」


エレキモンとブイモンに指を刺されて笑われた大輔は、
笑うなーっと顔を真赤にして怒るので、ますます笑いを助長させる。
いや、お前のそういう単純なトコ好きだぜ、と言われたが、全然嬉しくない。
エレキモンと大輔って似てるなあ、とつぶやいたブイモンには、一人と一匹は間髪入れずに否定した。
まるで始めから打ち合わせをしたかのようなコント仕様に、ますますブイモンは笑ってしまう。


「ったく、あいつらが似てる似てるいうから、どんなにかっこいい奴なのかと思えばこんなやつかよ、バカにしてやがる」


なっちゃんのデジタマを抱っこしたまま、憮然とした様子でエレキモンは、
胡散臭そうな眼差しで大輔を上から下まで見つめる。
うん、俺のほうが百倍かっこいいなと言い切られ、大輔はますますいらいらが蓄積されていくが、
ここでいちいち反応していては何時まで経っても話が続かないとばかりに
ブイモンが先を促すので、しぶしぶ聞かない振りをする寛大さを見せた。
オレって大人だなあと自己陶酔にも似たボケは、お調子者の悪い癖が出ていると判断して、
ツッコミを放棄したブイモンによって軽くスルーされた。
こほん、と気を取り直す形で会話を再会したエレキモン曰く、
なっちゃんのデジタマの様子から考えるに、ずいぶんとデータに欠損が見られるから、
自己修復する期間が相当長引くことを考えると、生まれてくるのはずーっと先だと聞かされた。
デジモンは生まれてきたい時に生まれてくるため、はっきりとした日数までは断言できないらしい。
記憶の継承の有無は完全にアトランダムに行われるらしく、なっちゃんの頃には記憶が中途半端に継承されたからと言って、
次に生まれてくる幼年期が必ず同じ姿とはいえども、同じようにいく可能性は全く保証できないとのこと。
ただ、もしその記憶の継承がなっちゃんのデジタマにとって重要だと
この世界が判断した場合は、意図的に介入してくることもあるらしいが、
最近この世界がおかしくなっていると本能で感じ取っているエレキモンは、
ちょっと難しいかも知れないと言葉を濁した。
なっちゃんのことを考えるなら、記憶が完全に継承されないほうが新しい人生をちゃんと真っ直ぐ歩いていけるコトは分かるものの、
やっぱり忘れられてしまうということは、とっても悲しいことである、と大輔もブイモンも共通して考えたのか、悲しそうな顔をしていた。
なっちゃんのことを聞きたいかと聞いたブイモンに、エレキモンは微塵も興味がない様子で首を振った。
エレキモンにとっては、はじまりの街に帰ってきたデジタマと生まれてくる幼年期のベビー達の幸せが全てであり、
人生を終えたデジモンの歩んできた旅路などには微塵も興味がないらしい。どうでもいいとあっさり流されてしまった。
そっか、と残念そうに肩をすくめた一人と一匹に、よっぽどこのオチビと仲が良かったんだなあと判断したらしいエレキモンは、
にひひと笑って胸を張ったのだった。


「まあ、オイラにどーんと任せとけよ。オイラが責任持ってこのデジタマは育ててやっから。
お前らのこと覚えてようが、覚えてなかろうが、会いに来てやってくれ。お前らおチビたちに相当遊ばれ、げふんげふん、
気に入られてるみてえだからな、あいつらと一緒で大歓迎だ。しっかし、ホントに今日は訪問者が多いなあ」


突っ込まない、突っ込まないぞ、と心のなかで葛藤を押さえ込みながら、大輔はさっきから出てくるあいつらとやらについて聞いた。











たくさんいるベビー達にこれから今日のご飯を配るのだ、これはオイラの仕事だから生きがいを分捕るな、と
あっさり手伝いを断られてしまった大輔とブイモンは、案内されたとおりにはじまりの街を進んでいった。
もくもくと煙が立ち上っている赤い屋根の煉瓦の家にたどり着く。
エレキモンの家には、どうやら大輔たち以外の訪問者が泊まるらしい。
ベビー達のご飯は、処理も調理もされていない生の魚まるごと一匹とか、
固い殻に覆われた果物とかが見えてしまった大輔達は、
まともな食事にありつけるだろうか、ととっても心配していたのだが、
エレキモンから訪問者の名前を聞いた途端、杞憂だと悟った。
いい匂いがしてくる。これは魚を焼いているのだろうか。
昨日の夕食はマシュマロサンドと水だけである。今日にいたってはまだ何も食べていない。
さすがにグーグーうるさい腹の虫に我慢の限界を超えつつあった大輔達は、
迷うことなく、ちょっと背伸びしてピンポーン、とインターホンを押した。
まだ元気があったならば、きっとピンポンダッシュとか意味のないイタズラを仕掛ける頭が回ったのだろうが、
もう腹が減りすぎて言葉少なになりつつある大輔達は、そんな意地悪をすることなく普通に玄関前に立っていた。
もしそんな事をしてしまえば、また相手を怒らせてしまい、
家に入れてもらえなくなることは容易に想像できるので、即刻却下された。
彼らの懸命な選択は、かねがね正解と言えた。
はーい、というお行儀のいい声と共に、がちゃりとドアを開けたのは一日ぶりの友人だ。


「エレキモンはいませんけど、どちらさ……」


ひょっこり顔を出した緑帽子の少年に、よう、と軽く会釈をした大輔、そしてヤッホー久しぶりとぶんぶん手を振るブイモン。
言いかけた言葉を紡ぐのも忘れて、まじまじと突然の訪問客をみた彼は、
大きく目を見開いて、あ、あ、と大きく口を開ける。
おもしろいくらいに硬直している少年を疑問に思ったのか、どうしたのー、と少年の足元をくぐり抜けて、
よちよちと二足歩行でやってくるデジモンは、大輔たちを見るなり、全く同じ反応をして固まった。
まるで亡霊を見るかのごとくな扱いに、ちょっとだけショックを受ける大輔である。


「なんだよ、久しぶりに会えたってのに、その扱い。ひどいじゃねーか。どうしたんだよ、タケルもパタモンも」


どこまでも脳天気なお調子者の久しぶりの声を聞いたタケルもブイモンも、
じわっと目頭が熱くなったのか、泣きそうな顔をする。


「ちょ、なんでお前らが泣くんだよ、大げさだなあ」


大輔の予想を遙か斜めに飛んでいく反応で、タケルとパタモンは迎えてくれた。
見当違いの勘違いをしてわたわたと慌てている大輔は、どうして集団行動を絶対視しているはずのタケルとパタモンが、
たった1コンビだけではじまりの街にやってきたのかなど、疑問に思うわけもなく、ヤマトさんに殺されるという恐怖に怯えている。
タケルとパタモンは、太一達と一緒に行動しており、たまたまはじまりの街に辿り着いたところに合流できたのだろうと思ってやまない。
洋館からなっちゃんの世界に迷い込んだ大輔達は、昨日の夜からタケル達に何があったのかなんて、全く知らないのである。
泣くなよ、と戸惑いと困惑に翻弄されながら狼狽しきっている大輔には、全く事情が把握できない。訳がわからない。意味不明である。
タケルだけでなくパタモンまで泣きそうになるなんて、相当ヤバい事態であることくらい大輔にもわかる。
ドアをばーんと勢い良く空ける音がして、びくりと肩を揺らした大輔に待っていたのは、泣き崩れるタケルの姿である。
ぎょっとした大輔はこっちが泣きそうだよ、と思いながら、どうしたんだよ、と慌ててタケル達のもとに駆け寄った。
タケルが本気で泣き出すところなど見たことがない大輔は、とりわけ人前に涙を見せるような性質ではないと知っているため、
あまりにもかけ離れすぎた突発的な行動には、もう白旗ぱたぱたのお手上げ状態だった。
タケルがそんな大輔の様子を見て、ぐしぐしと涙をぬぐいながら言葉を荒らげた。


「大輔君のばか!今までどこに行ってたんだよう!
急に居なくなっちゃうから、みんなで探したのにいないから、突然消えちゃうから、
ほんとに、ホントに心配したんだからね!なんでなんにも言わずにどっか行っちゃうんだよう!僕達友達でしょ?酷いよーっ!
みんな、大輔君達のコト傷つけちゃったから、どっか行っちゃったのかとか、
デジモンに攫われちゃったのかとか、ホントに心配したんだからね!
僕が大輔君のこと、嘘つきだって言ったから、怒ってどっか行っちゃったのかと思ったんだから!
大輔君たちのこと信じてあげられなかったから、ホントにどっかに連れてかれたんじゃないかって、
すっごく怖かったんだ!僕が一人ぼっちになることが一番怖いの知ってるくせにーっ!大輔君のばかばかばか!」


一気にまくし立てられても、全然状況が飲み込めない。
とりあえず、うんうん、と大きくうなずいているパタモンやひたすら言いたいことがループしているタケルの混乱迷走ぶりから、
大輔とブイモンがいなくなってから、みんなが心配して色々と手段を尽くして探してくれたことは分かった。
大輔もブイモンも顔を見合わせる。そして小さく頷いてから、迷惑をかけてしまったことを謝罪する。
ただいま、と笑った大輔に、こくこくと何度も頷いたタケルは、おかえりなさい、と返した。
ほっとしたせいか、タイミングを見計らったかのごとく、大輔とブイモンの腹の虫が騒ぎ始める。
きょとんと顔を見合わせた一同は、まばたき数回、なんだかおかしくなって笑ってしまったのだった。
エレキモンの家で、久しぶりのまともな食事にありついた大輔達は、食器を洗って片付け、ソファに座る。
そして、お互いがどういった経緯でこのはじまりの街に辿り着いたのか、話しあうことになった。


大輔とブイモンがいなくなったことに気付いた太一達は、
大輔とブイモンが怪奇現象の件で孤立を深めつつあることを知っていたから、焦った。
小学校2年生のくせに、やたらと自立心に溢れ、積極的な行動をとる大輔は、
思い込んだら一直線に突っ走ってしまうことをみんな知っている。
追い詰められた大輔が取るであろう行動なんて、全然予想することができないのである。
太一達に愛想を尽かし、自暴自棄になってブイモンと一緒に飛び出してしまったのかと思って、洋館の周囲を捜し回る。
洋館に勝手に上がりこんで、持ち前の好奇心旺盛な本能に従って、
勝手に探検を始めているだけかも知れない、と思って洋館中駆けまわる。
とうとう夜になっても見つからない現実に直面した太一達は、大輔とブイモンの危機を予感してしまう。
デジモンに攫われてしまったのかと思われたが、
進化の疲労でろくに立てない有様のデジモン達の代わりに、唯一元気だったパタモンが証言した。
みんな以外の気配は感じないし、物音ひとつしなかったと。
屋敷中をうろついた太一達が誰一人として大輔とブイモンをさらう現場を目撃しないのはおかしいし、
いざとなったら何がなんでも抵抗して助けを求めるのが大輔である。そうやすやすと誘拐されるとは考えづらかった。
そして大輔達の最近の行動や言動でおかしなことがなかったか、という推理パートにおなじみの情報集めが始まったとき、
ようやく彼らは、大輔とブイモンの冗談だと聞き流していた怪奇現象に思い至り、
誰一人としてまともに取り合っていなかったことに気づいて、戦慄する。
とりわけ大輔の必死の訴えを戯言として流していた太一とアグモン、
そして大輔に嘘をついてはいけないよと結果的に見れば見当はずれの注意をしたタケル、
パタモンのうけたダメージは尋常なものではなかった。
どうしよう、という混乱が子供たちに広がっていくが、全然証拠も状況もわからないので、どうしようもない。
そして気まずい雰囲気が流れ始めた頃、誰かのお腹の音が間抜けに響いた。
思わず笑ってしまった一同は、みんな疲れていて、お腹がすいているコトにようやく気づく。
大輔とブイモンが心配なのは分かるが、みんながみんな、オロオロしていてもどうしようもない。
もう遅いし、この洋館で泊まろうという方向でまとまったのだ。
タケルが話す洋館の構造は、なっちゃんの洋館とそっくりである。
変な符合に不思議を覚えながらも、天使の絵画が飾ってあったという違いだけが妙に引っかかる大輔は、
とりあえず話だけは全部聞きたいので、疑問は先送りして、先を促した。
思いがけない事態が起こり、警戒感も疲労でガタ下がりしてしまった一行は、次々と歓声を上げる。
おいしい料理に温かい大浴場、それにフカフカのベッドまで用意されていたのだ、
おもちゃの街以来のまともな衣食住が保証されている。
漂流生活を送っている子供たちには、思いがけない幸運だったのだ。料理のくだりに反応したのはブイモンである。
肉や魚、果物、パン、スープという子供たちが発想できる豪華な食事があったというのだ。
タケルやパタモンが美味しかったねとやたら具体的にしつこい位に細かく説明するものだから、
さっきご飯を食べたばかりだと言うのに、
またお腹が減ってきてしまう気がして、いいなあ、とブイモンは喉を鳴らした。
そして、みんなで10個あるベッドルームで眠ったら、大変なことになったといったんタケルは言葉を切った。
それというのも、それはすっかりみんなが寝静まった頃に起こったことであり、
気がついたときにはそれに巻き込まれていたタケルとパタモンは、
イマイチよく分かっていない。大輔たちに説明しようとしても、
結局話せるのは自分たちが経験したことだけである。
気がついたらベッド以外は洋館が跡形もなく消えていて、デビモンというブイモンも知っている悪いデジモンが現れ、
子供たちの乗っているベッドをそのまま中に浮かせたというのだ。
振り落とされないように捕まるのに必死で、デビモンと太一、アグモンがなにやら喧嘩をしているようだったが、
その具体的なやりとりまではわからない。覚えていない。
タケル達が覚えているのは、大きな満月を背に翼を広げて高笑いするデビモンのシルエットだけであり、
ベッドがみんなバラバラに空を飛び、みんなと離れ離れになってしまったという事実だけが残された。
タケルとパタモンはふたりぼっちである。
ヤマトたちとはぐれてしまった寂しさに耐え切れず泣き出してしまうタケルを見て、
優しいパタモンはバードラモンのように進化して飛べない自分を嘆いて泣いたらしい。
驚いたタケルは泣き止んで、パタモンと一緒に笑った。
この世界にきて初めてお互いしか頼れる存在がいないという状況下に置かれたタケルとパタモンが、
今まで以上に仲良くなるのは早かった。
とりあえず、ムゲンマウンテンが見える方向を目印に、ひたすら歩き続けた。
そして辿り着いたのがはじまりの街ということである。
エレキモンとのちょっとした誤解から喧嘩になってしまったので、バトルを開始してしまったパタモンにタケルは困り果てる。
大輔との3度に渡る喧嘩と仲直りの経験は、タケルからトラウマとも言うべき争いごとと対立に対する異常なほどの恐怖は払拭してくれたが、
戦闘というものには未だに抵抗感があるタケルは、ベビー達が怖がっているという理由を盾に制止させた。
子どもの喧嘩は仲直りできる、と学んだけれども、大人の喧嘩はすぐにごめんなさいすることができないのだ。
みんなタケルの前から居なくなってしまう。
それなのにパタモンもエレキモンも、お互いがガキ扱いされることに怒っていて、大人は自分だと言いはるのである。そして戦闘する。
タケルの中ではまだまだ心の奥底に刻まれた怖いことを再現しようとしてくるのだ、たまったものではない。
結局、タケルの思いついた綱引きによりパタモンが勝ち、エレキモンと仲良くなることができて、泊まって行けと言われたというわけだ。
大輔くんは?と言われたので、大輔はタケル達に聞かせることにした。
パートナーを探して4年間一人ぼっちで生きてきた可哀想な女の子、
優しいと言ってくれた女の子、大好きだと言ってくれた女の子、
自らデジコアを粉砕してデータチップを撒き散らし、自分で自分を傷つけて寿命を縮めてしまった可哀想な女の子デジモンの話をする。
はじまりの街に帰りたいという約束も無事達成できたから、また生まれてくるから、その時にはまたこの街に会いに来るつもりである。
そう締めくくった大輔が見たのは、なっちゃんの境遇を今の自分と重ね合わせたのかうるっと来ているタケルとパタモンである。
そして、大輔が居なくなってしまったために、言いそびれてしまった遅すぎる謝罪をしたのはタケルとパタモンだった。


「気にすんなよ、お互い様だろ。だってオレ達がいなくなってからのことなんて、
全然考えもしなかったもんなあ。そっか、みんな心配してくれたんだ。よかった」

「あたりまえだよ、大輔君もブイモンも、大事な大事な友だちだもん。みんな心配するよ」

「だって、だーれも信じてくれなかったじゃねーか、本気で泣きそうだったんだぞ」

「うん、本当にごめんね、大輔君にブイモン」

「まー、分かってくれたんならいいや。タケルもパタモンもいきなりみんなとはぐれたのは一緒だろ。
ホントにあえてよかったなあ」

「うん、ホントにそうだよ。パタモンも一緒にいてくれたけど、やっぱり不安だったもん」


ね?と隣のソファで寝転がっていたパタモンに話題を振ったタケルは、え?と一瞬悲しそうな顔をしたパタモンを見た。
あれ?とタケルは思ったのだが、パタモンはうーうん、なんでもないよと笑って、
すぐにタケルに同意してくれたので忘れてしまう。
タケルは1日ぶりに再会できた友人との会話のほうに一生懸命になってしまう。
タケルにとって、一番大切なヤマトお兄ちゃん、他上級生組は自分たちを守ってくれる頼りになる存在である。
大輔とブイモンは、彼らとはまた違ったつながりを持っている友達であり、
毎日忙しいくらいにいろんなコトをしている対等な関係である。
それに加えて、タケルはまだ無自覚だが、少しずつ大輔のことをライバル視しつつあり、
ちょっとずつ頑張って競うことを緩やかに促す存在であり、
話を聞けばとうとうブイモンが進化してしまったと言うではないか。さすがにちょっと悔しいと思ってしまったタケルである。
じゃあパタモンはと聞かれたら、タケルは大輔たちと同じ友達だと答えるだろう。
実際に今日でずっと仲良くなれたことをタケルは友達と称した。
ただし、タケルの中では大輔よりもずっと自分に近い立ち位置にいる友だちである。
一緒に寄り添って歩いてくれるパートナーデジモンを、タケルは心の何処かで自分と同じような存在であると認知していた。
みんなの中では一番ちっちゃくて、頼りなくて、弱くって、それでもそれなりに一生懸命守られる立場を一緒に頑張ってくれる存在。
タケルの心理を一番理解してくれるのがパタモンだということが、なおさらそう思わせる。
大輔やブイモンはタケルとは正反対の立ち位置だから、言葉で伝えてもイマイチ伝わらない感覚や意識をパタモンは掬いとってくれる。
タケルが一番自分に素直になれるのは、ちみっこい存在であるからこそのパタモンなのは、間違いなかった。
パタモンも意外と人をよく見ているようで、言葉をかわさなくってもタケルの言いたいことを分かってくれるし、
タケルもパタモンのいいたいことは全部分かっているつもりになっている。だっておんなじだから。
だからなのかもしれない。
パタモンがエレキモンと喧嘩をしてから戦闘をしたことがショックだったのは。
タケルにとってパタモンは一緒に寄り添ってくれる弱い者仲間であり、
対立や戦闘を好まない性質のタケルのことを誰よりも分かってくれるのに、
くれている筈なのに、タケルがやめてよ!と叫ぶまで、
ずっと喧嘩をやめてくれなかった。違う側面が見えてしまい、怖くなったのだ。
いつもなら、タケルがいいならいいよ、と柔らかく受け入れてくれる、必ず賛同してくれる味方なのにだ。
もちろん、タケルはパタモンに直接そうだよねと確認したことはない。だって会話すらいらない関係だから。そう思っている。
これは、お互いに無いものを補完しあう形で存在し、
お互いに影響しあって成長していく他の子供達とパートナーデジモン達の関係性では、
絶対に考えられないようなつながり方である。
パタモンとタケルは心理的にはどうあれどこまでも立場的には同じような存在で、お互いがひっそりと寄り添いあって、
頑張っていくちょっと変わった関係だからこそ、タケルが結論を出した関係性である。
そうなったとき、パートナーが進化したことで着実に守る側へと成長していく大輔をうらやましいと思い、好ましく思うことは有れども、
よわっちい自分たちを歯がゆく思う気持ちを自覚するまでには、まだまだ時間を必要とした。
だから不安だったといった。だってタケルもパタモンも弱いから。
まだまだ大輔へのライバル意識が芽生える兆候が見えはじめたばかりのタケルは、よわっちい自分を自覚していて、
守ってくれる存在があまりにも充実しすぎているせいで、今の立場で満足してしまい、これから先が浮かばない。
パタモンがはやく進化しないかなーとは思うものの、そこまで求めてはいなかった。
だってパタモンが進化したら、よわっちいのは自分だけになってしまうではないか。そんなの嫌である。
パタモンの進化について考えたことはあったけれども、そこまで本気で考えてはいないタケルが想像するデジモンが、
やる気のない、へんてこで、おもしろくて、笑っちゃうようなのばっかりだったのはそれが理由だ。
パタモンはすっかり怒ってしまい、そんなデジモンに進化するくらいなら二度と進化しないと言ったけれど、
タケルからすれば進化はわりとどうでもいいので、えーそんなにイヤあ?と軽く流した。
真剣に怒っているのに、とパタモンが落ち込んでいた本当の意味をタケルはまだ知らない。
タケルはとりあえず、大輔とこれからをどうするかで作戦会議中だ。


「ムゲンマウンテンに登って、デビモンに会いに行こうよ、大輔君。
お兄ちゃん達をどこにやったのか、聞かなくっちゃ」

「そーだなあ、エクスブイモンになったら空飛べるし、タケル達も一緒に行けるよな?」

「うん、大丈夫だよ。もし強いデジモンが襲ってきたって、オレがやっつけてやるんだ」

「よかった。僕とパタモンで明日出かけようねっていってたんだけど、どうしようかなーって思ってたんだ。
ムゲンマウンテンにいくには、海を超えなくっちゃいけないんだ」

「え?なんだよ、それ。孤島じゃなかったっけ?」

「なんかね、起きたら島がバラバラになってたんだ」

「えー、まじでか、何があったんだよ」

「さあ?」


大輔もタケルもデジモン達もまだ直接デビモンというデジモンについて、悪いデジモンであるという情報しか知らない。
目撃したはずのタケルも太一とアグモンがデビモンと言い合っていたように見えただけだし、
ベッドでふたりぼっちの旅を強いられたけれども、直接攻撃されたわけではなく、何か理由があるのかもしれないと思って、
そこまで深刻に考えてはいなかった。なにせ、今まで黒い歯車で操られていたデジモン達としか会ってないのである。
デビモンだってそうかも知れない、と連想するのは無理もなかった。
大輔にいたっては、まずデビモンがどんなデジモンなのかすら分からない状態である。
置かれた状況はなかなかに困難極まりないものの、情報の乏しさと状況を冷静に理解する知識も経験も無い二人にはちょっと早かったようだ。
大輔はなっちゃんから聞いた、なっちゃん視点の情報しか知らないため、
ますます実像とはかけ離れたイメージが形成されていく。
天使のデジモンは、なっちゃんが一人ぼっちで寂しくなると、進化して暴走して自分の寿命を縮めてしまうことを知っていながら、
毎日会いに来るという約束を破って、ある時を境に全く来なくなったのである。
天使のデジモンが来てくれるから寂しくない、と精神的に安定し、信頼し始めた頃にそんな暴挙をしたなんて信じられない。
それが結果的になっちゃんが死んでしまう原因になったと分かっている大輔は、その天使デジモンのこともちょっと許せないでいる。
デビモンはそんななっちゃんの前に現れて、大輔たちがこの世界にやってくることを
知らせてくれた上に、大輔となっちゃんをあわせてくれたのだ。
なっちゃんの視点からみるとデビモンはまるでいいデジモンにしか見えない。
天使デジモンしかなっちゃんの世界のことを知らなかったはずで、なっちゃん自身それをちょっと不思議がってはいたものの、
天使デジモンがなっちゃんを危険だから閉じ込めていると教えてくれた衝撃でどうでも良くなっていた。
大輔はデビモンが天使デジモンから聞いたのだろうと考えているため、会いに行くというタケルの提案にはかねがね賛成だった。


「進化、かあ。なっちゃんと戦っちゃったんだよね?ブイモン」

「うん。でも大輔が、なっちゃんの助けてっていう声を聞いてくれたから、オレは迷わなかったよ」

「そっか。………進化って、戦うのと一緒なんだね」


もともと進化という必要性をそこまで重視していないタケルの中で、パタモンの進化にまたハードルが上がっていく。
進化するということは、パタモンがみんなの為に戦うということとイコールなのだと、この時初めてタケルは気付いた。
今まで進化と戦いはタケルの中では別のものとして存在していた。
アグモン達の戦いは観てきたけれども、やっぱり心の何処かでどこか遠い世界の話、自分には関係の無い話であると
無意識のうちに切り捨てていた情報である。無理も無い。いい子であるということは、いろんなことを諦める名人でもあると言うことだ。
そう考えたときに、嫌だ、という想いが込み上げてくる。
パタモンが傷つくこと、パタモンが傷つけること、なによりもタケルをおいてパタモンが背中を見せる立場になってしまうことは、
タケルに言いようのない恐怖を感じさせる。
タケルは何故かずっと黙ってうずくまっているパタモンを見た。寝てるの?と聞いたタケルに、パタモンはあわててあくびをして、
つまんないから眠たいよう、と笑った。そして涙を拭う。


「ねえ、パタモンもやっぱ進化したい?」

「………え?そ、そんなことないよ?タケルは進化して欲しくないんでしょ?だったら僕、しないよ。タケルが望まないなら。
それに約束したじゃないか、僕はこのままでいいって。ずっとこのすがたのまま、君のそばにいるって」

「うん! 約束だよ。ボクたち、ずっと友達だからね!」  


微笑みあうタケルとパタモンに、ブイモンがんー?と首を傾げる。


「パタモン、タケルを守りたくないのか?」

「…………タケルがいいなら、僕はこの姿のままでいいんだ。だって、ブイモンたちが守ってくれるでしょ?」


おう、まかしとけー、と大輔が笑い、タケルもよろしくねと笑う。
今にも泣きそうな顔をして笑っているパタモンに、
ブイモンは納得いかなさそうな顔をして、再度問いかけるがパタモンは首を振る。


「なんでおんなじ友達なのに、こんなに違うんだろうね、ブイモン」


パタモンの小さなつぶやきが、笑い声に溶けていった。





[26350] 第二十六話 完全なる善 エンジェモン
Name: 若州◆e61dab95 ID:71f981f0
Date: 2013/08/03 00:01
ゴーグルを付けた短髪の子どもが、後ろから青と白のシマシマのアンダーとジャケットを引っ張るパートナーデジモンに呼ばれて振り返る。
なにやら相談事があるらしく、外に出たいと玄関を指さすので少年は仕方ないなと肩をすくめて、先程まで会話していた友人にわりいと謝る。
いいよ、いってらっしゃいと手を降った友人は、ソファですっかり眠ったふりをしたまま引込みが付かなくなってしまったパートナーが、
ちらちらと窓越しに少年たちの後ろ姿を伺っていることなんて知らないまま、てっきり一足先に眠ってしまったのだと勘違いして時計をみる。
すっかり夜になってしまったが、未だに本来の家の住人は帰って来ない。
ふあ、とあくびをして少年たちを待つことに決めたようだ。外は昨日と同じ満月が輝いている。
外に出たゴーグル少年は、窓をしきりに伺っているパートナーにつられてのぞいてみると、
目があった友人がどうしたの?と首を傾げる。
隣では、はっとした様子で慌てて顔を背け、
うつ伏せのまま強く目をとじてオレンジの大きな耳で顔を覆ってしまったパートナーがいる。
何でもねーよ、と笑った少年はパートナーに引かれるがまま、
ちょっとだけ辺りを散策し始める。月明かりが遠くにある積み木の塔を照らしている。
友人のパートナーデジモンの挙動に不審を覚えたらしい少年に、青きドラゴンが真剣なまなざしでなにやら説明し始める。
半信半疑で眉を寄せる少年だったが、やがて相棒の説明に何点か思い当たるフシがあったのか、
次第に納得し始め、緩やかに賛同に向かう。
少し言い返す場面はあったものの、拳を握って力説する相棒に、腕を組んで考える素振りをした少年は最終的に頷いた。
その際、なにやら茶化すような事を言って笑い始めた少年に、むっとしたらしい相棒は言い返す仕草を見せたが、
うまく言い返せないのか少年のからかいに拗ねたように頬をふくらませた。





夜であるにもかかわらず、鮮明な光景を写しとっていた鏡に突如ぴしりとひびが入る。
どんどん深くなっていったかと思うと、ガラスが砕け散るような音がして、そのまま木っ端微塵に粉砕されてしまった。


「何故だ」


最敬礼しているオーガモンとレオモンが呼吸のタイミングや方法、仕方を忘れてしまう様な、禍々しい重圧が生まれる。
ごくりとつばを飲み込むことすらはばかられるような、厳粛かつ圧倒的な恐怖を本能に刻みこむような殺気は、
もはやプレッシャーの領域を超えて、この場にいるデジモンだろうが人間だろうが死にたくなる雰囲気を形成する。
静寂と沈黙があたりを支配する。己の心音だけが響いている。その音すらうるさいと感じるほどだ。気が狂いそうになる。
その空間の主は、まるで地獄の底から這い上がってきたかのような、戦慄の声色で言葉を紡ぐ。
それは激情のはらんだ、明確な怒り。


「何故生きているのだ」


蹂躙された鏡の破片が跡形もなく消えてしまう。鏡の主であるデビモンのウイルスに侵食され、そのデータを失ってしまった。
闇の洗礼を受け、デジコアを直接ウイルスで染め上げられてしまったため、
廃人状態のまま支配下に置かれているレオモンは微動だにしない。
しかし、かつてこのファイル島を侵略しに来たスカルグレイモンを倒すため不本意ながらも共闘して以来、ライバル視していた歴戦の勇士が、
こうも呆気無くダークサイドに落ちる様子を目前で見て、その戦利品であるホネこんぼうすら叶わないと悟ったオーガモンは違う。
逆らうことが出来ずに自らの意志で服従したオーガモンは、初めて私的な感情を露呈したデビモンの豹変ぶりに違った意味で恐怖を抱く。
ムゲンマウンテンの主であるデビモンは、確かにファイル島において成熟期の中でも屈指の実力者ではあったが、
ここまで露骨にデジタルワールドの征服に野心を燃やし始めたのは、
黒い歯車という完全体すら支配下における入手経路不明の力を手にしてからだ。
スキあらば計画を乗っ取ろうとしていたが、この様子を見ると下手をすれば、
こちらまで抹殺の対象になりかねないと悟る。選択肢を誤ったが後の祭りだ。
黒い歯車の侵食はムゲンマウンテンからファイル島全土にまで及んでいた。
ムゲンマウンテン以外の全てのエリアに組み込まれた黒い歯車が作動し、
一夜にしてファイル島は沢山の離れ小島と化してどんどんデータの海を泳いでいく。
そこに選ばれし子供とパートナーデジモンを孤立させることで、
確実に戦力の分散と粉砕を狙った合理的な計画は、すでに瓦解の兆しを見せ始めている。
黒い歯車によって操られたデジモン達を大量に差し向けたが、
選ばれし子供たちはその圧倒的な逆境を跳ね返し、デジモン達を開放し、
協力してエリアをもとの場所に戻すことに成功しているのはもうデビモンも把握しているはずなのに、
不敵な笑みと余裕を崩さないのだ。
オーガモンから見ても明らかに、パートナーデジモン達は進化の都度に、
そのレベルの戦力を保つ時間も伸びていて、進化の回数も劇的に増えている。
パワーアップをしているのは明瞭で、追い詰められているにもかかわらず、どこまでもデビモンは態度を変えなかったので、
その豪胆さとしたたかさと底知れない心情に気味の悪さすら覚えていたのだが、
選ばれし子供の中でも最年少組を極端に警戒するのは大いに疑問である。
選ばれし子供たちはすでに最年少組を除いて皆合流を果たし、未だに海を漂流している
エリアを発見してからずっと向かっているのに、
デビモンの優先すべき驚異は相変わらずそちらに向けられているのだ。
それは、緑の帽子と服をきた金髪の子供とパートナーデジモンの中でも最弱の部類に入るデジモンに対して、
当初からオーガモンとレオモンをどちらも派遣するという計画があったことからもうかがい知ることができる。
オーガモンは知っている。鏡の向こう側にいるそのオレンジのデジモンを見るデビモンの目は、
憎悪を超えて不倶戴天の敵を見るような激しい何かを宿していた。
虎視眈々と計画を遂行していく主眼だけ重要視していたデビモンが、
私的な感情を顕にするのはそのデジモンだけだと思っていたが、
どうやらそいつだけではなかったらしい。明らかにデビモンは何がなんでも抹殺する対象を広げた。
選ばれし子供はパートナーデジモンに力を与えるという面では驚異だが、
デジモンさえ倒してしまえばただの子供は赤子をひねるより容易く始末できる。
そのため、オレンジのデジモンを無力化するという目的でパートナーの子供も標的になっているが、
デビモンは、明らかにゴーグル少年とパートナーデジモンを抹殺する対象として見始めたのだ。これは異常である。
見当はずれにも程がある幼稚で稚拙な推理と行動をしている最年少組は嘲笑の対象でしか無く、わざわざ敵陣に乗り込んでくるつもりならば、
盛大な歓迎会でも開いてやったらどうだ、とオーガモンは提案したから知っている。
黙れ、とデビモンは言ったのだ。絶対零度の眼差しは、イービル・アイを発動してオーガモンの動きを封じ込めた。
これは異常なほどの執念、執着を超えた何かがデビモンを突き動かしている証だ。
感情によって能力を発動させるなど三流のやることである。
これは計画とは完璧に無関係な私怨だとオーガモンは確信する。
なぜなら、イービル・アイを解除してその場に崩れ落ちたオーガモンとレオモンに、デビモンがはっきりと宣言したからである。


「あのデジモンだけは絶対に進化させてはならない。
そのためには、パートナーの子供を始末することが先決なのは変わらない。
しかし、貴様らは散々計画を失敗させてきたから、事情は変わった。私が行く。
貴様らは合流しようとしている選ばれし子供たちを確実に足止めし、始末しろ。最後のチャンスをやろう。
今回失敗したならば、我が糧として貴様らには死んでもらう。覚悟しておけ」


嘘だ、とオーガモンは確信した。建前などいくらでも用意できるが、
司令塔を気取って今まで必要以上に姿を表さなかったこのデジモンが、
直々に抹殺するために赴くと宣言するのは、はっきり言って方向転換にもほどがある。
どうやらそこまでさせる何かがあるらしい。面白くなってきやがったぜ、と
こっそり笑いながら、オーガモンはレオモンと共に姿を消した。
配下が去ったのを確認したデビモンは、満月を背にウイルスに侵食されてボロボロになってしまっている、漆黒の翼を広げて高笑いした。


「しくじったか、裏切り者め。最後の最後に情にほだされて、余計なデータまで消費するとはバカなやつよ。
選ばれし子供とデジモンを解放するために使ったエネルギーを自分の為に使えばデジタマにまで戻らなくとも良かったものを。
見ていろ、貴様が生き残らせた奴らと洋館もろとも心中したほうが幸せだったと、はじまりの街で懺悔するがいい」


オーガモンは抹殺の対象を最年少組であると判断していたが、
デビモンの抹殺の対象は始まりの街にいるデジモン達にまで拡大されている。
それはなっちゃんを利用すると計画した時点で、デビモンの計画の中ではなっちゃんに関わりあった者は、
全て何がなんでも抹殺しなければならない対象として認定されるからである。
デビモンにとってなっちゃんの存在はどこまでも邪魔であり、
この世界に生きていたという証すら残してはいけない存在である。
それは、完全なる私怨である。満月から、堕天使の影が消えた。









第二十七話 完全なる善 エンジェモン










月明かりが穏やかに降りてくる夜道をのんびりと散歩していた大輔は、ブイモンと共にエレキモンの家まで帰る途中だ。
タケルとパタモンになんて言えばいいのだろうかとブイモンと相談しながら、
まっすぐにうっすらと見える明かりを目指して進んでいく。
夜行性の大型デジモンと遭遇したとしても、まだ今日は一度も進化していないブイモンは、
夕方まで眠っていたせいか元気がありあまっているため、
万が一のことが起こっても心配要らないという安心感がある。
散歩と言っても、ほんの50メートルほど先をうろうろしていただけだ。
進化することが出来ないパタモンとタケルをほっとらかしなんて出来ないため、
足には自信がある大輔たちがすぐに駆けつける事ができる距離だ。
もう20メートルを切っている。うまく話の切り出し方が見つからずに四苦八苦していた大輔達は、
もうなるようになれとばかりにため息を付いた。
窓からタケルとパタモンがこちらに気づいて手をふっている。手を振った大輔は駆け出そうとした。
それを引き止める手がある。振り返った大輔は、一瞬顔をこわばらせて仰天し、
すぐに警戒と戦闘態勢に切り替えたブイモンを見た。


「大輔、何かくるよ!避けるんだ!」


ぐいぐいと手を引かれ、つまずきそうになりながらも走りだした大輔が振り返ったときに見たのは、
先程までいた獣道に突如出現した不気味な模様が禍々しい光沢を放ちながら広がっていく光景である。
どんどん範囲が拡大されていく。追いかけられる形で必死に走る大輔は、なんだよこれ!と叫んだ。
ブイモンはその模様がエレキモンの家からなるべく遠ざかるように、懸命に元きた道を突っ走っていく。
タケルとパタモンが大輔達の突然の行動に驚いて窓から外を覗き込むのが見える。
異常事態を察知したらしく、タケル達は玄関に向かったのか、窓から姿が見えなくなる。
あのバカ、何やってんだ!家でじっとしてろよ、見つかるぞ!隠れろ!
そう言いたいが、叫んでしまったらタケル達が危ないから言えないもどかしさ。
大輔の真後ろで、完成した魔方陣目掛けて無数のレーザーが炸裂した。まぶたに残像が残る。
ぎゅーっと目をつぶって瞬きを極力押さえ込みながら、
大輔は再び展開され始めた魔方陣の主を捜すべく、レーザーが飛んできた空を見上げた。
満月を背に空に佇んでいる影があった。喉元を引き裂いてしまいそうな爪をもつ腕が膝まで届きそうなほど長い。
そして、人のような姿のシルエットからは、ボロボロに穴が開いた真っ黒な翼が広げられている。


「デビモンだよ、大輔!」


うそだろ、という言葉が漏れる。すぐ後ろではレーザーに焼き尽くされたところから、風に乗って草の焼けた匂いが漂ってくる。
どんどん魔方陣の展開する速さは早くなっている。
このままでは追いつかれてしまう、と悟った大輔は、胸元で飛び跳ねているデジヴァイスをかざした。


「行けるよな、ブイモン」

「うん、いつでもオッケーだよ!」

「お前の背中、また借りるぞ!」

「まかしといて!」


大輔とブイモンの足元にまで侵食してきた魔方陣にレーザーの雨が降り注ぐその刹那、
デジヴァイスからダウンロードされたデータがブイモンを構築しているデータを迅速な速さで分解、スキャン、再構成をする。
光から現れたエクスブイモンに飛び乗った大輔は、
ぎりぎりでデビモンの得意技であるレザーウイングをかわして、一気に駆け上がった。


「いきなり攻撃してくるなんて危ないじゃねーか!何すんだよ!」


不敵な笑みを浮かべるだけで、終始無言のデビモンは真っ赤な目を細めて大輔たちを見下す。
初対面したデビモンは、大輔がなっちゃんから聞いていた通りの文字通り悪魔を彷彿とさせるような姿をしている。
ゲームでよくある単純な二元論で語られる善悪の悪のイメージをかき集めて、
カタチを作って、色を塗ったような奴だ。
もし事前情報がなかったら、きっと勘違いしていたに違いない。デジモンも人も外見で判断できないものだと学んだ大輔は、
気圧されるコト無く、デビモンから感じられる殺気やプレッシャーをはねつける。
大輔は気付かない。正しい情報をなにひとつ与えられていない大輔とブイモンは、完璧にデビモンを勘違いしていた。
デジタルワールドで初めて襲われたサイバードラモンが同種の恐怖を与えてきたから、黒い歯車で操られてしまったデジモンは、
本気で相手を圧倒的な暴力による蹂躙で抹殺しようとすることもあるのだと知ってしまっていたから、勘違いしていた。
デビモンはあくまでも黒い歯車によって操られているだけであり、ブイモンが言っていたもともと狡賢くて凶暴な性格が、
ますます暴走しているだけなのだろうと思い込んでいる。
実際、ブイモンやパタモンが知っている悪いデジモン、ムゲンマウンテンの主としてのデビモンは、
確かに狡賢くて凶暴だが、知性がとても高いため無益な戦いはせずに、計略と謀略で頂点に君臨しているようなデジモンだったから、
触らぬ神にたたりなしといった感じで、わざわざ関わり合いにならなければ害にも薬にもならないような存在として知られていた。
そうでなければファイル島において、他のデジモン達に悪いデジモンだと知られることがまずありえない。
今まで棲み分けることができるわけがない。
なによりもこのデジタルワールドが、成熟期が中心に生息していて、完全体が少数のエリアであるファイル島で、
そもそもデビモンが生きることを許すはずがないのである。もっと相応しい場所を選ぶはずだ。
だがその情報を大輔に提供したブイモン達は、その情報自体すでに古いものであり、
このデジタルワールドが危機に陥っていることは知らなくても、おかしくなっている現
段階に置いて、
全く役に立たなくなっており、むしろ信用したがためにいろいろとひどい目に会ってきたことをすっかり忘れてしまっていた。
無知であるがゆえの行動は、どこまでも無謀でしか無い。
大輔は慎重に黒い布に身を包むデビモンから、黒い歯車がどこにあるのかを捜そうと目を凝らしてみるが、さっぱり見当たらない。
おかしいぞ、と違和感を覚え始めた頃、デビモンがおもむろに両手を広げてエクスブイモンの前に立ちはだかった。


「デビモン、アンタに聞きたいことがあんだ。
なっちゃんをあの世界に閉じ込めた天使のデジモンってどこにいるんだよ」

「フ、フフ、フハハハハハハハハハッ!」


大輔とエクスブイモンは、突然狂ったように笑い始めたデビモンを見て絶句する。
高笑いするデビモンはどこまでも嘲笑の眼差しで大輔たちを見つめてくる。
そして、その耳を塞ぎたくなるようなゾクゾクとする囁きが、大輔たちを凍らせた。


「なんたる無知!愚かなる選ばれし子供よ、その愚鈍さを呪うがいい!」


デビモンの腕が突然大輔の体から生えてきたかと思うと、鈍色の光沢を放つ真っ赤な爪が深く深く大輔の首に食い込んだ。
突然の奇襲にぎりぎりと首を閉め挙げられた大輔は、呼吸することも叫ぶこともままならないまま、持ち上げられていく。
大輔はここでようやく悟る。このデビモンというデジモンは、本気で大輔たちを抹殺しに来ているのだと、殺しに来ているのだと、
初めて現れた敵なのだと、倒さなくてはいけない存在であり、説得や解放といった手段は通用しないのだという無情な現実を知る。
じたばたと暴れる大輔が、エクスブイモンの体から離れて中に浮いていく。
大輔っ!と叫んだエクスブイモンは、大輔をはなせええ!と叫んで異空間に沈ませている右手目がけてエックスレイザーを発射する。
しかし、そこにデビモンの姿はない。どこだと懸命に捜すエクスブイモンの目前で、
デビモンが大輔の首を締めながら、高笑いをしているのが目に入った。
てっめえ、となっちゃんを騙していたのはこいつなのだと気づいて睨みつける大輔に、一瞬だけ浮かんだ恐怖と絶望を笑う。


「冥土の土産にいいことを教えてやろう、愚か者よ。そんなデジモンなどこの世界には存在していない」

「なっ!まっさか、おま、天使のデジモンをっ」

「いないといっているだろう!」

「うわああああっ!」


大輔!とエクスブイモンは叫ぶが、大輔を人質にとっている以上、盾にされかねない位置にいるパートナーを巻き込んでまで、
必殺技も得意技も打つことは出来ない。もしその爪が大輔の喉元を掻き切ったら一瞬で小さな命は終わってしまう。
天使のデジモンという言葉に過剰反応するデビモンは、違和感に満ちている。
まさか、そんな、うそだろ、と脳裏をよぎっていたものの、今まで幾度も却下してきた事実が信ぴょう性を帯びてきて、
大輔は否定して欲しくて、違うと言って欲しくて言葉を紡ぐ。
大輔たちに絶望を与えるのならば、天使のデジモンはすでにデビモンによって抹殺されており、
なっちゃんに語ったことはすべて虚構だと言えばいいのだ。
そしたら大輔はもちろんエクスブイモンも、デビモンをイイデジモンであると感謝しながら死んでいったなっちゃんが、
完璧に利用され、死んでしまったのだというあまりにも残酷な事実を目の当たりにして、確実に絶望することになる。
なのに、初めからそんなやつはいないのだということを事実のように振りかざすのだ。このデビモンというデジモンは。
みしみし、と声帯がやられていくのを感じながら、激しく咳き込んだ大輔は、それでも屈せずに叫んだ。


「まさか、お前、が、天使の、デジ、モン、だったって、いうのかよ!」


嘘だと言ってくれ、と祈りにも似た叫びだった。おかしいとは思っていたのだ。
この世界から遣わされた天使のデジモンしか、なっちゃんの世界のことは知らないし、なっちゃんの世界を自由に出はいりできない。
なっちゃんは自分の理想を拒絶し続けてきた他者という存在を極端に恐れるようになっており、それは猜疑心と疑心暗鬼に満ちている。
もし自由にデジモン達が入るように出来ていたら、他者恐怖症でありながら寂しがり屋の彼女は、きっとデジモン達を傷つける。
だからこそデジタルワールドから切り離した箱庭、揺りかごの中で緩やかな更生をする日々を送っていたのだから、意味がなくなってしまう。
天使のデジモンを抹殺したという言葉が聞けないことは、ますます大輔とエクスブイモンを動揺させた。
大輔の言葉を聞いたデビモンは、興奮した様子でその血走った目で大輔を見下した。


「我が魂を求める者よ。今目覚めの時は来た。汝にわが翼の祝福を」


紡がれるのはかつて司っていたエリアにおいて捧げられた聖句である。
大きな2枚の翼をもち、月の魔力によって炎を操ることができた下級天使の姿が
デビモンの脳裏によぎり、憤怒で大輔を締め付ける腕の力が増加する。
大輔の悲鳴が上がった。


「汝を守護する天使なり。我が務めを果たすべくここに覚醒せり」


堕天使は語らない。
惨たらしく殺された天使の残骸データによって誕生したという事実など禁忌でしかない。


「我知るは天の理。神の導きに従いて我が魂をささげん」


目の前の子どもとデジモンに現実を突き付けるだけでいいのだ。


「汝の使命、我が務めのままに参る」


本来天敵ともいうべき聖なる言葉を躊躇なくいえるのは、
かつて聖なるものとして生きたDNAがゲノムとして残っているからだ。
デジモンは進化と退化を繰り返して生命は循環し、新たなる命は更なる力を手にして誕生する。
刻み込まれた経験値はすべてデジコアに記録されている。
たとえ対極の存在に進化したとしても、生命の歴史はたしかにデビモンの中に存在するのだ。
そう、たとえば、記憶の継承という形で。


「やはり貴様らには死んでもらおう。この世界に、忌わしき屈辱の歴史を知る者などあってはならないのだ!
私はデビモン!いずれデジタルワールドの頂点に君臨する者として、光に屈し、自由を知らぬ愚か者だった事実など、
今の私には必要無いのだ!」


デビモンの衝撃的な発言は、ますますエクスブイモンに攻撃を躊躇させることになる。
かつて、なっちゃんの為に揺りかごを用意して、共に更生の道を援助すると約束した天使と、
この目の前にいるなっちゃんを死に追いやるキッカケを与えた堕天使が同一のデジモンであるなど、誰が信じられるだろう。
もちろん、大輔やエクスブイモンの反応を見ての計画犯であるデビモンは、見せつけるように大輔の声を枯らす。
デビモンがかつて下級レベルの天使であったこと、自ら望んでダークサイドに落ち、デビモンとして誕生したという事実は、
デビモンにとって誰にも知られることは許されない。絶対に。
こんなことを知っている存在の抹消は、かつての同族であったエンジェモンに進化する可能性を秘めているパタモンよりも、
遙かに優先度を超えてしまう。
なぜなら闇と光は背反し、悪と善は背反するが、実は境界が限りなく曖昧だとこの子供は気づいてしまったのだから。
デジモンはネットやパソコンに存在するデータをもとに実体化した存在である以上、
人間が育んできた思想や宗教概念も色濃く反映されている。
悪と善は常に表裏一体だった。
人間が想像した存在を反映しているのだから、どこまでも人間臭いのは当たり前である。
神が存在しているのに悪がなくならない理由付けのために生まれたのが、堕天使でありアクマであり魔王である。
かつて神に並ぶ存在だった天使が、簒奪を試みて世界で最初の地獄の住人になったのが悪の根元である。
数が多くなりすぎたという理由だけで、天使は簡単に堕天するし、悪魔は簡単に天使となる。
もともと他の思想や信仰を排除して自分たちの考えを反映させる人間の歴史の中で、
排除されたのが悪魔になり、取り込まれたものは天使になった。
それが実体化して生きているのがデジタルワールドなのである。
デビモンにとって、自分は悪であり闇である。背反する立場だった過去など絶対に知られてはならない。
かつて規律と調停を重んじる厳格な戒律の中で最下層として存在していたこと、
完全なる善の存在を盲目的に信じて服従していたこと、
他する思想や存在を一切認めずに相手の存在を完全抹消させることに対して、
何の疑問も持たずに生きていた無知で無学で愚か者で、
何よりも自由という存在が存在しなかったことを思い出させる屈辱的な過去である。
レオモンやオーガモンに任せておけるわけが無いのである。何としてもこの子供とデジモンだけは抹殺しなければならない。
たとえこの世界を征服することが失敗したとしても、デビモンはきっと大輔たちを本気で殺しに来るだろう。
呼吸困難になり始めた大輔は、次第に意識が朦朧としてきたのか、クラクラとしている。
悲痛なエクスブイモンの叫びが聞こえる。デビモンが確信に満ちた笑みを浮かべたとき、それは起こった。


「ゴッドタイフーンッ!!」


突如発生した竜巻が、デビモンだけでなく大輔もろとも巻き込まん勢いで迫ってくるではないか。
避けるために大輔を放り出したデビモン。その隙を見計らってエクスブイモンがあわてて大輔を抱き抱える。
助けるためとはいえ、いくらなんでも大輔が怪我をするかもしれない攻撃を平気でしてくる存在がいるなんて信じたくはなかった。
しかし、エクスブイモンは、どこかで予兆を感じ取っていたので、振り返って、やっぱり、と思ってしまう。


「なあなあ、大輔、オレ、パタモンは本当は進化したいと思うんだ。
だって、パートナーを守りたいって思う気持ちは、パートナーデジモンはみんな同じはずなんだよ。
でもタケルはなんでか知らないけど、パタモンに進化してほしくないみたいだ。それってとってもおかしいことになるよ」

「なんでだよ?パタモンはタケルが言うんならいいんだっていってたじゃねーか」

「それがよくないんだよ。だって、オレ進化してみて、なっちゃんみてて分かったんだ。
進化って、きっと想いが産むんだよ。心から思った願いから生まれるんだよ。
大輔はオレに進化して欲しいって思ってくれたから、デジヴァイスでオレと大輔の想いが伝わって、進化できたんだ。
パタモンは進化したがってる。ずっと守られるってつらいんだよ?
パタモンにとっては、パタモンがいなくてもヤマトや太一やみんながタケルのことを守ってくれる、
今度はオレが進化できるようになったから、大輔が守ってくれるようになっちゃった。
パタモンは優しいから、タケルにずっと言わないで我慢してるからあれだけど、
オレ達にとって、大好きなパートナーから頼りにされないって、すっごく辛いんだよ、大輔。
オレ、すっごく辛かったんだ。大輔は全部一人で決めちゃって一人で進んで一人でなんでも出来ちゃうから、
オレいらないんじゃないかって、すっごく悩んだんだもの。
大輔はパートナーデジモンとしてオレを大好きだって言ってくれたから、もうオレは迷わないでいられるけど、
それまでは嫉妬しちゃったり、大輔が他の人と仲良くなるのを邪魔したり、結構いろいろしてたんだよ、オレ。
でもパタモンは、なんにも言わないで、なんにもしないで、なんにもできないで、ただじーっとタケルと一緒にいるんだ。
それって、とっても残酷なことだよ」

「なあ、もしパタモンの気持ちが爆発しちゃって、進化したらどうなるんだ?」

「さあ?でも、とっても怖いことになるのは間違いないと思うんだ、オレ。
だって、なっちゃんみて分かっただろ?大輔。デジモンって本当は一人で生きていくのが当たり前なんだよ。
家族なんていないし、姉弟なんていないし、ピョコモンみたいにみんなで生きていくデジモンもいるけど、
普通は同族で生きて行くのが当たり前なんだ。オレだってこんなことがなかったら、
きっとパタモンたちと会うことなんて絶対になかったと思う。
でも人間は違うでしょ?家族がいて、友達がいて、知り合いがいて、沢山の関係をもって生きていくんでしょ?
大輔とパートナーになった時点で、きっとオレは普通のブイモンとは違ってると思うんだ。
本能で生きてるブイモンとオレはきっと進化のあり方も違ってるんだよ。
もし、オレがデジヴァイスを通して、大輔と想いを通じ合わせて進化できなかったら。
普通のブイモンみたいに進化することと同じだと思うんだ。それって、きっと本能でいきるエクスブイモンと同じだよ。
大輔、怖くない?進化したら、オレがなんにもしゃべってくれなくなったら、エクスブイモンになったオレを怖がらないでいてくれる?」

「あー………そっか。そーだよな」

「だろ?エアロブイドラモンになったオレが怖くなかったのも、オレがしゃべったからだよね?
パタモンが何に進化するかなんて、進化してみないと分かんないけどさ、タケルもパタモンも傷つくよ。
きっと、その進化の先にいるのは、パタモンじゃない、全然違うデジモンだと思う。
いこう、大輔。このままじゃ、きっと、大変なことになる」

「おう、わかった。急ごうぜ。あー、でもなんて切り出すんだよ、ブイモン。
タケルのやつ、いろいろ大変だったから多分パタモンに戦ってほしくないんだろうし、
パタモンは今のまんまでいいっていってる状態なんだろ?どうすんだよ」

「あーそっか。どうしよう?」

「オレに聞かれてもわかんねえよ」


そこにいたのは、パタモン時代に蓄積された負の感情を、完全な善の存在であるがゆえに認めることが出来ずに、
自らが信仰する正義の為に、いかなる手段を使ってもデビモンという悪の存在を完膚なきまでに叩きのめすために生まれた天使がいた。
自分の存在理由と背反する感情を抱く矛先であるエクスブイモンと大輔にも、刃を向けようとする、現実世界の下級天使の本質を投影した、エンジェモンがそこにいたのである。


「堕ちたものだな、我が同胞ピッドモンよ。せめて私の手であの世への手向けにしてやろう」


輝く6枚の翼と純白の衣を身につけた下級レベルの天使型デジモンは冷酷に宣言した。
完全な善の存在で、幸福をもたらすといわれている光の象徴は月明かりに照らされて輝いている。
悪に対してとても厳しく、相手が完全にデリートされるまで黄金に輝く拳を繰り出し、
決して攻撃を止めようとしない性質をもつ彼の攻撃対象はデビモンだけではなく漆黒の龍にも向けられた。
それは本能だ。すべてのデジタルモンスターはあるソフトに感染したコンピュータウィルスが先祖であるといわれている。
そのうち、ネットワークを通じて世界中に広がったウィルスに目を付けたハッカーが、
より強固なシステムを破壊できるように人工知能を埋め込んだのがウィルス種の原型といわれている。
コンピュータのデータを破壊して、そのデータを捕食することで生命を維持するように造られた存在は、
やがてその生命維持の性質のみをオミットし、コンピュータにハッキングを仕掛けるウィルス種として定着した。
対抗する形で生まれたのが、対ハッキング用ワクチンを投与されたウィルスであり、ワクチン種の原型なのだ。
ウィルスによってデータが破壊されるのを防ぐために造られたワクチン種は、本能的にウィルス種を攻撃して消滅させる性質を持っている。
にもかかわらずこの世界がウィルス種とワクチン種の共存を可能としているのは、
その本能を抑え込んでくれる理性というものを現代種のデジモン達が手に入れたからだ。
しかし、進化の際に光に飲まれてしまったパタモンの意識がエンジェモンにあるのかどうかは、エクスブイモンには分からなかった。




Digimon Discovery

ピッドモン

成熟期

天使型デジモン

ワクチン種

エンジェモンと同様の聖なる力を持つ天使型デジモン。エンジェモンと対になるように赤い布を携えている。大きな2枚の翼を持っていて、右手には先が月の形をした“ホーリーロッド”を持っている。炎の力を操る。

必殺技はファイアーフェザー:燃え上がる羽を流星のように降り注がせる技。
得意技はアポロトルネード:炎の竜巻を発生させる技。
 ピッドスピード:“ホーリーロッド”にエネルギーを溜め、もの凄いスピードで攻撃する技。
 メガヒール:聖なる力で体力をかなり回復させる技。

デビモンはかつてエンジェモンと同族の天使だったとされており、ダークサイドに堕ちた姿であるといわれている。また、成熟期の天使型デジモンが死亡した場合、50パーセントの確率でデビモンに進化することが確認されている。



[26350] 第二十七話 届かない声
Name: 若州◆e61dab95 ID:7b291483
Date: 2013/08/03 00:02
「ねえねえ、ママ。聞いて、聞いて。あのね、恐竜がいたんだよ。
 すっごく大きな恐竜がね、すっごく大きな鳥さんとケンカしてたんだよ。
 だから、こうなったんだよ」


もうずっと昔の話で、タケルもヤマトも覚えていない出来事がある。
まだタケルとヤマトが表面上は一般的なごく普通の家庭として、両親と共に暮らしていた頃の話である。
もう小学校1年生だったヤマトは、うすうす父親と母親の冷え切っていく関係性に気付き始めており、
それでも気づいてしまえばきっと家族は壊れてしまう、ばらばらになってしまう、と
必死に現実から目を背けて、タケルのお兄ちゃんを「始めていた」。
新婚気分などとうに抜けきった家庭の中心が子供に緩やかに移り、
夫婦は育児を通して初めての両親という立場を必死で学んでいき、
父親、母親という役割を務めることにゆっくりと変化していき、それでもそこに確かな気持ちがあるのが一般的であるとされる。
しかし、もうすでに夫婦が共にある理由が、2人の幼い兄弟がいるからというただ一点の言い訳に使われ始めたとすれば、
教育、世間体、金銭面、仕事、家族、親戚、という様々な理由を作るための枷として利用され始めたとすれば、それはとても悲しい現実だ。
まだ4歳だったタケルは、そんな事知らないまま、小学校1年生のヤマトとある日、大きな大きな恐竜を見た。
すでに小学校1年生になり、物心が付いていたヤマトは、
もちろん夢かもしれないそんなことをわざわざ両親にいうなんてことしない賢さが身についていたが、タケルはそうではなかった。
1994年のある日、それは後に光が丘テロ事件と呼ばれる出来事が日本を震撼させた、
衝撃的なニュースの渦中にタケルの家族が巻き込まれた日だった。
一夜にして光が丘の集合住宅地にある高層マンションを中心に、
まるでテロ事件が発生したかのような無残な光景が広がっていたのである。
原因は不明、犯行を行ったテログループの声明もなし、警察の威信をかけた捜査も空転、結局迷宮入りしてしまった事件であり、
そのマンションの住人たちはマスメディアに翻弄され、世間からの好奇の目に晒されるハメになった。
もちろんほとんどの家庭は光が丘の高層マンションを引き払い、別のマンションに引っ越してしまうことになる。
マスコミ関係者だった父親、名のある小説家だった母親は世間に顔が知られている、いわば有名人一家であったタケルの家は、
まだ幼いタケルはまるで理解できなかったが、まちがいなくその出来事による一連の忙殺が家族の亀裂を決定的にしたのは間違いなかった。
テロ事件に巻き込まれた有名人一家、というマスメディアの恰好の餌食にされたことで、もともとお互いの仕事に関する姿勢や仕事内容、
家族に対する考え方など、様々な問題が一気に夫婦間に噴出してしまったのである。不慣れな対応を強いられた夫婦は、もう疲れきっていた。
毎日、仕事と家庭の両立、マスコミからの執拗なプライベート追求や無遠慮なまでにずかずかと家庭環境の不和を取りざたされ、
それらから何とか子供たちを守ろうとしていた、キャリアウーマン、いわば自立した女性として知られた母親が、
テロ事件という渦中に突き落とした忌々しい夜のことを、愛しいわが子がそんなふうに表現したらどうなるか、いうまでもなかった。


「ああもう、またそんな空想と現実をごっちゃにして。一体誰に似たのかしら」


その瞬間、タケルにとって、大きな恐竜さんと大きな鳥さんの喧嘩は、夢の世界の出来事として、
遙か記憶の彼方に忘却していくことになる。
やがて夫婦は離婚し、タケルは母親に引き取られ、父親に引き取られたヤマトがいるお台場の高層マンションから遠く離れた、
世田谷区にある三軒茶屋に軒を連ねる高級マンションの一つに住居を移すことになった。
シングルマザーという言葉が書籍によって流行語になり一般化してから、まだ10年しか立っていないような時代である。
今まで家庭安全神話が当たり前とされ、不可侵領域とされていた、タブー視されていた家庭内に存在する様々な問題が、
芸能人などのブラウン菅テレビの向こう側の世界ではなく、一般の家庭ですら起こり得ることに日本中の人々が気付き始めた。
学校もいじめや不登校という問題があり、決して子供たちにとって絶対視できる安全性を保証してくれる神話がもろとも崩れ去り、
連日ニュースで報道されるような時代だった。
なにが正しいのか、なにが間違っているのか、日本中の家族や学校関係者、世間が懸命に答えを探し、真剣に考えはじめた時代である。
そんな時代に、離婚という選択肢をとった有名な小説家の母親は、シングルマザーになった。
タケルという愛しいわが子を、なんとか立派な大人に育てなければならない、と
いう母親に掛けられたプレッシャーは尋常なものではなかったに違いない。
光が丘テロ事件について、空想に満ちた想像力を働かせる我が子は、
このままで大丈夫だろうか、このままではいけないのではないだろうか、と
母親が苦悩するのも無理はなかった。
そんなこと知りもしない幼い息子は、普通を目指して苦心する母親に守られながら、愛されながら育った。
小学校に行って、友だちを作って、一緒に遊んで、そしてゲームや漫画といったサブカルチャーに興味をもつ普通の子どもになっていく。
当時、まだまだ成長途中だった産業であるサブカルチャー文化は、まだまだ宝石とゴミクズがぐっちゃぐちゃの時代であり、
大人が子供に与えてもいいと判断するのに必要な基準、いわゆるレーディングが設置されていなかった。
そのため制作会社はいろんなゲームや漫画を発表することが出来た一方で、子供を守るべき意識に目覚め始めた保護者達はその判断に苦心する。
サブカルチャー文化にまだまだ誤解や先入観がはびこっていた時代であり、関連の事件がお茶の間を騒がせるから無理も無い。
タケルの母親もおもちゃ屋のチラシを眺めては、これがほしい、あれがほしい、と無邪気に笑う息子のことを心配する母親であり、
ゲームや漫画を買うときには必ず一緒にでかけ、一緒に目を通してから、判断を下してOKをだしたものだけ与えるという、
小学校2年生の子どもを持つ母親としてごく普通のことをしていた。
ちょっとだけしつけや教育に厳しい普通のお母さんだった。
母親から向けられる期待と愛情を一心にうけたタケルは、ちゃんとした男の子として育っていく。
残虐性や性的描写はもちろん、一般的な価値観から考えて、子供の教育上あんまりよろしくないものは排除された優しい世界で育つ。
いいことはいいこと、わるいことはわるいこと、というシンプルな世界のなかで生きていることが許される、まだ小さな子供である。
ちっぽけな子供でしか無いタケルにとって、今まさに繰り広げられている光景は、まさに悪夢と言えた。
この出来事はタケルの根本を変えてしまうような影響を残さない代わりに、
タケルが今まで生きてきた世界を支えていた価値観や常識、行動の指針となるものを何一つ残さない平地にしてしまうことになる。










第二十七話 届かない声










タケルは必死で現在置かれている状況を把握しようとしていた。デビモンはわるいデジモンである。これは間違いない。
だって、デビモンは大輔から聞いたなっちゃんという女の子のデジモンが死んじゃうキッカケを与えたデジモンである。
それに、タケルとパタモンを守るために、果敢に立ち向かう大輔とエクスブイモンと戦っているし、
なっちゃんのことを知っているやつはみんなやっつけるなんて怖いことを平気で言っているし、
それににゅーっと生えてきた手で大輔の首を掴んで、ぎゅーっと絞めたのだ。ひどい、これってないよ、ひどすぎるよ。
さすがにここまで来れば、タケルだって、黒い歯車に操られているのが見つけられないデビモンは、
みんなを傷つけるデビモンは、悪いヤツなんだって、やっつけなくちゃいけない奴なんだってことは理解できる。
漫画やゲームで出てくる主人公にやっつけられる悪者なんだって分かる。いいデジモンじゃないんだ。
しかし、ほんとうに?と心の何処かで引っ掛かりを覚えてしまうのである。
デビモンは本当に漫画やゲームに出てくるような、やっつけてもいい奴なんだろうか。
だって、デビモンは天使だったんだよ?なっちゃんにいい子になろうねって、
一緒に頑張ろうねって約束した天使だったんだよ?と心の声が問いかけてくる。
エンジェモンもいってたよ。ピッドモンっていうデジモンだったんだっていってたよ。
エンジェモンはきっとエンジェルからだから、ピッドモンはきっとキューピットだったんじゃないかな。
うん、やっぱり天使だよ。きっと。もしかしたら、もとの天使のデジモンに戻れるかもしれないよ?
なっちゃんだって大輔くんとブイモンが頑張ったおかげで、いいデジモンにもどれたんだから。
でも、ともう一つの声がタケルに迷いを生ませるのである。
もう天使じゃないよ?エンジェモンが言ってたじゃないか。許せないって。
天使がやっちゃいけないことをやったから、とっても怒ってるよ。
デビモンはわるいデビモンになっちゃったんだから、もう天使じゃないんだから、関係ないよ?
いいデジモンだったことを知られたくないからって、いいデジモンだった頃のことを利用して、なっちゃんが死んじゃうきっかけを作って、
大輔くんとエクスブイモンが戦えなくなっちゃってるんだよ?それって、悪いデジモンがすることより、ずっとひどくない?
じゃあ、天使じゃないデビモンはわるいデジモンで、天使に進化したエンジェモンはいいデジモンなの?と自答する。
エンジェモンがはっきりとデビモンを倒すって、殺すって、あの世に送ってやるっていったことは、いいことなの?許されることなの?
いっちゃいけないことはデジモンも人間も変わらないんじゃないの?
今までタケルにとって、クリスマスに見る天使や漫画、ゲームに出てくる、絵本に出てくる天使は、
いいこと、幸せ、正義の味方という正しいことの象徴だった。
パタモンが、進化しないって約束を破ってごめんねって言いながら、進化したときにはなんでって思ったけれども、
大輔やエクスブイモンが危機に陥っているこの状況下で、進化したのはまさにタケルにとっては喜ばしいことだった。
真っ白な天使に進化したパタモンは、エンジェモンになった。天使がエンジェルっていうことくらいタケルは知っている。
本来なら、パートナーデジモンであるパタモンが進化したのがエンジェモンなんだから、

タケルの大切な友達なんだから、タケルはそんなこと疑問に思うことなく、
そうだと肯定しなければいけないことくらい分かる。
それがタケルにはできない。どうしてもできない。むしろ、タケルは生まれて初めて天使に対して恐怖を感じている。
それはもう、悪魔であるデビモンと同じくらいの恐怖を感じているのだ。
なんで、エンジェモンは、大輔くんを助けるためにデビモンを攻撃したときに、大輔くんまで巻き込もうとしたの?
なんで、昔おんなじ天使だったデビモンとお話しすることもなく、一方的な蹂躙とも言える暴力をふるおうとしたの?
タケルが争いごとや対立が嫌いで、なかなか戦いに決心がつかないこと、
パタモンにギリギリまで進化してほしくなかったことを知っているはずなのに、
はっきりとタケルにも聞こえる声でデビモンを殺すっていったの?
エンジェモンになってから、一度も僕のことをみてくれないの?話しかけてくれないの?ずっと無表情で無言でずっと戦ってるの?
エクスブイモンはブイモンの時と一緒で、大輔くんといっしょに会話が出来ているのに、どうして僕とエンジェモンは出来ないの?
どうして、デビモンだけじゃなくて、エクスブイモンにまで攻撃してるの?
エクスブイモンが必死に説得してるのに、やめてくれっていってるのに、なんでやめてくれないの?
エクスブイモンはエンジェモンから何度も攻撃を受けても、ただひたすら逃げまわってるのに。
あれ?なっちゃんの時みたいに、攻撃を攻撃でうち消しちゃえばいいんじゃないかな?
ああ、そっか、大輔くんを抱えたまま飛んでいるから、攻撃できないんだ。もう逃げまわるしか無いんだと理解する。
デビモンに首を締められちゃったせいで、大輔くんは息をすることすら出来ないくらい苦しがっているんだ。
意識も朦朧としてて、立てないんだ、しゃべれないくらい危ない状態なんだ、
最初みたいにエクスブイモンの背中に乗れる元気はないんだ。
エクスブイモンはお腹にあるエックスからブームを発射して攻撃する、
もしくは両手でパンチしたり、キックしたりする、と
大輔から聞かされていたタケルは、大輔を守り切ることに必死であるエクスブイモンが全てを封じられていることに気づいて、
ますますエンジェモンがしていることが卑劣極まりないことに気づいて驚いてしまう。
エクスブイモンはすぐにでもタケルのいるところまで大輔を送り届けたいのだろうが、
デビモンからの猛攻があることを考えると、
無防備になってしまっているタケルのところに行くのは危険極まりなく、
エンジェモンがタケルのもとに近づけようとしないから、
なおさら孤立無援になってしまっている。まるで集団リンチである。
防衛しか手段を取れない相手への一方的な暴力である。
これではエンジェモンがデビモンの味方みたいではないか、エクスブイモンの味方のはずなのに。
本当なら、エンジェモンはエクスブイモンと一緒にデビモンと戦わなくてはいけないのに!
おかしい、これっておかしい。一体どうなってるんだろう、何があったんだよう!
タケルはもう何が何だか分からなくなっていた。
天使だとか悪魔だとか、悪いデジモン、いいデジモン、敵だとか味方だとかそういった考え方ではもう頭が追いつかないのだ。
もう叫ぶしか無い。タケルは必死でエンジェモンの名前を呼んだ。


「っめて、やめて、やめてええ!やめてよ、エンジェモン!エクスブイモンに攻撃しないでよーっ!
大輔君もエクスブイモンも僕達の友達でしょう?!なんで攻撃するの?やめてよおおおっ!」


タケルの必死の問いかけに、今まで沈黙を守っていたエンジェモンが、どこまでも無機質な声色で返す。


「何故そんな事を聞くんだい?」


タケルはぞっとした。まるでマネキンのようである。そこには一切の感情が感じられない。
もうそこにはタケルの知っているパタモンの名残はどこにも見出すことが出来ない。
まるでエクスブイモンと大輔に対して攻撃することに対して、何の疑問も抱いていないような様子である。
いくらなんでもおかしい、とタケルは確信した。なんかおかしい。エンジェモンはなんかおかしくなっている。
だって、エレキモンと出会ったときに、なんだか大輔みたいだと言ったのはパタモンなのだ。
短気でせっかちで喧嘩っ早いけど、守りたいものを守るためなら体を張って頑張ることができる、
喧嘩をしてもすぐに仲直りすることが出来る、とってもイイヤツであると笑ったのはパタモンなのだ。


「だっておかしいよ!友達を傷つけるのはおかしいよ!」

「タケル、それは私が信じている正義と比べて、大切な事なのかい?」

「え?」

「私は善の存在なんだ。しかし、パタモンだった頃に、私は大輔やブイモンに対して嫉妬や妬みという負の感情を持ってしまっている。
これはいけないことなんだ。私は完全なる正義の存在でなければいけないんだ。
なくさなければいけない。だから私は、彼らを攻撃する」

「なに、それ」

「大輔達がいなくなれば、私は私としていられる。あたりまえのことをしているだけだ。タケル、どうしてそんな顔をするんだい?」


あまりにも無慈悲な発言に、無茶苦茶すぎる発言に、タケルはついていけない。
エンジェモンは何を言っているんだろう、と必死で考えてみるのだが、全然理解出来ないのである。
まるで宇宙人と会話をしているような気分になる。
タケルにとってもはやエンジェモンの考えていることは、許容範囲を超えていた。


「デビモンもエクスブイモンというデジモンもウィルス種じゃないか」

「うぃるすしゅ……?」

「ウィルス種は悪いデジモンなんだよ、タケル。倒すべき敵なんだ。
私達ワクチン種のデジモンはいいデジモンなんだ。ウィルス種は滅するべき宿敵なんだ。
だからそんなパートナーをもつ大輔も私は許すことができないんだ。
生かしておくわけにはいかない」

「そんな…なんでそんなひどいこというの?デビモンとエクスブイモンはちがうよ!
 エクスブイモンは僕たちの仲間で、大事な友だちなんだよ!一緒にしないでっ!」
 
「違わないさ」

「なんでっ!?」

「私には分かる。彼らは私たちとは違うんだ」


なんで、なんで、なんでっ!タケルの悲痛な叫びは満月の夜空に響き渡る。
ウィルスとかワクチンとか生まれて初めて聞かされる単語ばかりでエンジェモンの言いたいことは微塵も分からないタケルである。
ただエンジェモンが事情を一切鑑みないでエクスブイモンとデビモンを同列扱いしていて、
だからこそパートナーの大輔も許せないとまで断言する横暴さと傲慢さだけははっきりとわかった。
仲間外れとは次元が違う、あまりにも理不尽な物言いはタケルにとってあまりにも強烈な衝撃をもたらした。
悪魔と天使の間には決して相容れない断絶があるのはなんとなくわかるけれども、
なにやら難しい共通事項があるというだけで、問答無用でエンジェモンはエクスブイモンと大輔を敵と認定する。あまりにも無茶苦茶だ。
友だちを否定された。大事な仲間を否定された。まぎれもないパートナーであるはずのエンジェモンから!
そして、エンジェモンはタケルの目の前でデビモンはおろかエクスブイモンと大輔もこの世から葬りさると断言しているのだ。
なにもできない。ちっぽけな自分はなにもできない。必死で止めようと声を張り上げても、エンジェモンには届かない。
どうしよう、どうしよう、このままじゃ大輔君たちがっ!!そんなの嫌だよっ!
タケルは必死で頭の中に浮かんでしまう最悪の事態を振り払いながら、エンジェモンに向かって訴え続けていた。
タケルとエンジェモンの会話が続いている間も、エクスブイモンは懸命にデビモンの攻撃から逃げまわっている。
最も警戒していた選ばれし子供とパートナーデジモンの成立しない会話を聞いていたデビモンが、心底愉快だとでも言いたげに笑った。


「相変わらず虫唾が走る!その傲慢なまでに自らの信仰する正義にそぐわないものを排除しようとする姿、まさにエンジェモンだな!
自らに非があることは決して認めようとすらしない!だから私はダークサイドに落ちたのだ!」

「黙れ、デビモン。善良なデジモン達を黒い歯車によって操り、悪いデジモンに変えているお前を私は許しはしない!」


デビモンのいうことも、エンジェモンのいうことも、
タケルにはどっちも正しく聞こえてしまうが、どちらも間違っているように聞こえる。
どちらも極端すぎるのである。タケルからすれば、正義だとか、悪だとか、
そういったものの前に、もっと大切な事がある気がしてならない。
タケルはエンジェモンをよんだ。そして、問いかける。


「よくわかんないよ、エンジェモンの言ってること。僕にはわかんないよ。
だって、だからって友達を傷つけていいことにはならないよ」

「………残念だな、タケル。キミは分かってくれると思ったんだけども。
すまないが、私にもタケルの言っていることがよくわからないよ。
デジヴァイスで伝わってくるキミの気持ちは、わからないよ。
きみは喜んでくれないんだね。私はもう弱いパタモンではない。だから、キミのことを守ってあげられる。
大輔達に頼らなくっても、私だけの力で君を守ることができる。でも君は喜んでくれないんだね、
頼ってはくれないんだね、どうしてだい?
君はデビモンと戦うことも、大輔やエクスブイモンと戦うことも、私が進化していることも望んでいない。
では、君は私に何を望んでいるんだい、タケル?教えてくれないかい?君は私に、何を求めているのかな?」


その質問に、タケルは、とっさに答えることができなかった。タケルは返答に窮した。
タケルの中では、もう今まで行動の指針となっていた価値観や思考回路が、目の前に行われている光景によって、
見るも無残な形で、がらがらと音を立てて崩れ落ちているのである。
求められることに機敏に反応して、相手が望むようなことを返すことが当たり前と成っているタケルにとって、
エンジェモンから求められていることを理解出来ないし、どうやって答えたらいいのかも分からないし、
ただなんとなくではあるが、その求められていることは確実に間違っているのだと心が叫んでいる。
だから言葉が紡げない。自分から求めることを、やっとし始めたばかりのタケルには、あまりにも無理難題すぎるものだった。


「わかんないよ、僕、わかんないよエンジェモン!」


パートナーの言葉に残念そうに肩を落としたエンジェモンは、タケルに背を向けた。
あ、と手を伸ばそうとしたタケルに、エンジェモンは言い放った。


「ならば、私は私の正義の為に戦うよ、タケル。私はただ君を守りたいんだ」


どこまでもタケル以外の存在は勘定されていないという残酷さがここにある。
ホーリーロッドから繰り出された光が、エクスブイモンに直撃する。
とうとうエクスブイモンは進化するエネルギーを使い果たして落下する。
大輔を守るために抱きしめたまま落下していくブイモンに、迫りくるデビモンの追撃。
タケルは慌てて大輔とブイモンの名前を呼びながら、エンジェモンの静止を降りきってかけ出した。
どうして、と困惑するエンジェモンを尻目に、デビモンは子供たちもろとも止めを刺そうとレーザーの雨を発射した。
ダメだ、とタケルは思った。エンジェモンは大輔とブイモンを助けてくれない。なら僕が守るしか無いんだと懸命に走る。


「大輔、タケル、大丈夫かっ!!」


ずっとずっと心待ちにしていた声が聞こえてくる。


「お兄ちゃん!ガルルモン!」


ガルルモンに乗ったヤマトがタケルをのせて、レーザーから間一髪逃れる。
タケルは大輔とブイモンが空とバードラモンによって見事救出される瞬間を見た。
よかった!ともう涙ぐみそうになるタケルである。
後ろを振り向けば、ようやくオーガモンを撃退し、レオモンの洗脳をデジヴァイスで解いたことで、
タケル達の危機を知り、駆けつけることが出来た太一達がデビモン相手に奮闘している。


「よく頑張ったな、タケル。大輔たちと一緒に頑張ったんだな、えらいぞ」


頭をなでられる。ほっとして、タケルはヤマトに顔をうずめた。


「もう大丈夫だ。でも、エクスブイモンも大輔もボロボロじゃないか、怖かっただろう?
タケル達を守るために無茶したんだな、大輔。遅れてゴメンな、タケル」


タケルは涙が止まらなくなる。今まで必死にこらえてきたものがぷつんと緊張の糸を切り、溢れ出してしまう。
うわああああん!とタケルは大声を出して泣き出した。背中をさすってくれるヤマトに抱きつきながら、タケルは違うのだと首を振った。


「どうしよう、お兄ちゃん!エンジェモンが、エンジェモンがっ!」

「エンジェモン?あの天使みたいなデジモンか?」

「パタモンが進化してエンジェモンになったんだけど、おかしいんだよ!パタモンじゃなくなっちゃったみたい!
僕のいうこと聞いてくれないんだ、僕の声、届かないんだ!大輔君達に嫉妬してるとか何とか、それをもっちゃダメだから、
大輔君達を攻撃するんだって、いって、何回も、何回も、僕止めたのに!やめてって言ったのに!うわあああああん!」


大泣きし始めた弟の恐怖は察するに余りある。
しかし、その場にいることができなかったヤマトは、タケルにどう声をかけていいのか分からない。
ヤマトはしっかりとタケルを抱きしめたまま、デビモンと熾烈な戦闘を始めているエンジェモンというらしいデジモンを見上げた。
パートナーの気持ちを置き去りにして独りよがりの進化を遂げた天使に、持ち得ている聖なる力はほんの少ししか使えるわけもなく、
何とか奮闘するのだがことごとく返り討ちにされる。
やがてエンジェモンはそのまま撃墜され、パタモンに戻ってしまったところを、何とか他の子ども達が受け止めたのだった。
選手交代とばかりに、グレイモン達によるデビモンへの一斉攻撃が始まるが、デビモンはもう戦闘する気はないのか、全てをかわして夜空を翔んだ。


「興ざめだ。どうやら私はとんだ見込み違いをしていたようだな。聖なる力すらろくに扱えない者など、私の驚異には成り得ない!
選ばれし子供たちよ、ムゲンマウンテンで待つとしよう。そこで決着をつけようではないか。
そんなザマで到底私の敵となり得るとは思えんが、せいぜい、怯えながらその時をまつがいい!」


高笑いが木霊する。逃げるなんて卑怯だぞ、戦え!といきり立つ太一の叫びに応じることはなく、デビモンは姿を消した。




[26350] 第二十八話 兄姉奮闘記
Name: 若州◆e61dab95 ID:f55e3960
Date: 2013/08/03 00:02
バードラモンから下ろされたブイモンと大輔が、レオモンの手によって慎重に草むらに寝かされる。
心配そうに見下ろしているみんなの眼差しに、その傍らでぐったりとして気を失っている一人と一匹の様子を確認していたレオモンは、
命に別状はないから心配しなくていいと、安心していいとはっきりと告げ、大きく頷いたので、一同はほっと胸をなでおろした。
大輔は首筋にデビモンに首を締められたときに出来た大きな手の後が痣となって残っており、
必死に抵抗したのだろう両手は打撲後やアザが小さくはあるが点在している。
レオモンの見た限りでは、その目を背けたくなるような痣を見たときは、
器官が物理的に傷つき、下手をすれば後遺症になるのではと心配したが、
幸いにもそうではないらしい。執念とも感じられるほど克明に残っている手形は、
確かに大輔の意識を朦朧とさせるほど、声帯を攻撃したはずだが、
大輔は首を締められたという精神的なショックにより、気を失っているらしい。呼吸困難になったわけではないらしかった。
選ばれし子供であるがゆえのデジタルワールドの加護なのか、現実世界の人間のためデジタルワールドではちょっと違うのか、
デジタルワールドでデータ化している影響で自己修復関連の能力が異常になっているのか、さすがにそれは誰にも分からない。
他の子供達もこの世界になれてきたからでは説明がつかない、肉体的、精神的な能力の向上を自覚することは多々あったが、
今回はそれを改めて感じさせる。それでも、大輔が無事であったという事実を前にしては、いかなる議論も不要になる。
ブイモンもボロボロではあるものの、レオモンすら驚愕させる生命力の強さから、
きっと数日もしないうちに元気に回復できるだろうとのこと。
他のデジモン達と比べると進化の回数がまだ2回であり、パワーアップしていく速度が劣っていたため、
もしブイモンがアグモン位の進化回数を経験していたならば、その日のうちに回復できるレベルに到達していたらしい。
げに恐ろしいほどの進化の生み出す神秘のパワーである。
なんで進化することでどんどん強くなっていくのか分からないが、それでブイモンが元気になるのならそれでいい。
デビモンに敗北を喫して撃墜されたパタモンは意識もはっきりしており、光に飲まれてからの記憶はぼんやりとしているものの、
エンジェモンの時の記憶はほとんど感覚的に覚えており、ぼろぼろの身でありながらタケルにだっこされつつ、その報を聞いて涙した。
自分のしでかしたことの大きさにすっかり恐怖を抱き、オレンジの耳で体を覆い縮こまって小さく泣いているパートナーの声を聞きながら、
しっかりとその体を抱きしめているタケルは、もとのパタモンに戻ってくれたことだけが唯一の幸いだとばかりに頬ずりする。
すっかり意気消沈してずーんと暗い雰囲気を纏っているちっぽけな存在に、何にも言わないで、ヤマトは優しく頭を撫でた。
タケル達の間に一体何が起こったのか、子供たちもデジモン達もその場にいなかったため、全く状況を把握できないものの、
タケルやパタモンの様子、大輔達の様子を見ればなんとなく想像はつく。
みんな優しいから何も言わない。励ましと柔らかな言葉が降り注ぐ。
その優しげな雰囲気が余計タケルとパタモンの心を絞めつけた。ただ心が痛い。
なんでこんないい子達が、一番小さなこの子たちが、こんな目に合わなくてはいけない
のかと理不尽すぎる現実に、みんなの心に去来するものは様々だ。
レオモンが大輔とブイモンを運んでいこうとすると、みんなを押しのけて一直線に駆けてきたのは太一だった。
オレがする、と真剣なまなざしに宿る太一の気持ちを見出したレオモンは、
大輔をお願いしたので、太一は大輔をしっかりとおんぶして運ぶことになる。
小学5年生の太一がおんぶできるほどちっぽけな存在であるということを、太一はその重さを持って改めて自覚する。
1日ぶりに再会した後輩は、ぼろぼろである。太一は己にいらだちを隠せずにはいられない。舌打ちしたいのをこらえて前に進んだ。
なにがなんにも心配いらないだよ、なにが守ってやるから心配するなだよ、
なにが頼ってもらわないとこっちの立場がないだろだよ!
大輔はちゃんと俺を頼ってきてくれたじゃねーか、なんで俺はあん時ちゃんと聞いてあげられなかったんだよ!
ヤマト達からこの漂流生活の中で何度も、他の子供達やデジモン達に対する配慮や気遣いが足りないことに苦言を呈されてきたが、
どこか心のなかで大丈夫だと楽観視していた自分がいることに腹がたって仕方ない。
太一も太一なりに大輔に対してちょっとだけ素を見せるほどの距離の縮み方を感じていたから、なおさらのこと。
もう過ぎてしまったことを後悔してもなんにも変わらないことは分かりきっているが、
だからといって責めないわけにはいかないのだ。
それが一番楽であり、それが一番仲間たちに対してぶつけそうになる感情を押さえ込める方法だから、みんな沈黙している。
きっとみんな心のいらだちをぶつける対象を必死に探して、模索して、悩んでいるのである。みんな二律背反に葛藤している。
レオモンは思う。この子達は想像以上に強い子供たちだと、選ばれし子供たちである以上に強い何かを秘めていると感じるのだった。


「………あ、れ?たい、ち、さん?」


すぐ後ろから聞こえてきた懺悔の対象に、大きく目を開いた太一は目頭が熱くなるのを感じながら、ぎゅっと目をとじて歯を食いしばる。
よかった、という想いが心を満たしていく。太一の肩が震えているので、大輔は困惑した。
目が覚めたら尊敬する先輩におんぶされているのである。
体の節々が痛いし、腕に目をやればずっとたくさんのアザやケガがあってぞっとする。
喉にこもっている熱が夢ではないのだと自覚させる。
デビモンからの首絞めから記憶が抜け落ちている大輔は、さっぱり状況が飲み込めない。
ぱちぱち目を瞬かせ、辺りを見渡すと、みんないる。
太一の横にレオモンがいることにぎょっとするが、大丈夫か、と声をかけてくる優しい笑顔を見ると、どうやらデジモン達が言っていた、
正義の味方レオモンに戻っているらしかった。こくこくと頷く大輔は、太一が沈黙を守っていることが分からなくて首をかしげた。
なんだか恥ずかしくなって降りようとするのだが、太一はずり落ちそうになった大輔を再び背負いこみ、全然下ろしてくれない。
え、なんだこれ、新しいバツゲーム?と見当違いにも程がある発想に赤面して俯いたまま、大輔はただそっと太一の肩に手をおいた。
今までぐったりとしていた手が動いているのである。最悪の事態すら脳裏をよぎっていた太一は、もう鼻声であるが、大輔に声をかけた。


「オレのこと一番に頼ってくれてありがとうな、大輔。なのに、一番大事なときに側にいてやれなくてごめんな、大輔。おかえり」

「はい」

「ばーか、ここはただいまだろ」

「はい、ただいま、太一さん」


おう、と頷いた太一はやっぱり泣いているようだ。なんでだろう、とさっきから疑問符がたくさん浮かんでは消えている。
タケルかパタモンになっちゃんの話を聞いたんだろうか、と大輔は思うが、首が痛くてあまり頭を動かせないため、太一の背中だけが広がる。
ただ久しぶりに感じた人の暖かさにふれて、ずっと恋しかったことを思い出した大輔は、思い切って太一に体を預けることにしたのだった。
大所帯で帰ってきた大輔達をみて仰天したものの、レオモンがいるということでなにやらただならぬ事情を感じたらしいエレキモンは、
突然の訪問と数日の滞在をお願いしてきたレオモンに、大歓迎だと招き入れてくれた。


「さー、大輔、風呂いくぞ」


エレキモンの家は小さなバスタブとシャワーしかないのだが、太一はそう言うやいなや、
えええ、と驚いている大輔の気持ちは置き去りにして、無理やり一緒に風呂行きになってしまう。
なぜだか鏡の前に座る太一のせいで、ちゃんと体が洗えない。どいてくださいと言ったのだが、
やってやるよ、と言われてしまい、さすがに大輔はフリーズした。
お兄ちゃんであって欲しいと思ってはいるが、断じてこういう意味ではない。
まるで赤ちゃんでも扱うかのごとく世話を焼かれてはたまらない、と大輔は散々悲鳴を上げて逃げまわるのだが、逃げ切れるわけもない。
風呂場から悲鳴が聞こえて、空たちはもっと隠すにも慎重になれないのかと呆れた。
ブイモンは?と先程から姿が見えない相棒を心配して質問した大輔は、ケガを治療することが先だと空たちに言いくるめられた。
自分のことより相棒のことを心配するなんて!とみんなからすれば呆れ半分大輔らしいと苦笑い半分の生暖かい眼差しが向けられる。
もっと自分のことを大切にするように、と忠告された大輔なのだが、
本人は一体自分に何が起こったのか、さっぱり飲み込めていないので、
本当にみんながここまで甲斐甲斐しく扱ってくれる理由がわからなくて、しどろもどろになっていた。
大輔に対して世話をやくことが今できることなのだ、と圧倒されるほどの意気込みを感じた大輔は、二の句が紡げないまま頷いた。
ソファの上に座った大輔の所に、エレキモンから借りた救急箱をもって、空がやってくる。
はい、と差し出されたのはタオルで巻かれた氷のたくさんはいった袋だった。
言われるがまま喉元に当てた大輔は、じんわりと伝わってくる冷たさに心地の良さと痛みの鈍化を感じる。
ああ、そう言えば首を締められたんだっけ、とデビモンに対してなっちゃんのことを問いただすことに懸命だったため、
自分の体のことなど全然眼中に入っていなかった大輔は、いまさらのように思い出す。どこか記憶はおぼろげだ。
痣は体が内出血したことにより、紫だったり黒だったりいろんな跡が浮かび上がってくる立派なケガだ。
痣を消すだけなら、目立たなくなる薬を使ったり、化粧でごまかしたりしてしまえばいいが、
医者に見せることが出来ない以上、真っ先にすべきなのは冷やすことである。
女の子であるため、サッカーで出来た痣などに何かと敏感だった空は、まさかこんなところで役に立つとは思わない。
しばらくして腕もきちんと治療が施されているのをぼんやりと眺めていた大輔は、虚脱感に襲われていた。
それはそうである。本人は意識していないけれども、首を締められるなんて体験など普通に生活していれば絶対にありえないことである。
いくら本人が大丈夫だ、大したことはないと思っていても、小学校2年生でしかない大輔の深層意識が、
その見えない暴力の影に怯えて、すっかりトラウマを植えつけているのは仕方のないことだった。
ぼーっとしていた大輔は、空に呼びかけられて目を覚ます。
炎症に効く軟膏を塗りたいから首を上げて、と言われた大輔は頷いた。
天井を見上げた大輔は、ちりちりとする痛みを堪えながら、じっとしている。短く爪を切られた空の手が大輔の前に伸びてくる。
そのとき、反射的に大輔は後退した。びくりと体が揺れる。体が硬直する。緊張感に苛まれた大輔は、冷や汗が浮かんだ。
あれ?なんだこれ、おかしいな、と思ったときには遅かった。
もしかして、と顔をこわばらせた空は、大丈夫?と手を引っ込めて問いかける。
は、はい、と頷いたものの、体が思ったように動かない。
空から軟膏剤を渡された大輔は、鏡を渡されて、自分で塗りなさいと言われた。
鏡を覗き込んだ大輔は、初めて自分の首に残された痣に驚いて硬直する。
それでも空の手が伸びてきたときの恐怖はすっと消えていき、さっきまであった違和感はあっという間になくなってしまう。
何事もなかったかのように大輔は軟膏剤を塗り、渡された包帯を首に回し、
目立つとかっこ悪いからかしてあげると言われたバンダナを首にまいた。
空は傍らで見守っていた上級生組と視線を交わして、心配そうに大輔を見る。
うまいことちょうちょ結びが出来ずに悪戦苦闘する大輔は、気づかない。
ようやく完成した不恰好なそれは、ちゃんと大輔の痣を隠してくれた。


「バンダナじゃなくって、オレのヘアバンドかしてやろーか?大輔」

「なにいってるのよ、太一。あなたの汗臭いヘアバンドなんてしたら、治るものも治らないでしょ」

「どー言う意味だよ、空!」


大輔を心配させないように、ゴーグルをはずして青いヘアバンドを差し出そうとした太一の軽口に、空は呆れたように笑った。
つられて笑った大輔に、太一がにいっと笑ってのぞき込んでくる。
なんすか?と首をかしげた大輔の手を掴んで、太一が立ち上がる。


「さー、寝ようぜ」

「え゛」

「なにぼーっとしてんだよ、一緒に寝てほしいって言ったの大輔だろ?」

「そ、そりゃそーっすけど、でも、あれはもう終わったっつーか、なっちゃんだから大丈夫っつーか、もうい」

「聞こえねえなあ、先輩のいうことは聞くもんだろ、大輔」

「えええええっ?!ちょっとま、待ってくださいよ、太一さん!エレキモンの家、寝室以外はソファしかナイっすよ!」

「それがどうした?一緒に寝ればいいだろ?首が痛いだろうから、だっこかなー」

「だ、抱っこおっ?!そんな俺もう8歳っすよ、赤ちゃんじゃないんすから、んな大げさな!
つーかんなことしたら、またブイモンが拗ねちまって面倒なことになるんでやめてください!」


誰か助けて!と必死で周りを見るのだが、みんな微笑ましげに大輔と太一を見ているだけで、誰ひとりとして助けてくれない。
ウザイくらいにかまい倒してくる太一から逃れるべく腕を振りほどこうとしたが、小学校5年生と2年生では力の差は歴然だ。
ぎゃーっと騒ぎ喚く大声にみんな釣られて笑う。
もみくちゃにされているうちに、いつの間にか太一にホールドされていることに気づくが、
いつの間にかあの時感じた違和感はずっと軽減されていた。
もちろんなくなったわけではないため、青くなった大輔は吐き気に襲われてトイレに駆け込むハメになってしまい、太一は大いに空に叱られる。
大輔の精神に刻み込まれたトラウマが、太一達による楽しさによって少しずつ少しずつほぐれていく。
この調子ならば、痣が無くなっているころには、大輔の深層意識は大幅に改善されていることだろう。


「そーいや、タケルとパタモンはどこっすか?」


見当たらない友人たちに、意識を失っている間の出来事を全く知らない大輔は、首を傾げる。


「タケル達ならヤマトと一緒に寝てるよ。ブイモンももう寝てんだ、起こしてやんな」


ぐりぐりと頭をなでられながら時計を見れば、確かにもう深夜を回っている。
そっか、なら仕方ねーよな、と太一の言葉を素直に信じた大輔は、
とりあえず太一と一緒に寝るという由々しき事態を打開するべく、
全力で抵抗することにしたのだった。
そして、水がほしいんだけどコップはどこだ?と寝室から出てきたヤマトに気づかないまま、逃げまわることになる。





喉が乾いたというパタモンの要望に答えて、ドアの向こうに消えていったヤマトを見届けたタケル達は、
ドアの向こう側で大輔の元気な声が聞こえてくる幸福を噛み締めながら、顔を見合わせて安堵の溜息をつく。
パタモンはデビモンの一撃を食らっただけであり、ヤマトにケガの処置をしてもらえば、
もうご飯を食べてオフロに入って寝れば元気になる、と
レオモンから直々に言われているため、パタモンはずっと元気だ。
でもパタモンが傷つけてしまったブイモンが担ぎ込まれた部屋は閉ざされている。
パタモンはうつむいて、しゅんと耳の羽で顔を隠して泣いてしまう。
立ち入り禁止の理由がたとえ、ブイモンが大輔と顔を合わせたら絶対にケガのことなんか忘れてはしゃぎまくるからであり、
久々にみんなと会えたことを喜んで、大騒ぎで遊びまくり、
寝ていれば元気になるのになおさら症状を悪化させかねないというレオモンの的確な判断であってもだ。
現在ブイモンは、大怪我をしているのに大輔たちのところに行きたがるのを呆れるレオモンと、寝る場所を奪われた腹いせから、
いらないところまで包帯でぐるぐる巻きにして遊んでいるエレキモンによって、むりやりベッドに拘束されている。
タケルの膝の上で頭をなでられながら、パタモンはずっとタケルに、
どうしてエンジェモンに進化したときにああいった事態になってしまったのか、
パタモンなりに考えた理由を必死で紡いでいた。
タケルのパートナーデジモンなのに、タケルが頼ってくれない寂しさと、よわっちいから仕方ないんだという諦め、
その癖に一丁前に嫉妬や妬み、いらだちを抱えて、ずーっと我慢していたことを告白する。
太一やヤマト達に対する負の感情ももちろんパタモンの中にはあったし、タケルに対しても確実に存在していた。
しかし、大輔とブイモンは、タケルが言うにはパタモンと同じ「友達」という括りの中にいる同じ立場なのだ。
それなのに、タケルは、同じ「友達」であるにもかかわらず、相談するときには必ずパタモンではなく大輔を選ぶ。
会話をするときには基本的にパートナーデジモンのことはそっちのけだし、喧嘩したり仲直りしたり、
パタモンとタケルは出来ていないことを全部全部大輔はやってしまうのだ。取られた、という意識が芽生えていく。
選ばれし子供の中でパタモンにとってタケルの次に一番近い存在なのは、ヤマトと大輔、そしてパートナーデジモンたちだが、
ヤマトはタケルのお兄さんであり、デジモン達にとっての一番はパートナーだと分かっているから、まだガマンできる。
でも大輔はパタモンと同じく、タケルとこのデジタルワールドで初めてであった友達という関係性という意味で、比較対象と成り得る。
比べっこしたときに、やっぱりパタモンと大輔はいろいろと差があると感じてしまうのである。
仲がいいからこそ、近い立場だからこそ、なおさら感情をぶつけやすくなっているのだ。
大輔とタケルの喧嘩を観てきたパタモンは、大輔が小学校2年生にもかかわらず、時折誰にも負けないくらい大人びている時があり、
たとえ対立したとしても、喧嘩したとしても、一度仲良くなった相手のことは絶対に嫌いにならないという
心がとっても広くて寛大であるという点を知ってきた。
たとえ戦うことになったとしても、最後まであきらめないで受け入れようとするということをなっちゃんの話から知った。
パタモンはとてもではないが真似できない、羨ましく思う性質である。
嫉妬ばかりしているのに仲良くしてくれる大輔を見ていると自分が嫌になる。
きっと大輔ならどんなことをしても許してくれるだろうことを分かっていながら、
それを理由にパタモンは自らが抱える負の感情を主に向ける代表を、
大輔とそのパートナーであるブイモンにしたのである。どうしようもない甘えである。
結局のところ、パタモンは誰にも嫌われたくないのだ。
どこまでも自分勝手で生意気な考え方である。こんなことバレてしまったら、きっとタケルは愛想を付かせて離れてしまうだろう。
ただでさえパタモンは一緒にいることしかタケルの役に立てないというコンプレックスを抱えていた。
それが尚更進化への固執につながる。強い自分になりたい。
よわっちいパタモンである自分は大っきらいだけど、進化できたら何かが変わる気がする。
自分ではなんにもしないくせに、考えばかりが肥大していき、行動できないことの言い訳も全部大輔たちのせいにして、
都合の悪い部分は全部全部見ないふりをしていたのである。なんでブイモンも対象にしたのかといえば、
かつてはブイモンもパタモンと同じく嫉妬する仲間同士だったが、ブイモンは大輔との関係構築に成功したのか、
大輔にべったりで付き合いが悪くなってしまい、吐き出し口が無くなってしまったのも原因の一つ。構ってくれなくなったからだ。
タケル達が会話に夢中に成っている間、パタモンとブイモンはずーっとパートナーが気づいてくれるのをまっているか、
お互いに不満とか愚痴とか、わりといろいろな話を交わしていたことを初めてタケルは知る。
意外とかわいい顔をして、預かり知らぬところでは結構毒舌なパタモンの一面にびっくり仰天するタケルである。
だいたい、最初の漂流生活の時の食料集めの時に、喧嘩は友達の証だという話を大輔とタケルはしているのに、
オレと大輔は駄目なんだって、というブイモンからの不満や愚痴を聞いていたパタモンは、
エレキモンとの喧嘩をしたときにどうしてタケルがやめさせたのか分からない。やっぱり特別扱いや贔屓だと不満が募っていく。
そして、頼りにされていない、ということを節々に感じるタケルの態度は、ますますパタモンを孤独にさせていく。
パタモンはたしかによわっちいと自分のことを認めているが、それを悔しいともどかしいと歯がゆく思っている点で、
タケルとは大きく認識の違いがあったというわけだ。
タケルは今までおんなじ立場だと思い込んで、なんにも話をしていなかった自分たちの関係性が、
いかにすれ違いの上で成り立っていたかをようやく知る。
タケルもパタモンも相手の求めていることだけは過敏なまでに感じ取ることが可能だった。
それがお互いの思いに気づくのを遅らせた。
だから、進化のときに、わけわかんなくなっちゃったんだろう、とパタモンは思う。
初めての進化で、心の中で何度も繰り返してきたことを、実際に大輔やブイモンに対して行なってしまったという事実は、
パタモンに進化に対する躊躇を生む。怖い。また誰かを傷つけてしまったら、と思うと怖くなる。
そう言って泣いているパタモンをタケルは抱っこした。


「ごめんね、パタモン。僕、ずっと君のこと、僕と一緒でなんにも出来ない子だって安心してた。仲間だと思ってたんだ」

「うん、知ってるよ、知ってたよタケル。タケルがパタモンの僕しか必要としてないの、分かってたよ」

「ホントにごめんね、パタモンは僕のパートナーデジモンなんだもんね、つらかったでしょ?」

「うん。すっごくやだったよ、タケル。それで諦めて、我慢しちゃう僕がもっと嫌だった。だからね、進化したかったんだ。進化さえ出来れば、全部全部解決するって思ってた。
でも、そうじゃなかった。僕、怖いよ、タケル。
エンジェモンだった時のこと覚えてるけど、僕の中に僕じゃない僕がいるんだ。
僕がいるのに、全然違う僕がタケルと話してて、大輔たちを傷つけて、デビモンと戦うんだ。
進化しても僕なのに、僕、あの時の僕がいってたことがわかんないんだよ。
全然分かんないんだよ、怖いよ、タケル。僕、もう進化したくないよ、進化しなくっちゃいけないのはわかってるけど、もうやだよ」


タケルにしがみつくパタモンは、すっかり進化に恐怖心をいだいているようだった。
自分が自分ではなくなってしまうのだ、そりゃ怖いに決まっている。
本来ならば理性が抑制してくれているはずのデジタルモンスターとしての本能を暴走させたあげく、
仲間も敵も見境なく歯牙に掛けようとしたのは間違えようのない事実なのだ。
しかも黒い歯車に操られているように、外部からの干渉による精神操作ではなく、
エンジェモンは自らの意志で淡々とそれらの行動を実行に移したのだから
責任は間違いなくパタモン自身にあるのだ。
一度すべてを光に塗りつぶされてしまった恐怖は想像を絶する。


「僕もね、エンジェモンのいってることが全然わかんなかったよ、パタモン」

「うん」

「でもね、僕がもっと辛かったのは、エンジェモンが僕に何をして欲しいかって言われたときに、
何を望むんだいって聞かれたときにね、なんにも答えられなかったのが、すっごく、すっごく、ショックだったんだ。
僕、もう、何がいいことなのかとか、わるいことなのかとか、全然分かんなくなっちゃった。
難しいね、パタモン。僕、エンジェモンを見たとき、綺麗だって思ったんだ。かっこいいって思ったんだ。
何にも出来ない僕を導いてくれるんだっておもったんだ。でも、エンジェモンが僕に教えてくれなくって、
僕に教えてくれって言われちゃったんだ。きっと僕がからっぽだから、エンジェモンもそうなっちゃったんだと思ったら、悲しくなっちゃったよ」

「タケル……」


ぱたん、とドアがあいて、振り返ったタケルのところに、ヤマトがやってくる。
たっぷり注がれた水を渡された一人と一匹は、流した涙の補給をしながら、隣に座ってくれたヤマトを見る。
ドアのほうをしきりに気にしているヤマトが不思議で、お兄ちゃん?と首をかしげたタケルと、見上げてくるパタモンに、
少し言いよどんだあとで、ヤマトは罰が悪そうにつぶやいた。


「ごめんな、さっきの話、聞こえてた」


そのあとに不自然な空白。ヤマトがいない隙を見計らっての会話である、入るタイミングを見計らっているうちに、
引込みが付かなくなって強引と分かっていながら入ってきたのだろうと判断したタケル達は、うーうん、大丈夫と笑った。
ヤマトが一人と一匹をなでる。


「からっぽなんかじゃないぞ、タケルもパタモンも。一生懸命悩んでるだろ、考えてる
だろ、考えるから生きてるんだって昔の人が言うくらいだ、そんなこというな」

「考えるから、生きてる?」

「お兄ちゃん、難しいこと知ってるんだね。すごいや」

「ま、まあな」


褒められることに慣れていない、照れ屋なところはやはりガブモンに似ている。
そう言えばガブモンはどこにいったんだろう。


「タケル、パタモン、ちょっといいこと教えてやるよ」

「いいこと?」

「なに?お兄ちゃん」

「さっき、タケルはエンジェモンに教えてくれって言われてショックを受けたみたいだけどな、
天使だって、天使の仕事を始めたばかりの頃は、俺達みたいにいろんなコトを勉強するんだ」

「え、そうなの?」

「ああ。だれだって初めてのことを、誰からの説明も助けも受けずに、成功させることなんて出来ないだろ?
天使だって失敗したり、悪いことをして謝ったりしながら、未熟だったけど一人前に成長するんだ。
どこで勉強すると思う?」

「どこなの?」

「俺達の世界だよ」

「え?どうして?天使って天国にいるのに、僕達の世界で勉強するの?」

「なんでだと思う?」

「うーん、わかんないや」

「それはな、オレ達のほうが天使よりも勉強するのが上手だからなんだ。
それに、オレ達も家じゃなくて学校って言う離れたところで勉強するだろ?
天使だって天国は家みたいなもんだ、オレ達の世界が学校なんだよ。
オレ達の世界で勉強して、テストを受けて、成長して一人前の天使となって天国に帰って行くんだよ。
タケルもパタモンもエンジェモンに教えてやればいいんじゃないか?
オレ達の世界に勉強しに来てるんだから、ゆっくりでもいい、
エンジェモンが理解できるまで教えてやればいいんじゃないか?
何をするのが正しいのか、間違ってるのか。タケルやパタモンが、先生になってやればいいんだよ」

「僕たちが」

「先生?」

「ああ」

「でも、先生ってことは、僕達がいろんなこと知ってなくっちゃ、分かってなくちゃだめだよ?お兄ちゃん。
僕達に出来るかな?僕まだ小学校2年生なのに」

「できるさ。タケルはオレの弟で、パタモンはそのパートナーデジモンなんだから。
それが分かってるんなら、これからいろんなコトを勉強していけばいいってことも分かるだろ?」

「うん、わかるよ。先生って、いっぱい勉強して、本読んで、いろんなコトをやって、それで僕達に教えてくれるもんね」

「そうなの?タケル。先生ってすごいね」

「うん。友達を傷つけちゃだめだとか、喧嘩したら謝るとか、教えてくれたの幼稚園の先生だったもん。すごいんだよ」

「そうなんだ。そっか、うん、ありがとうヤマト、僕ちょっと元気でてきたよ」

「ありがと、お兄ちゃん。僕、ちょっとだけ、頑張ってみる」

「ああ、その調子でがんばれよ」


うん、と頷いたタケルとパタモンが微笑む。
安心した様子で笑ったヤマトは空っぽになったコップを抱えて、ヤマトが再びドアの向こうに消えて行く。
やっぱりお兄ちゃんはすごいなあ、いろんなことを知ってるんだなあ、と改めて大好きなお兄ちゃんに尊敬の念を込めるタケル。
パタモンも、ちょっとだけ元気が出たのか、キラキラとした目で先生という存在に想いを馳せた。
ばたん、と扉が閉まり、はあ、と大役をこなしたヤマトはようやく重荷が降りたのか溜め息をついた。
隣を見れば、ずーっと聞き耳を立てていたらしく壁に張り付いていたミミと光子郎と丈が、あはは、と笑っていた。
お前ら、と思わず声を荒らげそうになるが、タケルくんたちに聞こえちゃいますよ!と光子郎に言われて、うぐ、となる。


「どうでした?」

「ああ、ちょっと元気が出たみたいだ」

「ふふー、でしょ?ヤマトさん。やっぱり天使様の絵本はいいお話だもん。タケルくんにはちょうどいいと思ってたんです。
やっぱり男の子ってこういうとき、だめだめなんだから。頼りにならないんだから」

「そんなこと無いだろ、人は考える葦であるって言葉を教えた僕にも感謝してもらわないとね」

「いえ、お二人の言葉をヤマトさんでも伝えられるように、言葉を優しくした僕が一番
頑張りましたよね」

「………なあ、怒っていいか?」

「なんて声をかけていいのかわからないっていってたのはヤマトの方だろう?
ここは素直にありがとうって言うべきだと僕は思うね」

「あたしも」

「僕もそう思います」

「…………ありがとう」


聞こえていたの言葉に続くのは、外の博識三人組である。
誠意が足りない、と日ごろ6年生であるにもかかわらず、5年生のヤマトに呼び捨てにされている恨みからか、
眼鏡を光らせながら丈が畳みかけ、いつもはクールな癖に弟のために頼れるお兄ちゃんであるためには、
ちょっとだけ意地を張るヤマトが面白くて4年生コンビは調子に乗る。
ヤマト、頑張れ、と巻き込まれたくないガブモンは、ちゃっかりデジモン達とともに傍観を決め込んでいた。



[26350] 第二十九話 違う物語が、キミたちからはじまる
Name: 若州◆e61dab95 ID:31c5fb0c
Date: 2013/08/03 00:03
誰かが気を利かせてかけてくれた毛布を隣で寝ている太一が独占してしまったため、
大輔は突然訪れた寒さのあまり目を覚ましてしまった。
向かい合う形で添い寝している太一の姿に驚くが、腕枕してもらっていることに気づいて、
昨日の深夜に及ぶ攻防は、抱き枕しようとした太一の腹を蹴飛ばすことで何とか決着が着いたことを思い出す。
むくりと起き上がった大輔は、太一から毛布のすそを奪還して再びまどろみに落ちようと眠りに落ちる。ちょっとだけ太一と距離をとって。
しかし、すぐにパチリと目を開け、恨めし気に太一を睨んだ。うるさい。寝れない。ひでえいびき!それに訳のわかんねえ寝言!
耳をふさいで深く毛布に潜り込むが、今度は寝返りを打った太一に弾きだされてしまい、どすんという鈍い音がした。
たんこぶを作った大輔は、今度こそ声にならない悲鳴を上げて太一を殴りたくなる。
本人はといえば幸せそうな笑顔と共に背中を向けている。
毛布はしっかりと握っている太一のせいでクッション替わりにもなってくれなかった。
冷たいフローリングから起き上がった大輔は舌打ちする。
大輔も寝相の悪さでは太一に文句を言えるような立場ではないものの、
こっちは一応けが人である。ちょっとくらい配慮して欲しいものだ。
たんこぶが出来てしまった頭を抑えながら、もうここでは安全な睡眠時間が確保できないことを悟った大輔は、
もう二度と太一と寝るもんか、と強く心に決めるやいなや、別の場所を探して立ち上がった。
ようやく慣れてきた暗闇の中では、規則的な寝息を立てている子供たちとデジモン達がソファで眠りについている。
やっぱりこの中では一番太一がいびきと歯ぎしりがでかいようである。
選択肢を誤っていたことを大輔は悟るのだった。
手探りでテーブルに辿り着いた大輔は、小さい方のゴーグルを掴むとそのまま頭に装着し、PHSとデジヴァイスがくっついている紐を首に通した。
抜き足、差し足、忍足、で太一達が眠っているリビングルームから離れることにした。
もうソファには大輔が潜り込めるスペースはないのである。
誰かを起こそうかと考えたが、もし万が一起こしてしまったら、
きっとまた太一のところに連れ戻されてしまうに決まっているのだ。
寝不足にいい思い出がない大輔には勘弁してくれと言わざるをえない。
ぺたぺたと廊下を歩く大輔は、うっすらと見える暗がりの中で何となく見える扉を
少し開けては、どこかにいいところがないかと探してみる。
トイレとかお風呂とかに行き着いてしまい、ふああ、とあくびをしながら目をこすりつつ、先に進んでいくと寝室があった。
かちゃりとドアノブを回してちょっとだけ顔を出した大輔は、
そこでタケルとヤマトとパタモン、ガブモンが眠っていることに気づいて、
ちょっとだけ笑うとそのまま扉を閉めた。よかった、タケルもパタモンも元気そうだ。
ケガをしたのは大輔とブイモンだけらしい。
デビモンにふたりぼっちにされていたことをタケルから聞いていた大輔は、
久々の兄弟水入らずの微笑ましい空間を邪魔する様な気にはなれない。
おやすみ、とこっそりつぶやいて、さらに奥へと進んでいった。
そういえばエレキモンとレオモンの姿が見当たらない。
大輔の記憶が正しければ、レオモンはたったまま壁に体を預けていたような気がするのだが、どこにも姿が見当たらない。
きょろきょろと辺りを見渡した大輔は、なにやら音が聞こえた気がして、
誘われるがままカーテンが揺れている窓に近づくと、開いた。
満月が輝いている空の下で、レオモンが持っている刀でなにやら鍛錬をしている姿があった。
物音に気付いたらしく振り向いたレオモンは、窓の縁に手をかけてみを乗り出している大輔に気づいて、どうした、と近づいてきた。


「たしか、大輔といったか、どうした?まだ太陽が昇るまでは時間があるぞ、早く寝るといい」

「あはは、太一さんにソファから落っことされたんすよ。そーいや、エレキモンは?」

「災難だったな、大輔。ああ、エレキモンなら幼年期の子供たちの夜泣きが聞こえると言って飛んでいったな。
多分、そのまま朝の食料を確保しにいってるんじゃないか?」

「そっか、教えてくれてどうも。そうだ、どっか寝るトコナイっすか?」

「なら、ずっと奥にいくといい。ブイモンが寝ているはずだ。
大輔に会いたがっていた、顔を見せてやれば喜ぶんじゃないか?
ただし、あまり無理はさせるな、今日一日休めば回復できるはずだから、
派手に騒いでベッドから抜け出せなくなっては意味が無い」

「はーい」


教えてくれてありがとうと礼を言った大輔は窓を閉めると、カーテンをしめて先に進む。
レオモンの言うとおり、その先にはちょっとだけ光が漏れている。どうやらブイモンは起きているらしかった。
たしかここは客間だったはずだ。こんこん、とノックした大輔に、どーぞー!とテンション高いブイモンの声が聞こえてくる。
どうやら元気いっぱいらしい。ドアを開けた大輔は、よう、と顔を出した。
大好きなパートナーのお見舞いにブイモンはぱっと顔を輝かせた。


「やっほー、大輔!お見舞いに来てくれたんだ?おっそいぞー」

「ちょ、おま、大丈夫なのかよ、その怪我!」


ひらひらと手をふっているブイモンの姿を確認した大輔は、しーっ、まだ夜中だよ!と言われて慌てて手に口を当てる。
おそるおそる廊下を見るが、明かりが漏れている以外に特に変化はなく、相変わらず穏やかな夜が降りている。
慎重にドアを閉めた大輔は、そのままブイモンのところにかけていく。
大輔はびっくり仰天だ。大怪我ではないか、と心配する。
意気揚々としているブイモンは、まるでミイラのように頭のてっぺんからつま先まで包帯でぐるぐる巻きにされているのである。
そして右手がギブスでもはめられているのか、と間違えかねないほど、
厳重に包帯でぐるぐる巻きの塊になっていて、首につられているのだ。
その聴き慣れた声がなかったら、もがもがしているブイモンを初めて会ったデジモンと間違えてしまうところだった。
ベッドから立ち上がろうとするブイモンを慌てて制止させた大輔は、病人は寝てろよ!と押し戻す。
レオモンたちと一緒の事言うなよ、意地悪―とどこまでも脳天気な声が聞こえてきて、
おいおい、と大輔は呆れたように肩をすくめた。


「大輔、助けて。これじゃ全然動けないよ」

「いやいや、大怪我じゃねーか、じっとしてろってば」

「違うんだよ、大輔。オレ、ここまで怪我してないんだよ。
エレキモンが、寝るトコが無いのはオレのせいだって、こんなにしたんだ」

「え?マジで?」

「そうだよ、ほら、このとおり元気いっぱいなのにだーれもベッドから下ろしてくれないんだよ。
オレ、すぐにでもみんなと会って、早く遊びたいのに!」

「でもレオモンは今日一日寝てれば元気になるっていってたし、おとなしくしとけよ」

「えー、でもエレキモン、ケガの手当してやってんのに、ちょこまか動くから意味がないって怒ってたけど、
絶対に落書きしたいだけだって、ほら!オレで遊んでるんだよ、酷いだろ!」


ブイモンが見せてくれたギブスもどきや体の包帯をよく見れば、「エレキモン参上!」とか
「ブイモン進化、ミイラブイモン」とかいろいろとふざけたメッセージが乗っかっている。
ブイモン曰く、お見舞いに来てくれた太一達もここぞとばかりに便乗して落書きをしていったらしく、いろんな人が書いた文字やイラストが、
油性マジックで書かれていた。サッカーボールとか、デジヴァイスとか、デフォルメされたアニメやゲームのキャラクターとか、
やたら達筆な字で「早く元気になってほしい」と書かれたものもある。額に肉はデフォルトのようだ。
そういえばドラマとかでよくギブスをはめている入院患者に、
お見舞いに来た来訪客がいろいろと好き勝手書いているのを見たことがある。
ひどい、と涙目のブイモンである。大輔も油性マジックで参加したい衝動にかられるが、ぐぐっとこらえた。
涙目のブイモンを見ているとちょっと可哀想になったので、ブイモンが言うとおり、
本来必要な分だけ包帯や手当以外は全部取り去ってあげた。
ありがと大輔、とようやくまともに身動きが撮れるようになったらしいブイモンは、うーん、と伸びをしてベッドに横になった。


「そう言えば大輔、何しに来たんだ?」

「太一さんと寝てたんだけど、いびきうるさいし、歯ぎしりするし、ヨダレとか色々酷くて寝れないから、一緒に寝に来たんだよ」

「うあー、大変だ。一緒にねよー、大輔。オレだけベッド独り占めもいいけど、大輔なら一緒に寝てもいいよ」

「おう、よろしく」


ベッドに潜り込んだ大輔に、ブイモンはおもちゃの街以来だね、と笑った。
そーだな、とまるで遠い昔のような気がして、懐かしくて笑ってしまう。


「なあブイモン。オレが気を失っている間に、なんかあったのか?
なーんか、太一さんたちがすっげーオレにかまい倒してくるんだけど、
聞いてもだーれも教えてくれないんだよ。うれしいけどなんか気になるんだよなあ、
教えてくれないってすっげー不安になんのにさ」


今までとは一変したように、みんながみんな大輔が本気で怖気付いてしまうくらい、
これでもか、とかまい倒してくれる。
記憶が飛んでいる大輔は、さっぱり理由が分からないため、みんなの考えがわからなくて、ずんずん疑問符が膨らんでいく。
なんか気を遣われてしまうようなことがあったのだろうか、とむしろ申し訳なくなってしまう。
露骨すぎる好意からの行動に不慣れな大輔は、後ろめたさを感じてしまっている。
最初はなっちゃんの世界に迷いこんでしまった上に、みんながバラバラになったことで色々と心配を掛けてしまったから、
誰も大輔とブイモンのことを信じてくれなかったという罪悪感や後悔、反省からの行動なのかとも思ったのだが、
それならそうと大輔に言ってくれたほうが気が楽なのは、少なくとも太一や空は知っているはずなのにである。
意図的にみんな大輔が飛んでいる記憶について触れたがら無いのである。もう確信しないほうがおかしい。
絶対になんかあっただろ、としか思えないのだが、誰も教えてくれないし、一様に口を閉ざしてあからさまに避けてしまう。
気にならないほうが無理である。
そう語る大輔にブイモンは、あー、と言葉を吐き出したが、ちょっと迷った様子で視線を泳がせる。
どうしようか迷っている様子だが、ブイモンは、じーっと見つめてくる大輔の真剣な様子に根負けして教えてくれた。


「大輔、パタモンとタケルのこと、嫌いになっちゃやだぞ。ちゃんと仲良くしてくれよ、じゃないとオレ、怒るよ」


もちろん、念を押すように紡がれた言葉に、空白の記憶の間に起こった大事件を知った大輔が納得するわけがなかった。










第二十九話 違う物語がキミたちからはじまる










「なんだよそれ」


ぽん、と紡がれた言葉は、口にしたはずの本人がビックリするくらい、寒々として乾ききっていた。
今まで数々の衝突と和解を繰り返してきた大輔を一番隣で見てきた、
一番大輔のコトを知っているのだ、と自負しているはずのブイモンが、
その赤い目を大きく見開いて、気圧され、びくりと肩を震わせるほどだ。
ブイモンに対して怒っているわけではないと知りながら、ブイモンはちょっとだけ距離をとってしまう。
そんなパートナーデジモンを見て初めて、ああ、オレ、怒ってんだ、と生まれて初めて大輔は客観的に自分の感情を把握することが出来た。
なんだか不思議な感覚である。いつもならば心のなかでばーんと爆発した感情に振り回される形で頭に血がのぼり、
自分でも何を言っているのかわからなくなるくらいなのに、衝動的に激情を撒き散らすことしか知らないのに、である。
そしてその激情が収まれば、もうけろっとした様子で何事もなかったのように
平常の穏やかな心境に戻り、何をいったのかなんて全然覚えてないのがしょっちゅうだ。
だから大輔はいつも本気だと思っていた喧嘩では、いつもいつも貧乏くじを引く。
収集をつける第三者に対して言い訳や説明をするときに、相手が自分の都合のいいように歪曲したとしても、
それが違うと反射的に理解できても、自分が何を言ったのか覚えていないから、正当な主張を展開できないのだ。
だからいつだって大輔は姉であるジュンと喧嘩で勝った試しがない。
6歳差で身につけた理論武装つきの大熱弁を前にして、感情論に終始するしか無い大輔は勝てるわけがなかった。
でも今は違う。きっと大輔本人ですら初めて体験する感情である。
いろんな感情がごっちゃごちゃになっているのに、心が激情に飲み込まれているのに、頭が妙にすっきりしている。
大輔はつーっと流れていく感情の片鱗に気づかないまま、ブイモンに問いかけた。


「なんでブイモンがタケルとパタモンのこと庇ってんだよ」


その一言で、ブイモンは悟る。大輔とタケル、そしてパタモンのことを想うあまりに行った説明が大失敗し、
大輔の滅多なことではならないはずの堪忍袋の緒が切れて、逆鱗に触れてしまったのだと悟る。シマッタと思ったときには遅かった。
ブイモンは誤魔化そうとしたのだ。ブイモンから見ても明らかに無理がある展開だと感じるところは多々あったが、
なんとかエンジェモンが行ったことを恣意的に好意と捏造に満ちた視点と解釈から、
情報を取捨選択して不慣れな理論展開を無理やり披露したのだ。
もちろんブイモンはそういう事が大の苦手な部類に入る。
なんにも知らない大輔だって気付いてしまうほど、その説明には無理がありすぎた。
どうしても曖昧な部分や言及できないところ、都合のいい事実ありきの展開にほころびが生じてくる。
大輔の徹底的な追求と説明を求める怒涛の問いかけに、ブイモンが全部対応しきれるわけがなく、とうとう白状してしまう。
大輔からすれば、1番の被害者であるはずのブイモンがエンジェモンを庇っていること、
それ自体が全く理解出来ない、信じられないものだった。


「大輔?」

「なんでブイモンが庇ってんのかって聞いてんだよ!」


掴みかかった大輔は、がくがくとブイモンを揺らす。
大輔苦しいよ、落ち着いて!とブイモンは叫ぶのだが、落ち着いてるよ!と大輔は即答した。
結局間に合わなかったんだ、と後悔と無念さをにじませながら、そう切り出したブイモンは、話したのである。
パタモンがエンジェモンに進化し、デビモンに大輔が人質に取られるせいで、
身動きがとれないエクスブイモンの代わりに攻撃したこと。
大輔もろとも巻き込もうとしたことよりも、大輔に呼吸すら忘れるほどの憤怒に走らせたのは、
守りたいと思っていたパタモンから進化したエンジェモンが、大輔たちを攻撃をしたという事実である。
絶対にあってはならないことだ。
それなのにブイモンは、心配していたことが的中してエンジェモンがおかしくなってしまったことばかりに終始して、
なっちゃんを救った大輔のようにブイモンなりに頑張ったのだができなかった、やっぱり大輔はすごいネと笑ったのだ。
全然笑えない。全然笑い事ではないではないか。
本来味方であるべきエンジェモンと、敵であるデビモンから、容赦なく怒涛の猛攻の嵐に晒された挙句、
仲間であるから攻撃できないことをいいことに、ぼろぼろに傷ついたエクスブイモンに止めを差したのはエンジェモンなのだ。
ホーリーロッドからの聖なる光で撃墜させたのは、エンジェモンなのだ。デビモンではなく、エンジェモンなのである。
しかもその理由がデジモンが生まれた時から備えている属性に端を発しているとなれば、
大輔からすれば、遅すぎる怒りですらある。


「なんでブイモンがこんな目に合わなくっちゃいけないんだよ!オレ達はただタケルとパタモンを守ろうとしただけじゃねーか!
なのになんでエンジェモンから、お前が、ブイモンが攻撃されなきゃいけないんだよ!ひでーよ、あんまりだろ!
ブイモンじゃねーか、なあ、タケルとパタモンのこと、最初に気付いてたのブイモンじゃねーのかよ!
危ないんだって、何とかしなきゃって、オレに相談したのお前じゃねーか!これってあれだろ、裏切りじゃねーか」」


そうなのである。タケルとパタモンが抱えている薄氷の関係に、パートナーデジモンであるがゆえの独自の視点と経験から、
真っ先に気付いたのは大輔ではない、ブイモンなのである。
寸分狂い無くブイモンの予感は的中していた。そういう意味でも、1番身を案じていたはずの相手から、ブイモンは傷つけられたのだ。
それなのに、ブイモンは止められなかったこと、間に合わなかったことを後悔しているのだ。そこじゃないだろ!と大輔は怒る。


「なあ、ブイモン。なんでお前怒らねえんだよ、怒ってもいいんだぞ、
つーか怒らなきゃ駄目だろ!なんで怒ってくれないんだよ、おかしいだろ!」


大輔はブイモンの底なしの寛容さに全く共感することができない。
パートナーデジモンなのに、ブイモンの態度が全く分からない。
どこまでもタケルとパタモンを思いやっているとしか思えない。なんで?なんでだよ、お前が1番ひどい目にあったのに!
ブイモンがこうでは、怒っているはずの大輔がおかしいのではないかと思ってしまう雰囲気になるが、
大輔はじぶんの怒りが間違っていないと確信できるので、尚更イライラするのだ。
ブイモンが自分の為に怒らない、という不可解さを、誰よりもブイモンのことを大切に思っている大輔が怒る。
ブイモンは大輔、と目を瞬かせる。ぼろぼろ泣きはじめた大輔は、ブイモンの肩に手をおいたまま、うつむいて嗚咽を始めた。
図らずも対象が全く一致していないという点を除けば、大輔とブイモンは、この事件に対して表明した態度は全く同じだった。
お互いに自分のことがすっぽりと抜け落ちている。この危うさが顕著になったのだ。
しかし、まだまだ大輔とブイモンはお互いのへんてこなところに気づくことができても、
それが鏡写しであると気づくまでには至らない。
ブイモンは手を握った。そして優しい少年に目を細める。
デビモンとの激闘からの記憶が抜け落ちている大輔は、ブイモンの話から憶測するしかない。
だから、ブイモンの話をきいて、大輔は大輔のために怒っているのだと信じてやまない。
相手の感情を自分のことのように感じることができる優しい少年は、ブイモンのために怒りなのに、自分の純粋な怒りだと錯覚して、
判断ができないくらい混同していた。だから大輔は生まれて初めての激情を体験した。
ブイモンと大輔一人と一匹分の怒りを吐き出しているのだ。それなのにブイモンは言うのである。


「そんなこと言うなよ、大輔。オレはパタモンがもとに戻ってくれたらから、それでいいんだよ。
きっと1番傷ついてるのはタケルとパタモンなんだ。今回はきっとなんかの間違いだよ。そんな怒るなよ」

「……間違い?間違いってなんだよ、ブイモン!」


大輔はばっと顔を上げて怒鳴りつける。


「いくらおかしくなったって、やっていいことと悪いことがあるだろ!飛び越えなくちゃいけない一線ってもんがあるだろ!
そこから先に突っ走んのと躊躇すんのと既の所で踏みとどまるって全然違うじゃねーか!
エンジェモンは迷わなかったんだろ?!突っ走ったからブイモンがこんなことになってんだろ!
心のどっかで考えてなきゃできないじゃねーか!」

「だから、エンジェモンはおかしくなったんだって」

「タケルまで攻撃したのかよ」

「してないけど」

「やっぱりそういう事じゃねーか!オレ達にだけ攻撃したってことはそういう事じゃねーか!
エンジェモンは俺達をころっ……!」

「大輔!」


ぴしゃりとブイモンが遮る。
これ以上言ったら本気で怒るよ、とブイモンに怒られた大輔は、まるますカッとなって高揚しきった顔でブイモンを睨みつける。
ブイモンは、ぽんぽんと大輔の肩を叩く。気が動転してるんだよ、落ち着いて、とブイモンが笑った。


「大輔、ここから出るとオレ怒られるからさ、タケルとパタモンの話聞いてきてよ。
なんにもしないで喧嘩するって、最初の喧嘩と一緒だろ?」

「あん時とは全然違うじゃねーか」

「ううん、違わないよ。タケル達の話、ちゃんと聞こうよ大輔。そしたらオレも考えるから」

「なんでそんなに簡単に許せるんだよ、ブイモンは!俺はお前ほど心広くねえんだよ!」


その手を振りほどこうとして、結局その優しさを振り払うことが出来ない大輔は、そのままうつむいてしまう。


「広いよ大輔は。オレよりずっとずっと広くって暖かくって優しくて、オレはそういうとこが大好きだよ、大輔。
なあ、大輔はオレのこと、ちょっとだけ勘違いしてない?」

「はあ?」

「大輔はオレのこと、タケルやパタモンのこと怒らない、すっごくイイヤツって思ってるかもしれないけど、違うんだよ、大輔。
そーじゃないんだ。もっとオレは自分勝手で、いい加減な奴だよ」

「はあ?なにいってんだよ」

「だって、オレがエンジェモンのこと怒らないのは、どうでもいいし、キョーミないからなんだ。
オレにとっては大輔が1番で、それ以外ってぶっちゃけどうでもいいんだよ。
それでいいのに、ホントは、さすがにちょっとだけ怖かったし、悲しかったし、
もう2度と仲良くなれないかもしれないと思うと悲しかったよ。
それってきっと大輔が教えてくれたんだって思ったら、全然怒る気になれなくなっちゃったんだ。オレ、言ったでしょ?
デジモンって普通は一人で生きて行くのがフツーだから、大輔みたいにいろんなコト考えて、
悩んで、怒って、泣いて、なんてこと知らないんだ。
友達だってそう。大輔からすれば、オレとパタモンって友達に見えるかもしれないし、
もしかしたらもう友達かもしれない。
でも、大輔とタケルがそうだったから、パタモンと一緒に真似してただけなんだよ、オレ達。
パートナーデジモンでしかなかったのを変えてくれたのはきっと大輔たちがいたからなんだって思ったら、宝物に思えたんだ。
だから、パタモンのこと、エンジェモンのこと嫌いになったら、怒ったら、
せっかく大輔が教えてくれたことがなくなっちゃう気がするんだ。
なあ、大輔、間違ってる?オレ、間違ってる?こういうの初めてだから分かんないんだ。やっぱり、怒ったほうがいいのかなあ?」

「………オレに聞くなよ、当たり前だろ」


なんでそんなことも分かんないんだよ、と大輔はすっかり怒る気が失せてしまったのか、はあ、とため息を付いてブイモンから離れた。


「なんか疲れた。ブイモンのせいだぞ」

「え?なんで?なあなあ、大輔、やっぱり怒ったほうがいい?」

「いちいち聞くなよ、当たり前だろ、ブイモンは怒らなきゃいけないんだよ」

「なんで?」

「なんでって、そりゃ、その……あーもう、とにかく怒んなきゃダメなんだよ、こういう時は!」


理由なんてないんだ、と怒鳴る大輔に、ブイモンはそんなもんなの?とつぶやき、そんなもんなの!と返される。
なんだかグダグダになってしまった。疲れてしまった大輔は、喉が結構からからになっていることに気づいて、青ざめる。
しまった、大声だしすぎた!今夜中なのに!
もしかしたらみんなを起こしてしまったかもしれないと、あわててドアを開けた大輔
は、硬直した。


「……だいすけえ」


すがるように見上げてくるパタモンと言葉が紡げず悲しそうな顔をするタケルがそこにいた。


「だいすけ、あの、ぼく」

「大輔君、あのね、パタモンの話聞いて」


あげて、と伸ばされた手は空を切った。ばたん、と乱暴なドアの音が木霊する。
大輔はもう訳が分からなくなって、もうほとんどやけくそになって、
がちゃりと鍵をかけてそのままが開かないように、全力で体重をかける。
ドアに背を向けて、どんどんとタケルとパタモンがノックをしているのを押さえてしまう。大輔の名前を呼んでいるのがドア越しに聞こえてくる。
大輔はもうその場に立っていることができなくなって、ずるずるとドアを伝ってうずくまってしまう。そして耳をふさいだ。


「何しに来たんだよ!今度は盗み聞きとかふざけんのもいい加減にしろよっ!!」


きりきりと胸が締め付けられるので、ますます訳が分からなくなっている。
怒っているのはこっちなのに、悪いのはあっちなのに、なんでこっちがこんだけ苦しなまきゃいけないのかわからない。


「話を聞いてよ、大輔君!」

「やだ、ゼッテーやだ!見損なったぞ、パタモンもタケルも!友達じゃねーのかよ、オレら!
許さねえからな、ブイモンが許したって、許してあげてって言ったって、オレは許さねえからな!
大っきらいだ、お前らなんか大っきらいだ!どっかいけよ、どっか行っちゃえよーっ!」」

「やだ、絶対やだ!大輔君が話を聞いてくれるまで、ブイモンと話をさせてくれるまで、絶対にどかない!どっかいかない!」

「僕もいかないっ!僕もうやなんだ!すぐに諦めちゃう僕になっちゃうのやなんだ!
何でも許してくれる大輔とブイモンに甘えて、何にも出来ないの、大輔たちのせいにして、また傷つけるようなこと、もうしたくないよ!」


何でも許してくれる、という言葉を来た途端、大輔は大きく目を見開いて、
溢れ出す涙を堪えるために目をとじて、ぶんぶんと首を振った。


「なんだよそれ、なんだよそれええっ!
そんな理由でっ……そんなどうでもいい理由でっ……エンジェモンはエクスブイモンのこと傷つけたのかよ、ふざけんなああ!
あんまりだろ、オレ達が何したって言うんだよ!なんにもしてないだろ、
頑張っただけなのに、お前らを守ろうって頑張ってただけなのに!
何やっても許してくれるってなんだよそれ!そんな訳の分かんない理由でなにしてもいいと思ってんのかよ!
オレはそこまでイイヤツなんかじゃねーよ!
みんなみんな、オレのこと勘違いしすぎなんだよーっ!オレはそんなにイイヤツじゃねえよ!」


ブイモンもタケルもパタモンも、みんなおかしいんじゃないかと大輔は思う。
過大評価にも程があるではないか、実際に大輔はブイモンと違ってこうやって怒っているのだ。ひどいことを言っているのだ。
許さないって、大っきらいだって、思いつく限りの暴言をはいて、多分ドアの向こうのパタモンとタケルを泣かせているのだ。
熱しやすくさめやすい大輔は、いつだって全部感情を吐き出してから、はたと我に返ったときに後悔の波が濁流のように押しかけてくるのだ。
こういうとき、いつも大輔は自分のことが嫌になる。
悪いのがどんな相手だって沸き上がってくるこの感情に、大輔は押しつぶされそうになる。
良心や優しさという名前のプレッシャーが、大輔に謝れと間違っているのは自分だとささやきかけてくるのだ。
心が広いとか、寛容だとか、なんでも許してくれるんだとみんな言うけれども、そういう大輔が大好きだというけれども、
大輔は喜んで自分からそういうことをやってるわけじゃないのだ。
ただこの心苦しさから少しでも早く解放されたいだけなのだ。
だから懸命にタケルとパタモンの必死の問いかけから耳をふさぐ。
だって一言でも耳を傾けたが最後、きっと大輔の心はその言葉に耳を傾けようとするのである。
そして許そうとしてしまうのだ。実際、もう大輔の心は許そうとしている。
あっさりと穏やかになりつつある自分に気づいているから、大輔は尚更苦しんだ。
訳がわからない。それが原因でエクスブイモンがエンジェモンに攻撃されたのであれば尚更のこと。オレのせいじゃないか!
いつもいつもこうやって自分の感情が曖昧になってどこかに消えてしまうから、
姉に1番聞きたいことを聞けないまま1年間が過ぎてしまっているのだ。
同じじゃないか、と大輔は思う。もういやだ、こんな自分が嫌だ。
傷つきながら怒り続けている大輔は、泣きながらドアに向かって叫ぶ。


「苦しいんだよ!怒ってんのオレなのに!悪いのお前らなのに!
いっつもいっつもオレばかり、オレばっかり息が出来なくなるくらい苦しいんだよ!
おかしいだろ、なんでオレがこんな目に合わなくっちゃいけないんだよ!
オレなんにも悪いことしてないのに!
何でだよ、おかしいだろ、もうやだよ、こんなの、こんなの、もうやなんだよ!」


だからお前らと話なんかしたくない、と大輔は泣き叫ぶ。
しばらくの沈黙、はあはあと息を荒らげ始めた大輔のドアの向こうで、なんと返していいのか分からずに困惑しているパタモンの横で、
タケルはドアを叩いていた手をもう一度、どん、と叩いた。びくっと大輔がゆれる。
タケルはもう引き下がれない。もうここでタイミングを失ってしまったら、もう二度と大輔はタケルやパタモンに対して、
本音とも言える発言を言い合える関係になること自体、考えるのをやめてしまうだろう。
タケルは一度、大輔からの相談を冗談だと勘違いして潰しているのだ。最後のチャンスである。タケルは嬉しかった。
やっと大輔とほんとうの意味で対等になれるタイミングが見つけられたのだ。
いままで何かと助けてくれた大輔に、恩返しする意味でも。
本当の友達になる意味でも。不意にしてたまるかとタケルは問いかけをやめない。


「いつまで?」

「いつまででもだよ!」

「大輔君、ずっと苦しんでるの?」

「お前らのせいだよ!」

「うん。僕らのせいだよ、だから、話しようよ、大輔君」

「だから、オレはお前らと話なんかしたくねえよ!」

「僕は話したいよ、パタモンと一緒に、大輔君とブイモンと話がしたいよ。ねえ開けてよ、大輔君。
だってやっと話してくれたよね、大輔君。やっと僕達に相談してくれたよね、苦しいんだって、もういやだって。
大輔君が僕の相談に乗ってくれたように、僕も相談に乗りたいよ、一人で何でもやっちゃうずるい大輔君が、
やっと言ってくれたんだもん。僕もパタモンも、退かないよ。僕達、大輔くんともっと仲良くなりたいんだ」

「ずるいのはどっちだよ、そんな事言われたら、開けるしかねえか、やっぱり嫌いだよ、タケルもパタモンも」

「嫌いでもいいよ。また仲良くなればいいんだって教えてくれたのは、大輔君じゃないか」

「うん。そうだよ、大輔。だから、僕、大輔とブイモンに謝りたいんだ。大っきらいだなんていわないで?また仲良くして?
僕、約束する。もう二度と大輔とブイモンを傷つけないって約束する。だから、あけて?話を聞いて、謝らせて、お願いだよ」


ちくしょー、と大輔はつぶやいた。結局のところ、大嫌いになれたら楽なのにそれが出来ないから大輔はいつだって苦しんでいるのだ。
はあ、とため息を付いた大輔は、顔を上げた。ずーっと沈黙を守っていたブイモンは、視線を合わせると笑った。


「ほら、やっぱり大輔は心が広いよ」


観念してドアを開けた大輔は、飛び出してきたパタモンに飛びつかれてひっくり返る。それをみて、タケルとブイモンは笑った。



[26350] 第三十話 覚醒した希望 エンジェモン 
Name: 若州◆e61dab95 ID:b3115785
Date: 2013/08/03 00:03
デビモンが口にした「聖なる力」を解き明かすべく、子供たちとパートナーデジモン達は、研究熱心である光子郎にリビングに呼び出されていた。
光子郎に促されるがまま、デジヴァイスを置いた大輔は、テーブルに並んだ8つのデジヴァイスを眺めながら、ソファに沈む。
なにやら真剣な雰囲気にごくりとつばを飲み込み、前に出てきた光子郎を見た。光子郎はデジヴァイスを手にとると、早速説明を始める。
デジヴァイスと皆が口にしているけれども、実は誰もその正体について正確な情報を持っていないという切り出しから始めた光子郎は、
このデジヴァイスは小さなパソコンであると結論から先に述べて、子供たちを驚かせた。
こんなに小さなデジタル時計みたいなものが、パソコン?そんなばかな、とみんながデジヴァイスを見て光子郎の発言に首を傾げる。
証拠の提示を求められた光子郎は、私物であるパソコンをデジヴァイスの横においた。食い入るようにみんな見つめる。


「僕とミミさんたちはダイノ古代境にある地下迷宮に迷い込んだんですが、
そこを守護していたケンタルモンに古代からつたわる伝説について話を聞いたんです」

「ほう、ケンタルモンとあったのか?元気にしていたか」

「あれ?レオモンと知りあいなんですか?」

「ああ。あいつが守っているエリアの一角にはわが一族代々の墓がある」


深く落ち着いた声に、へえ、という声が広がった。これは意外なつながりだ。
レオモンが携えている剣も先祖から受け継いだものだというのだから、
レオモンは自分のことについて深くは語らないけれども故郷がそのあたりにあるのかもしれない。
お墓という言葉を聞いて、え、という顔をしたのは大輔だけだったが、
彼らの驚きはみんなと同じ世間は狭いという意味に置き換えられて流される。
なんでお墓があるんだろう、という疑問はデジタルモンスターの生態にちょっと詳しい者ならば突っ込みたくなるのも無理はない。
デジモンは人間と違って根本的に死ぬという概念は無いに等しいのだ。デジモンは死んだらデジタマに還るから。
ダークエリアにいる冥府の主からデジタマとして転生を許されたかどうかは、デジタマの有無で判明する。
だから大輔はなっちゃんというデジモンが死んで、デジタマに生まれ変わったと知った時お墓は造らなかったのだ。
もしあのデジタマからなっちゃんとは全くちがうデジモンが生まれてきたのだとしても、
そのデジモンはなっちゃんのデータが転写されたデータによって出来ている。
だからなっちゃんは死んだわけじゃない。消えてなくなったわけじゃない。二度と会いえないわけじゃない。
それはどんなデジモンにも言えることだってことは、不本意ながらデビモンが大輔に直々に教えてくれたことである。
進化経路が違ったとしても転生前のデータは何らかの形で転生後に反映されるのだ。
そう考えると、ダイノ古代境にはレオモンのご先祖のお墓があるのは変な話である。
お墓には死んじゃったデジモンがいないと変である。骨とかないと変である。
空っぽなお墓なんてお墓じゃないし、空たちが行ったというオーバーデール墓地みたいに、
どっかの国の墓地のデータがもとになってるただのオブジェエリアでもなさそうだし。
ちっちゃな声で変だよなあ?ってきいた大輔はちっちゃく頷くブイモンを見た。
やっぱりブイモンから見ても変な感じがするんだ。
なんでお墓があるのか話が終わったら聞いてみようって思った大輔は、光子郎の話に集中し始める。
もちろん、そんなこと吹き飛んでしまうくらい大事な話が待っているわけだけれども。


「その遺跡はファクトリアルタウンと同じ文字が刻まれたレリーフがたくさんあって、
その一番奥にはこの機械と全く同じレリーフがありました」


こつん、とデジヴァイスが音を立てて揺れる。


「ケンタルモンが言うには、『選ばれし子供』が持つものがデジヴァイスなのだそうです。
 デジモン達だけではどうにもならない危機が訪れた時、彼らが世界を救ってくれるのだとその遺跡には書いてありました。
 あの遺跡とファクトリアルタウンを造ったのは、きっと同じ人たちです。
 それがデジモンなのか人間なのかは分かりませんが、おそらくこのデジヴァイスを造ったのもきっと」


ここからは僕の仮説なんですが、と光子郎は口火を切った。どうやらここからが本番のようである。


「デジヴァイスって、デジモンの正式名称であるデジタルモンスターと、デバイスって言う言葉の造語だと思うんです」


すかさず、はーい、と生徒とかしている太一が手をあげるので、なんですか?と
説明を遮られて嫌そうな顔をした光子郎は、しぶしぶ太一に聞いた。


「なあ、光子郎、デバイスって何だ?」


思わずがくっと何も無いところで転びそうになった光子郎である。


「デバイスはデバイスですよ、何言ってるんですか、太一さん!情報の時間に習ったでしょう?」


光子郎の記憶が正しければ、「聖なるデバイス、デジヴァイスを使うんです」と太一にアドバイスしたことで、
太一とヤマトが見事レオモンを廃人の洗脳状態から解放することができたはずである。
あのときはデバイスという言葉に、ああなるほど、としっかり頷いていたのを光子郎は
この目にしっかりと焼き付けている。
まさかノリとかんでやっていたとは思いたくなかったらしい光子郎は、すっかり頭が痛くなっていた。
呆れ気味で聞いた光子郎の前で、んー?と首をかしげた太一は、習ったっけ?と空とヤマトに話を振る。
え?とまさかこっちに話題が飛んで来るとは思っていなかったのか、ヤマトと空はしばしの沈黙、硬直してるとも言う不自然な空白のあと、
明らかな知ったかぶりでもって光子郎の冷ややかな眼差しを頂戴した。予防線に目線をさっきから合わせようとすらしない。
唯一、なるほど、デジタルのままだとダブルミーングにしては愚直すぎるよね、とさらっと知識に上乗せをしてくれたのは丈だけである。
ええ、僕もそう思います、と嬉しそうに笑った光子郎だった。
さっぱり意味がわからないので初めから考察を放棄して、
光子郎の解説待ちのタケルや大輔はまだ小学校2年生だから情報の時間はまだであると分かるので納得できる。
問題は、その隣で足をブラブラとさせながら同じように待っている、ミミは光子郎と同じ4年生のクラスメイトであるということだ。
やっぱり納得行かない、と思う一方で、光子郎はちょっとみんなが心配になった。


「あの、みなさんパソコンの時間ですよ?ちゃんと授業受けてるんですよね?」


お台場小学校では、情報の時間やパソコンの時間という呼称で、来るべき情報化社会に向けて
子供たちに最低限度ラインの知識や技術を身につけてもらおうと、
数年前に新設されたばかりのパソコンの教室での授業が導入されている。
もうすでに家でやっていることばかりでつまらない、という子どももいるが、
みんなに平等な教育を施すのが目的の小学校では、その家庭間で生じ始めている環境差を少しでも埋めることで必死なのだ。
小学校4年生から、ローマ字やかな入力といった基礎的な知識からはじまるその授業では、実際にパソコンを使っていろんなコトをしてみる、
子供たちからすれば遊びの時間のような感覚である。
クーラーや暖房が付き、ローラー付きの椅子に座れるし、こっそりゲームやHP見てもバレないし、
友達としゃべっていてもあんまり怒られないし、当然なのかもしれない。
フロッピーやCDが自分用にもらえるというのもポイントが高く、
まだまだ高価なデジカメを研究発表の時に使えるとあって、結構な人気を誇っている。
だってテストは教科書に出てくる固有名詞を暗記すればいいだけなのである。
もしくは授業中に作ったイラストとか文章をコピーして提出である。
本来なら光子郎の言うデバイスだとか、CPUだとか、そっちの知識の方もしっかりと先生が教えるべきなのだが、
なにせ先生の間でまずその知識を生かせる授業をできる人材が不足しており、
深く突っ込んだ話をしてしまうと子供達がついて来れなくなるか、逆に子供達に置いて行かれるか、という両極端になってしまうため、
結局プリントを利用したものになってしまうのである。
テスト丸暗記で授業を乗り切ってきた組が大半を占めているらしい上級生組は、光子郎の解説を申し訳なさそうに待っている。
はあ、と小さくため息を付いた光子郎は、仕方なく関係の無い補足を入れるはめになってしまった。


ちなみに、デバイスとは、単純な特定の機能を持った機器、装置、道具という意味の英単語であり、
狭義には何らかの特定の機能を持った電子部品という意味と、
コンピュータ内部の装置や周辺機器などの意味で用いられることが多い専門用語である。
後者の意味の場合は、CPUやメモリ、ハードディスク、ビデオカードなどコンピュータを構成する各機械装置、
キーボードやマウス、プリンタ、ディスプレイなどの周辺機器をまとめてデバイスと言う。
デバイスを正しく作動させるためには、その働きを制御するソフトウェアが必要であり、これをデバイスドライバという。
普通はパソコンにあるデバイスドライバはOSに同梱されていることが多いため普段はあまり意識することは無いが、
二つセットで初めてまともに起動させることが出来る。
ものすごく解りやすく言うと、デバイスはサッカー選手でデバイスドライバは作戦を指揮するコーチである。
ここまで優しくして、ようやくみんな理解してくれたのだが、退屈そうにしていた太一から、
最初っからそう言えよ、と身も蓋もないコトを言われてしまえば、もう若干涙目になるしかない光子郎である。
光子郎はん、こらえて、とテントモンの切実な訴えやまだ学校で習っていないことを教えてもらって、
ものすごく嬉しそうな顔をしている小2コンビのキラキラとした賛美の眼差しがなかったら、きっと心がポッキリ折れていただろう。
とにかく、と光子郎は締めくくる。


「デジヴァイスは、デバイスと同じ働きを持っていると思うんです。
そして、デバイスドライバは僕達、そしてデジモン達じゃないかと思うんです」


それは何故子供たちがこの世界にやってきたのか、という最大の謎に迫る根幹とも言うべき核心に光子郎が着実に近付いていることを証明していた。
もちろん、なんとなく光子郎の言いたいことが分かっているレベルの子供たちやデジモン達でさえ、それを無意識のうちに察して、
おお、と声を漏らすほどには衝撃を与えていた。


「デジヴァイスには不思議な力がありますよね、それが聖なる力っていう奴じゃないかと思うんです。みなさん、もう気づいてますよね?」


この質問にはいよいよ持って、みんなそろって頷いた。
デジモンはデジヴァイスがなくても進化することができるが、平均化された年齢や条件が明確に存在していて、
それをクリアすることができるごく少数の者だけが進化できているという現状を、子供たちは把握しつつある。
でもデジヴァイスを介して進化したパートナーデジモン達は、その常識を打ち破って、一発で進化することができるのである。
それがどんなに異常なことなのか、考えなくても分かることである。
本来進化したらその姿を変えることはないデジモンが、
一時的な進化のためにデジヴァイスの力を借りて、その姿を維持し続けるには、相当なエネルギーが要る。
デジモンが進化するには、自分の持っているデータを分解、構築、再構成の過程で進化後のデータをダウンロードする必要があるのだ、
何年もかかるその作業を一瞬で終わらせ、しかも維持し続けるなんて凄まじいデータ量が必要となる。データが力を持つこの世界では。
そう考えると、デジヴァイスの力を借りた進化のあとで、パートナーデジモンたちが退化するのは当たり前である。
それなのに、デジヴァイスによる進化は何度も繰り返すことで確実にパートナーデジモンたちを強くする。
何気なく使ってきたものの、秘められている力は、凄まじいの一言に尽きた。
それに加えて、デジヴァイスは黒い歯車を浄化する作用がある。
これはウイルスに対してアンチウイルスソフトで撃退することと同一のものなのかどうかまではわからない。
しかし、この力によって子供たちはたくさんの危機から逃れることが出来ていた。
闇の洗礼を受けてデジコアを黒い歯車で侵食されていたレオモンを救ったのは、デジヴ
ァイスの光である。
なっちゃんの世界に引きずり込もうとしたデビモンの魔の手から、大輔を守ったのはデジヴァイスの力である。
黒い歯車を破壊することができるこのデジヴァイスは、掲げることで光を放つ。
これが一体なんの力なのか、未だに光子郎ですら解析できない状態らしい。
謎が謎を呼ぶ形ながら、この世界を支配すると豪語するデビモンがデジヴァイスを扱うことができる太一達を危険視し、襲ってくるのは理解できた。


「なんなんだろうなあ、これ」


改めてにらめっこしている子供たちの心境を代弁した太一に、ずっと壁に体を預け、
腕組みをしながら聞き入っていたレオモンが、声をかける。
振り返った子供たちとデジモン達に、レオモンは話し始める。
ごくりとつばを飲み込んだ彼らの前で、レオモンは語り始めた。


「いつの頃だったかはわからない。しかし、このデジタルワールドでまことしやかに囁かれ始めた噂があったのだ。
この世界が暗黒の力に覆われたとき、別世界から『選ばれし子供達』という存在がやってきて、この世界を救ってくれるという噂がな。
もともと人間という存在や別世界があるなんていう事自体、こうして君達に会うまで信じているデジモンなどいなかった。私のようにな。
確かにデジモン達の間ではそういう伝説があるという噂が流れ始めて、ずいぶんと長いことになる。もう伝説と言ってもいいレベルでな。
今まで半信半疑だったが、キミたちの話を聞いて、もう疑う余地はないだろうな。
今のファイル島はデビモンによって、黒い歯車という驚異でもって、まさに暗黒の力に
おおわれようとしている。そこに君達が現れた。
デジモンを進化させるという特殊で凄まじい力を持った君たちがだ。
そのデジヴァイス、そして心を通わせるパートナーがいることが何よりの証だ。
君たちがどう思おうが、これはゆりうごかすことが出来ない確固とした事実だ。
君達は元の世界に帰りたいのだろう?もしそうだとしたら、暗黒の力を消滅させれば、
この世界にとって君達は役割を果たしたということになるかもしれん。
選ばれし子供たちは暗黒の力を打ち払った時、役目を終えてこの世界から姿を消すと伝えられているのだ。
言うまでもないかもしれんが、改めて頼みたい。
デビモンは暗黒の力を使って、このファイル島にある大地の力を吸い取り、暗黒の力に変えようとしている。
選ばれし子供たちよ、どうかファイル島に覆われた、この闇を打ち払ってはくれないか」










第三十話 覚醒した希望 エンジェモン










子供たちは歓喜した。
今まで現実世界に帰るための方法を懸命に探し続けてきた漂流生活の突破口を、ようやく開くことが出来るヒントを得ることが出来たのである。
そして、いきり立つ。なんとしてもデビモンを倒さなくてはいけない。
たとえその先に待っているのが、パートナーデジモンとの別れであるとしても、今はただその事実から目を逸らしたままで、みんな一致団結する。
世界を救うという大義名分よりも、子供たちをやる気にさせたのは、もとの世界に帰ることができるかもしれない、という憶測である。
みんな信じて疑わなかった。これが終われば、すべてが終わる。長かった漂流生活が終わる。心に思い描く人たちにあえる。
憶測がいつか確信に変わり、ゆるぎ難い事実として子どもたちの間で勝手に捏造され、なんの確証もない期待へと変貌を遂げる中で、
ブイモンが回復したことで、みんなが一緒になって戦うことができるようになった翌朝、太一達はデビモンが待つムゲンマウンテンへと出発したのである。
迷いなど一曇りも、子どもたちの間にあるわけがなかった。
パートナーデジモン達は子供たちのために戦うだけだ。大好きなパートナーが望むのな
ら、どんな敵にだって立ち向かえる。
戦いの終わりが別れであるとレオモンから語られた伝説で証明されているのだとしても、漂流生活の中で1番闊達な子どもたちを前に、
別れたくない、など言えるわけがない。
パートナーデジモンとパートナーが微妙に違う視点から世界を見つめながらも、ときは一刻と過ぎていく。決戦は、迫っていた。










突然強大な地震がファイル島を揺るがす。頭上には暗雲が立ち込める。
立っていられなくなった子供たちが地面に這い蹲り、パートナーデジモン達は迫り来る驚異を察知して、前に躍り出た。
それは空を舞う無数の黒い歯車だ。
崖っぷちの山すそを上っていた子供たちの頭の上を切り裂いて、通り過ぎていく。
次々とムゲンマウンテンの頂上に黒い歯車は投げ込まれていった。
あれ、と声を上げたのはミミだった。ムゲンマウンテンの頂上が崩れ始めたのである。
膨張し始めた暗黒の力に呼応する形で、ムゲンマウンテンが割れる。真っ二つの割れていく。
その畏怖すべき光景に絶句しながら、麓で見上げていた子供たちとデジモン達の前に現れたのは、
空に届かんばかりに巨大化した、デビモンの姿である。
デビモンのヤシロであるムゲンマウンテンが黒い歯車の生産工場と化しているのは子供
たちは間近で観ている。
だが、まさか、この世界に存在していた全ての黒い歯車を自らの体に取り込んで、子供たちとの最終決戦に備えていたとは思わない。
デビモンはどこまでも選ばれし子供たちとそのデジモン達を確実に抹殺することができる手段を講じてきた。生きて返す気など、毛頭ないのである。
空に響く轟音のような笑い声。
しかし、負けるわけにはいかない。なんとしてもデビモンを倒して元の世界に帰らなけれないけないのだ。
子供たちの感覚では、もう漂流生活を始めてから、ゆうに一週間以上が経過しているのである。
待っている人がいるという現実が、子供たちを奮い立たせ、パートナーデジモンたちを強くする。
進化の光りに包まれたデジモン達がいっせいに攻撃を仕掛けていく。
しかし、あまりにも強大な存在として立ちはだかっているデビモンを前にしては、まるで米粒のようにちっぽけな存在である成熟期は、
同じ成熟期であるはずのデビモンを前にして、なすすべなく蹂躙されていく。
子供たちは怯むこと無くパートナーデジモンたちを必死で応援する。がんばれと。負け
るなと。そしてパートナーデジモンの名前を呼ぶのだ。
ぼろぼろに傷つきながらも懸命に立ち向かっていくパートナーデジモンと、なんとかデジヴァイスに必死で心からの声援を送り込み、
少しでもデータとして解析されていく想いの力をデジヴァイスに託して、パートナーデジモンのパワーアップを支援する選ばれし子供達。
彼らの勇姿に少しでも報いらんとばかりに、単身勇猛果敢に立ち向かっていったレオモンが、
デビモンの宣言通りにデビモンの糧となって体に飲み込まれてしまったかつての好敵手を見て絶句する。
こう言った形で決着をつけたくはなかったと歯ぎしりしながら、レオモンはオーガモンに自らの魂である剣を向けた。


「もう迷わないって決めたんだ!いくよ、タケル!僕、今度こそ、今度こそちゃんと、みんなを守るために進化してやるんだ!」


力強く叫んだ決意は、やがて光となってタケルがぎゅっと握り締めているデジヴァイスに、確かな鼓動となって降り注ぐ。
うん!と大きく頷いたタケルは、かつて答えられなかった問いかけに答えるために、ぎゅっと目を閉じる。
そして心のなかでエンジェモンに伝えるために、一言一言祈りを込めてはっきりと告げる。
その心からの言葉はやがてデジヴァイスによって解析され、パタモンの決意と一つとなったとき、一直線に登っていく光がある。


「僕が、僕が教えてあげるよ、エンジェモン。これから一緒に探そう、何をしなくっちゃいけないのか、何をしちゃいけないのか。
だから、みんなと一緒に戦って欲しいんだ。僕も一緒に頑張るから。それが、僕の気持ちだよ。君にやって欲しいことなんだ」


二元論のような単純な価値観や世界観では到底説明しきれない、光と闇という存在に対して、
真正面からぶつかったタケルが導き出した答えである。
タケルはエンジェモンに言ったのだ。光や闇のどちらかに属するのではなく、
タケルと一緒に、これから、を捜すために歩んで欲しいと言ったのである。
それは極端な闇と光のあり方を間近で見て、体験し、
どちらにも理解と疑問を持ってしまったタケルが、自分なりの正しいことを見つけたい、と心から思ったがゆえの結論だった。
かつてのデビモンとエンジェモンのあり方が、光と闇であるということ以外、全く変わらないことに気付いたがゆえの結論だった。
これは、これから先、光や闇というわかりやすい存在があるにもかかわらず、どちらからも一定の距離を保って、バランスをとりながら、
中立に歩んでいかなければならないという、途方も無い決意と同じである。
しかし、それは同時にタケルがタケル自身の為に、なんにもとらわれないでやりたいことを見つけていくという決意表明でもある。
きっと大丈夫だろう、タケルはもう一人ではないのだから。


希望とは厄災でもある。やがてタケルが手にすることになる多彩な解釈ができる希望という紋章について、タケルが明確に定義付けた瞬間だった。
どんな暗闇の中でも決して失わない光、という他の精神的な形質を示す紋章とは一線を画す非常に解釈が難しい紋章にタケルが選ばれたのは、
ひとえにタケルが選ばれし子供たちの中で、精神的な意味で最も幼かったという一点に理由が集約されている。
最も幼い子どもは確かに非力であり、守られる側であるが、既存の価値観や常識にさえとらわれなければ、
柔軟な発想を持って、自由に、なんにでもなれるという無限の可能性を秘めているに等しい。
その将来性でもって選ばれたタケルは、希望という紋章が持つ特有の性質と非常に似ていたのである。
希望という性質をよく表しているとされる寓話の中に、パンドラの箱という話がある。
神から「あらゆる厄災が詰め込まれた箱」を中身を知らされないまま渡されたパンドラ
という女性が、好奇心に耐え切れずに開けてしまったため、
この世界は厄災に溢れてしまったが、あわてて箱を閉じたパンドラがのぞいてみると、そこにはエルピスというものが残っていたという話である。
このエルピスというものがなんなのかは、この寓話をどう捉えるかによって、大いに解釈がわかれてしまう非常に難しい話である。
後世の創作意識を駆り立てるために存在しているため仕方ないといえるのだが、そのエルピスは一般的には希望と解釈される。
災厄が起こり得る世界で、希望があるおかげで人は諦めずにどんな困難でも乗り越えて行くことができるのだとされている。
しかし、そもそもどうして「あらゆる厄災が詰め込まれた箱」の中に希望と解釈されるエルピスが入っていたのか、を考えてみると、
そこに希望というものの本質が現れてくるのだ。
幸福が逃げてしまっても、いつかは手に入るのだという希望があるからこそ、人は絶望しないでいられるということになる
それは同時に、人は絶望することができず、空虚な期待を抱きながら生きて行くことも意味する。
未来が分からないため、人は諦めることを知らず、ずっと希望と共に生きていけるが、それは同時に絶望も味わうこともあると意味する。
いずれにせよ、箱の中に残ったものは、自分の手元にあり、意志や自分の力で制御することが可能なものであり、
箱の外に飛び出したのが、自分たちではどうにもならない、いつどのように世の中でもたらされることになるのかわからないものである。
そしてそれらはかつてワンセットであり、箱の内と外に別れてしまったが、結局はすぐ側にあるということに代わりはない。
非常に面白い側面があるのだ。
まだまだ無意識ではあるけれども、確実に一歩、タケルが成長した証である。
その安定した心はしっかりとパタモンから受け継がれ、エンジェモンへと伝わっていく。
今度は安定した進化にもかかわらず、僕から私に一人称が変化し、がらりと性格が変わってしまうのは、
パタモンというデジモン自体はそもそも哺乳類型のデジモンであり、善悪とは直接関係の無い普通のデジモンであり、
聖なるものに属するデジモンではないからだ。
進化すると突然エンジェモンという明確な正義や善の所属に立ち位置が代わってしまうからに他ならない。
もちろん、規則的な進化を遂げることが出来たエンジェモンには、はっきりとした自我がわずかながらではあるが芽生えている。
あの時とは比べものにならない、鮮やかな閃光に包まれて現れた天使は、ばさりと大きく6枚の羽を揺らした。
タケルがその旅の果てに答えを見つけることが出来たとき、きっとそこにいる天使は誰よりも輝いている。
今はまだ未熟な天使は、すこしばかり戸惑いながら、しかしはっきりとタケルの答えにぎこちなく微笑みかけた。


「それが、タケルの答えなんだね。人の心という不確かで移ろいやすい、曖昧なもののために、私に戦えと言うんだね。
分かった。私はタケルの信仰する人の心というものの為に戦おう。たとえそのために、光の加護を失って、力を発揮することが難しくなろうとも、
私は戦うことを今ここで約束しよう。タケル、君が望むなら」


ホーリーロッドを振りかざしたエンジェモンが、凛とした声で宣言した。
届いた!僕の声がエンジェモンに届いたんだ!とタケルは喜びでいっぱいになって、うん!と大きく頷いた。


「頑張って、エンジェモン!デビモンなんかに負けないで!」


パートナーの心からの力強い声援がデジヴァイスを通してエンジェモンに力を与える。
それは中立の立場を選択したことで、失われてしまった聖なる力を補強して有り余るものだったが、
黒い歯車を取り込み、強大な存在として立ちはだかるデビモンを倒すために必要な、対等の力を得るためには、まだまだ足りない。
それを悟ったエンジェモンは、きらきらとまばゆい光に包まれている上空を眩しそうに見ている子供たち、そしてデジモン達に叫んだ。


「私に力を貸してくれ!デジヴァイスの力を私に!」


切実な未熟者の天使の声に呼応して、太一の、空の、ヤマトの、光子郎の、丈の、ミミの、大輔の、そしてタケルのデジヴァイスの光がエンジェモンに届く。
進化に使われている筈だったエネルギーを根こそぎ奪われたパートナーデジモン達は、あっという間に成長期に戻ってしまった。
エンジェモンが何をしようとしているのか察知したデジモン達は、慌ててやめるようエンジェモンに叫ぶ。
そして子供たちのデジヴァイスから溢れる光を何とか抑えようと奔走するが、
エンジェモンのタケルの気持ちに応えたいという気持ちが凌駕してしまい、あっという間に爪弾きにされてしまう。
かつてパタモンを飲み込んだ光の濁流がエンジェモンのもとに、まるでクリスマスツリーのネオンのごとく集まっていく。


「愚か者め、死なばもろとも心中する気か!どこまでも貴様は気に入らない!」

「そんな、やだよ、エンジェモン!せっかく君と分かり合えたのにっ!エンジェモン、死んじゃうのっ?!やだよおおっ!」

「すまない、タケル。今の私ではこうすることでしか、君の望む、人の心のために戦うということに答えることが出来ないんだ。
私はいつも君のことを泣かせてばかりだね。進化を望んでくれてありがとう、それだけが私はなによりも嬉しい」

「エンジェモンっ………!」

「タケル、君が望んでくれるなら、何度でも私は君に会いたい。そしてまた何も知らない私にいろんなコトを教えてくれないか」

「そんな、こと、いわないでよおおっ!一緒に勉強しよって約束したじゃないかああっ!エンジェモン、やめてえええっ!」

「エンジェモン、てめえ、何勝手に決めてんだよ!何カッコ付けててんだよ!残されるヤツのこと少しは考えろよ、バカーっ!」

「大輔、もしまた会えたなら、私のことを再び友と呼んでくれるかい?」

「誰が呼ぶかよーっ!なんにも言わないで勝手に決めちまうような奴なんて知らねえよ!バカ!早くやめろよ、そんなこと!」

「ふふ、それを君がいうのか。大輔らしい。タケル、また会おう。そのときは今度こそ、私は君を守ってみせる」


8つのデジヴァイスから降り注いだ虹色の光が濁流のように押し寄せ、エンジェモンのホーリーロッドに溢れて浸透していく。
それを両手でひとつの塊に押し固めたエンジェモンは、デジヴァイスに込められていた全ての光をかき集めた。
そして、強大な闇を打ち砕くべく、ひとつの小さな矢となったエンジェモンは、一気にデビモンに駆け抜けていく。
やだよ、とタケルは叫ぶ。やだよおおっと涙を弾けさせ、がばっと顔を上げたタケルはありったけの声を上げて叫んだ。


「いかないで、いかないで、お願いだから置いて行かないで、一人にしないでよ、エンジェモ―――――ン!」


タケルの悲痛な叫びに悲しげな笑顔を残したままで、エンジェモンは自らの存在を証明すべく拳を振り上げた。


「ヘブンズナックル!!!」


エンジェモンの決死の特攻は、光を捨てて人ともにあると決めた天使をきらめかせる。
炸裂した拳に薙ぎ払われていく歯車。強大になりすぎたデビモンの体を突き破っていく黒い歯車が、どんどんデビモンの体を内部から破壊していく。
ばかな、なんだこれは!もともと強大すぎる闇の力に溺れ、自我をも飲み込まれていたデビモンは気づいていなかったのである。
デジモンはデータが実体化した存在である。ウイルス種である以上、ある程度の闇の力に耐性はあるものの、
デビモンが手にした力はデビモンの考えているよりも遙かに強大で、遙かに凶悪で、扱うことが非常に難しい。
良薬でも分量を間違えれば劇薬となるように、自らのもつキャパシティを超えて取り込んだ闇の力は、どこかで間違えて崩壊の兆しを見せ始めれば、
あっという間に暴走していく。制御ができなくなった闇の力は、もともと不相応だったデビモンのデータをも侵食していく。食い破っていく。
そこに待っているのはデジタマに戻るというデジタルワールドの摂理すら無視した、取り込みである。まさに弱肉強食。
エンジェモンの拳が届く前にデジコアにあったはずの1番の根幹であるデータチップが闇の力に飲み込まれ、濁流のように消えてしまう。
結局のところ、デビモンは利用されていたに過ぎない。それに気付いた時にはもう遅い。
ムゲンマウンテンを頂点として大地を浸食し続けた黒い歯車は、ファイル島をエリアごとに分断して孤島にしてしまうほど、広がってしまった。
暗黒の楔が撃ち込まれた時点で、もはやデビモンは用無しなのだ。
デジタルワールドが許容できる範囲を遙かに超えた悪行の因果応報がここにあった。
かつての同族によって討ち取られるという皮肉をもってその生涯を終えたデビモンは、
エンジェモンの必殺技によって光に葬られた。
データが消滅していく2つのデジモンがいる。デビモンは高笑いした。


「フフ、フフフフ、フハハハハハハハハハッ!面白い、実に面白い!結局のところ私は手の中で踊らされていたにすぎんというわけか!」


突然の衝撃発言に子供たちとデジモン達の動きが硬直する。
これで終わりじゃなかったのか?デビモンを倒せば、元の世界に戻れるんじゃなかったのか?という期待をしていたが故の絶望の眼差しが浮かぶ。
どういうことだよ!と叫ぶ子供たちの声にデビモンは心底愉快だと言いたげに笑った。
そして、子供たちの心を蹴落とすようなことを畳み掛けたのである。


「置き土産に教えてやろう、選ばれし子供たちよ!暗黒の力が広がっているのは、このファイル島だけではない!
海の向こうには、私以上に強力な暗黒の力を持ったデジモンも存在するのだ。私はその力を利用しようとしただけだ!
エンジェモンの力を失ったお前らに生き残れるような力などあるわけがない!
せいぜいもがき苦しめ、その様子を私は冥府から傍観するとしよう。
せいぜい、あがくがいい!終りのない戦いに絶望するのを楽しみにしているぞ!」


その声を遮る者があった。


「だまれ!私は、タケルは、選ばれし子供たちとデジモン達は、決して歩みを止めたりはしない!
人には人の強さがあるのだ、光にも闇にも中立であろうとする強き心があるのだ!
貴様のような奴がいるかぎり、私たちは負けはしない!それこそが、聖なる光となるの
だから!」


子供たちとパートナーデジモンたちを心強く励ましてくれる言葉がある。
ぼろぼろと涙を流すタケルがひざまずいている前に、6枚の羽が舞い降りる。それがひとつのデジタマとなったとき、
大輔からデジモンの輪廻の神秘を聞かされていたタケルは、しっかりとそのデジタマを抱きしめて、泣き崩れたのだった。



[26350] プロローグ 太陽が目覚めたら
Name: 若州◆e61dab95 ID:ac1cb07d
Date: 2013/08/03 00:04
オレがチビモンだったころ、ずーっとずっとそのときってやつを待ち続けていたことだけ覚えてる。
長い長い間、気が遠くなるくらい長い間、ずーっとオレはその時ってやつが何なのかわからないのに、
もうとっくの昔に忘れてしまったのに、ずっとどきどきしながら、わくわくしながら、はらはらしながら待っていた。
そのときが必ず来ることだけがオレのすべてだったから、
どうしてオレがずーっと待ち続けているのなんか全然気にしなかった。
ずっとずっとオレは眠っていた。真っ暗な洞窟の奥深くで、そのときってやつがオレを見つけてくれるまで、
オレのことを必要としてくれるそのときってやつが現れるその日まで、
その感動と喜びを一気にぶちまけられるように、待って待って待ち続けていた。
他のチコモン達はどこに行ったんだとか、どこに住んでいるのだとか、
こうやってそのときってやつを待っているのかどうかなんて全然気にしなかった。
だってひとりぼっちじゃなかったから。
オレがオレであるために、大好きなそのときってやつのために、役に立てるために、
大切な大切な何かと一緒にいたから、全然さびしくなんてなかった。
そしてとうとうそのときってやつがオレに逢いに来たのかと思って、
嬉しくって楽しくってわくわくしながら飛び出したら、まだそのときじゃないんだけど、本当ならまだそのときってやつは先のはずなんだけど、ちょっとだけ変わったから、
事情が変わったから、ちょっとだけ早くなったよって教えてもらえたんだ。
オレが初めてこの世界に飛び出した時、オレが知ってる世界じゃなくてびっくりしたんだ。
オレが知ってるものが全然ないんだ。知らないものがたくさんあるんだ。
世界がとっても大きくて、時間がとってもゆっくりで、すべてがとっても複雑になってた。
知らないデジモンたちがたくさんいて、初めは言葉が通じなくて大変だったんだけど、
その内なんとなく分かるようになって、雰囲気で仲間に入れてもらえるようになって、
気付いたらオレはこの世界のデジモンとして溶け込めるようになってたんだ。
おいしいものがたくさんあるし、日向ぼっこもできるし、お昼寝もできるし、
オレは全然寂しくなんかなかったんだ。
知らないが知ってるに変わっていって、そのかわりにオレはどんどん知ってた世界を忘れていったんだ。
ずーっと待ってた頃にいっつも夢の中で生きていたふるさとの世界をオレはもう思い出せない。
思い出すことなんてできないくらい忘れてしまったけれど、もうどうでもいいんだ。
オレはこの世界のことが大好きだから。
そのときってやつが来ないかなって待ち続けていることだけは変わらなかったから。
そしたら、頭にぴーんってきたんだ。そのときってやつがやっときたんだって、
身体が震えたんだ、涙が出てくるくらいうれしかったんだ。
だからオレは今まで遊んでたデジモン達のことなんかそっちのけで、
いても経ってもいられなくなって、ずーっと走り続けて、あの場所に来たんだ。
出ちゃいけないって言われた場所。危ないから絶対に近付くなって言われた場所。
高い高い門の向こう側を夢見ていたオレは、生まれて初めて同じ空が続く始まりの街に行くことが許されたんだ。
お迎えのデジモンに連れられてやって来たその場所で、今まであったこともないようなデジモン達がいて、
みんなそのときってやつのために集まってきたんだって知ったんだ。
まだかな、まだだね、遅いな、早く来ないかなってみんなで待ってたんだ。
オレみたいに洞窟の中でずーっとずっと待ち続けているデジモンは
ひとりもいないようだったけど、どうやら起こされたのはオレだけみたいだったけど、
事情が変わったって何のことだかわからないけれど、もうそんなことどうでもいいんだ。
そのときってやつが何よりも大切だって思って、ここまできたのはみんな同じだった。
それだけで仲間だってわかったんだ。
そして、オレは知ったんだ。そのときってやつがくる瞬間に。
その名前を知ったとき、もう幸せすぎて死んじゃいそうだって思ったんだ。
ねえ、だいすけ。
オレはね、だいすけと会えた時、世界が色付いたんだよ。世界が変わったんだよ。
だいすけのためにオレがいるんだって、だいすけにあうために
オレのずーっとがあったんだってわかってとってもとってもうれしかったんだよ。
だいすけの笑顔がオレを幸せにするんだよ。世界は変えられるんだよ。
ブイモンっていう魔法の言葉が、オレのことよんでくれるって、
ただそれだけで、大好きなだいすけから呼んでもらえるだけで、オレは生きてられるんだ。





黒い歯車と一体化した闇の化身が天使の犠牲によって薙ぎ払われたその後、
ムゲンマウンテンの頂上で朝日を拝むことになったブイモン達は一夜を明かしたことを知る。
エレキモン達がはじまりの街で待っている。このファイル島で出会ってきたデジモン達が子供たちの帰りを待っている。
現実世界への帰還が叶わなかった悲しみを抱えながら、まずは生還の吉報をみんなに伝えなくてはならない。
これからのことはそのあと考えればいい。思いっきり泣くのはその後でも遅くない。
とりあえず、子供たちに必要なのはふかふかのベットと温かいお風呂とみんなで囲む美味しいご飯である。
進化のエネルギーを根こそぎエンジェモンに持って行かれてしまったデジモン達は、
進化する気力も残っておらず、ほとんど気力だけで子供たちと共にムゲンマウンテンを下った。
すっかり太陽が昇った平和なファイル島において、初めて迎えるなにもない日常は安全そのものだった。
子供たちはレオモンが先導する抜け道を通って、迷わずの森を通り、始まりの街に一直線である。
そして、みんな思い思いにやりたいことをやって、思いっきり昼夜逆転の生活スタイルとなってしまうが、
事実上その日は子供たちとデジモン達の惰眠をむさぼる寝息によってすべて消耗されてしまったのだった。
そして、当然のことながら半日昼寝をしてしまうと夜冴えて眠れなくなってしまった大輔は、
ブイモンを連れてこっそりみんなが雑魚寝しているリビングを抜け出し、エレキモンが寝ている寝室に向かった。
エレキモンの朝は早いのだ。この始まりの街にいるベビーたちのご飯を一体で用意するお仕事があるから
エレキモンに用がある時にははやくいかないと、真っ暗な中を捜しに行かなければならなくなってしまう。
さすがに誰にも言わないでどこかに行ってしまうと怒られるのは目に見えているのでそんなことできるわけがない。
急げ急げと裸足で忙しなく走り抜けた廊下の先では、さいわい寝室の電気が漏れている。あーよかった、間に合った、とほっとした大輔はとんとんノックする。
だれだよ?って返事があったので、オレだよ大輔っていうと、入れよ、開いてるぞって言われたからドアノブを回した。


「どうしたんだよ、大輔にブイモンじゃあねえか」

「ちょっとエレキモンに聞きたいことがあってさ」

「聞きたいこと?ああ、デジタマのことなら生まれんのはまだまだ先だと思うぜ」

「いや、違うんだよ。エレキモンってさ、始まりの街に生まれてくるベビーたちの世話してるだろ?
 新しいベビーが生まれたら、やっぱり分かるんだよな?生まれたとか、デジタマが増えてるとか」

「あったりまえだろ、何言ってんだよ。オレに知らないことなんかないぜ」

「じゃあさ、今日新しく増えたデジタマってあるよな?」

「今日?今日か?デジタマは増えてなかったけど、新しくベビーたちが4匹仲間入りしたぜ」

「え、デジタマ無かったのか?」

「ああ、くまなく探したけど間違いねえよ。もしものことがあったらえらいことになるからって
 ピョコモンやメラモンたちに手伝ってもらって、この家にベビーたちもデジタマも避難させてたからな」


なんでそんなこと聞くんだよって不思議そうに聞いてくるエレキモンに、大輔はちょっと言いにくいのか言葉を濁してしまう。


「誰にも言わないでくれよ、特にタケルには」

「うん?なんだなんだ、そんなにやべえ話なのか?」

「そうじゃないけど、なんか、勘違いされそうだしさ。
 みんな、オレみたいにデジタマのこと詳しく知らないから気にしてなかったんだけど、
 エンジェモンが死んじゃった時、デジタマが残ったのに、デビモンは無かったんだ。
 だからはじまりの街にあんのかなあって思って」

「あー……そう言うことか。そりゃ言いにくいよな」

「だろ?べっつにもう悪さをしないんならデビモンのデジタマがあったってオレは構わないけどさ、
 なんか、嫌だろ?できるなら内緒にしてほしいなって思ったんだけど、無いんだ?」

「ああないね。まああんだけの事仕出かしたんだから、なんのお咎めもなしってわけにはいかないだろ。
 今頃あの世でこっぴどく叱られてんじゃねーかな。地獄にでも落ちてんじゃねえか?
悪いことをしたデジモンはあの世からデジタマになってこっちの世界に還ってこれないって言われてるしな。
 デビモンは堕天使型のデジモンだから、生きたままあの世に逝っちまったかもしれない」

「へえー、デジモンってすぐにデジタマに還る訳じゃないんだ?」

「そりゃそうだろ、一回死んだデジモンはみんなあの世に逝くんだよ。そんでデジタマになって還ってくるんだ。
 人間がどんだけ時間かかるか知らねえけど、オレたちデジモンにとってはそれがすっげえ早いだけだよ。
 でもデジモンによって個人差があるんだ。だからエンジェモンやなっちゃんとかいうデジモンは、
 とってもいい奴だってあの世で判断されたから、はたから見ればすぐにデジタマになったように見えるくらいのスピードで還ってこれたんだ。
 まあ、いろいろあるんだよ。デジモンもな」


そっか、と安心したように大輔は笑った。デビモンと遭遇する機会が消滅したに等しいから安堵したのか、
タケルたちに対してデビモンの転生先であるデジタマの存在を隠す必要が無くなったからなのかはエレキモンにはわからない。
まあ気のいい選ばれし子供は悪さをしないんならいいやって言っちゃってるので、きっと前者なのだろう。
昨日の敵は今日の友ってか、いい奴だなあ、お前ってエレキモンは大輔の首元に残されている憎悪の象徴を見上げて、
半ばあきれ顔で言ったので、そんなことねえよって大輔は肩をすくめた。覚えてないんだから仕方ないんだ。
覚えてないって相当だよ、大輔ってつぶやいたブイモンの口調は義憤入り混じりである。
大げさだなあって大輔は言うが、エレキモンはそんな大輔を咎めるようにたしなめる。


「そんなんで大丈夫なのか?大輔。もしデビモンが記憶を持ったまま生まれてきたら、多分本気で殺されるぞ、お前。
 ブイモンが敵意むき出しなのも当たり前だろ。それくらいのことされてんだよ、お前。
 ちょっとは危機意識もてよな。
 なんかトラウマ持っちゃってるんだろ?大丈夫なのか?」


あー、とバツ悪そうに頬を掻いた大輔は小さく首を振った。全然大丈夫じゃないよとはブイモンの談である。
簡単な実験をブイモンと一緒にしてみたから大体分かったのだ。結論から言うと重症だ。
右手を目の前に近づけてグーパーしながら様子を伺ってみるが、なんともない。
試しに首に触れてみるが、やっぱりなんともない。
空から貸してもらった真っ赤なバンダナがズレていることに気がついて、
慌てて包帯が見えないように、丸まっているところを引き伸ばしたから、自分がする分には問題ないのだ。
へんな感じがするなあ、と大輔は自分の体に起こった不具合について、改めて首をかしげてみる。
もう大輔の意志ではどうにもならないような反射的な反応であるため、どうしようもないのだが、やっぱりなんだか変な感じだ。
びくりと体が揺れて、体が勝手に緊張感に苛まれて、ぞわわわわという悪寒が
背筋を凍らせるのである。相手が誰であろうと身構えてしまう。
さっと血の気が引いて、みるみるうちに青ざめて、力が抜けてしまう。
酷い時には首のあたりに変な圧迫感を感じて、口元を押さえてうずくまりたくなる。
大輔の意識の中では、平気である、安全である、大丈夫だ、と思っているのに、
全然体が言うことを聞いてくれなくなってしまう。
この症状が現れたときには、大輔の体が悲鳴を挙げている時だから、
絶対に、絶対に無理をするな、隠すな、言え、と耳にたこができるくらい言われた大輔は、
こくこくと頷いたので覚えている。へんてこになってしまった体は、違和感だらけだ。
ブイモンが大輔の側に寄って来るなり、右手を掴んでぎゅーっと握りしめてみたり、
腕を回してくっついてみたり、ぺたぺた触ってきたり、
ちょこまかちょこまかと思いつく限りのスキンシップを忙しなく試みたから境界は把握できた。
大輔、どんな感じ?大丈夫か?といちいち心配そうに見上げてくる相棒を見ていると、
いつものように気恥ずかしさから抵抗する気にもなれずにされるがままだったのはご愛嬌。
本人なりには大真面目なのだろうが、くすぐったくて大輔が笑ってしまうと
むむむ、とブイモンは不満そうに口を尖らせていうのだ。


「大輔、真面目にやってよ。オレは大輔のために調べてるんだから」


そういうと、決まって大輔はこう返すのだ。


「わーってるよ、じっとしてりゃいいんだろ。でもくすぐってえんだってば」


けたけたと笑ってしまう大輔にブイモンは肩をすくめるしかない。
そして抗議のためにずいっと体を近づけて、ほっぺたをむにーっと引っ張ろうとしたとき、
大輔の瞳の向こう側に怯えと恐怖が浮かんだのを見た。
ばしっとブイモンの両手を弾きだしてしまった大輔は、あ、とつぶやいてそろそろと手を下ろした。
わりい、と申し訳なさそうな顔をするパートナーに、ブイモンはあわててぶんぶん首を振って、ごめん大輔!と謝った。
見えない暴力の影に怯えていた眼差しは、しばらくすればなりを潜めて、大好きなパートナーを元の調子に戻す。
それの繰り返しだった。そんなことを思い出したブイモンはいうのだ。


「大輔から見て、首より上の方から、他の人の手が見えちゃうと変になっちゃうんだよ、エレキモン」

「そりゃ完璧にトラウマだな」

「あーもー、なんなんだよ、早く治んねえかなあ」

「大丈夫だって、きっと治るよ。初めの頃よりずっと調子はよくなってるんだろ?」

「まーな、後ろからだったらもう平気だし」

「早く治るといいね、大輔。大輔が泣いちゃったとき、抱きしめてあげられないのはつらいよ。
後ろから抱っこできるのはいいけど、大輔が最初に笑顔になるのが見られないのはやだなあ、オレ」

「サンキュー、ブイモン。ま、なんとかなるだろ」

「ホントそう言うところは太一に似てるよな、お前」

「え?そうか?」

「おう、なんかそういうあっけらかんとしてるとこ似てるぜ、お前ら。
 ゴーグルつけてっから兄弟かと思ったけど違うんだな、お前ら。苗字違うし」

「へへっ、まーな!」
 

からりと大輔は笑うので、エレキモンはつられて笑顔になったが、ブイモンはちょっと拗ねている。
なんでこんなときに太一が出てくるんだよ、とでもいいたそうな顔である。
そして、ふといいことを考えついたのか、ブイモンが話題転換もかねて提案してくる。
嫌な予感しかしない大輔は身構えた。


「そーだ、大輔からだったらなんともないんだから、抱きついてくれたらいいんだよ、なっちゃんの時みたいに!
そしたら怖い思いしなくてもいいだろ」


思わぬ方向から飛んできた突拍子も無い提案に、はああっ?!と間抜けな声を上げてしまった大輔は、
なにいってんだよ、お前!と顔を真っ赤にして声を荒げる。
どうして大輔がそんな事をいうのだ今さら、といった様子のブイモンである。
出来るわけ無いだろ、と言いかけた言葉は、にっこり笑って紡がれた、太一、という言葉の前にはあっという間に粉砕されてしまう。
ブイモンの意味を察したエレキモンは、ぷっと吹き出すなりそのまま大笑いに突入してしまう。よっぽど壺に入ったらしい。
それを言われたらもうどうしようもない。現実を鑑みてそうとも言えなくなってきているので、次第にごにょごにょとしぼんでしまった。
あーだこーだと自分は別に好きでやってるわけじゃなくてその、と誰にいうでもなく言い訳がましい言葉を吐きながらうつむいてしまう。


「太一はいいのに、なんでパートナーデジモンのオレはだめなんだよ、大輔」

「あ、あれは太一さんがっ……!」


勘弁してくれと大輔がどこか疲れたような顔をして、がっくりと肩を落とすのも無理は無い。
そもそも魔の手から逃れるためにここまで来たのだから。
デビモンの一件以来、大輔のトラウマを払拭するためという免罪符を獲得した太一は、それはもう極端なほど大輔に構い倒していた。
いつもは会えない親戚が年下の甥っ子を猫可愛がりするがごとく、
本人の意志など全く考慮すること無く、いろんなところに引っ張りまわすのである。
はっきりいって自己満足の塊に過ぎない一方的な行動であり、
タケルに対して過保護な自覚があるヤマトですら本気でどん引きするような有様だ。
太一なりに有限実行ができなかったことに対する謝罪のつもりなのだろうとは空の談である。
大輔の必死の抵抗や訴えもいつものことなので、全然聞く耳持たずなのはいただけないが、注意してどうにか出来るものでもないらしい。
気が済むまで好きにさせろ、という事実上の見捨てを見た大輔は、このとき初めて空を心の底から恨んだ。
ついでに面白いからと傍観を決め込んだ上級生組、甘えられてよかったねと
見当違いにも程がある様子でニコニコする友人も恨んだ。なにこの公開処刑。
いちいちやることが極端なのは今に始まったことではないらしいが、
太一と知り合ってからまだ1年と4ヶ月しか経っていない大輔にはたまったものではない。
自然体でいろいろとやられる分には丁度いいのだが、意識してやられると度が過ぎてしまうの典型だった。
はっきりいって大輔は今の太一がウザくて仕方ない。
本宮大輔は八神太一の実の弟ではないのだ。あくまでもサッカー部の仲の良い先輩と後輩の立場でしかないはずなのだ。
ただ少しだけ大輔が太一に対して、仮想の兄としてのフィルターを掛けて、
精神的な安定を図るために、あくまでもこっそりと慕っていたにすぎない。
それがバレたのは不本意だったが、いろいろと相談することが出来てよかったなあ程度の認識しかなかった大輔にとっては、
今まで限りなく一方的なまでの尊敬が一転して、大きくベクトルがこっちにまで飛んできてしまうという現状は混乱しか招かない。
余計なお世話である。
八神太一は八神ヒカリのお兄ちゃんでなければならないのだ、と
いう本来の太一のスタンスのほうが、実は大輔にとっては非常にありがたいのだ。
確かに仲睦まじい八神兄妹を見ては自分の現状を比較して嫌な感情を滾らせることも多々あったし、
お兄ちゃんと呼べない現状をもどかしく思うこともあったが、
大輔が求めているのはあくまでも精神安定剤としての理想像な太一のほうが重要なのであって、
実は太一本人がそれを意識して世話を焼かれるのは非常に困る。
本来なら、八神太一にとっての1番は八神ヒカリという実の妹であり、それが絶対的な不動であるという事実がある。
どうがんばっても絶対に勝てない、覆すことが出来ない現実である。
それのほうが重要なのだ。実はそれが大輔が太一を兄フィルターに選んだ決定打である。
だって期待しないですむではないか。もしかしたら、を期待しなくてもいいではないか。
絶対に奇跡なんて起こらないんだから。
大輔はただ太一を理想のお兄ちゃんとして慕って、尊敬して、崇め奉っていればそれでいいのである。
別にだからどうこうしてほしいと大輔は太一に求めてなんかいないのだ。むしろほっといてくれというレベルである。
なぜなら大輔にとって重要なのは、相手側の反応を考慮しなくてもいいけど、大輔にとっての理想のお兄ちゃんでいてほしい、という
非常にご都合主義で自分勝手で、大輔は大変楽ちんであるというスタンスを確立することなのである。
いわば恋に恋する女の子が、恋する私って素敵だわという自己陶酔とナルシスト的な心境に浸るのが大好きであるということによく似ている。
お兄ちゃんという理想が大事なのであって、そのフィルターを外してしまえば、
太一をサッカー部のキャプテンとして尊敬している大輔しか残らないし、
きっと大輔自身も太一本人をそこまで本気で慕っているのかと言われてしまえば、
疑問符が浮かんでしまう、非常にややこしい事態になっている。
結局のところ、太一と空は大輔にとっては、どこまでも本宮ジュンの代わりにしか過ぎず、

どこまでも現実逃避のための白羽の矢でしかないのだ。
つまるところ、大輔が求めているのは「太一が理想的なお兄ちゃんである」というただ一点のみであり、
「太一が大輔に対してお兄ちゃんのように構ってくれる」ことではないのである。全然別次元の話なのである。
だから大輔は、タケルのお兄ちゃんであるはずのヤマトに対して、うらやましいと嫉妬にも似た感情をいだきはしても、
絶対に理想的なお兄ちゃん像を押し付けたりはしないのだ。だってヤマトは太一のように無意識にお兄ちゃんをやっている訳ではなく、
不慣れながらも不本意ながらもお兄ちゃんの立場に生まれてしまったから、四苦八苦しながらお兄ちゃんをやっているだけで、
お兄ちゃん向きな性格をしているとはいえないからだ。
しかもヤマトはお兄ちゃんである自分という存在で自分を精神的に支えている気配がある。
だからタケルだけでなく大輔に対しても、お兄ちゃんぶろうとしてくるから、はっきり言って重いのだ。
大輔の抱えている問題は非常に複雑怪奇である。大輔の話を聞いた人間が、
一発でその本質を完璧に理解することなど絶対に出来ないだろう。
困ったことに大輔はこの事実に全く気づいていない。
ただ太一と空をお兄ちゃん、お姉ちゃんのように慕っているのだという自覚があるだけだ。
ただそれがジュンお姉ちゃんの代わりであるということにどこか気付いていて、
ちょっと後ろめたさを感じているレベルである。
もっともっと心の奥底では、一時的な逃避にもかかわらず、
それが突き崩されてしまうと大輔自身どうなるかわからないくらいの不安定さをはらんでいて、
空や太一に対してとっても失礼極まりないことをしている、
というねじれにねじれたややこしすぎる問題なのに、本人は気づいてすらいないのだ。
それこそが実はジュンとの不仲を何時まで経っても解消できない、諸悪の根源なのだから始末に終えない。
大輔が自覚しなければ全ては始まらない。それを明確に指摘した人がいたのは、大輔にとっては幸運でもあり不幸だった。
おかげですっかり大輔は苦手意識を山積している。
大輔の本能を凌駕する上には上がいたわけだ。しかもすっごく近くに。世間は狭いものである。
完璧に言い当てなくてもどこかでその可笑しさに気がついて、
忠告めいたことを言ってヒントだけだして放り投げるという、最善をした人が一人いる。
ヤマトである。
太一と大輔の関係のややこしさに気付いていたヤマトは、何度か太一に忠告しているのだが、普通気づくはずのないこの問題である。
太一からすれば、大輔の為を思ってしているのに、それが良くないことだからやめとけ、というのである。
まだまだ水面下ではあるが、確実にかちんときている。
ヤマトはヤマトで無意識でお兄ちゃんができる太一を羨ましく思っている側面があり、タケルや大輔が太一に懐いているのが気にくわない。
こっちは色々と考えたり悩んだり、他の子供達やガブモンに相談しながら、なんとかお兄ちゃんをやっているのに、
太一は無意識のうちに全部こなしてしまうのだ。努力している自分がばかみたいに思えてくる。
そんなこんなでいろんな心境が交差する中で、表面上はあまりにも穏やかに時間は流れていく。
大輔はブイモンと一緒に太一から逃げてきたのでここにいる。
たっぷり睡眠をむさぼり、おふろにも入ってお休みしようとしたはいいが、いつまでたっても眼が冴えて眠れないのはみんな同じなのだ。
きっとみんなが顔を合わせることになるのは明日の昼ごはんだろう。
ファイル島を救ってくれた英雄のために島中のデジモン達が懸命に作った料理が並ぶ予定なのは秘密だ。


「まあ好きなだけここにいればいいけどさ、行かなくていいのか?」

「え?どこに?」

「どこにってそりゃタケルのところだよ」

「やっぱりエレキモンもそう思うだろ?ムゲンマウンテンを降りてからこの調子なんだよ、大輔。
タケルのとこ、行かなくてもホントにいいの?大輔。トモダチなんだろ?」

「いーんだよ、ほっとくのだってトモダチなんだから」


大輔は頓着しない様子で断言する。
えー、なんで?とただいまトモダチという謎の存在について、現在進行形で大輔から日々勉強中のブイモンは首をかしげた。
こいつら子供たちの中で一番仲が良くなかったっけ?もしかして喧嘩でもしたのか?ってエレキモンは思った。
デビモンを倒すこととタケルの気持ちに答えるということを引換にして、
エンジェモンはエネルギーを使い果たしてデジタマになってしまった。
デジタマを抱いて大泣きしていた様子がかつての大輔と重なって見えてしまったブイモンは、気になって気になって仕方ないのだが、
大輔がぐいぐいと手を引いてここまで来たので、未練がたらたらなのだ。
もちろんタケルよりははるかに大輔の方が大事なブイモンは、
どちらかを選べと言われたら即答で大輔のところに飛んでいく自信があるが、
てっきり大輔ならタケルに叱咤激励を飛ばすとばかり思っていたので拍子抜けなのだ。
納得行かないと顔に書いてあるブイモンに大輔は言う。
だって大輔もブイモンもなっちゃんという少女デジモンを失っているはずなのだ。誰よりも気持ちを共有できるのは確かなのに。


「だって、タケル泣いてただろ」

「それと大輔がどっか行っちゃうのとなんの関係があるんだよ?」

「あのタケルが泣いたんだぞ?わんわん大泣きしてんだぞ、ありえねーよ、ぜってー」

「エンジェモンがおかしくなった時もないてたよ?」

「それはノーカン。だってオレ知らねえし。とにかく、アイツがみんなの前で大泣きするってすっげーことだろ」

「あー、そう言われてみればそうかも」

「オレはそーでもねえんだよ。そりゃ、この世界にきてから、わんわん泣いたのはブイモン、お前がいるときだけだったけどさ、
ブイモンがいてくれたから泣けたって言うのはあるけどさ、多分、アイツは初めてなんだよ、あーいうの。
オレがいたら、多分半分こになるんだよ。太一さんたちが半分こになるんだよ。あの夜そうだったみたいに。
それってちょっとカワイソウじゃねーか?
それに、思いっきり泣いたら悲しいことなんてどっか飛んでいっちまうこと知ってるから、
なくのが1番だってことくらいわかってるからさ、
あーいうときはなんにも言わない見守ってもらえるほうがいいって分かってんだよ。
それが1番だと思うんだよ。でもオレ出来ねえし、たぶん、なんかいろいろ言っちまう気がするんだよ。オレ変なコトばっか言うし」


だからタケルが泣き止んでからいくんだと大輔は言う。ブイモンは、トモダチって難しいんだ、とつぶやいた。
大輔はなっちゃんとまた会えると信じているから、タケルがまたエンジェモンと会えると信じている
そうでなければ、大輔は大輔の気持ちに対して嘘をついて裏切ることになるから、絶対にそれだけは譲れない。
だから思い浮かんでくることは、全部全部、ポジティブで前向きで積極的なことばかりである。
タケルを元気づけようとエレキモンから聞いたことを、
思いつくことから片っ端言って聞かせることになるだろうな、と大輔は考える。
そうなったとき、確実にタケルには聞かせてはいけないことまで、
たくさん話してしまうだろうことが分かってしまったから、
気付いたら大輔はみんなのもとから離れて、こっそりここにいた。


「タケルに言えねえだろ、デジモンが記憶を受け継ぐのかどうかは、すっげー運任せなんだって。
もしかしたら、今度生まれてくるパタモンは、オレ達のこと覚えてないかもしれないなんて、ぜってー言えねえだろ。
そんなこと言ったらタケルの奴、今度こそ落ち込むどころじゃすまねーよ、オレだって未だに嫌だって思ってんのに。
オレ嘘つくの下手だってアイツ言ってたけど、アイツがおかしいくらいに気付いてるだけだろ、ありえねえもん。
だったら尚更、あそこにいたらダメなんだ。
相談に乗りたいなんてわけわかんねえこと言って、もっと仲良くなりたいとか恥ずかしいこと平気で言うようなやつ、
もしそんなこといっちまったら、オレ、間違いなくヤマトさんに殺される。太一さん達と一緒にいられなくなるの、やだろ」

「そっか、大輔も意外と大輔のこと分かってんだね」

「おいそれどーいう意味だよ」

「だって大輔自分のことそっちのけで他のことに突っ走ってっちゃうから、追いつくの大変なんだよ」

「うっせえ、お前にだけは言われたくねえっての、ばーか」


軽口の応酬ながら、どこまでも雰囲気は和やかだ。ブイモンは思う。こんなに綺麗に笑う大輔を見るのは初めてだと。
そして思うのだ。これからどんなことがあったって、絶対に大輔のためにならなんだってするんだって、改めて思うのだ。
見上げた青空はどこまでも優しい。
もとの世界に帰るという期待が粉砕されて、ホームシックになっているにもかかわらず、
一言だってブイモンにいわない大輔みたいに優しい。
太一からお呼びがかかるまで、タケルのもとに戻ろうとしていた選択肢を殴り捨て、ブイモンは大輔と一緒にいることを決めた。


「そうだ、思い出した。なあなあ、エレキモン。この世界ってふつうお墓って作るのか?」

「お墓あ?そんなもん造らないに決まってるだろ。お墓を作ってもらえるようなデジモンなら、
 尊敬されてたり、慕われてたりするようないいデジモンだって相場は決まってるからな。
普通はデジタマになってこの世界に還ってこれるだろ。
もし記憶を持ったまま生まれてきた時に、そんなお墓があってみろ。
お花供えられて涙流してる奴とばったり会っちゃったらどうすんだよ」

「やだなあ、それ」

「だろ?だからオレたちデジモンにとっては、そういう習慣ってあんまりないんだ」

「じゃあレオモンが言ってた一族代々の墓ってどういうことなんだ?」

「あー、レオモンに聞いたのか?」

「そういえば、ケンタルモンが守ってるエリアにあるって言ってたよ」

「あはは、そりゃすっごく昔のデジモンだからお墓だってあるさ」

「え?なんでだよ」

「なんでってそりゃ、この世界が生まれた時から今みたいな世界じゃなかったからに決まってるだろ。
 まあこれはオレがこの街を守るように頼まれた先代からの受け売りなんだけどな。
はじまりの街で生まれたデジモンが死んじゃったらあの世に逝って、
 デジタマになって還ってくるなんてのは、物凄い時間をかけてこの世界が造ってきたことなんだ。
 だから、レオモンのご先祖が生きてたくらいの昔は、お前らみたいにお墓を造るような世界だったんだよ」

「へー、そうなんだ。なんかすげーな」

「すげえだろ」

「へへ、そうだな。な、ブイモン」

「………」

「ブイモン?」

「…………え、あ、なに?大輔」

「どうしたんだよ、ボーっとして。オレの腕なんか掴んでどうした?」

「なんでもないよ。なんかちょっと怖くなっただけ」

そう言いながら大輔の腕にしがみつくブイモンの力がちょっと強くなる。大輔は握り返した。
忘れていなければいけないことを思い出してしまいそうな気がして、ブイモンは首を振った。



[26350] 第1話 友達のありかた
Name: 若州◆e61dab95 ID:c5af0032
Date: 2013/08/03 00:04
「ちゃんと進化すれば、またエンジェモンにあえるよ」

「パタモンにあえるよ」

「タケルが信じていれば、いつかデジタマから生まれてくるよ」

「エンジェモンがいってたでしょう?タケルが望むなら、私はまたタケルに逢いたいって」


デジモン達に励まされたタケルは、うん、とうなずいた。
すっかり心の中の掃除を終えた小さな子供は、ぐしぐしと涙を拭って笑った。
ほっとして、それまで頑張ろうな、と頭をなでてくれたヤマトに促されて、立ち上がったタケルは、聞いたのだ。


「いつっていつなの、お兄ちゃん?僕はすぐにでもパタモンに逢いたいよ」


無垢なまなざしに気おされて、一瞬ヤマトは答えに窮したが、タケルは気づかない。


「だって僕、いろんなことしたいんだもの。パタモンと僕でいろんなことをしようねって約束したんだもん、
先生になるために頑張ろうって約束したんだもん、僕だけじゃできないよ。
やっぱりパタモンがいなくっちゃ。お兄ちゃん達がいてくれてとっても嬉しかったけどやっぱり僕、寂しいよ」


ぎゅうと右手を握りしめてくるタケルの言葉を聞いたヤマトは、ちょっとだけ驚いた顔をしてタケルを見下ろしたが、
首を傾げてくる無邪気な弟を見て、苦笑いを浮かべたまま、頭をなでた。
みんなの前で感情を吐露したタケルは、ヤマトから見ても驚くほど自分に対して正直に感情を吐露するようになったのだ、驚くのも無理はない。
それが無性にうれしくて、タケルが自分を置いてきぼりにして、独り立ちしていこうとしているように見えて寂しくて、
焦燥感が浮かんできて、いろいろと兄としては心中複雑である。
ますますお兄ちゃんとしてのプライドを守るためにも頑張らなくては、とヤマトはこっそりと決意を固めた。
実はヤマトが完全無欠のスーパーお兄ちゃんではないのだと知らないタケルは、
幾度も落ち込んだ時、迷った時、明確な道筋をいつも見せてくれた大好きなお兄ちゃんである。
すごいお兄ちゃんであると信じてやまない。
デジタルワールドに来る前よりも、ずっとずっとタケルはヤマトお兄ちゃんのことが大好きになっていた。
何にも知らないタケルは、ヤマトが何でも知っているのだと、よくわからないんだけどすごい人なんだと信じてやまない。
タケルの中ではすっかりヤマトはヒーローである。尊敬すべき、目標とすべき、存在としてきらきらとした眼差しを向けてくる。
そんな無邪気で無垢な弟からの眼差しは、
理屈付けでお兄ちゃんをしているヤマトにとってすさまじいプレッシャーとなってのしかかってきてるのだが、
何処までもやさしくて、その眼差しにこたえる自分でもって精神的な拠り所や自分というものを見出していたヤマトは、
タケルが生まれたことからほったらかしの自分の本音なんていつものように無視したまま、
なんとかタケルの質問に答えようと頭をひねる。
そしてタケルに言ったのだ。ちなみに始まりの街でエレキモンと会話をしたことがないヤマトに、
デジモンの生態を聞くのはあまりにも無茶ぶりなのだが、内心冷や汗のヤマトは、頭をフル回転させて考える。
あーだこーだと弟に気付かれないように必死で考えて、いつものように笑いながら答えた。


「タケルははじまりの街でデジタマを孵したんだよな?」


それは巧みな誘導である。ヤマト達と再会した夜に、こんなことがあったんだよ、と
いろいろ教えてくれたタケルの話を元に、実は自分が導きだした答えではないと知りながら、
タケルには気付かれないようにヤマトはまるで自分が知っているかのように上手に嘘をつく。
タケルはウソを見抜くのが上手だが、大好きなお兄ちゃんが嘘をついているなんて思えるほど人間不信の塊ではないから、
どうしてもハードルが低くなってしまい、警戒心も薄くなるので気付かない。
ヤマトの積み重ねてきた嘘は、ずっとずっと年季が入っているのだ。
あからさまに話をねつ造すれば、観察眼に優れたタケルはそのほころびや態度から巧みに見つけてしまう。
そのため、たちまち気付いてしまうのだが、事実に事実を積み重ねて提示される、
一つも嘘が無い嘘を見抜くのはとっても苦手だった。
事実同士を結び付けるには、解釈や論理展開が絡んでくる。
小学校2年生のタケルは、さすがにそこまで卓越したものをもっているわけでないから、
どうしても小学校5年生のヤマトには勝てない。
その証拠に従兄弟の件についてはすっかり騙されてしまったものの、
確かに血のつながった離れて暮らす子供同士は、兄弟、親戚、家族、従兄弟も含まれるのだ。
もっとよくお兄ちゃんの話を聞かなかった僕が、勝手に信じちゃってたんだ、
僕もヤマトお兄ちゃんも大輔君も悪くないよね、がタケルの結論だ。
それに、タケルの中では大輔との大喧嘩やヤマトに初めて叱ってもらえたというどでかすぎる初めてがありすぎて、
なによりも喜びの方が大きすぎて、お兄ちゃんに嘘をつかれたという事実は、とっくの昔に忘却の彼方である。
うん、そうだよ、とうなずいたタケルに、ヤマトは言った。


「そのときはどうだった?」


ヤマトがタケルは既に知っている筈だから、答えを導き出す手助けをしているのだとタケルは思いこむ。
そのヤマトの期待にこたえるために、一生懸命はじまりの街のことを思い出したタケルは、ぱっと顔を輝かせた。


「なでなでしたんだよ、お兄ちゃん。
そしたらね、ぱきぱきってデジタマがわれてね、赤ちゃんデジモンが生まれたんだよ」

「そうか。なら、抱っこして、なでなでして、早く生まれて来いって、待ってるんだぞって教えてやれ。
今は疲れて寝てるかもしれないから、ちょっと遅くなるかもしれないけど、きっとタケルの声にこたえてくれるはずだ」

「うん、僕、がんばってみる!」


もうすっかり上機嫌になってデジタマに一生懸命になりはじめたタケルを見て、ヤマトはほっと息を吐いた。
いつの間にか大輔達がいなくなっていると大騒ぎになっている仲間たちに呼ばれたヤマトは、
タケルに大輔がまた勝手にどっかいったことを呆れ口調で告げると、そこで待っているよう告げる。
うん、とうなずいたタケルは、大げさなほど狼狽している太一が目に入って、早く止めてあげてと背中を押した。


「ねえ、ヤマト」

「なんだよ」

「ヤマトはいっつも頑張ってるのに、タケルは全然知らないよね。それでもいいの?寂しくない?」

「……いいんだよ、こういうのは、隠れてこっそりするもんだ」


ぽつりとつぶやいたパートナーに、ふーん、とガブモンは首をかしげた。
大好きなパートナーがそう言うならガブモンはそれ以上なにも言わない。
ただ。
太一がお兄ちゃんぶろうとしては、それを全力で嫌がっている大輔がいる。
なんでそんなこと言うんだよ、と逆切れして、羽交い絞めにしてからかっている先輩後輩。
大輔がその雰囲気に圧倒され、そしてかまってもらえるのはうれしいという事実から、
それはありがとうございますというのを見ている。
それを遠くから見ているヤマトが、仲裁に入るときに、
ちょっとだけ嫉妬が入っているのを感じているから、ちょっとだけ、疑問に思うだけである。
そして、大騒ぎになっていることに気付いて、ますます居心地悪くなってしまい、
入るタイミングを失って涙目になっている大輔とブイモンが、
太一に発見され、滅茶苦茶怒られるのを仲裁するというお仕事にはいることになる。


「おかしいなあ」


タケルは首をかしげた。腕の中には白とオレンジ色のマーブル模様が浮かんでいるデジタマが、しっかりと抱っこされている。
なでなでしても生まれてこないよ、おかしいなあ、ともう一度つぶやいた。
はじまりの街にあった沢山のデジタマの下には、
「わたしをなでなでして」という日本語が書いてある四つ折りの紙が挟んであったのである。
その言葉の通りになでなでしたら、生まれてきたはずなのになあ、とタケルは疑問符でいっぱいだ。
ぱきぱきと真ん中あたりからひびが入って、赤ちゃんデジモンが上の方の殻を吹っ飛ばして、元気よく生まれてきたのである。
とくんとくんというデジコアの鼓動も、暖かなぬくもりも、
しっかりタケルの腕の中にあるのは同じなのに、生まれてこないのである。
タケルからすれば何が違うのか、全然分からないため、不思議で不思議でたまらない。
はやく会いたいという思いがタケルにはいっぱいである。
だって、エンジェモンはいろんなことを教えてくれといったのだ。
まずは、喧嘩しなくちゃいけないな、とタケルは考えていた。
だって、エンジェモンはタケルのためにと言っていたけれど、
結局最後までタケルの気持ちは置いてきぼりなまま、死んじゃったのである。
声が届いたことはうれしかったし、まともに会話が成立するということがうれしくて忘れていたけれど、
よくよく考えてみれば、エンジェモンはタケルのことをちっともわかっていないから、
教えてあげなくちゃいけないのである。
みんなと一緒に戦ってほしいっていったのに、エンジェモンは、
みんなにいいよって言われていないのに、進化に使っていた力を全部とっちゃったのである。
みんながやめてくれって言ったのに、これしか方法が無いんだっていって、
みんなが悲しんでるのに、嫌がってるのに、力を使っちゃったのである。
タケルは一緒に頑張るから、エンジェモンに戦ってほしいとは言ったけれども、
タケルの気持ちにこたえるために死んじゃえなんて言った覚えはない。
タケルが一人ぼっちになるのは一番いやだ、と知っているくせに、とんでもない暴挙をしたのである。
しかも、タケルや大輔に、心の中にとっても響くようなカッコいい言葉を沢山残してくれたけれども、
タケルを、大輔を、ブイモンを、そしてみんなを置いて行っちゃったのである。
それってとってもひどいことである。
これは怒らなくっちゃいけないってことくらいタケルにだって分かる。悪い事なんだって教えてあげなくちゃいけない。
だったら、まずは、パタモンと結局できなかった喧嘩をやりたい、と思うわけである。
デジモンはデジタマという卵から生まれる。ニワトリさんと同じだね、という言葉に、パタモンはそうだよと笑っていた。
ニワトリさんは卵を孵す時、どうやるんだっけ、と思考回路を巡らせたタケルは、
みどりのパーカーにデジタマを入れようかと考えた。
タケルはお母さんから生まれてくるまではお腹の中にいたのだと、
引っ越し先の段ボールの山を整理する手伝いをしていた時に見つけたアルバムで、
まだちっちゃいヤマトとお母さんがうつった、お父さんが撮影した写真を見つけたタケルは聞いたのだ。
でもデジタマはすっごくおおきいのだ。タケルの頭くらいある。
これはちょっと無理かなあ、と思っていたところ、声がしたので振り返った。
デジタマを抱っこしながらひとりごとを呟いている友人に不気味なものを感じたのか、
おーい、大丈夫か?と心配そうにしている大輔とブイモンがやってきたので、
タケルはぱっと顔を輝かせた。
大輔は上級生ぐみ、とりわけ太一から鼓膜が破れるほどの大激怒を食らっため、すっかり落ち込んでいた。
大輔はみんなの前からいなくなってしまった前科が2回ある。
初めてデジタルワールドに来た時と、なっちゃんの世界に呼ばれた時だ。
いずれも本人は不可抗力であり、むしろ同情すべき部分が大きかったため、
これについては誰も何も言わないし、責めたりしない。
しかし、今回は自分の意思で、誰に何も言わないままこっそりと離れてしまったことが、みんなの怒りを買った。
2度あることは3度ある。しかも大輔はデジモンに一度連れ去られたことがあるのだ。
みんなが過敏になるのも無理はない。
不安とか焦りとかいろいろある。なにせ大輔は深刻なトラウマを抱えているのだ。
なにかあったのか、と必死で探しまわった彼らが怒るのも仕方なかった。
せめて誰かに言ってくれればよかったものを、とこればっかりは誰も太一から大輔をかばう気にはなれず、
手を出そうとしたのをやめさせるくらいである。大輔はすっかり涙目で、しょげきっていた。まだ耳がきんきんする。
ブイモンも隣で、もう勝手にどっかいくの、やめよう、大輔、と大きくため息をつきながらつぶやいた。
おう、と力なく大輔は答える。
側にいたのになんで大輔を連れ戻さなかったのか、という指摘になにも返答できず、ごめんなさい、と謝った相方と一緒に、
大輔は改めて、本気で心配してくれる仲間達がいることを心の底から嬉しく思った。
でもやっぱりちょっと納得いかないところはある。
せっかくブイモンがエクスブイモンに進化できたのに、それについては誰も褒めてくれないのである。驚いてくれないのである。
エンジェモンの姿をみたみんなは、驚いてたのに。まるで進化するのが当たり前だって感じで、だーれも取り合ってくれないのだ、つまらない。
ちょっと拍子抜けで、肩すかしだ。やっぱりみんなから頼りにされるには、
まだまだいろんなことが足りないと自覚した大輔は、ちょっと方向性を変えてみたのだ。
タケルのことを気遣って、大輔なりに頑張って考えたことを実行してみたのだ。そしたら怒られた。
もっと自分のことを大切にしろと怒られた。
なんなんだよ、もう、と内心訳が分からなくて、おもしろくなくて、ちょっとだけ怒っている。
まだまだ小さい子供は、自分がどれだけみんなから大切にされているのか、
どれだけ守らなければならない存在として見られているのか分かっていない。
背伸びすることばかりに集中して、足元がすっかりお留守になっている大輔は、
いまいち自分の立場がいかに認識と現実でずれているのか分かっていなかった。
もっと自分のことを大事にしろって言われるけれど、
それじゃあまるで守ってもらう立場でいろってしか、大輔には聞こえないのだ。
あくまでも大輔がみんなに認められたいと一生懸命大人ぶるのは、
大人に褒めてもらえてうれしい子供と同じ行動原理である。
両親からもサッカー部のコーチからも、先生からも褒めてもらえるのに、
たったひとりだけどうしても、どんなに頑張っても褒めてくれない人がいる。
その愛情に非常に飢えている大輔にとって、よく言えば精神安定剤、
悪く言えば代用品である筈の太一や空から怒られるのは、とっても悲しいことだった。
思い出してしまうのだ。
一度たりともこっちを見てくれない本宮ジュンを本能が思い出してしまうのだ。大輔は悲しかった。
どこまでも褒めてもらいたいっていう単純な出発点があるのに、
他にもいろんな方法があるのに、自分のことがすっぽ抜けている大輔は、
自分のことをどこまでも大切にしない大輔は、はたから見れば危なっかしいことをしているようにしか見えない。
不満タラタラな大輔の一方で、ブイモンもブイモンで悩んでいた。
大輔を守るという立場であるはずのパートナーデジモンの在り方を、
完全に放棄したと怒られたのだ。そんなつもり、全然無いのに。
ブイモンは大輔のためなら何だってする、非常に大輔贔屓すぎる立場ながら、
一応大輔がみんなのことを大切にしてるから、
大輔と同じ世界が見たくって、毎日一生懸命大輔の真似をすることで、
なんとか「仲間」とか「友達」とか理解しようとしている。
みんなきっといちいちそんなこと気にしないで、パートナーがしているから、
一緒に漂流生活を送ってきたから、という緩やかな結束の中で、
なんとなく「仲間」とか「友達」をやっている。
ブイモンほどパートナーとの認識の落差を自覚するまでには行っていないのだ。
でもブイモンは大輔との間に強烈な認識の落差があると自覚してしまったので、
それは嫌だと思ったので頑張っているのに、だーれも理解してくれないのだ。
考えすぎだよ、とアグモンに言われた時点で、みんな似たような感覚なのだろうと気付いて、
言いわけは全部封殺されたも同然だった。
パートナーデジモンは、パートナーと一緒にいるのが当たり前。それ以上でもそれ以下でもない。
でも、ブイモンは、大輔と出会ったその瞬間から本来ならその疑問を挟む余地が無い関係性について、根本から揺るがされる体験をしてきた。
がんばらなくちゃ大輔と一緒にいられなくなるかもしれない、と知ってしまった。
それはとっても怖いことである。
大輔がブイモンのことをパートナーデジモンとして、誰よりも大切だと言ってくれたから幸せだけども、幸せすぎて怖いのだ。
なかなか難しいことである。
なにはともあれ、すっかり落ち込んでいる大輔とブイモンに、おかえりなさい、と笑ったタケルは、
少しだけ拗ねたように、薄情にも励ましに来てくれなかった友人達を見る。
じとっとした目でにらむ。なんだよ、ととどめを刺された大輔は、消え入りそうな声でつぶやいた。
今度はなんだよう、とブイモンも見上げてくる。


「どこいってたの、大輔君もブイモンも。僕達友達じゃないの?友達が泣いてるのにほっとらかしなんてひどいよ」


もう大輔やブイモンに対して遠慮は失礼だからいらないよね、とどこまでも素のままタケルは正直に愚痴を言う。
この件に関してはヤマトから、大輔君達は?と聞かれていた複雑な嫉妬も絡み合い、
必要以上に言及された大輔とブイモンは、平謝りするしかない。
タケルが絡んだヤマトさんは絶対に怒らせていはいけないのだと嫌というほど味わう羽目になってしまった一人と一匹は、
もう苦手意識なんてもんじゃない。別の意味でトラウマである。
ちなみに、ヤマトもヤマトなりに大輔と太一の複雑な関係に気付いていて、いろいろと根回りしている。
だが、どこか大雑把な似た者同士はことごとくこっちの好意を無下にする上に、
気付いてすらおらず、いらいらするのも無理はない。
こっちばっかりとばっちりが来るうえに、大切な弟はすっかり大輔と親友同士になっている。
これはもう面白くないどころの話ではない。大輔はタケルのようにお兄ちゃんとして慕ってくれないのだ。
お兄ちゃんであることが何よりの誇りであるヤマトには、自分のプライドを傷つけられたとしか思えない。
タケルと違って自分の努力を魚の下処理の件で気付いてくれている大輔が、である。
やっぱりどこまでも相性が悪い二人である。


「大輔君たちなら、すぐに飛んで来て、いろいろ励ましてくれるって思ったのに。
あの時みたいに、アドバイスくれるって思ったのに。ひどいよ、大輔君もブイモンも。うそつきだよ」

「なんだよ、あんとき、甘えたくないっていったの嘘かよ。対等になりたいとかいったの嘘かよ。
オレだってオレなりにタケルのこと考えてやったのに。
オレがいたら、太一さん達がタケルのことに集中してくれねえから、半分こになるなあって思ったから、
タケルが泣きやむまではなれてようってブイモンと一緒に決めて、ずーっと待ってたのに、なんだよそれ」

「えー、僕そんなこと思ってないよう。泣き虫だってばれちゃったから、
大輔君達に嫌われちゃったのかと思ったんだよ、僕」

「タケルが泣き虫なのは今さらだろ、何言ってんだよ。それにやっぱお前知らなかったんだな。
思いっきり泣く時って、我慢しない方がいいんだよ。
みんなに励まされて泣きやむより、気が済むまで泣いた方がいいんだよ。
そーいうときって、背中なでてもらったり、頭なでてもらったりした方が安心できるんだよ。
オレ、そーいうの出来ねえから、なんにも出来ねえから、それならいない方がいいかなって思ったのによー」

「あはは、へんなの。大輔君らしくないよ」

「おま、ひっでーな!」

「大輔君は大輔君のまんまでいいよ、なんか変な感じするもん。
友達なのに気を使うって変だよ、前の僕みたいだよ?」

「……そりゃ悪かったな」


以前のようなタケルと自分自身を重ね合わせた大輔は、ブイモンと一緒に持ち前の想像力でいろいろと考えた結果、
即答でぶっきらぼうに謝ってくれた。
それもちょっとどうなんだろう、僕に失礼な気がするとタケルは思うが、あえて言わない。
そして話題はタケルの持っているデジタマへと移っていく。


「変なんだよ、大輔君、ブイモン。デジタマがね、生まれないんだ。
はじまりの街だと、なでなでしたら生まれてきてくれたのに」

「恥ずかしがり屋なんじゃない?」

「パタモンが?」

「ねーな、パタモンだったらすぐに飛び出してくるって」

「じゃあ、きっと疲れてちゃって寝てるんだよ、なっちゃんみたいに。
なっちゃんはデジコアを自分で傷つけちゃったから、ずーっとケガが治るまで寝てなきゃいけないから、
生まれてくるのはすっごく先だって言われたんだよ、オレ達。ね?大輔。
でもパタモンはすっげー大きな力を使って疲れただけだから、きっとそんなに先じゃないよ、タケル」

「そうなの?」

「おう。ちょっと頑張りすぎただけだろ、そのうち生まれてくるって、ぜってーさ。
それまでに、エンジェモンにいろいろ仕返ししなきゃいけないからなー、考えねえと」

「仕返しってなにするの?」

「だって一人でカッコつけて、一人で戦ってしんじゃったじゃねーか。オレ、あーいうの一番嫌いなんだよ。
あのカッコいい頭の奴取って、顔見せてもらうくらいしないと、オレは許せねーよ」


おもしろいことを思いついたと顔に書いてある悪戯っ子の、にししというあくどい顔に、目をぱちくりさせたタケルは、
そういえば、と考えてみる。エンジェモンは表情が見えなくて怖いと思っていたけれども、そもそも十字架の刻まれた、
きらきらのお面見たいな、仮面みたいな、羽根の生えたやつをかぶっているから、口元くらいしか見えないのである。
デザイン的にはカッコいいし、ゲームで出てくるやつでは、間違いなく一番強そうな感じがしていたけれども、
そう言われてしまうと無性に顔が見たくなてしまうのは人のサガである。
喧嘩して謝るときには、ちゃんと人の目を見て謝らなくちゃいけないとタケルは知っている。
タケルはあやまっているのに、エンジェモンは仮面を着けたままって、なんかずるい気がしてしまう。
あの仮面自体が身体の一部で取れないのか、それとも装備品なのかという細かい事情をしらないタケルは、
とりあえず生まれてきたパタモンから、最初にエンジェモンが進化したらそれくらいやっても罰は当たらないと確信する。
すっかり悪い友達にそそのかされてしまったタケルは、大輔と一緒にいろいろと考え始めて、おかしそうに笑う。
あわわ、とパートナー達のとんでもない陰謀を聞いてしまったブイモンは二の句が継げない。
これではエンジェモンがかわいそう過ぎるではないか、とあわてて仲裁に入るのだが、二人が口をそろえて、えーというので困ってしまう。
なんとかパタモンが進化するまでに二人を説得しなければいけない、と
ブイモンが決意したのは別の話である。ちょっと気になっているのは秘密だ。


「ねえ、大輔君、ブイモン、僕になんか隠してるでしょ」

「……お前なあ」

「やっぱり無理だったね、大輔」

「大輔君は嘘ついてるってすぐわかっちゃうんだもん。いいことだと思うよ」

「ぜんぜん嬉しくねえよ」

「どうして?嘘をつくってよくないことだよ?嘘をつかないでいられるんなら、とっても素敵なことだと思うよ」

「そりゃそーだけど、テストが悪かった時とか小遣い減らされるんだよ。すぐばれちまうし」

「ふーん。大輔君のお家はお小遣い貰えるんだね。それは大輔君が悪いよ、宿題とかちゃんとやらなくっちゃ」

「仕方ないだろ、サッカーの朝練で疲れてんだよ。授業の時間は寝る時間だろ」

「えー、だめだよ、大輔君。お兄ちゃんはちゃんと野球も勉強も頑張ってるっていってたもん」

「すげー。ホントすげえな、ヤマトさん。家のこともして、学校のこともして、野球までしてんのか」

「えへへ、やっぱりすごいね、お兄ちゃん」


好きなお兄ちゃんを褒められてうれしいタケルは、デジタマにお兄ちゃん自慢を話しかけている。やっぱり友人はブラコンである。
ほんとかよ、とこっそり大輔は思う。
絶対、ヤマトは同じ学校に通っていないことをいいことに、脚色してタケルに話している気がしてならない。
覚えがある話である。
小学校に入学するまでは、ジュンことを何でもできる完璧超人だと思い込んでいた大輔からすれば、かつての自分を見ているようだ。
本当の完璧超人は、ニュースでやってた小学校5年生の一乗寺治っていうサッカー天才少年のことを言うのだ、と大輔は思う。
だって、テストでもサッカーでも全国で一番らしいのだ。それはもうあり得ない世界の住人である。
小5でありながら6年生との混合チームのキャプテンを任された太一は、
お台場小学校サッカー部で一番すごい人だとは思うが、彼は勉強が出来ない。
サッカー天才少年は尊敬すべき領域だ。ヤマトが天才なのか、と言われたら、
疑問符な大輔だが、それを言ったら確実に怒られるので黙っとくことにした。
どこか上の空だと気付いたタケルは、まだ大輔とブイモンが隠していることをあきらめたわけではないので奇襲をかける。


「ねえ、どうしても僕に教えてくれないの?」


不意を突かれた大輔は、すかさず呼びかけを兼ねた牽制を投げたブイモンにより、ぼろを出さずに済んだ。
はっとなり、恨めしげにタケルを見る大輔に、作戦の失敗を悟ったタケルは肩をすくめた。


「まだ、ダメなんだよ、ぜってーダメなんだよ、今はまだ」

「絶対?」

「絶対の絶対」

「嘘をつかれて、僕が悲しいのに、それよりダメなの?」

「ダメなんだよ。ぜってーダメ、オレ、ここにいられなくなる」


そこまで言い切られてしまっては、さすがのタケルも頑固さをひっこめるしか無くなってしまう。
大輔とブイモンが本気で聞かないでくれと目が訴えているから、本気で思っていることは明らからしい。
どこまで大輔達が真剣に内緒にしようと決めたということは、よっぽどのことである。
ちょっとだけ怖くなってしまったこともある。タケルはようやくあきらめたのか、前のめりになっていた姿勢を戻した。


「そっか、ならいいよ。そのかわり、いつか教えてね」

「おう」

「その時になったら、絶対教えるから、待っててね、タケル」


そして、最年少コンビとパートナーデジモンは、なにやら見つけたらしい上級生に呼ばれて、そちらの方へとかけていくことになる。
約束を守るということに関しては、ウソをつくことと同じくらい絶対視しているタケルの様子を見た大輔は、ブイモンと顔を見合わせた。
そして、もう後戻りできない、と覚悟を決めた。
もしパタモンが記憶を継承せずに生まれてきた時、それを隠していたことを知ったタケルが確実に怒ること、
もしかしたら絶交まで行くかもしれないことを知りながら、あえて黙っていることを選んだ。
今のタケルは死んじゃったパタモンが、今度生まれてくるパタモンと全く同じデジモンであると信じているからこそ、立ち直って笑っているのだ。
でも大輔は知っている。なっちゃんとなっちゃんの前のデジモンは、全然違う人生を歩んだ、全くの別の存在だと知っている。
そんなこと言ったら、タケルがどうなってしまうのかなんて、わざわざ想像するまでも無い。自分がその支えをとる役目なんて絶対に嫌である。
パタモンが少しでもいいから記憶をもって生まれてくることを祈りつつ、もしぜんぜん覚えていなかったら、
タケルに内緒でタケルとパタモンのことを一から全部こっそり教えるくらいのことをしなきゃいけないなと考えていた。
大輔にとっても、ここまで仲良くなった友達はきっと初めてなのである。だから、どこまで正直に話していいのか迷ってしまう。
なんにも考えないで気楽に付き合えるのが友達だと思っていたが、ドアごしの喧嘩は大輔の価値観を広げた。
本気でぶつかり合う友達は、ここまで大きいのだ。相手のこともちょっとは考えないといけないんだと、
本来鈍感であるはずの大輔が自覚するくらい。不慣れながらも頑張ろうとして、空回りしてしまうくらいには。
まだまだ初めてだらけの経験で、不器用な小さな子どもたちは、ちょっとずつ進んでいる。





自分の思っていることが、必ずしもみんなにとっての当たり前ではないことを、正しいとは思ってくれないことを、
これからの旅路が子供たちに教えてくれることになる。
まだ何も知らない大輔とブイモンは、タケルと一緒に、黒山の人だかりになっている所
へと向かった。



[26350] 第2話 旅立ちの夜に
Name: 若州◆e61dab95 ID:25d2fc89
Date: 2013/08/03 00:05
ベンパツという奇抜な髪形に、どこまでが頭でどこまでが顔なのか判断に苦しむ顔は、
その年齢と共に刻んできた沢山のしわがある。
一見寝ているのかと心配してしまいそうな一重まぶたに、限りなく細い目、
しかしながら妙に貫禄があるのは、その実態がつかめない正体不明さからか。
腰が曲がっているのか中腰に両手を回しているその男は、
子供たちを端から端まで眺めて、飄々とした笑顔をたたえて、特徴的な笑いをこぼした。
身を包んでいる服装は赤と青の民族衣装のように見えるが、
映りが悪い映像のせいでいまいちどういった衣服なのかは判断がつかない。
デビモンが妨害していた通信が復活したことで、
ようやく子供たちとデジモン達の前に現れることが出来た、とあまりにも予定調和のタイミングで、
ホログラムから現れた老人は、ゲンナイと名乗った。
この正体不明の老人は、子供達からすれば、この世界に来てから初めてであった人間である。
ということで、質問攻めにしてくる子供達からの信頼を得る気は全くないらしい。
打てば響くように返ってくる言葉は、全て要領を得なくてあいまいで、
嘘をついているのか本当のこと言っているのか意図が読めない雰囲気をまとっている。
何者だと聞けば、この世界が出来てからずっとこの世界に住んでいると発言し、
人間であって人間ではないが、デジモンではないとどうともとれる言葉を紡ぐ。
何故子供達がこの世界に呼ばれたのか、と聞いても、不自然な沈黙の後には知らないとか分からないとか言って煙に巻いてしまう。
どうやったらこの世界から元の世界に帰れるのかと聞いても、先ほどよりも長引く沈黙の後に、知らんのう、と笑うのだ。
それでいて、じゃあなんで子供たちの前に現れたのだ、と苛立った問いかけには、
「選ばれし子供達」に「サーバ大陸」に来てほしいと妙にはっきりと断言する。
「サーバ大陸」に来て、暗黒の力である敵を倒してくれと、
こちら側の利益になることは一切提示しないくせに、一方的に要求を突き付けてくるのである。
選ばれし子供達ならできるはずだと、義務と責任を押し付けてくる初対面のこの老人に、子供たちは当然ながら猛反発した。
この世界における伝説にしかすぎないはずの英雄譚に無理やりあてはめられた子供達はたまったものではない。
確かに結果的にファイル島をデビモンの暗黒の力から救ったのは子供たちとパートナーデジモン達であるが、
それはただ元の世界に帰りたい一心だっただけだ。
余計な期待をさせてしまったことを謝罪するレオモンには、みんな首を振った。
レオモンはあくまでも可能性を提示しただけであり、
今まで元の世界への手段を掴めなかった子供達はその可能性を極大解釈しただけであり、
レオモンにとってはこのファイル島は故郷である。
なかば騙すつもりになってしまったとしても、共に戦ってくれた仲間であり、謝ってくれたのだからそれでいい。
デビモンの言葉がみんなの耳に残っている。
エンジェモンがみんなのデジヴァイスの力と自分の命を引き換えにしてようやく打倒したような強敵以上の敵がいると、
デビモンは高笑いしながら絶望の宣言をして消えていったのだ。
エンジェモンが放った全力の叱咤激励である程度持ちこたえてはいるが、嫌でも弱音を吐いてしまう。
このデジタルワールドの住人ゆえか、どこまでも人間の感情や情緒といったものを考慮できるだけの配慮が微塵も感じられない。
ゲンナイは、そんなことはないと否定する。たった一言でも「よく頑張った」とねぎらいの言葉をかければ、
それだけでも純粋な子どもたちの心に響くものがあるのだが、びっくりするほど機械的なゲンナイは、
開口一番に「デビモンを倒すとはなかなかやるのう」と妙に上から目線で言葉を吐いた。
はっきりいって第一印象は最悪に近い。
この世界に来てから初めてであった大人であるはずのゲンナイから、
そういう態度と言動を持って対応されたのだ、だれも首を縦に振ることはない。
子供たちの警戒心とどん底の信頼関係など一切気にする様子も無く、
ゲンナイは子供たちに問われた「デビモン以上の強敵への対抗手段が無い」という疑問にのみ答える。
パートナーデジモン達はもう一段階、進化することが可能だと提示した。
頑固一徹、全然人間らしくないゲンナイの言葉に不信感を抱きつつあった子供たちを引きとめたのは、
新しい力の提示だった。
この漂流生活において、子供たちを支えてきたのはパートナーデジモン達であり、デジヴァイスの力であり、進化である。
いわば、仲間である子供たち、パートナーデジモン達以外に、唯一信頼することが出来るものである。
しぶしぶ耳を傾けることにした子供達に、ゲンナイは映像を何点か見せた。
「タグ」という首から下げるタイプのアクセサリーのようなものと、
「紋章」という「タグ」の中に入れる四角く手薄くて小さなチップのようなものだ。
この2つをデジヴァイスに使うことで、パートナーデジモン達はもう一段階進化することが出来るという。
ごくりと唾を飲み込んで、顔を見合わせた子供たち。
しかし、肝心の場所について問われたゲンナイは、これまた要領を得ない対応で、子供たちを不安にさせる。
「紋章」は「サーバ大陸のあちこちにばらまかれてしまった」という。
「タグ」は「デビモンがまとめて何処かに封印してしまった」というのだ。
つまり、ゲンナイの要求をまとめると、サーバ大陸にいって、
どこにあるのかも分からないタグと紋章を探して、暗黒の力を持つ新たな脅威に立ち向かえというのである。
しかも、言動と態度から察するに、ゲンナイという老人は子供たちとデジモン達に一切手を貸してくれる気配はない。
あまりにも無茶苦茶すぎる要求である。
挙句の果てにゲンナイはまた別のデジモンの妨害が入ったから、これ以上の通信はできないと一方的に宣言し、
早く大陸に来るよう発破をかけ、待っているという言葉を残して、ぶつりと映像が途切れてしまう。
ノイズと共にかき消えた立体映像。子供たちは途方に暮れてしまう。
敵とも味方とも分からない傍観者的な第三者の立場の人間が、いかに厄介で嫌で、
最悪な奴かということを知ることになってしまうのだった。
いつまでもムゲンマウンテンの麓で立ち尽くしているわけにもいかず、
子供たちはデジモン達と共に、ムゲンマウンテンの湧水が沢山あふれている豊富な水源をたどり、
滝が流れている洞窟で夕食をとることにしたのだった。










第2話 旅立ちの夜に










「この地図が正しいなら、ファイル島からサーバ大陸はそうとう離れてますね」


ファイル島からサーバ大陸までの場所がわからない、と
もっともな指摘をした光子郎に、ゲンナイはパソコンにデータをダウンロードさせた。
テントモンがカブテリモンに進化した、アンドロモンの工場以来、充電不足で起動することが無かった筈のノートパソコンが、
今では何事も無かったかのごとく普通に動いている。
ダウンロードしたデータを展開した光子郎は、最大画面にしたパソコンをみんなに見せた。
今までのファイル島の漂流生活において、決定権を担ってきたのは上級生組による多数決と話し合いである。
いつものようにパソコンは5,6年生によって占領される。
いつものように彼らの決定の行方を見守ることにした大輔は、
サーバ大陸かあ、と呟いてるブイモンの横で、退屈そうに座っていた。
本当に大陸だね、と溜息しか出てこないらしい丈のボヤきが聞こえたのか、首をかしげている。
なにか大陸であることが問題なのだろうか。
そんな様子を見つけた光子郎は、持ち前の知的好奇心とめったに振るえない誇示心を満たすべく、しめたとばかりに近づいた。
一応光子郎にとっても大輔はサッカー部の大切な後輩の一人であり、
大輔も太一や空がなにかと光子郎を頼りにしているのを見ている筈なのに、
なにかと大輔は太一や空に頼ってばかりで、なかなか先輩としての面目を立たせてくれないのだ。
4年生と5年生、一歳しか違わないのにである。
光子郎自身、太一の押しの強さに負けてサッカー部に入部した経緯があり、
この仲間達の中ではいまいち太一以外は信頼しきれていないのは、すっかり棚に上げているようだ。
長い漂流生活が少しずつみんなの氷壁をゆるやかにしつつある証拠かもしれないが、
まだまだ統一感の無い子供達が、一致団結するのは先がながそうである。
確かに光子郎はミミと比べるとずっと身長も低いし、体格も小柄であり、
タケルや大輔よりもぎりぎり大きいくらいの差しかないため、
頼りないと思われるのは仕方ないかもしれないが、それではちょっとプライドが傷つくので認めたくない光子郎である。
これでもサッカー歴は大輔よりも2年は長いのだから。
ちなみに光子郎は太一による暴露をヤマトが事前防止したため、大輔の事情を一切知らない。





大輔からすれば、研究者体質の光子郎は非常に近づきがたい雰囲気を持っている。
いつもテントモンと難しい話ばかりしているし、敬語だし、
知識や倫理展開においては恐らく丈と並んで子供たちの中では一番突出した面があり、
決定権を持っている上級生組がときどき、大事な話し合いの時に意見を求めているのを見ているから、
同じ4年生のミミよりも上級生組として見ている。
でも、光子郎は4年生であり、サッカー部の先輩ではあるが、光子郎の危惧していた通り、どこか頼りなく見えてしまう。
全てにおいて中途半端な立ち位置に見えてしまうらしく、悲しいほど接点が見つからない。
話すにしても話題が悲しほど見つからないのだ。
共通項は同じサッカー部であり、大輔も光子郎も方向性は全く違えども信頼している太一であるが、
太一が仲介に入らなければ話もなかなかしずらい微妙な関係である。
気になることがあるとみんなのことそっちのけで、
ノートパソコンに向き合って石像のように固まってしまう知識欲の塊がなおさら距離感を感じさせる。
それに敬語だし。サッカー部の先輩なんだから敬語じゃなくてもいいのになあ、と
他人行儀に感じてしまうのも、ちょっとためらわせていた。
これは完璧に光子郎の取っていた行動が裏目に出ている。
テントモンにだけ砕けた口調をしている光子郎は実のところ、
筋金入りの礼儀正しい敬語少年ではなく、年下の後輩には溜めぐちを聞くのが普通だ。
しかし、ならば何故タケルや大輔に対してまで敬語を使っているのかといえば、
頼りなく見えてしまう小柄な体質で年上として見られないのは嫌だから、
せめて話し言葉くらいでも敬語を使って、大人びたところを見せて、
先輩ぶりたいという非常に男の子らしい考え方がそうさせていた。
悲しいかな、全く別の意味で大人として見られてしまっている光子郎が、
ようやく見つけたのが自分が豊富に持っている雑学レベルから学術レベルの知識の披露だった。
デジヴァイスに関する話をした時、大輔とタケルは初めて光子郎に対して、
すごいこのひと!という反応を明確に見せ、思い切り食い付いたのだ。
これはいける、と思ったのも無理はなかった。
そんなこと知るはずもなく、大輔はなんすか?といつもなら絶対に話しかけてこないであろう先輩に、首をかしげた。


「どうしたんですか?大輔君」

「え?」

「なにか、気になることでもありますか?」

「あ、えっとっすね、光子郎先輩、大陸だからなんか問題でもあるんすか?」

「いい質問ですね、大輔君。
そもそも島は、自然にできた陸地があって、海に囲まれていて、高潮っていう一番波が高くなる時でも見えてるのを言うんです。
大陸と島って、実は明確な違いはないんですよ。
ただ、オーストラリアより大きい陸地を大陸、
グリーンランドっていう世界で一番大きな島より小さい陸地を島と呼ぶのが、
世界共通の考え方なんです。
丈さんが言ったのは、ファイル島と比べて、サーバ大陸がとんでもなく広いので、
これから僕達が旅をするとしたらすっごく時間がかかりそうだからです。
ゲンナイさんがいうのが本当なら、僕たちは紋章を探さなくてはいけませんからね」

「へー、どんくらい広いんすか?」

「そうですね、大輔君は伊豆大島に行ったことはありますか?」

「え?い、伊豆大島?えーっと、行ったことはないっすけど、東京からずーっといったとこにあるトコっすよね?」

「ええ。その伊豆大島がこのファイル島だとしたら、サーバ大陸は地図を見る限りでは、
日本の関東と関西を合わせたよりも、もっと広そうです」

「えええっ?!」

「それに、相当距離が離れてそうなんですよ。
地図っていうのは、縮尺といって、何百分の1くらいの大きさで書かれているので、
縮尺ががわかればどれくらい離れているのか、計算できるはずなんですが、ちょっとわからないんです。
かなり離れているのは事実です。もし行くことになるなら、何日かかるか、それに、どうやっていくのか考えないと」

「はえー、すごいっすね、光子郎先輩。あの地図みただけで、そんなにいっぱいわかるんすか」

「ええ、3年生4年生になれば大輔君も学校で習いますよ」

「うえー、難しそうっすね、オレ勉強嫌いなんすよ。大丈夫かなあ」


この世界にまできて、勉強の話を聞く羽目になるとは思っていなかったらしい大輔は、
本気で将来の勉強について不安をにじませている。
間違いなくこの後輩は、都道府県や日本の地理といった一般常識レベルの社会の問題でも、
四苦八苦しながら暗記する羽目になるだろうことは予想できる。
とりわけ都道府県は出来て当たり前の常識クイズだ、
おそらく毎年恒例の書き取り問題が行われるだろうことは明白。
毎年毎年暗記問題や地理系の問題が大っきらいな小学生が絶叫する地獄の季節がやってくる。
ああ、そう言えば夏休み明けにやるって担任の先生が言ってたきがする。
余計なことまで思い出してしまった光子郎は、あはは、まあ頑張ってください、と
誤魔化すように笑った。


「夏休みの宿題、ちゃんとやりましょうね。そしたら大丈夫ですよ」

「嫌なこと思い出させないで下さいよ、先輩!オレ、一個もやって無いんすから!」

「去年みたいに宿題提出まで、クラブ立ち入り禁止令がでないように気をつけてくださいね」

「ううう」


がっくりと肩を落とした大輔に、同情の余地はない。
4年生の光子郎からすれば、夏休みの自由研究が図画工作でも許される低学年組はうらやましいの何ものでもない。
もちろん調べたり、まとめたりすることが大好きな光子郎にとって、その宿題は苦痛でも何でもないのだが、
みんなの前で発表するとなれば話は別である。
模造紙で張り付けた研究結果をみんなに見てもらうだけでいいではないか。
何故わざわざ4年生のクラスの担任は、みんなの自由研究を発表会という形で公開処刑するのかわからない。
もともと社交的ではない性質の光子郎は、みんなの前で発表するという目立つ行動を強制されるのは大の苦手である。
この漂流生活だって、もはやどうしようもないと諦め、
そして慣れてしまったため苦痛に思うことは大分なくなってきたのだが、
初めのころは24時間みんなと一緒という集団行動が嫌で嫌でたまらず、
少しでも距離をとるために後ろの方を歩いていたこともある。
みんなと一緒が嫌だと思う一方で、頭脳明晰な頭はその非現実的な願望が実現不可能であると簡単に叩きだしてしまい、行動をまず抑制してしまう。
上級生との馴れ合いをしたくないと予防線として始めた敬語は、年下に対しては先輩ぶりたいという感覚で共に固定化されている。
もともと内向的な性質に、さらに拍車をかける事件が光子郎を襲ってから何日たつか分からないが、このどうしようもない漂流生活は、
光子郎にとっては素の自分がちょっとずつ曝け出されてきている兆候が見え隠れしている。
敬語がすっかりキャラクターとなっていることに気付いてしまった光子郎は、
せめて年下である大輔やタケルにだけでも崩したいなあと考え始めている。
おもちゃの街の一件以来、明らかに同じクラスのミミは、
タケルや大輔と共に仲良くなっていて、普通に会話しているのをよく見かけるようになった。
やっぱりちょっとさみしいのである。なかなかタイミングが見つからず、
結局なにも言いだせないまま終わってしまったけれども。


「なあ、お前ら、ちょっとこいよ!」


太一からの声がする。せっかく低学年組との親しくなるとっかかりとして、ヤマトのガードが堅いタケルよりも先に、
共通項が多く、比較的話しかけやすかった大輔とようやく話すタイミングが見つかったというのに、
またつぶしやがったサッカー部のキャプテンめ。
一番信頼しているがゆえに、一番正直な感想をぶつけやすい矛盾をはらんでいる光子郎は、内心いらっとしつつ、立ち上がる。
デビモンの一件以来、大輔に対して太一が構い過ぎているとは光子郎も感じていることである。
事情もわかるが、それにしたってあれはおかしくないか。
大輔が嫌がるってそうとうだろう、光子郎と違って人見知りしない社交的な性格の友達も知り合いも多くて、
よく遊んでいるのを見かけるアウトドアの典型のはずなのに。
太一のことを一番慕っている微笑ましい後輩であると認識している光子郎が、
そのやりとりに驚いてしまうくらい、第三者から見てもおかしかった。
顔を見合わせて首を傾げた大輔と光子郎は、手招きする太一に言われるがまま、
話し合いが紛糾しているらしい奥へと向かった。










太一と空、ヤマト、そして丈の話し合いはいつにもまして紛糾していた。
サーバ大陸に行くか、行かないか。たったひとつの議論であるにもかかわらず、
今後の方針としてはどでかすぎるのだ、無理もなかった。
結果だけ見るならば、行くのは太一のみ、行かないは空、ヤマト、丈で、3対1と圧倒的に太一が不利である。
それぞれが明確なメリットデメリットを抱えており、ムゲンマウンテンの時のように、妥協案である和解案や折衷案を提示することは、
事実上不可能であることは明白だったので、みんな真剣だった。
どちらが間違っている正しいと言えない状況である、なかなか決着がつかない。



行かないという選択肢を選んだ場合、デビモンという暗黒の力を打ち破ったことで
このファイル島は平和になっていることが最大のメリットだった。
衣食住は確実に保障されているし、もう敵が現れないことは、ゲンナイという老人が逆説的に教えてくれている。
今まで黒い歯車から解放してきたデジモン達がいるのだ、
お願いすれば何処だって子供たちやパートナーデジモン達を受け入れてくれるだろう。
もう戦わなくてもいいという最大級の安心材料は、漂流生活の中で仲間達の安全など
様々な課題を抱えながら、時には励まし、時には和ませ、常に気を使ってきた、
精神をすり減らしながら頑張り続けてきた上級生組にとっても、
デジモン達と一緒に頑張り続けてきた仲間達にとっても、魅力的であることはいうまでもない。
建て前ではみんなのことを守るため、と慎重論を振りかざしながら、もうここまで来ると
個人的な意見や私情が思いっきり入り込んでくる。疲れが見え始めていた。
もう戦いたくない。つかれた。もう休ませて。一人になりたい。もう嫌。
すぐそばで守るべき子供達がいる手前、言えない言葉はオブラートに包まれ、反対意見に変わる。
ファイル島からサーバ大陸までの移動手段。ゲンナイという老人に対する判断。
衣食住の保障、安全性の不確定さ、もたらされた情報の不明瞭さ。
様々な形を変えて、自分で自分の言いわけを作り上げ、ほら、やっぱり無理だよ、と
いう言いわけを紡ぎだしていく。勢いがあるのは当然である。本音に一番近いから。




行くという選択肢を選んだ場合、現状打破という一点がすべてである。
ゲンナイという爺さんは信用できない。たしかにファイル島を離れてサーバ大陸にいくなんて、
無謀極まりないし、何もわからないし、罠かもしれない。
わざわざ目の前にある幸せの楽園から、未知の世界に飛び出すなんて、ばかばかしいにもほどがあるだろう。
しかし、現実問題として、ファイル島には元の世界に帰る手段がすでに無いことは、
みんなわかっている。もう手段も手掛かりも無いのだ。
それは、この島全て回ったことで、地図が完成してしまったという達成感と共にもたらされた、残念すぎる事実だった。
あきらかに何かを隠しているゲンナイという老人は、サーバ大陸にいるという。
そして会いに来いと言ったのだ。これは子供達に残された唯一の手掛かりなのである。
ゲンナイという老人は、確実に何かを知っていて、隠していて、それでいて子供たちとデジモン達の力を必要としている。
太一は空達の慎重論の真意を同じくらいわかっているから、発破をかける。
今ここで諦めてしまったら最後、ずっと死ぬまでここに生き続けるも同じだ。
歩みを止めてしまったら、一度でも座り込んでしまったら、
もうみんな立てないだろう。また旅をしようという意欲はきっと無くなってしまう。
守る立場に置かれてしまったとはいえども、所詮上級生組だって、
まだ12歳前後のちっぽけな子供なのだ。何度も立ち上がれるほど強くない。



今までずっと孤独だった彼らでは、もうまともな話し合いなど望むべくもない。
それに無意識のうちに気付いている太一は、誰も賛成してくれない現状にいらついて、らちが明かない、ということで、
今まで完全なる蚊帳の外だった、守られる側だった子供達を呼んだのである。
屁理屈にもほどがあるが、引っ張り込む気だった。
これからのことは、今までと違って最大の転換期になるから、
こいつらにも権利があるだろとかなんとか、思いついた言葉を適当に並べまくれば、
太一の取った思わぬ行動に唖然としていた空達は、一理あるその意見が新鮮に見えてしまい、それもそうだと頷いてしまう。
彼らは気付いていない。その時点で太一が取った行動の術中にはまったも同然だった。
みんな忘れていた。
どうして、上級生組が代表として話し合いをして、方針の決定権を握ってきたのか。
それはひとえに上級生のプライドと責任である。
そんな彼らの前に、ずっと守るために頑張ってきた立場の子供達とパートナーデジモン達が、話し合いに参加するということで、
ちょっとだけ緊張しながら、ドキドキしながらやってきたのである。
反対派はこの時点で、後ろ向きな発想である自分に後ろめたさを感じてしまう。
もうこの時すでに、緩やかに方針は決定し、この瞬間から
太一はリーダーとしてこのメンバーの中で頭一つ抜けることを、丈とヤマトは自覚せざるを得なくなる。
残念ながら、太一本人は、なんでか賛成してくれないみんなにいらついて、
単純にみんなの意見を聞きたかっただけであるという天然さだ。
この瞬間から、丈とヤマト、そして太一の中で、
熾烈なリーダーというポジションの争いが幕を開けることになる。
上級生組はリーダーの必要性を痛感している部分では一致しているのに、
ヤマトや丈がその責任の大きさと重大性を認識しながら目指す一方で、
俺が俺がと言っている太一が、いまいちその重要性を理解しておらず、
単に目立ちたいから、頼りにされたいからという
何処までも自分本位の理由から離脱しきれないギャップを抱え始めるのもこのころからだ。
もともと一致団結とは程遠い集団である。ますます無意識のうちに増えていく対立の火種が、着々と芽生え始めていた。
そして同時に、元からサポート役に徹している空の心労が、ますます増大するのもこのころからである。





そんな上級生組には上級生組なりの苦悩があることなんて、何にも知らないそのほか子供たちぐみは、
太一達から問われた質問に、うーん、と頭を悩ませることになる。


「なあ、お前らはこれからどうしたい?サーバ大陸にいくか、いかないか」


シンプルイズベスト。あくまでも建て前は、そのほかの子供達の意見を聞くということであり、
そこに上級生組の意見や誘導があってはいけないから、と
お互いがお互いに目を光らせ、余計なことを言わないかどうか監視している。


「うーん、サーバ大陸かあ」


今まで完全に蚊帳の外だった大輔が、上級生組の事情なんて知っているわけがなかった。
大輔は嬉しくて嬉しくてたまらない。よっしゃー、とガッツポーズしたくなる。
テンションが上がって、にこにこしてしまいそうになるのを必死でこらえて、考える
だって初めてではないか!太一達上級生組が、自分達に意見を求めるなんて!
確認とか、質問ではなく、大輔の意見を聞いてくれるなんて!
事情はよくわからないし、意図や背景なんて、全然わからない大輔は、ただその一点に注目して純粋に喜んでいた。
認めてくれたも同然ではないか。意見を反映してくれるかどうかはさておいて、
仲間の一員として認めてくれたも同じではないか。
この漂流生活において、一度たりとも明確な役目を自覚させてくれるようなことを、
上級生組が認めてくれなかったことを思えば、それは大輔にとってあまりにも大きな大きな変化である。
だからこそ、自分の意見と聞かれた大輔は、なんの迷いも無く答えることが出来た。


「オレは、行きたいっす、サーバー大陸」


それはゲンナイという老人と遭遇した時からすでに大輔の中では、
とっくの昔に確定事項となっていることであった。
大輔はゲンナイと名乗った老人が現れた時、それはもう驚いたのである。
思わず立ち上がって前に駆けだしてしまいそうになるくらい仰天したのだ。
みんな突然現れたホログラムに気を取られていて、大輔の態度に気付いているのは、
大輔から話を全部きいて、秘密を共有しているブイモンだけである。
大輔の中では、どんなにゲンナイが不審者の塊であり、
挙動不審の極致にいる正体不明の老人であったとしても、もう絶対に揺るがない。
味方であるという認識は揺るぐことはないのだ。
だって、ゲンナイさんという老人は、パートナーであるブイモンから進化したエアロブイドラモンと、
大輔の中ではすっかり正義のヒーロー的なあこがれの存在にまで昇格してしまっている秋山遼という少年が、さんづけで呼ぶような人なのだ。
未来の大輔達を助けるために頑張っている秋山遼をサポートしているらしい人なのである。
いわば命の恩人が敬意を示している老人なのだ。
もう問答無用で味方認定である。ゲンナイを疑うということは、秋山遼を疑うことになり、
ひいては未来のブイモンというパートナーデジモンを疑うことになってしまう。
そんなこと大輔が出来るわけがなかった。
だから大輔はびっくりするほど即答で、明確に答えを提示して見せ、曖昧に言葉を濁して、うーんと悩んでいる子供達を驚かせた。
大輔の回答が巡り巡って自分のことを信じてくれているからこその解答なのだと知っているブイモンは、大満足で笑っている。
そんなこと知らない上級生組は、なんでだと聞いてみる。そりゃそうである。
デビモンに一番怖い目にあわされたのは大輔なのだ。
ちょっとくらい戸惑ったり、困惑したり、迷ったりするのがふつうであると思っていたので、大輔らしいとは思いながらも、
ちょっと結論を出すのが速すぎやしないかと心配になってしまう。
考えるのが苦手とはいえ、ちょっとは考えてほしかった。
孤立無援の中で、そんな言葉をぽんと投げかけられた太一が、上機嫌になるのも無理はなかった。


「だよな!」


太一から言われた大輔は、はい?と間抜けな回答をした。
いまいち太一がどうしてそこまで大喜びしているのかわからない。
ぐりぐりと大輔の頭をなでながら、太一は屈託ない笑顔を向けて笑う。


「やっぱそーだよな、大輔!元の世界に帰るには、それしかねーもんな!」

「え?そーなんすか?」


大輔は驚いてしまう。サーバ大陸に行くしか元の世界に帰る手段が無いのなら、
わざわざそんなこと聞かなくても答えは出ているではないか。
なんでいちいち呼びよせてまで聞いたのだろう、と疑問符が浮かぶ。
上級生組しか知らなかった事実が大輔にだけ漏れてしまったと悟った空が、
こら、太一!と咎めるような視線を送る。しまった、と慌てた様子で我に返った太一は、なんてな、と笑う。


「だったらいーなって、あはは。大輔、なんでサーバ大陸に行きたいと思うんだ?」


太一はすっかり自分と同じ意見であると信じて疑わない。
なんだかんだいってやっぱり可愛い後輩である。
太一はサーバ大陸と新たな力の象徴であるタグ、紋章というキーワード、
そして選ばれし子供という英雄みたいな肩書を聞いて、
すっかり有頂天になっている。ゲームや漫画が大好きなお年頃である。
RPGの主人公に自己投影して遊んでいる小学校5年生である。
とつぜん放り込まれた異世界で、とつぜん自分たちにしかできないといわれ、世界を救ってくれと言われたのだ。
一度はふざけるな、とか思ったけれども、新しい冒険の舞台と意味深な言葉を残して去ってしまったゲンナイという爺さんである。
わくわくしない方がおかしい。それが元の世界に直結しているなら一石二鳥ではないか。
世界を救った英雄が元の世界に帰るときに、今まで旅を共にしてきた仲間と感動の別れと
永遠の友情を誓うんなんて、よくある王道的ストーリーである。
そういった大雑把で楽観的なところが太一のいいところでもあるのだが、
ちょっとだけ大輔のことを勘違いしている。
大輔は大輔であって、太一ではない。あくまでも太一が構い過ぎているサッカー部の後輩である。
それに太一お兄ちゃんのことが大好きで、なんでも太一のことを正しいと無条件で肯定してくれる従順すぎる妹であるヒカリでもない。
それをはき違えている太一は、大輔がせっかく自分の意見を言ったのに、
太一の意見と一緒だとひとまとめにしてしまうことに、ちょっと怒っていることに気付けなかった。


「大輔君、太一から言われたからって、そのまま飲まれちゃダメだよ?君の意見が聞きたいんだ」


サッカー部の先輩後輩関係なしだよ、と丈に指摘された大輔は訳が分からなくて混乱する。
なんで大輔は大輔の意見をちゃんと言ったのに、太一から誘導された意見を言っているように思われているのかわからない。
なんにも考えないで太一の意見に賛成しているように思われているのかわからない。
気に食わない。心外である。
なんにも考えないで意見を言わないような奴と一緒にしてほしくなんかない、と
大輔はちょっと声を荒げた。


「そんなことないっすよ!ちゃんとオレ考えましたってば!
オレはサーバ大陸に行った方がいいって思ったからいったんすよ!
そりゃ、太一さんとおんなじだったのは嬉しいけど、たまたまですってば!」

「おいおい、そこまでむきになんなくてもいいだろ?」


ちょっと拍子抜けして傷ついた太一は情けない声を出す。
大輔と太一の様子に、そうかい?と一応納得してくれたらしい丈は、理由を聞いてきた。


「ゲンナイさんが言ってたんで」


その言葉には流石に子供達は凍り付いた。は?とみんな一様に大輔を見る。
さすがにそれなら太一が言ってたから、の方が百倍説得力がある。
なにをいってるんだ、この子!本気で大輔のことが心配になってしまった丈は、
何処までも持ち前の常識でもって、考え直すよう言ってみる。
世界中の怪しいっていう意味の言葉をかき集めて、押し固めて、
濃縮したようなあの爺さんが言ってたからサーバ大陸に行くって言い放ったのだ、大輔は。
もともと突拍子が無いところはあるものの、どこまでも大人びている所がある大輔にしては、あまりにも斜め上すぎる。
太一も太一でショックである。意見の理由が自分じゃなくて、あんな怪しすぎる爺さんが言ってたから、だなんて!
俺より爺さんの方が信頼できるってことかよ、おい!と思わず大輔に詰め寄るが、
大輔はそんなつもりはないというだけで、爺さんのことを信頼しているのはありありと見て取れる。
ホログラムを大輔も一緒に見てたはずだ。
どこをどう見れば信用に値する人間に見れるんだろう?と不思議で仕方無い。
太一だってゲンナイという爺さんのことなんか、現時点では微塵も信じていないのだ。
ただその情報しか判断材料に使える資料が無いから、
仕方なく使っているだけにすぎない。それなのに大輔はあっさりと信じている。
将来がとっても心配になる太一である。丈の懸命の説得にも関わらず、
あっけらかんとした様子で大輔は言うだけだ。


「んー、なんていうか、勘?えへへ、オレの勘、外れたことないんすよ」


よくわからない自信でもって、得意げに言いきった大輔である。勘、という言葉を聞いた太一はほっとした。
なんだ、勘か、シックスセンスか、なんとなくか、よかった。本当に良かった。
もしかして、なんかあったんじゃないかと余計な勘ぐりをしてしまった。
楽観主義の塊は、日常的に自分の勘を頼りにして、何かといろんなことを決めているいい加減さをサッカー部連中は知っている。
それを説明した太一に、丈をはじめみんな肩を降ろした。小学校2年生である。
今の状況をまずよくわかっていないはずである。
みんなと同じくらいしっかりとした意見を求めること自体が無理難題過ぎたのだと、
ようやくここまで来て思い当ったらしかった。
大輔も大輔で深くまで突っ込まれたら、どうしよう、マジでどうしよう、と
遼との約束を守るのに必死で、焦りまくっていたのでほっとした。
ただ。ちょいちょい、と引かれた腕を振り返ると、あれあれ大輔、と教えてくれる相方の姿がある。
言われるがままそっちを見れば、大輔の不自然さを感じとったらしいタケルから、
また隠し事が増えていると咎めの視線とかちあった。
げ、とつぶやいた大輔は、両手を合わせてごめんのポーズを持って頭を下げる。
またあ?と眉を寄せるタケルだったが、大輔に振られた話題が今度はタケルに飛んで来て、それどころではなくなってしまったようだった。





ちなみにそれ以外組は真っ二つに意見が割れた。
生まれてくるデジタマのために少しでも勉強したいから頑張るんだと、
大輔とは比べ物にならないくらいしっかりとした意見を述べたタケルである。
タケルを見習え、と耳打ちされた大輔は、反論できない事情を抱えてしまっている自分を恨んだ。
なんだか勝ち誇ったような顔をしているタケルがむかつく。
そして執拗に言及される隠しごとについて、なんとか逃げ切ることに成功する。
そして小学校2年生組と違って、現実をずっと知っている光子郎とミミは当然のことながら反対派。
しかし、タケルが賛成に回ったことで、ネガティブな思考を勘ぐられたくないヤマトがまずは陥落する。これで4対4。
小学校2年生組が賛成側に回るとは思っていなかったみんなは、
こんなちっちゃな子たちが言ってるのに、これでいいのかな、と思い始めてしまい、
最終的にみんな納得した形で、サーバ大陸に行くことが決定したのだった。
自分の意見でみんなを賛成に導けなかった不満は残るものの、太一は嬉しそうに、
入口の方で待機してくれていたレオモンに、事の次第を説明した。






翌日の朝、ファイル島中から集まったデジモン達の協力で、大きな大きなイカダを作ることになる。
助けてくれたお礼だと、たくさんの食料や生活必需品を分けてもらった子供達は、
ありがとうと笑顔になる。
みんながいってらっしゃいと海岸越しに手を振る中、行ってきます、と
意気揚々と帆を張るイカダに乗って、子供達は旅立った。
そして、そのまま道中でホエーモンに食べられてしまうことになる。




[26350] 第3話 幻痛
Name: 若州◆e61dab95 ID:95d4d5c5
Date: 2013/08/03 00:06
ばしゃんばしゃんと波打つしぶきなんてものともせず、
落っこちないようにブイモンにつかまりながら、大輔は右手を凪いでいる海にさらす。
波にさらされた右手は、ひんやりと冷たい感覚で襲いかかり、つめて!と思わず驚いて手をひっこめた大輔は、
肘が豪快にブイモンの鼻を直撃して一緒にひっくり返った。
丸太を繋ぎ合わせて出来ているイカダはごつごつしていて、
もともと足場が悪かったので予想はしていたが、背中と頭をごんとぶつけたら結構痛い。
思わず悶絶する大輔とブイモンは逆さまの世界を見た。
元気ですねえ、大輔君、と今にも死にそうな顔をして笑っている光子郎と、
笑おうとしたのだが無理だとぎこちなく口元を押さえているミミがいて、
パルモンとテントモンが心配そうに、それぞれのパートナーをのぞきこんでいた。
優しく背中をさすってあげるのが彼らにできる唯一の気遣いである。
予想以上の揺れは個人差があるものの、結構なダメージを与えているらしい。
その向こう側では、突然の物音に驚いて振り返った太一と空と丈が、
大輔達を見て噴き出していた。望遠鏡片手の先導組は、今日も変わらず見張り役に徹している。
たんこぶが出来ているらしく、頭を押さえた大輔は、いてえ、とぼやきながら
逆光をまぶしそうに手でさえぎりながら立ち上がろうとした。
そしたら直射日光をさえぎってくれる影がある。
何やってんだ、と呆れ気味のヤマトは後方の見張りとみんなの様子を見守る係を兼ねている。
ほら、立てるか、と手を差し出された大輔は、いつものように大丈夫だと言って笑って自分で立つか、ブイモンに頼ろうとしたが、
いつもなら飛んでくるはずのブイモンは思いのほかダメージが大きかったらしく、すっかり涙目でうずくまっている。
反応が遅れた大輔に溜息をついたヤマトは、そのまま大輔の手を掴んで立たせた。
そして、一連の大輔の行動を見てデジタマを抱っこしたまま笑っているタケルのもとに、
ブイモンともどもガブモンと一緒に押しやってしまう。
荷物と真っ白な三角の帆で出来上がっている大きな影に、
お守役としてはみんなが入っていないとちょっと自分の仕事が出来ているという実感がわかないらしい。
腕を組んでヤマトは大輔を見下ろした。そしてためいきをついて、そのまま辺りの警戒を再開する。
要するにじっとしてろという沈黙のプレッシャーを受け取った大輔は、
大人しくタケルの所にいって、荷物の山に背中を預けることにした。
思い出したように右手の人差し指をなめた大輔は、やっぱりする海の味にちょっとだけ残念そうに肩をすくめた。
異世界だから変な味がしても面白かったのに。


「なにしてるの?大輔君」

「こっちの世界ってオレ達の世界と違うだろ?だからしょっぱくねえんじゃないかって思ったんだよ」

「あはははっ、なにそれーへんなの!えっと、やっぱりしょっぱかった?」

「まーな、つまんねえ」


見上げる空はこんなにへんてこなのに、面白くねえの、と大輔はうーんと大きく伸びをして腕を頭の後ろに回して固定する。
ふあというあくびと一緒に広がる青空は、相変わらず大輔の知っている大空とは程遠い。
真っ青な絵の具をぶちまけた上から、乾かないうちに適当に白い絵の具で入道雲のようなものを描き込み、
その上からうっかりつまずいた水入れの容器をひっくり返してしまったかのような、にじみきったマーブル模様である。
まぶしそうに目を細めている大輔の視界に、復活したブイモンが、恨めしげにのぞき込んでくる。
ずいっと近寄られ驚いた大輔が、近い近いと押し戻した。
いまだにひりひりする鼻を押さえながら、はいふけえのばかあ、とうるんだ目を訴えてくるにパートナーがそこにいた。
きょとんとする大輔とタケルに、ひはがははにあはっはんはよう、と通訳を必要とする宇宙語を話すブイモンだったが、
その視線が大輔の膝に向けられているので、大体状況を把握したらしい大輔は、
あーごめんわりい、と両手を合わせて謝った。
反省の態度が微塵も見られない態度に腹を立てたのか、ブイモンはむーと頬を膨らませると、
すっかり拗ねてしまったらしくそっぽ向いてしまう。
なに拗ねてんだよ、と謝罪にもかかわらず許してくれないブイモンに、困ったように大輔は肩をすくめた。
びたんびたんと青い尻尾が抗議にイカダを叩きつけている。
なんだよ、ブイモンの奴、と納得いかないのか大輔は口をとがらせた。
微笑ましい友人とパートナーデジモンのやり取りを見ていたタケルが、くすくすと笑う。


「大輔君、ブイモンを隣に座らせてあげようよ。暑いからひっつくなってかわいそうだよ」

「えー?んだよ、そんなことで怒ってんのかよ、お前なあ」

「そんなことじゃないよ、大輔のばーか」

「あーもう、仕方ねえなあ。ほら、こっちこいよ」

「あ、ほんとにいいの?やっほーい!ありがとな、タケル!」


ぺしぺしと隣を叩く大輔に目を輝かせたブイモンが、ころっと態度を変えて一目散に飛んでくる。
ううん、いいよいいよとタケルは笑う。僕も早くああいうことがしたいなあ、と
ちょっとさびしく思いながら、タケルはデジタマを抱きしめた。


「なあ、ブイモン、お前ファイル島から出たことないんだろ?サーバ大陸のこと、何にもしらねえの?」

「うーん、ファイル島よりずーっと強いデジモンがいるんだってことは知ってるんだけど、
どんなデジモンかまではわかんないや」

「はあ?なんで強いデジモンがいるのは知ってんだよ?」

「えーっとね、大輔達が来るずーっと前に、ファイル島では見たことないデジモンが突然大暴れしたことがあったんだ。
あれってきっとサーバ大陸から来たんだと思うよ」

「え?そうなの?じゃあどうやってやっつけたの?」

「レオモンとオーガモンがやっつけてくれたんだ」

「え?でもオーガモンと初めて会った時、みんな悪いデジモンだっていってたじゃねーか。
ゴマモンは正真正銘悪い奴だって」

「そうだよ、オーガモンは悪いデジモンだよ。
だってときどきムゲンマウンテンから降りて来て、オレ達のこと苛めるんだ。
そのたびにレオモンがオレ達のこと助けてくれたんだ。
レオモンとオーガモンはすっごく仲が悪いんだけど、なんか喧嘩するのが好きみたい。
その時はそのすっごく強いデジモンが大暴れしててみんな困ってて、みんなでレオモンに知らせに行ってたら、
なんか知らないけどオーガモンが一人で戦ってたんだよ。
オレがやるんだーとか言って、レオモンが加勢するとか言うと怒るんだ。
いつもみたいに喧嘩するみたいにして、そのデジモンを追い払ってくれたんだよ。
オーガモンが持ってる骨は、そのデジモンのなんだ。
その時からレオモンからオーガモンに喧嘩するようになっちゃったんだよね。へんなの」


タケルと大輔は顔を見合わせた。それは大輔達が持っているイメージとずいぶんかけ離れていた。
なんかいい奴じゃないか?という気がしてくる。
パートナーデジモン達が口をそろえて「悪いデジモン」と口々に形容するものだから、
てっきりオーガモンはもともとそういうデジモンなのだと、大輔もタケルも思い込んでいたのである。
オーガモンはデビモンと同じくらい悪い奴だと。なにせ敵だったデジモンである。
黒い歯車に支配されていたわけではないのだ。最後までデビモンの手下として太一達の前に立ちはだかり、
打倒したのだと太一から聞いていたので、なんだか違和感がある。
実はいい奴じゃないか?と大輔は聞いてみたが、ぶんぶんとブイモンは首を振って違うと否定する。
みんなで使っていた格好の遊び場を占領したり、ぐっちゃぐちゃに破壊したり、
強い奴を探してるって理由で苛めてくるのだという。
それにみんなのことを助けてくれるレオモンが喧嘩してる相手だから、
きっと悪い奴なんだとブイモンははっきり言いきった。
タケルが、でも助けてくれたんでしょう?と聞いてみると、
うーん、それはそうだけど、とブイモンはちょっと困った顔をした。
そういえばレオモンはオーガモンがデビモンから現れた時、すっごくつらそうな顔をしていた気がする。
戦いの後、すっごくさびしそうな顔をしていたような気がする、と
思い出したらしいブイモンは、あれ?あれ?と自分の記憶に自信が無くなってきたのか頭を抱え始めた。
そして、ようやく大輔とタケルはその違和感の正体に気がついたのである。
パートナーデジモン達は今でこそ成長期である姿がお馴染みとなっているが、
大輔達と出会う前はきっと幼年期でこの世界を生きていたはずだ。
だから何にも知らない子供達は無条件でパートナーデジモン達の知識や情報を頼りに漂流生活を続けざるを得なかった。
そのパートナーデジモン達はかつては幼年期という赤ちゃんデジモン時代の記憶を頼りに、パートナー達に情報提供する。
もちろんそこには幼年期時代にしかわからないこともあるが、
成長期になった今やっとわかったこともあるだろう。だから疑問が生じた。
そこにはきっと単純な世界があって、いろんなエピソードは幼年期特有の視点から見た世界でしかみられない。
デジモンだって人間ほど複雑ではないだろうが、生きている以上感情だって考え方だっていろいろあるハズで、
説明には必ずそのデジモンの立場が大いにかかわってくる。
なんにもしらない子供達はパートナーデジモンのいうそれが、この世界の常識であり当たり前の考え方なんだろうと思う。
それは真実なのだが、あくまでも幼年期だったパートナーデジモンにとっての真実であり、
どうやらレオモンはレオモンの真実があるらしい。
もうとっくの昔に見えなくなってしまったファイル島で別れたレオモンを思い出し、
大輔とタケルはちょっとだけしんみりした。
それはきっといいことでもないけれど、悪いことでもない。
でも、と何処までもいい子であるタケルや大輔は心が切なくなっていた。
悪い奴なんだと思い込んでいたデジモンが、
ちょっといいところもあるのに気付かないでいるのは、ちょっと変な気がしてしまう。
ブイモンの話を聞かなかったら、きっと一生気付かなかっただろうことだ。
実はずっと疑問だったのである。
オーガモンもデビモンもファイル島が平和だった頃は、なんでかみんな一緒に住んでいたのである。
悪い奴なら追い出しちゃえばいいのに、なんでファイル島が危なくなるまで、
レオモン達は悪いデジモンを追い払わなかったんだろうと。
ようやくすとんと落ちた気持ち。
なんだか言いようのない感じがするのはどうしてだろう。タケルはデジタマを抱きしめた。


「ねえ、言ってたよね、エンジェモン。いいデジモン達を黒い歯車で悪いデジモンにするのが許せないって。
デビモンだから許せないって言ってなかったよね。
デビモンのことが許せないのは、悪いことをしたからだって。
もしかして、悪いデジモンじゃなくて、悪いことをするデジモンがいるのかな?」


紡いだ言葉はデジタマに語りかけているというよりは、タケルがタケルの心の中に問いかけているような感じである。
なんとなくつぶやいたタケルの思わぬ発想に、目を見開いた大輔は、ぱちぱちと眼を瞬かせた。
今まで考えたことも無いような発想である。大輔は後ろからハンマーで分殴られたような衝撃を覚えた。
悪いデジモンがいればぶっ飛ばせばいい。
なっちゃんみたいに、望まぬ形で悪いことをしているデジモンには、頑張って話しあえばいいと思っていたのだ。
その根本を覆すような斬新過ぎる視点である。
少々頭が混乱してしまったのか、ブイモンはどういうことだと大輔に説明を求めるが、
俺だってわかんねーよと大輔は肩をすくめた。仕方無いので大輔達はタケルに聞いてみることにする。
肩を叩くとうひゃあという間抜けな声がした。
みんなの視線を一身にあびる羽目になってしまったタケルは、な、なんでもないよ、と首を振って、顔を真っ赤にしながら座り込んだ。
大輔とブイモンがなんかしたんだろうという暗黙の了解である。すぐにみんな思い思いの作業に戻ってしまう。
手を叩いた本人が硬直しているので、どうやら悪戯したというよりは、
ぼーっとしていたタケルが驚いただけらしいと判断したヤマトも持ち場に帰る。
まさか大きな独り言になってるとは思わなかったらしいタケルは、
いきなり一人の世界に友人達が介入してきたので、驚いて思考の海が何処かに飛んでしまう。
もうそこに待っているのは恥ずかしさだけである。
何でもないよ、何となく思っただけで、僕だってよくわかんないんだもん、説明なんかできないよ。
というか忘れちゃったよ!と大輔達に責任転嫁である。
なんだよそれ、と聞きたかったことが聞けないもやもやで大輔達は言い返す。
あーだこーだとどうでもいいことで白熱し始めた会話を止めたのは、タケルの腕の中にあったデジタマだった。


ぱきぱきぱき、という音がして、タケルの腕の中にあったデジタマが元気に震えだす。
わたわたとし始めたタケルが落っことさないように抱えなおして覗き込むと、
こぼれおちたカケラの向こう側から真っ黒なつぶらな瞳が瞬きした。
タケルも大輔もブイモンも、顔を見合わせて歓喜に震える。
思わず立ち上がったタケルに反応して、一気にわれたデジタマの上の殻が、
海の方に飛ばされて、あっという間に波の彼方に浚われてしまった。
飛び出してきたのは、ゼリー状のデジモンである。


「や、やった、やったーっ、みんなみんな、大変だよ!ポヨモンが、ポヨモンが生まれたよ!!」


なんだなんだと振り返った子供たちとデジモン達に、ポヨモンを抱っこしたタケルがおおきく高い高いする。
おめでと、タケル!とブイモンが拍手する横で、きょとーんとしたまま置いてきぼりの大輔である。
え?なんだよそれ?トコモンじゃねーの?
幼年期は実は2世代にわかれている場合があり、
1世代と2世代で姿が変わってしまうことを、すでに出会ったころにはチビモン達だった大輔だけが知らない。
ポヨモンと呼ばれている白く透明なスライム状の生き物は、タケルの両方の掌にすっぽりと収まってしまうほどのミニマムサイズだ。
大輔たちがイカダで進んでいるこの大海原で発見されたデジモンであり、文字通り名前の由来はクラゲである。
海に住んでるデジモンなのに普通に陸上でも呼吸ができる理不尽さは突っ込んではいけない。
ちなみにもっともベーシックで原始的な形状をしているこのポヨモンというデジモンは、
のちに“デジモン発生のナゾを解くカギ”として注目を集めることになる。
まだ生まれたばかりのため、言葉を話すこが出来ない代わりに、ぷるぷると震わせながらポヨモンはタケルにすり寄った。
ポヨモンをたかいたかいしていたタケルははたと気が付いた。あれ?


「ねえ、みんな。あれ、なに?」


え、とみんなが振り返る。そこは見渡す限り真っ黒な海が広がっていた。
正確にはイカダの真下に大きな大きな黒い影があるのだ。嫌な予感しかしない。
やがてその予感通りにざぶんざぶんという大きくなる波の音と揺れと共に、
その影は大きな大きな山となってどんどんイカダを盛り上げていくではないか。
振り落とされないように必死で帆の部分にしがみつく羽目になった子供たち。
飛行能力のあるピヨモンとテントモンはあわてて不安定なイカダを安定させようと
上から右に左に引っ張ってみるのだが、ひっくり返りそうな大波が許してくれない。


「ホエーモンや!あかん、このままじゃ食べられてまうで!?」


テントモンの言葉にみんな血の気が引いた。
ホエーモンは水棲哺乳類型のデジモンであり、「ネットの海」の深海に住むクジラのようなデジモンである。
大きく口を開けて海水ごと飲み込み、そこに漂うデータを主食としているため、
ぐあっと洞窟のように大きな口を開けてその姿を現したところを見る限り、
どうやら子供たちとデジモン達は漂流物のデータであると勘違いされてしまったようだ。
姿を現したというのに、ほんの一部である。全貌をみるのは叶わない。
なにせその容量はデジタルワールド最大級の大きさで、並のコンピューターでは解析不可能なのだから。
必死でみんな漂流物ではないと訴えてみるのだが、深海に生息しているため目は退化しているホエーモンは気付いてくれない。
大きく揺れる荒波に飲まれまいと懸命にイカダにしがみついていた子供達は、
大きく大きく口を開けたホエーモンの口に飲み込まれ、まるで下水道のように大きな食道の中を航海する羽目になったのだった。
異物を排斥しようとする生理現象と戦いつつ、辿り着いた胃から逃れるすべが見つからなくて、どんどん解けていくイカダ。
内側から暴れるにしても大砲を取り囲む城壁のような作りをしている、文字通り鉄壁の胃袋は攻撃すらままならない。
どうしようと途方に暮れていた太一達は、その上の方に深く突き刺さっている黒い歯車を発見した。衝撃である。
デビモンがいなくなったのだから黒い歯車の製造はすでに停止しており、
てっきりその力すら失われているだろうと判断していた子供達は驚く。
デビモンが言っていた、暗黒の力はあくまでもサーバ大陸から入手したものであるという事実が、改めて浮き彫りとなってしまった形だ。
黒い歯車の原材料である暗黒の力とやらが無くならない限り、
残っている黒い歯車はいつまでもデジモン達を苦しめ続けるのである。
全部終わったのだとファイル島で考えていたことが、いかに浅はかな早合点だったかを突き付けられた子供達は、
改めてサーバ大陸で待ち受けているであろう困難を思い、背筋が伸びる気がしたのだった。
そして、パルモンのツタのように伸びた腕を頼りによじ登った太一が、
その黒い歯車にデジヴァイスの光を当てて破壊する。
正気を戻したホエーモンの潮吹きにより外に出られたものの、その衝撃でイカダが上空で大破してしまった子供達。
ホエーモンは謝罪と感謝を兼ねて、5日はかかるというサーバ大陸に送ってくれることになった。
しかも、デビモンが以前海底に現れ、何かを隠すところを目撃したという有力情報を提供してくれた。
もしかしたらデビモンが隠してしまったというタグではないか、と
判断した子供達はホエーモンの案内で海底洞窟へと足を進めることになる。



















その先にあったのは、DEGIという看板が目印のコンビニである。
拍子抜けする子供達の中でも、なんだか見覚えがあるその店舗に、大輔はちょっとだけ嫌そうな顔をした。
不思議そうに首をかしげて聞いてくるブイモンに、大輔は肩をすくめて簡単に説明する。
大輔達の住んでいる高層マンションの中には、1階部分がコンビニとなっている建物があり、
そのコンビニを運営している家族を思い出したらしい。
愛と純真の店アイマートなんていう微妙に入るのも恥ずかしいキャッチコピーが看板にあるのが目印で、
よく大輔はそこにパシリに使われるそうだ。
なぜならその家族の長女は、日々大輔の安眠を妨げるジュンの長電話の共犯者である同じ中学の友人であり、
パシリに来るたびに店番兼アルバイト兼看板娘を自称する彼女によくからかわれるついでに、
姉への便利屋を任されるめんどくさいイメージしかないらしい。
一方的に名前が知られているものの、その家族は姉妹が多く、大輔は一番年が近い末っ子の妹しか名前が分からない。
それというのも、その家族はマンションに住居を構えているにも関わらず、
学区がちょうど大輔の通うお台場小学校と他の小学校の中間にあり、
住人は自由にどちらを選んでもいいということになっている。
だから同じ小学校に通っているわけではないのがこれまためんどくささをあおっている。
ある意味姉経由で知り合った末っ子は、ジュンからの情報をわりと信じている気配がある。
知り合った人間関係からすれば仕方ないと言えるのだが、
大輔からすれば悪口でしかなく、割と本気で悩んでいる「出来の悪い弟」という言葉を何かと揶揄してくる、
からかかってくるのが嫌で嫌でたまらない。
かといえば、妹と弟という微妙に立場的に考えればシンパシーを感じる所もあるせいで、
変な感じで腐れ縁が形成されているから、なかなか難しい。
違うところがあるとすれば、大輔とジュンの仲の悪さを知っているにもかかわらず、
彼女からすればただの姉弟喧嘩であるという範疇なのだろうか、
すべての姉達から一身に愛情を受けて育っている甘えん坊は、もっと仲良くしなさいよと軽い口調で笑うのだ。
なんだかんだで姉のいうことを聞いている大輔がジュンのことを大っきらいだと言うたびに、
その矛盾を指摘されては言いくるめられてしまう。
そう言えばキャンプで別れたきりだ、何してんだろ、とどうでもよさそうにつぶやいた大輔である。
こっちが今まさに大変なことになっているのだ、キャンプは中止になったはずである。
家に帰ってクーラーの効いた部屋でまたパソコンいじってんだろうなと考えるといらっとする。
大輔が今のような性格になった一端が垣間見えたブイモンは、
気の強い女の子と知り合いが多すぎるのも原因の一つじゃないかと考えてみた。
まさか2年後、その腐れ縁がお台場小学校に転校してくるなどとは夢にも思わない大輔である。
それはさておいて、いくぞ、と後ろから叩かれた大輔は、太一に手を引かれてコンビニへと足を踏み入れた。
どごおん、という豪快な音が洞窟に反響する。驚いた大輔の前に、
地響きを立てて耳鳴りがするような音がこだまする。
耳をふさいだ大輔は、あわててどんどん盛り上がっていく土から逃れようと走る。
ブイモンがかばうように前に躍り出た。


そこに現れたのは、鼻先に巨大なドリルがついた、モグラのような獣型デジモンである。
地中を掘りながら高速移動し、いつも地中に潜っているためなかなか出会えないはずの珍しいデジモンだ。
ドリモゲモンというらしい彼らは、本来おとなしく恥ずかしがり屋だがイタズラ好きで、
時々獣型デジモンが地中に隠した骨を盗んで武器にしたりするようなのだが、
黒い歯車によって操られているようで、デビモンの配下と化している。
出会いがしらに鼻先のドリルを回転させ、自分も回転しながら敵に突っ込むドリルスピンをお見舞いしてきた凶暴な襲撃に、
子供たちはあわてて逃避する。


「デビモン様の命により、ここには誰も立ち入らせるなと言われているのだ!さっさと帰るがいい!」

「大輔、ここはオレ達に任せて、タグを探して!」!

「おう!頑張れよ、ブイモン」

「まかしといて!」


すかさずかざしたデジヴァイスにより、進化の光が放たれる。
光を突き破って現れたエクスブイモンたちが足止めをしている間に、
大輔は先を急げと先導する太一達に置いて行かれまいと慌てて走る。


「うわっ!」

「大輔君、大丈夫?」

「ちょっとこけただけだから、心配すんなよ、先いけ!」

「う、うん!」


戦う手段をもたないポヨモンとタケルが1番無防備で危険である。
慌てて先を促した大輔は、立ち上がろうとして引っ掛かりを覚えた。
あれ?と思って辺りを見渡した大輔は、首にかけている紐が食い込んで痛みを覚える。
すぐ後ろではデジモン達が豪快に必殺技の応酬をしているせいで、爆風やら砂埃で視界がはっきりしない。
いろんなモノが飛んできて、危ないことこのうえない。


「何やってんだよ、大輔!早く来いよ!」


苛立った様子で叫ぶ太一の声がする。みんなの必死な声がする。焦燥感にかられながら慌てて手探りで原因を探る。
やべえ、なんでよりにもよってこんな時に!舌打ちをした大輔は、なんとかひもを引っ張ってみるがうごかない。
くそっと焦りと苛立ちでうずくまっている大輔は、飛んできた旋風でようやく視界がクリアになった。
ドリモゲモンの突き破ってきたトンネルが降ってきたたくさんの岩によって塞がれ、

よりにもよってPHSが引っかかっている。
それをみた大輔は思わず無理やり引っこ抜こうとした手を止めて、
どうすればいいのか分からなくなって硬直してしまう。
PHSは光子郎がこの世界から帰還するまでの期限付きで貸してくれた柔らかい素材のケースに入っているのだ。
力任せに引っこ抜いたら、尖った岩肌がのぞいているそれによって、
確実に破いて穴があいてしまうだろう。どうしよう!
光子郎から返してくれと言われるということは、これはきっと光子郎にとって大切なモノなのである。
それを壊してしまうかもしれないと分かった瞬間、大輔は頭が真っ白になった。
あわてて大きな岩を取り除こうとするのだが、大輔の力ではイマイチうまくいかない。やばいやばいやばい早くしないと!
焦っているせいで、なかなかうまくいかない。
泣きそうになりながら泥だらけになる大輔に、なにかおかしいと気付いたらしい。
それがPHSが挟まっているからだと気付いたとき、一目散に走りだしたのは光子郎だった。


「何やってるんだよ、大輔君!」


敬語なんて吹っ飛んでいる。驚いて顔を上げた大輔に、光子郎は珍しいほど声を荒らげて紐をつかんだ。


「だって、このまま引っ張ったら光子郎先輩から借りたケースがっ!」

「そんなことどうでもいいよ!ほら、早く引っ張って!」

「でもっ……!」

「大輔君のほうが大事なんだから、そんなこと言ってないではやく!」


埒があかないと判断した光子郎は、力が入っていない大輔の手を振り払って、力任せにケースを引っこ抜く。
びりびりびりとズタズタになって行くケースがクッションとなって、無事なPHSが返ってくる。
ようやく身動きが取れるようになったものの、呆然としている大輔はそれをみて、じわっと目頭が潤んでいる。


「なにやってんだよ、早く!」


光子郎は大輔の手を掴んで無理やり立たせると、そのまま走りだした。
後ろを振り向く大輔は観てしまう。吹っ飛ばされたトリモゲモンによって降り注いでいく大岩。
潰されていくケースがあっという間に見えなくなってしまう。
光子郎の大切なモノを自分のせいで壊してしまったと気付いた大輔は、大きく目を開いた大輔は、言葉を失った。
だって見えたのである。ずたずたになったことで、実はリバーシブルにでも使えるようにと工夫されているケースが。
そこに、わざわざ手縫いで「こうちゃん」と光子郎の愛称だろう言葉が刻まれた布地を見てしまったのである。
実は光子郎が貸してくれたケースが、光子郎の家族が丹誠込めて光子郎のために作ったものだと、
愛情を込めて作ったものだと気付いてしまったのだ。
なんで裏返しなんかして渡したんだよ、光子郎先輩!
初めっから見えてたら、もっともっと大切に慎重に扱ったのに!
なんでそんなに大事なモノなら、オレみたいに扱いが乱暴だってよく知ってるような奴に渡したりしたんだよ!
大輔は泣きそうだった。なんだか分からないけど泣きそうだった。
誰かのために作ったものを壊されたときの悲しみを大輔は何故か知っている気がするのだ。
そんな悲劇的な場面に遭遇した記憶なんてないのに。
覚えてないのに。でもなぜだか胸を抉る。無性に泣きたくなった大輔は、そのまま我慢しきれずに泣き出してしまった。
その痛みを知っているはずなのに、それをしてしまったという罪悪感に押しつぶされ、
いつものごとく怒涛のように流れこんでくる良心の呵責と
プレッシャーに押しつぶされてしまった大輔は、前がすっかり見えなくなってしまった。
両親や姉から口を酸っぱくして、自分のものはちゃんと自分で大切に使いなさいと説教されても、
全くと言っていいほど罪悪感がわかず、自分の物だったら躊躇せずに乱暴に扱っては、モノを壊してしまう大輔は、
どういうわけか昔から自分のものではないものを壊してしまうかもしれないとわかると、異様なほど慎重になってしまう。
物心着いた頃からそうだった。
訳がわからないけど、人のものを壊しちゃいけないからそうだろう、と思っていただけだった。
しかし、すぐ後ろではデジモン達が戦っている。近すぎる。このままでは巻き込まれてしまうかもしれない。
自分の命のほうが大事だってことくらい大輔には分かっている。
光子郎が大輔の命のほうが大事だと判断したから、
こんなことをしたんだろうと理解できる。でもなんでか心が納得してくれない。
悲鳴を上げている。もう、訳が分からなくなっていた。


「ははは、なんで君が泣いてるんだよ」

「だって、おれ、おれ、うううっ、わあああああああっ!!」


気にしてないよ、と困ったように励ましてくれる光子郎に、ぶんぶんと大輔は首を振った。
なんとかぎりぎりのところで合流できた大輔と光子郎に、
ほっとみんな安堵の溜息をついたのだが、大輔のPHSが晒されていることに気づいて息を飲む。
わんわん泣き出してしまった大輔に、途方に暮れたように、まいったなあ、と光子郎は頭をかいた。



[26350] 第4話 約束
Name: 若州◆e61dab95 ID:450f02a4
Date: 2013/08/03 00:06
用意するものは、公園や幼稚園にある格好のポイントとして友達の間で常識と化していた庭の一角にある土と砂。
先生から借りて持ってきたジョウロに汲んで、たっぷりに満たされている水道水。
そして毎日泥だらけにして怒られるタオルとハンカチ。
最後に家からこっそり持ってきた、冷蔵庫につり下げられた紙袋に、結ばれて山のように放り込んであるビニール袋である。
いつものように友達の名前を呼んで見るが、友達は先生と呼べと言ってくる。キョトンとしたものの、すぐに先生と呼んだ。
腕をまくったら準備万端、初心者相手に遊びの極意を教える師匠の役割が出来てご満悦なのか、
いつになく得意になっている友達がいて、よーくみてろよ、と言われて、
どきどきしながら、わくわくしながら、その様子をしゃがみながら目に焼き付ける。
運動会や集団遊戯で使われるグラウンドの真ん中あたりは、踏み固められてサラサラで乾いている。
それが秘訣なのだと偉大なる先生は教えてくれた。
その場でツイストし始めた友達を見よう見まねでやってから、ざっざとスニーカーで大きめの砂を払い、
きめ細やかな砂が出てくる辺りを探しだし、そこに庭から掘り出してきた良質の土と混ぜ合わせて
だいたい一緒くらいの比率で混ぜ合わせる。
水を混ぜ合わせようとすると、せっかく見つけ出した最高の素材が水に流されて台無しになってしまう、
これだから素人は、と手厳しい指摘が入り、肩をすくめてご教授願うと、任せとけ、と泥だらけの手で叩かれた。
気にも留めていないが、きっと帰ることにはまた泥んこで帰ってきたことを怒られるだろう。
こんなこともあろうかと我らが先生は、どこから持ってきたのか大きな大きな皿引いて、その上に沢山の土を乗っけた。
なるほど、これなら水が無駄にならないし、土が流れて不純物が入らない。
尊敬のまなざしを向けられることに気付いた友達は、ますます指導に熱が入る。
曰く、代々これを作るときにはこの皿を使うようにと、
受け継がれてきた由緒正しい大皿らしく、友達も出所はさっぱりだが、
先生に怒られて没収されたことは一度も無いので、勝手にランチルームからかっぱらってきたものではないらしい。
土と砂に水がいきわたるようにジョウロで友達にストップといわれるまで注いでみると、
真っ白だった土が真っ黒になってドロドロになる。
そして乾いたところが残らないように、徹底的に混ぜまくる。
ここで手を抜くと完成した時にひびが入って壊れる、穴が開くという見るも無残な形になってしまうらしい。
それは大変だと大真面目で泥遊びに夢中になる。
目的が手段に変わり始めたころ、手でつかめるくらいしっかりとした泥が出来上がった。
もうこれだけでも面白いのでどうでもよくなってしまうが、
ここからが大事なんだよ、と大幅に脱線しようとする不真面目な生徒をひっつかんだ友達により、マンツーマン教室は続行した。
手のひらに適量の土を乗せて丸めていく。
大きさはこれくらい、と見本を何個も見せてくれた友達の完成品は、すさまじいレベルである。
よーし、頑張るぞとやる気を出したので、一生懸命手のひらにのるくらいの球体を作り上げていく。
作るときには水分を絞り取るように、ぎゅうぎゅうと力を込めながら作ると、びしょびしょにならずに、丸く作ることが出来ると、
きめ細やかな指導が入る。言われたとおりにしてみると、初めて作るには筋がいいと一番弟子として褒められ、嬉しくなって笑った。
初めてなんだからちょっとくらい砂利が入ったって気にしない、あまりにも大きいモノはダメだけど、と点検してくれる。
ここからは代々受け継がれてきた一子相伝の秘密だと念を押され、意味が分からないけど、
自分にだけ教えてくれるんだと分かったので、絶対に誰にも教えないと約束する。
不格好ながら出来上がった泥団子を受け取った友達が、丸く丸く形を修正してくれる。
そして、せっかく作った泥団子に、さっき取り分けておいた土をどさっとかけてしまった。
思わずあー、と声を上げてしまうと、その様子にさもありなんといた様子でふふんと胸を張った友達は、
これが秘密なんだよと内緒話で教えてくれた。
絶対に取ってきた土を使うこと、乾いた土を使うこと、と念を押されて頷く。免許皆伝の道はまだまだ遠い。
このまま指でこするとだめだから、とぱんぱんとなれた様子で砂利を払った友達は、
磨き方までわざわざ手とり足とり教えてくれた。
どんどん出来上がっていくのは、遊戯の時間によく先生が手に持っているボールと同じくらい真ん丸な砂の覆われた泥団子である。
おおお!と目を輝かせると、まだまだこんなところで満足しちゃだめだ、と手厳しいお言葉が飛んでくるので、肩をすくめた。
あとはずーっと、どばどばっと土をかけて、砂利を払って、指で磨いていくという途方も無い作業が始まるのだという。
外で遊ぶのが大好きな子供にはすさまじい拷問だが、頑張れば頑張っただけ、すぐ横にこんなんができるぞと完成品の見本を置いてもらい、
しかも友達がずーっと話をしてくれるから全然気にならない。
楽しい話をずーっとしながらやっていたら、全然気にならない。



なにつくってるの?と後ろから先生に話しかけられたので、これー!と差し出すと、がんばってね、と頭をなでられて精が出る。
子供が頑張って頑張って地面の隅っこで円を作りながら、黙々と泥団子を作っているのは、とっても微笑ましい光景である。
おやつの時間までには終わらせるようにと言われたので、うなずく。おやつの後はお昼寝の時間である。
そして、ようやく作業の時間が終了したので、ぽけっとから取り出したビニール袋に泥団子を放り込む。
そして友達の言われる通り、乾かすことにした。素人はここですぐに布で磨き始めるからいけないと友人はうそぶく。
真の巧みとは、泥団子の表面が固まっただけの見せかけに騙されてはいけないらしい。
放っておくとせっかく閉じ込めた水分が表面から逃げ出してしまい、せっかく作っても完成品の見本にはならないのだという。
ここに一番の名人と言われる秘訣があったのか、と目を輝かせたまま、
ほめたたえる。まーな、と声を上げて笑う友人につられて笑った。
ビニール袋に入れておくことで、カラカラに乾いてしまうのを防ぎ、
別の日に出来るようになるらしい。なかなか考えられている。
チャイムが鳴る。友達と一緒に手を洗い、おやつの時間に飛んでいった。
そして、お昼寝の時間をまどろんだ。そして目を覚まして再び作業を再開する。



ビニール袋から取り出した泥団子は、表面がしっとりとしていて、少し湿っている。
ここからが根気勝負だと友人が言いきったので、改めて気合を入れる。
再びスニーカーで発掘したきめ細やかな砂を手にいっぱいつけ、うっすらと表面に残るようにする。
この粉を使って、ひたすら磨く作業が始まった。
もう言葉を交わすことも無く、じーっと泥団子とにらめっこしながらの真剣勝負である。白砂と呼んでいる魔法の粉である。
友人曰く、友人が教わったこの作り方も、この砂が無いと絶対に完成品の見本レベルには到達しえず、ここでしかできないらしい。
力の入れ過ぎもダメだが、ちゃんと力を入れて磨かないと、いつまでたってもくすんだままの泥団子、目指す完成品には到達しない。
風が吹いたら砂ほこりとなって飛んでいくレベルのを選んで手に着けることが秘訣らしい。
ここは経験がものを言うからと、終盤にもなれば友人が代わりに全部やってくれた。
ありがとう、の言葉に乗せて、当たり前だろ、と笑ってくれた。
磨いて磨いて磨いて、ひたすら磨いているのを横で見ているしかない。
わくわくしながら、ずーっと横で眺めていた。



とうとう最終段階である。今日は絶対にジャージを着てこいよと念を押されていた理由をここで知る。
きめ細やかな布で磨くといいらしいが、小さな男の子がお母さんのストッキングとか持っていく理由が泥団子のためだと言ったら怒られる。
もうここまでくれば、服を汚してお母さんに怒られるなんて心配、吹っ飛んでいる。男の子である。外で遊んでなんぼである。
無我夢中でこすりまくった。ずーっと擦り続けていたので、太もも辺りが熱を持ち始めたころ、友達がみてみろよと言ってくる。
おそるおそるその面をみた。ぱっと輝いた表情に、だろ?と満足げに肩を回してきた友達が笑う。
真っ黒な泥団子が、まるで真珠みたいにその面だけぴかぴかに光っている!お母さんの持っているネックレスについてる奴みたいである。
もうここまで来ると夢中である。師匠友人よりは一回り小さいけれども、ちょっとひびが入ってしまっているけれども、
確かにぴかぴかの黒団子である。ぼんやりとではあるが、太陽の光に反射して、どこからどう見ても鏡みたいに光っている。
ビニール袋にくるんで、大切に大切にしまい込んだ。大きな大きな手作りの黒真珠である。きっと喜んでくれる。
家族の絵を描いたって、折り紙を作ったって、必ず喜んでくれる人を知っているから、その瞬間を思うと笑顔になる。
いてもたってもいられなくなる。まだまだ太陽が高い空を見上げて、早く夕方にならないかと早とちりな心は自宅に急いた。


「誰に渡すんだよ、大輔」

「おねえちゃん!ぼく、あ、じゃなかった、おれ、これ、おねえちゃんにわたすんだ!」

「おおおっ、いいなあ、それ!ピッカピカの泥団子だぜ、ぜってー喜ぶよ、
大輔のおねえちゃん!明日、どうなったか聞かせろよ!約束な!」

「うん!ありがとー、せんせ。ぼく、ぜったいにおしえてあげる!やくそく!」


1995年3月4日の出来事である。
光が丘テロ事件に巻き込まれた本宮家は、この日を最後にお台場にある団地に引っ越してしまうことになる。
もう名前も思い出せない友達。もう二度とピッカピカの泥団子は作れない。










第4話 約束









泉政実と泉佳江夫婦が愛する我が子を失ったのは、もう10年以上前になる。
念願の我が子を奪ったのは、病だった。治療の甲斐なくこの世を去った一人息子の死を受け入れられず、悲しみにくれ、
途方にくれる泉夫婦。親戚や近所の人々も気を使ってくれ、慰めてくれた。その中でも、
一番親身になって、葬祭関連のことから、私生活のことまで気配ってくれたのは、遠戚である数学者夫妻であった。
数学者夫妻は同じ時期に一人息子に恵まれ、いずれ育つであろう子供たちの将来と、いつか一緒に酒を飲み交わしたいと
見守っていく両親の喜びを分かち合った友人同士である。痛いほど泉夫婦の心痛を理解してくれたのだ。
いろんな人に支えられ、なんとか天国に召された我がこのためにも、これからのことを考え始めた泉夫婦に、
さらなる不運が襲い掛かったのは、そのころである。
数学者夫妻が生まれたばかりの一人息子を残して、交通事故で若くしてこの世を去ったのだ。
我が子だけでなくかけがえのない友人、親戚を失った泉夫婦は悲しみにくれる。
これから、今まで支えてくれた友人のために恩返しがしたいと、それを何よりも支えにして行こうとしていたのに、
また置いて行かれてしまったのだ。何も手助けすることができないままで。
そうした最中、彼らの忘れ形見である一人息子の処遇について、残された遺族もまた当惑しきっていた。
青天の霹靂だったのだ。遠方すぎる親族同士、父方母方の話し合いは持たれたものの、
若い夫婦の残した宝物を我が子のように育て上げられる生活環境や経済基盤を持っている世帯がいない。
子どもの年齢を考えると育てる家族の年齢もまた大きな枷となってしまう。
そして泉夫妻は決意するのだ。光という名前が付けられたこの忘れ形見を、
数学者夫妻の代わりに、我が子の代わりに、誰よりも愛して慈しんで我が子として育てようと決意する。
光子郎が泉夫婦の養子として引き取られ、一人息子として大切に大切に育てられる人生が決まった瞬間だった。
なんにもしらない光子郎は普通の家庭の普通の家の一人息子として育てられ、数学者だった父親の血は争えないのだろうか、
理系の分野に興味を持つ、非常に探究心あふれる好奇心旺盛な男の子として育って行く。
とりわけパソコンに非常に興味を示し、泉夫婦が自慢に思うほど、まるでスポンジが水を吸収するかのごとく学んで行く。
面影を重ねることもある父としては、ぜひともその才能を開花させてほしいと理解を示した政実の手により、
光子郎は小学校4年生にもかかわらず、自分のパソコンやCDプレイヤー、携帯電話など環境を整えられて行く。
ある意味期待過剰ともいえる親心だが、自分の好きなことを精一杯支援してくれる父親のことが光子郎とは大好きだったし、
良家のお嬢様だったためか、親しき仲にも礼儀ありを体現するような、お上品で清楚な母親が大好きだった。
しかし、絵に描いたような幸せな家族にだって、いろんな葛藤や複雑な心境はあるものである。
たしかにそこに愛情はあるのに、受け取り方一つでそれはまるで間逆の作用を起こしてしまう。
我が子のように、ではなく我が子として育ててきた愛しい息子がどんどん数学者夫婦に似てくる複雑さ。
才能を磨けば磨くほど、どんどん離れて行ってしまうのではないかというずっと抱いてきた恐ろしさ。
もう数学者夫妻の代わりではなく、我が子の代わりではなく、泉家の光子郎である。かけがえのない息子である。
血のつながりはなく養子であるという事実は、いつかは告げなければならない。
この世に生まれてきたのは、数学者夫婦があってこそであり、自分たちにとっても光であり、
いつかは3人でお墓参りをしたいという思いがあるのに、いつごとになったら事実を告げなくてはならないのかという
背反する親心、矛盾する良心。一方でずっと黙っていることに対する良心の呵責と後ろめたさが泉夫婦を苦しめてきた。
それはきっといいことでもないけれども、わるいことでもないのだ。
真剣に向き合わなくてはいけない問題である。だからこそ、泉夫婦は何度も葛藤と衝突を繰り返してきた。
母親が父親に対して感情的になったり、ヒステリックになったり、父親がそれを寡黙に受け止めて説得したり、
仲むつまじい夫婦であるが故の互いの支え方というものがある。
ただ、それが何も知らなかった光子郎からすれば、それはただの言い争いにしか聞こえない。喧嘩にしか聞こえない。
たった10年しか生きていない子供に、大人には大人なりの感情との付き合い方があるなんて理解するほうが無理である。


「ねえあなた、いつになったら」

「まだ小学生だぞ、まだ早いだろう」


トイレに行くために夜中に通り過ぎた両親の部屋に明かりがついていて、なにやら物音がする。
こっそり覗き込んだ先で、感情を露骨にあらわにして怒っている母親とそれをただ聞いている父親がいるのだ。
そしてこの会話である。光子郎の心は混乱する。トラウマとして深く深く刻み込まれてしまう。
まだ理解するには早いだろうという両親の親心は、予想以上に精神的に早熟していた一人息子を傷つけた。
ネットで調べた先で見つけた養子縁組制度。調べれば分かってしまう本当の両親のこと。全部全部作り事、うそだらけだったこと。
光子郎の心は、どうして両親が喧嘩していたのか理解できなくて、必死で自分なりに正当化していく。
中途半端で聞いてしまった会話は、どんどん視野を狭めて行く。なんでがたくさんあって埋まらない。
好奇心旺盛な調べたがりの性質は、やがて答えが見つからないことに対する嫌悪感と潔癖さにエスカレートしていく。
子供は両親に対して憎悪を向けることは絶対にできない。壊れてしまうから。だから子供はその原因を自分に求めてしまう。
そして答えを勝手に作って埋めて行く。本当の子供ではないから、お母さんもお父さんも僕のことが嫌いだから喧嘩していた。
本当の両親のことを隠していたのも、話してくれないのも、お墓参りに連れて行ってくれないのもきっとそう。
疑心暗鬼は加速する。大好きだったお父さんからもらったパソコンたちが、自分を両親から遠ざけるためにしか見えなくなる。
お母さんが「光子郎さん」って息子なのにさん付けで他人行儀なのも、きっと名前で呼びたくないから、
あんたは腹を痛めて生んだ子供ではないから、と言われているようにしか聞こえなくなる。
もうここまで来れば、人間不信の極地である。
一度生まれてしまった不信の目を大好きな両親に向けなくてはいけないという悲劇である。
そんなことができるほど光子郎は強くない。だから、露骨なまでに避け始めた。予防線に敬語が身につき始めた。
何にも考えないでできていたはずのことが、必ず理屈だらけの理論思考に凝り固まると、どんどんできなくなって行く。
光子郎は友達の作り方がわからなくなっていた。そんなもの理屈でできるようなものではないから、なおさら。
気づいたらネットという直接人間関係を重視しなくても、文章だけでやり取りができる非常に便利な世界に気づいてしまう。
現実につかれきっていた子供がのめりこむのは早かった。
部屋に閉じこもってずっと自分の世界に浸っていても、やさしい母親も父親もお年頃なのだろうと距離感に困惑して、
なかなかうまいこと関係構築がうまくいかないことも拍車をかけて、
本当は部屋から連れ出してほしい息子の心なんて気づかない。
初めての子育てなんてそんなもんである。やがて、母親お手製のものを持たされ、うれしいとは思っていても、
素直にそれを持つのはちょっと恥ずかしいと思い始める4年生である。
「泉光子郎」とか「光子郎」はまだいいけど「こうちゃん」はないだろう。
生まれてこの方そんな風に呼んだことすらないくせに。
いまだにあの夜のことが怖くて怖くて聞けない光子郎は、変にうがったものの見方をする癖が身についている。
みんなに見られるのは恥ずかしいし、いまだに母親の心理が分からないから、こういうときだけ母親ぶるのが嫌である。
そのため、大輔がPHSを首からずっと提げているのをみた光子郎は、特に意識することなく貸したのだ。
元の世界に帰ったら返してくれといったのは、単なる言葉のあやである。無意識にこそ本心が隠されているのだと、
どうやら口にした本人よりも言葉とか表情とかそういう分かりやすいものから、相手のことを考えることができる
受感性の高い後輩のほうが見抜いていたようであるけれども。それに気づいてない光子郎は困惑するしかない。
大輔は泣きながら怒るのだ。家族のお手製で作られた、先輩のためにつくった、丹精込めて作った、愛情込めて作った大事なものを、
なんで大輔みたいに扱うのが適当でよくものをなくしたり、壊したりしてコーチから怒られているのを見ているくせに、
なんで貸したんだと逆切れされるのである。気にしてないと、無事でよかったから気にするなと、泣くなと励ましているのに、
どういうわけか説教されている気分になってしまう。へんな逆転現象である。
そのくせ、大輔は大輔でなんで自分がここまで怒っているのかさっぱり分かっていない様子である。
ケースが失われてしまった本人よりもずっとずっと悲しんでいるのである。わけが分からない。
奇妙奇天烈な光景である。みんなそれに気づいて、どうやら当人同士でやったほうがわかりやすいだろうという
無用の好意でどっかいってしまった。たぶんホエーモンの体の中を探検しているのだろう。
残されたのはぐずっている大輔と途方にくれる光子郎、そしてパートナーデジモンたちだけである。
ああ、本当なら僕も今ごろホエーモンの体の謎について思いをはせているはずだったのに。
はあ、とため息をついて、光子郎は、大輔が泣き止むのを待っていた。置いてきぼりにするほど薄情になった覚えはない。


「たぶん、大輔は光子郎のことまで勝手に想像して、泣いちゃってるんだ。大変だよ」


助け舟を出したのはブイモンだった。いっている意味がよく分からなくて光子郎は疑問符である。


「オレが怪我したときも、オレがエンジェモンのこと庇ってるのはおかしいって怒るんだよ、大輔。
エンジェモンの攻撃に巻き込まれそうになったことなんか、ぜんぜん気にしてないんだ」


それはPHSのケースにも顕著に現れている現象である。
ちょっと相手のことが考えられるやさしい子、ではすまない気がして光子郎は心配になってくる。
はっきり言って異様である。いくらなんでも限度があるだろう。相手のことを考えられるということは、
決して自分のことをないがしろにしてまでできることではないし、きっとそこまで簡単な事ではないのだ。
自分のことを大切にしない人に、他の人のことまで本当に考えられるのかといえば、否である。
大輔はどこまでも自分のことがすっぽ抜けている。それはもう無意識である。偽善とか善意とかそれ以前の問題である。
自己犠牲の思考をもつ人だって、自分と他人を天秤にかけて、他人に天秤が傾くからこそそう思うし行動するのに、
大輔は思い込んだら一直線の面があるのは事実だとしても、躊躇したり戸惑ったり一切しないのは、明らかにおかしい。
まるで行動によって自分のことを見出そうとしているような、そんな危うさがある。
ブイモンもどうやらそれを感じ取っているからこそ、他のパートナーデジモン達より
も、ずっとべったりしているようだ。


「大変でんなあ、ブイモン。ワイかて光子郎はんがそんな危なっかしかったら、気が気じゃあらへんで。
ワイらパートナーデジモンにとっては、大輔はんや光子郎はんになんかあったほうが、ずっとずっと恐怖でっせ」

「そうなんだ」

「もちろんや、そのためにワイらはおるようなもんやから」


羽音を立ててテントモンが胸を張った。なんだか面映い気がして光子郎は笑ってしまう。


「大輔、どんどん突っ走ってっちゃうから、追いつくの大変だっていってるだろ。ちょっとはオレの方も見てくれよな」


何度目になるか分からない切実な気持ちである。光子郎は笑った。


「大輔君、みんなの役に立ちたいって気持ちは分かるけど、
やっぱり君はまだ小さいんだから、あんまり無理しちゃだめだよ。
どうしてそんなに焦ってるんだい?」


ぐしぐしと涙をぬぐった大輔は、鼻声ながらつぶやいた。


「わかんないっすよ、そんなこと。ずーっと、ずっと前からそうだったんすよ。
オレが悪いことしたわけじゃなくても、オレのせいじゃないってみんなが許してくれてるってわかっても、
いっつもいっつもぎゅーって苦しくなるんです。もう、死にそうになるくらい苦しくなるんすよ。
我慢できないからやっちゃうんですよ。耐えられないからオレのせいだって思っちゃうんです。
そりゃオレずーっと考えるの苦手だし、ずっと喧嘩してるよりは早く仲直りして遊びたいから、
めんどくさいからさっさと忘れることにはしてますけど、なんかぜんぜん違うんです。
なんかわけのわかんないものにつぶされそうになるんです。なんなんすかね、これ」

「うーん、なんだろう。難しいな」

「光子郎先輩でもわかんないのに、オレにわかるわけないじゃないっすか」

「いや、そんなことないよ。僕にだって分からないことはいっぱいあるさ。悔しいけど」

「へ?そうなんすか?」

「うん。だからケースについては、ひとまず置いといてもらってもいいかな?大輔君。
僕の中でまだはっきりとした答えが見つかってないことが、たくさんあるから、そのときがきたらまた考えるよ」

「はあ。それってやっぱオレが小2だからっすよね?オレまだちっさいし」

「違うよ。まだ、誰にもいえないことなんだ。テントモンにも太一さんにも。まだ僕の中でいろいろ考えてる途中だから」

「そっすか、わかりました。じゃあ、オレ何したらいいっすか?結局約束破っちゃったし」

「え?だからそれは」

「なんかもやもやするんでお願いします」

「あはは。じゃあ、2つほどお願いしてもいいかな?」

「なんすか?」

「タケル君を呼んできてくれないかな?大輔君だけ敬語じゃなくなるって不公平だから」

「あ、はい」

「それと、大輔君、忘れてるかもしれないけど、一応僕もサッカー部だよ」

「わかってるっすよ、ちゃんと先輩っていってるじゃないっすか!」

「でも太一さんや空さんばっかりに頼ってるだろ」

「……あはは」

「ちょっとくらい頼りにしてくれないと、僕もちょっと複雑なんだ。考えてくれるとうれしいんだけど」

「が、がんばります」


なぜだか緊張気味にうなずいた大輔に大げさだなあと苦笑いをにじませながら、光子郎は立ち上がる。
これからみんなのところにいかなくてはいけない。いこう、と差しのべられた手を大輔は迷うことなく取ることが出来た。
ホエーモン曰く、サーバ大陸に上陸するのなら南西側の岸に存在するトナミの街がいいらしい。
選ばれし子供の噂はサーバ大陸にも聞こえてくるので、きっと住人達は歓迎してくれるだろうと教えてくれた。
目印は船。トナミの街は港街。
でも停泊している船は無く、なぜか船が空に向かって垂直に立つように、
砂浜に突き刺さっている奇妙な光景が広がっているとのこと。
この話を聞いた時、真っ先に大輔たちが思い出したのは、干からびた沼地に突き刺さっていた船である。
メラモンから逃げるためにピョコモン達と逃げ込んだあの巨大船だった。
なんでもそんな感じの船がまるで住宅街のように砂浜にずらりと並べられ、
ホエーモンたちを始めとした近隣に生息するデジモンにとってはそれが建物という認識のようである。
一体どんな光景が広がっているのか。どんなデジモン達が待っているのか。
わくわくしながら思いをはせるのはきっとみんな同じだった。
ホエーモンでもサーバ大陸までは5日掛かる。まだまだ航海は始まったばかりである。



[26350] 第5話 うそつき
Name: 若州◆e61dab95 ID:6a43e74e
Date: 2013/08/03 00:07
大輔の首にかけられているものが、また1つ増えた。PHSとデジヴァイスとタグである。
PHSが一番中央におさまっていて、すぐに取りやすいようにと右側にちょっとずれた場所に、
白いデジタル時計はフックごとひっかけられている。
もともと不安定で大輔が動くたびにスライドしてぶつかっていたデジヴァイスは、
タグによって固定されている。タグには首に着けるためのひもが通されているのだが、
これ以上ひもを首にかけたくない大輔は、タグを無理やりデジヴァイスのフックに何重にもぐるぐる巻きにして、
そのトンネルにタグを放り込んで、デジヴァイスのすぐ下に、タグが来るようにがっちがちに固定してしまった。
タグはペンダントのような小さなものである。
クリアガラスのような、プラスチックのような、よくわからない素材でできている。
黄色い三角形で挟まれているのは、紋章というやつを入れる長方形の透明な板が二つ重なったもの。
こんな小さな透明な所に入る紋章は、どんだけ小さいんだろうという話である。
それをサーバ大陸というとんでもなく広い所で探せなんて、
砂漠の真ん中に埋まっているダイヤモンドを探せと言っているようなものだ。
やっぱりゲンナイさんのいうことは無茶苦茶である。
きっとなにか訳があるんだろう、と何処までもポジティブシンキングな大輔は一点の曇りも無い思考で、
これからの旅路にやる気を出しているが、思いっきり子供たちやデジモン達の中では前向きすぎるメンツに入るといえた。
タグを握りしめていた大輔は、ほら、降りるぞと太一に声をかけられて慌てて返事をして、駆けだした。



データの海をホエーモンにのって航海して早5日、ようやく見えてきた大陸は何処までも広く、大きく横たわっていた。
本来ならホエーモンのてっぺんと同じくらいの高さにある岬があるトナミの街で降りるのがいいらしいが、
サーバ大陸の玄関口である沿岸部の港町は、かつての繁栄も今は昔、すっかり過疎化が進んだゴーストタウンになってしまった。
店が並べどシャッター街、来訪客が来ない宿泊施設を中心に発展していた繁華街は廃れるのも早かった。
その理由はホエーモンの口の中から見えた、トナミの街に襲い掛かる砂の風がすべてを物語っていた。
砂漠化である。目前に迫る砂漠地帯の背景には緑を一切見つけることができなかった。
乾燥化が進んだ大地はオアシスを中心に発展していた街を砂で呑み込んでいった。
住人達に見捨てられつつある街で8人と8匹という大所帯の宿泊施設がまだ営業しているのかといえば疑問符だ。
デジモン達よりも船の方が多く、しかもそのほとんどが機能していないとなれば
ホエーモンが教えてくれた、今日宿泊させてくれそうな場所を優先した場合、
どうしてもここで降りる必要が出てきたのである。
ホエーモンが教えてくれたのは、アグモンの進化前であるコロモンというデジモンが、沢山済んでいる村である。
ピョコモンの村を思い出した大輔は、あのとき一番嬉しそうだったピヨモンのように、
今度はアグモンが嬉しそうにしているのを見た。
やっぱり幼年期が同じだったから、親近感がわくのだろう。
たしかコロモンはピンク色をしていて、兎のように長い長い耳を持っていたはずだ。
まるで手のように細い耳を使っていた気がする。
ブイモンがひとりで生きるのが普通だと言っていたのを思い出した大輔は、
ピョコモンに続いてコロモンという新たな例外が出てきてしまったので、あれっと思うが、
幼年期のデジモン達は弱っちいから寄せ集まってくらしてるのかなと考える。
どう思う?って聞こうとした相棒がいない。あれ?あれ?とあたりを見渡したら、
滑り台のようにホエーモンから降りて見事着地したブイモンが、
はっやくー!と元気にぶんぶんと両手を振り回しているではないか。いつの間に。
遅れてたまるかと勢いよく降りて行った。
みんな思い思いのタイミングで降りて行ったものの、最後までかなりの高度がある中で、
スカートのまま降りるのを渋っていたのはミミだった。
潮を吹く噴水口が実は鼻の穴だったりするホエーモンは、その周りでデモデモダッテとうろうろするミミにくすぐられ、
ぶえっくしょいと豪快にくしゃみをしたものだから、ミミの身体が飛び跳ねた。
いやあっていう悲鳴を残してそのまま転げ落ちたミミは、その先にいた光子郎を下敷きにしてしまう。
まるで押し倒したような構図に、大輔は思わずそのまま目を逸らしてしまった。いやだってなんか恥ずかしい。
家族みんなで見てた映画がいきなりラブシーンに突入してしまったような気まずさがある。
たぶんこれがドラマだったら、母親と姉はキャーキャー言いながら、
演じている女優に私と変われといきりたつんだろうな、と
どうでもいいことを考えつつ、うわあ、とつぶやいてしまった大輔である。
どいて下さい、重いです、という乙女に対してデリカシーが無さ過ぎる失言を聞いた大輔は、思わず耳を塞いだ。
幾らなんでも死亡フラグすぎる。ぱーんという乾いた音が響いた。あーあ。ご愁傷様である。大輔は合掌した。


「大輔、女の子って怖いねえ」

「あれは光子郎先輩が悪いだろー、ミミさん優しいよな。姉貴だったらグーがくるって、グーが」


たぶん気が済むまでぼっこぼこにされるにちがいない。全国の乙女に謝れと怒られるに決まっている。
どこに乙女がいるんだと聞かないのが正しい処世術だ。そんなことをしたが最後、どうなるかなんて考えたくもない。
体重計に乗っては一喜一憂する複雑な乙女心という訳の分からないものに振り回されて、もう8年目になる。
女教皇のもとで下僕を続けて何年になると思っているのだと、世知辛い弟人生を改めて嘆きつつ、大輔は溜息をついた。
姉を持っている男の子は、こういう面でも変に女の子という生き物に対して、
幻想を抱かずに生きていける悲しき定めである。
なっちゃんと出会った時、妙に現実じみた大人の対応をしていたのを思い出したブイモンは、これが原因かと悟ったのだった。





そしてホエーモンと別れを告げた一同は、コロモンの村を目指して、
半日かけてまっすぐに道を進んでいった。確かにそこに村はあったのだが。
おかしいなあ、コロモンのにおいがするのに、と首をかしげるアグモンである。
長い船旅ですっかり鼻が鈍ってしまったのかもしれない。潮風は髪を傷めると女の子組が嘆いていたのだ。
そして、白くてこじんまりとしたビニールハウスのような、放牧民族が持っている移動式の
布づくりの建物が沢山ある村で、子供達とデジモン達は大歓迎に包まれた。
困惑するブイモンに疑問符を浮かべた大輔。ブイモンは、噂と違うと肩をすくめた。
そこにいたのはデジモン達の200年にもわたる幼年期時代に、始まりの街において、
追っかけまわされて穴に落っことされたり、いろいろと意地悪されたり、
散々悪行三昧のいじめっ子たちがいたからあんまりいい記憶が無い幼年期のデジモンである。
灰色の頭から生えている耳のようなもので、低空飛行をすることができるレッサー型デジモンだ。
ブイモン曰く、イジワルな性格をしていて、相手をバカにすることが大好きで、
コロモンやツノモンあたりがよく標的にしていたという彼らの名前はパグモンだ。
ここはパグモンの村なのだという。過去の記憶からデジモン達はあんまり宿泊に乗り気ではない。
そんな彼らの意見に冗談じゃないわって真っ先に反論したのはミミだった。
ずーっと海の上だったせいで、水浴びはおろか、ろくに身支度も整えられない
不潔すぎる生活は、すっかりミミの許容範囲を超えていたのだ。
5日もお風呂に入っていないという乙女としては絶対に許し難い状況である。
お風呂も宿泊できる部屋もあるって言ってくれてるのに、なんで我慢しなきゃいけないの!
彼らの制止を振り切って、お風呂はどこと聞いたミミは、パグモンに運ばれてしまう。
突然の行動に驚いて悲鳴を上げたミミに、何かあったのかと子供達は慌ててミミ達を追いかける。落ちているテンガロンハット。手にもつ。
カーテンを開けた先には、籠があって、服があって、あれ?
なんの躊躇も無く飛び込んでいく太一と光子郎を追いかけていた大輔は、思わずブイモンを止めた。


「どうしたんだよ、大輔」

「ミミさん、何かあったんじゃないの?」


ちょっと待って太一!光子郎くん!という空の声がする。いよいよもって状況を把握できたのは、何故だか大輔だけである。
なんでだよ、普通に考えて分かるだろ、聴こえないのかよ鼻歌!ミミが心配じゃないの?とタケルは大まじめに聞いてくる。
大輔の様子と空の慌てたような静止に違和感を覚えたヤマト達は、
その場に立ち止まる。悲しいかな思春期の女の子の家族を持たない男どもは何処までも鈍かった。
もう走るのも馬鹿らしくなって、再び乙女の鉄槌に巻き込まれるであろう先輩たちに合掌する大輔に気付いた空が、
ハンドであわててジェスチャーをしてくるのに気付いた大輔は、あわててカーテンを元に戻した。しゃっともどして距離をとる。


「お風呂に入ってんだろ、ミミさん」


しれっと答える大輔である。顔を赤くした野郎どもは、ああそう、と不自然なまでに沈黙した。
いやああああ!という悲鳴が聞こえる。たぶんいろんなものが飛んでいる。あーあ。大輔は二度目の合掌をした。
バスタオル忘れたから取ってきて、とか無茶苦茶な要求を突き付けてくる我らが姉の行動は、変に耐性をつけていた。
バスタオルを巻いた姉がニキビを気にして、あーだこーだと鏡とにらめっこしているのを横目に、
さっさと歯ブラシと歯磨き粉を確保して乱暴に戸を閉めて脱衣所から脱出するくらいの慣れはもう日常茶飯事である。
閉まってないわよ、寒いじゃない、と怒鳴られて、再び帰ってくるはめになるのもお約束。長いお風呂に鼻歌はコンボである。
初めこそ裸を見られたぎゃーぎゃーといろいろ物を投げられたりもしたが、
結局うっかり入浴アイテムを投げてしまって困るのは姉であり、
別に減るもんじゃ無いし、と姉弟間で乙女ぶるのもばかばかしくなったジュンは、
もうすっかり頓着しない。所詮家族である。変に意識する方がおかしいのだ。
大輔も大輔で気恥しくなって言葉は乱暴になるし、目を背けたりもするが、別にジュンに対して何か意識しているわけではない。
流石に入浴中にうっかり電気を消したり、換気扇を回したり、うっかり着替え途中に鉢合わせしたら怒られるけど、それだけだ。
入浴中を確認したうえで、がらっと脱衣所を開けて、いろいろと両親からの言伝を怒鳴るのはいつものことである。
もちろん姉のいない野郎どもには、弟が持つ気苦労なんて分かるはずもない。
男兄弟なら一緒にお風呂に入れるから意識なんてしないだろうが、姉を持つ弟は、
生まれてこのかた、お父さんと入ったことしかないのだ。
だから言ったのにねえ?とカーテンから顔を出した空が苦笑いし、
大輔が頷いているのを見て、なんだかいたたまれない空気が流れたのだった。










第5話 うそつき村










パグモンは意地悪で平気でうそをついてみんなを困らせるという噂は、やっぱり間違っていたのかなあ、と
アグモンをはじめとするパートナーデジモン達が首をかしげている。
歓迎会を開いてくれているパグモン達に悪いではないか、と
子供たちに咎められてしまった彼らは、でもーと納得いかなさそうな顔をしながら、
大好きなパートナーに怒られて落ち込んでしまう。
今まで、何かとみんなの持っているデジモン解説講座が役に立てた試しがなかったことが原因である。
噂は噂、と失礼極まりないことを言われているにも関わらず、
さらりと流してしまったパグモン達が、沢山のごちそうを運んでくれた。
5日ぶりのまともな食事である。もう魚の丸焼は嫌だ。
いろんな果物やキノコを焼いて醤油のようなものであぶった簡素でシンプルな料理を運んで来てくれる。
パートナーデジモンの代わりに謝罪した太一達に、
パグモン達は分かってくれたんならいい、ここはパグモンの村だ、と歌いながら笑っていた。


「ねえねえ、あなたはどこの村の生まれなの?」

「え?おれ?パグモンの村に決まってんだろ」

「じゃあパグモンの村に行くには、どうしたらいいの?」


ミミの質問を聞いたパグモンは、にやりとわらった。


「どうって、もういるだろ?」


頭に乗っけていたフルーツの大皿を受け取ったミミが聞いた質問に、きょとんとした様子でパグモンが答える。
その答えを聞いたミミは、やっぱりパグモンは嘘つきのデジモンではないなと分かったらしく、ありがと、と笑って手を振った。
それを見ていた大輔は、どーしたんすか?と聞く。得意げにミミが笑った。


「ねえねえ、大輔君。あるところにうそつき村と正直村という2つの村があるとするでしょ?
正直村の村人は、本当のことを何でも正直に言ういい村なのね。
うそつき村の村人は、必ず本当のことと逆のこという悪い村なの。
その村へ行く途中、大輔君は道に迷っちゃったので、たまたまその村の分かれ道から歩いてきた、村人とあったの。
一方は正直村へ、もう一方はうそつき村へ通じてるのね。大輔君は正直村に行きたいから、道を聞こうと思ったんだけど、
この村人は正直村の村人なのか、それともうそつき村の村人なのか分かんないの。
もしこの村人が正直村の人なら、正直に道を教えてくれるし、うそつき村の人なら、まったく反対の道を言われちゃう。
その人に一回だけ質問をして正直村に行くにはどうすればいいでしょう?」

「えっ、なんすか、それ?クイズ?」

「うん。さー、がんばって!いーち、にー」

「うええええっ?!わかんないっすよ!」

「よーくかんがえよう」

「オレこういうの苦手なんすけど」

「えー、つまんない。がんばってー」


そんなあ、と辺りを見渡して助けを求めようとするが、ブイモンもパルモンもさっぱりなようである。
みんな思い思いの会話に夢中で全然相手にしてくれない。はー、と溜息をついた大輔は、早々に白旗を振った。


「それはね、「あなたはどっちの道からきたの?」って聞いたらいいの。
もしこの村人が正直村の人なら正直村から来たんだから、それを正直に教えてくれるでしょ?
それにこの村人がうそつき村の人なら、うそつき村から来たんだから、
嘘をつくから、反対の正直村の道を教えてくれるの。
これならどっちにしても正直村への道を聞くことができるでしょ?
パグモンはみんなに嘘をついて困らせるデジモンだっていてったけど、
それってホントのこととは反対のことをいうってことでしょ?
だからね、パグモンはうそつきじゃないってわかったの」

「……えー?」

「ミミ、それってどういうこと?私わかんないわ」

「さっきパグモンにね、どこの村で生まれたの?って聞いたら、パグモンの村って答えたの。
コロモンの村で生まれたって嘘ついても、パグモンだからちがうってわかっちゃうでしょ?
だから、じゃあそのパグモンの村に行くにはどうしたらいいってきいたら、ここのことだっていってたの。
嘘をつくのが大好きなら、絶対1回は嘘をつきたくなっちゃうでしょ?でも、パグモンは嘘つかなかったの。
もし嘘をつくなら、コロモンの村の場所を教えるでしょ?でも、もうミミ達はパグモンの村にいるって答えたわ。
それって嘘をついてないってことになるでしょ?ここ、パグモンしかいないし、パグモンの村なんだから」


だからパグモンはいいデジモンなのよ、とミミは笑った。
さっぱり分からない大輔はブイモン達にすがるような視線を送るが、目をそらされてしまう。
うそつきクイズというらしい頭を使う問題である。こういった分野はてんでダメな大輔は、そうっすか、というしかなかった。
どこまでも親切なパグモン達により、しばらくゆっくりしていくよう言われたみんなは、もうここまで来るとすっかり警戒心なんて地に落ちる。
お風呂に入って、みんなで用意してもらったテントみたいな所で雑魚寝である。久々にゆっくりできるとみんなまどろみに落ちた。
ちなみにミミのいうこの理論は、あくまでも正直村と嘘つき村がどちらもしっかりと存在しているという大前提が必要となる。
もし、正直村の住人が追い出されて、嘘つき村の住人によってどっちの村も嘘つき村となってしまっている場合や、
もともと正直村しか存在しないのに、嘘つく村に乗っ取られてしまった場合、それは全く別の意味に変わってしまう。
そんなこと知らないみんなは夢の中。ちょっと眠れなくて、タケルの腕から逃げ出して、こっそり外に飛び出した好奇心旺盛の塊が、
うっかり見てしまう。本来パグモンの村には存在しないはずのボタモンという赤ちゃんデジモンが、逃げ出していたところを。
そして、それを助けるために飛び出して、なすすべなくつかまってしまったポヨモンは、
ボタモンともども村の外れにある滝の方に運ばれてしまったのだった。





次の日、子供達とデジモン達は大騒ぎになる。まだ幼年期1であるポヨモンが行方不明になってしまったのだ無理も無い。
まだ小さいからそんなに遠くには行っていないだろうと、パグモンの村と近辺を棒きれで簡単に地図を描いた光子郎に、
あっちにもいない、こっちにもいない、とぞくぞくと残念な情報が寄せられる。
ばってんを着けていく光子郎に、パグモン達が滝の方にはいなかったと情報を寄せた。
今まで親切にしてくれた上に、失礼なことを言っても怒らずに許してくれた上に、分かってくれたんならそれでいい、と
ずっと大人の反応をしてくれた赤ちゃんデジモン、幼年期の集団である。
しっかりしすぎている。疑えるわけがない。おかげでなかなか見つからない。
今にも泣きそうな顔をして必死で探しているタケルを見ているといたたまれなくなって、
子供達もデジモン達も懸命の捜索を続行するが見つからない。
太一は望遠鏡で辺りを見渡していた。おせーな、アグモンの奴、と
何処まで行ったのかいつまでも帰って来ないパートナーデジモンに苛立つ。
こんな時にまさかアグモンまで迷子になって無いだろうな?こんな大事な時に!
舌打ちをした太一は、ふと見晴らし台のすぐ下で、ブイモンと大輔が何やら相談をして出かけていこうとしているのを見つけた。
思わず飛び降りた太一は、大輔の所に駆け寄った。










よそゆきのピンク色のワンピースを翻し、もじもじと恥ずかしそうにお兄ちゃんの後ろに隠れてしまったショートカットの女の子は、
おいおい、隠れるなよ、と苦笑いするお兄ちゃんに頭をなでられながら、
背中を押され、おずおずとこちらをうかがうようにちょっとだけ顔を出す。
真っ赤なユニフォームにしがみつきながら、おそるおそるちょっとだけしな垂れかかる前髪をそのままに、じーっと見つめてくるのだ。
首にかけられている玩具のホイッスルが傾いている。
そして、大輔と目が合うや否や、男の子に免疫が無いのかわたわたとしながら隠れてしまう。
肩をすくめたお兄ちゃんは、大輔に肩をすくめて、ごめんな、こいつ人見知り激しいうえに恥ずかしがり屋でさ、と苦笑いを浮かべた。


「こいつがオレの妹のヒカリだよ。ほら、挨拶ぐらいしろよ、ヒカリ。もう小学校1年生だろ?」

「に……にちは……。ヒカリ、です」

「よしよし、でな、ヒカリ。こいつは、サッカー部の後輩で、大輔っつーんだ。
お前とおんなじお台場小学校の1年生なんだぞ」


な?と大好きなサッカー部の先輩に聞かれた大輔は、はい、とにっこり笑って答える。
元気が良すぎてヒカリと太一がびっくりするくらいの勢いで答える。
お台場小学校の1年生という言葉を聞いた八神ヒカリという女の子は、
ちょっとだけ興味がわいたのか、初めて会う男の子に対する警戒心が薄れたのか、
ぱちぱちとまたたきしながら大輔の方を見つめてくる。


「オレ、本宮大輔。1のAなんだ」

「う、うん。私は、1のB、なの」


ぎこちないながらも、にっこりと笑ったヒカリは、大輔を見た。
大好きなお兄ちゃんが大輔と呼び捨てで呼んでいたからだろう。
彼女は何のためらいも無く、疑問すら抱くことなく、大輔に言葉を紡いだ。


「よろしくね、大輔くん」

「おう、八神さん」

「おいおい、大輔。オレも八神だぞー、ややこしいだろ」

「え?そうっすか?」

「そうそう。ヒカリでいいよな?」

「う、うん。みんな、ヒカリちゃんって呼んでるから、大輔くんも、ヒカリでいいよ」

「ふーん、ならヒカリちゃんでいっか?」

「うん」


それは太一の参加する4年生チームが交流試合で他校との試合をするということで、
サッカー部で応援に向かった日の休憩時間。
見事決定打となる豪快なシュートを決めて歓喜に沸くお台場小学校サッカー部のウエーブに飲まれる形で、
大輔の所にまでやってきた太一に、おめでとうございます!と言いに行った大輔が、
たまたま太一の試合を家族と一緒に見に来ていたヒカリと出会った日だった。
これが八神太一がお兄ちゃんで有らねばならない、と豪語するほど大切に思っている、八神ヒカリという女の子との邂逅である。
今まで太一の溺愛と贔屓と家族愛補正が掛かったフィルター越しのエピソードとか、
いろんなちょっとした話を聞かされ続けてきた大輔が、
生まれて初めて等身大の八神ヒカリと出会った衝撃の日である。
ああ、この女の子が八神太一先輩の最愛の妹なのかと大輔は思ったことを覚えている。
太一の後ろに隠れて恥ずかしそうに顔を赤らめている女の子である。
現在に至るまで、大輔の中で八神ヒカリと言えばこのイメージしかない。
太一に手を繋いでもらったり、頭をなでてもらったり、
ヒカリ、と呼んでもらえるたびに嬉しそうに柔らかな笑みを浮かべたりする、はにかむ女の子。
最愛の妹だけに見せる、ほんのちょっとだけ、優しい眼差しを向けている太一は、
大輔が今まで見たことが無いような顔で笑っていた。
お兄ちゃんとこの世界で唯一呼ぶことが許されている、八神太一に妹として愛されることが当たり前の人生を歩んでいる女の子。
もしも、本宮大輔が本宮ジュンに弟として愛されていたならば、
今でもきっと呼ぶことが出来ていた「お姉ちゃん」と「弟」の関係を、
大輔が知る中でも最高の形で体現している女の子。
もしかしたら、大輔がそのポジションにいたかもしれない、女の子。
そんな女の子から、大輔君、と呼ばれた。名前で呼ばれた。
太一さんとおんなじように!そのオゾマシサといったら無い。
大好きなお兄ちゃんが呼んでいたからって、わざわざ大輔が本宮大輔だって、わざとらしいくらいの不自然さで名字を教えたにもかかわらず、
大輔の笑顔がどんどんぎこちないモノに変わっていくのを、お?お前照れてんだろー、ヒカリはやらねえぞ、と
見当違いにもほどがある太一のからかいを真に受けて気付きもせず、無邪気に平気な顔をして、太一と同じように、呼んだ。
大輔がこっそり太一のことをジュンお姉ちゃんの代わりにしているなんて知らないまま、よろしくね、と笑った。
大輔はヒカリという女の子と出会った瞬間、完全敗北を自覚せざるを得なかった。
やっぱりヒカリに勝つことなんてできっこないのだ。
その日から、大輔にとって八神太一という存在は、勝手に慕って崇拝して崇めたてまつるただの神様になった。
お兄ちゃんになってほしいという願いは、お兄ちゃんの代わりでいてほしいという願いに変わり、
八神太一が本宮大輔のお兄ちゃんになってくれるかもしれない、という期待やもしかしたらという奇跡を望まない代わりに、
こっそりどん底の自分を慰める理想のお兄ちゃんでいてほしいという願いの拠り所となった。最後の砦である。
ヒカリは気付いていない。なんにも気付いていない。
最後まで大輔が八神ヒカリに対して、「よろしく」という一言を口にしなかった最後の抵抗を。
だってときどきサッカー部の応援で顔を合わせると、にっこり笑って挨拶してくれるくらいには、
ちょっと会話するくらいには仲良くなったのは、ヒカリから話しかけられたからだ。
小学校でもたまたま廊下ですれ違ったり、太一のサッカー部の練習を見に来た時にあったりすると、
普通に会話するくらいには知り合いになった。
でもそれだけである。大輔にとって、ヒカリと大輔を繋ぐのは、何処までも八神太一でしかないし、
話題も学校関連とサッカーを除けば尽きてしまう。
ヒカリは大好きなお兄ちゃんのことが聞ければそれでいいのだろう、と大輔は踏んでいる。
きっとヒカリにとっては、大輔はどこまでも大好きなお兄ちゃんのやっているサッカー部の後輩で、同じ小学校の同級生である。
きっと友達ですらない。知り合いである。
ちょっと仲がいいとクラスメイトがはやし立てることがあるが、本人たちにそんな意識は微塵も無い。
だってサッカー部の太一のことを話せば、ものすごい勢いで食いついてくる。末恐ろしいほど仲がいい八神兄妹である。
目をキラキラさせて、自分の知らないお兄ちゃんを聞かせてほしいと面食らうくらい迫ってくる。
そしてありがとうとそれはそれは嬉しそうに笑うのだ。
そこにいるのは学校の八神ヒカリちゃんであり、太一によく似てしっかりとした女の子である。
どこにでもいるようなお兄ちゃんが大好きな普通の女の子である。
八神ヒカリはどこまでも八神太一が世界の中心で回っているような女の子であり、
それが当り前であると信じてやまない女の子である。
それがどんなに幸せなことなのか、どんなにうらやましいことなのか、考えたことも無いような女の子である。
大輔があの日から一度たりとも、八神ヒカリのことを「ヒカリちゃん」と呼んだことはないにも関わらず、全く疑問に思わないような子である。
そんなヒカリから、太一のことを聞き出すために、いろいろと話をして、仲良くなることの何が悪いのだろうか。
話しているのは本宮大輔なのに、今まで一度たりともお互いについてプライベートに突っ込んだ話をしたことが無いのに、
何処までもその向こう側に八神太一を見ているような女の子と仲良くできるほど、大輔は心が広くない。
大輔はもうとっくの昔に八神太一がお兄ちゃんになってくれることを諦めているのだ、八神ヒカリによって。
それが今更、本当に今更、八神太一がまるでお兄ちゃんのように接してくるのである。
どうせよというのだ。期待しそうになるではないか。
太一が構ってくれるたびに大輔は泣きそうになる。
だから抵抗する。素直にそのまま受け入れることが出来ない。
奇跡なんて起こらないんだと現実を突き付けてきたのは太一のくせに、またかなわない願いを抱きそうになるのは太一のせいなのである。
しかもその扱い方が明らかに八神ヒカリに対するものであると、残酷なほど大輔は気付いてしまう。鈍感になりようがない。
ヒカリとの会話の中で、恥ずかしいと体験談を愚痴としてこぼしながらも、
明らかにのろけが入っているのを聞かされてきたから分かってしまう。
大輔がこうして太一にかまってもらえるのは、
きっと風邪で寝込んでいるというヒカリがこの漂流生活にいないからこそであり、
そのたびに大輔は優越感と罪悪感にさいなまれながら、嬉しくなってしまうのだ。
はあ、と溜息をついた大輔は、ほら、いくぞと当たり前のように手を引いてくる太一に手を掴まれたまま、
あの時のヒカリと太一みたいに手を繋ごうとしてくる太一の手を振り払えないまま、一緒にポヨモンを探す羽目になってしまう。
俺は八神ヒカリじゃない。本宮大輔である。なんかこの人、勘違いしてないか?ちょっとだけ、大輔はそう思った。
ブイモンは珍しく何も言ってこないことに不思議がりつつである。
ブイモンは大輔がデビモンに酷い目にあった後、どんな状態だったかレオモンに担がれながら見ているから、
太一がどんな面持ちで大輔を運んでいたか、どれだけみんなが心配したか知っているから言えるわけがないのだ。
一応大輔にも言ったのだが、いまいち本人は理解しきれていない。
その時の記憶がない人間に、いくら言っても伝わらないものは沢山あった。


「お前さあ、ホント素直じゃねーなあ」


あんたって本当に素直じゃないわね、とあの日つぶやいた姉と重なってしまう。大輔は首を振って幻影を飛ばした。


「なーんで相談に来ねえんだよ。いつでも相談に乗ってやるって言ってるだろ、大輔」

「はい?」

「オレでいいだろ、相談相手。光子郎の奴、先輩ぶりやがって」


大輔は硬直する。
なんでこの人、光子郎先輩とテントモンとブイモンしか知らないこと知ってるんだという衝撃である。


「なんで、知ってるんすか」


震えている大輔に、太一は何言ってんだとばかりに肩をすくめた。


「お前らおいて勝手にどっかいける訳無いだろ、見てたんだよ、みんなで」

「みんなでっ……?!」

「ゲンナイの爺さんのこと信じちまうような危なっかしい後輩ほっとけるかよ」

「んなっ?!何言ってんすか、オレはっ……!」

「オレは?」

「……」


はあ、と太一は溜息をついた。


「あのなあ、大輔。オレってそんなに頼りないか?」

「そ、そんなこと無いっすよ!」


相変わらずの後輩に、太一は頭をぐりぐりしながら、なら頼れ、と呟いた。
わからない。可愛い後輩のことが分からない。全然分からない。
太一は内心、大輔のことが理解できないで、すっかり困り果てている。
大輔の行動ははっきり言って矛盾だらけである。
ジュンお姉ちゃんと仲が悪いから空や太一を兄や姉として慕ってくれていると知ったときには、
ヒカリを口にすることが大輔にとって辛いことだと知ったから、言わないようにしているのだ。明らかに遠い目をしなくなった。
そしたらお兄ちゃんのように慕っているというから、兄のようにふるまったら本気で抵抗してくるのだ、訳が分からない。
それに相談したいことあると言ったのは、結局玩具の街以来とんと音沙汰なく、何にも無いのかと安心しきっていたら、
どうやら親友であるタケルや光子郎には打ち明けているものがあるらしい。これは由々しき事態である。全然面白くない。
これはなかなかにダメージが大きい話である。
八神家のお兄ちゃんとしてみんなから信頼を向けてくれと主張し続けてきた太一からすれば、
大輔の行動は明らかに裏切り行為である。背徳行為である。信頼していないと言っているようなものである。
そりゃあ、なっちゃんの件とかデビモンの件とか、大輔の中で太一の存在が権威が失墜するのは無理も無いかもしれないが、
太一は内心焦りまくっていた。必要以上にその事実に焦燥感を感じてしまっていた。
もともと大輔は思い込んだら一直線で、自分でやることは自分でしたがるしっかりとした後輩なのに、何にも変わらないはずなのに、
どう言うわけかいろんなことが気に入らなくなり始めているのだ。
だからどうしても行動がおかしいくらいに大げさになる。なんとかしようとするたび、おかしくなっていく。
それはきっと、太一は大輔の考えている通り、きっと無意識のうちに大輔をヒカリと重ねているからなのだろう。
炎天下の中でぐったりと死んだように眠っている妹を必死で呼びながら、おんぶしながら、
泣きながらマンションに走って帰ったあの日と、
デビモンによってボロボロになってしまった大輔の様子が余りにも酷似していたから、
太一にとって急所とも言うべき出来事と状況が似すぎていたから、
お兄ちゃんにならなければいけないんだと悲壮な決意を固めた、太一にとっての原点、
二度とあってはならないあの日とあまりにも似ていたのだ。
だから違いがありすぎて、どうしても違和感が拭いされなくて、いらいらするのである。大輔は頼ってくれない!と。
よくよく考えてみれば、お兄ちゃんとして慕っているとは言うものの、何にも求められたことなんてない。大輔は大輔でいろいろ頑張っていて、
どうしても自分ではどうにもならないことがあれば、最終手段として太一に頼っているだけだった。
最悪なことに、我が最愛の妹は、昔から辛いことがあっても絶対に口にせず、
じーっと我慢しているような困った性質をしている。
だから太一はヒカリに構い倒し、過保護になり、ずっとずっと守り続けてきたわけだが、
それがお兄ちゃんであると確信してきたわけだが、
ヒカリはそれがお兄ちゃんと受け入れているのに、大輔は受け入れてくれないのだ。当たり前である。大輔はヒカリではない。
だが全てが無意識の太一はそれに気付かない。だから大輔が嫌がる理由が本気で理解できない。
なんでそんな泣きそうな顔をするのか分からないまま、太一は大輔の手を引いて、ポヨモンを探すことにしたのである。



[26350] 第6話 めざめのこどう
Name: 若州◆e61dab95 ID:011cff1d
Date: 2013/08/03 00:07
ドリモゲモンの鼻先にあるドリルをみて、ライバル視したらしいイッカクモンが、自慢のミスリル製の角で応戦する。
攻撃を真正面から受け止め、得意技であるヒートトップで額の黒い歯車を突き刺そうと振りかぶる。
しかし、本来極寒の地に生息するため全身が真っ白で柔らかな毛皮で覆われているイッカクモンは、防御力が低く、
両手から繰り出された鋭い爪に不意を突かれ、スクリュークロ―が襲いかかった。
それを止めたのは、カブテリモンによるメガブラスターだった。
溜められた電撃が豪快にプラズマ弾として打ち出される。
不慣れな地中戦である。洞窟のせまい空間で吹っ飛ばされたドリモゲモンが、
どおおん、という轟音と共に壁に打ち付けられた。
危ないぞ、周りをよく見ろよ、と必死な丈の声、懸命に叫ぶ子供たち、デジモン達の声を聞いた二体は、辺りを見渡した。
派手に暴れたせいでド派手にぶっ壊れている洞窟。ちょっとやりすぎたかなという呑気な考えは、
その瓦礫の中でPHSが引っ掛かって身動きが取れない大輔を発見したとたん、吹き飛んでしまう。
敵デジモンと戦うということは、大好きなパートナーのために最も力を発揮することが出来る絶好の機会である。
ついつい彼らはバトルに夢中になって、周りをよく見ていなかったようだ。
無防備な選ばれし子供が目の前にいるのだ。
ドリモゲモンも気付いたらしく、黒い歯車の暴走で真っ赤な目が大輔の背後をとらえる。
ハープーンバルカンで今度こそ黒い歯車を止めようとしたイッカクモンよりも先に、動いた影がある。
辺りを撒き散らしていた砂ぼこりもろとも巻き込んで発射されたエックスレイザーが、
ドリモゲモンの額にある黒い歯車とドリモゲモンごと豪快に洞窟の壁に貼り付けにした。
大輔はPHSに夢中で気付いていないが、突風が吹きぬける。
光子郎が大輔とやり取りをしたのち、無理やり立たせて手を繋いでコンビニに一直線に駆けていく。
よかった、と安堵の息をもらしながら、デジヴァイスの進化の光から解放されたブイモンは、
巻き込みかけたことを謝罪するゴマモンとテントモンに、気にするなと軽く流して、急いで大輔の所に向かおうとした。
そしたら気が付いたらしいドリモゲモンと目があった。
ブイモン達を見て、真っ青になって逃げ出してしまった。
ドリモゲモンは、もともと恥ずかしがりやで大人しいが、悪戯好きの性格であり、めったにお目にかかれない珍しいデジモンである。
おそらくタグを隠しにやってきたデビモンに見つかって、黒い歯車で操られてしまったのだろう。
捨て台詞のように置き去りにされた謝罪に3匹は苦笑いした。
黒い歯車という大義名分があるとはいえ、結果を見れば1対3のフルぼっこである。
さすがにちょっとかわいそうだったかもしれないが、黒い歯車によって強化されたドリモゲモンのパワーとスピードは、
地中戦の地の利を得たことも相乗効果となって、大苦戦していたのだから、まあおあいこといったところだ。
大輔達の所に一目散に行こうとするブイモンの手を止めるものがある。
驚いて振り返ったブイモンに、待っていたのはおめでとう!という声だった。


「やりましたなあ、ブイモン!」

「え?なになに?」

「何がって決まってるだろー、初勝利!初めて勝ったじゃん、おめでとーっ!」


ひょっこひょっことやってきたゴマモンが、ばしばしとブイモンの手を真ん丸の前足で叩いてくる。
目をぱちくりさせて疑問符を浮かべるブイモンに、ゴマモンとテントモンは顔を見合わせた。


「嬉しくないのかあ、ブイモン?」

「もしかして、気付いてなかったんでっか?これでワイら、全員、勝った数が同じでっせ!」

「………勝った?勝った?勝ったって、あれ?え、え、えええええっ?!」

「そない驚かんでもええやんかー、おもろいなあ、ブイモン」

「あはは、すっげー嬉しいだろ?」

「………そっか、オレ、勝ったんだ。初めて勝ったんだ」


何度も繰り返すことでようやく自分が成し遂げたことが現実を帯び始め、ブイモンは達成感のあまり気分が高揚する。
嬉しそうに目を輝かせて、全身で沸き上がってくるハイテンションのまま、ブイモンは全力で万歳して、ぴょんぴょんとび跳ねた。
ずっと昔に置いてきぼりにした感覚である。すっかり記憶のかなたで忘れ去られていた感覚である。お帰り、オレの原点。
待ち望んでいた初めての進化の果てにあったのは、大輔の次に大好きななっちゃんを相手に戦うという悲しき結末である。
エクスブイモンはなっちゃんのデジコアから作られて、破壊されていくデータチップを何とか壊さないように懸命で、
大輔に全ての望みをかけて逃げ回っていたため、それどころではなかった。
次こそはと進化したら、エンジェモンとデビモンから大輔を守りきり、
無防備なタケルが攻撃に晒されないように警戒するのに必死で、それどころではなかった。
何とかおかしくなったエンジェモンを説得するのに精いっぱいで、そのまま撃墜された。
そして、3回目はまだまだ余力があったにもかかわらず、エンジェモンに根こそぎ進化のパワーを奪われてしまい、
ブイモンに退化せざるを得なかった。
よくよく考えてみれば、ブイモンはエクスブイモンに進化こそ出来ているが、黒い歯車からデジモンを開放する、
大輔達を襲いかかってきたデジモンから守る、宿敵を倒すという大義面分がある状況下で、
まともな勝敗が考えられる状況は初めてだ。
ゴマモンとテントモンがずっとしてきた当たり前のこと、
戦う理由というやつのために、ちゃんと戦うことが出来たのは初めてである。
なんにも考えないで、戦いに最後まで集中することが出来たのはこれが初めてである。
ついでにいうと、背中に大輔がいないで戦ったのも初めてだった。
全てが新鮮だったが、突き動かしたのは大輔の危機である。それだけは何にも変わらない。
二体から、勝数が横並びに同じだ、と言われてブイモンは嬉しくなる。
やっとみんなに追いついた!かつて自分たちも同じ感動した覚えがあるらしいテントモンとゴマモンは、顔を見合わせて笑うのだ。
共有する感覚と共に、ずっと頑張ってきたブイモンが初勝利を飾れて、感動もひとしおのようである。
喜んでくれる仲間達がいると分かれば、もうブイモンの心に浮かぶのはただ一人だけである。


「ほら、早くいってきなよ、ブイモン。オイラ達、ひきとめちゃったみたいでごめんな」

「そうでんなあ、きっと喜んでくれはるで」

「うん!オレ、言ってくる!一緒に初めて勝ったの半分こしてくるよ!オレ達、運命共同体だから!」


力強くうなづいたブイモンは、喜び勇んで駆けだした。
思えばずっと待ち望んでいたはずの目標だった。進化して、大輔の役に立って、頭をなでてもらって、それからそれから!
大輔、大輔、褒めてよ!褒めてくれよ!よくやったなって言ってくれよ!オレ、初めて勝ったんだ!
大好きな大好きなパートナーのもとに駆けだしたブイモンは、大輔!と大声で呼んだ。


「だいすっ……け………?」


困り果てた顔をした光子郎と泣き崩れている大輔がいた。
まただ、とブイモンは走るのをやめてゆっくりと歩みをとめた。
いっつもそうだ。大輔は、いっつもオレが一番欲しい言葉を、ほしいタイミングでくれない。
でも、運命共同体だから、悲しみを半分こにしてあげなくっちゃ、と思って、ブイモンは駆けだす。
複雑だけども、こういう時だけしか、大輔はブイモンだけを頼ってくれないから。
ずるいかもしれないけれど、ブイモンだけしか分かってあげられないことがたくさん増えたから、
大輔が泣くたびにブイモンは嬉しくて泣きそうになるのである。
早く大輔が抱えてる問題を解決してあげなくっちゃ、いつまでたっても大輔は周りのことに一生懸命になってくれない。
自分のことに一生懸命になれないやつは、他のことなんて一生懸命になれっこないのだ。絶対に。
がんばらなくちゃ、とブイモンは思った。
光子郎との問題が解決してから、初勝利のことを話したら、ブイモンの一番大好きな顔で笑ってくれた大輔がいたから、
おめでとうって揉みくちゃにしながら、思いっきり褒めてくれたから、ブイモンはちょっとだけ機嫌を直した。









第6話 めざめのこどう










ブイモンはかつて、とってもシンプルな世界を生きていた。
おいしいものをたくさん食べて、いっぱい遊んで、おひさまのもとでひなたぼっこして、おひさまといっしょに眠る。
必要以上にする必要が無いシンプルな世界は、心もとっても単純で、とっても静かな世界だった。
身体が覚えた経験、その時点での判断力、行動力、そう言ったものだけで十分だった。
ブイモンはアグモン達と共に大輔を待ちわびていたわけだが、本人はおろか仲間達が誰も気にしていないため、
大輔を除いて子供達は誰も知らないが、ブイモンはチビモンとして途中からコロモン達と合流した。
コロモン達はみんな一緒に始まりの街で生まれて、みんな一緒に幼年期1の時代を過ごし、そして幼年期2の時代になって、
あの森の辺りで太一達を待ちわびるために集まった。
時間という概念を象徴するものが何一つない生活だったから彼らは知りもしないが、
その長さは実に200年にも及ぶ。
一方その頃、チビモンはダイノ古代境にある時間の流れが本来よりもゆっくりと流れるエリアで生きていたから、
体感時間では100年ほどしか経っていない気がしているのだが、実際はかなりの落差があったりする。
チビモンが本来の時間の流れにして200年ほどダイノ古代境から出してもらえなかったのにはちゃんと理由がある。
守護デジモンであるケンタルモンやマスターティラノモン達に通してもらえなかったのは、やむおえない理由がある。
しかし、200年の間にはじまりの街の守護デジモンが姿を消し、
暗黒の力によってファイル島の歴史に詳しい者たちが次々と犠牲となっていき、
もはや彼らの残した伝言を頼りに行動するしかなかった守護デジモン達は説明する術を持たなかった。
チビモンをはじまりの街に案内してくれた名前も覚えていないデジモンが迎えに来た時は、
特殊エリアから出た瞬間、今までと全く違う時間の流れに体がついていかなくて、時差酔いでふらふらになってしまう。
ゆっくりと体が本来の時間の流れになれ始めてからようやくチビモンはコロモン達と合流することができたので、
時間にすればほんの数年といったところになってしまうだろうか。
コロモン達とチビモンは共に過ごした時間がとっても短くて、お互いにほんのちょっと距離があった。
もちろんそんな些細なこと、お互いに幼年期のまま進化できないという不思議な生き方をしている共通点や
デジヴァイスを持っていること、パートナーというかけがえのない片割れがいるという事実を前にすれば、なんてことはなかった。
しかしながら、事実上ひとりぼっちの時間がとっても長かったブイモンがパートナーとパートナーデジモンの関係性について、
やたらと過敏なのは、異様なほど執着するのはきっとそのせいである。
事情が変わったから、と「いつか」のためにデジタルワールドが大切にしまっていた古代種をわざわざ復活させたのだ。
古代種の力を扱える子供とであうその日を待ち続けて、洞窟でその力と一緒に眠り続けていたブイモンを叩き越したのは、
デジタルワールドなのである。
でも、事情が変わったから、としか教えてもらっていないから、なんで目が覚めたのか分からない。
本来一緒にあるべき力は、まだそのときじゃないから、と封印されたままである。
眠り続けていた理由を取り上げられてしまったブイモンは、なんのために目が覚めたのか分からなくて、困惑した。
故郷という名の生息域はとっくの昔に忘れてきており、過去なんてものもないから、
本当に目覚めたばかりのころはすっからかんだった。ブイモンは未来でも過去でもなく今を生きる。
それはもう、前向きなほど今を全力で生きるしかない。自分の目で見て、考えたことが全てである。
そんなブイモンにとって、本宮大輔という新しく与えられた目覚めた理由である選ばれし子供のパートナーは、それはもう最上級の幸福だった。
だから幾らでも一途になれるし、一直線になれるし、大輔のためならなんだってする、一番になりたいとおもうのだ。
なんにも知らない大輔は、ブイモンにいろんなことを教えてくれた。
そして、それは同時に尽きることのない「もっと」の始まりだった。進化しても足りない。初勝利できても足りない。
パートナーデジモンとして大好きだって言ってもらえても足りない。一度満足しても、全然足りないのである。
ブイモンは大輔が大好きなのだが、その大好きが止まらないのである。
それは、あまりにも早く出会ってしまったから、大輔というパートナーが本来よりもずっとずっと幼いせいで、
ブイモンと大輔がお互いに成長していくために必要なものをそれぞれが上げて、混ぜ合わせて、半分こしても、
その本来必要な分を満たすことが出来ないせいのである。
だからそれを必死で埋めるために、ブイモンと大輔は、ほかのパートナーとデジモン達よりも、
いろんなことをもっともっと半分こする必要があるのが原因だった。
もちろんブイモンはそんなこと知らないから、ただ大輔の1番になりたくてずーっと頑張っている状態である。
ちょっとずつブイモンのことを考え始めてくれた大輔のおかげで、だいぶん空回りは解消されてきたが、まだまだ先は長い。




いつもはしまいこんでいる白い爪を久々に突き立てて、ひょいひょいと木に上ったブイモンは、
木の一番てっぺんに登ってぐるりと辺りを見渡す。ポヨモンがすぐにでも見つかるとは思えないが、なんにも無いよりはましである。
いつ何時何が起こるか分からないから、お気楽にエクスブイモンに進化できないのが辛い。
進化したらすぐに空飛べるのに。
一度空を飛ぶ楽しさを知ってしまったせいで、空を見上げて地面にはいつくばっているのが退屈でたまらない。
目を皿にして見渡したブイモンは、ふとさっきまで無かったはずの白い煙を見つけた。なんだあれ?
おかしいな、あっちは確かパグモン達が見に行ってくれてた滝のある場所である。
いない、と残念そうに言ったパグモンに、そうですか、と肩をすくめてばってんをした光子郎をブイモンは覚えている。
これはさっそく下で待っている太一と大輔に知らせなければ、と器用に高い高い木の上からおり始めたブイモンは、
下の方から聞こえる大声に驚いて落っこちそうになった。太一と大輔の声である。
なんだなんだ、と目を丸くしており始めたブイモンは、嫌な予感がした。急げ急げ、なんかヤバいぞ!
下の方では、大輔が太一の手を振り払うのが見えた。
大輔と太一がなんか喧嘩している。あの時と同じだな、とブイモンは思った。


「オレは……ヒカ…な………」

「それ……おま…が…ふざけ……!!おま……オレ………太……!!……さ……ない!!」


よく聞こえない。これはヤバいかな、とブイモンは思って降りていく。
ブイモンは大輔が太一と喧嘩するのはあんまり好きではない。だってなんか違うのである。
人間の複雑な心理や感情、情緒を学び始めたばかりのブイモンは、その違いをはっきりと表現する術を持たないが、
喧嘩して、ごめんなさいって謝って、すっぱりと水に流してしまう、タケルやパタモン達とは違うのだ。それだけは分かる。
何というか、言葉が、ぶつかる想いが、いちいちとってもずっしりしていて、側にいるだけでとってもつかれるのである。
しかも、太一と大輔の喧嘩の間は、大輔の頭の中は太一のことで埋め尽くされてしまい、ブイモンがいくら話しかけても、
いくら行動に起こしても、いくら頑張ってアピールしても、ちっとも気付いてくれなくなってしまうのである。
初めて大輔と出会ったばかりのころを思い出してしまうのである。
こっちのことなんかぜーんぜん、構ってくれないし、気付いてくれないし、見てくれないし、なんか透明人間になった気分になる。
とりあえずあの頃と違って分かったことは、太一と喧嘩することは、大輔がジュンお姉ちゃんのことで思い悩んでいるときと、
まったく同じであるということである。きっと根っこの方でつながっているんだろう。話題を出す時の大輔は本当にそっくりだ。
なんとか止めなくちゃいけないな、と足場を作りながら降りていく。
ブイモンが落っこちないように降りていく間にも、どんどん状況は悪化していく。
ブイモンは大輔があんなに真剣に怒るのを初めて見た。太一が感情的になって大声を荒げるのを初めて見た。
怒るってことは、手や足が一切ないにも関わらず、これだけ圧倒されるものなのか、と驚いてしまう。
だって太一がかつてヤマトと大喧嘩した時と同じくらいの剣幕で、なんかまくしたててるのである。
大輔も一切それにひるむことなく、すさまじい勢いで食いついているのである。
大輔はジュンと毎日のように喧嘩しているとブイモンは知っているし、具体的にどんな感じで姉弟の喧嘩があるのか聞いたから、
ああこれがきっと大輔にとっての喧嘩なんだろうな、と分かるが、見る限りでは太一はショックを受けているようだ。
異性とは言え、大輔はジュンよりもずっとずっと小さいのだ。そんなちっぽけな大輔が毎日のように喧嘩するのである。
普通に考えて、暴力に物を言わせるのは体格的に無理だし、口で言い負かすのも無理とはいえ、
負けず嫌いの根性は確実に食いついて行くだけの上げ足とりの早さを身につけている。
八神兄妹の仲の良さがどれくらいなのかは知らないが、喧嘩の経験は圧倒的に大輔の方
が上のようだ。太一が押されている。
流石に大輔に手を上げることは、かつて無いほど不安定になっている大輔に、薄れかけているトラウマを呼び起こすことになるから、
最後の理性を振り絞って我慢しているのであろう太一のお兄ちゃんとしてのプライドなんて、大輔は分からないだろうけど。
怪奇現象で大輔の減らず口と屁理屈、無茶苦茶な感情論の展開の早さには圧倒されていたようだったから予想はしていたけど。
やがて大輔は、自分の頭に付けられているゴーグルに手を付けた。これはマズイ!流石にブイモンは焦った。
あの時、大輔は喧嘩しているといっても、頭にある太一の象徴であるゴーグルに手をかけることなんて絶対になかった。
PHSと同じくらい大事に大事に身につけていた。これをあっさりと手にできるということは、大輔はすさまじく追いつめられている証だ。
大輔、と制止の言葉をかけてブイモンが飛び降りるのと、ゴーグルを叩きつけて、大輔が太一を睨むのはほぼ同時だった。


「太一先輩って呼べばいいんでしょう?分かりましたよ、もう二度と太一さんって呼びませんよっ!!」


しゃくりあげながら、もう支離滅裂な言葉をこぼしながら、大輔はぐしゃぐしゃになって走り去ってしまう。
大輔!と反射的に追いかけようとしたブイモンは、なぜか硬直してゴーグルを見ている、放心気味の太一に気付いて驚いた。
なんでびっくりしてるんだろう、太一。タケルや光子郎との喧嘩を見てないのだろうか?全然変わらないのに。
大輔はいつもいつも喧嘩になると訳の分からないものに押しつぶされてしまう恐怖と闘いながら喧嘩をしているって、知ってるんじゃないの?
相手とちゃんと喧嘩するために必要な言葉が、濁流のような何かによって飲みこまれて、うやむやなまま消えてしまい、
なんで大輔が怒っているのかっていう証を相手にぶつけられない恐怖と闘いながら大輔は喧嘩をするのだ。
だから早く早くと気持ちだけが急いて、いつも無茶苦茶な形でしか、言葉を吐き出せないのだ。
頭の中でまとまったままだしてしまったら、もうそのときには訳の分からないものに押しつぶされてしまい、
大輔から出てくるのは諦めとその重圧から解放されたいという一心から共に紡ぎだされる寛容の言葉である。
そのときにはもう、大輔の本心なんてとっくの昔に消え去っている。そこに残るのは、分かってもらえないというどん底の悲しみである。
太一言ってたじゃないか、光子郎とタケルの喧嘩、聞いてたって!だから大輔は太一にジュンの姉ちゃんにしてるみたいに、
本気で喧嘩しても大丈夫なんだろうって思って喧嘩したんだろうに。なんで?ブイモンは思わず口に出していた。


「どうしたんだよ、太一。なんで驚いてるんだよ、これが大輔の喧嘩でしょ?」

「………マジかよ」

「太一、もしかしてオレ達に嘘ついた?タケルと光子郎との喧嘩、見てないの?」

「喧嘩のことは知ってるけど、タケルも光子郎も教えてくれないんだよっ。だからカマ掛けたら……」

「大変だ!今すぐおっかけよう、太一!大輔、絶対勘違いしてるんだよ!
太一はもう全部分かってるんだって思ったから、全部全部見せようとしたんだよ!
分かんないならオレが教えてあげる!大輔はね、素直じゃないのが素直な気持ちなんだ。
訳の分かんないものに押しつぶされて、いっつもいっつも言いたいことが消えちゃって、
もうそこには息もできないくらい苦しいって気持ちしかないんだ。
だから、自分の気持ちが消えちゃわないうちに、わーって最初に言いたいこと全部ぶちまけちゃうんだよ。
早くしないと大輔が一番怒ってる理由とか、分かってほしいこととか、全部全部潰れちゃうんだ。
だから、言いたいこととか、全然支離滅裂になっちゃうんだよ。訳の分かんないものに押しつぶされた後は、もう大輔諦めちゃうんだよ。
もうどうでもいいやってなっちゃって、なんでもかんでも許しちゃうし、
忘れちゃうし、もうそこに大輔の言いたいことって残って無いんだよ!」

「でもあいつどっか行っちまったじゃねーか、もうオレと話したくないんだろ!オレともう二度と話したくないって!」

「違うよ!最後まで自分の気持ちに一生懸命になれないのが、大輔が一番嫌がってることなんだよ!
太一とちゃんと喧嘩したいから、訳の分かんないものに押しつぶされちゃった後のことは、全部全部大輔の気持ちなんて無いから、
それを太一に勘違いされたくないから逃げちゃったんだよ!
タケルの時もそうだったんだよ、大輔とちゃんと仲良くなりたいって言った言葉が怖くなって、分かってくれなかったら嫌だって。
でもタケルは逃げちゃった大輔追いかけて、最後までずーっと喧嘩してたから、大輔諦めて自分のやなトコ喋ったんだよ。
だから友達になったんだよ。太一は大輔の友達じゃないの?」

「………あのバカ」


ブイモンは知らない。
一番大好きな人をお互いに重ねている矛盾を、こともあろうに相手の方だけ残酷なほど分かってしまっている太一と大輔の大喧嘩は、
もう目も当てられないほどの有様だったことなんて、知らない。
でも、大輔の言葉はブイモンには、訳の分からないものに押しつぶされる前に、何とか絞り出した言葉が全てだろうと断言できる。


「二度と太一さんって呼ばないから、お兄ちゃんって思わないから、太一のことサッカー部の先輩だって思うから、
嫌いにならないでって。大好きでいさせてって。オレにはそう聞こえたよ、太一。
大輔にとっては、もう時間が無かったから、嫌いにならないでくれって言えなかったんだ。
いこう、太一。喧嘩したらゴメンナサイして終わりなんでしょ?」

「ホントにそう思ってんのか?大輔」

「絶対そうだよ。だってオレ、大輔のパートナーデジモンなんだ。分からないことなんてない!」

「……オレは分かんねえよ、大輔のこと」

「なんだよそれ!オレよりずーっとずっと大輔と一緒にいて、オレの知らない大輔のこと沢山知ってるくせに、
なに贅沢なこと言ってんだよ、太一!オレだってまだまだ大輔のこと分かんないよ。でも、だからって謝らない理由にはなんないだろ!
太一は大輔のこと、嫌いなのか?仲直りしなくてもいいのか?それだけだろ?なにいろいろ考えてんの?人間の方が分かんないよ」

「うっせー、まだ数週間しかたってねえのに、知ったような口聞くんじゃねーよ!
オレ達にはオレ達なりの喧嘩ってやつがあるんだよ!大輔、何処だよ、ブイモン。
パートナーデジモンならそれくらい分かるだろ?」


案内しろよ、今すぐ!とせかす太一がそこにいた。言われなくっても案内するよ!とブイモンは叫ぶ。



その時である。



突然、ブイモンの身体が輝きだす。あれ?あれ?なんで?大輔も大輔のデジヴァイスもここに無いのに?あれ?
混乱しているのはブイモンも太一も同じである。太一のデジヴァイスには反応はない。
光がとかれた時、そこには間抜け面をしたエクスブイモンがそこにいた。


「なんでいきなり進化してんだよ、ブイモン!」

「オレに聞くなよー、知らないよ!でもこれならすぐに大輔が探せるんだ!どうでもいいだろ、早く乗って!
きっとオレの気持ちが届いたんだ!」

「お、おう!」


訳の分からないまま、勢いに流されて太一もエクスブイモンもそのまま、大輔を探しに出かけてしまう。
このデジタルワールドにおける冒険において、ブイモンが大輔不在にも関わらず、
デジヴァイスを離れているにも関わらず、進化することができたのは、この一度だけであったことを記しておくとしよう。
これはブイモンが古代種だから起きたことだ。ブイモンが大輔から片時も離れまいと必死だったことも。
共にいられない危機が迫った時、規則的な古代種への進化の条件が整っていたにも関わらず、
現代種に進化してまで、その危機を回避しようとする防衛本能が働いたことも。
たとえ本人が忘れているとしても、本能は覚えているのである。
今回の進化は古代種が古代種たる特徴が無自覚のうちに現れ始めた兆候だった。
少しでも早く、少しでも早く、大輔と会うために。黒いドラゴンは白い翼を広げて空を舞った。



[26350] 第7話 太陽の紋章
Name: 若州◆e61dab95 ID:19c06a67
Date: 2013/08/03 00:08
『大輔、お前、前から思ってたけど全然分かって無いだろ!
自分のこと分かってないだろ!お前、まだ小学校2年生なんだぞ?わかってんのか?!』


まず突き付けられたのは、本宮大輔という少年は、自分が思い描いている以上に、ちっぽけな存在であるという事実を、
客観的な立場であるとはとても言い難いが、他者である視点から真っ向勝負で断言された衝撃である。
太一は言う。
お前がどう思っていようが、お前はお台場小学校2年生のただのサッカーが大好きな子供にすぎないんだ、という事実を告げる。
反発しようが、必死で否定しようが、一切脚色が含まれていない事実の蓄積は、ずたずたに大輔の心に突き刺さっていく。
大輔は現実を知る。
現実を直視していなかった自分と現実を知る太一との間に、どれだけ大前提が違っていたのか、認識や理解の落差があったのか、
デジタルワールドに来たころから太一がずっと抱え続けていた不満や不平や愚痴といっ
た形で、
濁流のように聞かされ続ければ、嫌でも気付いてしまう。ブイモンからの経由で知っている事実もあったが、言葉もあったが、
もちろん忠告や指摘もあったのだが、ブイモンはパートナーデジモンである。
大輔が世界で一番大好きで、そして大輔と同じ視点から世界を見ようとして頑張っている存在だから、
大輔が傷つくようなことは絶対に言わない。ましてや大輔を否定することなんてもっての他だ。
それに大輔が分からないことなんてブイモンには絶対に分からないし、興味も無い。
だから大輔の知る現実がブイモンにとっての現実だから、分からなかった。
おんなじ立場の存在から言われたって、説得力は皆無である。
でも太一は違う。太一はお台場小学校の5年生であり、サッカー部のキャプテンであり、
お兄ちゃんであり、選ばれし子供の中でもみんなを引っ張ってきた一人だ。
完全なる他者である。
だから太一の口から語られる大輔の現実は、すさまじい説得力があり、まざまざと生々しいくらいに教えてくれる。
大輔は守られるべき立場の人間であるということ。
それを自覚せずに行動しているせいで、いかに大輔が危なっかしいのか切々と語られる。
なっちゃんの件、デビモンの件、大輔が喪失している空白の記憶に至るまで、
全部全部みんなを守ろうと頑張ってきた太一の視点から語られる。
大輔がみんなに認められたいって思って頑張っているのは、みんな知っている。
わかっている。微笑ましいし、頑張っているんだなって思っている。
気付いているのだ、と聞かされた時、大いに大輔は驚いたが、それくらい分かるにきまってるだろ、と断言される。
だからこそ、みんな心配になる。不安になる。大輔は別に全然空回りしているわけじゃない。
でも、足元がお留守番になっている大輔が起こす行動は、
いつだってその頑張りと反比例して、みんなをはらはらさせているのだ。
たしかに最愛の妹であるヒカリと重ねてみていたのは認めるし、
それで大輔が辛い思いをしていたのは知らなかったし、申し訳なく思うが、
大輔はなんにも言わないでじーっと我慢しているヒカリとは違って、積極的である。
よくしゃべるし、よく行動に起こす。それなのに心配をかけるのは全く同じだから始末に負えない。
何をしでかすか分からなくて、尚更みんなをハラハラさせているのだ。
本宮大輔は大事な仲間だって、かけがえのない仲間だって、そう太一は断言した。だから余計に不安になるんだと。
みんなに大事にされているんだって、大切に思われているんだって、顔を突き合わせて真正面から言われた。初めて言われたのだ。
これで分からないほど大輔はバカじゃない。
みんなに認められたいんだって頑張ってきたことは、最初っから報われていたのだと知ったのだ。
ジュンお姉ちゃんのかわりに褒めてもらいたい、認めてもらいたいっていう気持ちを
他ならぬ太一から肯定してもらえた大輔は、なおさら混乱することになる。
唐突に訪れた至福の時は、次々に紡がれる大輔にとっては辛らつな事実からの逃避を躊躇させる。


『なんでお前隠し事するんだよ!隠し事してますって、聞いて下さいって、
思いっきり顔に書いてあんのにいっつもいっつも誤魔化すだろ!
大輔、お前、すっげー嘘つくのヘタなんだよ!見てて辛いんだよ、
無理してるって分かってんのに、オレ達何にも出来ないから!
じーってオレ達のこと見てるくせに、なんでこっち来ないんだよ!
相談あるなら言えっていってるだろ!』


きっと太一にとって、大輔に対する怒りの根っこはここにあるのだろう。
一気にヒートアップした怒涛の言葉の雪崩が、大輔の耳にきんきんするほどの音量でもたらされる。
そこで大輔は無意識のうちに当てにしていた、本来知りえるべきではない情報を持っている自分と、持っていない太一の間で、
どうしようもない思考回路の隔たりがあることを知る。
まず、ゲンナイさんをみんながどう思っているのかを聞かされ、ギャップを知る。
もちろん太一は、ゲンナイさんよりも自分のことを当てにしてくれなかった大輔に対する八つ当たりも多大に含んでいるのだが、
現時点において、大輔はみんなとま逆の考え方をしていたことを知って、大ショックを受けていた。
なんでだ、なんでゲンナイの爺さんをそこまで信用できるんだよ、俺より、と改めて問われた大輔は、今度こそ言い返すことが出来ない。
それでも負けず嫌いの怒涛の反撃を食らいながら、必死で大輔の本心を問いただしていた太一は、大輔が目をそらすのを見て、
大輔の中で確固たる根拠があるのを見出して、ますますかっとなる。すっげーいらつくんだよ、そういうとこ!と怒鳴られる。
大輔は誰にも言うなと言われた遼との約束と太一の怒りに二律背反になり、どうしようどうしよう、と狼狽しきっていた。
そして、うっかりポロっと「遼さん」という言葉を口に出してしまった大輔は、はっとなる。
誰だよそれ!と当然のごとく追及してくる太一の気迫に圧倒され、誰にも言わないでくれ、と必死で言いながら、
結局約束を破って太一に話してしまった。太一はもう怒りで訳が分からなくなっている。
大輔が必死に隠していたんだし、それはきっと嘘じゃないんだろう、信じられないけど。
でも大輔の語る節々から、その「遼さん」とか言う顔もろくに知らない少年に対する絶対的な信頼、それもあこがれの人に対する信頼、
ヒーローを見るような子供の無邪気な尊敬を感じとってしまった太一は、強烈な嫉妬にさいなまれてしまう。なんだよそれ。
だってそれは、本来なら大輔から太一に対して向けられている筈のものだったからだ。
それは大輔が太一のことをお兄ちゃんとして慕っていると言われた時に、ずっと思い込んでいただけだったのだと知らされて愕然として、
仕方ないか、と諦めたものである。
大輔にとっては太一はお兄ちゃん的な立場であり、遼はあこがれの人ということで共存できたのだろうが、
そんなもの太一にとって我慢できるようなものではない。
太一が大輔から欲しかったものを遼さんとか言う奴が、取っていってしまったのである。
面白い訳が無かった。そしてとうとう、太一はずーっと必死で押さえこんでいた言葉をついに発してしまうのである。
タイミングは最悪すぎたと言っていい。大輔はもう言葉を返すのに必死で、再び太一に向かって言い放ってしまっていたから。


『なんすかそれえっ!!ふざけてんのはそっちでしょう?!
この世界に来てから、ずーっとオレのことヒカリ、ヒカリ、ヒカリって!八神さんと重ねてしか見てないくせに!』


この一言でようやく太一は気付くのだ。呼び方が決定的に違ったから。
太一がいるときはいつだって大輔は光のことを光ちゃんと呼んでいた。
それは太一がオレも八神だからややこしいから、名前呼びにしろよって言ったからで、
てっきりその呼び方が定着していると思っていたがどうやら違っていたらしい。
迷うことなく八神さんと言い放った大輔である。どうやらそちらが本来の呼び方らしい。
八神光のお兄ちゃんである太一が大輔のお兄ちゃんをやろうとすることの残酷さは、
大輔が勝手に太一を理想のお兄ちゃんとして神聖視することに匹敵する。
大輔が最愛の妹に向けている感情がかなり根深いところまで歪にゆがんでいることに、
ようやく太一は気付いたのだが、すっかり頭に血が上っていた太一はもうどうすることも出来なかった。


『それをお前が言うのかよ、ふざけんな!オレは誰だよ、八神太一だろ?!オレはジュンさんじゃねーんだよ!
ジュンさんはここにはいないんだよ!ここにいんのは、オレだろ?八神太一だろ?!
光に重ねられて辛いとか言ってるくせに、オレに光のこと話すなって言ってるくせに
自分は普通に話題にするとかおかしいだろ!なあ!
オレをお前のお姉ちゃんと重ねんのはやめろよ、ずりいんだよ!!
オレはサッカー部の先輩だろ!なんでオレがお兄ちゃんやんなきゃいけないんだよ、おかしいだろ!
オレはなあ、その遼さんってやつになりたいんだよ!大輔が思ってる遼さんってやつに向かってるやつが欲しいんだよ!
オレはサッカー部のキャプテンとして、お前に尊敬されたいんだよ、
慕われたいんだよ、なんで分かってくれないんだよ!』


1999年8月1日、それはデジタルワールドという異世界でデジモンという生き物と出会ったメモリアルデイズである。
それは同時に、本宮大輔が、生まれて初めて、八神太一という等身大のただのお台場小学校5年生の男の子と出会った日だった。
この時の八神太一という少年は、まだ配慮や気遣いとは無縁であり、少々言葉が足らないことがあるが、全てにおいて直球である。
全力投球でぶんなげられた八神太一の本気の本音は、天性の鈍感さと大雑把さが年齢相応の幼さにより助長され、
表情とか言葉といった分かりやすいモノでしか、すべてを理解することが出来ない本宮大輔という少年に、それはもう残酷なほど響き渡った。
その時の衝撃は、きっと一生忘れられないものになる。


大輔はもう衝動的にゴーグルを叩きつけて、言い放って、もう訳が分からなくなって突っ走るしかなかった。


『太一先輩って呼べばいいんでしょう?分かりましたよ、もう二度と太一さんって呼びませんよっ!!』


自ら最後の砦を粉砕してしまった大輔は、1年前自らの身を守るために必死で築き上げてきた防衛手段を、事実上1つ失ったことになる。
1年前のトラウマの再発である。がらがらがら、と世界が崩壊していく。奈落の底に突き落とされたような感覚に陥る。
見捨てられた、という意識が絶望を招く。しかし、それだけではないから、余計に小さな心は大パニックに陥っていた。
今までは、お姉ちゃんの代わりにしていて、ちょっとだけ後ろめたさを感じているレベルだったのだが、その比ではない。
自分ではなく別の人に重ねられる、そして行動される、扱われる、言葉をかけられるという身代わり人形の辛さを
今の大輔は身を持って知ったのである。だから太一の言葉も嫌というほど理解できてしまう。
自分が太一に対してどれだけ辛いことを強いてきたのか、もう後悔どころの話ではない。
お兄ちゃんではいたくない、サッカー部の先輩として見られたい、という太一の本音は、そっくりそのまま、
太一の妹のかわりではいたくない、サッカー部の後輩として見られたいという大輔の本音と鏡映しだった。
自分が作り上げた人間関係の中に囚われてしまい、がんじがらめになって動けなくなっていた大輔を、
現実に引っ張りこもうとしてずかずかと土足で入り込んできた太一が、
無茶苦茶な方法ではあるが、帰って来い、と手を差し伸べた瞬間だった。
でも、一度にいろんなことを詰め込んだ重すぎる現実をぶんなげられて、それを必死で受けとめるには、大輔はまだ幼すぎた。
なんとか頑張ろうと必死になって手を広げるのだが、もともと大輔の世界は非常に不安定な仮設の安定のもとに存在していたから、
踏ん張れるだけの地面が無い。
大輔は中途半端に背伸びし過ぎていたから、太一はすっかり忘れてしまっていたのである。
一人前に喧嘩するから忘れていたのである。大輔は小学校2年生である。
小学校5年生の太一では簡単に受け止めることが出来ることでも、そっくりそのまま受け入れられるほど
大輔は強い男の子ではない。頭でっかちになっている部分はあるけれども、
精神的な面ではまだまだ子供なのである。ずっとずっと。
だから太一の言葉はぶっちゃけると、ほとんど大輔にとって意味はほとんど伝わっていない。
でも、その真っ向勝負な本音だけは、何となくではあるが、心が理解しているため、この大喧嘩はかねがね成功と言える。
しかし、今度はその心は理解できることはできるけれども、納得してくれないという可哀想な大混乱を巻き起こしていた。
なんとか言葉を紡ごうとしたが出来なくなって、そのうちまたずっと恐れていた
訳の分からないものに押しつぶされそうになったと感じた大輔は、もう逃げるしか残されていなかった。
かつて光子郎がちゃんとタケルとパタモンが理解できるように、悪戦苦闘しながら、
宗教色が強い寓話と哲学者の名言を、意味を理解して、とっても分かりやすい言葉にかえて、
ちゃんと伝わるように細心の注意を払ってくださいねとヤマトにプレッシャーをかけて、
メモを渡したようにしてくれればよかったのだが、なかなかうまくいかないものである。
だってその方法だと、たとえ話ばかりの変化球で、ここまで大輔の心にはきっと響かない。
太一だからこそできたことである。
自分の道は自分で切り開かなくちゃいけないんだ。
逃げてばっかりじゃ何にも変わらないんだ。
立ち向かわなきゃ怖いことはいつまでも追いかけてくるんだ。
太一が一番伝えたかったことは、しっかりと大輔の胸に響いていたことが、何よりの証である。





泣きじゃくる無防備な子供は、しばらくのあいだ、一人ぼっちになる必要があった。
もうどこからきたのか、どこへいくのか、迷子になってしまうのは分かり切っていたけれども、
大輔はひたすらまっすぐまっすぐ走り続けた。わんわん泣きながら、森の中を走り抜けていった。
あぶないとかきけんだとか、そんなことに構っていられるどころの話ではなかった。
心のどこかで、きっと太一先輩は追いかけて来てくれる、とどこまでも弟思考の理性は、
強く強く信じている。
大輔は大輔が思っている以上にジュン姉ちゃんのことが大好きで、
きっとサッカー部のキャプテンである太一にも負けないくらいで、
それがいつのまにか、どこかで間違ってしまったのだろう。
致命傷とも言うべき心の崩落を自覚しながら、思っている以上に大輔の世界は壊れていなかった。
それはこのデジタルワールドにおける冒険において、太一が大輔のしらない所を沢山沢山見せていたため、
大輔の心の中である程度、覚悟が出来ていたのかもしれない。それに、まだ大輔には空がいる。
それが辛うじて、大輔が壊れてしまうのを阻止していた。
それが何を意味するのか、まだこの時、大輔は何も知らないままである。
大輔の頭の中ではもう太一に嫌われたのではないかという恐怖におびえている。
大輔はどこまでも気付かない。
大輔が一番怯えているのは、世界の崩壊ではない。必死に逃避の道を選んだきっかけとの再会である。
ずっと忘れていた感覚だった。ずっと忘れていられた感覚だった。
大輔が太一や空という大切なサッカー部の先輩を犠牲にしてまで、
何が何でも逃げようと必死で足掻いていたものは、ずっと大輔の中にある。
痛みを伴いながら足音を立てて近付いてくる、大輔の心の中にある、
大輔の心をいつもいつも踏みつぶしてしまう、あの「よく分からないもの」
それ自体である。もともとあったそれは、姉という存在が崩壊したころから顕著になった。いつからあるのかなんて全然分からない。
だから大輔は逃げるために走り続けている。本能は分かっていたのだろう。ここはデジタルワールドである。
人間が想像しえる存在がネットワーク上に情報として存在していれば、全て具体化するという異世界である。
時に優しく、時に厳しく、そして時に残酷なほど恐ろしい所である。
無防備で不安定な子供がそんなところに一人ぼっちで迷い込んでいる。
しかも時にデジモンの声を聞いてしまうほど受感性の高い子供である。
想像力は人一倍ある。怖いモノを見ては、ありもしないものを勝手に想像して怖がってしまうような子供である。
恐怖を恐怖としてまっすぐに、真正面から感じてしまうような子供である。
大輔が生まれてくるずっとずっと昔から、恐怖というものは、いろんなものを生み出してきた。
それをモチーフにして作られた妖怪とか、幽霊とか、バケモノとか、世界にはたくさん存在する。
人間が想像しえるそれらは、必ずどこかの世界の特集とかテレビ番組を作るための題材として使われてきた、格好のネタである。
時には人の趣味でホームページに集められたりしている。奇しくも1999年はミレニアム問題とどこぞの大魔王の予言が組み合わさり、
空前のオカルトブームがあっせんしていた時期であり、それらを題材にしたゲームや漫画やアニメが大氾濫していた時代である。
大輔は知らない。このデジタルワールドには、いろんなデジモンがいるのである。そう、本当に、いろんなものが。
無我夢中で突っ走っていた大輔は、世界がひっくり返った。うわっとバランスをくずして、木の根っこに躓いて転んでしまう。
ごしごしと涙をぬぐいながら、大輔は必死になって立ち上がろうとした。その時、大輔は影を見た。
大輔よりも大きな大きな木が生い茂っているパグモンの村の森は、
太陽の光すら入らないけれど、朝方であるにもかかわらず、真っ暗である。
じめじめしていて、少し寒い。昨日食べたキノコはきっとこの辺りで取れるのだろう。
大輔は全然気付いていないが、ふんづけたキノコは足跡を残している。
そんな薄暗い森の中なのに、なんでか克明に影が伸びている。
大輔の影はうっすらと映っているだけなのに!その真っ黒な影をたどっていった大輔は、
その影が大輔の真後ろからのびていることに気付いて戦慄する。
だって、その影は、しゃがみこんでいた大輔を後ろから突き刺そうとして、三又の槍を高々と掲げていたのだから!


「ひひひははははははっ!!」

「うわあああああああああっ!!」


耳が死んだ。おぞましいほど醜悪な笑い声が森に響き渡る。
絶叫した大輔は、無我夢中で走り始める。なんだよ、あれ、なんだよ、あれええっ!!
さっきまでいた所に、ざっくりと三又の槍が突き刺さる。
もしそこにいたら死んでしまったかもしれない!ぞっとした大輔は、もう突っ走るしかなかった。
もう本能が直視するのを拒んでいる。
だって、大輔が今まで見てきた怖いモノを沢山沢山詰め込んで、形にしたかのようなデジモンだったから。
なにも知らない大輔は、突如出現した魔人型の成熟期デジモンから逃れようと一目散に逃げ出した。
このデジモンを構成するのはブギーマンというもともと聞きわけの無い悪い子供を
しつけるために、両親は時折わざと子供を怖がらせるために用意した怪物のデータである。
早く寝ないと妖怪が襲ってきて連れ去られてしまうとか、
言うことを聞かないと食べられてしまうとか、架空の存在をでっちあげているのは、
万国共通のものである。幼い子供達が信じている、伝説上、もしくは民間伝承における幽霊とか、怪物である。
それは特定の外見を持っていない。
だから子供達は心の中で勝手に自分だけの怪物を作り上げて怯えている。そして両親の言うことを聞くのだ。
いわゆる不定の恐怖が実体化したのがその怪物である。
日本で言うなら元寇がモチーフとされるなまはげが代表的な例だろうか。
その正体不明の恐怖の具現化がデータとして実体化したのが、襲撃者であるブギーモンだった。
暗闇で待ち伏せ突然襲い掛かってくる魔人型デジモンがデビモンと酷似した翼をもつのは、
きっと大輔にとって無意識のうちに恐怖の象徴となっているからだろう。
不気味な笑い声は狂気に満ちた堕天使を連想させる。きっと他の子供たちが見たブギーモンは姿形が違って見えるはずだ。
ただひたすら走り続けた大輔は、いつの間にかずいぶんと遠くまで来てしまったようだった。
すぐ後ろでは大声で笑っているブギ―モンが追いかけてくる。もう涙目どころの話ではない。
森を抜けて、坂を走って、走って、走って、気付いたら滝をくぐり抜けたけど、やっぱり追いかけてくる。
誰か助けて!と叫んで洞窟に逃げ込んだ大輔が見たのは、檻に閉じ込められている沢山のコロモン達、そしてポヨモン。
ポヨモン達を何とか助けるために、単身乗り込んでしまったせいで進化することが出来ず、袋叩きにあっているアグモンだった。


「なんだー、てめえは!」

「大輔、危ないよ、にげてええ!」


アグモンが大輔をかばうために駆けだす。ぜいぜい走ってきた大輔は、すっかりおびえ切った様子でアグモンにすがり付いた。
突然飛び込んできた選ばれし子供に顔を見合わせた、この一連のコロモンの村乗っ取り大作戦を裏で指揮していたガジモン達は、
どうすんだ、と顔を見合わせた。
実はパグモンはガジモン達の手下であり、このサーバ島のボスであるデジモンの配下に置かれている。
そして、サーバ大陸を我がものとするため、いろんな村を襲撃し、のっとっては悪いことをしている集団の一つだった。
選ばれし子供達が上陸してくることを事前に察知していたボスによって、選ばれし子供達の存在は熟知していたようだが、
ボスはてっきり上陸に最適の丘から子供達はやってくるんモノだと判断し、先手必勝でピンポイントで叩きつぶそうと計画を練っていた。
しかし、コロモンの村を目指した子供達は丘の手前で降りてしまう。ものの見事の擦れ違いである。憤慨したボスにより、
選ばれし子供達をパグモンの村と称した乗っ取っているコロモンの村に滞在させ、この村ごと抹殺しようとしているなんて、
現時点では誰も知らない。
パートナーである太一が来てくれたら、と必死に願っていたアグモンだったが、
やってきたのが大輔だったので状況は悪化してしまった。


「大丈夫だよ、大輔。僕が守ってあげるから」

「あぐもっ……わあああああああん!」


3対1は相当分が悪い。それにアグモンはガジモンの必殺技であるパラライズブレスによって、身体が思うように動かないマヒ状態である。
殆ど根性で必死に太一を待ち続けながら、アグモンは大輔もポヨモンもコロモン達も守るために、必死でヘビーフレイムを放とうとした。
しかし、それを阻止するほど大きな影が伸びてくる。ちぢみあがった大輔は、アグモンの影に隠れて怯えた。


「うぎゃああああ!なんだ、ありゃあ!」

「みたことねえぞ、なんだあのデジモンは!」

「こ、こっちにくんああああ!」



壁を突き破って現れたのは、突然の招かざる客の乱入である。
子供の恐怖心が何よりの存在理由であるブギーモンは、どこまでもどこまでも大輔を追いかけてくる。
自分より強い奴にはどこまでもへりくだり、自分より弱い奴にはどこまでも傲慢という分かりやすい態度を一貫させているガジモンは、
成長期である自分達よりもはるかに大きい成熟期の登場に、もうアグモン達のことなんかどうでもよくなって逃げてしまう。


「だ、大輔、あのデジモンなに!?」

「分かんねえよっ、でもずーっと追いかけてくるんだよ!助けて、アグモン!」

「くっそー、太一がいたらっ!!」


守りたい存在がいっぱいあるのに、この場に太一がいないせいで、デジヴァイスが無いせいで進化できないもどかしさである。
いつもなら絶対に素直に助けてくれなんて言わないであろう、大好きな太一の後輩である。いいところを見せられないで、なにが男だ!
太一からの受け売りが実行できないことを苛立ちつつ、ヘビーフレイムで攻撃するが、真っ赤な魔人は微動だにせず、
つんざく奇声をあげて槍を振り下ろす。


「だいすけええええ!」


アグモンと大輔ははっとした。エクスブイモンの声である。
大輔はアグモンにひっつきながら、必死でパートナーの名前を呼んだ。


「ブイモッ……エクスブイモンッ、けて、たすけてえええええ!」


絶叫である。大輔の声を聞きとった救世主が、滝なんてもろともせずに飛び込んでくる。
その背中に乗って現れたのは、ずっとずっと待っていた英雄だった。


「太一いいい!」


大好きなパートナーが来てくれて、思わず飛び降りてきた太一に抱きつくアグモン。
来てくれると心の中で信じていた人が来てくれて、大輔は思わず一緒に飛び付いた。
太一さんじゃない。お兄ちゃんじゃない。この人は八神太一だ。八神太一先輩だ。
俺とアグモン達を助けに来てくれた、サッカー部のキャプテンなんだ!そう思った大輔は、ごめんな、となでてくる太一に首を振った。


「たいちせんぱいいいいいっ!ごめんなさい、ごめんなさい、おれ、おれっ!!
いやです、おれ、ずーっとずっとなかよくしてたいです、きらいになっちゃやだあああ!」


わんわん泣きわめく後輩に先輩と呼ばれる寂しさと嬉しさを感じながら、しっかりと抱っこしたまま、
すっかりやる気になっているアグモンを見た。うん、と力強くアグモンは頷く。
大好きなパートナーがいる。守りたい存在がある。それだけでアグモンは強くなれる。


「だいすけえええっ!!」


デジヴァイスと大輔不在での進化はやはり無謀だったのか、いつになくへとへとに疲れ切ってしまい、
エクスブイモンから退化してしまったブイモンが一目さんに大輔に駆け寄る。
抱っこできないから、後ろから飛び付いたブイモンに、大輔はぐしゃぐしゃなまま自分から抱きついた。
おいてくなっていってるだろー!と何度目になるか分からないおしかりを食らった大輔は、心の底からごめんなさい、
助けに来てくれてありがとう!と笑ったのだった。
前に立ちはだかるのは、必殺技を放とうと大きく振りかぶるブギーモンである。


「行くぞ、アグモン!」

「うん!行くよ、太一!」


待ち望んでいたデジヴァイスの光に包まれたアグモンが、グレイモンに進化する。
強靭な剛腕でその槍をわしづかみにするやいなや、圧倒的なパワーで投げ飛ばす。
意味不明な奇声を発するブギーモンに、ひいい、と怯えている大輔。大丈夫だとしっかり言い聞かせながら、
オレが守ってやるから、とはっきりと宣言して、太一は、いっけえええ!と叫ぶ。
ブギーモンは恐怖を根源としているデジモンである。太一によってもたらされた安心感により、大輔はその勇敢な背中を焼き付ける。
明らかに弱体化の苦しみにもだえ始めたブギーモンは、さっきの機敏な動きや強靭な身体が嘘のように鈍ってしまう。
違和感を覚えながらも、いまだ!、と好機を逃すことなく、
グレイモンは必殺技のメガフレイムでブギーモンを滝の彼方へと投げ飛ばしたのだった。


1998年4月1日、本宮大輔はお台場小学校のグラウンドで、サッカーをして遊んでいる八神太一というあこがれのサッカー部の先輩とであった。
そして、1999年8月1日、実に1年と4カ月ぶりである。
本宮大輔はサッカー部のキャプテンになった、あこがれのサッカー部の先輩、八神太一先輩と再会したのである。
仲直りした二人と、それを説明するブイモン、説明を聞くアグモン、力を合わせてコロモン達とポヨモン達を解放しようと頑張り始めたら、
エクスブイモンが飛んでいくのをみて、あわてて駆けつけてきた子供達とデジモン達と再会する。
かたくなに滝の方に行くのを阻止しようとするパグモンに不信を抱いた子供たちの追及に耐えきれず、
パグモン達は全てを白状して逃げ出してしまったらしい。
ポヨモンと再会して大喜びするタケルが、奥の方にある洞窟を見て、みんなを呼んだ。
そこには、全てを見守っていた、まるで太陽のようなデザインをしたオレンジ色のレリーフが、行き止まりの石壁に大きく刻まれていたのである。



[26350] 第8話 笑天門過ぎれば福来る
Name: 若州◆e61dab95 ID:92ae2670
Date: 2013/08/03 00:08
ブルックリンのあるペンキ屋で働く青年が、何の変哲もない代り映えの無い毎日の生活にうんざりしながら生きている。
彼の生きがいは、毎週土曜日にディスコで踊り明かすことである。
彼の周りにいる仲間達は、どこにも発散することが出来ないティーンエイジのエネルギーをぶつける場所を探している。
日常や常識から飛び出して、大人達からの束縛から逃げ出して、毎日毎日喧嘩やダンスや奔放な性的活動で心の隙間を満たそうとしていた。
ある日、ディスコで年上の美女と出会った青年は、彼女がインテリで将来設計を確立したキャリアウーマンであることを知り、
自分自身の生き方を見つめなおして行くことになる。
1977年に監督ジョン・ルタム、主演ジョン・トラボルタで封切られたアメリカ映画は、その娯楽面を前面に押し出しながらも、
若者が遭遇する苦い社会経験も含ませた一代出世作として、世界中で大ヒットし、若者たちをディスコ文化に熱中させた。
ジョン・トラボルタは一躍トップスターに駆けあがり、ディスコというサブカルチャー文化の代名詞として長き映画の歴史に語り継がれることになる。
やがてミュージカルにもなったこの映画の名前は、サタデーナイトフィーバー。
かの有名な、袖にきらきらでド派手な装飾を付けた真っ白なスーツに身を包んだ男が、右手の人差し指を高々と掲げて胸を張り、
仁王立ちしているというフィーバーポーズというものの発祥となった作品である。
今に至るまで様々なオマージュとして使われるほど印象的なこのポーズは、この作品自体知らない世代にも受け継がれ、
何となく見たことがあるというレベルにまで浸透している。
もちろん、かつて世界中の若者を魅了したフィーバーポーズであっても、時代の流れに抗うことはできなかった。
1999年8月1日、日本のお台場小学校に通う子供達がそのポーズを見て、真っ先に思い至るのは、
ほとんどが夏休み向けに放送されるバラエティ番組である。ゴールデンタイムぶち抜きの特別番組である。
有名人のモノマネをするものであったり、懐かしの曲と共に当時の映像が流れて、
子供置いてきぼりで両親が熱心になるものであったりする。
だから、コロモン達を救出することが出来た安心感に満たされていた子供達、デジモン達が、これからゆっくりしようと洞窟を抜けた先で、
どこかで聞いたことがあるメロディーをガンガンに鳴らしながら、
巨大な立体映像で現れたオレンジ色の全身タイツのデジモンが現われたところで。
そのデジモンがすさまじいハイテンションで、スポットライトを浴びたスーパースターがごとく登場した所で。
アチキの歌を聞きなさああい!とやけにドスの利いたやくざ声で、もりあがってるかーい!と拳を振り上げたところで。
初めて遭遇したサーバ大陸の大ボスとの初対面の邂逅にもかかわらず、状況に置いてきぼりになった彼らが、
すっかりポカーンとした顔で沈黙するのも無理はなかった。すさまじいテンションの落差が、双方の間で確認された時、空気は凍り付いた。
一瞬にして氷河期が到来した。全世界ブリザードである。
拍手喝さいと大盛り上がりの熱気を期待していた大ボスは、もともと短すぎる堪忍袋の緒がぶちぎれた。
思い出すだけでイライラする!海底ケーブルを通して宿敵の選ばれし子供達が、
タグを持って、紋章を探しにやってくるという情報を得たことで、
上陸予定と予測されたトナミの街で盛大な歓迎会をしようと意気込んでいたのだ。
歓迎!選ばれし子供たちという幕を張って、宣戦布告のために大砲を並べ、手入れもすませていたのだ。
舎弟達を大投入してオンステージを急ピッチで進め、今か今かと待っていたのに、来ないのだ。
いつまでたっても来ないと思ったら、いつの間にかコロモン達の村に上陸するためにそもそも丘まで来なかったのである。ふざけるなと。
愛用の黄金色のマイク片手にシャウトを聞かせたボイスが、きいいいいん、という騒音と共にもたらされる。子供達は耳をふさいだ。


「アチキをバカにすんのもいい加減にしなさあああい!」


怒りの咆哮である。もちろんそっちの事情なんて知ったこっちゃない子供たちにとっては、とんだとばっちりである。


「うるさあああい!」


思わず太一は叫んだ。この場にいる全員の共通見解である。
遠く離れた洞窟の奥にまで響いてくるオカマ声に立っていられなくなった子供達は座り込んでしまう。
コロモン達も怯えた様子で縮こまり、パートナーデジモン達はみんなを守るために前に躍り出た。


「う、う、うるさいですってえええ?!1度ならず2度までもアチキをバカにする気なの?!ふざけんじゃないわよーっ!!
シャーラップ、お黙りなさい!よっくもアチキをコケにしてくれたわねえ!
このキング・オブ・デジモンである、このアチキを!
デジモンキングであるこのエテモン様おおおおっ!そっちがその気ならこっちにも考えがあるわよ!
アチキを怒らせたらどうなるか、教えてあげるわーっ!!」


どこまでも傲慢かつ傍若無人な暴君は、高々と右手を上げた。その名はエテモン。
パペット型の完全体であり、謎多き正体不明の自称キング・オブ・デジモンである。
その実力は張ったりとは言えず、侮れない。
もんざえモンと仲が良く、腰にはもんざえモンのパペット人形のキーホルダーがぶら下がっている。
またもんざえモンを陰で操っているとも噂されており、もんざえモンの中に誰がいるのか知っているのではないかと言われているが、
どんな攻撃にも耐えられる「強化サルスーツ」という腹の部分が白くて、ぴっちぴちのオレンジの全身タイツをきている他、
唯一素顔がのぞく顔面は大きなサングラスで隠してしまっており、正体が分からないという共通点から決して口を割らない。
サングラスの下の素顔や強化サルスーツの脱衣シーンが見たい方は、デジモンクロスウォーズの全話視聴をおすすめする。
必殺技は、相手の戦意を喪失させる歌を聞かせるラブ・セレナーデと、
あらゆるものを消失させる暗黒の球体を召喚して放つダークスピリッツ。
ちなみに最も得意な歌はギターソロだ。


「あいさつ代わりにアチキという強大な敵を前にして、どんだけ無謀なことを仕出かそうとしてるのか!
まずは出血大サービスで教えてあげるわっ!ほら、ミュージック、スタート!」


傍らでスタンバイしていたガジモンが、ぽちっとな、とスイッチを押した。


「コロモン達の村を全滅させてあげるわーっ!!」


大音量で流され始めたロックに合わせて、ギターを縦横無尽にかき鳴らすエテモン。
その頭上に見る見るうちに大きな大きな黒い球体がいくつも出現し始める。
夜空の星を食い破って、真っ黒な世界が上空に立ち込めた瞬間、夜襲は始まった。


「ダークスピリッツ!!」


いっきなさーい!という八つ当たり全開の攻撃が展開される。
暗黒の塊は地上に落下した瞬間、凄まじい閃光を放って、耳をつんざくような衝撃音と共に電撃に似た轟を落とした。
どうやら高圧電流の塊だった塊によって、なすすべなく住人たちのいないコロモンの村が粉砕されていく。
轟音と地響きが辺りを包み込む。やめてっとコロモン達が叫ぶが、もちろんエテモンが耳を貸すはずもない。
コロモンの村が灰に帰すのも時間の問題である。
とんでもないことを聞いた太一達は、あわててそんなことさせるか、とばかりにパートナーデジモン達を進化させる。
一斉攻撃をしかけようとした選ばれし子供達の奇襲など始めから読めていた、とばかりにエテモンは不敵な笑みを浮かべた。


子供達もデジモン達も知らない。
デビモンが黒い歯車を生産するために使用していた暗黒エネルギーは、ダークケーブルという通信網という形で、
すでにサーバ大陸全土にまでまるで毛細血管のごとく張り巡らされているという事実を知らない。
エテモンが事前に選ばれし子供達の動向をまるでその場にいたかのごとく察知し、事前に計画を練ることが出来たのも、
全ては海底洞窟にまで及んでいたダークケーブルが、タグを入手し、ホエーモンで移動していることを全て、
エテモンの本拠地である笑天門号というモノクロモンに引っ張らせているトレーラーにあるモニタに筒抜けなのである。
そこには24時間体制で26×26の縦と横に区切られたサーバ大陸が表示され、
ちかちかと点滅しているオレンジ色の点が現在地、青い点が子供たちというわけだ。
通信装置の役目を果たしているコンピュータがすぐ横にあって、ガジモンたちが数人体制で作業に追われている。
すべて地面の下のケーブルを無線通信という形でつながっており、指定ポイントにアクセスすれば、
大陸中に設置されている隠しカメラを遠隔操作することも可能にしていた。
彼らがサーバ大陸にいる限り、どこにいようがたちまち見つけ出してしまう、という絶対的有利の立場にエテモンはいる。
だからこうして堂々と姿を現したのだ。
それに加えて、もともとエテモンはがんがんと前に出てくる自己顕示欲全開のデジモンである。
彼の周りにいるのは、すべてガチンコで勝負をして敗北に喫し、舎弟となった部下達ばかりであり、
自分が頂点であるということを名実ともに証明し続けなければ気が済まない性質であるエテモンだからこそ、
部下達は付き従っているという上下関係が成立している勢力である。
いわば昔懐かしの不良漫画に出てくるグループの世界がそこにはあった。
だから、一見するとふざけたキャラクターにしか見えないにもかかわらず、エテモンは清々しいくらいに合理的である。
下剋上を企てたり裏切りを決行した部下を簡単に処分するのではなく、そのまま手下として奴隷として働かせるか、
可能な限り有効活用するというしたたかさも秘めている。これはいずれ明らかになる。
何も知らない子供達は、すっかりエテモンのオカマ口調という強烈なキャラクターにひっぱられて、弱そうだという先入観を抱いてしまった。
ずっと選ばれし子供達を待ちうけていたサーバ大陸の大ボスは、そこに気付かないほど愚か者ではなかった。


「子供たち、まだ生きてる?今のダーク・スピリッツはアチキ流の歓迎のあいさつよーん!
 当然、アンコールはお望みよね?さあ、つぎいってみよう!」


むっふっふ、とだんだん気分が高揚してきたらしいエテモンは、
はるかかなたの洞窟から豆粒みたいな子供たちが出てきたのを確認して、マイクをキーンとさせながらわめいた。
巨大な立体映像が同時に不敵な笑みを浮かべて、挑発めいた眼差しを子供たちに向ける。


「アチキを誰だと思ってるの?そうよ!アチキがこの世で一番最強のエテモン様なのよっ!
それなのに、一体全体どーいうことっ?!せっかくアチキのオンステージっていうのに、
どーしてアンタ達は邪魔するのよ!
コンサートはまだまだ始まったばかりっ!!水差すお客はとっとと帰って頂戴!!ラヴ・セレナーデ!」


セレナーデとは、本来、夜想曲や小夜曲などに訳されるドイツ語である。18世紀ごろに発達した娯楽的な性格の強い多楽章の管楽合奏曲である。
一般的なイメージとしては、夕暮れや満月の美しい夜に、窓辺に腰かけている恋人や美しい女性、准ずる親しい人をたたえるために、
ギター片手に演奏されるようなロマンティックな曲、もしくはその情景を称して指す。
断じてロックでギターをかき鳴らし、シャウトするようなものではない。
ジャイアニズム全開で披露された大音量の単独ソロライブは、路上ライブをしているアマチュアの曲に興味が無い通行人には、
ただの騒音にしか聞こえないのと同じように、さらなる騒音として成熟期に進化して、エテモンを止めようとするデジモン達に襲いかかった。
子供達は愕然とする。みるみるうちに成熟期から成長期に戻ってしまったパートナーデジモン達がそこにいたのだ。耳をふさいで苦しんでいる。
パートナーデジモン達の苦痛に満ちた声がする。ダークケーブルの加護を受けているエテモンの必殺技であるラヴ・セレナーデは、
本来戦意喪失しかない筈の効果を大きく上回り、デジモン達の進化を阻害するというとんでもない性能にまで向上していたのだ。


「完全無欠のラヴ・セレナーデを前にして勝とうなんて無理無理!どんどんいくわよーっ!ダークミュージカルっ!!」


追撃とばかりにマイクを手にしたエテモンの得意技が襲いかかる。
まるで地獄の底から這い上がってきたかのような声が、意図的にメロディーを外しまくって拡散する波動となって襲いかかる。
エテモンの攻撃は身内をも思いっきり巻き込んでいるようで、側にいるガジモン達はみんな太一達と同じダメージを受けながら、
必死でサポートしていた。拡声器越しに、同じ苦しみを選ばれし子供達も味わえ、と憎しみのこもった悪意も加わり、
進化という唯一の対抗手段を失ったデジモン達は、一時退却を余儀なくされる。
逃がすもんですか、と洞窟すら崩壊させるまでに音量を上げてくるエテモンの猛攻。
ここでようやく太一達は、ゲンナイが言っていたさらなる進化の必要性を思い知る形となってしまったのだった。


「みんな、奥にいこう!」


がらがらがら、と崩れ始めた洞窟は、とうとう入り口をふさいでどんどん崩落を開始する。叫んだのはコロモンである。
はやくはやく!と騒ぎ立てるコロモン達に、さっきの太陽みたいなデザインの彫刻の先は行き止まりだったという事実を告げるが、
いいから!とせかされる形で子供達、デジモン達は先を急いだ。
大きく大きく刻まれている太陽のようなオレンジ色の彫刻である。


「村に何かあったら、ここに来るようにっていう伝説があるんだ。いこう」


コロモンにせかされて、先導していた太一はどうしろっていうんだよ、と半ば困惑しながらその行き止まりの壁に触れた。
太一の触れた所から、閃光の波紋が広がり、黄金の模様が彫刻を包んでいく。先ほどまでただの行き止まりだった岩壁がくりぬかれて、
四角い形になったかと思うとどんどん小さくなっていくではないか。
突然の出来事に呆然としている子供達をしり目に、太一の胸にかけられていたタグが宙に浮く。
そして、小さくなったオレンジ色の太陽のような彫刻は、そのタグの中に自動的に差しこまれ、かちりという音を立てておさまった。
その先にあったのはトンネルである。この山の反対側に通じていることを発見したみんなは、歓声を上げた。
胸におさまった紋章である。一番最初に手に入れた紋章である。
よっしゃー!とガッツポーズした太一に、アグモンはやったねと嬉しそうに笑った。










第8話 笑天門過ぎれば福来る










「太一、ちょっといいか」

「うん?なんだよ、ヤマト」


選ばれし子供達の中で一番最初に紋章を手にしたという事実が、太一を高揚させていた。
喧嘩をした後輩とも仲直りできたし、お兄ちゃんをしなくても良くなったし、目に見える形で太一と大輔の関係は正常化した。
すげー!と目を輝かせて見せてくれとせがんでくる後輩が、太一先輩、と呼んでくれるのである。
1年ほど我慢していたあこがれの先輩という奴をやれるという事実は、ほら、いいだろ、と得意げに紋章を見せることで、
こくこくと大きく頷いている後輩相手にどこまでも現実味を帯びていく。
ヤマトと太一が話を始めるということで、大輔は名残惜しそうに振り向きながらも、ブイモンと共にタケルの所にとんでいった。
大輔が太一のことを理想的なお兄ちゃんとみるのをやめたという事実は、「さん」から「先輩」という呼称の変更で、
直ちに事情を把握しているタケルとヤマトにも太一と大輔の変化は伝わる。
いいことである。それについては討論の余地は無いので、ヤマトはさっさとスルーした。トンネルの道中はまだまだ長い。さっきから大輔が興奮気味にまくしたてているのだ。
太一とグレイモンとエクスブイモンに助けてもらったんだと包み隠さずしゃべりまくっているのだ。
むしろ選挙中の立候補者の宣伝カーのごとく触れまわるので、大方の予想は出来ている。
なにはともあれ、大輔の相談相手第一人者としては喜ばしいことだ。問題はそこではないのだ。


「お前さ、そもそも、なんでアグモンと一緒に行動しなかったんだよ」


問題はそこである。選ばれし子供とデジヴァイスが無ければ、パートナーデジモンは進化することが出来ないという大前提がある。
よくよく話を聞いてみれば、ちょっと例外という由々しき事例が出来てしまっているものの、当事者たちの話を総合すれば、
ブイモンがエクスブイモンに進化できたのは、おそらく大輔が心の底から助けを求めたのがデジヴァイスを通して、ブイモンに変化を与えたのだろう。
進化のタイミング、退化のタイミングを考えるとそうとしか思えない。そう結論付けたヤマトとしては、大前提はやっぱり大事だ。
ヤマトからすれば、太一がアグモンと共にポヨモンを探して行動しなかったのは、とんでもない迂闊な行動にしか見えない。
リーダーという言葉が脳裏をよぎるヤマトとしては、みんなに褒められて天狗になっているようにしか見えない太一に対しては、
明確な対抗意識に芽生えつつあり、気に入らないことも増えてきている。こいつがリーダー?冗談じゃない。まかせられるか。
それなら俺が、という自己顕示欲があるが、やっぱりみんなを守るためという大義名分が一番大事であることを考えると、
紋章を手に入れて一番最初に次の進化への切符を手にしたという事実がある太一には、忠告をするのが先である。
今まで自分の気持ちなんて置き去りにしたまま生きてきたヤマトにとっては、
戸惑いと困惑が先に来る。ここまで明確に心がざわつくのは初めてだ。
正直まだもてあましている本音である。しばらく考えたヤマトは放置した。
臆病な少年はいつものように自分に対して嘘をついた。
どうしても天秤にかけてしまう。みんなを守ることと自分の気持ち。
そして今回はみんなを守ることに天秤が傾き、優先順位がついた。


「なんでって特に理由はねーけど?気付いたらどっか行っちまったんだよ、アグモンの奴」

「コロモンのにおいがするから追いかけてたら、滝の方までいっちゃったんだ」

「お前ら……」


ヤマトは頭痛がした。がっくりと肩を落とす。
思わず頭を抱えそうになるが、どこまでも能天気な一人と一匹はどうしたんだよ?と首をかしげている。
震える拳をガブモンがまあまあとなだめる。選ばれし子供とパートナーデジモンは似るようだ。いい意味でも、悪い意味でも。


「あのな、太一、お前もっとよく考えて行動しろよ。アグモンはお前がいないと進化出来ないだろ。
お前がアグモンと一緒にコロモンのにおいをたどっていってたら、そもそもこんなこと起こらなかったんじゃないのか?
アグモンがガジモン達にやられなかったんじゃないか?もしブイモンがエクスブイモンになれなかったら、
ブギーモンにみんなやられてたかもしれないだろ」

「なんだよ、みんな無事だったんだからいいだろ?ヤマトは心配性だなあ。
いっつもそんな結果論ばっか言ってたらつかれるぜ?」

「オレはみんなのことを考えていってるんだ。今まで以上にサーバ大陸はヤバいことになるだろ。
オレ達は紋章を集めなきゃいけないんだ。お前が一番最初に紋章を手に入れたんだから、
しばらくはお前が一番の戦力だろ。ちょっとは考えろよ、もし何かあったじゃ遅いんだぞ?」

「わーかってるって。今度会ったらエテモンなんてぶっ飛ばしてやるんだ。な?アグモン」

「うん、僕頑張るよ太一」

「それにヤマト」

「なんだよ」

「いっくらオレが紋章手に入ったのが一番だからって、お前が紋章持ってないのはオレのせいじゃねーだろ。
そーいうの、やつあたりっていうんだぜ?うらやましいのは分かるけどさー、へへっ」


にやにや、と太一は笑う。時折誰よりも勘が冴えわたるサッカー部のキャプテンは、
本人すら把握しきれていない真意を読み解いてしまう。
図星であるにもかかわらず、まだ表層にまで至っていない本心をものの見事にいい当てられてしまったヤマトは、面白くない。
今は大事な話をしてるんだぞ、ふざけるな、と至極もっともな正論で持って反論する。
しばらく喧嘩にも満たない軽口の応酬の末、結局ヤマトはあっけらかんとしながらも
了承してくれた太一とアグモンの言質を取ってから、引き下がることにしたのだった。
なぜならそれどころではなくなったのである。
自ら吐きだした酸性の泡で見事檻から脱出したポヨモンが、その経験値によってか定かではないが、
ようやく念願の進化を遂げ、トコモンに進化したのだ。
体の下に短い手足が生えているレッサー型デジモンは、まん丸な体が可愛らしい真っ白なデジモンだ。
迂闊に手を出すと、大きな口を開けてびっしりと生えたするどいキバでかみつくこともあるので、
うがーと大きく開けた口に手を出すと噛まれるので要注意である。
必殺技は、強力な酸の泡を吐き出し、相手を威嚇する超酸の泡だ。
ちなみにこの技はポヨモン時代の強酸の泡の完全上位技である。


抱っこしていたタケルが歓喜に沸いて、隣にいた大輔とブイモンに見せようとしたときである。
はっとなった大輔ががばっとタケルからトコモンを取り上げたかと思うと、あっという間にトンネルの先を走り抜けていく。
まるでボールを取られて、あっという間にバスケットゴールに決められてしまう間抜け選手である。遅れてトコモンの悲鳴が反響した。
突然の暴挙にぽかんとしていたタケルだったが、パートナーデジモンをぶんどられてしまったというとんでもない事実に気付いて、
あわてて追いかける。ブイモンはあまりの早技についていけなかったらしく、あわててタケルの後ろに続いた。


「大輔君、トコモン返してよーっ!!」


え?え?なんで?なんでっ?!訳が分からないままタケルはどんどん遠ざかる背中を懸命におっかける。
全身全霊をかけた猛ダッシュである。小学校1年生のころからサッカー部をやっている大輔はタケルと比べてとんでもなく足が速い。
その上、体力もあるし、維持力もあるし、スポーツをやっていないタケルからすればずっとずっと運動神経がいい。
もちろんタケルも体育の時間は大好きだが、放課後終わるや否や、4時から8時までグラウンドでボールをおっかけている
サッカー少年と同列で語るのはあまりにも無謀といえた。ましてや2年生チームのレギュラーである。なんかやっとけばよかった。
ぐんぐん引き離されていくが、大輔はトコモンと何やら話をしているのか、駆け足ながらいつもの追いかけっこよりもスピードは遅い。
しかし、ちらちらと振り向きながら、タケルに追いつかれないように距離を調節しながらダッシュと重ねがけのブーストをされてはたまらない。
息が上がり始めたころ、ぴたりと大輔は歩みをとめた。そしてトコモンをぎゅーっと抱っこしているではないか。
ちょっと待ってよ、それ僕の!ずるいずるいずるい!僕が一番最初にトコモンとの再会を喜んで抱っこするって決めてたのに!
おしゃべりするって決めてたのに!なんてコトするんだよ、大輔君のバカ!
目の前で一番仲がいい友達にそんなことをされては流石のタケルだって怒るに決まっている。
事情がさっぱり分からないタケルは、ようやく追いついた大輔からトコモンを無理やり取り返して、
あっちにいったり、こっちにいったり、引切り無しの奪い合いの果てにすっかり目を回しているトコモンをしっかりと抱っこしたのだった。
いたいよう、タケルと進化したばかりにも関わらずとんだ災難続きのトコモンは、すっかり涙目である。
そんなことお構いなしで、二度と大事な大事なパートナーがどこにもいかないように押しつぶしているタケルが、当然のごとく怒った。


「なにするんだよー、大輔君!」


そんなタケルの言葉を背中で受けたまま、大輔がいう。


「タケル、もしも、トコモンが何にも覚えてなかったらどうする?」

「え?」

「だから!もしも、トコモンがタケルのこととか、オレ達のこととか、
今までのこと、ぜんぶぜーんぶ覚えてなかったらどうするって聞いてんだよ!」

「記憶喪失じゃなくって?」

「記憶喪失じゃねーよ。ホントに、真っ白なまんま、トコモンはトコモンだけど、赤ちゃんみたいな感じで、
何にも知らないまんまで生まれてきたら、タケルはどうするって聞いてんの」


突然投げかけられた質問に、腕の中にある相棒を見つめたタケルは、大輔の言っていることが分からないので、
同じように疑問符を沢山量産しているトコモンと目があった。
もしかして、と顔をこわばらせたタケルに、ぶんぶんとトコモンは首を振った。


「ぼ、僕は覚えてるよ!ぜんぶぜんぶ覚えてるよ!何言ってるんだよ、大輔!
また友達になってねって僕いったじゃないかあっ!」


トコモンの猛抗議にほっと胸をなでおろしたタケルは、うーん、と考えてみる。
もしもトコモンが何にも覚えていなかったら。
それってきっと今まで僕達が体験してきたことが、全部全部無かったことになっちゃうんだよね。
一緒に喧嘩したいねって約束したことも、仲直りしようねって笑いあったことも、落ち込んだことも、立ち直ったことも、
嬉しかったことも、楽しかったことも、悲しかったことも、苦しかったことも、
いつだって側にいて、いつだって時間を共有してきたそれが、
いろんなところに行ってきた思い出が全部全部無くなっちゃうってことになるんだよね。
それっていったいどういうことだろう?
そこにあるのは忘れられてしまうというどうしようもない恐怖である。
タケル達は覚えているのに、トコモンはなんにも覚えていないのだ。
初めましてって初対面の時に笑ったあの時が再びやってくるのだ。
タケルはぞっとした。トコモンを抱っこする力が強くなる。
それってトコモンじゃない。そこにいるのはきっとトコモンじゃない。
タケルの知っている大好きなパートナーデジモンじゃない!気付いたらタケルは叫んでいた。


「やだよ!やだよーっ、忘れられちゃうなんてやだ!絶対やだーっ!そんなのトコモンじゃないもん!」

「なんでそんなこと言えるんだよ、忘れちまったってトコモンはトコモンだろ?おんなじデジタマから生まれたトコモンだろ?
なんにも変らないだろ?そんなこといったらトコモン可哀想だろ!覚えてるかどうかなんてトコモンのせいじゃないだろ!
だからってパートナーデジモンじゃないっていうのかよ、酷過ぎるぞ、タケル!」

「そっ……れは……っ!!でも、でもっ……やっぱり、やだよ、僕」

「ほら、やっぱ内緒にしといてよかったじゃねーか」

「え?」


キョトンとしているトコモンとタケルにようやくこっちを向いてくれた大輔は笑っていた。


「タケルが聞きたがってたことってそれなんだよ。ずーっと内緒にしてたことってそれなんだよ。
トコモンは全部覚えてるみたいだから、もう言っちまうけどな」

「どういうこと?」


さっぱり飲みこめないタケルとトコモンに、大輔はごしごしと目頭をぬぐう。
ようやく追いついたブイモンがバトンタッチして説明してくれる。また大輔は後ろを向いてしまった。


「エレキモンが言ってたんだよ。オレ達デジモンはね、一回死んじゃったら今までのことを覚えてるのかどうかって、
すっごくすっごく運任せなんだってさ。トコモンみたいに全部覚えてるのか、なっちゃんみたいにぼんやりとしか覚えてないのか、
それとも全然覚えてないのか、だーれもその時になるまで分かんないんだって。
だから、オレ達タケルにずっと内緒にしてたんだよ。
タケルは生まれてくるトコモンがおんなじトコモンだって信じてたから笑ってたでしょ?
エンジェモンがタケルが望んでくれるなら会いたいっていってたでしょ?
オレ達が知ってること話しちゃったら、邪魔しちゃうかもしれない。
トコモンがどうなるのか全然わかんなかったから、ずーっとだまってるしかなかったんだよ。
でも、やっぱり嬉しいよな、大輔。オレ達のこと覚えててくれてさ、ありがと、トコモン。
すっげーことなんだよ、これって」

「……そっか。僕達のこと考えててくれたんだね。ありがと」

「大輔もブイモンもすごいねえ。僕が忘れちゃっててもそういうふうに思ってくれるんだ」



ブイモンと大輔は顔を見合わせた。
そして、違う違うそうじゃない、と優しいからそういうことを言ったわけじゃないと大輔は否定する。


「嫌に決まってるだろ、そんなの。でもぜーんぶ忘れちゃった方がいいこともあるんだって、オレ知ってるんだ。
なっちゃんは死んじゃう前のこと覚えてたからあんな風になっちゃったんだ。
だから、嫌だって思うのちょっと変な感じがするだけなんだよ。
だって、オレ、エレキモンと約束したんだ。またはじまりの街に逢いに行くって。
そんときにいるなっちゃんがどーいうデジモンになってのかなんて、
全然わかんないだろ?なっちゃんかもしれないし、ぜんぜん違うデジモンかもしれないし。
そんときまで楽しみにしてるんだ。だからやなだけなんだよ。
変だよなー、なっちゃんとトコモンっておんなじような感じなのに、オレ全然違うこと考えてたんだよ。
トコモンはぜーんぶ覚えててもらわなきゃやだって思うんだよ。
覚えてなかったら、タケルに内緒でぜーんぶ教えようってブイモンと考えてんだ。
そしたらポヨモンがこんなとこで進化しちまうだろー。もうわけわかんなくなって走ってた」


これで隠し事はおしまいである。タケルと大輔は笑った。
ブイモンはふと思い出したように、あわててトコモンのもとに駆け寄る。


「トコモン、トコモン、大変だ。大輔達がね、エンジェモンの顔がみたいって内緒話してたんだよ。
オレ頑張ったんだけど、二人とも止められなかったんだ。ごめん」

「………え゛?」



トコモンの悲鳴が、後から追いかけてくる子供達とデジモン達をびっくりさせることになるのは別の話だ。
やがて洞窟の奥にある扉を潜り抜けた彼らは、ごつごつとした岩肌が立ちはだかる新しいエリアに辿り着いたことを知る。
太陽がまぶしい。時空でもゆがんでいたのだろうか、感覚的には数時間のつもりだったのだが、すっかり太陽は真上である。
振り返れば続いていたはずの洞窟は既になく、初めから何も無かったように大きな岩が砂丘に広がる景色があるだけだ。
どうやら謎の通路は空間がゆがんでおり、コロモン達の村から遥か彼方にあるエリアまで太一たちを運んでくれたらしい。
延々と連なる砂丘は、砂漠に飲まれたトナミの街を思い起こさせる。
砂は太陽の光を吸って陽炎を立ち上らせるほどに熱く、靴の裏が熱い。
風で舞い上がる砂が目に入っていたいと何人かが悲鳴を上げる。
じゃあ、あそこで顔を洗いなよってコロモンが笑う先には、オアシスが広がっていた。
トナミの街みたいだとコロモン達が嬉しそうに飛び跳ねる。
ホエーモンの口から見えた砂に埋もれた廃墟の街はとてもそんな感じには見えなかったが、
どうやらコロモン達にとってはオアシスで発展したかつての大都市のイメージはそんな感じらしい。


「みんな、一緒に来てくれてありがとね」

「ここまできたらきっとエテモン達も来ないと思う」

「だから僕たちはここで新しい村をつくることにするよ」

「せっかくだから、今日はこのオアシスでゆっくりしていきなよ。
 これから砂漠を抜けなきゃいけないんだよ?途中で倒れちゃったら大変だから」


コロモン達の提案に異論を唱える者は誰もいなかった。
コロモン達が新しい村をつくるというのなら、ささやかながらその手伝いをしたいと申し出る。
コロモン達は嬉しそうに、ありがとうって笑った。
そのお礼にとコロモン達は現在地について教えてくれた。ここはサーバ大陸の大半を占める砂漠エリア。
所々に点在するオアシス以外はかなり過酷な環境であり、基本的には水辺を確保しながらエリアを回った方がいい。
光子郎のパソコンに新しい情報が加えられていく。オアシスの数は多くないから、コロモン達はすぐに現在地を割り出してくれた。
どうやらサーバ大陸の砂漠エリアの中でも結構東寄りのところに出てきてしまったらしい。
ここをまっすぐ西の方角に進めばテンプ湖というサーバ大陸で最も大きい湖が見えてくる。
水辺には緑が生える。だからデジモン達も集まる。情報を集めるならテンプ湖を目印に行った方が絶対にいい。
砂漠で遭難してのたれ死ぬよりはずっとずっといいはずだ。
つまり、どのみちテンプ湖を目指して砂漠を突っ切らなければならなくなった。
コロモン達の村をつくる手伝いのついでに、十分な鋭気を養うべく、子供たちはオアシスに飛び込んだ。



[26350] 第9話 模擬パラドックス
Name: 若州◆e61dab95 ID:ffc6cacb
Date: 2013/08/03 00:08
コロモン達と別れてから、数日が経過している。
新たなる強敵エテモンの圧倒的なパワーの前になす術もなく敗れ去った大輔達は、
トンネルの向こう側にあるオアシスでコロモン達と別れた後、砂漠の中を突き進んでいた。
エテモンが追いかけて来ない所まで、と見通しの全く立たない目標に向けて、懸命に歩き続けている。
時折、弱気ともとれる発言がみんなの本意を無自覚に代弁しているミミあたりから漏れるたびに、
穏やかにそれを肯定しながら、やんわりと否定することで循環していたハズのネガティブ思考の打破。
しかし、本来ヤマトや丈から打ち消されるはずの言葉が、「そうであることを願いたい」とか、
「そう思うしかない」とか曖昧な表現に終始し、断言されないことで、中途半端に後ろ向き思想が宙ぶらりんだ。
一番先頭はもちろん紋章を手に入れた太一であり、一番後方はサーバ大陸からサポート役を強化し始めた空である。
マズい、みんな追いつめられている、とみんなの状況を客観的に見ている故の苦悩が、どうにかしなきゃと考える。
みんな、大輔や太一みたいにポジティブシンキングが当たり前だったらいいのに、と思いつつ、
空がサポート役がいたにつき始めた原因は間違いなく、幼馴染みでありツートップの相棒である太一である。
はあ、とため息をついて、歩みは続く。意外と周りを見ているハズの太一が、どういうわけかまっすぐに前を見てばかりで、
一番こう言うときにこそ、ガッツを引き出してもらいたいのに、みんなを引っ張ってくれる言葉がこっちに向いてくれない。
いつもなら、もっと冷静に周りを見て、ちゃんと気を遣っているはずなのに。しかも無意識に。違和感が滲んだ。


「どうしたんすか?空さん」

「なーんでもない。ほら、頑張って歩きましょ、大輔君」


もちろん上級生組のことなんて知るはずもない大輔は、何処までも脳天気だ。
その無邪気さがこの砂漠道中記では、意外と救いだったりする。
そんな中、ようやくみんなの様子に気付いたらしい太一が、あー、という顔をして、
みんなが弱気になりつつあるから、励ましてやらなきゃいけないんだって気づいたらしい。


「なんだなんだ、みんなしゃきっとしろよ。まだ歩き始めたばっかだろ?先は長いんだ、頑張ろうぜ」


ずっと西に行けばテンプ湖という巨大な湖が見えてくるはずなのだ。
湖に紋章の有力な情報がある訳ではないのだが、砂漠を放浪するよりは
デジモン達が生活を営む集落が点在するらしいので、情報収集には事欠かないはずだ。
わかってる。わかってるけど、あと何日砂漠を歩き続けなくちゃいけないんだって
太一の言葉に返ってくるみんなの言葉は何となく乗りの悪い、歯切れの悪いものばかりだ。
太一の紋章がみんなには自慢げに掲げられているように見えてしまっているようで、
うっとおしいとでも言いたげにみんなそれとなく紋章からは目を逸らし始めていた。
ゲンナイという老人の言うとおり、本当に紋章があればエテモンに勝てるのかという半信半疑な気持ち。
太一だけが紋章を持っているという事実への羨望と嫉妬が入り混じった気持ち。
紋章を持っていないみんなは事実上、戦力外通告を出されたも同然だという絶望的な状況。
みんな疲れていた。疲れているからいつもは考えもしないことをついつい考えてしまって、
いわなくてもいいことをぽろっとこぼしてしまう。


「その紋章でホントに進化できるのか?」

「なあに言ってんだよ、ヤマト。大丈夫だって、きっとエテモンにだって勝てるさ。
 な、アグモン」

「……あ、うん」

「なんだよ、その自信なさそうな言い方。しゃきっとしろよ、しゃきっと。
 オレ達が頑張らないでどうすんだよ。お前が先頭に立って頑張ってくれなきゃ困るって」

「……うん」


アグモンは困惑顔のまま、自信なさげにうなずいた。
がんばってね、とか、頼りにしてるよ、ってデジモン達に言われてしまい、困ったように頭を掻いている。
太一はさもありなんといった様子で笑って見せた。ほら、みんなわかってくれてるだろ?って満足顔だ。
一方で内心ほっとしている太一である。アグモンは正直すぎる。素直すぎる。勘弁してくれよ。
太一の心の奥底をそっくり写し取ったような態度を取っているので、
なおさら悟られたくなくて、そう思っている自分を認めたくなくて強引にアグモンに同意を迫った。
オレが、オレ達がビビッてどうすんだよ。怖いなんて、不安だなんて、言えるわけないだろ。
エテモン達がいつやって来るか分かんないのに、みんなを守れるのはオレ達しかいないのに、
自信がないだなんてそんなことあってはいけないんだよ、絶対に。
アグモンに回す腕の力が強くなる。太一、痛いよってアグモンはちょっと困ったように肩をすくめた。










第9話 模擬パラドックス










デジメンタルと言う今はデジタルワールドに眠り続けている力がある。
かつてデジモンが進化を知らなかった途方もない昔に、その力を借りて擬似的な進化をする事が出来た種族がいた。
一時勢力を誇ったその種族は、他のデジモン達が進化という岐路に適合し、勢力争いを繰り広げた結果、
一般化していく進化の前に、特権的だった立場が埋没していくに従って、やがて緩やかに衰退していった。
その種族の子孫こそが、古代種と分類されるデジモンの定義である。
また古代種の遺伝子データを持つデジモンを「アーマー進化」させることができる力を持ったアイテムが、
デジメンタルという、その時までデジタルワールドが封印し続けている力である。
デジメンタルは紋章という特定の人物が持つ心の形質を反映したが故に、
持ち主とそのパートナー専用のアイテムであるものとは、決定的に違うところがある。
それは、本来のデジメンタルは、あくまでも擬似的な進化を手助けするアイテムであるため、
特定の持ち主とパートナー専用のアイテムではないという点にある。
それはもともと一つの力、エネルギーに過ぎなかった。
古代種のデジモンであれば、どんな進化経路も選択可能であり、とてつもなく自由で汎用性のあるシロモノだった。
しかし、それ故に進化という新しい選択肢が生まれた時に、古代種はその脅威を微塵も感じなかった。
そのため、成熟期、完全体、究極体と古代種よりも遥かに凌駕するデジモンが現れたときに、
対抗する手段も持つことが出来ず、今まで軽視していた進化というものに適合する前に、
純粋な意味での古代種は緩やかに滅亡の道を進んでいくことになる。
その中でも唯一進化という選択肢に適合することが出来たデジモンだけが、生き残ったのである。
それがブイモン系列のデジモン他、古代種が歩んできた数奇な運命である。
この古代種を復活させる時、デジタルワールドはすでに進化というものに対して、
さらなる力を付与することが出来る紋章というものを確立していた。
そしてその紋章の形質とデジメンタルの力を組み合わせることで、パートナーがいるデジモンに、
さらなる爆発的な力を与えることが出来ることを確認したため、本来デジメンタルが持つとんでもない汎用性を限定し、
パートナーの「もっとも素晴らしい心の特質」が持ち主とパートナー達に力を与えるように、改変を施した。
その瞬間、デジメンタルとデジモンの間には相性が生まれ、無理に相性の合わない物を使うと暴走してしまうデメリットが生まれた。
その代わりに、アーマー進化はかつて淘汰した進化系列に対抗できうる手段として、確立されることになる。
もちろん、そんなこと知るはずもないブイモンは、大輔が太陽みたいだと尊敬の眼差しでもって称した、
太一のタグに収まった紋章を見たとき、強烈な違和感をデジャビュとして感じることになる。
目覚めたばかりでスッカラカンだったチコモンだったときに、ブイモンは確かにそれを見たことがあった。
まだその時じゃないからと取り上げられてしまったデジメンタルは、ブイモンの知っているものでは無くなっていた。
エクスブイモンの鼻先にある刃物みたいなツノがついていて、炎のような赤色と黄色が混在して波打つような
デザインが加えられていた。そしてその中央には、その紋章が刻まれていたのである。
オレンジ色の丸があって、わっかがそれを囲んでいて、8つの三角形が左右対照的に配置された、へんてこりんなものが。
こんな模様あったっけ、とずっと眠り続けていた時にそばにいてくれたデジメンタルの急激な変化に戸惑うチコモンに、
たたき起こしてくれたどこかの誰かさんは、これからブイモンの力になってくれる証だ、と教えてくれた。
何にもしらなかったチコモンは、そっか、と嬉しくなった訳だけども、
今こうして紋章は太一のものだと知ったのだ。心中はお察しください、と言う他ない。
そのデジメンタルは確かにブイモンの力になるために用意されたものである。
それは紋章の持ち主である太一とは全く違う形ながら、大輔に紋章が意味する心の形質の片鱗があると
ホメオスタシスが予測したからこそ、準備したものであることは間違いない。
だから大輔はたくさんあるデジメンタルの中で特に勇気の紋章と相性がいいというだけで、
大輔が勇気の紋章を扱えるのかといえば、それは断じてありえない。
勇気の紋章を使いこなせるのは、あくまでも太一だけである。
その事情を全く知らないブイモンにとっては、大輔の紋章とデジメンタルに刻まれた紋章が違うというわけのわからない事態となっている。
仕方ないのだ。この時点でホメオスタシスが予測していた未来では、勇気のデジメンタルしか必要ないはずだったから。
ブイモンはすっかり忘れているけれど、デジメンタルはもともと封印されていた過去がある。
この世界においてはあまりの強大なエネルギー体であるために危険視されていたのだ。
むしろ純正の古代種のみが使えていた古代と比べれば、
かつて古代種に分類されていたデジモンに進化したことがある現代種のデジモンならば、
誰でも使うことができるという意味で、デジメンタルの恩恵を受けるデジモンの数は圧倒的に増えている。
相性という制約が出来たところでその脅威が無くなったわけではない。
選ばれし子供のパートナーにのみ解禁された瞬間的な進化と退化を繰り返し、
短期間のうちに強化されていくという禁じ手が一般化してしまうのはあまりにも危険である。
だから紋章のように特定の個人しか使えないという制約がないデジメンタルの復活には、
暗黒の力による強奪の影が見え隠れする以上、どこまでもデジタルワールドは慎重だった。
その結果、1つのエネルギー体は紋章の数だけ分割され、さらに封印する場所も多岐にわたり、
出現条件に紋章の子供たちを組み込まれた。
その真意にブイモンが気付くのは残念ながらまだまだ先のことである。
そういうわけで、ブイモンはすっかり拗ねてしまっているのだった。


「紋章かあ、どんなんだろうな?ブイモン」


灼熱地獄なんてもろともせず、デジヴァイスの下にぶら下がっているタグを見つめて、
好奇心旺盛な想像力はあれやこれやと想像しては笑っている。
まさかあの紋章を見たときに、大輔のだ、と思っていたとは言える訳もないブイモンは、内心複雑な心境で、
隣を歩いていた。


「太一の紋章に負けないくらい、ずーっとずっと、カッコイイ紋章に決まってるだろ、大輔」

「あはは、なんだよそれー」

「ぜーったいそうだってば」


そうじゃないと嫌だ。絶対嫌だ。デジメンタルと引き離され、取り上げられて、ずっと傍にあったものを、
封印されてしまったときとおんなじ感覚がめぐってきて、ブイモンは手を握りしめた。
また取り上げられてたまるか。オレの一番大好きな大輔が持ってる紋章は、きっときっと素晴らしいものなのだ。
誰にも負けないくらい、誰にも取られたりしないくらい、世界で一番素晴らしいものなのだ。
だってブイモンが今ここにいる理由は、本宮大輔というパートナーがいるからこそなのだから。
もしかしたら、大輔は紋章を持っていないのではないか、なんて恐ろしい想像を打ち消したくて、
ブイモンは懸命に会話に夢中になった。もちろんそれは完全なる杞憂であり、勘違いなのだが、
残念ながら現時点に置いて、それを知るすべはない。


「今度は早いといいな、見つかるの」

「ぜーったい、早く見つけようね、大輔」

「おう。進化すんの遅かったもんなあ。みんなオレたちが頑張ってるんだって、分かっててくれたんだ。
今度こそ、みんなのために頑張りたいよな」


いつだってパートナーとパートナーデジモンの見つめる世界は、ほんのちょっぴりずれている。


そして上級生組と下級生組はさらにずれている。
大輔達がたわいもない会話で盛り上がっている最中、
上級生組は太一の持つ紋章と進化の関連性について、あーだこーだと難しい話を展開している。
進化の条件は、デジモンが膨大なエネルギーを使うこと、腹ぺこではないこと、
そしてパートナーに危機が迫ったときであると光子朗が言及すれば、なるほど、と上級生組は頷いた。
未だにゲンナイという老人を信用できるのかどうかという重大な事項は、みんなの中では保留のままだ。
太一だって大輔の話は嘘はないだろうが、信用できるかどうかは別の話なので棚上げ中なのだ。無理もない。
しかし、メンバーの中で唯一紋章を持っているという事実が、
太一にある天然リーダーのいいところを奪い去ってしまっている。
いつもなら元気出せよ、そんなこと言ってたってしょうがねーだろ、とあっけらかんと笑い飛ばすおおざっぱさが、
らしくなく、進化という謎への追究となって話題に上る。
いつもならみんなの前で、こんなこと堂々と明らかにしないのに。
それが分からないものが多いという現実をみんなに突き付けているとも知らず。
返って不安を煽っていると気づけない。
会議に参加していない、タケルやミミ達が世間話で盛り上がっている間でさえ、
実は聞かないようにしているだなんて知らないまま。
大輔の場合は、意図的にブイモンが遠ざけるために大輔に積極的に話しかけているだなんてしれないまま。
そして、もっとよく考えろよ、と言うヤマトの忠告が、サーバ大陸に行くときの会議で、
みんなを説得することが出来なくて、結局最年少組がいく、と言ったことが決定打になり、何にもできなかったと
こっそり気にしていた太一の心に、実は深く突き刺さっていたことなんて、誰も気付いてなんかいないのだ。
いつも意識していないことを意識するとおかしくなることは、太一だって大輔の件で分かっていたのだが、
なんだかんだでうまくいった。上級生から下級生の関係性、大輔と太一の関係性だからこそ、あらゆる偶然が折り重なって
なんとか歯車がかみ合ってうまくいっただけに過ぎないのに、前例が出来てしまった。
今の太一は、焦っているのを自覚していて、どっかおかしくなっていることを自覚していながら、
何とかなるだろうと言う根拠無い自信の元で、なんとかリーダーを頑張ろうとしている、と言う
かなり危うい位置にいる。その焦りをもろに被るのはパートナーとして新たな進化が過剰に期待されるアグモンである。
パートナーとパートナーデジモンの気持ちが一つになってこそ、デジヴァイスは進化の光を放つ。
さらに紋章という第3の介入が入る。今まで以上にエネルギーも気持ちもひとつにならなければ、
待っているのは。誰もしたことがない完全体への進化など不安で不安でしょうがないにきまっているのに、
太一からかけられる言葉は「進化する」じゃなくて「進化させる」という言葉である。
アグモンはのんびりやさんで、マイペースに世界を見渡し、一番大切なモノを感覚で拾い上げることが出来る、
とっても素晴らしいデジモンなのだが、彼はパートナーである太一が一番大好きなのである。
パートナーデジモンは、共通して、パートナーであるえらばれし子供に真っ向に反抗することが出来ない。
逆らうことが出来ない。疑問すら覚えないまま、それほどまでに献身的である。それが存在意義だから。
大輔の時は、間違いを正してくれる上級生という立場の人間がいたが、その上級生が間違いを犯したとき、
恐ろしいことに、本人だけしかそれに気付いていなかった場合、止めることが出来るのは誰もいないのである。
出来るのは本人だけである。それが顕著になるのは、すぐそこまで迫っていた。


「オアシスが見えたぞー、休憩しようぜ」


太一の言葉に、はーい、と大輔は返事した。









オアシスは大きな大きな日陰を作ってくれている。
豊かなわき水をたたえている泉の近くで休憩を取ることにした子供達とデジモン達は、
思い思いの場所でご飯を食べることにした。太一達の所からご飯をもらってきた大輔は、
はっやーく!と食い意地を張っているパートナーデジモンの所にかけだした。
すっかり腹ぺこである。パンとりんご2つを持ってきた大輔に、えー、とブイモンはあからさまに顔をしかめた。


「大輔、大輔、オレチョコ!チョコ食いたーい!」


ハンバーガーとかコッペパンとか主食となるものがまだ食料としてあるにも関わらず、
ブイモンはいつでもチョコレートをねだる。生まれて初めて半分こして大輔と食べたからもあるだろうが、
もともととんでもない甘党にため息一つ、確かにチョコレートはエネルギーになるとか言うが、
腹持ちがいいものを食べないとダメだと却下されてむくれたブイモンは、ううううう、と涙目である。
そしてチビモンを思い出させる、こちらが悪いことをしているのではないかという罪悪感と後ろめたさを抱かせる、
庇護欲を煽る声で、だいすけーっと涙を浮かべて見上げてくるのである。もはや名演技にも程がある。
相変わらず大輔は極端に弱かったが、こうもいつもいつも乱発されると、いい加減耐性も出来てくる。


「だーもー!ダメなもんはダメなんだよ!怒られんのオレなんだから」


いつもこうだ。大輔がご飯はご飯、おやつはおやつ、と比較的保存が利くお菓子類は非常食となっている、
そういう決まりなのだと説明するたびに、この押し問答は繰り広げられてきた。
それに加えてブイモンはとんでもない大食いである。かわいそうだからと言ってあげてしまっては、
あっという間に袋の中が空になってしまうことを知っている上級生組から、チョコレート禁止令を
言い渡されている都合上、滅多に食べられない貴重品である。大好きなものが腹一杯食べられない苦痛である。
かわいそうに、ブイモンはすっかりがっくりと肩を落として、めそめそと泣いていた。矛先は何処までも大輔である。
時々、ちらちらとこっちを見ては、かわいそうになって持ってきてくれないカナーという魂胆が見え見えである。
何度もおなじめに引っかかるほど大輔はバカではない。
我らが相棒は、一つのことを達成するためなら、とんでもなくしたたかになることを大輔は誰よりも知っていた。
ちなみに大輔のリュックの中にある食料からは、すべてチョコレートに関する品物はただちに、
タケルの白いリュックの中に移転されている。その事実をブイモンは未だに知らない。
ほら、これ食えよ、と半分こしたパンを差し出されたブイモンは、お腹がすいているの
は事実なので、
渋々口の中に放り込むことにした。あれ?


「大輔、これなに?」


一口で食べてしまったため、さっぱり分からないが、ただのコッペパンにしては甘いような。
というか口に広がるこの甘みと独特の粘っこい風味は、ブイモンの知っているチョコレートよりも、
ずっとずっとふわふわしているが、なんか甘い。しかもおいしい。なんだこれ。なんか挟まってた?
しまった、もっとじっくり味わって食べればよかったー!と後悔したが後の祭りである。
ハテナマークが飛んでいく相棒に、大輔はイタズラ成功とばかりに笑った。


「美味かっただろ、チョコレートクリームはさんであるやつ」


ほら、と見せてくれたそれには、確かにちょっと生クリームが混じっているために、
柔らかい色をしたチョコレートがはさんであった。大輔からすれば、明らかにこれはご飯ではない。
おやつの時に食べるようなやつである。あるいは小腹がすいたときに。大輔はブイモンほど甘いもの大好きではない。
まさかの気遣いの不意打ちである。なんで言ってくれなかったんだよう、と
遅れてきた感動をかみしめられない不運をブイモンは嘆いた。
大輔は笑ってまた半分こにしたそれを渡してくれた。
え?いいの?と思わず聞いたブイモンに、照れくさそうに頷いた大輔である。


「だいすけええ!」


後ろから飛びついたブイモンの反動で、落っことしそうになったパンを慌てて受け止めた大輔は、
なにすんだよ!と叫んだ。
こう言うとき、正面から抱きつけたらこれ以上ない愛情表現になるのに出来ないもどかしさである。
ブイモンは大輔におぶさったまま、食べることにしたらしかった。


「チョコって固まりじゃ無いんだ」


チョコチップクッキーとか練り込んであるやつとか、板のチョコレートしか知らなかったブイモンには、
衝撃の事実である。どんだけバリエーションがあるんだチョコレート。恐るべしチョコレート。
人間の食べ物の種類の豊富さはハンパない。
デジタルワールドだってそこまで食を追求しているやつは、指折り数えるほどしか無いだろう。
無性に大輔の世界がうらやましくなったブイモンである。そんな相方に意地悪な大輔はいろいろと教えてくれた。


「そんなことで驚いてたら、オレたちの世界来たら、お前幸せすぎて死んじゃいそうだな」

「え?」


そんなこと、だと?!ちょっとまってそれどういう意味。硬直するブイモンに、大輔はいう。


「ココアとかケーキとかあるしなー」

「ココアってなに」

「えーっと、なんだっけ、チョコレートとかして、あったかくして、のむやつ」


厳密にはホットチョコとココアは別物なのだが、小学校2年生が知っているわけもないので、ご愛敬。


「の、のんじゃうの?あっためちゃうの?なにそれ、なにそれ、おいしいのかっ!?」

「オレは牛乳無いと飲めないけど、姉貴は普通に飲んでるし、ブイモンなら大丈夫かもな」

「えええええ」


ちなみに大輔の頭の中では、コーヒー牛乳とホットチョコとココアがごっちゃごちゃになっている。
まったく未知の世界である。全然想像することが出来ないブイモンは、目をぱちくりさせるしかない。
行きたい行きたい大輔の世界。大輔が生まれてきた世界。ずっと育ってきた世界。
きっとそこはブイモンが知らないものがたくさんたくさんあるのだろう。
もっともっとチョコレートの話が聞きたいとねだるブイモンに、大輔はしかたねーな、と
笑いながら教えてくれる。すっかり置き去りにされているりんご2つ。
盛り上がっている大輔とブイモンに、水を差す人物が現れた。


「よう、大輔、ブイモン」

「あ、太一先輩。どうしたんすか?」

「お前ら、りんごくわねーのか?」

「え?あー、ブイモン、いるか?オレいらねーや」

「オレもいらなーい」

「ならいーよな、もらっても」

「どーぞ」

「太一食べるの?食いしんぼだなあ」

「お前がいうなよ」


ぺしっと右肩越しに叩かれたブイモンは、えーなんで、と口を尖らせた。
太一の腕の中には、ありったけのご飯が抱えられている。
ハンバーガーとか、コッペパンとか、果物とか、色んなものが入っている。何食分だろうか。
みんなが食べられなくなったものを回収しているのかな、と上級生組の大変さを垣間見た大輔は、
はい、とりんごを2つ手渡した。さんきゅー、と受け取った太一の紋章が風に揺られて翻った。
ブイモンはそれが目に入らないように、意図的に大輔の上に登ろうとし始める。
おわああ、なにすんだよ、と何にも知らない大輔は、肩車できるほどの体格差が無いのでぐらつき始める。
やめろってば、とくすぐったくて抵抗する大輔とやーだと拗ねたまま構ってくれとばかりに、
過剰なスキンシップを試みてくるブイモンである。微笑ましい後輩達のやりとりを見ながら、太一は笑った。


「お前らからもらった貴重な食べ物は、ちゃーんとアグモンに届けてやっからさ。
そのアグモンに向けられてる期待、ちゃんと伝えとくからな」

「え?」


たったった、と駆けていった太一に、ようやく違和感を覚えた大輔は遠ざかる背中を見つめて首を傾げた。
働かざるもの食うべからず、という難しい言葉が通り過ぎていく。珍しい構図である。
ふり返ると、ハンバーガーを取られてしまったゴマモンがしょぼくれていて、丈が励ま
していた。
食べている途中のご飯でも、まだ口を付けていないものを太一は、みんなから回収していっているのが見えた。
アグモンはといえば、普通にご飯を食べている。紋章が手にはいるとお腹がすくんだろうか?というか。
食料の分配の役目を担っている太一からそんなことを言われては、みんな断れるはずが無いのだ。
明かな職権乱用を見た大輔だが、どっかおかしいと気付いたばかりで、どこがおかしいか分からない。
太一はいつも通りの太一を見せていたため、直感でしか分からない違和感である。


「アグモンが食べるんすか、太一先輩」


つぶやかれた言葉は、本人の耳には届かない。アグモンってブイモンほど大食いだったっけ?


「なあ、ブイモン、初めて進化した時って腹減った?」

「え?あーうん、すっげー減ったよ、腹ぺこで死にそうだったよ、大輔」

「そうなのかー、ごめんな、全然気付いて無くって」

「いいんだよ、そんなこと。それどころじゃ無かっただろ?大輔」

「うん」

「だからいいんだよ」


それより、とブイモンはささやいた。


「なんでみんな何にも言わないんだろう?大輔の時には、いっぱい注意とかしてくれたのにね」


言われてみればそうである。
大輔があたりを見渡してみると、みんな太一のことが気にかかるのか、アグモンとのやりとりを見ている。
それなのに、きっと大輔が何となくしか感じ取れていない違和感を、
きっと具体的に気付いているはずのヤマトとか、
空とか、丈とか、だれも太一に対して言おうとはしていないのだ。
何でだろう?うーん、と考えるが分からない。下級生である大輔は分からない。
上級生組は、水面下で熾烈なリーダー争いの火種が燻り始めていて、まだ目に見える形では表面化していない。
唯一諫められるであろうその争いの圏外の空は、ネガティブ思考が蔓延しているメンバーの空気をよくする方策に
必死で没頭しているせいで、なかなかそっちにまで手が回らないのである。明らかにサポート役が足りない。
だから、もし現時点で太一に対してヤマトや丈が注意したところで、恐らく燻りつつある火種は、
豪快に爆発してしまうだろう爆弾を抱えながら、サーバ大陸をみんな冒険しているのである。
確実に禍根が残る。メンバー離脱が目に見えている。それならあえて触れない方がマシである。
内部分裂が意味するものは何か。そんなもの言わなくても分かっている。全滅である。バッドエンドである。
下級生組はなんとなく太一の異変に気付いてはいるものの、大輔のように具体的な説明が出来るほどではない。
分からない。だから、きっと太一と話したところで中途半端になってしまう。それでも結局太一との間に亀裂が入るのだ。
太一がリーダーみたいなことが出来るのは、言葉が足りなくて、配慮が足りない所を

しっかりとサポートできる存在があってこそちゃんと機能する。
状況とタイミングが最悪だったと言っていい。なるべくしてなったと言っていい。
大輔は、太一の孤独を見た。なんとかしようとした。だって、なんか、嫌だったから。
でも、それを止める手がある。ふり返ると、行かない方がいいわ、と首を振る空がいた。
空からすれば、大輔はたしかに太一に対して禍根を残さない有力手の一つだろうが、
この子はまだ幼すぎる。太一のことをきっと理解しきれない。喧嘩して仲直りしたのは知っているが、
太一の抱える問題は、大輔には絶対に理解できないものである。太一も大輔も対立したら容赦ない。
以前の喧嘩とは全く質が違うのだ。以前は話から察するに喧嘩両成敗かつ太一の方に利があった。
小学校5年生が小学校2年生に問題を指摘されて見ろ、それはきっとこれ以上ない屈辱である。
確実に先輩としてのプライドがずたずたになる。いつもの太一なら構わない。一向に構わない。
本宮大輔という少年は、むしろ空からの差し金で送り出してもいいくらいの安全物件である。
でも今の太一はいつもの太一じゃないのだ。
怒りの矛先は間違いなく、確実に、本来問題を指摘されるべき下級生である大輔に向かう。
可愛い後輩が火の中に飛び込もうとしているのを黙ってみていることが出来なかったのだった。
大輔の中で、これ以上無いほどの最高の抑止力だった。太一が尊敬するサッカー部の先輩となったことで、
ジュンお姉ちゃんとの問題が何にも解決していないにも関わらず、無理矢理行った自意識改革は
自動的に大輔の世界を崩落しつつある。世界を支えているのは、空に対する依存度である。
たちの悪いことに、大輔は空に極端なまでに依存しつつあるにもかかわらず、
相変わらず理想のお姉ちゃんしか必要としていないから、空に対しては何の負担ももたらされておらず、
しかも空自身は可愛い後輩からどういう風に見られているのかなんて、一㎜たりとも知らないのである。
初期の太一と大輔のような有様である。盲信は自殺行為だが、大輔は気付いていない。
だって、空には迷惑だなんて言われていないから。
だから、大輔はやめてしまった。ブイモンは大輔とおんなじ世界しか知らないから、興味がないから、
大輔がやめてしまうなら興味はすっぱりなくなってしまう。
ただでさえ、ブイモンにとって、太陽の紋章は心がとってもざわつくのだ。みたくないのだ。取られてしまうから。
仲間思いの性質は、結局のところ大輔ありきで構成されているに過ぎない。
パートナーデジモンはみんなそうである。パートナーが世界の中心でまわっているのだから、
何処までも優先事項は大好きな大好きなパートナーである。
まあそれが結果として大輔を傷つけてしまうと知ったから、ブイモンは頑張って色んなことをしている訳だけども。
だからブイモンは忠告する。そしたらみんなと繋がれるし、大輔から頼りにされるし、一石二鳥である。


「大輔、太一ってあんなやつだっけ?」

「ちがう。もっともっと、オレたちに優しいんだ。お荷物なんて言ったりしない。絶対に一人で戦わない。
もっと・・・・・・」

「ならなんで行かないんだよ」

「だって空サンが」


はあ、とブイモンはため息をついた。結局まだまだ大輔の一番になるのは先が長そうである。
突如、立ち上がった丈がタグが光り始めたと叫んだ。
みんな驚いて立ち上がったのでうやむやになってしまった。
望遠鏡を見た太一が、コロッセオを模した闘技場を発見する。悲劇まで、秒読み段階に入っていた。



[26350] 第10話 傲慢なる太陽 スカルグレイモン
Name: 若州◆e61dab95 ID:7e8fa696
Date: 2013/08/03 00:09
古代ローマにおいて剣闘士競技などの見世物が行われた施設が、砂漠のど真ん中に姿を現した。
中央の空間を観客席が取り囲み、全体的には楕円形の構造を持っている円形闘技場、
イタリアのローマにあるはずのコロッセオである。
大きなアーチが沢山あって、それをくぐり抜けた子供達とデジモン達は、
点滅している丈のタグを頼りにここまでたどり着いた。
でも、矢印が出ているわけでもなく、近づくにつれて光が強くなったり、
点滅の間隔が小さくなるわけでもないタグである。
この無駄に広大なコロッセオをどう探せばいいのか、全然分からない。
うーん、とみんなが考えながらとりあえず、と中央を目指して通路をくぐり抜けた先で待っていたのは、どういうわけか、
日本のプロのサッカー選手が試合をしていそうなくらい広大なサッカーのフィールドが現われた。
不自然にもほどがあるのだが、もうデジタルワールドは何でもアリである。
頓着する人間なんていやしなかった。
丈とゴマモンはタグの反応が気になるのか、休憩もしないであちこち歩き回っている。
そしたら、ころころと転がっている白と黒のボールを発見したツートップの方割れは、これだ!と思って、拾い上げ、
ずーっと歩き続けていたせいで、へとへとで、休憩中だったみんなに、ボール片手に笑いかけた。


「ねえねえ、みんな、サッカーしない?」


スポーツでもして気分を紛らわせればいいんじゃないかしら。空は満点の笑みである。
フィールドはあるし、ボールもあるし、ゴールもちゃんと2つある。これ以上ないくらい最適な環境が整っていた。
しかも子供達の中では、サッカー経験者が4人もいる上に、小学校のカリキュラムで1度は絶対にしたがあるスポーツなんて、
数えるほどしかないし、ルールだって浸透しているのはこれくらいだろう。
息抜きには最適だろう。ずーっと気が滅入っていたのだから。子供はやっぱり遊ぶのが一番である。
サッカーって何だ、とパートナーデジモン達が疑問符なので、ちゃんとルールを説明したら、みんな乗り気になってくれた。
あとはいつもみたいに太一が、我先にとボールを横取りして、蹴り始めれば始まりである。
流石にいつもと様子が違う太一だって、サッカーである。ボールを見ればきっといつもみたいに戻ってくれるはずだ。
そう思っていた空だったのだが、彼女が考えている以上に、孤独に追いやられていた。
余裕を無くしていた太一は、追いつめられていた。
やるやる、とみんながやる気を出し始めたころ、ボールを置いた空の横を、駆けていく風がある。
どごっと豪快にけり上げられたボールは、あっという間に観客席に放り込まれ、見えなくなってしまう。
空のせっかくの気遣いが台無しである。
唖然とするみんなに、とんでもないことをした少年は、いらだった様子で怒鳴り付けた。


「こんな時にサッカーとか、何考えてんだ!もっとみんなちゃんとしろよ!エテモンに追われてんだぞ、オレ達!
紋章を探すのが先だろ!そんで、丈の紋章見つけたら、すぐに出発だ。また襲われちまってもいいのかよ!」

「流石に言い過ぎだぞ、太一、ちょっとくらい休んだっていいだろ」

「なんだよ、ヤマト!紋章持ってるオレにはちゃんとしろって、
もっとよく考えて行動しろって言ってるくせに、
お前はみんなと一緒にサッカーして遊ぶつもりかよ、ふざけんな!
オレだけに全部押し付けといて、ずるいのはお前だろ!」

「……え?お、おい、太一、何言ってんだよ?考えすぎだぞ。
オレはそういうつもりで言ったんじゃないって、落ちつけよ」

「落ち着いてるよ!」


ここでようやく、自分の忠告が返って太一を追いつめていたのだ、と
気付いたヤマトは、慌てて太一の所に行って、説得を試みる。
ごめん、と親友に謝られてしまった太一は、ちょっとだけ落ち着いたのか、
自分の失言に気付いてみんなに謝った。
何やら離れたところでみんなが不穏な空気だと察したらしい丈が、
そんなに元気があるんなら、紋章探しを手伝え、と太一を名指しで呼んだ。
せっかくサッカーをやろう、と観客席の方にボールを取りに行こうとしていた太一は、まじかよ、と涙目である。
しばしの和やかムードがサッカーを再開させることになる。
いつまでたっても見つからない紋章探しに根を上げた太一が、
丈達をひきつれて、仲間に入れろとみんなの所に駆け寄るのは時間の問題だ。
デジモンチーム、子供達チーム、は反則級の守備範囲を持つ、
鉄壁のゴールキーパーのパルモンを突破することができず、
0対0の大苦戦を強いられていたので、強力な助っ人は大歓迎された。



しかし、つかの間の憩いの時間はすぐにかき消されてしまう。



電光掲示板に映し出されたエテモンが、サッカーゴールを操作して、
待っていた子供達を中に閉じ込めてしまったのである。
アミはたちまち電流の流れた脱出不可能の牢獄と化す。選ばれし子供達は、囚われの身である。
唯一ゴールキーパーと戦っていた太一だけが自由な身となっていた。
そして、召喚されたのは、エテモンに屈することなく抗い続けたために、首にダークケーブルを巻かれてしまったため、
無理やり洗脳状態となっており、遠隔操作で玩具のように扱われているグレイモンである。
使うものは死ぬまで使うという恐ろしい合理性が反映されていた。
同種族との戦いの強要である。素晴らしいお膳立てでしょ?
ゆっくり鑑賞させてもらうわあ、と観客気分全開のエテモンは、ブルーハワイを呑みほした。
傍らでは大きなうちわで風をあおっているガジモンがいる。
真っ赤な闘争本能に任せて、ゴールに閉じ込められているみんなに、グレイモンが襲いかかる。
太一は、慌てて、アグモンと共に個人による防衛戦を強いられることになった。
なりを潜めていた焦りが復活する。最悪な形で、戦いは幕を開けた。










第10話 傲慢なる太陽 スカルグレイモン










手を掴まれた。びくっと肩を揺らした大輔は、振り向いた。


「大輔」


燃え上がるような真っ赤な眼差しが見上げて来て、大輔の言いかけた言葉をかき消してしまう。
まっすぐに見上げてくる相棒が怖くて、言い淀んだまま、大輔は目をそらすが、ブイモンはそれを許さない。
凛とした声が大輔を射抜いている。震える手を掴んで、ブイモンは、なあ、と呼びかける。
音が消える。ブイモンの言葉以外何も聞こえなくなってしまう。空白の世界で、ブイモンは言い放った。


「大輔は、オレになんかあったらどうする?」


大輔は大きく目を開いて、ブイモンをみる。


「んでっ……なんでそんなこというんだよっ……!こんな時に!」

「答えろよ、答えてくれよ、大輔」

「………ま、守る。守るよ、オレがブイモンを守るに、き、まってんだろ」


しりすぼみになっていく言葉は大輔の揺れている心を反映している。
言いきれないもどかしさがちっぽけな自分を自覚させる。
しかし、どこまでも正直な少年は、嘘をつくことがとってもヘタな少年は、自分に嘘をつくことがとっても苦しくなって、
たぶん、と小さくこぼしてしまった。はっとなって、あわてて取り繕おうとする。
ちがう、そうじゃない、さっきの嘘!
もし大輔がブイモンだったら、そんなこといわれたら、きっととっても不安になってしまう、と気付いてしまったから。
案の定、とっても悲しそうな顔をしているブイモンは、苦笑いしていた。


「多分?多分ってなんだよ、大輔。絶対って言ってくれよ、こういうときくらいさ。
ホントに大輔は嘘がヘタだよね、嘘つくときくらい、カッコいいこと言えばいいのに」

「うっ……うるせえ!お前が変なこというからだろっ!
なんでそんなこと聞くんだよ、なんでそんなひでえこと聞くんだよ!
出来ねえよ、出来る訳ないだろっ……!
もし、お前が今のお前じゃなくなって、すっげー怖いデジモンになっちゃって、
すっげー凶暴なデジモンになっちゃったとしても、お前を、ブイモンを倒すなんて、
絶対できないだろ!してたまるかよ!
だけど、みんな太一先輩のパートナーなのにっ、グレイモンだったのに、平気で攻撃してるじゃねーか!
みんなそうしてるじゃねーか!ホントはやだよ、こんなことしたくねーよ、
でもオレだけだろ、そんなこと悩んでんの、オレだけだろ?!
カッコ悪いじゃねーか!だからみんなとおんなじようにしようとしてんのに、
何で邪魔すんだよ!こんなのって、どうしたらいいんだよ!」


手を振りほどいた大輔は、心の叫びを吐き出した。
攻撃を躊躇するのも、迷ってしまうのも、決心がつかないのも、すべては大輔の持っているいい所の裏返しである。
どんなときだって、直球で相手のことを理解しようと、受けとめようとぶつかろうとする心遣いの裏返しである。
しかし、これはとっても分かりにくい大輔のいい所である。
本人ですら、訳の分からないものから逃れるためにもたらされたものだ、と
誤解しているせいで、大嫌いな所になってしまっている、いい所である。
だから周りのみんなと比べてしまった時に、とってもちっぽけな自分だと、
カッコ悪い自分だと、勘違いしてしまう、弱さだと勘違いしてしまう、
直さなくちゃいけない所なんだと誤解してしまう危険を常にはらんでいる。
ものの見事に大輔の心理は迷走しつつあった。
それを射抜かれたのだ、大輔からすればたまったものではなかった。
だから悲痛になる。見ないでくれ、とお願いしたくなるくらい。
大輔はすっかり自信喪失に陥っている。
必要も無い過小評価に陥って、無理に背伸びしようとしている。かつての大輔のように。
でもブイモンはそれを許さない。
大輔の紋章だと思っていたものが太一の紋章だと思い知らされたから、大輔にしかないもの、大輔だけが持っているもの、
かけがえのないモノを探して、見つけて、絶対に取られないものがそれだと気付いたから、
安心したいから、それをつぶそうとしている大輔を見ると、とてもではないが、我慢できないのだった。
すべては大輔のためである。そうじゃなかったら、わざわざ傷付けるようなこと選んで言わない。



みんな、わかっているのだ。
戦わなくちゃいけない時があること、そしてそれが今まさに今であることを心のどこかで理解している。
グレイモンだったデジモンを信じて、パートナーデジモンを信じて、きっと元に戻ってくれると信じて、
立ち向かわなくちゃみんな死んじゃうのだ、と何にも考えなくても分かり切っていて、
他のことなんて考えていられないほど必死なのである。
そんな背中に守られる立場である大輔が、置いてきぼりにされている!と焦るのも無理はない話である。
みんなの姿やパートナーデジモンの雄姿に、あたりまえのように受け入れられている雰囲気と状況に引っ張られて、あおられて、
気付かないうちに自分の考えていることがいけないことなんだと、間違っているんだ、と思い込んでしまいかけていた。
守られる立場でありながら、みんなと一緒に戦うことが出来るというこの上なく中途半端な大輔の立場が、尚更迷走させるのだ。
守る立場のみんなみたいに、必死で他のことが考えられない訳でもなく、
一番大切なことを優先順位が付けられるほど現実が見えているわけでもなく、
守られる立場のタケルみたいに、完全なる傍観者、観客にしかなれない、
応援することだけを考えていられる余裕を抱えていられるわけでもなく。
でもだからこそ、見えてくるものがある。ぽつりぽつりと大輔はこぼす。


「グレイモン、かわいそうだよ」


本能的に逃げようと背を向けた敵のグレイモンがグレイモンだった何かによって、
なすすべなくぶっ殺された不条理を大輔は見た。
逃げようとしたということは、もう既に大輔達やグレイモンだった何かに対して、
戦意を喪失して、逃げ出そうとしたということは、
もうそれ以上に戦う必要はないということである。決着はもうついているのだ。
大輔は初めて見たのである。敵だったけど、もう敵ではなくなった、
ただのグレイモンになったデジモンが、ぶっ殺されるという、
大輔の言葉を借りるとすれば何にも悪くないデジモンが、尊い犠牲者になってしまったという残酷すぎる所を見たのだ。
加害者から被害者になって、しかも死んじゃったデジモンを初めて見たのである。
幼い心にはこれだけでも相当な苦痛である。
そんなこと、みんなの前で言える訳がないだろう。ぶっ殺したデジモンは、太一のパートナーデジモンなのである。
そしてそのパートナーデジモンは、初めてタグを介した超進化を遂げたにもかかわらず、太一に対して攻撃する、
コロッセオを破壊する、仲間達を傷付ける、なんて無茶苦茶なことを今まさに行っているのである。
エンジェモンの比ではない、まさしくおかしくなってしまったのだ。
きっとどっちも悪くない。不条理極まりない現実である。
大輔は混乱する。
敵だったグレイモンは首になんか巻かれていたから、それを取っ払ったら大人しくなったんじゃないか、とか、
助けられたんじゃないか、殺さなくてもよかったんじゃないか、とか、いろいろ考えてしまう。
でもそれは、尊敬する太一先輩とアグモンを責めることになってしまう、非難することになってしまう、
きっと一番ショックを受けているのは太一先輩と、
パートナーデジモンであるアグモンだった何かであるのに、追い打ちなんて掛けたくない。
だから必死でみんなの真似をして気付かないようにしようとしたのに、真っ赤な目が許してくれなかった。


「でも、タケルの奴、偽物だっていうしっ」


コロモンの村を見たのだから、察しのいいタケルだったら、野生のグレイモンとかアグモンとか沢山いることくらい、
気付いている筈なのに、全然大輔みたいに混乱したり、迷ったりしていないと傍から見たら見えてしまうのだ。
むしろ敵のグレイモンと太一のグレイモンの一騎打ちの時、偽物なんかに負けないで、なんてとんでもないことを言い放ったのだ。
大輔はショックだった。悩んでいるのはじぶんだけじゃないか、と追いつめられてしまったのだ。
もちろん、パートナーデジモンが幼年期であるタケルは、守られる立場を全力で頑張るしかない状況下に置かれている。
見ているしかない自分を何とか支えるために、敵のデジモンは偽物だと思い込むことで、
その不条理から逃れる防衛手段を講じているだけである。
所詮殺したのは太一のパートナーデジモンである。タケルとトコモンには関係ない話である、と
諦めの名人は無意識に判断を下して今に至る。
まだ幼年期のパートナーがそういうことをする可能性があることなんて、想像もできない。
まだ、いつか、は考えなくてもいいのだ。
でも大輔は出来る。ブイモンはエクスブイモンに進化出来る。
いつかブイモンがそういうことをするかもしれないし、これからの旅でそういう状況下におかれることに気付いてしまった。
残酷なほど対比的な二人である。


「それでいいんだよ、大輔」


握ってくれるぬくもりがある。うつむいたまま、目を見開いた大輔は、ぎゅっと目をつむった。そして首を振る。


「……なんだよ、それ」


そのままでいいんだ、と受け止めてくれるブイモンの手を振りほどける訳もなかった。


「大輔がそれを忘れないでいてくれるんなら、オレはきっとあーいうふうにはならないよ、絶対ね」


ブイモンは、みょうにはっきりとした声で断言した。そして、笑った。


「大輔が戦えないなら、オレが理由をあげるよ、大輔」

「りゆう?」

「大輔、覚えてる?サーバ大陸からきた、とっても強いデジモン。レオモンとオーガモンがやっつけてくれたデジモン。
あいつなんだよ、大輔。アグモン、そいつに進化しちゃったんだ。アグモンがかわいそうだよ。きっと止めて欲しがってるよ。
ファイル島、オレ達の故郷を、むっちゃくちゃにした、みんなが怖がってた、嫌われてたデジモンになっちゃったんだ。
しかも太一とか大輔とかみんなに怖がられてる。パートナーから嫌われちゃったら、オレ達きっと死んじゃうより辛いんだ」


だからオレ達、こいつだけは知ってるんだよ、どんだけヤバい奴か。ブイモンは言った。
ブイモンの言葉をきいた大輔は、あれ?と思った。
コロッセオに響き渡る畏怖の咆哮が、さっきまで怖くて怖くてたまらなかった叫び声が、どういうわけか、
泣きじゃくるアグモンの声にしか聞こえない。大輔の耳には、そう、克明に焼きつくことになる。もちろん、気のせいにすぎないが。
スカルグレイモンは、仲間達の攻撃などもろともせずに凪ぎ払う。
間違った進化の象徴は、どこまでもどこまでも強かった。
そして、完全体へのトリガーとして、わざと敵のグレイモンの所に飛び込んで、
挑発して、襲われそうになって置きながら、助けろって、
進化しろって強要した太一の心に深く深くトラウマとして抉りこむことになる。
グレイモンが進化しようとした時、心にあったのはなんら気持ちの昇華を伴わない、
進化という力に対する渇望だけである。
それはただの野蛮であり、無謀であり、ただの破壊と蹂躙を生む危険性をはらんでいて、実際にその通りになった。
ワクチン種、データ種、ウイルス種、すべてが発見されている珍しいグレイモンの進化経路は、進化ツリーと呼ばれている中から、
グレイモンの願いを反映して、進化形の中でも純粋なパワーでは最も優れている形として、
スカルグレイモンを無機質に選択し、プログラムは実行された。
グレイモン系列は、幼年期1のボタモンがデジタルワールドで初めて発見されたデジタルモンスターであるゆえか、種類が多彩なのだ。
しかも、太一のパートナーデジモンであるアグモンは、本人すら気付いていないけれども、実はなっちゃんと同様に、
一度寿命を終えてヒトめぐりしたデジタマから生まれており、普通のアグモンより強い固体である。
選ばれし子供達のパートナーデジモンの中では、確実に一番強い因子を持っている固体なのである。
それが明らかになるのはずっとずっと先になるが、
もともとアグモンがスカルグレイモンになる因子は、普通のアグモンよりも強かった。
それが最悪な形で反映された形である。
もしアグモンが選ばれし子供のパートナーデジモンでなかったならば、
太一のパートナーデジモンでなければ、なんら問題はなかっただろう。
本来デジタルワールドに生きるデジタルモンスターの進化には、正しい進化も間違った進化も無いのである。
それは所詮受け取り側の都合にすぎない。
だってデジモンにとって、進化は本来、どこまでも生きることと同義であり、当たり前であり、
そこに意味なんて無いのである。
どんな姿に進化しようが、退化しようが、今しか考えなくてもいいデジモンは頓着せずに生きていく。
進化した新しい自分を丸ごと受け入れて生きていく。そこに後悔もなければ、喜びもない、
とっても平穏で静かで恐ろしいほど平坦な世界があるだけだ。
デジタルワールドはデジタルモンスターのためにある世界である。
だからどこかのだれかさんだって、スカルグレイモンの存在は許容する。
ワクチン種だろうが、ウイルス種だろうが、データ種だろうが、その世界の存在意義を否定したり、
危機におとしいれるものでなければ頓着しない。
でも、アグモンは選ばれし子供の八神太一という少年のパートナーデジモンである。
だから、そこに求められる進化はどこまでも厳しく制限される。
ましてや紋章は持ち主の心の形質に大きく依存していて、デジヴァイスという特殊な力を借りて、一時的に爆発的な進化を増進させるのだ。
もうそれだけで特別である。普通の進化とはかけ離れた進化の条件が生まれる。
正しい進化と間違った進化はここから生まれる。
もちろんそんなこと知りもしない選ばれし子供達にとっては、
どこまでもスカルグレイモンは間違った進化の象徴として刻み込まれていくことになる。
恐ろしいほどの抑止力として、抉りこまれていくことになる。
もちろん、スカルグレイモンという幼年期の刻み込まれた恐怖を必死にひた隠しながら、ブイモンは、大輔にいった。


「大輔、みんなはきっと信じてるんだよ。アグモンに戻ってくれるって、信じてるんだよ。大輔はそうじゃないのか?
元に戻ってほしくないのか?違うだろ?大輔はそう思ってるだろ?迷いも悩みも全部全部ひきつれたまんまでいいだろ。
今はオレのこと信じてよ。信じてくれよ。そしたらオレはきっとどこまでも頑張れるんだ」

「ん」

「どーしたの?」

「太一先輩連れて来てくれよ、ブイモン。パートナーデジモンにとって、
パートナーになんかあった方が怖いんだって、
死んじゃうよりも辛いんだって言ってただろ。テントモン言ってただろ、ブイモンも思いっきり頷いてただろ。
アグモンが元に戻った時、太一先輩になんかあったら、アグモン可哀想だろ」


ぱっと輝かせたブイモンは大きく頷いた。かたくなに進化を拒んでいたブイモンは、ほっとした。
だって、大輔は気付いていないだろうけど、必死で誤魔化していたけれども、
大輔のデジヴァイスは進化の光を放っていなかった。
大輔はブイモンが進化しないことに苛立っていたけれども、実は出来なかったのである。
むしろブイモンはチビモンにチコモンに退化しそうになるほど、どんどんエネルギーを奪われつつあったのである。
それを必死で必死で我慢していたから、動けなかったのだ。よかった、とホッとして、ブイモンは飛び上がる。
あんなことを聞いてしまったけれども、もしブイモンがどうにかなってしまったら、それはもうヤバいことになるだろうな、と
ブイモンは思った。
大輔のいいところもわるいところも、はらんでいる危うさも、全部全部気付いているのはブイモンだけなのだ。
抑止力になってあげられるのはブイモンだけなのである。もし、その存在を大輔が失ったらどうなるだろう。
それはきっと抗いがたいほどの魅力を持っている。
きっと大輔は唯一の理解者であるブイモンのためなら、それこそなんだってするだろう。
ヘタをしたら命すら差し出してくれるかもしれない。ブイモンのことだけ考えてくれるかもしれない。
そのまんまの大輔を丸ごとを肯定してくれたのは、ブイモン以外には、もう死んじゃったなっちゃんしかいないのだ。
1番になりたいブイモンには夢のような感じである。大輔の頭の中はきっとブイモンのことだけである。
でもそこにいるのは、きっとブイモンの大好きな本宮大輔という少年でなくなっているのは間違いないといえる。
だから、想像は自由だが、実行に移すほどブイモンはバカじゃない。
非常に残念ではあるが、大輔のことを渡ってあげられる人が必要になる。
もちろん、大輔がそんな極端な道に突っ走ることなんて、あり得ないだろうけど。
絶対あり得ないと言いたいけども、危険な綱渡りは嫌いだ。
大輔の声援を受けて、ブイモンは、エクスブイモンに進化して跳んだ。
まあ、オレがあんなふうになっちゃわないのが一番手っ取り早いよね。






結局のところ、ほかの選ばれし子供達も成熟期に進化したパートナーデジモン達も、
スカルグレイモンに対して何にもすることが出来なかった。
スカルグレイモンは、進化エネルギーを使い果たし、コロモンに退化することでようやく暗黒進化の呪縛から解放された。
崩れ落ちたコロモンを真っ先に抱っこしたのは、太一である。
ごめん、ごめんな、と抱っこする太一は、追いかけてきたみんなにも謝罪した。


「ごめんな、みんな。いつの間にか、オレだけで頑張ってる気になっちゃって、一人で突っ走って、ホント、ごめん」


うなだれる太一に、心配するなと気にするなと笑いかける。
悪いことをしっかりと認めて謝れるのは、みんな共通するいい所である。
しかし、和を重視するあまり、太一を誰ひとりとして止めることが出来なかった、
アグモンと太一を分かってあげることが出来なかったみんなに、
説教することが出来る権利などもとから無いのも、事実である。
みんな、わからないのだ。なんでタグとデジヴァイスの進化で、グレイモンがスカルグレイモンに進化してしまったのか。
憶測でしかものを語れないみんなに、太一に情報を提示することなんてできない。何もかも情報が足りない。
ただ色濃く心に残された残酷な事実だけが影を落とす。
この日から、太一が真のリーダーとして開花していくための、苦難の道のりが開始された。


「コロモン、ごめんな」

「ううん、ごめん太一。みんなの期待にこたえられなくって、ごめん、ホントに、ごめんね」


太一はもういたたまれなくなってコロモンを抱っこした。この瞬間、みんな知ることになる。
パートナーデジモンは、どこまでもどこまでもパートナーが全てである。
対等なんかじゃないのである。そこには明確な優劣がある。
だから、ずっとずっとパートナーである選ばれし子供達がしっかりしなくてはいけないのだ、という事実が、初めて明示されたのだった。
沈み込むみんなの中で、大輔がこっそりブイモンをみてつぶやいた。


「やっぱり怒んないんだ、コロモンも。やっぱお前らへんだよ」

「へんっていうなよう、大輔」


ブイモンは困ったように肩をすくめた。



[26350] 第11話 続・ちびっこ探検隊 その1 
Name: 若州◆e61dab95 ID:d20ea322
Date: 2013/08/03 00:09
みんなのごめんねとよかったを沢山受け取った太一とコロモンは、ほんの少しだけ元気になっていた。
今か今かと待ちわびているゴーグルを付けている後輩と目があって、
どーした?と呼びかけた太一は、一直線に駆け寄ってきた後輩を見下ろした。
大輔はヘアバンド無しで直接ゴーグルを頭に着けている。
そのせいで、一度は強引に頭から取って投げ捨てた時に、ゴムの辺りが不自然に伸びてしまった。
実はこっそり回収していたブイモンから受け取ったとき、
四苦八苦しながら調節して、再び頭に着けるようになった後輩のゴーグルは、
やっぱりいつも微妙に傾いている。
誰かに言われて直すのだが、やっぱりすぐにずれてしまうのだ。もうびよんびよんである。
首にかけているひものせいで、ゴーグルを首にぶら下げるという選択肢は消滅しているから、もうどうしようもないが、
今度は尊敬する先輩のまねっこをしたいんだ、と無邪気に笑う微笑ましさを邪険にできるような薄情な奴、誰もいやしなかった。
ちょっと、いやかなり落ち込んでいる太一には、正直今の大輔は直視できるものでは無かったりするのだが、えーっと、あの、と
言葉を必死に探している勉強嫌いが悪戦苦闘しているので、思わず笑ってしまう。
なんすかー、と口をとがらせる大輔に、太一は早く言えよ、と発破をかけて、
うぐぐ、と大輔を悔しがらせた。


「何て言っていいかよく分かんないっすけど、えーっと、えっと、ゴメンナサイ。ごめんなさい、太一先輩」

「はあ?なんで大輔が謝るんだよ?」


いろんなことを考えてみても、太一は大輔に謝罪される覚えはないので、何のことだと首を傾げた。
むしろ尊敬する先輩として慕われたいと主張しておきながら、思いっきり大輔の期待とかそういうものを裏切った挙句、
愛想尽かされても仕方ないような大失態をやらかした訳だから、正直まだ先輩と呼んでくれる大輔が微妙に感動である。
こいついい奴すぎる、と今更過ぎる認識を新たにしつつ、太一は真意を問うてみたが、
相変わらず感覚で物事をとらえることが大得意で、
相手に説明することがすさまじく苦手な直感型は、ものすごく困っていた。
あ、こいつ、自分で言ってること分かってねえな、と
長年の付き合いにより直ちに把握した太一は、大輔の口から語られるであろう、
ものすごく抽象的で大雑把な理由の解読作業を開始する。


「太一先輩がなーんか変だなーってのはわかったんすけど、どこが変だとかわかんなかったんすよ。
だから、何とかしなきゃなーとか、太一先輩ほっとくのなんかやだなーとは思ったんすけど、
何にも出来なくってごめんなさい。
オレが心配しなくっても、太一先輩なら大丈夫だろうって思ってたんすけど、やっぱオレ、心配してたんすよ。
オレ、行こうとしたんすけど、空さんに止められちゃって」


ちら、と視線を向けた太一に、空は苦笑いを浮かべるだけである。
空の行動は大正解である。でもやっぱりなんか落ち込む太一である。
焦燥感といらいらと訳のわからないものに、せき立てられるような強迫観念に襲われていたことを鮮明に思い出せる太一は、
きっと大輔に八つ当たりして酷い言葉を浴びせかけ、
それこそ大輔と太一の仲が修復不可能になるような最悪の事態になるのはわかる。
でもやっぱり心中複雑である。尊敬する先輩であるというのも、
お兄ちゃんであるということと同じくらい大変なのかもしれない、と初めて太一は知ったのだった。


「いいんだよ、大輔。謝んのはオレの方だろ、ごめんな、大輔にブイモン。
まだお前らに言ってなかったよな。
遅くなっちまったけど、オレ達のために頑張ってくれてありがとな。
危なくなった時、エクスブイモンに助けてもらわなかったら、
多分、オレ、どっかケガしてたんだ。ありがとな」

「ありがとね、大輔、ブイモン。僕、もし太一にケガさせてたら、僕、
きっと立ち直れなかったと思うんだ」


太一と腕の中のコロモンから、ありがとう、と言われた大輔はきらきらと目を輝かせて、よっしゃー!と声を上げてブイモンを見る。
ありがとうだって、ありがとうだって、ブイモン、オレ、太一先輩とアグモンからありがとうって言ってもらえた!
ブイモンはずーっと頑張ってきた大輔を知っているから、よかったね!と満点の笑みである。
おう!、と元気いっぱいにガッツポーズして返答した大輔は、久しぶりに言ってもらえた言葉に感無量である。
そして、それはそれは嬉しそうな顔をして、はい!と頷いたのだった。両手放しで大喜びしている大輔に置いてきぼりの太一である。
あたりまえのことを言っただけなのに、なんで今だけ大喜びしてんだ、こいつ。へんなの。


「………太一、やっぱりわかって無かったんだ」


宣伝カーと化した大輔がタケルとトコモンに自慢しているのを眺めながら、ブイモンは、
不動の尊敬の先輩ポジションを確立した太一に、
嫉妬の眼差しをむけながら、顔は笑っているくせに、びっくりするほど無感情な声で言い放つ。


「ジュンお姉ちゃんと仲が悪いって、こういうことなんだよ、太一」


すべては大輔の理解者を増やすためである。今はただ痛みと引き換えに。
あー、と呟いた太一は、弟として認めてもらえない、褒めてもらえない、
お姉ちゃんが分からない、とくすぐり攻撃に屈して、
けたけたと笑いながら必死で説明していた大輔の言葉を思い出して、頭をかいた。
せっかく人が元気になり始めたのに、傷に塩をえぐりこむような所業をするブイモンに、降りてくるのは恨み節である。


「前から思ってたけど、ブイモンってオレのこと嫌いだろ」

「嫌いじゃないよ、大輔が尊敬してる先輩だから」


全然好きじゃないけどな、と生意気にも言い放つ笑顔が言いきる前に、
太一はこめかみにしわを寄せて、この野郎、と足が出ていた。
ぱたぱたぱた、と走ってきた大輔は、べたん、と何もない所でこけているブイモンを見て、
大丈夫かよ、と心配しながら手を差し伸べた。
だいすけー、太一がいじめるんだ、と言いつけようとしたのを、ばらすぞこら、という無言の圧力で阻止した太一は、
今度はどうしたんだよ?と返した。大輔の用はコロモンである。


「え?僕に用事?なに、大輔」


ブイモンと太一の間にとび散るばちばちを、我関せず、といったスタンスで、のんびりと眺めていたコロモンは、
無い首の代わりに饅頭のようなピンク色の身体ごと傾けた。


「怖がってごめんな、コロモン」

「え?」

「スカルグレイモンになって、一番怖かったのコロモンだよな、怖がってごめん」


怖がってごめん、なんて初めて言われた言葉である。というか、そんな言葉、
どういう思考回路をたどれば、結論に至るのかさっぱりである。
スカルグレイモンの存在それ自体が、選ばれし子供達、パートナーデジモン達、
そしてデジタルワールドに住むデジタルモンスターにとって、
恐怖の代名詞なのである。怖がるのが当たり前である。
だからコロモンにとっては、みんなが怖がるのは仕方ないし、当たり前である。
何にも考えていなかったので、まさに青天の霹靂だった。
とりあえず、コロモンはマイペースな性質だ、そこまで深いこと考えない。
ブイモンは大輔に向けて言った言葉が、
ちゃんと大輔が大輔を見失わない道筋になっていることを確認して、こっそり笑った。
ぱちぱち、と瞬きしていたコロモンは、にまーっと大きな口を弓のようにつり上げる。真っ赤な目が笑った。


「ありがと、大輔」


太一の腕からぴょこんと飛び出したコロモンは、兎の耳みたいに長ーいピンク色のそれで、大輔の頭に巻き付く。
みんながぽかーん、としている前で、コロモンは大輔の顔面に張り付いた。
忘れかけていたトラウマの再来である。恩を仇で返されると思っていなかった大輔は、
顔が真っ青になって、ばんばん、とコロモンを叩く。
我に返った太一は、何やってんだ、お前っ!と悲鳴を上げて、
あわててコロモンを引っ張り、ブイモンもなにやってんだよ!と絶叫で引き離す。


「友達のしるしだよ」


前世の記憶が戻ったのかどうかは定かでないが、コロモンはあっけらかんと笑った。
降ってきたのは太一のげんこつである。
身体の力が抜けてしまった大輔は、首にもたらされた圧迫感から逃れるのに必死でそれどころではない。
あ、と自分の仕出かしたことをようやく把握したマイペースは、ごめん、大輔!と慌てて謝罪する。
だ、だいじょぶ、だって、あはははは、と思いっきり言葉が上滑りする。
どこが大丈夫だよ、目の奥は怯えきってるくせに。
大輔、大輔、と心配そうに手を握って必死で呼びかけるブイモンのおかげか、コロモンに悪気はないと知ってか、
パニック状態はすぐになりを潜め、力が入らないものの大輔は大きく深呼吸できるくらいには元に戻った。
ちょっと気を抜いたらこれである。抱きつけるのは先になりそうだ。これでもずいぶんとマシにはなったんだけども。


「お前なあ、友達のしるしって、デジモンはみんなそうすんのか?」

「そんなわけないだろ、太一!」

「うーん、なんだろ、すっごく嬉しくなった時にこうやってた気がするんだ」

「なんだそりゃ」


あきれ顔の太一である。ブイモンに手を引かれて立ち上がった大輔は、ごめんね、としょぼくれるコロモンの頭をなでた。
そんなやり取りをたまたま目撃したのか、硬直していた女の子の絶叫が響いた。


「あああああっ!なんてことするの、コロモンっ!」


コロモンの暴挙を見て飛んできたのはミミである。いつぞやの暴走モードスイッチが入っている。
ミミ待ってー、と追いかけたパルモンが見たのは、
ダメじゃなーい!何がお友達のしるしよ!と猛抗議するミミの姿である。
いや、オレ大丈夫っすから、とコロモンがかわいそうになってかばおうとした大輔に、
これは大事件なの、大輔君は黙ってて!と暴走特急に言われてしまえば、
ブイモンともども、直立不動でハイと言うしかない。
腕の中のコロモンが怒られているのに、何でか自分まで怒られているような気がして来
て、太一は顔をひきつらせた。
ミミの入浴シーンを見てしまったというラッキースケベで払った代償は、あまりにも大きかったようである。
おかげで年下なのに空みたいに呼び捨てで呼べない。ミミちゃんとしか呼べない。
切羽詰まったら呼び捨てになるけども。


「いーいっ?!デジモンがどうかは知らないけどっ、一番最初にするキスは、ファーストキスって言うの!
男の子も女の子も関係無くって、すっごくすっごく大事なんだから!ぜーったい、もう誰にもしちゃだめー!
大輔君かわいそうじゃない!ファーストキスってすっごく大事なのに、すっごく大事な思い出として、みんなで喋ったりするのに!
みんなが、だれだれちゃんとやっちゃったーとか喋ってるのに、大輔君だけコロモンとしちゃったって言わせるとか最低よっ!」


大声で叫ぶミミによって、同情めいた眼差しが大輔に向けられる方がよっぽど被害が大きいのは気のせいだろうか。
むしろ目をそらして肩を震わせているのは気のせいだろうか。
中途半端に耳年増な大輔は、可哀想にミミの言いたいことが分かってしまって、
みんなからの眼差しの真意が特定できてしまって、もういたたまれない。
何この公開処刑。かばってくれているはずのミミがまさかのトドメである。
すっかり涙目の大輔である。
もういいっすから、やめてくださいい、と消え入りそうな声でいう大輔に、
ますます見当違いの正義に燃えるミミの大熱弁に熱が入る悪循環である。
ブイモンはミミが言っていることについていけなくて大輔に聞こうとしてくる。
もうやだ、誰か助けて、と視線を向けるが誰も助けてくれない。
しばらくして、すっかり拗ねてしまった大輔をミミがごめんねと必死でなだめる光景が目撃されることとなる。


ちなみに。


にやにや笑って大輔の肩を叩いた薄情な先輩は、妹であるヒカリともども、
昔コロモンによって同様の被害にあっているという悲しき現実が、
封印されていた記憶が解き放たれた時に明らかになるという事実を、
この時は幸い知りもしないのである。


「太一さん、元気出ました?」

「え?」

「もう過ぎたこと後悔したって何にもなりませんよ。こーいうときこそ、コロモンのために太一さんが元気出さなくっちゃ」

「ミミちゃん」

「コロモン、友達のしるしは、太一さんだけにしないとダメよ?」

「ちょっとまて」









第11話 続・ちびっこ探検隊










本宮大輔の平日は大抵母親のいい加減起きなさい!という絶叫とベッドの落下からはじまる上に、時間との戦いである。
二度寝上等の遅刻寸前の寝坊が全ての原因だ。目覚まし時計がねを上げるほどの酷さなので、本人すらもう諦めている。
慌ただしくご飯を食べて、朝の支度をして、ランドセルと持ち物袋とスポーツバック抱えて飛び出すのだ。
当然ながら、お弁当を持って、とっくの昔に行ってきますと出て言ったジュンの姿が無いのは当たり前である。
サッカー部の練習がある日は4時から6時までだけど、サッカー部の友達と日が暮れるまで遊んでいる大輔が家に帰ってくるのは、
大抵7時から8時の間くらいである。もうくたくたで帰ってきたら、
お風呂に入って、ご飯食べて、歯を磨いて寝るだけである。
宿題とか時間割の準備は寝ぼけながらやるので間違っていることが多いため、もう親のおせっかいが無いとちゃんとできない。
忘れ物なんかしょっちゅうで感想文を書かされるのはもう慣れてしまった。先生も出来の悪い生徒は何とやら、で苦笑いだ。
サッカー部の友達とか、クラスの友達から宿題をうつさせてもらえるようになったのはいつからだったか、もう大輔は覚えてない。
サッカー部の練習が無い日も結局は学校の友達とか、近所の友達と遊びに出掛けることの方が多いため、結局帰宅は7時頃だ。
土日は確実にサッカー部の練習でつぶれる。1,2年生が午前の時は、光子郎や太一、空達高学年は午後とわかれて練習することが多いが、
先輩たちの練習を応援したり、練習の参考にしたりするので、遊んでもらったり、一緒に帰ることを考えると、
学校の無い日は代わりにサッカーで塗りつぶされているだけのような気がする。
家にいる時間帯の方が短い。長いのは何にも無い休日だけである。
一方、ジュンは中学生である。何をやっているのか大輔は知らないが、毎日帰ってくるのは8時くらいである。
だから、大輔とジュンが毎日確実に顔を合わせる時間は、夜しかないのである。
しかし、ジュンも大輔と負けず劣らず行動的であり、友達の家に泊まりに行っても怒られない年齢であるためか、
しょっちゅうどこかへ遊びに行っては数日帰って来ないとか当たり前、
いわゆる戦利品だけリビングにどーんと置いてあったりすることがよくある。
それによく部屋にこもって、なんかしていることが多い。みんなに入ってきてほしくなかったりすると鍵をかけるのだ。
本人に言わせれば、長電話だったり、宿題だったり、自分の時間を有効活用したいらしい。
大輔が部屋の鍵をかければ両親は怒るのだが、何でかジュンは許されているのが
暗黙の了解である。何でかはさっぱり分からない。誰も教えてくれない。
生活サイクルが違いすぎるのは、6歳の壁だろうか。


「テレビは一緒に見ないの?」

「みねーよ、8時から10時ってドラマばっか見るんだよ、姉貴のやつ。
オレがバラエティとかスポーツ見てんのに、勝手にチャンネル変えるんだ。
しかもなんか最近、好きな芸能人が出てるとか言って、怖えードラマばっか借りてくるんだよ」


怖いのが苦手な大輔からしてみれば、アニメでも十分怖いのに、実写化なんてなんのイジメだレベルである。
母親とタッグを組まれては、リモコンの主導権などいつだって女性陣であり、肩身の狭い思いをするのは大輔だ。
たまに勝てば早々にジュンは自分の部屋に撤退するし、大輔も同様である。全然興味が無いテレビなんて面白くも無い。
もちろんチャンネル争いはなかなか熾烈である。ゲームやるか、テレビ見るかどっちかにしなさいって怒られる。
ながら食いしてる母親に言われたくないが、いらないのね、とお弁当を人質にとられると強く出れない。
多忙極まりないサッカー部の活動は、理解を示している両親の支え合ってこそである。


「ゲームは?もしかして大輔君だけとか、ジュンさんだけ、とかになってるの?」

「流石にテレビゲームは一緒だよ、携帯ゲームはちげーけど」

「僕もそうだよ。じゃあ、一緒に遊んだらいいんじゃないかな?僕、お兄ちゃんとよくゲームするよ」

「え?タケル、夏休みとかしかヤマトさんと会えねえのに、ゲームすんのかよ」

「うん。だってお兄ちゃん、僕じゃまだ出来ないゲーム、一杯持ってるんだよ!
いっつも頑張ってるから、お父さん買ってくれるんだって。
お母さんにはないしょで、お兄ちゃんと一緒にするのが楽しみなんだ」

「へー、そうなんだ、すげーな。オレん家は、お小遣い制だから、
勝手にいろいろ買ってるよ。小遣い帳つけろってうるさいんだよなー」

「あ。そーじゃないってば、大輔君。ジュンさんがゲームしてるの見たこと無いの?」

「見たことはあんだけどさー」

「一緒にやらないの?」

「無理だって。オレがやってるとき、ぜーんぜん興味なさそうだし、
むしろどけってコンセントごと抜いてくるんだぜ、無茶苦茶だろ。
それになー、あれはなー……全然面白そうじゃねーし、なんか話しかけづらいんだよ」

「なんで?」

「ゲームやってるときの姉貴、あんま好きじゃねーもん。コンサートのビデオみて、大騒ぎしてる姉貴なんだ。
長電話してる時の姉貴なんだ。ぜーんぜんオレのことなんか気にしてないし、
邪魔だって怒るし、悪口言ってる姉貴と一緒なんだよ。
それになんかこえーんだよ。なんでかヘッドフォンしてるし、にやけてるし、
なんかゲームのキャラと恋愛してるやつばっかやってるし。
オレRPGとスポーツのゲームしかやんねえからなあ。タケル面白いと思うか?」

「……ごめん、僕も大輔君と一緒だもん。つまんないと思うや。
そっかー、お姉ちゃんだから大輔君と好きなものが全然違うんだね」

「そうなんだよ。だからオレから聞くしかねえかなあーって思って、もう1年過ぎちゃったんだよなあ。
姉貴、あの日から一度もお弁当作ってくれねえし、やだって、めんどくさいって言われるし、
サッカーの試合とか一度も来てくれねえんだよ。いっつも留守番とか用事でどっか行っちまうんだ。
サッカー嫌いなのかなー、でもあの日までは、どうだったとか、どんな感じだとか、いろいろ聞いてくれたんだよ。
やっぱ姉貴のことわかんねーや」

「ごめんね、大輔君。僕お兄ちゃんじゃないから何にも出来ないや」

「え?あー、いーっていーって気にすんなよ」

「えー、なんだよう、なんでそんなにあっさり言っちゃうの?僕、やっぱり頼りない?」

「ちげえよ、話聞いてもらえるだけで結構楽になんだってば。今まで誰にもここまで話したことなんてなかったしなあ」


案外、この友人に必要なのは、弱さを見せられる友達なのかもしれない、と
大輔から相談を受けたタケルは思ったのだった。でもやっぱりもどかしい。
大輔に相談した時には、大輔は経験則からアドバイスをしてくれたのに、タケルは同じことをしても、
全然役に立てていないのである。お姉ちゃんとお兄ちゃんという、
性別が違うというだけで、ここまで全然違ってしまうものなのかと思ってしまう。
親身に相談を聞いてくれた立場の人間から、自分の悩みが間違っていないのだと、おかしくは無いのだ、と
肯定してもらえるだけでどれだけ支えになるのか、たった8年しか生きていない子供に、
そのありがたさが分かる訳もなかった。
もっとわかりやすいものじゃないとやった気がしない。
大輔は十分ありがたいと思っているのだが、なかなか伝わりにくいことである。


「オレさ、この世界に来てから、ずーっともとの世界に帰れたら、
姉貴に聞いてみようって決めてたんだけど、やる気出てきたぜ。サンキュー」

「え?そうなの?」

「おう。だからずーっとPHS付けてんだ、オレ」

「おまじない?」

「みてーなもん」

「・・・・・・・・お願い事って、誰かにいっちゃダメなんじゃなかったっけ?」

「え゛」

「あ、え、えーっと、ぼ、僕誰にも言わないから!」

「お、おう、よろしくなっ」

「うんうん任せて」


うっかりをかき消すべく、こくこくと頷いたタケルに、大輔はほっと安堵のため息をこぼした。
タケルはヤマトと同様口が堅いことに定評がある。きっと大丈夫だろう、この頑固者なら。


「それにしてもあっちーなあ」

「うん、あついよー、死んじゃいそう」


大丈夫か、と互いにパートナーデジモンを見てみるが、いつもなら口出ししてくるようになったはずの彼らですら、
大輔とタケルの会話を聞くのが精いっぱいで、ぐだーっとしている。灼熱地獄である。
熱中症を危惧して、ペットボトルの水やら、木陰やら、何かと気にかけてくれる上級生組のおかげで、
わりかしタケルと大輔、そしてパートナーデジモンは元気な筈なのだが、なかなかうまくいかない。


「ねー、大輔君、大輔君はゲンナイさんのこと信じてるよね?なんで?」

「あはは、勘だっていっただろ」

「うそつきー、隠し事はもうおしまいって言ったのに」

「だってよー、仕方ないだろー、太一先輩が誰にも言うなーって」

「太一さんが?」

「うん」

「そっかー、太一さんが言うんなら仕方ないよね。でも大輔君、
なんで太一さんにはしゃべったのに、僕には喋ってくれないの?」

「いろいろあるんだよー、聞かないでくれよー、オレだって好きで隠してるわけじゃねーんだよ」


返された言葉はわりかし切実である。
大輔が隠し事が不得意なのは周知の事実であることを考えると、ちょっとかわいそうな気がしてしまう。
とりあえず、タケルが相談相手として、友達として、信頼できないからでは断じていないのだ、と
それだけは大輔はわりと必死で口にしたので、タケルはちょっと安心する。


「でも、オレもちょっと自信無くなってきたなー。ゲンナイさん、言ってること訳わかんねー」


ちょっと迷いが出始めている大輔に、タケルはうんうんと頷いた。
そしてちょっと違和感。やっぱりまだ信じてるんだ。
だって、タケルは知っている。敬語を崩してくれた光子郎ですら、
年上には敬意を払う丈ですら、ゲンナイのことは呼び捨てである。
タケルは癖でさん呼びになってはいるものの、心の中では普通にみんなと一緒に呼び捨てである。
サッカー部の上下関係で年上には敬語が当たり前である(ヤマトと太一が丈を呼び捨てなのは棚上げだ)大輔は、
そんな中でも最初からさんづけなのである。一体何がどうなったらさん付できる人になるんだろう、とタケルは不思議でしょうがない。
スカルグレイモンは怖い、紋章による進化はなんかおかしい、とみんな思い始めている。もちろんタケルもその一人である。
でも、いつまでもトコモンがトコモンのままでいていいのか、といえば、そういう訳にもいかない。
ポヨモンがトコモンに進化してから、タケルが真っ先にやったのは、コロモンの村での失踪をちゃんと叱ることだった。
パグモンからボタモンを守るためとはいえ、勝手に誰にも言わずに飛び出してしまったのはポヨモンが悪いのが事実である。
なんで頼りにしてくれなかったんだよ、パートナーでしょ!と怒ったタケルに、初めて喧嘩できる嬉しさをかみしめながら、
トコモンは大きく口を開けて、全然起きなかったくせに!といい返し、微笑ましい喧嘩があったことはもう大輔には報告済みだ。
どのみち、何にも出来ない自分を歯がゆく思う起爆剤となっているのは確かであり、自然と紋章に話題は上っていく。
コロッセオの大騒動の最中、牢獄と化していたサッカーゴールから脱出するために穴を掘っていたデジモン達は、
その下が地下道になっていることに気付いて、そこで紋章のレリーフが刻まれたレンガを発見した。
たちまち丈のタグにおさまった紋章は、灰色をしていて、オレンジ色だった太一の紋章とは全然違っていた。
十字架に直角三角形が4つ配置されているデザインである。どうやらデジヴァイスとは違って、紋章はみんな違うらしい。
それでも、ゲンナイの言う通り、タグと紋章を揃えて、
デジヴァイスで進化させたにも関わらず、グレイモンはスカルグレイモンになってしまった。
話と違うではないか。おかしいではないか。
そう選ばれし子供達とパートナーデジモン達が思うのも無理はない話である。
数時間前、大輔達の前に、ゲンナイがホログラムで再び姿を現したにも関わらず、
相変わらずの一方的な問答に終始したことも引き金である。
彼らにとって、パートナーデジモンと、進化という力が、
今までの冒険とこれからの明日を歩んでいくうえで何よりもかけがえのない支えだった。
エテモンという脅威を前にして、新しい進化は急務なのだ。
それなのにかけがえのない支えに突如不安要素が出現したのである。
不安に思うな、という方が無理である。この世界のことを子供達はあまりにも知らない。
スカルグレイモンの件、コロモンに強制退化した件を、八つ当たり気味に報告した太一に対して、
爺呼ばわりされたゲンナイが言ったのは、以下のとおりである。
相変わらずの飄々とした様子で、ゲンナイは新情報を提示した。
ミミが紋章なんていらない、という当たり前の意見を口走ると、返ってきたのは新事実。
紋章とタグは惹かれあうものであるため、そこに持ち主の所持の意思は一切考慮されないという、
どこの呪いのアイテムだ、と突っ込みたくなるような特別仕様であるらしい。もはや詐欺レベルである。
相変わらず、申し訳ない、とか、無理をさせて済まない、とか一切謝罪を言わないゲンナイである。
なんだか人間じゃないみたいだ、とうすうす子供達は気付きつつあった。まるで機械みたいだ。あながち間違っていない。
そしてコロモンに退化した理由は、タグと紋章を揃えても、「正しい育て方」をしないと「正しい進化」はしないし、
「間違った進化」をするから、らしい。なんだそれ、と選ばれし子供達の心が一つになった瞬間である。
今まで子供達にとって、パートナーデジモンはかけがえのない仲間であり、「育てる」なんて言葉、意識するような関係性ではない。
でも、コロモンの件で、パートナーデジモンとパートナーは対等ではなく、子供達がしっかりしなければいけないのだ、と
明示されたばかりの子供達は、もしかして今まで接してきたことが間違っていたのではないか?と意識したせいで揺らぎ始めているのだ。
ましてや太一とアグモンペアが「間違った進化」をやってしまっているのだ。みんな不安になる。当然である。
ゲンナイが言っていることも間違ってはいない。間違ってはいないのだが、
選ばれし子供達は徹底的に情報が足りないせいで、
ゲンナイの言っていることの真意が全くと言っていいほど伝わっていなかった。
この世界がどういう世界で、デジタルモンスターがどういう生き物で、選ばれし子供達とは一体何なのか、
デジヴァイスは何なのか、パートナーデジモンとパートナーは何でいるのか。どうして出会ったのか。
これらが全て例示されて初めて、「間違った進化」「正しい進化」「正しい育て方」の意味が理解できる。
でもそれが出来るような状況下に無いから、選ばれし子供達はデジタルワールドに呼ばれたわけで、なかなか難しいものである。
これは選ばれし子供達が、紋章という心の形質が重要視される選ばれし子供達であることが拍車をかけていた。
余計なことを情報として与えてしまっては、返って様々な障害が発生する危険性をはらんでいる。
かつて5人の選ばれし子供達をデジタルワールドの危機において、呼んだ経験があるデジタルワールドでさえ、
紋章の力は測りきれない前代未聞で、なおかつ未知の存在である。
持ち主の彼らの可能性に全てを賭けて召喚したものの、だ。
デジタルモンスターのために存在する世界が、デジタルモンスターではない彼らを
支援すること自体が、現在進行形で初めてだらけである。
試行錯誤だらけで、なおかつ予行練習なし。
ぶっつけ本番で、失敗したら全滅エンドという素晴らしく切羽詰まった状況下である。
結構お互いにどっちもどっちだったりした。
結局、わけのわからないことだけ言って、また通信が途絶えて消えてしまったホログラム。不安だけしか残さない。
選ばれし子供たちもパートナーデジモン達も、確実に疲れているのはゲンナイの言葉が灼熱地獄に加算されているからである。
パートナーデジモンに「正しい育て方」をされているのか、なんて自覚あるわけない。
選ばれし子供たちにも、「正しい育て方」をしている自信は皆無である。
そして思いだされる「間違った進化」のスカルグレイモン。
これで気が遠くならないのは人間じゃないだろう。きっと人がいの何かである。


「正しい育て方ってなんだろう?」

「ねえねえ、タケル。僕とタケルはトモダチだよね?トモダチって、育てるの?」

「うーうん、違うよ、友達はね、一緒に頑張ってくんだよ。びょーどーでたいとーなんだよ」

「うーん、それってだめなのかなあ?」

「やだよ、僕、パタモンとトモダチだもん。それが間違ってるって、絶対やだ。
ねえ、大輔君、ホントにゲンナイさんのこと、信じてもいいの?」


タケルとパタモンはもともと立ち位置が非常に近い。優劣なんてわからないくらい。
みんなとはちょっと違う関係性を構築しているためか、違和感もひときわ際立つのだろう。
ゲンナイのことは信じられない、と今のところタケル達は思っているし、
結果的に見れば「正しい育て方」は文字通りに捉える必要はないので、
タケル達の考え方は限りなく正解に近い。おかげで困惑しきりなのは大輔である。
「正しい育て方」に違和感を覚えるのは事実だし、おかしいと大輔の勘が告げている。
でも大輔はゲンナイさんを疑えない理由が確かにあるから、ゲンナイさんが何を考えているのか、多分意味はあるんだろう、と
どこまでもポジティブに受け止めるしかないので、そこを突っ込まれると弱い。
大輔はもともと説明できない直感で世界を生きている。


「考えてたってしかたないだろー、そのうちわかるって」

「えー」


タケルは大輔の大雑把さの極致を見た。わかんないなら、わかんないままほっとけ、と
途中で問題を分投げやがったのである。
タケルの質問には全く答えていないが、大輔が言わんとしていることが分かってしまう観察眼の持ち主は、
大輔がこんなにあやしいゲンナイさんを前にしてもなお、信じることが出来るものがあるのだ、と受け取った。
うらやましい限りである、楽観主義にもほどがある。大輔らしいが。


「ねえねえ、ブイモン、なんでそんなに嬉しそうなの?不安じゃない?」

「え?だってオレ、大輔に正しい育て方も間違った育て方もされた覚えないもん。
だからよくわかんないんだよ」

「あははっ、そーだよね。大輔君って難しいこととか、全然わかんないって言ってるけど、なんでか間違ったことしないよね」


遠くでは大輔を笑っているように見えたらしい。


「おいそれどーいう意味だよっ!」


追っかけっこがはじまってしまうが、遠くから聞こえた汽笛の音が全てを停止させる。
でっけー、と大輔は眩しそうに手で影を作りながら空を見上げた。
灼熱地獄のサバンナのど真ん中を突っ走る豪華客船が現われたのである。




[26350] 第12話 続・ちびっこ探検隊 その2
Name: 若州◆e61dab95 ID:450f02a4
Date: 2013/08/03 00:10
「ぬわんでっ……!」


ひいい、とガジモン達は平伏する。


「ぬ、わ、ん、でえええ!!」


きいいいん、とスピーカーから耳をつんざくような甲高い音がどんどん聴覚を破壊していく。
エテモンの大激怒と比例して巻き起こる騒音はいつものことだが、とりわけ今のエテモンはすこぶる機嫌が悪い。
おい、お前が何とかしろよ、バカ言え、オレに死ねってか?!、オレだってやだぞ、いけにえになんかなりたくねえよ!
とこそこそ話しあっているガジモン達は、びくっとした。


「なに悠長におしゃべりなんかしてんだ、てめえら。てめえら達も俺様をバカにしてんのか?」


おねえキャラ(デジモンに性別は存在しないため、厳密にいえばエテモンはおねえキャラでもオカマキャラでも無い)
を忘れたドスの利いた声が下りてきたからである。やべえ、本気で怒ってる!
エテモン様怒ってるっと大量の汗を出したガジモン達は、
何でもありません、すいません、許して下さい、と最敬礼で持って許しをこう。
ふん、と冷酷無情な面を垣間見せたエテモンは、笑った。


「どこぞの大バカみたいになりたくなかったら、アンタ達もせいぜい身を粉にして働きなさい」


そう、あいつみたいにね!とエテモンが口にしたそのデジモンの名前は恐怖政治の代名詞である。
ガジモン達はひたすらに怯えた。
しかし同時に、そのデジモンの名前をエテモンが口にすることは、
ガジモン達が忠誠を誓ったエテモンというデジモンが一番らしい面が垣間見れて、
ちょっとだけ安心できるという矛盾をはらんでいる。
ガジモン達が忠誠を誓ったのはこのエテモン様ではない。
ダークケーブルという力を手に入れる前のエテモン様であって、
今はその面影を追いかけて、ひたすら奴隷生活をしている日々である。
いつからどうしてこうなってしまったのかもうわからないが、もうガジモン達はこうするしかないのである。
唯一止められるはずだったデジモンは、もういないのだ。


「っていうか、ぬわんでだーれもいないのよーっ!!アチキよ?すえっかく、アチキがステージに立つのよ!?
満員御礼、拍手喝さいは当たり前でしょ?!観客席はフルハウスじゃなきゃアチキに失礼だと思わないのーっ!」


いや、もともと誰も来てません、なんて言えるはずも無く、ガジモン達は必死で言いわけを考えていた。
エテモンの行うコンサートは、一度始まるとアンコール、アンコール、と必死でガジモン達が桜をやって、
観客がいくら帰りたがっても強制ループ、エンドレス状態が続くことでもともと有名だったため、
エテモンのコンサートはもともとすっごく評判が悪い。
しかも、今のエテモンのコンサートはもれなくフーリガンも真っ青な破壊活動もついてくるのである。
もともとガラガラだったコンサートは、なおのこと人入りが悪くなりつつある。
今ではすっかり、ここまであからさまに、サーバ大陸に住んでいるデジモン達から、
エテモン達は嫌われ者であり、嫌がられている有様である。
もちろん、ダークケーブルに魅入られているエテモンがその事実に気付く訳も無く、
もともと酷かったジャイアニズムは凋落の一途をたどっている。
がらんとしたコンサート会場。笑天門号はもともとエテモンがコンサートをするために作った車である。
ガジモン達のゴマすり、ご機嫌伺いも大変である。スターって忙しいからっさあ!モニター越しでごおめんなさいね!と
太一達にコロッセオで言っていたのも、あながち嘘ではなかったりする。
もともとあのコロッセオはエテモン専用のコンサート会場として利用されているものだったから。


「そこのアンタっ!」

「は、はいっ!」


直立不動に敬礼でガジモンが応えた。


「ちゃーんとここら辺の住人達に招待状は出したんでしょうね!?」

「もちろんです!………っが……ですが……その」

「なによ」

「エ、エテモン様のコンサートに参加するのは、い、嫌だと」

「ぬあんですってーっ!?」


青空の下で大絶叫が響き渡る。


「アチキを誰だと思ってんのっ?キング・オブ・デジモンになった、本物のスーパースターになったエテモン様なのよっ!?
そんなアチキがわざわざ来てあげたっていうのに、きいいいい!ふっざけんのもいい加減にしなさいよーっ!!
ふ、ふふふ、ふふふふふふふっ!!教えなさい!」

「はい?」

「い、ま、す、ぐ、その不届き者共が住んでる場所を教えなさいっていってんのよっ!
いい度胸じゃないの。覚えてらっしゃーい!そんなにいうなら、アチキの方からそっちへ行ってやるわああああ!」


ガジモン達の制止を振りきって、エテモンがマイク片手に笑天門号から飛び降りて、
どどどどどっと砂ぼこりを上げながら一直線に走り出してしまう。
おいおい、まだ場所言ってないのにどこに行くんだよ、エテモン様、と
ガジモン達はあきれ顔で、モノクロモンに鞭打って、
笑天門号を方向転換して追いかける。本日の犠牲者は決定した瞬間である。
あーあ、オレしらね。
きっとあいつら、くんな、くんな、こっちくんなああああ!っていうんだろうなあ、と思いながらガジモン達は笑う。


「なーにやってんのよう!早くきなさいっつってんでしょーっ!!」


こうしてまた今日も、サーバ大陸から名前も無い村が姿を消すことになる。
そしてぶっ壊れたモニタが復旧し、選ばれし子供達の場所が確認できたといわれたものの、それどころではない。


「そっちで何とかしなさーい!アチキは今いっそがしいのよーっ!!」


だってよ、とガジモンから、ダークケーブルに乗って、豪華客船に伝えられることになる。
ほんの少し前まで日常だったのが、もう昔のことのようである。むなしいのはどうしてだろうか。









第十二話 続・ちびっこ探検隊その2










「光子郎先輩、ヌメモンって、太陽が出てるとこって苦手じゃ無かったんすか?」

「え?あ、言われてみればそうだね」

「なんでっすか?帽子かぶってるから?」

「きっとファイル島にいるヌメモンとサーバ大陸にいるヌメモンは、別のデジモンなんだよ。なんか言葉、話さないし。
生息している場所が環境も、気候も、全然違うし、ほら、野良ネコと家で飼ってる猫って全然違うし、多分それと一緒なんだよ。
ここらへん、直射日光がきついサバンナみたいな所で、殆ど影が無いし、大丈夫なのかもしれない」

「あーそっか。さっすが光子郎先輩。オレ、全然気付きませんでした」

「さすがは光子郎はん、よく知ってまんなあ。せやでー、ワイらデジモンは住んでる所で全然生活の仕方が違うんや」


あはは、と光子郎は笑うが、どこかぎこちないのを発見したブイモンは、首をかしげた。
あ、あたってたんだ、というつぶやきは本人のみぞ知る。
いろんなことを知っている筈の光子郎が、まさか根拠のない憶測と経験則から、
事実上のあてずっぽうを口走っているなんて考えもしない。
わからないことがあると調べなくては気が済まない光子郎でも、
やっぱり得意分野を期待して頼ってくる後輩には、意地を張りたくなるものである。
突如現れた豪華客船に乗務しているのは、本来日光が苦手で、ジメジメした所に生息しているはずのヌメモンである。
まったく似合わない白い帽子に白い服を着ていて、忙しなく船上をはいずりまわっている。
言葉を喋れないのか、話さないだけなのかは分からないが、
ずーっと始終無言で、大げさなまでのリアクションで受け答えしている状態である。
おもちゃの街に至るまで道中追いかけまわされた挙句に、
れいのあれを分投げられたおぞましい記憶があるわけだから、
選ばれし子供達もデジモン達も最初は顔をひきつらせたが、ずいぶんと大人しいからほっとしている。
サーバ大陸のヌメモンはずいぶんと理性が発達しているらしい。
まあ、みんな疲れているから少しの間休ませてくれ、
というぺったんこ美少女ミミの色仕掛けに陥落するところは、一切変わらないらしいが。


「ミミさん、何があったんすか」

「ヌメモン嫌がって無かったっけ?」


なあ?と大輔とブイモンは首をかしげる。おもちゃの街では少なくとも嫌がって逃げ回っていた記憶がある大輔は、
ヌメモンならあたしに任せて、と躍り出るくらいの潔さと度胸と豪胆さを垣間見て、
少々面食らっていた。あれ?何かカッコいいぞ。あはは、と光子郎は苦笑いした。


「慣れたんだよ、きっと」

「え?」

「ファイル島がばらばらになったとき、僕とミミさんが最初に合流したんだけど、その時にはもうミミさん、
気持ちの悪いデジモンと仲良くなってたから」

「どんなデジモンすか?ヌメモン?」

「もっとひどいよ。あれにネズミが乗ってたよ」

「え゛?」

「スカモンていうデジモンでね、成熟期なんだけど、金色に輝くあれなんだ」


き、きんいろ……と言いよどむのは無理もない。
コンピューター画面のゴミ箱に捨てられたデータのカスが集まって
突然変異し誕生したデジモンであることまでは、さすがにまだ彼らは知らない。


「上に乗ってたのは、たしかチューモンっていったかな」

「ってことは、ネズミのデジモンっすか?」

「うん。どうもチューモンがスカモンに悪知恵を吹き込んでるみたいだから、
きっと本体はあっちなんだと思うよ」

「へえー、ホントにいろんなデジモンがいるんすね」

「ホントだね」


なにやら知らないうちに、選ばれし子供達はこの漂流生活において、
ずいぶんと精神的にも肉体的にもタフになりつつあるらしい。
可愛い子には旅させよとは言うが、いいことなのかどうかは誰にもわからない。
ミミの可愛いお願い攻撃に陥落したヌメモンは、船長を連れて来てくれた。
船長の帽子をかぶった大きな大きな白い鳥のデジモンは、
灼熱地獄にぐったりとしている選ばれし子供達とデジモン達から、
エテモンに追われているのだという事情を聴き、同情し、しばらく休んでいるといい、と歓迎してくれた。
サバンナのど真ん中に停泊した豪華客船は碇も張らないまま、
かんかんかんと音を立て、船上に上がるための階段を作ってくれたのだった。
登っていく階段の道行きで、アタシ、バードラモンに進化してよかったって嬉しそうなのはピヨモンである。
あら、どうしてって聞いた空に、ピヨモンは言うのだ。
この船の船長であるコカトリモンはピヨモンの進化経路の一つであり、
殆どのピヨモン達は空を飛ぶことを夢見ながら、あのデジモンに進化しちゃうんだって。
地上で長く生活していたため、羽が退化し飛べなくなってしまった巨鳥型デジモンは、
その代わりに足が発達し、走るのが得意になったようで、たくましい脚力を備えている。
むっとしたらしいコカトリモンの眼差しに気付いた空が、あわててピヨモンを叱った。
みんな思い思いの行動に移っていく。
もちろん女の子組はお風呂に直行、あっという間に見えなくなってしまった。
もちろん最初から行く先が分かっているのなら、追いかけるようなバカはもういない。
太一と丈達は紋章を持つ者同士、積もる話でもあるのか、
珍しく泳ぎたいとごねるゴマモンに乗っかってプールに向かった。
いつもは呼び捨てにしている丈に相談するのをみんなに見られるのは嫌なのか、
プールという言葉に、真夏のギラギラ太陽に海を恋しく思っていた後輩が目を輝かせて、
オレも行きたいっす!とごねたのだが、却下されてしまった。
えー、と不満タラタラな大輔に、ブイモンは手を引いて、だいすけー、腹減ったあ!と
主張するのでそれどころではなくなってしまう。
結局大輔とブイモンは、残されたみんなと一緒に行くことになる。直行したのは食堂だ。
太一のせいでご飯の時間は基本的に節約傾向な漂流生活、
腹八分目なんて夢のまた夢、腹五分目くらいが精いっぱいなのに、
さらに自分達の食べる分を減らされてしまったせいで、腹三分目というありさまなのである。
それはご飯とは言わない。おやつでしかない。もうみんな腹ペコだった。





案内された食堂に至るまでが、一流ホテルが船の中に入ってしまったかのような豪華さに開いた口が塞がらない。
ぴかぴかの通路を抜けるとホテルのエントランスホールみたいに全面ガラス張りの庭園とか、高級ソファとテーブルとか、
受付のカウンターまで見たことが無い装飾品や骨董で埋め尽くされている。大理石の床はつるつるで、汚れひとつない。
すっげー、とバカの一つ覚えみたいに感心するしかない大輔である。すごいねえ、とブイモンもつぶやいた。
家族旅行だってサッカー部に入った都合上、長期にわたる滞在はもうとっくの昔に諦めているし、こんな高そうなトコきたことない。
それこそテレビの向こう側の話である。バラエティ番組の海外ロケスペシャルとか、旅行番組とか、いーなーといいながら、
家族と一緒に煎餅かじって眺めているような世界である。
そう言えば父親が海外に行くって話があったけど、結局大輔とジュンがまだまだ義務教育だからって、まだ遊んでくれるからって、
無しになったんだっけ、と大輔は思い出す。
父親がいなくなったら間違いなく大輔は今以上に家族の中で扱いが目に見えて悪くなる、と思うので安心した筈だ。
お姉ちゃんとのことも相談に乗ってくれるのは父親だけである。
母親は姉の肩を持つ。そのうち仲直りできるっていつだよ。バカ。
ジュンと大輔の関係性を客観視できる両親は、時間が解決してくれると知っているから、
平等に愛情を注ごうとするから、贔屓に見てくれないとこは大輔はあんまり好きじゃない。
ちっさい子供には今の環境は両親が考えている以上に辛いのだ。
そんなことよりご飯である、と主張するブイモンに引っ張られて、
大輔はもう先に行ってしまっているヤマト達を追いかけた。


「なーなー、大輔、ごちそうかな?」

「食えるといいな!」

「そっか、大輔君もブイモンもご馳走は初めてだっけ?」

「みんなでご飯食べた時、大輔とブイモン、いなかったもんねー。おいしかったよね、タケル」

「うん。おっきな骨がついてるお肉とか、こーんなにおっきなステーキとか、
あったかいスープとか、いっぱいあったんだよ」

「あああもう、思い出させんなよ、鬼かよお前ら!」

「オレ達その時、マシュマロサンドだけだったのにねー」

「しかもお前となっちゃんがほっとんど食っちまうしなー」

「ご、ごめんってば、大輔えー」


非常に残念ながらタケルとトコモンが食べたご馳走は、全部デビモンが用意した幻でした、
腹に入ったのは空気だけです、という悲しき落ちがあるのだが、知っているのは太一だけである。
でも太一もアグモンもみんな知ってるだろ、屋敷幻だったし、と
勝手に判断しているせいで、幸せな勘違いは太一とアグモン以外はみんな持っていた。
つまり、タケルとトコモンは実は大輔達よりも酷い1日を過ごしている。
丸一日、エレキモンの夕食以外食べていないのだ。
ご馳走を食べた、という勘違いが勝手に味まで捏造するのだ、恐ろしきはデジタルワールドである。
恨めしげに見つめる大輔に、地雷を踏んだブイモンは必死に謝る。
食い物の恨みは後からやってくる。くすくすとタケルとトコモンは笑った。
ここで大輔を怒らせてしまうと、ただでさえ貴重品のチョコレートの入手経路が断絶してしまう恐れがある。ブイモンはぞっとした。
アグモンは太一にいっぱいご飯を食わされたせいで体重が重くなり、戦闘にまで響くという情けない結果を招いていたが、
おそらくこの小さな大食漢には無縁の話である。
おかげで食糧分配のときには大輔が絶対に取りに来るよう言われているのである。
四足歩行で物を持つ機能が発達していないトコモンは、タケルの頭にへばりついて、
ご飯を分けてもらうのを待っているという、卵からかえったばかりのひな状態だ。
全く運動していない。幼年期だから戦闘にもでれない。ちょっとぽっちゃりしているのは気のせいか。
進化して丸々と太ったらパタモンのとき、ますます飛べなくなるんじゃないか、
という心配は、今のところ誰もしていない。だってご飯を食べること自体が結構なサバイバルである。
食べる時には食べとけ、食いだめ上等はみんな一緒だ。漂流生活では間違いなくみんな体重が減っている。
ドアを開けた光子郎とヤマトが目を輝かせて、食堂の奥に入ってしまった。
大輔達も追いかけてみると、待っていたのは所狭しと並べられたテーブルに、清潔そうなテーブルクロスが掛けられ、
見渡す限りのバイキング形式の料理である。一番手前には大きな皿とはし、スプーン、フォーク、全部ある。
ヌメモンが使えるんだろうかなんて疑問符、あっというまにぶっ飛んでしまう。
おいしそうなにおいとゆげである。
わーっ!!と二人は声を合わせて、歓声を上げた。ごくりと唾を呑みこんだ。


「なーなー、大輔、食べようよ!」


真っ先に飛び出そうとしたブイモンを制止するのはヤマトである。


「待て待て、みんな来るまでまたないとダメだろ」


思いっきり料理に視線が釘付けである。
視線がどれを一番最初にとろうかと狙いを定める捕食者の目になっている時点で
説得力は果てしなく皆無である。えー、とごねたのはブイモンだけではなく、大輔もタケルもトコモンもである。
なんで?目の前においしそうな料理があるのに。恨めしげな視線に気押されながら、何とかメンツを保とうとする。


「そうですよね、皆さんおなか減ってるのは一緒ですし、僕達だけはちょっとまずいですよね」

「ああ」


自分に言い聞かせるように光子郎は暗示をかけている。ヤマトが返事したのに気付いていない。
そんな殺生な、と落胆するテントモンに、待ってるの、ヤマト?と
本人が必死に押し殺している本音を代弁するガブモンが追い打ちをかける。
でもでも、勝手に食べるのは、と理屈付けで我慢しようとする光子郎に、がらがらがら、という音が邪魔をする。
みれば、大きな皿を運ぶヌメモン達が、次々と新しい料理を運びこんでいるのが見えた。
これで少なくてもここにあるものが食べられてしまったことで、迷惑、という選択肢は消えてしまう。
だって何で食べないんだお前ら、とでも言いたげに不思議そうな視線が横を通り過ぎて行って、出ていったのだ。
マズイのか?とちょっと怒ったようにリアクションをとるヌメモンがいて、そういう訳じゃない、と説明したら、
不満そうな顔をして出ていった。ちょっと睨まれた。理不尽である。こっちだって今すぐ食べたいのに!


「太一さんとアグモンはともかく、空さん達が来るのは待ちましょうよ」

「ああ、太一とアグモンはともかく、みんな腹減ってるだろうし、知らせに行った方がいいかもな」


思いっきり太一とアグモンを除外しているヤマトと光子郎の目は据わっている。
テントモンもガブモンも頷きはすれども、可哀想だとは誰も言わない。
げに恐ろしきは食い物の恨みである。
太一とアグモンは可哀想だし、気を使わなきゃいけないし、と腫れもの扱いと気遣いのすれすれを頑張っている二人でも、
それとこれとは話が別のようだ。むしろスカルグレイモンの件以来、太一にみんな声をかけるようになっているのだ。
おかげで太一もアグモンも本調子に戻りつつあるのだが、比例してみんなが間違いなく容赦なくなっている。
結構言うことは言うようになったので、別の種類のダメージを被ることになっている。いいことだがご愁傷様だ。
もっともな二人の言い分は理解できるが納得できない最年少組は猛抗議する。手をつかむ。そして上目づかいは標準装備。


「ねーねー、お兄ちゃん、光子郎さん、ちょっとくらいいいでしょ!」

「そうっすよ、二人とも!呼んでくるなら行って来て下さいよ、オレ達まで待ってる理由無いじゃないっすか!」


ねえってば、とちっちゃい子供理論で言えば大正解な眼差しが突き刺さる。
うぐ、と否定することが出来ず、ヤマトと光子郎はどうしたものかと顔を見合わせた。
これでいいのかよ?と大輔はタケルを見る。
うんうん、大丈夫、その調子!とタケルはアイコンタクトで頷いた。
甘え方なら間違いなくタケルの方が大輔にとっては先生である。
小学校2年生二人組は、メンバーの中では一番小さいから、
という理由で何かとみんなが優遇しようとして、拒否されてきた経緯がある。
みんなに褒められたいから我慢していた大輔も、みんなに迷惑をかけたくないからと我慢していたタケルも、
もうすっかりその扱いを許容することが出来ているせいで、破壊力は抜群である。可愛い我がままである。
それをここぞというタイミングで扱うのは明らかに全然可愛くないのだが、無邪気なまなざしは、
おにいちゃんでありたいヤマトと、せんぱいとしてしたわれたい光子郎の急所に入る。ストライクである。
でもでもでも!全然可愛くないぞ、こいつら、むしろなんかバカにされてる気がする、
なんかむかつく!と二人の心は一つになる。
操縦されるのは気に食わない。扱いがうまくなっているちびっこに負けてたまるか。
もうここまで来ると意地である。
だめ、となんで、と押し問答全開である。傍から見れば、果てしなくどうでもいい意地の張り合いを展開し始めたパートナー達に、
何やってんだろこいつら、と要領のいいパートナーデジモン達は皿を配って、それぞれ勝手にもう食べ始めている。
大好きなパートナーは、どこまでも、寝ること、食べること、遊ぶことと
同じくらい大好きなのだ、優先順位は言わずもがな、2大欲求には耐えられない。
人間ってよくわかんないね、とデジモン達は首をかしげた。
もしゃもしゃもしゃ、と飲み食いしている音はすぐに腹ペコのパートナーに気付かれる。
あーっと声を上げた子供達は、何勝手に食べてるんだよ!とそれぞれのパートナーデジモンの所に向かって怒る。
でも、大好きなパートナーのために、好きなもの、美味しいモノ、食べたいって言ってたやつを別の皿に取り分けていた彼らから、
はいこれ、と無垢な眼差しと共に鼻先に突きつけられたら、
ハムスターみたいに頬を膨らませて、これおいしいよ、とお勧めを各自提示されたら、
もう、ごくりと唾を呑みこんで、大人しくフォークなりはハシなり手に取るしかない。ありがとう。


「ヤ、ヤマトさん、せっかくのご馳走が冷めてしまっては、作ってくれたデジモン達に悪いですよね!」

「そ、そうだよな、せっかく招待してくれたコカトリモンに失礼だよな!」


何にも悪くないんだ、これは仕方のないことなんだ、と必死で自分に言い訳しながら、苦笑い。理性はとっくに振り切れた。
二人の言葉にぱっと眼を輝かせた大輔とタケルは、いっただきまーす、と手を合わせる。
先輩の、お兄ちゃんの、威光は失墜していないことを慎重に確認してから、光子郎とヤマトは小さく合掌した。
こうして結局誰も食堂の場所を知らせもしないで、腹の空腹を満たすのに精いっぱいになってしまう。みんなのことなんて忘却のかなた。
いつもパンと果物とお菓子である。
肉とか魚とか貴重なたんぱく質や手の込んだ料理、しかも出来立てなんて何日振りか分からない。
始めっから耐えられるわけがなかったのだった。





ハンバーグを食べようと突き刺したフォークを口に運んだら、歯がかみ合ってしまう。
あれ?と突然消えてしまったハンバーグに驚いたら、横からぱくっと食べてしまった不届き者がいた。


「あーっ、オレのハンバーグ食うなよ、ブイモン!」

「だって大輔の食べてる奴の方がおいしそうなんだもん!」

「さっきと言ってること一緒じゃねーか!だから1個上げたのに、何でまた食っちまうんだよ!いっぱいあるじゃねーか!」

「仕方ないだろー、大輔おいしそうに食べるのが悪いんだよ!」

「えー、なんだよそれー。じゃあオレのとお前の変えっこしよーぜ」

「えええええっ、ダメダメダメ、ここにあるのは全部オレのーっ!とっちゃだめーっ!」

「どんだけわがままなんだよ、おい!」


はあ、とうなだれた大輔は、そんなに言うなら仕方ないな、とブイモンに皿をあげる。
溜息をついて立ち上がる。
あ、と声をあげたブイモンは、慌てて服の裾を引っ張って引き止める。
大輔どこ行くの?と聞かれた大輔は、じとめだ。


「それお前にあげるから、オレも新しいの取ってくるんだよ」

「じゃあオレ行く!」

「はああっ?!何言ってんだよ、ブイモンが頂戴頂戴うるさいからあげるんだろー、
お前まで来たら意味無いし、バイキングって食べられないのに残したらダメなんだぞ」

「え?そうなの?」

「そうだよ」


うーん、と考えるそぶりをしたブイモンは、ちょっと待ってて、という。
はー、と溜息をついた大輔に、騒がしいトモダチを見ていたタケルはトコモンと一緒に笑っていたのを見て、肩をすくめた。


「よーし、いこー、大輔!」

「おう、って早っ!?」


もうすっからかんの皿が積まれている。普通、一緒に食べたいから我慢するんじゃないのか。
大輔はブイモンの食欲を甘く見過ぎていた。これで2回目のテーブル行きは確定である。
どうしよう、と大輔は冷や汗である。
この前現実世界に来れたら、何でも好きなもの食べさせてやるって勢いで言っちゃった大輔は、
財布とお小遣いが盛大な死亡フラグを立てていることにようやく気付くことになる。
この調子じゃ本宮家の冷蔵庫や戸棚は大変なことになる。どうしよう。
その時の約束は、やがて3年の時を超えて大輔を盛大に困らせ、
当時の自分を思いっきり殴りたいほどの後悔をすることになるのだが、
まだ小学校2年生の大輔は知る由も無いのだった。


「オレ、チョコ食べたいチョコチョコチョコー!」

「オレまだご飯途中だから、取ってこいよ」

「えー、どれがおいしいか、どんな味がするかオレ知らないもん、大輔ついてきてよ」

「だ・か・ら、まだオレご飯食べてないって言ってるだろ、なんでデザート選ばなきゃいけないんだよー。
オレご飯の代わりに甘いもの食べられるほど、好きじゃねーんだよ」


どっちかっていうと、タケルとトコモンが食べているポテトチップスとか、ジャンクフードの方が好きな大輔である。
いつもいつもブイモンに付き合っているせいで、耐性はできてきたが胸やけに怯えている大輔である。
結局根負けして一緒に並ぶことになる。





ごちそーさま、と言って、食器やらを全部所定の位置に戻した。
ようやく他の子供たちのことを思い出したみんなは、顔を見合わせて、あ、と声をあげた。
時計を見れば、もう30分以上過ぎている。
まずい、まず過ぎる、太一とアグモンはともかく、みんな腹ペコだろう。
特にデジモン達は腹ペコだと進化すること自体難しくなってしまう、大変である。
ヤマトと光子郎は、大輔とタケルに待っているよう伝えると、食堂を出ていった。
タケルと大輔に、みんなから怒られるのは見られたくないらしい。
間違いなく怒られる、言いわけどうしよう、という冷や汗交じりの会話は幸い最年少組には伝わらなかったようだ。
みんなまだかなー、と大人しく、言われたとおりに待っている大輔達は、ゆっくりと会話しながら待っていた。



1時間経過。



2時間経過。



流石に遅すぎないか?と心配になってくる大輔に、タケルも頷く。どうしたんだろう、
何かあったのかな?
顔を見合わせるパートナーに引っ張られる形で、ブイモンもトコモンも、そう言えばそうだ、と気付いて立ち上がる。
そしたら、聞こえたどーんという騒音と、船全体を大揺れにする謎の振動。
わあっとひっくり返った大輔は、盛大に頭を打ち付けた。
たんこぶに涙が出そうになるけれどもがまんして、大丈夫?の言葉に、心配すんな、と笑って返す。
そしたら聞こえてきたのだ、ヤマトと光子郎の声が。外から。
思わず食堂から出ようとした二人が見たのは、コカトリモンだった。
コカトリモンの目からなんか変なビームが出て、ヤマト達をかばおうとしたガブモンとテントモンを石に変えてしまったのである。
一瞬の出来事だった。いくらなんでも早すぎる。地面をけるコカトリモンの脚力はとんでもなく早かった。
大輔とブイモンは進化しようとしたのだが、コカトリモンがその間にタケル達に襲いかかったらヤバいことになる。
だって、光子郎とヤマトはパートナーを進化させる前に、パートナーを石に変えられてしまったのだ。
驚いて声を上げようとした二人に気付いた光子郎が、しーって指を当てて、早く逃げろって、隠れろってジェスチャーしてくる。
ヤマトも食堂に大輔達がいることを知っているから、時間稼ぎに逃げ回っている。どたどたどた、と近づいてくるヌメモン達。
あんなにたくさんの奴に襲われたら、いくらエクスブイモンでもやばい。ここは室内である。せめて外に出ないと。
慌てて大輔とタケル達は、窓から逃げることにしたが、背が足りなくて、とどかない。
どうしよう、と途方に暮れたら、ブイモンが出てきた。


「オレが持ち上げてあげるから、みんな早く!」


力持ちのブイモンなら出来るだろう。
うん、と頷いて、タケルとトコモンを先に行かせて、大輔も何とか窓から逃げる。
通路には誰もいない、急がなきゃ。そしたら、近づいてきたヌメモン達。
大輔はサッシにつかまったまま、ブイモンに手を伸ばす。
ブイモンも手を伸ばしたのだが、手が止まった。


「何やってんだよ、早く来いってば」

「後から行くから、早く行って!オレまで引き上げてたら時間ないよ!」

「何言ってんだよ、トコモン進化出来ねえんぞ、お前いないとヤバいって!」

「いーから早く!」


しるか、と大輔はブイモンの腕をつかんで引き上げようとする。
はやくはやく大輔君!と後ろでタケルが急かしている、わかってるよ!
でもブイモンは大輔の腕を払った。とうとう見つかってしまう!コカトリモンがやってくる!
ブイモンはごめんと口走るや否や、思いっきり壁にブイモンヘッドをかます。
ぐらぐらと揺れて、たまらず大輔は押し出されてしまった。
ブイモン!と慌てて上ろうとした大輔が見たのは、石になってしまったブイモンである。
大輔は頭が真っ白になった。
オレに何かあったら、守ってくれる?と言われた言葉が蘇る。言えなかったけど、言えなかったけど、
もし何かあったら守ろうって思ったのに!あの時のは嘘だって言おうと思ってたのに出来なかった!
どうしよう、どうしよう、ブイモンが!
完璧に硬直している大輔の異変に気付いたタケルは、慌てて大輔に呼びかける。
全然返答がない。手をつかんで、えーいっとのぞき込んだら、
ブイモンが石になっているのが見えた。そしてヌメモンに運ばれていく。
コカトリモン達が食堂から逃げたタケル達を探してどっか行っちゃった。大変だ!


「大輔君、大輔君ってば」


身体を揺すっても返事が無い。反応も無い。
ブイモン、ブイモンッと慌てて戻ろうとする大輔の大声を、しーっていって、慌てて引き止めた。


「なにすんだよ!」

「早く逃げよう、大輔君、僕達まで石になっちゃうよ」

「でもブイモンがっ!」

「ブイモンが逃がしてくれたんでしょ、今僕達が捕まったら、みんなに知らせられないよ」

「でもっ……でもっ……!」


どうしたんだろう、大輔君。
いつもの大輔君だったら、そのまま突っ走ったら危ないってことちゃんと言ったらすぐにわかってくれるのに。
かっとなっている、周りが見えなくなってしまう、のはすぐに収まって、あっけらかんってするのが大輔君なのに。
明らかに狼狽しきっている大輔は、タケルが知っている大輔ではない。トコモンも心配になって、どうしたの?と聞いた。


「オレ、ブイモンに言われたんだよ。ブイモンになんかあったら、守ってくれるかって。
でも、でも、オレっ……答えられなかったんだよ、多分って言っちゃったんだよ、
あいつ、すっげー悲しそうな顔してたのに!
どうしよう、どうしよう、オレ、ブイモンに何も出来なかった、嫌われたらどうしようっ!」


ブイモンがその発言をしたのは、大輔が周りの空気に呑まれて、悲鳴を上げる自分の心をないがしろにして、
みんなを守るために戦おうとしたのを止めるためにした、いわば楔だった。
大輔の無意識はそれに気付いて、思わず足が止まったのだ。
無理しなくてもいい、とわかってくれる存在があると理解した大輔の身体は、
自然とブイモンの言葉に耳を傾けていた。
ブイモンは大輔が大輔を見失っていた時に、半ば脅すような形になってしまったが、
我に返すつもりで言っただけであって、他意は無い。
大輔が自分のいい所を悪いところだって思いこんで、大嫌いになっている所が悲しかっただけだ。
もちろん大輔もブイモンが大輔のことを嫌いになるなんてありえないって知っている。
でも、ちゃんと答えられなかったこと、そしてブイモンに唐突に質問をぶつけられた理由がさっぱりな大輔には、
あまりにも強烈なインパクトを持っていたのである。
そして短絡的な思考しかできない幼い心は早急に結論を付けてしまう。
ブイモンが「そのまんまの大輔でいいんだ」といくら言っても、大輔はなかなか自分のいい所に気付いてくれない。
すべては訳のわからないものが原因である。
だから、ブイモンの発言と発言の間がうまくつながらなくて、意味不明だったのだ。
そしてこの狼狽ぶりである。


「大輔君!」


タケルに耳元で怒鳴られた大輔ははっとする。


「しっかりしてよ、大輔君がそんなんじゃ僕だってどうしていいのかわかんないよ。
よくわかんないけど、ブイモンは僕達のこと助けようとしてくれたんだよ、僕達逃げなくっちゃいけないんだよ、
捕まっちゃったらブイモンのしたこと、無駄になっちゃうよ!」


守られる立場の先輩は、どこまでも度胸が据わっていた。


「今は逃げなくっちゃだめだよ、大輔君!僕達、捕まっちゃったら何にも出来ないんだから!」

「でも、でもっ……」

「落ち着いてよ、大輔君。忘れちゃったの?逃げるが勝ちって言ったのは大輔君じゃないか!」


おもちゃの街にいくもんざえもんを追いかける、追いかけないでもめた時、そう言ったのはほかならぬ大輔なのである。
ヌメモンから襲われたらどうするかって言った時だ。大輔君ってすごいんだなあって思ったからタケルは覚えている。
てっきりそういう意味だと受け取っていたタケルは、大輔がどうしてずーっとぐずぐずしているのか分からない。
全然大輔らしくない。なんかへんだ。ちなみに口走った本人は、なんにも考えずにタケルを説得するために並びたてただけだ。
オレそんなこと言ったっけ、と心の中で呟いてみた大輔は、大人しくなる。
ちょっとだけ落ち着いたのだ、と勘違いしたタケルは、いつもの大輔になってくれたとほっとする。
微妙にずれているが、まあ、落ち着くところには落ち着いたので良しとしよう。


「わりい、タケル、トコモン。そーだよな、オレ達ががんばらねーと、ダメだよな」

「よかったー、またかっとなっちゃったんだね、大輔君。任せてよ、また僕が止めてあげるから」

「……お、おう?よろしくな」


かっとなった訳ではなく、らしくなく弱気になってしまっただけなのだが、まあいっか。


「僕も頑張るよ!」


唯一のデジモンになってしまったトコモンがタケルの頭の上で力強くうなづく。タケルと大輔は顔を見合せて笑った。
どうしたのー?と不思議そうにトコモンはいう。
トコモンは本当にちっさいデジモンなのである。タケルや大輔が抱っこできるくらい。
こんなちっちゃなやつが頑張るんだ、オレが頑張らなくてどうすんだ、と
大輔はまだぐるぐるしている心をなだめすかして、本調子を取り戻すべく、前を向く。
悩みとかそういうのはあとでいいや、その時になったら考えればいい。
ブイモンに後で聞いてみなきゃ、姉ちゃんに聞くって決めたんだから、逃げてちゃ意味がない。
慎重に通路を左右確認して、誰もいないことを確認した大輔とタケルは、
エントランスホールに向けて、走り出したのだった。




[26350] 第13話 続・ちびっこ探検隊 その3 もといタケルの受難
Name: 若州◆e61dab95 ID:f653d8e7
Date: 2013/08/03 00:11
どきどきどき、と心臓の音がとってもうるさい。
タケルとトコモンと大輔は、鉢合わせしたヌメモン達から逃れるために、
たまたま目についたアンティークのテーブルの下に隠れていた。
テーブルクロスの下から、ヌメモン達のはいつくばる音が近づいてきて、
何やらヌメモン同士でしか分からないリアクションの応酬、
そして大輔達が見当たらないことを不思議に思っているようで、首をかしげているのが見えた。
この時ばかりは小さくて良かったと言わざるを得ない。
静かにしろよって自分の心臓に怒鳴りたくなるけど、そしたら心肺停止である、死んじゃう。それに見つかる。
ばっくんばっくんと緊張感で脈打つ心臓。
見つかりませんようにと心の底から願っているみんなの願いが通じたのか、コカトリモンの声がした。


「紋章を持っとる選ばれし子供達がいたがやーっ!
そいつらを先に捕まえるから、お前らが追いかけとった奴らは、ほっときゃー!」


名古屋弁全開のコカトリモンの号令で、ヌメモン達はあっという間にいなくなってしまった。
ほっと一息ついて、テーブルクロスをめくり上げ、テーブルの下からはい出してきた大輔達だったが、
コカトリモン達の会話を聞いてしまったので、顔を見合わせて、あわわわわ、となる。
どうしよう!先手を打たれてしまった!
紋章を持っている選ばれし子供達とは、きっと太一と丈のことである。
プールにいっているはずだ。ゴマモンはともかく、コロモンは大丈夫だろうか。
大輔もタケルも、コカトリモンの脚力が尋常ではないことも知っているし、
進化する前にパートナーデジモンを石化させるという策略も見ている。
選ばれし子供達とはいえども、別に大輔達が特殊な力を持っているわけではない。
パートナーデジモンがいなければ、そこら辺にいるただの子供にすぎないのである。
もう逃げるしかない。
光子郎とヤマトが見つからないのだ。きっと大輔達をかばって、そのまま捕まってしまい、ヌメモンに運ばれてしまったのだろう。
だから、真っ先に大輔達は紋章を持っている太一達の所に行こうとしたのに、
助けを求めようとしたのに、コカトリモンが行ってしまった。
これはもう、自分達が行っても、邪魔にしかならない。むしろかばおうとしてヤマトと光子郎達の二の舞になってしまう。
ということは、と大輔とタケルとトコモンは、消去法していく。太一、丈、ヤマト、光子郎、男の子組は全滅である。ということは。
もうほとんど即決である。大輔は迷うことなく、タケルとトコモンに言った。


「ミミさんと空さんトコにいこう!」

「えええっ!?」

「どうしたんだよ?」

「だ、だって空さんとミミさん、お風呂入ってくるって言ってたよう」


突然あわて始めたタケルに、きょとーんとしているのは大輔とトコモンである。
だからなに?それがなにか?問題でもあるの?
ほ、ホントに行くのーっ!?とさっきまでの気概はどこへやら、わたわたと一人あわてはじめたタケルである。
僕行きたくないよ、行きたくないよう、とどんどん顔を赤らめてしまい、しりすぼみになっていく。
何で大輔君もトコモンもへっちゃらなのさあ!とは、タケルの談である。
もちろん大輔もトコモンもはああ?という反応しか返さない。
さっぱり理由が分からなくて、大輔はトコモンに聞いてみるが、さあ?と返されてしまう。
肩をすくめた大輔は、不審げにタケルを見た。


「はあ?なんでだよ、いそがねーとみんな捕まっちまうだろ!何言ってんだよ!」


僕恥ずかしいよ、とタケルは顔を真っ赤にして、もごもごとしてうつむいてしまう。
いくら緊急事態だからって、女の子がお風呂に入っている所に突入するとか、いいのだろうか、それってダメなんじゃないの?
小学校2年生の健全な男の子は、年齢的にいえば銭湯にお母さんと一緒に女湯にいっても許されるお年頃であり、
大輔のように女の子から女性になり始めのお姉ちゃんがいなければ、そんなこと意識もしない。
べつに普通は意識なんてしないだろう。タケルもそうである。いや、ほんのちょっと前まではそうだった。
ヤマトお兄ちゃんは男の子だし、お母さんとお風呂に入っているから、
今まで意識したことなんてなかったが、ちょっとタケルは勉強した。
女の子のお風呂を見るのが恥ずかしいこと、してはいけないこと、怒られること、という感覚自体は、
コロモンの村での太一や光子郎に制裁を加えたミミや、説教をかました空を見て、初めていけないことなんだ、と知った。
そしてお兄ちゃんであるヤマト達が顔を赤くして、いたたまれなそうに気まずそうにそんな彼らから目をそむけていたのである。
ごめんなさい、と悪くないのになんでか謝っていて、それを見た空とミミは、
にっこり笑って乙女のお風呂は不可侵である、と宣言し、野郎どもは揃って深々とうなずいていたのである。
そういうものなんだ、とタケルは知った訳だ。影響は顕著に思いっきり現われていた。
まあ要するに、恥ずかしさとか照れとかそういうものを初めてタケルは知ったばかりであり、過剰反応しているわけである。





彼らの行動をずーっとみていた大輔からすれば、何を今さら恥ずかしがってんだ、この人たち、という感覚である。
とっくの昔に通り過ぎていった感覚である。当たり前のことを今知ったみたいな反応は、大輔には良く分からなかった。
空は大輔とジュンの関係自体は知らないが、サッカー部の先輩後輩の関係、家族同士のお付き合いの中で、
大輔にお姉ちゃんがいることは知っているから、大輔の反応は全然不思議じゃなかった。
大輔君の方が大人じゃない、と追い打ちをかけ、上級生組の野郎どもをへこませたのは、いい意匠返しである。
そういうわけで、もごもごし始めたタケルに、はあ?と大輔が呆れかえるのも無理はなかった。何言ってんだ、こいつ。


「別に入らなくてもいいだろ、入口から呼べばいいんだよ。何言ってんだよ、お前」

「え、あ、そ、そっか、そうだよね、あはははは」

「うわー、お前なに想像してんだよ」

「ち、ちがうよ!僕何にも考えてないもん!気のせいだよ!」


じゃあなんでそこまで顔が赤いのか、びっくりするほど挙動不審なのか、と指摘すれば、すっかりのぼせてしまう。わあん、とタケルはもう泣きだしそうである。
可哀想に、母親のしつけ方針と今まで生きてきた環境が思いっきり裏目に出ていた。
大丈夫?とトコモンはいうが、返事できるほどの気力は無い。
そんなタケルの様子を見るにあたって、ふーん、とどこまでも大輔は冷静である。
なんだよ、そんなことでぱにくってんのかよ、バカじゃね?
さすがに脱衣所にまで突撃するような暴挙にはでない。ジュンお姉ちゃん相手じゃあるまいし。
大輔だってそれくらい恥ずかしいことくらい分かっている。
じゃなかったら、なっちゃん相手に一緒にお風呂入るのを拒否する訳がない。
空もミミも家族ではない、普通の女の子なのである、混同するほど馬鹿じゃないし、
それくらいの分別付いている。過剰反応するほうがおかしいって知っている。
こいつどこまで子供なんだよ、と大輔は思ったのである。
同じ小学校2年生の大輔が言うには、あまりにも説得力がありすぎた。
タケルがへこんだのは言うまでも無かったりする。
元気出してよ、とトコモンが懸命に励ますおかげで、何とかタケルは立ち直った。
ちなみに、3年後のタケルがみんなに笑顔を振りまく、
いわゆるイケメンの人気者となっているにもかかわらず、大輔が嫉妬しないのはここから始まる。
女の子からタケルくーん、ときゃーきゃー言われるようなご身分に成長しているにも関わらず、
本人がいっつもおんなじような笑顔でニコニコし、クールだわ、とか言われているのに、もてるのに、本人に全然意識がなく、
恋愛ごとに全く興味を示さない原因とかそういうのも、全部分かってしまうことになるなんて、まだ大輔は知らない。
本命だれだよ、そう言うの良くないぞ、と大輔に指摘され、
え、そうなの!?とショックを受けるタケルがへこむのもまた、未来の話である。









第13話 続・ちびっこ探検隊 その3










そして、彼らはお風呂場を探すために、エントランスホールに向かうことになる。
ヌメモン達はすっからかんである。
カウンターに置かれていたパンフレットを発見して、みんなでのぞいてみたが、大輔とタケルは顔を見合わせた。
なんだこれ。まるでミミズがのたうちまわったような意味不明な塊が沢山並んでいるのだ。
部屋ごとに矢印があって、カッコ書きの中に含まれているから、多分なんかの文字なのだろうが、全然読めない。
なんかの暗号だろうか、と大輔達は疑問符を浮かべた。困った、これではどこがどうなっているのか、全然分からない。


「これデジモン文字っていうんだよ。僕たちの世界の言葉だよ」


トコモンがいうので、へえ、と二人は感心した。


「じゃあ何て書いてあるか、分かる?トコモン」

「うん、わかるよー」

「じゃあ、空さん達どこにいんのか、わかるか?」

「うん」


みんなしゃがんで作戦会議である。えーっと、とタケルから降りたトコモンが、
広げられた地図の前に座り込み、じーっと案内図を見る。
ちっちゃい前足で、こーいって、こーいって、こう、とさされるのを、近くに置いてあったボールペンでなぞっていく。
即席案内図の出来上がりである。役に立てた、と得意げなトコモンにありがとう、ともみくちゃにしつつ、タケルは頭に乗っける。
地図を見ながら、大輔達はヌメモン達と会わないように細心の注意を払いながら、どんどん先に進んでいく。
右に曲がって、左に曲がって、階段降りて、上って。まだいくの?ねえまだーっとスポーツ未経験者のタケルがねをあげ始める。
しっかりしろよー、と大輔はあきれ顔である。トコモン持って、と言われるが、トコモンからすれば、つんつん頭の大輔は
あんまり乗り心地が良くなさそうなので、断固拒否の方針を貫いている。おもいよ!と実はずーっと我慢していた本音をぶつけ、
がーんとなったトコモンが泣く泣く大輔のリュックに仕舞われるというハプニングもあったものの、何とか同じフロアまでたどり着いた。
流石は豪華客船、無駄に広すぎる。おかげでとんだ大冒険である。
思いっきりタケルが足を引っ張っているのは突っ込んじゃいけない。
とりあえず、このデジタルワールドの冒険で何度か痛感する体力の無さが、タケルにスポーツの道を目指させたのは確実であろう。
少なくても、大輔みたいに体力があったら、この漂流生活に置いて、
ついて行くのに精いっぱいで、みんなとおしゃべりがあんまり出来ない、
なんてちょっとさみしい現実を味わわずに済んだ訳だから。
しかもタケルひとりなら、僕、まだ小さいから、と比較対象がいないことで自覚することなんてなかったし、自覚する必要もない。
だって、この漂流生活で冒険するよりも前よりも、確実に過酷な毎日はタケルを強くしている。
本人、自覚できないのでへこんでいるが。
そして、それがいずれ仲間に加わる女の子を引っ張っていく原動力になっていく訳だから、この時初めて強くなってたんだ、と自覚するから、
その時までのお楽しみである。そうでもなければ、なんでバスケットボールなんて始めたのか説明できない。でもこの世界は大輔がいる。
タケルが意識する対象は、きっとおんなじ小学校2年生の大輔になる。そのちょっとした違いだけである。


結構遠いなあ、と思い始めたころ、大輔達の前にヌメモン達が現われたので、あわてて物陰に隠れる。
クッキング帽子をかぶった、ついさっきまで大輔達に料理を運んでくれていたヌメモン達が、新しい料理が出来たのか、
がらがらがら、と大きな大きなカートに乗せられたいっぱいのお皿を運んでいく途中である。
ご飯は食べ終わっているけど、やっぱりおいしそうである。
右から左へ流れていくそれをみとどけて、はっとなったちびっこたちは、大脱線していた思考回路を元に戻す。
そして、つかれ始めている友達の手を引いてあげながら、大輔は厨房らしい所を横切った。
思わず足が止まる。どうしたの?と顔をあげたタケルに、しーって人差し指を出した大輔は、ちょいちょい、とこっち来いって指示して、
覗き込んでいる。疑問符を浮かべながら、トコモンをリュックから出してあげて、一緒にみた。


「……みんなああ」


トコモンが涙目になる。あんまりだ、酷過ぎる、なんだこれ。
忙しなくヌメモン達が料理している厨房の隅っこの方に、たくさんの樽が並んでいる。
なんだあれ、と首をかしげる大輔に、島根におばあちゃんが住んでいるタケルはすぐにピンときた。


「あれ、お漬物作ってる樽だよ」

「まじで?」

「うん。上からずーっと重い物載せて、固めるんだよ」

「みんな、つけものいしになっちゃったー」


言わないでよ、我慢してたのに。大輔とタケルは思った。うわーん、とトコモンが泣きだす。
よしよしなだめながら、タケルは顔をひきつらせた。そして必死で口元に手を当てて、目をそらす。
大輔もちょっと間抜けすぎる光景にこみあげてくるものがあるが、笑っちゃいけない、
笑っちゃいけない、と懸命に我慢する。
何この拷問。みんなを助けなきゃいけない状況なのに、漬物石って、漬物石って!よりによって漬物石って!
ガブモン、テントモン、ブイモン、ゴマモン、アグモン、みんな石になって有効活用されていた。別の意味でひどい。
コロモンから進化できたんだ、とどうでもいいことを考えつつ、ここに彼らがいるということは太一達は捕まったということだ。
ダメだこれ。早く何とかしなきゃ、と笑いを押し殺しながら、みんな先を急いだ。



畜生、コカトリモンの奴ぜってー許さねえ、と大輔は闘志に燃える。
ブイモンをあんな目に合わせるなんて酷過ぎる。
大輔とタケルとトコモンを逃がすために、身を呈して守ってくれたブイモン達を、あんな目に合わせるなんて!
漬物石にするなん……脳裏をよぎる間抜けすぎる絵面に、大輔は沸き上がる衝動に襲われてしまう。
格好つかねーじゃねーか、ちっくしょー!すっかり涙目である。
もちろんそういう問題ではないし、大ピンチなのは変わらないのだが、なんかなんか釈然としない。
まあ、そのまま粉砕でもされている所を目撃してしまったら、
それこそ本当に大輔もタケルもトコモンも、一生癒えることのないトラウマを抱える上に、
大輔はきっと助けられなかった、約束が守れなかった、ブイモンの言葉の真意を知ることが出来ないまま絶望してしまう。
ヘタしたら紋章自体消滅してしまいかねない。
コカトリモンが料理をすることと、食べることが大好きだったということを幸運にしておくとしよう。





さて、問題である。
ようやく空とミミがいるであろうシャワールームに辿り着いた大輔とタケルとトコモンである。
でも、最初っから脱衣所に行くはずのドアが全開で、空とミミのものと思われる服とかが全部脱ぎっぱなしで放置されている。
それなのに、タオルだけが不自然に根こそぎ無くなっていて、まるで誰かが入ってきたかのような惨状がひろがっている。
しかも、その先にあるバスルームまで無遠慮にも全開になっていて、流れているシャワーがそのまま放置である。
そして不自然なまでに窓が全開で、空もミミもパルモンもピヨモンも誰もいない。
しかもなんかがはいつくばったような跡があって、あちこちに不自然な石が張り付いている。
一体何があったのだろうか。


「大輔君、お兄ちゃん達、探そうよう」


もうほとんど答えは出たも同然なのだが、口に出しそうになったトコモンを、勘弁してくれ、とタケルが押しつぶす。
力はもう尋常じゃないくらいである。もう恥ずかしくて今にも死にそうなタケルには、流石に大輔も同情した。
流石の大輔も、おう、と小さくつぶやいた。大賛成である。もう耳まで赤い。これは幾らなんでも刺激が強すぎた。
デジヴァイス見つからないし、大丈夫だろう、多分。ミミさん達、なんだかんだいって、俺達より一番強いし。いろんな意味で。
とりあえず、せっかくここまで来た大輔達だったが、直ちに方向転換する。そして走り出す。もうここにいるのだけでも嫌だった。
だから来たくなかったんだよう、とタケルはすっかり涙目である。
仕方ねえだろ、俺達悪くねえよ、不可侵領域突破したコカトリモンの非常識さが悪いんだ、大輔は断言する。ごもっともである。
リュックに揺られながら、トコモンはずーっと疑問符である。わかんなくていい。一生わかんなくてもいい。だから頼むからだまってて。
口をふさがれたトコモンは大人しく揺られることになる。
そして、逃げ出すようにそこから出ていった彼らは、選ばれし子供たちの救出を最優先することにしたのだった。



[26350] 第14話 Go ahead
Name: 若州◆e61dab95 ID:017cc849
Date: 2013/08/03 00:11
「みんなひものになっちゃったー」


だから、食い物から離れろ、この食いしん坊!大輔とタケルの心は一つになる。
わーん、と泣きだしてしまう相棒を泣きやませながら、とりあえず大輔達は、
頑張って頑張ってやっとこさ辿り着いた、展望台までやってきた。
灼熱地獄のサバンナのど真ん中である。太一、丈、光子郎、ヤマトは、
みんなコカトリモンによって、ロープでぐるぐる巻きにされて、
なんと天日干しにされていた。大変である。脱水症状を起こし始めている。
このままでは、ホントに死んじゃうかもしれない。
だから、ホントに緊迫したシーンなんだから、ひもの、ひもの、連呼すんのやめてくれ!
切実な大輔の声に、でもーとぐずるトコモンである。
タケルと一緒だ、こいつどこまでも子供だ!大輔はこっそりそう思った。
タケルは大輔のリュックからトコモンを取り出す。
ふえ、どうしたの?と顔をあげたトコモンに、タケルは言った。


「トコモン、お兄ちゃん達助けよう。トコモンの泡なら、このアミ、とかせるよね?」


なにせ、コロモン達がどんなに頑張っても壊せなかった、あの頑丈な鉄格子の牢屋から自力で脱出しやがったのである、
このトコモンの進化前のポヨモンは。
逃げ出してしまったガジモン達が鍵を持って行ってしまったせいで、途方に暮れていたのだが、いらない徒労だった。
あの時の衝撃は、可哀想で可哀想でたまらなかった、泣いていたタケルの涙をひっこめた。
やっぱり、一回生き返ったら、強くなるって言うのは本当らしい、と大輔の話を聞いて改めて思うタケルである。
記憶が継承されるのがランダムであるというリスクがある以上、何が何でも絶対に、二度とエンジェモンが死なないように、
僕が頑張らなくっちゃ、と決意を新たにしながら、よろしくね、とトコモンに言う。
うん、と頷いたトコモンは、一生懸命、超強化された酸の泡で、選ばれし子供達を救出した。
どうやって?決まっているだろう、下はプールである。ざっぱーんという豪快な水しぶきが上がった。


「ば、ばか、何やってんだよ、太一さん達、縛られてんだぞ!」

「「あ」」


あわてて彼らは、階段を駆け降りることになる。そして、タケルとトコモンはみんなに叱られ、止められなかった大輔は怒られた。
でも頑張ってくれてありがとう、とびしょ濡れになってしまった彼らから褒められたので、
最年少組は顔を見合わせて笑うことになる。
ちなみに、コカトリモンは、空を飛ぶことが出来ないという欠点を空に見抜かれ、
バードラモンによって空中戦を展開されて、足が止まる。
そこにすかさず、大きな大きなサボテンとなったトゲモンの眼つぶし攻撃からのアッパー、
そして火によって丸焼きにされた挙句に、船の煙突にホールインワン、することになる。
もちろん、直行したのは脱衣場である。バスタオル姿の空とミミの姿は、
梯子から降りようとしていた大輔とタケルの記憶から即座に抹消された。
アングル的にピヨモンとパルモンすら気付かなかったのが救いである。
トコモンは言ったら絶交だって恐ろしいことを言われたから、
こくこくと無い首がもげるくらい頷いたので、事実は闇に葬られた。
ミミ達がコカトリモンをやっつけてくれたおかげか、パートナーデジモン達は漬物石から何とか生還を果たした。
この船は危険である。そう思った彼らは、大暴れしてヌメモン達をぶっ潰すついでに、
火事場泥棒上等、ありったけの食料を持って、子供達と合流することになる。
いざ逃げようとしたら、突然動き始めた豪華客船が襲いかかってきたから、さあ大変。
必死で逃げまくっていた選ばれし子供達とデジモン達の前に現れたのは、巨大なサボテンである。
それに押し返される形で、豪華客船とコカトリモン達はそのまま空のお星さまになってしまった。
ちなみに、豪華客船につながっていた黒いケーブルを見た丈は、あれ?と首をかしげた。
千切れて、爆発してしまって、もう確認のしようがないけれども、
いつだったかコロッセオでも似たようなケーブルがあって、転んでしまったのを思い出す。
でも、サボテンの花からあらわれた紋章が、ミミのタグにおさまったので、すぐにそれは忘れてしまった。
黄緑色のやわらかい色をしたタグである。
二重の丸があって、それを涙みたいな形をした模様が囲っている。
ほしくなかったのになあ、とミミが小さくつぶやいている。
でも、すぐに、ぐーってお腹が鳴ってしまい、赤面、はっとしたらみんな笑っていたので、
もーいやあ、と頬を膨らませて拗ねてしまった。そして、そういえば、腹ペコだと気付くのだ。
そして食堂で食べた子供達を除いて、パートナーデジモン達が持ってきた食料をみんながわけっこして食べることになるのだった。
アグモンは食べたけど、太一だって自分の分は半分以上アグモンにあげたから食べてない。
なんでオレだけ飯抜きなんだよ!と怒っても、誰も相手にしてくれない。
大輔!と切実に呼んでくる先輩が可哀想になって、大輔はリュックを降ろして、お菓子を出そうとしたのだが、
何故だか満点の笑みの空と、不自然なまでに不機嫌なブイモンによって止められてしまう。
結局、みんながご飯を食べた後で、太一はようやくご飯にあり付くことが出来たのだった。
げに恐ろしきは食い物の恨みである。この日から、何があっても食べ物は不可侵という不文律が生まれた。


「なあ、ブイモン、ちょっと話があるんだけど」


空に事情を説明した大輔は、きっちりと許可を得てから、ブイモンを連れて、一緒に少し離れた所に行くことになる。
見送るタケルとトコモンに頷いて、大輔はむかった。
どーしたの?大輔、とキョトンとしたブイモンに、大輔は勇気を出して聞いてみた。


「なあ、ブイモン。なんであの時、『オレのこと守ってくれるか』なんて言ったんだよ」


ブイモンはショックを受けたような顔をした。
ブイモン?と首を傾げた大輔に、ぺたん、とブイモンはへたり込んでしまったのである。










第十四話 Go ahead










きっと大輔ならわかってくれるってブイモンは高望みしすぎたのである。
ファイル島で本宮大輔という少年と出会って、サーバ大陸に上陸してからも続く旅路は、
この世界においてもう1か月に到達しようとしており、ブイモンが勘違いするのも無理はない。
いろんなことがあった。だから、大輔とブイモンの絆は誰よりも強固で頑丈だ。
それは誰の目にも明らかなくらい、確実なものだったから、安心してしまったのだ。
それが時に悲しいくらい一方的なものになってしまうことをブイモンは知っていたはずなのだが、
大輔と以心伝心出来る運命共同体に近付くたびに嬉しくて、すっかり忘れていたのだ。
はっきりといいたいことをいわないと本宮大輔という少年は分かってくれないという事実を。
大輔は、まだ小学校2年生である。
そのことをさっきの一言で思い出したブイモンは、一気に高揚していた気分がどん底まで沈んだのだ。
理由はいろいろある。
ブイモンががんばらなくっちゃ、大輔の一番になれないという、一から全部関係を構築していかなくてはいけない、という
非常にめんどくさくて、難しくて、つかれてしまう環境に現在進行形で置かれていること。
なぜなら大輔とブイモンの心の中には、年月を経るにつれて大好きのヒエラルキーの中でも確実に
殿堂入りという別格に昇格していくであろう、なっちゃんという少女デジモンがいる。
生まれて初めて、大輔に対して、大好きだって言い放って消えていった、愛される天才らしい最期を遂げた
最悪なまでにずるい、大好きな大好きななっちゃんがいる。ブイモンにとっても大輔にとっても同じである。
呑気に身構えていたら、パートナーデジモンだからって安心しきっていたら、
大輔の一番は確実になっちゃんにとられてしまう。そんな悪夢に時々ブイモンうなされるのだ。
そんなこと、我慢できるわけないだろう。本宮大輔のパートナーデジモンは、ブイモンただ一匹だけであるはずなのだから。
だから、ずーっとずーっと、頑張ってきたブイモンである。
うっかり太一の紋章を見て、一番大切なものをとられてしまうという、200年前の
忘れかけていた最悪の記憶を思い出してしまったから、なおさら拍車がかかる。
非常に機嫌が悪かった。非常に居心地が悪かった。これ以上ないくらい、不満とか、
いらいらとか、そう言うのがたまっていた。
心の中では思っていても、絶対に口に出して言わないはずのことを、
うっかり太一に暴露してしまうくらいに、ブイモンは結構無理をして頑張っていた。
それでも大輔の一番になりたくって、ずーっと自分の気持ちを我慢して、頑張り続けていた。
本来ならそういうこと、この上ないほどの苦痛であるにも関わらず。
大輔がブイモンのことを見てくれるためには、まずはジュンお姉ちゃんのことを解決しなくっちゃいけないのだ。
そのためには、みんなに大輔のことを知ってもらわなくっちゃいけない、
だからブイモンは大輔のために頑張らなくちゃいけない。
なんで?おかしいだろ。そんなことしたら、大輔がみんなを頼るようになっちゃうじゃないか。
みんなが大輔の一番になっちゃう確率が上がっちゃうじゃないか。
でもそうしないと大輔は自分のことばっかりに一生懸命で、
ぜーんぜん、ブイモンのことを見てくれない、今の現状がずーと続くことになる。
それもいやだ。そっちのほうがいやだ。だからオレは頑張ってるんだ。ずーっとずっと頑張り続けてきたんだ。
なんでオレがこんなことしないといけないんだよ、みーんな、
そんなことしなくってもいいのに!そんなジレンマを抱えながら、ブイモンは頑張っていた。
そしたら、大輔が言うのである。なんで、あんなこと、言ったんだよって。
ブイモンが大輔のために言ったのに、ぜーんぜん大輔は、これっぽっちも、
ブイモンの気持ちを分かってくれていなかったのである。
意図を把握してくれて、いなかったのである。ブイモンはただ、大輔の一番になりたくって、
ホントはしたくないことをやって、ホントはやりたくないことをやって、
悲鳴を上げるパートナーデジモンの本能を我慢しながら、戦いながら、
ただひたすら大輔のためだからって頑張り続けていたのに、全然分かってくれていなかったのである。
あんまりだ。ひどい。酷過ぎるよ、大輔。
1ミリくらいは伝わっているかなー、オレの気持ち、と
褒めてもらえない努力を続ける、気付いてもらえない裏方の寂しさを慰めるために
健気過ぎる期待をしていたブイモンは、もうプッツンと何かが吹っ飛ぶのを感じた。
そして、知ることになる。ああそっか、思い出したぞ。
なんで、オレがここまで大輔のことが大好きなのか。なんでここまで1番になりたいと思うのか。
そっか、大輔、分かったよ。これが「怒る」ってことなんだね。怒らなきゃいけない時って、こういうときなんだね。分かったよ。
ブイモンは大輔を見上げた。鬼気迫る様子のブイモンに、ぎょっとした大輔が、
どーした?と思わず気押されながら聞いてくるのを確認して、
ブイモンはただ静かに、大輔に言ったのである。
いつものブイモンじゃなくて、怖くなって、逃げようと及び腰の大輔が逃げないように腕を掴んで、
真っ赤な燃え上がる激情は、怯えているパートナーをまっすぐに見上げた。


「大輔、オレ、よーくわかった。もうわかったよ、大輔。大輔がすっげー分からずやだってこと、よーく分かった。
ぜんっぜんオレの気持ち、分かってくれてないんだって分かった」

「な、なんだよ?」

「大輔え、オレもう怒ったぞ」

「え?」

「大輔、覚悟してよ。オレ、もう我慢すんのやめる。
オレ、もう引かないよ。大輔が分かるまで、分かってくれるまで、何度だって言ってやる。
オレさ、なんで大輔のパートナーデジモンになったのか、分かった気がする。
オレ、言ったよね?大輔の1番になるためなら、何だってするって。
もうなりふり構ってらんないから、言うよ。よーく聞いてよ、大輔。
ずっと言えなかったことがあるんだ。ずっと聞かれなかったから黙ってたことがあるんだ」

「え?なんだよ、それ」

「オレのこと」

「ブイモンのこと?」

「ううん、オレ達のこと、かな。もう、みんな、いなくなっちゃったと思うけど」

「いなくなっちゃった?どういうことだよ?」


出来ることなら、最後まで言いたくなかったことである。最終手段としてとって置きたかったことである。
出来ることなら、ブイモンがちゃんと大輔と一緒に育てていきたかった一番という存在である。
でも、ブイモンの途方も無い大輔に対する一途なまでの思いすら、踏みにじってしまったパートナーに対する怒りは、もう、
ブイモンでもどうにもならなくなっていた。だから言う。
直接言わないと、ぜーんぜん気付きもしてくれないと分かってしまったから言う。
全部全部大輔のせいなんだからね、とブイモンは今にも泣きそうな顔をしたまま、笑った。


「オレ、この世界に、デジタルワールドに一人ぼっちなんだよ、大輔」


その言葉に、大輔は凍り付いた。
え?なんで?デジモンは同族でも暮らすって、言ってただろ、と言われる。
ああ、やっぱり勘違いしてたんだ、とブイモンは理解する。
大輔はきっとブイモンがブイモンが沢山いるどっかに住んでいて、
大輔達がやってきたから、あの森に来たんだって勘違いしていたのだ。
まずはそこから教えてあげなくちゃいけないのか、と溜息である。
どういうことか説明しろって大輔はいう。何にも知らない大輔は、ブイモンに言った。
言質はとった。もう、戻れない。ブイモンは、覚悟してよ、と言った。


「分からず屋の大輔に教えてあげる。ぶつけてあげる。
そんなに言うなら、ちゃんと受け止めてくれよ、受け止めてよ、オレの大好きがどういう意味かって。
大輔がオレにどんだけ酷いことしてきたのか、教えてあげるよ」


この瞬間に、これからの本宮大輔とブイモンの関係性は決定された。
このときのブイモンのことを思い出すたびに、大輔は思うのである。
俺、もしかして、とんでもない奴がパートナーデジモンなのかもしれないって。
気付いた時には、もう遅すぎたけれども。
なーに言ってんだよ、大輔、今さらだろ、とどこまでも打算的なパートナーはいつだって隣で笑っている。









人間だって人間はどういう奴なんだって聞かれてもすぐには答えることが出来ない。
それはデジモン達も一緒である。選ばれし子供たちのパートナーデジモン達は、
デジタルワールドってどういう世界かって意識したことも無ければ、知りもしないことが沢山あるし、
知らなくったって生きていけることが沢山あるから、選ばれし子供達に言っていないことが、それはもう山のようにあるのである。
例えば、デジモンには、属性と呼ばれるものが存在するっていうこととか。
すべてのデジモン達は、特殊なデジモンを除いて、「ワクチン種」、「データ種」、
「ウィルス種」に分類され、それぞれは“じゃんけん”のような相互関係を構築している。
同一の種族であるデジモンでも、属性が変わる事で見た目にも影響がでるデジモンも存在する。
例えば、色が変わったり、性格が変わったりする。
幼年期のデジモンは、基本的には属性は無いと考えられているが、データ種であることが多い。
簡単に分類分けすると、こうなる。
「ワクチン種」は、ウィルスからの攻撃を防ぐ役割を持ち、本能的にウィルスに攻撃しかける。
全体的に正義感の強いデジモンが多い。ウイルス種に強くって、データ種に弱い。
アグモンとか、ピヨモンとか、ゴマモンとかが当たる。
「データ種」は、ワクチンを取り込みウィルスから身を守る。全体的に穏やかな性格のデジモンが多い。
ワクチン種に強くって、ウイルス種に弱い。ガブモンとか、パルモンがこちらにあたる。
「ウイルス種」は、データを破壊する目的に作成されたデータから生まれたデジモン達である。
全体的に凶暴なデジモン達が多い。データ種に強くって、ワクチン種に弱い。
大輔たちのよく知ってる真っ黒なエクスブイモンもこの所属だ。
でも、一部のデジモンには以上のいずれの属性にも当てはまらないものが存在する。
それが「フリー種」である。
一般的には「古代種」の末裔達が持つ属性であり、いかなる属性間による有利・不利は存在しない。
「古代種」の末裔じゃないけど、「フリー種」に他にも属するデジモン達はいっぱいいるが、ここでは関係ないので割愛する。
さっき言った「ワクチン種」「ウイルス種」「データ種」は、
現在デジタルワールドで多数派を占めている、進化することができる現代種と呼ばれるデジモン達である。
今の選ばれし子供達のパートナーの中での「古代種」の末裔であり、「フリー種」は、ブイモンとパタモンが当たる。
ちなみに、パタモンは気付いてすらいないけれども、
エンジェモンは遥か昔のデジタルワールドの危機で降臨したって伝説があるくらいだから、
全然不思議じゃないのである。そういう個体がいるってこと自体は。
ただ、それがタケルのパートナーデジモンであるって言うのは、運命としか言いようがないが。
もちろん、そんな属性のことなんてわからないブイモンは、パタモンも同じ古代種だって知らないから、
みんなのなかにひとまとめにしてしまう。ブイモンからすれば、
チビモンだった時に、ひとりだけ、あの森でみんなと一緒に合流したのだ。
でもみんなはみんな一緒に森にやってきたのである。間違うのも無理はない。
ブイモンは大輔に教えてあげる。
古代種が歩んできた数奇な運命を。何回だって、何十回だって、教えてあげるのだ。
いつまでたっても、ブイモンの大好きと大輔の大好きがつり合いが取れない理由は、きっとここにあるから。



今のデジタルワールドの時間の流れは、とっても早い。
なんせ現実世界の1分がデジタルワールドの1日である。
でも、ブイモンが「古代種」として生きていくはずだった古代のデジタルワールドは、
デジタルワールドが誕生した時代である。
だから、もっともっと現実世界から見て、デジタルワールドの時間の流れは早かった。
それはもう、現実世界での1年がデジタルワールドでは数千年、数万年にも及んでしまうくらい早かった。
ブイモン達がいっぱいいた「古代デジタルワールド期」とは
そのデジタルワールドが誕生した初期の世界の事を指し、その頃に栄えていたデジモン達の事を「古代種」と呼ぶ。
現在のデジタルワールドはほとんど9割を現代種が占めており、
わずかに古代種のデータを強く受け継いだ“末裔”が生きているだけである。これがブイモン達なのだ。
しかし、現代種の中にも古代種の遺伝子データが残っているものがおり、
“末裔”と同等の力を秘めているデジモンもいる。ちなみにこれがパタモンである。
エンジェモンがある意味、切り札的な立場に置かれていたのは、
光とか善の勢力に身を置いていて、暗黒の力に対してこれ以上ないほどの切り札であり、
聖なる力を扱える以外にも、ここに理由があったのかもしれない。
これについても、ブイモンはまだ現実世界に言ったことが無いので大輔には説明できないことである。
とりあえず、ずーっと昔にブイモン達はいっぱいいたんだけど、
純粋な古代種はみんな死んじゃったんだってことだけ、説明した。それだけでも十分すぎるインパクトである。
純粋な古代種はほろんでいったが、実はそれには他にも理由がある。
純粋な古代種デジモンは、現代種に比べ潜在能力こそ上回るが、感情の起伏も激しく、
“オーバーライト(データの書き換え)”が現代種に比べ荒々しいという、致命的な弱点があった。
データが知能を持って実体化して生きているのがデジモンである。
データの書き換えが激しいということは、それだけ心臓ともいうべきデジコアを消費するということだ。
そのため寿命が極度に短い。
オーバーライトを酷使するということは、デジコアをすり減らすことである、データチップを撒き散らして行くことと同じである。
当然進化への道も途方も無くなる。成長期、成熟期以上に進化できないデジモンも数多く存在した。
古代種の完全体、究極体デジモンが幻の存在、伝説級にまでいわれるのはそのためである。
だからこそ、古代種は進化という選択肢を勝ち得た現代種に淘汰されていったわけで、
進化の可能性に適応できた一部だけが生き残って、それがブイモンなのである。
だってそれは、デジタマに戻れる個体自体が少なくなってくることと同義だ。
みんな、きえちゃう。
そこまで聞いて、大輔に思い当るのは、大好きだって言ってくれた少女デジモンである。


「それって、なっちゃんじゃねーか。なっちゃんはデジタマになれたけど、
あんとき、たしか消えちゃう前にっていってたし」

「そうだよ。オレ達はね、デジタマになれなかったら、消えちゃったみたいにして、
みんな死んじゃったんだ。何にも残んないよ。
だから知ってたんだよ、データチップって何のことか分かんなかったけど、
消えちゃうってことだけはオレ、覚えてたみたい」

「そっか・・・・・・・そうなんだ」

「あのとき、オレがどんだけ、どんだけうらやましかったか知らないだろ、大輔。
大輔、なっちゃんに言ってただろ?
『俺にとって大事な存在だよ!勝手にきめんなよ!居場所なんて勝手に作っちまえばいいんだよ!』って。
『俺がいてやるから!』って。『ずっと一緒にいてやるから!』ってえっ!『俺達の世界に来ればいいだろ?』ってえええ!
わかってる。あのとき、オレもなっちゃんのこと、助けたいってホントに思ってたから、わかるよ、大輔の気持ち。
でも、でもさ、大輔オレにそこまで真剣に言ってくれたことないだろっ!
なあ、なんでだよ、オレ、ずーっと一番になりたくって頑張ってるのに!
オレのこと見てくれって、オレ、何度も何度も言ってるのにさ!大輔知ってるのにさあ!
運命共同体だっていってるのにさ、大輔、全然、ちっとも、オレにそういうこと、
ほっとんど言ってくれないじゃないか!」


思わず大輔は息を呑む。
ブイモンがとんでもなく大輔のことが大好きだってことは知ってたけど、知ってただけだと思い知らされた。
彼女との邂逅がどれだけブイモンの地位を揺り動かすことになったのか、それはもう計り知れないものである。
でも、ブイモンからとんでもないことを聞かされた大輔にとっては、それどころではない。たまったもんじゃない。


「なんだよ、それえ……・。ってことは、ブイモンってすっごく寿命が短いってこと!?
完全体になったら、死んじゃうってことかよ!?」

「だから、最後まで聞いてよ、オレの話」

「わ、わりい、ごめん」


信じられない、と顔に思いっきり書いてある大輔に、記憶がようやく戻ってきたブイモンは、
ファイル島の守護デジモン達によっていかにブイモンが守られてきたのか、教えてあげるのだ。
ブイモンがコロモン達と合流する前に暮らしていたダイノ古代境の先にあるエリアには、
時間の流れが早かったり、ゆっくりだったりするエリアがあって、ゆっくりなエリアでブイモンは生きていた。
ただでさえ寿命が短い古代種である。いきなり現代種と同じ時間軸で生活させては、普通に考えてすぐに寿命が尽きてしまう。
だから外のエリアに出たいといくらブイモンがお願いしても、
ダイノ古代境を守る守護デジモン達は許してくれなかったのだ。
ゆっくりと時間が流れるエリアにいれば、大輔と出会うまでの時間をぎゅっと短縮することができる。
暗黒の勢力に居場所を特定されることを恐れて、デジメンタルと離れ離れになってしまった古代種を匿う苦肉の策だ。
ちなみに、短すぎる寿命を補うために不可欠だったのが「デジメンタル」である。
いろんなことを思い出したブイモンにとって、かつて何ごとにも代えがたいような、
そんな命より大事なものだったと断言できた。
だって、デジメンタルは自身の力を使わずにデジメンタルに秘められたエネルギーを
使って進化するため、デジモンの体に負担が掛かりにくい。
いわば生命維持装置としての役割も果たしていたわけだから、
それが無い今のブイモンは普通に考えれば極めて危険な状態といえる。
そんな状況を強いなければいけないほどに、この世界は確実に追い詰められているのだ。
もちろんそんなことまで分からないブイモンは、あくまでも自分の立場で言うのだ。


「やっぱり、オレは大輔のパートナーデジモンだから、
普通のブイモンとは違ってると思うよ。絶対そうだよ。
だって、そうじゃなかったら、もう何回も何回もオレ、
エクスブイモンに進化してるけど、普通だったらもう死んじゃってるかもしれないんだ」

「ええええっ!?なんでそんな大事なこと、今になって話すんだよ!」

「仕方ないだろー、オレ、ずーっと寝てたって言ったじゃんか!忘れてるよ、そんなこと!
思い出させたのは、大輔のせいなんだからな、責任とってくれよ!」

「えー、なんでだよ」

「だって、何ともないんだよ。ぜーんぜん、進化したって平気なんだよ。データチップだって撒き散らしてないだろ?
おかしいんだよ、オレ、もうとっくの昔におかしくなってるんだよ、これって大輔がいるからとしか考えられないだろー!」

「た、たしかに」


はえー、というしかない大輔である。


「オレさ、なんで大輔のパートナーデジモンになったのか、わかった気がするんだ。
大輔って、すっごく心が広いでしょ。なんでも受け入れてくれるでしょ。
最後まで、向き合おうってしてくれるでしょ。
大輔は大っきらいになっちゃってるみたいだけど、オレはそーいうとこが大好きなんだよ。なんか、デジメンタルみたいなんだよ。
すっごく、すっごく、懐かしいきがするんだ。なのに、大輔、オレの大好きなとこ、つぶそうとしたんだよ、あの時。
オレがどんだけ悲しかったか、わかる?わかんないだろ、だからオレがわざわざ言ってあげてるんだから」


もうここまで言われてしまっては、もう鈍感になれるわけがない。
もう、大輔はブイモンの方を向かざるを得なくなる。
それにさ、と続くので、まだあんのかよー、とおもわず大輔はつぶやいた。
もう頭がパンクしそうなのだ。
しかし、ずーっと我慢してきたブイモンの怒りはこれからが本題なのだ、とみなぎる一方である。


「大輔、言ってるよね?ジュンお姉ちゃんが弟として見てくれない、認めてくれない、褒めてくれない、わからない、
寂しい、寂しい、こっち向いてくれないって。オレのこと見てくれないって」

「うあー……まあ、そうだよ?」

「じゃあ言うよ、大輔。よーく聞いててよ、目をそらしたら、最初っからだからね。
何度言っても分かんないみたいだから、もーはっきり言っちゃうけどさ、大輔、
ジュンお姉ちゃんにされてるやなこと、ぜーんぶ、ぜんぶ、オレにやってるんだよ、気付いてる?」


俺がブイモンに、俺がジュンお姉ちゃんにされて嫌なことを全部している?
はあ?何だよそれ、とてんで記憶にない大輔は、首を傾げるしかない。


「……ごめん、ブイモンがいってること、全然わかんねえや」


だろうと思ったよ、とブイモンは大きくため息をついた。


「大輔がオレのこと、パートナーデジモンとして頼ってくれるの、泣いてる時だけだよな?ピンチになった時だけだよな?
オレがいくら頑張っても、オレが言うまで、ぜーんぜん褒めてくれもしないよな?
オレがいくらオレのこと見て見てって、いっても、ぜーんぜん見てもくれないだろ?
寂しいんだよ。こっち向いてくれないんだもん、大輔。
だからオレ、今でも大輔のこと、これっぽっちも分かんないんだよ。
大輔がオレのことどう思ってんのか、ぜーんぜんわかんなくなっちゃうんだよ。もうやだよ、オレ。
言葉じゃ足りないんだよ、ぜーんぜん足りないんだよ、どうしてくれるんだよ!大輔のせいだよ、全部全部。
大輔のせいだよ、ばかあああ!」


ありったけの感情をこめて抱きついてきたブイモンである。
大輔の身体が悲鳴を上げていることなんかお構いなしで、ぎゅーっと抱きついてきているパートナーに、
呆けるしかなかった大輔は、顔をうずめて泣いているブイモンを見た。初めて見た気がする。
ブイモンがブイモンのために、怒って、泣いて、行動する所なんて。
これが古代種の特徴なのか、それとも大輔のパートナーデジモンであるが故の似た者同士になってきた影響なのかは、
大輔にはわからない。でも、それがとんでもなく嬉しいってことはわかった。
だから、大輔はなんとか腕をまわした。
デビモンが残した忌まわしきトラウマを我慢して、ブイモンに抱きついた。
それに気付いたブイモンは、もう嬉しくて嬉しくてたまらない。
そっか、オレ達似てたんだ、すっげー似た者同士なんだって大輔はわかったのである。
じゃあ、もしかしたら、オレ、ブイモンみたいにもっといろんなこと頑張れるかもしれない。素直になれるかもしれない。
お姉ちゃんと仲直りできるかもしれない。そう、思ったのである。


「大輔は、オレにとって、きっとデジメンタルなんだと思うよ。
 だってオレ、大輔が傍にいてくれるだけで、こんなに元気になれるんだから」


ちなみに、ブイモンが本来のブイモンと違うのは、大輔がオーバーライトすら半分こしてくれているからである。
これを知る必要は、きっとないけれども。



[26350] 閑話 選ばれなかった女の子の話
Name: 若州◆e61dab95 ID:a6b89a1f
Date: 2013/08/03 00:12
想いは消えないよ

想いは残るよ

想いはいろんなコトを起こすよ

いいことも

悪いことも










「おねえちゃん、おねえちゃん、おきてよう」

「なによう、大輔」

「といれ」

「はいはい、分かったわよ。もう、今何時だと思ってるのよ」


ふあああ、と大きくあくびをしながら、起き上がったジュンは、パジャマ姿のまま目をこする。
ぱちりと電気を付ければ、もう夜遅い。仕方がないので、すっかりおびえている弟のために電気の道を作る。
だってえ、と怖がりな弟はお姉ちゃんのパジャマの裾を引っ張って、はやく、はやく、とせかすのである。
今日はお父さんは出張で、お母さんは婦人会の旅行でいないのだ。だから家にはジュンと大輔だけしかいない。
いつもならみんなで川の字になって眠っているお父さんとお母さんと大輔の部屋は、布団いっぱいになるのに、
小学校4年生の女の子とあと2カ月でやっと5歳になる弟では、いつもより部屋が広く見えた。お布団は2つでも広いくらいである。


「だから見ない方がいいっていったのに」

「だって、てれびかえてたらみちゃったんだもん」


だいじょうぶだよ、と意地を張って布団の潜り込んだのはどこへやら、
すぐに手をつないでほしいと伸ばしてくるのはいつものことである。
だから見たい番組を言ってくれればリモコンで変えてあげるのに、と何度も言うのだが、お姉ちゃんが見たいと言っていた
春の特別企画で放送される面白いコメディのアメリカの映画を早く見たくて仕方なかったこの弟は、
いつもの癖ですぐにぱちぱちとチャンネルを変えてしまう。いい加減勉強すればいいのに。
やめとけと言ったのだが、お姉ちゃん大好きっ子の大輔は聞く耳を持たず、
お姉ちゃんが持って来てくれたジュースとお菓子に夢中で、
このありさまだ。やっぱりお父さんもお母さんもいない夜更かしは嬉しいらしかった。
いつもは22時には本宮家は真っ暗になる。
ジュンは全く学習意欲の無い弟にはあ、と溜息である。バカだから可愛いけど。
毎週土曜日の9時は、大輔の天敵である裏番組が放送されているというのに、
いつもいつもチャンネルを変える時にちらっとみてしまうのだ。
人が死んじゃったり、人が人を殺したりして、それをシリーズものの探偵が解決するという一話完結のドラマをやっているサスペンス劇場。
しかも今日はちょっとジュンも怖かった。最悪である。
知らなかった、しっかりテレビ番組を確認しとくべきだったと後悔してももう遅い。
やがてジュンがはまることになる、美形アイドル二人組の片割れが主役を務める、ミステリー・オカルトブームの先駆となった、
大人気推理物漫画を実写化した単発のドラマが、たまたまやっていたのである。
ジュンの周りでも、じっちゃんの名にかけては大流行だ。
しかも丁度、決め台詞の「謎は全て解けた!」と宣言した高校生探偵が、
ポスターをはがし白骨化した行方不明の女子高生をみんなに見せるという、
ここ一番の見せ場というショッキングすぎる場面に遭遇してしまったのである。
大輔が怖がるのも無理はなかった。
毎週土曜日は必ず大輔はすっかり怖い夢にうなされたり、ありもしないものを想像して、怖がってしまい、お姉ちゃんとすがりついてくる。
本当はジュンだって怖かったのだが、泣きそうな顔をして慌ててチャンネルを変えて、お姉ちゃんと泣きついてきた弟がいる手前、
そんなこと言ってられる訳もなく、それに異様なほど怯えるのを見ていると帰って冷静になって、だいじょーぶよ、と励ます作業に入る。
いつものように大輔を連れてトイレまで行ってあげて、扉の向こうでずーっと待っててあげる。あーもう眠い。
ふあーとあくびをしたジュンは、出てきた大輔の代わりに電気を消して、換気扇を回してあげながら、ちゃんと手を洗ったかと聞いた。
うん、とほらと手を見せてくれる。
水道の音もしたし、石鹸の泡も残っているから、ちゃんとやったんだろうと確認して部屋に戻る。
大輔がジュンの後ろに隠れてしまう。早く行こう、とせかしてくる。どうしたんだとそっちを見たら、雛段が飾ってあった。
昨日はひな祭りだったから、家族で一緒にちらしずしを作ったのである。
嫁入りが遅れたら困るからってすぐに片付けたかったのだが、ジュンの友達を呼んでひな祭りをしたから、
主賓として料理とかジュースとかいろいろ準備しなくちゃいけなくて、お母さんと大輔を巻き込んで大忙しだったから、
結局片付けられなかったのだ。
だからせめて、とお雛様は全部後ろ向きにして、おかえり願うとか言うお母さんの実家の風習で対処した。
光が洩れて、頭の方が影になって、十二単衣の辺りがきらきらひかっている。
お雛様たちがなんかこわい。
これは大輔が怯えるのもしかたないなあ、と思って、ジュンはパシンと居間を閉めて、先に進んだ。


「今度は何の夢見たの?」

「なんかね、ちっちゃいひよこがでてきたよ」


あそこから、と指差す先はお父さんの書斎にあるパソコンである。


「ひよこ?」

「うん、ひよこ」

「あのぴよぴよなくヒヨコ?ニワトリになっちゃうひよこ?」

「うん。きょう、おねえちゃんにつれてってみせてもらった、がっこのひよこ」

「なにそれ、全然怖くないじゃない」

「こわいよ!だって、なんか、どんどんおっきくなるんだよ!」


こんくらいから、と手を広げて教えてくれるものの、明らかにそれはひよこのサイズではない。
それが、こーんくらいになって、こーんくらいになって!とつま先立ちである。相変わらず面白い発想をする弟である。
本人はいたって大真面目なので聞きとるふりをしながらも、昔から想像力豊かな弟である。ジュンは面白がっていた。
それでそれで?と大輔が見たという怖い夢を聞きながら、ジュンは話に夢中で怖がらなくなった大輔を連れて寝室へ行く。
光が丘小学校では3年生と4年生の生き物係が兎と鶏の世話をすることになっている。
ジュンは丁度生き物係だったから春休みの間も、週に1度友達と一緒に小学校に自転車を走らせ、
兎小屋と鳥小屋を綺麗にして、エサを上げて、水を取り替えてあげるという仕事をこなしている。
鶏の卵がかえったという大ニュースが緊急連絡網を通して送られてきた今日、
ジュンはいても立ってもいられなくて、大輔を自転車の後ろに乗せて学校まで走ったのだ。
ピヨピヨないてる小さなヒヨコは4羽生まれて、ただ今名前募集中だ。
春休みになったら、その内の2匹はHRで名前を決めようってことになっている。
よっぽど今日一日の出来事が嬉しかったんだろうなあってジュンは思うのだ。
連れて帰りたい、飼いたいってごねる大輔をたしなめるのが大変だったから。
ぱちん、と廊下の電気を消して、さあ寝室の電気を消そうと手を伸ばしたときである。





突然部屋が真っ暗になった。悲鳴を上げたのは、びっくり仰天した大輔である。
先に布団にもぐりこんでいたので、パニックになる。


「おねえちゃん、おねえちゃん、どこ!?」

「ここにいるわよ、こっち来なさい、大輔」

「うん」


ほっとしたのか、ようやく探り当てたジュンの手をしっかりと握りしめてくる大輔の手を離さないようにしながら、
ジュンは何度かスイッチを入れるのだが電気が入らない。停電だろうか。
何でこんな時に、と思いつつ、何とか月明かりでも探そうとする。
しゃっとカーテンを開けるとうっすらと明かりが下りている。
他のマンションは真っ暗である。やっぱり停電か。


「おねえちゃん、まっくらだよう」

「ブレーカーあげてくるけど、大輔もくる?」

「いくっ!おいてかないでっ!」


切実な叫びに分かったわよと頷いて、手を握ったまま、何とかなれてきた暗闇を頼りに廊下を進む。
キッチンからいすを引っ張ってきて、電気のスイッチを確かめてみるのだが、全て全滅である。
玄関までやってきた本宮姉弟は、大輔がいすを支えている間に、ジュンが何とか背伸びしてブレーカーをあげてみる。
やっぱり無理である。泣きべそかき始めた大輔に、泣かないの、男の子でしょ、と叱咤激励しつつ、今度は電話。
お父さんの仕事先の電話番号くらいなら、小学校4年生のジュンはもう知っていた。
お姉ちゃんの後ろをくっついてくる大輔を元気づける言葉を紡ぎながら、固定電話にかけてみるのだが、なぜか通じない。
もうどうしようもない。夜は遅いし、外に出るのは危ない時間帯である。うーんと考えたジュンは大輔の頭をなでた。


「もう寝よっか、大輔。きっと起きたら全部元に戻ってるわよ」

「うえええ、ねれないよう」

「大丈夫、お姉ちゃんが羊数えてあげるから」

「んー」


首を振る大輔が抱きついてくるので、ジュンはよしよし言いながら抱っこした。
泣き虫大輔である。何かあるとすぐに泣くのだ、この弟は。
お母さんとお父さんをとられてちょっとさみしいと思うこともあるのだが、大輔はもうお姉ちゃんお姉ちゃんばっかりで、
もうべったりなのである。学校から帰ったら、真っ先におかえりなさいって出迎えてくれるのである。
そして学校で遅くなっても、ずーっとおやつを我慢して、一緒に食べるのを楽しみにしているような子である。
幼稚園で絵を描いても、工作をしても、必ずどっかにお姉ちゃんがいるので、
子煩悩なお父さんやお母さんによって作られた展示場所は、夏休みの宿題とか裁縫で作ったジュンの作品もあるが、
大輔の作品はもうジュンだらけになっているのである。かわいい弟である。
今日だって、泥だらけになって帰ってきた大輔が作った渾身の泥団子がコレクションに加えられた。
これ、ホントに泥団子?と聞いてしまいたくなるほど、ぴっかぴかに光っているのである。
まる体育館の時間に使う砲丸投げの球を、すっごく綺麗にしたみたいな、光沢を放っているのである。
それを、すっごく嬉しそうな顔をして、お姉ちゃんのために作ったから、お姉ちゃんにあげるといわれたのだ。
お母さん曰く、お母さんにも見せてくれと帰宅の道中で何度かせがんだのだが、お姉ちゃんに一番最初に見せるんだ、
の一点張りで、幼稚園のカバンをかたくなに抱えて、見せてくれなかったそうである。
それはもう嬉しいに決まっていた。
ありがと、と笑ったジュンに、えへへ、と大輔は笑ったのである。
停電の真っ暗闇を怖がる弟を守らなくては、とジュンは思った。





その時である。どおおおん、というすさまじい轟音が響いて、すさまじい揺れが本宮家を直撃したのは。
すっかりパニック状態になって怯えきっている弟を守るために、反射的に大輔を上からだっこして、ぎゅーって抱きしめたジュンは、
こっちまで飛んできた沢山の砂ぼこりと突風で寝室が滅茶苦茶になるのを見た。見るも無残な光景である。
ジュンはすっかり腰が抜けて立てなくなった大輔に、大丈夫、あたしがいるから、お姉ちゃんがいるから、と必死で励まし、
こくこくと頷く大輔を抱えながら、そっちを見たのだ。もう揺れはない。
一体何があったんだろう、とジュンは立ち上がろうとした。
でも大輔を置いていくわけにはいかないし、とすぐに気付いて、大輔に背中を向けた。


「ほら、おんぶ」

「うん」


小学校4年生の女の子は身体の成長が男の子よりもずっと早いので、クラスでも身長が高い方のジュンは、
小柄な大輔なら簡単におんぶできた。しっかりと首にまわされた手を確認して、よいしょっとおんぶをして、そっちに向かう。
居間に続いているはずの廊下は、もういろんなものが落ちていて歩くのも億劫だが、スリッパで何とか踏み越える。
ドアを開けたジュンと大輔を待っていたのは、なんにも無くなってしまったリビングである。
ベランダの方が大きな大きな穴が開いている、月明かりが丸くこぼれおちている恐ろしい光景である。
テレビもソファもテーブルもゲーム機もカーペットも、お雛様も、大輔とジュンの展示室も全部全部、
ぶっ壊された挙句に、無理やり隅の方に追いやられてしまって、すっかりはげてしまったフローリングの空間である。
ジュンは愕然とする。呆然として立ち尽くすジュンの右肩から覗き込んだ大輔は、今までお姉ちゃんのために作ってきた、
大事な大事な宝物を全部ぶっ壊されてしまった光景を見て、ショックを受けたのか、わんわんと泣きだした。
泣きたいのはこっちである。そっちの方に行こうとして、お姉ちゃんからするすると降りてしまった大輔は、
なんとか取り戻そうとして、がれきの中にかけていく。スリッパも履かずに!


「何やってんのよ、大輔!危ない!」

「だって、だって、おねえちゃんのためにつくったのにいい!」

「ばっか、そんなことどうでもいいのよ!けがするから戻ってきなさい!」

「やだああ!」


あーもう!と聞きわけのない弟を連れ戻すためにジュンが、がらんどうになってしまったリビングに突入しようとしたときである。
泣きじゃくっていた大輔は、突然ぴたりと動きを止めて辺りを見渡したのである。
何やってんのよ、と言いかけたジュンは、その挙動不審な弟を見て、何かあったのかと怪訝な顔になる。
そんな姉の様子など気にも留めずに、大輔はきょろきょろとあたりを見渡す。
なにかを探すみたいに、忙しなく動く小さな瞳。それが向かった先は、ベランダだった。


「あ」

「どうしたのよ?大輔」

「いたっ!」

「え?」

「いたああ!」


ぱたぱたぱた、とまたジュンの横をすり抜けて走っていく大輔である。
もうジュンは訳が分からなくなって、待ちなさいって言って、大輔を追いかける。
ベランダにある手すりに手を伸ばして、足をかけて、身を乗り出した大輔が危なっかしくて見てられない。
やっと捕まえた大輔を捕まえて、降ろそうとしたけど、なかなかベランダから離れてくれない。落ちるってば、大輔!
必死で止めようとするジュンに向かって、振り向いた大輔は言ったのだ。
あそこ、あそこだよ、おねえちゃん!と興奮した様子で叫んでいる。
指を指す先は何も見えない。ただ不気味な雲行きが広がっていて、
真っ暗に停電した高層マンション群が広がっているだけである。


「おねえちゃん、ひよこっておっきくなったら、にわとりになるんでしょ?
もっとおおきくなったらどうなるの?」


訳のわからない質問である。はあ?と返すジュンに、大輔はいったのだ。


「おーむになるの?おねえちゃん」


その時、ぴしゃんとすさまじい雷が落ちた。
きゃああ、と思わず声をあげて耳をふさいだジュンに、大輔はきょとーんとした顔で首をかしげている。
そして、ベランダから降りて、ジュンの所に寄ったのだ。


「おねえちゃん、だいじょうぶ?」


まだ小学校4年生の女の子である。今まで必死で我慢してきた、こわいこわいこわい、という思いが爆発したのだ。
訳のわからない現象に巻き込まれて、ぷっつりと緊張に戸が切れてしまったらしい。
大輔は何が見えているんだろう?あたしは何も見えないのに。
豪快に穴が開いているベランダの真ん中で、ジュンはすっかり力が抜けて立てなくなってしまう。
ぼろぼろぼろと涙がこぼれてしまう。ぐすぐすと泣き始めてしまったジュンに、びっくりした大輔はのぞきこんでくる。
そしてジュンには何も見えない世界に向かって、また身を乗り出すのだ。


「おねえちゃんのこと、いじめるなああ!」


大きく響き渡った声である。はっとなったジュンは、顔をあげた。
ちっぽけな弟が、ジュンのために必死で怒っているのである。
ジュンはただそれを眺めているしかなかった。
大輔は何やら必死でベランダに身を乗り出して、食い入るように何かを見ている。
そして、すごい、すごいっていいながら、ジュンを振り返ったのだ。


「おねえちゃん、もうだいじょうぶだよ!すごいよ、おっきいきょうりゅうが、おっきいおーむをやっつけてくれてる!」


でも、ジュンには何も見えない。ただ、雷鳴に似た破壊音が響いている。
きゃっきゃとはしゃいでいる弟が分からなくて、ジュンは混乱する。
毎日毎日、学校に通っている時に見える景色が、どんどん破壊されていく様子しか見えない。
どんどんジュンの日常が壊されていく。破壊されていく。見るも無残なかたちで。
なんにもないはずなのに、ただ道路がえぐれ、橋が倒され、
マンションにいっぱいの穴が開いて行き、瞬きする都度に瓦礫に変わっていく。
やめてやめてやめて、なんなのこれ、こわいこわいこわい!いやあああ!
うずくまるジュンに大輔はキョトンとしている。
やっぱりこの子には何かが見えている。そう思うと、怖くなってしまうジュンである。
てくてくてく、と近づいてきた大輔がとんでもないバケモノに見えてしまう。
やだ、こないで、こないで!
そしたら、大輔は言ったのである。ジュンは空に響き渡るホイッスルの音を聞いた。
それだけが焼き付いている。


「おねえちゃん、こわいの?ないてるの?」

「・・・・・・・うん」

「だいじょうぶ!ぼくがおねえちゃんのこと、まもってあげる!」

「え?」

「ぼくがすっごくつよくなって、おねえちゃんのことまもってあげる!わるいやつ、やっつけてあげる!」

「ほんと?」

「うん!ごーぐるつけたひとみたいに!おっきいきょうりゅうといっしょに、やっつけてあげる!」

「ゴーグルの人?」

「うん!ほら、ほら、そこにいるひと!」


おそるおそる破壊された街並みを見下ろしたジュンは、そこにホイッスルを吹いているゴーグルを付けた少年を見た。
いつもいつもお姉ちゃんの後ろをひっついてばかりだった泣き虫が、このときだけは、ジュンにとっては眩しかった。










やがて時は流れる。
光が丘テロ事件と名付けられたその事件により、お台場に引っ越すことになった本宮家である。
ジュンと大輔にとっては、あまりにも衝撃的な事件だった。
ニュースを聞いて飛んで帰ってきた両親が見たのは、見るも無残な惨状と化した我が家でわんわん泣いている長女と、
必死で僕が守ってあげるから泣かないでって、励ましている長男である。
その日以来、本宮家では光が丘テロ事件を思い出させないように、子供達に対する配慮として、
いついかなる時でも豆電球だけは残して電気を付けておくという一風変わった風習が生まれた。
まだ幼い長男はすぐに忘れてしまったようでけろりとしているのだが、
小学校4年生だった長女は心的ダメージが大きく、すっかりふさぎがちになってしまった。
マスメディアに振り回される不慣れな日常は、確実に長女を苦しめた。
物ごころついている高学年の長女である。
学校でも、近所でも、親戚にまで根掘り葉掘り、あることないこと聞かれてしまうのだ。
ジュンはなんにもみえていないのに、いろんなことを聞かれるのである。
知らない、分からない、って言ってるのにみんなわかってくれない。
本宮家のベランダは大きく穴が開いていて、
被害がひどかった一軒として連日取り上げられるニュース特番で映ってしまったせいである。
その時からである。ジュンが一人で部屋に閉じこもって泣きたいときには、ずーっと鍵をかけるようになったのは
そんな長女を支えたのは、すっかり元気を失っているお姉ちゃん大好きっこの長男である。


「ぼく、つよくなりたい!つよくなって、おねえちゃんや、おとうさんや、おかあさんをまもりたい!
わるいやつをやっつけたい!ごーぐるつけたひとみたいに、でっかいきょうりゅうといっしょに!
だって、ぼく、みたんだよ!ごーぐるつけたひとが、ぴーってふえならして、でっかいきょうりゅうがおーむをやっつけるとこ!
ぼく、みたんだよ!ぼくがつよくなったら、おねえちゃん、つらいめにあわずにすむでしょ!
なかなくってすむでしょ!ぼくがおねちゃんをまもるんだ!」


目をキラキラさせて、泣き虫だった大輔が、すっごく元気なやんちゃ坊主になった瞬間である。
長男の元気が本宮家にもたらしたものは計り知れないものである。
ジュンもなんとか立ち直って、元気な姿を見せるようになった。
両親はほっとして、仲睦まじい姉弟の成長を見守ることにしたのだ。
ずーっと活発になった弟は、あいかわらずお姉ちゃん子である。
しかしどういうわけか、あれだけ毎日毎日、お姉ちゃんを守るために強くなりたいって言っていた弟に変化が訪れた。
まるで忘れてしまったかのごとく、光が丘テロ事件前後の記憶が飛んでしまったかのごとく、なんにも言わなくなってしまったのだ。
そしてジュンや両親は悟るのである。
光が丘テロ事件に巻き込まれたトラウマを受けたのは、大輔も同じであると。
大好きなお姉ちゃんを守るために、ちっぽけな自分の心を必死で奮い立たせながら、
悲鳴を上げる声を無視しながら、懸命に家族を元気づけていた大輔は、
もう光が丘テロ事件の出来事について覚えていること自体が辛くなってしまったのだと。
5歳になった男の子には、あまりにもショックが大きすぎて、
精神的な負担がキャパシティを超えて、忘れてしまったのだ、と気付くのだ。
その日から、本宮家において、光が丘テロ事件についての戒厳令がひかれることとなる。
すべては大輔のためである。
泥団子はどうしたんだ、とか、なんでひっこしたんだ、とか、大輔に聞かれても答えられないもどかしさである。
なんで、ぼく、じゃなくて、おれって言うようになったんだっけ、と言われたジュンは、さあ?というしかない。
かっこいい、つよい男の子になりたい、どうしたらいい?って聞いてきた大輔に、
じゃあ「ぼく」じゃなくて「おれ」にしたらって、
ジュンが提案したことも全部全部、大輔は忘れてしまったのである。
ジュンを守りたいって言ってくれた大輔は、どこかに行ってしまったのだ。
なんにも知らないままでも、大輔はずーっと元気な男の子に育っていく。
小学生になっていく。ジュンも両親も安心する。寂しいけど、元気ならいっか。










でも目を輝かせて、サッカー部に入りたいって入部届けを持って帰ってきた大輔に訳を聞いた日から、ジュンの苦悩は開始されることになる。
その日から、やけに太一先輩、空先輩っていう人が大輔の言葉から出てくるようになったのだ。
お姉ちゃん一色だった大輔が、どんどん離れて行ってしまうのである。
やがてお姉ちゃんが姉ちゃんに変わってしまう。
そして、太一先輩のまねをするんだ、っていって、部屋で見つけたゴーグルを頭に着けるようになったのである。
ジュンはもしかしてという歓喜に沸いた。
もしかして、思い出した?大輔、ゴーグルの人みたいになりたいって言ってたし。
お姉ちゃんのこと守るために強くなりたいんだって、目をきらきらさせていた、
あの時の大輔が戻ってきたんじゃないかって思ったのだ。
光が丘テロ事件のことは絶対に大輔には言うなって
両親からきつく口止めされているジュンは、なかなか聞くことが出来ないもどかしさに葛藤する。
大輔に、ありがとう、って言ってないのだ。
大輔のおかげでどれだけ家族が救われたか、どれだけジュンにとって助けになったか、
お礼の言葉すらいえないまま、4年も時が過ぎていたのだ。
ぜんぶ大輔のためだけど、やっぱりもどかしかった。
お姉ちゃんをやれなかった自分を守るって言ってくれたのは、なによりも変えがたいものだったから。


そしてある日、とうとう耐えきれなくなったジュンは、両親の言いつけをやぶってしまおうと決意する。
お弁当を持っていく口実をつくって、サッカー部の練習に顔を出して、
そのゴーグルの人、八神太一って言う少年に逢ってみようとジュンは決心する。
不慣れな料理で指を切ったりしながら、何とか一応形にはなったので、お弁当を作った。
大輔は忘れていったけど、都合がよかった。ジュンは2年ぶりに母校の土を踏む。
そしてフェンス越しにグラウンドで大輔を探したのだ。
初めて弟のサッカーをやっているのをみたジュンである。
応援に行きたかったけど、そしたらゴーグルの人のこと、
記憶が戻ったかどうか聞いてしまいそうだったから、両親が許してくれない。
ジュンも言っちゃいそうで怖かったから、いけないまま1年が過ぎていた。
大輔、って声をかけようとしたジュンは凍り付いた。


なに、あれ。


ジュンが見たのは、太一と空に、きらきらした目をして話しかけている大輔である。
お姉ちゃんを守るんだ、って言ってくれたあの眩しい笑顔を向けている大輔の姿である。
なんでよ、なんであの男の子に笑ってんのよ!
その笑顔はあたしのために向けてくれたものじゃないの!?嫉妬がわき上がる。
こっちは言いたいこともいえないせいで、大輔との仲がどんどん悪くなっていく一方なのに。


かしゃん、とフェンスがなった。ジュンは太一のゴーグルを見て目を見開いた。
光が丘テロ事件のとき、すでに小学校4年生だったジュンは覚えていた。
忘れたくても忘れられないから、覚えていた。
あの子じゃない!大輔があの人みたいになりたいんだって、わけのわからないことを言っていた、指差していた男の子。
光が丘テロ事件のどまんなかでホイッスルを吹いていた、ゴーグルの男の子!
ジュンの中ですべてが凍りついてく。
なによなによなによ、じゃあサッカー部に入りたいのはあの子に逢うためだった訳!?
一緒にサッカーをやりたかったわけ!?
あたしのこと守ってくれるっていってくれたこと、お父さんやお母さんを守るために、
だれよりも強くなりたいんだって、言ってくれたことはすっぱり忘れてるくせに、あの子のことは覚えてるわけ!?
何よそれ!こっちはどんな思いで、大輔が思い出してくれるの待ってたと思ってんのよ!!
結局全部全部あたしのからまわりだったの!?
ふざけないでよ!こっちはずーっと大輔のためにいろいろがんばって隠してきたのに!
無駄だったってこと!?


そしてジュンは気付いてしまう。
世界でただ一人の本宮大輔のお姉ちゃんである本宮ジュンだから気づいてしまう。
大輔の中でお姉ちゃんであるジュンではなく、
太一お兄ちゃんや空お姉ちゃんが芽生えていることに気付いてしまう。
お弁当箱を落としてしまったジュンは、とりあえずお弁当だけでも届けようとして、
そのまま結局声が掛けられないまま帰ってしまった。
このことをお母さんにぶちまけることなく、そのまま八神太一という少年に光が丘テロ事件と呼ばれることになる、
あの日のことについて問いただす勢いがジュンにあれば何か変わったのかもしれない。
しかし、それは叶わなかった。血相変えたお母さんから、八神君も大輔と同じだって聞かされたから、何も言えなくなってしまった。
八神君も大輔と同級生の妹さんも、あの日のことはきれいさっぱり忘れてしまっていて、覚えてないんだって聞かされたから。
それだけじゃない。同じサッカー部にいる仲良しの武之内さんも泉君も光が丘に住んでいた被害者なんだって聞かされたから、
ジュンはその日から一度もサッカー部に顔を出すことができなくなってしまった。怖くなったから。
みんなの家族は記憶喪失になっている子供のことが心配で、
被害者の会という形で年に数回懇談会を開いていることを知ってしまったから。
まだ中学生なのに、大人と同じ立場を強いられることになってしまったのだ。
ジュンだってあの日のことが忘れられない被害者なのに。
もちろん、同じような立場の子供たちは何人かいて、今となってはかけがえのない友達だけど、
かけがえのない相談相手だけど、それとこれとは話が別なのだ。
そして、ぷっつん、とジュンの中で何かが壊れてしまった。
大輔の頭にあるゴーグルを見るたびに、ジュンは思い出してしまうのである。
もう、どうしようもない。いろんなことがありすぎたのである。
気付いたら、ジュンは大輔に対してどうやってお姉ちゃんをやっていたのか、
もう思い出せなくなっていた



[26350] 第15話 はろーあげいん
Name: 若州◆e61dab95 ID:7ce0c8be
Date: 2013/08/03 00:13
「ホントに、これ、修行?」

「そうだっぴ」

「大輔、苦しんでるじゃないかあっ!今すぐオレもいれてよっ!」

「必要なことだっぴ。あいっかわらず、自信過剰だっぴねえ、ブイモンは。
パートナーの選ばれし子供とブイモンさえいればいいって思ってるっぴ。
チコモンの時となーんにも変わってないっぴね。
自分を信じる気持ちが有り余ってるのはいいけど、自信がありすぎるのは、他の選ばれ子供達やデジモンを不快にさせるし、
パートナーの他の選ばれし子供たちやデジモンとの交流も、成長も阻害させちゃうっぴよ。
ちっとはパートナーのことを信じることも覚えるっぴ。
まわりのことが見えないせいで、受け入れられないっていう悪いとこ、ちょーっとしか治って無いっぴ。
けっこー不注意で失敗するのも、パートナー危険にさらしてるのも、ブイモンにも原因があるっぴよ」

「……むあーっ、分かってるよ!でもピッコロモンの嘘つき!オレ信じてたのに!
あのデジメンタル、オレと大輔のっていってたくせに、太一の紋章だったじゃないかあっ!」

「選ばれし子供たちの世界じゃあるまいし、デジタルワールドにおいて、物事に意味がないものなんて何一つないっぴよ。
必ず意味があるんだっぴ。ここはそういう世界だっぴ。自分だけの都合で、視野で、考えられるほどこの世界は単純じゃないっぴよ」


まあ、その時が来るのをのんびり待つのも大事ってことである。我慢を覚えなさい、とピッコロモンと呼ばれた小さな妖精は、
専用の槍を食い下がるブイモンの鼻先に突きつけて黙らせた。
正論の嵐にはブイモンも引き下がるしかない。思いっきり睨まれているが。
今に始まったことではないが、ブイモンを叩き起こした、
どこかの誰かさんのお役所仕事の苦情を受ける羽目になっている、
管轄外の対応のめんどくささに溜息一つ、末端仕事の辛さである。
言っておくが、この思考回路の時点で、十分こいつもお役所仕事である。
高等プログラム言語を操ることで、魔法と呼ばれる力を自由に操る妖精型デジモンは、
一見すると成長期と間違えてしまうほど体は小さいが、特殊な能力で敵の力を封じてしま力を持っている屈指の実力者だ。
イタズラが大好きで、自慢の槍「フェアリーテイル」でコンピューターを暴走させて楽しんでいるそのデジモンの名前は、
ピッコロモンといった。ピンク色の毛玉に天使のような白い羽を持つ愛らしい姿とは裏腹に、
ずいぶんと達観した物言いをするこのデジモンの正体は、アンドロモンやエテモンと同じ完全体。
そして、ファイル島でエリアを守っていた守護デジモンたちと同じセキュリティシステムに名前を連ねるデジモンでもある。
なぜブイモンがピッコロモンと会話をしているのかといえば、答えは簡単。
スカルグレイモンの件ですっかり自信喪失してしまった彼らを見かねた、自称通りがかりのお人よしが、
選ばれし子供たちだと知るや否や、このままでは英雄としての活躍が期待できないという一方的な好意により、
ただ今現在進行形で選ばれし子供たちは、ピッコロモンに修行をしてもらっているところなのである。


「自意識過剰になっちゃってるこの選ばれし子供とブイモンが半分こすれば、ちょうどいいとはいえ、
これはなんでも重症だっぴ。お姉ちゃんにどう思われているのか、必要以上に注意を払って、
がんじがらめになっちゃってるっぴねえ。これじゃあ、いつになっても紋章を見つけられないっぴよ」


修行という名の名目で、自らが管轄する結界の張り巡らされた異空間に、
選ばれし子供達とデジモン達を問答無用で招き入れたピッコロモンは出現の意図を一切明かさないままこっそり考える。
もともと派遣されてきた理由は、ゲンナイから任されたからなのだ。
本来の目的は選ばれし子供たちのメンタルケアであるピッコロモンの目からすれば、重症者は3人だ。
暗黒進化を仕出かしたトラウマで、デジヴァイスによる成長期から成熟期に進化させることさえ躊躇し、臆病になり、
頭が真っ白になったせいで、ファイル島よりも遥かに強い固体であるサーバ大陸のクワガーモン相手に、
逃げることもできないまま、呆然と立ち尽くしていた太一。
なんだかんだで、無意識のうちに刷り込まれている幼年期の恐怖の記憶であるスカルグレイモンに、
ほかならぬ自分が進化してしまったというトラウマを抱え、目の前で太一が危機であるにも関わらず進化出来なかったアグモン。
彼らをカウンセリングするために、特別カリキュラムと称した魔法の海に放り込んだピッコロモンは、どうしようかと思案する。
ネガティブ思考に陥っている選ばれし子供達とデジモン達のメンタル面を判定するために、わざわざ、
選ばれし子供たちの持っているタグと紋章は持ち腐れであるとか、
根性が足りないとか、たるんでいるとか、努力が足りないとか、
彼らからすれば無茶苦茶な暴言を吐いて反応を見たわけだが、
彼らの反応を見る限り、その中でも顕著だったのが太一と大輔だったわけである。
他の選ばれし子供達には、何百段もの階段を上らせたり、螺旋階段みたいな広大な建物の雑巾がけをさせたりと、修行というイメージに合った
それっぽいことをさせてはいるが、実はピッコロモンからすればどうでもよかったりする。
重要なのはメンタルケアなのだから。太一とアグモンはまあいいとして、はあ、とピッコロモンは溜息である。
ネガティブ思考の選ばれし子供達の気持ちに発破をかけるため、鼓舞するために並びたてた言葉達は、ものの見事に大輔を傷付けた。
スカルグレイモン相手にみんなと一緒に戦うことが出来なかったという、太一とは別のベクトルのトラウマが大輔には根付いているのだ。
特別カリキュラムだと名指しされた時に、ああ、やっぱりオレ、間違ってるんだ、怒られるんだ、って悲壮な顔をした大輔の表情は、
流石のピッコロモンもかわいそう過ぎて見てられなかったのである。なにせ大輔のトラウマは相当根深いものである。
全ての根本的な原因である、訳のわからないもの、は光が丘テロ事件がかかわっているのである。
しかし、それを今この段階で大輔に対して封じている記憶を明らかにするということは、正直言って想定外にもほどがある。
それでも、このトラウマを少しでも軽減しなければ確実にこの少年は壊れてしまう。
ピッコロモンでさえ、大輔がここまで重症だとは思わなかったのだ。
間違いなく、この少年に課せられた役目を果たしてもらうまえに、
紋章すら見つけることが出来ないまま、この少年の世界は崩落してしまう。
さすがに選ばれし子供達の旅路を陰ながら支援しているどこかのだれかさんは、
デジタルワールドの危機を救う彼らを使い捨てにするほど非道ではない。
デジタルの世界にだって良心くらいあるのだ。知能を持った世界なんだから。
それに困る。確実に困る。わざわざその時を待たずして、古代種を復活させて、選ばれし子供に選んだのだ。
この選ばれし子供は、その時にちゃんとまた選ばれてもらわないと困るのだ。そっちの方がこの子を必要とするときなんだから。
ええい、仕方ない、とピッコロモンは覚悟を決めた。始末書?おしかり?お咎め?知るか、そんなもの。
お役所仕事に振り回される末端の不始末なんて、誰かがきっととってくれるだろう。
それにこの子はとっても口が堅いのだ。約束を守る子だ。
その時まで内緒にしてくれって言えば、きっと頷いてくれるだろう。
隠し事が増えたって言って、パートナーデジモンと一緒に
雑巾がけ競争をしているこの子の親友は怒るだろうが、まあ、それもまたよし。
なんせ、古代種の記憶まで戻ってしまったこのブイモンと、
それにひっぱりまわされるだろうこの子供のことを考えると、
その時が来た時、確実に抑止力になってもらわなくては困るのだ。
だいすけ、だいすけ、だいすけ、と懸命に夢の中で戦っているパートナーを見ているブイモンは、悲しいほどにひたむきだった。
ピッコロモンはブイモンに声をかける。そして、大輔に向かって魔法の呪文を唱えたのだった。










なんにもない真っ白な世界である。
ぽつん、と一人で立っていた大輔は、ぼーっとしていたのだが、はっとする。
この世界に放り込んだピッコロモンごと魔法の扉が消失しているという、
とんでもないことに気がついて途方に暮れる。どうしよう、と思っていたら、なんか聞こえた。


だいすけ?

だいすけじゃない?

だいすけだ。

だいすけだー!


いろんな声が聞こえてきて、大輔はきょとんとして、あたりを見渡すがなんにもみえない。
ただ無邪気な笑い声が聞こえてくるのである。なんか、すっごく、楽しそうな、嬉しそうな、声がいっぱい。


だいすけ、ひさしぶりー!

おっきくなったねー、だいすけ!

そのごーぐるどーしたの?かっこいいね!


ざわめきはどんどん大きくなっていって、なんだか世界はどんどん輝きを増していくのに、
大輔はぜんぜん見えないのである。それに気付いたのか、あれ?と疑問符が飛んでいく。


どうしたの、だいすけ?

きょろきょろしてどうしたの?

ぼくたちのこと、みえなくなっちゃったの?

わすれちゃったの?だいすけ?


ひそひそ、と声は相談を始めた。


ずーっといっしょにいたのに、わすれちゃったのかなあ?だいすけ。

ちがうよ、だいすけはおとなになっちゃったから、きづかなくなっちゃったんだよ。

ぼくら、ずーっといっしょにいるのにね。

ひどいやだいすけ。

なんにもかわらないのにね。

しかたないね、あいさつしよっか。


大輔はただぼーっとしているしかない。


やあ、だいすけ。きみはもうわすれてしまったかもしれないけど、ぼくはいつでもあるんだよ。
きみがうえをみあげてくれれば、きっといつでもあるんだよ。


青空が広がった。


ひさしぶりだね、だいすけ。きみはもうきにもとめてくれなくなっちゃっただろうけど、
きみにつまれちゃったタンポポさ。ふんづけられたはらっぱさ。
ともだちとくっつけあった、ひっつきむしさ。


原っぱが広がった。


こんにちは、だいすけ。
ぼくらはきみとおともだちにちょっかいかけられて、しんじゃったありんこさ。
みずとか、すなとか、ひどいことしたよね。


ちょうちょが飛んでいく。


やあ、だいすけ。こんにちは。
きみはもうわすれてしまっただろうけど、ぼくはゆきだるまさ。
おとうさんと、おねえちゃんと、いっしょにつくってくれたよね。
ぼくはもうとけてしまったけど、こうしてきみのこころのどっかにのこっているんだよ。


大きな大きな雪だるまが現れた。


もう、なんでわすれちゃうのさあ。ひどいなあ。
ぼくたちのこうしん、わすれちゃったの?きらきらしたのに、わすれちゃったの?


春の穏やかな気配が一面に花開く。
緑が生い茂る森が現れた。みんみんみん、とセミが聞こえる。
いっぱいの落ち葉が落ちていく。そして秋の気配が広がった。


「あ」


おもいだしてくれた?だいすけ。
だーれもきづいてくれないけれど、きみはいつだってきづいてくれたよね。
すっごくうれしかったんだよ、ぼくたち。
なのにわすれちゃうなんてひどいなあ。ぼくたちはいつだってだいすけのとなりにいるのにさ。


大輔は思い出す。真っ白な思いと、ざわめきを。そんな時、いつだって隣にいてくれたのは、誰だった?


「ひひひひははははははははっ!」


びくっとした大輔は思わず逃げようとした。


どうしてにげるの?だいすけ
このデジモンは、きみにあいにきたんだよ?
ブギーモンは、きみにあいにきたんだよ
にげちゃやだよ、だいすけ。
こわいことはこわいことだって、そのままわかってくれるのだいすけだけなんだよ。
だいすけしかいないから、このデジモンはきみにあいにきたんだよ。


おそるおそる見上げた大輔の目の前で、ブギーモンが進化する。
ぶぎーもん、という言葉が絵本のような世界に解けていく。
大輔の恐怖を反映して、進化する。


そこにいたのは、フェレスモンという堕天使型の完全体デジモンだ。
魂と引き換えに願い事を叶えてくれるといわれる堕天使型デジモンは、
闇軍勢の異端児で、「ブギーモン」が出世して進化するといわれている。
闇軍勢でありながら、光の軍勢による救済を求めている矛盾は、
モチーフのメフィストフェレスを色濃く反映しているデジモンだ。
かつて大輔に死の恐怖を与えたデビモンよりもさらに上位の存在を感じた大輔は、
思わず体がすくんでしまう。
しかし、この世界に響く無邪気な声曰くフェレスモンというデジモンは、
一言も言葉を発しないどころか、大輔が怖がっていると知るとどことなく寂しそうな顔をした。
手がのばされる。距離を取ってしまう大輔に、戸惑いがちに止まる手のひら。


めをそらしちゃいやだよ、だいすけ。
みみをふさいじゃいやだよ、だいすけ。
きいて、ぼくたちのこえ。さみしいよ。


もしかして、この声の主がフェレスモンなのかと錯覚してしまった大輔は、動きを止めた。
異形の手が小学校2年生の男の子の頭をわしゃわしゃと撫でてくれた。
ふっと微かに微笑んだフェレスモンが再び光に包まれた時、
じーっとみていた大輔の目の前で、フェレスモンが変化した。
そこにいたのは一転して天使のような姿をしたデジモンである。
ガーゴモンっていうんだよ、と幼い声が教えてくれた。
フェレスモンは闇の勢力だけど、光の勢力にあこがれていて、
念願かなって光の勢力の陣営に入ることができた姿なんだよってその声は言うのだ。
2枚の白い羽を持っているそのデジモンは全身が真っ白であり、耳の部分も天使の羽のような形をしている。
しかし、フェレスモンの時のような優しい眼差しはうかがうことができなかった。
なにせ、目のあたりを潰すようにクロスされた鋼色の拘束具が顔を走り、首元で固定されている。
それだけではない。両手、両足、胴体に至るまで鋼色の拘束具は張り巡らされていて、
闇の力を完全に封じ込めていることがうかがえる。
天使型デジモンの使いをしているかつての完全体は、大輔にはとっても苦しそうに見えた。
大輔は不思議でたまらない。
どうして大輔の目の前で、ブギーモンがフェレスモンに進化して、フェレスモンがガーゴモンになれたのか分からないのだ。
大輔は何もしてない。ブギーモンがあの時大輔に襲い掛かったブギーモンならば、
大輔を追いかけまわしたり、ガジモンを追撃したり、アグモンやコロモンを追い詰めたから、
それによって経験値がたまってフェレスモンに進化したと考えるなら何ら不思議ではない。
でも、フェレスモンがガーゴモンに進化したとき、大輔は何もしてない。
あえていうなら、フェレスモンが大輔に触れただけだ。
大輔はフェレスモンの境遇を聞いて、天使が悪魔になるように、悪魔が天使になりたいこともあるんだなあ、と知って、
願いが叶ったらいいなってちょっと思っただけである。


それがだいすけのちからだよ


大輔の疑問に正体不明の声は教えてくれた。


「オレの力?」


ううん、ちがうよ。ほんとなら、こどもたちならだれもがもってるちから。
ちっちゃいこならだれでももってるちから。なりたいものになれるちから。
ゆめみるちから。おもいのちから。きもちのちから。ねがいをかなえるちから。
でも、だいすけはほんのちょっとだけじゅかんせいがつよくて、やさしいこで、
とってもとってもいいこだったから、みんなよりすこしだけつよいちから。
あのこみたいに、あのこだけしかもってないちからじゃないよ。
みんながわすれちゃったちからを、だいすけはいまでもおぼえてるからつかえるちから。


わすれないでね、と声は言う。


そしたら、また。ぼくらはきみにあえるんだ。
さがして、ぼくらのこと。また、あいにきて。
ぼくらはいつでもきみのそばにいるんだ。
わすれないでね。まってるから。
もんしょうになってまってるから。
だから、ぼくたちのこと、みつけてね。やくそくだよ。


「ごめんなさいの紋章、みつけてね」


声は聞こえなくなってしまった。目の前には、ひよこがいた。

「ごめんなさい」

おんなのこのこえがする。大輔は思わず顔を上げた。大輔はこの女の子の声を知っている。

「だいすけ」

ごめんなさい

「だいすけがだいすきなおなまえ、わたしがもらえなかったおなまえ、なんだっけ?」

ごめんなさい

「おしえて」

ごめんなさい

「じゅん?」

ごめんなさい

「そっか、だからだめだったのね?」

ごめんなさい

「ありがとう、だいすけ。また、あえてうれしかった。
きえちゃうまえに、またあえて、ほんとにうれしかった。
おもいださせてくれてありがとう、だいすけ。
たいせつなきおく、うまれかわってもわすれたくないきおくをおしえてくれて。
できれば、じゅんとあいたかったけど、もうだめみたい」

ごめんなさい

「ごめんね、だいすけ」

ごめんなさい

「ほんとうにごめんね、だいすけ。わたしのなまえはまだおしえちゃだめみたいなの」

ごめんなさい

「なっちゃん」

「ごめんなさい、だいすけ。たいせつなもの、だれよりもたいせつなもの、こわしちゃって、ごめんなさい」


そして蘇る記憶。大輔は、あはは、と笑った。


「いいって。ごめんっていったら、終わりだろ?」


なっちゃんはぱっとわらった。
光が丘事件の時、大切なモノを全部全部ぶっこわされた大輔は、被害者である。
そして加害者の謝罪の声を聞いた。大輔は、たしかになっちゃんの声を聞いたのである。
でも忘れてしまったせいで、ゆくえ不明になってしまった「ごめんなさい」は、
迷子になった「ごめんなさい」は、やがて大輔の中で、相手のことを自分のように考えられる優しい少年の中で、
受感性と想像力が人一倍あった普通の男の子の中で、やがて自分の感情じゃないのに、混同し、同一視し、
それは違うと本能が叫ぶから、大輔のせいなんかじゃない、と叫ぶから、
やがてそれは訳の分からないものになってしまった。
ようやく大輔は4年間の長い長い罪悪感から。
そして、大輔は、目が覚めた。傍らには、にこにこと笑っている黄色くて、真ん丸としていて、
オレンジ色の鶏冠がある小さな幼年期のデジモンがいた。


「大輔、大丈夫?」

「ひさしぶり、ぶいもん」

「げ、その声は!」

「久しぶりだっぴねえ、チッチモン。やっと仕事に復帰できるっぴね、こっちはおかげで大変だったっぴよ」

「ごめんなさい、ピッコロモン。すぐにはできないけど、おしごと、がんばるから。
がんばって、ぱろっともんにもどるから、まっててね」

「だからいったんだっぴ。デジタルワールドにおいて、物事に意味がないものなんて何一つないっぴよ。
必ず意味があるんだっぴ。ここはそういう世界だっぴ」


もしかして、どこかの誰かさんには全部全部お見通しだったのかしらん、とピッコロモンはこっそり思う。
デジタルワールドにおいて、物事に意味がないものなんて、何一つ無い。必ず意味がある。ここはそういう世界である。
人はそれを予定調和という。
では、そんな世界で生きるデジモンが、感情というものを知ったとしたら、
どこかのだれかさんが説明・証明できない現象がバグとして起こったとしたら。
それは驚きをもたらした。
それはきっと、常識で考えては起こりえない、不思議な出来事・現象として見えるに違いない。
キリスト教など、宗教で、神の超自然的な働きによって起こる不思議な現象として
見えるに違いない。
その「巡りあわせ」に感動したい時に、デジタルワールドはそれを表現する言葉を持ち得ていない。
結局のところその多くがただの思い込みだとしても、人にはそれを表現する言葉があることを、デジタルワールドは知る
そして、その紋章に名前を付けたのである。
統計学的に極めて低い確率でしか起こらないことが実現したので、名付けたのである。
「奇跡」と名付けたのである。それは、本宮大輔が持つことになる紋章である。












「なあ、ブイモンがいっぱいいた時って、どんなデジモンがいたんだよ?」

「えーっとねえ、グレイモンとガルルモンはもういたよ」

「へえ、そうなのかあ」

「あー、そうそう、ハツカネズミモンっていう変な奴らがいてさ、オレ達よくからかって遊んでたよ」

「ハツカネズミモン?ネズミなのか?」

「ネズミっていうのが何かは知らないけど、ハツカネズミモンっていうと、顔真っ赤にして怒るんだよ。
白い奴と黒い奴がいてさ、黒いのはブラックハツカネズミモンっていうんだ。
ぜーんぜん、似てないくせにトブキャットモンの真似してるんだ」


ブイモンから語られる外見を聞いた大輔は、ものの見事にそのまんまド直球、空を飛ぶネコを想像した。
キャットがネコっていうことくらい、大輔だって知っている。
ハツカネズミがどんな動物かまでは知らないけど、多分ネズミなんだろう。
ネズミがネコの真似をするってブイモンは言いたいわけである。ちょっと想像すると笑ってしまう。
確か教育放送に出てくる青いネズミは、確かネコがネズミの気持ちを知りたくてコスプレしているはずだから、
丁度ま逆な訳だ。おもしれえなあ、と大輔はブイモンにつられて笑った。
古代種はまんま直球のデジモンが多いらしい。


「そん中でもホーリーリングっていう、ほら、パロットモンだった時のなっちゃんが付けてたやつあるだろ?」

「あーうん」

「白いハツカネズミモンの中でも、それ持ってる奴がめっちゃくちゃ強くてさ、グレイモンぶん回すくらい強いんだ。
そいつ怒らせたら、もー大変だから、デジメンタルで慌てて進化してみんなで喧嘩してたよ」

「グレイモンぶん回すってどんだけ強いんだよ」

「すっげー強いよ。多分、オレもエクスブイモンになっても勝てるかどうかは自信ないなあ。
でもさ、ホーリーリングとっちゃえば、オレ達くらいの弱さになっちゃうから、みーんなでよくいたずらしたよ」

「へー」

「今のデジタルワールドにも、たまーに、オレの知ってるデジモンもいるんだけど、
結構みんな名前変わっててさ、最初は大変だったよ、覚えるの。どっかにハツカネズミモンもいるかもね。
なあ、大輔、ネコってどんなの?」


ブイモンに聞かれるがまま説明すると、ブイモンは突然笑い始めた。


「じゃあ、ハツカネズミモンはやっぱりネコになりたいんだよ。
だって、必殺技ネコパンチだし、他にもネコキックとか、キャッツアイとか、キャットテイルとか、
ネコ騙しとか、キャットレーザーとか、ワンツーネコパンチ→ネコラッシュ→ネコフィニッシュとかいう技まで使ってくるんだよ」

「どんだけネコになりたいんだよ、ゴリ押しじゃねーか」

「しかも、そいつら、デジメンタルで進化したら、
よくネフェルティモンっていう奴になりたがるんだけどさ、それもすっげーネコなんだよ」

「面白すぎるだろ、ハツカネズミモン。どんなデジモンだよ」

「大輔に合わせてあげたいよ、すっげー面白い奴だからさ!」

「あ、でも、あんまり怒らせるとペガスモンと一緒になって一網打尽にされちゃうから気を付けないとダメなんだ」

「へー」



[26350] 第16話 キミだけにできること
Name: 若州◆e61dab95 ID:4ccd01a6
Date: 2013/08/03 00:14
「大輔はね、逆さまだったの。早く早く生まれてきたいって、お母さんのおなかの中で大暴れするもんだから、
お母さんと大輔がつながってるへその緒がね、くるくるーって首に巻きついちゃって、いくら待っても戻らないの。
ほんとうなら、ちゃーんとおっきくなるまでお母さんの中にいなくちゃいけなかったんだけど、
ちゃーんとお姉ちゃんの時みたいに頭から、生まれてきますよって準備するまで待ってたかったんだけど、
このままじゃ大輔が死んじゃうって思ったから、そんなに早くお母さんや、お父さんや、お姉ちゃんに会いたいんなら、
お母さんも頑張らなきゃなっておもったのよ。ちっちゃかったけど、元気な声あげててね、でも身体が小さいから、
おっきくなるまで病院の保育器の中に入れなきゃいけなくって、毎日毎日、哺乳瓶にミルク入れてね、渡すのよ。看護士さんに。
信じられないでしょ、お母さんが生んだ子供なのに、お母さんが抱っこしてミルク上げられないの。
看護士さんがあげるの。大輔はお母さんの子供なのにね。それがね3週間よ、3週間。信じられないでしょ。
看護士さんがあげるの、ガラス越しにみるだけなの。それが今でもお母さん、悔しくて悔しくてねえ。
大輔は私の子供なの!って何度叫びたくなったか分からないわあ。だからね、大輔。お姉ちゃんと一緒に寝たいのは分かるけど、
もーちょっとだけ、もーちょっとだけでいいから、お母さんとお父さんと一緒に寝てくれない?」


その日から、本宮家ではみんなで川の字が当たり前になった。大輔はいろんなものが怖くなった。怖くて仕方がなかった。
大好きなお母さんのおなかを切って生まれてきたこととか、もう2度と治らないおっきな傷をつけてまで、
お母さんから生まれてきたこととか、もうちょっとで大輔が死んじゃったかも知れないんだってこととか、
大輔が考えているよりもずーっとすぐそばで、死んじゃうっていうことがあるんだって知って、それはもう、怖くなった。
夏のある日、市営プールにお姉ちゃんと一緒に出かけて、くたくたになりながら帰る途中のことだ。
ミンミンゼミからヒグラシに変わった夕暮れ時、のびる影を追いかけながら、手をつないで帰っていた時の話だ。
大輔はしんじゃったセミの亡骸を見つけた。もう死んじゃったものは、2度と戻らないことを知った。
セミさんは、夏が終わると死んじゃう、1週間すぎたら死んじゃうんだってお姉ちゃんから教えてもらって、
なんにも知らなかった自分を後悔して、夏が過ぎていく恐怖を感じた。どうにもならない現実である。
大輔が泣いたって太陽は上っていくし、沈んでいくし、夜になって、やがて秋が来る。
怖がる大輔のそばに、いつだっていてくれたのはお姉ちゃんだった。
お姉ちゃんは教えてくれた。
せみさんは、7年間っていう今の大輔よりもずーっと長い間、真っ暗な土の中でずーっと夏を待っていたんだって。
全力で夏を楽しむために、全力で生きるために、一生懸命ずーっと一人ぼっちで待って待って待ち続けていたんだって。
だから1週間しか生きられないんだけど、1週間もお姉ちゃんや大輔よりも一生懸命夏を生きられるんだよって教わった。
土に埋めてあげて、手を合わせて、ばいばいするまでは、可哀想だって泣いてあげるのもいいけど、
ずーっとそれを泣いてあげるのは違うんだよって怒られた。
秋がこなければいいんだって泣いてあげるのは、せみさんに失礼だって言われた。
だってもう、土の中では、またべつのせみさんが次の夏をずーっと待っているのかもしれないから、
もし秋が来なかったら、ずーっとそのせみさんは土の中だよって教えてもらったのだ。
そういうものなんだって、丸ごと受け入れるのが大事なんだよって教わった。大輔はうなずいた。


世界はいつだって輝いていて、その時の大輔は、今の大輔よりもずっとずっとちっぽけだったけど、きっと誰よりも無敵だった。
どうにもならないことだって、いつかは笑い話に変わっちゃうんだから、今は今しかないんだから、
目をそらしちゃダメだよって教わった。
想像力豊かで、受感性の高いちいさな男の子は、こうやって、いろんなことをそのまんま見つめて、
聞いて、そして一生懸命考えて、そのまんま受け入れることが出来る、とんでもない心の広さを身につけていく。
なんとか、じーっと、それがどういうものか、わかろうってがんばろうとする男の子になっていく。
それはやがて、本質を見極められるとんでもない強さになっていく。
もし僕だったら、オレだったら、どうだろう?っていう世界の中で。


大輔は思ったのである。
わかんないこともたくさんあるけど、聞いてみて、見てみて、考えてみて、今大輔ができることを全部やってから、
今立っている場所から手を伸ばして、とどいたものだけ、つかみとれたものだけ、何とか信じてみようって。
今はまだ、それだけでいいんだって。
誰が悪い奴で、そいつが本当に悪い奴なのか、ちゃーんと見つけなくっちゃいけないって。
出来るのかどうかなんてわからないけど、それがきっと今の大輔にしかできないことだって。
間違ったっていいのだ。まだ大輔は小学校2年生なんだから。あぶなかったら、みんなが守ってくれるんだし、
間違ったら、また叱ってくれるんだし、怒ってくれるんだし、きっと止めてくれる手がある。
そしたら、きっと大輔は迷うことなく戦える。ブイモンと一緒に戦える。負けたくないんだって思えるのだ。
大輔がデジヴァイスを輝かせられるのは、いつだって誰かを守りたい、助けたいって思ったからで、
心の底からそう思った時だけなのである。きっとそれは、憧れの太一先輩とは根本的に違うところなのである。
もしいなかったら、適当につくっちゃえばいいのである。理由をあげるってブイモンが言ってくれたから、
きっとまた迷っても、デジヴァイスが輝かなくなったとしても、引っ張ってくれるパートナーデジモンがいるのである。
大丈夫だろう、って思ったのである。だから大輔は何が何でもブイモンを守らなくっちゃいけない。
ブイモンに何かあったら、真っ先に飛んで行かなくっちゃいけない。
大輔のことを一番理解してくれるのは、きっとブイモンだけだから。
それだけは分かったのである。
これだけは、太一先輩も、空さんも、タケルも、だーれも出来ない。ブイモンだけにできること。
じゃあ、大輔はなにができるだろう?パートナーデジモンのために、何が出来るだろう?って考えたのである。
そう考えた時に、真っ先に思いついたのは、紋章である。


めをそらしちゃいやだよ、だいすけ。
みみをふさいじゃいやだよ、だいすけ。
きいて、ぼくたちのこえ。さみしいよ。


そう言ってくれた紋章なのである。


そしたら、また。ぼくらはきみにあえるんだ。
さがして、ぼくらのこと。また、あいにきて。
ぼくらはいつでもきみのそばにいるんだ。
わすれないでね。まってるから。
もんしょうになってまってるから。
だから、ぼくたちのこと、みつけてね。やくそくだよ。


約束、したから。


「行こうぜ、ブイモン。オレ達の紋章、探さなくっちゃ」

「そうだよな!がんばろう、大輔!」


一体どんな色をした紋章なんだろう、一体どんな形をした紋章なんだろう、
オレだけの紋章、オレだけにしかできないことを教えてくれた紋章。
絶対探さなくっちゃいけない。また、その声に会うために。


そして、大輔とブイモンは、ありがとうございました!って言って、ピッコロモンとなっちゃんに頭を下げて、
修行の間から出ていくのである。あーあ、特別カリキュラムが終わっちゃったから、今度からはみんなと一緒に修行だ。
雑巾がけか、座禅か、それとも階段の往復か、いやだなあ。でもいいや。
待ってる分だけ紋章のこと、いろいろ想像して楽しめるし。
ブイモンがどんなふうに進化するのか、すっごく楽しみにしてた、あの時みたいに。いまはただ、それだけでいい。
はやく、はやくって引っ張ってくれるブイモンを追いかけながら、
ちょっとはゆっくりしろよ、こける!と叫んだ大輔は、いつになく輝いていた。










第十七話 ちみっこの憂鬱










ピッコロモンというデジモンが現われたのは、進化を躊躇する太一とアグモンが、クワガーモンによって殺される寸前である。
必殺技のピッドボムによって、放たれたウイルスに浸食されたクワガーモンは、一瞬のうちに爆殺された。
ファイル島の個体よりもはるかに大きなクワガーモンを、一瞬のうちに、しかも一撃で粉砕するパワーの持ち主である。
呆然とする子供達、デジモン達の前に現れた小さな妖精は、選ばれし子供達を知っているようだったのだが、
太一とアグモンのふがいない有様を目の前にして、大いに憤慨、失望したらしく、
選ばれし子供達であるにも関わらず、一体これはどういうことだとばかりに罵声を浴びせかけてきた。
伝説の英雄の選ばれし子供達という扱いには相変わらず不慣れながらも、
現われるデジモン達が必ず形容する時にするその言葉は、
もうすっかり彼らの中では自分たちのことなんだろう、意味分かんないけど、という形で落ち着いている。
だからみんな落ち込んだ。スカルグレイモンのトラウマがネガティブ思考を加速させているのだ。
そんな子供達、デジモン達を見かねたのか、ピッコロモンが言ったのだ。
私の家で修業しないかと。太一とアグモンを助けてくれたデジモンである。
みんな食いついたのは、言うまでもなかった。



ファイル島の密林地帯を思い出させるジャングルを抜ける。
ジメジメとした雰囲気の漂う、お化けのでそうな荒廃した気味の悪い墓地群を進むと、
見えてきたのは首が痛くなるほど大きな大きなイワヤマである。
そのてっぺんに、ピッコロモンの家があると聞いた途端、
選ばれし子供たちとパートナーデジモン達の修行に対する意欲は大幅に減退した。
そして、悟るのである。遠足の時、担任の先生が良く言っていたから、覚えている。
玄関を出てからが遠足、バスから降りて家に帰るまでが遠足だって。
案の定、ピッコロモンは言い放つ。もう修行ははじまっていると。
そして、夕日が沈む中、選ばれし子供達はくたくたになりながら、何百段もある階段を上りきり、
(ちなみに空を飛ぶという楽をしようとした不届き者は、ピッドボムで撃墜された)
その日はすっかり疲れてしまいピッコロモンが用意してくれたご飯を食べて、お風呂に入り、
そしてみんなで久々にゆっくりと雑魚寝したのである。
それが罠だったとしるのは、翌日太陽も登らない早朝のことである。


「おきるっぴいいい!」


大音量のピッコロモンの声と、どっから持ってきたのかドラムが目覚ましだった。
ぐわああんと何度も鳴らし、無理やり叩き起こされた選ばれし子供達とデジモン達は、
急き立てられるように朝の支度をして、ご飯を食べて、身支度を整えて、
ピッコロモンの大きな銅像がどこからでも見えるという自己満足全開の構造をしている、
螺旋階段のような構造をした建物の廊下に正座させられたのである。


「これから修行内容を発表するっぴ」


ごくり、とみんな唾を呑む。


「これだっぴ」


愛用の槍を振った途端、時空の狭間から落ちてきたのは、大量の雑巾である。
そして、どすん、と落ちてきたのは、なみなみとつがれた水をたたえるバケツが5つ。
思わず、ピッコロモンを見た子供達に、ピッコロモンは愛らしいのに、なぜかめらめらと燃えている瞳を向けた。
そして彼らは悟るのだ。修行の先生は、どうやらとんでもなく、スパルタであると。


「この建物ぜーんぶの雑巾がけだっぴ!」


えええええ!?という彼らの声が響き渡ったのは、言うまでもない。


「はい、そこのゴーグル二人組とデジモン達!」

「へ?オレ?」

「僕う?」

「………やっぱり、オレっすよね、あはは」

「………大輔、大丈夫か?」

「ん」

「君たちは特別メニューだっぴ!びしばししごいてやるから、覚悟するっぴ!」


大輔達は連れて行かれてしまった。
そして、数時間後、紋章の反応を見つけたヤマトと光子郎が、ピッコロモンに申し出たところ、
あっさりOKが出て、みんなに内緒で彼らは紋章を探しに出て行ってしまう。
パートナーデジモン置いてきぼりである。
どうやら彼ら、コカトリモンの船で、最年少組の猛攻を見捨てたパートナーデジモンを根に持っているらしかった。
すれ違いで、大輔とブイモンが復帰した。なんかすっごく元気になっている。
でも、まだまだ廊下の雑巾がけは終わりそうもないので、やんちゃ坊主の助っ人は大歓迎である。
何があったか知らないが、お昼御飯までに終わらせないと飯抜きだって言われているので、だーれも気にしていなかった。





じゃぶじゃぶじゃぶって雑巾を濡らして、ぎゅーって絞って、広げて、床を並べて、よーいドン!
だーって有り余っている元気を全力で走り抜けるやんちゃ坊主と、そのパートナーデジモンは、
ぐにゃぐにゃの軌道を2つに並べて描きながら。ゴールって決めてたところに、風のように走り抜ける。
早く着いたのは、古代種の記憶を思い出したおかげで、今まで無意識と本能でしか使って来れなかった、
現代種に比べて潜在能力をこれ以上ないくらい意識的に使えるようになり、なおかつパートナーの1番になれて、
精神的に完璧に安定することに成功したブイモンである。
寿命が短いっていう致命的な欠陥は大輔が半分こしてくれてるって無意識のうちに分かっているから、
本能的に抑制されていたものを躊躇する必要が無くなったから、もう何にも心配いらない。
大輔がいなくなったら、ヤバいことになるって言うだけである。
大輔とずーっと一緒にいたいブイモンには関係ない。むしろ望むところだ。
もし別れることになっても、たぶんどこかの誰かさんは、古代種の宿命を分かっているから、きっと何かしてくれるだろうし。
どんどん追い抜かれてしまい、大輔がついた時には、もうとっくの昔にゴールして転げまわって笑っているブイモンがいる。
ぜーはー言いながら、つられて大笑いしている大輔は、悪戯っ子の好奇心を刺激されて雑巾を分投げる。べしゃっと直撃した。
誰かがこぼした牛乳を拭いた雑巾を罰ゲームと称して、みんなでぎゃーぎゃー言いながら、
ボールにして投げっこしていたのを思い出したのである。
もうここから来るのは修行と称していながら、実のところ全く意味がない、
単にピッコロモンが太一とアグモンのメンタルケアが終わるまで、
選ばれし子供達を引きとめるために用意した雑巾がけなんて、そっちのけ。
大輔はたんに遊びたいから。
自分の管轄する領域をついでに掃除してもらおうっていう自分勝手すぎる裏側をしっているブイモンは、もちろんなおのことやる気は皆無だ。
もちろんそんなこと知らない彼らの親友とパートナーデジモンは、こらーっと大声をあげた。


「なにやってるんだよう、大輔君、ブイモン!ちゃんとやんなきゃだめだよ!」


えー、と似た者同士は不満タラタラである。


「タケルとトコモンだって、競争してたじゃねーか」

「そ、それはそうだけど、ダメなものはだめだよ!ちゃんとやんなきゃー!」

「そうだよ、大輔、ブイモン。僕たち、しゅぎょーしてるんだよ」

「みんなとピッコロモンに怒られるよ?」


それを言われてはおしまいである。
ぎくっとなった大輔とブイモンは顔を見合わせて、キャッチボールするのをやめたのだった。
バケツの所まで戻るために雑談をする親友を横目に、タケルはちょっとだけへこんでいた。
大輔君はずるいのだ。よーいどん、までは大輔君と僕は一緒のスタート地点にいたのに、
いつだってタケルとトコモンのことなんか見向きもしないでずーっと先に行ってしまうのだ。
そして、ある程度突っ走った所まで行って、あって気付いてから、はやくこいよーって待っていてくれるのだ。
これって全然対等でも、平等でもない。あきらかに大輔がタケルを先導してくれている。親友じゃない、お友達である。
思えばタケルからしてみれば、大輔という親友は劣等感を山積する塊なのである。
大輔君はサッカーをやっているから、タケルよりもずーっと運動神経が良くて、かっけこも早くて、体力も維持力もあって、
積極的で、行動的で、そのおかげでほかのみんなとおしゃべりして、いろんな行動をして、タケルよりもすさまじい早さで、
みんなと仲良くなっている。もちろんタケルもはじめの頃よりは、ずーっとみんなと仲良くなっている自信はあるが、
大輔という比較対象がいることで冷静に客観視できる観察眼では、明らかに仲の良さレベルが違うと分かってしまって、へこむのだ。
タケルはまだ知らないのである。毎日をサッカーで塗りつぶされている大輔君は、
そのせいで、タケルが当たり前だって思っていることが、
実はぜーんぜんなんにもできない子だって知らないのである。お家に帰ってから宿題する、時間割をする、明日の準備をする、
テスト前になったらちゃんと勉強机に向かってちゃーんと勉強する、ちゃんとした時間に起きる、朝の支度だって一人で全部する、
という呼吸をする位簡単なことを何にも出来ない子だって分からないのだ。
おんなじ学校じゃないから、知らないのだ。タケルは漂流生活をするうえで、共に過ごしてきた大輔君しか知らないから。
だから思うのである。大輔君はずるいって。
タケルが唯一大輔君に対して勝っていたところ、優越心を覚えていたところ、僕が勝ってるって感じられて、
これがあるから、まだ大輔君と僕は対等で平等な親友なんだって安心できたところは、
ヤマトお兄ちゃんと仲がいいっていうこの一点だけなのである。これだけは大輔がうらやましいって言ったことなのだ。
しかもこの一点は、大輔の「甘えればいい」っていうアドバイスを聞いて、なるほどって思って、実行して、やっとのことで、
ヤマトお兄ちゃんに対して甘えることが出来たおかげで、
今までよりずーっと仲良くなれたということを考えると疑問符が浮かんでしまう。
しかも、唯一にして無二の、ジュンお姉ちゃんがこの漂流生活にいないという
強烈なアドバンテージがある限り、解決することは無いって思っていたら、
ピッコロモンの特別カリキュラムという秘密の特訓で、
なんと大輔君はジュンお姉ちゃんとの仲が良かったころを思い出してしまったのである。
大喜びしているのである。よかったなあって思うし、なんだかんだで、
何かあった時に頼れるお姉ちゃんがいないのは可哀想だし、
ブイモンと一緒になって泣いてる大輔君を見ているから、ちょっとだけ申し訳なく思うこともあったのだが、
これで臆することなくヤマトお兄ちゃんに甘えられるのだが、無くなっちゃったのである。
タケルが大輔君という親友と対等でいられる要素が無くなっちゃったのである。
そしてもたげてくるのは、劣等感と敗北意識から来るライバル意識と、とんでもない不安である。
本当に僕たち、親友だよね?って心配になるのである。
だって大輔君はタケルに対して相談はしてくれるけど、アドバイスは求めてないって、
はっきり言ったし、態度にも出ているし、本音なのである。
しかもピッコロモンの修行から、明らかに隠し事が増えているとタケルは直感的に感じとっている。
大輔はタケルが嘘や隠し事を見抜くのが得意だって知っているから、
どうしても挙動不審になるし、隠し事してごめんねって顔に書いてあるし、
でも言えないんだよどうすりゃいいんだよって頭を抱えたくなるような苦悩が見え隠れしている。ぽろってそういうことをこぼしている。
いつか言ってくれるとは思うので、仕方ないなあ、って呆れながらも待つことにはしているのだが、
そもそも「隠し事」をタケルに言おうかどうか、という選択肢自体が浮かんでいないこと自体が
タケルにとっては肩透かしである。これ以上ないくらい。
もしかして僕、大輔君にそんなに信頼されてないのかな、って思ってしまうのだ。
何でだろう?タケルはさっぱりわからない。



実はここに、大輔とタケルの「親友」という言葉に対する致命的なまでの認識の落差がある。
求めるもの、ベクトル、条件がびっくりするほど食い違っているのだ。
学校でのタケルは、いい子のタケル君だから、みんなと仲良しである。
喧嘩なんてしないし、悪ふざけなんてしないし、ダメだよっていうし、悪口なんてぜったい言わないし、
いっつもにこにこして、嫌なこと一つ言わず、なんだって自分から進んでするから、みんなの人気者である。
みんなから好かれている。そこにいるのは、みんなに人気者のタケルくんであり、タケル自身、友達ってそういうもんだと思っている。
対等で、平等で、隠し事なんていわない、絶対に何だって打ち明けられる相談しあえるのが、親友だって思ってる。
だってタケルのまわりのお友達は、みんなそうなのだ。
実はそれ、タケルが気付いていないだけで、
みんなは「隠し事」だって「悪口」だって「嘘」たって「相談したいこと」だってあるし、
それをただタケルに見せていないだけで、そういう相手が別にいるのである。
もともとそういう相手をタケルに必要としていないのだ。タケルは知らないのである。
学校という世界は、友達って言う世界は、そんな綺麗で単純でびっくりするほど分かりやすいもんじゃないのである。
タケルは観察眼に優れているけれども、相手のことを理解する、
心情を理解するという精神的な面での観察力は、実は致命的なまでに幼い。
みんながタケルみたいに単純な世界の住人じゃないって知らないから、
実は友達の作り方は致命的なまでにへたくそなのである。
だから希望の紋章の持ち主に選ばれた。
もっとも精神的な意味で幼い子供っていう意味不明で無茶苦茶で、訳のわからない理由で選ばれた。
将来性なんていう、少なくても、今のタケルに対しては何にも期待してませんよってはっきり宣言されちゃうような紋章に選ばれた。
いろんなものになれるということは、今は何にもないすっからかんだよって言ってるのと一緒である。
ものの見事にタケルを言い表している。どこかのだれかさんもすっごいやつである。
それを4年前から未来予知した訳だから。
幼稚園なら、それでよかったかもしれない。でもタケルはもう小学校2年生なのである。
クラスに一人はいるだろう。
いっつもにこにこして、いやなことは進んでやってくれて、喧嘩になってもすぐに謝ってくれて、仲直りしてくれる。
先生のいうこととか、上級生の言うこととか、みんなの中心になるために、
進んでいうことを聞いて、やることはちゃんとやる子。
みんなをまとめようとする子。誰にも嫌な顔一つせずに、にっこにこしてる子。
人気者。いわゆる優等生ってやつ。
友達はいっぱいいるし、いっつもみんなに囲まれているのに、どういう訳か恋愛とかそういうのはとんと無頓着な、
天然ジゴロでありながらフラグクラッシャーを両立させるという、どっかぼやーっとしてる子。天然さん。にぶちんさん。
人はそれをいい人という。かっこいい人っていう。クールとかいうかもしれない。
タケルも良く言われる。タケル君っていい人だよねって。でも人はよく出来たもので、本人に隠れてそれを八方美人という。
いい人の先が何にもないから、みんなタケルの親友になってくれない。
何を考えてんだか、ぜーんぜん分からない、よく分かんない子、って実はタケルの知らない所で言われてしまっている。
子供は敏感である。そういうことにすっごく敏感である。
だから友達はできるけど、親友はできない。親友はそういうもんじゃないって知ってるから、だれも親友になってくれない。
そりゃそうである、何を考えてんだかよく分かんない子なんて、親友としては最悪である。
タケルは友達と親友がごっちゃごちゃでよく分かってない。
それが当たり前だって分かってるから、それがふつーだって思ってるから、
本人の知らない所で距離が置かれてしまっているのだ。
子供たちの世界って意外と厳しい、すっごくシビアで、強烈な所なのだ。
信用できないのに、信頼してくれとか無理だろう、普通に考えて。
要するに、精神的な意味ではタケル、幼稚園児レベルなのである。
まあこれは、タケルの置かれていた生活環境とかそういうのが原因なのだ。
家族とか、兄弟とか、自分のことに一生懸命になりすぎてしまっているせいで、自分の周りのことに集中できなかったせいである。
本人は悪くない。でも友達はそうは思ってくれない。難しいものである。
さて、ここで、タケルが親友になりたい、親友って思いたい、
初めて自分の家庭事情とか全部知ってくれた友達、大輔君という少年を見てみよう。
大輔君はよく忘れ物をする。宿題だってろくにやってない。
だからみんなの前で先生に怒られたり、廊下に立ってろって言われたり、
新しい課題を出されたり、校内放送で職員室に名指しで今すぐ来いって公開処刑されるような子である。
サッカー部の友達にいろんなものを借りたり、貸したり、仲がいいサッカー部のキャプテンに対する仲介を頼まれて、
えーって言いながらもお菓子とかおごるとか交換条件で提示すれば、あっさり仕方ね―なって笑ってやってくれる子である。
その結果とかも顔とか態度とかでばればれなんだけど、彼なりに気遣ってくれるような子である。周りを見てくれる子なのである。
宿題とか誰かうつさせてくれーって、たのむからーって泣きついてくるような子である。これ以上ないくらいのムードメーカーである。
人気者にはなれないかもしれないけれど、信頼できる、信用できるっていう面では、圧倒的なまでにこれ以上ないくらいの相手なのである。
だから大輔には人が集まってくる。喜怒哀楽が激しくて、何を考えているのか全身で表現する上に、本人はいまいちそれを良く分かってない。
嘘をつくのだってへたくそだ。だからみんなからかうし、おちょくるし、わざと怒らせる。
でも大輔は自分がそう言う奴だってどこか分かっているから、怒りはするけれども、謝ったらすぐに許すし、水に流してしまう。
けろっとしている。みんな、本宮大輔という少年がどういう人間なのか、これ以上ないくらい分かりやすくて、いい奴だって分かる。
だから尚更みんな容赦ない。大輔もまわりを見る子だから、自分がどういう役回りなのか良く分かっている。
そういう意味では、大輔という少年は、びっくりするぐらい、プライベートは比べ物にならないくらい、大人なのである。
しかも大輔には6つも年の離れたお姉ちゃんがいる。だからサッカー部の仲介を頼む女の子の気持ちも分かってくれるし、
どういう意図でその仲介を頼まれたのか大輔も分かっているから、ちゃんと仕事をこなしてくれる。
それは男の子と女の子が違う生き物だからって分かっている、ライクとラブの違いが分かっている、すっごく大人の証なのだ。
サッカー部の友達やクラスメイトからすれば、これ以上ないくらいの大人なのである。
子供は大人相手ならいくらでも無邪気になる。だって怒ってくれるし、叱ってくれる
し、ちゃんと許してくれるから。
すっごく安心できるのだ。だから本来大輔が好きになるはずの光ちゃんも彼に対しては、わりと容赦ない。
好きな女の子に言われては、流石の大輔もへこんだり、落ち込んだりするが、絶対に怒らない。暴力を振るわない。
自分がどういう奴で、どういう役回りを求められていて、自分もどうやりたいか、よーく分かっているのだ。
もうびっくりするくらいタケルと大輔は正反対である。
そういうわけで、大輔がタケルに対して取っている態度は当然だったりする。
一番仲がいい友達だけど、絶対に親友にはなれないと、
無意識のうちに本質を見極めることが出来る天才は、分かりきっているのだ。
もちろん、頭がよくない大輔は、それを子供だからという言葉で称する。頼りないって言う言葉に置き換わる。
これはもう大変なことになった。
太一には配慮が足りない、言葉が足りない、気遣いが足りないって言う弱点があったから、周りをみないっていう欠点があったから、
それを完璧に補える面倒見の良さでは群を抜くヤマトと親友になれたのだ。
でも大輔は周りを見る子である。ムードメーカーで人望もある。実は欠点らしい欠点はお姉ちゃんとの不仲くらいしかない。
とりあえず言えるのは、タケルが大輔と親友になるには、とんでもなく大変だってことである。
ちなみに、特別カリキュラムが終わらないのか、太一とアグモンはまだ帰って来ない。



[26350] 第17話 どんないろがすき
Name: 若州◆e61dab95 ID:0dcbb22f
Date: 2013/08/03 00:14
ピンポーン、と呼び鈴が鳴る。
来た、と反射的に立ち上がったヤマトは、あわててリビングに飛んでいくと、
カレンダーにある7月のページを、びりびりに破り捨てる。
電話越しでしか会えない、聞くことが出来ない、母親の声である。
無性にさびしくなった時は、留守番電話の連絡事項を伝える、
その声を父親がいない時を見計らって、こっそり何度もリピートする声である。
少しでも長く聞きたくて、会話をしたくて、お兄ちゃんと変わってくれとねだる大切な弟に愛憎入り乱れながら、
電話をしたその日から、丁度1カ月である。
ヤマトはいつだって父親にそんなそぶりを見せたくないから、
ちらちらと頻繁に傍らに置いた目覚まし時計の秒針を確認しながら、
父親の帰宅時間のギリギリまで、あと少し、あと少し、あとちょっとだけ、と願いながら電話をするのである。
大好きなお母さんの声なんて、緊張しきりで、あんまり覚えてなんかいられないのだ。
毎日、毎日、父親にばれないように、こっそりとカレンダーの日付に、鉛筆でうっすらと小さくバツ印を付けて、
今か今かと待ち続けていた日がようやく来たのである。
びりびりびりと誰が見ても分からなくなるくらい、用意周到に、証拠隠滅を図ってから、
目を閉じて、深呼吸して、いち、にい、さん、と数えてから、大きく深呼吸して、オレは大丈夫だって呪文をはいてから、
よし、と意気込みをかけてから立ち上がって玄関に向かうのだ。
玄関に行けば、久しぶりのお兄ちゃんに会える!お父さんに会える!一緒にお泊りできる!ってテンションがものすごく上がって、
おにーちゃん!って満面の笑みを浮かべて、手を振る大切な弟がいて、そしてその弟と当たり前のように手をつないでいる、
大好きなお母さんがいるのである。小学校3年生以降、ヤマトは一度も母親と手をつないだことはない。
慌てて靴を脱いで、お父さんはどこって聞いてくる弟に、場所を教えてから、さっさと行かせるのだ。


「元気そうね、ヤマト」


(全然元気じゃねえよ、ホントは今すぐにでも泣きそうなんだよ。どんだけオレが聞きたいと思ってきたか、知らないだろ)


「ああ、まあな、母さんは?」


(なんでわかってくれないんだよ)


「大丈夫、こっちは元気よ。仕事が終わり次第、私もいくから、あの人によろしくね。
タケルと一緒にどこかいきましょうか」


(そうじゃないんだよ、なんでわかってくれないんだよ、なんでいっちゃうんだよ、仕事なんてどうでもいいだろ、なあ。
あの人っていわないでくれよ、お父さんなんだぞ?あんたにとってはもう赤の他人でもオレにとっては、この世でたった一人のお父さん!
なんでタケルも一緒なんだよ、いっつも一緒だろ、たまにはかまってくれよ!オレはお母さんと一緒にいきたいんだよ!
オレは、お母さんと、一緒に、どっか、手をつないで、どっか行きたいんだよ!)


「ああ、わかった」


(わかってくれない。結局、だれも分かってくれない)


「じゃあ、なにかあったら、よろしくね。今度はうちに遊びに来なさいな、待ってるわよ」


(なんでタケルは送り迎えするくせに、オレには来いって言うんだよ、送り迎えくらいしてくれよ。
どうせお父さんに会いたくないんだろ、どうせオレにだけ来いって言いたいんだろ、お父さん連れてくるなって言いたいんだろ、
分かってるよ!そんな申し訳なさそうな顔しなくったって、分かってるよ!ずーっとずっと前から知ってるよ!
お母さんがお父さん嫌いだってことくらい!)


「ああ、楽しみにしてる」


(オレの気も知らないで、こっちがどんだけ、お母さんと会うの楽しみにしてるか、全然気付いてくれないくせに!)


「じゃあ、よろしくね」


(いかないでくれよ)


「いってらっしゃい」


(いかないでよ、お母さん)


「ええ、ごめんなさいね、ヤマト。タケルのこと、よろしくね」


(ごめんって言うくらいなら、いつも会えなくてごめんねって言うくらいなら、なでてくれればいいのに。
いつも頑張って偉いねって言ってくれればいいのに。タケルにはしてるくせに)


「いいよ。いってらっしゃい」


ぱたん、と扉が閉じられるのだ。


「いってらっしゃーい!」


無邪気に手を振る弟である。きっと毎日のように一緒にご飯を食べて、会話をして、
お風呂に入って、買い物をしてテレビを見て、宿題を見てもらって、
えらいねって褒めてもらえて、叱ってもらえて、いろんなことをしてもらえるのだ。
なんにもいわなくったってしてもらえるという、優しい世界でこの弟は生きているのだ。
ヤマトがどんだけがんばっても、弟が生まれた瞬間から奪われて、離婚したことでもう一生受けられない愛情と期待を、
一身に受けているのだ、とヤマトはつくづく分かってしまうのである。
タケルの着てくる服はいつだってセンスがいいものばかりである。しかもアイロンがぱしっと充てられていて、
汚れひとつない、綺麗で清潔で、しかもちゃんと畳んであるのである。見ればわかる。
ヤマトは全部やっているから。いつだってそうである。3年前である。もうヤマトは思い出せない。


「ねーねー、お兄ちゃん、ゲームしようよ」

「ああ、いいぞ、なにするんだ?」


フジテレビ関係者である父親は、家のことを全部ヤマトにやらせてしまっているかわりに、
罪滅ぼしに、わりかし何でも買ってくれる。一緒に出かけてくれる。買い物もしてくれる。どこだって連れてってくれる。
おまえはいつでもよくやってるよって、がんばってるよって褒めてくれる。頭をなでてくれるのだ。
でもやっぱり寂しいのである。まだ石田ヤマトは、お台場小学校5年生、11歳である。まだ11歳の子供である。
お母さんが恋しいのは当たり前である。でもタケルはお兄ちゃんからお母さんをとってしまったという負い目はあるが、
じゃあヤマトが一体何を求めていて、そのためにはタケルはどうすればいいのか、なんて微塵も分かっていないのだ。
だって、開口一番にゲームである。この漂流生活で帰ったら一番何がしたいかって聞いたら、
開口一番にゲームって言うような子である。
お兄ちゃんと遊びたくて仕方ないのだろうが、玄関で伸ばしかけた手を降ろして、
うつむいているお兄ちゃんを見ても、その手を取って、はやくって急かすのだ。残酷なほど無邪気である。
タケルは母親の厳しいしつけ方針からの息抜きで、こっちに来ていることなんてヤマトはお見通しなのである。
ゲームが沢山あるってうらやましくてたまらないようである。なんという贅沢な。
ちっともタケルはヤマトのことを分かっていないのである。
だって、タケルは言うのだ。お兄ちゃんの部屋を見ていうのだ。


「あはは、お兄ちゃんの部屋、汚いねえ」


こんな言葉、ヤマトの気持ちをほんのちょっとでも分かれば絶対言わないだろう。
大切な大切な弟は、いつだって、ヤマトを傷付けている。
タケルはヤマトが一番欲しい、お兄ちゃん凄いねって言葉を言ってくれない。









第十八話 どんないろがすき










「トさん、ヤマトさん」

「へ?あ、ああ、なんだ?」

「どうしたんですか?」

「え?あ、いや、なんでもない」


ふーん?そうですか。と光子郎はあっさり意見をひっこめた。紋章探しが先である。
光子郎とヤマトはすっかり意気投合、仲良しである。
弟であるタケルがいる関係で、下級生組である大輔、光子郎、ミミを何かと先導し、
そして世話を焼いてきたヤマトは、すっかり下級生組の中では大人気である。
好感度は明らかに上級生組の中でもぐんを抜いていた。
ちょっとだけ、ピッコロモンに連れて行かれる大輔の様子がおかしいことに気付いていたヤマトは、
なんだかデジャヴを感じたのだ。
どっかで見たことあるなあ、誰だっけ?と思案を巡らせている途中で、光子郎に呼びとめられたのである。
思考回路の海はどっかに飛んで行ってしまった。


「なあ、光子郎はどうして紋章が欲しいんだ?」

「なんでって、決まってるじゃないですか!
カブテリモンから、どんなデジモンに進化するのか、気になるんですよ!」


進化させるかどうか、は、とりあえずみんなの紋章が集まってからにしよう、が
現段階における選ばれし子供達、パートナーデジモン達の総意である。
やっぱり恐怖と興味は分けて考えたいらしかった。
知識欲の塊はどうやら進化についても、割と前向きらしい。当事者以外は呑気なものである。


「そういうヤマトさんはどうしてなんです?なんで紋章が気になるんですか?」

「そうだなあ、オレは」


真っ先に浮かぶのはタケルである。雑巾がけ競争をしているのを見たヤマトは、ちょっとだけ安心していた。
理屈詰めのお兄ちゃんを休憩したい。それに、いちいち横から図星な言葉をこぼしてくるガブモンが疎ましい。
一人で出てきたのはこんな理由である。もちろん紋章は気になるが。
少なくても光子郎のように、結界内部が安全だから、
一人で出てきても大丈夫だろうなんていう優等生的な思考回路ではない。
言えるのか?光子郎という下級生の前で。
上級生組は現在事実上のリーダー争いという熾烈な攻防を極めていて、
紋章を手に入れたにも関わらず、進化を失敗した太一が一歩後れを取ったことで、
一時休戦状態なんて言う、なまなましすぎる裏事情を。
そして、ヤマトは、太一という目下最大のライバルに早く追いつくアドバンテージとして、
紋章を手にしたいだなんていう考えを。言っていいのか?と考えてしまうのがヤマトという少年である。
これが、太一との最大の違いである。


「オレは……」


言えるわけもないので、言葉を探す。
うーん、と頭をフル回転させて、それとなく視線を外して上を向く。
そしてよぎるのは、何でか、大輔である。なんでだ?
紋章を手に入れたと自慢する太一を見て、目をキラキラさせて、すっげー!と、
みせてください!ってお願いしている大輔が浮かぶのである。大切な弟であるタケルではなく。


「ヤマトさん?」

「あー……オレも、かな。オレもガルルモンの進化の先がみたい」

「ですよね!」


上級生に肯定してもらえてうれしい光子郎は言及しない。
それをいいことにヤマトは思考の海に沈んでいく。
それはピッコロモンの管轄する領域を超えた井戸で紋章を回収し、帰路にまで及ぶ。
修行という名の雑巾がけをしたくない彼らの足取りは、限りなく遅い。


「ああ、そうか」

「え?」

「あ、いや、なんでもない」


そうか、そういうことか。ヤマトは、目が覚めたような気がした。


「ヤマトさん、凄いっすねー」


すっげー、と純粋に驚いてくれた大輔の言葉がどんだけ嬉しかったか、きっと口にした大輔本人は絶対気付いてない。
本宮大輔という少年は、タケルと同じ年であるはずの、お台場小学校2年生の男の子は、知っているのである。
普通の小学校5年生の男の子が、魚の下処理のやり方とか、たき火でやる魚の焼き方とか、マニュアル本なしで、
テキパキとこなせるはずがないって言うこと、頭に叩き込むほどの努力をしなければ到底できないっていう、
ごく普通の当たり前のことを知っているのである。だから驚いてくれたのだ。褒めてくれたのだ。
思わず手が震えるのを我慢したが、タケルには絶対言うなって口止めしたが、
それはタケルが気付きもしないことに気付きたくなかったからである。
光子郎みたいに突出した所がないヤマトが出来たのは、ひとえに努力の成果である。
太一もさすがに驚いて、よくしってんなあ、お前、なんて
はっきりと同じお台場小学校5年生の男の子が口にしているから、
観察眼に優れるタケルだったら、本来ならそうなんだって思って、凄いねお兄ちゃんって言うはずなのに、
太一が思いっきりみんなに聞こえる声でいうから、みんな感心しているのに、タケルだけがニコニコして何にも言わないのだ。
基本的に、タケルはお兄ちゃんは何でもできるんだって思い込んでいるとはいえども、
こうもあからさまにに努力が垣間見れる場面に遭遇していて、タケルはなんにも言わないのである。
気付きもしない。知りもしない。ヤマトがタケルに過保護になるのは、実はここに全ての理由がある。
鈍すぎる。鈍感過ぎる。人の心に鈍感過ぎる。言われないと分からないくらい、途方もなく、幼い。
心配になるのは当たり前なのである。ああやっぱりオレがいないとこいつはなんにも出来ないんだって、ため息交じりに、
優越心にも似た、安心感と共に、オレが守ってやらなきゃいけないんだって、ヤマトは思うのである。
タケルが成長しない限り、ヤマトはタケルに対してお兄ちゃんをやめることはできないのだ。
流石にいちいち説明してやらないと分からないのは、まずいから。こればっかりは、ヤマトだけではどうしようもないから。
このヤマトは時間が解決してくれるかな、って思っている。
ヤマトははっきりって、ジュンという会ったこともない、大輔のお姉ちゃんがうらやましくてたまらないのだ。
きっとオレは嫌いなんだろうなって思ってすらいる。
こんないい奴に向かって、「二度とお姉ちゃんって呼ばないで」なんて無茶苦茶な暴言はいて、
お姉ちゃんが嫌いになれない俺が情けないんだって泣いている、お姉ちゃんが嫌いになれないんだって泣いている
タケルとの大喧嘩で初めて口にしたんだって言うくらい、ずーっと奥底で溜め込んでいるような、
それだけ大好きなお姉ちゃんがいる、弟。はっきりとお姉ちゃんは大好きだって臆面もなく言える子。
尊敬する太一に対して、目を輝かせて、すごいすごいってものすごく分かりやすい形で言ってくれるうえに、
相手の努力とか、そう言うのを一発で見抜いてしまうほど、周りを見ることが出来る子。それだけ大人の子。
ヤマトからすれば、とんでもなく太一がうらやましいのだ。
誰も気付いてくれない努力を11年間も蓄積してきたヤマトが、
無意識のうちに大輔に対してタケルと同じ扱いをしてしまうのは無理もない。
タケルがいる関係上、下級生の世話をすることも多く、いつの間にか世話係の立ち位置になってしまったヤマトが、
うっかりそれをしてしまって、それに気付いた大輔が、タケルがいるからって遠慮して、無理ですって顔にだして。
すんませんって目で謝って、いいっすよって断るのも、全部分かっているのだ。
それはムゲンマウンテンの大岩で分かっているのだ。
その心情も分かっている分、ヤマトのいらつきとか、全部分かってしまう大輔に向かって、
分かってくれる大輔に対して、あからさまなまでに、不機嫌そうな顔をして八つ当たりの矛先に向けるのも無理はなかった。





そして、現在進行形で、むっすーとしている大輔にヤマトが戸惑うのも無理はない。
光子郎と一緒に、ピッコロモンの管轄外の領域にある井戸にある紋章を取りに行って、帰ってきたらこれである。
光子郎の紋章は紫色をした紋章である。ぐるぐる眼鏡みたいな、ダンベルみたいな、形容するのが難しい、
とりあえず丸が二つあって、右側の方が大きくて、左側が小さくて、小さいつなぎが二つを繋いでいる紋章。
ヤマトの紋章は青色である。手裏剣の上と下を取っ払って、その中に陰陽道の涙の形をしたやつを組み合わせたような、
へんてこりんな形をしたデザインの紋章。全く心当たりがないので、ヤマトは聞いたのだ。


「なんでそんな怒ってんだ」

「だって、オレも青色好きなんすよ。なんでとっちゃうんすかー」


どうやらヤマトや光子郎が紋章探しにいっているということをピッコロモンから聞いたらしい、大輔とブイモンは、
ずーっとどんな色の紋章がいいのかって話しあっていたらしかった。ちなみにブイモンはピッコロモンに呼ばれてどっかいった。
そういえば、こいつ、青い服来てるなあってヤマトは思ったのである。
なんか太一からの大輔情報が先行して、赤とか、オレンジとか、明るいイメージをしてしまうものの、
こいつが今着ている服に、暖色系の色はものの見事にないのである。
お気に入りらしい、しましまのアンダーは水色と青色だし、ジーパンの色も黒に近い。
ジャケットだってジーパン素材の似たような色なのである。
……思えばすさまじくこいつに、暖色の色は似あわないかもしれない、いろんな意味で。
ヤマトは、ほう、と思ったわけである。大輔はヤマトの紋章の色が好きなのだという。
自然と笑ってしまうのも無理はなかった。
ヤマトが大輔に対してお兄ちゃんぶりたい、と気付いている大輔は、なんすかー、と居心地悪そうにしている。
そりゃそうである。大輔からすれば、ヤマトはかつて大輔が太一を理想的なお兄ちゃんと見ていたことを知っているのだ、
それなのにヤマトからそういうことをされて嫌だって思うのは、虫がよすぎるってどこか気付いている。
でも光っていう太一の最愛の妹に重ねられた身としては、勘弁してくれレベルなのだ。
ヤマトからすれば、空に対してまだ理想的なお姉ちゃん像を持ち続けている大輔は人のこと言えないのだが、
流石のヤマトも、大輔の依存レベルがどんだけすさまじいものなのかまで分かるほど、
心理学者になった覚えはないので分からない。
目をそらして、真っ先にタケルがどこにいるのか探しているあたり、案外似た者同士なのかもしれない。
そう、思ったのである。


「何するんすか!?」


いきなり頭を後ろからぐっしゃぐしゃになでられた大輔はたまったもんじゃない。
もともと癖っ毛の髪質は一度ぐしゃぐしゃにされると、いろいろと後が大変なのだ。
でもまあ、嬉しいんだから仕方ない。ああ、そうか、オレもこいつから慕われたかったのか、とヤマトはようやく、
自分の本心に気付いたらしかった。


「大輔」

「なんすか」

「今から、オレのことも先輩って呼べ」

「………はい?」


なんで先輩?野球部なのに?え?え?と混乱している大輔である。
ヤマトはなおさらおかしくなって笑うのだ。


「ヤマト先輩な」

「はあ、ヤマト先輩?」


よし、と自己完結したヤマトは、なんかいきなり頭をなでてもらっている親友と上機嫌なお兄ちゃんに、
え?え?って混乱しているタケルを見る。やっぱりどこまでも幼い弟である。もう、ここが潮時かもしれない。
完全無欠のお兄ちゃんでいるのも、いいかげんつかれ始めているヤマトである。不慣れな過剰な期待は荷が重すぎた。
リーダーの主導権争いにいい加減本格的に参戦したいのも、事実なのである。
そのためには、タケルのお兄ちゃんでいるのは、とんでもなく邪魔なのだ。
案の定、タケルは、何で?何で?って怒る。大輔は仲裁するために、慌てて中に入ろうとするのだが、それを止めたのは空である。
やっぱりどこまでも彼女の気遣いと配慮という抑止力には、到底かなわない、と自覚する手前、ヤマトは覚悟を決めたのだ。
太一とアグモン達は、まだ特別カリキュラムから帰って来ない。





その日、タケルとヤマトは、生まれて初めて、大喧嘩をすることになる。



[26350] 第18話 Should read between the line!
Name: 若州◆e61dab95 ID:bd8f2d33
Date: 2013/08/03 00:16
それは大輔とブイモンのカウンセリングが終了した後のことである。
大輔の異様なほどの怯え様に学んだのか、ピッコロモンは特別カリキュラムの意図を太一に明かしていた。
ブイモンが早く、早くって天敵との邂逅を阻止すべく先手を切るのを、
いい加減にしろってピッコロモンはずるずると引きずってしまった。
あははーと笑っているのはアグモンである。どこまでも正反対なパートナーデジモン達である。


「太一先輩」

「ん?どーした、大輔」

「太一先輩、怖く、ないんすか?」

「何が?」

「スカルグレイモンの時、グレイモン、殺しちゃったじゃないっすかあ……でも、全然、きにして、ない、し」

「え?だってあいつ、敵だろ?」

「でも、でもっ、あいつ……黒い紐みたいなの、巻かれてたし」

「あのなあ、大輔。そういうとこはお前のいいとこでもあるんだけど、悪いとこでもあるよな。
一番大輔らしいから、ぜってー、無くしちゃダメだぞ?だからピッコロモンに呼ばれたんだろ?聞いたよ」

「はい」

「大輔には嫌われちまうかもしれないけど、あのグレイモン、敵だろ?それに、デジモンって殺しても生き返るんだろ?
はじまりの街で。そんなこといちいち考えてたら、サッカーゴールにいたお前ら、死んじゃってたかもしれないだろ。
だから焦ったんだよ。傷付けたのはごめん、でもオレはしたことは謝らない、
だって間違ったことなんかしてないんだからな。じゃあな、大輔、ブイモンと一緒に修行頑張れよ」

「はい」


じゃあ、後で、と大輔は太一と別れて、ブイモンと一緒にタケル達の所に合流したのである。
うつむいてしまう大輔の頭をくしゃくしゃになでながら、
太一がからりと笑ったのを思い出すたびに、大輔は胸が締め付けられるのを思い出す。
ああ、どうしてこうも尊敬する太一先輩とオレはここまで見る世界が違うんだろう、と大輔は思うのである。
でもだからこそ、大輔はなんで自分がゴーグルを太一先輩の真似をして付けるようになったのか、思い出してしまうのである。
やっぱりどこまでも八神太一先輩という人は、残酷なほど本宮大輔という少年に対して影響力がある人なのである。
大輔はトレードマークのゴーグルを付けている太一に、なんで付けているんだと聞いたことがある。
太一は言ったのである。ずーっと前に死んじゃったおじいちゃん、大好きなおじいちゃんの遺品なんだって。
太一が知っている中でも一番カッコよくて、一番強くて、一番あこがれていた、大好きなおじいちゃんの
形見なんだって、これを付けているとなんだか強くなった気がするんだって、気持ちが大きくなるんだって、
迷わないでいられるんだって、そう、嬉しそうに話してくれたのである。
ゴーグルを付ければ強くなれるのか、と聞いたことがある。少なくても俺はそうだって太一先輩は言ったのだ。
だから大輔は、くれないってことはわかりきっているけれども、我慢できなくて、太一のゴーグルが欲しくなって、
何度も何度もください!ってねだるのだ。
もちろん太一は後輩の可愛い戯れだって分かっているから、ダメに決まってんだろ、と却下して、
むくれる後輩相手にちょっかいをかけるという押し問答を繰り広げてきたのだ。
だから、大輔は似たようなゴーグルを家でたまたま見つけた時に、目を輝かせたのである。
きっと大輔の中では、憧れの太一先輩を真似する、というよりも、その気持ちがおっきくなれる、迷わないで済む、
そうきらきらした笑顔で教えてくれた太一の言葉がうらやましくなって、ゴーグルが欲しかったのである。
だから、太一先輩が憧れの先輩から、尊敬する先輩に変わっても、
大輔は太一の真似をしてゴーグルをかたくなに持ち続けているのだ。
大輔の中では、PHSとゴーグルは同価値なのだ。同質なのだ。今の大輔の全ての始まりだから。
だからこそ、なおのこと、大輔と太一という二人の男の子が、ぜーんぜん違うことに気付いてしまうのだ。
大輔は知っている。周りを見ることができる子だから知っている。
はっきりと敵は敵、倒すべき敵と認識したら、躊躇なく、容赦なく粉砕する、残酷なほど守るべき優先順位が付けられる、
ゴーグルの英雄の背中を見続けてきた大輔だからこそ、分かってしまうのである。
きっとオレは太一先輩みたいにはなれないんだって、思い出してしまったから、分かるのである。
きっと太一先輩みたいになれるのは、オレじゃない。太一さん頑張って、偽物なんかにまけないで、って、
大輔の隣で、はっきりとなんのためらいもなく、躊躇もなく、言い放った男の子を大輔は知っているのだ。
タケルである。
きっとタケルのもってる紋章は、太一先輩みたいな紋章なんだろうって、本質を見極められる天才は気付いているのだ。
だから、ブイモンと話している時には、オレは青い色がいいなっていったのである。どうせ違うんだから、好きな色の方がいいなあって。
そしたら、ヤマト先輩が手に入れた紋章が青色だったのである。
太一先輩の大親友である、ヤマト先輩の紋章が青色だったから、悟ってしまったのである。
この瞬間に大輔は全てを悟るのだ。周りを見ることが出来る少年は悟るのだ。
ピッコロモンは言っていたのである。ブイモンから聞いたから、大輔は知っているのである。


「選ばれし子供たちの世界じゃあるまいし、デジタルワールドにおいて、物事に意味がないものなんて何一つないっぴよ。
必ず意味があるんだっぴ。ここはそういう世界だっぴ。
自分だけの都合で、視野で、考えられるほどこの世界は単純じゃないっぴよ」


だから、ヤマトとタケルが殴るけるの前代未聞とも言うべき大喧嘩している時に、大輔は一切手を差し伸べることはない。
現在進行形の大喧嘩で、すさまじいブリザードが吹き荒れている中で、ヤマトとタケルがお互いに頑固者の似た者同士が、
大喧嘩している中で、なんにもしないのである。ただずっと、空の隣で見ているだけなのである。ぞっとするほど、冷静な目で。
ちらちらって、助けを求めてくる、いつだって助けてくれた、アドバイスをくれたって
信頼してくれている親友の視線があるのに気付いていながら、そんなことが出来るほど、大輔は大人ではなかった。
だって、似ているのである。ヤマトと太一の大喧嘩と、タケルとヤマトの大喧嘩が、似すぎているのである。
太一と大喧嘩を2回もした大輔は分かっているのだ。今のタケルは、あまりにも、太一先輩と似すぎていた。
まだ特別カリキュラムは終わらないのか、アグモンと太一は帰って来ない。










第十九話  Should read between the line!









ただ今、選ばれし子供の八神太一とパートナーデジモンであるアグモンの、
メンタルケアと言う名の修行が行われている最中である。
ピッコロモンの修行と称したメンタルケアで放り込まれたのは、見渡す限り、今の太一の心象風景を反映しているような、
濃霧に包まれた海である。ゴンドラにはカンテラがあって、そこにアグモンと一緒に乗せられた。
ぐらぐらゆれるゴンドラがひっくり返って、元に戻って、なんとか捕まりながら、最初は遠慮し合っていた太一もアグモンも、
いつの間にかスカルグレイモンの件について、お互いにたまっていた、蓄積していたことを、ぜーんぶ吐き出すような、
軽口の応酬をするようになった。気付いたら、いつもの太一とアグモンがそこにいた。
そして、気付くのである。ゴンドラがどんどん流されているというとんでもない事実
に。
ピッコロモンは確か、ここから出るのがキミたちへの修行だって笑っていたから、
きっとどっかに出口があるんだろう。でも、漂流する船は何にもないのだ。ただ波に乗って流されるだけ。
どうしよう、どうしようって、スカルグレイモンの件での心象が再現されていることになんて気付かないまま、
太一とアグモンは途方に暮れて、いつの間にか喧嘩になってしまった。しかし、やがて風景が変わる。
海はいつの間にか、川になっていた。見覚えのある橋が通りかかり、ゴンドラは緩やかに岸辺に泊まる。
太一達が濃霧の中を歩き続けていると、出会ったのは、かつて自転車に乗れなくて、何度も何度も練習していた自分だった。
ああ、そういえば、買ってもらえた自転車が嬉しくて、補助輪付けるのがカッコ悪いって意地張って、
いきなり自転車から練習して、何度もこけてしまったんだっけ?


「やっぱりむりだよう」


もう太一が「おれ」だったころの話。ずーっと昔の話。あれ?「ぼく」から「おれ」になったの、何時だっけ?
ふさぎこんでいる自分が、今の自分と同じだって気付いた時、思わず太一はかつての自分に駆け出していた。


「一度や二度の失敗でめげてちゃダメだろ、諦めちゃだめだろ、元気出せって、な?」


ぽんぽんと肩を叩く。おじいちゃんのゴーグルをもらえたころの話。光もいたころの話。なんで周りは瓦礫なんだろう?
ずーっと昔の話である。見ず知らずの青年に声をかけられてキョトンとしていたのだが、かつての自分は頷いた。


「弱気になっちゃだめだろ?出来るんだって、自分を信じてやんなきゃ、可哀想だろ?
自分を自分が信じてやんなきゃ、誰が信じてくれるんだよ。な?」


かつての自分は自転車に乗る。


「今度こそ、出来るんだって。?出来るだろ、なんたって、お前は八神太一なんだから」


ぱっと笑った少年の自転車を押してやる。かつて、お父さんやお母さんがやってくれたみたいに。
そうだ、オレは一人じゃないんだって。改めて、太一は気付いたのである。
へこたれてもいいけど、弱気になってもいいけど、ずーっとはダメ。
だってみんなを引っ張っていきたいって思ったのは、みんなを守りたいって思ったからなのだ。
なんで忘れてたんだろう。そう、アグモンに語りかけた太一である。
太一もアグモンも気付きもしないけれども、太陽の紋章は確かに光り輝いていた。
そして、岸辺にある適当な鉄パイプを手にとって、一人と一匹は大海原へと漕ぎ出した。気付いたら、魔法の海から脱出していた。





八神太一は考える。リーダー争いでは、丈とヤマトが敵である。
丈は太一みたいに、みんなをぐいぐい引っ張っていくようなリーダータイプではないんだってことくらい、
太一も何となく気付き始めているものの、そっちの方向性を諦めたわけじゃないってことくらいわかる。
だって太一と同じ目をしているから。太一は意外とみんなのことをよーく見ているのだ。
じゃなかったら、サッカー部のキャプテンなんて重役、小学校5年生にコーチが任せるわけがない。
太一は紋章を持っているという共通点から、今のところ、丈に割と相談とか、不安とか、結構吐露しているのだ。
ずーっと抱え込んでいるととんでもないことになるんだって、スカルグレイモンの件で嫌ってほど分かったから。
呼び捨てにしているとはいえ、丈はお台場小学校6年生の最高学年であり、太一やヤマトより頭がよくて、
しかも常識もあって、知識もあって、確実に現実世界だったら本来みんなのリーダーになっているはずの人なのだ。
実際、サマーキャンプでは丈はグループのリーダーを任されるはずの人だったし、太一もそのつもりで、
木の上で昼寝なんて自由気ままなことをやっていた訳だし。
でもなんというか、丈は天賦の才能でも持っているのか、と言うほど、致命的なまでに運がない。
要領が悪い訳でも、能率とか、効率とか、合理的とか、そういう難しい方面で意識して治せる所ではなく、
絶望的なまでに運が悪い。タイミングとか、そういうのが恵まれていないのだ。可哀想に。
というわけで、これが治せなければ、多分ライバルにはならないし、本人も精神的なリーダーを目指してはいても、
実質的なリーダーをしようと決意してるわけではなさそうだから、とりあえずは置いとこう。


そう考えた時に、確実に太一がリーダーをするうえで、最後まで障壁として立ちふさがってくるのは、大親友であるヤマトである。
ヤマトは、太一みたいにぐいぐい人を引っ張れるタイプではないから、その面で突出している自覚がある太一は、誰にも負けない自信はある。
サッカー部キャプテンのカリスマ性は、伊達じゃないのだ。弱小野球部のエースになんか、負けてたまるか。
日ごろ、一大勢力のサッカー部に対するお台場小学校の援助金とか、支援とか、待遇とか、備品というあらゆる優遇を、
この野郎、という野球部代表としてくってかかってくるヤマトを見ている手前、じゃあ大会で勝ってみろよって、
あっかんベーしている太一は負けたくないのだ。すっごい個人的な理由で。
でも、太一はスポーツは出来るが、勉強が出来ない。
でもヤマトは、スポーツも勉強もできる上に、この漂流生活で知ったが、父子家庭のため家事まで出来るという超万能型なのである。
突出している所は無いけど、ぜーんぶ確実に平均以上のことが出来るという、安定性とか、では確実に群を抜く。
しかも努力型。意識していろんなことが出来るという面では、天賦の才を持っている。
意識するとおかしなことになっていくのは、もう嫌というほど学んだので、太一はもう
諦めている。
その上、タケルがいるということで、下級生組の世話係を自然と請け負うことになった
ヤマトは、持ち前の面倒見の良さをいかんなく発揮して、
今のところ、上級生組の中では確実に一番人気なのである。
不動の地位まで気付き上げつつある。好感度がすっごくある。ヤバい。ヤバすぎる。
サッカー部のキャプテンをやっている太一は分かるのだ。
そーいうのって、グループの中ではリーダーやってるとすっごく安定するってこと。
サッカー部にヤマトがいなくてよかったなんて、毎日思ってることなのだ。
勘弁してくれ、敵に回したら一番きついのに。
まあ、一番の強敵は、丈とヤマトのいい所をぜーんぶ持ってる上に、実際、精神的なリーダーであり、
上級生組をサポートすると宣言してから、一切ノータッチを貫き、ずーっと影で支え続けてくれている空なのだが、
彼女はリーダーが決まったら、まとめ役は降りるってはっきり言ってるから安心していい。
リーダーが決まったら、誰かがサポート役に回ってくれって言われている。人手が足りないって、大変だって。
できれば太一以外はって。うるせえ。まあ、それはともかく、太一に出来ることは、それほど実は多くない。
ただひたすら、みんなにぐいぐい引っ張っていく所を見せていくしかないのである。
ヤマトに勝っている所はそこしかないから。
がんばろう、今度は失敗しないように、自分なりのペースと余裕を守りながら。うん、と頷いたアグモンである。
すると、大きな物音がするではないか。太一もアグモンも、勢いよく駆け出していた。
もう迷いはない。いこう、みんなの所へ。





太一とアグモンを待っていたのは、無意識の案内人になっていたヤマトと光子郎の後をこっそりとついていたダークケーブルによって、
エテモンに場所を特定され、生息域が近くだったせいで、哀れにも操り人形と化してしまったティラノモンである。
ピッコロモンの結界を突破するために、目をそむけたくなるくらいがんじがらめのダークケーブルによって拘束され、
無理やり暗黒の力によってパワーを増幅されている恐竜型デジモンの咆哮が響き渡る。
本来の成熟期とは比べ物にならない強敵である。でも、大丈夫である。
太一のパートナーデジモンであるアグモンは、選ばれし子供達の開祖となった、
太一が守りたいって思った大切な妹から進化したことがある。
デジタルワールドでは途方もない昔に太一と出会っていた、アグモンの転生体なのだから。
また大輔は傷つくんだろうなあってちょっと思いながらも、立ち止まる訳にはいかないので、太一はデジヴァイスを取り出す。


「いくぞ、アグモン!」

「うん、いくよ、太一!」


アグモンがグレイモンに進化する。そして、ティラノモンとの豪快な場外乱闘がはじまった。
つーか、ピッコロモンの結界って安全じゃなかったのかよ。
心配いらないって言ってただろって、修行の先生に愚痴れるくらいには、太一は回復していた。
そして、それの原因がヤマトだって知って、こっそりガッツポーズしたりする。
実は太一がここに駆けつけることも、ぜーんぶお見通しだったらしいピッコロモンは、
おそいっぴ、と苦言を呈するスパルタである。みんなが笑顔になる。
あっという間の冒険活劇である。場外にお帰りいただいたティラノモンはダークケーブルごと吹っ飛ばされた。
今度は突破されないようにって、めっちゃくちゃ詠唱しまくっているピッコロモンを走り抜ける。
たちまち結界の亀裂は見えなくなった。


「太一!」

「よかった、進化できたんですね!」

「へへ、待たせてごめんな!」


みんなのリーダーになりたい、八神太一の復活である。みんな口々によかったって安心した眼差しを向けてくれる。
さーて、目下最大の敵であり、ライバルでもあるヤマトはどこだ?と辺りを見渡した太一は、なんだかみんな、
にやーって顔をしている。なんか変な雰囲気が出来ていることに気付く。もちろん太一やアグモンに対するものではない。
あれ?っと思ってみれば、その中心はヤマトである。なんかやっちまったのか?親友よ。
にやにやってして太一は大輔に聞こうとして、空の隣にいるのを見つけて声をかけようとしたのだが、何でか不機嫌である。
空に聞いても教えてくれないのと肩を竦められた。理想的なお姉ちゃんを続行中の空にまで言わないってことは、相当だ。
ピッコロモンからは空に対する理想的なお姉ちゃんまでぶっ壊すと、大輔が大変なことになるからやめてくれって言われているので、
仕方ないけど様子見状態である。なんかあったのか?と心配になるが、ティラノモンの件についてはダメージ受けてないみたいなので、
ちょっと安心した。そうそう、そうやって、ちょっとずつ耐性付けてけ。
なれてけとまでは言わないけど、この漂流生活でずーっと心を痛めていてはいつかまた壊れてしまうから。
太一は空に聞いてみる。


「ヤマト君とタケル君が喧嘩したのよ」

「・・・・・・・・は、はああっ!?なにで!?」

「お母さんの取り合いで」


太一は大笑いする。笑うんじゃねええ!と珍しく、ヤマトは大声をあげた。
タケルはヤマトとする初めての大喧嘩で、いろんなことを学んだ。
ヤマトお兄ちゃんは、完全無欠なスーパーお兄ちゃんじゃないんだってこととか、
それには、全部血のにじむような努力があってこそで、
それをことごとくタケルは無下にし続けてきたんだっていう、
酷過ぎることをしてきたんだってことを知った。
ヤマトお兄ちゃんは、実はとっても恥ずかしがりやで、テレ屋さんで、人に褒めてもらいたいんだけどそれがなかなかできない、
とっても不器用な人だって初めて知った。凄いことは凄いことなんだってことを驚かなくっちゃいけないんだってことを知った。
ガブモンとよーく似てる、ぶあつーいネコをかぶっているお兄ちゃんだってことを知っ
た。
でも、お母さんが大好きなのはタケルもヤマトも同じなので、喧嘩はいつしかお母さんの取り合いになっていた。
お父さん涙目である。
しばらく白熱していたまだ小学生の当たり前なんだけど、他の選ばれし子供たちやデジモン達の前でするには、
かなーり恥ずかしい大喧嘩をしていることに、二人が気付いたのは、しばらくたってからである。
もう、両者、いうまでもなく、ごめんなさいしたのは、言うまでもない。速攻である。握手もした。仲直りもした。
これでちょっとだけお互いに素直になれるだろう。
ヤマトは自ら公開処刑していることに気付いて、恥ずかしがり屋のテレ屋はもう顔が真っ赤である。
どうにかこうにか取り繕おうと頭を巡らせるが、もう普通に考えて無理である。もうなま暖かい視線はとどまることを知らないのだ。
うわあああ、と悶絶する心はもう死にそうである。
一方でタケルは、生まれて初めて喧嘩できたこと、お兄ちゃんのことをしれたこと、
なんとなく大輔君と仲良くなれる一歩がつかめた気がして、
もうテンションがおかしなことになっていた。そこにやってきたのが、太一である。
実は大輔の影響を受けて憧れ始めていた太一である。
みんなの危機にさっそうと登場して、それはもう神技的なタイミングで、
見事敵をぶったおし、そして名誉挽回と汚名返上をやってのけた、
八神太一という少年である。大輔が本音を言い合える、タケルがすっごくうらやましいって思っている関係を体現している人である。
それだけだったら、先生、先輩、って言葉が出てきたのかもしれないが、丁度、ヤマトお兄ちゃんと喧嘩したばかりで、
過保護なお兄ちゃんはちょっとやめるよ、宣言をされたばかりである。
いきなりそんなことを言われても、まだタケルは小学校2年生だ。やっぱり寂しいに決まっている。
はいそうですか、と言えるなら、そもそもタケルとヤマトの兄弟の問題が、
ここまでややこしいことになるなんてありえないだろう。
だから、その全部のタイミングがものの見事に調和した結果、
新しい、途方もない、とんでもない爆弾発言が投下されるに至ってしまう。


「ねえ、太一さん!」

「ん?どーした?タケル」

「僕を太一さんの弟にしてよっ!」


ぴしりと空気が凍りつく。この瞬間にタケルとトコモン以外の空間は、氷河期に突入した。
流血沙汰にならなかったのは、ひとえにヤマトが完全にクールぶっていた素の部分がみんなに知れ渡ってしまったという羞恥心と、
そのおかげでますます他のメンバーの間に親近感が生まれて、紋章も手にしたことでこれ以上ないくらいに、太一という、
リーダー争いの最大のライバルに対して、圧倒的なアドバンテージが生まれたことを、冷静に勘定できるからである。
その代わりに、すさまじい殺気がこれから太一に向けられることになる。ぜーんぶ分かってしまう太一は、もう冷や汗どころの話ではない。
八神太一、11歳、リーダーへの道はまだまだ遠い。


「タッケル、てっめえ!お前なんか、きらいだっ!大っきらいだ!絶交だ!もうこっちくんなああ!」


大声で叫んだのは、もちろん、かつて太一のことを理想的なお兄ちゃんとして精神安定剤にしてしまうほど、
心のよりどころにしてしまうほどにまで、心の底から憧れていて、お姉ちゃんの次に大好きで、
今なお彼のゴーグルをまねて、かたくななまでに頭に付けているほど、憧れの先輩が大好きな本宮大輔である。
いくら空気を読むことは天才的なまでに上手で、人の心を読むことが致命的なまでにへたくそなタケルでも、
その爆弾発言がとんでもないことだってことくらい分かる。ようやく気付く。もう遅すぎるけど。
人の大好きに中途半端な覚悟で手を出したら、罰が当たるのである。それを生まれて初めてタケルは知ることになる。
タケルが親友になりたい大輔との関係性にまで、完璧なまでに亀裂が入ってしまうことに気付いたが、もう遅い。
いくらとっても心が広くて、さっぱりと水に流してしまうほどとっても大人な大輔にだって、譲れないことくらいあるのだ。
タケルが大好きな太一先輩みたいになれる素質を秘めていて、自分はなれないかもしれないんだって、
無意識のうちに気付いてしまっている可哀想な少年の心の悲鳴は、もう大爆発を起こしてしまった。
高石タケル、8歳、苦難の道のりが開始されることになる。
ちなみにShould read between the line!とは、日本語に訳すと、空気読め。
なにはともあれ、お昼御飯を食べた選ばれし子供達とパートナーデジモン達は、
ありがとうございました!ってピッコロモンに頭を下げて、その先を急ぐことになる。



[26350] 第19話 ひとりぼっちの子守唄
Name: 若州◆e61dab95 ID:0c7f4a42
Date: 2013/08/03 00:16
「どうだった?」

「あいっかわらず、ぜーんぶ、一人でやってるわよ。ほーんと、ぜんっぜん可愛くないんだから!」


ホントに、可愛くないんだからああ!ってうわーんって泣き崩れるのは、お姉ちゃんをとられてしまった女の子である。
お母さんに抱っこをせがむ子供返りに、よしよしって優しく背中をさすりながら、ぎゅーって抱っこしてあげる。
お母さんはにっこりと笑った。


「だから嫌いなのよ!大輔はあっ!あんだけお姉ちゃんお姉ちゃんいってたくせにっ、あたしだってお姉ちゃん頑張ってたのにっ、
いらなくなったらあっさりポイって捨てちゃうんだから!なーんにも言わないで勝手にお姉ちゃんお兄ちゃん作っちゃうんだから!
信じらんない!」


ぐずり始めたお姉ちゃんである。


「嫌な予感はしてたわよっ!お父さんとかお母さんと一緒に寝てた時だって、あんだけべったりだったのに、
あたしが1人部屋で寝るって言ったら、けろっとした顔でいきなりお母さんたちと寝なくなっちゃったんだから!
あっさりあたしと寝る―って言い始めるんだもん、あたしだってあたしだってわかってたもん!
いつかはあたしもあっさり捨てられちゃうんだろうなーって思ってたもん!でもでもでも!あんなのってあんなのってえ!」


きらいきらいだいっきらい!大輔なんかだいっきらい!むかしっからそうなんだからあって、女の子は泣いている。


「大輔はちょーっと、大人びてる所があるからねえ」

「大人じゃないわよ、自己中でしょ、自分勝手にもほどがあるわよっ!
いらないって思ったら、どんなに大事なのだってあっさり捨てちゃうじゃない!こっちがどんなに大事にしたって、離れてくじゃない!
たーって離れてっちゃうじゃない!一人でぜーんぶやっちゃうじゃない!こっちのことなんか、ぜーんぜん、考えもしないんだから!」

「それでも案外うまくいっちゃったりするのよねえ。才能なのかしらねえ、一体誰に似たのやら」


そう言って頭をなでているお母さんの視線の先が自分だって気付いた女の子は、大いにむくれる。


「なんであたしを見るの?お母さん」

「やっぱり大輔とジュンは姉弟だなあって思っただけよ」

「なにそれえ。お母さんはどっちの味方なのよ、いっつもいっつもあたしだったり、大輔だったり」

「お母さんはジュンと大輔の味方に決まってるじゃないの。どっちもお母さんの子供なんだから」


納得いかないとむくれる長女を抱きしめながら、お母さんは笑うのだ。
お母さんからすれば、ジュンも大輔もどっちもどっちである。
だって大輔は昔からジュンお姉ちゃんの真似ばっかりして育ってきた男の子である。今だって何にも変わっていない。
お姉ちゃんが嫌いって言うから真似して嫌いって言ってるだけ。お姉ちゃんが悪口を言うから悪口を言うだけ。
お姉ちゃんが喧嘩するから喧嘩するだけ。お姉ちゃんが弟を必要としていないから、弟もお姉ちゃんを必要としてないだけ。
どっちも大好きだから真似っこしているだけである。
今まではそれでよかったのだが、この4年間で大輔の真似っこはジュンの鏡映しとなっている。
ジュンはずーっと大輔を守るために、4年間もずーっと隠し続けている光が丘テロ事件のことがあるせいで、様変わりしてしまった。
この事件については今だって彼女の精神に深く暗部を落としている、いわば忌まわしきトラウマなのである。
だからジュンは陰ながらの努力をちっとも分かってくれない大輔の愚痴や不満をみんなに吐き出すことで、
何とか毎日毎日過ごしているのである。隠し続けるっていう、とんでもない重労働の責務を、
小学校4年生から中学校1年生になる現在に至るまで。だから流石にお母さんは数少ない彼女のはけ口を封じることは出来ないのだ。
そんなことしたらまた、この子は鍵をかけて閉じこもって、ふさぎこんでしまう。今度こそどん底から這い上がれなくなる。
あの時と違って、お姉ちゃん大好きっ子の弟がいないから。
でも、まだ大輔は小学校2年生なのだ。光が丘テロ事件と言う本宮家が世間の目にさらされて、マスメディアの餌食にされて、
ジュンの私生活である学校や近所のごく普通の生活がぜーんぶぶっ壊された挙句に、興味本位の追及、無遠慮な質問に晒され続けたこの子の心労を、
大輔が理解するのはまだまだ早い。せめてこの子くらいにならないと無理だ。まだ大輔は幼すぎる。



ジュンは大輔の行動力があり得ないというけれども、お母さんに言わせてみれば、ジュンだって人のこと言えない。
大好きなアイドルのコンサートを見に行くために、自分でチケットをもぎ取るためだったら、幅広い女友達とか、
ありとあらゆるコネクションを駆使して情報をゲットして、どういった日程で、どういった交通手段で、資金面とか、
ぜーんぶ一人で工面して、友達とおしゃべりしながらこなしてしまうのだ。
しかも友達と一緒に出かけて、数日帰って来なくても安心できるくらい、この子はしっかりしている。まだ13歳なのに。
お小遣い制にしたのは失敗だったかしら、って独り立ちが早すぎる我が子達には溜息が尽きない。
親心としてはまだまだ甘えて欲しいんだけど、なんて子供って成長が早いのかしら、それともうちの子だけかしら?
ちょっと前までは、ジュンも大輔もお母さん、お母さんだったのにって、親の中ではいつだって子供は子供である。


「ごめんね、もうちょっとだけ、我慢して」

「うん」

「まだ大輔は8歳だから、あの夜のことを話すのは、ちょーっと早すぎるから。
せめて、ジュンくらいになるまで待ってあげて?そしたら、ぜーんぶ、話しましょうね。
そうじゃないと怖いから。きっと、あの子にとっても、あの夜のことは忘れちゃうくらい怖いことなのよ」

「うん。あたし、がんばる」

「がんばって、ジュンお姉ちゃん」

「ん」


涙をぬぐった彼女はきっと自分の部屋に閉じこもって好きなことに没頭するだろう。いろんなことから逃れるために。
たーって走っていた長女を見届けて、お母さんは立ち上がるのだ。さてと。



よくわかんないけど、いっつもいっつもお母さんに甘えているお姉ちゃんに何にも言えなくて、
ひとりぼっちでお風呂に入って泣いているであろう長男にかまってやんなくちゃいけないのだ。
早すぎる恥じらいを覚えてしまった長男は、一人でなんでも出来るから、お母さんと入らなくってもいいんだ、
入ってくんなって、生意気にもほどがある強がりをしている。拒否されっぱなしでもう2年になる。
致命的なまでにあの子は甘えることがへたくそだ。
どうやら大輔の中ではお母さんはお姉ちゃんの味方認定されてしまっているようで、今の所目の仇である。
食卓の会話すらちゃーんと会話にすら参加しようとしない、いや出来ない、喧嘩みたいな軽口の応酬じゃないと、
ちゃーんと参加できないくらい、とっても不器用。子供らしくない、大人びてしまった男の子。
おかげで大輔が子供らしい姿を見せるのは、キャッチボールとか、サッカーとかしてくれるお父さん。
懐いているお父さん。たまにしか帰って来ないお父さん。まあだから唯一きらきらするサッカー始めさせたんだけど。



子供達が心配で、編集者の方からお呼びが掛かっていて、海外経験がないと昇進に響くよって言われているのに、
ずーっと出版関係の仕事でも同じ内容を続けている旦那を知っているお母さんは、溜息である。
いいんじゃないの?単身赴任。アメリカっていう海外っていう新天地なら、積極的なこの子たちなら案外、夢中になるんじゃない?
目を輝かせて、お父さんに会いに行くっていう目的そっちのけで、新しい友達とか作っちゃいそうじゃない?
まあ、専業主婦のお母さんは確実に置いてきぼりになるだろうから、そろそろ英語くらい勉強しなきゃいけないんだけど。
少なくても、4年ほどは先になりそうだけど。


「大輔―、明日のサマーキャンプだけど」

「うわああああっ!?何だよお母さん!いきなり入ってくんなっ!」


この時のお母さんは、まだ、もともと大人びていた大輔が、デジタルワールドという異世界で、
悪い意味で大人びていることを知らない。



















うーん、困ったわねえ、って思いながら、空は傍らで歩き続けている、さっきから始終無言で不機嫌なサッカー部の後輩を見る。
親友から「僕のお兄ちゃんになって」と大好きな八神太一先輩をとられるような発言をされてから、ずーっとこの調子だ。
この子は譲れないものがあった時には、みんなから孤立したって全然気にしないくらい、大事なものを守るためだったら、
いくらみんなに説得されようが、いくらみんなが頑張って諭そうが、絶対に譲ろうとしないとんでもない頑固者である。
そして、実際にだーれも気付いてくれなかったことを、たったひとりで、パートナーデジモンと共に解決してしまった事例があるから困ったものである。
意地になってしまう。言葉が少なくなってしまう。もともと言葉で説明するのが苦手なこの子は、自分が説明しきれないことがあると、
結構だんまりを決め込んでしまうちょっとこまった一面を持っている。
タケルが失言に気付いて、あわてて大輔の所に飛んで行って、ごめんねって謝ったのだが、いつもならあっさり水に流す筈のこの子が、
謝ったことに対しては一定の評価を下す意味でうなづいても、「絶交」って言う言葉を一切翻そうとしなかった。
きっと、タケルがやったことは、とんでもなくこの子にとっては、最大級の裏切り行為だったんだろうなあ、って空は思うのだ。
だから、今だって、いつもなら先発組のすぐ後ろで、太一やヤマトにぴったりくっついていくいつもの定位置から、
親友とおしゃべりできる最良の場所から、わざわざ一番後方である空の側にまで歩く位置を変えるほど、
徹底的にタケルを避けている。寂しそうな視線とかちあっても、その目はとんでもなく冷え切っている。





まあ、大輔君が怒るのも無理ないけどねえ、って空は思うのだ。




思えば、本宮大輔と八神太一の出会いは、そもそもがちょっとだけ変わっていたなあ、って空は回想する。
大輔はグラウンドで遊んでいた八神太一少年を見て、サッカー部に入部したってはっきりと入部願いを出す時に、
入部希望の欄にはっきりと宣言するような子だった。もっとも、形容する表現は、「ごーぐるのひと」だったけど。
もちろんお台場小学校サッカー部にいる、ごーぐるのひと、なんてゴーグルをトレードマークで付けている太一しかいない。
新入生部員を歓迎する時に、それを笑いながら話してくれた担当コーチから、つけてて良かったな、ゴーグルって
からかい半分肩を叩きながら言われた太一が、可愛い後輩がお台場小学校サッカー部に入ってくれた段階で、大喜びするなんて当たり前なのである。
今でも思い出せる。その時の太一はものすごくうれしそうだったから、ツートップを組んでいた空はそれを実際に見たことがある。
その日に、本宮大輔ってお前かって太一が歓迎会のおかしとジュースをクラスメイトの友達と取り合いしていた大輔に声をかけてから、
彼らの交流ははじまったのである。
この本宮大輔の入部エピソードは、あっというまにお台場小学校サッカー部に知れ渡り、太一がいるからサッカー部に入ったんだって、
大輔自身も全然包み隠すことなく、みんなに言うもんだから、あっという間に太一と大輔の仲は良くなった。公然の事実になった。
大輔を探したかったら、太一をさがせ、とまで言われるくらいになり、大輔が持っていたムードメーカーなキャラクターも合わさって、
すっかりお台場小学校サッカー部では本宮大輔と言う少年は、可愛い後輩、ムードメーカー的な立ち位置でみんなに構われている。
そりゃあ、自分がいるから今までサッカーはおろかスポーツなんて全然やったことないけど、頑張ります、太一先輩みたいになりたいです、
なんて可愛いこと言われて、しかも懐いてくれる下級生なんて、贔屓しない方が無理である。空だってうらやましく思ったことが沢山あるのだ。
しかも喜怒哀楽が激しくて、どっか抜けてるせいで、ちょっかい掛けたり、悪戯したりすると、面白いくらいにものの見事に引っ掛かって、
なにするんすかーって、たーって一直線に走ってきて、猛抗議するような男の子なのである。全身で怒ってますって言うような子である。
しかも謝ったらすぐにけろっとして終わりにしてくれるのである。みんなが構うのも当然だ。
そんな後輩に慕われる太一がうらやましくて、空も大輔に対して自己紹介するのは当然だし、ツートップを太一と組んでいるという共通項から、
その尊敬のまなざしと無邪気に慕うのを太一だけでなく、向けられる居心地の良さったらもう最高である。
自分だけだったのがとられてしまった太一が空にこの野郎って怒るのも当然だし、すねるのも当たり前。
でも、自分がやっていることがどんだけ上級生を喜ばせているのか、とんと無自覚なこの後輩はいつも首をかしげている。
もー可愛くて仕方ないのだ。もうなんか、出会うべくして出会ったみたいな、そんな感じがしてしまうくらい。





今でも空は太一がグラウンドでサッカーしている時に、私も交じればよかったって思うのである。後悔しきりである。
そしたら、太一のポジションは空だったかもしれないのだ。入部届けの記述は、おんなのひとになってたかもしれないのだ。
その日は日直だったから、朝は職員室に日誌とかの準備で忙しくて、太一からこいよって誘われたのにいけなかったのだ。
しまった。もしあの時いたなら、女の子の空の方が絶対に大輔の目にとまったはずなのである。だって、ごーぐるのひと、なんだし。
お台場小学校サッカー部では語り草である。もし太一がゴーグルしてなかったら、今の大輔はいないだろうって。
サッカーをする時には、自然とサッカー部がみんなの輪の中心になるのは当たり前であり、
ましてや4年生だったとはいえども、そのころから八神太一はみんなの中心だったし、ゴーグル付けてるし、
すんごく目立って見えるのは仕方ないかもしれないんだけど、もー運命の歯車ってなんでこうも微妙にずれてしまうんだろうって考えてしまう。
ちなみに本宮大輔がお台場小学校5年生の場合、誰も信じてくれない素敵な夏のデジタルワールドの大冒険を、
唯一冗談だと思わずに、デジモンの存在を信じてくれるという補正が付いてくる。



そういうわけで、無邪気に慕ってくれる可愛い可愛いサッカー部の後輩のために、空は今日も隣で見守ってあげるのである。
大輔の歩調にあわせて、ピヨモンと手をつなぎながら歩くのである。


「なあ、なあ、大輔、大丈夫か?」

「………空さんに、許可、もらってこよーぜ」

「うん」


大丈夫だよ、オレがいるからね、側にいるからねってブイモンに手を握ってもらいながら、おうと大輔は頷いた。


「空さん、空さん」

「なあに?大輔君」

「泣いてもいいっすか?」


ぽつり、と呟かれた言葉に、あ、となる空である。


「いいわよ、さ、遠慮なんてしないで」

「待っててくれますか?」

「え?」

「すぐ終わるんで、置いてかないで下さい」

「大丈夫、置いてったりなんかしないわ、ちゃーんと、待っててあげる」


だから、ほら、と広げようとした手なんか全然気にしない。見向きもしない。迷うことなく、ほっとした様子で大輔はブイモンを見た。
まさか、と空は顔が引きつるのを感じた。背筋が寒くなる。


「大輔君、どこいくの?」

「どこって……なあ?」

「何にも心配いらないって、空。オレがいるから」

「ちょっとまっててください。すぐ、戻るんで!」


ちがう、ちがう、ちがう、ちがうのよ、大輔君!
大輔君とブイモンがどっか行く時に、必ず上級生組の誰かに言いなさいって言ったのは、そういう意味じゃないの!
しかし、大輔とブイモンはたーっとどっかに行ってしまう。


「ねえ、そらー。何で大輔、ここで泣かないの?」

「………違うのよ、ピヨモン」

「なにがちがうの?」

「泣けないのよ、大輔君。私たちが気付いてあげられなかったから、きっと、ブイモンの前でしか泣けなくなっちゃってるんだわ」


どうしよう、しまった、忘れてた、全然そんなそぶりを見せないから安心しきってたわ。大輔君、一人ぼっちじゃない!
空はあわてて、ピヨモンに新しい紋章を探している最中の先導組の所に大輔とブイモンを待つよう伝言を頼むと、
そのまま踵を返して大輔とブイモンを追いかけて飛んでいくことになる。





大輔は知っている。とっくの昔に知っている。選ばれし子供達は、所詮みんな、ただの子供なんだって知っている。
上級生組だって下級生組だって最年少組だって、所詮は子供にすぎないんだって知っている。
だって、みーんな、もしショックを受けたり、ふさぎがちになったりした時とか、だーれも大輔のことなんか構ってくれない。
みんなが自分のことに精いっぱいになってしまった時なんて、結局みんなは自分のことに精いっぱいで、
タケルみたいにヤマトお兄ちゃんがいない、本当の意味でこの漂流生活に巻き込まれてしまったひとりぼっちの小さな男の子、
甘えることが結構へたくそなせいで、なかなか甘えられない大輔のことなんてみんな忘れちゃう。
ムゲンマウンテンの時だって、怪奇現象に巻き込まれた時だって、ヤマトとタケルがお母さんの取り合いなんて言う、
とんでもない暴挙を仕出かしたときだって、だーれも大輔のことに気付いてなんかくれなかったのだ。
いつだって隣にいてくれたのはパートナーデジモンであるブイモンである。
大輔の目の前で、お姉ちゃんがいない大輔の目の前で、タケルとヤマトはお母さんの取り合いをするなんていう、
ホームシックをさせるようなことを仕出かすのだ。
結局だーれも大輔のことなんか分かってくれないんだって、これっぽっちも気付いてくれないんだって、
残酷なほど気付いてしまっている。ブイモンが1番になるのも無理はない。
だから大輔はブイモン選ぶ。きっと、真っ先にブイモンを選ぶ。
ずーっとこらえていた嗚咽を吐き出した大輔は、ブイモンに抱きつきながら、大泣きしていた。


「ふざけんな、ふざけんな、ふざけんなああ!こっちはお姉ちゃんいねえのにっ!ジュン姉ちゃんいねえのにっ!
なんでお母さんのことで喧嘩すんだよ、おかしいだろっ!なんでよりによってお母さんなんだよっ!
お兄ちゃんいるくせにっ!ヤマト先輩いるくせにっ!そんだけでずーっといいくせにいいっ!」


みんないらない。ブイモンがいるからいい。気付いてくれないみんなより、気付いてくれるブイモンがいればいい。
だから大輔は紋章を探すのだ。大輔のことを一番わかってくれるのはブイモンだけって気付いているから探すのだ。
結局みんな、子供なんだから。いくら大人ぶってたって、みんなが子供だって気付いてしまっている大輔の前では、所詮子供なのだ。
ぐっしゃぐしゃになりながら泣いている大輔を抱きしめながら、ますますブイモンは大輔にべったりになっていく。
ピッコロモンは他の選ばれし子供達との交流が阻害されるって懸念してたし、大輔が成長するにはブイモンの自信過剰は良くないって言ってたが、
違うのである。大輔が必要とするからブイモンはべったりなのである。パートナーデジモンはそんなもんである。パートナーがすべてだから。
放っておけるわけがないのである。一番ちっぽけな子供であるにも関わらず、だーれも頼るものがいない、一人ぼっちだから。
上級生組は頼りになるし、守ってくれるし、叱ってくれるし、怒ってくれるし、褒めてくれるし、大輔は大好きである。
下級生組は遊んでくれるし、おしゃべりしてくれるし、仲よしだから、大好きである。
でも一番はブイモンである。結局のところ、大輔が一番必要とした時に、真っ先に答えてくれるのはブイモンだけだったから。
どんな時だって、真っ先に大輔を助けてくれたのは、ブイモンだけなのである。一番になりたいって言ってくれたブイモンだけなのである。
大輔が助けてって手を伸ばした時に、真っ先に反応してくれたのがブイモンだけだった時なんて、数え切れないほどあるのだ。
だから大輔は自分から泣きたい時には、ブイモンだけしかいらない。気付いてくれないみんななんていらない。
ただでさえ大人びていた少年は、孤独を知るにつれて、どんどん大人びていく。信用できる存在と信頼できる存在に過敏になっていく。
ただでさえ泣けない少年は、もう可哀想なくらいに、泣けなくなっていたようである。


「大輔君!」


泣きじゃくっていたひとりぼっちは、ますます目頭が熱くなってうつむいてしまう。
最悪だ。なんでよりにもよって、この人が来ちゃうんだよ、と大輔は心の中で叫ぶ。
そんな小さな少年に気付いてくれたのは、空お姉ちゃんだったのである。
理想的なお姉ちゃんを空に押し付けているっていう事実は、もうはっきりと大輔の中では自覚している。
太一先輩から、はっきりと、おかしいだろって言われたから、間違っているんだってことは自覚している。
でも、いくらお姉ちゃんとの幸せな記憶を思い出したって、結局のところ、この世界にジュンお姉ちゃんはいないのである。
だから、このデジタルワールドから現実世界に帰るまでは、どうしても大輔は理想的なお姉ちゃんとして、空を見るしかできないのだ。


「ごめんね、大輔君、気付いてあげられなくて、ごめんね」

「いいっすよ」

「よくないの、遠慮しないの、まだちっさいんだから」


その優しさが余計に辛いのである。ごめんなさい、ごめんなさいって心の中で言いながら、大輔は空の広げた手にすがって泣いた。
そのうち、ごめんなさいって言い始めた大輔に驚いた空が訳を聞いても、まただんまりを決め込んでしまうのである。
それを知った太一とヤマトが顔を見合わせて、大輔が抱えている問題を話すことになる。
空は怒った。なんでそんな大事なこと、今まで話してくれなかったのよ!って。可愛いサッカー部の後輩である。
お姉ちゃんって見てくれてるんなら、もっともっと可愛がってあげたのに。もっともっと、かまってあげたのにって。
だってこの可愛い後輩はまだ小学校2年生なのである。お姉ちゃんに嫌われるなんて、しかもそれを解決できないまま、
この漂流生活に巻き込まれていたなんて、今まで我慢できた方が異常なのだ。よく頑張ったねって頭をなでたら、大泣きである。
空は一人っ子である。弟も妹もいない。お父さんは京都にある大学の先生だから、滅多に帰って来ない。しかもお母さんとは仲が悪い。
だからサッカー部の試合に出れない。家に帰っても一人ぼっち。そんな空が、ひとりぼっちの大輔に気が付いた。


この瞬間に、彼らの行く末は、決まったのかもしれない



[26350] 第20話 あたりまえのふつうのこと
Name: 若州◆e61dab95 ID:46a632f0
Date: 2013/08/03 00:17
本宮大輔くんは、この漂流生活で最年少の小学校2年生であるにもかかわらず、一人ぼっちで巻き込まれているので、
まわりのことを見ることが出来る上に、しっかりしているから、今までの日々のなかで蓄積していた感情が、
ヤマトとタケルの大喧嘩によるお母さんの取り合いで、ホームシックになって爆発しちゃったので、ちょっと待ってあげましょう。
下級生組にしばらくの休憩を伝えに来たヤマトが、その予定外のスケジュールを組むに至った理由を簡単に説明したので、
はーい、とうなずいたタケル、ミミ、光子郎である。
いわれてみれば、タケルと違ってヤマトお兄ちゃんにあたるひとがいない、本宮大輔君はひとりぼっちである。
それはしかたないね、待ってあげましょう、大輔君はまだ小学校2年生なんだし、と思った4年生組である。
なーんだ、大輔君も、やっぱり子供ねなんてちびっこらしくないちびっこのちびっこらしい所を発見して微笑むのがミミで、
上級生組のみんなより一緒にいるのに、サッカー部の先輩なのに気付かなかったなあ、しまった、とちょっとだけ後悔するのが光子郎である。
そして、ヤマトから俺も酷いことしたから、後で一緒に謝ろうなって言われて、
ますます自分のせいで大輔君を傷付けてしまったと果てしなく落ち込んでいるのがタケルである。
タケルは大輔から、いろんなことを教えてもらっているはずだった。これっぽっちも生かせてなかったから、宝の持ち腐れだけど。
デジタルワールドにはジュンお姉ちゃんがいないから、ヤマトお兄ちゃんがいるタケルがうらやましいって大輔がこぼしていたこと。
ジュンお姉ちゃんと仲が悪いので、喧嘩ばっかりで、「お姉ちゃんて呼ばないで」って言われてから1年間、ずっとお姉ちゃんに認めてもらえない、
褒めてもらえない、分からないってずーっと悩み続けていること。「弟として、家族としてどう思っているのか聞きたい」って思いながら、
結局何にも出来なくて、サマーキャンプから帰ったら、PHSを返す時に聞くんだって決意して、願掛けにPHSを付けていること。
この漂流生活に巻き込まれたお台場小学校2年生の男の子であること。
そして、仲が悪いジュンお姉ちゃんの代わりに、太一さんと空さんをお兄ちゃん、
お姉ちゃんって思ってて、そのうち太一さんはお兄ちゃんって見るのやめたこと。
いろんなことを思い出して、ようやくタケルは気付くのである。
これら全部の問題は、ジュンお姉ちゃんがいないこのデジタルワールドでは、
絶対に解決することが不可能な問題であり、ヤマトお兄ちゃんがいるタケルが相談した時と違って、
タケルがなんにも出来ないのは当たり前であり、
そしてジュンお姉ちゃんと仲が良かった時の記憶を取り戻した所で、それはちょっと安心することができる材料でしかないこと。
ぜーんぶ、大輔は分かっていながら、なーんにも分かっていないタケルが相談してくれっていうから、わざわざ相談していたんだってこと、
「相談を聞いてもらえるだけでも結構、安心する、今まで相談したことなんてなかったから、ありがとう」って大輔なりにタケルに感謝していたのだ。
タケルはちゃんとこの状況下でしかできない、大輔に対する相談の助力をちゃーんとやってたのに、全然きづいていなかったこと。
それなのに、そもそも大輔に対してヤマトお兄ちゃんのことを相談するときに、
それ自体が実はとんでもなく残酷極まりないことであるにもかかわらず、
タケルは全く大輔の思っていることなんて考えもしなかったんだって言う、とんでもないことに気付いたのである。
大輔君はタケルにぜーんぶ、ちゃんと言ってくれていたのである。それなのに、タケルは言っちゃったのだ。「太一さん、僕を弟にしてよ」って。
そりゃ、絶交だっていわれるよう、とやっとのことで大輔の心情を50%くらい理解することが出来た、精神的な意味で最も幼き子供は、
相手のことをこれっぽっちも分かっていないにも関わらず、
喧嘩をしたら謝るのが普通だっていう道徳的概念で機械的に行動するタケルから
つむがれる「ごめんなさい」がいかに薄っぺらいものでしかなかったかを知る。
だから大輔君、謝ったことは許してくれたんだけど、「絶交」って言葉をなかったことにしてくれなかったんだってタケルは理解する。
それに気付いた時、タケルが親友になりたい大輔君は、タケルみたいに観察眼には優れている訳じゃないんだけど、
相手のことを理解することが出来るっていう意味では、タケルよりずーっとずーっと上手であり、
タケルは大輔君の居心地がいい優しさの上に乗っかってただけなんだって知ることになる。甘えてただけなのである。
もちろん、大輔とタケルは仲がいいお友達なんだけど、タケルがなりたいなあ、
ってあこがれる太一と大輔の関係、ヤマトと太一の関係には、
遠く及ばないものなんだって、ようやく気付くことが出来るに至る。
そりゃあ、秘密を打ち明けてくれないわけである。
冷静に客観視できる観察眼が、ようやく最良の意味で、有効活用される。友達と親友がごっちゃごちゃになっていた幼稚で稚拙な男の子は、
親友っていうのは友達と違って、とんでもなく難しくって、タケルががんばらなくっちゃ、大輔君の親友にはなれないんだって知る。
すくなくても、大輔君の中では、タケルは親友になるには値しないんだって、
はっきりと宣言されていたんだってことに気付いたのだ。
そして見えてくるのは、タケルが大輔のことを親友だって思ってるから、
大輔は「絶交」って言葉を紡いでくれたという事実である。
大輔の中では、タケルは一番仲がいいお友達なんだけど、親友ではないから、嫌いという表現だけで十分なんだけど、
タケルがとんでもなく気付かないにぶちんさんだから、わざわざ「絶交」っていう強烈な言葉を使ったのである。こんだけ怒ってるよって。
トコモン相手の口封じにタケルが使った脅迫でみたから。タケルが知っている中でも最も恐ろしい表現方法だって気付いて。
どこまでもやさしい男の子である。末恐ろしいことに、これら全てを大輔君は無意識のうちにやってのけているのである。
タケルはどこまでも自分と親友になりたい大輔は正反対だって気付く。


「トコモン」

「なあにー?タケル」

「僕ね、もういっかい、大輔君に謝るよ。もう遅すぎるかもしれないけど、僕、もっと、大輔君と仲良くなりたいから」

「タケル、ふぁいとー」

「うん」


そう、タケルは思ったのである。ここから、タケルの苦難の道は、ちっぽけだけど、大きな一歩を踏み出した。
これはやがて、逃れるための嘘でしかなかった言葉を真実に変える。
いまはまだ、その時ではないけれども。






















空はお台場小学校サッカー部のツートップとして、太一と相方を組んできたスポーツ少女である。
デジタルワールドにくる前から、太一という生まれながらのリーダーの原石の塊みたいなやつと幼馴染だったせいで、
いろんなことで苦労してきたのだが、そのおかげで彼女は太一にないものを徹底的に磨き上げてきた片鱗があり、
みごとにこの漂流生活に置いて開花したものが沢山ある。
女の子らしい、男の子であるヤマトや太一では到底まねすることが出来ない気遣い、配慮といった相手のことを思いやれる気持ち。
つっぱしったら一直線、猪突猛進な太一をサポートするために、周りをみることが出来るという幅広い視野と情報を的確に判断する冷静さ。
一歩離れたところから、冷静に辺りを見渡して、自分がどうすればいいのか、
何をすればいいのかちゃんと理解できるうえに、それを実行できる行動力、
そして、みんなのことを一番に考えることが出来るって言う、とんでもない包容力。まるでお母さんみたいな人である。
そのかわりに、おいてきぼりにしてきたものも沢山ある。
女の子であるという事実にして現実を見つめて、女の子である自分を楽しむという感覚、
そんな自分の本心に気付いてあげて、ちゃんと構ってあげるという感覚、心の悲鳴を聞きとってあげるという感覚、
そして、ちょーっと勘違いが過ぎてしまうと、一気に周りが見えなくなってしまうという、どっかのテレ屋みたいな欠点。
でも、その欠点はよほどのことがない限り、空の行動として現れることはない。
なぜならばそれを補って有り余る彼女の最大にして最高のアドバンテージが、完璧にフォローすることができるからである。
それは、状況に応じて、的確な相手(それがたとえ誰であろうとも)に対して、相談することが出来る、ということである。
空に連れられて、大輔は丈の所にやってきた。あらかたの事情は、連れてきた太一が話しているので、丈はすでに把握積みだ。
きょとーん、としているサッカー部の後輩に、空は教えてくれる。
お台場小学校6年生である最高学年のこのお兄さんは、両親がお医者さんで、二人いるうちの一人もお医者さんで、
もう一人はお医者さんになるために勉強中で、丈自身もお医者さんを目指して勉強しているんだよっていうことを教えてもらう。
医者一家に生まれた末っ子である。本人の意識が本当にその夢に向かって突き進んでいく覚悟と共にあるのかどうかは別にして、
医者になるための勉強をしている丈である。とりあえず、なんにもわからないまま、大輔の問題に尽力するよりはずーっとましである。
そう、空は思ったらしかった。それを聞いた大輔は、自分が置かれている状況とかが分かるんなら、聞いてみたいって思ってついてきたわけだが、
丈のお家がお医者さんっていうすっげーお金持ちの家であると知って、すっげーと思う一方で、え?俺って病気なのかよ?って
すっごく不安になってしまって、挙動不審になっている。
無駄に緊張して、おどおどしているパートナーを支えるべく、ブイモンは大丈夫だって、とにっかり笑って見せたので、ちょっと安心する。
オレのパートナーが病気なわけないじゃない、そんなことあり得ないよ、と
根拠もないけど自信たっぷりに言われて、これ以上に安心できるものはない。
やっぱりブイモンと大輔ははんぶんこして丁度いいみたいである。
とりあえず丈が真っ先にしたのは、太一を睨むことだった。


「どうして僕にいってくれなかったのさ」


だって、と太一が紡ぐ言葉には眉を寄せた。
心外である。確かにレオモンの時には、勉強をしているというだけで、年齢的に考えても実際に医療関係のことをしたわけではないし、
経験や体験なんて皆無に近いから、ただレオモンが大輔とブイモンを診断するのを横で見ているだけしかできなかった。
しかし、丈からすれば、中途半端な知識しかない未熟者が、自分が自分がって出ていく方が、かえって危険であることをよく知っている。
ましてや人の命を預かる職業を目指しているのだから、ことさら慎重になる。ただ最善をしただけである。
丈は怒る。たまたま太一と大輔の相性が最高で、大輔が太一のことを心の底から信頼しているという1年と4カ月の蓄積があったから、
まあなんとか無理やり歯車がかみ合って、状況的に考えてもすっごくうまくいったけど、あくまで結果論。ヘタしたら大変なことになっていた。
しかもそれを後輩が自分だけに唯一相談してくれたことが嬉しくて、ずーっと黙っているとか、言語道断である。
ごめんなさい、と太一はへこんでいる。丈は大輔の所に行くと、近くの岩場に座った。


「病気じゃないよ、大輔君。安心していい。なんにもおかしくなんかないさ、大輔君は当たり前のことをしているんだよ、ごく普通のことをね」

「え?そうなんすか?」


ほっとした様子で、胸をなでおろす大輔である。太一の言った「おかしい」は大輔の心の中で深く抉りこんでいた。
太一からの説明で嫌な予感がしていたらしい丈は、ちらっとまた太一をにらむ。めんもくない、と反省しきりのキャプテンである。
よかったー、と笑う大輔は、だからいっただろ?と胸を張るブイモンと顔を合わせて笑ったので、気付いていない。


「大輔君はお姉ちゃんと仲良く出来ないんだね?それをおかしなことだって思ってる。違う?」

「そうっす。だって、サッカーの試合の時とか、太一さんの妹、光っていう子がいるんすけど、いっつも来てるし」

「すごいね、大輔君」

「へ?」

「おかしなことをおかしなことだって気付けるのは、とってもすごいことなんだよ。周りがとっても見えるんだね」


生まれて初めてそんなことを言われた大輔は青天の霹靂である。
うん?と首をかしげる大輔には上級生組は苦笑いだ。
なんか良く分からないけど、すごい、って褒めてもらえてうれしそうである。
あたりまえのことを褒めてもらえるなんて初めてだ。
なんか照れくさそうにしている。


「大輔君はまだ8歳だから、お姉ちゃんと仲が悪いってすっごく寂しいことだと思うさ。
僕だって兄さんと1年間も喧嘩して、仲直り出来ないままなんて状況になったら、相当きついね」

「そうなんすか?」

「そうだよ。あたりまえのことさ。誰だって大好きな人から嫌われてるのに、理由が分からないなんて、怖いに決まってるさ。
ましてや、友達や先生みたいに、こっちから距離がおけるような人たちならともかく、ずーっと一緒に暮らしてる家族なんて」

「あたりまえ」

「そう、あたりまえ」


でも、と丈は空と太一を見る。


「大輔君には、ジュンさんっていうお姉さん以外にも、お姉さんやお兄さんをしてくれる人に、いっぱい恵まれちゃったのが、
ちょっと良くなかったんだろうね。でも、大輔君はそれもおかしなことだって、
どっかで思ってたみたいだね、後ろめたさはあったんだろう?」

「はい」

「だから、太一や空に迷惑が掛からないように、こっそりお姉さんやお兄さんって思うことで、なんとかおかしいを無くそうとしたんだね」

「……はい」

「でも、おかしいはなくならない。だから、おかしいことだらけで、大輔君もおかしいんじゃないかって不安になって、
嫌われちゃうんじゃないかって怖くなって、誰にも相談できなかったんだね」

「………はい」

「そんなときに、デジタルワールドにきちゃって、ただでさえ寂しいのに、ジュンさんと会えなくなっちゃったから、
きっと大輔君の中では、どんどん太一と空君が大きくなっちゃったんだろう。側にいてくれるからね。
それと一緒に、おかしいって思ってる気持がどんどんおおきくなっちゃって、なんとか無くそうって頑張り続けてたら、
どんどんみんなにばれてくんだ、そりゃこわいさ。そしたら、太一が「おかしい」なんて言うから尚更」

「ごめんな、大輔」

「いいっす、オレも悪いんで」

「まだ大輔君は小学校2年生さ。お姉ちゃんに甘えられなくて、構ってもらえなくて、寂しいって思うのはあたりまえさ。
ましてや、お姉ちゃんがいっつもお母さんをとってしまって、なかなか甘えられなくて、家じゃ一人ぼっちなら、なおさらね。
しかも、たまに帰ってくるお父さんしかいないんなら、可愛がってくれる太一や空君に気持ちが向いちゃうのも無理はないね」


大輔はすっげーと尊敬のまなざしである。


「なんでそんなにいっぱいわかるんすか、すっげー」

「かんたんだよ、僕たちだって寂しいのさ」

「え?そうなんすか?」


きょろりと辺りを見渡す大輔に、空や太一、丈は苦笑いでうなづいた。


「でも、僕らが言ったら大輔君どう思う?不安にならないかい?小学校5年生、6年生のお兄さん、お姉さんたちが、
そんなこといったら、みんな不安になるだろう?これから大丈夫かなって、この人たちに任せて大丈夫かなって。
だから言わないだけで、みんな寂しいんだよ。家族に会いたいのさ」


ここでようやく、大輔は、お姉ちゃんやお兄ちゃんは大輔の思っている以上に大変なんだ、と言ったヤマトの言葉を理解するに至る。
すげえ、あの人、と心の中でこっそりつぶやく。ぜーんぶお見通しだったんだ、あの人。ヤマト先輩。さすがは太一先輩の親友。
空さんや太一先輩とは、ぜーんぜん違う方向性ですごいのかもしれない。先輩って呼ぶに値する人なんだって大輔は自覚するに至る。
そしてちょっとだけ、ヤマト先輩の紋章が大輔の好きな色っている共通点が嫌じゃないかもしれないって思うのである。
あくまでも、ほんのちょーっとだけだけど。


「いままでよくがんばったね、大輔君」


いっぱい褒めてもらえて大輔はもう嬉しくて死にそうである。


「もう、大輔君は何をするべきなのか、ぜーんぶわかってるみたいだから、言わなくてもいいかもしれないけど、
一応、先輩としてのメンツとして言わせてもらおうかな。デジタルワールドから帰ったら、ちゃんとジュンさんと話をするんだよ。
その先で、またなにかあったら、太一や空君、もちろん僕たちに頼ってくれればいい。いつでも力になるからね」

「はい。ありがとうございます」


やっぱり丈さんはすっげー、って大輔は思うのである。上級生はみんなすごい人たちばっかりだ。


「丈先輩、私はどうしたらいいんですか?」

「空君はなんにもしなくていいさ。いつもどおりにサッカー部の先輩として、大輔君に構ってあげればいいのさ。
大輔君もお姉ちゃんをしてほしい訳じゃないんだろう?」

「はい。オレはえーっと、その、……その、空さんと一緒にいれればそれで」


もごもごである。なんか恥ずかしい。そっかー、とお姉ちゃんをしなくていいことがちょっとだけ残念そうな空である。
でも同時に安心する。ただでさえ、空は上級生のサポート役、選ばれし子供たちの精神的なリーダーを果たしているという、
重責務がのしかかっているのである。これ以上の負担は彼女にはあまりにも酷だろう。
それを無意識のうちに気付いている大輔だからこそ、ごめんなさい、って言葉が出たわ
けだから。


「構い過ぎたり、甘やかしすぎたりすると、大輔君の中では、空君をお姉ちゃんとして慕ってるって言うこと自体が、
おかしいって気付いてるものだから、大パニックを起こしちゃうんだよ。1番の大好きはジュンお姉ちゃんだからね。
もう罪悪感や申し訳ないって言う気持ちでいっぱいになっちゃって、怖くなっちゃうみたいだ。
あやうく大変な所になってたんだ。わかったかい?太一」

「ごめん、大輔」

「いいっすよ、「おかしい」ことってはっきり分かったの、太一先輩のおかげです」


おまえはどこまでいい奴なんだ、と太一はくしゃくしゃになでる。
なんで頭をなでられるのか分かっていない鈍感は、首をかしげていた。


「もっとも、流石と言うべきはヤマトかなあ。僕だって本でも読んでなきゃ分かんないよ。こんなこと。
なんにも知らないのに、ただアドバイスをして見守るっている最善を選んだわけだからね。
まあ、お母さんに甘えられなくて寂しいけど、タケル君がいるからって頑張り続けてきたヤマトだからこそ、
気付けたのかもしれないね」


おおおおお、とすっげー丈さんから、すごいって言われるヤマト先輩を発見して、また驚く大輔である。
どんだけすごいんだ、ヤマト先輩。最上級生から、流石って言われるとか。
かつて自分にだけ向けられていた筈の眼差しが、ヤマトという言葉が出てくるたびに、どんどん輝きを増して行く。
ちょっとだけ、いらっとするのは太一である。くしゃくしゃにされていた頭に、ぐぐぐ、と力を入れられて、
力任せにわしづかみにされた大輔は、いたたたたた、と悶絶する。


「なにするんすか、太一先輩!」

「うるせえ」

「いだだだだだだっ」


サッカー部の先輩、後輩のやり取りを眺めながら、丈と空は笑った。


「大輔君、これからどうしたい?」

「へ?」


涙目の大輔はキョトンとしている。


「僕達がやっちゃうと、大輔君、大パニックになっちゃうから、大輔君から意思表示してもらわないとね」

「・・・・・・・・はい?」


まさか、まさか、まさか、またこのパターンか!?
かつて、ブイモンから、大輔に抱きつくと身体が拒否反応するから、大輔から抱きついて来てくれって言われたことを思い出す。
結局、今となってはブイモン限定で躊躇なくなっている部分ではあるが、面と向かって言われるとなかなかきつい。
ましてや、すさまじく甘えるのがへたくそな癖に、人一倍あまえたがりなこのくそがきには。
当然もう、耳まで真っ赤である。


「そーだぞ、大輔。しょーじきにな」


にやにやの太一である。逃げようとするが、首根っこつかまれて逃げられない。ぎゃああああ。
とうとう観念したのか、大輔はがっくりと肩を落とした。がんばれ、大輔、とブイモンはエールを送る。
空やヤマトに尊敬のまなざしが分散されれば、太一がどんどん大輔の中で失墜していくのである。大歓迎な傾向だ。


「………あの、空、さん」

「なあに?」

「空先輩って、よばなくっても、いいっすか?」

「もちろん」

「お姉ちゃん、って、思っても、迷惑じゃ、ない、ですか?」

「心配しなくっても、大丈夫よ。私一人っ子だから、むしろ弟ができたみたいで嬉しいわ。
お姉ちゃんが出来なくて残念なくらいよ。
でも、デジタルワールドから戻ったら、ちゃんと、ジュンさんと仲直りして、そしたら空先輩って呼ぶの許してあげるわ」

「はい!オレ、がんばります!」


ぱっと輝かせた大輔である。


「大輔君、ヤマトにお礼いってきなよ」

「はい!」


いこうぜ、とブイモンに呼びかけた大輔はたーっと行ってしまった。
サッカー部の後輩を見届けて、上級生たちはほっと胸をなでおろした。


「空君」

「はい」

「気を付けてね。病気じゃないとはいえ、大輔君にはあまりにもつらい毎日だから、かなり不安定になってるみたいだから、
呑まれないように気を付けてね。空君はみんなに一生懸命になりすぎる所があるから。ちゃんと距離を持つんだよ。
大輔君は私しかいないんだって思い込むのは、危険だ。人はそれを共依存って言うんだ。共倒れは危ない」

「ありがとうございます」

「まあ……大輔君も今のまんまはあんまり良くないことだって分かってるから、ちゃんと距離をとるために、
太一にあんだけ抵抗しまくってた訳だから、しっかりした子だよ。さっき言ったのは最悪のパターンだから警戒はしなくていいよ。
大丈夫。大輔君は不相応なくらい、周りが見える子だ」


そうですね、と空はつぶやいた。本当にできた後輩である。びっくりするくらいに。
でもそれが今の現状を作り出しているのかと思うと、あまりにも悲しい現実である。


「だから、もっと別の可能性の方がありそうだけどね」

「え?」

「何でもないよ。とはいえ、空君一人に負担がこれ以上かかるのもなあ。まだまだ、リーダーは決まらないし」


はあ、と溜息をついたのは丈だった。その真意に気付いた太一は、丈お前、と呟いた。
ようやく踏ん切りがついたのか、丈はちょっとさみしそうな顔をして笑った。


「まだまだリーダーは決まらないのに、これ以上空君に負担が増大して、空君になにかあったら困るよ。
今の僕たちは空君のサポートで何とか持ってる状態だからね。エテモンのことも気になるし、
紋章のことも探さなくちゃいけない、進化だってそうだ。空君に倒れられたら僕たちは終わりだ」


だから、と丈は宣言した。


「僕は僕なりのリーダーを探すよ。だから、残念だけど、僕はリーダー争いから降りるよ。
これからは空君と一緒にサポートに回る。どうやら、リーダー争いはまだまだ続きそうだしね」

「あんのなあ、他人事だと思ってっ!あん時から、ずーっと後ろが怖くて仕方ねえんだぞ、勘弁してくれよ!
ヤマトの殺気が尋常じゃねーんだよ、オレいつか殺される!」

「じゃあ、リーダーはヤマト君でいいんじゃない?」

「骨くらいは拾ってあげるよ」

「なんでそうなるんだよ!」


ぎゃーぎゃーわめく上級生組である。すくなくても、これでリーダー争いは太一とヤマトに絞られた。
決着は、相当先になりそうではある。




[26350] 第21話 親友になりたい宣言
Name: 若州◆e61dab95 ID:bd88d91e
Date: 2013/08/03 00:17
デジタルワールドという異世界がある。
この異世界は、デジタルモンスターがより現実世界に生息する生き物に生態や環境、生活を作るために、
たくさんの島や大陸を作るためのプロジェクトが計画され、
その結果、ネットワークが張り巡らされた現実世界みたいな、地球みたいな世界が出来た。
この異世界は、イグドラシルというホストコンピュータの中にあり、
そのイグドラシルという人工知能により、管理、統制がおこなわれているのだが、
お役所仕事と一緒で全部一人でやるにはいくら神様でも過労死しかねないので、
その中でも沢山の役割分担、縦割りの体制が作られている結構シビアな世界である。
デジタルワールドはイグドラシル様が管理しやすいように、
島や大陸は違えどその内部構造や法則も基本的には地球とほぼ同じ姿をしている。
その内部はとてもデータでできているとは思えないほど、リアルな作りになっている。
きっと凝り性なのだろう。とんでもない技術力の持ち主である。
とりあえず言えるのは、イグドラシル様=デジタルワールド=神様すげえ、ということである。
ちなみに、いずれ出てくるであろうどこかの誰かさんがイグドラシル様なのかなんて、
言語道断、ロイヤルナイツすら動かさないんだから、イグドラシル様にとっては内紛と一緒である。
きっとイグドラシル様の意思を伝えるどっかの中間管理職のお役所仕事様なのだろう。部長くらいの。
ただ、現実世界という表の世界、これからお付き合いをするお隣さんと初めて会うもんだから、ちょーっとだけ張り切って出てきちゃっただけである。
でもいつもはホストコンピュータの末端でしかないから実体がないから出てこれない。
そのかわりをする羽目になった女の子は不本意ながら電波少女をする羽目になるわけだ
から、本当に不憫な子供である。
そのどこかの誰かさんの名前は「デジタルワールドの平定を望むもの」、でも「ホメオスタシス」っていう本名を調べればよく分かる。
ホメオスタシスは、内部環境を一定に保とうとする人間の恒常性を保つ重要な機能の一つのことである。
デジタルワールドのネットワークセキュリティの中でも実動部隊を指揮する司令官なんだけど、
上にはロイヤルナイツとかいるからきっと中間管理職。
そんなどこかの誰かさんがイグドラシル様の代行で管理するデジタルワールドは、
「ネットの海」と呼ばれる領域が大半を占め、その上に陸が浮かんでいる。
現在、選ばれし子供達が冒険しているのは、初期に作られた「ファイル島」そして、近接する「サーバ大陸」である。
「ファイル島」は、中央にそびえたつムゲンマウンテン、
始まりの街、迷わずの森、ビートランド、竜の目の湖、シーラ岬などの南に位置するエリア。
ギアサバンナ、ミハラシ山、ドリルトンネル、ファクトリアルタウン、
ゴミの山・ダストキングダム、ゲッコー湿地、ダイオン郷などの西に位置するエリア。
トロピカジャングル、マングローブ域、ダイノ古代境、オーバーデル墓地、
闇貴族の館、グレートキャニオンなどの東に位置するエリア。
ミスティツリーズ、おもちゃの街などの北西に位置するエリア。
フリーズランド、アイスサンクチュアリなどがある北東に位置するエリアと、
まったく異なる6つエリアで構成されている。
デジタルワールドには季節という概念が存在しないため、このような四季がバラバラな6つエリアが作られたのである。


そして「フォルダ大陸」は、ファイル島とは比較的近距離にある。
しかしファイル島には存在しない“究極体”デジモンが存在し、
成長期程度のデジモンですらファイル島の完全体ほどの力を持つものさえいる。
大陸であるためファイル島の数倍の大きさを誇る。
ちなみにその東西南北を守護する究極体を復活させること、そしてデジタルワールドを再編させることが、
選ばれし子供たちに課せられた使命という奴なのだが、もちろんそんなことまだ、誰も知らない。
大陸の南に位置し、昆虫デジモンなどが多く住み、豊かな自然が広がるスピリチュアルランド。
大陸の西に位置し、砂漠地帯や草原が広がるガーディアンサバンナ。
大陸のほぼ中央に位置し、デジモンの墓、不気味な古城などがあるナイトメアフォレスト。
大陸の東に位置し、大峡谷に立つ工場地帯メタルエンパイア。
そしてフォルダ大陸の近海セイバーズベイと主に5つのエリアに分別される。
フォルダ大陸は未だに未知の部分が多い大陸である。


子供たちが思っている以上にこの世界はとても広い。


サーバ大陸は乾燥地帯である。だから見渡す限り、砂漠地帯である。灼熱地獄である。オアシスは貴重な水分補給元だ。
乾燥地帯だから、日照時間が長く昼間の気温上昇が大きいが、夜間の気温低下も著しい。
それに加えて極端に降水量が少ない。
ものの見事に地球に存在する実在の気候が反映されているイグドラシル様の凝り性も困ったものである。
さいわい、選ばれし子供達が冒険しているこの時期のサーバ大陸は風や雨と言った気候が続く、雨季ではないことが幸いである。
なぜなら、乾燥地帯では、熱射病と言った灼熱地獄関連の死亡原因ではなく、実は水死、溺死が死因の第一位を占めている。
なぜかというと、雨が潤いとなるのは保水機能をもつ主に豊富な土壌を兼ね備えた樹林の役目、山や森の役目が機能している地域だけであり、
それらの許容範囲を超えた集中豪雨ではよく土砂崩れや地滑りが起こりやすくなる。
雨は受け止めるクッションがないとただの災害である、
あまりにも乾燥しすぎたカラカラの、ただ砂が広がっている所に、
ずーっと雨が降り続けてしまえば、それはあっという間に許容範囲を超えて、
大洪水となってしまうのである。ちいさな子供達、デジモン達が巻き込まれたらひとたまりもない。
もちろん、知識としては知っていても、光子郎も丈も、なんにも知らない子供たちならなおさら、雨降らないかなあが共通の口癖である。
あいかわらず、今日のサーバ大陸は灼熱地獄である。そんな中をオアシスに向けて一生懸命に走っている小さな子供がいた。


「お姉ちゃんやお兄ちゃんはお前の考えている以上に大変なんだ。その理由は自分で考えろ」


実はだれよりも本宮大輔のことを考えてくれていて、そしてだれよりも最善を尽くしてくれた人がいる。
しかも、尊敬してるんだけど、失敗した太一先輩やすっげー丈先輩から聞いて初めて対処法が分かった空先輩や、
それを大輔にも分かるくらいまで言葉を砕いてくれた、配慮や気遣い、細部にわたるまでの優しさを尽くしてくれた丈先輩が
「すごい」とまで言わしめるほどの人!である。本宮大輔は言いようのない、心地よい、高揚感のまんまの思考回路で考える。
なんか、よくわからないけど、ちゃんと自分の思っていること、考えていること、感じたことを正直にそのまま言葉にするという、
簡単な作業をするだけで、あんだけがんばっても全然ダメだったのに、褒めてもらえる、
なでてもらえる、そしてよくわかんないけどみんな笑顔になる。
今までは迷子の「ごめんなさい」のせいで、全然出てこなかった、
むしろ大っきらいになっていた大輔のいい所がようやく顔を出し始めた瞬間である。
だから1年間という途方もない抑圧から解放され、
年齢相応の無邪気さがようやく発露し始めたやんちゃ坊主は、もう分かりやすいくらいの一直線である。
あれ?よく考えてみたら、ヤマト先輩の方がすごくね?いやいや、オレは太一先輩一筋なんだ、浮気はいかん、浮気は。
それにヤマト先輩はタケルのお兄ちゃんだ。人の大好きに手を出したら、
とんでもないことになるんだってことくらい、大輔は知っている。
実はいろいろすごいヤマト先輩から宿題をようやく完遂させる用意できた大輔は、
ブイモンと共に下級生組と待っているという名の足止めをしてくれているであろうヤマト先輩の所まで急いでいた。
目的はもちろん「すごいなって褒めてもらうため、頭をなでてもらうため」である。
おおっと、いけない、忘れてた。大輔はまってよだいすけーと慌てて追いかけてくるブイモンに振り返る。
無意識のうちに、お姉ちゃんにされて嫌なことをぜーんぶやってるよ!と直談判されたのだから、
嬉しいことはちゃんと返さなくっちゃいけない。


「ブイモン、ありがとな」


えへへ、というのが何だか照れくさそうに、はにかみながら、きらきらとした笑顔で大輔はいうのである。
大好きな大好きなパートナーが言うのである。ずっとずっと頑張ってきたブイモンが、いちばん欲しかったもの。
ご褒美以外の何物でもない。やっとブイモンは長年の苦労から解放されたのである。
もちろん、ブイモンはいっえーい、とハイテンションだ。
だいじょーぶい!という無邪気な口癖がでてくるのは、このころからである。
さんさんと降り注ぐ太陽も、いっぽふみだすたびに、不自然にぐにっとなってしまうサラサラの砂の上すらも、
何もかもが大輔とブイモンには輝いて見えるのである。きっと、世界は変わったのだろう。大輔の中でも、ブイモンの中でも。


「すっげー嬉しかったぜ、ありがとな。元気づけてくれて、側にいてくれて、本当にありがとう」

「大輔」

「んー?」

「大輔、大輔、大輔、だーいーすーけー!」

「なんだよ」

「なでてくれよ!頭!オレ、がんばったんだろー!」


なあ!と後ろからくっつかれたら大輔はもう頭をなでるしかないのである。わああああ、とブイモンは目を輝かせる。
なんだかブイモンが後ろからぎゅーってくっつくようなしぐさが増えてきたような気がする。
まあ後ろからじゃないと、大輔からぎゅーッてしないと、また大変なことになってしまうので、仕方ないんだけども。
おんぶできるほど体格差はないから、大輔が座ってたり、立って話を聞いてたりっていう和やかな空気の時だけなんだけども、
まーいっか、とブイモン限定なら躊躇しなくなった大輔は、あんまり拒否することもなくなってきた。
でも、大輔は思うのである。


「なあ、ブイモン、お前ぜーんぜんキャラ違うよな」

「なにが?」

「オレの時と、みんなといる時とだよ」

「なんでみんながいる前で一緒でいる必要があるんだよ?」

「えー」

「だってオレは大輔が一番なんだよ。大輔だけ知ってればいいんだよ。こーいうとこは」

「そんなもんか?」

「そんなもんだよ」


ふーん、と大輔は思いながら、ずるずると降りたブイモンと手をつないで先を歩くことにした。ちょっと疲れたらしい。
いつだって大輔のパートナーデジモンの中には、無邪気なやんちゃ坊主と無駄にカッコいい大人びた面と、
したたかすぎる打算的な一途さが同居している。一体誰に似たのやら。


「なー、大輔。オレと大輔は運命共同体なんだろ?タケルと大輔は友達なんだろ?
太一とヤマトって親友なんだろ?なにがちがうの?」


そこんとこ、はっきりさせなきゃいけない、とブイモンは思っている。だってなんかタケルはよく大輔を親友と形容するから。
ブイモンはデジモンである。だから、大好きには、家族、友達、好きな女の子、先輩、といういっぱいのすきがあることを知らないので、
いつだってごっちゃちゃなのである。だから迷走した。いろんな人に嫉妬した。邪魔だってした。
いまだって結構、大輔の預かり知らぬところで、いろんな攻防が繰り広げられているのだが、本人だけが知らない。
突然難しいことを聞かれた大輔は、えーっと、と頭を悩ませる。考えることも説明することも苦手だ。どうしよう?
小学2年生の男の子にはっきりと表現するのは非常に重労働だが、ブイモンが欲しいのは大輔の答えであって、他の答えなんかいらない。
だから、その一途な眼差しに応えるべく、大輔はなんとか感覚で分かっていることを口に出す。


「丈さんがいってただろ?運命共同体って、どんな時でも一緒に、怒ったり、泣いたり、笑ったり、喜んだりする、
なにがあっても半分こするんだって、死ぬまで一緒なんだって」

「うん」

「ブイモンは、あれだろ?オーバーなんとか」

「オーバーライト?」

「そうそれ、オーバーライト。オレがその、デジなんとか」

「デジメンタル?」

「そうそれ。デジメンタルがないから、オレがいなくなったら死んじゃうんだろ?だったら、オレ達本当に運命共同体なんだよ。
オレとブイモンだけしかなれないんだ。だってオレももしブイモンが死んじゃったら、多分……」

「無理して言わなくてもいいよ、大輔。じゃあ、オレが大輔の大好きの一番?」

「うーん……なんつーか、大好きっていっぱいあるんだよ」

「いっぱい?」

「うん。だって、オレ、ジュンお姉ちゃんも、お母さんも、お父さんも大好きだし。
でも、それって多分、ブイモンの大好きとは違うんだよ。
太一先輩とか、空先輩とか、タケルとか、トコモンとも違うんだよ。
なんつーか、えーっと、その、ブイモンだけは特別、みたいな?」

「そっかー」


とくべつ、か。いい響きだ。ブイモンは上機嫌である。


「じゃあ、親友は?」

「んーと、太一先輩とヤマト先輩みたいな感じ」

「それはオレも分かるよ。どんなの?」

「えーっと、タケルじゃねーけど、あれじゃねーの?対等で平等ってやつ。全然意味分かんねえけど。
だって、太一先輩はいっつもどんどん前に進んでくけど、ヤマト先輩はいっつも俺達のこと守るために一緒にいてくれるだろ?
それって、べつに一緒にいなくっても、大丈夫だーって分かってるからだろ?そーいうことだよ」

「つまり、太一と大輔みたいな感じ?」

「オレと太一先輩はちげーよ。
だって、太一先輩、どんだけ頑張っても、オレのこと守る側にしか見てくれないんだ。
いつだって。オレがまだ、ちっさいから」

「ふーん。じゃあ、もし大輔に親友ができたら、どっちが大事?一緒くらい?」

「え?そーだなあ、一緒くらい、かなあ?でも、ブイモンはオレがいないと死んじゃうんだから、やっぱ何かあったら、
オレはブイモンのとこに飛んでくよ。ブイモンがいなくなったら、ホントにオレ、何していいんだかわかんなくなる。
戦う時、迷った時、理由をくれるって言ってくれたのブイモンだけだし。
親友って、そういうのぜーんぶわかっててほっといてくれるんだろ?
オレ、そんな奴、見つけられるかなあ」


浮かぶのはミドリ帽子の少年だが、あいつは頼りない、子供っぽい、対等になりたいって言ってるくせに何でかいっつもオレを頼ってる、と
大輔の無意識は苛烈に現実を勘定して、却下する。うらやましいなあ、ヤマト先輩。太一先輩の親友で、しかもすごい人だし。


「見つけられたらいいね」

「おう」


なるほど、親友って言うのは、大輔とブイモンの関係をぜーんぶ分かってくれて、ほっといてくれるのか。
じゃあ、大丈夫そうかな?こうして、ブイモンの天敵認定を免れることになったことなんて、親友候補は知りもしないのである。
本宮大輔君はこう言いたいのである。
自分という大きな丸があって、他の人と言う大きな丸がある。
友達っていうのは、その丸の重なり合いが小さいもの。ちなみに現段階において、理想的なお兄ちゃんの呪縛から解放された
本宮大輔の認識では八神ヒカリはギリギリこの範囲になる。まだ仲直りしていないので、知り合いからちょっと昇格しただけだ。
その重なり合いが大きいのが親友になる。ちなみに、この重なり合いをパーソナルスペースという。
ペットとか所有物はこの重なり合いの中にあるのだが、人間は面白いもので、
これを考慮せずにずかずかと踏み越えてくる奴のことは、無意識のうちに避けようとする習性がある。
このわっかがぴったり重なった状態は、いわば自分と他人が同一視されてしまう状態である。
異常事態である。
自分と他人がいっしょくたになっているのだ。DVに巻き込まれた女性が、男性からなかなか解放されないのはそのせいである。
この人は私しかいないんだ、なんていう身勝手同士の思い込みである。他の人が引っ張り上げなきゃいけない。
もちろん、それは人間関係でのみ適応される。
デジタルワールドなんて言う過酷な漂流生活に巻き込まれた小学校2年生組には、
ちゃーんとどこかの誰かさんはもっとふさわしいパートナーを用意しているのである。
パートナーデジモンって言う、なにものにも代えがたい、一番自分のことを分かってくれる理解者という、
ソウルメイトみたいな、限りなく自分の立場に近くて、一緒にいてくれるような性格造形をしたデジモンというかけがえのない、
もうひとりの自分っていうやつを用意してくれているのである。
わかりにくいけども、大輔とブイモン、そしてタケルとトコモンは、実は関係性は一緒なのである。
だからタケルとトコモン、大輔とブイモンは、ぴったりかさなっちゃっても大丈夫。無意識は危ないけど、意識すれば大丈夫。
お互いにそういう存在なんだけど、実はお互いに微妙に違うところがあるんだよと
いうところに心のどっかで気付いてさえいれば、大変なことは起こらないのだ。
まだ彼らは小学校2年生なのだ。大きくなったら大人になるから、ちょっとだけパーソナルスペースは離れていく。
かつての自分という造形に関係性は姿を変える。
大輔にとっては大切なパートナーに変わりないし、ブイモンも緩やかに1番が姿を変えるだけだから、きっと大丈夫。
問題は、デジメンタルと引き離されたせいで、ブイモンは大輔に対する独占欲がとんでもないことになっていることだ。
古代種という数奇な運命、オーバーライトという寿命の問題、死の気配、という強烈な枷で大輔を縛りつけている。
まあこれは、大輔の持っている問題を反映しているんだから、どこかの誰かさんも始末に負えない。
極端に自己評価が低い大輔とはバランスがいいのだろう。
きっとこれがブイモンっていうデジモンの地なのだろう。とんでもないやつである。
だから、大輔はタケルは?って聞かれたら困ってしまうのだ。
友達というには親しすぎるし、親友と言うにはもうひとりの自分であるトコモンと仲良くなった方法で仲良くなろうとする。
ぴったりくっついた丸の中に大輔を押しこもうとしてくるから、大輔は無意識のうちに拒否反応を示している。
大輔の知っている親友じゃない。だから、あえて言うなら、友達以上親友未満、でも親友と言うには嫌悪感。
だからブイモンと共にやってきた大輔は、絶交宣言した侵入者の所には近寄りもせず、ヤマト先輩の所に一直線で向かうのだ。
スル―する、見もしない、伸ばしかけた手なんか気にも留めない。
滅多に本気で怒らない人間を怒らせたらどうなるかなんて、言うまでもないのである。
しかも喧嘩の数だけなら百戦錬磨の実力者だ、よっぽどの相手じゃないと勝てないだろう。
ヤマトは過保護なお兄ちゃんをやめたので、友達同士の喧嘩にまで干渉するのはもうしない。これはタケルの問題である。


「大輔、お前のこと忘れて、喧嘩してごめんな。辛かっただろ?」

「いーっすよ、気にしないでください。
つーか、今まで、オレのこといろいろ考えてくれてたのに、気付かなくてごめんなさい」

「大輔……!」

「つかヤマト先輩もそーいうところもあるんだなーって安心しました」


あはははは、と笑う無邪気な顔に、飛んでくるのは鉄拳である。後ろからが彼の優しさである。


「おまえは本当にオレを怒らせる天才だな」

「ごめんなさい、ごめんなさい、わき腹やめて、死ぬっ!だってタケルに近付いたら怒ってばっかだし……!」

「やっぱりおまえはオレを怒らせる天才だなっ……!」


おまえはガブモンか。嫉妬してたのは否定できない、というか自覚しながらやってました、大輔気付いてくれるから。
なんて言えるわけもないのでくすぐり攻撃で黙らせる。ぎゃあああ、と大輔は悲鳴を上げた。
大輔はかまってくれるのが嬉しいので全然構わない。でも笑い過ぎて死にそうである。たすけてーとブイモンを見るが、
ブイモンの頭の中では、太一の親友という天敵を確実につぶしてくれるうえに、
こっちの関係には無害であろうヤマトの味方なので手を貸さない。


「そーだ、ヤマト先輩!オレ、宿題出来ました!」

「宿題……ああ、あれか。で?」

「お兄さん、お姉さんも、寂しいってことですよね!」

「つまりおまえは母さんの取り合いをしたオレをバカにするためにここまで来たって訳か」

「あ、って、ちが、ちがいますってば、え?ちがうの!?」


あってる。だいたいあってる。あってるんだけど、言い方がまずかった。
そして大輔はヤマトの耳が赤いのを見て気付く。しまった、このひとオレと一緒でテレ屋で恥ずかしがり屋だった、
直球で言ったら怒られるじゃねーか!


「ぎゃあああああ!」


同族嫌悪の似た者同士である。合掌。





タケルはまたひとつ勉強した。人の大好きに手を出されるっていうのは、こんなにも身を切るくらい辛いのか、と学ぶ。
人の大好きを分かっているはずの大輔に、大好きなヤマトお兄ちゃんが構っているのを見るのは、手を出されるのは、
こんなに泣きたくなるくらい辛いのか、と身を持って知る。そうか、大輔君に僕がやっちゃったのはこういうことなのか。
すべては鏡映しである。そして落ち込む。そりゃ、太一先輩が大好きな大輔君の目の前で、「お兄ちゃんになってよ」は暴言どころではない。
最大級の裏切り行為である。タケルはわかってしまう。大輔の中では、タケルは絶交中の友達以下の赤の他人だから、
容赦なくタケルのことなんて微塵も考えなくてすむから、こうやって辛辣な態度をとれるんだって、ヤマトお兄ちゃんの前で、
無邪気にじゃれつけるんだって知る。僕はあの時、なにをしたっけ?確か、「ねえ。だめ?」って首かしげて甘える体制で臨んでなかったか?
タケルはぞっとした。今大輔がやっていることを、そのまんまタケルは無意識のうちにやっていたのである。何というおぞましい。
親友になりたいんだって思っておきながら、やっていた行為は大輔に嫌われそうなことばっかりなのである。
なんで気付かなかったんだろう。
でも、気付いたからこそ反省しているタケルがいる訳だから、これも確かな成長のあかし。
でもそんなこと客観視できるほど、タケルは大人じゃないのでちょっと自信喪失に陥る。
そんな大輔君がぶちぎれるまで気付かなかったとか、うわーとしか思えないタケルである。
どうしよう、ちょっと自信無くなってきたぞ。本当に僕、大輔君と親友になれるかなあ?


「タケル、どうしたのー?だいすけにあやまるんじゃないの?」

「トコモン」

「タケル、ふぁいとー」


目が覚めるような感じがする。
いつだって元気づけてくれるのはトコモンである。うん、そうだ、そうだよね、頑張るって決めたんだし。
遅いかもしれないけどって僕言ったじゃないか、頑張ろう、とタケルはちょっとだけ勇気を出して、叫んだ。
思えば、いくらタケルが仕出かしたことを教えてくれているとはいえども、いくらなんでもこれってないんじゃないの?
せっかく僕が謝ろうとしてるのに!我慢を覚えたばかりのだだっこには、これが限界なようである。


「大輔君!」


そして出てきたのは、本人すらびっくりするほどの大声である。
ようやく硬直から立ち直ったタケルに大輔の無意識はあれ?と思うのだ。
タケルの奴、なんか変わった?なんかさっきと違う?って。
ヤマトが大輔の頭をなでていた時には、真っ先にヤマトお兄ちゃんの所に飛んで行って、
なんでなんで?なんで僕じゃなくて、親友である大輔君の頭なでてるの?
いつもは絶対に頭なんてなでてくれないのに!ずるい!って大輔のことなんかそっちのけで、
こっちを指差すくらいだったのに、ずーっとお兄ちゃんに猛抗するような、
どうしようもないほどのやつだったのにって。
こっちのことなんか見もしないようなやつだったのにって。ヤマトお兄ちゃんじゃなくて大輔君が先に出たぞ?
もちろん全ては無意識の範囲。怒鳴られた大輔は口を真一文字である。なんだよ、いきなり大声出しやがって。


「なんだよ」


びっくりするほど冷たい声である。はっと我に返ったタケルは、あわてて大輔の所に駆け寄った。


「ごめんね、大輔君」

「なにが」

「太一さんとっちゃうようなこといっちゃってごめんね」

「さっき謝ってただろ、何でまた謝るんだよ」

「そうじゃないんだ。えーと、その、なんにもわかってないのに、ごめんねっていってごめんね」

「はあ?」

「僕、大輔君に甘えてた。でもね、僕、お兄ちゃんと太一さんみたいに、仲良くなりたいんだ」

「誰と?」

「大輔君と」

「………え?」

「大輔君と!」

「はああああ?!いきなり何言ってんだよ、わけわかんないやつだなあ!わざわざいうかそれ」

「だって大輔君、いわないとわかってくれないもん」

「あのなあ」


大輔は困っている。これが今の大輔とタケルの距離である。かなしいけども現実である。
これが限界の距離かなあとタケルの観察眼は判定する。気付けたから距離が分かる。距離が分かったから我慢する。
すべては一連の意識の上で行われている行動である。ヤマトお兄ちゃんの弟である。
努力すればどこまでも頑張れる才能はあるのだ。
大輔にはブイモンっていうもうひとりの自分がいて、タケルにもトコモンっているもうひとりの自分がいる。
しかも大輔には生死の共同すら運命づけられた強烈な関係で結ばれているパートナーデジモンがいる。
かつてなっちゃんがブイモンをないがしろにした時に、珍しく大輔が怒るくらいの関係せいである。
タケルがトコモンと同じような感覚で仲良くなろうとしても、ブイモンだけで結構しんどいのに、
これ以上の負担は大輔にとってはごめんなのである。ましてや赤の他人であるはずのタケルから。
それをなんとなくでも理解出来たタケルの行動は、素晴らしい一歩を踏み出していた。


「だから、僕、頑張るよ」

「はあ?」

「それまでは絶交でいいんだ。僕、頑張るから」


だから、ちゃんと距離を置いてくれたタケルに、大輔はほっとしてこぼすのだ。本音を。これが大きな第一歩。


「親友かあ。タケルたよりねえもん、トコモンもまだ幼年期だし」

「じゃあ、僕が頼りになったら親友になってもいい?」

「えー?できるのかよ」

「できるよ!がんばるもん!」

「ほんとかよ」

「うん!じゃあ、僕がもっともっとがんばったら、親友になってくれる?」

「だっから、なんでいちいちオレに聞くんだよ!」


タケルは大輔の本音が聞けてうれしくて、えへへと笑うのだ。
大輔からすれば、喧嘩中なのに突然親友になりたいから頑張るよ宣言をされるとか意味不明である。
いちばんとばっちりを食うのは、まさかの友達であるはずの大輔から、幼年期だから頼りない宣言されて、
大ショックを受けて、がーんってなっているトコモンである。すっかり涙目である。そんなあああああと落ち込んでいる。
パタモンの時以来、頼りない、役に立たない、なんにもできない、はトラウマ三重奏なのである。一回進化失敗してるし。
え?うそ?ほんと!?ってトコモンはブイモンに訊いてみる。ブイモンは、わかんない、というだけだ。そうだよねえ。
にんげんってわかんないよう、とトコモンは涙目だ。
ブイモンからすれば、そもそもトコモンはタケルのパートナーデジモンであり、
一番距離が近いから、何となく対応してあげているだけで、
実は微塵も興味がなく、友達とか言う意味不明なくくりのなかにいるそうなので、
それっぽく対応しているだけである。
そもそも大輔以外はぶっちゃけどうでもいいくらい極端である。
そうじゃないと依存症のけがある大輔のパートナーデジモンは務まらない。
簡単にいえば、他のデジモン達も似たような感じだ。大輔が対応しているから真似しているだけで、ブイモンはいつも、
大輔を取られないかどうかシビアな目で換算している。そんなことしらないトコモンは、くっそー、今度こそ、進化してやる!
だって僕、一回生き返ったからなんか明らかに強くなってるし!と負の感情を溜めこまない方法を学んだトコモンは、
こうして闘志に還元しているのだ。いい傾向である。
大輔からすれば、どこまでもいちいち口に出さないようなことを当たり前に訊いてくる恥ずかしい奴認定がタケルである。
タケルは分からないから聞いているだけである。
そして観察眼は頑張ればまあ考えてやるっていう大輔の傲慢さを受け取った。


「よーし、僕、がんばるよ!」

「………なにをだよ」


疲れた様子の大輔に、ガッツポーズするタケルである。
ぜんぶをみていた、そのすべてが何となくではあるが分かっているお兄ちゃんは、
もうニヤニヤが止まらない。絶賛悶絶中である。
なんなのこいつら、かわいすぎるだろ。かわいすぎるだろ、何この生き物。
しまった、もっと正直に生きるべきだった、そしたらもっともっと全部がうまくいって、
こういう光景が見れたかもしれないのだ、
おしいことをした!ばんばん太ももを叩いている拳を横目に、ガブモンはぼそりとつぶやいた。
こういうときまで、すべてを見守るお兄ちゃんでいなくちゃいけないヤマトには、心の底から同情するしかない。


「おにいちゃんって大変だね、ヤマト」

「………だろう!」


本当にお兄ちゃんは大変である。










人類みな兄弟という言葉がある。宇宙船地球号と同一の意味である。
宇宙という大きな海の中で、今のところ、膨大な宇宙に地球と同じ惑星は存在しないので、地球という閉鎖された世界に生きているので、
この星の環境が破壊された場合、地球に存在する全ての生命体は〈ネットワークという異世界は現実世界とかがみ合わせなのでもちろんデジモンも〉
生態系という大きな輪の中に住んでいるので、食物連鎖以外でも、密接につながっているので、もし地球が滅亡したらみんな一緒に滅亡である。
すさまじく、大規模な思想である。実はこれらの言葉と運命共同体は同じ意味である。
運命共同体、という言葉は人の意思に関係なく、目に見えないものの意思の作用で生きているということを指す。まさしくデジモンのことである。
でも、端的にいえば、自分のことだけ考えて行動すると、巡り巡って自分の身に降りかかってくるというやつである。
要するに、悪い意味でつかわれる因果応報と、いい意味でつかわれる情けは人のためにならずをぜーんぶまとめてごっちゃにしちゃった考え方である。
行動はかならず巡り巡って自分の所に帰ってくるんだから、なるべくいいことをした方がいいよ、という考え方である。人はそれを利害一致型という。
だから、これら3つの言葉は、個々人が好き勝手なことをせずに、グループの利益のために、協力すべきなのだから、
自由奔放な行動はやめなさいという自己都合で使われることが多いから、胡散臭く感じる。
でもだからこそ、運命共同体は、地球や国、地域、村、会社、学校、などいろんなところで成立する。最低2人でも成立する。
でも、運命共同体は、困難や苦境、危機的状況の時に、共に苦労して、苦しみや辛さを乗り越える同士、共同体でもある。
自分たちではどうにもならない状況下で、困難に立ち向かったという事実は、同じ状況下に置かれる人々の存在に、
励ましの言葉以上の一緒に頑張れる絆が生まれる。今の選ばれし子供達は、まさにそうなのかもしれない。
集団規模の窮屈な生活の中で、その人の本性や人間性、それらを目辺りにして、連帯感が生まれる。
忘れてはいけないのは、あくまでもそれは異常事態だからこその世界であるという非常な現実だ。
それを知ってから、利害一致型の世界である日常に戻った時、誰よりも深いつながりは、時として新しい関係構築の障壁となっていく。
本来知らなくてもよかったことを知ってしまったことで、そのギャップが与える人間関係への影響なんて甚大である。害悪でしかない。
知らなかったらうまく言った関係もたくさんある。選ばれし子供達が特別な運命共同体から解放された時、一体どうなっていくのだろう。
本当にどこかの誰かさんも残酷極まりないことをしてくれるものである。
もちろんそれを強烈に意識するのは上級生組であり、下級生組、しかも最年少組には関係ないことである。


1990年代。それは、情報関連産業や関連技術が他の経済部門、技術部門と比べて急激な成長を遂げ、
労働者、企業、国家の経済的繁栄のために情報技術の活用が重要な鍵となることに、全世界の人々が気付き始めた時代である。
政治、文化、教育、日常生活など様々な場面に情報技術が浸透し、
大きな変化をもたらすことが、公然の事実として一般の家庭にまで認知され始めた時代である。
情報が資源と同等の価値を持ち、それを中心として利益循環や利害関係という人間社会が機能する社会を情報化社会と言う。
厳密には、そのような社会へと変化しつつある社会を情報化社会といい、その社会を情報社会と定義して区別する。
その情報社会が発展したものが、高度情報化社会であり、高度情報社会である。
そして、情報を扱う全活動が顕著な社会については情報社会と呼び、そのような社会への移行の速度が顕著であるような社会を情報化社会と呼んだ。
1990年代半ば以降、インターネットや携帯電話の前身となるポケベルやPHSの普及に伴い、情報社会や情報化社会の用語や概念は幅広く用いられた。
しかし、その発想やネットワークいう概念だけに限定するならば、1960年代の全世界を巻き込んだ二度の世界大戦の後に世界がどういう方向性で行くかで、
社会主義と資本主義が対立した冷戦下にまで、もう既にさかのぼるのが普通である。
陸上戦から空中戦に戦争の主軸が動き、それに伴って発達したネットワークが、やがて地球全体を巻き込んでいく。
もともと仮想敵国の情報をいち早く入手することが勝利を握ることに気付き始めた人々が、
こぞって地球に衛星をばらまき、上から監視して少しでも情報を得ようとした。
情報戦争の始まりである。
それがやがて資本主義の大勝利でゆるやかに世界は安定に向かい、戦争の意義を失ったネットワークは産業に転化され、一般に普及した。
だから、情報化社会という言葉は、基本的に批評家、未来学者、官僚、社会学者など、時代の変容や大規模な社会変動を考える人々によって多く用いられてきた。
情報社会のあり方を予測したものや、あるべき姿を提唱したものは、一般的に「情報社会論」と呼ばれる。
情報化社会や情報社会の概念は、未来の社会像として予測、あるいは提案するには必要不可欠である。なぜなら、現代社会の特徴だから。
情報化社会を語ることは、未来を考えることと同価値なのである。
世界が情報化社会から情報社会に緩やかに加速し始めた1990年代の最後の年である1999年の8月1日、
9人の選ばれし子供達は、その中でもこれからの未来を担うであろう資質を備えている、と
どこかの誰かさんによって未来予知にも近い形で判定された子供達は、
そう言った経緯を経て発展してきたネットワークの裏側でずーっと育ってきた異世界で、デジタルモンスターという、
一生付き合っていくことになるであろう、付き合わなくてはいけないであろう、かけがえのない呪縛と出会った。
しかも、そのうちの一人の男の子は、その世界がまだ冷戦という戦争一色だった時代に生まれた古代デジタルワールド期という異世界で、
ゆるやかにほろんでいった古代種という一人ぼっちのパートナーデジモンと出会った。これはもう、運命共同体と言わざるを得ない、邂逅である。
この子供はその選ばれし子供達の中でも、どこかの誰かさんの意図を離れて、
デジタルワールドという異世界と世界をつなぐという使命を果たすべく将来を選んだ訳ではなく、
デジタルワールド、そしてかけがえのないパートナーデジモンという呪縛なんてもろともせず、自分の夢にせーんぶ巻き込んでいくという、
とんでもない少年となっていく。もしかしたら、彼が奇跡の紋章に選ばれた理由は、そこにも理由があるのかもしれない。
そんな男の子に、いろんなものになれる可能性がありながら、
結局最後までいろんな職業の人が兼業してなれる物書きと言う中途半端な立ち位置を選ぶはずだった、
男の子が出会った。もう、この瞬間から、すべてはずれ始めているのである。
やがてやってきた上級生にヤマトが秘密にしておけるか、と言えば無理である。正直に生きることを選んだこの少年に怖いものはない。
暴露したのは言うまでもなく、微笑ましい最年少組の親友になれるか道中記は、選ばれし子供達、パートナーデジモン達に知れ渡り、
微笑ましく見守られることになってしまった。いつのまにか、わけのわからないことに巻き込まれてしまった少年は、溜息である。
なんで喧嘩してるのに、こんなことになってんだろう?でも嬉しいのはなんでだろう?訳が分からない。
だからタケルを睨むだけである。タケルはニコニコしている。
やがて、砂漠に黒いケーブルが横たわっているのを発見した先導組が、たどってみよう、ということで頷いた。
身に覚えのある黒い紐。エテモンの奇襲でいつもいつも襲ってくるデジモン達の共通点、そして丈が思い出す、ケーブルが各地にあったこと。
たどっていった彼らは、やがて、一台のパソコンとケーブルがクモの巣のようになっている場所を発見する。
いらっとした大輔がタケルを追いかけて、やがて追いかけっこが始まってしまう。
これからが見えてきたタケルは笑っているが、まだまだ苦難の道ははじまったばかりであることをこの子はまだ知らない。
なにせ、次は、希望の紋章の入手イベントが待っているのだ。タケルの苦難はまだまだ続く。




[26350] 第22話 スーパーハカーはかく語りき
Name: 若州◆e61dab95 ID:eadd15b4
Date: 2013/08/03 00:18
お台場にある集合団地にある高層マンションの中でも、比較的裕福層が住んでいるマンションに本宮家はある。
その中でも2つある子供部屋のうち、西日が入らない、影が多くて日当たりが悪い悪条件の部屋が大輔に割り当てられた部屋である。
もともと荷物置き場として使われていた経緯があるこの部屋は、
言うまでもなく隣の部屋であるジュンお姉ちゃんの部屋よりも間取りは狭い。
ちゃんと窓を開けたり、ドアを開けたりしないとすぐに湿気てしまい、カビが生えてしまう。
青色のカーペット、ベッドと勉強机、クローゼットなんて贅沢なもの弟部屋に割り当てられる訳もないので、
洋服ダンス、本棚、と収納スペースで壁一つが埋まってしまう。
そして後は大好きなサッカーに関するアイテムがぜんぶ放り込まれているタンスとか、
とりわけ気に言っているコレクションを自画自賛で飾っている棚、ポスターが置いてある。
あとは、ちっちゃいビデオデッキの上にちっこいテレビが一つ。
横にはお母さんやお父さんがとってくれた沢山のサッカーの試合のビデオとか、
大好きなサッカー選手がやったプレー、プレー集がある宝物が積まれている。
いつもはリビングに置いてあるゲーム機を今日だけは、ジュンお姉ちゃんがいない隙を見計らって、
勝手に持ち込んだテレビゲームとゲームカセットの入った仕分けされたカゴを持ちこんである。
これが本宮家における本宮大輔という少年の居場所である。





基本的に大輔は友達を家に呼ばない。
不仲なジュンお姉ちゃんとの関係を学校の友達や先輩、近所に住む友達に知られて、
お前はこういう奴なのかってみられるのが嫌だから、おかしいって思われるのが怖いから、
いつだって大輔の部屋はすっからかんである。ひとりぼっちの大輔が唯一安心していられる城である。
ジュンお姉ちゃんの言葉を借りるとすれば、不可侵領域の城である。
だからお姉ちゃんやお母さんがずかずか入って来られると不機嫌になる。
大輔にとっては侵入者と変わらない。パーソナルスペースを踏み荒らす不届き者である。
だから、友達という第三者の目が入らない、大輔だけの領域は、いつだって汚いのである。気にする必要がないから。
もししょっちゅう友達が遊びに来るのなら、きっとこの子は自分からでもしっかりと掃除をするだろう。
両親に言われなくったって、ちゃんと箒で掃いて、掃除機をかけて、コロコロで掃除をするようになる。
それをしないのは、必要がないからである。無意識のうちに周りを見る男の子は、たまには休憩したいのだ。
それにもしやってしまったら、ただでさえ少ない両親からの構ってくれる機会が失われてしまう。
ある意味小学校2年生なのに、ちゃんと宿題が出来なかったり、時間割をやらなかったりするのは、
サッカー部の過酷な毎日の練習や遊び呆ける楽しい時間にへとへとで返ってくる以外にも、理由としてあるのかもしれない。
いつだって大輔は家族の愛情に飢えている。
それを発散するために、みんなに構ってもらえるやんちゃ坊主の
どっか抜けてる大輔君をやっている訳だから、意外と大輔はしたたかである。
でもその日はちょっとだけ特別な日だった。大輔の部屋がきれいだった。
その原因は、数少ない家にあげることが出来る友達が来たからである。


「ずっるーい!なんで大輔、もうこのゲームもってんの!?」

「なんでって、買ったんだよ。お母さんがお年玉預かっとくとかいって、勝手にどっかもってくだろ?
隠してるとこしってるから、こっそり1こ持ってきたんだ」

「いーなー、いーなー、1こだけで買える大輔がうらやましいわ。
なんでアタシだけダメなんだろ。こっちはいっつも千円札なのに」

「あー、京ん家ってお姉ちゃんもお兄ちゃんもいるもんな」

「4人もいるから、末っ子なんてもーどうでもいいんでしょ。ねえねえ、大輔、これ貸して!」

「はああ!?ばっかいうなよ、買ったばっかなんだぞ!」

「いーじゃないの、ちょっとくらいー。ねー、だめー?」

「あー?もー、仕方ねえなあ。じゃあ、オレに勝てたら貸してやるよ」

「おっけーい、まかしなさいよ。この京サマを敵に回したこと、後悔させてあげるわっ!」

「んだとっ!?その勝負、受けて立つ!」

「アタシに勝とうなんて10年早いってこと教えてあげるわ!」

「いったな、このやろ!」


大輔はかっちーんと来て、いつもの調子で軽口の応酬に興じることになる。
人がせっかく、たぶん初めてするであろうゲームのやり方とか、コントローラの使い方とか、教えてやろうと思ったのに、
無下にしやがったぞ、こいつ。まー空気読めないのはいつものことだけど、と丸眼鏡の幼馴染をにらみながら、
ゲームを取り出して、テレビゲームにセットした。
ぎゃーぎゃー騒ぎながら1月に発売されたばかりの、某花札会社が誇るコンピュータゲームシリーズの人気キャラクターが、
勢揃いする画面タイトルをすっとばし、いつものようにやってるゲーム画面に飛ぶ。
おー、とか、わー、とかいちいち反応が大げさで面白いので、大輔は得意になって、自慢のゲームを持っている優越感に浸りたいので、
じーっと画面に釘づけになっていた彼女がもっとみたいと顔に書いてあるのを知っていながら、わざとムービーを飛ばした。
あーって大声を上げた彼女は、ちょっとちょっとちょっとーってこっちを見てくる。ざまーみろ。
なんとかモードって何、あとでゆっくりみせなさいよっていちいちうるさい幼馴染を無視して、
いつもやりなれているルール、ステージ、細部にわたる環境まで思いっきり大輔有利になるように、こっそり意地悪をする。
キャラを選ぶ場面までやってきたので、どーぞ、好きなものを選んでください、とばかりにコントローラを促した。
どうせ知らないだろうから、知ってるキャラクターとか、カッコいいキャラとか選ぶだろうなあ、こいつジュンお姉ちゃんと一緒で、
なんかミーハー入ってるし、と思いながら、いつも使いなれているキャラを速攻で選んだ大輔である。
そしたら幼馴染が勝ち誇ったような顔をした。え?と思わず幼馴染を見る。
てっきりうーんって悩みながらどれがつよいの?とか、
聞いてくるとばかり思っていたので、思いっきり嘘をつくつもりだった大輔は肩透かしである。
なんでかいっつも嘘ついているとみんなにばれてしまうんだけど、こういう圧倒的不利な立場に置かれている幼馴染は、
それが嘘なのか本当なのか悩む羽目になるから、十分駆け引き材料になると思ったんだけども。あれ?なんかちがう?
彼女はたくさんいるキャラの中でも、本来なら絶対に選ばないであろう、絶対に知らないであろうキャラクターを選んだのである。
そして大輔は全てを悟る。やられた!もってやがるな、こいつ!ちゃっかり決定の仕方とかなんか、ボタン押すの早いし!


「京てっっめー、もってないんじゃねーのかよ!なんでやり方知ってんだ!
っつーか、そのキャラ使うなよ、チートじゃねーか!」

「アタシの使いまわし人生なめないでよね!大輔と違ってこっちはお姉ちゃんもお兄ちゃんもいるから、
アタシのゲームなんて1っつもないんだから!ゲーム機すら滅多に貸してもらえないのよ!
暇な時だけ京もやる?って、あーもーむっかつくーっ!
だ、か、ら、アタシは持ってないけど、お兄ちゃんもお姉ちゃんも持ってないなんて、アタシひとっことも言ってないわよ!」


屁理屈にもほどがある理論展開である。
さりげなく、大家族6人のわいわいと賑やかで華やかな仲のいいやり取りを垣間見てしまい、
家でいっつもひとりぼっちで、CPU対戦ばっかりで独り勝ちしている大輔は、ちょっとだけ冷めた目で幼馴染を見て、溜息である。
久々の対人戦でやる気にみなぎるんだけど、京のこういうとこが嫌いなんだよ、とこっそりつぶやきながら、
嫉妬とか妬みなんて吹っ飛ばすべく、ちっくしょーと叫ぶのだ。やる気にみなぎっているのは構わないので、まーいっか。


「京ちゃん、いつも遊びに来てくれてありがとね。麦茶いる?」

「あ、はい、ありがとうございます!」

「わーっ、お母さん勝手に入ってくんなよ、ノックくらいしろってば!それに今はそれどころじゃないから後でっ!
キッチンで置いといて!あとで持ってくから!」

「はーいはい」


もちろんノックしてから入れはジュンお姉ちゃんから身を持って教えられた礼儀作法である。お母さんも大変である。
お母さんがいなくなってから、溜息一つ。京が遊びに来ると判明してから、こんな汚い部屋にお友達呼ぶとか、
本宮家の威信にかかわることだから、大掃除するわよって強制代執行がひかれて、それはもう大騒ぎだったのである。
友達なんて呼ばないからいっつも大輔の部屋は汚い。友達を呼んでくれることが嬉しい親心なんて、子供はいつだって知らないのである。
だから大輔の中ではお母さんは天敵認定なのである。お姉ちゃんに構ってばっかりのくせに、こっちには普通に対応するし、贔屓だ、ずるい。
きっと俺のこともあんまし好きじゃないんだって思い込んでいる。
そんなときに、空気読めないがゆえにつぶやく京の言葉は大輔の本心を抉るのだ。


「ねー、大輔。あいかわらず、アタシ以外は誰も家に呼んでない訳?」

「あー?そうだけど」


京は大輔とジュンの不仲を知っているから、大輔の中では数少ない例外の対象なのである。


「1人部屋なのにもったいない」


京のおうちでは、ベッドだって勉強机だってみーんな一緒の部屋である。
京の周りはいつだってお姉ちゃんやお兄ちゃんの名前であふれた使いまわしばっかりである。
京の、京だけのものなんて何一つない。たまには一人になりたいおマセな末っ子からすれば、何という贅沢な悩みだ。
だから京はどうしても大輔の心情が分からないのである。なんでこんだけ仲悪いの?ジュンさんも大輔もいい人なのにッて。
流石に本宮家の複雑怪奇な家庭事情なんて京に明かすほど大輔はバカじゃないので、京からすれば兄弟げんかにしか見えない。
京なりの気遣いなのは分かっているんだけど、どうしても大輔にとっては辛い問答になる。


「うっせーな」

「ちょっとくらいジュンさんと仲良くしなさいよ」

「うっせーよ、京には関係ないだろ」

「関係あるわよ、ジュンさんも大輔もアタシの友達なんだから」

「だっから、うるせえなあっ!京に何が分かるんだよ!ほっといてくれっていってるだろ!」


乱暴に分投げられたコントローラがテレビに当たって落ちてしまう。
一時停止していたのが、変な方向に当たったせいで、勝手に大乱闘が再開されてしまい、
コンボを決めるつもりで空中にいた大輔の持ちキャラがそのまま画面外にまで落下してしまった。
ゲームセットって画面に表示される。かっこいい男の声優の声が響く。しーん、となってしまった。


「ごめん、大輔。そーよね、アタシちょっと言い過ぎちゃったよね、ごめん」

「いーって、京のそういうとこ、昔っからしってるし」

「うん」

「気にすんなよ。いっつも一人でゲームすんの、つまんねーから」

「ふっふー、まっかせなさいよ」


お前の気遣いぜーんぶわかってる。わかってるから、遊びに来るのをやめないで、と大輔は言うのである。
もちろん、京は大輔とジュンの複雑な事情なんて知らないけれども、仲が悪いから大輔が寂しい思いをしていることくらい、
長い付き合いなので分かっているので、というか、みんなに愛されている京ちゃんは自分では絶対にしないであろう目をする、
大輔のどうしようもない孤独くらい分かる。同じ妹、弟っていう立場だから、シンパシーってやつである。
やっぱり女の子である。気付いた後のフォローはちゃんとする。
ただそれがほっとんど京が作った奴なので、まっ平らにしちゃうだけなんだけども。
京のおうちは姉妹、兄妹の仲睦まじいやり取りや微笑ましい団らんであふれているのだ。
大輔が絶対に遊びに来ないことくらい知っている。
きっとコンビニに使いっぱしりに来た時みたいに、あらー大輔君、ジュンのお使い?大変ねー、あーそうだ、京よぶ?って、
言う感じでレジから奥の方に引っ込んでいくのを見てしまう羽目になるから。
だからわざわざ京は遊びに来るのである。末っ子は弟分が欲しいのだ。


「じゃー、アタシ勝ったからこれ借りてくわね」

「ちょ、え、はあああっ!?なんでだよ、さっきの無しだろ!」

「この勝負で勝ったら貸してくれるっていったの大輔でしょ?」

「うっ……ちゃっかりしすぎなんだよ、このやろーちくしょーひきょうもの」


これが本宮大輔と井上京の関係である。


「つーか、いつまでだよ」

「んー、そうねー、1カ月くらい?」

「はあああっ!?京お前ふっざけんな、まだ全キャラ、ステージだしてねーんだぞ!」

「こっちがフルコンプしてあげるから、心配しないでよ」

「いーかげんにしろ、こんのハッカー!」

「ちっがーうっ!ハッカーじゃないわよ、クラッキング!何度言ったらわかんのよ、ハッカーはそういう意味じゃないわよ!
たしかにアタシはスーパーハカーだけど、でっも、悪口で言うならクラッキングなの!ハッカーはそういう意味で使ったら怒られるわよ!」


しまった、地雷を踏んでしまった、と大輔は悟るがもう遅い。
この状態になった京はもう誰にも止められないのである。唯一お兄ちゃんやお姉ちゃんには誰にも負けない自信があるこの分野は、
どうやら幼馴染にとって、自分という数少ないテリトリーを開拓できる魅力的な分野らしく、もともと、ミーハーで、
ハマったらどっぷりの彼女はそれはもうびっくりするくらいすごい領域にまで技術力を拡大させているのである。
専門用語や難しい理論を得意げに話されても、全然分からないのだが、すごいことはすごいことなので、
素直に驚いてくれる大輔は、京にとって格好の自慢相手となっている。なんかお姉ちゃんみたいだなあ、と思いながら、大輔は一応聞く。


「だれにだよ」

「世界中のハッカーの皆さんに怒られるわよ!もちろんアタシも含めて!だから謝って!」


なんでだよ、と思うがヘタに食い下がるとややこしくなるので大輔は謝る。ごめんなさい。
機嫌を直した京に大輔は溜息をつくのだ。
そしたら神業的なタイミングで叩くノックがするので、助かったと大輔は思って、どーぞって言うのだ。
おそらく、ずーっとドアの向こうで待っていたであろう、お母さんなんて気付きもしない。
だから何でかにっこにこしているお母さんがなんか不気味。
またゲームをやり始めた大輔と京はこうやっていつも遊んでいる。
2年後、ぜーんぜん学校とプライベートではキャラが違う彼女に、大輔がびっくり仰天することになるなんて、まだ知らない。
甘え上手の末っ子どこいった。元気印のハイテンション誰お前、いつだって大輔にとっては乙女心は複雑怪奇なのである。わけわからん。
そういう訳で、エテモンのネットワークを解析しているこのサッカー部の先輩は、
スーパーハカーで、みんなのためにいいことをしているから、
ハッキングしていることになるんだろうか、なんて、
実は微塵も言葉の意味が分かっていないにも関わらず、大輔は考えてみるのである。



















ダークケーブルを発見した選ばれし子供達と、デジモン達が、ずーっとその後をたどっていって、
砂漠のど真ん中に、ちょこんとパソコンが置いてあるというシュールな光景を発見したのは、すっかり世界が茜色に染まる夕暮れ時である。
四方からダークケーブルがいっぱいパソコンにのびている。一目散に駆け寄ったのは知的好奇心を刺激された光子郎である。
さっそく持っているノートパソコンをタオルから解放して、大輔からすれば、訳のわからないひもみたいなのでつないだ。
なんか京がオレんちでやってんのとそっくりなのは気のせいか。つーか、京と光子郎先輩ってどっちがすごいんだろう、と
こっそり考えながら、光子郎の胸元で忙しなく揺れいている紋章も、そう言えば丸が二つつながってるなあ、
このパソコンみたいだなあ、って大輔は思うのである。みんな覗き込んでいる。
よくみえないーっとむくれていると、光子郎が苦笑いして横をどいてくれた。
解析された情報データが光子郎のパソコンに表示される。ずーっと光子郎の指先は淀みなくキーボードを叩いている。
もうこの時の集中力は鬼気迫るもので、変なオーラを幻視する。邪魔しちゃ悪いので、みんなだれも声をかけない。
えーっと、これ、なんていったっけ?えーっと、えーっと、ブラインドタッチ?すげえ、光子郎先輩出来るんだ。
感嘆する後輩を後ろに、光子郎はできましたと言ってみんなの前からどいた。なんか嬉しそうなのはきっと気のせいではない。
サーバ大陸の全体を映し出す大きな地図がある。ぴっと音を立てて、現在地である黒い四角が表示される。
黒い紐がさーっとサーバ大陸に広がっていくに従って、黒い四角がたくさんその上に現われて、またそこから、
さーって黒い四角同士をつないでいく。あっという間にサーバ大陸は真っ黒になってしまった。
昆虫採集でつかうアミの網目みたいだなあ、と大輔は思う。
みんなは意味するところが分かっているので、逃げましょ、とか、どうせここで逃げても無駄だ、とか、
どうするんだ、逃げ場がないじゃないか、とか口々に言い合うのだが、さっぱりな大輔は助けを求めて光子郎を見た。


「どーいうことっすか?」

「黒い四角はこのパソコンで、この線はこの紐なんだよ。ケーブルって言うんだ」

「え、じゃあ、サーバ大陸には、けーぶる、がいっぱいあるってことっすか?」

「そうだよ」

「真っ黒になるくらいあるんすか」

「うん。しかもこのケーブル、僕たちを襲ってくるデジモン達に付けられてる奴と一緒なんだ」

「え?」


大輔は硬直する。この紐みたいな、ケーブル、が、可哀想なデジモン達を苦しめてる、
無理やり言うことを聞かせられている、エテモンによって操られているあの黒い紐と一緒?
まじまじと見つめる大輔の目は悲しげに歪んだ。
この黒いケーブルは、黒い歯車と同じだと大輔はようやく気付いたのである。
やさしい後輩を励ますために、ぽんぽんと光子郎は頭を叩いた。残酷な事実を告げなければならない。


「つまり、僕達がどこまで逃げても、エテモンが追いかけてくるのはこれが原因なんだ」

「えーっと?」

「きっとエテモンはこれを見てるんだよ。たぶん、僕達がいる所を特定する、もっとすごいやつを。
だからピッコロモンの所以外は、すぐにばれて、デジモンが来ただろ?ぜーんぶ、敵なのかもしれない。
もしかしたら、もう、誘導されているのかもしれないんだ。行くところ、行くところ、必ずデジモンが来たの、
大輔君も覚えているだろ?」


ここでようやく、大輔は自分たちが置かれている絶望的なまでの状況に気付くのである。
背筋がぞっとするのである。頭がまっしろになるくらい、怖くなるのである。そっか、だからみんな。
ようやく大輔は他の選ばれし子供達とデジモン達が狼狽、困惑に染まっていて、上級生組、
下級生組が意見を言い合っているのを理解する。
光子郎が今まで大輔達が冒険してきた道のりをここ、ここって指でなぞってくれるから、
大輔は気付かざるを得ないのである。
タグを探し当てた海底洞窟、パグモンに乗っ取られていたコロモンの村、ずーっと縦断した先にあった大きなサボテン、
そして、ずーっと横切った所で通りがかった豪華客船、全部全部、ダークケーブルに隣接している所にあるのである。
選ばれし子供達とデジモン達は、サーバ大陸に上陸する前から、実はすでにエテモンによって誘導されていたのである。
今だってそうなのかもしれない。ただでさえ、スカルグレイモンの件で進化というものに対して疑問と不安を抱えているせいで、
紋章を使うのはもちろん、デジヴァイスによる進化すら無意識のうちに回避しようとして、問題を先送りにするために
紋章をみんなで集めようって、集めてから考えようって、疑心暗鬼に陥りつつある子供達には、すさまじくキツイ現実である。
それはもうすごい緊迫したストレス過剰になる心理状態である。
あれだけ信用できないって思っていたゲンナイという爺さんを、タグと紋章の情報をくれた、という事実があるというだけで、
エテモンの仲間かもしれないという疑いなんてそっちのけで、わけがわかんないのは変わらないんだけど、他にすがるものがないから、
何度となくアドバイスをくれたという実績から、あの正直者のミミが「味方」と口走るくらい。


「でも、なんかエテモン、怒ってませんでしたっけ?」


2度もあちきをばっかにするのもいい加減にしなさいよ、といったのを大輔は覚えている。


「きっと、この岬にくると思って、待ちかまえていたんだよ。でも、僕達がここで降りたから、怒ったんだ。
うーん、でも僕たちはここを通ったから、そうするとケーブルとすれ違うなあ。なんで来るのが遅かったんだろう?
普通だったら、僕達もう捕まっているのにね。
もしかしたら、エテモンは僕ほどパソコンが上手じゃないのかもしれないね。道具はあっても、使える技術がなきゃただのゴミだよ」


宝の持ち腐れならともかく、自分以下と決めるや否や、
その持ち主も道具もただの粗大ごみとぬかしやがりますか、光子郎先輩。なんか目が怖い。
うわあお、と大輔は冷や汗である。なんか得意分野、専門分野になると異様に強気になる光子郎は、なんかすっげーデジャヴである。
いやな予感しかしない。意外とこの人もミーハーっていう、大輔のまわりにいる、
いつもいつも大輔を振り回してきた人たちと同じ人種なのか?
ようやく大輔は光子郎の地の部分が垣間見えて来て、ひいい、となるのである。
道理で怒らせたら怖いはずだよ、と気付く。大輔にとって苦手意識が山積しているタイプの人間なのである。
ぜったい喧嘩したくない相手である。
喧嘩したら勝てるだろうけど、相手にしたら一番めんどくさいことになるタイプだから、
なるべく対立は避けるべきと学んできたタイプである。
ビビられているなんてしらない光子郎は、いつもみたいにすごいっすねーと言ってくれない大輔に疑問符である。


「光子郎先輩、こわいっすよ」

「え?どうして?」


しかも無自覚かい!つっこみたくなるが、京との関係でいちいち口にしてたら容赦なく、いろんな騒動を起こしてきた手前、
我慢することを知っている大輔は、なんでもないっす、と言った。ましてや光子郎はサッカー部の先輩だ。
運動部では上下関係は絶対なのである。これだけはほかならぬキャプテンから身を持って叩きこまされてきた大輔は、
絶対に逆らえない下剋上不可の厳しい世界を知っている。どこまでもこの子は懸命である。だからうらやましいのである。


「光子郎さん、このマークなあに?」


平気で溜めぐちを使える、ただ今大喧嘩中の、親友になりたい宣言をして大輔を巻き込んだ、訳のわからない男の子が。
タケルの声に気づいた光子郎は、みんながどいてくれたノートパソコンをみて真剣な表情になる。


「メールです。でも、一体、誰から?」


上級生組から開けてみろ、と催促を受けとった光子郎はさっそくマウスでクリックする。
表示されたメールに子供達は思わず顔を見合わせた。そこには「助けて」と文字サイズにして72mmの特大文字で書いてあるのだ。
インパクトがある出だしである。よほど切羽詰まっているのか、切実な言葉が詳細をずーっと下にまで書き出してある。
呼んでいるだけで可哀想になってくるくらい、せつせつと書かれている文体である。まるで子供達の心情を理解しているかのように、
信用してくれ!と文章全体から読み取れるような描写が網羅されている。内容をまとめると、こうなる。


このメールの差出人は、エテモンにつかまっているデジモンであり、ダークケーブルのネットワークを作成する手伝いをさせられていて、
サーバ大陸にダークケーブルを設置するのを無理やり強要され、拒否したら閉じ込められてしまったというのである。
ダークケーブルが完成するまでの約束だったのに、エテモンは使い方がよく分からないので、選ばれし子供達が全滅するまで、
その囚われの身から解放されないので、しぶしぶ付き合っていたらしい。
でもエテモンのことだから、用が無くなったら殺される。死にたくない。だから助けてくれと。
メールの差出人は、選ばれし子供たちの帰路をすべていい当て、どこに紋章があったのか、すべて羅列して見せた。
これで信用してくれと。
子供達とパートナーデジモン達は悟るのだ。エテモンによってサーバ大陸を誘導されていたのは事実なのだが、
今までエテモンに直接遭遇することなく、間一髪逃れてきたのは、この名前も知らないデジモンの加護があってこそであると。
しかも、念押しにこのメールの差出人は、今の選ばれし子供たちの心情すら慮ってくれる心やさしいデジモンのようで、
きっと顔も会わせもしない自分のことなんて信用できないだろうから、信用できなくなっているのは自分の責任でもあるから、
残りの紋章の場所を全て教えるから、それを囚われの身であるがゆえに姿を現せられない自分の身分担保としてくれと。
一気に見せても混乱するだけだろうから、ここから一日掛かるところに丁度、紋章があるから、その場所を提示するから、
データをダウンロードしてくれとそう言ったのである。
信用できたら、またこのアドレスに返信をくれと。こっちも監視の目があるし、選ばれし子供達に援助していることがばれたら殺されるので、
少しずつしか情報が出せないのはごめんと。こっちは命が掛かっているから、子供達が助けてくれるとわかったら、残り2つの紋章は教えると。
そう綴られていた。
やがて時限式のウイルスが仕掛けられていたメールは、消えてしまった。
今の選ばれし子供たちにとっては、願ってもない申し出である。
言葉でこそ、罠ではないか?信用できるのか?エテモンの味方では?そんな言葉がみんなの口からは出ているのだが、
助けてくれって言われてるのに放っておけないだろ、という太一の言葉にはみんなうなづく。みんな心は同じである。
でも、今まで何度となくエテモンの奇襲に会ってきた選ばれし子供達とパートナーデジモン達は、慎重に行動することを覚えてきた。
役割分担もますます鮮明化してきた。だから、結論が出る。紋章が本当に手に入ったら考えようって。


「やっぱり適材適所って大事だよ、大輔君」

「あはは」


大輔は苦笑いするしかない。
もう夕暮れである。選ばれし子供達は、一旦、オアシスにまで引き返して、
みんなで身体を寄せ合って眠ることになる。
乾燥地帯は寒暖の差が激しいから寒いのだ。そして、太陽が昇り切ったころ、
子供達は差出人の言っていた場所をダウンロードした、光子郎を先頭に旅路を急ぐことになる。
差出人の名前は、ナノモンというそうである



[26350] 閑話:孤独な女の子の話
Name: 若州◆e61dab95 ID:b5093353
Date: 2013/08/03 00:18
1995年3月4日、光が丘テロ事件発生。この日から、八神ヒカリという女の子の時間は、凍り付いたままである。
父親の書斎にあるパソコンから出てきた大きな卵から生まれた、黒くて小さな生き物は、
彼女にとって初めて出会うデジモンと呼ばれる生き物だった。
飼い猫に追いかけられて怯えきった様子の生き物が可哀想になって、
祖父の形見であるホイッスルを持って、元気づけるために、
大好きなお兄ちゃんの真似をして一人部屋の下で寝るくらい、
お兄ちゃん子だったヒカリは、ベッドの下にもぐりこんで、
ぴ、ぴ、ぴ、と吹いた。その時の感動は忘れられないものになる。
ぱちぱちと目をまたたかせた小さな生き物は、ヒカリのホイッスルに合わせて、
ふわ、ふわ、ふわ、とまるでしゃぼんだまのような虹色の丸を八神家にもたらしたのである。
小学校1年生であるにも関わらず、共働きの両親の代わりに妹の世話を焼く兄は、非常に自立心旺盛な少年で、
一人で目玉焼きとトーストとインスタントの味噌汁を準備して、ヒカリと一緒に食べることが出来るほど、
早熟した少年だった。祖父の形見のゴーグルを肌身離さずもつ兄を真似して、
ホイッスルをずーっと口にくわえて遊んでいるようなヒカリは、
そのホイッスルによって怯えきっていた生き物が大人しくなり、
ベッドから出てくるのが嬉しくて、ご飯が出来たという言葉そっちのけで、その生き物に触れたのである。
大好きだった祖父からもらった形見が、この生き物を元気づけたのかと思うと嬉しかったのである。


その時である。


もともと、人には見えないなにかの気配を感じて怯えきっていた様子を見せるものの、はっきりとは自覚できないで、
ただやみくもにいろんなものが怖いのだと自身の中で思い込み、
見て見ぬふりをしてきた彼女が、身を持って、異質の力を持っているのだ、と
自覚するにいたったのは。彼女の腕の中にいた、ボタモンと呼ばれるデジモンが、
コロモンというデジモンに進化したのを、彼女は克明に覚えている。
抱っこできるくらいのちっちゃい黒い生き物が、ピンク色の目が真っ赤な生き物になってしまった。
ヒカリと頭が同じくらいになった。
訳が分からず硬直するヒカリがいつまでたっても、子供部屋から出てこないことに業を煮やした兄が発見したのは、
意味不明な生き物に餌をやるために、飼い猫のえさケースをとった太一が、餌を与えたのだが、
盗られたと思い込んで乱入した飼い猫がそのピンク色の生き物を攻撃し、
進化したばかりで勝手がわからないコロモンが負けてしまった間抜けな光景。
ネコにも勝てないのかと呆れかえる兄の横で、自分が触ってからいきなり大きくなったデジモンである。彼女の不安は芽生えた。
しかし、コロモンと名乗ったその生き物が、友達の証だよとファーストキスを妹、兄から奪い取るという大事件を起こし、
すっかり懐いて一緒に遊んでくれたので、
彼女の中ではコロモンは友達と言う存在に上書きされ、彼女にとってコロモンは大事な友達である。
正体不明の謎の生物、未知の存在であっても、しゃべるというコミュニケーションが彼女に警戒心を薄れさせ、
度重なるスキンシップは彼女から愛着を生み、ホイッスルの、ぴ、ぴ、ぴ、という音共に飛び跳ねてくれるピンク色の人懐こい生き物は、
もうすっかり彼女にとっての友達となるにいたった。





しかし、彼女の持つ異能の力は、デジタルモンスターという生き物に対して、
生きることと同義である「進化」を促すものであったため、
彼女が無自覚のうちにコロモンに接すれば接するほど蓄積していった「進化」の光は、
彼女の知っているコロモンを別のデジモンに変えてしまう。
デジタルモンスターはもともと、よほど知能に優れる種族でなければ、
本能と同義で生きることである進化をした後は、過去は別の存在として映る。
自分がどういった生き物であるという自我を持たない生き物であるため、
普通の進化を遂げた先にいるのは、新しい自分である。
頓着せずに生きていく。他者からどういった形で見えるかなど一切気にしない、
ただ生きることだけを全力で生きるだけのモンスターである。
たまたま八神家に迷い込んだ野生のコロモンを分解、設計、再構築、
という進化のプロセスに歩ませていき、新しい進化の姿であるアグモンに進化させてしまったヒカリは何も知らない。
そこにいるのは、また大きくなってしまったコロモンである。
兄の持っている動物図鑑で見たこともないような、オレンジ色をした大きな大きな生き物。
ヒカリをおんぶしても平気なくらい大きな生き物。
でも、コロモンはヒカリのことを友達と言ってくれたから、
また友達であると信じてやまないヒカリは、その急激な変化に戦慄する。





しゃべってくれないのである。なんにもしゃべってくれないのである。
一言もしゃべってくれないし、こっちをみてもくれないし、
ただただ辺りを見渡す。そして、突然、大好きな兄の部屋を無茶苦茶にする。
豹変したとしか思えない暴挙にヒカリは驚いて、
あわててコロモンと名乗ってくれたオレンジ色のデジモンに乗っかって、
必死で止めようとしたのだが、全然止まってくれない。
彼女は必死で呼びかける。ホイッスルを吹いて反応を見ようとしたが、
コロモンは反応してくれない。見向きもしてくれない。
それどころか、ヒカリを乗せたまま、家の扉をふっ飛ばし、
階段を転げるように降り、どんどん大好きな兄がいる家から遠ざかっていく。
夜である。光が丘集合団地は夜であり、ネオンの光や家庭の明かりが付き始めた明かりは、どんどん遠ざかっていく。
まだ5歳のヒカリはただの普通の女の子だから、訳が分からない、意味不明な事態に大パニックに陥る。一人ぼっちである。
ヒカリが大好きな兄と共にあった生活が、友達であるはずのコロモンによって破壊されていくのである。
それを最前列から見る目撃者となってしまった。
兄がよく家に帰る時に使う電話ボックスやヒカリが幼稚園の友達や近所の友達と遊んだり、兄と遊ぶ公園にある遊具や電灯、
流れていく電車や車を見ていた鉄橋、よく母親と共に駄菓子を買ってもらえる商店街、沢山の民家、車。
大切な日常と言う普通の生活の風景を手当たり次第に破壊していくのである。だから、ヒカリは、叫ぶのだ。
涙をいっぱいに溜めて、振り落とされないようにしがみ付きながら、懸命に叫ぶのだ。友達を止めるために。
幼稚園の先生に教えてもらったのである。間違ったことをしたら、それを教えてあげるのも友達だよって。


「やめて、やめて、やめて、コロモン!コロモン、おうち、かえろうよーっ!」


でも、コロモンだったはずのデジモンは、もうヒカリの知っているコロモンではないから、頭の上に乗っているヒカリのことなど、
微塵も気にかけてくれない。気にする必要もない。
ただ、本能が他のデジモンの気配を感じて、生物の生きるすべとして、
その存在を感じて一直線に場外乱闘すべく、その存在を探すのだ。
どんどん破壊されていく恐怖にヒカリが恐れおののき始める。
このコロモンは私の知っているコロモンじゃない。
そう、彼女が気付いた時には、全てが遅かった。





彼女の力は、デジタルモンスターに触れることで、効果を発揮することが出来る異能の力である。
本来であるならば、その姿がアグモンとなった時点で恐怖を感じて離れてしまえばよかったのである。
そうすれば少なくても、それ以上アグモンから進化することはなかった。
ボタモンからコロモンに進化した時点で、
感じたハズの恐怖に導かれるがまま行動すれば、少なくてもこんな大災害にはならなかった。
しかし、人間という異なる存在と接することができたデジモンはどうやら自我が芽生える傾向にあるようで、
少なくてもコロモンの時には、うっすらとではあるものの、ヒカリや太一を友達と認識できるほどの自我が芽生えた。
コミュニケーションができるくらいまである。
それはきっと、大好きな祖父の想いの詰まったホイッスルが、ゆるやかなトリガーだったのだろう。
ただ、ヒカリがあったデジモンは、ふつうの、ただの、やせいのアグモンである。
だから、小さく芽生えた筈の自我は、急激なまでに蓄積された「進化」の光に押し流された。濁流の渦に飲み込まれた。
彼女は心優しい普通の女の子だった。友達を大切にして、間違ったことは間違ったことだって、教えてあげられる女の子だった。
だから止めようとしてコロモンだった生き物に乗って、必死でくっついたのである。最悪の事態になるとも知らないまま。
そして、彼女の目の前で、とうとう怖くなって逃げ出した彼女の目の前で、必死にしがみついていた彼女から、
流れ続けていた「進化」のヒカリは、とうとうコロモンを見上げるほど大きな大きなバケモノに変えてしまう。
彼女の恐怖は察するに余りある。その時である。轟音を立てて。巨大なバケモノが上空から姿を現わしたのは。
世界中に散らばってしまったデジタマを回収するために、世界各地に散らばったデジタルワールドからのお迎えが、
たまたま八神家と同じ回線を使っていて、なおかつ父親の仕事の関係上、ネットにつなぎっぱなしにしていることが多く、
よく接続を遮断するのを忘れてしまう本宮家のベランダから飛び出してきたのは、それよりほんの少し前だった。
ベランダから舞い上がったひよこは、どんどん大きくなっていき、一気に上空に舞い上がることには巨大なデジモンとなっていた。
だから、ヒカリが見たのは、その巨大なデジモンの姿だけである。
コロモンが出てきたことで、兄がパソコンをシャットダウンしたせいで、追いかけることが出来なくなり、
そのまま出口を探していたデジタルモンスターのお迎えがやってきたのは。
コロモンだったバケモノとその突然現れたバケモノが対峙した時、彼女はきいたのである。


「ごめんなさい」


という、言葉を。本宮家から現れたバケモノから聞こえたのである。ヒカリは呆然とする。
ヒカリの頭の中では、もうすっかり友達だったコロモンを変えてしまったのは、自分が原因であるということは、
隠しようがない現実として、辛辣なまでに彼女に突き付けられている。
この街を壊滅状態に陥らせたのは、ヒカリである、と彼女は5歳であるにも関わらず、
逃れられない最悪の状況で最前席から強制的に見せられている。
それなのに、このバケモノは、コロモンだったバケモノではなく、どんどん街をぶっ壊して行く鳥みたいなバケモノは、
ヒカリに言ったのだ。ごめんなさいと。そう、彼女は受け取った。
だって、そのバケモノが雷鳴を落とし、ヒカリが恐怖におののいて、耳をふさいで、お兄ちゃん助けてとわんわん泣きわめいた時に、
その声が聞こえてきたから、ヒカリはそう思ったのである。だから尚更ヒカリは大パニックに陥る。
コロモンをバケモノに変えてしまったのはヒカリである。
そのコロモンだったバケモノと喧嘩をしているのは、バケモノである。
だから、ヒカリはコロモンだったバケモノがやられるのが怖かった、悲しかった、可哀想だと思ったのだ。
それなのに、そのバケモノから「ごめんなさい」と謝られてしまった。
そして、空中を滑空するそのごめんなさいのバケモノ目掛けて、コロモンだったバケモノが攻撃をするたびに、
光が丘集合団地は、まるで火の玉のようなものによってどんどん穴が開いていく。
それを見ているしかなかったヒカリは、気付くのだ。ようやくヒカリを探し当てて、
大丈夫か、と守ってくれる大好きな兄が抱っこしてくれる、
背中越しにその声は大きく響き渡ったのである。


「おねえちゃんをいじめるなああああ!」


ヒカリくらいの男の子だった。その子がベランダから落っこちそうになるくらい、はい出して、叫んでいる。
その子の家には、大きな大きな穴が開いていた。コロモンだったバケモノが集合団地の高層マンションに沢山開けた、
恐ろしいくらいに大きな穴くらい開いていた。ベランダに穴が開いていた。
ヒカリは思うのだ。心臓が止まりそうになった。
ごめんなさいの化け物が出てきた所を、本宮家のベランダから出てきたことを知らないから、思ったのだ。
もしかして、あの大きな穴を開けてしまったのは、ヒカリがコロモンだった友達を変えてしまったバケモノから吐き出された、
炎のたまで開いてしまったのではないか?と。男の子の横には、その男の子のきっとお姉ちゃんがうずくまって泣いている。
急所である。ヒカリは目の前が真っ暗になった。ヒカリは八神太一お兄ちゃんが大好きである。
だから、男の子はきっとヒカリくらいあのお姉ちゃんのことが大好きなんだろう、と分かったから、理解できるから、泣きだしたのである。


「ごめんなさい」


また、ごめんなさいのバケモノの声がする。どうしてあのバケモノはちゃんとゴメンナサイが出来るのに、
コロモンはごめんなさいをしてくれないんだろう。怖くなって泣いているのだ、と勘違いしている兄は、
ヒカリをいかにこの場外乱闘から守るかに必死で、男の子の姿は見ていても、声までははっきりとは訊きとれていないようである。
ヒカリだって、きっと、コロモンだったバケモノの下敷きになりかけて、ホイッスルが何処かに行ってしまって、
必死で探そうとして茂みの中を探していなかったら気付かなかった。あぶないって兄に抱きかかえられなかったら気付かなかった。





そして、兄がホイッスルを吹いた。
コロモンだったバケモノは、ごめんなさいの化け物を倒して、そのままどっちも消えてしまった。
朝になった。ここにいてはマズイ、と判断した兄の懸命な行動により、逃げるように立ち去る中で、ヒカリはその男の子に謝り続けたのだ。
ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、って。大好きな兄に抱っこされたまま、泣き続けたのだ。
その日から、もう、すべてが大騒ぎである。みんな忘れてしまった、光が丘テロ事件には、ヒカリは忘れることなんてできないから、
ずーっと覚えたまま、置いてきぼりにされてしまった。言えるわけがないのである。誰にもいえないのである。
光が丘テロ事件の犯人は、八神ヒカリであるなんてこと、誰にも言えるわけがないのである。
だから、ヒカリの心はいつまでも1994年の3月4日で凍り付いたままだったのである。少なくても、その日までは。





きっと、彼は知らない。大好きなお兄ちゃんである太一でさえ、忘れてしまったのだからきっと知らない。
でも、ヒカリは嬉しかったのである。
あの時、サッカー部の後輩として紹介した兄の仲介で、再びヒカリの前に現れた男の子は、言ってくれたのだ。


「こいつがオレの妹のヒカリだよ。ほら、挨拶ぐらいしろよ、ヒカリ。もう小学校1年生だろ?」

「に……にちは……。ヒカリ、です」

「よしよし、でな、ヒカリ。こいつは、オレのサッカー部の後輩で、大輔っつーんだ。
お前とおんなじお台場小学校の1年生なんだぞ」

「オレ、本宮大輔。1のAなんだ」

「う、うん。私は、1のB、なの」

「よろしくね、大輔くん」

「おう、八神さん」

「おいおい、大輔。オレも八神だぞー、ややこしいだろ」

「え?そうっすか?」

「そうそう。ヒカリでいいよな?」

「う、うん。みんな、ヒカリちゃんって呼んでるから、大輔くんも、ヒカリでいいよ」

「ふーん、ならヒカリちゃんでいっか?」

「うん」


そこには、異能の力を持つヒカリにとって、あこがれてやまない「普通の女の子である元気でやんちゃなヒカリちゃん」
として、扱ってくれる男の子として、本宮大輔君と言う男の子は、現われたのである。
おなじお台場小学校1年生として。「普通」に扱ってくれる。「普通」にあいさつしてくれる。
「普通」におしゃべりしてくれる。「普通」にお友達をしてくれる。
あの日から「ヒカリちゃん」って一回も呼んでくれないけど、本宮大輔君は普通に女の子は全員名字にさんを付けて呼ぶ、
もしくは名字で呼び捨てにする人で、滅多に名前を呼ぶことはない、みんなの中心にいる「普通」の男の子だったから、
ヒカリは全然気にしていなかった。そういうもんなんだって思ってやまなかった。
ただただ嬉しかったのである。異質な力を隠すのに必死で、なかなかお友達は出来るんだけど、
プライベートに突っ込んだ話とか、一定の距離を要する親しさの先にどうしても行くことが出来ない臆病な女の子にとっては、
ちゃんとした一定の距離を置いてくれる本宮大輔君と言う人は、とっても居心地がいい男の子だったのである。
だから、それに舞い上がってしまい、本宮大輔君がどんな目で八神光を見ているのかなんて、気付きもしない。
本宮大輔君がサッカーとお兄ちゃんである八神太一のことを良く聞いてくれるから、
大好きなお兄ちゃんの話だったら沢山出来るヒカリは、もう大喜びでお友達をしていたのである。
そして、いつも、いつも、影で怯えているのである。どうか、どうか、
本宮大輔君が光が丘テロ事件のことを思い出しませんようにって、
心の中で必死で願いながら、毎日を過ごしているのである。八神ヒカリは、全てを知っていながら、彼に甘えている。




[26350] 第23話 2102400の孤独
Name: 若州◆e61dab95 ID:62ebfcf7
Date: 2013/08/03 00:19
ファイル島からサーバ大陸に旅立つ航海の前夜に、ゲンナイから直接光子郎のノートパソコンにダウンロードされたのは、
サーバ大陸とファイル島の地図である。エテモンのネットワークであるダークケーブル拠点のパソコンにクラッキングを仕掛け、
笑天門号のモニタに表示される情報には劣るものの、不正入手に成功したデータはすぐさま地図のデータに上書きされた。
これにより、毎日毎日奇襲される、いつもどこかで監視されている、いつもいつも追いかけられているという恐怖や緊迫感、
押しつぶされそうな不安からは、少なくても選ばれし子供達とパートナーデジモン達は解放されるにいたった。
どこをどう通ればダークケーブルを避けて、エテモンからの奇襲に対しこちらから特攻するという暴挙にでなければ、
確実にこの漂流生活は紋章探しに専念することが出来るようになった。
しかも、ナノモンによりもたらされたメールに添付されていた情報を解析して、さらにサーバ大陸の地図は強化されていく。
今まで、どこにどのように紋章が散らばっていたのか、選ばれし子供達はどういった足取りで漂流してきたのか確認できるようになり、
なおかつ、これから探すナノモンの身分証明、少なくてもこれが正しい情報と分かれば子供達は完全にナノモンを信用できる確信である、
紋章を探すことに集中することが出来ることが確約された。
サーバ大陸に来て初めて、選ばれし子供達はピッコロモンの結界外で、安息の日を送ることが出来るようになる。
もう、明日に備えて紋章探しをしなければいけないから、
英気を養うために早く寝る必要があるのだが、ずーっと押し殺していた好奇心を取り戻した、
選ばれし子供たちのテンションの上がり方は尋常ではなかった。抑圧されてきた感情の発散はいい傾向である。
だから、ダークケーブルの見当たらない、なおかつ高い木から見下ろすことでエテモンの奇襲を真っ平らな砂漠から、
確実に発見することが出来るという絶好の今夜の宿であるオアシスは、文字通り、
心の安らげる場所であるに違いなかった。
もちろん、紋章を手に入れているという気休めの安心を得た、最年少組を除く男の子組による見張りと見周り役の交代制は、
ずーっと継続中である。もう慣れたものである。きっと今夜もすることになるだろう。
地下水から湧き上がる泉が中心となっているオアシスは真水だったので、彼らの大歓声を持って迎えられた。
夕食を終え、水浴びという名の水遊びをして、着替えを終えたら、寝床の確保である。
光子郎曰く、樹齢にして200年近くありそうな巨大な木々が、オアシスをエテモンから覆い隠してくれるうえに、
見張り台の役目もしてくれるのがありがたい。
大輔はその木々を見上げた。大輔が生まれる前の途方もない昔から、小規模ながら過酷な環境にも関わらず生きている生命の営みは、
このオアシスを見守り続けているのである。見上げるだけでも首が痛くなりそうである。高さにして25Mとは、光子郎情報だ。
単体もあるが、ほとんどは同じ根から数本の幹が生えて群生しており、その木々を中心に乾燥地帯の水辺に自生する植物の茂みがある。
ナツメヤシである。
常夏のイメージでおなじみの緑色のまっすぐな葉がてっぺんからだけ生え、茶色くてがさがさした樹皮をしている木である。
常緑高木になる実は食べられるのだが、残念ながらこのオアシスにあるナツメヤシには、ひとつもなっていなかった。
天辺からぎざぎざが沢山入っている、3メートルにも及ぶ葉が、ピヨモン、テントモンによって、落とされていく。
せっせとパートナーデジモン達がかき集めていく。選ばれし子供達総出でかき集めた、やわらかそうな葉っぱたちの上にどさっと乗せられた。
男の子組、女の子組、パートナーデジモン達の分が完成した。
とはいえども、久々にゆっくりできるとあって、子供達はともかく、パートナーデジモン達は好き勝手な場所を寝床にすると宣言している。
もともと寒冷地帯に生息するゴマモンはこの激しすぎる寒暖の差が嬉しいらしく、日中の元気の無さは嘘のように、
水辺でずーっと水遊びを続行中であり、はしゃぎ続けているので、多分そのうち気がすんだら水辺近くで寝るのだろう。
もちろん、テントモンはナツメヤシを陣取っている。他のデジモン達は知らん顔で寝床にもぐりこんだ。
いつもは高いところまで飛んでいき、継続することができない飛ぶのがへたくそなピヨモンは言わずもがな、木の上である。
ちなみにトコモンはパタモンだったら今頃は、とぐぎぎぎしながらも、失踪の前科があるのでタケルが離そうとしないし、
うがーっと威嚇した所で、ぽっちゃりな体格はいつも格好の枕の代わりになので、
またもや押しつぶされてしまい、すっかり涙目である。
それでじたばたしてタケルが頭を強く打ちつけ、喧嘩になっている。
上級生組は光子郎を巻き込んで何やら相談があるらしく、話しあっている。女の子組の水浴びはまだ終わらない。
だから大輔の隣にいるのはブイモンだけである。夕日が落ちて、緩やかに夜のとばりが下りていく。
あ、と何かを発見したらしいやんちゃ坊主の顔が輝いた。たいへんだ、たいへんだって大発見を相棒に伝える。
それはもう、大げさなくらいまでに、全身で表現している。微笑ましくてブイモンがつられてなになにって身を乗り出すくらいまで。


「なあなあ、ブイモン、見ろよ!あれ!すっげー、星が丸い!点じゃない!」


指差した先に輝いているのは一番星である。
太一に初めてジュンお姉ちゃんの問題について相談した夜や、おもちゃの街にある城でみた、ファイル島の夜空とは違うのだ、と
ようやく大輔は気が付いたらしい。サーバ大陸の環境は限りなく南半球に近いため、乾燥地帯の気候と合わさって、
雲や大気圧のような不純物が混じりにくく、地球と宇宙の部分に当たる空気の層が澄み切っており、透き通って見えるために
より星が近くはっきりと見える。だから、肉眼でもはっきりと丸く見えるのである。
自然にあるものは丸くなると安定するいう法則があるなんて知らない大輔は、いつも見える点が丸くなっただけでも大発見なのである。
近くなったことは何となくわかるので、手を伸ばしてみるがやっぱり届かない。


「ほんとだ、ほんとだ、すっげー!大輔、大発見だな!」

「おう!」


ナノモンからのメールを見てから、ずいぶんと上機嫌なブイモンは、大輔の真似をして両手を広げて遊んでいる。
ブイモンが目に見えて大喜びしているのは明らかなので、大輔は聞いてみたのだが、大輔の紋章もらえるかもしれないだろ!って
力説されて、それにつられて、そういえばそうだよな!と単純すぎる思考回路はさらりと流してしまった。
ブイモンが抱える懸念材料は、命より大事デジメンタルを太陽の紋章にとられたという屈辱とその持ち主が大輔の尊敬する先輩であるという、
八つ当たりにも似た嫉妬と大輔を危険な状態に追いやった前科者の太一に対する途方もない嫌悪感だけになったのである。
これで天敵の大輔の中での地位の失墜の妨害工作に専念できるというものだ。
ブイモンの世界ではどこまでも大輔が一番であり、タケルがちょっとだけ上で、上級生組は大輔を助けてくれたから、まだまし、
太一に+補正もあるのだが、上記の理由でマイナスまでは解消できていない。アグモンはノータッチを貫いてくれているので、
パートナーデジモン達はみんな横並びである。仲間だけど、それ以上でもそれ以下でもない。信用と信頼は違う。
まあパートナーデジモン達はみんな口に出さないだけで、パートナーが一番で、他の選ばれし子供達とパートナーデジモン達は、
仲間だけど、それ以上でもそれ以下でも無い。みんな横並びなのは一緒である。ブイモンが正直すぎるだけだ。
アグモンでさえ、すぐ後ろに大輔がいるのに太一がやってきたら太一の名前をよんで、飛んで行ってしまうように。
ただブイモンは今までの旅の経験と古代種の力を存分に発揮できるようになったため、かなり自信過剰になっているのは事実である。
だって、ナノモンは保障してくれたのである。大輔の紋章を含めた、空、タケルの計3つの紋章の在処を知ってるし、
そのうち1つを明日探しにいける地図まで渡してくれたのだ、デジメンタルの件で心配しなくてもいいはずの、
大輔の紋章の存在自体を不安視していたブイモンからすれば朗報である。喜ぶのも無理はない。
肩の荷が下りたブイモンは純粋に紋章を楽しみに待つことが出来る大輔と同じ立場になることが出来るようになったので、
こうやって大はしゃぎしているわけである。これをいったら大輔はまた傷つくからいわないのだ。心配ごともふくめて。
大輔のため、が大前提のこの気遣いは、ブイモンがどういう態度をとるから周りがどう思うかという配慮が欠落しているので、
結構矛盾なちぐはぐだらけである。もう少し周囲に回せたらいいのだが。ブイモンが周囲に全く無関心なのが頂けない。


「あーあ、結局、また後ろの方だよなあ、紋章」


はーあ、つっまんねー、と大輔は溜息である。
ブイモンの裏事情なんて知るはずもない大輔は、能天気に紋章を早く欲しくて愚痴っている。うんうん、とブイモンはうなづいた。
結局また後ろから数えた方がいい。初めての進化は後ろから2番目。初勝利を考えるとどん欠である。
でも一番最初だとスカルグレイモンの件が頭をよぎるので、進化進化っていきりたったのはきっと大輔もブイモンも同じだから、
ちょっとだけぞっとするコンビである。もしああなっていたらきっとブイモンも大輔もヤバいことになっていたのは間違いない。


「なー、大輔、どんな色の紋章がいいんだ?」


現在判明しているのは、5つである。
太一の、オレンジ色をした太陽みたいな紋章。
ヤマトの、青色のぎざぎざの中に涙がつまった紋章。
ミミの、黄緑色で二重丸の安定する丸が涙で包まれている紋章。
光子郎の、紫色で安定する丸同士がケーブルみたいにつながっている紋章。
そして、丈の、灰色で十字架に直角三角形4つの紋章。


まだ出てきてない色ってなんだろう、と大輔とブイモンは考えてみるのだ。


「赤色は?」

「赤色かあ、サッカー部のレギュラーの色だから結構好きなんだけど、レッドカードっ
て言う、
試合中にいろいろやっちゃうとでてけーって怒られるやつがあるんだよ。あ、でも太一先輩の紋章に似てるよな、色」

「………黄色は?」

「黄色かー、いいなあ、太一先輩の紋章と色近いし。なんか明るいし」

「……………水色は?」

「なんで怒ってんだよ?水色かー、光子郎先輩もヤマト先輩もいーひとだし、いいかもな。
オレの好きな色に近いし。あ、でも、サッカーボールみたいに白黒だったらぜってー大事にするぜ、紋章!」

「えー、真っ白か、真っ黒?」

「ちがうちがう、白黒」

「みーんなひとつの色だよ、だいすけー」

「なんだよー。じゃあブイモンはどんな色がいいんだよ?」

「オレ?オレは大輔の紋章だったらなーんでもいいんだ。大輔だけの紋章なんだから、きっと好きになれるよ」

「えー、なんだよそれ。あいっかわらず、そーいうとこへんだよなあ、ブイモン」

「へんっていわないでよ、大輔」

「だってよー、なーんか、なんにも考えてない感じがしてやだな」

「なんにも考えてないわけじゃないけどさ、オレには今しかないんだよ、大輔。すっからかんだったんだもの。
だから、オレ、食べる時も、遊ぶ時も、寝る時も、いっつだって全力なんだよ。
だからぜーんぶぜんぶ欲しくなるんだ。我慢できないんだ。今だってそうだよ。きっとこれからもね」

「そーいやいーじゃねーか。そっちのほうが、なんか、かっこいーぞ」

「え?そう?」

「そうそう。今しかないから、いっつも全力かー、いいなーそれ。
なーんにも考えてないふりして、実はいっちばん考えてるってことだろ?
いーなあ、ブイモンのそういうとこ、カッコいい」


ブイモンの性格がよくあらわれている言葉だと大輔は思った。
食べる時も、遊ぶ時も、寝る時も、いつだって全力で、戦うときだって全力で、ほしいと思ったらずーっと頑張り続ける一途さは、
大輔が身を持って知らされている面がひしひしとあるだけに、結構重いけど、確かに向けられる側としては最高だ。
ましてや、家族にはあんまり愛されてない、きっと嫌われてるんだろうなあ、と思っている大輔にとっては、
ブイモンのまっすぐな気持ちは結構嬉しいのである。褒められたブイモンは嬉しそうである。
上級生から「おかしい」は「ごくふつうのあたりまえのこと」で、それに気付けるのは「すごいこと」と褒めてもらったこと、
「正直に」「素直に」口にする方が「怒られない」「叱られない」「迷惑をかけない」「褒められる」「喜ばれる」「えらいって言われる」
とたくさん学んだ大輔は、確実にジュンお姉ちゃんとの仲直りの糸口をつかめた気がして、ぽかぽかする。
もちろん、相手のことを考えないとヤマト先輩みたいに怒られるから、やっぱりちゃんと考えないといけないけど、と補足する。
大輔は本音を吐露する回数が、結構増えてきていた。だから、こぼすことにしたのである。ちょっとだけ。
自意識過剰な大輔の代わりに自信過剰になっているブイモンに、元気づけてもらいたくて。


「なー、ブイモン」

「どした?」

「ちょっと怖いんだ」


ぽつり、と呟かれた言葉に、ブイモンは思わず大輔を見上げる。
じーっとみる。じーとみみをかたむける。じーっとたっている。こうすると大輔は安心すると知っているから。


「オレさ、デジタルワールドに来てから、変になってきてねえかな?」

「え?どういうこと?なんか、どっか、調子悪いの?病気!?だいじょうぶか、大輔!?」


過剰に反応してくれるということは、傍から見たらおかしいと思っているのは大輔だけのようだと安心する。
少なくてもみんな優しいからいわないだけ、ではないらしい、と大輔は思って、口に出す。


「だってさ、デジタルワールドにきてからさ、オレにばっか変なこと起こるだろ?
なっちゃんの声が聞こえたって、オレだけでさ、みんなにもブイモンにも聞こえなかったんだろ?同じデジモンなのにさ。
だからデビモンにさらわれそうになったんだろ?
だからだーれも気付いてくれなくて、みんないるのに一人ぼっちになったわけだし。
でも、そのおかげでなっちゃん助けられたし、タケルとトコモン仲良くなったし、エンジェモン元に戻ったみたいだし、
いいんだけどさ、なんか、ちょっと、こえーんだよ」

「だいすけ」

「紋章の声が聞こえたのも、なんか、オレだけみたいだし。約束したから、見つけたいし、はやく会いたいんだけどさ、
やっぱ、なんか、どんどんへんになってるきがするんだよ。おかしくなってる気がするんだよ。どうしよう。
でもな、でもな、それってもーっとオレが早く来てれば、なっちゃんだってデジタマになるまでに記憶戻ったかもしれないし、
ブイモンだってずーっと洞窟で寝てなくてよかったわけだし、なんで忘れてたんだろうってのもあるし、なんか、
わけわかんねえ。オレだけに出来ることなんだろうって思うんだけど、なんかいっぱいありすぎてわかんねえんだよ」

「大輔優しいもんなあ。あ、そーだ、そーいうときこそ、今できることだけ、考えればいいんだよ、大輔」

「今できること?」

「そうそう。じゃないと大輔、また迷子になってたゴメンナサイみたいに、つぶれちゃうよ?」

「あーそっか。そーだよな、ブイモンみたいにすればいいのか」

「うん!」


うなずいたブイモンと大輔の間を割って入るものがある。


「こーら、なにまた勝手にブイモンと一緒に内緒話してんだよ、大輔!」

「え?あ、太一先、ぱ、ぎゃああああ!」

「な、い、しょ、ば、な、し、は、や、め、と、け、って、いっ、た、よ、な?
何かあったら、オレ達に相談しろって丈にも言われただろ!もう忘れたのかー?こんの野郎!」

「ごめんなさい、ごめんなさい、だって太一先輩達なんか話してたからっ!後から言おうかなーって!」

「んなもん、後からでも出来るんだよ!ブイモンみたいに自信満々で突っ走ったらどーなるかわかってんのか!」

「僕達みたいになるよね」

「おいこらアグモンなーにいってんだよっ!」

「え?それどーいう意味っす、いでででででっ!」

「おまえは知らなくってもいいんだよ!ったくもー、まーたオレのけもんにしやがって。
元の世界に帰ったら覚えてろよ。サッカーの合同練習しばき倒してやる」

「え゛……ってう゛わ゛ああああっ!ごめんなさい、ごめんなさい、
マジですんません、オレばっかねらうのやめてくださいいいい!」

「わかればよし、先輩の言うことは聞くもんだ。オレの真似してればいいんだよ。
オレだってちょっとくらい我慢できるようになったんだからな」

「は、はあ……」

「なんだよー、あんだけ、太一先輩みたいになりたいですって言ってたくせに」

「なりたいっすよ!」

「ならオレの真似してりゃいいんだよ」

「わかりました」

「うし、」


太一先輩の真似、かあ。と頭をぐりぐりされながら、ちょっとだけ泣きたくなる大輔である。
一生懸命太一先輩の真似をしようとして、頑張った結果がスカルグレイモンの件での大混乱と大パニックと迷走を生んだ訳で、
限りなく心中は複雑である。ブイモンから進化ができなかったことを聞かされていたのでなおのことである。
そして、ピッコロモンの特別カリキュラムいきになった訳だから、大輔にとってはためいきものである。
太一は知らないが、太一がヤマトみたいに意識して何かをしようとしていろいろおかしくなったように、
大輔も意識してなにかをしようとすると空回りどころか、心的、身体的ダメージまで、返ってきてしまうのだ。
自分らしくない行動はそれだけ紋章の持ち主である選ばれし子供にとっては、危険があるということである。
それが大輔と太一は同じながらも正反対な形で明示化されたかたちである。一方はみんなが分かりやすく、一方は当事者だけ。
だから大輔はタケルが無性にうらやましくなって、大喧嘩した訳だから、心はいつだって悲鳴を上げている。


大輔は太一に不安を吐露することにした。
もちろん、なっちゃんの声と紋章の声が聞こえた「おかしい」である。
ピッコロモンから光が丘事件については伏せておくようキツクキツク言われたので、約束を守る義理がたい大輔は、
ピッコロモンがどういう立場かしっている太一には、あらかじめ「口止めされているので言えません」とくぎを刺した。
これが大きな変化である。ぜーんぶだんまりを決め込んで抱え込んでいた大輔が、ちょっとずつ、
表に出す方法を学んできた成果である。ピッコロモンの奴―、と悔しそうに握りこぶしである。
上級生組には知らせるけどいいか?と太一にいわれ、はい、と大輔はつぶやいた。


「でもそれって大輔にしかできなかったことだろ?」

「え?そうっすか?」

「そうだよ。大輔だからこそ、出来たことだろ?いちいち探さなくったって、もう出来てるじゃねーか。
心配すンナって。そのおかげで大輔はまたなっちゃんに会えたし、元気になったんだから、いーじゃねーか。
オレ達が守ってやるからさ、大輔は大輔のできることをじっくり探せばいいんだよ、頑張れ」

「ありがとうございます」

「いいって、気にすんな。そーだ、大輔、その紋章はなんて言ってたんだ?」


大輔は言った。



めをそらしちゃいやだよ、だいすけ。

みみをふさいじゃいやだよ、だいすけ。

きいて、ぼくたちのこえ。さみしいよ。

そしたら、また。ぼくらはきみにあえるんだ。

さがして、ぼくらのこと。また、あいにきて。

ぼくらはいつでもきみのそばにいるんだ。

わすれないでね。まってるから。

もんしょうになってまってるから。

だから、ぼくたちのこと、みつけてね。やくそくだよ。


「なんのことだかさっぱりなんすよ。だってナノモンがみつけてくれたんすよね?紋章の場所。
それに、なんか、タグがぴっかぴかに光って、それで見つけられるんすよね?
なんでオレだけ「目をそらしたり」「耳をふさいだり」して、
あいつらの「声」を聞かないと紋章がみつかんなくなっちやうのか、よくわかんないんすよ」

「大輔そっくりだなー、さっすが、大輔の紋章だ」

「えー、なんすかそれ」

「大輔、お前気付いてないだろうけどさ、お前テンションあがると、やったら大げさな、だー、とか、わー、とか、
いう言葉がいっぱい出てくんだよ。おかげでこっちは何しゃべってんだかわかんねえこといっぱいあるんだよ。
それに自分の言いたいこと良く分かってねえだろ。まー大輔らしいから治せとは言わねえけど、
わけのわからないもんはどっか行っちまったんだろ?ちょっとは落ち着けよな」


って、なんだよ、その顔は。またいじめられるので、あわてて大輔はなんでもないっす!と言って、ご機嫌をとる羽目になる。
何度も何度も同じ話を無限ループで聞かされる側としてはお前が言うなである。
主に八神ヒカリに関しては大輔は耳にタコが出来るくらい聞かされている。それはもう詠唱できるくらい。
さすがの大輔も、太一の光に対する過保護ぶりはちょっと引いている所があったので、勘弁してくれ、という所はあるのだ。
だって、いくらおねしょをした妹をかばうためとはいえ、女の子の下着を自分が両親に隠れて洗ってあげた挙句、
自分から証拠隠滅を図った挙句、ばれたら両親にオレがやったと自己申告するとか、いくらなんでもやりすぎだろう。
超が付くほどのシスコンである。これではお姫様状態である。そう言えば八神さん昔のタケルに似てるなあと思う大輔である。
さすがにそれを知っていると聞いたヒカリは、え、うそ、お兄ちゃんそんなことまで話してるの!?いやああ!わすれてええ!と
常識人っぷりを発揮したのでほっとしたのだが、そのエピソードを人に話したということ以外では受け入れている時点であれである。
つくづくジュンお姉ちゃんが超が付くブラコンじゃなくてよかったと思う大輔である。そんなことになったら、悶絶して死んでしまう。
後輩からそう思われているなんてしらない太一は、ほかには?と言われたので話すことにした。


「ごめんなさいの紋章だって」

「はあ?なんだそりゃ。光子郎並みにネーミングセンスねーな」

「え?光子郎先輩、ネーミングセンスないんすか?」

「ねーよ、全然」


みーこって名前を飼い猫に付けるまでのまともな名前を付けるというお兄ちゃんとの熾烈な争いを光から聞いている大輔は、
うわ―状態である。みけ、とかなら分かるけど、聞いている限りでは酷いありさまだった。ごんぞうってなんぞそれ。
ちなみにコロモンに対する名前もことごとくこの太一少年はネーミングセンスが壊滅的な所を見せている。
ヒカリは幼いながらもホイッスルで抗議しているし、コロモンが自分の名前を名乗ったのはその後である。
それはともかく、太一先輩から酷評されるってどんだけ酷いんだよ、という突っ込みは、心に仕舞われた。
彼がその神髄を思い知る羽目になるのは、4年後、自ら口にする羽目になるデジデジモンモンである。


「まあ、困ったことあったら、なんでもいえよ?話し合いとかしてても割り込んでこいよ」

「はい、わかりました。ありがとうございます」


満足したのか、早く寝ろよ、と太一は手を振ってアグモンと共に去っていった。どうやら見張り役は太一コンビが最初らしい。
結局最後まで、ピッコロモンの修行はどうだったんですか、という質問が飛んでくる前に全力で逃げ切った太一である。
いえない、いえない、いえるわけがない。小学校1年生のくせに生意気にも補助輪なしで泣きべそかいて一人で自転車の練習をして、
お父さんやお母さんの手伝いをしてもらって、やっとのことでのれたことを思い出して、自分がどうしてリーダーになりたいのか、
思い出しました、なんてバカ正直にいえるような人間ではない。ただでさえ大輔はライバルであるヤマトを尊敬のまなざしで見つめつつある。
憧れが緩やかに太一からヤマトに移行しようとしていることくらい、太一だって分かっているのである。先輩ぶりたいのは仕方ないといえた。
ピッコロモンの修行で自分のペースでがんばることを決意した彼である、もう暗黒進化や軽率な行動は減るだろう。何もなければ。


「ピッコロモンが言ってただろ、大輔、デジタルワールドではなんにだって、きっと何か意味があるんだって。
大輔のそれも、きっと何か意味があるから、必要があるから目が覚めたんだよ。違う?」

「そっか、そうだよな。うん、ちょっと元気出てきた、ありがとな」

「うん。大輔、そろそろ寝よう?」

「おう」


すっかり暗くなり始めた星空のもと、一人と一匹は駆け出した。









本宮大輔は何も知らない。
デジタルワールドの1日は、現実世界における1分である。
デジタルワールドの1440日は、現実世界における1日である。
デジタルワールドの525600日は、現実世界における1年である。
デジタルワールドの2102400日は、現実世界における4年である。
大輔はエレキモンから聞いたデジタルワールドの4年と現実世界における自分の体感時間である4年は同じだと思っているが、
実はこれだけの開きがあるのである。なっちゃんの寿命である4年は現実世界における24時間と少ししかない。
彼が丁度、大好きで大嫌いなジュンお姉ちゃんに「家族として、姉として、自分をどう思っているのか聞こう」という、
小学校2年生にしてはあまりにも悲痛な覚悟と決意を固めたころに、なっちゃんははじまりの街に生まれ、
彼がデジタルワールドにやってきて、なっちゃんの世界に迷い込んだ頃には彼女は寿命が尽きる寸前だったのである。
それほどまでに彼女の一生は短かったのである。彼がなっちゃんにもたらしたバグが、デジタルワールドにおいて、
どれほどまでの大事件だったかなんて、想像すらできないだろう。
彼女は大輔にただ一言「ごめんなさい」という言葉をいうために、かたくななまでに光が丘事件と言うお仕事の記憶を、
何がなんでも、絶対に大切な大切な記憶を守り続けるのだと言ってきかない。辛く過酷な日々になるのは明白だった。
ただでさえ、デジタルモンスターにとって、感情の書き換えはオーバーライトという多大なる負担として、寿命を縮める。
そのバグを持ったままで、なおかつ、一つの記憶、想いがつまったどでかい容量を食うデータを、しかも感情という、想いという、
強烈なオーバーライトを引き起こすものを持ち続けるなんて、それだけでデジコアをどれだけ消費すると思うのだ。
何百回、何千回、転生を繰り返す中で、どこかのだれかさんも少しでも彼女の一生を伸ばすために、
あれやこれやと手を打ったのだ。それが記憶の意図的な消去だったり、隠匿だったりするのだが、
想いは消えない。想いは残る。想いはいろんなことを起こすのである。いいことも、わるいことも。
そして、それを知らしめた少年は、「ごめんっていったら、おわりだろ」というたった
一言の魔法の言葉で、
それを病気ではなく癒しに変えてしまったのである。だから奇跡の紋章は、想いの紋章なのである。
それと非常に類似した能力をデジタルワールドは知っていた。
だから古代種の中でも一番その形質がでるデジモンを、パートナーデジモンとして選んだのである。
古代種のオーバーライトは寿命を縮める代わりに、古代種に対して潜在能力や運動能力の向上など、爆発的な能力を発揮させる。
その中でも、喜びや楽しみから発生し、古代種デジモンにとって最も大切なものを思う気持ちから発生するオーバーライトは、
強力な回復能力や進化を促す能力を発生させる。
本来、伝説級になるまでの歴戦の勇士に名を連ねるのみが開花することができる。
預言の書によれば、その境地に辿り着いたのは、たった1体だけであり、それがロイヤルナイツに名を連ねている
アルフォースブイドラモンという古代種にして唯一、究極体になることが出来た伝説上のデジモンである。
そのデジモンにはかけがえのないパートナーがいたらしいが、記述が残っていないため、憶測の域を出ない。
古代種のオーバーライトによる寿命の極端な短さを、その特別なオーバーライトによる強力な自己治癒能力で完璧に補い、
克服することが出来た唯一のデジモンが、アルフォースブイドラモンなのである。
そのパートナーとデジモンを前にすれば、いかなる敵もかなわなかったといわれている。
その特別なオーバーライトの名前はアルフォース。
ロイヤルナイツに上りつめたブイモンの進化経路の一つを模している。
もっとも、大輔の持つこの力は、選ばれし子供たちの開祖となった子供とは違い、異能として覚醒できるような代物ではない。
なぜなら、本宮大輔は人間である。デジモンではない。だから、大輔本人がこの力を完璧に使いこなすことができたとしても、
デジタルモンスターに分け与えなければ真価は発揮されないし、それは心の力をえぐり取って渡すことと同じである。
なぜなら、デジモンはデジタルのモンスターだからアルフォースは寿命をえぐり取って使う能力の穴埋めを、同じアルフォースで埋めることが出来るが、
本宮大輔は人間だから、感情によって寿命を縮める力を発動したとしても、感情では寿命を元には戻せない。
デジモンはデータの修復で心臓を復活できるが、人間は人工臓器を使わないと死ぬ。そういうことである。
伝説上のパートナーと違い、大輔は心の形質を最大限に引き出せる紋章を持って、選ばれし子供に選ばれたため、
ブイモンとはもう一つの自分となることで、つよい心の結びつきを得ている。
だからオーバーライトをはんぶんこできる。負担できる。
そのかわりに、ブイモンと大輔は対等な関係ではないし、独立した他人同士ではないから、ブイモンがアルフォースに目覚めることは、
到底不可能であるため、その極致になるのは不可能なのである。
だから、ブイモンがアルフォースを発揮する時、それは何度も使えるものではない。
大輔の負担を減らしてくれる紋章とデジヴァイスがあって、
なおかつ心の底から何かを願った時である。それがいつになるのかは、まだ誰にもわからない。
そんな大輔の力から生まれた紋章である奇跡の紋章は、かなりの問題児になってしまった。
奇跡と同じである。闇にとても光にとっても、奇跡は等価である。どっちにも起こりえることである。
だから奇跡の紋章は、想いに答えてしまう紋章である。持ち主やデジモンの強い願いに反応してしまう紋章である。
だから、もしなっちゃんが心の底から「死にたい」と願ったら、まちがいなく叶えてしまうような極端な紋章なのである。
だから大輔は紋章に選ばれたのだ。大輔はいつだって、誰かを守りたい、誰かを救いたい、誰かを助けたい、と思った時に、
デジヴァイスの進化の光を放ってきたから、選ばれたのである。諦めない子だから、選ばれたのである。
その果てに、相手が心の底から死を望んだら、叶えてあげてしまうような、優しい優しい男の子だから、選ばれたのである。
なんにもしらないブイモンと大輔はかなり薄氷にいる。
大輔はこの力に気付きつつあり、怯えていて、なおかつ精神的に見ても不安定である。
ブイモンは大輔さえいればいい、という自信過剰に陥っている。
しかも、ブイモンと大輔は選ばれし子供の中でも、もうひとりの自分という形でつながっているため、ブイモンは大輔の影響を受けやすい。
大輔はほっといてくれる親友が欲しいと言ったが、違うのである。彼が本当に必要としているのは、止めてくれる親友なのである。
それに彼が気付かない限り、彼らは紋章を見つけられない。



[26350] 第24話 希望は疫災である その1
Name: 若州◆e61dab95 ID:3dc27701
Date: 2013/08/03 00:19
お台場からゆりかもめで新橋へ。新橋からJR山手線などで新宿へ。
新宿から京王線や小田急線で降りてから、世田谷区内の各駅に向かうローカルに乗る。
そして、世田谷区三軒茶屋という見慣れた駅名が電車に表示されたら降りる。駅を抜けたら交差点にでる。
左が玉川通りで首都高速3号の渋谷線に行ってしまうから、右が世田谷区通りだから、右にいくのだ。お家があるから。
三軒茶屋交差点を右に行くと、お地蔵さまがあるから、それが目印。世田谷通りに入った所には商店街がある。
もうここまでくれば、安心である。30分の大冒険の終了である。
いつもいつも、お母さんが返って来ない時には、リビングに置いてある封筒に入っている、1000円札を握りしめて、
夜の晩御飯を買いに行く、もしくはお願いねって頼まれた買い物を、ブランドものの買い物袋片手に、メモ帳をにらめっこしながら、
買い物にいくからわかるのである。もうここまでくれば、ここはもう高石タケルの世界である。
商店街をまっすぐにいって、一丁目と三丁目の間にある住宅地のタケルだけが知っている近道、お母さんにばれたら危ないって怒られるから、
内緒にしている細い路地の裏路地を通れば、その先にあるのはタケルの住んでいる高級マンションである。
そして、なくさないようにねって、いつも持たされている財布に括り付けられた鍵とお家の番号とマンションに入るためのパスワードを開いて、
背伸びして、マンション前のセキュリティシステムをくぐって、エレベータに乗り、ボタンを押して、そしてお家に帰る。
鍵っこの母子家庭のタケルがいつも使っている鍵を使えば我が家の到着である。
以上が、もしものことがあったら困るからって、お仕事があったらお迎えにいけないからって、
お母さんから教えてもらった、ヤマトお兄ちゃんに教えてあげてねって言われた、お兄ちゃんのお家からタケルのお家までの帰り道である。





東京都世田谷区にある中央部に位置し、区内でも繁華街がにぎわい、1,2を争う商業地の一つであり、
住みたい街ランキングに名を連ねている人気住宅街に、タケルは住んでいる。
渋谷が近く、タケルも知っている、お母さんにねだればサインとか貰える芸能人が数多く住んでいることでよく知られているこの街である。
顔の知られたルポライターであり、小説家であり、シングルマザーという選択肢を選んだ世間体に晒され続ける母親の苦労が日常にあるタケルは、
そんな母親の一人息子と言うレッテルに晒され続けていたから、なおさら「いい子のタケル君」が強要されてきた世界でもある。
逃げ出したいといつもいつも思いながらも、いつもいつも「いい子のタケル君」からその先から親友になってくれない小学校という世界と、
近所の世界がすべてである。広いのに狭い、へんな世界である。もちろん今までのタケルはそれが当たり前だと思っていたから、平気だった。
だってタケルはこの街が大好きなのである。タケルも大好きだし、お母さんが大好きだから、大好きなのである。
タケルは知っている。お母さんが引っ越し先のこの街を選んだのは、昔ながらの商店街やすずらん通りという、どこか懐かしい、
日本の下町原風景が沢山あって、タケルがヤマトお兄ちゃんとずーっと預けられていた島根のおばあちゃんの家という、
お父さんの実家とよく似ているからだってことを。
それは、フランス人のクオーターであるがゆえに、ヨーロッパに偏ってしまうお母さんの実家には絶対にないものであり、
かつてお母さんとお父さんが仲よしになった理由は、そこにあるんだってことも、タケルは知っているのだ。アルバムで見たから。
そして、ヤマトとタケルが金髪だったのをお母さんはちょっと残念に思っていて、タケル自身金髪は珍しい、と自覚しているから、
よく髪の色が違うね、カッコいいね、すごいねって言われるから、それが原因でお友達になれないんだって分かってから、
サマーキャンプに参加するって決まって、お母さんが緑色の帽子を買ってくれたから、それをずーっとかぶっているのだ。
引っ越した時から、タケルのトレードマークは帽子である。
だからなおのこと思うのである。お母さんに聞いたこともある。どうして、お父さんにゴメンナサイしないのかって。
そしたらお母さんは言ったのである。叱られたから覚えている。怒られたから覚えている。どうしてそんなこというのって、
お母さん泣きそうな顔してたから、傷つけちゃったから、聞いちゃダメなんだって分かったから、二度と訊いていないけど。
お母さんは言ったのだ。子供同士のケンカは仲直り出来るけど、大人同士のケンカは仲直り出来ないのよって。仕方ないのよって。
だからタケルは思うのだ。大人同士のケンカで仲直り出来ないんなら、子供同士のケンカも仲直りするのは無理なんだって。
仕方ないんだって。その日から、タケルの世界は仕方ないの世界になった。すぐに何でも諦めてしまう世界になった。
自分の気持ちなんてほったらかしで、心の奥底に深く閉じ込めて、本人すらどれが自分の本音なのか分からなくなるくらいまで、
みんなが望んでくれる「いい子のタケル君」でいるようになる。そっちの方が楽だから、そっちの方がみんな喜んでくれるから、
お母さんに怒られないし、叱られないし、傷付けないし、褒められるし、甘えられるし、なんでもしてもらえるし、
そうすればタケルが欲しいものは全部全部手に入ったから、必要とされていない「いい子なタケル君」じゃない「タケル君」はいらないんだって。
「おおきなとりさんとおおきなきょうりゅうのけんか」という豊かな想像力が「いったいだれににたたのかしら」という、
お母さんに嫌われたら死んでしまう子供の本能で忘却の彼方になってから、一層のことそれは顕著になった。





だから、「いい子じゃないタケル君」を見ても、嫌いにならないでいてくれた、友達になってくれた本宮大輔君が、
どんだけすさまじい存在だったかなんて、いうまでもないだろう。なんでか手に入らない親友に初めてなってくれそうな子が現われたのだ、
親友という立場を欲しい、とわがままなだだっこが、欲しがるのも無理はない話である。
そして、諦めることをしないで、初めて欲しがることを努力した瞬間から、タケルの中には、
3年間眠り続けていた「いい子ではないタケル君」が目を覚ましたのである。具体的に言うと、大輔と初めて大喧嘩したその瞬間から。
しかし、そのタケル君は目が覚めたばかりなので、身体は8才なんだけども、ようやく心のお家に帰ってきたばかりなので、
5歳のままというかなり困った事態となっていた。どこぞのハイスペック5歳児とは比べ物にならない、正真正銘の5歳児である。
目は見るもの、耳は聞くもの、厚いと薄いが分かる、厚いと寒いが分かる、平仮名で書かれた自分の名前を読む、
昨日あったことを話す、グループでごっこあそびをする、友達と一緒に遊ぶ、友達を家に誘う、
小さい子の世話をする、鬼ごっこのルールである追いかける、逃げるがわかる、
じゃんけんで勝ち負けを決める、大人の人の指示をよく聞いて、行き先を言って、遊びに行く、
いたずらを注意されたらすぐやめる、みんなをやめさせる、悪いことをしたら自分から謝る、
一人でじぶんのことは全部やる。
おそろしいことに、その5歳のままのタケル君と8歳のいい子のタケル君は、精神年齢が全く合致しているという事態になっている。
ぜんぶぜんぶ、お母さんに甘えるために、高石タケルが必死に努力して身につけてきた成果であり、
幼い子供が大人に守ってもらうための防衛本能として作り上げてきた当然の世界である。すべて5歳でもできることである。
もちろん、シングルマザーでありながら著名な芸能人であるお母さんの心労は理解できるのだが、
この漂流生活はあまりにも5歳の男の子には、過酷の極みである。エンジェモンのしたことはとんでもないことである。
天使はいいことの象徴で、悪魔は悪いことの象徴で、いいことはいいこと、わるいことはわるいこと、という
シンプルな世界で生きていた五歳の男の子に対して、与えられたパートナーデジモンがよりにも寄って、
いいことの象徴である天使なんて意地悪をどこかの誰かさんがしていたのだ。
しかも、パートナーデジモンが初めて進化をしたという記念すべきその場面で、
わるいことの象徴である悪魔に対して、その天使が独りよがりな未熟者の思考回路でもろとも心中するなんて、
とんでもないことを仕出かすのだ、ショッキングすぎるだろう、まだタケルは5歳なのである。
パートナーがパートナーなら、パートナーデジモンもパートナーデジモンである、もうひとりの自分だ、お互い様である。
そのまえに、大事な友達である、親友になってくれそうなお友達である本宮大輔君を未熟者の天使が殺そうとするという、
とんでもないショッキングな出来事が発生しているので、タケルの中では思いっきりプラスマイナスゼロの境地である。
悪魔がそれを悪いことであると言い放ち、なおかつそれが天使である、だから気に入らないと5歳児の前で言い放ったのだ、
もうタケルの中では、天使と悪魔は一緒なんだという結論になっている。それが正しいのかどうかはこれから決めるところだ。
その代わりに、今の高石タケルという男の子の中では、それこそすっからかんの世界である。平地である。
だから、お母さんから教えてもらった「道徳」で動いていたのだが、それでは親友になりたい大輔君から、
親友になんかなれるかぼけ、と突っぱねられてしまったので、ようやく彼の中で、タケル君は5歳から8歳になろうとしている。
彼のアドベンチャーはようやく始まったばかりである。










第二十五話 希望は厄災である その1










オアシスで大輔がブイモンと一番星を見つけてはしゃぎまわっている頃、上級生の話し合いは終了したので、
さっそくタケルはまず「親友」って言うのは何なのか、という定義付けから入ることにしたらしい。
何事も形から入るのは大事である。とりわけ、右も左もわからない「親友」っていう未知の存在になるためには、
ぜひとも勉強する必要があった。先生になりなさいってお兄ちゃんが言ったので、知らなきゃいけないな、という思考回路である。
行動原理はどこまでも単純である。大輔と似ているが彼は似て非なるものだ。
もちろん、過保護なお兄ちゃんでも、完全無欠なスーパーお兄ちゃんでも、なく、ただの普通のお兄ちゃんになっても、
大好きなお兄ちゃんであることには変わりないので、真っ先に頼るのはヤマトである。


「お兄ちゃん、どうしたら、太一さんとお兄ちゃんみたいな親友になれるの?」


無邪気に見上げてくるタケルに、ヤマトは腕を組んだ。
タケルは知らないが、腕を組むのは心の中に入ってくンナという警戒である。
タケルにとっては、親友という存在を初めて認識したのは、八神太一と石田ヤマトである。
なにせ、タケルは漂流生活において、選ばれし子供達はヤマトお兄ちゃん以外は、
誰も知らないという、初めて出会った人たちばかりである。
だから今までの日々の中での人間関係で構築されてきた複雑な者の中では、完全においてきぼりを食らっているのである。初日から。
だから聞くのは当たり前である。とうとう来たか、とヤマトは心のなかで小さくため息をついた。
タケルが大輔に対して親友になりたい宣言をした時点で、こうなることはもう火を見るより明らかだったので、
ずーっとタケルになんと説明していいのか、ずーっと考え続けていたので、シュミレーションは完璧なのである。
だてに11年間もスーパーお兄ちゃんをやっていたわけではないのだ。
気持ちはわかる。気持ちは分かる。
わかるが、なんでよりによって太一とオレの馴れ初め聞きたいとか言うんだ、お前は、と頭痛がするのを、ガブモンがなだめてくれる。
大輔は太一に失望してオレに憧れが移りつつあるっていう、結構嬉しい状況下なのに、大輔は太一に遠慮してあんまりオレに近付こうとしない上に、
お前が大輔と太一の関係をうらやましがって、よりにもよって太一に、お兄ちゃんになってなんて抜かすほど憧れを抱き始めてんの知ってんだぞ
結構むかつく緊迫した状態にあるというのに、とにぶちんさんな弟を前にして、まだ意地を張りたい11歳はしっかりしたお兄ちゃんのネコをかぶる。
本音をいうのはよっぽどの時だけにしたいらしかった。我慢づよい子である。


「オレが野球部の部長やってるのは、知ってるだろ?」

「うん、凄いよね、お兄ちゃん」


ちなみに野球部のエースだが、石田ヤマトは部長ではない。お台場小学校野球部の部長は、ちゃんとした6年生である。


「クラブってのはな、いつやるのか、どこでやるのか、なにをつかうのかって、決めないとできないだろ?」

「うん」

「それをお台場小学校では、部長がみんなで集まって、休みに入る前に決めるんだ。
春休みと、夏休みと、冬休みの前にな。クラブの代表が集まる話し合いなんだ」

「へー、そうなんだ」

「オレが太一と初めてあったのは、今年の春休みの前のその話し合いだ」

「え?そうなの?すっごく仲よしだから、ずーっと親友なのかと思ってたよ」

「いや、そこまで仲良くなかったぞ。だって、オレが父さんと住んでるのいってなかったし」

「あ、そっか」


かみくだいて、かみくだいて、ようやく理解してくれる弟である。多分大輔だったら、一発で分かるんだろうな、と思いながら、
ヤマトは作業を続行しながら会話を続ける。努力はこうして培われているのだ。
ちなみに、ヤマトがその会議に参加したのは、弱小野球部の悲しき定めで、大会の遠征にも交通費とかそういうのを工面して、
交通機関を使わなきゃいけないため、会計の仕事に躍起になっているマネージャーと部長が泣きついてきたので、
仕方なく請け負ったのである。大型バスなんて夢のまた夢だ、畜生、サッカー部め、いっぺん死ねばいいのに。
五年生の中で一番しっかりしているのは石田ヤマトだったから、なにかと頼りにされていたのである。
本人はめんどくさいと思っていたのだが、世話好きと真心と最上級生に頼りにされて、
褒められてうれしいので、まんざらでもなかったのだ。


「なんせ最初はケンカだったしな」

「ええっ?!」


そこからいたのは、今まで見たことが無い、八神太一というか、
サッカー部に対するライバル心むき出しの負けず嫌いな男の子だったので、
タケルはびっくり仰天である。これもまた勉強だ。
石田ヤマトにとっては、まさに天敵との初遭遇という衝撃の出会いである。
努力だけなら誰にも負けないと自負してきたヤマトの前に現れたのは、
春にサッカー部のキャプテンを引き継いだばかりの太一なのだ。
そりゃもう、かちーん、と来るだろう。オレは部長やってないのに、なんでこんな奴がキャプテンやってんだ、こんないい加減な奴が!
しかも、サッカー部。天敵のサッカー部。よりにもよって、サッカー部!
いつもいつもグラウンドの使用日や使用時間、備品の割り当て、学期ごとに渡される予算というありとあらゆる優遇を受け、
そのとばっちりにあう弱小クラブの目の仇であるサッカー部!
もう第一印象最悪である。サッカー部と野球部はこの時期はいつだって険悪である。
主にグラウンドの範囲や備品の使用を野球部がサッカー部にお願いに行くという、苦渋と屈辱の選択をして来て、
結局、いつだって大会の功績を立てに熾烈な争いの連敗記録を涙ながらに語る先輩から聞かされてきたので、ヤマトは心を痛めていたのだ。
この時点でヤマトの中では太一に対するライバル心に火が付き、その日の話し合いは大論争、大喧嘩にまで発展し、
結局代表者会議をやっている最上級生は慣れたもので、はいはい、話しあって決まったら連絡してねって、
議長からやる気のない連絡先を書いたメモを渡されて、1週間にもわたる攻防を繰り広げる形となったのだ。
他スポーツ部ではサッカー部なら仕方ないが不文律として存在し、暗黙の了解だったから、
そんなことしらないヤマトの行動は太一にとっても大迷惑であり、めんどくさい奴が現われた、が最初である。
今日もすんなり決まるだろ、さっさと帰って可愛い後輩をどうやってからかおうかって、全然関係ないことを考えていて、
生返事して、ふんぞり返っていた太一にも問題があるのだが、そのせいで他のクラブからの抗議も紛糾して、
そりゃもう大騒ぎになったのである。議長もお疲れ様である。
お互いに全然面白くない。正反対なのにお互い頑固者だから、尚更収拾がつかない。
それをいいかげんにしろって太一を殴って黙らせ、抗議する太一に対して、ごめん、太一に任せた私がバカだった、
やっぱり私が出るわって、仲裁してくれたのが、太一の幼馴染であり太一の操縦だけなら天下一な空だったのである。
野球部とサッカー部の仲の悪さは知っていたけど、家の用事でいけなかった私が悪いの、ごめんね、ヤマト君って、
謝られたので、ヤマトは悟ったのである。ああ、この女の子は太一に振り回されてきた苦労人なんだろうなって。
結局、太一もヤマトも頭が冷えて、ちょっとだけ野球部の使えるグラウンドの広さが大きくなり、部長が大喜びしたので、
多分来年はヤマトが部長になるだろうことは確約されたが、それは来年どうなるかを予感すると頭痛しかしない空である。
その、空のやった所を全部ヤマトに置き換えて話しやがった不届き者の話を真に受けたタケルは、
僕もなんかスポーツやりたいなあ、と思っていることなんてヤマトは知らないのである。
しかもお台場小学校に転校してくるなんて、知りもしないのである。強烈なしっぺ返しは、3年後である。
きっと大輔だったら、ジュンお姉ちゃんの仕出かしたことと全く同じことをしているヤマトを察知して、
ちゃんと取捨選択して正しい情報だけ抜きとれるだろう。大きな違いはここにもあるのだ。
それはさておき、親友はすぐになれるものじゃないんだ、としったばかりの男の子は、うーん、と考える。


「まあ、タケルと大輔みたいに、正反対だからこそ、仲良くなるのも早かったんだ」


その陰にはいつだって空の涙ながらの苦労があったなんて、ヤマトも太一も絶対に言わない。
だから空が実質的なリーダーやっているのに、抗議しないのは、頭が上がらないからだ、なんて、言えるわけがなかった。
やっぱりヤマトも男の子である。


「だから、タケルが頑張れば、大輔の親友になれるさ。頑張れよ」


ヤマトは優しいのでそう言った。なんで大輔が頑張る必要が無いのか、タケルに分かるか確かめるためにそう言った。
どれだけタケルが途方もない強敵を相手にしているのか、知っているがいわなかった。
言えるわけがないだろう。タケルは努力することが出来る太一だとヤマトは気付いてい
る。大切な弟は太一に似ている。
だから、大嫌いで大好きなのだ。
タケルが大輔の親友になれるということは、まだヤマトが認めていない太一と自分が親友になれると宣言するも同じだ。
似た者同士だから分かったのだ。ヤマトは知っている。大輔は、無意識のうちに努力が出来る天才、つまり無意識のヤマトだと。
これ以上頑張ったら、壊れてしまうくらい、自壊寸前なくらいまで頑張っているから、こんなことになってんだ。
だからタケルが頑張る番である。
うーん、と考えていたタケルは、あ、と声を上げた。タケルの成長はどこまでも心中複雑である。
まあそれで大輔がオレを慕ってくれるんなら、いらいらしなくても済むし、
ぷらまいぜろかなーと勘定している所がヤマトらしいが。努力は見合う成果が無いとやる気は起きない。いつだって。
だからヤマトはリーダーを目指して頑張っている途中なのだから。


「……ねえ、お兄ちゃん」

「どうした?」

「大輔君って、親友、いるのかな?」

「………さあな。野球部だから、オレは分からないな」

「あ、そっか。そうだよね、うーん、どうしよう、誰に聞こうかなあ」


もちろん可愛い後輩がいるんだぜ、いいだろーと日夜自慢しまくってくるうざい奴のたわごとなら、
嫌って言うほど聞かされているので、ヤマトは知っている。空がうらやましがるほどの奴だって知っている。
そいつに親友という奴がいないことも、今のタケルでは絶対に無理だということもヤマトは気付いている。
なぜなら、オレだったら、ぜってーやだ、と思うからだ。だから意地悪をする。これくらい、いいだろう、今まで我慢したんだし。
そんなこと知らないタケルは、なんで気付かなかったんだろう、そーだ、お兄ちゃんは普通のお兄ちゃんだって、
またなんでも聞こうとしてしまった自分にちょっとだけ反省する。
そうだよ、ヤマトお兄ちゃんも知らないことあるのに、なんでも聞いちゃうからヤマトお兄ちゃん怒ったんだし。


「ごめん、お兄ちゃん。僕、一人でもうちょっと、頑張ってみる」

「ああ、がんばれよ」


目に見えた変化である。
頑張れよ、オレの弟なんだから、努力することだけは誰にも負けないんだから、なんて目なんて知らない。
それよりも、大輔君には、もしかしたら、とっくの昔に親友ってやつはいるのかもしれない!という
とんでもないことに気付いて、それどころではなくなっていた。
そうだよ、僕にとっては大輔君は親友になってほしい人だけど、初めて親友になれるかもしれないお友達だけど、
大輔君が親友になってくれないのは、親友がいるからじゃないかな?って思うのだ。
親友は一人があたりまえ、としか知らない単純な計算である。そして、気付くのだ。
太一とヤマトみたいに、初対面の第一印象最悪で、大喧嘩という全く同じプロセスを踏んでいるにもかかわらず、
なんで親友になれないか、うーんって考えて、比べて、観察してみて気付くのだ。
僕、本宮大輔君のこと、全然知らないや。
大変だ、全然わかんないじゃないか!当たり前である。タケルはこの漂流生活における大輔のことしか知らないのだから。
普通親友は、お互いに初対面で、ある出来事を通じて仲良くなり、そしてその中で自分にないものを見つけていって、
コイツ面白いなって、仲良くなりたいなって思って、シンパシー感じたやつが仲良くなるのである。
太一とヤマトはもう仲良くなる段階まで行っていたから、この漂流生活でお互いの隠し
ようがない本性にびっくり仰天して、
距離を置いている状態だから、今仲が悪いだけであって、そのうち仲良くなっていくのだ。もともと仲良くなりたいって気持ちはあったから。
残念なことに、大輔とタケルはその本来たどるべき道をま逆になってしまっているのだ。
最初にお互いの本性を見せあってから、タケルは仲良くなりたいと思ったけど、大輔は今のところ親友になりたいという、
基準までタケルがそもそも精神年齢が到達していないという第一関門を突破できていないので、スルー状態なのである。
だから、タケルが今必要なことは、本宮大輔君がどういう生活をしていて、どういう性格をしていて、どういう奴なのかって、
いろんな人から聞いて、頑張っていく必要があるのである。少なくてもタケルから見た大輔しか見えていない現状では、無理である。
だって大輔はタケルの私生活まで知りもしないけれども、本性を見ただけで、見たことがある子だなって思ったから、
いちいちタケルの話を聞かなくても分かっているのである。ああ、こいつは親友には値しないなって。
無意識のうちに苛烈なまでにタケルのことを勘定して、こういう奴だって目星がついてしまい、
なおかつヤマトがすごい奴だって気付いている大輔が、タケルがそのすごいお兄ちゃんに守られながら育ってきたって、
嫌ってほど見てきたから分かるのだ。まるで八神ヒカリのような子だって気付いているから。
よりにもよって、大輔がかつで大っきらいだった、今はお友達になりたいなあ、仲直りしないとなあってぼんやり考えている、
八神ヒカリとそっくりなのである。少なくても、高石タケルが男の子である以上、八神ヒカリという、
男の子と女の子というものは別の生き物だと知っているから、ずーっとケンカはダメだよねと知っている大輔が妥協する余地はないのだ。
第一印象が最悪だったのは間違いない。少なくても、ケンカする前から、もしかしたら、お堂の中で初めて見掛けた瞬間から。
いい奴だってことは分かったけど、無意識のうちに努力してしまう天才が、しかも物事を見極める天才が、頼りにしている
直感という名の初対面の印象はびっくりするほど当たっているので、よっぽどのことがないと覆らない。
負けず嫌いの火が付いたタケルは、よーし、頑張るぞ、と意気込みを新たに、一番大輔君のことを知っていそうな人を見渡す。
そこで、ヤマトが意地を張りたいがためについた嘘が思いっきり墓穴を掘った。
あ、と気付いたがもう遅い、ヤマトはしまった、とぼやいた。
正直に生きることを決意した少年は、いままで自分の本音をほったらかしだったので構ってあげていたのだが、
実はそのせいで自分の本音と言うやつも実はとんでもなくすっからかんであり、タケルのお兄ちゃん以外の石田ヤマトはいないという、
致命的な欠落を見逃していた。結局のところ、この少年もお兄ちゃんとしての自分しか持っていないしょうもないどっちもどっちである。
だから、先輩、っていうやつが欲しくて、大輔に呼ばせていたとようやく気付いたヤマトである。俺も人のこと言えねえ。
武之内空を石田ヤマトに切り替えておかなければよかったものを。そしたら、少なくても太一の所に飛んでいく弟を見ることは無かったのだ。
あーあ。そして嫉妬してつい睨んでしまうせいで、太一が癒しを求めて大輔に構っていくという負の連鎖が形成されていると、
ようやく自覚するにいたったヤマトは、どうせよと、と実はとんでもなくめんどくさい事態に気付いて、頭を抱えた。
いつだって励ましてくれるのはガブモンである。自己嫌悪とうらやましいを繰り返しながら、彼も成長していくのだ。がんばれ。
まあ、タケルが大輔の第一印象をひっくり返す大事件は、もう秒読み段階なので、それまで何にも知らないタケル君は頑張るだけである。
オアシスはまだまだ夕暮れ時である。



[26350] 第25話 希望は疫災である その2
Name: 若州◆e61dab95 ID:09c75c05
Date: 2013/08/03 00:20
本宮家のお父さんは、もともと地方の出版社から中央の出版社に移った地方人である。
地方の出版社は、地域の人たちからの要望に応えての自費出版や企画出版を中心とする書籍系の仕事、
求人雑誌や住宅情報誌などの、月刊●●ページのような月刊誌フリーペーパーを中心に発行する仕事、
クーポン付の店舗紹介広告で埋め尽くされた本を作る仕事に分かれていることが多いのだが、
本宮家のお父さんが昔つとめていた地方の出版社は、すべてかねてやっているというとんでもない所だった。
地方の出版社なんて、ほとんどが、数人程度の小規模の会社であることが当たり前である。
華型の編集職にあこがれて就職希望者は毎年すさまじい数の競争数になっているのだが、なかなか正規採用が無いのは仕方ない。
なにせ、一人で編集者も広告取りも書店営業も配本も受け持つのが当たり前というすさまじい労働環境、仕事内容の激務なのである。
やりがいはあるのだが、給与と労働時間、仕事内容のつり合いやバランスが取れるわけがないから、夢と現実の落差に耐えきれなくなって、
営業ばっかりやらされる不満が山積してやめていく人や体が資本の中で無理をしすぎて病気になり、去っていく人を、
本宮家のお父さんは沢山見てきた。
人気がある職種であるため、就職希望者は後から後からくるから、人材の使い捨ての風潮があることも知っている。
どんどん人がやめていく中で、プライベートで知り合った女性と結婚し、やがて子供をもうけることも視野に入り始めたころ、
このままでは、という意思が芽生えていくのは当然である。本宮家のお父さんがお父さんになろうと決めた時、
誇りを持ってつとめあげた地方の出版社の経験を生かして、本宮家のお父さんが選んだ道は、大手出版社の中途採用である。
そして、本宮家のお父さんは一般的には華型と言われる編集の道ではなく、営業の道を選んだ。
地方の出版社で編集も営業もやっていた本宮家のお父さんは、編集は営業あってこそという少々変わった考え方の持ち主だったのである。



大手出版社の出版取り次ぎ営業、書店営業、広告営業、と細分化された仕事内容に戸惑いながらも、
本宮家のお父さんが一定の営業経験を積んで、勉強会や様々な専門知識や経験をある程度吸収し、資格も取り、人望もあるとされ、
一定の将来を見込める人材であると大手出版社の中で頭角を現し始めたころ、任されたのは、出版取り次ぎ営業と呼ばれる仕事内容だった。
どういった読者へ向けて、どうやって売っていくのか、という売り上げがキーとなってくる仕事である。
現在の出版業界や世間で旬となっているテーマ、求められるテーマを見つけて、どんな読者に向けて、どうやって売っていくのか、
どんな本を提供していくのか。実売部数などの数字から見える世間への洞察力や商品を市場に投入する時に、自社の立ち地位を理解して、
商品の長所、短所を客観的に見て、他のライバル会社の類似品とどう違うのかを研究し、取引先に「これは」を思わせる説得力がものをいう世界である。
売れなかった本があれば、編集者と情報を共有して、敗因を分析して、連携をとって対策を練ったり、
売れた本があれば、勝因を分析して、後につなげたりして、本の実部数も返本数もシビアにみる営業の力が試される。
財務営業戦略がしっかりしている大手出版社ならではの会社の特徴と、編集も営業もやったことがあるから、経験は少なからずあるし、
忍耐力も身体の資本もあるたたき上げの本宮家のお父さんは、相性がよかったのだろう。



そんな本宮家のお父さんは、大手出版社で同期で途中入社した縁から意気投合し、プライベートでも付き合いがあって、
何かと気にかけてくれる編集部の同僚の人と一緒に、理科学系のルポライターの人と一緒に
出版予定の書籍についての最終的な打ち合わせのために、カフェテリアにいた。
ルポライターの人は同僚の人が編集の担当をしているので、何かと顔を合わせるビジネ
ス上のお付き合いがある人である。
ウエイトレスのアルバイターに紅茶とコーヒーと社内で話題になっていたケーキを注文する。
外に行くついでに買ってきてくれって同僚の女性社員から頼まれたついでに、家族サービスに買って帰る目論見の味見だ。
世田谷区に住んでいるルポライターの人はなにかとこういった分野にはうるさいので、
この人のお墨付きが得られればまず外れは無いだろう、という算段である。
もちろんルポライターの人もそのつもりだって知っているし、ただでおいしいお店にいけるのなら万々歳である。
そういう所があるから頭角を現してきた所を知っている同僚は、抜け目ねえなあお前、とけたけた笑うだけで何も言わない。
みな家族を持つ身である。買って帰るのは暗黙の了解だ。


「聞いて下さいよ、高石さん。こいつ、またアメリカ行き蹴りやがったんですよ」

「あら、またですか」

「そうなんですよ。またふられちゃいました。おかげで一番の稼ぎ頭がいてくれるんなら安泰だって、営業部の奴ら大喜びですよ。
こいつ、人がいい上に要領いいから、ついつい頼っちまうんすよね、あいつら。
おかげで営業成績右肩上がりだって、くっそ、俺も楽してえのに」

「酷いなあ、俺をこき使いたいだけでしょう?」

「ったく、営業なんかいつまでもいないでさっさと編集こいよ。
お前の鋭いところとか、数字をまんま生かせる力なんて、喉から手が出るほど欲しいんだから」

「本当に残念ですわ。営業上がりの本宮さんだったら、高橋さんみたいに女性の扱いがなってない人とお話しする苦痛も減るのに」

「あいかわらず、きっついこといいますねえ、高石さん。
普通、編集部の連中なんて俺みたいに編集一本でやってる奴らの方が多いんすから。
レディーファーストとかそういうのを期待する方が間違ってるんすよ、そもそも。
営業部たたき上げのこいつと一緒にされちゃ、誰も勝てませんて」

「はは、高橋さんには何かと目をかけていただいてるのに、申し訳ないです」

「ったく、その気があんなら、わざわざ編集の魅力ってやつを見せてやってんだから、ちっとは考えるそぶり見せやがれ」

「あはは」

「まあいいけどな。で、どうなんだ?4年も待たなきゃいけない。お前んとこの息子さんは。
事情が事情だからなあ、そうでもなきゃ4年なんてもたもたしてたら首だぞ、お前」

「本当に上層部の人には申し訳ないんですけど、こればっかりはどうも。
相変わらずですね、どうにも俺に似て昔から周りを見ることだけは得意みたいで、
どうも、家族の仲間外れにされてるってことには気付いてるみたいです。
それを聞いちゃいけないことも分かってるみたいで、いっつもお風呂に入ってるときには、
俺に聞いていいかどうか迷って、結局泣いちゃうんですよ」

「あー、そりゃ可哀想になあ。お前みたいに精神図太くなれば大丈夫だろうに、優しいところはお母さん似か。
こればっかりは仕方ないな。えーっと、いくつだっけ?」

「5月の11日でちょうど8歳になりました。小学校2年生ですね」

「ああ、もう8歳になられたんですか、本宮さんの所の息子さん。うちの下の子はまだ7歳ですよ」

「そういえば、高石さんとこの息子さんの下の子って本宮んとこと一緒で小学校2年生でしたっけ?」

「ええ。8月3日で8歳になるんです。あの子にはいつも苦労かけてばっかりで、
何かしてあげなきゃな、とは思っているんですけど、なかなかうまくいかないものですわ。
私もいつかは話さなきゃいけない、とは思っているんですけど、
やっぱりまだまだ早いですわよね」

「そうですよね。やっぱり覚えていないってことは、きっとショックも大きかったんでしょうし」

「そうですよね。お医者さんにも時期はよく考えるよう言われましたものね。
うちの子は上の子も下の子も覚えていないのはお話ししたと思うんですけど、あの人と別れた時期があれと連動してるものだから、
なかなか話すタイミングが見つけられなくて。おかげで教えてくれないって上の子にはすっかり嫌われちゃってるみたいですわ」

「そうですか、なかなか大変ですね。うちの上の子はあのとき小学校4年生でしたから、
もうその時からしっかりした子でしたよ。
下の子を自転車に乗っけて、学校にヒヨコが生まれたんだって、小学校までつれてっちゃったって家内が話してましたから。
でも、そのせいで今でも忘れられないみたいで。
覚えていると周りが気付いてしまってから、いろいろとあったみたいです。なかなか難しいものですね」

「まあ、こればっかりはどうしようもないだろ。本宮んとこの子供達も、高石さんとこの子供達もいい子たちみたいだし、
時間がくればちゃんと話せば分かってくれるって」

「そうだといいんですが」

「ええ」

「まあ、4年だな、4年。その時がきたら覚悟しろよ、本宮。こきつかってやっから」

「はは、お手柔らかにお願いします」

「あら、もし本宮さんが編集部に来たら、高橋さんじゃなくて本宮さんに担当やってもらおうかしら。お願いしたら出来ますよね?」

「冗談きついっすねえ、高石さん。まあ、4年もうだうだ営業やってるやつと肩並べちまったら示しがつかねえからなあ、
俺もそろそろ本気だしますかねえ。こいつが来るまでにはこいつをこき使えるとこまであがっちゃわねーとやべーかな。
ま、それまで家族サービスがんばれよ、本宮」

「ええ、ありがとうございます。高石さんのお眼鏡にかなったら、さっそくここのケーキ買って帰ります。
どうも、うちの子も家内も俺がセンスがいいと勘違いしている節がありますんで、気が抜けないんですよ」

「ったく、都会っ子の奥さん射止めるときからそうじゃねーか、自業自得だ、ボケ。
意地張りたくて泣きついてきたのはどこのどいつだ」

「今さらですわ、本宮さん」

「あちゃー、これは一本取られたかな」


空気を読まないウエイトレスが珈琲と紅茶とケーキを運んでくる。どうやらお買い上げは定のようだ。
デジモンアドベンチャー02では、理科系ルポライターである高石タケル、石田ヤマトの母親である高石奈津子の担当編集者が、
本宮家のお父さんだったりするんだから、意外と世間は狭いものである。










第二十六話 希望は疫災である その2










オアシスで本宮大輔がブイモンと一緒に紋章について盛り上がっているころ、
親友になりたい本宮大輔君について何にも知らないので、教えてください、と微笑ましい相談にやってきた
タケルは太一から見た大輔君について知って、盛大に落ち込んでいた。そりゃもう、心がぽっきり折れそうである。
うわあん、と泣きそうになり、あわてた様子でなだめてくれる太一に尊敬のまなざしが向かっていく。タケルは知らない。
太一は大切な妹であるヒカリがいるお兄ちゃんである手前、ヤマトがどれだけタケルを大切にしているのか痛烈なまでに分かる上に、
ヤマトが下級生の世話係をするにいたったのはタケルがいるから、が大前提であること、どこまでもヤマトという少年の行動は、
タケルありきで一本の道筋になっていることを知っていた。もしこの世界にヒカリが漂流生活に巻き込まれていたら、
きっと太一もそうしただろうから分かるのだ。そしたらきっと丈かヤマトがリーダーになるのは明白だった。
ヤマトと違って太一は意識して行動を分別付けられないから、ヒカリという命よりも大切な妹がいたらそっちに一直線になってしまい、
きっとリーダーになりたいなんて想いはしても、きっとやらなかっただろう。ある意味大輔がいてくれてよかったとおもう太一である。
そのせいで大輔とヒカリを重ねてしまい、大輔には辛い目にあわせてしまったので、反省しきりではあるんだけども。
しかもそのせいで、大輔の尊敬のまなざしが丈やヤマトや光子郎に分散されつつあるのは知っている。確実に漂流生活の前よりも、
大輔の中では太一の地位はどんどん下がっている。
真っ先に頼りにしてくれるだけでもありがたいのだが、これ以上の失態は避けたいところだ。
だからもともと太一はヤマトの大切な弟であるタケルにはもともと遠慮気味であり、
ましてやお兄ちゃんになってよなんてとんでもないこと言われたので、
太一の背後には、じーっと腕を組んだまま、泣かしたら殺す、
なんか変なことしたら殺す、っつーか死ね、という直立不動の殺気がびんびんなのである。
かんべんしてくれええ、が太一の本音である。冷や汗である。
でも大輔からタケルは嘘を見抜くのが得意だから、すぐに隠し事がばれるのがやだ、と
愚痴を聞いていた太一は、もう直球勝負でありのままのことを喋るしかなかったのである。
どうせよというのだ。太一は嘘をつくのがへたくそなのだ。
太一からみた本宮大輔君はこんな感じである。



お台場小学校2年生のサッカー部の後輩であり、2年生チーム、1,2年生混合チームのレギュラーをしている小学生。
2年A組で、さすがに出席番号まではしらないが、妹である八神ヒカリとは別のクラスに在籍している、男の子。
小学校1年生になるまでサッカーはおろかスポーツ経験が皆無なうえに、体格がかなり小さい大輔がレギュラーになれたのは、
ただひたすらにサッカーボールに触れる時間帯が多くて、なおかつコーチや上級生たちの指導を良く聞いて一生懸命練習し、
なおかつみんなに可愛がられる過程で構ってもらえることが多かったから、比例して上達が早かったのである。
なによりも、入部希望に八神太一がいるからなんて書くほど、動機である八神太一に追いつきたい、という目標と
サッカーが大好きであるという何よりの原動力がそれを可能にしていたのだ。
サッカー部の友達やクラスメイトの友達と一緒によくグラウンドでサッカーしているのを良く見かけるし、
昼休みも放課後も休日もずーっとサッカーばっかりしているか、よく友達の家に遊びに行ってゲームしたり、
どっかに買い食いに行ったりしているという、積極的な男の子。じっとしていたらしんじゃうんじゃないか、ってくらい、
いっつもいっつも小動物みたいに、忙しなく動いている男の子。
目まぐるしく表情が変わる姿は見ていてなかなか飽きないものである。
だから太一はきらきらとした尊敬のまなざしを向けてくれる可愛い後輩に、
よくちょっかいを掛けたり、悪戯をして怒らせて遊ぶのだ。
グラウンドの砂はスポーツシューズのでこぼこであれども、引っかかったり、滑ったりしたら、こける時にはこけるのだ。
ずるべたーん、と何もない所でずっこける様子はよくみるのである。
だから大輔はよくけがをするのだ。保健室行きなんて日常茶飯事である。
大輔、ってとんとんと肩を叩いたら、大好きなサッカー部の先輩にはなしかけられた!とテンションが上がって、なんすか?って
振り返る時の大輔はすさまじく無防備である。だから、おもしろいくらいに、ほほに人差し指が突き刺さる。
だから太一はよく大輔にクイズを出したり、早口言葉の遊びを教えるのだ。必ず舌噛んで悶絶するのだ、この子。
なにするんすかって怒ったり、すねたりして不機嫌になって猛抗議するのだが、大輔はもともと身体が小さいので、
太一のところまで行っても見上げるしかないのである。顔を真っ赤にして涙目になりながら怒るのである。面白すぎるだろう。
だから、ついつい加減を忘れて構い過ぎてしまい、大輔からサッカーボールを取り上げて、ほら、ほら、取ってみろよって持ち上げたら、
もう大輔には届かない。ああああもう、太一先輩いいっていじわるする先輩に、これまた大声で抗議するのである。
みんなみる。当然、ちょっとやりすぎだろうって思う上級生が現われて、ぐすん、ぐすん、と泣き虫な癖に我慢強い後輩の頭をなでながら、
キャプテンのお調子者っぷりと可愛がりが故のイジメ寸前のからかいを注意するものが現われ、はってなって、太一はいつも謝るのである。
そしたら、大輔はけろっとした顔で言うのだ。すぐにぐしぐしと涙を拭っていうのだ。いーっすよ、きにしないでくださいって。
クラスメイトからの信頼も厚いらしく、よく微笑ましいハートマークのついた、キャラクターの便箋とか、
一生懸命作ったので食べて下さいって言うメッセージカードと一緒に、ラブレターってやつを仲介してきて、どうぞって渡す。
もちろん、もらえるのはうれしい。でも、流石に妹と同じ年の女の子から好きですって告白されて、その先を太一がみるのかと言えば、
断じて否である。流石に太一はいまのところ、年下に興味がわくような男の子ではない。妹の友達かも知れない子は、それだけでハードルが上がる。
もらえるものはもらうし、ありがとう、でもごめんって伝えといてくれって言えば、大輔も大輔でいつものことなので、
はい、と二つ返事で頷いて、話をややこしくしたり、こじらせたりすること無く、ちゃんと話をきちんと終わらせてくれる。
いいっすねー、ってうらやましがっている大輔が太一は不思議で不思議で仕方ない。こいついいやつなのに、もてないのか?何でだ?
もちろん、大輔の中では女の子と言うのは、ミーハーという所属でいつもいつも大輔を振り回していたジュンや京とか
クラスメイトの中心のぎゃーぎゃーうるさい女の子たち、
そしてだいっきらいなのに何を勘違いしてるんだか知らないけど、やたらなれなれしいヒカリという子達に囲まれているので、
訳が分からにもの認定されているので、言葉にあやってやつである。小学校2年生でおマセなのは女の子だけで十分だ。
しかも、よく忘れ物をしたり、持ってくる物を忘れて、コーチや先生に怒られて、補習行きになったり、宿題を終わらせましょう会の
犠牲者になったりするので、やったらと太一と気が会うのである。
やたらと太一と会う機会が多いのである。仲良くならない方が無理である。
だからこそ、家に遊びに来いって言っても、なにかと用事があるから、
今日はちょっと、って何かと都合付けて呼ばないのはすさまじく不自然で、
逆にお前んち遊びに行ってもいいか?家どこら辺?って言っても、
いっつもいっつもそのやんちゃ坊主で鈍感な所で誤魔化されていた。
まさかそれがお姉ちゃんから嫌われていて、お母さんをとられて、
たまにしか帰って来ないお父さんしか家庭に味方がいない、
一人ぼっちだったから、が故の、やんちゃ坊主だったなんて知らなかった太一である。
改めて思う。大輔、意外としたたかだって。
びっくりするほど、シビアだって。だから、理想的なお兄ちゃんじゃ無くなった太一には、こうしていとも簡単に離れていくのである。
ずーっと胡坐かいてた太一は、いらないって。かつて大好きだったお姉ちゃんをいとも簡単に捨てて、空や太一に乗り換えたように。
それでいて、案外うまく行っているのだ。だから太一は焦っているのである。なおのこと。リーダーがんばらなきゃなーって。
よりにもよって、かつて太一がいたポジションが、ヤマトになるかもしれない、とかいうあり得ない事態が緩やかに進行中なのだ。
たまったもんじゃなかった。





だから太一はタケルに言ったのだ。気を付けろよって。お前が親友になりたい奴は、途方もなく強敵だぞって。
親友らしい親友はいないけど、ずーっと親友でいる奴は多分いないだろうって。太一はみたことないから。


「がんばれよ、タケル。あいつ、ケンカしても本気でやべーからな」

「え?そうなの?」

「さすがはジュンさんと毎日ケンカしてるだけはあるよな。俺、妹いるのはさっき話したと思うけど、
あんまりケンカしないんだよ。ヤマトとタケルくらい、仲いいからな。でもあいつ、仲悪いジュンさんとずーっと家で一緒なんだぞ。
しかも夜だけとはいえ、顔合わせるんだ。そりゃ、毎日が戦争みたいなもんだろ、家の中敵しかいないんだから。
2回くらいケンカしたけど、びびったなー。いってること無茶苦茶なんだけど、勢いだけはあるもんだから、
気を抜いたらいい負けちまうんだよ。あぶなかったもんなあ。だっから、ちょっと言い過ぎちゃったんだけど」


それは反省、反省、と太一は笑う。タケルは大ショックである。
大輔とタケルは何度も意見のぶつかり合いと衝突で大喧嘩しているが、
実は大輔にとっては全然大喧嘩じゃなかったのである。
太一がいい負けそうになって、上級生のプライド投げ捨てて、
ヤマトと同じくらいの大喧嘩をするってどんだけ歴戦の勇士だよ、という話である。
ヤマトから太一との大喧嘩を聞いていたタケルは、
初対面のケンカはお互いがお互いのことを知らなかったが故の遠慮ありきと知る。
しかも、大輔は今、首より上から向けられた暴力の象徴である手を上げられてしまうと、目の奥が暴力におびえて、
大変なことになってしまうというトラウマを抱えているため、上級生たちは本気で怒った彼を止めるには、
大きなハンデを背負わされている。太一が結果的に大輔の大喧嘩の上をいったと大輔は思っているから、
今でも太一には本気でぶつかり合える存在としてみているのだが、あれは訳のわからないものに押しつぶされた大輔の自爆である。
大輔の家庭事情を全部知っているタケルに、包み隠すことなく話した太一である。タケルは大輔の置かれている状況を知って、
思わず訊いたのだ。上級生組が何故、やたらと大輔のことを気にかけているのか、ようやく分かったから。


「太一さん、大輔君、大丈夫なの?」

「大丈夫なわけねーだろ。もしなんかあったら大変なことになるんだよ。あいつ、ただでさえ、空に理想的なお姉ちゃんしてもらって、
なんとか大丈夫な状態なんだよ。しかもタケルとケンカ中だから、あいつ、側に誰もないから、遠慮する気ゼロだろ。
ブイモンはもともと大輔一色だし。……はっきり言ってヤバいんだよ」


だからたのむから早く仲直りしてくれ、お前がいるだけで大輔の抑止力になってんだよ、と太一は小声でつぶやいた。
う、うん、とタケルは頷いた。どうやら知らないうちに大輔君はとんでもないことになっているらしいことに、気付いたのである。


「ねえ、太一さん。僕、大輔君と親友になりたいんだけど、どうすればいいかなあ?」

「さー……わかんねえなあ。あいつ、ミミちゃんみたいに、ムードメーカーだし、ヤマトみたいに周りみるし、
丈みたいに大人だから、全然弱点ないだろ。
あえて言うなら、グレイモン殺しちゃったことをみて、ショック受けるくらい、すっげー優しいとこなんだけど、
あいつ、かってなったら一気に周り見えなくなっちまうの、タケルも見てるだろ?」


うん、と頷くタケルである。すくなくても、おもちゃの街とコカトリモンの豪華客船で二度見ているタケルである。


「こればっかりは、空に任せるしかないんだよなあ。ただの憧れのサッカー部の先輩になっちまった俺じゃなくて、
あいつが一番頼りにしてるの、理想的なお姉ちゃんやってる空だから」

「あ、そっか」

「空に聞いたら何かわかるんじゃねーか?がんばれよ」

「うん。ありがとう、太一さん」


タケルは去ったので知らない。
晒され続けていた殺気の癒しと大輔の中での地位の失墜を防ぐべく、太一が大輔の所に構ってやっているせいで、
大輔の中ではますます自分と太一先輩の違いが明確化され、大輔がどんどん傷ついて、ますますタケルを敵視している負の連鎖が、
まるでスパイラルがごとく形成されているなんて、知るはずもないのである。どんどん大輔が追いつめられているなんて、知りもしないのである。




オアシスは地平線の向こう側に太陽が沈み、少しずつ夜が降りてきている。



[26350] 第26話 希望は疫災である その3
Name: 若州◆e61dab95 ID:d22220c6
Date: 2013/08/03 00:21
武之内空はひとりっこである。
父親は京都の大学で民俗学を研究している教授をしているため、セカンドハウスである大学近くのマンションから、
空と母親が住んでいるお台場のマンションまで帰ってくることはめったにない。
大学は8月から10月にかけて長期休みに入るが、教授や准教授に名を連ねている人たちは、
自分の所属するグループの研究会、勉強会、学説などの研究に没頭できる希少な時間のため、
ゼミや担当する講義がない長期休みはむしろ忙しくなるのである。
だから、お盆やお彼岸といった時期しか父親は空と会えない。
だから必然的に空は母親と一緒にいる時間が多い環境で、幼いころから育ってきた一人娘である。
空の母親は多趣味な人である。
父親の収入で生活することができる専業主婦であるため、その時間を家事や子育てに充てていたのだが、
空が小学校に入り、育児にひと段落ついたことで、これからを考え始めた母親は、
もともと社交性があり、実家が著名な華道の家元であったために習得していた講師の資格や
その過程で培ってきた着物の着付けや礼儀作法の徹底した教育を生かして、
それらの活動を趣味の範囲ではあるものの、本格的に再開することにしたのである。
実家の華道の家元のもとに通い、師匠のもとで技術を修練させ、勉強し、毎日毎日きち
んと勉強を重ねながら、
それらを生かすために、近くに借りた大きな市民会館のような一室を借りて、
週に1、2度数十人の生徒を抱える講師として多忙な二束草鞋の生活を始めることになる。



評判になればなるほど、母親と講師の二束草鞋は忙しくなっていき、今まで空だけのお母さんだったはずの彼女は、
どんどん空だけのお母さんが講師としてのお母さんに浸食されていく。
もともと家に帰ったらいつも「おかえりなさい」とお迎えに来てくれていたお母さんがいなくなる。
ドアを開けても電気すらついていない空っぽの部屋であることが多くなり、一人ぼっちで家を空けることが多くなり、
そのとばっちりを受ける形で、一人ぼっちであることが多くなってきた空は、当然のことながらそんな母親に反発するようになる。
もともと優しいお母さん、思いっきり甘えさせてくれていた空のお母さんがどっかいってしまい、
しつけや礼儀作法に厳しい、なにかと口うるさい、空の知らないお母さんになっていくのだ。
多忙を極めるがあまりにわがままにしか取れない駄々っ子を言っては、
一人娘が自分の生活スタイルを認めてくれないことは母親としてもきついだろう。やめてくれ、と空はいうのだ。



でも母親からすれば、空が生まれたからお休みしていただけで、ずっと再開はいつですか、
門下生や生徒、華道の家元から期待と切望を兼ねた手紙や話を受けていた母親からすれば、
待ってくれている人がいるというのは楽しみでもあり、早く早くと気が急いていた部分はあるのだ。
だから、母親は自分がやっていた世界に理解をしてもらうために、跡を継がせるまでは重圧をかける気はないけれども、
こういう世界もあるのだとこの世界で私は必要とされている人間でもあるのだとわかってもらうために、
空に生け花や着物の着付けなどを手ほどきすることになる。教室にもつれていく。講師の一人娘である。
当然注目の的にもなるし、かわいがってもらえるし、お母さんの知らないところをたくさん見せてもらえた空は、
とりあえず母親のすることに一定の理解を示すようになる。お母さんはこういうお母さんでもあるんだって知って。



でも、空はひとりっこである。



だから、もともとあまえんぼさんなのである。お母さんからほめてもらいたいから、生け花や着物の着付けなどもがんばるけど、
空は空を見てほしい、かまってほしい、こっちを見てほしい、と思うから、一見すると矛盾する行動をとることが多くなる。
男の子のような恰好をして、男の子のような態度をとって、男の子のような生活を送って、男の子とばっかり遊ぶようになる。
すると空にお母さんはいうのだ。「おんなのこなんだから、そういうことはやめなさい」って。
叱ってくれるし、かまってくれるし、少なくてもその間は空だけのお母さんになってくれる。
だから、どんどん空の行動はエスカレートしていく。
家に帰ればちゃんと華道の家元であるお母さんの厳しい指導もがんばっていくという二面性ある生活をしていくようになる。
母親も彼女の行動には自分がかまってやれないから仕方ないな、とあきらめて、理解をしめして、応援してくれるようになる。
こうして、武之内空という女の子は、サッカー部のツートップをつとめるほどのボーイッシュな女の子で、
みんなのお姉さんである(これもまたみんなの注目を浴びたい、かまってもらいたいという思いの裏返しである)一方で、
華道の家元である母親から指導を受ける礼儀作法によって清楚な日本女性になるための教育を受ける女の子に二分されていく。
でも、ねっこのぶぶんは何にも変わっていない。あまえんぼさんである。
どちらの空もあまえんぼさんという根っこから枝分かれした木が生えている。
その根っこの部分が大きくえぐられる大事件が起きたのは、
空がみんなのために頑張りすぎるというお母さん気質が引き起こした事件である。
空がサッカー部の大会で捻挫したにもかかわらず、だれにもいわないまま、
出場したことで、無念の敗退を喫したという事件である。



これで、一度空は、どちらの居場所もいっぺんに失いかけるという、初めての挫折をすることになる。



当然、だれにも言わないままサッカー部の大会に出場するなんて、信用してくれていないのか、という話になるし、
それが原因で確実に禍根が残り、空は一時サッカー部にいられないくらいの孤立をしたこともある。でも和解をした。
ギブスをはめるくらいまで症状が悪化して、松葉づえ片手に登校していた空をみて、いつまでもばかなこというような奴、
だれもいやしないのである。
そもそも武之内空はお台場小学校の黄金期を支え続けてきたツートップという看板を女の子であるにも関わらず支え続け、
キャプテンの太一を支え続けてきた実質上のキャプテンでもあったので、
その必要性なんて誰もいちいち確認しなくてもみんなわかっているのだ。みんな思っている。
サッカー部に戻ってきてくれってみんなおもっている。でも、できないのである。
サッカー部はいつでも大歓迎状態でも、空のお母さんが許してくれないから。



空のお母さんは、心配するだろう。空ががんばるから、がんばっているから、応援していたのである。
しかし、がんばりすぎたせいで、足をけがして、しかも誰にも相談しないで自分勝手な理由で突っ走って、
みんなに迷惑かけて、しかもギブスまではめる大けがになるまでほっとくなんて、自分の体なんて放置するほど頑張るなら、
スポーツはだめ、というのは当然である。しかも、空は女の子なのである。
お母さんは知っている。いくら男の子になりたい女の子であっても、いつか女の子は女性になる日がやってくる。
好きな人ができて、恋をして、恋愛して、結婚する日が来ることを知っている。男の子はそれでいいのかもしれない。
でも、いつかオシャレやお化粧に興味を持つ日がやってくる。
やってこなくても、社会に出たら女性は女性のふるまい方を覚えなくては社会につまはじきにされる。
必要最低限度の振る舞いが求められるのが世間であり、その世間での振る舞い方がわからなくて、
知りたくて、迷い込んでくるのが、空のお母さんの生徒なのである。お見通しなのである。
空がけがをしたのは、足首だった。隠しようがない場所である。後遺症が残ったら、ずっと残り続けるところである。
化粧だってタイツだって隠しようがないところである。跡もなく治ったのが幸いだったと医者から言われるような大けがだったのだ。
母親が必要以上に過敏になるのも無理はなかった。大事な大事な一人娘なのである。
でも、空はあまえんぼさんだから、ひとりぼっちになった、と思ってしまった。
そんな母親の気持ちなんて分かるほど大人じゃない。お母さんから言われたのだ。





「正座ができなくなったら、どうするの!サッカーなんてやめてしまいなさい!」





空は打ちひしがれる。何で?って思う。なんで今まで応援してくれていたのに、
なんでそんなこというの?なんでそんな酷いこというの?
今さらサッカーやめろなんていうの?今まではお母さん、お弁当作ってくれたし、
応援に来てくれてたし、頑張ったわねって褒めてくれたのに。
女の子なんだから今のうちだけよって、お台場中学校のサッカー部には女の子は入れないし、入れても公式の大会には出られないし、
女子のサッカー部はここらへんには無いから続けるのはちょっと難しいから、今だけしかできないから、やるんなら全力で、
悔いが残らないようにやりなさいって言ってくれたのは、お母さんなのに!って。裏切られたと思い込む。勘違いする。
そして、ひとりぼっちの寂しさが大爆発した空は絶望の中で突っ走るのだ。お母さんは私のことが嫌いなんだって。



いつものかまってもらえる喧嘩の中で言われた言葉である。
でもその日は、サッカー部のみんなと仲直りできたことがうれしくて、それを言わないまま
(みんなに嫌われていた時期のことなんかいったら、お母さんに嫌われるから)サッカーをまたやりたいって言った日だった。
けががまだ治っていないのに、そんなこという一人娘である。ああ、この子は全然自分の体のことなんか気にしてないんだわ、と
お母さんが勘違いするのも無理はない。タイミングと時期が悪すぎた。
せめてけがが治っていて、空がサッカー部で孤立していることを吐露できるような甘え
させてくれるお母さんだったらよかったのだが、
そこにいたお母さんは相変わらず忙しすぎて公私混同しているお母さんで、けがをしてから私が今まで気付かなかったのが悪いんだわって
過敏になりすぎて、なにかとサッカー部に行くことを難色し始めた時期だったから、ますます空はいうタイミングがなくなったのだ。



スポーツはご家族の支援あってのものである。当然、両親との確執がある空をコーチが練習に参加させるわけもなく、
何度か説得のために空と三者面談をする努力や支援もささやかながら行われているのだが、結局は空とお母さんの問題である。
お互いが歩み寄らなければどうしようもない。サッカー部やお台場小学校には感謝しながらも、空と母親の確執は埋まらないまま夏休みになった。
空は家に帰っても一人ぼっちである。サッカー部の練習に参加できないから、サッカー部でも一人ぼっちである。



空は知らないのだ。



サッカーに参加できないのは家庭の事情があるからで、空は参加したくても参加できないんだってことをみんな知っていて、気を使われていることを。
だって空は頑張り続けてきた女の子である。だからそっとしておいてやれって、じっくり考えさせる時間をやってくれって、コーチからみんなは言われて、
暗黙の了解なのだ。気づいたらますます空は傷つくからって。
残念ながら、あまえんぼさんの空を知らないみんなの気遣いは、空にとっては、みんなが距離を置かれている、放っておかれている、無視されている、
嫌われている、とひとりぼっちの孤独を深めさせてしまっている。サッカー部の空が男の子みたいでみんなのお姉さんである空だったのが原因だった。
そんな中でも、唯一といっていいほど、態度を変えなかったのが、もともと空気を読むことは苦手であり、
配慮や気遣いや嘘をつくことがへったくそであるがゆえに、もともと幼馴染である空に対して遠慮がない太一である。
コーチからも聞かされているんだけども、理想的なお姉ちゃんである空がいなくなってしまうのではないか、と
いう恐怖におびえるあまり、聞きたいけど聞けない、聞きたくない、の二律背反を胸に秘めながら
ますます空と太一にべったりな大輔なのである。
どこかの誰かさんのお導きによってごーぐるのひと、である太一と出会った大輔にとって、空はある意味、
自分が見つけ出した格好のおねえちゃんだった。
もうジュンおねえちゃんとおかあさんをいっしょくたにやってくれる最高のお姉さんなのである。
それに理想的なおねえちゃんをやってもいいっていわれた。もう好感度はメーターとっくに振り切れている。もちろん補正こみではあるが。



そんなこと知らない空は、いえにかえってもひとりぼっち、サッカー部でもひとりぼっちだった中で、かまってくれた大輔が、
実は同じようにおうちで一人ぼっちであるって知って、そりゃもう大喜びだったのである。
なにせ、大輔がやっていたことは、まるっきりちがうんだけども、根本的なところ、あまえんぼさんであること、
そして頑張りすぎたために今の自分の状況に置かれているところ、問題を先送りにして逃げっ放しであるところまで、
ほっとんど一緒だったから、一人じゃないんだって思えてうれしかったのである。



笑えるではないか。



みんなに頼りにされている空が、実は一番自分のことが頼りにできないなんて。
みんなのことを考えられる空が、実は一番自分のことを考えられないなんて。
みんなのことをお母さんみたいに愛せる空が、実は一番お母さんに愛されているのかわからなくて、
自分に自信がなくて、こんな自分が大っ嫌いだなんて笑えるではないか。
だから、空は、大輔君ってどんな人ですかって聞いてきた男の子に話すのは、簡単だったのである。
自分のことを話せばいいのだから。
でも、大輔の場合は、空よりもさらに辛辣な環境に置かれていることを教えてあげなくてはいけないけれども。
だって、空はお台場小学校5年生でひとりっこだけども、大輔はお台場小学校2年生で、なおかつおねえちゃんという存在がいるのに、
一人ぼっちなのである。だから、空から紡がれた言葉は、ずいぶんと説得力があった。


「ねえ、タケル君。もともと一人ぼっちなのと、みんながいるのにひとりぼっちなのは、どっちがつらい思う?」


その言葉につられて、想像してみるタケルである。もともと想像力は豊かなのだ。
ただつぶされちゃってただけで、3年間ほど眠っちゃってただけで。努力できる少年は考えてみるのだ。


お父さんとお母さんとおねえちゃんがいる。
お父さんはサッカーやキャッチボールしてくれるし、ケーキも買ってきてくれる、
一緒にお風呂も入ってくれる唯一の味方だけど、めったに帰ってこない。
大好きなお姉ちゃんは、大輔に隠れて、会う人みんなに大輔の悪口をいうくせに、本人が聞かされた人からそれを聞くまで黙ってた。
しかも毎日喧嘩ばっかり。だから、お互い無干渉で、一人部屋にこもってゲームばっかりしてる。
お母さんはおねえちゃんばっかりかまっていて、大輔視点では、贔屓である。
唯一安心できる大輔の部屋を無遠慮に入ってきて、掃除するとかいう。そういうときし
かかまってもらえない。
しかもなんか秘密にしてて、大輔だけ仲間外れ。おうちでひとりぼっちである。
近くには、八神太一っていう妹とすごく仲がいい人がいて、その人に代わりにお兄ちゃんをやってもらうんだけど、
太一は妹がずーっと大事だから絶対にお兄ちゃんにはなってくれない。痛みを伴いながら、いつもいつもそばにいる。
サッカー部友達は家族で応援にくる。弟、妹、お兄ちゃん、おねえちゃん、が応援に来る。
でも大輔はいっつもお母さんだけである。みんなおねえちゃんがいることは知っているから、なんで大輔のおねえちゃんこないの?って聞かれる。
お台場小学校は、かつておねえちゃんが通っていた小学校である。
先生も上級生もかつておねえちゃんの同級生だったり上級生だったり下級生だったり
したお兄ちゃん、おねえちゃんを持つ人はどっかにいる。
毎日、過ごしていれば、どこかであう。おねえちゃんの思い出話と一緒に、聞かれる。
おねえちゃんはこんなこと言ってたけど、それほんと?
大輔ってそんな人?おねえちゃん元気にしてる?
どこにいても、おねえちゃんから逃げられない最悪の状況下である。
お姉ちゃんとの不仲が知られたくない大輔からすれば、それは途方もなく一人ぼっちである。だから大輔は我慢する。
誰にも言えないまま、だれにも言わないまま、ただじーっと我慢している。
さみしいからやんちゃ坊主の大輔君をやっているけれども、積極的な性格になればなるほど、彼はおねえちゃんの問題と遭遇する機会が増えていく。
もうジレンマである。


「今の大輔君となんにも変らないと思わない?」

「・・・・・・・・ひとりぼっち?」

「ええ、ひとりぼっち。大輔君からすれば、きっとこの漂流生活と元の世界は何にも変わらないの。だから、今まで我慢できたのよ。
むしろおねえちゃんと顔を合わせなくても済むから、せいせいするって感じかしら?」

「言ってたよ、大輔君。僕と初めて喧嘩するとき」

「そうなの?でも、本当はそうじゃないの。わかるわよね?」

「うん。だって、大輔君、泣いてたもん。おねえちゃんが大っ嫌いになれないのがいやだって。
いつもいつも死んじゃうくらいつらい思いをするのは大輔君だけなのはいやだって。
何にも悪いことしてないのに、大輔君ばっかりつらいのはいやだって」

「大輔君は親友はいらないんじゃなくて、作れないのよ、きっと。知らないのよきっと」

「知らないの?」

「ええ、きっとね」


私と一緒、の言葉は心にしまわれる。


「大輔君はタケル君が頼りにならないからって言ってたわよね?確か」

「うん」

「大輔君は、きっと、頼りになる親友がほしいのよ、きっと。平等とか対等とか、
そういうのじゃなくてね、ただ、ぜーんぶ預けちゃっても大丈夫なくらい、甘えられる人がほしいのよ。
頼りになる人が欲しいのよ。それができないから、すっごく意地っ張りになってるんだわ。
1人だけいるでしょ?大輔君の隣に」

「ブイモンだ」

「自信満々だもんね、ブイモンは。しかも大輔君のことだけ考えてくれるでしょ、
これ以上居心地がいい子はいないわ、きっとね」

「じゃあ、大輔君の親友はブイモンってこと?」

「でもブイモンはデジモンでしょう?タケル君はデジモンなの?」

「ううん、ちがうよ」

「じゃあ、ブイモンにできて、タケル君にできることって何かしら?」

「え?えーっと、うーん、なんだろう?」

「じゃあ、ヒントね。ブイモンは大輔君のことで頭がいっぱいなの。
みんなのこととか、ちゃーんと考えられない子なの。
ちょっとずつ隠し方上手になってきてるけどね。大輔君はそういうのがすっごく上手だから、無意識のうちにやってるから、
いつもいつもバランスとれてるんだけどね。でも、それってすっごく疲れるの。
あの子、言わないとわかってくれないでしょ?
自分がどれだけ頑張ってるのかぜーんぶ、無意識のうちにやっちゃうから、気付いてないの。だからこんなことになってるんだけどね」

「あ、だから頼る人がほしいんだ」

「そうよ。あたますっからかんにして、なーんにも考えなくっても頼れる人が欲しいのよ、大輔君は。
タケル君はもうとっくの昔に大輔君のひとりぼっちを知ってるから、タケル君の頼りになるを探せばいいの」

「じゃあ、頼りにしてる人の話を聞いたらいいのかな?」

「うーん、どうかしら。大輔君の知ってる頼りになるって、ぜーんぶ、
自分にできないことみたいだから、マネしても難しいんじゃないかしら」


太一はサッカー部のキャプテン。
ヤマトは面倒見の良さ。
光子郎はパソコンの技術。
丈は保護者的な立場。
ミミは天真爛漫な親近感に引きずり込む強引さ
空はみんなのお母さん的な包容さ
全部大輔が持っていないものであり、大輔がすっげーって思って頼りにするところである。
つまるところ、甘えたいくせにすさまじく理想が高いうえに審査する目が厳しいからこんなことになっているわけで、自業自得な面がある。
本当は親友が欲しいくせに、今までいなかったタケルが親友になってくれそうになると、怖くなって逃げてしまうのだ。
親友ってなると相当理想が高いんだろう、大輔という少年にとっては。ましてやこの選ばれし子供たちの中では頼りになる人が多すぎるのである。
だから大輔は上ばっかり見る。
でもその上の人たちでさえ、いざというときには助けてくれなかったから、ブイモンが対等になる。お眼鏡にかなったのはブイモンだけになる。
親友がどういうのか知らないくせに、なんとなくで拒否している。むちゃくちゃである。だから、絶交って言っておきながら、頼りにならないってヒントを出す。


「実は大輔君ってすっごくわがままなのかもしれないわ」

「そうなんだ」


そういう意味では大輔という少年は、だれよりも自信過剰なのかもしれない。
傲慢かもしれない。自分のことを誰よりも信用できるって言うことは、いつだって傲慢さと隣り合わせである。


「僕だけの頼りになるかあ、なんだろう?」

「それを考えるのがタケル君のこれからね」

「うん、僕、頑張って探してみるよ。ありがとう、空さん」

「ええ、頑張ってね、タケル君」


ああ、なんてうらやましい。私もああいう友達がほしいなあ、表れてくれないかなあ、なんて思いながら、空はタケルを見届けたのである。
あとはタケルが無意識のうちに大輔をかつてのヤマトみたいに何でもできるすごい人であり、
なんでかよく分かんないけど、間違ったことはしない人だ、と勘違いしていて、ただの小学校2年生でしかないと気付くこと。
そして、大輔自身がタケルみたいな友達がいてくれる幸福、
努力に気付かないほどの自信過剰に陥っていると自覚するほどの出来事が起これば、完璧である。



オアシスはいよいよ星が降り注いでいる。




[26350] 第27話 希望は疫災である その4
Name: 若州◆e61dab95 ID:3ae5f425
Date: 2013/08/03 00:21
ただいま、と怒鳴りながら開けた玄関のドアが、がっちゃん、と音を立てて、開かない。
あれ?と思って、何度かガチャガチャしてみるのだが、ピクリともしないドアである。
どうやら母親は買い出しに出掛けている最中なのだと察した大輔は、はあ、とため息をついて、
ドアの下のほうについている郵便受けの扉に手を突っ込み、手探りでそのすぐ下にべったりと張り付けてあるであろう鍵をひっぺがすと、
痛みの残る指先でそれを器用に取り出して、鍵でドアをあけた。
大輔はそそっかしいから、すぐに物を無くしてしまうからって、母親はいまだに大輔に鍵を渡さない。
前にこういうことがあった時、大輔はずーっとドアの前で母親の買い物帰りを待っているはめになったので、それ以来の苦肉の策である。
ただいま、といつもの癖で大声で叫ぶものの、当然のように静寂に満ちた我が家は静まり返っていて、だれもいない。玄関のスリッパがない。
ぱちん、と電気をつける。玄関には書置きもなんにも残っていないので、おそらくおやつも何にも用意されていないことは明白だったので、
ふくれっ面のまま、大輔は靴を脱ぎ捨てると、リビングに行ってランドセルをソファに投げつけて、そのままキッチンに直行する。
手洗い、うがいなんてめんどくさいことしない。おなかぺこぺこで帰ってきたやんちゃ坊主はいつだって死にそうになりながら帰ってくるのである。
電気の道を作りながら、当然電気はつけっぱなし、リビングにあるテレビは速攻つけて、
音量をいつもより大きめにすれば、我が家はあっという間に騒がしくなる。
スリッパもはかないまま、靴下のままキッチンに到着した大輔は、テーブルの一つをシンクのある流し台あたりにぴったりとくっつける。
そしてその上に上ると、思いっきり背伸びをしてようやくぎりぎりとどく上の取っ手に指をひっかけ、せーの、でジャンプして扉を開ける。
落っこちそうになるのはいつものことなので、そのまま着地して、もう一回椅子に上る。相変わらず収納が苦手な母親である。
仕訳したビニール袋そのまま放り込んである。それを取ろうと手を伸ばした大輔だったが、
むりやり詰め込まれていたそれは大輔が引っ張り出そうとしたので、そのままひっくりかえってしまい、
ものすごい音を立てて上から雪崩のように襲いかかった。
案の定バランスを崩した大輔はそのまま椅子から落下して、保存食の下敷きになってしまう。ぽん、と最後の一個が大輔の頭に落ちて転がっていく。
泣かないの、男の子でしょという母親の言葉が脳裏をかすめたので、ぐしぐしと目頭からこみあげてくるそれを乱暴にぬぐった大輔は、
それをビニル袋に全部元に戻して、もう上の収納スペースには戻せないから椅子に置いた。
そしてその中から、好きなカップラーメンを引っ張り出して、包装を破ってごみ箱に捨てて、封を開けて、
中にある調味料を全部入れてしまってから、やかんに水を注いでコンロの火をかける。
こういうときじゃないとまだ大輔には早いから、危ないから近づいてはいけない、と母親は火を使わせてくれない。
ポットのお湯はすっからかんだったのだ。仕方ない。ぴーってなるのを待ちながら、大輔はようやくテーブルについた。
はああ、とため息をついた。つかれた、とつぶやきながら、ぐだーっとテーブルの上で死んでいる。
時計を見ればいつもよりほんの少しだけ早い帰宅時間である。仕方ないのだ。
今日は職員会議で学校は早くに下校しなければいけないし、サッカー部の練習じゃないし、
この曜日は友達はみんな塾とか習い事とかで都合が合わなくて、低学年の集団下校と高学年の集団下校は違うのだ。
小学校1年生の大輔は4限目で終了だが、高学年は5限目まであるのだ。グラウンドで遊んでいたら早く帰れって先生に怒られたし、
チャイムが早期下校を促す、追い出すための時間を鳴り響かせていた。
ひとりぼっちでサッカーの練習もいいんだけど、壁打ちとかリフティングの練習で公園へいくのもいいのだが、今日はちょっとそんな気分ではない。
ゲームできる気分ではない。かちかちかちと時計の音がうるさい。テレビの音が遠い。何にも考えたくなくて、大輔は腕を枕にして突っ伏した。


『ねえ、君、もしかしてジュンさんの弟?』


見たことない高学年だった。ゴーグルをつけている男の子はやっぱり目立つらしい。
大輔の大好きなジュンおねえちゃんの話を聞かせてくれる人だ、と認識していた大輔は、
いつものように、はい!そうです!本宮大輔ですって答えたのだ。
あら、かわいい、ってにっこり笑ってくれる高学年のお姉さんは、
ジュンおねえちゃんのかつての委員の後輩らしい。
大輔の知らないおねえちゃんをたくさん聞かせてくれる人である。
一挙一動が大げさな大輔にジュンおねえちゃんが大好きなんだなあ、と
感じたらしい彼女はほほえましくて微笑んでいた。


『なーんだ、やっぱりジュンさんも素直じゃないなあ、かわいい弟じゃない』


へ?と目をぱちくりさせる大輔は、かわいい、と言われてむくれるのだ。
かわいい、は女の子に向かっていう言葉であって、男の子である大輔に向かって形容すべき言葉ではないと知っていたので、
むきになって訂正を求める。すると彼女はごめんごめんって謝ってくれたので、
大輔は許すことにしたのである。
頭ぐりぐりされたり、ぽんぽん肩を叩かれたり、構ってくれるのはうれしいけど、どういうわけかいっつもみんな笑っているのだ。
大輔は全然面白くないのに。どういうことだと聞いた大輔に彼女は言ったのである。


『あのね、ジュンさんたら「うちの弟いらないわ、あなた達が私の弟だったらよかったのに、ねえ変えっこしない?」なんていうのよ?
私、弟いるの。こんなかわいい子だったら、大歓迎なのに」


その瞬間に、大輔の世界は絶対零度の世界となる。心臓に突き刺さった刃はぬけない。
このお姉さんは何を言っているんだろう?このお姉さんはなんで笑っていられるんだろう?どうして?どうして?全然理解できないのである。
このお姉さんはなんていった?ジュンおねえちゃんが、大好きなジュンおねえちゃんが、おれのこといらないの?いらないっていったの!?
しかもこのお姉さんの弟と変えっこするほどおれのことが嫌いなの?一緒に住んでるのに、一緒にお風呂入ってるのに、一緒に寝てるのに、
一緒に宿題やってるのに、一緒におやつ食べてるのに、ずーっとずっと一緒にいたのに、いてくれたのに、なんでなんでなんで!?
大輔はこの時初めて、大好きなジュンおねえちゃんが大輔の悪口を言っているのだという裏の顔を知って戦慄するのである。
あまりにも違いすぎたから怖くなったのである。
だって彼女がいうジュンおねえちゃんは、大輔のことが大っ嫌いだって、わからずやだって、うらやましいって、
何にも考えてないのがうらやましいって言ったのである!
食べること、寝ること、遊ぶこと、いがいは何にも考えてなさそうなお気楽人生でいいわよねって言ったのである!
なんで?あたしがいるから、あたしが守ってあげるから、あたしが側にいてあげるから、大輔はなんにも心配いらないのよって、
大輔は好きなことを思いっきりすればいいんだよって、言ってくれたのは、おねえちゃんなのに!って。
泣きそうな顔をする大輔に気付いた彼女は、単なる照れ隠しだから気にするなって言ったけれども、大輔はそのまま耐え切れなくなって帰ってきたのである。








ぴーって音がして、はってなった大輔はぐしぐしぐしって涙をぬぐって、
ガスコンロからやかんを取って、カップラーメンに注ぐのである。
お母さんが帰ってこないのは仕方ない。
だって、おれ、もう小学校一年生なんだ、もういろんなことができなくっちゃいけないねっておねえちゃんから言われたんだ、一人でお留守番くらいできる。
できなくっちゃいけないんだ。おねえちゃんがそうだったんだから。
おねえちゃんのいうことに間違いなんてないんだから。
ふたをして、小皿を重しにする。ほんとに?おねえちゃんのいうことに間違いなんてないの?
だっておねえちゃんが聞かせてくれたことって、ほっとんどうそばっかりだったじゃないか。先生とか上級生のお姉さん、
お兄さんたちが教えてくれたじゃないか。ほんとのこと、うそのこと、ジュンお姉ちゃんは嘘をつく人なんだって、教えてくれたじゃないか。
それをいったら、ジュンお姉ちゃん、あーあ、ばれちゃった、っていってたじゃないか、じゃあ、信じてもいいのか?
ジュンおねえちゃんのいってること、まるごとしんじてもいいのか?ほんとに、ほんとに、ジュンお姉ちゃんはおれのこと大好きなの?
愛してくれているの?信じてもいいの?



やかんに残ったお湯を捨てようとしたら、カーペットに滑って転んで、シンクにやかんをぶちまけてしまう。
べこって大きな音がして、湯気が上る。
やけどした指先を口にくわえて立ち上がった大輔は、ぽたぽたとこぼれるシンクから滴り落ちるお湯を拭こうとして、ふきんをさがす。
ぽたぽたと床にしずくがたれていく。えぐえぐと泣き始めた大輔は、もう前が見えない。きっとカップラーメンは伸びているだろう。
泣いちゃだめだよ、男の子なんだから、と慰めながら頭を撫でてくれた大好きなジュンおねえちゃんのせいで泣きたくなった時って、
泣いてもいいんだろうか、泣いちゃダメなんだろうか、と混乱する小さい心はもう悲鳴を上げている。その場に泣き崩れた大輔である。


「あら、早かったのね、大輔。今日はどうし……どうしたの!?」


散乱するカップラーメンや缶詰、保存食、そしてぶちまけたお湯の真ん中で泣いている長男を見つけた母親はあわてて駆け寄る。
その日、生まれて初めてジュンと大輔は大喧嘩をすることになる。
そして、泣き虫でお姉ちゃん大好きっこだった本宮大輔が死んだ日でもある。
人の大好きに中途半端な覚悟で手を出すと、強烈なしっぺ返しをうける。
じゃあ、その人の大好きがその人からぶっ壊されたら、どうしたらいいのだろうか。












第27話 希望は疫災である その4












ナノモンから提示された情報を頼りに、パソコン片手に先導する光子郎の後ろを選ばれし子供たちが続いていく。
タケル、空、大輔はタグをかざしながら、近くになると発光する反応を待ちわびている。
このあたりですね、と歩みを止めた彼らの前に広がるのは、途方もなく高い地層を延々とさらしている、
まるで荒野のごとき鉄分を含めた赤土の断崖絶壁である。
1日かかるといわれた言葉通り、まるまる一日費やしてようやくたどり着いた地帯である。
太陽の当たり方によって赤土の絶壁が照らされ、鮮やかな色合いはとても美しいが、ここにたどり着くまで相当の体力を消費している彼らは、
地球のへそのようなエアーズロックのごとき光景に目を引かれるほどの気力は残っていない。
風の浸食によって、さまざまなくぼみが出来上がり、裂け目もできている。みんな目を皿にしてみている。
どこに紋章があるのか、皆目見当がつかないので、探すしかないのだ。
この地帯はかつて地面の下に埋まっていたが、風の浸食によって発掘されたものである。
その地層だけは異様に硬かったため、風の浸食を免れ、地表からはほとんど垂直の縦じまが無数にあるのである。
まるで、選ばれし子供たちを待ち続けるために、途方もない昔からあるように。


「あ、ひかった!」


歓声を上げたのはタケルである。ぴか、ぴか、とタケルの右手に握られていた空っぽのタグが点滅するのである。
発光するリズムに合わせて瞬きしたトコモンは、もううるうるである。やった、やった、やっと来た!
これでやっとエンジェモンの上の進化が僕にもできるって証明されたあああ!って大喜びである。
紋章を持っていない子供たちの不安は常にある。
ましてや、頼りない、と友達の大輔から言われていたトコモンはそりゃもう気にしまくっていたのである。
ほっと一安心したトコモンは、タケルの上から大輔に言うのだ。


「大輔、大輔、これで頼りなくないよねっ!」

「え?あー……そうだな」

「え、なにその沈黙」

「進化できんのかよ」

「で、できるもんっ!もう失敗しないもん!エンジェモンになれたの大輔見てただろっ!」

「でもすぐ死んじゃったじゃねーか。みんながやめろって言ってんのに、
タケルがやめろってないてんのに、死んじゃったじゃねーか。オレなっちゃんのこと話してやったのに」

「そ、それはごめんっていったじゃないかああ!もうしないようって約束したよう!」

「約束しても破られちゃったら、それ約束って言わないだろ。何にも考えないで平気でうそつくやつが一番嫌いなんだよ。
エンジェモンがちゃんと謝ったら許してやるよ。パタモンとエンジェモン、なんか全然違うし」

「えー、大輔がそれいうの?大輔、一番なんにも考えてなさそうなのに」

「うるせえよ。いろいろ考えてんの。それだと頭の中かっちかちになっちまうから、
ゲームやって気分転換してんの。お前に何がわかるんだよ」

「えー、で」

「トコモンやめて!僕と大輔君、今絶交中なの!だからおしゃべりしたいの我慢してるのに
トコモンばっかりおしゃべりしないでよ!大輔君泣きそうじゃないか!」

「あー、ごめん、大輔」

「いいって、気にすんなよ」


いいって、気にすんなよ、ってもしかして、僕が前にいってた「ごめんなさい」と一緒なのかしらんって気付いたのは、きっとタケルだけ。
大輔の口癖なのを知っているのは大輔だけ。
ひらひら、と返した大輔である。もうその先からは一切視線も合わせないし、
話しかけもしないし、ずーっといろんなものを見ている。
大輔の手にあったタグはもうとっくの昔にデジヴァイス下の定位置にもどって揺れている。
タケルが絶交でもいいって言ったので、大輔はブイモンとのおしゃべりに集中している。これが大輔の言う絶交である。
つまるところのジュンお姉ちゃんにやっていることとなんら変わらない対応である。
話しかけられたら応じるし、求められたらいくらでも応じるし、それなりの態度で返すが、大輔側から返すものは求められたものだけで、
必要最低限だけで、徹底的にそれ以外は排除された対応である。
徹底的に無視されたり、避けられたり、あからさまな拒否反応を態度なり言葉で示されたらまずいが、
大輔は大好きと大嫌いは同じだと知っているので、本当の意味での正反対で返すのだ。その先にいるのは無関心である。
きっつい対応である。辛辣である。それだけ大輔は怒っているということだ。
後はオレと空さんだけかあ、とブイモンとしゃべっている大輔を見てタケルは思うのである。
大輔君は僕がいなくてもいいんだろうなあって、でも泣きそうな顔をしているから本当は仲直りして、
こんなことしたくないんだろうなあ、って思うのだ。
だからタケルが「泣きそう」と形容した時、一瞬大輔は驚いた顔をしたのをタケルは見逃さなかった。
僕だけしかわかんないこと、結構あるのかもしれないって思いながら、タケルはタケルだけにできる頼りになるを探している。
今のタケルでは、大輔の心情をある程度理解できても、それを励ましたり、慰めたり、話を聞いてあげるだけの言葉がない。
小学校2年生の男の子は孤独を知らない。中途半端になる。だから大輔はタケルにアドバイスを求めないのだから。
難しいなあって思いながら、タケルは落ち込んでいるトコモンを励ます言葉を紡いだ。
選ばれし子供たちはずっと探し続けている。
どこだ、どこだ、とタケルの紋章を探している。真っ先に気付いたのは、トコモンだった。


「タケル、タケル、あれ見て!みんなっ、あれ見て!紋章だよ!」


大声で叫ぶトコモンに振り返った彼らは、飛び降りて裂け目に飛び込んでいくトコモンを追いかける。
あったよ!タケルの紋章!と意気揚々と叫んだトコモンの先にあったのは、大きな大きな黄色い彫刻である。
遺跡の入り口を思わせる。
明らかにそこだけが人工物であることを示すように、垂直に立っている黄色の長方形が選ばれし子供たちの前に現れた。
みんな、息をのむ。そして、思わずあちゃーと目をそらした。


はあ、とため息をついて、やっぱりなあ、って目でにらみつけている少年の右手は、爪が食い込むほどの握りこぶしが震えている。
泣かないように歯ぎしりして、ぐってこらえて、赤ら顔でにらみつける先にはその紋章がある。
血が出ないように、右手を強引にほどいて、手をつないだのはブイモンである。
大っ嫌いな太陽の紋章とよく似た彫刻を見上げるブイモンは、内心複雑である。
その紋章はやがて持ち主の前にまで小さくなっていく。
そして、かちりと音を立ててタケルのタグに収まった。
まるで山から上る太陽を模したような、印象的な紋章である。さながら日の出のような紋章である。
八神太一の太陽の紋章とよく似たデザインの、よく似た色をした、紋章である。
同じ血を分けた兄弟である石田ヤマトの持つ青色とは反対色にあたる黄色なのは何の皮肉だろう。
タケルの後ろでは、ああ、やっぱりなってあきらめにも似た覚悟が決まっていたヤマトがため息をついて、
そのため息にびくってなっている太一がいて、大輔とタケルの大喧嘩が太一の取り合いにあると知る子供たちは、
これからを思って心中お察しすると視線を送った。
紋章が手に入ってうれしい。これでみんなの仲間入りできる。
ヤマトおにいちゃんの紋章と似てないとか、色が違うのは残念だけど、
かっこいい太一さんの紋章似たデザインとか、色をしているのはいい。
うれしい。
だってヤマトおにいちゃんの親友で、大輔君が尊敬する八神太一さんだから。
憧れている、八神太一さんの紋章と似てるから。
でも。
でも。
なんでよりによって、お日様みたいな紋章なのさあああ!
素直に喜べない悲しさである。
トコモンも大輔と絶交中だって言われて思い出したので、あらら、と思って、タケル一緒におそるおそる大輔を見る。
ぷい、とそっぽ向いてしまう友達に、がーんって落ち込んでしまうコンビである。
空に言わせれば、隠すのが上手になってきたはずのブイモンですら、なんかすっごい怖い目で紋章にらんでるし。
もちろんブイモンは太陽の紋章と似てるからであってタケルやトコモンを怒っているわけではないが、
大輔が誰よりも大好きなのはみんな知っているので、勘違いするのも無理はない。
少なくてもこの時点で、大輔の紋章が発見されない限り、仲直りするのはまた持ち越しになってしまった。






[26350] 第28話 蹂躙する愛情 セトモン
Name: 若州◆e61dab95 ID:05149cf7
Date: 2013/08/03 00:22
タケル曰く、お日様の紋章がタグにおさまったことで、
選ばれし子供達の前に現われたのは、古代の遺跡のトンネルである。
なんだ、なんだ、と足を踏み入れた彼らは薄暗いながらも、
ひんやりと涼しい空間にほっと一息ついて、つかの間の休憩も兼ねて、その城壁をみあげてみる。
ミミズがのたうちまわったような塊がレリーフとして沢山並んでいて、
びっちりとトンネルの隅から隅まで覆い尽くしていた。
なんだこりゃ、と太一がつぶやくのもむりはなく、さあ?と上級生組はお手上げ状態である。
上級生がそうなら、光子郎を除いては全滅だ。
タケルと大輔とトコモンは、見たことあるやつだったので即座に反応したものの、
真っ先に声を上げたのはトコモンだった。大活躍である。
パートナーデジモンたちは、これがデジタルワールドの世界の文字だって知っているので、なんでわざわざ、
選ばれし子供達がなんだこりゃと言っているのか分からなくて、
ぽかんとしていたので、反応が遅れた。異世界交流も楽ではない。


「これ、デジモン文字っていうんだよ。僕たちの世界の言葉だよ」


えっへん、と胸を張る真っ白なちびっこに、へー、とみんな感心したように笑う。
みんなの視線の中心はタケルになる。嬉しはずかしである。
ちょっと視界に入った大輔は特に気にした様子もなくブイモンとなんかしゃべっている。
ちょっとくらい見直してくれてもいいのに、とトコモンは膨れるが、
一回僕たちみてるもん、とタケルに言われてそーだった!とへこんだ。
忘れんぼさんだねえ、とタケルは笑うが、人のこと言えないだろうという指摘は誰も出来ないままである。
大輔はブイモンにデジモン文字はあったのか、と質問していて、
ブイモン曰くなんか知っているのと形が違うらしい。だから読めないとのこと。
デジタルワールドにある独自フォントであるデジモン文字は、実は2種類あるのだ。
新旧あって、ブイモンが知っているのは旧の方、この遺跡は新旧混在。
旧の方は、アルファベットと対応していて、26種類しかない。
一方、新は日本語の五十音順に対応したものであり、かつてTAMAGOCCHIと呼ばれる者たちが、
使用していたものがデジタルワールドにもたらされたが、知っているデジモンはいやしない。
アルファベット版は、オメガモンのオメガブレードに刻まれたものなど、
一部にしか確認されておらず、非常に珍しいものである。
現在デジタルワールドでは、デジモン文字は五十音順版とアルファベット版がどちらも使われている。
トコモン達は読めるのだが、こうもびっちりと書かれていて、
しかも薄暗くては読むだけでもつかれるので嫌だ、とねをあげた。
当然期待の視線が向かうのはただ一人。パソコンの中には、
デジモンの進化の謎を解き明かしてパートナーを進化させた実績があり、
しかもサーバ大陸の超強化された地図があり、
次第に参謀の頭角を現し始めた光子郎である。えええ、と流石に光子郎は冷や汗である。
ローマ字とエジプト文字が並べられた碑石が発見されるまで、
ピラミッドに書いてあるものは解析不可能だったのを光子郎は知っている。
いくら暗号とかを解くのが大好きな男の子であっても。
暇を持て余してはいろんな機密情報をクラッキングしては情報収集して遊んでいる天才であっても、
考古学に造形が深い訳じゃない光子郎が、全く事前情報もなしに解けるわけもなく、
こんな薄暗い環境の中でみんな夕涼みしてるのに、自分だけってちょっと。
そう思ったのだが、やっぱり目の前の謎には挑戦してみたくなるのが、知りたがりのサガである。
ちょっと待って下さいねって言いながら、
ちゃっかり太一の紋章が見つかったトンネルに張り巡らされていたこの文字を初めて見掛けて、
気になって全部デジタルカメラにとって、保存して、パソコンに入れるという要領の良さを発揮していた彼は、すぐに気付いた。
あのときのトンネルの文字列とほとんど刻まれてるパターンが同じであると。
そして、なんか一個だけ違うって。
それをぐっと押した光子郎である。トンネル内部がいっきに明るくなったので、みんなびっくりして声を上げた。





アンドロモンの工場時と違って、今ここには、丈さんがいる。
僕のいうこと理解してくれるかもしれない!
そう思ったらしい光子郎は、かつてヤマト以外上級生がいなくて、
結局この世界の大発見を誰にも理解してもらえないという悲しさから、
ずーっと心の奥にしまいこんでいたことについて、
もう一度、みんなに話すという決意をしたらしい。再チャレンジである。


「やっぱりそうだ。この世界では、こうやって文字や情報っていったデータが、力を持ってるんですよ」


光子郎の言葉にみんな、え?という顔をする。
思いっきり言葉を優しくしないと分かってもらえないって学んできたので、
最年少組にかみくだいて、かみくだいて、いろんなことを教えてきた光子郎は、
いらいらすることもだいぶん減ってきたらしい。
たとえ話をすることが多くなった。
そういえば、そんなこと前にもいってたな、とヤマトが思い出したように言う。
光子郎は、溜息である。
やっぱり分かってなかったんだ、ヤマトさんっ!
わからないなら、わからないっていってくれたらいいのに!
上級生であるが故のプライドなんてものは当事者になってみないと分からない。
彼が嫌ってほど思い知るのは2年後だ。
デジヴァイスについての特別講義を思い出したらしいみんなは、
うへー、と思いながらも、結構大事な話見たいなので、真面目顔。
そんなこと知らない光子郎は、いつのまにか、
このデータの遺跡にある文字には何か法則性があるんではないか、という段階までいっていた。
すさまじい短時間である。


「つまり、こうやって、文字が電気を付けたり消したりできるんです」


おおお、という賛辞の眼差しと言葉は向けられるだけでも、結構嬉しいものなので、
労力に見合った対価のためなら、わりと頑張る光子郎である。
魔法みたい、とテンションあがるミミをみて、同じ小学校4年生であることに不安を覚えてはいるが。
まあ、高度に発達した科学はほとんど魔法と変わらないって言うから、
意外と博識で教養あるミミさんは何となくとはいえ、的確なこと言ってるのかもしれない、と
思い直して、いちいち訂正するのをあきらめた。


「つまり、僕たちはパソコンの中にいるってことかい?
テレビゲームやパソコンゲームじゃあるまいし、
にわかには信じられないなあ。頭、痛くなってきたぞ」


はああ、と頭痛そうにこめかみに手を当てる丈である。
的確にぽん、と言葉を投げられた光子郎は、思わずガッツポーズしそうになるのをおさえつつ、
いつもは抑え目にしているミーハーな部分を加速させていく。
そんなバカな、と言っている置いてきぼりの子供達に現実を教えるべく、彼は選ばれし子供たちの前に、
解析されたデータをいじって、直接サーバ大陸の地図をホログラムで出現させた。
すげーという言葉が通り過ぎていく。
光子郎は結構テンションが上がっている。
もしかして、もしかして、ゲンナイさんはこの原理を利用して、
僕たちの前に現れたんではあるまいか?という仮説、
これを自在に操れるということは相当の相手、これはすごい、と
光子郎は無意識のうちに呼び捨ての爺さんを敬語で呼ぶ方針に固めたらしかった。
それはさておき、である。
子供たちに説明しながらパソコンをいじっていた光子郎は、ふと、あることに気付いた。


「わかりませんよ。僕たち、もしかしたら、本当にパソコンの中にいるのかもしれません。いえ、きっといるんですよ」


はああ?ってみんな目が点である。そこから始まるのは、スーパー質問タイムである。


「どういうことだ?テレビゲームの中にいるってことは、オレ達は一体何なんだ?」

「ゲームをやっていたら、テレビの向こう側のキャラクターになっちゃったと考えた方がいいかもしれません」

「じゃあ、その、本当の私達は一体どこにいるの?」

「さあ、流石に断言はできません。
僕達がそっくりそのままデータになってしまったのか、
もしかしたら、この世界にくる前の、そうだな、
サマーキャンプ場にいる可能性も否定できませんよね」

「えー、でも、それって、ずーっと寝てるってこと?」

「………だと、いいんですが」


らちが明かないので、一旦言葉を切った光子郎である。


「つまり、テントモンを始めとしたデジモン達は、まさしくデジタルでできたモンスター、だったというわけです。
パソコンの中で生きている生き物だったんですね。
だから、ファイル島とか、サーバ大陸とか、どこかで聞いたような名前の地名が、
結構あった訳ですよ」


ここまできてようやく丈を除く上級生組は、ああそう言えば丸暗記した情報の時間で、
めんどくさい単語でそれっぽいのあったなあ、なんて思い出したりするのである。
そんなこったろうとおもったよ、とこっそり溜息をつく光子郎である。
そんな光子郎の所に近付いてくるのは、ちょっとだけ心配そうな顔をしているサッカー部の後輩である。
ああ、そう言えばこの子はデジモンの生死にすら過敏な優しい子だったなあ、と思い出した光子郎は、
ついついみんなに分かってほしくて口走った、テレビゲームのキャラクターとか、パソコンの中の生き物、という
言葉がちょっと軽率だったと思い至る。同じデジモンの生死を体験しているにも関わらず、全然対応がま逆なタケルと大輔に、
どっかで見たようなデジャヴを感じつつ、どうしたんだい?って訊いてみる。
まあ、普通はタケルみたいにゲームのキャラ、と言われたら、
自分が主人公になったみたいだってテンションあがって、トコモンと微笑ましい問答を繰り広げるのがちびっこだ。
横で、ゲームのキャラか―ってほくそ笑んでるサッカー部のキャプテン見て、あっぶねーと思う光子郎である。セーフ、セーフ。
あやうく自分のせいでなんかとんでもないことが起こりそうだった。事前阻止できて感謝感謝である。
一応、上級生ぐみよりも近くにいて、なおかつ先輩ぶりたい大輔のホームシックを察してやれなかった汚名はそそぎたいものである。


「光子郎先輩、あの、デジモンがゲームのキャラってことは、別に殺しちゃってもいいってことっすか?」


やっぱりオレ、間違ってるのかなあ、って心配そうな顔である。
こんなにあったかいのにって手をつないでいるブイモンを見る優しい子である。
デビモンのことを聞く限り、倒さなきゃいけない敵と分かったら、ちゃんと覚悟は決められるみたいだし、
むしろ守りたいものがあった時に、身を張って飛び込んでいけるような特攻隊長みたいな行動した子である。
あだ名は伊達ではなかったらしい。
ただ、一度懐に入れてしまった相手に対しては途方もなく無防備で、大雑把で、
おおらかになれるが故の優しさなのだろう。
途方もなくそれが広くなってしまって、どこまで区切りをつければいいのか、
すっごく決断が遅くなってしまうような子なのだろう。
同じゴーグルかけてる子なのに、ずいぶんと太一とは違う子である。


「そういうわけじゃないよ、安心して」


そういわれて、ほっとする大輔である。
そして、励ますふりをしつつ、うっかりゲームのキャラならセーブしてリセットできる、と
連想してしまいかねない発言をしてしまい、選ばれし子供達の空気が明らかに緩んでいる失態を取り返すべく、あえて大きな声で言うのだ。


「僕たちはデータと言っても、かなり大きくて、かなりちっちゃいところまでちゃんと作られてる、キャラなんだ。
これだけのキャラをこの世界に放り込んだんなら、きっと元の世界のもどるときにも同じことをやらないといけないよね。
僕達がそのままこの世界に来ているのか、サマーキャンプに身体置きっぱなしで、
夢を見ているのかどうかは分からないけど、きっと、僕たちは生きているのと全然変わらないんだよ。
大輔君もいつもみたいに怒ったり、泣いたり、できてるだろ?
デジモン達だってそうさ。だから、大輔君は心配しなくてもいいよ。
そういう考え方もあるのはいいと思うし」


「いいこと」とはっきり肯定してもらえた大輔は、ほんとっすか、よかったーって目を輝かせるのである。
ありがとうございます!って笑って、ブイモンと微笑ましい対談を始めた大輔達をしり目に、光子郎がそれとなく見ると、
上級生組は投げやりになりかけていた自分をかんがみてぞっとしていたらしい。変な沈黙が漂う。
敵は倒していいけど、味方は倒しちゃダメ、なのは当たり前なのになんでみんな固まってるんだろう?と
いまいちよくわかっていないタケルとトコモンは疑問符である。
光子郎が言った、こっちの世界で死んだら現実世界でも死体だぞという牽制球は、
ちゃんと意味が分かる子達にだけ響いたらしかった。


「すいません、ついつい調べることに一生懸命になりすぎて、ちょっと前が見えなくなってました。
僕の言い方が悪かったですね、気を付けます」


とんでもない、と一部の人たちだけが首を振った。


「あ、ちょっと待って下さい、このデータは……いや、みなさんに分かるようにデータで示します。見ててください」


そこから、約1時間かかった。


「見てください」


選ばれし子供たちの前で、サーバ大陸のホログラムがやがていろんな情報を取り込んで、まるで地球のような世界となる。


「ずいぶんと広い世界だな」

「まるで地球みたい」

「まるで、どころじゃありません。ここはほとんど、地球と同じ世界と言っても過言じゃないです」

「この世界はとんでもなく広いってことかい?すごいなあ」

「ええ、きっと異世界です」


上級生組も下級生組も思い思いにその言葉を受け止める。
結局のところ、今まで通りでいいってことである。
異世界、の言葉はもちろん光子郎に自分の考え方を肯定してもらえて、さっぱり話は分からないけれど、
この世界がなんか地球って言う大輔達が住んでいる世界と一緒ってことくらいしか分からない大輔の耳にも響く。
地球って名前なのかー、大輔達の世界は、ってブイモンはうれしそうに初めて知った世界の名前を呟いている。
やっぱり遼さんは正しかったんだなあって大輔は思うのだ。
それを言ったら、大輔が認めて、未来のおれが認めたやつなら、
きっと凄いんだろうなあ、なんで完全体に進化出来てるのか、スンごく謎だけど、と
太一よりはずっと好感度がいい少年(命の恩人補正はでかい)を連想してブイモンも頷くのだ。
異世界って単語を訊いて、大輔の話がいよいよ信憑性帯びてきたことに気付いたのは、
もちろん選ばれし子供たちの中で唯一この秘密を聞かされている太一も同じである。まーた、こいつは。
しまった、忘れてた、遼ってやつもいたんだったって、ライバル出現に太一は頭が痛い。
憧れの先輩ってやつも大変である。
まあ、無理して突っ走ったら強烈なしっぺ返しはもう嫌ってほど味わったので、
これ以上は勘弁願いたいところなんで、太一は太一なりに頑張るだけだ。ちくしょう。


「なにやってんだよ、早くいくぞー」


難しい話にはちっともついていけなくて、不本意ながらもずーっとだんまりを決め込んでいたリーダーになりたい八神太一は、
八つ当たり気味にトンネルの先へ進んでから、みんなを呼んだのである。
その先にあるのが、最後の試練であるとも知らないまま。












第二十九話 蹂躙する愛情 セトモン











選ばれし子供達は、ナノモンの言う通り、タケルの紋章が手に入った時点で
ナノモンは助けるに値するデジモンであると結論付けた。
そして、二手に分かれる。紋章をもらえる大輔と先導役の光子郎を除いて、
下級生組はヤマトと共にタケルの紋章が手に入った入口付近でお留守番。
ヤマトを除く上級生組は、みんなで紋章を持っていない空と大輔を守る形で、
ナノモンの救出を優先することになる。
なにせ、その紋章と引き換えにナノモンを救出する手はずになっているので、
空も大輔も連れて行かないと、もしエテモンにばれてしまったら最後、紋章を砕かれてしまいかねないのである。
一度きりのチャンスである。失敗するわけにはいかない。
古代の遺跡のトンネルを抜けた先にあるのは、スフィンクスをオマージュしたライオン。
エジプトを連想するデザインの砂の巨大なオブジェの口の中である。
切り取られた四角の世界から、慎重に見るその先にあるのが、
ナノモンが囚われているという迷宮である。一見すると逆さまのピラミッドがある。
相変わらず訳のわからない世界である。


「すごいなあ、エジプトのピラミッド、まんまだ」


ぽつり、と呟いたのは丈である。ええ、と光子郎は肯定した。
タケルの紋章が手に入ったことで、ナノモンの救出が決まったとメールを出すと、返信があったのだ。
そのメールに添付されていた逆さピラミッドの迷宮の内部構造が、光子郎のパソコンの中に表示されている。
どうやら逆さまのピラミッドの対になる形で地下には同じサイズのピラミッドが埋まっているらしい。
そして高さ、底辺、勾配、面積に至るまで、ほとんどギザの大ピラミッドと同じなのである。
ついでに石材の高さと長さは黄金比。
王様を埋葬した石室と死後の世界を充実して過ごしてもらうために用意した部屋、
空気こうに至るまで、完全再現である。
そして丈も光子郎もしらないのが、緑色で塗られた上から下に伸びた通路がある。


「ピラミッドには、普通は見えない隠し通路があるそうです。
ここからナノモンを助け出せそうですね」

「今日は、差出人のナノモンを助けて、空君と大輔君の紋章の在処を聞き出すのが先だ。余計な戦闘は、絶対にしないように」


2度の前科もちである。一度はデジモン、一度は人間相手。丈の口調もちょっと厳しい。


「わーかってるって!」


みんないるのに叱るなよ!と太一はじとめだ。ほら、みんなちょっと苦笑いしてる。
リーダーはこんなんじゃないのに、くそう。
だってこうでもしないと太一へのけん制にならないじゃないか、
という無言の主張をするのは丈である。太一の扱い方うまくなってきている。
ちら、と大輔を見た太一は、キョトンとしている後輩にほっと胸をなでおろした。
よく分かんないけど頭なでられて嬉しそうな後輩である。
全部気付いてて、肩揺らしている青い不届き者に気付いた太一は、
こんのやろう、と思いつつ、なだめるアグモンに免じて許すことにしたらしい。
迷宮探検だってちょっと面白そうだなあ、僕も行きたいなあって
トコモンと話している弟に、わがまま言うなとくぎを刺すヤマトである。
心配そうに見送るミミと、いってらっしゃーいっていう微笑ましい声援を背後に、
先発組はみんな一緒に、ゆっくりと慎重な足取りで先を進んだのである。


「エテモンだわ」

「ナノモンの言う通り、早くした方がよさそうですね。
やっぱり、度重なるナノモンの妨害工作には流石のエテモンも気付いたのかな」

「そりゃ、毎回故障ばっかりしてたら気付くだろー」

「機械音痴な太一がいうなよ。光子郎君のパソコン叩いて治そうとしたくせに」

「うるせえ」

「太一先輩、やめた方がいいっすよ、光子郎先輩怒ったら怖いし」

「あはは、知ってるよ。つか、大輔、光子郎怒らせたことあんのか?」

「いえ、光子郎先輩見てると思いだす奴がいて」

「ケーブル分からないのに、ブラインドタッチとか、クラッキングとか、
ハッキングとか、難しい言葉知ってると思ったら、やっぱり知り合いにいるんだ?大輔君」


しまった、と大輔は舌を巻いた。光子郎がすっげー嬉しそうな顔でこっちを見ているのだ。デジャヴすぎる。


「え?あー、はい。でも別のがっこなんで」

「そっか、残念だな。アドレスだけでも知らない?」

「さー」


つか出会わせてたまるか、京と光子郎先輩組んだら最強タッグじゃねーか、
仲介頼まれたらオレが死ぬ!ミーハーは集まったら怖い。
怒らせてはいけないけど、実はちょっと距離を置きたいなあという位置づけになりつつあるなんて知らない光子郎は、
てっきりその人が知り合いのハーバード大学に通っている日本人小学生並みとはいかないものの、
凄い男の子もいたもんだって思っているのである。
その誤解がやがて大事件を生むが、まあ、すべては2年後である。
大輔は思いもしないのだ。
2年後、アイマート移転の影響で京がお台場小学校へ転校してくることも。
小学校6年生になった光子郎が、太一がいなくなったのでサッカー部にいる義理ないとあっさりサッカー部退部し、
パソコン部を設立することになるなんてことも。
そして、5人以上のメンバーと顧問を集めなきゃいけないという問題に直面した光子郎に脅され、げふんげふん、
泣きつかれて、残り2人分を探しまわる羽目になるなんて、思いもしないのだ。
顧問は選ばれし子供達の支援で、なんとかパソコン経験皆無な太一の恩師が顧問と決定
するが、
メンバー合わせにヒカリはともかく、サッカー部の大輔がかってに幽霊部員として無断登録される挙句、
幼馴染と幼馴染の弟分がパソコン部に入ることになるなんて、思いもしないのである。
まさかその先代部長を埋めるために、3年後、タケルが幽霊部員仲間になるなんて知りも
しないのだ。
大輔の苦難物語は秒読み段階である。











ナノモンの言う通り、秘密の通路は、ホログラムによって外からでは区別がつかない所にあった。
一見すると本物と偽物の幻の区別がつかない精巧な作りである。
その先から見えたのは、正規の通路に入るガジモン達とエテモンである。
このままではナノモンが殺されてしまうかもしれない、と彼らは軽口もそこそこに、先に進むことにしたのである。



辿り着いたのは、高圧電流が流れている網が張り巡らされた一室だった。
隠し通路の箇所だけは、唯一、ホログラムで人間もデジモンも安心して通ることが出来るらしい。
もし間違えでもしたら間違いなく、先導する人間は死にいたるのは明白である。
ごくり、とみんな唾を飲み込んだ。
さいわい、ナノモンのデータには右から5マス目と書かれてあったので、先頭行きたい太
一が思い切って先陣を切り、
いう通りに数えて先に向かった。辿り着いたのはピラミッドの最深部である。
ここが目的地で間違いない、と光子郎は肯定する。
その奥にいたのは、頑丈な高圧ガラスで閉じ込められているナノモンの姿があった。
ごっつあたまのええでじもんや、とテントモンがお墨付きである。
スカルグレイモンの件はともかく、どうしてサーバ大陸のデジモンのことを知っているのか、指摘する人間は誰もいない。
それこそが、彼ら選ばれし子供たちのパートナーデジモンの出身地が、実はファイル島ではない証なのだが、
スカルグレイモンの前例が出来てしまい、似たようなことがあったんだろう、と誰も指摘しない。
もちろん、いつものごとく彼らの知識はこのデジタルワールドが平和だった頃の幼年期の記憶しかない。
だから、気付かないのだ。
一瞬だけ、光子郎は違和感を感じたのに、こういうデジモンなのかと思ってしまったのだ。
ナノモンは小さなデジモンである。
でも、精密機械のごとき小さなマシーンデジモンなら、頭部にある欠損が、
どれだけ重大な欠損になるのか、気付きそうなものだが、
光子郎はそのまま受け入れてしまった。悲劇の引き金になるなんて知らないまま。


「もしかして、キミがナノモン?」

「そうだ、選ばれし子供達」


赤外線ポートで直接ノートパソコンに送り届けられたデータが更新される。


「私はかつて、エテモンと戦い、敗れた。そして破壊された身体のまま、ここに封印されたあげく、
思考能力が奪われたまま、エテモンのネットワークを管理するホストコンピュータとして働かされていたのだ。
だがある日、私は記憶を取り戻し、エテモンの目を盗んで自己修復能力でここまで復活できた。
でも、どうしてもここから出られない。君たちと私はエテモンの敵と言う共通の目的を持っている以上、
共闘するのも悪くは無いだろう。どうか、助けてくれ」

「キミはマシーンみたいだけど、一度壊されたのに、もう大丈夫なのかい?」


丈は心配になって聞く。精密機械は繊細な扱いが求められる機材である。
エテモンみたいにろくに扱い方も分からないような、乱暴者と戦って壊されたんなら、さぞスクラップ状態だっただろう。
光子郎ほど知識に偏りはないかわりに、浅く広くが丈の強みだ。
そう言われて、ああそう言えば、自己修復能力があるとはいえ、
デジモンは生き物だから限界があるのか、と光子郎は思い出す。
不自然な沈黙が続いた。


「………私は、記憶が無い」


え、と彼らは凍りつく。


「そこの選ばれし子供の言う通り、私はエテモンによって壊された。だから身体は治せても記憶は戻らない。
それはデジコアの根幹部分にあるデータチップが関わっている。いくら私でも治せないものはある。
だが、今は助かることが先決だ。だから、助けてくれ。エテモンは近づいている。キミたちまで危害が及ぶぞ」


はっとなった子供達は、あわててナノモンの言う通り、
その多重の結界からナノモンを開放すべく行動に移すことにしたのである。
奥の部屋にあるレバーを押して、現われた認証システムを作動させ、ナノモンから送られてきたメール通りに、
ダイヤルと番号を打ち込んでいく。そして、結界はゆるやかに開かれた。











その時である。豪快な音が安堵のため息で漏れた子供達を硬直させた。












「やーっぱり、あんたの差し金ねえ!ナノモン!」


現われたのはエテモンだった。何でこんな時に!と選ばれし子供達は身構える。ピラミッドの最深部である。
しかもまだ完全体の進化ができるデジモン達は皆無なのだ。
このままではやられてしまう。せめて時間稼ぎに、とパートナーは進化した。


「到着がはやいな」

「あーんだけ、分かりやすいくらいにすれ違い続けたら、いくらアタシでも気付くわよっ!
ばっかにすんじゃないわよ、こんのスクラップ!」

「ふん、冷酷無情な貴様なぞに手を貸すほど、私は落ちぶれた覚えはない」

「きいいいいいっ!あいっかわらず、むっかつくわーっ!
選ばれし子供達もろとも、瓦礫の下にうずめてあげるわよ!」


ナノモンが完全体だと知らない選ばれし子供達は、ナノモンを助けようと駆け寄る。
しかし、ナノモンの目は冷え切っていた。先ほどまであれほど温厚だった様子が一変する。
成長期から成熟期に進化し、誰ひとりとして紋章を手にせず、
パートナーデジモン達を完全体に進化させようとしない彼らは、
ナノモンにはどう映ったのだろう。
選ばれし子供達は知らない。きっと分からないだろう。
かつてナノモンはたしかにワクチン種の中でも温厚なデジモンだった。
エテモンによってスクラップにまで破壊され、なんとか自己修復能力で元には戻った
が、デジコアまで響いた損傷は、
データチップにまでひびを入れてしまう。
記憶や感情、というデジモンにとって大切な知能をつかさどる脳と心臓に当たる部分である。
温厚だった頃の思い出や記憶、自分が何者であるかという全てが失われたナノモンは、完全記憶喪失者である。
ナノモンが語った経緯はすべて全てダークケーブルにがんじがらめにされて、
途方もない間ホストコンピュータをしてきたがゆえに、
入手することが出来た当時のデータや情報、映像を参考に憶測で語ってきたものにすぎない。
どこまでもガラス越しの他人の世界である。
すべてを失ってきたナノモンにはもう何も残されていないのだ。
すべては同じ姿をした別個体にしか見えない。
どこまでも自分というものが見つけられない。なにもない。
恐ろしいほどにまっさらな状態である。
すべてを奪ったエテモンへの復讐心しか、もう、ナノモンに残されているものは無いのだ。
この時点でナノモンは選ばれし子供達を見限った。
ナノモンは全てを見ているのだ。エテモンに対抗するには選ばれし子供達は、
パートナーを完全体にするしかないのだということも全て。
なのに何故進化させないのか、心が欠落したナノモンには分からないのだ。
感情も記憶も喪失した者は、恐怖も分からない。
だからデジモンの本能で恐怖するはずのスカルグレイモンですら、ナノモンにとってはただの完全体にしか見えない。
共感なんて出来ない。そこにいるのは、ウイルス種に身を落としたナノモンしかいない。
どこまでも相手を利用することしか考えないデジモンしかいない。
ラヴセレナーデが発動する瞬間に、ナノモンは選ばれし子供達の目の前で、強烈な裏切りを執行することになる。


「お前たちの役目は終わった」


え?と何も知らない選ばれし子供達は凍りつく。役目?終わり?この優しいデジモンは何を言ってるんだ?
石像になった子供達を追いつめるべく、全ての諸悪の根源であるエテモンは、素知らぬ顔で続けるのである。


「んふふふふふふっ!さいっこうねえ、なんつー間抜け面してんのよっ!
こういう奴なのよ!ナノモンって!
んなこったろうと思って来た甲斐があるってもんだわ、もう最高じゃないの!
騙されてたのよ、あんた達、ぶわっかじゃなーい?」


ぎゃはははは、と大笑いするエテモンである。諸悪の根源が傍観者を決めること自体が屈辱である。
まだ修復しきれていない右手をナノモンはかざした。そしてありったけの声で叫ぶのだ。
感情を欠落したせいで、恐ろしく無機質ではあるけれども、確かに悲痛な、叫び声を。


「ほざくな、きっさまああああ!プラグボムをくらえっ!」

「なーめんじゃいわよ、ダークスピリッツ!」


突然始まった完全体同士の殺気を帯びたぶつかり合いに、選ばれし子供達はついていけない。
その大乱闘の余波を受け、デジモン達は強く打ちつけられてしまい、
成長期に戻ってしまう。やはり成熟期ではあまりにも場が違いすぎた。
エテモンは敵である。ナノモンは味方かと思ったが、実はエテモンの味方だった。
ではなぜ、ナノモンは本気でエテモンを殺そうとしている?
利用し利用される関係であるが故の足の引っ張り合いにしては、あまりにもナノモンの裏切りが唐突過ぎる。
紋章を手にする前に破壊してしまえばいいのである。空と大輔の紋章を。もしその手にあるのなら。
そしたら確実に完全体になれるデジモンは2体減る。
その時点でおびき出した子供達を人質にとって、紋章を壊して行けばいいのに、
ここまで用意周到に味方を装ってきたにしては、あまりにもお粗末なナノモンの挙動である。
違和感がにじみ過ぎて、彼らは混乱していた。


「ふふん、今回もアチキの勝ちね」

「くっ、戦闘能力だけの猿がっそうやっていつもいつも、破壊していくのか、貴様は!」

「力こそすべてでしょー?なーにいってんのよ、スクラップ」


やはり欠損がのこるナノモンではエテモンにはかなわない。
豪快に吹っ飛ばされたナノモンの先にいたのは、退化してしまったピヨモンを助け起こそうとしていた空である。
そして追いつめられたナノモンは、ピヨモンと空を羽交い絞めにする。
きゃああああ!と響いた声に子供達は我に返った。
ナノモンの声が響き渡る。


「こいつらと紋章の力さえあれば貴様なぞ!」


待っていろという捨て台詞を残し、ナノモンはすさまじいスピードで空とピヨモンを拉致するや否や、あっという間に姿を消した。
あわてて選ばれし子供達は追いかける。
パートナーデジモン達はせめてもの足止めに、とエテモンの場に残って別れ別れになる。
みんな助けて、という空の声が響き渡った。しかし、上級生組は立ち往生してしまう。
彼らの前に立ちはだかったのは、隠し通路である。一度通った、高圧電流が流れている
網の壁である。
一か所だけ、ホログラムになっている隠し通路である。あれ?あれ?あれ?どっちから見て右側だった?
5歩目?6歩目?あれあれあれ?空ああああっと飛び込んでいこうとする太一を必死で止めるのは丈である。
待って下さい、今すぐ調べますから、早まったことはしないで下さいね!と
光子郎が準備を始めるが、どんどん空の声は遠ざかっていく。
目前には死の気配。躊躇するのは無理もない。
だが、置いてきぼりにされたので、必死に走ってきた大輔には、もう、最大級の裏切り行為だった。


「なんで」


震える声に気付いた太一達は振り返った。


「なんで」


目は、濁り切っていた。


「なんでっ!!」


悲痛な叫びが、響き渡った。


「空さ、を、空姉ちゃんを、かえせえええええええええええっ!!」


その瞬間に、大輔のデジヴァイスは、どす黒いヒカリを放って、辺り一面を覆い尽くしたのである。










そして、その暗黒の先にいたのは。











大輔は絶句していた。
そこにいたのはエクスブイモンではなかったのである。
そこにいたのは、おどろおどろしいほどに真っ赤な四足歩行のデジモンだった。
鋭い爪が3本、地面を食いちぎっている。ずたずたに引き裂かれたような鎌鼬のあとからは、黄色が塗りつぶされている。
唯一の名残である青色は、腹と大きく裂けた口から、のぞいている二本の牙だけである。目は真っ赤である。
でも、蝙蝠のように広げられたデザインの鋼色の兜が頭部を覆い隠し、一切表情は読み取れない。
額には、どす黒くなった何かの模様が刻まれているが、よくわからない。
戸惑い気味に、今にも泣きそうな声で、か細いながらも必死で、ぶいもん?と呼びかけてみるが、そのデジモンは一切しゃべらない。
ただ無機質に大輔を見下ろして見上げているだけである。
無感情に、目を細めるだけである。呆然と立ち尽くしている大輔に、一歩、一歩、と近づいてくる。
怖くなって、一歩、一歩、と下がってしまう大輔に対して、パートナーデジモンは何も言わない。
オレたちはパートナーから嫌われたら一番怖いんだよ、死ぬより辛いんだよ、という言葉がよぎって、なんとか足を止める。
しかし、オレが一切しゃべらなくなったら大輔はオレを怖がらずにいてくれる?って聞いてくれた無邪気な相棒はもういない。
怖い、怖い、怖い、怖いよ、どうしよう、おれのパートナーなんだから、おれが怖がったらこいつかわいそうだ、でも、でも、でもっ!
しりもちをついてしまった大輔に、そのデジモンは影が落ちるまで近づいてくる。
そして、力が入らずにおびえきっているパートナーを咥えると、背中に放り投げる。
どすん、と不安定な巨体に乗せられた大輔が落っこちないように反射的に抱きついた途端、
そのデジモンは空に響かんばかりの雄たけびを上げた。
世界が揺れる。空気が揺れる。空気の流れを感じた大輔が風?と生暖かい方向に目を向けた時、
目も当てられないくらいの熱風が襲い掛かる。
あわてて目を保護するためにゴーグルをした大輔は、
その熱風がやがて大嵐になるくらいのすさまじい強風となって吐き出されていることを知った時、声を失った。
そのデジモンは、あっという間に壁を破壊し、呆然としている太一たちを置き去りにして全速力でナノモンを追いかけ始めたのである。
すべては破壊とともにある。台風の目のように大輔とそのデジモンの周囲だけが安全地帯。
デジモンが走り抜けた後には、蹂躙された瓦礫だけが残されていた。
厄介なことに、理性を残したままトチ狂ったデジモンは、パートナーの望みである空お姉ちゃんを助けるためだったら、
いかなる手段を持ってしてもかなえてあげるという強硬手段にでた。
それが自分にしかできないことであると盲信してやまない。
たとえパートナーがおびえていても、怖がっていても、泣いていても、目の前で無関係のデジモンをぶっ殺そうが、
暴走状態でこのエリアが壊滅状態に陥ってほかの選ばれし子供達やデジモン達に危害が及ぼうが、
一切気にしないという究極の自己欺瞞の塊が走り抜けていく。すべてはパートナーである本宮大輔のためである。


だって、本宮大輔は望んだのだ。いらないって。
みんないらないって。空お姉ちゃんを助けてくれないみんななんて、いらないんだって。
守ってくれるって言ったくせに、何にも心配いらないんだって言ったくせに、
いつもいつも大輔が心の底から助けてほしいときにはいつだって誰も助けてくれない。
うそつき。うそつき。大輔が一番嫌いな、大っ嫌いな、平気な顔をして嘘をつくという、
何にも考えずに嘘をつくというとんでもないことをしでかしてくれたみんななんか、
いらないんだって、思ってしまったのである。オレしか助けられないんだって、
オレだけが空お姉ちゃんを助けてあげられるんだって、そう、思ってしまったのである。
周りを見ることで、独りよがりな傲慢さとバランスを取っていた少年は、
いつしか周りを見ることに過剰になりすぎてパートナーデジモンに肩代わりしてもらわなければならないほどにまで、自意識過剰に陥っていた。
だが、自信過剰な傲慢さは、甘えられる相手を探すという審美眼に姿を変えて存在し、
そのお眼鏡にかなわなくなった人間はあっさりとすてるという暴挙を
無意識のうちに行えるようになるまでに、彼を周りから見えなくしていく。
それでどれだけの人間が傷ついているのか知っていながら、見て見ぬふりをし続けていたら、
いつの間にか致命的なまでに相手が傷つくことに関しては鈍感になってしまった。
だから自分の立場に置き換えて自分が傷つくという屈辱を避けるためにはどうしたらいいか、
を周りの人に置き換えることで何とかバランスを取っていたのに、
またバランスが崩れてしまった。気づけたらすぐにでもなんとかしようとできる子供なのだが、状況が最悪すぎた。



逆さピラミッドは、崩壊まで秒読み段階に入っている。











DIGIMON DISCOVERY

セトモン

レベル:成熟期

属性:フリー種

現代種であるウイルス種、データ種、ワクチン種の相関図の代わりに、
古代種には現在でいうところの炎、雷、風、自然、土、水氷、光、清純、神聖、
メタル系という力でもって相関図が図られていた。
どこかの誰かさんによる改変により、上から勇気、友情、愛情、純真、知識、誠実、
光、優しさ、希望、奇跡、と置き換えられることになる。
セトモンは風の力である愛情の紋章がつけられることになるデジメンタルにより進化した古代種のブイモンが、
デジメンタルが強大すぎたために制御できない暴走してしまった姿である。
愛情のパワーが憎しみのパワーに代わってしまっている魔獣型デジモンであり、
災いをもたらす嵐をよぶとされている。
現在ではアーマー体だけでなく、通常進化の成熟期としても確認されており、
そのデジモンは古代種の名残があるのだろう。
進化ツリーの成熟期の進化経路としても確認されている。
もはやそこにいるのはただの蹂躙する大嵐である。
必殺技は、砂漠に吹き荒れる大嵐のように熱風を吹きあらすヒートストーム。
標的にされたら、熱風の嵐から逃れるすべはない。
そして、二本の牙で襲いかかるタスクドライバーである。
やがて愛情のデジメンタルの所有者となる幼馴染のパートナーデジモンが
アーマー進化したホルスモンとは闇と光の関係にあるのが最大の皮肉である。



[26350] 第29話 放り投げられた祈り
Name: 若州◆e61dab95 ID:2402e3bd
Date: 2013/08/03 00:22
「ムーチョモン、どうしたっぴ?」


ピッコロモンの屋敷にて、200年ほど無期限休止状態のお仕事復帰をするべく、
同僚にホーリーリングを返してもらったなっちゃんは、振り返った。
ホーリーリングはデジモンに進化を与えると同時に、神聖なるデジモンの証明でもある。
これを受け取るということは、彼女の管轄である現実世界に逃げ出したデジモンのお迎えと、
これから新たに加わった新しい選ばれし子供達の選定に必要になる情報あつめという多忙な日々が目前に迫っていることになる。
物憂げな様子で選ばれし子供達が去った後を見ていたなっちゃんである。
気持ちは分かるけど仕方ないっぴ、とピッコロモンは肩をすくめた。うん、わかってるの、と彼女は悲しそうに笑う。


「分かってたとはいえ、選ばれし子供達も大変だっぴねえ」

「ころもん、ちゃんと、あぐもんになれててよかったね」

「ホントだっぴ。トイアグモン辺りになっちゃってたらどうしようかと、ハラハラしたっぴよ」


くすくす、となっちゃんは笑った。


デジタルモンスターは、デジタルワールドに生息する生命体であり、
もともとコンピュータウイルスが人工知能を獲得して生まれたため、
本来持っていた無生物のような自己増殖機能が失われてしまった。
デジコアと呼ばれる心臓の核の部分には、姿や形質などの情報が詰め込まれている。
基本的にデータが力を持つこの世界では、
データ上に存在するモチーフとなったものを本能としてデジタルモンスターは生息している。
そのため、人間が想像し得るものはすべてデジタルワールドにいるデジタルモンスターという形で存在しているといってもいい。
人の歴史が反映されてきた創造物が由来となっているものも多く、人間社会の歴史の模倣として、基本的に戦闘本能が強い生命体であるが、
それを知能が押さえ込んでいる状態である。そこに至るまでには、いろんな歴史があった。そして、今のデジタルワールドがある。
もしそうでなければ、きっとデジタルワールドは今なお戦いに満ちた世界であり続けていただろう。
その平和に至るまでの途方もない戦いの歴史が積み上げてきたのが、進化というものである。
デジモンは姿や性質を急激に進化させ、生体変化を発生させることで、成長するのだが、それを進化と呼ぶ。
幼年期1は、生まれたばかりでありまっさらですっからかんの状態である。
少しだけ成長すると幼年期2に移行し、
デジモンは話すというコミュニケーション能力を身に着け、はじまりの町で愛情というものを知る。
成長期になると戦う意欲が出てくるので、それぞれがふさわしいエリアへとどこかの誰かさんによって分散していく。
成熟期は力を蓄えた状態であり、一般的に強いデジモンに分類されるものが到達するのが完全体、さらにこの大きな力をもつものを究極体という。
このように変化していく進化は、初めからきめられているものではない。
たとえば、デジタルワールドで初めて確認されたデジタルモンスターであるボタモンから進化するコロモンは、
もっとも進化岐路が多いデジモンの一体である。選ばれし子供である八神太一のパートナーはアグモンに進化する。
しかし、ユキアグモンやトイアグモン、クリアアグモン、
ほかにも遥か未来で生まれるX抗体を持ってるやつとか、
X進化できる赤いベルトを腕に巻いたやつとか、
エクストラアグモンとかいう、途方もない力を秘めたアグモン
かもしれないよくわからないやつもいるが、関係ないので省略する。


「まあ、こればっかりは選ばれし子供達だのみだっぴねえ。
 まー、だからあの方も、進化ツリー渡すなんてことしたんだっぴ」

「うん」


なっちゃんとピッコロモンは知っているのだ。デジヴァイスを託したことの相当な重大さを。
幼年期2から成熟期になるだけでも、進化経路は分岐する。
さらに成熟期から完全体へもさらに分岐があるため、理論上ではネズミ算方式で究極体までの経路は存在することになる。
まるで木のように。これがデジタルワールドでは、進化ツリーと呼ばれている進化システムである。
ゆえにデジタルモンスターにとって進化は生きることと同義であり、
可能性は無限大と言われていて、生態においてもっとも重要な位置づけになる。
この進化ツリーのシステムを丸ごと組み込んだのが、小さなデジタル時計であり、
光子郎がパソコンであると定義したデジヴァイスといわれるものが持っている機能の一つである。
このシステムによって、選ばれし子供たちのパートナーデジモン達は、急激な進化を遂げることが可能となっている。
このシステムのもととなったのは、遥か200年ほど前に出会った紋章を持つ選ばれし子供の開祖となった、
今はまだ現実世界にいる9人目の選ばれし子供の異能の力である。
そして、もう一つ、デジヴァイスには友情値という機能がある。
これが一般的なデジタルモンスターとパートナーデジモンが、違うデジモン足らしめているところである。
それはパートナーとパートナーデジモンがもつ心のつながりが、
その進化ツリーシステムに甚大な影響をもたらすという事実から解析され、組み込まれた。
かつて心を通わせた人間と呼ばれる存在とデジタルモンスターがそばにいて、
何らかの仲介を果たすものがあれば、そのデジタルモンスターは、
たとえ成熟期であろうとも完全体に打ち勝てるほどの爆発的な力を発揮する。
それは、ホイッスルを吹いたゴーグル少年が証明して見せたことであり、本来ありえないはずの現象、
成熟期が完全体を打ち倒すというデジタルワールドの世界観を根幹から崩しかねない大事件と共に、どこかの誰かさんの前に現れた。
補足するなら、その完全体は、ネットワークセキュリティに属し、
ホーリーリングというやがて古代種を復活させデジメンタル運用の動力源になるほどの
生命の源である進化エネルギー、チートアイテムを持った、まごうことなき、
本来ならばなすすべなくお迎えの仕事を完遂させるはずだった、すさまじいデジモンである。
かつ聖なる属性の証明を持った強大な敵である。
相打ち寸前まで持ち込むという驚愕の事実を持って、
デジタマを回収して甚大なバグを抱えたまま帰還したパロットモンから解析された。
友情メータは組み込まれ、これが満タンになった時、パートナーデジモン達は進化することができる。
そこにいるデジモンは、通常のデジモン達よりもはるかに強いパワーを秘めた個体である。
主にパートナーデジモンの友情値と、パートナーの友情値がある。
ちなみにパタモンとブイモンの進化が遅いのは、
古代種の因子が色濃く残っているパタモンと、進化に適合しておりなおかつ純正の古代種の末裔のブイモンでは、
もともとこのメータがたまりにくいからである。すべては仕様だ。
そして。本来、デジタルモンスターは、進化前と進化後ではありえないはずの
一貫性を伴う自我と記憶を保持して、自分は何者か、という
アイデンティティを保つというありえないバグに見舞われると
パロットモンのようにデジコアを消費して、短命の転生を繰り返す。
その分強くなっていく因子は強化されるが、たいていは自傷行為を繰り返して、
たとえネットワークセキュリティに属するホーリーリング保持者であっても、
ワクチン種からウイルス種に進化先が固定されてしまうほどの致命的な病となってしまう。
進化ツリーが一本道に固定されてしまうという異常事態である。
だが、本来のデジタルモンスターと、そのバグを抱えたデジタルモンスターでは、
友情システムによって解析された、もっとも相性がいいデジタルモンスターと出会った選ばれし子供の持つ親近感では、
想定される心のつながりの深さでは、圧倒的に後者のほうに軍配が上がる。
それは進化ツリーを作り上げた子供と、バグをもたらした子供の、デジタルモンスターという生命体に対する初遭遇時点での印象、
を比較して行った解析により明白である。
この事例により、デジコアを消費しないようにデジメンタルの機能を組み込んだのがデジヴァイスであり、
意図的に進化ツリーが幼年期で止まるように情報をデジコアと進化ツリーに組み込み、進化ツリーがあるにも関わらず、
デジヴァイスを介した進化経路が一本しか許されず、間違った進化、正しい進化が生まれることとなる。
意図的に仕様となったバグを組み込まれることで、誕生したのが選ばれし子供達のための、選ばれしパートナーデジモン達である。
すべて決まっていたこと。とはいえども、いろんなことが想定がいの連続である。
これが選ばれし子供達が選ばれた理由なのだろう。


「とはいえ、救世主になってもらうために、いろいろ小細工しなきゃいけないのも可哀想だっぴねえ」

「あとすこし。あとすこし、だけ、まってもらおう、ぴっころもん。
わたし、ほめおすたしすさまからいわれてるの。
ごめんなさい、するんだって。もう、してもいいよって、いわれたから」

「あー、やっぱりそうだっぴか。おかしいとおもったっぴよ」

「うん。あのとき、いえなかったこと、いっぱいいっぱい、ごめんなさい、しないといけないから」


だから、がんばって、としか遠くの空の果てから願うしかないなっちゃんである。
大輔に時がきたら渡さなければいけないものがある。今はまだ、その時ではないから。
乗り越えて。頑張って。その先にきっと、奇跡は起こるから。
かつて、一度エンジェモンが本来のエンジェモンになってしまったのは、
おそらくタケルとパタモンの心のつながりが不十分であるにも関わらず、
パタモンの友情値だけが規定値に達してしまったために進化してしまい、
なおかつ仕様のバグが進化したエンジェモンにうまく適応できなかったからだろう。
スカルグレイモンは、アグモンと太一の友情値がどちらも未満にも関わらず、
心のつながりが離れたあげくに、紋章を使おうとしたことに対する制裁である。
どちらも段階は違うが暗黒進化の一例である。
では、心のつながりは十分であり、パートナーデジモンとパートナーの友情値も十分であるにも関わらず、
紋章ありきの選ばれし子供であるがゆえに、
本人らしくない行動によって引き起こされる暗黒進化は、いかなるものなのだろうか。
しかし、奇跡は諦めないものにこそ現われる。
この冒険は選ばれし子供達が自分らしさを取り戻す冒険でもあるのだ。
なっちゃんは待っている。お姉ちゃんを守るんだって叫んだ大輔と再び会えることだけを胸に秘めて。
ただ黒子は舞台裏でささやかな支援をすることしかできないのである。









大輔は生まれて初めて、風という自然現象の恐怖を逃れることができない最悪の状況下で、
ほかならぬ運命共同体であるパートナーデジモンからまざまざと見せつけられている。
名前を教えてくれないからわからないこのデジモンが現れた時、砂埃はまっすぐに昇っていたし、
太一たちとそばにいた大輔を見つめるこのデジモンの眼差しのように、穏やかな空気が流れていた。
背中に乗せられた時、振り落とされそうになって反射的に抱きついた大輔を確認してから、このデジモンは畏怖の咆哮をあげた。
砂煙は明らかに風向きを変えてなびき始め、顔に風が感じられるほどの空気の塊の動きが顕著化する。
大輔の髪の毛とか、洋服とか、靴紐とか、いろんなものが揺れ始める。
訳が分からないまま混乱している大輔を乗せたデジモンを中心に、砂埃が舞い上がり、
小さなゴミなどあらゆるものを吹き飛ばさんと宙に舞い始めた空気の動きは風となる。
砂漠の砂を固めてできたピラミッドの石壁が浸食されて、削られた黄砂が真っ黄色な風となる。
びゅうびゅうびゅう、と風の声が聞こえる。
大輔、ってかき消されそうになる大声で手を伸ばそうとしてくれた太一たちがいたのだ。
はっとなって無我夢中で手を伸ばそうとした大輔を引き裂くように、風はもし傘をさしていたら一瞬で骨組をへし折り、
吹き飛ばしてしまうほどの威力となって四方に襲い掛かった。太一たちはもう立っていられない。
もう風に向かって歩けない。大輔とデジモンの周囲だけは無風である。
ゆえに大輔は異常事態にいやでも気付いてしまうのだ。
あれだけ頑丈なつくりをしているはずの、高圧電流が流れている鉄柵が揺れ始めたのだ。
太一たちが吹き飛ばされて、壁に叩きつけられて、ぐったりするところを大輔は見た。
かろうじて意識はあるようだが、もう目すら開けていられないような強風である。
助けてくれようとしているところを、この漂流生活で初めて目撃した大輔は、即座に自分が一瞬でも思ってしまった
「みんないらない」がどれだけ愚かで稚拙な思考だったのかと思い知らされるのである。
それを思ってしまった自分がとっても怖くなったのである。
でも、もう遅い。ほかの選ばれし子供達と引き離された大輔は、
ただただ安全地帯からそれを傍観するしかできないのである。
よりによって、加害者側のすぐ上からという超至近距離の視点で。
風はとうとう暴風となる。めったに起こらないはずの蹂躙が始まる。
広範囲に甚大な被害をもたらし始めていた風が、一点に収縮する。
そのデジモンの大きく裂けた口から吐き出される。
どごおん、という豪快な音すら置き去りにして、鉄柵は見るも無残な形でひしゃげ、大きな穴をあける。
熱風を浴びた鉄柵はもうドロドロである。無理やり突破したその穴の先端は、
こうこうと赤く、白く、光っている。
ぶっこわされた備品が奥へと飛んでいく。一瞬の出来事だった。
ひい、と慄いてぎゅっとつかむ手が強くなる。





頼りにしてくれているのは自分だけだという途方もない勘違いを起こしている狂信者は、パートナーのために、
悲鳴のするほうへと一目散に駆け出したのである。もう一直線である。
大輔は躍動する巨体に振り落とされないように精一杯で、ぼさぼさの緑色のたてがみとしっぽに必死でつかまりながら、
恐怖と大パニックと大混乱でぐっちゃぐちゃになったまま、泣き始めたのである。もう視界は見えない。
もちろん、パートナーデジモンは、抱きついてくれているパートナーが頼りにしてくれているから、
体をゆだねてくれているのだと信じてやまない、かつて背中に乗せた時のように。大空を飛んだように。
そして、泣いているのは空お姉ちゃんを連れ去ったナノモンのせいであると盲目で狭すぎる視界しか見えない大馬鹿は思い込むのだ。



よりにもよってパートナーの目の前で。なんにも考えないで平気で嘘をつくことが誰よりも嫌いな大輔の目の前で。
食べることや寝ることや遊ぶこと以外は何にも考えないでいつだって全力なところが大好きだって、
大好きな人からそれが大輔のいいところだと褒められたから一生懸命頑張っていたパートナーの目の前で。
ほかならぬ大好きな人から、そこが大っ嫌いだって言われてしまったかわいそうな男の子の目の前で、あのナノモンはやったのだ。
言い放ったのだ。「お前らの役目は終わった」って。いらないって言い放ったのである。
この子がどれだけその言葉で抉られるような悲しみを抱いているのか、だれも気付いていないのに!
その時点でこのデジモンの中では明確なまでに殺意が芽生えていたのである。
それだけなら、まだ大輔がデジモンを殺すことに対して覚悟を決められていないから、
スカルグレイモンの時のように進化ができなくなるほどエネルギーは奪われてしまうと分かっていたから何とか押し殺していたのだ。
そしたら、あのナノモンは禁忌に触れたのだ。
今の大輔のすべての原点である、ジュンお姉ちゃんと同一視している空お姉ちゃんを大輔の目の前でさらうということをやってしまったのだ。
大輔が強くなったら、お姉ちゃんは泣かなくていい、つらい思いをしなくていい、だれも傷つかない、
だから大輔がお姉ちゃんを守るんだって決意と覚悟を固めた、すべての原点を根本から全否定することをやってのけたのだ。
大輔が自分の無力を感じて絶望して、見る見るうちにきらきらとしていた眼差しが濁りきっていくのをこのデジモンは見ていた。
泣き崩れるところを見ていた。空お姉ちゃんって必死で我慢して上級生たちが後を追いかけていくところを見ていた。
心配したグレイモン達から大輔を頼むよう言われて、追いかけた先でデジモンは見たのだ。
何度も何度も大輔に対して守ってやるから心配するな、もっと頼れって言いながら、
何度となく裏切ってきた彼らがまた裏切るという最悪の光景を。そして確信するのだ。
結局大輔を守れるのは自分しかいないんだと。誰も信頼なんかできないんだと。
デジモンが誰よりも大好きな人を踏みつぶそうとする敵でしかないのだと確信するの
だ。
恐ろしいことにこの時点で大輔とこのデジモンの思考回路は経緯や思いは全く異なるとはいえ、寸分狂いなく一つの結論にたどり着くのである。
そして、大輔の誰かを守りたい、助けたい、救いたい、という思いと寸分たがわぬ気持の昇華があって、心のつながりが顕著になり、
そして暗黒進化は起こった。大輔は一瞬だったが、このデジモンは今なおそれにとらわれている。
大切な空お姉ちゃん以外はみんな敵だ!みんないらない!みんなみんないなくなっちゃえ!みんな死んじゃええええ!
だからセトモンの額にある模様はどす黒くにじんで見えないのである。
大好きな空お姉ちゃんの紋章であるハートマークの真っ赤な紋章は、途方もない憎悪に代わってしまっているのだ。
これは大輔がオーバーライトを負担するデジメンタルの代わりをしているという、ブイモンと大輔のあり方が最悪の形で反映された。
デジメンタルのエネルギーに大きく依存する古代種は、デジメンタルである大輔の爆発した感情によって進化先が決定されるという、
本来なら大輔の負担を考えて禁じ手とされている現象をやってのけてしまった。
予め選定された個体であり、進化ツリーを一本化している生まれながらの選ばれし現代種のデジモン達と違って、
古代種の生き残りは一つの個体しかいないから代用がきかない。もともと進化ツリーは不確定。
本来のデジタルモンスターとしての在り方が残っていたがための悲劇だった。
早く空お姉ちゃんを助けたい、という大輔の願いを反映して、エクスブイモンよりも早く移動できる風の力の使い手が選ばれた。
無機質にプログラムは実行された。
そこにいるのは、野生のセトモンでありながら、記憶が一貫しているという恐ろしいほどに狂った思考回路のおぞましい何かである。
暗黒進化の制裁は、連帯責任である デジモンだけでなく、大輔にまで及ぶ。



なんか、だるい。なんか、つらい。なんか、体が、力が入らない、なんだこれ。なんだこれ。あれ?あれ?あれ?
次第に熱に浮かされたようにぼーっとし始めた大輔である。力が入らなくて、ずるずると落ち始める。
それに気づいたセトモンは、ほんの少しだけスピードを緩めた。風邪の初期症状にも似た現象に襲われた大輔である。
はっとした大輔である。もしかして、オレの声、届いてるのか?怯えきっていた大輔は少しだけ気力を取り戻した。


「ブイモン、ブイモン、戻ろう、早く戻ろうぜ、なあっ!」


大輔は必死で呼びかけるのだ。


「なんでしゃべってくれないんだよ!なんでこっちむいてくれないんだよ!なあ!
ブイモン!ブイモンってば、なあっ!」


元気だと確認したらしいセトモンは、再び暴風とかす。どこいくんだよーっという絶叫がこだました。
大嵐の蹂躙は続く。大輔の目の前で、どんどんいろんなものが破壊されていく。
どこかで見たような光景に、大輔は戦慄するのだ。
似てる。とんでもなく似てる。もしかして、これ、光が丘事件の時みたいだって大輔は思い出して一層抱きつくのだ。
セトモンの暴走を加速させるともしらないままで。
ようやく大輔はジュンお姉ちゃんがあの日の夜、光が丘事件の夜の時、
どうして泣いていたのか、こわい、こわい、こわいって泣いていたのか、
怯えていたのか、震えていたのか、崩れ落ちて、
大輔の知らない普通の女の子であるジュンお姉ちゃんになったのか悟ったのだ。
部屋に閉じこもるようになったのか、理解するのである。今の大輔と一緒だから。
全く同じだから、気付けたのである。
大輔はジュンお姉ちゃんもデジモンが見えていると信じてやまないので、完璧に理解することはできないが、
目の前でいろんなものをぶっこわされて、きっと大輔よりも50センチ以上高い世界で生きているジュンお姉ちゃんは、
きっと大輔よりもいろんな世界が見えていたのだろう。それらが一気に一夜にして吹き飛ぶのだ。なんておぞましい。
でも大輔はなっちゃんのお仕事を知っている。
かつてお母さんが大輔を幼稚園まで迎えに来たみたいに、グレイモンをなっちゃんは迎えに来ただけだって知っている。
どっちもわるくない。だから大輔は現実世界に帰ったら、なっちゃんのこと、お姉ちゃんには話そうって決めたのだ。
それを思い出した大輔の眼は、少しだけ輝きを取り戻した。


そして、大輔は気付くのだ。


隠し通路を突き進んでいるらしいナノモンを追いかけているセトモンは、当然すさまじいスピードでどんどん階層を下って行くことに。
大輔は混乱する。なんで?なんで?なんで?おかしいだろ、光子郎先輩いってたのにって。
さかさまピラミッドってやつの下はもう一個ピラミッドが埋まってるんだって。
なのになんでこいつ、どんどん下にいってるんだ?
なんでここが最下層、一番下のはずなのに、まだまだ下に行けるんだ?って。
大輔は知らない。ただナンモンを追いかけているセトモンも知らない。
ナノモンは用意周到なデジモンである。
エテモンに復讐するためだったら、なんだってするデジモンなのである。
だから奥の手は奥の手として最後まで残しておくデジモンなのである。
さかさピラミッドは対となるピラミッドが埋まっているのだが、もうひとつ、さらにさかさまのピラミッドが存在するのである。
その最深部近くには、部屋がある。
かつてエテモンがナノモンを拉致し、スクラップにしたときに思考回路を破棄した部屋があるのだ。
そんなこと知らないまま、大輔を乗せたセトモンは、ナノモンを追いかけている。
その間にも、オーバーライトを負担する大輔にのしかかるダメージは蓄積していく。
呼吸が荒くなる。のどが渇く。
体が熱を帯びて、体が火照ったようになる。妙なテンションになる。
ろくな思考回路たどれなくなる。大輔は人間である。
デジメンタルのようにエネルギータンクではないから、次第に衰弱していく。
デジヴァイスを介してもダメージは軽減されない。
暗黒進化したせいで、負担がもろに大輔に飛んでくる。
みるみるうちに衰弱し始めた大輔に仰天するのはセトモンである。
背中でぐったりし始めた大輔に、セトモンは止まったのである。


「なあ、ぶいもん、かえろ、なあ、たいちせんぱいたちの、とこ」


セトモンは嫉妬の憎悪をたぎらせて、少しだけ遅くなった足取りで下って行くのだ。
なんでよりによって出てくる名前が天敵の名前なんだっていう理由だけで、ますます大輔の容態は悪化する。
わけがわからないまま、大輔は必死でゆっくりになったことで安定し始めた背中を、力を振り絞って昇り始める。
たてがみをはいつくばって、はいつくばって、よいしょって昇り始める。
鋼色の仮面のあたりまでたどり着いた大輔は、同じ視界を見るのだ。そして目を丸くする。


「ブイモン、止まってくれよ!なあ、このまんまじゃ危ないって!ぶつかるって!ガジモンたちケガするってばっ!」


進行方向には見回りをしているガジモン達がいた。
大輔の中ではコロモンの村で遭遇したガジモン達は、弱虫で臆者だ。
ブギーモンという成熟期の姿を見ただけで、逃げ出してしまうようなデジモンとしてガジモンは認知されている。
弱い奴には意地悪して、強い奴には逃げ出す奴だって思っている。
だからこのデジモンはすっごく強いから、攻撃なんかしなくっても逃げていく。
実際に大輔の目の前でガジモンたちは恐れおののいて逃げようとしているのだ。なのに、戦闘態勢に入っているデジモンである。
やっぱりおかしい。おかしくなっているって大輔は思うのだ。いつものブイモンだったら絶対にこんなことしない。
傷つくようなこと、ひどいこといっぱい言われたけど、
いつだってそれは大輔の1番になりたいのに気付いてくれない大輔を思っていったことである。
自信過剰だってピッコロモンはいったけど、大輔にとってはそれが何よりもうれしかったのだ。
そんな大輔が傷つくことを誰よりも怖がってくれるパートナーデジモンがこんなことするわけがない。
高圧電流が流れている鉄線を突き破るのに使った、熱風の必殺技を執拗にぶつけようとするなんて!
大輔は最後の気力を振り絞って、仮面の上によじ登るのだ。その時、たまたまどす黒くなっている模様に触れて、
うっすら光が帯びるが、だれも気付かない。大輔は無我夢中だった。止めなくちゃ。オレが止めなくちゃ。
オレになんかあったら守ってくれる?ってブイモンは言ってたんだ。結局オレはこいつに何にも出来てない!返せてない!
オレがブイモンのこと守らなきゃ!パートナーデジモンはパートナーに嫌われたら、死んじゃうより怖いんだって言ってたんだ。
じゃあ、オレが大っ嫌いになりそうなことをしちゃう前に止めなくちゃ。
オレはブイモンのこと、大好きなんだ。大嫌いになんか、なりたくねえよっ!
それは、本宮大輔が、この漂流生活において初めて見せた「諦めたくない」である。
そして大輔は飛び降りた。かつて初めてこのデジタルワールドに来た時に、生命の危機にさらされたときに逃げ場がなくて、
追い詰められて、行動した時とは違って。自ら危険の中に飛び込んだ。
自分から行動した。誰かを守りたい、誰かを助けたい、誰かを救いたい、って願った、だれよりも強かった本宮大輔のように、
自分から、心の底から願って。このデジモンなら元に戻ってくれるって信じて。あきらめないで行動した。
大輔は飛び降りる。そして止めるために立ちふさがった。両手を大きく広げて立ちふさがった。ガジモンたちがかわいそうだったから。
大輔がガジモンたちが熱風にのまれて死ぬところをみたくないから。そして、大好きなパートナーデジモンにこんなこと、させたくないから!


「止まってくれよっ、ブイモンっ!」


大きく大きく響き渡った声である。セトモンの行動はどこまでも大輔ありきである。
大輔が目の前に現れたら本能的に止まってしまう。放たれるはずの必殺技は散見する。
逃げても逃げても追いかけてくる真っ赤な魔獣を止めてくれた大輔に、
なんだ、なんだ、とガジモンたちはビックリ仰天するのだ。
どいてくれ、とセトモンは唸る。
敵は殺さなくてはいけない、と尋常ではない殺気がガジモンたちに向けられる。
ひい、と縮こまったガジモンたちを背に、大輔は首を振った。


「ぜってーやだっ!ぜってーどかねえぞ!今ここでどいたら、絶対後悔するんだ!オレ、もうやなんだよっ!
もう大好きな奴大っ嫌いになんかなりたくねえんだよ!させんなよ、させないでくれよっ!なあ、ブイモンっ!」


切実な想いが響いた。こだました。ぼろぼろに泣き始めた大輔に、セトモンは硬直するのだ。
なんで大輔が飛び出してきたのか、なんで大輔が必殺技を繰り出そうとする真ん前にやってきたのか、なんで敵をかばうのか分からなくて、
本気で分からなくて唸っていた、怒っていたセトモンは、ぴたり、と止まるのだ。
大輔を泣かせているのは自分だと、はっきりとこの場でほかならぬ大輔から言い放たれたのである。
大輔を思っての行動が、大輔を傷つけたのだ。泣かせたのだ。しかも大輔は大好きなブイモンを大っ嫌いになりかけている。
大っ嫌いになりたくないとパートナーが泣いている。泣かせたのは、誰だ?となけなしの理性が残酷な事実を突きつける。
セトモンは自分だって気づいてしまった。誰よりも守りたい相手を守れなかった。その絶望は奈落の底へと突き落す。


「ブイモン?」


苦しみ悶え始めたセトモンに、心配になった大輔は駆け寄る。
真の意味で孤独になってしまった暴風雨は、とうとう大爆発を起こしてしまう。
どこまでも大輔を傷つけないように放たれた悲しみの咆哮はピラミッド全土を揺るがした。
もちろん、その必殺技を使用するのに使われたオーバーライトはもろに大輔に返ってくる。
セトモンの目の前で、大輔はとうとう意識を失って倒れてしまう。目の前で崩れ落ちる。
そして、がっくりとなった体がセトモンの頭部を覆っている鋼色の仮面に倒れ掛かった時、セトモンはすべてを悟るのだ。
大輔を苦しめているのは自分だってことに。すべての負担は大輔にかかっているんだってことに。
大輔はデジメンタルなんだってことに。
取り上げられて引き離されて封印された命より大事なものを壊しかけているのが自分だって気づいたセトモンは、
これ以上のオーバーライトの酷使は大輔に甚大な影響を及ぼすと悟って、停止したのである。
皮肉にもそれは気を失ったことで大輔がこれ以上セトモンの暴走に付き合いきれなくなったときと、ほぼ同時だった。ほぼ、共倒れである。
セトモンから涙が零れ落ちた時、退化の光に包まれたパートナーデジモンは、そのまま水色のデジモンへと戻ってしまった。
ぐったりとしているパートナーのところに、ぴょん、ぴょん、とスライムみたいになってしまった身体を擦り寄らせる。
だいしけ、だいしけ、って呼びかけて見るが、返事が無い。こっちみてくれない。呼んでくれない。名前を呼んでくれない。
怒ってくれない。泣いてくれない。元に戻ってよかったって喜んでくれない。ただうごかないパートナーがいる。
ぶわっとあふれだした涙は止まらない。やだ、やだ、やだ、一人にしないで、だいしけええって叫ぶのである。
このデジモンはかつて途方もない昔に始まりの街に生まれて、どこかの誰かさんによって同族と共に暮らしてきたが、
古代種が絶滅する時に、本来ならみんなと一緒に消えていく定めだった所を救い出され、一人ぼっちで泣いているのをみかねて、
渡された命より大事なデジメンタルと共にずっとずっと眠り続けることを定められたのである。いつか、一人ぼっちではなくなることを夢見て。
だから、始まりの街で生まれて、愛情を知って、野生の現代種に近い形で適応してきた他のパートナーデジモン達とは根本的に違うのだ。
ひとりぼっちを知っているのだ。このデジモンは。それがどれだけ残されたものにとって、残酷なものなのか。


「だいしけ、ごめん、ごめん、おれ、だいしけのこと、きずつけちゃったあああ!」


起きてよう、だいしけ、だいしけ、死んじゃやだああって泣いているちっこい水色に、
おそるおそる出てきたのはガジモンたちである。
殺されそうだったのを助けてくれた子供である。突然倒れたのだ、無理もない。


「お、おい、こいつ、どうなっちまったんだ?」

「わかんないいいっ!でも、でも、だいしけしんじゃうよおおっ!」

「はああああっ!?」


気絶しているだけなのだが、勘違いを起こした水色はパニック状態で要領を得ない。
おいおい、どうするよ?こいつ選ばれし子供みたいだけど、
あきらかに俺たちのこと助けてくれたよな?どうするよ?俺に言うなよ。
ってガジモンたちは秘密の相談である。途方に暮れる彼らに追い打ちをかけるように、
突然ピラミッドが揺れ始めたのである。


「けて」

「あ?なんだ?」

「たすけてーっ!だいしけが、だいしけが、おれじゃだめなんだ、おれだけじゃだめなんだよーっ!
おねがい、なんでもする!なんでもするから、だいしけのこと、たすけてええ!」


わんわん泣き始めた幼年期にガジモンたちは顔を見合わせた。


「なんでもするのか?」

「うん」

「ほんとに、なんでもするのか?」

「うん!」

「「「………」」」


ガジモンたちは顔を見合せた。そして、うなずくのだ。


「じゃあ、たすけてやる」

「ほんとかっ!?ありがとう!なにすればいいんだ?」

「お前だけじゃだめだ。こいつにも手伝ってもらう」

「え?だいしけも?」

「ああ」

「なにするの?」

「ナノモン様を」

「え?」

「ナノモン様を元に戻してくれ」

「え?それってどういう?」

「説明は後だ。こっちこい!俺たちの休憩場所があるから、かくまってやる」

「う、うん!」


助けを求めることを知った古代種の末裔は、ガジモンに抱きかかえられて運ばれる。
パートナーも運ばれる。そして、気付くのだ。あれだけあれだけ待ちわびても現われなかった兆候が、
ぴかぴか光らなかったタグが、ひきつけあう心の紋章の在処を知らせるために、瞬き始めるのを。
大輔のデジヴァイスの下で輝いているのを見るのだ。
この瞬間から、大輔一色だったチコモンの世界は一気に広がりを見せるのである。
わああって喜ぶのである。みつけた!みつけた!だいしけの紋章!近くにあるんだって。
きっとこのデジモンは一生忘れない。
仲間がどれだけ大切なのか、助けを求めることができることが、どれだけ幸せなことなのか、分かったから。
空お姉ちゃんを助けるには、だいしけを助けて、紋章を見つけて、ガジモンの言う通りナノモンが元に戻るとかいう
よくわかんないことを手伝えばいいんだってことが分かったので、きっと間違いは犯さない。





悲しみの咆哮はピラミッド内部の天辺から地下にまで貫かれている隠し通路にまで、大暴走の極致として到達した。
古代種の潜在能力を完璧に開放していたこのパートナーデジモンが放った必殺技は、オーバードライブを引き起こして崩落を呼ぶ。
地下に埋まっているエリアはともかくとして、さかさまで本来天辺であるべきところを
持って、支えとしていたピラミッドはすさまじい勢いで崩落したのである。
その衝撃はとんでもないところまで及ぶ。
大輔とセトモンを追いかけようとぶち抜かれた鎌鼬の後を懸命に追いかけていた太一たちを巻き込む。
幸い、エテモンとナノモンの大乱闘で生じたエネルギー体が出口を失って大爆発を起こ
し、
発生していた大穴のおかげで間一髪、生き埋めになるのを免れることになるが。
そして、最初の大爆発が太一から借りていた望遠鏡で今か今かと待ちわびていたヤマトたちを不安にさせていた上、
ピラミッドが突如大爆発を起こしてもろとも崩れ去るというとんでもない事態となってしまい、
不安になっていた彼らが太一達を発見して喜ぶも、そのメンバーの中に空と大輔がいないという異常事態となる。
結局夜となってしまったため、一時退却せざるを得ないことになるなんて誰も知らない。
彼らは結局、打開策を考えられないまま、古代遺跡の中で一夜を明かすのだ。
すべては光子郎のピラミッドの内部情報の解析待ちである。
これがきっかけである。
今までくすぶっていた上級生組の亀裂が決定的になり、実質的なリーダーとムードメーカーの一人を失った彼らが、
今まで懸命に隠し続けていた下級生達の前で、修復不可能になるギリギリ寸前までの大喧嘩に発展してしまうことになる。
そして下級生たちが上級生たちにすべてをまかせている現状に対して、このままでいいのだろうか、大丈夫なのだろうか、って
今まで見て見ぬふりをし続けていた不安をはっきりと自覚することになる。
少なくても、これで選ばれし子供たちの疑心暗鬼の芽は大輔と空を除いて生えた。種はまかれた。
これまでの冒険を支え続けていた仲間と進化とパートナーデジモン達という信頼関係が、緩やかに散見していく。ほぐれていく兆しとなる。
無意識のうちに、彼らが心の底から信頼できるのはパートナーデジモンだけしかのこされないことになる。でも、これはまだ一時的なものである。
空と大輔を助け出すという一致した目標がある以上、一致団結しなければならないのはみんなわかっているし、
太一たちが空を救出できなかった状況も、大輔を止められなかったのも、みんな理解できるし、同情できるし、だれも悪くない。
だから自分を責めるのだ。限界はかなり近いんだけども。沈黙が、重苦しいまま、彼らは朝を迎える。



[26350] 第30話 ぼくのばしょ
Name: 若州◆e61dab95 ID:bf458a99
Date: 2013/08/03 00:23
たしかにこのもんしょうはおまえのものだ
でもいまはわたしのものだ
うばいかえせばいい
できるものなら





ぱち、と目が覚めた大輔である。なんか、へんな夢を見た気がするが思い出せない。
これ以上ないくらい最悪の目覚めである。なんだか頭はがんがんするし、ぼーっとしていていまいち力が入らない。
ごしごし、と目をこすってみるが、涙の跡なのかからからに乾いているものがあった。
乱暴にぬぐいさってから、手がびっしょりなのに気付くのだ。汗をかいている。気持ち悪いなあ、って思いながら、
ぼんやりしていた視界がクリアになるにしたがって広がるものがある。どうやらソファに寝かされているらしい。
毛布らしきものがかけられていた。首だけ動かすと額から落ちるものが視界を遮って一瞬生暖かい感覚がして、
驚いて手探りでとってみれば、すっかり生ぬるくなってしまった布である。見慣れない部屋である。
まるで事務室のような無機質な灰色の部屋である。
まるでナノモンがいた部屋みたいな、とここまできてようやく気を失う前のことを思い出した大輔は青ざめる。
そしてあわてて立ち上がろうとしたのだが、できなかった。


「……なんだ、こいつ」


てんころてん、と大輔が起き上がったことで上に乗っかっていたらしい、見たことがない幼年期くらいのちっこい水色が、
腹のあたりまで転がったのである。けっこいでかい。大輔の顔くらいある。
へにょりと気の抜けた角を持っている、水色のまんまるとしたデジモンだった。
起こしちまったか、って焦るのだが、しばらくもごもごしていたのでびくっとして硬直していた大輔なんてそっちのけで、
ちっこいのは何事もなかったかのようにぐっすりと花提灯すらうかべて寝ている。がっくりと肩を落とした大輔である。
これ以上動くと、すぴー、すぴーと見ているだけでこっちまで和んでしまいそうなほど幸せそうな寝顔をみせながら、
涎を垂らして寝ているこいつを床に転げ落としてしまう。何このジレンマ、微妙にこの体制きついんですけど。
全身で呼吸しながら眠っている幼年期である。じーっと観察してみるものの、疑問符がたくさん飛んでいく。
はじまりの街でたくさんの幼年期1、幼年期2のデジモン達を見てきた大輔ですら、てんで記憶にないデジモンである。
大輔がよく遊んでいる某花札会社のファミリーコンピュータと後続機で買い続けているシリーズと、
携帯ゲーム機でおなじみの水色のスライムみたいな形状をしている。
別にぷるぷるしながら、悪いやつじゃないから殺さないでくれって、仲間になりそうな顔をしてこっちを見ているわけではなさそうだ。
わけわかんねえ、つーかここどこだ、と思いつつ、大輔は仕方なくクッションが引いてあるソファに体を沈めたのだ。
あれからどうなったんだっけ、と思い返してみるのだが、ぷっつりと糸が切れたように記憶が途切れている大輔は、
ブイモンだったパートナーデジモンが涙を一滴こぼしていたところまでは覚えているのだが、そこから記憶がとんでいる。
またかよ、と頭が痛くなる大輔である。なんかいっつもいっつも大事な場面で記憶がぶっ飛んでる大輔である。
もーやだなんだこれ。泣かないでくれって薄れゆく意識の中で言いながら、あの鋼色の仮面に縋り付いて、
ぎゅーって抱っこしたところまでは覚えているのだ。あのデジモンどうなったんだろう、ガジモンたちどうなったんだろう、
太一先輩たちどうなったんだろう、空さんはどうなったんだろう、みんなはどうなったんだろう、と
こみあげてくる不安と疑問はぐるぐるするのだが、答えてくれるデジモンも人もいないので途方に暮れる大輔である。


「だーもう、なっさけねえなあ、オレ!いっつもいっつも肝心なとこでかっこつかねえ!」


なにはともあれ、元気そうで何よりである。
あ、しまった、と視線だけそっちを向くと、案の定んーという間抜けな声がして、
ふあああああってビックリするくらいの大あくびをしたちっこいのは、生理現象で浮か
んだ涙をそのままにして、
ぱっちりと黒々とした目を大輔に向けたのだ。
赤い目じゃないからブイモンかんけーねーのかなって大輔が首をかしげているとも知らないで、そのちっこいのは、
大輔を見るや否や、目を大きく見開いて、ぴょん、ぴょん、ぴょんって、ポップステップジャンプの要領で大躍進し、
大輔に襲かかったのである。どわーって間抜けな悲鳴がこだました。


「だあああいしけえええええっ!」


べったーんと張り付いたちっこいのである。
どさくさまぎれてコロモンが奪ったミミ曰くとっても大事なファーストキスの次に大切と力説していた、
セカンドまで奪ってしまうという暴挙に出たちっこいのである。
こっそり悔しいいって思っていたらしい。隙をうかがっていたらしい。
抜け目ない奴である。
他のやつから大輔へのちっこいのがまだやってない愛情表現が出るや
否や大輔を取られそうになると本能的に察知してなんでもマネしたがるのである。
そのうち大輔の挙動まで真似しそうだ。大輔を少しでも理解したいからって。
大好きな大好きなパートナーが目を覚ました、
ずーっと死んだように眠り続けていたパートナーが起きたって寝もしないで、手も足もないのに、
懸命に看病を続けていたちっこいのは、テンションがすさまじいことになっていた。
無理もないだろう、このちっこいのにとってこの本宮大輔は世界で一番大好きなパートナーなのだから。
ぎゅううううってはりつかれた大輔はたまったもんじゃない。鼻と口を押しつぶされたら死んでしまう。
ばしばしばしって苦しそうにソファを叩く大輔にきょとんとしていたちっこいのだったが、
ああ、これじゃあ大輔の声が聞けないやって思ったらしく、どいたのである。
もちろん、ちょっとだけ。ゴーグルの上にのっかるだけ。
あやうく窒息死するところだった大輔は酸素を求める体の生理現象に従って思いっきり深呼吸した後で、げほげほげほって急き込んで、
ぐったりとソファに沈んだ。まさかのトラウマの再発である。ぎゅーって目を閉じてしまう。耳をふさいでしまう。
ちからが全然入らなくなって、首に襲い掛かる幻の圧迫感にうなされる。ぞくぞくぞくって悪寒がして、
心臓に突き立てられた刃はいつまでもいつまでも残り続けている。解放されるのはいつになるのだろか。
緊張感に蝕まれていくパートナーに、あ、って声を上げた大馬鹿はあわてて謝るのである。つばがとんでくるので大輔はいらっとする。
なんか久しぶりに聞いたなあ。チビモン以来だなあって大輔は頭の隅っこで考える。
この世界で一番本音をぶつけ合えるもう一人の自分である。
なんにも考えないで、すっからかんのまんまで頼りにすることができる世界で一番頼りになる相棒である。大輔はもちろん怒るのだ。
いいって、きにすんなよ、は置いてきぼりだ。これがきっと限りなく近い、本宮大輔の根っこの部分である。


「こんのやろーっ、オレを殺す気かーっ!いっきなりなんだよ、ふざけやがって!危うくお花畑が見えたじゃねーかっ!」

「だいしけ、だいしけ、だいじょうぶかっ!?
ごめん、ごめん、おれ、だいしけがおきたのうれしくてつい、おねがいだからきらいにならないでええ!」

「ったくもー、何考えてんだよ、ばーか。オレが嫌いになるわけないだろ、何言ってんだよ」

「ほんとか、ほんとにかっ!?おれ、だいしけにひっどいことしたのに!」

「ひどいことってなんだよ?あのわけわかんないデジモンになったやつか?」

「だいしけ、おぼえてないの?やっぱり、わかったよ、おれ。
だいしけ、やっぱりでじめんたるなんだって。いのちよりだいじなでじめんたるだって、
おれ、わかったんだ。ごめんね、だいしけ。おれがあいつになっちゃったせいで、
だいしけ、たおれちゃったんだ。もう、ぜったい、しないから」

「覚えてっけど、あんとき、お前泣いてただろ?止まってくれただろ?
元に戻ってくれたんだろ?約束してくれるんなら、許してやるよ。
もー戻んなくなっちまったらどうしようってそればっか考えてたからさ、オレ」


ほんと元に戻ってくれてよかったーって大輔はちっこいのを抱き上げてぎゅーって抱っこするのである。
おれもーってちっこいのもすりすり腕の中で大輔に甘える。
しばらくお互いの鼓動を確かめ合うように目を閉じていた後で、大輔は覚悟を決めた様子で口を開くのだ。


「なあ、あのあと、どうなったんだ?」

「だいしけがきをうしなったあと?」

「ん」

「おれ、おれ、だいじょぶだったよ、だいしけ!がじもんたち、ころさなかったよ!
でもつかれちゃったから、こんなんなっちゃった。
でさ、でさ、だいしけがしんじゃうっておもったらむがむちゅうになって、がじもんたちにたすけてーっていったら、
ここにつれてきてくれたんだよ!」

「え?ほんとか?」

「うん。たすけてくれたおれいだって!」

「そっか」


チコモン曰く、ガジモン達の休憩所らしい。
大輔とチコモンはピラミッドの上層がどうなってしまったのか知らないので、呑気なものである。
ちなみにエテモンはもともとナノモンの所へ直行する予定だったため、下層にガジモン達をひきつれていたため、上層にいたやつは誰もいないので、
犠牲者はゼロである。あえて言うなら逆さまピラミッド本体と、太一の望遠鏡で大崩壊を目撃してしまったヤマト、そして待ちわびていた、
ミミ、タケルコンビの心理的なショック、助けに向かおうと懸命に作戦会議中の選ばれし子供達だろうか。
地下という特性にプラスして時計が無いから、大輔とチコモンは完全に体内時計が狂ってしまっているが、ただ今真夜中である。
大輔はなんだかぽかぽかするのだ。俺のやったこと、間違ってなかったんだって、今ここではっきりと明確な答えを見つけられた気がする。
なによりも大輔の行動がこれでいいんだって証明してくれる証のような気がしたのだ。だれだって死ぬのは怖い。
転生できるデジモンだって一緒だって大輔はガジモン達から教えてもらえたのだ。
だから余計、エテモンに従っているガジモン達が分からなくなる大輔である。
さっさと逃げちゃえばいいのにって思うのだ。


「なあ、太一先輩たち、大丈夫かな」

「だいじょぶだって。ガジモンがいうには、ほら、エテモンとナノモンがとつぜん、ぶつかったとき、おれたちふっとばされただろ?
エクスブイモンから、ブイモンにもどっちゃっただろ?
そのとき、どーんっておとしただろ?あそこからだいばくはつあって、おおあなあいて、
そっからにげたんだって」

「え?じゃあ、エテモンは?」

「ナノモンがそとににげだしたっておもって、おいかけてそとにいっちゃったみたい」

「じゃあ、ガジモン達、エテモンの味方なのに俺達看病して、かくまってくれて、ここに残ってくれたのかよ」

「うん」

「すっげー、信じらんねえ。こんなことってあるんだ」

「でも、ホントだよ」

「だよなあ」


そっか、よかった、って一息ついた大輔である。


「なあ、空さんは?」


ちっこいのは首を振った。


「だいしけ、おれたち、かんちがいしてたよ。
なのもん、あんなにちっちゃいのに、かんぜんたいなんだって。せいじゅくきじゃないんだって。
えてもんとばとるできるくらいつよいんだって。
こしょうしてなかったら、どっちがかつか、わかんないくらいなんだって。
もんしょうないのに、いったら、しぬだけだっていわれたよ」

「まじかよ…」

「だから、さがそう、だいしけ。もんしょう、ちかくにあるみたいなんだ。ほら、みて、ぴかぴかひかってるでしょ」


ちっこいのにうながされて、横を見た大輔である。
デジヴァイスとタグとPHS,リュックが置かれていた。
タグが紋章の在処を知らせてくれている。ぴか、ぴか、と絶えず点滅を続けているのである。


「でもナノモンがもってるんじゃねーかな?」

「なんかよくわかんないけど、ガジモン達が任せとけって」

「はあ?」


さっぱりわからない大輔だが、チコモンと大輔の世話役であるガジモンは今ここにはいないらしい。
だから、帰ってくるまで待つしかない。事情はその時、聞けばいいだろう、と問題はとりあえずどっかに置いとくことにした。


「あのときね、おれね、なのもんがゆるせなかったんだ。そらをさらったから。いらないっていったから。
だいしけが、おれのだいすきなだいしけが、いちばんだいじないいところをあいつがぶっこわそうとしたから。
みんな、みんな、だいしけのこときずつけようってするから、
もう、なんにもみえなくなっちゃって、なんにもきこえなくなっちゃって、
おれしかだいしけのことまもれないんだっておもってね、そしたら、せともんになってた」

「せともん、っつーのか、あれ」

「うん。おれたちがしんじゃったりゆうのひとつだよ。
だいじなだいじなものをまもろうってして、あたまのなかがね、
それだけでぬりつぶされちゃうと、あいつになっちゃうんだ。
ちょっとだけ、おれ、おもってたんだ。
だいしけがおれのことだけみてくれたらいいのになって。おれだけたよりにしてくれたらいいのになって。
みんなみんないなくなっちゃえばいいのになって。
せかいでだいしけがひとりぼっちになっちゃったら、おれもひとりぼっちになっちゃうけど、
おれとだいしけしかいないせかいになるのになって。
そしたら、このでじたるわーるどでだいしけをぜーんぶひとりじめできるのになって。
そんなことになったらだいしけ、だいしけじゃなくなっちゃうのにね。
ひとりぼっちがどれだけこわいのか、つらいのか、さみしいのか、いやなのか、
もういやってくらい、おれ、しってるのにね、そうおもっちゃったんだ」


ごめんね、と泣いているチコモンは震えている。大輔は思いっきり抱っこしてあげた。


「オレも、ちょっとだけ、思っちまったんだよ。
太一先輩にもっと頼れってあたまなでなでされるのうれしいんだけど、信じていいのかなって、
ほんとにそう思ってんのかなって、疑っちまったんだ。最低だよな。
だって、がっこでさ、そういうやついっぱいいるんだよ。
友達だよって言ってるくせに、その子がいないと、ぺちゃくちゃその子の悪口言いまくってるやつ。
嫌いだって、いやだって、どっかいっちまえばいいのにってひっでーこというやつ。
言われてる子もおんなじようなこと、やってるし。わかってるんだよ。
そーいうのがあるから、きっとあいつら友達できてるんだよな。
その子が傷つかないようにがんばってんだよな。
だってそいつら、お互いにそーいうこと知ってるくせに、すっげー仲好さそうなんだ。
女の子ってわかんねーけどさ、そーいうやつなんだよな、たぶん。
なんでかしらないけど、よくオレも聞いてくれって相談されちまうから、
そーいう話いっぱい聞くんだ。ぜーんぜんわかんねえよ、女の子って。
なーんかこわいなーって思っちまうんだけど、見るたんびに、聞くたんびに、
ジュンお姉ちゃん思い出しちまうから、しかたねーんだけどさ、やっぱやだよ。
思うと、あそこのびりびり電気が流れてるとこ、間違えたら死んじゃうから、
太一先輩たち、たぶん頑張って探してた途中なんだろうけどさ、
なんかオレ、そのこと思い出したんだよ、思い出しちまったんだよ。
だから、さ、思っちゃったんだ。みんないなくなっちまえばいいのになって」


だから、なれなれしいと思ったのかもしれないと思う大輔である。
大輔の知っている女の子の複雑怪奇な人間関係のど真ん中ともいうべき中心にいるくせに、
その定義に当てはまらないほど、恐ろしいまでに真っ白な女の子がいる。
縄跳びみたいに入りたくても入れないタイミングが見つけられなくて、
いっつもいっつも臆病風に吹かれている女の子がいる。いっつもどっか浮いている女の子がいる。
いっつもにこにこして、いっつもやんちゃで元気でみんなの中心にいるくせに、
何考えてんだか全然わからないってみんなから、微妙に心の距離置かれて、気付きもしないひとりぼっちの女の子がいる。
周りでよくわかんない子扱いされている女の子がいる。
なのにどういうわけか、その女の子は大輔にかぎって、積極的に話しかけてくるのである。大輔君!ってたーって走ってくるのである。
まるで八神太一に話しかける大輔の時みたいに、唯一の味方を見つけたみたいな、
きらっきらした顔で、天真爛漫な笑顔を向けてくる女の子がいるのだ。
太一先輩じゃないのにって、いつもいつも大輔は不思議で不思議で仕方ないのだ。
なんでかあの子は異様に親しげにしてくる。
だから、もともとよく男の子からも女の子からも相談に乗ってくれって頼まれる大輔は、いっぱい聞かれた。
もっと仲良くなりたいのによくわかんないから助けてくれって、
本宮君ならよく話しかけてるみたいだから、仲いいんでしょ?知ってるでしょ?
どういう子か教えてっていやってほど言われてきたのである。
大輔は義理堅い性格だから、頼まれたことはちゃんとする。報告する。それが当たり前だから。
その女の子にそれを聞きに行くと、ぱっとした笑顔でありがとうってその女の子は言うのだ。
そしてまるで当然のようにその女の子は大輔が用意してあげた道筋をたどって、
少しずつ友達の輪の中に溶け込んでいくのである。
それなのに、どうしてあの女の子はどうしてみんなと友達になるのに、恐ろしいほど臆病なのか教えてくれない。
みんなの人気者になっていく女の子。それでも、その女の子が心の底から信頼しているのはきっと太一だけ。
とっても、いびつである。まるで仲介屋さんになった気分になる。
まあ、オレがかってにしてるだけだから、感謝とかそういうのいらないけど。
いい加減じぶんからやれよって思うのに、いつまでもいつまでもその女の子は
このプロセスをやめようとはしないのだ。
まるで当たり前だって顔をする。まるでお姫様みたいな顔をする。
オレがなんにもしなくなったらまたひとりぼっちになるくせに。
大輔だってまだ子供だ。ちょっといらいらしている部分はあるのだ。
言ったら確実に太一先輩に筒抜けになるから、強く出れないだけで。
いちいち友達との人間関係について相談しにくる女の子である。
サッカーでずーっと遊んでいる太一と大輔をわざわざ待っていて、
一緒にかえろって手を振る女の子である。周りは冷やかす。付き合ってんのかって笑う。
んなわけないだろ、と舌うちである。
この女の子は新しい友達が欲しいんだけどどうすればいいですかって、いちからひゃくまで、
自分から努力をするということなんて微塵もしないで、宙ぶらりんなまんまで、
大輔にご教授願いに来ているだけなのである。
どこまでもどこまでも太一お兄ちゃんで世界が回っている女の子なのだ。
誰が好きになるか、こんなやつ。うざったくてしょうがないのだ。
幼稚園児じゃあるまいし、なんで小学校2年生の癖にそーいうことできないんだよ、おまえって、
幼馴染と比べてあまりにも幼稚すぎてビックリするほど真っ白な女の子である。
でもやっぱりかわいそうだからやめられないのだ。
大輔に似てるから。自分と重なってしまうから。八神太一の命より大切な妹だから、仕方なく。
現実世界に帰ったら、お友達やめて普通の友達にならなきゃいけないなー、
いいかげんしんどいし、タケルがちょっと頑張ってきてるから、
これ見てたらオレも八神さんと一回絶交したほうががいいかなあって思い始めている大輔である。
だってもう太一先輩は理想的なお兄ちゃんじゃないから、我慢なんてする必要ないから。
ちっこいのにはいわない。かんけーないし。


「ひとりぼっちはいやだって、オレも知ってんのになあ。
でもさ、楽ちんだろ、ひとりぼっちって。なーんにも考えなくても、
すっからかんでも怒られないし、叱られないし、好き勝手しても何にも言われないし。
でも、それってすっげーさみしいんだよなあ。
みんないるのに一人ぼっちになることけっこーあるから、お前の気持ちわかるよ」

「だいしけえ」


うるうるである。ちっこいのは、ひとりじゃないよって大輔にすりよるのだ。
あんがとなってくしゃくしゃにしながら、大輔は笑う。そして、聞くのだ。


「お前誰?」


がーんってショックを受けたちっこいのは、
だいしけのぶわっかあああああって大声を出して、ガジモンにぶんなぐられることになる。
チコモンというそうである。
初めまして。つーか幼年期1なのに、なんでしゃべれるんだと聞いた大輔に、チコモンは言うのだ。
鍛え方が違うんだよって。なんだそりゃ。


















「今日からこっからここに住んでるアンタ達はアチキの下僕よ!」


毎日毎日、自慢の爪で落とし穴を掘り、大好物の木の実なんかをおとりにしてコロモン達が面白いくらいに引っかかり、
うわーとか、だしてーとかいう悲鳴を聞くのが日課だった。いじめていたガジモンたちのテリトリーにずかずかと入ってきて、
初対面早々、意味不明なご挨拶をかましたのが、エテモン様だったとガジモンはいう。突っ込みどころ満載である。
どうしようかなあってうずうずしている大輔である。
きょとんとしているチコモンは、いっじわるなのは昔っからなんだなあ、ってむくれている。
俺たちの日課だうっせえな。とガジモンに殴られるチコモンは涙目で、だいしけーってすがってくる。
ハツカネズミモンへのいたずらを聞いている大輔はお前が言うなとスルーした。
当然、一見するとふざけたキャラクターである。アチキに女言葉なエテモン様だ。強烈なキャラクターに引っ張られて、
無謀にも完全体に集団で襲い掛かったガジモンたちは問答無用でラヴセレナーデの餌食となり、
ばったんきゅーとなっているところをそのままずるずる引きずられて、下僕生活が始まったらしい。
なんというふびんな、と涙を禁じ得ない人生である。同情スンナ結構気に入ってたんだよ、とガジモンは怒った。
なんで、と疑問符の大輔とチコモンにガジモンは笑った。なんか誇らしげである。へんなの。悪い奴に従ってるのに。


「笑天門号ってあるだろ」

「エテモンが乗ってるあのおっきな車?」

「トレーラーっつーんだ覚えとけ」

「とれーらー?」

「ああ。ありゃもともと、エテモン様がコンサートを開くために改造したやつなんだ」

「コンサート?」

「エテモン様はもともとスーパースターになりたくて、サーバ大陸ででっけーコンサート開くのが夢だったんだとさ。
で、一人じゃできねーから、俺たちにケンカ売って、グループ作って、あっちこっちにケンカ売りながらコンサートして回ってたんだよ」


なんか熱狂ファンやってるジュンお姉ちゃんと京のお姉ちゃんが頭をよぎってしまい、大輔は懸命に首を振るのだ。
イケメンで歌がうまくてカッコいいバンドのお兄さんたちとエテモンは全然違うだろって打ち消すのだ。
大輔もギターくらい弾けなきゃだめよって訳のわからない理由で京のお姉ちゃんから手ほどき受けたけど、
背面弾きとかよく分かんないのまでさせられそうになったから逃げてきたのを思い出す。
おかげでなんか良く分かってないけど弾ける。
あんまりコンサートって聞いていい思い出は無い大輔である。好きあらば洗脳しようとしてくるのだ。お姉ちゃんの友達は。
なんか怖い。目が笑ってない。ぎゃーってなって逃げるのだ。大輔は。自分の部屋に逃げるのだ。そして大音量でゲームする。
布教活動という名の洗脳の餌食になっている幼馴染を見ている手前、巻き込まれそうになるので大輔にとっては、
京が遊びに来る日はいつだって洗脳の恐怖との戦いである。無駄に知識があるのは仕様だ、まだまだ大丈夫、まとも、うん。


「すんげーなあ」

「うっせーな、ただコンサートするだけじゃつまんねーだろ。エテモン様のコンサート参加したことねえから言えるんだよ。
あの人、気が済むまで歌い続けるから客になったら覚悟しろよ。
朝から晩までずーっとアンコール強制だぞ。そのうち耳に残って夢に出るって大好評だ。
帰りたくても帰れねーんだぞ、ダークスピリッツ飛んでくるから」

「あれ、今とあんまり変わんなくね?」

「ああ、かわんねえな。でも、村を消滅させるとか、そんなひでーことまでする人じゃなかったんだよ」

「え?そうなのか?」

「コンサートすんのに客の故郷ぶっ壊してどうすんだよ。ただでさえ評判悪いのに、今じゃすっかり嫌われもんだ。
おかげでコンサートがっらがら。なのにあの人、スーパースターになったって思い込んでるから全然わかってくれないんだよ」

「ガジモンたちじゃとめらんねえのか?」

「できてたらこんなことになってねえよ!俺たちは強くてかっけーエテモン様だから門下に入ったんだ。
今のエテモン様はエテモン様じゃないんだよ!止められそうな奴らならいっぱいいたさ。
みんなエテモン様が追っ払ったり、殺したり、逃げだしたりしていなくなっちまったけどな」


大輔とチコモンは顔を見合わせた。


「だいしけ」

「ん?」

「でびもんといっしょだ」

「は?」

「だって、でびもんもね、わるいやつだったけど、もともとむげんまうんてんにすんでるやつだったんだよ。
はじめてむげんまうんてんにのぼったとき、つよくてこわーいやつがいるってはなし、したでしょ?あれ、でびもんのことなんだよ。
だからちかづかなかったら、ぜんぜんこわいやつじゃないんだ。あいつ、おーがもんみたいに、おれたちいじめにおりてなんかこないから」

「なんだそりゃ。じゃあ、あんなふうに襲ってきたの初めてってことかよ?なんでそんな大事なこと今話すんだよ」

「あぐもんたちもそうおもってるよ。でも、えんじぇもんのことがあるから、これいっちゃったら、たける、ないちゃうでしょ。
もともとわるいでじもんじゃないのに、ころしちゃったって、ないちゃうでしょ。だからきっとみんないっしょういわないとおもうんだ。
だからおれ、だいしけのっけてちかづいたんだよ。おれのしってるでびもんは、はなせばわかるやつだったから」

「だから、いっつもいっつもチコモン達がいってることって、なーんかずれてんのか」

「うん。なんか、おかしくなってるんだ。でじたるわーるどが」

「・・・・・・・・なあ、そのデビモンってなんだ」

「オレたちがファイル島から来たのは知ってるだろ。選ばれし子供達だからって俺たち倒そうってしてきた最初のデジモンなんだ。
なんかよくわかんねえけど、オレにこの痕つけたの。そのデジモンなんだ」

「・・・・・・・・・エテモン様と一緒だな。もともと容赦ないとこはあったけど、
ナノモン様までスクラップにするとことか、そっくりだ」

「なんでナノモンにさま付なんだよ?」

「そりゃそうだろ、だってこのピラミッド迷宮はもともとナノモン様の城だぜ」

「え?そうなのか?」

「ああ。ナノモン様はもともと、壊れた機械を修復する天才なんだ。
だからサーバ大陸からは直してもらいたいって奴らがいっぱいいたんだよ。
ナノモン様が行方不明になっちまったから、もう、だれもこねえけどな。
笑天門号だってナノモン様に作らせたってエテモン様言ってたけど、あの人機械音痴で、
俺たちが必死でナノモン様んとこで勉強したから聞いてんだ。
今だってお前ら追っかけてるモニターの操縦とか点検とかそういうの全部俺たちがやってるからな。
あの人のマイクとか全部作ったのナノモン様なんだ。エテモン様のコンサートってド派手好きな演出大好きだし、
俺たちも調子のっていろいろ好き放題やらかすから、必ずどっかしらなんかぶっ壊れるんだ。
毎回毎回ここ通ってたから、もう常連みたいなもんだった。そん時、毎回毎回喧嘩すんだぜ、エテモン様たち。
いい加減にしろ、私はお前の専属技師じゃない、修理屋じゃない、
ほかのデジモン達からの依頼もあるのに割り込むなって怒るナノモン様と、
壊れないように作らないアンタが悪いんじゃないの、
お詫びのしるしに誠意ってもん見せなさいよって無茶苦茶なクレームつけるエテモン様で大喧嘩だぜ。
でもなんだかんだ言って毎回直してくれるって知ってるから、俺たち笑門号ここに止めるんだけどな」


いや、止めてたんだけどな、とガジモンは言い直した。


「今は何とか俺たちでやってるけど、ナノモン様がいなくなってから、コンサートも小規模な奴しかできないから、
エテモン様イライラがたまってて、俺たちによく当たるんだよ。俺たちはナノモン様ほどすごくねえから限界あるんだよ。
でもあの人わかってくれないんだ。おかしくなっちまってんのはわかってんだ。
でも、どうしようもないんだよ、なんでおかしくなってんのか、わかんねえから」


そっか、ガジモンもわかんないのか、と大輔もチコモンも顔を見合わせる。
なんでデビモンがおかしくなったのか分からないままである。暗黒の力ってやつも分からないままである。
ただ言えるのはそれに巻き込まれてデビモンは死んじゃったってことで、
エンジェモンが殺したならデジタマがデビモンの分も増えるはずなのに、
なんでか出現したのはエンジェモンの奴だけだったと大輔は疑問符だ。
チコモンは教えてくれた。
なんだよ、そんなことも知らねえのかよってガジモンも笑いながら教えてくれた。
デジタルワールドにだってあの世はあるんだと、この世界の住人達はいう。
大輔はデジタルワールドのことを何にも知らないんだなあって思ったりするのだ。
そりゃそうである。選ばれし子供達はデジタルワールドの平和をしらない。



最初に教えてもらったのは、デジモンにとって死ぬのってどういうことかってことだ。
ガジモン曰く、デジモンには「デジコア」っていう心臓がある。これは大輔も知っている。
これがデータチップだから。これをばらまかれるといろんな記憶が飛んでっちゃうって、なっちゃんが教えてくれたことだ。
ガジモンはもうちょっと詳しく教えてくれた。その中には、でんのーかく、っていうのがあるらしい。
普通、心臓だからデジコアはデジモンの体の真ん中部分、一番真ん中にある。だから、これが破壊されると死んじゃう。
ついでにデジコアを真っ黒にされるとレオモンみたいに無理やり悪いやつにされちゃう。
そしたら、ガジモンが、もともと真っ黒なやつもいるから一緒くたにすんなって怒った。
何でだって言ったら胸を張るのだ。俺がデジコア真っ黒だからって。
見たことないけど真っ黒だからって。それがウイルス種って言う奴だって教えてくれた。
ガジモンが意地悪大好きなのは、ウイルス種だかららしい。
無理やり真っ黒にされたやつと生まれた時から真っ黒な奴は違うんだって怒るのだ。
それは悪いことだって怒るのだ。
そういうもんなのに、一緒くたにされたら、それってとっても酷いことだって言われて、
そっかーと大輔は頷いた。確かに生まれた時からそうなら仕方ない。
大輔だって天然パーマだし、ストレートの奴見てると、
雨の日とか静電気のときとか、いいなあって思うがどうしようもない。
たしかにデジコア真っ黒だけどこのガジモンは大輔とチコモンを助けてくれたから、いい奴だ。
これくらい大輔だって分かる。ガジモンのお話は続く。


デジコアは大事だから、どんなに強い奴でも、デジコアを破壊されてしまえば一瞬にして消滅してしまうらしい。
ああ、なるほど、と大輔は理解する。
みんなで一斉に攻撃したのに全然敵わなかったデビモンを、エンジェモンがたった一撃で倒せたのは、
かつておなじ天使だったから、どこら辺にデジコアがあるのか知っているから、
悪魔と天使は仲が悪くて、いつもどっちがか消えちゃうまでケンカするから、
あたりまえのようにどこら辺にデジコアがあるのか分かるから、倒せたんだって大輔は理解するのだ。
みんなの力を使ったのは、おっきいからエンジェモンのままだと壊せないからか。
でっかいものを壊すのは大変だ。
だから、デジモンが死ぬのは、絶対にデジコアが死んじゃった時らしい。
戦いに負けたり、事故や自然災害に巻き込まれたり、食べるものが無くなって死んじゃったり、
寿命が無くなったり。びっくりするくらい人間と一緒である。
だから思うのだ。いかにデビモンのやってることとか、
エテモンがやってることが異常なのかって。デジタルワールドですら、おかしいことだって知る。
チコモンが補足する。それを決めるのがデジモンが喜怒哀楽という
感情をいっぱいいっぱい表現することで、オーバーライトなんだって。
あたりまえのことだから、絶対に変えられないこと。そりゃそうである。
喜怒哀楽無しで、一切言葉も交わさないで、一人ぼっちで生きていくことなんて無理だ。
それは人間もデジモンも同じなんだけど、笑ったらいっぱい長生きできるって知っている大輔はへんなのって思うのだ。
それが大輔がなっちゃんにもたらした覚醒前のアルフォースっていうオーバーライトの片鱗なんだけども。
どこまでもこの子は無自覚である。ガジモン達曰く、年をとるってそういうことらしい。
大輔も思う、それなら人間とデジモンは一緒だって。そういえば年をとるとみんな病気になったり、怪我したりするなあって。



じゃあ次は、死んだらどうなるのってことだ。
デジタルワールドには、ワクチン種、データ種、ウイルス種ってやつがいるんだって大輔は知る。チコモンは怒ってフリー種だって補足した。
ワクチン種は正義の味方で、データ種は穏やかな奴で、ウイルス種はいじわるする奴だって教わった。
全体的にみたらそうなだけで、ウイルス種って理由だけで、みんな地獄にいくわけじゃないらしい。そりゃそうだ、と大輔は頷いた。
大輔のやってるゲームとかアニメだって、悪い奴がいい奴になって味方になるのはいっぱいある、逆もある。
大輔は知っているのだ。なのに悪い奴だからってだけで、地獄に行ったら可哀想だ。普通はみんなデジタマになるんだよってガジモンは言う。
成熟期以上で寿命終えたら、デジモンはデジタマになれるらしい。だから、男の子とか女の子とかいらない。そんなやついない。
あー、だから家族とか、友達とか、親友とか、わかんないのかって大輔は理解する。
知らないんだったら、全部ごっちゃにしてチコモンがいろんなこと聞いてくるのは仕方
ない。
でも、中には寿命を終えずに死んじゃうやつもいる。そいつらがあの世に行くんだってガジモンは言った。
天使のデジモンはいいことの象徴じゃないといけないから、ここに来たら絶対に悪魔のデジモンになっちゃうらしい。大変だ。
「ダークエリア」っていうあの世で、「アヌビモン」っていう閻魔大王みたいな、デジモンがいて、生きていた間にどういうことをしてきたのか見て、
悪い奴だったらずーっとダークエリアに閉じ込められてしまうけど、いい奴だったらデジタマに戻っていいから、って、
「ヴァルキリモン」みたいなデジモンに死んじゃったデジモンはデジタマに戻ることが出来て、始まりの街にくるらしい。
でもこの場合は、生まれ変わる前の記憶は普通継承されないらしい。
あれ?って思う大輔である。なんでデビモン、エンジェモンだった時のこと覚えてるんだろう?って。
そしたらガジモンは笑った。それが進化なんだって。天使から悪魔になる進化があるんだって。死ななくても悪魔になっちゃうんだって。
だから、ダークエリアっていうあの世にいくのはよっぽど悪いことをしないと無理だって言われた。
デビモンのことを話したら、あーそりゃダークエリア行きだって教わった。そっか、だからいないのか。
もちろん、デビモンはダークエリアにすら送られていないという非情な現実である。これを知るのは、すぐである。



なんかおとぎ話、アニメ、漫画、ゲームの世界みたいだって大輔は思うのだ。デジタルワールドでは全部ほんとに存在している。
本当に異世界である。別世界である。現実世界では、もちろん大輔はなんとなくあの世ってあるんだろうなーって思っているけれど、
だれも帰ってきた人はいないから、帰って来れたって人はいるけど、実際に経験して見ないと分からないことである。
すっげー世界である。やっぱりこの世界でもけっこう大事なことなんだって知る。
だから、とガジモンは大輔とチコモンを見るのだ。


「だからナノモン様を元に戻してほしいんだ。
このまんまじゃエテモン様もナノモン様も、本当にダークエリア行きになっちまう。
おかしくなる前のエテモン様に戻れたら、デジタマに戻れる可能性もあがるだろ。
待ってることなんかいくらだって出来るんだ。俺達はデジモンだからな。死んだってまた生き返るんだ。
おかしくなった原因知ってるの、ナノモン様だから。最後まで、あの人がダークケーブル作ろうってするの、やめさせようとしてたの、
ナノモン様なんだ。止めようってしてくれてたの、ナノモン様なんだよ。あの人が記憶を失ってんのは当たり前なんだよ。
そんなことしたらまた邪魔されちまうからって。エテモン様がスクラップにしたときに、
わざとその部品、ナノモン様の仕事場だったスクラップ場に隠しちまったから」


ここまで言われては、それもそうか、と思うのである。


デビモンも可哀想だなあって優しい子供は思うのだが、すでにデビモンは真の意味で飲みこまれた。
もちろん現実は非情である。このままいけば、エテモンはダークエリアすらいけないまま、飲みこまれて消滅する。魅入られたものはかえらない。
救いはただ一つだけ。それを知るのは、目前である。大輔は思っている。
暗黒の力に操られているのが悪いのかなって。もちろん、そんな単純な世界ではない。


「部品?じゃあ探せばいいんじゃねーの?」

「できねえから、お前らに頼んでんだよ」

「え?」

「俺たちが探してんのは、データチップって部品なんだ。エテモン様が言ってたから名前だけは知ってるけど、
どんなのかなんてわかんねえんだよ。見たこともないやつ、どうやってさがせっつーんだ。ナノモン様の仕事場だから、
すっげー広いんだぞ、スクラップ場。修理待ちでほっとかれてて、埃かぶってる機械とか、再利用するために山積みされてる機械とか、
機械工具がもう見上げるくらいあるんだぞ。エテモン様がおかしくなって、ナノモン様があそこに閉じ込められてから、
ずーっと探してんのに見つからないんだ。でも、お前ら知ってんだろ、データチップ。どんなのか、知ってんだろ、だからお前らに頼むんだ」

「確かにデータチップだったら見たことあっけど、なんでオレたちが知ってるってわかるんだ?」

「お前ら、ナノモン様が「記憶がない」って言った時、なんつった?」

「え?」

「データチップなくしたのかってつぶやいてただろ、嘘とは言わせねえぞ」

「え、聞いてたのかよ」

「当たり前だろ。隠し通路の場所なんざ俺達の方がエテモン様より知ってんだ。
お前らにナノモン様が教えたのなんか、ほんの一握りだぞ。なんだよ、気付いてなかったのかよ。
じゃあなんでナノモン様しか知らないはずの隠し通路に俺たちがいたと思ってんだ」

「あ」

「ナノモン様がこのピラミッドん中異様に詳しいのは当たり前なんだよ、もともとナノモン様の場所なんだから。
なんで俺たちが知ってたかって?言わせんなよ。
エテモン様の代わりに笑天門号の修理とか操縦とかできるようになって負担減らせって叩き込まれたんだからな。
仕事場だって行ったことあんの俺らだけだ。エテモン様みたいに機械音痴がみたって何にも面白くないし、
下手に触って怒られたらプラグボム飛んでくるからなあ。まさか殺されかけるとは思ってなかったけどな。
付き合えよ。その代り、紋章さがし、手伝ってやるから」


紋章探し、と言われて仰天するのは大輔とチコモンである。
たしかに、さっきからぴかぴかと大輔のタグは光り輝いているのだが、
ナノモンは紋章を渡す条件で選ばれし子供達を呼んだはずである。
だからてっきりナノモンの手中におさまっているとばかり思っていたのだ。
どういことだと説明を求める大輔とチコモンにガジモンは笑った。


「ナノモン様は嘘は言ってねえぜ。確かにお前らの紋章もこのピラミッド内部にあるんだ。ただナノモン様も見つけられねえんだ」

「え?」

「その連れ去られた選ばれし子供の紋章ならスクラップ場ですぐ見つかったんだ。
でもお前らの紋章は、モニタの反応はあるのになんでか見つからねえんだよ」

「もしかして」

「ああ、そうだ。お前らの紋章は、ナノモン様のデータチップがどっかに埋まってる、スクラップ場にあるんだ。
悪い話じゃねえだろ。手伝えよ、待ってたんだ。お前らにしか出来ないことだ」


当たり前の話である。奇跡の紋章は想いの紋章である。心がないナノモンに大輔の紋章は見つけられない。



[26350] 第31話 だれかさんのおもいで
Name: 若州◆e61dab95 ID:43d2a011
Date: 2013/08/03 00:23
ここだ、と言われた大輔とチコモンは、認証システムをくぐり抜けて、スクラップ工場に潜入したのである。
データチップって言うのは、これくらいちっちゃいものなんだって大輔はガジモン達に教えてあげた。
大輔の手でもすっぽり収まるくらい小さくて、これくらい小さくて、四角くて、うすくて、かるくて、かたいもの。
黒かったり、白かったりするから色までは分からないけど、大体こんな感じだって、光ってるかもしれないって。
もし、大輔がもうちょっとだけ大きかったら、京や光子郎みたいにパソコンが大得意で、情報の時間が楽園だったら、
もちょっとだけ詳しかったら、もう少しだけ素敵なことを教えてあげられたのだが、知らないから仕方ない。
ナノモンがエテモンから取り上げられた部品は、ガジモン達が必死で探し求めているデータチップってやつは、
かつて大輔とチコモンが見たデータチップっていうのは、パソコンのデータを記憶して保存する大切な部品で、
メモリチップっていう素敵なお名前があるんだってこと、思い出の詰まったものだってこと、知らないまま彼らは探し始めた。


「そんなにちいせえのか、そりゃみつかんねえのも仕方ねえな」

「ちっちゃすぎるだろ、いくらなんでも。こりゃ、一回探したところも探し直しだな」

「ナノモン様のデジコアのデータチップだからまさかとは思ってたけど、
ぜってー見落としてんな。時間がねえ、手分けして探すぞ」


おーっという意気込みも新たに、大輔達は広大なスクラップ工場に散っていった。
ホントに手袋してて良かったと思ってやまない大輔である。
ガラクタにしか見えない山が大輔の何倍もある高さで立ちふさがっているのだ。
きっと大輔にとっては粗大ごみにしか見えなくても、ゴミ屋敷にしか見えなくても、
かつてのナノモンにとっては宝の山だったのだろう。
使えなくなったどうしようもない奴を引き取って、溜め込んで、デジモン達から頼まれた依頼で運ばれてきた壊れたものを直すために、
そいつらを分解して、つなぎ合わせて、直しちゃうんだから、きっと凄い機械のお医者さんだったんだろうって大輔は思うのだ。
きっとエテモンを直すための治療方法だって知っているだろう。あれ?デジタルワールドの世界ってお医者さんいないの?って思って、
ガジモン達に訊いてみるが、はあ?ってあきれ顔のガジモン達は笑うのだ。ケガなんてして当たり前の世界、唾つけりゃ治るさ、
それが原因で死ぬんなら、そこまでの人生なんだってさらっと言ってのけてしまうんだから、びっくり仰天である。
デジタルワールドってすっごく大変な世界である。レオモンやエレキモンに会えてよかったって寒くなった背筋と冷や汗を抱えながら、
大輔は懸命に廃品の山と格闘していた。ぴか、ぴか、ぴかってタグはずーっと光り続けている。


「ごめんなあ、だいしけえ。おれ、なんにもてつだえない」


降ってくる申し訳なさそうな声が落っこちそうなので、大輔は油でドロドロになった手袋で戻してやった。
ブイモンだったら、こんな重いやつあっという間に持ち上げられるのに!だいしけのこと、手伝えるのに!って、
己の無力を嘆き悲しんでいるパートナーデジモンである。悔しそうなちっこい、チコモンである。
意気消沈してずーんとなっている相方を頭の上に乗っけて、ちくちくするけど面白いからいいやって失礼なこと言ったチコモンに、
大輔は、ひとりぼっちじゃないのはお前のおかげだから、お前はいてくれるだけでいいんだよって笑ってやった。
ちょっとだけ元気が出たらしい。うん、とチコモンは頷いて、がんばれだいしけってエールを送るのだ。
それだけで大輔は百倍元気になれる。よくいうぜ、とこっそり心の中で呆れかえりながら。
チビモンだった時みたいに、また抱っこしてもらえるんだって、肩にのっかれるんだって、頭の上に乗れるんだって、
大喜びしているのを大輔は知っているのだ。だって今のチコモンの声、全然悲しそうじゃないし、多分口はにやけてる。
これ以上ないくらい、しあわせーって顔をして、大輔の頭にへばりついているだろうことはお見通しなのだ。
ブイモンはおっきすぎるのだ。ポヨモン、トコモン、パタモンは大輔よりも小さいタケルが頭に乗っけられるくらい、
ちっちゃいのに。どれになっても大好きな人のぬくもりを感じられる、一番近くにいられるってうらやましがってたことくらい、
大輔だって覚えてる。いいなー、いいなーって言ってたの覚えているのだ。嫉妬してることくらい分かっているんだ。
だから我らがパートナーはトコモンを友達なのに友達って思いたくないのだ。友達っぽく扱おうって意地をはるのだ。
もともとはそこからの嫉妬なのである。まるで大輔みたいである。本当にもうひとりの自分だなってぽかぽかするので嬉しくなる。
なんとなくではあるんだけども。だって本気で今のチコモンの姿が嫌なら、ちょっとくらい手伝いする気力があって、
少しでも大輔の役に立とうとしているのなら、大輔のことそっちのけで、酸の泡で溶かして有害物質を発生させるだろう。
もちろんガジモンから口が酸っぱくなるまで何もするなと言われてむくれていたが、手も足もないから手伝えないって嘆いてる暇があるなら、
これでもかってくらい、大輔の頭に張り付いている訳がないのだ。好きあらば大きな口を開けて噛みつこうとしているわけがないのだ。
ぶっそうなことすんなって言えば、構ってもらえてうれしそうに、なんのことー?ってうそぶくのだ。ダメだこいつ。
べったり石像である。正直結構重いのだが、リュックの中にしまうのは幾らなんでも可哀想なので、がまんがまんである。
だって、チコモンはもうひとりの大輔なのだ。大輔がジュンお姉ちゃんに甘えたくて甘えたくて仕方ないのを、
チコモンは代わりにやっているだけなのである。チコモンは大輔に甘えたいだけで、それを教えてくれているのだ。
だから大輔はされるがままである。絶対に振りはらったりしない。俺がジュンお姉ちゃんだったらってなり切って、
こういうことは一番されたくないっていうことは絶対にチコモンには返さないのだ。
あっちーって額の汗をぬぐった大輔に、みつかったかー?って声が飛んでくる。大輔は首を振った。
だめだ、ここのガラクタの山には無いみたいだって見切りを付けて、大輔はすぐ隣に移動する。
作業はまだまだ続きそうである。


「だいしけ、だいしけ」

「んー?」

「なんか、タグ、さっきよりひかってないか?」

「へ?」


チコモンに言われてデジヴァイスの下で忙しなく揺れているタグを見下ろした大輔は、すとん、と落ちてきたチコモンを、
ナイスキャッチして一緒に覗き込んだ。言われてみればたしかになんか、さっきよりも、ぴか、ぴか、ぴかって強く光ってる気がする。
大輔より大きな大きなガラクタとの格闘を一時中止して、立ち上がった大輔はさっきまでいた隣のガラクタの山に移動する。
てくてくてくと歩いて行くと、あいかわらず、ぴか、ぴか、ぴかって光るタイミングは同じなんだけど、
光の強さは明らかに弱くなっていることに大輔とチコモンは初めて気付いたのである。え?なにこれ?なんだこれ。
タグの隠された機能に、選ばれし子供達の中で唯一気付いていなかった大輔とチコモンが、ようやく気付いた瞬間である。


「なんだよこれえっ!太一先輩、タグが光るからさがそうぜ、ってしか言ってなかったのにっ」


むくれる大輔とチコモンだが、これは完全にこいつらが悪い。自業自得である。
太一はもちろんみんなも知ってると思って誰も教えてくれなかったのだ。
大輔はタケルの紋章を探している時、タケルのタグが光ったって声が聞こえた時点でちょっとだけ嫌になっていらってして、
ずーっとブイモンと一緒にいろんなことをおしゃべりしていて、タケルとトコモンに対して、
基本的には、完全無視を決め込んでいたので、全然気付いてなかったのである。
トコモンがタケルの紋章に真っ先に気付けたのは、大輔の頼りない発言を撤回させたい生意気な負けず嫌いが、
きょろきょろするみんなに代わって、じーっと穴があくくらい、タケル達以上にタグの光に過敏になっていたからである。
そもそも、紋章のすぐそばにまで来ないとこの光の強弱変化は現れないという、不親切設計すぎる意地悪タグである。
もしタケルと大輔が絶交してなかったら、もっともっと早く大輔の紋章は場所が早く目星がついていただろう。
トコモンとの会話をいい加減に終わらせてしまったせいで、タグの仕様を自分から気付くタイミングすら潰してしまったのだ、
遅すぎる大発見である、まあそもそも、住人を失った秘密基地はどこまでもどこまでも広大である。ここまでめんどくさいのはきっと大輔だけ。
紋章とタグは引かれあうのだ。光の強さが変化することで分かるのだ。流石に音までついたらエテモンに見つかっちゃうので、
どこかの誰かさんの未来予知に似た預言の書という対策マニュアル通りのがっちがちのお役所仕事が役に立った数少ない好例である。
まあ、気付かないのもむりはないかもしれない。太一の時にはブギーモンを追い払ってくれた太一との仲直りに必死で、
タグが光ってることは分かっても、そんな細かいこと気付けるわけがないし、気付いたらもう太一のタグにおさまっていた。
丈の時にはスカルグレイモン相手に戦えなかったことを気にしてて、ブイモンの俺に何かあったら守ってくれる?発言が、
楔となって大輔の世界をぐらぐらと揺らしていた。ミミに至っては豪華客船から逃げるために全速力の猛ダッシュをしたせいで、
巨大サボテンの下でぐたーっと死んでいた。ヤマトと光子郎の時にはピッコロモンの特別カリキュラムですれ違いだし、
空は今ナノモンにつかまっているから確かめようがない。突然大声を出した大輔にガジモン達がこっちむいた。


「おい、どうした?」

「なんかタグがすっげー光ってるんだよ!紋章が近くにあると、すっげー光るみたい!」

「え?マジか?」

「どんなかんじだ?」

「ほら、ほら、こんな感じ!」


今立ってるところでタグを掲げて、だだだだだって走って、落っこちてしまってべしって冷たいコンクリートとキスしてしまい、
わんわん泣いているチコモンを回収し、またタグを掲げて見せた。ホントだ、でかした、とガジモン達は駆け寄ってきた。
うるせえ、泣くなってチョップされたチコモンはむすっとしている。嘘泣きかい。大輔はもう一回頭に乗っけた。


「どうせデータチップと紋章は探さなきゃなんねえから、先に見つけられる方探すか」

「え?いいのか?」

「みんなで探した方が早いに決まってんだろ、ばらばらで探してたらメンドクせえ」

「そっちの方が効率いいだろ」


うーし、わかった!、と頷いた大輔はガジモン達と一緒に修理用廃品がたっくさんあるガラクタの山を大冒険である。
右から左、片っ端からタグをかざして光の強くなる方へと突き進んでいく。
最初は歩いていたのに、駆け足、やがて頭の上に乗っているチコモンが振り落とされま
いと大輔の頭に、
噛みついていることすら気付かないくらい、たーって全速力になる。少しずつ少しずつ近づいてくる。
光が大輔の右手の中で隠しきれないくらい、あふれだしそうなくらい、すっごく眩しく光り始める。
ここら辺かな、と目星を付けて、ぐるぐると一蹴周り始める大輔達は、やがてどこを動いても光の強さが変わらない、
クズ鉄の山に辿り着く。廃品の山より細かいくせに、高さはかわらないというイジメ仕様にうへーとみんな顔をゆがませた。
細かい部品は細かい部品で分けられているとはいえ、いくらなんでも盲点すぎる。
木を隠すは森の中、人を隠すは人の中、とはいえ、紋章をサーバ大陸各地に隠した盗人
も、
ずいぶんと酷い隠し方をするものである。性格がにじみ出ているようだ。
ガジモン達は言う。空の紋章は廃品の山のてっぺんにあったって。こんなめんどくさいところに埋まってるとは思わなかったって。
なんだそれ、と大輔とチコモンはちょっとばかし、落ち込んだ。なんかオレたちのこと言われてるような気がするぞ、くそう。
そもそも、エテモンがナノモンをスクラップにしないで、データチップを隠すから悪いのだ、と八つ当たりの思考回路は怒るのだ。
エジプト迷宮で修理屋やっているナノモンがこの仕事場にいたのなら、きっと事情を説明すれば、紋章みたいな変な奴が混じってたら、
これじゃないかって渡してくれたに違いない。きっとここまで苦労せずに済んだはずだ。デジモン達の依頼だってちゃんとやってたはずだ。
だってナノモンはもともと、ガジモンに教えてもらった、正義の味方のワクチン種だったらしいし。
今は記憶とか心がどっか行っちゃってるから、デジコアが真っ黒になっちゃって、暴走してるだけなのだろう、かつてのなっちゃんのように。
修理を待っている沢山の電化製品が所狭しと並べられているのを見てきた手前、切ない気持はきりきりと大輔を苦しめる。
そのエテモンがおかしくなったのも暗黒の力ってやつのせいなのだ。でも肝心の正体は不明である。もやもやする。
ああもう、訳分かんねえ、誰のせいなんだよ!大輔だって単純明快な勧善懲悪の世界に浸りきっている、慣れきっている子供である。
ぶつけられない感情をうがーっと鉄くずをかきわける力に変えるのだ。しょせんこいつも小学校2年生である。
つーか、みつけてねって言ってたんだから、どこら辺にいるのかくらい返事しやがれって思いながら耳を澄ませてみるが、
残念ながら紋章の声は聞こえない。ガジモン達と手分けして探し始めた大輔である。


「だいしけ、だいしけ、ひかってる!」

「え?」

「ほら、ほら、あそこ!上の方!」


見つけたのはチコモンだった。大輔の身長にプラスして見る世界はガジモン達よりも高いのだ。
いわれるがまま見上げた大輔は、クズ鉄の山のてっぺん付近をちょっとずれた辺りに、輝く小さな塊を見つけた。
埋もれている片鱗をみつけた。きらきらと大輔の目に様に輝いている。思わず大輔がタグをぐぐっと掲げると、
今までで一番光沢を放つタグがスクラップ場を照らした。


「あったーっ!あそこだ、あそこっ!ガジモン、ガジモン、なんか梯子ねえのっ!?」

「あんなところにあんのかよ、メンドクせえとこにあるなあ」

「道理でお前の紋章だけ見つけらんねえ訳だよ。これでデータチップ探しに専念できるんな」

「やったな、だいしけ!」

「おう!」


無邪気な歓声があがる。ここのところすっかりご無沙汰だった元気なやんちゃ坊主の声である。
よし、まかしとけってガジモン達がかつてのホームグラウンドから、必要機材の移動にこき使われていた経験を生かして、
大きな大きな梯子を持ってくる。かちゃんってAの形にロックして、ガジモン達が支えてくれる。
ほら、いけ、って言われた大輔はチコモンが落っこちないように注意しながら、かん、かん、かん、と
梯子を慎重に慎重に上っていく。今まで使われていなかったスクラップ場をかけずり回っていたせいで、
ほこりや油で大輔の服はドロドロだ。錆びついた梯子の冷たい感覚をしっかりと握りしめながら、上っていくのだ。
落ちるなよーっという声に、大丈夫!と返すのだ。ジャングルジムの鬼ごっこなら、誰にも負けたことは無いのだ。
鬼になったら誰よりもすぐに近くの逃げてる友達にタッチできるし、逃げる側になった
ら、大輔は強敵だからって、
そんな理由だけで鬼が特例で2人になるくらい大輔はすばしっこいのだ。その分飛び降りたりして怪我したりするんだけど。
紋章は逃げたりしない。待っててくれるから、しっかりと足場を確認して、踏みしめて、丁寧に丁寧に上るのだ。
てっぺんに登って、座り込んだ大輔は、ガラクタの山をかきわける。そして、その光はようやく大輔の前に現れた。
そして大輔は声を失うのだ。代わりにチコモンがいうのだ。


「………あった」


ふわりと浮きあがった紋章を右手で掴み取った大輔は、親指と人差し指でしっかりと捕まえた。
しっかりと目に焼き付けたかったのだ。探し続けていた紋章である。じわっと視界を遮るものがあって、大輔は懸命に涙をぬぐった。
えぐえぐと泣き始めた大輔に、チコモンは、だいしけえってつぶやくことしかできない。いろんなものが込み上げてきたのだ。




大輔の、大輔だけの紋章は、実にへんてこりんな形をしているのだ。
指でなぞったカクカクのハートマークのなりそこないみたいなやつが中央にある。
てっぺんの窪みに三角形が垂直に立っている。
指でなぞったハートマークの隅っこの方は、どっちもぶっちぎれていて、鋭利なまでにとがっているのだ。
そのぶっちぎれている間を、大きなダイヤみたいな四角形が上の三角形と同じように垂直に立っていた。
そのダイヤの両脇を固めるように小さな三角形が固めているのだ。
誰の紋章とも似てない、なんか、形容しがたい紋章である。かっくかくしすぎだろ、なんだこりゃ。
そして、ハートもどきを囲う三角形は何というか、すっごくとげとげしい。ケガしそう。なんだこれ。
太一先輩のとか、タケルのと一瞬似てるかと思ったのだが、なんというか、なんか違う気がする。
どっかで見たことがあるなあって思考の海に沈んだ大輔は気付くのだ。
あ、これ、ガーゴモンが付けてたへんてこりんな、拘束具にあった模様のとげとげと一緒だって。
天使になりたい悪魔が悪い力を無理やり封じ込めるために、全身がんじがらめにされ、目隠しすらされた、
ちょっと苦しそうな、動きにくそうなぐるぐる。その中でも執拗に固められていた両腕にはめられていた銀色の腕輪。
左手は金色のばってんがあった。右手にあった金色の沢山のとげとげがあったのを思い出す。
すぐにお別れだったからどんな模様だったかはっきりと確認できた訳じゃないけど、たしか、この紋章の三角形みたいだったような。
ガーゴモンを思い出すとげとげである。大輔に会いにきてくれたガーゴモンの持ってた模様と似てるのだ。
そう思うとちょっといいかなって大輔はちょっと笑った。ハートマークってなんか女の子みたいでやだけども。
水色の光を放っているのは、とっても複雑でぐっちゃぐちゃで変な気分になってしまうけれども、ちょっと気分はまぎれた。
現実は突き付けられたのだ。覚悟はある程度決まっていた。大輔の直感は滅多なことでは外れない。
大輔はそれをぎゅっと握りしめたのである。そしてその模様を裏返す。水色の無地が現われた。


「ごめん、ガジモン、間違えた!なんか紋章じゃなかった、わっりーい」

「えええええっ、まじかよ?」


ぐしぐしと涙をぬぐった大輔は、振り返ったのである。見おさめだ。


「でも、もっともっといいもん見つけたぜ!ほら、データチップだ!」

「おおおおおっ!」

「でかしたぞ、お前!やるなあ!」


よいせっと一気に飛び降りた大輔は、必死でかみついているチコモンなんて気にしないまま、
簡単に砂ほこりを払ってガジモン達を見渡した。見せてくれって囲んでくるガジモンに見せるのだ。


「ほら、これだよ」

「へー、水色してんのか、すげえな」

「ホントにちっけえな。よし、これでナノモン様のは見つかったし、後はお前の紋章探すだけだな」

「じゃあ、手分けして探そうぜ。なあ、それ貸してくれ。どんな部品なのか見せてくれよ」

「ごめん、もう探さなくってもいいし、これもってないとダメなんだよ」

「え?」


ガジモン達は固まるのである。


「だいしけっ」

「ナノモン元に戻す方がずーっとずっと大事だろ。そしたら、エテモンだって元に戻るかもしれないし、
空さんだって助けにくるし、もう進化なんかしなくってもいいんだ」

「でもおおっ!」

「いいんだよっ。だって……だってえ……ガジモン達、かくまってくれただろ、助けてくれただろ、
今も一緒にがんばってくれてんだよっ。約束はっ……守りたいんだよっ……!」

「だいしけえええ」


チコモンは泣きそうである。大輔も泣きそうである。ガジモン達は狼狽する。


「ごめんなあっ……ガジモンっ…………手え離したらっ……タグん中っ……収まっちゃんだよおっ!
……取り出せなくなっちゃうんだよおっ!これ以上ちっちゃくなったら、ナノモンのデータチップじゃなくなっちまうんだよっ!」

「う、そだろ、いくらなんでもそんなことって!」

「いいんだよ!やっとみつけた紋章だけどおっ!だけどだけどだけど!
ガジモン達はずーっと探してたんだろ!デジタルワールドにくるずーっと前からっ!ずっとずっと前からっ!
エテモンとナノモンにまた仲良くなってほしくて、がんばってんだろおっ!それでナノモン元に戻るし、エテモン元に戻るかもしれないし、
空お姉ちゃん助けられるかもしれないんだろっ!なら、紋章なんていらねえよおおっ!」

「見間違いってことはねーのかよ?な、データチップは他にあるんじゃ?」

「嘘なもんか!見間違えるもんかあっ!助けたいって思った、本気で助けたいって思った女の子のデータチップと一緒なんだよ!
手の中でボロボロに崩れて消えてった、データチップなんだよおおっ!見間違えるわけないだろーっ!
でもさあっ……でもさああっ……こんなのって、こんなのってありかよっ、やっと会えたのに!やっと見つけたのにいっ!
こんなのってねえよおおっ!」


大輔はきつくきつく右手を握りしめたまま、泣き崩れたのである。そして悪夢を思い出すのだ。
たしかにこのもんしょうはおまえのものだ
でもいまはわたしのものだ
うばいかえせばいい
できるものなら
今ならはっきりと分かる。これはナノモンの声であると。分かってしまうから、叫ぶのだ。





「できるかよ、できてたまるかよ、そんなこと、そんなこと、出来ねえよおおおおおおおっ!」





大輔の絶叫がスクラップ場にこだました。
奇跡に賭けてはいけない。奇跡は信用してはいけない。奇跡は信頼しなければいけない。
なぜなら、奇跡は起こらないとは限らないが、奇跡を信じて、祈り続けている間に、
潰れてしまったら元も子もないからだ。
奇跡の紋章に選ばれた本宮大輔という少年に求められているのは、どこまでも「諦めない」ことである。
今はまだ、その時ではないから、奇跡の紋章は黄金色には輝かない。






[26350] 第32話 そして空は黄金色  
Name: 若州◆e61dab95 ID:e73eebd6
Date: 2013/08/03 00:24
混濁していた意識が覚醒したとき、真っ先に飛び込んできたのは、ぐったりとした状態で、
手足を張り付けにされているパートナーデジモンである。壁にピヨモンが縫い付けられていた。


「ピヨモンっ!」


助けなくてはっ!と焦燥感に駆られて動こうとした空は、鈍い痛みと共に押し戻されてしまった。
自由が利かない身体である。まさかという予感と共に右手を見た彼女の目に飛び込んできたのは、ピヨモンと同様に、
頑丈な拘束具で囚われの身となっている真っ赤な手袋をしている自分の手である。ナックルと止め具でベッドに貼り付けにされていた。
悲鳴を上げた彼女は、両手両足をもって大の字に拘束されていることを悟るのである。力一杯もがいてみるが、ビクともしない。
ぱち、と音がして、一様に部屋が明るくなる。研究室のような部屋である。大きなモニタ、沢山の研究機材、そして小さな影が見えた。
外壁がピラミッドと同じ黄砂を固めたレンガでできていることから、空はすぐにここが昨日潜入したピラミッド迷宮だと思いだすのだ。
そして、エテモンとナノモンの突然の衝突に巻き込まれたパートナーデジモンを助け起こそうとして駆け寄った時に、
真後ろから伸びてきたのは、とここまで思い出した空はきっと鋭い眼差しでその影を睨み付けるのである。


「無理をして、あまり動かない方がいい。ピヨモンは気を失っているだけだから、心配するな。
こいつにはエテモンを倒すという仕事があるからな」


その先にいたのは、モニタの真ん前にある沢山のボタンや四角や丸のメータの上に座っている、小さな裏切り者である。
もちろん空は女の子である。恐怖も不安も張り裂けそうな胸の中にあるのだが、ここで怯えていては敵の思うつぼだ、と叱咤激励して、
気丈に振舞うのである。どうか、この右手の震えがエコーして響く無機質で無感情な成熟期、いや故障した身とはいえ、
エテモンの必殺技を相殺するほどの実力者だから、完全体に気付かれないようにと祈りながら空は叫ぶのだ。
うかつだった。ピッコロモンのように体格は小さくても完全体はいたのである。大きさで判断した、油断した。
はやくここから逃げ出さないと、と彼女は焦るのである。空お姉ちゃんって呼んでもいいですかって恥ずかしそうに言っていた、
可愛いサッカー部の後輩や実質的なリーダーを担っていた選ばれし子供たちやパートナーデジモン達が心配だ。
なによりもピヨモンをもって、エテモンを倒すとか抜かすこの不届き者の言葉が空の怒りを買った。


「エテモンを?おあいにく様、ピヨモンはアタシとデジヴァイスが無いと進化出来ないわよ!」


しかし、ナノモンとっては全てが想定内らしく、空が突き付けたつもりの事実は鼻であしらわれてしまうのだ。


「お前を使うつもりはない」


しまった、ナノモンはサーバ大陸の私達の冒険を全て誘導してきたんだった、これくらいじゃ抑止力にならない!
必死で頭を回転させる彼女の頭上が光を帯びる。え?と水色のヘルメット帽子ごしに上を見た彼女は思わず眩しくて、
目をつむった。まぶたの向こう側にはオレンジ色の帯をした残像がゆっくりと消えていく。
おそるおそる目を開けた彼女がみたのは、まるで印刷機を横から見たように、オレンジ色の帯が空の頭からつま先まで、
ずーっとスキャンしていく光景である。どうやら空が寝かされているのは、病院なんかでたまに見かけるレントゲン写真をとるための、
大きな大きな機械を小型化したものらしかった。何をされるのか、という実験体やモルモットっていう物騒な文字や想像がちらついて、
思わず言葉を失って悲鳴が漏れる。臆病風を吹き飛ばすには、気丈に振舞うしか道は残されていない。


「なによこれっ!」

「みればわかる」


どこまでも人情味の無いデジモンである。空はただただ、打開策をさがして辺りを見渡すしかない。
そして彼女はちょうど右側に全く同じものが置かれていることに気付くのだ。
同じベッド。同じ機械。同じスキャナを小型化したみたいな、よく分からない機械。
見ていればわかる?訳のわからない言葉である。でも、見ているしか出来ない彼女は、それを見ているしかない。
キーボードの音がする。ナノモンは何かプログラムを打ち込んでいるらしく、さっきから部屋全体から機械の操作音が響いている。
不気味で不気味で仕方ない。だれか、だれか、だれでもいいから、たすけて!必死で助けに来てくれるであろう仲間達の顔を思い浮かべて、
一人ではないのだと言い聞かせる。このまま利用されて、と恐ろしい妄想をかき消すにはそれしかないのだ。
しかし、彼女の目の前で、ナノモンはとんでもないものを生み出した。


「なっ、なにあれっ」


隣の何もないベッドのオレンジ色のスキャナの所から、いきなり足が生えたのである。人間の足が二本。
空はぞっとして思わず叫んだ。ナノモンは何を驚いているのだとばかりに冷ややかな眼差しである。
そして、みんなのお母さんである代わりに、誰よりも愛されたい甘えん坊の空に向かって辛辣な言葉を吐くのである。


「お前をコピーしているのだ」

「なっ……え、えええっ!?」

「お前たちは紋章の力を全く引き出せていない。
だから、私がこのコピーを使ってエテモンを倒してやろうというのだ。
力を引き出してやろうというのだ。感謝してほしいものだな」


ぴ、という音を立てて現われたのは、真っ赤な紋章である。ハートマークをした紋章である。間違いなく、空の紋章だった。
愕然とする空である。このナノモンというデジモンはどこまで私達のことを見抜いているのだろう、と恐怖に駆られるのだ。
スカルグレイモンの件以来、紋章を使った進化はもちろんのこと、必要最低限度しかデジヴァイスの進化すら躊躇してしまうほど、
選ばれし子供たちやパートナーデジモン達は無意識のうちに回避傾向にある。間違った進化のトラウマはそれほどまでに影を落としている。
エテモンを倒すには紋章を使った完全体への進化が必要なのはみんな分かっている。
誰よりもわかっているのだ。空は選ばれし子供達の上級生組の実質的なリーダーとし
て、代役のまとめ役としてみんなを引っ張ってきたから、
誰よりも分かっていながら、誰よりもこのままではいけない、と思っていながら、やっぱり恐怖には勝てずにずるずると今まで来ていたのだ。
それをぴしゃりといい当てられた。
紋章の力を全く引き出せていないお前たちなど、いらないのだ、とナノモンは言い放ったのである。
正論すぎて言い返せない。ぐうの音も出ない。
それならコピーとい名の恐怖を感じない機械の方がずっとずっと役立つとナノモンは言ったのだ。
ここに大きく空の心にナイフが突き付けられた。紋章を介した進化という途方もないプレッシャーがのしかかる。
母親との確執、サッカー部での孤立をずっと先延ばしにしている空には、急所とも言うべき言葉である。
でも、なにか言い返さないと折れてしまう。挫折してしまう。
立ち上がるのに途方もない時間が掛かることを知る空は、懸命に言い返した。


「アタシの紋章っ……!あなたが持ってたのね!卑怯者っ!
自分が敵わないからって他の力を利用しようとするなんてっ!
どうして頼ってくれないの!こんなことしなくったって、お願いしてくれたら、私達、いくらでも力、貸したのに!」


空が一番知っている。卑怯者は自分であるってことくらい、一番しっている。代役とはいえリーダーをしているにもかかわらず、
他のみんなが紋章を使った進化をしないことを安心しきっていて、これでいいんだって思い込んでみて見ぬふりをして、
他のみんなの力を当てにしていて自分が何にもしていない卑怯者だって分かっている。でも、言うしかない。
ナノモンはふん、と鼻で笑った。


「貴様らがいうのか」


ぞっとする声である。


「紋章を使った進化すら躊躇するくせに、知った風な口を叩くな、愚か者。私とて貴様らが紋章を使った進化が出来ていれば、
こんなことまで実行する気はなかったのだ。すべては貴様らに責任があるだろう。
忘れたのか?私はエテモンに敗北したから、ここにいるのだ。
スクラップにされ、今は故障の身だ。そんな私に卑怯者だと?
故障の身である私とエテモンが対決している最中、傍観の身に徹し、
なんにも出来なかった癖に卑怯者だと?笑わせるな」

「・・・・・・・・っ」


空はもう何も言えない。ワイヤーにつるされているのは、紋章だけでなくタグもである。
反射的に胸元をみた彼女は、いつも首にある紐の感覚がないことにようやく気付くのだ。
空の目の前でタグには紋章が収まってしまう。そんな空に、ナノモンは追い打ちをかける。


「忘れているようだから、もう一度説明する。
私はかつてエテモンと戦い、過去の記憶をほとんど失っているのだ。失われた記憶は二度と戻らない!
何故だか分かるか?教えてやろう!デジモンにはデジコアという心臓とも言うべき大事なものがある。
エテモンはこともあろうに、その中にあるメモリチップという部分にひびを入れたのだ!
私は機械を修理する身だが、これだけは直すことは不可能なのだ!
メモリチップはデジモンにとって命なのだ!それをあのデジモンは!
私は絶望した!スクラップの状態から復活した時に、確認したから間違いないのだ!
あのデジモンはっ!私から全てを奪ったのだ!」

「・・・・・・・そんな」

「今の私に出来ることは、エテモンに復讐することだけなのだ!どんな手をつかってもなっ!
卑怯者は黙ってみていろ!パートナーデジモンを利用される幸福をここで傍観しているがいい!」


急所である。ナノモンの気持ちも理解できてしまう心やさしい女の子には、あまりにも辛辣なナノモンの境遇である。
もしそんな状況におかれたらきっと、と想像してしまい、空は気付いてしまうのである。ああ、そうか。
ナノモンの期待を裏切ってしまったのは私達なのか。それはかつて、サッカー部とお母さんの期待にどっちも応えようとして、
結局応えることが出来なくて、裏切り行為をしてしまったという罪悪感が今なお心に巣食っている空には、
あまりにもキツイ言葉の暴力だった。空は追いつめられていた。これ以上ないくらい、追いつめられていた。
だからみんなに甘えられない甘えんぼさんの空には、あまりにも悲しすぎる現実である。
耳をふさぎたくても、逃げ出したくても、コピーを作っている最中の拘束は許してくれない。
もし、このコピーが紋章を使うことが出来たらどうしよう。そしたら、私、必要とされなくなるのではないか?
誰も頼りに必要とされなくなるのではないか?構ってくれなくなるのではないか?
また、ひとりぼっちになるのではないか?いや、いや、そんなのいやあああっ!
空は必死に心の中で叫ぶのだ。
わたしはここにいるの!だれか、だれか、助けて!って。
そのときである。ナノモンしか知らないはずの扉が、認証システムとロックをくぐりぬけて開いたのは。


「誰だっ!?」


空も顔を上げる。そこにいたのは。


「大輔君!?ダメよ、危ないわ、逃げてっ!」


空のことをお姉ちゃんと慕うサッカー部の後輩である。
頭の上には水色のみたことないデジモンがいるが、もしかしてブイモンの幼年期だろうか?
チビモンよりさらにまえの?何かあった?やっぱり私がさらわれたせいでっ!
必死で叫ぶ大輔の後にかけてきたのは、なんと3匹のガジモン達である。まさかこの子まで?
そういえば、この子の紋章もおびき出すために使われたんだった、
と思い出した空は、大輔まで囚われの身になったと直感して目の前が真っ暗になる。
私のせいで、私のせいで!そしたら、大輔の思いがけない言葉が響いたのである。


「ナノモン、ナノモンっ!もうやめようぜ!
空お姉ちゃんも、ピヨモンも、ひどいめに合わせなくったって、ナノモンの記憶、戻るんだ!」

「なん、だ、と?貴様、ふざけるのもいい加減にしろっ!」

「ふざけてなんかねーよっ!ナノモンのデータチップは、ここにあんだよ!アンタが探しても探しても見つかんない、
データチップはここにあんだよ!だって、それ、俺の紋章なんだからっ!俺があんたの仕事場所でエテモンが、
隠してたの見つけたんだ!やるよ!この紋章、あんたに返すからさ、だから、もう、やめようぜ!」


ほらっと掲げたのは水色の紋章の形をした四角いプラスチックの塊である。
タグに入れるにはあまりにも大きい。


「ダメよ、大輔君!渡しちゃダメえっ!」

「嘘をいうなっ!私のメモリチップは確かにあるのだ!ひび割れたメモリチップがなっ!」


その言葉を聞いた大輔は、え、と止まる。そして、見る見るうちに真剣そのものだった表情が、
もしかして、もしかして、もしかして!という期待のまなざしに変わるのだ。突然の行動にナノモンと空は硬直する。
一目散に大輔は頭の上の幼年期のデジモンと共に、ナノモンの所に飛んでいく。そして、叫ぶのだ。


「そのひび割れたって言うメモリチップ、俺に頂戴!今すぐ頂戴!それだ!それだ!ぜってー、それだあっ!
かえっこしようぜ、ナノモン!おれ、教えてもらったんだ!ガジモンが言ってたんだ!
あんたをスクラップにした時、エテモンが記憶が戻らないようにってメモリチップ抜いちまって、
隠したんだって!でもあんたにはひび割れたメモリチップがあんだろ?
それ、絶対エテモンが、あんたを騙すために入れてる奴だよっ!
ぶっかぶかだったり、ちっちゃすぎたり、してないかっ!?」


なあっと叫ばれたナノモンは、しばしの沈黙の後、小さくつぶやいたのである。


「たしかに、規定のサイズよりは小さいが、これは、スクラップにされたせいで、欠損が、できたからでは、ないのか?」

「んなもん見てみないとわかんねーよおっ!なあなあ、早く見せてくれってば!」

「………ああ」


ナノモンが戸惑いがちに大輔から差し出されたメモリチップを受け取ると、ひび割れの目立つカプセル状の頭部を開ける。
そのすきをついて、ガジモン達が機械をいじくりかえし、空は拘束が解除される。
そして、ピヨモンが落ちてくるのを受けとめたのだ。
さっぱり事情が分からない空はおいてきぼりである。
なんだかすっごくうれしそうなガジモンが、お前が空お姉ちゃんかと声をかけられて、
きょとんとしたまま、空は、ええ、と戸惑いがちに頷いたのである。
そらあ、と目を覚ましたピヨモンと共に、空は事情を聴くことになる。
そして。かちり、という音が響き、空とピヨモンとガジモン達、そして大輔達は目を輝かせるのである。
そこにいたのは、穏やかな表情になったナノモンだった。
そして、彼は空とピヨモンに向かい、手をつき、首を垂れるのだ。


「……………すまなかった」


空とピヨモンは顔を見合わせて、ううん、いいの、謝ってくれたら、と笑ったのである。
コピーの空は、制作途中のまま、使用されることはなく、スクラップ行きとなることが確定したのである。



そして、そして、そして。



本宮大輔は知りもしないけれども。なっちゃんが同じ空の下で願い続けていた、お姉ちゃんを守るんだ、と叫んだ少年は現われたのだ。
なっちゃんが言っていた「渡さなければいけないもの」を渡す「そのとき」が来たのである。
どこかの誰かさんは勘違いをしていた。「お姉ちゃんを守るんだ」と叫んだ少年から解析された彼の心は、
紋章の開祖となった少女を守ろうとしたゴーグルの少年と限りなく同質のものだった。
だからこそ、ひとりぼっちの古代種が運命共同体と出会う、その時に備えて、
デジメンタルにゴーグル少年の後継の証明である太陽の紋章を刻んだのである。
この時点では、彼は「選ばれる」筈ではなかった。
だから「お姉ちゃんを守るんだ」という場面だけが意図的に記憶が消されたのである。
後は現実世界での非現実が大人により否定され、緩やかに彼の防衛本能が光が丘テロ事件を散見させるはずだった。
しかし、配下であるパロットモンのバグが判明したことで、どこかの誰かさんはようやく、彼の心の本質に気付いたのである。
彼の持つ異能の力に気付いたのである。だから水色の紋章を作ったのである。
そして、その紋章の根幹が彼とパロットモンの邂逅から端を発するものだと判明したため、
「光が丘テロ事件」という事件自体をまるごと彼の中から消したのである。
だから、彼は他の選ばれし子供達とは違い、緩やかな忘却ではなく、
ある日を境に「突然」、「光が丘テロ事件」そのものを、「何の前触れもなく」いきなり忘れてしまったのである。
だから、彼は「突然」変わってしまったのである。
同時に彼の持っていた異能の力も失われてしまったのである。
そして、作られた水色の紋章は、バグを抱えたパロットモンから解析されたため、不完全だった。未完成だった。
しかし、彼が記憶を取り戻し、異能の力を緩やかに覚醒し、パロットモンと邂逅を果たした今だからこそ、
ようやく紋章は完成に至ったのである。



めをそらしちゃいやだよ、だいすけ。

少年は現実を見ても諦めなかった。

みみをふさいじゃいやだよ、だいすけ。

少年はいろんな声を聞いて決断した。

きいて、ぼくたちのこえ。さみしいよ。

そして、声を聞いても揺るがなかった。

そしたら、また。ぼくらはきみにあえるんだ。

だから、奇跡は訪れる。

さがして、ぼくらのこと。また、あいにきて。

少年の前に現れる。

ぼくらはいつでもきみのそばにいるんだ。

なっちゃんを救った想いが、姿を現す。

わすれないでね。まってるから。
もんしょうになってまってるから。
だから、ぼくたちのこと、みつけてね。やくそくだよ。

約束を守った本宮大輔という少年の前に、現われるのである。

諦めない心に、奇跡は宿るのである。

ひびの入っていたデータチップは姿を変える。メモリチップは姿を変える。そして、奇跡は起こったのである。
大輔の右手に置かれていた想いのかけらは、黄金色に輝きを帯びて、奇跡の紋章は、ようく彼のタグの中におさまったのである。
世界は歓喜に包まれた。これで途方もない彼の苦難は終わりを告げた
ピラミッド迷宮にいる彼らは知る由もないが、空は朝焼けの黄金色に輝いている。



[26350] 第2部 序幕 八つ神の少年
Name: 若州◆e61dab95 ID:08bbfad5
Date: 2013/08/03 00:25
むかし、むかし、あるところに、この国を守ってくれる神様がいました。

1人目は、かみむすびのかみ様といい、この世界が初めて生まれた時、3番目に現れた神様でした。

1番目と2番目の神様は男の子か女の子かわからなかったのですが、この神様は女の子でした。女神様でした。

生まれた時から、死んじゃった神様を生き返らせたりする不思議な力があるこの神様は、

生産と生成の神様で、神様が造るものを司っている神様です。だからこの神様は創造の巫女様です。



2人目は、たかむすびのかみ様といい、神様に捧げる神聖な高木を神様に見立てて生まれた神様です。

この神様は世界が生まれた時、2番目に生まれた神様でしたが、

かみむすびのかみ様が宇宙という名前の世界を作るというお仕事をするとき、女の子だけでは大変なので、

わけっこして、二人で力を合わせて頑張る相棒になりました。ですが、この神様には不思議な力はありません。

どうして相棒になれたのかというと、すべての神様の代表をしている太陽の神様の遠い遠い親戚だったため、

ほんの少しだけ不思議な力があったのです。ですが、それはほとんど役に立たないため、

創造の巫女様の身の回りの世話をしたり、サポートしたりする、双子のような神様です。



3人目はたまつめむすび様といい、神様の命が体から離れていくのをとどめるために、がんばれ、がんばれっ、負けるなって

命を一生懸命応援する神様です。そのおかげですべての神様はずーっと生きていられます。




4人目は、いくむすび様といい、生産や成長を意味し、生成発展の活動を司る神様です。たまつめむすび様が頑張ったので、

すべての神様はずーっと生きていられるようになりましたが、なんにもしないことはとっても退屈で、とっても暇で、

死んじゃうのと変わらないくらい何にもない世界になってしまいました。

そこで、いくむすび様は、なにかを生み出すことをすべての神様におしえて、一生懸命
頑張ることを教えてあげることにしたのです。

おかげで、暇ではなくなりました。



5人目は、たるむすび様といい、満足すること、充実すること、充足すること、を司る神様です。

すべての神様は頑張ることを覚えて、いろんなものを作ったり、覚えたり、考えたりするようになりましたが、

今度はずーっと頑張りすぎたせいで、体を壊したり、病気になったりするようになってしまう世界になりました。

忙しくなりすぎて死んじゃいそうなくらい大変な世界になってしまったので、

この神様はみんなにほどほどにがんばることの大切さを教えました。

おかげでみんな、心に余裕を持って、自分のペースで頑張ることができるようになりました。




6人目は、おおみやのめのかみ様といい、すべての神様が安心して暮らせるように平和を守ってくれる女神様です。

みんな心に余裕をもって、節度を持って頑張ることができるようになったのはいいのですが、

今度はいろんなことができるようになったせいで、ほかの神様が持っているものが欲しくなって喧嘩したり、

対立したり、そのせいで争い事が絶えない世界になってしまいました。

そこでこの女神様は、自分のことばっかり考えないで、ほかの神様のことも考えると、喧嘩しないで済むと教えました。

そして、みんなで一緒に頑張ることの大切さを教えました。

この神様は木の種から生まれた神様なので、この国のようにたくさんの木で作った道具の発展や守護を司る神様でもあります。

なので、商業や信託の神様でもあります。ここから、ますますいろんな神様が生まれるようになりました。




7人目は、みけつかみ様といい、お米などの穀物や食べ物を司る神様です。食べることが大好きなのんびりやさんの神様で、

お米を作る農業や農業でお金を稼ぐので商業、工業の神様でもあります。

別名はお稲荷さんといい、たくさんのお狐様を従えている神様です。

神社でのお稲荷様はお狐様をさすことが多いですが、お狐様はみけつかみ様のお使いであって、神様に見立てられることはあっても、

神様の下っ端の神様です。いたずら好きでおあげをあげると願い事をかなえてくれる、マイペースでいいかげんな神様なので、

みけつかみ様より大人気になっちゃった神様です。このみけつかみ様を祭っている本山の神社では、女神様だそうです。




8人目は、ことしろぬしのかみ様といい、7人目までの神様が治めている国とはもともと違う国を治めている神様の長男の神様でした。

その国と7人の神様の国は、どちらがこの世界を治めるのかでずーっともめていて、大変仲が悪く、ずっと喧嘩していたのですが、

ずっと平和な世界が造れないのは困るので、最後の喧嘩でどっちの神様が偉いのかを決めることになりました。

そしてことしろぬしのかみ様の父神様は負けてしまいました。

父神様は長男のことしろぬしのかみ様は、たくさんいる息子の神様に慕われていると知っていたので、

自分が決断を下すのではなく、この神様にこれからどうするのかを決めさせることにしました。

そのほうが世界が平和になると思ったからです。

そして、人間と大変仲が良く海で一緒に漁をしていたこの神様は、決断を迫る7人の神様の国の使者に、いいだろう、と了承したのですが、

人間の前には2度と姿を見せなくなってしまいました。

その代わりに8人目の神様に選ばれたので、信託と商業、そして海の神様でもあります。





そして、最後に忘れてはいけない神様がいます。





それが、なおびのかみ様です。

この神様は8人の神様が生まれたずーっと後に生まれた神様なので、

世界を治めている神様ではないので、9人目とされることはありません。

ですが、この神様だけはこの8人の神様と同じくらい大事な神様です。

なぜかというと、この神様は8人の神様の代表して世界を治めている太陽の神様の力が一番弱くなる日に、

その力を高める大事な大事な儀式があるのですが、その儀式を執り行う主催者だからです。

この神様は8人の神様の父神様が母神様が死んだせいで、この世とあの世で別れ別れになってしまったときに、

忘れられなくて会いに行った父神様が変わり果てた母神様に耐え切れずに逃げ帰り、

大喧嘩して、離婚してしまったときに、生まれた双子の神様のうちの弟です。

双子の兄の神様は父神様があの世に行ったときに、わるい力を浴びてしまい、

それを清めるときに生まれたので悪い神様になってしまいました。

そこでわるい力がなくなった父神様から生まれたこの弟は、兄をいい神様にするために、

わるい力を追い払う不思議な力が生まれたころからあったのです。

この双子の兄弟の神様のあとに生まれた二人の神様にもそんな力がありましたが、このなおびのかみ様が一番その力が強く、

この神様は弟、妹の神様とも仲良しです。

とりわけ双子の兄弟の神様はとても仲が良く、表裏一体の神様になりました。

その功績をたたえられて、この神様は、太陽の神様の力がわるい力によって一番弱くなってしまうときに、

わるい力をいい力に変えられる不思議な力を生かして、わるい力を追い払う神事の祭主になりました。

この儀式ができるのはこのなおびの神様だけなので、弟で男の神様なのに、兄弟神の代表になり、この儀式の主催者であり、

祭主であり、巫女まで全部こなす、その儀式を執り行う準備期間、執行期間、終了期間は、世界で一番忙しい神様になりました。










「なあ、坊主。お前はそんな8つの神様と巫女様に守られてる八神家の長男坊として生まれてきたんだ。

いいか?男の子ってのは強くなくっちゃあ、いけないんだ。

俺がお前くらいんときには、みんなでちゃんばらごっことかして、原っぱを駆け巡ったもんさ。

妹が生まれて、もう5年もたつってのに、いつまでも「ぼく」なんて弱弱しい言葉つかうもんじゃねえぞ。

だから、今日から俺みたいに、「おれ」っていうようにしな。

なに、お前の親父さんもお袋さんも怒りはしねえさ、なんかあったらすぐにいえよ?俺がちょいといえば許してくれるさ。いいな?」


「うん」


「うん、じゃあねえだろう?ここはいっちょ男らしく、おう、じゃねえとな」


「お、おう!」


「いいこだ。さすがは俺の初孫だな。

今日から坊主、お前は「ぼく」じゃなく、「おれ」の八神太一になるんだ。わかったな?」


「おう!」


「よしよし」




わしわしと撫でてくれる大きな大きなごつごつとした手が大好きだった。

初孫ということで一番贔屓でかわいがってくれるこの声が大好きだった。

この声が聞かせてくれる9人の神様の話が大好きだった。

愛と勇気だけを連れて散って行ったたくさんの友達の話、生き残った話、命を守るには力がないといけない、

強い男にならないと誰も守れないんだと雄弁に語ってくれた、

今生きているのはきっと9人の神様のおかげだって経験から、

神様の存在を誰よりも信じている瞳が大好きだった。

その神様の存在を感じられた英雄の証を何度ねだってもねだってもくれなかったのに、その日は違った。

今でも八神太一ははっきりと思い出すことができる。

太一が知る中で、一番強くて、かっこよくて、無敵な英雄である。

もう写真やビデオの向こう側でしか会えないその男は言ったのである。




「誕生日おめでとう、太一」


「え?おれ、今日誕生日じゃないよ、おじいちゃん」


「ばあか、今日は「おれ」の太一の誕生日じゃあねえか。

ま、冗談はおいといて、あのやろう、俺に隠れて勉強机もランドセルも2段ベッドも全部揃えやがって。

こっちがどんだけ入学祝なに送るか楽しみにしてたか、気付きもしねえ。親不孝もんだぜ、お前のおふくろは。

まあ、甘やかして育てちまった俺の責任でもあっからしゃーねえが、おかげで何欲しいんだかわかんなくなっちまった。

なんにもやれるもんがねえからな、仕方ねえから、これやろう。お前がずーっと欲しがってたやつだ。

くれてやる。大事にしろよ、俺の命よりも大事な相棒だ」


「ありがとう!おじいちゃん!」


「はっはっは、こんなぼろくせえゴーグル欲しがるのなんざお前だけだぞ。ま、いいけどな。

その代わり約束だぞ、太一。世界で一番強い男になれ。

守りたいものがあった時、てめえの力が弱くっちゃ結局なんにもできねえんだからな。

なんにも守れねえんだからな。経験者がいうんだ、まちがいねえ。男と男の約束だ、わすれんじゃねーぞ」


「おう!男と男の約束だ!」


「よしよし。おっと、言い忘れてたな。お台場小学校入学おめでとう、太一」


「ありがとう!」




この男はもう空のお星さまになってしまったけれども、いつまでも太一の心の中に、

世界で一番強い男は共にいるのである。

トレードマークとなったゴーグルと共に。



[26350] 第一話 親友のあり方
Name: 若州◆e61dab95 ID:28e2bbe1
Date: 2013/08/03 00:26
いってらっしゃーい!と見送ったタケルは、ちょっとだけ遠ざかる選ばれし子供たちの背中を見届けて、
いいなあ、僕も行きたいなあ、って思っていた。
ピラミッドの迷宮って聞いただけで、真っ先に連想するのはゲームに出てくる、
お宝やモンスターがいっぱい出てくるダンジョンである。
もちろん、光子郎がたとえ話につかったゲームのキャラクターになっているという発言が思いっきり反映されている。
元の世界にいる自分がいまの自分なのか、それともサマーキャンプに置いてきぼりで夢を見ているような感じなのかはわからないが、
現実世界で生きているのと一緒ということは、もしなにかあったら、そのまんま、
現実世界の自分に返ってきてしまうという言葉はちゃんと理解できている。
病気になったり、けがをしたり、肉体的に精神的にダメージを受けたらどうなるのかなんて、
大輔君がデビモンのトラウマで苦しみ続けているのは何度も見てきたからわかっている。
もし、何かあったら、戦わなくっちゃいけないんだってこともわかっている。でも、とタケルは思うのだ。
トコモンまだ幼年期だしなあ、って。僕もはやくみんなと一緒に戦いたい、仲間入りしたいけど、まだ早いなあって。
いつまでもいつまでも背中を見守り続けながら、みんなの無事を祈りつつ、迷惑がかからないように、
足手まといにならないように、一生懸命守られる側としての立場を自覚しながら、
それでいて、覚悟や意志を永久に持ち続けられるほどこの子はそんなに強くない。
もともと、いい子という下地がある子である。
水につけたザルである。ずっと付けていなければなんにも残らなかっただろう。
きっと、今までのこの子なら。
思い出したら反省できるようになったんだけども、この子は諦めを一度極めた名人でもある。
今の自分の立場とかつて決めた覚悟や意志という背反する矛盾との折り合いをつけるためには、すぐに人間変われるものではない。
でも、気付けたら、反省して、努力できる下地が出来上がっていたタケルは、わくわくするような、どきどきするような、
大冒険のにおいがするピラミッドに消えていった彼らを待ちわびている間、事態が進行していくにつれて、
赤の他人のようにどこかガラス越しの世界に行っては帰ることができるようになっていた。
気を抜くとすぐに傍観者になってしまう。いつだってタケルを現実に引き戻してくれるのは、大輔君である。
太一から借りていた望遠鏡でピラミッドを見張りつつ、タケルとミミ、パートナーデジモン達を守るために、
ガブモンを隣においてデジヴァイスを届くところにおいてはスフィンクスもどきの口から眺めていたヤマトが顔をあげた。


「なんだ、この音」


ミミとおしゃべりしていたタケルは、どどどどどど、という地響きで揺れる大地を目撃した。
悲鳴を上げるミミをパルモンがこけないようにしがみついてあげていて、
タケルもとっさにトコモンを頭から腕の中に持ち替えて、ヤマトのところに走ったのだ。
四角い世界でタケルが見たのは、豪快な爆発音とともに広がる揺れである。
ヤマトにしがみついたタケルたちは、もくもくと黄色い煙が立ち上るのを見た。


「お、お兄ちゃんっ……!」

「まさか、戦闘か!?」


どうしたんですかって心配そうにやってきたミミとパルモンも大爆発の惨状を目あたりにして口元を覆っている。
ヤマトが太一の望遠鏡でピラミッドの周辺を確認する。そして、顔をひきつらせた。
まじかよ、と珍しく焦っている。


「タケル、ミミちゃん、一応、持ってる荷物、すぐに持てるようにしといてくれ」

「え?」

「なにかあったんですか?」

「エテモンのトレーラーが止まってるんだ。いつのまに!」


ヤマトが驚くのも無理はない。
エテモンのトレーラーは角度的に考えて、どうしてもやってきた方角的に考えても、
死角になるところから駐車されてしまうのだ。
大爆発が起こったことで、操縦しているモノクロモンが驚いて暴れだしたのだろう。
ガジモンたちがあわてて対応に追われているのが見えたのである。
言われるがまま、固めていた荷物を取りに行ったタケルたちはヤマトとピラミッドを見る。
やがて黄砂の煙幕は収まり、大穴が出現した。
太一たちは大丈夫だろうかと心配しきっている彼らに追い打ちをかける。


しばらくして、エテモンのトレーラーがモノクロモンによって引っ張られながら、どこかにいってしまった。
すっかり姿が見えなくなったころ、今度はすさまじい揺れが彼らを襲ったのだった。轟音だった。
一瞬のうちに吹きぬけて行った突風がすべてを置き去りにしてしまう。
ずいぶんと距離があるはずの古代遺跡の内部ですらつかまっていないと立っていられないほどの揺れである。
彼らは聞いたことがないデジモンの恐ろしい咆哮を聞いた。耳にしっかりと焼きついている。
その咆哮にいよいよもって何かあったのかと不安を抑えきれなくなった時、
彼らの目の前で、さかさまのピラミッドは音を立てながら、
砂埃をあげながら、崩れ落ちてしまったのである。
さすがに見張り役に徹していたヤマトも居ても立ってもいられなくなり、望遠鏡で位置を確認してからみんなで向かおうとした時、
彼らは大穴から帰還する太一たちを見たのである。よかったという歓喜はすぐに次なる絶望への糧と変わる。
太一、光子郎、丈、パートナーデジモン達しかいないのである。紋章を取りに行ったはずの空と大輔がいないのである。
そして彼らは、ようやく大輔の抱えていた問題をまじかで目撃して愕然としながらも、
教えてくれなかった不満が顕著化している光子郎と、
上級生組として当然の責務を頑張り続けた結果、空と大輔を助けられなかったと可愛そうな位に落ち込んでいる太一、
そんな二人を何とか励ましてなだめてしながら、帰還した丈から、ピラミッド内部での状況を知ることになるのだ。
受け取り方はさまざまである。
なんにも知らなかったミミは、光子郎と同様に愕然とするのだが、彼女はもともと大輔をタケルと同じ遊び相手、
お話し相手である同じ守られる側の子供とみていたから、連れ去られた空と同じく大輔の心情を理解して、どこまでも同情する。
ヤマトは想定できる最悪が起こってしまったことを悟りながら、
やっぱり心のどこかで俺がいっていればよかったと握りこぶしを作るのだ。
少なくても俺がその場にいたら、空を追いかけるときに上級生組と光子郎みたいに、全員空を助けに追いかけて、
大輔を置き去りにするなんてありえないことしなかったろうに。
なんでそんな簡単なことができないんだ、こいつらは、結局なんにもわかってないじゃないか、そう思ってしまうのだ。
やっぱり太一をリーダー候補になんて認められない。
そして、タケルは、大輔にとって理想的なお姉ちゃんを目の前でさらわれて、みんなに一人ぼっちにされて、
そして追いかけた先で高圧電流の壁というパートナーデジモンを呼んできてぶっ壊せばいいという、すっごく簡単な壁を、
大輔が身をもって教えるまで思いつきもしなかった彼らの大失敗を初めて見て、彼らの限界を知るのだ。
大輔の孤独を知るのだ。
ここまで追い詰められて初めて、暗黒進化をするほど大輔は我慢強い子なんだと、大人びている子なんだと、
そうならなきゃいけなくなってしまった子なんだと、そしてタケルと同じ小学校2年生でしか過ぎないのだと悟るのである。
さまざまな想いを抱えたままのたき火を囲む食事は、今までの漂流生活の中で一番まずかったのはいうまでもない。
僕にできることってなんだろう、と考えてみるタケルは、
とりあえずパートナーを慮ってあんまり食が進んでいないパートナーデジモン達のところに行って、リュックを下ろして、
木の実を差し出すのだ。きょとんとしているガブモンに笑いかける。


「みんな、おなかがすいちゃったら、進化できないんでしょ?」


うん、まあ、そうだけど、とデジモン達はうなずく。


「じゃあ、ちゃんとご飯食べて、おなか一杯にして、いつでも進化できるようにしておくんだ。それがガブモン達にできることだよ」

「うん、わかった」

「あんまり食べちゃったら動けなくなっちゃうよ」

「あはは、アグモン、ブイモンみたいにいっぱい食べられないもんね」


デジモン達はタケルと一緒に笑った。そしてガブモンは木の実を受け取ったのである。
そして、いつものようにタケルとミミはおやすみなさいって、眠るのだ。上級生組に任せて。
いつもみたいに一緒に寝るはずの光子郎は、きっとお仕事で忙しいんだと思って。
いつものように集中するからと気を使われて、ひとりぼっちでピラミッド内部の構造を解析している光子郎が、
家庭で自分の部屋に閉じこもってパソコンの友達関係に夢中になりながら、
両親に連れ出してほしいのに誰も来てくれないさみしさを思い出してしまい、
なおさら不満が蓄積していることなんて誰もわからない。
テントモンすら寄せ付けない気迫はただならぬものがある。
光子郎は空と大輔がいるであろう隠し部屋の存在を徹底的に探すため、ノートパソコンで孤独な戦いをしていた。
そしてタケルとミミが寝ているのを確認してから、彼らはいつものように話し合いをするのだ。
もういつもの、は支障をきたし始めているのだが、まだ彼らは自覚に至っていない。
それを自覚した時、内部崩壊を意味すると分かっているから。
しかし、彼らの前に、空と大輔たちが心配で眠れないから話し合いに参加させてくれとミミが現れる。
ヤマトがタケルも起きているんじゃないかとやってくるが、
パートナーデジモン達と共に寝ていると勘違いして、引き返してしまう。
影が遠ざかった後、ぱち、と目を開けたタケルが、トコモンを抱きしめながら、
仲間外れにされている悲しみに震えていることなんて気付きもしないで。
おにいちゃん僕が嫌いなんだって。
そして、聞き耳を立てているタケルの向こう側で、彼らは話し合いをするのだ。


「落ちつきなよ、太一。ナノモンがどこにいるのか、わからないんだ。
じゃあ、ナノモンが行動を起こすのを待つしか、ないじゃないか。
やみくもに探したって、見つかりはしないよ」

「でもっ!その間に空と大輔の身になんかあったらどうすんだよ!
空とピヨモンはナノモンに連れ去られてるし、紋章もたぶんあいつがもってんだろ?
そんなこといってたし。ブイモンだって暗黒進化した後は、
コロモンと一緒でたぶんチビモンに戻っちまってるだろうし、
大輔たちもガジモンたちにつかまっちまってるって!」

「気持ちはわかるけど、大声出すなよ、太一。タケルが起きるし、ミミちゃん怖がってるだろ」

「あっ、ごめん、ミミちゃん」

「ううん、太一さんの気持ちわかります。だから気にしないで」

「ナノモンはエテモンに復讐するのが目的なんだろ?
じゃあ、その前にエテモンを倒しちまえば、空たち返してくれるんじゃないか?
交換条件で紋章をよこせとか、メールきてないんだろ?
オレはナノモンとエテモンが手を組んでいるとは思えないな」

「ヤマトさん、さっき負けちゃったばかりなのにどうやって倒すんですか?」

「あ……そっか、そうだな」


いずれにせよ、紋章を介した進化ができないことが、最大の障壁として襲い掛かる。
きっと暗黒進化を遂げたブイモンの名称不明なデジモンーデジモン博士のテントモンですら見たことがない、と驚く有様で、
この時点で彼らは疑問を抱きつつあるーは、ピラミッドを壊したのだ。
大輔とブイモンの精神状態を鑑みれば同情の余地や罪悪感、負い目はあっても、責める余地など微塵もない。
ちっちゃな少年たちを守れなかったのは、彼らなのだ。
しかし、状況はなかなかきついのだ。きっとエテモンは気付いてしまう。戻ってきてしまう。
入り口が大穴しかない以上、エテモンとぶつかるのは予想できる。
敗北はもう許されないのに、この中には誰も正しい完全体に進化したことがあるパートナーデジモン達を持つ選ばれし子供たちはいない。
状況はこの上なく最悪である。
ここで実質的なリーダーにして、上級生組のサポーターである空がいない現実が加速する。
ミミは話し合いに参加すること自体が初めてで、いろんな角度から話し合いをする彼らのすごさに驚きっぱなしで、
みんなの無意識の本音を代表することでしか、彼らの抑止力にはなれない。
丈もサポート役になると宣言はしたものの、保護者的な立ち位置である。
子供は大人がいるとどこまでも無邪気になる。太一とヤマトに呼び捨てにされていることからもわかるように、
ヤマトも太一も丈が呼び捨てにしたくらいではいちいち怒らないと知っているから、生意気な態度をとれるのだ。
運動部で上下関係の厳しさは一番知っているはずの彼らが精神的に頼りにしているのは丈である。
だからこそ、ヤマトと太一が安心して喧嘩できるというマイナス作用を起こしてしまう。
本気で大喧嘩したら、止めた実績はあれども、現実世界での年季の入った鉄拳制裁で野郎どもを止めてきた苦労人には遠く及ばない。
平和を守る女神は、いつだって戦場で先陣を切って勝利の凱旋をする勝利の女神でもある。
空がいない初めての話し合いで、野郎どもはいやってほど彼女の存在の大きさを思い知るのだ。
どれだけ、心労をかけてきたのかわかるのだ。
彼女以上にリーダーにふさわしい人はいないことくらい、みんなわかっているが、空は女の子だ。本人はいやだって言ったのだ。
これ以上の無理はさせたくない。だから、なおのこと悪化する。


太一からすれば、実際に迷宮ピラミッドにいったわけじゃないくせに、
いろいろと口を挟んでくる慎重論と結果論に終始するヤマトがこの上なく気に入らない。
ヤマトからすれば、実際に迷宮ピラミッドにいったくせに、なんにもできなかったくせに、
無謀な感情論ばかりでリーダーを自称する太一が気に入らない。
どちらにも、リーダーにふさわしいものが欠けている。太一は冷静に周りを見ること。ヤマトは実績。
太一とヤマトを二つ足して割ったくらいの人間がこの場にいたらちょうどよくなるのになあ、と丈は頭を抱えながら、
取っ組み合い寸前の白熱した議論におびえているミミをかばいながら、仲裁することで何とかその場は収まったのである。
その太一とヤマトを二つ足して割ったくらいの人間は、そのせいでだれも頼るものがいなくて、ひとりぼっちになって、
パートナーデジモンの暗黒進化を引き起こしてしまったわけだが、なかなか難しいものである。
そして、その事実をなんとなくではあるものの、わかってしまうタケルは、
そんな親友になりたい男の子が心の底から大好きで大好きでたまらないジュンお姉ちゃんって人は、
きっと空みたいな人なんだろうなあと思うのである。そんな大輔の目の前でナノモンは空をさらったのだ。
「お前たちの役目は終わった」っていったのだ。
二度とお姉ちゃんと呼ばないでと土砂降りな雨の中、生まれて初めて泣いていたというジュンお姉ちゃんとのトラウマの完全再現である。
はっきり言って、ピラミッドの崩壊だけで済んでよかったというしかない状況下である。
タケルは思うのだ。僕も一緒に行ったらよかったって。
太一に言われた抑止力っていう意味がやっとわかったのである。
おもちゃの街のときだって、コカトリモンの船のときだって、
結果的に見ればタケルは大輔にとっては全然頼りにならなかったのかもしれないが、
大輔はタケルを見て我に返って冷静になったのだ。そばにいるだけで思い出すのである。
そういえば、まだ小学校2年生なんだって。
タケルはなんにもしなくっても、できることは全部全部やっていたのである。
現実世界に帰ったらいろんなことはじめなくっちゃいけないなあと思うけども、
今の漂流生活においてできることをこの子は全部全部やっていたのだ。
それを気付くことができた時、ようやくタケルという少年は、自分だけの頼りになる、を見つけるのである。
やっと、スタートラインに立てるのである。
同時にタケルは知るのだ。こっそりみんなの話し合いを見て、わかるのだ。
ああ、僕なんにもしらなかったんだなあって。みんなみんなすっごくがんばってるんだなあって。
僕はこんなすっごい人たちに守られているんだなあって、嫌われてるわけじゃないんだなあって。
うれしくて泣いてしまう。


「みなさん!来てくださいっ!」


さっきまでの不満の蓄積はどこへやら、喜び勇んで走ってきたのは光子郎だった。凶事は吉事に代わる。
離散寸前だった彼らをすんでのところで引きとめたのは、ナノモンからのメールとデータ、そして画像である。彼らは歓喜に沸くのだ。
そこにあったのは、ガジモンたちとナノモンと大輔、空が仲良く映っている写真だった。事情が全部書いてあるのだ。
思わずタケルも起きてしまう。パートナーデジモン達も起きてしまう。
よかったって思いに満たされた彼らからは、ひとまず不審の芽はめぶくのを先延ばしにされた。
しかし、あんまり状況がいいとは言えない、と彼らは知る。エテモン達の行動はどこまでも迅速である。
昼ごろになれば包囲されてしまうだろうとのことだった。大穴を陣取られてしまえば、空たちは完全に袋のネズミである。
隠し通路だって発見されるのは時間の問題だ。セトモンのつけた跡があるから。
だからこのメールはSOS、HELP ME、である。
なぜナノモン達が動かないのかというと、とってもとっても大事な話があるのだが、
それは最下層にあるエリアじゃないとできないからである。
ナノモンがエテモンを止めようとした理由はそこでしか説明できない。
持ち出しできないプログラムがある。そうつづられていた。
選ばれし子供たちの行動はもう迅速だった。これ以上ないくらいに。
当然、みんなで助けに行こうってことになる。
皮肉なことに、これは離散前の彼らの最初で最後の一致団結だったのである。
ここから武之内空の最後の大仕事である、
八神太一へのバトンタッチっていう壮大なお仕事が始まることになるなんて、まだ誰も知らない。


「ごめん、ヤマト、あの時空たちを助けられたら、こんなことにならなかったんだよな」


太一に首を振ったのはヤマトである。


「そうやって自分ばっかり責めるなよ、太一。オレのほうこそ、悪かった」


補足するのは丈である。


「空君たちを助けたいって思ったのはみんな同じさ」


うん、とみんなうなずく。


「ごめん、みんな。危険なのはわかってる。でも、この手で大輔と空たちを助けたいんだ。もう一回、チャンス、くれないか」


みんな、うなずく。太一はヤマトをみた。ヤマトは仕方ないなと肩をすくめた。


「とりあえず、リーダーがどっちかは保留だ。でも、まあ、争う相手としては、ちょっとは認めてやるよ」


リーダー争いにおいて、現状において圧倒的に有利なのはヤマトである。
太一は圧倒的な劣勢に立たされている。
そもそもこの漂流生活がスタートした時点から、焼き魚の件でヤマトは太一なんて平等ですらないと気付いていたから、
ヤマトはずっと下級生たちの世話係をしていられる精神的余裕があったわけで、しかもタケルとの確執も薄まっているから、
ヤマトは本気を出せばリーダーになれるのだ。いますぐにでも。
それができないのはみんなを尊重するヤマトだからこそである。
ここでようやく太一はヤマトにリーダーを争う資格があると認められたことになる。
心強い太鼓判をおされたことで、太一はようやく元気を取り戻すのだ。
さあ、いこう。
ナノモンから全貌が明らかになった隠し通路の多さに驚愕しながらも、彼らは睡眠不足なんてものともせず、
大穴を目指してスフィンクスもどきからとびおりたのである。
もう太一は迷わない。その勇気は、セトモンの熱風が隠し通路全土におよび、侵入者を阻む高圧電流の壁がひしゃげてしまい、
ナノモンの情報ですら特定できないほどの変形により、突破口がわからなくなってしまって、みんなが立ち往生したって止まらない。
いちかばちかで掴み取れた強運でもって、高圧電流という死の恐怖から正規ルートをもぎ取った彼らは最下層へと足を踏み入れたのである。


「太一せんぱあああいっ!みんなあああっ!」


開かれた扉から真っ先に出迎えたのは、頭にかみついているチコモンを揺らしながら、飛び込んできた大輔である。
太一に抱きついた大輔は、ごめんなさい、ごめんなさい、って言いながら大泣きである。
みんなピラミッドで何かあったかはもう知っているので、この可哀想な男の子をあやしてあげるだけである。
ピラミッドエリアが崩壊したと知らされた大輔は、命の危機にさらしてしまったことを気に病んで、もうわんわん大泣きである。
太一は、いいんだよ、とくしゃくしゃに頭をなでてやる。そして、みんな驚くのだ。
大輔の頭の上に寄生しているこの水色はなんだと。
へにょりとした角をうつむかせて、大輔の頭の上に乗っかりなおし、チコモンと名乗った幼年期1は泣き始めた。
そして、ようやくその正体を明かすのである。古代種のこと。オーバーライトのこと。デジメンタルのこと。
アグモン達とは違って、一人ぼっちでずーっと眠り続けていたこと、
一人ぼっちで現代種に交じって遊びながらだいしけをまっていたこと。
だからこそ、だいしけが取られるのではないか、と怖くて怖くてたまらなかったこと。
だからだいしけが一番頼りにしている太一がだいっきらいなこと。
そして、だいしけとチコモンの運命共同体ともいうべき、特異な関係性について。
とりあえず、チコモンは、今までのうっぷんもかねて太一からぶんなぐられて飛んだ。


「なにやってんだああっ!なあにがデジメンタルだよ!
大輔のことなんだとおもってんだ!こいつはオレたちとおんなじなんだぞ!
デジメンタルがなんなのかしらねえけど、大輔はものじゃねーぞっ!
ずーっと進化にかかっちまう負担を半分こしてんなら、
ぶったおれてあたりまえじゃねーかあっ!大輔殺す気かあっ!」


それはかつて、光を殺しかけた時に、本気で怒った母親からおじいちゃん仕込みの張り手を食らったときに言われた言葉とまんま一緒である。
もちろん太一は分かって言っている。びっくりするくらいチコモンがかつての自分と一緒だからイライラして言い放った。
ああ、そっか、こいつのこと嫌いなのは、暗黒進化させちまったオレと一緒だからか、と
ようやく同族嫌悪を自覚するに至る太一である。
ってことはオレってこんなにみんなにいらいらさせちまってたのかよってちょっとへこみながら、我に返って優しくするのだ。
ごめんなさいって泣いているチコモンに。仲間は大事だって良く分かりました、
反省してます、ゴメンナサイって反省している大バカに。
みんな、チコモンのことを知って驚いて、そして認識を新たにするのだ。
ああ、この子は大輔君みたいな子なんだと。


「でも、もうわかったんだろ?なら、いいけどな。
もう二度とこんなことすんなよ、パートナーデジモンなんだろ。
でもなあ、はっきり言っとくぞ、チコモン、オレはお前が嫌いだ」

「ありがと、太一。でも、オレだって嫌いだよーだっ!」


あっかんべーしている水色は太一にサッカーボールにされた。
酸の泡がしゅーって煙を放つ太一の足元の超至近距離に放たれて硬直する。
かちん、ときた太一はますますチコモンを捕まえて、むにいいっとやわらかい体をひっぱっていじめるのだ。
大人げないからやめなさい、って空からどっちも拳骨を頂戴した。



え?なんでこいつらこんなに仲悪いの?ってみんな置いてきぼりである。



そんな中、たーって大輔のところに走ってきたタケルである。
あ、タケルって仲直りしようと笑った本宮大輔はぶっとばされた。
はったおされた上から、馬乗りにされ、容赦なく乾いた平手打ちが響き渡るのである。


「大輔君のわっからずやああああああっ!」


タケルの大絶叫が響いた。


「僕わかんないよ!子供っぽいからわかんないもん!
なんでなんでいっつもいっつも大輔君はそんなふうになっちゃうのさあっ!
そうじゃないでしょっ!そうじゃないだろっ!なんで、なんでわかんないんだよっ!
僕たちが欲しい言葉はそうじゃないって、ずーっと僕よりずーっと、
いろんなこと知ってるくせになんでわかってくれないのさあっ!」


大輔の上にぼろぼろと涙が零れ落ちていく。


「大輔君はひとりじゃないよ!ずっとずっと僕たち一緒にいるじゃないかあっ!
ずーっと、ずっと、僕たちは、太一さんたちに守ってもらってるんだよおっ!
なんでわかんないのさ!大輔君、今、どうなってる?」


わかるでしょ!とタケルは叫ぶ。


「クラブとか部活とかそういうの何にもやってないくらい、なんにもできない僕が、
手をあげて、上から、こーやっちゃったら、もう動けなくなっちゃうじゃないかあっ!
ぼくより、ずっと、ずっと、何にもできない大輔君になっちゃうじゃないかあっ!
みんなみんな心配してるんだよ!
だから大輔君を守ろうっていっぱいいっぱいかまってもらってるんだよ!
頭撫でてもらったり、声かけてもらったり、いっぱいいっぱい守ってもらってるんだよ!大輔君!」


ここでようやく、本宮大輔という意固地な大バカ、はってなるのである。
うらやましいくらいに!ってタケルの顔には書いてあるから。


「ごめんなさい、じゃ、ないでしょおっ!
いーっすよ、きにしないでください、じゃないだろっ!みんな怒ってるよ!
なんでなんでみんなにないしょにしちゃうのさあっ!
大輔君嘘つくのへったくそなんだから、そういうのやっちゃだめなんだよおっ!
大輔君、ひみつにしちゃうのつらいってずーっといってるじゃないかあっ!」


ぜいぜいいいながら、タケルはいうのだ。


「ぼくはいいよっ!子供っぽいもん。
でもでもでも、古代種とか、オーバーライトとか、よくわかんないの、
でも、大輔君とチコモンが死んじゃうかもしれないんだってことわかってるなら、
なんでそんな大事なこといわないのさああっ!
みんなのほうが、ずーっとずっといろんなこと知ってるの、
大輔君のほうがずーっと知ってるくせにいっ!」


そして睨み付けるのである。


「なんだよう、大輔君だって子供っぽいじゃないかあっ!ぜーんぜん、わかってないじゃないかあっ!
みんなみんな、大輔君とチコモンが危ないって気付いてたんだよ?
でも、みーんな、優しいから、今みたいに何にもできない大輔君になっちゃって苦しんじゃうのがかわいそうだから、
みんな、みんな、見守ることしかできてなかったんだよっ!
それをひとりぼっちになっちゃったとか、ふざけるのもいい加減にしてよっ!」


ごめんなさい、と謝っている時点で全然分かっていないことを射抜かれた大輔は舌を巻く。
こいついつの間にって、わがままな傲慢は驚くのだ。


「ぼくわかったよ、大輔君!僕はわからずやの大輔君にこーいうことを教えてあげなくっちゃいけないんだ!
だって僕、子供っぽいから、みんなみたいに優しくないもん!どうすればいいのかなんてぜーんぜんわかんないもん!
でも、今の大輔君なんて、僕、だいっきらいだよっ!僕の知ってる大輔君じゃないもん!」


タケルは続けた。


「太一さんがいってたよ!僕は大輔君のそばにいるだけで、大輔君がこういうことになるのを止められてるんだって!
大輔君たちがこういうことになっちゃうのを、大輔君たちがやめちゃえるんだって!
おもちゃの街のときだって、コカトリモンの船のときだって、
僕何にも出来なかったけど、大輔君がこういうのになるのを止められてたんだ!
僕が大輔君たちに教えてあげなくっちゃいけないんだ!大輔君は僕とおんなじ、小学校2年生なんだって!」


そして、ようやくタケルはいうのだ。穏やかな顔で。


「僕、勘違いしてた。大輔君ってなんでもできるよね。
僕よりおっきいし、かけっこだって早いし、お友達作るのだってすっごく上手だし、
いろんなことしってるし、いろんなことできるし、僕よりずっとずっとすごいよね。
だからね、僕、大輔君みたいになりたいなって思ってたんだ。
僕、なんにもできないもん。
でも、大輔君もチコモンも、僕とトコモンと一緒なんだってわかったよ。
なんかよくわかんないけどすごいんだって思ってるから、大輔君と親友になれないんだなってわかったよ!」


浮かんでいるのは笑顔である。それはもう、とびっきりの。


「分からず屋の大輔君に教えてあげる!またこういうことが起こらないように、おこっちゃわないように、
こーやって止めてあげる!それが僕にできることなんだってわかったよ!」


だから喧嘩しようねってタケルは言う。
それがどこまでもヤマトと太一の初対面時の大喧嘩のオマージュなのだとしても、
トレースにしか過ぎないのだとしても、無意識を意識的に変えてくれる行動は、ずっとずっと大輔には響くのである。
だからといって殴りあいの一方的なふるぼっこタイムになるのはいかがなものかと思われるのだが、本人も言ってるように、
今のタケルは体力も力も皆無な非力な小学校2年生のため、
ジュンお姉ちゃんとの大喧嘩でなれっこな大輔にはちょうどいい冷やし水である。
呆然と見ていた子供達だったが、さすがに加減を知らないタケルの本気のド付き合いはとどまるところを知らないので、
あわててヤマトが割って入ったのである。暗黒進化の兆候は啄まれたのだが、
なんか別の方向で開花してしまっているのは気のせいか。
まあ、身をもって教えられたほうがどこまでもどこまでも自分のことが大切にできないこの大馬鹿にはちょうどいい。
3年後も同じかどうかは分からないが。げほげほ咳き込みながら、
こんのやろう、ってぬぐった大輔はしばらくの休息を要した。


「どっちがわからずやだ、こんのにぶちん!うらやましいのはこっちのほうだっつーの!
いっつもいっつもオレのことばっかり頼りやがって!
オレは便利屋さんでもなんでも屋さんでもねえんだよ!
ちょっとは自分でいろんなことやろうとしろよ!頑張ろうとしろよ!
何にも考えずにずっとみんなに守られたいのはオレのほうだよっ!
オレの気持ちも考えずに相談ばっかりしやがってえっ!
うぜえんだよ!うざったくてしかたねえんだよ!
頼りにされたいとか、対等になりたいとか、口ばっかりで、甘えたくないとか言ってるくせに、
いっつもいっつもオレに頼ってばっかりじゃねーかあっ!なんにも考えないで嘘ついてばっかりじゃねーかあっ!
オレがそれが世界で一番、世界で一番嫌いなことだって、最初にオレがジュンお姉ちゃんのことヤマト先輩に打ち明けた時、
聞いてたくせによおっ!だから親友になんかなれるかっていったんだよ!絶交だっていったんだよ!」


でも、と言葉を切る大輔は泣いていた。


「でも、嬉しかったんだよ。絶交ってまで言ったのに、親友になりたいから頑張るって言ってくれてうれしかったんだよ。
ここまでひっでーこといったのに、頑張ってくれるの、タケルが初めてなんだよ。
嫌われたくないからずーっと我慢してたこと、もういやだって思っていっちゃったの、初めてなんだよ。生まれて初めてなんだよ。
だから、怖くなったんだよ。ここまで、ひっでー喧嘩して仲直りしたことねえもん。
みんなわかってくれねえからやったことないもん。
おんなじクラスのやつとか、マンションの友達とか、サッカー部の友達としたことなんか、ねえもん。
ここまでの大喧嘩したことねえんだもん。
だから、どうやって仲直りしていいんだかわかんなくて、引っ込みつかなくなって、うれしかったんだよ!
泣きそうだって言ってくれてうれしかったんだよ!みんなわかってくれないんだもん。
いっつもいっつもオレばっかり悪いんだって、いっつも怒らないくせになんでこんな事で怒るんだって、
先生とかコーチとかお父さんとかお母さんとかみんなにいわれるんだよ。
オレだって怒ることくらいあんのにさあっ!オレまだ8歳なのにさあっ!
いっつもいっつもオレばっかり死んじゃうくらいつらい思いしてんの、気付いてくれたの、タケルだけなんだよっ!」


こぼれおちたのは、ありがとう、の言葉である。タケルが大輔に親友になってほしいと思ったように、
無意識の範囲であった気持ちを大輔はようやく自覚するにいたる。
大喧嘩をして嫌いにならないでいてくれたのは大輔も初めてだったのである。
大輔らしくないって理由だけでたしなめてくる人とは違い、
喧嘩両成敗してくれたのは、今まで空や太一といったサッカー部の上級生たちだけだった。
だから大輔はサッカー部に居場所を求めたのである。等身大の自分を見てくれるから。
そして、この漂流生活において、鉄拳制裁でタケルとの大喧嘩を平等に止めてくれたヤマト、
タケルとの喧嘩を釣りの邪魔という理由で平等に叱ってくれた光子郎、
太一との喧嘩に対して大輔の非も太一の非も指摘してくれた丈、
タケルと大輔をどちらも遊び相手として一緒に扱ってくれるミミ達がどれだけうれしかったか、誰もわからないだろう。
だから大輔は上ばっかり見るようになったのである。
そして、ようやく大輔は変わり始めようとしてくれるほど、がんばってくれるほど、友達になりたいって、
親友になりたいって言ってくれる人を見つけられたのである。
甘えたがりの天邪鬼は、ようやく正直になることを学んだのである。・


「なあ、タケ」

「ちょっと待って、待って!僕から言わせてよう!
いっつもいっつもちゃんとわかってから謝ってくれるの大輔君だけだったでしょ?
僕からいわせてえっ!」

「はあ?」

「いいからっ!あのね、大輔君!親友になってください!」

「だっからもー、なんでいちいちんなこっぱずかしいこというんだよ」

「僕、大輔君と違うもん。いわれないとわかんないもん」

「ったくもー、しょーがねえなあ。オレも親友になってほしいって思ったんだよ。だから、親友になろうぜ」

「うん!」


そして交わされた握手である。ようやくタケルと大輔の大喧嘩は幕を下ろしたのだった。



[26350] 第二話 めぐるせかいで
Name: 若州◆e61dab95 ID:28e2bbe1
Date: 2013/08/03 00:26
ナノモンの大事な大事なお話のセッティング中である。最年少組はまっているよう言われて、
かつてコピーの空がいたラボの実験台の上で、ぶらぶら足を揺らしながら待っていた。
みんな忙しそうにナノモンに言われて、いろんなものを準備している。
そして、片っ端からリフォームしていたはずのラボの壁をはぎ取る。
ピッコロモンといい、なんで協力者のデジモン達はこうも扱いが悪いのだとみんな嘆いていた。
仕方ないだろう、ナノモンちっちゃいし。
みんな不慣れな機械の移動の扱いを叱咤激励されながら、汗水たらして移動させ、そして全ての外壁を取り去った。
ガジモン達のサポートも受けながら、どんどんラボは元の姿を取り戻して行く。
どんどん、かつての機械のお医者さんの診察室がすがたをあらわしていく。そして選ばれし子供達は知るのだ。
無理やり行われていた改装の向こう側には、デジ文字が張り巡らされた古代トンネルと同じ様相が姿を現したのである。
なれた様子でナノモンが文字に触れるたびに、いろんな設備が復活していく。現われていく。みんな呆然としている。
すごいなーとは思っていても、だからどうした、レベルの最年少組である。次第に飽きてしまう。
みんなが気付いていないことをいいことに、こっそり内緒話である。
誰にも言うなよ、ぜってー言うなよ、約束なっていいながら、親友になった高石タケルに本宮大輔は話すのである。
八神太一と同じくらい尊敬している、秋山遼という未来から大輔達を助けるためにやってきたという命の恩人の話を。
サイバードラモンとエアロブイドラモンを連れたもうひとりの英雄と大晦日に会えること。
うっかりやな彼とパートナーデジモンの失言で、黒い歯車がデジモン達を操っていること、ゲンナイさんは味方であること
を未来予知にも似た形で知ってしまったのだということ。これを話したのは太一だけで、何でか知らないけど、
不機嫌になった太一から絶対にこの話は誰にもするなと口止めされ、遼とも約束したから言わなかっただけで、
約束を守りたかっただけなんだと大輔は言う。うん、わかった、だれにもいわないよってタケルは笑った。
まだ話してはいけませんってピッコロモンから言われたことがあるんだけど、それは太一にも言っていないから、
これだけはごめんだけど無理ですってくぎを刺した大輔である。うん、わかった、とタケルはなずいた。
ピッコロモンから言われているなら仕方ない。


「遼さんってどんなひと?もし助けに来てくれた時、分かんなかったら困るよ?」

「えーっとな、こーんなかんじで二本くらい髪の毛でてんだ。ねぐせかな?クリームで固めてんのかなあ。つんつんなんだ。
ジュンお姉ちゃんが大好きなアイドルで、すっげー髪形のやつがいるんだけど、なんか白いクリームで固めるんだって」


片手で前髪をかきあげる大輔に、へー、ってタケルはいう。なんか虫さんみたいだなあって失礼すぎる発言をする親友に、
大輔も調子に乗ってはげるよなって笑った。将来殴られるのは確定したようである。


「大晦日からきたの、やっぱホントかもしれねえや。
だって茶色いセーター着てたし、首のまわりに白い線があるやつ。あとは、黄土色のジーパンきてたっけ。
そうそう、黄色いスポーツバッグもってたぜ。太一先輩くらいだから、オレ達より年上だと思う」

「へー、そうなんだ。カッコいい人だねえ」

「あ、そうそう、何でか知らねえけどさ、赤いバンダナもってたなあ。スポーツバッグに」

「赤いバンダナ?冬なのに?」

「冬なのに」

「首にまいちゃえばいいのにね、今の大輔君みたいに」

「だよなあ、へんなの」


へんなのーってタケルと大輔の腕の中にいる幼年期の不届き者は笑うのである。
トコモンからすれば、役に立たない、仲間が出来たので嬉しいのである。
チコモンからすれば、トコモンみたいに大輔に甘えられるのが嬉しいのである。
だからチコモンは仲直りの大暴露を決行するのだ。


「トコモン、ごめん」

「え?なにがー?」

「おれさ、トコモンのこと、ともだちっておもってなかったんだ」

「え゛」


だからすれ違っていたのだとようやく悟るトコモンは石像になるのだ。えええええ、と涙目である。


「だってさ、だってさ、とこもん、ぽよもんでも、とこもんでも、ぱたもんでもたけるのあたまのうえにのれるだろ!
えんじぇもんになったときだって、みんなおどろいてくれてたじゃないかあっ!
おれなんてだーれもすごいぞっていってくれなかったのにい」

「えええええっ!?そんなあ、ずるいのはチコモンじゃないかあっ!毎回毎回進化出来てうらやましかったんだよう!
僕だって、毎回、毎回、みんなのために戦いたいのに!エンジェモンになりたいのに!」

「そんなにはやくすがおみせたいの?」

「…………ちこもん、たすけてえええ!」

「えー、やだ」

「えええええええええっ!?今は友達でしょっ!?」

「ともだちだって、しんゆうだって、だいしけのほうがずーっとだいじだよーだっ!
とこもんだってたけるのほうがだいじなくせにい。
とられるっておもっておれたちひどいめにあわせたくせに。
だいしけがいってなかったら、だいっきらいになってるよーだ」

「うわああああああん!それはごめんってばああっ!もうしないってばああっ!
たけりゅうう!だいすけええ!たすけてえ!」

「・・・・・・・・やっぱり怒ってたんだね、チコモン。エレキモンの家でのケンカの時」

「んー、ずーっと寝てたから怒ることまで忘れれただけじゃね?
デジメンタルねえから、オレに負担掛かんねえように、って」

「じゃあ、デジメンタルあったら、あの時、こんなふうになってたのかな。……って大輔君、大丈夫なの!?」

「なんかよく分かんねえけど、暗黒進化しねえと大丈夫みてえ。
デジメンタルとか紋章がなんかやってくれてんじゃねーかな。
これ手に入ってから、あんだけだるかったの、どっか行っちまったんだ」

「そ、そっか、よかったー。きんぴかなだけあるね」

「そうだよな!へへっ空姉ちゃんとおそろいだぜ」

「たすけてえ!」

「「エンジェモンの素顔見たいからだめ」」

「うわーん」










第2話 めぐるせかいで










「ここは、私の原点だ。記憶を失ってもなお、ここを求めるのは当然なのかもしれない」


ここは、もともと私がサーバ大陸から集まってくるデジモン達からの依頼で、
集まってくる機械を修理する場所であり、ガジモン達以外は入れたことがない場所だった、と
ナノモンは語るのだ。かつて空をコピーしようとしたピラミッドエリアの最深部にあるこの部屋で。


「私があらゆる機械を修理することが出来た理由を説明しよう」


ごくり、と彼らは息をのむ。ナノモンは光子郎を見た。


「もう、必要ないかもしれんがな。
私が長年かけてきた研究を、ほんの数日で解明してしまったのだから。
さすがは選ばれし子供、といったところか」

「え?」


光子郎に集中する視線である。
え、あ、いや、その、ともともと内向的で注目されることになれていない光子郎は、
なんだかわかたわたとしている。
自分が最もほこりを持っている誰にも負けたくないという分野を無条件に肯定され、
しかも敗北宣言までされてしまった。これはなかなかに出来る体験ではないだろう。


「それは、ここが、電気を発生させることができるからだ。
もともと修理をすることが仕事だった私は、どうしても己の技能には限界があると悟って、放浪の旅に出たのだ。
必要な設備や工具が足りず、直せないものがあると落胆する依頼人が見たくなくてな。
いつか拠点を構えることを目的に、サーバ大陸を横断し続けていた。
そして、見つけたのだ。遥か昔に打ち捨てられたこのピラミッド迷宮の中に、
隠し通路があり、その奥にはここがあったのだ。
デジタルモンスターにとって大事な電気を発生させられる場所がな。
ここにある研究施設やスクラップ場は、私が辿り着いたころには全て存在していたのだ。誰もいなかったがな。
補足するとするならば、私がこのピラミッド迷宮に辿り着くまでの道筋は、もうお前達がよく知っているだろう」


選ばれし子供達とパートナーデジモン達は顔を見合わせるのである。
かつてナノモンが機械のお医者さんになることを夢見てたどってきた道のりを、彼らはたどり続けたのである。
道理で最後にはこのピラミッド迷宮に辿り着くはずだ、と彼らはようやく知るのだ。


「何故このピラミッドの中に、電気を発生させられるような場所があるのかはわからん。
だが、古代遺跡の道のりを辿ってきたお前たちは見てきただろう?明らかに人工的に作られたものばかりだと。
私は思うのだ。これは恐らく我々、マシーン型のデジタルモンスターにとっての故郷なのだろうとな。
我々マシーン型のデジタルモンスターは、生物型のデジタルモンスターと違って、様々な部品と構造を持って生まれているが、
どのようにして発生したのか知っているものは誰もいないのだ。私が疑問に思ったとしても、ここはそういう世界なのだ。
それぞれが得意とする分野は細部にわたるが、いずれもトップクラスの技能を持っているが、
私はナノモンになった瞬間からもう既に身についている。
恐らく、ここに全ての秘密があるのだろう。私がここに拠点を構えたのは、
それを知りたいと思ったからでもある。修理屋の仕事が忙しくて手つかずではあったがな。
きっと、途方もない昔に我々マシーン型のデジモン達を「造ってくれた」者たちがいたのだ。
私はそんな彼らに会いたかったのだ」


だからこそ、エテモンを止めたのだ、とナノモンは言葉をきる。そして語り始めるのである。
この世界に置いて、電気がどのような役回りをしているのか、という長年の研究成果を。


「お前は苦労をしているな」

「え?」

「ほかの選ばれし子供達に理解させるのは労力を要しただろう?」

「は、はいっ!」


思わず、うなずいた光子郎である。え?と他の子供達はきょとんとしているのだ。
ナノモンは可哀想な同士の研究成果を補足すべく、「電気」の意味を綴る。


「この子供はお前たちに理解させるために、労力を割いていたということだ。
あの古代遺跡のトンネルに刻まれたデジ文字は電気を付けたり、消したりできるものだと
説明していたようだが、そんなものではない。
あれは、「電気そのものを発生させるプログラム」なのだ。「電気」そのものなのだ。
それがいかに高度な文明がかつてここで根付いていたのかを物語るのか、わかるだろう?「電気」を作り出せるのだ。
ここはお前たちにとっては異世界だ。データが力を持つのがこのデジタルワールドなのだ。
お前たちのいうパソコンとかいう奴の中の世界なのだ。
デジタルモンスターである我々にとっては、進化も、喜怒哀楽の感情も、
記憶することすら、生きることすら、すべて「電気」が必要なのだ。
わかるか?あのデジ文字のトンネルを作った、ピラミッド迷宮の住人は、
「電気」を作れるのだ。それはもう、神というにふさわしい」


ここまで来てようやく、選ばれし子供達は、光子郎がたったひとりで辿り着いていた結論にたどりつくのである。
光子郎すげえ、という視線が向かうのだ。内弁慶のきらいがあるこの少年は、
ようやく自分の大発見の凄さを理解してもらえて感涙である。
もうさっきからうなずきっぱなしで、首が折れるんじゃないかと、テントモンが心配しているくらいに。
自慢できるレベルではない。
風邪の症状を抑える薬ではなく、風邪という病気そのものを直す治療方法を発見するくらいの大事件である。
それくらいの大発見である。
しかるべき所に論文を出したら一躍有名になって、ハーバード大学にとび級で入れるくらいの大発見である。
ヘタしたら億万長者になれるくらいの。
それを電気を付けたり、消したりできる、魔法と説明しなければならない悲しさといったら、もうないだろう。
ゲームのキャラクターとか、パソコンゲームのキャラクターとか、なんだってそんなもんに例えなくてはいけないのか、レベルだ。
彼がそんな悲しみから解放されるには、あと2年またなければいけない。京という同士を得るまでの辛抱である。


「お前たちの世界では、すべての生き物が生きるために必要なものは、何と称するのだ?」

「空気です」


そこに訂正を入れたのは、医者の卵の丈だった。


「酸素、だね、光子郎君。授業で習ったよ。理科の時間の実験でやったから覚えてる。
僕たちはみんな酸素っていう奴をすって、二酸化炭素ってやつを吐いていきてるのさ。
ほら、血って赤いだろう?あれは赤血球ってやつが、僕たちの身体にその酸素ってやつを運んでるから赤いのさ。
僕たちの身体って実はすごいんだよ。肺ってところは、その二酸化炭素と酸素を交換する場所で、
心臓はそれを頭からつま先まで運ぶために、毎日休まないでどくどくいってるわけだし」


へー、とみんな感心しきりである。本来なら小学校6年生でならう授業内容である。


「でも、酸素っていうのを作れるのは、植物だけなんだ。
もちろん植物も生きてるから、酸素をすって、二酸化炭素をはいてるんだけど、
光合成って言って、植物はご飯を食べるために根っこから水を飲んで、葉っぱから太陽の光を食べて、
二酸化炭素も食べるんだ。その時、酸素っていうのもできるんだよ」


その説明を聞いてみんなの視線が向かうのは、のんびりやの日向ぼっこ大好きなパルモンである。
頭の上に乗っけている植物を誰しも連想するのだ。技だって自在に伸びちぢみするツタみたいな手だし。


「だからパルモンって、日向ぼっこ好きなのね?」

「よくわかんないけど、そうかもしれないわ、ミミ。おひさまあびてるとすっごく元気になれるの。
でも丈、アタシ、ご飯食べないと死んじゃうわ」

「それは植物だって同じだよ。肥料って言うご飯を食べると、ずっとずっと元気に育つんだから」


なるほど、と選ばれし子供達は理解する。
お母さんがやっている家庭菜園や朝顔の自由研究、花壇のお世話だって、肥料って言う匂いがいやーなやつをあげると、
すっごく綺麗な花を咲かせることをみんな知っているのだ。


「酸素は光子郎君の言ったように空気なんだ。だから世界中どこにだってあるんだよ。
だから、ナノモンは、電気は酸素なんだって言いたいんだよ。あのデジ文字は植物なんだって。
それを作った誰かがこのピラミッド迷宮とか、あのデジ文字トンネルを作ったって言いたいんだよ。
もしそれが本当なら、この世界には、神様とかいるのかもしれないな」


なんという異世界なんだろう、と彼らは改めて思ったりするのである。
そして、たったひとり、光が丘テロ事件のことをとっくの昔に思いだしている本宮大輔君は、
なんでなっちゃんが電気を操れるのかをようやく悟るのである。
なるほど、デジタルワールドのお迎えだから、神様のお使いなのかって。
あの日の夜、我が家が突然電気がつかなくなっちゃったのは、なっちゃんがグレイモンのお迎えをするために、
お父さんの仕事部屋から飛び出してきちゃったからかしらん?って思うのだ。
なっちゃんが、大輔が息をするみたいに電気を食べ続けちゃったから
なかなか電気がつかなかったのかしらん、って思うのだ。
もちろん、その通りである。
ちなみに八神家でも同じ事例が発生しているのだが、八神兄妹は規則正しい生活を送っていたため、
もう9時が回っていたころには電気を消していたため、それに気付くことは無かったのである。
おかげで場外乱闘に発展したグレイモンとなっちゃんの戦いは、
光が丘の集合団地の電気をすべて食べ続けたたため、大パニックに陥った。
本宮家は夜更かしをしていたので、光が丘テロ事件の最中、一番最初に電気が停電になったお家であり、
アグモンのように扉をふっ飛ばしはしたものの、玄関からちゃんと出ていった礼儀正しい野生とは違って、
グレイモンを捜しになっちゃんが飛び出して行ったせいで、ベランダがすっげー大変なことになったため、
当然のことながらマスメディアの餌食になったのである。
過熱報道の自主規制がまだ浸透していない時代だったからなおさら。
もちろん、お父さんが大手出版社の若手新鋭で、一番の稼ぎ頭である以上、
営業部の連中とみんなを巻き込んだ全力の圧力によって、
マスメディアは、テロ事件の犯人とかそんな酷いことまで書きたてることはなかったし、標的にされたのではなんて、
あることないこと書きたてることはなかったのだが、テレビ放映の生放送までチェックできなかったのだ。
連日連夜の生放送ぐるぐるまわすテレビカメラにうつる高層住宅にある本宮家までピンポイントで隠せなんて無理である。
もちろん、その報道局関係者は口減らしに給料いっぱいもらえたし、裁判で訴えるという最終手段をとらない代わりの和解案で、
地方に飛ばされたり、やめたり、海外に派遣されたり、もちろんそのテレビ番組は強制終了という憂き目にあう。
カメラに写されたフィルムは全てお蔵入り、完全抹消され、そのテレビ番組に関わったすべての関係者の責任をとり、
大手出版社の所まで重役が頭下げに行く、なんていうすっげー事態が進行した。
ちなみにそのテレビの中にフジテレビがあるなんてことは言うまでもないのである。
皮肉にもそのプロデューサーと同期だった男と本宮家のお父さんは、
お互いの子供達が光が丘テロ事件の被害者であり、
記憶喪失の症状に見舞われた子供、という共通点が明らかになったので、
とっくの昔に和解はすんでいるし、相談相手になっている。
でもこれがすくなくてもきっかけの一つで、ヤマトとタケルは別れ別れになった。
いつだって大人の世界は真っ黒だ。
お父さんがいたからこそである。いつだって子供達は大人によって守られている。


「私がエテモンを止めたのは、あのダークケーブルに使うから、とどこかから持ってきた物質の電気が異常値を示したからだ」

「異常値?」

「エネルギーとして高濃度なのだ。あり得ないほどにな。私達は電気で生きているのだ。電気は酸素そのものなのだ。
考えてみるがいい。そんな私達が異常値で高濃度の電気に接触すれば、どうなるか。どうなってしまうのか。
どうやらデジタルワールドにある電化製品や電柱をお前達も知っているようだから、考えてみるがいい。
電化製品はコードにつなぐだろう。それは電信柱から運ばれてくる。その電信柱に雷が落ちた。
電化製品も電気で動いているが、雷はその何百倍もの力を持っているのだ。
普通はそこまで行く前に、ブレーカーが落ちて電化製品が壊れるのを防いでくれるだろう。
だが、もしそのブレーカーすらぶっ壊して、その雷が電化製品に流れ込んだらどうなる?
それどころではない。直接、雷が電化製品に流れ込んだらどうなる?壊れるだろう。
分かったか?お前達が相手をしている暗黒の力という奴は、こういうものなのだ。
なのにあの機械音痴は理解できなかった」


だから止めたのだ、あの大バカめ、とナノモンは悔しげにつぶやいた。


「思えばあの物質を発見した時点であの大バカは狂っていたのだろう。
私もその物質を見た時点で浸食されていたのだ。おそらくな。
幸いなのは、あの大バカが私のメモリチップを取り出し、
隔離してくれたことで私までメモリチップの浸食を最低限に食い止められたということだ。
そして、そのメモリチップはどういう訳かそこの選ばれし子供達の紋章となり、完全に正常化してくれたのだ。
そして私はダークケーブルのホストコンピュータという浸食しきった身体を紋章の作用で正常化されて、今ここにいるのだ」


感謝する、と再度頭を下げられ、大輔はもとにもどってくれてよかったぜと笑った。
ガジモン達のおかげでもあるし。


「なんか、ホントに酸素だね」


丈はつぶやくのである。え?とみんな振り向くのだ。


「植物だって水をあげすぎたら枯れちゃうだろう?全然あげなくても枯れちゃうけどね。ほどほどが大事ってことだよ。
それは酸素だって同じなんだ。僕たちは酸素で生きてるんだけど、
走ったらつかれるだろ?それは酸素を食べて僕たちの身体が頑張るからなんだ。
そして、その頑張った分は身体の中に積み重なっていって、
僕たちの身体はどんどん疲れていくんだよ。だからおじいちゃんたちはああなるんだ。
だから、酸素はほどほどだといいんだけど、一気に食べると僕たちは病気になるんだよ。
アグモンみたいにお腹壊して動けなくなるみたいにね」


もう忘れてくれよ、そのネタ、と太一はへこんでいる。笑い話に変えられている時点でそれはきっと素敵なこと。
そして、ナノモンの話を聞いていたタケルとトコモンは、デビモンという悪魔を思いだして硬直するのだ。
もしかして、殺さなくってもよかったんじゃないかって。そして、タケルは聞くのだ。


「ねえ、ナノモン」

「なんだ」

「デビモンってもしかして、倒さなくっても良かったの!?元に戻ったかもしれないの!?」

「安心しろ、そこの子供から話は聞いている。元に戻すということは、相当の犠牲が必要なのだ。
そこの子供が紋章を投げ打ってまで私を救ってくれたように。お前のパートナーデジモンはエンジェモンに進化するらしいな。
ならば、恐らく、エンジェモンは本能的に分かっていたのだろう。
己の知る宿敵のデビモンではない、おぞましい何かに身を落とした、
デジモンなのだろうとな。だから助けようとしたのだ」

「倒しちゃったのに?」

「お前たちは知っているだろう、私達は本来死というものは存在しない。死んでも生き返るのだ、デジタマに。
そして、それでもなおこの世界にいるべきではない、と判断された者たちはダークエリアに送られる。
そこでアヌビモンという裁判官によって裁判を受けるのだ。こちらの世界にいるべきか、ダークエリアで禁固刑に処せられるか、
それともアヌビモンによってデジコアを食われて死ぬという名の消滅をするか。この消滅こそが我々にとっての死だ。
恐らく古代デジタルワールド期という、まだダークエリアという場所が出来ていない頃に生まれてきたそこのチコモンが、
強大な力を持つがゆえに寿命が尽きていないにも関わらず、死に至っても転生できなかったような憂き目にあったのだろう。
チコモンが見てきたのは、正真正銘の死だ。パートナーをその死に追いやりかけたという恐怖は察するに余りある。
デジタルモンスターにとっての死とはそういうものなのだ。
まだ、選択の余地があるのだ。わかるか?だが、思いだしてみるがいい、お前たちの敵だったデビモンはどうなった」


そして、選ばれし子供達は、まさか、と顔をこわばらせるのだ。


「私もエテモンを戻すには、まだ何か余地はあるのではないかと考えていた。だが、事態は最悪だ。どこまでも暗黒の力は有害なのだ。
わかるだろう。エンジェモンは助けようとしたという意味が。デビモンは黒い歯車によって巨大化し、エンジェモンによって倒されたのだろう。
だがデビモンは「騙された」と言ったのだろう。そしてエンジェモンはそこのトコモンに生まれ変わり、デビモンは消滅した。
ならばもう答えは一つだ。エンジェモンは間に合わなかったのだ。デビモンは消滅したのだ。
本人はダークエリアに送られると信じていたようだが。
ダークエリアによってアヌビモンにより3つの選択すら与えられないまま、デジタルモンスターにとっての死を強制されたのだ。
暗黒の力によって。闇の象徴である筈のデビモンですら消滅するのだ。まさに暗黒だ。そこには闇も光もない」


ぞっとするほどの暗黒の力の強制力である。
もちろん、消滅だけならまだいいが、糧にされたという最悪の事態を彼らが知るのはずっと先のことである。


「もうここまではなせばわかるな?エテモンを救う方法は、一つしかないのだ。
まだアヌビモンのもとで裁かれるという選択の余地がある、という方法をとるしかないのだ。
選ばれし子供達にとって紋章は欠かせないものなのだろう?ならばもう喪失は許されない」


ナノモンの声がラボに響きわたった。


「エテモンが暗黒の力により巨大化などの最終手段に出る前に、倒すしかない。
いや、倒すだけではだめだ、殺せ。ダークエリアに送るために。
これほどまでの強大なものだとは私も思わなかったのだ。選ばれし子供達よ、注意しろ。
お前たちの相手をしている暗黒の力はそれほどまでに絶望的なのだ。
しかし、デビモン、エテモンは何も知らぬままこの力を手にしている。
だが、ダークエリアに住まう者たちからすれば、格好の標的だ。
注意しろ、いずれ、この力を利用しようとする輩が現われんとはかぎらん。
だから、エテモンのように、救える同情の余地がある奴ばかりとは限らん。
見極めろ。でなければ、その代償は高いぞ」


あのエテモンを殺すことこそが救いだとナノモンはいうのだ。かつて誰よりも理解していたナノモンが。その説得力は悲痛である。


「でも、オレ達、だれもまだ紋章の進化できてねえよ」


太一がこぼした。


「何を言っている。進化なら成し遂げているものが一人だけ、いるだろう。お前だ」

「え?」

「何を勘違いしているのか知らんが、スカルグレイモンは立派なグレイモンの完全体への進化経路の一つだぞ。本来ならば。
選ばれし子供であるがゆえに、ウイルス種への進化は好まれんのかもしれんがな。
明らかに暴走していたから、他の進化経路がいいのだろう。
それに、そもそも、スカルグレイモンに進化出来るということは、
お前のパートナーであるアグモンは、相当強くなれる因子を持つ証だ。
本来の個体ならば、そもそもスカルグレイモンに進化すること自体あり得んのだ。
稀なのだ。デジモンは戦い、経験を積み、転生することで強くなる。
エテモンをダークエリアに送ることが出来るのは、お前だけだ。名前は何と言う?」

「え?オレ?八神太一だけど」


太一が名乗った時、ナノモンはしばらく沈黙した。言葉を失ったようである。
え、なんだよって、唐突な反応に太一は訊いてみるのだ。ナノモンは一人納得した様子で、
そうか、そうなのかってつぶやいた。


「八神太一か。なら、なおさらのことだな」

「どういうことだよ」

「まさか、予言の書に描かれている英雄の名前を聞くことになるとは思わなかっただけだ」

「予言の書?え?なんでオレの名前がのってるんだよ」

「予言の書はここに書かれているデジ文字の碑文のことだ。
 過去、現在、未来にわたって、それぞれの章でこの世界の歴史が紡がれている。
 この世界が平和を手に入れるまでには、様々な戦いの歴史が紡がれてきた。
 そのすべてが記されていると言っても過言ではない。
 もちろん、お前たち選ばれし子供のこともすべてここに記されている。
 私は見たことがある。八神太一という名を。もっとも、過去の章でだがな。
 この世界がかつて混沌に包まれたころ、八神太一という少年がパートナーの
 デジモンと共に世界を救ったことがあるのだと、書かれていた。
 もちろん、その少年は同姓同名の別人だろう。だが、縁起がいいとは思わないか?」



太一とアグモンは顔を見合わせた。一方で、チコモンを抱っこしている大輔は意気消沈である。


「……殺すことが救いって、そんなの、ありかよ」

「気に病むことはない。エテモンの場合は、暗黒の力の浸食が激しくて、他に手段がないだけだ。
私とて、かつての友をダークエリアにおくれなど言いたいわけがないだろう。
だが、このままではエテモンは確実に消えるのだ。
お前のパートナーであるチコモンの同族達がたどったように。
お前がかつて救った少女デジモンがたどるはずだったように。
ダークエリアで禁固刑になったとしても、デジタマで転生するにしても、生きることには変わらん。待つことなど苦にならんさ。
私達はデジタルモンスターなのだ。お前は私を救ってくれたのだ。救済の方法など、いろいろあるのだ。
お前はこれからも捜して行けばいいだろう」

「うん、そうする。ありがとな、ナノモン」

「ああ」


そんなパートナーの腕の中で、チコモンはこっそり思うのだ。
もしかして、おれがやっちゃいかけたことって、だーくけーぶるとか、
くろいはぐるまみたいな、あんこくのちからみたいなもんじゃないかって。
だいしけにしかけてたんじゃないかって。
あやうく、だいしけと、おれ、きえかけてたんじゃないかって。
ぞっとするほど恐ろしい真実に辿り着き、チコモンは首を振るのだ。
大丈夫、その事実に気付いたのなら、もう二度とこの子は間違いは起こさない。



[26350] 第三話 飛翔する太陽 メタルグレイモン
Name: 若州◆e61dab95 ID:2eb719e5
Date: 2013/08/03 00:27
太陽は真上だ。
打ち上げられたのは、イッカクモンのハープーンバルカンである。
真っ黒な角はやがて空中で分離し、内部に仕込まれていた追尾機能付きの爆弾となり、弧を描く。スフィンクスもどき上空で拡散する。
そして、豪快な音を立てて、爆破音をかき鳴らし、大きな音を立てて注意をそらす。イッカクモンは丈と共に移動を開始する。
エジプト迷宮がおかしいと感付いて戻ってきたはいいものの、跡形もなく瓦礫の山と化している惨状を目辺りにして、
正規ルートしか入口を知らないエテモン達は大いに驚いて、ガジモン達による解析作業を続けていたのだ。
そこに現われた突然の爆音に、当然のごとく、選ばれし子供たちかと気をとられた彼らは、大穴に気付く前に空白を生んだ。
ガジモン達に全てを任せ、自分は悠々とスーパーヒーロー気取りでブルーハワイ飲みほして、
肩こりをもませていたエテモンの完全に裏を掻いた形である。
内部情報筒抜けの恐ろしさがここにある。
そして舞い上がったのはバードラモンに乗った空と太一とアグモンである。
太一とアグモンを降ろしてから、彼女を乗せたバードラモンは、
一気に上空へと駆け上がり、上からメテオウイングで火の玉と化した羽毛をまるで雪崩の如く襲わせ、笑門号を攻撃する。
バードラモンの足から飛び降りた太一とアグモンの上から、周囲の砂漠と同色の茶色いぬのが掛けられる。
空を見上げれば、がんばって、と離れていく幼馴染である。
この場にはいないのだが、タケルと大輔とミミが、一所懸命スクラップ場にひいてあった布を引っ張り出して来てくれたのである。
奇襲と思い込んだ彼らは、さっそくティラノモンの群れを空と丈のところに突撃させる。
畳みかけるように、一気に飛び出してきたのは、ガルルモン、カブテリモンである。
今度はモノクロモンの軍勢がおびき寄せられていく。
一気に至近距離まで近づいて、必殺技である雷、そして超高温であるがゆえに真っ青な色をした炎を吐きだして、エテモン達をおびき出す。
エテモンを倒すのに邪魔な障壁がどんどん減っていく。
チャンスは一回きりである。ダークケーブルはいつエテモンを取り込んでもおかしくはない規模なのだ。
いくら完全体であるとはいえ、ファイル島と比べてサーバ大陸は何百倍もの広さを誇るのだ。
そこが真っ黒になるまで張り巡らされたダークケーブルである。ナノモンは言った。
細心の注意を払え、そして全力でいけ、ただし賭けるな。
ナノモンがみた暗黒物質は、ほんのひとにぎりの塊である。
そうでなければ、明らかに質量保存の法則にあわないし、量がおかしい。
ダークケーブル作成をさせられていた記憶が鮮明なナノモンによれば、
どこから持ってきたのか分からないし、どうして機械音痴のエテモンが、
ダークケーブルなんていう発想を思いついたのか、さっぱりなのである。
何かか背後にいる。確実にそそのかした奴がいるのは明らかなのだが、
最後まで狂ってしまったエテモンから聞き出すことはかなわなかったとナノモンは悔しそうに言葉を結んだ。
それが利用している奴である。
正体不明の敵の存在が不気味に見えかけ隠れする中、太一とアグモンは紋章とデジヴァイスをしっかりと握りしめた。
そろそろ、出てくる。じいちゃん、力を貸してくれ、と太一は心の中で祈りながらゴーグルに手を当てた。
ナノモンは言ったのだ。
エテモンを撃破したらすぐに離れろ。暗黒の力は恐らくあるべき場所を失って暴発する。まきこまれたらひとたまりもないと。
時空のはざまにでも巻き込まれたら、どうなるのかなんて誰にもわからないからと。
それでもやるか、と優しい修理屋は覚悟を問うた。
もちろん、八神太一は即答するのだ。オレがやる、と。アグモンも頷くのだ。
僕しかできないなら、がんばるよって。





そして、作戦は決行されたのだ。





ナノモンがホストコンピュータではなくなったことで、
だでさえ優秀だった解析能力も、鮮明な画像提供もがくんと落ちているエテモン号である。
しかも、笑天門号が持っているコンピュータはすべてガジモン達に任せきりのエテモンは、ガジモン達の言葉を信じるしかないため、
ナノモンがいじったみたいです、っていう怒られたくない一心での嘘を信じてしまう。
機械音痴には誤魔化し作業なんてわからない。
自己顕示欲全開のエテモンが、のうのうと、いつまでたっても終わらない、
ガジモン達の必死の仕事を待っていられるかと言えば、断じて否だ。
全力でぶつかってこない、なにをたくらんでいるのかわからない、ただただ選ばれし子供達が目の前でちょこまかと動き回っている。
しかも、敵を倒す訳でもなく、時間稼ぎのごとく、どんどん手下が撃破されて減っていく。
ご丁寧に一体一体丁寧に。いらいらが蓄積されていく。弱い奴らばかりである。
紋章による進化すらできない臆病で弱虫で卑怯者の選ばれし子供達である。
成熟期にすら進化を戸惑っていたような子供だ。完全体になれなければ一切脅威ではないのだ。
なのになんでこいつらは、と短気なエテモンは、言ったのだ。
ラヴ・セレナーデという進化を封殺するという常とう手段をみせているのに、いつまでたっても学習しない子供である。
エテモンはナノモンの裏切りで絶句していた選ばれし子供達が鮮明に脳裏に焼き付いているため、なめきっているのだ。


「もういいわ、もし見つかったら、すぐに連絡して」

「え?え、エテモン様、どこにいくんですか?」

「目の前の邪魔者を始末してくるわ」


トレーラーから現われたエテモンは、かん、かん、かん、という乾いた音を立てて丸い銀色の道を歩く。
そして、片手に握っていた黄金色のマイクとギター片手に、きいいいん、という大音量で響く音と共に、叫んだのである。


「学習能力無いわねえ、選ばれし子供達もたーいしたことないんじゃないのよ。ふん、今度こそ思い知らせてやるわ!」


いまだ!と太一は布を振り上げる。ばさり、と黄土色の布が空中を舞った。
アグモンは、いくよ、太一!と叫んだのである。











なあ、坊主。お前は8つの神様と巫女様に守られてる八神家の長男坊として生まれてきたんだ。
いいか?男の子ってのは強くなくっちゃあ、いけないんだ。
俺がお前くらいんときには、みんなでちゃんばらごっことかして、原っぱを駆け巡ったもんさ。
妹が生まれて、もう5年もたつってのに、いつまでも「ぼく」なんて弱弱しい言葉つかうもんじゃねえぞ。
だから、今日から俺みたいに、「おれ」っていうようにしな。
なに、お前の親父さんもお袋さんも怒りはしねえさ、なんかあったらすぐにいえよ?
俺がちょいといえば許してくれるさ。いいな?


「オレは逃げない!絶対に!」


いいこだ。さすがは俺の初孫だな。
今日から坊主、お前は「ぼく」じゃなく、「おれ」の八神太一になるんだ。わかったな?


「最後まで絶対に諦めないんだ!」


誕生日おめでとう、太一


「太一の勇気が……僕の身体に……みなぎってくる!」


アグモンはグレイモンに進化する。


ばあか、今日は「おれ」の太一の誕生日じゃあねえか。
ま、冗談はおいといて、あのやろう、俺に隠れて勉強机もランドセルも2段ベッドも全部揃えやがって。
こっちがどんだけ入学祝なに送るか楽しみにしてたか、気付きもしねえ。親不孝もんだぜ、お前のおふくろは。
まあ、甘やかして育てちまった俺の責任でもあっからしゃーねえが、おかげで何欲しいんだかわかんなくなっちまった。
なんにもやれるもんがねえからな、仕方ねえから、これやろう。お前がずーっと欲しがってたやつだ。
くれてやる。大事にしろよ、俺の命よりも大事な相棒だ


「グレイモン、お前の勇気を見せてくれ!」


はっはっは、こんなぼろくせえゴーグル欲しがるのなんざお前だけだぞ。ま、いいけどな。
その代わり約束だぞ、太一。世界で一番強い男になれ。
守りたいものがあった時、てめえの力が弱くっちゃ結局なんにもできねえんだからな。
なんにも守れねえんだからな。経験者がいうんだ、まちがいねえ。男と男の約束だ、わすれんじゃねーぞ


「任せて、太一!」


まあ、今日はあれだ、お前の「太一」って名前はな、俺が世界で一番信頼していた親友の名前だって話はしただろう?
このゴーグルはな、俺が尊敬していた、世界で一番仲間想いで勇敢な男の忘れ形見なんだ。
このゴーグルをお前が受け継ぐっていうことはよ、
仲間を想う勇気をお前はもたなくっちゃいけねえんだ。わかったな?
実はな、今日がな、そいつの誕生日なんだよ。だからな、言わせてくれ。
お誕生日、おめでとう、太一郎


「おう!」










「よう、ダチ公、久しぶりだなあ。今日は残念な知らせしかねえが、きてやったぜ。
まあ、アンタもゆっくりのめや。ったく、どんどんてめえに似てきやがるのがむかつくから、
「ぼく」なんて甘ったれたこといわねえで、「おれ」にしろって無理やりつっきるついでに渡しちまったよ、
あんたの忘れ形見。結局、俺だけになっちまった。みんな俺をおいてっちまうんだ。
ったく、簡便しろや、まだ俺はそっちにいけねえっつーのによ」


男は憮然とした様子でため息である。


「言われなくてもわかってんだろうけどな、残念な知らせっつーのは毎度のことだが、まーた見つけられなかった。
孫の代になっても現れねえってどーいうことだ、いかれてやがんのか、あんのポンコツ爺。
孫の代で現れるっつーから、お台場小学校の入学式に参加するついでに名簿見てみたが、いやがらねえ。
他の小学校の1年生全員手当たり次第にネットで探してみたが、いやがらねえ。
もしかしたら、お台場区にはいやがらねえのか?あんの爺、ふざけんじゃねえぞ、
こっちはどんだけ楽しみにしてやがったとおもってる!どんだけずれてやがんだ、時間軸。
あんのやろうめ、せめて生まれてくる年代くらい名乗りやがれつーんだ。
おかげでこっちは何十年探し続けてると思ってんだ、老い先みじけえってのに考えやがれ、あの大馬鹿。
もうどんな奴だったかなんておぼろげだっつーのに、みんなみんな、あの世で会ったら話聞かせろって死んでいきやがる。
待ってっから頑張れってぬかしやがる。いつもいつも俺が年下だからって無理難題押し付けてどっかいっちまうんだ。
てめえみてえなやつばっかだよ、ったく。今に見てろよ、ぜってー見つけてやるからな」


何度目かわからない決意表明の後、男は去っていくのだ。
神の風になりたいと思っていた少年は、
年上の戦友が南の孤島で戦死したと知らされたその日に、ラジオで聞いた終戦の放送を一生忘れない。
孫に自分のことのように言って聞かせたすべては、
この墓碑銘に刻まれた家族無き孤児の戦友の成し遂げたことなのだが、
家族を作れ、幸せになれ、そして生きろ、自分の成し遂げたことはすべてお前に託すから、
後は任せたってゴーグルと共に託された思いは、完遂したのだ。
家族のだれも知らない事実である。きっと墓まで持っていくだろう。
とりあえずは、パソコンの向こう側にいるであろう何十年たっても年を取らないパートナーとどこかの誰かさんの下っ端に愚痴を吐くだけである。
戦友を奪った忌まわしき飛行機のネット通信と共に誕生した原始の時代、この男は最年少で選ばれたのである。
せっかくかわいい一人娘が揃えた孫の入学祝いのすべてをぶっ壊した挙句、引っ越しまでさせて、
記憶を消して、っていう何にも変わらないお役所仕事をしやがる大馬鹿に盛大に拳をふるうだけである。





預言の書によれば、はるか昔、太一たちよりも前に、選ばれた子供たちがいた。
彼らははるか未来から侵攻してくる千年魔物から古代のデジタルワールドを守るためにたたかったが、
同じ時間軸にいない真の敵を倒すために必要な時間跳躍の壁を打ち破ることができず、
送り込まれてくる暗黒の勢力を炎の壁の向こうに封じることしかできなかった。
この男も含めた子供たちのパートナーだったデジモンたちは、
その存在を封じるために自ら楔となる4つの聖獣として今なお生きている。
なぜ彼らがはるか未来からの侵略者に対抗する手段を持ちえたのか、
それはパートナーとなるデジモンがいない5人目の仲間がいたからだと言われている。
しかし、予言の書を作成するセキュリティシステムが完成するはるか前の出来事である。
散文的な記述しか残されていない以上、今の時代の者たちがその真偽をしることは難しい。



「勇気こそが大空を飛ぶ翼になる」

「太一?」

「大切な仲間を守るために、勇気を出さないといけないことがあるってさ。
 このゴーグルをくれた爺ちゃんが教えてくれたことなんだ。
 きっと、それが今なんだ。行こうぜ」

「うん!」



勇気を翼にして飛んだ英雄の名前を継ぐ少年の勇気は、しっかりと、心の紋章である勇気と共鳴し、
太陽の紋章は光を放つ。そして、デジヴァイスは、今まで誰も見たことがない色を放って、
パートナーデジモンであるアグモンを包み込んだのである。真っ青に染まったデジヴァイスは振動する。
友情の紋章と同じ青色を放った光は、勇気の紋章と同じオレンジ色に変化する。
一筋の光がまっすぐに立ち上ったとき、その光は紋章を貫いた。太陽の紋章はタグから乖離し、空へと舞い上がる。
そして光の濁流がグレイモンを包み込んだ時、超進化は起こったのである。




グレイモンの左手に鉄鋼を帯びた勇ましい鎧が現われる。
頭上の兜が銀色に輝きを遂げる。そして勇ましい翼が広げられたのである。
メタルグレイモンは雄叫びをあげて、エテモン目掛けて、一撃必殺をお見舞いするのである。
胸のハッチから「ギガデストロイヤー」を超える破壊力を持つミサイルを発射するテラデストロイヤーが、炸裂する。
完全なる不意打ちをつかれたエテモンは、なすすべなく、200年もの沈黙を破り、
再臨した太一の勇気の原点の前に崩れ去ったのである。


「よっしゃああああ!」


太一の声に合わせて、メタルグレイモンは咆哮した。
太一とメタルグレイモンの声がサーバ大陸に響き渡る。
作戦が成功した!と直感した彼らは、一目散に太一達の所へ向かうのだ。
しかし、彼らは八神太一とメタルグレイモンの姿を見ることも、変化したデジヴァイスの色も確認することはできなかった。
忽然と太一とメタルグレイモンは姿を消してしまったのである。
そして、デジタルワールドの時間にして約2カ月の間、
八神太一とメタルグレイモンはデジタルワールドから現実世界へ、一時的に帰還することになる。



[26350] 第四話 悪食聖獣のたわごと
Name: 若州◆e61dab95 ID:d1617aa7
Date: 2013/08/03 00:27
笑天門号の主がいなくなったことで、ガジモンたちは見切っていなくなったり、
選ばれし子供達から逃げ出したり、どうしようか迷って結局トレーラーの中に残っていたり、
明確に意思を固めて残ることを決めたりと反応は様々である。
ナノモンと3匹のガジモンたちは、まだトレーラーの中にいたガジモンたちに事情を説明したようだが、
すでにいなくなったガジモンたちを追いかけて事情を説明する気はないらしい。去る者追わずというやつである。
強制する気はないらしい。エテモンはそれだけのことをしたのだ、仕方ない。
悲しいけれども。待ち続けるということはそれだけ大変ということだ。
でも。
ただでさえエテモンを唆して暗黒の力を使わせ、ダークケーブルを作らせるような正体不明の存在が垣間見えているのだ、
用心に越したことはないので、いなくなったデジモン達には、この事実だけは広めるためにこれから頑張るとのこと。
このピラミッド迷宮の最深部を拠点として。きっと大丈夫、紋章の加護がある。



八神太一とグレイモンの進化形が行方不明になった。
ピラミッド迷宮の最深部でタケル、ミミと一緒になって待っていた大輔とチコモンは、
狼狽しきった彼らから事情を聴いて愕然とするのだ。
初めは皆、ナノモンが懸念していた暗黒の力がエテモンを飲み込んで消滅させてしまうという本来行うべき作用を喪失したことで、
結集した暗黒の力は暴発したのではないか、と考えてナノモンに見解をあえいだのだ。
高エネルギー反応はあったから、ナノモンはまさかと思っていたようだが、
あまりにもピンポイントである。まるで攫ったかのごとく。
大爆発を起こしたのなら、誰か気付くはずである。音も揺れもないのはあり得ない。
セトモンのように大騒ぎになるはずだ。なんの跡形もなく太一とグレイモンがいなくなるということは、
さらに大変なことが起こったと示唆していた。時空がゆがんだのだ。
空間と空間という本来つながっているべき世界が裂けたのだ。
そして太一とグレイモンの進化形はエテモンを撃破するという感動と初めて成功した完全体への超進化に浸りきっていた為、
その場からすぐに逃げるようにというナノモンの忠告を聞いていたにも関わらず、遅れてしまい、落ちたのだろう。
太一らしい、と彼らは撃沈するのだ。心配して損した。
八神という名を持つあの選ばれし子供は強運でもって勝利を呼び込んだわけだから、心配することはない、
おそらくこの広大なデジタルワールドのどこかにいるだろう、ファイル島か、サーバ大陸か、それともそれ以外の島か、
もしかしたらダークエリアか、のどこかにいるだろう、とナノモンは述べたのである。
ようするに選ばれし子供達、デジタルワールドで迷子探しを決行しなければならなくなったのだ。
みんな溜息である。あの野郎、いつかボコす。
それはもちろん、その時空の裂け目があくまでもデジタルワールドという一つの世界において起こったから、という大前提にのっとっている。
選ばれし子供達もパートナーデジモン達も、ナノモン達ですら、思いつく訳がない。
まさかいくらなんでも、デジタルワールドと現実世界という表裏一体の世界の境界を捻じ曲げてしまうほどの力を、
暗黒の力が秘めているなんて考えもしないので、仕方ないといえた。
これこそが、暗黒の力の正体を提示する手掛かりになるなんて、まだ誰も、知りもしないのだ。
そして、選ばれし子供たちはパートナーを連れて、何人かにまとまって別れることになる。
ナノモン達のこのピラミッド迷宮を目印に、また、会おうって約束して。
まずはサーバ大陸から手始めにおっちょこちょいな大馬鹿を探すことにしよう、
まとまって行動していてはいくらなんでも効率が悪すぎるし、
時間も惜しい、平和になったサーバ大陸だからもう敵を心配することはないわけだし、
大丈夫だろうという共通の見解のもとで。
ただ、担当エリアの捜索が済み次第、すぐに終わったグループといつまでも帰って来ないグループに分かれた。



そのあたりから、何かがこじれ始めるのである。いつまでたっても帰って来ない仲間達。
心配になって捜しに行こうという意見と待っているべきという意見が対立していく。
やがて個人的な感情も絡んだ火種が禍根を残して行く。
いつまでたっても見つからない太一とグレイモンの進化系。やがて彼らは。



平和であるはずの日々が、かえって空と大輔以外に打ち込まれていた疑心暗鬼の芽を開花させることになるなんて誰が思うのだろうか。
しかも肝心の空と大輔は、彼らが離散寸前までヤバかったのを知らないのだ。
あった時にはもう既に彼ら、一致団結してたから大丈夫だろうって安心して。
2か月にも及ぶ途方もない平和になったサーバ大陸の期間は、
いままで必死で送ってきた漂流生活の緊迫感と危機感によって支えられていた、
選ばれし子供たちに一致団結の必要性を喪失させ、今まで考えないようにしていた、
考えられなかったことをいろいろ考えさせてしまうのである。
暇、退屈、というものは、恐ろしいほどにこの選ばれし子供たちにとって最大の敵だったのである。
なぜ、がたくさん生まれてくる。
今まで心の奥底に秘めていた本性が野ざらしになる。疑心暗鬼の芽は成長する。
やがて空と大輔を除いて、彼らは思ってしまうのだ。
なんでサマーキャンプに来ただけなのに、漂流生活に巻き込まれなくっちゃいけないんだ、
おかしいだろう、なんで自分たちはここにいるんだ、という当然すぎる疑問を。
暗黒の力は不気味な正体不明の存在だけども、次なる敵はでてこないじゃないか、
ばらばらになってしまった選ばれし子供達をつぶす格好のチャンスなのにと。
そして、彼らは思うのだ。もしかして、もう次なる敵とかいないんじゃないか?
デジタルワールド平和になったんじゃないか?
太一自分たちを置いてきぼりにして現実世界に帰っちゃったんじゃないか、
だからデジタルワールドに帰ってこないんじゃないか、
これだけ探しても探してもいないんだから。敵なんて全然見当たらないんだし、と。
じゃあ、なんで自分たちは太一みたいに帰れないんだ?って禁断の扉が開いてしまうのだ。
あまりにも子供たちが考えている以上にサーバ大陸は広大すぎたのである。
こうして彼らはバラバラになってしまったのだ。
これこそが心の紋章の力そのものを破壊しようという次なる敵の狡猾なる手段だともしらないで。










バードラモンの足につかまりながら、
空と大輔は広大なサーバ大陸の上空から行方不明になってしまったサッカー部のキャプテンを探していた。
チコモンは落っことされないようにって、懸命に大好きな大好きなパートナーの右手に抱えられながら、悠々自適な空の旅である。
はっやーい、という無邪気な声にバードラモンは得意げである。
大輔はずーっと風圧がものすごいのでゴーグルをつけている。
目を守るためにつけている。首元のPHSやデジヴァイス、タグが揺れていた。
チコモンほど元気そうじゃない。ゴーグルをつけているのは、浮かんでいる涙を隠すためである。
優しい男の子はエテモンとデビモンの死を悲しみながら、
トラウマを植え付けたデビモンの矛盾と折り合いがつけられず、苦しんでいる。
首元の痣を隠す赤いスカーフはまだまだ取れない。


また高度が上昇した。


ヘルメットみたいなかっこいい青い帽子のひもをなびかせながら、バードラモン、もっとゆっくり飛んで、と
どこか焦燥感と不安に駆られてイライラしている空の指摘にショックを受けている。
わかった、と残念そうな声を出して、しぶしぶ森を目視できる高度まで降りるのだ。
なにせピヨモンの時はパタモンと同じくらい空を飛ぶのがへたくそで、
移動するには空を飛ぶより歩いて移動する方が早いので、ついついそちらの方ばかり使ってしまう。
だから空を飛びたいと願う野生のピヨモンのほどんどが走ることなら天下一だが
永遠に空は飛べないコカトリモンになってしまうという悲しき定めである。
バードラモンになれるピヨモンはほんの一握りだ。
だからそれだけは知っているピヨモンはバードラモンに進化すると異様にテンションが上がる。
ビックリするほど強気で男前になる。
でも根っこの部分ではあまえんぼさんなところは何にも変わらないので、
大好きなパートナーである空に嫌われることはしたくないのでいうことを聞くのだ。


「大輔君、大丈夫?無理しないでね、何かあったら言ってね」

「え?あ、はい、ありがとございます」


こくり、とうなずいた大輔はぬあああとなるのだ。公開処刑だ。はずかしすぎる。
なにこれ、なにこれ、やだかえりたい、ともごもごするのだ。挙動不審の極致である。
はたから見れば、あわあわして空回りして自滅しているいつもの大輔君なので、
空は笑ってサッカー部のツートップになれる。いじくりたおせる。これでいい。
空お姉ちゃんといってもいいって言われたので、大輔は限りなく空に対しては正直である。
理想的なお姉ちゃんに加えてお母さんまでやってくれるのだ。
現実世界でさえもともとべったりだったのだが、この漂流生活を経ての今である。
しかも一番信頼している太一先輩がいなくなり、たった2人で探している現状では、
もうかなり精神的には寄りかかっている。もう空に何を言われても従順になるくらい、逆らえない。
それが「おかしい」と気付いているから、大輔はなんかよくわかんないけど恥ずかしくなって照れるのだ。
遠慮するのだ。これが大輔の距離の取り方だ。


だって男の子と女の子はなんかちがう生き物なのだ。厳密にいうと、男の子と女性は違うのだ。
なんていうか、なんというか、その、まるいのである。やわらかいのである。ふわふわしているのである。
だからジュンお姉ちゃんはずっと大輔だけのお姉ちゃんであるはずなのに、どんどん別の生き物に代わっていくのである。
大輔の知らない女の子から女性になっていく。
ジュンお姉ちゃんにおいてきぼりにされているような、そんな悲しみを抱きながら、
今までみたいに頭を撫でてもらったり、手をつないでもらったり、一緒にお風呂に入ったりっていう日常が、
どんどん恥ずかしいで埋め尽くされていくのだ。おかしいで埋まってしまいそうになって、足掻くのだ。
あわわわわ、となるのだ。
だれだおまえ、なにものだ、こいつ、ちがう、ちがうぞ、おれの知ってるジュンお姉ちゃんじゃないぞ、
おかしい、おかしい、かえして、かえして、おれのジュンおねえちゃんかえしてよ。
悲しいくらいに早すぎる思春期である。
だからお母さんはお母さんだけどジュンお姉ちゃんと一緒で別の生き物なんだと気付いてしまった男の子は、
恥ずかしくなって一緒に入れなくなってしまうのである。
ジュンお姉ちゃんは今でもお母さんと一緒にお風呂入っているのに、恥ずかしい、からお風呂に一緒に入れない。
そして、彼はひとりぼっちになった。ジュンお姉ちゃんとの不仲が加速した。
そして、あの雨の日のトラウマである。いろんな要因が複雑に絡み合い、到達したのである。
恥ずかしいがおかしいの距離を取る方法に置き換わったのはいつだったのか、もうこの子は覚えてすらいない。
でもまあ、もごもごしながら、顔を真っ赤にするのは恥ずかしがりやな天邪鬼が意外と初心なマセガキであることを示している。
スレているんだかいないんだかよくわからないが、耐性がついているだけでただのガキである。変わらない。
ねっこを部分を見せている証なのでほほえましいことには変わりない。いい徴候である。
ただそのせいで同級生の女の子たちは、女の子と女性はかわっていく生き物だから別の生き物だけど、まだ男の子と女の子は近いから、
かつてのジュンお姉ちゃんと大輔みたいだから、強気になるのだ。素になるのだ。
だからハードルが上がるのだ。
よっぽどのことがないとこの子はそういう方面で女の子を意識しない。
それが安全パイとしての相談役の白羽の矢が経つ悪循環である。
ミミが言った「中学生のお姉さんがいるなら、クラスメイト達を子供っぽいと思っちゃうのは仕方ないね」といった意味はここにある。
訳の分からないものにいっしょくたにしてほうりこんで、ふたをしてしまうのだ。
理解しようとすらしない。わかろうともしない。
こういうもんだって定義の中に当てはめて、それ以外は全部訳の分からないものに放り込んでしまい、距離を取る。
傲慢でわがままな自意識過剰の大ばか者は、こうやってジュンお姉ちゃんとの問題を先延ばしにすることで心の平安を図ってきたのだ。
すすんでひとりぼっちになったのだ。
みんなに信頼される相談役でありながら、実のところ適当に
いい加減にはいはいわかりましたよって心の中で毒づきながら機械的に行動してきた意味では、
タケルとなんらかわらないのだ。こいつ。
意識して鈍感になって意図的にやってるだけたち悪いが、ただでさえ家でひとりぼっちなのに、
サッカー部やクラスメイト達の中でも一人ぼっちになったら、それこそまだ8歳の男の子は死んでしまう。
嫌われたくない一心の自己防衛は彼を孤立させた。
でも、機械的な行動でもそれによって救われている存在があるのだということを理解するのはまだまだ先である。
教えてくれる女の子がこのデジタルワールドにはいないから。



それはともかくとして、大輔はどきどきしながら、空と一緒にバードラモンで飛んでいた。
あーもう、なんでエクスブイモンになれねえんだよ、おまえええってチコモンに八つ当たりである。
トコモン嫌がってたなあって思い出して、水色をつぶしてみる。
よくわかんないけどぎゅーって押しつぶすまで抱っこしてくれるのがうれしいので、
チコモンには全然効果ないのだが。むしろ、だいしけだいしけ甘えてくる。
もう一人の自分である。
大輔がどれだけ愛情に飢えているのか見せつけられてしまい、ブーメランである。
大輔はへこむのである。
それを空に生暖かい目でにっこにこされて、笑われてしまい、ぎゃーってなる。
デジタルワールドから帰ったら、ジュンお姉ちゃんと絶対仲直りするんだって決意を新たにさせる。


「空、デジモンのにおいがする」


ほっとかれっぱなしの火の鳥はちょっといらってしながらいうのだ。空は顔を上げる。大輔とチコモンも反応する。
そうか?って大輔の質問に、いわれてみればそうだ、なんかいるよ、だいしけってチコモンはまじめくさった顔で言うので、
切り替えの早さに驚嘆しながら、大輔は空を顔を見合わせた。バードラモンはみんなの中心になれて得意げだ。
この中でみんなを守れるのはバードラモンだけである。頑張ろうと胸に秘めているなんて誰も知らない。
下は青々とした森が広がっているのだ。今まで足を踏み入れたこともないようなエリアである。
デジモン達もいるだろうが、ダークケーブルの脅威が崩れ去った今、
よほどの敵でない限り執拗に襲い掛かってくることはないだろう。
完全体と成熟期を見誤らなければ大丈夫である。


「バードラモン、降りましょう。まずはここから、太一たちを探さないとね」

「わかった」

「「はーい」」


こうして緩やかに高度を下ろしたバードラモンがピヨモンに退化する。
ありがとなって大輔に言われて、チコモンにも言われて、
ついでに空を飛べるうらやましさも嫉妬されてピヨモンはまあね、アタシに任せてよって小さな同行者たちに笑うのだ。
お姉さんぶりたいのはパートナーデジモンであれパートナーであれ変わらないらしい。
まあ結局ピヨモンも一番うれしいのは、お疲れ様って頭を撫でてくれる空なんだけども。
こうして彼らは深い深い森の中を太一とグレイモンの進化を経験したから、
おそらく幼年期になっちゃっているであろうコロモンを探すことにしたのである。
空と手をつないでるピヨモンをうらやましいなあって思いながら、チコモンを抱っこしたら手がいっぱいで、
べたーってくっついてくるもう一人の自分にくっついてやるのに必死で、大輔は進んでいくのだ。



数時間、経過しただろうか。



デジモン達と遭遇しない幸運をかみしめつつ、もうこの辺にはいないのか、
それともまだ探そうか、と踏ん切りつかずに歩き続けていた大輔達は、
パートナーデジモン達が思わず戦闘態勢に入るほどの強烈な気配を感じたのをみて、
立ち止まるのである。ごくり、と唾をのむ。
空がいなくなったら大輔は終わりである。だからついていくしかない。待っていろっていう選択肢ははなから存在しない。
待っていろを実行した結果がピラミッド迷宮の大崩壊と隠し通路の高圧電流の壁をひしゃげさせたオーバードライブなのだ。
今度こそこの子はパートナーデジモンもろとも死ぬだろう。
だから空はしーって指に手を当てて、こくりとうなずいた後輩と共に、その先に行ったのである。



そこにいたのは、新たなる強敵であろう大ボスからサーバ大陸の選ばれし子供たちの精神を崩壊させ、
紋章の機能を停止させろというすさまじく苛烈な作戦を指示されたデジタルモンスターたちの姿だった。
しかし、空たちはピコデビモンとしゃべっているのが鏡なので大ボスの声は聞こえても正体はわからない。
ただとんでもない目論見を聞いてしまったと硬直である。
大輔は聞いた。みんなの持っている紋章の意味を。
八神太一は勇気の紋章。
石田ヤマトは友情の紋章。
武之内空は愛情の紋章。
泉光子郎は知識の紋章。
太刀川ミミは純真の紋章。
城戸丈は誠実の紋章。
高石タケルは希望の紋章。
本宮大輔は奇跡の紋章。
そして、空とおそろいの女の子みたいなハートマークもどきと、
それを囲っているトゲトゲのガーゴモンを思い出す三角形と太一やタケルに似てるけど
みんなとはなんか違うきんぴかな紋章を見るのだ。
奇跡い?なんだそりゃ、と首をかしげるのである。大輔はむすっとした。
大輔からすれば、奇跡って運任せにもほどがある、すっげーいい加減なイメージしかない。
なんにもしないでただ願い続けている、待っているだけで努力もしようとすらしない、あんまりいいイメージはない。
まさに大輔がだいっきらいな状況だ。平気で嘘をつくやつがいう言葉である。
サッカーの試合で勝った時、逆転劇があった時、みんないうのだ。おめでとう、奇跡が起きたねって。
相談相手になった女の子が男の子と付き合うことになった時、いうのである。奇跡が起きたって喜ぶのだ。
うそつけ、ぜんぶみんなが頑張って頑張って努力したからあるんだよ、
練習してレギュラーになって、コーチのいうこと頑張ったから勝てたんだよ。
お母さんたちの応援があったからできたんだよ。
なんでそんな簡単に済ませられるんだよ、ああそうか、何にも知らないからか。
オレが仲介してあげて、好きな女の子はいるのか、どんな女の子が好きかって聞いて、
その先が見込めそうだったら背中を押すのだ。
興味なさそうだったらそのこのためにばれない様に引き下がって、ごめん、って謝って話すのだ。
そうじゃないと相談された相手が泣いちゃうから、嫌われちゃうから、
オレのせいじゃないのになんでか知らないけどオレのせいにされるから。
それをたった一言で終わらせる魔法の言葉である。
大輔を全否定する言葉である。奇跡。それしかできない状況下。
頑張っても頑張ってもどうしようもなくなった時に、頼るしかないもの。
だから、サッカーのコーチはいうのだ。
するべきことが全部終わったらそれを運に任せるのも強さだって。受け入れるのも強さだって。
んなばかな話あってたまるか。大輔は機嫌が悪くなる。
大輔が今までがんばってきたことは、実はぜーんぶ神様が起こしてくれたことであって、
大輔の力で起こったことじゃないんだよって馬鹿にされている気がしたのだ。
デジタルワールドには神様いるらしいから、なおさら意識してしまう。
でも一方で思うのだ。大輔はへんな力に目覚めつつある。ぜってー、これのせいだって。
大輔とチコモンが死んじゃいかけたのも、そのせいだって。
もちろんその分いいこともいっぱいいいっぱいあったけど、
わるいこともいっぱいいっぱいあったから、大輔の中では過ぎてしまえば熱さ忘れる、
平地になってしまう。
もちろん、紋章金ぴかだし、この声があるから今があるのは分かっているけど、それとこれとは別の話だ。この子はまだ8歳だ。
何にも変わらない。変えたくて頑張っているのに。だから大輔は奇跡を信じないのだ。
奇跡起きたら、今のオレ、こんなことになってない。
これ以上話聞きたくないけど、このデジモンたちの話を聞いて、
知らせなくっちゃいけないなあ、って思っていた大輔は我慢していた。
たぶん、空お姉ちゃんは聞くだろうから。
みんなに知らせるだろうから。空お姉ちゃんがいないと大輔はどこにも行けないのだ。
バードラモンがないとピラミッド迷宮まで帰れない。いろんな意味で、空お姉ちゃんがすべてである。
彼女がいるから大輔は大輔でいられるのだ。このデジタルワールドでは、いつだって。
そしたら、つないでくれる手があった。きょとんとする大輔に、行きましょ、と空が言う。


「え?え?え?あの、まだあのデジモンたちなんかしゃべってるのに、いいんすか?」

「いいの。いつまでもここにいたら、見つかっちゃうでしょ?大輔君」


いいんだ。そっか、そうなのか、空お姉ちゃんが言うなら間違いないね。
そりゃそうだ、ずーっとここにいたらばれてしまう。
緑装束の男が紋章を表示したパネルについて、2つの黒い空白について指摘しているのに
気付かないまま、大輔は空に言われて踵を返すのだ。
緑装束のデジモンはともかく、傍らで羽を瞬かせている妖精みたいなデジモンは、
ちっちゃいけど、ナノモンとかピッコロモンみたいに、ちっちゃいくせに完全たいなやついっぱいいるし、
それで騙されたこともあったから警戒してるんだ、と大輔は思ったのだ。
どこまでも空は聡明である。残念ながら、その聡明さがあだとなってしまった。
妖精みたいだと大輔が思ったデジモンは、成長期だ。緑装束の男は成熟期だ。
どちらもデジタマから誕生し、幼年期を経て、成長を遂げるというデジモンの在り方を、
根本から否定するような誕生をした、極めて異質な存在である。
それ故に彼らは主に忠実である。それだけが存在意義である。当然といえた。
主がよしとしなかったから、あえて大輔たちを見逃した。
愛情の紋章の持ち主の精神がぐらぐら歪んでいることは、すべてお見通しなのである。


そんなことしらないまま、大輔は空たちと共に気付かれないように逃げ出したのである。
ずーっとずーっと走り抜ける。
走るのもつらくなってきた頃、空がピヨモンをデジヴァイスで進化させた。
そうだ、早くこのことをみんなに知らせなくっちゃ、と大輔は思ったのだ。
大変だ。みんな、バラバラになってしまう。そしたら、空がいったのだ。


「バードラモン、逃げて。ずっと逃げて。ずーっと向こう側の遠くまで」

「えええええ?!ちょ、空さん!?」


もしかして追手が!?ってチコモンと一緒に大わらわの大輔に空は悲痛な笑顔を浮かべていったのだ。


「ごめんね、大輔君、ちょっとだけ寄り道してもいい?」

「え?あ、はい」

「紋章の話でちょっと頭が混乱してるの。ちょっと考えさせて」

「え?でも、いつもみたいに、ヤマト先輩達としゃべんなくっていいんすか?」

「この森、すっごく広いでしょ?もしかしたら、太一とコロモン、いるかもしれないから、心配なの。
あのデジモンに見つかっちゃったら大変だから、探さないと」

「あ、そっか、そうっすよね」


空さんすごいなあ、と大輔は思うのだ。チコモンは大輔の腕の中で思うのだ。
なんか、空、泣いてる?
なっちゃんの世界に放り込まれる前のみんながいるのに一人ぼっちになってた大輔とよく似てるなあ、なんて思ったのである。
バードラモンはパートナーである空がすべてなので、いうことに疑問は呈して、
いけないことは指摘するが、この子はまだ戦える甘えんぼさんであって、
空に真っ向から向かっていける子ではないため、空を駆けるだけである。
パートナーを持つデジモンは、基本的に大好きなパートナーを絶対に否定しない。
そのスタンスがなおさら空の心をおざなりにしているとはしらないまま、夜になる。



小川を見つけて休憩する。
そして大輔のリュックの食料を全滅させようとするチコモンをみんなで止めて、
見張りをしてる空とピヨモンに任せて、大輔とチコモンは寝る。
朝になる。一緒にご飯を食べて、身支度して、いざ出発と思ったら空がまた言うのだ。


「大輔君、森の真ん中からじゃなくて、すみっこから探しましょうか。そしたら、太一だって気づくわよね」

「あ、そっか、そうっすよね」


すれ違いになったら大変だもんね、と大輔とチコモンはうなずいた。
ピヨモンはバードラモンになって、5日かけて森の端っこにたどり着く。
ずいぶんと遠くまで来てしまった。
みんな大丈夫かなあって大輔は心配するが、太一たちがこの森にいたら見殺しにすることになる。恐ろしい。
太一とコロモンは、今の大輔とチコモンと一緒なのに。
こうして、空と大輔はパートナーデジモン達と共に探すことにしたのである。
大声で太一たちを呼ぶ。時々休憩しながら、移動する。これだけで2週間が経過した。
太一たちは見つからない。不思議なことにこの森はデジモンが一匹も出てこないのである。
なんかいそうな感じはするのに、と空と大輔は思いながら首をかしげるのだ。
チコモンもピヨモンも首をかしげるのだ。においはするのに見当たらないって。
恥ずかしがり屋さんなのかしらね、大輔君みたいにって空が笑って大輔はむきになって猛抗議するのだ。空は笑う。
チコモンは大輔の味方をして怒る。それをピヨモンも笑う。
むあーっとコンビは怒るのだ。太一たちは見つからない。


そして、とうとう森一帯はくまなく探し終えてしまい、太一たちはいないことが判明するころには、3週間目に突入していた。
ピラミッド迷宮にすぐに帰ってくるよって約束してから、もう3週間である。
そろそろピラミッド迷宮に戻らないとみんなが心配だ。
そろそろバードラモンで空の旅、と大輔とチコモンが目を輝かせる朝ごはんを終えた身支度の後、空が言うのだ。


「ねえねえ、大輔君、リュックの中大丈夫?」

「あ」


そういえば、とあわててリュックの中を探ればもうすっからかんである。
みんなの食料移動係は主にちびっこたちである。
タケルと大輔は半分こして運んでいる。もちろんみんな持てるだけ持っているが、一番運べるのは大輔たちだ。
しかも大輔はタケルより余裕があるからいつも重い。
ひっくりかえしたら出てくるのは、すっかり存在が記憶の彼方に消えていた使い捨てカメラである。あ、忘れてた。
あああああ、しまった、今までの大冒険記録できればよかったのに!


「だいしけ、それなに?」

「え?これか?カメラっつーんだよ、こーやって、ぱしゃって」


じーって小さい視角から覗き込み、なにかななにかな、なんだこれ、と興味津々で覗き込んでくるチコモンに、はいちーず。
フラッシュを浴びせて、かしゃっととった。
きゃうっとビックリ仰天したチコモンは後ろにひっくりかえってべしゃりとこけた。
うるうるってなってわんわん泣き出してしまう。ピーピー泣き出すチコモンである。
嘘なきだろ、ってしれっとした顔でにらんでいるのだが、
いつまでたっても泣き止まないで、だいしけのばかあって泣いている。
あーあ泣かしたーってピヨモンがいう。空は笑う。
え?オレのせい?そういわれると可愛そうになってしっかたねーなあって
大輔はチコモンを抱き上げて、大丈夫かー?って聞くのだ。
そしたら、ついさっきまで泣いてたくせにケロッとした顔で、だいしけだいしけ甘えてくるのだ。
こんのやろーって大輔はいらっとして押しつぶし攻撃をするのだが、きゃっきゃとチコモンは大喜びしてしまう。
脱力した大輔ははああとため息である。こんなやつがもう一人オレってどうなのよ。そしたら空が言うのだ。


「チコモンと大輔君そっくりね」


がびーんとなった大輔は盛大なブーメランである。
チコモンに意地悪すんのやめよう、いちいちこっちにまで特大のダメージ被るとかやばい。
こうして大輔はチコモンに逆らえなくなっていくのである。
特別甘くなっていくのである。それはもうべったべたに甘やかす。かつてジュンお姉ちゃんが大輔にしたように。
なおのことチコモンはわがままになっていく。
でもいけないことはしっかり大輔は言うから嫌われたくないのでチコモンはごめんなさいする。バランスは取れている。
なんかデジャヴだなあって思いながら、大輔は空に言う。
まさか自分がジュンお姉ちゃんにやってること真似っこしてるなんて気付きもしない。


「食べ物いっぱいにしたら行くんすよね」

「ええ、そうね」


ここで出発出来たなら、まだ、よかったのである。


「大輔君、あそこの森の部分まだ見てないんじゃない?」

「え、あそこは、昨日……」

「大輔君、あのデジモンがいないかどうか、確かめに行きましょう?」

「え、でも、危ないんじゃ」

「大輔君、あの丘からならいけるんじゃないかしら?ここよりずっと遠く」

「え、でも、ピラミッド迷宮は……」


大輔君、大輔君、大輔君、で空が埋め尽くされていく。
おかしい、で埋もれていく。ピヨモンもチコモンも流石におかしいと思い始めているのだが、
デジヴァイスをかざさなければバードラモンになれない。どうしたんだろう?空。
大輔はどんどん怖くなっていくのだ。
なんか、八神さんに無理やり俺をあてはめようとしてた太一先輩を連想させる。
気付けば、もう4週間、すでに一カ月が経っていた。
何度目になるかわからない問答である。チコモンとピヨモンは顔を見合わせて、
内緒話である。大丈夫かなあ?なんか、おかしくない?
ここにしようねって決める。果物がいっぱいなっているところを見つけたのだ。
ピヨモンが一生懸命飛んでくちばしで悪戦苦闘している。飛んでいる途中で力は出せない。
チコモンを頭に乗っけた大輔は、ぶんぶんチコモンを振り回し、とりゃっと投げつける。
わーっと空を飛んだ水色は、酸の泡でめんどくさいので枝に集中攻撃して落としやがったので、ばさーと葉っぱが大輔に直撃する。
なあにすんだーっという大声が響いて、チコモンはごめんなさい、嫌いにならないでええって泣くのだ。
はあああ、と大輔はため息である。幸せが逃げていくからやめようねってピヨモンに言われて、はあいとチコモンは言った。
空はぽんぽんと大輔の肩に手を置く。空さんって感涙する大輔のほほにつきささる指先。
空さんのばかああって大輔はむくれて、すねて、走り出してしまう。
チコモンおいてきぼりである。だいしけええってチコモンは泣きだす。
あーあーってピヨモンと空はあわててチコモンも拾って大輔を追いかけた。


「空さんのばーか、いくらいつもどおりでいいったって、あれはねーだろー」


構ってもらってうれしいくせに、大輔は怒るのである。
ジュンお姉ちゃんを思い出してしまい、泣きたくなるくらいうれしくて、泣きたくなるくらいつらくて、
ずっとずっとこのままだったらいいのにって思ってしまう自分を怒るのだ。
わんわん泣き出した大輔に声をかける手がある。大輔の本能が告げている。
このままではだめだ、ヤバい、ヤバすぎるぞ。
どんどん空さんが理想的なお姉ちゃんになってきてる。
このままじゃ空さんがだめになっちゃう。
太一先輩がおかしくなり始めたのだって、オレのせいなんだから。
オレのせいでジュンお姉ちゃんはお姉ちゃんするのが嫌になって、おかしくなりかけたから、離れちゃったんだ。
やめちゃったんだ、大っきらいになっちゃったんだ。
じゃあ、じゃあ、その前に離れなきゃ、離れなきゃ、ジュンお姉ちゃんのまねっこして。
太一先輩みたいに、もう大喧嘩なんてしたくない!捨てないで、捨てないで、一人にしないで、死んじゃう!
そうである。だから大輔にとっては空は理想的なお姉ちゃんなのだ。
弟の正常な思考回路ではかまってくれる存在があるから無邪気になれる。
探し求めている途方もない霹靂は、この子を異常なまでに我慢強い子にしてしまった。
振り返ったら空がいた。


「ごめんね、だいすけくん。さあ、いきましょ」

「あれ?空さん、ピヨモン達は?」

「みんなあっちでまってるわ」

「あれ?オレ、あっちから走ってきたのに?」

「だいすけくんをおいかけてたらはぐれちゃったの。いっしょにさがしましょ」

「・・・・・・・・・・空さん?」

「なあに?だいすけくん」

「なんで、そんなに怖い顔してるんすか?」

「だいすけくんがいなくなっちゃうからよ、しんぱいしたの」

「なんで、そんなに強い力で手握るんすか」

「だいすけくんがいなくなっちゃうからよ、しんぱいしたの」

「なんで、そんな声するんすか」

「だいすけくんがいなくなっちゃうからよ、しんぱいしたの」

「・・・・・・・・・・・・・空さん」

「なあに?だいすけくん」

「なんでそんなにつめたいんすか」

「それはね、だいすけくんをたべるためよ?」

「え?」


すさまじい力で右手をつかまれて動けない。そらさんっておびえる大輔に、空はいびつに笑った。


「ワタクシのテリトリーでぎゃーぎゃー騒いでる不届き者は一体誰なのかしら、
とおもったら、まーたあなたなのですね!いい加減にしてくださいな。
あなたの好きにはさせやしませんよ、つーかどっかいけ、雑魚」


飛んできたのはホーリーリングである。
ホーリーリングって投げるものだっけ?とどうでもいい大脱線をしている大輔がぽかんとしている前で、
空はごすっとぶつけられたホーリーリングで吹っ飛ばされる。
なんという怪力。そして、空は大輔の目の前でデジモンに代わって逃げてしまった。


「あなた」

「は、はあ」

「みたところ、いうまでもなく選ばれし子供のようですね、お気をつけなさいな、ここは悪夢の森、
はぐれてしまえば終わりですわよ。さいわい、あなたの空さんは無事のようですけども」


大輔君大丈夫!?て走ってくる空たちに、こくこくうなずく大輔である。
よかったあって泣いた。抱っこしてもらえた。


「あれはファングモン。おきをつけて。ワタクシのテリトリーを荒らす野蛮中の野蛮ですわ。
卑怯で、下種で、とんでもなく最悪でめんどくさいデジモンですわ。
あーあ、一遍死ねばいいのに。横取りすんなよ、大馬鹿。
いくらおいしそうだからって、ああやってちゃだめですわ、
真正面からお願いするとかしないと。誠意を見せるのは大事ですわよね」

「え?」


た、たすけてくれたのかなあって大輔は不安になった。ホーリーリングつけてるのに。
み、味方じゃないのか?こいつって一歩下がる先には舌なめずりしてるデジモンがいる。
ホーリーリングは前足に収まった。


「あなたたち、赤ずきんちゃんはご存じ?」

「あかずきんってなーに?空」

「え?えっと、たしか、おとぎ話に出てくる赤い頭巾を着た女の子の話よ。
 お母さんの言いつけで森の中にいるおばあちゃんにパンを届けに行く女の子は、
 おばあさんに化けてる狼に食べられちゃうの。
でも、狩人のおじさんがおばあさんと女の子を助けて、狼を追い払ってくれるのよ」

「そのとおり。この世界はネット上に転がってるデータなら、なんでも実体化する世界ですの。
童話の狼のデータから生まれた、友人に化けて襲う魔獣型デジモンもいるんですわ。
発想が豊かなのも困りものですわね、おかげで感知するだけで発狂するようなものまでいる」
  

ずいぶんと物騒すぎる危険用語をぽんぽんと吐き出すホーリーリングの持ち主は、
空たちが大輔と合流するのを待ってから、いうのだ。ちぐはぐな敬語がなんか怖い。


「あらあら、ワタクシとしたことが、申し遅れて申し訳ありません。
ワタクシ、この森をテリトリーにしてるバクモンって申しますの」


にっこりわらったけど、涎が垂れてる時点でドン引きである。
おっとよだれがって拭った時点でもう遅い。


「悪夢の森へようこそ。ここへ迷い込んだデジモン達はたいていファングモンとかおっそろしいデジモンに襲われて、
身も心もずたぼろになって、それはもう飛び切りおいしい悪夢でうなされてくれるんですの。
それを食べて、悪夢の森から出してあげるのがワタクシの役目ですわ。
ワタクシのようなデジモンは、悪夢を食べないと死んでしまいますの、
いい夢はおなかを壊しますので。
もちつもたれるとはいえ、あいつら、時々加減忘れてうなされてるデジモンまで食べようとするので、
時々ああやってお仕置きしてるんですの。よかったですわね、選ばれし子供たち。
そんなみてるだけで涎が出てきそうな悪夢抱えてる子たちは久しぶりですわ」

「・・・・・・・・悪夢?」

「アタシたち、悪夢なんて見てないんだけど、ねえ?大輔君」

「はい」

「んまあ!しっかも無自覚とか最高じゃありませんか!最近デジタルワールドがおかしくなってるせいで、
ワタクシたちもファングモンも腹ペコで死にそうですの!ようこそ、お客様!夢っていうのは頭の中が大掃除するときに、
整理整頓してて、気まぐれでごっちゃごちゃにしてて見るものなのですわ!
自覚がないだけで、あなた達すんごくおいしそうな悪夢みてますわよ!
助けてあげたんだから、くださいな」

「え、えーっと」

「ピヨモン、大丈夫なの?このデジモン」

「ホーリーリングつけてるから大丈夫、たぶん」

「たぶんて」

「だいじょぶだよ、だいしけ。あくむたべてもらえるなら、いいじゃない。そらもぴよもんもおれもけっこうつかれてるし、
ゆめをたべてくれるってことは、おいしいごはんとか、ごはんとか、ごはんとか、べっととかくれるんでしょ?」

「もっちろんですわ!アフターケアからサービスまでよりどりみどり!
あなた達の悪夢ならたぶん数年は何にも食べなくっても生きていけそうですし、ぜひともくださいな。衣食住完備、
なんならご飯も用意してあげますわ。そのきったない洋服とかはもちろん洗濯させてくださいまし、
そんなどろまみれでワタクシの家あげたくないので。あ、でも夢を食べたらでてってくださいな。いつかれたら困るので」

「どれくらい?」

「そうですわねえ、あなた達なら3日くらい?」


みんなに知らせなくちゃいけないことがあるの、と警戒心を露骨にしながら、空は首を振る。
すると、つかつかつかとあるいてきたバクモンが小声で空に言ったのである。


「がんじがらめにならないで。勘違いしないで。逃げられなくなった人間関係なんて単なる牢獄と同じですわ。
離れられないんなら、他者がひっぱりあげてやんなくっちゃだめでしょう?
悪夢からほんのすこしだけ解放、してあげるって言ってるんですの。
あなたはまだ子供でしょう?子供の支えになるのなんて無理しなくってもいいんですの、
あなたはあなた、このこはこのこ、そうでしょう?あなたには抱えている問題があるんじゃなくて?
わるいはなしじゃないでしょう?半分こ、してあげますよ、あなたのお姉さん。
あなたはどうもすぐに条件付きの愛情は異様にかわいそうだと思ってる。義務でやろうとしてる。
このことあなたは他人です。ほんとうのお姉さんじゃないです。無理、しないで。
操縦は愛情じゃ無く、ただの独占ですわ、監禁ですわ、あなた自分で飛べない鳥におなりになるの?
本来の援助の目的と異なった依存関係を必要としていないか、
依存関係が自らの生きる目的となっていないかを、再確認する必要があるんじゃなくて?
あなたは健全であると思っていても、このこは気付いてますわよ。
他者を操作する被共依存者との共依存関係を改善させるのは容易ではありませんわ。
これ以上いくと後戻りできなくなります。あなた、じぶんという丸の中にこの子押し込めるつもり?
あなたとこのこの分離、精神的な自律にができないと、ここから出してはあげられな
くてよ。
とくにこの子は、「自分がおかしいからいけないんだ」という考えにより、自分を自分で追い込んでますわ。
このままではどちらも共倒れになるのは必須。お友達探しに必死なのは分かりますけれども、
それを盾にしてこの子を守ってあげられるのは自分だという状況を先延ばしにし続けるのはいかがなものかと思いますわ」

「………大輔君」

「はい?」

「……行きましょうか」

「え゛」


えええええ、という大輔とチコモンの悲鳴を置き去りに、ずるずるずると空とピヨモンに引っ張られて、バクモンの家に連れて行かれてしまう。
漂流生活から早幾日か数えるのもやめてしまうほどの大冒険である。お洗濯の言葉に空があらがえるわけがなかった。
と空は笑いながら大輔達に説明したのである。


「まったく、ピッコロモンもどんな神経してるんですの。
メンタルケアっていっときながら、悪化の一途をたどってるじゃありませんか。
ほんと一遍死ねばいいのに」




[26350] 第五話 終わってしまった物語
Name: 若州◆e61dab95 ID:d1617aa7
Date: 2013/08/03 00:28
1カ月にもわたる野宿生活は、やはり小学校2年生には少々きつかったようである。
ごはんをたっぷり食べて、歯を磨いて、お風呂に入って、清潔な衣服を借りて、おやすみなさい。
チコモンを抱っこしながら、大輔は眠りについたのである。もちろん空に手を握ってもらいながら。
ふかふかのベッドで眠りながら、大輔とチコモンは豆電球のついている部屋で寝ている。
寝息を立て始めたのを確認して、ゆっくりと空は立ちあがって、バクモンに言われるがまま、
メンタルケアを受けるべく別室のベッドルームに招かれていく。ぱたん、とドアが閉められた。










5人の子供達がいる。
大輔もチコモンも見たことがない顔ぶればかりであり、服装もなんだか時代錯誤な気がしてしまうが、
ここは夢の中なのだろうと思い込んでいるので、てんで気にしていなかった。
傍らにいるのは、これまた見たことがないデジモン達ばかりである。チコモンも首をかしげていた。
ただ、その顔ぶれの中に一人だけ、大輔が知っている人がいたのである。


「遼さん!」


思わず大輔は反応するが、彼はおろか他の4人の子供達は誰一人として反応しないのである。
まるで透明人間のごとく扱われ、ムッとするのだが、いくら近づいても距離が縮まらない。
まるでガラス越しの世界にいるみたいな気がしてしまう。
ああ、あれがもしかして、遼さんの言ってた、俺達を助けるためにって言ってた、遼さん達の仲間達なんかしらん、て
大輔は思うのだ。あれが遼って男の子なのかあ、とチコモンは目にしっかりと焼きつけるのだ。


ただ風が吹いている。


「あーあ、結局、アンタだけになっちまったなあ」

「そうだね、どこにいるんだろう?」

「これだけ探しても見つからないとなると、ほかの大陸では?」

「ま、そのうちでてくんじゃないの?ほっときゃいーじゃないのさ、
アタシらと違って、こいつの相棒完全体なんだし。
んなことよりどうすんのよ、これから」

「まあ、まあ、そういわずに、探そうよ」

「探すっつったってあんたねえ。もうこの島ぜーんぶまわっちゃったじゃないのさ。
手がかりもくそもないわよ、どーしろっつの。つーかさあ、アンタねえ、未来から来たんだから、
こいつの融合相手なんているわけえ?未来から来たくせに何にもわかんないんじゃ話になんないわよ。
完全体連れてるからっていい気になんないでよね」

「そういうなよ、未来からの知識のおかげで僕たちは大分助かっているんだから」

「でも、たしかにこのままではまずいのでは?これから先どうすればいいのかわかりませんよ。決戦の時は近いというのに」

「そんときゃ、俺たちで何とかやっつけちまえばいいんだよ!」

「はいはいちびっこはだまってなさい」

「んだと!?」

「俺のことなら心配しなくてもいいよ。みんなはミレニアモン以外に集中してくれたらいい」

「は、はああ!?おいおい、足手まといなんていってねーぞ!?
お前いなきゃ超究極体どうやって相手していいんだかわかんねえじゃねーか!
こっちは融合体しかいねえんだぞ!?」


きゅうきょくたいってなんだろう?と大輔は首をかしげるが、チコモンもさあ?っていうだけである。


「言い方がわるかったよ。違うんだ、俺しかミレニアモンは倒せない」

「ふーん、ずいぶんとまあ自信たっぷりじゃないの。根拠でもあるわけえ?」

「聞かせてくれるかい?」

「僕も聞きたいですね、あなたのことだからおそらく何か理由があるのでしょう。
いつだってあなたは理由なき嘘はつかない人だ。ぎりぎりまで黙っているのは大いに気に食いませんが」

「心配しなくてもいい。俺のサイバードラモンの融合相手ならもう検討はついてるんだ」

「え?」

「心当たりあるのかい?」

「なーんだ、ならそれならそうと早くいえよなあ。完全体同士の融合だったら、
ぜってー俺らんなかじゃ最強じゃねーか。超究極体だってめじゃねえぜ。もったいぶんなよな」

「ふうん、どんなやつなわけ?さっさと会いにいかないとまずくない?」

「俺のサイバードラモンの融合相手はミレニアモンなんだ」

「………は、はああ?この場に及んでなんつー笑えねえ冗談いうんだよ、お前!」

「どういうことか説明しなさいよ。場合によっちゃ殴るわよ?
なに?あんた何さまよ、ふざけんのもいい加減にしなさい。
あんた、ミレニアモンを倒すために未来からわざわざこの時代に来たって言ってたじゃないの。あれから全部覆す気?」

「僕も賛成できませんね、あなたらしくない」

「パートナーデジモン同士じゃないと融合はできないといったのは君だよ?
どうして宿敵が融合相手なんだい?サイバードラモンがかわいそうじゃないか」

「本当にサイバードラモンはかわいそうな奴だよ、いい奴だよ、泣きたくなるくらい!
パートナーデジモンでもないのに、俺のためにわざわざ時間飛び越えてまでついてきてくれたんだから!」

「え?」

「俺は選ばれし子供だよ。みんなみたいにパートナーデジモンがいるわけでも、
未来のみんなみたいにデジヴァイスがあるわけでもないけどね。
俺の、俺だけのものなんて何一つないんだ。
いつだって俺と一緒に冒険してきたデジモン達は、パートナーのもとに帰っていくんだ。
どれだけ仲良くなっても一番は超えられない。
俺はどんなデジモンとも心を通わせられるからっていうわけのわからない理由で選ばれたんだよ。
その力があるからこそ、どんなデジモンでも成熟期までなら進化させられるからっていう意味不明な理由でね。
このデジヴァイスだって紋章だって借りたままで返してないんだ。俺のじゃないよ。
どんなデジモンとでも仲良くなれるっていう理由だけで、俺は今ここにいるんだ。
俺はミレニアモンに呼ばれたからここにいるんだ」

「まさか、お前」

「ああ、そうだよ。いっただろ?パートナーとパートナーデジモンはいつだって惹かれあうんだ。磁石みたいに。
かけがえのない存在さ。離れてたって、いつだって、そばにいるんだ。
もうひとりの自分だから。だから、俺はこの時代に来たんだ。
あいつに会うために。ミレニアモンと会うためにね。
どこでどう間違えたのかわからないけど、原始のデジタルワールドまで飛んで、
根本から抹殺しようなんて言う無茶苦茶なことを目論んでるあいつと戦うために。俺のパートナーデジモンと戦うために!」

「ほんとなのかい?」

「3回だよ。いや、4,5、パラレルワールドでの戦いも含めたら結構な数になっちゃうから3回でいいや。
俺はあいつと戦ってきたんだ。倒してきたんだ。でもダメなんだ。あいつは死にたくないって理由だけで時間を超える。
世界すら超える。だから絶対に倒せないんだ。俺が因果律の中心にいるからどんどん強くなっていくんだよ。
パートナーとパートナーデジモンのつながりはパートナーデジモンを強くしていくから。
そして何度だって俺を呼ぶんだよ。殺しあおうって。
一人ぼっちはいやだから、俺と会いたいから、俺と一緒にいたいからって、
何度だって俺に戦いを挑んでくるんだ。あいつ、俺をこの時代に飛ばせるとは思ってなかったみたいだ。
俺がここにいるのは奇跡みたいなもんだよ。
だって、俺がここにいるのはミレニアモンが死ぬときは一緒だってもろとも自爆して、
心中したと思ったらここにいたんだ。俺だってミレニアモンともう戦いたくなかった。
大好きだって言ってくれるパートナーデジモンなんだよ、いくらデジタルワールドにとっての脅威でも。
疲れたからもういいやって思っちゃったから逃げられなかったんだ。
最悪だよ、俺。俺には残してきた人たちがいるってことすっかり忘れてた」

「じゃあ、そのサイバードラモンとはいつから?」

「こいつと出会ったときは、まだモノドラモンっていう成長期のデジモンだったよ。この世界にもいるみたいだね。
未来の選ばれし子供達を助けてくれって、初めてデジタルワールドに迷い込んだ時に、たまたま知り合って、
なんにもしらなかった俺のためについてきてくれてからの付き合いだよ。
でもこいつは野生のデジモンなんだ。だからサイバードラモンになるとしゃべらなくなっちゃうんだ。
俺とこいつ、パートナーデジモンじゃないから、ほんとならどっかいっちゃっても文句は言えないんだ。
でも、ついてきてくれたんだ。パートナーになりたいってついてきてくれたんだ。
デジモンの声が聞こえる力がこれだけうれしかったのは初めてだよ」

「じゃあ、まさか」

「うん。俺がこの時代に来たのは、ミレニアモンをデジタルワールドにとっての脅威じゃなくして、パートナーデジモンにして、
元の時代に連れて帰るためなんだ。サイバードラモンは、俺のパートナーになりたいって言ってくれてる。
ミレニアモンを助けたいって言ってくれてる。ずっと一緒にミレニアモンとの戦いについてきてくれたこいつなら、
ミレニアモンもきっと一緒になってくれると思うんだ」

「え?融合体ってこの時代にしかねえのかよ?」

「この時代に来たのは初めてだから俺もよくわかんないけど、少なくても俺のいた時代にはなかったよ。
進化経路はすっごく多いけど、融合なんて進化経路は初めて見たんだ。デジタルワールドもいろいろあるんだね」

「へー、そっか。ならしかたないわねえ、アタシも一肌脱ごうじゃないの。
ってことは、この戦いが終わったらお別れってわけね。残念だわあ」

「まあ、別の時代からきたって聞いた時からお別れはつらくなるだろうとは思ってたけど、そういう理由なら仕方ないな」

「残念です。デジタルワールドでお別れなんて」

「ったく、見せ場とられちまうのかよ、つまんねえ」

「まあ事情が事情だから仕方ないさ。始まりの街で会えるといいね」

「ってことは、うっわーアタシら爺婆になってんじゃないの、最悪」

「けっ、しんきくせえこというんじゃねえよ。
未来からきたんなら、いいんじゃねえか、見つけ出せばいいんだから。
えーっと、なんねんだっけ?お前の生まれ」

「1999年で小学校5年生だよ。選ばれし子供になるのはこの年の大晦日なんだ」


住所は、と告げられる未来予知の言葉がメモされる。
見つけてね、会えるの楽しみにしてるから、と5人目の選ばれし子供は笑ったのである。
なんの因果だろうか。光が丘テロ事件において、すでに優しさの紋章が解析されていた弟分と近くに住んでいた彼は、
お台場ではなく、港区の田町に住居を移すことになる。


「じゃあ、お膳立てに俺たちはミレニアモンが引き連れてる究極体どもを倒すしかねえってことか」

「そういうことになるわね」

「やってやろうじゃないか」

「そうですね」

「ありがとう、みんな」


5人は頷いた。


「だめえ」

「チコモン?」

「やめてええ!」

「おい、どうしたんだよ、チコモン!」

「倒しちゃダメだよおっ!消えちゃうよおっ!」

「え?」

「だいしけぇ、だいしけぇ、ここっ、おれのうまれたせかいだよおっ!おれたちがいっぱいいたころのでじたるわーるどだよっ!」

「え?」

「ゆうごうっていうのはね、おれたちのなかでも、すっごくすっごくなかよしのやつらがね、ひとつになっちゃうっていう、
すっごくすっごくとくべつなしんかなんだよ。だいしけ、とめてええ!あのこたちはわるくないよ、でも!でもおっ!
きえちゃうよ、なんにものこんないよっ!おれたちがいたときには、だーくえりあないんだよう!
みれにあもんとかいうのはいいけどさあ!ほかのでじもんたちはどうなっちゃうの?おいてきぼりなの?
みらいからきたのに、ほんとなら、だーくえりあで、いきかえるのか、とじこめられちゃうのか、きえちゃうのか、
えらべるのに、まだしななくってもすむのに、しんじゃうの?おれたちはいいよ?そういうせかいだったから。
でもきゅうきょくたいのでじもんたちはどうなっちゃうのさあ!なんでおいてっちゃうのさあ!だめだよおお!」

「・・・・・・・・まじかよ、なんだよ、それ、そんなのねえよっ!かわいそすぎるだろおおっ!
ミレニアモンだって遼さんと一緒になりたいけど、デジタルワールドじゃ危ないから一緒になれねえから、
この時代きたのに!一緒になるためにきたのに!ねえよ、なんだよそれ!誰も悪くねえのにっ!誰もわるくねえのにいい!」


ぱりん、と世界が砕け散る。そこにいたのは、大輔とチコモンが大好きな大好きななっちゃんだった。


「なっちゃ……っ!なっちゃああああんっ!」


こらえきれなくなった大輔は少女の姿をしたなっちゃんに抱きつくのである。
わんわん泣きわめく大輔とチコモンを思いっきり抱きしめながら、
なっちゃんも思いっきり腕をまわして抱きしめるのである。


「ありがとう、だいすけ」

「え?」

「だいすけなら、きっと、きっと、そういってくれるとおもってたの。ありがとう、だいすけ。あのこたちのためにないてくれて。
あのこたちがわるいんじゃないんだっていってくれて、ほんとうに、ほんとうに、ありがと」

「なっちゃん……あれ……なに」

「あのこたちはね、ただね、かえりたかっただけなの。しにたくなかっただけなの。きえたくなかっただけなの。
でもね、でもね、みれにあもんもそうだけど、わたしたちのせかいでは、あまりにも、あまりにも、いろんなものがおおきすぎて、
どうしても、どうしても、こういうほうほうでしか、すくえないの。たすけられないの。
わたしたちは、いまのでじたるわーるどをまもることしかできないから。みらいやかこのおきゃくさままでは、
どうしても、いっしょにすめないの。せかいがこわれちゃうの。だから、あなたたちをよんだの。だいすけ」

「なっちゃん……」

「たすけてあげて。あのこたちはね、ただ、しにたくないっていってたこたちがかわいそうで、かわいそうで、しかたないからね、
わたしたちのせかいにある、だーくえりあで、うまれかわろうとしただけなの。
でも、ながい、ながい、あいだ、たびをしてきたから、
どうしてここにいるのかわからなくなっちゃってるの。
うらやましいっておもっちゃうの。どうして、どうしてって。
みんな、みんな、いなくなっちゃえばいいのにっておもっちゃうの。
わたしたちはいまのでじたるわーるどをまもることしかできないから、
あのこたちをおくりかえすことしかできないの。たすけられないの。
いっぱいのおもいをつめこみすぎて、おおきくおきくなっちゃったあのこたちを、
たすけてあげられるのはね、だいすけ、あなたたち、えらばれしこどもたちしか、いないの。
ひとりぼっちをわかってくれる、だいすけ、あなたしか、いないの」


かなしんでくれる、あなたしか、いないの、となっちゃんはそういって抱きしめるのである。
ひとりぼっち、という言葉に泣きじゃくる大輔は、ごめん、なっちゃんって言うのだ。


「なっちゃん、おれさあ、分かんねえよ。だってさあ、でびもんって、みんないなくなっちゃえばいいっていう、
暗黒の力にさあ、騙されたんだろ?なんで?」

「……きいて、だいすけ」

「ん」

「でびもんは、むかし、てんしだったってきいた?」

「ん」

「わたしの、せいなの」

「なっちゃんのせい?」

「あのね、きいて、だいすけ。でじたるわーるどの4ねんと、だいすけのせかいの4ねんはね、ちがうの」

「え?」

「だいすけのせかいのいっぷんはね、このせかいのいちにちなの。わたしはね、だいすけのせかいの1にちしかいきられなかったの」

「え」

「だいすけに「ごめんなさい」っていいたくて、ずーっとずっとだいすけのことまってたの
そのときがくるまで、ずっとずっとわたしはまってたの。あなたのこと。いっぱい、いっぱい、200のねんげつ。
そのあいだ、でびもんはね、わたしのおせわをしてくれたの。でも、わたしがまってるひとのことはね、
わたしのだいじなだいじなおしごとだから。そとからのおきゃくさまにばれちゃったら、だいすけたちが、
あぶなくなっちゃうから、どうしても、いえなかったの。ないしょにしてたの。
でびもん、てんしだったころはね、とってもやさしいてんしだったの。
どうしてないているのか、だれをさがしているのか、まいにち、まいにち、うまれかわりつづけるわたしをね、
たすけてくれたの。ひとりぼっちにしないでくれたの。わたしのかわりにおこってくれたの。
どうして、さがしにいかないのか、どうして、なんにもしないのか、おこってくれたの。
でも、どうしようもないの。そのときがくるまで、ちこもんがあなたのことをまっていたように、
まちつづけるしかないかったの。わたしは、でじたるもんすたーだから。まっているのはなれてるから。
でもね、でびもんは、そうじゃなかったの。てんしのじぶんがきらいになっちゃったの。
だからでびもんになったの。みんないなくなっちゃえばいいってこえをきいてね、わたしをたすけようとしてくれたんだとおもうの。
ずっとずっとくるしみつづけるわたしをみるの、つらいから、せめて、せめて、しんじゃったほうがいいんじゃないかって」

「・・・・・・・・そんな」

「だからね、この、きずあとは、わたしのせいでもあるの。だいすけ。
でびもんはね、そのせいで、えらばれしこどもたちも、てんしのえんじぇもんのことも、
だいっきらいになっちゃったんだとおもうの。
でびもんがほんとうはなにをかんがえていたのかは、もうわからないけど。
わたしは、そう、おもいたいから。だから、あげる。だいすけ。
あなたがわたしをたすけてくれたように、
こんどはね、わたしがあなたをたすけてあげる。めをとじて、だいすけ」

「ん」


目を閉じた大輔に、温かな光がこぼれおちる。


「だいすけ、め、あけて」

「・・・・・・・」

「どう?」


なっちゃんが心配そうに手をかざす。


「・・・・・・・・・・・・あれ?」

「ひとのきずまではいやせないけど、ひとのこころはいやせるの。あたたかなひかり。あなたがくれたひかり。
あるふぉーすっていうの、だいすけ。これが、あなたのちからのなまえ。おもいをかたちにかえるなまえ。
おぼえておいて。これがあのこたちをすくうから。たすけられるから。あなただけにはじめからあったちから」

「ある、ふぉー、す?」

「うん」

「なあ、なっちゃん、200のねんげつってほんと?」

「うん」

「ごめん、なっちゃん。おれ、おれ、もっとはやくきたらよかったんだ。そしたら、そしたらぁ!
デビモンだって、なっちゃんだって、もっともっと早くにさあ!なんで今なんだよおっ!おせえよ、ばかあ!」

「そんなこと、いわないで、だいすけ」

「でもっ……!」

「ちこもんから、きいてるでしょう?だいすけ。でじたるもんすたーはね、ほんとうはね、おなまえないの。
すべてのはじまりのかみさまのでじたるもんすたーしかいないの。「わたし」はね、しんかするたびにきえちゃうの。
しんかするたびに、「わたし」はうまれて、しんかするたびに「わたし」はしんでいくの。
でもだいすけは「わたし」をくれたの。ずっとずっと「わたし」が「わたし」でいられるちからをくれたの。
「わたし」に「おなまえ」までつけてくれたの。「なっちゃん」っておなまえくれたでしょう?
わたしのおねがい、かなえてくれてありがとう」

「え?」

「わたしね、うらやましいなっておもったの。あなたのおうちのぱそこんからでてきたときにね、
ジュンといっしょにおねんねしてるあなたをみて、てをつないでいるあなたをみて、
まっくらになってこわいようってないているあなたをみて、やさしくはなしかけてくれるひとがいて、
おもいっきりだきしめてくれるてがあって、ほほえみかけてくれるえがおがあって、
あなたにだけむけられるあいじょうが、あなただけのあたたかいせかいが、そこにあった
から。
わたしもほしいなっておもったの。だから、「いまのわたしがある」の。
おなまえがいちばん、ほしかったから」

「………でも、なっちゃん、タケルみてえだよ」

「おもいだせなかったの。わたしがおぼえていたのは、ほほえみかけてくれるひと、あたまをなでてくれるひと、
なまえでよんでくれるひと、だっこしてくれるひと、ぼんやりとしたせかいだけ。
このせかいににんげんはいないから、ひっしでね、あつめたの。わたしだけのひと。
だから、ぜんぜん、ちがうけどね、だいすけ、このすがたはね、あなたがせかいでいちばんだいすきなひとなの」

「・・・・・・・ジュン、おねえ、ちゃん?」

「うん。わたしはジュンおねえちゃんにはなれないけれど、でじたるもんすたーだけど、
さみしいなっておもったら、いつでも、よんで?わたしはあなたのそばにいる。こころのなかにいる。
あなたがよんでくれたら、わたしはいつだって、とんでくるから。ジュンおねえちゃんのかわりに、ゆめでまたあいましょう?
そらおねえちゃんといっしょに、がんばるから、もうすこしだけ、がんばって、だいすけ」

「うん」

「できたらわたしがあなたのぱーとなーでじもんになりたか」

「だめええええええ!」

「だから、ごめんなさい」

「ゆっだんもすきもないんだからああああ!なっちゃんなんかきらいだああ!」

「わたしはだいすきだよ?」

「うっるさあああい!だいしけはおれのなの!おれだけのぱーとなーなのおっ!なっちゃんはだめええ!」

「ちこもんがいやになったら、よんでね?」

「むああああ!」

「ありがと、なっちゃん」

「だいすけ、おぼえていて。なにかにまよったときのまほうのことば、おしえてあげる。
あのひのよるはね、わたしとだいすけは、まだであっちゃいけなかったのかもしれないの。
このであいもあってはならなかったのかもしれないの。
わたしたちはであってはならないそんざいだったのかもしれないの。
わたしたちのであいははやすぎるものだったかもしれないし、おそすぎるものだったのかもしれないの。
でも、ね、だいすけ、いまこうしてわたしたちはであったの。それってとってもすてきなことなの。
だって、だからこそ、わたしたちは、いまここにいるの」



[26350] 第六話 薄氷に立つ
Name: 若州◆e61dab95 ID:5ce8ba95
Date: 2013/08/03 00:29
「わたしもいくーっ!」

「だーめだって言ってるだろ、ヒカリ!」

「えー」

「えーもくそもねえの!ヒカリは風邪ひいてんだから!倒れたらどうすんだよ!」

「むーっ!大丈夫だもん、だから、わたしもいくーっ!つれてって!」

「だめったら、だーめーだっ!寝てろよっ!今日はお父さんがいてくれるんだから、いいだろ!
こんな日に限って風邪ひく方が悪いんだよ!」

「お兄ちゃんのばあか!」

「へっへーんだ、じゃあな、ヒカリ!ちゃんとお留守番しろよ?小学校2年生なんだから」


お母さん一人占め大作戦が成功した太一は、こらこらって苦笑いしながら頭をなでるお母さんと手をつないで、
あっかんべーしながら、ほほをふくらませているヒカリにざまーみろって顔をするのだ。
お父さんおいてきぼりである。
寂しそうにヒカリいって顔をするお父さんに気付いたヒカリが慌てて励ましているすきを狙って、
大好きなお兄ちゃんは大好きな大好きなお母さんを持って行ってしまった。あーあ。
しぶしぶヒカリは、ばたんとしめられた扉の向こう側に向かって、いってらっしゃーい、って見届けたのである。
パジャマ姿のまま、スリッパをはきかえて、お留守番をするために内側からカギをかける。
お父さんが今日は光の世話するからなって張り切っているが、
サラリーマンのお父さんは料理なんかしたことがないへたくそである。
お兄ちゃんのオムレツの方がずっとおいしいことを知っているヒカリは、
先を見越してお母さんがやった作り置きの今日のお昼ご飯と、
3日分の食料調達のための資金をお父さんにお母さんが預けていることを知っている。
おそらくスーパーのできもの祭りになるだろう。
寝てなさいって言われて、はーいってお兄ちゃんと一緒の部屋である二段ベッドの上の方を独占するのだ。いつもは下ばっかりである。


ぼふん、とベッドによこになり、はーと溜息である。ヒカリは大いにへこんでいた。最悪である。
何でよりによって今日に限って、風邪なんてひいてしまったんだろう!と溜息しか出てこない。
元気印のヒカリちゃんは、いつだってラジオ体操のカードははんこで真っ赤だし、プールのカードだって真っ赤である。
お兄ちゃんのサッカーの試合を必ず見に行って、最前列のお父さんの肩車の上から、がんばれーってホイッスル鳴らして、
お兄ちゃんがこっちに来たら、おめでとーっ!って飛び跳ねるようなやんちゃ坊主なのだ。
病気なんてふっとばせって蹴飛すような子なのだ。
むしろ風邪をひくこと自体がびっくりされてしまうほどの元気少女なのだ。
もともと身体が弱くてふさぎがちだった女の子は、劇的なまでに変化を遂げているのである。いろんなことがあったから。


今日は、お泊りの日なのである。子供会主催のサマーキャンプの日なのである。
カレンダーはバッテンマークを付けて楽しみにしていたのに。
八月一日から八月三日まで、キャンプ場で保護者の人の車やワゴン車で出かけるキャンプ場である。
リュックサックの中には、お友達といっぱいいっぱい遊ぶためのアイテムがいっぱいいっぱい、
セレクションがぎゅうぎゅうづめだったのに。みんな大げさだなあ、とヒカリは思う。
風邪って言っても、ちょっとくしゃみをしたり、喉が渇いたりって言う初期症状なのだ。
熱なんて出てないし、寒気なんてしない。
お薬飲んで寝れば治りますよってかかり付け医のお医者さんから言ってもらえたし、
看護士さんからお大事にねってぬいぐるみと一緒に粉薬をもらってきた時には、大丈夫だろう、と思っていたが甘かった。
ぴんぴんしているのに、全然平気なのに許してくれない。変なのって思うが、まあしかたないかなーって思うのだ。
なにせヒカリちゃんは3年前にあやうく死んじゃうところだったのである。
熱中症だった。風邪がこじれて気管支炎を発症した。
帽子もかぶらずに、風邪をひいたままお兄ちゃんがお友達と遊んでいるのを夢中で目で追いかけていたら、ばたーんってたおれちゃったのだ。
あついなー、のどかわいたなー、おにいちゃんまだかなー、って待っていたのである。
結構面白いのだ、大好きなお兄ちゃんがきらきらしながらサッカーをおいかけているのを見るの、みんなに囲まれているのを見るの、
サッカーボールがいろんなところに飛んでいく光景を見るの、
ぜんぶぜんぶヒカリには絶対にあり得ないとちょっと前まで思っていた世界だから。
そのせいで、ヒカリちゃんは辛いことがあるとずーっと我慢している子なんだってみんな勘違いして、
光が体調不良になるとお父さんも、お母さんも、お兄ちゃんも異様なまでに神経をとがらせるのだ。過保護になるのだ。
おかげでヒカリはお姫様である。
もともと、わがままな女の子は、だーれも強く出れない環境下では内弁慶だ。もう素晴らしいくらいに。
拍車が掛かりっぱなしである。まあ、天然なにぶちんさんは、てんで気付いていないんだけども。










八神ヒカリちゃんの毎日は、まねっこの日々である。
なにせ、光が丘事件の真犯人はヒカリちゃんであり、生まれ育った街を壊滅状態に陥らせたのはヒカリちゃんであり、
お友達のコロモンをおおきなきょうりゅうさんにして、おおきなとりさんのけんかをさせてしまったのもヒカリちゃんであり、
おおきなとりさんにごめんなさい、しなきゃいけないのに、ごめんなさいって謝られたのに、泣いて泣いて泣いて、
お兄ちゃん助けてってなきじゃくるしかできなかった悪い子なのだ。
ヒカリと同じくらいの男の子のお姉ちゃんをいじめて、そのこのお家をぶっこわしたのは、お友達のコロモンなのだ。
悪いことは悪いことだって分かっていながら、止めようと頑張ったのに、何にも出来なかったヒカリちゃんなのだ。
ヒカリちゃんは変な子なのだ。しなくてもいい罪の意識にさいなまれながら、少女の時間は凍り付いたのだ。





それを氷解させたのは、光が丘テロ事件で今まで育ってきた街を引っ越し、新天地で全部やり直しになってしまい、
お友達や先生とも別れ別れになってしまい、一層ふさぎこんで、
人見知りが激しくなり、恥ずかしがり屋に拍車がかかった女の子を変えてくれたのは。
いつもいつもおどおどしているヒカリちゃんを変えてくれたのは、光が丘からお引っ越ししたお台場って言う新しいお家で、
新しい小学校で、どきどきしながらわくわくしながら、おどおどしながら、お母さんと一緒にくぐった教室で出会った。
デコレーションされた教室で、やがみひかりちゃんって向日葵の折り紙が張ってある机で、たまたま隣の席になり、
よろしくねって声をかけられた、みっちゃんだったのである。
みっちゃんは、女の子のリーダー格の筆頭みたいな、お手本みたいな女の子だった。
明るくて、人見知りしないで、みんなに声をかけて、あっという間にお友達になってしまうような、エネルギッシュな女の子だった。
男の子だろが女の子だろうがずばずば言うべきことは言うし、悪いことは悪いことだっていうし、ちゃんと自分のことは自分でする、
すんごい子だったのである。しかも、本人は騒ぐのが大好きで、いろんなことを企画したり、やろうよって頑張るような、
率先して前を引っ張るような子だった。ぐいぐい引っ張っていくような、すさまじい行動をもつ女の子だった。
なにせ自分の誕生パーティを家族で企画して、お友達呼んで、みんなに囲まれてありがとーって誕生日ケーキを吹き消すような子だ、
プレゼントなーに?って遠慮もなく聞くような子だ。お友達がいっぱいで、そのためならなんだってがんばるような、強気で勝ち気で、
まるで男の子みたいな女の子だった。そんな女の子が一番最初にお友達になったのが、ヒカリちゃんなのである。
そりゃあ、ヒカリが目が回るくらい引っ張りまわされるのは当然だろう、人見知りするような女の子なら、
アタシが何とかしてやんなくっちゃねって、どんどんみっちゃんを中心に出来ていくお友達の輪の中に、
みっちゃんにくっついてさえいれば、ヒカリはいつだってお友達のお友達に囲まれていくのだ。
みんな、みっちゃんがお友達なら、きっといい子なんだろうって分かっているから、一人ぼっちになんかしないで仲間に入れてくれる。
あたしがなんとかしなきゃって思っているから、みっちゃんはなおさらがんばる。
お友達のお友達も、八神さんからヒカリちゃんに呼び方変えたいなって時期になる。もっと仲良くなりたいなって時期になる。
それでも、ヒカリちゃんはみっちゃんのまねっこをすることで、
元気でやんちゃなヒカリちゃんをやっていくから、どうしても宙ぶらりんだ。
いっつも笑顔でにこにこしてるのに、元気でやんちゃな普通の女の子なのに、
なんでかよく分かんない子だなあ、ってみんな困惑する。
びっくりするほどヒカリちゃんがすっからかんだって知らないから、みんなタイミングが見つけられないのだ。
天然なにぶちんさんは、全然気付いてなかったけど。これがお友達なんだろうって思ってたから。





お台場小学校の2学期の登校日は8月の26日である。
ヒカリちゃんは忘れもしない。なにせ、ヒカリちゃんが大人気になった日なのだから。
みっちゃんたちにヒカリちゃんって呼んでもらえるようになった、記念すべき日だったのだから。
そのやり方を教えてくれたのが、本宮大輔君だったのである。
夏休みの間に行われたサッカー部の練習で、太一から紹介してもらった記念すべき男の子のお友達第一号である。
その日、ヒカリは太一お兄ちゃんと一緒に紙袋いっぱいに詰め込んだお土産と学校で使う道具をはんぶんこして抱え、
1階でお兄ちゃんと分かれて、それはもう一生懸命教室まで運んだものだから、もうへとへとだった。
なんとか気力を振りしぼって、ロッカーの中にお兄ちゃんのお下がりの道具をきれいに並べて、
ランドセルの中のものを机の下に入れていって、机の横のフックにかける。そして、家族旅行のお土産を広げるのだ。
クラスメイト達はいろんな感じの子たちでいっぱいである。
真っ黒な子、真っ白な子、宿題やって無いからうつさせてって泣いてる子、
あわてて忘れ物をお母さんに届けてもらうために公衆電話に飛んでいく子、
証拠隠滅の裏工作という名の貸してくれ、を交渉してる子。
夏休みの思い出を自慢し合ってる子、久しぶりの友達との親睦に全力投球の子、夏バテでぼーっと死んでる子、大人しく本を読んる子。
ホームルームがなる20分前は楽園である。
あたりを見渡したヒカリは、みっちゃんやお友達がきてないので、なーんだってなる。
まだかなあ、って待ってる時である、がらがらがらって慌ただしく扉が開いたのは。
みんな見る。
そこに立っていたのは、毎度のことながら遅刻寸前の大わらわのまま突っ走ってきて、学校に来るや否や、
ランドセルなんて玄関にほったらかしにして、グラウンドを占領している上級生たちにネコかわいがりされて、へっとへとになって、
階段を上って来たもんだからろくに教室を見る時間なんてないまま、はいってきちゃった大輔君である。
あれ?ってぽかーんとしている大輔君である。なんかちがう?ってぼやーっとしている思考回路は判断を鈍らせた。
時差ぼけならぬ夏ぼけである。この日の名物だ。このクラスだって10人くらい教室間違えて入ってきた子はいるからなおのこと。
ヒカリは声をかけようとした。えーっと、えっと、と出来たばっかりの男の子のお友達に声をかけようとするが、当然分からない。
どうやればいいんだっけ?って必死でみっちゃんを思い出す。たしか男の子には名字でくんだったっけ?でも大輔君だしなあ。
なんか違うなあ。そして、思い出すのは、おーい大輔ってよばれるたびに、きらっきらした顔をする大輔君である。
ふたつたして、わったくらいでいいのかな?
強気で勝ち気で男勝りなみっちゃんと、太一お兄ちゃんがぐっちゃぐちゃになったヒカリは、
知り合ったばっかりの男の子との距離加減なんて全然分からないにぶちんさんなので、そのまま実行してしまった。


「大輔君、おはよう」


みんなぎょっとするのだ。いっつもにこにこしてる元気でやんちゃな女の子が、
名字に君付けのあの八神さんがすっげーきらきらした顔で本宮に挨拶したぞ、おい。
しかも名前呼びとか、すさまじくフレンドリーじゃねえか、なんだこれ。
え?なにこいつら。つきあってんの?
そして、ぼーっとしていた大輔は、だいっきらいな女の子に声をかけられて一気に頭が冷えるのだ。結構大きな声で呼ばれた。
振り返ったらニコニコしてる八神さんがいる。空気が読める男の子の頭はそれはもう無意識のうちにフル回転である。
舌打ちしたい。なんだよこいつ、失礼なやつだなあ、いきなり名前呼びとかねえよ、知り合ったばっかなのにと思いつつ、
そんなこといったら太一さんに筒抜けになる。空さんの耳にだってはいる。
唯一の場所であるサッカー部でひとりぼっちになってしまう。
できるかこんなこと!というわけで、振り返った大輔は、せめてもの抵抗でヒカリちゃんは却下し、あいさつするのだ。
こんな一極集中する視線の中でへたこいたら、みんなに嫌われてしまうという防衛本能は、大輔のあまのじゃくを加速させる。


「あー、おはよう、八神さん」


そして、話題をそらしたいので、話を振る。
それに加えて、大輔の夏ぼけはまだ治っていないので、ヒカリが友達といるのかと思い込んでいるので、
そっちの方が大事である。なーんか、ちがうなあ、って教室間違えたことにまだ気付いてない。


「あれ?なんで八神さんがいんの?ここって、あれ?」


でもヒカリは大輔君が名字にさんとか呼び捨ての子だってサッカー部の試合で来てた女の子との会話を見てるから、
大輔の抵抗なんてスル―である。いらってきた大輔の心なんて気付かない。すれ違いは加速する。


「大輔君、ここ、1のAだよ?」

「え?」

「大輔君、教室、となりでしょ?間違えてるよ?」

「え?うそ、マジかよ?!」


そんな大輔が面白くてヒカリはくすくす笑ってしまう。
みんな、おっちょこちょいで間が抜けた大輔君らしい、とんちんかんな問答にすっかり引きずり込まれて大爆笑する。
まーた遅刻かよ―とか、あいかわらずだなあって、本宮君らしいね、とか、忘れ物大丈夫?とかいう声が飛ぶ。
あー、やべえ、夏休みの友かしてくれーって大輔君が男の子たちのグループの中に飛んでいく。
大輔からすれば一刻も早く忘れたい出会いである。離れたいのである。嫌だから。でもヒカリは気付かない。
そっか、大輔君とお友達をするにはこうすればいいのかって面白いくらい食い違う。
大輔とヒカリの精神年齢の差は致命的である。他の子だったら大輔が名前で呼ぶって約束して、名字で呼んだらあれ?って思うのが筋だが、
ヒカリが出会った大輔君はサッカー部の後輩の大輔君で、クラスのみんなの相談役である大人びている大輔君を知らないからこうなる。
はたからみたら、すっげー仲よしな男の子と女の子だ。当然話題はそっちになっていく。いじりは大輔に集中する。大輔の機嫌は氷河期だ。


「なんだよ、八神さんと仲いいじゃねーか」


なかよし、と言われて嬉しいのでヒカリはにこにこである。
大輔はムキになって否定するのだ。お前ら付き合ってんかって聞かれたから。


「ちっげーよ、八神さんは太一さんの妹なの!俺が尊敬するサッカー部のキャプテンの妹なの!
夏休みん時に、あったの!だっから友達だよ、友達!」


大好きなお兄ちゃんを尊敬しているといわれて、しかも友達だって肯定してもらえてヒカリはもう有頂天である。
だからなおさらにっこにこである。そんな二人を見比べて、クラスのみんなは致命的な勘違いをするのだ。
まずは八神ヒカリちゃんのお兄ちゃんが八神太一であるという驚愕の事実に硬直である。
お台場小学校が誇る名門のサッカー部に、小学校5年生にして就任した新しいキャプテンだって
大輔が自慢しまくってたの知ってるから、そんなお兄ちゃんを持つ妹であるというとんでもない事実である。
あーなるほど。名字一緒だからもしかしてーとは思っていたのだが、これでみんな確信するのだ。
八神さんがなんか自分のことあんまりしゃべろうとしないのは、お兄ちゃんがスンごい人だから、
確実にお友達が出来る前に、仲よしになる前に、八神太一の妹っていうフィルターが掛かってしまうから、
それ目当ての人しか来なくなるのは明らか過ぎるからか。
ラブレターもらってるの大輔が仲介してるのみんなみてるから思うのだ。
そりゃあんまり自分のこと話したがらないよね、嫌だよね、ヒカリちゃんはヒカリちゃんなのにねって。かわいそすぎる。
光が丘から引っ越してきたらしいから、きっとあっちでもいろんなことあったんだろうね、新しいお友達作るのに慎重なんだねって。
やがてそれを聞いていたみっちゃんの友達はヒカリちゃんを勘違いしたまま、
そっかと納得するのだ。ヒカリちゃんはこう言う子なのかって。
八神さんって呼んでるからダメなのか、ヒカリちゃんって呼ばないと、もっと仲良くなれないのかって。
それはみっちゃんにまでひろがり、ヒカリの預かり知らぬところで親密感がうなぎ上りである。
お兄ちゃん大好き少女からすれば、太一お兄ちゃんのことをいっぱい聞かれるのなんて苦でも無いため、ニコニコして答える。
それに気を使うみっちゃん達は、こらーって女の子たちや男の子たちを追っ払うのだ。


そして、いつまでも八神さんって呼んでいるのに、嬉しそうに大輔君ってよんでいるこの男の子との関係を憶測した時に、
彼らは到達するのだ。そういえば、本宮って光が丘から来てるんじゃなかったっけ?引っ越してきたんじゃなかったっけ?
そっか、こいつら幼馴染なんだ。引っ越した先で再会したから、こんなに八神さん嬉しそうなんだって勘違いするのだ。
本宮がこんなにムキになるのは、きっと幼馴染の女の子がいるって知られたくないに違いない、格好のネタだからか!
OK,そんなに面白い手はないな、いじりたおしてあげましょう!なんか面白いし!と勘違いスパイラルは止まらない。
誰かが言うのだ。八神太一が兄ちゃんてほんとって。ヒカリはなんでそんなこと聞かれるのか分からないまま頷くのだ。
幼馴染?そんな訳ないだろう。お互いに家族事情やお互いに抱えている問題全く知らないのに。
大輔の場合は天然八神兄妹により一方的に知っているのだが。
幼馴染って言うのは、赤ん坊の時から幼少期の時から、家族ぐるみのお付き合いがある京と大輔の関係を言うのだ。
ちなみにこの現象、恐ろしいことに、空と太一で同様である。苦労するのは空の方だが。


「うん。太一お兄ちゃんは、私の、お兄ちゃんだよ?」


その日から八神ヒカリちゃんは大人気である。よく分かんないけど、大輔君のおかげでまたお友達がいっぱい増えたって
ヒカリちゃんは大喜びである。そのあおりをもろに食らうのは大輔である。
なんかかってにカップリング扱いされてる。
幼馴染認定されてる。訳分からん。幼馴染は別にいるのに。お姉ちゃんみたいな、妹分みたいな、意味分からん奴が一人。
もう家族みたいなもんである。きっと恋愛関係はありえない。ヒカリに気を使ったみんなの相談を引き受ける羽目になり、
なんにもしらないのに相談されて、困り果てた大輔はヒカリに訊きに行く。そしてそれをみんなに言う。
ヒカリからすれば、大輔君にくっついてるだけで、どんどんお友達が増えていくのだ、こんなに楽なお友達いないだろう。
人間楽できると分かれば、どこまでも自堕落になる。もうべったりである。そしてみんなの付き合ってる認定が加速する。
そんなヒカリから好意を抱かれていると勘違いすれば、報われない片思いの始まりだが、大輔の心象はもう大波乱である。
大混乱である。どんどん負のスパイラルに巻き込まれていくのだ。
たまったもんじゃない。逃げられない人間関係、牢獄の始まりだった。
そんなことしらずに、ベッドでうとうとしていたヒカリは、電話の音がしてはってなって、起きるのだ。
梯子から降りて、目をこすって、子供部屋を開けたらお父さんがいた。なんかすっごく慌ててる。


「ヒカリ、大変だ、お袋が、おばあちゃんが倒れた」

「え?」

「病院に入院したらしいんだ、ああくそ、どうしたらいいんだ」


おばあちゃんがたおれた!おとうさんのおかあさんがたおれた!
おとうさんは今すぐにでもお見舞いに行きたいのに、私が風邪だから行きたいのに、いけない、と気付いたヒカリはいった。


「お父さん、おばあちゃんのとこ、いこ!」

「え?でもなあ」

「おばあちゃん死んじゃったらやだああっ!」

「お、落ち付けってヒカリ。おばあちゃん、大丈夫だから」

「じゃあ、いくっ!わたしもいくーっ!」

「え?いや、その、でもなあ」

「おるすばん、する、だからおとうさん、いってあげて」

「ごめんな、ヒカリ。すぐに帰るから。電話するから。ほんとうにごめんな!」


くしゃくしゃになでられ、気丈にも胸を張ってうんと頷いて、行ってらっしゃいって笑ったヒカリは、
慌ただしく出て行ってしまったお父さんを見届けてうつむくのだ。そして、一人ぼっちになってからわんわん泣きだすのだ。
ヒカリはいつだってお留守番である。ヒカリはひとりぼっちが一番怖いのに。お友達のコロモンが目の前から消えてしまった、
あの日の夜のことを思い出すから、誰よりも誰よりも孤独を恐れているのに、だれも気付いてなんかくれないのだ。
仕方ないよねって諦めているヒカリちゃんがいる。5歳のヒカリちゃんがささやくのだ。
光が丘事件の真犯人はヒカリちゃんなんだもの。みんなみんなヒカリちゃんからいなくなっちゃうのだ。
ちがうちがうって必死でヒカリは首を振るのだ。お兄ちゃんがいるもん!大丈夫だもん!
悲痛な女の子の泣き声がセミのさざめきにとけていった



[26350] 第七話 やつあたり
Name: 若州◆e61dab95 ID:08f05869
Date: 2013/08/03 00:29
「あれ?お兄ちゃん?キャンプ、どうしたの?」


こてん、と首をかしげるヒカリに、太一は崩れ落ちるようにして、
はああああ、と盛大に溜息をついて、ただいま、ひかりいって抱っこするのだ。
ぎゅーって抱っこされて一人ぼっちから解放されて嬉しいのだが、
何だかドキュメンタリー番組でみた一年ぶりの感動の再会みたいなお兄ちゃんに、
ヒカリは疑問符がいっぱい飛んでいく。
ピンポーンって呼び鈴が鳴ったから玄関にいったら、自分のお家なのにどぎまぎしながら、遠慮しながら、
ごくりって唾を飲み込んで、おじゃまします、やがみたいちです、って意味不明なこと言ってるお兄ちゃんがいたのである。
お兄ちゃん?って言いながら、ロックを解除して、サマーキャンプに行ってからたった3時間での突然の帰宅、しかもお母さんなしに
ヒカリがびっくり仰天するのも無理はない。
ふと視界の隅っこに、たいちい?おにいちゃん?このこひかりのいもうと?って懐かしすぎる声が響いてきた気がして、
幻影だって思ってヒカリは必死で首を振るのだ。コロモンがいるわけないだろう、と
5歳のヒカリちゃんのささやきから耳をふさぐのだ。
太一は今、極端なホームシックからようやく解放されて崩れ落ちたのだ。
無理もない話である。八神太一少年は、漂流生活の間、ずーっと最愛のヒカリのことを大輔を見るたびに思い出していて、
ずるずるってお父さんやお母さんのことを思い出してしまって、それはもう、寂しくて寂しくてたまらなかったのである。
ヒカリに重ねてしまう大輔に構っても構っても所詮は他人である。
しかもどんどん大輔は太一から離れていくのだ、たまったもんじゃなかった。
太一だって妹がいるのに一人ぼっちだったのだ。
しかも丈みたいに最高学年だっていう自負も自覚もないし、そこまでしっかりした子じゃない。
どこまでも八神太一は八神光ありきでかがやく男の子だから辛いのも無理はない。
だって、太一は大輔と違って上級生だから弱さなんて見せられない。
ようやく太一のねっこが見せられる相手が現われたのだ、
もう太一はヒカリにべったりである。つかれたのだ、息抜きだって大事だ。
だって、気付いたらお台場の自分の家の近くにある公園、
いつもいつも大輔達と一緒にサッカーして遊んでるあの公園のど真ん中に突っ立っていて、
コロモンと一緒に何の前触れもなく、いきなり現実世界と言う名の太一の世界に帰ってきてしまったのである。
上空を飛行機が飛んで行き、真っ白な雲が入道雲が眩しい夏の空を二分していく。
雑踏やざわめきが遠い。家族ずれや子供達、
夏休みを満喫する子供達、大人たち、たくさんの人間がいっぱいいるど真ん中である。
かえりたい、かえりたい、って願い続けていた現実世界に帰ってきてしまった、
コロモンと一緒に、しかもみんな置いてきぼりにして、自分だけ。
自責の念は半端ないだろう、エテモンを助けるために頑張って完全体に進化して倒してみんなで喜ぶはずだったのに、
コロモンも力尽きて幼年期にまた逆戻りして、にんげんがいっぱいだって怯えた様子で太一の足もとに隠れる始末だ。
夏のざわめきが恐ろしいくらいに太一を包み込む。
怖くて怖くてたまらなくなった太一は、おれのせかいって放心状態でつぶやくのだ。
愕然とした太一の様子に、たいちのせかいい!?って
驚いたコロモンと言うデジタルモンスター、現実世界に置いては完全なる異物が大声を上げた。
ばっかしゃべるなああっててんぱるあまり、大声を上げるのは仕様である。
心の余裕を無くした太一少年は誰よりも弱いのだ。もちろん公園にいるみんなの視線は集中していく。
はってなった太一はもういてもたってもいられなくなって、コロモンを抱きかかえて、
無我夢中でいつも帰る時に使っている人工林を突っ切る近道を通って、
一気に自宅に直通で帰ったのである。あれなに?あれなに?って
腕の中で興味津津のコロモンの声なんて太一の耳には入らない。
全ては真っ白な世界である。不思議な気分だった。
やばいやばいやばい、こいつもオレも今は宇宙人と一緒だ!ここにいちゃいけないんだ!そう思ってしまったのだ。
現実世界は太一の世界なのに、なんだか全然違う世界に迷い込んでしまったような、
そんな違和感が重責としてのしかかってくるのだ。
違う違う違う、オレはこんなの望んでない!オレはみんなと一緒に帰るんだ!
帰るって決めたからリーダーになりたいんだ!
太一の脳裏をよぎるのは、頑張ってください!信じてます、オレ、太一先輩のこと、
アグモンのこと信じてます!待ってます!って、笑って送り出してくれた大輔が強烈に焼き付いているのだ。
みんなの元気づけてくれた顔があるのだ。裏切ってしまったっていう絶望が先走る。
かつてヒカリと同一視していた大輔を!みんなを!
オレにしか出来ないって言ってくれたナノモンを!もう目の前真っ暗である。
自宅前に帰ってきたものの、今度太一に襲いかかるのは、
デジタルワールドでの漂流生活でおいてきぼりにされた年月と言う名の現実である。
八神って書いてあるけど、実は何十年も立っていて、実はお父さんもお母さんも死んじゃって、
ヒカリが結婚して誰かと一緒に住んでるんじゃなかろうか?
赤ちゃんいるんじゃなかろうか?そしたら太一は完全なる異物である。死んじゃったことになってたらどうしよう?
夏みたいだけど、全然分からないのだ。太一は現実世界で一人ぼっちになってしまった。完全に現実の時間が分からないのだ。
こわくてこわくてたまらなくなって逃げてきたのに、ここに居場所がなかったらどうしよう?ってなるのだ。
そして恐る恐るインターホンを鳴らして、お、おじゃましまーすって、やがみたいちです、って言った太一の耳に聞こえてきたのは、
はあい、っていう最愛の光の声である。最愛の光の太一の知っている声である。お台場小学校2年生の声である。
よかった、あんまり時間経ってない、と安心した太一はこの時点で力が抜けてしまう。
パートナーの精神状態はコロモンだって分かっている。だから隠れるのだ。
みんな僕のこと怖がってた、多分僕はここにいちゃいけない、
ヒカリまで怖がってしまったら太一は本当に一人ぼっちになってしまうって思ったので、ドアに隠れたのだ。
人間に怖がられるという当たり前を初めて知ったデジタルモンスターは、大好きなパートナーの大好きな妹に怖がられたら死んでしまう。
パートナーデジモンはパートナーのもうひとりの自分なのである。
でもやっぱりどんな子なのか気になるから、ちょろーってのぞいて、
太一によく似てるけど、大人しそうな、でもなんだか元気そうな女の子がいて、
なんかどっかで見たような子だなあって思いながら、
コロモンはヒカリという初遭遇する人間と目があった気がして、慌てて隠れるのだ。
耳が隠れてないけど、ヒカリを抱っこしてる太一は気付かない。
しばらくそのままじっとしていた太一は、ようやくいつもの太一になって、あれ?って思うのだ。
途方もない安ど感に満たされていたので、驚愕の事実にびっくり仰天する反動も凄まじいものとなる。ヒカリ、今なんて言った?


「きゃ、キャンプう?」


間抜けな顔でなっさけない声を出す天然に、ヒカリはまた疑問符が飛んでいくのだ。なんかお兄ちゃんおかしいぞ?
流石ににぶちんさんも気付く。いくらなんでも。
なのでヒカリはキャンプにもってっちゃった筈のお母さんをどこへやったか聞くのだ。


「ねえ、お兄ちゃん、お母さんは?」

「は、え、え、はあえ?!え、ちょ、ヒカリ、今日何年何月何日ついでに今何時!?」

「え?」

「だっから、今あっ!」

「え、えーっと」


いきなりそんなこと聞かれて答えられる訳もないヒカリは、えーと、っとなってしまうので、まごまごである。
埒が開かなくなってしまった太一は、もういてもたってもいられなくなって、たっだいまーって勝手知ったる我が家とばかりに、
ヒカリのことそっちのけで玄関で靴を脱いで、ばらっばらにほっといて、ルーズソックスを滑らせてリビングに直行するのだ。
日めくりカレンダーがあるから。テレビを付けるのだ、公共放送を聞くのだ。全部一気にやった太一がようやく知るのである。
今は1999年8月1日、12時26分。忘れもしない、カレーを食べ損ねて腹が減りそうで仕方なかったから覚えている。
デジタルワールドに太一達が漂流する羽目になった、全く同じ日、全く同じ時間、いや厳密には26分たっているが、
太一の感覚では26分しかたっていない、となる。なんだこれ、どういうことだこれ、なんなんだよ、はああ?!
もう大パニックである。ひとりぼっちの現実が嫌で嫌でたまらなくなって、太一は電話のあるところまで飛んでいく。
そして、一抹の期待を胸に、みんなが現実世界に帰っているんじゃないかって言う罪の意識から逃れたいあまりに、
コロモンとヒカリを玄関に置きっぱなしに来ているのなんか、とっくの昔に忘却のかなた、片っ端から電話をかけるのだ。
えーっと、えっと、いきなり電話をかけたら変に思われるよな、じゃあじゃあ、そうだ、忘れしたってことにしよう!
そう思って電話番号を押すのだ。電話の応対くらい出来る。だって、太一はお台場小学校5年生のサッカー部キャプテンである。


太一の知っている電話番号はみんな全滅である。みんな、サマーキャンプから帰ってきてないんだって!
そして、太一は思い出して、くっそってなって、慌ててサッカー部の緊急連絡網を引っ張り出しに、
いろんなものが貼ってある冷蔵庫の前に逆戻りである。引っぺがして、捜すのだ。
あった!ってなって、そのまま電話に向かうのだ。
いつもいつも、約束は学校だった。家だってどこにあるのか知らない。
わからない。必要ないから意識したことなんてなかったけど、改めて思うのだ。
オレは大輔のこと何にも知らなかったんだ!って。


「もしもし、本宮ですけど」

「あ、本宮大輔君のおうちですか?」

「はい、そうですが」

「あの、その、オレ、サッカー部のキャプテンやってる八神ですけど、大輔、帰ってますか?」

「………はあ?大輔なら太一さんと空さんにあえるって、
サマーキャンプにお母さんと一緒に飛んできましたけど?あなた、でしょ?「太一さん」。なにいってるの?」

「え、あ、あの忘れもの」

「忘れ物?するわけないじゃない、あたしが準備してあげたんだから。………ねえ、大輔になにかあったの?」

「な、なんでもないです!勘違いです!ごめんなさい」

「………ふうん、なら、いいけどね」

「あ、はは。あの、もしかして、ジュンさん、ですか?」

「………「初めまして」」

「は、はい、どうも、「こんにちは」」

「……………ふうん、そっか」

「え?」

「なんでもないよ。なあに?何か聞きたいこと、あるみたいだけど?
あたし、隠し事されるの嫌いなの、あるならあるではっきり言って?
なんか、気持ち悪いから」


大輔に似て直感に優れているお姉さんだなあって舌を巻きながら、太一は言うのである。
嘘をつくのがへたくそな太一は、ねをあげた。無言の圧力が怖すぎた


「あの、なんで大輔のこと嫌いなんですか?」

「………ふうん、そんなことまで話すほど仲いいんだ」

「え?」

「なんでもないよ。こっちの話。そうねえ、ひとつだけ聞いてもいい?そしたら教えてあげる」

「え?あ、はい」

「ゴーグル、いつからつけてるの?」

「え、ゴーグル?」

「………大輔がゴーグルくれないってうるさいの。だから、どうしてかなって思って」

「あ、そうですか。えっと、これ、オレの爺ちゃんの形見なんです。
だから、えーっと、小1んときからかなあ」

「………………ふうん、そっか。そういうことか、やっぱりね。
そうだろうと思ってた。覚えてないっていいね、うらやましいよ」

「え?」

「じゃあ、教えてあげる。大輔のこと大好きよ。
たったひとりの弟だもん、大好きに決まってるじゃない、当たり前のこと聞かないでよ。
でもね、あたしちっちゃい頃からホイッスル恐怖症なの。
あのきんきんうるさい音聞いちゃうと、気分が悪くなるの。死んじゃうくらい辛いの。
だから、サッカーの試合来れないんだ。おかあさんも、おとうさんも、つれてってくれないの。
だって体育の時間だって保健室があたしの場所だから。
大輔にはいわないでね、せっかく見つけたきらきらする場所、
取りあげちゃうのかわいそうでしょ?サッカーやめちゃうかもしれないし」

「つらく、ないんですか?」

「…………………なんでそれをあなたがいうかなあ。何にも知らないっていいね。
覚えてないっていいね。なんにも考えないで、
食べることと寝ることと遊ぶことだけ考えてればいいんだもんね、うらやましいよ、ほんと。
辛いに決まってるじゃない。
でもね、あたしは「お姉ちゃん」なんだからがんばらなきゃいけないの。あの子のためだから」

「大輔のため?」

「あなたたちはいいよね。守られてるのに気付きもしないで、平気でわがままいえるんだ。
それでどれだけみんなを傷付けてるか知りもしないの。
お父さんのこと、お母さんのこと、なんにもわかってないくせに。
自分のことばっかり。いつだってそう。いつもいつもそう。
ねえ、いいことおしえてあげる。なんにもしらないってさ、罪だよ」

「あの……」

「なんで大輔があなたのこと慕うのか、分かった気がするよ、ありがとね。
びっくりするくらい、あなた、あたしとにてるよ。
まるで、鏡映しみたいだね。びっくりするくらい。おぞましいくらい。
ねえ、電話、もういい?
あたし、これから友達と日本武道館にコンサート見に行かなくっちゃいけないの。
あたし、そのまま、お父さんと一緒にお台場行く予定だから、
もう留守電になっちゃうと思うから、いないの、だれもね。大輔にそういっといて?」


一方的に切られた電話である。太一は放心状態のまま、受話器を置いたのだ。


「お兄ちゃん……どうしたの?」


たいちいいったすけてええって情けない声を出しているコロモンを抱っこしたヒカリが心配そうに見上げている。
ヒカリの胸には、ホイッスルが揺れていた。これで9人目。最終決戦には、あと一人足りない。



[26350] 第八話 一寸先は闇
Name: 若州◆e61dab95 ID:421bec7d
Date: 2013/08/03 00:30
「大輔君、ごめんね。私、サッカー部でひとりぼっちだから、構ってくれる太一と大輔君だけが心の支えだったの。
そしたら、太一が突然、いなくなっちゃったでしょ?大輔君までいなくなっちゃうんじゃないかって思ったら、
怖くなっちゃったの。ごめんね、理想的なお姉ちゃん頑張らなくっても、そばにいてあげるだけでいいっていってたのにね。
おかしいって気付いてるから、大パニックおこしちゃうって丈先輩から言われてたのにね、忘れちゃった」

「え?ひとりぼっちって?」

「私、実はお母さんにサッカーやめろって言われてて、私はサッカーやめたくないってずっと喧嘩してるの。
仲直りできないまま、夏休みになっちゃったの。私一人っ子でしょ?だから家に帰っても一人ぼっちなの。
大輔君と一緒なのみんないるのに一人ぼっちでおそろいなの。だから、大輔君の気持ち、すっごくよくわかるわ。
だから、いつのまにか、私と重ねちゃってたみたい。私が守ってあげなくっちゃいけないんだって、
心の底から思ってたのに、頑張りすぎちゃって、やらなくちゃに変わっちゃったみたい。ごめんね」

「ほんと、ですか?サッカーやめたくないってホントですかあっ!?」

「え?ええ、もちろんよ、当たり前じゃない」

「よかったっ……!よかったあああああああっ!」


うわあああん、と泣き出した大輔に空は困惑しきりである。


「ごめんなさい、ごめんなさい、空さんも甘えんぼさんなんだって知らなくってごめんなさい!
オレたち、空さんのためを思って我慢してたのに、空さんのこと傷つけちゃってたんですね!
空さんにひっどいことしてたんですね!ごめんなさああい」


ひっしと抱きついてくる大輔を受け止めた空は、さっぱり事情が呑み込めず、どうして?と聞くしかない。
ぐしゃぐしゃの大輔は、今までずっとずっとべったりでありながら、聞きたいけど聞けない、
聞きたくないの二律背反だった事実を告げるのである。
心の葛藤を吐露するのである。空がいなくなってしまうのではないかという恐怖を常に抱えていたことを聞かされた空は、
どこまでも思考回路が一緒だと気付くのである。どこまでも空と大輔は仲良しである。


「オレたちの知ってる空さんて、お母さんみたいで、男の子みたいにかっこいい空さんだから、
お台場小学校のサッカー部のエース頑張りすぎちゃって足をけがしたんだって。
オレたちがツートップの空さんに頑張らせすぎちゃったんだって、コーチが言ってたんです。
だから、今はちょっと休ませてやれって、そっとしておいてやれって、見守ってやれって、
空さんがサッカー部に戻ってくるかどうか決められるまで待ってなさいって、
このこと空さんに話したら空さん泣いちゃうからっていわれて・・・・・・・!」

「………え?う、うそ、でも……。じゃあ、みんなが私のことを遠巻きに見てたのは、嫌いだからじゃないの?!」


ぶんぶんぶんと大輔は首を振るのである。


「そんなわけないじゃないっすかあっ!お台場サッカー部の得点王に出てけなんていうやつ誰もいませんよっ!」

「え、そ、そうなの?ほんとに?私にサッカー部やめてほしいんじゃなくて?」

「そんなわけないじゃないっすかああっ!お台場小学校サッカー部のツートップは、
八神太一と武之内空がいてこそっすよ!
一人でサッカーはできないって、一人抜けてもサッカーはできないんだって教えてくれたの空さんじゃないっすか!
だからオレ、サッカー部がオレの場所なんだって思ったんすよ!みんなにみんなに必要とされるような人になったら、
ジュンお姉ちゃんほめてくれるかなって!ぜーんぶのことが上手になって、コーチからの指示だったらなんだってこなせて、
オレちっちゃいから太一先輩みたいにエースストライカーにはなれないけど、空さんみたいにみんなを支える、
みんなから頼りにされてるボランチだったら、ほめてくれるかなっておもってえ!
太一先輩と空さんあってのツートップじゃないっすか!オレそんなやついないから、うらやましかったのに!
オレのチーム、太一先輩みたいにぐいぐい引っ張る奴いないから、オレが中心になんなきゃいけなくて、
ボランチだけやりたいのに司令塔までやってんすよ!おかしいじゃないっすかあ!」

「大輔君・・・・・」

「みんなしってますよおっ!空さんがサッカーの練習出られないのは、
おうちの事情だからって。みんな、やめてほしくないって思ってますよ!
でも、おうちの事情だからオレたちは何にもできないからって、こおちがああ!」


よしよし、と空は頭を撫でるのである。もう大輔ボロなきである。


「なあんだ、私、全然気づかなかっただけなのね?そんなわけないじゃない、
大輔君、大輔君から教えてもらってほっとしたわ。ずっとずっと、私、さみしかったんだから。
早く戻ってきてくれってみんないうのに、なんで無視するんだろう、なんでほっとかれてるんだろう、
なんでかまってくれないんだろうって、サッカー部がわたしの場所なのに一人ぼっちになっちゃったような気がして、
怖くなっちゃったのよ。勘違いしちゃってたみたい。またつっぱしっちゃった。
危なかったわ、ありがとう、大輔君。
あやうく、私、みんなに嫌われてるんだって思い込んだまま、サッカー部やめちゃうところだったわ。
もし元の世界に帰れたら、頑張って、お母さんともう一回話、してみるわね」

「ほんとっすか!?」

「みんなが待っててくれるんだもの、それだけでも涙が出るくらいうれしいわ。
 ありがとう、大輔君。ほんとうにありがと。ホントはね、私、サッカーやめるつもりだったの。
 この冒険が終わったらサッカーやめるつもりだったんだ。コーチにいうつもりだったの。
 はやまったこと、しなくて良かった」

「よかったああ。だってお台場中学校には女の子がサッカー部入れないって聞いてたから、
もしあと一年あるのに空さんどっかいっちゃったらどうしようって、オレ、オレえ」

「大丈夫、大輔君、私はここにいるから」

「はいっ!」


甘えんぼさんなふたりは、にっこりと笑ったのである。
甘えんぼさんなのは恥ずかしいから内緒にしてねって言われた大輔は、
内緒はもう増やすなって散々怒られたタケルとの大喧嘩を思い出して頭を抱える。
空はくすくす笑ってタケル君ならいいわよって教えた。え?と疑問符を浮かべる大輔である。


「大輔君のことが知りたいから教えてくださいって、私や太一やヤマト君に聞きまくってたわ」

「え゛」

「私もそんなお友達が欲しいわ、うらやましいわよ、大輔君」

「うらやましい?」

「ええ。とってもうらやましいわ」

「えーっと、じゃあ、空さん」

「なあに?」

「理想的なお姉ちゃんじゃなくなって、空先輩って呼べるようになったら、オレ、そのお友達してもいいっすか?」

「え?」

「だって、オレ、空さんにいっぱいいっぱい頑張ってもらえて、みんなに話せるようになったんです。
オレ、何にも考えないで、平気で嘘つくやつ、嫌いなんです。一生懸命に頑張ってきたこと、
奇跡とか、偶然、とか、簡単にかたずけちゃうやつ、嫌いなんです。ありがとう、言えないやつ、大っ嫌いなんです。
ありがとうございます、空さん。なんか、思ったこと言った方がみんな喜ぶから言ってみたんすけど、これでいいっすか?」

「・・・・・・・・っ!」


おうわ、と大輔はいきなりぎゅーって抱っこされて、ぎゃああああってなるのだ。
え?え?空さん!?はなしてー、はなしてー、なんかやわらかいよう、あったかいよう、はずかしいよう、やめてえええと
大輔のあったまのなか、ぐっちゃぐちゃになる。顔真っ赤である。
うぎゃああああ!と逃げようとするマセガキに、いつもの空がからりと笑ったのだ。


「ありがと、大輔君」

「は、はあ、あははは」


がっちりホールドされて逃げられない。


「トラウマ、どっかいっちゃったみたいね、よかったわ」

「え?あ、はい。なっちゃんが直してくれました」

「そっか、もう一人のジュンお姉ちゃんによろしくね、大輔君」

「はい」

「あとはその痣ね。うーん、半年くらいで消えるかしら」

「そんなにかかるんすか!?」

「大輔君のトレードマークにしちゃってもいいかもね。
太一のゴーグルマネしてつけてるのに、尊敬してる私の何にもつけてないっておかしくない?」

「あ、たしかに」

「あげるわ、その赤いスカーフ。バンダナみたいに使っちゃえばいいと思うし」

「ありがとございます!」

「はいはい、本日の営業は終了いたしましたわよ!選ばれし子供達!
いつまでもこっぱずかしい光景見せつけてないでとっととおたちなさいな、選ばれし子供たち。
こっちはもう腹ペコでおなかと背中がくっついちゃいそうでたまらないんですから、
とっととベッドルームに行きやがれ。おいしくもない腹壊しそうな寒々しい光景なんざお門違いでしてよ。
いつでもできることなんざほっといて、さっさとベッドルームにお行きなさい。
明日には出てってもらわないとダメなんだから、ほらほらほら!」


引っ付き虫の大輔をひっぺがし、ずるずるずるってバクモンは運んでいく。
そらさーん、だいすけくんーん、って寸劇みたいなお遊びのお別れの後、
大輔はバクモンにチコモンがいまかいまかと待ちわびているであろうベッドルームにひきずられていった。
なっちゃんのことは全部空には話してある。3日かかるということは、2回の夢をみればいいということである。
だから明日にはここから追い出されるだろう。あーあ。


「なあ、バクモン」

「なんですの?」

「なんで3日なの?」

「きやがりましたわね、何百辺と繰り返してきた問答ですわ。
いい加減繰り返すのも面倒ですし、やっぱりどっかに看板でも立てるべきかしらあ?いいですこと?
ワタクシたちバクモンは悪夢を食べていい夢に変えて差し上げることがお食事でもあり、お仕事なんですの。
そりゃワタクシたちだってめんどくさいので、できるならこんなことしないで、
一人のお客様を徹底的にケアして差し上げたいですわ。
でも、悪夢かどうかを決めるのはあくまでワタクシたちなんですの。その恐ろしさ、お分かりになって?」

「んー?よくわかんねえや」

「はー、これも何千回繰り返してきたかわからない問答ですわ、
どうしていつもいつもお客様って似たようなことしか言わないのかしら、意外性に乏しいですわ、貧弱ですわ、なんてつまらない。
だからいやなんですのよ、営業。いいですこと?あなた、いいことだらけの世界なんて怖いと思いませんこと?
毎日が幸せで、幸福で、嬉しくて、楽しくて、笑っちゃうようないいことだけの世界があったとしたら、
それってすさまじくおぞましいですわよ。
居心地良すぎて出てこれなくなりますもの、現実より夢の世界の方がお客様にとっての現実に変わっちゃいますわ。
夢なんてものは現実にあったことを整理整頓するためにごっちゃごちゃにしてる時にみる、
あたまのなかのお遊びみたいなもんですの。夢の中でいくら幸せでもそれは現実で途方もない虚脱感を生みますわ。
いずれ思うでしょうね、夢の世界がほんとだったらいいのにと。ずーっと寝たままになりますわよ。お分かりになって?」

「あ、そっか、うん、わかる」

「さすがは選ばれし子供達ですわね、理解が早くて助かりますわ。
はっきりいって夢の中の世界に逃避するようなところまで行ったら、
もう食べるものなんてカスしか残ってないんですの、たんなる粗大ゴミですわ。
いいですこと、いいこと、と、わるいこと、というものはとっても仲良しですの。
どっちかだけ、なんてものはありえないんですの、おわかり?あなた、おすなばあそびはすきかしら?」

「おう!」

「なら聞きますけれど、たかーいすなの山を作ろうと思ったら、どうしますの?」

「え?えーっと、スコップで砂掘って、山造る」

「そういうことですわ。もともとなんにもない平ったいらなところから、穴を掘って、山を作るでしょう?
それしか方法はないですわよね?いいことは山、わるいことは穴をお考えくださいな。
つまり、切っても切り離せないものなんですの。ふたつでひとつですの、おわかりかしら?」

「うん、なんとなく」

「十分ですわ。こういうことは感覚で覚えていくものですもの、頭で理解できるものではありませんもの。
ワタクシたちのみせる夢というものは加減を忘れると、穴がないのに高い高い山をつくれるということと似てますわ」

「おかしいな」

「おかしいでしょう?人間もデジモンもどうやら同じようですわね、ほどほどが大事ってことですわ。
わるいことがあるからいいことはうれしいんですの、たのしいんですの、たいくつではなくて、
素敵な思い出なんですわ。わるいことだらけの世界なんて弱肉強食の厳しい世界ですけども、
いいことだけの世界なんて洗脳と同じでしてよ。ワタクシたちはだからホーリーリングをつけているんですわ、
光も闇も極端すぎますから、ワタクシたちはほどほどですって証ですの。
どっちの勢力とも関わりませんっていう証ですの、お分かりかしら?」

「そっか、じゃあエンジェモンでもデビモンでもないってこと?」

「そういうことですわ。あいつら、鏡越しでなんら変わらないというのに、頭かたいもんですから、
異様に敵視して殲滅しようとしてますの。むちゃくちゃですわよね、
太陽がいくら照らそうとも影はそれだけ伸びるもんですわ。どっちかあってこそだというのに、
下っ端ほどそれがわからない。あたますっからかんにした方がらくですのにねえ。
はっきりいって、あなたのおともだち、あぶなかったんですわよ」

「空さん?」

「違いますわ、未熟者の天使持ってるもっとも幼き子」

「タケル?」

「ええ。あなた、なっちゃんから聞いたでしょう?2人たりないと」

「うん」

「そもそも、デジタマが世界各地にとび散った時点で暗黒の力の侵略は始まっていたんですわ。
それにより、なっちゃんは本来獲得するはずだった力を一つしか得られず、もう一つはコロモンに分断されてしまったんですの。
おかげでなっちゃんとコロモンは暴走状態となり、場外乱闘となり、想定外の大災害になってしまいましたわ。
あなたたちの世界ではデジタルモンスターは異物でしょう?
だから記憶を消すしかなかった。私達の世界ではそうやって対処してきたんですの。
でも、デジタルモンスターと違い、あなた達人間は記憶を消されることで甚大な被害を被ると私達は知らなかったんですの。
申し訳ありません。選ばれし子供達もばらばらになり、場所を特定するのに4年もかかってしまいました。
おかげでコロモンとなっちゃんでデジヴァイスは出来たんですけども、コロモンはなっちゃんのバグで直せたんですが、
奇跡の力は奇跡の力によってしか直せない。あなたを待つしかなかった。それを任せた天使がデビモンですわ。
想定外に想定外が重なって、私達はいつもいつも後手後手なんですの。私達はデータですわ、盲点を突かれると弱い。
暗黒の力も同情はしますけれども、この世界を守護するものとしてはどうしてもその先へいくことは難しいんですの。
この世界を壊されては困りますもの。歯がゆいですわ。はっきりいって、あなたともっとも幼き子は狙われたんですわ、
それはもうピンポイントで。最悪の事態は免れたんですけれども、もっとも幼き子はもともともう一人の子をサポートするため、
もう一人はあなたが極端な道に突っ走らないように抑止力となるためにみんな一緒に来るはずだったんですわ。
ですが、こちらの陣営を何人も引きずり込まれてしまったものですから、情報筒抜け。
最悪ですわ。営業不慣れな中間管理職が四苦八苦やってるものですから、
いつもいつも後手後手に回っちゃうんですの。なっちゃんが復活してくれたおかげで、
中間管理職が営業しなくてもよくなったのは幸いですわ、もちつもたれつ、適材適所は大事ですもの。
これでようやく少し希望が見えてきましたわ。本当にあなたにはどれだけ感謝してもしきれませんわ。ありがとう」

「えへへ」

「本当にこんな過酷な冒険になってしまったのは完全なるこちらの落ち度ですわ。見たでしょう?
ワタクシたち、選ばれし子供を呼ぶのは2度目ですの。
本来なら先代がサポートしてくれるはずだったのに、暗黒の力ははるか上を行きますわ、
なにせ未来の知識を持ち得ているんですもの、しかも私たちよりもはるかに精密な予言を。
先代の体験と知識という最高の予言の書。これ以上ない未来予知はありませんわ。
所詮私たちはデータですもの、考えることで生きているあなた達にはかないっこないですわ。
だから、ワタクシたちは同じ子供を呼ぶしかなかった。本当に申し訳ありません」

「えへへ。いいって。なっちゃんから教えてもらった魔法の言葉があっから。
オレたちは出会うべきじゃなかったのかもしれない、出会っちゃいけなかったのかもしれない、
この出会いは早すぎるのかもしれないし、遅すぎるのかもしれない、でもだからこそオレたちはここにいるんだって。
もう出会っちまったのはしょうがねえだろ?これからのこと考えようぜ?」

「ありがとう。本当にあなたはいい子ですわ」

「なんかこの世界に来てからいっぱい褒められてるなあ」

「あなたはあたりまえでも、それによってたくさんの方が救われているんですの。
自信を持っていいですわ、本宮大輔」

「えへへ」

「本来抑止力となるべき者がいないせいで、あなたには本当に辛辣な旅を強いてしまいましたわ。
よくぞここまで頑張ってくれましたね、本宮大輔。ほんとうにありがとう。
そして、ごめんなさい。ワタクシはここを管轄するのに精いっぱいで動けないんですの。
ここが壊れてしまえば、おかしくなっていくデジタルワールドのデジモン達の心のよりどころがなくなってしまいます。
ここは暗黒の勢力は入ってこれない異空間。本来住む現代種と古代種、選ばれし子供しか入れないところですの。
もしまた何かあったらおいでなさい。いつでも歓迎いたしますわ」

「うん」

「夢の中くらい楽しい夢をごらんになって。それを糧にどうか暗黒を救ってやってください。
かわいそうな子たちを、どうか、頼みましたわよ」

「わかった、ありがと」




選ばれし子供達もデジタルワールドもまだ絶望的な事態であることを知らないのだ。
暗黒の力はさらにその上を行く。本来この世界を守護するデジモンのうち、すでに何人も闇の陣営に落ち、
配下となった彼らは自分たちの拠点を暗黒勢力に献上している。
守護デジモンはそのエリアにおいて指折りの実力者であることが多いから、
彼らが闇に落ちた時点で対抗できる勢力は皆無に近いのである。
まして、この世界に存在する特定のエリアのデジモンしか出入りを許されないはずの、
特別なエリアのうち1つはもう暗黒勢力の拠点となっている。
ウィルス種しか出入りできない神聖なエリアであるはずの闇貴族の館は、
すでに暗黒勢力の拠点として重大な位置におかれていた。
守護デジモンが暗黒勢力に与した時点で、闇貴族の館の機能は完全に失われている。
だから暗黒勢力は徹底的にウィルス種のデジモン達を中心に勢力を拡大したのである。
かつて世界を侵略しようとした者たちが利用した異世界からのゲートが
開かれていることに、誰かが気付いていればよかったのかもしれない。
しかし、ワクチン種のみが出入りを許されているはずのアイスサンクチュアリの教会は、
守護デジモンだったピッドモンが闇に落ちて、堕天使となった時点で無人となる。
すでに機能は失われたも同然だ。
そして、すべてのデジモン達が異世界へのゲートの存在を確認できる場所は、
あまりにも危険だからと隠匿された場所にあり、知っているのはごく一部だったが。
そのごく一部が失踪、行方不明、陥落となれば形骸化したも同然だ。
ピッコロモンたちが、暗黒勢力の基盤となっているエリアがどこなのか、
未だに把握できずにいるのはそのためだ。
セキュリティシステムに与するデジモン達は、その誕生の背景から、圧倒的にワクチン種が多い。
大輔たちが寝室に引っ込んだことを確認したパグモンはため息をついた。


「こんなところにまで配下のデジモンを寄こすなんてさすがですわ。
 見つかるのも時間の問題ですわね。あの子たちだけでも逃がさないと」


力を抑えているとはいえ、正直完全体以上の勢力から逃げ延びる自信はパグモンにはないのである。



[26350] 第九話 フラワーヤードにて
Name: 若州◆e61dab95 ID:29c4e78f
Date: 2013/08/03 00:30
いつだってもうひとりのジュンお姉ちゃんであるなっちゃんの待っている大輔の夢の世界は、
燃え上がるような花畑で満たされている。見渡す限りの花畑である。
空は穏やかな兆しに包まれていて、のんびりとした雲が広がっている、春の陽気がそこにはあるのだ。
ただ穏やかな風が吹いている。なっちゃんのデジタマを抱いて、大輔とブイモンが眠っていたあの花畑エリアである。
はじまりの街に行こうとブイモンと共に大泣きしたあのネリネの花畑である。
なんでこの花畑なのだと聞いた大輔は、この時初めて、なっちゃんから花の名前と花言葉に託された想いを知るのだ。
ジュンお姉ちゃんがちっちゃいころに好きだったお花らしい。
光が丘のおうちに飾ってあった子煩悩な大輔の両親が造っていた作品展示室のすみっこにあった、
自由研究の植物図鑑の赤色が強烈に残っていたらしい。
花言葉は箱入り娘、幸せな想いで、繊細でしなやか、忍耐、また逢う日を楽しみにしていますまた会いましょう。
しるか、そんなの、遠回しすぎてわかんねえヒントだすなよう、そんなのわかんねえよう、とほほを膨らませた大輔に、
ごめんなさい、と人間の姿をしたなっちゃんは両手を合わせるのだ。
世界中に逃げ出した始まりの街にあった野生のデジタマを回収するときに見つけた一面花畑のゲート先が
あまりにも印象に残っていたの、となっちゃんは笑うのだ。
そこで遊んでいた外国人の子供と一緒に遊ぶ若い母親の姿、
そして怖い怖いと泣いている大輔を優しくあやしているジュンがいっしょくたになり、出来上がった姿らしい。
だから、ジュンお姉ちゃんでもあり、お母さんでもある。大輔にとっては最強の味方の生誕だ。
愛情に強烈なまでに飢えている大輔にとっては最強の味方である。空お姉ちゃんもいればもう安心である。



ここは大輔とブイモンとなっちゃんのエリア。なっちゃんがつくったエリア。
だから新しいなっちゃんの管轄エリアで、バクモンと一緒でデジモン達の避難場所となる亜空間と知らされる。
始まりの街エリアの近くにあるというのに彼岸花科の植物がたくさん生えているエリアというのも
何ともまあ変な符号があるエリアだ。なっちゃんは教えてくれた。
ネリネっていうのは、大きな花弁が反り返るような姿をしていて、花に光沢があって輝いているように見えるから、
ダイヤモンド・リリーっていうらしい。まさに大輔である。
大輔の紋章が金ぴかなのは、大輔がいいこだからなんだよって教わった。
人の気持ちや態度を穏やかにしてくれて、感心するくらいけなげで、人が自分の思うようにならないでつらくて、
苦しくて、冷たくて、切なくて、悩んで悩んでやせ細るくらいの思いでも、人を憂いてくれる。
歩くことすら心が込められているように、優しい所作がある。人を案ずることができる。
いっつもいっつもみんなにからかわれているように、すぐにみんなに騙されたり、
みんなに嘘をつかれて信じちゃったりするほど、疑うということがすっごくへたくそな男の子だから、
びっくりするくらい信じることを知っている男の子だから、穢れや偽りとは無縁だから、純粋で清らかだから。
愛され上手で甘えたがりの癖に恥ずかしいを知っているから。
だから、自分がこうありたい、人にこうしてもらいたいと思ったら、一直線により良い状態を期待して
その実現目指して頑張っちゃう子だから、金ぴかなんだよって教わった。絶対にあきらめない子だからだよって教わった。
忘れないでね、って。
あきらめない気持ちがあなたが一番信頼している人の紋章に通じているのって言われたのである。
アルフォースがあるから金ぴかなんだよって言われたのである。そっかあ、と大輔はようやくここで「奇跡」の意味を知る。
もうすぐこの世界にやってくるもう一人の選ばれし子供と大輔と太一がパートナーデジモンとデジヴァイスを作り上げたんだよって。
あなたは進化を司る子供と太陽を司る子供と同時に感情を司る子供として、選ばれし子供に選ばれたから、
紋章の選ばれし子供の開祖に近いんだよって。
だから、最初の選ばれし子供であるすべての始まりの神様と同じ種族の古代種の末裔がパートナーデジモンなんだよって、
言われたのである。すべてはつながっているのだ。大輔はチコモンをぎゅううって抱きしめた。
だいすけ、おれたちすごいねえ、ってチコモンは嬉しそうに眼を閉じて笑い、
うん、と大輔は大きくうなずいてほおずりするのだ。
だれだろう、楽しみだなあとのんきに大輔は考える。まさか大っ嫌いな女の子であるとは思いもしない大輔である。





ここでようやく、なっちゃんに優しいのねって言われた意味を悟る大輔である。
デビモンになっちゃんの世界に飛ばされたのがブイモンと俺だけでよかったって悟る大輔である。
もう背中がぞくぞくしてしまう。あやうく大輔とエクスブイモンはもろともなっちゃんと心中するかも知れなかったのだ。
もしかしたら、殺しちゃってたかもしれない、消滅させちゃってたかもしれない、よかったああ、って
大輔はその場に崩れ落ちるのだ。なっちゃんはそれを抱きしめてくれるのだ。大輔の想いが進化を生んだ。
大輔を助けたいっていうブイモンの気持ちと呼応して、黒いドラゴンは翼を広げた。
ブイモンがエクスブイモンに進化できていなかったら、きっとすべてが終わっていた。
なにせ暴走状態になったウイルス種のパロットモンから必殺技をもろに受け、吹き抜けかららせん階段下に落下、
そのまま行けばスプラッタである。大輔が死んだらブイモンはデジメンタルの大輔を失って死ぬのだ。
運命共同体である。何か一つ掛け間違っていたら、すべてが終わっていたのである。
エクスブイモンはなっちゃんをたすけようと必死でメモリチップが壊されないように、ひたすら吹き飛ばして、
攻撃を誘導したからよかったものの、真正面から勝負を挑み、攻撃を受けていたら間違いなく負けていた。
殺されていた。死んでいた。エクスブイモンは成熟期である。
ウイルス種に身を堕としているとはいえ、パロットモンの強さは太一のパートナーデジモンであるアグモンの
暗黒進化先であるスカルグレイモンと同じなのだ。戦わなくて正解である。どっちが欠けてもだめだった。
大輔は無意識のうちに最善手を打ったのだ。
いずれ記憶を取り戻すであろうブイモン、パロットモン、いずれも大輔の奇跡の力に引きずられて、暴走状態となり、
強烈な負のオーバードライブが発生したら、どうなるか。言うまでもなく心中である。
もろとも隔離された亜空間ごと吹っ飛ばして消滅。行方不明。もっとも警戒すべき選ばれし子供の抹殺計画、完了というわけだ。
デビモンが直々に殺しに来るのも無理はない話だ。これだってエンジェモンとエクスブイモンの同士討ち狙っているのだ、
タケルが絶望したら希望は潰える。なし崩しにタケルがいないと進化の光の力をうまく使うことができない光は、問答無用でお荷物となる。
選ばれし子供ではない野生のデジモンに接するたびにすべてを光が丘事件のトラウマの完全再現で暴走状態の暗黒進化にさせ、
いずれ精神が崩壊するだろう。そしたら真っ先に崩れるのは最愛の光を失った太一である。
ただでさえ暗黒進化したスカルグレイモンが暴走状態となったら、これ以上の内部崩壊はないのだ。
もう選ばれし子供たちは抹殺される。まさに奇跡の連鎖である。
選ばれし子供たちは、ようやく復活したなっちゃんを中心に本来の支援を受けられる体制が整ったのだから。
暗黒の力にとって大輔は、よっぽど警戒すべき相手だったようである。
紋章を手に入れれば大輔はデジメンタルの負担を大幅に軽減できるから、二重の罠まで仕掛けていた。
執拗なまでに消滅を目論んだ。紋章をナノモンのデータチップに加工して隠すという二重の罠を仕掛け、
お役所仕事をする中間管理職に振り回されるピッコロモンが、精神的な重圧からぼろぼろな大輔に同情して、
光が丘事件のトラウマを軽減しようと記憶を復活させる。
強烈なホームシックに見舞われた大輔はナノモンとエテモンの待ち受けるピラミッド迷宮という監獄へいく。
ぞっとするほどのピンポイントである。
暗黒進化したセトモンにより大輔は衰弱、あやうくもろとも消滅するところだったのだ。



今思えば、なっちゃんもあぶなかったのだ。
大輔とエクスブイモンを見て、何かを思い出したって、ごめんなさいごめんなさいって泣き始めたのも、
光が丘事件を思い出せたからなのだろう。グレイモンを連想させるドラゴンだし、エクスブイモンは恐竜とにてる。
だから鎌鼬とか電気を操る技がどんどん増えていった。
ずっと200の年月「ごめんなさい」をいうために待ち続けていた男の子を、「わたし」を生んでくれた選ばれし子供を、
一方的な勘違いと嫉妬からブイモンともろとも殺そうとしたという絶望から、
死にたいっていう強烈なオーバーライトがなっちゃんを蝕み、奇跡の力が発動して暴走状態が加速した。
だから消えちゃうと思った。最後の力を振り絞ってお別れを言いに来た。
でも大輔は諦めないでエクスブイモンから飛び降りてまで助けに来てくれた。
片りんを見せ始めていた奇跡の力が開花して、なっちゃんは今ここにいる。
もしここで大輔以外の誰かがいたらなっちゃんは間違いなく死んでいた。
きっと大輔は助けられなかったなっちゃんに精神を病み、ブイモンも同様だが、
大好きなパートナーを取られたという愛憎入り乱れな感情に蝕まれて強烈に大輔を縛り上げ、孤立させ、
もろとも自滅させるだろう。古代種の記憶を忘却していたからこその作戦である。おっそろしいほどのピンポイント。
暗黒勢力の執拗な抵抗をはねのけて、今大輔たちはここにいる。
そういうわけで、大輔の腕の中にいたチコモン、
ようやくデジメンタルに刻まれた太陽の紋章がちょーっとだけ好きになれたのである。
ようするにいずれやってくるであろうその時に備えての進化段階のいっちばん最初、
成熟期レベルの強さを発揮できるデジメンタルとブイモンは一緒じゃないとだめなのだ。
目覚めた時に探さなくちゃいけないとかめんどくさすぎるでしょう?となっちゃんに言われればうなずくしかない。
その時はいずれ来ることは分かっているんだけども、いつかは分からないから予言の書を頼りにデジタルワールドは準備をするのだ。
チコモンはデジメンタルに刻まれた太陽の紋章が象徴する部分が、大輔のいい所である奇跡のあり方を、
ちょっとだけでてる証なのだとようやく理解したのである。そして、むくれるのだ。


「おれ、すっからかんでなんにもおぼえてないのにさあ、いきなりでじめんたるにゆうきのもんしょうつけて、
おれのになったあかしだよっていわれてさあ、なかまたちつれてくるからまっててねっていわれて、
ずーっとまってたのにほっとかれっぱなしってひどいよう。
ぴっころもんといっしょにいたおにいさん、いつまでたってもこないからあ。
でじう゛ぁいすだけもってろーってむちゃくちゃだよう」

「ごめんなさい。ほめおすたしすさま、こういうおしごとなれてないし、えーじぇんとのみんなは、
ほめおたしすさまとおしごとするのはじめてだからいろいろたいへんだったみたいなの。
みんなをつれてくるまえに、あんこくのちからにおってがきちゃって、
みんなをはじまりのまちにかくまってもらうのでせいいっぱいだったの。
もんしょうとぱーとなーでじもんとでじう゛ぁいすはもともといっしょにわたすよていだったの。
でも、えーじぇんとのおにいさん、みんなになんとかのこったでじう゛ぁいすわたすのでせいいっぱいで、
みんなおおけがしちゃって、いまねてるの。でてこれないの。ごめんね」

「そっかあ、ならしかたないよね」

「それなのにむりしてわたしたちのかわりをしてたの。げんないさん。えーじぇんとなの」

「え?あのおにいさん、げんないさん?!」

「うん。おおけがしてるからね、おじいちゃんになることでなんとかがんばってるの。
おにいさんのまんまだといっぱいえねるぎーつかっちゃうから、おじいちゃんなの。
ほめおすたしすさまとうまくおしごとできないから、なかなかうまくいかなくって
ごめんね、ちこもん。ひとりぼっちにさせちゃって」

「そーいうことならいいよ。だって、おれ、いろおんなところまわったんだもの。
ふぁいるとうはおれのいたじだいよりずっとずっとすごかったから」


パロットモンは笑うのだ。
ギリシアっていう国の神話に登場する美しい水の妖精で、ネーレーイスっていう綺麗なお姉さんのように。
ネーレーイスは、お父さんの住んでいる海底の宮殿で黄金色の椅子に座って、歌ったり踊ったり糸をつむいだり、
箱入り娘みたいな自由奔放な生活をしていたらしい。なっちゃんは笑っている。置いてきぼりの大輔はむくれるのだ。
大好きなお姉ちゃんそっくり笑顔と大好きなお母さんの包容力をいっしょくたにした、
もうひとりのジュンお姉ちゃんにほっとかれるから。


「なあ、ちこもん、ちこもんはどこでねてたんだよ?」

「え?えーっとねえ、どこだっけ?」

「だいのこだいきょうっていうの、ちこもん、だいすけ。そのときがきたら、いってあげて。
みんな、そこでぱーとなーをまっているから」

「だいのこだいきょう?」

「うん。こだいしゅがねむっているところなの。ちこもんみたいに」


ファイル島の南東に広がる亜熱帯エリアである。ミミとパルモン、光子郎とテントモンがデビモンに飛ばされたところだ。
マングローブ域を抜け、ケンタルモンが守護しているあみだ森を抜け、現れるのがダイノ古代境。
光子郎たちはそこまで行くことは叶わなかったが、ケンタルモンが守っていたデジヴァイスの彫刻が残る遺跡のさらに先にある。
古代種たちの故郷が唯一凝縮されている場所。恐竜の王国である。
恐竜型のデジモンが生息し、時間の流れがエリアで変わる特殊なエリアである。古代種が住みやすいところだ。
外のエリアに出たがるチビモンを引き留めては連れ戻す役割を担っていたのが、
マスターティラノモンというティラノモンを統括する完全体である。
ダイノ古代境は3つの領域から形成される。まずは、ダイノ古代境内の時間の流れが二分の一というゆっくりとしている、
ダイノ古代境静域。そして、ダイノ古代境時急域。時間の流れがなんと2倍になるというエリアで、
化石が転がり落ち、地層がむき出しで、周りとは一風変わった風景が広がる。
ただでさえ寿命が短い古代種を現代種と同じ時間軸で生活させていたら、
大輔と出会う前に寿命が尽きて死んでしまう。それでは本末転倒だからと、
大輔たちがやって来る直前になって、ようやくチビモンはダイノ古代境の静域から出ることを許された。
今となっては、オレのこと考えてくれてたのかなあ、とぼんやり考えるチコモンである。


「そのさきがわたしがいたところなの」

「え?そうなの?」

「え?うそう、だっておれみつけられなかったよ?」

「だって、ういるすしゅしかはいれないもの」

「そっか、なるほど」

「なあんだ、じゃあおれまってればよかったんだ?」

「ううん、げんないさん、とちゅうでおおけがしてたおれちゃったらしいから、あそびにいっててよかったの」

「そっか、まーいっか、だいしけとあえたし」

「ほんとよかったぜ、お前がいなかったら俺ずーっとひとりぼっちじゃねえか」

「うん」


トロピカルジャングルを抜けると現れるのは、オーバーデール墓地というお墓エリアである。
和式ではなく洋式の墓地で、常に夜の闇に覆われている。
墓地内には幽霊型デジモンがいっぱい生息しており、バケモン達がいる。
丈と空がデビモンに飛ばされた後に再会した場所だ。
本来エリアを治める主が不在のせいで好き勝手やってるバケモン達に空たちは襲われた。


「ここってデビモンのおうち?天使は入れねえのに?」

「ううん、ちがうの。あそこはね、ヴァンデモンのおうちなの。あのやかたのあるじのおなまえ。
いいひとなのよ。みんな、いなくなっちゃったけど。たぶん、もう、でびもんといっしょに・・・・・・・」

「そっか」

「だいしけ、がんばろう、おれたちがみんなをすくうんだ。あんこくのちからをたすけるためにも、
みんなをたすけたり、だーくえりあにおくってあげないと、あんこくのちから、
どんどんつよくなっちゃうよ。たすけられなくなっちゃう」

「よっしゃ、がんばろうぜ」


今はただ、嵐の静けさの前に。
次の日、大輔とチコモンは、空と共にバードラモンと帰還の旅路に就く。
ミミとケンカ別れしてもなお、気丈に待ち続けていた光子郎のいるピラミッド迷宮まで。
もうすでに1カ月と一週間が経過していた。



[26350] 第十話 受け継がれる英知 
Name: 若州◆e61dab95 ID:238f8daa
Date: 2013/08/03 00:31
新緑が眩しい真夏の季節。蝉の声が騒がしく通り過ぎていく。
選ばれし子供たちがサマーキャンプでデジタルワールドに飛ばされる
1999年8月1日からさかのぼること一週間ほど前のことである。
一人の精悍な顔つきをした老人が都内にある某墓地を訪ねる姿があった。
しかし、墓参りというにはあまりにも険しい表情をしている。
供える花もなければ、お供にする和菓子や会いに来たであろう人間の
生前好きだったものも携えず、お墓をきれいにするためのバケツもひしゃくもなく、
ただただ手ぶらである。お彼岸にはまだ早く、行事があるわけでもなく、
一直線に向かった先にはひっそりとたたずむ一つの墓前があった。
老人はその墓を無機質に見つめ、たたずんでいる。静寂がそこにはあった。
そして、心の中の激情を土の中にいる男に向かってぶつけ始めたのである。


「驚いたか、今日はわし一人だ。他には誰もおらん。いや、いるにはいるがおそらく二度と来ないだろう。
一度しか言わん、よく聞け。
口に出すだけでもおぞましい最悪の事態が起こってしまったではないか、貴様のせいで。
貴様のお伽噺という名のくだらん嘘のせいで。
もう一度パートナーデジモンと会いたいとか遺言で言い残すものだから、
貴様がありもしない非現実なんて教え込むから、
わしは今日、一度に二人も息子を失ったんだぞ、どうしてくれる!
一人はもうお前の所に行っているだろう。
もう一人はもう二度とうちの敷居はまたがせないと言ってしまったわ。
もう後戻りはできんのだぞ。どうしてくれるのだ。
貴様の遺志を継いで、デジタルワールドを探し出して、選ばれし子供になって、
貴様のパートナーデジモンに貴様のことを知らせると、もう一度会わせてあげるんだと、
ここに連れてきてあげるんだと、デジタルモンスターの存在を証明してあげると、
わけのわからん妄想に取りつかれたわしの大事な大事な息子たちを
あの世とこの世で別れさせよって。ロンドンだそうだ。海の向こうだ。
警護していた要人をかばい、即死だったそうだ。昔から優しい子だったよ、貴様もよく知っているだろう?
貴様はわしから一人息子を奪った挙句に、その親友であるはずの及川くんの人生までも狂わせたのだ。
いつまでもいつまでもデジタルワールドなどというありもしない妄想に取りつかれて、
まともな大人になれないまま、普通の生活に支障が出るほどにまで執着しきっているんだぞ!?
いい加減目を覚ませと喝を入れたら、二度とこないといわれてしまったではないかっ!
なぜ貴様はいつもいつもわしの大事な家族を奪っていくのだ!死んでもなお!何とか言ったらどうだ!」


果てしない二律背反である。男は声を殺して泣いていた。拳に爪が食い込んでいる。


「そもそも貴様の名を継がせること自体、わしは反対だったのだ。
だが、たったひとりのかわいい一人息子だぞ、あんなきらきらとした眼差しで頼まれては何もいえんではないかっ!
親友と共に妄想とはいえ夢を語らう子供たちをどうして邪魔できようか。だが、その結果がこれだ。
貴様が海外のネットワーク通信に何かヒントがあるのではないかと吹聴するものだから、
妻と息子を残して海外にまで飛んだバカ息子が、いつまでもありもしない夢を仕事をしながら追い続けるからこうなるのだ!
…………よくわかった。そもそもわしが間違っていたんだな。腐れ縁だからと許容していたわしが愚かだったのだ。
それがそもそも間違っていたのだな、よくわかったぞ、貴様の戯言に付き合わせていたから、
わしの息子たちはおかしくなったのだ。そしてわしは一遍に二人も息子を失った。普通の幸せは壊された。
あの写真のようにみんなでそろう家族写真は二度ととれなくなってしまったのだ。
もう戻らないんだぞ、わしの息子だ、おそらくそっちで済まなかったと貴様に謝罪しているんだろうが、
一番謝罪しなければならない貴様が土の下などこんなむなしいことがあってたまるかっ!
ふざけるな!返せ、わしの息子たちを、あのころの幸せを!」


誰もいない墓石の前で、男は泣いていた。ただ夏のざわめきが遠い。


「約束されていた普通の幸せをわしのたった一人のかわいい孫は奪われたんだぞ。
わしの息子の忘れ形見は奪われたんだぞ。ロンドンだ。海の向こうだ。
本来なら家族旅行や留学で行くようなところだぞ。だが、わしの孫はな、貴様の名を継がされた孫はな、
来年お台場小学校に入学するというのに父親がいないんだぞ。
母親しかいないんだぞ。おかげでまだ若いというのにその母親は未亡人になってしまったではないか、
わしらと共に住まなくてはならなくなったではないか、たった一人の残されたお母さんはショックを受けて
病院に入院したんだぞ、まだ伊織は6歳だというのに!しかも家長だ。火田家の家長は6歳だぞ。
まだ甘えたい盛りだというのに母親が倒れたせいで、ロンドンに父親の遺骨を取りに行って
受け取ることができるのは、本人で間違いないのかと確認することができるのは、家長しかおらんのだぞ。
わしの孫しかおらんのだぞ、あんまりではないか、初めてのる飛行機が父親の遺骨を取りに行くためなど
残酷にもほどがあるとは思わんかっ!貴様のせいだぞ、すべて、デジタルワールドやパートナーデジモン
などという嘘をついた貴様のせいだぞ、伊織っ!」


男は物言わぬ墓石を見下ろした。


「貴様の名を継いでしまったかわいそうな孫は、わしがひきとる。
父親代わりとして、普通の、まともな、立派な、人生を、幸せを、送ることができる男として育て上げてみせる。
嘘などつかない、まじめで、しっかりとした、立派な大人にしてみせる。
貴様の意志など継がせはせんよ。もうわしらの幸せを壊さないでくれ。
頼む、もう二度と現れてくれるな。わしが今日、ここに来たのはもう言わなくてもわかるだろう。
わしがここに来たのは、もう二度と貴様には会いに来ることはないという決別の宣言をするためだ。
ありえんと思うが、もし、万が一、気が向いたら貴様の名を継いだ孫と会わせてやろう、
二度と会うことはないと思うがな」


そして男は立ち去る。


「これからかわいい初孫に、父親の遺骨を取りにロンドンに行くから、ついてきなさいと告げねばならんのだぞ。
お土産を楽しみにしている、いつ会えるのかと楽しみに待っている、かわいい、6歳の、孫に、
わしが、わしが告げねばならんのだぞ。あんまりではないか。一生恨むぞ、友よ」










第十一話 受け継がれる英知 










泉光子郎がデジタルワールドに持ってきた私物は、パイナップルマークの黄色いノート型パソコン、
携帯電話、デジタルカメラ、パソコン用のマイク付きヘッドフォンである。
子供会主催のサマーキャンプを楽しむ目的で集まっている子供の持っているものとは思えないものばかりである。
もともと社交的ではなく、内気ではあったものの、養子であることを隠す育ての両親の言い合いを目撃して誤解した、
他人との距離の取り方に異様に過敏になったミーハーな少年は、人付き合いという小学生であるがゆえに避けられない問題を、
自分から一人ぼっちになって、自分の世界に没頭することで解決した。
サマーキャンプももともと下級生であるがゆえに、雑多な下処理しかできないことは分かり切っていたので、
上級生に交じってまきを取りに行くふりをして、どこかでメールやネットなどをする気満々だったのである。
自分の世界を形作る電子機器はどこであろうとかたくなに持っていこうとする男の子であり、
明らかにおかしいにもかかわらず指摘すらしてくれないまま、いってらっしゃい、光子郎さん、と
さみしい笑顔と共に見送られてしまった肩すかしは今も心に巣食っている。
おかしいだろ、それ、とサマーキャンプ先でからかい半分に指摘してくれた太一がどれだけうれしかったか、
きっと誰もわかりはしないだろう。とんだ天邪鬼である。
ひとりぼっちの少年は、いつだって友達の輪の中に入れてくれる誰かを待っている。
だから光子郎は明らかに小柄な体質で運動とは無縁であるにも関わらず、サッカー部に入ったのである。
ものすごく中途半端な時期に、ものすごく中途半端な学年で。
なんで外でパソコンなんかしてんだよ、お前、外なんだから外で遊ぼうぜ、
とたまたま公園でサッカーをして遊んでいたゴーグルの少年に声をかけられた瞬間から、
サッカー部に誘われたときに断わるわけがなかったのである。
もともと光子郎という少年は誰よりも誰かとコミュニケーションがとりたい社交性に飢えている矛盾した少年だったから、なおさら。



そのサッカー部で光子郎は世界が出来上がった。
ツートップを組んでいる関係で紹介された幼馴染らしい空、太一を慕うかわいいサッカー部の後輩である大輔。
とりわけ、今まで誰にも負けないという自負も自尊も人一倍ある自信家な男の子は、
だれにも自慢できないうっぷん晴らしと気晴らしに、いたずらをいっぱいしてきた。
ネット上にある機密情報をクラッキングして入手して、ネット仲間と面白がって回したり、
既製品を自主制作したコピー品と比べて完成度を競ったり、結構犯罪すれすれを通り越して
真っ黒すぎる分野にまで足を突っ込んでいるとんでもない少年である。
その過程でハーバード大学に在籍する小学生と知り合ったわけだが、その小学生もまたダーティないたずら大好きな子で、
意気投合してからはその過激さは勢いを増しており、すさまじいスピードで光子郎という少年を一つの分野の頂点に押し上げてきた。
おそらく両親が彼のこの一面を垣間見たら卒倒するに違いない。本気を出したらサイバーテロまがいなことまでしかねない子である。
好奇心旺盛な男の子である。悪乗り大好きである。魔改造大好きである。
今の選ばれし子供たちの中では下級生組にあたるので、まだ遠慮気味なのだが、
最高学年の初代パソコン部部長、しかもそのメンバーがみんな新しい選ばれし子供という新体制での最年長となれば、
バックアップする側となったらもう彼を止められる人間はいなくなってしまう。
一気に才能が開花するのは3年後。突っ込み不在で大輔の胃が空くのは時間の問題である。





そんな男の子が誰よりも信頼する太一がいなくなったら、
下級生の方針として待っているという選択肢を提示されたので素直に待っていることを選んだ。
自分の世界に没頭すると帰ってこなくなる石像に不満が大爆発したミミと喧嘩別れしてしまった光子郎は、
必ず太一は帰ってくる、約束したから、という約束を信じて待ち続けていた。
ましてやピラミッド迷宮には自分と同レベルそれ以上の技術と知識を持つナノモンという同士がいる。
言うまでもなく光子郎が残る理由としては十分すぎるものだった。
デジタルワールドの謎を解き明かしたいという探求の選ばれし子供と、
マシーン型の起源を知りたいというワクチン種は、意気投合である。
テントモンもガジモンも置いてきぼりだ。
水を得た魚は、まるでスポンジのようにマシーン型のデジモンの講座を受講し、デジ文字の遺跡を徹底的に調べ始め、
デジタルワールドという異世界のたどってきた歴史を知り、ロマンを感じるのである。





この異世界には光子郎もどこかで聞いたことがあるような、お伽噺の世界の歴史が繰り返されてきたのである。





デジタルワールドは四聖獣という朱雀、白虎、玄武、青竜という京都の守護獣とよく似たデジモンが東西南北を統一し、
それぞれは、3体ずつ完全体の十二神将(デーヴァ)を従えている。
残念ながら具体的な名前やどういうデジモンなのかは記述されていない。
四聖獣のレベルだという「きゅうきょくたい」っていうのはいまいちよくわからない光子郎である。
ナノモンは伝説のデジモンらしいと補足する。よくわからないけどすごい奴なのだろう、たぶん。
その配下は不思議なことに、十二支を模している。
一時期、北と南を守護する「きゅうきょくたい」というものすごいデジモンが守護するはずの方位が反対になり、
大陸が消滅、時間軸がずれたという異常事態になったことがあったらしい。
デジモンが世界を形作っていることを思わせる記述である。





データが実体化して生きているデジタルモンスターだから、いろんな勢力があるらしい。
四聖獣の青竜は、神に最も近い竜のデジモンである3つの聖竜と考えられ、
神の啓示を受けた神竜系の頂点を司る竜、再生と破壊を司る小龍ながら両腕に竜種族中最強の魔力を秘めている竜と共に、
強大な力でデジタルワールドにより封印された1つの邪竜とバランスを取っているらしい。





そして、マシーン型の起源が記述された碑文がみつかった。解析はフルスピードである。





はるか昔、デジタルワールドには鋼の帝国が存在していたらしい。





機械をベースにして感情や意志を持たないデジモンと、生き物の肉体をベースに作られた対になるデジモンが生み出された。
しかし、後者は感情のオーバードライブを起こして、セトモンのように暴走してしまったため、封印されたとのこと。
鋼の帝国はサイボーグ型デジモンの起源となるデジモンを作り上げた。
やがてマシーン型、サイボーグ型デジモン達が彼らの手を離れて帝国を作り上げるまでにデジタルワールドで一大勢力を作り上げた時、
鋼の帝国は上記の4大竜と接触。
そして、目覚ましい技術革新が起こり、竜と機械が融合したデジモンが誕生する。
対空迎撃用デジモン、対地迎撃用デジモン、水中迎撃用デジモンが開発され、
改造、改修、強化、改造、を繰り返し、急激に発展を遂げた。明らかなる争いの火種である。
よって、デジタルワールドを守護する最高位であるロイヤルナイツという謎の聖騎士集団が、
4大竜と鋼の帝国の監視を行っていたという。


「アンドロモンがいたあの工場は、鋼の帝国の名残だったんですね。
部品を作っては分解するというよくわからないことをしていたんですが」

「われわれマシーン型、サイボーグ型デジモンは、それぞれがトップクラスの技術を持っている。
それがいわば存在意義だ。居場所だ。守り続けているのだ。故郷がなくなってもなお。
おそらく、失われた技術、知識は多岐にわたる。
だが、平和となった今のデジタルワールドには必要なきものだろう。
私は起源が知りたいのであって、鋼の帝国を復活させようなどとは思わん。
私は修理屋だ」

「そうですよね。そのほうがいい」

「ロイヤルナイツというのは、今とは比べ物にならないデジタルワールドが存亡の危機となった時、
現れるとされているようだな。その勢力に危惧されるような帝国だ。ほろんで正解だろう」

「……あの、ロイヤルナイツ、対立が目撃されているってありますけど」

「いうな」

「え、えっと、記述があいまいでよくわからないものもありますね。
はるか昔に、火、水、風、氷、雷、土、木、鋼、光、闇の
「きゅうきょくたい」デジモンがいたって、これだけじゃよくわからないな」

「オリンポス十二神もだな。具体的な記述があるのは、一体だけか。
ロイヤルナイツと同等の力を持ち、領土を守りつつ共存している謎の集団。
何が起きようとも徹底した中立を保ち、デジタルワールドを見守る存在。面白い組織だ」


そして、彼らは背反する勢力へと記述が下る。


七大魔王という勢力がある。
強大な力を誇る七体の魔王型デジモン達であり、それぞれがここに独立した存在として君臨していたとされ、
それぞれの関係は薄く、仲間意識は薄く、具体的な協力関係は記述では確認できない。
具体的な記述が確認できる。どうやら七つの大罪がモデルのようだ。
神に作られた身でありながら、神に追放された聖と邪の究極魔王の傲慢を筆頭に、
ベヒーモスで駆け獲物を狩る孤高にして残虐な魔王の暴食、
強大な顎で世界を飲み込む大海の魔王の嫉妬、
怪しい力で魅了し金色の爪で腐食させる暗黒の女神である色欲、
かつて善を司りながら闇に堕落した逆襲の大魔王の憤怒、
魔力解放狡猾にして強欲なる老魔王の貧欲、
千年に一度目覚め門の底より迫りくる大魔王、怠惰
それぞれが、太陽、木星、火星、土星、金星、水星、月を模していている。


「どうした?」

「いえ、なんでもないです。なんだか、本当に異世界だなって思って。
きっといたんでしょうね。太一さんと同じ名前の人が七代魔王の一人と戦ったわけだし」

「そうだな。そのパートナーはロイヤルナイツに加盟したと書いてあるが、ロイヤルナイツの結成ははるか太古の筈だ。
 随分時代が下っているぞ。てっきり同一のデジモンが在籍しているものと思っていたが、まさか世襲制なのか?
 まあいい。やはり、デジタルワールドにおいてもっとも記述が深いのはこのデジモンになるか」


「神の申し子ですか、ほんとに僕たちの世界と似てますね。
なんだっけ、神様になろうとして一番最初に地獄に落とされた……えーっと、だめだ、
この分野はミミさんの方が詳しそう。古代ワールド期かあ、ブイモン何か覚えてないかな」

「いや、記述的にこのデジモンが降臨したのは記述があいまいな
10体の「きゅうきょくたい」デジモンが出現した時と同時期だ。
時代は下るだろう。あのデジモンは純正の古代種だ、覚えておるまいて」

「すごいですね、成長期なのに完全体並み、白い羽が12枚、エンジェモンの倍……。
3大天使を作って善の勢力の頂点だったのに」

「世界を破滅に導こうとして封印されるか。しかも、封印を破って魔神になって降臨、デジタルワールドを崩壊。
・・・・・・・では我々のいるデジタルワールドはなんなのだ。謎は深まるばかりだな」

「思っていた以上にすごい世界なんですね、デジタルワールドって。
データが実体化したってだけじゃなさそうだなあ」

「そうだな。私も驚いている」


神の申し子が率いるはずだった善の勢力は以下のとおりである。
神の申し子の側面を3つに分断した3大天使。神々の集団を統率するデジモン達である。
神の正義と秩序の守護者の熾天使。
神の膨大な知恵を管理する智天使。
神の深い慈愛を体現する座天使。
天使系、神聖系の頂点に立ち、デジタルワールドの神の領域を守護している。
そこには厳格な階級と戒律がある。10枚の羽を持つ究極体デジモン、が中級クラス。
さらに下には8枚の羽根をもつ完全体デジモンがいる。
中でも、その完全体デジモン他下級天使たちを監視、管轄する重要な役割を持つ天使がいる。
下級クラスになると6枚の羽をもつ成熟期デジモン、4枚の羽を持ち戦いの先陣を切る天使、
2枚の羽をもつ天使、戦闘力はないが幼年期の小天使と続く。
ホーリーリングを身に着けた聖獣や神聖系デジモンで構成されるとされている。
しかし、その聖獣の中にはかつてロイヤルナイツの監視をうけたはずの4大竜のうち一体がこれをつけている。
神聖の証であるはずのホーリーリングを持つ者がいる。かつて敵対する鋼の帝国側であったにも関わらず、
ロイヤルナイツ側とされる中立な神聖側に寝返ったのは何か意味があるのだろうか。


「ホーリーリングは中立の証だ。許されたのだろう」

「でも、ふつう、かつて敵側の勢力で裏切ったんなら、監視とかつきそうですよね」

「そうだな。この勢力は厳格な戒律があるようだ。息がつまりそうだ」

「デジタルワールドもいろんな勢力があるんだなあ」


そして最後になる。光子郎とナノモンは沈黙した。


「箱舟計画、ですか」

「ずいぶんと物騒な記述だ。デジタルワールドがもう一つのデジタルワールドを作り、
必要なデジモンだけ移していらないデジモンは排除か。すさまじいな」


プロジェクトアークと書かれている。
日々数を増やし続けるデジモンによりデジタルワールドは不規則な進化や多様な進化をしたため神の逆鱗に触れ、
選ばれたデジモン達以外は旧デジタルワールドに残したまま、
残されたデジモン達は神によりウイルスをばらまかれて滅亡とある。
だが抗体を作ったデジモンと排除しようとするデジタルワールドで戦争が起き、
デジタルワールドは選ばれたデジモンと排除されるはずだった抗体を持つデジモン達の世界に分断された。
以下はそれぞれの歴史が紡がれている。


「………新しいデジタルワールドの記述は見ているだけで不快になってくるな。
我々が何をしたというのだ」

「パソコンの中だから限界があるのかな、でも、これは……」

「ああ。まるで実験場のような扱われ方だ。むちゃくちゃではないか。
ゴーグルをつけたあの小さいほうの選ばれし子供の言葉が身に染みる。
我々は生きているのだ。デジタルワールドというこの世界で、電気という酸素を吸
いながらな」

「僕たちでできることがあるのなら、この予言はなかったことにしたいですね」

「予言が的中しないことを祈りたいものだな」

「はい」


こうしてナノモンと共同作業で行われたデジ文字の解析が終了するころには、
すでに3週間が経過していた。まだ選ばれし子供たちは帰ってこない。


「光子郎はん、光子郎はん、やっと終わったんでっか?」

「あ、テントモン、いたんだ」


がくっとずっこけるテントモンである。


「ひ、ひどいこと言わんといてえな、光子郎はん。わて、ずーっと光子郎はんのこと待ってたんでっせ。
光子郎はん、ナノモンと意気投合して、わてのこと置いてきぼりですがな」

「入ってきてくれてもいいのに」

「いや、もう、無茶言わんといてーな、わてあそこまでどっぷりな世界ついてけまへんて。
なんか二人の世界で入れまへんて。忘れてましたやろ、わてのこと」

「・・・・・・・えーそんなことないよ」

「えーて。わて、光子郎はんのそういう知りたがりの探求心すきでっせ。
光子郎はんらしいから。でも」

「でも?」

「今日、寝たのなんじでっか?」

「え?えーっと、何時だっけ?」

「もー、堪忍してえや。気を付けてえな。ナノモンはマシーン型でっせ。
電気が常に充電できるあのデジ文字の遺跡部屋やとフル回転できるけど、
光子郎はんは人間でっせ。なんかあったらわて何していいんだかわかりませんて」

「ごめん、気を付けるよ」

「あーもー、何度目かわかりまへんよ。ちょっとは休憩入れんと。
ほら、ガジモンたちが休憩の準備してくれてますから、いきましょーや」

「大丈夫だよ、まだまだやりたいことがいっぱいあるんだ」

「ちょ、光子郎はーんっ!」


行ってしまったパートナーに、テントモンは追いかけようとするのだが、
光子郎が吸い込まれていったナノモンの城は立ち入り禁止のマークが点灯した。


「光子郎はん……」


さみしそうなテントモンの声が本当はお母さんと呼びたい女性と重なった気がして、
一瞬振り返った光子郎だが、首を振る。
パイナップルマークのノートパソコンに魔改造しよう、
デジモンの図鑑であるデジモンアナライザーの作成データを発見したというナノモンの大発見に打ち消されてしまう。



そして、一週間が経過した。





デジモンアナライザーが出来上がり、テントモンに見せようと探し回る光子郎である。
ガジモンたちに聞いてみる。だが、ピラミッド迷宮にテントモンの姿はなかったのである。



一か月がたとうとしていた。




[26350] 第十一話 母なる英知 アトラーカブテリモン
Name: 若州◆e61dab95 ID:238f8daa
Date: 2013/08/03 00:31
冷凍庫を開いたエプロン姿の清楚な女性は、ひんやりとする冷気をそのままに、
ほっそりとした手を伸ばす。
昨日の晩、沸騰させた水道水を冷まし、ケースに流し込んで固めたケースのすぐ下に
あるプラスチックケースに手を伸ばす。
氷ができると自動的に落下する仕組みになっているので、
いつでも丸みを帯びた氷は透き通っている。
付属の白いスコップで高級ガラスの紫がまぶしい
わが子専用のコップに放り込まれたガラスは、
からからからと清涼感ある音を立てて、コップの中で踊った。
そして彼女はすべて元に戻してから冷凍庫の扉を閉めて、
テーブルクロスの上にいったんコップを置き、今度は冷蔵庫を開けるのだ。
もちろん扉の内側には高級飲料から作られたキンキンに冷えた麦茶が常備されている。
あたりまえ、を許容している一人息子は両親の気遣いなんて
気付きもしていないのだけれども。
なにせこの子は4年前に一度光が丘テロ事件に巻き込まれて記憶を喪失しているのだ、
養子であるという事実を打ち明けようか打ち明けまいかで両親が判断するうえで、
大きな障壁となっているのは事実である。
また精神的ショックを受けて記憶が忘却の彼方になったのだとすれば、
せっかくサッカーを始めたことで、少しずつ元の社交的な男の子に戻り始めたというのに、
また内気でふさぎがちで自室に閉じこもりっぱなしの男の子に戻ってしまうではないか。
だから偶然、わが子を部屋から連れ出してくれた八神家の長男とその妹が
同じ問題を抱えていると知った時、泉家と八神家は共通のわが子に隠す悩みを抱える
同士としての家族ぐるみのお付き合いを始めたのである。
もちろん子供たちは何も知らないのだ、大人に守られているという事実など。微塵も。



閉じこもってばかりだったわが子が突然サッカー部を始めると
言い出した時には驚いたものの、外に連れ出してくれるお友達ができたと聞いた時には、
涙ができるくらいうれしかったので、彼女は全力で応援することを決めたのである。
レギュラーになれなくてもいい、補欠じゃなくてもいい、
外に飛び出して友達と遊んでくれるだけで、どれだけ元気を与えられるのか
きっとわが子は知りもしないのだ。
だから彼女は良家の令嬢でありながら、不慣れな家事をすべてお手伝い業者に
任せるのではなく、自分でするようになったのである。
せめてものささやかな応援をするために。
わが子はどうやら母親と父親のことが嫌いなようで、
サッカーの試合や練習の話題になるとあからさまに沈黙してしまい、
ごちそう様、と逃げるように食卓から自室に吸い込まれてしまう。
だから暗黙の了解なのだ。すぐにでも応援したくてたまらないのに。
お弁当を作って真っ白な日傘をさしてそれなりに人目を気にした
格好をしてほかのご家族と一緒に応援に行きたいのだ、
わが子が許してくれないからかなわない夢だけれども。



そして麦茶をたっぷり注いだコップをお盆に乗せて、
お手製のケーキを乗せてわが子のところに行くのである。
控えめなノックをすると返ってくる返事と共に、ガチャリとドアが開く。
こうしないと鍵をかけて出てきてくれないのだ。


「光子郎さん、そろそろお茶の時間にしたらどうかしら?
ずっとパソコンのお友達とお話ししていると疲れるでしょう?
今日はレモンパイを焼いてみたんだけれど、どうかしら?
お口に合うとうれしいんだけれども」

「・・・・・・・・ありがとうございます。
ちょっと今手が離せないので、あとでいただきます」

「で、でも、もう朝のご飯を頂いてからずっとお部屋にこもりっぱなしでしょう?
目が悪くなったら、サッカーの試合……」

「大丈夫です、ちゃんと一時間をめどに休んでます」

「クーラーもあんまり体に良くないのではないかしら?」

「夏の間はクーラーを利かせていないと電子機器に支障が出ると前説明したじゃないですか」

「ごめんなさいね、お母さん、光子郎さんみたいにパソコンに詳しくないからついていけなくて」

「………っ!もう、いいですっ!
用事を思い出したので、リビングに置いておいてください、あとで食べますから」


ばたん、と閉められてしまった扉である。ああ、まただ、と彼女は落胆するのだ。
どうしてもわが子はお母さんと口にするたびに不機嫌になる。
扉から出てこなくなる。母親でありたい彼女が母親となろうとするたびに、
どんどんかたくなになっていくのである。
やっぱり早く養子であることを正直にわが子に告げて、
しがらみをなくしてから一緒にお墓詣りに行って、家族を始めたいと亭主に申し出るのだが、
わが子の精神状態を鑑みるとまだ光が丘テロ事件のことも八神家は話していないのに
こちらが話したら連動して迷惑をかけてしまう、
また精神的ショックを受けて記憶喪失になったらどうする、
原因はいまだにどんな精神科医に見せても首を振られるだけなんだぞと
反対されてしまうのだ。逃げられない人間関係、牢獄の始まりである。
家族ぐるみのお付き合いがありながら、どうしてあちらのご家族はサッカーの試合に見に行けるのに、
私はいけないのだろうか、と彼女はひとり苦悩を抱えながら、どんどんぬるくなっていく麦茶を見つめながら泣くのである。
傍らには一緒に食べようと思って準備していたケーキと麦茶があったのに。









第十一話 母なる英知 アトラーカブテリモン










ガジモンたちの休憩所にやってきた光子郎をみたガジモンたちは、
ぎょっとして心配そうな顔をして近づいてきたのである。
大丈夫か?と意味不明なことを聞かれて光子郎は疑問符だ。
とにかく早くデジモンアナライザーをテントモンに見せて喜んでもらいたくて、ほめてもらいたくて
すごいでんなあって言われたくて仕方ないのである。そのために頑張ってきたのだから。
ガジモンたちは顔を見合わせた。


「なあ、選ばれし子供にとって、パートナーデジモンって大事なんじゃねえのかよ?」


テントモンがどこに行ったか知らないか、と聞きに行った光子郎を待っていたのは、
ガジモンの不思議そうな声である。


「え?あ、うん、大事ですよ?」

「じゃあなんでほっとくんだよ、一週間も」

「え?一週間もたってたんですか?」

「おいおいおい、大丈夫かよ、体内時間むっちゃくちゃじゃねえか。
ナノモン様に付き合ってたらぶっ倒れるから止めてくれってテントモンに言っといたのに。
てっきりお前と一緒にいるもんだと思ってたから、知らねえぞ?なあ?」

「おう。俺たち、いやってほどナノモン様にこき使われてきたから、わかってんだよ、
何事もほどほどが大事ってな。あそこ時計ないから、ナノモン様に付き合ってたら、
昼と夜逆転しちまうんだよ、こえええ。
テントモンは俺たちで探しとくからさ、お前、まずは寝とけ。
まずはその死にそうな顔何とかしろよ、見てるこっちが心配になんぞ」

「ったくもー、せっかくこっちは何度も休憩しろってノックすんのに、
ぜーんぜん気付かねえとかどんだけ集中力してんだよ、おかしいだろおい」

「徹夜は慣れてますから」


ガジモンたちのぶしつけな視線を頂戴した光子郎は、
パイナップルマークのノート型パソコンを抱きしめたまま、なんですか?と聞くのだ。


「・・・・・・・なあ、お前、いくつよ?
選ばれし子供ん中じゃちっせえけど、俺たち助けてくれた選ばれし子供と一緒位か?」

「ちっちゃっ!?ち、違いますよおおおっ!僕は小学校4年生です!
大輔君より2つも上ですよ!年上です!」

「ちっちゃすぎるだろ、身長」

「う、うるさいなあ!人が気にしてること、とやかく言わないで下さいよ!」

「いやそれ、明らかに寝てねえからだろ」

「え?」

「人間とデジモンはかわんねえってことは、大輔だっけ?あの選ばれし子供といろんなこと話すうちにわかったんだけどよ、
あっきらかにお前がちっせえの徹夜ばっかで寝てねえからだろ?お前らってあれだろ?
幼年期か成長期くらいのデジモンと一緒だろ?
水色のやつ、目を離すとすぐに寝ちまうんだよ。進化してもすぐに寝ちまうのは変わんねえらしいぜ?
だから、あーなんだっけ、成長期になったらどーんってでっかくなるんだって言ってたぞ、なんつったっけ?」

「寝る子は育つだっけ?」

「それだそれ!」

「・・・・・・・・そうなんだ。そういえばブイモン、チビモンよりすごく大きくなりますね」

「デジモンは寝てる間におっきくなるんだよ。人間も同じなんじゃねえのか?」

「さ、さあ?僕、まだ保健の授業習ってないからなあ……」

「興味のねえことはからっきしかよ。ナノモン様と一緒じゃねえか。
とりあえず、寝ろ。今すぐ寝ろ。とにかく寝ろ。
ぶっ倒れたらテントモンに怒られるの俺たちじゃねーか。鏡見ろ、鏡、
どんなひでー顔してるかわかるぜ。
そんな顔で会ったって心配されて、そのパソコンのやつなんて喜んでくれるわけねえだろ、あほか」


古代種の名前は分からないけれども、現代種の名前はわかるガジモンたちである。
突きつけられた鏡を見て、ようやく光子郎は今にも死にそうな顔をしている自分に気付くのである。
連日徹夜で、さすがにお風呂と朝の支度はするけれども、空のコピーが寝ていた診察台を借りて寝ていたのだ、
そんなもの寝てないようなもんである。
体を休められるわけがないだろう、早く早くと体が急いて、せっかくバスタブあるのにシャワーで済ませたのだ。
ああ、そういえば、とようやく変なテンションになっていたと気付いた光子郎は、
ガジモンたちに無理やり風呂場に放り込まれ、そのまま死んだようにまともな睡眠をとるために、
ソファに沈んだのである。夢すら見ない深い眠りについたのである。



そして、翌日。



光子郎はすさまじい轟音と揺れる振動で、ソファから落っこちたのである。
顔面直撃である。悶絶する光子郎のところに飛び込んできたのは、敵襲だ!というガジモンの声だった。
ピラミッド迷宮は大騒ぎになったのである。テントモンがいないことはもちろんのこと、
突然上空からUFOが現れて、上から電撃で攻撃してきたのである。
まるでピラミッド迷宮を探すかの如く。
隠れ家とするために大穴はいわゆる落とし穴のプロフェッショナルであるガジモンたちのカモフラージュと、
ナノモンのホログラム技術により完璧な隠れ家となっているのだが、
こうも上から攻撃されては揺れる揺れる。立って歩くのもやっとなくらいの振動の中、
光子郎はあわてて最深部にあるナノモンの古代遺跡まで転がるようにガジモンたちと共に突撃したのだ。


「見ろ、敵だ。まずいことになった、テントモンを探せ!」


ガジモンたちはあわてて上層部に向かう。
あわてて光子郎はパイナップル型のノートパソコンにあるデジモンアナライザーを起動させた。
UFOから顔を出したのは、典型的な宇宙人を模したようなへんてこりんなデジモンだった。
ベーダモンという完全体のデジモンである。
宇宙人に分類されているデジモンなのだが、これは移動式のUFO由来であり本体は正体不明だ。
実際は植物から生まれ変わったデジモンではないか? との研究報告もあるが、
頭部が大きいだけあり、とても頭がいいようだ。
必殺技は巨大なハート型の投げキッスで相手をフヌケにする悪魔の投げキッス、
そして光線銃から輪のような光線を放つアブダクション光線。
得意技は自作UFOから怪しい光を発するミューティレート。


「完全体!?どうしよう、まだ、テントモン進化できないのに!早く探しに行かなくっちゃ!」

「紋章とデジヴァイスは絶対に離すな!やつらの狙いは選ばれし子供たちをおびき出すつもりだ!
私はここの防衛で手いっぱいで動くことはできん!くれぐれも無茶はするなよ!」

「はいっ!」


ガジモンたちの休憩室にとんぼ返りした光子郎は、紋章の入ったタグを首にかけ、
リュックの背負う部分にひっかけてあるデジヴァイスを抜き取ると、
ガジモンたちが待っているであろう最上階に向かったのである。



ホログラム越しのピラミッド迷宮のあたりはひどい有様だった。
スフィンクスもどきのライオンの石像はすでにUFOから発射された謎の光によってなんと突然消えてしまったのである。
忽然と姿を消してしまった。まるでなかったかのごとく更地が広がる。
これではもうあちらにまで行って、ワープゾーンである古代遺跡のトンネルを使って逃げることができない。
テントモンが探しにいけない。明らかに袋のネズミである。
まずいまずいまずい、ここがばれたら入り口が丸わかりになってしまう。
ハラハラしながら、光子郎はあたりをうかがう。テントモンの姿は見えない。
まさかあの光に?いやな予感が迫ってくる中、
ベーダモンは手に持っている光線銃で手当たり次第に砂漠地帯を攻撃していくものだから、
無差別に穴がどんどん開いていくのだ。ひいい、とガジモンたちは戦慄して悲鳴を上げる。
光子郎はデジモンアナライザーで懸命にベーダモンの突破口を解析する。
すると、データが更新された。ナノモンからである。無線受信である。
それを見た光子郎は、これ、持っててください!と横から覗き込んでいるガジモンたちにパソコンを押し付け、
いきなり出口から外に飛び出したのである。
止めようとするガジモンたちを振り払って光子郎は笑った。
もし徹夜のままだったら間違いなく危なかっただろう。ガジモンたちのおかげである。


「ば、ばか、どこ行くんだよっ!」

「大丈夫です、テントモンと一緒に帰ってきますから、待っててください!」


光子郎は一目散にUFOに向かって飛び出したのである。


「僕ならここです!逃げも隠れもしませんよ!」


選ばれし子供がまんまとおびき寄せられたとにやりと笑ったベーダモンは、光線銃を発射しようとした。
しかし、それより前に、隠れ家を探すために無差別攻撃を仕掛けていたUFOの光線が出ている。
光子郎は迷うことなく飛び込んだのである。
ガジモンたちの目の前で光子郎は跡形もなく消えてしまう。
ばかあああ!というガジモンたちの声が響いた。
光子郎には確信があったのだ。デジモンアナライザーには追記してこう書かれていたから。
ベーダモンの得意技であるUFOから放たれる怪しい光、
ミューティレートを食らうと、宇宙空間に飛ばされる、と。




光子郎が飛び込んだ先に広がっているのは、宇宙空間である。
無重力のさなか、光子郎は懸命に叫ぶのだ。


「テントモン、テントモンっ!ごめんなさい!僕のことを誰よりも気にかけてくれたのに、無視してごめんなさい!
心配してくれたんですね?僕がどんどんやつれていくから、倒れるんじゃないかって心配だったんですね!
僕、自分のことばっかりに精一杯で、君がどんなときだってそばにいてくれたことすっかり忘れてたんだ!
僕のパートナーデジモンなのに、ナノモンとずっと一緒にいてごめん!
いらないんじゃないかって家出させてごめん!
それなのに、僕たちのいるピラミッド迷宮から少しでもとうざけようとして、一人ぼっちで立ち向かわせてごめん!
それなのに、それなのに、知的探究心が僕らしいから、大好きだって言ってくれてありがとう!
テントモンッ!どこだよおおおおおっ!」


デジヴァイスが光を放つ。


その先にいたのは、泡のような姿をしていて、多彩に行動でき様々な表情を見せる幼年期。
表面が泡のように不安定なため防御力が無く、生命力も微々たる物である。
口にくわえたおしゃぶりのように見える部分から、小型の泡を発生させ無限に増殖していく。
バブモンと呼ばれた幼年期は瞬きをした。光子郎のデジヴァイスがバブモンを包んだ。
興奮するとモチのように膨らむことからその名前がついた赤ちゃんデジモンがいた。
プヨプヨしていて、とてもやわらかい。また見た目からは想像できないほどの知性を備えており、
人間の言葉も理解する事ができるため、コンピューター内の辞典システムから誕生したと考えられている。
体を自由に変形させ時にはコミュニケーションを求めてくることもある幼年期2のデジモンは、
光子郎の名前を呼んだ。光子郎の雨粒が宇宙空間に飛び散って広がった。
そして、幼年期は成長期に進化する。


「光子郎はんっ……!」

「テントモン!やっと見つけたよ!僕は、僕は、君に褒めてもらいたくて頑張ってたんだ!なんで忘れてたんだろう!
僕がパソコンに夢中になったのは、お母さんに褒めてもらいたかったからなんだ!
お父さんに頭を撫でてもらいたかったからなんだ!
ありがとう、テントモン!君のおかげで思い出せたよ!僕の知りたがりの原点を!」

「光子郎はんならわかってくれると思ってましたで。
だたちょーっと一週間おそすぎやしまへんか?やりすぎでんがな」

「ごめん、本当にごめん!」

「さあ、いきましょ」

「うん。今ならきっと、僕たちならなんだってできるさ!
ナノモン達が危ないんだ、助けに行こう!」


光子郎がテントモンの手をつかんだ時、デジヴァイスが輝いた。
そして、光子郎の首元で宙に浮いている紋章が紫色の光を帯びて爆発したのである。
紫色に変化したデジヴァイスは、灰色の光を放つ。そして紋章を貫いた。
知識の紋章が回転しながら宇宙空間に立ち上っていく。
そしてその光がカブテリモンを覆い尽くした時、超進化は起こったのである。
呆然としている光子郎の前で、完全体となったパートナーデジモンは高らかに咆哮した。
アトラーカブテリモンと名乗った新たな進化形態は、翼を広げて光子郎を乗せるべく手を伸ばした。
アトラーカブテリモンは、カブテリモンが規則的進化したデジモンである
体が大きく、昆虫型のデジモンの中でも目立っているのが特徴的で、
青いアトラーカブテリモンとは違い、ジェット噴射で飛べる能力を身に付けた。
頭のツノがさらにかたくなり、攻撃力もアップした。か弱いデジモンを守る、
たのもしいデジモンだ。
必殺技は巨大なツノを突進し、突き刺すホーンバスター。
メガブラスターも健在である。


「ベーダモンを甘く見ると痛い目みるわよおう!」


アトラーカブテリモンに乗って宇宙空間から脱出しようとする光子郎だったが、ベーダモンが立ちふさがる。
悪魔の投げキッスがとんでくる。
動きを封じられたアトラーカブテリモンは、電撃を食らってがくんと飛行能力が落ちた。
落っこちそうになりながら光子郎が見たのは出口の扉である。
そうか、そこから入ればいいのか、よし。
ここはベーダモンの宇宙空間である。敵のホームグラウンドである。なら。



「アトラーカブテリモン、がんばってください!」


光子郎の声援を受け、アトラーカブテリモンはUFOの光線から吸い込まれてきた
たくさんのピラミッド遺跡の残骸を投げ飛ばして、悪魔の投げキッスを封殺する。
そして、電撃がとんでくる前に、宇宙空間に散らばる隕石を豪快に投げ飛ばしてかく乱させる。
加速することでメガブラスターで相手の電撃を相殺しながら突っ走る。


「いっけえええええ!」


真正面の隕石をホーンバスターで巨大な角で豪快に粉砕し、突進する。
隕石を破壊するのに手いっぱいだったベーダモンは、
やがて突然現れた巨大な昆虫型デジモンの必殺技を食らって投げ飛ばされた。
その隙をついて、入り口に駆け込んだアトラーカブテリモンと光子郎である。
光子郎は飛び降りて、宇宙空間に通じている扉を閉めて、鍵をかける。
そして、操縦者がいなくなったUFOが墜落する前に、
アトラーカブテリモンに乗って、見事ベーダモンを撃破したのである。
どおおおん、とUFOが墜落した。宇宙空間で反省でもしてるといいよ。


「やったあああああ!」


歓喜に沸く光子郎の声が響く。アトラーカブテリモンの声が響く。
突然UFOをぶっ壊して現れた巨大な昆虫型デジモンに絶句するが、
そこにいるのが選ばれし子供と気付いて、ガジモンたちはおーい!と手を振ったのである。
勝利の凱旋をしようとした光子郎とアトラーカブテリモンだったが、心なしか高度がどんどんさがっているような。


「あ、あれ?どうしたんですか?アトラーカブテリモン」

「・・・・・・・すんまへん、一気に進化したんで、疲れが」

「って、ちょ、待ってくださいよ、今、空飛んでっ!?うわあああああ!」


モチモンに退化してしまったパートナーデジモンと共に、光子郎は落っこちる。
ガジモンたちはあわてて追いかけるが間に合わない。
もうだめだ!と思った時、横から彼らを救ったのは。


「光子郎君、モチモン、大丈夫!?」

「な、なんで空から落ちてくるんすかあ、光子郎先輩たちい!」

「空さん!大輔君!チコモンにバードラモン!」


光子郎とモチモンは顔を見合わせていうのだ。おかえりなさい!



[26350] 第十二話 いにしえのきせき
Name: 若州◆e61dab95 ID:c647bada
Date: 2013/08/03 00:32
ぷしゅううううう、と大輔の頭の上に張り付いている水色から知恵熱の白煙が立ち上る。
くらくらし始めたのか、ふにゃふにゃになり始めて、目をぐるぐる回し始めたチコモンは、
べしゃりと大輔の頭の上で伸びてしまった。ぐだあああとなっている。
おーい、大丈夫かあ?って大輔は思わず心配になって声をかけるのだが、チコモンはうううううと涙目である。
ちらっとピラミッド迷宮最深部にある古代遺跡の予言の書のデジ文字をにらみつけるが、
早くしろ、とナノモンにしれっと流されてしまい、うわああん、となる。
大好きなパートナーには効果てきめんの上目遣いの泣き落とし、
徹底的に幼稚な仕草という究極コンボは、ナノモンには一切通じない。
選ばれし子供たちのパートナーデジモンの中に機械族のデジモンがいないため、顕著にしたことはないのだが、
実はチコモン、昔っから無機質で融通が利かない、マシーン型デジモンとサイボーグ型デジモンが嫌いである。
平和なデジタルワールドの象徴だから何とか許容しつつあるものの、やっぱり嫌いなものは嫌いである。
とりわけ、ナノモンは太一と同じくらい大っ嫌いになりつつあった。


「ぜんっぜん、わかんないよおおおおっ!」

「だからどうした、さっさと思い出せ」

「うわあああああん!だいしけええ!」

「ごめん、チコモン、オレ、デジ文字、寝ながら書いた鉛筆の跡にしかみえねえもん。
オレじゃむりだよ、ごめんな」

「うううううっ!TAMAGOTTIのばっかあああ!」


古代デジタルワールド期生まれのチコモンは、現在のデジタルワールドのデジ文字の文章が読めない。
TAMAGOTTIという遥か東方より来た、としか予言の書にも記述が残されていない謎の文明からもたらされたという文字と
古代デジタルワールド期の失われた文明より使われしデジ文字が混在となっているため、
なんでこんなにいっぱい増えているんだよう、とむくれながらも、大輔がなんて書いてあるんだと聞いてくれるので、
ただ今、現在進行形でナノモンから渡された50ものデジ文字表と26の古代デジ文字表をにらめっこ中である。
どうやらこの失われし遺跡の主であった文明の住人たちは、
古代デジタルワールド期とTAMAGOTTI文明が到来したとされる時期、以後に繁栄していたらしい。


「むあああああ!むりだよっ!なんでこんなにいっぱいあるのおっ!
おれたちのじだいは、26じしかなかったのにいいっ!」


うわああああん、とすっかり涙目である。勉強が大っ嫌いな大輔は心の底から同情するのだが、
スパルタのナノモン先生は一切妥協を許さない。記憶を失っていたころの方が優しかったのは気のせいか。
でも、チコモンは頑張るのだ。
大好きなパートナーがチコモンのことをいっぱいいっぱい知りたい、って言ってくれたのだ。
チコモンという古代種の数奇な運命も、残酷な事実も悲哀ももう二度と帰らない日々も、
帰りたいよう、帰りたいよう、みんなに会いたいよう、なんでおれだけ助かったの、
なんでおれだけなのおおって、時々、強烈なホームシックに見舞われて、
懐かしい夢の呪縛からだいしけだいしけって縋り付いてくる、この世界で一人ぼっちのパートナーデジモンを、
運命共同体なんだから、受け止めてあげる、って腕を広げてくれたから。
決心したのだ。己の古傷ともいえる原点を見つめなおす意味でも。
空と光子郎は、大輔がなっちゃんから聞かされた話をそっくりそのまま教えたことで、何やら話し合いがあるらしく、
ずーっと話をしていて、大輔とチコモンおいてきぼりである。パートナーデジモン達も見向きもしてくれない。
たぶん、ナノモンに巻き込まれたくないんだろう、薄情な人たちである。
まだイグドラシルという神様がイグドラシルというお名前じゃなくて、
セキュリティシステムなんていう細分化されたお役所仕事をするデジモンも居なくて、
全部一人でやっていたころの時代の話だ。
本当に途方もない昔の生まれなのである。古代種であるチコモンは。
古代デジタルワールド期の初期に一大勢力を形成し、一時は全世界を掌握したこともある覇権の持ち主、
その古代種において、頂点に君臨していた優秀な戦闘種族の末裔にして純粋な古代種の記憶は、生きた化石も同じである。
だから、一見に如かず、なのだ。まさしく。チコモンは唯一にして無二の当時の生き証人である。
というわけで、現在、チコモンはマシーン型の起源を知りたいというナノモンの犠牲者となっているのであった。


「ふむ、つまり、貴様はもともとフォルダ大陸生まれなのか」

「そうだよう」

「なるほど、では、ネイチャースピリッツ勢力の起源か」

「ねいちゃーすぴりっつ?」

「平和なデジタルワールドにおいて、多彩な勢力が今はあるが、
起源をたどればすべて、たった6つの勢力に到達するのだ。
平原や河川、森林の勢力を起源とするネイチャースピリッツ。
ネットの海に生息するディープセイバーズ。
悪魔や吸血鬼といった、貴様らの世界とかかわりが深いナイトメアソルジャーズ。
鳥や植物のデジモン勢力の起源であるウインドガーディアンズ。
そして我々マシーン型、サイボーグ型デジモンの起源であるメタルエンパイア。文字通り鋼の帝国だ。
最後に、聖獣や天使など貴様らの世界とかかわりが深いデジモン達、
悪や闇に対抗するデジモンの多くが所属し、
天使系のデジモンが配置されているウィルスバスターズ。
ただし、この勢力は中立と背反勢力と鏡写しな極端なやつらが混在しているのだ。
ロイヤルナイツと天使勢力は同じ勢力下だが、明らかにスタンスが違うのは貴様らがよく知っているだろう?」

「うん。ひっどいめにあったよね」

「もう許してやろうぜ、チコモン」

「だあめ、ずーっとからかうのにつかってやるんだーい。だってだいしけ、おぼえてないじゃんか。
あのとき、へたしたら、おれとだいしけきえてたんだよ?おこったってばちあたらないよ」

「そうかあ?」

「そうそう、そうやってからかってやんないと、まあたこのことしったタケルとトコモン、どっかーんってばくはつしちゃうよ?
せいじゅくきであんなんなのに、かんぜんたいで、どっかーん、ってなっちゃったら、
こんどこそ、おれたちしんじゃうってば。
なっちゃんも、バクモンもいってただろ?タケルたち、あぶなかったって」

「あーそっか。いがいとかんがえてるな、おまえ」

「だいしけのぱーとなーでじもんだもん、あたりまえのこといわないでよ」


頭から降ろされて、抱っこされて、もみくちゃにされて、うれしそうな笑顔のチコモンは、うにゃあああと甘えている。


「で、思い出したか?」

「はい」


プラグボムやめて、プラグボムやめて、やります、ちゃんとやります、とチコモンは向き直った。


「なんというデジモンかわかるか?」

「わかるにきまってるでしょ、ばかにしないでよ」


むくれるチコモンである。


《はるか昔、デジタルワールドには鋼の帝国が存在していたらしい。》


四苦八苦して読んだ記述にあっさりチコモンは肯定した。


「ほんとにあったよ。だっておれたち、こいつらとまけちゃったから、みんなしんじゃったんだもん」


「鋼の帝国か、メタルエンパイアというわけだな」

「うん。ましーんがたのでじもんと、さいぼーぐがたのでじもんの、
おっきいくにとおれたちがたたかって、おれたちがまけたんだよ」


機械をベースにして感情や意志を持たないデジモンと、生き物の肉体をベースに作られた対になるデジモンが生み出された。
しかし、後者は感情のオーバードライブを起こして、セトモンのように暴走してしまったため、封印されたとのこと。


「あんどろもんとぼるともんのことかな?」

「なに?アンドロモンはすべての機械型デジモンの祖先なのか」

「だから、あのこうじょうまもってるんじゃない?」

「なるほどな、そういうことなのか。
……いや待て、その工場とやらはファイル島にあるのだろう?
なぜフォルダ大陸の貴様らと戦争ができるのだ」

「しらないよ。おれたちのすんでたとこって、
すっごく、すっごく、せまかったんだよ?ふぁいるとうくらい」

「・・・・・・・・世界は広がったのか。もともと一つの大陸が分かれたのか、それとも」

「ちがうよ、あいつら、そらもうみもたいりくもおれたちからうばいとってったんだ」

「何っ!?」


《鋼の帝国はサイボーグ型デジモンの起源となるデジモンを作り上げた。
やがてマシーン型、サイボーグ型デジモン達が彼らの手を離れて帝国を作り上げるまで
にデジタルワールドで一大勢力を作り上げた時、鋼の帝国は上記の4大竜と接触。》


《そして、目覚ましい技術革新が起こり、竜と機械が融合したデジモンが誕生する。》


チコモンはうるうるである。


「ちこもん?」

「ほら、いっただろ?おれたちとせんそうするために、そらもたいりくもうみもぶんどられたんだよ。
だからおれたちみんなしんじゃったんだ。おれたちにとっては、でじめんたるがすべてだったから。
それをあいつらはほしがったんだ。もっと、もっとって。さいしょはよかったよ。
でももっとがとまらなくなって、おれたちのちからのみなもとをとられてしまったから、
おれたちはなにもできないまましんじゃった。でじめんたるをつかわないしんかなんか
かんがえたことないよ。いらなかったんだもん」

「なんで?」

「おれたちはじゅみょうがみじかいから、でじめんたるのちからをかりてしんかしてたんだもの。
だから、おれたちはいのちよりだいじなでじめんたるをまもるためにいなきゃいけない。
 たたかうためにつかうってことは、もうすべてがおわったってしょうこなんだよ。
だから、おれたち、みんなをうしなって、でじめんたるまもらなきゃっていう、
いのちよりもだいじなものをまもろうってして、みんなのことかんがえなきゃいけないのに、
いかりやにくしみみたいなひとつのことにぬりつぶされたら、しんじゃうんだ。
おれたちこだいしゅはね、しぜんのちからをつかうから、すみかをはがねのていこくにぶっこわされて、
ちからのみなもとのしぜんをぶっこわされたら、でじめんたるがないとしんかできないし、
ちからもつかえないんだよ、だいしけ。
でも、にげないとしんじゃう。でも、でじめんたるからはなれたら、はなれただけ、
おれたちはじゅみょうがちぢんじゃうから、こわいこわいこわい、
しにたくないしにたくないたすけてたすけてってひとつのことにぬしつぶされちゃうんだ。
わけわかんなくなっちゃうんだ。みんなはがねのていこくにころされてく。
でもにげたらにげただけどんどんからだがきえてくんだ。
つうじょうしんかなくってもおれたちつよかったから。もうみんなゆきみたいにきえちゃった。
はがねのていこくとのせんそうは、もともとでじめんたるをもっていこうとするはがねのていこくが
おれたちのところにしんりゃくしてきて、まもろうってして、できなかったんだ」



古代デジタルワールド期、デジメンタルは巨大なエネルギー体である。
古代種はその力で進化していたので、純正古代種であるブイモン、
ホークモン、アルマジモン、遺伝子の色濃くのこっているパタモン、テイルモン
(ホーリーリングなし)の進化経路は自由自在であったことは明白なのだが、
基本的に集団行動が大前提の集団であったと思われる。
通常のアーマー体は成熟期と完全体の中間程度の力しか発揮できないとされ、
完全体ほどの進化体として力を発揮できるのは、メタル系のデジメンタル経由のみ。
まして、究極体の力を発揮できるのは、マグナモンだけである。
人工的に究極体を作り出すことができた鋼の帝国との争いは、どうあがいても絶望だった。


《対空迎撃用デジモン、対地迎撃用デジモン、水中迎撃用デジモンが開発され、
改造、改修、強化、改造、を繰り返し、急激に発展を遂げた。》


「おれ、このせかいに、ほんとに、ひとりぼっちなんだね、だいしけ」

「ちこもん」

「だってさぁ……おれたちのことぉ……ほんのちょっとしかぁっ……かいてないんだよぉっ!
おれたち、いっぱい、いっぱい、いたんだよ?
いまよりも、そらはちかくて、せかいはせまくて、とってもじかんのながれははやかったんだけどね、
それでもさぁっ、おれたち、いきてたのにぃっ……!」


あいたいよう、あいたいよう、みんなにあいたいようぅ、とチコモンは強烈なホームシックにかかったらしく、泣き始めてしまうのだ。
過ぎ去った時間は戻らない。大輔はぎゅーって抱きしめてあげるのだ。そして思うのである。
こいつにはオレしかいないんだなあって。きっと、死ぬまで一緒なんだろうなあって。
それもいいかもしれない。少なくても、こいつとなら、どこだって行ける。えぐえぐしながら、チコモンは言うのだ。


「おれがねてたりゆう、やっと、わかったよ、だいしけぇ」

「え?」

「だいしけ、おれ、いったよね?むかしはみんな、いっぱい、いっぱい、いたんだけど、みんなしんじゃったんだって。
だいじなものをまもろうってして、それだけであたまのなかがぬりつぶされちゃうとせともんになっちゃって、みんなきえちゃうって」

「うん」

「おれたちのせかいには、ぐれいもんも、がるるもんも、いたって」

「うん」

「でもね、あるひ、ぐれいもんも、がるるもんも、なんかすっごくおっきなきかいにつめこまれて、
どっかにはこばれちゃうんだ。おれたちもたすけようとしたんだけど、ぜんぜん、かなわなかったんだよ、だいしけ。
おれたち、だれにもまけたことなんかなかったのにさぁ。
みんな、みんな、しぜんのちからをつかってたんだけど、きいたの、かみなりと、ほのおだけだったんだ。
でじたるわーるどからもらったちから、しぜんのちから、せかいのこどうが、ぜんぜんきこえない、
きかいばっかりのやつだったから、ほかのちからつかえないやつ、みんなきえちゃった。
しんじゃった。ころされちゃったんだ」

「そんな」

「がるるもんとぐれいもんかえってきたんだけど、なんかきかいですっごくすっごくくるしそうなんだよ、だいしけ。
まっさおで、まっくろで、いろんなもんでごっちゃごちゃになっちゃってるんだ。
おれたち、いつもいっしょだったのに、おれたちにこうげきしてきたんだよ。
おれたちもがんばってたたかったよ。
だって、がるるもんたちをつかまえたおっきなきかいがおれたちにまできたから」

「もしかして」

「うん。はがねのていこくだとおもう。おれたちのなかまたちもいっぱいつかまっちゃって、
にどとかえってこなかったよ、だいしけ、なんでかわかるよね?」

「デジメンタルと離れたから?」

「うん。でじめんたるはおれたちにとって、いのちよりもだいじなものなんだ。
でじめんたるなくなったら、おれたち、しんじゃうんだ。
だっておれたち、ないたり、わらったり、おこったり、して、ちからをばーんってするから
だれよりもつよいんだけど、すっごくつかれちゃう。
それをつつんでくれるんだ。いやしてくれるんだ。
そばにいるだけであんしんできるんだよ、だいしけ。だいしけみたいにね」


ちこもんはすり寄る。


「すっごく、すっごく、おっきなちからのいしなんだ。
おれたちだけのひみつのいしだったんだよ、だいしけ。
これがなくなっちゃったらおれたちしんじゃうから。
でもね、あるひ、ものすごい、おっきなおとがして、
おれたちがいるもりもかわものはらもぜんぶぜんぶぶっこわして、あいつらはきたんだ。
おれたちがでじたるわーるどからもらったしぜんのちからのみなもとは、すっごくおおきなえねるぎーをつかうから、
きかいをうごかすのにつかうんだって、よこせって、おしよせてきたんだよ」


チコモンは泣きながら笑っていた。


「おれたち、こわくなってにげたんだ。
だって、あいつら、おれたちのしぜんのちからのこと、ぜんぶぜんぶしってるみたいでね、
さきにおれたちのすみかぶっこわして、しぜんのちから、つかえなくしたんだ。
おれたちはせかいのこどうをやどしてたたかうから、きかいのでじもんとは、
あいしょうがすんごくわるいんだ。
ふつうのしんかなんてほとんどしたことなかったから、はやくはやくにげようとして、
みんな、でじこあをこなゆきになるまですりへらして、しんじゃった。
みんなきえてくんだ。こわいようって。しにたくないようって。
でーたちっぷまきちらしながら、しんでくんだよ、だいしけ。
なんにものこらない、ゆきみたいな、なかを、ひたすら、ひたすら、おれ、はしってたんだ。
なきながらはしってたんだ。もうわけわかんないくらい、はしりつづけてたら、そしたら、とんでた。
えくすぶいもんになってとんでたんだよ、だいしけ。
でもね、えくすぶいもんになるのだって、すんごく、おれたちにとってはたいへんなんだ。
でじめんたる、ぜんぶ、ぜんぶもっていかれちゃったから、
もうおれはでじこあがつきるまでとんでるしかなかったんだよ、だいしけ。
そのうちまっしろなはねがきえはじめて、がくんてなって、おっこちて、
ああ、おれ、みんなといっしょにやっときえるんだなあって、
つかれたあっておもったら、きえてなかったんだ」

「え?」

「だから、いま、おれはここにいるんだよ、だいしけ」

「だれか助けてくれたのか?」

「うん。おれのいのちのおんじんがいるんだ、だいしけ。
おれはいっしょうわすれないよ、わすれてたけど、わすれないよ、もう。
ぜったいに、ぜったいに。だって、おくれてごめんねって、これだけしかとりかえせなかったよって、
でじめんたる、おれにかえしてくれたんだ。ひとりぼっちでさびしくてないてるおれに、
もうひとりじゃないよっていってくれたでじもんがいるんだ。
もう、だいじょうぶだよって。ゆっくりおやすみって。
だからおれ、だいしけがきてくれるまで、そのときってやつがわかんないのにずーっとまってられたんだよ、だいしけ」

「なんつーでじもん?」

「おめがもんっていってた。がるるもんとぐれいもんがおれをたすけにきてくれたんだっておもったら、
うれしくてうれしくてないちゃった。きっと、ろいやるないつって、いう、でじもんだったんだよ、だいしけ。
おれをおこしてくれたおにいさんのほうのげんないさんとぴっころもんとおなじにおいがしたから」


いうまでもなく、チコモンが出会ったそのデジモンは、
ロイヤルナイツの始祖にオメガソードを託したロイヤルナイツが一角、最後の名を持つデジモンである。


《明らかなる争いの火種である。
よって、デジタルワールドを守護する最高位であるロイヤルナイツという謎の聖騎士集団が、
4大竜と鋼の帝国の監視を行っていたという。》


「本来、古代種を淘汰していた機械型のデジモンが融合しただと?まさかそれがロイヤルナイツの原型か?」

「わかんない。おれ、そのままねちゃったから。でもね、ひとつだけ、こころのこりがあるんだ」

「逃げちゃったことか?仕方ないだろ、死にたくないんだし」

「だって、おれたちににげろっていってくれた、でじもんがいたんだ。
 すっごくつよいやつらに、ゆいいつたいこうできるくらい、つよかったでじもんだから、
 みんなにりーだーってしたわれてるでじもんだったよ。
 もう、なまえ、おもいだせないけど」

「そうなのか?」

「さいごまで、さいごにのこったでじめんたるまもってるのみたんだ。
おれたちのことまもってくれて、ずっとかべになってくれたでじもんが、どうなったのか、
すっごくすっごくしんぱいなんだよ、だいしけ。
おれはこのせかいにひとりぼっちになっちゃったけど、ほんとうにひとりぼっちじゃないかぁっ……!」


もう今となっては確かめようのない現実である。



[26350] 第十三話 はじまりのまち
Name: 若州◆e61dab95 ID:51c18113
Date: 2013/08/03 00:33
デジタルワールドが選ばれし子供を選んだのは、1995年に発生した光が丘テロ事件
という不測の事態で発生した出来事により解析されたからデータからである。
予言の書による啓示で、この世界における200の年月をかけて、
セキュリティシステムの末端であるエージェントたちのみで極秘のうちに準備された。
選ばれし子供たちのためにデジヴァイス、紋章、タグが開発され、
パートナーのデジモン達が今はナノモンの迷宮ピラミッドとなっている地下室で誕生した。
裏切り者がいたことは分かっているが、それが誰なのか唯一の生き残りは頭を振るので
わからないままである。
突如、機械型デジモン達の襲撃を受けた秘密の地下施設は壊滅状態となり、
ゲンナイをのこしてすべてのエージェントたちが死んでしまった。
ゲンナイは残されたデジモン達とデジヴァイスをファイル島の守護デジモン達に
匿ってもらうことで逃げ延びた。
ダイノ古代境に残されていたはずの先代の子供たちが残してくれた闘いの記録、
通称デジモン黙示録はゲンナイを執拗に追いかけてきた機械型のデジモン達によって
根こそぎ奪われてしまったため、その全文を光子郎たちが見ることは叶わない。


唯一の手がかりは予言の書のみである。ナノモンが解析した古代デジ文字の記述によれば、
先代の子供たちによってかつて炎の壁の向こう側に封じられた者たちがいたという。
古代ワールド期という途方もない昔、融合という疑似進化手段がまだ存在したころ、
先代の選ばれし子供たちが封印するしか倒す方法がなかった者たちがいる。
本来ならばダークエリアに送られ、3つの選択肢を与えられるはずの未来、
現代、平行世界から作られたデジモンのような者たちである。
先代の選ばれし子供の一人の知識を頼りに、死にたくない、という一心で時間と世界を跳躍した彼ら。
どのようにして彼らが生誕し、時間跳躍の能力を得たのかは不明なままである。
5人目の選ばれし子供たちのパートナーデジモンが敵となって現れた発生の理由も。
古代デジタルワールド期、ダークエリアが存在しないブイモンのような種族が消滅という死を受け入れざるを得なかった時代である。
鋼の帝国の侵略により消滅の憂き目にあったデジモン達はたくさんいた。
戦いの終止符を打ったとされるロイヤルナイツが一角、オメガモン出現の前に、
予言の書に記されることすら許されない哀れな者たちは膨大な数に及ぶ。
ブイモンはオメガモンに救出された数少ない古代種の一匹である。
初めは哀れに思って共にダークエリアに行こうと手を差し伸べたのだろう。
ダークエリアでアヌビモンの裁判を受けるためにいわば、
「ダークエリアに送られるため」に10体のデジモン達は一つの塊となる。
しかし、あまりにも膨大すぎる消滅の憂き目にあった者たちの魂はやがて核となる
デジモン達すら覆い尽くしてしまう暗黒の塊となってしまう。
古代種であるブイモンがすっからかんになってしまうほどの途方もない過去からの跳躍である。
長きにわたる旅路の果てに、無数の意識の複合体となってしまったのが暗黒の力の正体ではないか。
なっちゃんから聞いた話、予言の書の記述、守護デジモンたちから断片的に聞いた話、
すべてを複合して、矛盾なく説明するにはこれしか考え付かなかったと光子郎はいう。
あんまり考えたくないんですが、と光子郎は難しい顔をしている。


「もしかしたら、先代の子供たちが戦ったという相手と僕たちの戦う相手は
 根本的に何かが違うのかもしれないですね。
 はるか未来からの侵略者と予言の書には書かれていますが、
 僕たちからすれば古代デジタルワールド期の封印がとかれて現れた過去からの来訪者です。
 未来なんていくらでも分岐するでしょう?
 当時から見ればその未来はきっと今のデジタルワールドのはずです。
 きっと彼らにとっては、この世界は故郷と呼べる世界ではないんでしょう。
 だから壊そうとしてるんだと思います。いや、作り変えようとしてるのかもしれない」

「ねえ、光子郎君。先代の子供たちは、倒せなかったんでしょう?私たちにできるかしら」

「大丈夫ですよ、空さん。同じ時間軸のデジモンではないから、倒すことができなかった。
 炎の壁の向こう側に封印するしかなかった。そう、書かれています。
 古代デジタルワールド期に現在の時間軸から干渉してるデジモンがいたんですよ、多分。
 僕たちがいるのは、その未来なんです。同じ時間軸にいる以上、きっと倒せますよ」
 

光子郎の言葉に、空は安心したように笑う。大輔は複雑な表情をこわばらせたまま沈黙している。
大輔の傍らには、光子郎の仮説を聞いて静かに息を吐いたチコモンがいる。
チコモンにとっては、あったかもしれない未来が敵として立ちはだかっている現実である。
覚悟を決めた古代種の生き残りは、目を開いた。そして、大輔を見上げた。


「だいしけ」

「なんだよ、チコモン」

「そんなかおしないでよ。おれはだいじょうぶ」

「でもよぉ」

「おれ、おもったんだ。きえてしまうくらいなら、なにがなんでもあがいてやるって。
 しにたくないって。デジモンにとっては、きえちゃうことがしぬってことなんだよ。
 ダークエリアでつみをつぐなったら、デジタマになれるんだってナノモンいってただろ。
 まつことはへいきなんだよ。おれたちはデジモンだから。
 でも、いまのあんこくのちからは、きえることしかのこされてないんだ。
 そんなの、あんまりだよ。だいしけ。
 だいしけにとっては、デジモンをころすことになるかもしれないけど、
 それによってしかみらいがみいだせないんだったら、おれはたたかうよ。
 また、みんなとあいたいから」


チコモンはいうのだ。古代デジタルワールド期に絶滅した種族の言葉は重い。
あまりにも強大すぎる過去からの来訪者は、現代である平和なデジタルワールドにおいて、存在自体が邪悪でしかない。
受け入れてもらえない、強制送還されてしまう、ひとりぼっちであると自覚するや否や悲願の時代に到達した歓喜は、
現代種に対する当然すぎるほどのねたみと嫉妬憎悪、殺意に変貌を遂げたんだろうと幼年期は予想する。
もし大輔と出会っていなかったなら、きっとその勢力にいただろうとチコモンはいった。大輔はショックをうけた顔をするが、チコモンの本音に何も言えない。
光子郎たちも言葉が見つからなくて、愛らしい外見とは裏腹に辛辣な物言いをするチコモンに沈黙である。


「だからね、わかることもあるとおもうんだ。だからおれはえらばれたんじゃないかな。
 たいせつなものをまもれるようにって」
 
「大切な物?」

「おれ、おもってたんだ。おれたちのじだいにも、ダークエリアがあったらよかったのにって」

「そうか、古代デジタルワールド期にはダークエリアはもちろん、
 デジタマになれるという転生の法則なんてなかったんですよね?チコモン」

「うん。それがおれたちのじだいと、このじだいのいちばんのちがいなんだ」

「もしそれが本当なら、ゲンナイさんが完全体があんまりいないファイル島に向かったのも納得できるわね、光子郎君」

「そうですね。なんとしてでも守らなければならない場所があります。だからゲンナイさんはサーバ大陸の秘密基地を放棄してまでファイル島にきたんだ」

「え、どこっすか?」

「はじまりのまちだよ、だいしけ」

「え?はじまりのまち?」

「すべてのデジモンははじまりのまちでうまれるんだ。
 ダークエリアにいっちゃったデジモンがうまれかわるのも、
 しんじゃったデジモンがうまれかわるのも、みんなはじまりのまちなんだ。
 あんこくのちからにとっては、いちばん、あっちゃいけないばしょなんだよ。
 しんじゃったデジモンは、いきかえらない。なんにものこらないできえちゃう。
 おれたちのじだいのあたりまえをいちばんひていしてるのが、あのエリアだから」

「そっかあ。死んじゃったら生き返らないってオレたちの世界みたいだなあ」

「この世界の在り方まで変えてしまいそうですね。
 生まれ変わるというデジモン達にとって一番大切な概念の否定ですか。
もしそれが実現したら恐ろしいことになりますよ」


おそろしいこと。みんな顔を見合わせる。


「残念やけど、光子郎はん。それはきっと簡単なことでっせ」

「え?どうしてですか?」

「はじまりの街が陥落したら終わりやっていうことですわ。
 なにせワイらデジモンは、生まれ変わる時にデータチップにある記録を転写して、
 デジタマになるんでっせ?だから転写できるほどのデータがないと消えてまう。
 基本的にデジモンは生まれ変われるんやけど、例外がひとつあるんですわ」

「例外?」


先を続けたのはピヨモンだった。


「幼年期にはね、2つの姿があるのよ。チコモンが幼年期1ならチビモンが幼年期2ね。
幼年期1のときに死んじゃうとデジタマになれないのよ。
 データが小さすぎて転写できずに消えちゃうの。
 だから幼年期1のデジモン達は始まりの街で守られながら暮らしてるのよ、みんな。
 幼年期2のデジモン達は始まりの街からでても大丈夫だから、ピョコモンやコロモンはみんなで暮らしてるの」


誰から教わったわけでもない。デジモン達にとって本能ともいうべき事実である。
生まれた時からデジモン達は知っている。
幼年期1のデジモン達しかはじまりの街にいる理由をしった子供たちは、感心した。
 

「はじまりの街には幼年期1のデジモン達しか住んでませんね。
 なるほど、暗黒の勢力によって襲われたらひとたまりもないってことですか」

「……なあ、チコモン。もしデジタマとか襲われたらどうなっちまうんだよ」

「あのときのなっちゃんみたいになるよ、だいしけ」

「……ぜってーダメだ。そんなことオレが許さない」

「そのいきだよ、だいしけ。おれたちにしかできないことはきっとあるんだ。がんばろう」

「そうだよな、うん、わかった。がんばろうぜ、チコモン」


決意を新たに、子供たちはナノモンから敵勢力の現状を聞くことにするのだ。
平和を謳歌する現代種に対する復讐心は、本来、ダークエリアに送ってもらうはずの跳躍すら忘却され、
世界の崩壊を目論むようになるのは、時間の問題だったに違いない。
そして外からのお客様である過去からの来訪者は、暗黒の力となったおぞましいなにかは、瞬く間に侵攻を開始した。
それが200年前のことである。エージェントたちは真っ先に狙われたというわけだ。
そして、本来、先代の選ばれし子供達の代わりに知識と経験を授けるはずだった
4体のパートナーデジモン達、四聖獣が狙われた。
かつて己らを封印の憂き目に会わせた憎き宿敵をまずは真っ先に狙ったのである。
圧倒的な勢力で攻撃を仕掛け、4方位を守護する四聖獣デジモン達は
方位と位置、名前がずれてしまうだけで、大陸や時間軸がずれて大災害となるため、
それを防ぐために世界の崩壊を防ぐために暗黒の力との拮抗を余儀なくされ、封印状態となる。
暗黒の力はこれでも十分すぎるほど抑圧されたものなのだ。
本来の上司を失ったセキュリティシステムは、さらなる上司との不慣れな連携を強いられる。
その200年間がデジタルワールドにおける暗黒の力の侵攻とデジタルワールドとの戦いの歴史である。
暗黒の力は連携のうまくいかないセキュリティシステムを利用し、
デジタルワールドが用意していた選ばれし子供達という最後の切り札である救世主を援護するバックアップ体制を壊滅させる。
守護デジモンを暗黒陣営に引きずり込み、選ばれし子供たちに架空のウイルス種という名の敵をねつ造、
強烈な偏見を持たせて、破壊活動の一助を担わせるという行為に打って出た。
デジタルワールドが光が丘テロ事件の発生後に行った意図的な記憶の改変、忘却が、
皮肉にもそれを後押しする形となってしまう。
ブイモンがウィルス種に進化することで、ある程度緩和されることになったのは、何の因果かわからない。



行方不明になった選ばれし子供のパートナーデジモン達の行方は、現在進行形で代行の上司が急ピッチで解析しているところである。
万が一、デジヴァイスを喪失したとしても、ピラミッド迷宮という紋章とデジヴァイスを作り上げた本拠点が無事である限り、
一度作り上げたシステムである以上復刻、複製は可能だが、紋章は選ばれし子供本人のみが発動できる貴重なもの、
解析と制作に途方もない時間を費やしたため、何が何でも見つけ出さなくてはいけない。
間に合わない。ただでさえ暗黒の力の侵攻はもう王手寸前である。
これ以上の余談は許さない。想像以上の緊迫感に、空たちは息をのんだわけである。
そして、今、ピラミッド迷宮という本拠点を獲得するにいたった最大の功労者は、
ナノモンの古代遺跡あらため200年前のセキュリティシステムの本拠地最深部において、
光子郎からお願いしますと頭を下げられていた。


「なっちゃんもいってるし、僕はますますここから動くことができなくなったんだ。
他のみんながいつ帰ってくるかわからないし、説明できる人がいないとまたバラバラに
なっちゃうよ。
でも、なっちゃんからメッセージを受け取れるのは、今のところ、大輔君しかいないんだ。
お願い、頼むよ、ジュンさんからの大切なPHSなのは分かってるけど、
大輔君と連絡が取れないと僕たちはどうしていいかわからないんだ。
デジタルワールドでも僕の携帯電話と通じるように改造したいんだ、貸して!」

「あのー、いいっすけど、その、ぜってーちゃんと元に戻してくださいね?光子郎先輩。
ジュンお姉ちゃんに返すって約束してるから、ぜってー変な改造しないでくださいよ?
ぜってー!これ返す時、ジュンお姉ちゃんと仲直りするってきめてんすからあ!」

「あ、あはははははは、だ、大丈夫だよ、大丈夫!
デジタルワールドでも電話できるようにするだけだから。
電話番号覚えてね。僕の方も登録しとくから」

「なんすかその目」

「きのせいだよ、きのせい」

「・・・・・・・・・・」

「だ、大輔君は、空さんとみんなを探してほしいんだ。
バードラモンしか移動手段ないし、空さんと大輔君は離れられないんだろ?
バックアップは僕とナノモン達に任せてよ。サーバ大陸の情報は大丈夫だから。
完全体に進化するとデジヴァイスの色が変わって、ほかのデジヴァイスの場所がわかるみたいなんだ。
大輔君は空さんとミミさんを探してほしいんだ。
デジヴァイスの反応を見るに、一番近くにいるみたいだし、僕のデジヴァイス持って行って」

「はーい」

「あーあ、早く太一さん、2人の仲間連れて帰ってこないかなあ」

「一日が一分なんすよね?太一先輩知ってますっけ?」

「………僕たちで頑張って探そうか」

「はーい」

「じゃあ、空さん、準備できたみたいだし、いってらしゃい」

「はい、行ってきます」


安心してほしい。
魔改造されたPHSと携帯電話が完成するには約1週間かかった。
バラして、改造して、部品を埋め込んで、今までの過酷な冒険で結構故障寸前だったのを
見かねて特別加工までナノモンが口出しし始めたもんだからこれでもいい方である。
そして光子郎がこっそり仕込んでおいた内緒の機能が完成するのも拍車をかけた。
ミミの場所を特定するのに2日、これだけで一週間と少しが経過した。
その時点で1か月と3週間が経過しているのだ。もう2か月近くである。
太一たちはもうデジタルワールドに帰還するのは秒読みである。
ただ、太一たちがお台場から帰還する着地予定エリアは、
ピラミッド迷宮からすんごく離れたところであるのはもはや仕様の領域である。
全然連携がうまくいっていないデジタルワールドである。
選ばれし子供たちの苦労の半分以上はどっかの誰かさんのせいだろう。
そもそもデジヴァイスの中に紋章ぶち込めばこんな事にはならなかったのだから。
やはり考えることで生きている人間に、データの世界は勝てないのかもしれなかった。



[26350] 第十四話 囚われのお姫様
Name: 若州◆e61dab95 ID:51c18113
Date: 2013/08/03 00:33
「湖が見えてきたら、大きな岩山が見えると思うからまっすぐに進んで。
その頂上に立派な城郭があるんだけど、そこにはオタマモンとかゲコモンっていう、
オタマジャクシとカエルのデジモンがいるらしいんだ。
300年ほど前から、毎年恒例のカラオケ大会をやっているんだけど、
なんでも城の御殿様がカラオケ大会でブーイング受けてショックで寝込んでから目覚めてないそうだよ。
綺麗な歌声を聞かせたら起きるんじゃないかってやってるみたいなんだ。
たぶんミミさんはそこにいるんだと思うよ」


だそうっすよ、と大輔は空につないだ。ありがと、大輔君、と空は笑う。
ぴこぴこぴこぴこ、ぴこぴこぴこぴこ、という耳に残る電子音が空の左手でなり続けている。
オタマモンは、両生類型の成長期デジモンである。水の中で生活できるように進化したデジモンだ。
大きな尻尾で「ネットの海」上流の沼や川を泳ぎまわる、オタマジャクシである。
未発達の後肢は方向を変える舵の役割を果たしている。
また前肢で岩によじ登って、発声練習を始める姿もよく見られる。
成長期デジモンの中でも進化の仕方が特殊で突然変異の可能性もあると考えられている。
必殺技は、口から、相手を永遠の眠りに誘うアワを吐くララバイバブル
そして、ゲコモンはオタマモンが規則的な進化を遂げた両生類型の成熟期のデジモンだ。
みた目には想像も出来ないほど、心地よい鳴き声を奏でるデジモンであり、
歌声の秘密は、舌の3つの穴から発する和音と、首に巻かれたホーンで、
ハーモニー作曲ソフトで名曲ができたときに誕生するといわれている。
ゲコモンが音楽関係者のステータスシンボルとなっている。
必殺技は超高周波振動という、目に見えない音波で敵を内部から破壊するクラッシュシンフォニー


「もし、オタマモンとゲコモンが敵だったら危ないから気を付けて。
ララバイバブルで眠らされたら終わりだよ。
クラシックシンフォニーで内側から、爆発するかもしれないから」

「爆発ううう!?怖いこといわないでくださいよぉっ!」

「ってナノモンが」

「ナノモンんんっ!」

「最善を尽くすには最悪を想定するのが一番なのは当然のことだろう、何を言っておるのだ。
そもそも、今は暗黒の決選に向けた緊迫した状況下なのだぞ、少しは自覚を持たんか。
貴様は今まで薄氷の中を突破してきたにすぎんのだぞ。
貴様は、選ばれし子供の中でもネットワークセキュリティと直接連絡を取ることができる最後の要なのだぞ。
貴様が崩れたらすべてが終わる。それなのに貴様は警戒心が皆無なのだ。私のような者がいた方が締りが出るというモノだ」

「うあー、ごめんなさい」


大輔はがっくりとへこむのである。
ちこもんはだいしけだいしけ元気づけるために呼びかける。
ん、ありがとな、とへらりと笑った大輔は抱えたままの右腕を強く回した。
ぎゅうううっとされてチコモンは幸せそうである。
目を閉じてすり寄って大好きなパートナーの暖かさに包まれている。
デジメンタルでもあり、古代種の生き残りがダイノ古代境に眠っていることを知らないチコモンは、
ますます大輔にべったりである。
大輔がちょっとでも離れようとすると、だいしけえええって泣き始めてしまう。
どこおどこおひとりにしないでええって泣き始めてしまうのだ。もう24時間片時も離れようとしない。
ずーっと一緒だ。ほほえましいくらいに。
チコモンに引きずられるような形で、目をそらしたらすぐに寝てしまうチコモンに
付き合ううちに大輔もチコモンを抱っこしたまま眠ってしまったり、
無邪気に平和なサーバ大陸のちょっと素敵な風景を見つけたら使い捨てカメラでぱしゃりと空に取ってもらうのだ。
もし何にも映ってなかったらどうしよう、と大輔は心配したのだが、
使い捨てカメラという未知なる産物を見たナノモンに取り上げられてしまい、いろいろと解析された結果。
デジタルワールド内では使い捨てカメラであろうがデジカメであろうがデータは残るし、ちゃんと写真は現像するらしい。
現実世界に行ったデジモンは使い捨てカメラとかデジカメには映るのかしらん、と大輔はちょっと思ってみたりした。
残念だ、ファイル島取りたかったのに。特になっちゃんの花畑エリア。夢の中だから写真にとれない。
思考回路はどこまでも無邪気である。限りなく自然体な本宮大輔に近づきつつある。
精神的に完全に安心している証拠である。空はほっとしながら大輔にいうのだ。


「大丈夫よ、大輔君、ゲコモンは成熟期みたいだし、バードラモンがやっつけてくれるわ」

「まかせて」


バードラモンはいつだって強気である。守るべき者が常にそばにいるから。


「おれもだいしけのことまもるんだ!だいじょうぶ、だいじょうぶっ!」

「えー」

「どったの?だいしけ」

「なあ、チコモン、いつ進化するんだよ?」

「うえ?」

「いっつまでたってもチコモンのまんまじゃねえか。大丈夫なのかよ?」

「だいじょうぶ、だいじょうぶっ!」

「………まさかとは思うけど、もう進化できるくせにチコモンのまんまの方がかまってくれるから、
わざと進化しないとか言わねえよな?」

「だいじょうぶ、だいじょうぶっ!もうちょっとだけええ!」

「おいいいいっ!」


わかんないよう、しんかいつできるかなんてえ!しっらなあい!とチコモンは素知らぬ顔である。
油断も隙もないやつである。空とバードラモンという守ってくれる存在があるや否や、
だいしけだいしけってべたーって守られるべき立場を堪能することを選んでやがった。
あんだよー、ってむくれる大輔に、いーだ!とチコモンはまねっこをしてむくれるのだ。
どこまでももう一人の自分である。無邪気なほほえましい喧嘩はどこまでも周りの人間を和ませる。
チコモンは幼年期1のデジモンである。本来ならば時間経過でさっさとチビモンになっているような状態だ。
まさかとは思うが何か待っているのだろうか、本能が。


「だって、だいしけ、ちっさいから、おれがぶいもんになったらつぶれちゃうじゃんか」

「うっるせええ!つーかブイモンになってもおんぶとか抱っことかできるかよっ!」

「だいしけがもっともっとおっきかったらいいのにい。そしたらちびもんでもいいのに」

「オレだって早く大きくなりてえよっ!つーかぜってえでっかくなってやるんだ!ブイモンを肩車できるくらい!」

「ほんとか、だいしけ!」

「が、がんばる!牛乳とか一杯飲んでおっきくなる!」

「がんばれ、だいしけ!」

「おう!」


チコモンはそれはもうキラキラした目ですんごく楽しみにしてるから
はやくおっきくなってね!って応援してはしゃぎまくっている。
大輔にしてもらいたいことはたくさんあるのだ。
いつだってそばに誰かいて、一人ぼっちなんて絶対にありえないようなデジモンだった。
いっぱいいたチビモン達と順番に並びながら、じゃれついていたのだ。
それはもう朝から晩までずーっとみんなでべったりだった。
戦いの戦火の中にあったとしても、同種の仲間たちはかっこいいピッカピカのみんなのヒーローだったのだ。
大輔が一番尊敬していて信頼している八神太一と秋山遼という少年を見る眼差しをチコモンは大輔に向ける。
チコモンからすれば、チコモンやってくれて、デジメンタルやってくれて、
運命共同体で、パートナーやってくれてる大輔である。チコモンをまるごと受け入れてくれた子である。
もうべったべたに甘えたってかまわない唯一にして無二の存在なのだ。最強の相棒の降臨である。
大輔のお父さん像と全く一緒だ。キャッチボールとかサッカーとか、めったに帰ってこないお父さんの上からだいぶして、
今日は日曜日なんだからゆっくり休ませてくれって嘆くお寝坊さんをたたき起こしては、
はやくはやくとせっつくのがこの大輔という少年である。
ちなみにヤマトが野球部に入った理由も似たようなもんである。
やっぱりどっか大輔とヤマト、似てるのかもしれない。
それにしても、大丈夫かよ、現実世界に帰ったら明確な財布の死亡フラグが待っているというのに。
無邪気なサッカー部の後輩とパートナーデジモンを見るにつけて、空は思うのである。
なっちゃんがもう一人のジュンお姉ちゃんと分かってからの大輔の変貌ぶりは劇的である。
どんどん年齢相応のどっか抜けてるおっちょこちょいな大輔君を自然とできている。
意識してやっているから歪なのだ。
なんにもかんがえないで、頭の中すっからかんにしているから、この子は直感的に行動できる子なのだ。
もともと無意識のうちに全部やっちゃってる子だから、意識し始めると
それはもう10キロの荷物を20キロにして坂道昇るのと一緒だ。
頑張りすぎてがんじがらめになって牢獄の中に閉じ込められて自壊寸前まで追い詰められてしまう。
ということは。
ジュンお姉さんという人は、本来ならばこういう大輔君が世界で一番甘えられる人ということになる。
空はこっそり思うのだ。もしジュンさんが選ばれし子供だったらいいのになって。
私、リーダーなんてしなくってよくなるんじゃないかしら?って。
たしかジュンさんは中学校2年生、みんな小学生な選ばれし子供達からすれば、確実に丈より大人である。
誰よりも甘えんぼさんなのに誰よりもお母さんだからみんなに愛される空なんだけども、
甘えんぼさんだから甘えられる人が欲しいのに、このメンバーの中には空以上に年上な女の子はいない。
だからお姉さんだけでもきついのにお母さんまでみんなから押し付けられて重責務で潰れちゃいそうなところに、
大輔君という甘えてくれるかまってくれる上にひとりぼっちを共有してくれるおそろいの弟分の男の子がいて、
ピコデビモンからよりによって空のいいところを象徴する紋章が「愛情」なんて言われた。
一番空が欲しいのに誰もくれないところが一番いいところだって突き付けられるもんだから潰れちゃいかけたのである。
でも、それをいうなら丈先輩だって三男坊だって言ってた気がするし、なかなかうまくいくもんじゃないだろう。
なにはともあれ、無理にジュンお姉さんの真似をする必要もなかったかしらって今となっては思っていたりする。


「大輔君、ジュンさんと仲直りできたらいいわね」

「そうっすね!そしたら、オレ、ジュンお姉ちゃんを守れる!いまよりずーっと頑張れるッすよ!」

「仲直りできたら紹介してね」

「はいっ!」


ぴこぴこぴこ、ぴこぴこぴこぴこ、と耳に残る電子音が響いていた。
バードラモンは飛翔する。大きな大きな湖が現われた。スワンボートがちょこんとある。通り過ぎていく。
やがて見上げるような大岩が現われた。階段がある。
もしバードラモンがいなかったら、スワンボートで横断して、何百段上がるかわからない階段上がってミミに会いに行く羽目になる。
大輔はぞっとするのだ。たぶん、くったくたに疲れて、ひっどいこと言っちゃいそうだ。
ミミは大輔や空たち、いつまでも帰ってこない選ばれし子供たちが心配になって
パルモンと一緒に光子郎と喧嘩してまでピラミッド迷宮飛び出して、
乾燥地帯という過酷な環境下にたった一人と一匹で飛び出してくれたのである。
パルモンは植物デジモンだ。サーバ大陸に来て一番つらそうだったのは、ゴマモンとパルモンである。
砂漠地帯は過酷極まりないだろうに。本来ならばみんなを和ませるためにほわんとしてる人なのに。
そして、たぶん、倒れちゃったパルモンがお水っていうから、必死でおんぶしてここに辿り着いたのだろう。
そしてあれ?って思うのだ。ねえねえって空先輩の袖を引く。


「空さん、光子郎先輩、オタマモンって湖にいっぱいいるって言ってませんでしたけ?」

「いないねえ」

「ほんとだわ。誰もいないわね。何かあったのかしら?」

「ミミ達が心配だわ、空、大輔、しっかり捕まって」


空たちが頷くとバードラモンは、風を生み落して、一気に上空に駆け上がったのである。
オタマモンとゲコモンが連携して攻撃してきたらなすすべがない。
なるべく慎重に慎重にこっそり隠れてミミ達を探さないといけない。
もしかしたら、どっかに閉じ込められてるかもしれない。
空たちは、ここに到達するまでの間、ずーっとナノモンと光子郎のバックアップを受けながらミミ達を探していたのである。
いつまでたってもデジヴァイスの場所が動かないってことはいくらなんでも変である。
ピラミッド迷宮から飛び出してまでみんなのことを探してくれたはずのミミとパルモンが、
そのことをすっかり忘れてまでずーっといるなんておかしい。
なにかあったんだ、と空たちは心配になったのである。



そして、空たちはゲコモン達のお城に辿り着くと、慎重にぐるっとまわりを旋回して入れそうなところを探していた。
あった、と見つけた先は、真っ白なベランダがあった。
どうやら後ろっかわはヨーロッパに出てきそうなお城のようである。
まるでお姫様が住んでいるようなお城のような場所である。
囚われの御姫様だったら大変だ、と空たちはそこから降りた。
空が最初に降りて、大輔君って手を広げられて、大輔は硬直する。
いいっすよおおってなっさけない声あげて嫌がる大輔にわざと全力で嫌がらせをしながら、
ほらって手を差し伸べる空である。
もーっ空さあん!てむくれる大輔を笑い飛ばしながら、空は大輔をエスコートした。
オレ女の子じゃないっすよ、と嫌がらせの意図を把握した大輔が涙目で見上げてくるのだ。
面白すぎるだろう、これだから後輩いじめはやめられないのだ。
きゃいきゃい妹と弟みたいな大輔と空に、
チコモンとバードラモンから退化したのに褒めてもらえなくてほったらかしのピヨモンは
目を合わせて、うなずくと、同時に褒めて褒めてかまって構ってさみしいさみしいと大合唱である。
隠密行動もくそもない。そしたら、きいいって扉が開いた。
そこにいたのは、お姫様だった。よかった、ミミさんもパルモンも無事だった。
その安堵感から大輔は笑ったのだ。


「すっげえ!ミミさん、パルモン、お姫様みたいっすね!」


直球でいった褒め言葉。
無意識のうちに日々わけのわからん乙女心に振り回されている大輔は、女の子を不快にさせないすべが身についている。
だって間違えたら問答無用で拳骨飛んでくるんだもん、全世界の乙女に謝れっていう意味不明な問答と共に。
目を白黒させる大輔にいつだってジュンお姉ちゃんは厳しかった。
そして、ごめんなさいしたらぎゅーって抱っこしてくれるのだ。
ほっといたらわがまま放題で手のかかるやんちゃ坊主である。鉄拳制裁が一番手っ取り早いのだ。
だって口で言っても分かってくれないから、あめと鞭戦法である。
おかげで耐性ができたらケロッとしているせいで、
大輔とジュンの喧嘩はどんどん苛烈さを増していったわけだけども、原点なんてそんなもんである。
ピンク色の綺麗なドレスに身を包んで、傍らにはふわふわの綿毛をつけた扇。
まさしくお姫様である。クラスで一番の美少女らしいミミである。
ただでさえモデルばりの体格と魅力的な容貌というありえない組み合わせの美少女なのだ。
着飾ったら着飾るだけ輝く宝石の原石である。しかもミミは綺麗を頑張る子である。
人一倍みんなに愛される方法を知っていて、頑張れる子である。
大輔と一緒で実は弱点がない、初めから完成された完璧少女である。
選ばれし子供の中では実は一番最強だ。
よっぽどのことがない限り、ミミさんなら仕方ないの魔法の言葉で終わってしまう。
もしミミがいなかったら、ぎすぎすする選ばれし子供たちのムードメーカーは
大輔ひとりに負担がかかり、それこそ大輔は過労死で死んでしまう。
そもそもミミがいたら、シリアスが成立しない。
天真爛漫な空気に無理やりみんなを引きずり込んで、ほわんとした気持ちにさせてしまう女の子である。
唯一の欠点は空と共にぺったんこなことなのだが、まあ、それは仕方ない。
まだミミさんも空さんも女の子であって、女性じゃないし、とこっそり大輔はしっつれいなことを考えているのである。
でも、囚われのお姫様が欲しい言葉がそれじゃないのはそれじゃないのは空が一番分かっているので、
ぶんぶん、首を振って、あわてて窓を開けようとしているミミを見て、空は手を広げたのだ。


「迎えに来るのが遅れてごめんね、ミミちゃん。さみしかったでしょう?」


首がもげるくらい頷きながら、窓から飛び出してきたお姫様が空にダイブする。
そしてミミはわんわん泣き出したのだった。
もともとミミは空に甘えたかったのだが、空がみんなのお母さんをやっているし、
みんなのリーダーをやっているせいで、なかなか甘えられなかったのである。
いっつも上級生組は話し合いをしている。
みんながいた時には全然さみしくなかったから、ちょっと女の子のお話したいなあって思いはしたけれども、それだけである。
もともとお父さんからもお母さんからもお友達からもみんなから愛されているミミちゃんである。
待ってろって言われて素直に待っていたのに、だれも帰ってこない。
いきなりみんないなくなっちゃって、そばにいるのはナノモンとずーっとどっぷりで、
全然面白くないお話の世界にいる光子郎だけである。
テントモンすらほっときっぱなしの女の子が全然分かっていない野郎と
数週間共に生活できただけでも十分頑張った方である。
ずーっと一人ぼっちでみんなを探し続けて、死にそうなところに、歌声がきれいな女の子を探しているんだけど、
君ですかって声をかけられて、衣食住を保証してくれた。
みんないなくなっちゃったと心細かった彼女にはどんなにうれしかったことか、というわけだ。
でも、お殿様を起こしてくれって頼まれた。歌を歌ったら帰ってもいいよって言われた。
やだ、帰りたくない、一人になりたくない!もういや!だからミミはわがままなお姫様をやるしかないのだ。
用がなくなったら捨てられちゃうから。いつまでもいつまでも歌を歌うのを先延ばしにして、
お殿様を起こさないことで、みんなに囲まれようとした。
わがまま放題でみんなに嫌われるお姫様をやりながら、逃げられない囚われのお姫様である。かわいそうに。
それを説明した空に、しょぼーんとなる大輔である。
チコモンもマネしてしょぼーんしている。意味全然分かってないくせに。


「ミミさん、ごめんなさい」

「ううん、いいの、来てくれてありがと、大輔君」

「はい!」


さーどーぞーってミミお姫様に招かれた空たちである。本当に宝箱をひっくり返したような女の子の部屋である。
あわわわわ、とどぎまぎした大輔は、窓で硬直して動けない。
どうしたの?って首をこてんと傾けるミミに、空はくすくす笑った。そしていじめるのだ。
大輔が女の子の部屋は不可侵領域で、許可なく入るのはご法度、
ノックしないのは失礼で、たとえ恋愛関係であろうとも、節度は守らない奴は死ねばいいよ、
男の子は入っちゃいけないんだと教え込まれていると知っていながら。


「どうしたの?大輔君、入ったら?」

「空さあああん!」

「なあに?」

「空さんのいじわるううううう!」


うわああん、と恥ずかしいを知っている男の子はいつまでもベランダにいるわけにはいかないんだけど、
その先は女の子の部屋という究極の二択を突きつけられてひとり大パニックで自滅する。
ぎゃああああってなっている。
突然わけのわからない行動をし始めた大輔にビックリ仰天したチコモンは泣き出してしまう。
なんでお前が泣くんだよ、オレ」の方が泣きそうだわ!と大輔は叫ぶ。え?とチコモンはけろっとしている。
ダメだこいつ。いらってきた大輔は、なんでも真似っこする自分を鏡写しだと気づいていながら、同族嫌悪でむかってくる。
むにいいいって太一がやっていたように頭から降ろして、チコモンを引き延ばす大輔である。


「いひゃいいいいいっ!」


お?これはいい。むにむにだし、よくのびるし、おもしろいし、
やっとチコモンを怒る手段が見つかったぞって大輔は調子に乗って伸ばす。


「だいしけやめてえええ!のびるううう!」

「え?のびんのかよ」

「わかんないけど、なんかのびるううう!」

「おーし、どこまでのびるか試そうぜ」

「ひゃうっ!?にゃああああああ!」


なんなのこのいきものおもしろすぎる、とジュンが大輔にやっていた行為まんまである。
ちっちゃい子供のほっぺたはむにむにだ。
ついでにいうとくすぐり攻撃にも極端に弱いので、すぐに首元をくすぐられて首をすくめる。
次は枠の下、腹、横腹っていじめられて、涙目になって、ぎゃああああ!ってなるのが大輔である。
笑い死にしかけて悶絶している間に、大輔が見ていたテレビ番組を横取りして、
どけって足蹴にして、アイドルのコンサート見るのである。今は足蹴だけになってるけど。
お姉ちゃんのばかああって言ったら、ごめん、ごめんって謝ってくれる。
今は何にも言わずに自分の部屋に直行だけど。
ちょっとずつではあるが、仲が良かったころを自然にできている大輔である。
きっと大丈夫だろう。何があっても。大輔とチコモンは人の心を読む天才である。
空たちはすっかり、とんちんかんなコンビに引きずられて大爆笑である。
突然の大笑いに驚いたゲコモン達がやってくる。ミミはごめんなさいしていうのだ。


「私、歌うわ。今まで、みんなの嫌がることやってごめんなさい。私、帰らなくっちゃ」




[26350] 第十五話 願いなる風 リリモン
Name: 若州◆e61dab95 ID:51c18113
Date: 2013/08/03 00:34
「でっけえええ。なんか、だるまさんみたいだなあ」

「だるまではありませんげこ。この方がこの城の主であるトノサマゲコモン様ですげこ」


本来は広大な座敷部屋で、大あぐらをかきながら、この城に住んでいるデジモン達に、
いろいろとしてもらいながら、統率者として君臨しているデジモンなのだろう。
途方もなくでかいデジモンである。うつぶせで寝ているらしく、
豪快ないびきと共に、おなかが上下している。なんかひっつきたい気になるが、やめといた。
ゲコモンにすっぱりと言い切られた大輔は、ごめんなさい、と謝った。
頭の上のチコモンも一緒になってごめんなさいしている。
まあいいですけどねとゲコモンはカラオケセットが飾られているステージに、
選ばれし子供達とパートナーデジモン達を案内していた。
さすがは毎年恒例のカラオケ大会をしているだけはあって、ステージから、
マイクセットから、後ろのなんだかよくわからない機械までいっぱいである。
カラオケかあ、とまだ小学校2年生の男の子はお父さんたちに連れてってもらったのは、
数えるほどしかないのでいまいちよくわかっていない。へんてこりんな映像がテレビに出て、
時々全然あってない映像の下の方に歌詞が流れて行って、それを追いかけるように歌うんだっけ?
外で遊んでいるか、ゲームしているか、まだちっちゃくていけないところがいっぱいある
お年頃である小学生の男の子は、カラオケに興味津々である。
でも興味はそばにある楽器に移る。あ、ギターだ。ベースだ。
背面引きとか訳の分からないものをさせられそうになって逃げ出した大輔に、
京のお姉ちゃんはごめんねっていうのだ。うちの兄弟みんな音楽からっきしなんだけど、
なんでかお父さんがね、ベースとかギターとか大好きなのって。
子供にも教えたいのに、だーれも興味示さないからって、アタシが叩き込まれたのって。
そして、京はへったくそなんだけど、遊び半分でやったら大輔君すっごくすっごく上手なんだもんって。
調子に乗ってちょうき、じゃなかった、教えてあげたかっただけなのって。
褒められた大輔は、ぎゃーって逃げ出した一人部屋からちょーっとだけ顔を出して、
ほんとっすか?と聞いたのだ。上手?上手?オレ、全然音楽わかんないけど上手?
褒めてる?褒めてる?それって褒められてるのかしらん?って顔を出す。
おびき寄せられた無邪気な男の子は、大輔君ならクラシックの方が似合うかもねーて
言いながら、
ベースの弾き方教えてもらうというお教室が始まり、まんまと餌付け作戦成功と
京のお姉ちゃんは笑ったのだ。その先にはにやにやのジュンお姉ちゃんがいる。
無邪気な男の子はジュンお姉ちゃんを見つけて、なんかよく分かんないけどおもしろいねって笑う。
そして、だいたい数週間くらいだろうか。
京のお姉ちゃんが遊びに来るたびに、ベースをちょっとずつちょっとずつ教えてもらった男の子は、
ようやく一曲をひけるようになった。わーいって喜んで、ばかの一つ覚えみたいにひいた。
毎日毎日京の家に遊びに行ってひいた。ほかにも、っていろいろすすめられたんだけど、
初めて弾けるようになった曲があるから、なんかすっごくうれしくて何度も何度もひいたのだ。
だから、もう、感覚は覚えている。名前も知らない。歌詞だって知らない。
京のお父さんの想いでの曲なんだって言ってた。耳にずーっとこびりついている曲なんだって聞いた。
どこで聞いたのか、どこで引けるようになったのかわからないけど、
すっごくいい曲だって教わった。京のお父さんが初めて好きになった女の人のおうただって。
だからなおさら調子に乗ったのだ。だれかの大好きの歌である。喜んでくれるならなおのこと。
結局、ゆくゆくはジュンお姉ちゃんの陰謀であると発覚したので、一曲だけしか弾けないけど。
かっこいいバンドの男の子にするんだっていう壮大な陰謀を聞いてしまって、
があああんってなって、すねて、もう京のお姉ちゃんはジュンお姉ちゃんの味方で、
ミーハー仲間なんだって今となっては目の敵である。もう1年以上京の家には行っていないのだ。
今でもアイマートに行くたびに、大輔君、あの曲ひいてくれない?ってリクエストされるけど、
いやっすよーだってあかんべーしてつかいっぱしりをすませて直行で帰る毎日である。
すっごく残念そうな京のお父さんの顔を見るのがつらくて、もう京のおうちには遊びに行けない。
ミミはにっこりと笑った。


「大輔君、歌ってみる?」

「え?いいんすか?」

「うん」

「大輔君って歌うまいの?」

「え?さ、さあ?やったことないっす」


大輔恐る恐るマイクをもらって、歌ってみた。えっと、えっと。
テンパりすぎて、とんちんかんな歌詞が紡がれた。即興で替え歌できるのは天才かもしれない。


ぷっちんプリンを皿に乗せようとしたけど、うまくいかない?大丈夫、
明日は取れるよ。ぷっちん、って。きっとね。
のどにうがいをした後で、ご飯を食べる。
皿にフライドポテトを乗せて食べようとしたのに、買い物に入れて入れっぱなしの
僕のポケットにはしょうが湯がない。どうしよう、と汗で背筋が凍った。きっとね。


空は無言で傍らにあった鐘を鳴らした。ベルはいくつかなって大輔はわくわくである。
かーん。ベルはもちろん一つである。がっくりとうなだれた大輔である。
おかしいなあ、ベースだったら大丈夫だったのになあ、って。
絶対音感とかものすごいものはないけど、なんとなく、でできると思ってたんだけどなあ、って
ちょっと落ち込んでいる。


「大輔君、一応聞くけど、その歌詞は誰から聞いたのかしら?」

「え?太一先輩が歌ってました!なんかのアニメのエンディングだって」

「……まさか、歌い方まで真似してる?」

「え?ちがうっすよ、オレ、そこまで器用じゃないです」

「大輔君、どうしてリズムはあってるのに、ああも綺麗に音外せるの?ある意味才能じゃないかしら?」


容赦ない空先輩にうわああんとなる大輔である。


「まあ、太一もへったくそなんだけどねえ。
4年生の打ち上げでサッカー部のみんなでカラオケ行った時、あれはひどかったわ。
耳が破裂するかと思った」

「そうなんすか」

「その点、ヤマトくんは上手そうよね、歌」

「ハーモニカ吹いてますもんね」

「あれ、だれからもらったんすかね?お父さんとか?」


たしかヤマト先輩のおうちはお父さんと一緒に住んでいるはずだ。
さあ?と空は肩をすくめる。そこまで親しい間柄でもなし。家族まで聞くほどじゃない。
ただ、みんな思っているのは、初めてヤマトがハーモニカを吹いたあの湖、
おもえばどうして野生のデジモンは現れなかったんだろう?
みんな湖の戦闘でくったくたで疲れて寝ている間、見張り役のヤマトのハーモニカは響いていたのだ。
たき火はしているが、ハーモニカの音である。みんな子守唄みたいに思って全然気にしていなかったけれども、
ガルルモンがやっつけてくれたあのデジモンがまた怒って現れてもおかしくないのにって。
不思議だねえってみんな疑問符だ。


「ミミ様、お歌、お願いいたしますげろ」

「お願いしますげろ」

「うん」


ミミは、ほしにねがいを、と口にした。あれ?大輔は待ってくださいいいって思わず止めた。


「なあに?」

「どうしたの?大輔君」

「あの、その、それってなんていう曲っすか?」

「え?これ?I wish っていうの」

「あいうぃっしゅ」

「うん。ミミの大好きなお歌なの。おばあちゃんがよくミミに聞かせてくれた曲なの。
いい曲なんだよって。心が安らぐのって。だから、私、いつもお歌を歌うときはこの歌なの」

「………あの、あいうぃっしゅってどういう意味っすか?」

「私はお願いするっていう意味かなあ」

「お願い……」


あの、と大輔はゲコモンを見る。


「これ、借りてもいいっすか?」

「いいゲコ。でもなんでベース?」

「大輔君ひけるの?」

「一曲だけ、っすけど、えーっとその、友達のお父さんの曲で、大好きの曲なんです。もしかしてって思って」


大輔は、1年ぶりにひいてみるのだ。名前もわからない、歌詞もわからない、でも大好きな曲。
みんなに褒めてもらえてうれしかったから、何十回もひいたきょく。ミミは驚いた顔をした。


「どうして大輔君が知ってるの?おばあちゃんのお歌。音楽の先生やってたおばあちゃんのお歌」

「もしかして、大輔君の友達のお父さん、ミミちゃんのおばあちゃんの生徒だったんじゃないかしら?」

「あ、なるほど」

「すんごい偶然だね、大輔君」

「そうっすね!あいうぃっしゅかあ。えへへ、やっとわかった」

「じゃあ、せっかくだから大輔君、ひいてくれる?」

「はい」





そして、ミミの歌声が響いた。





ミミは顔をあげた。そしてきゃああああって悲鳴を上げたのだ。
大輔ははってなって顔を上げる。ベースが止まる。空はピヨモンって呼びかけた。
この部屋に来てからずーっと沈黙を守っていたチコモンは、
300年の時を超えて目が覚めたこの館の主を見るのだ。
そこに立っていたのは、無言のまま立ちあがったトノサマゲコモンの姿である。
苦しみ悶えている。ぐあああああああって絶叫したトノサマゲコモンは、
自らの身体についているボーカルとトーンでいきなり配下のはずのゲコモン、
オタマモン、そして選ばれし子供たちに襲い掛かってきたのである。
トノサマゲコモンはオタマモン、ゲコモンの規則的な進化を遂げた完全体デジモンだ。
お殿様のチョンマゲのような触角をもつ両生類型デジモンであり、
カラオケの採点システムから生まれた経緯から、肩から伸びた音楽を鳴らし、それに合わせて歌を歌う。
低い低音はお殿様を感じさせる。
必殺技は、ボーカルとホーンの超低周波で相手の身体の構成のデータをふるわせて、
破壊するコブシトーン。
しかし、相手によっては低周波で逆に体調がよくなってしまうこともある。



大輔は、え?え?なんでってなる。
なんでこんなにいい曲なのにトノサマゲコモン苦しんでるんだ?暴走してるんだ?
なんで?なんで?なんで?オレの大好きな大好きな曲、ミミさんのおばあちゃんの曲、
京のお父さんの初めて好きになったお姉さんの曲なのに!
大輔君早く逃げて!っておびえるミミとパルモンをかばうように前に出た空。
ピヨモンが進化する刹那、コブシトーンがさく裂の態勢に入った。


「だいじょうぶ、だよ、だいしけ。おれが、だいしけを、みんなをまもるから。
おれをにがしてくれたでじもんが、でじめんたるをまもってたみたいに、
まもってくれてるみんなのために、おれが、みんなを、まもるから」

「チコモン?」

「もうだいじょうぶだよ、だいしけ。おれ、おもいだしたから。かぜのつかいかた。
かぜはたたかうためにつかうんじゃないんだ。みんなをまもるためにつかうんだ。
だから、いつだってかぜはやさしいんだよ。だいしけみたいに」


どこか懐かしい匂いがした。どこでだっけ、と首を傾けた大輔は思い出すのである。
遼さんだ。古代デジタルワールド期の大輔たちの前の選ばれし子供達だ。
遼さんはラスボスであるミレニアモンを救うために、融合という手段でパートナーデジモンにすることで、
ミレニアモンという、大輔たちが救わなくてはいけない暗黒の力みたいなやつを、
敵から味方に変えてしまうすんごい人だった。大輔は目が覚めるような思いがする。
そのために、時間を超えて、世界を超えて、何度も何度もあきらめずにミレニアモンを
救おうと頑張り続けてきたから、成し遂げられた。
あれがいつの頃なのかはわからないけれども、遼さんは元の世界に帰るって言ってたから、
パートナーデジモンのミレニアモンと一緒に帰ってくるのだろう。
とっても素敵なことである。相手を殺さないで、救える方法。夢みたいな方法。
ナノモンが言うように、暗黒の力に魅入られたものを助けるには、相応の犠牲が必要らしいが、
その犠牲に見合った形でみんなを救うことができるのなら、守ることができるのなら、
大輔はそっちの方がいいなあ、って思ったのである。
太一のように敵を粉砕することで前線に立ち続ける特攻隊長みたいなことをして、
大輔はデビモンからトラウマを植え付けられ、デビモンがいいデジモンだってわかっても、
その矛盾の呪縛から解放されるには途方もない時間がかかってしまったから、
きっと太一の真似をしてちゃダメなのである。でも、何かしたい。
守られる立場でいるのはいやだ。だって、俺は。


「だいじょうぶだよ、だいしけ。おれがいるよ。おれがみんなをまもるよ。
わすれたの?かぜはこうげきにつかうんじゃないんだ、まもるのにつかうんだ。
いのちよりだいじなものをまもりたいとおもったとき、かぜはふくんだよ」


そうだ。遼さんたちの世界を見た時、古代デジタルワールドにおいてきぼりにされた、
可愛そうなデジモン達がいっぱいいたんだ。鋼の帝国にいろんなものを奪われて、
住処を奪われて、逃げるしかなくって、そしてチコモンはエクスブイモンになれたのである。
願いはかなうのだ。あきらめなければ。だから、暗黒の力は世界と時間と時代を飛び越えられたんだ、と大輔は悟る。
なんだか、オレの奇跡の力みたいだなあって、思ったのである。
なっちゃんは言ってた。魔法の言葉。忘れないでねって教えてくれた言葉がある。
僕たちは出会うべきではなかったのかもしれない。
僕たちは出会ってはならない存在だったのかもしれない。
出会うのが早すぎたのかもしれないし、出会うのが遅すぎたのかもしれない。
でもだからこそ、僕たちはここにいる。
出会ってしまったものはしょうがないから、これからのことを考えよう。
明日のこと。これからのこと。未来のこと。大輔は元気になる。
その願いが叶えられないで苦しんでいるデジモン達がいっぱいいっぱい集まったのが暗黒の力なのだ。
助けてあげなくっちゃいけない。かわいそうだ。
みんなに嫌われたくなくて、牢獄のような人間関係を自らに課し、自壊寸前までもがき続けてきた大輔は、
暗黒の力がおれみたいだって思ったのである。
いるだけなのに、生きているだけなのに、それはダメだって全否定される。
罪だって言われる。害悪だって言われる。もとの場所に帰れっていわれる。
追い出される。ぞっとするほどの残酷で辛辣な言葉である。環境である。
大輔は涙が止まらなくなっていた。あんまりだ。
暗黒の力は、死にたくないって、消えたくないって、あたりまえのふつうのことを思って、
奇跡を起こしてやってきたのに、その奇跡の力をもって残酷な目に遭って、
ひとりぼっちになって、絶望して、わけわかんなくなって、デジタルワールドをぶっ壊そうとしている。
そして、みんなにますます嫌われることをしちゃって、負のスパイラルに陥って、
もうどうしようもないところまで来ている。
はた、と大輔は気付くのだ。おんなじだ、って。おれとおんなじだって。
チコモンをセトモンにしちゃって、チコモンもセトモンになりたいって思っちゃって、
俺はみんなみんないらない、みんななんか、いらない、いなくなっちゃえ、
どっかいっちゃえ、しんじゃええええ!って、心の中で叫んだのである。
奇跡の力は想いの力。だから消えない。だから残る。だからいろんなことを起こすのである。
いいことも。わるいことも。風の力はいのちよりだいじなものを守るための力であって、
いのちよりだいじなもの以外はどうでもいいからって、みんなのことを考えないで、
傷つけるための力ではない。だからセトモンは暴走した。
みんなを守れるから。そうか、戦わなくっても、みんなを守れれば、
それってみんなを守りたいという大輔の気持ちと矛盾しない。
みんなを守るために戦いたいっていう気持ちと矛盾しない。
暗黒の力を助けたいっていう気持ちと矛盾しない。
なによりも、それを教えてくれたなっちゃんの世界は、いつだって、風が吹いていた。
バクモンは言ってた。いいこととわるいことはとっても仲良しさんだから、
きってもきりはなせないくらい、すっごく仲良しさんだって。
チコモンと大輔みたいに、ジュンお姉ちゃんと大輔みたいに、お父さんと大輔みたいに、お母さんと大輔みたいに。
大輔が太一と同じくらい尊敬している秋山遼という少年みたいに、なりたい。
ああ、そっか。この匂いは、遼たちの世界を鏡越しの異空間で見ていた時に感じた匂い
だ、と大輔は気付くのだ。
あのときもたしか、風が吹いていた。
古代デジタルワールド期、現代のデジタルワールド期でも、
何にも変わらない場所で、何にも変わらないで吹いている風である。
いつだって、だれかが誰かのことを心の底から守りたいと願った時に、吹いている風である。
大輔はようやく、思い出すのだ。まさしく、おれだ。ぼくだ。ぼくがほしいものだ。
ぼくが強くなったら、だれもつらい目に遭わないで済む、だれもつらい目に遭わなくって済む、
だれも泣かなくってもいい、だれも傷つかない、大切な人を守れるそんな自分になりたい。
お姉ちゃんを守るんだと叫んだ懐かしい自分と大輔が出会った時、奇跡は起こったのだ。



コブシトーンがゲコモン達、オタマモン達、そして選ばれし子供達に襲い掛かるその刹那、
みんなを守るための力。チコモンが待ち続けていた歌。眠っていた力。
古の時を超えて目覚めた力がある。穏やかな風が吹き抜けた。
みんな呆然としている。必殺技が相殺された?いや違う。
トノサマゲコモンが吹っ飛ばされたのだ。玉座に縫い付けになっている。


「そにっくかうんたーっていうんだよ、だいしけ。
おれたちかぜのちからとあいしょうがわるくてみんなみんなしんじゃったんだけど、
きっと、みんなをまもりたいっていうきもちを、かぜのちからにかえてたんだ。
ありがとう、だいしけ。おれに、おんなじちからをくれてありがとう。
こんどは、おれが、みんなをまもるばんだっ!」


研究者やテイマーから珍重がられる一方で、古代種であるがゆえに、
デジモンで初めて竜という種族に分類された史上初のデジモンは声を上げた。
花の香りがする。一陣の爽やかな風が吹きぬけた。
その瞬間に、ミミの紋章が反応した。デジヴァイスが反応する。
パルモンは、ミミ達を守るために躍り出た。
そして、寂しがり屋の心優しい女の子の涙でできている純真の紋章は、
もうひとりの純真の持ち主との邂逅で、ようやく真の力を発揮する。
願いが想いと出会った時、超進化は起こったのである。



和やかな風が空間を満たしていく。
柔らかな緑の息吹がデジヴァイスから純真を貫き、風の守護を受けてサボテンが花開く。
真の力を発揮するために、桃色の妖精は降臨した。
小さな花から生まれた、妖精型デジモンは、リリモンと名乗った。
外見は子供のようだが、強大なパワーを持っている。
性格は気まぐれでお転婆で泣き虫だが、同じような性格の子供に心を開くと
言われている。リリモンが空を飛ぶと、爽やかな風が吹くといわれている。


「きれえ」


ぽつり、とミミがつぶやいた。チコモンが叫んだ


「リリモン、たすけてあげてええ!
とのさまげこもんは、からおけののどじまんたいかいで、ぶーいんぐうけて、
しょっくでねこんだんじゃないよ!たぶん、たぶん、きいちゃったんだよ!
えてもんの!らう゛せれなーでっ!あんこくのちからにあやつられちゃった、
えてもんにいいっ!きっとおともだちだったんだよ!どっちもうただいすきだから!
きっと、きっと、なにかだいじなおしごとあるから、きっと、ねらわれたんだ!
もう、おれたちみたいな、こだいしゅみたいな、かなしいめに、
いまいきてるでじもんたちがあうのみたくないよおおおおっ!」


ひとりぼっちの古代種が泣きながら叫んだ。
リリモンが亜空間から虹色の花飾りを取り出して、悶絶しているトノサマゲコモンに向かい、
その鮮やかな花びらを散らしながら、大きな大きな体に乗っけてあげる。
その瞬間に、何かが爆発を起こした。突風が吹いた。
やがて、リリモンは幼年期に戻ってしまった。
しばらくして、300年の長き眠りから覚めた、トノサマゲコモンは語る。
いい夢だったと。恐ろしいほどにいい夢だったと。おぞましいほどにいい夢だったと。
悪いことが何一つない、幸せで、とっても素敵な夢だったと。
現実よりもはるかに素敵な夢の世界にいざなわれ、
暗黒の力により長き悪夢にうなされ続けていたトノサマゲコモンは
ようやく長き眠りから覚めたのである。


「……ねえ、タネモン。どうしてリリモンに進化できたの?」


ミミはぽつりとつぶやいた。突然の進化だった。なんの兆候もなかった。
紋章を持っているという条件は同じでも、ピヨモンやチコモンと比べると、
ミミの腕の中にいる幼年期はあきらかに戦闘経験がたりないため、進化条件を満たしていない。
それはなんとなく分かっているミミである。おかしいなってそう思ったのだ。
このタイミングだと超進化しそうなのは明らかにチコモンだったのだが、
チコモンの絶叫に反応して進化したのは、結果的にタネモンだった。
紋章と同じ色に染められたデジヴァイスは、迷宮ピラミッドにいる光子郎のデジヴァイスに
反応してテンプ湖の方角にむかって点滅を続けている。
トノサマゲコモンが犯されている暗黒の力を浄化することができるのは、
データを初期化することができるリリモンの力だったのでよかったと言えばよかったのだが、
やっぱり腑に落ちないのである。ミミの疑問にタネモンは双葉を揺らしながらいった。


「私が言うのもなんだけど、なんだかとっても不思議な感じがしたわ、ミミ。
チコモンがソニックカウンターを発動したとき、なんだか力が湧いてきたの。
 チコモンがトノサマゲコモンを助けてあげてって叫んだ時にね、
 なんか、こう、想いが爆発したのね。突き動かされる気がしたの」
 
「光子郎君の時とは違う感じなのね」

「空が言ってたのとは違うわ」

「そっか。だからすぐに元に戻っちゃったのね。でも、なんでかなあ」


不思議そうにタネモンとミミは首をかしげている。そこに声を掛けてきたのは空だった。
トノサマゲコモンを見上げておっきいと騒いでいる大輔とチコモンを見つめている。
その表情は不安げだった。


「どうしたんですか、空さん」

「ちょっと、心配になったの。突然進化したでしょう?タネモンは大丈夫そうで安心したわ」

「わたしは大丈夫よ。幼年期になっちゃったけど、あんまり疲れてないの。なんでかしら。
 はじめて完全体になったならとっても疲れちゃうと思ってたのに」

「今までの進化とちがうの?」

「初めて進化するとおなかペコペコになるのよ、ミミ。とっても眠くなるの。ぐったりするの。
 でも、初めて完全体になったのに、トゲモンに進化するときくらいしか疲れてないわ」

「やっぱり普通の超進化とはちがうのね」


空は小さくため息をついた。


「わたし、みたの。一瞬だけ大輔君の紋章が水色から金色になったのをね。
 ミミちゃんの紋章がかがやいたのはその直後だったわ。なにか関係があるんじゃないかと思って」

「紋章の色が変わるって、え?」

「わたしもびっくりしたけど、間違いないの。見間違いかと思ったけど、ね。
 ブイモンは大輔君が傍にいなくても、デジヴァイスがなくっても
 エクスブイモンに進化しちゃったことがあるから、古代種はなにか違うのかと思ってた。
 でもね、デジメンタルがどうのってチコモンいってたでしょう?
 進化する力を補ってくれるほど大きなエネルギーの塊だったって。
 チコモンが大輔君をそういうんだもの。大輔君が傍にいるだけで長生きできるって。
 大輔君がなんとなく不安がってるアルフォースって力は、
 もしかしたら私たちが考えている以上に、この世界にとっては大変な力なのかもしれないわ」

「空さんは、大輔君がリリモンに進化するのを助けてくれたって思うんですか?」

「わたしはね、そう思うの。タネモンは全然疲れてないんでしょう?
 じゃあ、疲れるほど使っちゃうはずだった力は、
かわりになにを使っちゃったんだろうって思うの。
 タネモンは心の中で気持ちがぱーんって弾けた感じがしたんでしょう?
 そういうのって進化するときにとっても大事なきっかけらしいから、
 その代わりになってくれたチカラはそのきっかけを大きくしてくれたんじゃないかって」

「ねえねえ、タネモン。どうだったの?」

「うーん、あっというまの出来事だったからよく覚えてないんだけど、
 トノサマゲコモンを倒さなきゃって言うより、助けなきゃっていう気持ちが
 おっきくなった気がするわ。そしたらミミの紋章が光ったの」

「やっぱりそうなんだ。ミミちゃん、タネモン、このことは大輔君には内緒にしてね」

「え?どうしてよ、空」

「どうしてですか?大輔君のお陰ならお礼言わなくっちゃ」


空は頭を振った。


「大輔君、気付いてないんだもの。無意識のうちにやっちゃってる。
 もし言ったら、きっと自分から進んでやろうとするわ。そういう子だから。
 今回はミミちゃんだったから、進化したのがタネモンで、リリモンだったから、
大したことにならなくて済んだの。運がよかったのよ。
想いを進化の力に変えちゃう。スカルグレイモンだったらどうするのかしら。
進化先の維持に必要なエネルギーの代わりをしちゃったら……大輔君が危ないわ。
 大輔君がいうには紋章やデジヴァイスが負担を軽減してくれてるみたいだけど、
 無理強いは出来ないでしょう?あの子は期待されたらどこまでも頑張っちゃうから。
 だからね、ミミちゃん、タネモン。お願いだから気付かせないであげて」


なんにもしらない大輔は、トノサマゲコモンから大広間に呼ばれたと空たちを呼んでいる。
今いくわって笑いながら空は返す。ミミとタネモンは頷いて、大輔たちを追いかけて駆けだした。



[26350] 第十六話 世界の安定を司るもの
Name: 若州◆e61dab95 ID:51c18113
Date: 2013/08/03 00:34
古代デジタルワールド期の守護の風に包まれた丘で、なっちゃんは待っていた。
一面咲き乱れるネリネの花に包まれながら、大輔は立っていた。
頭が軽いと思ったら、チコモンがいない。あれ?あれ?あれ?って周囲を見渡す大輔に、
なっちゃんは優しい声で「だいすけ」と呼んだ。
「なに、なっちゃん」と呼ぶと、なっちゃんは笑った。
そして、「ごめんなさい、ちこもんはいないの」と手を合わせた。


「だいすけ、きょうは、ちょっとまじめなおはなしなの。
わたしじゃなくてね、ほめおすたしすさまが、あなたにあいたいって。
だから、わたしが、ほめおすたしすさまのだいこうをするけど、
おどろかないでね?」

「ホメオスタシス様?」

「わたしと、ぴっころもんと、げんないさんたちえーじぇんと、
しせいじゅう、のうえのひと。ふつうなら、ぜったいに、でてこないひと。
でも、あんこくのちからは、かわいそうなくらい、きょうだいなの。
こだいでじたるわーるどきのでじたるはざーどにひってきするくらい、
ううん、それをうわまわるくらいのきょういがあるの。
だから、ほめおすたしすさま、よだんをゆるさないからって。
えらばれしこどもたちのなかで、ゆいいつ、わたしとせっしょくできるあなたに、
あいたいって」

「うん、わかった」

「ごめんね。ほんとうなら、しんかのひかりをつかさどるものがするおしごとなんだけど、
まだ、きてないみたいだから。でも、じかんがないの。これから、ほめおすたしすさまがいうこと、
よくおぼえておいて。みんなにつたえて。おねがいね」

「わかった」


また、あいましょう、ってなっちゃんは目を閉じる。
そして目を開いた彼女は、雰囲気が様変わりし、無機質で無感情で機械的な様相を呈するのだ。
ごくり、と大輔は唾をのむ。ほめおすたしす、という実態無きデジタルワールドの端末は、語り始めた。


初めてお目にかかりますね、本宮大輔。
暗黒の力の侵攻により、なすすべなく蹂躙される我々にこうして接触する機会を与えてくれたこと、感謝いたします。
まさに決死の希望。にも拘わらず、我々は自ら勇気を継ぐ者と誤って選定してしまい、
危うく奇跡を宿す者である貴方すら喪失した過酷な旅を選ばれし子供たちに強いてしまうところでした。
暗黒の力による侵攻が王手寸前とは言えども、勇気を継ぐ者としての旅をあなたに強いてしまった。
我々としてもあまりにも想定外の事態でした。我々は自ら最後の奇跡を粉砕してしまうところでした。
本来ならば、進化の光を宿す者に代行してもらい、すぐにでも記憶の開放をしたかったのですが、
進化の光を宿す者は不在。導き手であるパロットモンは奇跡の暴走下。
本来あなたの記憶を開放すべき守護者まで喪失してしまい、こうしてあなたが真の奇跡の力を宿す者として、
覚醒してもらうまで、待たなくてはなりませんでした。申し訳ありません
これからお話しするのは、本来ならばあなた達、初めて選ばれし子供たちがこの世界にやってきたころに、
すぐにでもお話しなければならなかったことです。
ここまでよくぞ過酷な旅をよくぞ耐えてくださいましたね。
ようやく、我々は希望を見出すことができます。ですが、事態は予断を許しません。
よく聞き、間違いなく、他の選ばれし子供たちに伝えてください。
我々があなた達を召喚したのは、古代デジタルワールド期にデジタルハザードが起こり、
世界が暗黒の力に覆われしとき、奇跡を生んだと予言の書に書かれている者を復活させる儀式を、
あなた達にしてもらうためです。その儀式のために必要なものは3つあります。
「想い」「願い」「意志」この3つがそろいし時、降臨したとされるデジモンがいるのです。
かつて暗黒の力を浄化し、10体のデジモンと共にデジタルワールドに平和をもたらしたとされるデジモンを降臨させるための儀式です。


我々は300年ほど前から、奇跡を宿す者、進化の光を司る者を探し続けていました。
そして、光が丘テロ事件が発生した3月4日、デジタルワールドにして200年ほど前、
我々は初めてあなた達と接触したのです。思えばすべては暗黒の掌の中に過ぎなかったのでしょう。
光が丘テロ事件という想定外の事件が発生してしまいました。


「なんで?」


ゲートが閉じられたのです。


「サマーキャンプのあのオーロラみたいなところ?」


ええ。「本来存在しえないはず」のあなたの家のパーソナルコンピュータ、


「なんで閉じたの?」


原因は不明です。ゲートは閉じられました。
本来、パロットモン、エージェント、そして我々のみが知りえる最後の切り札であるにもかかわらず、です。
あの日、パロットモンは予言の書通り、世界中に拡散したデジタマを回収する任務に就き、
その先で奇跡を宿す者、進化の光を持つ者を解析し、選ばれし子供となる人間を8名選定し、
一様に記憶を忘却するはずでした。デジタルモンスターは異物。あなた達の世界に知られるわけにはいかなかった。
しかし、デジタマが進化の光を宿す者のパーソナルコンピュータに行き、
本来ならチッチモンの姿でデジタマを回収し、ベランダから選ばれし子供達を選定し、
直ちに帰還するはずだったパロットモンは。あとはあなたがご存じのとおりです。
デジタマがゲート先に消えた刹那、ゲートが閉じてしまったのです。進化の光を宿す者がいるはずのマンションのパソコンが。


「スイッチ消しちゃったとか?」


いえ。あなた達の世界で何をしようとも、こちらから自在に開閉できます。
暗黒の力はあまりにも強大すぎて、もはやどこまでこの世界を浸食しているのか判断がつかないのです。
想定外の事態ですが、パロットモンは必死でデジタマを回収しようと躍起になり、
あなたの家のパーソナルコンピュータにあった「謎のゲート」を開き、はいったのです。
まだ「奇跡の力が完成していないはず」のあなたの家に。
まだ「秘められた力は眠り続けているはず」のあなたの家に。
我々は、デジタマを回収し、選ばれし子供たちの選定を終えたら、記憶を消す予定でした。
何もしなくとも、あなた達は1999年の8月1日に、サマーキャンプに集うはずでしたから。


「そっか、よかったあ。なっちゃんもコロモンも悪くないんだ?」


ええ。しかし、不測の事態が発生しました。
デジモンにとって、進化を挟んでも統一した自我を持った状態で暴走せずにいられる者は
ほとんどいません。感情の書き換えはあまりに彼らにとって負担となる物ですから。
本来出会うはずのないあなたのところに現れたパロットモンは、
あなたと姉の愛情あふれた環境と自分の置かれている環境の落差を比較できるほど
自我の発達を見せたために、感情が抑制できなくなり、デジコアが過剰消費され、
完全体にまで進化してしまったのです。
一方で、進化の光を司る者のゲートから回収できなかったデジタマは、時間経過で孵化しました。
人間とデジモンがコミュニケーションをとることで、デジモン側に自我が芽生えることは
先代の子供たちで学んでいた我々も、この事態は想定外でした。
不幸だったのは、進化の光を司ると言うことは、接触し続けるとデジモンを進化させてしまうということ。
コロモンに幼年期限定とはいえ、自我が芽生えたことで、彼女とコロモンの接触は加速し、
結果としてコロモンは進化の光を浴び続け、完全体にまで匹敵する強化がなされた成熟期にまで進化してしまいました。
そしてその2体が接触し、あのような惨事となってしまったのです。
まだ幼かったあなた達にデジモンと出会わせてしまったことが、そもそもの間違いだったのかもしれませんね。
あなたと彼女から発生した進化の解析によって、統一した自我を持った状態で進化し、
通常よりも強化された状態で進化することができるという技術を我々は開発したのです。
我々は「ワープ進化」と名付けました。いずれ暗黒の力を浄化するキーとなりえます。
よく覚えておいてください。
本来、はじまりの神のみが到達したはずのアルフォースとよく似ている。
だからあなたのパートナーデジモンは、アルフォースを秘めし、古代種の末裔なのです。



話を戻しましょう。



光が丘テロ事件を一刻も早く収集を付けるために、我々も「ゲートを開こうとした」のですが、
なぜか上空より開かれるはずのゲートが開かなかった。
もし、八神太一、彼がホイッスルを吹かなければ、もっと大惨事になっていたでしょう。
あの現象によって、我々は成長期になった時点で自我を忘却してしまったはずのグレイモンが、
一瞬ではありますが過去を思い出し、自我が覚醒するという現象を見ることができました。
コロモンにとっては、コミュニケーションをとるツールだったはずですから、
なんらかのトリガーだったのでしょうね。
残念ながら、その結果としてグレイモンは彼らを守ろうとしてデジコアを消費し、
エネルギーを完全体に拮抗できるの特攻を仕掛けることになり、
パロットモンと相打ちとなりました。でも、おかげでチッチモンとコロモンを保護できました。


我々はあなたに2重の忘却を掛けねばなりませんでした。
ひとつは他の子供たちと同じように光が丘のテロ事件に関することについて。
そして、あなたのもっているアルフォースの力について。
それによって大きな苦痛を伴わせてしまったことを、心よりお詫びしなければなりませんね。
ほんとうに、ごめんなさい。あなたにはつらい思いをさせました。


「みんなに謝ってもらったからいいよ。オレはもう大丈夫だからさ」


ありがとうございます、本宮大輔。ひとつ、あなたに聞きたいことがあるのです。


「なに?」

進化の光を宿す者は、もともとそういう資質があったように思います。
霊感が強い、未知なるものが見える、そう言った第六感が発達していたように思うので、
恐らく生まれながらにあのような力を得ていたと思うのです。
しかしながら、あなたが持っているアルフォースの力は、本来ならばもっとゆっくりと形成されているはずで、
あの夜の時点ではパロットモンが影響を受けてしまうほどの成熟はしていないはずでした。
でも、そうではなかった。あなたは覚醒の片りんを見せていました。
おそらく、第三の影響があったのだと我々は考えているのです。
あなたが5歳の時、姉と同じくらい大好きな人はいませんでしたか?
今はいない、だれかの中で。


「今はいない……」


あなたに大切なことを教えてくれた人はいませんでしたか?
あなたは覚えているはずですよ?我々はあの夜しか関与していない。
あなたに「姉を守りたい」と叫ばせた声は、だれですか?
我々が勇気を継ぐ者と見まごうほどの力をくれた者は、誰ですか?
その声は、いつも古代デジタルワールドの守護の風に守られていませんでしたか?
風の中であなたの名前を呼んでいませんでしたか。
大輔の中で忘却の彼方だった記憶が呼び覚まされる。


「誰に渡すんだよ、大輔」

「おねえちゃん!ぼく、あ、じゃなかった、おれ、これ、おねえちゃんにわたすんだ!」

「おおおっ、いいなあ、それ!ピッカピカの泥団子だぜ、ぜってー喜ぶよ、
大輔のおねえちゃん!明日、どうなったか聞かせろよ!約束な!」

「うん!ありがとー、せんせ。ぼく、ぜったいにおしえてあげる!やくそく!」

「そっか。「ぼく」が「おれ」になったのは、せんせ、
遼さんがいたからだっ・・・・・・・!」


間違いないのですね?


「うん」


そうですか。よくわかりました。


「え、遼さんとむかし会ってたことが原因なのか?」


いずれあなたたちも知ることになると思いますが、
彼は、不可能を可能にすることができる因子の持ち主です。
あえていうならば、奇跡の紋章と優しさの紋章、そのふたつを複合したような、
この世界にとってはそう言う存在なのです。
あなたが本来よりもはやくアルフォースの片りんを見せていたとしても、
なんら不思議ではありませんね。
これで、我々のできることはすべて終えました。ようやく謎が解けた。
デジタルワールドの加護がある限り、あなたはきっと大丈夫でしょう。健闘をお祈りしています。
できることなら、あと5年、あなた達と会うのが早ければ・・・・・
いえ、なんでもありません。
我々は出会うべきではなかった
我々は出会ってはならない存在だった


「何言ってんだよ。だからこそ、オレたちは、今ここにいるんだ。
出会っちまったモンは仕方ないだろ?これからのことを考えようぜ?
明日のこと。これからのこと。そっちの方が楽しいじゃんか」


最後に一つだけいいでしょうか。


「なに?」


我々はあなたと全く同じ言葉をいってくれた人間を2人知っています。


「遼さん?」


もちろん。そうです。


「もうひとりは?」


太一、という少年です。


「え?太一先輩?」


いいえ、彼は違う。彼は「パラレルワールドの人間」です。
同姓同名、同じ家族構成、同じ人間関係であっても別の人間。
ですが、八神太一という名を継ぐものであることは一致しているようですね。


「へええ」


もしかしたら、先代ともなんらかの関係があるのかもしれませんね。
我々が造られるはるか昔の出来事なので、関知するところではないのですが。
八神という名前は先代の子供たちの文献にも残されていたと聞いています。


「ダイノ古代境から持ち出されたっていうやつ?」


デジモン黙示録という碑文は、古代デジ文字で先代の子供たちがかつての戦いの記録を
継承していくために残してくれた数少ない文献の一つでした。
我々が誕生するはるか太古の記録です。
だからこそ今でも守護デジモン達によって厳重に守られていたはずでした。
ファイル島のはじまりの街を守護していたロゼモンが失踪したのが、すべてのはじまりだったのでしょう。


「えっ、はじまりのまちって守護デジモンいたのかよ」


ええ、彼女は究極体にして占いを通じて未来を予知できる能力を持っていたので、
全幅の信頼をおいて守護を任せていたのです。
我々が誕生する以前からファイル島を守っていたこともあり、
外部から子供を呼び寄せる役割を担っていたと聞いています。
本来ならば、彼女があなたたちを招き入れるべき存在だったのですが、
占いに不吉な兆候があるからとアイスサンクチュアリに赴いて以後、行方不明なのです。
それ以後、我々は彼女が……。


ホメオスタシスが憑依しているなっちゃんから初めて瞳に感情が宿る。
言葉が見つからないのか機械的だった言葉遣いが滞りを見せ始め、言葉を選んでいるのか、
不自然ながら沈黙が続く。


「どうしたんだよ」


ホメオスタシスは静かに言った。


ロゼモンがかつて世界で一番信頼していたパートナーのデジモンに、代行を求めました。
ファイル島に動揺が広がるのは明白だったので、少しでも守護デジモン達に伝わるのを
避けるためとはいえ、我々はそのデジモンに無理強いをさせたのは事実です。
最愛のロゼモンが失踪を遂げたにもかかわらず、それを隠匿するように指示しました。
紋章とデジヴァイス、そしてデジタマを預けたのです。
それが枷となり、そのデジモンはあなたたちがくる直前まで代行を務めあげてくれました。
彼は、守護デジモンたちと同じように、私たちが生まれるはるか昔から、
ウイルス種だけしか入ることができない特殊エリアの統率を我々のさらに上位の存在に一任されていました。
かつてデジタルワールドがファイル島しかなかったころ、
選ばれし子供たちではありませんが、ファイル島の消滅の危機に陥ったことがあったそうです。
私たちセキュリティシステムとしてのホメオスタシスの人格が生まれるはるか昔なので、
記述に残されていることしか知りえないのですけれど、あなたたちくらいの子どもが、
助けてくれたのだそうです。
彼はその子供にも力を貸したとか。だからこそ、適役だと思ったのですけども。
この予言の書を見ていただけますか?


そういってホメオスタシスは何もない空間からホログラムをうかびあがらせる。
古代デジ文字が日本語に変換されて、長い記述の一部分が読めるようになった。


はじめに、蝙蝠の群れが空を覆った。
続いて、人々がアンデットデジモンの王の名前を唱えた。
そして、時が獣の数字を刻んだ時、アンデットデジモンの王は、獣の正体を現した。
天使たちがその守るべき人の最も愛する人へ光と希望の矢を放った時、奇跡は起きる


この記述が発見されたのは、つい先ほどです。未来は変わり続けている。


「……もしかして、敵になっちゃったってことかよ?」


悲しそうにホメオスタシスはうなづいた。
暗黒の力に魅入られてしまったらしいそのデジモンの名前は、ヴァンデモンといいます。
かつては闇貴族の館というウイルス種族のみが生息できるエリアを統率している守護デジモンの中でも古参の一角でした。
そして、こともあろうに彼はこの世界とあなたたちの世界の支配を望んでいるのです。
勇志となるデジモンたちで勢力を組み、あなたたちの世界へ侵攻をもくろんでいるのです。
彼ならば、知っているはずだと思ったのですが、もはや暗黒の力に魅入られた彼の耳には、届かないのでしょう。


「なにが?」


デジタルワールドという異世界から一歩でも外に出たデジタルモンスターは、
現実世界というあなたたちの世界においては、ただのモンスターという生き物にすぎないという事実です。
デジタルワールドとは違い、現実世界で死んだデジモンは輪廻の理から外れるのです。
二度と生き返らなくなります。


「え?ちょ、ちょっと待ってくれよ!
じゃあ、そのヴァンデモンたちがおれたちの世界に攻めてくるのかよ?
デジタマには戻れないかもしれないのに!?」


ホメオスタシスはうなづいた。
暗黒の力の復活という悪夢を、せっかく先代の選ばれし子供たちが成し遂げてくれた
平和を封印の決壊によって崩壊させてしまった今のような同じ道をたどらせるわけにはいきません。
暗黒の力を封印するためには、選ばれし子供たちも、パートナーデジモンたちも誰一人として欠けてはいけないのです。
なにがなんでも、ヴァンデモンが所持している紋章は奪還しなければいけません。
そして、探してください。ヴァンデモンが現実世界を侵攻するその前に。
やさしさの紋章の持ち主を。
我々はあなた達不在の間、全力でデジタルワールドの現状維持と防衛に死力を尽くします。
徹底的にヴァンデモン一派が現実世界侵攻に引き込んだ陣営のデジモン達を、
デジタルワールドに、強制送還してください。
戦闘は最低限にしなさい。大災害は光が丘テロ事件の連鎖でしかありません。
デジタルモンスターは、あなたたちの世界ではただのモンスターにすぎません。
そのために必要なのは、あなた達の側からデジタルワールドのゲートを開けることですね、
パロットモンの管轄守護エリア、デジヴァイスの情報を予言の書に更新しました。
ひとつだけ、覚えておいてください。


「なに?」


デジタルワールドとあなたたちの世界をつなげることができるのは、
とても不安定なゲートを開くことも同じ。タイムリミットがあるのです。


「え、そうなの?」


期限は1999年8月1日から1999年8月3日の12時です。その日がゲートを開くことができるぎりぎりの時間です。
目印は月食です。よく覚えておいてくださいね。
予断は許しません。一つでもずれればすべてが終わる。光が丘テロ事件以上の大災害を
救世主であるはずのあなた達選ばれし子供たちが現実世界で行ってしまうことは、何としてでも食い止めましょう。
注意なさい。
暗黒の力は先代の経験と知識という最高の予言の書を持っているのです。
現実世界での戦闘を誘導してくるでしょう。騙されてはいけません。
我々があなた達を呼んだのは、ウイルス種のデジモンを抹殺することでも、
現実世界のあなた達の住むお台場を焦土と化すことでも、ありません。
未来を担うべき子供たちに、辛辣で苛烈な冒険をさせるために、呼んだわけではないのです。
これで、やっと、我々は暗黒の力と同じ土俵で戦える。だからどうか、10人目と紋章を頼みます。


「え?10人目だけ?2人たりないんだから、2人探したほうがいいんじゃねえの?」

「いえ。これから帰還する八神太一が、連れてきてくれると思います」

「なんでわかるんだよ」

「それは」

「それは?」

「あなたが知ってる女の子が選ばれし子供だからです」

「え?」


光の紋章は、進化の光、デジモンにとって生命ともいうべきデータの集合体、
強烈かつ鮮烈な力を象徴しているのです。
彼女がいたからこそ、私たちは光が丘テロ事件の影響でばらばらになったあなたたちを
見つけ出して、この世界に呼ぶことができたといっても過言ではありません。
か弱き少女でありながら、不安定で強大な力を持ってしまったもう一人の自分、
ホーリーリングを備えし者がパートナーの女の子です。


「え、あのすごい力があるっていう?」

ええ。ホーリーリングは強大な力を秘めています。パートナーデジモンの安否が心配です。
暗黒の力が放置するわけがありませんが、ウイルス種にとってホーリーリングは大敵な神聖の体現、
おそらく利用するとすれば配下となるでしょう。記憶を操作されている可能性があります。
敵として現れるかもしれませんが、辛辣な生活を強いられているかもしれませんが、
傷は癒せなくても、心は癒せる。不安定さを残してはいけません。
隙を見せれば暗黒の力に引き込まれかねない、徹底的なメンタルケアと保護、
それがパートナーデジモンたちを保護した時に行うべきことです。いいですね。


「そっか、うん、わかった。ところでさ、その9人目っていうのは誰なんだよ」


ホメオスタシスは、真剣なまなざしで大輔を見つめた。そして、告げるのである。
大輔でさえ記憶の緩やかな解放がなければ思い出しもしなかった光が丘テロ事件の衝撃的なデジタルモンスターとの出会い。
たった一人ぼっちで光が丘テロ事件について犯人であると思い込み続けている女の子がいるとホメオスタシスは言うのだ。
彼女はデジタルワールドの中枢ともいうべきホメオスタシスと同調できるほど、特異な体質をしている。
だから、かえって記憶を喪失することができなかったのだと。
本来なら助けを求めたいにもかかわらず、光が丘テロ事件の最前線でしなくてもいい罪の意識にさいなまれ、
兄すら記憶を喪失し、家族すらしらず、永遠に凍りついた世界で独りぼっちになっている女の子。
ヒントは太一先輩が絶対につれてかえってくる女の子。


「……もしかして、八神さん?」


ホメオスタシスは、思わずうつむいてしまった大輔を見て、首をかしげた。



[26350] 第十七話 迷子の気持ち
Name: 若州◆e61dab95 ID:51c18113
Date: 2013/08/03 00:35
かち、かち、かち、という時計の秒針の針がやけに大きく響いている。
ばっくん、ばっくん、という心臓の音が隣でぐっすりと寝ている弟に聞こえないことを祈りながら、
懸命にヤマトは目を強く閉じて耳をふさぎ、暗闇の中で静寂を待ち望んでいるのだ。
ヤマトは一家団欒を知らない。
物心ついたころから、ヤマトの家は一家団欒の温かい家庭とは無縁の存在である。
子供たちが寝静まったことを確認してから、仮面夫婦は喧嘩を始める。
何かが壊れる音。何かが投げられる音。喧嘩をする音。怖い音。
大好きなお父さん、お母さんがお互いに罵り合い、貶しあい、貶めあっている、
という小学校1年生の男の子にはあまりにも辛辣な光景である。
石田ヤマトにとっての家庭とは、いびつで虚無的で冷え冷えとしていて、
そして苛烈なほどに表面的なものである。
こんな仮面夫婦がいくら取り繕おうとも、一般家庭であろうと努力したところで
そこに愛はないと残酷なほどに突き付けられるような行為を激しいときでは
連夜行われては、説得力なんて散りに等しい。
お父さんに似て心優しい、人のことが誰よりも理解できる少年に与えられた悪影響など途方もない。
それに加えて、温かい家庭の記憶が根こそぎ「意図的に」忘却された少年は、
壊れた家庭が普通であると思い込んでいる。おかしい、が普通であると。



両親は光が丘テロ事件で記憶喪失になったわが子に気を使って、
理由を教えないし、お母さんの仕事仲間の子供がお父さんの仕事場のせいで、
一番の被害者であることが近所という世間に知れ渡ってしまい、無遠慮な好奇心、
詮索、憶測、ありもないうわさにさらされ続けたということなんて話せるわけない。
ただでさえショックが大きすぎて呆然自失なのに、
学校、近所、学校、ありとあらゆる場所で居場所を喪失し、廃人寸前まで、
追い詰められた姉と、その姉を元気づけるために懸命に励まし続けた弟は、
姉が元気になった瞬間に光が丘テロ事件のことをまるで姉の身代わりをするかのごとく忘れてしまったのだ。
他の記憶喪失の子供達とは違い、緩やかな記憶の忘却ではなく、大人からありえないでしょと苦笑いされれば、
そんなことないのにいってむくれながら、緩やかに記憶の彼方に飛んでいくわけではない。
ある日を境に突然の完全記憶喪失者である。すべて無に帰ってしまったのだ。
恐ろしいほどにまっさらな子供の出来上がりである。
まるで人格をかぶせられたように、豹変した弟。姉の喪失感は尋常ではない。
石田家は、いわば加害者家族の家である。本宮家は、いわば被害者家族の家である。
まるで狙ったかのごとく、お父さんの務める会社はフジテレビ、お母さんのお世話になっている、
大手出版会社の担当者のお友達が本宮家のお父さん、という
本来ならばとっくの昔に仲良くなっていたであろう同学年の弟を持つ家族同士である。
光が丘テロ事件がなければ、確実に家族ぐるみの付き合いがあり、きっと「友情」で結ばれていたはずの家族同士である。
でもこれが原因で石田家は一家離散の憂き目である。
もう4年が過ぎている。まだ4年しか過ぎていない。家族同士の禍根は根深い。
子供たちが記憶を取り戻し、真実を話し、そして改めて謝罪することでようやく和解できる状態である。
やるべきことはすべてやった。裁判も示談も済んだ。両親同士はもう家族ぐるみの付き合いが始まっている。
まさか本宮家も石田家も子供たちの交流が進み、タケルと大輔が親友になっているなんて知らない。
あとはジュンとヤマトがお互いに抱えている誤解を解消できれば完璧である。
子供たちが橋渡しとなれる。もちろん、そんな簡単ではない。
空っぽな少年にとっての4年間は、誰よりも空で満たされるためにできている。
そんなこと知らないヤマトは、ここのところ、自らの引っ込み思案の原点でもある人間不信の悪夢にうなされていた。


「いいか、ヤマト。こいつは、俺が守ってやらなくっちゃいけない、
心の底から大好きな女の子を見つけたら、何がなんでも全力でもぎ取れ。
お前は俺に似て優しいからな。変に気を遣ったら全部持って行かれるぞ」


そう語るのは、光が丘テロ事件において最大の被害者となった世渡り上手な本宮家のお父さんに気を使うあまり、
今まで結構無理してきた結婚生活にまで支障が出て、問題が一気に噴出し、離婚問題に発展し、
世渡り上手な本宮家のお父さんという最強のアドバイザーがいる元妻とのドロドロな裁判沙汰となった挙句、
多額の慰謝料を支払う羽目になり、結構今でも収入はあるはずなのに、元妻は世田谷区の一等地、
元夫はお台場という結構な落差がある今を生きている苦労人のヤマトのお父さんである。
まあ、フジテレビが悪いから、ある意味因果応報ともいえるわけではあるんだけれども。
今は和解ができているからいいものの、敵に回った時の恐ろしさは誰よりも知っているため、
今なおヤマトのお父さんは本宮家のお父さんには頭が上がらない。
でも、今はいろいろと相談することができる最大の味方である。
いずれは子供達とも会わせたいなあと思ってはいるのだが、やはり光が丘テロ事件の被害者であることを考えると、
まだまだ先としか言えない状況である。こればっかりは時間を見るしかないでしょうね、と
頑張りましょう、お互いにって苦笑いしながら肩をすくめてくれる本宮家のお父さんがどれだけ心強いか。
でも、ヤマトのお父さんはどうしても本宮家のお父さんを見ると、浮かんでくる顔があるので、
今でも未練がありまくっている元妻と誰よりも一緒にいるであろう編集部の若手新鋭の上昇気流を見ると、
ちっくしょおおおって叫びたくなるのである。負け犬の遠吠えは悲哀で満ちている。
もちろんそんなことできるわけもないので、
だから、こうしてあのころはよかったなあって、
高校時代にやっていたバンドのベースやギターを引っ張り出しては黄昏ているのだ。
ちょーっと弾いてみたりして。お、結構覚えているもんだなって、消音しながら弾いていたら、
いきなり後ろから、父さん、と呼ぶいつも家事を丸投げしてしまっている長男がいるのである。
ぎゃああああああってヤマトのお父さんは心の中で絶叫である。
タダでさえこの長男は俺に似て変に気を使いすぎて強く出れないところがあるからなあ、
優しいというか、苦労人というか、慎重すぎるんだよなあ、最近少しなんか生き生きし始めたけど、
何かいいことでもあったんだろうかって、自分の真似をして野球部に入っている長男を見て思うのだ。
その相手が八神太一というよりによって元妻や本宮家のお父さんそっくりな男の子なものだから、
なんでおれを振り回す奴らは似たような性格ばっかりなんだよ!と心の中で絶叫である。
人間ないものを求めるから惹かれる相手が似たような傾向になるのは仕方ない。
ヤマトのお父さんは、必死で言い訳を考えながら、笑うのだ。


「タケルは寝たのか?」

「うん、寝たよ」

「明日はサマーキャンプだったな、ごめんな、忙しくて」

「いいよ、父さん忙しいんだろ?」

「そういうな、ほら、お前の悪い癖だ」


照れ屋な恥ずかしがり屋は赤面で黙り込んでしまう。ちいさく、うん、とうなづくのだ。
本当にこいつは俺に似てるなあ、ってヤマトのお父さんは遠い目である。


「ベース?父さん、ひけるんだ?」

「高校時代にやってたのを見ると懐かしくなってなあ。
ちょっと引っ張り出したら意外と弾けるもんだからな。ごめんな、起こしたか」

「いや、寝れなくて」

「一緒に寝るか」

「え?あ、いや、さすがにそれは」

「あはは。ヤマトはすごいな、努力の天才だ。勉強も野球もがんばったらがんばっただけ、
どんどん駆け上がっていくからな。俺によく似てる。自慢の息子だよ、お前は」

「……」


うれしそうにヤマトは笑って身を乗り出して聞くのだ。


「父さん、ベース?歌うまいの?」


おもいっきりヤマトのお父さんの古傷を抉るとも知らないで。


「いや、ベースは歌わないぞ」

「あ、そうなんだ」

「ああ、ベースはベースだ、重ねるけどな、歌。ヴォーカルはヴォーカル。
俺は歌わなかったな」

「え?なんで?」

「ベースは誰にも負けない自信はあるんだけどな、歌うのはダメなんだよ。
どれだけカラオケに通い詰めて歌っても歌ってもうまくならないんだ。
これはあれだな、俺の唯一の弱点だ。なんでか綺麗に音だけ外すんだよ。
病気じゃないかって心配したけど、もうあれだな、諦めた」


遠い目である。散々バンド仲間にいじくり倒された古傷が再来である。
躍起になるけど結局だめで、口ぱくでずーっとごまかしていたのだ。
ばれないかヒヤヒヤしたものだが、案外ばれないもので、結構人気が出てほっとした。
でも、一番の人気バンドだった理由は、別にあるのだけれども。


「まあ、ギターやってる俺の友達と、ヴォーカルやっている女の子で、
三角関係になってな、それが結構な話題の中心だったからなあ。
俺たちもべつに隠す気はなかったからほとんど公認だ。結構楽しかったぞ、青春って感じでな」

「へえ」


勉強もやった、スポーツもした、さて次は何をやろうかなあって考え始めていたヤマトに、
何よりも耳寄りな情報である。


「じゃあなんで今はいないんだよ?友達だろ?」

「さー、何やってんだろうなあ。なにせ、高校卒業するなり、俺はミュージシャンになるんだって
わけわかんないこと宣言して、ヴォーカルの女の子に俺についてきてくれ、
マイハニーとかすんげえことグラウンドの真ん中でプロポーズしやがった。
もうみんな大爆笑だぞ、なんだそりゃ。俺は負けたね、完全敗北だ。
俺が唯一負けた相手だ。全然後悔とかないけどな。
しかもそのままアメリカにいってストリートミュージシャンになるんだって、
女の子一緒に連れてどっかいっちまってからそのまんまだぞ。アメリカのどっかにいるんじゃないか?」

「すっげえ人だな」

「すっげえ人だろ、ケースケっていうんだ。サトエさん。俺が好きだった人の名前だ。
で、ま、俺は結局サトエさんから選別でもらった、このハーモニカを
今もずーっと持ってるというわけだ。返そうにもどこにいるんだかわかんないからなあ。
これはその2人の子供にあげるべきだろ。お母さんからもらった大切なハーモニカで、
またあえたら返してねって約束してからそれっきりだ」

「ふうん。苗字は?」

「さあ、もしかしたら違う人と結婚してるかもしれないし、なあ?」

「そっか。父さん、そのハーモニカもってってもいい?」

「うん?いいけど、どうした?」

「やり方教えてくれよ、タケルに聞かせたい」

「おう、いいぞ。でもまあ、今日はもう遅いから明日な。
朝、こっそり、早起きしろよ。タケルに内緒で散歩に行くついでに河原で教えてやろう」

「うん」

「ヤマト、バンドやってみるか?おれのでよかったら、貸すぞ?ベース。
なんなら、新しいの買ってやっても」

「ベースは重ねるんだよな?」

「そうだな」

「あんまり目立っちゃダメなの?」

「そりゃあなあ、ヴォーカルとか、ギターはともかく、ベースはなあ。
ベースはほかの誰かがいるから調和するんだ、もちろん一人もいいけどやっぱり音は重なった方が楽しいだろ」

「ベースが歌ったら変?」

「周りにヴォーカルいなかったら仕方ないよな。ギターが歌ってもいいんじゃないか?
ただ、ベースが歌うって、ちょっと面白みないなあ。
ヴォーカルもギターもベースも全部一人でやってるのと一緒だ。
ヤマトは俺と違って音痴じゃないから、ヴォーカルはいけそうだな。
ただなあ、ギターもボーカルもケースケとサトエさんの領分で、
俺はベース一筋だったからなあ。教えてやれないな。ヤマトは何したい?」

「おれはギターやりたいな、ケースケって人みたいに、歌もギターもうまくなりたい。
父さんは歌わなかったみたいだけど、俺は歌うよ」

「あーくそ、残念だな、ケースケのソロでサトエさんがよく歌ってた歌があるんだけどな、
俺、歌うのへったくそだから、散々あいつにからかわれて躍起になって、
ベースばっか練習してたから、覚えてないんだよ。
くそ、こんなことなら、楽譜とかもらっときゃよかった。
俺も目立ちたくて、作詞作曲したすっげー今となっちゃ恥ずかしい曲があるんだけどな、
それでよかったら、ハーモニカで教えてやるよ。見よう見まねだから、歌詞は教えんぞ。
サトエさんのお母さんが音楽の先生で、俺たちの歌に作詞作曲してくれたんだけど、
歌詞もメロディーもあの人には遠く及ばねえなあ。天才だった。
俺が見よう見まねでサトエさんのお母さんの歌詞ぱくってつくったのに、
あの人喜んでメロディつけてくれたんだよ。いいひとだった。
ヤマトにも会わせてやりたかったんだけど、5年前に亡くなってなあ。残念だ」


翌日、早朝にヤマトがヤマトのお父さんに教えてもらった曲こそが、
ヤマトがハーモニカを吹くときにはいつもいつも吹いている曲である。


「そうだ、ヤマト、傘もってけ」

「え?こんなにいい天気なのに?」

「夕立とか来たらどうすんだ。タケルもお前もびしょ濡れになって風邪ひいたら最悪だろ。
せっかくのサマーキャンプなんだ、楽しんで来い」

「うん」


彼はデジタルワールドにおいて、この曲しか吹いたことはない。
いつだって、ひとりぼっちの時に吹いている。
お父さんが恋しくなった時には、みんなに言うことができない恥ずかしがり屋の照れ屋は
こうやって自分を慰めている。そばにはいつだってガブモンがいる。
ハーモニカを吹くヤマトが大好きだと笑うガブモンが大好きなので、
タケルに聞かせたいなあと思いつつ、やっぱり俺はタケルが大好きで大嫌いだと気付いたので、
もう自分の気持ちに正直になることを決めた少年は、やーめたってなる。
理想的なお兄ちゃんを止めた空っぽな男の子は、八神太一そっくりのタケルより、
自分に似ている大輔に聞かせたいなあと思い始めていた。
つか、あの、ゴーグルが気に入らん。なんで全然太一に似てないくせに持ってんだよ。
空からもなんかスカーフもらってるし。俺もなんかあげたいなあ、と思うが、
さすがにお父さんからもらったハーモニカあげるとか、なあ、って思う。
ごしごしぬぐっても、間接キスである、嫌すぎるだろういくらなんでも。
いつか子供に返すものってお父さん言ってたし。


こうして二枚目という自覚があるなんでもなりたがりの空っぽな男の子は、
お父さんが好きだった女の子からもらったハーモニカを身に着けているのだ。
時代を歩いてくださいという題名もヤマトは知らない。
八神太一がうらやましくてたまらない空っぽな男の子に頭を冷やせと教えてくれる歌を吹く。
空っぽであるにも関わらず、本来存在しえない、突然出現した自分に負けるなというメロディーは、
やがて冷静だといいながら、ナイフの上を歩くという途方もない矛盾に浸食されていく。
中途半端にしか継承されなかった願いは、
中途半端なまま石田ヤマトを時を超えた古代デジタルワールドの守護の風に、
かろうじて包んでいる。今はまだいい。
選ばれた子供なら不可能はないはずだろ、一人なら何でもできるだろ、
今は何も知らないまま、彼はいつかぼこすと親友候補を相手に決めてから約1か月と数週間が経過した
住み込みで働いている飲食店で朝を迎えるのだ。デジタルワールドの通貨は、デジドルというらしい。
そもそも、どうしてなっちゃんのゲートがアメリカと日本で直通なのかなんて、
誰も知らない。生き証人はすべて現実世界においては墓の中。5人目は選ばれてすらいない。
もちろん、サマーキャンプに来ている子供たちは無銭飲食である。
無断飲食で働いて返すを実行しようと決意してから、足を引っ張り続けるのは、
末っ子であるがゆえに喧嘩をいさめるすべを知らず、アドバイザーであるにもかかわらず、
鉄拳制裁と説得、そして水をぶっかけて現実を見せるという2重の役割を強いられ、
テンパり続けている丈である。彼は落ち着いていないと真価を発揮できない。
丈がいることでどれだけ自分が守られているのか、本音を吐露することができるおかげで、
どれだけ守られているのか知らないまま、彼は不満が蓄積していくのだ。
ガブモンは心配そうである。紋章は輝く気配すら見せていない。




[26350] 第十八話 ジュレイモンを捜せ
Name: 若州◆e61dab95 ID:51c18113
Date: 2013/08/03 00:35
300年もの眠りから覚めたトノサマゲコモンの大広間にある真正面には、
でんと構えた大きな大きなカエルがいる。ゲコモンとオタマモンから座布団をもらい、
正座しているのはいいのだが、だんだんしびれてきた大輔は足を崩していいかどうか、
涙目で空に聞いてみるのだが、ダメよまじめに聞かなきゃって言われてしまう。
うわーん。そしたら、いきなり頭の上にいた水色が消えた。あれ?と思ったら、
ぷるぷるしている大輔の足の上に、面白がって乗りやがったのである。
空も調子に乗ってぴりぴりする足の裏をつつくもんだから、うぎゃあああってなっていた。
くすぐるとか鬼ですかアンタ。悶絶する大輔はその場に崩れ落ちた。
隣では、好奇心旺盛なピヨモンから、ねえねえ、つっついていい?つっついていい?
ちょっとだけ、ちょっとだけだから!ていじめられているタネモンがいる。
いやあああ、ミミ、たすけてえってパートナーに縋り付く幼年期がいる。
真っ赤なボクサーみたいなサボテンという微妙な姿から、
リリモンという桃色の妖精に進化したことですっかりご機嫌なミミは、
むしろふにふにして遊んでいた。裏切り者おおおって二つの声がこだました。



選ばれし子供たちは3人いるが、大輔のチコモンはおそらくずっとチコモンだし、
タネモンもおそらくずっとタネモンだ。つまり、この2人を守れるのは空とピヨモンである。
唯一の成長期でなおかつ進化できる。
不慣れなお母さんとお姉さんをしなくてもよくなったという解放感から、
空はずーっとはっちゃけているし、ピヨモンも好奇心旺盛なので便乗する。
生き生きしているのはいいのだが、そのあおりを食うのはいつだって
大輔である。ちょっかい出してはご満悦の空である。うっぷん晴らしは加速する。
やめてくださいよって怒るのだが、空はごめんねーって言いながら全然反省していない。
こっちの方がいつもの空さんだからいいけど、なんかなあと大輔はため息である。
だからって、なんでオレばっかり、ちょっかいかけられて、いたずらされて、
いじくられるんだろう、と首をかしげて疑問符が飛んでいく。
微妙に天然入っているからだと思うよ。
きゃいきゃい騒いでいる子供達をほほえましげに眺めていたトノサマゲコモンは、
そろそろ本題に入るがいいか、と釘をさす。はーい、とみんな大人しくなった。


「よう我を300年もの眠りから解放してくれた。
感謝するぞ、選ばれし子供たちよ。我はトノサマゲコモン。
かつてはファイル島で沼地エリアを統括していた守護デジモンが一角よ。
預言の書通りとはいえども、あまりにも変わり果てたこの沼地エリアの今の姿には我も驚きが隠せぬわ。
はるか昔、このエリアはトノサマゲコモンの城を中心として、沼地エリアが広がっておってなあ、
もともとサーバ大陸は砂漠地帯が大半を占めておるが、オアシスや湿地帯といった水源に恵まれたエリアは、
繁華街であふれていたものよ。
かつては迷いの森と呼ばれている霧深き森の入り口ともなっていたというに。
今となっては、砂漠化の進行は目と鼻の先とは・・・・・。雨が降っておらぬ証拠だ。
このままではワシの様な両生類型のデジモンたちは住むところがなくなってしまうのう。
暗黒の力は300年も前から用意周到にデジタルワールドの侵攻を狙っていたようだ。
我を暗黒の眠りにつかせ、我がウイルス種であることを利用し、
選ばれし子供たちに必要なき戦闘を強いるとは。おのれ」


苛立たしそうにトノサマゲコモンは言うのである。


「森って、バクモンが代わりに守ってたあの森かしら?大輔君」

「あー、そういえば代わりにやってるって言ってましたね」

「でも、霧なんて出てたかしら?」

「いえ、なんにも」

「ミミちゃん、ミミちゃんはゲコモンたちに助けられるとき、霧が出てる森なんて通った?」

「え?ううん、通ってません。普通の森だったもの。ね、タネモン」

「ええ」

「……なに?バクモンじゃと?確かにあのエリアはもともとナイトメアソルジャーズに属する者たちが多く住んでおるが・・・・。
霧が出ていないだと?デジタルワールドの危機だというにか?ジュレイモンめ、何をしておるのだ。
あのエリアを防衛するのはあのデジモンの役目だというに」

「ジュレイモン?」

「ああ、わしの長きにわたる知り合いの様なものよ。
あの者も元はファイル島で迷いの森を統括していた守護デジモンの一角でな。
そうか……。しかし、困ったことになったのう。
大輔が言うには選ばれし子供たちはこれから現実世界にて防衛線をしなければならんというに、
お前たちの世界では3日の出来事でも、こちらでは優に4320日に及ぶ不在ということになる。
何か対策を講じねば、ただでさえ四聖獣様たちのお力でもぎりぎりの情勢だというに、
一気に暗黒の力によって世界が最悪の方向へ再編成されかねんぞ。
森がここまで枯れ、砂漠化が進んでいるにも関わらず何も行動を起こさんとはいったい何をしておるのだ、老いぼれめ」

「そのジュレイモンというデジモンは、何か大切なことをしってるの?」

「ああ。ファイル島ができた頃から生きている生きた化石のようなデジモンなのだ。
かつては長老として慕われておったものよ。
おそらくは先代の選ばれし子供たちのことも知っておろうな。
選ばれし子どもたちがくる前から、生きておる数少ないデジモンじゃから。
つまり、かつてどのような情勢でもって暗黒の力が攻めてきたのか、知っている数少ない生き証人というわけじゃ。
あやつがいないとどのような対策を講じればいいのかわからん。選ばれし子供達よ、力を貸してほしいのだ」


首を傾げた空がつぶやく。


「どうすればいいの?」

「ジュレイモンを探してほしいのだ」

「どんなデジモンなんだよ」

「ジュレイモンは世界の大概のことは知っていて、“樹海の主”と呼ばれている、
 植物型の完全体デジモンじゃ。文字通り、大樹のような姿をしておる。
 かつてははじまりの街に辿り着くにはジュレイモンが守護する霧の森を抜けねば
 入ることができんかったもんじゃ。やつは幻覚を伴う霧に長けておる。
 やつがおらねば、サーバ大陸は迷いの霧を失い、暗黒の蹂躙を受け、
なすすべなく壊滅状態となる。
 そうなれば、暗黒の世界では、死んだデジモンが復活する場所が喪失し、
 現実世界同様、暗黒の蹂躙により寿命作る前に死亡したデジモンは無条件に復活できなくなる。
 輪廻が喪失する。ダークエリアに送られし者は、暗黒に魅入られし者のみよ。
 純朴なるデジモン達は問答無用で消滅の憂き目となる。
 最悪、暗黒勢力の糧となってしまうかもしれんのう。
サーバ大陸を砂漠に変え、何を目論んでおるのかわからぬ。
 本来ならば、ミスティツリーズ内の霧を晴らして、はじまりの街への道を
 開くなら任せろというとぼけた心優しい好々爺よ。
 だが、話を聞く限り、行方不明なのだろう?何かあったとしか思えないのだ。
 サーバ大陸を砂漠に変え、ネイチャースピリッツの力を喪失し、
 このサーバ大陸の守護者を徹底的に暗黒に引きずり込んでは蹂躙し、
 一体何の目的なのかわからぬ。頼まれてはくれんかのう」


空たちは顔を見合わせたが、4000日以上もこの世界が無防備なまま敵の奇襲を受けるかもしれない、という
恐ろしい可能性を訴えられては先を急ぐからというわけにもいかないだろう。
大輔から、ホメオスタシスの話、なっちゃんの話、そしてトノサマゲコモンの話を電話で聞いた光子郎は、
そのままピラミッド迷宮には帰らずに、ヤマトを探したほうがいいと返した。
おそらくテレビ電話だったら、目がきらめいてるであろう光子郎である。
ホメオスタシスのデジヴァイスのデータを公開したという話にものすごい勢いで食いついてきた。
テンションがものすごい。新デジヴァイスの制作という言葉を聞くや否や、
明らかに意欲とやる気が顕著に変わった光子郎である。水を得た魚である。
ナノモンになんか叫んでいる。ナノモンもなんか預言の書がどうたらこうたら、
専門用語が大わらわで大輔は途中から理解するのをあきらめた。
可愛そうなのは、これからこき使われるだろうガジモンたちと
ほっとかれっぱなしではないけども、逆に専門知識を嬉しそうに話しまくられ、
いや、あの、わてに言われてもわからんがな、って別の意味で置いてきぼり食らっているテントモンである。
テントモンは空を飛べる。きっと機材収集の奴隷となるだろう。ご愁傷様である。
そして、なんだかものすごくハイテンションな様子でド派手な音がして、
テントモンの光子郎はああああんんっていう大声が響き渡って切れてしまった。
なんぞ。



何はともあれ、なんでもないです、なんでもないです、って機械的に返す光子郎に何も言えず、
大輔はそのまま光子郎のデジヴァイスを持っている空、タネモン抱っこしたミミと共に、
ナビゲーションする電話抱えてチコモンと共に、バードラモンに乗って空を飛んだ。
どこにいるのかわからない樹海の主探しが追加されてしまった。



[26350] 第十九話 ベジーモンレストラン
Name: 若州◆e61dab95 ID:51c18113
Date: 2013/08/03 00:36
「ムゲンマウンテンくらい高い山が見えると思うけど、その麓のあたりに、
昇っていける山道があるんだ。その中腹あたりをよく探してみて。
そこにあるレストランに、デジヴァイスの反応が2つあるんだ、おかしいなあ。
たぶん、ヤマトさんとタケル君じゃないかな?丈さん、どうしたんだろう?」


八神太一のサーバ大陸迷子事件のときに、空と大輔、丈とタケルとヤマト、
光子郎とミミという別れ方をしたのである。光子郎とミミが真っ先に帰ってきて、
待機の光子郎と探しに行くのミミで別れ、大輔と空が帰還、ミミを探しに行って合流、
ジュレイモンを捜さなければいけないから。みんなで合流しろって使いっ走りにされている途中である。
光子郎いわく、タケル、ヤマト、丈のグループは一度も帰ってきていないらしい。
何かあったんだろうかって心配になるみんなを乗せて、バードラモンは風を生んだ。
サーバ大陸でも、とってもおいしいと評判のレストランだそうである。
ベジーモンが運営してて、デジタマモンはオーナーをしているそうだ。
ガルルモンが0:00から6:00まで、6:00から12:00までがティラノモン、
12:00から18:00がメラモン、18:00から24:00がユキダルモンが、
交代で料理人を担当をしているそうである。
レストラン!?という反応を示した大輔とチコモンに、残念だけど、と光子郎は釘をさ
す。


「デジタルワールドの通貨はBITっていう特殊な通貨か、デジドル……いや、ドル?
アメリカのお金なんだって。食べちゃダメだよ、大輔君、チコモン、お金持ってないんだから」


えーと大輔たちは不満たらたらである。
たまには手料理食べたいよう、という大輔とチコモンの言葉には、空たちは大いにうなづいた。
漂流生活を始めてから何日たったか、とっくの昔に忘却の彼方である。
果物、魚、ばっかりである。たまには肉が食いたい。というか、パン、ご飯、
お母さんの手料理。サマーキャンプのカレー。ぐーとおなかが鳴った。
結局、選ばれし子供たちは食料調達はあくまでも現実世界が基準である。


「どんなメニューがあるの?」


興味津々のミミの声に、読み上げられるのは個性派ぞろいである。
ガジモンたちは、メラモンの赤熱ラーメンがお勧めだと笑った。
灼熱ラーメン 400デジドル
バーニングカレー 1200デジドル
溶岩風鍋 3500デジドル
暴君竜そば 400デジドル
ザウルスピザ 1000デジドル
ジュラシックバーガー 2500デジドル
骨付きステーキ 1000デジドル
DX骨付きステーキ 2500デジドル
幻の骨付きステーキ 5000デジドル
雪解けシェイク 300デジドル
アイスクリーム 700デジドル
絶対零度かき氷 1600デジドル


非常にレアなのが、ベジーモンとデジタマモンがふるまってくれることがあるそうだ。

ベジーモン限定メニューは以下の通り。
宇宙サラダ 1500デジドル
未確認飛行スープ 4000デジドル
ギャラクシーフルコース 9000デジドル

デジタマモン限定メニューは以下の通り。
謎のゆで卵 1000デジドル
謎の卵焼き 2500デジドル
謎の卵うどん 6000デジドル


「なんでデジタマモンの料理、すっげー簡単なのに、すんげー高いんすか」

「謎だからだよ、たぶん」

「ねえ、光子郎君。サーバ大陸って本当は自然でいっぱいなんでしょう?
見渡す限り砂漠だったけど。ってことは、レストランなのに食材ほとんど手に入らないんじゃない?
その交代制のデジモン達、雇えるお金あるのかしら?
お客さんこないような知る人ぞ知るって感じのところなのに」

「・・・・・・・・そういえば、UFOでも「商売あがったり」だっていってました。
なるほど、サーバ大陸を砂漠にして、みんな困らせて、
何も知らない僕たちが迷惑かけちゃうように、嫌われちゃうように、
誘導してたんですね、暗黒の力。本当なら協力してくれるはずのデジモン達から、
僕たちはあやうく嫌われ者になるところでした。危なかったですね」

「大変だわ、大輔君、ミミちゃん、急ぎましょう!
きっと何も知らないでレストラン行っちゃってアルバイトしてるんじゃないかしら、みんな。
ベジーモンの誤解も解かなくっちゃ!デジタマモンまでけがさせちゃったら大変だわ!」


一気にバードラモンは跳躍するのだ。





しばらくして。





空たちがたどり着いた時、久しぶりのお客様が人間という無断飲食した不届き者だと知ったベジーモンの態度はかたくなである。
そりゃそうだ。タダでさえ商売あがったりなのに、無断飲食なんて生活かかってるのにふざけたことした人間である。
態度は硬くなる。でも、大輔がもっていたPHSが大活躍である。
手渡されたPHS越しに、かつてよくお得意さまで来ていた、
エテモン軍団のガジモンたちが「ようひさしぶり」って電話してきたのだ。
暗黒の力で暴走行為を止めるために奔走したナノモンのこと、ガジモンたちのこと、
エテモンとナノモンを命を懸けてまで助けてくれたPHSの持ち主、
しかもPHSの持ち主と隣でベジーモンと同種族の植物のデジモン連れた女の子が、
トノサマゲコモンを起こしてくれたうえ、ベジーモンが散々こき使っていたのは、
伝説に語り継がれている選ばれし子供という、まさに救世主だったのである。
なんてこった、商売がうまくいかなくて、明日の生活にも困るあまりに、とんだ悪魔の甘言に載せられてしまった。
雨が降らない原因を作っていたのは自分だったのか、とベジーモンはあっという間に態度が軟化した。
丈は大輔たちから、ホメオスタシスのこと、なっちゃんのこと、トノサマゲコモンのことを聞いて、
事情を知らなかったとはいえ、とんだ営業妨害をしてごめんなさいと謝ったのである。
ミミはタネモンを抱えたまま言うのだ。


「ねえ、どうしてこんなところにお店をつくったの?」

「きれいな湧き水が出るホーリーストーンの泉がなくなっちゃったんざんす。
むっかしは大きな大きな繁華街があってねえ、大通りでうちの店、いっちばん大繁盛してたんざんすよ。
もう4体のデジモンを雇わないと回らなくなるくらい。
でも今は、あらやだ、この通り人間雇わなきゃいけなくなるくらいの閑古鳥!
でも雨は降らなくなるし、ホーリーストーンはなくなっちゃうから泉はかれちゃうし、
だからあっという間に砂漠になっちゃったのよう。
ここらへんだっていつまで砂漠になっちゃうかわかんないわあ」

「だいしけ、おれたちといっしょだよう」

「え?」

「はがねのていこくがね、しぜんのちからをぜんぶぜんぶぶっこわして、いろんなものつくって、
いろんなでじもんとせんそうしたんだ。だいちも、みずも、そらも、ぜんぶぜんぶまっくろになっちゃうくらい。
さばくがどんどんひろがってくせかいで、おれたちがたすけてえええってさけんだら、
そしたら、おめがもんは、あらわれたんだ。おれたちがしようとしてることは、
でじたるわーるどをたすけられるんだよ!だいしけ!」

「見かけないデジモンだけど、だれざんす?」

「おれは、ちこもん。だいしけのぱーとなーでじもんだよ。
こだいでじたるわーるどきにね、はがねのていこくのせいでしんじゃった、
ねいちゃーすぴりっつのひとりだよ。さいごのひとりだよ。ひとりぼっちだよ。
ほかのこだいしゅのみんなはまだねてるだろうし、いまはたぶん、おれが、
このせかいで、ゆいいつ、おめがもんをみたでじもんなんだ。
あんこくのちからでぶっこわされそうなこのせかいに、へいわをもたらしてくれた、
おめがもんをふっかつさせるために、おれたちはいるんだよ、べじーもん。
おれたちは、そのためにいるんだよ。だいしけたちは、そのぎしきをすつためにね、
やってきたかみさまなんだよ。えらばれし、こどもっていう」


ベジーモンは、凍りついたのである。あんぐり、口が開きっぱなしで閉じない。
ベジーモンは大輔の頭の上に載っているチコモンを捕まえた。
証拠はとりあえずPHSの向こう側にいるガジモンとナノモンたちに任せることにした。
ベジーモンたちがPHS越しに会話しているのをしり目に、
他の選ばれし子供たちは苦笑いでテーブルの椅子を引いて、作戦会議だ。
大輔のリュックにある食べ物をごろごろ並べて作戦会議である。
大輔のPHS越しに光子郎も参加する。
その中で、言葉少なに作戦会議に参加していたヤマトが、おもむろに立ち上がる。


「どうしたんだい?ヤマト」

「ちょっと出てくる。タケルたちが心配だ」

「オレも行くよ、ヤマト」

「ああ」

「そ、そうか、ごめんよ、僕のせいで。実はタケル君に待っているよう言って、
ヤマトは僕のこと探してくれたんだけど、この通りなんだ」

「じゃあ、私が行くわ、ヤマト君。バードラモンでお迎えに行ってあげた方が早いでしょうし」

「そうか、悪い。ごめんな」

「ううん、私たち、仲間でしょ?」


みんなヤマトが照れ屋だと知っているので、そっぽ向いた彼には何も言わない。
くすくす、にやにや、するだけである。ヤマト?って心配そうにガブモンは顔を上げる。
唯一毎晩悪夢にうなされ続けていることに気付いているガブモンは、
丈に言おう、言おう、とするたびに、大好きなヤマトに止められてきたので言えないままである。
ここに巻き込まれる形でとどまったのだって、デジタマモンにここから出たら丈とゴマモンの命はないぞ、
それでもいいのか?選ばれし子供、ってなかば脅される形で屈してここにいるのだ。
そして、守っているはずの丈からいろんな迷惑をかけられては、守るべき存在であるタケルを迎えに行けないまま、
2か月近くがたってしまっている。守るべきものから、守るべきものを守れなくされている。
ヤマトにとって、友達とは「守る」ことに通じている。
それがすさまじい勢いで揺らいでいる中で、連日連夜の人間不信の悪夢にうなされ続けていたのだ。
もう精神的には崩壊寸前である。ただでさえ、自分は空っぽであると早すぎる自覚をしてしまったヤマトは、
迷惑をかけたくないとか、大したことないとか、ひとりぼっちで強がり続けていた、
初めて会ったばかりのヤマトのような言動と態度に戻ってしまっているのだ。
本能が危険信号を発している。でも、本人は気付かない。
空っぽな少年は、これが、あたりまえ、だと思い込んでいるから。
ふつうのあたりまえのこと、だ、と思い込んでいたから。
ヤマト?と怖い顔をしているパートナーにおびえながら、ガブモンがいう。
一瞬目のハイライトが消えていた少年は、はってなる。


「なんだ?」

「あ、よかった、もどった」

「え?」

「ヤマト、気付いてないの?」

「なにがだよ?」

「なんか、一瞬、暗黒進化させた太一と大輔みたいになってたよ?」

「・・・・・・・悪い。ありがとな、ガブモン」

「うん」


振り返ったヤマトは、タケルを呼びに行った空がいないテーブルに向き直る。


「みんな、のど乾いてるよな?水、いるか?」


もちろんみんな即決である。
みんなの目が輝くのは、カーテンの向こう側にある灼熱地獄の昼下がりを見れば一目瞭然だ。
そして、水でもみんなに渡そうとキッチンに向かい、コップをお盆に並べるのだが、
たくさんの氷の入っている水がなくなってしまった。


「あ」

「どうしたんだい?ヤマト」

「水がなくなっちまった。なあ、丈、井戸ってどこら辺にあるんだ?
たしか水汲みは丈の仕事だったよな?」

「えっと、この岩道をずっと下っていくと枯れかけの湖があるんだ。その先にたしかあったと思うよ?」

「ちょっと、オレ、水でも汲んでくる。いくぞ、ガブモン」

「うん」

「え?そんな、わざわざ行かなくても・・・・・」

「いや、いいんだ。ついでだよ、ついで。もう働かなくてもよくなったって言っても、
晩飯の魚はどのみち誰かがつらなきゃいけないだろ?」

「あー、そりゃそうだ」


釣り、という言葉に反応したのは、チコモンである。
魚、魚、さかな、さかな!?ガブモンはどうしたんだよと思わず聞いた。
キャンプセットをもっているミミや丈と合流するまで、
空とずーっとお菓子や果物を腹八分目以下しか食べられなかったチコモンには、
何よりの朗報である。


「ねえねえ、それってさ、いっぱい釣ったらいっぱいたべてもいいの!?」


その言葉に、ああ、とその場にいたすべての選ばれし子供たちは、チコモンの心中を把握したのである。
連日の悪夢をちょっと一人で考えたかったヤマトはちょっと嫌そうな顔をするのだが、
気付いているのはガブモンだけだ。


「だいしけ!」


ものすごい勢いで食いついてくるチコモンに、こんなじりじり暑い中釣りかよとばかりに、
うへえと大輔は顔をゆがませた。
でも、一度こうなってしまったらチコモンはずーっと魚魚とうるさくするに決まっている。
現にもうチコモンは苦笑いを浮かべているヤマトたちについていく気満々なようで、
早くいこうよと耳元でわーわー騒いでいる。うーむ、と大輔は考える。
みんなの話し合いは、きっとここに来るまでに空たちと話し合ったことの繰り返しだろう。
難しいこともいっぱい話し合われてしまうと、きっと置いてきぼりになってしまう。
たぶん光子郎たちと話し合ったことをそのまま丈たちに伝えて、
これからどうやって太一たちと合流するか考えなければいけないが、
結論づけるのはきっと何時間も後になるだろう。それはちょっといくらなんでも暇すぎる。
よし、決めた。


「ヤマト先輩」

「・・・・・ん?」

「あれ?どうしたんすか?」


いつものヤマトだったら、この時点で大輔たちの言いたいことくらい把握してそうなものだが、珍しいこともあるものだ。
ガブモンはちらちらとヤマトをみて、どうしようかなあ、と悩んでいる。
パートナーデジモンが結論を出す前に、ヤマトは言葉を紡いでしまった。
ああ、またおいて行かれちゃった。


「いや、なんでもない。なんだ?」

「オレたちも行っていいっすか?」


ヤマトは肩をすくめた。そして考えるそぶりをしている。
別に断るようなことでもないだろうに。へんなの、と思いつつ、チコモンはヤマトとガブモンを見比べる。
丈の荷物の中から折り畳み式の釣竿とバケツを用意し始めている様子は、なんだか落ち着かない様子だ。


「いいぞ。そのかわり、騒ぐなよ」

「はーい!」

「チコモン、お前手も足も無いくせにどうやって釣るんだよ」

「え?あ、あははははは」


苦笑いを浮かべたヤマトは、釣り道具一式を大輔に持たせた。


「オレたちは先に水を井戸で汲んでくる。大輔たちは先に行ってろ。
この坂をずっと下った先に湖があるから、そこで先にはじめててくれ」

「はい、わかりました!いこうぜ、チコモン」

「うん!じゃあ、いってきまーす!」

「じゃあ、これからどうしようか話し合いだね」

「決まったら教えてくれ。すぐ戻るから」


一足先に坂の向こうへと消えた大輔たちと少し遅れて、ヤマトとガブモンはベジーモンのレストランの裏手にある小さな畑へと足を延ばした。
川の水を堰き止めて水を溜めるようになった名残があるが、すっかりこの山のか細い上流の水は枯れてしまったらしい。
横切るのは貧相な畑である。そのすぐそばには、山の麓に横穴をあけて作った地下水のため池が見えてくる。
これは畑の世話をするためのものであり、飲み水ではない。
少し歩いた先に、寝泊まりしていたボロ小屋と一緒にあるのがお目当ての木製の井戸である。
井戸孔内に雨水などが入らないよう作ってある囲いを飛び越え、ヤマトは小さな屋根をくぐった。
そして、慣れた様子で飲み水をいれる容器を井戸口におき、手押し式のポンプに手をかけた。
まるでトトロに出てくる井戸である。さすがにヤマトの父方の祖母の家付近はここまで田舎じゃない。
せーの、でポンプを上下させれば、次第に水があふれ出す。わあ、つめたい!と容器を抱えていたガブモンがはしゃいだ。
毛皮をかぶっている爬虫類にとってはこの暑さはたまったものではないのである。
いつもなら何やってるんだ、と笑いながらハンカチを差し出してくれる優しい笑顔がそこにはない。
ポンプは止まらない。組み上げられた水がじゃぶじゃぶと容器の中でうすをまく。
やまと?とガブモンはヤマトを見上げる。なにやらまた考え事をしているようだ。
力任せに組み上げられていく井戸はどんどん水の勢いを増していく。わああああ、とガブモンは大声を上げた。


「ヤマト、ヤマト、ヤマトってば!水、水溢れてるよっ!!」


耳元で怒鳴られたヤマトは、ようやく我に返った。
目の前にはなんとか水を止めようと容器をそばにおいてヤマトに引っ付いてきたガブモンがいる。
豪快に湧き上がる水ですっかり毛皮がびしょびしょだ。


「あああああっ!!なにやってるざんすかっ!」


追撃のように真後ろから大声をあげられて、ようやくヤマトはあわててポンプをもとの位置に戻した。


「一体全体どうしたんでやんすか?アナタがミスするなんて珍しいでやんす。
 でも気を付けてほしいでやんすよ。ここの所雨が降らないから、水は貴重なんざんす」

「あ、ご、ごめん、悪いベジーモン!大丈夫か、ガブモン」

「ううう、ヤマト、ひどいよう」

「うわ、ぬれちまったな。えーっと、タオル、タオル。わるい、ガブモン、待っててくれ。すぐとってくるからな」


ばたばたばた、とヤマトがレストランへ走っていく。
ぶるぶるぶる、と濡れてしまった毛皮を乾かそうと身震いするガブモンに、
ベジーモンが毛皮を脱いだらどうかと提案するが、真っ青な顔で彼は拒否した。
放っておいたらせっかくの地下水がぬるくなってしまうとベジーモンに水を持って行ってくれるよう頼んだガブモンは、
しばらくしてタオル片手に返ってきたヤマトを見上げた。


「ヤマト」

「ごめんな、ガブモン」

「ううん、いいよ。それよりさ、さっきからどうしたの?」

「え?なんだ?」

「さっきから、ぼーっとしたりさ、なんかへんだよ?ずっとへんだよ、ヤマト。
このレストランに来てから、なんかさ、ヤマト、いらいらしてない?」

「いや、べつに、そんなことは……」

「今は、ここには誰もいないよ、ヤマト。オレだけにさ、こっそり教えてくれよ。オレはヤマトの力になりたいんだ」

「ガブモン……」


もうひとりの自分からの警告である。
ガブモンはデジタルワールドにおいて、初めて、漂流生活において初めて、
自分の意見をパートナーであるヤマトにぶつけた。
無垢な眼差しに射抜かれたヤマトは言葉に詰まる。


「ヤマトがなにを考えてるのかなんて、さっぱりわからないよ、オレ。
でもさ、毎日毎日、ハンモックで毛布にくるまりながら、うなされてるヤマトを見るのはもうやだよ。
こっそり独りぼっちで泣いてるの見てるの、もうやだよ、ヤマト。
オレじゃだめなの?オレじゃヤマトの力になってあげられない?」

「……ガブモン、お前」

「オレさ、ヤマトがいつもすっごく頑張ってるの、ずーっと見てきたんだ。
ヤマトにしかできないこと、ヤマトはいっぱいしてきたでしょ?
何にもできない、すっからかん、じゃないよ?
ヤマトは「ヤマトお兄ちゃん」を頑張ってきたから、頑張ってこれたんでしょ?
スポーツだって、勉強だって、デジタルワールドでタケルたちのこと一番に考えて、行動してきたのヤマトじゃないか。
新しい自分を見つけるのもいいけどさ、今まで頑張ってきたことまでほったらかしにするのも、かわいそうだよ?」

「………ありがとう、ガブモン」

「うん」

「長い、長い、悪夢を見てたんだ。誰にも言えなくて、怖くて、泣いてたんだ。
聞いて、くれるか」

「うん」


乱暴に目頭をぬぐって、ヤマトはほんの少しだけ打ち明ける。
トラウマとなっている光ヶ丘団地に住んでいたころの小学校1年生だったヤマトの記憶を打ち明けた。
ガブモンはなんにも言わないで、ヤマトの手を握った。
そろそろいくか、と鼻声なヤマトにガブモンはとりあえず若干赤くなっているその眼をどうやってごまかすか考えてあげることにした。
そして、大輔たちが待っている湖に向かうために再びレストランに戻った時、何やらにわかに店内が騒がしくなっている。
なんだ?と顔を出したヤマトたちを待っていたのは、サイン色紙を突き出すベジーモンの姿があった。


「あああ、これは大変だ!はやくデジタマモンに伝えないと!
あああああ、ちょーっと待っててください!さささ、おかけになって!
あなた達も実はとっくの昔に食べた分は払ってもらってるざんすよ!
あーもーしまった、貴重な食料がぱーざんす!お金があっても食料売ってるとこないのに!
お金に目がくらんでしまった、デジタマモンに怒られるざんす!
だからせめて、アチキがクビにならないように協力してくださいざんす!
神様が遊びに来てくれたっていう拍がついたら、平和になった後は、
うちの店は確実にNO1のお店になれるざんすっ!サインください!サイン!
もちろん、デジモン達も。あ、そーだ、足形つけてくださいな、そっちの方が信憑性増すざんすっ!」


わけのわからないまま、石田ヤマトって油性ペンで書く羽目になったヤマトの横では、
ガブモンも疑問符を飛ばしながらがミミズののた打ち回ったようなデジ文字で名前を書いている、
そして、デジタマモンをさがしに一目散に飛んで行ったベジーモンである。選ばれし子供たちは苦笑いだ。
そして、ヤマトはようやく丈たちのサイン色紙がレストランに並べられているのを見て、
有名な料理屋さんによくある有名人のサイン色紙をベジーモンがねだっていることに気づいたのだった。
選ばれし子供たちってとんだ有名人らしい。じゃあ、大輔たちと釣りをしてくるって、
ヤマトは改めてガブモンとともに去っていった。
一息ついたお留守番組は空を抜いての作戦会議である。丈とミミ、光子郎、パートナーデジモン達だけだけど。


「ありがとう、みんな。危うくずーっと働かされるところだったよ」

「丈にしてはらしくないミスばっかりだったな!」

「う、うるさいなあ、黙ってろよ、ゴマモン。おかしいんだよ。
何にもないところで転んだり、僕の時だけ鍋が落ちてきたり、
崩れ落ちそうになるくらい変な積まれ方してたり、味が変わってたり、
調味料の位置が反対になってて、間違えて入れちゃったり」


「わあ、大変。そういえば、丈さん。丈さんはどうやってこのレストランにきたの?
こんな知る人ぞ知るって感じのお店なのに」

「え?えーっと、そうだなあ。旅人みたいな恰好をしたデジモンが僕たちの前に現れてさ、
初めはこっちの方角に子供たちを見たって教えてくれたんだ。
で、湖の近くでヤマトとタケル君と別れて、二手に分かれて探すことにして、
そしたらここを見つけたんだ」

「へえ、親切な人もいるもんですね」

「できたらデジドルのことも教えてほしかったんだけどなあ。
 てっきり円が使えるとばかり思ってたから、無断飲食になっちゃったわけだし」

「しかたないって、丈。オイラ達だってデジドルつかうようなところ、ファイル島には無かったんだから」


ゴマモンは肩をすくめて笑った。


「アタシがファイル島にお店を出してた頃はまだ使われてた覚えがあるざんす。
 今はそんなところも残ってないザンすか?」


ベジーモンの言葉にみんな振り返るのだ。


「アタシがまだ幼年期だったころ、肉畑を任されてた下積み時代だったざんす。
 ずいぶんと儲けさせてもらった覚えがあるザンす。まあかれこれ300年くらい前だけどねえ」


意外と長生きしているらしいベジーモンにびっくりする。
飛行能力を持たないベジーモンやデジタマモンはどうやってサーバ大陸に渡ったのだろう?
すると、300年くらい前はこの世界はずっとずっと寒くて、海が凍っていたのだとベジーモンは教えてくれた。
ファイル島とサーバ大陸はもともとひとつの大陸として氷河を通して陸続きになっているほど、
広大な大地を持っていたのだという。それがはじまりの島と呼ばれていた時代のことだ。
はじまりの街を司る守護デジモンがいなくなってから、
一気に繁華街が衰退の一途をたどったという証言は嘘ではないらしいことを再確認した。
やっぱりはじまりの街は大切なエリアなのだ。ジュレイモンを捜すにはどうしたらいいんだろう。
空たちの会議に、当時のことを断片ながら覚えているベジーモンが話に加わってくれた。



[26350] 第二十話 スピリットオブメモリーズ
Name: 若州◆e61dab95 ID:15821ef9
Date: 2013/08/03 00:36
ベジーモンレストランから降りてきた先で、大輔とチコモンを待っていたのは、
大規模なわりに魚といった生き物の影が全く見えない湖である。
岸の高さのわりに、小さい湖が広がっていて、周りは木で覆われていた。
何年も雨が降らないせいですっかり水が枯れかけているのだろう。
とてもではないが魚釣りの名所とベジーモンに言われても信じられないほどに、
静かに波打つ水たまりは船底がすぐにみえてしまう。
それでも、きっとそれなりの深さはあるのだろう。
わーい、と大輔の頭の上に乗っかっているチコモンは目を輝かせるのである。
水面には、水色の塊を乗っけた黒い影ががゆらゆらと動いている。
魚たちがいるのはどっちだろう、と釣竿をぶら下げながら、大輔は考える。
たぶんポイントってやつがあるんだろう。
どうやらベジーモンたちの経営しているレストランは、ここで取れた魚を調理して出しているようだから。
夕ご飯がかかっているというのに、水面を見たチコモンのテンションはバカ上がりだ。


「だいしけ、だいしけ、ゴーグルかしてっ!」

「はあっ!?なんでだよ」

「オレ、泳ぎたい!」

「いや、お前手も足もねえじゃんか」

「だいしけが抱っこしてくれればいいんだよ!」

「えー、これから魚を釣らなきゃいけないのに、何言ってんだよ」

「ヤマトたちが来るの待ってたら日が暮れちゃうよー!ここまで来るのに結構歩いたよ、だいしけ!
ねーねー、ちょっとだけ!水の中のぞいたら魚が泳いでるか見つけられるだろ!」


大輔はさらっと流そうとしたのだが、わんわん頭の上でわめかれるとこれまたうるさいことこの上ない。
はっやく、はっやく、と頭の上で急かされる。
とうとう待ちきれなくなったのか、チコモンはぱくりとゴーグルレンズを口にくわえると、
とりゃあっとばかりに伸ばし始めたのである。
もともと大輔の天然パーマによって引っかかっていたようなゴーグルである。
びよんびよんに伸びている部分はなおさら引っ張られて熱を持つ。
真っ白な筋がたくさん入り、イタイイタイイタイ、と髪の毛とゴムひもがくっついてしまった大輔は、
何すんだよ!と大声を上げたのである。
チコモンの重さに耐えきれなくなったゴーグルはすとんと大輔の首元にかかる。
落っこちそうになったチコモンは器用に肩の横に乗ったのだ。
そして、またはむはむとゴムひもを口にくわえて大輔の頭の上によじ登ろうとするのでくすぐったくてかなわない。
とうとう音をあげた大輔はゴーグルを外すとチコモンの目に合うようにサイズを小さくしてやったのである。
でもこんなやんちゃ坊主が湖の中に飛び込んだら、ますます魚が逃げてしまわないだろうか。
そんなことにでもなったら怒られるのは間違いなく大輔たちである。
どうしよう、と大輔はべったり張り付いてくるスライムみたいなパートナーデジモンを頭に乗っけてため息をついた。
居てもたってもいられなくなったのか、チコモンは大輔から湖に飛び降りようとしてしまう。
こらこらこら。大輔はすんでのところで捕まえた。もともと跳躍力がないチコモンがジャンプしたところで、
河原に転がるだけだったので間髪で助けたことになる。


「なんか細長いな。大丈夫か?チコモン。頭に血が上らないんじゃない?」

「大丈夫だよー、だいしけのゴーグルだもん。だいしけ、はっやーく!」


もともとどこまでが頭でどこまでが顔だか分からなかったのだが、
ゴーグルのゴムひもがぴったりとくっついて心なし楕円形が丸くなった気がする大輔である。
待ちきれなくなったのか、そわそわしっぱしのチコモンは、とうとう大輔の手を離れて湖の中に飛び込んだ。
ばしゃんというしぶきがあがった。あああああっと声を上げたのは大輔だ。
何やってんだよ、おまえってあわてて釣竿を伸ばしてチコモンを捕まえようとするが、チコモンは漣に乗って流されていく。


「あ、いたあっ!!」

「え、うそ、まじかよ」


じゃあますますチコモンの影があったら魚が逃げちゃうじゃないか!
大輔の焦りなんてほったらかしにして、ぷかーと浮いているチコモンはどんぶらこと流されていく。
スライム型のデジモンは水に浮くらしい。気持ちよさそうである。
オレも水遊びしたいなあ、くそう、と恨めしげに見ながら、
なんとかヤマトたちが来る前にチコモンを回収しようと躍起になった小学校2年生の男の子は、
なにやってんだ、とひきつっているヤマトとガブモンを見て、ぴしりと凍りつく。


「おい、大輔」

「お、お、オレはちがいますっ!ちゃんと釣りしなきゃだめだから遊ぶなっていいましたよっ!」

「ばか、声が大きい。魚が逃げたらどうするんだよ」


ちょっと待て、お前らちゃんと魚釣りするって言ったよな、とヤマトにがしっと肩を掴まれた大輔はささやかれて、
ごめんなさい、ごめんなさい、ってくすぐったくて悲鳴を上げる。
無理やり肩を揉まれても、イタイイタイと涙目である。


「ガブモンもあそぼーよー」

「お、おれはいいよ。毛皮濡れちゃうし」


ヤマトの隣で座っているガブモンはつれない返事である。
それでも気持ちよさそうにチコモンはぷかぷかと浮かんでいた。
はあ、とため息をついたヤマトは大輔から釣竿を受け取ると、チコモンめがけて狙いを定める。
きらめく釣糸の先には痛そうな針がある。ちょ、ちょっとまってとチコモンもさすがに焦り始めた。
あんな痛そうなので体をぶっさされでもしたら大けがだ。
まって、待って!と必死こいてチコモンは流されていた漣に身をゆだねて、対岸付近で何とか大輔に回収されたのだった。
とりあえずチコモンは、ヤマトによって吹っ飛ばされたのである。
仕方ないので、いつもとはちょっと違うポイントを目指す羽目になり、
ヤマトに続いて大輔たちはしばらく魚影を追いかけて移動する羽目になってしまった。


「つーかさ、浮くんだな」

「スライム型のデジモンは浮くよ」


チコモンは答えたのである。何を当たり前のことを言っているのだ、と
ばかりにチコモンは笑った。なんかクラゲみたいだと思ったのは内緒である。
ヤマトの視線はガブモンに向かう。チコモンはチビモンの進化前になる。
つまりデジタマから生まれたばかりの最初期の姿だ。
幼年期1と分類されるらしい仲間のデジモンが大輔の頭の上で、魚が釣れるのを待っている。
自然とヤマトの興味もそちらに向いた。


「そう言えばオレたちが出会った時、もうツノモンだったよな。
ガブモンって生まれたばっかりの時はどんな感じなんだ?」

「え?おれよく覚えてないよ」


困ったようにガブモンは首をかしげるのである。


「そう言えばどっからガルルモンの毛皮とってくるんだ?」

「わかんないよ。あの日初めてガブモンに進化したから」

「へえ」


分からないことだらけである。今に始まったことではない。
そう言えば古代デジタルワールド期にはもうアグモンとガブモンは居たと
チコモンが言っていたことを空たちから聞いていたヤマトは、チコモンに聞いてみた。


「えっとねー、真っ赤で角が3つのスライムデジモンだよ。プ二モンって呼んでたけど今もそうなの?」

「あーうん、そんな風に呼ばれてた気がする」

「へえ、赤いのか、なんか意外だな」

「そういやガブモンとブイモンって目の色一緒っすよね」

「そう言えばそうだな」

「デジモンはね、毛が生えてる奴とオレみたいにスライムのやつがいるんだよ」

「じゃあ、どっかにガブモンだらけの村があんのかな」

「あるんじゃないかな。オレもよく知らないけど」

「どこにあるのかな」

「さあな、オレたちもサーバ大陸を全部回ったわけじゃないからな。
 大輔だって空と一緒に回ったけど、目ぼしい村とかなかったんだろ?」


ガブモンはどっかにあるのかなあ、オレだらけの村、とちょっとだけわくわくしてたりするがそれはまた別の話である。


「そういえば、空さんたちと話してたんですけど、ヤマト先輩ってハーモニカ持ってるじゃないですか」

「ああ、それがどうかしたか?」

「あの、ガルルモンに初めて進化した夜のこと覚えてます?
 あとはヤマト先輩がガブモンと夜の見張りやってる時のこと」

「ああ、それが?」

「空さんたちが言ってたんすけど、大きな音がすると大きなデジモンたちにも気づかれることもあるかもしれないのに、
ヤマト先輩たちが見張りやってる時って絶対にデジモンたちに襲われたことないじゃないですか」

「……そういえばそうだな」

「ハーモニカで曲を吹いてる時、じゃないかって。
ヤマト先輩、もしかして、いつも同じ曲を吹いてるのってそういう曲だからですか?」

「え?いや、そういうわけじゃない。考えたこともなかったな」

「え?そうなんですか?てっきりオレたちのためにやってくれてんのかなって」

「………というか聞いてたのか」

「え?」

「………練習してるだけだったんだけどな」


しまった、みんな寝てると思ってこっそり練習してるつもりだったのに、とヤマトはつぶやくので、
え、うそ、と大輔たちは顔を見合わせた。すると、ガブモンはヤマトの服を引いた。


「なんだよ、ガブモン」


うつむいたガブモンは、しばらくの沈黙の後、何も言わないままぎゅっとヤマトの身体に抱きついた。
なんだかうれしそうである。


「それはきっと落ち着くからだよ、大輔」

「え?」

「だってオレ、ヤマトが吹くハーモニカの音色大好きだもん。
 ヤマトが吹くハーモニカの曲、聞いてるとすっごく落ち着くだろ?
 だからきっとデジモンたちも出てこないんだと思う」

「あー、なるほど」

「ちょっと待てよ、なんでそうなるんだ」


少し照れくさくなったのかごまかすようにガブモンのかぶっている毛皮を乱暴につかみあげるとわしわしと撫でたのである。
ガブモンはくりぬかれた目の部分がいきなり真っ暗になる。
うわあああって大げさなくらい大声を上げたガブモンは、わたわたわた、と何とか元に戻そうと躍起になる。
不慣れな作業がおっくうになり、いつもはおなかの部分と両足しか見ることが出来ない黄色い体がちょっとだけ現れた。
あれ?あれ?あれ?とどれだけ手繰り寄せても所定の位置に戻らない。
大混乱に陥ったガブモンはめんどくさくなったのか、
いつもならかたくななまでに崩そうとしないガルルモンの毛皮の前足部分を取り払い、
黄色い腕を晒してやっとのことで視界を確保した。
ほっと息を吐くガブモンは、ヤマト!と憤慨したように怒るのだ。ヤマトはくすくす笑って、ごめんと笑った。
見上げてくるパートナデジモンにヤマトは笑う。まんざらでもなさそうだ。


「まあ、父さんから借りた大事なハーモニカだから、そういってくれるとうれしいけどな」

「ほんと?あのハーモニカ、ヤマトのお父さんから借りた奴なの?」

「おう」

「え、そうなんすか。じゃあ、オレのPHSと同じなんすね」

「まあな」

「そっかー、ヤマトの大事なお父さんのハーモニカだから、なおさらいいメロディーになるんだね」


なるほど、なるほど、と大げさにうなづいているガブモンをヤマトはなんとなく頭を撫でてみた。
きょとりとした様子でパートナーを見上げたガブモンは、ちょっとだけ嬉しそうに笑ったのである。
ヤマトもちょっとだけ笑った。
なんだかいつもよりヤマト先輩とガブモンが仲がいい気がして大輔とチコモンは首をかしげた。
何があったか聞いてみようかと思ったものの、ちょうどタイミングを見計らったかのようにHITする。
あわててリールを巻いた大輔は、チコモンが口でくわえて持ってきてくれた網を持ってすくいあげてみる。
ちいさな川魚が釣れた。なんだ、と肩を下してバケツに投入する。
ちりも積もれば何とやらだ。がんばれーとチコモンがエールを送っている。
ガブモンがヤマトに抱きつくように寄りかかっているのがうらやましくて、大輔のそばに寄って行った。
ガブモンがヤマトに甘えるのはこれで2回目だ。
一度目はファイル島でみんながばらばらに飛ばされてしまった時だ。
徹夜で看病してくれたガブモンは、凍てつく寒さのエリアであるにもかかわらず、
毛皮をわざわざ貸してくれたのである。
それなのに、その時のヤマトはまだタケルのことが心配で心配でたまらず、
行方不明になっていた大輔のことも心配でうまいこと冷静な判断が下せずにガブモンの好意を無下にしていたのである。
謝罪とお礼を口にしたとき、ガブモンはヤマトの名前をよんで腕の中に飛び込んできた。
あのとき、一番距離を縮められたかな、とは思うのだ。
あの時とは違ってガブモンはかけがえのない存在である。
アウトローを気取りながら誰よりも人との接触を望んでいるくせに
臆病という矛盾した性格のヤマトの本音をぽんと口に出してくれるのだ。
おかげでついつい居心地がよすぎて言葉にしたり、
態度で示したりすることを忘れてしまうが、ガブモンだってもう一人の自分なのだ。
自分のことを一番知っているのはほかならぬ石田ヤマトである。
褒めてもらいたいという意識はガブモンだって同じようだった。
そんな一人と一匹に、ちょっと気づいたことがあってうずうずしているのは大輔である。
今、とんでもないものが見えた気がする。
ガブモンの手ってアグモンたちみたいに爪があるわけじゃないんだ、と今更過ぎる衝撃を受けていた。
とんだ勘違いである。
ガルルモンの前足ばっかりに目が行きがちだが、さっき見えた黄色い手は、
明らかにブンブンパンチをするブイモンと似ている。チコモンも目を大きくしたのである。


「ガブモンって指の数5本なんだね」


ガブモンはうつむいてしまった。
ガブモンはガルルモンの前足にある3本の爪を手甲のようにして身に着けているのだ。
指を3本ガルルモンの前足に付けて、残りの親指と小指にあたる部分で押さえつけている。
だからひっかき攻撃よりも炎を出したがる。そっちの方が威力がある。


「オレと一緒なんだねー。なんでわざわざ、グーしてるの?」

「だって毛皮がずれちゃうだろ、恥ずかしいんだよ。
 オレ、牙もないし、爪だってないし、ブイモンみたい力持ちでもないし。
 ガルルモンの毛皮がないとウイルス種にすぐやられちゃうんだよ。
 オレとパルモンだけなんだよ、みんなワクチン種とかフリー種なのに。データ種なんだ」

「データ種?」


ヤマトたちは顔を見合わせるのだ。ワクチン種のことはガジモンから聞いていた大輔だったが、
初めて聞いた言葉である。ワクチン種の反対がウイルス種。その中間ってことしか知らない。どれでもないのがフリー種。
データ種について詳しく言及されるのは初めてだった。


「ワクチン種じゃないの?」

「違うよ。ガルルモンはワクチン種だけど、オレはデータ種だよ。
 データ種のデジモンはワクチン種のデータで身を守るんだ。
 今だからいうけどさ、オレがガルルモンの毛皮をかぶってるのは、身を守るためなんだよ。
 ヤマトたちがいるし、デジヴァイスが守ってくれるからオレはウイルス種のデジモンが相手でも、全然怖くないけど、
 ほんとならデータ種のデジモンってウイルス種のデジモンが苦手なんだ。
 だからワクチン種のデータで身を守るんだよ。ガルルモンの毛皮はオレの大事なお守りみたいなものなんだ」

「そっか。大変なんだな」

「うん。オレもなんでデータ種なのかとかなんて知らないけど、ガブモンに進化してから、なんとなくぼんやりとわかったんだ。
 たぶん進化するってそういうことなんだと思う」


デジタルモンスターはデータを蓄積することで進化を遂げていく。
その不思議な生態を垣間見たような気がしたヤマトたちである。
ちなみに、始まりの街で生まれる幼年期のデジモン達は、みんな基本的に無属性である。
そして、成長期になると個性が出てくる。
実はデジタルモンスターが発見された時、3すくみはまだなかった。
無属性の後に、ウイルス種とワクチン種が発見された。
そのあとからデータ種に進化する個体が見つかったのだが、あまり知られていないことである。
ワクチン種はウイルス種に強いから、もともとウイルス種は淘汰されて個体数が少ないのかもしれない。
後から発見されたデータ種となればなおさらだ。


「へえ、ハツカネズミモンと同じだね」


チコモンは笑ったのである。


「サーベルレオモンの爪のデータで身を守るんだよ、あいつら」

「ほんと、どんなデジモンなんだよ、ハツカネズミモンって」


どんなデジモンだよとヤマトは必死に頭の中でイメージしていくのだが、
そもそもレオモンと名前がついている時点で、あのみんなの兄貴分が脳裏をかすめるので、
どうしても武芸の達人というイメージが先行してしまう。
獣人じゃないのか、って言ったらチコモンは首を振った。


「サーベルレオモンは獣人じゃないよ。ガルルモンみたいなやつだよ。
 毒針で攻撃してさ、動けなくしてから攻撃するんだ」

「ハチかよ」


チコモンは笑った。


「そのデータをどうやって持ってきたのかわかんないけど、すんごく強い奴なんだ。
オレとよく喧嘩してたもん。
オレ、みんなみたいに火を吐けないから、強くなるには頑張るしかなかったんだ」

「お、オレだって頑張ったよ、ツノモンの時は、流木くらいなら砕けるんだから」

「なんで対抗意識燃やしてるんだよ、ガブモン」

「え?あ、いや、その……だってヤマトがチコモンたちとばっかり話するから」


笑い声がこだました。この調子だとあんまり魚はつれないかもしれない。


「そうだ、大輔、ガブモン。一つ言い忘れてたことがあるんだけど、
オレが持ってるあれは、穴が10個しかないからハーモニカじゃないぞ。
ブルースハープっていうんだ」

「ぶるーすはーぷ?」

「ああ」

「へー、すげえ、ヤマト先輩なんでもしってるんすねー」


ま、まあなと嬉しそうに胸を張るヤマトだが、すべてはバンド経験者の父親から聞いただけである。別に精通してるわけじゃない。
ハーモニカとブルースハープの違いってなんだろうという疑問を大輔がはさむ前に、雑談は切り上げて釣りをしようとヤマトは宣言した。
ベースを弾きながらブルースハープとかかっこいいからと始めたのだと断言したお父さんである。
オレもやりたいなあと思い始めているバンドである。
まさか某高級メーカーものを買わされる羽目になるとはこの時のヤマトのお父さんは思ってもいないのである。
忘れていたのだろう。努力かな長男ははまり始めたら限界が見えるまで突っ走るタイプだと。
ついでに言えば海外旅行と称した選ばれし子供達の緊急出動とか。
石田家のお金はデジモン関連に費やされていく運命にあるらしかった。
そんなこと知らないヤマトは、みんなに練習してるのを聞かれていたという事実にこっそり羞恥心に駆られていたりする。
だって、お父さんが「毎日練習するのが大事だぞ」って言ってたから、やってただけだ。
タケルやガブモンに聞かせるためにやっている部分はあっても、第三者のことなどまあったく考慮していなかった。
しまった、オレとしたことが。またなにか考え事をしているヤマトだが、耳が赤いので大体予想はつく。
ガブモンは大輔から離れて、暇を持て余してバケツの魚とにらめっこしているチコモンのところに行くことにした。


「デビモンに飛ばされただろ?あのとき、大変だったんだよ。オレ、風邪ひいちゃってさ」

「え?ガルルモンの毛皮かぶってるのに?」

「ヤマトが風邪ひいちゃうと思ったから毛皮を貸したんだ」


大輔にゴーグルは返却済みである。
チコモンの眼差しが好奇心で輝くが、ガブモンはしっかりと皮をかぶって身構えている。
ちぇーとチコモンはすね顔だ。爬虫類型のガブモンは黄色いトカゲなのである。
角を触られるのを非常に嫌がる。
ガルルモンに進化したらどっか行ってしまう角である。どこに消えたかは永遠の謎だろう。


「へー。ねえ、どうやって元に戻したの?」

「オレがガルルモンに進化して、グレイモンと一緒に歯車を戻したんだ」

「光子郎が言ってたけど、ミミが蹴飛ばしたら動いたって言ってたよ。
 ケンタルモンでも動かせなかったらしいのにすごいねー」

「え?嘘」

「嘘じゃないやい。光子郎に訊いたもん」


チコモンは目を輝かせるのだ。
ケンタルモンの頂点に立つのがデジメンタルの進化先であるサジタリモンである。
ミミの渾身の蹴りとサジタリモンの蹴りはどっちがすごいんだろう。
ケンタルモンでも動かせなかったのをミミが動かせるということは、
ミミはケンタルモンよりもキック力があるということだ。
ガブモンはえーとあいた口がふさがらないのである。なんだよそれ。





穏やかに時間だけが過ぎていく。





やがて、みんなで焼き魚が食べられる範囲にまで魚がゲットできたころ、
がさり、という音を聞いた大輔たちは思わず後ろを向くのである。
ヤマトたちを守れるのはガブモンだけである。
反射的に立ち上がって周囲を警戒し、チコモンをかばうように手を広げたガブモンは、
茂みから出てきた黒い塊にあ、と声を上げるのだ。その瞬間に、何か豪快に吹っ飛ばされる音がした。
ヤマトと大輔は血の気が引いたのである。凄まじい勢いでなぎ倒される大木。
クレーターが出来上がっている。
思わず立ち上がったヤマトたちの前に現れた大きな黒い塊が、湖に放り投げられる。
どおんという雷鳴にも似た爆発音の後に、豪快な水しぶきが上がった。
なんだなんだ、と戦慄したヤマトたちの前に現れたのは、無数の黒い球体だった。
チコモンはその姿を目にした瞬間、絶句した様子で固まってしまったのである。
ひきつった顔をしているチコモンがかわいそうになって大輔は駆け寄ると抱っこした。


「チコモン?」


小さな悲鳴が腕の中で上がっている。チコモンはすっかり混乱しているようだった。
え?え?なんで?どうして?チコモンは大輔にも気づく様子もなく、びくっと震えた。


「あの時と一緒だ」


ガブモン達は言葉を失うのだ。


「あのとき?」

「いったでしょ、だいしけ。オレが生まれて初めてエクスブイモンに進化できたずっとずっとむかしのこと。
 メタルエンパイアのデジモンたちに故郷を追われて、必死で逃げてた時のことっ」

「まさか」

「今は違うかもしれないよ?でも、でもっ!!現代種ならなんでオレたちのこと殺そうとしてくるの?
あの時と全く同じ顔してる!ギロモンだ!!」


古代種の仲間たちが生きていたころに聞いた話を必死で思い出しながら、チコモンは言葉を紡ぐ。
ギロモンはかつてメタルエンパイアの勢力に身を置いていた小さい形をしているが、
完全体のデジモンだ。
いくつかあるマメモン系列の中では最も警戒すべきマシーン型デジモンの一つである。
ちなみに、現代種のギロモンは、本来であるならばネットワークセキュリティに属する
ネットパトロールを行う役目を担うマシーン型デジモンである。


「エラバレシコドモタチヲハイジョセヨ」


その言葉に、ヤマトたちは凍りついたのである。
エラバレシコドモタチ、という無機質な言葉は明らかに自分たちが標的なのは自分たちだと証明していた。
死ね、と次から次とはるか向こうの対岸から攻撃を仕掛けてくるギロモンによって、
ただでさえ水が少なかった湖が爆破によって破壊されていく。
次第に真っ黒に染め上げられていく水面は、データをも破壊しているようだった。
トラウマを深くえぐられたチコモンは身動きが取れない。
チコモンの脳裏にはしっかりと焼きついているのだ。
がたがた震える仲間を守るために、ガブモンは立ち上がった。
ヤマトも真剣なまなざしで対岸の向こう側で爆弾を次々と放り投げてくる爆弾魔に立ちふさがる。


「行くぞ、ガブモン!」

「うん。オレたちはこんなところで死ぬわけにはいかないんだ!」


デジヴァイスが光を放つ。進化したガルルモンは、ヤマトを乗せる。
大輔とチコモンを乗せて、後ろからどんどん迫ってくる爆撃から逃げるべく走り出したのである。
顔をあげたチコモンは、ううう、となくのである。チコモンには、逃げるしかなかった記憶がある。
自分だけが生き残ってしまった罪悪感はずっとずっとチコモンの中に巣食っている。
一生消えることはない事実である。過去はやり直せるとしても同じ人生は歩めない。
いやだとチコモンは思ったのである。
あの時、自分も残るんだと必死で抵抗したのに、わがままは言うなと仲間たちに怒鳴られて、
古代きょうと呼ばれることになる、赤土の荒野の崖から秘密の抜け道まで突き落されたのである。
一生忘れない。どんどん迫ってくる爆破攻撃。ベジーモンレストランに近づけるわけにはいかない。


「ガルルモン、気を付けて!ギロモンは偵察とか、警備とか、やってたデジモンなんだ!
今はどうかわからないけど、逃げても逃げても追いかけてくるよっ!!」


残虐な方法を幾度も目にしてきたチコモンは叫ぶのだ。
わかった、とガルルモンは必死で森の中を走るのだ。
いつまでも逃げるわけにはいかない。どんどん追いかけてくる。
ヤマトたちが空を見上げると、どうやらギロモンは上空から爆弾を投下しているようだった。


「ガルルモン」

「ヤマト?」

「いつまでも逃げてたら埒があかない。戦うぞ」


ヤマトはデジヴァイスを握りしめた。わかった、と頷いたガルルモンは、立ち止まる。


「チコモン、大丈夫だよな?」

「うん!大丈夫!いけるよ、だいしけ!」


大輔がデジヴァイスをかざして、チコモンはチビモンに進化する。
チビモンは、ブイモンに進化する。いざ、エクスブイモンに進化しようとした時、
まて、とヤマトに制されてしまった。え?と顔を上げた大輔たちに、ヤマトが首を振った。


「お前らはここで待ってろ」

「なっ!?なんでっすか、ヤマト先輩!」

「馬鹿野郎。忘れたのか?ブイモンにはなれるくらいまで回復してるみたいだけど、
ブイモンは、パタモンと同じように一度成熟期への進化すら失敗してるんだぞ。
ブイモン、お前いってたじゃないか。古代種にとっては通常進化自体が難しいんだって。
古代種は現代種よりも相当の大量のエネルギーを消耗してしまうから、
進化そのものが難しいんだって。奇跡みたいなもんだって。
だから幼年期2の形態であるチビモンをすっとばして、幼年期1のチコモンの姿にまで戻ちまってたんだろ?
むちゃするな。ここはオレたちに任せて、お前らは逃げろ、今すぐに」

「そんなっ!?ちょ、あ、ヤマト先輩!ガルルモンっ!!」


ヤマトを乗せたガルルモンが森の奥へと消えてしまう。


「ヤマトのばあかっ!!勝手に決めないでくれよっ!オレも大輔もそんなに弱くなんかないやいっ!
いこう、大輔。ギロモンは空を飛べるんだ。それにどこに隠れてたってスコープと追尾の機械ですぐばれちゃうんだよ!
オレだけだよ!オレだけなんだよ!エクスブイモンで空を飛べたのはオレだけなんだ!
もうオレは逃げたくない!大事な人に守られて、独りぼっちで逃げるのやなんだよ!」

「いけるよな?」

「うん!オレがオレのこと一番よく知ってるんだ。大丈夫、完全体になるのはちょっとまだ難しいけど、大丈夫だよ!」


ブイモンの決意が響き渡った時、デジヴァイスが光を放った。


「大丈夫。今度は間違えないよ、大輔。いこう」


蒼い雷を操る真っ赤な目をした黒いドラゴンは、手を差し伸べたのである。 


「おう!」



[26350] 第二十一話 豪勇進化 ワーガルルモン
Name: 若州◆e61dab95 ID:15821ef9
Date: 2013/08/03 00:37
夏の喧騒から置き去りにされたように、あれだけうるさかったセミの鳴き声がぴったりとやんでしまっている。
まるで誰もいないかのごとく静まり返っているのだ。なんでだ、とヤマトは不安げに周囲を見渡す。
ガルルモンもヤマトに習ってあたりの様子を探ってみるのだが、気配は全く感じられないと返すしかない。
ガルルモンの俊足に任せて、ずいぶんと森の奥深くにまでやってきたはずである。
ヤマトたちははっきりとした違和感を覚えていた。野生のデジモン達を巻き込んでしまうのではないか。
第三者の乱入でややこしい事態になるのではないか。
いろんなことを警戒しながら、ギロモンからの追跡をかわしながら、懸命に反撃の機会をうかがっていたのだが、
今までデジモンと一切会うことはなかった。遭遇しないのはかえって不自然極まりない。
不気味なまでに沈黙する森はずっと広がっていた。
ベジーモンとデジタマモンのレストランには、もんざえモンやヌメモンたちが来ていたのだ。
時折、客が来ていたことを考えると、どこかに住居を構えていてもよさそうなものだが、
どこにも見当たらないのだ。ただ、ただ、静寂が落ちる。
不自然なまでに静寂に包まれている森林を駆け抜けていく蒼い狼は、パートナーを乗せて駆け抜ける。
後ろをわざわざ振り返らなくてもわかるのだ。
雑踏とは無縁の沈黙の森では、背後から迫りくる轟音はあまりにも鬼気迫る様子で焦燥感を植え付ける。
どれだけ、茂みや岩場を見つけて身を隠したとしても、たちまち探知されてしまうのだ。
まさかギロモンの見ている世界は、温度によって変化するサーモグラフィとか、
スパイ映画で出てきそうなトンでも機械が内蔵されているのだろうか、と冷や汗である。
ギロモンが投げつけてくる、真っ赤ででこぼことした手りゅう弾のような爆弾は、小さいにもかかわらず、
凄まじい威力を誇っていることを目にしたヤマトたちは、懸命に反撃の隙を狙っていたのだ。
地面に転がるや否や、数秒絶たないうちに広がる閃光。覆い尽くされた光の先に待ち受けているのは衝撃波。
耳の鼓膜が破裂してしまうのではないか、という爆音の後に、待っているのは焦土である。
焦げ臭い火薬と樹木が燃える独特の鼻がひん曲がりそうな匂いは、ゆっくりと黒煙となって広がっていく。
ヤマトの脳裏には、怯えた眼差しの恐怖と不安がないまぜになっているチコモンが過った。
無機質な機械音は、静寂に満ちているはずの森林では、あまりにも異質である。
耳を澄ませれば聞こえてくる。身の毛のよだつような追跡者の執拗なマシーン音が聞こえてくる。
暗黒の力に操られている様子はない。
もちろんヤマトもガルルモンも正常な状態のギロモンがどういうデジモンなのかは知らないが、
ナノモンが警戒していたように、自らその力に身を落とすような、確固とした敵であることは事実である。
ダークケーブルに浸食されている様子もないし、不可解な言動をしているわけでもない。
ただ、新たな敵の存在が見え隠れしている。
しだいに加速していくマシーン型デジモンの移動速度を予感させて、否が応にも緊張感に包まれていく。
ごくり、と唾を飲み込んだヤマトは、さっきからずっと握りしめているデジヴァイスを見る。
そして、さっきから、ノースリーブの緑の服の上で飛び跳ねている友情の紋章を見るのだ。
いまだに紋章が輝く兆候はない。舌打ちしたヤマトは、なんでだよ、と小さくつぶやいた。


「ヤマト」


ガルルモンが顔をあげる。


「なんで紋章が光らないんだ」


くそ、とみしりと悲鳴を上げるデジヴァイスがある。


「・・・・・ヤマト、そんなこと言うなよ。オレはヤマトがいてくれるだけで、どこまでも行ける」

「ガルルモン、お前」

「今、オレとヤマトがここにいる。それだけで、どれだけすごいか分かるだろ。

 頑張ろう、ヤマト。大輔たちをオレたちが守るんだ」

「ああ、そうだな」


凄まじい勢いで投下された爆弾の音を聞き分けたガルルモンは、自慢の俊足で大きく跳躍する。
もはや慣れてしまった、まぶたを閉じたとしても脳裏に焼きつくのは残像だ。
あたり一帯の視界を遮る大木や陽だまりの中で自生する植物たちを蹂躙し、
一気に真っ黒な煙と共に炎の中に焦土を作り上げるデッドリーボムがさく裂した。
間一髪、爆風から逃れたガルルモンは、しっかりと捕まっているヤマトを振り落とさないように、
慎重かつ俊敏に駆け抜けていく。
そして、歪にゆがんだマシーン型のデジモンを見つけるや否や、大きく口を開けて、
蒼い超高温の炎を吐き出したのである。


「フォックスファイア!!」


空間を切り裂くように現れたギロモンの手にしっかりと握られたチェーンソーに命中する。
これで、あわよくばチェーンソーという恐ろしい第二の武器を溶かしてしまおうと考えたのだが、
完全体の能力は凄まじいの一言に尽きた。ヤマトとガルルモンは目を見張るのだ。
これで武器の一つを溶解したかに見えたが、振り払うように、右から左に振り下ろされたチェーンソーは、
ガルルモンの必殺技をいとも簡単に薙ぎ払ってしまう。二分された炎の塊は黒煙にのまれて消えてしまう。
激しく回転するチェーンソーが行く手を阻む形でなぎ倒されている大木を微塵にまで粉砕する。
まるで溶けた様子もない。ギロモンは磁力なのか、それとも浮遊する能力でもあるのか、
自在に空間を行き来している。
直接攻撃することも考えたのだが、両手を広げて包容する形で大爆発を引き起こす特攻技まであるのだ。
隠れていた大岩を瓦礫の藻屑と変えてしまった衝撃を目撃してしまえば、速攻で却下するのは自明と言えた。
じりじり、じりじり、と距離を詰められていくガルルモンは、大きく身をひるがえして、
ギロモンが再び異空間から取り出したデッドリーボムを回避すると、大きくジャンプした。
ヤマトは一瞬、寒い、と思ったのである。見ればガルルモンの周囲を不自然な形で冷気がまとっている。
今まで炎をまとって戦うガルルモンしか見たことがないヤマトは目を見張るのだ。
呼吸をするたびに、肺がビックリ仰天してむせてしまう。軽い咳き込みの後、白い息が解けては消えた。
ガルルモンの前方に一気に集約した見たこともないような鮮やかな光。青色の光は、球体となる。
そして、デッドリーボムの真っ赤な爆弾めがけて放たれたのである。


「フリーズファング!!」


フォックスファイアとは全く違う冷気をまとった氷の狼が召喚され、デッドリーボムに牙をむく。
一瞬にして凍りついた爆弾は、大きく軌道をずらし、湖の岸のあたりに転がるや否や、豪快に水しぶきを上げた。
大爆発を引き起こしたことで打ち上げられたかわいそうな魚たちは、
ぴちぴちと行き場を失って飛び跳ねているが、同情している暇はない。
氷を打ち出す攻撃に仰天しているヤマトを乗せて、ガルルモンは勢いよく加速する。
再び冷気を幾度も打ち出して、湖を凍らせていく。
そして、足場を確保するや否や、再び幾度もフォックスファイアでギロモンを攻撃したのである。
しかし、巨大なチェーンソーの恐怖はすべての蒼炎を寸断する。止まらない。
選ばれし子供達を排除するという目標を達成するためならば、いかなる手段も選ばない、という気迫がある。
いっそのことすがすがしいほどの任務遂行型である。ヤマトたちは舌を巻いた。いまだに紋章は輝かない。
ガルルモンは、どんどんとけていく氷をわたって、対岸へとたどり着く。ギロモンが来るのも時間の問題だ。


「ガルルモン、大丈夫か?」

「大丈夫だ、まだまだやれる」


強気なまなざしにほっと胸をなでおろしつつ、ヤマトはガルルモンに疲労の色が見え始めたのに気付いていた。
どうすれば、と必死で考えていた時、ヤマトとガルルモンは、水辺に移る黒い影を見た。


「ヤマト!ガルルモン!大丈夫か!?」


ヤマトせんぱーい!ガルルモーン!って無事な様子にほっとする小学校2年生の声も聞こえてきて、
ヤマトとガルルモンは目を見張るのだ。真っ先に吠えたのはガルルモンである。


「なんで来たんだよ!隠れてろって言っただろ!」


ばさりと風を生み落して現れた真っ黒なエクスブイモンが、大輔をよろしく、って
大好きなパートナーをそばにおろした。ごめん、と大輔は頭を下げた。
ヤマトはおまえなとあきれた様子で大輔を軽く小突いたのである。


「オレも戦うよ、ガルルモン」


エクスブイモンは首を振った。
ギロモンというデジモンのことは、故郷を滅ぼされた古代種は一番よく知っている。


「ガルルモン、ギロモンはワクチン種なんだ。今までの敵であるウイルス種のデジモンたちとは、何かが違う気がする、
みんながみんなとは言わないけど、ワクチン種は本能的にウイルス種を攻撃するんだろ?
普通なら、オレたちのことを殺そうとなんかしないはずだ。
オレがおとりになる!ガルルモン、その隙をついて頼むよ!」


ブイモンの頃にあった真っ赤な目を継承した真っ黒なドラゴンは、風を生み落して舞い上がった。
ギロモンは、ワクチン種なのか。その言葉に、ヤマトとガルルモンは戸惑いを隠せない。
でも、半ば納得している自分がいることも事実だった。完全体と成熟期の差は超えられないものがある。
それでも、今までの漂流生活ではねのけてこれたのは、今までの敵は一貫してウイルス種だったことも一因としてあげられるのだ。
相性的に見ても圧倒的にワクチン種ばかりにバランスが偏っている選ばれし子供達のパートナーデジモンである。
ホメオスタシスの采配は的中している。暗黒の力の浸食の中でも超えられないものは確かにあるのだ。
ただし、今回のようにワクチン種同士の激突となれば、
相当のプレッシャーがのしかかる。純粋に強いほうに軍配が上がるのだ。
ヤマトは、思ったのである。もし、データ種が敵として襲い掛かってきた場合、どうなるんだ?
今までは、データ種のデジモンがえらばれしこどもたちの前に立ちはだかったことは一度もない。
でもワクチン種はデータ種に弱い。三すくみの原則は、暗黒の力によって浸食されてしまう場合も確かに存在するのだ。
うすら寒い予想が頭をかすめてしまう。ヤマト先輩?って不思議そうに首をかしげているゴーグル少年に、
なんでもねえよとヤマトは言い切った。心配させるわけにはいかない。
どこか自分に言い聞かせるような語気を荒げる少年に、大輔は違和感をにじませる。


「エクスブイモンの馬鹿野郎!」


思わず叫んだガルルモンは、唸り声をあげながら、
ヤマトが大輔を乗せるのを確認するや否や対岸のラインを懸命に走った。


「頑張れ、エクスブイモン!ギロモンにまけるなああっ!!」


大好きなパートナーの声援を一身に受けて、エクスブイモンは水面を低空飛行する。
大輔はガルルモンにしがみつきながらエクスブイモンを見上げている。
パートナーデジモンがデジモンを殺すかもしれない、という予感はスカルグレイモンの時からずっとあった。
それが今その時だとするならば、目をそらしちゃいけないと大輔は思ったのである。
エクスブイモンに唯一進化することが出来たのはブイモンだけである。
ブイモン自身、エクスブイモンの先に何があるのか今だによく分かっていない。
ホメオスタシスが言うには、ブイドラモンというデジタルモンスターは、
古代種の力を発揮するにつれて、次第に姿を変えていくものらしい。
通常は、青いブイドラモンである。
しかし、現代種よりもはるかにココロの在り方によって力が左右されるこの種族のデジモンは、
激高に支配されたレッドブイドラモン、冷酷に支配されたブラックブイドラモン、
ブイドラモンの能力を完全に開放したマスターブイドラモン、デジメンタルの力を借りたアーマー体であるゴールドブイドラモンと、
多様な姿が存在している。
それでも予言の書に唯一登場しているブイドラモンというデジタルモンスターは、
唯一古代種としては稀であると言わざるを得ない、完全体に進化した姿がその先にあるらしいから、
エクスブイモンも、その先が見え始めているのかもしれない。
なら、どんな姿になったって、ブイモンはブイモン、エクスブイモンはエクスブイモンだ。
どんなことになったって、最後までパートナーデジモンは信じてあげないと可愛そうだ。
味方になってあげなくちゃいけない。かわいそうだ。死んじゃうより辛い目になんて合わせたくない。
ワクチン種はウイルス種を本能的に攻撃する性質がある。
ウイルス種の姿をしているとはいえ、選ばれし子供のパートナーデジモンも関わらず、
機械族のはるかに制御された理性を持つはずのセキュリティシステムの一角は、
まるで本能に従うかのごとく条件反射的な速度で襲い掛かってくる。
ばしゃばしゃばしゃと水しぶきを上げている標的に、ギロモンはターゲットを変更した。
勢いよく投げ込まれるダイナマイト漁も真っ青な爆弾の雨が降る。
幾度となく戦闘に参加することもままならないまま、回避の一手を担う羽目になった経験が生きる形になった。
エクスブイモンは網目を縫うようにして攻撃をかわすと、真っ黒な体に映えている真っ白な羽で飛翔する。
そして、一瞬の隙をついて、エクスブイモンは片手を掲げたのである。


「食らえ、ギロモン」


真っ赤な瞳が燃えるようなまなざしをギロモンに向けた瞬間、凄まじい雷鳴が響いた。
まぶたの裏には残像が残る。夕立前特有の湿った風がエクスブイモンを中心にまとわりついていく。
ヤマトと大輔が思ったのは、熱いな、という感覚だけだった。


「蒼雷!」


蒼い光をまとった強烈な雷がギロモンに叩き落されたのである。
強烈な電撃を食らったマシーンはさすがに一瞬だけ起動に支障が出たのか動きを止めた。
そして、そのタイミングを逃すことなく、エクスブイモンは必殺技を放ったのである。


「エクスレイザー!!」


ざっぱーん、という波紋があたりに広がった。
かつて秋山遼という少年の指示で、黒い歯車で操られた相棒のサイバードラモンを縫い付けにした
エアロブイドラモンが大輔の脳裏によぎった。
最もあの時とは違って岩壁ではなく、湖の底なのだけれども。
あたりに降り注いだ水たちはやがて雨となり小雨は綺麗な虹を作るのだが、エクスブイモンは攻撃の態勢を崩さない。
食い入るようなまなざしでじいと水面を睨みつけている。
ガルルモンもそれに習って警戒を解かない。ヤマトは大輔に訊いた。


「どうしたんだ、エクスブイモンのやつ」


大輔はここに来るまでにエクスブイモンに訊いたことをヤマトに説明するべく、あの、その、と
懸命に言葉を紡ぐ。ガルルモン達は息をのんだ。大輔の顔は心中複雑で悲痛である。


「ギロモンは、メタルエンパイアの見張り番とか、偵察とか、そういうのやってたらしいっす。
 あいつの故郷をぶっ壊した時とやり方がそっくりだから、現代種じゃないって。
 現代種のギロモンは、メタルエンパイアじゃないはずなのに、
オレたちのことを本気で殺そうとしているなら、 ほんとにやばいんだって言ってました。
 だから、1体に見つかったら、地の果てまで追いかけてくるから手加減しちゃダメだって。
 その……あの……殺さなきゃダメだって」


ヤマトは何も言わないまま、くしゃりと大輔の頭を撫でたのである。


「ギロモンはほんとに強いから、油断しちゃダメなんだな。分かった」


ガルルモンは、エクスブイモンのもとに向かうべく、湖を氷結させて足場を確保する。
たん、たん、たん、と駆け抜けて近づいてくるガルルモンに、エクスブイモンは叫んだのである。


「くるよ!」


その瞬間に大きな大きな地響きにも似た揺れがあたりを襲ったのである。
湖の底で起こされた大爆発は一気に酸素を吹き飛ばす。水面が大きな大きな球体を生んだのだ。
ヤマトたちを乗せたガルルモンは、すかさずエクスブイモンのいる対岸まで駆け抜けると、戦闘態勢に入る。
湖の底に沈殿していた腐葉土の泥をまぜっかえしてざぱんと盛り上がった湖は、
一瞬のうちに濁った色へと変色していく。そして、いくつもの水の壁が形成され、どしゃぶりの雨が降った。
泥だらけになっていく周囲に顔をしかめつつ、蹂躙されていく湖に何を思ったのか、
ガルルモンはエクスブイモンを見上げた。
その先に小さな黒い球体を見るや否や、エクスブイモンはその先にある真っ赤な二つの目めがけて雷撃を放つ。
水の壁を突き破り、一気に叩き込まれた雷撃だったが、水のベールを破壊して現れたギロモンには、
効果がないようだった。特攻してくるギロモンの標的はエクスブイモンである。


「来るぞ!」


一気に急上昇していくギロモンは、デッドリーボムを構えて、真っ黒なドラゴンめがけて攻撃を仕掛ける。
エクスブイモンはエクスレイザーを発射するが、小さいうえにすばしっこい爆弾魔にはあっけなく避けられてしまう。
学習能力があるらしいギロモンは、エクスブイモンの後を一定の距離を保とうと追いかけてくる。
ガルルモンは、なんとかエクスブイモンを助けようと、懸命に蒼い光で追撃した。


「エクスブイモン!がんばれええええ!」


懸命に叫ぶ大輔の声に、おう!という威勢のいい声は聞こえない。
自慢の炎も氷結技も効かない。黒いエクスブイモンの雷撃もエクスレイザーも効かない。
やはり完全体と成熟期の能力差は相当大きいようだった。
しかもギロモンはメタルエンパイアが大量生産したマシーン型デジモンの一体である。
偵察というのなら、ここだけでなく他のデジモン達も選ばれし子供達も狙われている可能性が高くなってきた。
でも、と微妙な違和感に彼らは気付き始めているのである。早くみんなに合流しなくてはまずい。
ヴァンデモンの指示であるならば、なぜ選ばれし子供達が集まっていたレストランを襲撃しないのか謎に満ち溢れている。
しかも、ギロモンは選ばれし子供たちの紋章が目的だと明言したのだ。
エクスブイモンは、撃墜しようと執拗に狙ってくる機械の塊をかわしながら、攻撃を続ける。
ガルルモンは、上空めがけて攻撃の手を緩めない。そして、ヤマトは叫ぶのだ。


「ギロモン!お前は一体、何が目的でオレたちを襲うんだ!」


ギロモンの無機質なまなざしがそちらに向かう。
圧倒的なプレッシャーに射抜かれても気圧されることなく言い放たれた子供の言葉に、
ギロモンは、にい、と歪なまでに口元を釣り上げたのだ。
噛みついたならば食いちぎってしまいそうなほどに鋭利な牙を覗かせて、ギロモンは言い放ったのである。


「モンショウ ハ スバラシイエネルギータイダ。タグガナケレバ、デジメンタルニモヒッテキスル!」


エネルギー?
初めて聞く言葉にヤマトたちは引っ掛かりを覚えたが、ヤマトたちに向かっていきそうになったのを、
エクスブイモンが攻撃でけん制する。エクスレイザーで磔にされたギロモンは豪快に吹っ飛ばされる。
ほっとしたヤマトたちは、今までの疲労も重なってきたのか、動きが鈍くなっていたエクスブイモンの一瞬の油断を見た。
対岸に叩きつけられる刹那、カウンターに投げられたデッドリーボムがエクスブイモンを巻き込んで大爆発を起こしたのである。


「うわあああああああっ!」

「エクスブイモンっ!!」


あわてて走り抜けるガルルモン達が見たのは、奇襲攻撃をもろに食らい、がくんと高度を下げるエクスブイモンの姿だった。


「大丈夫!?エクスブイモン、大丈夫かっ!?」

「へへっ!大丈夫だよ!」

「そういう問題じゃねえよっ!」


大輔の泣きそうな声がする。大きく旋回するエクスブイモンに、ヤマトは叫んだ。


「避けろ、エクスブイモン!」


ヤマトの大声に背後からの機雷に気付いたエクスブイモンは、もろに攻撃を食らってしまった。
大輔の大絶叫が響き渡る。消え入りそうな声で、大丈夫と気丈に前を向くパートナーデジモンがいる。
幸い直撃は免れたものの、フラフラの状態である。


「エクスブイモン、大丈夫かっ!!」

「許さないぞ、お前っ!」


かっとなったガルルモンは咆哮した。


「おまえええっ!!よくもエクスブイモンを!」


ヤマトとガルルモンの絶叫が響き渡った。
仲間という守りたいものを目の前で傷つけられたという禁忌ともいうべき事実が突き付けられた瞬間、
ヤマトとガルルモンの中にあったのは、まっすぐなほどに純粋な怒りだった。
それは、丈とゴマモンが誤解とすれ違いがあったとは言えども、
理不尽な理由から強制労働を強いられているという事実を知った時と同じである。
大切な仲間を人質に取られて、その仲間を救うためだったら、何だってする。
純粋な意味でまっすぐな少年の中での逆鱗である。もっとも忌み嫌う事柄である。
許せない、とヤマトは思ったのである。
ヤマトにとって仲間を守ることは自分のアイデンティティに直結する非常に大切なものだ。
それを目の前で傷つけられた。もう、それだけで十分だった。
最愛の弟と同じ小学校2年生の大輔がパートナーデジモンを心配して、必死で声援を送っている。
声をからさんばかりの大声である。ガルルモンはギロモンの関節部分を切断すべく、必殺技を叩き込んだ。










その瞬間に、デジヴァイスが激しく反応する。そして、あれだけ反応を示さなかったヤマトの紋章が光かがやく。
ヤマトと大輔は光に包まれたガルルモンから弾き飛ばされるように、岸へと着地した。
真っ青な紋章が上空に吸い込まれるようにして舞い上がる。
くるくるくる、と激しい回転をしながら、タグから解き放たれた紋章は、緩やかに分解され、
そして一気に光のホールとなってガルルモンに降り注いだ。
待ち望んでいた進化の兆しは、ようやく成就した。
光を突き破って現れたのは、ワーガルルモンと名乗る完全体のデジモンだった。
名前の由来は狼男を意味するウェアウルフやワーウルフからであり、
ガルルモンが進化し、二足歩行するようになった狼男のような獣人型デジモンである。
二足歩行になることでスピードは失ってしまったが、より強い攻撃力と防御力、
さらに戦術性を身につけたコマンドータイプのデジモンでもある。
ガルルモン譲りの脚力から繰り出されるキック技は強烈で、
ジャンプ力もデジモンの中では1・2を争うほどだ。
また、信義にあつく、主人の命令ならば任務を忠実に遂行する頼もしい性格であり、
ガルルモンを獣人にしたかのようなデザインだが、顔の模様が若干違う。
髑髏がプリントされた青のジーンズと体のいたるところに
装着された皮のような材質の防具と左拳のメリケンサックが特徴だ。
その瞳は闘志で燃えていた。


「ワーガルルモン!?」

「かっけえ!」


念願の進化である。しっかりとデジヴァイスを握りしめながら、片時も目を離さずに見守るヤマトの眼差しを一身に受け、
狼男は空に響き渡る大声を放ったのち、驚異的な跳躍力でもって空を飛ぶ。


「オレの仲間を傷つけた落とし前はつけてもらおうか」


ギロモンが大きく動き出すよりも早く、フットワークの差でワーガルルモンは仕舞われていた両手から鋭い爪を繰り出す。


「カイザーネイルっ!!」


空間が裂ける。まるで鎌鼬のごとく弧を描いてギロモンに襲い掛かった10もの姿なき攻撃は、
一瞬にしてギロモンのデッドリーボムを見るも無残な形で切り刻んだ。
暴発したことで黒煙が一気に広がっていく。ジャンプ力で移動しようとしていたワーガルルモンを、
エクスブイモンが受け止めた。颯爽と黒い飛龍の上に乗ったまま戦闘態勢を崩さないワーガルルモンは、
ありがとな、と礼を言うと、ギロモンがいるであろう先を見た。


「これでとどめだ!ワーガルルモン、お願い」

「ああ!」


エクスブイモンのエクスレイザーがさく裂する。
そして、エクスブイモンに乗って一気に駆け抜けたワーガルルモンは、力をおのれの足へと向ける。


「円月蹴り!」


突如発生した鎌鼬は、円盤状になったかと思うと、勢いよくギロモンに襲い掛かる。
爆音が響き渡った。そして、あれだけ空中戦でエクスブイモン達を翻弄してきたギロモンは、
ばしゃんと湖に堕ちたのである。再び立ち上がってくるんじゃないかと気が気ではない。
じいっと彼らの眼差しは湖の中に沈んだマシーン型デジモンを見つめた。
ぷかぷかと浮かんでくるのは破片だけ。恐る恐る覗き込んだものの、濁りきった水面は何もうつさない。
ゆらゆらと子供達の影が揺れている。
ヤマトと大輔は顔を見合わせた。一気に笑顔になる。ハイタッチが乾いた音を立てた。
エクスブイモンの背中に乗っていたワーガルルモンは、やがてエネルギーを使い果たして、幼年期に退化してしまう。
強靭な足腰で風圧に耐えていたのに、一切支えるものを失ったツノモンは、すさまじい風に押されて、
ずるずる、ずるずる、と落ちていく。
わあああって落っこちそうになった悲鳴は、エクスブイモンに受け止められて何とか難を逃れた。
角に触らないでくれよ!と怒る小さな先輩に、エクスブイモンは笑って頷くと、
ヤマトたちが待っている岸へとゆっくり降下したのである。
そして、ツノモンは一目散にヤマトのもとへと駆け寄った。


「ヤマト―!」

「ありがとな、ツノモン!」

「うん!」


嬉しそうに幼年期のパートナーデジモンは笑う。
そして、退化の光に包まれた先で飛び出してきたブイモンは、大輔のもとへと飛び込んだ。
幾度も爆風を浴びたせいで、全身ボロボロであるふらふらのブイモンは、
もう立ってもいられないらしく、そのまま大輔に体を預けた。


「大輔、ただいま」

「お帰り、ブイモン」

「あのさ、大輔、おれ」

「ブイモン。おれ、目、そらさなかったぜ。全部、最後まで見てたんだよ。
逃げなかったよ、お前らが頑張ってたから、
がんばれって応援することしかできなかったけどさ。やっぱ、すげえや」

「だいすけっ……!」


本宮大輔に嫌われるのではないか、という一点においてずっと恐怖があったらしいブイモンは、
安どのため息をつくとそのまま、顔をうずめてぎゅーって抱っこを求める。
再び静寂が戻ってくる。ほっとした大輔は、ヤマトを見上げた。
ブイモンはしゃがみこんでしまえばほとんど背丈が変わらないパートナーデジモンに縋り付いている。


「大輔、ブイモン、気になることがあるんだ。ベジーモンレストランに戻ろう。
 もしかしたら、ギロモン達が向かってるかもしれない」

「はい!」

「わかった」


うなづいた大輔とブイモンは、ゆっくりと立ち上がる。


「オレがもっと大きかったら、おんぶできるんだけどな」

「もっとでっかくなればいいじゃん。オレだってグレイモンと比べたらすっげえ小っちゃいんだ。
 オレももっともっと大きくなるからさ、頑張ろうぜ。大輔、肩かしてよ」

「おう」


そして大輔はヤマトに抱きかかえられながら運ばれているツノモンを見るのだ。


「ワーガルルモンだっけ」

「うん」

「かっこよかった!」


目をキラキラと輝かせる小学校2年生に、いやあ、それほどでも、と照れやな幼年期は顔を赤らめた。


「・・・・・」


ブイモンは無言で大輔のむこうずねを蹴り飛ばす。


「っ!?・・・・・・・・ってえええええっ!?何すんだよ、ブイモン!」

「大輔のばーかっ!」

「なにすねてんだよ、ワーガルルモンかっこよかっただろ。エクスブイモンも真っ青な雷ぶっ放してかっこよかったし」

「も、ってなんだよ、も、ってええ!オレは大輔の一番じゃなきゃやなんだよ!べーだっ!」


舌を出して目をつむるパートナーデジモンに、てめええ、とカチンと来たらしい大輔は顔をひくつかせた。


「いっちばん大事な奴にだって、譲れないものはあるだろ!」

「オレは無いんだよ!何にもないんだよ!大輔のばーか!
 オレ、太一の真似してる大輔のゴーグルなんて好きじゃないもん」


ぷいとそっぽ向いてしまう。


「な、なんだよ!このゴーグルはジュン姉ちゃんのなんだ!これをばかにするってことはジュン姉ちゃんと、
 太一先輩のことをばかにしてるってことだぞ!わかってんのかっ!?」

「……え?」


初耳だとばかりにブイモンは見上げた。


「このゴーグルは、ジュン姉ちゃんにプールに連れてってもらえた頃の大事な大事な宝物なんだ。
 太一先輩の真似して付けてるけど、太一先輩みたいになりたいっていうお守りでもあるけど、
 すっげえ大事なものなんだよ!ジュン姉ちゃん忘れちまったのか、全然気にしてもくれないけどさ」

「大輔・・・・ごめん」
 
「いいよ。オレの方こそ、変なこと言ってごめんな」
 
「うん」
 

仲直りの握手を交わした大輔とブイモンの一連のやり取りとみていたツノモンは、ヤマトを見上げた。 


「ヤマト、タケルに会いたくなった?」
 
「………」
 

バツ悪そうに顔をそらしたヤマトは、まあな、と珍しくホームシックになりつつある自分の本心を肯定した。
ブイモンは大輔と手を繋ぎながら、ヤマトを見上げたのである。


「なー、ヤマト」

「なんだ?」
 
「ムゲンマウンテンの麓でさ、太一と喧嘩してた大輔を仲直りさせるときに、背中押してくれただろ?
 なんであの時、ガブモンの毛皮踏んづけたんだ?引っかかってガブモンこけてたけど」
 
「え?そうだっけ?」
 
「大輔は太一と仲直りするので頭がいっぱいだったから覚えてないだろうけどさ、オレは覚えてるよ」


ぱっと顔を輝かせたツノモンは言ったのである。
 

「聞いてくれよ、ブイモン!大輔!実は・・・・」
 

もちろんヤマトは口をふさいでしまう。もがもがもがと動いている活発な幼年期が感じるのは、
これ以上の権威失墜を免れるためのヤマトの全力の抵抗だった。


「大輔、ブイモン、行くぞ」
 
「えー、何でとめるんすか、ヤマト先輩!教えてくださいよ!なんで口元がにやけてんすか!」
 
「大輔、違うと思う」
 
「え?」
 
「ヤマト、大輔と一緒で耳が真っ赤だ。照れてるんだよ」

「うるさい!さっさと行くぞ、どうせどっから来たか分からないんだろ?置いてくぞ」
 
 
つかつかつか、と先に行ってしまう低学年組の保護者役の大声に、大輔とブイモンはあわてて走ったのである。
結局、ツノモンが抱えるうちでも最も恐ろしい脅迫でもって口止めされてしまった当時の謎は、
非常に残念ながら大輔とブイモンが知ることはなかった。



[26350] 第二十二話 夜が降りる
Name: 若州◆e61dab95 ID:15821ef9
Date: 2013/08/03 00:38
永遠に明けない夜が存在しているのは、隙間なく空を覆う雲に包まれているからである。
暗闇を好むデジタルモンスターたちにとって、格好の住処となっているそのエリアは、
四方を真っ黒な森に覆われていた。
森の中に屹然と等のようにそそり立つ岩山の上には、死人の肌のような廃墟の城がそそり立っている。
その苔生した陰気な回廊の両脇には、禍々しい銅像がずらりと並んでいて、
螺旋階段の壁の燭台では、真っ赤なろうそくが燃えていて、溶けたロウがぽたぽたと燭台から足元に滴っている。
その燭台がつくる長い長い影がはかなげに壁に揺らめいているのを見て、
この城に拉致されてきたデジモン達は、自分の行く末を暗示しているような、凶兆を感じるのである。
石室の底に到達した時には、その予感は払しょくするどころかますます強まる一方だ。
さらに奥の方では悲鳴が聞こえてくる。その扉の向こう側で、デジモン達は自分たちの末路を知るのだ。
屋敷の主以外立ち入り禁止の拷問部屋では、棒にくくりつけられて、最後の晩餐を強要されるデジモン達がいる。
どす黒く変色した血痕が染みついた壁のところには、悪趣味な拷問器具がこれ見よがしに陳列されている。
そして、並べられているのはみたこともないマシーン型のデジモン達である。
耳と目をふさぎたくなるような惨状に、心が弱いデジモンはもうこの段階で呆然自失な状態となり、
実験体として優先度が繰り上げられていく。
個別の実験室に送られ、ヴァンデモン配下のデジモン達に催眠術をかけられる手間が省けるからだ。
その中でも、その配下のデジモン達の手を煩わせているのは、必死で助命を求めているウイルス種のデジモンである。
必至に懇願している実験体の言葉を聞いて、赤い仮面の向こう側にある瞳は、冷酷に笑っていた。


「黙れ」


恐怖におびえる目や悲鳴、苦しみにゆがむ表情を楽しむ悪趣味なこの城の住人は、
猛禽類を思わせる細くとがった指を鎮座している実験体の首に押し当てた。
ひいい、と哀れな成長期は、垂れていく赤い血に絶望の眼差しを濃くするのである。
嗅覚に優れている彼は気付いてしまったのだ。
扉の向こう側で絶叫がやんだことで、ほんの数分前まで傍らにいた同種族のデジモンの末路を。
扉の向こう側では、ゴムを焼いたようなにおいが立ち込める。黒い煙が糸を引いて立ち上っていった。
眉を寄せたヴァンデモンは、実験室の責任者としてこの地下牢を任せている側近を呼ぶ。
そして、ヴァンデモンはその側近に向かって言ったのだ。


「まだ制御がうまくいっていないのか」


サングラス越しに、そのデジモンはヴァンデモンを見上げると、テレパスで直接頭に送りとどける。


『モウシワケアリマセン。マダ完全体ノ性能ヲダスノハショウショウ時間がカカリマス』

「能力的にはどうなのだ」

『現時点デハ成熟期レベルが限界デス。完全体ノ実験体デタメシテミマシタガ、サンプル止マリデス』

「そうか。やはり、完全体は難しいか」

『一時的二、完全体クラスノ能力ヲ発揮スル事ガデキマスガ、
酷使シスギルト電脳核ガオーバーヒートシマス』

「実用化するには、あとどれくらいかかりそうだ?」

『御安心クダサイ、×××マデニハ』


とんでもないことをさらりと頭の上で交わされた言葉たち。
実験体となる運命が待ち受けている彼らに聞こえよがしに放たれた言葉たちは、嫌でも焼きつくことになる。
オーバーヒート?デジコアがオーバーヒートする?なんだそれは。
聞き慣れない言葉に、ぎゅうぎゅづめにされている実験体のデジモン達はざわめき始める。
その時である。必死で抵抗する彼らの横で目を光らせていたうちの一体が、
絶句したまま、顔面蒼白で焦燥感を浮かべているウイルス種の実験体に気付いたのである。


『オーバーヒートの意味を知っているって顔だな?』


いきなり頭の中に響いてくる声に、きょろきょろとあたりを見渡した彼だったが、
話しかけてくる様子の監視役は見受けられない。
ただ、頭の中にエコーしてくる気味の悪い声に、うなづいたのである。
がちゃり、と後ろに突き付けられたのは猟銃のような拳銃のようなよく分からない武器だった。
ひいい、と彼は両手を上げた。歩け、と頭の中で響いてくる声がする。
振り返ろうとしたのだが、心の中を先読みするように、
この場にいるデジモン達の命すら殲滅させるというとんでもない脅迫に凍りついた彼は、
言われたとおりにするしかなかったのである。
心が読めるのかよこいつ、と戦慄する彼に、監視員は無言のまま退出を促した。
モーゼの十戒のごとく分かれていく人混みの中憐れみ帯びた眼差しを向けてくるデジモン達を見るたびに、
彼はオーバーヒートの意味を理解していない彼らが哀れでたまらないのである。
無知であるということは余計な恐怖を持たなくてすむのだ。うらやましい限りである。
ばたん、と閉められた扉。彼はひたすら歩かされていく。
しん、と静まり返った中、邪龍の銅像が鎮座する先で、かつんかつんと響き渡る彼の蹄は、
敷石にいったん吸い込まれてから、戻ってくるまで微妙な時間のずれがある。
回廊は狭くないのに閉塞感を感じるのは、角という角が直角を徹底的に排除した構造になっているからだろう。
やがて中庭にかけられた渡り廊下へと出た時、彼は浮遊感に飲まれることになる。
なんだこりゃ、と声を上げた彼は、空間と時空が捻じ曲がっている不思議な空間に通されたことを悟るのだ。
彼は上を見上げた。
顔を上げているにもかかわらず、みたこともないデジモン達が隊列を組んで訓練に励んでいる様子が見下ろせる。
逆さまになった天井が階段になっていて、そこを右から左にデジモン達が通り過ぎて行った。
上と思ったら下、右と思ったら左、奈落の底だと思ったら、変な形で捻じ曲がった通路が続いている。
もし迷い込んでしまったら気が狂いそうだ。
歪曲して交差する階段や渡り廊下はさながらだまし絵の世界である。
止まれ、という声がした。どこをどう歩いてきたのか分からなくなるほどシャッフルされた世界で、
どうやら目的の扉に到着したらしく、監視員のテレパスが響く。
言われるがままに扉を開いた彼は、カーテンが閉め切られ、黴臭い匂いがする薄暗い部屋に到達した。
両脇には分厚い古書が治められた本棚があり、決して外の日差しが差し込むことがない窓の傍には、
ふちに唐草模様の装飾が施された書き物机が置かれていた。
そこに押し込められた彼は、ばたん、という音がした後で錠の落ちる音を聞く。
背後にいる監視員のデジモンの声が頭に響いてきた。どうやら逃げ道はないらしい。
ようやくその姿を見るに至ったガジモンは、絶句するのである。
ガジモンを通りすぎ、右側の本棚にある一冊の本を取り出し、直角定規とコンパスでできた仕掛けを開け、
慣れた様子で隠し扉のパスワードを入力した監視員は、信じられないという顔をするガジモンの姿など見向きもしない。


「おい」


ぎぎぎぎぎ、と本棚がスライドされ、隠し部屋が現われた。


「おいっ!」


歩け、と銃口を向けられ、ガジモンは苦虫をつぶしたような顔をすると、しぶしぶ歩みを再開するのだ。
ひんやりとした地下室の先には、また通路が続いている。


「いつから正義の味方が悪党の下っ端に成り下がったんだよ」


ガジモンの皮肉にも応じる気配がないのか、ガジモンの記憶では熱血漢だったはずのデジモンは沈黙を守っている。
必要最低限度にしか言葉を口にしない、どこまでも無機質で無感情でこちらのことなど微塵も考慮しない。
かつて師事したナノモンの方がはるかに尊敬するに値するデジモンだと改めてガジモンは思うのである。
ぞっとするほど別人であるそいつの態度にイラついてしまう。


「なんでお前がここにいるんだよ、スターモン!」


ありったけの怒声は、容赦なく放たれたレーザー銃によってかき消される。
ガジモンの記憶が正しければ、目の前にいるヴァンデモンの配下は、
宇宙開発センターの惑星解析用ソフトの中で偶然発見された惑星型のデジモンであり、
星形のアーマースーツと星マークのグラブとブーツを装備した宇宙の戦士だ。
戦歴を物語るズタズタになった黄色マフラーが力なく揺れている。
体の中央の目は闘志に燃え、言葉を話さなくとも相手に意思を伝えることができるため、
相手に催眠術をかけることも可能だが、レオモンにあこがれる熱血漢なデジモンが、
好んで使う戦法ではないこともガジモンはよく知っていた、はずだった。
吹き飛ばされた城壁にガジモンは絶句するのである。


「あんだけレオモンを慕ってたのに、ヴァンデモンの配下かよ。
 すげえ鞍替えだな、おい。オレたちをどうする気だよ。
デジコアをオーバーヒートって、どんな実験してんだよっ!」

『お前たちが知る必要はない』

「オーバーヒートっていやあ、過熱が原因で起きる動作不良じゃねえか!
 オレたちはマシーン型デジモンでも、サイボーグデジモンでもねえんだぞ。何考えてんだ!」


ガジモンに動じることなく、スターモンはただただ歩くように促してくる。
答えろよ!というガジモンの声に反応することもなく、スターモンの歩みは止まらない。
何が起こっているのか状況がさっぱり呑み込めず、ガジモンは途方に暮れるしかないのである。
オーバーヒート状態と言えば、過負荷や冷却システムの能力不足・異常等により、冷却が間に合わなくなった場合、
適正温度を上回り、その機械の動作に支障をきたす事象のことではないか。
エテモン号でも時々、改造に改造を重ねた結果、エンジンの性能低下に始まり、
各部に一層の熱変形や潤滑切れが進み、ガスケット抜け、カジリ、焼きつきを起こした挙句、
火災に至ってナノモンを激高させたことがあったからよく覚えているのだ。
重度のオーバーヒートで発生した物理的なダメージは、
冷却後に冷却液や潤滑油を交換したとしても回復することはないから、起こさないのが大前提である。
何考えてんだ、とめちゃくちゃに怒られた。その日からだ。門下師弟の関係が始まったのは。
ガジモンの記憶が正しければ、デジコアはデジモンの心臓と言っても過言ではない大切なものである。
それがオーバーヒートを起こすのだ。はっきりいって正気の沙汰とは思えない。
マシーン型のデジモン達でさえ、自分自身が故障したとしても絶対に手を出さない部分なのだとナノモンから教わったのだ。
高負荷を与え続けたりしたら、内部の温度が高まって、異常動作や異常終了、
最悪の場合フリーズや再起動の無限ループに陥りかねない。
だから、絶対にしないのだと言っていたはずだ。それをこの城では平然と実験室の向こう側で行っているのである。
何がどうなっているんだと途方に暮れるしかない。
そんな正常な性質を保っているガジモンを追い詰めるかのように、とうとう目的の場所に到達したのかスターモンは真正面の扉を開いた。


「………なんだよ、これ」

『今日からお前はここの技術者として働いてもらう』

「なっ!?」


ばたん、と扉が閉じられてしまった。厳重な錠前が落ちる音がする。閉じ込められてしまったようだ。
うそだろ、と消え入りそうな声で眼下に広がる地獄絵図にガジモンは戦慄するのだ。
クリアガラスの部屋の下では、先ほどまでいた実験室がどこまでもどこまでも広がっていた。
ナノモンの研究施設よりもはるかに充実した機材が揃っている巨大な実験場。
実験体となっているデジモン達の悲鳴が聞こえてくるような気がしたが、
完全にシャットアウトされている防音空間では、ただただ無機質なパソコンたちが並んでいた。


「あ」

「お前も捕まってたのか」

「まあな」


足には鎖と鉄球が括りつけられているウイルス種のデジモン達、マシーン型のデジモン達が押し込められていた。
その顔ぶれの中には同種族デジモン達もいる。数週間ぶりの再会にガジモンはため息をつかざるを得ない。
こんな形で会いたくなんかなかったのだが。


「なんなんだよ、ここ」

「ここか?デジモン達の墓場だよ。用無しになったら催眠術掛けられてオレたちもああなるんだ」


眼下では、機械化されていくデジモン達の姿が見えた。


「は?なんだよそれ。サイボーグ型とかマシーン型のデジモン達しかいらねえだろ、機械化なんて」

「足りないんだと」

「足りない?」

「部品が足りないんだってよ。オレが来た時にはもうメタルがついてるデジモン達は根こそぎいなくなってたよ。
 破棄されたデジモン達はみんなデジコアごとあっちの生産ラインいき。
みろよ、あのティラノモンはもともと普通のティラノモンだったんだよ。
メタルティラノモンとして生きてる奴じゃない。でも、破棄されてああなってるんだ」


指さされる先にずらりと並んでいたのは、見たこともないデジモン達である。
次から次からと生産されていく山のようなデジモン達にガジモンは戦慄するのである。
そのうちの一体から黒い煙が立ち上っていて、ヌメモンたちが後処理に追われているのが見えたのだ。


「悪いことは言わない。変なことはしない方が身のためだぜ。 
スターモンがマインドスキャンとか言う技でオレ達の声を監視してんのは分かってんだろ?
ヘタしたら、拷問部屋行きだぜ」





第二十二話 夜が降りる





ぐるんぐるんと勢いよく屋根の上の風見鶏が回る音がするので、風向きが変わったようだ。
がたがたと窓を叩く風の強さも、雨粒の大きさも、大きくなってきている。
外から見える空は暗雲が立ち込めており、見慣れた光景である。
彼がこの世界にはじめてきた頃から、世界はいつでも夜の帳が下りている。
身体の構成を魔術師の姿から等身大のヌイグルミという無様な姿に変換され、
追放されてきた放浪者を受け入れてくれたエリアの主が研究者という側面を持っていたのは、
不幸中の幸いといえた。経験者でなければ理解してくれないことは多々ある。
所持すら禁止されている書物に秘められた知識を得たいという衝動に突き動かされ、
追放処分が下されたその流刑地に、禁書を持ち込むという暴挙をしでかした罪人に、
エリアの主は肝が据わっていると笑った。最初こそ危惧したのだ。
地位あるデジモンだ。罪人を取り立てるような真似をしていいのかと。
匿うことは慣れていると皮肉めいた一言はよく覚えている。
その意味を知ったのは、いずれ世界を崩壊させる勢力から救ってくれる英雄の卵と、
その力を秘めた紋章と、その力を制御してくれるタグを見せられた時である。
ワクチン種とウィルス種の幼年期が生まれたデジタマは、タグに紋章と共に封じられていた。
空から降ってきたというそれらは、本来ウィルス種しか入れないエリアに入り込んだのだ。
結界を突破する特殊な力がある証拠である。
データ種であるお前がどうしてこのエリアに入り込めたのだと問われた瞬間に、
招かざる客は、闇の化身である守護デジモンのお眼鏡にかなったのだと知ったのである。
思えば、無事に保護したのだとセキュリティシステムのデジモン達に一報入れなかった時点で、気付くべきだった。
行方不明になっている選ばれし子供のパートナーと紋章を捜索する一団に加わりながら、
情報提供を一切せずに、隠匿し続けていた時点で勘づくべきだったのだ。
守護デジモンの中に裏切り者がいる、と断言するほど絶望的なこの世界の現状について、
余すことなく彼に告げた張本人を疑うのは非常に難しいことかもしれなかったが。
恋人が行方不明になった原因を一人で突き止め、セキュリティに詰問するほど、
守護デジモン達の失踪事件について真相に一歩近づいていた聡明なデジモンだったけれど。
誰が味方で誰が敵か分からない非常に危険な状況下である以上、
守護デジモンやセキュリティのデジモンであっても信用が出来ないとは常々彼も思っていたことだ。
何故ワクチン種しか入れないフリーズエリアにあるアイスサンクチュアリの守護デジモンが行方不明になり、
入れ替わる形でデビモンがムゲンマウンテンを拠点にして活動を始めたのか、エージェントは言及しなかった。
守護デジモン達は気付かない。セキュリティシステムは動かない。情報封鎖が繰り返される。
ダイノ古代境から持ち去られた英雄たちの冒険譚の残骸を回収し、解析し、
それをもとに決戦の舞台となった3つのエリアを封鎖することしか出来ない。
アイスサンクチュアリの深層部。マグマ火山の洞窟。そして、闇貴族の館。
かつて守護していたウィルス種の安全領域を放棄させられたのだ。
用意されたのは、ウィルス種しか入れないとはいえ、守護デジモンが強化してきた研究施設もない
初期のデータを復元させただけのお粗末なセキュリティしかないエリアである。
暗黒勢力の侵略に対して、無防備になれと言っているも同然なのである。
選ばれし子供たちがこの世界を救ってくれるという可能性にかけて。
かつて世界を救った子供を2人も見届けてきたデジモンであったとしても、
協力者になれるほど、彼の知るデジモンは観音菩薩ではなかった。
おそらく、闇貴族はこの世界を見限ったのだろうとウィザーモンは考えている。
ほころんでしまった外装をつくろいながら、ウィザーモンは顔を上げた。
扉があいたのだ。暖炉の灯に照らされて、バタンという音が四角い影を落とす。
膨大なエネルギーを必要としていると、育ての親に言われれば無知な子供は金色のリングを渡してしまう。
嫌いな雨に降られてすこぶる不機嫌な白い影が暖を取りにやって来た。


「戻って来たばかりですまないが、次の指令だ」

「しかし、まだすべての紋章が集まっていません」


ウィザーモンは椅子から立ち上がった。
紋章を回収する算段が付いているとはいえ、まだいくつかの紋章の持ち主がこの世界に帰っていない。
取らぬ狸の皮算用はヴァンデモンが一番嫌う。
何のために選ばれし子供のパートナーを幼年期にしていると思っているのか。
これでは意味がなくなってしまうではないか。


「状況が変わった。侵攻の準備に入らないといけない。私たちは軍勢の統率に入る」

「紋章はいいのですか?」

「お前の働きはヴァンデモン様もお喜びになっておられる。
 だが、次の行動は迅速さが求められているんだ。いくぞ、ウィザーモン」

「わかりました。ですが、状況が変わったとは?」

「予言の書にアクセスした形跡が見つかったらしい。
 いくつかの記述が現在進行形で書き換えられている。
 セキュリティシステムの中枢が選ばれし子供たちと接触した可能性があるんだ」

「わかりました、では行きましょう」


すでに白い影は走り出している。ウィザーモンは書物を吹くの中に収めて後を追う。
風がマントをはためかせる。トゲのようにそびえる山々の奥には、闇貴族の城がそびえていた。



デジタルワールドと人間界を支配する。
ヴァンデモンが守護デジモンとしては禁忌ともいうべき野望を胸に抱き、
吹聴し始めたのはいつだったか。覚えている者たちは少ない。
ファイル島のオーバーデール墓地の先にある闇貴族の館は、すでに封鎖されている。
あるのはウィルス種のデジモン達のために用意された初期化された闇貴族の館だ。
デビモンにそのエリアを託し、特殊エリアの拠点をサーバ大陸にある
茨の森に城を構えるようになったころから、本格的にヴァンデモンは狂い始めた。
もともと研究者気質のヴァンデモンは、地下に研究室を構えて、毎晩のように研究に没頭することが多かったため、
初めの頃はより研究所を大きくするために改築し、思う存分研究に没頭するために、
わざわざサーバ大陸にまで拠点を移したのだと何の疑問も思わなかったのだ。
なにせ、いつだったか、ダイノ古代きょうの急域で謎の巨大な骨が大量に出土した時なんか、
その骨の山を闇貴族の館に運ばせる仕事を命じられて苦労したのである。
そして、その日から毎日のようにヴァンデモンは、その骨の山をパズルのように組み合わせる仕事に没頭し続けた。
実はそれがスカルグレイモンの骨だったと判明して、
今すぐに研究をやめるようレオモン達が押しかけてきた時は大事件になったのである。
なにせ、最後に石化していたデジコアを復活させて埋め込んだ瞬間の出来事だ。
ムゲンマウンテン程の巨大な完全体が復活してしまった時なんか、生きた心地はしなかった。
あやうくファイル島全体が消滅しかねないほどの大事件に発展しかけたのである。
もし、ツカイモンとイビルモンが担当して組み立てたスカルグレイモンの骨組みの何か所かが間違っていなければ、
間違いなくファイル島は甚大な被害をもたらしていたに違いない。
幸い、その骨組が不安定な個所を集中的にレオモンやオーガモン達が協力して攻撃してくれたおかげで事なきを得て、
秘蔵のコレクションは即刻ケンタルモンによってダイノ古代きょうに封印されるに至る。
そんな騒動を起こすことも多々あったが、あのころがきっと一番楽しかった。


ファイル島からサーバ大陸に本拠地を移してから、ヴァンデモンは明らかに配下のデジモン達に対する待遇が急速に変化したのだ。
まず、ヴァンデモンの城と呼称されるようになった建物には、拷問部屋が出来た。研究所に立ち入り禁止になった。
そして、サーバ大陸でもファイル島でもない、
遥か東にあるというフォルダ大陸やディレクトリ大陸に拠点を構える勢力のデジモン達が城に出入りし始めた。
ウィザーモンは、なんの研究をしているのか必要最低限度の知識しか提示されないまま、
その機材や被験者、実験を繰り返すために日夜研究所に閉じこもるようになったヴァンデモンの代わりに、
日夜サーバ大陸を駆けまわることになったのである。
今思えば、そのころからヴァンデモンの親交関係は大きく不穏な勢力に傾いていた。
サーバ大陸で見たこともないデジモンが頻繁に出入りするようになり、
かつては助手をすることもあったが、もうその頃には戦闘要員の扱いとなってしまった。
そして、我が物顔で部外者であるはずのデジモンが側近幹部としてヴァンデモンを囲ってしまい、
伝達用の鏡越しでしか謁見できないありさまだったのである。
命じられたことを失敗すると、配下のデジモン達は拷問部屋に閉じ込められた。
拷問部屋の向こう側は口にしたくもない惨状が待ち受けている。
拷問器具、実験器具、守護デジモンが所持していると判明すれば、
セキュリティシステムの使者からダークエリアに強制送還されかねないものばかりである。
とりわけその犠牲になったのは、ホーリーリングというウイルス種は決して触れることが出来ない
神聖の証を身に着けているがゆえに、甚大な能力を有するプロットモンだった。
プロットモンはワクチン種である。ウイルス種のデジモンは圧倒的不利な相性に置かれている。
もし、プロットモンが進化することがあれば生命の危機を感じかねない、そんな危うさをはらんでいる。
それを徹底的に封じるためにヴァンデモンがやってのけたのは、
用無しとなった配下のデジモン達を地下施設へ連れて行くという無言の圧力だった。
無能と判断されたデジモン達は、すべて地下施設の実験体となり、物言わぬ機械と成り果てた。
人工的にデジモン達を作り出したり、デジモン同士を合体させたり、陰惨を極めている。
逃げ出そうとしたデジモン達も知っているが、どれだけ慎重に事を運んでもなぜかばれてしまうのだ。
そういったデジモン達は、どこからともなく現われたコウモリのナイトレイドの犠牲者となる。
そして、デジタマすらはじまりの街に転生するプログラムに入る瞬間に、
ヴァンデモンはそれを研究施設に並べてあるというカプセルに閉じ込め、実験場送りにしてしまう。
想像することも恐ろしくて、逃げ出すこともできないまま、プロットモンは、
守護デジモンだったころのヴァンデモンに戻ってくれる絶望的な可能性を夢見ながら命令を遂行してきた。
テイルモンに進化した時も、ホーリーリングをヴァンデモンに渡してしまった時も、
同じような言葉をウィザーモンは聞いているのだ。
いっそのこと、すべて忘れてしまえば楽だっただろうに、と不憫でならない。
まともだったころの、狂人になる前のヴァンデモンを知っているがゆえに、
かつての面影がちらついて、どうしても切り捨ていることができないのだ。
助けてくれ、と必死で手を伸ばすかつての仲間たちの声がぐるぐると反響する。
衣食住を共に過ごしてきた同僚たちが扉の向こうに消えていくのである。
彼らの絶叫はもうきっと一生耳から離れないだろう。
助けようとしたこともある。初めはなんとか助けようとしたこともあったのだが
ナイトレイドにかき消された。
ウィザーモンとテイルモンを支配しているのは、背負わなくてもいい罪の重さ。共犯意識である。
あとは、ヴァンデモンの城にある地下研究室の扉の向こうに連れて行かれるという恐怖しか残されていない。
気が遠くなるような長きにわたって巨大な暴力の影と死の恐怖を背景に、
もともと敬愛していたヴァンデモンを恐怖によって尊敬することを強要されてきたことで、
完全に意識が麻痺してしまっているのだ。


降りしきる雨の中、闇貴族の城の門前を訪れたテイルモンとウィザーモンを
待っていたのは、幹部の一角だ。
ヴァンデモンの手によってデビモンが改造されて誕生した人造堕天使型の完全体デジモンである。
人為的に強化されており、個体の意志まで完全に制御されている人造デジモンは、
機械的な電子音を響かせながらテイルモン達を案内すべく歩み始めた。
顔面を覆うマスクは、このデジモンのパワー自体を制御し、
意志をコントロールするために付けられているため、テイルモンは、
この姿になってからの同僚の声はひとつも聞いたことがなかった。
もう自我もないのかもしれない。主人の命令に忠実に従う雑兵でしかないのだろう。
ヴァンデモンの配下の一角を担っているはずのネオデビモンが、
わざわざテイルモンたちを迎えに来たのは、テイルモン達がウィルス種ではないからだ。
闇貴族の城はウィルス種でなければ、場所を知覚することすらできない。
テイルモン達の目には、どこまでも茨の森が広がっている。
見えない壁。見えない異空間の扉。暗転する世界。気付けばいつも城の中にいる。
テイルモンがウィルス種に進化することができれば、孤高を至高とする闇の申し子として、
きっと今の苦痛も感じることはなかったのだろう。
ホーローリングという闇貴族の城の根幹をなす膨大な研究施設を動かしている動力源を、
ヴァンデモンが見逃すはずがなかったのだが。
無言の案内人に促されるまま、テイルモンとウィザーモンは闇貴族の城に足を踏み入れる。
ねじれ空間のどこかで、耳を塞ぎたくなるような幻聴がとどろいている。










ギロモンと言う襲撃を受けてあわてて帰ってきたヤマトと大輔たちは、
夕暮れのレストランの扉で待ち受けていた子供達からの話を聞いて顔を見合わせた。


「え?デジタマモンを捜しに行ったベジーモンが帰ってこない?」

「ああ、そうなんだ。デジタマモンはこのレストランのオーナーをしてるのはヤマトもしってるだろ?
ベジーモンは86デジドル分働いてくれたから、もう大丈夫だと教えてくれたんだ。
もうここを後にしてもいいけど、さすがにちょっと心配だろ?」

「そうだな。ギロモンのこともある。デジタマモンはともかく、ベジーモンは成熟期だ。
ギロモンみたいなデジモンがうろついてるとなると心配だな。どうする?」

「でも、ヤマトさん、丈さん。やっぱり外はもう暗くなっちゃってます。
空さんもタケル君もまだ帰ってきてないし、これから探しに行くのは危ないんじゃ?」

「ああ、そう言えばまだ空たち帰ってきてないのか。心配だな」

「でもまあ、待つっていうことも時には大事だよ。
ブイモンはまだ完全体に進化できるまでになってないみたいだし、他のみんなは幼年期。
ゴマモンはまだ紋章を通じて進化したことないしね、飛び出すのもどうかと思う。
みんな忘れてないかい?デジモン達はお腹が減ってちゃなんにもできないんだよ。
今日はとりあえずここで空君たちを待つのがいいと思うよ」


丈の意見に賛同するように、狙ったように子供達とデジモン達のお腹が鳴った。
そろそろ夕ご飯にしようか、という丈の意見に、みんな即答することになる。
ベジーモンが出かける前に用意してくれたらしい野菜や肉が並んでいるキッチンにヤマトたちは向かったのだった。
もし、いつまでもベジーモンたちが帰ってこないと、大輔たちがお留守番をしなけばいけない。
オープンの看板をクローズにひっくり返し、大輔たちはそちらに向かった。
ベジーモンの畑で採れた野菜は美味しいって評判なのだとヤマトと丈は、
アルバイトをさせられていた時に何百回も聞かされた常套句を口にした。
ベジーモンが分けてくれたのはいわゆる弾かれた野菜たちである。
形は悪いけど味は保障するとのことだから、安心して美味しい料理が食べられそうだ。
料理に使うには不向きだが、ベジーモンとデジタマモンだけじゃ食べきれないからとおすそ分けしてもらったようだ。
デジタルワールドには不思議な野菜が存在しているようで、
挑戦ニンジンとサクラ鳥大根という細長いゴボウのような野菜がたくさん入っていた。
水色のプラスチックケースに入っているのは、とれたてかつ新鮮な土付きの野菜たちである。
スーパーや産地直送の段ボール箱に入っている綺麗な色や形をした野菜しか知らない子供達からすれば、
この中に入っているものは全て初めて見る野菜と言っても過言ではない。
なにこれー、と無邪気に笑いながら、ミミは覗き込んでくるタネモンにニンジンを見せるのだ。
先っぽの方が二つに分かれていたり、ぐにゃぐにゃに曲がっていたり、
まるでごぼうみたいに細長かったりさまざまな形状をしたニンジンが並んでいる。
ニンジンにパセリやセリみたいな葉っぱがあるということ自体初めて見た大輔である。
面白い形してるわね、と上機嫌にタネモンはキュートな双葉を揺らした。
ごろごろと傾いたケースを右から左に滑り落ちるのはジャガイモである。
これも、拳サイズのものから500円玉くらいのものまで、サイズはバラバラだ。
そして、ひときわ目を引くのは、裏側の勝手口にある工房にたくさん吊り下げられていた玉ねぎだ。
ひもでくくられた玉ねぎはずらっと隅から隅までつるされていて、
皮はぱさぱさのパリパリになっており、ちょっと触れただけでボロボロ崩れ落ちてしまう。
これなら皮むきも楽そうだ。いずれもベジーモンの畑から収穫された野菜たちである。
ベジーモンが仕込のために運んで行ったカートには、山ほどの段ボール箱が山積みされていた。
その中から、料理に使えそうにないサイズのものをはじいて、分けてくれたのである。
根菜は丁寧に新聞紙に包まれていたので、ケースの中は茶色に変色したデジ文字の新聞が
くしゃくしゃになって広がった。ベジーモンから渡された新聞を上からかぶせたミミは、
何を作ろうかなあと思案顔な丈に振り返った。ヤマトは調理器具をあちこち探し回っている。


「そう言えば丈先輩、ベジーモンって野菜を作るのがとっても上手なんですね!」


いいなあ、いいなあ、ってタネモンと一緒に盛り上がっているミミを傍らに、
プラスチックケースとどっさりと入っている漫画肉のザルを抱えた丈は、
そうだねーと苦笑いした。教えてもいい物だろうかと勘定したが即刻却下した事実がある。
1か月間このレストランで働いていた丈は知っているのだ。
ベジーモンが作った野菜はこれ以上ないくらいおいしいのは事実である。
その評判を聞きつけて、わざわざこんな辺鄙なところに店を構えても、
わざわざ遠方からやってくるヌメモンとか、ツチダルモンとか、もんざえもんがいるのだ。
その秘密は、ベジーモンの必殺技に尽きる。
どうやって作ってるのかなあ、と実家で家庭菜園をしているママを思い描きながら、
あれこれ憶測しては盛り上がっているミミとタネモンに、さすがに丈は言えるわけがなかった。
無邪気に大輔とブイモンと一緒に盛り上がっている彼らの夢を壊すのはどうかと思ったのだ。
乱舞するストロベリーピンク色のソフトクリームがばらまかれた畑が脳裏を過る。
実は、住み込みで働いていたデジモンたちはこれを見たとたんにすぐ逃げ出してしまうらしい。
ある意味トラウマだろう。精神的なブラクラにも程がある。
植物型デジモンがたまに野菜を売りに来ることがあるけれども、
レストランで使うことはめったにないのは、結局のところそういうことである。
根本的にモノが違うザンす、とがははは笑っていたオーナーを思い出した丈は、
正直土付きの野菜はあんまり触りたくないのだった。
手袋付きで水洗いできっこないことは分かっているものの、
知らなきゃよかったと思うことはたくさんあるのである。何はともあれご愁傷様だ。
包丁を使うのは危ないから、とりあえず下ごしらえくらいは手伝って欲しいと丈に言われた大輔たちは、
はーい、と元気いっぱいに返事をしたのである。
みんなで漂流生活を送っていた時には、みんなで力を合わせて役割分担しながらやったものの、
基本的に主導権を握るのは、家庭科の授業が始まって2年目を数える上級生組である。
日頃の料理経験のあるヤマトは別格扱いとして、
家庭料理限定なら腕に覚えがある太一も、サッカー部の合宿での交代制の料理担当の時には、
いつだって重宝されてきた空も、基本に忠実であるがゆえにアレンジや独自性は出せないけれども、
安定した料理をすることが出来る丈、と幸いなことに選ばれし子供達はわりと料理が出来るタイプが多かった。
今回も、ヤマトたちは、僕たちがご飯を作らなくちゃいけないなと思っている。
少なくても、一般家庭の味で連想するものはと質問されれば、肉じゃがといった定番和食や
カレーやハンバーグと言ったお馴染みの洋食があがると相場が決まっているのである。
キムチチャーハンに生クリームとイチゴをトッピングしたデコレーションケーキ。
生ハムとキャベツのサラダ、チョコレートムース添え。
イチゴとジャムをトッピングした冷麺、大福を入れたぜんざい、
ラベンダー一袋と紫いも入りのホワイトシチュー、ではないはずである。
前衛的かつ独創的すぎる想像することすら脳が拒否する組み合わせを提示してくるような女の子に任せられるわけがなかった。
とりあえず、手袋とテンガロンハットを椅子にひっかけ、
ヘアゴムでひとくくりにポニーテールを作り、手を洗っている女の子はこれ以上ないくらいにやる気に満ちていた。
手渡されたエプロンに袖を通したミミは、手足が無くて手伝えないと落ち込んでいるタネモンを抱っこした。


「野菜だけじゃないんだぜ、ミミ、大輔」

「え?どういうこと?」

「ゴマモン、どうしたのよ?」

「ベジーモンは、肉を作る天才なんだ!」


ひょっこひょっこと現れたゴマモンは、ほら、とテーブルの上に置いてある肉の塊を指差したのである。
マンモス肉、またの名を漫画肉。白い骨が貫通している茶色い肉がどどんとそこに置いてあった。
ブイモンはその真っ赤な瞳を大きく見開いていったのである。


「え、うそ、これ、もしかして」

「そう!これが伝説のお肉、極上肉!オイラ初めて見た時、すっげー感動したんだ!
 ベジーモンのやつ、肉も作るのが上手なんだよ」

「すごーい、極上肉ってこんなにおいしそうな匂いと形と色艶してるんだ!すごい!すごい!食べていいの!?」

「ブイモン、なんでそんなに驚いてんだよ?確かに漫画で出てくるみたいな骨付き肉だけどさ」

「どうしてーっ!?どうしてもこうしてもないよ、大輔!極上肉っていうのはね、とっても珍しい肉なんだよ
とってもおいしいって言われてるんだけど、オレも見るのは初めてなんだ。
普通はね、どれだけ頑張ってお肉の種を植えても、普通肉とか巨大肉しか作れないってオレ聞いたことある」

「は?お肉の種?」

「どうしたんだよ、大輔。変な顔しちゃって。オレ、変なこといったか?
 お肉は畑でとれるのは常識じゃないか。大輔達の世界では違うの?」

「あー、ブイモン。なんかさ、違うみたいだよ。
 丈たちの世界では、わざわざ大きなお店に行ったり、肉屋さんに行かないと無いんだって。
 オイラが初めて言った時、丈は大豆じゃないのかって聞いてきたもん。
 豆が肉って変な世界だよな。大輔もミミも明日、ベジーモンの畑行ってみれば?
 あたり一面極上肉だらけだよ。こうやってさ、骨が地面に突き刺さってるんだ。
 ベジーモンはキャンディみたいにビニル袋で覆ってるんだ。面白いだろ?」


大輔とミミの頭の中には、辺り一面に広がる耕された盛り土が一定間隔で並び、
テーブルの上に乗っている白い骨の周りに、均一に肉がついている塊が一定の間隔で植わっているのが浮かんでくる。
面白そう、タネモン、明日見に行きましょう!とテンション高くミミは笑った。
そして、カレー作りの下ごしらえは始まったのである。
丈が説明する限り、ビックリするくらい、ごく普通のカレーの作り方である。
ジャガイモとニンジンを丁寧に洗う。玉ねぎの皮をむいて、薄皮もしっかり向いて、水洗い。
ジャガイモの皮をピーラーでむいて、ジャガイモの芽もピーラーに付随している刃で取り除く。
そして、一口サイズの大きさにカットしたジャガイモは、変色するといけないからボウルの中に水を入れて、投入。
ニンジンはへたの部分を包丁でカットし、二分の一の大きさにしてからピーラーで皮をむく。
一口サイズの大きさにカットしてから、皿に置いておく。
玉ねぎも薄くスライスしてから、皿に置いておく。
油を引いた鍋を熱して、一口サイズにスライスした極上肉をカットして、よーく炒める。
玉ねぎをしんなりするくらいまで炒め、ニンジン、ジャガイモの順で投入。
水を加えて、しばらく煮込む。灰汁を取りつつ様子見。
一旦火を止めてルウを溶かし、煮込んだら出来上がり。
ほかほかに炊き上がったご飯に乗せられたものを見ると食欲も倍増である。
大輔とブイモン達はテーブルクロスを引いて、人数分のカレー皿とスプーンを並べた。
大輔とブイモンは並んで座った。すぐ横ではミミが座る。タネモンはミミに食べさせてもらう気満々だ。
ヤマトと丈たちは何やら鍋を覗き込んで、あれやこれやと相談している。
それでも、おなかと背中がくっつきそうなほど腹ペコだった大輔は、
特に気にすることなくミミ達と先にご飯を食べることにしたのである。


「こっちのカレーは私と丈先輩で頑張って作ったの。サラダはヤマト先輩が作ってくれたわ。
おかわりもあるから、たくさん食べてね、大輔君、ブイモン」


見た目はごく普通のカレーライスである。においもお馴染みのにおいである。
いただきまーす、と合掌した大輔は、ニコニコ笑いながら見てくるミミに感想を言うべくスプーンを取った。


「大輔、これが大輔の言ってたサマーキャンプで食べ損ねたっていうカレーなのか?」

「おう!ラーメンの次くらいに好きだなー、オレ」

「おおお!じゃあ2番目に好きなんだ?よーし、じゃあ、オレもいっぱいたべるー!」


食べ始めた大輔がまず思ったのは、ちょっと甘いなあ、だった。
1998年から1999年の1年間ほど、ジュンお姉ちゃんとお母さんが大好きなアイドルがCMをしていた関係で、
本宮家では一時期、カレーとはちみつでおなじみのパッケージが甘口、中辛、辛口そろっていたことがある。
なんでも、パッケージについているシールだかマークだかを集めると、
コンサートやイベントのチケット、もしくは限定ファングッズが当たるとか。
おかげで本宮家の戸棚は、別ブランドのカレーも混じっているのだが、販売元が同じ、
キャンペーン対象商品に限定されたのは言うまでもない。
おかげで大輔は小学校2年生でその銘柄のカレーばっかり食べさせられてきた経緯がある。
見慣れたカレーと色合いが違うと、やっぱり違和感を覚える物である。
見た目は結構色合いが濃いから、食べ慣れているレトルトカレーよりも辛いのかなあ、
ミミさんたち年上だから大人だから、辛口とか平気で食べちゃいそうだ、と不安になって、
一応保険とばかりに氷の入った水を用意していたのだが、想像以上に甘かった。
大輔だけ甘口扱いされるのが嫌で、中辛になにかしらないけど、調節してもらったのを食べている大輔は、
そのままの甘口ルーを使用した場合、どれだけ甘ったるいスイーツカレーになるのか知らない。
ただ、サッカー部の合宿でおなじみの日本で最初に発売されたレトルトカレーに、
林檎をたくさん入れて煮込んだような味がするのは確かだった。
あるいは、はちみつとリンゴでおなじみの甘口の中に、ソースや醤油を入れたような味がする。
一口、二口食べたのだが、やっぱり甘い。カレーっぽい色をしているのに、なんか甘い。
これ、カレー?カレー風味のなにか、と言われた方が納得できるような微妙な違和感がもたげてくる。
大輔はさっきから、ジャガイモらしきものを食べてみたのだが、なんかおかしいのだ。
口の中に広がるのは、しゃりしゃりという独特の触感とふんわりと広がる甘味。
なんだこれ。ちょっとびっくりしてスプーンを見たら、皮が見えた。
ジャガイモかと思ったらリンゴだったという微妙なトラップが地味にダメージを与えたのである。


「なあ、ブイモン甘くないか?」

「おふぇはほへふらいへいいほ」

「食べてから返事しろよ」


ん、と頷いたブイモンは、コップに口を付ける。


「オレはこれくらいがちょうどいいよ、大輔」

「えー、ほんとかよ。どんだけ甘いの好きなんだよ、お前」

「だって、めったに食べられないじゃないかあ」

「仕方ないだろ、みんなのご飯なくなっちまうんだから」

「ちぇー。早く大輔の世界に行きたいな。腹いっぱい、チョコ食わせてくれるんだろ?
 楽しみだなー、オレ。こーんなにいっぱいのチョコが食べたい!」


無邪気に笑うブイモンは、よほどお気に召したのか、スプーンに乗せる一口分がすさまじく多い。
ぱくぱくぱく、と食べ進んでいくブイモンのカレー皿は、もう白い部分が見え始めていた。
おなかこわすなよーと大輔はつぶやいた。たぶんブイモンには聞こえてない。


「大輔君、どうしたの?」

「ジャガイモが」

「あ、ごめんね!ジャガイモより、大輔君のリュックの中に会ったリンゴ入れたから、
 そっちの方が多いの。でも、カレーって甘いほうが私好きだから、
 バナナとか、林檎とか、マンゴーとか、大輔君と空さんが持ってきてくれたの
いろいろ入れたんだ。おいしいでしょ?」

「………なんすかそのフルーツカレー」

「だってママが言ってたんだもの。隠し味は多いほうがおいしいでしょ?」

「おいしいわ、ミミ。私、これくらい甘いほうが好きなの」

「ありがと、タネモン。ねえ、大輔君、もしあまかったら、これかけてね」

「あ、はい。ありが……」


手渡されたのは一味と七味とタバスコである。違う。なんか違う。


「オレ、醤油が欲しいんすけど、ないっすか?」

「醤油だったら、さっきヤマトさんと丈先輩がもってっちゃった。
 なんか二人とも、すっごーく辛いのが食べたいんだって。
 おっとなー、ってかんじ?すごいよね」

「ミミー、オレおかわり!」

「もう食い終わったのかよ、はえーなあ!そうだ、ブイモン。
 醤油取ってくるついでによそってやるよ」

「わかった!」


ぺたん、と降りたブイモンは、にっこりと笑って大輔に続いたのである。


「あ、いっけない。忘れてた」

「どうしたの?」

「これこれ、やっぱりカレーにはトッピング!」

「なになに?おいしくなるの?なら私も私も!」

「いいわよー、はい!」


すぐそばに置いてある冷蔵庫から取り出されたカップをミミは躊躇することなくひっくり返して、
カレーライスの中に投入したのである。カラメルソースが衝撃で揺れてとろりと溶け出していく。
黄色い体がぷるぷると揺れていた。


「こうやってー、ライスの上に、カレーを乗せて、アクセントにこうやってすくって食べるの。
 ほんとは、プリンの上に生クリームとさくらんぼがあったら言うこと無いんだけど、
 ないのよねー、ざーんねん。はい、あーん」

「おいしいわ、ミミ。ミミは料理の天才ね!」

「ありがと、タネモン。これはね、お母さんに教えてもらったの。すっごく料理が上手なの!
大輔君が醤油もって来たら、ちょっとここにかけてみて。
この上にかけるとまた味が変わるの。シーフードカレー、なんちゃって」

「え、うそ、大輔はやく醤油もってきて―!」


タネモンはキッチンに消えた大輔に叫んだのである。もしかしてミミさんて味音痴?ちょっとだけそう思った大輔だった。
ちなみに、ヤマトと丈は超甘いカレーなんて平気で食べられるほどのお子様になった覚えはないので、一から全部作り直していたりした。
さすがに中辛に隠し味になっていない文量の隠し味をはたから見ていた丈は、胸焼けするらしい。
ヤマトはというと、いつもはタケルや父親に気を使って味を調節しているものの、
本当は激辛が大好きらしく、調理中の煙すら涙がにじむカレーはマグマが如く煮えくり返っている。
つまみ食いしようとしたブイモンは大やけどすることになるのだが、それはまた別の話である。
夜の帳が下りていく。
結局、タケルを迎えに行った空も、デジタマモンを捜しに行ったベジーモンも帰ってこなかった。


「ヤマト、ねんのために見回りの回数を増やした方がいいかもしれないね」

「ああ、そうだな。大輔、ミミちゃん。
すぐに体勢を整えられるようにデジヴァイスと紋章、
それに荷物は肌身離さず持っといてくれ」


ヤマトたちの言葉に、大輔たちは不安な表情を浮かべたまま、こくりとうなづいた。



[26350] 第二十三話 ミッドナイトファンタジア その1
Name: 若州◆e61dab95 ID:15821ef9
Date: 2013/08/03 00:38
じゃらりじゃらりと鎖がしなり、灰色の布きれ越しに捕まれた先端がわずかに揺れている。
鈍色に輝く鎖の先にぶら下げられている鋼色の球体が発光して宙に浮かんだ。
上部には小さな金細工の装飾が施されており、鎖と球体の付け根の部分を
ぐるりと等間隔に囲むようにして並んでいるのがわかる。
そしてその球体の中央には金色の輪をさらに大きな楕円形の輪がさらに囲んでいる。
まるで人の目玉のようなマークは、プロビデンスの目と呼ばれている特殊な紋章である。
アメリカ合衆国の国章の裏面やUSドル紙幣の裏面にも描かれているこの紋章は、
もともと古代エジプトの象徴とも言うべき紋章である。
未完成のピラミッド型の建造物の上で、まわりを栄光の光によって囲まれる3角形の3つの目で監視する、という意味があり、
神の目で人類を監視していることを示していると言われている。
プロビデンスの目は「神が全てを見通す目」とされており、
古代エジプトでは、太陽と月は偉大なハヤブサの神の目だと考えられていた。
その球体にも月を示す円の中に月の象徴である左目、
太陽を示すシンボルの中に太陽の象徴である右目が刻まれていた。
浮遊する球体に影が落ちる。全てを見る目の意を表す「万物照覧の目」をかざし
プロビデンスの目の持ち主は、重々しい音を奏でる鎖を持ち上げてにたりと笑う。
そして、このデジタルワールドにおいて一部のデジタルモンスターしか習得しえない高等プログラミング言語を駆使して、
その目の秘めた力を発動させるべく、淡々と力を注ぎこむ。


「死の宣告!」


真っ赤なマントの向こう側でギラギラとしている眼差しが、みいつけた、と真っ赤な唇が弧を描く。
ぞっとするほど鮮やかな光に包まれたプロビデンスの目は、
その先に、裏切り者の様子を映し出すホログラムを浮かび上がらせた。
満足そうに水色の瞳は笑い、頭上の不気味な髑髏の装飾がカタカタカタと音を立てる。
本来であるならば「良好な状態であるもの」を意味するウジャトは人身保護の護符とされており、
個人には身体的繁栄を、宇宙には豊かさをもたらす象徴とされているはずのその目は、
この目の持ち主の持つ正体不明の力によって死神の目として作用する。
「天空のはるかかなたに存在する者」の目は、裏切り者の所在を告げていた。
そして、虚空を漂っている死神は、真夜中だというのにやって来た
迷惑極まりない訪問客に辟易している二つの影に振り向いた。


「やあ、起きてたかい?何だよ、この僕が遊びに来てあげたってのに、何が不満なんだい?
いひひ。まあ、そんなことどうだっていいんだけどさ、これからちょっと遊んでこないかい?
ちょっと面白い相手を見つけたんだ。この子供たち、凄いエネルギー体を持っててさ、
ケンカ売るついでに奪ってきてほしいんだ。
ただ、いっつも邪魔なデジモン達がそばにいるんだよ。だから、どうせならついでに潰してきてほしいんだ。
それには君たちがいた方が都合がよくてね、この僕がわざわざお願いに来てあげたんだから、
もちろん付き合ってくれるよね?」


じゃらり、と鎖がしなり、問答無用で、びゅん、と空を切った鎌の向こう側は裂傷が走る。
大鎖鎌とよばれている柄の部分が2から4メートルもある鎖鎌が踊った。
先程までそこにいた影は消えており、その鎖鎌がわずかな重さに反応してずしりと重くなる。
両手で用いるように作られ、鎌の部分も大きく、鎖も長めに出来ている死神の象徴を
軽々と片手で担いで見せている自称伝令は、避けないでよ、面白くないなあ、とそれはそれは楽しそうに笑う。
重いよ、どいて、と無邪気な子供のような声色が、なおさら残酷さを煽り立てていた。
ならばその絶え間なく続く攻撃を止めろとばかりに警告する相手方の言葉に、耳を貸す様子もなく、
頭部・顔面・脛・小手の部分を狙って分銅を打ち付けようと振りかぶった残像は全て空振りに終わった。
少しずつただのちょっかいから本気になり始めたのか、死神は相手のお付であるか弱いデジモンに標的を変えることにしたらしい。
敵の武器を鎖で叩き落したり、敵の手首や足に鎖を絡めさせたりする攻防を繰り返しながら、
お付のデジモンが動きを封じられてしまい、左手に持った鎌刃で斬りつけ、止めを刺そうと振りかぶる。
さすがに大事な片割れを串刺しにされては困るとばかりに横やりを入れた相手に、
死神は、じゃ、あとはよろしくね、と笑った。





第二十三話 ミッドナイトファンタジア その1





言葉少なく揺り起こされた丈とゴマモンが大きな欠伸をしながら伸びをして、
毛布を蹴飛ばすころにはすっかり辺りは夜の帳が下りてしまい、真っ暗になっていた。
手探りで大きなふちの眼鏡を探し当て、ぼんやりとした輪郭がちゃんとした色彩を帯びたころ、
ようやく目も暗闇に慣れたようで、ぼんやりとではあるのだが、
見張り番の交代だとお越しに来てくれたヤマトたちの姿が目に入る。
たっぷりご飯を食べて、たっぷりと眠った夜は、パートナーデジモン達にとっても、
子供たちにとってもやはり久々の休憩となったようである。
今までバラバラだった仲間たちが少しずつ、少しずつ、そろい始めている。
それだけでそれだけの安心感をもたらすのか、改めて彼らは知った形である。
ヤマトの腕の中で半ばうとうとと船をこぎ始めているツノモンと同じように、
辛うじて我慢しているものの、何度も乱暴に目をこすっているヤマトがいる。
太一たちがいれば見張り番の回数も減らすことが出来るのだが、
現実世界からの帰還待ちの今この場にいない彼を頼りにするわけにもいかない。
次の時間になったら起こしてくれと今にも死にそうな声を出しているヤマトたちに苦笑いしながら、
丈はうなづいて毛布にダイブするヤマトと入れ替わる形で、ゴマモンと共にみんなが雑魚寝をしている部屋を後にした。
音をたてないように扉を閉めた先には、カンテラの火がゆらゆらと陽炎を輝かせていた。
慣れた様子でカンテラに手をかけた丈は、行くよ、ゴマモン、と声をかける。
がってんだい、と調子のいい相棒の声が聞こえて、丈は苦笑いした。
きい、きい、きい、と廊下をカンテラの火を頼りに歩いていく。
施錠されているか、怪しい影は無いか、慎重にあたりを見渡しながら、そっと耳を澄ませてみたり、
一通りあたりの部屋や階段などを見回ったりしているうちに、ぼんやりとしていた頭もさえてくる。
さあ、いよいよレストランの周りを一通り回ってこなければ、と新たに気合を入れる丈である。
きい、と扉を開けたその先は、ひんやりとした空気が飛び込んできて、思わず縮み上がってしまう。
レストランがある場所は山の中腹にあるためになかなかの高度な場所に立地しているため、
こういう真夜中を少し過ぎたあたりの時間は一番冷えるのである。
さすがに白い息までは出ないものの、思わずカンテラの火で暖を取ろうとしてしまう。
ベジーモンレストランのあるこの場所は、一番冷える時間帯になると決まって霧が発生するのだ。
歩みを進めていくうちに、レンズの厚い乱視補正の入った眼鏡に、
雨粒に比べて非常に小さい雨粒がたまっていくので、時々立ち止まってぬぐわなくてはいけない。
こういう時コンタクトの方がいいのかなあ、なんて思ったりするのだが、今さらだ。
大気中の水分という水分が張り付いている気がしてしまうが、
丈と違って雲の中にいるとゴマモンは無邪気にはしゃいでいる。のんきなものである。
まあ、雲と霧の違いなんて、大気中に浮かんでいて、地面に接していないものが雲で、
地面に接しているものが霧っていうんだから、あながち間違ってはいないのだ。
だから山に雲がかかっているとき、地上にいる人からはそれは雲だが、
実際雲がかかっている部分にいる人からは霧なのである。
だから、今の丈とゴマモンは霧であり雲の中にいるというわけだ。




カンテラの炎が乱反射して、霧の中に幾条もの光芒が描かれ、どんどん影が丈とゴマモンをおいこしていく。
カンテラの火をかざして、透かして見ることができる薄い霧は、どこまでもどこまでも続いている。
月明かりでも出ていればもう少し落ち着いた感覚であたりを見渡すことが出来るのだが、
山のふもとの地面まで達するような霧は、山の中腹や山頂付近全体をも覆い隠しているようだった。


「寒いなあ……」


思い出すのは勉学とスポーツを両立している文武両道の二番目の兄に連れられて、
無理やり駆り出されるラジオ体操が休憩代わりの窓の向こう側から見える光景だ。
夏休みの宿題と偏差値の高い高校という目標を掲げているが故の、
深夜の勉強である。睡眠時間はきっちり確保しなければいけないのは医者の家系である以上、
一夜漬けは言語道断、むしろ早く寝て朝早くに太陽も登らない薄暗いうちからやった方がいいことも知っている。
しかし人にはサイクルと言うやつがあるモノで、学校の補講と塾と自主学習とくれば、
どうしても小学校6年生の彼の生活サイクルは夜型になってしまう。
このデジタルワールドと言う世界に巻き込まれてから、もう何日の漂流生活をしているかなんて知りもしないが、
この見回りと言うもはや癖となりつつある行動は、今のところそんなに苦ではなかったりする。
問題は冴えきっているが故の、いろいろと余計なことを考えてしまうこの頭である。
田舎のおばあちゃんから教えてもらったおまじないをさっきから何十回も唱え続けているのだ。


いーなーくーわーこー、いーなーくーわーこー、いーなーくーわーこー!


お経っぽく唱えたらなんでか知らないけどバケモン達が融合して襲い掛かってきたバケモン様が成仏しちゃったんだ、
効果があるのは立証されているんだ間違いない。
あの時は空君の帽子のぽくぽくぽくという音も相乗効果になったのかもしれないけれど、
きっとこれはおばあちゃんの教えてくれた退魔の力に違いない。
丈の頭の中では、いなくわこがぐるぐると渦巻いている。


「なー、丈」


びくりと反応してしまうのはもはや癖の領域である。
きょろきょろとあたりを見渡し、特に異常は見られないことを確認してからほっと胸を撫で下ろす丈に、
能天気なパートナーデジモンのひょっこひょっこついてくる独特の足音がついてくる。


「なんだよ、ゴマモン」

「なんかさ、オイラと丈だけでこうやって歩いてるとさ、ファイル島のこと思い出すよね」

「なんでこんなときにそんなこと思い出すんだよ、ゴマモン……。あの時は空君やピヨモンもいたじゃないか」

「だってさ、あの時もこんな感じですっごく霧がこかっただろ。
すぐそばで空たちがいるかどうかわかんなくてさ、ある程度進むと丈がこうやってオイラ達の方を振り向くんだ。
なんか、懐かしくなっちゃってさ」

「あ、あの時とは違って怖いから空君たちのそばにいることばっかり考えてるわけじゃないよ。
こ、こーやって、その、ほら、ゴマモンと迷子にならないかどうか心配だから、その、あれだよ、
大人の務めってやつさ!」

「ほんとかよー、足が震えてるよ。素直じゃないなあ、丈は」

「う、うるさいなあ!あの時は深い霧の向こう側から現れたのが、
オーバーデール墓地なんていうとんでもないオカルトスポットだったじゃないか!
見渡す限りお墓だらけで、しかも廃墟の教会とか何にも感じない方がおかしいんだよ!
あー、今でも思い出すとぞっとするよ。あの時ゴマモン達が来てくれなかったら、
今頃僕達生贄に捧げられてダークエリアに言ってたに違いないよね」

「まあね。感謝してよ、オイラ達お腹へってて、看守のご飯取っちゃう作戦考えるの大変だったんだから。
えへへ、でもさ、今思うと丈もちょっと変わったよね。ムッチャクチャだけど、
とにかく自分にできることをやるっていうか、そういうの分かって来たんじゃない?」

「うーん、さあ?そうかな?なんかしなくちゃいけないなとは思ってるけど、自分じゃよく分からないよ」

「オイラが言うんだから間違いないよ。げーんき出せって!」

「いてっ!蹄が痛いんだから叩くなよ!」

「なにが蹄だよ、人の手を前足だか後ろ足だかみたいな言い方しちゃってさ、怒るよ?」


きらんと光る鋭利な爪に、丈はわかったよ手ってことにしておくと返したのだった。 
よく分からないが握手をしようとしたゴマモンが前足を掲げた時に、
そのもこもことしたそれって手だったんだ、と再発見した時の発言をゴマモンは根の持っているらしい。
本来ならば寒冷地帯や水上で生活するデジタルモンスターである。
水上移動なら誰よりも負けない自信があるようなのだが、
その分陸上移動はどうしても不得手で、いろいろと苦労があるらしい。
ひょっこひょっこと後ろを付いているゴマモンは、ぷんすか怒りながらちょっとだけスピードを速めた。
何時の間にか丈を追い抜いて先に歩き始めてしまっている。
ちょっと待てよってあわてて追いかける丈の影が、ゴマモンの後を追った。





霧の中で見えないものが見えるような気がしてしまう。
それはカンテラの明かりが周囲を照らすことで、闇の中にカンテラを持つ自分自身が、
ぽっかりと浮かんでいるように見えるからなのだろう。
真っ暗な森の中にたたずんでいるレストランは、どこまでも暗い闇の中にある。
もう今日は昨日になり、明日は今日になったころだろうか。
確認しようと腕を見た丈だったが、あいにく腕時計は枕元の床に置き去りにしてしまったらしく、
なにも身に着けていないせいで時間がさっぱりわからない。
しまったなあ、もう少し明るくなったらミミ君や大輔君たちを起こしてもいいだろうけど、
まだまだ夜明けは先のようだ。
ヤマトたちは多分ぐっすり寝てるだろうし、起こすのもちょっと気が引ける。
朝食にする魚の下ごしらえはまだ準備に取り掛かるのは早すぎるし、
水を飲みに来る小鳥がさえずるのもまだまだ先らしいことは、辛うじて確認できた井戸とそばを流れる小川でで確定している。
どうしようかなあ、と丈は頭をかいた。後はベジーモンの肉畑を回ればおしまいだ。
何時もならばベジーモンとデジタマモン達が明日の仕込みをするために、
誰よりも早く起きてキッチンが騒がしくなるので、こうもレストランが真っ暗なのはなかなかお目に罹れなかったのだ。
結局レストランのオーナーと支配人は帰ってこないまま、一日が過ぎてしまった。
ちょっと彼らが心配である。今日にでも帰ってきてくれるといいんだけども。
いろいろと思考を巡らせながら歩き続ける丈に、ゴマモンもちょっとだけ機嫌を直したのか、
歩くスピードを緩めて丈の隣に並んで、ひょっこひょっこと体を揺らした。
しばらく歩いていくと、キャンデーのようにラッピングされた巨大肉が
ずらりと強靭な骨と共に畑にぶっ刺さっているシュールな光景が現われた。
相変わらず何ともいえない形容しがたい光景である。
特に異常はなし、と安心した様子で丈とゴマモンは顔を見合わせて笑った。
その時である。ん?と唐突にゴマモンがあらぬ方向をみて、顔を上げた。
きょろきょろと何かを探すようにあたりを見渡しているパートナーデジモンに、
嫌な予感しかしない丈は、いなくわこ!とまるで口裂け女に対するポマードのごとく心の中で口走りながら、
ちょっと血の気のひいた表情で、どうしたんだい?と聞いてみた。多分顔はこの上なくひきつっている。


「丈、なんか聞こえない?」

「またそうやって脅かそうとする!」

「ちーがうってば、なんか、ほら、あっちらへん!」

「あっちって森じゃないか。野生のデジモンでもいるんじゃないかい?」

「んー、なんか違うんだよ。なんていうか、その、えーっと、声?」

「声?」

「そー、声」


こえ、ねえ、と丈がゴマモンがいう方角に視線を向けた。
その時、がさがさがさっと何かが落っこちる音がする。
な、なんだ、なんだとずれた眼鏡を直した丈は、あわててポケットに引っ掛けているデジヴァイスを握り締める。
まさか、ヤマトたちを襲ったとか言うギロモンが、僕たちの居場所に気付いて奇襲でもしてきたんだろうか、と
最悪な展開が脳裏を過るが、いつまでたってもその怪しい物音の方角からは誰も現れない。
動悸の余り心臓が破裂するかと思った物音が、ぐわんぐわんと耳の中で鳴り響いているが、
幸い立ちくらみやめまいを引き起こすほどのものではなく、再び現れた静寂が、
返って言い知れぬ緊張感を生み出してしまっている。
丈、と警戒態勢に入っているゴマモンがパートナーに呼びかける。
ヤマトたち呼んでくる?いや、ちょっとそこまではまだ分からないぞ。
この音ならたぶん、誰も起きないんじゃないか?
振り返れば案の定、電気がつく気配もなければ、カーテンが開いて窓があき、
丈たちの名前を呼んで、あわてて飛び出してくるであろう仲間たちの姿はない。
相変わらず静かなレストランが見える。
ちょっと安心した丈たちは、大きな大きなクレーンが開いているであろうそこに向かってみることにした。
多分、木の上で寝てたどっかのデジモンが、寝相が悪くて落っこちただけだろう。
カンテラの明りでも、霧の向こう側には、特に変わった様子は見られなかった。


「恥ずかしくなって隠れちゃったのかな?」

「そりゃそうだよ、こんな夜中に樹から落ちるとか恥ずかしいって」

「そうだといいんだけどなあ」


木々の間と茂みの中巡りながら、とりあえず退路だけは確実に確保しつつ前に進んでいく。
しばらくして、カンテラの光でも十分すぎるほど把握することが出来る、場所に出る。
恐らくあの物音の発生源の先をみた丈とゴマモンはこおりついた。
丈、あれ、とゴマモンもその先の言葉が紡げない。丈はカンテラをゴマモンに渡すや否や、
一目散にその方向へと走り出したのである。無理もない。
幼年期くらいの植物型デジモンが、その唯一身体から生えているであろう手足がわりと思われる葉っぱが、
見るも無残な形でずたずたに切り裂かれていたのである。
それも木から落っこちたくらいでは出来る傷ではない。
キャンプ用の器具を詰め込んだリュックを持ち運んでいる丈はすぐに分かった。
いつも使うときには最新の注意を払っているから分かったのである。
1人の人間が文明から隔絶された環境に置かれても、それがあるだけで、
その生存確率は数倍にも跳ね上がることを丈は身を持って分かっていた。
様々な専用の器具を使用しなくても、目前の問題を解決できる局面はとても多かったから分かったのだ。
武器としても使用でき、危険な凶器と成り得る。
まるで生きているかのごとく、幼年期のデジモンに向かって鈍色の光沢を放つのは、
襲い掛かる数本のナイフだったのである。


「マーチング・フィッシーズ!!」


ゴマモンの号令と共にあ空間から出現した大量の魚たちが幼年期のデジモンの前に現れる。


「そいつと丈を守るんだ!いっけえ!バブルバリアっ!!」


ゴマモンの子分たちが一斉にシャボンの泡を発生させる。
一気に視界不良となった世界で、魚たちが雪崩のように幼年期のデジモンと丈、そしてゴマモンを取り囲み、
そして抱えると、一目散に森から出ようと流れていく。
まるで何かに操られているかのように、数本のナイフは追いかけてくるのだが、魚たちの勢いはとどまることを知らず、
どんどん勢いを増していく。
この調子なら、なんとかレストランに着くころには生きているナイフを振り切ることが出来るだろう。
そして、はっと我に返るのだ。


「大丈夫かいっ!?」


ぐったりとしていて微動だにしないデジタルモンスターをあわてて抱えあげた丈は、
荒く息をしているものの、なんとかまだ生きている様子にほっと肩を撫で下ろした。
小さな鼓動が腕の中で息をしている。すっかりずたずたに裂傷が残る葉っぱが痛々しい。
しっかりしろ、おーいと呼びかけてみるのだが、すっかりおびえきっているらしく、
息をするだけでやっとらしい幼年期のデジモンは、小さくこくりとうなづくだけだった。
よかった、と安どのため息をつく丈に、ゴマモンもほっとした様子で胸を撫で下ろした。
早くこの小さなデジモンを保護してやらなければいけないと丈とゴマモンは踵を返して走り出す。
酷いケガである。しゃべることすらできないなんて何処までひどい目に遭ったんだろう。
恐らく人間であるならば間違いなく死んでいるに違いないが、
一命を取り留め、意識があると言うことは相当生命力がある種族のデジモンなのだろう。
手当をしてやらなくては、と将来有望な医者の卵は、懸命に走った。


「ひっどいことする奴がいるなあ!丈、そいつはバドモンっていう幼年期のデジモンだよ。
 オイラ、始まりの街で見たことある。基本的には何にもしない大人しい奴なのに」

「誰がこんな酷いことしたんだろう!信じられないな」


どこか遠くで、口笛が聞こえた。



[26350] 第二十四話 ミッドナイトファンタジア その2
Name: 若州◆e61dab95 ID:15821ef9
Date: 2013/08/03 00:39
「なあ、丈。丈は将来何になりたい?」


青天の霹靂、とも言うべき言葉である。
明日から行くという陸上部の合宿の準備をしている2番目の兄の言葉に、
え?と間抜けな返答を返してしまったのは致し方ないといえた。
丈の両親は病院の医師である。そして、そんな両親の期待を一身に背負って、
二人いる兄はどちらも将来医者を志し、大学進学の進路を明確に描いて、日々勉強をしていることを、
丈は誰よりも見てきたし、知っている。
だからこそ、ぼくも、という意思もあり、今こうして丈は来年の中学受験に向けた勉強をしているわけだから、
将来何になりたいか、という小学校の総合の時間に行われる自己実現の啓発を目的とした授業のときには、
「医者になる」という言葉をいつもいつも描いてきた。それ以外は考えたことすらないというのが現実である。
丈には二人の兄がいる。
長男のシンは、現在国立大学の医学部に通っており、インターンシップを来年に控えている学年である。
大学生というのは長期休暇がとても長いらしく、その代りに前期と後期に授業が分かれているため、
7月最後の一週間はテストの修羅場を迎えている。
8月になればテストも終わって花の夏休みに突入するため、半年ぶりの再会となるのだが、
丈は8月の3日まではサマーキャンプ、次男のシュウは陸上部の合宿のためあいにくのすれ違いだ
おそらく夏休みになったら、シン兄さんは10月までずっと家でだらだら過ごしながら、
アルバイトや研修という名の家の病院の下っ端生活をするに違いない。
もともと3人部屋とはいうものの、一人暮らしをしているシン兄さんの生活の拠点は大学付近のマンションだ。
もうほとんど丈とシュウの二人部屋と化している中、さすがに成人している一番上のお兄さんが帰ってくるのだ。
ほとんど物置と化している勉強机、押入れを改造した狭苦しいベッドを空けておかないと怒られてしまう。
そのため、来年大学受験を控えた高校生のシンは、高校生活最後となる3年間打ち込んできた陸上部のものをいろいろと整理し、
来年同じく中学受験を控えている丈は、段ボール箱いっぱいになった私物を勉強机のすぐ下に滑り込ませた。
お前も部活やってればこれお下がりに使えるのにな、と冗談交じりにスポーツタオルや魔法瓶の水筒を掲げていたシュウだったが、
スパイクやアップシューズは大学先でも使うことは確約積みである。
おそらく丈の塾と学校の補修、自主学習のサイクルよりもはるかに多忙な予備校と学校とのダブルスクール状態の息抜きに過ぎない。
今回もその類なのだろう、と考えた丈はいつものように、いきなりどうしたんだよ、シュウ兄さん、と笑って見せた。
どうせまたシン兄さんを迎え入れるための生活スペースを確保するために、
あれ持ってきて、とか、これ持ってきて、とかいろいろと押しつけられるための方便に違いない。
しかし、勉強机からロール付きの椅子を引っ張ってきて、どっかりと腰を下ろしたシュウの表情はどこか真剣なまなざしである。
真面目な話なのかな?と首をかしげる丈に対して、シュウは受験先の第一志望としている大学のパンフレットをパラ読みしながらため息をついた。


「僕は医者になるよ?」


今も昔も変わらない幼いころからの夢である。
両親や兄弟のような大人になりたい、という将来に続く進路など他に選択肢を考えたこともない。
だよなあ、とぽつりとつぶやいたシュウの煮え切らない態度に、丈はどうしたんだろうと心配になる。


「それってさ、父さんやシン兄さんが医者だから、だろ?よくないぞ、そういうの」

「え?どうしてだよ?シュウ兄さんもシン兄さんと同じように国立の医学部に入るんだろ?
どうして僕は駄目で兄さんはいいのさ」

「将来のことを考えるときには、漠然とした憧れだけじゃだめなんだよ。
自分のやりたいことは何なのかとか、そういうのを真剣に考えなくちゃいけないんだから。
オレはもう大学受験が迫ってるから、いまさら進路変更なんてしたら、父さんから怒られるけどさ、
丈はまだ時間も余裕もあるだろ?だからじっくり考えてほしいんだよ」

「それはそうだけどさ……。それってまるでシュウ兄さんが迷ってるみたいに聞こえるよ?
どうしたんだよ、シュウ兄さん。この間帰ってきた模試の結果、合格射程圏内に入ったって大喜びで報告してたじゃない。
なにかあったの?」


A判定だか、B判定の上位層だか、よくわからないものの、このまま継続して勉強を続ければ、
間違いなく第一志望の国立大学の医学部に入学することができると大喜びした母親が、
久々にシュウの好物ばかりが並んだ夕食を作って、その恩恵にあずかれたのは記憶に新しい。
毎日のように近くの図書館や勉強部屋にこもっていることを知っている丈は、
自分のことのように喜んだから、よく覚えている。
だからこそ、ぼくも両親や兄弟を喜ばせて、安心させてあげるためにも、がんばって勉強しなきゃ、と
勉強机に向かう意欲もわいてきたというのに、いったい何があったのだろう?
そりゃ、そうだけどさ、とシュウはため息をついた。


「誰にも言わないって約束してくれるか?」

「うん、わかったよ」

「まだ誰にも言ったことないんだけどさ、実はオレ、ホントは映画監督になりたいんだ」

「え?……映画監督って、あの映画を作る?」

「そうだよ」

「それって、大学の部活とかサークルじゃ駄目なの?映画監督って全然違うじゃないか」

「まあな」

「そういえば、シュウ兄さん、映画好きだもんね。文化祭でも映画作りたくて実行委員会と生徒会に入ってたんだっけ?」

「ああ。受験をしてるとさ、いろいろと考えちゃうんだよな。
最初は好きなことを職業にするって大変なことだし、趣味でやるだけならいくらでもいいかなって思ったんだ。
でもやっぱりあきらめきれないんだよな。もし、大学に受かったら、学部を変えるのもありかなって思ってる」

「学部を変える?そんなことできるのかい?」

「うん、調べて問い合わせてみたから間違いないんだ。OBの先輩にも聞いてみた。
同じ大学の中だったら、条件を満たせば医学部から人文学部に所属を変更できるみたいなんだ」

「………でもさ、そんなことしたらお父さんたち怒るんじゃない?」

「ああ、最悪の場合、仕送りを打ち切られたり、勘当されたりするかもしれない。
その時にはアルバイトなり援助金なり受けながらがんばるよ。
お父さんたちを説得したり、いろいろと説明したりするのが先だけどな。
とりあえず、第一志望の大学に受かってからその先は考えるつもりさ。
医学部は理数系、人文学部は文系、ま逆だけどあきらめるつもりは毛頭ないね」

「シュウ兄さんがそんなこと考えてたなんて、全然知らなかったよ」

「そりゃそうだろ、誰にも言ったことがないんだから。
家族にだって、友達にだって、絶対に言えないことの一つや二つくらいあるのが当たり前だろ。
むしろ馬鹿正直に話しちゃう奴なんて、よっぽどウマが合う奴じゃない限り、信用なんか出来ねえよ。
丈だってあるだろ?オレたちに言えないこと。お互い様だよ」

「うーん、ぼくは特にないけど」

「まあ丈はまだ小学生だもんな。大きくなったらわかることもあるってことだよ。
まあ、秘密にしてるってのもしんどいけどな。だからこうやって丈のこと信頼して、
将来の夢についてオレは喋ってるわけだけど。気が楽になったよ、ありがとな」

「うん。そうだ、シュウ兄さん、ぼくも何か打ち明けたくなったら、話してもいい?」

「もちろん。ギブアンドテイクってやつだな」


にこりと笑ったシュウに、丈もつられて笑った。


「だからさ、せっかく丈は丈の人生を生きてるわけだから、父さんやシン兄さん、
それにオレだって丈の代わりにはなれないんだよ。
だから、医者の息子だからとか、父さんたちが医者になってほしいって言ってるからだとか、
もちろんみんなのことを考えるのも大事だけど、最終的に決めるのは丈だろ?
将来のことを決めるのに、真剣に自分のことを考えないで、漠然としてるとすっごくきついぜ?
とりあえず、そんだけ。丈にはオレみたいに土壇場になってまでウジウジしてほしくないだけなんだ」


じゃあ、そろそろ片づけ再開するか、と腕まくりしたシュウに、丈はうなづいたものの、
その時何を考えたのか、丈はよく覚えていなかった。





第二十四話 ミッドナイトファンタジア その2





ベジーモンのレストランに駆け込んだ丈は、一目散にキッチンに向かって走りぬけた。
ぱちん、と電気をつけた丈は、腕の中で虫の息のバドモンをそっとゴマモンに預ける。
ゴマモンは丈に言われたとおり、キッチンにあるテーブルに向った。
丈は、あわただしくキッチンの奥のほうに入っていく。
そして、自分たちの荷物が固まっているリュックサックの中からサマーキャンプ用のかばんを取り出し、帰ってくる。
あいにくサマーキャンプ用のサバイバルセットの中は必要最低限度の救急セットしか入っておらず、
この1ヶ月間けがをした覚えがない丈はレストランのどこに救急箱があるかわからない。
このデジタルワールドに来てから、救急箱は空が所持しているウエストポーチに集約されていたため、
タケルを迎えに行った空が今ここにいない以上、あまり応急処置に使えそうなものは持っていなかった。
ここはサマーキャンプに来た時に教わった応急処置の知識を総動員して、
レストランにおいてありそうなもので代用するしかなさそうである。
ゴマモンからバドモンというらしい緑色の虫食い葉っぱがトレードマークの、
ピンク色のとげとげが目立つ緑色の丸っこい体を抱き上げて、そっと寝かせてやった。
エンジェモンのような人間型でもなければ、ゴマモンたちのように動物型でもない、
植物型のデジタルモンスターである。もう見よう見まねにやってみるしかなさそうだ。


「なあ、丈、大丈夫?大丈夫か、バドモンの奴?死んじゃったりしないよな?」

「大丈夫だよ、縁起でもないこと言わないでくれ!」

「ご、ごめん!でもさあ……オイラたちデジタルモンスターは、成長期以下の状態で死んじゃうと
転生できるだけのデータが残せないから、デジタマに戻れないんだ!
バドモンは幼年期2のデジモンだからこのまま死んじゃったら、こいつ、消えちゃうよ!」

「えええええっ!?そうなのかいっ?!そりゃ大変だ!早くなんとかしなくちゃ!」


ペットボトルから水道水を汲んできた丈は、必死で追撃してきたナイフから逃げ回ったせいで、
全身泥だらけなバドモンをしっかりと洗ってやる。拭ってやる。
デジタルモンスターにもどうやら毛細血管、動脈、静脈はあるらしい。
あの追尾してきた謎のナイフは、まるで必死で逃げ回るバドモンを追い回すこと、
悲鳴をあげて、恐怖におののく姿を面白がるかのように、ことごとく急所を外し、
あえて静脈や毛細血管が通っている所ばかりを狙っていたようだ。
傷の数は目をそむけたくなるほど多いものの、大量出血の危険性をはらむほどのものはない。
動脈が避けられている証拠だ。傷口から鮮やかな真っ赤な血が勢いよく吹き出しでもしていたら、
さすがに医者志望であっても小学生に過ぎない丈はきっと狼狽のあまりパニック状態になっていただろう。
ひりひりと痛むのかよわよわしい悲鳴を上げるバドモンである。
擦り傷、かすり傷、切り傷が手や足にできたら、まずすべき事は傷を洗う事である。
洗うには水道水でいい。この世界の水道水に消毒用の塩素やカルキの類が入っているかどうかは不明だが、
井戸から汲んできた水を使うにはちょっと時間が足りないのだ。
ここのところ水不足で営業以外はなるべく節水を心がけているとはいえ、緊急事態である。
今回は特例処置ということにしてもらおう。
おもに洗う目的は傷口に、砂やゴミなどの異物を除去するためである。
これらの異物があると免疫系の細胞が反応して傷が治る時の邪魔なのだ。
デジモンがどこまで人間と同じ自己治癒能力を持っているのかは不明だが、
何もしないよりはずっとずっとましなはずである。
どの道大量出血なんていう冗談にもならない最悪の事態を避けるためには、
この土や砂が治療の邪魔になるのは明白だ。
いろいろとごちゃごちゃ考えてしまうと、傷口の血液や浸出液が土や砂といっしょに固まりとれにくくなってしまう。
ちょっとがまんしてくれよ、としっかり泥やほこりを洗い流してやった丈は、慎重に大量のタオルで拭ってやる。
少量の血がジワジワとにじみ出てくるときは、毛細血管からの出血だ。
しばらくタオルで拭ってやれば、自己治癒能力の範疇で自然と血は止まってくれるだろう。
それでもバドモンの葉っぱの傷口からは、やや黒ずんだ感じの赤い血がじわじわ流れ出てくる。
ええと、心臓より上のほうにもちあげてあげるといいんだっけ?とつぶやいた丈は、
バドモンに葉っぱを持ち上げるよう頼んでみた。うなづいたバドモンのしぐさに合わせて、
葉っぱが体から持ち上がるように丸めたタオルを積んでやる。心臓≒デジコアのはずだ。
これでよし、と丈はあわてて新しいタオルをリュックから引っ張り出すと、
そこをすっぽりと覆ってしまう。そして、傷口を手で強く押さえ始めた。
血がにじみ出てきたら、もう一枚重ねて傷口を押さえる。これを何度も繰り返す。
どんどん汚れてしまったタオルが山積みになっていくが、少しずつおさまってきたのか汚れの範囲は狭まっていく。
テキパキとこなしていく頼もしいパートナーの姿に、
丈、すげー、とゴマモンはハラハラしながら隣で見守りつつ、つぶやいた。
もちろんバドモンの止血に懸命な丈の耳には届くはずもない。
丈がみてきた限り、デジタルワールドにおいて、病院らしき施設があったのはファイル島の始まりの街だけである。
あの施設とレオモン、エレキモンがいなければ、ブイモンとパタモンは間違いなく死んでいたのだから九死に一生とはこのことだ。
医療に精通しているレオモンやケンタルモンたちは、周りのデジモン達に頼まれて治療をすることもあるようだが、
200年の時代の空白ののち、かつてファイル島の一番の繁華街だったらしい始まりの街すら、
守護デジモンたちはばらばらになり、自分たちの守護エリアを守ることに精いっぱいで、
こうした通り魔的な被害にあったデジモン達を迎え入れてくれる場所はもうないのだろう。
それを思うと、救うことができるはずの命が死んでいく不条理がすぐ横に転がっているような世界なのだ、と
改めてデジタルワールドの異世界性を現実世界と比較して丈は考え込んでしまうのだ。
しばらくして、ようやく血がとまった。
さすがに血がとまらなかったら、脈の血流を止めたり、専門知識が必要になったりする作業が待っている。
間違ったやり方をしてしまうと壊死するから一般人はしてはいけない、といわれていたので、
恐ろしくてそんなことできるわけなかったので、丈はそっと胸をなでおろした。
やはり病院がない世界はこんなにも恐ろしいのだ。何もできずに腕の中で死んでいくなんていやすぎる。
まじめにレクレーションの話を聞いててよかった、と丈はサマーキャンプの自治会の大人たちに感謝した。
ゴマモンに頼んで、小さなハンカチを出してもらった丈は、それをそっと当てた。
包帯なんて持っているわけもなく、大きめのハンカチなんてあるわけがなかった。


「ずっと抑えてるのか?丈。バドモンってそのけがしてる葉っぱが手の代わりだから、抑えられないんだよなあ」

「うーん、包帯なんてないもんなあ。……そうだ、ゴマモン、ちょっとラップ持ってきてくれるかい?」

「へ?ラップ?」

「うん、包帯なんてないし、薄手のタオルも汚れちゃって使えないし、
仕方ないからラップで固定するんだ。応急処置だもん、ベジーモンたちが帰ってきたら、
救急箱がどこにあるのか教えてもらおう。
とりあえず一度血を止めたら、よっぽど無茶して動き回らなければ大丈夫だよ」

「なるほど!ラップだったら丈夫だし、包帯の代わりに使えるもんな!よーし、待ってて!」


水にさらされた傷に呻いていたバドモンだったが、ようやく痛みが我慢できるまでに引いてきたらしい。
どんどん滲んできていた傷は、もうすっかり止まっていて、うっすらとけがを治すための粘着質の液体が傷を覆い始めている。
消毒液や痛み止め入りの湿布があればいいのだが、さすがに救急セットがない以上、
これ以上できることはない。
椅子から飛び降りようとしたゴマモンは、精神が安定してきたのか、
ぱっちりと目をあけているバドモンと目があった。
ずっとナイフに追い回されていた際、助けを求めていたのだろう。
そのせいですっかりのどがかれてしまっているため、言葉を話すのは少し先になりそうだ。


「大丈夫だって、オイラが持ってきてやるから、待ってな!」


励ますようににっこりと笑うゴマモンに、ふるふると首を振ったバドモンは、
キッチンの奥にある戸棚のあたりに視線を向けた。
そして、丸まったタオルに挙げている葉っぱをちょっとだけ動かして、
ちょいちょい、と真ん中あたりの棚を指差した。
つられるように顔をあげた丈とゴマモンは顔を見合わせる。


「………えーっと、もしかして、包帯の場所知ってるのかい?」


こくり、とうなづくバドモンに、丈とゴマモンは顔を見合わせた。
二人ともベジーモンのレストランで2カ月近く働かされていたのである。
常連のデジモン達の中には、親子と思しき進化前と進化後のデジモン達を見かけたことはあるものの、
バドモンは今まで訪れたことは一度もなかったはずである。
植物型のデジモンといえばベジーモンを思い浮かべるものの、
ベジーモンにバドモンなんてデジモンの話は一度たりとも聞いたことがないのである。
もしかしてあてずっぽうに言ってるだけなのかしらん?と思いつつ、
丈は一応バドモンが指差した先にある戸棚を探してみると、
すぐに目につくあたりにミミズののたうち回ったような文字が表記された箱が出てきた。
ゴマモン、これ、と取り出して見せた丈に、救急箱だ!とびっくりした様子でゴマモンが声を上げる。
なんで知ってるんだよ、と至極まっとうな疑問符を浮かべたゴマモンに、
声を出そうとするバドモンだが、すっかり枯れてしまっている声はとっても聞き取りずらい。
え?なになに、聞こえないよ、とよいしょっとばかりにテーブルにのし上がったゴマモンは、
内緒話でもするかのようにバドモンのところに耳を寄せた。


「バドモンなんて?」


救急セットの中から包帯とはさみ、そしてテープを取り出した丈に、
ゴマモンはなんて言っていいのかわからないとでも形容しそうな、なんとも微妙な顔をした。


「どうしたんだい?」

「聞いてくれよ、丈。バドモンの奴、自分の家なんだから知ってるのは当たり前だっていうんだ」

「え?ここはデジタマモンとベジーモンのレストランじゃないか」

「それがさ、そのベジーモンがバドモンだって言うんだ」

「………え?バドモンってベジーモンに進化するのかい?」

「オイラベジーモンじゃないから、さすがにそこまではわかんないよ」

「うーん、ベジーモンって確か成熟期だよね?バドモンは幼年期じゃないか。
ゴマモンたちがちょっと特別なだけで、たしかデジモンは普通進化したら、
もう退化しないのが普通なんじゃないのかい?
デジタマモンを探しに行ったのは夕方ごろだろ?確かにベジーモンはまだ帰ってきてないけど、
本人ならどうしてベジーモンからバドモンに退化してるんだよ?」


ベジーモンを自称するバドモンは、ぼそぼそぼそとゴマモンに事情を説明する。


「初めてあったデジモンにやられたんだって」

「デジモンを退化させる奴に襲われたのかい?」

「なー、バドモン、もしかして、そいつってオレンジ色の猿のぱっつんぱつんの全身タイツ着てなかった?
ついでにサングラスとマイク持ってさ、お釜みたいな喋り方じゃなかった?
後は腰にもんざえモンのキーホルダーつけてなかった?」


ふるふる、とバドモンは首を振る。真っ先に頭をよぎった可能性が否定され、一人と一匹は胸をなでおろす。
そして、バドモンが苦笑いしているので、わけを聞いた丈たちは、あ、と声を上げた。
まだエテモンがまともだったころ、エテモン軍団の元配下だったデジモンたちは、
このレストランの常連だったということを思い出したのである。
つまり、初めからエテモン≒ベジーモンをバドモンに退化させたとんでもないデジモンではない、ということだ。


「よく無事だったなー、バドモン。そっか、だから帰りが遅かったんだな。
オイラがバドモンに気づかなかったら、あの追尾機能付きのナイフにやられてたかもしれないモンな、よかったよかった。
でもさ、丈、それって結構やばくない?またエテモンみたいな奴がいたら大変だよ。
ヤマトたちに知らせたほうがよくないか?」

「そうだね、これは大変なことになったなあ。

「エテモンは多分暗黒の力であの進化を無理やりリセットする技を得たんだと思うけど、
ベジーモンが僕たちを匿ってくれてることは、まだばれてないはずだ。
だから、多分、普通のデジモンがそういうことをしてるんだと思うんだ。結構厄介だね」

「じゃあ、せめてヤマトたちだけでも起こしてくる?」

「そうだな、そろそろ見張りの時間だろうし、ツノモンたちも起こさなきゃ。
とりあえず、この大量のタオル、洗わなきゃね。洗濯機のところにも行こうよ。
じゃあ、バドモン、ちょっと待ってるんだよ。安静にしててね。すぐ戻ってくるからさ」


ありがとうざんす、と口ぱくながらのお礼の言葉をもらった丈はにっこりと笑って、
ゴマモンとともにキッチンを後にした。



[26350] 第二十五話 ミッドナイトファンタジア その3
Name: 若州◆e61dab95 ID:15821ef9
Date: 2013/08/03 00:39
初めは、小鳥のさえずりかと思うような、小さくて、軽やかな音色だった。
しかし、メジロやウグイスのような独特のリズムにも似たその音は、
血だらけのタオルを洗濯機に放り込んで、起動スイッチを押すときはもちろんのこと、
確実にヤマトたちが寝ている部屋に向かう丈とゴマモンの耳にずっと響いているのだ。
丈一人だけだったなら、空耳かな、と勝手に自己完結してスルーしてしまうところだが、
外から聞こえている謎の音色について聞いてきたのがゴマモンとなると話は別だ。
ああ、僕も聞こえるよ、と返した丈は、通路の窓越しに辺りを見渡してみるのだが、
確実に外にいるであろう謎の調べの演奏者を特定することは出来なかった。
いる。何か分からないけれど、確実に何かがいる。この周辺に何かが潜んでいる。
何だか嫌な感じがして背筋がうすら寒くなった丈たちは、早くヤマトたちと合流すべく足を急がせた。
何の音だろう、気持ち悪いなあ
聞いたこともないメロディを奏でている音は、近付くこともなければ、遠ざかることもなく、
一定の距離を保ちながら、ずっと丈たちの耳に突き刺さっているのだ。
あいにく音楽方面にはとんと知識が無いうえに、芸術方面には興味が微塵もない丈は、
この音色が金管楽器によるものなのか、それとも口笛のような人工的に作り出された音なのか、
さっぱり聞き分けることが出来なかった。
ただ、小鳥のさえずりと聞き間違ってしまうほどの微妙な音調を調節できるあたり、
この音色を作り出している謎の人物は、なにやら曲を奏でているらしかった。



夜8時以降を過ぎた後での口笛にも似た音を奏でるとは感心しないなあ、と眉を寄せる丈に、
ゴマモンは首をかしげるのだ。近所迷惑という理由だったらここはレストラン以外は無い訳だし、
へたくそだったら耳障りな雑音に過ぎないから嫌だが、なかなか上手じゃないか。
それに音を奏でるのがダメなら見回りの時には必ずハーモニカを吹いているヤマトはどうなんだよと
揚げ足取りするような調子でからかってくるパートナーデジモンだが、
さっきから一切足取りが緩んでいないことを丈は知っている。
だから丈は、田舎のおばあちゃんに教わったことをゴマモンに教えてあげるのだ。
デジタルワールドに野生の蛇がいるのかどうかは知らないけれど、
丈たちが住んでいる現実世界に住んでいるヘビは夜行性で、
尚かつ小さな振動音をネズミなどの小動物と間違え寄って来る習性がある。
この為、周囲が暗くて静寂の時(つまり夜)に口笛の音に寄せられ出現すると昔から言われているのだと。
それに、今となっては「蛇」という連想しやすくて分かりやすい対象があるけれども、
元々の「蛇が出る」の「蛇」は「じゃ」と読み、「蛇=邪悪な者=お化け」という意味があった。
口笛を吹くというのは、もともと悪い幽霊を呼び出して呪いをしたりする降霊術に使われたこともあったらしい。
それに、ずっと昔には言葉を交わしたり、物音を立てたりするとばれてしまうことから、
小鳥のさえずりに似せた口笛で人さらいや泥棒といった犯罪者がコミュニケーションをとっていたことから、
夜八時以降に口笛を吹いてしまうと、その人さらいや泥棒が仲間からの合図だと勘違いして家に入ってきてしまうとされた。
つまり「夜に口笛を吹くと蛇が出る」というのは「夜に口笛を吹くと邪(お化け)が出る」のが語源なのだが、
それが一般人にも話が通じやすい蛇に転じて、良くないこと、の象徴として泥棒や人さらいと言った存在に派生していったらしい。
どのみち今聞こえているような、口笛のような音を近所迷惑だからやめるための抑止力としての迷信だろうけれども。
音は、音波と言って空気の振動であり、音の高さは、周波数で決まる。音の大きさは、振動の振幅で決まるのだ。
この空気の振動が耳の鼓膜を振るわせ音として聞こえるわけだ。
この周波数は、人間にとって聞こえやすい範囲があり、口笛の音は、人間にとって良く聞こえる高さの音だ。
同じ大きさ(同じ振幅)の音でも、低い音やずっと高い音は、聞こえにくくなるのだが
上手ならば、楽に大きな音がでる。
振動数が一種類でなく何種類かの高い音や低い音が混じっていて、
その中の一番大きな振幅の音の高さに聞こえるが、この混じり方がすくない程澄んだ音色になるわけだが、
人間の耳も澄んだ音ほど能率良く聞こえてしまう。
今響いている口笛のように澄んだ音は、良く届き、よく聞こえる音なのだ。



つまり、いかにも出そうな時間帯に正体不明の人物が狙ったようなタイミングで口笛のような謎の音色を奏でるなんて、
寄りによって何で今なんだよ、あんまりじゃないか、僕たちが何をしたっていうんだ、
怖いんだから勘弁してくれよ!と言うわけである。
そういう訳で、ばん、と乱暴に扉を開けて、悲鳴を上げる扉がきしむのを無視してまで
丈がすっかり眠りに解いているヤマトたちを起こしにかかるのも無理もなかったりした。
今何時なんだろう、と寝ていたはずの毛布と枕の上の方に放置されていた腕時計を見たら、
丁度夜の中でも一番冷え込んでしまう上に、幽霊何て言うとんでもない奴らの活動が
一番活発になるとテレビで見たことがある時間帯だったりしたもんだから、
丈が必死でヤマトたちを起こしてしまうのも拍車をかけていた。
乱暴に揺り起こされたヤマトは、微睡に落ちていたところを無理やり現実に引き戻されてしまったため、
若干不機嫌な様子で丈とゴマモンを見るのだ。欠伸をかみ殺して、乱暴に目をこする彼に、
とりあえず丈は正当性を主張するために、ヤマトに事情を説明することにしたのだ。
ベジーモンレストランの周りを見回りしていたら、森の方で成熟期のベジーモンから幼年期2のバドモンに退化してしまった、
このレストランの支配人を発見して、追尾機能付きのナイフに追い回されていたのを何とか振り切って保護したこと。
そのナイフはバドモンの歩行機能も兼ねている虫食いの葉っぱを執拗に狙って攻撃しているため、
バドモンは最終的に這いつくばりながらでも逃げなくてはいけないほど、致命傷とまでは行かないにしても、
酷い怪我を負うまでに執拗に攻撃され続けていたこと。
既に応急処置は済んでいるから心配はいらないけれども、
バドモン曰くデジタマモンを捜しに行ったら、エテモンではない謎のデジモンに突然襲われたために、
今のような幼年期に強制退化させられてしまったのだというのである。
これは朝なんか待っていられない、せめて上級生組であるヤマトとツノモンにだけでも知らせなくては、
と思って急いで時間を繰り上げてやって来たのだと必死で説明する丈に、
ようやく眼が冴えてきたらしいヤマトは事情を大体把握して、わかった、とうなづいたのだ。
言うまでもなく、謎のデジモンにいきなり襲われた時の状況をもっと詳しくバドモンから聞く必要があるだろう。
どうする?とぐっすり眠っているミミと大輔に目くばせする丈に、
まだいいだろ、寝かせといてやろう、とヤマトは首を振った。
もう少し状況がはっきりしてからでも遅くは無いはずだ。俺達だけでいい。
分かった、とうなづいた丈とゴマモンが、バドモンが安静状態で待っているであろうキッチンにヤマトとツノモンを案内すべく立ち上がる。


「おい、ツノモン、そろそろ起きろよ。行くぞ」


何時までたっても隣の毛布から出てこない幼年期のパートナーデジモンに呆れながら、ぽんぽん、と膨らみを叩いたヤマトは、
音もなくぺしゃんこになってしまった膨らみに、一瞬固まると、あれ?と思わず空を切った手元を見る。
慌てて毛布ごとひっぺ替えしてみるが、そこには誰もいないではないか。
ツノモン!?とようやくパートナーデジモンがいないことに気付いたヤマトは、
辺りを必死で見渡してみるが、寝ぼけて寝返りを打ってしまったせいで転がってしまったパートナーデジモンを見つけられない。
ツノモンがどこにもいないことに気付いた丈とゴマモンも
慌ててヤマトと共に足音を忍ばせながらあたりを探してみるのだが、誰もいない。
もしかして大輔君やミミ君たちと一緒に寝ちゃってるんじゃないか、と彼らはまだ寝ている子供達に目を向ける。
申し訳ないと思いながらも、さすがに寝ている女の子の毛布をいきなり引っぺがすわけにもいかず、
丈たちは大輔とミミ達を揺り起こした。
寝ぼけ眼でぼやっとしたまま、なんですか、とミミが小さく欠伸を手で受け止めながら起き上る。
まだ真っ暗ですけど、なにかあったんすか!?ってリュックサックを握りしめながら大輔と
どうしたの?と丈たちのただならぬ様子を真っ先に気付いて警戒態勢に入ったブイモンが毛布を蹴飛ばして飛びおきる。
大輔たちが寝ていた毛布の中は誰もいない。
あふ、と欠伸をかみ殺しながら、まだまだ夢と現実の境目から帰って来たばかりのぼんやりとした意識の女の子は、
枕を抱えながらゆっくりと立ち上がった。ミミ達が寝ているはずの所にもツノモンはいない。


「ツノモンがいないんだ」


血相変えた様子で叫んだヤマトに、一気に目が覚めたらしい大輔たちは顔を見合わせた。


「ヤマト、最後にツノモンを見たのはどこだい?」

「見回りが終わってから、一緒に毛布に入ったことは覚えてるんだけどな」

「ツノモンのことだから、誰にも言わずにどっかに行っちゃうなんて考えられないよな。
うーん、どこに行ったんだろう?」

「まさか、ツノモンに何かあったんじゃ・・・・」

「落ち着いてよ、ヤマト。こういう時にはパートナーのヤマトが一番しっかりしなくっちゃダメだろ!
 ツノモンは、もしオイラたちに知らせないとしても、絶対にヤマトにだけは言うに決まってるさ!
 何か言ってなかった?」

「いや、別に何も。特に変わったところは何もなかったんだ。
 いつもみたいにお休みって言って、一緒の毛布に盛り込んだはずだからな」


うーん、とみんな考えてしまう。
デジモン達は基本的に何か用がある時には、たとえパートナーが熟睡していようが、
すぐには起きられないほど疲れ切っていたとしても、真っ先にパートナーを起こしにかかるのだ。
それはパートナーデジモンにとって、パートナーと言う存在は真っ先に頼りにする
かけがえのない存在であるがゆえに優先事項として確定していることであり、
その用事と言うのがたとえトイレみたいな大したことが無いものであったとしても適応される。
つまり、ツノモンが誰にも何も言わずに突然失踪するなんて絶対にありえないことなのである。
何かあったとしか言いようがない状況である。
その時、さっきからずっと沈黙を守っていたミミが、ヤマトと同じように毛布をひっぺ替えして、
誰もいないシーツの中を呆然とした様子で見つめながら、ぽつりとつぶやいた。


「………丈先輩、ヤマトさん、どうしましょう」

「え?」

「どうしたんだい、ミミくん」

「タネモンもいないのっ!」

「えええっ!?」

「大輔君もブイモンも見てたよね?私とタネモンが一緒に毛布の中に入って、
お休みって言ってるの、見てたよね?」

「はい、見てました。オレたち、一緒に寝ましたもんね」

「お休みって言ってたよな、タネモン。別に変ったところは無かったよ」

「うん、そうなの。ヤマトさんや丈先輩みたいに見回りとかしてないから、
私もタネモンも、一度もこの部屋から出なかったはずなのに・・・・・・・・。
ずっとこの部屋で寝てたはずなのに!どうしよう、どこに行っちゃったの、タネモン!」

「なんでツノモンとタネモンがいないんだ?」

「どっちも幼年期だよ、大輔。なんか関係あるのかな?」

「オレに言われても分かんねえよ」


首をかしげる大輔とブイモンに、幼年期、という言葉を聞いた丈たちははっとした様子で顔を上げるのだ。
もしかして、バドモンを襲ったとか言うデジモンと何か関係があるんじゃないか?
そんな上級生組の心当たりがある様子に、真っ先に食いついたのはミミである。
半ば気圧される形で丈はバドモンにあった出来事について洗いざらいに説明することになってしまい、
ミミは弾かれるようにして、最愛のパートナーデジモンの名前を呼びながら、
唯一の手掛かりがあるであろうバドモンがいるキッチンへと走って行ってしまったのである。
おい、ミミ君!と冷静さを促す丈の制止もむなしく、
テンガロンハットや荷物まるごと置き去りにして、ミミは通路の向こう側に消えてしまった。
今のミミはパートナーデジモンであるタネモンがいない。これは一人にするのはあまりにも危険だ。


「ミミさん、デジヴァイス忘れてるっすよ!」


大輔の言葉に、あ、とヤマトたちは置き去りにされているミミのサバイバル用リュックを見るのだ。
ミミはいつもデジヴァイスをそのリュックの肩に通すための長い長い紐の部分にかけている。
案の定、純真の紋章による完全体への進化ののち、鮮やかな黄緑色に染まったデジヴァイスが置き去りにされていた。
ああもう、こんな時に!気持ちはわかるけどさ!といらだった様子で丈はミミの荷物を抱えると、
何だかいつもと違う違和感がある。あれ?とミミのカバンを見渡した丈は、
ヤマトたちの方を振り返った。


「なあ、ミミ君はいつも紋章をペンダントみたいにして持ってるんだっけ?」

「いつもはそうしてるけど、確か寝るときは邪魔になるからってデジヴァイスの近くにおいてるんじゃなかったか?」

「デジヴァイスの近く、近く……ちかく………あれ?無いぞ、ミミ君の紋章」

「え、嘘だろ、もっと良く探せよ、丈。ミミちゃんは確か起きたばっかりで何も身支度整えてなかったはずだから、
デジバイスを置き去りにするくらい気が動転してるのに、紋章だけペンダントにするはずないだろ。
デジヴァイスは紋章のすぐ目が届く場所にあるんだから、真っ先に手が伸びるはずだ」

「そんなこと言ったって、どこにも無いんだよ!」

「えええええっ!?」

「ヤマト、デジヴァイス、デジヴァイス!紋章がどこにあるか調べてくれよ!」

「あ、そ、そーだな、ブイモン。えーっと」


完全体への進化を経験したパートナーのデジヴァイスは、どこに紋章と紋章の持ち主である選ばれし子供がいるか、
つぶさにわかるという機能が追加されることを空から聞いたことを思い出したヤマトは、
紋章とデジヴァイスを探した。ミミの紋章がなくなったときいて、
嫌な予感がしたらしい大輔はデジヴァイスとくくりつけてあるはずの紋章を探す。
ブイモンの言葉に、ミミ達のようなパニック状態の子供達がいる中で返って冷静になっていたようで、
実はすっかり忘れてしまうほど気が動転していたらしいヤマトも、
ポケットの中にいつも入れているはずの紋章とデジヴァイスを探った。


「あれ?」

「…………嘘だろ」

「どうしたんだよ、二人とも。その嫌な予感しかしない声は。
 なんで僕の方を見るのさ。まさかとは思うけど、紋章がないとか言わないよね、君たち!」

「どうしましょう、丈さああんっ!!」

「悪い、丈。オレも紋章が見当たらないんだ、どうしよう」


「ええええええっ!?嘘だろっ!もっと良く探しなよ、みんな!
 なんで紋章だけがことごとく無くなっちゃうのさ!」


丈の悲鳴ももっともである。
今のところ、このメンバーの中で唯一紋章を紛失せずに済んでいるのは、
見回りをする関係でデジヴァイスとともに所持していた丈だけのようだ。
継続してミミの紋章も探してみるが、一向に涙みたいな形をした黄緑色のタグも紋章も見当たらない。
まずい、まずい、まずい、いくらなんでもまずいだろう、この状況は。
タネモンとツノモンが行方不明になった。しかも、丈を除くみんなの紋章は見つからない。いくらなんでも無茶苦茶すぎる。
一度に色んなことが起こってしまい、さすがの丈も頭がパンクしそうな位焦りまくっているのだが、
事態は全く好転するわけもなく、ただ時間だけが過ぎていく。


「ダメだ、見つからない。とにかくミミ君に事情を説明して、トゲモンのところにいかないかい?」

「そ、そうだな、とりあえずみんなの荷物を持っていこう」

「どこ行っちゃったんだろう、みんな」


男の子たちは顔面蒼白なまま、キッチンに向かうことにしたのだった。



[26350] 第二十六話 ゲンナイの隠れ家
Name: 若州◆e61dab95 ID:15821ef9
Date: 2013/08/03 00:40
ミミの後を追いかけて廊下を走り抜ける丈とゴマモンを待っていたのは、
きゃあああああ、というミミの悲鳴だった。
ミミ君!ミミ!と急いでドアを蹴破った先には、バドモンをしっかりと抱きしめ、
突然現れた襲撃者たちから少しでも距離を取ろうと、慌てて丈たちのところに駆け寄ってきたミミの姿があった。
丈の後ろに隠れてしまったミミの尋常じゃない怯え方に、どうした、しっかりしろよ、と
ゴマモンが声をかける。
だって、だって、だってえ、とすっかり涙目になっているミミの指差す方向には、
おびただしい数の毒蜘蛛のような姿をした幼年期くらいのデジモンたちが、
天井から床からテーブル、棚、イス、と所狭しとばかりにひしめき合っていたのである。
わさわさわさ、と足の踏み場もないくらいの大量発生である。
ミミたちの響き渡った悲鳴にぴたりと動きを止めた小さな蜘蛛たちは、
一斉にドアのすぐ前で茫然と立ちつくしている丈たちに目を向けたのだ。
一極集中する視線。ぞわぞわぞわと背中を悪寒が走り抜け、反射的に一歩下がった丈たちは、
ぼとりぼとりと天井をはいつくばっていた名称不明のコグモたちが、
下に下に落っこちてくるのを見た。
身なりは小さいとはいえども、明らかに猛毒を仕込んでいると思われる毒々しい色をした牙が丈たちに襲いかかったのである。


「丈、ミミ、危ない!後ろに下がんなよ!」

「え?うわあっ」

「もーいやあっ!」

「バブルバリア!」


時空の裂け目から召喚されたゴマモンの子分たちが、一斉になだれ込む。
そして、色とりどりの魚たちの口からはき出されたシャボン玉たちは、
ふわふわふわ、と風に流されてレストランの入り口へと流れていく。
それを見届けていたヤマトたちは、ぱちん、とシャボン玉が弾けるのを見た。
ぱちん、ぱちん、ぱちん、と特定の場所に到達すると、すべての泡が弾けて消えてしまった。
なんだなんだ、と目を丸くする丈は、シャボン玉の一つがぺたり、と
何もない空間で止まるのを見た。
すると、シャボン玉は空中に一気に吊り上げられたのである。
そして彼らは、光の加減で確認することが出来なかったトラップをようやく認知するのだ。
そこにあったのは糸だった。それはそれは、とても大きなクモの巣だった。
レストランの入り口をすべて覆い尽くしてしまうほどの規模である。
中央から放射状に引かれた糸に、同心円状に細かく糸が張られた構造が形作られている。
中心から放射状に張られた糸を縦糸、縦糸に対して直角に、
同心円状に張られた糸を横糸として、螺旋状に張られている。
網の中心付近には横糸がなく、縦糸の交わるところには縦横に糸のからんだ部分がある。
見るからに網の中で粘り気があるのは横糸だけのようで、横糸をよく見ると、
数珠のように粘球が並んでいるのがわかる。
砂埃と共に紛れ込んでくる小さな昆虫が引っかかり、糸でぐるぐる巻きにされているのがわかった。
横糸は螺旋状に張られているが、普通網の下側の方が数が多いようである。
全体にはっきりしないカゴのように、粗く糸を張り合わせたような形の網である。
カゴ状の網の一部にシートを持つものもある。
糸を縦横に重ねた薄い膜状の網と、それを支える上下に張られた糸からなっていて、
膜状部が皿を伏せたような伏せ皿型のもの、下向きにくぼんだ受け皿型のもの、
ほぼ水平に広がるシート状のものなどたくさん展示品のように並んでいた。
そして、丈たちが一番唖然とせざるを得ないのは、まるで溶解液のごとく、
その謎のクモの巣に触れてしまったシャボン玉は、しゅうううう、と煙を上げて溶けてしまったことだ。


「一体なんなんだい、これは!外に出られないじゃないか!」


思わぬところで立ち往生である。
このままずっと立ち往生していては、獲物を狙ってうごめいている
おびただしい数のコドクグモンたちが襲いかかってくるのも時間の問題だった。
だからといって、このまま直進したらこの正体不明の蜘蛛の巣に直撃してしまう。
そうだ、鉄の棒かなにかで蜘蛛の巣を壊してしまおう!と手ごろなものを拾い上げた。
丈先輩、何とかしてくださいって背後に迫るおびただしい数の爬虫類に今にも死にそうな悲鳴を上げながら、
ミミが必死で丈にしがみついた。よーしっ、いくぞっとばかりにクモの巣に鉄の棒を突撃させた丈たちは、
とんでもないものを見ることになる。目蓋の裏に残像。
しゅうううううううう、と辺りに飛び散ったのは火の粉である。
そして、目の毒とも言うべき強烈な異臭と共に、鉄の棒があっという間に溶けてしまう。
反射的に目をつむった丈たちが見たのは、哀れにも無惨な形でひしゃげてしまった鉄の棒。
まるで溶鉱炉にでも突っ込んだかのごとく、でろでろに溶けてしまったではないか。
そして、クモの巣とおぼしき粘着質の螺旋模様は、今か今かと丈たちを待っている。
なんだよ、これ!どうしたらいいんだ!?
後ろをふり返れば、コドクグモンたちがわらわらわらと迫ってきていた。
いやあああ、とミミの悲鳴が上がる。


「丈、あれ見ろよ!アイツが親玉らしいぜ!」


ゴマモンの声に弾かれるように顔を上げた丈とミミの前に現れたのは、
コドクグモンたちよりも遥かに大きい図体をしたデジタルモンスターだった。
背中には巨大なドクロのマークが刻まれた真っ黒で丸い図体を背負い、そこからは、
恐らく毒が含まれているのであろう真っ赤な2本のヒズメが目に痛い8つの大きな毛だらけの足が動いている。
4つに割れた口の中には、上と下、そして左右に渡ってびっしりと引きちぎられてしまいそうな鋭利な牙が覗いている。
黄色と黒の危険色で覆い尽くされた鋼鉄のカブトのせいで表情をうかがい知ることは出来ないが、
そのカブトの真正面に付けられた3つずつの六つの対となる丸い点が全て目であると分かった時、
ミミはあまりの気持ち悪さに鳥肌が立ってしまったらしく悲鳴すら上げずに顔面蒼白のまま、
立ちつくしている。ミミ君、ミミ君、しっかり、と丈の声に我に返ったミミだったものの、
コドクグモンよりも遥かに大きい蜘蛛の姿に絹を裂くような悲鳴を上げた。
このままじゃ挟み撃ちにされてしまう。せめて窓から逃げようときびすを返した丈たちだったが、
そいつはひゅるひゅるひゅる、と何でも腐食させてしまう糸を出し、それを風に乗せて飛ばし、
丈たちの進行方向である大きな窓の向こう側に引っ掛かると、
その糸の上を往復して糸を強化することで枠を作りはじめたのである。
次に、枠の内側に縦糸を張る。縦糸を張り終えると、中心から外側に向けて、螺旋状に粗く糸を張る。
横糸を張る時の足場を確保したそいつは、器用に昇り始めたのである。
足場糸が引き終わると、今度は外側から内側へと横糸を引き始めた。
横糸を張る時、クモは縦糸に出糸突起をつけて糸をくっつけると、
中心に向かって進み、足場糸にさわると外側へ針路を変更し、
次の縦糸に糸をくっつけるという動作を繰り返している。
これで逃げ場は完全に無くなってしまった。
あああアチシたちのレストランがああ!とバドモンの悲鳴があがる。
みしみしとしなるガラス窓の淵は、ドンドン有害な煙と共に覆い隠されてしまう。
どうやら何でも溶かしてしまうらしいクモの糸は、瞬く間にきれいな縁取りだったガラス窓を突き破り、
でろでろに溶かしてしまったようだった。
ぱあん、となにかが破裂するような音がしたかと思うと、激しいひび割れが窓中に走り、
はじけ飛ぶようにしてガラスが木っ端微塵に粉砕されてしまったではないか。
まるでボールでもぶつけてしまったかのようなひび割れが次第に細かくなっていく。
すっかり開いてしまった穴の向こう側には、毒々しい危険色の図体が覗いた。


「ドクグモンだ」


ゴマモンは苦虫を潰したような顔をする。
ファイル島で過ごした幼年期時代、嫌という程ちょっかいをかけてきた成熟期らしい。
その度に追い払ってくれたレオモン曰く、もともとは大人しいデジモンであったが、
コンピューターウイルスの渦に巻き込まれて感染してしまい、
それ以来ふれたものを腐食させる能力がついてしまった呪われたデジモンらしい。
八本の足は伊達ではなく、どこまでも獲物を追い詰めて疲れさせる。


「丈、こうなったら正面突破するしかないよ!」

「分かった!でもヘタに近付いたらあぶないから、気を付けるんだよ!」

「わかってらい!」


デジヴァイスが進化の光を解き放つ。
色鮮やかな閃光の向こう側のシルエットが成長期と成熟期で重なった時、
厚い毛皮と追尾機能の付いたロケットの一角をもつ海獣デジモンが現れた。
そして、1キロ範囲に轟くずしんとした咆哮が四面にびっちりと立ちふさがるコドクグモンたちを威嚇する。
うおおおお、と豪快な雄叫びを上げたイッカクモンの得意技が炸裂した。


「ノーザンライツっ!!」


無色透明で六方晶系の結晶が勢いよく吹き荒れる。
落下した氷をまとった冷気は、暖気層を通過する際に溶けて雨となり、
その雨が下の冷気層を通過する際に過冷却の状態となる。
過冷却の風は、着氷性の雨が地上に勢いよく叩きつけられ、
落下した衝撃で雨滴は凍結し氷晶となる。
着氷性の雨は凍結した氷晶の上にさらに付着して凍結していき、硬く透明な氷の層を形成した。
一度も凍結しないまま降り物体に当たって初めて凍結する息吹が、ドクグモン目掛けて炸裂する。
半透明・不透明の氷がドクグモンのクモの巣を瞬く間に凍らせいき、
その向こう側にいる親玉目掛けて襲いかかったのである。
そして、白色半透明・透明で硬い氷の層・結晶に覆われてしまったクモの巣は、
水から氷へと変化を遂げたことで表面積が膨張し、重さに耐えきれなくなった腐食の糸は、
浮遊できないほど大きく発達した氷によって、ずたずたになっていく。
基盤が脆くなったクモの巣目掛けて、イッカクモンはミスリル製のツノを振り上げた。


「ハープーンバルカン!」


発射された一角がすぐに装填されて、何発も何発も打ち込まれていく。
ばりん、という音を突き破り、見事突破することが出来た蜘蛛の巣の向こう側には、
8本のうち前足の2本と髭を持っている手の役割を果たしているであろう2本の手が凍り付き、
身動きがとれないドクグモンがいる。


「いっっけえええ!」


ライオンのような咆哮が遥か向こう側のテンプ湖にまで轟かんばかりに響き渡った。
見事追尾機能付きの鋭利な角が命中し、鼓膜が破れそうなほど大きな悲鳴が上がる。
思わず耳をふさいでしまった丈たちを守るべく、
イッカクモンは一歩も退くことなく敵目掛けて追撃を重ねた。


「よっしゃー、これで外に逃げられるよ!
オイラがこいつらを引きつけてるうちに、早く丈たちはその窓から逃げるんだ!」

「多分外にはヤマトたちも逃げてる筈だ!急ごう、ミミ君!」

「はい!」


凄まじい冷気をまとった息吹がレストラン中に吹き荒れる。
瞬く間に凍り付いていく世界で、ミミたちは近くに倒れていたイスを窓ガラスにひっつけると、
丈が先に飛び越える。そして、長いスカートをめくり、あまり活発な運動をする事ができないミミは、
手を伸ばされた丈にだっこされる形で、慎重に窓の格子を飛び越えて、ようやく外に出ることが出来たのだった。
ほっと一息ついた丈たちは、恐らく別の出口から外に逃げ出したであろうヤマトたちを探すべく、
必死で辺りを探し回る。おーい、と仲間たちの名前を呼んだ丈たちの声を聞きつけて、
裏路地から姿を現したヤマトと大輔たちは、血相変えて叫んだのである。


「耳をふさぐんだ、丈、ミミちゃん!」

「危ないっすよ、はやく!」


え?と返事をする暇もなかった。きいいいん、という耳鳴りにも似た衝撃が彼らに襲いかかったのである。
ぶーん、という不愉快な羽音がレストランの上から聞こえてきたかと思うと、巨大な影がいくつも姿を現した。
まがまがしい紫色の4枚羽根を激しく動かして滑空する、
巨大な黄色と黒のしましまをまとった巨大なハチが一気に下降してきたのである。
大きなかぎ針状の手を振り上げて、丈とミミを捕まえ、尻尾にある猛毒の針を突き刺そうと襲いかかってきたではないか。
慌ててヤマトたちの方に逃げ始めた丈たち目掛けて、執拗に巨大なハチの集団が襲いかかってくる。
うわあああ、と一目散に逃げまどう子供たちは、凄まじい雷鳴を聞いた。


「お前らの相手はオレだっ!早くみんなどこかに隠れてっ!」


先程から必死に蒼い雷を叩き込みながら、
焦げ臭い匂いと共に落下していく襲撃者たちを相手しているエクスブイモンの声が響き渡る。
ようやくヤマトと大輔と合流することが出来た丈は、
幼年期とはいえ数にものを言わせるコドクグモンたちの波をようやく突破することが出来たイッカクモンが、
参戦するのを見た。しかし、いくら何でも数が多すぎる。
次から次に姿を現してくる巨大な昆虫型デジモンから逃げるべく、
丈たちは必死で滑空の制限となるであろう森にひとまず身を隠すことにした。
そして、大輔はヤマトに言われて突然の襲撃者についての情報を少しでも得ようと、
デジモンアナライザー機能のパソコンを持っている光子郎に電話をかける。
要領を得ない大輔に変わってPHSをひったくるように受け取ったヤマトが、
並々ならぬ緊迫した状況を感じ取って、特徴や大きさについて訊いてくる光子郎に説明する。
受話器の向こう側で解析するキーボードの音が忙しなく響く。


「エクスブイモンに伝えてください!やつの名前はフライモンです!
 毒針や毒の霧を喰らってしまうと全身麻痺した挙げ句、紫に変色して死んでしまうらしいですよ!」


光子郎の解説が続く。フライモンは昆虫型の成熟期デジモン。
ウイルス種で、凶々しい巨大な羽を持つ昆虫型デジモンだ。
その巨大な羽で超高速で飛び回ることができ、
飛行中にブーンという巨大なハウリングノイズを発生させ、聞くものの聴覚をマヒさせてしまう。
体は硬い外殻に守られており、大きな鉤爪で敵を挟み込み尻尾の超強力な毒針で死に至らしめる。
昆虫型デジモンの進化過程は未だ不明だが、顔の形から推測するとクネモン種から進化したと考えられる。
必殺技は尻尾の毒針を飛ばす『デッドリースティング』で、
この毒針を刺されたデジモンは全身がマヒし、体が紫色に変色していき絶命するという。
ちなみに、この毒針は何度でも生え変わるという厄介なもの。
そして得意技はそのツバサから猛毒の鱗粉の雲を広げて相手を攻撃するポイズンパウダーだ。
PHS越しに伝えられる集団の正体に、エクスレイザーや蒼雷を打ち込んでいたエクスブイモンは
わかった、と肯き、イッカクモンもハープーンバルカン等で必死に撃墜させていくのだが、
大空を滑空するハチの集団は減っていくどころか、どんどんその数を増やしていく。
きりがない襲撃者たちの攻撃に、少しずつ疲れが見え始めた彼らである。
せめて今ここにタネモンやツノモンがいたなら、とヤマトとミミは歯がゆい気持ちで空を見上げ、
大輔や丈と共に必死で彼らを応援していた。
しかし、事態はドンドン悪化の一途をたどっていく。
茂みに隠れながら彼らの戦闘を祈るような気持ちで見守っていたミミは、
がさがさがさという先程嫌と言うほど聞いた足音を訊いた気がして凍り付く。
え、うそ、そんな、と心の中で阿鼻叫喚の絶叫を上げながら勘弁してとばかりに冷や汗をぬぐいながら、
ぎぎぎぎぎ、と機械のように固まってしまった顔だけその音の方に向けてみる。
そして、ちょいちょい、服の裾を引っ張って、丈先輩、あれ、と震える指先で指差した。
そこにいたのは、恐らく別個体であろうドクグモンの群れがひしめき合っていたのである。
絶叫を上げるミミと丈に釣られる形でふり返ったヤマトと大輔も、
蜘蛛の子を散らすように一目散に逃げ始める。
あわただしい足音と悲鳴がPHS越しに届き、どうしたんですか!?と慌てた様子で訊いてくる光子郎に、
どうもこうもないっすよーっと半泣きで大輔が叫んだ。


「どうしましょう、光子郎先輩!イッカクモンもエクスブイモンもここまで来れるほど余裕がないっす!
なんか数が多すぎるんですよ!なんかどんどん増えててっ!
それに、アイツが出す糸とか針、何でも溶かしちゃうらしくて危なくて近づけないっすよーっ!!」

『落ち着いてください、大輔君!』


きゃあああああ、という悲鳴が響き渡り、振りかえった大輔が見たのは、
石に躓いて転倒してしまったミミの姿である。
ミミさん!と声を上げた大輔は、すっかり腰が抜けて立つことが出来ない少女の姿を見た。
あぶない!と咄嗟にかばう形で丈がミミを抱えて横に飛び退き、
かろうじて腐食の糸の餌食になる最悪の事態は回避出来たものの、
体勢を立て直すまでの時間がかかってしまう。
あわてて引き返そうとする大輔をヤマトが咄嗟につかんで、おちつけ!と静止する。
その時、PHSの向こう側で光子郎の声が響き渡った。


『皆さん!デジヴァイスを掲げてください!』

「え?」

「光子郎、アイツらはレオモンたちの時と違って、操られてる訳じゃないんだぞ?
自分たちの意志でオレたちに襲いかかってきてるんだ
デジヴァイスの光じゃ何にもできないぞ!」

「目くらましっすか?」

『いや、違うんですっ!今ちょうどゲンナイさんからメールが届いたんですよっ!
本当ならいろいろと改良しなきゃいけないんですけど、時間がありません!
いいからデジヴァイスを掲げてください!そして息を潜めて何も言わないでじっとしてください!
デジヴァイスが4つあるのなら、姿を消すことが出来る結界を張ることが出来るはずです!」

いいから早く!と怒鳴りつけるような光子郎の声に促されるまま、デジヴァイスを掲げた大輔である。
ヤマトは必死で丈とミミにデジヴァイスを掲げるように叫んだ。
訳が分からないままデジヴァイスをフライモンとドクグモンたち目掛けて高々と掲げた彼らは、
デジヴァイスがピコピコピコピコと音を放ちながら光の柱を放つのを見た。
デジヴァイスにアップリンク、ダウンロード完了、と言う見たこともない英語が表示される。
あまりにも眩しい光に目がくらんでしまいそうなほどの閃光が走る。
熱くて持っていられない。
しばらくの静寂。襲撃者たちの猛攻が目前に迫りながら、いつまで経っても何も来ない違和感。
おそるおそるミミと丈が顔を上げると、突然の光に目がくらんでしまったのか
硬直していたフライモンとドクグモンたちが目と鼻の先にいるではないか。
思わず絶叫しそうになったミミの口を丈が塞いで、し、と口元に人差し指を当てる。
こくこく、とうなづいた丈たちは、なぜかすぐ側にいるにもかかわらず彼らを見つけられずに動き回っているフライモンたちを見た。
ちら、とヤマトと大輔に目配せした丈は、しばらくじっとしていようとアイコンタクトしてくるヤマトに頷いた。
よくよく目を凝らしてみると、デジヴァイスから放たれた4つの光は、
まるで四方形のような透明なバリアを張っていることが分かる。
しばらくして、フライモンたちを片付け終わったのか、エクスブイモンとイッカクモンたちがやってくる。
進化の光を解いたゴマモンとブイモンたちはきょろきょろと辺りを見渡した。
ほっと胸をなで下ろした丈たちは、デジヴァイスが収束していくのを見た。
結界が解かれ、突然現れた丈たちに吃驚仰天しながらも、無事でよかったとブイモンたちは笑った。


『みなさん、大丈夫ですか?』

「ああ、ありがとう、光子郎君。どうなるかと思ったよ」

「ありがと、光子郎君。でもどうしてそんな大事なこと今まで黙ってたのよー」

『ぼ、僕に言われても困りますよ!ゲンナイさんからメールがあったのついさっきなんですから!
なんでも今までダイノ古代境にいて、守護デジモンのケンタルモンと共に、
デジヴァイスの機能について、先代の選ばれし子供たちが、
どのようにして使っていたのか文献を発見して解析していたそうなんです。
なんでも四聖獣たちが東西南北を司っているように、暗黒の力を封印した時、
デジヴァイスの力によって結界を作り上げたそうなんですよ。
さすがに先代の子供たちと同じ機能を付随するにはちょっと改良しなきゃいけないみたいですが、
身を隠すだけの機能なら何とか出来たみたいですね、よかったです』

「ってことは、このデジヴァイスって一つだけでも結界を作ることが出来るってことかい?」

『はい、そのためのダウンロードデータをデジモンアナライザーに追加してもらいました。
これから合流しましょう』

「え?でも光子郎先輩、太一先輩たちを待つって言ってたんじゃ……」

『それがですね、太一さんたちと合流する場所、ゲンナイさんが用意してくれるそうなんですよ。
なんでもピッコロモンが用意していたあの特殊エリアのようなところだそうです。
どのみち今のままじゃ、ウイルス種のデジモンしか入ることが出来ないヴァンデモンの城に入ることは出来ません。
ゲンナイさんの隠れ家だそうなんですけど、そこで会いましょう』

「どうやってその隠れ家ってやつに行けばいいんだい?」

『それはゲンナイさんに訊いてください。そちらにゲートを開いてくれるそうなので』


そういわれても、と丈たちは困惑しきりである。


「まあまあ、安心しなさい。わしが直々に案内してやろう。さあ、入ってきなさい。
ようこそ、ゲンナイの隠れ家へ」


そう言うや否や、突然何もなかった空間がグニャリと歪む。
反射的に後ろに下がった彼らの前に、丸いゲートが開かれる。
その亜空間の向こう側には、まるで日本庭園のような穏やかな木漏れ日がざわめいていた。



[26350] 第二十七話 デジモンアナライザー
Name: 若州◆e61dab95 ID:15821ef9
Date: 2013/08/03 00:40
CHRONDIGIZOIT HYBRID ORGANISM合金
クロンデジゾイト ハイブリッド オーガニズム合金
傾いてしまっている看板が気になるのか、ピラミッド迷宮で唯一の飛行要員は、
錆びついたチェーンに吊り下げられているだけの看板を立て直した。
スクラップ場にある瓦礫だらけの山々の中でも、ひときわ輝く鉄クズの山がある。
どっこいせ、と頭の上に乗っけていた入れ物の中にある細かく裁断されたそれを、
ガジモンたちは空高く積み上げるのだ。


「やっと終わりましたなあ、おつかれさん」

「まったくだぜ、あーくそ疲れた!」

「おい、さっきボキっつったぞ、大丈夫かよ」

「大丈夫じゃねえよ。もう体が悲鳴あげてるっての。そろそろ休もうぜ」


ほいな、とテントモンはゆっくりと鉄板だらけの床に置き去りにされている、
カートの上に乗っかるのだ。手すりに乗るのは器用なものである。
想いっきり伸びをしながら、ガジモンたちはすっからかんになったカートに乗り込んだ。


「ほないきまっせ!」

「おう、一気に行こうぜ」


スーパーで買い物にはしゃぐ子供のごとく、
カートに乗っかり勢いよくテントモンは近くにあった山を蹴飛ばした。
あー、楽ちん楽ちん、とガジモンたちは口笛を飛ばした。


「ほんとにええんでっか?」

「なにがだよ?」

「いくら、無期限休止状態だったとはいえ、
一応ナノモンはんが御客人から修理を頼まれていたものですやんか。
 こうもばらばらにして、ええんでっか?」


テントモンが疑問を挟むのも無理はない。
埃をかぶっていた家電やどこからか流れ着いてきた欠損データで出来上がっている、
用途不明の機械まで山積みだったエリアは、もう数えるほどのものしか残っていないのだ。
ほとんど、もう跡形がないくらいまであらゆる機材を使って解体、裁断され、粉砕され、
こまごまとした部品などはもう、ばらばらになってしまっている。
分別して鉄くずの山に仕分けして放り込むという作業を延々と繰り返していたのだ。
ガジモンたちは肩をすくめたのである。


「じゃあ、お前止められんのかよ。あの魔改造大好き組を」

「…………せやな、ワイらではむりでっせ」

「下手に横から口出すととばっちり来るからほっときゃいいんだよ。
 お前のパートナーだって時々休憩も挟むようになったし、いいじゃねえか。
 こうでもしねえと、デジモンアナライザーなんてできねえんだろうさ。
 クロンデジゾイトメタルなんてもうほっとんど残ってねえんだから、
 ひたすらバラシてかき集めるしかねえんだ。これで世界が平和になるんなら、万々歳だろ」


スクラップ場を隅から隅へと通り過ぎていくカートからは、いろんな金属を見ることが出来る。
地下に潜り込んでから1か月近くも生活すれば、もうテントモンでも嫌というほど用語に詳しくなっていた。
通称デジゾイトは、デジモンワールドにのみ存在するクロンデジゾイトという、
非常に硬い架空金属を組み合わせて作る様々な合金の総称である。
クロンデジゾイトは、2種類のレアメタルを組み合わせることで生まれるとされている。
純度の高いものは、硬度に優れるレッドデジゾイト。
純度の低いものは、機動性にすぐれる軽いブルーデジゾイト。
かつて、それぞれの採掘場が抱える鍛錬工の技術次第で、希少なレアメタルへと加工することが出来ていた。
用途によって使い分けられ、それぞれの長所によって価値が決まるため、
純度が高いものが優れているとは限らない。
製錬技術が未熟なマシーン型デジモンが作成したものと、
熟練のスミスと呼ばれていたらしいデジモンが作成したものでは、完成度も評価も段違いだったようである。
現代種のデジモン達は、その高度な技術を現在に伝えるデジタルモンスターがもはやいないため、
断絶した世代によって、武器や機械を新たに作成することは不可能である。
ましてや平和な時代であった以上、せいぜい観賞用のコンクールやコンテストの流派に分かれた、
形式と伝統がある由緒正しい勢力に伝承として、代々家宝として残っているのみである。
保持するための保管技術は残っていても、模造品を作ろうとなればどうしても限界がやってくる。
現代種のデジモン達は、進化する過程で
ダウンロードした新しい自分と共に突如発生した武器や装備を非常に大切にする。
壊してしまったが最後、それは死に直結しているのだ。
だから、純度が高い低いだけでなく、デジゾイドを保有するデジモンの技術が最終的な価値を決めている。
だが、このデジゾイトという鉱物は、デジタルモンスターと非常に相性がいいデータプログラムらしい。
なんと、この鉱物、デジモンと一体化して、生体金属とすることも出来るので、
身を守る手段としては最良のものがあったらしい。
もちろんデジゾイトという鉱物自体が希少となってしまった今のデジモンワールドでは、
ことさら価値が上がっていて、生半可なデジモンでは入手することすら不可能らしい。
だから、ゴールドデジゾイド、オブジタンデジゾイド、と言われる
デジモンと一体化することで硬度が最高になる種類のもの、
イグドラシルから直接データを受け取ったことで全く異なる性質を受けたブラックデジゾイド、
ロイヤルナイツが所有する装備などは、ほとんどがデジモンと一体化することでできる特別性のものばかりだそうである。
鉱物を加工して製錬するよりも、鉱物を取り込んでより希少価値の高いレアメタルにすることが出来るデジモンがいる。
ならば、そのデジモンを捕獲して兵器として使用する方がはるかに合理的である。
なかなかえげつない歴史が紡がれている預言の書が正しければ、
この世界に現存しているそれらの鉱物や武器たちは全て、
名前も知らないデジタルモンスターのデータが刻まれているということだ。
暗黒の力に対抗するために、ナノモンと必死で新しいデジヴァイスを作っている光子郎のところへ、
テントモンは急ぐことにしたのである。


「光子郎はん、どうでっか」


ぷしゅー、という音をたてて開かれた研究室の先では、ぱっと顔を輝かせている光子郎がいた。
傍らに常備してある冷蔵庫の中には、今日沸かしたお茶が入ったペットボトルが入っている。
もう3つほど空っぽになっているらしかった。


「テントモン、お帰り!見てよ、やっとできたんだ!」


飲みかけのペットボトルを置いた光子郎はにっこりと笑う。
ようやく出来上がった新しいアイテム。光子郎のパソコンのミニマム版ともいうべき、
デジモンアナライザーを光子郎は掲げている。
そして、パイナップルマークの黄色いノート型パソコンには、
ようやく組み終わったデジヴァイスにダウンロードするプログラムアプリが表示されている。
おー、とテントモンは一気にテンションが上がって、飛んでいった。


「やりましたなあ、光子郎はん!」

「これでもまだまだ試作品の段階なんだ。
 ロイヤルナイツに加盟したパートナーを持ってる平行世界の太一さんが
 持ってたらしいデジヴァイスは、今の僕たちじゃ再現不可能なんだよ。
 残念だけど、これが僕たちの限界だよ」

「【今の段階では】だ。勝手に限界を決めるな」

「あ、ごめんなさい。そうですね、僕たちはまだまだこれから頑張らなくちゃいけないんだ」


ほら、と手渡されたのは、光子郎とナノモンが試作品として作った、始まりの神様のデジヴァイスである。
デジタル時計であるデジヴァイスとは形状がずいぶんと異なるものである。
腕時計と形容したほうがいいのかもしれないが、
ホログラムでしか残されていないデジヴァイス01は、
遥か昔に、フォルダ大陸というはるか東方のエリアを冒険した平行世界の八神太一
のために用意されたものである。
全てを模倣することなど限りなく不可能に近いのだ。
どのみち劣化品であることには変わりない。
しかし、これに搭載されている機能をダウンロードすることができれば、
心強いことに変わりはないのだ。


「デジヴァイスのように、個人にあわせたものはさすがに出来そうもない。
 せいぜい、デジヴァイスの機能の強化あたりが限界だ。過信は禁物だぞ」

「デジモンアナライザーはどうするんでっか?」

「ホメオスタシスがデータを公開してくれたんだおかげで、
 文章化したデータと画像なら保存できる小さなパソコンが出来たよ。
 無線ラン機能があれば、更新できるようになったかな。
 ただ、あくまでも僕のパソコンから新しい機能は、ダウンロードしなくちゃいけないのが難点かな」


贅沢言ってられないんだけどさ、と光子郎は二つ折りの小さな辞書のようなものを傍らに置いた。
はあ、と光子郎はため息である。
せめてもう少し新しい電子機器がこの世界に流れ込んで来ればよかったのだ。
しかし、現実はフロッピーやCD、レコーダー、カセットテープ、
それらを使用するために必要な機械たち。
光子郎だって技術の時間の教科書でしか写真で見たことしかないような、
白黒写真時代の機械たちが埋まっていたのだ。
世代を2つほどずれている懐かしの機械ばかりである。
この地下迷宮で生活し始めてから、シャワールームの横は、二層の洗濯機な時点でお察しくださいというものである。
むしろ、光子郎があれがあれば、これがあれば、とつぶやくたびに、
現実世界にある科学の進歩に大いに好奇心をくすぐられたナノモンからの、
問答のような会話が繰り返されるので、或る意味これでも自重したほうである。


「これを10個、あのコピーすることが出来る機械にかければ完成です」

「本当に、何が幸いするか分からんな」

「でも、こんなことが出来るのも、ナノモンが味方だからこそですよ」

「そうでっせ。エテモンはんをみんなで待つんでっしゃろ?
 それまで、ワイらは諦めたらあかんのや」

「よっしゃ、このデジモンアナライザーをあのコピー機にかけりゃいいんだな」

「あ、ちょ、扱いには注意してくださいよ!」


横からかっさらっていったガジモンをあわてて光子郎が追いかける。


「慎重に扱え。プラグボムの餌食になりたいのか?」

「ごめんなさい」


なんでか知らないけれども、謝りたくなってしまったテントモンである。
ガジモンたちが逃げ出すようにお茶の準備をしてくると逃げてしまったのを見届けて苦笑い。
小さなデジモンアナライザーと新しいデジヴァイスを慎重に抱えて歩き出す。
ほいな、と台に乗せたのを確認して、光子郎はレバーを押したのである。


「デジモンアナライザーっていわゆるデジモン図鑑っていうやつでっか?」

「うーん、デジモンアナライザーはあくまでも今まで出会ったデジモンたちのデータを
 自動的に記録していくデジヴァイスの機能を応用して、データを共有化しているにすぎないんだ。
 このデジモンアナライザー自体も個人個人が記録してるデジヴァイスのデータを自動的に一つに集約することで
 なんとか体裁を成してる状態だからね。
 かつてデータバンクをやってたナノモンがいなかったら、とてもではないけど、
 ここまでの基礎データは用意出来なかったはずだもの。
 今まで一度も出会ったことのないデジモンについて検索しても無理だし、
 図鑑と言うのは違うなあ。どっちかというと現在進行形で制作中、みたいな感じかな」

「はあ、そうなんでっか」

「でもさ、平行世界の太一さんの持ってた、デジヴァイス01は、
 この腕時計の中にデジヴァイスの機能とアナライザーの機能、まるごと入ってるんだよ。
 いずれは新しいデジヴァイスの中にデジモンアナライザーを入れたいね」


新しいアイテムが出来上がっていく。
よし、これで終わり、と光子郎とテントモンは最終チェックしてもらうべく、
ナノモンのところに持っていった。
しばらくして太鼓判をもらった光子郎はほっと息を吐いたのである。


「やっと終わった。後は太一さんたちが帰ってくるのを待つだけだね」

「光子郎はん、あんまり飲みすぎると体に悪いでっせ」

「え?でも、水分補給は大事だよ?」


足元に転がっているペットボトルのごみ箱を覗き込んで、乾いた笑しか出てこないテントモンである。


「………ちょっと、トイレ行ってくるよ」


ほら、いわんこっちゃない、という相方の視線にはあえて気づかないふりをして、
将来有望な技術者は扉の向こうに消えていった。
そして、帰ってきた彼を待っていたのは、使い方を教えろとせがむガジモンたちである。


「なあ、光子郎。デジモンアナライザーってどうやって使うんだ?」

「こうやってですね、デジモンがいる所に向かって向けるんです。
 すると、こうやってデータが表示されます。
 さすがに読み上げソフトは内臓できなかったので、これが限界ですね」

「そっか。でも、これでいきなり敵が来てもある程度予想できるってことだな!」

「はい」

「なあ、それって離れててもできるのか?」

「はい。データさえ認識できれば表示されますよ。やってみますか?」

「はーい、はーい!じゃあオレがやるぜ!」


ぴぴ、という短い音がして、赤い点滅が表示された後、データが表示された。
我先にとのぞき込んできたガジモンたちは、おー、と声を上げる。



DIGIMON DISCOVERY

ガジモン

レベル:成長期

種族:ほ乳類型

属性:ウイルス種

鋭くて大きな爪を生やしている哺乳類型デジモン。
哺乳類型では珍しく2足歩行をするタイプで、
恐らく前足を腕のように使用するうちに前足の爪が進化し、
2足歩行をするようになったのだろう。
小型のデジモンではあるが非常に気性が荒く、決して人間にはなつこうとしない。
前足の爪は攻撃する際にも非常に有利だが、以外にも穴掘りに向いており、
いつも落とし穴を掘っては、他のデジモンが穴に落ちるのを楽しんでいる
イジワルな性格。必殺技はガス状の毒息を吐き出す『パラライズブレス』
得意技は落とし穴である。


「こいつなかなかのイケメンだな」

「つーか落とし穴作るのが趣味ってことまでばれてんのかよ」

「あー、そういやエテモン様に無謀にも挑もうとしたのが始まりだったよな」

「そうだなー」


カメラ目線で真っ赤な眼孔を光らせ、虎視眈々と獲物を狙うようにポージングしている画像をみて、
しみじみとつぶやくガジモンを見て、思わず光子郎は口元がゆるんでしまう。
いえない、いえない、絶対言えない。脳裏を過ぎったのが招き猫なんて言える訳がなかった。


「おい、光子郎」

「なんですか?ナノモン」

「お前のパソコンにメールが届いているぞ」

「えっ!?あ、ホントだ!」

「一体何者なのだ。私の管轄するピラミッド迷宮のサーバに直接アクセスするとは……」

「えっとアドレス名はファイル島、ファクトリアルタウン、まさか!」

「えらい懐かしい名前を聞きましたなあ、もしかして」

「はい!アンドロモンからです!ファイル島だとファクトリアルタウンしか、
 連絡を取る手段が無いみたいで苦労したみたいです。
 なんでもゲンナイさんからの要請でここまでアクセスしてくれたそうです!
 なるほど、これを登録しておけば連絡が取れるってことかな?
 ちょっと読んでみますね。えーっと」


いざ読もうとした光子郎の声を遮るように、
慌てた様子で出来上がったばかりのデジモンアナライザーを抱えてガジモンが走ってくる。
まさか壊したんじゃ無いだろうなと冷ややかな眼差しを向けるナノモンに、
違いますってば!と必死で頸がもげる寸前まで首を振ったガジモンが、
これこれこれみてくれ、とテントモン、そして光子郎のところに向かって突き付けてきた。


「監視カメラで通り過ぎてるデジモンたちを表示出来るかどうか試してたら、映ったんだ!」

「敵か!?敵なのかっ?いきなりピラミッド迷宮内の隠し通路から現れやがって、
 こっちに物凄いスピードで向かってやがるんだ!」

「でも一体しかいねえぞ、こいつ」

「落ち着いてください、ガジモンたち。大丈夫、彼は僕らの味方です」

「え?」

「そうなのか?」

「はい。かつては黒い歯車にやられて僕とミミさんたちは襲われたことがありますが、
 ファイル島からサーバ大陸に行くまでのイカダを作る手伝いをしてくれました。
 レオモンと旧知の仲だそうですから、安心してください。
 彼は僕らを迎えに来てくれたみたいです」


紹介しますね、と光子郎の視線が自動ドアに向かう。


「お久しぶりです、ケンタルモン」

「やあ、久しぶりだね、光子郎、そしてテントモン。元気そうで何よりだ」

「まさかあんさんがゲンナイさんのところに案内してくれはるとは思いませんでしたわ。
 あみだ森とダイノ古代境を守っている守護デジモンなだけあるんやな」

「まあ、かつてははじまりの町で医者をしていたこともあるんだ。その縁でもあるんだよ」

「……やはり、自律型エージェントの生き残りは重傷のようだな。
 ホログラムの次はわざわざファイル島からよびよせた代理の者をよこすとは」

「ああ、そうなんだ。彼の背中に埋め込まれてしまった混沌の結晶は、
 内部からどんどん浸食していく闇の球体だ。
 老人化し、代謝を押さえることで何とか正気を保っている状態でもある。
 でも、時は一刻を争うんだ。だから、これから選ばれし子供たちには、
 直接ゲンナイ様のところに来て欲しいんだ」

「なるほど、分かりました」

「でも、わてら、太一はんたちを待ってるんでっせ。大丈夫なんでっか?」

「大丈夫、心配いらないよ。ゲンナイ様のいる場所は、結界を張っている亜空にあるんだ。
 ピッコロモンも側についている。
 ピッコロモンのあのエリアと同じようなところと考えてくれたらいいよ。
 こちらからアクセスすれば、こんな風にしてどこからでも迎え入れることができるんだ」

「ピッコロモンもいるんですか!?分かりました、みんなに電話してみます!」


よかったな、とナノモンが笑いかけてくる。
はい、と頷いた光子郎の横で、お別れか、寂しくなるじゃねえか、とガジモン達は、
別れを惜しむようにテントモンと雑談し始めた。
まさか大輔の方から襲撃されたとパニック状態で電話されるとは思わなかったものの、
こうして光子郎たちもゲンナイの隠れ家へと足を踏み入れたのである。



[26350] 第二十八話 ラグランジュハート
Name: 若州◆e61dab95 ID:15821ef9
Date: 2013/08/03 00:41
「ごめんね、アタシ、もうアンタのエリアにはいけないわ」


デジタルワールドに行くのは大歓迎なんだけどね、
世界の柱になってるあの子にも会いたいし。
かつて世界を救った選ばれし子供の言葉を信じられない、
とでも言いたげに手を伸ばそうとした緑の少年は立ちつくす。
とまどいに揺れる緋色の瞳は、やんわりと押し返されてしまった、
白い手袋をはめている右手をそっと下ろす。
うそだろう?と聞き返す少年に、小さく首を振った、
かつて少女だった女性は柔らかく笑った。
見たことのない顔で笑っている。ぎり、と握り締める拳を見つめて、
悪いわね、と彼女は重ねた。


「遅いわよ、馬鹿ね。どうして今頃きたのよ」

「どうして!」

「見てわからない?アタシは年を取ったのよ。
 あの時みたいにアンタの世界に行くには、アタシは大きすぎるんじゃない?
 もう20もとっくにすぎてるわ、ずっとまえに、大人になったのよ」

「でも・・・・・・君はならないって、大人にならないって約束したじゃないか!」

「仕方ないじゃない、もう結婚してるんだから。今さらどうこう言えないわよ」


いとおしそうにふっくらとしたお腹をなでる女性を見て、
少年はうつむいたまま沈黙してしまう。


「でも、アンタと会えて嬉しかったわ。エニアックにもよろしく伝えてくれる?」


言葉少なに頷いた少年は、無言のまま現実世界とデジタルワールドを繋ぐ
デジタルゲートの扉を閉ざしてしまった。
世界は、漠然とした痛みで満ちていた。少年の中でカシャンと、
格子の窓ガラスがきしむ音がする。
そして、最後まで、その砂漠みたいな目を彼女に向けることはなかった。
意気消沈している少年に、だから言っただろうに、
とでも言いたげにゲートを開いていたエージェントはため息をついた。


「この世界とあちらの世界は時間の流れが違いすぎる。
 彼女たちの冒険は終わったんだ。我々ではどうしようも無いだろう。
 それは君が一番知っていたのではないのか」


エージェントは彼女と同じ造詣をしているが、
所詮は自立型のプログラムのプロトタイプでしかない。
データである。機敏な感情など推し量ることができない。課題が山積である。
だからこそ、彼女から言われたような錯覚を起こしてしまい、
少年はわき上がる激情を押さえることができなかった。
切り捨てて、言葉を切るエージェントにはわからない。
少年にとって彼女がどれだけ大切な存在だったのか知らないのだ。
彼女たちの冒険の後に作られた存在は、
もはや英雄伝説となっている語りぐさでしか彼女を知らないのだ。
全てが崩壊する、足元もろとも奈落の底へ突き落とされるような絶望が走る。
少年が彼女になにを期待していたのか、
少年は改めて思い知らされてしまい、裏切られたという思いが広がる。
顔面蒼白。少年は呼吸を忘れた。衝撃だった。ふざけるな、そう思った。
これは嫉妬だと少年は知っている。
少年がここまでエージェントの試作品に強烈な殺意を抱くほど怒り狂っているのは、
あっさりと現実を受け入れてしまうかつての自分を見ているようで、
一方的な嫉妬だと少年はわかっていた。
もともと少年は、理不尽な劣等感を持っている、
ろくに物事も知らないどうしようもない子どもだった。
気まぐれで、忘れっぽく、うぬぼれが強く、知ったかぶりをし、
独善的でわがままな王様だった。
勢いの言葉だけが心の中で先を突っ走っていく。
必死に少年はそれらを押し殺していた。
そんな言葉、聞きたくなかったのに!少年は完全に自我を見失っていた。
未だかつて無い激情にまかせた、支離滅裂な咆哮。
エージェントは淡々としている。


「ふざけるな、お前に何が分かる」


あざけることができたら、どんなに楽だっただろう。
アンタ最低だよ、とせせら笑えたら、どんなに愉快だっただろう。
でもそんなことできっこないことだけ、分かっていた。
冷酷無情になりきれない、泣き声をなんとか絞り出す。それが精一杯だった。


「あの子は、×××は、僕の、いや、僕たちのお母さんだったんだ。
 お母さんというものをしらない僕ら、デジモンに、それを教えてくれた人だった。
 それなのに、どうしてあんなひどい事ができるんだろう!信じられない!
 大人、大人、大人ってなんだよそれ!僕は人間だってデジモンだって子供にできることを
 ×××は知ってるはずなのに!」


泣き出してしまった少年に対応するプログラムが組まれていないエージェントは、
どうしたものか、と無表情のまま泣き崩れる少年を見つめた。
予定より早く迎えのデジモンを要請することにしたらしい。
プログラムを起動させる。
泣きやんだ少年は、ただぼんやりとゲートを開いた施設を見つめた。


その日を境に、ぼんやりとしていることが多くなったように、少年は思う。
悲しみでも怒りでもなく、ただ、この無意識の虚無や喪失から来る惰性の原点は
今でも彼に沈殿して、思い出すたび重くなる。
今に始まったことではない。悪化しただけだ。
少なくても自主性はもう育たないだろう。真実は時として残酷だ。
少年はデジモンでありながら進化を拒んだ存在であるため、
進化前も進化後も存在しない、極めて特殊なデジモンである。
はじまりの街がなかったころに生を受けた彼は、
他のデジモンと同じように自然発生的にうまれた。
時代は流れ、はじまりの街が生まれ、
デジモンはデジタマというデータ転写の輪廻が生まれた。
本来ならば、進化という本能に任せて可能性は無限大に広がり、
彼が命を終えた後も、新しい進化の系譜という形で
彼の記憶はデジゲノムに残されるはずだった。
彼はそれすらも拒んだのである。
大人という存在に対する敵意は憎悪に代わり、進化というものへの反発を生む。
いつまでも楽しく遊んでいたい。子供のままでいたい。
一人では寂しいから、誰かそばにいてほしい。
そんな想いが彼の守護するエリアを作り上げ、
幼年期のデジモンしか立ち入りを許されないエリアになった。
永遠に子どもでいる彼は幼年期のデジモンたちを従えて、
自分の思い通りに動かさないと気が済まない。
人のことはすぐに忘れる。お礼を言わない。
都合のわるい事実は見えなくなってしまう。
例えば、彼が夜ご飯を食べるふりを始めれば、
その日の幼年期のデジモンの夜ご飯は空気だ。
しかも現実が見えている外から来た幼年期のデジモンたちと違って、
彼だけは食べるふりだけで実際に夕食を食べた気になってしまうので始末に負えない。
成長を無理やり止めてできた歪みは、
やがて進化の否定という概念をもって現れた暗黒の力と親和性を高く持つ。
彼は自分だけは高潔な存在だと思いこんでいる。
少年にとって最高に幸福なものは、お母さんのひざのぬくもりと遊びの世界だった。
そのうちひとつを取り上げられてしまったから、
少年と世界をつなぐ窓は閉ざされてしまった。
いつまでも子どものままでいることとひきかえに、少年は大切な何かを失った。


「いやだ」


少年の残酷な悲劇を目の当たりにしたトコモンは、ぽつりとつぶやいた。


「いやだよ」


ぽろぽろと涙がこぼれてくる。
トコモンが見ているのは、いつかやってくるかもしれない未来だ。
必死で否定しても、どうしてもぬぐいきれないのは、トコモンにとってのタケルが、
少年にとっての大人になってしまった少女と重なるからなのだろう。


「夢ならさめてよ、ねえ、お願いだから」


トコモンはありったけの声を上げて叫ぶのだ。たすけてって。










「トコモン大丈夫?うなされてたけど」


うるうるになって、うわあああああん!と泣き出したトコモンは
タケルにひしと抱きついた。
トコモンから聞いた怖すぎる話にタケルは、夢でよかったねと笑ったのである。


「タケルはぼくのこと、わすれないよね?もうあえなくなるひなんて、こないよね?」

「大丈夫だよ、トコモン。僕、ずっとトコモンのこと忘れないよ。
 お父さんになっても、おじいちゃんになっても、ずーっとずっと友達だから。
 ゲンナイさんにお願いしようよ。この世界が平和になっても、
 僕たちが遊びに来てもいいようにしてくださいって」

「うん!」


こくこくうなづいたトコモンに、
タケルもちょっとだけ懐かしい夢を見たんだよと教えてくれた。
石田タケルだったころのヤマトおにいちゃんは、太一さんみたいだったんだよって。
積み木でお城を組み立てるのがへたくそで、
ちぐはぐな組み立て方しかできないタケルは、
すぐにばっしゃーんと積み木のお城を崩してしまい、
うわーん、と泣き出してしまう。すると、ヤマトが何やってんだよって笑いながら、
組み立て方を教えてくれたのである。
そして、ちょっとずつ、ちょっとずつ組み立てていくと、出来上がるのだ。
お兄ちゃんのまねっこをすればなんだってできたのだ。
だから、ぼく、待ってるよ。
ずーっと、待ってるよ、この川べりでってタケルが宣言した。
もう2か月がたっている。でも、相変わらずヤマトとガブモンは帰ってこない。
もー、と枯れかけの泉、昔は大きな湖だった場所の川べりで、
トコモンはタケルの花提灯をつぶした。リュックのお菓子も底を尽きかけている。
正直心細いことこの上ないが、
タケルはお兄ちゃんたちが迎えに来てくれることをしっているから、
いつまでだって待っていられる。ひとりぼっちじゃないから大丈夫だ。
タケルは、トコモンに笑いかけた。
そろそろお腹がすいてしまう頃である。つりをしなくっちゃ、と
お兄ちゃんが残してくれた釣り竿が置いてある場所に向かうべく
タケル達は立ち上がる。
すると、すっかり消えてしまったたき火の真横で、
興味深そうに釣り竿を見つめている見慣れない影がある。


「誰?誰かいるの?お兄ちゃん?」


タケル、ととがめるようにトコモンが制するが、
やっぱり2ヶ月間も誰とも会わない野宿生活は孤独を誰よりも嫌っている
少年に、心の奥底ではたまらなく寂しい思いをさせてしまっていたようである。
思わず声を張り上げ、駆け寄っていくタケルをあわててトコモンが制止し続けるが
届かない。結局、背丈が明らかに違うことに気がついて、落胆してしまったタケルは、
改めて始めてであったデジモンとおぼしき影を見上げた。


「テンプ湖の畔で何をしているんだい?少年」

「てんぷらこ?」

「ふふ、違うさ。テンプ湖。この湖の名前だよ、坊や」

「へー、この湖ってそういうお名前なんだ。知らなかったね、トコモン」

「うん、しらなかったー。ねえ、ここらへんにくわしいの?」

「まあね。これでも私はこの先にある遊園地エリアにある
 デジモンミュージアムの管理を仰せつかっているんだ。
 おっと、私としたことが自己紹介が遅れてしまって申し訳ない。
 私の名前はワイズモンというんだ。初めまして」

「僕はタケル。この子はトコモンだよ」

「どうして守護デジモンがこんなところにいるの?」

「いや、私は遊園地エリアの守護デジモンではないんだよ。
 守護を仰せつかっていらっしゃるデジモンは別にいらっしゃる筈なんだが
 ここのところ毎日のように私たちのエリアに住んでいる幼年期のデジモン達が
 行方不明になっていてね、彼らも捜しに行くと言伝たまま、
 行方が分からなくなっているんだ。
 だからこうして私を始めとして、
 パンダモンやもんざえモンたちと一緒に捜しているんだけども。
 緑色の衣装をしているものだから、もしや、と思ったんだけど・・・・・・。
 間違えて申し訳ないね、タケル君、トコモン君」

「ううん、そういうことなら仕方ないよ。
 幼年期のデジモン達がどっかいっちゃったって本当なの?心配だね」

「ねえ、タケル。僕たちもお手伝いしようよ」

「うん。そうだね、お兄ちゃんたちを待ってるのと一緒にこの辺りを捜してみよう」

「本当かい?ありがとう、助かるよ。
 ところで、タケル君、君は一体何者なんだい?
 人型のデジモンには見えないけれども」

「僕はデジモンじゃないよ」

「もしやとは思うんだけども、
 あの伝説に記されているという選ばれし子供なのかい?」

「え?僕たちのことしってるの?」

「たち?いま、達っていわなかったかい?
 君の他にもこの世界に選ばれし子供達はきているのかい?

「う、うん。えっと、お兄ちゃんと、大輔君と、太一さんと、ミミさんと、
 光子郎さんと、丈さんと、空さんだから8人来てるよ」

「8人?5人ではなくて?」

「え?」

「僕たちはずっと8人で旅をしてきたんだよ?5人じゃないよ」

「・・・・・・これは興味深いことを聴いたな。
 ねえ、キミたち、できることなら私と一緒に
 デジモンミュージアムに来てくれないか?見てほしいものがあるんだよ」


タケルとトコモンは顔を見合わせる。そして、うん、とうなづいたのだった。



[26350] 第二十九話 デジモン黙示録
Name: 若州◆e61dab95 ID:15821ef9
Date: 2013/08/03 00:41
「え?サーバ大陸に、はじまりの街はないの?」

「ああ、そうだよ。サーバ大陸はおろか、フォルダ大陸にも、ディレクトリ大陸にも、
 デジタルワールドに存在する全ての地域を含めても、始まりの街があるのはファイル島だけなんだ」

「どうして?」

「それはね、ファイル島がとっても小さな島だけど様々な地形と気候を持っていることと関係があるんだ。
かつてはじまりの町への入り口を守護していたジュレイモンに話を聞いたことがあるんだけど、
昔はファイル島はね、始まりの島って言われていたらしいんだよ」

「はじまりの、しま?」

「うん。はじまりのしま。
 最初、デジモン達は始まりの街を中心としたひとつの街で暮らしていたらしいんだ。
 同じ言葉を使って、同じ文化を持って、みんな同じ環境で暮らしていたんだって。
 でも、どんどん世界が広がっていくにつれて、デジモン達は増えていったんだ。
 いろんなエリアが造られていって、 デジモン達はみんなそのエリアに引越しして
 今のファイル島ができたらしいんだ。
 だから、ファイル島はデジモンワールドの歴史の縮図。とっても大切な場所なんだ。
 デジタルワールドで最初にできたのは始まりの島、つまりキミたちが一番始めに旅をしたファイル島は、
 まさに英雄が降り立つにふさわしい場所というべき地だったわけだね。
 私もデジモンミュージアムの事がなければ一度は行ってみたいものだ。
 デジタルワールドの天地創造の時のことを記した、デジタルワールド全体の縮図。
 ダイノ古代きょうの碑文は歴史の教科書みたいなものなんだ。
 いつだってデジタルワールドはファイル島の記録を基にして、
 新しい天地創造が迎えられて、新しい世界が造られてきたんだ。
 ほら、みてみるといいよ。君たちが見たおもちゃの街とよく似てると思わないかい?」


ようこそ、遊園地エリアへ、とワイズモンは笑った。
できることならもっと活気あふれる平和な時に案内したかったんだけどね、と彼は肩をすくめた。
ジャングルのような地帯を抜けたタケルとトコモンは、一気に広がった視界に顔を上げた。
かつて、守護デジモンが司る濃霧に守られていたはずのミスティツリーズは、
主を失ったことで視界を遮る気候の変化もない無防備な状態を晒している。
そのためか、誘拐を行う者たちの幾度とない侵攻にさらされ続けた結果、見るも無残な廃墟と化していた。
ワイズモンは肩をすくめて先に行くよう促した。
かつては色鮮やかな原色で彩られていたであろう遊園地だが、
周りをぐるりと取り囲む単調な森の色彩に完全に飲まれてしまっている。
潜り抜けたアーチはペンキは至るところが剥がれ落ち、湖の湿気にやられて鉄さびていた。
人工的につくられたアトラクション施設は、訪れる者がいなければ、たちまち過去の産物として記憶の彼方に消え去り、
どんどん風化が進んでいくのは世の摂理とはいえ、
誰もいないエリアで淡々とアトラクション向けの楽しいBGMが流れているのは物悲しいものがある。
本来なら、BITもしくはポケドルという単位の通貨が必要らしいのだが、
自動販売機も入り口のゲートもすべて故障していて動かない。
スタッフの詰所もすっかり無人になっていて、辺りはすっかり静まり返るばかりである。


「誰も……いないね」

「みな、怖がってしまって外で遊ぶデジモン達は誰もいなくなってしまったんだ。
 悲しいことだよ」

「そっか、そうだよね、あぶないもんね」


こくり、と頷いたタケルたちは、水が出なくなってすっかりからからに乾いてしまっている噴水を中心に煉瓦が敷き詰められている道を行く。
ヨーロッパ建築を思わせる真っ赤な壁が印象的な建物が長屋のように連なり、
白い支柱やドア、おしゃれなベランダが並んでいた。
風見鶏が風向きが変わったことを知らせるように、くるくるくるとせわしなく回り続けている。
一定の感覚で敷き詰められている木々は、手入れをしてくれるスタッフも庭師もいないためか、
もともと環境に不適合の樹木が植えられていたため、すっかり枯れてしまっていた。
落ち葉を踏んづけると、がさり、がさり、となおさらわびしい音がする。
誰もいない遊園地はこうも物悲しい雰囲気に包まれているものなのか、と
タケルはなんだか怖くなってワイズモンと離れないように駆け足で追いかけるのだ。
茶色と白のタイルがななめにクロスしていく模様をなぞりながらジャンプする暇もない。
恐らく模擬店やカフェなど盛んなイベントを開催していたのだろう。
かつてデジモンたちでにぎわっていた当時をしのばせる看板やカラフルな色彩のアトラクションが目白押しである。


「なんでこんなに道が広いの?」

「ああ、それはね、D-1グランプリのためだよ」

「D-1グランプリ?」

「DはデジモンのD。デジモンキングを決める大会のことなんだ。
 ここからは見えないけど、ずーっとこの先に大きな大きな競技場があるんだ。
 そこをスタートにして、サーバ大陸中のデジモン達が自慢の乗り物を駆使して走り回るレースのことだよ。
 ずーっとここのエリアを縦断して、テンプ湖や湿地帯、
 類推山脈地帯、げっこー湿地って感じでぐるーって一周してくるんだ。
 今はもうすっかりやらなくなっちゃったけど、その日だけはサーバ大陸からデジモン達が遊びに来ていたんだよ」


身長制限のボードや行列を裁くために設けられているレーンがそのままなことを考えると、
突然デジモン達が消えてしまったような不吉な予感すら頭をかすめてしまいそうで、
タケルは必死で頭を振って、連想ゲーム式にぐるぐるしてしまう悪循環を断ち切ろうと懸命になる。
そんな彼らを知ってか知らずか、ワイズモンは浮遊している姿のまま、ちょうど3つの通路で立ち止まった。


「この先に、ぬいぐるみハウスっていうパペットデジモンたちの住居と、
 ロボットハウスっていうマシン型デジモンたちの居住区があるんだ」


ちょうど今立っているところで分かれ道らしく、街は大きく右と左、そして真ん中に分かれている。
大きな緑色の古ぼけた外套が、どん、と中心部分に立っていて、
看板も英語表記とデジ文字で右がロボットハウス、左がぬいぐるみハウスらしい。


「私が管理をしているデジモンミュージアムは、この真ん中の道を突き進んだ先にあるんだ」


居住区のシンボルともいうべき古ぼけたガス灯の歩道にワイズモンの声が響き渡る。
さあ、いこうか、と促されて、ただただ静まり返っている沈黙の住居群に、
タケルとトコモンはなんだか取り残されたような気分になってきて、
どうしても挙動不審になってしまう。早足になってしまう。
BGMはさっきからリズミカルに響いているのに、
誰一人として存在していない空間は、強烈な違和感を伴って襲い掛かってくるのである。
きょろきょろきょろ、と煙突を探してみても、煙が立ち上っている気配はなく、
時々ショーウインドやお店を見つけることはあるのだが、反射する鏡のようになってしまう。
ギリギリまで近づいていって、両手で影を作って奥の方を覗いてみるのだが、
ほとんどの建物はブラインドやシャッターが閉まっていて店内の様子はうかがえない。
営業しているお店はほとんどなく、誰かがいることすら怪しい。
洗濯ものを干している建物すら見かけない。生活感がまるでない世界がそこにある。
どんどん進んでいくにつれて広がっていく街並みは、
とうとう宮殿や豪邸と言った連想が出来る大きな建物に様変わりしていく。
そして、大きな煉瓦造りの門が現れた。両端を大きな獣型デジモンのオブジェが鎮座している。


「タケル、何だろうあれ」

「え?」

「ほら、あの大きな」

「なんか、獅子舞さんみたいだね」

「獅子舞ってなーに?」

「え?え、えーっと、その、御婆ちゃん家でやってたお祭りの豚さん」

「これ、豚なんだ」

「………たぶん」

「ふふふ、豚さんか。残念ながらハズレだよ。あえていうなら、ライオンさんかな」


見上げんばかりに大きな大きな建物である。
博覧会にありそうなテントやブースを連想する強烈な原色の建物たちは、
閑散とした空間には明らかに浮いていた。


「お、お邪魔しまーす」

「しまーす」

「お構いなく。そんなに緊張しなくても大丈夫だよ。
かれこれ200年ぶりかな、お客人を招き入れるのは」


どことなく嬉しそうなワイズモンが何か呪文を唱えると、頑丈そうな錠が開き、
自動的に門が開かれていく。すごーい、とタケルとトコモンは感嘆のため息を漏らした。
しん、と静まり返っていた建物の中は誰もいない。


「だ、だれか、いませんか?」


タケルとトコモンの影が零れ落ちる日差しによって伸びるのみで音はしない。
ワイズモンは浮遊しているため足音がしないのだ。
残念ながら私一人さ、と彼は言う。こんな広い豪邸みたいな博物館にひとりぼっち!?
驚いた様子で聴いてくるタケルに、ワイズモンは頷いた。
だからトコモンと二人ぼっちでテンプ湖の畔に、抱き合って立ちつくしているのをみて、
思わず声をかけてしまったのだという。驚かせてすまなかったね、と彼はどこか寂しそうに笑った。
タケル達を迎え入れてくれた博物館は、どんどん明るくなっていく。
自動的にランプに灯がつき、大理石の床にしかれたレッドカーペットが奥まで続いていた。


「こんなにいっぱいの絵とかひとりで大変じゃない?」

「いや、さいわいなことに、これらの作品の管理をしているのは私ではないんだよ」

「え?」


ほら、とワイズモンが指差す先には、展示用ブースの裏側で、機械仕掛けのロボットが動いていた。
デジモンミュージアムは想像していたよりもはるかに広大な敷地を持つ建物だった。
今は無人となっている専属職員が研究する施設と来訪者が展示の形で閲覧できる施設が併設しているから当たり前なのだが、
特定の分野に対して価値のある事物、学術資料、美術品等を購入・寄託・寄贈などの手段で収集、保存するという過程は、
かつてミュージアム創立の際に、完全自動化した機械が事務的にやっているらしかった。
デジタルワールドの自然史・歴史・美術・科学・技術・交通・海事・航空・軍事・平和など、
あらゆる分野を中心に構成されているらしい。
劣化していくデータで構成されている歴史の遺物を復元・再現する技術だけはしっかりと伝承され、
ただ黙々とその在りの姿だけはその機械たちが壊れない限り保全され続けている。
ワイズモンによれば、かつては収集された資料に基づく研究成果を公刊していた時期もあったし、
来訪者がその分野について幅広く知識を吸収できるように工夫されているモニタや看板、解説などがあったらしい。
全てが伝聞なのは、言うまでもなくタケルとトコモンが完全にワイズモンに置いてきぼりにされているからだ。
久々の客に興奮気味に翻訳家かつ解説員であるワイズモンが懇切丁寧に説明してくれているのだが、
さすがに小学校2年生の男の子にはちょっとはやかったらしく、たくさんの疑問符がとんでいる。
デジモンミュージアムでは、博物館の一形態という性質上、
研究資料として価値があるとして、蓄積されている収容品はギャラリーに展開されている。
そして、文芸・学問を研究するための学堂の先にある図書や絵画を収める収蔵施設を通り過ぎ、
ワイズモンの研究室にやって来た。
お腹がすいているタケルとトコモンに、紅茶とお菓子を振る舞ってくれたワイズモンは、
大事そうに抱えていた本をぱらぱらと開き、なにやら呪文を唱える。
すると、大きな大きな碑文の書かれた石盤がゆっくりと浮遊し、タケル達の前に現れたではないか。
なにこれ?と首を傾げるタケル達に、ワイズモンは向かい合うようにソファに腰掛けた。


「これが私がキミたちに見せたいものなんだ」

「これ?」

「なーに、これ」

「これは、ファイル島がかつてはじまりの島と呼ばれていた時代に、
 ダイノ古代境につくられたと言われている本のデータの残骸を復元したものなんだ」

「ええっ!?こんなに大きいのに?」

「昔は紙をつくる技術が無かったんだ。
だからこうして昔のデジモン達はこうやって記録を残したと言われているんだよ」


へー、と素直に感心するタケル達に、ワイズモンは続ける。


「古代デジタルワールド期には、26の文字しか使われていなかったんだ。
 この記録はApocalypse、アポカリプス。そう書かれているんだ。
 今の言葉に訳すなら黙示録。この記録は、デジモン黙示録という記録なんだ」

「あぽかりぷす?なんか難しいなー」

「あれ?でも、ワイズモン、ワイズモンはファイル島に行ったことないんだよね?
 どうしてダイノ古代境にあるはずのこれ持ってるの?」

「これはもともとファイル島に住んでいたヴァンデモンという依頼人から、
 このデータの残骸を復元するように頼まれて、私の手元に残ったレプリカなんだ」

「へー。ねえ、これと僕たちは何か関係あるの?」

「そうだよ。全然わかんない」


結論を急く子供達に、ワイズモンは苦笑いした。


「このデジモン黙示録という記録は、キミたちの前の選ばれし子供である5人の英雄達が、
 書き残したことがわかったんだよ。だからてっきり私は選ばれし子供というのは
 5人だとばかり思っていたんだ」

「えええええっ!?それって本当?」

「ああ、間違いないよ。かつて世界は2つのイデアがあり、世界を巻き込んで大きな戦争を起こしたと記されている。
そして選ばれし子供たちのイデアが勝利し、敗北したイデアは火の壁の向こう側に封印され、
パートナーデジモンたちはそれぞれ4つの楔を打ち込んで、封印を施したと言われているんだ。
そして世界が平和になり、そのことを讃えるために、記録を残したらしいんだ。
『邪悪の闇を打ち払い消滅せしめよ。この世に永遠の平和を』そう締めくくられているよ」


ワイズモンは教えてくれた。
デジモン黙示録は、淡々とかつてあった動乱の日々を書き連ねているとのことである。
ガラスの海、結晶化する大地、黒い霧に飲まれて同族同士で撃ち合い、全滅する仲間たち、
デジタルワールドを構成するデータが改変され、再編され、再統合され、構築されるはもうひとつの勢力。
ほとんどがきわめて抽象的な文章に終始しており、難解な単語のオンパレードで、
解釈次第では無限の理解を得られそうな文脈ばかりである。
少なくても、小学校に通う子供達が訊いて理解するのは極めて無謀と言わざるを得ないものだった。
とりあえず、古代種がほろんでTAMAGOTTI文明が到来するまでの間に、
デジタルワールドが危機に陥り、それを一丸となって救った者たちがいたことだけは確かである。
そして、この記録が残されているということは、見まごうことなき勝利を彼らが勝ち取ったという証拠でもある。
4つの御柱を立て、封印を施したという言葉でくくられているデジモン黙示録は、
明らかにこれからのことも書かれている碑文があると文脈的ににおわせているのだが、
その下りにはいるとワイズモンは言葉をいったん切った。


「ここから先はキミたちの仲間たちと一緒に見せた方がいいかもしれないね」

「な、なんかすっごく大事な話聞いちゃったね、トコモン」

「う、うん、そうだね、タケル」

「緊張させてしまってすまないね。
 先代の選ばれし子供たちが残した碑文なら、きっと力になれることがあるはずだ。
 このデータをそのデジヴァイスの中に保存させてくれないかい?」

「うん、いいよ。ってえええ!?そんなことできるの!?」

「ああ、デジモン黙示録にはそう書いてあるよ。
3代目のキミたちのデジヴァイスでできないはずがないと思うんだ」

「わかった!」


はい、とタケルはデジヴァイスをワイズモンに手渡した。


「お兄ちゃん達と早く会わなくっちゃいけなくなったけど、
 どんどん行方不明になってるデジモン達のことも心配だよ、トコモン。
 ねえ、ワイズモンと一緒に捜そう?僕たちにこんな大事なものくれたんだ、
 今度は僕たちが手伝う番だよね!」

「そうだね、僕たちもどっかにいっちゃったデジモン達とジュレイモン捜すの手伝うよ、ワイズモン!」


ありがとう、とワイズモンは頭を下げた。



[26350] 第三十話 デジモンランド見回り隊
Name: 若州◆e61dab95 ID:15821ef9
Date: 2013/08/03 00:42
日差しが傾き始めた午後の穏やかな日差しの降り注ぐテンプ湖を横切っていく影がある。
雄大な自然を眼下に見下ろしながら、悠然と大きな翼をはばたかせる火の鳥は、
足につかまっているパートナーと共にテンプ湖のほとりを沿うような形ではばたいていた。
空の手の中でクリアパープルに変貌を遂げた光子郎のデジヴァイスが一定のリズムで電子音を響かせている。
白黒画面の向こう側では、タケルたちの持っているデジヴァイスがある方角に点滅するマルがある。
さあ、どうしようかしら、と空は、タケルたちを心配して先を急ぐバードラモンを見上げた。
タケルとトコモンがヤマトに待っているよう言われて別れたのは、
テンプ湖のほとりにある、たった1つのスワンボートがある場所のはずである。
さすがに食料や寝る場所のことを考えるとずっと同じ場所で待ち続けていることは難しいものの、
デジヴァイスが指し示す方向は間違いなくテンプ湖の先を指していた。
どうする、空、とバードラモンに問いかけられた空は、そうねえ、と思案顔である。
そして、しばらくしてから、そのまままっすぐにテンプ湖を辿ろうと顔を上げた。
たしかにデジヴァイスが反応している方角とテンプ湖の岸辺の方角はどんどんずれていくけれども、
タケルたちがいたであろう場所を確認してから行動する方が早く見つけられるに違いない。
空の提案にうなづいたバードラモンは、ふたたび大きな大きな風の塊を生み落して空高く舞い上がった。
森とテンプ湖を横切るバードラモンの影がどんどん、どんどん、小さくなっていく。
森はバードラモンの蹄から落っこちないようにしっかりとつかんだ状態で、下を覗き込んだ。
ばたばたばた、と耳のすぐそばで暴れている帽子のひもが風にあおられて飛んでしまわないように、
片手で軽く帽子ごと押さえながらスワンボードがあるという場所を懸命に探した。
高度が上昇すればするほど視界も見渡せるだけの距離もけた違いに変わってくるのだ。
どんどん広がっていく目下の世界で、空がようやくスワンボートを見つけた時には、
空高くあったはずの太陽は、やや傾き始めていて、西日があまりにまぶしくて目を背けたくなるような時間帯になっていた。
ゆっくりと高度を下げて空をのせたバードラモンがスワンボートが停泊している乗り場の少し離れたところで着地する。
ざわざわざわ、と波紋が広がっていく湖の周囲も、森も、やはりデジモンやタケルたちの姿はない。
ただただ、空とバードラモンが寄り添う影がどんどん長くなっていくのを待っている。
光子郎のデジヴァイスはまっすぐに森を直進する方角に空たちを導いていた。


「タケル君たちどこに行ったのかしら」

「さあ?でも、空。あんまり遠くには行っていないと思うわ。ほら、そこ。釣竿が置きっぱなしよ」


そこ、そこ、とバードラモンの言葉に反応した空が振り返る。
そこにはヤマトがミミから借りた折りたたみ式の釣竿とバケツが置きっぱなしになっていた。
近付いてみれば、すっかり火種は消えてしまっているものの、確かにたき火をした跡があり、
釣りをしては魚を串刺しにして焼いていたのか、
さえばしくらいにまで削られた木の枝がたくさん突き刺さったままになっていた。
主な食料であろうお菓子や果物は、きっと全部一緒くたにしてビニル袋に放り込み、
リュックの中に入れたのだろう。
たき火の後は、何もないくらいきれいさっぱり何もない。後片付けも完璧だ。
食べ物を残しておいたりすると猛禽類のデジモン達が寄ってきてしまうから危ない、と
漂流生活の中で上級生組が何度となく口にしてきたことがしっかりと実行されている。
さすがねえ、という空の感嘆めいたため息に、バードラモンは笑ったのである。
もし大輔たちだったなら、間違いなく今頃食べ物のにおいにつられてやってきた
どこかのデジモンに追いかけまわされているに違いない。
半月ほど行動を共にしてきた手前、手間のかかる弟分をちょっと懐かしく思ったりして、
タケルと大輔の違いにちょっと驚いてみたりしながら、空は帰ってくるという意思表示でもある釣竿に手を伸ばした。
どうやら、ヤマトとタケルたちがわかれたのはここで間違いなさそうだった。
そして、タケルたちはここを拠点にして、ヤマトたちを待ちながらずっとここで生活していたようである。
空は木の上に立てかけられている釣竿を慣れた様子で手に取ると、そのまま、ぱちん、ぱちん、と音を立てて折りたたむ。
そしてバケツの中に放り込むと、リュックの中に入れたのだった。


「たぶん、晩御飯のために食べものを探しに行ったんだわ。探しましょう」


うん、とうなづいたバードラモンは、再び空を乗せて風を生む。
ぴこぴこぴこぴこ、と光子郎のデジヴァイスが指し示すのは、まっすぐに森の奥を指している。
その方角めがけて空たちは先を急いだ。





オレンジ色の空に溶け込むように、メラメラとオレンジ色に輝くバードラモンが空を飛ぶ。
どんどん大きくなり始めた影は、とうとう空たちを追い抜いて先を先導するようにはるか先を飛んでいる。
ぴこぴこ、ぴこぴこ、と空の手の中でタケルたちの居場所を探すダウジングマシンモドキは鳴りやむ気配を見せなかった。
すべてを赤く染め上げる夕日の中で、空たちはようやくデジヴァイスが指し示す方角の先に、
大きな大きな観覧車を発見し、一気に加速する。
まぶしそうにデジヴァイスと飛んでいる方角を確認しながら、空はぽつりとつぶやいた。


「デジタルワールドも夕日の時間って変わるのね」

「え?」

「だって、ほら。もう夕日が赤く染まり始めてるわ。ファイル島にいたころはまだまだ明るかったじゃない」

「……あ」


火の鳥は今気付いた、とでも言いたげな様子で声を上げる。空はくすくすと笑った。


「もうそんな時間なのね」

「え、そう?変わり映えしない景色の中を移動したから、そう感じるだけじゃないかしら?」

「結構長い距離を飛んだのよ。急ぎましょう、空。このままじゃ夜になっちゃう」

「そうね。急ぎましょうか」


こくり、とうなづいたバードラモンは観覧車を目印に、空を駆ける。
そのときである。はるか東端の果てで、巨大な音が響き渡ったのは。
はじかれたように顔を上げた空とバードラモンは、敵襲かとあたりを警戒するがそんな気配はない。
ただ、鮮やかな夕日に浮かんでいるはずの積乱雲がちぎれ飛ぶのを見た。
嫌な予感が双方に確認された瞬間、彼女たちは最年少の男の子とパートナーデジモンの身を案じて先に進むことにしたのである。










彼女たちは知る由もないが、デジタルワールドにも、東西南北という方向性が存在する。
地球上の四方は人間が生活するために便宜上の概念として使用しているにすぎないが、
デジタルワールドではその世界が成り立つときに、東西南北を起点としたグリッドが使用されている。
デジタルワールドの四方のうちでも未知と称されるフォルダ大陸の最奥では、
かつて平行世界の八神太一が世界を救う旅をした地を中心として、確実に異変が起きつつあった。
その時点で空たちが強烈に覚えていることと言えば、東の方角に夕闇が迫っていることくらいである。
それは夕闇ではなかったと知るのは、まだ先のことだ。
その轟音と夕闇の正体は、龍の悲鳴と共に埋没した土石流である。
砕かれた岩と土埃が高く高く舞い上がり、東の空上空を覆い隠しているのである。
すべての粉砕物が空気中から沈殿するには、おそらく数日以上かかるだろう。
そのころには、未知の大陸は死の大陸と化している。
地面には方角を司りしデジタルモンスターのいた名残だけが残されていた。
幅百メートル、深さは三十メートル、長さは三キロにも及ぶクレーターの中央部分には、
漆黒の結晶体が氷山の一角として現れ始めたのである。
東のエリアを中心として、空はどんよりとした雲に覆われ、
大地から生気が急速に失われる暗黒の浸食が始まっている。
少しずつ、少しずつ、黒いネットワークが再構築され、フォルダ大陸に広がっていく。
その新脈はやがて海底を巡り、黒い歯車が埋め込まれ、稼働を開始するのを待っている。
大きさはさまざまで、拳大の大きさのものから、
7階建ての建物くらいはあろうかという大きさのものまでさまざまである。
大地が割れ、断片となる。
誰も知らない未知の領域から、世界の再統合という名の浸食が始まっている。





第三十話 デジモンランド見回り隊





デジモンミュージアムに備え付けられている大きなライオンの呼び鐘が、
ドンドンドンと乱暴に響き渡ったのは、タケルとトコモンがこれからどうしようかと
ワイズモンと話し合っているところだった。
失礼するよ、とドアの向こう側に消えていった屋敷の主人が再び現れたのは数十分後。
誰か来たのかな、とタケル達が噂しあうのは、浮遊するワイズモンの後から付いてくる独特の足音が近付いてくるからだ。
興味をひかれてドアの向こうを凝視していた彼らの前に現れたのは、
オモチャの街の町長を連想させる大きな大きなパンダのぬいぐるみのような姿をした
真っ赤なバンダナを付けているデジタルモンスターだった。
どういう訳かおへその部分には白いハンドバンドがバッテンマークで付いている。
もんざえモンと違ってずいぶんと目つきの悪く、愛想の悪いパペット型デジモンは、
ぶしつけに初対面であるタケルとトコモンを睨み付けるような眼差しを向け、
そのわりには対して興味なさそうな形でため息をつくと、どかりと隣のソファに座り込んだ。
あいさつしようと思ってはいるものの、こうも露骨なまでに無関心を態度で示されてしまうと、
さすがのタケルもトコモンもむっとする。
そんな彼らを見ても、赤いバンダナがトレードマークの彼は態度を改める気はないようだ。


「パンダモン、挨拶くらいしたらどうだい。
 彼らは僕たちと共に誘拐事件について協力してくれると申し出てくれたんだから」

「けっ、ピーターモンが居なくなってからこの街は誘拐事件が後をたたねえんだ。
 オレたちが見つけられネエってのに、そんなガキ共になにができるんだっての。
 何が選ばれし子供だ。どっからどう見てもただの子供じゃねえか。
 しかも連れてるのはまだ幼年期のデジモンだ。買いかぶりすぎじゃねえのかよ」


咎めるような眼差しを向けるワイズモンに、
け、とそのデジモンは肩肘付いた状態で気にするそぶりも見せない。
すまないね、とワイズモンはタケル達に謝罪した。


「私が変わって紹介しよう。彼はパンダモンというんだ。タケル、トコモン。
 ピーターモンが居なくなってからは、このエリアのぬいぐるみハウスエリアを任せているんだ。
 パンダモン、ところでブリキモンはどこだい?確か一緒に辺りの見回りをしてきたはずだよね?」

「あ?知らねえよ、あんなポンコツジジイ。
 こっちはピリピリしてるってのに、呑気にポーンチェスモンたちに昔話なんて油売りやがって」

「はは、また喧嘩したのかい?ああ、ブリキモンはこのエリアの中でも
ピーターモンに継いで古参の域にあるデジモンなんだ。
名前の通りロボットのデジモンでね、ロボットハウスの警護を任せているんだ」

「仕方ねえだろうが。あったのかどうかもわからねえ、チェスモン大帝国なんて昔話をしやがるせいで、
 真に受けたチェスモンたちが、オレたちの仕事手伝わせやがれってうるせえのはお前も知ってるだろ。
 って何がおかしいんだ。何笑ってやがる、気味わりいな」

「君を見ていると素直が一番だとつくづく私は思うんだ。
 羨ましいからって嫉妬からの八つ当たりはよくないのでは無いかい?」

「んだとこらあっ!!」


図星なのか羞恥と憤怒が入り交じった真っ赤な殺気を向けるパンダモンだったが、
ワイズモンは気にも止めない様子で紅茶とお菓子をパンダモンに勧める。
瞬きをしながら彼らのやりとりを見守っていたタケルとトコモンだったが、
ワイズモンがちゃっかりパンダモンについて詳細情報を教えてくれた。
相変わらずむすっとしているパンダモンだが、ワイズモンに声をかけた。


「とりあえず今日のところは不審な奴は居なかったし、気になるようなこともなかったぜ」

「そうかい、お疲れ様」

「ああ、一息ついたら家に帰るぜ。今夜はエクスティラノモンが来ると思うから後はよろしくな」


邪魔したぜ、と彼はそのまま帰ってしまった。


「ポーンチェスモンって?」

「ロボットハウスに住んでいる成長期のデジモンたちだよ。
 ちなみにさっきのチェスモン大帝国って言うのは、ブリキモンが言うには、
 キングチェスモンっていうデジモンがデジタルワールドを支配するために作り上げようと暗躍している国の名前だそうだよ」

「えええっ!?それって……!」

「はは、心配いらないさ。たしかにデジタルワールドは広大だ。
 とくにフォルダ大陸の東方は未だに未開の地が多い。私たちの知らない勢力も数多くあると思うよ。
 しかし具体的にチェスモン大帝国がどのようなものか知る者はいないのはどうしてだか分かるかい?」

「どうして?」

「……これを言ったらポーンチェスモンたちに怒られるから言わないでほしいんだけど、
 周囲から興味すら持たれていないのが現状なんだ。
 彼らはチェスゲームの駒を模していると言われているんだけど、君はチェスをやったことはあるかい?」

「ううん、やったことない。でも、白と黒の駒みたいなのを動かすのテレビで見たことあるよ」

「なら、話は早いかな。その中で、一列に並んでる一番数が多かった駒、覚えてるかい?
 ポーンチェスモンたちはどうやらあの駒のデータから生まれたらしいんだ。
他にも、ナイトの駒、ビショップの駒、ルークの駒、クイーンの駒、キングの駒から生まれたデジモンたちがいるらしいんだ。
ただ……チェスっていうのは、それぞれの駒を動かして相手の駒を取り合っていくゲームなんだけど、
 キングの駒を取られたら負けだから、基本的にキングの駒は逃げるんだよ。
 だから…クイーンチェスモンとキングチェスモンは同じレベルらしいんだけど、
 チェスモンたちの中で一番強いのはクイーンらしいんだ。
 ブリキモンが言うにはキングチェスモンは、小心者のため自ら攻撃することはほぼ皆無で、
 いざというときの逃げ足だけは速いってもっぱらの噂なんだ。
 ポーンチェスモンたちに言わせれば、スパコン並の頭脳の持ち主だから、
 敵前逃亡等が全て計算の内らしいんだけど、口癖は『逃げるが勝ち!』らしいからね」
 
「………あはは」

「ポーンチェスモンたちはすっかりブリキモンの昔話を気に入ってしまってね、
 大帝国を作った暁には私たちを部下として迎え入れてくれるそうだ。
 その時が来るまで修行に励むんだって聞かなくてね、
 今日もどうやらパンダモンたちを困らせてしまったらしいね」

「じゃあブリキモン、もしかしてまだポーンチェスモンたちと一緒にいるの?」

「うん、多分ね。今日はもう遅いし、行方不明になったデジモンたちを捜すのはまた明日にしようと思うんだ。 
 今日はこの屋敷でゆっくりしていくといいよ」

「ありがとう!そうだ、ねえトコモン。僕たちでブリキモンを呼んでこようよ。
 ポーンチェスモンたちの話とか聞きたくなっちゃった」

「あ、そうしてくれるかい?ロボットハウスの広場にいると思うから、三叉路をまっすぐ右に行ってみてくれないか」

「はーい」



[26350] 第三十一話 強襲!メカノリモン!
Name: 若州◆e61dab95 ID:15821ef9
Date: 2013/08/03 00:42
夕暮れ時の物悲しい雰囲気の漂う遊園地エリアを細長い影が歩いている。
なんか悲しい音楽が流れている、さっきまでは明るい音楽が流れていたのに、と
緑の帽子が定位置のトコモンはつぶやいた。そう言われてみれば、と耳を澄ませば、
誰もいない遊園地のショッピング街の閑散とした寒々しさを余計強調させるリズムが流れてくる。
どうやらパペットタウンとロボットタウンのエリアで丁度BGMが切り替わるらしい。
類推山の連なる東側の雲は赤く、まるで空が燃えるような色に染まっている。
もうすっかり遊園地エリアは長い長い影が落ちていて、真っ赤に染まっていた。


ワイズモンによれば、あの遥か向こう側の東方にはフォルダ大陸という名前の、
今までタケルたちが上陸したことがないサーバ大陸よりもさらに広大な大陸があるという。
このデジタルワールドで一番最初にデジヴァイスを手にした、
顔も名前も知らない伝説上の人物である選ばれし子供が冒険したという未知の領域だ。
こことは比較できないほど過酷な地であるというからには、
火山でも爆発したのかもしれないとはワイズモンの談である。
火山灰がはるか上空にまで届いているのかもしれないらしい。
何でも、朝焼けよりも夕焼けの方が太陽の色が赤みがかっているのは、
デジタルワールドの大気層を突き抜ける太陽の光のうち、青い光が拡散してしまい、
赤い光だけが目に届くからだという。
つまるところ、それだけ大気中に粉塵があればあるほど太陽が赤く見えてしまうのだ。
砂漠化が進むサーバ大陸である。
砂塵の猛威になすすべなく干上がってしまった湖なんかがあるとすれば、
潮風に乗って砂ごと運んできてしまうのかもしれない。まるで黄砂のごとく。
だから煉瓦造りの通路が埃っぽいのかしらん、とタケルたちは思ってみたりした。


そうこうしているうちに、ようやく見覚えのある三叉路に辿り着いたタケルたちは、
どこか悲しい音楽が流れてくる放送を頼りに、ロボットタウンへと続く道を進んだ。
右も左もショーケースが立ち並ぶ銀座街のようなおしゃれなたたずまいのお店が立ち並んでいる。
上を見れば細部に至るまで技巧を凝らしたアーチ状の白い針金が張り巡らされ、
ちゃんと手入れが施されていれさえすれば、色鮮やかな緑色のカーテンを拝むことが出来たのだろうが、
すっかり枯れ果て、かさり、かさり、と茶色い落ち葉が空っ風に吹かれて舞っている物悲しい風景がそこにある。
時折、右と左の煉瓦造りの建物同士をつなぐ通路のようなものが橋渡されていたり、
洗濯ものを干していたのだろうひもがあちこちに張り巡らされているあたり、
上の方が居住区、もしくはアパート、下の方はショッピングができるお店となっているようだ。
ほとんどが店内を見ることが出来るものの、侵入を拒む灰色のシャッターや鉄格子に似た防犯装置が下りている時点で、
この辺りの住人達は息をひそめて閉じこもっているのか、
それともどこかの隠れ家にみんなで避難しているのかまでは、タケルとトコモンには分からなかった。
しばらく誰もいない居住区の路地を歩いていくと、ワイズモンが広場と称していたと思われる場所に一気に開けた。


「あ、誰かいるよ、タケル」

「ほんとだ、ロボットみたいなデジモンがいる!ブリキモンってあのデジモンかな?」


灰色の四角い背中が噴水の向こう側で、ゼンマイ仕掛け特有の音を響かせながら動いているのが見える。
黄色くて丸い耳らしき突起物が頭の側面についており、赤いU字型の磁石が付いた両手が背足無く動いている。
どうやらブリキモンと思われるデジモンは、ピンク色の四角い眼差しをチェスモンではなく、
まるでレゴで作られたのかのような成長期くらいのデジモン達に向け、熱心に何かを話しているようだ。
なんかどっかで見たことがあるような気がすると思ったら、
ブリキモンを囲んでいるレゴ製デジモンから伸びるシルエットがアグモンそっくりなのである、
アグモンに近い種族のデジモンなのだろうか。なんだか勝手に親近感がわいてしまう。
同じ種類のデジモンであっても、生活する環境によって姿形はもちろん、
性質まで変わってしまうことはファイル島に住んでいる地下水脈に住んでるヌメモンと、
砂漠地帯で住める代わりに言語能力が退化してしまったらしいヌメモンを見たからタケルは知っている。
もしかして、ここはファイル島のおもちゃの街のデータをもとに発展した遊園地エリアだから、
アグモンみたいなデジモンもいるのかもしれない。


「あれはボクがファイル島のおもちゃの街に住んでいたころの話ダヨ!
 もんざえモンを復活させてくれた人間がネ、もんざえモンと一緒にナッテ、
 攫われた僕らの仲間を助けてくれたノサ!」


目を輝かせているカラフルアグモンは、すっげー!と息巻いている。


「あの時はホントにどうなるかと思ったヨ!悪い奴らのせいでみんな動かなくなっちゃってサ!
ばちばちばちーって、メガロスパークさく裂させて、やっつけてくれたのサ!
かっこよかったヨ!」

「え、それってホントに守護デジモンの方のもんざえモンなのかよ?
 普通もんざえモンはメガロスパークなんて技、つかえねーじゃん」


至極まっとうな主張が透明アグモンの口から語られる。あー、とブリキモンは訂正に入った。


「そう言えば、人間は【こいつはお前の知ってるもんざえモンじゃない】とか言ってた気がするヨ。
 でももんざえモンはもんざえモンデショ?もんざえモンであることには間違いないデショ?
 だから攫われた仲間を助けてくれってお願いしたら、やっつけてくれたんだヨ。
 でめたし、でめたし!」

「なんだそりゃ」

「でも、カッコいいよなー」

「ほんとかどうかわかんねえけど、そんな技ほんとに使えるんなら、
 クリアアグモンのオレとか、トイアグモンのお前らが3人がかりでもやっつけられちゃうのも仕方ないよな」

「完全体のデジモンを3体同時に相手して勝っちゃったんだろ?どんだけ強いんだよ」

「さーさー、今日のオハナシはもう閉店の時間ダヨ。
みんなはレゴハウスでゆっくりオヤスミ!また明日ダヨ!続きはこう御期待ダヨ!」


ばいばい、と手を振るブリキモンに、まだ名残惜しいのか、えーとぶー垂れているトイアグモン達だったが、
もうすぐ夜が迫っていることもあってか、しぶしぶ家路につくことにしたらしい。
ばいばい、と手を振って帰っていったクリアアグモン達を見届けて、タケルとトコモンはブリキモンに話しかけることにしたのだった。


「こんにちは」

「やあ、初めましテ。これは久しぶりの人間ダネ。驚いちゃったヨ、ビックリ仰天ダネ!
 僕の名前はブリキモンダヨ。まあ、この名前が付いたのはつい最近なんだけどネ。君たちハ?」

「僕はタケル。このこはトコモンだよ。はじめまして」

「ねーねー、さっきおもちゃの街を助けてくれたもんざえモンのお話してたでしょ?
 そのもんざえモン連れてたのって、もしかして、選ばれし子供って呼ばれてたの?
 5人くらいいた?」

「エ?いや、ちがうヨ。さっきの昔話は、ずーっと、ずーっと、ずーっと昔の話ダヨ。
 選ばれし子供たちが来る前。ファイル島とフォルダ大陸しか世界が無かったころの話ダヨ。
TAMAGOTTI文明が到来したあたりだヨ。
 人間は来たけど、彼はデジヴァイスは持ってなかったカラネ、選ばれし子供とはちょっとちがうネ」

「そうなんだ」

「そうダヨ。彼の連れてたデジモンは、普通のデジモンだから寿命が尽きて卵になるのを繰り返してたヨ。
 そしてどんどん強くなってたんだヨ。僕があった時にはもんざえモンを連れてたけど、
 ジュレイモン様があった時には、別のデジモン連れてたらしいカラネ、
 別のデジモンに成長させてたんだろうネ。育てることに関しては天才ダッタネ」


へえ、と目をぱちくりさせるタケルたちである。
どうやらこの世界にはいろんな子供たちが世界を救うために召喚され、
役目を終えては帰っていったらしいことがうかがえる。
もっと話が聞きたいな、という気分になってきたタケルは、
とりあえずワイズモンが帰りを待っていることをブリキモンに伝えたのだった。
じゃあ、帰ろうか、とブリキモンと共に肩を並べてタケルは元来た道を引き返そうと歩き出したのである。





しかし、闇夜を待ちわびていた者たちが穏やかな世界を許してくれるわけがなかったのだった。





真っ先に気付いたのはトコモンだった。
必至で緑色の帽子にしがみつきながらトコモンが空を見上げて、無我夢中でタケルを呼ぶ。
いわれるがままに顔を上げたタケルは思いっきり顔が引きつるのを感じた。
無数の影が後ろから前へと木漏れ日の落ちる茜色の街を通り抜けていく。
タケルとトコモンの上に何度も影が落ちる。タケルが感じたのは言い知れぬ恐怖だった。
空を飛ぶもの、と言われてタケルが連想できるものはそう多くはない。
バードラモンやエクスブイモンと言った飛行能力がある味方のデジモンだったならどんなに良かっただろう。
タケル、という言葉さえかけてくれたなら、タケルはありったけの声を張り上げることが出来たはずだ。
しかし、それはありえない。彼らは空を飛ぶときに耳をふさぎたくなるようなけたたましい轟音なんてたてないのだから。
ごおおおお、とはるか上空を飛んでいるにもかかわらず、
しっかりとタケルの耳にまで届くエンジン音は、明らかに空を二分する飛行機雲とは明らかに異なっていた。
ひたすら裏路地の煉瓦の小道を走り抜けるタケルとトコモンの頭の上からは、
たくさんの機械音を響かせながら飛んでいく影が見えていた。
成熟期のデジモンなのか、完全体のデジモンなのかは分からないけれども、
今まで見たことがないほどたくさんの影が大きな観覧車が目印の遊園地エリアめがけて飛んでいく。
影は隙間なくタケルとトコモン、ブリキモンを踏みつけていき、
びゅううう、と隙間風が上の方にある居住区の木製のドアを揺らしていた。
途中であれだけたくさん飛んでいた謎の飛行デジモンの姿が見えなくなってしまい、
立ち往生した一人と二体は、ばしゃん、という破裂するような水音がした。


「敵襲ダヨ!これは大変なことになったヨ!はやくワイズモン達に知らせなくっちゃっ!!」

「僕達、先に様子を見てくるよ!ブリキモンはみんなに知らせに行って!」

「えっ!?でも、一人で大丈夫ナノ?」

「大丈夫!僕一人じゃないよ!トコモンがいるもん!大丈夫だよね、トコモン」

「うん!ワイズモンのところでしっかりご飯食べれたから、大丈夫!」

「そうナノ?無理しないデネ!すぐに仲間たちを呼んでくるカラ!」


モーター音を響かせて走り去っていったブリキモンを見届けて、
あっちだよ、タケル!というトコモンの声にうなづいて、タケルは懸命に走った。
見上げるほど大きな煉瓦街から見えるのは、上の方だけ見える大きな大きな観覧車。
それを目印にひたすらタケルは走る。右を抜け、左を抜け、ようやくたどり着いた坂道を一気に駆け上がる。
一気に開けた世界で、タケルとトコモンを待っていたのは、ぐるりとあたりを取りかこむ広場だった。
もう移動してしまったのか、たくさんのデジモン達の姿はなく、ただ閑散とした光景が広がっているだけである。
枯れ果てた噴水の周りは落ち葉で埋め尽くされていた。
噴水の周りは水遊びができる水路が整えられていたのだが、
ばしゃん、と先ほど耳にした激しい水音はどうやらこの水路が原因のようである。
舞い上がったしぶきが波紋を描き、すっかり水の流れを遮断され濁りきっている水が辺りにたくさんの水たまりを作っていた。
空から現れた侵入者の襲来により、沈殿していた泥が一気にあたりを汚してしまっている。
泥だらけになったことなど気にする様子もなく、タケルたちの前に突如現れた、
今まで見たこともないようなデジモン達は、まっすぐに遊園地エリアへと向かっているようだった。


「て」


それは、風の唸り声と聞き間違えてしまいそうなほど、小さな、小さな声だった。


「けて」


けれども、たしかにはっきりとタケルたちの前に響き渡った。


「たすけてえええええええ!」


ばっと顔を上げたタケルとトコモンは、いても経ってもいられなくなって、
必至で助けを求める幼年期、もしくは成長期のデジモンの元へと走ったのである。
そして、ようやくたどり着いた広大な遊園地エリアの向こう側では、
ただひたすらブロックを敷き詰めたようなぼこぼことしたカラフルな通路が広がっていた。
丸い形状のボコボコが6つあるお馴染みの細長いブロックが所狭しと敷き詰められている。
まるでモノレールや建物をブロックで再現した某おもちゃシリーズのような、
おもちゃ箱のような世界が広がっている。
もし見たことがないようなマシーン型デジモン達の蹂躙が始まっていなければ、
きっとタケルもトコモンもその光景に目を輝かせたのかもしれない。
しかし、あたりを埋め尽くすおもちゃの街とは到底なじまない物騒な装備をしたデジモン達がいる。
タケルたちはそのデジモンが平然ととっている行動に戦慄したのである。


そのデジモン達はすべて同じマシーン型のデジモン達だった。
一番特異に思うのは、きっとそのデジモン達からは生気が全く感じられず、
ひたすら機械的な行動をとっているからだろう。
ずんぐりむっくりとした青い操縦席はすりガラスのようになっていて、
操縦しているのが誰なのか確かめることは出来そうにない。
両腕はだらりと垂れさがるほど大きな図体をしていて、まるで這いつくばるように、
かぎづめ状の三本の手で幼年期のデジモン達を容赦なく投げ飛ばしていた。
煉瓦の壁に磔にされたデジモン達の唸るような悲鳴が聞こえる。
ひどい、ひどすぎる。どうしてあのデジモン達はこんなことをするのだろう?
目の前で繰り広げられる暴力の限りを尽くすデジモン達にぞっとするほどの恐怖を感じたタケルは今にも泣きそうだった。
ずるずるずる、と瓦礫と共に下敷きになったデジモン達は、ほとんどがぐったりとしていた。
そして、そのデジモン達の中でも何人かまだ辛うじて立っていられるのはきっと成長期のデジモンだろう。
バラバラになってしまったブロックの身体を再び元に戻したアグモンのような姿をしたデジモン達は、
一斉にその侵入者たちに、カラフルな色とりどりのブロック塀をぶつけていく。
しかし、全く効いていない。一瞬にして振り払われたブロックの炎はあっという間にかき消されてしまった。
次はポーンチェスモン達が大きな槍で一斉に攻撃するが、
そのデジモンには何のダメージも蓄積されていないらしく、たった一振りの攻撃でかき消されてしまった。
そして、巨大なアームから繰り出されるパンチによってデジモン達は投げ飛ばされてしまう。
あぶない、という言葉すらでてこない。もうその時にはタケルとトコモンは走り出していた。
デジヴァイスが光る。あ、と声を上げたタケルはデジヴァイスをかざした。
どんどん溢れ出す光は優しくトコモンを包み込む。タケルはしっかりとデジヴァイスを握りしめた。


「トコモン」


それは確認ではない。問いかけでもない。合図だった。


「うん!」


緑色の帽子の上で、元気よくトコモンがうなづく。
そのまなざしはとどめを刺そうとしているデジモンへと向けられた。


「大丈夫だよ、タケル。君が望むなら、僕はいつだって頑張れるんだ!」


デジヴァイスの光がトコモンを包み込む。
大きな姿をしたデジモンは、その中央にある赤いコアと両脇にある鏡のような円形のレンズをデジモン達に向ける。
そして、円形のレンズからまばゆい光が放たれた。
デジヴァイスの光で成長期に進化したパタモンが、一気に降下して殺されそうなデジモン達の下へと一直線に向かう。
間に合って、間に合って、お願いだから!死にたくないと悲鳴を上げているか弱いデジモン達の叫びがタケルたちを焦らせる。
デジヴァイスが激しく振動し、発光しはじめる。やった、間に合った。タケルはしっかりとデジヴァイスを握り締める。
その時である。進化の光を突き破って現れた天使が、しっかりとパートナーを抱きしめながら現れたのだ。
呆然と立ち尽くしているおもちゃの街の住人達の目の前で、
降臨した白銀の天使はばさりと白い翼を揺らし、真っ白な羽を散らした。


「ホーリーロッド!」


亜空間から召喚された愛用のホーリーロッドを携えて、エンジェモンが飛翔する。
聖なる光に阻まれて、ホーリーロッドがそのビームを一瞬のうちにかき消してしまう。
すごい!とエンジェモンの腕の中でタケルが歓声を上げるが、
エンジェモンは何か引っ掛かりを感じるのか違和感をにじませたような顔をして何も言わない。
エンジェモン?どうしたの?と首をかしげるタケルに、エンジェモンはなんでもないと首を振った。
そして、動きを封じ込め、次々に実験用のデジモン達を捕獲しているレーザーに狙いを定めた。


「ゴッドタイフーン!!」


放たれた上空からの強烈な攻撃には、未対応だったらしい。
なすすべなく両方のレンズが破壊されてしまう。
すぐ後ろの方では、突然現れた選ばれし子供とそのパートナーデジモンの登場にざわざわとしているデジモン達がいる。
がんばれ!と懸命に応援するタケルにこたえるべく、エンジェモンは飛翔した。
大きく振り下ろされる巨大なアームをホーリーロッドで受け止めたエンジェモンは、
ぎぎぎぎぎ、と機械音を放ちながら、電機を放ち始めた巨体から距離を置くべく弾き飛ばした。
どおおおん、という轟音と共になぎ倒された巨体はいくつものパーツがはじけ飛んでしまう。
ぷす、ぷす、ぷす、と白煙を上げてぎこちない動きをし始めたそれを見て、
ますます違和感をぬぐいきれなくなったらしいエンジェモンは思案顔である。
エンジェモンとタケルたちの目の前で、あっけなく正体不明のデジモンは赤いコアを点滅させていたのだが、
やがてコアは真っ黒に染まり、すりガラス越しの操縦席にいるであろうデジモンの青い部分もライトが消えてしまった。


「どうしたの?エンジェモン」

「いや……少々、拍子抜けというか、ね」


ゆっくりと動きを停止した乗り物型のデジモンである。
外見とは違ってあまりにもあっけなく地面に崩れ落ちてしまった。まだ中にいるデジモンが何者なのか分からない。
警戒をしながらエンジェモンとタケルはその水色のカプセルの中を覗き込もうとしたのだが、
一向に操縦かんを握っているはずのデジモンが出てこない。抵抗することすらやめたのか?と思いながら、
エンジェモンは慎重にそのカプセルの中にいるであろうデジモンに話を聞くために
そのカプセルの隅の方を破壊して、中を覗き込んでみた。


「誰もいないよ、エンジェモン」


そこには、ごろりとたくさんのケーブルにつながれたヘルメットが転がっているだけで誰もいない。


「おかしい。明らかに誰かが乗った形跡があるのに、まるでもぬけの殻だ。
乗り物型のデジモンみたいだから、誰かいないと動かないはずなんだ。
おや?これは・・・・・・・・!」

「どうしたの?エンジェモン」


エンジェモンの拾い上げたのは、何やら真っ黒な謎の物体だった。
それはタケルが覗き込むときに生じた、ちょっとした空気の揺れであっという間に散ってしまう。
ぱらぱらぱら、とまるでダイアモンドダストのように空気に散見して消えてしまう黒い粒子が風に乗って溶け込んだ。
あ、壊れちゃった、とつぶやいたタケルは、エンジェモンが口元を真一文字に結んで空高く舞い上がるのに気付いた。
エンジェモンの携えているホーリーロッドが、主の途方もない怒りに呼応して光を放つ。
ありがとー!と手を振る幼年期、成長期のデジモン達とあいさつする暇もなく、
エンジェモンはまだまだたくさんいる蹂躙者たちの元へと向かっていた。


「どうしたの?エンジェモン」


明らかに憤りのにじませた苦悶の表情を浮かべているエンジェモンに、タケルは首をかしげたのである。
エンジェモンは十字架の刻まれたマスクごしに、小さくつぶやいた。


「タケル。もし私の予想が当たっているとするならば、私は君につらい事実を告げなければならないかもしれない。
 それでもいいかい?私は君が悲しむのを見たくない。
でも、彼らを倒す以外におもちゃの街の住人達を助ける方法が見つからないんだ。
 デジヴァイスをかざしてみても、神聖なる光にさらされても、一切反応がなかった。
これはもう、恐ろしいことが起こっているとしか言いようがない。タケル、聞きたいかい?」

「エンジェモン?」

「タケル、無理にとは言わない。確かめたいことがあるんだ。
私がいいというまで絶対に前を見てはいけないよ。いいね。
これはあまりにも子供にはむごすぎる光景だ」

「え?」

「………タケル、君は目をそらさない覚悟があるかい?」


真摯になげかけられる言葉の向こう側で、遊園地エリアのの中心にある観覧車が見えた。
エンジェモンの放つ突風と光の攻撃によってあっけなく散っていくデジモン達がいる。
それでも、一体のデジモンの戦力は大したことは無くても、見渡す限り同じマシーン型のデジモン達がいるのだ。
これではもうきりがない。次第に疲労の色をにじませ始めているエンジェモンだが、
正体不明の操縦者が操るデジモンを破壊していくたびに、確かに救われる命がある。
やがて、一番多くの侵入者たちが蠢いている地帯では、
パンダモンやワイズモン達による反撃ののろしが上がっているのが見えた。
すっかり瓦礫の山と化している一帯で、蠢く影がある。
エンジェモンは予想の範疇だったのか対して驚く反応を見せず、そのまままっすぐに突き抜ける閃光となる。
牢屋の中に牛ぎゅうづめに押し込められたデジモン達を運ぼうとしていた彼らを撃墜させ、
まっさかさまに落ちていく鉄格子のトレーラーを捕まえたエンジェモンは、
ゆっくりとゆっくりとミュージアム前に降り立ったのである。
実験体の移動手段を奪還すべく、無数のデジモン達が襲い掛かってきたが、
転生を終えたばかりの新たなる個体である天使の敵ではない。
もう辺りは焦げ臭い臭いと煙で充満していて、まるで戦場と化している。
けほけほ、ごほごほ、と涙目で口元を抑えながら、タケルはエンジェモンから飛び降りると、
たくさんの欠片、メカノリモン達の山がどんどん積み上がっていた中を掻き分け、その牢屋の扉の前にやってきた。


「タケル!エンジェモン!よかっタ、無事だったんだネ!」


安心した様子で笑いかけるブリキモンに、タケルはうんとうなづいた。
エンジェモンの言葉に戸惑いを覚えながらも、どうしようか、と
悩みをにじませていたタケルに、ブリキモンが機械仕掛けの身体から何かを取り出した。


「これを使って、閉じ込められてる子たちを解放してあげテ!」

「うん、わかった!」


ブリキモンから投げ渡されたのは針金のような形状をした道具だった。
すぐ後ろで怯えているメッキ性のトゲトゲ頭のヘルメットをかぶっている猫のようなデジモン達をかばいながら、
周囲を囲む強襲者たちの腕を切断していくブリキモンがいる。
強力なナックルで粉砕しようと攻撃しているパンダモンが居る。
今の隙に、とタケルは懸命にかちゃかちゃと針金を通し、
鉄格子の向こう側で固唾をのんで見守っている小さな眼差しを救い出すべくその作業に奔走した。
やがてがちゃん、と錠の上がる音がして、きいいい、と錆びついた鉄のにおいがする茶色い扉が開かれる。
一斉に飛び出してくるのは、ブリキモンが懸命にかばっている青色と白色の島縞模様の
尻尾がトレードマークの、トゲトゲメットをかぶったデジモン達だった。


「助けてくれてありがとう!」

「人間だ!みんなー、人間が僕たちを助けてくれたよ!ブリキモンの言うとおりだ!!」

「やったー!」


きゃいきゃいと騒ぐデジモン達だったが、どおおん、と突然通りぬけていった爆音に驚いてひっくり返ってしまう。
どうやら遊園地エリアを中心に包囲網を敷こうとしているデジモン達を、エンジェモンが追撃しているらしかった。


「大丈夫?」

「うん、ありがと。大丈夫だよ」


あわてて助け起こしたタケルに、にっこりとそのデジモン達は笑った。
無理やり汚らしい箱の中に牛ぎゅうづめにされていたらしく、すっかり体のあちこちが泥だらけになっている。
鼻を赤くしながらあははと笑ったそのデジモン達は、カプリモンと名乗った。
そして、見当違いのところですっころびながらタケルの前にやってきたどろんこは、
タケルを確かめるようにすり寄ってくる。ぱくぱくと餌を欲しがるコイみたいに口を開けてタケルを見上げた。
匂いを確かめる子犬のような仕草に思わずタケルは笑ってしまった。
どうしたの?って聞いてみれば、ぼんやりぼやけて見えないから、確かめているんだよと教えてくれた。
ヘルメットに付いている2本の角の中にはあらゆる電波や音を受信できるアンテナがある通り、
カプリモンは見た目こそぬいぐるみみたいなレッサー型だが、機械の種族にいたりする。
視力が弱く、口から超音波を出して、戻ってくる音波で前方の対象物を認識する、
コウモリのような特性を持っているから、タケルへのくすぐり攻撃は止まない。


「ほんと、こわかったっ。こわかったよおおっ。助けてくれてありがとう!」


わらわらわら、と集まってきたカプリモン達にしっかりと抱きしめながら、
タケルはほっとした様子で力強く頷くと笑ったのである。

「ぼくら、だけだったんだ。僕らが最後に狙われてたんだ」

「さいご?」

「うん。みんな、あのメカノリモンっていうデジモンにどこかに連れて行かれちゃうんだ。
 何とか攫われたみんなを助けようって後を追いかけた子もいるんだけどね、
 黒い霧があるエリアでどうしても見失っちゃうんだ」

「メカノリモン……あれがあのデジモンの名前なんだね。
じゃあ、みんなをどこかにさらったのもあいつなのかな?」

「……みんな、連れて行かれちゃった。あいつらに連れてかれちゃった。
 気を付けて!メカノリモンだけじゃないんだ!このエリアを襲ってるデジモン達は」

「えっ!? うわああああああっ!!」


ごおおおお、というすさまじい突風にあおられて、タケルたちは瓦礫の山へと弾き飛ばされてしまう。
どん、と激しく打ちつけられた衝撃から、そのままタケルたちは瓦礫の中に放り出されてしまった。


「タケルっ!?」

「カプリモン!」


ブリキモン達があわてて助けに向かおうとするのだが、メカノリモン達の数が多すぎてそこまでたどり着くことが出来ない。
エンジェモンたちの目の前で、配下の成熟期クラスのメカノリモン達に実験体の確保を命じていた総大将が、
とうとう姿を現したのである。メカノリモンを従えて現れたそいつは、まるで戦車のような姿をしたデジタルモンスターだった。


「我々の姿を見たとあっては生かしてはおけない!
 さあ行け、メカノリモン!我らがD―ブリガードの恐ろしさを味あわせてやるのだ!」


聞いたことのない組織である。
突如現れた新たな敵の名前に呆気にとられているタケル達は、反応が遅れてしまった。
メカノリモン達は一斉に鏡の鏡像をタケルたちに向けはじめたのである。。
鼓膜が破裂してしまうのではないか、というすさまじい騒音と共に飛来した巨大な円形の鏡像が、
幾重にもわたってタケルとカプリモン達めがけてトリガーがひかれた。
その瞬間に、スターモンに催眠術をかけられ、無理やり乗せられていた操縦席の哀れな実験体は、
そのエネルギーを確保するために極限まで搾取されていたエネルギーを根こそぎ奪われてしまう。
媒体を構成するデータをもとどめておくことが出来なくなり、次次にオーバーヒートを起こし始める。
焼け焦げるほどの電気ショックが流れる。
白煙が上がる。ぎこちない動きと共に内部から破壊されていくメカノリモン。
もはやその操縦桿に残されているのは、使い捨てにされたデジコアの粉砕痕のみである。
エネルギーは最大。すさまじいエネルギーが一極集中する。
本来ならば、相手を動けなくするための視界機能を一時的に奪うに過ぎない閃光弾は、
彼らもろとも薙ぎ払おうと、すさまじい光と熱のエネルギーをはらみながら放たれた。
カプリモンを助けようと必死で抱っこしながら、タケルは、
自分の名前を呼ぶエンジェモンの声がとても遠くから聞こえた気がした。



[26350] 第三十二話 風と太陽の守護神ガルダモン
Name: 若州◆e61dab95 ID:15821ef9
Date: 2013/08/03 00:43
「シャドーウィングっ!!」


ブリキモン、そしてエンジェモンが肉眼で捉えることが出来たのは、かろうじて巨大な鳥の影だけである。
はじめは、空高く舞い上がった巨大な火の鳥が分身を放ったのか、と錯覚しそうになったほどだ。
それは残像にすぎなかった。まるで夕焼けのようなの赤が強烈なまでに脳裏に焼きつくころには、
タケルたちに放たれた一撃必殺のトゥインクルビームの束は、
その強烈な真空刃によってずたずたに引き裂かれ、メカノリモン達をも粉砕してしまったのである。
赤とオレンジを基調とした羽飾りや装飾品は、ネイティブ・アメリカンをイメージしているように見えるが、
インド神話の神鳥ガルダのように神々しい、わしの鳥人デジモンは一気に上空から畳み掛ける。


「ファイアハリケーンっ!!」


巨大な炎の竜巻がメカノリモン達に襲い掛かった。
強奪の一途をたどっていた完全体のメカノリモン達めがけて放たれた巨大な炎の渦に飲み込まれた彼らは、
その圧倒的な空気の流れに巻き込まれて磔にされてしまう。
そして、そこに、再び風と大地の守護者と呼ばれるゆえんともいうべき、
超高速の真空の牙が襲い掛かったのである。どおおおん、という爆発の音が響き渡った。


「させるかああああ!」


タンクドラモンの咆哮が響き渡る。背中に搭載されている砲台が牙をむく。
遥か上空を滑空する守護神目掛けて、核弾頭が向けられた。


「ストライバーキャノン!!」


そうはさせないよ、と両手に浮遊する球体を携えたワイズモンが現れた。


「悪いがね、勝手にこのエリアを放射能に汚染された灰の荒野にされては困るんだ。
 30キロ圏内に渡って焦土と化する君には、時空の彼方に消えてもらおうか」

「なにっ!?」

「このエリアを破壊し、住人たちを誘拐、拉致した挙げ句、あのような所業を行ったんだ。
 覚悟はできているんだろうね。次元の狭間で永遠にさまようがいい。エターナル・ニルヴァーナ!!」


ワイズモンが手にしている結晶体が手元を離れ、浮遊したかと思うと、
突如、タンクドラモンのいる空間ごと切り離し始めたのである。
凄まじい風が吹きすさぶ。
時空石と呼ばれている結晶体の中にタンクドラモンのデータが強制的に分解され、
吸収されて行くではないか。
帽子が飛ばされないように必死でエンジェモンにしがみついていたタケルは、
ぎゃああああ、と耳をつんざくような悲鳴を聞いた。
ようやく静まりかえった遊園地エリアにて、タケルが見たのは時空石がゆっくりとワイズモンの元に帰還する様子だけだった。


「すまない、倒すことができなくて。今の私たちではこれが限界だ。
 やつは背中に核弾頭を搭載していると分かってね、なんとしてでも隔離するしか無かったんだ。
タケル、カプリモン、大丈夫かい?」

「みんな、けがはない?」


あわてて駆け寄ったエンジェモンとブリキモンに、恐怖からようやく解放されたタケルたちは、
そのまま腕の中に飛び込んで、泣き崩れたのである。
無事でよかった、と心底安心した様子でエンジェモンは優しくタケルの頭を撫でる。
そこにお母さんやお父さん、そしてヤマトを重ね見て、連想してしまったタケルは、
もう涙が止まらない。怖かった。怖かった。ものすごく怖かった。
死ぬかと思うと怖くてたまらなかった。ぎゅう、と縫い目すらない綺麗な衣装をしっかりとつかんで離そうとしない。
懸命にカプリモン達を守ろうと必死だったタケルは、緊張の糸が切れてしまったようである。
よしよし、と大好きなお兄ちゃんの代わりによく頑張ったねとやさしく包容する天使は、
ゆっくりと上空を旋回する救世主を見上げて、ワイズモンがつぶやく言葉を逃さなかった。


「………ガルダモンだ」

「ガルダモン?」


聞いたこともないデジモンの名前を聞いたエンジェモンは顔を上げた。


「私たちもミュージアムにある展示品でしか見たことなかったんだ。
 古代デジタルワールド期にいたって言われてる大地と風の守護者デジモンだよ」
 
「古代デジタルワールド期?」

「ああ。昔、フォルダ大陸で一大勢力を築き上げたって言われてるデジモン達の時代だよ」


エンジェモンは大きな穴が開いたミュージアムを見上げた。


「まだこの世界が平和だったころに、守護デジモンや有志のデジモンたちによって
デジモンワールドの歴史と知識を集めたのが「デジモンミュージアム」なんだ。
中に保管されてる展示品は、歴史的な価値があるものばかりなんだ。
ジュレイモン様が管理してくれてたんだけど、不在の間は私が預かっている。
「フィルム」はCGムービー、「記憶の欠片」はデジモンワールドの歴史、
「データパック」「写真」といったデータは、レリーフとして保存されてるんだけど、
 どうやらメカノリモンたちが持ち出そうとしたのは、その一部だったようだね」

「あとでみせてもらえるかい?」

「ああ、そうだね。メカノリモンたちが奪い取ろうとしたと言うことは、何らかの価値があるに違いない」

「まあ、その前に、おもちゃの街を後片付けしなくちゃいけないね」


はーい、というお行儀がいい幼年期、成長期のデジモン達の声が響いたのである。

そして、盗まれかけた大きな大きな壁画とレリーフの山を慎重におろした緋色の鳥人が、
夕焼けに照らされながらゆっくりと飛来した。肩に乗っていたパートナーをゆっくりと肩からおろす。
古代のデジモン達から、大地と風の神様と慕われた古代鳥人型デジモンが、
間に合ってよかったと勇ましい姿でエンジェモンに微笑みかけた。
それは湖面に太陽の光と青空をすがすがしく反射する細長いテンプ湖と、
それを取り囲み光合成によって新鮮な酸素を供給するパノラマを優雅に泳ぐ鳥たちの長にふさわしい姿だった。
大空を自在に舞うことのできる翼と、巨大な鉤爪を持つ鳥人型デジモンは、
正義と秩序を重んじ、自然を愛する大地と風の守護神でもある。
鳥型デジモンの中でも知性と戦闘能力の高い、選ばれしデジモンのみ進化すると言われ崇拝されてきた。
デジタルワールドの秩序が乱れると、どこからともなく現れ、乱れの根源を正し平穏に導くと考えられている。
また、同じ志を持つ勇者レオモンとは無二の親友でもあるとされ、おそらくは古代デジタルワールド期に活躍した
今のレオモンの先祖に当たるデジモンと盟友だったのだろう。
ゆるやかな進化の光に包まれたガルダモンは、ピョコモンに退化してしまった。
へたり込んでしまった南国植物の幼年期を抱えあげた空は、タケル君、と名前を呼ぶ。
エンジェモンの腕の中から顔を上げ、タケル君、と呼んでくれた数週間ぶりの仲間との再会に一気に笑顔がはじける。
たたたっと駆け寄ったタケルに、空はにっこりと笑った。


「空さんっ!ピョコモン!」

「お迎えに来るのが遅れてごめんね、タケル君。
 ヤマト君とガルルモンはお迎えに行ってくれるって言ったんだけどね、
 私とピョコモンで来た方が早いって思って。ごめんね、でも、本当に無事でよかったわ」

「僕、ずっと待ってたんだよ。お兄ちゃんが必ず帰ってくるからって、
 みんなと一緒に帰ってくるって約束したから、待ってたんだよ。
 お兄ちゃんとガブモン、大丈夫だよね?ケガとか、してないよね?」

「ええ、大丈夫よ。ずっとヤマト君はタケル君たちのことをいつだって一番に考えてるわ。
 よく今まで頑張ったわね、タケル君。えらいわ。エンジェモンもお疲れ様」


えへへ、とタケルは照れ笑いを浮かべた。


「みんな元気よ」

「みんな?」

「ええ、みんな。なんとか、みんな今日やっと集まることが出来たの。
ベジーモンっていうデジモンがやってるレストランで、みんな待ってるわ。
光子郎君たちはピラミッド迷宮で、太一たちが帰ってきしだい、
私たちはタケル君とみんなで合流してから、ジュレイモンって言うデジモンを捜す予定なの。
大丈夫、ほんと、一時はどうなるかと思ったけど、みんな無事よ」

「え?太一さんたちどこにいったかわかったの!?」

「ええ。ホメオスタシスっていう、ピッコロモンやゲンナイさんの上司にあたる人がね、教えてくれたのよ」

「そっか、みんな、無事なんだ。お兄ちゃんも、ガブモンも元気なんだ。よかったーっ!」


ね、エンジェモン!天真爛漫な笑みを浮かべるパートナーデジモンに、優しく天使は頷いた。


「ねえ、エンジェモン」

「なんだい?タケル」

「メカノリモンに乗ってたデジモンって、だれなの?」

「……本当に聞きたいんだね?」

「うん」


エンジェモンは、ワイズモンたちが意見を仰いでいるのを見て、静かに口を開いた。


「多分、メカノリモンによって黒い霧の向こう側に連れて行かれたデジモン達なんだ。
デジコアすらオーバーヒートして破壊の限りを尽くすのか、
それとも命令厳守をプログラムされているんだと思う。
死人に口なしとはいうけれど、これではデジタマに転生すらできない」

「………そんな、うそでしょ?酷いよ。あんまりだよ。
それじゃあ、ずっと、昔に死んじゃったチビモンの……」

「そう。同じだ。あのメカノリモン達は、きっと暗黒の力の犠牲者だ。
 私達が早く何とかしなければ、彼らはどんどん増えていくに違いない。
 頑張ろう、タケル、空、ピョコモン」

「ほんとうに、そうなの?もともと誰も載ってないってことはないの?」


信じられない、と言いたげな空にエンジェモンは首をふる。


「あの黒い残骸はデジコアの成れの果てだよ」

「デジコアって、あの、みんなのあの、デジコアっ!?」


うなづくエンジェモンに、タケルはすがるようなまなざしを向けた。


「どうして分かるの?エンジェモン。そんな、デジコアなんて、うそでしょ、ねえ」

「……わかるよ」

「どうして?」

「同じだから」

「おな、じ?」

「デビモンを倒した時に見たんだ。ヘブンズナックルを命と引き換えに繰り出したその先で、
 私はね、タケル。あの真っ黒に粉砕されたデジコアを見た。ウィルス種はもともとデジコアが黒いけれど、
 暗黒の力に浸食されたデジコアは、その球体の中にうごめいている何かがあったよ。
 あっという間だった。内側から食い破ってきたそれが、欠片も残さないまま、
 食い尽くして跡形も残らず消えてしまったよ」

「え?うそ、じゃあ、え?デビモンは……」

「今まで黙っていてごめん、タケル。あのデビモンはもう二度とデジタルワールドには転生できない。
 ダークエリアにすらいない。きっと、暗黒の力の生贄になってしまったんだ」

「そんな」

「タケル、よく覚えておいてほしい。暗黒の力はきっと私達が考えている以上に途方もないものなんだ。
闇と光すら超越する何かなんだ。タケル、涙を流すことは弱いことじゃない。
誰かのために流してあげられる涙は、きっと強さになる。
その中でもタケルを見失わなければきっと大丈夫。君はいつだって輝ける。だから、がんばろう」

「うん」


頷いたタケルを空がそっとなでる。空さん?と顔を上げるタケルに、空はにっこりと笑った。


「バードラモンがガルダモンに進化できたのは、きっと、タケル君のお陰ね」


ありがとう、と言われたタケルは、え?と首をかしげるのだ。
空の手の中には、鮮やかなクリアレッドに洋装を一転させたデジヴァイスがしっかりとおさめられている。
明日になったら、ナビの役割を終えたこのクリアパープルのデジヴァイスの持ち主たちと合流しなければならない。


「あの時、私とバードラモンは、タケル君たちを探して空から様子を見ていたの。
 そしたら、とんでもない大きな音がして……ちょうどメカノリモン達が、
 ミュージアムから現れた時だったわ。タケル君たちの助けを呼ぶ声と、
 エンジェモンたちのタケル君たちを助けなきゃいけないっていう大きな声がね、
 聞こえたの。もう、無我夢中だったわ。
助けなきゃ、助けなきゃ、私がタケル君たちを助けなきゃ、って頭がいっぱいになったの」

「でも、バードラモンだった私はね、まだそこまで早く飛ぶことが出来ないから、
 このままじゃ間に合わない。このままじゃ、タケルやカプリモン達が死んじゃう。
嫌だって思ったの。そしたら、空の紋章が光ったの」

「私も驚いたわ。……私には、あんまりふさわしくないって思ってたから。
 この紋章、愛情でしょ?優しさとか、愛情とか、持ち主とか、いろいろあるみたいだけど、
今の時点では私が持っている、私に最もふさわしい紋章だって言われても、あんまり自信がなかったの。
わたしとバードラモンの中にあったのは、タケル君たちを守りたいって言う気持ちだけだったから。
 でもね、分かったことがひとつだけあるの」

「わかったこと?」

「ええ。タケル君が空さんって呼んでくれたときに、助けてくれてありがとうって笑ってくれたときに、
 ああ、よかったなあって思ったの。私にも誰にも言えない悩みとか、振り返ったり、立ち止まったり、したい時もある。
 でもね、それはきっと、また歩き出すために必要なことなんだって思ったの。
 向かい風だって、考え方を変えれば、追い風にもなるんだってわかったから。
 そのための強さが欲しいって思った時、私もね、ちょっとだけ、頑張ろうって。
 そう、思えたの。だから、ありがとう。タケル君」


空は分かったのだ。ほんの少しだけ、分かった気がしたのだ。
タケルたちが死んでしまうかもしれない。大けがをしてしまうかもしれない。
その時感じた恐怖は、それはもう底知れないものがあるのだ。
目の前にある助けられるかもしれない存在が、
圧倒的な第三者によってあっけなく奪われてしまうかもしれない絶望がもたげてきた時、
空はその最悪な想像を打ち払うべく、懸命にバードラモンと共に空を駆けた。
できることなら、もっともっと早くにあのおもちゃの街に行っていたのなら、
助かるはずだったデジモン達もずっとずっと多かったはずだが、
過ぎ去った時間は戻らないし、いくらあれこれ考えても想像の限界である。
空とバードラモンたちにできるのは、たった一つ。
カプリモンやタケルたちを救うこと、両手を広げて守れるものを懸命に守ることだけである。
それはとっても難しいことだし、大変なことであるとはっきりと言える。
それでも、やるしかないのだ、と覚悟を決めた少女に、その強さとたくましさを望んだ少女に、
紋章は超進化という形で答えたということなのだろう。
そう結論付けた空の顔はからりと晴れた青空のように澄んでいる。


空は思い出したのだ。サッカー部のケガを隠していたことがばれてしまった時、
母親は隠し事をしていたことよりも、真っ先に空の身体のことを慮ってくれたのだ。
何時だって母親はサッカーでケガをする空に呆れながらも、しっかりと後に残らないように手ほどきをしてくれたし、
痣やケガが目立たないような方法を教えてくれた。空だって女の子である。
グラウンドを駆け回ることもあれば、女の子同士で買い物に出掛けたり、遊びに行ったりすることもある。
はじめはきっと心配してくれたが故の叱責だったのだろう。
時期の問題もあるし、すれ違いや勘違い、面と向かって話し合えない状況下が続いていたため、
ここまでややこしくなってしまっているのだが、きっときっかけは空のことを心配しての親心。
現実世界に帰ったら、ほんの少しだけお母さんと向き合える気がする。そう、空は思ったのだった。



[26350] 第三十三話 丑三つの夜に
Name: 若州◆e61dab95 ID:15821ef9
Date: 2013/08/03 00:43
ようやく瓦礫の後片付けが終わり、へとへとになって帰ってきたタケルたちが門をくぐるころには、
すっかり夕日も沈み、夜の帳が下りていた。デジモンミュージアムの敷地内から施設までを
ガス灯の明りが案内してくれている。空とタケルの影がゆっくりとそちらに向かって歩みを進めている。
もうちょっとよ、頑張って、と今日の立役者である小さな男の子を励ましながら空が手を引く。
言葉少なになりながらも、うん、という返事だけはしっかりとしている。足取りは重いがしっかり歩いている。
もちろん疲れているのはタケルだけではなく、空も、パートナーデジモン達も同じだから、
僕だけ特別扱いしなくても大丈夫だよって笑う男の子は、まだ小さいんだから遠慮しないの、と笑ったお姉さんに、
遠慮気味に、じゃあ手を繋いでもいいですかって聞いたのだ。


最初は面食らった空だったが、2カ月もの間、唯一の家族であるヤマトとガブモンたちと離れて、
パタモンとずっと待ち続けていたタケルは、まだ小学校2年生の男の子だ。
さすがにヤマトにお兄ちゃんと甘えるように、空に対してすることができるほど無邪気にこの子は振る舞えない。
タケルがタケルなりに精いっぱい考えたが故の寂しさからの逃避方法であり、
安心したいという心からの願いの集約なのだろう。いいわよって笑った時のほっとした顔を見たとき、
ああやっぱりタケル君も寂しかったんだなあ、怖かったんだなあ、と改めて空は思ったのである。
タケルは殊の外、自分の負の感情に関してコントロールする方法に長けすぎていて、
相手に対してマイナス方面の率直な気持ちを表現するのがかなり苦手なようだ。
メカノリモンの正体が拉致された挙句、無理やりデジコアをエネルギーに改造され、
無理やり消費して死んでしまったこの遊園地エリアに住んでいた住人たち。
複雑な感情が入り混じっているデビモンの末路が暗黒の力による吸収であり、
ダークエリアに行くことすら許されず、もちろんのこと転生することすら不可能な状況だった。
他ならぬエンジェモンから聞かされたタケルである。きっと小さな心は色んなことがありすぎて、
ぐるぐる思考回路を巡らせているに違いない。さっきからビックリするほど言葉が少ないのだ。
その代わりに伝わってくる手の温もりは間違いなく誰かを求めていて、
空とつないだ手に力が入っていることをタケルは気付いていないようである。


ワイズモンたちによってふたたびデジモンミュージアムに持ち去られそうになったものが運び込まれていく。
ダイノ古代境という光子郎とミミがいったことがある遺跡エリアから出土した碑文や
古代デジタルワールド期と関係がありそうなデータの残骸、そしてレプリカ。
メカノリモン達の棟梁を名乗ったDブリガードという組織についてはワイズモンも初めて聞いた勢力らしく、
どこかに史料が残っていないか、仲間たちと共に捜すために研究室に先に行ってしまっている。
何か有力な手掛かりが発見でき次第知らせるから、今日はゆっくり休むといいと
この美術館の館主は空たちに言ってくれた。
だから、空は今のところ、メカノリモン達の目的とか、利用方法とか、
どうしてこのエリアの住人達は実験体にされてしまったのだとか、
暗黒の力はその実験を通して何をしようとしているのだろう、とか、
どうしても考えてしまいそうになる頭を叱責しては、
どうやってタケルたちの気を逸らしてあげようかと考えている。
長きにわたる漂流生活において、しっかりと衣食住が保障されていることなど指折り数える機会しかなかったのだ。
いつだってそういう時に思いっきり羽を伸ばさないと必ずどこかでほころびが出てきてしまう。
緊張感はある程度持っておく必要が出てきたことは承知の上だが、気を張り詰めすぎてもいけない。
ましてやまだこのことを知っているのは空とタケルたちだけなのである。
このことを早くみんなに知らせないといけない。個人でできることはどうしても限界がある。
そこで、空は悪戯を思いついた子供のような笑みを浮かべて、タケルに訊いたのである。


「ねえ、タケル君」

「なに?空さん」

「今日、一緒に寝る?」


一瞬、タケルの表情が凍りついた。


「………え?」

「そらー、今日はタケルとパタモンと一緒に寝るの?」

「うん、今日はそうしましょうか?だってタケル君、そういう顔してるもの」

「そうなの?タケル」

「え、え、あ、う、えっ、えええええっ!?そ、そんな顔してないもん!大丈夫だよ、空さん!
 僕、パタモンと一緒に寝られるもん!大丈夫だよっ!!って何するんだよ、パタモン!
 僕そんな顔してないから、わざわざこっち見ないでよ!もー!」


空さん!とからかいの標的になってしまったと勘付いたタケルは、すっかり拗ねてしまい、
空とつないでいた手を解こうとするが、タケルが無意識のうちに空の手を握り締めていたと本人が気づく前に、
上から力任せに握り込んでしまう。さりげなく親指を探ってタケルの親指を上から押さえつけるのだ。


「1、2、3、4、5」

「えっ!?あ、ずるいよ、空さん!指相撲は人差し指反則だよーっ!」

「678910!はい、私の勝ちね」

「数えるのも早いよっ!ずるいーっ!」

「ふふ、やってみる?」

「人差し指使うのなし!数えるのが途中から早くなるのなしだよ!」

「ええ、いいわ。じゃ、やりましょっか」


くすくす笑いながら、空はタケルを引っ張る形でようやくついた扉を潜り抜けるのだ。
言うまでもないことだが、小学校5年生のスポーツ少女と小学校2年生の男の子の指の長さはそもそも全く違うので、
タケルは一度も空に勝つことができなかったのだった。


「よう」

「あ、パンダモン」

「なんだよ、僕たちに何か用?」


客人ルームに通された空たちを待っていたのは、赤いスカーフがトレードマークのパンダモンだった。
無下にされた記憶がまだ新しいパタモンは、今にも背中とお腹がくっつきそうなほどの空腹も相まって急降下した機嫌を
思わずタケルが頭の上からたしなめたくなるほど露骨にしながら、ぶしつけに要件を問いただす。
素直で無邪気な性質のパタモンがここまで最悪の気分を現すのが珍しくて、こっそりタケルに事情を聞いてきた空とピョコモンに、
タケルは幼年期のデジモンを連れているということと、タケルが小学校2年生の子供だったので、
選ばれし子供という伝説を神聖視しすぎているんじゃないかと敵意にも似た悪意を向けてきたのだと説明した。
ああ、なるほど。パタモンにとっては役に立たない無力な自分と己を不当に過小評価されることに関しては、
人一倍過敏になるところがある。反発するのも無理はない。どうしてもかつての自分を思い出してしまうのでやりきれないのだろう。
かつて自分を自分を過小評価して、言い訳の材料を常に探しながら、
自分の気持ちも力もすべてを胸の奥底に秘めていた辛さは誰よりも知っているパタモンである。
初対面でいきなりぶしつけな視線を向けてきた挙句に、
暴言罵声に匹敵する言葉を投げつけてくるような失礼な奴にまで愛想よくすることができるほどパタモンは大人ではない。
すると、バツ悪そうに頭を掻いたパンダモンは、あー、その、と歯切れの悪さを溢しつつ、
まっすぐにタケルとパタモンを見たのである。


「タケルとパタモンだっけ?あの時はひでえこと言って悪かったな。
さすがは選ばれし子供だぜ。そんなにちっこいのに、カプリモンを守ってくれて、
メカノリモン達をやっつけてくれてありがとな。お前らつえーじゃねえか、見直したぜ。
もちろん、ピョコモンとそこの姉ちゃんもだ。
太陽と風の守り神って呼ばれてるデジモンに進化できるなんて大した奴だ。
だから、その、あー、詫びといっちゃなんだが、今日の晩飯は俺達がつくったぜ。
 いっぱい食べてくれよな!」


ほら、こっちだ、とリビングまで案内してくれるパンダモンを見て、タケルとパタモン、空、
そして初めての完全体への進化を経験した上、ベジーモンレストランがある山からテンプ湖のほとりまで、
ほぼ休みなしで飛翔し続けていた疲労が一気に出たらしく、ピョコモンになってしまった空の相棒は、
ぐったりとした様子で彼女の腕の中にすっぽりと埋まっていたものの、その言葉を聞いて満足げに胸を張る。


「えへへ、凄いでしょ!」

「ああ、選ばれし子供ってのはすげえんだな、驚いたぜ。
俺はてっきりトコモンのまま戦うのかと思っちまったじゃねえか。
一瞬のうちに成熟期や完全体に進化しちまうんだもんな。
すっげえ頑張って今の姿にまで進化することができた俺の立場がねえじゃねえか」

「でも、すぐ戻っちゃうんだよ。完全体になると幼年期まで小っちゃくなっちゃうし、
 すっごく疲れるし、おなかすくんだよ」

「へえ、そりゃ大変だ。でもちょうどいいぜ、張り切りすぎて作りすぎちまったからよ。
 もうぬいぐるみハウスやロボットハウスの連中も先に食べ始めちまってるとはいえ、
 なくなる気がしねえからな」


おー、とパタモンとタケルは目を輝かせるのだ。木の実と魚はさすがに飽きる。
なんだろう、と空とピョコモンも期待の眼差しで扉の向こうに通された。


「遊園地エリア名物おでんだ!たくさん食えよ!」


湯気で一瞬あたりが真っ白になるが、ぐつぐつと煮えているおいしそうな冬の名物のにおいが漂ってくる。
タケルと空の目が点になった。


「……なんでおでんなの?」

「………遊園地全然関係ないじゃない」


ねえ、と空とタケルはこっそりため息をついたのである。









第三十三話 丑三つの夜に










それはタケルが月一でかかってくるヤマトからの電話でサマーキャンプのことを聞いた日。
8月1日から3日にかけて行われる一大イベントに、お兄ちゃんが行くなら僕も行く!と
二つ返事でうなづいた7月の下旬、夏休みに突入し、毎日のようにプールに出掛けていたある日のことだった。
8月3日というタケルの8歳の誕生日のお祝いが出来ないということが確定した日のことだ。
お父さんとお母さん、ヤマトお兄ちゃん、家族水入らずで祝ってもらいたいというささやかな願いなど、諦めて今年で3年目になる。
プールから返ってきたタケルは、お風呂に入って、服を着替えて、
夏休みの宿題を片づけるべくプリントを持って母親の書斎のドアを開けたのだ。
どうしたの?とくるくる回る手すり付きの椅子を回して立ち上がった母親にタケルはプリントを渡した。
ああ、なるほどね、と奈津子は笑ってパソコンでの作業を中止して、リビングで休憩を入れながら、
夏休みの宿題を手伝ってあげよう、と申し出てくれた。筆箱と下敷きを携えて、タケルはリビングに向かった。
母親が家にいる間は、自分の部屋である一人部屋よりも
母親の存在が感じられるリビングでの勉強の方がはるかにはかどるタケルである。


何時ものように椅子によじ登ったタケルは、インタビュアーにでもなったつもりで言ったのだ。
お母さんって何をする人?という単純明快にして、小学校2年生の男の子の難解な質問は、
高石奈津子という理系ルポライターにして、シングルマザーであるという有名人の息子であるという事実から逃れようもないものである。
いつだったか、タケルは母親のしているルポライターという仕事について質問したことがある。
その時には、本を書くためにいろんなところに取材をする人、と教えてもらった。
でも、そんな漠然としたものじゃなくて、しっかりとしたものじゃないといけないのだ。
ルポライター、ジャーナリスト、というカタカナのなんだかかっこいい職業だということは知っているけれど、
そもそもそれってなんなんだろう?という純粋な疑問は、
母親の職業くらい知っているだろうという暗黙の了解といつかタケルに向けられるのだ。
このさい、しっかりと教えてあげた方がいいだろう、と奈津子は思ったらしかった。
お母さんはテレビに出てる有名人なんだってことくらいタケルは知っている。
コメンテーターとして下の方にテロップとして出現する言葉が肩書きの女の人だ。
その先を求めてきた下の子に、高石奈津子は、努めて冷静に自分の職業について教えた。
そう言えばヤマトもそういう学校の課題があるのだろうか、とちょっと考えてしまい、
きっとあの人に訊いて、私にはきっと訊きに来ないんでしょうね、と一抹の寂しさをにじませる。
奈津子はコーヒーメーカーに落ちてくるしずくを眺めつつ、鉛筆片手に真剣なまなざしの息子に教えるのだ。


ルポライターは、ある出来事が起こったという事実に対する現状やどういう意味があるか、
これからのことをみんなに知らせるために、取材をして、本を書いて、みんなに読んでもらう人のこと。
誰よりも詳しい人でないといけない人で、みんなにわかりやすく知らせる人のこと。
奈津子は算数やタケルが高学年になったら習うであろう理科の問題が得意で、
シングルマザーという女の人だから、その立場での考え方、行動、言葉で、記事や本を書くことが主な仕事である。
だから、テレビに出ることもあるし、タケルの母親が得意とする分野について、意見を聞かれたり、
逆に取材されることもある。
テレビで好き勝手言うから、逆に好き勝手言われたり、評価されたり、注目されたりする。
高石奈津子は高石タケルの世界でたった一人の母親だけども、ルポライターである以上、
世間にさらされざるを得ない宿命があり、どういう考え方をしているのかにいたるまで観察ならびに研究対象とされる。


「だから、ごめんね、タケル」


頭を撫でられた時、どうして母親が今にも泣きそうな顔をしていたのか、
その時頭を撫でられたことが嬉しくて、うん、とうなづいたことは覚えているのだが、
そのあと母親に対してなんと答えたのか、実はあんまりよく覚えていない。
有名なルポライターの元で師事したり、大手出版社に所属して経験を積んだというタケルの母親は、
タケルが物心つくころには、既にフリーランスと呼ばれているジャーナリストとして知名度を得ていた。
ジャーナリストと言えば、新聞社やテレビ局など報道機関に所属して取材活動を行う者もいれば、
母親のように特定の報道機関に所属しないでフリーランスとして取材活動を行う者もいるのだが、
タケルにとってジャーナリストと言えば、高石奈津子という世界でたった一人の母親である。
毎朝、学校に出掛ける時に、原稿の期限を気にしながら必死でキーボードを叩いたり、
ファイルにとじられたおびただしい数の切り抜きやコピー用紙とにらめっこしながら、
コーヒーを口にしているイメージがすぐに浮かんでくる。


タケルが長期休暇に突入したことで、最近はただいま、と言えば、おかえり、と返してくれることも多い母親は、
家にいる時間が多い時期といない時期の落差が激しい存在と言えた。
それでも、あくまでもそれはタケルの母親が自分の活動拠点を自宅に構えているからこそ可能であり、
基本的に仕事で忙しい時には書斎に置かれているパソコンのキーボード音は消えることは無く、
ちょっとした休憩すらはさむことがない修羅場が近いこともある。
そういう時には、靴があったとしても、ただいま、と言っても返事が返ってくることはまずない。
ジャーナリストやルポライターという職業は一般的な職業からすれば、いわゆる不定業にあたるだろう。
どこかの報道機関やメディアに所属しているなら、一定の資質や能力が推定されるのだが、
日本においては「ジャーナリスト」や「ルポライター」と自称する際の特別な基準は存在しないため、
実績を伴わない者や自称するに値しない者であっても、「ジャーナリスト」と自称しても法的には問題はない。
また、ジャーナリストとなるために必要な国家資格も存在しない。
より専門的な分野を得意としていることを示すために、タケルの母親は理系ルポライターと自称しているが、
弁護士や医師などのような国家資格は存在していないため、
文章作成を初めとする能力、資質、倫理観などが欠如している者が強制的に排除されるシステムは存在しない。
何時だって厳しい世間体との戦いと激動する情報化社会に生き残っていくために、四苦八苦である。
時には、突然かかってきた電話であわただしく1か月の予定を変更したり、
数週間取材に行くための段取りを決めるために、母親曰く仕事上のお付き合いだという同業者の人と
打ち合わせをしたりする。


時折留守番電話や電話を代わる時があるので、圧倒的に男性が多いことが、実はささやかなタケルの気がかりだ。
新しいお父さんの話は今のところ一度もしたことがないので、今のところタケルは安心している。
情報を交換したり、仕事上の付き合いで食事に行ったり、どこかに出掛けることも多々あることをタケルは知っている。
お土産はなにがいい?と旅行パンフレットを差し出してくる母親のあげるサンプルはたいていはずれはないので、
タケルは思い悩む必要はないのだが、母親が時折家族水入らずの時間を持つために
どこかへ連れて行ってくれる時には、何時だってお仕事で来たことがある場所である。
そして、事細かなことをいろいろと聞いて、宿題を終えることが出来たタケルは、
ありがとう、お母さん、と笑って宿題を片づけてくるために椅子から降りたのだ。
タケルも飲む?とコーヒーを指差され、うん、とうなづいたタケルは、
奈津子が冷蔵庫から牛乳パックを探すのを確認してから、自分の部屋にいったん片づけに戻ったのである。





ぷるるるるるる、ぷるるるるる、と玄関のすぐ横にある固定電話が鳴ったのは、
タケルがリビングに向かう途中のことだった。
そう言えば、今日は朝からお母さんそわそわしていたな、と思ったタケルは、
電話を取ることはせずに、スリッパを響かせながらぱたぱたと走ってきた奈津子とすれ違いでリビングに入ったのだ。
電話の相手はきっと仕事上のお付き合いがある人だろう。
多分、男の人だろう。お母さんの態度や声のトーンからなんとなくではあるけれども、分かってしまう悲しさである。
ちょっと気になるのは事実だが、さすがに誰?とずうずうしく問いただす気にもなれず、
タケルは母親が用意してくれたコーヒー牛乳を飲むために、再び椅子によじ登る。
通信販売で定期的に送られてくるコーヒーブランドのパック詰めはいつも所定の位置に常備されている。


すりガラスの向こう側の奈津子の態度からして、どうやら急な用事の依頼らしく、
少々面食らった様子で問い返している声が聞こえてくる。迷い、戸惑い、動揺。
本当ですか、と奈津子が迷いのニュアンスをにじませていることに物珍しさを感じつつ、
タケルは奈津子が持ってきていたファイルから新聞記事の切り抜きがたくさん入った透明な袋が出ていることに気付いて顔を上げた。
なんだろう、というちょっとした興味である。
奈津子がお仕事とは明らかに別件でいろいろと取材をして回っていることはタケルだって知っているのだ。
奈津子の得意分野や専門分野を把握しているわけではないけれども、
新聞の切り抜きをたくさん集めてフォルダに仕舞い込んだり、
滅多に縁のない一般の人のところに取材に行くのを見かければ、
なんとなくではあるものの、なにかあるのではないかとタケルが勘付くのも無理はなかった。


個人的な調べ物はいつだってタケルの人目を避けて行われている。
小学生には刺激が強すぎる話題なのかもしれないが、タケルだってまだ子供だ。
お母さんがこっそりインターネットのホームページでいろんなことを調べていることくらい知っている。
さすがにまだパソコンの使い方がいまいちよく分からないタケルはこっそり調べる勇気はないのだが、
その時は珍しく母親に怒られるかもしれない、という防衛本能よりも好奇心が勝った一瞬だった。
一般的に新聞記事は小学校6年生までに習う常用漢字で、内容の8割は理解できるとされているため、
さすがにまだ小学校2年生のタケルは読むことは出来ないのだが、その大見出しに移っている強烈な写真が目を引いた。
日付までは確認できないが、劣化した紙質からして数年は経過していることが読み取れた。
タケルのすんでいる世田谷区三軒茶屋の住宅街でもなければ、ヤマトお兄ちゃんが住んでいるお台場のマンション街でもない。
でも、どこか懐かしい、そんな気がしたことをタケルは覚えている。
まるで春休みに見に行った怪獣映画の一部のようだ、となんだかよく分からないのだが、
その時のタケルは思ったのだ。白黒で画像も荒くて、映りも悪くてさっぱりである。
ただ強烈に印象に残っているのは、大きな大きな穴が開いた建物と大炎上している公園。
これは、ええと、と記事の大見出しを読み上げようとタケルは身を乗り出したのだ。
新聞記事の切り抜きが向きも方向もバラバラで、どっちが表でどっちが裏なんだか分からない。
この漢字は習ったぞ、とタケルは知っている字を見つけて必死で読もうとしたのだ。
ひ、ひかり、け、えーっと、この字は僕の名前の岳によく似てるから覚えてる。
なんだっけ、えっと、えっと、僕の名前はガクとも読めるから、これもガクって読むはずで。


「なにやってるの、タケル!!」


ばたばたばた、と忙しないスリッパの音、そして引っ手繰られるファイル
あまりにも強引に取り上げられてしまったせいで、透明なファイルの中がばさばさばさと広がってしまう。
記憶のはるか彼方に封印されたはずの奈津子の感情が豪快に暴発した金切り声に、
防衛反応が働いて過剰なまでの恐怖心がタケルに襲い掛かる。
びくっとかわいそうな位震えた小さな体は、そのまま凍りついてしまった。
ああもう、といらだったように奈津子は舌打ちをして、書類や新聞記事をあわてて拾い上げると、すべて締まった。
手伝おうとしたのだが、動かないで、と言われてしまってはどうしようもなかったのである。
顔を上げたタケルは、いつになく真剣なまなざしで、こら、と軽く小突く母親と視線がかち合ってしまう。
ビンタが飛んでこないだけましである。彼女は感情のコントロールの仕方を知っているから、
よっぽどのことがない限り、直接的な暴力に打って出ることは滅多にないのである。
ごめんなさい、と手をひっこめたタケルに、奈津子は明らかに怒っていた。


「ねえ、タケル。怒らないから、教えてちょうだい?見たわね?」


怒らないから、という常套句は必ず怒られることの前触れだと知っている。
タケルはごめんなさいと素直に謝った。


「これはお母さんの大切な仕事道具なの。触っちゃだめでしょう?」


仕事道具ではない。お母さんが個人的に調べていることをタケルは知っている。
ヤマトお兄ちゃんと一緒に遊ぶことが出来た幸せな記憶の中では、
お母さんは仕事そっちのけで没頭するようなものを持っていなかったはずだから、
きっとお父さんとお母さんの仲が悪くなってからだろう、とタケルは思っている。
だが、思うだけだ。言えるわけがない。ヤマトお兄ちゃんにさえ、お母さんは、
どうしてお父さんと仲が悪くなったのか、どうして一緒に住むことが出来なくなったのか、
打ち明けてすらくれないのだ。まだ7歳のタケルに教えてくれるわけがない。
いろんな思いを抱えながら、ごめんなさい、お母さん、と素直に謝ったタケルに、
奈津子はいつもならばここで許してくれるはずの態度を改めない。


「どれを見たの?」

「え、えっと、それ」


戸惑いながら指差した三面記事の切り抜きをみた奈津子は、はあ、と小さくため息をついた。
そして、ぽつりとつぶやいたのである。


「ねえ、タケル」

「なに?」

「この写真ね、何だと思う?」

「え?わかんないよ、お母さん」

「そうよね、わかんないわよね」

「うん」


どうして奈津子が顔をそむけてしまうのかわからないタケルは、
ただ傷つけてしまったという事実が怖くてたまらなくなって謝るのだ。


「ごめんなさい、お母さん」


うん、という声色がいつもの母親のトーンに戻ってくれたので、タケルはほっとして顔を上げた。


「まあ、こんなところに置いといた私も悪かったわ。ごめんなさいね」

「うん」

「いつか整理しなくっちゃって思うんだけど、いつも、いつも忘れちゃうのよねえ」


そして、問題のファイルは奈津子の書斎のカギ付き引き出しの中に仕舞われてしまった。
ほっとしたタケルは温くなってしまったコーヒー牛乳を飲みながら時計を見る。
まだお母さんと一緒にサマーキャンプに着ていく洋服とか、お菓子とか、買に行くには時間がある。
帰ってきた奈津子は、うーん、と思案顔でリビングにあるカレンダーとにらめっこしている。
その先にあるのは、タケルの誕生日と赤いマーカーで大きく丸が付けられている日だ。
嫌な予感が脳裏を過る。授業参観、運動会、遠足、いつだってタケルを見に来てくれる人は最後にやってくる。
お母さんからごめんねと申し訳なさそうなまなざしを向けられるのが嫌で、
自分から先に切り出すのはいつからだろう。
タケルは、すっかり癖になってしまっている笑顔のままで言ったのだ。


「大丈夫だよ、お母さん」


訊き分けがよすぎる小学校2年生の男の子に、奈津子はますますいたたまれなくなってしまうのだ。


「さっきの電話、お仕事の電話でしょ?」


奈津子の反応がにぶい。あ、違うな。これは個人的に調べていることに関してのことかな?
直感的に悟ってしまう男の子は、いつまでも自分に何も教えてくれない母親に何も言えないまま顔を上げた。
タケルの母親はその事柄になるとことさら反応に違和感が出てきて、どうしても過敏に反応してしまう。


「ほんとに、いいの?」

「うん」

「ごめんなさいね、タケル。また今度、絶対にヤマトと一緒に食べに行きましょうね」

「うん、約束ね」


おいしいフランス料理の古民家レストランは当分お預けだ。
豪徳寺近くにある住宅街の一角に、ひっそりと軒を連ねている隠れた名店があるのだ。
予約した日に奈津子が言っていたことを思い出したタケルはうなづいた。


「うん。仕方ないよ、お母さん、最近ずっと忙しそうだし。
サマーキャンプが終わったら、お兄ちゃんと一緒にどこか食べに行くから」


ありがとう、と奈津子はスケジュールを書き込む四角い箱の中に、昼からのまちあわせと時間帯を書き込んだ。
その急に入った電話の相手が、なんとか川という人だとカレンダーに書かれた名前から、
タケルは知る。
まだもう一つの漢字は習っていないので読めなかった。でもそれだけだ。
もうその頃には、これから向かう銀座のお買いものでタケルは頭がいっぱいになっていたから。


「ケル、タケル」


本当に何も思わなかったのだ。
たとえ奈津子がタケルと行くはずだったフランス料理のお店の予約を取り消す電話を一度もしなかったことで、
必然的にお母さんはタケルの知らない、お父さんではない誰かと一緒に食事に行く予定が入り、
それによって家族だんらんの数少ない機会が潰されてしまったのだという事実をタケルが気付いてしまったとしても。


「タケル、起きてよ、ねえってば」


それがタケルの知るお母さんのいつものことだから。期待するだけ無駄なのだ。もう慣れている。


「タケルーっ!!」


耳元で叫ばれる言葉が自分の名前だと理解した瞬間、
タケルはあまりの大音量に思わずうるさーいって耳元を押さえながら起きてしまった。
当然ぱしんってはたかれてしまったパタモンはベッドから突き落されて、ころころと冷たい床に這いつくばるはめになる。
いたあい、酷いよ、タケル、と豪快に顔面直撃の憂き目に遭ってしまったパタモンは涙目だ。
なんだよう、うるさいなあ、と寝起きの関係でちょっとだけ言葉が荒いうタケルに、パタモンが安心した様子で笑うのだ。
差し出されたのはタケルがいつも使っているハンカチである。


「大丈夫?」

「え?なにが?」

「タケル、怖い夢でも見たの?泣いてたよ」

「え?うそ、ほんと?」


目じりをぬぐってみれば、じんわりと熱い滴が零れ落ちた。
タケルはパタモンに渡されたハンカチで乱暴に目じりをぬぐうと、はあ、とため息をついた。


「今日はいろいろあったもん。疲れちゃったんだよ、タケル。
 ねえ、どうする?やっぱり空とピョコモンに寝てもらう?一緒に」


パタモンの視線の先には布団をかぶって寝息を立てている空の背中が映っている。
おそらくあの腕の中でぐっすりピョコモンが寝ているのだろう。
心配そうに見上げてくるパタモンに、タケルはしばし沈黙した後、小さく首を振った。
え、でも、というパタモンの言葉をさえぎって、タケルは言うのだ。


「僕、また同じ夢見ちゃいそうで怖いよ、パタモン。だから、もう、寝たくないよ」

「やっぱり怖い夢だったの?」

「………よくわかんない。でも、お母さんが取られちゃう気がして、やだ。やだよう」

「話してくれないの?タケル」

「………一緒に起きててくれるなら、話してあげる」

「いいよ」

「ここだと空さんたち、起きちゃうから、別の部屋、いこ。パタモン。今は何にも考えたくないよ」

「じゃあ、リビングの行こうよ、タケル。ワイズモン達、きっとまだ研究してるからなにか持って行ってあげよう」

「うん、そうする」


そろり、そろり、とベッドから降りたタケルはパタモンに差し出された靴を履く。
そして、足音を差し足、忍び足、なるべく音をたてないようにしながら空のベッドを通り過ぎる。
ちらりと空が起きていないか確認したが、どうやらぐっすりと眠っているらしく規則正しい寝息が聞こえる。
タケル君、と呼ばれるんじゃないかとひやひやしたのだが、さいわい実は起きていたというドッキリは無しで終わった。


「デジヴァイスと紋章は持ってこう、パタモン。
大事なモノだから持ってなくちゃダメだってお兄ちゃん言ってたよね」

「リュックはどうするの?」

「また戻ってくるかもしれないから、置いとくよ。そうだ、メモしとこう。
 ワイズモンのところにいってます、っと。これで空さんも心配しないよね」

「えっと、デジヴァイスは?」

「ここだよ、リュックの下」

「紋章は?」

「デジヴァイスの近くにない?」

「暗くてよく分かんない」


えーっと、とタケルはデジヴァイスを拾い上げ、近くにおいてあるはずの紋章のタグとひもを手探りで捜す。
あれ?
パタモンとタケルは顔を見合わせた。
あれあれ?
もう一度、今度はよく目を凝らしながら探してみる。
あれあれあれっ!?
床に落ちていないかとカーペットを覗き込んでみるが、薄暗くてよく見えない。
はい、タケルってパタモンがテーブルの中に入っていた非常用の懐中電灯を差し出してくれる。
ありがと、と受け取ったタケルは、テーブルの下を再び覗き込んだ。
いきなり暗闇を照らすライトがまぶしくて、ぱちぱち、と瞬きするタケルは、
きらりと光るタケルと空の紋章を見た。宙に浮かんでいる違和感を自覚しながら
手を伸ばそうとしたら、どういうわけか紋章が奥へ奥へと引っ込んでしまう。
空を切った手を何かが踏んづけていったのか、一瞬痛みがタケルを襲う。
痛い、と反射的に手を引込めたタケルは、その足の持ち主が向こう側に抜けていくのを見た。


「タケルっ、大変だよ!なんかよく分かんないけど、黒い塊が扉の向こうに消えちゃった!」

「紋章はっ!?」

「そいつがもってっちゃったよーっ!!」

「ええええっ!?」

「ど、ど、泥棒だあああっ!!」

「まてえええっ!!」


頭が真っ白になったタケルとパタモンは、大慌てで扉を開け、外に出て行ってしまう。
タケルたちの大声で目が覚めた空が見たのは、もぬけの殻になったベッドとタケルの残したメモ書きである。
肩を落とした空はワイズモン達のところに行こうとピョコモンに呼びかけた。


「あら?ピョコモン?」


パートナーデジモンまでいないことに気付くのは、数秒後のことである。



[26350] 第三十四話 裏次元の呪い
Name: 若州◆e61dab95 ID:15821ef9
Date: 2013/08/03 00:44
タケル達が眠っていたゲストルームの扉を泥棒がくぐり抜けていった。
その時点で、泥棒は物体の間をくぐり抜けることができる、もしくは点と点を線で繋ぐように、
空間と空間を繋ぐ不思議な力を持っているという予想を立てておくべきだったのだと。
タケル達が気付いた頃には、もう遅かった。
ありえないことである。デジモンミュージアムは遊園地エリアのど真ん中にあり、
一直線に走り抜けたのならば、アーチの門やテンプ湖が見えてくる筈なのだ。
無我夢中で希望と愛情の紋章を持ち去った泥棒を追いかけていたタケル達は、
気付いたら今まで来たこともない森の奥深くにまで迷い込んでしまったらしい。
どうしよう、と言う不安がタケル達にこみ上げてきたのは、
その森が明らかに異質だったからだ。
タケル達の知らない世界の入り口の様相を呈していたからに他ならない。


世界は色を失っていて、すべてが無色で透明な輝きに満ちていた。
弧を描いて山道に垂れ下がっている樹木が、数え切れないほどのプリズムでしたたり、
きらめいているのである。草も木も花も道端に転がっている石ころでさえ、
水晶のようなガラス質のものに覆われ、その光が月の銀色で滲んでいる。
目がチカチカするような、光の世界の中にタケルたちはいた。
すべてが霞んだ万華鏡のような効果できらめいていて、重なり合っている装飾の帯が、
自生している植物たちの密集具合を示しており、木々の間はおろか雑草らしきガラス彫刻が広がる。
もうその先は何も見えない。
空は澄んでいて、この水晶で作られたような景色に月の光がなんにも遮られることなく降り注いでいる。
タケル達が歩みを進める様子が水晶に映し出されると、一瞬にしてタケルの緑が滝のように拡散し、
遅れてパタモンのオレンジ色が空中でさざ波をうって広がっては、やがて虚空に消えていく。
交際の揺らめきが収まると、草木の一本一本が光の鎧に包まれたように輝き始め、
宝石はその色を鮮明にしながら呼応する。
周囲の光よりも暗く、強烈さを秘めている光が宝石内部に閉じこめられているようだ。
どうやら水晶のようになりつつあるのは、それだけではないらしい。


怖くなって先へと急ぐタケル達を待っていたのは、
この道の先にあるはずのテンプ湖とよく似ているが違和感を感じる広大な湖だった。
白い噴水かと思ったら、宝石化した水草が幾重にもアーチを形成し、絡み合っていたのである。
初めは凍り付いているのかと思われたが、水晶化しつつある水がたくさんのトゲで覆われていて、
その角張ったところから蒼色のプリズム光が反射し、水面に揺れているのだ。
普通なら氷はトゲなんて出したりしない。
ゆらゆらと不安な眼差しを映し出す水面をのぞき込むと、トゲは水中でどんどん結晶化を進めており、
近くに沈んでいる枯れ葉や石ころ、泥に至るまで、いろんな物質を吸着し、肥大している。
そのため水面下ではすでに結晶化が始まっているようで、至るところでトゲは複雑に絡み合い、
その中で塊になったものが水の上に顔を出し、波に洗われているようである
一見すればプリズムのような光で満たされた光景は楽園のように美しいが、
突然この空間に迷い込んでしまったタケルとパタモンからすれば、
それは恐怖以外のなにものでもない。タケル達にとってこの世界はあまりにも美しすぎた。


タケルはデジヴァイスを手にした。パタモンも頷く。
エンジェモンに進化して上空から辺りを探索すれば、入り口が見つかるかもしれない。
このまま敵に見つかって、逃げまどうよりは幾分安全なはずだ。
タケル達の気持ちに呼応して、デジヴァイスが光を放つ。
ばさりと真っ白な翼を広げたエンジェモンがタケルを抱きかかえて空を飛ぼうと6枚の羽根を羽ばたかせたとき、
その風に煽られて、水晶のような光の鎧に覆われている周囲は、かちかちかちとそろばんを弾くような音を立てた。
脆い地面からはえているシダの葉っぱがつややかな茂みとなって、月夜に舞った天使をうつす。
天使の飛翔の煽りを受けて、ぎらぎらと草木が発光する。





がくん、とエンジェモンの態勢が崩れたのは、その直後だった。
急にぐらりと動いたかと思うと、エンジェモンは焦った様子で振り向いた。
エンジェモンが風を生んだ影響で光を発している外皮に張り付いていた粉がはがされ、
光の鎧をはがされた樹木は白っぽくなっており、接近していた別の植物にべったりとへばりついている。
風によって巻き上げられた謎の発光粉は、エンジェモンたちにまで舞い上がり、
妙に固く焼き鈍したような、溶解した粉が降り注いだのである。
どうやらその粉をあびてしまうと、生き物だろうが容赦なく結晶化していくようだ。
浮力を生む翼の付け根の部分が結晶化してしまい、エンジェモンの失速は止まらない。
必死で抱きかかえたままエンジェモンは落下し始めた。
タケルが見たのは、水晶の樹の周りにはコケがつららのような格子となって垂れ下がり、
頭の上の樹の天蓋からは月の光が絶え間なく差し込んでいる鮮やかな世界が反転している光景である。
どんどん降下していく世界に、もうダメだとタケルがきつく目を閉じた時である。突風が吹いた。
凄まじい風がエンジェモンを通り抜ける。思わず声を上げてしまったタケルが見たのは、
わが身を盾にしてまで守ってくれたエンジェモンの心強い腕である。
エンジェモンの翼を凄まじい勢いで結晶化させていた粒子が、
どこからともなく吹いてくる風によって、一瞬のうちに吹き飛ばされてしまった。
ようやく自由が利くようになったエンジェモンとタケルが辺りを見渡すと、
箒を持った人影があった。どうやらあのデジモンが助けてくれたらしい。


「あいっかわらずそそっかしいねえ、アンタたちは!なんでここにいるんだい、まったく!
 死にたいのかいっ!?ここがどこだか知らないわけじゃないだろう!」


金切り声が響いている。誰か知りあいのデジモン、もしくは人間と間違われているようだ。
ものすごい剣幕で怒っている女性型のデジモンは、返事をしかねているタケルたちを見て、
ますます生意気だとかなんとか怒っている。どうしたらいいのかタケルたちは途方に暮れた。
思わぬ言葉にぽかんとしているタケルは、知ってる?とエンジェモンに聞いてみるが、
いや、私も知らないなとエンジェモンは困惑しきりである。もちろん正真正銘の初対面である。


「なにしてるんだい、とっとと降りてきな、×××!パートナーともども石像になりたいんなら話は別だがね!」


彼女から紡がれたのは、男の子の名前だった。しかし、タケルの知らない名前である。
やっぱり誰かと勘違いされているようで、タケルはヒステリックに今すぐ帰れと叫んでいる彼女に向かって
大きな声で返すのだ。


「僕、×××じゃないよ!タケル、タケルっていうんだ!」


その言葉に彼女はようやく人違いをしていると気付いて、タケル?と小さく返した。


「選ばれし子供の名前じゃないのさ。本当なのかい?」

「そうだよ、タケル!選ばれし子供なんだ」


しっかりと手にしているデジヴァイスを掲げたタケルを見上げた彼女は、
そうかい!とそれはそれは真剣なまなざしで頷いて、おりてきな、と手招きした。
どうやらこのエリアでも選ばれし子供という英雄の名前は伝説として伝わっているようだ。


「ねえ、エンジェモン、いこう。僕漬物石にはなりたくないよ、絶対やだっ!」


これ以上浮遊を続けては粒子が再び拡散してしまうことを考えると危険だ、と言う
エンジェモンの懸命な判断によって、彼らは老女の姿をしているデジモンの前にやって来た。
彼女はすぐ後ろを振り返り、入りな、と先を促した。
そこにはシルバーガラスでできた洋風の建物が立っており、どうやら彼女の家のようだ。
突然迷い込んでしまったエリアで、幸いにも親切なデジモンに出会えたことに感動しつつ、
タケルとパタモンは彼女の家にお邪魔することにしたのだった。
小さなテーブルにある椅子に腰掛けたタケルとパタモンに、
彼女はもうほとんど残っていない冷蔵庫の中からなけなしの飲み物を出してくれた。
さすがに遠慮したのだが、大人の言うことは聞くもんだ、と押し切られてしまう。
ガラスのコップに並々注がれた飲み物に口を付けつつ、向かいに座った彼女は笑った。


「さっきはすまないねえ、×××とまちがえて。アンタは緑色の帽子をかぶってるだろう?
 あの子は黄色いよく似た帽子をかぶってたもんだから、間違えちまったよ。年はとりたかないねえ」

「あの、もしかして僕たちの他にもこの世界にきてる子がいるの?」

「いんや、ちがうよ。だから年は取りたくないのさ。何百年も生きてると、ほんの200年前のことなんて、
 ついこのあいだのことの様に思っちまう。ずっと前にいたことは確かだけど、さすがに今はいないだろうさ」

「に、にひゃくねん……そうだよね、いないよね」


がっくりと肩を落とすタケルである。
ちなみにタケルはデジタルワールドの1日が現実世界の1分だとはこの時知らない。
どのみち彼女の言うファイル島を救ったことがあるテイマーは、別の次元から召喚された人間だ。
そちらの人間の現実世界とデジタルワールドの時間の関係もまた違う関係にある以上、
タケル達がその子供と出会うことができる確率は、それこそ天文学的な数字になるだろう。
はあ、とため息をついたのは彼女だった。反応するところはそこじゃないとでもいいたげだ。


「タケルとパタモンだっけね?その様子から見るに、ここがどこだか分かってないだろう?」

「うん、しらない。ね?タケル」

「うん、しらないよ。気付いたらここにいたんだ」
 
「ふうむ、迷い込んじまったってわけかい?そりゃとんだ災難だ。おどろいたろう?
 しっかし、おかしいねえ、ここに通じてるゲートはすべて封鎖されてるはずなんだけど。
 タケルたちはどっからきたんだい?」

「サーバ大陸にある遊園地のエリアだよ」

「サーバ大陸かあ……そりゃアタシの管轄外だ。また迷い込まないようにこっちから手を回しとくから、
 安心しとくれ。悪いことはいわないよ、元のエリアに戻してあげるから、今すぐ帰りな」
 

彼女の眼差しは真剣そのものだった。え、でも、と言葉を続けようとしたタケルに、
彼女は外を目くばせする。うながされるまま、窓ガラスに目を向けたタケルたちは息を飲んだ。
かつて畑だったらしい地帯の柵は水晶の覆いを被せられ、連なりがまるで矢来のようになっている。
古い農園の残骸をつっきり、タケル達の高さまである緑色の植物に取り囲まれたアーチを抜け、
精巧を極めた彫刻を目指せば、この女主人の家に辿り着く訳である。
矢来の両側の真っ白な霜は、それぞれデジヴァイスくらいの大きさになっていた。
まるでウエディングケーキのようである。タイミングが悪ければ、危うく串刺しになるところだったらしい。
なにせ畑のところからここの家まで続く道のりは、水晶やガラスや石英の針が敷き詰められているのだ。
どのみち大けがは避けられなかっただろう。
間一髪の意味をパタモンとタケルは、女主人に呼ばれて窓の向こう側をのぞき込むことで知ることになる。
まるで黄昏が訪れたかのようだった。真っ赤な光が通り過ぎていく。
そのあとに残されたのは、もう一波通り過ぎた豪雪のようだった。
水晶のような樹が輝く洞窟の石像のように垂れ下がり、葉が宝石の枠を作って、
解け合い、プリズムの格子になって、その合間から何百もの虹を作って照りつけている。
驚異ともいうべき光景である。自然の成り行きでは絶対に起こりえないグロテスクな美しさが広がっている。
視覚上の驚きだった衝撃を通り過ぎたタケル達は、この光り輝く森が見捨てられた煉獄のように感じられた。
敷居を張り出したベランダ状のところから見える景色は、言いようのない恐怖を与える。
草木を覆っているてかてかとした水晶の輝きが先程より鈍く、かすんでいる。
もう一層水晶の層が出来上がった証拠である。
地面に敷き詰められているガラス針は、すっかり槍にでもついていそうな大きさにまで成長している。
色鮮やかな光の鎧の輝きは消え去り、変わりにほのかな琥珀の輝きが広がっていた。
辺り一面に濃い霧が発生しており、結晶化の勢いを早めていることは明白である。


「危ないところだったねえ」


ぱらぱらぱら、と老婆はタケルとパタモンの周りを軽く払ってくれた。
開花した花びらのように何百と張り付いている水晶の欠片が、タケルの足元にある絨毯の上に転がった。


「あの一波に巻き込まれたが最期、方向感覚を奪われて右往左往しながら、
 結晶化の進行が加速するエリアまでさまよい歩く事になっちまうのさ。
 アンタたちはすることがあるんじゃないのかい?こんなところで油売ってちゃだめさね」

「えっと、その、僕たち、探さなきゃいけない物があるんだ。それを見つけるまでは帰れないよ」

「そんなに大切な探し物って……もしかして紋章かい?それならこのエリアには無いよ。
 ここはアンタたちがくるずっと前からゲートは閉じてるからねえ」

「紋章のことしってるの?」

「まあねえ、これでも昔は守護デジモンをやってた身さ。噂はかねがねしってるよ」

「それなら、その、お願い、一緒に探してほしいんだ。
 お日様が山から登ってくる黄色い紋章と、ハート形の真っ赤な紋章があってね、
 希望と愛情って言うんだけど、泥棒が入ってきて、盗まれちゃったんだ」


懇願するタケルの言葉を聞いた彼女は、さっと血の気が引いたのか顔が青ざめる。
どうやら選ばれし子供にとっての紋章の価値が分かっているようだ。
ちょっと身を乗り出して、彼女は少々興奮した様子でまくしたててくる。


「盗まれたって、それは確かなのかい?ここに迷い込んできたってことは、まさか、
 その不届き者はこのエリアに逃げ込んできたってことでいいんだね?タケル」

「え、あ、う、うん、そうだよ。僕みたもん。紋章もって逃げちゃったの」

「そうかい、そうかい、そりゃ災難だったねえ。ったく、あっちのヤツラは何してんだか。
 最後の最後まで後手後手じゃないのさ」


苛立ったように舌打ちをした彼女は、申し訳なさそうにタケルに向かう。


「面目ないねえ、アンタたちには苦労ばっかりかけてるみたいで申し訳ないよ。
 アタシはココから離れられないから、あっちが今どうなってるのか分からないんだ。
 そういうことなら仕方ないね。アタシも協力させてもらうよ」

「ホント?ありがとう!」

「ああ、それくらいしかアタシにできることはないしねえ。
ところで、その泥棒はどういう奴かわかるかい?」

「ううん、真っ暗だったからよくみえなかった。でも、これくらい小さな隙間から見えたから、
 これくらいの大きさだと思う。あと、そうだ、扉をすり抜けちゃうんだ」

「うーん、それくらい小さいなら幼年期のデジモンだろうけど、扉をすり抜けちまったりするなら、
 バケモンたちにもできそうだねえ。ゴースト型のデジモンなら誰にだってできるだろうさ」


そっかあ、とタケル達はため息である。
ようやく一波と呼ばれている風が通りすぎたらしく、ステンドグラスのような天蓋から、
穏やかな日だまりが生まれた。
森は多くの光を集約した虹の終着点となり、玉虫色の帯が辺り一面に輝いている。
すっかり水晶に覆われてしまった女主人の家は、彫刻の施された豪邸のように様変わりしている。
芝生に映えている水晶の葉っぱは鋭利になりすぎていて、スポーツシューズでも貫通しそうである。
これはおとなしく琥珀色に輝く山道をたどった方が良さそうだ。


「しっかしまずいことになったねえ。ただでさえ、10個ある紋章のうち2つが行方不明のままだってのに、
 次から次へと紋章が盗まれてると来た。いやな予感しかしないよ」

「え?10こ?あの、紋章って10個あるの?」

「うん?不思議なこと聞くねえ。アンタたち、10人いるんじゃないのかい?
 紋章やデジモン達がいなくて、さぞかし大変だろうと思ってたんだけど」

「僕たち8人しかいないよ?」

「………そうかい、わかったよ。ありがとうね、タケル。
 アタシの考えている以上に、状況は最悪らしいってことがよくわかった。
 とりあえず、選ばれし子供は10人必要なんだよ。絶対ね。
 まあさすがにホメオスタシスがなんとか手を回してくれてるだろうとは思うけど、
 そうか……まだそろってないと来たか……もし新しい仲間が加わったら
 いきなり巻き込まれることになると思うからね、しっかりフォローしてあげなね」

「うん、わかったよ。教えてくれてありがとう」

「ねえねえ、どうしてそんなことまで知ってるの?」


パタモンの素朴な疑問に彼女は笑った。


「そりゃアタシが占い師だからさ。未来を予知するくらいなら朝飯前さね。
 アンタたちのことはずーっと前から知ってたよ。そしてこの日が来ることだけを希望に待ってたのさ。
 よく来てくれたね、タケル。それだけでアタシはまだまだ老体うって頑張れるってもんだ。
 とりあえず、泥棒捜しなら水をたどっていくとしよう。
どうやらこの結晶は水の中に入ると結晶化するのがてんで鈍くなるみたいでねえ、
いずれは塊になっちまうだろうが、 この空間にわざと逃げ込んできた奴が相手なら、
それくらいの知識はあるはずさ」


タケルとパタモンは顔を見合わせてはにかんだ。
めんと向かって褒められると照れくさいものがある。
今日はもう遅いから一泊していきな、と進めてくれた彼女の好意にタケルたちは甘えることにした。










タケルは、露店の台に並んでいる彫刻や骨董品を眺めた。
不要鉱物を活用しているチーク材と象牙の彫刻の作り物の多くは
廃棄鉱物の屑山から拾い集めた方解石やほたる石の断片で装飾され
それらが彫刻像の小さな王冠やネックレスとして取り付けられている。
不純な翡翠や琥珀の塊から作られた彫り物が多く、それらを作った彫刻士たちは、
宗教的なイメージを忠実に再現するつもりはないようで、前衛的な肖像を作り上げていた。


「すごーい、きれいだね」


カルシウムの水晶が像の目になっているようで、陽光の中で燐のように瞳が輝いている。
女主人はこの好機を逃すまいと大きく格好を崩して愛想笑いすると、
台の奥の方を覆っていたキャラコの布を取り除いた。
タケルは手を伸ばして女主人がタケルとパタモンの目にさらした装飾品を取ろうとした。
しかし、彼女は彼の両手を押し戻した。


「坊や、お金は持っているのかい?」


これは見せ物じゃないんだ、触らないでほしいんだよ。ごめんねえと笑う女主人に、
タケルとパタモンは落胆した。


「これじゃだめだよね?」


財布から差し出された1円玉、5円玉、100円玉、500円玉だが、
女主人は肩をすくめ、首を振った。
彼女の手の中で陽の光にきらめいているのは、石英のような鉱石を掘って作られたと思われる、
巨大な水晶の薔薇らしかった。
薔薇の形がそっくりそのまま再現されており、それが水晶の台にはめ込まれている。
大きなカットグラスのペンダントの中央に薔薇の生け花が差し込まれているのだ。
石英の内側の面は素晴らしい技巧でカットされ、薔薇のイメージが20も30も重なり合って、
まるで入り組んだプリズムを通してみたときのように屈折している。
光が絶え間なくわき出るイズムのように、この宝石から注ぎ出ていた。
薔薇の隣には半透明の翡翠のような石を彫って作った葉っぱと小枝がある。
葉っぱはどれも精巧に本物らしく作られており、静脈が結晶体の表面の下でうっすらと格子骨格模様を作っていた。
枝の割れ目から春を待つ芽や小枝の小さなしなり具合という事細かな部分まで、忠実に作られていた。
その横には、キノコや小石と言った彫刻の題材とするには少々風変わりな彫り物もある。
それらの彫刻を取り囲む台座の表面を通して、自分の姿が幾重にも屈折されて見え、
全体がその姿で光り輝いていた。島根のおばあちゃんの部屋にある三面鏡の間に首を突っ込んだ時とよく似ている。
タケルとパタモンがのぞき込んでみると、彫り物と光源の間に影が入り込んでしまったが、
それでも彫り物の中は光で満たされている。どうやら光源が内部にあるようだ。


「中に電気入れてるの?」

「種も仕掛けもありゃしないさ、あたしゃペテン師でも詐欺師でもマジシャンでもない。 
 ただの露天商の女主人だよ。持ち上げてご覧、こいつらが光ってるのさ」


手渡された水晶の葉っぱを注意深く観察してみるが、豆電球らしき物は見られない。


「アレのおかげさ」


天高く女主人が空を指差す。釣られるようにして空を見上げたタケルとパタモンは、
夜空に輝く満天の星にようやく気付く。名前も知らない星座の中に、ぽつんとひとつ、
かつてないほどの光度を持っている星が通っているのが見えた。流れ星である。
前方には巨大な光の冠を携え、まっすぐに閃光を描く流れ星は、そのあまりのまばゆさで、
周辺の小さな星々の輝きを根こそぎ奪い取っているようだ。
流れ星の輝きは少なくても満月に見える月光よりも何十倍も輝いていて、
タケルが生まれてきてから、何度となく見上げてきた夜空で初めて月が2つあると錯覚思想になるほど、
燦然とした光を放ち続けているのである。
これだけ大きな流れ星だったなら、サーバ大陸全土で見えているに違いない。
もしかしたら、サーバ大陸から遠く離れたファイル島、もしくは周辺の島々でも。
この巨大な空の灯りは、女主人が売り物にしている宝石の彫刻と同じ光で輝いているような気がした。


「ねえ、パタモン、デジタルワールドでも流れ星って見えるんだね」


生まれて始めてみたと感動しているパートナーに、えっと、とパタモンは困ったような顔をする。
パタモンのつぶやきなど届いている筈もなく、タケルは空を見上げている。
デジタルワールドは破損したデータが積み重なって構築されている世界である。
決まった周期で雨が降り、決まった周期で季節が訪れ、決まった周期で環境は保全されている。
現実世界のように毎年変化が訪れる世界ではなく、タケルが考えているよりも単純な世界である。
この世界に存在しないデータがもたらされたことで変化することはあるのかもしれないが、
少なくてもパタモンの記憶がただしければ、パタモンが生まれた200年くらいは
今の時期に流れ星が見えたことは一度もなかったはずである。
サーバ大陸のみで観測される事象ならばピラミッド迷宮から一度も出ることなく誕生し、
ファイル島のはじまりの町育ちのパタモンが知らないのも無理はない話である。


「この辺りでは流れ星が見えるの?」

「いんや、そんなことはないよ。あたしだって見たのはこれで2回目だもの。
 久しぶりに隕石でも落ちたんだろうさね。
 今頃ファイル島では何百年ぶりかのデジモンの誕生だね」

「え、デジモン?さっきのデジモンなの!?」

「きっとダイノ古代境に落ちたんだろう。なあに、心配するこたあないさ。
 あんた達の世界だって桃やら竹やら木の実やらから子供を授かる奴もいるんだろう?
 空からデジモンが生まれたってなんにも不思議な事じゃないよ」


今頃守護デジモンの誰かがインセキモンを保護してるだろうさ、と彼女は快活に笑った。


「ねえ、パタモン。時々この世界って、物凄くそのまんまなデジモンいるよね」

「そうかなあ?」

「インセキモンとか、そのまんまだよ」

「僕はそのまんまじゃないよ」

「うん、しってる」

「……」


なんかすっごくばかにされた気分!とパタモンはむくれた。


「……って、あの流れ星とこの水晶はなんの関係もないじゃないか!教えてよ、この光のひみつ」

「おや、本当にそう思うかい?」


けたけたと女主人は笑った。
そして、すっぽりと覆っているローブからほっそりとした腕を差し出したのである。
ぱらぱらと水晶の欠片がこぼれ落ちた。よく見れば発光する木々に自生していた結晶のコケが付着していた。
何か持っているのかとのぞき込んだタケルとパタモンは、暫し言葉を失ってしまった。
女主人が差し出した右腕は、肘から指先まですっかり半透明の結晶体に包まれていたのである。
まるで腕が結晶化して半透明の物質の塊となっていたのだ。
手と指先のプリズムのような輪郭が幾重にも多彩に反射して見える。
一見すると大きな宝石で装飾されたコテにもみえるそれは、ぴったりと女主人に張り付いていて、
間違いなく肘の辺りから腕そのものが硬質で鮮やかな光を放ち始めていたのである。
水晶状の塊にしっかりと包まれてしまっている。
自分では持ち上げられないほど重いらしく、指はほとんど動かすことができず、
迷宮のように輝く螺旋の虹の中で輪郭を浮かび上がらせていた。
めりめりめり、と水晶の破片が落ちていく。
動かないとどんどん進行していくんだよ、と腕を廻す彼女の腕から結晶がはがれ落ちていった。
頸と肩を結晶の帯が捉えたら最期、恐らく彼女はその場から一切動けなくなり、
一気に肖像化が進むのだろう。
神秘的だけども、ぞっとするほど恐ろしくきらびやかな現象に、タケル達は女主人を見た。


「大丈夫なの?」

「大丈夫に見えるんならたいしたもんだ。ああ、触っても大丈夫だよ。すぐに払い落とせば問題ない」


おそるおそる指先に触れたタケルは、水晶化した物体が宝石のような光を放っているが、
それはあくまでも月光のようなものであると知る。まるで人形のような手だった。
ぞっとするほど冷たい、まるで死体のように温度を全く伴っていなかったのである。
さすがに怖くなって反射的に距離を取ったタケルは、怯えた様子で女主人を見た。
傷ついた笑みをたたえている彼女に申し訳なくなって、ごめんなさいってタケルは謝る。


「気にしなくていいよ、これは呼ばれざる客だけを蝕む呪いみたいなもんだからね。
 アタシもこういう類のは初めてだが、気を付けてれば死ぬわけじゃないから大丈夫さ」

「のろい?」

「ああ、呪いさ。風土病とも言っていい。気を付けるんだね、タケル。長居すると出られなくなるよ。
 身体の一部が結晶化でもしてみな、そこからあっという間に体中に結晶化の粉が巡って
 どうしようもなくなっちまうんだ。だからわざわざ代謝の悪い婆の姿をしてるわけだからねえ。
 子供は代謝がいいからね、気を付けるんだよ」

「どうしてそんな怖いものがあるの?」


さあねえ、と女主人は肩をすくめた。
始まりは衣装に付ける宝石を扱う商いが上質な品物を持ち込んだのがきっかけらしい。
そのうちに、小さな彫り物や聖器が出回るようになり、一大産業にまで発展したそうだ。
のちに結晶地帯と呼ばれ、この結晶化する粉末により彼女のような病を患うことになったことを恐れたデジモンたちはいなくなり、
商売のために時折命の危険を冒して立ち入る以外来訪する者はいないらしい。
安っぽいお土産品を持っていって、一晩それを放置して、翌日取りに行くと結晶化し、
宝石まで発生するとのことである。実質移動の労力しかかかっていない。
水晶の急成長が起こっているその地帯で作られたものの特徴として、
女主人が並べている品物のように光を放つという不可思議な作用が付随するとのこと。


「もしかしたら、その泥棒っていうのはこの先にあるエリアに逃げ込んだのかもしれないねえ」

「エリア?」

「ああ、そうさ。あたしみたいな手の施しようが無いほどにまで悪化しちまった上に、
 とんでもない物好きはここに留まってるけど、
 ほとんどのデジモンたちはあの先にあるバリケードで結晶地帯の浸食を防いでる安全地帯でくらしてるのさ。
 あそこの住人たちなら何か知ってるかもしれないねえ」


琥珀の道を指差す彼女は教えてくれた。
銀色の水晶がしなだれかかっている宝石化したクモの巣の向こう側には、
橋の残骸があり、結晶化を免れている川が流れているらしい。
その先に墓石のように人の気配がない白い建物が点在していて、
彼女と同じ病に苦しむデジモンたちを世話する病院があって、
さらにその先に小さな町があるとのことである。


「でもどうやっていけばいいの?」

「それくらい案内してあげるさ。そうだ、これを持っていくのを忘れないようにね」


ほら、と彼女が手渡したのは、どうやら結晶化現象によって発生したのではないガラス玉のようである。


「なに、これ?」

「タケル、みて!タケルの帽子についてた結晶、溶けて消えちゃったよ!」

「ほんとだ!すごいや!これ、宝石なの?」

「あはは、誰がただで宝石なんかあげるもんかい。それはただのガラス玉だよ」

「でも、すごい!なんで結晶溶けちゃったの?」

「氷は流れのある水を凍らせることができないのと同じさ」

「?」

「ガラスってのはね、いくら冷やし続けても、結晶化はしない不思議な物質。
 そもそも固体ってのは、温度が低くなって結晶になったのを言うんだけど、
 ガラスはそれが無いんだよ。ガラスは固体の仲間じゃないのさ。
 だからガラスは異常に粘度が高くて、剛性がある不思議な液体なんだね。
 長い年月がたつうちに、少しずつガラスはたれてくる。  
 長い年月を過ごしてきたステンドグラスってのは、上に比べればやや下側が厚くなってるんだ。
 さすがに川に浸りながら町を目指すって訳にはいかないだろう?
 それを肌身離さず持ってれば、少なくても行き倒れの挙げ句新しい彫刻の完成ってオチにはならないさ。
 気を付けなよ。坊やたち人間、それにエンジェモンみたいな天使属ってのはそれだけで絵になるからね。
 オークションの目玉にならないことを祈ってるよ」

「ありがとう!でも怖いこと言わないでよ」


試しにタケルは窓を開けて、女主人からもらったガラス玉をかざしてみると、
プリズムの光を吸収しながらガラス玉は少しずつではあるものの、
結晶によって磨りガラスと化していた窓を普通の状態にまで戻してくれた。


「ねえ、これじゃその腕は、直せないの?」

「あっはっは、さすがに1時間毎にガラス玉を砕いて飲むのもこの老いぼれにはかなりの重労働なのさ。
 こうして身体を動かしながら、迷い込んでくるあんたらみたいなのを助けてる方が楽しいんでね。
 ガラス玉の効果はいつまでもある訳じゃない。注意するんだよ」

「うん、わかった。ありがとう!」

「ねえ、お名前、聞いてもいい?」

「しがない占い師さ、名乗るほどのもんじゃないよ」


どこかひねくれている彼女は意地悪に笑った。


「地獄へようこそ、タケル。ここは暗黒勢力の浸食が最も激しい最前線のエリアなのさ。
 裏次元とも言うけどね。もしここから生きて帰ることができたなら、名前くらい教えてあげてもいいよ」


さらっととんでもない爆弾を投下されたタケルとパタモンは、
ようやく自分たちが置かれている状況がとんでもないことに気付いて青ざめるのである。
わたわたし始めたタケルたちを眺める彼女はどこか楽しそうだ。どこか懐かしそうに眼を細めている。
ちらりとタケルが見た先には、彼女の眼差しがポラロイド写真に向けられていることが分かった。


「そこにいるのが×××君?」

「そうさね。選ばれし子供ではなかったけど、デジモンを育てることにかけちゃ
天才的な才能を持ってた子だったよ。だからこそ、アタシが呼んだんだけどねえ。
ウィルス種だろうがワクチン種だろうが奴に育てられたデジモン達は、そりゃもう強かった」

「それってもしかして、ブリキモンが言ってた英雄のことかな、タケル」

「それ僕も思った!あのね、遊園地エリアで聞いたんだよ。昔話」

「そーか、そんなに昔の話になるんだねえ。また撮りたいもんだ。
ぜんぶ終わったら、ここに飾る写真を増やして欲しいもんだね」

「写真・・・かあ、うん、僕もほしいなあ。だれか持ってないかなあ、カメラ」


彼女の眼差しは優しい。色あせてしまった写真には、様々なデジモン達がうつっている。
この写真に写るどのデジモンが彼女に当たるのか、タケル達にはわからない。
彼女は笑った。


「いいかい?ガラスってのはね、冷えて固まっているように見えて本当はゆっくり動いているのさ。
 ただし何十年も何百年も何千年もかけて少しずつゆっくりとね。
 あんまりゆっくりなんで人間の目には止まっているようにしか見えないだけ。
 でも何千年も生きるあたしらデジモンは、ガラスが動いているのを見ることが出来る。 
 でも、人間であるお前のパートナーは絶対にあたしらと同じ立場で同じ目線で見ることはできない。
 今を大切にするんだよ。同じ世界に存在しながらあたしらと人間はまったく違う時間を生きているんだから」



[26350] 第三十五話 かわれないまち
Name: 若州◆e61dab95 ID:15821ef9
Date: 2013/08/03 00:44
タケルは服から露を払い落とし、パタモンは翼につららのようにならぶ水晶の破片を振り払う。
そのたびに、ぱりん、と凍りついた水たまりを踏みつけた時と似ている澄んだ音が響いた。
小さな街のエリアの空気はひんやりとしていて、一人と二体の息が白く染まる。
まるで雪国のようだ。あの水晶化現象が加速する謎の風が通り過ぎていったためか、
すべてのものがガラスに覆われた風景が延々と続いていた。
唯一動いていたのは、水のながれだけである。水に浚われている石や水草は生き生きとしていた。
おばあちゃんデジモンの言うとおり、この世界で唯一緩やかに動いている川の流れに沿って、
タケルはパタモンと共に歩いてきた。変わり映えのしない空は時間の感覚を狂わせるが、
途方もない時間歩き続けてきた気がする。きっと気のせいだとおもうけれども。
さあ、もう一息だ、と遥か遠方にバリケードの壁が見えた時、一人と一匹は安どのため息をついた。
彼女に促されて川から離れ、つるつるしている参道を滑りながら進む。
足跡がまるで露にすっかり濡れた草の上を歩いたあと、
そのまま瞬時に凍り付いてしまったかのように、結晶化が進んでしまうのだ。
浅瀬を選んで歩いてきたから、靴はそれほど濡れていないが、水滴が飛び跳ねては軽快な音を立てる。
弾けるような凛とした音の正体は、金ぴかにきらめいている小さなビー玉だ。
そのうち一つが彼女の足元に転がった。それを拾い上げた彼女はタケル達に問いかける。


「アンタたちにはここのエリアはどう見えるんだい?参考までに聞かせてくれないかねえ」

「きれいだよ。今まで見たことないくらい、とってもきれい。でも、なんか怖いや」

「タケルはそうなんだ?ぼくは、あきちゃった。どこまでいっても同じなんだもん」

「あっはっは、なるほどねえ。アタシもそうさ、見飽きたよ、こんな世界。
 今はまだいいさ。アタシもまだまだがんばれる。デジタルワールドとこのエリアのほころびが
 出始めてるみたいだけど、なんとか持ちこたえて見せるさ。だから、がんばっとくれよ、アンタたち」


本来通じているはずのエリアをすべて封鎖して、完全に隔離されているという裏次元である。
彼女はココにいる理由をはっきりとは教えてくれない。
たったひとりであんなところにいたのは、もしかして。なんとなく、タケルは思った。
彼女にはすべてお見通しなようで、余計な気遣いは野暮ってもんだと笑うだけ。
このデジモンがいてくれてよかった、と心の底から思うしかない。
凍り付いたような静けさは、目の届く限り果てしなく続いており、
タケルとパタモンは巨大な氷河の洞窟に閉じこめられたような錯覚を起こす。
さいわい頭の上で輝いている満天の星空がその想像と現実が違うことを教えてくれた。
川に沿って街を目指すといい、という忠告は正解だった。
結晶化の進んだ森は際限なく入り組んだ迷宮のようになっており、
ピラミッド迷宮よりも遥かに複雑怪奇なのである。
ガラスの洞窟となっており、外の世界から完全に密封されていたのだ。
そのせいで、デジヴァイスやライトなど限られた光源が幾重にも反射する世界では、
地下の灯りに照らされているような錯覚を覚えてしまいかねない。
間違いなく迷子になる。考えるだけでもぞっとする現実だ。


すごいなあ、とタケルは大切に持っている不思議なガラス玉をみつめる。
くるりと反転してゆがんでいる緑の帽子をかぶった男の子がこっちをのぞいていた。
タケルとパタモンは一度も結晶化することなく、無事に目的地に到着したのである。
もう目と鼻の先にあるバリケードのシャッターをくぐりぬければ、デジモンがいそうな居住区が姿を現した。
それでもガラス玉が防ぐことができる結晶化の範囲は限りがあるようだ。
離れれば離れるほど効果は薄れてしまうらしく、ちょっとでも気を抜くと
すぐにガラスはウロコのように張り付き始めている。だからまだ安心できない。
ぱらぱらと払ってしまえば問題はないが、表面積が大きいほど結晶が付着する部分も多くなる。
タケルがガラス玉をかざさなければ、そこを基点にドンドン肥大化して重くなってくるのだ。
このエリアから無事に出られますようにって願いながら、タケルは水晶をポケットに仕舞い込んだ。


すっかり宝石と螺旋の装飾に飲まれているボートと船着き場と思われる場所を見つけたので、
タケルとパタモンはようやく彼女が川から離れた理由を知るのだ。
宝石と結晶の濁流にのまれたのだろう、あまりにも動きがない上流は容赦なく結晶化が進む。
その川の彫刻を背に、タケル達は彼女の後を追う。
まるで墓場のように点在している白い建物についている何枚かの窓ガラスは、
一旦粉砕されたのちに、カーペットの上で再びくっつけられたような形をしていた。
月明かりに照らされるまるでカーペットの装飾的な模様が、水晶の表層の底で泳いでいた。
誰かいないかと窓から様子を覗いてみると、どの家の家具もてかてかとした光の鎧に覆われ、
壁に並んでいるイスの腕木や足、背もたれの部分は水晶の渦巻きのような、
螺旋のような装飾に覆われている。
螺旋状のテーブルは、象眼細工の長いすであり、この家の住人が一人であることを示している。
巻軸装飾の骨董がたくさん並べられているが、伸びすぎた山羊のツノみたいにねじくりまがって、
今にもおれそうなくらい不格好になっている。。
一際目をひくのは、大きなオパール色の宝石がぶら下がっているシャンデリアだ。
部屋の中にあるあまたの反射が、カットグラスの枠に入れられた巨大な作品のように輝いている。
誰かいませんか、と呼びかけると、奥の方にある扉が開いた。
影がゆっくりと近付いてくる。
そして、ずっしりとした絹模様のカーテンから、水晶の断片をこすり落としながらも、
からからからと明けてくれた。うっすらとしか見えなかったまばゆさが一気に輝きを増す。
窓に当たった石化した木々を鮮やかに揺り動かす。
白い東屋が巨大な水晶の王冠に変質しているのだ。象眼した宝石のようにちらついている小窓が開いた。


「ダレ?」

「ダレダレ?」

「ダーレ?」


聞き分けられたのは、ここまでである。
極めて珍しい来客なのだろう。好奇心をくすぐられた無邪気な声が響き渡る。
爛々とした小さな眼差しが、2つ、4つ、8つ、とねずみ算も真っ青な速度で増えていく。
わらわらわらわらと膨張するように広がっていく。さすがにタケル達は一歩下がった。なんか怖い。
まだ言語能力がないデジモンも混じっているようで、すっかり押しつぶされてしまったこたちが、ぴーぴー泣きわめいていた。
ばらばらばらばら、と絨毯に転がされた彼らはめげることなくタケル達の前に大集合する。
上から上にとトーテムポールのように積み上がっていくデジモンたち。
出てきたのは、いずれも幼年期の小さなデジモンたちだった。
あれ?テーブルにイスは一つなのに、なんでこんなにいっぱいのデジモンたちが住んでるの?
明らかに数が会わないし、あのイスにこんな小さな身体をしたでじもんたちではとてもではないが届かないだろう。
落ち着いて、落ち着いて、と冊子をはじき出されて落っこちそうになるポヨモンを戻してあげたタケルは、とりあえず聞いてみた。
さすがにこんな小さな子たちではタケルが捜している泥棒のことを来ても分からないだろう。


「ぼく、タケル。このこはパタモンだよ。ねえ、この街にはキミたちしかいないの?」

「僕みたいに成長期とか、成熟期とかのおっきいデジモンっている?」


結晶化の進むエリアにほど近いこの街は、大きな大きなバリケードに覆われているのだ。
幼年期のデジモンたちではとてもではないが、生活をする事は難しいだろう。
ピョコモンたちの村のように幼年期のデジモンだけで生活をするのは不可能だとまでは言わないが、
あの村は彼らの生活スタイルに合わせて全てがスモールサイズだった上に、
近くには火山のエリアを守っているメラモンという守護デジモンがいて、
辺りの環境を守るために尽力しているからこそピョコモンは安全に暮らせているのだ。
この家は明らかに別の世代のデジモンが住んでいて、きっとこの幼年期のデジモンたちは
そのデジモンが守っているのだろう、とタケルは考えたのである。きっとはじまりの町のように。
どうやらその予想は当たっていたようで、いるよー!とどこかのだれかが声を上げ、
口々に色んなデジモンの名前を口にし始めたものだから、何がなんだか分からなくなってしまった。
どうやらこのエリアの代表はオモチャの街のように複数のようである。
えーっと、どうしよう、と考えていると、幼年期の一匹がおばあちゃんデジモンに気付いたらしい。
きゃっきゃと騒いでいた幼年期の群れがあっという間に彼女の周りを取り囲む。


「ばばもんさまー!」

「ばばもんさま!?」

「ほんとだ、ほんとだ、ばばもんさまだー!」

「どうしてここにいるのー?」

「なんでとつぜんいなくなっちゃったのー?」

「さみしかったのに!」

「かなしかったのに!」

「なんにもいわないでおわかれなんてひどいよ、ばばもんさまー」

「わるいねえ、坊やたち。こちとら仕事があるんだよ。
 しっかし、けったいな姿をしてる奴ばっかりじゃないのさ、アンタたち。
 アタシの記憶が正しければ、アタシがアンタらと別れたのはかれこれ200年ほど前のはずだけど?
 なんだってまだ、はじまりの街から出ちゃいけない幼年期のまんまなんだい。
 ふつうならアタシのことなんざ知らない世代ばっかのはずだけど?」


ババモンとよばれた彼女の言葉に、タケルはすぐにここにいるデジモン達の異常さに気付くのだ。
ここにいるデジモン達は幼年期の前期と後期でいうところの前期に当たる赤ちゃんばかりなのである。
幼年期の後半は、サーバ大陸でもファイル島でもエリアごとに生息域があったけれど、
幼年期の前半は必ずはじまりの街で、エレキモンを始めとした守護デジモンたちに愛されながら育つのだ。
幼年期というものは時間経過と共に過ぎていくため、ポヨモンはトコモンになるのにあまり時間はかからなかった。
でも、200年である。いくらなんでもかかりすぎだ。彼女の疑問に、けろっとした顔で彼らはいうのだ。


「だってこわいんだもの」

「おっきくなりたくないんだもん」

「みんなとずっとあそんでたいんだ」

「みんなといっしょにいたいんだ」

「ここにいたら、ずっとこのままでいいっていわれたんだもん。
 エレキモンたちみたいに、いじわるいわないんだもん。
 だからここにいるんだよ」


ねー、と愛らしく相槌をうつ彼らに、ちょっとだけタケルとパタモンは怖いとおもったのだった。


「まあ200年もあればいろんなデジモンが生まれるからねえ、
 アタシのしらないやつがいたっておかしかないか。でも、ちょっといただけないねえ」


彼女は思うところがあるようで、ちょっと渋い顔をする。


「あ、バーガモン」


バーガモン?思わずタケルとパタモンは顔を見合わせる。
彼女は懐かしい顔を見たとでも言いたげに、口元を釣り上げ弧を描く。
なんかおいしそうと言いかけたパタモンをタケルは反射的に黙らせた。
言わないで。分かってるから言わないでよ、僕だって我慢してるのに!
でもバーガって、もしかして、もしかしなくても、あのハンバーガーのバーガ?
思わず笑みがこぼれてしまう。思いっきりそのまんまなネーミングだ。
その言葉を聞いて真っ先にタケルが思ったのは、ハンバーガーに手と足が映えていて、
ハンバーグやキャベツ、トマトが入っている辺りに舌が映えているアリカンチックなモンスターだった。
世界で一番売れているギネス記録更新中の某トレーディングカードゲームではない。ちなみに奴は戦士族。
え、どうしよう、と考えた。ちょっと考えた。おいしそうとか言ったらまずいよね、と思ったのは、
きっと夜遅くとはいえたくさん動き回って少し小腹がすいたからに違いない。
そんなこんな考えている内に、タケルとパタモンの前に現れたのは、タマネギだった。


「あ、バーガモン、お帰り」


おかえりー、と一斉にふり返った幼年期のデジモンたちに、こくり、と見るからにタマネギ頭の二頭身なデモンは頷いた。



着ていそうな白衣をずるずると引きずりながら、等身大ほどの巨大なフライ返し片手に現れた彼は、
初めて見る窓からの客人に目をぱちくりとさせながら、幼年期のデジモンたちを見た。
どうやらこの見るからに青いネクタイがぶかぶかなデジモンがこの家の主のようだ。
こんばんは、とタケルたちは挨拶したのだが、こくり、と軽く会釈する程度でバーガモンと呼ばれたとんがり頭は喋らない。
うんともすんとも喋らない。吃驚するほど無口である。言語能力がなかったポヨモンだって、
あーとか、うーとか言葉にならない音を発声していたというのに、異様なほど物静かな彼は、
彼にまとわりついている幼年期のデジモンたちを見た。
どうやらずいぶんと慕われているらしく、ただでさえ裾上げしていない服はずるずると成ってしまっている。
ちらりとタケル達を見たバーガモンの言いたいことが分かったのか、
さっきタケルに落っこちそうなところを助けてもらったポヨモンが
バーガモンの頭にへばりつきながら言った。


「オレンジ色のデジモンがパタモンで、あの緑のがタケルっていうんだって。
 この街の成長期以上のデジモンは誰か教えてって言われたんだ」

「えっと、その、こんばんは。こんな時間にごめんなさい。えっと、その、僕たち捜し物してて。
 あの川の向こう側にするんでるおばあさんデジモンから、ここなら見つかるんじゃないかって言われてきたんだ」

「ちょっとでいいからお話聞いてくれないかな?」


きょとりとバーガモンと幼年期のデジモンたちは顔を見合わせた。
そして、一匹の幼年期デジモンがタケルに問いかける。


「こんばんはってなあに?」


思わぬ質問に面食らったタケルだったが、辺りはすっかり真夜中である。何も変なことではない。
でもこの子はまだ小さいから知らないんだろうなと勝手に自己完結してタケルは教えてあげたのだ。


「こんばんはは夜の挨拶なんだよ。お日様が昇ってきたらお早う、真ん中くらいでこんにちは、
 お日様が沈んだから、こんばんは、なんだよ」


え?と不思議そうに幼年期のデジモンたちは首を傾げている。


「お日様ってなに?」

「夜ってなに?」

「真っ暗の挨拶がこんばんはなら、この街の挨拶はいつでもどこでもこんばんはだよ?」


今度はタケルとパタモンが驚く番だった。


「おはようとこんにちははいらないよ。だってずっとこんばんはだもの」


ほんとうに?と念のためバーガモンにも聞いてみるのだが、
フライ返しに乗っかってぴょんぴょこ飛び跳ねている幼年期デジモンの相手をしながらふり返った彼は、こくりと頷いた。


「バーガモンはとっても無口なんだよ」

「でも料理はとってもおいしいんだよ!」


どうでもいい情報ありがとう。
どうしよう?と途方に暮れるタケルとパタモンを見かねてか、フライ返しを背負った彼は、
ちょいちょいと手招きする。入ってもいいだって!とどういう訳か意志疎通が可能らしいポヨモンがタケル達に教えてくれる。
あっちー、あっちだよー、裏側の扉が玄関、と口々に幼年期のデジモンたちが教えてくれる。
ほっとした様子で肩をすくめたタケルとパタモンである。


「窓締めて!」

「早くはいって!」

「お地蔵様になっちゃうよ!」

「どこかに売られちゃうよ!」

「もってかれちゃうよ!」


きゃー、と勝手に怖がっている無邪気な不気味さにちょっと背筋を寒くしながら、
タケル達はバーガモンたちの家にお邪魔することにしたのだった。


「………」

「どうしたの?タケル。食べないの?おいしいのに」

「ううん、食べるよ。食べるけど、その」


なんとも居心地悪そうにタケルは螺旋装飾の座り心地が悪いイスに座り直した。
見渡す限りトトロに出てくるまっくろくろすけのごとく、足元にもテーブルの上にも、
近くの家具という家具の上にひしめき合っている幼年期のデジモンたちに見られているのだ。
じいいいい、と見られているのだ。中にはよだれを垂らしているいやしんぼうもいたりして、
一極集中する視線にタケルはちょっと顔を引きつらせていた。
そんなこと気にする気配もなく、パタモンはバーガモンが夜食に出してくれた
ハンバーガーのはいったセットから、大好物のアイスクリームが挟まれたパイを口にしている。
あ、ずるいよ、パタモン!と慌てて籠から取り出したタケルは、
自分の分まで食べてしまいそうなパートナーデジモンから取り上げる。
普通ハンバーガーとかポテトとかを食べてから、最後に食べるんじゃないの?デザートって。
そんな言い分など進化と退化を繰り返す地味な負担を長期に渡って強いられているせいで、
すっかりエネルギー不足寸前になっていたパタモンは全く聞く耳を持つ訳がないのだった。
フライパンなどの後かたづけが済んだのか、すっかりトレードマークとなっているフライ返しを片手にバーガモンがやってくる。
おいしい?って幼年期のデジモンたちが聞いてくるので、パタモンと取り合うように口に運んでいたタケルは、
喉に詰まりかけたのを慌ててオレンジジュースで流し込むことで回避した後、
涙目をぬぐっておいしいよと笑った。バーガモンは相変わらず無表情のままだが、
すっかり頭に張り付いて通訳をしているポヨモンは、ピュアバーガーは世界一!と
意外と自信家な料理人のプライドを垣間見せてくれた。


「ピュアバーガーって言うの?」


こくりとバーガモンは頷く。タケルは食べかけのハンバーガーを見てみる。
チーズバーガーじゃないんだ、とつぶやいたタケルに、特別仕様のチーズバーガーだから、
ピュアバーガーなんだよ、と意味不明な補足を足元のカプリモンがしてくれた。
特別仕様ってなんだよ、特別仕様って。至極真っ当な反応に、胸を張るバーガモンである。
いつもはちょうど真ん中あたりで切れ目の入ったバンズに挟まれたごく普通のチーズバーガーらしい。
半分あたりに切れ目の入ったバンズ、と聞いてタケルの頭の中に浮かんだのは、
同じような姿をしているチーズバーガーである。
むしろそっちのチーズバーガーのほうが物凄く見覚えがあるのは気のせいではないだろう。
このチーズバーガーセットの入ってる籠とか、パッケージ、明らかに現実世界にある店である。
でもピュアバーガーって無かった気がする。気のせいかな、とタケルは思い直した。
ちなみに気のせいでは無かったのだとタケルが知るのは、小学校5年生になり、
大輔たちと学校帰りによったロッテリアでメニュー表を見るまでお預けだ。
翻訳こんにゃくのポヨモンによれば、祝30周年らしい。どこかにお店でももっているんだろうか。
たくさんのゴマが乗っているバンズが、ピュアバーガーの特徴のようだ。
たしかに普通のチーズバーガーとしては結構おいしい。
玉ねぎとピクルスのみじん切りのマリネがかかっていて、
食べている間にちょっと味が違うのがあるから、なんか楽しい。
ご馳走様でしたって手を合わせたタケル達に、バーガモンは軽く一礼した。


「30年もお店やってるの?すごいね」


バーガモンは頷いた。


「バーガモンはね、最近この街にきたんだよ」

「バーガモンのおかげで肉畑のまずいお肉がおいしく食べられるようになったんだよ!」

「みんな大助かりなんだよ!」

「すごいでしょ!」

「ねー!」

「肉畑?なにそれ」


聞き慣れない言葉にタケルは思わず聞き返す。


「タネモンがやってる畑だよ。これくらいの小さなお肉しかとれないんだ。
 ほんとは、もっともっとおいしいもの、たくさんあったんだけど、
 このすぐ近くまで結晶化が進んでるから、食べ物を売ってくれるデジモンが来てくれなくなっちゃった。
 ハンバーグってすごいね!今まで僕たち、靴の底みたいな固いお肉しか食べられなかったの。
 干して保存食にするしかなかったの。すごいでしょ!」


自分のことのように誇らしげに語るデジモンたちに、へえ、とタケルは瞬きをした。
そう言えば道端にある冷蔵庫とか倉庫とかにやたら漫画やアニメででてきそうな骨付きのマンモス肉がでてくることが多々あったけど、
それはこのデジタルワールドという世界ではどうやら普通に畑から取れる野菜のようなものだったらしい。
もしかしてこの世界ではお肉が主食なのかしらん?
どうでもいいデジタルワールドの食糧事情を知りつつ、
タケルは最近この街に来たというバーガモンに事情を説明する事にした。
筆談なら口が聞けないバーガモンでも可能である。
幼年期のデジモンたちはさすがにデジ文字を読むことができる能力を有するものはいないらしく、
ここからはパタモンとバーガモンの会話の後に、解説と通訳をパタモンがしてくれることになった。
なんだか難しそうな退屈な話という雰囲気を機敏に感じ取ったらしい幼年期のちびっこたちは、
作り置きをして置いてくれたらしいバーガモンのおこぼれを頂戴すべく、
家の奥にある厨房のほうに引っ込んでしまった。
あらかた説明をし終わったタケルに、バーガモンが無言のまま文字を書く。
パタモンが目を通した。え?と驚いた様子でパタモンがバーガモンを見上げる。


「どうしたの?パタモン。なんて書いてあるの?」

「タケルって、お兄ちゃんいるのかって聞いてるよ!」

「え?お兄ちゃんのこと知ってるの!?」

「ヤ、マ、ト?うん、そうだよ!ヤマトはタケルのお兄ちゃんだよ!」

「なんでバーガモンがお兄ちゃんのこと知ってるの!?もしかして、お兄ちゃんたちになにかあったの!?」


がたっと思わず席を立ってしまったタケルがバーガモンに詰め寄る。
こくりと頷いたバーガモンは、走り書きで知らせてくれる。


「タケルと空だけじゃなくて、ヤマトも大輔も紋章を泥棒に盗まれるの見たんだって!
 それに、幼年期に成っちゃってたタネモンとツノモン、ピョコモン、
ここにいる幼年期のデジモンたちはみんな、ここに連れてこられて閉じこめられてるんだって!
 バーガモンはもともと、え、うそ、ほんとなの!?」

「僕にも教えてよ、パタモン!」

「あ、ごめん、えっと、その、もともとバーガモンはデジタマモンって言う完全体で、
 ベジーモンと一緒にレストランやってて、間違ってヤマトと丈たちを働かせてた事があったみたい。
 でも誤解が解けて、みんなが合流するの手伝ってたんだけど、
 それを見てた敵に見つかっちゃってこんな姿になっちゃったんだって!」


えーっと声を上げたタケルとパタモンの傍らで、沈黙を守っていた彼女は小さくため息をついた。

「やっぱりいただけないねえ、そのデジモン。暗黒の力が望んでることじゃないのさ。
 進化の否定だなんて考えるのは自由だが、なんだって他のヤツラを巻き込むんだか」



[26350] 第三十六話 死者の町
Name: 若州◆e61dab95 ID:15821ef9
Date: 2013/08/03 00:45
「ババモンっていうお名前なんだね」


ちびっこたちに呼ばれたことでばれてしまった種族名に、バツ悪そうにおばあちゃんデジモンは笑った。
そのまんまだね、なんて暴言をかましてしまったパタモンは、どこからともなく召喚した箒で
ばしいん、とお尻をぶっ叩かれて、テーブルから吹き飛んだ。白い煙が立ち上る。
だあれがくそばばあだって?と長めの前髪から覗く殺気に、そんなことないよってあわてて
タケルはぶんぶん首がもげるんじゃないかってくらい否定して見せた。
あら、お利口じゃないのさ、賢い子どもは大好きだよってババモンは笑った。
おんなじこと思ってたくせに、裏切り者―って今にも泣きそうなパタモンの恨み節は
この際聞かないふりをする。ババモンは機嫌を直してくれたので、ほっと息を吐いたタケルである。


「幼年期1の子たちが知ってるってことは、はじまりの街を守ってたの?」

「よくしってるじゃないのさ、ご明察だよ。アタシが守護してたのははじまりの街さ。
 もっとも、今はここがあっちの世界と繋がらないようにするのに手いっぱいで、
 臨時休業状態だがねえ」

「そっか。だからエレキモンしかいなかったんだ。
 ワイズモンにね、はじまりの街は大事なところだよって教えてもらったのに、
 へんだなあって思ったんだよ」

「まあ、時が来たらほかの守護デジモン達が手を回してくれるだろうさ。
 この仕事はアタシしかできないんでね。ゲートの管理はアタシの管轄なんだよ。
 なにがなんでも、結晶世界はここでとどめなきゃいけないんだ。
 タケル達もみてわかったろ?ここがどんなに危険なところか。
 このエリアは時間が死んでるんだ。だからあの子たちは進化しないんだよ」


キッチンルームできゃいきゃいはしゃいでいる子供たちを見つめるババモンの表情は暗い。
どうやら甘言に乗せられてこの世界にやってきた無知な子供たちがこれだけいるとは、
ババモンにも想定外だったようである。バーガモンがいただけましといえた。
無理もない。本来つながっているエリアはすべて彼女の監視下にあり、
無理やりゲートを繋げればさすがにホメオスタシスが気付くだろう。
だからババモンはタケルたちが現れた時、頭を抱えたのだ。
ネットワークセキュリティの監視体制をかいくぐってまで、空間と空間を繋げることができる者たちなど、
ほんの一握りのデジモンとホメオスタシスの直属の部下たちに限られてくるのだ。
恐れた事態が起きてしまっている。裏切り者がいるのだ。その中に。
信じられるものが自分だけという事態が起こりつつある現実に絶望をにじませつつ、
さすがにそこまで口にできないババモンは、せめてものヒントがないかとバーガモンに話を聞いた。


「パタモンがいったように、ここはとっても退屈な世界なのさ。
 思えばアンタたちと会えてよかったかもしれないねえ、ホントに気が狂いそうになるところなんだ、ここは」


ぽつりとこぼした言葉は、めずらしく彼女の本音が入り混じっている。
バーガモンはババモンの言葉に肩を落としながら、ここに連れてこられるまでの経緯を教えてくれた。
かつてはじまりの街で食堂を運営するほど古参のデジタマモンは、幼年期に退化する攻撃を受けても、
辛うじて成長期への退化でとどまることができた。むりやりつれさられ、船に乗せられたらしい。
海に向かって開かれた湾に注ぐ川を初めて望んだとき、なによりも川の暗さに背筋を凍らせた。
水面が灰色でとろんとしており、岸辺にうっそうとしている樹木の陰鬱な色合いと溶け合っている。
この世界はいつでも空は暗闇に覆われていて、鏡のように水面も真黒である。
それと対照的に街を形作っている倉庫や小さな民家、施設の群れが怪しく輝いている。
陽光に照らされることを知らないそれらはすべて、内側の灯かりで明るくなっているのだ。
密林の中に取り残された名も無き文明の巨大な墓地群のようにも見える。
染み渡ったような明かりがまるで夜明けのように瞬いているものの、
世界は永遠にこの時間から取り残されたままである。


川を覆う暗さがもたらす漠然とした不安を感じ始めていたバーガモンは、
新しい街の住人を待ちわびている一群の子供たちを発見して、
はじめこそ胸の奥底に感じていた予感を気のせいと片づけてしまう。
埠頭やアーケードをくぐりぬけた先に待っていたのは、それほどまでに、
結晶によって覆い尽くされた優しげで美しい世界だったものだから。
その美しさに魅入られてしまったバーガモンは、今まで住んでいたエリアに
息が苦しくなるような違和感を覚え始め、薄気味悪かったはずの密林の天蓋すら、
プリズムを放つ宝石の街を覆い隠す宝箱のように感じるようになってしまう。
それでも、ずっと過ごしていけば、いつしか気付くのだ。
変化のない安定した世界は、死にたくなるほど苦痛な世界でもあるということに。


しかし、あの子たちにとってはそうではないのだと、バーガモンは筆談の手を止めた。
考えても見てほしい。
代わり映えのしないオリーブ色のマントが、延々と内陸の丘にあたるこの町にむかって伸び広がっていたのだ。
ふつうなら森林の上部は太陽の熱で黄緑色に変わっているはずだが、
ここでは濃い緑の樹木が巨大な糸のようによどんだ空気の中で突き出ている。
そこに幽かなきらめきが生まれ、やがてそのかすかな光は
一気に新しい住人達を鮮やかな光彩の世界に迎え入れ、しかも照り映える光景を見せてくれるのである。
好奇心旺盛で純真無垢な幼年期の子供たちは、自分たちの生まれ育ったエリア、
そして始まりの街しか知らないい訳だから、そのつたない経験には無い新鮮な世界観に
一気に染め上げられてしまう。ここにいればずっとこのままみんなと一緒に暮らせる。
ずっと遊べる。ずっと守ってもらえる。ずっとずっとこのままでいられる。
デジモン達なら誰もが一度は夢見る禁断の道を可能にする時点で、楽園のような世界である。
本来なら、デジモン達はひとりで生きていくために旅立たなければいけないのだから。
幾筋もの泡が光り輝く糸のように筋を引く水晶の川から下っていく船に再び乗り、
この世界に別れを告げるデジモン達はほんの指折りしかいない。
そのデジモン達でさえ舞い戻ってくる者たちがほとんどである。実際のところは一人もいないのが現実だ。
どうしても脳裏を焼きついた理想郷を忘れることができなくて舞い戻ってしまう。
これがこの街の住人の圧倒的多数を幼年期のデジモンたちが占めている理由でもあり、
この世界に引き込む誘拐犯が、連れ去るデジモン達を幼年期にしたがる理由でもある。
バーガモンがこのエリアにとどまっている理由は、この子たちを放っておけないからである。
本来なら、はじまりの街で彼らは学ぶはずなのだ。
ひとりぼっちで生きていくための術を、遊びながら、教えてもらいながら、
少しずつ勉強して彼らは大きくなっていく。
それなのに、その権利すら奪われてしまったこの子たちの将来は絶望しかない。
いつまでもデジモンは幼年期ではいられない。幼年期の感覚のまま大きくなってしまえば、
待っているのは途方もない苦難だけである。デジモンはもともと無条件で守ってもらえる親という
存在がいないのが普通なのだ。図体だけ大きくなったひな鳥の行く末などたかが知れている。
もっとも、今となっては身体が次第に結晶化していく原因不明、
確立した治療法が発見されていない謎の風土病に罹ってしまい、
病気の進行を遅らせるガラス球から煎じられる薬がないといけなくなってしまった。
最終的に彫刻像になってしまうこの病気にかかってしまうのは成長期以上のデジモン達である。
この幻想的なほど美しい世界の秘密をタケルたちに話しているバーガモンは、
さらにここからの脱出に二の足を踏んでいる理由を教えてくれた。


彼が養っている幼年期のデジモン達は間違いなく「ここから出ない」という
「約束」を破った罰として見せしめに殺されることが目に見えているから。
バーガモンは必要最低限の言葉を文字にして綴る。
バーガモンは完全体だったにもかかわらず、誘拐犯に勝てなかったのだ。
パーフェクト型というすべての攻撃を無効化する種族だというのに、
成熟期と成長期という格下の相手に負けてしまった。
ましてや、今は成長期の身である。このエリアでは、進化という変化を求めるには、
ただのデジモンであるバーガモンにとっては、あまりにも過酷な環境なのである。
デジモンは環境によってデータを取り込んで進化する。戦闘をして経験を積んで転生して強くなる。
しかし、ここは時間が死んでいる。結晶世界は変化がない、安定した世界だから環境が死んでいる。
死んでしまっても転写したデジタマが誘拐犯に渡ってしまえば、終わりだ。
幼年期のデジモン達は自分を構成しているデータの容量があまりにも少ないために、
万が一一度も進化することなく死を迎えてしまった場合、
間違いなく彼らはデジタマに孵って別個体として生きていくという自然の法則から外れてしまう。
残酷な現実を不条理極まりない形で見せ付けられた彼らの思念は、
残骸データとなってこの世界の主によって回収されてしまう。
犠牲者が増えるたびにこのエリアに飾られている彫刻像のお墓は増えていくし、
結晶世界の浸食が居住区にまで侵攻していくのである。
これがこの幼年期ばかりのデジモン達のエリアを統括するバックグラウンドなのだ。


日食のような最大限持続しても八分ほどで終わってしまう現象とも、
日中でも太陽が昇らない極夜でもない、真夜中の世界はここから見える川にまで垂れこめているのが窓から見える。
外に眺めながら、ゆらゆらと光が揺らめいている世界で、
タケルとパタモンはこの光の隠された強烈な輝きを吸い尽くしてしまう悲惨な現状にかける言葉が見つからない。
今にも泣きそうな顔をして、タケルは窓ガラス越しに写っているパートナーデジモンに問いかける。


「ねえ、パタモン。メカノリモンは、デジコアを食べられちゃったデジモン達なんだよね?」


抱っこされる力が強くなる。タケルの怯えを感じながら、パタモンはうなだれた。


「うん。とっても怖いと思う。とっても悲しいと思う。とっても苦しいと思う。
 もし僕がそんな目にあったら、きっと死にたくないと思ってなんでもしちゃうと思う。
 生まれ育った町で一緒に暮らしてきたデジモン達が、平和に暮らしているのを見ると
 もしかしたら嫉妬とか、嫉みとか、憎悪とか、そういう真っ黒な感情に塗り潰されちゃうと思う。
 なんで、なんで、なんでってなっちゃうと思うんだ。
 ブイモンはオーバーライトが激しい種族のデジモンだけど、
僕達だって体を焦がすような激しい感情に苛まれたら、
きっと寿命が縮んじゃうのと引き換えに、凄い力を発揮するんだと思う。
 それがきっと、デジコアっていう僕たちの命と引き換えに生まれるおっきなおっきなエネルギーなんだと思うよ」

「じゃあ、メカノリモンも、幼年期の子供たちをこのエリアに集めてるデジモンがやってることも、
同じなんだね。みんなの命の代わりに力を集めてるんだね、パタモン。 
死にたくないっていうデジモン達の声が残ったデータさえ、全部全部奪っちゃうんだね。 
ひどい。ひどいよ、あんまりだよ。どうしてそんなこと……」

「わからない。わからないよ、でも、止めなくちゃ。僕達しかできないことだよ、タケル」

「………ん」

「分からないことだらけだけど、僕たちは進んでいかなくっちゃいけないんだ。
 立ち止まってる暇なんてないよ、タケル。僕たちの紋章を盗んでいった泥棒は、
 きっと僕たちの敵なんだ」

「そう、だよね。うん、わかってる。
紋章は、僕だけ、僕達だけにしか使えないものだってことは、ナノモン達が言ってたけど
あの紋章自体はとってもすごいものなんだ。なにげなく僕たちは使って来たけど、
とっても大切なものなんだ」

「そんな紋章を、その泥棒は奪っちゃったんだ。そして、今度は僕らのまで。
5つもそんな力を生み出す紋章が取られちゃったんだ。何に使われるか分からないよ」


脳裏をよぎるのは最悪の結末である。背筋をうすら寒いものが通り過ぎていく。
なんとか頭の中をぐるぐるとしている陰鬱とした連想を振り払おうと必死のタケルは、
小さく息を吐いた。長い間この世界にいてはいけない、というババモンの忠告が蘇る。
せわしなく動いているデジモン達はきっと体を内側から蝕んでいる結晶化の粉末から身を守るために必死なのだ。
いつくるかもわからない空たちを待っていては、タケルやパタモンたちだっていつ結晶化を発症するか分からない。
デジモンの病気が人間であるタケルに感染するのかどうかは不明だが、
現実世界にいるならいざ知らず、今のデジタルワールドにいるタケルはゲームの中に入ってしまったように、
ひとつのデータとして造られているはずである。デジモンも人間もデータなのだ。
ウイルスに感染するようなものである。ウイルスバスターの機能を果たしてくれるデジヴァイスだって、
暗黒の力が作用していない風土病まで適応されるのかどうかは不明瞭だ。
人間の脅威になる病気はいつだって他の生き物から持ち込まれたものである。
デジモンがその一因になったっておかしくはない。
さすがにそこまで難しい話は分からないものの、パタモンのあくびにつられてあくびをしたり、
一緒に風邪をひいてしまってヤマトに心配されたりしたことを考えれば想像には難くない。
老婆がオークションの景品になるなと軽口を飛ばしたのだから、
きっと当たり前のようにタケルもその危機にさらされることになる。
タケルはいつまでも効力を持つわけではない、と念を押されたガラス球を握り締めた。
この完全に閉鎖されているあ空間から脱出するには、泥棒を何が何でも探し出さなくてはいけない。
ババモンが知らない勢力がこのエリアに陣を張っていることは明白だ。
素直に協力をお願いしても到底受け入れてもらえるとは思えないのだ。
それでも、情報が皆無なのは。悲しいかな揺るがしようがない事実だった。
タケルとパタモンは心を決めたように、真剣なまなざしで頷き合う。そして、振り返ると、バーガモンに尋ねたのである。
このエリアを統括している一番偉い人、本来であるならば守護デジモンに相当するほどの人格者、
もしくは能力を持つデジモンであるはずのその人物の下へ。
道を教えてくれと頼んだのだった。バーガモンは肩をすくめた。そして頷いたのである。
いくつかの注意すべき点について言及されつつ、途中までの道のりを書き記した地図をもとに
タケルたちはバーガモンの住居を後にすることになる。彼には守るべきものがある。
本当ならばいっしょに同行するのが筋なのだろうが、
事実上の軟禁状態にあるバーガモンは一緒に住んでいる幼年期のデジモン達が人質同然の状況下にある。
申し訳ない、と頭を下げられたが、気にするな、とタケルたちは笑って顔を上げるように言った。
一緒にデジタルワールドに帰ろうね、と約束して、タケルはパタモンと共に立ち上がる。
ババモンもタケルのところに向かった。


「アタシも行くから安心しな。これでも腕には覚えがあるからねえ」

「うん、ありがとう、ババモン」


ドアの向こう側から送ってくれたバーガモンに手を振りかえすと、
タケル達は濃霧の中へと消えていったのだった。










この世界が薄暗いのは、太陽を奪われた世界であると言うことも一因としてあげられるのだが、
主な要因はバリケードの先に見える密林なのだという。
樹木の葉っぱは、地面から目に見えないほど小さな小さな鉱物質を吸い取ってしまい、
何もかもが薄暗く見えてしまうのだとバーガモンは教えてくれた。だからねばねばだったのだ。
エンジェモンが空へ舞いあがる際に生み落とした風によって、
一気に飛散した結晶の粒子を失った樹木の葉っぱは、どれもこれもねばねばだった。
糸を引いていた。
そうやって次第に結晶化した樹木は大きくなって星空さえも浸食していくのである。
巨木が小さな街を取り巻いているその様子はまるで、
密林の奥底にタケルたちをおしこめてしまうような、
押入れの中に閉じ込められてしまうような恐怖にも似ていた。
タケルたちの影は普通の濃さである。
密林のまとう雰囲気はタケルの知るいかなる対比も欠いている。
月光や星の光にさらされている葉っぱは、森全体と一体になって
この世界から結晶化した物質から放たれる謎の発光以外の光を根こそぎ奪おうとしている。
生気と動きすら吸い上げようとしているのかもしれない。
大地を覆う森の黒さ、平らな葉っぱのオリーブ色が陰気な重苦しさを帯びてタケルたちの侵攻を阻んでいるが、
タケルたちはプリズムの回廊にちらつくまだらな光が放つ重苦しさを跳ね返すべく懸命に走ったのだった。
バリケードの覆い隠している結晶地帯に次第に近づいているのがわかる。
宝石の敷き詰められた道路の向こう側には、森林の層がいくつも空中にそそり立っている。
まるで倒れ掛かってこようとしている大きな波浪を潜り抜け、
百メートル以上上空から大きな枝が広げられた翼のように傾いでいる。
どんどんまばゆい世界が再びタケルたちを包んでいくのがわかる。
凍えてしまわないようにしっかりとガラス球を握りしめながら、
パタモンとタケルは一気に開けた風景に目をむくのである。ババモンは舌打ちした。


「なに、これ」

「………っ」

「ずいぶんとまあ、いい趣味してるじゃないのさ」


パタモンは目を伏せた。タケルは思わず立ちすくんでしまう。はるか向こうの回廊に、
今まで見たこともないような螺旋状の柱が立っていた。
まるで茨のようにつらら上のトゲが幾重にもわたって生えており、
外部からの侵入を拒むように渦巻の層が連なっていた。
込み上げてくるものを必死でぬぐって、一番近くに走っていったタケルとパタモンが見上げた先には、
見たこともない姿をした名前も知らない種族のデジモンの肖像が鎮座していた。
プリズムがほとばしる回廊を見守る甲冑鎧の兵士のごとく、左右対称に並べられているのは、
間違いなく結晶化していく病に蝕まれ、やがてその時間を永遠に置き去りにしてしまったデジモン達だったのである。
煌々と輝いている炎は煽り煽られて揺らめいている。
水晶の巨大なろうそくがデジモン達の間に備え付けられていて、
彼らの放つ光と共にオレンジ色で世界を満たしていた。お墓、とバーガモンは称している。
なるほど、下の方に刻まれている墓碑銘を見れば、このデジモンの名前が書いてある。
しかし、享年と年月日が書かれていない。
どうやらこの姿になってしまったデジモン達は死んでしまったわけではなく、
半永久的にこの姿のまま石像のように生き続けなければいけないようである。
人間で言えば植物状態だろうか。
しかし植物状態だって体の老化という自然現象に打ち勝つことは出来ないのだから、
結晶化した当時の姿のまま文字通り生きた化石になってしまうことを考えるとはるかにえげつないことがうかがえる。
外国のお墓、と考えればいいのかもしれないが、
これではまるで成金趣味を訪問客に見せ付けようと趣向を凝らした骨とう品を買いあさる豪商のように見えてしまう。
これではまるで見世物ではないか。触れようとしたが、
こつん、とプラスチック製の大きな半透明のボックスで覆われていることを発見した。
タケルたちはますますいたたまれなくなって、離れてしまった。
まるで宝石などの趣向を凝らしたショーケースを並べているように見える。
そのまま野ざらしにしてしまえば、万が一体の一部が破損した場合、
物言わぬ生きた化石になってしまった彼らは絶叫を上げることすら許されないまま
体を水晶の芝生に横たえるしかない。だから、それを考えればある程度ましなのかもしれないが、
はっきり言って異常としか言いようのない光景である。
もう見ていられない、とタケルたちは必死で回廊を駆けあがろうと顔を上げた。
そして、息を飲んだのである。一瞬呼吸の仕方を忘れてしまった。
ババモンが箒を召喚する。タケルはデジヴァイスを握り締めた。



タケルたちは見てしまったのだ。
ガラスケースごと叩きのめされて通路に倒れている水晶の残骸が見えてしまったのだ。
蹴りつけられ、殴られ、腹を裂かれようとしている魚のように身をよじらせて倒れている
名前も知らないデジモンの欠片が横ざまに飛び跳ねる。その水晶像には顔がなかった。
よく見ればそのデジモンは長い裂き傷がある。そんな残骸が回廊にひろがっている。
ババモンは全てを悟ったようで、唇をかむと、大きくため息をついたのだった。


そして、その先にいる小さな影に問いかける。


「ずいぶんとまあ、いい趣味してるじゃないのさ、ティンカーモン。
 先代の子供たちとの冒険の日々は、なんの枷にもなりはしなかったみたいだね?」




[26350] 第三十七話 さよならはいらない
Name: 若州◆e61dab95 ID:15821ef9
Date: 2013/08/03 00:46
かつて戦争があった。世界がファイル島とフォルダ大陸しかなかった時代、
フォルダ大陸の狭谷に存在する工場地帯の名称でしかなかったエリアがある。
最初期こそ、アンドロモンの思考回路やボルトモンの暴走、メタルグレイモンの肉体
の腐敗など問題は多かったが、研究者と呼ばれていた者たちは諦めず研究を続けた。
負荷に耐えて腐食しなくなったメタルグレイモンや思考回路の問題を解決した
アンドロモンの強化個体が誕生し、マシーン型、サイボーグ型のデジモンは世界に広がり、
勢力は帝国と呼ばれる域にまで達することになる。
その勢力に対して、四大竜と呼ばれているデジモン達が接触し、
ドラモン一族のデータを提供したとされているが、未だに真意は不明である。
結果として、竜と機械の融合という技術革新を迎えた鋼の帝国、メタルエンパイアは、
空の迎撃用デジモン、地上の迎撃デジモン、水中の迎撃デジモンを作り上げ、
当時の科学の推移を集めた最高傑作ともいえるデジモンを作り出した。
技術の進歩から以前開発したデジモンを改造することで、新たな強化個体を生み出した。
彼らは北の地域を出て、南の大地を目指して侵攻を繰り返したが、勝利が続くはずもない。
彼らは時代が変わったことに気付かなかった。
ドラモンキラーと呼ばれる武器の誕生、新しい種族の誕生、他の勢力の結託。
古代種を始めとした他の勢力たちはこぞって対抗策を講じ、攻勢は徐々に傾いていく。
戦乱の行方を決定づけたのは、メタルエンパイアに造られた機械型究極体のデジモンが
当時存在しえなかった融合という新たな進化の道を開拓し、
のちにロイヤルナイツと呼ばれることになる融合体として降臨、裏切ったこと。
敗戦を繰り返して領土を失い、小さな国と戻りつつあった彼らは、最後の戦いを挑んで敗北した。
多大なる犠牲を払って戦争は終結し、メタルエンパイアは発足したロイヤルナイツに
監視されることで決着がついた。
先代の選ばれし子供たちがこの世界に召喚されたのは、戦火の傷跡が色濃いそんな時代である。



この時代、デジモン達は大きく分けて2つの種類に分かれていた。
電子の海から誕生したデジモン達は、基本的にワイアーという骨組みを作り上げ、
テクスチャという皮膚をつくり、デジコアという心臓部を守るために覆い隠している。
自然発生的に生まれたデジモン達が過半数を占めているのは今の時代と変わらないが、
その発生過程を意図的に操作して誕生する人工的なデジモンが生まれたのがこのころだ。
代表格はマシーン型、もしくは機械型のデジモン達である。
そして、融合という新しい進化の過程を垣間見たメタルエンパイアが、
人工的にロイヤルナイツの奇跡を再現しようとして誕生したデジモン達がいる。
現代種たちの間で一般化している進化というシステムも始まりの街によるデジタマの転生
もまだ無かった時代である。
デジタルモンスターの誕生には、デジコアとワイアー、テクスチャがあればいいと
分かっていた彼らは、人工的にデジモンを作り出すことで技術革新を起こそうとしたのだ。
生まれながらに成長期、成熟期、完全体とくれば図体がでかいだけの赤ちゃんに過ぎない。
刷り込みのヒナのように、新しい戦力として投入することが期待できたからである。
デジモン同士のデータをコピーし、融合させ、人工的なデジモンを作り出す。
2体のデジモンを合体させて、新しいデジモンを作り出す実験は、成長期から始まった。
しかし、この技術では同じ世代のデジモン同士でしか合体できず、合体したデジモンは、
その世代のデジモンしかできなかった。それが彼らの限界だった。
それでも当時は、究極体の存在はごくわずか、完全体がほとんどのデジモンの限界である。
意図的に完全体を量産できるのは脅威といえた。
もっとも、その時メタルエンパイアの頂点に君臨していたのは、はるか未来からの侵略者。
先代の子供たちの敵である。そして、かつての戦争とは全く異なる性質の戦争は始まった。
闇と光のバランスを管理するセキュリティシステムの前任者は、
世界の崩壊しかねない危機を前に、融合という手段を解禁して子供たちを支援した。
融合は2体のデジモンが合体すると、更なる世代のデジモンを生み出すことができる。
人工的に再現することができなかった奇跡が、子供たちのために再現された瞬間だった。
他にも、デジメンタルによる擬似進化、現代種という新しい進化の可能性の開拓、
あらゆる手段を使って戦い抜いた子供たちは、暗黒勢力を封印することで戦争に終止符を打った。
そして、戦争の遺物はデジタルワールドによって封印された、はずだった。
やがてジョイントプログレスという形で復活することになる戦争の遺物が封印されているエリアがある。
守護デジモンのいない立ち入り禁止区域に現れたティンカーモンと呼ばれたデジモンがいる。
幼年期の子供たちしか入れない変わったエリアを守っているはずの守護デジモンだ。
相棒の姿は無い。緑衣装の妖精は、今、行く手を阻むために立ちふさがっているのだ。
その理由はただひとつ。メタルエンパイアが開発した戦争の遺物を回収しに来たのだろう。
この時点で彼女は全てを悟った。彼女と相棒が他ならぬ裏切り者であると。
そして、ティンカーモン達が慕うデジモンはただ一人だけである。最愛の闇が脳裏をかすめた。
どうしてだい、ばかやろうが、と悲痛な叫びを胸に押し殺しながら、ババモンは皮肉めいた笑みを浮かべた。
まだ、信じたくないのである。できることなら嘘であってほしかった。


「アタシの記憶が正しけりゃ、アンタはメタルエンパイアによって造られた人工デジモンだったねえ?
 パートナーともども親の期待は裏切れないって感じなのかい?幼年期の子供たちを連れ込んで何企んでるんだ。
 是非とも白状してもらいたいもんだねえ、ティンカーモン」


水晶の石像を踏みつけた妖精は、にのべもなく笑って見せた。
可憐な笑顔はババモンもよく知っている無邪気な妖精そのものだ。
ゲンナイに暗黒の塊を打ち込んだような、暗黒から生み出されたデジモンではなさそうだし、
炎の壁を浸食する暗黒から進化を否定する概念を無意識の中に埋め込まれたわけでもなさそうだ。
出来ることならどちらかであってほしかったが、ティンカーモンはどこまでも正気である。


「やっぱり長生きはするものではありませんわね、ババモンさま。
 わたくしが行動を起こすのはいつだってあの方のためですわ」

「そりゃ残念な知らせだね。いつからアンタらはシンパになったんだ」

「ずっとずっと前からですわ、ババモンさま。
 いつ現れるか分からない英雄を待ち続けられるほど、わたくし達は暇ではありませんの。
 あの方は変わってしまわれた。もうあとには戻れないのです。
 残念ですわ、どうしてまたニンゲンなんかに頼ろうとするのです」


ティンカーモンは黄緑色のリボンを揺らして、タケルと同じ色をした
ポニーテールを翻す。りん、りん、と胸元のベルが鳴った。
まあるくてつぶらな瞳がタケルとパタモンを映している。


「ニンゲンなんてくるべきではないのですわ。どうせみんな忘れてしまうんですもの」

「そんなことないやい!勝手なこというなよ!」


聞きづてならないと声を張り上げたパタモンに、は、と鼻で笑った妖精は冷たい視線を寄こした。


「くだらない。パートナーだったデジモンは、決まってそう思い込むのですわ。
 なぜあの人たちは来て下さらないの?また逢いましょうって約束したのに来て下さらないの?
 どうしてあなた達が来たのです?わたくし達がどんな思いでお待ちしていたと?
 きっと忘れてしまったのですわ。この世界を救ってくれた子供たちは、
 いつだって大人になるころには来なくなってしまうんですもの。
 あなただってきっとそう。そんなあなた達に、これをお渡しするわけにはいきませんわ」


タケル、伏せて!と間髪でパタモンがタケルとティンカーモンの間に割って入ると、必殺技をさく裂させる。
吹っ飛ばされた妖精はは、ずささささと硬いダイヤモンドの経路に転がった。
そして、小脇の袋にしまってあった水晶のような宝石類が燃えている炎を受ける。
こまかに波だって宝石のきらめきが光を受けると、あかあかときらめいている。
タケルを守るようにパタモンは前に立ちふさがった。
足元に転がったアクセサリーに目を走らせていたタケルは、
その溢れるほど眩い輝きの中に、見覚えのあるタグを見つけた。
綺麗でしょう?と忌々しげにティンカーモンはそのタグに収められている紋章を拾い上げたと思うと、
乱雑に握り締めてしまう。割れやしないかハラハラしているタケルの横で、ババモンは凍り付いていた。


透き通ったピンク色の紋章だった。
小さな〇を囲うように、上下左右に細長い三角形が4つ伸びていて、
その間を細長くて小さなダイヤが4つ並んでいる。まるで集中線のように伸びていた。
見たこともない紋章にタケルとパタモンは目を丸くする。


「なんでアンタがそれをもってんのさ」

「決まってるではありませんか、動力源として使わせていただきますの。
 ホーリーリングだけでは足りないもので」

「なっ……!?ま、さか、アンタたち……!」

「え、え、どうしたの、ババモン」

「あの紋章は光の紋章っていうのさ。精神的な特質を持ってるタケルたちの紋章とは、
 根本的に性質が違う紋章でね、進化そのものを司ってる紋章なんだよ」

「大輔君の紋章と一緒なの?」

「そうさ。デジヴァイスによる進化があの紋章の力を元に造られてるとしたら、
 パタモンがエンジェモンになっても自我を保ってられるのは奇跡の紋章が元だね。
 なんだって行方不明の紋章をアンタが持ってんだって話だけど、
 その様子だとどうやらアタシはとんだヤツラを仲間に引き入れちまったらしいね」

「今頃気付きましたの?ババモンさま。
 進化を促すことができるニンゲンの力は、生命そのものの力ですもの。
 きっとこの先の機械だって動かすことができるはずですわ」

「正気なのかい!?あの機械がなんなのか、アンタが一番よく知ってるはずじゃないのさ!」

「ええ、存じ上げておりますわ。やはりあの方の判断は正しかったようですわね。
 本来なら、ご先祖が人工デジモンであるテイルモンのお仕事なんですけども、
 オリジナルであるわたくしの方が勝手知ったるなんとやらですもの。
 ふふ、悪く思わないでくださいまし」

「そりゃこっちの台詞だよ、ティンカーモン。タケル達の紋章を奪ったのもアンタだね?
 返してもらおうか」

「お断りいたしますわ。せっかくツノモン達、お仲間が持ってきてくださった紋章ですもの、
 ありがたく使わせていただきますわ」


え、と声を上げたのはタケルだった。
うそだ、絶対嘘だ、ツノモンたちがそんなことすうるわけないじゃないか。
パタモンが反論するが、ババモンがそれを制した。
幼年期を従えてる理由はこれもあるんだとババモンは苦い顔をする。
ティンカーモンの背後に禍々しい影が見えたのだ。ババモンは箒を召喚した。


「なるほど、どうやらアンタらはもう暗黒の勢力にどっぷりつかってるってわけだ。
覚悟は出来てんだろうね?」


ババモンの声から感情が消える。


「話はわかったね、タケル。どっかにツノモン達が捕まってるそうだ。いきな」

「え?」

「いいから、いきな。走りな。行く所は分かるね?」

「え、でも…」

「いいからいきな!絶対に振り返るんじゃないよ!」


ババモンの怒声に気圧される形で、弾かれるように顔を上げたタケルとパタモンは、
ティンカーモンから逃れるように結晶で出来上がっている神殿の階段を駆け上がる。
臆病風に吹かれたと勘違いされたくないとパタモンはタケルの腕の中で暴れるが、
大人しくしててよ、とタケルは一喝して黙らせる。
尋常ではないほどの気迫だ。成長期相手の忠告とは思えない。
一直線に逃げろと宣告されたのだ。もう緊張感と恐怖が湧き上がってくる。
古代デジタルワールド期から成長期のままだというティンカーモンがどれだけ強いのか、
タケルにもパタモンにも分からない。進化しないデジモンなんてデジモンなのだろうか。
そんなことを思いながら、階段を駆け上がるタケルたちは階段のはるか下の方で、
凄まじい轟音を聞いた。驚いて振り返ると、ババモンの目の前にドラゴンの姿をした機械が現れたのである。
何十段も上がって来たにも関わらず、そのデジモンが全身を機械で覆われたデジモンであると
分かってしまうくらい、そのデジモンは大きかった。背筋を悪寒が走る。逃げなきゃ、とタケルは懸命に足を走らせた。


「どこにいきますの?紋章はここにありますのに」

「やっすい挑発なんかに乗るんじゃないよ、パタモン!逃げるんだ!」


光の紋章を揺らすティンカーモンである。ババモンはぴしゃりとねめつけた。
光の粉を振りまきながら、ティンカーモンが駆け上がって来るではないか。


「ふふ、お相手して差し上げますわ。おばかさん。
 あなた方にここから先に行かれてはこまりますの」


もう少しで追いつかれてしまう!
タケルを守らなければ、と戦闘体勢に入ったパタモンのエアショットがさく裂する。
ティンカーモンは足のあたりに仕舞っていた獲物を取り出すと、
ネイルアートが施された野獣のような鋭い爪を出し、
殺気をみなぎらせた無邪気な笑顔を讃えてパタモン目掛けて襲い掛かった。
消えてしまった炎のせいでよく姿が確認できなかったのだが、
ようやく自在に浮遊する姿がタケルとパタモンの前に姿を現した。


「パタモン、あぶないっ!!」

「タケル、きちゃだめだよっ!」


パタモン目掛けて襲い掛かった鋭利な矛先から大好きなパートナーをかばおうとして、
タケルがガラス球を投げつける。がしゃん、と粉々にガラス球が砕け散る音がした。
一瞬ひるんだすきを見計らってタケルがパタモンにデジヴァイスの光をかざして、
進化への活路を見い出そうとしたその刹那、にやりと妖精型のデジモンは笑ったのである。


「フェアリーパウダーっ!!」

「パタモンっ!!」


タケルの目の前で、パタモンの悲鳴が上がる。
デジヴァイスの聖なる力によってエンジェモンに進化したはずのパートナーが、
彼女の繰り出した謎の鱗粉を浴びた途端、元の姿に、いや、トコモンにまで
退化してしまったのである。
幼年期で死んだデジモンは生き返らない、という言葉を思い出したタケルは、
無我夢中でトコモンの下に走る。走る。駆け寄る。そして、トコモンを拾い上げると、
懸命に走り出した。彼女の高笑いが聞こえる。
どうやらあの鱗粉を浴びてしまうと幼年期にまで退化してしまうようだ。
これがもしかしてデジタマモンをバーガモンにまで退化させたデジモンなのか。
てっきりエテモンのような完全体を想像していたタケルは、冷や汗を浮かべた。
彼女が空を飛びながら迫りくる。せめて降り注ぐオーロラの粉を凌げるところまで逃げないと打つ手がない。
タケル、から、だが、とトコモンの弱々しい声が聞こえる。しまった、ガラス球が!
今までタケルたちを守ってくれていた守護のお守りは粉砕されてしまっている。
すこしずつ、すこしずつ、タケルの身体の表面に結晶化の鱗が付き始めてしまったのである。
まずい、まずい、まずい!!空を見上げれば彼女が武器を投げおろしてくるのが見えた。
矛先には毒々しいどす黒い色が塗られている。どうやら毒が仕込まれているようだ。
どういう効果があるのかは分からないが、命の危険にさらされていることには変わりない。
だがこのままでは体の一部が結晶化してしまったタケルは確実に移動能力がガタ落ちしてしまう。
そしてそこを攻撃されてしまったが最後、確実に壊死して、そこから毒を食らって終わりだ。
タケル、タケル、とトコモンが必死でタケルの背中や肩の関節部分に
肥大化していこうとする結晶化の粒を壊していく。
もしかしたら彼女はタケルの体力切れを狙っているのかもしれない。
タケルに出来ることは逃げることだけだ。
祈るような気持ちでデジヴァイスをしっかりと握りしめたが、
デジヴァイスが反応する気配はない。なんでっと今にも泣きそうな声がこぼれた。


「これで終わりですわね。あなたのパートナーもいただきますわ」


ティンカーモンの鉾がタケルたち目掛けて襲い掛かった。


「そうはさせないよ」

「きゃあっ!?」


ばしっと弾かれた鉾が宙を舞う。反射的に鞭打たれた個所を押さえこんでしまった
ティンカーモンは、その緑色の鞭にびっしりと生えているトゲが食い込んで悶絶した。
からん、からん、と音を立てて真っ赤な棒切れが階段を転がっていく。
涙目で恨めし気にババモンがいた場所を見下ろしたティンカーモンは、
大きくしなる鞭の主が奇襲を窺っていたダークドラモンを縛り上げているのを見た。
タケル達は思わず足を止めてしまう。そこにいたのはババモンではなかったからだ。
大きく反応したのはパタモンだった。おぼろげだけれども、パタモンは覚えている。
デジタマから生まれたばかりの幼年期の時に、訪ねてきてくれたデジモンがいた。
はじまりのまちを治めていたことがあったと聞いたから、
あったことがあるだけだろうかと思っていたのだが、とんでもない。
デジヴァイスを手渡しながら、タケルというパートナーがいることを教えてくれたデジモンだった。
真昼のオーロラが空に広がった時に、さかさまの世界がうつり込む日がやって来る。
それは明日かもしれないし、10年後かもしれない。もしかしたら1000年後かも。
それでもいつかやってくる。その日からパタモンはパートナーと共に生きていける。
その日が来たら、タケルに来てもらうためにディヴァイスを空に向かって放り投げて、
デジヴァイスを届けてあげなさいって教えてくれたのは全部あのデジモンだったのだから。


「ロゼモンっ…!」

「パタモン知ってるの?」

「うん、知ってる!知ってるよ、タケル!ロゼモンは、デジヴァイスをくれたんだ。
 それでね、タケルがいるんだって、僕はタケルのためにいるんだって、
 タケルと会うために待ってるんだよって教えてくれたのがロゼモンなんだよっ!」

「ええっ!?そうなのっ!?」


タケルの遥か後方では、白い翼と見まごうほどの光を放つ4つの翼をもった、
黄色のラインが入った青い武装に覆われたデジモンがいる。
右手には禍々しいデザインの盾と仕込まれている武器がロゼモンを狙っている。
黄色いラインが入った光沢のある尻尾をみる限り、どうやら重装備と体が完全に
一体化しているようだ。
真っ赤な髪がわずかに揺らめいていた。
そのデジモンが大暴れするたびに結晶世界はひびが入って割れていく。
余波を食らって倒れていく生きた石像。タケルは目を逸らすことしか出来なかった。
空高く跳躍する赤いバラが水晶に乱反射して踊っている。
自在に操る鞭で動きを拘束させ、ロゼモンの周りから植物が乱舞する。
爆発したように吹き荒れた華の舞がそのデジモンを覆い尽くし、
身体に繋がれているパイプや鉄鋼をずたずたに切り裂いていく。


「なにしてんだい!早く逃げるんだよ、タケル!
アタシのことは心配いらないから早く逃げな!」


ロゼモンの叱責が飛んだ。
ティンカーモンは鉾を取りに行っていて、あたりはがらんどうの宮殿が待ち構えている。
しばしの迷いののち、うん、と頷いたタケルは、大急ぎでトコモンと共に、
階段を一気に駆け上がった。


その数分後、ロイヤルナイツの聖槍に匹敵する仕込みやりで貼り付けにされたロゼモンめがけて、
Dブリガードの最終兵器が暴走した原因であるダークマターが発射された。



[26350] 第三十八話 終焉の兆し 
Name: 若州◆e61dab95 ID:15821ef9
Date: 2013/08/03 00:46
ぎいい、と年季の入った扉を開いたタケルたちを待っていたのは、真っ赤な絨毯、
頭上にきらめいているのはウエディングケーキのような大きさのシャンデリア、
そして両脇を固めているのは正真正銘本物の石像だった。
この螺旋屋敷まで続く宝石の回廊に並べられている生きたデジモン達の水晶体ではない。
おどろおどろしい石像は、ぎろりと重厚な造りをしている眼光を侵入者に向けた。
ちょっと距離を取りたくなってしまうほどの完成度の高さだ。
ボロボロに傷ついた漆黒の翼を折りたたみ、身を守るようにしてうずくまっている。
何よりも人目を引くのは、腕を振り下ろせば最後、タケルのような小さな子供など、
一瞬で八つ裂きにしてしまいそうなほどどす赤い蹄だろう。
前足と思しき所だけマニキュアのように真っ赤に染まっているが、
獲物を捕獲したせいで染まってしまったところを表現しているのかもしれない、と
思わずタケルは想像してしまいそうになり、首を振る。後ろ足は真っ黒なのだ。
手足が異常に発達しており、長く伸びた両腕で磔にされたら、
その鉤爪状の尻尾でなすすべなく八つ裂きにされそうである。
真っ赤な蹄と同じように紅に染まっている瞳が4つであると気付いてしまったタケルは、
思わず目を背けてしまった。
タケルやトコモン達が見上げるほど大きなデジタルモンスターの銅像は、
左右対称に鎮座しており、この屋敷の守りを任された番犬のようにも見える。
一歩でも動けば襲い掛かってきそうである。ドキドキしながらタケルはトコモンに訊いた。


トコモンは首を振る。デジモンのにおいはしないとパートナーデジモンは教えてくれた。
ほっと胸を撫で下ろすタケルである。
さすがにみるからに邪龍のような姿をしたデジタルモンスターである。
聖なる力の象徴であるエンジェモンにとっては圧倒的有利を誇っているだろうが、
に、し、ろく、と数えるだけでもあっという間に両手がふさがってしまうような数、
いくらなんでも相手にすることは無理だろう。ましてや今はタケルしかいないのだ。
どう?と調子を聞いてみるタケルだったが、あの妖精型のデジタルモンスターから受けた
強制退化という強力な効力を発揮する鱗粉は、すべて払ってしまったにもかかわらず、
未だに効果が持続しているらしい。せめてパタモンの姿にさえ戻ることができたなら、
この屋敷の構造について上空偵察をすることができるというのにそれはかなわない。
力が入らないよ、と今にも泣きそうな顔をしているトコモンである。
どうやらエテモンのラヴセレナーデが成長期まで退化させてしまうものだとするならば、
あの鱗粉は幼年期にまで退化させる上に、デジモンの力そのものまで減退させるという
とんでもない効果を持っているらしかった。
仕方ないよね、とタケルはトコモンを乗せてあたりを調べことにしたのだった。


いくつか重厚な造りの扉があったのだが、すべて内側からカギがかかっているらしく
タケルたちは入ることができなかった。
もしかしてここの住人達はあの泥棒のように扉を潜り抜けることができるのだろうか。
もしそうだったらタケルたちはどの部屋に隠れることもできないと言うことだ。
微かな望みを託して、落胆するタケルたちが自然と向かう先は、中央の螺旋階段である。
螺旋階段の壁に鎮座している燭台の上には真っ赤な蝋燭がこうこうと揺らめいていて、
溶けたロウがまるで血だまりのように、ぼとぼとと燭台から溢れて陽炎に滴り落ちている。
その陽炎の炎が造る自分の長い長い影がはかなげに壁に揺らめいている。
タケルとトコモンがどこか安心しているのは、バーガモンの家や老婆の家のように、
この螺旋屋敷の内部は水晶による結晶化の浸食を受けていないからだろう。
万が一ここが戦闘の場所になったとしても、エンジェモンが飛行能力を奪われるのと、
屋敷という屋内であるが故の行動制限の不便さを比べるなら後者の方が圧倒的にましだ。
それに加えて、タケルもエンジェモンも石化する恐怖に苛まれる必要はない。


とりあえずタケルの頭の中にあったのは、トコモンがエンジェモンに進化できるまで、
この屋敷のどこかで隠れてやり過ごし、進化することができたら、
ツノモン達を捜して、紋章を取り返すという過程が思い描かれていた。
いつまでも長居することは出来ないと分かっているのだが、
幼年期の姿であるトコモンを守ることができるのはタケルだけであり、
先を急いてしまえば間違いなく先ほどの妖精型デジモンの槍の餌食になってしまう。
それだけは避けなければならなかった。
紋章やパートナーデジモンを奪われてしまった子供は、選ばれし子どもとはいえども、
ただの非力な弱者であり、そこにいるのは英雄ではなく、世界を救うことなんてできない。
誰も欠けてはいけないのだ。そしてこの絶望的な状況を奪還できる状況に一番近いのは、
まぎれもないタケルとトコモンであると一番彼らが分かっていた。


そして最後までタケルたちは気づかなかったのである。
ダークエリアから生まれた邪悪な龍を模した石像は、
目の分だけが異様にかがやいており、その先に監視カメラがついていたことには。



一段、一段、足音を忍ばせて慎重に慎重に昇っていくタケルたちを静寂が包み込む。
シャンデリアのあたりはどうやらステンドガラスが取り囲んでいるようで、
色とりどりのガラスで構成された宗教的な意味が込められた壁画が並べられている。
もしこのエリアに太陽があったならば、この家の屋敷の住人は、
おだやかな陽だまりによって生まれる美しい輝きを目にすることができただろうに、
今タケルたちが見ることができるのは外の結晶化されていく世界が放つプリズムによって
ぼんやりとしか映らないすりガラスのようなモザイクの壁画だけである。
物音に耳を傾けるべく、息をひそめて二階に上がっていったタケルたちを待っていたのは
いくつかの扉だった。頼むからどれか一つでも開いてくれ。お願いだから。
祈るような気持ちを抱きつつ、ドアノブをひねってみるが、
がっちゃん、がっちゃん、という引っ掛かりを覚える特有の音と共に閉ざされる冷たい扉
はあ、と何度目になるかわからないため息を溢しながら、タケルはどんどん奥の方に進む。
ここもだめ、ここもだめ、やっぱりここもだ、どうしよう、と焦りが生まれるが、
いくら頑張ってもドアノブは侵入者を通してはくれないようだった。
とうとう最後の扉の前に来てしまった。ほとんど諦めの境地に差し掛かりかけているが、
しきりに後ろを警戒してくれているトコモンの手前、弱音を吐くことはできそうもない。
目を閉じて、タケルは冷たいきんいろのドアノブを回した。



一瞬の空白。聞き慣れた拒絶を示すロックの音が聞こえない。
やった!と舞い上がりかけたタケルとトコモンだったが、今度彼らの前に立塞がったのは、
がっちゃん、という毎度おなじみのドアロックの音とわずかな部屋の隙間に伸びる鎖。
マンション暮らしの団地の子供たちには毎度おなじみのチェーンロックである。
どうやらタケルが住んでいる高級住宅地のセキュリティがしっかりした自宅のような、
オートロック式のマンションではないらしい。
どこにも指紋認証とか警備のおじさんの詰所、監視カメラらしき機械も見かけなかったし、
案外この屋敷のセキュリティは古風なのかもしれない。
でもチェーンロックならこっちのものだ。一人と一匹はにっこりと笑みを浮かべた。
タケルはトコモンを抱き上げて鎖のところにまで連れていく。
発生する有害物質を吸い込まないように息を止めたのを確認して、
愛らしい幼年期のトコモンはぐあーっと体の半分くらいまで裂けている大きな口を開け、
豪快に必殺技をお見舞いしたのである。立ち上るのは鼻をつんざく刺激臭。
そして見るからに目を刺激しそうな煙である。反射的に下がった彼らは、
煙がゆっくりと奥の部屋に入っていくのを見た。


後から聞こえるのは、だらりと垂れさがった鎖が扉に当たって立てる金具の音と、
ぎいいいい、と開いていく重厚でシックな扉である。中は真っ暗でよく見えないが、
隠れることができるならどこでもいい。
妖精型のデジモンはきっとタケルたちのことを血眼になって探しているはずだ。
もしかしたらこの屋敷の主にまでその話は行っているのかもしれない。
少しでもいいから時間稼ぎをしなくては、と扉を開けて中に入ったタケルは、
一番近くにあった燭台を手に取ると、中に一歩足を踏み入れた。
トコモンは安心した様子で、誰もいないよ、と笑った。さあここからは。
廊下からこぼれる光を頼りに、辺りにおいてある大きなテーブルや椅子、骨董品をならべ、
ぱたん、と閉めた扉の向こう側に山積みにして、即席のバリケードを作り上げていく。
できた、と自画自賛にも似た言葉を溢したタケルは、先に奥に進んで辺りを調べていた
トコモンに呼ばれてそちらに向かっていく。
ゆらゆらとオレンジ色に照らされた世界がタケルとトコモンに、
この部屋が所蔵庫であることを教えてくれた。


「ねえ、タケル。ここってさ」

「うん、おっきな図書館みたいだね。ワイズモンの研究所くらいあるかも」

「けほけほ。でも、だあれも使ってないみたいだね。埃がいっぱいで煙たいよ」


確かにそうだ、とタケルは思った。
近くにあった辞典位ありそうな重厚な革張りの本を並べている木製の本棚は、
本ばかり並べられている空間特有の威圧感と独特の香りが調和して、
まるで異空間のようになっている。タケルやトコモンが歩くたびに埃が舞い上がり、
タケルの燭台に照らされてまるでダイヤモンドダストのように輝いている。
誰かが入った形跡は見受けられない。題名はもちろんデジ文字表記。
タケルが解読できそうな本は一冊たりとも所蔵されていないのは目に見えている。
ぼたり、ぼたり、とロウがとろけ落ちるたびに、床に足跡のように落ちていく。
タケルはそのたびに火傷しないように飛びのかなければならないのだが、
トコモンはうっすらと舞い上がっていく白い煙ですっかり涙目になっている。
クシャミで火を消さないように別の方向を向かなければならず、四苦八苦している。
うーん、どこか隠れられそうなところないかなあ、本棚の上なら椅子がいるなあ、
といろいろ頭を巡らせながら本棚の奥へ奥へと進んでいったタケルは、
とうとう一番隅っこと思しき区画に辿り着いたらしく、誰かの書斎を発見した。
大分時間が経過しているようで、埃が詰まっているものの、いくつかの本やペンを発見した。


なにこれ?とフロッピーを手にしたタケルをしり目に、
やっとこさ一息つける場所を見つけたトコモンは、タケルの頭からテーブルに飛び移る。
そして、ねえ、これみて、と声を上げた。
トコモンが咥えてきたのは、ワイズモンがレプリカである、と教えてくれた
データと非常によく似た一冊の書物だった。
表記はデジ文字だがトコモンは題名さえは読めない。
もしかして何か関係があるモノでもあるのだろうか、と好奇心を押さえることができず、
タケルはそっと本を開いてみた。相当古く劣化している書物は茶色く変色していて、
何を記しているのか分からないほどにまで染みが黒くなってしまっている場所、
何枚か破れ落ちている場所もあって、ますます混迷を極めた。
ぱらぱらぱら、とめくってみた。何章かに分かれていることは分かったのだが、
肝心の内容が分からなければどうしようもない。
ああ、ここにワイズモン、もしくはブイモン、光子郎さんたちがいたら!と
頭を抱えるタケルとトコモンは、ぴぴぴぴぴ、と身に着けているデジヴァイスが
今まで聞いたことがないような電子音を響かせながら、真っ赤なレーザーを放つのを見た。
呆然としているタケルとトコモンを尻目に、デジヴァイスはワイズモンより
ダウンロードされていたデジモン黙示録の復元データをダウンロードし、
データ修復のプロセスに入る。
そして古代デジ文字でしか表記されていなかった文章を
TAMAGOTTI文明到来後の現在使用されているデジ文字に自動的に翻訳し、
データを更新、記録、保存していく。
タケルたちがみたのは何が何だか分からないうちに、真っ赤なレーザーがプリントアウトされている書類みたいに、
真っ赤な線がなぞられていくうちにデジヴァイスにどんどんデータが記録されていく光景だけである。
ぽかんとしている間にタケルとパタモンのデジヴァイスは光放つことをやめた。
おそるおそる覗き込んでみるタケルが見たのは、NOW DOWNLOADING
お母さんが新しいパソコンのソフトを入れるときによく見かける英語の文字である。
読むことは出来ないが大体意味は理解できる。えーっとただ今準備中。
しばらくお待ちくださいって感じだっけ。
こういう時になるといつもお母さんはコーヒーブレイクとしゃれ込んでタケルに構ってくれるので、
わりかし好きな言葉なのだが、お母さんはおんぼろパソコンもそろそろ寿命かしらね重いわとぼやいている。
もちろん読むことができないトコモンはデジヴァイスが壊れてしまったのではないかと
おろおろしているが、大丈夫だよ、と抱き上げたタケルは笑った。そして言うのだ。
しばらくお待ちくださいだってさ。





もちろん、そこに記されていたことは、笑いごとではなかったのだけれども。
なにせここはデジモン黙示録第十五章の第五節、もっとも重要な予言部分である。
世界の崩壊を先代の選ばれし子供が記述した個所だったのだから。



『大地は裂ける。海は割れる。空に全てが呑み込まれていく。
 街も森も海も闇にかくされ、それはやがてとても大きくて高い
 螺旋の山を空に築いた。世界の変革は始まったのである。』


『はじまりの島はこの世界のすべての基盤となるデータによって構築されている。
 山も、丘も、森も、川も、海も、建物も、すべてが大切なデータなのだ。
 守れ。はじまりの島は最後の砦。世代を否定するイデアは現代種を全否定する。
ここが陥落したが最後、二度とこの世界は再構成できなくなる。
彼方の空に吸い上げられた物質は、螺旋を巻き、規則性にのっとって、
 4つの世界に分断され、蛇のように絡み合って円錐形の世界となる。
 大厄災の始まりだ。すべてのデータは逆さま世界の中に再構築されていく。
逃れる方法はただ一つ、虚空に身を投げること』



「……ねえ、トコモン。ここ、見て。その大厄災っていうやつのところ。
 いろいろ書いてあるけどさ、ここってもしかして」


タケルが指差した先を見たタケルは身の毛のよだつような記述に身を縮こまらせた。


『日中は奇怪な形になった鳥デジモンが石化した森の中を飛び交い、
 宝石をちりばめたようなわに型デジモンが紋章のようにきらめいた。
 夜になると光り輝く人型デジモンが木々の間を走り回り、
 その腕は金色の車のよう。頭は妖怪めいた冠だった。
 今の時点でこの世界の少なくても三分の一は水晶化し、
やがて世界はプリズムの層に覆われて石化する、とエニアックは試算する。
伽藍の尖塔を持った幻の都市を中心に、変幻の森は広がっていく。
 毎晩、割れた円盤のような彗星が頭の上を通り過ぎ、銀色のシャンデリアがかがやく。
 間違いない。この世界で太陽の役目を果たしているデータが風解し始めている。
 日没時に太陽が紅の埃でその円形を染める時、尖塔は格子のように光を遮り、
 途方もなく巨大な鉄格子門が現れた。その向こう側に広がっているのは、
 デジモン達が各自の肉体的および時間的な同一性や素性を手放し、
 その直接的な結果によって不死性を手に入れた者達が住む世界である。
 不死という魅惑の世界に魅入られたものは、プリズムに蝕まれた石像の住人となる』


タケルとパタモンの脳裏にこの螺旋屋敷に辿り着く前に遭遇してきたすべての光景が走馬灯のように駆け巡っていく。
顔面蒼白である。
ここにきてようやくタケルとパタモンはロゼモンが
この世界を浸食する結晶世界の秘密を尋ねた時に、空を指差したのか分かったのである。
あの流れ星は、この世界にわずかに残されていたこのエリアにあるはずの太陽のデータの残骸だったのだ。
インセキっていうのは宇宙に漂っている他の星の欠片が地球にやって来た時にいうのだ。
まさしく流れ星である。この記述ではまだエリアに太陽はあったらしい。
ここはそれ以上に結晶化の浸食が進んでいる。まずい、まずい、まずい!!ここから早く出なくっちゃ!
ワイズモンが言っていることが正しいのなら、
このエリアは間違いなく『これから死んでいく世界の記憶の欠片』のような場所であり、
もしかしたら『デジタルワールドが意図的に隔離した世界』のような場所かもしれない。
『デジタルワールドにとっての未来の光景』なのかもしれないのである。
そんな持ち主たちの焦燥を尻目に、デジヴァイスは機械的に作業終了の合図となる電子音を響かせたのち、
ワイズモンがダウンロードしてくれたデータファイルの中に新たなデジモン黙示録の一節を付け加えてくれた。
デジヴァイスはデータを保存する。
これでわざわざこんな重そうな本を運ばなくても光子郎たちと合流した後に、
あのノート型パソコンにタケルのデジヴァイスを接続してもらって、みんなで見ることができるだろう。


「あ、もうすぐ火が消えちゃう。ここにある奴使わせてもらおうよ」

「そうだね。誰も使ってないみたいだし」


蝋燭は残りごくわずかである。ゆらゆらと煙が立ち上っていくのが分かるほどだ。
蝋燭を傍らに置いたタケルは、テーブルの上に置いてあった使い古しの燭台を手に取ると、
火を映して、今まで灯していた明かりを吹き消した。極端に短くなった蝋燭が
役目を終えて真っ白な尾をひく。
まっすぐに伸びていた煙だったが、タケルがテーブルの上に戻そうとした時、
ゆらりゆらりと突然煙が不自然に揺らめいた。
あれ?元の位置に戻すと煙はまっすぐに虚空に溶けていく。
再び持ち上げてみると、大きくゆがんだ煙が流されていくではないか。
反射的にあたりに手をかざしてみたがわからない。
どうしたの?と首をかしげるトコモンにタケルは口元に手を当てて沈黙を促した。


「隠し部屋があるのかもしれないよ、トコモン。ここから、風が来てるもん」


え、ほんと?と聞いてくるトコモンに、ほら、とタケルは一番煙が流れていく本棚を見つけて笑って見せた。
おおお!目を輝かせるトコモンに、どんなもんだい、とタケルは胸を張った。
今までドアは全て内側からカギがかけられていた。外側からは開けられないのだ。
ここだけチェーンロックで、外側から開けられる鍵穴があったことを考えれば、
おのずと答えは出てくるというものだ。
タケルは恐る恐る煙が一番流れていく個所に並べられている本を見てみる。
隠しパスワードか、隠し通路につながる仕掛けか、とりあえずよーく見てみれば分るだろう。
タケルは、本の題名をパタモンに聞いてみた。
「オズの魔法使い」「幸せの青い鳥」「不思議の国のアリス」「ヘンゼルとグレーテル」「シンデレラ」「赤ずきんちゃん」
いずれも幼児向けの絵本ばかりである。
なんだこれ、と思いつつタケルは、ふと一冊の分厚いプラスチックの箱を見つけた。
「ウルトラマンダイナ」ちょっと待て。なんで絶賛放送中の平成ウルトラマンが普通においてあるんだよ。
これだけ本じゃなくてビデオだし。いずれも埃がかかっている。うーん、どれだろう。
さらに右へ右へと進んでいくと、タケルが聞いたこともない本の名前があった。
手に取って確かめてみると、どうやら言語系の辞書のようである。
トコモンに冒頭を説明してもらったのだが、この世界にある食べ物の正式名称をろくに知らないタケルは、
当然のことながら理解することができなかった。
日本語が読めるから日本語の辞書は機能するのだ。
日本語の単語が分からないと言っていちいち辞書で調べてみても、
その辞書に使われている説明文が理解できなければ意味がない。
それはデジ文字でも同じである。しかし、どうやらこの辞書、デジ文字の辞典ではないらしい。
TAMAGOTTI文明のような異文化の辞典のようで、
当然のことながらトコモンも文字が読めるだけで内容はさっぱり理解できないらしく疑問符がたくさん飛んでいる。
なんてよむの?と聞いたタケルに、トコモンは自信なさげにつぶやいた。


「ト、トレーン、ウク、ウクバ、ウクバール?オ、ルビ、ス・トル、
じゃなかった、テ、テルティウス!」


なにそれー、とへたっぴな早口言葉を披露したトコモンを笑おうとしたタケルは、
がこん、という大きな音を聞いたのである。
ビックリして振り返れば、そこに広がっていたのは隠し部屋ならぬ隠し通路。
ずっと下まで隠し階段が暗闇と共にタケルたちの前に現れた。


「トコモン、すごーい」

「え、あ、あはははっ!ね!凄いでしょ、僕!」

「うん!すごい、すごいよ、トコモン。ねえ、もう一回言ってみて?」

「え゛」



[26350] 第三十九話 終焉の兆し その2
Name: 若州◆e61dab95 ID:15821ef9
Date: 2013/08/03 00:47
どっくん、どっくん、どっくん、と大きな心臓の鼓動が絶えずなり響いている。
はじめ、タケルとトコモンは、たった一人と一匹で潜入している螺旋屋敷に緊張して、
いつも以上に自分たちの心臓は激しく波打っているのかと思ったがどうやら違うらしい。
まるで屋敷全体が生きているかのように、一定のリズムで、どくん、どくん、と脈を打っているのである。
まるで呼吸するかのように隠し階段の螺旋階段から鳴り響いてくる。
誰かいるのは間違いなさそうだった。
うん、間違いないよとトコモンはこわばった様子で頷いた。
トコモンによればどうやらこの先の隠し部屋に複数のデジモン達の気配がするらしい。
耳を澄ませば確かに何人かの足音が聞こえてくる。にしてはずいぶんと足音が揃っている。
運動会の整列、行進を連想させる足並みそろった雑踏は、一定のリズムでぐるぐるとまわっているようだ。
しかし、先ほどから耳を塞ぎたくなるくらいまで不気味なリズムを刻んでいる心臓の拍動とは何の関係もないらしい。
一体この先には何が待っているのだろうか。


ごくり、と息を飲んで確認し合うように顔を見合わせたタケルとトコモンは、
うん、とうなずいてから、手にしている蝋燭の灯を頼りに、慎重に一階へと下っていく。
そっと通路に顔を出したタケルとトコモンが見たのは、
ライフル銃が何十丁も空中を浮かんで隊列を組んで見回りをしている奇妙な光景である。
ぽかんとしているタケルに対して、トコモンはじいっと目を凝らすような眼差しで
透明デジモンがいるはずの場所をながめていた。薄暗い廊下は影すら映らない。
区画に入って壁とは違う模様の扉に差し掛かったライフル銃の行列をみて、指差した。
タケルが見ると、一瞬だけではあるのだがライフル銃をもっている
成長期くらいのデジモン達が行進しているのが見えた。
ライフルだけでなく小型爆弾まで携帯しているらしい竜型デジモンである。
全身はいくつかの迷彩色が混在したアグモンとよく似た種族のデジモンなのだが、
体表を覆っている構成データが特殊なのだろう、周囲の色を感知してあらゆるパターンを表示して、
たちまち彼らの姿は見えなくなってしまうのだ。身に着けている防具や武器も適応されるらしい。
透明デジモンになってしまうには数秒の誤差が必要なようだが、
ライフルまで適応されていたらタケルたちは間違いなくそのまま突っ込んでいって
ハチの巣にされてお陀仏である。ほんものの兵隊さんだ、とタケルは思った。
どうやらあのライフル銃は訓練中に使う練習用の武器のようである。
実践中に遭遇でもしたら最悪だ。
再び戻ってこないことを祈りつつ、息をひそめて待っていたタケルたちは、
彼らの巡回には一定の空白時間、おそらく交代の時間なのだろう、があることを知る。
長い長い待ち時間だった。おそらく実際はそんなに経っていないが、タイミングはとても遅かった。
何週目かの足音は聞こえなったタイミングを逃すことなく、タケル達は先を急ぐ。
あの兵隊さんたちはたぶんマシーン型のデジモンだよ、とトコモンはいう。
どうやら機械型のデジモン独特の音や匂いがするらしい。緑色のアグモンにしか見えないのに?
へんなの、と思いつつ、タケルはトコモンを抱えて小さな脇道に入った。
さっきの兵隊さんたちとはまた違ったデジモンの足音にトコモンが反応したからである。


「またこの世界から我々の同志が一人減ったのか」

「ああ、ワイズモンによって異次元に落されたそうだ。ご帰還はかなり厳しいぞ」

「そうか、ならばまた補充しなければならないな。すべては我々の悲願のために」

「そうだな。ところで、デジメンタルに変わるエネルギー体の到着はまだなのか?」

「もうすでに手筈は整えている。ピーターモンが届けてくれたからな、
やはりホーリーリングの効果は絶大だ。ここに紋章さえ手に入ってしまえばこちらのものだ」

「こう何度も選ばれし子供たちに我々の邪魔をされるわけにはいかないからな。
 そのためならばヴァンデモンに戦力くらいいくらでもくれてやれとは、あのお方の判断だ。
せいぜい足止めしてくれればいいさ」

「まったくだな。我々の力を手に入れるためとはいえ、守護デジモンをジョイントプログレスの
 実験体に差し出すなど見上げた根性だ。野心を手に入れるとああも残酷なことができるのかと
 思うと末恐ろしささえ覚えるぞ」

「ジュレイモンだったか、まさかウィルス種のデジモンと相性がいいとは知らなかった」

「従わない者を配下に置くために取る手段としては最良だな、
 意志を残している時点で裏切りの危険性が排除できないのは困るが」

「下手にジョグレスが失敗して暴走されたら困るからな。どうせなら機械化してしまえばいいものを」

「やはり生物型のデジモンの考えることは分からんな。なぜこうも非効率な方法をとるのかわからん」


やたらと物騒な単語が隠れていたタケル達の前を通り過ぎていく。
タケルとトコモンは背筋が凍りついていくのを感じた。なんていったの?え、うそでしょ?
遊園地エリアを奇襲したタンクドラモンが叫んでいたDブリガードという単語が脳裏をよぎる。
メカノリモンたちに使い捨てのデジモン達を搭乗させて、自爆特攻させた鬼畜がここにいるのだ。
タケルたちは震えがとまらなかった。いろんな感情がない交ぜになって言葉を発することができない。
淡々としている会話には異次元の恐怖すら覚えてしまう。頭が理解するのを拒否しているのだ。
しかも、この組織が持っている技術を利用しようとしている別の勢力がいるらしい。
その勢力は覚悟を示すためなのか、忠誠を誓う為なのか、おそらく仲間だったデジモンを
生贄として差し出したらしい。ジュレイモン、という名前は聞き覚えがあった。
ファイル島にあるミスティツリーズを守っていた守護デジモンで、森の長老でもあり、
先代の子供たちにも助力したらしい守護デジモンだ。
行方不明だから探してほしいとトノサマゲコモンから頼まれたと空から聞いたばかりなのに。
そんなタケルたちの狼狽など知る由もない暗殺部隊の2体は去ってしまう。
かつん、かつんと足音を響かせながら、遠ざかっていく。ようやく静寂が訪れた通路。
うっすらと涙すら浮かんできたものの、なんとかその場で耐えていたタケルだったが、
ずるずると壁を伝ってその場にしゃがみ込んでしまった。耳を塞ぎたいが状況が許してくれない。
こんなのってないよ、そんなのないよ、なんだよそれ。
声を殺して泣いているタケルにトコモンは何も声を掛けることができなかった。





ぴこんぴこんぴこん。
デジヴァイスの電子音が鳴り響いたのは、ずいぶん経った後である。





真っ赤になってしまった目を乱暴にぬぐったタケルが、もしかして!と思ってのぞいてみれば、
聞き慣れた音である。途方もないくらい待ちわびた音である。
紋章が近くにあれば反応して場所を教えてくれる機能が、ようやく起動してくれたのだ。
さいわい誰も気付いていないらしい。もうタケルたちは後戻りができなくなった。
目的場所まで矢印を表示してくれているデジヴァイスを頼りに、
トコモンに辺りの警戒を任せながら、タケルはたった一人ぼっちで敵の拠点施設への潜入を続ける。
階段を下りて、通路を歩いて、換気扇の通路や水路の道をくぐったりして、ただひたすら歩いた。
トコモンのおかげで厳重な施錠は意味を為さない。
タケルの頭の中にあったのは、一刻も早くここから出たいという気持ちだけである。
もうぐちゃぐちゃで、めちゃくちゃで、なんだか心の中が壊れてしまいそうな気がして、
何も考えたくなんかなかったのだ。いつしかデジヴァイスは電子音が起動しなくなり、
画面を表示しているのは紋章の場所が近くなってきたことを知らせる点滅マークだけである。
ここだ。タケルとトコモンは、迷宮ピラミッドの奥底にあったナノモンの研究所よりもはるかに大きい自動ドアを見上げた。
目と鼻の先まで近づいてみたが、案の定自動的に開いてくれることはない。
横を見ればパスワードが必要らしく、9ケタのボタンと指紋認証を示す警備設備が整っていた。
ここから先は立ち入り禁止だ。この先に紋章はあるかもしれないのに!
どうしよう、と途方に暮れるタケルとトコモンはため息をついた。
もうそろそろ巡回している歩兵型デジモン達の大行進が始まるころだ。
どこかに隠れなくっちゃ、とあたりを見渡したタケルとトコモンは、トイレを見つけた。
ラッキー、と思いながら男子トイレ(女性型デジモンも出入りするのだろうか)をくぐったタケルは、
個室の上の方に小さな子供くらいなら入れそうな換気扇のふたを見つけた。









すぐ真上にある換気扇の空気溝の格子からみえたのは、研究室だった。
緑色の液体に浸されたガラス管の中には、おそらくこのエリアの住人だったのであろう
幼年期、成長期と成熟期、完全体に相当するであろうデジモン達が眠っている。
ごぽり、ごぽり、と時々空気が泡になって下から上にむかって解けていった。
二つの大きなガラスの棺ははるか頭上の方で結合しており、コンピュータで管理されている。
がこん、と大きなレバーが押される。
直視できないほどの光が爆発するが、視覚を保護するためのサングラスカバーをしている
デジモン達は誰一人として2つのデジタルモンスターが1つのデジタルモンスターとして
合体していくという状態から眼を離す者はいない。タケルたちはこれがジョイントプログレスだと悟る。
デジモンが1と0の数字になって緑色の液体の中に解けていく。螺旋状になって消えてしまった。
名前も知らない見たこともないデジモン達が、新しいデジタルモンスターとして
誕生する瞬間を図らずもタケルとトコモンは目撃することとなったのだった。
それぞれのデジタルモンスターを構成しているデジタマとワームフレームが分解され、
上の方にある無数のコードを通って、遺伝子のような螺旋状の光として奥のガラスケースに注ぎこまれていく。
水蒸気の熱気が一気に研究室に注ぎ込まれていく。真っ白な蒸気であたりが見えなくなってしまった。
しかし、研究者であるデジモン達は完成を確信したらしく、歓声が上がる。
息をひそめているタケルとトコモンがちゃんと見られるようになったころには、
先程まで酸素ボンベを充てられていた2体のデジタルモンスターの姿はもうない。
そこにいたのは、2体のデジタルモンスターを素材として、新たに誕生したデジタルモンスターの生命が宿ったデジタマである。
NEWと表示される電光掲示板が点灯する。ふたたび、がこん、とレバーがあげられる。
そこから取り出されたデジタマは始まりの街で見かけたものとは大きく異なり、
大きさが明らかに成長期、もしくは成熟期以上のデジタルモンスターが入っていそうなほど大きなカプセルと化している。
そして、見るからに禍々しい色をしている。ガラスの棺桶から慎重に取り出されたNEWデジタマは、
何人かの研究者デジモン達に抱えられて、さらに奥の方にある部屋へと消えてしまった。
自動ドアから見る限りでは、デジモン達同士で融合させられて誕生したデジタマは、
あの保育器機能が完備されているらしい機械の中に、たくさん並べられているらしかった。
融合されたデジモンたちは、自分の意志はどうなってしまうのだろうか。
片方は吸収されて片方が主人格を継承するのか、統合されて新しい人格が生まれてしまうのか、
それともまっさらな状態でデジタルモンスターとして誕生することになるのか、
さすがにタケルもトコモンも分かるはずはない。
ただ分かるのはあの実験の素材として次々と運び込まれている緑色の液体に浸されているデジモン達は、
きっと自ら望んでこのような研究被験者になったわけではないということくらいなものである。
いずれのデジモン達もこのエリアの風土病である結晶化が全身にまで及んでいるらしく、
光の鎧に覆われた物質が放つ特有のプリズムがよどんだ液体ごしでも仄かに輝いていた。
デジモンは死んでしまうとその亡骸を残すことはなく、デジタマとして転生するか、
ダークエリアに送られる、暗黒の力に吸収される、消滅という意味で
データチップごと消えてしまうか、いずれかしか選択肢が与えられていない。
文字通り亡骸に近い状態を保つには、結晶化のように生きた化石となるか、
データごと強制的に凍結されて封印されてしまうかくらいしかない。
まさかとは思うが彼らはこの螺旋屋敷に並べられているお墓の住人達ではないだろうか。
もしくはこの世界の秘密を知ってしまったために、
見せしめに殺されてしまった後のデータの残骸から復元された思念のようなものたちなのだろうか。
いずれにせよ昼夜問わず納骨堂や死体置き場である墓場から運び込まれてくる彼らをこねくり回し、
データを集めて回収し、こうやって一つのデジタルモンスターとして作り上げているのだ。
小学2年生の男の子が見るにはあまりにも刺激が強すぎたらしく、
トコモンが心配するくらいタケルは手足が震え、めまいを覚えたのか壁に手をついて、
そのままうずくまってしまった。
タケルたちの様子など知る由もなく、なにかに憑りつかれたように研究者たちは湧き上がる情熱に逆らうこともせず、
次々とデジタルモンスターたちを合体させて、新しいデジタマを作り上げていく。
彼らの身の毛もよだつような息苦しい程の熱意に急き立てられる形で、
タケルとトコモンは元の部屋に戻ろうとしたのだが、
タケルたちの遥か下方で横たわっている身体に生命の源を吹き込もうとしている装置に、
デジヴァイスが反応した。聞き慣れた音である。かつて途方もないくらい待ちわびた音である。
紋章が近くにあれば反応して場所を教えてくれる機能が起動したのだ。
さいわい誰も気付いていないらしい。もうタケルたちは後戻りができなくなった。
どうやらこの研究の要となっている機械に動力を与えているのは、
タケルの紋章のようである。もしかしたら大輔たちの紋章も関わっているのかもしれない。
蝋燭が今にも燃え尽きようとしている研究室の中で、そっとデジヴァイスの画面を覗き込んだタケルは、
この部屋ではなく別の通路でつながっている別の部屋に、微かな光が点滅しているのが見えたのだ。
取り返なさくちゃ。誰にも気づかれないように通路と通路の間を潜り抜け、
慎重に別の経路へと続く換気扇の通路を進んでいくタケルは、
デジヴァイスが激しく反応している部屋の真上に辿り着いた。
そこには何体かのデジモン達がせわしなくあたりを駆け回っている。
注意深く様々な機械が陳列している棚を覗き込むと、そのカバーケースの中に
タケル達の紋章がちょうど5つおさめられているのが分かった。
なにしてるんだろう。いやな予感しかしないが、未だにパタモンにすら進化できないトコモンでは、
このまま彼らがどこかに行ってくれるのを待つしかないもどかしさである。
はあ、とため息をついたのは、どちらだったのだろう。


「あ、ティンカーモンだ」

「光の紋章もってるよ、タケル」


あれ?ロゼモンは?
二人は顔を見合わせたが、一瞬頭をよぎった最悪の結末に必死で頭を振った。
今まで見たこともない大きなガラスの棺の中に横たわるデジタルモンスターをみおろす妖精は、
どこか嬉しそうにその紋章を最後のカバーケースに乗せる。
がこん、というレバーの音が響いた。ぱ、ぱ、ぱ、と真っ赤なランプがかがやいた。
どうやら、眠っていたデジモンが起きたらしい。生き物は深く息をして、手足を激しく痙攣させる。
酷く変色している黄緑糸の皮膚からは、その下にある筋肉や動脈が透けていた。
髪の毛は長年潮風にでもさらされたかのように赤みがかっており、
死んだ魚のような眼をした目以外の顔の上の部分を覆い隠す機械が一層不気味さを際立たせていた。
一文字の黒い唇がわずかに動き、濁った黄色い瞳がゆっくりと開き、
真上にいるタケルたちと目が合ってしまう。思わずタケルは目を逸らした。
身体の至る所に導線が張り巡らされ、拘束具で全身を覆われているデジタルモンスターは、
巨大な大男のようにも見えた。この屋敷にいる機械が基本として造られたデジモンと違って、
人型のデジモンに人工的に機械を埋め込んだため色が変わってしまったデジモンなのだろう。
どうしてそんなデジモンがここにいるのかは分からないが、
紋章を6つも使用してようやく起動するほどの封印が施されていたデジモンである。
ティンカーモンの慕うデジモンのために目覚めさせたのは明白だった。
もしかして、これがロゼモンが焦ってた理由なのかな、と思った刹那、
凄まじい雷撃が狭い研究室にさく裂する。一瞬の閃光。世界は白く染まった。
デジモンの攻撃ではない。それは後からやって来た轟音と突風が証明してくれた。
がこん、と留め金がひしゃげて格子が吹き飛ばされてくる。
驚いて硬直してしまったタケルを守るために、トコモンはあわてて酸性の泡で鉄格子を溶かしつくした。
鼻を突く強烈な匂いは突風によってあっという間に吹き飛ばされ、白い煙が辺りを覆う。
真っ赤な色がちらついた。あたりに響き渡るのは警報だ。
もしかして見つかっちゃったの、ってタケルは焦るが、真四角の世界が灼熱に燃えているのに気付く。
スプリンクラーが起動して、冷たい水が辺りを覆い尽くすが機械を走る電磁波はやまない。
どうやら起動したデジモンが一瞬のうちに拘束具を外してしまったようだ。
どれだけのパワーをつかったのだろう。
紋章がおさめられていたガラスケースは粉砕され、ショートしたのかタグが電磁波を放っている。
凄まじい轟音は揺れとなって屋敷全体に襲い掛かり、タケル達は振り落とされないように
必死でつかまっていることしか出来なかった。
気付けば火の気がやんできたとはいえ、すっかりびしょびしょになってしまった研究室がある。
デジモン達の気配はない。見渡す限り瓦礫の山だ。タケル達は絶句するしかない。
そっと耳を澄ませてあたりを慎重に伺ってみるが、どうやら出て行ってしまったデジモンを
捕まえるためにみんな総動員で向かえというアナウンスに駆り出されているようだ。


「………タケル、いこ?」

「………え、あ、そ、そうだね。いまのうちに!」


よいしょっと降りたはいいものの、さすが高さがあったのか、寝台に着地で来たとはいえ、
あまりの痺れに我慢できなくてタケルは尻餅をついてしまった。
大丈夫?と心配そうに覗き込むトコモンに、あいててて、といいながらタケルは首を振って笑った。
ベットの上におっこちたようなものだ。クッション替わりのマットは弾力性があって助かった。
それよりも、と体を起こしてタケルたちは大きな実験台に足を向ける。
さいわい紋章とタグがバラバラに配置されていることはなく、どちらもちゃんと二つセットになっていた。
おそらく紋章はこのタグによってエネルギーが制御されている。
だから、さすがの敵勢力も紋章単体でコントロールできるほどの技術力はないのだろう。
それだけが救いだった。ほっとしてリュックの中にしょい込んだタケルの頭の上で、
光の紋章が見つかってよかったねとトコモンが嬉しそうに笑う。
これから会う新しい仲間にとって欠かせないものがこうして取り返せたことは何よりも誇らしい。
でもタケルはまだ浮かない顔だ。


「でもまだ9個だよ、トコモン。10個あるんでしょ?紋章って」

「あ、そっか。どこにあるんだろう」

「きっとジュレイモンに酷いことしたデジモンがもってるんだよ。ティンカーモンはそいつの仲間なんだから」

「そっか、じゃあそいつのところに行けば最後の紋章が取り返せるね」

「そうだね、はやくみんなに知らせなくっちゃ」


さあ、いこう、とタケルたちが研究室から出ようとしたとき、部屋全体が真っ赤に照らされた。
けたたましいサイレンが響き渡る。
侵入者の居場所と奪われた動力源の確保を叫ぶ機械的な声色が研究室全体に響き渡った。
ばたばたばたとにわかに騒がしくなる通路。タケル、にげよう!とトコモンが叫び、
うん、と頷いたタケルは足跡がする方向とはまた別の通路に足を向けたのだった。
ずいぶんと遅い発見である。もしかしてロゼモンが頑張ってくれたのかな、と思いながら、
タケルは走った。


「タケル、こっち!」

「どうしたの?トコモン」

「こっちからにおいがするんだ!」

「えっ!?囲まれちゃったの?」

「違うよ!みんな!攫われちゃってるみんなの気配がするんだ!」

「ほんと!?」

「うん!」


トコモンの指示に従って大きな通路から細い通路を抜け、いくつかの空っぽな部屋を抜けたタケルは、
先程NEWデジタマと表示されていたデジタマがたくさん保管されている保管庫に辿り着いたことを知る。
色とりどりのデジタマ、それこそ大きさも大小さまざまなデジタマが所狭しと並べられ、
新しい命として生誕するその日を待っている。
まるで保育器のような機械の中で、毛布にくるまれながらガラスケースのデジタマは、
時折タケルたちの気配を敏感に感じ取ってか、わずかに揺れていた。
膨大な数に及ぶデジタマの通路を駆け抜けていった先には、大きな部屋がある。
一転して真っ暗な部屋に足を踏み入れたタケルは、思わず足がすくんでしまった。
理科の実験室においてある動物の標本やホルマリン漬けの死体を見てしまった時の恐怖と似ている。
暗闇の中でぼんやりと色付いた蛍光液に浸されたガラスの棺桶の中でうずくまるように眠っているたくさんのデジモン達が並べられている。
完全体は別の部屋に保管されているらしくそれ以下の世代が年代別に並べられていた。
成熟期、成長期、幼年期、ここまで歩いてきたタケルは、まさか、とトコモンを見た。
いずれのデジモン達も光のまゆに覆い隠され、発光体のような結晶体として光を放っていた。
幸い仲間たちはこの中にはいないようだが、このエリアに幼年期のデジモン達が極端に少ない理由が判明してしまい、
タケルは無性に泣きたくなって乱暴に涙をぬぐった。
トコモンが先へ先へと急かすその先には再び螺旋状の階段があって、
蝋燭の灯篭が精神的に不安定になりつつある幼い心の陽炎を映し出していた。


「タケルーっ!!」


ばっと顔を上げたタケルが見上げた先には、鉄格子から青色の熱帯植物の花びらがのぞいていた。
まるで刑務所のように螺旋階段の壁に所狭しと設置してある牢屋に押し込められているのは、ピョコモンだ。
あわててその階段付近を駆け下りて、小さな檻の中を覗き込んだタケルは、心配そうに聞いた。


「ピョコモン、大丈夫?」

「ええ、大丈夫よ。ありがとう、タケル、トコモン。私たちを助けに来てくれたのね」

「たち?たちってことは、やっぱり他にも捕まってるの?」

「ええ、そうよ。ほら。私は寝ている間にさらわれたからすぐに目が覚めたんだけど、
 他のデジモン達はティンカーモンっていうデジモンに無理やり眠らされて、
 しかも無理やり操られてここまで来たから、もうボロボロで体力も残ってないの。
 みんな疲れちゃってずっと寝てるわ。ご飯もちゃんともらえないの」


ピョコモンの向こう側には、死んだように眠っている幼年期のデジモン達が身を寄せ合って眠っていた。
バーガモンが証言したデジモン達がいる。どうやら命に別状はないようだが、
選ばれし子供たちと引き離されてしまったパートナーデジモン達は、基本的に進化できない。
普通のデジモンとは違って子供たちとのつながりに生存本能を大きく依存しているため、
見るからに衰弱してしまうのだ。ろくな扱いを受けていないのは分かる。
はい、とタケルは紋章をピョコモンに渡す。
紋章まで!と感極まった様子で涙をぬぐったピョコモンは、
なんとか牢屋をこじ開けようとタケルから降りたトコモンを見て、一歩下がった。
ピョコモンの技は戦闘には不向きな目くらましの普通の泡攻撃しかない。
壊せそうなツノモンたちは体力を回復しておらず、ずっと寝たまま。
さぞかし心細かっただろう。錠の外れる音がして、タケルはデジモン達が瞬きするのを見た。


「みんな、大丈夫?」

「………タケル?」


「そうだよ、僕だよ!トコモンもいるよ!みんなを助けに来たんだ。
 ほら、紋章も取り返したよ。みんなで逃げよう!」


手を差し伸べてくれる選ばれし子供、かけがえのない仲間の登場にほっとした様子でツノモン達は起き上った。
やはり成長期に進化するためにはパートナーの存在が必要不可欠である。
エネルギー体である紋章が帰ってきて、大分元気になったようなのだが、
幼年期のまま彼らは進化する様子もない。仕方ない。ここは元気なピョコモンを先導にして、
歩けるまで回復していないツノモン達をリュックに押し込んで、脱出するしかなさそうだ。


「私がここに放り込まれるまでの道は覚えているわ。一緒にここから逃げましょう」

「ほんと?」

「ええ。あの結晶化した密林の中に、隠し通路があるみたいなの。
 あそこからきた奴に私はここに閉じ込められたんだから。間違いないわ」


なるほど。結晶化していく風土病を恐れてふつうのデジモン達は
誰一人としてあの密林へ突っ込んでいく者はいないはずだ。


「待って、ここに連れてこられたバーガモン達と一緒に逃げようって約束したんだ。
 一緒に行ってもいいよね?」

「バーガモン?バーガモンってデジタマモンだった?」

「やっぱり知り合いなの?ツノモン」

「し、しりあいっていうか、その、あ、あははは」


まさか2か月にわたって丈とゴマモンの無断飲食の連帯責任を取って無理やり働かされ、
誤解を解くまでヤマトがタケルとの約束を破ってテンプ湖のほとりまで来ることができなかったなんて言えるわけがない。
ふうん、と軽く流したタケルはとりあえずみんなと再会できたのがうれしいのか、にこにこしている。
どうするの?とピョコモンに目くばせされたツノモンは、
じつはねー、あのねー、と真実を口にしようとするタネモンをあわてて止めた。
首をかしげるトコモンに、ごまかし笑いを浮かべたツノモンはタケルに訊いたのだ。


「みんなでカレー作ったんだけどさ、ヤマトが作ったやつ、物凄く辛かったんだよ。
 タケルももしかして好きなのかなあーっておもってさ」

「ううん、僕はそんなに辛いの好きじゃないよ。
 お兄ちゃん、またそんなことしたんだ?もー、お兄ちゃんたら」

「どうしたの?」

「僕とお兄ちゃんが離れて暮らしてるのはみんなしってるでしょ?
 僕がお兄ちゃんと一緒に遊べるのってすっごく少ないから、
 お兄ちゃん時々僕をからかって遊ぶんだ。酷いでしょ?
 すっごく辛いカレーとか作るんだよ。僕そんなに辛いの食べられないのに。
 そうじゃないと僕が全部食べちゃうから落ち着いて食べられないんだよ、
とかいうんだ。僕だってそんなに食べないのに」


ちょっとムッとするタケルに、幼年期のデジモン達はそっかあと笑ったのである。
島根のおばあちゃんが作ってくれるおはぎが実は大好きで、
甘いものがそんなに好きじゃない、と照れ隠しから素直じゃないことを言ったせいで、
弟に全部食べられてしまうという悲しみを時折経験している兄のあてつけなんて慣れっこらしかった。





そして、彼らはピョコモンの記憶を頼りに螺旋屋敷から脱出することに成功したのだった。
もっとも主に使った経路は言わずもがな排気口。すっかり泥だらけになってしまった彼らは、
真っ先にバーガモンの家でシャワーを使わせてもらうことになる。
降りしきるシャワールームにて、ようやく解放された小さな男の子は崩れ落ちる。
わあわあ泣いてしまうタケルから凄まじい体験談を聞いてしまったツノモン達は、
慰めることしか出来なかったのだった



[26350] 第四十話 終焉の兆し その3
Name: 若州◆e61dab95 ID:a5280b1d
Date: 2013/08/03 00:48
「タケル、どうしたの?」

「ちょっとだけ・・・・もうちょっとだけ待てない?トコモン」

「このままじゃあ、ティンカーモンたちに見つかってまた捕まっちゃうよ。早く逃げようよ」

「でも、でも、ロゼモンが・・・・・・僕約束したのに、また会おうって、なのに・・・・・」


遠くにそびえている結晶世界の宮殿を見上げて、タケルはぽつりとつぶやいた。
無我夢中で逃げてきた回廊は、陰惨の一言につきた。あるのはロゼモンが奮闘した名残だけ。
究極体同士の激突は想像を絶する規模の被害をもたらしていて、結晶化したデジモンたちは
一体残らず瓦礫になっていて、階段すら足元が心許ないほどの崩壊を見せていた。
ツノモンとピョコモン、タネモンはおぼろげな記憶の中でデジヴァイスを託してくれた面影に
思わず足取りが止まってしまった。かつてはじまりの町を守っていた守護デジモンは、
ファイル島唯一の究極体のデジモンでもある。誰よりも強かったことをみんなが知っていた。
彼女の帰りを待った方がいいんじゃないかなあって、後ろ髪を引かれる思いのタケルに、
首を振ったのは頭の上にいるトコモンだ。


「悔しいけど今の僕たちじゃ、D-ブリガードのデジモンたちには勝てないよ、タケル」

「でも・・・・・」

「ロゼモンいってたよね?タケル。また会おうって。生きてたらまた逢おうって。
 タケルは、選ばれし子供たちは、この世界の希望なんだから、
 ぼくたちががんばってるってだけで、ずっとずっとがんばれるっていってたじゃないか。
 せっかくロゼモンが逃がしてくれたんだよ、タケル。僕たちにできることは、待ってることじゃないよ」

「・・・・・・わかった」

 
なんでぼくは、ぼくたちは、なにもできないんだろう。そう思ったのは、きっとタケルだけではなかった。
乱暴に目頭をぬぐったタケルは、力任せに手のひらを握り締めて、すっかり赤くなってしまった目で前を向く。
ようやく立ち上がることができたタケルの後ろ姿を眺めながら、バーガモンはともに行く幼年期たちに
静かに内緒の合図を送るのである。内緒だよって。なんとなくわかったいい子たちは頷くのだ。
バーガモンたちは知っている。ティンカーモンがヴァンデモンの配下であることを。
そして、ヴァンデモンとロゼモンは、かつて恋仲だったことを知っている。
闇貴族が選ばれし子供の次なる敵であるという、残酷すぎる事実は、
タケルが知るのはまだ早過ぎるから。優しい沈黙が生まれた。





目抜き通りの両側のアーケードはがらんとしていて、暗い空気の中にホテルや病院、
住宅地の窓が垂れ下がっている。細いブラインドは棺桶のようだ。
この街の中心部は白く色あせた建物のせいで、
密林の陰気な光がなお一層あたりに染みわたっているように見えてしまう。
大河が巨大な蛇のように曲がりくねって密林へと消えているのを横目に、
タケル達は人知れずこの街を後にする。
今となっては宝石の川が生気をほとんど吸い尽くして、
残っているのは生命の微かな灯火であるようにしか見えない。
小さなリュックを片手に柱と柱の間を縫うように走り抜け、
がらんどうの道路を渡り、アーケードの暗がりに消えていく。



砂埃を立てながらタケルたちの後を追いかけるようにして幼年期のデジモン達がついてくる。
バーガモンと一緒にお出かけをするという名目での外出だ。
振り向かずにせわしなく足を動かす保護者役のバーガモンやあタケルたちに誰も疑問を挟むことなくついてくる。
口がきけないバーガモンと共に暮らしてきたのだ。ある程度会話の無い遠出は慣れっこのようである。
悪夢でおぼろげに記憶した誰かの青ざめた横顔に似ているタケル達の
緊張した面持ちなど意も介さず、ただ無邪気に後ろを付いてくる。
生まれたばかりの刷り込みを施されたひなを連想するのは間違いではないだろう。
無理やりこの世界に連れてこられたはずのバーガモンが愛着と情がわいてしまい、
とどまっていた理由がよく分かる。なんとしてもみんなでこの世界を脱出しなければいけない。
願わくばピョコモンが誘拐されてきた時に通ったというワープゾーンが
一部のデジモンしか使うことを許されないものでないことを祈るばかりである。
やがて街並みは密林に覆われたバリケードを突き破って浸食しつつある光の鎧の隙間を潜り抜けていく。
元気いっぱいの幼年期に比べてバーガモンやタケルは結晶化の進行が始まり、
神経質になりながら慎重に結晶の鱗を啄んでいく。
くすんだ光はあらゆるものをダイヤモンドとサファイアで輝かせている。
斜面を見渡す時に感じる驚異の念を表す言葉が見つからないほどの美しさに別れを告げる。
斜面の森は、まだまだ霧に隠されているが、枝の一本一本が宝石をちりばめたドームのようにタケルたちを見下ろしている。
物思わしげな雰囲気を装っている沈黙の森をピョコモンが案内する。
頭に光の冠を付けながら森の中を足早にかけていく。
奇妙な、恍惚とした幻想的風景が前から後ろに流れていく。



幼年期のデジモン達を引き連れ、すぐそばには後ろを警戒しているバーガモン、
タケルの頭にへばりつきながら前方を警戒しているトコモンもあわせて、
おそらく事情を把握していないであろう幼年期のデジモン達が一段となってぞろぞろとついてくる。
誰一人として置き去りにしてはいけない。
守る者たちがいなくなったこの世界で置き去りにされたものたちを許してくれるほど
この結晶世界は優しくないのである。
侵入者たちを血眼になって探している駐屯地のデジモン部隊に一網打尽にされたら為す術がない。
間違いなくハチの巣にされるか、ホルマリン漬けの実験体となってしまうに違いない。
もしくは結晶化という風土病で銅像として売り飛ばされてしまうかのいずれかだ。



森林の黒い層が何重にも空中にそそり立ち、タケル達の行く手を遮る巨大な波浪のように活している。
大きな枝が広げられた翼のように、森の静寂はなにかけばけばしい、
重苦しいなにかと共に迫ってくるような錯覚を覚えてしまう。
今にも破裂しそうなほど大きな鏡と化している結晶の雲がゆらゆらと自らの重さに耐えきれず揺れている。
無数のダイヤモンドをまとったかのようにきらめいている山道は、
何度も踏みつけられるたびに結晶化してきたため、まるで眠っている蛇のうろこのごとく続いている。
こっちよ、と案内していくピョコモンの後には、タコの吸盤のような足跡が光り輝いた。
森林が凝集した光であたりがきらめくにもかかわらず、暗く、陰気で、まるで葉っぱが月明かりさえも吸収し、
来るべき世界の崩壊に備えているように思えてならない。
あたりに染み渡った不安を振りはらうように、タケルはデジヴァイスと紋章をしっかりと握りしめ、辺りを窺いながら先を急ぐ。
光のやりきれない重苦しさに苛まれながら、タケルはぽつりとトコモンにいう。


「ねえ、トコモン」

「なあに?」

「まだね、温かかったんだ」

「……」

「まだね、トコモンみたいにね、温かかったんだよ」


ぎゅっと拳を握り締めながら、泣くまいと堪える姿は痛々しいものである。
トコモンはそっとタケルの肩に降りると、そっとすり寄った。
つうっと熱いものが流れていくが、乱暴にぬぐってしまったタケルは、
今にも爆発しそうな感情を必死でこらえながら言うのだ。もう、限界だった。
なんでもいい。ひとことでもいい。ふたことでもいい。
言葉に出さなければ何かが壊れそうな気がして怖くて、怖くてたまらなかったのである。
どれだけ断片的なものであろうと、タケルが言葉にすることができたのはそれだけだった。
トコモンの脳裏に妖精型のデジモンの八つ当たりによって粉砕されてしまったデジタルモンスターの結晶体がよぎる。
お墓に安置されていたのだから、何日も、何カ月もたったあとだっただろうに、まだ温かかったのである。
過去系である。タケルは腕の中で消えていったデジタルモンスターの結晶体の温かさを克明に鮮烈に思い出せてしまうのだ。
あまりにも生々しい首なしの結晶体の惨劇はタケルに深い影を落としている。
高い密林の壁から垂れ下がっている蔦のカーテンを掻き分けながら、
タケルがトコモンに溢した言葉はそれだけだった。



やがてピョコモンの足取りは前よりも広々とした場所に差し掛かる。
下植えの雑草が一部人工的に刈り取られていて、小さな空地を作っている。
ここよ、とピョコモンがその先にある放棄された人工の洞窟を指差した。
水晶のような樹が光り輝く洞窟の中に、像のようにして垂れ下がっている。
頭上の葉っぱは宝石の枠を為しており、溶けあい、プリズムの格子となって、
その間から月の光が何百の虹を作って溶け合っている。
しかし、今のタケルにはこの光り輝く森は色あせた活気のない世界の繁栄にしか思えなかったのだった。
見捨てられた灰色の地帯である。
太陽を奪われたこの世界では時間という概念そのものが喪失しつつあり、住人達は朝と昼を知らない。
密林とさびれた街しかない世界は、変化がない。何も変わらない。不変だ。この世界は動きがないのだ。
タケル達と同じようにデジタルモンスターたちは常に太陽などの動きを通して、
生命や時間の経過と関連づけることで自分を認識出来ている。でもこの世界はそれがない。
時間の感覚が失われていった先にあるものはよく分からないものの、
世界中が生きているのか死んでいるのかよく分からないこの世界のようになってしまうのだとしたら
それはきっととてもつもなく恐ろしいことであると言わざるを得ない。
そんな予感を胸に秘めながら、タケルは紋章で飾られた化石のように横たわっている洞窟に一歩足を踏み入れることにしたのだった。
近くの樹から垂れ下がっている格子状の水晶で覆われた幕を潜り抜け、
ぱっと花を咲かせたように巨大な半透明の宝石と化している岩石の間をいく。
洞窟自体が噴水のように絶えず光を放っているため、異様なほど中は明るく奥まで見通すことができる。
ガラスの破片を蹴散らしながら、タケル達はピョコモンに呼ばれて奥に進んでいったのである。










斜め上の森の天蓋から凄まじい轟音が鳴り響く。タケル達は一瞬血の気が引いた。
嵐の終わりを告げる遠方の稲妻のような恐怖がタケルに湧き上がる。
みんな、隠れて、早く、とピョコモンに急かされて、タケル達は幼年期のデジモン達をひきつれて洞窟の中に逃げ込んだ。
ごうごう、と放棄された施設全体が振動している。
まるで巨大なエンジンが巨木に据え付けられて唸りを上げているかのようだった。
爆音を樹の葉っぱに反響させながら何かがどんどん凄まじいスピードで近づいてくる。
結晶化した翼を広げて光の鎧に包まれた飛行型のデジタルモンスターが数匹、暗い森の中に消えていく。
のんびりと遊んでいたデジモン達が樹皮で汚れた古川へと姿を消した。
大きく大きくダイヤモンドの蔦がしなり、辺りの光を一気に吹き飛ばすほどの旋風が結晶地帯を蹴散らしていく。
森の天蓋の裂け目から湧き上がる旋風が透明なベールが大理石のような光沢をまき散らしていく。
その光沢は実に強烈で、陰惨な感じがする。ちらと木々の間から覗いたのはメカノリモンだった。
私たちを捜しているのね、とピョコモンはぽつりとつぶやいた。
じっとしてよう、といったのはツノモンである。


結晶化現象の肥大化によって墜落の危険にさらされているのはあちらも条件は同じはずである。
へたに動いてしまうよりは時間を稼ぐ方が安全である、と彼らは踏んだようだった。
タケル達が洞窟の中で隠れている間、メカノリモン達の軍勢は頭上を旋回し続けている。
よく見渡そうとするかのように、すさまじい高度に上昇したかと思うと、時には天蓋すれすれまで降下し、
結晶化した木々に着陸用の足がふれそうになることもあった。
しかし、その内にメカノリモン達は大きく脇へそれて、森の上空を大きく旋回し、タケル達の前から消えてしまった。
どうやら交代時間のようである。ほっと息を撫で下ろしたタケルたちは、顔を見合わせて笑った。
そして、見張りは任せてほしい、と入り口を指差してくるバーガモンにうなづくと、先に進むことにしたのである。
洞窟の曲がり角を回ると、地下水がわき出ているのか突然現れた小川が幅を広げて小さな港がそこにできており、
一方の川岸から川岸に桟橋が渡されている。そしてたくさんの倉庫が並んでいた。
しかし、既にそこは役割を終えているらしく、タケル達が覗き込んでみたが、
上陸用舟艇も軍用ランチも見受けられず、装備や燃料のドラム缶といった備蓄品はなく、もぬけの殻である。
打ち捨てられているのは何列ものテントだった。
どうやら老朽化して使い物にならなくなったらしく、所々が破れてしまっている。
そこには、多くの水陸両用車を繋いでいたであろう鉄製の杭、冷蔵庫や冷凍設備、
機械や事務用のキャビネットがそのままになっている。
山積みした金属の先があちらこちらに置かれ、てかてかとした黒いペンキで標識が建てられていた。
どうやらタケルたちを捜している者たちのかつての拠点となっていた所のようである。
ピョコモンはかつて部隊の本部に充てられていたのであろう大きな金属製の急造バラックへと足を踏み入れる。
黒と黄色の縞模様に塗られたドラム缶のバリケードがそのままになっていて、
ピョコモンが言うにはこの先にあるゆっくりとした傾斜を潜り抜けた先にこの世界からの出口があるらしい。


「なに、これ」

「ここよ、タケル。ここを通って私たちはいろんなエリアから誘拐されてきたんだわ」


一歩足を踏み入れたタケルたちを認識して、足元が電子音を響かせながら明るくなる。
まるで穏やかな水面に石を投げいれたかのように、いくつもの均一な輪が床から壁を伝って天井へと到達し、
失われていた遺跡の遺物の仕掛けが起動する。
すり減っている大理石の四面体にびっしりと張り巡らされているデジ文字のデータプログラムが目を覚まし、
いくつかのレリーフが反応して文字を浮かび上がらせる。
わー、と能天気な幼年期の子供たちの感嘆の声が間抜けに響く中、
今まで聞いたこともないような人工的な音を響かせて、
ピョコモン曰くいろんなエリアと繋がっているのだという失われた遺跡のデータの前に立つ。
ぱ、ぱ、ぱ、と表示されるデジ文字の文章表記だが、誰一人として読むことは出来ないらしい。
どうしましょう、とつぶやいたタネモンだったが、タケルとトコモンは顔を見合わせてうんとうなづく。
不思議そうに顔を上げるデジモン達は、ゆっくりと前に進み出てくるタケルをモーゼの海渡りのごとく下がっていく。
デジヴァイスをそっとかざしたタケルは、デジヴァイスから真っ赤なポインタが放たれるのを見た。
やっぱり古代デジタルワールドの文明の遺産のようである。
データを読み取ったデジヴァイスが古代デジ文字を翻訳してデータを更新してくれる。
そこに表示された文字数列はちゃんとトコモンが読むことができる現代語のデジ文字のようだ。
覗き込んだトコモンはえ、とつぶやく。どうしたの?と首をかしげるタケルに、トコモンは翻訳してくれた。


「パスワードを入力しなさいだって」

「嘘!?私たちを誘拐してきたやつらは何もしなかったわ!」


悲鳴を上げるように叫んだピョコモンに、だって書いてあるんだもん、とトコモンが反論する。


「どこかに手を当ててたとかなかった?」

「ううん、何もしてないわ」

「秘密の呪文とかなかった?」


ピョコモンは首を振る。トコモンは半信半疑なまなざしをピョコモンに向けていたものの、
デジヴァイスがリアルタイムで更新していく自動翻訳の文字に再び目を走らせ始めた。


「どうしたの?」

「た、大変だよ、タケル。このワープ装置、パスワードによって行くことができるエリアが違うみたいなんだ。
もし間違えたパスワードを入れちゃうと、デジタルワールドでもこの世界みたいに隔離されてるエリアでもない、
全然別の世界に飛ばされちゃうんだって!
場所によってはワープゾーンをくぐる時点で僕達が壊れちゃうかもしれないんだって!」


パスワードを知っていさえすれば、どこにでもいくことができる理想的な装置であるが、
パスワードを知らないタケルたちにとっては一か八かの爆弾を抱えた装置に他ならない。
でも、そもそもどんな文字がパスワードとして設定されているのか、タケルはおろか、
この場にいる誰もさっぱり分からないのである。
どんどん翻訳されていく文章には、通じているエリアの名前が記されている。
どうやらエリアも指定しなければいけないらしい。
もしかしたら昔このエリアはセキュリティシステムがデジタルワールドを管理するときに
使っていた基地局なのかもしれないがあくまでも憶測に過ぎない。
しかし、今までゲンナイからの情報を頼りに通り抜けてきたワープゾーンのような一方通行の装置ではなくて、
明らかに複数の場所を選択でき、しかも相互の通路が確立されているとなれば
ここに出入りすることができる者たちは指折り数えるほどしかいないはずである。
網羅されているのははるか昔に使われていた名称である。
もちろんのことながらタケルが知らない名称も数多く、
どこか似ている面影が名称に色濃かったとしても、もしかしたら今は全然違う場所になっているのかもしれない。
注意しなければいけない。せめて場所だけでも入力しなければ、と躍起になるタケルたちを見かねて、
ツノモン達もデジヴァイスを見せてくれるタケルと共に液晶画面を前ににらめっこしている。
せいぜい200年程度の知識しかない彼らである。うーん、とタケルは必死でエリアの名前を食い入るようにして眺めた。


「あ、見てよ、トコモン!ここ、ここに【はじまりの島】って書いてある!」


思わず指を指したタケルに、ほんとだ!と帽子上のパートナーが嬉しそうに叫んだ。
【はじまりの島】ってなに?とあたりまえだが聞いたこともない単語に
疑問符が飛んでいる仲間達にむかって、タケルは説明してあげるのである。
ワイズモンというサーバ大陸の遊園地エリアにあるデジモンミュージアムを管理しているオーナーが
所蔵している【デジモン黙示録のレプリカ】によれば、
かつて【ファイル島】は現在に至るまでのデジタルワールドの基礎となるすべてのデータを集約して誕生した、
一番最初の島だから【はじまりの島】と呼称されていたということ。
そして少なくても先代の選ばれし子供たちは、ファイル島がまだはじまりの島と呼ばれていた、
はるか昔のデジタルワールドを救ったのだということを。
つまりここから下に並べられている単語名は全て当時のファイル島におけるエリアと言うことになる。


「もしかして、次は【フォルダ大陸】かなあ?」

「きっとそうだよ。ブリキモン、言ってたもんね!
【ファイル島】と【フォルダ大陸】しかなかった時代があったって!」


選ばれし子供ではないけれども、デジモン達が知性を喪失して野生化し、
デジモン文明自体が崩壊していくという謎の超常現象が発生し、
それを食い止めてくれた育成の天才である子供がいたという話を補足することも忘れない。
英雄の旅路は確実に伝説となり、現在に至るまで脈々と受け継がれているのだ。
ということは、フォルダ大陸という古代デジタルワールド期に権勢を誇った古代種の楽園は
この項目らへんで間違いないらしい。
ブイモンの故郷であるフォルダ大陸はファイル島よりもはるかに大きいらしく、
スクロールしていく速度が加速する。もしタケルが小学校4年生以上だったなら、
ファイル、フォルダ、サーバと続いていく名称がパソコンに関係ある名前であり、
ファイルはフォルダの中にあって、という法則性を見つけることができただろうが、
さすがに小学校2年生の男の子にはまだ早かった。
ディレクトリ大陸とか言う地帯もあるそうなのだが、
まだまだこの世界にはタケルたちがいったこともない世界が広がっているのだ。
なにせデジタルワールドの規模は地球と同じなのだから。
その古代名となればなおさら、そこからサーバ大陸を特定することは非常に困難なように思われた。
どうしよう?どうしよう?どうしよう!?狼狽するタケルに、ピョコモンが言った。


「一か八かにかけるよりは、ある程度分かってるところに行った方がよくないかしら?」

「そうだよ、タケル。ファイル島がはじまりの島って言ってたのは間違いないんだろ?
 だったら、はじまりの島の項目のところにもどってくれよ。
 俺たちがしってるところがあるかもしれない」

「ほんと?」


すがるような眼差しを向けるタケルに、パートナーデジモン達は頷いた。


「俺達はね、タケル。君たちに会うために生まれてきたんだ。
 200年もの間、ずっとずっと待ってたんだ。ファイル島のことなら分かるよ、まかせて」

「今は違うかもしれないけど、ファイル島のどこかに出るのは間違いないと思うわ。
 そしたら、レオモン達に会って、事情を説明したら、きっと力になってくれるんじゃないかしら」


わかった、とタケルは頷いて、デジモン達の知識を総動員しての名前当てゲームを見守ることにした。
いろんな名前があがっては、載っている、載っていない、と確認が行われたが、
イマイチ合致するような場所は見受けられない。
自信ありげだったデジモン達の表情がだんだん陰りを見せ始める。
その名前さっき出たよ、という指摘も目立ち始め、言葉少なになっていく。
不安になってきたタケルは、ワイズモンたちが教えてくれたことを思い出すことにしたのだ。
ファイル島のデータをもとにして、この世界に存在するすべてのエリアは形作られている。
だからどこかデジャヴを感じるのも、きっとファイル島のデータの名残がそのエリアに残っているからだ。
遊園地エリアだってもとはといえばファイル島のおもちゃの街が大きく発展したようなエリアだったわけだから、
ここに並べられているデジタルワールドのエリアは絶対にファイル島と似通ったエリアが存在している。
ここは間違いない、と確信できるエリアを必死でタケルは思い起こす。
ワイズモンが言っていたはずだ。思い出せ。
ファイル島だけにしかない場所があると聞いて驚いたはずだ。
デジタルワールドのどこを探しても見つからない、世界でたった一つの大切な場所。
ファイル島のかつての名前であるはじまりの島の名残は、
今なおその代名詞ともいえるエリアによって残されているのではなかったか。
ばっと顔を上げたタケルは、みんなに向かって言葉を荒げる。


「はじまりの街!ううん、はじまりの村とか、はじまりの場所、とか、
そういう名前かもしれないけど、はじまりって名前がついてる場所、どこかにないっ!?
ワイズモンが言ってたんだ。ファイル島にあるはじまりの街はファイル島にだけあって、
デジタルワールドのどこを探しても他には存在しないんだって!
それは今も昔も変わらないんだって!デジモン達がデジタマから生まれてくる場所、
デジタルワールドのみんなの心のふるさと、始まりの街はきっとどこかにあると思うんだ!
始まりって一番最初にしか使えないから、きっとあると思う!」


タケルの言葉に急かされる形で目を皿にして項目をスクロールしていくデジモン達。
しばらくして、あった!とタネモンが双葉を揺らす。ここね!とピョコモンが歓喜を上げ、
すごい!とツノモンが笑った。やったね、タケル!と満面の笑みを浮かべるトコモンに、
うん、とタケルは頷いた。さっそくそのエリアに該当する場所を探し出し、
そっと手を当てたタケルは、データが起動する音が全体に響き渡るのを感じる。
デジヴァイスによる翻訳作業が完了し、再びデータが表示される。
ここからいよいよパスワードの入力が開始される。正念場である。
ごくりと息を飲み、トコモンが読み上げる。


「はじまりのまち、エリアパスワードは……世界で一番初めに発見されたデジタルモンスター……?」

「発見された?一番最初に生まれた、じゃなくて?」

「誰が見つけたんだ?」

「さあ?」

「でも、こんな凄い機械が使えるのって、やっぱりゲンナイさんたちじゃないかな?」

「じゃあセキュリティシステムってこと?デジタルワールドを守るために、
 この世界が生まれたころからあったんじゃないの?
エニアックって名前だったって書いてなかったっけ?」

「じゃあ、そのエニアックって名前だったころに見つけたデジモンってこと!?」

「そうよね、どこにでもいける装置なんてふつうできないわ。
 ここに書かれてる文字とか、希望の紋章があったあの遺跡とよく似てるし」

「……で、ゲンナイさんたちに一番最初に見つかったデジモンってなんだろう?」


沈黙が落ちる。みんな顔を見合わせてみるが、さっぱり分からないのは同じようだ。


「えっと、えっと、ブイモンたちがいっぱいいたころには、もうグレイモンとかガルルモンは居たんだよね?」

「鋼の帝国が古代種を滅ぼしたのはその後だから、マシーン型のデジモン達じゃないよな」

「ブイモンしかしらない古代種だったらどうするのよ、どうしようもないじゃない」

「でもさ、名前が変わってても、ティラノモンみたいにダイノ古代境って感じでエリアの名前に名残が残ってる奴もいるよ」

「昔の名前と今の名前が違うデジモンもいるってこと?」


しーん、と沈黙してしまう。うーん、どうしよう?みんなよく考えてみるのだ。
この世界が生まれたばかりの頃である。一番最初に生まれてきたデジモンである。
やっぱりデジタマから生まれてきたのだろうか。
にわとりと卵だったならどちらが先に生まれたのか、というささやかな論争となる所だが、
自然発生的に生まれてくるデジタルモンスターは原則的にデジタマから生まれてくるのは間違いなさそうである。
デジタマはデジタルモンスターには換算しない。ということは。


「幼年期1のデジモンってことにならない?」


誰ともなくつぶやいた言葉に、みんな頷いた。
幼年期1のデジタルモンスターは、デジタマから生まれてきたばかりの形態を指し、
通常は時間経過によって幼年期2の姿に移行していくため、きわめて短時間しか存在しない世代である。
デジモン達は多種多様だが、デジモンの進化ツリーを下っていけば
いずれかの幼年期1の姿に集約されていくことは、デジモン達自身が知っていることである。
幼年期1と2が分裂しない種族のデジモン達もいるのだが、
普通に考えればまだ枝分かれする種族が誕生していない、比較的新しい種族のデジモンであると言うことができそうだ。
あの螺旋屋敷で誕生したような複数のデジモン達のデータを合成し、
誕生するのはあの妖精型デジモンが言っていたような生まれた時から
成長期、成熟期、完全体であるのかもしれないが、それこそ人工の産物だ。
この世界が自然発生的に生まれた以上人為的なデジモン達は後から生まれたと考える方が自然だろう。
これならある程度絞られてきたかもしれない。さいわいここにはたくさんの幼年期のデジモン達がいるのである。
前の世代の名前は本能が覚えているだろう。ここは片っ端からパスワードを記入するしかないようだ。
さいわい制約は特にないらしい。タケルからおりたトコモンは、とりあえずポヨモン、と入力してみた。
どうやら違うようである。がっくり、と肩を落としたトコモンを抱き上げ、
タケルはみんなに入力してくれるよう頼んでみることにしたのだった。








洞窟の入り口にある芝生の結晶の茂みから発せられた銃声が周囲にこだました。
寒々とした空気の中に銃声が響く。
がしゃあああん、と洞窟の上部にあった巨大な鉄格子のような結晶体の一部が落下し、
山のような平たい針が積み重なる。
縮こまったタケルたちは、あわてて大理石の部屋にあるモノ陰に隠れる。
石化した木々の周りで銃声がこだまし、木々の鮮やかな色が揺り動かしているのが見える。
どうやら追手がこの場所を見つけてしまったらしかった。


「みんな!腰を低くして!」


凛とする声が響く。誰、とタケルが声を掛ける暇もないうちの一声の忠告だった。
銃声がすぐ頭上をつんざいた。タケル達は部屋の階段の上にしゃがみ込んで、
密封されているはめ込み式のガラス越しに様子を伺う。誰もいない。姿が見えない。
でも、銃器を手にしてこちらにまで走り寄ってくる奇襲は、
途中で立ち止まると見張りをしていたバーガモン目掛けて発砲したのである。
銃声を食らった獣のような声がして、外を伺うと敵襲を知らせようとしたバーガモンが
床に倒れ、苦しそうにかかとを蹴り上げている。
その後ろの壁に銃弾が当たり、格子状の結晶がずり落ちて、岩石の上で砕け散った。
発射の轟音が周囲に反響していく。


つららのようにぶら下がっていた水晶化した苔の格子がまるで鏡のごとく衝撃で木端微塵に砕け散る。
バーガモンが懸命に立ち上がり、タケル達のいる場所に逃げ込むと、二発目がすぐに後を追いかけてくる。
こわばった動きで柱にもたれ掛かると、そのままずるずるとバーガモンはうずくまってしまった。
どうやら足をかばっているらしい。苦悶の表情が浮かんでいる。
ダイスキなバーガモンがけがをしたという事実に幼年期のデジモン達は訳が分からなくなってパニック状態になる。
わーわーきゃーきゃーと悲鳴を上げてバーガモンの周りに駆け寄る子供たちを前に、
タケルはあわててリュックからタオルを引っ張り出すとその傷口に当ててみるが、
どんどんタオルは血に染まっていく。どうしよう、どうしよう、タケルは振り返ると、
懸命にパスワードを片っ端から入力しているトコモン達にまだっ!?といらだったような声を上げるしかなかった。
まだらしい。何十というデジモン達の名前はことごとくエラーの言葉にはねかえされている。


大丈夫?と心配そうに覗き込んでくるタケルに、バーガモンはこくりと小さく頷いた。
散弾銃のような破裂音が響き渡った。
あいつ等だ、と反射的にタケルとトコモンは迷彩装置を皮膚に宿しているサイボーグ型デジモン達を思い出す。
悲鳴を上げるデジモン達に気付いたのか銃声がどんどん近づいてくる。
せめて時間稼ぎをしなくては、とタケルたちはあわててバリケードを作っていたドラム缶の山に向かって衝撃を与える。
ツノモン達の必殺技がさく裂し、がらがらがらという轟音を立ててドラム缶の山が大理石の部屋を封鎖してしまった。
発砲の衝撃で、光が雨のように降り注ぐ。
ぐったりとしているバーガモンを介抱するタケルだったが、エプロンがどんどん血で滲んでいく。
それでもぎゅうぎゅうとタケルはタオルを押し当てるしかない。
近くの岩石ががはじけるような音がして、姿の見えない襲撃者は近づいてくる。
注意深く窓を覗き込むと、二つの巨石にはさまれるようにして自生している
白い結晶体が巨大な王冠のように肥大しているのがわかる。
そのガラスが宝石のようにちらついていて、その奥に何かが動いているのが見えた。
足音はどんどんこちらへ飛び越えてくる。少し遅れて複数の足音がする。
怯えている幼年期のデジモン達を懸命にタケルはなだめるしかない。
まだなの、ねえ!と懇願するような叫びに、デジモン達は最後の一手とばかりにデジタルモンスターの名前を入力した。
始まりの神様のパートナーデジモンであり、同姓同名のこの世界の選ばれし子供の
パートナーデジモンでもある幼年期の名称を打ち込んだ。
一抹の希望を胸にキーを叩いた彼らは、
待望のワープゾーンが発動する瞬間を目の当たりにすることになる。


「やった!みんな、こっちだよ!早く来るんだ!ここから逃げるよっ!!」


トコモンの声に一目散に幼年期のデジモン達が走り抜けていく。
タケルはバーガモンに手を貸しながら、血ですっかり汚れてしまった手でしっかりとバーガモンの手を握り締めた。
一緒にこの世界から脱出するって約束したのだ。
絶対に離すもんか、と力強く先導してくれるタケルにバーガモンは荒い息を溢しながら、よたよたと歩いていく。
彼らが集った時。間髪で透明武装をしていた部隊が強制突入を敢行した時には既に遅く、
ワープゾーンはその扉を固く閉じてしまったのだった。
追っ手は後に続こうと周知のパスワードを入力するがエラーの言葉が電光掲示板に表示され、
拒絶のサイレン音が辺りに響き渡った。
何者かによって書き換えられてしまったプログラムを解析することができる者たちはその場にいない。
間一髪でタケルたちは謎の武装組織が占拠している結晶世界から脱出することができたのだった。
やがて、タケル達はそのプログラムハッキングの主犯の隠れ家であるのどかな田園風景が広がる古民家に足を踏み入れることになる。



[26350] 第四十一話 オムライス
Name: 若州◆e61dab95 ID:686b63e8
Date: 2013/08/03 00:48
コロモンをだっこしている光に驚きはしたものの、太一の腹の虫は大変正直に空腹を訴えた。
ただいまの時刻は13時にさしかかろうとしている。お昼のニュースが始まる時間だ。
未知の生物であるはずのデジタルモンスターを前にしても全く動じることなく、
むしろ初対面だった頃の太一よりも遥かに順応性高く柔軟に対応している光を前に、
シリアスめいたまじめな表情を浮かべていてもぐーぐー喚かれては台無しである。いろ
いろと。
光とコロモンの苦笑いにバツ悪そうに頭を掻いた太一は、はあ、とため息をついたのだった。
雰囲気的にしらけてしまった太一は、とりあえず腹が減っては何とやらと言うことで昼飯を先に済ませることにした。
光に頭の中を駆けめぐっていった質問をぶつけるのはその後でもいいはずだ、と
ソファの上に座ってアルプス一万尺をしている一人と一匹を見ながら考える。


冷蔵庫を開けてみる。ああ涼しいなあ、と思いつつ、昼食になりそうな食材を物色してみるが、
3日間のキャンプ同伴に伴う母親の不在に加えて、料理不得手な父親しかいない予定だった八神家である。
当たり前のことながら食事代を渡されたサラリーマンが管理できるはずもない冷蔵庫の中は、
電子レンジのお世話になるであろう即席料理と風邪気味の光を気遣って果物、ミネラルウォーターが入っていた。
ご飯ぐらい炊こうぜ、お父さん、と今頃スーパーで出来合のものを買っているであろう父親に思いをはせる。
3分間暖めればできたてのご飯が出来るというCMで有名なパッケージが入っていた。
恐らくご飯を温めてお粥を作り、タマゴでも入れて光に食べさせてやれとでも言われたのだろう。
いつもならば冷蔵庫に並んでいるはずのタマゴは、ちょうど4コ入り分しかはいっていなかった。
太一は冷凍庫の方も覗いてみる。あ、ラッキー、ミックスベジタブル入ってた。
レンジでチンできるご飯とタマゴとミックスベジタブルを取り出した太一は、
はい、って光が棚から出してくれた小さなボウルにそれらを放り込みながら、ぱたんと扉を閉めた。


「光、何食べる?お粥にするか?」


ま、見るからに元気そうだけどな、と笑った太一に、光は首を振った。
ミネラルウォーターや果物、お粥の味はもう飽きているのである。
お父さんは火の調節がへたくそだから、お粥が重湯になったり、おじやになったりする。
まだ低学年だから火を使ってはいけないと言われてキッチンに立てない光である。
八神家の中で2番目に料理が上手なお兄ちゃんがいるのだ。遠慮する気などさらさらなかった。


「じゃあオムライス作ってやるよ」

「え?オムレツじゃないの?」

「しーんぱいすんなって、これでもすっげー練習したんだからな」


張り切った様子で腕まくりをする太一がキッチンに向かう。
とんちんかんな答えに光は首を傾げるのだ。太一はオムレツを作るのは得意だが、
オムライスという高等料理を出来るほど料理がうまかっただろうか?
何度か挑戦してみるのだが、上手いことタマゴでご飯を包めなくて、ご飯を皿に盛り、
結局いつもいつも薄焼きタマゴをフライパンごとひっくり返す方法で妥協していた筈だ。
サマーキャンプで練習したのかしらん?と思ったのだが、いくら何でも限度があるだろう。
それに光の記憶が正しければキャンプのお昼はカレーだったような?
そんな光の疑問をよそに、封を開けてパックをレンジに入れた太一は、慣れた様子でボウルやらサジやらを取り出す。
スリッパをならしていつも座っている指定席によいしょっと登って座るのだ。
ぶらぶらと足を揺らしながら準備を始めている太一の後ろ姿を見ながら、
光はふと思い付いたことを口にする。


「ねえ、お兄ちゃん」

「んー?」


香ばしい匂いがしてきた。チューブのニンニクでも炒めているのだろう。
ミックスベジタブルを投入したことで彩り豊かなサイコロがフライパンの中で踊っている。
そのうちチン、と言う音が聞こえたので、太一は火を止めた状態でレンジからご飯を取り出すと、
そのままご飯を投入して、ほぐしながら炒め始めた。
おいしそうな匂いがリビングに広がっていく。ぐーというお腹の音がするのはご愛敬。
塩・こしょうで味付けしている太一の生返事に、光はテーブルに方杖をつきながらつぶやいた。


「オムライス作るの上手になってるね」

「お、わかるか?」


すごく嬉しそうに笑う太一が見えたので、うん、と光が肯定すれば、
調子に乗ったお兄ちゃんはチャーハンを作る訳でもないのに、フライパンを豪快に振っている。
光の知っている太一の料理家庭と比べてみても雲泥の差としか言いようがない何かが存在している。
何というか、効率というか、合理性というか、何というか手際がいいのだ。格段に料理がうまくなっている。
もともと両親が共働きで家を空けることが多い八神家では、太一が小学校1年生の頃から家事を担っていた事情もある。
昨日の朝だって、ピザ風のトーストをおやつ代わりに食べていた太一が羨ましくてねだったら、
仕方ないなあって笑いながらお母さんの目を盗んで作ってきてくれたのである。
消化に良くないからお母さんは眉をひそめるが、おいしそうなんだから仕方ない。
ずーっとお粥+果物生活の光には太一のご飯が余計においしそうに見えてしまうから仕方ない。
それはともかく、ピザ風トーストを作っていた昨日のお兄ちゃんは、
ここまで上手にフライパンを扱うことは出来なかったはずだ。
そのうちケチャップライスが出来上がり、皿に移し替えて太一はオムレツにさしかかったようだった。


「ヤマトの奴がオムライス作りやがってさ」


ボールに卵2個と牛乳大さじ1杯を入れて菜ばしを使い、泡立てないようにゆっくりと混ぜ合わせる。
太一は卵は泡立てないように注意し、なおかつ白身と黄身がちゃんと混ざるように、とか
一秒間に一往復ぐらいのゆったりしたペースで菜ばしをボールの中で左右に動かして、
30往復、とまるで呪文のようにつぶやいている。
これは明らかに八神家のレシピではない。誰かに教えてもらったのだろうか。


「ヤマトさん?」


誰だっけ?なんて思っている妹なんて置いてきぼりで、太一は肩をゆらしている。
太一がヤマトについて光に話したのは、野球部連中とグラウンド争奪戦を繰り広げた際に
野球部代表だったヤマトと大喧嘩して面倒になったことを愚痴ったきりである。
4月の出来事について、しかもたった一度太一が夕飯時に話題にした人の名前なんて、
さすがに光は覚えていないのだった。そんなこと知る訳もなく、太一は話題を先行させていく。


「そーそ、ヤマト。アイツ、スポーツも勉強も出来るクセに料理まで出来るなんて聞いてねえっての。
 俺がオムレツ作った次の日に、こーやって薄焼き作って、タマゴでくるんじまうんだよ。
 悔しかったから練習したんだ。光子郎たちにはもう食べたくねえって怒られたけどな」


あははって笑いながら太一はバターを入れて卵を焼き始めた。
菜ばしで卵の白身と黄身が混ざるように軽くかき混ぜてから、フライパンに卵液を注ぎはじめる。
卵を全体に広げながら、2回ほど、菜ばしを外側から内側へうずを描くようにして、
勢いよく卵を混ぜている。じゅうじゅうとおいしそうな匂いが広がった。
そのうち卵が半熟になり、太一は火を止めてご飯を入れた。
ご飯を包むようにオムレツ生地の両端を折っていく。
思わずのぞき込むように見ている光に太一は自慢げにフライパンを見せた。
皿をフライパンのすぐ横に添えた太一は、フライパンをくるりとひっくり返して、皿にのせた。


「どうだ」

「すごーい!」


ぱちぱちって思わず拍手してくれた妹に太一は鼻高々である。
光子郎ならしってる光は、とりあえず話題に着いていこうとして話に乗っかるのだ。
たしか太一と光子郎はサマーキャンプのグループ班は同じものに割り振られていたはずだ。


「そっか、サマーキャンプのお昼、カレーじゃなくてオムライスになったのね?」

「え?」

「え?ちがうの?」

「え、あ、あー、その、あはははは」


変なお兄ちゃん。光はとりあえず白々しいくらいに空笑いしている太一に突っ込むのを止めて、
オムライスの皿を受け取ることにしたのだった。折角出来たのにこのままじゃさめてしまう。
ケチャップで絵を描くことに専念し始めた妹にほっと息をなで下ろす太一には気づかない振りをして、
光は何を書こうかと思考を巡らせはじめたのだった。
そして、そんな八神兄妹の微妙な距離感なんて知るはずもないコロモンは、
いつまで経っても相手をしてくれない太一にすっかり拗ねてしまい、行動を開始するのだ。
ほっとかれっぱなしなんてひどいじゃないか、太一!むくれたピンク色のボールが飛び跳ねる。
びょーん、びょーん、びょーん、と光の身長くらい跳躍しながらコロモンは太一の隣で
冷蔵庫の中をのぞき込もうと懸命になっている。


太一、太一、喉渇いた!とうるさいパートナーデジモンをたしなめながら、
太一はかがみ込んでかちゃりと扉を開けてみると、ひんやりとした空気が流れ込んできた。
飲むか?と真っ先に目に入ったコーラの缶を差し出すと、
プルタブの開け方が分からないのかしどろもどろになっている。
まるで手のようにピンク色の触覚で缶を大事そうに抱えているコロモンのそばまで寄ってきた光が、
かして、と救いの手を差し伸べてくる。振っちゃだめだよ!という助言も空しく、
ぷしゅ、と小気味よい音がして、勢いよく飛び出したコーラの泡が宙を舞った。
あーもー何やってんだよ、と半ば切れ気味に睨み付けられたコロモンはごめんなさいとしょぼくれながら、
はい、と心優しい女の子が差し出してくれたコーラに飛びついた。
調子のいいやつめとフキンでキッチンを掃除しながら太一は小さくため息をついた。
ごくごくと一気飲みしたコロモンは、げふ、と大きく息を吐く。


「なあ光」

「なに?お兄ちゃん」

「光は驚かないのか?その、コロモンのこと」


こてんと首を傾げた光は、どうして?とにっこり微笑んで口元を結ぶ。


「驚かないよ。コロモンはコロモンでしょう?」


太一はぴたりとコロモンが動きを止めるのを見た。
そして、おそるおそるコロモンの不安そうな瞳が光に向けられる。
感極まって涙腺が潤んでいるのを見た。
僕が怖くないの?と消え入りそうな声でつぶやいたコロモンに、どうして?と光は返す。
感動に打ちのめされて全身がぶるぶると震えているのが分かる。そっか、と太一はつぶやいた。
コロモンは生まれて初めてニンゲンという種族の存在に拒絶された経験をしたばかりなのだ。
ボール遊びをしている女の子だった。大輔やタケルくらいの小さな女の子だった。
スカートで遊んでいた女の子に、コロモンは話しかけようとしたのである。
ここはどこですか?って聞きたかっただけなのである。
ここは太一たちニンゲンの住んでいる世界ですか?って聞きたかっただけなのである。
コロモンにとって太一たちを通して学んできたニンゲンという生き物は、
コミュニケーションをとることが出来る生き物であるとお互い分かれば意志疎通が可能な存在であり、
初めこそ未知に対する恐怖や防衛本能で拒絶の反応を示すとしても、それ以上の関係性を築くことが可能である。
なるべく怖がらせないように優しい声色や表情を浮かべて話しかけたつもりである。


しかし、臨海公園広場で突如出現した化け物を前にした女の子は
顔面蒼白になって拒絶の悲鳴を上げて、逃げ出してしまった。
大泣きである。わんわん泣いている女の子が両親と思われる女性にだっこされているのを
走り去る太一の腕の中でコロモンははっきりと見ていたのだった。
拒絶された。拒否された。怖いって言われた。いやーって言われた。
化け物って誰のこと?僕のこと?ねえ、ねえ、太一!化け物って誰のこと?
もしかして僕のこと!?ねえ、太一!
でも太一は人だかりの渦に巻き込まれる恐怖に飲まれてそれどころじゃなかった。
パニック状態になったコロモンに太一はしゃべるなと言った。うるさいと言った。
ここじゃお前が喋るのは普通じゃないからダメなんだって言うしかなかった。
ざわざわざわとうわさ話が広がっていく。人だかりが広がっていく。
怖い、怖い、怖い、怖い!恐怖に打ちのめされたコロモンは必死で太一にしがみつくしかなかった。
この世界にデジタルモンスターという怪物である自分はいてはいけないんだと本能が理解し始め矢先、である。
ぱち、ぱち、と瞬き数回、光の眼差しは一切揺らぐことなく未知の生物であるはずのコロモンに注がれている。
ね?と問いかけられたコロモンは、うん、うん!と元気良く返事をするのだ。


「コロモンはトモダチでしょう?」

「トモダチ?僕がトモダチ?太一、僕、太一の妹のこの子とトモダチになってもいいの?」

「光がいいって言ってんだからいいだろ」

「えっと」

「忘れちゃったの?」

「ごめん、僕、君の名前知らないや」

「そっか。あの時のコロモンじゃないのね。でも、私はあなたのトモダチだよ、コロモン。
 私はヒカリ。よろしくね」


凛とした声が響く。うん、と頷いたコロモンを抱き上げた光が満面の笑みを浮かべた。
リビングで付けっぱなしのテレビがお昼のニュースを流し始めている。
世界の異常気象を報じている。真夏というのにアメリカでは大雪、中東では豪雨と洪水。
東南アジアでは干ばつで湿地帯が全滅、テレビの気象予報士と知識人を集めた討論会は、
環境破壊というありきたりな結論に収束しつつある。電気と水の使いすぎに要注意。


「なあ、光」

「なに?」

「あのときのコロモンって?光、お前、デジモンにあったことあるのか?」


矢継ぎ早に問われる質問に答えることなく、光はまっすぐに太一を見上げた。


「デジモンってなあに?」

「え?あ、いや、その、コロモンみたいなやつのことだよ」


ゆらゆらとホイッスルがゆれている。すこしだけ伏し目がちになった光は、悲しそうにつぶやいた。


「やっぱり、忘れちゃったんだ、お兄ちゃん」

「え?」

「みんな、みんな、忘れちゃったの。誰も覚えてないの。私だけ、覚えてるんだ。
 せっかくコロモンに逢えたのに、コロモンも私のこと、覚えて無いのね。
 ううん、でも、いいの。また逢えたから。
 あのときのコロモンとはべつのコロモンなのかもしれないけど、
 それでもいいの。私、今、とってもとっても、嬉しいから」


今にも泣きそうな顔をして笑っている光を前にして、コロモンはすぐそばにやって来た。


「僕も嬉しいよ、光」

「ほんと?」


「うん。太一と初めてあったとき、僕はなんだかとっても懐かしい感じがしたんだ。
 光とあえて、何となくだけど、また懐かしい感じがするんだ。だから、泣かないでよ」

「うん」


ごしごしとパジャマの袖で涙をぬぐった光は、えへへ、と笑いながらコロモンをだっこした。


「いっしょに食べよ、コロモン」

「いいの!?」

「うん。あ、でも、ミーコのご飯の方がいい?」

「ミーコ?」

「だっておいしそうに食べてたもん」

「おいしそうにって……お前キャットフード食ったことあんのかよ」

「きゃっとふーどって?」

「まーいっか。あ、すっかり忘れてた。ごめんな、ミーコ。お前の飯も用意してやんなきゃな」


悪い、悪い、と手を合わせて餌箱をテーブルの下から取り出した太一は、
キャットフードどこだったっけな、ってつぶやきながらリビングに消える。
ミーコって?と首を傾げるコロモンに、テーブルクロスの下をたくし上げ、
私たちの家族だよ、と笑った光の視線の先には、にゃーと鳴いている貫禄十分のネコがいた。
ふー、と警戒心をあらわにしているミーコに、光がコロモンを自己紹介しようとした瞬間、
鋭い眼光に射抜かれたコロモンはちょっと怖くなって光にひっついた。
な、なんか怒ってる?僕何もしてないのに!と若干涙目なコロモンに光は笑った。


「大丈夫だよ、ミーコ。今度はご飯取ったりしないから」


光の言葉にいぶかしげな視線を投げかけるミーコだったが、
太一がちゃんと山盛りご飯を用意して名前を呼んでくれたので安心したらしい。
そのまま反対側の太一の足元にまで駆けていき、食事にありつきはじめたのだった。
どこか嬉しそうな光である。どうした?って聞いた太一に光は言った。


「ミーコもコロモンのこと、覚えてるみたい」

「え?ほんとか?」


思わず足元に問いかけた太一に、かつて初勝利を飾ったミーコは得意げににゃーと鳴いた。
ネコだって覚えてるのに何で俺はコロモンと昔会ったことがあるっていう衝撃的な事件をすっぱり覚えてないんだろう?
うーん、と首を傾げてみるのだが、やっぱり空腹に抗うことなど出来る訳もなく、
太一はそのまま自分のオムライスも作り始めたのだった。
いただきまーす、と後ろで元気な女の子とパートナーデジモンの声がする。
ここまで食べていいよ、いいの!?いいよ、私あんまりお腹すいてないから、
なんてやりとりを聞いて後ろをふり返ってみれば案の定光のオムライスはごっそり
コロモンの口の中に収まっていた。見え透いた嘘にも程がある。ジト目の太一に、
えへへ、と光はイタズラが見つかった子供のような顔をして笑った。
こーら、光、とさえばし片手に怒る太一は肩をすくめた。


「しかたねーなあ、もう。じゃあ俺と光で半分こするか」


「うん!」



[26350] 第四十二話 違法電波テロ事件
Name: 若州 ◆e8baf026 ID:c0e0fca3
Date: 2013/08/03 00:49
行楽シーズンの話題を特集したVTRについて、にこやかにコメントしていた女性アナウンサーの表情が一変する。
真面目な表情で背筋をただした彼女は、横から差し出された原稿を読み始めた。
この後予定されていた筈のドラマ再放送の予定を急遽変更する、と宣言した彼女は、
まっすぐに太一たちに向かって、緊急特別番組を放送すると口にして、彼らを驚かせた。
すぐ後ろではあわただしく報道部のオフィスが裏付けに奔走しているのか、
スタッフがざわめいているのが伺える。ばたばたばたと走っていく男性の姿も見えた。
コメンテーターの男性やニュース解説を請け負っている有名人の芸能人もどこか表情がぎこちない。
臨時ニュースが入りました、と彼女が原稿を読み上げる。
想定していない原稿の差し込みのためか、幾度か同じ文言を緊張した面持ちで繰り返す。


「臨時ニュースです。本日正午すぎ、東京都港区お台場の臨海公園広場周辺にて携帯電話が通じない、
TVやラジオに受信障害が起きるなどの現象が相次ぎ、原因不明の電波障害が発生するという事件が起きました。
現在、臨海公園周辺では電波障害は収まっており、一時的なものであると考えられていますが、
4年前に発生し、今なお犯人が捕まっておらず未解決なままの光が丘テロ事件の前夜と状況が酷似しており、
警察は周辺の警備体制をひき、交通規制を行うことを発表しました。
同一犯の犯行と見て犯人の足取りを追っています」


光が丘テロ事件についての解説を求められたニュース解説者の男性は、
本来なら番組側が作成したフリップ片手に説明するべき詳細について、なるべく分かりやすく言葉をかみ砕く。
彼が口にしたのは、「違法電波テロ」という言葉である。
よくわからないものの、テロ、という言葉のイメージから太一は顔をしかめた。


「こえー。もしかしてみんなが騒いでたのって、これのせいだったのか?」

「僕たちのせいじゃなかったんだ」


太一は思わず食い入るようにしてテレビにかじりつくのだ。ついさっきまで太一たちがいた場所だ。
どうして?と首を傾げる光に、コロモンはこの世界に来るまでの経緯を簡単に説明する。
なるほど、ニアミスか、それなら太一とコロモンが吃驚するのも無理はない、と光は思うが、
コロモンが電子機器に近付くたびに、表示がどこかおかしくなったり、変な音がしたりするのに気づいて、
思わず光はお兄ちゃん、と太一を呼んだ。
そしてコロモンを連れて、テレビのすぐそばまでやって来た光は、
テレビがいきなり変な斜め線が入り始め、ざーざーという砂嵐と共にアナウンサーの声が雑音になり、
あっという間にテレビが壊れてしまったと錯覚するほどの変貌を目の当たりにすることになる。
びっくりしてコロモンと一緒にキッチンまで避難した光は、何事もなかったかのように動いているテレビを見た。
光の腕の中で太一と同じようにあんぐりと口を開け、ひきつった顔をしているコロモンは、
だらだらだらと冷房が効いているにも関わらず、滝のような汗を出している。
太一の視線がコロモンにむく。コロモンも太一をみる。光が見たのは、顔面蒼白の太一である。


「ど、どどどどうしよう、太一!て、テレビに映ってるの僕たちが来た場所だよね!?」

「しょ、正午すぎって俺たちがデジタルワールドから帰ってきた時間じゃねーかっ!
 丸い時計で見たもん、間違いねーよ、え、え、嘘だろ、俺たち捕まっちまうのか!?」

「え?これ、お兄ちゃんたちのせいなの?」

「ち、ちげーよ、俺たち何にもしてねえよ!気づいたら臨海公園のど真ん中に立ってたんだ!」

「僕たちなにもしてないよ!」


必死で弁解する太一たちを横目に、違法電波の危険性は誇張気味に報道されている。
電波はみんなのものです、という言葉から始まったニュース解説によると、
情報社会を迎えた現代社会においては、電波を用いて行われる電気通信では無くてはならないものである。
電波は家庭の中、日常生活の中で多く飛び交っているものであり、
緊急や公共で使用している警察、消防、救急無線や、鉄道無線などがある。
それらが一時的にでも使用不能となれば、公共の電波が妨害されてしまい、
事件や事故などのときの対処に遅れてしまい、大惨事になることだってありえる。
その最悪とも言うべき事例として真っ先に上げられるのが、光が丘テロ事件なのだという。
そのため、日本では電波法という法律の中で電波の使用は厳しく規制され、用途別に厳重に管理、監督されていたのだが、
この事件の後、電波障害を発生しうるものを所持しているだけで、さらなる厳罰が課せられるようになった。
無線を使った放送をする場所を作る場合、免許や登録が必要である。
その免許や登録にも、法令上の技術基準に合っているか、周波数の割当てが可能か、
開設の基準に合致するか、という厳しい審査を通って認可を受けないといけない。
免許は持っていても、出力の幅を大きくしたり、周波数で電波の発射することは禁止されている。
それを無免許で行うと、1年以下の懲役または100万円以下の罰金、
禁止行為をしていると5年以下の懲役または250万円以下の罰金である。
光が丘テロ事件はこの不法電波行為を行う人間が関わっていると言われている。
なぜかというと、これらの不法電波を飛ばすための基地局は、通信距離を向上させるため、
大出力の送信機用増幅器を設けて運送用車両に搭載されることが多く、
道路沿線での電波障害や免許を受けている正規の無線局に妨害を与えるため大きな社会問題ともなっているのだが、
光が丘テロ事件の際に発生した警察無線・消防無線の妨害電波の発生、それに伴う様々な二次災害は、
日本最大規模の違法電波障害が端を発したと調査結果が出ているのだ、と彼は言葉を繋いだ。


ここで4年前に起こった違法電波テロから発生した光が丘テロ事件についての解説が始まる。
まずは場所の確認。どこから引っ張り出してきたのか練馬区の地図を拡大して表示した映像が映る。
解説者の男性は練馬区の北部に位置する新興住宅地を指差し、映像はそちらにながれていく。
多くの団地が立ち並び、中心地には光が丘駅やショッピングセンターがあるのが確認できる。
ひときわ目を引くのは団地内にある多くの公園だろう、とはアナウンサーの声である。
光が丘公園は光が丘駅の北側に存在し、図書館、体育館、テニスコート、野球場など人々の憩いとなっているとのこと。
そして、光が丘公園内にある体育館が地図の映像の中央に拡大でうつされる。
ニュース解説者の男性は1994年、平成6年に完成したこの体育館で、
当時建設1年目だったこの体育館が多くの避難住民たちの生活を支えた場所だったのだと説明する。
4年前の1995年、3月上旬、夕方のとあるマンション周辺に端を発した電波障害は、
時間を追うに連れて規模が拡大していき、最大で練馬区全体にまでおよんだという。
拡散されたともいえる。電波をかく乱した装置を乗せた自動車が、
そのマンションを起点に一斉に区内を走り出したのだろうと思われたが、
一切その車を発見できなかったというオカルトチックな都市伝説がある事件である。
やがて電波障害によって外部との連絡が一切絶たれてしまった光が丘団地において、
大規模な爆発と火災が発生、マンション周辺を中心にテロ事件が発生したというあらましだ。


テレビには当時24時間延々と流され続けていた光が丘の集合団地周辺が映し出される。
太一たちの目に飛び込んできたのは、まるで紛争中の危険地帯、もしくは世紀末の光景である。
ぼろぼろに崩れてしまった瓦礫の中に、集合団地らしき光景が辛うじて見える。
まるで巨大な腕でへし折られたかのように、凄まじい衝撃でぐんにゃりと曲げられた歩道橋が印象的だ。
下敷きになった車がたくさんある。幸い深夜だったこともあり、下敷きになった者はいなかったらしい。
しかし、集合団地のためひしめき合っているマンションや住宅地には、あちこち火災が発生しているらしく、
黒煙がもうもうと立ち込めていた。まさしく地獄絵図である。
避難する人、救助活動をする人、報道陣、人が入り乱れてパニック状態になっているのがよく分かる。
1995年は衝撃的な事件、事故、出来事が数多く起こった年ではあるものの、
光ヶ丘テロ事件はその中でも指折り数えるほどの衝撃を与えたことでも有名であると解説者は語る。
世界で一番安全であるという神話が崩壊した年にトドメをさしたと言っても過言はなく、
日本の首都東京ど真ん中で真夜中に起きたテロ事件は、大々的に行われたにも関わらず犯人グループの声明文はなし、
犯行方法はおろか、犯人グループの意図も目的も不明、という異様で不気味な様相を呈しているせいで、
ことさらオカルトチックな面が強調されているのも事実だった。
事故などありえないのだとコメンテーター役の芸能人が補足する。
アナウンサーも解説者もそれだけは意見が一致しているようで頷いている。
映像に映し出されている大きな穴の開いた建物がいくつもあるが、
それを指差しながらの彼曰く、大型砲弾を一点から乱射したかのような一定の軌道上に炎上した巨大な鉄の塊が打ち出されており、
その鉄の塊はこの地球上では存在しえない金属だったとか、物質だったとか、いろいろ噂は立っているのだが、
警察は証拠物件について4年たった今でも一切詳細を明らかにしていないため、
報道機関では鉄の塊という形容しかすることができないようだった。


他にも巨大な鳥の羽のようなものまで残されており、これが一体何に使われたのか、
謎が謎を呼ぶ出来事であるのは間違いないようだった。
ブラウン管の向こう側で交わされる会話に、太一はさっぱりついていけないのだ。
1995年春といえば太一はもう小学校1年生の時である。物心はついている。
忘れもしない。大好きな御爺ちゃんに進学祝いにゴーグルを貰った年ではないか、
アナウンサーの口走る日付は間違いなくトレードマークのゴーグルはつけていた時期だ。
この年に起こった他の大事件や出来事についても触れられる話題を耳にすると
ぼんやりとではあるのだが、ああ、聞いたことあるなあ、とか、知ってるぞこれ、という
デジャヴを記憶の彼方から仄かに感じることができるのだが、
光ヶ丘テロ事件という出来事についてはさっぱり思い出すことができないのである。
ニュースでやっている外国の出来事のような感覚に陥りかけてしまうものの、
太一とコロモンがこの世界にやって来た瞬間に起こったという電波障害と関係があると言われてしまうと、
どうしても気になって気になって仕方ない。そわそわしているのはコロモンも同じだ。
どういうわけかデジタルモンスターは電波を発しているらしく、あまり近づきすぎるとまたテレビが壊れてしまう。
仕方ないので光の膝の上で必死に映像を見ているコロモンである。
テレビでは情報を少しでも集めようとして躍起になったのか、
本来別の案件について都内住民への街頭インタビューをするはずだった女性アナウンサーが
中継が繋がった状態で主婦の女性に話を聞いている。


お台場と赤坂から交通の便が非常にいいうえ、団地の中心に駅とショッピングセンターがある現地は人通りが多い。
練馬区は今年の夏の最高気温を更新する猛暑日のようで、インタビューをするアナウンサーも受けている主婦も暑そうである。
その主婦はどうやら光が丘テロ事件が起きてから入居者が離れ、一度取り壊されてしまったマンション跡地に作られた
別の不動産屋が管理するマンションの住人だったらしく、再び犯人が来るのではないかと心配していた。
さすがに現場となったであろうマンション周辺を許可なく映すのははばかられるのか、
マンションだらけで特定できないエリアを選んでカメラは回り続けている。
やはり東京の新興住宅街と言うこともあって、復興の速度も速かったのだろう。
4年もたっているためか、先ほどの映像にもあった瓦礫の街の面影はどこにも無かった。
ぽたり、と温かな滴が零れ落ちてきて、びっくりしたコロモンがどんぐりまなこを光に向ける。
ひかり?と声を掛けるコロモンをぎゅうと抱きしめた光は、そのままソファに沈み込んでふるふると首を振った。
えぐえぐ泣き始めた光は、パジャマでぬぐってもぬぐっても止まらない
目じりの熱さになおさら気持ちを急きたてられてぐしゃぐしゃになっていく。


「違うの」


辛うじて人の言葉になったのは、この3文字だけだった。
今にも消えてしまいそうなほどに儚い音がする。
今にも泣きそうな嗚咽が聞こえてくる。反射的に立ち上がった太一は後ろを振り返った。
大丈夫か、光って優しいお兄ちゃんの声がして、光は何も言わないまま太一の広げられた手の中にすっぽりと納まった。
よしよしって背中を撫でられてほっとしたのか、光は太一に寄りかかる。
コロモンは光と太一を二人にした方がいい気がして光の腕から出ようとするのだが、
光の腕の力が強くなり、にがすまいとしっかり抱きしめられてしまったコロモンは動けないまま
されるがままになっている。


「光?」

「……違うの」

「え?」

「お兄ちゃん、覚えてない?私たちね、あのおうちに住んでたんだよ」


テレビは光が丘テロ事件の悲惨さを強調すべく被害に遭ったマンションが撮影されている。
すっと指差す先には、ヘリから撮影されているマンションの一角に、
子供部屋と思しき部屋の窓が大きく穴が開いており、蹴破られた形跡が残されている場所がある。
ガラスが散乱し、ベランダの花壇は何者かに踏みつけられて鉢植えがいくつもバラバラに壊れ、
見るも無残な形で花々が花弁を散らしていた。ぼろぼろになった二段ベッドと思しき木片も散乱している。


「え?ほんとか?光が丘に……俺たち、住んでたっけ?うーん、一回引っ越したのは覚えてんだけどなあ」

「ほんとに、なんにも、思い出せないの?お兄ちゃん」

「うーん、だめだ、全然覚えてねえや」


みるからに落胆している光に申し訳なく思うのだが、太一の記憶の中には一切感慨深いものは浮かんでこないのが現状だった。
ありがと、お兄ちゃん、とようやく落ち着いたらしく光がそばを離れていくのを感じたので、
太一はそっと頭をなでると傍から離れた。そして光はコロモンを抱っこしたままソファに座る。
太一もすぐ隣でテレビを見ることにした。


「あの家が俺んちってマジかよ」

「みんなのおうち、壊れちゃったの」

「ほんとにボロボロだな、窓んとこ穴開いてるじゃん」

「あれ、コロモンがね、ぴょーんって、飛んだの」

「え?」

「私、頭の上に乗せたままで、 降りられなくなって、コロモンがね、
コロモンがおっきな恐竜さんになって、 おっきな鳥さんとケンカしたからなの」

「………なあ、光。まさかとは思うけど、コロモンと逢ったことがあるっていうのは、
 もしかして、テレビでやってる、光が丘テロ事件のことなのか?」

「うん」

「ほんと、なのか?」

「うん。これくらいの卵がねお父さんのパソコンの中から出てきたの。
 これくらいの真っ黒な子が生まれてきて、しばらくしたら、コロモンが生まれてきたの。
 今度はオレンジ色の恐竜さんになっちゃって、すっごく大きな大きな恐竜さんになっちゃって、
 緑色の鳥さんと大喧嘩したの、お兄ちゃん。コロモン、あの橋の下になっちゃって、
 もうだめって思った時に、お兄ちゃんがね、私の笛で、こうやって、ぴーって鳴らしたんだよ。
 そしたらね、コロモン、おっきなおっきな火を出してね、緑色の鳥さんと一緒に消えちゃったんだ」

「アグモンに、いや、グレイモンにまで進化したのか!?デジヴァイスもなしで!?
 一体何なんだよ、そのコロモン」

「あぐもん?ぐれいもん?」

「あー、その、コロモンがおっきくなったオレンジ色の恐竜がアグモンっていうんだ。
 そんで、その次に大きい強そうな茶色い兜かぶってるオレンジ色の恐竜がグレイモン
 っていうんだ。な?コロモン」

「うん。僕たちが大きくなると名前が変わるんだよ、光」

「そうなんだ」

「ってことは、その緑色した鳥のデジモンとグレイモンが戦ったのか?
 ……こんな街のど真ん中で?よくばれなかったな、おい」

「みんな、見てたよ」

「え?まじで?」

「うん。近所に住んでたお友達とか、お家の人達、みんな見てたの。
 みんな、コロモンとおっきな鳥さんがケンカしてるの見てたはずなのに。
 でも、みんな覚えてないって。知らないって。みんな忘れちゃったんだって」

「……なあ光。もしかして、お前、その、ずっと覚えてたのか?」


こくりと頷く光は何も言わないままコロモンに抱きついている。


「みんな、みんな、忘れちゃったの。お兄ちゃんだけじゃなくて、なんにも覚えてない人がいっぱいいたから、
 お父さんとお母さん、私たちのこと心配して、今のお家に引っ越してきたんだよ、お兄ちゃん。
お父さんもお母さんも怖いことがあったんだねってなんにも言わないでいてくれるの」

「……そっか、そうなんだ。ごめんな光。ひとりぼっちでそんなことずっと抱え込ませて」

「ううん、いいの。でも、お兄ちゃんにお話しできて、ちょっとだけ、ほっとしちゃった」


儚げに笑う光の頭をぽんぽんとなでながら、太一は消失した記憶を補うべく、
ニュースキャスターの報道を食い入るように見ているのだった。


「太一」

「なんだ?」

「僕、この世界にいちゃいけないのかなあ?」

「そ、そんなこというなよ!俺たちいつも一緒にいたじゃないか!」


ぽつりと寂しげにつぶやかれた言葉に太一は一瞬言葉に詰まる。
デジタルモンスターという生命体はこの世界では正真正銘本物の怪物である、
という事実を改めて認識させられる映像が延々と流れ続けている。
今まで意識することがなかったどうしようもない隔たりをコロモンはありありと感じているのだろう。
そんなコロモンがどこかに行ってしまうとでも本能的に察知したのだろうか、
目の前からサヨナラも言わずに消えてしまったトモダチの再現をされてはたまらない、
とばかりに光のコロモンをだっこする力が強くなる。


「そんなこと言わないで」

「……光」

「もうやだよ。なんにも言わないでどこかにいっちゃやだよ、コロモン。
トモダチだって言ったのに、サヨナラも、また逢おうねって約束もしないで、
 目の前で消えちゃやだぁ……」

「光……」

「ごめん、ごめんね、光。でも、僕……」


コロモンの言葉を遮るようにテレビ中継がにわかに騒がしくなる。
計画的に配置された街路に高層マンションがひしめく独特の景色を疾走する報道陣。
カメラ機材が飛び跳ねるたびに激しい手ぶれで映像が乱れるが、それ以上に斜め線
の亀裂、
雑音、耳障りな砂嵐が邪魔をする。
光が丘2丁目の団地にさしかかったカメラは、とうとう本格的に映像の乱れが直視できないレベルにまで達する。
興奮した様子でアナウンサーが臨海公園で発生した電波障害との類似性を叫んでいる。
パラパラ漫画のように流れていく映像はコマドリのようにゆっくりとすすみ、風景が変化する。
駐車場第二ゲート、自転車置き場の柵、練馬光が丘病院前の交差点、
駅から光が丘公園へまっすぐ延びるプロムナードのふたご橋、
プロムナードタウンを駅の方に歩いていって、プロムナードに戻る途中に自販機が見えた。
やがてカメラは光が丘病院前交差点から北東へすぐのところにある歩道橋を渡り、
ショッピングセンターにまでやってくる。ファミレス、パーキングメーター、
陸橋・月見大橋」から下へ下りる階段を降りたアナウンサーたちは、
大通りのど真ん中からマンションが見渡せる場所に出た。
一瞬だけ、砂嵐のブラウン管に光が丘集合団地を見渡せる大通りが映し出される。


「みなさん、あの信号機をご覧ください!大変です!先程からランダムに灯りが切り替わり、
 交通は完全に麻痺しています!それに、光が丘病院の電光掲示板が完全に機能を停止、
 先程から意味不明な言語が羅列されていて、全く読むことができません!
 先程入った情報に寄りますと、光が丘病院内では電子機器の一部が故障、
 業務に支障を来しているため、緊急電源に切り替え、なんとか対応しているとの事です。
 強い電磁波が発生している模様です。ペースメーカーをお持ちの方は光が丘から避難してください!」

「××さん、これは光が丘で起こったテロ事件との関連性はあるのでしょうか?」

「まだ分かりません。しかし、あの夜に起こっていた出来事とあまりにも
状況が酷似しています。これは緊急事態ですね、みなさんは外を出歩かず、
政府からの発表があるまでは屋内にて待機してください」

「ここで政府からの緊急記者会見が行われる模様です。現場の、××さん!」


光が丘集合団地の異様な光景を映し出していた白黒の映像が切り替わる。
ほんの一瞬、太一とコロモン、そして光は、上空に巨大なタマゴが産み落とされるのを見た。


「なんだあれ!?」


政府による緊急記者会見に切り替わってしまう。
くそって舌打ちをした太一はチャンネルを切り替えて光が丘を写している番組を探すが、
すべてのチャンネルは総理大臣の記者会見に一極集中し見ることが出来ない。


「タマゴ、タマゴだよ、太一!あれ、ものすごくおっきいデジタマだ!」

「ええええっ!?嘘だろ、デジタマってこれくらいのおおきさじゃねーか!」

「でもさっき映ってた掲示板の文字、デジ文字だったよ!なんて描いてあるのかわからなかったけど!」

「ってことは古代デジ文字かよっ!?あんなおっきなデジタマから何が生まれるって言うんだ!?
 大変だ、あんなおっきなデジタマからデジモンが生まれて大暴れでもしたら大変なことになる!
 いくぞ、コロモン!」

「うん!」

「待って!私も、私もいくっ!」

「ば、ばか、何言ってんだ!光は留守番してろよ!」

「やだーっ、私もいくの!つれてって!一人にしないで!
 コロモンもお兄ちゃんも私の知らないところにいっちゃやだーっ!!」


しっかりとコロモンを抱きしめて離そうとしない光に、身動きが取れないコロモンは、
すっかり困り果てて太一を見上げた。


「太一、早くしないとデジモン生まれちゃうよ!」

「………っ。あーもー、くそ、分かったよ!でも絶対に無理はすんなよ、光!
 これはおってけ!光、お前風邪ひいてるんだからな、絶対にわすれんなよ!」



[26350] 第四十三話 砂漠の暗殺者 スコピオモン 
Name: 若州 ◆e8baf026 ID:33b6e626
Date: 2013/08/03 00:50
たんたんたん、と軽快に黄色と白色、緑色と白色の2種類ある縞々模様が描かれた四角いゲートオブジェをくぐり抜けた太一は、
すぐ向かいにある港区立台場児童館を横切り、スーパーKAKUETSUを通り過ぎた。
ゆりかもめお台場海浜公園駅の緑が映える植え込みがある歩道を通り抜けていく。
置いていかれないように懸命に太一を追いかける光は、
コロモンが狭いようと涙目ながら押し込められたリュックを抱きしめたまま、
太一と繋いだ手を離さないように力を込める。
ちょっとだけ開いているリュックの隙間からコロモンがかろうじて見えたのは、
臨海公園の向こう側にあるパレットタウンの観覧車、レインボーブリッジ、そして第三台場の芝生の森である。
不思議なオブジェがある信号機を抜け、ファミリーマートを横切り、
マンションの間から見えてきたゆりかもめの高架を眺め見て、はあ、とため息をこぼしているのは太一だ。
光が丘にはどう行ったらいいんだっけ?なんて考えてみる。
お金持ちだったならタクシーを捕まえて、光が丘団地まで、なんて言えば連れていってくれるだろうが、
さすがに小学校5年生の男の子にそんなお金ある訳もなく、
どのみちゆりかもめに乗らなければどこにも行けやしないのは変わり無い。


非常に目立つ色合いのピンク色スライムを抱えた兄妹をすれ違う人々の中には振り返る視線。
突き刺さる視線に冷や汗を感じつつ、なるべく視線を合わせないようにしながら駅へと続く階段を駆け上がる。
願わくはご近所に住んでいるおじいさん、おばあさん、おばさんたちの目に留まらないことを祈るばかりだ。
八神家の本日の予定がサマーキャンプだという動かしようのない事実。
マンションの住人であればだれでも知っていることなのである。
さいわい知り合いや顔見知りと遭遇、なんてハプニングを迎えることなく到着したゆりかもめのこの駅は、
マンション住人や周辺地区に住んでいる人間の足として利用されることが多く、
観光客が下りることが少ないためか駅員の姿はめったにない。
この時ほど切符の自販機の存在が頼もしく思えたことは無い。
誰もいない駅を進んでいった太一は、光と共にチラシや広告、
無料パンフレットが山積みになっているコーナーからマップを引っ張り出して広げることにした。
なるべく人目に付きたくないので自販機コーナーのすぐ横にあるごみ箱近くの空きスペースに身を潜めてみたりする。
ほえー、と田舎から上京してきた地方人のような反応を見せているコロモンである。
連れの反応が妙に気恥ずかしくなった太一は、しー、と人差し指をコロモンの口に押し当てる。
静かにしろってば、と何度目になるか分からないパートナーの忠告に、
はっとなったコロモンはぴたりと動きを止めて、光の腕の中でくたりとだらけてふやけてしまったクッションのようにのびていく。


「お兄ちゃん、コロモンに話しかけたら変だよ」


至極真っ当な指摘を行う妹に、う゛、とバツ悪そうに唸るのはご愛敬である。
コロモンが驚くのも無理はない話だ。
現在進行形で開発中の地下鉄線は、生活の足として日常的に使用している太一達はともかくとして、
鉄道という施設自体が存在しないはじまりの町生まれのコロモンにとっては生まれて初めてみるものなのだ。
海を埋め立ててつくったのだという太一達の街である四角いエリアを起点として、
まるでクモの巣のように複雑に絡み合い放射状に伸びていく路線図は、
赤や青、オレンジ、みどり、といったように分かりやすく色区分けされているとはいえ、
途中で訳が分からなくなってしまいそうである。
その上コロモンは太一達の世界で使用されている言葉を何一つ理解することが出来ないため、
異様に長い地名と憶測される文字表記のわりに、太一達が口にするその読み方が異様に短いのか理解することが出来ない。


コロモンの目には、日本語の平仮名と漢字とローマ字表記がひとつの単語として見えてしまっているのだ。
もちろんそんなこと分かる訳もない太一と光は、じいっとしていながらもわき上がる好奇心を抑えきれず、
目をぱちくりさせながら食い入るように路線図を見ているコロモンを通行人から隠すのに必死だ。
ピンク色の耳の長い奇妙なぬいぐるみを隠すように並んだ八神兄妹は、
目的地である光が丘駅を探し、該当する路線を空中でたどるように指でなぞっていく。
それを眼差しだけで追いかけていくコロモンは目が回り始めたのか、
途中で太一達の会話に飛び込むことを止めて、素直に石像となる。


しばらくしてコロモンが太一達から聞かされたのは、「ユリカモメ」に乗って「オダイバ」から「シンバシ」に行って、
そこから「マルノウチセン」で「シンジュク」まで行って、
「ヒカリガオカエキ」に通じている「トウキョウメトロ」の「カンジョウセン」に乗り換えるってことである。「
12ゴウセン」とか「ナカノ」とか言われてもさっぱりわからない。
ぽんぽん当たり前のように繰り出される異国語の嵐にコロモンはもう異文化交流に諦めが入り始めていた。
さっぱりわからない。全然話に着いていけない。なんか聞いてるだけでも疲れてきた。
よし、いくか、と切符売り場に直行した太一を見届けた光は、待っているように言われたホームで行き交う人を眺めている。
太一は?と訊いてくる無知の塊に、光はこれから電車という乗り物に乗ること、
それを利用するためにはお金を使う必要があることを告げる。
コロモンが近付くと機械は壊れてしまうみたいだから、興味本位で切符売り場に行って余計なさわぎを起こすことはできない。
ごめんね、と申し訳なさそうにしているコロモン入りのリュックを背負い直しながら、
光はにっこり笑ってううんと首を振るのである。


気にしないで。大丈夫、絶対大丈夫、なんとかなるから、がんばろ。
そして太一と光は小学生だから乗車賃は通常の半額でいいのだ、という話になっていく。
僕は?と聞いてきたコロモンに、光はしばし考える。コロモンは人間じゃない。
ミーコを連れて行くときにはケースに入れて乗務員の人にお話ししなきゃいけないけど、
お金を払っているのかどうかはいつもお母さんに任せているので分からない。
コロモンはどうなんだろう?お金っているのだろうか。うーん、と考えてみるのだが、
一応、今のコロモンはお人形さん、オモチャ、のフリをしていることを思い出す。
多分お人形まではお金は払わなくてもいいんじゃないかなあと思ってみたりする。
このお金だって太一のなけなしのお小遣いから引かれているのだ。そっちの方が絶対に経済的である。
先に行ってろって言われて歩きながら考えてみるが答えは出ない。
長期休暇とあって家族連れの下車が多い一番乗り場の人混みを眺めながら、
台場・青海・有明・豊洲方面 と表示されている看板とは反対の 新橋方面と記されている2番線までやって来た光は、
いっぱいのニンゲンが歩いている光景を目の当たりにして驚きっぱなしのコロモンの口をふさいであげた。
人がまばらになり始めたあたりでようやくコロモンは口を開く。


「ねえねえ、光、ニンゲンにも成熟期っているんだね」

「セイジュクキ?」

「うん、成熟期。光が見たって言ってたおっきいオレンジ色の茶色い鎧をかぶった恐竜、
 グレイモンは、成熟期。今の僕は幼年期。アグモンになったら成長期なんだよ。
 光や太一くらいの子を連れてるおっきいニンゲンいたでしょ?あれって成熟期だよね?」

「……コロモンっていっぱい知ってるのね。でもね、私たちは成熟期って言わないよ。大人っていうんだ」

「オトナ?」

「うん、オトナ。私やお兄ちゃんはコドモなの」

「ふうん、そうなんだ。だから『選ばれし子供』って言ってたんだ、ゲンナイさん。
 ニンゲンは成長期をコドモ、成熟期をオトナって言うんだね」
 
「ねえ、コロモン。えらばれしこどもってなあに?ゲンナイさんってだあれ?」

「え、あ、えーっと、その、あははは」


どうやら教えてくれないらしいと察知した光は残念そうに肩をすくめた。さっきからずっとそうである。
腕の中にいるコロモンはあの時となんら変わらない暖かさを光に与えてくれているというのに、
あの時のコロモンと違ってこのコロモンは明確なまでに
太一お兄ちゃんとの間に家族や友人とは違った強い繋がりを感じてしまう。
それこそ大好きなお兄ちゃんを取られた、という嫉妬と、コロモンを取られた、という
嫉妬がいっぺんにやってきて、どっちにどういった対応をしたらいいのか分からなくなってしまうくらいである。
どうやら光の心の中であの日の夜に忽然と姿を消してしまったトモダチの存在は、
4年という歳月を経たことで彼女が思っているよりもはるかに大きくなっているようだった。
それこそ、太一お兄ちゃんと匹敵するくらいに。
でも、このコロモンはあのコロモンとは違うから、明確な優先順位が存在している。
きっとこのコロモンにとって世界で一番大切なトモダチは太一お兄ちゃんなんだろうなあ、
と光が気づいてしまう位には、コロモンの世界の中心はいつだって八神太一だった。


私が一番最初にコロモンとお友達になったのになあ。
私がコロモンにお名前を教えてあげて、太一お兄ちゃんを教えてあげたのになあ、なんて、
光が丘テロ事件の頃のコロモンとこのコロモンが別個体であることは重々承知なのだが、
どうしても比較してしまう自分がいることに光は気付いていた。
光がこうしてコロモンをだっこできるのも太一の妹という繋がりがあるからなんだろうなあと感じてしまう。
自分がないがしろにされているような、強烈な疎外感が襲いかかってきて、必死で光は頭を振った。
太一は太一である。コロモンはコロモンである。
コロモンがいるからといって光の太一お兄ちゃんがいなくなるわけではないし、
太一にとって大切な妹である光との関係性が悪くなるわけがないことは彼女が一番分かっている。
それでも、この胸を巣食っているどうしようもない不安は、
きっと光が光が丘テロ事件の犯人であるということを
最愛の兄にさえ打ち明けることができないという現実を改めて感じてしまうからだ。


光が丘テロ事件について映像を見ても、情報を見ても、
光が勇気を振り絞って光が丘テロ事件の関係者なのだと八神家のタブーについて太一に話した時でさえ、
太一は記憶を一切思い出すことがなかった。
コロモンも光が丘テロ事件については完全なる第三者的な立ち位置になっており、
これらについてほっとしている自分がいることに彼女はどうしようもない罪悪感を感じてしまうのだった。
別個体のコロモンと八神家の接触から始まった光が丘テロ事件について簡素な情報しか知りえないコロモンは、
光がどうして今にも泣いてしまうそうなほど不安げなまなざしで「ゆりかもめ」という乗り物を待っているのか分からない。
どうしたの?と不思議そうに覗き込んでくるリュックの住人に、なんでもないよと光は笑った。
ひとりぼっちで寂しい思いをするのはもう嫌だ、と無我夢中でついてきてしまったものの、
これから光は4年ぶりに光が丘へ向かおうとしているという現実に思わず足がすくんでしまっているのだ。
光の記憶の中で、光が丘という場所は崩壊した瓦礫の世界として凍りついたまま時が止まっているのである。
だからお昼のニュースで映し出された復興後の再開発された街並みはあまりにも輝いて見えた。
けれど、テレビに映し出されていた巨大な卵、太一とコロモンに言わせればデジモンの卵だからデジタマ、
から生まれたデジモンによってあの日と同じ世界が光が丘に広がるかもしれない。
記憶の遥か彼方に沈めていたはずの感情がゆっくりと頭をもたげ始めている。
そうならないために太一お兄ちゃんとコロモンは光が丘に行こうとしている。
ならば私も行きたい、と衝動的に突き動かされる感情に任せて言い放った言葉は
今までになく大きな音となり太一に届いたから、太一は渋々ではあるものの同行を許可したのである。


もし、何らかの形でこの気持ちを悟られてしまったらきっと妹を巻き込むことに関しては
あまりいい顔をしていなかった太一は速攻で自宅へ引き返すだろう。
そちらの方が光は嫌だった。テレビでお兄ちゃんたちが頑張るのを見守るしかないのは嫌だった。
手を離したら最後、二度と届かない世界にコロモンと太一が行ってしまいそうな気がして、
途方もない喪失感と寂しさの再来だけは何としてでも阻止したかったのだ。
ぱ、ぱ、ぱ、と蛍光色の文字が電光掲示板に右から左へと流れていく。
さいわいコロモンによる電波障害は一定の距離を保てば発生しないらしい。
これならゆりかもめや地下鉄に乗ったとしても、電子機器がある車両、
ペースメーカーを持っていそうな人たちが利用する優先席を避けて乗車すれば移動することも出来そうだ。
ひとまず第一関門は突破できそうである。
そうこうしている間に、ようやく人混みの中から抜け出して切符を買ってきてくれた太一が合流する。


「わりー、わりー、お待たせ。どうだ?」

「うん、大丈夫。コロモン、これくらい離れてたら変なことにならないみたい」

「そっか、よーしいいぞ。いこうぜ」

「え?お兄ちゃん、大丈夫かな?」


光の視線の先には、自動改札機が並んでいた。


「心配すんなって。俺が先に行って、こっちからリュックを受け取ればいいだろ」


ぴ、と切符と共に改札の向こう側を通過した太一がすぐ隣にあるパイプ手すりの柵の方へとやってくる。
なるほど、これならコロモンが通らなくっても行けそうである。
えー、僕もぴってやりたいなあ、という何とも能天気な発言など聞こえなかったふりをして、
八神兄妹によるリュックリレーは、光が丘駅まで続くことになる。
はたから見れば重そうなリュックを背負っているせいで両手がふさがり、
切符を持てない妹を気遣う優しいお兄ちゃんという構図である。
いちいち光にリュックを返すのもめんどくさいが、あいにく太一の荷物はサマーキャンプ場に置きっぱなしなのである。
きっとお母さんが管理してくれているにちがいない。









「やっと着いたっ!」


まだ都営大江戸線が開通しておらず、西武池袋線練馬国府台駅が存在しないため、
少々不便といえる街に到着した太一はほっと胸を撫で下ろす。
彼らは知るはずもないのだが、東京外環自動車前線と環八通りの一部区間が未開通、
さらには環八通りはトンネルも未完成なため、西武新宿線との交差が常に大渋滞な1999年である。
もしタクシーで行くとするならば、結果として現在よりも時間がかかっていたことは間違いなかった。
うーん、と大きく伸びをする太一の隣で、狭苦しいリュックからお友達を解放してあげた光は、
久々の新鮮な地上の空気を大きく吸い込んで真ん丸に膨らんでいるコロモンと共に辺りを見渡した。
お台場臨海公園駅よりも利用者数が多いはずの光が丘駅周辺は誰もおらず、閑散とした雰囲気が広がっていた。
光ヶ丘団地のほぼ中心軸を為しているはずのこの駅は、大規模な商業施設がある。
平日でも賑わいを見せていることはテレビのニュースなんかでよく見るのだが、
板橋区や埼玉県との県境に近い絶好の位置にあるにもかかわらず、利用者の姿は見受けられない。
地下鉄を乗り継いでいる間、ほとんど外部からの情報を仕入れることができなかったせいで、
あの大きな大きなデジタマがどこに行ってしまったのか全く今の状況が分からない。
報道陣のあの騒ぎようからしてマスコミが押しかけてきて、
辺り周辺が騒然となっていることを想像していた太一たちは、少々肩すかしである。
おかしいね、おかしいな、とぬぐいきれない違和感を抱えていた彼らは、
どうしてこの街の住人たちが誰一人として出歩いていないのか、すぐに理解することになる。
真っ先にその異変に気づいたのは、コロモンだった。
辺りをきょろきょろと見渡していたコロモンは、光の腕をすり抜けてアスファルトの上に降りてしまう。
そして、すんすんすん、と鼻を鳴らした。


「あれ?なんで?あれ?」

「どうした?コロモン」

「おかしいよ、太一!」

「なにかあったの?」

「変なんだよ、光!この世界は太一達ニンゲンしかいない世界なんだよね?
 どうして、デジタルワールドと同じ匂いがするんだろう?」

「匂い?」

「うん。なんていうか、とってもなつかしい感じ!こっちだよ!」

「あ、ちょ、待てよコロモン!誰かに見つかったらどうするんだっ!!」

「待って、コロモン!」


数時間ぶりに感じる故郷の気配にすっかり気分が高揚し、一直線に走り抜けていくピンク色を懸命に追いかける。
まるで新緑のみどりに突き刺さるようにして映えているマンション群が見渡せる大通りを抜け、
乗り捨てられた渋滞車の一番先頭を目指してコロモンは走り抜けていく。
完全に機能を喪失している信号機、電光掲示板、客寄せのためのネオン看板はもちろん、
喧噪を形成している雑踏が排除された沈黙の世界で、太一達の足音だけが響いていた。
歩道橋を渡り、その先に行ってしまったコロモンが何処に行こうとしているのか
確認しようと手すりから辺りを見下ろした太一と光は思わず足を止めてしまった。


「なんだよ、あれ」


思わずこぼれ落ちた言葉に、光も賛同するように肯くが太一は気づけない。


「ピラミッド?」

「もしかして、あれ、デジタルワールドなのか?!」


間違いなくここは現実世界である。東京都練馬区にある光が丘集合団地の一角である。
突如出現したその異質すぎる光景は、太一とコロモンの脳裏に強烈に焼き付いている最後の光景とあまりにも似ていた。
忘れ去られた真っ暗な遺跡から臨める岩砂漠が蜃気楼のように映し出されているのだ。
美術館で飾ってあるオブジェみたいな形をした岩がごろごろと転がっている奇妙な光景が広がっている。
見渡す限り、岩だらけである。そして、砂嵐が通り過ぎるたびに蓄積してきたさらさらの石英の粉塵に埋もれていた。
はるか遠くを見れば、旅行のパンフレットやバラエティ番組でよく見る砂砂漠が広がっている。
陽だまりが落ちる入り口は、今にも崩れかかりそうなほどにぼろぼろの門構えである。
すぐ傍らでは、望遠鏡片手に何か見えないかとさっきから身を乗り出している太一がいる。


「なんで逆さまなのかなあ」

「ほんとだ。空と砂漠が逆さまになってる!」


まるで巨大な砂時計でも出現したかのようだった。
空から砂がぱらぱらと落ちてくるんじゃないかと錯覚してしまいそうになる。
太一から渡された望遠鏡を受け取った光は覗いてみるのだ。
丸いレンズの向こう側には、真っ青な空と灼熱の太陽に照らされてオレンジ色に輝く砂漠がある。
幾重にも波打つ砂塵の山々が見える。右から左へと流れているのは、雲でも煙でもなく砂の濁流だ。
ぐるぐると渦巻きながら上から下へと流れていく砂嵐が見える。
しばらく時間がかかるだろうが、こちらへ流れ込んでくるのは予想できる。
確かにあんな砂の濁流の中を突っ切る自信は皆無である。
どうして現実世界がデジタルワールドのような世界になってしまってるのだろうか。


「コロモン、待って!」

「どこだ、光!?」

「あそこ!あの大通りの向こう側!」

「バカ野郎、何があんのかわかんねえってのに!行くぞ、光!」

「うん!」


米粒みたいに小さくなっていくコロモンを追いかけて、転がり落ちるみたいに太一と光は砂漠の広がる異空間へと進んでいった。
どんどん現実世界とデジタルワールドとおぼしき空間の境目が曖昧になっていく。
アスファルトはどんどん細かい粒子状の赤砂に姿を変え、足を取られて走りにくくなっていく。
高層マンションや人工的に整備されている歩道、間隔を置いて並べられている木々が幻のように消えていく。
なんだか現実世界がデジタルワールドに飲み込まれそうな程浸食している。
靴の中に砂が入ってしまい、一度歩みを止めた二人はすっかり見失ってしまったコロモンを呼んだが返事はない。


「俺たちの世界とデジタルワールドが繋がっちまったのか」

「コロモンたちの世界なの?」

「俺とコロモンがこっちに帰ってくるまでいた場所とよく似てんだよ」


そう言って太一が見上げる先には、真っ暗な口を開けている洞窟が待ちかまえていた。
200年前に住人達を失った遺跡は、砂漠をめぐる広陵に浸食されて、かつての繁栄など見る影もない。
デジ文字がひとつひとつ彫り込まれているレリーフでも、完全に残っているモノの方が少ないようだ。
ほとんどが欠損を抱えているか、レリーフごと陥没したり、削り取られたりしている。
足元を見ればごろごろとレリーフの成れの果てが転がっていた。
見たこともない模様が一つ一つ四角い正方形の中に刻まれているので、
興味をひかれた光はペタペタと目の前にあったレリーフに触れてみるのだが、
ぼろぼろ、と跡形もなく崩れ落ちてしまった。綺麗だったのに。
すると、崩れ落ちたレリーフを中心に、連鎖が起こる。
壁画は一定の部分がすべて瓦礫に姿を変えた。砂埃が舞った。


太一は光をかばうようにして立ちふさがると、右手を掴んで慌てて現実世界側に後退する。
ぴこぴこぴこぴこ、ぴこぴこぴこぴこ、とデジヴァイスが反応する。
現実世界では機能が著しく制限されてしまう弊害から、ようやく解放されたデジヴァイスは、
少なくてもデジモンワールドでは60日前から追加されていた機能を太一たちに知らせたのである。
なんだなんだ、と覗き込んだ太一たちの前に現れたのは、紋章を持つ者の探知機能だった。
オレンジ色のデジヴァイスが示す小さな液晶画面を覗き込む彼らの目の前で、
ぴこ、ぴこ、と耳に残る特有の発信音が響くたびに、現在地を示しているのであろう黒丸が点滅している。
その点を中心に波紋が広がっていく。
視線だけで追いかけていくと、白黒の液晶画面の隅っこの方に今にも消えそうな位小さな点が表示された。
こっちか?と試しに太一がそちらの方向にデジヴァイスをかざしてみると、すみっこだった点がよりはっきりと映る。
どうやらこのデジヴァイスの点の先に、紋章を持った者がいるのは間違いなさそうだった。
奥の方から緩やかに広がっていく黒い霧。そこにうごめく影がある。
ごしゃり、というにぶい音がした後に、いくつもの閃光が走る。
周辺には散乱したタマゴの欠片。どうやらデジタルモンスターは既に生まれていたようである。









つながっている頭胸部と腹部から伸びる長い長い尾部の影が蠢いている。
尾部は節ごとに分かれ、古代遺跡の天井ギリギリまでの高さに弧を描いていた。
最後の節は大きく膨らみ、猛毒を仕込んでいるぎざぎざの形状となっている。
その先には、鈍色に光る鋭利な刃物のような形に進化したモリが突き出していた。
確実に獲物の呼吸器官に突き刺さるように、小さな鉤がいくつもついている。
4対の歩脚がせわしなく選ばれし子供達を執拗なまでに追跡していた。
尾部を曲げて、体の上の前方に伸ばしている独特のシルエットから逃れるべく、
必至で太一たちはひたすら前に続くデジ文字のレリーフが発光する先を急ぐのだ。
巨大な鋏が2つ振りかざされたら最後、頭と胴体がお別れしなければならないのは明白である。
きっと、獲物を確保するために振り下ろされた鋏は、彼らを土壁に磔にするだろう。
そして、鋏でしっかりと固定された挙句、尾部の針を勢いよく突き刺され、
猛毒を注入されたら最後、その巨大な鋏で細切れにされて巨大なデジモンの餌食になるのは目に見えている。


滅多に現れない獲物が迷い込んできたのである。
砂漠地帯で生き抜くデジタルモンスターは、絶食に耐えるものが多いだろうが、
一度狙いを定められたら最後、追いかけてくるのは誰もが分かっていた。
古代遺跡に迷い込む前で幸いである。
岩の下や土の中、なにかの隙間に入ってじっと太一たちが来るのを待ち受けられていたら、
さすがになすすべがなかっただろう。
太一たちは必死で逃げるのである。追跡者を確認する暇などない。
少しでも距離を稼ぐために歩道橋を駆け上がった太一達が見たのは、迫りくる黒い霧状の物体である。
そこだけがもやがかっていて、姿を確認することが出来ない。
真っ暗になっている。そして、どんどん暗闇が迫りくる。
まるで浸食されているように、薄暗い空間がどんどん近づいてくるのである。
もういても経ってもいられるわけもなく、生命の危機を知らせるのは生存本能に任せて、太一たちは全速力で突っ走っていた。
ごろごろ転がっているレリーフの成れの果てを踏みつけないように飛び越えながら、
太一は必死で光の手を引っ張るのである。
光もつまづきそうになりながら、こけそうになりながら、必死で大好きなお兄ちゃんの背中を追いかける。
頭の中はもう真っ白で何も考えられない。
黒々とした靄のようなものがどんどん近づいてくる。


「コロモン、何やってんだよ、こんな時にっ!!」


パートナーデジモンがいないことでただのデジタル時計と成り下がってしまっているデジヴァイスと紋章を握り締め、
必死で太一はコロモンを呼んだ。助けてくれ、と街中に響き渡る太一の叫びがこだまする。
そしてとうとうデジタルワールドとおぼしき異空間から、サソリのようなデジタルモンスターが現実世界に姿を現してしまった。
ぐんにゃりとした歪みが現実世界にはき出される。そのゆがみはやがてデジタルモンスターの姿となり、地上に降り立った。
そして、黒い霧に覆われてしまったデジタルモンスターの一撃がはるか太一達の頭上を通り過ぎ、
向かいの建物を突き抜けた。
凄まじい轟音と共にふって来るであろう瓦礫の雨から逃れるべく歩道橋を駆け下りた太一達は、
一向に降りてこない瓦礫に思わず空を見上げてみる。


「え?あ、あれ?なんですり抜けてんだ?」


サソリのようなデジタルモンスターは凄まじい勢いで光が丘団地を蹂躙しているのだが、
まるで実体がない透明な靄に包まれているためか、すべての攻撃はすり抜けている。
光が丘テロ事件のような光景を想像していた太一と光は、ちょっとだけ安心して力が抜けてしまった。


「違う、違うよ、お兄ちゃん!あれ見て!凍ってる!」


光が指差す先には、デジモンが接触していく場所が全てプリズムのように輝く結晶が形成されていく奇妙な光景だった。
太一と光のことは眼中にないのか、縦横無尽に駆けめぐっていくデジタルモンスターにより結晶地帯は拡大していく。
ぱらぱらぱらとビルに形成された結晶体が歩道に降り注いでくる。
あわてて安全地帯に逃げ込んだ光と太一は、おそるおそる粉砕された結晶を拾い上げてみた。


「氷じゃねえぞ、光。これ、なんだろ、プラスチック?」

「キラキラしてるね、綺麗」

「それにしても、なんであいつ透明なんだろう」

「さわっちゃだめ」

「え?」

「それは水晶だよ。さわると結晶になっちゃうの。みて、あのビル。どんどん結晶が大きくなってるでしょう?
 その結晶は生きてるから、どんどん大きくなっちゃう」


あわてて太一と光は結晶を払った。たしかにビルからクリスタルの塊が生えている。



「まだあなたたちの世界とデジタルワールドの境界が曖昧だから、これだけで済んでるのね」


ぽつりとつぶやいた太一の言葉をすくいあげるのは、女の子の声だった。


「だから、あの子たちはまだ蜃気楼でしかない。こっちの世界に干渉できるほど、実体化できないの。
 デジモンのことをしってるあなたたちだから、あの子たちが見えるだけ」


突然聞こえてきた声に驚いた太一と光は辺りを見渡してみる。


「こっち。こっちだよ、私はここにいるの」


太一!とコロモンが空から落ちてくる。
なんとかナイスキャッチすることが出来た太一は、なんで勝手に行っちまうんだよ!と怒鳴りつけ、
ごめんなさい、とコロモンをしょんぼりさせた。
コロモン曰わく、生まれ故郷であるデジタルワールドに帰れるかもしれない、と思ったら
頭が真っ白になってしまったとのことである。とんだお騒がせだ。
コロモンが落ちてきた上には電光掲示板があって、そこには太一くらいの女の子が座っていた。
古代デジ文字がアトランダムに流れていく掲示板から、こんにちはって女の子が笑う。


「コロモンのこと、助けてくれたの?」


光の問いかけに、こくりと頷いた女の子は電光掲示板に触れた。
デジ文字で表示されていたデータが日本語に変換される。


スコピオモン

世代:完全体

種族:昆虫型

データ種

「砂漠の暗殺者」と呼ばれる、昆虫型デジモン。
気配を感じさせず背後から近づき、尻尾の先の猛毒針で相手を突き刺す。スコピオモンの持つ毒は、
神経データの伝達スピードより速く、刺されたことにさえ気づかれず絶命してしまう。
そのため、相手にその存在すら知られることが無いのが、暗殺者と呼ばれる所以である。
得意技の『ブラックアウト』は軽度の毒霧を散布しで相手の視力を奪う。
これにより相手に姿を見られることは絶対に無い。必殺技は、尻尾の先にある猛毒針『ポイズンピアス』。


「誰かが無理矢理、ここにあるデジタルゲートをこじ開けようとしてるの。
 だから、こっちの世界とデジタルワールドの境界が曖昧になって、あの子たちは迷い込んでしまったのね。
 完全体だから電波障害がとっても大きくなってしまう。わたしは、あの子たちをお迎えに来たの。
 まさかここまで歪みの規模が大きくなるとは思わなかったから、動けるのがわたししかいないから。
 デジタルワールドが逆さまにみえるのも、デジタルゲートにアクセス権がないわたしがここにいられるのも、
 こうやって繋がりかけてるから」

「なあ、誰なんだよ、お前。なんでそんなこと知ってるんだ?」


光をかばうように太一が前に立ちふさがる。
いつかみた光景を懐かしそうに目を細めた女の子である。


「わたしはあのこたちのお迎えなの。このあたりのことを一番知ってるのは、わたしだから。
 心配しないで。わたしは守護デジモンだから」


こんにちは、と穏やかに笑ったのは、女の子である。
音もなく電脳掲示板から降りてきた女の子は、音もなく着地する。そしてゆっくりと歩みを進めた。


「はじめまして。ううん、おひさしぶり、です」


おひさしぶり、の意味が分からなくて、太一たちは顔を見合わせる。
もちろん外国人のような外見をもち、流ちょうな日本語を話す女の子なんて彼らはしらない。
太一より少し年下で、光よりも年上な女の子なんて知らない彼らは混乱する。
優しい目をしている女の子は、嬉しそうに目を細めている。


「あの、どこかであったこと、ある?」


こくり、と女の子はうなづいた。


「光、知ってるのか?」

「ううん、わかんない。でもなんだかとっても懐かしい気がするの。お兄ちゃんは?」


太一は首を振った。
光は懐かしい気持ちになるものの、いつか思い出せないので首をかしげるのだ。
鈴を転がすように笑う女の子がいる。透き通るような蒼い目をしたお人形さんみたいな風貌の女の子は、
マネキンと見間違えるほどほっそりとしたゆびで口元を抑えて微笑んでいる。
紫がかった栗色にも似たあずき色の髪の毛をした女の子は、
天然パーマが入っているのかふわふわのウエーブがかかっている。
光よりも年上の女の子だ。でも太一よりは年下だろう。たぶん、小学校3年生か4年生くらいの女の子である。
まっすぐに警戒している成長期のデジモンと新たなる選ばれし子供を瞳に映して、にこりと笑ったのだ。
もしほほえみだったなら、マネキンのごとくぞっとする美しさと神秘性を同居させていただろうが、
てくてくてく、と気にしないでどんどん近づいてくるのだ。飛び切りの笑顔がそこにあるのだ。
光は恐怖こそ抱かなかったが、積極性にあふれる性質ではないので
反射的に戸惑いと困惑、微妙な羞恥に駆られてまごまごしてしまう。


「まってたの」

「え?」


彼女の眼差しは光、太一、アグモンの順番で向けられる。


「ずっと、ずっと、まってたの。あなたを。あなたたちを。
 あなたたちに逢えることを、わたしはずっと待っていたの」


光は、少女がとうとうあと一歩で重なってしまうんじゃないかってくらいまで近づいてきたので、
ちかい、ちかい、ちかいよう、とドキドキしながら赤面した。
よろしくね、と差し出された手に、おずおずと握手を交わす。
外国の女の子は積極的なんだなあと見当はずれなことを考えていた。


「この姿であなたに会うのははじめてだけれど、あなたはわたしのことを知ってると思うの。
 わたしはずっと、そのことについて、謝りたくて、このときが来るのを待っていたの。
 ごめんなさいしたくて、ずっと、待ってたの。この世界にきたのは、あの子たちのお迎えのお仕事だから、
 まさかこんなところで逢えるとは思わなかったけど、とってもうれしい」

「あの、お名前は?」

「わたし?わたしは、なっちゃんて呼んで?」

「な、っちゃん?」

「うん」


なっちゃんと名乗った少女に、大輔の話を思い出した太一とコロモンは、弾かれたように声を上げた。


「なっちゃん!?なっちゃんってあの、大輔が言ってた、あのなっちゃんなのか!?」


大輔、という言葉を聞いたなっちゃんは花咲くように微笑んで、こくりと頷いた。


「そっかー、デジタマになっちゃったって大輔から聞いてたけど、復活出来たんだ?
 よかったな。大輔に会えたら、言っとくよ。きっと喜ぶだろうしさ」

「うん、だいすけによろしくね」

「そっか、だからぼくたちとおなじにおいがするんだね」

「うん」


さっぱり話に着いていけない光は助けを求めるようになっちゃんに視線を向ける。
こくり、と頷いたなっちゃんは、改めて太一たちの前に進み出ると、小さくお辞儀をして自己紹介を始めた。


「わたしはね、アグモンと同じデジタルモンスターという生命体なの。人間ではないの」


え、と光は思わず固まってしまった。
つま先のてっぺんから頭までどこからどう見ても女の子にしか見えないなっちゃんは、
コロモンと同じデジタルモンスターという生き物なのだというのである。
吃驚するなと言う方が無理だろう。目をぱちぱちとさせている光は、アグモンを見た。


「ねえ、コロモ」

「光、今の僕はアグモンだよ」

「あ、ご、ごめんね、アグモン。アグモンもなっちゃんみたいになれるの?」


ぶんぶんとアグモンは首を振った。くすくすとなっちゃんは笑う。
なっちゃん曰わく、ニンゲンの姿になれるデジモンもいるけれど、アグモンはできないらしい。


「わたし、ずっと【ごめんなさい】がいいたくてまっていたの。」

「・・・・・・・え?」


光は瞬きした。ごめんなさい、という一言で脳裏をよぎるのは。フラッシュバックするのは。
え、うそ、え、でも、と混乱している光に苦笑いを浮かべたなっちゃんは、すっと人差し指をかざした。
すると、さきほどスコピオモンのデータを表示していた電光掲示板が反応する。
なっちゃんが何かを入力するとまるでテレビのように映像を流し始めた。
そこにいたのは大きな大きなオウムだった。あ、と声を上げたのは誰だっただろうか。
実際にこうして正体を現されると、人間ではないデジタルモンスターであるという異質性が改めて浮き彫りとなる形だ。
二本の真っ赤な触角にも似た羽が垂れ下がり、兜のように額の部分だけ高質化し、機械でも壊せない強度を誇る防衛具。
外側からは小金井色にも似た非常にはっきりとした金色に限りなく近い色合いの翼を持ち、
内側は新緑を閉じ込めたような翼が目立つ。光が4年間悪夢のように覚えてきた光が丘テロ事件の様子である。


「みどりいろの、おっきな、とり、さん」

「光が丘テロ事件でグレイモンと戦ったって言うデジモンなのか!?光!」

「うん。私、覚えてる。おっきなとりさん。ごめんなさいのとりさん。 このとりさんだよ、おにいちゃん!」


光は覚えている。光が丘テロ事件でごめんなさいと口にした正体不明の怪物だ。
コロモンという名前のメタルグレイモンは、パロットモンの左の翼を引きちぎって、飛行能力を奪い取った。
いくらデータを修復しようとも、メタルエンパイアの置き土産で武装しているメタルグレイモンの攻撃は一撃必殺にも似ているのだ。
ホーリーリングを2つ持つなっちゃんですら、未だにデータの修復が追いつかず、ここまで進化することはかなわない。


「パロットモン。パロットモンっていうの。それがあなたたちの世界にきたときのわたし」


そういって、なっちゃんは全盛期だった頃の己のデータを太一たちに見せる。


「あなたたちの町をめちゃめちゃにした、わたし」

「ほんとなの?」

「うそだろ……なんでなっちゃんが俺たちの世界で街を壊したりなんか……」

「ねえ、太一。なっちゃん、完全体だったのに、どうしてグレイモンに負けちゃったの?」

「え?あ、ホントだ。オレ達の知ってるグレイモンよりずっとずっと大きいな、あのグレイモン」

「ごめんなさい」


パロットモンは、光たちの前で首を垂れるのだ。
少女は語る。あの日、パロットモンは、あのパソコンの先にある球体の世界から、
ゲートをくぐって書斎からコロモンをお迎えに行って、そのまま選ばれし子供達を選定したら、すぐに帰る予定だった。
しかし、八神家のパソコンに通じている四角い画面が、突然消えてしまった。閉じられてしまった。
パロットモンはセキュリティに属しているとはいえども、
ロゼモンやワイズモンのようにゲートを自在に開けられる能力がない。
デジタマは時間経過によって孵化し、成長期までなら自動的に進化してしまう。
時間との戦いである。セキュリティに連絡を取り、指示を仰ごうとした彼女の前に現れたのは、
一つのゲートだった。すぐにゲートを開くという連絡を受けてから、あまりにもタイミングが良すぎたのである。
てっきり復旧作業が終わったのだろう、と勘違いした彼女はそのゲートをくぐり抜けてしまったのである。
その先は本宮家のパソコンだった。そして、彼女はあわててコロモンを回収しようと外に出てしまう。
現実世界において、デジタルモンスターが及ぼす影響の甚大さなどの知識が一切無いまま、
彼女はコロモンの回収というその時彼女が取るべき最善の手段を講じようとした。
成熟期にまで進化してしまったグレイモンを回収するために完全体の姿を選択した。
しかし、光の進化を促す不思議な力によって進化してしまっていたグレイモンの力は、
ホーリーリングを二つも保持している彼女と拮抗するまでになってしまっていた。
その結果が光が丘テロ事件である。思わぬ形で大輔の名前を聞いた光は青天の霹靂である。
そして、光はなっちゃんから大輔のおうちをぶっ壊したのはアグモンではなく、
なっちゃんであることを知る。
そして、なっちゃんと大輔の和解までの過程を聞いた光は、安心した様子でうなづいたのである。
よかった、と零れ落ちた言葉は滲んでいた。
しかし、同時にその涙はやがてゆっくりと光の心に影を落とし始めていく。


「でも、やっぱり、わた、の、せいなんだね」

「え?」

「だ、だって、だってぇ……わたしのせいだもん」

「なんで光のせいになるんだよ」

「わたしのせいなんだもん。コロモンがアグモンになっちゃったのも、
 アグモンがグレイモンになっちゃったのも、グレイモンがなっちゃんと戦ったのも、
 わたしが…・」


光は、ぎゅっと強く両手を握り締めた。


「わたしが、しん、か、させちゃ…からっ」


あわてて駆け寄った太一とアグモンが見たのは、生まれて初めて光が大泣きする光景だった。
優しく背中をさすってやるが、光は堰を切ったように崩れ落ちてしまい、わんわん泣いている。
そっと寄り添ったなっちゃんは、小さく首を振った。


「そんなこと、いわないで」

「って、だって、わた、しっ……!みんなのまちを、なっちゃんと、ころもんに、させちゃ、
 だれにも、いえな、こわくて、きらわれたくなくて、やだ、やだっ、でも、わたし」

「あなたのせいではないの。だから、一人で抱え込まないで」

「どういうことなんだよ、なっちゃん」

「実は、わたしたちがあなたたちを選ばれし子供として選んだのは、光が丘テロ事件がきっかけなの。
 あなたの妹、八神光がデジモンを進化させる不思議な力を持っていたから。すべてのはじまりはあの日。
 デジヴァイスでコロモンが進化できるのは、光のもっている力を参考にしたプログラムが入っているからなの。
 いつかわたしたちの世界を救ってくれる日がくるまで、みんなの記憶を封印させてもらったはずだったんだけど
 ・・・・・・ごめんなさい。あなたが覚えているとは、思わなかったの」

「そんな、まさか、じゃあ光はずっとずっとひとりぼっちで、あんな光景を覚えてたって言うのかよ」

「ほんとうに、ほんとうに、ごめんなさい。今までこんな辛い思いをさせて、ほんとうに、ごめんなさい」

「こわかったの、わたし、だれも、しら、から、わたしが、なんで、わたし、こんな、へんなっ!
 いならいのにぃ、わたし、なんで、なんにもしてないのに、こんな、ちか、いらないのにっ」

「そんなこと、言わないで。光、あなたはとっても素敵な力をわたしたちに見せてくれたの。
 進化の光は命の源。わたしたち、デジモンにとって、あなたが見せてくれたその力は、
 本当に美しい光だった。人間とデジモンが出会うことで、新しい可能性が生まれるんだって事を
 あなたは見せてくれたの。あんなことになってしまったけれど、わたしはあなたとあえて本当によかった。
 そう思うの。恐れないで。怖がらないで。それだけがわたしのねがいだから」


生まれてはじめて、自分の持っている力を肯定してくれた存在が、他ならぬパロットモンだったこと。
太一とコロモンが何も言わないけれど、見守ってくれること。拒絶しないで、背中をさすってくれること。
光はわき上がってくる感情の名前を知らないまま、なきじゃくる。そしてこくこくとうなずいた。
太一とコロモンは沈黙する。脳裏を過ぎる長い旅路。戦いの毎日。そして世界を救うことを決めたこと。
そのきっかけが最愛の妹がもっている力。そして光が丘テロ事件。もういちど太一は電光掲示板を見る。
ぼんやりとかすみがかっていた記憶が蘇るのを感じた。そしてようやく、光がホイッスルを肌身離さずもつ理由を知る。
でも顔を見合わせる表情はどこか複雑だ。光がえらばれし子供だとなっちゃんは告げていたから



[26350] 第四十四話 砂漠の暗殺者 スコピオモン その2
Name: 若州 ◆e8baf026 ID:78956517
Date: 2013/08/03 00:50
ぱ、ぱ、ぱ、と灯りが不自然に点灯し、ぷつっという音を最後に真っ暗になってしまう。
しばらくしてナノモンの研究室に設置されている非常電源が作動し、ライフラインは復旧した。
ロボットは眠らない。不眠不休でナノモンの研究室は光が零れ落ちている。
休憩室で毛布に丸かってソファに沈んでいるであろうガジモン達は、つかの間の休息だ。
ナノモンのピラミッド迷宮は不眠不休で警戒態勢を敷いている。
ぷしゅー、と扉が開き、その入り口に立っている影を認めたナノモンは、
対して驚く様子もなくふり返りもしないで言葉を放つ。


「私を殺す気か、お前は。私を初めとするマシーン型のデジモンにとって、
 電気という供給源が一時的にでも絶たれたらどうなるか再三説明したはずだが?」

「ああ、申し訳ないね、ナノモン。この移動方法は便利だから、ついつい利用してしまう」

「今メールが届いても遅いだろう、大馬鹿。書籍媒体からの移動はいい加減にしろ。
 この迷宮は古代デジ文字の遺跡データによって電気が供給されているのだ。
 空間を繋げるためにそのデータを書き換えたら機能を停止するに決まっているだろうが」


ナノモンの前には勝手に書き換えられた古代デジ文字のデータが並んでいる。
機能を取り戻すべくブラインドタッチで復旧作業を強いられているナノモンはやや不機嫌だ。


「すまないね、もともとなんと描いてあったか分からないものだから」

「それくらいバックアップを取っておけとあれほど言ったはずだが」

「ああ、気を付けるよ」

「なら好きにしろ。ただし、私の許可なく触れることは許さん。ここは私の城だ。
 お前は私と同じ目をしている。なにか気になることがあるのなら、率直にいえ。
 私はお前のそういうところが嫌いなのだ」


肩をすくめた客人は、ゆっくりとした足取りでナノモンの立っている巨大なモニタに近付いてくる。


「で?何の用だ、ワイズモン」

「確かめたいことがあるんだ。ナノモンはタケルとトコモンにあったことがあるだろう?
 彼らがたまたまとはいえ、D―ブリガードという組織の本拠地らしきエリアに迷い込んだんだが、
 そこで、ダイノ古代境から何者かに持ち去られた筈のデジモン黙示録のオリジナルデータを持ち帰ってくれた、と
ピッコロモンから連絡があったんだ。ここに描いてある予言の書と照合したくてね」

「ああ、わかった。少し待っていろ」

「それと、もうひとつ」

「なんだ」

「残念なお知らせだ。ジュレイモンが敵の渦中に落ちたらしい。はじまりの街の守護デジモンは選定し直しだそうだ」


ワイズモンから話の詳細を聞かされたナノモンは、
ワイズモンがタケルから預かってきたのデータを眺め見て、そうか、と返した。


















なっちゃんの先導によって、太一達はデジタルワールドと現実世界の境界である歪みを沿うような形で移動していた。
空を飛ぶことができればずっと移動も楽になるのに、となっちゃんは空を見上げているが、
ホーリーリングの補助で進化するということは、彼女が成熟期や完全体になるということを意味する。
比較的影響の低いという人間の姿であっても、彼女が歩くだけで街にあふれる電気は異常を発生していた。
信号機の調子がおかしくなる。電光掲示板が0と1やデジ文字に覆い尽くされる。
ビルのライトが彼女の移動に会わせてランダムに点灯する。
デジモンはデータだ。実体化するには相応の電気やエネルギーが必要となる。
彼女はそこにいることを維持するだけでも、相当無理していることが伺えた。
かなり自制をかけているのだ。その証拠に彼女は太一たちとの共闘を選んだ。
太一たちと同じ速度で地上を移動することを選んだ。


もしなっちゃんが何も考えないでこの世界に現れたら、は迷いデジモンたちが教えてくれている。
上空からのナビゲータを持たない太一達が、なんとか迷い込んだデジモンを追跡できているのは、
明らかに異常を発生させている信号だったり、掲示板だったり、
時にはオフィスビルがまるで多色モザイクのように点灯して、
道標になっているからだ。
やはり完全体にもなると、明らかに電波障害の規模は拡大しているようだ。
きっと太一達の移動と連動して電波テロが発生していると勘違いする人がいるに違いない。
テレビを見る限り、カメラなどのメディア媒体はことごとく故障するため、
太一達が撮られてしまうという事態は未然に防ぐことが出来ていそうだが、
メディア関係者、近隣住民の目撃だけはどうしようもないのが現状である。
特定されてしまいそうな情報が出ないことを祈るばかりだ。
彼らしか聞こえない、どおん、という音が少しずつ、少しずつ、近付いてくる。
目の前で再現される光が丘テロ事件の予兆に、息が詰まりそうになっているのは、光だった。
太一と握っている手は明らかに力がこもっている。


「大丈夫か?光。やっぱりなっちゃんと一緒に待ってるか?」


心配そうに聞いてくる太一に、ぶんぶんと光は首を振った。


「ぜったい、や。わたしも行くもん」


トラウマが払拭されたわけではない。
それでも、光がここから逃げ出さない理由は、ただひとつ。
太一とアグモンはデジタルワールドに戻らなければならないのだと
なっちゃんからはっきりと告げられたからだ。
いま、この手を放したらどうなる?妹が大切な太一は間違いなく光を置いていくだろう。
ひとりぼっちになることを直感的に悟った彼女は、そっちの方が怖かった。
わかったよ、と太一はしぶしぶ頷いて、なっちゃんを見た。


「スコピオモンはね、名前の通り、大きなサソリのデジモンなの。
 見てわかると思うけど、あのこは完全体。だから、無茶しちゃだめ」

「じゃあ僕が進化すればいいんだね!」

「せめてアイツに追いついてからにしろよ、アグモン!」

「え?なんで?」

「なんでわっかんねえかなあ!ここはデジタルワールドじゃねえんだ。オレたちの世界なんだよ!
 成熟期になるだけですっげえことになっちまうんだ。完全体になるなら、なるべく短い時間にしないと!」

「えええっ!?じゃあすぐに倒さないといけないの!?」


短期決戦が必須条件になってくるのは明白だ。大丈夫だろうか、と不安げな太一にふってくるのは苦笑いだ。


「手間をかけさせてごめんなさい。私はあの子をお迎えにきたから、
 倒しちゃったら困るの。ごめんなさい、アグモン」
 
「そーだぞ、勝手に話捏造すんじゃねえよ、アグモン。
 なっちゃんがわざわざこっちの世界にまで足を踏み入れたのは、
 この電波障害をなんとかするためだっていってただろ?
 一度ここはグレイモンとなっちゃんが暴れたせいで街がぶっこわれちまったことがあるんだよ。
 もしまた同じことが起こったら、なんにも知らない人達から見たら、コロモンまで同じ怪物だと思われちまうだろ」


「カイブツ?」


「そうだよ、カイブツ!光みたいに見えてる子がいたらどうすんだ。勘違いしたらどうすんだよ。
 あの時みたいに、なんにも知らないのに怖がられるの、嫌だろ?嫌われるの嫌だろ?
 オレだってヤダよ。そんなことになってたまるか」


だから、そのためにはどうしたらいいのだろうか、と太一は先導者を仰ぐ。


「ここがデジタルワールドなら、まだ、考えられたかもしれない。
 でも、ここはあなたたちの世界でしょう?デジタルワールドじゃないわ。
 もしこっちの世界でデジモンが死んじゃったら、きっとデジタマにはなれないの。
 ここからじゃダークエリアにアクセスできないもの。
 転写されたデータがいくところは無くなってしまう。きっと幽霊になっちゃう。
 そんなの、だめなの。絶対に。可哀相でしょう?」


そりゃなおさら大変だって太一とアグモンは気を引き締めるのだ。
光だけがついていけなくてきょとんとしている。
なっちゃんは手短にデジモンの生態について説明した。
そして、これから相手をすることになる通称砂漠の暗殺者について情報を提供するのだ。
太一たちは何も知らないまま突っ込んでいたらと思うと背筋が凍る。
スコピオモンは昆虫型デジモンの完全体であり、データ種であると彼女は言う。
暗黒の力の影響は一切受けていない、純粋な意味での野生のデジタルモンスターの透明体であり、
すなわちデジヴァイスによる浄化に伴う弱体化は狙えないと言うことだ。
スコピオモンは視界部分を破壊するというとんでもない毒が含まれている毒霧を得意とし、
蠢く真っ黒な靄を確認することが出来ても、スコピオモンのシルエット以上の情報が得られない。


姿なき敵は、それだけでも相当なプレッシャーと太一たちに与えていた。
いつまでもスコピオモンとの追いかけっこに付き合うわけにはいかないのだ。
太一の後ろには、すっかり息が上がってしまっている小さな女の子がいる。
精神的に緊張しきっている彼女は気付いていないが、
明らかに無意識のうちに蓄積している疲れは、光の意志とは関係なく体を蝕んでいる。
力が入らないことを射抜かれた光は、申し訳なさそうに、ごめんなさい、とうつむいた。
あーもー、なんでそうなるんだよ、と太一は笑うのだ。
そして、ばーか、と言いながらむにーと光の両頬を引っ張ったのである。
今までのお兄ちゃんだったなら、頭を撫でてくれたり、励ましてくれたり、
ごめんと謝って困ったような顔をして頭をかくはずなのにそこにいたのは。


突然の暴挙に驚いた光ははじかれたように顔を上げるが、
まるでもちのごとくよこに引き延ばされてしまってはじんわりと痛みが熱を帯びる。
おひいひゃん、いはいよう!と光は必死で抵抗するのだが、くるくるくる、と回されてしまう。
くすくす、とみんなに笑われてしまった光は、太一がぱちんと放してくれた真っ赤な頬をさするのだ。
熱を持っている頬をさする光は、すっかり涙目である。
太一はくしゃりと前髪が汗でぴったりとくっついてしまっている妹の髪を撫でた。


「なーにがごめんなさいだよ、なんも悪いことしてないのに謝るなよ」


最初っからそうすりゃいいんだよと一言多いお兄ちゃんは、
ささやかな抵抗に思いっきり飛びつかれたのである。ちょっとよろめきながら、太一は笑った。


「まだ、走れるか?」

「うん、がんばる」


こくりと頷いた光を見下ろして、なっちゃんは空中に浮遊する。


「デジヴァイス、かざしてみて」

「え?」

「いいから、はやく!あなたのデジヴァイスなら、きっとあなたたちを守ってくれる
 機能が追加されてる筈だから」


え?と顔を上げる太一を、お兄ちゃん、と叫ぶように言葉を紡いだ妹が遮る。
あれ、と光の人差し指の先を見た太一の前に現れたのは、
必死の逃亡劇を共に歩んできた影が突然後方と前方に分かれ伸び始めた奇妙な光景である。
どんどん本人の許可も得ずに足元から細長く伸びた光の影が2つ出来上がっていく。
コロモンを通り過ぎ、警戒態勢に入ったウィッチモンの背中を貫通し、逃げていく影がある。
もう一方は、どんどん伸びていって、後方にある水晶体の瓦礫の山にまで頭が突っかかりそうなほど細長くなっていた。
おかしい、と太一は直感した。背後はどんどん暗闇に飲み込まれていくのだ。
太一たちはひたすら太陽を背にスコピオモンの姿を求めて走り続けていたはである。
まるで通路の電灯以上に強烈な光を放つスポットライトが後方から浴びせれ、
よりくっきりとした影が形成されているような状況は明らかにおかしかった。
いわれるがまま、オレンジ色のデジヴァイスをかざした太一は、
デジヴァイスが異常な音と振動を震わせて、鮮やかなバリアを張った事を知る。


「スコピオモンたちがきたみたい!」


その瞬間、太一と光は初めてスコピオモンの姿を目撃することになる。
瓦礫のわずかな隙間から流れていく空気の流れに従って、どんどん瓦礫の防壁が黒い煙で覆われていく。
そして、黒い煙は黒い靄となり、やがては黒い霧として次第に暗闇との輪郭があいまいになっていくのだ。
黒い霧の中におぼろげなら浮かんでいたシルエットが次第に鮮明になっていく。
どんどん遠ざかっていくはずなのに、輪郭がくっきりとしてくる。
豪快に振り下ろされたのは、獲物を八つ裂きにするために特化した大きな鎌。
そして、相手を麻痺させて動きを封じる毒を注入するために付随している血のように真っ赤な刃物。
そして、どおおおおおおおおん、というすさまじい激音が響きわたったのである。
そして、太一と光は閃光を見た。なっちゃんは一瞬だけ人とは全く異なる影をうつした。


「お願いだから、ひどいこと、しないで」


真っ黒な羽根が舞う。いや、黒を帯びている紫色に燃えた羽根が舞った。
突然後ろから放たれた突風。スコピオモンを牽制するために、なっちゃんは攻撃を放った。
太一は、とっさに光をかばうようにして抱きかかえる。


「きゃああっ!」


絹を裂くような光の悲鳴が響き渡った時、容赦なく太一と光を巻き込む形で突風が吹き抜けた。
毒霧が一気に吹き飛ばされて拡散し、つかの間の安全地帯が形成されるが、
空気の流れに乗って黒い風が激しく吹き荒れる。
その様子をまじかで目撃したアグモンは、いても経ってもいられなくなって大きく跳躍したのである。


「太一っ、光っ!!」


アグモンの瞳が戦闘本能で一気に染め上げられた。
デジヴァイスの光に包まれたアグモン、そしてグレイモンに進化する。
豪快に切り裂かれた瓦礫の山は、あっけなく木端微塵に粉砕され、跡形もなく切り崩されてしまった。
身の毛のよだつような足音と共に広がっていくのはブラックアウトの霧である。
毒霧に浸食されていく道路は、前方も後方もどんどん暗闇に堕ちていく。
あれだけ明るかった現実世界がなっちゃんの風壁によって守られてい場所しか光源がなくなっていく。
退路を失った太一たちは完全に挟み撃ちされてしまったのである。
一気に吹き込んでくる毒の黒霧の中から姿を現した砂漠の暗殺者は、すさまじいスピードで襲い掛かってきた。
砂漠地帯という過酷なエリアを【生きる】というただ一点に特化するためだけに、
極限まで必要最低限の構成データを追及していった結果、
スコピオモンは暗黒進化の象徴であるスカルグレイモンのごとく白骨化したような姿をしていたのである。


身の毛のよだつような足音を響かせながら一気に加速する完全体がとうとう姿を現した。
黒い霧が広がっていく。まずい、と太一たちはじりじり、じりじり、と後ずさりした。
しかし、少しずつ距離が詰められている。フットワークが軽い。動きが俊敏
見上げるほどの鋏顎を振り回し、巨大な尻尾を持っているにもかかわらず、
スコピオモンは微塵も感じさせまいと、凄まじいスピードで近づいてくる。
スコピオモンの巨大な鋏が振りかざされたそのときである。
コロモンの瞳が戦闘本能に染め上げられた。


「太一」


太一ははじかれたように顔を上げた。


「光」


光は顔を上げた。


「ボクが君たちを護る。だから、俺に、力を貸してくれ!」


ぐっと握りこぶしを作った太一は、力強くうなづいた。


「行くぜ、グレイモン」

「頑張って、コロモン!」


大きく響く勇ましい咆哮が響き渡った。
その瞬間に、光の太一の胸元に揺れていたデジヴァイスがすさまじい光を放つ。
溢れだした光が細く長い鎖となって幾重にも螺旋を描く。
突き動かされるように、激しく反応し始めたのは、勇気の紋章だ。
光は驚いて太一の胸元に輝いている太陽を見る。
オレンジ色のデジヴァイスが青色からオレンジ色へと塗り重ねられた光の渦にタグを導いていく。
勇気の紋章がタグから解放される。太陽を模したオレンジ色の紋章が天空に舞い上がる。
そして、光は、生まれて初めて、デジタルモンスターを目の当たりにすることになる。


「いっけええ!メタルグレイモン!」


グレイモンとは比べ物にならないくらいの巨体が光たちを守るために、スコピオモンの前に立ちはだかる。
ごおっという風を切断する音がした。
スコピオモンの巨大な尾がメタルグレイモンめがけて豪快に振り下ろされる刹那、
光が今まで見たことがない武装に身を包んだコロモンという名のトモダチは咆哮した。


「オーヴァフレイムっ!!」


メタルグレイモンから、灼熱の業火が吐き出される。
スコルピモンの胴体に突出している4つの鎌が向きを変えたのだ。
もちろん真っ赤に染まっている鎌にとらわれたら最後、
視界を完全にブラックアウトさせる猛毒が襲い掛かることになる。
メタルグレイモンは間髪で最初の奇襲から逃れると、風を切り裂く音がする。


「撃て!メタルグレイモン!」


いっけええええ!興奮した様子で高らかに声を上げた太一の声援が響き渡る。
圧倒的な熱気にさらされて、一瞬ひるんだスコピオモンのすきを狙い、
メタルグレイモンは、トライデントアームをさく裂させた。



「おうちにかえりましょう?ここはあなたたちのいるべきところではないわ」


太一のデジヴァイスを補足したデジタルゲートが起動する。
そして、デジタルワールドへと続くゲートが開かれるのは、ほぼ同時だった。



[26350] 第四十五話 ゲートポイント
Name: 若州◆e61dab95 ID:6feab2d8
Date: 2013/08/03 00:51
まるでくすだまの中に閉じ込められてしまったみたいだ、と太一は思った。
なっちゃんが言うには、本来なら、ここにあるデジタルゲートは光が丘テロ事件以降封鎖されている。
しかし、デジタルワールドと現実世界の境界線が曖昧になっているため、錠の開いた扉と化していた。
だから、セキュリティシステムのすべてを結集して作られたデジヴァイスをかざせば、
ただでさえ脆弱になっているプログラムは誤認する。誤作動を起こす。そしてこうも簡単に開いてしまう。
いつもならこうはいかない。セキュリティシステムが持ち主とデジヴァイスを照合して、
はじめて、0と1の情報体に変換してもらえる。基本的に世界が来訪者を必要としないとゲートは開かない。
デジヴァイスはデジタルワールドを自由に出入りするための許可証のようなものだから、
特例中の特例なのだとなっちゃんはいう。
こんなゲートさえ使わないといけないほど、デジタルワールドの状況が逼迫している証だと。


八神兄妹は今、まさに自らの意志でデジタルワールドという異世界に足を踏み入れようとしている。
サマーキャンプ場の時のように、オーロラから直接デジタルワールドに直通で行けると思っていた太一は、
え、あ、あれ?と今まで見たこともない世界を前にして呆然と立ち尽くしていた。
明らかに動揺と困惑の余り直立不動で硬直しているお兄ちゃんを見て、
光もなんとなくではあるが自分の置かれている状況を把握する。
どうやらお兄ちゃんの知っているコロモンたちの世界ではないらしい。じゃあここは一体どこなんだろう?


きょろきょろと太一と同じくして不安そうにあたりを見渡しているのは、アグモンだ。
本人曰わく、今までの進化と同様、紋章を介する超進化も経験を積み重ねたことで退化する世代が成長期になったらしい。
5歳の光を頭の上に乗っけたまま、高層マンションの最上階から飛び降りるほどの脚力を見せたあのアグモンと比べても、
ずいぶんと小さくて、華奢で、光が4年のうちに大きくなったことを考えても明らかにコンパクトサイズになっている。
たしかあのアグモンは2段ベットを突き破ってしまうくらいのビッグサイズだったはずだから、
やっぱりあの時のコロモンとこのコロモンは別の子なんだなって改めて感じながら光は辺りを見渡した。


白、白、白、白、見渡す限り漂白剤を使ったかのような真っ白な世界が広がっている。
辛うじて角度によってアクリルのようにきらめく白い筋があるおかげで、
光たちは自分たちが立体の世界に立っているのだという確信を得ることができている。
恐ろしく変わり映えのしない真っ白な世界は、たくさんの長方形が無数に幾重にも折り重なって、
球体のような空間として広がっている。
その四角と四角の間には小さなコードが張り巡らされていて、
電気が通っているのか物凄い早いスピードで光の粒子が走り抜けては消えていく。
じいっと見つめていると目がちかちかしてきそうになって、光はその流れを追いかけるのをあきらめた。
違和感と圧迫感がある。息が詰まりそうになる。
不安になって後ろを振り返る八神兄妹は、そのいくつもある四角い平面のうち、いくつかが発光しているのに気が付いた。
よく目を凝らしてみれば、突き出した形できりとられた四角い世界がべったりと張り付けられている。
その向こう側には子供部屋がある。
他にも会社のオフィスだったり、学校のパソコン室だったり、いろんな部屋が窺える。
いずれの四角形にも人間がいる。まるで監視されているような気持ち悪さを覚えてしまうが、
太一たちを覗き込むようにして写っている人間は、さっきから表情一つ変えずにひたすらキーボードをたたいている。


「なあ、なっちゃん、ここってデジタルワールドじゃないのかよ。どこなんだ、ここ」

「ここはね、デジタルワールドとあなたたちの世界を繋ぐゲートポイントなの」

「ゲートポイント?」

「うん、ゲートポイント。デジタルワールドに繋がる道のうちのひとつ。
 あなたたちの世界からパソコンを通じてネットの世界に飛び込んだようなもの。
 えっと、あの四角い世界はインターネットに繋いでるお家や会社の風景がみえているの。
 光が丘でわたしはここからあなたたちのお家のパソコンにはいったのよ」

「へー、そうなんだ」

「どうしていっぱい四角い画面があるの?」

「それはね、光、同じ回線を使ってたり、プロバイダが同じだったりするとこうやって表示されるの。
 あなたたちにとっては、たった1460日でも、わたし達にとっては2102400日もの間、使われていない。
 あのときはあなた達のお家のパソコンからISDNをくぐってここに来れば、あとは直通で帰れたんだけど、
 今はこんな感じになってるのね。ネットの環境が整備されるにつれて、クモの巣みたいになっちゃった。
 迷路みたいに複雑ね」

「へー、そうなんだ。なあなあ、なっちゃん、あの画面はなんで砂時計がでてんだろう?」


ちょっと困ったようになっちゃんは笑う。


「あのお家のパソコンの機種にもよるんだけど、きっと回線がとんでもなく重くなってると思うの。
 スコピオモンたちはギガバイトに変換するととんでもないことになっちゃうから。
 デジモンたちは容量が大きいの。成長期でさえ、5ギガバイトもかかっちゃう」

「ご、5ギガバイトって結構でかいんだな。あれ?そういえば、スコピオモンは?」

「ふふ、大丈夫、スコピオモンはここにいるよ。このままだとネット回線が大混乱になっちゃうから、
 容量をちっちゃくさせてもらったけどね」


なっちゃんの指差す先には、かつてなっちゃんも運ばれたのだろう鳥かごのようなケースがある。
転送用のシステムが起動したらしく、なっちゃんはそのなかにスコピオモンを放り込んだらしい。
白黒のドットで構成されたサソリが右に左に動いているのが見えた。
テトリスとかゲームウォッチとか、そういう懐かしの16ドットの絵になってしまっている。
ぺらぺらの平面図というあわれな姿になってしまっているスコピオモンに太一達は絶句した。
どうやらなっちゃんが放ったあの技は、デジモンのデータを改ざんして根本的に書き換えてしまう
状態異常を引き起こすとんでもない技だったようである。



「ちょっとの間だけ、大人しくなってもらわないと困るでしょう?
 今回は太一とアグモンがいてくれたからよかったんだけどね、
 私はまだ、完全体になれるほど体力が回復していないから。
 大丈夫、デジタルワールドに戻る頃には元に戻ってるわ」


ばいばいってなっちゃんは手を振る。転送装置が起動して、0と1に改ざんされたデータは光になった。


「どこにいっちゃったの?」

「えっとね、病院みたいなところ?あなたたちの世界にいくということは、とっても大変なことだから。
 データがどこか壊れちゃったり、変なことになっちゃったりしてないか、調べてもらうところに行ったの」

「僕は大丈夫なのかなあ?」

「アグモンは大丈夫」

「どうして?」

「だって、あなたは特別だもの。えらばれし子供のパートナーだから、大丈夫。
 わたしは特別じゃないから、この仕事が終わったらそこに行かなくっちゃいけないの」


そっかあ、とアグモンはほっとする。よかったなって太一は笑う。
病院に行かなくてもいいなんていいなあって、風邪ひきさんは羨ましそうにアグモンを見た。
えらばれし子供のデジモンは現実世界に行くことが予め想定されていることなんて知らないまま、
みんななっちゃんに連れられてデジタルワールドを目指すことにしたのである。


「へー。サマーキャンプで飛ばされた時には、気付いたらファイル島にいたけどさ、
 こんなメンドクサイ方法使わないとデジタルワールドにいけないんだ?」

「デジタルワールドとあなたたちの世界は、あくまでも異世界だもの。
 ホメオスタシス様やゲンナイ様、セキュリティシステムの守護デジモン様たちじゃないと、
 デジタルワールドとあなたたちの世界を繋ぐゲートは作れないわ。
 最近だと直通で特定のエリアに移動できるみたいなんだけど、昔はこうやって移動したわ。
 ここは200年以上使われてない旧式のデジタルゲートだから、とっても不便だけど仕方ないの。
 今回は私がいるけど、気を付けてね?ここは現実世界とISDNでつながってるからね、
 出入り口を間違えたら、海を越えた別の場所に行っちゃう可能性があるよ」

「外国にいっちゃうの?」

「うん。だから気をつけてね。全然知らないところのパソコンから出てきたら、大騒ぎになっちゃうでしょう?」

「うわー、そりゃ大変だなあ。よーし、分かった。みんなに言っとくよ」


太一は真剣なまなざしでうなづいたのである。


「うん、お願いね」

「あ、でもここから結構歩くんだろ?覚えられっかなあ」

「それなら大丈夫。デジヴァイスを貸してくれる?」

「え?ああ、いいけど?」


なっちゃんにオレンジ色のデジヴァイスが渡される。
デジヴァイスを受け取ったなっちゃんは、今まで一度も押したことがないボタンを押して画面を表示させると、
空中にホログラムの画面を表示させる。四角で区切られた緑色の画面には、たくさんのタグが流れていく。
凄まじい勢いで流れていったデータがコピー機に似た印刷の光を放ってスライドする。
やがて太一のデジヴァイスが電子音と発光を始めたかと思うと、あっという間にデータの海は流されていった。


「これで大丈夫。デジヴァイスにデータを保存できたわ。
 パソコンに詳しい子に頼んで、太一のデジヴァイスをそのこのパソコンに繋いであげて?
 そしたら地図ができるから」

「すっげー、そんなこともできるんだ、デジヴァイスって」


なっちゃんは感心しきりの太一にデジヴァイスを返した。簡素な地図が画面に表示されている。
きっと光子郎のパソコンにかかれば、3Dのダンジョンマップが出現するにちがいない。
その地図を頼りに、太一達は電子の道を歩き始めたのだった。


「いいなあ、お兄ちゃん。ねえ、なっちゃん。わたしのデジヴァイスってどこかにいっちゃったんだよね?」


いくつもの中継地点をくぐり抜けた先で、ぽつりと光が言ったので、なっちゃんは申し訳なさそうに頷いた。


「ごめんなさい、光。あなたのために用意したデジヴァイスも、紋章も、デジモンも
 今必死で探しているの。きっとみつかるはずだから、もう少しだけ待って?
 プロトタイプのデジヴァイスならゲンナイ様が用意してくれているはずだから」

「ぷろとたいぷ?」

「初期化されてるデジヴァイスなの。あなただけのデジヴァイスにカスタマイズするためのデータは、
 ナノモンたちがサルベージしているところだから、なんとか間に合うように頑張ってるの。
 研究所は暗黒の勢力に破壊されてしまって、データの残骸しか残っていないものだから、
 予想以上に作業が難航しているみたい。ごめんなさい」

「ううん、いいよ。そのナノモンっていうデジモンたちががんばってくれてるんだよね?
 なら、いいの。わたしもがんばって探してみる」

「そういってくれるとうれしいわ。ありがとう。パートナーのデジモンはえらばれし子供を捜し求めるものだから、
 きっとあなたの前に現れる時がきっとくるわ。そのときは、その手を取ってあげてね」

「うん」


こくりとうなずいた光に、なっちゃんは満足そうに笑った。
そして、ずっと先導していた歩みがようやく止まった。


「ついたわ。ここが目的地。ゲンナイさまの隠れ家。お疲れさま、みんな。
 暗黒の塊を背中に受けたゲンナイ様は、精神的に不安定になると暗黒の誘導を受けやすくなってしまう
 呪いにかかってしまったの。だから静かな場所で瞑想することで、なんとか精神の安定化を図っていたの。
 ケンタルモンたちのおかげで、なんとかみんなと会えるだけの回復が見込めたから、やっと対面できるのね。
 いってらっしゃい。私はここでお別れね。迷いこんじゃったデジモンがいないか、また捜しにいかなきゃいけないから」

「そっか、がんばれよ、なっちゃん」

「ここまで送ってくれてありがとう」

「大輔とブイモンによろしく伝えてね」

「うん、いいよー」


うれしそうになっちゃんは笑った。ようやく現れた扉のドアノブに手をかけた太一たちに手を振る。
ばいばいって手を振った光がアグモンと一緒にくぐり抜けようとした時、はっとなったなっちゃんは
あって声を上げたかと思うとあわてて光のところに駆け寄った。真っ白なワンピースのポケットから
とってもきれいな彫刻が施されている金色の腕輪を差し出した。


「え?あ、なあに?なっちゃん」

「これ、あなたにあげる。紋章とあなたのパートナーが見つかりますようにって、
 お願いしたの。お守りの代わりに持っていって?」

「え、えええっ!?そんな、こんな、きれいだけどもらえないよ!」

「ううん、いいの。これは、今、あなたがもってた方がいいの、きっと。そんな気がするから」

「で、でも・・・・・・」

「大丈夫、2つあるから」


金色に輝く腕輪である。とっても高そうである。もらえないよおって光はどぎまぎしっぱなしだ。


「あのね、光。これはあなたの力そのものの象徴なの」

「え?」

「この世界にはね、いのち、うつくしさ、かがやきっていういろんな名前で呼ばれてきた力があるの。
 その力をひとつにまとめて作ったのがこの腕輪だって言われているわ。
 きっとあなたが持つはずだった「光」の紋章も、きっと同じくらい輝いているはずなの。
 あなたにとっては、今はまだ、ここまでの意味は見いだせないかもしれない。
 でも、これはあなたが持つべきものと同じ力が秘められてるわ。
 いつか、あなたの力と向き合える日がくるまでは、お守りの代わりにこれを持っていて?
 きっとあなたの代わりにこれがあなたを守ってくれる筈だから」

「・・・・・・・・でも」

「うーん・・・・・・・じゃあ、えーっと、その、そうだわ、また逢えたら返してくれる?」

「・・・・・・うん、わかった。貸してもらえるなら、そっちの方が私は好きだよ」

「そう、よかった。じゃあ、約束ね」

「うん」


わたしだと思って、大事にしてねって笑いながら、なっちゃんは金色のリングを光に渡した。
無くさないように早速つけちゃいましょう?って持ち主に言われてしまえば、持ちっぱなしという
わけにもいかず、光はおそるおそる金色の腕輪を利き手に通してみた。
ちょっと重くてぶかぶかだったのに、どういう訳か手首を通した瞬間に、
サイズが縮んでぴったりはまってしまった。吃驚して光はなっちゃんを見る。


「便利でしょう?そのリングはデータだから、身に付けてる人にあうようになってるの。
 外したいと思ったらちょっとずらそうとすれば、サイズが大きくなるから安心してね」


言われた通りにしてみると、からん、と音を立ててリングが白い空間に落ちた。


「ありがと、なっちゃん」

「ううん、いいの。あなたたちの世界に行ったらきっと見えなくなっちゃうわ。
 でも、たしかにそこにはあるはずだからね、安心してね、光」

「うん、わかった」


こくりとうなずいた光に、よかったなって笑いながら太一がぽんと肩を叩く。


「けどホントによかったのかよ。なっちゃん。
 これってホーリーリングってやつなんだろ?なっちゃん進化できなくなるんじゃないのか?」

「大丈夫、もうひとつあるもの。成熟期くらいならこれで十分だから。
 わたしのお仕事は完全体だとできないもの」

「そっか、ならいいけどさ。もしなにかあったら、オレ達に連絡してくれよ?
 もしなっちゃんに何かあったら、大輔の奴、絶対に悲しむからさ」

「うん、わかってる。ありがとう、太一」
   
「ほんとうに大丈夫なの?なっちゃん」

「ええ、心配しないで、光。わたしはあの時のわたしではないもの。
 大輔がつけてくれた名前がある限り、わたしは大丈夫だから」


ふうん、と太一はなっちゃんを見て、にやにや笑った。


「そっかそっか、大輔のやつ、スミにおけねえなあ!なっちゃんって大輔のことそんなに好きなんだ?」


きょとんとしたなっちゃんだったが、すぐに花のほころんだ笑顔を浮かべた。


「うん、大好きよ」

「あははははっ、そっか!」

「うん、大輔もブイモンも大好き。でも、ブイモンはわたしが大輔に大好きっていうと怒るの。
 ブイモンは大輔にいってもいいのに、わたしはダメって言うの。意地悪でしょう?」

「・・・・・あー、そっちの大好きか」

「え?」

「なんでもないよ。そっか、そーだよな、なっちゃんってデジモンだもんな、忘れてた」


勝手に自己完結している太一に、おいてきぼりのみんなである。
まあいっかって光はなっちゃんに目を向けた。


「わたしの力って、デジモンたちにずっと触らなかったら大丈夫なんだよね?」

「ええ。えらばれし子供たちのパートナーは特別だから、ずっと触っても大丈夫よ。
 でも、普通のデジモンたちは注意してね、光。ちょっとだけだったら大丈夫だけど」

「ちょっとってどれくらい?なでなでくらい?」

「なでなでは大丈夫よ」

「手を繋ぐのは?」

「握手は大丈夫だけど、ずーっとは難しいかも」

「だっこは?」

「だっこも大丈夫だけど、ぎゅーっとしたらちょっと危ないかも」

「そっかあ、ありがと。気をつけるね」

「うん。そのリングをつけてる方の手だったら、リングが力を溜めてくれるから、
 そのちょっとが少しだけ延びると思うわ。リングがきらきらし始めたら気をつけてね」

「ほんと?すごーい、そんな力があるんだ」

「そのリングとあなたの力は同質だもの。きっと力になってくれると思うわ。
 あなたの紋章が見つかったら、それも肌身離さず持っていて?
 あなたの力をセーブしてくれると思うから。いざという時にね」

「へー、やっぱ大輔のときと一緒なんだ?」

「うーん、大輔の力は大輔に負担がかかりすぎてしまうのを、肩代わりしてるって感じなの。
 もともとはデジメンタルがあれば事足りるのを、無理矢理引きはがしてる状態なせいで、
 ブイモンのオーバーライトを大輔が負担して、それを紋章とデジヴァイスが軽減してるだけだから。
 でも光の場合は、自分でも怖くなっちゃうくらい持ってる力が私たちにとって大きすぎるの。
 だから、紋章やそのリングがあれば、ある程度適正化できるって感じかな。
 きっと光がもっと大きくなったら、リングも紋章も要らなくなると思うの。自分でコントロールできるから。
 でも大輔の場合は、デジメンタルがないとどうにもならないわ」

「へえ、やっぱ似てるようで違うんだなあ」

「いずれにしても、あなたの力も大輔の力も、強さを求めるためなら手段を選ばないような
 デジモンたちからしたら、喉から手が出るほど欲しいのは間違いないと思うの。
 だから、しっかり守ってあげてね、太一」

「おう、まかしとけ」

「光もね」

「え?わたしも?」

「みんな、あなたのことを守ってくれる。新しい仲間として迎えてくれるわ。心配しないでね。
 でも、24時間ずーっとあなたのことを守れるのは、あなただけでしょう?
 太一だっておトイレまでは一緒にきてくれないでしょう?」

「おいおい、何言ってんだよ、なっちゃん!あたりまえだろ!」

「あははっ、うん、そうだよね、うん、わかった。ありがと、なっちゃん」

「太一、光、そろそろ行こうよ!」


痺れをきらして入り口の前で叫んだアグモンに急かされる形で、ようやく八神兄妹は
デジタルゲートをくぐり抜けることにしたのだった。
 









音が遠くなる。感覚が遠くなる。ちょっとした浮遊感。
あわあわしながら太一にしがみついた光を待っていたのは、のどかな田園風景広がる農村だ。
かやぶき屋根の家が何軒もあり、密集している地帯には、どうやら商店が並んでいるようである。
その大通りの先には大きな階段があって、立派な日本建築のお屋敷がそびえているのが分かった。
荘園と見まごう日本庭園が望める。
あまりにも想像と違う空間にぽかんとしているのは太一も光も同じだったが、
さきに我に返ったアグモンが、みんなの匂いがするよと先を急かすものだから、二人は先を急いだ。
某映画に出てきそうな昔の日本の風景を歩いていくと、村の住人たちが物珍しそうに太一達を見上げる。
そこにいるのは、幼年期のデジモン達ばかりである。
もしかして、はじまりの街と繋がってるのかなあと思いつつ、太一はデジタケを並べている真っ赤な幼年期に聞いた。


「なあ、ゲンナイさんってどこにいるか、知らないか?」

「ゲンナイ爺のこと?ゲンナイ爺のお屋敷ならあそこだよ」

「ありがとな」

「どーいたしまして!」


ぷにぷにしてそう、さわりたいなあって目をキラキラさせてる光をしっかりと捕まえて、
太一はずるずると先を進む。後でいいだろ、店を見て回るのは!大体オレ達お金持ってないだろ、光!
太一の言葉にはあいって残念そうにつぶやいた光は、名残惜しそうに幼年期の可愛いデジモン達を
前から後ろに眺めながら、小さくため息をついてどんどん大きくなってくるお屋敷を見上げたのだった。
太一がいう仲間たちとの対面が迫っている。太一のサッカー部の知り合いはともかく、知らない人もいるだろう。
どうしようかなあ、って光は思う。これから、きっと。光が丘テロ事件のことについても、触れることになるだろう。
光はきつく目を閉じた。あれだけ泣いたのに、まだ目頭が熱くなってくる。
きっと太一経由の知り合いである空さんや光子郎さんだけだったなら、まだダメージは少なかったに違いない。
でも、あの階段の先にはいるのである。小学校の同級生であり、光の男友達でもある、本宮大輔君が。
うまく笑えるだろうか。それだけが今の光の頭の中をしめていた。



[26350] 第四十六話 ただいま
Name: 若州◆e61dab95 ID:f6851b5b
Date: 2013/08/03 00:52
皆さんに見せたいものがあります、と光子郎がみんなに一つ一つ渡したのは、
一見すると電子辞書のような大きさ、重さをした二つ折りの機械だった。
赤外線センサーが内蔵されているのか、カメラがついているのか、
黒塗りの四角い突起が着いているが、その他は真っ白である。
興味津々でぱかぱか明けている子供たちが説明を求めるので、
光子郎はパイナップルマークのノート型パソコンを広げて見せた。
そこにはデジモンアナライザーと表示されているデジモンの図鑑が起動しているのが分かる。


「ナノモンたちの協力を得て、僕のパソコンにダウンロードしたデジモン図鑑、
 通称デジモンアナライザーです。
 今回のようにみんながバラバラになって、僕がみなさんのそばにいるとは限らない、
 ということがよく分かったので、少しでもみなさんの力にでもなれば、と思って、
 小型のデジモンアナライザーを作ってみました」

「すごいじゃないか、光子郎」

「そうか、これならいきなり敵が来てもある程度予想できるってことだね」

「でも、どれくらいのデータが入っているの?」

「かつてデータバンクをやっていたナノモンと、ホメオスタシスが開示してくれたデータで、
 大体のデジモンは網羅できたんじゃないかと思います。
 さすがにセキュリティシステムが知らないような伝説上のデジモンや新種のデジモンは
 難しいですけど、大丈夫だと思います」

「すっげー!光子郎先輩、これってどうやって使うんすか?」

「これはね、デジモンがいる所に向かって向けるんだ。
 すると、こうやってデータが表示されるんだよ、ほら」


タケルの頭の上で目をぱちくりさせているパタモンが小さなパソコンの画面に現れた。
おー、とのぞき込んだ子供たちは、それぞれ自分たちのもらったアナライザーで試してみる。
どうやらいずれもうまくいったようだ。
みせて、みせて、と自分が映っていると言われては気になって仕方ない。
パタモンと一緒に見せてもらったタケルは、あれ?と疑問符を浮かべる白い塊を見上げた。
たくさんのご飯と暖かいお風呂、ぐっすり眠れば幼年期のデジモンたちは成長期になれている。
ネクストというボタンを押すと、どうやら進化経路が表示される仕組みのようだ。
げ、セトモンがのってる、と嫌そうな声があがる。どうやら進化ツリーが反映されるらしい。


「どうしたの?」

「みてよ、タケル。僕はワクチン種なのに、なんでフリー種までのってるの?」

「え?あ、ほんとだ。パタモンってフリー種でワクチン種だったの?」

「ちがうよー、フリー種ってブイモンみたいな古代種の末裔しかない属性なんでしょ?
 僕、現代種だよ。みんなと一緒にはじまりの街で育ったもん。真っ暗な洞窟で寝てないよ」

「ふーん、そっか、へんなの。でもワクチン種っていうのも書いてあるし、大丈夫じゃない?」

「でも一応、光子郎には言っといた方がいいよ」

「そうだね」


タケルの報告を受けた光子郎は、うーん、まだちょっと改良の余地ありかな?
なんてつぶやきながら、苦笑いした。


「ねえ、光子郎君。それって離れててもできるの?」

「はい、データさえ認識できれば表示されますよ。やってみますか?」

「どれくらいの距離が出来るの?」

「そうですね、東京23区の1区内分くらいだったら補完できると思いますよ」

「へー、こんなに小さいのにすごーい!ってことは、ここからお外に向かったら何か表示されるかな?」

「面白そう!いってみましょう、ミミ!」


忙しない少女たちはぱたぱたぱたと襖を開けて廊下に飛び出してしまう。


「ミミ君、タネモン、どこ行くんだいっ!ゲンナイさんが待ってるようにいってたじゃないか!」

「ちょっとそこまでー!」

「までー!」

「ミミちゃん、靴下で走ったらこけちゃうわ!」

「空君、そう言う問題じゃないよ」


はあ、とため息をついた丈は、仕方ないなあ、とつぶやきながら
開けっ放しの襖をちゃんと閉めた。どうやら呼びに行くことも諦めたらしい。
しばらくして、ぱしゃん、と豪快にはじき飛ばされた襖の向こう側から、
小さな画面をふりまわしながら、みてみて!とみんなのところに引き返してきたミミたちがやってくる事になる。
太一さんたちが帰ってきたの!という言葉に、誰もが反応したのは言うまでもなかった。
そこにはアグモンのデータが表示されている。新しいデータを知らせるランプが点滅する進化ツリーをクリックすると、
ボタモン、コロモン、アグモン、グレイモンと続いて、見たことのないデジモンが表示されていた。



DIGIMON DISCOVERY

メタルグレイモン

属性:ワクチン種

レベル:完全体

勢力:メタルエンパイア

全身の半分以上をサイボーグ化することで、戦闘力を高めたグレイモン系デジモンの完全体。
メタルグレイモンには、2種類存在する。
ひとつはメタルエンパイアの勢力が勃興した黎明期に多く生み出されたサイボーグ型デジモンである青色のメタルグレイモン。
ふたつめはフォルダ大陸、サーバ大陸、ディレクトリ大陸と勢力を拡大していくにつれてグレイモンの姿を残したまま、
改造に適応する個体を発見後、爆発的に広がったオレンジ色のメタルグレイモン。
そういう意味では、黄色いメタルグレイモンは青色のメタルグレイモンの亜種と言える。
ただし、青色のメタルグレイモンは黄色いメタルグレイモンよりも機械化の拒絶反応により、
肉体の腐り落ちる速度が速く、スカルグレイモンになる可能性がはるかに高く、
個体数自体が少ないため、青いメタルグレイモンは絶滅危惧種である。
現在では黄色いメタルグレイモンがデファクトスタンダードとなっている。
完全に機械化された左腕トライデントアームなどの武器群に加えて、6枚の翼を使って飛行能力を獲得している。
必殺技は、胸のハッチから核弾頭一発に匹敵する破壊力を持つ有機体ミサイルを発射するギガデストロイヤー。
ワイヤー状に伸びた左手のアームを相手めがけて飛ばすトライデントアーム。


そして、ミミたちは、60日余りもの歳月の果てに、
ようやくグレイモンの完全体を拝むことになるのだった。










第四十六話 ただいまのあとは









池を中心として広がる築山には、庭石や草木が絶妙な位置で配置され、
四季折々に鑑賞できる景色が作られている。
綺麗な水が深山から流れ出し、まるで大きな流れになってゆくかのごとく、大きな池に注いでいた。
真ん中を二分するように設けられている石橋を渡れば、庭園内には灯籠があり、
玉石を敷きつめた池がきらきらと太陽の光を映し出して、ゆらゆらと凪いでいる。
浅い池は複雑に湾曲しており、池底に玉石を敷き池縁に石を立てているのがみえるのだ。
美しい庭石と白砂が構成する日本庭園は、昔懐かしい雰囲気が辺りに静けさをもたらしていた。
歩みを進めていけば、築数百年を思わせる日本家屋の建物が見えてくる。
家を取り囲む立派な門の向こう側は広大な海であるという奇妙な立地条件を除けば
田舎の大地主が所持していそうな立派なたたずまいの日本家屋だ。
ちなみにこのゲンナイの隠れ家と称されるエリアそのものは、
テンプ湖の水深何百メートルという辺境に亜空間として存在している。
四方が結界を張り巡らせており、外部からの侵入を拒むまさに隠れ家である。
結界の役目も担っているため、緊急の時以外はテンプ湖から浮上してくる事はない。


だから空を見上げれば魚たちが自由自在に泳いでいるという奇妙な光景が広がっており、さながら水族館のようである。
がらがらと年季の入った引き戸を開けて、太一と光、そしてアグモンは母屋を覗き込む。
八月のお盆に集まる田舎の母屋のように、たくさんの靴が玄関に並んでいるのが見えたので、
ここがなっちゃんの言っていたゲンナイの隠れ家であると確信した太一は大声で家主を呼んだ。
こんにちはー、と声を張り上げるが返事がない。古い日本家屋は呼び鈴がないのだ。呼び出す手段がない。


「ゲンナイの爺さん、いるんだろー!返事ぐらいしろよな、せっかく来たのに」

「ねえ、太一、上がっちゃう?」

「そーだな、みんないるみたいだし、早く会わないと」

「え?いいの?」

「いいだろ、べつに。さー、はやく行こうぜ」


そういってさっさと進んでしまう太一とアグモンに流される形で光は靴を脱いで、
長い長い廊下があるお屋敷に足を踏み入れた。
太一がいうにはデジタルワールドに住んでいるお爺さんらしいから、
こんなお屋敷に住んでるとなれば、頑固な怖いお爺さんなイメージが湧いてしまう。
太一が教えてくれたことをまとめると飄々としたお爺さんな気もするけれど、
勝手に失礼なことをしちゃったら怒られるんじゃないかと光は気が気ではない。
どこか懐かしい夏の香りがする木目の廊下を進んでいくと、
間仕切りがふすまだけの途方もなく先が長い旅館のような廊下に出た。
みんなどこにいんのかなあ、と太一とアグモンは声を張り上げている。
よほど広いお屋敷のようで太一たちの声はあまり奥までは聞こえないようだ。
仕方ないので片っ端からふすまを開けはじめた太一である。
どこも同じような構造だった。緑も鮮やかな畳敷きの部屋であり、広さは20畳もある。
中央には紫檀の広いテーブルがあって、大きな座布団がたくさん並んでいる。
奥には掛け軸の掛かった和装の間仕切りがあって、高そうな壺が置いてある。
ふすまを開けっ放しにしないと迷子になりそうなほど同じ部屋。
旅館の宴会場といったところだろうか。
そうこうしているうちに突き当たりに来てしまった太一たちである。
どっちから探そうかと見渡した先で、何をやっているっぴ、と
呆れ顔のデジモンとようやくエンカウントしたのだった。


「ピッコロモン!」

「随分と失礼なお客さんだっぴね、太一。
わざわざ迎えにきてやったのに勝手に動くから追いつくのが大変だったっぴよ」

「なんでピッコロモンがここにいるの?」

「ゲンナイさまは守護デジモンの上司に当たるっぴ。
だからここのエリアが敵に見つからないように結界を張ってるっぴよ」

「へー、そうだったのか」

「そういうことだっぴ」


ピッコロモンを名乗った小さな妖精の視線が会話についていけなくて
沈黙するしかない光に向いた。


「はじめまして、だっぴね。ピッコロモンだっぴ。
これでも完全体だから小さいなりだからって舐めてかかると痛い目見るっぴよ」

「え?え?完全体って、メタルグレイモンと同じなの?!
すごい!えーっと、えと、ピッコロモン、さん?」

「さんはいらないっぴ」

「あ、うん、はい。えーっと、はじめまして、ピッコロモン。
私は八神光です。お台場小学校の二年生で、」

「俺の妹だよ」

「ふむふむ、しっかりしてそうな子だっぴね。
小学校の二年生ってことは選ばれし子供の中でも一番下の学年になるっぴ。
タケルと大輔を合わせると、太一とヤマトと空みたいだっぴね」

「そういえばそうだな」

「お兄ちゃん、タケルくんってだあれ?」

「え?あ、そっか、光は会ったことないんだよな。
えーっと、そうだな、ほらヤマトだったらわかるだろ?
グラウンドを使う時間になったら、さっさと交代しろってうるさい野球部のやつ。
金髪のあいつ」

「あ、うん、わかるよ」

「そいつの弟なんだ。高石タケル。あ、苗字は違うのは親の都合らしいからさ、
あんま触れないでやってくれよ」

「うん、わかった」

「あとは丈とミミちゃんか。丈は六年生で、一番年上のやつな。
あんま頼りにならないんだけどさ。メガネかけてて背が高いからすぐわかると思うぜ。
ミミちゃんは光子郎のクラスメイトだったかな。
タケルや大輔と仲良さそうだから、光も仲良くしてくれると思うな」


みんないいやつだから心配するなよって肩を叩いた太一に、
だったらいいなあって光はこくんとうなずいた。大丈夫だよ、ってアグモンは笑う。


「さあさ、そろそろ案内するっぴよ。屋敷は広いから迷子になるってみんなを待たせてるっぴ。
敵に見つからないようにちょっとした仕掛けを施してあるから空間がループするようになってるんだっぴ。
しっかりついてくるように」


はあい、と返事をした太一たちは空間が捻れている日本家屋を進んで行ったのだった。


「ついたっぴよ。じゃあゲンナイさまを呼んでくるっぴ」

「ありがとうな、ピッコロモン」

「さあさ、みんなお待ちかねだっぴよ、早くいくっぴ。
なにせ数ヶ月ぶりの感動の再会だっぴよ!」


ピッコロモンの言葉に光は首を傾げるのだ。
太一がサマーキャンプに出かけてから三時間半しかたってないのに、なんで数ヶ月になるんだろう?
太一は、あ、と声をあげて硬直した。
まずいまずいまずい、今までいろんなことがありすぎてすっかり忘れてたけど、そうだよ!
12時にデジタルワールドに行ってから26日たって帰ってきたら26分たってるなら一日は一分じゃないか!
一時間向こうで過ごしたから60日たってるじゃないか!
普通に考えてみんな心配してるに決まってるじゃねーか!やばい、どうしよう?


「アグモン、お兄ちゃんどうしたのかな」

「忘れてたけど、デジタルワールドの一日はあっちの世界の一分なんだ。たぶんみんな60日ほど僕たちのこと探してくれてたんじゃないかなあ」

「え?」


光は太一を見る。やっべーって顔をして固まってるお兄ちゃんがいる。
アグモンは謝らなきゃねーってマイペースに太一に告げていた。
いつまでたってもふすまに手をかけたまま動かない太一である。
たいちー、とアグモンはちょっと困った顔で太一を見上げている。
アグモンの蹄は鋭いから、力加減が分からないで引いたら破れてしまいそうだ。
どうしよう、とアグモンが光を見上げると、いつぞやの太一のように、
いたずらっ子の笑みを浮かべて、えーいってやっちゃってる女の子が目にはいる。
ちょ、おま、光何やってんだよ、まだオレ心の準備がって叫んでるお兄ちゃん
なんて気にしないで、光は正反対のふすまを勢いよく開けちゃったのだった。
一瞬驚いて固まるモノノ、話し合いをしていたらしい彼らは
すぐ横でふすまを閉めようとして失敗してる太一をみるやいなや、
あーっと声を上げたのだった。


集中する視線。知ってる人、知らない人、見たこと無いデジモン達。
空さん、光子郎さん、あの人が丈さん?ヤマトさん?
隅っこで遊んでたのがミミさんかな?で、横にいるのが金髪だからタケルくん?
じゃあ、その横にいるのは、と目を向けたら、大輔と視線があった光である。
でもそれはほんの少しのこと。あ、八神さん、と口が動くのは分かった。
でもそれだけだった。すぐに視線が外れてしまう。あれ?と光は思った。
いつもだったら大輔君はお兄ちゃんたちがいるとすぐに駆け寄ってきて、
愛想よくしてるのに、なんだかちょっと素っ気ない気がする。
なんだかおかしいなって思うけれど、理由が見つからない光は困ってしまう。
大輔はなんだかこう切り替えが早いのだ。
みんなにからかわれるのが嫌だからだろうって光は思っている。
同級生のお友達と一緒にいる時にはあんまり近付いてこないけど、
お兄ちゃんがいると積極的に近付いてきて、会話に近付いてくる。
今の大輔君は同級生モードになっている。
お兄ちゃんは見るの初めてじゃないかなあって思って光が視線を移すと、
ようやくあえた仲間を手荒い歓迎で迎えられているお兄ちゃんが目にはいる。
今まで何やってたんだ!って怒られている。太一は必死で今までの事情を説明していた。
上級生組に囲まれてるお兄ちゃんを見ている光を見つけて、寄ってきたのはやっぱり大輔君だった。
光はちょっとほっとするのだ。
光がひとりぼっちになってしまうと、いつだってそばに駆けつけてくれるのは大輔君だった。
きっとひとりぼっちに敏感な優しい男の子なんだろうって光は思っている。
大輔くんの隣には青い龍の子供がいる。この子がブイモンかな?
大輔君に釣られてタケルくんとミミさんらしき人達が近付いてきて、
光は緊張しながら大輔を見た。光の視線に気づいた大輔は誰?って
隣の二人が反応するから、助け船を出してくれた。


「太一先輩の妹で、オレの同級生の八神光さんっすよ、ミミさん」

「え、あ」

「なに?八神さん」

「ううん、なんでもないの。ありがとう、大輔君」

「え?あー、うん。あ、そうだ。八神さん、こいつは」

「オレ、ブイモン!よろしくな、光」

「は、はじめまして、ブイモン。よろしくね。
 あ、あの、わたし、お台場小学校の2年生で、八神光って言います。
 よろしくおねがいします」

「よろしくねー、光ちゃん。アタシはミミ。立川ミミっていうの。
 お台場小学校4年生ね。よろしく。この子はパルモンよ」

「よろしくね、光」

「うん、よろしくね」

「それにしても、なんだか嬉しそうね、ミミ」

「だって今まで女の子はアタシと空さんだけだったのよ?パルモン。
 やっと女の子が3人になったんだもん。しかも光ちゃんはアタシより年下でしょ?
 おねーさんになったみたいでうれしいの!」


あははって笑うミミさんはとっても優しそうな人である。光も釣られて笑った。


「こんにちは!僕は高石タケルだよ。あそこにいるのが僕のお兄ちゃんなんだ。
 僕も二年生だよ。よろしくね。この子はパタモンっていうんだよ」

「よろしくねー、光」

「うん、よろしくね」

「えっと、八神さんって呼んだ方がいいのかな?」

「え?どうして?」

「だって大輔君、そう呼んでるし」

「ううん、わたしは光でいいよ」

「じゃあ、光ちゃんね」

「うん」


どうして大輔君は光ちゃんのことを八神さんってよぶのかなあ。
ちょっと不思議に思ったタケルだったが、そのまま口にする無神経さは、
大輔が光を説明する時に見せた嫉妬の混じった眼差しで察することで回避された。
今までの冒険のことを思い出せば、何となくであれ察することができるだろう。
これからの冒険は大輔にとって意味合いが変わってくる。
もし、なにかあったとき。太一が最優先で守ろうとするのは、きっと光だろう。
それはヤマトがタケルを守ろうとするのと同じくらい、
ブイモンが大輔を守ろうとするのと同じくらい当たり前のことだ。
大輔の心境は言わずもがなといったところだろうか。
ブイモンと手を繋いでいる大輔には気づかない振りをして、
タケルは余計な一言を言おうとするパタモンを黙らせるためにだっこした。

3ヶ月近く一緒にいる仲間達の中に飛び込まなければならない光は、
もちろんタケルや大輔の思っていることを察することができるほど余裕なんてない。
やっぱり全く知らない人がいるより、知ってる人がいると安心する。
でも、これからの事を思うと、大輔君に知って欲しくないと思ってしまう。
光が丘テロ事件のこと。光の不思議な力のこと。光が変な子であること。
何かが変わってしまうのが怖いのだ。大輔は光にとっての日常生活の
延長上にいる人であるのは間違いない事だったから。
もしなにかあれば、それは間違いなく崩壊に繋がる。とても脆いものだけど。
大輔にも性質は違うけれど、不思議な力があるとなっちゃんに言われてはいるモノノ、
やっぱりまだ実感がわかない光である。だって光は現実世界での大輔しか知らないから。
まだ光の中では大輔君という人は光が普通の生活を送る上での
大切な象徴的存在であることは事実だったから。
矛盾する心を抱えながら、まだその時ではないことを祈りながら、
光はとりあえずみんなの仲間入りをするために
必要なことを全力で取り組むしかない。
まずはみんなの名前を覚えなくっちゃ。なにせ子供達とデジモンあわせて
16にんもいるのである。大変だ。
さいわい、あとで自己紹介してくれた上級生組のみんなもあわせて、
名前で呼んでもいいよって言って貰えたので、せめて名前と顔は
一致させないとって光は必死である。
みんな、光ちゃんって呼んでくれるみたいだから、なおさら。
うれしくて、がんばろうって思うのだ。ちょっとでも足手まといにならないように。
嫌われないように。邪魔だと思われないように。頑張ろうって光は思ったのである。
みんないい人だってお兄ちゃんが言ってくれたように、
実際にあってみて、みんないい人だってとっても実感できたから、なおさら。
がんばろうって、光は思った。じんわりと暖かかいのが知恵熱なのか、
風邪がぶりかえす徴候なのか、それともそれ以外のなにかなのか。
まだこの時の光はなにも分かってはいなかった。





しばらくして。





来客たちは数ヶ月ぶりの再会を喜びながら、このエリアから出ることがかなわない、年老いた男を待ちわびていた。
しばらくして、見覚えのあるシルエットが映し出され、誰ともなく子供たちはテーブルに並んで、家の主人を待つ。
すすす、とふすまを開ける音がする。自然と背筋が伸びるのはみな同じようだった。
板敷きの工房から姿を現した老体は、ガラクタみたいな機械と試作品らしきサンプルが散乱する中をやって来た。
壁際には木目に脂が浮かんでいる長持ちがいくつも積み上げられている。
待たせたのう、とちいさく頷いたゲンナイは、ふすまを閉めるなり、子供たちと向き合う形で音もなく座った。



「こうして実際に顔を合わせるのは初めてじゃのう。いかにも、わしがゲンナイじゃ。
 今まで顔を合わすことが出来なくてすまなんだ。
 背中の古傷が痛んでのう、結界の外に出ることができんのじゃ。
 しかし、これだけはお前さんたちに渡さねばならんと思ってな、間に合ってよかったわい」


ファイル島とサーバ大陸にある有志の力を借りて、ようやく完成したのだという機械片手に、
ゲンナイは小さく咳払いをした。


「まずは、わしが何者なのかについて、話さなければならんのう。
 この世界はおぬしらが知っての通り、コンピュータ・ネットワークの中にある情報、つまりデータをもとに作成された世界じゃ。
 ここは、ネットの情報やデータが物体として実体化した世界、故にデジタルワールドと呼ばれておる。
 その中でも、実体化したデータの内、生き物であるものの総称をデジタルモンスターというから、
 この世界のことをデジモンワールドと称する者たちもおる。
 そして、この世界の安定を司っておるのが、ホメオスタシスという監視をおこなっておるセキュリティシステムの一端。
 かのひとは実体をもっておらんのでな、媒体(ミーディアム)か、手足となる存在が必要となる。
 その手足となってセキュリティシステムの代行を任されているのが、
 エージェントと呼ばれるわしのような存在なんじゃ」


ミーディアム、という聞き慣れない単語に浮かぶのは当然ながら疑問符である。
しかし、大輔がなっちゃんにホメオスタシスが取り憑いて会話したことを思い出したため、みな納得したためか説明は省かれた。
ちらりと光をみたゲンナイだったが、自己紹介を済ませたばかりの新入りを見ただけと受け取ったのか、
誰もその意味深な眼差しに気づく者はない。
光は光で自分が置かれている状況必死で理解しようと必死だったから、それどころではなかった。


「もっとも、今となってはわし以外のエージェントはおらんよ。外で大破したメカノリモンをみたじゃろう?
 ピラミッド迷宮に奇襲してきた暗黒の勢力から逃げ延びる際に、あれに乗り込むことが出来たのはわしだけじゃった。
 みな、紋章と紋章に封印したデジタマをわしに託し、後は頼んだ、と言ったきり。
 わしはメカノリモンに乗って、ファイル島に向かわざるをえなかったんじゃ。
 ファイル島には、この世界のすべてのデジモンたちが生まれてくるはじまりの街を初めとして、
 先代の子供たちが残してくれた文献が残っておるダイノ古代境がある。
 わしは守護デジモンたちにその防衛を任せなければならんかったんじゃ。
 もうすでにデジモン黙示録は暗黒の軍勢に奪われてしまった。
 しかし、古代種の末裔を目覚めさせる仕事も、お前さんらを何とかえらばれし子供たちに託すことが出来てなによりじゃ。
 デジヴァイスと紋章は、えらばれし子供たちのそれぞれの特性にあわせて作られておる。
 機能はそれぞれ違うが、共通しとるのは子供たちとパートナーデジモンとの間に、
 ある種の情報をやりとりし、暗黒の力に対応する力を発揮してもらうことにあるんじゃ。
 この機械は、もっと早くお前さんたちに渡すべきだったんじゃがなあ。こらえてくれ」


ゲンナイは光子郎のノートパソコンに、即席の端子を接続した。
ゲンナイ曰く、これでデジヴァイスからデジモンアナライザーに情報を送ることができるらしい。
画期的なアイテムに反応したのはいつものことながら光子郎だけだったので、補足説明は彼が請け負う。
現在のデジモンアナライザーはソフトをダウンロードしている光子郎のパソコンから赤外線通信を通してデジモンのデータを認識し、
図鑑として表示しているため、どうしても光子郎のノートパソコンがその場に無ければ機能を活用することができなかった。
しかし、デジヴァイスにはこれまで出会ったデジモンたちにかんする情報をログする機能があるようで、
光子郎のノートパソコンにデジヴァイスを接続させれば、その情報がパソコン内にインストールされてアプリケーションに表示されるようになるのだという。
これなら光子郎がその場にいなかったが、他の子供たちやデジモンたちが出会ったデジモについての情報をアナライザーに登録することが出来るのだ。
電話やPHSによる連絡手段の確保の重要性は今までの冒険の中で嫌と言うほど学んできた彼らは、
これによって少しでも戦闘に陥った時にアドバンテージを確保することが出来たということになる。


「それだけ、大変なことが起きようとしているという事ですね」



いかにも、と頷いたゲンナイは重い口を開いた。


「太一と光は見たじゃろうが、今、デジタルワールドとお前さんらの世界は非常に境界線が曖昧になっておる。
 この世界全体が不安定になっておってな、いろんなエリアからデジタルゲートが歪みとして発生してしまっておる。
 野生のデジモンたちが迷いこみそうになってのう、ホメオスタシスを中心に強制送還を繰り返し、
 対策に追われておるが、もう限界かもしれんのじゃ。
 デジモンは実体を保つのに電気を消費する生き物なんじゃ。
 だからどうしても呼吸一つするだけで電波障害が起こってしまう。二次被害も出始めておるようじゃ。
 お前さんらの世界は、明らかに混乱しはじめておる。これ以上の混乱は何としてでもさけねばならん。
 お前さんたちには、そのために、何としてでもやってもらいたいことがあるんじゃ」


全員の顔に緊張が走る。


「この混乱の大本には、あるデジモンが関わっておる」


腕を後ろに組み、ゲンナイはまっすぐに子供たちを見上げた。


「そのデジモンは今、デジタルワールド中から軍勢とも言うべき数のデジモンたちを集めておる。
 その理由はただ一つ。侵攻のためじゃ」


どこに、なんて言葉を紡げるニンゲンは誰もいなかった。


「お前さんたちの世界に、ヴァンデモンは侵略を企てておる。
 10人目のえらばれし子供、そして行方不明になっておるパートナーデジモン、
 光、お前さんのデジモンなんじゃ。共々、消し去ろうとしておるようじゃ」


一瞬、子供たちはゲンナイの言っている意味が分からなかったようで顔を見合わせていたが、
その深刻さに気づいて顔を青ざめる。
ヴァンデモンがどういうデジモンなのか、どういう立場にあるべきデジモンだったのか、
みんな気づいてしまっていたから、なおさらのこと。二の句が継げないのだ。
一気に現実味を帯びた彼らは冷水をぶっかけられたような衝撃に襲われる。
いかにも、とゲンナイは続ける。予言の所に記された通りになってしまった最悪とも言うべき悪夢が告げられた。
どうして、という言葉に答えられる人は誰もいない。



[26350] 第四十七話 闇貴族の城 前編
Name: 若州◆e61dab95 ID:bdd8c987
Date: 2013/08/10 20:43
ピンク色のカートリッジにはめ込まれたクリアガラスごしに、
勇気の紋章とほど近いデザインの紋章は刻まれていた。
中央に小さな円があって、縦と横を小さな菱形が円を囲うように置かれていて、
その間の斜めの部分にはさらに大きな菱形が囲っている。
タケルが命がけで奪還してくれた光の紋章が収められているプラスチック製のタグは、
焦げ付いていた。首にかけるためについていた筈のヒモは、
すっかり黒こげになっていたので、みんなと同じように
ゲンナイは新しくヒモをつけてくれたらしい。
大爆発と電気系統の故障にさらされた紋章である。
すっかりぼろぼろになってしまっているが、
光がゲンナイからその紋章を受け取ると、輝きがましたような気がした。
さいわいデータの損傷はないらしいので問題はない。
真新しいヒモに首を通してみれば、古ぼけてかすれているタグが、
肌身離さず持っているおもちゃの笛とぶつかって、かつんと軽い音を立てた。
これが私と同じお名前の紋章なんだ、と不思議な感覚でタグを見つめる。
失われたデジヴァイスの代わりに、ゲンナイたちが用意してくれた
プロトタイプのデジヴァイスをリュックに引っかけて、
いつかデジヴァイスがピンク色に染まる時が来るのかなあ、
お兄ちゃんのデジヴァイスみたいにと考えてみる。
なっちゃんからもらったお守りの腕輪がデジヴァイスの画面に当たって、
こつんと音を立てた。そう言えば、と光はリングをくるりとまわした。
ホーリーリングというらしい腕輪に刻まれている彫刻の中には、
たしかに光と同じ名前が模された紋章が刻まれているのが分かる。
光の力をもとに紋章が作られたのか、
この世界にあった力の象徴を光の紋章としてあてがったのか、
さすがに光は分からない。
でも、見守っていてあげると微笑んでくれた女の子がいてくれる気がして、
ほんの少しだけ、光は落ち着いた気がしたのだった。


「これがお主の紋章とデジヴァイスになるのう」


ようやく9人目に手渡すことができたと安堵するゲンナイに、
光はちょっと残念そうに返す。


「でも・・・・・・」

「どうしたんじゃ?」

「デジヴァイスは、もうちょっと待っててって、なっちゃんが」

「ああ、お主専用のデジヴァイスにカスタマイズする件についてなんじゃがな、
 安心せい。思っていたよりも早く完成したんじゃ。
もうすぐナノモンから届くはずじゃぞ」

「え?ほんとう?」

「ああ、ワイズモンに感謝せんとならんのう。
 暗黒勢力に持ち去られていた先代からの碑文のレプリカを
タケルのデジヴァイスに託してくれた んじゃからなあ、
おかげで破壊されたデータをサルベージして、復刻させる手間がはぶけたわい。
 光の紋章が象徴する力、そのものは概念としてデジタルワールドにあったものじゃ。
 先代のパートナーが擁する力でもあった。
 さいわい再現するのは彼らの領域じゃのう。助かったわい」


そのレプリカの提供元がヴァンデモンなのは皮肉に他ならないものの、
さすがにゲンナイは言及を避けた。
それでも、ゲンナイの言っていることは難しくて、
まだ小学校2年生の女の子にはわからない。
首を傾げる光に、たくさんのデジモン達が協力してくれているんじゃよと
告げるゲンナイの眼差しは優しい。ナノモン、ワイズモン、と光はつぶやいた。
この世界にやってきてから、光はたくさんのデジモンと出会った。
名前と顔が一致するのは仲間達のパートナーが精一杯であるものの、
光のために尽力してくれたという、守護デジモン達の名前を聞く度に、
全てが終わったらまたお礼に行かなきゃいけないなって思う。
見ず知らずのデジモンたちがである。突然えらばれし子供だと告げられて、
この世界にやってきた、パートナーのデジモンとはぐれてしまった
ただの子供である光に、ここまでやってくれているのだ。
絶対に恩返ししなきゃって光は思う。
そのためにも、はやくみんなの後をついていけるようにしなくっちゃ。
決意を新たにしている光を見守っていたゲンナイの表情が険しくなる。
ゲンナイの前に突然表示されたホログラムのパソコン画面が現れたのだ。
向こう側には、見たこともないデジモンがいる。
どうしたのって声をかけると、ゲンナイはにっこりと笑って
みんなを呼んでくれんかと光に返した。
どうやらとっても難しいお話のようで、
光はやんわりとゲンナイの部屋から出るよう促されてしまう。
でも、お願いをされるのは今の光にとってはうれしかった。
なにせ彼女は今はただの子供にすぎない。
わけはわからないんだけど、ゲンナイさんから頼まれたのが嬉しくて、
光は素直に廊下を飛び出したのだった。





ぱたぱたぱた、と長い廊下を行く。




子供達は男の子と女の子の部屋に別れていたはずだ。
これからヴァンデモンっていう悪いデジモンのところにいくための準備をしている。
光のパートナーのデジモンもそこにいるらしい。
はやく悪いデジモンから助けてあげないとって光はとってもはりきっている。
そうこうしているうちに、男の子たちのお部屋にやって来た光である。
お兄ちゃんがいるからまだ物怖じしないでいける。
ちょっとだけ開いているふすまに手をかけた光だったが、
向こう側でお兄ちゃんと大輔のなにやら深刻そうな会話が聞こえてきて、
思わず手が止まってしまった。
どうしよう、と思ったけど、さすがにこのまま入っていける勇気は、
まだ光にはなかった。
そっと手を放して女の子の部屋に行こうとふすまを横切ろうとした光だったが、
どうやら朝焼けの影はそれを許してはくれなかったらしい。
反対側からふすまがあいた。ぱたん、と乾いた音がする。


「あ、光か。どうしたんだよ」

「え、あ、その、ゲンナイさんがね、みんなを呼んできてって」

「あ、そうなの?じゃあ僕みんなを呼んでくるね。
ヤマトたちはたしかピッコロモンに呼ばれてあっちにいったはずだし」

「じゃあオレ、空たち呼んでくる」


大輔と太一の話にほっとかれっぱなしで暇を持て余していたのだろう、
アグモンとブイモンが廊下に飛び出していく。
私も行こうかなあって思った光だったが、すぐ来るから待ってようぜって
お兄ちゃんに引き留められてしまった。
お話もういいの?って聞いたら、八神さんは太一先輩といた方がいいよって
大輔君はわらう。 
オレもブイモンをおっかけよっかなあって、体よく逃げ出そうとした大輔を
捕まえたのは太一だった。
どうやら積もる話はこれからが本番だったようだ。


「え?なんだよ、あのジジイ。大事な話ならさっきしてくれって話だよな、
いっつももったいぶるんだからよ。なあ、大輔?」

「うーん、でもゲンナイさん、ケガしてるんすよね?なら仕方ないんじゃ」

「それとこれとはカンケーないだろ、いっつも大事な話は
 土壇場でしか言わないじゃねーか、あの爺さん。
 そこんとこはどーなんだよ、オレよりゲンナイの爺さん信用してる大輔君は」

「うっ・・・・・・それはちょーっとおかしいなあとは思うっすけどぉ
 ・・・・・・・意地悪言わないでくださいよー」

「そりゃ愚痴りたくもなるっつーの。なんだよ、お前のねーちゃん。
 メッチャこえーじゃん」

「え?なんでジュンねーちゃんがでてくるんすか?」


大輔君ってお姉ちゃんいたんだって光は思った。


「オレがもとの世界に飛ばされた時だよ。
 もしかしたらみんな帰ってきてるんじゃないかってさ、
 電話をかけまくったんだよ。大輔ん家に電話したら、ジュンさんが出たんだ」

「あー、そう言えば武道館ライブがどうとか言ってた気が」

「なんかオレしたっけ?たしかオレとジュンさんって初対面だよな?」

「そうだと思いますよ、多分」

「けどさ、なんか、めっちゃ怒られたよ。
なんかめちゃくちゃ嫌われてるっぽいんだけど、なんでだろうなあ。
 さすがにあんだけ言われるとちょっとへこむんだけど」

「えっ、ホントッすか?なんでだろ。
そりゃ、ずばずば物言いますけど、あったばっかの人に
 そこまで言うほどねーちゃん、ひどくないッスよ?なんて言われたんすか?」

「なんかさ、ゴーグルはいつからつけてるんだって聞かれた」

「ゴーグル?」

「おう、ゴーグル。じいちゃんの大事な友達の形見だからって、
 入学祝いにもらったんだ。それからずっとつけてるんだって言ったら、
 なんかすっげー声が低くなってさ」


太一は光の首に掛かっているホイッスルを見て思い出したのか、付け加える。


「なあ、大輔。ジュンさんってでっかい音が苦手だったりするのか?」

「え?そんなの聞いたことないっすよ。
 ねーちゃんが好きなバンドって結構派手なパフォーマンスする
 やつだし、でっかい音が嫌いならあんな大音量で聞かないッスよ」

「ふーん、じゃあますます分かんないなあ。
 てっきり大輔がサッカーするのに反対してるのかと思ったんだけど」

「1年ほど前からあんな感じですけど、
 一応入ったばっかの頃は応援してくれてたんすよ?」

「そっか。じゃあますますわかんねえ。
 じゃあなんでホイッスルの音が嫌いなんて言ったんだろ、ジュンさん。
 ますますわかんねえや、なんでオレあんだけ嫌われてるんだろ」


はあ、とため息をついた太一である。さすがにあからさまに態度で示されてはへこむ。
ゴーグルの話を聞いた途端に態度を硬直化させたのは、大輔も覚えがある話である。
忘れもしない1年前の出来事が脳裏をかすめた。
あの時、ジュンが口にしたゴーグルの人、
という言葉が妙に焼き付いて離れない大輔である。
ふと目にしたさきで、どうしたものかと沈黙を守っている八神さんが目にはいる。
首にかけられたホイッスルがゆれていた。


「そういえば、八神さんっていつからホイッスルもってるんだっけ?
 サッカーの応援の時はいっつもつけてるよな?」

「これ?」

「そうそう、それ」

「これもおじいちゃんからもらったの。お兄ちゃんと一緒に。
 おじいちゃんの大事な人の忘れ物だから、大切にしなさいって」

「そういやそうだっけ。たしか、あの時思いっきり吹いたんだよな、ぴーってさ」

「あの時?」

「おにいちゃ」

「ほら、あの時だよ。グレイモンが光が丘にいたとき」


さっと光の顔が青ざめた。
反射的に大輔をみる光だったが、思ったより大輔の反応はあっさりしていた。


「へー、じゃああの時のホイッスルなんすか、それ」

「あれ?大輔、お前、覚えてんの?光が丘テロ事件のこと」

「太一さんが思い出したんならもう大丈夫そうなんでいいますけど、
なっちゃんとまた逢えた時に、思い出しました。
 オレがグラウンドでサッカーしてる太一さんがゴーグルしてるのをみて、
 ぴーんときたんすよね。
 たぶん、覚えてないんだけど、どっかで覚えてたんだと思います。
 なにもわかんなかったけど、グレイモンにむかって
 ホイッスルを吹いた太一さんは、すっげー格好良かったから。
 八神さん守ろうとして、頑張ってるのみて、
 オレもねーちゃん守りたいなあっておもったんすよ、オレ」

「あははは、なんだよ、それー。なんか恥ずかしいな」


照れたように笑う太一に、大輔は釣られて笑う。
光は思っていたような反応が返ってこなくてほっとした。
しかし、そこでようやく何かに気づいたらしい大輔の顔がこわばる。
どうした?って太一が先を促した。


「どうしよう、どうしましょう、太一さん。ねーちゃん、デジモン嫌いかもしれない」

「え?」

「もしかしたら、ねーちゃん、覚えてるかもしれないっすよ、
 どうしましょう、太一さん!」

「なにをだよ?」

「光が丘テロ事件のことっすよ!」

「えっ、まじかよ、大輔」

「デジモンって、見えてる人と見えてない人がいるんすよ。
 だって、だって、ねーちゃんは、なっちゃんもグレイモンも
 見えてなかったみたいです。いきなり爆発したり、雷が落ちたり、
 街が壊れてくように見えてたみたいで、すっげー怖かったんじゃないかな。
 たぶん、ホイッスル吹いてる太一先輩しか見えてないと思うんすよ、たぶん。
 どうしよう、どうしましょう、太一さん」


うろたえ始めた大輔である。
太一もニュースで流れてきた光景に自分がぽつんといるという異様な光景を
想像して、嫌な汗が流れたのだった。
もし大輔の言うことが本当だったら、
ジュンさんは致命的な勘違いをしていることになる。
はっとなって太一は光を見た。
光はジュンさんの気持ちが嫌と言うほどわかるらしく、目尻がうるんでいる。


「なあ、光、お父さんとお母さん、オレが光が丘テロ事件のこと忘れてるから、
今まで内緒にしてたんだよな?」


こくり、とうなずく光にぎょっとするのは大輔だ。


「じゃあ、ねーちゃん、もしかして、八神さんみたいに覚えてるのに、
内緒にしてるってことっすか?
 そんな、そんなのありっすか?だって、4年まえって、ねえちゃん、
まだ4年生だったのに。
 小学校4年生だったのに。ミミさんや光子郎さんくらいだったのに。
どうしよう、そうだったら、おれ、なんていえば・・・・・・・!」

「おちつけよ、大輔。ジュンさんを守るのはお前なんだろ。しっかりしろよ」

「は、はい」

「なんていってるオレもさ、光がこうやって話してくれるまで
 全然知らなかったんだよ。守ってやるっていったのにさ、ごめんな光。
 オレはいいよ、こうやって光がそばにいるから。
 でも、大輔、ジュンさんは今ごろ、多分武道館ライブにいく途中なんだ。
 ヴァンデモンのこと考えると結構ヤバいと思う。
 元の世界に帰ったら、何が何でも引き留めろよ。
 オレ達がいるからさ、ひとりで突っ走ろうとするなよ?たのむから」

「は、はい。わかりました」


がんばりますって小さな決意を固めている大輔をみて、光は涙をぬぐった。


「あの、大輔君」

「八神さん?」

「わたし、がんばる」

「え?」

「わたしも、がんばる。みんなの足手まといにならないように、がんばる。
 だからね、その・・・・・」

「お待たせ!みんな呼んできたよ、太一!」

「おっまたせー!はやくいこうぜ、大輔。ゲンナイさんのところ!」


光の言葉を遮るようにみんなを連れて現れたアグモンである。
おいと思わず声を上げそうになった太一だったが、
みんなの手前黙ることしかできないのが悲しいところだ。
光はまだみんなの前に出られるほど強くない。
定位置だとでも言いたげに大輔の右手に抱きついたブイモンが、
光の横を通り過ぎるように大輔を先導する。
言いかけた言葉を飲み込んでしまった光は、先を促すように見つめてくる大輔に、
小さく首をふって、なんでもないの、ごめんなさいって笑った。
どーした?大輔って疑問符を浮かべるブイモンに、
なんでもねーよって大輔は肩をすくめた。
なにやら微妙な空気が漂う中、子供達はゲンナイのまつ部屋に向かったのである。


「出立の準備はできたかのう?」


ゲンナイの問いかけに、みんな一様にうなずいた。
大輔と太一の荷物はそれぞれ、アグモンとブイモンが持ってきてくれたので、
すぐ傍らに置いてある。
ゲンナイが先ほどまで連絡を取っていたのは、
どうやらデジタルゲートを管轄しているホメオスタシスの端子だったようだ。


「本来ならヴァンデモンが居城を構えるエリアに直接いけるはずなんじゃがな、
 残念なことにあの周辺のエリアは随分前からアクセス拒否になっておって
 お前達を直接送り届ける事ができんのじゃ。
 一番近いエリアでテンプ湖周辺の一番北に位置する水辺になるかのう。
 そこから突入するしかなさそうなんじゃ。やってくれるかのう?」


それはつまり、真正面からの突入を意味する。
みんなうなずいた。ヴァンデモンの現実世界への侵攻は秒読み段階に入っているのだ。時間がない。
一刻も早く止めなければ。ゲンナイは小さく息を吐いた。


「ヴァンデモンの城は、黒い森と岩肌の露出した崖の上にそびえておる。
 闇の支配者のエリアはいつも夜でな、日がささん。
つまりいつでもかの人の手中にある。気をつけるんじゃぞ」


ゲンナイの眼差しは大輔とブイモンに向けられた。
不思議そうに首を傾げるみんなだが、ブイモンは分かっていたようだ。
こくり、とうなずいたブイモンは、大輔を見上げた。


「がんばろう、大輔。オレ達が先導するんだ。
ウィルス種に進化できるのはオレだけだもんな。
 ヴァンデモンが守護してたエリアがウィルス種しか入れないエリアだったなら、
 きっとそのエリアもウィルス種しか見えない結界でも張ってあるんだと思うよ。
 デビモンの時みたいに、あっちから招待してくれるならワクチン種だろうが
データ種だろうが関係ないみたいだしね。
 オレさえ場所が把握できれば、みんなオレについてくればいいだけだ」

「そっか、そうだよな。うん、がんばろうぜ、ブイモン」

「うん!」



[26350] 第四十八話 闇貴族の城 後編
Name: 若州◆e61dab95 ID:bdd8c987
Date: 2013/08/10 20:44
闇貴族が居城を構えた日から、森はこれまで一度も太陽の恵みを受けたことがない。
隙間なく空を覆う分厚い雲によって、午前の日差しは遮られ、まるで夜である。
闇を好むデジモンにとっては、またとない住処だろう。
しかし、真っ黒な深淵の森を徘徊するウィルス種のデジモンたちでさえ、
その森のはるか奥にそびえ立つ岩山には、近づこうとしないのだ。
まるで塔のようにそそり立つ岩山の上には、廃墟のような貴族の館が立っている。
そんなおどろおどろしいエリアを、ぶん、と耳障りな羽音が響いた。
2つの触角をもつ銀色の昆虫型デジモンがずいぶんと不釣り合いな空を飛んでいる。
背中についているメカニカルな円盤を空に向け、四方八方をくまなく飛んでいる。。
円盤がデジ文字を刻んでいる。小さな物音や振動を収集しているようだ。
しかし、せわしなく飛び回っていたデジモンが突然ぴたりと動きを止める。
見つめる方向は同じ。銀色の円盤を空に掲げたデジモン達は、一斉に電波を発射した。
相手を錯乱させる電波が曇天に打ち込まれるかと思われたその刹那、
いきなりさく裂した青い稲妻がその電波をかき消してしまったではないか。
彼らは対象のデータを収集する能力に特化しているため、戦闘能力はない。
彼らにできるのは撤退だけである。曇天に広がる雷鳴と閃光が警戒している。
アトランダムに打ち落とされる青い稲妻を必死で潜り抜け、彼らは拠点に帰還する。
しかし、何体か追尾する雷を避けることができず、背中のレーダーに直撃した。
感電してレーダーが故障、体に異常をきたして、そのまま森の中へと落下していったのだった。



その屋敷の上空にある曇天がゆらゆらと水面のようにゆれはじめる。
幾重にも広がる波紋が空間をゆがめた。ぐにゃりとゆがんだ空間が輪郭を見せ始める。
その中央から吐き出されたのは、侵入者である。
真っ白な翼を広げて飛翔する黒い竜に乗った少年は、驚いたように声を上げた。
先程まで目下に広がっていたはずのテンプ湖に映える青空と太陽の木漏れ日。
整備された岸にぷかぷかと浮いているアヒルさんボート。
エクスブイモンが大輔を乗せて飛翔するたびに、生み落された風が湖をゆらしていた。
2か月近くサーバ大陸を横断していた大輔にとっては、見慣れた風景だったはずだ。
その世界が一瞬でおどろおどろしい世界に変貌を遂げたのである。
驚かない方が難しい。ウィルス種であるエクスブイモンだけが感知できた結界は、
大輔たちからすれば広大なテンプ湖の傍に広がる森でしかなかった。
なんのためらいもなく突っ込んでいったエクスブイモンを後ろでみていた子供たちは、
突然消えてしまったエクスブイモンに驚いたに違いない。
何もない所に向かって、いきなり最大出力の蒼雷を叩き込んだのだから。
大輔が後ろを振り返ると、なにかあったのか、とあわてて追いかけてきてくれた
太一たちの切羽詰まった声が聞こえてくるが、エクスブイモンは頓着しない。
ごう、とまた風を生み落して、大きく旋回する。向かう先は撃墜した敵のところだ。
苔生した湿地帯で、ゴムを焼いたようなにおいと黒い煙がいくつものぼっている。
何のためらいもなくデジモンを殺したエクスブイモンに動揺する大輔だったが、
エクスブイモンが拾い上げたそのデジモンが、ただの機械仕掛けと知ってほっとする。
どうやら偵察用のマシンがこのエリアに張り巡らされていて、
エクスブイモンはそれらを一網打尽にしたようだった。
デジモンだったマシンを拾い上げたでクスブイモンは、
あとでゲンナイさんに解析してもらおう、と大輔にそれを手渡した。


「はああ、びっくりした。もう驚かせるなよ、エクスブイモン。いきなり攻撃するからびっくりしただろ」

「ああ、うん、ごめん。でも、放っておくと厄介なことになってたから、先手を打っただけだよ。
 ごめん。説明してる暇がなかったんだ」

「ならいいけどさ。なんでデジモンじゃないってわかったんだ?」


大輔の素朴な疑問に、エクスブイモンは苦笑いを浮かべた。
 

「知ってるからだよ。あいつらはもっと好奇心旺盛で、光子郎みたいなやつらなんだ。
 ただのプログラムみたいに機械的にデータを収集するやつらじゃないよ。
 デジモンの匂いもしないから、現代種のデジモンじゃないってわかったんだ。
 あいつらのふりをするなら、せめてそれっぽくはしてほしかったな」


名前こそ言わないが、モデルとなったデジモンは古代種のようである。
どこか寂しそうにつぶやいたエクスブイモンは、再び翼をひろげる。
どうもギロモンとの一戦以来、敵の気配にはとっても慎重になっている相棒は、
すぐに次なる敵の来襲に気付いたらしく、目の色を変えた。
大輔、いくよ、とウィルス種の竜は飛ぶ。
大輔は黒い機械をリュックに押し込め、デジモンアナライザーを引っ張り出した。
ウィルス種が好む環境におかれているためか、いつもより好戦的な相棒だ。
先導する役目をゲンナイさんから直々に指定されたから、とってもはりきっている。
なにせ、エクスブイモンはまだ完全体に進化することができない。
だから、完全体の中でも上位に君臨するヴァンデモンの城に突入するまでは
みんなの力は取っておかないといけないのだ。
それなら、エクスブイモンにできることは限られている。
すでに交戦状態にはいっている仲間達の空中戦に飛び込んだエクスブイモンは、
接近戦を得意としている漆黒の邪龍めがけて、援護の炎の弾丸を浴びせた。
真っ赤な目をした複眼の悪魔が叫び声をあげる。いまだ!
その隙を狙って、すかさずエンジェモンが聖なる拳で闇を葬り去った。
エンジェモンと一緒にいるタケルが、ヴァンデモンの城を見つめている。


「どうした?タケル」

「裏次元で見たよ、あのお屋敷」

「え、ホントか?」

「うん。あのデジモンは、飾ってあった銅像とおんなじなんだ」

「悪趣味な銅像だ。ダークエリアから召喚される魔獣なんて。
 大輔、タケル、深紅に燃え上がる4つの目はみてはいけないよ。
 複眼の悪魔に睨まれると身動きが取れなくなる」


天敵のためかとっても詳しいエンジェモンの忠告が入った。
異常に発達した足と長く伸びた腕、鋭利にとがった巨大な爪をもつ怪物が咆哮する。
ボロボロになっている漆黒の翼と相手の動きを封じる真っ赤な魔眼は、
いつかの堕天使を連想してしまい、どうしてもタケルたちの表情はこわばってしまう。
エンジェモンは無理もないと静かに告げた。


「気を付けた方がいい。デビドラモンはデビモンの使い魔だ。
 ダークエリアに堕ちた天使が進化するからこそ、召喚が可能なんだ。
 ヴァンデモンの配下にはどうやらデビモン系列のデジモンがいるようだね」


バードラモンの炎の雨が降り注ぎ、カブテリモンの電光が空を焼く。
状態異常で動きを封殺したトゲモンの援護で、氷の狼が敵を貫いた。
そして、グレイモンの火炎弾がデビドラモンを燃やし尽くした。
次々と召喚されるダークエリアからの刺客は、相手を錯乱させるサポート部隊が
壊滅状態に陥っていることで、完全な機能不全に陥っている。
一体一体撃破していけば、決して難しい数ではない。こうして、子供達は闇貴族の城に突入したのだった。














どんな敵が待ち受けているのだろうか、と警戒しながら突入した闇貴族の城は、
門番はおろか、番人すら一体もいない、廃墟のようにがらんどうである。
拍子抜けした子供たちを、煌々と揺れているシャンデリアが見上げていた。
完全体に進化できるデジモンたちを先導に切り替えた子供たちは、
真っ先に目についた陰気な気配を漂わせている扉を見つけて開けてみる。
古びた木製の扉が悲鳴を上げる。真っ暗な部屋だったが、四角い光が差し込んだ。


もともとこの城全体が薄暗いため、だんだん部屋に置いてあるものの
輪郭が分かってくる。まず見えたのは、天井につるされた鉄の棒だ。
2つの輪っかがついていて、長い鎖が巻きついている。
そのすぐ下にはなにかを燃やした跡が残っていて、部屋は煙が充満していた。
壁の辺りには悪夢に出そうなほど悪趣味なものが所狭しと並べられている。
どす黒く変色している染みが壁一面にまき散らされていると悟った太一は、
すぐ後ろで覗き込もうとしていた光たちの影が重なる前にバタンと閉めてしまった。
ダメだ、ここは誰もいない、と先を促す太一は、何があるのか気になる
子供たちの前からどこうとはしなかった。頑としてどかなかった。
仕方ないから先に行こう、と回廊を巡り始めた子供たちを見送って、
ほう、と息を吐いた太一に、さすがに違和感を覚えたヤマトが声を掛ける。
見てみろよ、あれ、と一度だけ開いた扉の向こう側を悟ったヤマトは、
何も見なかったことにしたらしく、ぎこちない笑顔で先を促した。
まだスプラッタを見ることができない小学生には刺激が強すぎたのである。
どうやらこのエリアの主は、非常に悪趣味な収集癖をもっているらしい。
なんとか思い出さないようにあたりを警戒しながら巡回を始めた太一だったが、
闇貴族の城は、まさにトリック・アートの世界そのもので、子供たちを混乱させた。


デジモンの影が見える窓に驚いたら、実際には存在しない空間が描かれているだけだったり、
突然現れた奈落や天井から降ってくる包丁があると思ったら、飛び出して見えるだけの絵画だったり。
中庭に設けられた渡り廊下に至っては、歩いている通路の反対側に、
タケルが見たというデビドラモンの石像が鎮座する通路が見えた。
空間が明らかに捻じ曲がっているのである。まるでだまし絵の世界に閉じ込められたみたいだった。
子供たちはひたすら歩いた。しかし、いくら歩いてもデジモンは一体もいない。
歪曲して交差する回廊が見えた時には、方向感覚と平衡感覚がすっかり狂ってしまって、
車酔いに似た気分の悪さを覚え始めてしまう。


建築が不可能なはずの建物、ジグソーパズルのように白と黒で埋め尽くされた部屋、
実際に作ることができないはずのループする回廊、階段。
もしここがテーマパークだったら、不思議な空間を体験出来て楽しいのだろうが、
いつどこで敵が現れるのか分からない緊迫した状況下では過酷な環境である。
不可解な世界に迷い込んでしまった子供たちは、さすがにちょっと疲れが見え始めた。
エリアの主が身を潜めていて、こちらを監視しているのだろうか。
一網打尽にするために、トラップが仕掛けられているのだろうか。
エリアの隅々まで張り巡らされた沈黙は、子供たちに緊張感をあおり続けている。


そう勘繰ってしまいそうになるのだ。
なにせ闇貴族の城に突入するまでは、あんなに執拗な奇襲にさらされたのだから。
しかし、実際に一歩足を火見入れたら、嘘のように静まり返っているのである。
デジヴァイスによる進化で維持できる時間は、子供たちとデジモン達の精神状態が大いにかかわっている。
肩すかしを食らったデジモン達からすれば、たまったものではなかったのだった。
このままではまずい、と誰もが焦り始めたころ、またどこかにループするのだろうかと
嫌な予感を抱えながら歩いていた回廊で、ぴたりと足を止めたのはタケルだった。
視線の先には、行き止まりの扉が待ち構えている。


「どうした?タケル」

「やっぱり僕、ここ見たことあるよ、お兄ちゃん。
 ここまで迷路みたいなところじゃないけど、やっぱり似てる。
 ティンカーモンに見つからないように隠れる場所を探して走りまわってたら、
 こんな感じのところに出た気がするんだもん」


裏次元にある宮殿と闇貴族の城がどうしてそんなに似ているのかまでは、
さすがにタケルはわからない。でも、もしこの屋敷がヴァンデモンによって
改造が施された建物であって、基本的な構造が変わらないのだとしたら、
この扉の向こうにあるのはきっと地下室に繋がる書庫だ。
そう断言して先頭を歩いていた子供たちを追い抜いて扉を開いたタケルは、
カーテンが閉め切られた部屋を発見する。薄暗くて黴臭い匂いが充満している。
今まで見たことがない空間である。ようやくゴールを見つけたみんなはほっとした。
やっぱり!と声を上げたタケルは、両側に分厚い古本が敷き詰められている本棚を一直線に走り抜け、
外の光が差し込むことがないように、頑丈に施錠されている窓の傍にある書斎に向かう。
タケルの頭の上には、ここに辿り着くまでの過酷な連戦でエネルギーを使い果たしたパタモンがいる。
ぐったりとしながらも、なんとかおぼろげな記憶を引っ張り出して、パタモンはタケルに急かされて、秘密の呪文を叫ぶのだ。
何度言っても噛みそうになる呪文だ。これがタケルたちの世界に実在する本の名前だと知るのは、
彼らが大人になったずっとずっと後のことである。
ぎぎぎぎぎ、と軋んだ音を立てて本棚が横にスライドしたことで、おおお!とみんなの歓声があがった。
やったねってタケルは笑う。パタモンは疲労を浮かべながら笑った。
真っ暗だろう、と思っていた地下室に続く階段の入り口がみんなの前に現れる。
螺旋階段の燭台には、真っ赤なロウソクがまだ燃えているのに気付いて、みんな気を引き締めるのだ。
溶けたロウが燭台から溢れて、壁を伝ってぼとりぼとりと滴り落ち、そのあたりで塊となっている。
ずいぶんと時間が経っているようだ。もう、嫌な予感しかしない。
焦燥感に駆られた子供たちは、螺旋階段を貫く大きな空間に目を付けた。
さいわい、大きく間隔を取っている回廊は、デジモン達が超進化をしてもある程度の大きさは確保できそうである。
このまま螺旋階段をチンタラ歩いているよりは、一気に下まで降りた方がいいに決まっている。
待ち構えているのはきっと完全体だろう。ならば子供たちにとれる手段は一つしかない。
ここで待ってろって光に告げた太一は、よーし行くぞってゴーグルをぱしんと弾ませた。


「いくぞ、アグモン」

「うん!」


先陣をきったのは太一だった。手すりにつかまって一気に滑り降りる。
デジヴァイスを掲げて、紋章をかざす。アグモンが光に包まれた。


【もはや鍵は我が手にあり、異界の扉は開かれた】


アグモンがグレイモンに進化する。
螺旋階段全体に響き渡る不気味な笑い声に、誰だ!と叫んだ太一の声がこだました。


【お前たちがどうあがいたところで、もう手遅れだ】


グレイモンがメタルグレイモンに進化する。
うるさい!やってみなきゃわかんないだろ!と吠える太一に、嘲笑が聞こえた。
その巨体に飛び乗った太一が一気に螺旋階段の下層を目指し、きえていく。
太一たちのあとに続けとばかりに、今まで体力を温存していたデジモン達は、
一気に超進化を遂げるとその暗闇に続いた。


【すべてがひとつになる。光も闇もすべてはひとつになるのだ。
 受け入れてやろう、お前たちを。暗黒はすべてを受け入れる】


暗黒は混沌だ。混沌に意識を誘導されている闇貴族は、
現実世界を黙示録が望む世界に変貌させるための足掛かりとして扉を開く。
エテモンを飲み込もうとしたダークケーブルの塊が太一の脳裏をよぎる。
どくん、どくん、とまるで心臓のように鼓動する真っ黒な塊だった。
ぎちぎちとお互いがお互いをがんじがらめにして一つになろうとしている、
まるでミミズがひとつの塊になろうとしている、とっても気持ち悪い塊だった。
あれが暗黒と呼ばれているものの正体なら、そんなこと認める訳にはいかないのだ。
あれは光ではないが、闇ですらない。もっとおぞましい何かだ。
闇貴族といわれていたデジモンが敬愛するような代物ではない。
何が何でも止めなくては、との一心でメタルグレイモンは飛躍する。
螺旋階段が風圧によって瓦解しても気にすることなく、加速する。
吹き消されていく燭台の先で、太一が見たのは、真っ赤な翼をもつデジモンだ。


銀色の髪が風になびいているが、鋭利な角が装飾された仮面をかぶっているため、
表情はうかがえない。ただ、デビドラモンのように異様にながい両手が印象的だ。
身体には真っ赤な釘のようなものが7つ打ち込まれていて、ひびが入っている。
どうやら人の身体に構造が似ているが、灰色の身体は鋼で出来ているようだ。
二の腕から不自然に曲がっている関節からして、
真っ赤な拘束具がつけられたその先は人工的につけられたものだろう。
頭身にあわない防具に身を包み、人工的な改造が施されたデジモンだ。
成熟期、いや完全体だろうか、嫌に風格がある気配に危機感を覚えながらも、
その先に行くには倒すしかないデジモンだろう。きっと門番なのだ。


メタルグレイモンは加速する落下速度を利用して、幾度もの弾丸を発射した。
凄まじい轟音が響き渡る。爆風にさらされて、一気に視界不良に陥った。
やったか、と身を乗り出した太一たちを待っていたのは、閃光である。
メタルグレイモンは悲鳴を上げた。どうやら焼けるような裂傷が翼を貫いたらしい。
凄まじい風が螺旋階段を駆け抜けた。煙幕と化していた砂埃が一気に吹き飛ばされ、
まるで嵐のように凄まじい突風が雷撃を伴ってメタルグレイモンに襲い掛かる。
このままでは直撃だ。そうはいくか、と叫んだのは太一である。
デジヴァイスが起動する。太一を起点に鮮やかな閃光が放たれ、結界がメタルグレイモンを覆い隠した。
それでも行き場をなくした空気の流れは圧力となってメタルグレイモンに襲い掛かる。
じりじりと後退させられたメタルグレイモンは、このままでは味方と激突してしまう、とばかりに
トライデントアームを発射した。石壁に食い込んだ起点によって、なんとか踏みとどまる。
なんとか体制を整えようとして飛翔したメタルグレイモンを待っていたのは、
トライデントアームに跳躍し、一気に距離を詰めてくる門番の姿である。
せめてカウンターに間に合うようにと炎を吐き出そうとしたメタルグレイモンの動きは、
完全に読まれていた。大きく跳躍した門番のデジモンは、歪な方向にまがった腕を振り上げる。
ぐにゃりと空間がゆがんだ。メタルグレイモンの苦痛に満ちた声が響き渡る。
いきなり苦しみ始めた相棒に驚いた太一が声を上げる。
門番の腕は空間がゆがんだ先に消えている。その視線を追っていくと、まさか。


「その手を放せ、このやろう!」


太一はその光景を聞いたことがあった。
空間をゆがんで直接デジコアに触れることができるという反則級の必殺技。
これによって話をしてくれた兄貴分であるレオモンは、2度も洗脳を許している。
いくら歴戦の戦士であっても、心臓とも言うべきデジコアを直接ウィルスで侵され、
ダークコアにされてしまっては、為す術がないのである。
太一の相棒はワクチン種に進化することが運命づけられているのだ。
ウィルス種になってしまったら、いつかのスカルグレイモンのように暴走するしかなくなる。
そんなことさせてたまるかとデータの書き換えの警告エラーを発信し続けるデジヴァイスを片手に、
太一は必死でメタルグレイモンを蝕む門番の腕めがけて、神聖なる光をかざした。


システムを最適化させるウィルスバスターの機能が起動する。
ハッキングを仕掛けていた門番の歪な腕が、凄まじい音とともに止まってしまう。
がくり、と不自然な方向に曲がってしまった腕をゆがんだ空間から取り出したデジモンはあまりの衝撃に動きをとめる。
ありがとう、太一、と今にも死にそうなメタルグレイモンの声が太一に届く。
心臓を鷲掴みにされるという苦痛を味わったメタルグレイモンだったが、
好機を逃す手はない。岩から無理やり引き抜いたトライデントアームを
門番のデジモンめがけて発射した。無防備だった門番は爆音とともに螺旋階段に縫い付けられる。
さっきのお返しだ、とばかりにメタルグレイモンの必殺技がさく裂した。


「……なあ、あいつホントにデジモンなのか?さっきのやつみたいに、機械だったりしないよな?」


腕が吹っ飛びそうになっても、超至近距離から必殺技を討たれても、
一切言葉を発しない不気味な存在に、太一はうすら寒さすら覚えてしまう。


「デジモンだよ、太一。きっと痛覚を遮断されてるんだ」


一撃必殺をうけた門番のいたらせん階段は、一気に落下する。
がらがらがらと豪快に崩壊する瓦礫によって、姿が見えなくなってしまった。
叫び声すらあげないデジモンである。
きっとこの城の主によって造られたデジモンだろうことは想像できる。
なんてやつだよ、と太一は思う。狂気に駆られた科学者の末路に戦慄するしかない。


「ふざけてんだろ、それ」

「ほんとにふざけてるよ」


メタルグレイモンは目を細めた。


「大丈夫?太一!」

「大丈夫ですか、太一さん。一体なにが?」


ようやく追いついたバードラモンたちである。
豪快な必殺技の応酬のせいで、助太刀できるほどのスペースが獲れなかったようなのだ。
やっぱり狭い空間での戦闘は不便でならない。


「門番がいたんだ」

「ずいぶんと派手に暴れたんですね」

「仕方ないだろ、なんかすっげー強そうだったし。しっかしさあ、なんにもいわないんだぜ、不気味な奴」

「ホントに?それならほんとに不気味ね」

「だろ?」

「ほんとうにふざけてるよ、太一」


にがにがしげにメタルグレイモンは言った。


「トライデントアームで仕留め損なうなんて、どうかしてる」


あわてて太一たちがふりかえると、先ほどまでいたはずの門番の姿が消えている。
メタルグレイモンの感覚では、確かに門番を捕らえた感覚があったにも関わらず、
必殺技を打ち込む瞬間には、不自然な空を切る感覚があったらしい。
まるで磔にした壁がなくなったような、そんな不思議な感覚。


「壁抜けってまさか」


はじめてデビモンと出会った時のことを太一は思い出す。美しい天使の絵画から現れたデビモンは、
大輔をなっちゃんのいる闇貴族の館に引きづり込んだことがある。
必殺技に空間のゆがみを利用できるのなら、その進化系列なら類似のことが可能なはずだ。


「エンジェモンが言ってたデビモン系のデジモンってあいつなのか?!」

「時間を稼がれちゃったわね、急ぎましょう、太一!間に合わなくなるわ!」


転がるようにかけていった太一たちを待っていたのは、無情にも閉じられてしまったゲートの入り口である。


「ちくしょう、逃げられた!」


どん、と閉じられたゲートに、太一の打ち付ける拳の音がむなしく響いた。



[26350] 第四十九話 異次元からの帰還
Name: 若州◆e61dab95 ID:f486b49a
Date: 2013/08/24 21:04
正三角形を上と下に向けて重ねたような六本分の線分が交差する図形。
変わった形が鎮座している石室に彼らはいた。
六角形の各辺を延長して構成されている図形の名は、
ある方面では広大な宇宙を現すため神聖、
もしくは神秘的な印象を与える六芒星である。
もっとも子供たちにとってはもっと簡略化された、
一筆書きの図形の方がお馴染みかもしれない。
おかげで派手な演出で物議をかもし、
世界最悪の悪人と書きたてられた神秘主義者の魔術師との関連から
オカルトチックな印象しか浮かばないのはお約束である。
異世界へのゲートは、九枚のカードを石版の決められた九つの場所に、
ある法則にのっとって設置されることで開かれる仕組みになっている。


カードにはそれぞれデジモンの絵が描かれている。
石版には、縦横に三枚ずつ並べられたカード置き場が設置され、
横の列には右から順番に☆、☆☆、☆☆☆という項目が
レリーフとして彫り込まれていた。
そして縦の列には上からライオン、弓を射る上半身が人間で下半身が馬のような男、
猿の絵が描かれていた。カードを間違った置き方をすれば、現実世界でもなく、
デジタルワールドでもない全く別の世界に飛ばされる可能性があり、
また場所によってはゲートをくぐる時点で肉体を構成しているデータを破壊し、
崩壊消滅してしまうおそれがあるため、適当に並べるわけにはいかない。


ちなみにヴァンデモンが残した置き土産は、9枚のカードだった。
アグモン、クワガーモン、アンドロモン、ユニモン、エレキモン、ドリモゲモン、
ガジモン、デジタマモン、トノサマゲコモンである。

何か法則性があるとすれば、まずはカードの意味を知る必要があるだろう。

デジモンアナライザーの出番である。
光子郎のパソコンからデジモンアナライザーが起動した。
そしてゲンナイからもらったばかりの接続端子に自分のデジヴァイスを繋げ、
データをダウンロードしながら検索する。
みんな彼の一挙一動を後ろから観察していた。

アグモン、爬虫類型デジモン、成長期、ワクチン種
クワガーモン、昆虫型デジモン、成熟期、ウィルス種
アンドロモン、サイボーグ型デジモン、完全体、ワクチン種
ユニモン、幻獣型デジモン、成熟期、ワクチン種
エレキモン、哺乳類型デジモン、成長期、データ種
ドリモゲモン、獣型デジモン、成熟期、データ種
ガジモン、哺乳類型デジモン、成長期、ウィルス種


「あとはトノサマゲコモンとデジタマモンだけですね」


かたかたかたと打ち込まれたいずれもエラー音と共に表示されるのはNO DATA。


「あ、そっか。僕は会ってないデジモンたちばかりだから表示されないんだ。
 誰か、トノサマゲコモンとデジタマモンと会ってる人はいませんか?」

「じゃあ、私のデジヴァイスを使って、光子郎君」

「はい、ありがとうございます、空さん」


空から受け取ったデジヴァイスにより、データが新しく更新される。


トノサマゲコモン、両生類型デジモン、完全体、ウィルス種
デジタマモン、パーフェクト型デジモン、完全体、データ種


「これか!やったな、光子郎。
きれいに成長期、成熟期、完全体に分かれるじゃないか」


嬉しそうに太一が光子郎の肩を叩いた。嬉しそうに光子郎も頷く。


「はい、これなら丁度3つのグループに分けることができますね。
 たぶん☆の数が少ない方が世代的に幼い年代なんだと思います」


「☆が成長期、☆☆が成熟期、☆☆☆が完全体ってわけか」


つまり、成長期にはアグモン、エレキモン、ガジモンのグループ。
成熟期にはユニモン、ドリモゲモン、クワガーモンのグループ。
完全体はアンドロモン、デジタマモン、トノサマゲコモンのグループ。
ちょうど3つに分かれるということだ。


「でも、この猿と弓を持ってる馬みたいな男とライオンはなんなんだ?
 これもなにか法則性がありそうだな。うーん、星座か?」

「でもヤマトさん、お猿さんって星座ありましたっけ?」

「え?いや、聞いたことないな」


なんだろう、と腕組みをして考える子供たちに習ってデジモン達も考える。


「でもなんでこの猿、サングラスなんてしてるんだろうなあ。
なんかエテモンみたいだ」


ダークエリアに送られたであろうかつての宿敵を思い浮かべながら、
ラヴ・セレナーデのジャイアンリサイタルでもやってそうだと
つぶやいた太一の一言に、みんな一斉に振り返る。
え?な、なんだよ?とびっくりした様子で瞬きする太一に、
光子郎はありがとうございます、と声を上げた。
本人はよく分かっていないらしく、疑問符を浮かべている。


「ナイスです、太一さん。きっとこの絵はエテモンなんですよ」

「え?ホントかよ」

「はい、☆が世代を示しているのなら、
ちょうど3つずつに分かれるグループがもう一つあるはずです。
 それを示しているんじゃないでしょうか」

「えーっと、種族はバラバラだし、生息域もバラバラみたいだし
 ……そうか、属性だ!
 ワクチン種、データ種、ウィルス種ってのに分かれてんだな、へえ」

「ちょっと待っててくださいね。えーっと、エテモンはウィルス種のようです」


これで一番下段の列は判明したことになる。
エテモンの列にはウィルス種のデジモン3体が☆が示す
世代ごとに並べられるわけだから、
右側から順番にガジモン、クワガーモン、トノサマゲコモンだ。
これで残りのカードは6枚だ。ヒントは弓を弾く男とライオンである。
どちらかがワクチン種、どちらかがデータ種ということになるだろう。


「弓持ってるこいつ、なんかケンタルモンに似てないか?
 下が馬みたいで、上が男みたいだし」

「でも太一、ケンタルモンは弓ではなくてレーザー砲じゃなかったかい?」

「あー、そう言えば腕が機械なんだっけ?じゃあなんだよ、こいつ」


ケンタルモンに似ている風貌の謎のデジモンのレリーフを
食い入るように見つめながら、太一たちは懸命に考えるが、
いまいち思いつかないようだ。


「なあ、そのレリーフ、もっとよく見せてくれよ!」


さっきから子供たちに周囲を占領されてすっかり蚊帳の外だった
デジモン達を代表してか、ブイモンが我慢できなくなったのか
不満たらたらに声を上げた。
ぴょんぴょんジャンプしながら懸命に主張するブイモンに
行き詰まりを見せていた光子郎たちは突破口となる発想を期待して
ちょっと横にどいてくれた。
どれどれ、とカードを設置する石版を背伸びしながら見上げたブイモンは、
こともなげに言い放つ。


「これサジタリモンじゃない?」

「サジタリモン?
 サジタリモンって魚釣りに行った時に言ってたあのデジモンのこと?」

「うん、そうだよ」

「え?ガブモン、しってるのか?」

「ううん、違うよ、ヤマト。古代デジタルワールド期にケンタルモンの群れの中で
一番偉いデジモンがいたって話をブイモンから聞いてたんだ」

「へー、ブイモンが言ってたサジタリモンってこんなやつなんだ」

「間違いないのか?」

「うん、間違いないよ。ここの炎の塊みたいな腕とか、一角が生えた真っ黒な頭とか
 オレがデジメンタルで進化できる別のデジモンのデータが混ざってるんだ。
 それに弓を使った必殺技があったはずだから、サジタリモンだと思う」

「そこまでそっくりなら、この絵はサジタリモンってやつで決まりだな、光子郎」

「サジタリモンはブイモンたちがデジメンタルで進化する古代種なんですよね?
でもこれじゃあワクチン種でもデータ種でもありませんよ」

「でもそれは古代デジタルワールド期の話だろう?
 今はそうとは限らないんじゃないかい?」


「あ、そっか、そう言われてみればそうですね。
 じゃあ、一度ケンタルモンに聞いてみます。
 サジタリモンがケンタルモンの長だった歴史があるのなら、
 きっと何か知ってるはずですし。
 ちょっと待っててくださいね、ゲンナイさんの隠れ家のアドレスはっと」


しばらくして長期療養中のエージェントを看病しているケンタルモンから返事が届いた。


「大正解です。ありがとう、ブイモン。
 どうやらこの絵はサジタリモンで間違いないみたいだよ」


嬉しそうにブイモンは笑った。


「ケンタルモンの上位種族に位置するデジモンで、幻といわれている存在だそうです。
 ごく稀にケンタルモンがサジタリモンに通常進化することがあるみたいなんですが、
 力の消費が膨大すぎて、すぐに元の姿に退化してしまうらしいです。
 ゲンナイさんによれば、古代種のデータを構成因子として
 強く引き継いで生まれてきたデジモンだった場合、
たとえそれが現代種のデジモンであったとしても、
古代種しか進化できないはずの進化形態になることもあるそうですよ。
 その現代種としてのサジタリモンはデータ種だそうです」


これでサジタリモンの列にはデータ種が並ぶことになる。
☆ にはエレキモン、☆☆にはドリモゲモン、☆☆☆にはデジタマモン。
残るカードはアグモンとユニモンとアンドロモンである。


「ってことは、このライオンは」


みんな顔を合わせて頷いた。


「レオモンだ!」


規則正しく並べられたカードがようやく起動する。
石版全体をスキャンする蛍光色の横棒が上から下に流れていったかと思うと、
デジモンのカードが一枚、一枚、幻想的な光に包まれて、かち、かち、と
本来あるべき場所にレリーフとして埋め込まれていくではないか。
そしてその光は石室全体を包み込んだかと思うと、
祈るような気持ちで強く両手を握り締めて目を閉じている子供たちを乗せて、
石室のエリアごとデジタルゲートが開き、
現実世界への扉が開かれることになったのである。










第49話 異次元からの帰還









真っ白な球体のデジタルポイントは、四角い画面がたくさん表示されている。
それは、会社、学校、自宅、イベント施設、政府機関、公共施設とネットで繋がる
すべてのパソコンが、デジタルワールドの入り口となっていることを示していた。
その真ん中に立っていたなっちゃんは、がしゃん、という無機質な音を聞いた。
無遠慮に響いた冷たい音に、びくっとして顔を上げたなっちゃんは、体をすくめる。
音のする方に目を向けるとひとつの画面が鉄格子に閉じられている。
ガラガラガラ、と突然出現したシャッターによって完全に封鎖されてしまった。
おどろいてそちらに向かったなっちゃんは、鉄格子に手をかけてみるが、
しっかりと施錠されている窓のようにびくともしない。
ひんやりと冷たい格子がなっちゃんを拒んでいた。
こんこん、と格子の間に腕を差し入れて叩いてみるものの、分厚い壁の音しかしない。


一体何がどうなっているのだろう、ホメオスタシス様からは何も聞いていないのに、と
いつかと同じ状況になりつつあることに気が付いて、なっちゃんは息を飲む。
あのときもそうだった。突然八神家のパソコンに通じるデジタルゲートに、
侵入を拒むセキュリティシステムが作動して、ゲートの封鎖が発生したのだ。
さいわいこのゲートは特に利用する予定もないからいいけれど、嫌な予感がする。
背筋を走る悪寒はきっと気のせいではない。脳裏をよぎる悪夢に彼女は首を振る。
そんな矢先、またガシャン、という音が響いた。今度は真逆のゲートである。
なっちゃんをあざ笑うように、デジタルゲートの封鎖がまたおこなわれた。
鉄格子にシャッターという味気ない装飾は、真っ白な世界には灰色の染みに見える。
まるでこちらが閉じ込められてしまうような錯覚を覚えてしまう。
ぞくぞくする恐怖がなっちゃんに込み上げてくる。


さすがに不安になってきたなっちゃんは、今の現状が知りたくて救援要請を求めた。
ガシャン、とまた音がする。アドレスを打ち込む音が震えた。
ガシャン、ガシャン、と音が加速していく。
ガシャン、ガシャン、ガシャン、と冷たい金属の音がゲートポイントに響き渡った。
なっちゃんが周りを見渡すと、凄まじい勢いでデジタルゲートが閉じられていく。
灰色の染みが真っ白な空間を染め上げていく。どんどん埋め尽くされていく。
このままではこのゲートポイントがつかいものにならなくなってしまう!


どうしよう、どうしよう、と必死でセキュリティシステムからのメールを
待ち望む彼女の目の前で、真っ白な世界は灰色に覆われていった。
瞬く間にゲートポイントから移動できるデジタルゲートの数が減っていく。
なっちゃんは、デジタルゲートを自由に開閉できる権限が認められていない。
このままではこの場所に閉じ込められてしまうかもしれない。
さすがにそうなってしまうと、ホメオスタシス様に助けてもらうまで
現実世界に迷い込んでしまうデジモン達を保護するお仕事ができなくなってしまう。


それだけはだめ、と判断した彼女は、いつまでたってもこないメールの返事をあきらめて、
最後のひとつになってしまったデジタルゲートのひとつに飛び込むことにした。
四角い世界が広がる。すぐうしろでは、がしゃん、という恐怖をあおる音がする。
完全に封鎖されてしまった灰色の壁があるだけだ。
なっちゃんは完全にはじきだされてしまった。
どうしよう、と途方に暮れたなっちゃんだったが、現実世界を観測できないとまずい。
光が丘に拠点を置いていたゲートポイントは諦めて、違うゲートポイントに移動することにしたのだった。



なっちゃんが送ったSOSメールに返信が届いたのは、
彼女がお仕事の場所を隣の区にあるゲートポイントに定めたころだった。
ホログラムを心配そうに覗き込んでいたゲンナイやピッコロモン達は、
なっちゃんが無事だと確認して、ほっと胸を撫で下ろしたのである。


「ああ、よかった。やっと通じたわい。大丈夫かのう、なっちゃんや」

「いったいどうしたの?ゲンナイ様」

「それがのう、こちらの世界から突然光が丘のゲートポイントだけ
アクセスできなくなったんじゃ。いきなりゲートポイントから
デジタルゲートがつかえなくなって、完全に制御不能に陥っておる。
おそらく、あちらの世界の影響がこちらにも出始めておるんじゃろう」

「こちらの世界とあちらの世界が繋がり始めてることが原因なの?」

「いや、事態は思ったよりも深刻じゃ。違法電波とされるのは致し方ないとはいえ、
その範囲が明らかになっちゃんの活動範囲を超えておる。初めは光が丘団地だけだったのが、
ほんの数十分の間に練馬区全体にまで及び始めているんじゃ。
ネットワークはもちろん、電磁波を使うライフラインや交通機関は完全に麻痺して、
機能しておらん。あの日の教訓からまだパニック状態にはなっておらんが、
いつまでもつか分からんのう。光ヶ丘のゲートポイントはもう完全に隔離状態になっておる。
こちらからでは干渉することができんのじゃ。
すまんが、なっちゃんはそのゲートポイントから活動を再開してくれんか」

「わかったわ、がんばってみる」


こくりとうなずいたなっちゃんに、ゲンナイは申し訳なさそうに目を伏せた。
暗黒勢力による意識誘導は、常時行われている。無意識とゲンナイは戦い続けている。
この隠れ家エリアでしか、ゲンナイは活動することができない。
少しでも気を緩めれば、ダイノ古代境に向かおうとしてしまう自分がいるのだ。
意識を乗っ取られて、主導権を握られてしまったが最後である。
生き残りのエージェントとして、まだゲンナイは正気を失うわけにはいかなかった。
それをしっているなっちゃんは、なにを言えばいいのかちょっと困ってしまう。
ゲンナイはひょうひょうとした様子で笑った。
すると、ゲンナイの隣でなっちゃんとの会話を聞いていたピッコロモンが、
突然画面の端に見切れて、見えなくなってしまった。
どうしたのかしら?ってそちらの方向に目を向けたなっちゃんは、
慌てた様子で画面の中に再び入りこんできたピッコロモンを見た。


「残念なお知らせがあるっぴ、なっちゃん。
 光子郎たちは止めることができなかったようだっぴ」

「………そう」

「なっちゃんが光が丘のゲートポイントから追い出されたのも、
 きっとそのせいだっぴね」

「………そう、だね。わたしが光が丘とサマーメモリーズに行ったのは、あのお城からだから。
 旧システムは全部、あそこで管理してたもの。管理者権限で追い出されちゃったのね」

「光子郎たちはそのまま追いかけるつもりだそうだっぴ。
 あそこから直接光が丘のエリアに飛んだら、少しでも被害が抑えられるかも
 しれないっぴよ」

「わたしも行った方がいいのかな」

「なっちゃんは別のエリアを回ってほしいっぴ。
 違法電波のエリアはものすごい勢いで拡大してるらしいんだっぴよ。
 きっと地下水道やトンネルを通って、移動してる奴らがいるんだっぴ。
 少しでも返してやらないとまずいっぴよ」

「そうだね。そうする」

「うん、お願いす」

「どうしたの?ピッコロモン」

「光子郎からメールがあったっぴ。
 どうやら無事にゲートを開くことができたらしいっぴ。
 9枚しかないなら間違えようがないっぴね」

「9枚?本当に9枚っていったの?」

「え?そ、そう書いてあるっぴよ?」

「ちがう、ちがうわ、ちょっと待ってってメールして、ピッコロモン!
 あそこのカードは、ホントは10枚のカードがあるはずなの!
 1枚足りないわ!どっちも大事なカードなのに!」


必死で叫ぶなっちゃんに気圧されて、ピッコロモンは大慌てで光子郎にメールする。
時は一刻を争うのだ、写真を見せてくれと叫ぶなっちゃんに転送されるメール。
添付されていたヴァンデモン城地下に存在する旧ゲートの管理室の写真。
食い入るように見つめていたなっちゃんは、デジモンの絵柄にさっと顔色を変えた。


「ゲンナイ様、急いで旧ゲートを別のゲートポイントにつないで!
 みんなをそっちに転送して!そうじゃないと大変なことになっちゃう!」


1995年、時空のひずみに落ちてしまったデジタマを回収するために、
デジタルワールドは現実世界とつながるデジタルゲートを作り上げた。
光が丘のゲートがヴァンデモンの勢力によって占拠されてしまった以上、
利用されてしまうことは必然だったと言ってもいい。
なっちゃんの機転により寸前のところでトラブルは未然に回避されることになった。
太一たちは光が丘にいくはずの転送装置から、いきなり真っ白な空間に投げ出される
はめになって驚いたのだが、なっちゃんから詳細を聞かされてほっとするのだ。
ゴマモンのカードは、光が丘団地へのデジタルゲートだとすれば、
初めから残されていたアグモンのカードは、アメリカ行きのゲートだったのである。
あっぶねえ、と冷や汗をかいた太一たちだった。
誰が考えたのかは知らないが、とんだトラップである。
そして彼らは、デジタルワールドから現実世界に安全に送り届けられるという理由から、
結局、サマーキャンプのデジタルゲートに転送されることになったのだった。









豊かな自然に恵まれた壮大な景観が魅力の御神渓谷は、標高520mの場所にあり、
夏は涼しく暑い日でも木陰に入れば、のんびりとした時間が流れている場所である。
川のせせらぎや鳥の鳴き声により、くつろげる場所として有名なこの渓谷は、
この地区を代表する紅葉の名所から、さらにバスで20分ほどの山間部に位置している。
様々な形をしている岩石の群とサンショウウオなどの多様な動植物が棲息するこの渓流は
地元住民により保護活動と景観整備が進められ、より自然を身近に体感できるため、
マス釣りやバーベキューを楽しむことができ、遠方からも多くの人々が訪れていた。
本来であれば、午後からは廃校となった旧小学校を改築して作られた工房で、
木工ろくろで器を作る教室や小枝のクラフトを作成する体験学習が行われる
予定だった東京からの団体がある。



季節外れの豪雪により安全を確保するために提供してもらった工房の一角には、
中止になってしまったサマーキャンプの不満をがやがや騒いでいる子供たちがいた。
家に帰るための荷造りを子供会の役員である大人たちに指示された彼らは、
ようやく落ち着いてきた天候により、下山することができないのではないか、
という最悪の事態を回避することが出来てほっとしているのだった。
突然降り始めた大雪により、真夏の穏やかな渓流は一面真っ白な銀世界である。
一歩外に出たならば真っ白な息を吐き、夏服の軽装は間違いなく体調を崩しかねない。
旧小学校の木造建築物に暖房なんて最新器具が設置されている訳もなく、
工房をやっているスタッフたちが慌てて奥の倉庫から
引っ張り出してきたストーブがたくさん並べられている。
さすがに灯油を使用するストーブは、
灯油なんてストックされていない以上役には立たなかった。



まきをくべる大人たちがいるストーブ周辺しか暖を取れない中、
様々な学年の子供たちは、思い思いの場所で暖を取りながら、
到着が遅れているであろう観光バスの到着を待ちわびていた。
そんな中、子供会の役員のひとりでもある
お台場小学校5年2組の担任をしている藤山市郎先生は、
スタッフの人から貸してもらった上着を羽織りながら、
息を切らして同じ役員の男性と合流する。


どうでした、と何度繰り返したか分からない問答には、
首を振って答えるしかない役員の男性である。
そして、紅葉の楽しめる別のキャンプ場に捜索範囲を広げていた
役員のメンバーもようやく帰ってくるのが見えたが、
大人しかいないのを見るやいなや藤山先生の目には明かな落胆が伺えた。
すっかり雪に濡れてしわくちゃになってしまっているパンフレットを眺め見て、
藤山先生はマーカーで多くの×がつけられた地帯に、新たに3つ×を付け加える。
サマーキャンプに参加していたはずのメンバーが7名行方不明になってから、
もう1時間が経過しているのが分かる。


頼むから無事でいてくれと願いながら、
藤山先生は自分の教え子3人を含む子供たちの捜索のために声を張り上げた。
突然の豪雪により薪拾いにいっていた子供たちは
方向が分からなくなって遭難した可能性が色濃くなってきたのである。
豪雪の影響か今まで通じていたはずの携帯電話が使えなくなってしまった以上、
警察に連絡するには一刻も早くここから下山して最寄りの施設に電話するしかない。
心配そうな顔をして窓の向こう側で子供の捜索を続けている
大人を見ている子供たちと視線があった藤山先生は、
心配するな、絶対見つけるから、と何度目になるか分からない返事を返して、
子供たちが避難した可能性がある範囲をさらに広げていくことを
役員のメンバーに言うことにした。



その時である。



真木を拾いに行った我が子の携帯電話が急に通じなくなったと
相談しにきた捜索隊メンバーのひとりが、
何度かかけては落胆していた携帯を耳に押し当てながら、
大きな声で我が子の名前を叫ぶのが聞こえたのは。
思わずふり返った藤山先生たちが見たのは、
必死で探し続けていた我が子の声をようやく聞く事ができた喜びから、
感極まって言葉を紡げず、ただ何度も確かめるように名前を呼んでいる
憔悴しきった母親の姿である。
積もりに積もった雪を踏み分けながら彼女の周りに
駆け寄った大人たちに気づいた役員たちは、
7名の子供たちが皆無事であることを知って歓喜にわいた。
そんな大人たちの反応を敏感に察知した子供たちはにわかに騒がしくなる。
いても立ってもいられなくなったのか、
数名の子供たちは勢いよく外に飛び出して駆け寄ってくる。


「神社、ええ、分かったわ、神社にいるのね、大輔。
 え?だめだめ、じっとしてなさい!
 今からお母さんたちが迎えに行くから、ね、いいわね、
 みんなにはそこにいるよう伝えて頂戴。
 勝手に動いちゃダメよ!大雪が降って道が分からなくなってるんだから!
 うん、うん、そう、それでいいわ。電話は切らないでね、
 今、藤山先生と変わるから。大輔、誰か上級生の子と変わってくれる?」


そして彼女は熱くなる目尻をぬぐいながら、携帯電話を藤山先生に手渡して、
詳細を訊きたがっている子供たちに向かって行方不明の子供たちの無事を伝えた。


「大輔たちが見つかったってみんなに伝えてくれる?
 散歩道の先にある境内の中にいるんですって」


はい、と元気良くうなづいたメッセンジャーは、
転がるような勢いで廃校の中に吸い込まれていく。
しばらくして、子供たちも一緒に迎えに行くと言い出して、
スタッフに止められていた。
よかった、と大きく胸をなで下ろした彼女にねぎらいの言葉をかけるのは、
1時間にわたって子供たちを捜していた役員や保護者の大人たちである。
若干涙ぐみながら、はい、はい、と大きく頷いた彼女は、
我が子がいると教えてくれた、今はすっかり寂れている
神社の境内がある方角を見つめたのだった。


「あー、よかった。ホントに良かったですね、本宮さん。
 しかし、よく中に避難できましたね。
 たしかあの神社って鍵がかかってるってスタッフの人がいってませんでしたっけ?」

「古い建物だから、急な豪雪でドアが壊れちゃったのかもしれません。
 大輔は鍵なんてかかってなかったって言ってましたけど」

「そうですか、まあ、そのおかげでみんなこんな寒い中
 雪風をしのぐことが出来たんですから何よりですよ。
 とりあえず、みんなを迎えに行きましょうか!」

「はい!」


きっと1時間に渡って閉じこめられていたであろう神社の中は寒いに違いない。
一刻も早く迎えに言ってやらなければ、と意気込む大人たちは、毛布や上着を抱える。
ゆっくりと降り積もっていく季節外れの雪の中、
この辺りを観光案内していスタッフを先導にして進むことになったのだった。










「やばい、やばい、ヤバいっすよ、みんなこっちにくるって!どうしよう!」


しー、と藤山先生からの電話の応対をしている丈から
人差し指を押し当てられた大輔は、スイマセン、と小さく謝った。
しかし、大輔の動揺から事情を察知した子供たちは一気に騒がしくなる。
受話器の辺りを押さえつつ、ちょっとみんな静かにしてくれよ、と丈は叫んだが効果なし。
あわてて神社の境内から飛び出すと、PHSに手をおし当てた。
ぎゃーぎゃー騒ぎ始めた子供たちが叱られることを恐れている、と
あること無いことでっち上げてしまえばいい。
不審がる藤山先生からの追求を誤魔化すことになっている。


生まれて初めてパートナーである子供たちの世界にやって来たデジモンたちは
突然、神社の建物の中から出るな、じっとしてろっていわれてきょとんとしている。
彼らが生まれ育った世界を一刻も早くこの目に焼き付けたい、
空気を吸ってみたい、目で見てみたい、耳で聞いてみたい、匂いをかいでみたい、
大地を踏みしめてみたい、とわき上がる衝動を抑えきれる訳がないのだ。
ちょこまか動いて、なんで!?と必死で抵抗しているデジモンたちは
一匹残らず腕の中に収まってしまう。
ゆいいつの光源である木枠格子の向こう側には、真っ白な世界が広がっていた。
子供たちも半年ぶりに帰還した現実世界に大喜びして、
一刻も早く友達や家族と再会したいのは山々である。
でも、この腕の中にいるパートナーデジモンたちの処遇を考えた時に、
高揚する気持ちは一気に吹き飛んだ。
どうしよう!?という困惑と混乱と焦燥に襲われることになってしまった。
デジモンたちを今すぐ隠さなければ行けない。
ついでに隠しながら家に連れて帰らなきゃいけない。
今、子供たちがいるのはサマーキャンプをしている東京郊外の山の中なのである。
2台の大型バスでやってきたことが遠い昔のように思えるが、
サマーキャンプが豪雪により中止、これからバスが到着次第帰路につくらしい。
ということは、問答無用で子供たちは大型バスに乗らなければならないのだ。
バスで片道20分以上もかかる山の中を徒歩で帰るのは無謀だし、
勝手に行動してはまた大人を心配させる。
デジモンたちの影響で電化製品が壊れてしまうと言う事実を太一から聞いている以上、
運転席を通る際、バスにそのまま乗せることが出来るのはどうやら幼年期までらしい。
デジタルゲートをくぐり抜ける時は、幼年期でねってなっちゃんに言われたので、
0と1のデータから肉体をもらったデジモン達は、今のところ一律で幼年期だ。
これでバスにデジモン達が紛れ込んでも、バスが壊れて事故に遭うことはない。
だから、あわあわしている子供たちを理解できずに、デジモンたちは困惑しきりだ。
とりあえずこの中で現実世界でのデジタルモンスターの扱いについて
一番良く知っているアグモンと太一が説明に周るはめになる。
折角ヴァンデモンを何とかしようって意気込んだのに、とんだぐだぐだである。
でも、これから数十分後には来るであろう大人たち、という危機に直面していることを知るのが先だ。


「モチモン、このカバンの中、入れます?」

「無茶言わんといてーな、光子郎はん。
 パソコン用のカバンに入ったら、潰れてしまうがな」

「うーん、そうなるとやっぱり何か袋をかぶって荷物の中に紛れてもらうしか」

「荷物と一緒て息つまりますって」

「でも、僕たちの家まで2時間はかかりますよ。どうしましょう?」

「せめてテントモンやピヨモンだったら、空を飛べるのに。
 バスを追いかけてもらうこともできたのに、残念ねえ」

「えええっ!?2時間もずっと飛ぶのっ!?
 ねえ、空、バードラモンになっちゃダメ?」

「だーめ、みんなに見られたら大騒ぎになっちゃうじゃない」


むー、とむくれるピョコモンと、難儀やなあ、と落ち込んでいるモチモンである。


「タネモンはちっちゃいからぬいぐるみのフリして一緒に乗りましょ!」


「え、ほんと?」


「うん。私がだっこしててあげる。あ、でも、じっとしててね。
 アタシ、お友達とずーっとおしゃべりしなきゃいけないから!」

「えー、2時間もずーっと!?」

「幼年期でよかったね、トコモン。オレたちもバスに乗ってもいいよね、ヤマト」

「そーだねー」

「え?」

「え、どうしたの?ヤマト」

「え、あ、いや、その……ミミちゃんやタケルならともかく、
 オレがぬいぐるみ持ってるのはどうなんだ」

「えええええっ!?ちょ、ひどいよ、ヤマト!」

「大丈夫だよ、ツノモン。僕が一緒に連れてってあげる」

「ありがとう、タケル!もー、ヤーマートー、どういう事だよ、ひどいなあ!」

「わ、悪い悪い。でもなあ、さすがに、あはは」


すっかり拗ねてしまったツノモンをヤマトが慌ててなだめている中、
ようやく携帯電話から解放された丈はほっと息を吐いたのだった。
そして大輔に携帯電話を返し、同じように頭を抱える。


「参ったなあ、藤山先生、僕たちの他に誰かいるのかって怪しんでたよ、
 どうするんだい。頼むから静かにしててくれよ、君たち」

「いきなりそんなこといわれたってオイラ知らないよ」

「あーもー、なんでプカモンはいっつもそうかな!
 君はさすがにリュックの中に入って、荷物と一緒に乗ってもらうしかないと思うよ。
 一緒に乗るには僕が耐えられないからね。色んな意味で」

「まーいいけどさ。どれくらいの狭さなの?」

「大型バスだから結構荷物は入るはずだよ。
 僕が乗った方は結構スペースが空いてたと思うから、
 ドアが閉まったら出てくれてもいいしね」

「りょーかーい」

「丈さん、チビモンもコロモンも一緒に乗った方がいいっすか?」

「うーん、でも確か大輔君は別のグループじゃなかったかい?
 一緒の方がいいと思うけど、大輔君の荷物の中に紛れてもらうことを考えると
 チビモンには別のバスの方がいいかもね」

「じゃあ僕とプカモンは一緒のバスだね。いいなあ、チビモン」

「えー、でも真っ暗な中で2時間もかくれんぼするんだろー?暇だよ」


はあ、とため息をつくのはチビモンである。こればっかりはしかたない。
そして、担任の先生のことをすっかり忘れていた太一は、すっかり冷や汗である。
どうしよう、絶対いろいろ言われるぞ、怒られるぞ、どうしよう。


「なあなあ、丈、藤山先生なんて?」

「とりあえずここに来るからじっとしてろって言ってたよ。
 一時間ぐらいずっと僕たちのこと捜してくれてたらしいんだ。
 みんなを心配させたからね、謝らないと」

「だよなあ、はあ」

「それより、太一。たしかサマーキャンプには君のお母さん来てるんだろう?
 光くんのことなんて説明するんだい?」

「………どうしよう、光」

「………どうしよう、お兄ちゃん。お父さん、私がこっちにいること知らない」

「えええええっ!?」



[26350] 番外編
Name: 若州◆e61dab95 ID:97dd66bb
Date: 2013/08/10 20:42
①ファイル島のオーガ砦にて(本編より200年ほど前の話)
②ファイル島のシーラ岬にて(第五話あたり)
③ファイル島のアイスサンクチュアリにて(デビモンに飛ばされた太一)
④ファイル島の下水道にて(第十話あたり)
⑤冒険が終わった後の話




①ファイル島のオーガ砦にて(本編より200年ほど前の話)



地殻変動により大地が隆起し、谷底を流れる川の浸食によって削り出された地形は、
地層の様々な重なりを見せてくれる。
V字を為す断崖が連なるこのエリアは、海、浅瀬、砂浜、火山などの地層が連なっており、この世界の歴史を秘めている。
いくつもの絶壁がつらなるこのエリアはグレートキャニオンであり、登山者のために設けられた橋をグレ大橋という。
本来ならば登山者が利用するはずの立派な橋は、いつでも通り過ぎようとするデジモンは皆無だった。
なぜならこのあたりは有名な盗賊の出現スポットだからである。
たくさんの子分を連れて現れる盗賊のかしらは、成熟期ながら完全体を粉砕した実力者であり、
かしらが持っている得物はその完全体の骨でできた棍棒だというのだから、相当の乱暴者だとうかがえる。
通行料として法外な値段を提示された登山者は、たいていありったけの荷物を横取りされて、
命からがら元来た道を逃げ帰っていくのが通例である。だからなおさら登山者は通らない。
しかし、盗賊団の出没エリアであるにもかかわらず、堂々と足を踏み入れる者がいるのは確かであり、
奇妙な訪問者が向かう道はいつだってグレ大橋を上るのではなく、グレートキャニオンを流れる川の谷底を目指して降りていく。
目的地は盗賊団のかしらであるデジモンの基地である。
本日の訪問者は無礼講よろしくノックもなしでいきなり乱暴にドアを開けて基地に侵入した。


「邪魔するよ、オーガモン」


相変わらずきったない部屋だねえと彼女は煙たそうに咳き込んだ。
追いはぎよろしく巻き上げたのだろう物資で溢れていて、畳にこたつなど生活感があるが、
かしらの性格を表すように部屋全体が非常に散らかっている。
ちなみにグレートキャニオンの登山道は途中で行き止まりである。
上層部に上るにはここのエレベータを使わなければいけないので、
どのみちグレートキャニオンへの登山を目的とするならこの砦の主とタメを張るだけの
実力者でなければ意味がない。
それはともかく、いきなりの訪問者に驚いたのはオーがモンと呼ばれたデジモンである。


「なんのようだ、クソババア」

「だあれがクソババアだい、口の聞き方間違ってんじゃないよ。まったくいつの話だ」


軽口をたたきながら鬼人型の成熟期は、怒りを原動力とする身でありながら、
自分より強い相手にも容赦なく襲い掛かるデジモンハンターの異名はどこへやら、
ケンカを吹っ掛ける気はないらしい。
どうやら過去に散々酷い目に遭ったことで学習したようだ。何があったかはご察しである。
どうしやすか、親分、とぬくぬくこたつに入っている子分に言われたオーガモンは、
骨の棍棒を片手に、オレにだけ出撃させる気か手前らと怒気をはらませた。
そんなやり取りを横目に、訪問者はつかつかと歩み寄ると、単刀直入に訪問理由を告げた。


「最近、裏次元は開いたかい?」

「あ?んなもん開いてたらこいつ等が大騒ぎするっての。
 あのガキが元の世界に帰ってからはとんと音沙汰ねえな」

「そりゃよかった。というかいつの話をしてんだい」

「あ?なんとなくだよ。ぱったり来なくなっちまったなあと思ってな」

「寂しいのかい?」

「あ?馬鹿にすんな。ジャポニカ復讐帳に名を刻むような骨のある奴がいねえだけだ」


どうやら骨のある奴がやって来ることはなさそうなので、オーガモンは面白くなさそうに舌打ちした。
裏次元と通称されているエリアがある。
そのエリアは幾度となくこの世界を危機に陥れようとする者が現われるたびに、
突如として出現する謎の異空間であり、敵の本拠地ともいえるところだ。
どういうわけかそのエリアはファイル島の特定のエリアにアトランダムに出現する。
ひとつはウィルス種しか入ることができない闇貴族の館というエリア。
ふたつがワクチン種しか入ることができないアイスサンクチュアリ。
そして、最後がここ、グレートキャニオンにあるオーガ砦である。
訪問者である彼女はデータ種だ。
必然的に何か予兆があればすべての種族が裏次元に入ることができるオーガ砦にやって来るしかない。
オーガモンにしてみれば世界の危機が訪れるたびに住処が敵の巣窟になって追い出されるわけだからたまったものではない。
でも裏次元はまだ出現していない。まだ時期尚早なのだろうか。


「まあその内フラッと現れるだろうさ。勇者の証は渡したからねえ」

「あっちとこっちを行き来できるカードだっけか」

「そりゃ前の英雄だ。今回はちっと手が込んでるよ。気が向いたら手伝ってやっておくれ」

「やなこった。オレァ、そんなキャラじゃねえんだよ」

「そりゃそうだ」


じゃあなんでここに来たんだとオーガモンが問うた時、彼女は笑った。
彼女は占い師のまねごとをするとき、古くから占いの方法として知られた水晶を用いる方法を特に好んで使っている。
水晶を見つめながら浮かんできたイメージを連想して幻視する方法と彼女はとりわけ相性がよかったのだ。
なにせこの方法は彼女の主観によってどうとでもなってしまう一辺倒のものであり、
客観的な検証をすることは事実上不可能だったから、
彼女が話すことが本当に彼女が見たヴィジョンなのかは誰にも分からない。
水晶体の中に天使が見えようが悪魔が見えようが眺めて楽しむだけが華とは彼女の談である。
何を言っても信用しない方がいいよ、アタシは嘘つきだからねと彼女は繰り返しうそぶく。
みえたものを伝えることにとりわけ彼女は慎重だった。
水晶体ごしにみる映像はこの世界の記憶を覗いてしまうことにもつながっていて、
彼女の無意識の反映、いわゆる覚醒夢という形で彼女に流れ込んでくる。
夢を真に受けてはいけない。見た映像を分析して未来を予測することは容易だが、
自分の精神状態も把握しておかないと推測以上のなにかに深入りしてしまうので、
彼女はそれを特に恐れていたのである。
追い求めることに情熱を燃やしたがために、道を踏み外す可能性があるからだ。
だから彼女はいつだって葛藤を抱えていた。
罠が仕掛けられていることが明白なのは分かっていて、君子危うきに近寄らずをとることは最善にちがいない。
常識に照らしておかしいと思われることを始終見ていた彼女は、いつだって平然と無視し続けていた。
初歩的なことが分からないでトラブルに巻き込まれていては、占い師の真似事など出来る訳がなかったからだ。


「ちょっとやなモンが見えちまってねえ。もしかしたらと思って来てみたんだけど、 
 当てが外れちまったみたいだ。うちのダーリンとワクチン種の守護デジモンにでもいってもらうとするよ」

「何が見えたんだ」

「アンタに言っても分かんないだろうさ」

「け」


結局彼女はオーガモンに言うことは無かったが、その日彼女が見たのは、
灼熱の炎とコロナが吹き上げる世界に一瞬黒い穴が開いて、湧き上がる呻きだった。
渦巻く憎悪、嘆き、怨念が濃縮したような不気味でおぞましい嘲笑が彼女の中で木霊する。
すぐに炎の世界は黒い穴を塗り潰したが、その一瞬だけでも声の主が穴の向こう側から
こちらの世界を認識したこと自体が問題なのである。
やっぱりねえ、そんなこったろうと思ったとつぶやいた彼女はため息をついたのだ。
ファイル島に匿われている最後の生き残りであるエージェントは、
本来この声の主がこの炎の世界からこちら側に来ないように封印、
監視するはずのセキュリティ・システムの一端である。
そもそもこちらの世界に直接かかわることなどありえないはずなのだ。それが崩された。
炎の壁と呼ばれているセキュリティ・システムが非常に不安定になってきている。
こうなるとこちらの世界にも暗黒の力の影響はますます色濃くなることは明白だ。
彼女は立ち上がる。確かめなければならないことができてしまった。
じゃあね、と風のように去ってしまった彼女を見届けて、
オーガモンはそろそろ本格的にオーガ砦の引っ越しでも検討しようかと本気で悩み始めたのだった。





②ファイル島のシーラ岬にて(第五話あたり)



「デジハマグリ?」

「そうだよ!ここのビーチでよく取れるんだ!オイラ達の子分がお腹すかせちゃってるから集めてほしいんだよ」

「子分ってあのたくさんの魚たちのことか?」

「うん」

みんな顔を見合わせた。
ゴマモンは自由に魚たちを召喚して操ることができる能力に長けており、
クワガーモンによって崖から真っ逆さまに突き落された時も五体満足なのは
マーチングフィッシーズという必殺技のお陰なのは記憶に新しい。
さすがに成長期8匹と子供たち8人を一気に受け止めた時の衝撃は大きく、
一度みんな豪快に沈んでしまったのは仕方ないにしても、
すぐにいかだのような形になってみんなを引き上げてくれたのは間違いない。
はじめはすぐにでもマングローブ域に上陸しようとしたのだが、
ここに生息しているデジモンのラインナップが恐ろしい程に成熟期ばかりだったため、
成長期になったばかりのパートナーたちが猛反対し、結局海まで出てしまった。
そして、1本の大きなヤシの木が立っている白い砂浜を見つけた時、
パートナーたちはここで降りようと、ようやく賛成したのである。
ファイル島の南部にあるこの岬の奥に広がる森は、迷わずの森といわれており、
幼年期だったパートナーたちが主に住処にしていたエリアだそうで、
ちらほらとみえるデジモンの姿はあきらかに成長期や幼年期が多くなったのをうかがい知ることができた。
シーラ岬という滅多に表れない海域の主を模した岬の近くで、子供たちは上陸することができたのだ。
その間、ずーっといかだ代わりになってくれていた魚たちは、どうやらお腹が空いているらしい。
命の恩人のたっての希望である。なら集めてやるかとすぐにみんなの意見は一致した。

「デジハマグリってどんな形をしてるんだい?ゴマモン」

「なんだよ、丈。デジハマグリも知らないの?」

「デジハマグリは知らないけど、ハマグリなら知ってるさ。
 これくらいの大きさでー」

「それデジシジミかデジあさりと間違ってない?」

「え、そ、そうだっけ?」

「かっこわるー」

「う、うるさいなあ。それじゃあ専門家に聞こうじゃないか、デジハマグリってどんな形をしてるんだい?ゴマモン」

「こんくらいの大きさで、丸みを帯びた三角形の形をしてる貝だよ」

「あー、あー、あれか。網で焼いて食べる奴」

「えー、何言ってんだよ、丈。生で食べるのが一番おいしいだろ」

「ラッコじゃあるまいし……砂抜きもしないで食べられないよ」

「人間って損な生き物なんだなあ、生で貝も食べられないなんて!」


澄み渡る青空のもと、丈とゴマモンは、シーラ岬に広がる砂浜で潮干狩りに興じる仲間に加わることにした。


「丈先輩」

「あれ?どうしたんだい、空君」

「デジハマグリって、どんな形してましたっけ?」

「ああ、これくらいの大きさで丸みを帯びた三角形の貝だよ」

「あ、あの貝なんですね。ありがとうございます。
 いきましょ、ピヨモン。これでデジハマグリが探せるわ」


安心した様子で去っていった空たちを見送った丈は、おーいーと面白くなさそうに
じと目で見上げてくるアザラシの子供にが目に入って、しー、と沈黙を促す。
ついさっき専門家から入手した情報をさもありなんと披露するとはどういうことだ。
いやだってさ、ここの所みんなから頼りにされてない気がするから、
こういうところでいいところ見せないとほら、あれだろ、うん、なんて言いつくろわれ、
ゴマモンの眼差しはちょっとだけ呆れが混じった。


「まあまあ、君たちの仲間の分はちゃんと集めてあげるから。いくつ集めればいいんだい?」

「そうだなー、あいつら結構大食いだから100個くらいは欲しいね!」

「ひゃ、ひゃっこも食べるのかい!?」

「あはは、丈ってば冗談通じないなあ、べ」

「あー、でも結構たくさんの魚がいた気がするし、
 あっという間になくなりそうだ。ここには8人と8体いるから、
だいたい7個くらいの計算かな?電話ボックスも壊れちゃったし、ここにいるとデジモンが襲ってきそうで怖いから早いこと集めないといけないね」

「ちょ、丈……」

「なんだよ、ゴマモン。僕は今デジハマグリのいる穴を捜してるんだ。ちょっと静かにしてくれないか」

マーチングフィッシーズ達は数こそ多いがその分体も小さいため、実際はそんなにいらないのである。別にそんなにいらないよって言おうと思っていたゴマモンだったが、目を皿にして引き潮の浜辺を見下ろしている丈を見ていると何も言えなくなってしまったのだった。やっぱりなんだかんだ言ってうれしいのである。丈が自分たちのために何かをしてくれているという事実が。まあ、感謝の気持ちってことでマーチングフィッシーズ達が食べられなかった分はオイラがいただき!とちゃっかりゴマモンは笑っていた。

丈は砂浜で穴を捜していた。貝だって生きているのだ。だから呼吸をしないといけない。だから海に沈んでいる間は呼吸をするために水管を出していると本で習ったことがある。
今のように潮が引いていてもその穴は残っていることが多いから、そこを掘り返してみればきっとそれっぽいのが見つかるはずなのだ。1つみつかったらたくさん見つかるとか言う黒光りにも似た習性があったはずである。とりあえず15センチほど掘ってみたらいいかなあと思いながら、丈は良さそうな穴があったので掘ってみた。


「そりゃデジシジミだよ、丈」

「もうちょっと深くに住んでると思うよ、ハマグリは」

「見つかったらラッキーって感じだもんな。オイラもがんばってさがそーっと」


掘り返し始めた丈とゴマモンは、こぶりながらアサリやハマグリによく似た貝を集めている。


「あ、丈のやつ結構見つけてる!やばいな、オレたちもそろそろやろう。勝負だぜ、ヤマト」

「ああ、望むところだ。ところで、太一、勝負って数で勝負なのか?それとも大きさ?」

「あ、そういや考えてなかったなあ。うーん、ここは公平に第3者に決めてもらおうぜ。
 おーい、丈!」

「なんだよ、太一。僕は今デジハマグリを捜してて忙しいんだけど?」

「まあそう言うなって。ヤマトとオレで勝負しようって思ってんだけどさ、
 大きさと数、どっちがいいと思う?」

「また君たちは…ほんとにどうでもいいことまで張り合うのが好きなんだね。
 アサリとハマグリはハマグリの方が見つけるのは難しいから、
 ハマグリの数でも勝負したらいいんじゃないかい?
 忘れられちゃ困るけど、マーチングフィッシーズ達は結構な大食いらしいんだよ。
 小ぶりな奴が多いよりは、大きい奴が多い方がいいに決まってるね」

「よーし、じゃあヤマト。デジハマグリの数で勝負だ!」

「ああ、わかった。そうだ、太一」

「なんだよ」

「アサリとハマグリは違うからな。ハマグリと言い張ったって無駄だぞ」

「げ、貝なんてどっちもおなじだろー」

「同じじゃないから丈はハマグリは見つかりにくいって言ったんだよ。
 そんなこともわからないのか?まあ、ハマグリとアサリの違いが分からないんなら、
 オレの勝ちは決まったようなもんだな」

「なにー!?言ったな、このやろ。ぜってー負けねえ!いくぞ、アグモン」

「オレたちはあっちに行こうぜ、ガブモン」

「「勝負だ!」」

火花を散らしながら、ヤマトと太一はそれぞれ別の場所を探し始めたのである。
ちなみにヤマトがアサリとハマグリの違いが分かるのは、
言わずもがな小学校5年生にして料理歴4年という悲しい家庭事情があったりする。
ついでに祖父のミッシェルを父に持つ奈津子がイタリアンを振る舞うのが好きで、
たまにハマグリを使った料理を作ってくれていたという想い出があるからだが、
もちろんそんなこと誰も知る訳がない。
ようやく静かになったシーラ岬で、丈とゴマモンはちょっとヒット数が減ってきたので、
移動することにした。あまりにも小さい奴はもう一度埋め直すことにする。


「へー、そんなにめずらしいのかよ、シーラモンって」

「そうだよ、大輔。オレたち、今まで一度もシーラモンに会ったことがないんだ。
 だからこういう姿をしてるよって教えてもらったことはあるけど、
 見たことないんだよね。一回会ってみたいんだけどなあ」


デジハマグリの潮干狩りなんてとっくの昔に飽きてしまったらしい大輔とブイモンが、
この岬の名前にもなっている由来のデジモンについて喋っている。
ブイモンも誰に教えてもらったのかは、あまりにも昔の出来事でもう思い出せないのだが、
「生命のスープ」と呼ばれる場所でデジモンは生まれて、様々な突然変異を起こして
現在のように陸上で暮らすようになったと言われているらしい。
「生命のスープ」って何だよって大輔が質問を投げかけたのだが、
もちろんブイモンはさあ?と首をかしげるだけである。
今まさにそこにいるのだが、まさに目の前に広がっているのだが、気づきもしない。
シーラモンはその変異の過程を証明するような体の構造を持っている非常に珍しいデジモンである。
でも肝心の非常に珍しい特徴とやらをブイモンは覚えていないので、大輔は思わず笑ってしまった。
古代魚なんて言われているシーラモンである。
どんな姿をしているのか伝聞のうろ覚えを必死で思い出しながら、ブイモンは転がっていた棒切れで大輔に描いて見せた。


「こえー、ホントにこんなやつがここに住んでんのかよ。怖すぎるって、ブイモン」

「えーそうかな?友達になれたら、たくさん群れで現れてあっちの対岸まで
 渡してくれるいい奴なのに?」

「どうやって?」

「ぴょんぴょんぴょんって。踏み台になってくれるんだってさ」

「えーホントかよ」

「ホントだよ。あったことないけど」


大輔とブイモンのところまで波が打ち寄せてしまい、せっかくブイモンが書いた力作が
かすれてしまうが、もう彼らはお構いなしで別の話に移行したようで意にも解さない。
硬そうなウロコで覆われた魚は、巨大な鉤爪で威嚇するように牙をむいている。
ヒレは手なんだか足なんだかわからないが、なんだか普通の魚に人間の手足が生えたような気持ち悪さがある。
まさかこいつがめずらしーら?なんて出会いがしらにギャグをかます成熟期なんて、
彼らが知ることはおそらく一生ないだろう。
シーラモンの活動時間は主に夕方から夜にかけてであり、文字通り彼らは夜行性である。
見ず知らずの世界に来たばかりの漂流者が日中はともかく夜に自由活動など無理だった。
そんなほほえましい会話を横に、ここらへんにしようか、と丈はゴマモンに聞いた。


「ねーねー、タケル。なんで海ってしょっぱいのー?」

「えーっとねー、左に回すとなんでもでてきて、右に回すと止まる臼があって、
 欲張りなおじいさんが甘いものを食べたばっかりだから、塩が欲しいっていいながら
 回したんだよ。でも、その臼は他の人のだったから、出してくることしかしらない
 欲張りなおじいさんは止め方が分からなくて、塩で一杯になっちゃったから、
 そのまま海に沈めちゃったんだよ。だから海の下ではずーっとその臼が塩を出してるんだって」

「へー、そうなんだ。じゃあ、誰かが右に回したら海もしょっぱくなくなるのかなあ?」

「こーんなに広い海から見つけるのって大変じゃない?」

「それもそうだねー」

「でもね、パタモン。さっきのは昔の人が考えた海がしょっぱい理由だから、
 ほんとは違うかもしれないんだってお兄ちゃん言ってたよ。
 おにーちゃ……あ、太一さんと競争してるんだっけ。どうしよう?」

「光子郎に聞いてみる?」

「でも、光子郎さんさっきからパソコンと携帯電話をずーっともってるよ?
 つながらないかなってずーっと探してるみたい。邪魔しちゃだめだよ」

「じゃあじゃあ、えーっと、あ、丈!ねえねえ、ちょっといい?」

「ん?なんだい、パタモン」

「なんで海ってしょっぱいの?」

「それはね、海が出来た時にたくさんの塩がとけたからなんだよ」

「じゃあ、なんで海はしょっぱくなくならないんだろう?」

「たしかに、海から雲が出来て山で雨が降って川の水が海に戻ってくるように、
 水っていうのはぐるぐる回るから、海がしょっぱくなくならないのは不思議だよね。
 でも、水が返ってくるときに、たくさんの塩が岩とか土とかにあったのが、
川の水と一緒に帰ってきたらどうなると思う?」

「そっかあ、どっかにいっちゃうしょっぱさと帰ってくるしょっぱさが同じだから、
 変わらないんだね」

「そういうことさ」

「やるじゃん、丈。そういう難しいことはよく知ってるんだ?」

「まあね、それほどでもないよ」


丈はまんざらでもなさそうに笑う。
デジヒトデを発見したとか、しないとかで騒ぎ始めたタケルたちを置いて、
彼らは再び作業を再開することにした。






③ファイル島のアイスサンクチュアリにて(デビモンに飛ばされた太一)



壮麗な館がデビモンによる幻想だったと知らされた太一が覚えているのは、
夢は終わったという静寂の中に邪悪さが感じられる闇からの宣告だ。
屋敷の屋根や壁、床が粒子となって砕け散り、大きな月の照らしだす森にひっそりと
たたずむ何百年も前に主を失ってからすっかり朽ちてしまった館の残骸に姿を変えた。
太一が立っていた回廊の残骸は、危ういバランスで手すりが残っているだけ。
耳元でささやいているようにも、遠くから聞こえるようにも感じられる声の正体は、
その今にも崩れ落ちそうなほど軋む壁に掛けられている大きな額に飾られた天使の絵。
ただしくは青白い光の中に浮かんでいたはずの、何かに祈りをささげる天使の絵。
タケルとパタモンがきれいな絵があった場所。そこが真っ黒に塗り潰されていた。
穴が開いたように真っ黒だった。
そこから姿を現したデビモンによってファイル島はエリアごとに分断され、流された。
オーガモンに追い詰められた太一とアグモンを助けてくれたのは、
デビモンによって洗脳されていたもののデジヴァイスの光によって解放されたレオモンだ。
みんなが捕まるベッドと共に浮遊していた3台の使用者のいないベットは落下して崩壊。
太一が使っていたベットがこちらへ向かってきて、それにレオモンは太一たちを
首根っこ掴んで放り投げた。縁があったらまた会おうという言葉を残して。
デビモンに単身勝負を挑む後姿を最後に、太一はアグモンと今にも朽ちそうなベットで一夜を明かしたのである。
まさかの氷山との衝突によってフリーズランドと呼ばれているエリアの一部に落下した太一が最初に目にしたのは、見覚えのある絵画だった。
豪快に崩落した氷の天井は、ステンドグラスのように色がついていて、薄かったのが幸いである。
本来あるべき芸術品がぼろぼろになってしまい、放射線状に砕かれた天井からの光によって
太一とアグモンが落下した薄暗い建物の中をぼんやりと映し出してくれる。
まっさきに太一とアグモンが感じたのは、寒い!という一言だったが、
アグモンの得意技が炎属性だったこともあって、問題には成らなかった。
氷の煉瓦によって造られた建物の壁には、等間隔で置かれていたランプがあり、
火をともす事であたりを照らす光と、寒さを打ち払う熱をくれたのだ。
白い息が幻想的な氷作りの空間に解けていく。
寒い国では氷でできたホテルを経営しているとニュースで見たことがある。
もしかして、ここも似たような感じで、すべての部屋が氷でできているのだろうか、と
思っていた太一だったのだが、ぐるりとまわりを見渡すとどうやら違うらしい。
ステンドグラスを模した色のついた氷の絵画は天井を埋め尽くしている。
文字を読めない人間に宗教の寓話を説明するために造られたステンドグラスよろしく、
なにかの物語をモチーフにした連作が並んでいるが、太一にもアグモンにもわからない。
ただきれいだなあとしか思えない。
すっかり壊れてしまった真上のステンドグラスの残骸が散乱する周りには、
いくつもの氷でできた長椅子が並べられていて、まるで教室のように向かい合う机がある。
その真正面には、何かに祈りをささげている天使の絵が飾られていた。


「なんでここにあの絵があるんだ?」

「もしかしてここもデビモンの罠なんじゃないかな、太一」

「えー、さすがにそれは無いだろ。オレ達がここに落っこちたのは偶然だよ」

「そうかなあ。じゃあここは多分フリーズエリアのどっかだと思うよ」

「ふりーずえりあ?」

「うん。僕、寒いの嫌いだから行ったことないんだけど、ファイル島の北の方にあるエリアに、こういうところがあるって聞いたことあるよ。寒いのが好きなデジモンがたくさん住んでるんだって」

「へえ、イッカクモンみたいなやつらが?」

「うん、たぶん」

「そっか。じゃあとりあえず大丈夫そうだな。飯にしようぜ、アグモン。
 オレもう腹ペコで死にそうなんだ」

「いいけど、なんで?」

「なんでって決まってるだろ。氷は炎に弱いってオレたちの世界では、相場が決まってんだ」


にって自信ありげに笑う太一につられて、そっかあ、って感心するアグモンである。
それがたとえゲームや漫画から得た知識であろうとも、不安を打ち消すにはちょうどいい。
あの屋敷であった出来事はすべて幻想だったということは、
ふかふかのベットも、温かくておいしかった料理も、シャワーや大浴場も
すべて幻だったと言うことになるのだから、アグモンも太一も空腹だ。
しかたない。ここはとりあえずなにか詰め込んでおかないと。
すっかり埃だらけになっているリュックをたぐりよせ、
太一はすっかりしなびてしまった果物に手を伸ばしたのだった。
デジリンゴはすっかり酸化してタネの部分が茶色く変色している。
うへえと思いつつ、酸っぱくておいしくないそれを食べてしまうと、
匂いを嗅ぎつけて襲われたらたまらないとゴミ袋にそれを突っ込んで立ち上がった。


「とりあえずみんなと早く合流しないと。ここから出ようぜ、アグモン」

「そうだね。いそごう、太一。大輔たちのことも心配だ」

「……そう、そうだよな。はやくみんなと集まらないと」


太一の荷物を乗せたベットがわざわざ突撃してきたところを見る限り、
落下していったベットのうちのひとつは大輔が使うことが前提だったはずである。
ということは?のこり2つのベットの存在理由は?
なんとなくうすら寒いものを覚えた太一は、今は考えないようにしようって決めた。
大事なのは大輔たちが使う前提のベットが用意されていたことだ。
大輔とブイモンが行方不明になったのはデビモンの仕業ではない可能性もある。
でも、絵画から壁抜けをして見せたデビモンを目撃している太一にとっては、
玩具の街で大輔たちが訴えてきた謎の手によって壁に引きずり込まれそうになった
という出来事はどうかんがえてもデビモンの仕業にしか思えない。
どうしてあの時大輔たちの話をもっとまともに聞いてやれなかったんだろう。
どうしてが頭をぐるぐる廻るがどうしようもないことは太一が一番よく分かっている。
悩むのは後でいい。いまはとりあえずここから脱出してはやく誰かと合流しなければ。


立ち上がった太一たちは、ひんやりとする氷の扉を潜り抜けた。


「すっげえ」

「きれいだね」


幾何学模様のデザインが施された床が一面に広がっている。
ガラスのように透明な壁はどこまでも広がっていて、薄い緑色の厚みを帯びて輝いている。
はあ、という白い息がとけていった。
誰もいないのだろうか。野生のデジモンがいないのであればラッキーに越したことはない。
狭い通路である。鉢合わせでもしたら最悪だ。グレイモンが戦うにはあまりにも狭い。
余計な消耗はさけたいのである。太一の荷物はあまり食べ物をストックできない。
そんな太一たちの心配をよそに、歩き始めた太一たちの足音がクリアに響く。
誰もいない回廊をひたすら歩いていった太一たちは、斜めになった四角い四面体を発見した。
一本道の通路だから迷いようがない道である。でも行き止まり。
軽く叩いたが、グレイモンでも溶かせるか怪しいほどの強度を誇る壁と床である。
おかしいな、と太一たちは首をかしげた。


「なんだろうなあ、これ」


オブジェと思って触れてみた太一は、真っ白な世界に包まれた。
おわあってあわてて手を放したが、光は太一を包んでいく。
アグモンはあわてて太一をこっちに連れてこようとして手を掴んだ。
エレベータに乗った直後のような浮遊感が襲う。
耳の奥になにかが入り込んだように、音が少しだけ遅くなる。
気が付いたら太一とアグモンの目の前には、真っ白な煉瓦の身体を持つデジモンと
真っ青な体を持っている気持ちの悪いデジタルモンスターがこんにちは。
どうやら強制ワープゾーンだったらしい。うわあああっていう絶叫が氷の教会に響き渡った。
確認する限りでは黒い歯車の面影はない。どうやらこのエリアに住み着いているデジモンのようだ。


「そんなのありかよ、くっそお!アグモンいけるか?」

「大丈夫だよ、太一。ここは僕に任せて、さがって!」

「よっしゃ、頼むぜグレイモン!」

「ああ!」


デジヴァイスの力を借りて進化したグレイモンの豪快な炎が辺りを燃やし尽くし、
出鼻をくじかれた敵に強靭な爪が叩き込まれた。
成長期から成熟期に突然変身したデジモンはやはり異様なものとして写るらしく、
あきらかな動揺が敵たちの表情に浮かんでいる。
成長期を想定した接近距離が災いして、グレイモンの射程範囲に飛び込んでしまった敵たちは、
グレイモンの猛攻に耐えられず後退しはじめる者もいる。そんなものに構っていられるほどグレイモンは優しくない。
デジリンゴ数個で維持できるエネルギーなどたかが知れているのだ。
敵を蹴散らし、少しでも太一の安全を確保することだけに全てが費やされる。
うおお、というグレイモンの咆哮が完全に相手の戦意を喪失させたらしく、
最後の一体もとうとう逃げ出してしまった。
その数分後にはエネルギーを一気に費やしてしまったグレイモンがアグモンに退化する。
やっぱりデジリンゴだけだとこれが限界のようだった。
なんか食べ物でもあればいいんだけどなあって太一は困り顔である。
アグモンはそれでもリュックからデジリンゴを放ってくれる太一に笑った。


「なんかへんなところに出ちゃったなあ」

「どこだろ?」

「また教会かよ」

「でも天使の絵は無いよ?」

「じゃあ別の階なのか?うーん、わっかんないなあ」


太一は困ったように頭を掻いた。


「でもこんな銅像、さっきの教会にあったっけ?」

「どうぞう?あ、ホントだ」


天使の絵が飾ってあった場所には、なにかに祈りをささげている天使の銅像が立っている。
そこにはレリーフが刻まれていた。


「なんかへんな文字が書いてあるなあ。なんだこれ」

「え?太一読めないの?これはデジ文字っていうんだよ」

「でじもじい?なんだそりゃ」

「この世界の言葉だよ」

「へー、なんてかいてあるんだ?」


興味津々で見つめる太一に、アグモンは教えてくれた。


【我知るは天の理。地の導きに従いて我が魂をささげん】
【我が名は???此処を守護する者なり】


「なんか難しいことがかいてあるねえ。太一わかる?」

「わかんねえよ。でも、ここを守ってるデジモンがいるんだってさ」

「だれもいないよ?」

「だれもいないよなあ。メラモンとかもんざえモンとかみたいなデジモンがいるなら
 こっちも助かるのによー。むしろ野生のデジモンが棲み付いちゃってるよなあ。
 どっかいっちまったのか?」

「寒いもんねえ、僕だったらこんなとこに住みたくないよ」

「オレもオレも。どうせ住むならおもちゃのまちがいいなあ。楽しそうだしさ」


あははって笑った太一たちは先を急ぐことにした。
抉られたようにかき消された守護デジモンの名前である。
まさかそのデジモンによってこの島が崩壊の危機に立たされていることなど、
太一たちは知るはずもなかった。



④ファイル島の下水道にて(第十話あたり)


「ねえ、何してるの?」

「なにってみりゃ分かるだろ、兄ちゃん。下水浴だよお」

「げすいよく?なにそれ」

「下水浴も知らないなんて人生損してるねえ。いいだろ、オイラが特別に教えてやるよ。
 まずは灰色の壁をみつめて」

「うん」

「せせらぎに耳を澄ませんのさ」

言われるがままにパタモンと一緒に下水道の灰色の壁に目をやったタケルは、
ヌメモンの言うとおりに下水道の水の流れに耳を澄ませた。
視界が固定されたことで、自然と五感は視覚以外の神経をとがらせ始め、
不快感を味わわないようにと鈍感になっていたはずの嗅覚を復活させ、
鼻をつまみたくなるような汚水のにおいが充満していることに気付かされてしまう。
川のせせらぎとは程遠い、下水がコンクリートに流されていく音もトンネル内に
わんわんと反芻していてなんだか怖くなってきてしまう。
じめじめしていて暗い壁には汚らしい染みがべったりと張り付いていて、
タケルやパタモンは見たことがない色の苔やキノコを発見してしまう。
極めつけがぱちぱちぱちと視界の上方でちらつく切れかけの電灯の瞬きである。
伸びているタケルとパタモンの影が不自然にちらつくせいで、なおさらドキドキしてしまう。
我慢できなくなったタケルとパタモンは、すぐに下水浴をやめたのだった。

「こうすると、心が洗われるんだよ。まるでトイレにいる時のように」

「………」

「どうだい、兄ちゃん。一緒に下水浴」

「えっと、その、僕たち急いでるからまた今度ね」

「おいおい、まだせせらぎが来てないだろお、そうせこせこすんなよう。ゆっくりいこうぜ」

「え、せせらぎって来るものなの?」

「ちっと黙っててくれよ、兄ちゃんたち。オイラも満喫したいんだ。もちっと楽しもう」


せせらぎってちっちゃい川から聞こえてくる水の音のことじゃなかったっけ、と思いつつ、
タケルとパタモンはちょっとだけ黙っていることにした。
春のちっちゃい川はさらさら行くんだから、穏やかな気分にしてくれるのである。
下水道の汚い水の流れが心を穏やかにしてくれるとは到底思えない。
どうしようかなあ、としばし迷いつつ、いつまでも大輔とブイモンを
待たせるのもあれだし、ということでこっそり一人と一匹は踵を返す。


「待った待ったまった、どこ行くんだよ、兄ちゃんたち。いい所じゃないか。
 なんでどっか行こうとするんだよお、せえっかくせせらぎが聞こえてきたってのに!」


えー、うそだあ、と思いつつタケルとパタモンは耳を澄ませてみる。
かさかさかさ、と何かに足音が聞こえてきた。うん?え?あれ?
きょろきょろあたりを見渡すが薄暗い下水道ではよくわからない。
ドラム缶が積み上げられた通路側は狭くじめじめとした隙間があるだけで、
その先に何があるか背丈が低いタケル達には教えてくれない。
かさかさかさという音は大きくなっていく。

長い触角、平べったくて楕円形の身体、発達した足、油を塗ったような光沢をもつそれは、
感知能力に優れた触角をもち、瞬発力に優れた6本の足をもち、生存という分野において、
もっとも適した進化を遂げたと言われている。
3億年ほど前から絶滅せずに生き残っており、生きた化石とも称されるそれは、
間違いなく古代種のデジモンよりも歴史を長く持つ生き物なのだろう。
菌類、樹液、朽木、仲間の死体、残飯、垢、毛髪、油、紙、プラスチック、ゴムと
なんでもたべる雑食性がこの世界においても分解者としての地位を確立している。
純粋な不快感だけで嫌われ者の頂点に君臨するそれが足元にいると気付いた時、
タケルの絶叫が下水道に響き渡ったのだった。


「それでワッペン失くしたって言われてもなあ……どこら辺で落としたんだよ、タケル」

「覚えてないから一緒に探してって頼んだんじゃないかあ」


黒くて硬くててらてら光ってて暗くて狭くて湿ったところが好きな、
すっごく速い生物に出会ってしまったタケルはすっかり涙目である。
低空飛行しかできないそいつは、背丈の低いタケルやその上に乗っていたパタモンの
すぐ目の前を襲い掛かってきたのである。
多分リュックの中にあるお菓子とか果物とかに反応したんだと思うが、
生まれて初めてGが付くそいつを目撃してしまったパタモンは
すっかりトラウマになってしまい、さっきから一言もしゃべっていない。
だいじょーぶかー?と心配そうに見上げてくるブイモンにうなだれているオレンジは、
力なく顔を右から左に振るだけである。
そんなに怖いの?とブイモンは疑問符だ。みりゃわかるよ、と大輔は言うしかない。
喰いかけのスナック菓子とかほっとくと何時の間にか湧いてるから、
大輔はわりと見かけるのだが、そういう時はもれなく部屋はバルサン大会となる。
夜行性のそいつが真昼間から現れると言うことは、忌避すべき明かり度外視で
出てくるほどのエサがあるからか、異常繁殖しているかのどちらかだ。
きっと後者なんだろうとは思ったがさすがにいえない大輔である。
一匹いたら三十匹はいると思えが常識の天敵である。大輔だって会いたくない。
でもなあ、と横を見れば目を皿にして探しているタケルがいる。
漂流生活も3日目を数える。
今日が僕の誕生日なんだってタケルが今にも泣きそうな顔で教えてくれなければ、
ヌメモンたちのせいで外に出られなくなってしまうことが分かっていながら
こんな薄暗い下水道の道をわざわざ引き返したりなんかしなかっただろう。
タケルの好きなソフトクリームをあしらったワッペンは、
タケルのお父さんが去年買ってくれた誕生日プレゼントなのだという。
1年に数回しか会うことができないお父さんからもらったプレゼントである。
同じ条件であるにも関わらずお母さんとまともな会話も交わさないお兄ちゃんを見ている手前、
自分ばっかりお父さんにプレゼントをねだるのはどうしてもできないタケルにと、
お父さんがフジテレビでやっている朝の幼児向け番組の企画でもらったとかこつけて買ってくれたものなのだ。
もう一度買い直せばいい、なんて口が裂けても言えないそんな代物である。
おおきさ、いろ、かたちを大体教えてもらったから、見落とすのがおかしいサイズであるにも関わらず見つからない。
どうしよう、どうしようって小さくつぶやいているタケルを励ますためにも、大輔は一緒に下水道の道を戻り始めたのだった。


「なあなあ、ソフトクリームが書いてあるワッペン知らねえ?」

「いんやあ、知らないねえ。オイラ達見てくれにあんまりこだわんないタチだから」


ワッペンは直に体に張り付けるものではないのだが、どうやらおしゃれの部類に入るようだ。
ぬめった塊を避けながら、タケル達は下水浴をしていたはずのヌメモンを捜して
ひたすら壁に背を向けているヌメモンに話しかけまくっていた。


「ねえ、僕のワッペン知らない?これくらいのソフトクリームの絵が描いてあるんだけど」

「うーん?しらないよーん」


こいつもダメか、と肩をすくめた大輔たちを見かねたのか、ヌメモンは教えてくれた。


「なにか探し物があるんなら、スカモン大王様のところに行ってみる?
 なんか珍しいもんがあったら、オレたちはたいてい納めることになってるからん」

「スカモン……?」

「大王?」

「パタモン知ってる?」

「なんだそりゃ。ブイモン、スカモン大王ってどういうデジモンなんだ?」

「パタモン?」

「ブイモン?っておい、どこ行くんだよ、おまえらっ!!」

「そっちはさっき来た道だよっ!迷子になっちゃうからどっかいっちゃだめだよ、パタモン!」


物凄い勢いで逃げようとしているパートナーをとっつ構えて、大輔とタケルはずるずるずると所定の位置に戻った。


「やだやだやだっ、やだよ、大輔!いくら大輔のお願いでもぜーったい嫌だ!
 ごみの山にだけは行きたくないよ、大輔!」

「スカモンにされちゃうんだよーっ!?僕やだよ、ウンチ型デジモンなんて成りたくない!」

「きっついこというデジモンだなあ。成長期のお前らにだけはいわれたくないぞ」

「うるさーい!いくらオレでもスカモンに進化するのだけは嫌なんだよーっ!」

「僕もやだよ、タケル!」

「安心しろって、すぐに戻してくれるぞ」

「うそつけー!スカモンにされちゃったデジモン見たことあるから知ってるよ!
 戻してもらえるけど、すっごくすっごく弱くなっちゃったっていってたもん!」

「そーだ、そーだ!それにごみの山はここからずっと北にあるじゃないか!
 ワッペンを数十分でそこまで運べるわけないだろ!」

「さっきから聞いてればごみの山ごみの山いうなっ!ダストキングダムっていえ!」


だーれがいうか!と好き勝手言い放題なブイモンとパタモンである。
大輔たちは止めに入ろうとしていたのだが、ヌメモンは言いがかりとも取れる暴言罵声を
一切否定しないものだから顔を見合わせた。
ブイモン達曰くギアサバンナをここから北にまっすぐ向かうと、
ファイル島中のごみが集まって形成されている非常に不衛生なごみの楽園がある。
ゴミを好むヌメモン、スカモン、チューモン、他汚物系と呼ばれているデジモン達が
好き好んで棲み付いているため、通称ゴミの山とよばれているエリアだ。
そこを仕切っているのはスカモンというデジモンの亜種で体の大きなスカモン大王。
スカモンに進化してしまったデジモンが救済を求めて訪れる所であり、
スカモン大王はその進化をキャンセルして退化させてくれるのだが、
それ以外のデジモンが行くと問答無用でスカモンにしてしまうらしい。
ここからダストキングダムに行くには2日ほどかかるので、
ついさっきタケルが落としたワッペンを献上してしまったというのは物理的に無理だ。
つまり、わざわざ誘導しようとしていたヌメモンは。


「ううう、ばれたら仕方ない。だってよー、オイラが楽しみにしてたせせらぎを
 大騒ぎして退治しちゃったじゃないか!オイラの癒しを返してくれよ!」

「そんなこといわれても困るもん!せせらぎがごきぶりなんて知らなかった!」

「ごきぶり?なんだそりゃ」

「こっちの世界ではせせらぎって言うのかもしれないけど、
 僕たちの世界ではゴキブリって言うんだよ!」

「……ゴキブリ、かあ」

「なんでそんなニヤニヤしてんだよ、気持ち悪いなあ」

「いやあ、せせらぎにもいい名前があるんだなあって感動しちゃったんだぜえ。
 せせらぎなんて爽やかな名前どうかと思ってたんだ!
ゴキブリいいな、オイラ達の仲間っぽい名前だ!」

「ゴキブリは1匹いたら30匹はいるから探したら出てくるって。
 心配しなくてもまた出てくるよ。だからタケルのワッペン返してくれ」

「そうなのか!?」

「食いかけのパンとか、パッケージのプラスチックとか狭い所にほっといたら寄ってくると思うぜ」

「そうなのか!?そりゃすごい!わかった、ありがとうな兄ちゃんたち。
 これで大下水浴が出来そうだ!スカモン大王様も喜ぶぞ!
 よーし、このワッペンは返すぜえ。かわりにせせ、じゃなかった、
 ゴキブリについて報告してくるぜ!じゃあな!」


どこからともなく取り出されたワッペンをタケルが受け取ると、ヌメモンは意気揚々と去っていった。


「よかったな、タケル」

「………ぬめぬめするよお」

「パタモン、大丈夫?」

「………さ、さ、30匹もいるの!?うわあああん、タケル、大輔、ブイモン!
 今すぐここからでようよーっ!!」


パタモンの叫び声が下水道に木霊した。





⑤冒険が終わった後の話


ほんの30分前に元気よく「いってきます」と出かけていったはずの大輔が、
いきなりインターホンを鳴らして「ただいま」なんて帰って来た。
どーしたのよ、忘れ物?っていつもの調子で笑いながら玄関先に声をかけたジュンは、
お邪魔しますっていうお行儀の言い育ちの良さそうな男の子の声がして固まってしまう。
あわてて玄関先に向かったのだ。いつもみたいに脱ぎっぱなしの靴の弟と引き替え、
靴を揃えていた男の子はジュンと目が合うと、こんにちは、お邪魔しますってお辞儀する。
突然の訪問にいいのかな?迷惑じゃない?って大輔に視線を送っているが、
いいっていいっていつものことだしってあっさりスルーする大輔は、
靴下のまま手招きして友達を呼んだ。

「こっちがオレの部屋ね。いこーぜ、タケル」

「うん」

「ってこら、大輔スリッパ、スリッパ!もー、なにやってんのよ、馬鹿!
 ごめんね、えーっと、たしかタケルくんだっけ?このスリッパ使ってくれる?」

「あ、ありがとうございます」

ジュンはあわてて来客用のスリッパから子供用を差し抜くと、タケルに揃えて差し出した。
タケルがスリッパを履くや否や、ぜってー負けねえからな、とか、僕だって負けないよとか、意気揚々とした掛け合いが聞こえてくる。大輔に急かされてタケルは部屋にそのまま直行してしまった。ほっとかされっぱなしの靴は、いきなりの天気の急変で濡れている。
あー、だから外で遊べなくなったのね、となんとなく状況を把握したジュンは、
とりあえず大輔の靴を並べるついでに、新聞紙はどこだっけ、と立ち上がった。
ほっといたらまた異臭が玄関全体に広がってしまう。せっかく買ったばかりのお気に入りのブーツに移りでもしたら最悪だ。最悪ファブリーズでもぶっかけておけば何とかなるとはいえ、何度言われても学習しない弟と比べてお行儀の言いお友達にジュンはちょっとだけ頭を押さえたのだった。土曜日のサッカーの練習はいつだって午前中で終了し、午後は学校の友達やサッカー部のメンバー、もしくは幼馴染みの女の子と遊んでいる弟である。ここ最近はどうやら新しくできたお友達に、お台場を案内することにハマっているようだが。新聞紙が山積みの収納スペースの灯りを付けたジュンは、PHSをならした。

「もしもしお母さん?大輔が友達連れてきたんだけど、冷蔵庫にあるケーキ、
 出しちゃってもいい?最後の袋開けちゃったからもうお菓子、残ってない。
 ん、わかった。お茶でいいよね?うん、うん、じゃあね」

小さなテレビに繋がっているゲーム機に、ディスクを差し込んだ大輔は、
コントローラを2つ繋いでいる。タケルもリュックの中から携帯ゲームを取りだして、
コントローラ代わりにそのコードをゲーム機に繋いで、準備万端である。
起動時間がしばしかかるのはお約束。どうも2になってから処理速度が遅くなった
疑惑のあるゲームである。そわそわしながら、2人はクッションに座って待っていた。

「あーあ、なんであんなに晴れてたのに、午後になったら土砂降りなんだよ、つまんねえ。
 せっかくお台場小案内してやろうと思ってたのにさ」

「いいお天気だったのにね」

残念そうにタケルは外を見た。
カーテンごしに見える四角い空はどんよりと曇っていて、とてもではないが、
降水確率10%のお天気日和とは思えない天気の急変ぶりである。
雨粒はどんどん窓ガラスを覆い尽くし、あっという間にぼやけた世界に変えてしまう。
本降りになってしまった。
あまりにもひどくなったら、奈津子に迎えに来てもらわなければならないだろう。

「でも、ホントによかったの?大輔君」

「え?なにが?」

「お兄ちゃんたちの野球の練習試合は中止になっちゃったけど、
 体育館とか学校で練習してるの見るだけでもよかったのに。
 太一さんとか空さんたちも学校で筋トレとかしてるんでしょ?
 僕、全然よかったのに」

「いーの、いーの。せっかくの休みだから遊びたいんだよ、オレは!」

「なんで?」

「なんでって、オレ、午前中もサッカーの練習してたんだよ。
 グラウンド使えないから、学校の廊下をずーっと走ったり、体操したり、
 いろんなことしてたんだよ!なんで上級生がやってるの見なきゃいけないんだよ。
 ぜってー太一さんたちの事だから、あれやってくれ、これやってくれって
 パシリにするに決まってるんだ。やだよ、つまんねえ」

「そっかあ、大変なんだね」

「もーいいだろ、この話はお仕舞い。今度、野球の試合が決まったらまた呼ぶからさ、
 お楽しみはまた今度だなー」

「そうだね。あーあ、お兄ちゃん吃驚させたかったのに」

「ほんと、残念だよな。雨じゃなかったら外でサッカーとかして遊べるのに」

「ねー」

タケルと大輔はため息をついた。
そうこうしているうちに、お馴染みの起動画面が表示される。
コントローラのいろを確認して、間違えないように二人はメンバー選考に集中する事にした。


こんこん、とノックの音が響いたのは、2,3時間後のことである。
ちょうどおやつの時間を差している。なに?と返事すれば、開けて、とジュンの声がしたので、
大輔はあわてて立ち上がると、扉を開けた。
お小遣いを半分つぎ込んで集めているゲームの豊富さは、間違いなくタケルより多い。
気になったゲームタイトルの奴をタケルがやらせてもらっていて、
大輔が時々横からウザイくらいの解説を挟むというのを繰り返していた所だ。
しばしの休憩タイムである。タケルがセーブをしてから電源を切っていると、
後ろから軽快な音が響いた。ふり返ると大輔が頭を押さえて唸っている。
どうやらジュンさんに余計なことを口走って怒られたようである。
大輔の手には、ケーキと飲み物が並んでいた。
ありがとうございますってタケルがいうと、いーのいいのとジュンは笑って扉の向こう側に消えた。
はあ、とため息をついた大輔は恨み言をいいながら、ケーキたちをテーブルに並べる。
あーあ、明日のおやつはなしだってよ、くっそ、という言葉から察するに
どうやらこのケーキたちは本日の本宮家のおやつだったらしい。
なんかごめんねと申し訳なくなって謝るタケルに、若干涙目の大輔は苦笑いした。

「あ、このケーキ知ってるよ。×××っていう銀座のケーキ屋さんでしょ?」

「えーっと、たしかそんな名前だった気がする」

「大輔君のお母さんも好きなの?お母さん大好きでよく買ってくれるんだ」

「へー、オレん家は父さんが買ってくれるんだ。
 これは、こないだ(大輔はカレンダーを見た。その日は赤い●がついている)。
 たまに家に帰ってくる時に、買ってきてくれるようになったんだ。
 父さんはいろんな本を作る仕事してる人だから、取材にいったついでにって
 時々おいしいの買ってくれるんだよ。
 オレはどこの店のケーキとかあんま興味ないからしらねーや。
 母さんとか、姉ちゃんとかはそういうのうるさいけど」

「そうなんだ。あの●の日?」

「あー、うん。父さんが帰ってくる日は、姉ちゃんが赤い●をつけてんだよ」

「あの●がついてる日しか帰ってこないの?」

「仕方ないだろ、仕事だし」

「そうだよね」

うーん、とどこか気になることでもあるのか首を傾げているタケルである。

「どうした?」

「お母さんもお仕事で出かける日はカレンダーに印を付けてるんだけどね、
 大輔君のお父さんのお仕事が終わる日と日付が一緒だなあって」

「え?ちょ……え?」

「あ、あはは。偶然だよ、ね、きっと偶然だよね!」

「そうだよ、何言ってんだよ、タケル。怖いこと言うなよな!」

担当者と作家の関係なのだから、当たり前である。
あらぬ誤解を生んでいる二人のとんちんかんな会話に、
片付けにきたジュンは肩を震わせるしか無かったのだった。




[26350] このSSにおけるデジタルワールドの歴史
Name: 若州◆e61dab95 ID:97dd66bb
Date: 2013/01/22 22:23
この小説におけるデジタルワールドの年表

ネットワークセキュリティはエニアックのみ。ファイル島だけの時代
エニアックという名前は古代デジタルワールド期に飛ばされた記憶喪失のリョウを保護し、千年魔物として未来で世界を支配しているミレニアモンからの侵攻を食い止めて欲しいとリョウに依頼してきたホメオスタシスの様なものとして登場した際に名乗っている。結晶体みたいな精神体みたいなよくわからないやつ。


古代デジタルワールド期(古代種とネイチャースピリッツ他勢力VSメタルエンパイア)。ロイヤルナイツの始祖組(少なくても初代オメガソードの持ち主とインぺPMはいたはず)の活躍から今のロイヤルナイツにバトンタッチ。このSSではマグナモンもいたことになってる。

十闘士VSルーチェモンとか天使勢力VS7大魔王勢力とかで世紀末。のちに拮抗。

TAMAGOTTI文明到来(男の子版たまごっちであるデジモン、ペンデュラム発売)

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーパラレルワールドでの出来事
セキュリティシステムの中心はまだエニアック。世界の実質的な主導権はまだデジモンにある。
このころの出来事は予言の書、もしくはダイノ古代境の急域にある碑文として残されていた。
まだホメオスタシスは生まれていないので、彼らが持っているのはあくまでも、セキュリティシステムとして記憶している媒体を通して、パラレル太一たちを知っている。

この時に漫画版太一が呼ばれる(フォルダ大陸)。
5年にもおよぶ旅路。記述はあいまいだが、ゼロマルはその後本格的に立ち上がったロイヤルナイツに加盟。漫画版クロウォみたいにみんなに慕われてるといいな。
ーーーーーーーーーーーーーーー

(ファイル島)
ジジモンとババモンはエンシャント型のデジモンなので、古代から生きていると思われる。
デジモンたちの記憶が無くなり、知性を喪失し、モンスターとして野生化する事件が発生。
ジジモンが召喚した子供がアナログマンという100年間この世界でさまよい、支配しようとしていた子供を倒す。のちに彼のアバターは記録され、カードバトルという文化が花開いたころに、ババモンによって召喚された子供も同じ姿をしていたため、同一人物と思われているが、実際はカードバトル時代とデジモンワールド時代の主人公は別人である。

この時代も、まだネットワークセキュリティの細分化が完成する前のため記述があいまい。当時のことを伝聞して書き記すしかないため、あることないこと大げさに書かれている。日本書紀や古事記のような感じ。このSSで伝説扱いなのも、ある意味その影響が表れている。ただし、彼らはデジヴァイスを使ったわけではないので選ばれし子供には換算しない。

・カードバトルの時代の名残として、現在のアニメの世界では、デジタルゲートを開く力の宿ったカードとして残っている。この小説においてははじまりの街を守っていたのはババモンだったが…。

------------------------------------

ネットワークセキュリティ(イグドラシルやホメオスタシスに世代交代)完成
長きにわたる平和な時代なので、歴史の教科書として、予言の書が作成される


ポケットデジモンワールドシリーズ(デジワー1の後日談)の時代


先代選ばれし子供たちにより、デジモン黙示録が作成される(小説版より)も、ダークマスターズの者たちに逆に利用され、暗黒の世界を作るための
情報としてダイノ古代境にあった本物は持ち去られてしまう。小説によれば碑文を元にダークマスターズは世界を侵略してるので、入手経路は捏造。のちにその残骸データを回収したヴァンデモンがデジモンミュージアム(ポケデジより)にいるワイズモンの力を借りて、デジモン黙示録の内容、予言の書の内容を把握し、ダークマスターズ同様自らの世界征服の糧としようとただ今暗躍中。


先代の子供たちの四聖獣たち、東西南北のグリッドのくさびを打ち込むことでデジタルワールドを平定、暗黒の力が来ないように封印の柱としての役目を担う。ホメオスタシスの部下として、ゲンナイたちが誕生する。

ちなみにファイル島に出てくるデジモンで基本的にデジモンワールド出身は守護デジモンの位置づけ。




[26350] 第3部 プロローグ
Name: 若州◆e61dab95 ID:f486b49a
Date: 2013/08/24 21:05
大人達がやってくる時間が迫っている。子供達は幼年期のパートナーの隠し場所に躍起になっていた。
モチモンはパソコンケースに押し込められるのと、携帯電話などをしまっているプラスチックの袋に
詰められるのとどっちがいいか、光子郎に迫られた挙げ句、泣く泣く後者を選んだ。
狭い狭い潰れてまう、という悲鳴は、我慢してくださいって言う声によって黙殺されてしまう。
心底同情したデジモン達だったが、遅かれ早かれみんな扱いは大差ないことに気づいて泣いた。
ピョコモンは、ずいぶんと軽くなっている空の救急セットが入ったポーチに詰め込まれ、
植物は隠しようがないので、無理矢理空の帽子を被せられてカモフラージュされてしまう。
ツノモン、トコモンはすっからかんになったタケルのリュック、
タネモンは、ミミのキャンプセットの隙間に強引に押し込められることで事なきを得た。
うっかり双葉がジッパーに引っかかってしまい、絹を裂くような悲鳴が響いたのはご愛敬。
チビモンも大輔のリュックの中に投入されたのだが、トコモンとツノモンが入っているリュックよりは
広々空間だろう。問題はスペースを空けるために、おいしくいただいた食べ物でお腹一杯なのに、
結構無理な体勢でかくれんぼをしているため、乗り物酔いが心配だと言うことだ。
コロモンもチビモンとおなじように、ひとりで光のリュックの中に入っているため、悠々自適だ。
プカモンは丈の持ってきていたカバンの中に入っているのだが、これはキャンプ用に各自配られたものであり、
丈のものではないため、いずれ回収される事になっている。どうしようか、と丈は頭を抱えていた。
結局、このお堂のほこりっぽい納戸に山積みになっていたダンボールをひとつ拝借して、
むりやりリュックの中に押し込め、その中がプカモンの待機場所になった。
ばれないようにとゴミやらなんやら詰め込まれて、プカモンはげんなりしている。
あんまりじゃない?丈?っていう恨めしげな抗議は、ダンボールで蓋されてしまう。



はあ、よかった、まにあった。セーフ、セーフ、あっぶねえ。お堂の入り口で大人達を確認する太一が言った。
子供達はなんとかデジモン達の隠匿に成功して、みんなそろって安堵のため息をついた。
こっちに来てからデジタル時計になっているデジヴァイスをみれば、大人達がくるまであと十分を切っている。
ばれてしまったら絶対にダメだ、とデジモン達に言って聞かせることに、残り時間をすべてを費やしたのだった。
デジモン達は、物音を極力たてないように神経をとがらせながら、ちょっとだけ開いた隙間から見守ることになった。
外に一歩も出ちゃだめだ、と口を酸っぱくして説明した丈の苦労の意味を彼らはようやく知ることになる。
ざくざくざくと雪を踏み分けてくる複数の足音に、ようやくデジモン達は納得した様子で顔を見合わせて頷くのだ。
神経質なまでにデジモン達が外に出ることを制限した理由はただ一つ、足跡である。
もし大人が見たこともない不思議な形をした足跡を、しかも複数発見してしまったら最期、
きっと今頃近くにそんな生物がいないか捜査の手が周りにまで及びかねない。
必要最低限の場所しか隠れる場所がなかったのだ、不自然に重くなった荷物の検査でもされたら終わりである。
がらがらがら、と強引に開けられた引き戸から雪に反射してまぶしい日の光がお堂の中に差し込んでくる。
四角い光が奥の方まで伸びていき、入り口からいくつもの大きな影がお堂の中を覗き込んでいる。
子供たちはまぶしそうに目を細めるのだ。


「いたぞー!」


藤山先生の声に一気に大人たちがなだれ込んでくる。


「みんな大丈夫か!?」

「もう大丈夫だ、よく頑張ったな!」

「怖かったでしょう、もう大丈夫よ、みんな!」


保護者会の役員たちにあっという間に取り囲まれてしまった子供たちは、
あれこれ説明する暇もなく、差し出された毛布にみんな包まることになった。
寒かったでしょう、これで暖まりなさい、って友達のお母さんに毛布を差し出されたら受け取らざるを得ないのだ。
子供達の半年間にもおよぶ異世界での大冒険なんて、大人達は誰も知るはずがない。
子供達の中では、こっちの世界でいう12時26分から14時30分までの間大冒険をして、
実際は30分の間しかお堂の中で大人達を待っていないわけだから、あんまり気にならない。
でも、大人たちの中では、かわいそうに8人の子供たちはこんな暗くて寒いお堂の中で
夏服のまま、3時間もの間、大人たちが見つけてくれることを待っていたということになっている。
大きな魔法瓶から暖かいスープを差し出された子供たちは、
促されるがままにその綿菓子のような湯気が立ち上るスープで体を温めた。
インスタントではあるのだが、半年ぶりに口にする食べ慣れたこちらの世界の食べ物に、
思わずじわりと来てしまうのは不可抗力である。
子供たちにある半年ぶりの懐かしさはこちらの世界に帰ってきたのだという実感を強烈なまでに意識させた。
子供は大人によって守ってもらうもの。あたりまえの世界観がそこにはあった。
自分たちを捜してくれていたという事実は、素晴らしいまでの安心感を彼らに与えてくれる。
ようやく保護されたことによる安堵感なのだろう、と錯覚した大人たちは暖かい腕で迎え入れてくれるのだ。


それ故に子供たちの胸の中に思うのは、みんなみんな、きっと同じである。
デジタルワールドという異世界と現実世界が繋がっていて、みんな、その異世界を半年間大冒険したこと。
デジタルモンスターというかけがえのない異世界からやってきた友人を通して、何十倍も大人になれたこと。
みんなが帰ってきたのは、デジタルワールドと現実世界に危機が迫っているためであり、
大人達に協力を仰ぎたいという切実な願いがあること。
でも、いえない。いえるわけがない。だから隠し事をするしかないという罪悪感だけが渦巻いている。
それらをすべて押し殺しながら、藤山先生にみんなの様子を尋ねられた丈は、
ここにくるまで何度も何度も練習したつじつま合わせのでっちあげを口にするのだ。


マキひろいをしていると、突然大雪に見舞われたためここのお堂にみんなで逃げ込んだこと。
一度は雪が降りやんだめ外に出たのだが、一面の雪景色に方向感覚が狂い、
どうやって来たのか道が分からなくなってしまったこと。
大輔の母親から電話があった時には助かったと思ったのだが、突然PHSが通じなくなってしまい、
光子郎の携帯電話も同様で、パソコンもインターネットが出来なくなったせいで
連絡手段が絶たれ孤立状態になってしまったこと。
みんなに見つけてもらうまでは、タケルと大輔が持っていたお菓子で飢えをしのいでいたこと。
さいわいみんなケガはないけど、薄着のままずっとこの部屋で待っていたせいですっかり体が冷えてしまっている。


あたりをきょろきょろと見渡す藤山先生の点呼に気付いた子供たちは、はーい、ここです、と思い思いに声をあげる。
8人とも元気のいい返事をしたのでほっとした藤山先生だったのだが、
ひとりだけ返事をしたほうがいいのか、とっても困っている女の子がいる。
どうしよう、お兄ちゃんっていってる女の子がいる。
キャンプには風邪を理由に欠席している子だ。太一の横で居心地悪そうにしているのを見て、驚くのだ。
長期休暇恒例の家庭訪問をしたばかりだから覚えている。この子は確か八神の妹じゃなかったか。
藤山先生が知っている。お台場小学校5年2組のリーダー格ともいえるサッカーのキャプテンが
季節の変わり目には必ず体調を崩すという妹を、風邪は治り始めが肝心だと無理やり休ませたことを。
普通なら大丈夫だろといってむしろ引っ張り出してくるであろう彼が、お兄ちゃんという別の側面を見せてくれたのだ。
ほほえましいなあ、と思った。ちなみに朝の8時、臨海公園での集合時間での話である。忘れようがない。
もちろん役員になっている大人の中にはお台場小学校に子供を通わせている親御さんもいるし、
藤山先生のように関係者もいれば、マンションに住んでいるため登下校で顔を合わせるご近所さんもいるのだ。
みんな光のことを知っているのは無理もなく、思うことは同じらしい。
でも一番びっくりしているのはお母さんである。


ついさっき電話がかかってきて、光がリュックサックを持って家から出て行ってしまった、
どうしよう、とすっかり狼狽しているお父さんから電話がかかってきたばかりなのである。
太一が見つかったと思ったら、今度は留守番を頼まれた光が行方不明。
思わぬダブルパンチを食わされたお母さんは、一人ぼっちがいやになって、
たったひとりでおばあちゃんのいる病院まで出かけちゃったかもしれないから、探してくれって電話したばかりなのだ。
我が家のお兄ちゃんに似て光は意外と行動力があり、自分でやると決めたらなんでもやってしまう一面があるから。
昔病弱だったころに通院していた病院だから、道順も料金も知っているはず。
まさか2時間もかかるはずのサマーキャンプ場に、大人に内緒で転がり込んでいるなんて誰が思うだろうか。


「光、どうしてあなたここにいるの!?」

「ごめんなさい、お母さん。来ちゃった」

「きちゃったって、あなたねえ!もー、なんでうちの子は、どれだけお母さんたちを心配させれば気が済むの!」


もー、わるいこねえ、とこぼれた言葉は涙に消える。
次の瞬間には、太一と光はお母さんに二人まとめて抱っこされていた。
ぎゅーっと抱っこされた二人は、おかあさん!って大きな声を上げて胸の中に飛び込むのだ。
ごめんなさい、ってぺこりと頭を下げた光は、おかあさん、と鼻声でつぶやいているお兄ちゃんを見る。
あらあらお兄ちゃんの方が寂しかったかしら、とお母さんは茶化すように笑っているがお母さんも笑い泣きしている。
お兄ちゃんとして光を心配させまいと今まで我慢してきたのに、緊張感が切れてしまったのだろう、と勘違いしたお母さんは、
半年ぶりの大好きな御母さんとの再会に感動して、すっかり目が真っ赤なまま顔をうずめている長男を撫でるのだ。
そのうち嗚咽がずるずると大きくなっていき、太一はそのまま泣き崩れてしまった。
よしよし、と背中をさすってもらっているお兄ちゃんに遠慮して、腕から逃げだろうとする長女を発見したお母さんは、
もちろんそんな遠慮なんて許すはずもないので、思いっきり力を込めてそれを阻止したのだった。
滅多なことでは太一は涙を見せないことは半年にもわたる冒険によって誰よりも知っている子供たちは
始めこそぽかんとしていたのだが、ああ、そうか、泣いていいんだって思ったらしく、
じんわりと涙をにじませる子もいれば、仕事の都合で参加していない両親との再会をうらやましそうに見ている子もいる。
もちろん周りのことなんて今の太一も光も気にする必要なんかないのだが。
しばらくして、ようやく落ち着いた太一がタオルに顔をうずめている間に、
お母さんは光に事情を聞くのだ。光は説明するのだ。一応これもつじつま合わせがしてある。


「どうやって来たの」

「電車と地下鉄とバスで来たの」

「ここまでは?どうやってきたの?確かバス停からはかなり距離があったと思うけど」

「タクシーに乗せてもらったの。お小遣い、全部無くなっちゃった。ごめんなさい」

「お小遣いだけ?」

「お兄ちゃんからも」

「本当なの?太一」

「うん(これで光が丘に行った分は説明できるかな)」

「もー、どうしてうちの子はこんなに行動力があるのかしら!どうして一言お父さんやお母さんに言ってくれないの!」

「おばあちゃんが危ないって、お兄ちゃんたちに、知らせなくちゃって。
お留守番してたら、どうしていいのか分からなくなっちゃって、その、ごめんなさい」

「そっか、頭が真っ白になっちゃったのね。一人にしてごめんね、光。
 でも、お母さんたちも心配するから、今度からはそんなことしちゃダメよ。
 電話なりメールなり書き置きなりしてから出掛けなさいね」

「うん」

「そっか、光はお父さんから電話を貰う前に飛び出しちゃったのね。
 大丈夫よ、光。おばあちゃん、なんとか元気になったって」

「ほんと!?」

「ええ、だからもう心配いらないわ。光、太一、今からお父さんにごめんなさいの電話しましょう。
 うちにかえったら、おばあちゃんのお見舞い、行かなきゃね」

「うん!」

「分かった」


こくりと二人は頷いて、お母さんが取りだした携帯電話を見つめている。
私も早くパパとママに逢いたいなあってつぶやいたのはミミである。
なかば独り言だっただけに、私も、と同意した空に驚いてミミは顔を上げた。


「でも、太一が言うには、地下鉄とか止まっちゃってるんでしょう?お花の教室は銀座でやってるの。
 今はたしか、個展の準備で忙しいとかいってたから、もともと帰ってくるのは遅いんだけど、
 きっとお台場まで帰ってくるのはもっと遅くなっちゃうと思うわ。きっと誰もいないのよね。帰っても。
 こればっかりは太一が羨ましいなあ。
 お父さんは京都で大学の先生してるし……帰ってくるのはお盆の時期だし」

「空さんもパパおうちにいないんですか。
 あたしのパパもなんですよ。レコーディングのお仕事でずーっと帰ってこないの」

「え、そうなの?」

「はい。ミュージシャンのお仕事で、レコーディングしなきゃいけないからって、ずーっと渋谷のスタジオに」

「そうなんだ。ふふ、一緒ね」

「はい。一緒ですね」

「いや、きっと君たちのお母さんたちはおうちで待ってると思うよ」

「え?」

「なんでですか?」

「そりゃ決まってるだろう。君たちが行方不明になった時、真っ先に連絡したからさ。
 お二人とも君たちが無事だって連絡を入れたら、おうちで待ってますって言ってたよ。
 武之内さんはご自宅にはいらっしゃらなかったから、お仕事場に連絡させてもらったよ。
 多分、太刀川さんと武之内さんのお父さんにも連絡は行ってるんじゃないかな。
 こんなことになったのは保護者会の行き届きが不十分だったせいでもある。
 今日中にお詫びに回るからね。本当に怖かっただろう、助けに来るのが遅れてごめんね」


申し訳なさそうに頭を下げる役員の男性に、二人はあわてて首を振るのだ。
そうか、お母さん、おうちで待っててくれるんだ。そう思うとちょっとだけ嬉しくなった二人である。
でも、同時に思うのだ。どうしよう。ピョコモン、タネモン、どうやって自分の部屋に連れていこうかなあ。
そんな彼女たちの話を聞いていたタケルは、ヤマトが役員の男性に呼ばれて何やら電話していたのを待っていた。
ようやく帰ってきたお兄ちゃんにタケルは聞くのだ。


「お兄ちゃん、お母さん、なんて?」

「ああ、オレたちのこと心配だから、今日行くはずだった仕事もキャンセルして、
 今家に帰ってるそうだ。だから、駅まで送ってくよ」

「え、お父さんは?」

「今、電波障害の事件があちこちで起きてて大変なことになってるらしいんだ。
だから帰ったら電話だけ入れとくことにする」

「そっかあ、お兄ちゃんのおうち、泊まれなくなっちゃったね。
 でも、それならお兄ちゃん、かわりにお母さんのおうちに泊まろうよ!
 ね、イイでしょ?」


この2年間、一度もお母さんとタケルが住んでいるマンションに泊まりに来たことがないヤマトである。
タケルがお台場にあるマンションに泊まりに来るのが年中行事となりつつあっただけに、
好機を逃すまいとどこか必死で引き留めようとするタケルに、ヤマトはしばしの沈黙の後、ああ、と小さくつぶやいた。
ほんと!?と聞き間違いでないことを願いながら重ねてくるタケルに、ヤマトは苦笑いして言うのだ。


「ああ、今日はタケルの家に泊まることにするよ。母さんに聞きたいこともあるしな」

「聞きたいこと?」

「ああ、聞きたいこと。もしかしたら、教えてくれるかもしれないからな」

「なあに?」

「タケルはまだ小さかったから覚えてないかもしれない。でも、オレは覚えてるんだ。だから聞きたいんだよ。
 父さんと母さんが仲が悪くなるきっかけ。あの日の夜、なにがあったのか。
 もしかしたら……光が丘の事件と関係あるかもしれないからな」

「どうして?」

「光ヶ丘のことはなんとなく思い出したけど、4年前の春だったら二人が急に仲が悪くなった時期と同じなんだ。
 もしかしたら、その事件でなにかあったのかもしれない」


そうなんだ、と小さくつぶやいたタケルの脳裏によぎるのは、お母さんとの二人暮らしから始まった、
お母さんが夜な夜な行っている内緒の調べもののことである。
たくさんの新聞紙の切り抜きから作られたスクラップ。情報。データ。
散乱する写真の中でひときわ目を引いたのはなんだった?
壊滅状態の住宅街。火柱が上がっている灰色の煙の空。逃げ惑う人々の光景。
そして、その写真を見た時のお母さんの言葉を思い出したタケルは、あ、と声を上げるのだ。


「どうした、タケル」

「お兄ちゃん、お母さん、言ってた」

「母さんが?」

「うん。『覚えてない?』『どう思う?』って、言ってた。お母さんね、僕に内緒でずっとなにか調べものしてるんだ。
僕一回だけしか見たことないけど、新聞とか本の切り抜きとか、いっぱいファイルにはいってたけど、
その中にね、写真があったの。これくらいで、ぐちゃぐちゃになった街の写真。
火事になってる写真。人がいっぱい逃げてる写真。その新聞の見出しね、
こういう字を書いたんだけど、えーっと、その」

タケルという字は山岳の岳という字を当てる。
それを指でなぞってから、下の山の部分を隠したタケルは、何て読むの?と聞いた。
オカだ、と返したヤマトに、タケルはそっか、と改めて頷くのだ。


「お兄ちゃん、僕もお母さんとお話してもいい?僕も、聞きたい。お母さんに聞きたいことがあるから」


ヒカリガオカ、きっと新聞記事にはそう書かれていたはずである。










「お父さんは?」

「大輔、ごめんね。お父さんは今日帰ってこれないらしいの。
 大輔と携帯が通じなくなったでしょ?あの時みたいに、おかしなことが町中で起こってるから、
 少しでもみんなに何が起こってるのか知らせるために、お父さん、今頑張ってるから」


落胆する長男に申し訳なさそうに手を合わせるお母さんに、大輔は聞いたのだ。


「お姉ちゃんは?」


だいすけーと半年ぶりに大好きなお母さんから名前を呼んでもらえた小さな男の子は、
一目散にお母さんの胸の中に飛び込んで、そのまま毛布にくるまれて捕まってしまっている。
携帯電話ごしではないお母さんの暖かな温もりに包まれながら、しばらく何も言わないままじっとしていた大輔は、
静かに肩を震わせていたが、太一の嗚咽に触発されて釣られる形で泣いてしまったようである。
初めこそ親御さんがこの場にいない子供たちの眼差しが気になって遠慮している部分もあったのだが、
無事で良かったわ、と心の底から喜んでくれるお母さんを目の前にすると無用な気遣いは吹っ飛んでしまったようだった。
すっかり目がウサギのように赤くなってしまっている男の子の胸元には、PHSが揺れていた。
紋章とデジヴァイスはそれぞれ子供たちの荷物の中にしまわれている。
これはなんだと言われても説明できないものをそのままにして置くほど子供たちは馬鹿じゃなかった。
ぐずぐずいっている男の子にティッシュを差し出したお母さんは、おや?と思うのだ。
大輔がジュンのことを姉と形容するにはかれこれ2年ぶりのことである。
時々うっかり口に出してはあわてて姉貴と訂正していた天邪鬼は成りを潜め、
その表情は明らかにジュンと今すぐに会いたいという大輔の本音が現れているようだった。
やっぱり3時間ちかくもこのお堂の中に閉じ込められていたことで、
信頼している空や太一たちといたといっても、
一番のお守りはこの首にぶら下がっているPHSだったのかしらん?なんて思ってみたりする。
無償に寂しくなったのだろう。あのしっかりものの太一君でさえ大泣きしてるんだから、無理もない。
これはいい徴候であると判断したお母さんは笑うのだ。


「大丈夫、今、おうちで待ってるわ。大輔が迷子になったことも知ってるし、
 うちに帰ったらしっかり元気なとこ見せてあげなきゃね」

「え、今日は京の姉ちゃんとコンサートじゃなかった?」

「ばかねえ、大輔が行方不明になったっていうのに、でかけちゃうような子じゃないわよ」


大輔が行方不明になったと聞いた時のジュンは、なにか予感めいた物でもあったのだろうか、
やっぱり、という言葉が小さく零れ落ちたことをお母さんは覚えている。
理由を聞いてみたら、なんとなく、とだけ返ってきたので、きっと大好きな弟に携帯電話を渡した時の
なんとなくと同じなのだろうなとお母さんは思うのだ。大輔とジュンはこういう時何かと直感が働くところはよく似ている。
大輔の無事が分かるまで家で留守番してると断言した彼女の言葉はずいぶんと震えていた。


「大輔のこと見つかったって電話してあるから、あとでゆっくり電話してあげなさい。
 とっても心配してたんだから。いいわね?」


わかった、って大輔の返事は弾んでいる。よかった。おねえちゃん、出かけてなかったんだ。
これなら、大丈夫だよな、ヴァンデモンの仲間にさらわれたり、危ない目にあったりしないよなってほっとするのだ。
少なくても、ヴァンデモンを何とかするまでは、お姉ちゃんやお母さんを守らなくっちゃって大輔は意気込む。
本日の本宮家の日程はこうなるはずだった。大輔とお母さんはサマーキャンプ。
ジュンは日本武道館のライブが17時開演だから、移動するのに40分ほどかかるため16時にお台場を出発するとして、
フジテレビで開催している野外ライブに、時間つぶしも兼ねて参加する予定だったのだ。
しかし、今日の昼ごろ、光が丘におけるマンションを皮切りに広がっていく電波障害のせいで、
東京中で開催予定だったコンサートや野外フェスイベントは、すべて中止が発表されている。
地下鉄や電車、バスに至るまで運転中止、ダイヤ見合わせ、タクシーさえ大渋滞となれば、
ジュンの贔屓にしているアイドルグループ側も、日本武道館ライブの開催の見込みがほとんど立たない
状況下におかれてしまった以上、中止せざるをえないのである。チケットの払い戻しは後日だ。
もちろんそんな無粋なことを本宮家のお母さんが言う訳もない。
純粋にお姉ちゃんが自分のために予定を変更してまで家にいてくれると聞いて、長男が大喜びしているのだ。
お母さんは再び抱きしめる。すなおじゃない男の子が素直にだっこされるのは、ずいぶん久しぶりだから。


「ところでそのバンダナどうしたの?」

「空さ……ううん、空先輩からもらったんだ」


「さん」と言いかけた言葉を「先輩」に変えた大輔の先には、その若干のニュアンスの違いに気づいて、
ちらと大輔の方を見た何人かの子供たちと目が合う。
うん、と小さく頷いた大輔に、空ががんばれ、と小さくエールを送った。
そんな大輔のうなずきを、あら、そうなの、とつぶやいた自分への肯定だと勘違いしたお母さんは空の方にふり返った。


「あらー、そうなの?ごめんね、空ちゃん」

「あ、ううん、気にしないでください。なんか寒そうだったから」

「あらー、本当にありがとうね。家に帰ったら洗って返すわね」

「え?あ、いえ、そのままあげます」

「そんなこといわないの。このバンダナ結構なお値段するやつでしょう?大事にしないとダメよ」


ね、大輔、とお母さんは笑うが、明らかに大輔と空は焦っているのかハラハラしている。
とりあえず家に帰ったら洗いましょうとそのままにしてもらえたので、ほっと胸を撫で下ろしたのだった。
スープを飲んで暖を取り、すっぽりと毛布に覆われていた子供たちは、
大人たちから大きめのジャンパーを渡されて、大きなもこもこの袖に腕を通す。
そして、再び雪が降り出す前に、とゆっくり帰ることになった。
大人が先導して、子供たちが続き、その後ろをまた大人たちが歩いていくのだという。
デジモン達が入っている荷物は当然のことながらとっても重くなっている。
よくこんなの運べたねえと感心している大人たちに力を借りながら、
大輔たちは無事に子供たちと合流、バスの中に乗車することができたのだった。
そして、2時間もの長距離のバス移動になるころには、くたくたに疲れてしまった子供たちに紛れて、
すっかり眠りに落ちてしまう。つかの間の休息である。
明日の朝、7時に臨海公園で一度会おうという合い言葉だけを胸に、一路えらばれし子供たちはお台場へと向かうことになったのだった。



[26350] 第1話 デジモン東京大横断 その1
Name: 若州◆e61dab95 ID:f486b49a
Date: 2013/08/24 21:08
日本有数の豪雪地帯を貫いている関越自動車道を下り、
大型バスは50番の看板を目指して東京外環自動車道の外回りを走る。
そして、大泉インターチェンジで東京都と埼玉県を結ぶ県道に乗り換えたバスは、
ようやく東京都練馬区の道を走り始めた。2時間ちかくにも及ぶ帰路である。
3台の大型バスに乗っている子供たちは、ほとんどが眠りに入っていた。
解散場所であるお台場の臨海公園まではまだまだ距離があるというのに、
バスはなぜか練馬区の東大泉にある池袋線の駐車場に入って停止した。
3台のバスが順番に並んで停止する。
起きなさい、って太一がお母さんから揺り起こされたのは、そのときだった。
ふあああって大きな欠伸をして、すっかりこってしまった背中を伸ばしながら、
寝ぼけ眼なまま太一は辺りを見渡した。隣の光子郎はまだうつらうつらしている。
前のバスを見れば、まだ4時半を指している。
なんだよ、まだ到着まで30分もあるじゃん。なんだよ、トイレ休憩?
乱暴に目頭をぬぐいながら、欠伸をかみ殺しつつ、通路にいるお母さんを見上げた。
隣にはもう準備万端の光がコロモンが隠れているリュックを抱えて立っている。


「藤山先生から許可は頂いたから、ここで降りましょう、太一。
 お母さん、ううん、おばあちゃんのお見舞いに行かないとね」

「え?あ、あー……忘れてた。ばあちゃんの入院してる病院って、
 ここから行った方が近いんだっけ?うん、わかった」

「はい、これ太一のリュックね」

「ありがと、お母さん」


光子郎を起こさないように、慎重に座席を離れた太一は、
お母さんからリュックを受け取って、そのまましょい込んだ。
この中にはデジヴァイスと紋章も一緒に入っている。
どうしようかな、臨海公園で現地解散した後、
みんなで話し合いするつもりだったのに。
明日の朝、7時に臨海公園に集合することしか、
今後のことはまだ決まっていないのだ。
これから家に帰って、しなきゃいけないことはたくさんある。
少しでも整理してからやりたかったのに、想定外のことが起きてしまった。
ちょっと困った顔をして固まっていると、すぐ前にいた空が
太一、太一って呼んでるのに気付く。
なるべく音をたてないように歩いていくと、小声で空が話しかけてきた。


「仕方ないわよ、太一。後のことは任せて、お見舞い行ってきた方がいいわ」

「ごめんな、空。光子郎たちにも伝えといてくれよ。
 なにかあったら、電話してくれればいいからさ」

「うん、そうするわ。ここで降りるのは太一と光ちゃんだけじゃないみたいだしね。
 ここはデジタルワールドじゃないし、上手く行かないこともあるわよ。
 気にしないで」

「え?オレ達以外にも誰か降りるのか?」

「ほら、あそこ」


空の視線の先には、別のバスに乗っていたのヤマトとタケルが下りるのが見えた。


「あー、そう言えばヤマトのやつ、今日はタケルの家に泊まるって言ってたっけ?」

「銀座だって大輔君が言ってたわ。ここで降りた方が早いわよね。
 お台場からだと電波障害のせいで、今日中に帰れるかどうか怪しいし、
 デジモン達に襲われないうちに早く帰った方がいいもの」

「そりゃそーだ。ありがとな、空。じゃあ、後はよろしく」

「りょーかい。任せて。じゃ、また明日ね」


手を振る空に別れを告げて、太一は一番乗りでバスの最善席に向かった。


「じゃあな、八神。今日は一日大変だったからな、しっかり休めよ」

「はーい。じゃあ、藤山先生、さよーなら」

「おう、ご家族の方によろしくな」


はーいって元気よく挨拶した太一は、藤山先生に別れを告げる。
すぐ後ろではお母さんが藤山先生や子供会の役員、バスの運転手の人たちに、
大人の挨拶をしているのが見えた。ちょっと時間がかかりそうである。
光はといえば、バスの中でずーっとお友達とおしゃべりしていたらしく、
お母さんがまだバスにいるなら、少しでも時間を伸ばしたいと補助席に
かじりついているのが見えた。
まあ風邪で欠席するはずだったんだから、無理もないかもしれない。
太一よりも楽しみにしていた節があるから。
つまんねえから、先に降りてよう、と太一はバスの階段を駆け下りた。


「あれ?太一、お前もここで降りるのか?」

「おう、そうなんだよ。お祖母ちゃんが急に倒れたらしくてさ。
 病院に運ばれたらしいんだけど、命に別状はないって話だから、
 このままお見舞いに行くんだってさ」

「そっかあ、元気になるといいね!太一さんのおばあちゃん」

「そーだよな。お爺ちゃんが死んじゃって、一人で住んでるから
 いろいろ大変みたいなんだよ。一緒に住もうって言っても、
 お爺ちゃんとの思い出が詰まった家を売りたくないっていうんだ。
 まー気持ちも分かるけどさー、仕方ないよな」


へえ、そうなのか、と相槌を打ったヤマトだったが、
大泉駅に鳴り響く次の電車のアナウンスが遠くから聞こえたことを思い出して、
あ、と声を上げた。これからタクシーで病院まで直通の太一と違って、
ヤマトはタケルと一緒に電車やバスで、家まで帰らなければならないのである。
すっかり忘れてた、と申し訳なさそうに太一を見たヤマトは、
いいよ、いいよ、また明日なって笑う太一に、おう、と返した。
じゃあね、太一さん!ばいばい!って元気よくツノモンとトコモンが入っている
リュックを揺らしながらタケルは、ヤマトの手を繋いで駅の構内に消えていく。
太一、そろそろ行くわよってお母さんに呼びかけられた太一は、
光が大きく手を振っているタクシー乗り場に急いだのだった。


真っ先に捕まえたタクシーに乗り込んだ太一たちは、
お母さんからおばあちゃんについて、ようやく詳しい話を聞くことになる。
お母さん曰く、お父さんがお母さんの実家であるおばあちゃんのおうちから、
生活用品や貴重品をたくさん抱えてトランクに詰め込み、もう既に待っている。
だから太一たちはお母さんと一緒に、おばあちゃんのところに行くだけらしい。
お父さんの話によると、今年に入ってから東京は異常気象が続いていたため、
その影響を受けて体調を崩しがちになってしまう人が多い。
特にお年寄りは体温調節をすることが苦手だから、いきなり寒くなったり、
いきなり暑くなったりしても、自分の中では大丈夫だと思って無理をしてしまう。
だから、体がからからに乾いていても、とっても熱くなっていても気付かない。
おばあちゃんは、お部屋の中で熱中症になってしまって、倒れてしまったらしかった。
さいわい、おうちを尋ねてきたお客さんが、約束をしていたのに
チャイムを鳴らしても一向に出てこないお祖母ちゃんを不思議に思ってくれた。
お客さんに呼ばれたお隣さんは、お客さんがくることを聞いていたので、
出掛けるはずがないと判断、裏手に回ってみると倒れているおばあちゃんがいた。
お客さんは、救急車で運ばれるおばあちゃんの付き添いでそのまま乗り込んで、
お隣さんは冷蔵庫に張ってあった、八神家に大慌てで電話をしたというわけである。
もしお客さんがいなかったら、おばあちゃんも死んじゃったかもしれない。
とっても怖いことである。
お母さんのお話に太一と光は心の底からほっとしたのだった。


お父さんが駆け付けたから、お客さんは帰ろうとしたらしいのだが、
おばあちゃんはお母さんのお母さんだ。
だからお母さんが直接、おばあちゃんの命の恩人に一言言わないとダメだからって
お父さんが必死で引き留めてくれているらしい。
だから、お客さんにあったら、まずはお礼をしないとねってお母さんは言った。


「お客さんっておばあちゃんのお友達なの?」

「ううん、おじいちゃんのお友達なのよ。
 今日はおじいちゃんにお話したいことがあるから、
 お仏壇にお花を供えさせてくれないかって電話してたらしくてね。
 とはいっても、お父さんくらいのとっても若いお友達なんだけどね。
 ほら、おじいちゃん、学校の先生してた人ととっても仲良しだったでしょう?
 その人の生徒さんだったらしくて、よくしてもらったって言ってたわ」


太一や光もぼんやりとだが覚えている。
お母さんの実家はいろんな人が訪ねてくることだけはよく覚えている。
外国の人だったり、普通なら知りあえないような人だったり、
とにかくいろんな人がおじいちゃんのお友達として遊びに来ていた。
どうやって知り合ったのかまではさすがに孫である太一たちは分からない。
でも、そのうちの誰かがおばあちゃんを助けてくれたわけだから、感謝である。
どんな人なんだろう、と太一はタクシーの中で思いをはせた。










携帯電話の電源を切るお母さんを見た太一と光は、タクシーで到着した病院を前に、
ようやくコロモンが隠れているカバンをそのまま持ち込むことが出来ないことを悟る。
どうしよう、とお父さんが待っているという入り口までこっそり内緒話をしていた。
二人は、冷房が効いた涼しい自動ドア通路にあるコインロッカーを発見した。


「母さん、母さん、お母さん!」

「こら、太一、そんな大きな声ださないの!」

「あ、ごめん」


迷惑そうに通り過ぎていく親子連れに軽く謝罪した太一は、カバンを持ち上げた。


「そのさ、これ、ロッカーの中に入れてもいい?」

「あー、そうねえ、重い?」

「うんうん、重い!」

「そうねえ、702号室らしいし、そうしましょうか」


はい、100円、と手渡された小銭を握り締め、
ほっとした様子で太一と光は顔を見合わせて笑った。
そして、一番隅の扉を開けた太一は、どさっと乱暴にカバンを置いたものだから、
問答無用でひっくり返ってしまったコロモンは、いてっと声を上げてしまう。
どうしたの?って聞いてくるお母さんにびくっと肩を震わせた太一は、
手をぶつけたと笑った。あははははは、と空笑いしている太一に隠れて、
光はそっとカバンのチャックを開けてあげた。
ふは、と小さく息を吐いたコロモンはちょっとだけ顔を出すが、
出て来ちゃダメだってあわててカバンの中に押し込められてしまう。
明らかに太一の家ではない上、狭いロッカーに押し込められて涙目だ。
バスのカバン置き場に押し込められ、ようやく太一の家に帰れると思ったら、
今度は2時間も経たない内に途中の場所で下ろされ、
今度はタクシーのトランクに押し込められた。
今度はこんな狭いロッカーである。いくら姿を見られてはいけないとはいえ、
扱いがひどすぎやしないかとすっかり涙目である。


「ねえねえ、ここどこなの?」

「ここはね病院なんだよ、コロモン。お祖母ちゃんが倒れて入院したの。
 だからお見舞いに行かなきゃいけないんだ。
 だからアグモンはここにいて?ごめんね」

「じっとしてろよ、コロモン」

「わかったけどさ、なんで僕もいっちゃいけないの?」

「ここ携帯禁止なんだ。デジモンが電波出してんのはお前も分かってるだろ?
 もし手術してたり、機械を体に繋げてたりする人に何かあったらどうすんだよ」

「あ、そっか」


だからごめんな、と申し訳なさそうに手を合わせてくる太一を見れば、
コロモンはこれ以上何も言うことは出来ない。
いってらっしゃいとしか言えなかった。
コロモンという大切な友達をバケモノ扱いされるなんて、絶対嫌だ。
そう言ってくれた太一を思いだしたコロモンは、
改めて自分がこの世界ではどこまでも異物だと理解する。
すぐ戻ってくるからという約束を残して太一と光が四角い世界から消える。
がちゃんという音と共に真っ暗になった世界は、
窮屈な中こぼれ落ちる細長い長方形を除いて暗転する。
これならタクシーのトランクの中の方がまだマシだったかもしれない。


せめて太一のオカアサンが自動車を持っていたなら、
車の中でお留守番出来るのだからもう少しマシだっただろう。
なにせコロモンは自分に背を向けてオカアサンの所に駆けよっていく太一と光を、
その狭い狭い隙間から見る羽目になったのである。
やがて二人の子供は自動ドアの向こうに消え、
その先でサラリーマン風の格好をした男と何やら会話している。
あれが太一と光のオトウサンという存在なのだろうかとコロモンはぼんやり考える。
オカアサンもオトウサンも二人にとってかけがえのない存在だとぼんやり認識できるが、
デジタルモンスターであるアグモンは、家族という集団をイマイチ理解できない。
それがどんなにかけがえのないもので、どんなに素晴らしいのかなんて分からない。
コロモンは目で見て、耳で聞いて、その動作から憶測することしかできない。
とりあえずオカアサンという存在は太一にとって、
かけがえのないものなのだと強烈に焼き付けられたのだ。


あの太一が泣いていた。寂しかった、会いたかった、って抱きついて甘えていた。
今まで見たこともないような態度で、それを誰も疑問に思わず、許容していた。
つまりそれがこの世界、太一たちの生きている世界における当たり前であり、
普通のことなのだ。
デジモンとパートナーでは形成しえない関係性があるのだと認識せざるを得ない。
それは一緒に隠れていたチビモンたちも同じようで、
内心複雑なため息が漏れていたのをアグモンは覚えている。
それだけでも衝撃だった。


でも新しい家族という太一の大切な存在が次々と現れるのに、
八神太一というパートナーを形成している世界が目の前に広がっているのに、
彼らに対して名乗り出ることが出来ないのだ。姿を見せることすら出来ない。
つまりそれは拒否もされないが、認識もされないと言うことを示している。
途方もない寂しさやむなしさがコロモンたちに込み上げてきたのだ。
やがて遠ざかっていった太一たちは、コロモンの視界から見えなくなってしまう。
はあ、と小さくため息をついたコロモンは、
同じような理由で置き去りにされたデジヴァイスと紋章を探り当て、
唯一の光源となっているデジタル時計を表示させた。


早く帰ってこないかなあ、太一、光。
ひとりは寂しいよ、とこぼれおちた言葉は、心の中にしまわれた。
狭い狭い四角の向こう側には、人間がいっぱいいる。
真っ白な服を着たお爺さんやお婆さん、
煙草片手のお兄さんやお姉さんがベンチに座っている。
談笑していたり、携帯電話をいじっていたり、
イヤホンで音楽かラジオを聞いていたりする。
マツバ杖をついていたり、車いすだったり、包帯を巻いていたり、
ギブスをしていたりするが、元気そうな人達が入り口の向こう側に見える。
時々親子連れの子供と母親が通り過ぎてくる。


太一や光と同じくらいの子供が通り過ぎるたびに帰ってきたのか、と期待するのだが、
そのたびにそのまま素通りされてしまい、ああ人違いかと自覚する。そして落ち込む。
まだかなあ、とデジヴァイスを見る。数分、数秒しか経っていなくてまた落ち込む。
その繰り返しを行う内に、だんだん今までの蓄積してきた緊張感がほぐれてきたのか、
うつらうつらとし始めたコロモンは、小さく寝息を立てて眠ってしまったのだった。


数時間経っただろうか。
日没をとうにすぎた夕暮れ時、空は星の瞬きが見え始める。
一番星が輝き始めた羊雲の空が広がる頃には、近くにある自販機や
ロッカーが置いてある廊下の電灯だけが唯一の光源として照らしてくれていた。
そんな静寂をうち破るように、凄まじいサイレンの音があたりに響き渡った。
ピーポーピーポーと響き渡る聞いたこともない、本能的に緊張感を煽るサイレン。
吃驚して頭をぶつけてしまい、ちょうど通りかかった通院患者がびくっとしたが、
そんなことすっかり涙目のコロモンは知ったことではない。
やがて甲高いサイレンは半音下がってほんの少し優しい音色に代わり、
ゆっくりとこちらに近付いてくるのである。
もちろん救急車のことなんて知るはずもないコロモンにとっては、
わけのわからない音を鳴らしながら車が近付いてくるのである。
怖いことこの上ない。
悲鳴を必死で押し殺しながら、見つからないように息を忍ばせている
コロモンの事なんてお構いなしで、救急車は一刻を争う患者の命を救うために、
ちょうど反対側に設置されている救急病棟に向かった。


あわてて狭い世界をのぞき込んだコロモンが見たのは、
上の方に真っ赤な細長いランプが回っている真っ白な車だ。
白い車体に真っ赤なラインが引かれているのが目をひいた。
「AMBULANCE」「救急」の文字が鏡文字で書かれているが、
コロモンは読めないため分からない。
ピーポーピーポーと鳴り響くサイレン。やがてすごい勢いで後ろの扉が開き、
何人もの血相変えた大人が白衣姿であわただしく出入りする。
なんだなんだと人だかりが出来ているのでますます見えなくなってしまうが、
その救急車のあとから走ってきたパトカーやパトカーの先導を受けてきた
患者の親族らしき大人たちが入ってきたことで、騒然となっていく。
忙しそうに携帯電話や無線機を片手に喚いている大人たち。
やがて救急車から運び出された患者は担架に乗せられ、
そのまま救急病棟と表示されている通路の向こう側に消えてしまった。
警察に同伴される形で親族の人達が別の通路を使って中に消えていく。


目をぱちくりさせながらそれを見届けるしか無かったコロモンだったが、
すっかり耳に残ってしまった不協和音のせいですっかり眠気が吹っ飛んでしまった。
ようやく静かになったものの、救急患者の緊急搬送なんていう
一大イベントと遭遇した野次馬たちはなかなか静かになってくれない。
近くで事故でもあったのか、事件でもあったのか、と
携帯電話で知り合いに連絡を取る人、
あること無いことでっち上げて話を盛り上げている人、
何があったのか病院関係者に聞こうとする人、
すっかり興奮して救急車のことを誰かに伝えようとしている人で
すっかりごった返していた。


これなら少しだけ物音を立ててもばれないかもしれない、と思ったコロモンは、
カバンの中からデジモンアナライザーを引っ張り出した。
すっかり目を覚ましてしまったのは、救急車の騒音もあるが、それだけではないのだ。
タオルとか洋服を押しつけながら音を打ち消しつつ起動させたデジモンアナライザー。
表示された検索機能を見つけたコロモンは、デジモンがいないかどうか確かめるべく、
自分の腕が届く範囲でアンテナを伸ばしてみる。赤外線機能を起動させてみる。
最初にコロモンが検索されてしまったのはご愛敬。
違う、違うよ、とコロモンの前にマイナスボタンを入力して除外申請、再検索。
アンノウン、アンノウン、ノーデータ、見つかりませんでした、
芳しくない言葉ばかりが並ぶ。おかしいなあ、とコロモンは首を傾げるのだ。
仕方がないからデジモンアナライザーを下の方に向けたコロモンはぎょっとする。

今度は表示しきれない数のデータが流されて行くではないか。
成長期、成熟期、完全体、え、え、えなにこれっ!?なんだこれ!?
下になにかいるの!?
訳が分からなくなったコロモンは、怖くなってデジモンアナライザーを閉じてしまった。
早く帰ってきてよ、太一、光!声にならない声がロッカーに吸い込まれていった。



[26350] 第2話 デジモン東京大横断 その2
Name: 若州◆e61dab95 ID:f486b49a
Date: 2013/08/24 21:08
日本最大の学校法人が運営している病院にやってきた太一と光は、
お父さんとお母さんに連れられて、警備員室のカウンターに向かう。
そして、窓口にいるおじさんから3枚の真っ白なカードを貰った。
そのカードは名前などを書きこむものらしく、ボールペンを差し出されたので、
太一と光はそれぞれカードに記入する。そして、警備員のおじさんに渡した。
すると、輪っかの紐がついた透明なケースに、そのカードを入れて返される。
男の子と女の子、大人で紐の色が違うことに驚きながら、首に通した。
隣では、お母さんが名簿や書類に必要事項を記入している。


パンフレットによれば、おばあちゃんが入院している一般病棟の面会時間は、
11時から20時半。時計はもうすぐ17時になろうとしているから余裕だ。
感染予防のため、下痢や発熱、咳、発疹などの症状がある人は
面会を遠慮してほしいと書いてある。太一は光を見た。光はちょっと固まる。
大丈夫だよ、って光はいうけど、一応光は風邪をひいているしなあ。
大丈夫かなってお父さんに聞いてみると、これ付けてれば大丈夫だろって
病院の購買の袋から出てきたマスクを光と太一は渡された。
なんでオレも?オレ風邪ひいてないんだけどなあと思いながらマスクをつける。
大人用だからちょっとぶかぶかだ。呑気な子供たちにお父さんは頭が痛い。


3時間も冬山で遭難してたんだから、体調を崩してるのが当たり前だ。
本来ならすぐにでも病院に担ぎこんで、検査してもらうのが普通なんだけど、
入院先の病院を捜そうとする大人たちを拒否したのは、大慌てした太一たちだ。
あまりにもバスで今すぐお台場に帰りたいなんていうもんだから、
しぶしぶ大人たちはもしもの時を想定して、待機してくれているキャンプ場の
医療スタッフさんにお願いして、ホントに大丈夫かどうか見てもらったのだ。
びっくりするほど元気だから大丈夫だけど、絶対にかかりつけのお医者さんに
診断してもらうことを条件に、太一たちはみんなと一緒に帰ってきたのだ。
どうやらお父さんは藤山先生から、ぜんぶ聞いちゃってるらしかった。
もちろん太一も光もばっくれる気満々である。そんな暇あるわけないから。
とっても心配しているお父さんの気持ちは、子供たちにはちょっと届かない。


それどころじゃない。他のことで太一も光も頭の中がいっぱいだった。
かかりつけのお医者さんのところに行く暇なんてある訳ないのだ。
この世界がヴァンデモンによって侵略されようとしてるんだから。
時計の針が6度動くたびに、デジタルワールドの一日は終わってしまうのだ。
デジタルワールドのことを思うと、いてもたってもいられなくなってしまう。
だから、ただでさえ大きなタイムロスをしている現実に、焦燥感を覚えている。
はやくはやくと急かす子供たちをみて、お盆を前におばあちゃんと会えることに
気持ちが急いているのだろうと勘違いしているお父さんは、苦笑いだ。
おばあちゃんはまだ体調が悪いんだから、あんまりはしゃいで迷惑かけるなよ。
無理させない方がいいんだぞって、見当はずれの忠告がとんでくる。
なんのことだろうって思いながら、太一と光は、はーいって返事を返した。


訪問者カードを首から下げたお母さんに連れられて、
太一たちは7階を目指して、一般病棟用のエレベータ目指して歩き始めた。
迷子にならないように通路には、さまざまなカラーテープが張ってある。
真っ赤なカラーテープを辿っていけば、たくさんのエレベータの広間に出た。
真っ赤なテープは一番右側のエレベータの前で途切れている。
ぞろぞろと降りていく家族連れや見舞客を通し、八神一家はエレベータに乗る。
いくつかの停止を経て、ようやくたどり着いた7階の一般病棟である。
かかりつけのお医者さんがいる光に聞いてみた太一だったが、
季節の変わり目ごとに風邪をひく通院歴の長い妹でも、
さすがに小児病棟とは勝手が違う一般病棟は構造上の配置がわからないらしい。
子供用のフロアは別にあるから、ここに入院しているのは大人ばかり。
女性専用フロアだから、すれ違う患者さんはみんなお年を召した人ばかりだ。
桜色の壁と綺麗な絵画が飾られている真っ白な廊下を歩いていくと、
ナースセンターの看板が見える。看護師さんが忙しそうに駆け回っていた。
お母さんについてくと、ここでもまた訪問者カードの提示を求められた。


お母さんが名簿に記入している。先に行ってなさいって言われて、太一と光は、
お父さんに連れられて、一足先におばあちゃんが入院している共同病室に向かった。
分厚いカーテンだけで間仕切りされた病室の前には、4つの名前が二列で並ぶ。
おばあちゃんの名前はいちばん奥の右側だ。
間仕切りのカーテンめがけて突進したのは、光だった。太一も後を追う。
こらこら、静かにしなさいっていうお父さんの制止を振り切っての突撃だ。
カーテンの向こう側では、すいません、と謝るお父さんの声がした。


「おばあちゃん、大丈夫?」

「ばあちゃん、大丈夫か?」


しゃ、とカーテンが開く。そこに見えたのは、熱に浮かされるおばあちゃんだ。
ベットの上には、貸し出されている患者用の服をきているおばあちゃんがいた。
さっきまで4本目の点滴を打っていたため、腕には注射針の跡がのぞいている。
さまざまな検査を受けたようで、診断結果が壁のホワイトボードに並んでいる。
その横には、車いすが固定されていた。そして、明日の予定が書いてある。
熱中症は回復までかなりの時間を要するから、おばあちゃんが退院できるのは、
一月ほどかかりそうだとお父さんは言った。高齢なのが拍車をかけている。


残念だけど、今年のお盆のお出かけはなくなってしまった。
でも、そっちの方がいいかもしれない、と太一は思う。
これからデジモン達が襲ってくるかもしれない毎日が続くのだ。
ヴァンデモンが光が丘のゲートを占拠しているとゲンナイさんから太一は聞いている。
光が丘という街がヴァンデモン勢力の拠点になることは目に見えている。
一人暮らしのおばあちゃんのことが、とっても心配だ。
こっちにいてくれた方がいいかもしれない。


ホントは、光が丘の病院から県外の病院に移ってもらった方が安心できるが、
デジモンのことを言えない太一たちがお父さんたちに説明することは難しい。
歯がゆい気持ちを抱えながら、太一と光は、ようやくこっちを向いてくれた
おばあちゃんを見て、ほっとする。おばあちゃんはぼんやりとした笑顔を浮かべた。
意識が朦朧としていた状態から、回復したばかりなのだ。
太一たちのことはぼんやりとしか分からないのかもしれない。
さいわい、まだそれほど耳は悪くなっていないから、きっと声で分かったのだろう。
可愛い一人娘の子供たちがお見舞いに来てくれたので、おばあちゃんはうれしそうだ。


「あら、たいちゃんにひかりちゃん?サマーキャンプはどうしたの?」

「それがさあ、聞いてくれよ、ばーちゃん。サマーキャンプが中止になったんだ」

「あのね、すっごい雪がふったんだよ、おばあちゃん。
 だからね、サマーキャンプ、なくなっちゃった」

「あらあら、そうなの?残念ねえ」

「バスを途中で下してもらったそうですよ、お義母さん。
 それで、そのままタクシーでこの病院に駆けつけたんです。
 裕子もすぐに来ますので、待っててください」

「ごめんなさいねえ、進さん。せっかくの夏休みなのに」

「そんなことないですよ、お義母さんに大事がなくてよかったです」


ほんとによかった、と何度目になるかわからない言葉がこぼれ落ちた。
そして、そのままお父さんは、家族のだんらんを邪魔しないように、
病室の外でわざわざ待機してくれている人のところに向かうらしい。
太一たちを連れて、お父さんは一旦病室を出た。お母さんと合流する。
家族でもない人が何時間も居座っては周囲の目もあるからと、
その人はこの廊下の先にある大広間にいるらしい。
大型テレビの鎮座する団欒室は、たくさんのソファとテーブル、
そして雑誌が入った本棚が並んでいて、奥には公衆電話がある。
その横には喫煙席が設けられていて、サラリーマン風の男が出てきた。
軽く会釈した男性は、太一から見てお父さんと同じくらいにみえる。


「お待たせしてすいません。ご紹介します。うちの家内の裕子です。
この子は太一、この子は光。ほら、あいさつしなさい、ふたりとも」

「え?あ、うん。お台場小5年の八神太一です」

「2年生の光です」


はじめまして、と軽くあいさつした太一と光は、ちょっとびっくりしてしまう。
二人を見下ろす男性は、固まっていた。驚きのあまり言葉を失い、視線がぶつかる。
まさか、そんな、うそだろう、という声にならない絶叫が垣間見える。
太一も光も生まれて初めて会う男性だ。初対面だ。
なんで幽霊と会ったみたいな顔をされないといけないんだろう。
なんでこの世の終わりみたいな反応されないといけないんだろう。
どうしてここまでびっくりされるのか、さっぱり分からなくて困ってしまう。
太一と光は顔を見合わせた。そして、ようやく我に返ったらしい男性は、
ぎこちない笑みをうかべた。ちょっと声が震えている。


「ああ、すまない。はじめまして。まさかこんなところで会えるとは思わなかったんだ」


想定外の出来事だったらしい。おばあちゃんのお見舞いが?
さすがに太一はちょっとむっとなって、唇をとがらせる。なんだよ、それ。
すこしの沈黙。意を決したように、男性は太一に尋ねてきた。


「その、太一という名前は、君のおじいさんがつけたのか?」

「え?」

「太一郎という、あの人の戦友からとったと聞いたことはないか?」

「え、あ、はい。そう、ですけど」

「そうか、わかった。だからそのゴーグルとホイッスルがあるんだな。
 あの人から聞いた通りだ。ああ、すまない。
 あの人から君たちのことは聞いていたから、驚いたんだ」

「あのひとって、おじいちゃんのこと?」

「ああ。やっとゴーグルを託せる相手が見つかったと喜んでたからな、
 よく覚えてる。一瞬、どうして君たちが持ってるのかと驚いたんだ。
 オレにとっては、あの人のものっていうイメージが強すぎてな、すまない」


そう言えば、この人はおじいちゃんのトモダチだったっけ、と
今さらのように太一と光は思い出す。
普通なら、お父さんのトモダチといわれた方が納得するんだけど、
息子と両親くらいの年齢差があってもトモダチっていうのはありなんだ、と
新鮮な感じがした。
なるほど、おじいちゃんとの思い出を語る男性は、瞳に光が宿った。
微笑ましい会話を聞いていたお父さんとお母さんは笑っている。


「はじめまして、八神裕子と申します。
このたびは、母を助けていただいて、本当にありがとうございました」


深々とお辞儀をしたお母さんにつられて、太一と光は頭を下げた。


「ああ、ご丁寧にどうも。オレは及川、及川由紀夫といいます。
 そんなことありませんよ、顔を上げてください」


男性に促されて顔を上げた太一は、なんかこの人の方が倒れそうだなあと思うのだ。
サラリーマンのようだが、きっと会社で仕事をしている人なのだろう。
少なくても炎天下で汗をかきながら営業をしている人にはみえない。
日焼けとは無縁の手でお母さんたちに応対している男性は、
不摂生が祟って不健康一直線な印象を与える。寝不足なのかクマが出来てるし、
どこか疲れた様子なのが哀愁漂うサラリーマンといった感じにみえる。
人助けをしたにも関わらず、ずいぶんと謙虚というか、ネガティブというか、
不自然なほどお母さんとお父さんの感謝の言葉に困惑しきりのようだ。


「オレは居合わせただけですから。お礼はお隣の方にしてください。
 ほとんどお隣の奥さんがやってくれたんです。
 オレはほとんどなにも……」

「そんなことありませんよ。田中さんからお電話いただいた時に、
 お話には聞いてます。救急車の手配からなにから取り仕切っていただいた
 みたいで……本当にありがとうございました」


及川と名乗った男性は、困ったように頭を掻いた。


「ただの偶然ですよ、そんな」

「でも、定期的に父にお線香を手向けに来てくださってるんですよね?
 母から聞いております。お話相手をしてくれる人がいて寂しくないって。
 おかげで母が助かったんです。そんなこと言わないでください」

「……困ったな。オレはそんなつもりじゃなかったんだが……。
 オレはただ、あなたのお父さんにとてもよくしてもらったので、
 力になりたいと思って、頑張ってきたつもりなんです。
 今のところ、まったく手がかりがないので、どうしようもないだけですよ。
 今回だってオレはわるい知らせしか報告できない。ふがいなくて嫌になる」


はあ、とためいきをついた及川さんは、自嘲気味に笑った。


「奥さんはしばらく入院なさるようですし、さすがにこのことを話すと
 心労に関わるかもしれないので、お伝えしようか迷ったんですが
 やめた方が良さそうですね」

「あの、もしよろしかったら教えていただけませんか?
 頃合を見計らって、こちらからお伝えしておきますけども」

「そうですか……そうだな、その方がいいかもしれない」


一呼吸おいて、及川さんは口をひらいた。
さっきまでおじいちゃんについて嬉しそうに話していたのに、一転して、
その瞳から光は徐々に失われてしまった。そのまなざしはとても濁っている。
想い出の余韻さえかき消すような、なにか大きな挫折でも味わったのか、
絶望したのか、さすがに太一は分からない。
でも、及川さんはなんだか追い詰められている。そんな気がした。
太一はここまで深淵に飲まれそうな色をした目を見たことがない。


「浩樹は……火田浩樹は見舞いにはこないと伝えてください。
 オレと一緒に何度か尋ねたことがある男なんですが、
 赴任先のイギリスで亡くなったそうです。
 すぐにでも訪問してご報告したかったんですが、
 こっちもいろいろとごたごたしてまして、申し訳ない」


今度は及川さんが頭を下げる番だった。
及川さんは社会人だ。太一たちのように夏休みがあるわけではない。
プライベートより仕事を優先しなければならない職場なのだろうか。
身なりを取り繕う余裕がないのは、そのせいだったのか、と太一は気付いた。
きっとその人は及川さんにとって、かけがえのないトモダチだったのだろう。
だから、本人が思う以上に、心も体も大きなダメージを受けている。
この時代、いろんな連絡手段がある中で、何一つ使わないで連絡しないのは
あきらかにおかしい。きっと手段が思いつかないほど、狼狽していたはずだ。
もしくは、ひとつも手に付かないほど、呆然自失としてしまったか。
お母さんとお父さんの話を聞く限り、及川さんはとっても几帳面な人のようだ。
そんな人が1週間も大事な連絡を後回しにするわけがない。
ましてや、あんなに意気揚々とするほどおじいちゃんと仲良かった人がだ。
そのあたりはお父さんやお母さんも察したようで、言葉が見つからないようだ。


「それは……ご愁傷様です」

「本当に残念です。あいつも楽しみにしていたんですけどね、
 あの人がいつか紹介してやると言ってた君達に会うことを」

「え、オレですか?」

「わたし?」

「ああ、あの人は君たちのことをとても気に掛けていたよ、最後まで」


それだけいうと及川さんは沈黙してしまった。片手で顔を覆う。
わかりました、と頷いたお母さんに、お願いします、と言葉少なに
及川さんはうなずいた。そして、再び顔を上げる。
 

「ひとつだけ、いいですか」

「なんでしょう?私たちでよろしければ、いくらでも」

「いや、そうじゃないんだ。その、できたら、でいいんですが。
 このところ、光が丘を中心に電波障害が起きているのはご存知ですよね?」

「ええ、ここに来るまで交通機関が結構麻痺してるみたいで。ねえ?」

「ああ、まだ犯人は捕まってないというし、困ったもんだ」

「実はオレの専門はそちらなんです。数日前から噂になってるんですが、
 どうもその電波障害の犯人の拠点は、このあたりらしいんだ。
 犯人が用意した装置の規模は、電波障害の範囲で大体計算できるんですが、
 想定できる規模も最悪想定される被害もけた違いに上がってる。
 会社内でも必死で応対してるが、全然追いつかないんですよ。
 警察も政府もいつだって後手後手で頼りにならない。  
 オレはいいんですよ、どうせ独り身だ。
 でも、あなた達はあの人の家族でもあるし、一人じゃないでしょう。
 できるなら、都内から避難した方がいい」


及川さんはポケットから名刺ケースをだして、そのうちの一枚を抜き取って
お父さんとお母さんに差し出した。
どうやら太一たちでも知っている企業に勤めているらしく、
本業の人から見た今の東京の状況を説明されたことに気付いて驚いている。
なんと返していいのか、ふたりは決めかねているようだ。
及川さんはその反応も想定ずみだったようで、苦笑いを浮かべている。


「ああ、すいません。つい熱くなってしまって。考え過ぎだとはよくいわれるんだ。
 でも、備えあればとはいうし、空振りはよくても見逃しは許されない。
そう思いませんか?オレの同僚に、4年前の事件の被害者の子供を抱えてる奴がいましてね、
つい、いらないお節介を。すいません」

「そうなんですか……なるほど、ご忠告ありがとうございます。
 オレたちは今お台場に住んでるんで、きっと大丈夫だと思うんですよ。
 でもそうか、そうだよな、そうなるとお義母さんを一人残すことになるのか」

「でも急な転院なんて認められるかしら?理由もないのに」

「そうだよな、すぐに退院できるような状態じゃないし」

「ああ、そうか、不安をあおるようなことをいってしまってすいません」

「いや、気にしないでください。及川さんのお気持ちはうれしいです。
 でも、この病院は4年前のことを教訓に、都内でも有数の設備を備えた
 病院として運営されてるみたいですから、非常時にも大丈夫だと思いますよ」


お父さんは笑って窓の外を見下ろした。
かつて住んでいた街並みとは全く違う、生まれ変わった光が丘の街並みがある。
光が丘爆弾テロ事件の舞台となった、陸橋の先には光が丘団地が臨める。
そうだといいんですがね。及川さんの言葉は、あまりにも乾いていた。
お父さんとお母さん、そして及川さんの会話に入ることができない
太一と光は、とっても歯がゆくて手を握り締めて、聞いているしかなかった。
デジモンのことを話すことができれば、全力で及川さんに賛成できるのに。
子どもであることがこんなに無力だとは思わなかった、と太一は舌打ちする。
はあ、と太一がため息をついて、光が思い詰めた表情で窓を見つめていた時である。





ぴこぴこぴこぴこ、ぴこぴこぴこぴこ。





太一の背負っているリュックから、ディヴァイスの大きな音が響き渡った。
びくっとしたみんなの視線が太一に向かう。光は太一を見上げた。
太一は聞き覚えがあるアラームに驚きを隠せないのだ。
本来なら、このアラームは、ならないはずだから。
このアラームはデジヴァイスの機能を利用している時に何度も聞いた覚えがある。
まずは、紋章を探知する機能が起動していた時に、その位置関係と距離を知らせてくれたときだ。
なんでだ?なんで今鳴るんだよ?ぐるぐる疑問符が浮かんでは消えていく。
太一は紋章とデジヴァイスを既に持っているうえに、アグモンは超進化できる。
つぎに、暗黒の勢力が迫って来た時に、聖なる力を解放するためにアラームが鳴る時があった。
光を放つのか、結界を発生させるのかまでは分からない。
でも、今はどこにもデジモンがいる気配はないし、姿も全く見えない。だから違うだろう。
最後は、デジヴァイスを持っている子供たちの位置関係を把握するときだ。
でも、今光が丘にいるのは、きっと八神兄妹だけだろう。なのになんで鳴るんだ?
ますますわからなくて太一は困惑するのだ。こんなところでデジヴァイスを確認するわけにはいかない。
でも確認してボタンに触れないと、いつまでたっても耳障りなアラームは垂れ流しだ。
なんなんだよ、くっそ、と思いつつ、太一はあわてて光の手を掴んで、後ずさりした。


「あーっ、忘れてた!オレのリュックの中に入れっぱなしだったんだよ、
 あれ!な、光!ほんとなら今頃、お台場についてたからさ、
 目覚まし代わりでアラームセットした事忘れてた!
 やっべー、今頃ロッカーが大騒ぎになってるぜ!行こうぜ、光!」

「え、あ、うん!」

「ちょ、ちょっとどうしたの、太一、光!」

「あれだよ、あれ!ちょっと取りに行ってくるよ、すぐ帰るから待っててくれよ、じゃあな!」


あっという間にエレベータのある廊下に消えていった子供たちを見届けて、
お父さんとお母さんは顔を見合わせた。


「あれってなんだよ、あれって。なあ、ポケベルでも持たせたのか?」

「いいえ?ねえ、デジタル時計でも買ってあげたの?」

「いや?そんな高い時計より好きな選手の愛好ブランド欲しがるだろ、太一は」

「そうよねえ、一体なにかしら」

太一と光を見つめていた及川さんは、小さくため息をついた。

「では、オレはそろそろ失礼しますね」

「あ、はい。ながながとお付き合いいただいてありがとうございました」

「お気をつけて」

「ええ、そちらもお気をつけて」


彼はその場を後にするのだ。
子どもであるには大きくなりすぎてしまい、だからといって大人にもなりきれない彼には見えている。
クリスタルで覆われた光が丘の街という、なんとも奇妙な光景が。
その中心にはいつだって見たことがないようなモンスターたちが徘徊しているのだ。
白昼堂々とマンモスが歩き回り、巨大な足をのぞかせる生物が川に潜み、
高層ビルの間をたくさんのナメクジたちが這いつくばっている。
誰も気付かない異様な光景は、電波障害が始まったことから広がり始めている。
きっとあのゴーグルとホイッスルを継いだ子供たちは気付いているはずだ。
サマーキャンプに参加した帰りならば、きっとお金はないに違いない。
子供二人が動き回ることができるほど、練馬区という街は狭くないのだ。
親友も尊敬する人も失った今、こうして出会えたのも何かの巡りあわせだろう。
まさかこんな形で追い求めていた電子世界への入り口を掴むことになるとは
思わなかった彼である。
できることなら、あと1週間待ってほしかった。親友の無念を思い、彼は小さく目を閉じた。



[26350] 第3話 デジモン東京大横断 その3
Name: 若州◆e61dab95 ID:9d3f4347
Date: 2013/09/09 19:40
乱暴に差し込まれた鍵穴がくるりと回転する音がして、ちゃりんと硬貨がおりてくる。
がちゃんと音がして、ロッカーが開く音がした。ぱっといきなり明るくなった。
暗い所から急に明るい所に出ると目がくらんで、真っ赤な瞳はいくつもの残像を描く。
まぶしくて目を凝らしたコロモンは、覗き込んでくる影が太一だったので、
喜び勇んで飛びついた。おわっと予期せぬ奇襲に太一の悲鳴が上がる。
コロモンの手のように操れる触角から零れ落ちたデジモンアナライザーを
光はあわてて受け止めたのだった。あぶないあぶない、壊すところだった。
ばしばしばし、と顔面に張り付かれた太一はコロモンをたたく。
たいちぃぃ、こわかったよぉっと数時間放置されていたコロモンは涙目だ。

「コロモン、コロモン、お兄ちゃん死んじゃう。放してあげて」

「ふえ?」

ちょっとだけ力を緩めると、ぷはあっと息を吸い込んだ真っ赤な顔が睨みつけた。
なあにすんだよ、おまえ!死ぬかと思ったじゃないか、と声にならない抗議があがる。
ごめえん、と縮こまったコロモンは、だって、だって、と光が持っている
デジモンアナライザーを見上げた。こわかったんだよぉ、とコロモンは言う。
なにがだよ、と太一はじと眼だ。光は太一の袖をひいて、画面を差し出した。
これじゃない?って差し出された太一は、目を見張るのだ。
そして、ようやく太一のデジヴァイスが狂ったように警告音を発信した理由を悟る。
おばあちゃんとの久々の団欒を過ごした太一と光は、ちょっと気が抜けていた。
不調だったタクシーのラジオはてっきりコロモンのせいなんだろうと思っていた。
だから、いまいち、東京で起ころうとしている事態がどこまで深刻化しているのか、
把握できずにいたのだ。及川さんと両親の会話は現実に引き戻してくれたけど。
光子郎によればデジヴァイスとデジモンアナライザーの探知機能は、
東京の23個ある区画の1ブロックを補完することができる。
つまり光が丘にある病院を中心として、練馬区全体を把握することができるのだ。
太一と光が見たのは、凄まじい数のデジモン達がこの練馬区にいるという表示だ。

「これ、ほんとなのかよ、おい」

壊れたんじゃないよな?なんて現実逃避気味につぶやいた太一は、ひきつった。
光子郎がナノモンたちと作ったデジモンアナライザーである。
デジモンの発する電磁波ごときで壊れるわけがないことはよく分かっているのだが。

「間違いないよ、太一。僕たちデジモンは鼻が利くんだ。わかるでしょ?」

「あー、うん。そのおかげで温泉とか敵とか見つけてくれたもんな」

「そうなの?」

「そうだよ、光。僕がデジタルワールドとこっちの世界の境界線を見つけた時、
 僕、とっても懐かしい匂いがするっていったでしょ?」

「もしかして、すぐ近くにいるのか?」

「うん、そのはずなんだけど、全然姿がみつからないんだ。おかしいなあ。
 だからそれで調べようとしたのに、いっぱい敵の名前が出てきちゃうんだもん。
 怖くて仕方なかったんだよ。僕が初めてそんな気がしたのは、
 ぴーぽーぴーぽーって音がする車からだった。あれはたぶん、デジモンの匂いだと思う」

「は?救急車?ほんとかよ、コロモン」

「きゅーきゅーしゃっていうの?」

「そうそう、救急車っていうのは、病気になった人をここに運んでくれるんだよ。
 あの音が鳴ったら、道を譲らなくっちゃいけないんだぜ」

「おばあちゃんもね、救急車のおかげで助かったんだよ」

「ふうん、じゃあなんでだろう?」

「オレに聞くなよ。じゃあさ、救急車のどの辺からしたんだ?」

「うーんと、その、いっぱいニンゲンがいたからわかんないよ。
 でも静かになった後は、もう匂いはしなくなってたんだ」

ということは野次馬である黒山の人だかりは無関係である可能性が高そうだ。
静かになったと言うことは、救急車が緊急搬送をするために緊急病棟に向かった後で、
役目を終えて運転手が倉庫の方に向かえばサイレンはならなくなる。
患者?病院関係者?警察?それとも親族?
デジモンがニンゲンに似た風貌になる事例を知っている太一たちにとっては、
選ばれし子供たちを倒す機会を虎視眈々と狙っている新たな手口として、
ニンゲンに化けているという可能性も捨てきれなくなってしまった。
選択肢が広がるのも考え物だ。ちょっと気になる証言である。
太一たちはおばあちゃんのお見舞いのため、最寄の駅から大型バスを降りて、
タクシーに乗り込み、この大学病院にきたわけである。
だから、ほかの選ばれし子供とデジモンたちは関係ないはずだ。
いくら光が丘が一番デジタルワールドのゆがみが発生している地帯だとしても、
デジモンが迷い込んだならなっちゃんが飛んでくるはずだし、結晶化している光景はみられない。
電波障害という病院にとって最悪の障害がまだ発生していないのは、いくらなんでもおかしい。
もし何かあったら、太一たちがここまでやってくるのに、あわただしいスタッフとすれ違うはずだ。
これは明日早起きしてみんなと集合した時にでも話さなきゃいけないなあ、と太一は思った。
相変わらず、太一のデジヴァイスはアラームを鳴らし続けている。
せめて発生源だけでも特定しないとまずいなあって太一は光とうなずいた。

「くっそ、こいつさえ鳴らなかったら、及川さんに詳しい話を聞けたのにさあ」

がっくりと肩を落とす太一である。おいかわさん?コロモンはきょとりと瞬きした。

「おじいちゃんのお友達でね、おばあちゃんを助けてくれた人なの、コロモン。
 パソコンのことにとっても詳しい人みたいでね、デジモンのことはわからないけど、
 今の東京がとっても危ないことには気づいてたみたい。すごいよね。
 私たちのこと心配してくれたいい人なんだよ」

「知りあいに光が丘の事件で記憶喪失になった子供を抱えてる人がいるって言ってたからさ、
 詳しく話を聞きたいなあって思ったのに、こいつがさっきからビービーうるさくて
 それどころじゃなくなっちゃったんだよ、くっそ。誰だよ、こんなときに!」

はあ、と太一がため息をつくのも無理はない話である。
唯一の手がかりは1995年の光が丘テロ事件の際に、太一たちと同じようにデジモンを目撃したことがあること。
そして、大輔やタケル、光と同じ年齢の少年であるということだけなのである。
タケルとヤマトのように家庭の事情で苗字が変わってしまったらどうしようもない。
しかも、光が丘テロ事件に関しての記憶は、目撃者である人間はすべて記憶を忘却させられている。
光のように初めから覚えているのは非常に稀だ。期待する方が無駄だろう。
光が丘とお台場の住宅地には住んでいないとゲンナイさんが断言している以上、
4年前に引っ越して、そのまま別の地区に引っ越してしまった可能性が高い。
もし東京ではない別の都道府県に引っ越してしまっていたら、もうどうしようもない。
うーん、と太一と同じように光も考え込んでいる。
強烈に焼きついている光景では、デジモン達を目撃したのは、ほとんどが子供だったはずだ。
大人もいたかもしれないけど、光が見渡す限りの光景では見つけることができなかった。
何人かはわからないけど、いっぱいいた、としかいえない光である。
ひとりひとり探して回るのはとっても大変だ。とてもではないが、時間も人でもたりないだろう。
そんな中で、偶然とはいえ手掛かりになるかもしれない人とせっかく会えたのに、
話を聞く機会を逃してしまったのである。くっそう、と太一は舌打ちした。

「とりあえず、このアラームのやつを捜すのが先だな。行こうぜ、コロモン、光」

「うん」

「でも、どうやって探すの?」

「どうってそりゃ、歩くしかないだろ、オレたちお金なんて持ってないしさ」

そういって太一たちは歩き始めた。異常に渋滞している車が行く手を阻んでいる。
ぴこぴこぴこぴこ、ぴこぴこぴこぴこ、とうるさいアラームが鳴り響く。
迷惑そうに通行人たちが避けてくれる。
太一たちは急いでそのアラームと点滅する方角めがけて進んでいった。
交通整理に駆り出されている警察の人たちとすれ違う。
ここまで来ると大分車の進み方もスムーズになってきた。
このアラームが鳴り終わったら、お父さんたちに及川さんの連絡先を聞いたらいいかもしれない、
たしかお父さんが及川さんの名刺をもらっていたはずだから、とここまで考えた太一は、
一層強くなる振動とアラームに警戒しながらあたりを見渡す。相変わらずデジモンがいる痕跡はみられない。
つーかなっちゃん何してんだよ、お仕事がんばるっていってたじゃないか、と
迷いデジモンの送還に奔走している女の子が現れないことに焦りを感じつつ進む。

「あれ?行き止まりだ」

「え、どうして?ここが一番強いよ?」

太一たちはビルとビルの隙間にあるフェンスで囲まれた地帯に出てしまった。
ぐるぐるとたくさんの風送機が回っている。入り乱れる配管が隙間を埋めていた。
きっと冷房機能をここに集中させているんだろう。長い長い影が落ちている。
日の当たらないここはじめっとしていて、苔が生していた。
相変わらずアラームは強くなるばかりで、振動も点滅もやむ気配がない。
でも、周りはデジモンの気配も匂いもしないとコロモンは首を振り、
いくら目を皿にしても結晶化した物体も、デジタルワールドのゆがみもみあたらない。
薄気味悪くなった太一たちは、とりあえず反対方向から回り込んでみることにした。
自動販売機を通り過ぎて、きれいに整備された上垣を曲がり、ビルのオフィス前に立ってみる。
やっぱりさっきよりも反応がずいぶんと薄くなっていた。遠ざかってしまった証拠だ。
どう言うことだろう。さっぱり分からなくて、首をかしげていた太一たちは、
丁度後ろからぱっぱとクラクションを鳴らされて、びくっと体を硬直させた。
あわてて振り返ると、びいい、と音を立てながら窓を開けた車がある。

「こんなところで、何をしているんだい?」

及川さんがいた。光はあわててリュックの中にいるコロモンをおしこめて、チャックをひっぱる。
太一は及川さん!と声を上げて、光の奮闘ぶりが見えないように、あわてて車にかけよった。
及川さんの車から流れてくるカーラジオは、不自然に砂嵐の音を響かせている。
都心のど真ん中でラジオが聞けないなんてありえない。
やっぱり近くにデジモンがいるんだ、と確信した太一は、ようやく準備が終わった光と共に、あはは、と笑った。

「勝手に出歩いちゃダメじゃないか、テロ事件の犯人がどこにいるのか分からないって言うのに。
 お父さんたちが心配していたよ。はやく戻った方がいい」

「え、あ、あはははは。久しぶりに帰ってきたら、なんだか懐かしくなっちゃって。
 な?光」

「え?あ、うん、そうなんです」

太一と光の発言に、おや、と思ったのか及川さんは目を細めた。

「久しぶり?たしか、君たちはお台場に住んでいるんじゃなかったのかい?」

「今はそうなんですけど、4年前まではこの辺りに住んでたんですよ。
 えーっと、たしか第二小学校だったっけ、そこに通ってたこと思い出したんだ。
 ついさっきなんですけど、あはは」

「すっごく小さい時に、私とお兄ちゃん、あそこのマンションに住んでたんです」

「そうか、君たちは光が丘テロ事件の時に巻き込まれてしまった子供たちの一人だったんだね。
 あの日のことを思い出した子供をみたのは、これが初めてだよ。
 オレの同僚の子供たちは未だに思い出せてないみたいだからな、うらやましいよ」

「え?そうなんですか?」

「………ああ、そうか。君たちは知らされてないのか。余計なことを言ってしまった気がする。
 忘れてくれないか」

「ちょ、ちょっと待ってください、及川さん!その話、ちょっと教えてくれよ!」

「しかしなあ」

「お願いしますって!話聞いたら、すぐ戻りますから!お願いします!」

「します!」


あたまを下げる子供たち。及川さんは通行人や通り過ぎる車の運転手たちからの、
視線に耐えきれなくなったのか、手招きをした。どうやら車に乗せてくれるらしい。
リュックを後ろのトランクに乗せていいですかって聞いてきた太一に、
及川さんは意味深に笑っていった。

「いいのか?さっきまでロッカーに押し込められてたのに、またトランクの中に押し込めても」

ぎくうっと面白いくらいに固まった太一と光は、肩を揺らしている及川さんから
ロッカーでのやり取りを見られていたと知らされて、声にならない悲鳴を上げた。
デジタルワールドという異世界をずっと探していたのだというプログラマーは、
これくらいの意匠返しはさせてくれないか、と申し訳なさそうに笑う。
子ども時代と大人になった今までの時間をすべてなげうって捜し続けた世界は、
今こうして、あっさりと選ばれたという理由だけで行き来できる子供がいる。
大人げないとは分かっている。嫉みや恨みがお門違いなのはわかっている。
でも、もう一度だけでいいから、パートナーと会いたいという願いを残して、
あの世に旅立って行ってしまった人たちを知っているから、やりきれない。
遠い異国で死んでしまった親友は、その願いを叶えてやりたいと思った同士だった。
これは独り言だから気にしないでほしいとつぶやきながら、
ぽつりぽつりと話し始めた及川さんの表情は、ルームミラーからはうかがえない。
太一と光は沈黙する。二人の間にいるコロモンも瞬きしながら聞いていた。

「先代の子供たちはもうこの世界にはいないんだ。
 デジタルワールド側がコンタクトを取ろうとしても無理だったのはそういう訳だ。
 あちらの世界に行ったら、そう伝えてくれないか?」

「わかり、ました」

「それと、これだ。本当はオレが独自に調べてたものだったんだが、
 こうして君たちと話し合うことができたわけだし、オレの役目はもうおわった。
 これからは君たちが役立ててくれ」

仕事用のトランクを開けた及川さんは、たくさんの書類が入ったクリアファイルを
太一たちに差し出した。ぱらぱらとめくってみると、新聞のスクラップがある。
光が丘テロ事件について取材したものや、関連書籍のコピーが詰め込まれていた。
その中には、及川さんが生前の子供たちから聞いたデジタルワールドの想い出を
書きつらねたボロボロのノートも見つかった。すべてアナログだ。デジタルだと壊れてしまう。
そして、後ろの方に差し掛かったとき、及川さんが口を開いた。

「さっきオレが言いかけたのは、それのことだ。
 きっと君たちのご両親も参加しているはずと思ってね」

光ヶ丘テロ事件被害者の会とその紙には書かれている。
賛同する病院代表者やNGO団体、光が丘団地に住んでいた人たちの連絡先。
当時子供たちが通っていた学校や練馬区の役場の名前まで書いてあるではないか。
太一たちのように光が丘テロ事件の出来事そのものを忘れてしまった子供たちは、
文字通りたくさんいたのである。あまりにも大規模な集団記憶障害だった。
子供たちの両親を中心にして出来上がったグループは、
主に子供たちの様子を話し合う、今後について話し合う、
全国各地に散ってしまった被害者たちが心のよりどころにしているグループらしい。
カウンセリング的な要素が強い集いなのは、きっと子供を愛するゆえだろう。
ちょっとだけ罪悪感を感じてしまうコロモンである。
たくさんの人たちに支えられていたんだなあ、ってちょっとじーんとくる二人である。
及川さんは太一と光の心境を察してか、苦笑いを浮かべた。

「やるべきことが終わったら、全部話すんだよ。オレはそれがいいと思う。
 あの人たちはデジモンを秘密にすることを選んだ。時代が早すぎたんだ。
 あの時代はまだインターネットは軍事的繋がりが強くて、
 一般家庭が利用することができるほど普及するのは、夢のまた夢だったからな。
 二度と会えなくなることは、覚悟していたと何度も聞いたよ。
 でも、君たちは違うだろう。きっとデジモンとこの世界の関わりは、
 これからの君たちに全てがかかっている。がんばってくれよ」

はい、と太一たちは頷いた。

「実は、オレたち、10人目の選ばれし子供を捜してるんです。
 ヴァンデモンっていうデジモンが東京中で起こってる電波障害の犯人なんですけど、
 たぶん、10人目の子供をやっつけようとしてるんです。
 あいつ、光とそのこのパートナーを洗脳して、配下にしてるから、
 そいつらも取り返さないといけないし。手伝ってくれませんか?」

「私とおなじ、小学校2年生だってゲンナイさんがいってました」

「2年生か。なら大分絞れてくるな。そこにあるリストを手掛かりに探すといい。
 オレの同僚の下の子が確か2年生だったと思うからな、こっちも探ってみるとするよ」


連絡先はここにしてくれと及川さんは名刺を太一に差し出した。
ありがとうございます、と子供達が笑った。


「ところで、こんなところで何をしていたんだ?」


なりっぱなしのアラームである。すっかり困り顔のコロモンが抱えるデジヴァイスは、
さっきよりも反応が鈍くなっているものの、相変わらず振動を続けている。


「この辺りにデジモンを見ませんでしたか?なんか反応してるんだけど、見あたらなくて」


いや?と及川さんは首を振る。光が丘に入ってからカーラジオはずっとこの調子で、
特別このあたりに違和感を覚えることはないらしい。完全にお手上げである。
どうしたものかと太一たちは頭を抱えた。ビルの上を滑空しているなら影が出る。
大通りをくぐり抜けるなら、結晶化した物体が残骸を残すはず。
姿も形もない敵にはさすがにどうしようもない。


「そのデジモン達は調べられるのかい?」

「え?ええ、まあ。こいつにのってるんですけど」


デジモンアナライザーを太一は及川さんに渡した。


「なるほど、結構な数のデジモン達が移動しているはずなのか。
 5メートルクラスのやつもいるんだな、たしかにおかしい」


デジモンアナライザーを返した及川さんは、シートベルトを締めるようにと二人にいう。
いつまでも路上駐車をしていると警察官に呼び止められてしまうのだ。ここは不許可エリアである。
車を発進させた及川さんは、ちょっと遅れても大丈夫かい?と二人に聞いた。


「ここまで見つからないんなら、こんな街の真ん中を自由に移動できる手段なんて限られてる。
 きっと下水道を巡っているんだろう、ここからじゃあ入れないからな。
 ちょっと飛ばすから捕まっていてくれ。新しい通信網の関係で、
 オレの会社で携わってるエリアがあるんだ。そこからまずは探してみよう」





[26350] 第4話 デジモン東京大横断 その4
Name: 若州◆e61dab95 ID:415f61b2
Date: 2013/10/06 14:45
黒いモヤが漂ってきたのは、光が丘団地から遠ざかり始めたころだ。
摩天楼が霞み始めたので、海で発生した霧が流れてきたのかと思った及川さんは、
ワイパーを動かし始めたが、一向に水滴はつかないままワイパーが空を切る。
ざりざりとした粉末が窓に付き始めたので、水を飛ばしながらワイパーを動かしつつ、
まだ日が落ちていないというのに、ヘッドライトを付けないと前の車が分からない。
辛うじて車間距離を保てる程度にスピードを落としつつ、及川さんは運転を続けた。
なんで急に、と眉間にしわを寄せている。横を通り過ぎていく通行人たちは、
みんなタオルやハンカチを口に当てて、忙しそうに通り過ぎていく。


「二人とも、マスクはもってるかい?」


及川さんの問いかけに、光と太一はうなずいた。お父さんからもらったマスクは、
結局今の今まで存在すら忘れて、お互いのポケットの中に入れっぱなしだったのである。


「とりあえず、マスクをした方がいい。太一君はゴーグルもした方がいい。
 霧じゃないし、スモックでもない。どうやら砂みたいだ」

「スモックって何ですか?」

「スモックっていうのは、排気ガスや工場のガスから出てくる有害物質が、
 太陽の光を浴びてできたオキシダントっていう物質が、空気中に飛んでることをいうんだ。
 濃度が高くなるとこんなふうに、霧にかかったみたいに辺りが見えにくくなるんだよ。
 公害なんかで習わなかったかい?4大公害で有名だと思うんだけど」

「あー、そういや社会でならったっけ」

「スモックだとマスクを付けてても意味がないんだが、黄砂みたいな砂埃みたいだ。
 のどや目をやられるのは同じだからな、吸い込まないようにした方がいいのは
 変わらないな。ぜんそくや気管支炎のアレルギーはもってないかい?」

「オレは大丈夫です。あ、でも光が、まだ風邪治ってないんですよ」

「えっ?だ、大丈夫だよ、お兄ちゃん。わたし、もう、元気だもん」

「元気つったってなあ」

「そうか、でも目的地はもうすぐそこなんだ。光君は工事現場の事務室で待ってた方がいいかもしれない。
 この砂埃は明らかにおかしいからな。何が飛んでいるか分からないぞ」

「ほんとだぜ、光」

「……わかった」


不満げに頬をふくらませた光は、コロモンを抱っこする力が強くなる。
光が丘団地から遠ざかるにつれて、カーラジオの調子がよくなっていった。
及川さんの会社が携わるプロジェクトの一環として行われている通信網の工事現場に
到着するころには、すっかり音の調子もよくなり、アナウンサーの声もよく聞こえる。
すべての番組を変更して一日中行われているニュース番組は、
東京各地の異常事態を必死で伝える番記者中継を繋ぎながら、忙しなく続いている。
電磁波の性質を解説する大学教授、かつての事件の指揮を執っていた警察幹部、
当時のことをよく知る匿名希望の投書も交えながら、アナウンサーは番組を仕切っていた。
太一と光、そしてコロモンは食い入るようにラジオに聞き入っている。
現実世界に帰ってきて、ようやく入手できる客観的な情報だ。東京で起こっている出来事は、
太一たちの想像以上に大規模な事件の予兆として、人々に受け止められていると知ったのだった。
ヴァンデモンの侵攻が想像以上の速度で行われているのが実感できる。
4年までの事件と今回の事件は無関係であることを証言できるのは太一たちだけだ。
何も知らない大人たちは、光が丘テロ事件の犯人が4年ぶりに活動を本格化させたと息巻いている。
まずい。非常にまずい。この状況下でヴァンデモンがデジモンであると公言したら、どうなるだろう。
間違いなく、子供たちもデジモン達も窮地に陥るのは目に見えていた。
この世界にとって初めて認識するデジモンが、現実世界に害を及ぼす最悪の怪物と認識されるのは時間の問題だ。
子供たちと大人たちの埋めようがない認識の差に、どうしようもない歯がゆさを感じながら、
太一たちは及川さんから託された、君たちにこれからのデジモン達と
この世界の関係性がかかっているのだという発言を身に染みて感じたのだった。
どんどん色をなくしていく子供たちを心配そうに及川さんは、鏡越しに見つめる。
ハンドルがぐるりと右にきられる。何度目になるか分からない赤信号に停車する。
ここまでくると信号機のトラブルによる交通渋滞はなく、自然発生したゆるやかな渋滞があるだけだ。
及川さんが一声かけようとしたとき、臨時ニュースが入ってきたと原稿の音を響かせながら、アナウンサーが中継をきった。


「東京都練馬区の×××あたりで光化学スモック注意報が発令されました。
 みなさまは、屋外での激しい運動を避け、目に刺激を感じたらすぐに屋内に避難してください。
 乳幼児、お年寄り、病弱な方は特に注意が必要です」


読み上げられた地名は、ちょうどこの辺りである。


「いよいよもっておかしいな」


及川さんは真剣なまなざしでつぶやいた。
ようやく到着した工事現場は、どうやらあまりの視界不良に作業を中断せざるをえないらしく、
スタッフが休憩している事務所の灯がついている。
ポケットから許可証を引っ張り出した及川さんは、前方にそれを目立つように置く。
警備員の男性がそれを確認して、笛を鳴らしながら奥に先導してくれた。
キャラクターのイラストに囲まれた工事現場の囲いを通り抜けると、
地下に続く舗装された道が現れた。下っていくと、地下のライフラインを整備しているトンネルへの入り口が目に入る。
たくさんの車が並んでいるところに及川さんの車が停車した。すっかり車は砂にまみれていている。
空気の流れの関係で砂埃は地下の空間まで入ってくることができないようで、
久しぶりに澄んだ空気が辺りを満たしているのが分かった。でもやっぱり煙たいのはかわらない。
さあ、いこうか、と及川さんに連れられて、太一と光は、コロモンが入った荷物片手に事務所に向かったのである。
工事現場を取り仕切るおじさんと及川さんは顔見知りらしく、社交辞令や世間話を交えながら迎え入れてくれた。
暇を持て余している作業員たちは、ラジオから聞こえてくる光化学スモック注意報にすっかり困惑しているようだ。
予定通りの作業が進まないことに焦りを感じているらしいおじさんに、
及川さんはそれとなく勤め先との交渉に付き合うことを約束しているのが見える。
大人の世界も大変だなあ、と太一と光は思ったのだった。


「お子さんですか?」

「違いますよ、知り合いの子供たちです。出掛けてる先で注意報に巻き込まれたものだから、
 送り届ける途中なんですよ。それより、どうしたんです?シャッターなんか閉めて」

「実はですね、光化学スモックよりたちが悪いもんにぶち当たっちゃいまして。
 困ってるんですよ、及川さん。この辺りって化学薬品工場はなかったですよね?」

「ええ、そんな話きいてないですけど?」

「実は不法投棄されてた物質から、高濃度の硫酸が検出されたんですよ。
 硫酸ミストが発生してるみたいで、ろくに近づけないんです。
 この黄砂みたいな霧も地下から噴出してるみたいで……昨日までそんなことなかったのに」

「70年代じゃあるまいし、黒いスモッグが発生するなんてあり得るんですか?
 白いスモッグならまだ分かるのに」

「ええ、初めは我々もそう思ったんですがね、異様に湿度が高いエリアがありまして、
 そこから発生してるみたいなんですよ。どっかの悪徳企業が埋めてたんですかねえ。
 一応警察には連絡したんですが、参ったなあ。明日から大騒ぎになりますよ」


スキャンダルもいいところだ、と及川さんは頷いた。太一たちは首をかしげている。
黒いスモックは4大公害がきっかけで規制されている有害物質から発生するもので、
白いスモックはそれ以後に発見された物質で構成されているものだと教えてくれた。
どちらも人体に有害である。こんな都会の真ん中で地下からスモッグが発生するなんて、
たちが悪い都市伝説としか言いようがない事態である。
計測しようとした電子機器がすべていかれてしまい、詳細を調べることができないらしい。
とんだ立ち往生である。及川さんは会社に連絡を入れるから、という建前のもと、
太一たちと一緒に、一旦車の中に戻ったのだった。


「誰もいないんだったら、こっそり入れないんですか?及川さん」

「ダメだ、ダメだ。明らかにデジモンの仕業だろうし、君たちの気持ちも分かるが、
 硫酸ミストが発生してる様な危険な場所に、君たちを連れていけるわけがないだろう。
 硫酸は少しでもつくと、衣服も体もボロボロに解けてしまうんだ。危険すぎる」

「くっそ、ヴァンデモンのやつ、どんだけ危ないデジモン連れて来てんだよ」


太一は思わず舌打ちした。


「つーか、なっちゃんのやつ、ホントにどうしたんだよ。
 こんな危ないデジモンいるのに、ほっといてどこで何やってんだ、もう」

「なっちゃん?だれだい、それは」

「え?あー、えっと、その、デジタルワールドを守ってるデジモンなんですよ。
 人間に変身できるから、こっちに迷い込んでるデジモン達を連れ戻す仕事をしてるみたいで」

「どうやってこっちとデジタルワールドを行き来してるんだい?
 光が丘は2時間ほど前からインターネット通信が完全に遮断されているはずなんだが」

「えっ、それほんとですか?!オレたちが来た時には大丈夫だったのに」

「お兄ちゃん、なっちゃんに何かあったんじゃないかな」

「まじかー、どうするよ、光。インターネットにつなげないと、どうやってデジモンたち誘導するんだ。
 ゲンナイのじいさんとも連絡とれないじゃねーかよ、くそ」

「インターネット?それだけでいいのか?」

「え?えーっと、はい、そうです。インターネットにつないであれば、
 こいつを使えばデジタルワールドが勝手にゲートポイントまで続く
 扉を開いてくれるんだってなっちゃんが言ってました」

「緊急事態だから特別にって、言ってたよね」

「そうか、わかった。じゃあオレのパソコンを使ってみよう。
 仕事柄無線LANを使えるからな、ちょっと待っててくれ」

「ホントですか!?ありがとうございます!」


さすがはプログラマー、と太一たちは後部座席から準備をし始めた及川さんを覗き込む。
家庭用では到底手が届かないはずの無線LANルーターが置かれていた。
ゲンナイさんから教えてもらっていた特設サイトにアクセスできるアドレスを入力し、
太一たちはゲンナイの隠れ家と銘打たれたサイトに没入する。
ドット絵で現れたNPC風のおじいさんは、ひらがなだらけの台詞を並べる。
ケンタルモンとピッコロモンのドット絵が16なのは容量の関係なのだろうか。
動きがぎこちないのは仕方ないとして、太一たちの声はそのまま届いているようである。
そして太一たちは、光が丘団地にあったはずのゲートポイントが、
ヴァンデモンによって完全に封鎖され、居城にされてしまっていることを知るのだ。
さいわいなっちゃんは無事だが、ただ今の活動拠点は反対方向のエリアである。







封鎖されているシャッターの向こう側で、聞き取れないうなり声が響き渡った。








完全に封鎖されているシェルターごしに、どろりとした異臭漂う物体が滲み出ている。
地下水道の奥底に沈殿した泥特有の粘りけがじわじわと広がり始めていた。
様々な有害物質が混ざったヘドロなのだろう、有毒なガスを噴射しながら隙間をはいつくばって
現れた。
スライム状のデジタルモンスターは、言語能力がないのか、言葉にもならないうめきをあげている。
鼻を突き刺す凄まじい悪臭が一気に密封された空間に広がった。吐き気をもよおす刺激臭である。
窒息してしまいかねない。涙が止まらない。くしゃみが止まらない。喉の違和感が顕著になる。
生理現象がとまらない。マスクとゴーグルをしててよかったとおもいつつ、太一はコロモンとともに車から飛び出した。
ぼこぼこぼこ、と内側からべこべこにされていくシェルター。
壁を隔てているであろうデジモンが現れるのは、時間の問題だった。
光はここにいろって念を押されてしまい、光は太一の後ろ姿を食い入るように後部座席から眺めている。
太一の手にあるデジモンアナライザーが起動する。シェルター越しに探知されたデジモンのデータが表示された。


ぼろいぞうきんを重ねあわせた、海坊主のカイブツみたいなデジモンだ。真っ赤な瞳が縦に開いて、こちらを覗いている。


「いくぜ、コロモン」

「うん!」


紋章を取り出さない太一の意志に従って、デジヴァイスだけが起動する。
久方ぶりに紋章の媒介を通さずに進化を遂げたコロモンは、アグモンになると、そのままシェルターに突撃した。
ばごおん、という音を立てて鉄筋が吹き飛んでくる。デジヴァイスの光の螺旋に包まれたコロモンは、グレイモンに進化した。


これがデジタルモンスターなのか、と生まれて初めて目撃した異世界の生命体を食い入るように見つめている及川さんだったが、
ノートパソコン越しにゲンナイから呼びかけられて、我に返ったのか、太一と光の代行として作業を再開し始めた。
新設されるデジタルゲートを安定化させるには、現地の技術者である及川さんはこの上ない適任者なのである。
自ら選んだ道が決して間違っていないのだと肯定された気がしたのか、込み上げるものを乱暴にぬぐい、
プログラマーの目をした男のタイピング作業は加速していく。子供が戦っているのだ。大人が傍観していてどうする。
かき込まれていくデータがゲンナイさんのところに転送される。転換されたデータがデジタルゲートを作り上げる。
不定だったゲートが固定される。及川さんは書き上げたデータを実行に移した。


「太一君、ゲートが開いたぞ!あとはまかせた!」

「はいっ!」


まかせろ、と勇ましい応酬がかえってくる。どろりとしたデジモンの通った後には硫酸ミストが発生しているらしく、
金属はたちまち錆びついて、どろりととけてしまった。下水道に蓄積していたヘドロや工場廃棄を吸い込んでいるようで、
そのままなら環境を改善する無害な奴だったのだろうが、高濃度になった汚染物質をまき散らすならたちがわるい。
へどろをはいつくばせながら襲いかかってくるデジモンに、グレイモンは灼熱の業火をたたき込んだ。

じゅうううう、と見るからに有害な硝煙が上がる。どうやらこのデジモンはほとんどが水分で出来ているようだ。


「がんばれ、グレイモン!この調子で蒸発させるんだ!」

「わかった、任せてくれ、太一」


とびちったヘドロが分裂しないように、グレイモンは片っ端からへどろを蒸発させていく。
連射される炎の弾丸に、もともとスライムのように非力で攻撃力が全くないデジモンはなすすべなく体を小さくしていく。
あたり一面、異臭が充満した。ものがやける匂いがする。あまりにも生々しいので、太一は目を背けたくなった。
デジモンアナライザーによればウィルス種の成熟期。グレイモンの敵ではない。
あまりに肥大化しているので時間がかかっているだけだ。ぶるぶると全身をふるわせながら、敵は自分の体を飛ばしてくる。
全身を機械化することで生きながらえようとしたものの、全身の筋肉が腐れ落ちたせいで体が安定してしていないのだ。
体を構成するデータすら崩壊し始めているものの、延命のために取り込んだ機械のせいで
醜い姿になっても生きながらえている。じゅうじゅうと焼かれているデジモンは、ようやくアナライザーと同じ大きさになった。
本能のままに行動している敵は、おそらく今どういう状況に置かれているのかわかっていないだろう。
これなら、ヌメモンの方が絶対マシだよなと思いつつ、太一は及川さんを呼んだ。


デジタルゲートが開かれる。


レアモンと呼ばれている紫色のアンデット型デジモンは、無事にデジタルワールドに転送されたのだった。
あー、よかった、やっとおわったぜ、と安堵のため息をついた太一だったが、腰につけているデジヴァイスは鳴りやまない。
それが意味するところを悟った太一は青ざめる。及川さんは飛び出していこうとする光を止めるために、
内側からロックをかける作業に追われていた。まじかよおっと工事現場で太一の声が響き渡った。


結局、太一達が大学病院の方に帰って来れたのは、1時間近く経過したあとだったのはいうまでもない。。





[26350] 第5話 常闇の死闘
Name: 若州◆e61dab95 ID:415f61b2
Date: 2013/10/06 14:46
東急新玉川線と営団地下鉄半蔵門線にやってきた8590系から途中下車したヤマトとタケルは、
最寄りの階段を伝って地上にある渋谷にやって来た。
夏休みと言うこともあって、いつもより人が多い中、はぐれないように注意しながら雑踏を抜け、
ようやくほっと一息できる場所に辿り着いたと思ったら、緩やかな階段がタケルたちを待っていた。
東京都渋谷区宇田川町13番と16番の間にある道路は、100メートル弱のゆるやかな勾配の坂が続いており、
北の方角には23段にも及ぶ12メートルほどの階段が続いている。
1975年に商業ビルのパルコから命名を依頼された喫茶店のオーナーが写真で見た風景に一目ぼれして以来、
その趣味が高じて経営する喫茶店の内装も統一していたこともあり、
何のゆかりもないにも関わらず、24年間にわたってその坂はスペイン坂と呼ばれている。
そのためか周辺商店は坂の愛称に合わせた南欧風の街づくりが行われており、
坂の上には映画館、ゲームセンター、そして渋谷パルコの1階には音楽スタジオがある。



料理店の付近に設置されている女神像には、好きな人の名前を書いたプリクラを張ると両思いになるという都市伝説にあやかったのか、
実際に設置している料理店がある。上から下までプリクラ君と呼ばれている雪だるまのプリクラがペタペタと張られていた。
タケルの家までまだ距離があるというのになぜ途中下車したのかといえば、
理由は単純明快、地下鉄がいつまでたっても動かなかったからである。
何時運航再開になるか全く見通しが立たず、代替運行も開始するというアナウンスが流れる位ほどの大混乱である。
切符の払い戻しにできる長蛇の列、代替運行の案内をする駅員の周りにできる人だかり、
携帯電話を持っていない人間が唯一使える公衆電話は案の定いっぱいで、
沢山の人の波をかきわけ、かきわけ、ようやく二人は地上に到着することができたのだった。
それでも考えることは皆同じらしく、財布に余裕がある大人は迷うことなくタクシーを捕まえるために手を上げる。
自転車も心なし今日は多い気がする。それでもほとんどの人は徒歩だろう。



代替バスが待っているのはここから結構遠い発着場所である。
かきいれ時とばかりに黄色や緑、白、いろんな色のタクシーが通り過ぎていく。
空車と書いてあるランプはあっという間に切り替わってしまい、
タクシーを待っている人でどんどん歩道橋はいっぱいになりはじめていた。
もちろんタケルの住んでいるマンションまで直通でいけるだけの大金所持しているわけもない小学生は、
なんとか持っているなけなしの予算内で自宅に帰るべく代替バスがあるというアナウンスにしたがって先を急ぐのだ。
懐かしいくらい久しぶりの振動がヤマトに届いたのは、ちょうどその時だった。



反射的にしまっていたデジヴァイスを引っ張り出したヤマトは
ブルー仕様のデジヴァイスが小刻みに振動していることに気付くのだ。
ぴこぴこぴこぴこ、ぴこぴこぴこぴこ、と懐かしい電子音と警告音が辺りに響き渡る。
もちろん妙に耳に残るノイズにつられてたくさんの視線がヤマトたちに向かうが、
どこをどう見ても子供向けのデジタル時計、もしくはポケベルにしか見えないため、
誰も深入りすることなく音の出どころがヤマトたちだと気付いたら興味をなくして通り過ぎてしまう。
それでも延々と流れ続ける振動と警告音に、次第にその場にいずらくなってしまった二人は、
仕方なくデジヴァイスを抱えたまま路地に逃げ込んだのだった。


「これってデジヴァイスを持ってる人が近いよってことだよね?」


ああ、と頷いたヤマトはパートナーが超進化したことで紋章と同化したデジヴァイスにのみ発現される探知機能が起動したのだろうと憶測する。
ノーマル・個人仕様のデジヴァイスを問わず、持っている人間を一定エリア内であれば探知することが可能なこの機能は、
現実世界であればどれくらいの性能が発揮されるのか完全な未知数だと説明していた光子郎を思い出す。
デジタルワールドであればその機能は広大なサーバ大陸全土にまで及び、方向、距離まで明確に分かった。
子供たちが全員集結することができたのはこの探知機能があったからに他ならない。
一向に鳴りやむ気配もなく、むしろ次第に大きくなっているデジヴァイスの振動と画面の光、そして警告音を見つめるまなざしは真剣だ。
聡明な兄が危険視するべき可能性について思考を巡らせている中、
デジヴァイスが近くにある=仲間が近くにいるという単純明快な発想に至ったタケルは聞いてみるのだ。


「ってことは、誰か近くにいるのかな?探してみる?お兄ちゃん」

「いや、でも誰も渋谷に行くなんて言ってなかったよな?」

「うーん、でも僕達もここにくるなんて思ってもみなかったよ?」

「まあ、それはそうだけどな」


太一は光と共に大型バスを途中下車して母親と共に、父方の祖母のお見舞いに大学病院に向かった。
つまり残りの5人はみんな台場にあるマンション目指して徒歩なり、自転車なり、親の自動車なりの移動手段をもって向かったのを二人は確認している。
明日の朝七時、臨海公園広場で待ち合わせという約束の確認のあと別れたからそれは間違いないのだ。


「そっかあ。じゃあ、誰だろう?」

「さあな」


言葉少なに肩をすくめたヤマトは、デジヴァイスと共に紋章を握り締める。
そして、渋谷道玄坂の人混みを遠目に、注意深く辺りを見渡した。


「気を付けろよ、タケル」


あたりを警戒しているヤマトに応じて、リュックサックの中でずっとぬいぐるみのふりをしていたツノモンが、
もともと緩やかになっていたひもの入り口をこじ開けて顔を出す。
ふるふると顔をゆらしたツノモンは、どうだ、と聞いてくるヤマトに、うん、と小さく頷いた。
そうか、とだけ言葉を紡いだヤマトのデジヴァイスを握る手が強くなる。
どうしたの、お兄ちゃん、と不安そうに見上げてくるタケルに、緑色のリュックサックを内側から開けたトコモンが顔を出した。


「え、どうして?」

「デジヴァイスを持っているのは、俺たちだけじゃないってことだ」

[トコモン、わかる?]

[こっちじゃないみたい。ツノモンはどう?]

[こっちでもない、かな。ヤマトのデジヴァイスはあの坂の向こう側を指してるみたい]

「え、じゃあ、デジヴァイスを持ってる敵がいるってこと?」

「ああ、ゲンナイさんが言ってただろ、タケル。
10人目のデジヴァイスと太一の妹の、えーっと、光ちゃんだっけ?
あの子のデジヴァイスが行方不明だってな。しかもどっちの紋章も行方不明だ。
さすがにパートナーを超進化させることはできないだろうから、
普通だったらこの機能は俺たちだけ使える特権のはずなんだ。
でも、相手は普通じゃない。科学者なんだろ、ゲンナイさんが言ってたじゃないか。
 ダイノ古代境にあった骨をくみ上げて、瓦礫の残骸だったデジコアを復活させて、
 あのスカルグレイモンを復活させてファイル島を壊滅に追いやりかけたことがあるって。
 暗黒勢力が持ち去った先代の子供たちの記録を復活させて、復元までさせてるんだ。
 セキュリティしか知らないはずのゲートの暗号まで解読されてるんだろ、
 デジヴァイスを俺たち以上に使いこなせてたってオレは驚くつもりは無いけどな」

[とにかく、それだけの相手だってことだよ。気を引き締めていこう]

「うん!」

[わかった!]


彼らはうなずいて、目の前にある坂道を全力で駆け上がった。


「……これは?」


思わず足を止めたヤマトは、戸惑いを浮かべながらあたりを見渡した。


[気を付けて、ヤマト。何かいる!]


警告するツノモンに、わかってる、と頷いたヤマトは、追いついたタケルが同様にあたりを見渡しているのを確認する。
がらがらがらと東京の都心真ん中にはあまりにも不つり合いな馬車の音が響き渡る。
夜の東京に数メートル先も見えない霧が発生しているではないか。
どこを見渡しても馬車らしき影は見えず、ただ音がどんどん遠ざかっていく。
その霧は瞬く間に散見してしまい、そこに老人倒れているのを見つけたヤマトは、
思わず声を上げて駆け寄るのだ。タケル達も急いでそちらに向かう。
熱中症にでもなって倒れてしまったのだろうか。


「おばあさん、大丈夫ですか?」

「なにかあったの?」


ぐったりとしている女性は意識を失っているらしい。
呼びかけてみるが返事は無く、ヤマトはあわててタケルに人を呼ぶようにいう。
うん、と頷いたタケルが坂を駆け下りていくのを見届けて、
ヤマトは倒れている女性をみてぎょっとするのである。
夏服から覗いている皮膚はまるで老女のようだったので、おばあさんと呼んでみたのだが、
呼吸ができるようにうつ伏せから仰向けにしてみたところ、どう見ても20代の衣装である。
しわしわになった皮膚、毛細血管が浮かび上がってミイラのようになっているがりがりの腕は、
辛うじて脈を刻んでいるが、呼吸は限りなく微弱である。どこをどう見てもおかしい。


[ヤマト、これは]


ヤマトのリュックから飛び降りたツノモンが女性の首元に近寄っていく。


「これは・・・・・・・」


小さな犬歯が二つ突き立てられ、青痣が浮かんでいる。
ひやりとした風にヤマトは振り向いた。外套もまばらな黒い道の向こう側に白いものが見えた。
鯉きりの塊が緩やかに動き、近づいてくる。ぞわぞわぞわとツノモンの毛が逆立つ。
まっている暇は無い。道路にどんどん霧が充満していく。
女性を守るために前に立ちふさがったヤマトは、ツノモンと共に前を見据えた。
デジヴァイスの反応が最大音量の警告音を持って、デジヴァイスと紋章を持っているものの存在を知らせている。
タケルは逃げることができただろうかと思いながら、ヤマトはデジヴァイスをかざしてツノモンをガブモンに進化させる。


[いくよ、ヤマト!]

「ああ、頼んだぞ」


答える必要はない。すべてわかっている。そういう響きが含まれていた。
迷っている暇は無かった。隙を見せたら最後、目をそむけたが最後、間違いなく、殺される。
デジヴァイスが進化の光に包まれる。タグに組み込まれている友情の紋章が解放され、
ガブモンは真っ白なベールに包まれ、姿をかえていく。


[食事時にずいぶんと無粋な真似をしてくれる]


影が無機質な声を発する。姿なき声に呼応して、無数のコウモリが飛来する。


「食事だって?」


[この人をこんな目にあわせて、なんだよそれ!]


黒い霧だと思われたそれは、太陽の眠った常闇で活動を開始した敵の配下だったのである。
コウモリたちの動きが速かった。ヤマトたち目掛けて襲いかかってきたコウモリに、
ガブモンは目の前にいたパートナーをかばうことしかできなかった。


コウモリに覆われて黒い塊になった女性は、あっという間に空中に浮遊する。
コウモリたちは際限ない食欲で女性の血液一滴まで食らいつくそうとしているようだ。
ヤマトのデジヴァイスのゲージが最大限にまで跳ね上がる。
道路の向かい側にある音楽スタジオまで押し戻された影は、一陣の風を持ってガルルモンはコウモリ達を跳ね飛ばす。
空中で反転したガルルモンは口から真っ青な炎を放った。
すでに地上にはいない敵は、大きく跳躍した後で重力の法則に逆らう形で空中にとどまっている。
迫りくる高温度の炎はその後を追って伸びる。これもマントの一振りで蹴散らしてしまった。
ガルルモンはその影を追いかけながら、音楽スタジオの壁をけり、高く高く跳躍する。
ヤマトが叫ぶ。ガルルモンの姿が光の中で変貌を遂げ、巨大な狼はそのスピードと引き換えに
はるかな跳躍力を得た狼男へと進化を遂げた。その粒子をまといながら、大きな回し蹴りがさく裂した。


[円月蹴り!]


その蹴りが届くまではまだ距離が足りない。だが三日月形の衝撃波は敵目掛けて飛んでいく。
その衝撃波から主を守るべく一斉に集まってきたコウモリから解放された女性が急速に落下していく。
ワーガルルモンはその飛距離のまま女性を受け止めると、安全なところにまで一気に飛んでいく。
配下のコウモリの犠牲でもって攻撃を防いだ姿なき敵は、その隙を狙って真っ赤な瞳を向けた。
衝撃波が周囲に広がった。音のない爆発である。外套が砕け、ビルの窓ガラスが四散した。





渋谷駅前広場であるハチ公を見下ろす樹の上であたりを警戒しながら、
パタモンは公衆電話で通報しているタケルを見守っていた。
パタモンがいては電話がつながらなくなってしまうのだ。
デジタルワールドでは光子郎と大輔の携帯電話やPHSは使えたのになんでだろう、と
光子郎が魔改造したことを知らない彼は思うのだ。
人々のざわめきが聞こえる。遠くで爆発音が聞こえてきて、パタモンはいてもたってもいられなくなり、
警察と救急車を呼んでほっとした様子で外を出たタケルの待つ茂みへと急いだのだった。


「お兄ちゃんっ!」


姿なき敵から放たれた赤い電撃が鞭のようにうごめき、ワーガルルモンを襲うのが見えた。
突然の爆発と共に真っ暗になってしまう東京ハンズの掲示板、ネオン、行きかう人々の視線は空に向かっている。
跳躍した空中から東急ハンズの壁に飛びついたワーガルルモンは、その爪を壁に食い込ませ、
垂直にとんぼ返りして間髪でかわす。電撃が壁を深くえぐる。ネオンが激しく火花を照らす。
あっという間に停電になってしまった。ただでさえ帰宅困難者で溢れ返っていた雑踏はますます大混乱になっていく。
上空から無尽蔵に降ってくるガラスから逃げるために散っていく人たちから逃げる。


タケルは、両手を勢いよく交差させ、真っ赤な爪で空気を切り裂く真空波を目印に、
兄がいるであろう場所をめざして裏路地に潜った。
敵は強い。途方もなく強い。そうパタモンはぬいぐるみのふりをして、リュックにへばりつきながら思った。
下方の空中にいたワーガルルモンが両手で攻撃をブロックするが、そのまま向かいのビルに壁ごと撃ち抜かれてしまう。
無数のコウモリがワーガルルモンに襲い掛かる。必死で防衛体制をとり続けている隙を執拗に攻撃する。
Parcoのネオンに叩きつけられたところに、容赦なく振り下ろされる一撃。
屋上に転がっているワーガルルモンは、微動だにしない。這いつくばっている狼男は、
懸命に立ち上がろうとするが、全身を襲う麻痺の副作用は身体の動きを完全に封じていた。


「パタモン、急いで!助けて!ワーガルルモンがやられちゃうよーっ!!」


タケルの絶叫がデジヴァイスに届いた時、内蔵されているゲージの数値が一気に跳ね上がる。
聖なる光を6枚の翼に託し、黄金色の杖を携えて現れたエンジェモンは、
タケルを抱きかかえて、一気にワーガルルモンがいる所にまで飛翔する。
放たれる眩い光をまとった突風がワーガルルモンに襲い掛かる無数のコウモリを蹴散らした。
そして、ネオンが粉砕されて常闇が濃くなっていくにしたがって、数を増やしていくコウモリを殲滅するべく、
自らが持っている聖なる光を一気に拡散させる。いくら格下の成熟期が放った光の攻撃とは言え、
所詮は分身に分身を重ねた微弱な魔力で構成されている個体としては成長期レベルのコウモリは、
あっという間に粒子となって消えてしまう。
ようやく常闇の主はその正体を現した。ヤマトたちが真っ先に連想したのは。
顔の半分以上を覆い尽くしている仮面が紅に染まるのは、
決してエンジェモンの光による照り返しによるものではない。
同格ならばともかく、所詮は完全体と成熟期という圧倒的な格差があるうえに、
今は宵の刻、世界は太陽から月に主導権が移りつつあり、すでに光と闇の均衡は崩れ去っていた。
時間が経過するにつれて、どんどん状況は悪くなっていく。
どうする?必死で状況の打開を思案するエンジェモンの脳裏によぎるのは……。
かたく唇を結んだエンジェモンの視線がワーガルルモンに向かう。


[ワーガルルモン、私に考えがある]


ふ、とばかりにワーガルルモンは鼻で笑った。


[断る]

[……まだ何も言ってないんだが]

[言わなくても分かるさ。でも断る。それよりこの痺れをなんとかしてくれ]


しばらく沈黙したエンジェモンは、まだ痺れの残る満身創痍の味方の傍に駆け寄ると、左手からシルク色の光をかざしてやる。
瓦礫のころがる屋上で再会したお兄ちゃんに、タケルはちょっとだけ涙目になって、
お兄ちゃんの馬鹿、なんで僕だけおいていっちゃうんだよ!と叫ぶのだ。
悪い、と言葉短く肩をすくめたヤマトは、もう二度としないで、という約束を求める弟への返事はあえて聞かなかったことにして、
弟を守るべく前に進み出るのだ。複雑そうな眼差しは背中で受け止める。


[大丈夫か、ワーガルルモン]

[ああ、なんとかな]

[相変わらず無茶をする、ヤマトも君も。私のパートナーを悲しませないでくれないか]

[どの口がいうんだ。味方もろとも攻撃する趣味は俺にはない]

[他言無用で頼むよ]

[ああ]


ここに長時間居続けるのは得策ではない。ならばとれる方法は一つだけである。
どうやらまだ本性を現す気はないらしい敵は、こちらの動きを察知してにやりと笑みを浮かべている。
コウモリの群れが一斉にあたりを覆い尽くす。真っ赤な電撃を伴った嵐がビルを中心に襲い掛かった。
渋谷の上空に、光と闇、そして空間を切り裂く真空波の力がぶつかって拡散する。
衝撃は色を変えながら町全体を覆い尽くすほど広がり、眩く照らし出された渋谷は、
その後、15分の大停電に陥った。当然のことながら街は大パニックになる。
成熟期や完全体から一気に退化したパートナーデジモンと人間を捜すことは、
さすがの敵も出来はしないのだった。
デジヴァイスを持っている限りお互いに居場所がばればれなのは変わらないが、
こちらには地の利と圧倒的な知識の差がある。
そして、単独行動を基本とする敵と違って、ヤマトたちにしか起動できない機能があることも事実である。
デジヴァイスが起動した結界の中で、ヤマトとタケルは無事、追っ手をまくことが出来たのだった。





[26350] 第6話 渋谷系デジモン珍道中 その1
Name: 若州◆e61dab95 ID:415f61b2
Date: 2013/10/06 14:47
タケルと奈津子の住んでいるオートロック式のマンションは、
まず出入り口の真横にあるロック画面に行かなければならない。
真っ黒な画面に設置されているモニタと音声が聞こえてくるマイクがあって、
その下には、電話や携帯と同じ配列の数字が並んでいるのだ。
僕たちの住んでるお部屋の番号を押すんだよ、と得意げに笑ったタケルは、
ちょっと背伸びをして自分が住んでいる部屋番号を押し、確認ボタンを押した。
そして、カードキーの提示を求められたタケルは、リュックから予め出しておいた、
ひも付きのカードを勢いよく隣の機械に通して、引き抜くのである。
照合中という言葉が表示された後、ようやく自動ドアのちょうど真上にランプがついて、
自動ドアがタケルとヤマトを迎え入れてくれたのだった。


ひんやりとした空気が一気に流れ込んできて、
蒸し暑い外で待たされていた兄弟はほっと息をなで下ろした。
金髪の小学生二人組という外見はやはり人目をひくらしい。
フロントで警備を委託されているおじさんが、
競馬新聞をテーブルに置き、にっこり笑って会釈した。
背後ではちょうど小さなテレビで競馬のなんとか賞が開催される直前である。


「おや、タケルくんじゃないか。お兄さんも一緒かい?
お帰り。今日はキャンプじゃなかったのか?」


そう言えばここに久しぶりに来た時も、タケルが嬉しそうに話してたっけ、
とぼんやりヤマトは思い出す。
どうやらタケルが引っ越してきた頃からここで警備員をしているこのおじさんは、
帰宅してもお母さんがいないことが多い鍵っ子な弟にとっては貴重な頼れる大人らしかった。
きっと毎日こうやって挨拶したり世間話をしたりする位には知り合いなのだろう。
普通のマンションに住んでいるヤマトにとってはまずあり得ない光景である。


「おじさん、ただいま!今日はね、
キャンプ場にいっぱい雪が降ったから、中止になっちゃったんだ」

「ほー、そりゃ残念だな。しっかし、夏に雪とは日本もとんでもないねえ。
 アマゾンじゃ干ばつで沼地が干上がっちまってるって話だし、
 砂漠地帯じゃ連日の豪雨で河が氾濫しちまうし、アメリカじゃ豪雪らしいじゃねえか」

「でも今日はね、お兄ちゃんが泊まってくれるんだ!」

「ほー、そりゃよかったじゃねえか」

「うん!じゃあね、おじさん!いこ、お兄ちゃん」

「ああ、そうだな」


そうしてタケルに手を引かれるままにエレベータに乗ったヤマトは、
真っ黒なボタンの中で唯一オレンジ色にライトアップしている番号を見る。
お母さんが家にいて、そこに向かって帰っている自分がいることにひどく違和感を覚える自分がいた。
一段一段上がっていくうちに、手のひらに汗を掻いていることに気がづいて、
フリースでぬぐってみるがやっぱりどこか緊張しているらしい。
タケルは気づかないからたいしたこと無いのだろうが、心臓の音がやたらうるさい。
真横に設置されている全身を映し出す大きな鏡を見れば、ぎこちなくなっている自分がいた。
ついたよ、というタケルの声に我に返ったヤマトは、
はやくはやくって急かす弟に苦笑いしながらエレベータを下りるのだ。
タケルの手にはカードキーと同じヒモに結ばれている別のカードキーが握られている。
ようやく辿り着いたカードを差し込んだタケルは、ぴ、という音と共に、
自動的に開閉する機械音を耳にする成り、勢いよく扉をひらいた。
玄関にはお母さんの靴が並べて置いてあった。


「ただいまー!」


元気良く声を張り上げるタケルは、もう靴を脱ごうとしている。
釣られてただいま、と小さくつぶやいたヤマトは、
お帰りなさいという言葉を聞いて思わず顔を上げてしまう。
聞かれた、と察したヤマトはバツ悪くなってちょっとだけ横を向いてしまった。
いつもは無愛想な長男が自分の家と同じようにただいまと言ってくれて
ちょっと嬉しいお母さんがいるのでますます気恥ずかしくなってしまう。


「お帰りなさい、ふたりとも。大雪で迷子になったんですって?
大変だったでしょう、大丈夫だった?」

「うん、大丈夫だったよ!お兄ちゃんがいてくれたから、全然寂しくなかったんだ!」

「そう、それは良かったわね。ありがとうね、ヤマト。さすがはお兄ちゃんね」

「いや、別に、俺は……」


当たり前のことをしただけだから、お兄ちゃんとして。
次第に小さくなっていく言葉でもしっかり聞き取れたのだろう奈津子は、にこにこしている。
ありがとう、と言われたヤマトは、ますます言葉が続けられなくなってしまった。
照れ屋な長男が言葉を探してうろたえている中、タケルが早速奈津子に聞くのである。


「ねえねえ、おかあさん!今日ね、お父さんがいないんだって。
だからお兄ちゃん泊まってもいいでしょ?」

「あら、そうなの?私はいいけど、ヤマトはいいの?」


いつもならば、お父さん贔屓の長男は自分だけお母さんとタケルと一緒に過ごしたら、
お父さんへの裏切りになるとかたくなに信じているため、なにかと理由を付けて断ってきた経緯がある。
タケルがいつでも大歓迎なのはいつものことだったので、奈津子はヤマトに聞いてみるのだ。


「……今日は、泊まっていく」


ぽつり、とつぶやかれた言葉に、一瞬意味を反芻した奈津子は瞬き数回のあと、
ぱっと笑顔になったのだ。よかっわねえ、タケル!と微笑んだ奈津子に、
実は初めから知っていたなんていえないタケルは、うん、と頷いて笑った。
何年ぶりかしらねえ、と感慨深そうにつぶやいた奈津子は、見るからに嬉しそうである。
どこかに出掛けようかしらという発案をされたらどうしようかと心なし身構えていたヤマトだったが、
どうやら家族そろって水入らずの外食をする気はないらしく、
奈津子は荷物を片づけて、着替えていらっしゃいと言って先に部屋に引っ込んでしまった。
これでなんとかデジモン達の食料確保は出来そうである。
よかった、と胸を撫で下ろしつつ、ヤマトたちは一度タケルの部屋へと引っ込むことにしたのだった。
そして、デジモン達にお菓子を振る舞い、待機しているようお願いしてから
リビングに顔を出した二人を待っていたのは、
暑かったでしょ、とキンキンに冷えた麦茶をくんで待っているおかあさんの姿である。


「せっかくだから、お母さん、腕によりをかけて作っちゃおうかしら。なにたべたい?」


家族水入らずの時には、特別なことをしたいという意識が強いためか、
なにかと外で食事をしたり、お取り寄せを頼んだりする
演出をしたがる奈津子にしては珍しいこともあるものである。
子どもが不在と言うことですっからかんのはずの冷蔵庫は、
すっかり冷えた麦茶が入っている。
どうやら子供たちが帰ってくると事前に連絡が行っていたため、
買い物を済ませてきたらしい。


「え、ほんと?」

「ええ。今日はおうちでゆっくりするのもいいと思ってね、
近くのスーパーで買い物してきたの。
 ごめんなさいねえ、せっかくのお休みなのに。
いつもならどこかに出掛けるところなんだけど、今日は公共交通が全滅状態でしょう?
吸血鬼なんていう気持ち悪い通り魔もいるみたいだしね」

「吸血鬼?」

「あら、大通りのテレビとかで見なかった?
今日の夕方ごろに女の人がね血を吸われて倒れてるのが見つかったんですって。
 テレビ見る?多分、トップニュースでやってるわよ。今日で何人目かしら。怖いわねえ」


ぴ、とリビングにおいてあるテレビのスイッチを入れた奈津子が、ほら、と指差す先には、
まだ記憶に新しいスペイン坂の現場にkeepoutのまっ黄色なテーピングが張り巡らされ、
報道陣が殺到しているのが窺える。
まさかあのデジモンにやられた女性のことだろうか。
被害女性の年齢は被害者に共通の20代前半ということが強調され、
化粧や衣服、靴に至るまでヤマトとタケルが強烈に覚えているミイラの彼女と合致する。
命に別状はない、との文言にほっとした様子で息を吐いた二人は、
間違いなく吸血鬼はデジモンであると確信する。


「何人目って、この人だけじゃないってことか?」

「そうみたいねえ。今日の夕方ごろから光が丘で一人、隣町で一人、ええとこれで4、いえ5人目かしら?」

「お母さん、外に出ちゃだめだよ」

「あら、ふふ、そうねえ。若い女の人が被害に遭ってるみたいだから気を付けないとね」


食事を邪魔するという言葉を思い出したヤマトは、心の底からぞっとするのである。

どうやら吸血鬼というのはあながち間違いではないらしい。


「さ、ご飯がおいしくなくなっちゃうからちょっとテレビはお預けね。
二人ともお腹すいてるでしょう?何食べたい?」

「ぼくパスタ!お兄ちゃんは?」

「え、あ、ええとオレも」

「そ、じゃあ久々にお父さんに教わったパスタでも作ろうかしら」


奈津子の父親は外国人である。そのためヤマトとタケルの日本人離れした外見は
クオーターが故の先祖がえり、隔世遺伝といわれている。
イタリア人ではないが、ラテン系の血が入っているためか
根っからの楽天家な祖父から教わった家庭料理が、奈津子の料理レパートリーの偏りが
日本よりも西洋の家庭料理に寄っていたり、造詣が深かったりする一因でもある。
久々に子供二人にふるまう料理とあって気合が入っているのか、
奈津子はいつになく上機嫌でキッチンへとむかったのだった。
2年ぶりになる母親の料理する姿をなんとなく後ろから眺めていたくて、
慣れた様子で食器の配膳を始めたタケルの手伝いをしながらヤマトはこっそりと奈津子の方を見る。
聞きたいことがあると決めていたはずなのに、こうして家族のだんらんを前にすると
それを自ら壊してしまいそうな気がして、なかなか切り出せない自分がいた。
香ばしいバターとオニオンライスの焦げた匂いが漂ってくる。
どうしよう、と内心焦りを浮かべながらため息をついたヤマトが
タケルに言われてフォークを3つ並べようと引き出しを開けた時、
リビングに設置されている固定電話のベルが鳴る。


「ごめんね、今手が離せないから誰か電話に出てくれない?」


おそらくパスタに和える具材を調理しているのであろうフライパンを鳴らしながら奈津子が言うので、
ヤマトはタケルにフォークを3つ手渡すと、俺が出るよ、と告げてそのままリビングに向かった。


『もしもし』


女の子の声である。もしかして河内小学校の連絡網かなにかだろうか。
しまった、やっぱりタケルが出るべきだったかな、とちょっとだけ焦ってしまう。


「もしもし、いし、あ、いや、たか、高石ですけど」


何時もの癖で父方の姓を名乗ってしまったヤマトはあわてて訂正して、どちら様ですかと切り返す。


『あ、もしかしてヤマトさんですか?アタシです、ミミです』

「え、ミミちゃん?どうしたんだよ、突然」

「え、お兄ちゃん、ミミさんから電話?」

「え、あ、ああ。タケル、お前いつの間に」

「えっと、大輔君たちと一緒になったときにね、電話番号交換したんだ。
 今度一緒に遊ぼうねって」

「あ、そうなのか。なんだ、びっくりした」

『もしもーし、ヤマトさん?聞こえてます?』

「ああ、悪い。驚いただけだよ。で?」

『あのね、今日やってる吸血鬼のニュース見ました?渋谷区の』

「ああ、さっき見た。謎の爆発とか結構騒ぎになってるみたいだな」

『もしかしてって思ったんでお電話したんですけど、その、ヤマトさんとタケル君、
あの吸血鬼の大騒ぎとか爆発事故のとき、渋谷にいませんでした?』


思わず言葉が詰まってしまったヤマトである。


『もしもし、ヤマトさん?』

「あ、ああ、悪い。いたよ、いたけど、なんでミミちゃんがそれを知ってるんだ?」

『えっと、その、実はあたしのパパ、ミュージシャンなんです。
今日は渋谷のレコーディングスタジオで収録してるんですけど、
15分くらい渋谷区が大停電になったせいで機械が壊れちゃって、
結局今日はおうちに帰れないって電話があったんです。
そのときに、たばこを吸うために外に出たら、大きな青い犬といっぱいのコウモリ、
あと金髪の男の子を見たんだけどテレビの収録かなって連絡があって』


思わず頭を抱えたくなったのはご愛嬌である。
そういえばスペイン坂のゲームセンターがあったビルには音楽スタジオがあった気がする。
暗幕が貼ってあって外から中を覗くことは出来ず、防音設備も整っていたのだろう、
全く音がしなかったから誰もいないものだとばかり思い込んでいた。
しまった、大人がいたのか。しかもデジモンを見られてしまった。頭痛がするヤマトである。
結構派手に戦闘を繰り広げてしまったのだから、目撃証言があってもしかたないだろう。不可抗力である。
幸いミミの父親は、テレビの収録か何かだと勘違いしてくれたらしく、深く言及をすることは無かったようだ。
ただなんとなくミミの両親と会うのはちょっとまずいかもしれないなあと思うヤマトである。
何かあったんですかって心配そうに聞いてくるミミに、後ろを確認したヤマトはそっと受話器に手を当て、
声が漏れないように注意しながら小声で話すのだ。


「実はあの時、コウモリを従えた吸血鬼みたいなデジモンに襲われたんだ」

『え、大丈夫だったんですか!?』

「なんとか逃げることができたけど、その代わりに渋谷区が停電になっちまったな。
そうだ、ミミちゃん。太一たちに伝えてくれないか?
悪いけど、明日の7時には俺たちいけないかもしれない。
地下鉄とか止まってるせいでお台場に帰れないんだ」

『あ、そっか、そうですね。ヤマトさんがタケル君のおうちにいるんだし。
 でもそっちの方がいいですよ。タケル君と一緒にいてあげてくださいね』

「ああ、そうするよ。ミミちゃんも気を付けて。夜は外を出歩かない方がいい。
ニュースでやってるあの吸血鬼の通り魔はそのデジモンなんだ。
コウモリに女の人を襲わせて、血を吸ってた。
俺たちが止めないと女の人が死ぬところだったんだ。気を付けてくれ。
奴が現れる時には、いつも黒い霧が発生するんだ」

『わ、分かりました。ママにも今日はお出かけしないでって言ってきます!
じゃあ、おやすみなさい』

「ああ、また連絡するよ。おやすみ」


がちゃりと受話器を置いたヤマトは、はあ、とため息をついてキッチンへと向かう。


「ミミさんなんて?」

「え?ああ、明日の約束はちょっと無理だって、太一たちに伝えてくれるよう頼んだんだ」

「あ、そっか。そうだね」


ちょっと残念そうに肩をすくめたタケルは、飲み物を冷蔵庫から取り出すところだった。
隣ではすっかり出来上がったボウルの中のパスタを具材と共に混ぜ合わせているお母さんがいる。
どこかニコニコしているのは気のせいではないだろう。


「なんだよ」


ちょっと嫌な予感がしてヤマトは後ずさった。


「ヤマトはやっぱりおじいちゃんに似てるのねえと思っただけよ」


ふふふ、と怪しげな笑みを浮かべている奈津子は
明らかに井戸端会議に花を咲かせるおばちゃんの顔をしている。
ヤマトは一度だけそれを見たことがある。
たしかGWの頃だったか、タケルが寝静まった後、こっそりヤマトの近況を聞きたがった奈津子に
今年の4月に野球部とサッカー部でグラウンドを巡って
内紛状態となったことを話した時と状況がよく似ている。
たしかあの時には太一と空と友達になったことを話したような、
そしたら珍しく女の子が話題に出てくるから奈津子が過剰反応して。
もうやめよう。奈津子の考えていることが分かってしまったヤマトは、
違うからな、とはっきり否定して話題を切り上げた。
残念そうに肩をすくめた奈津子は、3人分にパスタを取り分けて、
シーフードサラダもサイドにおいてくれた。
椅子に座ったヤマトとタケルは、いただきます、と手を合わせる。


「ヤマト、食い逃げするようなお友達はお友達とは言わないわ。ちゃんと分別つけなさいね」


かつん、と皿にフォークのこすれる音がする。
弾かれるように顔を上げたヤマトとタケルは、ひきつらざるを得なかった。


「なんでそんなこというんだよ、母さん」

「あの人から電話があったわ」

「父さんから?」

「お父さんから?なんて?」

「今、電波障害があちこちで起こってるでしょう?
だからあの人のオフィスも大騒ぎらしいの。
 報道陣や番記者の人たちがあちこち取材して回ってるんだけど、
××商店のアイスクリーム屋さんで食い逃げした子供がいたらしくてね。
 代わりにあなたがお金を払ってあげてるの見た人がいるらしいのよ。
その子たちと仲良く話してるのを見た人もね。
 ヤマトは優しいから肩代わりしてあげたんでしょうけど、
それはあの子たちのためにはならないからね。
 それはあの人のお金でしょう?ヤマトのお金であったとしても、
それはよくないことなのよ」

「………ああ、気を付けるよ」

「そのこの親御さんにも言ってあげてね。そっちの方がいいと思うから」

「そんな、お兄ちゃんは……!」

「タケル」

「え、でも……」

「どうやって説明するんだよ」

「……そうだよね」


はあ、と二人はため息をついた。





それは1時間前に遡る。





真っ先に反応したのはタケルで、釣られる形でふり返ったヤマトはちょっと硬直するのだ。
ハロウィーンは10月のお祭りじゃなかったか、むしろ日本じゃマイナーな部類にはいらないか、
パンプキンパイくらいしか思い付かない小学生にとって、もともとハロウィンはなまはげ的な行事であり、
悪霊を追い払うために仮装した子供が街を練り歩くなんてルールはしらないだろう。
どうでもいいが今日は8月である。明らかに季節外れの仮装大会が両手をふって歩いていた。
丸い目とギザギザの口にくりぬかれたカボチャの向こう側にはぼんやりとした光があって、
それが生きていることを教えてくれる。斧が脳天に突き刺さっても生きていられる頑丈な
体の持ち主は、なにやら慌てふためいた様子でこちらに走り抜けて来るではないか。
適当な石を人間の形に組み上げたようにしか見えないでこぼこの石型デジモンは、
息を切らせながら置いていかないでくれと必死で相棒を追いかけてくる。


[いたあああ!]


まっすぐに指差されてしまったヤマトは硬直する。


「え、おれか?」

[そうだよ、金髪の兄ちゃん!デジモンの匂いのするそこの兄ちゃん!
 頼むから助けてくれよ!オイラたち、怖い奴に追われてるんだっ!]


ヤマトとタケルは顔を見合わせる。
デジタルワールドと現実世界の境界線が曖昧になり、
デジモンが迷い込むという事例は太一から聞いている。
もしかしたらこいつらもその類なのかもしれない。


「怖い奴ら?悪い奴らに追われてるの?いいよ、ここに隠れてて」

[サンキュー!]


二体のデジモンたちはヤマトに促されて脇道に隠れた。
悪い奴って誰だろう。リュックの中から話を聞いていたツノモンとトコモンが
それぞれのリュックから顔を出す。どうする?進化する?もうちょっと様子を見てから?
デジヴァイスと紋章が入っているポケットを探りながら、
ヤマトたちは彼らが逃げてきたスペイン坂を眺め見る。


「まてえええええ!こんの、くっそがきいいい!どこ行きやがった、カボチャ頭あああっ!!」


大絶叫と共に現れたのは、鬼の形相でブランドもののバッグを振り回しながら
全力疾走している妙齢の女性である。
その姿からは似つかない暴言罵声を呪詛のようにはき出しながら、ぜいぜいはあはあ、
せっかくのメイクが汗で台無しなのも気にせず、彼女はどんどん坂を下っていく。
引きつった顔をしているヤマトの後ろに思わずタケルは隠れてしまう。
ヤマトもなんとなく目を逸らしてしまう。
パンプスは足の部分がおれてただのサンダルのようになってしまっているが、
結構派手な色遣いの服がなぜか血まみれになっているが、
怒り心頭の彼女は自分の恐ろしいまでの出で立ちに気づくことが出来ないらしい。
だらだらだらと流れていくのは鼻血ではなく、おしゃれのつもりで付けていたのだろう
おおきなピアスがあって、その付け根の所から出血しているようだった。
彼女は訳の分からない言葉を叫びながら走り去り、ようやく疲れが体に直撃したのか、
よりにもよってヤマトたちの近くで膝をついてうずくまってしまった。
目を合わせないようにそれとなくその場を離れようとしたヤマトは、
もしかしてさっきの2体が彼女にイタズラでもしたのだろうかと思いつつ、
タケルの手を取ろうとしたが、彼女とばっちり目が合ってしまった。
げ、と思いつつ、ずいっとを上げた汚顔を向けられたヤマトは反射的に後ずさりした。


「どこいった、あの、カボチャ、頭っ!しら、な?」


ちらと見れば脇道に隠れている二体はぶんぶん首を振っている。
お願いします神様とでもいいたげに両手を合わせて拝み倒している。
はあ、とため息をついたヤマトは、脇道とはちょうど反対方向の下り坂を指差した。


「あっちに行きましたよ」


きっと言いかけた言葉はありがとうなのだろうが、
もはや聞き取り不能な宇宙語を叫びながら彼女はあっという間に見えなくなってしまった。


[ありがとー!兄ちゃん。オイラはパンプモン!]

[おれ、ゴツモン!]

[[二人合わせて、渋谷系デジモンなんだ!]]

「はあ?」


妙な脱力感に襲われたヤマトがため息をつくのも無理はなかったりする。
そんなお兄ちゃんの横で、さっそく光子郎からもらったばかりの
デジモンアナライザーを起動したタケルは、カボチャのデジモンを読みとった。
え、なになに、写真?やーだ、オイラも有名になったなあ、
なんて呑気に笑っているパンプモンは、どこまでも無表情なのでちょっと怖い。
もんざえモンを思い出したのはここだけの話である。


「パペット型、データ種、完全体……って完全体なの、きみ!」


てっきり成長期だと思っていたタケルは驚いて声を上げた。


[おうおう、そうだぜ。オイラはこう見えても完全体なのさ。ふふん]


すごいだろ、今ならサインやるよ、と調子のいいことを言っているちゃらんぽらん相手に
ちょっと相手をするのも疲れてきたヤマトは、
それほんとなのかよってタケルからアナライザーを借りてみるのだ。
カボチャの頭をもつヌイグルミのデジモンであるというパンプモンである。
それ、ぬいぐるみなのか、って脳天に突き刺さっている斧に触ろうとしたヤマトに、
ダメー!これはオイラの一張羅!という悲鳴が上がった。どうやら中も柔らか仕様らしい。
欧米のお祭りである「ハロウィン」の時期になると発生していた
コンピュータウィルスが突然変異を起こして生まれたというパンプモンは、
悪質なウィルスではなかったのでデータ種に分類されているようだ。
危害を加えることは一切ないが、見た目の姿とは裏腹に強力な攻撃力の持ち主でもあるらしい。
なにせ必殺技は巨大なカボチャを空中に出現させて、敵を押しつぶす『トリックオアトリート』である。
お菓子をくれなきゃイタズラするよの文言丸無視である。何はともあれ人は見かけに寄らないものだ。


「じゃあお前も完全体なのか?」

[ちがう、ちがう。おれは成長期だい]

「鉱石型、成長期、データ種か、ホントだな」

[おれの鉱石は宇宙から来たんだぜ!だからすんごく硬いんだ!]

「ほんとかよ」

[ほんとだって!ほら見ろよこの輝き!普通のゴツモンじゃこうはいかないぜい]


こつこつ、と自らの頭を叩いてみせるゴツモンだったが、
そこら辺に転がってる石と変わらない気がするのはきっと気のせいではないはずである。
アナライザーによれば、構成データの違いによって、様々な種類の(またの名を色違い)
ゴツモンたちがおり、そのデータさえも環境や条件によって変化し、
様々な進化の可能性を秘めているのだという。
完全体のデジモンがいるせいで、周囲の電灯が激しく点滅し、
不思議そうに行き交う人達が上を見上げている。


「ところで、なんでお前達はこんな所にいるんだよ。
 ここはデジタルワールドじゃないぞ、迷子にでもなったのか?」


ゴツモンとパンプモンは顔を見合わせた。そしておもむろに声を上げて笑うのである。


[ちがう、ちがう。おれ達はここにいたいからここにいるんだぜい]

[迷子になったわけじゃねえよ。オイラ達は【楽しいことが大好き】なのさ!]

「いや、それ答えになってないだろ。どうやってきたんだよ」

[え?いやー、それは]

「内緒だぜい!んじゃな、るったらー!」

[るったらーじゃねえっつの、ろったらーだ、ばあか!]

[あ、そうだった。ろったらー!]

「あ、おい、ちょっと待てよ!」


あわてて引き留めようとしたヤマトの静止を振り切って、
あっという間に自称渋谷系デジモン達は走り去ってしまった。
二体は子供くらいの背丈しかないせいで、夜の人混みに紛れてしまったが最後、
目視するのは無理だった。しかし、同じ匂いをたどることが出来るデジモン達は違ったらしい。


「みてみて、ヤマト!あれ!」


ツノモンの声が上を促す。スペイン坂をちょうど下った辺りにある信号が
アトランダムに明滅状態となっているのが分かる。
ぐらぐらぐらとそのうちの一つが風もないのに揺れていた。


「信号機で遊んじゃだめだよっ!」


タケルの声が響き渡る。先ほどまでスムーズに流れていた交通があっという間に渋滞になりはじめてしまった。
完全にシステムダウンしてしまった信号機は、まるでネオンのようにカラフルな色を映し出していた。
あそこか、と走り出したヤマトは、人混みの中で迷子にならないようにタケルの手を握り締め、
野次馬が目立ち始めた交差点へと下り始める。
やはり完全体クラスのデジモンが遊び半分でイタズラすると大混乱が起きてしまっている。
しまった、別にいいやつっぽいしほっといてもいいか、とデジタルワールドと同じような
感覚で接してしまったと今さらながら後悔が過ぎる。
スイマセン、ちょっとどいてください、って声を上げながらどんどん先を突っ込んでいったヤマトは、
一瞬の浮遊感のあと、次に踏むはずだった地面がないことに気づく。あれ?穴?


「うわあっ!?」


あわてて立ち止まったヤマトのせいでひたすら後をついてきていたタケルは、
お兄ちゃんの背中にぶつかってしまう。思いっきり鼻をぶつけてしまったタケルは涙目である。
なんでいきなり止まるの、お兄ちゃん、と涙目な恨み節が聞こえてきたので、
わるい、わるい、ごめん、と苦笑いしたヤマトはその先を見せてくれた。


「穴?」

「穴だな」

「なんでこんなところにあるの?」

「マンホールの蓋が片っ端から開けられてるんだ。水路のコンクリートまでひっくり返してあるぞ」

「あの看板落書きされてるよ、お兄ちゃん」

「デジ文字だな」

「【渋谷系デジモン参上】だって」

「………あいつらか」

「ねえねえ、二人とも。あのショーウインドのマネキン、なんにも着てないよ」

「ホントだ、なんにも着てない」


その代わりに残されているのは、ショーウインドに開けられた特大サイズのひび割れである。
防弾ガラスなんてものともしない威力で粉砕されたのか、無数のガラスの破片が散乱していて、
その上には海外ニュースで見たことがある超特大サイズのカボチャや
河の上流に転がっていそうな大きな岩が突き刺さっていた。


「いい加減にしろよ、お前ら」


ヤマトがうんざりした小言を彼らにぶつけることが出来たのは、30分後のことである。





[26350] 第7話 渋谷系デジモン珍道中 その2
Name: 若州◆e61dab95 ID:415f61b2
Date: 2013/10/06 14:47
シブヤはなんて迷子になる街なんだろう!とはパンプモンとゴツモンの談である。
デジモンたちはこちらの世界の言葉なんて理解できないが、建物に地番表示があれば、
案外ニュアンスでなんとかなる。文字は読めなくても同じ形をしている看板が
建物に張り出してあって、何番地とか数字が割り振ってあれば、わかるようだ。
でも、渋谷はほとんどの建物に地番表示がないから、現在地がわからないという。
普通なら交番に行って道を尋ねればいいのだが、デジモンは知らないのだ。
地元の人間しか分からない名称表記の看板しかないとなると、完全にお手上げである。
それに、パンプモンたちにとっては、あまりにもでたらめに道が広がっている。
デジタルワールドにある繁華街は広場を中心に放射状に道が張り巡らされていたり、
まるで碁盤の目のように整然と並んでいる街並みが普通なのだ。
でも、渋谷という街はいろんな場所からいろんな角度で枝分かれした道があり、
とても坂道が多いものだから、どっちを向いても似たような道になっている。
のどかな田舎の風景が広がっていた時代から、だんだん住宅地が造られていき、
都市化していった名残が残っているからなのだが、間違いなく迷子になる街並みだ。
坂だらけで無秩序に道が走っている、魔窟のような大都会である。
設置された看板通りに進んでも、枝分かれしている入り組みすぎた道の中で、
その看板がさしている道がどれなのかわからない。
きっと地図をもっていてもたどり着けないだろう。
そう思っていたのに、ヤマトたちはちゃんと目的地に辿り着けている。
パンプモンとゴツモンは不思議でしょうがないようだ。
無邪気な尊敬にタケルは思わず笑ってしまう。たいしたことないよーと笑った。


「それなら、新宿駅はどうなっちゃうの?あそこはすっごいダンジョンなんだよ?」


ゲーム大好きな男の子特有の表現に、冒険の匂いを嗅ぎつけた二体は食いついた。
西口という名前の北口があったり、出入り口が多いのに似た名前が多過ぎたりする
トラップがあること。新宿駅の駅員さんでもどこまでが新宿駅なのかわからなくて、
迷子放送がかかってしまうくらいには、巨大迷路であること。
東から西に移動するショートカットがなくて、JRを通らないと移動できないこと。
遠回りしないで突撃するとデパートから出られなくなること。
遠回りに使うJRは管轄通路しか書いてないから、地図がないのとかわらないこと。
曲がらないといけなかったり、階段しかなかったりするから、
一本道だと思ったら全然違うところに出てしまったことがよくあること。
どこにいるのか分からなくなってしまうトラップだらけの不思議なダンジョンである。
お母さんとお出かけするときに、何度も恐怖した経験があるからか、
ギネスブックに登録されるほど大きな駅であることを強調したからか、
まるで勇者をみるように目を輝かせているパンプモン達は、タケルに拍手を送った。
何の話をしてんだよ、と笑ったヤマトがようやくやって来る。おかえりー。
広げられたビニル袋には、今にもとけかかりそうなアイスクリームが入っている。
ありがとう!と笑ったパンプモン達は、カボチャ味とムラサキいも味に手を伸ばす。
タケルとトコモン、ツノモンもお気に入りのアイスを手に取った。
すっかり軽くなってしまった財布である。はあ、とヤマトはこっそりため息だ。
まあどうにかなるよな、代行バスはまだまだあるみたいだし、とやけになりかけているのはご愛嬌。



出会ってしまったのが運のつきだった。
デジタルワールドに送還することで頭がいっぱいだったヤマトたちは、
パンプモンたちを無視することができなかったのだ。
チョコレートを万引きしたり、地下鉄に飛び乗ろうとしたり、タクシー乗っ取ろうとしたり
カップルの邪魔をしたり、マンホールや用水路のふたをひっくり返したり、
看板に落書きをしまくったり。渋谷でやりたい放題していた2体を追いかけて、
気付けば渋谷区の西南あたりにきてしまっていた。
アイスクリーム屋さんで平然と食い逃げをしたパンプモン達が放っておけなくて、
買ってやるから待ってろと声を掛けたのが、そもそもの間違いだったことになる。
もうここまで来たらとことん追いかけてやる、と意地になっていたこともある。
ぜいぜい言いながら声を掛けたヤマトたちに、ようやくパンプモン達は悪戯を辞めた。
そこまでいうなら仕方ないなあ、追っかけが出来るなんてオイラ達もやるじゃん、と
上から目線の勘違い発言に、殴っていいか?とつぶやいたヤマトは殺気立っていた。
まあまあ、とツノモンたちになだめられ、ヤマトは買い出しに出掛けて今に至る。
今日の電波障害のせいで、重機が使えないのだろうか、建て替え工事が中断して、
無人になっている工事現場にヤマトたちは、こっそりお邪魔している。
まわりは防音用に張り巡らされている灰色の壁で覆われていて、
工事用の資材が無造作に積んである。ヤマトはそのひとつに腰かけた。
最後に残っているカップコーンを手にした。すっかり溶けかかっている。
ばりばりばり、と勢いよく食べてしまったパンプモンたちは、ご満悦の表情だ。
外套もまばらなくらい道がある。ぽつり、ぽつり、と星が見え始めていた。
電波障害の関係で仕事を切り上げたのか、いつもより高層ビルの明かりが少ないので
澄み切った夏の夜空がきれいに広がっているのが見える。


「さあ、話してもらうぞ。どうやってデジタルワールドに来たんだ、お前ら」


パンプモンとゴツモンは空を見上げた。


「どうした?」

「オイラ達、データ種だからさ、ウィルス種のヴァンデモン様たちにはどうしようもないんだよ。
 相性の問題ってやつ?」

「だからさ、これから話すことがバレたら、きっと殺されると思うんだよ。
 コウモリがいないか探してんだ」

「やっぱヴァンデモンに勧誘されてきたのか」

「そうだぜー、オイラ達は楽しけりゃそれでいいからさ、
 誘いに乗ったのもこっちの世界で遊びたかっただけだし。なー?ゴツモン」

「そうそう、オイラ達は戦うつもりなんてないぜ?バトルよりカーニバルだろー!
 ヴァンデモン様にやれって言われたことはやるけどさ」

「オイラ達は楽しいことにいつだって夢中なんだ。おもしろいこと大好きだもん。
 バトルするよりナンパだろ。カボチャ頭じゃ何着たって変とかいうなよー?
 ごつい奴は超嫌いとかいうなよー?全然気にしないけどさ。遊びの誘いなら大歓迎だぜ」
 

兄ちゃんたちのこと気に入ったし?とは自由奔放なぶっちゃけぶりである。
どういう基準でパンプモンとゴツモンがヴァンデモンのお眼鏡にかなったのか、
よくわからないとタケルとヤマトは思わず笑ってしまう。あまりにもかけ離れている。
実はスカウトするデジモンに、判断基準や勧誘方法が丸投げされているんじゃないか
という疑惑が浮上してくるのは別の話だ。



コウモリがいないことが確認できた安心感からか、二体はそれぞれ隠し持っていた
アイテムを見せてくれた。ピンク色のカートリッジが入ったタグだった。
中央の丸い部分を三日月形のマークが囲っている。外側に行くにつれて、
まるで重なる花びらのように三日月の部分は分厚くなり、葉っぱのようなデザインになる。
見たことのない紋章だった。選ばれし子供たちが持っている、持つはずだった紋章
とはいずれも異なるデザインで、ヤマトたちは目を見張るのだ。
さわっていいか?と問いかけるヤマトに、そっちのアイスくれるなら、と
言われたヤマトは、躊躇なく一口も食べてないコーンを二体に手渡した。
パンプモンから受け取った紋章と友情の紋章のタグを比べてみる。
大きさも色も質感もほとんど同じである。
これが本物だと言われたら、信じてしまいそうになるレベルのニセモノだった。
全く同じものをゴツモンが持ってなければ、信じられなかったに違いない。


「オイラ達に配られたのはニセモノだよ。本物はヴァンデモン様が持ってるのさ。
 オイラたち、下っ端だからどこにあるのかは知らないよ」

「ヴァンデモン様は魔道の天才なんだ。紋章の複製くらいわけないんだぜ。
 こいつが反応したら選ばれし子供だってわかるんだ。
 だから、子供がいる所をずーっと回ってるんだよ、オイラ達。
 遊園地とかイベントやってるとことかは、オイラ達が混じったってわかんないんだってさ」

「まさかこんなに広い街だとは思わなかったけどなあ、まるでジャングルみたいで楽しいところだぜい!」


にはは、と笑うパンプモンたちの言葉に、なるほど、とヤマトは相槌を打った。
オリジナルの紋章には及ばないものの、選ばれし子供に反応する機能だけは
複製できているということになる。道理でヴァンデモン達の活動が活発化しているわけだ。
ここまで来るときに見かけた電子掲示板のニュースによれば、
練馬区に端を発した電波障害は、北は埼玉、南は品川、東は銀座、西は荻窪、
吉祥寺まで到達したらしい。お台場にくるのは時間の問題である。
なにもわからないまま、事実だけを伝える文字が躍っていた。
スペイン坂一帯の停電が復旧したことを知らせる速報が入ったところで、
誰も知らないから堂々としていればいいのに、当事者感情でその場にいずらくなった
ヤマトはここまでまっすぐやって来たわけである。
ヴァンデモンたちの部下はどれだけいるんだ、と考えるのも怖くなってきたヤマトは、
パンプモンに紋章を返した。名前は?と聞かれても、知らなーいと能天気な返事が聞こえる。
アイスを食べるのに夢中になっていたタケルとトコモンは、
円錐の紙をくしゃりとまとめて、ビニル袋に放り込んだ。


「どうやってみんな移動してるの?すっごく早いね。迷子にならないのかな」

「そりゃあ、オイラ達みたいなやつらは歩いて探すけどさあ、
 空を飛べるやつは空を飛んで捜すし、泳げる奴は川とか海から探すし、
 でっかいやつらは地下道とか下水道通って探すに決まってるだろ?
 でも、そいつらはみんな、こいつを持ってても確かめに行けないから、
 だいたいの場所を見つけたら、あとはオイラ達がしらみ潰しに捜すんだ。
 つっかれるぜー?」

「やってられるかーって話だよなあ」


なるほど、パンプモンとゴツモンの言い分ももっともである。
ヴァンデモン勢力にとって、東京都はあまりにも人間が多く、大きいに違いない。
ヤマトたちにとっても条件は同じだが、おかげで10人目はまだ見つかっていないことは確かである。


「そういうことか、だから仲間がいないのにデジヴァイスが反応したんだな。
 こいつの持ち主である10人目がいると勘違いして、知らせてくれたんだ」

「今度からはデジヴァイスが反応したら、ヴァンデモンたちだって思った方がいいね」

「そうだな、ツノモン。ああくそ、みんながどこにいるのか分からないのが
 こんなに不便だとは思わなかった。携帯あったら便利なのにな。
 公衆電話でいちいち確認してたらきりないぞ」

「トコモンたちが進化しちゃうと電話できなくなっちゃうもんね」

「デジタルワールドでは、大輔のPHSと光子郎の携帯電話が普通に使えてたのにな。
 ああ、そうか、そういうことか。やっぱ魔改造してたんだな、光子郎あたりが」

「すごいねー、光子郎さん」

「ホントにな」


現実世界での戦闘はあまりにも不自由が多すぎる。慎重にやらないとなとヤマトは思う。


「オイラ達ラッキィだよなあ、パンプモン。兄ちゃんたちに会えたしさ。
 でも他のヤツラって寝る所とか、喰うところとかどうすんだろう?」

「さあ?好き勝手やってるんじゃねーかな」


ヤマトとタケルは沈黙する。
デジタルワールドは、自然豊かで食料が豊富にとれる世界だったことを考えると、
この世界はあまりにも過酷だ。下手したら空腹状態で野宿をする羽目になるだろう。
デジタルモンスターに我慢という文字は存在しない。
目前に迫る騒動に巻き込まれるかもしれない他の仲間たちに、大いに同情した。


「今日一日思いっきり遊んだだろ、そろそろ帰ろうって気にはならないのか?」

「えー、やだよ、せっかく来たばっかじゃないか」

「それにどうやって帰るんだよ。光ヶ丘ゲートはヴァンデモン様がのっとってるから、
 やーめたってできないことくらい、オイラ達も知ってるぜ?」

「眠そうな顔してるぞ」

「眠くなったらミントのガム噛んで我慢するんだよ!」

「万引きすんなっていっただろ、やめろ。帰りたいんなら送ってやるよ」

「え、ホント?」

「まじで?ホントにできるの?選ばれし子供ってすっげー」

「お兄ちゃん、インターネットにつながってるパソコンってどこにあるのかな」

「………あー、ネットカフェとか?」


補導されないかどうか、ちょっとだけヤマトは心配になったのだった。









ざしゅ、と大きなカマが振り下ろされる音がした。
驚いて顔を上げたのはヤマトたちだけであり、まばらな通行人たちは、
突然止まったヤマトたちを迷惑そうに一瞥しながら、足早に去っていく。
どうやらヤマトたちにしか聞こえないらしい音が、綺麗な夜空を二分する。
空が裂けた。ジッパーを降ろすように、ぱくりと口を開けた先に見えるのは、
奇妙な形に捻じ曲がっている光が走る空間である。
出来の悪いミラーボールのように、きらきらとした空間が目にまぶしい。
真っ白な空間に、たくさん敷き詰められている四角い発光している画面があって、
ぱくりと口を開けているところに近付くにつれて、その四角はいびつにゆがんだ。


「お兄ちゃん、あれ、デジタルゲートじゃない?」


ヤマトは顔をひきつらせた。道理で見覚えがある場所だ。
今日の昼ごろまでヤマトたちはあの場所にいたのである。
ヴァンデモン勢力の小細工により、光が丘との二択のはずが実は一本道だったというトラップで、
あやうくアメリカにあるサマーメモリーに旧ゲートを通って転送されるところだったのは記憶に新しい。
デジタルワールドから現実世界に帰るために通ったデジタルゲートの中継地点、
デジタルポイントと呼ばれる場所が逆さまの世界から覗いているではないか。
バンプモンたちに言わせればヴァンデモンの居城になっている光が丘ゲートから
突如出現したショートカットルートとなれば、もう嫌な予感しかしなかった。
何時の間に、としかいえないが、真っ暗闇の今、コウモリの偵察に場所が把握されていた
となれば、こっちが把握する手段はない。コウモリは紋章のコピーを持っていない。
お前ら隠れてろ、とヤマトは叫ぶ。死にたくなかったら絶対に離れるなよと続けた。
ヴァンデモン様に裏切り者だとばれた、選ばれし子供に情報提供したことがばれたのだ、と
悟ったバンプモン達は震え上がった。助けて兄ちゃんたち、と悲鳴が上がる。
ツノモンとトコモンが前に進み出た。任せてよってタケルがデジヴァイスを手にする。
真っ暗闇の空から、3本まつ毛に目玉の紋章が黄金色に輝いた。
ツノモンとトコモンが進化する。ヴァンデモンとの死闘は休憩をはさんだおかげで回復ずみだ。
まさか連戦になるとは思わなかったが、どうこう言ってる場合ではない。
誰もいない工事現場の閑散とした空間に、大きな動物の雄たけびが響き渡った。



どしいん、と砂埃が舞う。衝撃波が荒れ狂い、視界が一気に悪くなる。
ごお、とホーリーロッドによって生み出された風がそれらを薙ぎ払う。
今にも消えそうにちかちかとしていた電灯は、一気に出現したエンジェモンたちの
影響を受けて、いよいよ真っ暗になってしまった。
月明かりに照らされて現れた死角は、3つに割れた大きな耳と長く垂れ下がった鼻、
大きく裂けた口の隅から生えている、真っ白で大きく曲芸する牙をもつ、
まるでゾウのようなデジモンだった。
みしり、と地面に食い込む蹄が、ざりざりとやわらかい大地を抉る。
仮面の額には、黄金色の紋章が刻まれている。
耳をつんざく轟音が響く。工事現場を覆っている防音用の壁がぐわんぐわんと揺れた。
ゾウのようなデジモンが雄たけびを上げる。生み落された風がヤマトたちに襲い掛かった。
四方に吹き荒れる暴風は、一気に気温が下がり冷気を帯びたかと思うと、
空気中の水分を凍らせて鋭利な刃物を作り出し、無尽蔵に襲い掛かる。
先陣をきったのは、ダウンロードする情報量が少ない成熟期にいち早く進化したエンジェモンだった。
長い金髪がゆれる。十字架が取り付けられた金属の仮面が空を踊る。
真っ白な白い羽をはばたかせ、タケル達の前に現れた天使は、ホーローロッドで黄金色の防壁を作り上げる。
渦巻く黄金色の風に巻き取られた冷気は、つららを一気に破壊されてしまった。
鋭気を帯びた暴風によって吹き飛ばされてきた機材をすべて弾き飛ばし、
エンジェモンはホーリーロッドを相手に向ける。
輝きを帯びた天使の一撃がまっすぐ叩きつけられるが、一瞬ひるんだだけで、
全身を覆う防具に聖なる法具は阻まれてしまった。エンジェモンの口元がゆがむ。
どうやら完全体のようである。
成熟期であるエンジェモンの攻撃は、相手の種族に補正がかからなければ通らないことが多くなってきた。
格下だと直感した闇の刺客は、すさまじい咆哮をあげながら、一直線にヤマトたちに向かって襲い掛かってくる。
黄金色の風が牽制するが、突進してくる巨体のスピードを落とすことしかできない。
地面に叩き落される氷柱。ガラスの割れるような音が響き渡った。
堕天前の同志だったら燃え盛る火炎で一気に薙ぎ払えただろうに。
そんなことが脳裏をかすめた。その直後、青い光を突き破って現れた狼の咆哮が響き渡った。


「待たせたな、エンジェモン。あとはオレに任せろ」

「ああ、頼んだ。私は彼らを守ろう」


陣形が変化する。ワーガルルモンは一気に跳躍した。
パートナーの攻防を見守りながら、デジモンアナライザーを起動していたタケルたちは、
ようやく表示された検索結果を覗き込む。少しでも手助けがしたかったのだ。
このデジモンは、古代獣型のマンモンであることが判明する。
おそらく構成するデータの大本は太古の昔に絶滅したマンモスである。
数々の形跡から、はるか昔に存在していたことが明らかになった古代デジモン。
デジタルワールドの温暖化によって、超圧縮されていた
データが解凍され、氷に閉ざされていたエリアから姿を現した。
全身を濃い体毛に覆われ、太古の強大なパワーを持つデジモン。
顔面を覆う仮面に刻まれた紋章は、超古代の英知の結晶であり、
遥か彼方まで見通すことができる千里眼の力を持ち、大きな耳は、
遠く離れた場所の音を聞き分けることができる。
必殺技は長く伸びた2本の牙で相手を突き刺すタスクストライクス。
長い鼻から一気に冷たい冷気を吐き出して、相手を一瞬で凍らせるツンドラブレス。



月光に照らされた狼男の強烈な一撃が叩き込まれる。マンモンは衝撃を耐え切れずバランスを崩した。
援護するように閃光が走り、大地にひれ伏したマンモンは、自分の体重に押しつぶされて激痛に悲鳴を上げる。
4つ足歩行の重装備である。体勢を立て直すには時間がかかりそうだ。
ヤマトはデジヴァイスをかざした。ワーガルルモンがデータをダウンロードするため、
再び光に包まれる。紋章の力がログアウトし、デジヴァイスの光が現れた。


「えええっ、なんで退化しちゃうんだよ、兄ちゃんたち!」

「ガルルモンは成熟期だろっ!?何考えてんだよー!」


大丈夫だよ、とタケルは笑う。でも、と渋谷系コンビは心配そうに見つめていた。
寒冷地体を好む狼の姿をした獣型デジモンは、もちまえの知能と俊敏さ、
そして正確さを持って、超高温の炎を叩きつけた。ヤマトは笑う。
みろよ、とデジモンアナライザーを差し出されたパンプモンたちは声をあげた。
本来のマンモンは、顔面を覆う仮面だけでなく、胴体全体を重装備が覆い尽くしている。
しかし、目の前にいるマンモンは仮面だけだ。
古代に絶滅した古代デジモンが温暖化に伴い氷雪エリアから復活したさい、
超圧縮データから解凍する過程は、ずいぶんとおなざりだったようである。
古代種のチコモンが復活するときのようにセキュリティ側の丁寧な支援がなかったマンモンは、
数十パーセント、もしくはそれ以上のデータが破損し、失われているのがわかる。
古代に生息していた全盛期のときを完全に復元しているわけではないのだ。
つまり、大きく弱体化していることになる。現代種としてのマンモンは、
おそらく古代種としてのマンモンよりもはるかに劣る。
弱点を守ってくれるはずの装備が失われた無防備なマンモンに、相性最悪な高温の炎が襲い掛かった。
鼓膜が破れてしまいそうなほど、大きな咆哮があたりにひびきわたる。
自らの体重に押しつぶされたため、骨折した足を引きずりながら、マンモンが不恰好に立ち上がって後退した。
ガルルモン達が追撃する。マンモンは戦意喪失したのか、燃え盛るからだをかき消すために、
砂埃に体を覆った。燃えやすい体が鎮火する。まずい、ここから逃げられると面倒なことになる。
ヤマトはすっげえ!と前に乗り出していたパンプモンたちを呼んだ。


「このままだと逃げちまう!入り口をふさいでくれ!」

「おっしゃあ、がってんでい。それくらいならお安い御用さ!」


見上げるほど大きなカボチャと岩石が召喚される。
うおりゃあっと投げつけられたそれによって、がっしゃあん、と防音壁がゆがんでしまったのはご愛嬌。
とりあえず、マンモンの行く手を先回りして塞ぐことに成功したヤマトたちは、
なんとかここから逃げ出そうともがくマンモンの跡を追った。
ツンドラブレスで凍りついた防音壁に、凄まじい勢いで突進するマンモンがいる。
べしゃりとはり倒された防音壁を足蹴に、マンモンがその先にあるコンクリートの壁を打ち破ろうと走り抜ける。
まずい、まずい、あっちにはまだ家の明かりがついている。住宅地が広がっていたはずだ。
息を切らせながらヤマトたちは走った。
すると、突然目の前からマンモンの姿が消える。忽然と姿を消した巨体にヤマトたちは思わず止まってしまった。


「どこ行ったんだ、マンモンのやつ」

「もしかして、ここに来たみたいに消えちゃったのかな?」

「いや、違うぞ、タケル。あれは別のデジモンに送り込まれてきたんだ。
 マンモンに瞬間移動の力はないはずだ」

「えーっと」


地面が揺れた。凄まじい轟音と砂埃がヤマトたちを襲う。突然の地震である。
あまりの衝撃に地面にしゃがんでいるしかなかったヤマトたちだったが、
すぐに収まった揺れに目を開けてみる。そこには大きな穴が開いていた。
ヤマトたちは顔を見合わせる。そして思い出すのだ。
ああ、そういえばここって工事現場だったっけ。なんの工事現場なんだっけ。
ツンドラブレスで弾き飛ばされ、エンジェモンによって地面にたたきつけられ、
すっかりひしゃげてしまった看板を見る。ぼこぼこの看板には、複合施設建設と書かれている。
どうやら地盤整備のために大々的な採掘がおこなわれ、たくさんの鉄板が並んでいた大穴をマンモンは見事に踏み抜いたらしい。
どうする?とヤマトたちは顔を見あわせた。遠くから真っ赤なライトが光るのがみえる。
ふぁん、ふぁん、ふぁん、と真っ赤なライトが近付いてくる。
工事現場は凄まじい戦闘の跡が広がっている。ヤマトたちはさっと青ざめた。
逃げるぞというかすれ声に、みんな頷いたのは言うまでもない。





[26350] 第8話 ゲソモン、東京湾襲撃! その1
Name: 若州◆2a1b7c1e ID:15f905bc
Date: 2013/11/24 19:45
八月の東京は、日が暮れようとするころになってもまだ暑い。じっとりとしめった空気が全身にまとわりつく。
だが、丈はそんなこと一向に気にならなかった。
目の前にある見上げるようなマンション群は、間違いなく自分たちの家だ。帰ってきたんだ、と丈は思う。
キャンプ場に戻ったばかりのころは実感がわかなかったけれど、ようやく実感できる。
丈の中の時間は半年以上がたっていて、受験はおろかお台場小学校の卒業すら絶望的な未来しか見えていなかった。
一人だけ6年生だったし、私立の中学校への進学を考えているのは自分だけだったから、
なおのこと誰にも言えなかった悩みである。だから、デジタルワールドの一日が現実世界の一分であると知った時、
一番うれしかったのは他ならぬ丈である。目が覚めた時、まわりは雪景色だった。
デジタルワールドと現実世界が繋がる前に振った豪雪と陸続きになっていたせいで、
本当に現実世界に帰還できたと気付くのはずいぶん後のことだったように思う。
デジタルワールドの冒険は夢ではないし、今もこうして続いていることはリュックの中にいるプカモンが教えてくれる。
山の上の祠がある高台から降りて、たった3時間しか経っていなかった衝撃といったら!
ここが僕の家があるマンションだ、と指差した声が半泣きなのはご愛嬌。
マンションに近付くにつれて、踏み出す足が少しずつ速くなっていく。


「丈さん、また明日ですね」

「ああ、そうだね」

「とりあえず、僕はゲンナイさんとコンタクトを取って見ます。
デジヴァイスのアプリはまだまだアップデートしないといけないので」

「なにか分かったら教えてくれるかい」

「はい、もちろん」


横断歩道の信号が赤色が点滅し始める。光子郎のマンションはここから左におれて、渡った先にあるのだ。
また、明日!と馳せる気持ちを抑えきれないのか、光子郎は信号機が青に変わると急いで駆け出していった。
丈は、みんなが自分たちのマンションに向かって歩き出したのを確認して、
自分も止めていた歩みを再開させた。集合は明日の朝7時だ。




玄関を開けると、リビングからお母さんのこえが聞こえてきた。




「ただいま」

「おかえりなさい、今日は大変だったわね。子供会から連絡があったのよ?
豪雪の中、遭難しかけたそうじゃないの。あなたが頑張ってくれたから、
誰もケガをしてなかったそうじゃない。さすがは6年生ね」

「え?あ、いやあ、あはは。僕は当然のことをしただけだよ、なんたって6年生だからね」

「そうねえ、行く前はあんまり乗気じゃなさそうだったから、心配してたのよ?
まあ、これでピリピリしてた分、気分転換になってよかったじゃない」


リビングから出てきたお母さんは、もちろんなんにも知らないので、ニコニコしている。
城戸家はお医者さんだ。お母さんも医師免許を持っている、看護師経験もある女性である。
今日、家にいるのは非常に珍しいと言えた。恐らく今日は夜勤がはいっているか、
シフトの関係で休みなのだろう、しょっちゅう家を空ける両親の日程まではさすがに丈も分からない。
学校の夏期講習と予備校、塾、図書館と往復するだけの夏休みだったせいで、
なんだか久しぶりな気がしてしまうのだ。
これでも一応、家族がそろったら一緒に食卓を囲むくらいには仲がいいつもりである。
生活サイクルがかみ合わないだけなのだ。それでも、丈からすれば半年ぶりの家族との再会である。
うるうる来てしまうのも無理は無かった。メガネをはずしてごしごしやっても、涙があふれて止まらない。
あらあら、とお母さんは珍しい末っ子の泣き顔を見て笑うのである。
戸惑ったりしないのはさすが医学の道を志しただけはあるきものすわった女性である。
だてに3人の男の子を育て上げたわけではないのだ。
さすがにすがりついて泣き始めるまではいかないものの、うつむいたまま動かなくなってしまった
末っ子の肩を叩いたお母さんは、何も言わないで笑っていた。


「ケガはだいじょうぶなの?」

「うん、大丈夫だよ。ケガも何もしてないから」


お母さんは安心したけれど、何か違和感を覚えるらしく、次の言葉が不自然に間が出来た。
なんとなく自分が知っている丈ではない気がしたのだ。
さすがに豪雪の山の中で3時間も遭難すれば、
いつもと違うのは無理もないと考え直して、リビングから出てくる。


「それならいいの、よかったわ。どうする?なにか、冷たいものでも飲む?」

「うん、そうするよ。あ、でもリュックを片づけてくるよ」

「そうねえ、結構大きな荷物だし、おわったらいらっしゃい」

「わかった」


丈は背負っているリュックを持って、自分の部屋に入っていった。鍵を閉める音がする。
お母さんは氷入りのグラスを用意し始めた。丈の家はマンションの最上階にあり、
ここから綺麗なライトに照らされた観覧車が一望できる。
カーテンをあけると、朝から続く電波障害のためか万が一に備えて遊園地は営業を自粛しており、
真っ暗な世界が海の向こうに広がっている。珍しい光景だった。丈はリュックをあけた。


「でてきていいよ、プカモン」


リュックから顔を出したプカモンは、勢いよく窮屈な空間から飛び出した。


「もぉー、あっついなあ!ほんとに人間って我慢強いよね、信じらんないよ、蒸し焼きになるかと思ったぜ、丈」

「大げさだなあ、プカモンは」


エアコンをいれた丈は、ぺしゃんこにつぶれてしまった荷物をひっくり返して、
洗濯物に直行するものと、収納するものにしわけを始めた。几帳面なのである。
あー、すずしい、とエアコンの真下でべたっているプカモンはベットの上でごろ寝している。
丈は苦笑いを浮かべた。


「そーいえばさあ、じゅけんってやつは大丈夫なのかー?」

「大丈夫さ、まだ間に合うよ」

「そりゃよかったね」

「まあね」

「あきらめたままでもよかった気がするけどなあ、そんなに大事なことなのかあ?」

「そんなことないよ、重大なことなんだ。うちはお父さんが開業医をやっているし、
2人の兄さんたちもお医者さんになるために頑張ってるんだから。
僕だけそんな簡単にあきらめるわけにはいかないよ」

「ふうん」

「兄さんたちはすごいんだ。シュウ兄さんは陸上の全国大会に出場するレベルだし、
今日も合宿に出掛けてていない。今日帰ってくるのはシン兄さんだ。
成績がイイだけじゃないし、生徒会長とかやってるよ。僕は運動は苦手だし、
目立つのは苦手だから、せめて勉強だけでも頑張らないと。
お父さんが期待してくれてるんだ、一生懸命勉強しないとダメだろ?」

「オイラにいわれてもよくわかんないよ。丈がなりたいお医者さんってやつが、
とってもすごいんだなってことは、デジモン達を手当てしてるの見てたらわかるけどさ。
おいらたちの世界にもお医者さんがいてくれたらいいのに」

「そうだねえ」


ふあーあ、とプカモンが大きく欠伸をした。


「眠いのかい?」

「いや、ちょっとね。それよりのど渇いた―」

「あー、そういえばどうしようかな」

「なにが?」

「お母さんに君のことを話すわけにはいかないじゃないか」

「あー、そっか。なんでもいいじゃん、オイラのぶんもよろしくー」

「はいはい、わかったよ」


ぎゅうぎゅうのリュックに押し込められていたプカモンである。
2時間近くかかった長旅からようやく解放されたので、
ふかふかのベットの上でのんびりできるのはこの上ない安心感に包まれるのだ。
うとうとし始めたまぶたは重そうだ。こうなったら夏休みの宿題だけでもやると
適当にでっち上げてしまう方がいいかもしれない。
今日はもちろん、3日間ほどは全く勉強する時間なんてないのだが。
部屋に片づけ終わった丈は、リュックの中にある衣類をそのまま担いで部屋を後にした。
まだ一番上のお兄ちゃんは帰っていないようである。
京都の大学から東京まではずいぶんと距離があるから無理もない。
電波障害の関係でダイヤの乱れが凄いことになってるらしいから、
ずいぶんと帰る時間が遅くなっているようだった。鍵をあけて、ドアを閉める。
丈はリビングに向かった。お母さんがだれかと電話しているようだ。
丈がきたことに気付いたお母さんが、受話器に手を当てて、そこにあるから飲んでちょうだい、
と麦茶の注がれたガラスを指差した。
うなずいた丈は、お言葉に甘えていつも定位置の椅子に腰掛けて、一気に飲み干した。
今のうちにプカモンに持って行ってやろうかな。
そう思ってこっそり麦茶を注いでいると、お母さんが声を掛けてきたものだからぎょっとしてしまう。


「なんだい?お母さん」

「シンから電話なのよ。それがねえ、やっとお台場行の路線に乗れたんですって。
これからゆりかもめに乗って帰ろうと思ったら、ゆりかもめが運航中止してるせいで、
乗れないんですって。電波障害が大きくて、電子機器がほとんど止まっちゃうらしいのよ。
タクシーで帰るって言ってたわ」

「へー、そうなんだ」

「天気予報では雨が降るなんて言ってないのに、
夕方からずいぶんと天気がわるくなってきたでしょう?もしかしたら一雨来るかもしれないのよ。
傘でも持って行ってあげようかと思うんだけど、ちょっと留守番お願いできるかしら」

「それなら僕がいこうか?」

「さっき帰ってきたばかりじゃないの、疲れてるんじゃない?」

「タクシー乗り場までだったらすぐそこじゃないか。大丈夫だよ、それくらいなら」

「そお?ならお願いしようかしら。晩御飯は任せてちょうだい、貴方達の好きなものうんと作ってあげるわ」

「楽しみにしてるよ」

「ええ、じゃあよろしくね」

「うん、わかった」

丈は足早にリビングを後にした。
ヴァンデモンの脅威が迫っている中、お母さんを一人で外出させるわけにはいかない。
通り魔に致死傷すれすれの量を吸血されるなんていう猟奇的事件が起こっていることは、
一度停止したバス停の休憩時間に巨大モニタのニュースで確認ずみだ。
それに、プカモンを連れて外に出られるなら、自動販売機で飲み物もかえるし、
近くのコンビニで食料を調達できるはずだ。お台場までタクシーでシン兄さんは帰るという。
ゆりかもめが使えないなら、みんな考えることは同じだから、きっと渋滞に巻き込まれるに違いない。
電波障害が起こっているというのは少々気になる情報だ。
ヴァンデモン達に選ばれし子供たちの居場所がばれてしまったのだろうか、
それだけでも確認しないと安心して眠れないではないか。アグレッシブな心配性に進化した丈は、
うつらうつらしていたプカモンをたたき起こして、リュックの中に誘導する。
えー、と非難ごうごうなパートナーには、3日分の食料調達をちらつかせれば、うぐぐとなるのはお約束。
しぶしぶリュックに隠れたプカモンは、ぬるまゆのお風呂に入りたかったのに、とぼやいた。
残念、城戸家は熱いお風呂が主流である。


















「ありがとございましたー」


コンビニの店員の愛想笑いをBGMに、店内を後にした丈は、買い食いなんていつぶりだろう!と
ビニル袋を下げて考える。適当に100円均一コーナーから買いあさったお菓子や飲み物をぶらさげて、
一番近くの公園にやってきた丈は、薄暗い街灯下のベンチにこしかけた。
うっかりプカモンの入ったリュックをレジ近くに置いてしまったせいで、精算する機械が突然
誤作動を起こすとは思わなかった丈である。幼年期のデジモンですら電磁波を発しているらしい。
デジモン達がこっちの世界で暮らしていくには、日常生活に支障をきたしかねないレベルである。
さいわい、ちょっと距離を置くことでバーコードを読みとる機械は直ってくれた。
何度やっても意味不明な文字、丈からすればデジ文字で表示された商品名に首を傾げ、
商品棚を整理していた店長を呼んでくれたアルバイトの人には悪いことをしてしまった。
ほっとした様子で突然直った精算機に、コンビニの人達は電波障害がお台場まできているのか、と
迷惑そうに談笑しているのが聞こえてしまい、肩身が狭くなったのでさっさと出てきたのだ。
居心地悪そうな顔をして、プカモンが出てくる。渡されたペットボトルは蓋が開いている。
一気に半分くらい飲み干したプカモンはむくれた。



「なんだい、なんだい、オイラたちだって好きで迷惑かけてるわけじゃないっての!
 大体、ちょっと近付いたくらいでおかしくなるとか、こっちの世界の機械はもろすぎるんだ。
 すげー発展してるのにさ、へんなとこで遅れてるよな!」

「そりゃあ、ネットワークにある世界とおんなじ基準ってのはまだまだ難しいと思うよ、さすがに。
 プカモンでさえ、5ギガバイトもあるんだろ?僕の家のパソコンに入られたら、一気に回線が重くなるね」


めんどくさいなあ、とプカモンはごちた。新鮮な魚貝が恋しいと贅沢をいうので、
イカが使われた季節外れのお総菜を突き付けながら、無茶言うなよと丈は肩をすくめた。
丈達が自分の家のパソコンを通じて、近道するという選択肢が採れなかったのは、
ギガバイトで換算するとデジモン達と人間のデータが重すぎて、転送できないこともある。
ネットワークが一気に重くなってしまえば、間違いなくヴァンデモン達に現在地を察知されて、
一気にねらい打ちされてしまうのは目に見えている。現実世界との兼ね合いもある。
デジタルワールドと現実世界が気軽に繋がるには、もう少し現実世界のネット環境が整うまで
まつ必要があるとはゲンナイの談である。それまではホメオスタシスなどのネットワークセキュリティの
援護がなければ、とてもではないが、気軽に出入りする事なんてかないそうにない。
そのころには、もう少し気軽にデジモン達が迷惑をかけないで遊びに来れる世界になっているだろうか。
もちろん、丈にはわからない。もっぱら楽観的観測である。期待ともいう。


お母さんは雨が降るかもしれない、と勘違いしていたものの、丈達の上には星空が広がっている。
明るすぎる東京のアカリに阻まれて、掠れている星がある。晴れているのだ、お台場の空は。
なんだってお母さんが今にも雨が降りそうだ、と勘違いしたのかと言えば、
不自然に広がる暗闇が海の向こうからやってくるのが原因だ、と丈達にはわかった。
東京は眠らない街である。夜になっても華やかな摩天楼は消えない。
あまりにも眩しいアカリのせいで、夜空はいつだってぼんやりとしかみえないが、
新宿方面からは、まるで塗りつぶされたように黒が広がっていれば、違和感しか感じない。
その面積はどんどん広がっているように思う。その真下の灯りが霞がかっていくとなれば、
雨のカーテンがその灯りを阻んでいるのだろう、と勘違いするのも無理はない。
誰もいない公園の柵の向こうは、海だ。ゆりかもめで繋がっている埋め立ての土地、周囲は海である。
丈の体をつたって、肩まで登っていたプカモンは、目を細めてうなずいた。


「デジモンが出してるやつだよ、あれ。霧なのか、靄なのか、雨でも降らしてるのかは知らないけどさ。
 自分たちが住みやすい環境に変えちゃうような能力をもってるやつなら、一杯いるからね」


「太一達大丈夫かな」


「少なくてもオイラ達よりは大丈夫だと思うよ。超進化できるからね、あいつら」


「ほっといてくれよ」


「しーんぱいすんなって、オイラたちはオイラたちなりのタイミングで進化すりゃいーんだから」


「プカモンはいい加減すぎるんだよ、全く。どんどんこっちに近付いてるじゃないか。
 これじゃあ心配でねれないよ」


「これからぶっ通しで走り回らなきゃなんないのに?ほんと物好きだよねえ、丈ってさ」


「ほっといてくれよ、もう。僕は君ほど神経図太くないんだよ」


ふふん、とプカモンは笑っている。なんだよ、とメガネをかけ直しながら、丈は眉を寄せた。
ごちそーさまでした、とプカモンは鼻先にゴミを突き付ける。
ビニル袋に押し込んだゴミを公園にある編み目の丸いゴミ箱に入れ、
丈はゆっくり立ち上がる。公園に設置されている丸い時計台は、
まだシン兄さんがやってくるまで余裕があることを示していた。
よし、とリュックの中からデジモンアナライザーを取りだした丈は、
デジヴァイスと紋章を忍ばせているポケットを確認した上で、起動させることにした。


「それじゃ、腹ごしらえも済んだことだし、いっちょやりますか」


「待った、待った。まだデータの照会が終わってないよ。
 ゆりかもめの路線で電磁波が発生してるって事は、路線の上か下の海しかないんだから」


「まだー?」


「まだだってば」


「ダウンロード遅くない?」


「仕方ないだろ、きっと光子郎君がデータベースを弄くってるんだろうさ。
 無理矢理アクセスしてる状態だからね、少しぐらい我慢してくれよ」


「はいはい、わかったよう」


ようやくデータベースがヒットする。丈とプカモンは顔を見合わせて、頷いた。
万が一完全体のデジモンがヒットしたら、公衆電話から手当たり次第に応援を呼ぶつもりだったけど、
さいわいデジモンアナライザーが探知できた反応は、成熟期レベルのデジモンである。
まだ完全体に進化することができないプカモンでも、なんとか対処ができそうだ。
紋章とデジヴァイスがある以上、丈達にとって足りないのは戦闘経験だと考えているらしい。
少しでもみんなの足手まといから脱却したいという気持ちに代わりはないのだ。
気づけば丈以外のデジモンで進化していないのは、みんな小学校2年生の子供たちばかりである。
もちろん、パルモンの場合は空に言わせれば大輔の力を使って、と言う反則だったが、
一度でも完全体になる経験を積んだパルモンが、自力でリリモンに進化するハードルは、
きっとゴマモンがまだ見ぬ進化先を進化ツリーから開拓するより遥かに低いはずである。
進化ツリーさえデジヴァイスが記録してしまえば、データをダウンロードするだけになる。
きっかけがいつになるのかなんて、やってみなければ分からないのはかわらない。
今のところ、海上を移動できるのはプカモンの進化系列だけなのだ。
それなら、ふさわしい舞台で思いっきり戦うのがいいだろう。


ゆりかもめは選ばれし子供達が10人目の子供と光ちゃんの紋章とパートナー捜しに
東京に繰り出すには絶対に無くてはならない交通手段なのである。
タクシーなんて高すぎて小学生では払えない。車なんてもちろん運転できないし、
デジモンのことも説明できないのに、両親に車を出してなんて言える訳がないからだ。
なんだってお台場と東京を繋ぐ橋にデジモンが居着いているのかは知らないが、
そのせいでお台場から出られなくなってしまうことだけは、避けなければならないのである。
よしいこう、と丈は言った。これくらい僕たちで対処できないとこれからが心配になる。



丈は久しぶりにデジヴァイスを手にした。プカモンが丈の肩から飛び降りて、公園の柵に飛び移る。
半日ぶりの海にテンションが上がるのか、やっほい、と上機嫌にプカモンは海に飛び込んでいく。
真面目にやってくれよ、頼むから、と頭を抱えつつ、丈はデジヴァイスをプカモンにかざした。
まばゆい光が公園全体を照らす。目がくらんでしまい、眩しそうに目を細めた丈は、
一番見慣れているゴマモンに進化が完了したことを、ざばんと波しぶきをあげて喜ぶ声から確認する。
デジヴァイスの振動は止まらない。熱を帯びる機械から放たれた閃光が再びゴマモンを包み込んだ。
みるみるうちに大きくなっていく光の影。見上げるほどの巨体が現れる。
ライオンに似た咆哮は、さすがに目立ちすぎると察したのか控えめだ。
デジモンアナライザーによると、イッカクモンは北極探査基地のコンピュータで発見された海獣デジモンである。
分厚い毛皮と頑丈な体は、極寒の地でも耐えられるような構造をしている。
真夏の大都会ど真ん中だ、ちゃんとした戦闘ができるか心配はあったものの、
水温が低い海水がイッカクモンの体調をある程度調整してくれているらしい。
心配いらない、とイッカクモンはうなずいた。それならよかった。丈は胸をなで下ろす。
最悪、自分で自分を冷却しながら戦う羽目になったら二重苦である。一見すると柔らかそうな羽毛だが、
鋭い角はレアメタルの一つ「ミスリル」でできており、毛皮の下の体皮も同等の硬度を持っている。
ガッチリと足場を確保できるが、あまり素早く動くことはできないイッカクモンには、
よりふさわしい舞台がお台場の海という訳である。これから駆け抜ける3日を占う意味でも、気が抜けない。
陸上での戦闘ができるとはいえ、もともと動きが鈍いイッカクモンは、
ようやく得意とする海上に出られたことにご満悦のようで、やる気に満ちた表情をしている。
ふかふかの毛皮に飛び乗った丈をのせて、イッカクモンはデジモンアナライザーが関知した場所へ、
まっすぐに進撃を開始した。



[26350] 第9話 ゲソモン,東京湾襲撃!その2
Name: 若州◆2a1b7c1e ID:15f905bc
Date: 2013/11/24 19:45
逆さまになっている高層ビルの摩天楼をかき消しながら、イッカクモンはゆっくりと進んでいった。
はるか遠くを着陸する飛行機のランプは、まるでホタルのように輝きながら東京湾の海上に浮かんでいる。
いくつもの遊覧船や運送船がレインボーブリッジ下をくぐり抜けているのがわかった。
デジタルワールドでは見たことがない幻想的な光景にイッカクモンは目を奪われているが、
丈から言わせればパレットタウンの観覧車が休業しているせいで魅力は半減である。
それでも、東京の街並みとレインボーブリッジの遠くに東京タワーがみえる夜景は
とっても魅力的であることにかわりはない。
ナイトクルージングとしゃれ込んでいる船を避けて、その船の影になるようにこっそり
海上を進んでいるイッカクモンは、今のところ海上レーダーを狂わせている気配はない。
転覆でもされたらとんでもない修羅場である。一定の距離を保ちながら、イッカクモンは進んでいった。
先導してくれるのは、レインボーブリッジも真下をくぐり、お台場の夜景を眺めながら
摩天楼の港南エリア天王洲へ戻る2時間のナイト・クルージングである。
陸上からは絶対に見ることができない、遮るものの無い夜景パノラマが鑑賞できるのはうれしい。
これから敵のデジモンとの戦闘が待っていなければ、もっとよかった。はあ、と丈はためいきである。


お台場は、東京都によって開発された、世界でも有名な観光地である。
バブル期にレインボーブリッジや白い砂浜を空輸して人工的に海浜公園を造ったことでも有名だ。
「踊る大捜査線」など、たくさんの映画やテレビのロケ地にもなっており、
フジテレビ本社・アクアシティお台場・デックス東京ビーチ・パレットタウン・
船の科学館・大江戸温泉物語・日本科学未来館・東京みなと館・テレコムセンター
などの施設がある。
お台場の名前は、海の上にある砲台跡地、「台場」が由来になっている。
現在は第3台場、第6台場が残っており、第3台場は、お台場海浜公園の一角として、
砲台のレプリカなどがあり、実際に訪れ見ることができる。
交通手段は、無人で運転される新交通ゆりかもめでレインボーブリッジを渡ることが一般的だ。


夏休み中であることも手伝って、真っ暗な東京湾にかかるレインボーブリッジは、
なにかのイベントでもやっているのか、鮮やかな色にライトアップされている。
ゆらゆらと水面に映るレインボーブリッジの光のアーチをかき分けながら、
イッカクモンは丈を乗せて、まっすぐにその光源へとむかっていた。
千葉方面および神奈川方面から都心へ向かう交通を分散させ、慢性的な渋滞緩和と
開発の進められているお台場とすでにある23区を結ぶために建設された橋は、
とてつもなくおおきなものだった。
だから、どんどん近付いてくる巨大な橋に海とビル群の夜景を遮られてしまい、視界に暗闇が落ちる。
周囲の警戒を怠らないように、細心の注意を払いながら、イッカクモンと丈達は、
さっきから警告音と振動で敵襲を知らせてくれるデジヴァイスを頼りに、辺りを見渡していた。
ちゃぷ、ちゃぷ、と波音が静かに響いている。


車の往来の激しさはこちらからでもうかがい知る事ができるが、
50キロくらいの速度でとろとろと走っているはずのゆりかもめは
さっきから一度も併走する路線を走っていない。
レインボーブリッジを走る車は、平気でゆりかもめの2倍以上の速度を出すから、
どんどん追い抜かれるはずのゆりかもめに気づかないほど、鳥目になった覚えはない。
やっぱり止まってるみたいだなあ、お母さんの言う通りだ、と丈は思った。
いつもだったら、深夜まで列車は運転されていて、平日・土休日とも5分間隔での運転である。
ゆりかもめは車両が小型で乗車定員がすくないから、夏休みなんかの大型連休期間は、
臨時で電車の本数が増える特別ダイヤが組まれていたはずだ。
丈がイッカクモンとともに不気味なほど静まりかえっているレインボーブリッジ下に繰り出してから
結構な時間が経っているというのに、さっきから一本も車両が通らないのはおかしかった。
ゆりかもめは無人運転や高架軌道であるにも関わらず、大荒れの天気に強いことが知られているから、
他の交通機関が運休するような天気でも運転するような路線なのだ。
それならば、ゆりかもめが運転を中止する理由はただひとつ、電気系統のトラブルがあった場合である。
万が一列車が高架上で完全に停止してしまったら、乗客が閉じこめられてしまう。
車両の窓が大きいゆりかもめでは、きっと室温の上昇が早いだろう。
はやいところ、レインボーブリッジに居着いているデジモンにはご退場願わないといけない。
あいにく、今はパソコンを持っている訳ではないから、追い払うのが先だろう。
自分より強いやつの縄張りだと分かれば、大人しく退散するのが野生のデジモンの掟だと
イッカクモンがいうから。
ヴァンデモンの部下でもないかぎり、執拗に狙ってくるとは考えにくかった。



もうすぐレインボーブリッジにさしかかる。
先を行くクルーザーから、たくさんのフラッシュがたかれている。
なにもしらない観光客が滅多に見ることができないレインボーブリッジ下から見える
東京湾の夜景に夢中でシャッターを押しているのだろう。丈はデジヴァイスと紋章を握り締めた。


「来たぞ、丈!しっかり捕まっててくれよ!」


「ああ、任せたよ、イッカクモン」


イッカクモンがうなりを上げる。勝手に縄張りとして陣取っている航路に突撃してきたクルーザーを
敵の挑発だと勘違いした黒い影の気配が一気に急上昇を始めたのだ。
東京湾の夜景に不自然な黒い影が映り込む。ずぶずぶと不自然なところから海流がわき上がってくる。
イッカクモンは攻撃態勢に入った。大きく海面が揺らぐので、丈は振り落とされないように毛皮にしがみつく。
大きな水しぶきを上げて黒い影が姿を現した。このままではクルーザーがひっくり返ってしまう。
そうはさせるか、とイッカクモンは先手を打った。


「ノーザンライツッ!」


イッカクモンからはき出された冷気が、一直線にその黒い影目掛けて直撃する。
真っ白な触手だった。先端には得物を水中に引きずり込むためのまがまがしい黒い蹄が3本あり、
吸盤が真後ろについているのがわかる。
きっと串刺しにして吸着し、そのまま補食するために発達したものなのだろう。
まさしく深海の白い悪魔と呼ばれるだけはある、凶悪な生態がかいま見えた。
黒い影にまとわりつく海水が瞬く間に氷結して、その表面をあっという間に凍り漬けにしてしまった。
水は常に動き続けていると凍らない。波しぶきに阻まれて、海上に突き出された一部分だけが凍り付いた。
ぴしぴしぴしと水の体積が膨張し、ひび割れが走る。氷の塊となってその一部分に裂傷を生む。
今まで聞いたことのないカイブツの声が響いて、クルーザーから驚いた観光客の悲鳴がこだました。
いきなり重くなった体を持ち上げることができなくなったそいつは、
ざぶん、と大きなしぶきを上げて体の一部分毎海面に叩きつける。どうやら氷を破壊するつもりのようだ。
イッカクモンはそのために海上に出現する表面を徹底的に凍り付かせていった。
動きがだんだん鈍くなっていく。使い物にならなくなった触手が海中に沈む。
ようやくイッカクモンがクルーザーとそいつの間を確保できる距離まで詰めることができた。
デジモンアナライザーを起動させている丈は、こいつが電波障害の原因だと確信した。


「残念だけど、ここは君の縄張りじゃない。さっさと出てってくれないか!」


「話を聞いてくれるような輩じゃないよ、丈。こういう奴には、きっついお灸をすえてやんのが一番さ!」


まずは本体を引きずり出さないとなっ!
イッカクモンは、反対方向から出現した触手目掛けて集中砲火を浴びせた。
軟体型の成熟期デジモンは、ウィルス種に分類される深海のデジモンだ。
目の前に現れたのがワクチン種であるイッカクモンである以上、
本能的に標的をクルーザーから変更したらしい。
たくさんのしぶきを上げて、たくさんの触手がイッカクモン目掛けて襲いかかる。
ああもう、めんどくさいな、さっさと出てコイよ!
イッカクモンは苛立った様子で冷気の風を産み落とす。
広範囲に渡って吹き抜けた風が、あっという間に白い魔の手を凍てつかせて、海面に打ち落とす。
デジモンアナライザーによれば、知性は高く自分のテリトリーの外にいるデジモンにまで
危害を加えることはしないらしい。
しかし、勝手にレインボーラインの高架下をテリトリーに定めてしまったせいで、
不法侵入してきたと難癖つけて、怒り狂う鬼神のごとく襲いかかってくるのだ。
僕が気づいてよかった、と丈は思った。
眠いとまぶたをこすっていたプカモンに釣られてベットに潜り込んでいたら、
朝目覚める頃には一体何隻の船が犠牲になっていただろう。考えるだけで寒気がする話である。
ヒットアンドアウェイ戦法を得意とするとしても、出てくる触手を片っ端から
使い物になら無くさせられては立つ瀬がない。攻撃手段の猛攻が時間の経過に連れて減っていく。
イッカクモンに進化でいるようになってから、幾度も連戦は戦い抜いてきたのである。
ドクグモンやフライモンたちの集団に襲われて、すべてなぎ払ったこともある。
そんなイッカクモンにとって、同格である成熟期クラスのゲソモンは、大した敵ではなかった。
広範囲の攻撃手段を持つイッカクモンとは初めから相性が悪かったといっていい。
体力の消耗に耐えきれなくなったのは、ゲソモンの方が先立った。
とうとう最終手段にでたイカ型のデジモンが大きな波しぶきを上げてイッカクモン達の前に姿を現す。
体の至るところにパイプが走っているのは、普通の巨大イカとは違う、カイブツなのだと教えてくれる。
形勢逆転を狙った最後の特攻がイッカクモンに襲いかかった。
動きが鈍いイッカクモンは避けることができない。
粘りけのある真っ黒なスミがイッカクモンの視界にぶっかけられる。
視界が一気に暗闇に落ちたイッカクモンは、自慢のミスリル製白亜の毛皮が真っ黒に染まってしまう。
うわあっと声を上げたイッカクモンに、丈はあわてて粘着性のある視界不良の原因を取り除こうと手を伸ばす。
周りが見えなくなってしまったイッカクモンは、ライオンのような咆哮をあげた。
あまりに大きく振りかぶるものだから、丈は振り落とされそうになって必死でしがみつく。
ずれかけのメガネをかけ直した丈は、一体全体どうしたんだい、とつぶやいた。


「ああああもう、むっかつくなあ!オイラの毛皮になんつーことすんだよ、このイカやろう!」


動きが鈍くなったイッカクモン目掛けて、数少ない触手による攻撃をしかけてきたゲソモンである。
ちょこまかと動きまくる触手にイライラしていたらしいイッカクモンは、堪忍袋の緒が切れたのか、
全く見えない視界の中で、思いっきりうなりを上げた。


「ふっとんじまえっ!ハープーンバルカンッ!」


いくらイッカクモンの視界が機能しなくても、自動追尾機能が付いているミサイル相手には、
全く意味がないことをゲソモンは悟るのだ。本体が海面に姿を現した時点で全ては終わっていた。
次々と出現するミサイルが白煙を上げて発射されていく。自動転送の速度はどんどん速くなっていく。
海面に逃げ込もうとした白い巨体を容赦なく一角獣のミサイルが八つ裂きにした。


立ち上ったのは、水しぶきだけである。


ぶくぶくぶく、と大きなあわを混ぜ返しながら、真っ白な巨体は沈んでいった。
息を飲んでその影が水面から見えなくなるまで、固唾を飲んで見守っていた丈は、
はあ、と大きくため息をついたのだった。
丈の安堵のため息とお疲れさまという言葉で、真っ暗な視界のまま、
イッカクモンは完全勝利を収めたことを知る。
大丈夫かい?と丈が粘りけのあるスミを払おうと、悪戦苦闘するのだが、
はがれ落ちるには一日かかってしまうと言うボンドのような粘りけにはなすすべがない。
まだデジモンアナライザーには表示されているデジモンがいるけど、
肝心のイッカクモンがこれでは万全の体制で戦うことができない。
仕方ないが、戦略的撤退だ。
とりあえず、ゆりかもめの運行を妨げるレベルの電波をハッするデジモンは、
すくなくてもレインボーブリッジ付近にはいない。
明日の朝一番にまた確認する必要が出てきてしまったが、仕方なかった。
ばしゃばしゃと海水で洗ってみるものの、全く前が見えないというイッカクモンである。
頼りは丈の誘導になりそうだ。きっとここまで大きなカイブツが出現したとなれば、
マスコミが押し掛けてくるにちがいない。うっかり鉢合わせしてしまったら最後、
とってもややこしいことになるのは目に見えていた。さっさと逃げよう、と丈は思ったのだった。



「でも、あんな大きなデジモンは、一体どうやって東京湾まで現れたんだろう。
 光が丘のゲートからここまで結構距離があるのに」


「そりゃあ、決まってるよ。河から海にきたんだ」


「君たちの世界じゃあるまいし、ここは東京ど真ん中だよ。
 河の水深は浅いし、あんなに大きなデジモン、一発でばれちゃうに決まってるじゃないか」


「でもさあ、ゲソモンは水深深くに住んでるデジモンなんだぜ?丈。
 オイラみたいに陸上でも生活できるような奴じゃないよ」

「そうなのか?ううん、ますますわからないなあ。
 普通に考えたらイッカクモンの言う通り、河から海に来たんだろうけど・・・・・・
 まさか移動している間に進化しちゃったなんてことはないよなあ?」

「オイラ達が時間経過で進化できるのは、成長期までだって。
 それは野生のデジモンでも、オイラ達でも変わんないよ」

「ってことはやっぱり光が丘からここまで移動してきたのかあ。
 ますますわかんなくなってきたぞ。あんなおっきなデジモンが移動できる場所なんてあったかな」


うんうん唸りながら、丈はイッカクモンにこれから上陸すべきところを誘導することにした。
さいわい、腹ごなしをすませたおかげで、イッカクモンの姿を維持するのはまだまだ余力がある。
それでも、プカモンに戻ったら、またお腹すいたの大合唱が待っているにちがいない。
3日分の食料を調達したつもりだったけど、足りなくなるかもしれないなと丈は思ったのだった。


人目を避けて、海岸に上陸したイッカクモンは、あっという間に光に包まれて幼年期にまで退化する。
あいかわらず目つぶしは効いている。丈のリュックに背負われて、プカモンは大きな欠伸をしたのだった。


「明日、ここまで追っ手が来てることをみんなに知らせなくっちゃね」


「そうだねー」


「さてと、そろそろシン兄さんが帰ってくる頃かな、タクシー乗り場に行くよ、プカモン」


「ふあい」


もう船を漕いでいるプカモンに苦笑いしつつ、丈はタクシー乗り場に急いだのだった。
レインボーブリッジを走る車は大抵、速度オーバーの100キロ近くで走っているため、
国道に降りる螺旋付近でパトカーに捕まることが多い。
だから丈はイッカクモンとゲソモンの戦闘は誰も見てないとばかり思っていた。
しかし、朝から続いている謎の妨害電波事件の余波を受けて、速度制限がかけられていたために、
レインボーブリッジの下で繰り広げられていた戦闘をシン兄さんに目撃されているなんて
この時の丈は思いもしなかったのである。



[26350] 第10話 beathit!その1
Name: 若州◆2a1b7c1e ID:15f905bc
Date: 2013/11/27 19:45
じじじじじ、とファスナーの金具音が、右から左に真っ黒な世界を二分する。
汗くさいタオルや衣類を上から押し込まれ、使い捨てカメラやデジヴァイス、紋章をつっこまれ、
息苦しさを必死で我慢していたチビモンは目を輝かせた。
2時間もの間待ちわびた「出てこいよ」の言葉に、待ってました、とばかりにチビモンは顔を出す。
蒸し暑いリュックから解放されたチビモンを待っていたのは、冷房全開の快適な空間だった。
うーん、と大きく伸びをして、チビモンはリュックから飛び出すのだ。
そして、あたりをきょろきょろと見つめ、好奇心に駆られて目の前にあったベットに特攻する。
ぎしりとスプリングがきしむ音がする。ごわごわのタオルケットが飛び跳ねた。
お日様のにおいがする布団に沈みながら、
ほんの少しだけ高くなった世界をチビモンは注意深く見渡すのである。


まず目をひくのは壁を独占している何枚もの大きなポスターだ。
サーバ大陸のコロシアムで見たサッカーボールとは違う、見たこともない文字が刻まれたロゴ、
デザインのボールを豪快に蹴り上げる男性が写っている。
4年に1回開かれるサッカーの祭典で使用される公式のボールなんだよ、と力説されるのだが、
当然ワールドカップのワの字も知らないチビモンには、その価値はさっぱりである。
でも、大輔がそのポスターをとっても大切にしているのは一目瞭然だ。
大輔曰く一番好きなサッカー選手のポスターらしい。
穴が開くのが嫌という理由から、わざわざ跡が残らないようにピンセットやテープではなく、
クリップで挟んでから、テープで留めてある。


その下には贔屓のチームのエンブレムがべたべた貼ってあるタンスがあって、
並べられたグッズとか、大会で入賞した時にもらった表彰状やカップ、集合写真が鎮座する。
もちろん英語も日本語も読めないチビモンには、なんて書いてあるんだか分からないが、
同い年くらいの男の子たちと腕を組んで、嬉しそうにピースサインをしている大輔がいるのだ。
とっても楽しい思い出の欠片なんだろう事くらいは分かる。
すぐ隣には中古のテレビ。大会を記録したビデオが積み上げられているラックがあって、
ゲーム機とカセットをまとめて放り込んであるボックスがある。
教科書よりも漫画が多い本棚とか、夏休みの宿題が入れっぱなしになっているランドセルとか、
勉強した形跡がないことが丸わかりの、ほこりだらけの勉強机。
服がはみ出している閉まってないタンスとか、いつもいつも部屋を片付けなさいって
お母さんに怒られていそうな男の子の部屋である。
チビモンの知らない大輔がここにいる。この一つ一つが本宮大輔を形づくっているのだ。
そう思うと、なんだかとっても特別な場所な気がしてくるから不思議だ。
ずっとここにいられたらいいのに。ずっとここで大輔と過ごせたらいいのに。
たった3日しか許されていない短すぎる滞在時間。チビモンは小さく頭を振った。


さっき風に揺れてふわふわとレースのように翻っていたカーテンが大人しくなる。
大輔の住んでいるマンションは、今の時間帯は西日が差してきて結構暑いのだ。
あー、すずし、と冷房が一番効くポジションである
勉強机のローラーイスを引っ張ってくる大輔に、
ベットから見える高層マンションを見たチコモンは、ちょっとだけ残念そうに肩をすくめた。


「なあんだ」

「なんだよ、その顔」

「マンションっていうんだっけ、だいしけが住んでる家?
ここ見た時、すっごくおっきいなあって思ったのにさ、中って結構狭いんだ」


リュックの隙間から見えたのは、見上げるほど大きな建物だった。
デジタルワールドでだって、ここまで大きな建物を見たのはなかなか無いだろう。
当然ながらブイモンは見たことが無かったものだから、
どれだけ大きなお家に大輔は住んでいるんだろう、と
勝手に胸を躍らせていた分落胆も大きかったらしい。
はああっ!?、と思わず声をあげた大輔は、カチンと来たらしく、チビモンをこづいた。


「う、うるさいなあ!マンションが丸ごと家なわけないだろ。どんだけ金持ちなんだよ!」
 
「だってさー、なんかハニービーモンの家みたい」

「誰だよ、それ」


物凄く馬鹿にされているのだけは感じ取った大輔はジト目である。
一度会ったことがあるデジモンならば、デジモンアナライザーで調べられるが、
大輔の記憶が正しければ見たことも聞いたこともないデジモンである。


「オレがデジメンタルで進化できる奴の一つなんだ」


ということは古代種のデジモンである。
今の時代に目覚めてから、今まで一度も見たこと無いから、
今でもいるのかは知らないとはチコモンの談である。
サジタリモンやセトモンのように現在では成熟期や完全体として現存するかもしれないが、
いずれも希少種であることを考えれば、その姿を映像として拝むことは難しそうだ。


「昆虫型のデジモンだよ。4枚の透明な羽根があってさ、黄色くて黒の縞模様があるんだ。
 力は弱いけど、動きが素早くて、敵の後ろに回り込んで、毒針で攻撃するんだよ」

「……誰の家がハチの巣だって?このやろ」


養鶏場にあるに無数のニワトリの家みたいだ、というレベルの暴言だった。


「いてっ。ひどいや、だいしけ」

「あーあ、チョコバーやろうと思ったのに、やっぱやーめた」

「え、え、なになに、大輔!チョコバーってなに!」

「チョコ味のアイスだよ。
 折角まだ冷蔵庫にあったからオレが我慢してあげよっかなーって思ったのに」

「アイス?アイスってなんだよ、だいしけ!おいしいの?それ、おいしいのか?
 ご、ごめん、ごめん、だいしけ!もう言わないからそんな意地悪言わないでくれよ!」


平謝りしてくるブイモンに、はあ、とため息をついた大輔は、許してやることにした。
そのうち、洗濯物を持ってこいという母親の催促がドア越しに飛んでくる。
わかったよ、とぶーたれながら消えていった大輔を見送ったブイモンは、
この世界にいる今、ライフラインは全て大輔が握っていることの不便性を痛感したのだった。
前途多難な居候生活に遠目をしているパートナーを置き去りにして、
リュックから引っ張り出してきた洗濯物を脱衣所に置いてある籠に放り込んだ大輔は、
その足でそのままキッチンに向かった。


「お母さん、まだチョコバーあったよな?」


あるわよ、という前に既に冷蔵庫を開けている息子に、お母さんは苦笑いだ。
今夜の晩ご飯何がいい?とサマーキャンプを前提にしていたせいで、
すっからかんの冷蔵庫を見つめながらお母さんが聞いてくる。
あ、オレ、オムライスとカレー以外で、
とピンポイントで話す不可解さにお母さんは首を傾げるのだ。
どうして?てっきり食べ損ねたカレーが食べたいというのを見越して、
これから行って来る買い物のメモを作っていたお母さんは当然聞くのだが、
大輔は何でも!と言って譲らない。
まあいいけどね。今日一日大変な目にあった息子のために、今日は意見を尊重して好きな
料理でも作ってあげようかな、なんて考えながらお母さんは唐揚げをメニューに追加した。


「2本も食べるとお腹壊すわよ、大輔」

「あ、姉ちゃん。大丈夫だって、それくらい」

「大丈夫な訳無いでしょ。
 お腹壊してサッカー出られなくなったら可哀相だからアタシが食べてあげるわ。
 ほら、一本よこしなさい。」

「えー、なんだよそれ」

「いいから」


ん、と差し出された手にしぶしぶチョコバーを差し出した大輔は、
仕方なくそのまま冷凍庫のドアを閉めた。
このままだと大輔がおやつを我慢してブイモンに提供するか、
食料を部屋にストックする必要がありそうだ。
デジタルワールドではご飯を思いっきり食べられない弊害があったが、
こっちではこっちで有り余る食料を確保するにはそれなりのお金が必要になりそうだ。
どうしよう、お小遣い前借りしようかな、
なんて焦る大輔は戦利品をもってブイモンのいる部屋に直行しようとするが止められた。


「大輔、ちょっといい?」

「なんだよ、姉ちゃん」

「PHS返してくれる?」

「え?」

「えってなによ、えって。キャンプの間だけだって約束してたじゃない。
 まさか貰えるとでも思ってたんじゃないでしょうね?」


ジト目のジュンに、大輔はあわわと焦った様子で、わすれてない、忘れてないって!と
言いつくろう。まさか、壊したんじゃ無いでしょうね?ってジュンはますますジト目だ。
それはない、絶対無い!と大輔は言い返す。壊れてはない。性能だけなら右肩上がりだ。
なにせデジモンが近付くだけで使えなくなってしまうPHSが使えるようになっているのだ。
光子郎がナノモンと共同でデジタルワールドにのみ存在している金属を使った魔改造をしたから。
一度分解してから、あちこち弄くり廻されて、また組み立てられただけである。
大輔が焦っているのは、デジタルワールドの時と同じ感覚で
これからの3日間を過ごすつもりだったからだ。
もちろん、選ばれし子供達は、みんな同じだ。そのギャップを今、ありありと見せつけられている。
どうしよう、と大輔は焦った。焦りまくっていた。
光子郎先輩との連絡、どうやってとったらいいんだろう!
不自然に沈黙している大輔に、痺れを切らしたジュンは、あーもうとぼやいて大輔の部屋に行こうとした。
わああああ!と大輔は絶叫である。マズい。非常にマズい。大輔はジュンの進行を阻止した。
今、大輔の部屋を覗かれたらめんどくさいことになる!
うっさいわねえ、なによ、とジュンはふり返った。


「待って、待って、マジで待って!すぐ持ってくっから、姉ちゃんはここで待っててくれよ!」

「なんなのよ、もう。大輔、アンタ帰ってきてからテンパり過ぎ」


意地悪そうにジュンは笑った。
うぐぐとなった大輔は、言い返すこともできないまま自分の部屋にとんぼ返りした。
待っててくれていいから!わざわざ来なくていいからなってドアの向こうで牽制する、
なんか必死な弟にジュンは母親と顔を見合わせて、首を傾げるのだった。


「へんな大輔。ねえ、お母さん。あいつ、帰ってきてからあんな感じなの?」

「素直じゃないところは、ホントにそっくりよねえ、大輔とジュンは」

「えー?なによそれ」

「お姉ちゃんに会いたいってあれだけ泣いてたくせに、意地張っちゃって、
 素直じゃないんだから。ジュンが大輔を待っててくれるんだって言ったら、
 物凄く喜んじゃって、早く家に帰りたいって大騒ぎだったのよ?」

「えー、嘘」

「嘘じゃないわよ。3時間も豪雪の中で古いお堂に閉じこめられてたのよ?
 PHS大事そうに持っててね、お守りみたいにしてたのよ」


「ふうん、じゃあやっぱり役に立ったんだ」

「そりゃあ、大好きなお姉ちゃんが貸してくれたものだもの」


ジュンは嬉しそうに笑った。


「大輔は昔から自分のことより、みんなのことを心配する子だったじゃない。
 今はまだ大丈夫だけど、心配なのよねえ」

「そうよね。昔から、あいつ、優しい子だから。
 助けて欲しいなら、助けて欲しいって言えばいいのにさ、ホントばかなやつ。
 つらいんなら言ってくれたらよかったのに。ぜんぶ忘れちゃうほどつらいんならさぁ」


「それが大輔のいいところでもあり、悪いところでもあるのよねえ。
 ま、誰かさんによく似てるわ、ホントにね」


ドアの向こうで大輔が入ってきていいタイミングが見つけられなくて
悩んでいることには気づかない。ごめんなさいが心の中でしまわれる。
しばらくして入ってきた大輔は、PHSをジュンに渡した。
大輔にしては丁寧に扱ってくれたみたいねってジュンは笑った。
なんだよう、オレ、そんなどじっこじゃねーし、と大輔は不満そうだ。


「えっとあー、その、あれだ。あんがと、お姉ちゃん」

「え?あ、うん、どういたしまして」


一瞬戸惑いながらも、数年ぶりに「お姉ちゃん」と呼んだ大輔に、母親はにやにやしている。
何笑ってんだよっと恥ずかしくなったのか、顔を赤らめた大輔はむくれる。
ジュンはいきなり何言ってんのよ、馬鹿大輔、と目尻をぬぐいながら笑った。
おねえちゃん、というたった6文字の言葉を紡ぐのに、数分を費やした大輔は、
込み上げてくる照れと恥ずかしさがない交ぜになり、どことなく動作がぎこちない。
それでも、まっすぐに見つめるのは、異世界での大冒険をひとえに支え続けてきた
たった一つの決意を実現するためである。ずっと決めていたのだ。
このPHSをジュンから手渡された時から、ずっとずっと決めていた。
もう逃げるのは止める。真っ向から立ち向かう勇気をくれたのは、
ほかならぬ目の前の大切な家族だから、もう自分の気持ちに嘘をつくのは止めにするのだ。
なに、と大輔のいつにない違和感に眉を寄せながら、ジュンが聞いてくる。
大輔は潰れてしまいそうになる恐怖から出かかった言葉が散見するのを恐れて、
そのまま一気に言葉を紡ぐのだ。何かい繰り返してきただろう。
何十回、いや、何百回頭の中で描いてきただろうか。
いつかこんな日が来ることを誰よりも願いながら、誰よりも恐れていた。
それなのに、今その瞬間だというのに、案外、心の中はあっけない。
むしろそれだけのことにいっぱいいっぱいになってしまっていて、
ごちゃごちゃ考えていたことが嘘みたいに、今、大輔の世界には目の前のジュンしかいなかった。


「おねえちゃん、おれのこと、きらいなのか?」

「はあ?なによ、いきなり」

「おれ、ずっと、聞きたかったんだ。あの日から。あの、雨の日から。
 お姉ちゃんが、【もうアンタの姉でいるのは疲れたから、お姉ちゃんって呼ばないで】
って言った時から、もう、お姉ちゃんて呼んじゃダメなんじゃないかって、
もう、おれのお姉ちゃんじゃいてくれないのかって、ずっと、ずっと」

「……」

「なあ、教えてよ」


直視することができないのか、ジュンは気まずそうに大輔から視線をそらす。
避けられた、と反射的に感じてしまった大輔は、言葉を捜して思考を反芻している
ジュンに気付くことができなくて、今にも泣きそうな顔をして、そのままうつむいてしまった。


「アタシ、まだなにも言ってないわよ、大輔。勝手にアタシの返事を作らないでよ。
 あんたはいつも、いつもそうなんだから。こっちのことなんかお構いなしで、
 自分でボールを投げかけておきながら、こっちが振りかぶった時にはもう別のところにいっちゃうんだから。
 いい加減にしなさいよね、なんでそういうとこばっかりアタシに似てるのよ」

「ねえちゃ」

「それはこっちの台詞よ」

「え?」

「あんたには、太一先輩とか空先輩っていうお兄ちゃんやお姉ちゃんがいるんじゃないの?
 何もかもしゃべっちゃうくらい、信頼おいてる子がいるんじゃないの?
 アタシなんかいらないんじゃないの?だからわかんなくなったのに、なによ、それ。
 もう、わけわかんない」


はっとなって大輔は顔を上げるのだ。
そこには、いつだったかと同じように今にも泣きそうな顔をしているジュンがいる。
もうそこから堰を切ったように大輔は叫ぶのだ。お母さんに聞こえている、
なんてことは吹っ飛んで、ただ、ただ、お姉ちゃんに悲しんでほしくなくて、
自分の気持ちを伝えたくて、まっすぐに大輔は言葉を紡いでいく。


「ちがう!おれ、姉ちゃんがおれのこといらないのかって思って、太一先輩たちはその、違うんだ。
 今はもう、違うんだ。もう分かったんだ。
 おれにとっては、おれにとってのお姉ちゃんは、ジュン姉ちゃんしかいないんだよ」

「……そう」


こくり、とうなずいた大輔は、気丈な姉がどことなく脆く見えた。
はあ、とため息をついたジュンは、目じりに浮かぶものをぬぐいながら、笑った。


「嫌いなわけないじゃない。好きよ。大好きよ。大好きにきまってんでしょう」


こういうときのジュンは、誰よりもまっすぐにモノを見る。


「なにがあったって、アタシはあんたのことが大好きよ、大輔。
 八神君たちの方が頼りになるって思われてるのは心外だけどね、
 ま、そこは我慢してあげるわよ」

「え?なんだよ、それ」

「ちょっと来なさい、大輔。ここじゃちょっと言いにくいから」

「え、あ、ちょ、姉ちゃん!?」


大輔の手を掴んだジュンはリビングからまっすぐジュンの部屋に向かって歩き始める。
え?え?え?と大輔は想定外の展開に吃驚して、母親に助けを求めるが、母親は肩をすくめるだけだ。
いつだって本宮家は基本的に、ジュンお姉ちゃんと大輔の関係性は見守る姿勢を一貫している。
乱暴に扉を閉められた大輔は、はあ、とため息をついたジュンにしどろもどろになっている。
さっぱりわからないのである。ジュンは覚悟を決めたらしく、大輔を見下ろした。


「あたしはお母さんじゃないから言うわ。あんた、直接言わないと分かんないしね。
 なんで部屋に一人しかいないのに、ぎゃーぎゃー騒いでるわけ?さっきから物音がするんだけど。
 ねえ、ほんとに大丈夫?ゲームしてるわけでもなさそうだし、あたしのPHSで誰かと電話してるのかと思ったけど、
 リュックにいれっぱなしなら違うだろうし、独り言にしては大きすぎるわよ。
 あんた、嘘つくのヘタなんだから、隠すんならせめてもっと慎重にやりなさいよね」

「べ、別に何にもないって!つーか、なんでそんなこと言うんだよ。
 姉ちゃん、ずっと家にいたんだろ?」

「そうよ。今日、アタシはずっと家で留守番してたのよ。
 アンタが行方不明になったって聞かされてから、ずーっと待ってたのよ」

「心配かけてごめんって言っただろ!なんで怒ってんだよ」


はあ、とため息をついたジュンは、そのまま腕を組んで壁にもたれ掛かった。


「今日の12時すぎよね、アンタが八神君たちと一緒にいるってお母さんに電話して、電話が通じなくなったの」

「そうだけど?」

「八神君は一緒にいたんでしょ?」

「なんで太一先輩が出てくるんだよ」

「かかってきたのよ、電話」

「電話?」

「八神君から家に電話があったのよ、12時半くらいに。
 大輔、家に帰ってませんかってわけのわかんない電話がね。
 これがどういう意味か分かるわよね?アンタによれば雪山で遭難してる間に。
 しかもサッカークラブの連絡網で登録しといた自宅番号からかかってきたのよ。
 なんで東京郊外の電波障害が発生してるキャンプ場にいるはずの彼が、
 自分の家の電話からうちに電話できるのよ。おかしいでしょ、普通に考えて」


太一が現実世界に帰還している間にとった行動を
逐一知っているわけではない大輔は青天の霹靂である。
あっけにとられている大輔は、え、いや、その、となんとかごまかそうとするが、
小学校2年生の男の子に辻褄の合った出来事なんて捏造できるわけもなく、
完全に事実の隠匿を確信したジュンに詰め寄られることになってしまう。


「あのあと、電話があったのよ。武之内さんと泉くんのご家族から。
八神君から電話があったんですけど、サマーキャンプ中止になったんですか?
子供は帰ってるんですか?って。その直後よ。
電波障害が起こってない場所まで下山した子供会の人から緊急連絡で、
アンタたちが雪山で行方不明になったって電話があったの。
もう、わけわかんない。こんなんんでコンサートなんか行ける訳ないでしょ、
そこまで薄情になった覚えはないわよ、馬鹿にしないでよね。
こんなことがあったのに、何にもないなんてありえないわよ」

「う」

「……でも、まあ、八神君の電話のことは誰にも言ってないから安心しなさいよ」

「え?なんで言わないんだよ」

「バカね、ありえないじゃない。どうせ誰も信じてくれないもん。いつだってそう。
 大人はね、実際に見ないと何があったかなんて誰も信じちゃくれないの。
 どうせ言ってもイタズラ電話だろうって片付けられちゃうに決まってるわ」


それが光が丘テロ事件のことを差しているのだ、と大輔はすぐに悟った。
ジュンはデジモンが見えていないから、大きな鳥さんと恐竜さんのケンカなんて
ファンタジーは口にしなかった分、何があったのかと知りたがる大人の追求は過剰だった。
ジュンが覚えているのは、光が丘団地が大停電に陥り、突然ベランダが大爆発を起こして、
一瞬のうちに広範囲に渡って爆弾テロが行われたとしか思えない大爆発が街を瓦礫に変えた事だけだ。
鳴り響く雷鳴と立ち上る黒煙、そして火柱。鳴り響くホイッスルの音。
興奮した様子で意味の分からないことをいう弟と、その先にいた太一と光。
少なくても、ジュンのような子供が何人もいたから、光が丘爆弾テロ事件という名称がついたのは確かだ。
あの時ジュンは小学校4年生だ。あまりにも大人すぎた。
その悲痛な表情を見てしまうと、とてもではないが、デジモンのことをうち明ける気力は失せてしまう。
一呼吸おいて、ジュンは大輔を見つめた。
自嘲気味に笑ったジュンは、大輔がみたことのない痛みと引き替えに泣いてるように見えた。
だから、もう、大輔はその先を紡がせたくなくて、口走っていた。


「なあ、それってさ、光が丘のこと?」


ジュンの表情が凍り付いた。なんで知ってるんだと言いたげな顔をしているジュンに、
大輔はあっけらかんとした表情をなるべく崩さないようにしながら、笑った。


「思い出した。思い出したんだよ、姉ちゃん。オレさ、ずっと忘れてたんだよ。
 姉ちゃんを守りたいっていったのにさ、ずーっと忘れちゃってたんだよ。ごめん、姉ちゃん」

「ほんとなの?ほんとなの、大輔。アンタ、あの日のこと、思い出したの?どうやって?」

「どうやってって、いわれてもなあ。すっごい偶然なんだけどさ、お堂に閉じこめられてた人、
 みんな光が丘に住んでたことがあったんだって。お母さんが迎えに来てくれるまで、
 眠らないようにいろんなこと話してたら、みんな、4年前のこと忘れてるってなって。
 光子郎先輩が調べてくれたんだ。あの日何があったのかって、ネットで」


へへ、と笑う大輔を待っていたのは、なによそれえって今にも泣きそうなジュンである。


「へたくそな嘘つくんじゃないわよ、馬鹿大輔。 
 結局あたしにはなんにも教えてくれない訳ね?
 アンタがそんなに筋の通った説明、ぺらぺらしゃべれるわけないじゃない。
 カンペ用意してんじゃないわよ、ばあか」

「う、」


「もういいわよ、もう、無理に説明してくれなくったって、そういうことにしといてあげる。
 アンタが思いだしたのは事実みたいだし。そんなに頼りないわけね、あんたのお姉ちゃんは」

「そ、そういうわけじゃないってば!」


ぼろぼろ泣き始めてしまったジュンである。
大輔はどうしよう、どうしよう、とパニック状態になる。
でも、デジモンのことだけは、これだけはまだしゃべるのは早過ぎる。それだけは分かっていた。
ジュンはデジモンにトラウマを持っている女の子なのだ。太一によればホイッスルを嫌いになるくらい。
衝動的にしゃべってしまったら、それこそジュンとデジモンの関係性は修正不可能なまでに
こじれてしまうだろう。それだけは嫌だった。
大輔にとって、ジュンをデジタルワールドに連れて行くことは、チビモンと仲良くなってほしいのは
ほんとうに、ほんとうに、夢だから。
どうしたら許してくれるんだろう、ごめんなさいってしどろもどろで、
釣られて泣きそうになっている大輔を見たジュンは、ぐしぐしと涙をぬぐった。
ウサギみたいな目が大輔を写す。ジュンの手が伸びる。大輔は不思議そうに瞬きした。


「これ、外して。それなら許してあげる」


ジュンの手にはゴーグルが握られている。


「今日の電話で聞いたのよ、八神君に。ゴーグルはいつからつけてるんだって。
 光が丘の時につけてたものと一緒だってわかったし、八神君がホイッスル吹いてた
 男の子だってことは、なんとなくわかってたの。
 大輔がなんにも覚えてないのに、八神君がサッカーしてるのを見て、
 サッカー始めるのを決めたって聞いた時、なにそれっておもったのよ。
 アンタがなんで光が丘の時に、八神君みたいになりたいと思ったかなんて、未だにわかんないわ。
 少なくてもあたしにとっては、八神君は光が丘事件の象徴なのよ。
 あのホイッスルが強烈に鳴り響いてるせいで。
 もちろん、八神君が事件の犯人だなんて思ってないし、大輔には見えてた何かがあって、
 あたしにはそれが見えてなかったダケなんだってことは何となくわかってる。
 大輔の言うように、八神君がホイッスルを吹いた瞬間に、すべてが終わったのはあたしも見てるわ。
 終わらせてくれた英雄が八神君だって事も、なんとなくだけど、ね。
 でも、だめなの。いろんなことがありすぎたのよ、あの日から。八つ当たりだって事はわかってるけど、
 わるいけど、大輔、せめてあたしの前ではゴーグル外してくれない?」


力無く笑うジュンに、大輔はうなずくしかなかった。
ゴーグルを返してくれたジュンは、そう、と嬉しそうに笑ったので、いたたまれなくなってしまう。
デジモンが見えているのか、見えていないのか、と言うたったそれだけのことで、
大輔とジュンにはどうしようもない隔たりが存在しているのを自覚してしまう。
光が丘テロ事件は、大輔達にとってはデジモンとの早過ぎたかけがえのない出会いだが、
ジュンのような普通の人達にとっては、あまりにも禍根が残りすぎた出来事でもあるのだ。
修復の難しさを痛感した大輔は、ますますデジモンのことをうち明けにくくなってしまった。
なにせ、太一のパートナーは、あの時のグレイモンを先祖にもつアグモンだ。
直接見たことが無くても、必殺技を目撃することがあったら、一瞬でジュンは気づくだろう。
その時のことを思うと、さすがにべらべらと喋る無神経さは大輔には無かった。
ジュンはにひと笑う。


「ま、ホントは、大輔のお姉ちゃんはあたしなんだから、
 こんなゴーグルつけてまで八神君に憧れなくてもいいじゃないって言う、単なる嫉妬よ、嫉妬」

「えー、なんだよ、それえ」

「大体、ずっとつけてると禿げるわよ?」

「ハゲねーよ!」


けらけらとジュンは笑った。大輔はなんだよ、もー、とがっくり肩を落として笑った。


「なあ、姉ちゃん」

「なに?」

「夜になったらさ、出かけないでくれよ、危ないから」

「あー、吸血鬼みたいに女の人ばっか襲ってる通り魔のこと?
 それとも、光が丘テロ事件の犯人が東京にいるって言う、あれ?
 そうよね、気をつけるわ。あーあ、折角夏フェスのチケットとれたのに」

「絶対に行かないでくれよ?!危ないんだから!」

「いきなりどうしたのよ、大輔」

「なんでもないけど、なんでもあるんだよ!」

「なによそれ。おかあさーん、大輔がなんかキモイこと言ってんだけどー!」

「キモいってなんだよ、人が折角心配してんのにいっ!」


嬉々として報告し始めたジュンを止めるべく、大輔は大慌てでリビングに舞い戻ったのだった。



[26350] 第11話 beathit! その2
Name: 若州◆e61dab95 ID:ad15ed9b
Date: 2014/01/15 21:02
「大予言ははずれたと思ってたのに、まさかあんな雪が降るとはなあ」


「先生、大予言ってなんですかぁ?」


「ノストラダモスの大予言だよ。聞いたことないか?1999年の7月、とっくに過ぎちまったが、世界が終わるとかなんとか、物騒な予言が先生が子供のころにはやったんだ。まあ、おまえたちになにもなくてなによりだ。ま、そんなことはどうでもいいか。もう家は目の前だが、気を付けてまっすぐ寄り道せずに帰れよ。お父さんやお母さん、ご家族の方が心配してるぞ」


「はーい」


大きなバスが2台、お台場に到着した。お台場小学校五年二組の担任をしていて、子供会の役員をしている藤山市郎先生は八神兄妹、石田兄弟以外の子供たちが荷物を持って整列していることを確認した。行きよりも帰りの方が荷物が増えている子供たちが紛れ込んでいる事には、子供会の大人たちはもちろん、同じ学校に通う子供たちも気付かなかったのだった。


「じゃあ、解散」


さようならー、という声を最後に、子供たちは臨海公園の駐車場を後にしたのだった。


「光子郎はん、もう大丈夫でっか?」


光子郎のカバンの中からモチモンの声がする。


「もうちょっと我慢して、モチモン。まだ人がいるんだ。僕の家まで待ってて」


「そんな殺生なぁ」


モチモンは涙目である。しーっと人差し指を当てて沈黙を促す光子郎は、きょろきょろとあたりを見渡した。さいわい同じ方向の子供たちで光子郎とモチモンの会話を聞いた人はいないようだ。つぶれてまうぅ、と情けない声を出しているモチモンである。どうしてもカバンに入らないところは、光子郎が持ってきた電子機器によって押し込まれているのだ。バスの屋根にしがみついて移動すると言ったが、2時間も誰にも見つからずに出来るのかと詰め寄ったら、がっくりしたモチモンはカバンに押し込められる方を選んだ。上手く身を隠すにはものがなさすぎる。看板にぶつかったら落ちてしまう。バスから落っこちてんじゃないかとひやひやするのはごめんだったのは秘密だ。ぬいぐるみのふりをしたええんとちゃいまっか、ともっともらしい意見があったのは聞こえないふりをした。光子郎はぬいぐるみを抱きかかえて、連れて歩く男の子にはなりたくなかったのである。抗議の涙目にふたをして、光子郎は先を急いだ。

とにかく今日はいったん家に帰らないといけない。モチモンたちは疲れているし、うちの人を心配させるわけにはいかない。さいわい、ヴァンデモンたちが派手に暴れているニュースは、まだネットに流れていないことは確認済みだ。デジモンが原因だと思われる出来事は濁流のように速報としてネットを騒がせているが、10人目の仲間を見つけられそうな出来事は見つけられなかった。これからどうやって10人目の選ばれし子供と光ちゃんのパートナーを探し出すか、行動するのは明日だ。


「ただいま」


泉と書かれているプレートの先は、あかるかった。がたっという席を立つ音、ぱたぱたとスリッパを走らせる音が聞こえてきて、靴を脱いでいた光子郎は顔を上げた。お父さんとお母さんに出迎えられた光子郎は、もどりました、とつぶやいた。お母さんの瞳には赤いものがおびていて、まだ込み上げてくるものがあるのか、手を当てている。お母さんの肩に手を当てたお父さんが光子郎をみて、心の底から安心した顔をして笑った。


「おかえり、光子郎」


光子郎は瞬き数回、あ、はい、とうなずいた。光子郎たちが3時間にわたって豪雪のキャンプ場で遭難したことが子供会から連絡されたことは聞かされていたが、無事だったという連絡も受けているはずだ。いつも家にいるお母さんはともかく、仕事で忙しいはずのお父さんまで早く切り上げて帰ってきているとは思わなかったのである。無事でよかった、といつもは涙ひとつ見せない人がうっすら涙ぐんでいるのを見てしまうと、光子郎はいよいよかける言葉が見つからなかった。


「ケガはないか?」


「大丈夫です。心配かけて、ごめんなさい」


「いや、本当に無事でよかった。光子郎にもしものことがあったらと思うと、いてもたってもいられなくてな、ずっと待ってたんだ」


ぽんぽんと頭を撫でられて、光子郎は小さく頷いた。複雑な気分だった。素直に無事だったことを喜んでくれるお父さんとお母さんの気持ちを邪推してしまう自分が嫌になってしまう気分だった。お父さんもお母さんも光子郎が養子であることを知らないと思っている。実の子供ではないことを知らないから、こういう態度をとっているんじゃないか、とうがったものの見方をしてしまう性質は、変化を拒む心理状態に傾いていく。離れて行ってしまうんじゃないか、といういつも抱えている恐怖と孤独を半年ぶりに思い出してしまった光子郎は、せめてふたりにおいていかれないように、リビングに帰っていくあとをあわてて追いかけたのだった。


「なにか冷たいものでものむ?」


「ええ、でもあとでいいですか?これ、先に片づけてきます」


「わかったわ、いってらっしゃい」


早足で光子郎は自分の部屋に入った。そして、鍵をかける。はあ、と息を吐いた光子郎は背中から降ろしたノートパソコンのカバンからモチモンを救出したのだった。泉家はこのマンションの一階にある。パレットタウンが一望できる海岸沿いの窓の向こうには、小さいながらもお母さんが丹精込めて育てている家庭菜園専用の庭がついている。そっと窓を開けると、鉢植えの間から飛び上がったピヨモンがずっと上の階に住んでいる空の部屋に向かうのが見えた。空の家はお父さんが京都大学で考古学を教えている先生だから単身赴任状態、お母さんは銀座の華道の展覧会に出ていて誰もいないからできることである。空のことを聞いたお母さんは、今日の予定を早めに切り上げて帰ってきてくれるらしいので、たとえそれが深夜であろうとも空には嬉しいことにかわりはない。光子郎は窓をしめて、クーラーをつけた。モチモンは大きく伸びをした。


「いやあ、ホンマかないませんわ。死ぬかと思ったんでっせ、光子郎はん」


「大丈夫だよ、モチモンはスライム型なんだから」


「だからってあんな無理に押し込まんでもええやないですか」


胴体の下のでこぼこを使ってよちよち歩いてきたモチモンは、その伸縮性の高いピンク色の身体を大きく膨らませてみせた。見た目からは考えられないくらい高い知能を持つ幼年期に、ごめんごめん、と光子郎は笑いながら謝った。


「とりあえず、待ってて。なにか持ってくるよ」


「そんな急がんでもええですやん。あんな美人なママはんとおっとこ前なパパはんがいはるんでっせ?今日一日のんびりしたって罰当たりませんがな」


「ありがと、モチモン。じゃあ、そのあいだ、このパソコン見ててくれる?」


「わて、光子郎はんと違って機械はからっきしでっせ?変なとこ触って壊してもうたら怖いんやけど」


「大丈夫だよ。データの取り込みがちゃんと出来てるか、ダウンロード出来てるかどうか、見ててくれるだけでいいから」


「まさかバスの中でも調べてはったんですか、光子郎はん。いつまで調べてはるんですか。熱心でんなあ」


光子郎はパソコンを立ち上げると、モチモンに画面を向けた。


「さすがに全部チェックで来た訳じゃないよ。ゲンナイさんが入れてくれたソフト、早く使いこなせるようにならないと意味がないしね。いったいどういう機能があるのか、慣れておかないといざというとき大変なことになるだろ。明日はもっと忙しくなるんだ。今日中にチェックしておかないと」


「今日中でっか!?んな無茶苦茶な」


大したことないよ、と光子郎は笑った。パソコンにはいくつかのソフトがダウンロードされている様子が映っている。ようやく落ち着いてネットにつなげることができる環境が整ったので、ノートパソコンはフル稼働だ。ゲンナイさんと連絡が取れるよう、メール環境が新しく整備される。デジタルワールドと現実世界では勝手が色々と違うのだ。そして、お台場のゲートポイントにデジタルゲートが設置されているところだ。構築にはまだ時間がかかりそうである。光子郎はカバンからデジヴァイスを取り出して、ケーブルにつなげたパソコンに接続させる。せめて寝る時間は確保せなあきませんで?と心配そうに見上げているモチモンに、光子郎はわらってうなずいた。デジヴァイスの画面が急に明るくなったので光子郎とモチモンは目を向けた。画面の中では光の点がひとつ、タクシー乗り場に向かっていくのが分かる。光子郎は窓を開けて確認する。その点はやがてマンションの一つ目指して方向を変えて移動を始めた。


「誰でっしゃろ?」


「あっちのマンションだとと丈さんですね。誰か迎えにきたのかな?」


「そろそろ行かんと怪しまれまっせ、光子郎はん」


「わかってるよ」


緊張した面持ちで去っていく光子郎にモチモンは疑問符だ。あんな美人なママさんと物静かで淡々としているけれどカッコいいパパさんがいるのに、どうして光子郎はあれだけ緊張しているのか、イマイチわからない。第三者からいわせてもらえば、お互いがお互いに気を遣いすぎて、その距離の掴み方を図りかねて、戸惑っているじれったさしか感じないのだ。後ろから思いっきりどーんって押してやりたい気分になる関係性である。家族っていうのはいろいろあるんやなあ、とデジタルワールドやデジモンには無い概念について考察してみたりするモチモンなのだった。

しばらくして、不自然な関西弁交じりの光子郎の一人芝居と大笑いする大人の声が聞こえてきたのは別の話である。結局、モチモンがご飯にありつけたのは、一時間以上たったあと。あいかわらずデジヴァイスは、いくつかの点滅を続けている。範囲が拡大し、お台場全体に選択肢が広がった画面は、今の選ばれしこどもの現在地を教えてくれた。近くてたいぶん重なってしまっているのは、同じマンションに住んでいるからだろう。

いつまでたっても明かりが消えない光子郎の部屋。今日の出来事をネットの知りあいに心配されてメールがたくさん届いたから、返信する作業に追われているのだとしれっと伝えた光子郎に、お母さんは夜食を用意してくれた。冷たい麦茶と夜食をもって帰ってきた光子郎に、モチモンは目を輝かせたのだった。

「あんさんのママさんは料理上手でんなあ、わて、ここまで美味しいの食べたの初めてでっせ?」

あっという間に平らげてしまったお皿を光子郎に渡しながらモチモンは言う。そうかな、と光子郎は少し照れたように笑った。僕も実はそう思うよとこっそり光子郎はつぶやいた。


「どう?おわった?」


「よくわかりまへんけど、表示されてた画面はもうないでっせ。今あるのはデスクトップだけ」


「ありがとう、大丈夫そうだね。じゃ、はじめるよ」


光子郎はパソコンに向かうためのローラー椅子を引いたのだった。











「もしもし、本宮ですけど、どちらさまですか?」


『もしも、え、あ、あれっ!?すいません、あの、だいす、本宮さんのお電話ですか?」


「はい、そうですけど。あ、もしかして、【こうしろーせんぱい】?」


『は、はい、そうです。お台場小学校4年の泉光子郎っていいます、けど、その』


「ああ、それね、PHSに大輔が勝手に登録してたみたい。ディスプレイにでてるのよ。大丈夫、間違えてないわ。大輔に用があるんでしょ?ちょっと待っててくれる?あいつ、今着替えてるところだから。今、脱衣所にいるみたいだし」


『あ、そ、そうですか。それならかけ直しますけど』


「あー、だめだめ、今、うちの固定電話、お母さんが使ってるから。子供会の役員サンと電話してるみたいだから、結構かかると思うわ。また取り次ぐのも面倒だし、渡してくるわね」


え、あ、ちょ、という言葉を置き去りにしてお姉さんの声は聞こえなくなってしまった。携帯電話をきるに切れなくなってしまった光子郎は、そのまま待つことにした。PHSには保留できる機能がないのだろう、大輔のお姉さんと思われる人がスリッパで移動する音がする。ああ、びっくりした、と光子郎は息を吐いた。すっかり忘れていたけど、大輔君のPHSはお姉さんから借りたものだったっけ、と今さらながら思い出したのだ。借りたものは返すのが普通だ。持ち主は6歳も年の離れた、まったくこちらの事情を知らないお姉さんである。PHSをずっと借りっぱなしにできる理由は大輔でも思い付かなかったに違いない。これじゃあもうこの番号で電話を使わない方がいいだろう。携帯電話越しに聞き耳を立てながら光子郎は大輔を待ちわびた。軽いノックオンがする。だいすけー、とお姉さんの声がする。いきなりお姉さんに呼ばれて吃驚したのが、どたばたびたんと忙しない音と悶絶する音がする。滑ってこけたのだろうか、思わず光子郎は笑ってしまった。


「なんだよ、姉ちゃん!いきなり」


「なによ、失礼ね。泉光子郎君から電話よ、大輔。PHSからね」


「えっ、光子郎先輩から!?」


「入ってもいい?」


「ちょ、ちょっとまって、マジで待ってっ!」


ああ、チビモンと一緒にお風呂入ってたんだろうなあ、と光子郎は思った。これから光子郎もモチモンを風呂場に連れて行く仕事が残っている。お母さんやお父さんに怪しまれないようにしないといけないなあ、と冷や汗をうかべた。マンションについているお風呂場と脱衣所を隔てる壁はそうとう薄いのだ。脱衣所とリビングなんて目と鼻の先である。最悪の場合、会話がつつぬけなんてこともあり得るだけに、光子郎は大輔のテンパリ具合に同情したのだった。しばらくして、扉が開く音がした。はい、と渡されたPHS。大輔の声が近くなる。大輔は大慌てで移動しているらしく、何かを抱え上げる音とぱたぱたという音がした。ばたん、がちゃん、という光子郎も聞き覚えがある音がして、ようやく大輔は出たのだった。


「もしもし、光子郎先輩ですか?すいません、待たせちゃって!」


『あー、うん、いいよ。いきなり電話してごめん。もう話しても大丈夫?』


「はい、大丈夫です。今、オレの部屋なんで!」


すぐ近くの方で、ひどいやだいしけえ、と涙目になっているチビモンの声が聞こえる。PHSから音が漏れ聞こえる。仕方ねえだろ、バレたらめんどくさいことになるんだから、こうするしか無かったんだよ、と大輔はたしなめていた。どうやらバスタオルかなにかでチビモンをくるんで、大輔の部屋についたら鍵をかけるためにベットに放り投げたらしい。いたい、という悲鳴が聞こえていたから間違いないだろう。しーっ、静かにしろよって声が聞こえていたから。


「いきなりどうしたんすか、先輩。もしかしてなんかあったとか?」


『ううん、ヴァンデモン達が攻めてきたとか、そう言う切羽詰まったのじゃないんだ』


「あ、そうなんですか?よかったあ」


『そうだなあ、10人目の手がかりになりそうなものを太一さんが明日持ってきてくれるんだってこともあるんだけど。あとは、やっとゲンナイさんと連絡が取れるようになったんだ。ゲートポイントとデジタルゲートの環境が整ったんだ。デジモンアナライザーのデータを更新できると思うから、明日持ってきてくれる?』


「はい、わかりました!そっか、じゃあ、こっちの世界にきてるデジモンもデジタルワールドに返せるって事ですね」


『うん、そういうこと。まあ、それは明日の話だから、あんまり関係ないよ』


「え?じゃあ、なんで電話なんて」


『実は気になったことがあって、ちょっと調べてたんだ。大輔君のデジヴァイスと紋章について』


「え、オレの?」


『空さんとミミさんから聞いたんだけど、トノサマゲコモンを止めようとした時に、超進化の徴候が見られたのはチコモンだったのに、進化したのはパルモンの方だったって聞いておかしいなと思ったんだ。古代種と現代種だから進化条件の難易度は桁違いだとは思うよ?でも、パルモンとブイモンじゃ進化する条件はブイモンの方が整ってた筈なのにって。ウィルス種に進化しても暴走しないところをみると、もしかしたらチコモンは進化ツリーが一本化してないんじゃないかと思って、ゲンナイさんにメールしてみたんだ。やっぱり、チコモンは古代種の生き残りだったから、そういうことはできなかったみたいなんだ』


「えーっと、すいません、よくわかんないんすけど」


『あー、ごめん。わかりやすくいうと、デジモンは何度も生まれ変わることで強くなるんだ。でも、テントモンたちは、生まれ変わらなくても進化と退化を繰り返すことで、短い間に強くなることができるんだ。そのかわり、進化できるデジモンがきまってて、それ以外のデジモンに進化することができないんだよ。でも、チビモンは違うんだ』


「え、なんでっすか?」


『チコモンが世界でたった一匹しかいない古代種のデジモンだからだよ。古代種は潜在能力が高くて爆発力がある代わりに、オーバーライトの関係で寿命が短いだろ。それを補うために大輔君のデジヴァイスはほとんどの容量を食ってるらしいんだ。チコモンがブイモンになっても、エクスブイモンになっても、大輔君のパートナーでいるためには、すごいエネルギーを代用しないといけないからね。だから、進化を一本化するプログラムまでは入れられなかったらしいんだ』


「でも、こいつがセトモンに進化した時、アグモンみたいなことになりましたよ?」


『あれはセトモンがああいうデジモンだってこともあると思う。ウィルス種に進化することでオーバーライトを押さえ気味にしてたのが、古代種に進化したから、オーバーライトが大きくなったせいで、自我を保つプログラムとケンカしたんだと思うよ。ほら、オーバーライトって感情の爆発からくるデータの消耗らしいし、自我を保つプログラムはオーバーライトを押さえる役目もあるみたいだから』


「ってことは、エクスブイモンから進化するには、普通のデジモンみたいにデータをたくさん食べなきゃダメってことっすか?」


『普通なら、たくさんの時間をかけて、経験を積まなくちゃいけないんだけど、さすがに無理があるだろ。だからナノモンのデータチップを完全に復元するくらい強力なエネルギー体の紋章が用意されたんだと思うんだけどね。でも、進化できなかった。使われるはずだった想いの力は行き場を失って、チコモンと同じ気持ちだったパルモンに流れ込んで、リリモンになる手伝いをしたんだ』


「まだ足りないってことっすか」


『うん、そうなるよ。だから、大輔君を呼んでくれってゲンナイさんに言われたんだ。ホメオスタシスが生まれるずっと前に絶滅した種族だから、予測できる範囲を超えてたみたい。ゲンナイさんが応急処置をしてくれる事になったんだ』


「え、ほんとっすか!?」


『うん。ホメオスタシスによれば、進化ツリーはもう更新されてるらしいんだ。そのデジモンになるには、構成するために必要な種族のデータだけたりないみたいだし、そのデータを大輔君のデジヴァイスに用意することにしたみたいだよ』



大輔と光子郎の会話を聞いていたチコモンは、目を輝かせた。いやったーとベットで飛び跳ねている。しずかにしろってば、と大輔に黙らされる。


『ホントなら今から出てきてって言いたいところなんだけど、さすがに今日はもう遅いし、明日にしようか』


「えええっ、そんああ!」


「そうっすよ、光子郎先輩の家ってすぐそこじゃないっすか!オレ、行きますよ、今から!」


『え、いや、でも、大輔君の家は××階だろ?!一階の僕はともかく、どうやって抜け出すんだよ』


「大丈夫っすよ、もうみんな寝てる時間だし、窓から降りたってばれませんて」


『え、ちょ、大輔君!?』


「じゃ、行きますね!」


PHSを切った大輔は、大慌てで着替えると部屋の鍵を開ける。ろくに髪の毛も乾かさないで飛び出してきた大輔は、ジュンにPHSを返却した。


「なんの電話だったの?」


「明日、7時にみんなで集まってあそぼって約束したんだ」


「へえ、昨日の今日で元気ねえ、アンタ」


「へっへー、いいだろ」


「って、ちょーっと待ちなさい」


「うえっ!?なんだよ、姉ちゃん」


「何もクソもないでしょ、なあに勝手に人の入浴剤つかってんの!勝手に使わないでって言ったじゃない!浴槽泡だらけにしといて、オレじゃないは通用しないわよ」


「げ、あ、ごめん」


チビモンがぶくぶくするお風呂に入りたいとごねて、勝手に入れてしまったことなんていえるわけもなく、大輔は軽くこづかれるのを受け入れるしかなかった。取り上げようともみ合ったせいで、結局中身の半分くらいをぶちまけてしまったせいで、今、お風呂は大惨事になっている。さすがに下の階の人にまで迷惑をかけることはないようだが、片づけが大変そうだ。チビモンの馬鹿野郎、と心の中で叫びながら大輔はお風呂掃除は後でやるから、と逃げだそうとする。でもご立腹のお姉ちゃんは放してくれない。


「アンタがなにに巻き込まれてるのかは知らないけどね、あんま心配させないでよ」


「お姉ちゃん、ごめん」


「ごめんっていうくらいなら、そのアザがなんなのかくらい、説明しなさいよね」


「あ」


「遅いわよ、馬鹿大輔。武ノ内さんから借りたバンダナじゃないと隠しきれないようなアザじゃない。なにがあったのよ、ほんとに。サマーキャンプで一体なにがあったのよ、もう」


「ごめん、ほんと、ごめん、お姉ちゃん。おわったら、ぜんぶおわったら、話すから。それまで待っててよ」


はあ、と大きくため息をついたジュンは、わかったわよ、と不満そうな顔で手をどけた。


「おいで、大輔」


「え?」


「え、じゃないわよ、どっか出かける格好してるクセに。せめて隠してきなさい、そのアザ。化粧で隠してあげるわよ」



[26350] 第12話 beathit! その3
Name: 若州◆e61dab95 ID:ad15ed9b
Date: 2014/01/15 21:03
空が家に帰ってきたのは、すっかり日が暮れた夜のことだった。空のお母さんは一人娘がサマーキャンプで遭難したことや無事に保護されたことが連絡されても、すぐに帰ってくることが出来るような立場ではない。3日間家を開けることが分かっている武之内家の冷蔵庫や棚の中は、食料や飲料水が一切ない、すっからかんの状態である。誰も帰っていないなら、どのみちご飯の用意をするなら買い物をしなければならないのだ。家庭の事情でかぎっ子でもある空はキャッシュカードを預かっている。ちかくのATMでお金をおろした空は、そのままピョコモンと一緒に近くのスーパーで買い物を済ませたのである。電灯が突然ちかちかと点滅したり、冷房が誤作動を起こしたり、レジが突然バーコードを認証しなくなったせいでパートさんが手打ちで清算したり、ちょっとしたトラブルが頻発した結果、思った以上に時間を食ってしまったのだ。荷物とレジ袋を抱えた空は、ようやくたどり着いた家に息を吐いた。

回したドアノブが引っかかった。鍵がかかっているのだ。家に誰もいないことを察した空は小さくため息をついて、いつもの場所に隠してある武之内家の鍵を引っ張り出すと鍵穴に差し込んで回した。がっかりはしないけど、ちょっと期待してたから残念に思ったのは事実だ。もしかして、とこっそり思ってたからなおさら。がちゃりと今度こそ開かれたドアの向こうは、あたりまえだが誰もいない薄暗い空間が広がっている。誰もいない家はカーテンが閉め切ってあるせいで、前が見えないほど真っ暗だった。ぱちん、と玄関先のスイッチを入れると、ぱっとあたりが明るくなった。でも廊下の先にはリビングに続く真っ暗な部屋が続いている。空の歩いてきたあとには明るくなった部屋が残った。荷物を自分の部屋において、ずっと隠れていたピョコモンを抱いてリビングに戻る。ソファに降ろされたピョコモンは、生まれて初めて見る人間の部屋を興味津々で見渡していた。レジ袋から食材を取り出して、空はキッチンにある冷蔵庫にそれぞれ入れ始める。ねえねえ、空、とリビングから声がする。なあに?と返事だけ返すと、これなーに?という質問がとんでくる。レジ袋を結んで紙袋に放り込んだ空は、これ?といいながら立ち上がった。ピョコモンが見ているのは、飾り棚に並べられている写真だ。

それはリビングから見える風景だった。今年の3月にオープンしたばかりの遊園地である。友達が遊びに来た時に、一緒に取った写真だった。ピースサインをしている小学生の女の子たちの向こう側で、巨大な観覧車が夕焼け色にきらきらと輝いていた。おもちゃの町を思い出したピョコモンがすっごーい!と声を上げる。デジタルワールドよりずっとずっと大きいわ、と興奮した様子で笑った。空はつられて笑ってしまう。そりゃそうよ、私たちの世界で一番大きな観覧車なんだから、と教えてあげた。へええ、とピョコモンは瞬きする。

パレットタウンは、やがてお台場の代名詞となる遊園地だ。そこにある大観覧車は、羽田空港や西新宿の超高層ビル群など東京を一望できる。直径100メートル、高さは115メートル、ゴンドラの数は64台もあり、定員数は6名。もちろん空が詳しいのは友達と何度か遊びに行ったことがあるからだ。いいなあ、いいなあ、わたしも行きたい、とピョコモンはねだるが、もちろん空は却下である。デジタルワールドから帰還した理由が理由だからだ、遊んでいる時間は無いだろう。むー、とくちをとがらせたピョコモンは、10人目を捜すんなら高い所の方がいいんじゃないの?と反論する。さすがに空は苦笑いした。あのねえ、デジタルワールドじゃないんだから、高い所から見ればすぐに見つかるなら苦労しないわよ。日本で一番人口が多いこの街に、小学校2年生の男の子なんて何人いると思ってるの。ふうん、とピョコモンは瞬きして、辺りを見渡す。がらんとした空の家に、ピョコモンは不満げに空を見上げた。

「空のお母さんに会えるの楽しみにしてたのに」

「無茶いわないでよ、ピョコモン。でも鉢合わせしなくてよかったじゃない」

「そお?空のほうが、残念そうな顔してるけど」

「それはいわないで。ちょっと期待しちゃっただけだから」

ふう、とため息をついた空は、夕食の準備をしようとキッチンに向かった。そして、コードレスの固定電話が点滅していることに気が付いた。あら、と歩みを止めたスリッパが、足早にそちらに向かう。そら?とピョコモンは不思議そうに空を見上げる。ちょっとごめんね、待ってて、と空はピョコモンを近くの棚に降ろした。幼年期であっても実体化するために周囲の電気を消費し続けているピョコモンは、電子機器にどうしても異常をきたしてしまうのだ。受話器を取った空はボタンを押した。留守番電話が入ってるわ、と空は言った。受話器を当てていた空は、録音されている言葉を聞いて、何度か瞬きしたのち、ちょっと嬉しそうな顔をして口元をほころばせた。どーしたの?と花を揺らしながら聞いてくる幼年期に、空は笑った。

「お母さん、今日はお稽古に行ってて遅くなるって言ってたのよ」

「お稽古って?」

「華道よ、華道のお稽古。お花を綺麗に飾るのよ。お母さんは、華道の先生をやってるの」

「そういえばそんなこと言ってたわね」

「夜の10時ごろには帰って来るって言ってたけど、今日はなるべく早めに切り上げるんですって。帰ってきたら連絡してって。今までそんなこと一度もなかったのに」

「そうなの?よかったわね、空」

「ええ」

ちょっと静かにしててねって言われたら、はあい、とお行儀よく返事をするしかないピョコモンである。ぴ、ぽ、ぱ、と慣れた様子で、すっかり暗記しているボタンを押す空はちょっと緊張しているようだった。空のお母さんの仕事の拠点は、銀座8丁目にある華道・武之内流の事務所だ。それほど規模は持たないが、その起源は遡るといつかの代で枝分かれした伝統ある流派に辿り着く。その家元であるお母さんは、お父さんと結婚するときに苗字が変わらなかった。むしろそのときまだ大学助教授だったお父さんが婿養子でもないのに苗字が変わった。だから空も母方の苗字を名乗っているのだ。今から空が電話するのは、秋の展示会に必要な書類に追われているお母さんとたくさんのお弟子さんたちがいる事務所である。民俗学のフィールドワークで全国を回る京都の大学教授のお父さんに電話するのとは勝手が違ってくるのだ。受話器に耳を押し当てている空はそわそわとしている。こっちにも静かに聞こえてくるコールの音は、数回でとまった。どうやら受付の人がでたようだ。

「もしもし、武之内空と申します。恐れ入りますが武之内流家元の淑子さんはいらっしゃいますでしょうか」

なんどかやり取りしたあと、取次ぎがあって、お母さんが電話に出たらしい。ほっとした様子で空は小さくため息をついた。

「もしもし、お母さん?わたしよ、空。今、サマーキャンプから帰ってきたの。留守番電話に連絡してってメッセージ入ってたから電話したんだけど」

『そ……で…話?。あり…と…、…ら。そ…だと元……うね、よ……わ。本……はすぐに………いんだ……、ごめ……い…』

「どうしたの、お母さん。よく聞こえないわ」

『あの…え、そ…はあな……りして……ら……ごめ……さ…、そん…とが…たいんじゃな……の。本…さ……お電…は、本当にど……うかと……た。豪……堂で……3時……められて……。本当に……事でよか……わ。すぐ……も声が……ったの』

「お母さん?」

『ええ、なる…く片……わ……。……でも、帰れ……ら。ちょ……配になっ・・・・・・・て来たわ』

「え?どうしたの?」

『なにかあっ……なの……。さっ……TVも……ノイズ……て使い……物ならないし、電話も……りにく……みたいでね』

お母さんの声が遠くなる。そのかわりに事務所の外では、パトカーのサイレンが切れることなく、延々と続いているのが聞こえた。時折それに混じって、爆発音のようなものや巨大な怪獣の鳴き声のようなものが聞こえる。数メートル先も見えないような霧が発生していて、先が見えない、のはお母さんの断片的なつぶやきから辛うじて聞き取れた。演出的な意味でスモッグを焚いているんじゃないか、映画の撮影とか?ばかいえ、ここまで酷いとヤバいだろ、マジで火事じゃないか?110番した方がいいんじゃ?火事にしては消防車のサイレンが聞こえないぞ。パトカーのサイレンばかりだ。そんなお弟子さんたちの声がとぎれとぎれのノイズの先に聞こえる。窓から外の様子を見ているお弟子さんが何人かお母さんに叫んでいるようだ。さわがしい音が聞こえる。大きな隕石が通り過ぎるような音がした。しばらくして、大きな爆発音が響き渡る。お母さん、お母さんと何度も空が叫んでみるのだが、受話器は置き去りにされているようで、全く届かない。もしもし、お母さん、と受話器を握り締めながら空が叫ぶ。さすがにただならない気配を感じたピョコモンは心配そうに空を見上げた。とうとう切れてしまった電話である。たまらずダイアルを回してみるが、今度はなかなか事務所の人が電話に出てくれない。はやく、はやく、と急いている気持ちに反してコールがどんどん長くなっていく。切ってはかけ直して、切ってはかけ直して、を繰り返した空は、とうとう受話器を置いてしまったのだった。



















ぴんぽん、とチャイムがなった。誰かしら、こんな時間に、とお母さんとお父さんは顔を見合わせる。リビングに設置されているインターフォンを見ようと立ち上がろうとしたお母さんは、ぱたぱたぱた、と忙しなく子供部屋から出てきた光子郎がリビングに顔を出したのを見た。

「僕が出ます」

「あら、お友達なの?光子郎さん」

「はい、大輔君です。さっき携帯に連絡があったんです。キャンプで忘れ物してたから、貸してたものがあるんですけど、返してもらうの忘れてたんですよ。明日、遊ぶ約束してたので、その時でいいって言ったんですけど、あはは」

玄関先に消えていった光子郎を見送って、お母さんとお父さんは顔を見合わせる。大輔君、という名前は、学校の様子を聞いた時に、八神太一君と武之内空さんと並んでよく登場する男の子の名前である。本宮大輔君はお台場小学校2年生の男の子であり、光子郎にとってはサッカー部の後輩にあたるはずだ。お台場小のサッカークラブは小学校1年生の時から入部することが出来るのだが、太一に誘われてサッカーを始めた光子郎が入部届を出したのはずいぶん遅かった。そのため、小学校1年生の時からサッカーボールを蹴っていた大輔君は、光子郎にとっては学年で言えば後輩でも、入部した時期で言えば先輩という奇妙な立場だった。運動部では学年が重要視されるため、大輔君が光子郎を先輩呼びするのは当たり前だったし、レギュラーになれないベンチスタートでも立場を軽んじられるほど体育会系は上下関係は優しくない。どのみち大輔君にとっては、光子郎も八神君も武之内さんも、みんなおなじ先輩だった。八神君に誘われたから入部した光子郎である。3,4年のチームにも友達はできたけど、やっぱり一番仲がいいのは5,6年のチームで別れてしまっても八神君だった。そのつながりで上級生にはずいぶんと名前を覚えてもらっているようで、武之内さんや大輔君とはやっぱり八神君経由で知り合った経緯がある。ほっとくとすぐにパソコンのスイッチを入れたがるインドア派な光子郎を何してんだよと連れ出してくれるのが八神君だ。必然的に一緒に遊ぶ輪の中に入れてもらうと、たいていその中に入っている大輔君と顔を合わせる機会も増えるのだ。だから友好関係が広いとはいえない光子郎は、変わり映えしない学校生活について聞かれたとき、だいたい登場する人間は限定されてくる。お父さんもお母さんもすっかり名前を覚えてしまうくらい、大輔君が出てくる回数は多かった。それくらい、一日のうち何かしらをしでかすような、エピソードに事欠かない男の子だという認識で一致している。だから、大輔君がサマーキャンプで忘れ物をして、光子郎に助けを求めたというとっさの嘘は、すんなり信憑性を帯びてしまい、特に怪しまれることなく二人に受け入れられたのだった。お母さんはうふふと笑う。

「お菓子やお茶は光子郎さんのお部屋に持って行ったらいいかしら?」

「でも、返しに来てくれただけだろう?もうこんな時間だ、無理に家にあげてしまうと親御さんが心配するんじゃないか?」

「でも、せっかく来てくださったんですよ?光子郎さんがお友達を連れてきてくれるなんて、滅多にないのに」

「ううん、それもそうだな。まあ私たちがとやかく言っても仕方ないだろう、必要なら光子郎が何か言うさ。もう10歳なんだからな」

そんなお父さんとお母さんの会話なんて知る由もない光子郎は、がちゃりとドアを開けて、大輔君を招き入れていた。こんばんは、って息を切らしながら走ってきたらしい大輔君は、よっぽど大急ぎでここまできたようだ。もしかしたら、早く返していらっしゃいっておうちの人から叩き出されたのかもしれない。大輔君はそそっかしい子のようだ。なにかと忘れ物をして貸してもらうという行為が常態化している印象である。大輔君のお母さんが頭を悩ませていることも、先生やサッカーのコーチからお叱りを受けていることも光子郎から聞いている二人は思った。スリッパを用意して、こっちですって案内する声がする。リビングのドアは空いているので、大輔君が光子郎の部屋に入るまでに素通りする位置にある。お菓子とお茶の準備を始めているお母さんと、ニコニコしながら大輔君に会釈したお父さんに、お邪魔しますってぺこりと大輔君はお辞儀する。

「本宮さんのおうちからここまで結構距離があるのに大変だったでしょう?麦茶でもいかがですか?」

「え、あ、いや、大丈夫っす。これくらい」

「そんなこといわないで。せっかくいらしたんだから、ゆっくりしていってね。ええと、お菓子はお好きかしら?」

「あ、じゃあ僕が持って行きますよ、チョコのクッキーありましたよね?それ、もっていってもいいですか?」

「え?ええ、もちろん。そうなの、本宮さんはチョコレートのお菓子がお好きなのね。覚えておくわ」

「え、あ、あはははは」

可愛い子袋に分けられているクッキーをお盆に乗せて、コップと麦茶が入った容器ごと抱えて光子郎は大輔君を子供部屋に連れて行ってしまったのだった。ちょっと嬉しそうなお母さんである。いつもなら、いらない、とそのままお母さんの好意を不意にしてしまうか、あとで食べるかたおいといて、とつれない返事をするのだ。お母さんが質問する前に光子郎がこれが食べたいとリクエストしたり、チョイスするのははじめてだった。もっていった数は大輔君だけではなく、光子郎のぶんもちゃっかり含まれている。あっさりお母さんお手製のお菓子を受け取って、持って行ってくれた。サッカー部の後輩がいるから格好を付けたい、見栄っ張りな部分が垣間見えてお父さんは別の意味で笑みが絶えない。ほんとは棚においてあったスナック菓子が食べたかったのになあ、と心の中でつぶやいていた大輔君のことなんて、二人は知る由もない。





ばたん、とドアが閉まり、鍵がかけられる。リュックから顔を出したチビモンは、ていっと元気よく飛び出して、見事に着地してみせた。いらっしゃい、チビモン、とモチモンが笑う。すっごーい、だいしけの部屋と全然ちがーう、とチビモンは興味津々で辺りを見渡している。これなに、あれなに、とモチモンに質問攻めをし始めたチビモンを横目に、大輔は光子郎に促されてクッションに座った。

「あれ、大輔君、赤いバンダナは?」

「今、洗濯機の中っすね。明日、空先輩に返さないと」

「あー、そっか。そういえば空さんのだったっけ。それじゃあ、その首の痣はどうやって隠してるの?すごいな、全然見えないね」

「ホントはオレが持ってるやつを巻こうと思ったんすけど、脱衣所で着替えてるときに姉ちゃんに見られちゃったんすよ、これ。このまんまだと目立つからって、姉ちゃんが使ってるお化粧の道具で隠してもらいました」

「あー、もしかして、あのとき?ごめん、僕のせいだな。どうしたんだって聞かれなかった?」

「すっげえ剣幕で怒られました。空先輩から借りたってことは、サマーキャンプの遭難の時に何かあったってことだろって。なんで黙ってるんだ、教えろってずーっといわれたんすけど、言える訳ないじゃないっすかあ」

「がんばったね、大輔君」

「もう少しだけ待ってって言いました。ぜんぶおわったら、ぜんぶぜんぶ話すから、ちょっとだけ待ってって。お姉ちゃん、泣いちゃったんですけど、うん」

「仕方ないよ、大輔君は間違ってない。ジュンさんだって分かってくれるよ。これだけジュンさんのためにがんばってるんだから」

「ありがとーございます」

へへ、と笑った大輔は乱暴に目頭をぬぐった。きっと大輔が光子郎の家に向かうことも、本当は引き留めたいにも関わらず本心を押し殺して送り出したことがうかがえる。化粧の下地を塗り、薄手の粉をはり、ファンデーションを乗せるという念の入れようである。くすぐったい、と能天気にけらけら笑っていたらしい大輔だが、デビモンの痣を知っている光子郎でもすっかりどこにあったのか分からなくなるほどの出来である。

「ゴーグルはどうしたの?大輔君」

「あ、忘れた」

「珍しいね、ゴーグル忘れるなんて」

「姉ちゃんがアタシのまえではゴーグルつけんなっていうんすよ。八神君にあこがれてるのは分かるけど、そのまえにアンタはあたしの弟でしょ、なんで一年中ゴーグルつけてんの、ぶっちゃけむかつくって。ひっでえ。せめてアタシの前では本宮大輔でいろって。わけわかんねえ」

「あはは、そうなんだ。その様子だとジュンさんと仲直りできた?」

「あ、はい。たぶん?あんまいつもと変わんない気がするんすけど、一応。久しぶりにいっぱい喋りました」

「そっか、よかったね」

「はい」

さて、本題に入ろうか、と光子郎はパイナップルマークの黄色いノート型パソコンを広げた小さな机に向かった。無線LAN機能があるにも関わらず、わざわざコードで繋がっているのはダイアルアップ接続でインターネットにつなげるためだという。デジタルワールドと安定したネットワークで繋がるには、まだまだ時間帯によっては不安定になる無線LANに頼るより、泉家のインターネット回線を使った方がいいらしい。どうやってゲンナイさんから大事なデータを貰うんだろう?と大輔は疑問符だ。デジタルワールドと現実世界が安定して繋がっているデジタルゲートは、光が丘(ヴァンデモンの拠点になっているそうなので、実質使えないことになる)、サマーキャンプ場、そしてあやうく放り出されるところだったアメリカのどこか、の3か所だけだ。あとはインターネットからアクセスできるゲートポイントを経由して、セキュリティシステムに許可を貰って、デジタルゲートを開いてもらうしか方法がない。なっちゃんたちは後者の方法でデジモン達を送還しているそうで、ゲンナイさんたちは現在進行形で安定して繋がるデジタルゲートを急ピッチで構築中らしいのだ。つまりメールのやり取りはできても光子郎のパソコンからゲンナイさんのところに行くには、本来ならずいぶんと時間がかかるはずだ。不思議そうな大輔に光子郎はまあ見ててよって笑った。首をかしげながら大輔はキーボードをたたく光子郎の隣でディスプレイを眺めていた。

「ゲンナイさんから、いくつかアドレスを教えてもらったんだ。テンプ湖底の結界が張ってある隠れ家、ファクトリアルタウン、ナノモンのピラミッド。デジタルワールドの動向はある程度分かるよ」

「へえ、すごいっすね」

「あとはホームページのアドレス」

「どこのっすか?」

「まあまあ、見ててよ。大輔君、デジヴァイスは持ってきた?」

「あ、はい。紋章も持ってきました」

「ちょっと貸してくれるかな?」

「ちょっと待ってください。えーっと、たしか、ここに、あー、あった、あった、これだ。はい、どうぞ」

PHSに通されたホルダーに括りつけられていたデジヴァイスと紋章は、PHSがお役御免となったことで一度ばらばらになった。なくしたら大変だ、と今度は紋章についているホルダーにデジヴァイスが括りつけられたので、ちょっと斜めに引っかかっているデジヴァイスが渡される。でも仕舞い方が適当だったせいで、すっかり丸結びになってくしゃくしゃになってしまった紐である。思わず笑ってしまった光子郎は、どうするのさ、これ、といいながら受け取った。いいんすよ、あとでハサミで切るんで、と大輔はしれっといいはなった。太一さんみたいなこといわないでよ、とそれこそ笑ってしまった光子郎は、ついでだからと解いて上げた。そして、デジヴァイスを取り外すと、反対側にあるねじをゆるめ、ゆっくりとカバーの一部をとりはずした。そこには穴が開いている。

「ほら、デジヴァイスに記録されたデジモン達のデータをヴァンデモンの城で集めたときに、みんなのデジヴァイスをパソコンにつないだだろ?ここからUSB端子でつなげられるんだ」

「へー、ここからなんすか」

「そうそう、ちょっと待ってね。ゲンナイさんの話をまずは聞こう」

「え、どうやって?メールでもするんすか?」

「ううん、違うよ。これからホームページにアクセスするんだ」

光子郎は予め登録してあるホームページを開いた。そこは会員制のページのようで、IDとパスワードの提示が求められている。しかし、大輔のデジヴァイスがピピピと音を立ててディスプレイが白く発光すると、自動的に黒い丸がならんだ。かちりとエンターキーを叩けば、あっさりアクセス出来てしまった。なるほど、デジヴァイスが許可証になっているのだ。そこには見たことがある画面がみえる。和室の部屋がそこにあった。

『ふぉっふぉっふぉ、驚いたかのう、大輔』

「あ、ゲンナイさん!もしかして、これってテレビ電話ってやつっすか?すっげー!」

『お前さんたちの世界だとまだカクカクにしか映っとらんようじゃのう。もちっと技術が進歩すれば、リアルタイムの動画が送れるようになるんじゃが。まあ、仕方ないわい。光子郎のパソコンとの連絡はメールで事足りるからの」

「あんまり容量大きいのは勘弁してください。さすがにやりすぎると怒られちゃいますから」

『ふむ、気を付けんとならんのう。電話回線じゃからなあ』

「ええ、お願いします」

『では、早速大輔のデジヴァイスの進化プログラムをアップデートすることにしようかの。ちとまっとれ』

まるでパラパラマンガのように、かくかくに動きながらゲンナイさんは、なにもない空間にホログラムの平面を出現させた。たくさんのデジ文字がものすごい速度で流れていく。そして、大きな画面が小さな画面に分割され、いくつかの塊に分かれたかと思うと、光子郎のパソコンに転送されはじめた。ダウンロード画面が表示され、ひとつひとつ大輔のデジヴァイスに送られていく。表示されるデータ量に光子郎の表情が引きつったのはココだけの話である。

『ブイモンは、わしらの想定だと古代種に進化するはずじゃった。実際はフリー種ではなく、ウィルス種じゃったがの。現代種の進化ツリーを開拓したということは、やはりデジメンタルなしでの古代種への進化は、あまりに敷居が高すぎたということじゃ。すまんのう』

「でも、それがブイモンにとって一番ふさわしいってことですよね?」

『そうじゃのう。大輔とブイモンがデジタルワールドでの冒険で培ってきたものが、今までも、これからも、新たな進化の道を切り開くことはまぎれもない事実じゃ。ホメオスタシスも驚いておったわ。多岐にわたる進化経路の中で、現代種としてオーバーライトを抑制しながら古代種の力を発揮できる可能性を秘めた進化先を選び取るとは思わんかったようじゃ。そのために必要なお膳立てをするのが、わしらが出来るささやかな手伝いじゃ。受け取ってくれ』

データの転送が完了する。光子郎のパソコンはデジモンアナライザーを起動した。そこに映し出されたのは、見たこともない昆虫型の成熟期デジモンである。見たことがないのは当たり前だとゲンナイは言う。このデジモンは、とある研究所にて、人工的につくられた実験体デジモンが祖先であり、その失われた遺跡を守るためにひっそりと墓守をしている個体しか確認されていないだからだと。カマキリのデータから作られており、正確な機械のようにターゲットを追い詰める冷酷な性格から、ワクチン種やデータ種から恐れられていたという記録があるらしい。あらゆるものを鋭利に切り刻む両腕の大釜は、ウィルス種を駆除するためにある。目を持たない代わりに頭から生えた真っ赤なセンサーがターゲットの位置を正確にとらえるという。このデジモンのデータは、ブイモンが完全体に選んだ進化先の条件を整えるには必須だというのだ。

「その研究所って、もしかして鋼の帝国ですか?」

『いかにも。かつて、2体のデジモンのデータを合わせることによって、同じ世代じゃが全く新しいデジモンを誕生させるという技術を確立させたのが、鋼の帝国が躍進した基盤のひとつじゃからのう。そこから誕生するデジモンは、保育器のような機械から成熟期、もしくは完全体として生まれてきた。デジタマの起源はそこからかもしれん、とも言われておる。2体の究極体が融合してロイヤルナイツの一体が誕生したことを知った鋼の帝国は、その現象を徹底的に研究したんじゃ。その結果、共通の祖先があることが分かったらしい。つまり、もともとひとつのデジモンじゃったんじゃな。それがなんらかの原因で2つのデジモンにわかれた。あまりに強大過ぎる力だったため制御出来なかったのか、それとも生き残る可能性を少しでも残すためなのかはわからん。とにかく、共通の祖先をもつデジモン同士は、融合することで新たな個体に生まれ変わる可能性が極めて高い。仮想敵である古代種と対抗するなら、光子郎ならどうする?』

「まさか、取り込もうとしたんですか?」

『そういうことじゃな。こうしてスナイモンは生まれた。もっとも、その機械にかけることができるほど、あっさり捕まる古代種はいなかったから、計画はとん挫したらしいがの。ウィルスバスターは案外こんな感じで生まれたのかもしれんな』

「ウィルスバスターって、パソコンに入れるやつっすか?」

『わしらの世界では、ワクチン種、データ種の中で、特に強いウィルス種を滅ぼす力を持ったデジモンのことを、ウィルスバスターとよんでおる。もっとも、ウィルス種でありながら同族狩りを本能的に行うやつもいるから、一概にはいえんがの。ワクチン種とウィルス種は一件相性が悪そうじゃが、共通の祖先があり、融合条件は整っておる。それにウィルスバスターの共通の性質もある。2体のデジモンが融合するなら本来膨大なエネルギー体が必要じゃが、今回はエクスブイモンの進化先に必要なデジゲノムをプログラムに組み込むだけじゃからのう。このスナイモンのデータは、ダークエリアに到達する前に四散してしまったものをホメオスタシスが復元したものじゃ、心配はいらんて』

そっか、と大輔はつぶやいた。ゲンナイは言う。今の世界は、ダークエリアに辿り着くことができなかったデジモンのデータは、ダークエリアにつづく海の中に溶け込んでいくのだと。データの海にはたくさんのデジモン達を構成していたデータが眠っている。やがてそのデータは0と1に解けていき、まったく新しい再構築された初期プログラムが幼年期のデジモンとなって転生することもある。すべては循環している。ただ同じ個体に転生することはできないし、記憶を継承することは絶対にないという条件がついてしまうけれども。やがて大輔のデジヴァイスにスナイモンを構成していたデジゲノムがプログラムの中に埋め込まれたのだった。

「ありがとう、ゲンナイさん」

『なんの、なんの、気にするでない。わしらはおまえさんたちの味方じゃからのう。当然のことをしただけじゃて』

大輔と光子郎は笑ったのだった。さて、光子郎のお母さんが用意してくれたクッキーだべよっかなあ、って大輔たちが振り返ると、げふ、と息を吐いているチビモンとモチモンがいる。すっからかんになった麦茶の容器。氷までなくなったコップ。きれいさっぱりな皿。コブクロはゴミ箱だろう。あ、と声が上がった。こ、このやろう、と怒鳴ろうとする大輔を光子郎があわてて制止する。だって、だって、まだご飯もらえてないんだもん、とすっかりチビモンは涙目である。ああそういえばチョコアイスあげてないんだっけ。今さらのように思い出した大輔はがっくりと肩を落としたのだった。おいしそうだったのになあ、光子郎さんのお母さん料理上手だし、手作りのお菓子とかオレのお母さん作ってくれたことないし。お母さんを褒められてまんざらでもなさそうな光子郎はちょっと照れたように笑ったのだった。そして、USB端子からデジヴァイスを引き抜いて大輔に渡す。ゲンナイにお別れを告げてホームページを閉じたのだった。

ディスプレイには、今の選ばれし子供たちの現在地が表示されている。今はお台場エリアにいるので、そのエリアしか閲覧できないが、みんなの様子を確認するだけならこれで十分だ。ヤマトたちはいない。太一たちはいない。ミミのマンションは一向に動く気配はない。大輔は光子郎の家にいるから、二つの光が点滅している。丈はもうマンションに帰ったらしく、所定の位置に戻っていた。・・・・・・あれ?光子郎は自分のマンションを確認した。2つである。2つしかない。おかしい。このマンションには空が住んでいるはずなのに。どこ行ったんだろう、買い物かな?とスーパー辺りを見てみるが反応は無い。どこ行ったんだろう、と光子郎は辺りを見渡した。

「どうしたんすか、先輩」

「空さんの反応がないんだ。どこ行ったんだろう」

「この点ですか?」

「うん、そう」

「もしかして、これ?」

大輔の指差す先には、どんどんお台場のエリアから遠ざかっていく点がある。光子郎は立ち上がるなり、大慌てでカーテンをあけた。そしてがらがらがらと窓を開ける。ぴしゃん、と音を立てて全開になった窓。真っ暗な空を横切っていく影がある。そこにはバードラモンに乗った人影が東京湾を舞う姿があった。



[26350] 第13話 beathit! その4
Name: 若州◆e61dab95 ID:ad15ed9b
Date: 2014/01/15 21:04

編集長に肩を叩かれた高橋さんは、ダメっすね、とやや疲労をにじませながらため息をついた。やっとつながった出版社が派遣しているスタッフからは、心待ちにしているスクープは得られなかったのだ。デスクは緊張感に包まれて、みんなピリピリしているのを肌で感じて、こっそりため息だ。きゅぽ、と油性マジックのふたを開けた右手が、ホワイトボードに簡単な東京の地図を描く。練馬区光が丘、と横書きで書かれたところに、12時26分、と書きこまれ〇で囲われる。携帯電話が通じない、TVやラジオに受信障害が起きる、電子機器が故障する、謎の結晶体が至る所に発見される、と箇条書きで付け足された。隅の方に、1994年の光が丘テロ事件と類似性が散見、と書かれている。その情報のいくつかのタレこみ元であろう本宮家の家庭事情に詳しい編集長は、ちょっと眉を寄せて、やめとけと一言いって、他にもいくつか書かれていた当時の被害者だけしかしらない事実を黒板消しで塗り潰してしまった。公にはできない情報である。情報規制がひかれている、協定に引っかかる、面倒なことになる、と首を振った。オレの個人的な意見ですけどね、とイコールで結ぼうとした高橋さんだったが、編集長がまだ確証が得られていないから、と隣に疑問符を書き加える。そして、まるで吸血鬼に噛まれたように、首筋に2本の針で刺され、瀕死の状態になるまで過剰に採血された女性が発見されたのは15時ごろと書かれる。一人目、と追記された。

「まだなんにもっすよ、ったく。あんときとは比べもんになんないくらい、範囲が広がり過ぎて、どこから手を付けていいものか困ってんですってさ。練馬だけかと思ったら、北は埼玉、南は品川、東は銀座、西は荻窪。どうします?」

東西南北に位置する大体の場所に地名が書かれ、〇で囲われる。そして光が丘からそれぞれ一方通行の矢印で結ばれた。うーん、と編集長は困り顔である。

「このスピードだと、お台場に来るのも時間の問題だな。で、アイツらにはなんて?」

「一応、一番被害が大きいのは光が丘なんで、そっちに向かうよういいましたけどね。とにかく何でもいいから、何かつかめるまで帰ってくんなって言ったら、マジっすかって泣いてましたね。あーあ、オレ知らね。ここまででっかい違法電波だと、ぜってえ拠点があるはずなんすけどねえ、一体どこに隠れてんだか。ここまで見つからないとなんか怖いっすよ」

「そうだな、全くだ。こっちは昼からぶっ通しで捜してるっていうのに、手がかりすら見つからないなんておかしい。テレビ局の連中はヘリまで飛ばしてるっていうのにな」

先を越されたら台無しだよ、このやろう、と編集長はため息である。恨めし気にデスクに設置されている大きなテレビモニタを眺めていると、呼びかける声がある。振り向けば、さっきダメ出しを食らって、やり直しを命じられた新人が決められた文字数で文章の塊を打ち直してきたらしい。お願いします、といわれ、号外の構成を埋めるために躍起になっているライターがあげてきた原稿に目をやった。あ、すんません、ちょっと、とポケットに入れている煙草に手を伸ばすふりをした高橋さんに、ああ、わかった、と頷いた編集長は新人の指導に向かった。

高橋さんは煙草とライターを掴むと、喫煙所に向かった。10年ほど前に同じ千代田区内の今の新社屋に移転してから、自分のデスクで煙草が吸えなくなったのが高橋さんをはじめとした喫煙者にとって大不評である。でも、喫煙者以外には大好評だから、肩身が狭い。これが時代の流れなのか、と思うとどうしようもなかった。独身者だからとやかく言われることはない高橋さんだが、全面ガラス張りの見世物小屋なデザインの喫煙所は勘弁願いたいところである。今のご時世になると、社屋の入り口で煙草を吸っていると嫌な顔をされることが増えた気がするので、大人しく入るしかないのが悲しい所だ。どのみち真夏の熱帯夜である。外に出るのはごめんだった。どうせならクーラーが効いている社屋内ならどこだっていいのだ。結局のところ。お、と高橋さんは声を上げた。めずらしく先客がいたのである。白い煙をくゆらせて、ふう、と吐き出した本宮さんがいたのだ。

「よう、本宮。珍しいな、お前がここに来るなんて。タバコやめたんじゃなかったっけ?」

「あ、高橋さん。参ったな、一番見られたらいけない人に見られちゃったなあ、はは」

困ったように本宮さんは笑った。一応子供が生まれてから控えるようにはしているものの、こうやってイライラが募ってくるとどうしても手が伸びてしまうから、デスクにこっそり常備していると白状である。煙草の匂いがする、とスーツを受け取るたびにお母さんは苦笑いするのでバレている気配がするが、たばこが充満してる仕事場なんだ、という言い訳はいよいよ通じなくなってしまった。困ったものである。家に帰ると、子供がいる手前、なかなか吸えないから会社にいるときくらいしか、気軽に吸えないのに。休憩か?と聞かれた本宮さんは、とりあえずひと段落ついたので、と笑った。

営業部も編集部も今日は一日修羅場である。まあ無理もないか、と高橋さんは思った。電波障害が目と鼻の先まで迫りくる恐怖に、出版社の街は戦々恐々としているのだ。電話が通じなくなるのはもちろん、パソコンをはじめとした電子機器に異常が出始めると業務に支障が出る。大損害は目に見えている。だから朝からぶっ続けでバックアップデータの確認と保管、重要な書類は急ピッチで完成させ、なんとか最悪の事態になったとしても仕事が続けられるように、デジタルからアナログに延々と転換作業を続けていたのである。顧客データや個人情報などが万が一流出でもしたらエライことになる。どこもかしこも不慣れな作業に追われている。

「ったく、なんだってこんな暑い時期にサイバーテロなんて起こしやがるかね」

「ホントですよ、困ったもんだ」

はあ、と二人はため息だ。練馬区から始まった電波障害は、時間を追うにつれてその規模を拡大している。日没を過ぎたあたりから、一気に活動が活発化し、拡散状態で被害が右肩上がりに増加しているのだ。違法な電波を発生させる装置を乗せた車が練馬区を起点に、一斉に都内全域を走り回っている、それが今のところ有力視されている犯人グループの犯行方法である。でも、本宮さんは違和感を覚えているようで、あまり大きな声では言えないが違うと考えているらしい。まあ、違法に改造された車を誰も発見できていない、という事実をみると高橋さんも否定できない。警察やテレビ局、他の出版社よりも先に、その車や犯人を見つけ出すことに本宮さんたちの会社も躍起になっている。最優先の課題を達成する気配すらないまま、手がかりもないまま時間ばかりが過ぎている。

「違法電波が発見されてるのは、どこも子供たちがいる所ですよね。遊園地、テーマパーク、夏休みのイベントをやってるところ。結構人が集まってるところばかりでしょう?その人混みに混じってる可能性はないんですか?」

「そりゃあ、普通に考えりゃ人混みにいるだろうなあ、犯人たちは。でも信号機も壊れちまうレベルだろ?無理無理、持ち歩けるような大きさじゃねえって。どんだけオーバーテクノロジーだよ」

「………ここだけの話なんですけど」

「あ?なんだ?」

「光が丘の爆弾テロ事件で使用された爆弾は、素材である金属が今の科学では再現不可能な素材で出来てるんですよね。それ考えたらありな気がしますけど」

「………んなあほな。未だに非公開の情報じゃねえか、それ。どっから入手したんだ、本宮」

「まあ、企業秘密ということで」

「………聞かなかったことにするわ、オレ。まだ死にたくないし」

「まあ、その方が無難ですよね。僕も言わなかったことにします」

はは、と笑った本宮さんは、胸ポケットに入れていた携帯電話が鳴ったのに気付いた。すいません、と軽く会釈して、携帯電話を取り出すと、ぴ、とボタンを押して高橋さんから距離を取る。だれだ?奥さん?と口ぱくで聞いてくる高橋さんの興味津々なまなざしに苦笑いしながら、画面を見ると見たことがない番号だ。公衆電話ではない。携帯電話である。誰だ、と眉を寄せた本宮さんに、高橋さんは不思議そうに見つめている。電波障害の影響を受けて回線が込み合っているのか、固定電話でさえつながりにくくなっている東京都内である。大輔がサマーキャンプ先で豪雪に巻き込まれ、遭難しているという連絡を受けたまま、一向に繋がらなくなってしまったお母さんの電話を心待ちにしていた本宮さんは舌打ちした。なぜか一発で通じてしまった電話である。もしかし、てもしかするのか、と警戒しながら、もしもし、と本宮さんは口を開いた。

『もしもし、お父さん?』

「えっと、その声は、大輔?!大輔なのか!?」

『え、あ、う、うん』

「見たことない番号だったから、誰かと思ったじゃないか。驚かせないでくれ。はああ、よかった、無事だったんだな。今、どこにいるんだ?サマーキャンプ?」

『ううん、今はお台場にいるんだ。サマーキャンプ、中止になっちゃったからさ、帰ってきたんだ。今は光子郎さんの携帯借りてるんだけど』

「帰ってきてるのか?そっか、そうなのか、とりあえず元気そうでよかった」

『今、忙しくない?仕事中みたいだけど、電話しても大丈夫だった?』

「ああ、大丈夫。今、ちょうど休憩中だからな。お母さんと連絡が取れなくなって、ずっと心配してたんだ、大輔の声が聞こえて安心したよ、これで仕事に集中できそうだ。えっと、泉君の携帯を借りてるんだったか、凄いな、泉君の携帯。こっちはお母さんと全然つながらなくてやきもきしてたのに、あっさりつながるなんて。よっぽどいい携帯を使ってるんだろうな。あとでお礼をするんだよ」

『うん、わかった!あ、そうそう、お父さん、ちょっと聞きたいことがあるんだけど、いい?』

「ん?」

『今、どこらへんで電波障害が起こってるか、知ってる?』

「え、なに、場所を教えろだって?知ってどうするんだよ、大輔」

『え、あ、いや、その……空先輩が、あの、えーっと、えーっと、何て言えばいいんだろ、先輩』

「武之内さんに何かあったのか?」

『うーん、なんていうか、そんな感じ?』

「泉君がいるのか?」

『あー、うん』

「ちょっと代ってくれるか?」

『わかった』

お願いします、と大輔は光子郎に泣きついた。本宮さんは苦笑いである。頭の中にあることをまとめて、相手に分かりやすい言葉で的確に伝えることが大の苦手な大輔に付き合っていたら、いつまでたっても話が進まないのはいつものことだ。いつもなら、延々と長くなる代名詞ばっかりの説明を最後まで聞いてやる余裕があるのだが、いかんせん内容が内容である。のんびり構えていられないと判断した本宮さんは、いつになく真剣な様子で携帯電話に出た小学校4年生を待った。

『もしもし、大輔君のお父さんですか?』

「ああ、そうだよ。泉光子郎君だったかな。いつも大輔にかまってくれてありがとう。携帯電話まで貸してくれたみたいで。お礼はまたさせてもらうよ」

『いえ、気にしないでください。それより』

「なにかあったのか?ずいぶんと切羽詰まってるみたいだけど」

『実は、その、武之内空さんと連絡がつかなくなったんです。こんな時間にゆりかもめに向かうのが窓から見えたので電話したんです。さっきまで電話してたんですけど、いきなり通じなくなって、どこにいるのか教えてくれたんですけど、上手く聞き取れなくて、何度電話しても通じなくて。ほら、女性ばっかり狙った通り魔事件があるでしょう?ちょっと心配なんです』

「お家には電話したのか?」

『はい、一応電話したんですけど、留守番電話でした。お母さんは華道の先生をしてるから、家には誰もいないって空さんが言ってました。お父さんもまだ帰ってきてないって』

「ああ、そう言えば京都の大学の先生だっけな」

『急に電話が通じなくなったので、電波障害が起こってる場所にいると思うんですけど……』

本宮さんが目くばせすると、高橋さんは大体の内容を把握したらしく、頷いて見せた。辺りを見渡すが、喫煙所に悠長に時間を潰している人間なんて2人しかいない。

「なるほど、たしかにこんな時間だと危ないな。わかった、ちょっと待っててくれ」

本宮さんは携帯片手にポケットから手帳を広げる。営業部にあるまじき情報量が書きこまれている今日の違法電波事件のニュースに目を走らせた。空が乗ったというゆりかもめの路線と照らし合わせて、本宮さんは言った。

「電波障害自体は、都内に円形に広がってるんだ。埼玉、品川、銀座、落窪って感じでね。でも、今、電波障害が特に酷いのは、光が丘全域、銀座通り、吉祥寺周辺、ってところだな。もしかしたら、武之内さんは銀座に行ったんじゃないか?8丁目には武之内さんのお母さんがやってる華道の事務所があるんだよ」

『そうなんですか、わかりました。こっちで連絡を取って見ます。ありがとうございました』














お台場から銀座にいくには、お台場海浜公園駅からゆりかもめに乗って、新橋駅に行かなければならない。そして、浅草行きの銀座線に乗り換えて、銀座駅に降りる必要がある。所要時間は、だいたい20分ほどだろうか。500円ほどかかる計算になる。往復なら1000円である。幼年期のデジモンならぬいぐるみのふりをすればどうとでもなるから、2人分の運賃を払う必要はないが小学生に1000円の出費はかなりの高額だ。明日は、東京中を駆け巡って10人目の子供を捜す必要があるのに、予定外の出費なんて、もちろん出せるわけがない。それに地元住民の脚となっている駅に、こんな時間に出掛けるところを目撃されたら、それこそめんどくさいことになるだろう。わざわざ光子郎の部屋に鍵をかけたままでこっそり窓から泉家の中庭を経由して外に出た裏工作をした労力が無駄になってしまう。それに光子郎も大輔もお小遣いをたくさんもらっているわけではないので、パートナーデジモンに乗って移動する方を選んだ。

チビモンがエクスブイモンに、モチモンがカブテリモンに進化する。さいわい2体とも真っ黒な個体に真っ青な個体である。真っ暗な夜に紛れるには悪目立ちしない最適な色をしている。それぞれのパートナーを乗せて、2体は風を生み落すと、一気に高層マンションよりもはるかに高い所にまで舞い上がった。

銀座の街は暗闇に包まれていた。

「うっわー、ひどいっすねえ、これ」

「ここまでくると一目瞭然だね、大輔君」

「はい」

大輔は頷いた。眠らない街、東京の明かりが消えている。ネオンの光や道路を埋め尽くす渋滞中の車のライト、そしてビルの明かりがまぶしい都心であるにも関わらず、突然現れた真っ黒な空間は、まるで真っ黒な穴が開いてしまったようにみえた。これから夜の街の様相を呈するはずの一番格式高い銀座通りを中心に、停電になっているようである。きっと地上は混乱が起きているに違いない。電波障害で外部との連絡手段が完全に絶たれてしまっているさなかに、突然の停電である。業者の人は大変だ。故障しているところはどこにもないのに、停電が復旧しないから原因がわからない。実際は、デジタルモンスターが実体化するために、この世界に存在する電気を媒体にしているものだから、デジタルワールドに送還しない限り、電気が食いつぶされてしまっているだけなのだ。本来、企業や家庭に供給されるはずだった電気は、根こそぎ地上を闊歩するデジモンに食べられてしまい、いくら点検しても異常は見つからないだろう。これなら、わざわざ大輔君のお父さんに連絡を入れなくてもよかったかもしれないなあ、と光子郎は思った。デジモンが実体化するために食べられてしまっている電気の被害は、上空から見れば一目瞭然である。でも、現在進行形で電波障害が深刻化しているエリアが聞けただけ大収穫である。とにかく、この停電の原因をさっさと突き止めて、デジモンを捕まえるしかないだろう。みんなに見つかる前に、さっさと空たちと一緒に帰らないといけない。エクスブイモンとカブテリモンは、それぞれのパートナーを乗せて、一気に銀座通りに降下する。うんともすんとも言わないネオンの看板が立っている雑居ビルに降り立った。フェンスに捕まりながら大通りのすぐ下の様子を伺ってみるが、人の気配がない。大輔と光子郎は顔を見合わせた。銀座といえば、大人の街、というイメージがある華やかな街のはずである。でも静まり返っている真っ暗な大通りは、人っ子一人いないではないか。いきなり停電になったからみんな避難したんだろうか、と不思議に思っていた大輔は、足元に散らばっているガラスの破片に気が付いた。

「なんすかこれ、ガラス?」

「ガラスっていうか、あれだね、電球の……」

光子郎は後ろを振り返ると、ネオンの大きな看板がある。

「どうしたんすか、先輩」

「大輔君、もしかしたらそのガラスはこのネオンのかもしれないよ」

「えっ、まじっすか?結構距離あんのに」

「だってほら、よく見たら結構酷いことになってるよ」

光子郎の指差す先には、ネオンの看板がある。時々、じじじじじ、という変な音を立てながら青白い光が走った。まぶたの裏に焼きつくような眩さの正体は、発行する部分を覆っているカバーがはじけ飛んで粉々になり、野ざらしで外気に触れ、むき出しになっているコードの束だ。よっぽど大きな衝撃にさらされたらしく、看板自体が大きくゆがんで傾いている。壁面も大きく損傷していた。まるで爆発炎上した後のように真っ黒に焦げている。それなのに焦げ臭い匂いが充満しているわけではない。変な気配もない。なんか怖くて大輔は顔をひきつらせた。エクスブイモン達は、この辺りにデジモンの気配がする、と周囲を警戒している。

「結構、派手に暴れたみたいだね」

「デジモンっすかね」

「だと思うよ、たぶん」

破壊された通気口がひしゃげている。光子郎はリュックからノートパソコンを取り出すと、デジヴァイスに接続した。光子郎のデジヴァイスには空の居場所を特定しようと懸命に探知機能を銀座エリア全体に広げている画面が表示されている。大輔はすぐ隣で光子郎のデジヴァイスの画面を覗き込んで、点滅しているはずのマルの居場所を捜している。光子郎はキーボードに指を走らせる。銀座の地図と光子郎たちの現在地がマップとして広げられ、その上にデジヴァイスの探知機能が展開されるように設定したらしい。よりわかりやすく、今どこにいるのかわかるようになった。

「空さんのお母さんは華道の先生でしたよね」

「そうっすね」

「調べたらすぐに出てきました、ここですね」

エンターキーが弾かれる。いくつもの四角い建物のうちの一つが塗り潰されて表示された。へええ、と感心した様子でつぶやいた大輔は、ふたたびフェンスによじ登る。きいきいと悲鳴を上げるフェンスから身を乗り出し、光子郎のパソコンで表示されていた場所を見た。

「うっわー、窓ガラス割れてますね、あれ」

「ほんとだ、すごいなあ。ぜんぶ割れてるね。よく見たら、この辺りの建物、どこかしら壊れてるよね。窓ガラスだったり、看板だったり、壁だったり。ここだけじゃなくて、この辺りで大きな騒動でもあったのかな」

「おっきな爆発でもあったんすかね?」

「おかしいな、でも特にそんなニュースはなかったはずなんだけど」

光子郎はため息である。電波障害が深刻化している銀座では、インターネットで情報収集することができない。もっと情報を集めてからくればよかった、と後悔しつつ、光子郎のパソコンは空の行方を必死で探している。デジヴァイスが振動した。画面が発光し、エラー音が辺りに鳴り響く。大輔と光子郎はパソコンを覗き込んだ。

「あれ、空さんがいるのはあっち?」

「あっちってデパートっすよね?どうしたんだろ、空さん」

光子郎のデジヴァイスによれば、お母さんの勤め先から正反対の場所に空はいるらしい。現在地は大型ショッピングモールである。光子郎と大輔は顔を見合わせた。

「なあなあ、大輔、そろそろ下に降りなくてもいいのか?空を捜しに行くんだろ?」

痺れを切らしたエクスブイモンが呼びかける。

「そうだよなあ、やっぱ行くしかないか」

「そうだね。いつまでもここにいる訳にはいかないし、とりあえず、空さんに合流しましょうか」

ごうごう、と風を産み落とし、エクスブイモンとカブテリモンは、空がいるという大型デパートへと足を運んだのだった。なにかあったのだろうか、と心配になって急いできたはいいものの、拍子抜けするくらい、あっさり空は見つかった。銀座で一番大きいデパートに入っている家電量販店のお薦め商品が陳列してあるコーナーの前に立っていた。立ちつくしていたのだ。空は途方に暮れていた。視線の先には、防犯ガラスで覆われていたにもかかわらず粉みじんになって死んでいるガラスがある。客寄せ用の特大テレビ、先月発表されたばかりの新型パソコン、携帯電話の最新モデル、ISDNサービスが12月から開始されることがでかでかとかかれた看板。そのすべてがなぎ倒されていた。まるで竜巻にでも巻き込まれたかのように、くだけちり、部品が散乱し、それはもうすごい有様になっていたのである。どうして真っ暗な銀座で大輔たちがあっさりと空を見つけることができたのかと言えば、完全に壊れているにもかかわらず、不気味に発光している大型パソコンのディスプレイに空が照らされていたからだ。ぱ、ぱ、ぱ、と不自然に点滅する光にうつる見覚えのある影。傍らには心配そうに見上げるピヨモンがいるとなれば、捜しビトを見つけるのは簡単だった。真っ暗な銀座で、唯一の光源はパソコンのディスプレイだけだったのである。


「空さん、ピヨモン!よかった、無事だったんですね!」

「こんなところでなにしてんすか、ふたりとも!」


突然サッカー部の後輩たちの声が真っ暗な銀座からふってきたものだから、びっくりした空が辺りを見渡した。エクスブイモンとカブテリモンの姿を確認した空は、今にも泣きそうだった目を大きく見開いて、大輔たちの名前を呼んだ。どうしてここに、と震える声に、光子郎が説明をする。デジヴァイスの光が弾けて、パートナーはそれぞれブイモンとテントモンに退化する。空サンは、どうしてここに?と問い返された空は、ぐしぐしと乱暴に目尻をぬぐいながら受話器ごしに聞こえたお母さんの危機を口にする。


「いないの。いないのよ、お母さんがどこにもいないの。華道の事務所はもぬけの殻で、ここみたいにパソコンのディスプレイだけがついてる状態だったわ。お弟子さんのバイクも、自動車も、自転車も、何一つ置き去りにしたままでどこに行ったっていうの。さっきから必死で探してるんだけど、見つからなくて」


空が来た時には、誰もいない沈黙の銀座が広がっていたのだという。不思議なことに、華道の事務所が入っているビルの全ての階において、パソコンやテレビ、電子機器のディスプレイが同じ画面を表示したまま明るく発光していたらしい。停電しているのだから、ライフラインは完全に寸断されているといっていいだろう。それにも関わらず生きているインターネット回線。あまりにも不自然な世界。真っ暗な世界で唯一足元が照らされるほど明るい場所にたどり着いた時には、すっかりへとへとになっていたようだ。光子郎と大輔は顔を見合わせる。どういうことなんだ、と光子郎はうなった。


「警備員の人もいなかったんですよね?」

「ええ、もぬけのからだったわ。いつもだったら、警備員室を通らないとビルには入れないはずなのに、テレビモニタだけがついてる状態だったのよ」


光子郎は顔を上げた。


「空さん、大輔君、華道の事務所があるというビルに戻ってみませんか?警備員室があるなら、監視カメラがあるはずです。電子機器が故障してる原因はデジモンの筈ですから、ナノモンと一緒に手を加えてある僕のパソコンには通じません。空サンのお母さんに何があったのか、判るかもしれません」











忙しい大人は空を見ない。夜が本格的な営業時間となる銀座通りならなおさら。眠らない繁華街の煌びやかなネオンに阻まれて、霞んでしまう空の色に気付く人はいない。銀座の夕陽がまだ落ちていないことに気付いた人は、誰もいない。本来の日没は、もう少し先の時刻のはずだったが、西の空に立ち込めはじめた分厚い雲が、見かけ上の日没を早めてしまった。天気予報では、東京上空にあるはずのない原因不明の雲の正体に気付いた人なんて誰もいなかったのである。夕陽がすっぽりとその雲に覆われた。銀座の空に影が落ちた。それが合図だった。影は生き物のように銀座をゆっくりと呑み込んでいき、まるで生き物のようにうごめきはじめる。はやすぎる影は闇を呼ぶ。銀座が緩やかに眠り始めたのは、そのころである。

人々は、すぐにその異常に気付くことはできなかった。ライフラインのうち、電気と水とガスは安定的に供給されていたからである。変だと気付いたのは、電話をかけていたり、テレビを見ていたり、ラジオを聞いていた人間に限られた。電波の異常だった。送受信ができない。あらゆる機材がつかえない。何を映してもノイズしか聞こえない。この大都心の真ん中で、まるで樹海の真ん中に迷い込んだかのごとく、突然圏外になったのだ。すべてのチャンネルは視聴が不可能になった。この辺りから人々は違和感に気付き始めた。

地下鉄とバスがその機能を停止した。JRの有楽町駅と新橋駅も整備、点検を理由に全線運休になった。いよいよ人々は危機感を覚え始める。首都高速道路に囲まれている銀座は、大通りが縦に貫いている。公共交通を根こそぎ奪われた人たちは、自動車にきりかえる。大通りはたちまち渋滞が深刻さを増していった。動けないのだ。タクシーも、自家用車も、自動車の電気系統が完全に麻痺してしまい、故障していないにも関わらず、動かなくなってしまったのだ。身動きが取れなくなってしまった人たちは、あらゆる手段で外部の人と連絡を取ろうとした。携帯電話、PHS、無線、ポケベル、公衆電話、ファックス、そのすべてが通じない。ノイズが混じる。意味不明の言語が垂れ流される。使い物にならない、と悟った人々は混乱し始めた。情報を求めた。テレビ、ラジオ、携帯電話やパソコンからのインターネット、あらゆる手段で銀座で何が起こっているのか、誰もが躍起になって調べようとした。でも、出来なかった。銀座の上空を覆いかくしてしまっている黒雲がそのすべてを遮断した。聞こえてくるのはノイズだけ、見えるのは白黒の砂嵐だけ、あるいは意味不明な言語の羅列がものすごいスピードで駆け巡っていくのが見えるだけ。自動車から脱出できた人たちは、途方に暮れたものの、なんとか銀座から脱出すべく徒歩をえらんだ。黒雲が落ちてくるその前に、なんとか銀座を脱出することができた人たちは、きっと幸運だったに違いない。

真っ暗な世界から逃げ出すことができた人々は驚いた。銀座の隣の町からは、綺麗な星空が不自然に銀座のあたりで途切れているようにみえたからだ。急速に発達した積乱雲が銀座の上空にまるでドームのように立ち上っているように見えていた。どんどん高度を下げていく黒雲が銀座の隅々にまで入り込んでいった時、夜の街からネオンが消えた。

銀座が黒い霧が立ち込める異界に変貌を遂げた瞬間である。

テレビが、パソコンが、電子機器のディスプレイが、すべて同じ意味不明な文字の羅列を表示した。ぱ、ぱ、ぱ、とモールス信号のように、一定のリズムで点灯するアカリだけがこの世界を彩っていた。ぐにゃり、とその文字を中心に空間がゆがんだことに気付いた人々は、逃げ遅れたことを悟った。おびただしい数の真っ白な布を被った何かが這いだしてきたのである。凶悪なウィルスプログラムで構成されているそれは、一瞬で媒介となっているコンピュータを破壊すると、その正体を掴む手掛かりとなるはずだった監視カメラやレコーダーを全て破壊してしまう。ぼろぼろに揺らめく白い布からのぞくおぞましい何かと目があった瞬間、銀座は悲鳴で埋め尽くされた。おびただしい数の怪物に襲い掛かられた人々は必死で抵抗したが、なすすべがなかった。その正体を暴こうとして、浮遊する白い布を無理やり引きちぎった人もいたのだが、その向こう側にあるのが真っ黒な空間であることを見てしまうと身がすくむ。明らかにこの世のものではないおぞましい何かがそこにいた。手を掴まれた。こっちにこい、とひやりとする黒い何かに捕まれた。凄まじい力で白い布の向こう側に吸い込まれそうになった瞬間、本気で死を悟った彼らは抵抗を辞めてしまうのだった。対抗する手段を持たない人たちは、その白い何かがやってきたテレビやパソコン、電子機器のディスプレイの中に引きずり込まれてしまったのである。残されたのは、すべてが止っている暗闇の銀座。一瞬にして消えてしまった人たちの営みだけが残されていた。大渋滞している自動車には誰もいない。つきっぱなしのテレビ、パソコン、電子機器のディスプレイ。そこに表示されているのは、現代の社会では解読することができない法則で並んでいる異世界の言葉。それだけが完全に孤立している銀座に残された最後の光源だった。誰もいない異様な光景は、こうして完成したのである。



ぽちり、と停止ボタンを押した光子郎は、息を飲んだ。空は口元を覆っている。最後まで見ることができなかった大輔は、おそるおそる目を開けた。



「バケモンよ、バケモンだわ。どうしてあんなにたくさん。それにファイル島にいたバケモンはあんなに凶暴じゃなかったのに」


「空先輩、バケモンに逢ったことがあるんすか?」


「ええ、デビモンにバラバラにされた時があったでしょう?その時に丈先輩とあったことがあるの。オーバーテール墓地、だったかしら。オバケのデジモンがたくさんいる場所だったのよ」


あ、と大輔とブイモンの声があがる。


「オーバーデール墓地って、なっちゃんがすんでた闇貴族の館があったとこだよな、ブイモン」


「そうだよ、大輔。ウィルス種しか入れないから、きっと空と丈は気づかなかったんだ。デビモンの屋敷のデータだって、元はといえば、なっちゃんがいたあの館のデータが元のはずだよね。あの屋敷はもともとヴァンデモンの屋敷だったんだ。デビモンに譲られてからずいぶんと様相が変わっちゃったみたいだけど」


「ってことは、サーバ大陸に拠点を移す前は、あそこがヴァンデモンの居城だったってことですね。なら、バケモンを率いるのも簡単なのかもしれません」


「サーバ大陸のバケモンなのかもしれないわ。ファイル島とサーバ大陸のデジモンは、強さがずいぶんと違うみたいだし」


「ヴァンデモンの城はもぬけの殻でしたからね、そうかもしれません。でも、銀座の人達を連れ去って何をするつもりなんだ、ヴァンデモン」


「そんなことどうでもいいっすよ!とにかく、早く助けに行きましょうよ、先輩!」


「そうですね」


光子郎は空を見上げた。


「とにかく、いったん銀座から出ましょう。このままだとゲンナイさんにゲートを開けてもらうことができません」






[26350] 第14話 beathit! その5
Name: 若州◆e61dab95 ID:159ced5d
Date: 2014/03/16 00:22
銀座から脱出した光子郎がまずしたことは、デジヴァイスの機能をコピーしてパソコンでプログラムを展開し、結界をはることだった。これで万が一ヴァンデモンたちと鉢合わせしたとしても、身を隠して、安全に作業をおこなうことができる。そして、電波障害から解放されたパソコンをインターネットにつなぎ、光子郎はゲンナイにメールを送った。すぐに返信されたメールに添付されていたアドレスをクリックすると、光子郎のパソコン画面が大きなスクリーン画面に切り替わる。認証を求めるデジ文字が並べられる。予め知っていたパスワードを入力した光子郎を待っていたのは、また別の認証画面だ。光子郎はパソコンのUSB端子にデジヴァイスを接続し、選ばれし子供であることを証明した。デジヴァイスの画面が発光し、点滅する。データを認証した巨大なスクリーン画面には、鉄の扉が表示された。ゲンナイたちネットワークセキュリティが急ピッチで構築を進めているデジタルゲートである。ここをくぐればインターネットの回線に潜り込むことができるのだ。そして、迷路のように入り組んだネット回線を進んでいくと、ゲートポイントという球体の空間に出ることができる。そこは銀座エリアのすべてのインターネット画面が閲覧できる場所であり、バケモン達が銀座の人たちを引きずり込んで拉致している可能性が極めて高い場所だった。銀座は電波障害が発生していて、インターネット回線を捕捉することができないので、どうしても隣の区角から侵入することになったのである。光子郎のパソコンから突入するとなれば、現実世界に入り口を確保しておかなければならない。さすがにパソコンを置き去りにしてデジタルゲートが開いたままの状態にしておくことはできない。完全体に進化することができるのはテントモンとピヨモンだが、大輔はまったくパソコンに詳しくないのでナビゲータ役は不可能だ。そうなると自動的にバックアップは光子郎という流れになる。お母さんが誘拐されてしまっている、という異常事態を前にして、冷静でいられるほど空はつよくない。ピヨモンも空の精神に引きずられて、コンディションはいつものように保てる保証はないから、空たちだけを送り込むことなんて出来るわけがない。だから、大輔たちがいた方がかえって空は万全を期すことができるのだった。少なくてもバケモン達がいるのは事実だ。一人より二人の方がずっといい。それに光子郎がそちらにいけないだけであって、テントモンが同行できない、というわけではないのだ。アトラーカブテリモンに進化できるようになってから日数にして60日である。完全体の状態を長時間にわたって維持できるのは、ピヨモンもテントモンも同様だった。万全を期すならデジモン達が完全体、成熟期になってからデジタルゲートを潜り抜ければよかったのだろうが、さすがに3体も一度に受け入れてフリーズしないほど光子郎のパソコンはハイスペックじゃなかった。アトラーカブテリモンでさえ、砂時計が何度かくるくる回り、あきらかに動作が重くなる不具合が発生し始めている。ここに空と大輔を送り込むのだ。最低限の進化しかここでは出来なかったのである。


「空さん、大輔君、気を付けて。何かあったらすぐに連絡してください」


わかったわ、と空はうなずいた。いきましょ、空さん、と大輔は先を促す。空の手には渡された携帯電話がある。さすがにテレビ電話は容量が重すぎて、光子郎のパソコンでも同時進行で展開は出来ないが、メール機能を使えばそのかぎりではない。こんなことなら姉ちゃんのPHS持ってくればよかった、と思いながら、大輔は空に促されてデジタルゲートのまえにたつ。


「しっかり捕まっててや。ほな、いくで!」


赤いフォルムは、特別の証だ。カブテリモンよりも飛行能力が少し退化したかわりに、高い筋力を獲得した完全体は、頭のてっぺんににある角は巨大化している。そして全体を覆う装甲は硬質化していて、高い防御力を発揮する。デジモンアナライザーでは、青いはずのフォルムは、カブテリモンから継承されたものだが、全体的に大きくて丸く、太くなっている。どっしりとした身体に乗り、空たちは駆ける。そして、四角い光を潜り抜けてインターネットの世界にとびこんだ。

真っ白な世界に包まれる。空たちの体が1と0のデータに分解され、変換され、そして再構築される。気付いた時には、空たちはインターネットの中にいた。


『どんな感じですか、あたりの様子は?気を付けてくださいね、何があるかわかりませんから』


不思議な反響があたりに木霊する。まるで頭の中に直接話しかけられているような、錯覚に襲われる。ふりかえれば、四角い画面の向こう側で心配そうに空たちを見守っている光子郎がいた。まるでテレビに映る人間みたいだ。でも、それは光子郎からみても同じことがいえるのだろう。空たちは注意深くあたりを見渡した。


「暗いわねえ」

「そうっすね、やっぱネットにも夜ってあるのかな」

「ううん、そんなはずないわ。だってここはデジタルワールドじゃないのよ、大輔君。インターネットの回線の中なんでしょう?だったら、私たちがアメリカのゲートに転送されそうになった時に、ゲンナイさんたちが助けてくれたときに放り出された空間とおなじところじゃないとおかしいわ」


そこは空たちが知っている、デジタルワールドと現実世界を繋ぐネットワークのトンネルとは、ずいぶんと雰囲気がさまがわりしていた。この空間を訪れるのは2回目だ。今から5時間ほど前、選ばれし子供たちがアメリカのデジタルゲートを開いて、現実世界に放り出される寸前に、緊急転送されたのは臨時のゲートポイントだった。ヴァンデモン勢力に乗っ取られた光が丘のゲートポイントから追い出されたなっちゃんの活動拠点である。そこからサマーキャンプがある信州地方のネットワークに転送されて、現実世界に帰還するはめになった空たちは、ゲートポイントからデジタルゲートまで距離があったからしばらく歩かされたのだ。信州地方にあるインターネットのトンネルはとても明るかった。インターネットを利用しているパソコンの画面から利用者の部屋がのぞけたし、インターネットサービスを行っている会社のたくさんの画面がトンネルにたくさん張り出されていたからである。巨大な円形にくりぬかれたトンネルは、上も下も四角いディスプレイが表示され、そこからいろんな人達の生活がのぞき見えたのは記憶に新しい。インターネットを利用していないディスプレイは鋼色の鉄格子が降りていて、頑丈なシャッターが封鎖してしまっている。そして巨大な錠がかけられていた。空たちが移動した時には、発光する四角い世界がならんでいるなかに、ぽつぽつとシミがある程度の認識だった。しかし、空たちが今いる空間は、発光している四角い世界はたったひとつしかない。光子郎がいるディスプレイしかないのだ。他のたくさん並んでいるディスプレイは全てシャッターが閉められ、錠がかけられ、鉄格子が降りている。ちょっとやそっとじゃびくともしない。まるで深夜のシャッター街のように、不気味に静まりかえっている。光源が光子郎のいる画面しかないせいで、不自然なまでに薄暗いインターネットのトンネルが広がっている。これから大輔たちが向かうトンネルの先は、なんの光もない、真っ暗な世界が広がっていた。それを事細かに報告する大輔たちに、そうですか、と光子郎は口元を結んだ。


『なっちゃんが光が丘のゲートポイントから追い出された時と似たような状況ですね。すべてのデジタルゲートが閉じられていて、巨大な密室空間が広がってるってところでしょうか。現実世界にデジモンたちが現れていないかばかり注視していたせいで、すっかり忘れてました。僕が考えていた以上に早いスピードで、ヴァンデモンたちは東京に勢力を拡大してるみたいですね。気をつけてください、空さん、大輔君。きっとそこにいるのは、ヴァンデモンの配下、直属の部下クラスのデジモンに違いありません』


「気を引きしめていきましょう、大輔君」

「無理せんといてや、大輔」

「はい」


大輔はしっかりと頷いた。そして、アトラーカブテリモンを先頭に、大輔たちは敵が拠点をはっている銀座エリアに続くトンネルを進むことにしたのだった。


それに気づいたのは、銀座エリアに広がるインターネットに突入したときだった。なんだろう、これ、と大輔は首をかしげた。まるで雲の中にでもいるみたいだった。視界は最悪だ。灰色がかった霧、もしくはもや、煙に覆われている世界は、どこまでも広がっている。息苦しさは感じないから有害なものではないと思うが、感覚的に感じるものはなにもないため、自然現象ではなさそうである。どうみても人工的に発生しているものだ。かろうじて。今、空たちは大きな円柱が横たわっているような空間にいることがぼんやりとしている輪郭でなんとなくわかる。光子郎のパソコンから空中に放り出される形で到着した空たちは、ここでブイモンたちを進化させ、それぞれのパートナーに身を寄せた。そのまんなか辺りを飛行しているアトラーカブテリモンは、こっちや、と豪快に羽音を響かせながら移動を開始した。その視線の先には、NEXTという新設の看板が表示されている。びゅうびゅうと強風にあおられながら、大輔はエクスブイモンの背中にしがみつく。空はバードラモンから振り落とされないように大きな蹄に捕まった。どうやら光子郎が道案内してくれるようだ。気を付けて、とバードラモンが言う。油断しちゃだめだよ、とエクスブイモンは注意を喚起した。


「なんか、なんか変だよ、大輔」

「なにがだよ?」

「オレ、これ嫌いだ。なんかやな感じがする。あちこちにデジモンの気配がするのに、全然分かんないんだ」

「隠れてんのかな」

「それもあるけど、迷い込んだやつを外に出さないようにしてるんだよ、きっと」


ネット回線の途中途中には、ゲートポイントに向かうための看板や文字列が表示されていることが多いのに、こうも濃霧注意報では目印を確認することができない。銀座エリアのネット回線マップを照合しながら、大輔たちを誘導してくれる光子郎がいなかったら、間違いなく迷子になってしまったに違いない。似たような光景が広がる円柱の空間は、時々枝分かれしたり、合流したりを繰り返しながら先へ先へと大輔たちを進めていった。誘拐された銀座の人たちが運よくゲートポイントから脱出できたとしても、パソコンの中に拉致されたなんて誰も思わない。どうやって現実世界にかえるのか、全く知らない以上、普通の人間は脱出すること自体不可能だと言っていい。なんてタチの悪い、と空は顔をゆがませた。


「ねえ、空。この霧は2種類あるわ」

「2つ?え、どういうこと?エクスブイモンが言ってる、迷い込ませるための霧だけじゃないの?あと、ひとつは?」


確認を取ろうとした空たちを待っていたのは、危ない、逃げてください!というホログラムの絶叫だった。ほんの数十メートルすらろくに見えない空間の中で、目と鼻の先である。あまりにも巨大な、鋭利に鈍色に光るシルエットが大輔たちを刈り取るために待ち構えていたのだ。間一髪だった。アトラーカブテリモンが急上昇を開始する。エクスブイモンは真っ白な翼を広げて水天直下。バードラモンは大きく曲線を描いて急激な方向転換をよぎなくされた。振り落とされそうになって、あわててしがみついた空は、びっくりして前を見つめる。さっき避けたはずの敵の影が攻撃を回避した方角に突然出現したからである。さっきの影とはまた違うデザインのシルエットが浮かび上がる。もう攻撃を回避するには時間がない。煙を突き破って現れたのは巨大な鎌を持った死神だった。間に合う!?じりじりじり、と蓄えていったエネルギーを一気に爆発させる。バードラモンは、超至近距離で死神目掛けて、必殺技を打ち込んだのだった。



風が咆哮する。薙ぎ払われた白いもやは、かきわけてもかきわけても真っ白なまま、世界を染め上げている。まるで真っ逆さまに落っこちていくように、背後からせまりくる驚異から逃げる真っ黒な竜にまたがりながら、大輔は必死でしがみついていた。紐で括りつけてあるデジヴァイスと紋章が、ばたばたばたと風に煽られて暴れている。エクスブイモンが突然の奇襲から逃げ延びるために急な方今転換をしたとき、まるでエクスブイモンの軌道を先読みしていたかのように、待ちかまえていた新手。焦りばかりが先走る。どうしよう、どうしよう、と気がすっかり動転している大輔を背中に乗せて、エクスブイモンはひたすらに一番下を目指す。エクスブイモンは、一気に加速した。


ごおお、と白いもやが横になぎ払われる。不気味な目が装飾されている黄金色のペンダントが、鎖のきしみとともに不気味に揺れた。真っ黒なシルエットがエクスブイモンのまえに立ちふさがる。巨大な鎌を振りかざした死神に、エクスブイモンは青い雷撃をたたき込んだ。死神に直撃したようにみえたが、たいした手ごたえもなく正体不明の死神は霧の中に四散して消えてしまう。ゆらゆらと真っ黒な布地のシルエットだけ残して、たくさんの粒子状になった光は霧の中に解けてしまった。エクスブイモンは舌打ちをする。まただ、とのつぶやきに、大輔はエクスブイモンがいらつき始めていることに気がついた。手応えがまるでないんだ、とエクスブイモンは言う。このあたりに存在しているデジモンの気配は、あきらかに成熟期以上の存在を放っているくせに、エクスブイモンの蒼雷にあっさり退却する。その気配はまちがいなく、何度も何度も執拗に襲いかかってくる死神からくるクセに、姿を現したやつは肩すかし。あきらかに遊ばれている。成熟期のエクスブイモンにとっては、あきらかに格上の相手であるにもかかわらず、あっさり倒されてしまうほどあの死神は弱くないはずだ。エクスブイモンは不満げにあたりを見渡す。デジモンの気配がするのに方角がまったくわからない。まるでホエーモンに飲み込まれてしまった時のように、四方八方からデジモンの気配がするのだ。これじゃあ落ち着けない。大輔にデジモンアナライザーで死神の正体を突き止めて欲しい所だが、無防備なところに奇襲でもかけられたらひとたまりもない。空中戦は、四方八方が危険域だった。警戒態勢を維持したまま、エクスブイモンは大輔が体勢を立て直すためにその場に停止した。突然の垂直移動だった。あやうく振り落とされるところだった大輔は、ようやく平行になってくれたエクスブイモンにほっとする。


「ごめん、大丈夫か?大輔」

「オレは大丈夫だけどさ」


大輔はもやに閉ざされている上空を見上げた。


「それにしても、結構下の方に来ちゃったなあ」

「空たちと離れちゃったな、大輔」


きょろきょろ、とあたりを見回す大輔の目の前には、さっきよりもずいぶんと薄くなっているもやが広がっている。ほんの少し降下すれば地面に辿り着くに違いない。徒歩で移動するには不便すぎるので、エクスブイモン一択なのは変わらないが、地面の部分はずいぶんともやが薄い。まるで上に行くにしたがって濃くなっていくようだ。ネット回線を移動するのは下の方がよかったのかもしれない。これなら、さっきみたいに視界不良の白もやに乗じて奇襲をかけられて、分断されてしまう、ということもなかったのではないだろうか。どうしよう、はやいとこ戻って、空さんたちど合流した方がいいんじゃないかって考え始めたときだった。依然としてあたりの警戒に神経をとがらせているエクスブイモンは、目のいろを変えた。


「まあ、それが、こいつの目的なんだろうけどさ!」


「え?」


まっしろいもやの広がる上空が下に、かろうじてみえる歪曲の壁が上に、ぐるん、と回転した。反転する世界。大輔が見たのは、ハザードマークが刻まれた真っ赤なフードを被った真っ黒な影からのぞく真っ青な目。バケモンのようにボロボロに翻る灰色の布地。首飾りには、真っ赤な眼孔がぎょろぎょろと動き、顔を引きつらせた大輔を歪んで写す目玉が収められている。じゃらじゃら、と不気味な目の彫刻があしらわれた重石が空中を踊る。黄金色の大きな鎌が大輔の頭すれすれをかすめた。ごおお、と風が産み落とされ、エクスブイモンは一気に上昇し、ようやく姿を現した本体と距離をとる。大輔はようやく元に戻った世界に、あっぶねえ!と叫んだ。間髪入れずに轟々と燃えている砲弾が死神に向かって打ち込まれる。燃えるかに思われた布地は大きく翻り、かわりに乾いた金属音が辺りに反響した。切り裂かれた炎はあっさりと歪曲している壁に直撃して燃え尽きる。どんどん上昇していくエクスブイモン。雷撃も火炎技も効いていないとなれば、相手は間違いなく完全体である。バケモンと似た風貌をしている死神は、きっと進化系列に名前を連ねているに違いない。一言も言葉を口にしないのは、たんなる寡黙なのか、それとも本気を出すに値しないおもちゃだから遊んでいるにすぎないのか、さすがにエクスブイモンには分からない。わかるのは、なんとかしてここを切り抜けなければ死ぬと言うことダケだった。平然としている死に神にたまらず大輔は声を上げる。


「なんでだよ、おかしいだろ。なんで全然効いてないんだよ、何度も直撃してんのに!」


いくら完全体の性能が成熟期10体分に相当するとしても、エクスブイモンの繰り出してきた攻撃のダメージが全く現れないのはいくら何でもおかしすぎる。規格外にも程がある個体なのだろうか、さすがに大輔にはそこまで分からない。大輔の切実な叫びに、エクスブイモンは首を振った。ぎょろぎょろとした赤い目のペンダントがエクスブイモンたちを見つめている。


「ちがう、あいつは一度もオレの攻撃は当たってないよ、大輔」

「えっ、嘘だろ。さっきの雷、絶対当たったって!」

「でも炎は壁に当たって消えたんだ。明らかに避けられてるよ」

「あんな至近距離で打ったのに?!どんだけはえーんだよ!」


エクスブイモンは滑空する。迫りくる追っ手を牽制するために放たれたX字の光線は、あっけなく白いもやの向こうに消えてしまった。あーっと大輔が叫ぶ。びゅおん、と空を切り裂く鎌をかわしたエクスブイモンが空を舞った。しかし、鎌は軌道を変えてエクスブイモンをまっぷたつにしようと執拗に狙っている。なんとか避けきっているが、ここまで理不尽なまでに先読みをされると恐ろしくなってくる。神出鬼没で動きが読めるほど単純な行動をしていない死に神。やっかいにもほどがある相手にエクスブイモンは頭からがぶりと噛み付こうとした。しかし、いつのまにか脱出してしまった死に神はふたたび大きな鎌を振り上げる。真っ赤な目は執拗にエクスブイモンたちを追い続けていた。


「ちがう、避けてんじゃない!すり抜けてんだよ、あいつ!雷も炎も、あいつを素通りしちゃうんだ!」

「なんだって!?」

「なんだよ、あいつ!わけわかんねえ!鎌持ってるってことは、実体化してるってことだろ!?何で攻撃が通んないんだよ!これじゃまるで幽霊じゃねーかあっ!」


すっかり涙目な大輔に、エクスブイモンは、何かに気づいた様子で顔を上げた。バケモンと逢ったことがある空の話を思い出したのである。黒い歯車に操られていたバケモンたちがたくさんあつまって、一体の大きなバケモンになって、空たちに襲いかかってきた。未だに空と丈は巨大なバケモンを撃退できたのか、当時はさっぱり分かっていなかった。でも、デジモンがどういう存在なのか分かっている今なら、ある程度予想はたてられるというものだ。バケモンは幽霊のデータから生まれたデジモンだったから、浄化する作用があるデジヴァイスの光や空や丈のお葬式の真似事に弱かった。弱体化してしまったところに、ワクチン種であるイッカクモンとバードラモンの猛攻、ウィルス種であるバケモンには効果が抜群、あっけなく倒れたのではないか、と空たちは考えた訳である。デジヴァイスの光はプログラムを正常化させる機能があるのだ。たったひとつのコンピュータウィルスから派生して発展してきたデジモンは、先祖の性質を一番受け継いでいるウィルス、それに対抗するためのデジゲノムを組み込まれたことで生まれたワクチン、そのワクチンのデータで身を守る性質を持つデータ種という種類にわかれた。だからコンピュータウィルスと限りなく似たデータ構成をしているウィルス種にとって、デジヴァイスの光は天敵中の天敵なのだ、しかも浄化という作用も不随する。利用しない手はない。エクスブイモンは声を張り上げた。


「大輔、デジヴァイス!」

「えっ!?」

「だから、デジヴァイスっ!いいからあいつに向けてみるんだ、急いで!」


訳が分からないままヒモをたぐり寄せてデジヴァイスを掲げた大輔は、死に神に浄化の光が降り注ぐのを見た。耳をつんざくような絶叫が響き渡る。大輔のデジヴァイスから放たれた四角い光は、鮮やかな閃光となって死に神を貫いたのである。まぶたの裏に残る残像をしばしばさせながら大輔がみたのは、真っ赤なマントと灰色の布きれに豪快に開けられたまん丸に開いた空洞である。そこには見たこともない澄んだ色をしている球体が浮かんでいた。あきらかにのたうち回っている死に神は、大きな鎌を持つ力すら出せないのか、得物をはなしてしまう。ひゅんひゅん、と回転しながら沈んでいく大きな鎌。乾いた金属音が遠くで聞こえた気がした。


「これデジコア?」


「違う、こいつはデジコアじゃない。デジヴァイスの光に反応するならウィルス種だ。ウィルス種のデジコアは真っ黒に滲んでるのが普通なんだよ、大輔。なのにこいつのデジコアは澄みすぎてる。ガラスみたいだ。ワクチン種だって、データ種だって、ここまできれいなやつはないよ。今まで生きてきた魂の軌跡が刻まれてるデジコアがこんな空っぽな色をしてる訳が無いじゃないか」


もちろんエクスブイモンはデジコアをみたことがあるわけではない。でも、デジモンとしての本能が叫ぶのである。ぞっとするほど美しい、マガイモノみたいにきれいなデジコアを持っているこいつはなんだ。ほんとうにデジモンなのか?少なくてもエクスブイモンとしての本能は、目の前の死に神をデジモンだと認めることを拒否した。だいたい、構成するデータすら粉砕されるほどの攻撃をくらったら、本来なら傷が入ったり、粉砕痕が残ったりするのが普通だ。そしたらかつてのナノモンのように不具合が発生するはずである。とても五体満足ではいられない。それなのに、目の前の死に神は構成しているデータを再構築し始めている。体が復元され始めている。あたりに四散したはずのデータがゆっくりと本来のあるべき所に戻っていこうとしていた。亀裂すら入らないデジコアなんてあってはならないのである。それはこのデジモンが絶対に死なない個体である証だ。アンデット型のデジモンだっているとはいえ、弱点にさらされれば容赦なく消滅するのが世の節理なのだ。でも絶対に壊れないデジコアがあるとしたら理論上はデジモンは何度でも復活できることになる。さすがにそれはデジモンではない。もはやべつのおぞましい何かだった。こいつは危険だ、ガンガン警鐘を鳴らしてくる本能に従って、エクスブイモンは容赦なくさらされているデジモン全ての弱点目掛けて一撃必殺を放ったのだった。


X字のレーザーに貫かれた死に神は、なすすべなく歪曲している壁に打ち付けられ、ずるずると沈んでいった。エクスレイザーの通った後がトンネルのようにクリアになる。やがて空気の流れによって世界は白いもやに包まれ始めた。エクスブイモンは視線を外さない。警戒を強めたまま、戦闘態勢にはいる。大輔はまだ何かあるのかと息を飲んだ。


「・・・・・・」

「どうしたんだよ」

「どうかしてる」

「え?」

「本当にどうかしてるよ。暗黒の力に魅入られると、ここまでおぞましいことができるんだな」

「?」

「初めからそういうデジモンだったら、オレはなんにもいわないよ。思うところはあるけどさ。オレたちが生きてた頃とはもう違うんだ。鋼の帝国に造られたデジモンも、普通のデジモンとして生きてるのが今のデジタルワールドなんだから」


エクスブイモンの視線の先には、デジヴァイスの光によってオブラートを引きはがされ、あるべき姿に構築し直された死に神が姿を現した。表側は真っ黒で裏側は真っ赤な、ぼろぼろのマントをなびかせて、そいつはあらわれた。大輔は息を飲んだ。肉がはがれ落ち、頭蓋骨だけになったそいつは、異様な姿をしていた。頭蓋骨から伸びる首の骨、そこにはむき出しの真っ赤な球体がある。さらに下の方には、エネルギー源である機会で覆われたデジコアがあった。両手の部分は骨すらなく、眩しい光によってボルトがむき出しの義手が繋がっている。死神のような体を全身機械化したサイボーグ型デジモンだった。エネルギー状の鎌は、異様な怪奇音を響かせながら妖しげな光を放っている。


「こいつは初めからこの姿じゃないよ、大輔。あとからサイボーグ化したんだ。無理な改造をしたもんだから、デジコアに亀裂が入ってる。これじゃあ、しゃべれるかどうかも怪しいよ。理性を構成してるところがぶっこわれてる。よく見といて、大輔。あれがウィルス種のデジコアだ」


それは黒真珠のように輝いていた。



[26350] 第15話 beathit!  その6
Name: 若州◆e61dab95 ID:159ced5d
Date: 2014/03/16 00:22
大輔はデジヴァイスを死神に突き付けた。デジヴァイスの光が機械化された死神に向かって発射される。まっすぐに放たれた真っ白な四角い光は、無理やり機械によって浸食され無残な形になっているデジコアを歪に輝かせた。デジヴァイスの光が暗黒によって浸食されているであろうデジコアを浄化し、構成しているデータを初期状態に戻すためのウィルスバスターとなる。ウィルス種ならば、祖先であるコンピュータウィルスの性質を一番受け継いでいる都合上、デジヴァイスの浄化の光自体が致命的な弱点となりえるのだ。多少のダメージを期待した大輔だったが、目の前をちらつくまばゆい光に苛立った様子で、サイボーグの死神は後退するだけだ。


「えーっ!?まじかよ、うそだろっ。見た目が思いっきりウィルス種のくせに全然効いてない!」


納得いかないと睨みつけるそのさきには、巨大な漆黒の杖を携えている死神は平然と浮遊している。これでこのデジモンは暗黒の浸食を受けて、洗脳状態となっているわけではないことが証明されてしまった。ウィルス種ではないにも関わらず、明確な殺意をもって大輔たちの前に立ちふさがっていることになる。エクスブイモンに言わせれば、後天的に機械化されたゴースト型デジモンだったなにかだから、改造される前はウィルス種だったのかもしれない。エクスブイモンはにやりと笑う。さっきまで周囲に充満していた、いやな雰囲気が払しょくされたのだ。あちこちにアトランダムで出現しては消える、神出鬼没の不気味な敵の気配が消えたのだ。存在するのは目の前の死神の強烈な存在感だけである。どうやら化けの皮をはがされた死神は、陰湿な嫌がらせをする手段を失ったようだ。これならいける。エクスブイモンの瞳に闘志が宿った。死神が鎌を振り上げる。一気に駆けあがってきた。


「大輔、しっかり捕まっててくれ。さあ、行くぞ!」


相棒の返事も聞かないまま、白いもやが真っ白な翼にあおられて、ぐるぐると渦を巻く。真っ白な風を生み落し、エクスブイモンは跳躍する。響き渡る咆哮がしろいもやで満ちた空間を揺らした。いろんな色が混じった赤が、赤を帯びた白になる。エクスブイモンの周りを細い枝のように走る。光は輝きを増して白く発光をはじめ、次第に帯が太くなっていく。しだいに熱を帯び始めた光に、大輔は思わず目を瞑った。真っ黒な世界に真っ白なひび割れ模様が残像のように残る。まじかで炎が燃えているような錯覚に陥るほど熱い青い色を帯びた白であたりが満たされたとき、それはまるで意志を持った怪物のように死神に向かって襲い掛かった。電位差が発生した空間に発生した光と音、そして温度を伴う大規模な放電が直撃した瞬間である。頬を掠める冷たい風がさっきまであった高熱を拭い去ってしまう。耳元でささやく風の声を聴いて、おそるおそる目を開けた大輔が見たのは、体を覆い隠す機械が異常をきたし、不快な電子音を立てて不自然にぐらついている死神だった。ばちばちばち、と体中から静電気の淡い光が伸びている。胴体と義手を繋ぐ電気の帯が不規則になってきている。どうやら効いているようである。瞬きした大輔は、まだまだしばしばしている目をこすりながら、よっしゃ、と笑った。


「機械だから電気に弱いんだ!」

「それもあるけど、オレの攻撃が通ったってことは、もうすり抜ける身体じゃないってことだ」


これなら、もしかしたら。拳を握りしめたエクスブイモンの目の前で、異様な電子音が辺りに響き渡る。ぎょっとした大輔たちの目の前で、死神はがくがくがくと体を震わせ始めた。機能不全に陥りかけていた死神だったが、自己修復機能が正常に作動したようで、再び稼働を開始する。白骨化した胴体の下の方に埋め込まれている真っ赤な魔石が煌々ときらめいた。内側に雷を内包している真っ赤な光が死神を満たす。不気味なオーラに包まれた死神の光すら失われた頭蓋骨の先にも真っ赤な光が宿った。はたからみていると不気味な挙動で立ち上がった死神は、音もなく浮遊する。ばち、ばち、と体から火花を散らしながら、だらりと垂れさがっていた杖を持つ手がしっかりと握られた。舌打ちをしたエクスブイモンは飛行を開始した。


ぶおん、ぶおん、ぶおん、と無機質な電子音が響き渡る。大きな軌道を描いて弧を描いた光は、まぶたの裏に残像がちらつくほど強烈なエネルギーを放っている。それは機械化された鎌だった。全身機械化された死神の持つ黒い杖の先には禍々しい怪物の彫刻が施され、真っ赤な魔石が埋め込まれている。そして、ばちばちばち、と白い発光を繰り返しながら、両端からは膨大なエネルギー体を放出している。巨大な鎌の形をした、白いエネルギー体。容赦なくエクスブイモンと大輔を狙って、執拗に振り下ろされた。それはまるで魂に飢えている死神のようだった。膨大なエネルギーを放出しながら、どんどん巨大化していく鎌を持って襲い掛かってくるサイボーグ型デジモンである。ひたすら獲物に定めた大輔たちを追って、背後から迫りくる。言葉ひとつ発さない、不気味なほど寡黙な死神は、白骨化した頭蓋骨を持っていて、その先には潜んでいる怪しい光すら失われている。バケモンですら白い布の顔に当たる部分にあるくりぬかれた2つの目玉の先には、真っ赤に光る発光体があったことを思えば、このデジモンに自我があるとは到底思えない。巨大な鎌を振りかざすたびに、白骨化した胴体と機械化された両腕の義手を繋いでいる電気の帯が歪に曲がみ、ぎいぎいと軋みを上げて不自然に揺れた。骨格が完全に折れてしまっている動きをしているのに、一切言葉を発する気配もなく、淡々と大輔たちを追い続けている。追跡者は疲れる素振りすら見せないまま、何度目になるか分からない閃光をエクスブイモンに向かってさく裂させた。


ひびが入っている黒真珠から、キラキラとした破片がぼろぼろと崩れ落ちていく。キラキラとした光沢が、白いもやの向こうにとけていく。デジコアを構成しているデータがゆっくりと消滅しつつあることを示していた。ぶおん、と白いもやを切り裂く大きな鎌は、発光するエネルギー体でできていて、その動きのたびに電子的な音を立てる。機械化されている死神から繰り出される大きな鎌の猛攻の跡には、風前の灯であるひび割れたデジコアの破片が散らばった。どうやら死神は悲鳴を上げているデジコアを感知する本能すら遮断されているらしい。悲痛な面持ちで何度目になるか分からない青い稲妻を叩き込んだエクスブイモンは、猛攻を緩めることなく追撃を重ねる。輪唱するように雷鳴が辺りにとどろき始める。中途半端な一撃では自己修復してしまう機械型の死神である。修復すら及ばないほどのダメージを与え続けるしか方法がないのだ。次第にエクスブイモンの叩き込む雷撃の色が青色を帯びた白い光から真っ白な光に代わり、赤色を帯びたものに変わっていく。大輔が目を開けていられないほどの熱さがなくなってくる。じりじりと死神が稼働を停止する時間が短くなり、エクスブイモンとの距離が近くなってきた。雷撃を打ち込むために時間を溜めていては死神に距離をつめられてしまう。凄まじいエネルギーを発生させている鎌の射程範囲に入ったら終わりだ。本能的にそれを悟っているエクスブイモンは、移動時間と攻撃の割合が逆転をし始める。精度が落ち、威力がどんどん落ち始める。大輔は心配そうにエクスブイモンの体をなぜた。疲労を隠せなくなってきた赤い瞳が細められる。


「大丈夫だよ、大輔。まだいける」


ごうごうとうるさい風の中で、飛翔する速度が遅くなっていることは嫌でも分かる。大輔はデジヴァイスを握り締めた。


「でも、おまえっ!」


言いかけた言葉は、今まで聞いたことのない異様な音によってかき消されてしまう。びくっと肩をゆらしたエクスブイモンは、ぎょっとした顔で前を見る。さあっと血の気が引いた。聞いちゃだめだ、大輔!耳を塞いで!という絶叫が響き渡った。訳が分からないまま耳を塞いだ大輔の目の前で、あたりに響き渡る形容しがたい不気味なノイズにさらされたエクスブイモンが声にならない悲鳴をあげる。大丈夫かって声をかける余裕すらない。耳を塞いでいる大輔ですら、わずかに聞こえてくる怪奇音が、がんがんと頭の中で直接響き渡り始めたからだ。まるでボールが頭の中で暴れ回っているような錯覚にとらわれるほどの頭痛に襲われる。めまいがした。吐き気が込み上げてくる。でも手をどけたら最後だとわかる。大輔ですらこの状態なのだ。エクスブイモンの喰らうダメージは凄まじいものがあるだろう。頭の中に響き渡るノイズ。エクスブイモンは懸命にこらえながら、ほどんど気力で飛行を続けた。


『そろそろ、終わりにしようよ』


直接脳内に響き渡る、声。誰だよ、とかすれ声でつぶやいた大輔に、エクスブイモンは目を見張る。どうやらエクスブイモンには聞こえていないようだ。


『鬼ごっこでもしない?』


おにごっこ?あまりにも場違いなつぶやきにエクスブイモンはぎょっとする。ばっと顔を上げた大輔の先には、白いもやに浮かぶ真っ赤な目が二つ、並んでいた。それが後方から追いかけてきたはずのシルエットだと気付いたエクスブイモンは軌道を変える。このままでは大輔が標的になってしまう。それに使える攻撃手段が少なすぎる。目を逸らしたら襲ってくることは分かっている。だから視線を固定したまま、エクスブイモンは翼を広げた。ぎょろぎょろとした真っ赤な目玉がふたつ、飛び出しているようにみえる。丸い輪郭が2つ並んでみえた。


「大輔?なんだよ、鬼ごっこって」

『どうしたんだよ?へんな顔しちゃってさ。ボクももう飽きちゃったんだよねえ、だからさ、早く始めちゃおうよ。あーもーいいや、始めちゃおう。じゃあ、ボクが鬼だね』


真っ赤な目玉を持った黒い物体が、にょろりと首を伸ばし始める。その先には真っ赤な光がある。そこからたくさんの黒い何かが噴き出しているのが見えた。あまりにも異様なシルエットに、エクスブイモンは悟るのだ。この機械型デジモンに埋め込まれている真っ赤な魔石こそが本体であり、ゴースト型デジモンはただの寄生先にしか過ぎないということに。大輔がつぶやく。逃げろってつぶやく。え?とエクスブイモンは聞きかえす。鬼ごっこするって言ってるんだよおって大輔は叫んだ。


「え、え、まさかあのデジモンが?!」

『10秒数えるよ。わかってるよね?わかってないの?鬼ごっこのルール、わかってるよね?ちゃんとやらないと怒るよ?怒っちゃうからね?』


すぐ真後ろから聞こえてくる声にあわてて振り返った大輔だったが、そこには誰もいない。


「は、はやいっ!?さっきまでと違う!?」

『だめじゃないかぁ、ちゃんと周りを見てなくちゃ。ちゃんと逃げないと鬼ごっこにならないでしょー』


今度は真正面から聞こえてくる。今度こそ真っ赤な目がこちらをのぞいていた。完全体のデジモンのイメージからあまりにもかけ離れた、下手したら大輔よりずっとずっと年下に聞こえてくる子供の声に大輔は顔をひきつらせる。ぞくぞくと悪寒が背中を走る。冷や汗が噴き出す。みるからに怯えはじめた大輔に、エクスブイモンは一気に降下しはじめた。大輔、大輔って呼びかけているが、大輔の視線はどんどん遠ざかっていく真っ赤な瞳しか見えていないようだ。エクスブイモンにしがみつく両手の力が強くなる。


「逃げてくれ、エクスブイモンっ!」


はやく、もっとはやくっ!!血相変えて叫ぶ大輔には、あのデジモンの声が聞こえているようだ。あのデジモンの中から喋りかけてくるものの声が聞こえているようだ。いつの間にか頭をつんざくノイズは止んでいる。置き忘れた機動性を取り戻したエクスブイモンは、大輔の必死の叫びを背に受けながら加速していった。ひゅおおおおお、という異様な音が響き渡る。どんどん近づいてくるそれにエクスブイモンは戦慄するのだ。音すら置き去りにして降下するエクスブイモンのあとを、それすら凌駕するスピードで何かが迫りくる。後ろを確認している余裕はなかった。最初に絡め取られたのは足だった。おぞましい何かがエクスブイモンの強靭な足にからみつくように押し当てられる。真っ白な光がエクスブイモンの脚を貫通していた。大輔が見たのは、ここまで伸びている鎌の矛先がエクスブイモンのところまで到達している、異様な光景である。あまりにも大きなエネルギーを発光している鎌に、とうとう追いつかれてしまったのだ。すさまじい力で引き留められたエクスブイモンが悲鳴を上げる。まるで完全に同化してしまったようだった。鎌が振り上げられるとエクスブイモンの体がまるでぬいぐるみのように反転する。貫通していた光から解放されたエクスブイモンは、放り出されてしまった大輔を庇ってしっかりと抱きしめる。どおおおん、という轟音と衝撃が辺りを覆った。かはっとエクスブイモンの口から血が舞った。円形にゆがんでいる壁に叩きつけられたエクスブイモンは、大輔だけは離すまいと抱きしめたまま、ずるずる、と滑り台のようになっている壁を伝って床に落ちる。瓦礫と埃でぐちゃぐちゃになった空間に叩きつけられてしまった。はっと目が覚めたのは大輔が先だった。ぐったりとしているエクスブイモンの腕の中で、あわてて相棒の名前を呼ぶ。何度も何度も必死ですがりつく大輔に気付いたエクスブイモンが、辛うじて目を開けた。ほっとした大輔だったが、大輔が少しでも動くと苦悶の表情を浮かべるエクスブイモンに、うかつに動けなくなってしまう。そんな標的を逃すわけもなく、巨大な鎌を振り上げた機械音の主は大輔たちの目の前に現れた。もう限界だった。逃げようにも背後は壁。満身創痍に疲労困憊が重なったエクスブイモンは、ほとんど動けない状態なのである。ざっくり、と鎌がすぐ目の前に押し当てられたにも関わらず、睨みつけることしかできないのは、その証明でもあった。大輔はエクスブイモンの腕の中で、必死にポケットの中を探る。


『鬼ごっこ、もうやめちゃうのかい?つまんないなあ』


白骨化した頭蓋骨には煌々と赤い光が宿っている。


『もういいや。どうせボクと遊ぶ気なんて、最初っからなかったんだろ?もういいや。エクスブイモンだっけえ?おまえ、いらないや。ボクが連れて来いって言われてるのはそこの子供だけだしねえ』

「お、オレなんか連れてきてどうする気だよ」

『そんなの決まってるだろ、めんどくさいこというなよなあ。紋章を奪ったお前たちのせいで機械を動かす動力源が枯渇してんだよ。ヴァンデモン様がお怒りなんだ。ボクだって死にたくないからさあ、こうやって仕事してるんじゃないか』

「なんだよ、それ。紋章を奪ったのはお前らだろ!?」

「大輔をどうする気だ」


エクスブイモンが唸る。絶対に渡さないぞ、オレの世界でたった一人のパートナーなんだから、と低く唸るエクスブイモンに、あっはっは、と甲高い声が大輔の頭の中で反響した。よく言うぜ、よわっちいくせに!と真っ赤な目玉がぎょろりと輪を描いた。ひゅおっと鎌が床に叩きつけられる。かあん、と金属がぶつかる音がした。火花がちる。床が削れたのか、小さな粉が舞った。すんでのところで回避したエクスブイモンに、不満そうに死神は再び鎌を振りかざす。ようやくみつけたデジバイスを握り締めた大輔は、手探りでボタンを確認する。


『避けちゃダメじゃないかあ』


ひゅおん、と空を切る音がする。


『大人しく、壊れちゃえ!』


かあん、と眼と鼻の先で鎌が止る。


『へーえ、これが結界?おもしろいもんもってるじゃん。やっぱそう来なくっちゃ』


甲高い子供の声が笑っている。デジヴァイスから展開された結界がエクスブイモン達を覆い隠してくれたのだ。しかし、死神は面白いおもちゃを見つけたと喜んでいるだけで、状況が好転したとは言えなかった。本来なら外敵から姿を消したように見せてくれるステルス機能が、まるで機能していないのだ。大輔たちの驚いた顔まで見えているようで、凝視した骸骨がかたかたかたと音を立てて笑った。死神は言う。みえてるわけじゃない。透明人間になっていることはかわらない。すごいよね、わかんないよ、ぜんぜん、と死神は言う。でも、10人目の子供、9人目の子供が持つはずだったデジヴァイスはヴァンデモンが持っている。だからそっちの手の内は分かり切っているんだよ、と面白おかしく語って見せた。もっとも、その情報が開示されているのは幹部クラスのデジモンだけで、下っ端のデジモン達は知りもしない。当たり前だ。裏切りの可能性をいつでもはらんでいる者に情報を提示するほど敬愛するアンデットの王はバカじゃない。つまり死神相手にデジヴァイスは正常に機能しているが、まるで意味をなしていないのだ。


『あははっ!壊れないで遊んでくれるやつなんて、久しぶりだよ!めずらしく、楽しい夜になりそうだ!どれくらい持つかなあ?ちょっとは持ってくれよなあ!』


かあん、と鎌の音が響き渡る。かあん、かあん、とひとまわり大きくなった金属の音が辺りに響き渡る。かあん、かあん、かあん、と振り下ろされるたびに大きさも衝撃もけた違いに巨大化していく機械仕掛けの鎌。ぴしり、と結界に亀裂が入る。存在の隠匿に特化している結界自体に強度はあまりないようだ。空間にひびが入ったことに死神は口笛を吹いている。叩きつけられる恐怖にさらされながら、エクスブイモンは懸命に立ち上がろうと体をよじる。ぐう、と声にならない悲鳴を上げる相棒に、大輔はたまらずしがみついた。くしゃり、とエクスブイモンが大輔のあたまをなぜる。死神の声が大輔だけにしか聞こえない以上、エクスブイモンはただただ怯えている大輔を抱きしめることしかできない。涙目になっている大輔をなだめながら、死神を睨みつける。大輔がぽつりぽつりと紡ぐあまりにも自分勝手で理不尽すぎる死神の戯言に、エクスブイモンは憤怒の表情を色濃くしていく。


許せない。エクスブイモンの蹄が大地を殴り付けた。許せるわけがないだろう。大輔を世界征服のために使う恐ろしい機械を起動させるエネルギータンクとしてしか見ていない、価値を見い出していない暴言を吐き続けているのだ。大輔が理解していることを知っていながら、囁き続けているのだ。屈辱だった。これ以上なく、侮辱だった。エクスブイモンが最も敵視している勢力の復活に協力するという暴挙を働いているだけでも許せないというのに。古代種の生き残りであるエクスブイモンの目の前で、誰よりも大切な同族たちを殲滅に追いやった勢力とおなじことをしでかそうとしているのだ。エクスブイモンの目の前で、大切なものを奪い取ろうをしているのだ。


しかし、いまもまた、こうしてエクスブイモンは何もできないまま、大輔に護られている現実がある。デジヴァイスの結界がとかれたら、間違いなくエクスブイモンは殺される。そしたら、大輔は攫われるだろう。ヴァンデモンのところに拉致されるだろう。この死神曰く、エネルギータンクとして利用するつもりのようだ。エクスブイモンの脳裏に、トラウマともいうべき映像が過る。たくさんの機械が並べられている地下施設。檻に閉じ込められている仲間たち。緑色に発光している液体が満たされたカプセル。その中には・・・・。エクスブイモンは頭を振った。あの時のオレとは違うんだ。守られるだけで、逃げるだけで精いっぱいだったオレとは違うんだ。逃げるために進化を選んだオレとは違うんだ。もう2度と失わないと誓ったんだ。大切なものはオレが守る。そのためにオレは、オレは、オレはっ!


ばきりと音を立てた結界に、とうとう機械仕掛けの鎌が貫通する。


『なあんだ、この程度なの?つまんないや。さっさと終わらせたら、他のやつらのところにいこうっと。あいつら完全体みたいだし、もうちょっとは楽しめそうだよね。そうは思わない?本宮』

「呼ぶな」

『なんだよー、かっこつけちゃって。お前はこいつの目の前で壊れちゃえばいいんだよ。それがお仕事だろ、しっかりしろよなあ。ボクの用があるのは、本宮大輔君だけだし?』

「ふざけるな、大輔はエネルギータンクなんかじゃない!オレの、オレの、世界で一番大切な、守りたいものの名前をよぶんじゃないっ!大輔はおれのパートナーだ。大輔を泣かせたお前を、オレは絶対に許さない!オレは、お前を倒すんだッ!!」


深紅の瞳が咆哮する。その決死の覚悟が、腕の中に抱かれている大輔の耳に、はっきりと届く。大輔をだく、エクスブイモンの腕の力が強くなる。そのとき、大輔は右手に違和感を覚えて、視線を落とした。ほのかに温かい。握られ続けて、ぬくもりがうつったのかと思ったが、それにしてはあまりにも右手に握られているものたちが熱を帯びていた。強がりでしかないじゃないか、と死神が指摘すると、うるさい、とエクスブイモンは怒鳴りつける。大輔はそっと右手を開く。それでもなお立ち向かおうとするなんて、滑稽だねえ、おまえ!と死神は甲高く声を震わせる。だまれ、とエクスブイモンは嘲笑する死神に向かって、叫んだ。大輔は、手のひらにあるデジヴァイスと紋章を見つめる。熱を帯びているのは、デジヴァイスではなく紋章だった。黄金色に輝いている、奇跡の紋章だった。デジヴァイスと紋章を、強く、強く、大輔は握り締める。エクスブイモンと大輔の心の中にある力が、溢れ出すのをはっきりと感じることができた。黄金色の輝きは、小さな少年の右手という小さなものから、次第に直視できなくなる。強烈な眩さをおびていく。あまりにも鮮やかな光は、やがて世界を金色に塗り潰した。


タグから解き放たれた紋章は、大輔とエクスブイモンの負担を軽減するために、想いのチカラを制限して開放する。そして、リミッター付きとはいえ、解放された想いのチカラは、あまりにも美しいものだった。神々しい光をおびながら、奇跡の紋章が大輔とエクスブイモンに降り注ぐ。あまりにも眩しい光に阻まれて、死神は大輔たちに近づくことができない。呪詛のような言葉を吐きながら、大きく後退した。奇跡の紋章に守られながら、真っ白なデジヴァイスが、光沢を帯びるデザインにかわっていく。奇跡の紋章とおなじ色に染まったデジヴァイスは、今までにない振動をもって大輔の手のひらで暴れ始める。あまりの衝撃に右手だけではささえきれなくなり、両手でしっかりとデジヴァイスを包み込んだ。すると、ディスプレイが発光し、四角い光が、金色に染まっている霧の世界をまっすぐに貫いたのである。突き抜ける光。凄まじい速さで銀座のネット回線を通り抜け、デジタルゲートをくぐり、となりの町にあるゲートポイントに到達する。大輔たちの安否を心配する光子郎、現実世界にいるデジモンたちの送還に尽力するなっちゃんは、流れ星を見た。デジタルワールドに転送された光は、セキュリティシステムの関門を突破し、エクスブイモンの進化ツリーが存在しているデジタルワールドの中枢にまでたどり着く。そして、ようやく、行き詰まりを見せていたエクスブイモンの進化ツリーは、新しい進化経路を切り開く。ダウンロードされたデータが飛び去る光景を目撃したゲンナイは、デジタルゲートの構築作業を再開した。


四角柱の光が走る。目の前にあふれてくるデジヴァイスの光とは、比べ物にならないほど猛々しいきらめき。まるで流れ星のように光の粒子を振りまきながら、まばゆい光の尾を引いて飛来する。そして、その光は一直線に大輔のデジヴァイスに降り注ぐ。デジヴァイスの振動と熱が最高潮に達する。ディスプレイからはじき出されたデータのかけらたちは、まるで花火のように、わずかな時間、宙を舞う。しかし、あっという間に消えてしまった。残されたのは、大輔の手のひらの中で、あふれんばかりの光を産み出し、振動を続けているデジヴァイス。ディスプレイには、すべてのデータがそろった、ダウンロードを開始する、という英文が踊っている。大輔はエクスブイモンを見上げた。エクスブイモンは黄金色の世界の中心で咆哮する。大輔の目の前で、エクスブイモンはデジヴァイスの光に包まれた。


ジョイントプログレス、という英単語が表示された。エクスブイモンとデジヴァイスの中にデータのみ存在するスナイモンが融合しはじめる。エクスブイモンは現代種に進化しているとはいえ、純粋な古代種の生き残りである。そしてスナイモンは、ブイモンと共通の祖先をもつ古代種から枝分かれした派生種をサンプルに作られた人工デジモンの末裔である。遥か昔。共通の因子と共通のルーツをもつデジモン同士でのみ可能だった融合は、鋼の帝国の失われた技術によりサンプルから生まれた人工デジモンとの融合でも成功することが実証されている。だからこそ、可能となった進化だった。これはエクスブイモンとスナイモンが、外見や種族、属性が違うにもかかわらず、同一の種だからできるのだ。ジョグレスの前の個体が同じだからこそ、ジョグレス後の姿も原型をとどめており、拒絶反応を起こさない。拒否反応は起きなかった。2つのデジコアに存在するデジゲノムはすべて新しいデジゲノムとして1つに統合され、スナイモンでもエクスブイモンでもない全く新しい種のデジモンを作り出す。エクスブイモンがスナイモンのデータをロードし、優先的に取り込むことで、エクスブイモンを基盤にしたより上位の進化段階に進んだ。


竜としての特性、昆虫としてのスピードと防御力を兼ね備えた、龍人型デジモンが、今ここに降臨する。本来、このデジモンにはウィルス種は存在しないとされてきた。しかし、融合の基盤となった上、融合するうえで優位な立場にいるエクスブイモンはウィルス種である。スナイモンがウィルス種に対して、排除本能と対抗手段を持つウィルスバスターの因子を持っているとしても、ロードされる側に過ぎない。2体のデジモンの融合において、主体はエクスブイモンだった。そして、どちらも現代種のデジモンだったことがイレギュラーを巻き起こす。進化ツリーは規則的な進化から派生に分岐する。ウィルス種でありながら、ウィルス種に対して、排除本能と対抗手段を持つウィルスバスターの性質を持った融合体が、誕生した。


それは、漆黒の竜人だった。


黒いドラゴンの肉体をベースに、スナイモンの甲殻をまとい、顔は赤い角が印象的な兜をかぶっている。まるでテクニカルジャケットのような兵装を身にまとい、腰のあたりには巨大な重機関砲がのぞく。猛獣の爪を模したような、フック状の武器が手甲からのびている。どうやら手甲にも仕込みがあるようだ。大輔を片時もはなさないように、しっかりと抱きしめる鋭利な鉤爪は優しい。完全体のウィルス種は空を舞った。


「大輔」


響き渡るのは、エクスブイモンのときよりも、さらに重厚になった男の優しい声だ。大輔は顔を上げた。優しそうに目を細める赤い瞳が、赤い甲冑ごしから伺える。チビモン、ブイモン、エクスブイモンと共通してきた、大輔がよく知っている相棒の眼差しは健在だった。ゲンナイによればロードしたスナイモンは、ダークエリアの海に漂っていたデジゲノムだという。スナイモンは、生きている個体ではない。データとして回収し、プログラムに組み込んだにすぎない。だから、融合したとはいえ、このデジモンの主人格はエクスブイモンと考えてよさそうである。かっけえ、とつぶやいた大輔の顔は、きらきらと輝いている。


「すっげえ!かっけえ!かっけえよ、お前!やっと進化できたな!完全体だっけ、おめでとう!」


嬉しそうに、相棒はうなずいた。


「ありがとう、大輔。大輔のおかげで、オレはここまで強くなれたんだ。まだまだ、オレは強くなる。だから、これからもそばにいてくれ」

「おう!」


大輔は力強くうなづいた。

パイルドラモン、それが新しい相棒の名前である。










白い霧が漂う空間が黄金色に染まる。白く光る球体から円を描くように、光の波紋が幾重にもひろがっていく。黄金色の光はオレンジ、黄色、と次第に色味を失っていき、遠ざかるほどに霧にとけていった。すべての輪郭が曖昧になっている世界は、まるで朝日が昇る霧の日に似ている。神秘的な光景で浮かび上がるのは、その輝きを刈り取ろうとする死神の巨大な鎌の影だけである。あまりの輝きに近づくことすらできない死神は、標的をとらえるために攻撃態勢に入る。鎌のシルエットが、どんどん大きくなっていく。より鋭利に、より禍々しく、膨大なエネルギーを放出する。弓なりに放射しているエネルギー波の鎌を高々と掲げた死神は、どんな装甲だろうが盾だろうがすり抜けてしまう機械音で世界を満たし始めた。これでこの鎌の射程範囲に入ったが最後、どんなに強靭な武装もすりぬけて、確実に標的のデジコアを刈り取ることができるのだ。たとえ相手が完全体に進化したとしても、この死神が今の姿に進化してからの年数ははるかに凌ぐのだ。普通に考えて、こちらのほうが格上である。そう、サイボーグ型デジモンは判断した。ただしくはこの個体にエネルギーを供給している異次元の住人は、一部始終をこの死神の目を通して、判断した。死神は魂に飢えているのだ。この光の先にいる、選ばれし子供のパートナーに奇襲をかけるべく、死神は空間いっぱいに巨大化した鎌を振り下ろした。


しかし、その矛先が標的に届くことはなかった。


黄金色の煌きからワイヤー状に伸びるいくつもの刃が、死神の鎌に襲いかかったのである。
見上げるほど巨大な鎌のシルエットが空を切る音が木霊する。ぴたり、と死神の鎌はその動きを静止した。放射しているエネルギー波をものともせず、幾重にも絡みつくワイヤー状の鉤爪が得物と死神の動きを封じているのだ。懸命に振りほどこうともがく死神は、自らの判断が致命的なミスだったと悟ることになる。


「デスペラードブラスターッ!!」


突如、黄金色の光から出現したのは、漆黒の影。凄まじい轟音と衝撃。漂い始める硝煙の匂い。それに伴って発生した爆風が、すべてを吹き飛ばす。黄金色のきらめきも、白い霧も吹き飛ばし、シャッターが並んだ歪曲の壁と床を出現させた。ここが薄暗いインターネットのトンネルの中なのだと教えてくれる光景は、次第に広がっていく。そして、発射された無数のシルエットは、まるで雨が降っているようだった。音速をはるかに超える速度で発射された弾幕が、死神めがけて降り注いだのである。はるか上空からの狙撃であるにもかかわらず、エネルギーを供給しているコアめがけて、弾丸がいくつも命中する。被弾する。もし、この死神が生身の体を持っていたら、痛みを感じる前に死んでいたに違いない。すでにデジコアを侵食するほど機械化されているサイボーグ型デジモンは、痛覚などとうの昔に破棄されている。異常音が鳴り響き、不自然なところから火花が散る。砕け散っていく装甲、そして引き裂かれていく真っ黒なマント。唯一攻撃を防げたはずの鎌を封じられてしまっていた死神は、無防備な姿を弾丸の雨に晒しながら、その驚異的な破壊力の前になすすべなく砕け散っていく。被弾し続けたコアは、ぱりん、と乾いた音を立てて砕け散る。エネルギーを供給する異次元の住人の目となり耳となっていた機械仕掛けの死神は、巨大化していた鎌を放棄した。悪魔が彫刻された杖が鉤爪に巻き上げられていく。役目を終えたワイヤーがものすごい勢いで巻き戻り、パイルドラモンの仕込み装甲の中にすべての鉤爪が収まった。かちん、という音を立ててはじかれた杖が宙を舞う。2つの重機関砲は、容赦なく死神の鎌だったものに牙を向いた。あっという間に食われていく。自由自在に浮遊する義手と胴体をつなげていた電気が足りなくなり、ばち、ばち、というわずかな静電気を残して、電気が流れなくなってしまった。まるで両腕を切断されてしまったように、支えを失った義手が落下する。重々しい金属の砕け散る音がした。そして、すっかりボロボロになり、蜂の巣になってしまったマントを翻しながら、死神はなすすべなく地面に沈んだ。


気づけば、あたりに立ち込めていた霧は、すっかり晴れている。広がるのは、薄暗いトンネルだけだ。新手の出現を警戒していたパイルドラモンは、しばらくのあいだ、戦闘態勢を崩さなかった。しかし、バードラモンやカブテリモンたちが他に潜んでいたであろう敵を一掃してくれたのか、敵意を持つデジモンの気配が感じられない。いくぞ、大輔、と告げたパイルドラモンは、はるか遠くに沈んでいった死神を追いかけて、再びトンネルの道に降下した。


どおおおんっという爆発音が響き渡った。


驚いて降下を中止したパイルドラモンは、昇る白煙と砂埃を吹き飛ばす。その先にあったのは、不自然なクレーター。爆発四散したのは、どうやら死神の頭蓋骨だったようだ。いったいなにが埋め込まれていたのか、今となっては見当もつかない。とりあえず、証拠隠滅の先手を打たれてしまったことは事実だ。あの死神の頭蓋骨から見えた謎の光、そして声の正体をしることは、これでできなくなってしまった。舌打ちをしたパイルドラモンは、そのクレーターのすぐ近くに大輔をおろす。ようやく降ろしてもらった大輔は、息を飲んだ。デスペラードブラスターの威力は凄まじい、のひとことにつきる。歩くことすら億劫になるほどの瓦礫を量産する大惨事になっていた。ずたずたに切り裂かれた表が黒で裏が赤の布地があたりに散乱し、未だに静電気や火花を散らしている機械類が縫い付けられている。そして、不自然にできあがったクレーターがある。その傍らで佇むパイルドラモンは、大輔を見下ろした。


「不思議な気分だよ、大輔。古代種を滅ぼした帝国で生み出されるはずだったデジモンに、今、オレが進化したんだ。ゲンナイさんが言ってたよな、オレの進化先は指定されてないって。オレと大輔、そしてみんなの旅路が、オレの進化経路を切り開いていくんだって。オレにとって、最もふさわしい姿がこの姿なら、オレは受け入れる」


だから、とパイルドラモンは言葉を切った。まっすぐ見つめる瞳に、大輔はしっかりとうなずいた。大輔ならきっとわかってくれると思ったよ、と嬉しそうにパイルドラモンは笑う。その声が震えていることに気づかないふりをして、大輔は死神の末路を目に焼き付ける。忘れないように。


「なあ、パイルドラモン。やっぱ、お前さ、怖いの?」

「ああ、怖いよ。大切なものが奪われること、これだけは二度とごめんだ。強がって立ち向かうことすら、できなかった。譲れないものを守るために、とどまることも許してもらえなかった。逃げてくれって、背中を押された。今でも夢に見るよ、なんで逃げちゃったんだろうって。でも、だからこそ、思うんだ。今がそのときじゃないかって。誰でもない、オレの番なんだって」

「そっか、初めて聞いたなあ、それ」

「え、そうだっけ」

「楽しかった思い出はたくさん教えてくれるけどさ、悲しい思い出はナノモンのところで、話してくれたきりだろ?うなされてる時に、泣いてるチビモンになんにもできないの、結構やなんだけどなあ」

「・・・・・・。ごめん、大輔」
「しっかたねえなあ、いつか教えてくれよ」

「うん、わかった。・・・・・・そんなつもりじゃないのにさ、古代種として生きてたころを、すっごく引きずってるんだ、オレ。だから超えるんだ、この場所から。そこから、新しい、本当の始まりがある気がする。その何かがつかめるまで、一緒にいてくれるとうれしいな」

「なにいってんだよ、パイルドラモン。当たり前だろ、オレはお前のパートナーなんだから!」


からりと笑った大輔に、パイルドラモンは嬉しそうに笑う。そして、大輔は薄暗いトンネルを見上げた。バードラモンとアトラーカブテリモンの声がしたからである。ここです、って居場所を知らせるべく、大輔は思いっきり声を張り上げた。


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