緊急脱出用に用意していたメカノリモンの金属特有の冷たい輝きが、吸い込まれそうな青空を映しながら駆けていく。
日の光をまぶしく照り返しながら、棺桶のように狭いコックピットには、最後の希望というべき未来の英雄の卵たちがその時を待っている。
後ろを振り返れば、成熟期型の白いメカノリモンをより強化した完全体型のメカノリモン達が、毅然と迫ってきていた。
編隊を組み、異様に長い腕が手榴弾を次々と投げ込んでくる。追尾機能が無いだけましといえるが、状況は最悪だった。
右に、左に、と辛うじてかわしていくものの、圧倒的な敵の軍勢は暴力でしかない。
何発かが背中に、何発かが肩に当たり、何発かが心臓部ともいうべき中枢へと抉り込む。
エラーを表示する真っ赤な世界が広がり、エネルギーメーターが凄まじい勢いで減少していく。
どうやらオイルタンクをやられたらしい。ぴし、ぴし、ぴし、とひび割れが入る。
操縦桿を手放すことができない彼は、そこから入り込んでくる凄まじい風に目をつむった。
なんとかさまざまな柄をしているデジタマが封印されているタグを放すまいと手探りで握り締めるが、
その行動によりがくんと高度が落ちていく。反転する世界。直撃する攻撃。
あと2つ、と手繰り寄せようとした手は、彼の目前で大きくなっていく破損部分から落下してしまった。
あわてて回収しようと軌道を確保し、降下しようとした彼だったが、その隙を執拗なまでに攻撃してくる追手が見逃すはずがない。
さいわい追っ手のメカノリモン達は彼がこぼしてしまったものの重大性を認識しておらず、
うっそうと広がる黒い森に落下していくのをあえて見逃したようだった。
回収は不可能である。彼は無念さに打ちひしがれながら、前を見据えた。
彼の脳裏には、全滅してしまったエージェントと呼ばれる同僚たちの最期の姿が焼きついているのだ。
今ここで終わるわけにはいかない。何としてでも、【この子たち】を守らなければ。
彼は再び、上昇を開始した。その時見えた空が、彼、ゲンナイという青年が見た最後の世界である。
彼が再び目を覚ました時、凄まじい激痛が体を襲い、彼は立ち上がることができなかった。
ふれた体には包帯が巻かれ、至る所にガーゼが押し当てられており、薬品特有の香りがする。
医療施設のベットにいるのだと気付いたゲンナイは、命からがらメカノリモン達の軍勢から逃げ延びたのだと自覚する。
だが、どうやって逃げ延びたのか、背中から走るこの激痛は何なのか、思い出せないでいた。
どうやら前後の記憶が飛んでいるらしく、さっぱり思い出せないのである。
にぶい痛みの先に、真っ黒な世界が広がっていたことは思い出せたものの、
ブラックアウトする寸前だったのか、暗闇の攻撃なのか判別できない。
安堵のため息をついた彼は、一体のデジモンがこちらを見ていることに気付いて、顔を上げた。
ケンタル病院とデジ文字で書かれている看板は、close の面が下げられているのが見えた。
「大丈夫ですか、ゲンナイ様」
「ここは?」
「ここは【ファイル島】の【はじまりの街】にある【ケンタル病院】です。
ファイル島唯一の医療設備が整っている病院です。私はここの医者であるケンタルモンと申します」
「ケンタルモン、か。どうして私の名を?」
「それは・・・・・・」
ケンタルモンの視線がゲンナイの反対側に投げられた。追いかけるようにゲンナイは後ろを向く。
鮮烈な赤が脳裏に焼きついた。草花の女王とも称される妖精型デジモンがゆっくりと歩みを進めてくる。
永遠の美と強さを約束する宝石ティファレットがあしらわれた宝石が彼女を象徴しているようだった。
「そりゃアタシがここまで連れてきたからだよ、セキュリティシステムの末端君」
「あなたは・・・・・」
ベットのすぐ横に備え付けられている椅子を引いた彼女は、腰をおろして足を組んだ。
ホメオスタシスから聞いてはいたものの、実際に会うのは初めてである。
ゲンナイは自然と背筋が伸びる思いがした。妙齢の女性のような眼差しが微笑んだ。
はじまりの街に居城を構える彼女は、はじまりの街の守護デジモンにしてファイル島の統治者である。
「一体何があったか説明してもらおうか。時と場合によっちゃあ、こっちも考えがあるよ。
どうしてここに運んでくる手筈になっていたはずのタグと紋章、それにデジタマが
2つ足りないんだい?」
はじまりの街の主に促されるがまま、ゲンナイは、サーバ大陸で起こった惨事について説明を始めた。
「なるほどねえ。こりゃ一杯喰わされた」
面白くなさそうに彼女は舌打ちをする。明らかな動揺と焦燥が窺えた。
来るのが遅かったね、と彼女は付け加えると、肩をすくめた。
「奴さんはどうやら用意周到らしいねえ。ダイノ古代境に残してくれていたはずの
先代の子供たちが残してくれた闘いの記録を、ひとつ残らず持ち去りやがったよ」
ゲンナイに迫っていたあまりにも多すぎる追っ手は、どうやら初めからゲンナイを抹殺する気は無かったようだ。
上手く泳がされてしまったと自覚したらしいゲンナイは唇をかむ。
どうやら別の計画が同時に進行していたらしかった
「アンタが気にするこたあないさ。こっちの落ち度でもあるんだ。悪いねえ。
でもこれで炎の壁の向こう側からやって来る親玉のヒントが、これで手に入らなくなっちまったよ。
どうやって暗黒の軍勢がこの世界を掌握しやがったのか、てんで分からないときた。
これじゃあアタシの占いもお手上げだよ」
はあ、とはじまりの街の主は、ためいきをついた。
かつてファイル島が存続の危機に立たされた時、世界を救う子供を召喚した実績がある彼女でも、
これからやって来るであろう子供たちをサポートすることができないことはあまりにも歯がゆい。
彼らが行くべき道筋を示してやれないのは、灯台もない真っ暗な海に船を出すようなものである。
「まあそれはおいおい考えるさ。ケンタルモン、ゲンナイの受けた傷の解析は終わったのかい?」
「ええ、つい先ほど」
「私は、一体?」
「どうやら記憶が飛んじまってるらしいね。まあ、無理もないさ。
アタシもかつて行動不能になる【呪い】を受けたことがあるからねえ、
この姿に復活するまで大分時間がかかっちまったことを覚えてる。
端的に言うと、ゲンナイ、アンタははるかにたちの悪い呪いにかかってる」
「動くことができないよりもたちが悪いのですか?」
「ああ、暗黒の塊を撃ち込まれてるよ。下手に動かない方がいい。
精神的に不安定になればなるほど、【呪い】はアンタを蝕んでいくのさ。
【呪い】がアンタの記憶を食いつぶして、その空白の中に暗黒の意識を芽生えさせていくんだ。
相当ねちっこいことやってるねえ、まったく。
ネットワークセキュリティの末端が暗黒の勢力に意識を乗っ取られるなんて勘弁しとくれよ」
「不完全な【呪い】であることが不幸中の幸いでしょうか。
ゲンナイ様が正常な状態にいち早く戻るには、最適化の手順が必要になりますが
どうなさいます?」
「しかし、時間が」
「ああ、ないねえ。絶望的に足りない」
「何かいい方法はありませんか」
「なら、アンタ自身の容量を極限まで小さくするってのはどうだい?
そんで空いた容量を【呪いの治癒】の【プログラム】に回すのさ。
アタシも【呪い】にかかってた時は、婆の姿になってたもんだよ」
あっはっは、と快活に笑う彼女に、ゲンナイはちょっとだけひきつった顔をした。
「それでも元の姿になるには無茶苦茶時間を食ったからねえ。
実際、ファイル島を救ってくれた子供を召喚した時なんか、すべてが終わった後だった。
おかげでその子供はアタシの本体が婆だと思ってやがったがね!失礼しちゃうよ。
ま、それは置いておくとして、アンタにはまだやってもらわないといけないことがあるんだ。
ガキになるのか爺さんになるのかは知らないけど、その前に付き合っておくれよ」
「ロゼモン様、これからどちらへ?」
「これからゲンナイを案内するのさ。紋章を扱えるのはアンタだけだからねえ。
暗黒との戦いはこれからなんだ。用心するに越したことはないだろう?
暗黒勢力にデジメンタルまで奪われちゃたまらない。あいつ等には使えないように、
きちんと誰のものだか名前を書いておかなくちゃねえ。さ、いくよ。
選ばれし子供のパートナーが眠ってるダイノ古代境急域へ」
ロゼモンに案内されてダイノ古代境を訪れたゲンナイは、一歩足を踏み入れた瞬間から
現代種の楽園ともいうべきファイル島において、ダイノ古代境は極めて異質な環境だと直感した。
はじめこそ疑問に感じていたのだが、こうして巡ってみればその理由を理解できた。
太陽が昇ってから沈んでいく光景や目的地までの移動時間を換算してみると
入り口と時静域と呼ばれている地帯の体感時間は通常の2分の1と感じたにもかかわらず、
古代種の子孫が眠っているという秘境がある時急域は通常の2倍の速さで時間進んでいくのだ。
ロゼモン曰く時急域はもともと存在していたエリアであり、そこにいたるまでの時静域は、
この世界の時間という概念に直接干渉ができる能力を持ったデジモンが作り出している。
おかげでデジモンたちは命を削りながらエリアにはいる必要がなくなるというわけだ。
なぜファイル島という現代種の楽園において、時急域という恐ろしいエリアがあるのかというと、それはファイル島がデジタルワールドという世界の縮図であり、
すべてのエリアはファイル島のデータをもとに作成されていることが起因している。
この世界において初めてファイル島が造られた時、すべての時間は時急域の流れだった。
それが世界が広がるにつれて時間は次第にゆっくりとなり、現在の流れに至るのだ。
だからダイノ古代境はデジタルワールドの時間の縮図ともいえる特別な空間であると言えた。
「しかし、本当に古代種の子孫をパートナーに選定してもよいのですか?」
「ホメオスタシスから何も聞いてないのかい?」
「いえ、その子供と古代種が最も適合していることは私も重々承知しているつもりです。
他のパートナーと違って古代種の末裔が秘めている資質は
選定された現代種と引けを取らないことは事実だと思います。
でも、この個体は唯一の生き残りである以上、
他のパートナーと違って進化ツリーを操作することができません。
進化ツリーを一本化させないということはあまりにもリスクが高いのでは?
今までは育成に特化した才能を持つ子たちばかりだったからこそ、
すべてのことをゆだねることができていたんだと私は思います。
でも、今度来る子供たちはデジモンのことを全く知らない世界の人間です。
同列にするには、あまりにも負担がかかりすぎる気がするのですが」
ふふ、とロゼモンは笑うと目を細めていった。
「何言ってんだい、それを何とかすんのがアタシらの仕事じゃないのさ。
ホメオスタシスが何を考えてんのかは知らないけどねえ、
誰もが思いつくようなリスク度外視で選定したんだ。きっと理由があるんだよ」
「そうでしょうか」
「きっとそうだって。きっと何百年先も見据えてんだろうさ。
なんせアタシらはそのために訳も分からないまんまここにいるわけだから。
ま、大体想像つくけどねえ。備えあれば憂いなしってこった。
デジメンタルに紋章を掘り込んで、紋章が役目を終えた時に、
そのエネルギー体がデジメンタルに効果付与するように処理を施すなんて
想定される危険とやらを憂いてたらそれこそ頭痛くなるよ。
願わくばそんな状況下になって欲しく無い訳だけどねえ」
さあ、ここが古代種の末裔の眠る秘境のひとつだよ、いこうか、とロゼモンは笑った。
ゲンナイとロゼモンの話は尽きることがない。
なにせ創世記に滅亡した種族の末裔を復活させるという大事業が控えているのだ。
当時と時間の流れも文化レベルも能力の違いも何もかもが未知数なのは事実である。
当時使われていたであろう言語と現代では言葉が違うことも想定されるため、
現代種のデジモンと慣れるまでパートナー候補をダイノ古代境から出さない方がいいとか、
他のパートナー候補と交流を持たせるために、はじまりの街に移住させた方がいいとか、
細部にわたって話し合われていた。すべてはまだ見ぬデジタルモンスターのためである。
もっともほとんどが長きにわたる眠りから覚めた古代種の末裔の状態を見てから決定されるので、
卓上の空論に過ぎないのは仕方ないのだが。
洞窟の奥深くをゆっくりと巡っていくうちに、ロゼモンとゲンナイはすこしずつ最深部に近付いていく。
「どのみち、これは絶対に手放すなというのだけは確定事項だねえ」
ロゼモンが握っているのは、ゲンナイが危険をなげうってまで守り通したデジヴァイスである。始まりの街でエレキモンに託された英雄の卵はまだ孵る気配がないので、おそらくデジヴァイスを一番最初に手にするのはこの先で眠っている幼年期のデジモンと言うことになりそうだ。
「ええ、デジメンタルを持たせてやるわけにはいかないので」
「封印されたはずのデジメンタルが実在するとバレでもしたら、恐ろしいことになるから
仕方ないさね。ホメオスタシスが想定してるその時ってやつが来るまではこっちで保護しとかなきゃいけないってのがつらい所だ」
彼女たちはこれから彼にとって命と同義なくらい大切なデジメンタルを取り上げる。
デジヴァイスというこれから出会うかけがえのないパートナーと出会える証が、
古代種の末裔にとっての大切なものになることを願いながら。
ロゼモンたちは最深部の扉を開けた。
第1話 激闘!サイバードラモン!
大輔は退屈だった。
折角キャンプ場なんていう広大な遊び場を目の前にして、団地住民の親睦だかなんだかの目的のために、
ろくな自由時間も設けられないままがっちがちのプログラムに拘束されているのが大いに気に食わない。
テントを設置するときには、ここでみんなと一緒に寝るのかとわくわくしたし、
夜になれば肝試しや花火大会、ビンゴといったココロ踊るイベントが控えているとしてもである。
空は入道雲が眩しい夏色の快晴に恵まれているし、ちょっと外に出るだけでハイキングコースとして設けられた森や渓流釣り、
鮎つかみなんていう面白そうな看板が立っているきれいな川がある。
しかもサッカーできそうなくらいの広場や遊具があり、
実際家族連れや他のイベント参加者達の、キャッチボールやバトミントンなど楽しそうな喧騒が横たわっている。
なのに、なんで自分はここでひたすら人参の皮を剥いてるんだろうと我に返るたび、大いに落胆する大輔である。
「あー!大輔、ちゃんとやってよね!」
「ちゃんとやってるだろ、うるせえなあ」
「ふーん?じゃあ大輔んちって、ペラッペラなニンジンのカレー食べてるんだ。変なの!」
「え?あ、やべっ!」
「アタシたちも食べるんだから、ちゃんと考えてよね。これだから男子はお子ちゃまなのよ」
「うっせーよ、馬鹿京」
「べーだ」
大嫌いな姉のごとくニヤニヤしながら指摘してくるのは、鶏肉のカットに悪戦苦闘している幼馴染である。
幼馴染とはいっても、お台場中学校に通うジュンと彼女の姉が親友だからの付き合いであり、
お台場小学校に在籍している大輔と彼女は別の小学校に通っている。
たった1歳しか違わないのに、下級生と上級生に分けられる区分が確かに存在していた。
カレー作りと言っても、包丁を使ったり、ガスコンロで火を使ったりするのは上級生の仕事として割り振られていて、
下級生組は危ないからとそれらの機材を触らせてすらもらえない。
納得がいかずごねた一部の女子生徒は、両親からマンツーマンの指導協力のもと悪戦苦闘しているが、
さすがに母親に見てもらいながら料理をするのは気恥ずかしくて頼めやしない。
結果として代わりに渡されたのは、百円ショップで調達したのだろうプラスチックのピーラーと、
ごろごろと入った野菜で今にもひっくり返りそうなザルとボウルだった。
下ごしらえを任された下級生たちの反応は、男子と女子で綺麗に別れたのは言うまでもない。
最初こそ滅多に無い経験に目を輝かせて、真面目にひとつひとつ水洗いする係、
ピーラーでひたすら皮を剥く係、大量のお米を洗う係と仕事をこなしていたのだが、
30分もすれば黙々とやっている女子はさておき男子は飽きてしまう。
包丁を握らせてもらえないせいで、実際に野菜を切ったり、じゃがいもの芽をとったり、
肉やウインナーを切ったり、といった作業すら上級生に独占されてしまっているのだ。
そのため、危険が伴う作業に保護者が自然と集中してしまうのはある意味仕方のないことで、
大人たちの目が手薄になり、褒めてもらえる気配すらないと察知するや彼らの手のひら返しは早かった。
単調すぎる作業ばかり押し付けられているという現実は、
たちまち慣れてしまった下級生たちに飽きと不平、不満をもたらす。
つまらない、と愚痴をこぼしたのは誰だったか大輔は覚えていない。
しかし、あっという間に広がっていった同調は主に男子の間に広がっていき、
かねがね同意だった大輔も手元がお留守になる。
やがて隣に座っている友達との会話に夢中になり、順調だった作業に滞りが見え始めると、機敏に反応したのは女子だった。
小学校低学年は男子も女子もあまり性差はでないが、成長期が早い子だと男子よりも身長も体格も精神面でもずっと大人びていく事が多い。
そのため、大輔が参加しているグループもその例にもれず、男子のことをまだ子供だと馬鹿にしている子がちらほら出始め、
そのなかでもリーダー格の子が代表して文句を言いに来ることが多かった。
子ども会のイベントでは、度々男子の不真面目さを優等生よろしく指摘する女子と男子で喧嘩になるか、
目ざとく保護者に密告した女子に男子が報復でケンカを売りに行く、という仲間割れが発生するのが恒例行事となりつつあった。
今回は後者がそれに当たる。
子ども会のイベントは学校と違ってその子供の両親が参加しているという大きな違いがあり、
直接その親に密告するほうがダメージがでかいと女子はよく知っていたのである。
こうしてアドバンテージを最大限に有効活用された結果、
その男子のある意味筆頭でもあった大輔、他数名の男子下級生は両親に捕まり、
公衆の面前でこっぴどく叱られたのは言うまでもない。
やんちゃ盛りのスポーツ少年に、ちまちまとした作業を当たらせるのは少々酷だと判断したのか知らないが、
大輔は呆れた様子で母に罰として、男子上級生達に混じって飯ごう炊さんに使うマキを拾ってくるように命じられたのだった。
してやったり顔の幼馴染をにらみつつ、そのメガネに今度落書きしてやると犯行予告を心のなかに刻みながら、
大輔は上級生グループに追いつくべく荷物を持ってかけ出したのだった。
ちなみに罰を命じられた瞬間、よっしゃ、ラッキーと反省ゼロのガッツポーズを目撃した母親は、
大いに肩をすくめてあまり遠くに行かないようにと釘を差したのは別の話である。
マキ集めなんてさらさら大輔にやる気など有るはずもない。
折角目の前に今まで行ったことのない知らない場所が広がっているのだ。
くまなく探検したってなんら問題は無いはずだ。
あとで女子に自慢してやろうと考えながら、大輔はマキ拾いの場所として教えられた場所へと急いだのである。
山道を抜けると祠が立っていた。
ここまで来てようやく知っている顔を見つけた大輔は、早速大声でその人の名前を呼んだ。
「太一さーん!空さーん!」
大輔の声に気付いた二人が手を振り返してくれる。
一目散にかけ出した大輔に、太一と呼ばれた青い服装の似合うゴーグル少年は驚いたように名前を読んだ。
何故か木の上で昼寝をしていたらしい彼は八神太一、大輔の通うお台場小学校のサッカー部の先輩である。
サッカー部のエースであり、キャプテンとして多くの部員を抱えるサッカー部を纏め上げている頼れる先輩といったところか。
ちなみにあこがれの先輩である太一のトレードマークとも言えるゴーグルを、
何度か大輔はねだっているが、今のところ却下されて撃沈している。
結局自分で似たようなゴーグルを見つけて付けるようになってから、
真似すんなよ、と軽口叩かれるようになった。
太一の妹に光という大輔と同級生の女の子がいるが、今日は風邪をこじらせて休みである。
一緒に行くと最後まで強情に粘る妹を説き伏せるのに苦労したと笑う太一の話を聞くたびに、
今まで同じクラスになったことがなく、こういったイベントで挨拶する程度でよく知らないが、
太一さんが大好きなんだろうなあと大輔は思っていた。
そりゃあ、こんなに可愛がってくれるお兄ちゃんがいるなんてうらやましい限りである。
姉といわば同属嫌悪を通り越した複雑な関係を形成している大輔にとって、
それが大きなハードルとなり、今となっては家族にうまく甘えることができないという寂しさを抱えている。
妹がいることで兄として人に頼られることが当たり前だ、
というスタンスの太一は非常に居心地がいい存在だった。
太一も、懐いてくれる下級生をもつことに満更でもないため、かねがね良好な関係を構築しつつある。
しかし、姉とのことを知られたくない大輔は、家に友達を呼んだことはない。
もっぱら遊びにいく専門のため、休日なんかは友達とも太一とも外で遊ぶことがほとんどである。
詳細について知っている人間は皆無だった。
今のところ大輔は打ち明ける気もないし、今更相談できる問題でもないため、だれも知らない状態である。
よいせっと軽い身のこなしで木から飛び降りてきた太一が、よう、と笑った。
「大輔じゃねーか、どうしたんだよこんなトコで。下級生は料理の手伝いじゃなかったっけ?
あー、まさかお前面倒になって逃げてきただろー」
「違いますよ!ただ、みや、じゃなかった女子がサボってるってちくったせいで、
マキ拾い手伝って来いって言われただけですってば!」
そんな後輩に、太一は同士を見つけたとばかりに嬉しそうに笑う。
あははっと笑った太一は、ぐいっと大輔の肩を引き寄せて、にっと笑うと、
ぐりぐりといがぐり頭を撫でまわす。な、なんすか!って大輔はビックリ仰天だ。
機嫌がいいと太一はよくこうやってちょっかいをかけてくるのだ。
「お前なあ、言ってることは同じだぞ?」
「え、そうっすか?」
「うんうん。でもま、オレも似たようなもんだって。やっぱ遊びたいよな!」
「だったら太一さんだって人のこといえないじゃないっすかー!」
「なんだってー?いったなこの野郎!」
「おわっ!」
じゃれ合うサッカー部の先輩と後輩に、忍び寄る影がある。
こーら、と二人の間に割って入ったのは、すっかりあきれ顔の女の子だった。
すぐそばには給水場から運んできたのだろう並々と注がれたバケツが二つ並んでいた。
すぐそばには小川が流れているのだが、衛生上の問題で炊事用の水は給水場の水を使わなければならないのだ。
やっと見つけた、というや否や、彼女は逃げようとする太一の首根っこを引っ掴む。
そして、足元にあったバケツの一つを太一の前に突き付けた。ちゃぷん、と波打つバケツ。
バケツは重いらしく、彼女の肩が抜けそうである。太一はから笑いした。
女の子であるにもかかわらず、石段を一人でここまで登ってきたらしい。
汗がにじみ出てきたので、額の汗をぬぐおうと彼女は帽子を脱いだ。
ショートヘアは癖がついてしまい、毛先がピンとははねているが、彼女が気にする気配はない。
乱暴に汗をぬぐった彼女は、ちょっと怒っているようだった。
「たーいーち!こんなところにいたんだ?料理する気がないならせめて、テント張るの手伝ってよね」
「げ、空」
「え?テントって午前中に張っちゃったんじゃないんすか?」
「そうよ、ホントならとっくの昔に終わってるはずなんだ。
どこかの誰かさんがさぼってなかったらね。
男手が足りないせいで、料理に使うバケツの水を運ぶ役を私がやってるの。
駄目じゃない、サッカー部のキャプテンがそんなんじゃ。
大輔君。仕事はきちんとしないとだめよ?」
「はーい」
先程空さんと呼ばれたボーイッシュな服装の女の子は、
太一と幼馴染で、同じくお台場小学校5年生の武之内空という。
お台場小学校のサッカー部は、女子でも混じって参加することができる。
大輔がクラブに入ったとき、空は太一とツートップでお台場小サッカー部の黄金期を支えている紅一点の女子選手だった。
そして、親睦を深めて今に至る。残念ながら足にケガをしてしまい、休止状態である。
無理をおして出場した大会で、無念の敗北を喫した遠因となったのを負い目に感じてか、と噂されている。
俺たち、いつでも待ってますよ、とエールを送る大輔だが、
なぜだか空は、いつも複雑そうな笑顔でありがとうというだけだ。
真面目な人なんだろうなあ、と大輔は思っている。
密かにジュンじゃなくて空が本当の姉だったらいいのに、と思い描くこともしばしばだ。
空は大輔が思い描く理想の姉ともいうべき存在だった。
自分のことを否定しないし、理由もなく理不尽な命令も言わないし、悪口も言わないし、
なによりもサッカー部の大会があると必ず来てくれて、レギュラーだけでなく補欠やサッカー部のみんなを褒めてくれる。
自分がサッカー部に入ると決めてから、一度も見に来てくれたことの無い、
おそらく興味もないだろう姉とは大違いである。
お前空の前のほうが素直だよな、と口を尖らせる太一の言葉に、はあ、と大輔は首をかしげた。
なんのことかさっぱりわからない。
大輔にとって太一も空も理想の兄や姉というフィルターが掛かっているせいか、
上級生相手ではそういった方面はとんと無頓着でもあった。
ちなみに太一はかわいがっていたいとこが、
実は他の親類に対しても、結構懐いているのをみてショックを受けるのと同じダメージを受けているだけである。
意匠返しに羽交い締めを食らってちょっかい掛けられる。
なんとか逃げ出した大輔は、けほけほと軽く咳き込んだ。
「いーなー、いーなー、光子郎先輩までいるとか、ずりー!
絶対そっちの方が楽しいじゃないですか!サッカー部偏りすぎですよ、ずっりーなあ」
「大輔君までいたら私の手には負えなくなっちゃうからだめよ」
「えーっ!?酷いっすよ、空さん!」
「大輔君までってなんだよ、空。それじゃあまるでオレが問題児みたいな言い方じゃないか」
「ほんとのこと言っただけでしょ……」
意地悪そうな笑みを浮かべた空だったが、ふと何かが頬を掠めたらしく、上を見る。
つられて太一と大輔は上空を見上げた。どうした?と投げかけられる疑問符に、
空も答えあぐねていたが、掌を広げて再び見上げる。
目の前をなにやら白いものがふわふわと漂いながら落ちてきたのだ。
それはやがて空の手の甲に冷たい感触を置き去りにして消えてしまう。
残されたのは水滴だけである。
「空から何か降ってきたの。もしかして、これ、雪?」
「バカだなー、真夏に雪なんて……冷たっ!?なんだこれ」
「ほら、間違いないわ、雪よ!」
「うわ、どんどん降ってきますよ!」
「やべえな、そろそろ帰ろうぜ」
「そうね、ちょっと寒いもの。行きましょ、大輔君」
「ハイ」
こくりと大輔が頷いた時、太一さーん、という聞き慣れた声が聞こえてきて、
みんなつられてそちらに振り返る。
「光子郎!」
「みなさんここにいたんですね、捜しましたよ。あれ、大輔君じゃないですか。
君は確か別の班じゃなかったっけ?」
「えーっと、その、あはは」
「太一と同じでサボってたから、マキひろいの罰を受けてるのよ、大輔君。
見ての通り、思いっきりサボってたけどね」
「そんなことどうでもいいだろ、空。それより光子郎、真夏に吹雪なんて一体どうなってんだ?」
「そんなのこっちが聞きたいですよ。でも、例の異常気象のせいかもしれませんね。
今年の夏は地球全体がおかしいんです。東南アジアでは干ばつで水田が枯れて、
中東では大雨による洪水が発生してる。アメリカでは記録的な冷夏です。
日本だって集中豪雨があったばかりじゃないですか」
「案外ほんとにノストラダモスの大予言が当たったりしてな」
へへ、と軽口をたたく太一たちだったが、急に気温も下がり、猛吹雪の予感すらしてきた。これはさすがにマキ拾いなどしている暇はない。
すると大輔の首もとにかけられていたPHSが音をたてる。
あわてて覚えたばかりの手順で耳を押し当てた大輔に、少々慌てた様子で母親の声がした。
『大輔、今どこにいるの?』
「え?あ、太一さん達と一緒にハイキングコースの崖のとこ」
『急に天候悪くなっちゃったから、とりあえずキャンプは中止ですって。
太一君達にも駐車場でまってるから、早く戻ってらっしゃいって伝えてくれる?』
「ん、わかった!」
PHSを切り、早速太一たちに事情を話した大輔は、太一が周囲にいた子供たちにも説明するのを見た。
ここにいる7名は大輔以外はサマーキャンプにより事前に振り分けられていた同じグループである。
だから大輔は太一と空、光子郎以外の4名はてんで分からなかったが、
太一がサッカー部の後輩だって簡単に説明してくれたおかげで初対面の彼らは納得してくれた。
さすがにこの猛吹雪の中行くのは危険だというメガネの上級生の意見により、
たまたま近くのお堂に逃げこむことにする。
太一に「ジョウ」と呼ばれていた彼は、5年生なのだろうか?
でも空は「ジョウ先輩」と呼んでいたはずである。どっちだろう?
そんな疑問をこっそり太一につぶやいてみると、お台場小学校の6年生だとこっそり教えてくれた。
開襟シャツにアイビー風のベストを着た眼鏡をかけた彼は、太一たちの班の最高学年であり、
名前の入った腕章を付けているからリーダーなのであると。
城戸班と腕章には書いてあるが、大輔はまだ読むことができないので「ジョウ」さんであることにはかわりない。
ぶっちゃけ頼りない。だから呼び捨てなんだって教えてくれた。
スポーツ部のキャプテンとしてそれはどうなんだろう?と思ってみたりするのだが、
顔に出ていたのだろうか、バツ悪そうに太一に軽く頭を叩かれた。
しばらくして、吹雪がやみ、一面銀世界が渓流谷を一変させていた。
「うわー!お兄ちゃん見て―!どこもかしこも真っ白だよ!」
緑色の帽子と服が印象的な見たことのない男の子が無邪気に声を上げる。
大輔と同じくらいだが、団地住まい向けの子ども会主催のサマーキャンプに、
無関係な子どもが紛れ込んでいるとは考えにくい。
小学校は普通同じなはずだし、団地に住んでいるなら顔も名前も大体憶えている自信のある大輔はてんで記憶になかった。
あんな奴いたっけ、と考えながら大輔はすっかり別世界に代わってしまった風景に見入る。
謎の小学生は、傍らにいた同じ金髪をしている上級生らしき男子に話しかけている。
あの人なら見たことある。太一さんとよくいる人。仲いいんだろうか。
そんなことを考えていると、大輔の目の前をさっきの謎の小学生が走っていく。
それを太一の友達の上級生が、危ない、とか、風邪引くとか注意しながらかけていく。
まるで兄弟みたいだが、太一さんの話では聞いたことないなあ、とぼんやり思う。
羨ましいと嫉妬の根が張ることに気付いていながら、大輔は見て見ぬふりを決め込んだ。
一目散にかけ出した大輔に、ずりーぞ置いてくなよ先輩差し置いて!と
憤るキャプテンの声がするがスルーである。
雪玉でもぶつけようかと手にとろうとした大輔は、
カウボーイハットの上級生がテンション高く上げる声に顔を上げた。
「ここってホントに私たちがいたキャンプ場なの!?別の場所みたーい!きれー!」
雪国のような景色に見とれる大輔は、ミミちゃん走ると危ないわよって叫んでる空の声にも、
天気予報ではまずありえないと頭をかかえる最上級生の言葉にも、
何故かさっきまでつながっていたネット通信も、携帯電話も、使えないと戸惑う光子郎の戸惑いにも気づかない。
謎の小学生がタケルと呼ばれていて、太一の友達に怒られているのにも気づかない。
太一が後ろから膝かっくんしようとしてることにすら気づかないのだ。
大輔のことを心配してさっきから電話をかけているのだが、
なぜか繋がらなくなっているPHSの向こう側の母親の心労など知るはずもない。
オーロラが本来オゾン層と太陽光線の関係で発生する現象であり、
オゾン層が限りなく薄くなる南極もしくは北極でなければ観測されないことなど、
まだ小学2年生である大輔が知るはずもないし、
そもそも日本で観測されるのは極北に位置する場所だけであることなど分かるはずもなかった。
ただニュースで洪水が起こったとか、地震が起こったとか、
やけにニュースが多いなあくらいしか気に留めていない小学生に、
そんな難しい話を理解するほうが困難である。
なんにせよ。
その見とれていたオーロラから突如放たれた光に気付いたときには既に遅く、
大輔、そしてたまたまその場所にいた他7名の子供たちは、
その光りに包まれてどこか知らない異世界へと飛ばされてしまったのである。
じとりと汗をかいてしまうような、湿気を帯びた緩やかな風が熱帯雨林を潜り抜け、
天まで届きそうな位高い木々から葉っぱを落として、気を失っていた大輔を起こした。
ふかふかな落ち葉のベットならばさぞかし目覚めがよかったのだろうが、
僅かな陽だまりに群生する苔のような背丈の低い草木は、質の悪い人工芝のようなざらざら、でこぼこ、トゲトゲである。
なんか痛い、痛い、なんだこれ、と目をこすりながら体を起こした大輔は、
きょろきょろとあたりを見渡しながら、チクチクとする地面から逃げるように立ち上がった。
どれくらい寝ていたんだろうか、体はすっかり葉っぱや土埃で汚れてしまっている。
これではまたお母さんに、こんなに汚してって小言を言われながら怒られるに違いない。
あーあ、なんてちょっとだけ憂鬱になりながら、大輔は服の汚れを払ってみた。
身体にくっつき虫のように張り付いている葉っぱを払いのけた大輔は、あれ?と下を見る。
雑草にしてはあまりにも蛍光色な緑色が見えた気がしたのだ。思わず拾い上げてみると、
これまた不自然なくらい表面に凹凸があり、先端はイラストの葉っぱのようにギザギザしている。
どこかで見たことがあると思ったら、お母さんがいつも作ってくれるお弁当の中に入っている、
おかずとおかずの間を間仕切りしてくれる葉っぱである。
とっても大きいサイズだが間違いない。大輔の足元に払いのけられたのは、どれもプラスチックの葉っぱだった。
え、え、え、と予想外の出来事に、ようやく自分の置かれている状況が分かり始めた大輔は、
思わずあたりを見渡していた。
砂利交じりの地面は、その一つ一つに小さな穴が開いており、ビーズが敷き詰められている。
一度プラスチック特有の光沢を認識したら、大輔は問答無用で今いる所が違和感だらけだと気付いてしまう。
樹に生い茂っている葉っぱは、よく見れば本物の葉っぱは一枚もなく、
プラスチックの葉っぱがびっしりと張り付けられているのである。
熱帯雨林のように蔦や苔が生い茂る木々もプラスチック特有のでこぼこが目についてしまう。
それなのに、熱帯雨林のような湿度と温度からくる体感は、間違いなくジャングルの中である。
「ここ………どこだよ……」
小さくかすれている声が大輔はますます不安にさせる。
次第に大輔はここに至るまでの直前の出来事について思い出してきたようだった。
朽ちた木の匂いがこもる祠からみた、季節外れの吹雪が真夏の緑を白銀が塗り潰した世界。
透き通った巨大なカーテンが、はるか上空で裾を翻し、舞い踊る神秘的な光景。
星が光っていると大輔に教えてくれたのは、たしか太一だったはずだ。
きらりと光った瞬きは、一つ二つと増えていき、オーロラを縫うように増えていった。
大輔が瞬きするたびに星は増えていった。閃きは輝きとなり、次第に大きな塊となる。
何か飛んでくると叫んだのは誰だっただろう。星が降ってくる!と大輔が気付いた時には、
危ないから伏せろって言う太一の声が響いてきて、大輔は慌ててしゃがみこんだのだ。
怖かった。ばーん、と雪の柱が2メートルほど立ち上り、女の子の悲鳴が恐怖をあおった。
衝撃の物凄さは思い出すだけでちょっと怖くなるほどのものを大輔に植え付けている。
空からの落下物はいくつもあり、そのたびに大輔は必死で目を閉じていた。
おそるおそる顔を上げた大輔は、大丈夫?って声を掛けてくれた空にほっとして、
はいって頷いた。緊張の糸が途切れそうになってしがみつきそうになったのだが、
その先に金髪の男の子を庇った太一の友人が大丈夫かって心配そうに覗き込んでいるのが見えたのだ。
大輔ははっとした。現実に帰った。空はジュンではない。お姉ちゃんではない。
だから、大輔が怖くてその場にしゃがみ込んだ時も、真っ先にその不安を払しょくするように歩み寄ってはくれなかった。
迷惑を掛けちゃだめだから、大輔は必死で泣きわめいている自分を叩きつけ、
まだ若干の顔色の悪さが残っている空を気遣うために、笑って見せたのだ。
アクシデントを面白がっている様子の太一やカウガールの女の子をみて我慢した。
好奇心に駆られて光の珠が飛来したところに飛んで行こうとしている光子郎をみつけた太一に、
行こうぜ、と手招きをされて大輔は頷いて、それで、それで、それで?
「太一さーん!空さーん!誰かーっ!いたら返事してくれよっ!!」
思わず大輔は叫んでいた。
柔らかい光を放っていたなにかが宙に浮遊してきた時のことを思い出してしまったのだ。
綿帽子のような光の塊は、7つしかなかった。それぞれが7人の子供たちの手の中に飛び込んだ。
何だろうな、大輔っててっきり大輔の前にも表れたのだろうと勘違いしてつぶやいた太一に、
大輔は何も答えることは出来なかった。
もともと太一は思ったことを意味もなく独り言のようにつぶやく癖があるので、
大輔が何か返事をしたとしても気にしないとはいえ、その時の疎外感は半端なものではなかった。
太一の手の中には、ポケベルのような液晶画面のついた、ずいぶんとごついデジタル時計が握られていて。
その表面には光の粒子が霧のように輝いていて、特徴的なリズムを刻み始めたのである。
それは目覚ましのアラームのようでもあり、警告の真っ赤なサイレンにも似ていた。
がんがんと耳に響くその音は、その時の大輔にはどこか後者のように聞こえた。
その瞬間、突風にあおられたようにカーテンが揺れ始めたのだ。
そのとき、大輔はなんとなく思った。呼んでるって思った。
太一たちを誰かが呼んでいる。オーロラの向こう側に待っている誰かがいる。
そして、少なくてもその機械が降ってこなかった自分は、その中には入っていない。
置いていかれる、そう思ったのに。
オーロラが激しく揺らめき、天空から剥がされて降り注いで来た時、
光の濁流は洪水へと変貌を遂げ、7人の子供たちと大輔ごと呑み込んで、
空が一瞬爆発したように輝いたのである。
そして、気がついたとき、大輔はテレビの中でしか見たことがない、ジャングルの密林の中にひとり倒れていたのだ。
そばにいたはずの太一も空も、他の子どもたちの姿も見当たらず、
さっきから必死に大声を上げて助けを求めているのだが、返事はなし。
代わりに聞いたこともないような猛獣らしき声が聞こえてきて、
恐怖のあまり立ちすくんでしまったほどである。
どうしよう、と大輔は思った。
迷子になったらその場からなにがあっても動くなと、大型ショッピングモールに家族連れで買い物にいくたびに、
ジュンから聞かされていたためか、体に染み付いていた。闇雲に動き回られるとすれ違いになったり、
時間が掛かったりして二度手間で迷惑をかけるだけだから、と何度となく叱咤されてきたのだ。
泣きべそかいて母親にすがった幼少期、もうこのころから既に姉は冷たい目で自分を見ていた気がする。
お客様サービスセンターで両親を待ちわびる子供は、誰もが無事でよかったと笑顔で頭を撫でもらったり、
手をつないで帰っていたのに、姉にそういう事をされた記憶はない。
探せど探せど、姉からの愛情を感じ取れるような思い出が、皆無だという事実が重くのしかかる。
そのことに気付いてから何年経っただろうか、
大輔は姉に弟として愛されることを半ば諦めていたのかもしれなかった。
だから、なおさら、無意識のうちに姉として、兄として、重ねてみていた太一と空がいないという現実は、
大輔にとって凄まじいダメージを与えていた。
ましてや、無意識のうちに置いていかれることを自覚していた状態で、
共に連れ去られてしまったという現実は、ますます大輔を混乱させていた。
泣きそうになるのを我慢して、必死に呼びつづける大輔の声が響くことなく
密林の中に溶けていく。
どうしよう、どうしよう、とパニック状態になりつつあった大輔は、
首にかけられていたPHSに気付いてあわてて母親に連絡しようと操作するが、
圏外という表示が無常にも記されただけだった。
途方にくれる大輔は、無意識のうちにPHSを両手で握り締め、祈るような思いで待っていた。
いつも待っていれば必ず誰かが声をかけてくれたのだ。
淡い思い出が、彼の性分である無鉄砲を抑えこみ、直感で進んでいくという無謀な行動を抑制していた。
彼がその自由奔放な行動を発揮することができるのは、心に余裕が有るときだけである。
まだ幼い彼が突然置かれた環境を楽しむことができるような楽天さは持ち得ていなかった。
その判断はかねがね正解といえる。
現在彼がいるのはファイル島のトロピカルジャングルと呼ばれる密林地帯だ。
中心部に位置する亜熱帯をはずれ、海岸や大河域に多いマングローブ域に大輔はいる。
現在彼が見つめている先の山道は崖が待ち構えていた。
しかし、待っていれば誰かが助けに来てくれる、という淡い期待は、この日を境に木っ端微塵に粉砕することになる。
がさり、と音がした。
ほっと安堵して大輔が振り返ると、巨大な影が落ちる。大輔は一瞬呼吸の仕方を忘れてしまった。
なぜなら、彼の何倍も大きな大きな巨体が彼を見下ろしていたからである。
真っ黒な体をした大男が、4枚の赤黒く染められた血のような羽を揺らし、
しっぽをゆらし、ゆうゆうとこちらに近づいてきたからである。
表情が読みとれない銀色の仮面からは、鋭いツノが二本頭上に突き出している。
その鈍色の仮面に歪んでうつる、今にも泣きそうな子どもが自分であると気付いた大輔は、あわててかけ出した。
大男は無言のまま、凄まじいプレッシャーを帯びながら迫ってくる。
なんなんだよ、あいつ!と大輔は訳がわからないまま絶叫した。
走って走って走って、追い立てられるように走っても、低学年の体力と持続力ではどうしてもすぐにバテてしまう。
時折後ろを振り返りながら一直線に逃げていた大輔は、突然広がった視界に戦慄を覚えた。
ころころと蹴飛ばした石が奈落の底へと誘わんとして、口を開けて待っている断崖絶壁。
退路はない。
振り向けば、正体不明の怪物がその鋭利な爪と腕にあるブレードを豪快に振り上げているところだった。
無我夢中で助けを求めて叫んだ大輔の目前に、理不尽にも容赦なく暴力が襲いかかる。
飛び降りるかどうか必死で考えた大輔は、
その豪腕で体ごとたたきつぶされて殺されるくらいなら飛び降りてやる、と即決して、
決死のダイブをはかった。
これがひとつのきっかけであったかもしれない。
少なくともこの日から、大輔は自分から動かないと誰も助けてくれないのだと、強烈に思い込むようになっていた。
その時である。
無防備に投げ出された小さな体を受け止める何かが、横からサイバードラモンのもとを飛び去った。
空振りした豪腕から振り下ろされた爪が、さっきまで大輔がいた断崖絶壁をえぐりとり、
奈落の底へと轟音をたてて落としてしまう。
そして目前で獲物をかっさらった、新たな敵を無機質な視線で見つめるのだった。
「おい、おーい、大丈夫か?起きろ、やばいんだから!」
たしたし、と軽く叩かれ、記憶が彼方に飛んでいた大輔が目を覚ますと、ものすごい風圧が大輔を襲う。
ここは?と小さくつぶやいた大輔に、風圧から守るように少年は壁になりながら笑った。
危なかったなあって言われて、くしゃくしゃに頭を撫でられて、じわりと涙腺がゆるむ。
助かったのだという事実が強烈に大輔の中で必死に押し殺していたものをずるずると押し上げていく。
ぽろぽろと前から後ろから零れ落ちていく水玉に少年は驚いた顔をする。
少年の顔に気付いた大輔は、反射的に頭に着けていたゴーグルをかけて表情を隠してしまった。
便利だなソレ、と太一くらいの謎の少年が苦笑いする。
ほら、捕まれよ、と手を差し伸べられ、わけがわからないまま、真っ青な何かに捕まった大輔は、
自分が何かの動物の上に乗っており、それが大きな羽を羽ばたかせていることにきづく。
大きな尻尾とまるで恐竜のような姿。ゲームで出てくるドラゴンを彷彿とさせるそれ。
驚きのあまり手を離しそうになり、暴れると落ちるってば!と少年に指摘され、
慌てて少年の体にしがみついた大輔は訳がわからず少年に疑問をぶつける。
若干鼻声なのは目をつむってくれるらしかった。
「え?え?ここどこ?こいつなに?!えええっ?!」
「だから暴れるなよ、落ちるってば!あーもう、賢くらいの癖に落ち着きない奴だなあ。
俺は遼。秋山遼。アンタは?」
「お、おれ?オレは大輔。本宮大輔」
「そっか、大輔。オレがさっき、崖から落ちたアンタを助けたんだ。な?エアロブイドラモン」
「そうだよ、大輔。崖から飛び降りるなんて危ないじゃないか!なんでオレ連れてないんだよ、はぐれたの?」
「うわっ?しゃべった?!」
「何いってんだよ、大輔。オレだよ?進化の姿違うけど、覚えてないの?!」
「はあっ?オレのこと知ってんのかよ、お前!」
「あれ?おかしいな。人違いじゃないのか?」
「違うって!オレが大輔のこと見間違う訳ないじゃないか!
オレだよ、大輔!パートナーのブイモンだよ!覚えてないの?ホントに?」
「ぶ、ブイモンだか、なんだか知らないけど、オレアンタたちのこと知らないって。
なんなんだよ、ここ!オーロラに巻き込まれて気づいたらここにいたんだけどっ」
「………おい、エアロブイドラモン、どーいうことだよ。ゲンナイさんが言ってた時間軸じゃないじゃないか!」
「お、オレに言われても知らないよ!オレはただゲンナイさんが言うとおり、
この先にあるアジトをぶっ潰せっていわれただけで……!」
「くっそ、こんなところにまで時間の歪が起きてんのかよ!
入るゲート、やっぱとなりの奴であってたんだ。間違えた!」
「なにわけ分かんないこと、話してんだよ、あんたら!」
「詳しいことはあとで。まずは、サイバードラモンをなんとか正気にしなきゃ」
「黒い歯車で操られてるんだよ、遼!」
「ったくもー、強い奴の気配がするって勝手に飛び込んどいて、
なに操られてんだよ、バカ!早く目覚ませよ!」
とりあえず、サイバードラモンと呼ばれたバケモノは、本来遼の仲間らしい。
遼がエアロブイドラモンに指示している方向を凝視すると、確かに後ろの背中に黒い歯車みたいなものが突き刺さって見えた。
好戦的らしいあのバケモノが飛び出していって、もともと来る予定ではなかったところに
来てしまったらしいが、大輔はそのおかげで命拾いしたわけで、
そのゲンナイとか言う人に大輔は密かに感謝した。
どうやって壊すのか遼は困っている。
サイバードラモンがこっちに気付いて、一気に急上昇したのだ。
逃れるように大きく旋回する図体にしがみつきながら、大輔は、勇ましく仲間を救おうと頑張る遼の姿を間近で見たのである。
それはそれは、強烈なインパクトを持っていた。
なにか止めるものがあれば、とつぶやいて必死に考え込んでいる。
エアロブイドラモンが言うには、サイバードラモンは容赦なく襲いかかってくる猪突猛進型だから、
背中を向けることは絶対にありえない上に、エアロブイドラモンのスピードでは撹乱は無理らしい。
だからといって逃げるのは仲間を見捨てるからできないと必死で打開策を考えている遼。
なにもできない自分を歯がゆく思いながら、大輔はふと有ることを思いついてリュックの中を探った。
「なあ、これ、使えないかな?」
「おおっ!サンキュー、大輔!これならなんとか行けるかも!
よっしゃ、行くぞエアロブイドラモン!あの脳筋の目を覚まさせてやんないと!」
「OK,遼。さっすが、大輔。オレのパートナーだけあるよな!」
「だからお前誰だよ」
さっぱりついていけない大輔は、とりあえず目の前の驚異に集中することにした。
チャンスは一度だけ。緊張のあまり震える手を必死で堪えながら、
大輔はエアロブイドラモンの頭の上までよじ登ると、追いかけてくるサイバードラモンをみた。
遼が後ろから白いデジタル時計のようなものを取り出して、構えている。
なんかのどっきりメカなのだろうか。遼が後ろから3,2,1,とカウントしてくれる。
せーの!で大輔は使い捨てカメラのフラッシュをサイバードラモンにかざした。
「よっしゃ、今がチャンス!」
一瞬まばゆい光に反射的に振り払う動作をしたサイバードラモンの隙をついて、
大きく旋回したエアロブイドラモンはその口から豪快にビームを発射した。
「Vウイングブレード!!」
放たれた光線が黒い歯車に直撃する。
その衝撃により、豪快に吹っ飛ばされたサイバードラモンが岩壁に縫い付けられた。
「だ、大丈夫なのか?味方なのに!」
「大丈夫だって、あの戦闘狂。ほっといてもピンピンしてるから」
「だな」
「ありがとうな、大輔。お前のおかげで助かったよ」
くしゃくしゃ、と頭をかきなでられて、大輔は照れくさくなって、そんな事はないと首を振った。
弟という立場でずっと生きてきた大輔にとって、人から頼りにされて感謝され、
そして褒められるという体験は数えるほどしかない。
屈託ない笑みを向けられ、ありがとう、と口にしてくれた遼は、大輔にとって凄まじい衝撃を与えたも同然だった。
人から頼りにされるということは、こんなに心が暖かくなるものなのか、
くすぐったくなるものなのか、と初めて知った感覚に戸惑いを隠せない。
生まれて初めて、対等に認めてもらえた気がして、大輔は気分が昂揚するのが分かった。
太一が下級生のサッカー部員に対して「頼れるお兄ちゃん」であろうとする理由が少しだけ分かったきがした。
この体験は、大輔の中に強く刻み込まれ、太一と同様に少しでも人から頼りにされる人間になりたい、
という大輔の初めて抱いた希望をはっきりと自覚させるきっかけとなる。
いまはまだ、その時ではないけれども。
思い出したように、大輔はつぶやいた。
「ところで、ふたりとも、何者?」
エアロブイドラモンと遼は、どこか気まずそうに目を逸らした。
微妙な沈黙の中、先程紐なしバンジーを決行した崖へと再びエアロブイドラモンは、大輔を下ろしてくれた。
ようやくお待ちかねの質問タイムである、筈なのだが、
遼とエアロブイドラモンはさっきの潔さはどこへやら何やら焦っている様子である。
さすがの挙動不審に大輔はジト目で睨みつけた。
「なあ、ここってどこ?渓流谷の近く?」
「いや、違うよ。えーっと、その、あえて言うなら、異世界、かな?」
「えっ?!異世界?どういう事だよ」
「うーん………なんていうか、どこまでいっていいのやら、ええっと、その」
「どうかした?」
「………驚かないで聞いてくれよ、大輔。実は俺たち、未来から来たんだ」
「・・・・・・・・・・・えー」
「信じてくれないの、大輔?!」
「だから、なんでお前はオレのコト知ってるんだよ」
「そりゃ、オレと大輔は運命共同体だからだよ。パートナーなんだから」
「だから、そのパートナーってなんだよ」
「だーもー、エアロブイドラモンは黙っててくれよ、ややこしい。
俺達はとある事情で未来から来て、こうして敵と戦ってるんだ。
大輔たちを助けるために」
「助けるため?」
「信じてくれとは言わないけど、本当なら俺たち大晦日に会う予定なんだ」
「大晦日?………意外とすっごい近くの未来だなあ」
「まあ、そういうわけで、未来から来たから、いろいろ喋っちゃうと未来が変わっちゃうっていうか、
俺達と大輔が出会った時点でいろいろやばいかもしれないけど、
これ以上の変化はこわいから黙っててくれ」
「えー」
「頼むよ、このとおり!」
太一ほどの年上の人間に頭を下げられることに慣れているはずもない大輔は、
なんだか申し訳なくなってきて分かったと頷いた。
あからさまにほっとした様子で遼は胸をなで下ろす。
「その様子だと、まだブイモンとは会ってないみたいだな。
これから会う仲間なんだ、大切にしてやってくれよ」
「そっちのオレにもよろしくね、大輔」
「なんか意味分かんないけど、分かった」
「ここにいれば助けはくるから、安心してよ」
「未来予知?」
「まあね」
わかったと頷いた大輔に、じゃあ半年後に会おうな、と意味不明な言葉をのこして秋山遼とエアロブイドラモン、
そしてサイバードラモンは空の彼方に消えてしまったのだった。