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[2609] 帰って来たいケイネスのZERO(憑依)
Name: クリス◆45dab918 ID:89adfc6d
Date: 2008/02/25 10:58


 すべての始まりは唐突だった。
 それは、九代を重ねる魔導の名門アーチボルトの嫡男、ケイネス・エルメロイ・アーチボルトが、彼自身の所属する降霊科ユリフィス の学部長の娘と婚約した翌日に始まった。
 周囲の者は等しく「ロード・エルメロイがおかしくなった」と感じるようになった。

 彼の変化の要因として考えられる事象は唯一つ。
 降霊学科の長でありケイネスの恩師でもあるソフィアリ学部長の息女、ソラウ・ヌァザレ・ソフィアリとの婚約。
 魔術師たちの総本山、時計塔を上へ下へと揺るがす縁談故に確かに人に変化を齎す事象としては足る要因だ。
 だが、ことケイネスに関して言えばあまりに不自然な変化だった。
 生まれついての貴族であり、魔術師として高い矜持を持つケイネスが変化するとなれば、それはより高次への変化でなければならない。
 しかし、ケイネスの変化の方向性は魔術師としての変化ではなく、人格そのものの変化を周囲に知らしめた。

 変化による“奇行”でまず始まったのは、魔術に関する感覚の確認。
 誰もが“名にし負うロード・エルメロイ”と納得し頷く神童が、今更に魔術に対する感覚を測り直すという奇行に誰もが驚愕した。
 魔術に対する知識、感覚、行使を一通り調べたケイネスは、ついでとばかりに五感の確認さえ行った。
 聴覚、嗅覚、視覚、触覚、味覚。
 様々な音楽や雑音を聴き、料理や花、その他も諸々を嗅ぎまわり、取り寄せた視力検査の機器と睨めっこしていたり、自身の手で水に触れ、火に手を翳し、土を踏み、風を感じたり、古今東西の料理を食し、酔いつぶれるまで飲み明かしていた。

 そして、ケイネスの奇行はそれだけに留まらず、次に始めた事は、何の変哲もない体力測定だった。
 腹筋、背筋、腕立て、反復横跳び、50m走、1km走といった運動。
 その結果に大いに落胆した様子のケイネスは、すぐさま空き時間を利用して体力作りをするようになった。
 名門アーチボルト家の嫡子として、時計塔での華々しい研究成果の数々と破竹の勢いで位階を上り詰めていく異例の出世も無くしたかのようにひらすら身体的鍛錬を続けた。
 ケイネスは魔術に関して、すでにある程度安定していたため、多少時間を“趣味”に割いたとしても誰も止めはしなかった。
 学院での講義に際しても、一時期の混乱を過ぎると以前のように降霊科の講師として優秀な実績を取戻した。しかも、角ばった雰囲気がなくなり、学徒たちの要望があれば、そのための時間を割くようにもなっていた。

 ケイネス・エルメロイ・アーチボルトの変化は、それほど時間を掛けずに集束していった。
 都合1年の期間でケイネスに対する『高飛車』『ヒステリ気味』『上から目線』『額に広がる注意報』などの印象に代わり、『快活』『行動派』『ちょいムキ』というようなもが定着していた。
 しかし、婚約以後のケイネスの奇行に頭を抱えるはずの婚約者たるソラウは、まったく動じなかった。
 元々、婚約者に対して然したる興味を持っていなかったソラウは、ケイネスの変化をことさら気にした様子も無い。
 実際、ソラウは、変化が始まってからのケイネスとほとんど会っていない。ケイネスも体力作りや筋トレ、教え子への指導などに時間を割いていた。たまに食事を共にしたり、何か贈り物を渡したりと必要最低限の接触しかしていなかった。

 そのようなケイネスに対し、アーチボルト家とソフィアリ学部長が合同でケイネスの解析が行われたが、結果は特に異常なし。
 性格が変化した以上の変化は特に無く、魔術師としての知識・能力はそのままであるため、公的に不足が出ていないのを理由に放置と相成った。

 そして遂に来るべき時がやってきた。
 それは、極東の地で行われる“聖杯戦争”という名の大儀式。
 7人の魔術師が7騎のサーヴァントをそれぞれ使役し、生き残ったただ1組が、万能の杯である聖杯を手にする。
 ロード・エルメロイの経歴の総仕上げに施すべく挑むべき戦争。
 しかし、ケイネス本人は何故か聖杯戦争への参加を大分渋っていた。
 さまざまな言い訳を湯水の如く垂れ流してでも回避したかったようだが、恩師であるソフィアリ学部長に叱咤されようやく重い腰を上げたのだった。

 結局、聖杯戦争に参加することが本決まりになったケイネスは、強制的にでも参加させられることが分かっていたようで、あらゆる準備がすで整えられていた。
 散々駄々を捏ねていたケイネスに呆れていた面々もこれには満足したようで、腐ってもロード・エルメロイといったところだった。
 だが、聖杯戦争に参加するために取り寄せた、ある英雄ゆかりの聖遺物が、教え子たるウェイバー・ベルベットによって持ち出されてしまったのだった。
 その事態に周囲は大慌てだったが、ケイネス本人は―――魂が抜けていた。
 魂が抜ける直前、ウェイバーが聖遺物と共に消えたと報告が持ち込まれようとしていたその数分前に

「忘れてたぁ~~~~~~~~~~~~!!!!!」

 そんなケイネスの叫びが、降霊科の学部内に響き渡っていた。
 結局、新たに聖遺物が用意されたものの、再び駄々を捏ね始めたケイネスを説得するのは、骨が折れたとソフィアリ学部長と聖杯戦争に共に参加するソラウ。
 聖杯戦争にケイネスが旅立った時計塔では、嵐が去った後のように静けさを取戻していた。

  ◇

 聖杯戦争開催地である冬木市にやってきたケイネスとソラウ、そして二人が召還した1騎のサーヴァントはある洋館に到着していた。
 そこは、前回の聖杯戦争に参加した「地上で最も優美なハイエナ」と恐れられるエーデルフェルトが建てた双子館の片割れだった。
 エーデルフェルトは第三次聖杯戦争以降二度と日本の土は踏まないと公言し、以後洋館は魔術協会に譲渡されていたものを今回の聖杯戦争に参加決定がなされてすぐにケイネスが買い取っていた。
 前もって清掃を依頼していたため、館内の心地は悪くない。
 今回の聖杯戦争でケイネスたちの拠点となる屋敷であるため、到着早々ケイネスはすぐさま自身に合った工房にするためにサーヴァントにも手伝わせてあっという間に幾重もの偽装・防御・迎撃の結界を空き詰めていった。
 半日かけて工房を完成させたケイネスは、優雅にお茶をして待っていたソラウが寛ぐサロンへと戻ってきた。
 ケイネスたちが作業している間、ソラウはちょくちょく見回りしに来ていたが、ケイネスに話しかけるでもなく、作業を手伝うサーヴァントを眺めていた。

 ようやく落ち着いたケイネスは、久しぶりに直接話す婚約者と自身が契約したサーヴァントを前にして重大発表をした。

「――聞き違いかしら……もう一度言って、ケイネス」

 燃えるような赤毛をとは対照的な氷を思わせる雰囲気をその身に纏う美女、ソラウはそれまで誰も見たことのないような驚きと呆れの表情を自身の婚約者たるケイネスに向けた。

「私はね、ソラウ。本当のケイネスではない。ただ君との婚約が決まった頃に突然この身体に宿ったまったくの別人格なんだよ」
「――……そう。貴方が変わったとは聞いていたけど、ここまで酷かったのね」
「いやいやいや。現実は小説より奇なりと言うじゃないか。ここはそういうものだと認識してくれ」

 明らかに正気の沙汰とは思えないケイネスの弁に始めは、困惑したソラウだったが、すぐさま常の品位と知性によって形作られる冷静な美貌に戻っていた。
 哂うでもなく、拒むでもなく、ただ可哀想な人を見るような目をするソラウに、ケイネスは慌てて補足する。

「とにかく。このことを話したのは聖杯戦争に参加する上で重要なことなんだ。私の言葉が信じられぬというのならばそれでもいい。ただそういう設定だと思って聞いてくれ」

 最近、ついぞなかった真剣な表情に、少なくともケイネスではないと主張するこのケイネスにとっては重大なことなのだろうと理解した。
 ソラウがある程度真面目に聴く姿勢を示したことでケイネスでないと言うケイネスはさらにもう一人の人物を呼び出す。

「ランサー、居るね。君にも話しておきたい、出てきてくれ」
「――は。お側に」

 打てば響くような速やかさで現れたのは、ケイネスでないケイネスがソラウと共に召還した美貌の英霊。槍兵のサーヴァント、ディルムッド・オディナであった。
 ディルムッドが実体化した瞬間、ソラウの表情はそれまで女帝さながらの厳しさをもっていたそれとは急変し、わずかに頬を朱に染めている。
 ソラウの変化にディルムッドたるランサーは、外面の表情に変化はないものの内心では幾許かの不安を懐いていた。
 その両名の心中を完璧に捉えているようにケイネスの体に宿る誰かは、僅かに苦笑してランサーに椅子を勧めることにした。

「ランサー、君も立っていないで座ってくれ。その方が話しやすい」
「――……は、それでは」

 しばし間を置いて返答したランサーは、ケイネス(偽)とソラウがテーブルを挟んで東西に腰掛けていたソファーとは別の南側にあった簡素な木製の椅子に腰を下ろした。

「いやいやいや、ランサー。そちらでは話しにくい。ソラウの隣に座ってくれ。そうしなければ私は首を大きく振らなければならない」
「ケイネスッ!?」
「は、いや、しかしそれは……」

 突然の提案に困惑半分嬉しさ半分のソラウと苦悶100%の表情のランサー。
 二人の反応を楽しそうに眺めるケイネス(仮)。

「さあ、早く座ってくれランサー。ソラウも君のような美丈夫が相席であれば機嫌もよくなるのだから」
「――ッッッ」
「……主の命であるのならば。ソラウ様、失礼します」

 それほど大きなソファーでないため、恐々と腰掛けたランサーの隣では、硬直し始めるソラウが身じろぎすれば肩が触れ合うという距離にますます頬を染める。
 普段絶対に見ることのできないソラウの反応をひとしきり堪能したケイネス?は、ランサーの心情に心の中で謝罪して本題に入った。

「私には、今回の聖杯戦争でやっておきたいことと成すべきことが幾つかある。その中でも最優先事項は、生き残ることだ」

 その言葉を聴き、ランサーは至極真面目に応える。

「我が誓いに賭け、敵を打ち倒し、必ずや聖杯を我が主に……」
「いやいやいや、聖杯を勝ち取るまで戦う必要はない」
「……と、申されますと?」

 いきなりの言葉にもランサーは依然、慎みを保ち言葉の真意を問い、ソラウは夢見心地でうっとりしながら聞き逃していた。

「腹を割って話せば、君を侮辱することになるがいいかな?」
「我が主の御言葉です。是非もありません」

 真意を問うランサーにケイネス?が真剣な面持ちで確認するが、ランサーは礼を尽くして先を促す。

「――でははっきりと言おう。私と君では、……勝ち抜けないんだよ」
「ッ……我が主よ。それは私の力量が不足であると?」

 僅かにランサーの心が揺れるのを感じ取るケイネス?は静かに諭すように告げる。

「君は私には勿体無いくらいの誉れ高い騎士だ。私個人としては、君に不満はない」
「恐縮であります。我が主よ」
「だが、今回の聖杯戦争は、混沌としたものになる。故に私には君の騎士としての本懐を遂げさせることを保障できない」

 昏々とした語り口にランサーは美麗な魔貌を強張らせる。
 まるで自身が前にする者が、得体の知れぬ絶望を運んでくるように感じられる。
 そのランサーの変化にケイネス?言葉足らずだったことに気付き訂正する。

「いやいやいや。君の騎士道を穢すようなことは企んでいない。それは信じてくれ」
「――!? も、申し訳ありません」
「気にしなくてもいい」

 自身の疑念を読まれたことにランサーは、畏まって頭を提げる。
 ケイネス?はランサーに頭を上げさせると今度は軽い調子で言う。

「私は少し未来を知っていてね。できれば、正義の味方の真似事をしようと考えているんだよ」
「セイギの…ミカタ、ですか? ……と、未来を知っているッ!?」
「えっ? えっ? どうしたの」

 いきなりの宣言と告白にランサーは驚愕し、その叫びに隣でトリップしかかっていたソラウが現実世界に戻ってくる。
 その様子に乱雑にカットしてある金髪を掻きながら苦笑する。

「魔法使いの悪戯か、はたまた神の施しか。今回の第三次聖杯戦争でケイネス・エルメロイ・アーチボルトとソラウ・ヌァザレ・ソフィアリ、そしてランサー、ディルムッド・オディナの凄惨な結末を知る者。それが、今の私だ」
「そ、それは……」
「またですか、ケイネス? いい加減な虚言でランサーを惑わすのはやめなさい」
「いやいやいや、至極真面目だよ。ソラウ、君にとっても大切な話なんだからね」
「……わかったわ」

 本当に真面目な表情と口調でいうケイネス?にソラウも再び真剣に耳をかすことにした。
 ここ1年の間に変化したケイネス?の表情は、依然のそれとは違い、魔術師然としたモノではなく、何処か異質な凄みが滲み出ている。

「それでは、やはり私たちの顛末から語った方が良さそうだな」

 それから語られた物語は、聴いていて心地良い部分など何処にもなかった。
 ランサー召還当初から生じていた本来のケイネスのランサーへの疑念。それによる不和。
 ケイネスの敗北とソラウの想いが、ランサーに齎した苦汁の選択。
 最後には、ケイネスの絶望とランサーの怨嗟で締めくくられた。

「………………」
「………………」
「それらは、全て起こりえた未来の結末だ」

 話し終えたケイネス?は、すでに冷えきった淹れておいた茶で喉を潤した。
 聞き入っていた真に迫る悲劇の筋書きに言葉をなくしたソラウとランサーが沈黙のままでいる。
 そんな二人を見かねたケイネス?は、新たに温め直した茶をテーブルに置いて話しを再会する。

「とまあ、そんなことにならないように私は準備してきたつもりだ。そもそも参戦することがなければ最善だったのだが、ソフィアリ学部長に尻を叩かれては致し方なかった。……まぁ、ウェイバー君のことを度忘れしてのは、私の落ち度だった」

 ケイネスがケイネス?に変化する前に不和が生じていたウェイバーは、ケイネス?とあまり顔を合わせないようにしていたようで、聖遺物が持ち去られるというイベントを見のがしてしまっていたのだった。
 もしかすると何らかの強制力が働いたのでは? と、自身の不始末の責任を運命のせいにしていたのは、内緒にしているようだ。

「それが事実なら貴方は何をするつもりなの、(仮)ケイネス」

 最早どうでも良いというように冷静な口調で訊ねるソラウ。

「それはだね……」
「それは?」

 言葉を選ぶように目蓋を伏せて押し黙るケイネス?に先を促すソラウ。
 ランサーも固唾を呑んでケイネス?の言葉を待つ。
 ひたすら5分ほど俯いたケイネス?はゆっくりと面を上げてシニカルな笑みをたたえて言った。





「逃げよっか」テヘリ




































 果たしてケイネス?となった者の末路は!?
 



[2609] 帰って来たいケイネスのZERO 第2話
Name: クリス◆45dab918 ID:89adfc6d
Date: 2008/02/22 03:23


 到底信じられるはずのないケイネス?の話を聞き終えたソラウとランサー。

「はぁ……はぁ、はぁ……」
「い、痛いじゃないか。ソラウ」

 乱れた呼吸を整えようとするソラウと苦しそうに言うケイネス。

「ケ、ケイネス殿?」
「大丈夫だ。だが、今しばらく休ませてくれ」

 何故か、一方的な暴力を振るわれたようにダウンしているケイネスを労わるランサー。
 本来であれば、使い魔というランクに収まる事のないサーヴァントであるランサーが側に居ながら、そのマスターであるケイネスがグロッキー状態に陥るとは敵のマスターとサーヴァントに襲われたと考えるのが普通だ。しかし、

「ち、違うのよ、ランサー! ケイネスの顔を見ていたら拳が勝手……コホン。ケイネスの不甲斐なさを注意しようとしただけなの。先の話で私も混乱していたみたい。だから、ちょっと手加減を間違えただけで、私は決して肉体派ではありません。信じてください」
「い、いえ。私もそのようなことは思っておりませんので。とりあえず気を落ち着かせて下さい、ソラウ様」

 必死に弁明する恋する乙女のソラウに戸惑うランサーなのだった。
 慣れない運動のためか、頬を染めて興奮気味の呼吸に肩を揺らすソラウ。
 その肩に優しく手を置いて正面から向き合ってソラウを落ち着かせるランサー。

「ラ、ランサー……」

 両肩に伝わるランサーの確かな存在と吐息も触れ合うほどの急接近に蕩けた表情になるソラウ。

「落ち着きましたか?」

 ランサーに他意はないため真面目な顔で聞くのだが、その魅惑の魔貌の前にソラウはもはや数分前までの自分の凶行を失念し、心音が早鐘のように鳴り響く。

「……はい。取り乱してしまって、ごめんなさい。でも、もう少しだけ……」

 肩にあるランサーの手に自分の手を添え、ソラウはランサーの逞しい体に寄りかかる。

「ソ、ソラウ様!? いけません」

 ソラウの積極的なアプローチに愕然となるランサー。
 これでは生前と同じ末路を――そう思ったランサーは視界の端に映る自分の主に救いを求める。

「ランサーといちゃいちゃしたいのなら自分の部屋でしなさい」
「ケイネス殿!?」

 それは婚約者を取られるという男の言葉ではない。
 召喚されてからもランサーの知る魔術師らしさを感じさせないケイネス?でも、そこまでズレてはいないだろうと思ったランサーであったが、先の話同様本人も十分ぶっ飛んでいた。

「さあ、ランサー」

 ケイネス?の言葉だけを理解し、ケイネス?という人間はいないものであるかのようにソラウの蕩けきった心はノンストップ。
 誰もみたことのないソラウの恋する表情を向けられるランサーはソファーに倒れ伏す主に最後まで助けを請う。
 そんなランサーの態度にさすがに悪ふざけが過ぎたというようにどうにか身体を背もたれに寄せてどうにか喋れる体勢になる。

「ランサーが困っているようだから、今夜は解放してあげなさい。やはり、人間関係は時間をかけることも大切なようだ」

 まるで年老いた者のように優しく、されど威厳をもって諭すケイネス?にソラウは仕方なく、名残惜しそうにランサーの腕を放す。
 先ほどの逃げ宣言やソラウに制裁を加えられていたヘタレなケイネス?はなりを顰め、真面目な面持ちで言う。

「先ほどの言葉は流石に過ぎた。それには私も反省している。すまなかった」
「いえ。主が謝罪するようなことはなにも……」

 自分の主人に頭をさげさせてしまったランサーは強張った表情になる。

「もう少し柔軟に行こうじゃないか、ランサー。確かに少しばかり私も遊びに過ぎたが、主従関係をガチガチにする必要もないだろう」

 ソラウの制裁によるダメージからようやく回復してきたケイネス?は立ち上がり、背筋を伸ばして直立するランサーの肩を叩く。

「私は、王でも統治者でもフィオナ騎士団の首領でもない」

 真摯な眼差しでランサーに言うケイネス?。その顔にできたばかりの痣が痛々しい。

「私が君に求めるものはそう多くない」

 まるで親が我が子に言い聞かせるような口調のケイネス?からランサーは視線を逸らさず話を聞き続ける。その鼻から血が垂れている。

「私が歩むことになる絶望的な試練を共に往く騎士が君だ」

 ランサーの肩に置いた手に力を込め、口調も強めるケイネス?。その足はガクガクでダメージが蓄積されている。

「そして君が戦いに赴くための力となるのがソラウだ」

 近年お馬鹿な挙動が増加傾向にあるケイネス?が随分長い時間を真面目に過ごしていることに驚きを感じるソラウ。

「君は、私と共に戦場を歩み、君自身の誉れで私を魅せてくれ。それが私の望む最大の忠誠なのだ」
「ケイネス殿……」

 第四次聖杯戦争において、自分の凄惨たる末路を知るケイネス?が自分を信頼している。
 今のランサーにとって、本当のケイネスがどれほどの不信感を持ち、自らの忠誠がどれほど貶められたかを感じることはできない。
 だがそれは、死に瀕したディルムッドが世界のすべてに向けて怨嗟を吐かせ、怨念に満ちた呪詛の禍言を叫ばせるほどの絶望。
 輝かしい英霊を醜き悪霊へと貶めるほどの憤怒。
 英霊の座から降りてくる知識を紐解いても識ることのできない自らの可能性。
 今回の自分もそのディルムッドと同じ道を辿るというのならばすぐにでも自害してしまっただろう。
 だが、ランサーとして召喚された自分のマスターとなったケイネス?は、騎士としての忠誠を望んでくれている。
 そしてそれは利害関係によるものではなく、自分の懐いた祈りを理解し、受け入れてくれた結果。
 ケイネス?の言葉は、未来を知るゆえの同情からくるものではないことをラインの繋がったランサーは理解する。

「此度の戦、共に生き抜いてくれないか、ディルムッド」

 ケイネス?の声は力強く、されど強要はしない。
 それはランサーがかつて描いた未来。
 主からの揺るぎなき信頼の言葉。

「このディルムッド・オディナ。主の信に絶対の忠誠を……」

 ケイネス?の言葉に双肩を震わせるランサーの麗しき美貌を熱い雫が彩る。
 それは外法の道にある魔術師の器にありながら、人として、男として、騎士の在り方を是とする心を持つがゆえの理解だった。

「だからそう堅苦しくするな。君は自然体でいても騎士として輝きは失せる事はないのだから」

 漸く真面目は終了とばかりにケイネス?は笑顔になる。

「さて、既に夜も遅い。そろそろ休むことにしよう」

 鼻から垂れていた血を拭ったケイネス?はしっかりしない足取りで自室へと向かう。

「――では、私は周囲の警戒に」

 そう言って霊体化しようとするランサーをケイネス?が呼び止める。

「ちょっとランサーや」
「――何か?」

 ランサーを呼び止めたケイネス?は、所在無さ気に取り残されていたソラウを示した。

「我が友にして誇り高き騎士、ディルムッドよ。私たちの姫君の警護を頼むよ」

「なッ!?」
「ケイネス!」

 ケイネス?の提案にランサーはたじろぎ、ソラウは頬を朱に染めて歓喜する。
 いよいよもって、ケイネス?の人柄がどうしようもなく悪戯っこではないかと疑うランサー。

「ソラウは先に寝所に。ランサーをすぐ警護に付かせるから」
「そ、そうね。それじゃあ、おやすみなさいケイネス」

 まるで親が子を思うように優しく言うケイネス?に従い部屋を出るソラウは、出口で一度ランサーを見てから小走りに自室へと向かった。
 その後姿をケイネス?は微笑ましく、ランサーは哀しい瞳で見ていた。

「いいかい、ランサー。今夜にでも7騎のサーヴァントは揃うかもしれない。そんな夜に戦いを知らないソラウの側に警護を置かないわけにはいかないだろう?」
「しかし、それはマスターであるケイネス殿も同じこと」

 確かにランサーが現界するために必要な魔力を供給しているのはソラウなのだからソラウを重要視するのも理解できる。
 しかし、そのために令呪を宿す正式なマスターであるケイネス?を一人にするというのは本末転倒だ。

「私の心配は良い。この館に近づくものは結界が知らせてくれるし、トラップも無駄に多く設置してある。私とソラウの部屋が別々だからといって、君と合流できないほど離れるわけではないんだ。そこまで心配する必要はないよ」

 いかに近くだろうと気配遮断スキルを持つアサシンのサーヴァントに襲われれば危ない。
 しかし、それに対しての備えは万全であることを知っているランサーに反論の余地は無かった。

「私の騎士ディルムッドは戦場にある。そして、平時のディルムッドはソラウの騎士だ」
「しかし……」

 その言葉をそのまま受け取るのならば、同時にニ君に仕えることになってしまうわけで、ランサーは首を縦に触れない。

「ランサー……。君がソラウとグラニア姫を重ねているようだが、彼女たちは別人だ。グラニア姫と違ってソラウには君の魔貌に対する抵抗力がある」

 魔道の名門ソフィアリ家の血を持つソラウにとって、魅了程度の呪的影響ならば労せず無効化できるのだ。

「そして私は、フィンではない。私の君への信頼とソラウの君への恋。それらが君の誉れを引き裂きくことはない」
「……ケイネス殿は、ソラウ様を愛しておられないのですか?」

 ケイネス?の言葉に、かつての悲劇を呼び起こされたランサーは恐々と訊ねる。
 癒しの水を司る大英雄ですら嫉妬という呪いには打ち勝てなかった。
 ケイネス?の話に嘘偽りが無ければ、本来のケイネスはフィンを遙かに越える嫉妬を抱えた。
 自身の婚約者が別の男に心惹かれていることを良しとするなど、普通ではない。
 だが、ケイネス?自身が普通ではないのだ。

「そりゃあ愛しているさ」
「ならばッ!」

 ランサーの予想としては五分五分といったところだったが、ケイネス?の声に暗い感情は無い。

「だが、恋人としてではない」
「え……?」

 もはや何を言い出すか見当もつかないケイネス?にランサーは呆然とする。
 そんなランサーの様子に気まずそうに髪を乱雑にかき乱すとケイネス?はやはり笑顔を向けた。

「ソラウは、今ようやく普通の少女になろうとしている。情報としてしか知らなかった頃よりも。あまり会話をする機会はなかったが、出会ってからの1年でもっと笑っていて欲しいと思うようになった。確かにソラウに対する愛しさは生まれたけど、この気持ちは恋人としてではなくて……親、のような感じかな? あ、魔術師としての親心じゃなくて、世間一般としての親心の方だからな。まあ、私がソラウのどういった親というわけではないけど、一番近い感情がそれだってことさ」

 参ったねどうも。そんな表情をするケイネス?にランサーはどう反応したものか迷う。

「そ、それは父性、というモノですか?」
「う~ん。どっちかって言うと恋話にやたらと反応するお節介者のようなモノかも。野次馬根性みたいな?」

 もうシリアスな表情は品切れといわんばかりにおどけた調子で言うケイネス?。

「そんな理由で、命を懸けた戦いに赴くというのですか?」

 ケイネス?の言葉には、明らかに人が命を懸けるには足りない。
 しかも生き残ることを最優先に考えていると自分で宣言したケイネス?の行動理念には合わない。

「命を懸ける理由ってのは人によって違うことくらい知っているだろう? そりゃあ死にたくはない。だが、君にとってはそんな理由でも私にとっては命を懸けるに値する事柄の一つでもある。勿論、他にも色々とやりたいことはあるけどね」
「例のセイギのミカタというやつですか?」
「うん。まあ、私は割り切った考えが出来ないから、その真似事程度だけどな」

 モノホンの正義の味方みたいに全部は背負いきれません、と肩を揺らして笑うケイネス?は自室に向かって歩き出す。
 ソラウの寝所とは壁一枚隔ててはいるが、危急の際には壁をぶち抜いて合流することも出来る。

「君の忠誠は、十分理解している。けど、ソラウの想いもできれば受け止めてやって欲しい」

 それなりに重厚な扉を開けるとそこはケイネス?用の簡易工房として十重二十重の魔術式が施されていた。
 この部屋にはケイネス?と契約しているランサーですらその身に薄ら寒いものを感じる。
 今回の聖杯戦争に参加するために、というよりも如何なる場合に対処できるようにアーチボルト家の財の約半分を消費して購入したガラクタが保管されている。しかし、中にある物品によって結界が自然発生している。この結界自体には外敵を阻む効力がないので、役に立つかどうかは不明である。

「私は我が儘だからな。『ソラウを愛せ』とは言わないし、令呪で強制するつもりもない。でも、ソラウに笑顔を見せるくらいはしてやってくれ。笑顔は誰にでも必要だから。特に……」

 言い終わらぬうちにケイネス?は部屋の中へと入っていった。
 そうなると霊視だけでは中の様子は観察できない。

「おやすみ、ランサー。私の信頼は、女関係で拗れることはないんだ。だから、ソラウを頼む」
「御意」

 すべてを納得できたわけではないが、ケイネス?の言葉には笑顔で隠し切れない重みがあった。
 このマスターに忠誠を捧げることで自身の願いは叶うだろう。
 しかし、ケイネス?以外のマスターやサーヴァントもそうだろうか?
 ランサーにとって一番の不安がそれだった。
 ケイネス?は、少しばかり陽気に過ぎるところはあっても自分の仕える相手として不満はない。
 むしろ、その自由さはフィオナ騎士団の一騎士であった頃の自分でいられるような気さえするとランサーは思っていた。
 だが、そのケイネス?の心は優しすぎる。
 ラインから伝わってくるケイネス?という男の心は、ソラウの事、自分の事を本心から考えている。
 そしてそれ以外の何かへも思いを向けている。
 ケイネス?からソラウとランサーが聞かされたのは自分たちの悲劇だけ。
 敵対したサーヴァントやマスターに関する情報は何一つ聞かされなかった。
 そこにどんな思惑が秘められているかは、ランサーには計り知れなかった。

「……ランサー?」

 扉を開いて現れたランサーの姿を確認したソラウが呟く。
 すでにベッドに身を横たえていたソラウの側にランサーは歩み寄る。

「お側に控えておりますので、ソラウ様は安心して御休みください」
「ええ。とても頼もしいわ」

 まるで童女のように無垢な笑顔を向けるソラウにランサーも優しく微笑む。
 やはりその姿はグラニア姫と重なってしまう。ランサーは心中に刺さる小さな針が揺れ動く。
 今世での君主と決めたケイネス?の願いの一つが、ソラウの幸せである以上、ランサーもそれに応えるしかない。
 かつて自分を破滅に追いやった状況のはずなのにランサーの忠誠に対する信頼の綻びは一切ない。
 もし、ケイネスという器に入った男が、かつての主であるフィン・マックールに宿っていたならば。
 有りはしない。有ってはならないことを考えてしまったランサーは首を降って無意味な思考をはじき出す。
 正式な主従ではなくとも魔力を供給するソラウのすぐ側にいるとそのパイプはより強く感じられる。
 その感覚がソラウはよほど心地良いのか安らかな吐息とともに目蓋を閉じていた。

「忠誠と愛情……、ケイネス殿のように考えられれば、笑い飛ばせるのだろうか」

 ソラウの寝顔を極力見ないようにし、ランサーは感覚を研ぎ澄ませて寝ずの番で悶々と一夜を越えるのだった。







[2609] 帰って来たいケイネスのZERO 第3話
Name: クリス◆45dab918 ID:89adfc6d
Date: 2008/02/27 00:21


 海浜公園に隣接する場所に広がる倉庫街。
 夜ともなれば人っ子ひとり寄り付かないような寂しい区画。
 そんな倉庫街に一人の男がひとり寂しく佇んでいた。

「あー、あー、あー、ランサー君。まだかな?」

 念話でパートナーに訊ねる。

『今しばらく……。相手もマスターを連れての移動ですので』

「そうか。わかった、行儀よく待ってるよ」

 ランサーに対して、街に出てサーヴァントを誘い出す命を与えたケイネスは、人気のない倉庫街で孤独感を味わっていた。
 もっとも、どのサーヴァントが引っ掛かるか。
 その後どのような状況になるか。
 諸々の現実的な予想をたてているケイネスにとって、ランサーからの連絡にあった女二人連れの正体も確信していた。
 だが、ある程度の未来を知っているケイネスでも心休まることはない。
 何しろ寡黙な暗殺者たちにいきなり狙撃される可能性もあるのだ。
 少なくとも狙撃できるポイントを事前に把握し、それらのポイントからは死角になるよう立ち位置に気を付けてはいるものの、それだけで安心するなどあり得ないのが今のケイネスだった。
 何しろ、相手は正真正銘の殺し屋である。注意してし過ぎることなどない。

 そして無人の大通りをこちらに向かって堂々と歩いてくる二人組みを確認するとランサーもケイネスの前に立ち、実体化する。
 ケイネスは大通りの脇に避けて、すぐ側に立つ倉庫に背をあずけてハードボイルド風味な衣装と表情で敵の到着を待つことにした。
 通常の視覚で二人組みの女を確認するとケイネスは、心の中でほっと胸を撫で下ろしていた。
 事前に魔術協会で他のマスターたちの情報を集めていたため、ある程度は予想が合っていることは知っていた。
 しかし、実際に自分の目で確認するまでは、もしもということもあった。

 そうしてやってきたマスターとサーヴァントは、男装の少女が前に出てあり得ないファッションの女性がその後に立つ。
 ランサーと10mほどの距離を置いて真っ向から対峙している。
 相手は、ランサーが持つ長短のニ槍を見てそのクラスをすぐさま認識する。
 ランサーのニ槍を尋常ではないと相手が思っていることを知るケイネスは苦笑する。
 ケイネスにとって、ニ槍の戦士という者は対して珍しくなかった。
 今でこそ、超一流の魔術師であるロード=エルメロイの器に収まっているが、その正体はどうしようもない低俗な二十歳を超えぬ少年なのだ。
 そしてこの第四次聖杯戦争と十年後の第五次聖杯戦争とその後のことまでほぼすべてを網羅する情報を有している存在でもある。
 その非常識な知識の中には、娯楽の方面に特化している部分もあり、ニ槍使いの存在に殊更驚きを感じることはなかった。
 始めから色々と知っているというのは、面白みに欠けているが、そんなことを思えるような世界でないことも今のケイネスは心得ている。
 実際に、血生臭い行いになれて居ない今のケイネスでも前もって心の準備をしておくことでなんとか現状に耐えている。

 ここに立つまでにケイネスは、魔術協会では手に入らない数々の品を世界中から秘密裏に集めた。
 その中に強力な英霊を呼び出す触媒がなかったのは、愚かとしかいえない。
 もっともソラウの幸せを願いの一つとするケイネスにとってディルムッド以外のサーヴァントは選べなかった。
 幾つかのすれ違いが重なったことによってウェイバーにイスカンダルの触媒を奪われなければ、イスカンダルが良かったとも思っていたようだが……。
 とにかく、魔術に関わることのない人間を駆使することで魔術関係者には一切の情報が洩れていないことはプラスである。
 この今回の聖杯戦争はひとりの男を除いてそういった現代社会の恩恵を受けようとしない。キャスター組は範疇外。
 一般人の裏ルートでは、金さえ出せば大抵の物は入手できる。
 魔術師のルールの外で動く人間を使えば、魔術師に知られていない特殊なアイテムを確保できる。
 現に今のケイネスの懐には、金に物を言わせて特注で拵えた10.5インチもの超大型回転式拳銃がある。
 弾丸も50口径のマグナム弾を入手していたとある素材で加工した特別なものを装填している。
 この拳銃はとにかくデカイ! 重い! 扱い辛い!の三重苦で通常の人間ではコレクターぐらいしか喜ばないであろうサイズである。
 だが、これを扱う者が魔術師ならばその限りではない。
 このモンスターモデルとでも言うべき魔銃を使うためにケイネスの右腕には特殊なブローブが腕全体に装着されている。
 もちろん、これを使ってケイネスが戦う事はまずない。
 今のケイネスの技術では戦いの最中にこの魔弾を当てることができないからだ。
 故に、この魔銃と魔弾はいわば保険。
 実用性で言えば、服の内側に着込んでいる防弾服の方が数倍上である。
 だからこそ、ケイネスの魔術行使の合間、ここぞという場面でのみ撃ち放つまで温存される。
 これがなくともケイネスの用意した面白アイテムはまだまだある。
 もっともそれらを使うタイミングはよく考えなくては、想定外の事象が起きてしまい、ケイネスにとってとんでもなく不都合な事態になりかねないので、使わないにこしたことはない。

「よくぞ来た。その清開な闘気……セイバーとお見受けしたが、如何に?」

 ランサーの朗らかな低い声が対峙するサーヴァントに問う。

「その通り。そういうお前はランサーに相違ないな?」

 鉄を打つような明快な声で応じるセイバーもまたランサーに問う。

「いかにも。――フン、これより死合おうという相手と尋常に名乗りを交わすことも侭ならぬとは。興の乗らぬ縛りがあったものだ」

 ランサーの言葉にセイバーもまた表情を弛めて同意しているようだ。

「是非もあるまい。もとより我ら自身の栄誉を競う戦いではない。お前とてこの時代の主にその槍を捧げたのであろう?」

「フム、違いない。――だが。俺は、栄誉ある勝利で魅せよ、とも命じられているのでな」

 涼しげに言うランサーの言葉を受け、セイバーが倉庫に背をあずけているケイネスの方をちらりと見る。
 視線を向けられたケイネスは内心では兢々、表情ではランサーと同じく涼しげな微笑でセイバーの視線を受け止めた。

「なるほど。随分とマスターに恵まれているようだなランサー」

 刹那ほどの憂いもなしに言ってのけるセイバーだが、心の中では自分の本当のマスターを思い出していた。
 そんなセイバーの内心を予想するケイネスは苦笑を隠さなかった。

 そして、互いの意を酌み合ったサーヴァントたちはそれぞれ自慢の宝具を構える。
 ランサーはそのニ槍を自然体に構え、最良の敵を見据える。
 セイバーもまた、男装のダークスーツ姿を魔力で編みこんだ白銀と紺碧に輝く甲冑姿に変える。
 二人のサーヴァントが放つ闘気と緊張に張り詰めた空気が無人の倉庫街に異様なプレッシャーを撒き散らす。

「……ランサー。敵の実力は自分自身で測れ。宝具の使用も君に任せる。君の誉れ……ここで魅せてくれ」

「はっ! 我が主に、必ずや勝利を」

 視線を合わせることもなくランサーを激励するケイネス。
 セイバーも後に控える女性とニ、三会話を交わすとランサーに向かって始まりの一歩を踏み出して来た。
 ランサーは自分から吶喊することなく、セイバーが間合いに入るのを待つ。
 両者共に騎士であるこの勝負、できれば尋常な場であって欲しいと願うケイネスだが、それが叶えられないのもまた現実だった。








 眼前で繰り広げられる英霊同士の決闘。
 その様にケイネスもアイリフィールも驚愕に息を呑んだ。
 様相こそ異なるものの互いに鎧を纏い、槍と剣という原始的な武器での対人戦。
 己が技を最強と誇る騎士が競り合っている。
 だが、それはすでに人の戦いの域を超越して久しい。
 両者から迸る魔力、剣戟により飛び散る熱は空気を焦がし、大気を震わせる。
 人の視力を無視した超高速の戦闘。
 魔力を通した視力をもってしても全容の把握は不可能。
 だが、それでいいのだとケイネスは悟った。
 戦いが始まる前は、サーヴァントという存在がどれほどのものかを、英雄というもの決闘がどういうものかを見たいと思っていた。
 しかし、始まってしまえばそれはすべてが認識外の猛威だった。
 技のキレ、一撃の重さ、一足の間合い。
 どれをとっても人間には到達できない奇跡の業。
 魅せられる、とは何もすべてを観戦するだけではない。
 その場の空気に呑まれる。予想を遙かに超える力と力の激突の余波に肌を震わせる。
 この戦いは目で見るものではない。魂で感じるものなのだ。
 女のアイリスフィールがどう感じているかケイネスには分からないが、ケイネス自身は心が揮えていた。
 男というイキモノであるのなら誰もが憧れるものがそこにはあった。
 自分の磨き上げてきた技と力がその存在意義を、生き様を魅せ付ける。
 到達できないからこそ憧れ、夢に見る。

 そして、幾度の激突があったのか。
 倉庫街の一角がすでに無惨な様相を呈している中で二人のサーヴァントは睨み合う。
 互いに疲弊はなく、油断などもとよりない。

「賞賛を受け取れ、セイバー。ここに至って汗一つかかんとは、女だてらに見上げたやつだ」

 ランサーは、ニ槍の切先に漲る殺気はそのままに涼しげな眼差しでセイバーに語りかけた。
 大気を纏った不可視の剣を構えたままのセイバーも戦場での笑みをみせる。

「無用な謙遜だぞ、ランサー。貴殿の名を知らぬとはいえ、その槍捌きをもってその賛辞……私には誉れだ。ありがたく頂戴しよう」

 時代も国も越えて会いまみえた二人の騎士は、両者とも心に通ずるものを感じていた。
 だが、この英雄たちが真に決着をつけるために必要な要素が足りない。
 それは、サーヴァントが必殺とする概念の結晶。

 “宝具”
 英雄が英雄たる証でありシンボル。
 ひとたび解き放てばその威力たるや想像を絶する奇跡を現代に蘇らせる奇跡。

「どうやら技での決着は付けられんようだ。――だが俺は、主に我が栄誉を捧げねばならんのだセイバー」

「ほう。ならば、均衡を崩してみせるというのか」

「ああ。ここからは殺りに行かせてもらう」

 ランサーは悟っていた。
 真っ向からの白兵戦ではセイバーの守りを崩しきれないことを。
 であるからこそ、自らの秘策を出し惜しみするランサーではない。
 その様からセイバーがどれほどの誉れをもつ英霊であるかを想像することは難しくない。
 故に、自らの宝具を魅せる相手として不足などあるはずがなかった。
 マスターであるケイネスは、すべてのサーヴァントの正体を知っていると言っていたが、決してその真名をランサーに告げなかった。
 それは本来であれば愚の極みである。
 だが、ランサーにとってそれは紛れもないケイネスからの信頼の証だった。
 これほどの相手の正体を事前に知っていれば、心にしこりを残して戦うことになっていた。
 もし、そうであったならば先の競り合いですでに手傷を負わされていたに違いない。
 セイバーと対峙したことで、ランサーは真に騎士としての誉れを懸けて戦うことが出来る。
 相手もその戦いを望んでいる。
 ならばここで宝具の使用を躊躇う必要もない。

 ランサーは左手に持っていた短槍を放り捨てる。
 そんなランサーの行動に驚きながらも隙を見せないセイバー。
 そして右手に持った長槍に巻かれていた呪符が剥がされていく。
 現れた長槍は、真紅の槍。それまでとは桁違いの魔力が蜃気楼のように揺らめいている。

 と、宝具を解放したランサーはまっすぐにセイバーへと一直線に突き込んだ。
 それは先ほどまでの変幻自在な槍捌きとはまったくことなる愚直さだった。
 警戒しながらも、大した脅威も感じずにランサーの槍を己が剣で打ち払うセイバー。
 その時、槍と剣が触れた場所を中心に突然の烈風が吹き荒れた。

「な!?」

 突然のことに驚愕するセイバー。
 その後で見守っていたアイリスフィールも同様に信じられないものを見たような表情だ。

「晒したな。秘蔵の剣を」

 してやったりと得意げに呟くランサー。
 セイバーも何が起きたのかを瞬時に理解する。

「刃渡りも確かに見て取った。もう見えぬ間合いに惑わされることもない」

 もはや探りなしというように裂帛の気合とともに激烈な刺突を繰り出すランサー。
 繰り出される刺突は勢いを増し、苛烈で狙いすました突きはセイバーに間合いを取ることを許さない。
 ランサーの攻撃を躱しきれなくなったセイバーは刺突を己が剣でもって打ち払う。
 不可視の黄金の剣の姿はすでにランサーの目に捉えられている。
 だが、ニ槍の変幻自在さから一本槍の良く知る順当な槍術にセイバーは迂闊にも“狙いの甘い一撃”を見逃すという“愚”を犯してしまった。

 唸りをあげて擦過した真紅の槍に血の赤が加えられていた。
 地を転がりつつランサーの追撃を逃れ、アイリスフィールに治癒を施されるセイバー。

「やはり、易々とは勝ちを獲らせてはくれんか……」

 致命傷を与えられなかったことをぼやきつつもランサーの表情に落胆の色はない。
 むしろセイバーの端倪すべからざる危機回避行動に素直に感心しているようでもある。
 そして、ランサーの長槍の能力を理解したセイバーは自ら纏っていた白銀の鎧を散らした。
 ランサーの槍を前にして、魔力で編まれた護りなど意味はない。
 ならば、護りにまわしていた魔力を攻撃に転じさせる方が何倍も良い。
 セイバーの保有するスキルのひとつ『魔力放出』があるからこその思い切った判断だった。
 鎧を除装したことで、セイバーのパワーとスピードは割り増しされている。
 ランサーの“破魔の槍”に貫かれる前に一撃必殺の斬撃を喰らわせる。
 それがセイバーの考えだった。

「その勇敢さ。潔い決断。決して嫌いではないが……。この場に限って言わせてもらえば、それは失策だったぞ。セイバー」

 セイバーの捨て身の構えに挑発めいた言葉を贈るランサー。
 互いに、必殺を確信した瞬間。
 先に動いたのはセイバーだった。
 自らの剣を不可視にしていた『風王結界インビジブル・エア』の応用で、劇的な加速を得たセイバーは先の超高速戦闘をさらに超えた神速の突進で空気の壁すら突き破り、無防備なランサーに迫る。
 そして――セイバーは自分の失策に気付く。

 最早迎撃不可能な突進のセイバーに向けて凄絶な笑みを向けるランサーは、爪先で砂利ともども一本の棒を蹴り上げた。
 棒は巻かれていた呪符を解かれた黄色い短槍だった。
 その切先は、自らでも急停止することのできない速度に達しているセイバーの喉笛を刺し貫こうと禍々しく狙い済ましていた。





 散った鮮血が交錯する。
 立ち位置を真逆にして互いの戦果を確かめる。
 回避不可能なタイミングで目の前に現れた短槍を左腕に受けながらも回避したセイバー。
 強引な回避行動に鈍った剣先が切り裂いた左腕から血を流すランサー。
 両者ともに浅い一撃。
 勝負を決するには到底及ばない。

「つくづく、すんなりとは勝たせてくれんのか」

 自らも血を流す左腕を意に介した様子もなく言うランサー。
 その傷は、傍らで見守るケイネスの治癒魔術により見る見るうちに塞がっていく。
 しかし、セイバーの傷はアイリスフィールの必死の治癒魔術にも関わらず治ることはなかった。

「我が『破魔の紅薔薇ゲイ・ジャルグ』を前にして、鎧が無為であると悟ったまでは良かったな」

 一度発動すればもはや隠すまでもない。
 ランサーは、自慢のニ槍の力を発揮したことで自らの宝具の真名を堂々と口にする。
 セイバーに修復不可能な傷を負わせた黄色い短槍を拾い上げたランサーは再びニ槍の構えを取戻す。

「が、鎧を捨てたのは早計だった。そうでなければ『必滅の黄薔薇ゲイ・ボウ』は防げたものを」

 ついにその真名を晒した宝具を両翼の如く広げ、完全な構えをなす槍兵。

「成る程。もっと早くに気付くべきだった……。フィオナ騎士団、随一の戦士……“輝く貌”のディルムッド。まさか手合わせの栄に与るとは思いませんでした」

 傷を負わされてようやく相手の真名に思い至ったセイバーは、奇策による攻撃をディルムッドの技と認め、それで光栄であると言う。
 だがそれはセイバーに限ったことではない。
 真名を看破されたランサーは、むしろ清々しいほどの面持ちだ。

「誉れ高いのは俺の方だ、セイバー。かの名高き騎士王と鍔競り合って、一矢報いるまでに至ったとは――フフン、どうやらこの俺も捨てたものではないらしい」

 ここにようやく互いの名を確認しあった騎士たちが再び構える。

「さて、ようやく騎士として尋常なる勝負を挑めるわけだが――片腕を奪われた後では不満かな? セイバー」

「戯れ言を。この程度の傷に気兼ねされたのでは、むしろ屈辱」

 二人とも必殺を誓った一撃を悉く外された。
 相対するは真に誉れを競うに申し分ない好敵手。
 セイバーの言葉に一切の虚勢はないのだ。
 戦いが始まってから昂るその戦意はいくらも衰えはしない。
 騎士である二人にとって、それは口にするまでもない厳然たる意志の形。

「覚悟しろセイバー。次こそは獲る」

「それは私に獲られなかった時の話だぞ。ランサー」

 魔槍と聖剣。
 間合いを、必殺を、呼吸を探り合うニ騎のサーヴァントが睨み合う――そして、虚空より轟く雷鳴によって機を逸する。

 騎士同士の決闘に割って入ってきたのは逞しく美しい神に捧げられし牡牛に牽かれる戦車チャリオットだった。
 牡牛の蹄と戦車の車輪が空気を踏み潰す際に迸る紫電。
 膨大な魔力を無遠慮に雷電と化して撒き散らす戦車がゆっくりと戦場に舞い降りると御者台に堂々と胸を張る巨体が姿を現した。

「双方、武器を収めよ。王の御前である!」

 戦車の雷鳴にも劣らぬ大音量で吼えた大男はランサーとセイバーの対決が止まったことを確認すると再び高々と声を上げた。

「我が名は征服王イスカンダル。此度の聖杯戦争においてはライダーのクラスを得て現界した」

 その場の空気が停止した。
 聖杯戦争において戦略のもっとも基本的な部分である真名を自分からバラすような者がいるなど誰が予想しよう。
 もちろん、ケイネスだけは苦笑をかみ殺しながら面白そうに状況を観察している。
 イスカンダルという男を知っていて、この場面に立ち会えるというのはニヤける口元を押さえるなどできよう筈もなかった。

「何を考えてやがりますかこの馬ッ鹿はあああああ!!」

 イスカンダルの巨体の影に隠れて姿の見えていなかった彼のマスターであるウェイバー・ベルベットが非常に可愛らしい駄々っ子っぷりを見せてイスカンダルの分厚い筋肉をポカポカ叩き始める。
 しかし、そんなマスターのことなど気にした風もないライダーは、ランサーとセイバーを交互に見渡し、再び爆弾発言をする。

「我が軍門にくだり、余に譲り渡す気はないか?」

 とのことである。
 そんでもって一緒に世界を征服しに行きましょうと。
 早い話が、自軍への勧誘であった。
 唖然を通り越した何かが周囲の空気を見たいしていく。

「先に名乗った心意気には、まぁ関心せんでもないが……その提案は承諾しかねる」

 苦笑しつつもセイバーとの決闘を邪魔したライダーを眼だけで威嚇するランサー。
 それはセイバーも同じだったのか、こちらは苦笑する余地さえなく不快を露にする。

「戯れ言が過ぎたな征服王。騎士として許し難い侮辱だ」

 ランサーとセイバーの容赦のない敵意にも怖じることのないライダーは暫らく唸った後、

「……待遇は応相談だが?」

「「くどい!」」

 ライダーの考えた殺し文句もランサーとセイバーに一蹴される。
 そしてセイバーの方は自らも王である故にライダーの言葉は許せなかった。

「重ねて言うなら――私「あっはっはっはっ!!!!!」……?」

 セイバーの口上を塗り潰す笑い声が響く。
 そして、この場のすべての視線を集めながらも腹を抱えて笑っているケイネスであった。

「ケ、ケイネス殿」

 自分の主の突然の笑いに、ランサーはセイバーとの戦いでは決して見せなかった疲れた表情を作る。

「悪い悪いランサー。それにセイバーも。いや~、さすが征服王。生で見てもすっごいヤツじゃないか」

 笑いすぎで頬っぺたが痛いのか両頬をコネコネしながら言うケイネス。

「おう、魔術師よ。何がそんなに笑えるのだ?」

 この場で大笑いをかましてくれたケイネスに興味がわいたのか珍獣を見るような視線でライダーは訊ねた。

「いやいや、ウェイバー君が聖遺物を持ち去った時はどうしようかと頭を抱えたが……。どういった立場でも征服王と相対することができて嬉しい、と思ってね。貴方の“逸話”は、実に面白いと思っていたんだよ」

 まるで憧れの有名人にあったかのようにケイネスは満面の笑みで問いに応えた。
 そんなケイネスの様子に、ライダーはまたしばらく考え込むように唸るとポンと手を打って答えを導き出した。

「なるほど。……おぬし、余のふぁんというヤツか?」

「あっははははははッ! そうだな。それかもしれない。あッ、握手してもらって良い?」

「ウム。余の信奉者とあらば、歓迎するぞ」

 警戒することなく近づくケイネスが手を差し出すとライダーも気前良く手を差し出してその大きな手でケイネスの手を握り込んだ。
 その様子にランサーは疲れきった表情で頭を抱え、その他大勢は呆然とする以外にリアクションが思い浮かばなかった。
 ぶんぶんと腕が千切れんばかりにライダーとの握手を満喫するケイネスは、ライダーの影で縮こまる小さな影に笑顔を向けた。

「駄目だぞ、ウェイバー君。征服王のマスターとなった以上、もっと胸を張って堂々としたまえ」

 ケイネスの言葉に隠れていたウェイバーはビクっと身体を震わせて反応する。

「なんだあ? おぬし、うちのチビと知り合いだったのか?」

 隠れていたウェイバーを猫を持つように摘まみ上げてケイネスの眼前に突き出すライダー。
 敵のマスターに自分のマスターを突き出すなど正気の沙汰ではない。
 だが、今のケイネスもまた正気であるとは御世辞にも言えない男である。

「いやなに。ウェイバー君は私の教え子なんだよ。そうだよね、ウェイバー君?」

 優しい笑顔で言うケイネスに、聖遺物を盗んだウェイバーに対する怒りはまったくない。
 だが、ウェイバーはかわいそうなほど怯えている。

「ううう……」

 ケイネスと一向に眼を合わせようとしないウェイバーは宙吊り状態で困惑する。

「あらら。やっぱり怒ってる、よね?」

「フム。なにやら込み入った事情があるようだな」

「いや、それほど込みいっているわけじゃないけど。ゴメンねウェイバー君。でも、私は君の論文を捨てたりなんかしてないんだ」

 今のケイネスは、ウェイバーにとって気持ち悪いの一言である。
 さんざん自分をこき下ろしていたあの傲慢チキのケイネスが一転して優しくなる。あり得ないことであった。
 
「そ、そんなこと言っても信じません!」

 言うだけいってそっぽを向くウェイバー。
 そう。これこそがウェイバーの怒りの種であった。
 実は、今のケイネスがウェイバーの書いた論文を受け取ったのは、中身が入れ替わってすぐの頃だった。
 故にそのころのケイネスは混乱期に有り、ウェイバーの論文に眼を通す暇がなかったのである。
 そして時は流れ、論文を預かったことを忘れて過ごしていたケイネスは時たまウェイバーの視線を感じるようになっていた。
 それは論文に関する“正当な評価”をしてもらうためであったのだが、ケイネスは「ウェイバーが私に熱い視線を送っている」と誤解した。
 ああ、なんたるアホなすれ違い。
 その後、散らかりっぱなしのケイネスの執務室で床に散乱する資料の中から自分の論文を発見したウェイバーは二度とケイネスに近づかなくなった。
 そして、聖遺物を持っていかれた日。ようやくそのことに気付いたケイネスだったが、とき既に遅しであった。

「う~ん。私の落ち度は認めるから……」

「ぼ、僕は決めたんです! 聖杯戦争に勝って、貴方や時計塔のヤツラを見返すまで戻らないって!」

 優しくなったケイネスに対しては、苦手意識はある物の口答えできるほどにはレベルアップしているウェイバーなのだ。





 暫らくの間、なんちゃって師弟の痴話喧嘩のような口論が終るまでちゃんと出番を待っているその他大勢なのであった。








 ※若干修正
 感想で、細かな理由や代案をいろいろ考慮してもらいましたが、ホッカイロの案は削除しました。
 原作でもアサシンの存在があるため、切嗣たちは狙撃できませんでしたので……。
 私の至らなさ故に読者様方に多大な迷惑をお掛けしましたことをお詫びいたします。





[2609] 帰って来たいケイネスのZERO 第4話
Name: クリス◆45dab918 ID:89adfc6d
Date: 2008/02/27 00:22


 なんちゃって師弟が口論すること30分ほど経った頃。

「ストップ! やめよう、ウェイバー君。これ以上、皆さんをお待たせするのは良くない」

「そ、そうですね。はぁ、はぁ、僕も、はぁ、ちょっと疲れました」

 三十分間フルスロットルで口論を続けたウェイバーは息切れと喉の渇きのため、ケイネスの休戦の提案を受け入れた。
 肩で息をするウェイバーとスゴスゴとランサーの背後に戻っていくケイネスを周囲の者たちは、呆気にとられて見ていた。
 そして、会話を再開したのはライダーであった。

「ほっほぅ。うちの坊主も己が師に刃向かう気概があったとはなあ。それに師の方も中々に痛快な生き方をしているようでわないか」

 呵呵大笑でなんちゃって師弟を評するライダーに周囲も半分は同感といった様子だった。

「ウム、実に愉快な魔術師であるな。覗き見する姑息な輩もちったぁ見習うことがよい!」

 豪快に笑いながら大声を張り上げるライダー。
 その言葉に、やはりケイネス以外が怪訝な表情をする。

「セイバー、それにランサーよ。うぬらの真っ向切っての競い合い、まことに見事であった。マスターたちも己が騎士の戦いに臆する事無くよくぞ立ち会った!」

 ライダーはこの場にただ一人の王であるような物言いをするが、セイバーもここで自分も王であることを誇示することはしなかった。
 ライダーの声は、この場にいる者たちにかけられているものではないことを理解したからだ。

「情けない。情けないのぅ! 誇るべき真名を持ちながら覗き見だけの腰抜け共、聞いておるか!」

 鼓膜を震わせるライダーの豪笑に、挑発的な色合いが含まれる。

「聖杯に招かれし英霊は、今! ここに集うがいい。なおも顔見せを怖じるような腰抜け共は、征服王イスカンダルの侮蔑を免れぬものと知れ!」

 周囲の視線を一身に受け、大音量で言い放ちニヤリと笑うライダー。
 その大熱弁の反響が消えぬうちに、暗闇を引き裂く黄金の青年が姿を現した。
 この場に集ったマスターとサーヴァントたちを街灯の上から見下ろすその姿は皆が知っていた。
 昨夜、遠坂邸にてアサシンのサーヴァントを討ち倒したことになっている黄金のサーヴァントであった。

「(聞こえるかい、ソラウ?)」

 周囲の者がライダーの挑発に乗ってやってきた四騎目のサーヴァントに注目するなか、一人だけ意識を別に向けている者がいた。
 上着のうちに仕込んでいたマイクに囁きかけるは、ケイネスその人であった。

『(ええ良く聞こえているわ)』

 現代の技術の恩恵のひとつである通信機。
 ケイネス以外の他にこれを用いるのは衛宮切嗣たちだけであるため、通信を妨害されることもない。
 視界の端では、黄金のサーヴァントに続いて暗い闇を纏うサーヴァントが現れていた。
 聖杯戦争が始まって、緒戦から五騎ものサーヴァントが一所に集まるなど誰が予想できよう。

「(バーサーカーが現れた。そう時間も掛からない内に戦闘は終る。ここから3ブロック離れた路地のマンホールを見張ってくれ)」

『(ええ。印の付いた4箇所でいいのよね?)』

 ソラウの了解と確認の声が、機械越しにケイネスの耳に届く。

「(ああ。反応があったら教えてくれ)」

 バーサーカーのマスターである間桐雁夜は、今現在下水道の中に身を隠している。
 その事実を前もって知っているケイネスは、雁夜が戦闘後に這い出てくる場所の大体の位置にあったマンホールの近くにセンサーを仕掛けていた。
 視線の先では、一方的に攻撃していたアーチャーが撤退し、標的を見失ったバーサーカーがセイバーへと襲い掛かっていた。
 怨念に囚われた黒い殺意を身に纏い、理性を手放すことでその怪能力をもって容赦なくセイバーを攻撃するバーサーカー。
 狂化してなお損なわれることのない絶技にセイバーは押され始める。

「ランサー! 許す、セイバーに加勢して狂犬の目を覚ましてやれ!」

「はっ!」

『!?』

 このサーヴァントにしてこのマスターあり、といったところか。
 ケイネスがそう言うことを知っていたかのようにランサーは、紅の長槍をもってバーサーカーの攻撃からセイバーを庇った。
 破魔の槍によって、バーサーカーが己が宝具の力で覆っていた鉄柱が半ばから両断される。

「主からの許しも出た。この場限りになろうが、刃を並べさせてもらうぞ、セイバー」

「ランサー……」

 バーサーカーの宝具である“一度手に持ったものを自身の宝具とする能力”の天敵であるランサーの参戦によって戦況は一変する。
 それまで長槍の鉄柱であった武器がランサーに切断され、長剣ほどの長さになっても鉄柱を侵食する黒い葉脈に覆われている。
 僅かでもその手に握られている以上、それは紛れもなくバーサーカーの“宝具”である。
 しかし、ランサーの『破魔の紅薔薇ゲイ・ジャルグ』前ではただの鉄塊でしかない。
 天敵とも言うべき能力を持つランサーを相手に苦戦を強いられるバーサーカー。
 だが、能力を底上げする『狂化』によって複雑な思考のできないバーサーカーに撤退の二文字はなかった。
 いかにどんな武器でも自在に操る絶技であっても、槍術の極地にあるランサーを相手にそれは擬似宝具では不足である。
 徐々に滲むような輪郭の姿が削られていく。
 もはや拳大の大きさになった鉄柱の残骸を投擲するが、やはりランサーによって打ち落とされる。

「■■■■■■■■■■■■■■■■■■ッ!!!」

 武器を失ったバーサーカーは倉庫の壁まで追い詰められた所で禍々しい咆哮をあげた。
 それはランサーへの怒りに対するものか、目の前にいるセイバーに手が届かないからか。
 どちらにしろ、その咆哮は何某か不吉なモノが感じられた。

「まずい!」

 バーサーカーの憎悪に染まる咆哮の意味をいち早く理解したケイネスが動く。
 黒いサーヴァントは、それまでとは違う構えをとる。
 まるで剣を抜き放つような動作だ。
 それは他から奪ってきた武器ではない。
 正真正銘、彼自身の宝具であった。
 そのことに勘付いたランサーとセイバーも来たる新たな猛威に備える。
 だがその時、誰もが予想だにしなかった人物が、バーサーカーの前に立ちはだかった。

「鎮まれ!」

「ケイネス殿!?」

 ランサーが驚愕の面持ちで叫ぶ。
 よりにもよってこの場面でマスターが、サーヴァントを庇うように現れるなど愚かを通り越してもはや喜劇であった。
 だが、バーサーカーを睨みつけるケイネスの眼差しはどこまでも真剣だ。
 そして、ケイネスは短い呪文を紡ぎながら片手をバーサーカーに向ける。

「無謀です! 御下がりください!!」

 前に出ていたケイネスを庇うように進み出るランサーをケイネスは押し留める。
 周囲が見守る中、ケイネスの呪文が始まってからバーサーカーの動きが止まっていることに皆がようやく気付く。

「“彼女”の前で、そのような姿を晒すつもりなのか?」

 呪文を唱え終えたケイネスが厳かに言う。
 ケイネスの掌にある小さな輝きに狂気に染まったバーサーカーが震えている。

「G……R……RR……」

 ケイネスの背に隠れて他の者には見えない何かが、バーサーカーの暗い瞳にはしっかりと映し出されていた。
 聖杯戦争に理性なき獣として招かれたバーサーカー。
 しかし、その瞳に映る輝きに込められた想念は、決して傷つけてはならない存在だった。
 そこに何があるのかを理解できない周囲の者たちが固唾を呑んで見守る中、バーサーカーは影に溶けるように掻き消えた。
 一体何が起こったのか。
 複雑な思考ができなくなったとはいっても、強い想いが消えたわけではない。
 そこを卑劣と思いつつ、ケイネスはたった一度きりの切り札を早くも消費することになってしまった。
 すでに魔術の付加に耐えられなくなった輝きは、粉々に砕けて風に飛ばされている。

「……マスター。今のは?」

 不可思議な状況に事態を読み込めないランサーが主に問う。

「ああ、うん。彼の心の傷を少しばかり、ね」

 申し訳なさそうに言うケイネスにランサーはバツの悪そうな表情になり引き下がった。
 先の輝きは、降霊魔術の一種を使った残留思念の投影を行ったためだった。
 すべてのサーヴァントの正体を知っているケイネスにとって、相手の気を削るようなモノを用意することは容易い。
 バーサーカーがここで自らの宝具を解放するとは思っても居なかったケイネスは、その品を使ってしまった。
 こうなるのであれば、ライダーにバーサーカーをひき潰してもらえばよかったと後悔したケイネスだが、やってしまったものは仕方がなかった。

「さて、皆さん。今夜はお開きにしませんか?」

 切り替えのはやいケイネスのおどけた調子の声に皆、否定の色はない。
 ランサーとセイバーにしても互いの勝負を邪魔された以上、ある程度の仕切りなおしがあるに越した事は無い。
 ライダーも元からサーヴァントの顔ぶれを見るために現れたようなものだったので挑まれなければこの場で戦おうとは思っていない。
 
「そうだのぅ。セイバー、それにランサー。まず、おぬしらの決着をつけよ。余の相手をするならば、双方憂いをなくし万全で挑んでくるがよい」

 それだけ言うとライダーは稲妻を轟かせながら空へと舞い上がり去っていった。

「ふう。それでは私たちもお暇しようか、ランサー」

「は……」

 少し残念そうに、しかしケイネスの意味ありげな視線に静かに頷くランサー。

「本来であれば、ここで決着を付けさせたいが、一、二日ほど待ってもらって良いかな? アインツベルンのご婦人」

 明らかに含みのある困った顔で言うケイネスに、アイリスフィールは静かに頷いた。
 マスター同士の了承が取れたところで、ランサーはセイバーに向き合う。

「セイバー。お前の左手を奪ったのはこの俺だ。そのハンデ、誰にも付け入らせるなよ」

「はい。貴方を討ち倒し、我が左手を取戻す。それまで、貴方も他の者に討たれてくれるなよ。ランサー」

 互いに不敵な笑みで別れを告げるサーヴァントたち。

「よし。それじゃあ“帰ろうか、ランサー”」

 そう言って駆け出したケイネスはすぐさま周囲に散らしていた仕掛けに取り付かせていた『月霊髄液ヴォールメン・ハイドラグラム』とラインを繋ぎ、仕掛けを処理させ己が身に呼び戻す。
 倉庫街をケイネスを担ぎながら疾駆するランサーの後を複数の水銀で出来た球体追ってくる。
 それこそ、本来のケイネスが有する最強の礼装であった。







 ケイネスが急いで向かった先は、冬木ハイアット・ホテル。
 前もって擬装用に借り受けていたのである。
 そして、借りている客室最上階にはそれなりの魔術が施されている。
 擬装用にしては手間をかけすぎている嫌いはあるが、出来る限り本来の歴史通りに事態が動いて欲しいケイネスはそれを行った。
 ケイネスが歴史を変えるのに最大の邪魔となるのがアサシンのサーヴァントなのである。
 常にどこかから監視されている可能性があるため、不用意な行動は起こせない。
 それこそ、何の調べもなしにキャスターの所在を突き止めたり、大聖杯の破壊しに言ったりしたらとんでもないことになる。
 最悪、アーチャーが差し向けられる可能性もあるのだ。
 アーチャーの能力を知るケイネスにとってそれは絶対に避けねばならない。
 先ほどもバーサーカーが宝具を持ち出そうとしたため、仕方なく追い払うのにギリギリなアイテムを使ったのだ。
 これ以上、機を窺っていてはすべてが無駄になると思ったケイネスは、この場所を使った罠を使用することにした。

 部屋に到着したケイネスはすぐさま準備を始めた。
 予め仕掛けてあった、人形に一定の行動を入力して設置する。
 そうすることでケイネスたちがこの場に居るように錯覚させるのだ。
 そうしてケイネスとランサーは、熱遮断のシートを被り、周囲の光を屈折させる魔術を使用してホテルの非常口に待機する。

 それからほどなくしてホテルの防災ベルが鳴り出した。
 勝手に手を加えて引っ張ってきていた備え付けの電話にフロントからの着信が入る。
 電話に出たケイネスは係員の連絡を聞き、どうにか予想通りの結果に安堵する。

「よし。ソラウ、Aの印の付いた建物に反応はあるか?」

『どういうこと? バーサーカーのマスターを捕捉するんじゃなかったの?』

 インカムの向こうからソラウが若干機嫌悪そうに聞き返す。

「いや、予定外の出費があってね。それより、Aの建設途中のビルに反応はある?」

『ちょっと待って………………あったわ。人間がいるのは間違いないみたい』

 冬木ハイアットホテルの斜め向かいにある、建設途中の高層ビル。
 そこは、セイバーの本当のマスターである衛宮切嗣の仲間である久宇舞弥が、ホテルの部屋にいるケイネスたちを監視している場所だった。そして、ケイネスの標的も現れる場所でもある。

「ありがとう。あのビルだ、急いでくれ、ランサー」

 非常口を出たケイネスが指差すとランサーは、ケイネスを担ぎ、負担にならない速度でその場所を目指した。
 すでにその目に遊びはない。
 これから行うことは、ケイネスにとって未知の可能性であるため、全霊で取り組まねばならない。

「ランサー。これから向かう場所に女の他に、神父の男が来るはずだ。そいつの右手を問答無用で切り落とせ」

「良いのですか?」

 始めて耳にするケイネスの残忍な指示にランサーは耳を疑う。

「そいつはアサシンのマスターだ。時間を駆けると逃げられるぞ」

 ランサーの確認には応えず、ギラつく瞳で目的の地点を睨みつけるケイネス。
 本来であれば消滅したはずのアサシンのマスターに固執する必要があるのかと思うところだが、ランサーはその意味を理解した。
 拠点の結界内以外で極力自分のもつ情報を口にしようとせず、必要以上に周囲を警戒していたケイネス。
 つまり、ケイネスはアサシンが消滅していないことを確信しているのだ。
 ケイネスが未来の情報を持っていることを聞かされているランサーは、その言葉を信じた。
 アサシンのマスターを狙うのも相応の理由があるのだろうと。

 背後でホテルが芸術的な崩壊を見せているがケイネスは気にしない。
 魔術・物質的な隠蔽を行って目的地を監察することに全神経を傾けている。
 ケイネスの視線の先にあるのは建設途中のビル。
 そしてその先で響いた銃声。

「来たな。行こう」

「御意」

 ランサーに先行させたケイネスは自分もすぐさまビルの壁を駆け上る。
 質量操作と重力制御。
 質量操作はまだしも、大掛かりに行えばそれこそ大魔術に値する重力制御も自らのみに限定すれば出来ない事は無い。
 それが魔術師としてのトップクラスの実力をもつロード=エルメロイならば、壁を駆け上がることなどそれほど苦にならない。
 およそ魔術師らしからぬ今のケイネスも、外道の技を繰ることになんら躊躇は無い。
 ものの数秒で目的の階に到着したケイネスの目に飛び込んできたのは、右手を落とされた言峰綺礼と負傷しているらしい久宇舞弥。
 そして二人の間に立つニ槍の騎士。

「ランサー、そいつの右手は?」

 十二分に周囲を警戒しながらケイネスはランサーの横に立つ。

「こちらに……」

 ケイネスの催促に、表情にこそださないが不満そうなランサーはつい今しがた切り落とした綺礼の右手首をケイネスに差し出す。
 受け取ったケイネスは、令呪の摘出を行い、ランサーの令呪とは反対側の左腕にそれを移植する。
 すでにマキリが完成させたサーヴァントとの契約システムに手を加えていたケイネスにとって、令呪を摘出し、それを自分に移し変えることも難しくない。急速に温度を失う綺礼の手首からものの10秒ほどで令呪を自分のそれに移植し終えた。

「さて、と」

 令呪を奪われた綺礼は、右腕の切断部に止血を行い、ケイネスとランサーを睨みつけている。
 動く気配がないのは、ケイネスが自分をどうするのかまだわからないからだ。

「令呪をもって命ずる。――アサシンよ、私を新たな主と認め、ここに集え」

 周囲の予想通り、ケイネスは令呪の一画を消費してアサシンのサーヴァントを屈服させた。
 令呪により下された決定に従い、それまで各所で監視をしていたアサシンたちが吹き曝しの未完成ビルへと集結する。

「なっ!?」
「!!」

 アサシンの能力を知っていたケイネスとそのマスターであった綺礼以外。ランサーと舞弥は驚愕する。
 魔術師として、マスターとして、綺礼より上位にあるケイネスが主となったことで幾分その密度を高めた何十ものアサシンが影から現れた。

「新たな主よ、揃いましてございます」

 アサシンたちの代表として髑髏面の女が進み出た。

「よろしく、アサシン。君たちの力を私に貸してもらうよ」

 厳かに、されど信頼を込めて言うケイネスにアサシンたちが一斉に傅く。
 その様子にあまり面白くなさそうなランサーだが、ケイネスの目的のために一番の障害がこれでなくなったので我慢することにした。
 ランサーは、ここに来て今のケイネスの評価を改めた。
 優しすぎると感じていたケイネスの思想の本質は、身内に対してしか適用されない。
 たとえ敵であっても気に入れば気を許すが、許せぬ者に対しては一切の容赦を見せない。
 現に令呪を抜き取った綺礼の右手を無造作に、何の感慨も無く放り捨てても綺礼に残忍な視線を向けたままである。
 だが、誰もが綺礼の死を確信していたところ……

「さっさと失せろ」

「「「!?」」」

 ケイネスの意外な言葉に皆一様に驚きを表す。

「貴様……、何が目的だ」

 見逃すと宣言したケイネスの言葉を信用してはいないが、少しずつ出口へと後退しながら綺礼は問うた。

「お前に教えるわけないだろ? アサシンを見張りに付かせる。ここで起きたことは口外せず、この地を去れ」

 ケイネスの言葉に数名のアサシンが綺礼の周りに群がる。
 アサシンたちに元の主に対する後ろめたさはまったくない。

「…………ッ」

 ケイネスを忌々しそうに睨み付けた綺礼は、そのまま出口から抜け出し、外へと跳び下りていった。
 綺礼につけたアサシンの一人が戻ってきて綺礼が十分に逃走したことを確認したケイネスは、ほっと胸を撫で下ろした。
 ケイネスにしてもこれはとんでもない賭けだった。
 令呪を奪う前にアサシンに襲われていたら間に合ったかどうか。
 綺礼相手にしてもランサーを従えているとはいえ、気を抜くことの出来る相手でなかった。
 倉庫街での戦闘からハイアットホテルを経由し、綺礼から奪った令呪でアサシンを従えるまで全身全霊の警戒を続けていたケイネスの精神的疲労は、ピークに達していた。
 そして、それを見逃すような舞弥ではなかった。

『主!』

 背後の舞弥の動きにいち早く反応したランサーが、ケイネスを庇うように立って、凶弾を打ち落とす。

「こ、恐っ。さすが、ってところか」

 表面上は気の抜けた声で、内心は胆の冷えたケイネス。
ケイネスを護るように立つランサーとアサシンは殺気だって、銃弾を放った者を睨みつける。
 そして一人のアサシンが銃撃者である舞弥に襲い掛かる。

「やめろ、アサシン! そいつは殺さなくていい。というか、殺すと目的の半分が達せられなくなるからやめてくれ」

 ケイネスの言葉にアサシンは寸前のところでその刃を収めて、群の中に下がった。

「ふぅ。ここはランサーだけでいい。アサシンたちは、この周囲500mを40で警戒、残りはキャスターとそのマスターを見張ってくれ。もし、キャスターたちが一般人に危害を加えよとしていたら――遠慮はいらない。だが、マスターを生かしておけるならそれに越した事は無い、頼めるかな?」

「は。仰せの通りに」

 もとより各マスターとサーヴァントたちを監視する任務を与えられていたアサシンたちは、ケイネスの指示に迅速に行動を始めた。
 そして、ランサーを挟んで向かい合うケイネスを舞弥が睨みつける。

「そう睨まんでくれ。さっきも言ったが君に危害を加えるつもりはない」

 できる限り穏やかな声で言うが、どう考えてもケイネスを信用することはできるわけがなかった。
 綺礼をサーヴァントに襲わせ、腕を切り落として令呪を奪う。
 舞弥もそれが出来るのであればしていただろうことだが、それを行う敵が目の前にサーヴァントを連れて立っているのだ。
 そんな状況で、相手の言葉に耳をかすほど舞弥は愚かではない。

「私は、アインツベルンのマスターに協力するつもりでいるんだがな」

「――それを信じろと……?」

 何を言い出すんだこの男は、と言いたげな気持ちを表面に出すことの無い舞弥は警戒を解くことはない。
 だが、ケイネスはどうしても切嗣に狙われることだけは避けたいと思っていた。
 アサシンの脅威がなくなっても、切嗣の脅威は見過ごせるレベルではないのだ。

「とりあえず、会合の場を設けて欲しい」

 ケイネスの言葉に舞弥はうんともすんとも言わない。
 無反応の舞弥にどうしたものかと考え込むケイネスだが、しばらくして諦めたように踵を返した。

「明日にでもアインツベルンの城にお邪魔するよ。私の話だけでも聞いてみる気になったら、城まで通してくれ」

 それだけ言い残したケイネスはランサーを伴いその場を後にする。
 一人残された舞弥は数瞬呆けた後、切嗣へことの次第を報告した。


























 舞弥の潜んでいたビルを後にしたケイネスは、暫らく歩くとランサーに指示を出し、近場のマンションへとソラウを迎えに行かせた。流石に本当のアジトである洋館に一人で残すわけにも行かなかったので、見張り用の部屋で監視を頼んでいたのだった。始めは嫌がったソラウだが、ランサーに説得してもらい何とか監視役を任せることに成功していた。
 ランサーと別れ、無防備になったケイネスの護衛には4人のアサシンが付いていた。
 そして本来の拠点に帰る途中、アサシンにある命令を下した。

「言峰綺礼を殺せ」

 無表情のまま冷淡に言ってのけたケイネスに、アサシンの一人が軽く会釈して、綺礼を監視しているアサシンたちと合流するために跳び去った。
 最も危険視される綺礼とアーチャーことギルガメッシュの接触。
 それを避けるために下した命令。

「失望されるな、これは……」

 高潔な騎士であるランサーに対して後ろめたく思っても、最悪の結果を招かないためにも冷酷になることを厭うてはならない。
 ケイネスの目的は、そうでもしなければ達することはできないのだから……。











 ※若干修正
 小型カメラをなくしました。
 舞弥がいる場所は、主人公がはじめから記憶したいたことにしました。
 読者様方にご迷惑をお掛けしたことをお詫び申し上げます。
 これからは、もっとよく考えてから投稿するようにいたします。
 私もこのSSを完結させたいので、それまでお付き合いいただけるよう頑張ります。






[2609] 帰って来たいケイネスのZERO 第5話
Name: クリス◆45dab918 ID:89adfc6d
Date: 2008/03/16 23:24
※追記
 第五話修正しました。
 私のどうしようもない頭では、この程度の修正しか出来ませんでした。
 先に投稿した修正前の文で、多くの読者様に不快な思いをさせてしまい申し訳ありませんでした。
 至らない部分が中々直らない私ですが、完結までどうにかお付き合いいただけるよう精進いたします。



































 黒衣の集団にポツリと金髪の男が混ざって睨み合う。
 13m×10mの囲いの中、逃げ場を求めてひしめき合う黒衣の髑髏面。

「カバディ、カバディ、カバディ――」

 レイダーの男とアンティの髑髏面たちは、互いにジリジリと動いて機を狙う。

「カバディ、カバディ、カバディ……」

 男の息が苦しくなり、キャントを続けられなくなる。
 キャントを止めることなく、限界を突破するように男は、勝負に出ることにした。

「――ケイネス……」

 アンティにタッチするべく踏み込んだケイネスに冷徹な女王モードの冷ややかな声が届く。
 そのため、一瞬硬直した金髪の男ケイネスに髑髏面の腕が伸びる。

「キャッチングでございます!」

 一人の髑髏面の言葉にアンティ側の髑髏面たちから歓声があがる。

「ま、負けた……」

 地面に項垂れ、悔しそうに呟くケイネスの肩をレイダー側の髑髏面たちが優しく叩く。

「お前たち、すまない。私のせいで……」

 自分のミスで負けたことを悔やむケイネスを励ますように髑髏面たちは、いい笑顔?で親指を立てていた。

「わ、私は……次こそは勝利するぞ!」

『おおおおおおおおおおおお!!!』

 立ち直りの早いケイネスの叫びにレイダー側だった髑髏面たちが応じるのだった。

「ケイネス……貴方、何をやっているの?」

 熱気の冷めやらぬケイネスと23人のアサシンたちを氷点下よりなお冷ややかな絶対零度にすら届く視線で見るソラウが問う。

「何って、……カバディだけど?」

 いい汗かいたケイネスが、ちょっとだけ清々しい笑顔をソラウに向けた。
 ソラウは、その笑顔が癇に障った。
 ソラウは、無意識のうちに拳を堅く握り締めた。
 ソラウは、拳を制裁の名の下に振りぬいた。

『あ、主殿おおおおおおおおお!!!?』

 23人のアサシンたちが見守る中、ケイネスは星となった。



























 冬木市全体が、夕陽の赤に染められる頃。ケイネスたちは、アインツベルンの森にやってきていた。
 鬱蒼とした森を歩き続け、アインツベルンの結界にギリギリ入らない場所で立ち止まる。

「――……アインツベルンよ! 私の話を聞く気があるのならば、城までの道を示してくれ!」

 虚空に向かってケイネスが叫ぶと、それまで肌で感じていた何かが開かれる感触を得た。

「よし……。アサシンは、私の周囲を警戒。ランサーは、ソラウの護衛。皆、気を抜かないように」

 ケイネスの言葉に槍兵と暗殺者のサーヴァントはそれぞれ周囲を警戒しながら歩く。
 アインツベルンの結界の中に足を踏み入れた以上、何らかの攻撃を受ける可能性もある。
 警戒しながら暫らく森を進んだケイネスたちのところに、先行していたアサシンが戻ってきた。

「只今、戻りました。城までの道にあった“瘤”は、すべて解除いたしました」

「ああ。やっぱりあったか」

「はい。主殿の予想通り、トラップが仕掛けられておりました」

 先行していたアサシンは、あらゆるトラップに精通したスキルを持つアサシンだった。
 ライダーやセイバーが騎乗スキルによって現代の車などを操れるように、アサシンの人格のひとつがもっていたトラップに関するスキルも同じように現代のトラップの知識を保有していた。
 これから会いに行くアインツベルンのマスター、衛宮切嗣。
 もちろん、ケイネスは切嗣が素直に現れるとは思っていない。
 城で待つのは、セイバーと擬装用のマスターであるアイリスフィールであろう。
 切嗣は、この機を逃さずケイネスを暗殺しようと動いてくる。
 しかし、ケイネスには切嗣よりも数段優れた『暗殺者』が付いている。
 あらゆるスキルを保有するアサシンは、暗殺者としての質も遙かに切嗣を上回っていた。
 その他に魔術的妨害もあったが、優れた対魔力をもつランサーとケイネスが対処することで乗り切った。



 1時間ほどかけてアインツベルンの城に到着したケイネスたちを出迎えたのは、やはりアイリスフィールとセイバーだった。

「こんばんは……と暢気に挨拶はいりませんでしたか?」

 ケイネスの言葉に驚いた様子のアイリスフィールとセイバー。
 先の森では、結界の中に誘い込んで罠に嵌めようとしていたような歓迎を受けたにも関わらず、ケイネスにそれに文句をつける様子は見られない。

「いえ、道中は……」

「気にしないで良いですよ。来る事は伝えてあったとはいっても、新たにアサシンを仲間に引き込んでいたら警戒するのも当然。そちらに非はない」

 営業スマイルのようなケイネスの顔に残る痣が痛々しかった。



 それなりの調度品で飾られた部屋に通されたケイネスたち。
 アインツベルン側は、アイリスフィールを真ん中に、セイバーと舞弥が両隣に立つ。
 ケイネス側は、“何故か”ランサーがソファーの真ん中に座り、両隣にケイネスとソラウが腰掛け、四人にまで密度を高めたアサシンが立っていた。

「さて、世間話をする間柄でもないですし、すぐにでも本題に入ったほうが良いですよね?」

「そうしていただけるとこちらも助かります」

 にこやかなケイネスとは裏腹に、警戒心を露にするアイリスフィールは慎重になっている。
 あの切嗣が『危険だ』と判断した言峰綺礼をあっさり出し抜き、令呪とサーヴァントを奪い取った男。
 資料には、優れた魔術師であり、1年ほど前から何らかの奇行を繰り返すようになったらしいが、時計塔での講師としての評判も良い男であるとあった。
 しかし、直にあってみれば拍子抜けするほど砕けた調子の男であった。
 ランサーのマスターとして申し分ない気質で、堂々と戦場に姿を現し、暴走するバーサーカーを鎮めた。
 切嗣によるホテルごとの暗殺を見越していたかのように、偽装を用意してこれを回避。
 さらに、言峰綺礼の行動すら先読みして舞弥を助け、アサシンのサーヴァントを手に入れた。
 このケイネスという男を正しく評価していた者など一人も居なかった。
 慎重に慎重を重ねる切嗣でさえ裏をかいたケイネスを表面だけで信用することはできない。
 切嗣の暗殺が失敗した今、アイリスフィールの役目は、ケイネスの協力したいという言葉にどのような意図が含まれるかを聞き出すことだった。

「まずは、協力の理由からですね。――私、この地の聖杯戦争という儀式そのものを解体したいと思っています」

「「「!?」」」

 ケイネスから開口一番に出た言葉にアイリスフィールたちは、唖然とする。

「ちょっと待って。あなたも『聖杯』を求めているのではないの?」

 マスターという存在は、少なからずこの地にある聖杯が相応しいと判断した者たちである。
 キャスター組にようなイレギュラーな者たちでない限り、聖杯という奇跡を心のどこかで望んでいる。
 それは、本人の自覚無自覚に関係ない。
 この冬木の聖杯は、それだけの奇跡を有し、万民を引き寄せる呪がある。
 そんな中、魔道の総本山である時計塔で神童とさえ呼ばれているケイネスの口からその奇跡を否定する言葉が出るなどあってはならないはずだった。
 しかし、内心の動揺を抑えて問うアイリスフィールにケイネスは、静かに微笑む。

「ふむ。もし聖杯が正真正銘の『万能の力』を有しているのであれば、是が非でも手にしたいものだが……」

「あなたは、この地の聖杯にその力がないと思っているのかしら?」

 アインツベルンの千年の妄執が作り上げた第三魔法の成就のための願望機。
 魔術師たちが目指す『根源』への鍵となる“無色の力”。
 冬木に築かれた第七百二十六聖杯は、魔術協会及び聖堂教会において、その力は伝説のものに匹敵すると認めているのだ。

「聖杯は、すでに英霊という存在を招き、それを従わせるという埒外の奇跡を可能にしている。これだけの奇跡を可能にする聖杯に“願望を叶える”くらいの力がないとでも?」

 ケイネスの物言いは、アインツベルンの千年の歴史だけでなく、アイリスフィールたちの想いすら否定している。

「いえいえ。この地の聖杯には、確かに願望機として十分な力があることは認めていますよ」

 先の否定を行き成り反転させるケイネスにアイリスフィールたちは苛立ちを募らせる。

「しかし、あなた方は“無色の力”というものがどういうものか理解が足りていないのではないかと思うのです」

「……どういう意味かしら?」

 事務的なわけでも高揚しているわけでもないケイネスの口調が、その場の空気を悪化させる。

「“無色の力”とは、文字通り、どんな色にも染まっていない力です。
 ――例えば、ここに聖杯があり、それを手にした者が居たとしましょう。“無色の力”である聖杯は、始めて手にした者。つまり聖杯に選ばれたマスターの願いを叶えることでしょう。しかし、願いを叶えるためにその者が聖杯に触れた瞬間――聖杯は、“無色の力”ではなくなる」

 ケイネスのたとえ話を聞くアイリスフィールたちの内心は荒波のように猛り始めている。
 皆一様に平静を装ってはいるが、ケイネスの吐く言葉は姦計のようであり虚言のようであるにも関わらず、彼女たちの心を深く浸透していく。
 そんな彼女たちの内心を気にすることなくケイネスは話を続ける。

「聖杯を手にした者が、世界の恒久的平和を求めたとしましょう」

「「「!?」」」

 行き成りケイネスの口から出た例えは、彼女たちの知る人物の願いの形にどうしようもなく酷似する。
 これから語られるのは、その人物の願いの無意味さ。
 絶対に聞いてはならない、はずなのだが……。

「この場合、ふたつの結果が予想されます。ひとつは、その願いどおり世界に存在するすべての争いが消失します。――結果、“人”という種は、ただ生きているだけの人形となります。その世界には、憎しみや嫉み、怒りなどの感情が存在しないでしょうが、優しさや哀しみ、愛などの感情も存在しません」

 人間という種の改竄。
 それは、思考することのない一種の現象に成り果てるということ。

「この結果は、まだましですね。願いが叶った瞬間、“平和を願う”という考えそのものが消え去りますから」

 世界の恒久的平和は、そこに住まう数十億もの“個”の境界を消し去ることに他ならない。
 皆が、同じことを考え、同じように生き、同じように死んでいく。
 そこに変化はなく、“他”を認識する必要もない。
 あらゆる欲望を失った生物は、一世紀もたたずに自然消滅することだろう。

「そして、もうひとつの場合。この地にある聖杯の機能ならば、始めに手にした者の色に聖杯は染まります。そして、その人物が平和を願った時、聖杯はその人物がそれまで辿ってきた歴史を紐解いて願いを実行します。生まれてからずっと平和を説きつつ高潔に生きてきた人物であれば、最初の可能性と同じ結果になるでしょう」

 話続けるケイネスは、この場には居ない誰かが聞き耳を立てていることを確信して、先を続ける。

「しかし、平和を願った者が10を救うために1を切り捨てて生きてきた存在であった場合……聖杯は、その人物が絶対の絆を感じているコミュニティーの外側を完全に死滅させます」

 どこかで歯車が軋む音がする。
 誰にも聞くことができない歪みの証。

「“無色の力”……。確かにそれがただの“力”であるのなら欲する価値もあるでしょう。しかし、それを手にする者は、“他者を駆逐してでも叶えたい願望”を持っている存在です」

 聖杯が穢れに染まらぬことなどあり得ないとケイネスは言う。
 突きつけられたのは、ケイネス一個人の解釈であり、本当にそのような結果が生じるとは限らない。

「まあ、本来の聖杯は確かにあなた方の願いを叶えるに足る願望機だったことにしても良いです」

「っ。あなたは、私たちを馬鹿にするためにわざわざ出向いたのかしら?」

 二転三転するケイネスの物言いに、アイリスフィールも流石に我慢できなくなった。

「そんな暇は、私たちにはありませんよ」

 ここに来て疲れにも似た悲愴を表情に浮かべるケイネスにアイリスフィールたちは首を傾げる。

「それは、どういうことかしら?」

「私が、あなた方と協力したいのは、大聖杯に関して一番詳しいから。私の最大の願いは、ここに居る皆を生かすこと」

 ケイネスのいきなりな物言いを気にするわけではないが、その言葉に意味は図りかねる。

「言っている意味が分からないわ……」

 得体の知れないモノを見るようなアイリスフィールの視線にケイネスは、静かに話を続ける。

「そのままの意味です。このまま聖杯戦争が続けば、いずれあなたは、『ヒト』としての機能を失うことになる。そうなる前に大聖杯を解体したい」

 事実、ケイネスは物理的手段で大聖杯のある大空洞を破壊できる手段を用意している。
 アサシンを手に入れた今、ケイネスはその準備を着々と進めている。
 大空洞を破壊する時、柳洞寺に住まう人達の避難も魔術を使えば、それほど難しくはないのだ。

 しかし、ケイネスの言葉の節々に洩れ出る異質な何かが、アイリスフィールに警戒心を持たせる。
 だが、ケイネスの話の中で聞き捨てならないことを発見したセイバーが話を遮る。

「アイリスフィール。彼の言っていることは事実なのですか?」

 セイバーは、アイリスフィールが『器の護り手』であることは知っていたが、四六時中一緒に居たにも関わらず、『聖杯の器』をどのようにしてアイリスフィールが保管しているか知らなかった。
 舞弥もまたその言葉の意味を把握できていない。
 アイリスフィールにとって、ケイネスの言葉は知られたくないと思っていた事実を告げ口されたようなものだ。
 セイバーの問いにどう答えればよいか分からず、アイリスフィールは苦々しくケイネスを睨みつける。

「……セイバー、そのことは後で話しましょう。それより」

 アイリスフィールは、一呼吸おいて表面上の落ち着きを取戻す。

「ロード・エルメロイ。あなたは、大聖杯のことを何処で知ったのかしら?」

 厳格な問いに対し、ケイネスは至極平然と答える。

「本で読みました」

「……もう一度、聞くわ。あなたは、大聖杯のこと、わたしのこと、何処で知ったの?」

「ですから、本で読みました。あなたが聖杯の『殻』であること、大聖杯が根源につながる門であること、そして六騎のサーヴァントを生贄にすることで『聖杯』が現れること、最後に残った七騎目のサーヴァントをも生贄にして『大聖杯』が起動すること」

 安穏とした調子でケイネスが口走る内容にアイリスフィールもセイバーも色を失くす。
 ケイネスの言葉を真に受けるのならば、たとえ聖杯戦争を勝ち抜いてもサーヴァントが聖杯を手にすることはできないということになる。
 愕然とするセイバーの視線は、偽りのマスターであるアイリスフィールに向けられる。

「心配することはない、セイバー。彼女たちの願いなら、キミが犠牲になる事はない」

 アイリスフィールに問いを投げかけようとしていたセイバーを制して話を続ける。

「『聖杯』が世界の内側にとどまる奇跡を願うだけならば、六騎のサーヴァントを捧げるだけで事足りる。七騎のサーヴァントすべてを捧げるのは、あくまで『世界の外側』、根源の渦に至る場合だ」

 ケイネスの言葉に踊らされているようで癪だが、話を聞いてセイバーは自身の疑念を表に出さずに視線を戻した。
 しかし、アイリスフィールの疑問に対する答えは明示されていない。

「エルメロイ。あなたの本当の目的は何?」

「ですから、大聖杯の解た」

「大聖杯を解体したいというのなら、その在処を探せばいいのではなくて?」

 平然としているケイネスの言葉を遮り、アイリスフィールは言う。
 ケイネスであれば、大聖杯を発見すれば自力で解体することも時間は掛かるだろうが可能である。
 面倒なことを抜きにすれば、切嗣のように近代兵器を用いて、大聖杯の基盤を根こそぎ吹き飛ばせばいい。
 爆発物を使えば騒ぎにはなるが、魔術の隠蔽をする必要もない。

「大聖杯の探索と破壊。それだけならば、確かにあなた方と協力する必要はない。しかし、私が欲するものを摘出するには、アインツベルンの業が必要になると推測している」

「それはどういう………っ!?」

 突拍子もないことばかりなケイネスの話に首を傾げかけたアイリスフィールが目を見開く。
 最早、ケイネスの知識は『始まりの御三家』にしかない最深部まで届いている。
 ケイネスは、書物から情報を得たなどと言っているが、閉鎖的な魔術の世界にありながら輪をかけて閉鎖的なアインツベルンはもとより、マキリも遠坂も御家の外に漏らすことなどあり得ない。大聖杯に関する記述のある書物は、厳重に管理されているか、持ち出したとしても自分たちにしか読み解けないような細工が施されているはずである。
 それをケイネスは、御三家と同レベルの情報を有している。

「落ちた霊地である円蔵山の地下大空洞に刻まれた聖杯戦争の要たる多重層刻印。あなた方には、その中心部に収められたユスティーツァ・リズライヒ・フォン・アインツベルンを回収してもらいたい」

 しかも、その目的があきらかに魔術師という人種から乖離している。

「ちょっと待って! あなたは、本当に何がしたいというの!?」

 アイリスフィールのもっともな問いにやはり平然とケイネスは告げる。

「ユスティーツァは、とある人達の雛形なんですよね? まあ、私には専門外なのでアインツベルンの見解を聞きたいと思っていたんですよ」

 真剣な表情を浮かべるケイネス。

「ユスティーツァという原形を用いることで、ある少女を人並みの成長と寿命を与えることは可能か、それとも否か。教えてください」

 問いに問いで返すケイネスの無遠慮さと無軌道さ、突拍子な発言。
 それらすべてにおいて、アイリスフィールはケイネスの次の反応を予想できないでいる。

「あ、ある少女って……誰の、こと?」

 ケイネスの口から出るはずがない。
 大聖杯のことは可能性は限りなく低いが、御三家のどこかから洩れた可能性がまったくの0ということもない。
 だが、アイリスフィールの予想してしまったケイネスの答えは、絶対にあり得ない。

「――イリヤスフィール……。あなたと衛宮切嗣の娘さんですよ」

 それでもケイネスは、あっさりとアイリスフィールの予想に沿う名前を口にした。
 最早、ケイネスが持ちえる情報の出所を探るどころではない。
 イリヤスフィールの存在は、いまだアインツベルンの外には洩れていないはずだった。
 アイリスフィールの次の世代が誕生していることは予想できても、その名まで知りえる部外者がいるはずがなかった。

「アインツベルンの意見を聞かせてください。私の愚考に可能性があるのか。それともやはり無駄なことなのかを」

 アイリスフィールたちの困惑を他所に、変わらぬ落ち着きをもって答えを欲するケイネス。
 その瞳には、少なくとも暗いところは読み取れない。
 しばし呆然としていたアイリスフィールだったが、どうにか言葉を紡ぎ出す。

「何故イリヤのことを……」

 知っているのか。なぜまったく関係のないイリヤスフィールのことを考えているのか。

「何度も言いますが、私は『本』を読む事でそれらの情報を知った。……そして、私のこれからの行動は単なる偽善です」

 なんの臆面もなく自分を道化であるかのように言うケイネス。
 しかし、ケイネスからすべてを聞いていないアイリスフィールたちは、見当違いなことを思い浮かべる。
 ケイネスが何度も口にする『本』というものが、そも普通の書物であると彼は一言も言っていない。
 あらゆる出来事の発端となる座標。万物の始まりにして終焉、この世の全てを記録する場所。
 魔術師たちが目指す到達点。

「――まさか……」

「言っておきますが、アカシック・レコードに触れたわけではないですよ。そこに到達していれば、ここで問答する必要も無いでしょう?」

 他人の思考を先読みするかのようなにケイネスは言う。
 それは思考の先読みではなく、思考の限定であるのだが。

「それで。私の案は実現可能なんですか? それとも無意味なんですかね?」

 いろいろと問題発言ばかりするケイネスは、調子を崩さずに訊ねる。
 同席するソラウは早い段階でケイネスの話に興味をなくして、楽な姿勢でランサーに寄り添っている。

「――可能……とは言いえない。そんなこと誰も試そうとはしないもの」

 自分の娘の名を出されたアイリフィールは、ケイネスの言葉を頭の中で思案する。
 ケイネスの真意が言葉の通りであったとしても協力するには、まだ決定打が足りない。

「不可能ではない、というわけですか。なるほど、では賭けてみる価値はありますね」

 アイリスフィールの言葉を聞いたケイネスは、護衛についていたアサシンに合図を送ると、二人のアサシンが外へ出て行った。

「アサシンをどこへ向かわせたのですか?」

 それまで黙っていた舞弥がケイネスの行動に不審の目を向ける。

「ああ、私の案が100%不可能と断言されたら即時、大聖杯を破壊する予定だったんですよ」

 思い切りの良すぎる発言に舞弥は、一瞬、驚きを表情に出してしまった。

「最終的に大聖杯の設置してある大空洞を破壊することは決めてましたからね。知っての通り、アサシンは分裂する能力があるから10人ほど大空洞の近くに待機させて居たんですよ。今向かわせたのは、現代の爆発物の扱いを学ばせた固体たちなんですよ。ここに来る途中にも活躍してくれた人たちです。彼らには、大空洞に仕掛けた爆弾なんかを安全な場所に隠してくるように頼みました」

 ケイネスは、トラップに秀でた才能を有するアサシンにその手の資料を読ませていた。
 生前の記憶になくとも現代で知識を得たり、スキルに該当する物に触れることでそれらを完璧に把握する。
 トラップに関するスキルをもったアサシンは、現代の道具を用いて新たな罠を編み出すことはできなかったが、すでにある技術は完全にマスターする事が出来た。
 すでに大聖杯の大体の場所を知っていたケイネスの指示で、秘密裏に大空洞に仕掛けを施していたアサシンだが、大聖杯の基盤からユスティーツァを回収する必要が出てきた以上、地震などの不慮の事態で仕掛けが暴発してしまわないように再び処理をしにいったのだ。

 これと同じようにケイネスの指示で、アサシンの何人かは特定の場所や人物たちを監視している。
 キャスター組に関しては、その行動を防ごうにもキャスターの使役する海魔を倒すことがアサシンには出来ないらしいので、キャスターがマスターと離れるまで待って、マスターの方を拉致してくるよう指示がなされている。
 さらに遠坂邸と間桐邸、言峰教会にも監視をおいている。
 遠坂邸と言峰教会には、ギルガメッシュが出入りしているため、不用意に近づけない状態だが、言峰綺礼の失踪による多少の混乱が生じているらしいとの報告が来ていた。

 ケイネスの話を聞き、暫らく考え込んでいたアイリスフィールが顔を上げてケイネスに再び問う。

「あなたの提案は、正直、捨てがたい。けれど、私たちには『聖杯』がある。あなたの提案は、“万能の力”に願えばいいのだから」

 もし、ケイネスの案が成功したとして、それで救われるのは自分たち親子だけ。
 切嗣とアイリスフィールの本来の目的である世界の救済と秤にかければ、聖杯の力に針は傾く。

「そうですね。確かに“万能の力”の前に、私の戯言は無価値ですね」

 アイリスフィールの答えにもまったく落胆した様子のないケイネスは、素直に認める。

「しかし、あなた方の願いは叶わない」

「それは、どいうこと……?」

 ケイネスの口からは、どんな発言が出ても不思議ではない。
 短い時間でもこの男と会話をすればそれを悟る。
 努めて平静に聞き返したアイリスフィールは、ケイネスが何を言っても取り乱す事のないように気構える。
 そんなアイリスフィールの様子を気にすることのないケイネスは、やはり平然と自分の知る事実を述べる。

「第三次聖杯戦争の折、アインツベルンが異国の経典を触媒にとある英霊を召喚した」

「とある英雄……?」

 表情こそ平然としているが、行き成り前回のアインツベルンのことを持ち出されて、これから何を言われるのか予想もつかないアイリスフィールは、鸚鵡返しのように呟く。

「そう。アインツベルンは、喚んではいけなかった反英雄を召喚してしまった」

 まるで怪談話でもしているかのような声色になるケイネス。
 本人も意識してそうしているわけではないのだが、アイリスフィールたちの緊張感を強めさせた。

「その英霊の真名は、――この世全ての悪アンリ・マユ

 この世全ての悪アンリ・マユ
 ゾロアスター教の最大の悪魔で、光明神アフラ・マズダと九千年間戦い続けるという悪性の容認者であり、本来は神霊なので聖杯で召喚できるような存在ではない。

 やはりというべきか、ケイネスの口から飛び出した爆弾発言に構えていてもなお強いショックを受けるアイリスフィール。

「そんな……あり得ないわ!? いくら聖杯が万能の力を秘めていたとしても神霊を喚び出すなんて」

「そうです。だから、アインツベルンが召喚したアンリ・マユは、『この世全ての悪アンリ・マユの名を着せられて世界中の罪悪を背負わされたただの青年』でしかなかった」

「な……っ」

 息を呑む音が部屋に響く。
 ここまで聞けば、聖杯の何たるかを知るアイリスフィールにはケイネスの言わんとしていることが理解できた。

「『この世全ての悪』を背負わされ、英霊として扱われることになったものの、その力は本来の青年のものでしかなく、第三次聖杯戦争でも序盤で敗北して聖杯に取り込まれた」

 矢継ぎ早に話しを進めるケイネスにアイリスフィールは、口を挟む余裕もない。
 セイバーや舞弥は、アイリスフィールほど聖杯を熟知していないために今だ話しに耳を傾けている。
 ケイネスの言葉が自分たちの願いを打ち砕くものだと予想できても聞かずにはいられない。

「敗北した英霊は人格をなくして万能の魔力として聖杯に取り込まれる。そして、自身に取り込んだこの世全ての悪アンリ・マユという願いを聖杯は受諾してしまった。結果、アンリ・マユに汚染された聖杯は、悪性の“力の渦”になってしまっている」

 ようやく話を終えたケイネスは、疲れたように椅子に深く座りなおす。

「それは、事実なの? あなたの妄想ではないの?」

 すべて偽りであって欲しいと、愛する夫の最後の希望が断たれていないことを願う。
 しかし、ケイネスは無情に首を横に振る。

「嘘は言っていない……としか言えないな。実際に大空洞に行けば、理解してもらえると思う。まだ1人もサーヴァントが取り込まれていない状態だが、『器の護り手』たるあなたなら感じ取れるはずだ」

 アイリスフィールならばそれを確かめることができる。
 この場でケイネスの言葉を信じなくとも、すぐに確認する方法が明示された。
 不確定要素を放置して、このまま聖杯戦争を続けるか。
 ケイネスの言葉の真偽を確かめ、事実であるのならどう対処するか。
 アイリスフィールの迷いに道筋を示すのは、この場に姿を現さない切嗣しかいない。

 しかし、もうひとり、ケイネスの言葉を受け入れられない者がいた。

「あなたの言葉の通りであったとして、アンリ・マユを取り除けば、聖杯を元通りにできるのではないですか?」

 毅然とした表情のままのセイバーだが、その声には縋るような色が見え隠れしている。

「無理だな。聖杯そのものが、悪性の力になっているんだ。だから精密な計算、相互作用による矛盾の修正なども絶対に不可能。持ち主の願いをあらゆる解釈による破壊のみで応え、ひとたび開けてしまえば際限なく溢れ出して、この世全てに災厄を巻き起こす」

 自身の存在理由を否定するようなケイネスの言葉にセイバーは、反論する材料を持ち得なかった。
 いくら言葉で否定しようとも、ケイネスの言う通りにアイリスフィールが確認すれば、すべてが判明するのだから。
 強い願いを持っていたアイリスフィールとセイバーは、力が抜けたように俯いている。

「アレを望む者は、俺の知る限り一人しか居ない」

 アインツベルンに対して協力を申し出るのに使うべき材料を出し終えた感のあるケイネスは、部屋の重苦しい空気にため息をつく。
 静寂に包まれていた部屋で、唐突な動悸にアイリスフィールは身を強ばらせる。

「侵入者でも?」

 白々しいと思いつつもケイネスは訊ねる。
 それに気落ちしていたセイバーもアイリスフィールに視線を向ける。

「恐らく、キャスターですね」

 セイバーの言葉にアイリスフィールも頷く。
 慌しくなる部屋の中、ランサー組のケイネスたちは落ち着いた様子で目配せする。

「聖杯解体の結論は、色々あると思いますし、あとにしましょう。まずは、お互い。目の前の邪魔者から片付けることにしませんか?」

 ケイネスの言葉にアサシンが霊体化して外へと駆けて行く。
 腕を絡めてきていたソラウに解放してもらったランサーも立ち上がる。

「それでは皆さん。上手くいけば、早々に片付けられると思いますが、同盟関係の予行といきましょう」

 先ほどまでの真剣さとはまた違った瞳になるケイネス。
 そんなケイネスの表情は密かに、まるで罠に掛かった獲物を舌なめずりで、どう料理しようかと考える悪役のようになっていた。





[2609] 帰って来たいケイネスのZERO 第6話
Name: クリス◆45dab918 ID:89adfc6d
Date: 2008/04/26 01:33



 アインツベルンの森を飛ぶように駆けるいくつもの人影があった。
 騎士が二人に暗殺者が数名、そして魔術師が1人。
 パーティーとしてはそこそこな編成であるが、彼らはこれから別行動を取らねばならない。

「段取りは分かってもらえたかな?」

 アサシンに背負われているケイネスは、先を往くランサーとセイバーに叫ぶ。
 前を往く二人の騎士は共に不承不承といった感はあるが、ケイネスの言葉に頷く。

「それじゃ、キャスターは任せる。君たちなら油断しなければ楽勝なはずだから」

「はい。ケイネス殿もどうか御無事で」

「大丈夫。マスターと言ってもほとんど一般人と変わらないからね」

 そう言ってケイネスは、アサシンに背負われながらランサーたちとは別方向へと走り去った。
 月明かりもほとんどさすことのないアインツベルンの森に消えていくケイネスを心配そうに見送るランサーであった。


 深い森を疾風の如く駆け抜けたランサーとセイバーは、ほんの数分足らずでキャスターを確認した地点へと到着した。
 アインツベルンの城を中心に森に張られた結界のギリギリ境界内の場所。
 そこには、数分前に現れたキャスターと彼に連れられて来た何も知らぬ無関係な子供たちがいるはずだった。
 しかし、

「卑しき影どもめえぇぇ! この私を邪魔立てするとはッ!!」

 闇夜にあってなお暗い、血によって染め抜かれたような不吉な赤い紋様を刻む漆黒のローブ。
 そこには、夜行性の獣のような異様に大きい双眸を限界まで見開き、脂ぎった異相を怒りと狼狽に歪めているキャスターが1人で喚き散らしていた。

「これは……」

 予想された血の惨劇が一切ないことにセイバーは、唖然とした。
 城でキャスターの侵入を察知した時、千里眼によってその姿を確認するとキャスターは年端もいかぬ子供たちを何人も連れいていた。
 しかし、急いで駆けつけて見れば子供はどこにも見当たらず、ひとりで怒り狂うキャスターが、身に纏う闇色のローブを自らの血で濡らしていた。

「ぐおぉぉぅォッ!?」

 わずかな風切り音と共に飛来した漆黒の短剣がその痩躯を掠め、キャスターは無様に地面を転げまわる。
 致命傷にはなりえない。
 しかし、身動きを取ろうとすると四方から飛来する刃によって手足を切り裂かれる。
 キャスターの周りには、青黒くうねる蛸に似ていなくもない触手の塊が蠢いているが、その歪な肉塊では飛来する短剣を防ぎきる事が出来ていない。

「これが……貴方のマスターのやり方なのか? ランサー……」

 まるでキャスターを嬲るかのようなやり方にセイバーが眉を顰める。
 今現在のケイネスという男が完璧な善人であるとは、間違っても言えない。
 少なくとも平時においては、陽気な性格で愚かな部分もあるが、世間一般の善悪の区別はしっかり身に付けている。
 しかし、忌むべき者に対しては、塵ほどの慈悲もない。
 未来の知識を利用した奇襲によって、早々にアサシンのマスターであった言峰綺礼の腕をランサーに切断させ、令呪を奪った。
 今も、ケイネスの案で、キャスターの無力化を任されたランサーたちだったが、前もってケイネスに指示を受けていたアサシンが先行して、キャスターから人質の子供たちを救い出し、投擲技術の優れた個体たちがキャスターの足止めを行っていた。
 大聖杯の術式を解体する前にサーヴァントを消滅させるとアイリスフィールに負担が掛かるため、牽制に留めるアサシンの攻撃は当然のこと。
 ケイネスがマスターとなってからのアサシンは、分散してもある程度の戦闘力は維持できるようになっている。
 そのため、キャスターのように宝具に特化した基礎能力値の低いサーヴァントの足止め程度なら造作もない。
 キャスターを足止めするのがアサシンの任務であり、ランサーの役目はキャスターの無力化。
 サーヴァントを消滅させることなく、戦闘不能にするための処置ではあるが、純正の騎士であるランサーやセイバーにとって、今の状況は納得し難いところがある。

 セイバーより、わずかばかりケイネスと付き合いの長いランサーは、ニ槍を両手に、自ら召喚した海魔に囲まれ、無様に這い蹲るキャスターに歩み寄る。

「……少なくとも、無関係な子らの命が失われずに済んだ。そして、このキャスターは我ら騎士の誓いに賭けて、看過できぬ“悪”だ」

 召喚者の危機に反応して腐臭を漂わせながら蠢く海魔をランサーのニ槍が瞬時にただの肉塊へと帰していく。
 本来であれば、キャスターの宝具『螺湮城教本プレラーティーズ・スペルブック』は、生贄となる血肉を元に無尽蔵とも呼べる再生力を具えた幾百もの海魔を呼び出せる。しかし、キャスターが生贄として用意していた子供たちは、隠れ潜んでいたアサシンたちに悉く連れ去られ、生贄無しで召喚した海魔は本来のそれほど増殖はできず、さらに致命傷にならずとも何十と投擲される短剣の刃には何らかの毒が仕込まれていたようで、今のキャスターは宝具の制御に集中することもできない状態にあった。

「おのれ己オノレオノレェェェ!!」

 姿を見せずに樹間から狙い打つアサシンに激昂していたキャスターが、接近するランサーに気付き、海魔たちを嗾けるが、ランサーのニ槍によって簡単に引き裂かれ、キャスター自身もとうとうアサシンの短剣によってその身を大地に縫い付けられた。
 あまりに哀れな姿ではあるが、キャスターの在り方は、ランサーにとっても許されざる悪。
 一方的過ぎる展開ではあるものの、最小限の労力で最大限の結果を得ることになる。
 始めの頃は、ケイネスのことを甘いと思っていたランサーだが、ようやくその評価を完全に改めることになった。
 身動きも取れず、無様にもがくキャスターの手に握られた『螺湮城教本プレラーティーズ・スペルブック』にランサーの『破魔の紅薔薇ゲイ・ジャルグ』の矛先が向けられる。

「ひぃぃッ!?」

 召喚者の窮地に引き裂かれたばかりに身を再生させた海魔たちがランサーに襲い掛かる。

「確かに。それに関しては貴方の言うとおりだ。今は、貴方の役目を果たしてください」

 すぐ側に控えていたセイバーがランサーの背後に迫る海魔を一太刀で薙ぎ払う。

「ふん。言われるまでもない」

 背後の憂いなど始めからなかったランサーは、禍々しい魔力が滲み出る魔道書を抉った。
 ランサーの真紅の長槍の一突きによって、魔力供給を断たれた海魔たちが、その身を保てなくなり、静かな森の土に崩れ溶けた。

「貴様ッ――キサマ貴様キサマ貴様キサマキサマキサマアァァッ!!」

 頼りの魔道書を無効化されたキャスターが白目を剥くほど表情を歪め、ランサーを睨みつける。
 しかし、すでに王手をかけているランサーは、魔道書を突き刺す真紅の長槍をそのままに、今度は反対の手に持った黄色の短槍に魔力を込める。

「怒り心頭のところすまんが、我がマスターに任された仕事はまだ残っていてな。禍の源は完全に断たせてもらうぞ、キャスター」

「ぐぬぅぅぅァア!! オ、オノレェェェェ!!!」

 先日の倉庫街での戦いを覗き見ていたキャスターは、ランサーのやろうとしていることに思い至り、逃げようとするが必滅の槍はそれを許さない。
 人間の皮膚で装丁されたおぞましき悪魔の書は、『必滅の黄薔薇ゲイ・ボウ』によって完全に破壊された。
 膨大な魔力を宿す幻想の崩壊により、アインツベルンの森に凄まじい烈風が吹き荒れ、その禍々しい力を完全に霧散させていった。

 切り札たる『螺湮城教本プレラーティーズ・スペルブック』を失ったショックのためか、放心しきって湿った土の上、仰向けに転がるキャスターは、虚ろな瞳で夜空を眺めていた。

「このキャスターは、宝具に特化したタイプらしいからな。後は、ケイネス殿がキャスターのマスターを捕らえて来るのを待つばかりだ」

 キャスターの無力化という任務を終えたランサーは、地面に転がるキャスターから距離とって近くの木に背を預ける。

「しかし、このままキャスターが大人しくしているとは思えない。貴方のマスターは、キャスターとそのマスターをどうするつもりなのだ?」

 一仕事終えた感はあるもののキャスターに対する警戒は、まったく解いていないランサーの様子にセイバーも同じく、茫然自失状態のキャスターを警戒しつつ、ランサーの隣に立つ。

「さあな。アサシンのマスターの時のように令呪を奪って来るのかもしれん」

 ランサーは、そうなって欲しくはないと思いながらも、一番有り得そうな予想を言う。

「確かに、それが効率的なのかもしれないが……」

 ランサーの言葉にセイバーも頷いてみせるが、キャスターを仲間に引き入れるというのであれば、ケイネスとの同盟はさらに受け入れ難いものになる。
 何しろ、サーヴァント中最弱といわれるキャスターと直接戦闘力は低いアサシンであっても、ランサーも含め、1人のマスターが三体のサーヴァントを従えていることになる。
 ランサーならば信頼に足る盟友になりえるが、せいばーとしては、アサシンやキャスターと肩を並べるというのは考えられなかった。
 事実、先ほどまでキャスターに短剣を投げつけていた数名のアサシンは、ランサーとセイバーには一言も話しかけてこない。
 ケイネスの命令で、この場に残っているのだろうが、それでも姿を見せずいるアサシンに監視されているようで、セイバーは気が休まらなかった。
 少なくとも、この隙にアイリスリールや切嗣の寝首を掻く様なことはないだろうと思ってはいるが、行動を予測できないケイネスが、これからどのような対応をとるかセイバーは心配だった。

「ォ…ぉぉ……」

「「!?」」

 それまで屍のように沈黙していたキャスターが、瞳孔の開ききった眼をさらに見開き、声にならぬ嗚咽を漏らし始めた。

「……これは」

 それが何に起因するものなのかセイバーには見当も使いなかった。
 悪逆を尽くし、命を穢すことこそを是とし、幼き命さえ一時の戯れに貪るような悪鬼が涙を流している。
 すべてを失ったかのような、すべてを奪われたかのような、すべてを悔いているかのような。

「私は、何ということを……」

 その呟きは、誰に向けるものでもなく、自らの内へ向けられた断罪の刃。
 他者から与えられる罰とは違い、自ら自覚する罪はどこまでも己が心の奥底へと突き進み、深々と己を貫き続ける。

「お、おおォ……ジャンヌ! 私は、私は…ッ!!」

 ついに叫びへと変わるキャスターの嘆き。
 流される涙は、誰に向けられたものでもない。
 いまここにあるのは、セイバーをジャンヌと呼び、冬木市において残虐極まりない罪悪を犯してきた『青髭』ではなかった。
 大きく見開かれる双眸から絶え間なく流れる雫は、確かに清冽であった。

「キャスター。貴様……」

 目の前で咽び泣く男が、本当に先ほどまでのキャスターと同一であるのかセイバーには分からなくなる。
 確かな自責の念があり、穢れた己が身を恥じ、血に濡れた己が手を自ら握り潰さんとするキャスター。
 キャスターの変貌振りにセイバーが困惑する隣で、ランサーは口の端をわずかに上げてため息を付いた。

「どうした、ランサー。貴方は、“これ”に心当たりがあるのか?」

 ランサーのわずかな反応に気付いたセイバーが訊ねる。

「いや何。コイツも昔は、俺たちと同じだったのだと思っただけだ。――信じたモノの崩壊。コイツは、我ら騎士が辿る末路の一つなのかもしれんな」

「………」

 ランサーは、ケイネスから聞かされていた自らの可能性を思い出し、自嘲するように呟く。
 そこに込められる言い知れぬ重みを理解しきれないセイバーは、ただ沈黙するしかなかった。
 ランサーの言は、自身や目の前のキャスターだけでなく、セイバーにとっても他人事ではなかった。
 もし、自分の信じるモノすべてに裏切られ続けてたら、いずれ自身もこのようになってしまうのかと。

 邪気が完全に払拭されたアインツベルンの森の静寂に、キャスターの嗚咽が静かに響き続けていた。








 時間は、戻ってランサーたちと分かれたケイネスは、アサシンに抱えられ、人間では到底不可能な移動速度で、夜の冬木市へとやって来ていた。

「主殿」

 ケイネスがアインツベルンの森を抜けるとすぐさま虚空から黒衣の髑髏面が現れる。
 前もって街に潜伏させていた数人のアサシンの1人である。

「雨生龍之介は?」

「は、キャスターの海魔を一体引きつれ、街を徘徊しております」

「なるほど。キャスターが出ている間に獲物を物色しておくつもりか」

 アインツベルンの森に攻め込んできたキャスターが、ケイネスの命を受けたアサシンたちに翻弄されている間にケイネスは、キャスターのマスターを襲うつもりで居た。
 ランサーたちが、キャスターを無力化しても一時的な措置でしかない。
 キャスターを永続的に大人しくさせるには、やはり令呪を用いるのが最善である。
 そのためにも、キャスターとそのマスターである雨生 龍之介を完全に引き離す必要があった。

 未来を知っているケイネスは、言峰 綺礼とアーチャーが組むのを阻止するためにいち早く綺礼を亡き者にした。
 そして、それは龍之介とキャスターにも言えることだった。
 彼らをもっと早い段階で消し去ることもできたはずだが、逃してしまった機を悔いても意味はない。
 それゆえにケイネスは、この機を逃すつもりもなかった。
 キャスターをアインツベルンの森で抑え込み、魔術師としての常識を知らない無防備な龍之介を押さえる。
 事実、アサシンの半数をキャスターの足止めとして森に残し、ランサーたちにキャスターの無力化を任せてあった。
 キャスターは、宝具に特化したサーヴァントであり、自身の根城である工房すら海魔の群れを放っているだけの体たらく。
 身に着けている魔術も命を冒涜するようなモノばかり。
 世間一般の魔術師が当たり前のように行っている魔術の隠蔽をまったく考えない。
 そして、キャスターのマスターたる殺人者は、

「あ、オレ、お兄さんのこと知ってるよ」

 敵のマスターを前にしても、命の取り合いの只中に身を置いている自覚すらない。
 キャスターの召喚した海魔を従え、街に獲物を探しに来ていた龍之介は、進行方向の道の真ん中で待っていたケイネスを見てもそれほど警戒していない。

「ね、ね、兄さんはどんな手品でヤるんすか? やっぱ、リアル人間蝋燭とか、生きたまま脳みそだけ移し変えるとかしちゃう?」

 足元で蠢く海魔が外敵に対して威嚇行動を取っているにも関わらず、龍之介はまくし立てるようにケイネスに質問をする。
 まるで、魔術師と名の付く存在がすべてキャスターと同類、ひいては自身と同じ趣味思考であるかのように認識しているようでもある。
 それもこの場で言えば、間違いとも言い難い。

「そうだな。私ならば、まず両の手を銀の杭でキャンパスに縫い止め、末端から肉を裂いて神経だけを綺麗に取り出し、それを別の神経や別の生き物と繋ぎ合わせる。感覚の混線。刺激されている箇所とは別の部位に刺激を感じ、現実と実感の乖離による混乱と次にどこに刺激が与えられるか予測できぬ恐怖。予測の及ばぬ刺激の発生は、恐怖や絶望にアレンジを織り交ぜることが出来ると考えるが……?」

「おお! 青髭の旦那ほどじゃないけど、アンタも美味しそうなレシピ持ってるじゃん!!」

 ケイネスの発言に龍之介は、期待していたものに近い返答を貰い喜びを露にする。
 目蓋を伏し目気味に口の端を歪めながら喋るケイネスは、龍之介やキャスターと同好の士だと言っても通じるだろう。
 ケイネスの背後の闇に浮かび上がる髑髏面も哂っているかのような音を鳴らして、“ソレ”らしい雰囲気を醸し出してる。

「ぃよぉっしッ! どうよ、ちょっくら“モノ”を獲って、それ実戦してみようぜ!」

 ケイネスを敵だと知っていも、求めるモノが同じならばその感覚を共有しようと龍之介は思っているようだ。
 龍之介本人が魔術を扱えないというのもあるだろうが。
 キャスターが出かけている間に、魔術を扱えるケイネスが現れたことを自分の楽しみが増えたとでも思っているのだろう。
 そんな龍之介の足元では、キャスターが龍之介の護衛に付けてあった海魔がぐずぐずと腐臭を放ちながら崩れ始めている。

「いやいやいや、それには及ばない。――――Fervor,mei沸き立て、我が sanguis血潮

 表面上は、歪な笑顔のままのケイネスが、龍之介には聞き取れない呟きを始める。
 それは、龍之介のような一般人に毛の生えたようなマスターに使われるべきではない魔術の術式起動の呪言。

「お、もう準備しちゃってるとか? お兄さんも中々にすき者だねぇ」

「ああ。この場で実演してあげよう……」

 ケイネスの口の端が、それまで以上に引き上げられた瞬間、月明かりの差し込まぬ路地の真ん中で鮮血が舞っていた。

「へ……?」

 何が起きたのか理解するに至らない龍之介は、自身の両手に差し込まれる銀色の何かに視線を向ける。
 同時刻、アインツベルンの森にて、海魔を“こちら側”に留めていたキャスターの宝具『螺湮城教本プレラーティーズ・スペルブック』が破壊されたことによって、存在を維持できなくなった海魔が泥溜まりになっている下から突き上がる銀の槍が、ポケットに突っ込んだままだった龍之介の両手を股下から容赦なく貫いていた。

「……あれ? 何、コレ? お兄さんがやってんの?」

 そこにあるはずの痛覚がまったく感じられない龍之介は、惚けた顔でケイネスを見る。

「魔術協会製の神経毒だ。効力は、一時的な痛覚の麻痺と思考の停滞。それなりに高価だったからな。魔術を知らぬお前には十分か」

「そ……りえねぇ、…つ、まん…ね」

 月霊髄液ヴォールメン・ハイドラグラムを用いて龍之介を立ったままの状態で磔にしたケイネスは、月霊髄液ヴォールメン・ハイドラグラムを動かして龍之介の右手の甲を自身の前に出させる。銀の槍に貫かれようと変わらず、そこに浮かび上がっている令呪をケイネスは手馴れた様子で抜き取る。本人の同意がないので施術は強引なものになったが、魔術回路を持っていたとしても、魔術の道を知らぬ龍之介から令呪を抜き取ることはさほど困難ではなかった。もっとも、神経ごと引き抜かれたため手の穴が塞がっても龍之介は、二度と右手を使うことはできなくなっている。

「さて。それじゃあ、予定通りキャスターには大人しくなってもらおうか」

 両手の甲にランサーとアサシンの令呪を五つ、そして今度はキャスターの令呪が右肘の辺りに三つ浮かび上がっている。
 ケイネスは、その右肘の令呪を意識を集中する。

「令呪をもって命ずる――キャスターよ、過ぎ去りし時を顧みよ。騎士としての誇りと栄光、聖処女の祈りに捧げた己が心を取戻せ」

 ケイネスの言霊に応えた聖痕の一画が消費される。
 そして、ケイネスは立て続けにもう一画の令呪を削る。

「重ねて命ずる。――キャスターよ、生者に害を為すことを禁ずる」

 連続して二つも消費された令呪は、その秘蹟にしてはあっけないほど一瞬の輝きの後にケイネスの右肘から消えていた。

「……ふぅ。上手くいっていると良いんだがな」

 やるべきことを終えたケイネスは、ひとつため息を付いてアインツベルンの森の方角に目をやる。
 同時刻のアインツベルンの森では、ランサーとセイバーが、突然のキャスターの豹変に困惑することになるのだった。

「主殿、お身体は大丈夫なのでしょうか?」

 闇に紛れて海魔を牽制しつつ、成り行きを見守っていたアサシンがケイネスの側に現れ、主を気遣うように訊ねる。
 そも、令呪とは、ありえざる事象を可能とする三度限りの絶対命令権。
 三体のサーヴァントと契約関係になり、さらに連続で令呪を消費するというのは、いかにケイネスが優れた魔術師でも負担がないとは思えない。
 しかし、当のケイネスにはそれほど疲労の色は見られない。

「あ、別にこっちに負担はないから、大丈夫だ。今の消費分はコイツの魔力を使ったからな」

 そう言って、目の前で両手両脚を貫かれて、死相の出ている龍之介を小突く。
 傷の割りに出血がまるでないほど少ないが、強力すぎる神経毒と無理やり令呪を抜かれたショックで意識は完全にダウンしている。

「ランサーの魔力をソラウが賄ってるのと同じだ。こいつには、キャスターを現界させておく最低限の魔力は払ってもらわないとな」

 要救護が必要な龍之介を乱暴に摘まみあげるケイネス。
 令呪だけ奪い、魔力供給はそのままにする。
 等価交換が原則の魔術に携わる者とは思えないほどの借り倒しっぷりである。

「よし、アインツベルンの城に戻ろう。あそこなら、この死にかけを聖杯戦争が終るまで隠しておけるだろ」

 ケイネスの指示により、龍之介は簀巻きにされた状態でアサシンに担ぎ上げられた。
 龍之介が次に目覚めるのは、良くても警察の監視付きの病院ベッド。普通に考えて三途の川の手前と言ったところである。

「さて。次の標的は、どうしてやろうか」

 キャスター・龍之介コンビを仕留めたケイネスの表情は、誰がどう見ても『悪』である。
 やはりケイネスは、自分の救いたい者しか救わないのだ。



 ただひとり、運命の流れを歪める存在として、今宵も悪魔の如き魔術師は標的とする『悪』を嘲いながら処理したケイネス。
 これからもケイネスの標的となる『悪』は、どのような最後を迎えるのか。
































 あとがき

 どうも、クリスです。
 約一ヶ月ぶりで申し訳ありませんです。
 中々筆が進みませんです。危険です。
 文章も大したものは生み出せず、混迷し続けております。

 読者様方の的確な指摘等を文章に還元できない自分が憎い!
 これはもはや、文才の無さ以前の問題なのかも……。

 まったく成長できない自分を恥じつつ、往生際が悪くとも書くことは続けたいです。
 お目汚しになることと存じますが、これからも読んで下さる方が居れば嬉しいです。
 感想・指摘、注意等がありましたらさらに嬉しいです。

 それでは、長々と失礼いたしました。
 クリスでした。




[2609] 帰って来たいケイネスのZERO 第7話
Name: クリス◆45dab918 ID:89adfc6d
Date: 2008/05/01 13:34



 その日、遠坂凛は夜の町に出向いた。
 現在、夜の町がどれほど危険な場所であるかを凛は幼いながらも十分理解しているつもりだった。
 いまの冬木市で相次ぐ児童誘拐事件は、単なる誘拐でないことを理解し、警察でも対処する事ができない事象である事も理解していた。

 そしてこの日。
 遠坂凛は、行方不明となった友達が、助けを求めているに違いないと思って自ら夜の冬木市を捜索することにした。
 それは普段多くのクラスメイトから頼られ、尊敬される者としての義務感であり、次々と消えていく子供たちがどんな事件に巻き込まれているかの真実を知っている者としての良心の呵責でもあったかもしれない。
 聖杯戦争の間、母と身を寄せることになった禅城の屋敷を抜け出した凛は、父から贈られた魔力針と宝石魔術の修行で精製した水晶片がふたつ。水晶片には魔力が充填してあり、一気に魔力を開放すればちょっとした爆発を起こせる代物だった。――そして、持ち前の勇気とプライドが小さな少女の武器だった。

 そして辿り着く。
 厳戒態勢中の冬木市を巡回する警察の目を掻い潜り、夜の街を歩く凛は目当ての反応を捉える事に成功した。
 強い魔力のある方角を指し示す魔力針が、薄暗い路地の奥を凍りついたかのように指し示したまま動かない。
 その先には何かがある。
 強い魔力を放つ何かが……。

「さて。次の標的は、どうしてやろうか」

 路地の中から歩み出たのは、外国人男性だった。
 スーツを着崩したような出で立ちに、袖口から覗く右手は不思議な紋様が描かれている。
 そして、この男の表情は、何処からどう見ても悪人面だった。
 セリフまでもが、文句の付けようも無いほど悪だった。

「……「次のひょうてき」って。やっぱり、アイツが」

 凛は物陰に隠れながらその男を注意深く観察する。
 男のすぐ側には、白い髑髏面をした異様な体格の者たちが集まっている。
 数にして4人。
 どれもが同じような仮面を付け、そのうちの1人は若い男性を担いでいる。
 髑髏面たちは、まず間違いなく人間ではない。
 優秀な魔術の素質を持つ凛は、肌で感じていた。

「あれが、サーヴァント……」

 凛の父である遠坂時臣が参加している七人の魔術師たちの戦争。
 その魔術師たちが従える七騎の英霊。
 怪しげな男は、マスターであり、自分のサーヴァントをつれて皆を誘拐している。
 現に今も一般人を捕まえている。
 服装からみても夜遊びしていそうな若者であるので、おそらくちょうど良い獲物として捕らえられたのだろうと凛は解釈した。
 きっとこの男こそが、自分の友達を、多くの幼い子供たちを誘拐してきたに違いない。

「……ん?」

 それまで悪そうな微笑みを浮かべていた男が真面目な顔になって凛の隠れている曲がり角を睨みつけた。

「(バレた!?) ひゃッ!?」

 そう思った時には全てが遅かった。
 踵を返して逆の方角へと駆け出そうとした凛の目の前に例の髑髏面が立ち塞がっていた。
 突然の衝突に軽く悲鳴を上げてしまった凛は、そのまま尻餅をついてしまった。
 目の前に立つサーヴァントは、特に何かするような素振りは見せず、凛の逃げ場を奪っただけで動きを止めている。

「なんでこんな時間に子供が……」

「ひ…ゃ」

 そして、気付いた時にはすぐ後に髑髏面のサーヴァントのマスターと思われる男が立っていた。
 先ほどまでと違って男は困ったような表情をしながら綺麗な金髪を掻きながらぶつぶつ呟いている。
 その表情は、先ほどまでの悪人面ではなくなっていたが、今度は魔術師としての警戒心が警告を発していた。
 まだまだ未熟な凛ではあったが、魔術師としての素質はかなり高い。
 故に、この男の魔術師としての“格”もある程度感じ取れた。認めたくは無かったが、この男は少なくとも凛が尊敬する父の時臣と同格の魔術師であることを。

「主殿。この者、どうなさいますか?」

 ひとりの髑髏面が、凛の処遇をマスターである男に尋ねる。

「そうだな。記憶を操作して……ん?」

 男は、魔術師の常識である魔術の隠匿のために凛の記憶に手を加えようと不気味なグローブを填めた右腕を凛の頭に近づける。
 しかし、凛の顔を間近で確認した男は、何か考え込むようにして凛の顔をまじまじと見つめ始めた。
 凛の顔を確認し、頭の天辺から爪先まで嘗め回すように(凛はそう感じた)視線を動かすと伸ばしていた右腕を引っ込めた。

「主殿?」

 魔術の秘匿のために目撃者は、記憶を弄るか抹殺するかするのが魔術師の常套。
 それを突然やめた男をサーヴァントだけでなく、凛も疑問に思った。

「大丈夫。この子も魔術師だ。まだ見習い程度だろうけど」

「ッ!?」

 その言葉に凛は反射的にポケットから水晶片を取り出していた。
 考えてみれば当然だったのだ。
 魔術師であれば、ある程度は魔術師を感知できる。
 未熟な自分が感じ取れたのならば、魔術師同士の戦争。父と同じ舞台に立つ魔術師が凛が魔術師であることに気付かないはずが無かった。
 もし、自分が遠坂時臣の娘であることがばれたら人質にされるかもしれない。
 そうなれば尊敬する父に多大な迷惑をかけてしまう。
 そして、父の自分に対する期待を裏切ってしまう。
 幼い凛の心の中で、魔術師という道を選ぶ自分自身のプライドがわずかな一歩を踏み出させる。

「ちょ、待ッ!!?」

 突然の魔力の動きに男は、慌てる。
 凛は、相手が自分を子供だと油断していたのだろうと思った。
 しかし、これでこの男を倒せると凛も思ってはいない。
 自分自身の中に生まれた恐怖を誤魔化す為、吹き飛ばす為の一撃。
 この後に自分がどうなるかなど凛には考えられなかった。
 ただ、自分が何も出来ないまま終ってしまうことに耐えられなかった。
 小さな水晶片が魔力を開放しつつ、弾ける。
 おそらくその際に生じる爆発は、術者たる凛をも巻き込むだろう。
 それほどの至近距離なのだ。
 これならばきっと相手にも多少の手傷を負わせることは出来るはず――その結果をほんの少しだけ誇りに変えられたら……。
 そして、充填されていた魔力の割りに小さな破裂音が響き渡った。









「……あれ?」

 いつまでたっても爆発の余波が来ないことに凛は閉じていた目蓋を見開き、周囲を確認する。
 周りは依然真っ暗な路地裏で、自分の周りには誘拐犯(凛的に確定)とそのサーヴァントがどっと疲れたような様子で膝をついている。
 目の前には、サッカーボールほどの大きさの銀色の何かが浮遊していた。
 恐らくそれが水晶片の爆発を封じ込めたのだろう。

「あ、危ないだろうが、このバカ凛ッ!!」

 突然、男が怒鳴ったかと思うと小気味良い音と共に凛の頭部に衝撃が走る。

「い……、いたーーーいっ!」

 一瞬何をされたのか理解出来なかった凛だが、じわじわと頭部に広がる痛みに気付いて呻いた。

「イタイ、いたい、ジンジンする! お父様にも打たれたことないのに!」

「痛いですめば葬儀屋はいらんわい! っていうか、そのネタは年齢的にどうかと思うぞ!」

 先ほどまでの緊迫した空気がどこかに吹っ飛んでいった。
 目の前の誘拐犯?に感じていた脅威が凛の中ではかなり低くなった。
 今のこの男には魔術師らしさがまったく感じられない。
 この男の存在を幼い子供に手を上げる一般常識のない駄目な大人でしかないと凛は位置づけた。

「ヌヌヌヌッ」

「ムムムムッ」

 両者奥歯をかみ締め睨み合う。
 周囲の髑髏面たちは、どうしたものかとオロオロ。

「……はぁ~。もういいから帰れ。1人で帰れないなら送ってってやるから」

 子供と睨み合う事の情けなさに何とか自力で気付いた男は、気まずそうに視線を逸らして脱力しながら言う。

「いらないわよ! それに私はまだやることがのこってるんだから!」

 もはや、男が魔術師だろうがマスターだろうが誘拐犯だろうが、凛にとって恐れるほどの相手ではなくなっていた。
 すでに凛の中では、三下であると決め付けられているのだった。

「……いいから帰れ。娘がひとりで出かけたと知ったら葵さんも心配してすっ飛んでくるんだぞ。こんな危険な場所に、な」

「ッアナタには関係ないで……って、何でお母様のこと知ってるのよ。それにわたしの名前も……」

 そこでようやく凛は目の前の男の異質さに気付く。
 この男は、凛の名前を当たり前のように口にし、母の葵のことさえ知っており、凛が勝手に禅城の屋敷を抜け出した事を知っている。
 先ほどからまったく威厳というものが感じられなかった男が、今では何かを堪えるように凛を見据えている。

「お前の友達はもう戻らない。他の子供たちも帰ってこない。だから、諦めて禅城の屋敷に帰れ」

 男の瞳に最初に感じた悪意は微塵も無くなっていた。
 凛も男の言葉に予想し得たことだと思い至る。
 自分よりも今の冬木市の現状を理解している母に行方不明になった友達のことを訊ねても言葉を濁すだけだった。
 それは、娘に悲しい思いをさせたくないという母の気遣いだったのだろう。

「コトネは……死んだのね」

「ああ。もう帰ってこない」

 ようやっと自分の口から言葉にして出した凛に、男は冷静な口ぶりで応えた。
 言葉にすることで再確認する失われた命の重み。
 命が失われる瞬間に立ち会わなかったにも関わらず、それは確かな錘となって凛の胸を締め付けた。










 凛が寝室から消えていることに気付いた遠坂葵は、禅城から車を飛ばして冬木市へとやって来た。
 友人を助けに行くと書置きを残した我が子の居そうな場所など見当も付かなかった。
 何しろ、行方不明の者を探すために出かけたのだ。
 普段立ち寄るような場所から探すほど凛の精神は幼くない。
 それを理解していても、探す当ての無い葵には、心当たりを虱潰しに探すしかなかった。
 凛の行動範囲と時間から移動距離を想定して最初に浮かんだ先は、川辺の市民公園だった。

 そこは良く出掛けた場所だった。
 葵と凛、そして……。
 深夜の公園は、静寂に包まれているはずだった。
 児童誘拐事件によって厳戒態勢が敷かれている今では、なおのこと。
 しかし、

「このへっぽこ魔術師っ! 失敗じゃないの!」

「んな上手く行くはずが無いだろう! 大体、魔術ってのはそれぞれの家系の秘伝だってことくら分かってるんだろうが!」

 夜の公園に響く少女と男の口喧嘩。
 神経をすり減らす思いで駆け付けた葵は、緊張の糸が切れそうになるのをどうにか耐え、凛の姿を探す。
 声のする方に視線を巡らし、我が子の姿を探した葵が凛の赤いセーター姿を見つけた時には、ちょうど怒った凛が見知らぬ男の脛を蹴飛ばすところだった。

「うぐぉあッ……。 こ、このガキ……」

 所詮、子供の蹴りだと油断していた男は、予測を遙かに上回る威力を持った凛のトーキックに悶え苦しむ。

「ふん、何よ。遠坂の魔術も知ってるとか偉そうなことを言い出したのはそっちでしょ? とんだ時間の無駄だったじゃない」

 目の前で繰り広げられる娘と見知らぬ男の喜劇染みたやりとりに葵は数瞬呆気に取られてしまっていた。
 数秒の間目が点になってしまった葵だったが、どうにか本来の目的を思い出し、娘に声をかける。

「――凛っ!」

「あ、お母様!?」

 葵が駆け寄ると凛も母の元へと駆け寄った。
 駆け寄った凛を抱きしめ、無事を確かめた葵は安堵に涙を滲ませる。

「良かった……本当に……」

「ごめんなさい、お母様。私……」

 母のその姿に、凛は葵にどれほど心配をかけてしまったかを理解し、神妙な表情で葵に謝罪する。

「いいの、いいのよ。無事だったのならそれだけで十分」

 そんな凛を強く抱きしめながら葵は、娘の無事をかみ締めた。
 しばらく母子の抱擁が続き、ようやく冷静になった葵は、ベンチに腰掛けながら自分たちを眺める男に向き直った。

「娘がお世話になったようで……」

 さきほどの凛とのやりとりから、とりあえず男が自分たちに危害を加えるつもりがないのだと察した葵は、警戒しつつ頭を下げた。

「いやいや、お気になさらず」

 男は、しきりに脛の部分を摩りながら笑みを繕って応える。
 凛の蹴りは、よほど強力だったようで、男の笑みはどこか苦しげだ。
 この男は、葵の目から見ても“格”というものをまったく感じられなかった。
 魔術師の家系に嫁いだ者として、それ相応に魔道の気配には敏感になっている葵の感覚は、この男が魔術師であることを警告している。
 だが、魔術師が纏う独特の何かが目の前の男には感じられなかった。
 しかし、その男の左手の甲に禍々しい紋様が刻まれていることに気付いた葵は、解けかけていた警戒を強めた。

「貴方の目的は何……?」

 凛が魔術師であることを知ってなお、保護して葵が探しに来るまで公園で待っていた。
 しかも、男は葵がこの場所にやってくることを始めから知っていたような様子さえある。
 であるのなら、自分たちがマスターの1人の家族であることを知って、利用するために待ち構えていたのでは?
 そんな可能性に思い至った葵だったが、男は殊更穏やかな、されど慎重な声色で呟いた。

「そのままその子を連れて早く禅城に帰りなさい」

「え?」

 男の言葉に葵は、呆然とする。
 そんな葵の反応に気分を害した様子もなく男は、葵に抱かれたままの凛に視線を移す。

「夜中に出歩くのは、一人前になってからにしろよ。それと蹴りの借りは、ちゃんと返すから覚悟しとけよ。チビ凛」

「ふん、言ってなさい。返り討ちにされても文句は言わないでよ」

 男の冗談交じり言葉に凛も自信満々に応える。
 そんな凛の態度にもやはり苦笑で応じた男は、何やら年寄りくさい掛け声と共にベンチ立ち上がる。

「私は、これで失礼させてもらいます」

 葵に対して、折り目正しく丁寧に頭を下げると男は、さっさと公園の出口の方へと歩いていった。

「あ…」

 去り往く男に声をかけようとした葵だったが、呼び止めても自分にはどうすることもできないことを思い出し、声を引っ込めた。
 始めから去り際までよく分からない人物だった。

「お母様……」

 男の去った後の公園でしばし呆然としていた葵に凛が心配そうに声をかける。

「大丈夫。さあ、禅城に戻りましょう」

「はい、お母様」

 葵と凛は、しっかりと手を繋ぎ、静かになった公園を後にした。














 翌日、男の言葉とは違い、行方不明だった子供たちの何人かが無事に帰ってきた。
 子供たちの記憶は曖昧で誘拐されていた間のことは何一つ憶えていなかった。
 後に、未遠川の中程にある下水管の奥にある貯水槽から気絶する若い男と無数の遺体が発見されることになり、冬木市の誘拐事件は、連続殺人事件と名を変え一応の終結を見ることになる。

 凛はその報道を耳にした時、夜の冬木市で出会った変な魔術師のことが頭に浮かんだ。
 新聞に載せられていた犯人の顔写真は、変な魔術師が捕まえていた男と同じ顔であり、後にその犯人も聖杯戦争に参加していたマスターであったことも知る事になった。


 そして、すべてが終わった後。凛はあの時の蹴りのお返しをあのような形でしっかり受ける事になるとは、幼い凛でなくとも予想も出来なかっただろう。











[2609] 帰って来たいケイネスのZERO 第8話
Name: クリス◆45dab918 ID:89adfc6d
Date: 2008/08/10 00:07




 キャスターとそのマスターである龍之介を捕獲し、冬の城に帰還したケイネスは、再びアイリスフィールたちと向かい合っていた。
 数時間前と違うのは、ケイネスの隣にランサーとソラウがいないことだけ。
 そろそろ東の空が白んでくる時間であるにも関わらず、セイバーはもとより一切の緩みを見せないアイリスフィールと舞弥。

「さて。これで残るはアーチャー、ライダー、バーサーカーの三体。そろそろ私の計画を始めたいと思うのですがいかがですか?」

 相対する三人の女性を前に、カフェインの過剰摂取によりなんとか眠気に対抗しているケイネスが協力を申し出た際と同じように言う。
 そんなケイネスに対して、アイリスフィールをはじめ、アインツベルン勢は返答をできずにいる。
 ケイネスの目的が、本人の言う通りであるのなら協力して損はない。というよりも、聖杯がアンリマユという爆弾を抱えていることが事実であるならそれの出現は絶対に防がなくてはならない。しかし、このケイネスという男は知りえるはずのないことを知り得ている不気味さに加え、どこか無視できない異質な何かを感じさせる為、どうしても信じきることが出来ない。
 そんなアイリスフィールたちの考えが顔に出ずとも、沈黙によって物語っていることを理解したケイネスは困ったように微笑み、ソファーに深く座りなおした。

「まあ、やはり信用できるわけもありませんか」

 別段、そのことに対して不満があるようにも見えないケイネス。
 元より、自分の不審さを十分理解しているケイネスは、それでも協力を仰ぐしかないのでどうすれば色よい返事をもらえるか思案する。
 アインツベルン勢に続き、ケイネスも考えをまとめるために沈黙し始めた為、室内に微妙な静寂が訪れる。
 と温度差のある沈黙の中、舞弥の懐から僅かな振動音がした。誰もが言葉を止めている室内ではやけにはっきりと耳に入ってくる。

「はい。……わかりました」

 携帯電話を取り出し、ほんの1、2秒ほど耳に添えた後、電話をケイネスに差し出した。

「私に? 相手は……って、衛宮しかいないか」

「……」

 差し出された携帯を受け取ったケイネスは、僅かに驚きの表情を見せはしたものの、とくに怪しむ様子もなく電話に出た。

『結論から言おう。僕は協力しない』

 ケイネスが電話を受け取ったのを察した相手は、開口一番にはっきりと言った。

「いやはや、始めましてもせずに結論か。効率を優先しすぎると後悔する事になるかもしれんよ」

 電話の向こうに居るであろう相手に向かって慇懃無礼な言い方で答えるケイネス。
 そんなケイネスの態度にも相手はほんの数秒の間を置いて答えた。

『お前の方は早合点の気があるようだな』

「何?」

 電話の向こうに居る切嗣の言葉にケイネスは、アイリスフィールたちに気取られぬレベルで動揺した。
 ケイネスが予想していた切嗣の結論は、拒絶か、利用だと考えていた。
 拒絶された場合、即座に大空洞に仕掛けてある爆弾を作動させるようにアサシンに命令するつもりで、利用される場合ならば他のマスターやサーヴァントの情報をある程度開示して以降の方針は、切嗣にある程度従うつもりでいた。
 しかし、切嗣は結論を言うには言ったが、それ以外の含みを持たせた言葉を放った。

『お前の目的・行動・思考、どれをとっても魔術師のソレとは違う。――お前、ロード・エルメロイではないんだろう?』

 切嗣の言葉にケイネスは限界ギリギリで動揺を隠した。

「ほう。では、私は誰だと言うんだ?」

『さあね。お前が誰かというのは正直、興味が無い』

「……っ」

 ケイネスは久々に言葉によって苛立ちと不安を感じた。
 相手が何を思っているのかが読めない。
 それは、ケイネスとなった者が恐れている事象の一つであった。
 聖杯戦争に関わるほぼ全ての事象を把握している者にとって、最も注意しなくてはならないことがあった。
 性格や生活などの変化はともかく、時計塔での仕事は本来のロード・エルメロイと変わらぬように勤めていた為、始めの内は他のマスターたちもケイネス・エルメロイ・アーチボルトという存在を不思議に思わなかった。
 僅か二日で、二体のサーヴァントを押さえた手際の良さも神童と謳われる者である故に、だと。
 しかし、ここにそれを真っ向から疑っていた者が現れた。
 ケイネスにとってこれは、予想しえた事態でありながら、想定していなかった事態でもあった。

『もう一度言うぞ。――

 切嗣に念押しされるまでもなく、ケイネスはその言葉の意味を理解していた。
 衛宮切嗣という男と本気で敵対するということは、死を意味する。
 まだ、切嗣がケイネスを『ケイネス・エルメロイ・アーチボルト』であると認識している内は、出し抜くことも可能だった。
 しかし、切嗣は既にケイネスをロード・エルメロイと呼ばれた魔術師とは別物の敵と認識している。
 こうなってしまっては、切嗣の次の手が読めない。

『さて、お前がこの後取るべき最善の策はなんだ?』

 追い討ちをかけるように電話口で囁く切嗣。
 それは、ケイネスが切嗣の人間性を理解していることを前提にした脅しでもある。
 なまじ衛宮切嗣という人間を知っている故に、その言葉が意味する恐ろしさが増幅される。
 さすがに感情を押し殺す事の出来なくなってきたケイネスの表情が歪む様をアイリスフィールたちも固唾を呑んで見定めている。
 切嗣の戦略が勝つか、それともケイネスの異質さが勝るか。

 電話を耳に押し当て硬直するケイネスは知らぬ事だが、これは切嗣たちにとっても賭けであった。
 この道化と預言者と犯罪者?が混ざり合ったようなケイネスをやり込められるか否か。
 もし、ここでケイネスが折れれば、これからの主導権は切嗣たちが握る事になる。
 しかし、ケイネスが常のように飄々とした態度で開き直った場合、切嗣たちが優位にたつことは難しくなる。
 この考えは、まったくの見当違いとも言えなくもないが、ケイネスと違い、相手の人間性を完全に把握する事の出来ないアインツベルン勢にとっては、これ以上の策は用意できなかった。
 もし、ここで完全に敵対する事になった場合、ランサー、アサシン、キャスターの三体を相手にすることになる。
 基礎能力値を抜きに単純な戦闘技巧では、セイバーとランサーは互角。そこにアサシンとキャスターのトリッキーさが加わっては、いくらセイバーといえど対処できない。さらに悪い事に、ケイネスが保有するサーヴァントたちは、それぞれ別々の魔力供給先を持っている為、1人で複数のサーヴァントを保有する際のデメリットがケイネスには存在しない。

 ケイネスの答えによっては、すぐにでも切嗣は仕掛けるつもりだった。
 しかし、

「……ならば、少しだけ猶予をくれ」

 ケイネスの出した答えは、切嗣もまた予想していなかったものだった。
 ケイネス自身も、切嗣との対話で予測が意味を成さない状況に成りつつあると観念し、自身の最優先事項達成の為に言葉を搾り出した。

『猶予だと?』

 言葉の真意を推し量る材料のない切嗣は、ケイネスが自発的に語る言葉から先を予測しなければならない。
 今のところ、ケイネスが搾り出した言葉に含みは感じられない。

「私が行動を起こさなければ、すぐには救われない子がいる。その子の安全を確保できれば――だから、それまで私を見逃して欲しい」

 弱腰になり始めたケイネスに切嗣は、僅かに口の端を引き上げた。

『……何をするつもりだ?』

 ケイネスが救いたい者というのが、誰であるか。それは切嗣にとってあまり知る必要はない。
 しかし、このケイネスという男は、切嗣にとって理解し難い存在になりつつあるもの事実だった。
 彼とまったく関係のないアイリスフィールや舞弥、イリヤスフィールを守りたい、死なせたくないと言う。
 別のところでは、言峰綺礼――切嗣は、綺礼の生死を確認していないが、ケイネスに殺されたと予測している――の腕ごと令呪を奪いアサシンを手にし、同じようにキャスターを手に入れ、龍之介を薬物で意識を奪い単なる魔力供給機にしている。
 それらの行いは、平和を願う故に、その障害となるものを排除する切嗣と似ていなくもない。
 しかし、切嗣はそのことに葛藤することはなくとも、悲しみを捨てきれないでいる。故に、聖杯という万能の力で、恒久的平和を願おうとしている。
 ケイネスは、自分の行いに対して後悔も後ろめたさも感じている。
 行動そのものは、前もって決めているにも関わらず、実際に行動を起している最中や終えてからも後悔する。

 切嗣にとって今のケイネスは、自分の取る事の出来なかった道に立っている存在だった。
 “正義”とは、突き詰めてしまえば己の価値観の肯定する事に他ならない。
 切嗣の正義は、「平和の為の正義」であり、それを己の正義に定めている。
 しかし、ケイネスの正義は、己の感情が示す先にあった。

 電話越しにケイネスに問いかけた切嗣。
 切嗣の問いに答えるべく、言葉を選んだケイネスは小さく首を振って答えた。

「明日、間桐邸を襲撃します」

 ケイネスの言葉に電話の向こうの切嗣はもとより、アイリスフィールたちも息を飲む。
 その答えに切嗣たちは、賭けは失敗かと思った。

『……次は、バーサーカーを手にするつもりか?』

 これまでのケイネスの行動を考えれば、十分にその可能性はあった。
 昨夜の倉庫街での戦闘で、ケイネスはどういうわけかなのかバーサーカーを抑える秘策を持っていた。
 本人が言うには、バーサーカーの心の傷を利用したとのことだが、もしそれが事実ならばケイネスは、あの正体不明のサーヴァントを始めから知っていたことになる。それも召喚されるより以前から。
 実質、三体のサーヴァントを有しているケイネスにあのバーサーカーが加わるとなると最早、対処のしようがなくなる。

 しかし、切嗣たちのそんな警戒はすぐに否定された。

「私は、救いたい子が居ると言った筈だが?」

 幾分、不機嫌そうな顔色を作りながらケイネスは言葉を続ける。

「すでに間桐邸の周辺にアサシンを数人待機させている。協力が得られればすぐにでも攻め込みたかったのですがね」

 徐々に投げやり気味な口調に変わりつつあるケイネスに対して、切嗣はやはり賭けは失敗だと判断した。
 ケイネス自身も思惑と違ってしまっているが、切嗣と違い、ケイネス本人のやるべきことは変わらない。
 多少、危険度が増すことになるが、それを今さら心配するほどケイネスも愚鈍ではない。

『お前、それがどういう意味か理解しているのか?』

 魔道の家系としては廃れてしまったものの、間桐邸には数百年を生きる老獪が居る。
 さらには、バーサーカーまでいる。さすがに倉庫街と同じ方法が通用するとも思えない。

「理解している」

 しかし、ケイネスの声には恐れも迷いもない。
 つまり、これはケイネスにとって始めから決めていたことの一つであり、最良の機を待っていただけに過ぎないのだと。そして、切嗣たちの協力を得られないのであれば、いくら待ってもその機は訪れず、現在保有する戦力を以って、早急に攻めることが最善であると判断した。

「とにかく、明日……いや、明後日まで時間をくれれば良い」

『その後は如何するんだ?』

 ケイネスの言葉に切嗣は、平坦な声で問う。
 切嗣にとって重要なのは、ケイネスが誰を救うかではなく、“聖杯戦争”の中で何をするかである。

「大聖杯を破壊する……つもりなんだが、それは止めた方が良いか?」

 此処に至り、切嗣も理解した。聖杯を破壊するという言葉は、正真正銘ケイネスの本心であると。

『――この世全ての悪アンリマユ。……本当なんだな?』

「口で言って信じてもらえるのか?」

 最早、切嗣との交渉を諦めかかっているケイネスは、疲れたように立ち上がって携帯を舞弥に渡し、向かいに座っていたアイリスフィールを見据えた。

「な、何かしら?」

 電話越しに切嗣との会話に専念していたケイネスから突然視線を向けられたアイリスフィールは身体を強張らせた。
 そんなアイリスフィールを判然と眺めたケイネスは、僅かに溜息を付いて微笑んだ。

「貴方は、イリヤスフィール……娘を愛していますよね」

 ケイネスの言葉にアイリスフィールは、数瞬呆気に取られたが、すぐに力強く頷いた。

「当然です」

 アイリスフィールの答えにケイネスはまた微笑んだ。今度は、自嘲するような色合いも見える。

「ですよね。――それでは、長々とお邪魔してしまって申し訳ありませんでした」

 もうここでやるべきことはないと言うようにケイネスは、別室で休んでいるソラウとランサーを迎えに行く。

「ミスター。切嗣からの伝言です」

 と、扉を開いたケイネスの背を舞弥の声が引きとめた。

「何かな?」

 ケイネスは、扉を開いたまま立ち止まり、首だけで振り向く。

「明日、我々は大聖杯を調べに行きます。ですから大空洞の破壊は、しばらく待つようにと」

 事務的に切嗣の言葉を伝える舞弥にケイネスは、意外そうな表情で固まったが、すぐに復帰して扉の外へと歩き出した。








 アインツベルンの城を後にしたケイネス一行は、人通りが増える前に本来の拠点に戻った。
 拠点の館を出た時より、一名ほど珍妙な容貌の黒衣が増えているのだが、心配していたソラウからの文句がでなかったのでケイネスは安心した。
 ソラウに言わせれば、「キャスター1人増えたところで見分けが付かない」とのこと。
 どうやらソラウは、アサシンを黒衣のサーヴァントと認識しているらしい。
 ソラウにとってランサー以外は本当にどうでも良い存在なのだな、と再確認してしまうことになるケイネスであった。



























あとがき
 どうも、久々のクリスです。
 かなりの期間が空いてしまいました。
 文の調子も安定せず、PCも熱が篭って?オッソロシイほど処理速度が遅くなって疲れます。

 時間を書ければ文が進むわけではないと痛感してしまっている状態です。
 盆の休みに幾分か書き進められるよう頑張ってみるつもりです。

 次話は、衝撃! 間桐邸淫蟲地獄
の巻……?

 ま、まあ何とか次話を早めに書き上げられるようにしますです!
 これからも、ちらっと読んでもらえて、ご意見・ご感想など頂けたら幸いです。


 それでは、怠惰な生肉のクリスでした。










[2609] 帰って来たいケイネスのZERO 第9話
Name: クリス◆96ac0985 ID:72a9f08e
Date: 2009/03/02 02:01








 聖杯戦争の枠を超えて活動するケイネスは、本来の物語を歪め、自身の計画をも歪めながら、今宵も針を進める。
 アインツベルン城から本拠地に戻り、間桐邸を攻める準備を整えたケイネスは、街が闇に包まれるのを待ち、動き出した。
 今の時代、0時を越えても人は活動をやめない。
 雨生龍之介とキャスターの引き起こした事件により、外出している者はほとんどいないのがせめてもの救いだろう。

 ケイネスが保有する戦力は、ランサー、アサシン、キャスターのサーヴァント三体。
 間桐邸襲撃にあたり、数個体アサシンを使い、常に間桐邸を監視しさせ、間桐臓硯を発見し次第即排除するように命じていた。
 遠坂邸を監視させている一体を除き、すべての固体を顕現させ、敷地内に設置されている結界や罠を解除し、間桐邸のどこかに居るであろう間桐 桜の捜索と救助にあたるアサシン。
 邸内に犇いているであろう間桐の使い魔たる蟲たちの排除にあたるキャスター。
 襲撃に際して避けられないであろうバーサーカーの足止めという大役を勤めるランサー。
 現代の、それも衰退した家系である魔術師の工房を攻めるにしては、些か以上に過剰な戦力である。
 本来のケイネス・エルメロイ・アーチボルトならば、彼が誇る最強の魔術礼装ミスティックコードたる月霊髄液ヴォールメン・ハイドラグラムを用い、絶対の自信の下に攻め込むところだろうが、間桐臓硯という妖怪の存在を熟知している現在のケイネスは、万全を期してもまだ足りないと思うほど警戒していた。

「……よし。第一陣、始めてくれ」

 人除けと音断ちの隠蔽結界に敷地内の四隅を結んだ攻性結界を張り終えたケイネスの合図により、間桐邸の周囲に群がっていたアサシンが敷地内にある仕掛けの解除を始める。
 一般人に対して音と気配が洩れる心配がない状況を作ってはあるものの、ケイネスは用意していた爆弾を投げ込む策は取られなかった。
 今回の襲撃はあくまでも間桐桜の救出が最優先であるため、屋敷ごと破壊するという安全・確実な荒業は使えない。
 遠坂邸ほどではないものの間桐邸の結界を解除していくアサシンたちの手際は見事なもので、結界突破に必要な専業スキルを持つ個体たちが動き始めてから2分弱で仕事を完了した。

「……キャスター」

 完全に結界が解かれるのを確認したケイネスは、背後に控えていた異質な魔導の業を保有するサーヴァントに命令する。

「心得ておりますよ」

 召喚者であり、本来のマスターである龍之介から引き離し、龍之介から奪った令呪により、正気を取り戻したキャスターのサーヴァント――ジル・ド・レェは、自身の犯してしまった数々の悪行を省みて、彼の存在意義でもあった想いを捨て去り、一個の道具として使役されることを受け入れていた。自分は、許しを乞うことなど許されぬ大悪であると自認し、許しを得ることを諦め、現界している間は、取り戻した最低限の騎士としての役割を果たすことにしていた。
 キャスターは、自身の犯した罪の証でもある宝具『螺湮城教本プレラーティーズ・スペルブック』を開き、自身の魔力のみを贄として、3体の海魔を召喚する。
 人間を糧にした場合と比べ、使役できる海魔の質、量は極端に減退しているが、それでも間桐の使い魔を相手にするだけならば十分すぎる戦力になる。
 召喚した海魔の姿に、苦々しい表情を浮かべてながらもキャスターは、海魔を間桐邸へと侵入させた。

「第二陣、海魔の後に続け。絶対目標である間桐桜を最優先。間桐臓硯は発見次第即撃滅。間桐鶴野は抵抗するようなら排除、無抵抗なら放置してかまわない」

 ケイネスの命令に戦闘技能を持つ強襲担当のアサシンたちは、先行する海魔が破壊した玄関から室内の闇に解け込むように駆ける。
 キャスターが召喚した海魔とアサシンが突入してすぐに間桐邸からは、海魔が壁や家具を破壊しながら這いずり回る音に続いて男の悲鳴が響き始める。
 海魔とアサシンが突入してから3分弱。異様に曲がった背中をした痩躯のアサシンのが戻ってきた。

「邸内に目標の確認できません。探索は、地下へと移行しています」

「分かった。Fervor,mei sanguis――Automatoportum自律 defensio防御

 アサシンの報告を聞いたケイネスは、『月霊髄液ヴォールメン・ハイドラグラム』の術式起動呪言を呟く。
 ケイネスが保有する礼装の一つを『自律防御』モードで展開する。
 本来のケイネスならば、これぞ最強と誇ったであろう礼装も現在のケイネスにとっては、自分の身を守る保険の一つでしかない。

「キャスターは、ここで海魔の制御しつつ、結界の維持を頼む。その場所まで案内してくれ」

「はっ」

「お気をつけて」

 アサシンを先導に破壊された玄関からランサーを引き連れ侵入するケイネスを見送るキャスター。
 不気味な仄暗い明かりに染まる室内を警戒しながら進むケイネスは、二階に隠されていた蟲蔵へと続く階段へと辿り付く。
 蟲蔵の位置は記憶していたケイネスだったが、階段の場所までは記憶しておらず、アサシンに調べさせたのだ。
 キャスターに念話で場所を知らせると一階で蠢いていた海魔が何やら暴れ始める。

「大丈夫なのでしょうか?」

 キャスターが海魔をどのようなルートで合流させるつもりなのかに気付いたランサーがケイネスに確認する。

「律儀に階段を使う化け蛸……どう思う?」

 苦笑して言うケイネスに、ランサーは困ったようにため息をつくだけだった。
 いくらキャスターの制御下にあるといっても、海魔の巨体では隠し通路に入らない。
 隠し通路の位置から室内の不自然な空白部分を割り出し、そこから一階の床を食い破って海魔たちは地下へと侵入する。

「……っ、これは」

 一心不乱に他人の家の床下に蠢く海魔たちをコミカルなイメージで思い浮かべていた気を紛らわせていたケイネスの鼻腔を湿った空気が満たし、直後に襲った耐えがたい腐臭に顔を顰める。

「キャスターの海魔より、酷い瘴気ですね」

「ああ。マキリ……いや、間桐臓硯の五百年の妄執。その二百年分が詰まった腐界だ。迎撃があるとしたら、この奥だろう」

 ケイネスと同様にマキリの業を嗅ぎ取ったランサーも何時でも魔槍を具現化できるように気を張る。
 海魔とアサシンが侵入した際、バーサーカーと雁夜、臓硯が現れなかったのを見て、相対するならば蟲蔵だとケイネスは考え居ていた。
 本来ならアサシンとランサーに任せ、ケイネス自身は地上で待っているのが最良である。
 しかし、信じるを知るがゆえの臆病さが見え隠れするケイネスも転がりながら付いてくる『月霊髄液ヴォールメン・ハイドラグラム』という守りを展開しつつも敵の懐に歩を進める。
 いくつもの水銀の塊が意志を持つかのように転がる様も十分シュールであるが、身を守る楯。
 ケイネスも誤魔化しの笑みを消し、瞬時に対処できるように感覚を研ぎ澄ませる。

 湿った石畳を下りた先は、広大な緑色の闇だった。
 周囲の壁に穿たれた無数の穴は、死者を埋葬する為の物のようであるらしかった。
 通常であれば、石の棺に納められた遺体は自然と風化していくのだろうが、ここは間桐臓硯という大妖術師が巣食う魔導の深淵。
 ケイネスもランサーも先行していたアサシンも気付いている。
 湿った闇のさらに深い影にギチギチと蠢く蟲たちによって、此処に埋葬された死者たちは分解される。
 腐りきった水気と場を満たす死臭と有象無象の蠢く蟲たちの世界。
 臓硯の妄執のために多くの後継者たちはこの蟲蔵に投げ入れられ、蟲たち慰みものにされてきた。
 拷問の如き継承の儀を受けるマキリの後継者たちの悶え苦しむ様を眺めて悦に浸りながら不出来な後継たちを臓硯が哂って見届ける場所。
 ケイネスが立ち込める瘴気に嘔吐しなかったのは、魔術師として完成された肉体によるところが大きい。
 もし、平常な感覚のまま蟲蔵に立ち入っていたら胃の中の残留物がすべて吐き出されていたことだろう。
 予想していたとはいえ、無反応ではいられない空間を進むと闇の中から空ろな呻き声をケイネスたちは捉えた。


「ぅ、ぅぅu…uuuuぅ、ぁaァァ」

「a、er、a……ar、a」


 魔力を通して強化されたケイネスの視覚が捉えたのは、予想通りの姿。
 白濁した左の眼球、顔の半分も麻痺により引き攣ったまま硬直した死相じみた有様の間桐雁夜。
 細部の判然としない黒いフルプレートに身を包み、狂気のみを燻らせ不気味な色を宿す双眸のバーサーカー。
 今代の聖杯戦争のマスターとサーヴァントの中で最も激烈で最も儚い存在。

「下がってください」

 ケイネスを背に庇い前に出たランサーは自慢の双槍を具現化し、腕を左右に広げた独特の構えでバーサーカーを睨む。
 手にしたあらゆる物を自身の宝具とするバーサーカーは、その能力上天敵とも言えるランサーを前に無手で静かに佇んでいる。

「……最悪だ」

 適当な武器を宝具化していない状態で待機しているバーサーカーと死人の方がまだましに見える雁夜を前に緊張を最大限に高めていたケイネスは、ひとつの失敗に気付く。

「はい。おそらく、初手から奥の手を使うつもりでしょう」

「違う。そうじゃない」

 倉庫街の戦闘でバーサーカーが出そうとした切り札。
 それを警戒するランサーの言葉をケイネスは即座に否定する。
 視線をバーサーカーに向けたまま怪訝そうな雰囲気を向けてくるランサーにケイネスは応えず、蟲蔵の闇に視線を向けた。

「間桐 臓硯。貴様は、此処で滅ぼす。逃げ場はない……諦めろ」

 心臓を引き絞られる感覚を強引に沈め、極力感情を殺した表情と声を整えたケイネスの言葉が闇に吸い込まれると同時に蟲しか居ないと思われた影の中から木乃伊の如く枯れ萎びた矮躯の老人が浮かび上がった。

「ふむ。儂の記憶違いでなければ、アーチボルトに怨まれるような関わりはなかったと思うたが……ロード・エルメロイともあろう者がこんな辺境の地で枯れ果てようとしている老骨の命を何故に欲しておる?」

 本来であれば、どれほど追い詰められた状態に見えようと余裕をもって相対する臓硯だが、さすがに今この時だけは油断を捨てている。
 雁夜の苦しむ様を観察するために放っていた蟲たちから断片的に得た情報からケイネスという魔術師を見極めることが臓硯にはできないでいた。
 事前に知りえていたケイネス・エルメロイ・アーチボルトという人格の歪み、聖杯戦争開始から続く埒外の行動。
 その行動の流れや不自然すぎる無駄などから読み取るとただの未熟者と言えなくもない。
 しかし、ケイネスが勝ち得ている結果が臓硯の判断を鈍らせていた。
 そして、今も保有する全戦力を投入してマキリに攻め込んできた。
 すべての事象を読み取っているかのようなケイネスの行動と三体のサーヴァントを獲得した手腕。
 数百年を生きる老獪も自身の行く末を判じ得ない。

「交渉は、無しだ。――殺れ」

「っぐが……!!」

 蟲蔵の影という影に潜んでいたアサシンが臓硯に殺到する。

「ァ、ァaa、ぁぁぁああッ!!」

「■■■■■■ッッッ!!!!」

 それと同時に雁夜とバーサーカーも動く。
 すでに生気の霞も薄れつつある雁夜の唯一残った意志を持つ右眼からも光が失われていた。
 雁夜の意志に反して荒れ狂う刻印虫が齎す激痛に自我の失われた叫びを生む。
 いくつもの失敗を犯しているケイネスが、この場で失念していたこと。
 ケイネスの襲撃に際して臓硯によってその意志を奪われてしまった雁夜の存在。
 残り幾許もない命だったとはいえ、今この瞬間、雁夜は臓硯が生き延びるためだけの駒とされていたのだった。

「ランサーッ、令呪をもって命じる。最大戦力をもってバーサーカーを行動不能にせよ!

「はっ!」

 真なる宝具の発動により、クラス別能力の狂化で底上げされているバーサーカーのパラメータはさらに強化される。
 それに対抗しうる基礎パラメータと固有技能を保有していないランサーには、令呪によるサポートが不可欠だった。

「アサシンは、臓硯の本体を逃がすな。キャスター、蟲たちの駆逐を」

 ケイネスの命令に、幾多のアサシンが間桐邸のいたるところに実体化し、キャスターの海魔が地下室に流れ込む。
 どこかから小さな呻きが漏れる。
 十分な下準備を整えているケイネスが張った外の結界をひ弱な蟲の状態で抜けることは不可能。
 形骸としていた蟲の肉体も引き裂かれ、いずこかに潜む臓硯は、慰み者の捨て駒として用意した雁夜とバーサーカーに頼るしかなくなるという皮肉。

「貴様も、その主も。狂うほどの意志に苛まれた哀れな存在なのかもしんが、此処は我が忠義を通させてもらうぞ。バーサーカー!!」

「■■■■■■ッッッ!!!!」

 白兵戦においては絶大な効果を有する二本の魔槍を手に腐った空気を引き裂くランサー。
 擬装の宝具能力たる『己が栄光の為でなくウォー・サムワンズ・グロウリー』、あらゆる物を己が宝具とする『騎士は徒手にて死せずナイト・オブ・オーナー』を封じたバーサーカーは、隠蔽の黒い靄が渦を巻きながら鎧を滑り落ち、両立し難い機能美と豪奢さが紙一重のバランスで融合された完璧な鎧姿を曝し、鞘込めされていた剣を抜き放つ。
 精霊文字を刻印され、闇の中にあってなお自ら輝くような怜悧な刃は静謐な湖水の如く、いかなる攻撃を受けてなお毀れることのない無窮の剣『無毀なる湖光アロンダイト』。
 本来ならば、ただ一人の王にのみ振るわれるはずだった黒き輝きに染まりつくした聖なる剣。
 己の意志を放棄することでようやく解放できると祈った無念と悔恨を込められた黒き聖剣が、外道を尊ぶ畜生の命を永らえさせるために抜かされた。

「ぁあ、が、あがぐがぁぁぁあああ!!!」

 雁夜もまた臓硯に与えられていた蟲たちを先導するように咆哮を放つ。
 意志を奪われ、最後のわずかな光すら閉ざされた眼球から命を削る赤い滴が零れる。
 周囲を這う虫たちが雁夜の雫の如き魔力を喰らって脱皮し、翅を広げ、鋭い顎をギチギチとならして暴れだす『翅刃虫』。
 死を避けられぬ限界をはるかに超えた魔力の強奪により雁夜の身体は見る間に崩壊へと向かう。

「……ッ。 ――Scalpッ!」

 自身の失態による結果に憤りを隠しきれなかったケイネスは、遅いくる『翅刃虫』の群れを月霊髄液ヴォールメン・ハイドラグラムの斬撃によって両断する。

「あがッッ、ガぎぎィぁaッッッ!!!」

 蟲の壁を越えた月霊髄液ヴォールメン・ハイドラグラムの刃が、待機状態の球に変わるも速度は落とさず雁夜に激突する。
 確かに肉が潰れ、骨が砕ける嫌な手応えがあった。
 最後に残った意志を臓硯に奪われ、ケイネスに止めをさされた雁夜が崩れ落ちる。

「生きていればいい。キャスター、回収して処置を施しておいてくれ」

 ケイネスの無情な命令により意思を失ってなお魔力を奪われ続けている雁夜の身体を海魔の一体が、地上へと運び出す。
 そして、ケイネスはマキリの後継者の『教育』に使われる蟲蔵の最奥へと進む。
 海魔が蟲を貪り尽くし、臓硯の本体を探すアサシンたちも蟲を刈り尽くす音、互いに無双の技を尽くすランサーとバーサーカーの剣戟。
 マキリの業が作り出した世界が、闇の影に潜む臓硯の焦燥を反映するかのように崩壊を始める。

 救いきれない命のひとつとして雁夜を割り切ったケイネスの顔には、本人すら気付かないほど静かな表情があった。
 何をもって救いとするか。
 偽善の押し売りだとケイネス自身理解しての行動だけに、せめて自分の心だけは納得させたいと願い、ひとつめの結果を得るためにケイネスは進んだ。










あとがき
 死ぬほど久しぶりに涌いたクリスです。
 長かった就活を無事に終えることができ、その他諸々の準備もあったりしてようやくの復活にこぎ着けました。
 ここを離れている間にパソコンの寿命もつきかけ、幾度もデータをリセットする羽目に……。
 と、とりあえず、一ヶ月ほどの猶予期間を得たので、その間にニ、三話くらい進められる様に頑張ってみたいと思います!

 書き手として怠惰すぎますが、まだ見放さずに目を通していただければうれしいです!
 時間が開いても完結させたいと思っていますので、それまでお付き合いいただけたら幸いです!

 では、寝過ごし過ぎた冬眠から覚めたクリスでした!




 次回『淫蟲地獄脱出編! 征服王が悪者その他もろもろ千切っては投げ、千切っては投げ……ついでにウェイバーも投げられちゃおう!』

 調子に乗って、すみません。
 けど、征服王たちは出ますですので、お許しを!





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