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[26044] ストライクウィッチーズ バルクホルンの降る夜に(スト魔女→現実)
Name: アルテン◆9a73cf91 ID:9d432bbe
Date: 2011/08/01 00:15
「神様……あんた、やっちゃならないことを……」

 誰に向かって言う訳でもなく、一人つぶやく。
 聞く者のいない独り言は、夜の闇に吸い込まれる。
 通る者とていない夜の農道。
 大学生、東雲浩二は目の前で起こった事態に、成すすべもなく立ち尽くす。
 辺りには東雲の乗ってきた車のエンジン音だけが響き、その音さえも深深と降り積もる雪に吸い込まれていく。

「……冗談……だよな?」

 彼の疑問に答えてくれる者など誰もいない。
 何か悪い冗談だと思いたかった。目の前で起こっていることは、幻だと思いたかった。
 しかし、農道に横たわる少女がそれを否定している。

──後で二つにまとめたブラウンの髪
──旧ドイツ軍を想起させる衣装
──足には見慣れた、しかし現実にはあるはずの無い機械

『ゲルトルート・バルクホルン』
 見間違えようはずがない。
 彼女のことはいつも見てきた。
 テレビで、パソコンで、DVDで、BDで、ゲームで、漫画で、同人で。

 どのくらい呆けていたのだろう。冷静になって振り返れば、わずかな時間だったかも知れない。
 北海道の冬の寒さが、東雲の頬を突き刺し、現実へと引き戻す。

「と、とりあえず。あれか? 言っておかないとダメか?」

 誰に問うわけでもない独り言。
 答えが返ってこないことは分かった。しかし問わずにはいられなかった。
 返ってきたのは、静寂。
 農道に横たわるバルクホルンを見つめると、東雲は何か意を決したように、彼女が現れた夜空を仰ぎ、息を吸い込む。

「親方! 空から女の子が!」



[26044] ようこそ バルクホルン!?
Name: アルテン◆9a73cf91 ID:9d432bbe
Date: 2011/02/15 23:42
「ぬおおおおおおおおおっ!」

 鍵を開け、ドアを開け、東雲が部屋に滑り込む。
 無人だったアパートの一室は暗く、冷たい。冬の北海道では、人のいない部屋の温度はあっという間に下がる。それこそ冷凍庫並みに冷える。
 冷え切ったフローリングの床が、足の裏から容赦なく体温を奪っていく。
 ヒーターのスイッチをON。
 とにもかくにも部屋を暖める。

「うおおおおおおおおおっ!」

 再び、外へ。
 車からバルクホルンを降ろし、担ぎ上げる。

(おっ、重い……)

 決してバルクホルンが、女の子として重いわけではない。東雲が貧弱すぎるのだ。
 東雲の風体を、一言で表すなら『縦にひょろ長い』。腕は小枝のように細く、胸板も吹けば飛ぶような薄さ。
 そんな人間だから何を持っても重いのは当然。
 駐車場から玄関までの短い距離を、四苦八苦しながら何とか運び込んだ。

 ヒーターの前に、ホームセンターで買った安物の銀マットを敷き、バルクホルンを横たえる。
 送風口から流れ出る暖かい空気が、バルクホルンに当たり、彼女の匂いが部屋に広がっていく。

「ふぅ……」

 東雲はバルクホルンを見つめた。
 気を失いかすかな呼吸を繰り返す。髪は雪で濡れ、服も水気を吸って重くなっている。とにかく彼女を暖めなくてはならない。

「っ!」

 そこではたと、気付く。

(服が……濡れている……)

 濡れた衣服は体温を奪う。このままではバルクホルンが風邪、最悪肺炎になってしまうかもしれない。

(脱がさなければ! ……俺が?!)

 手が伸びるが、途中で止まる。

(待て俺! 女の子の服など脱がしたことなどないぞ!? 脱がすのか? 本当に脱がすのか!?)
(落ち着け俺1!)
(ぬ!? 俺2!)
(先ずは落ち着いて上着からだ!)
(やめんか俺2! そんなことをすれば変態確定! 犯罪だぞ!)
(だが俺3……このままでは彼女が風邪をひいてしまうぞ?)

 回る回る思考が回る。
 脳内で三人の『俺』が、あーでもない、こーでもないと喧々諤々の議論とシミュレーションを繰り返す。

(えーい、黙れ俺3! 今は人命優先の緊急事態ぞ! 服を脱がすんだ俺1!)
(しかし俺2……俺は中学のフォークダンス以来、女の子に触ったことなど無いんだぞ!)
(この場にはお前しかいない! お前がやるんだ、俺1!)
(ぬぅぅ、仕方なし。とりあえず上着だけ脱がしてみよう。もしかすると濡れているのは上着だけかも知れん。それにまだ言い訳も立つ)

──俺3の妥協案で脳内の全俺が一致
 意を決して再びバルクホルンの上着に手を伸ばす。

──大人の階段の~ぼる~♪

 突如として歌のワンフレーズが、脳内にリフレイン。
 手が震え、息は荒く、目が血走る。

(違う! 別にやましいことをしようとしてるんじゃない! これは……これは人助けだ!)

 良心の呵責と羞恥心と未知との遭遇。
 恐る恐る手が近付いていく。

(あと1cm!)

 東雲の手が上着のボタンに掛かろうとしたその刹那、

「ぅ……ぅ……」

 バルクホルンの口から微かにうめき声がこぼれる。

「あひゃ!?!?!?!?」

 思わず後ずさる東雲。したたかに背中を流し台に打ち付ける。が、今は痛みどころの話ではない。

「……ここは?」

 バルクホルンの目が薄っすらと開き、視線が彷徨う。
 ピントが合ってきたのか、意思を持って部屋を見回す。
 天井、風呂場、ちゃぶ台、ヒーター、食器棚、流し台、東雲。
 そして流し台に目を向けたところで、東雲を認識した。
 その姿はなんと言うか、見るのも哀れなぐらいに狼狽している。このまま命乞いでも始めそうな感じ。

「…………」
「…………」
「……お前が……」
「ひゃい?!」
「……助けてくれたのか?」

 ガクガクと頭を縦に振って、肯定する東雲。

「そ、そうか……」

 どこぞのロッカーばりのヘッドバンキングで肯首する東雲に、引き気味になるバルクホルン。
 それでも気を取り直すと、ゆっくりと上体を起こし、東雲に向き直る。

「先ずは礼を言わねばならんな。私は……クシュン」

 落ち着いた声音でしゃべり出すが、くしゃみが遮る。

(!?)
(俺1!ほら、そう、ここはアレだ!)
(アレ!?)
(そうアレじゃよ! アレ! 早く彼女にアレを!)
(だからアレってなんだよ!?)
(アレだ!)
(アレじゃよ!)
(わかるかボケェー!)
「あ~、その……なんだ……服を……貸してもらえないだろうか?」



 数分後
 ちゃぶ台をはさみ、向き合う東雲とバルクホルン。ちゃぶ台の上には湯気を立てるマグカップ。
 東雲の部屋着である紺のトレーナーに身を包み、バルクホルンは行儀良く座っている。

「では、改めて礼を言わせてもらう。ありがとう。助けてもらわなければ、あのまま凍死していたかもしれん」
「ぅ……い……や、大したことは……何も……」
「私はカールスラント空軍大尉、ゲルトルート・バルクホルンだ…………ん?」
(やべぇ……マジか? マジなのか? コスプレじゃなくて、マジで『バルクホルン』なのか? 痛い子じゃなくて?)
(痛い子だろ。常考)
(まぁ、普通そうじゃな)
「どうかされましたか?」

 急に頭を抱えて黙り込む東雲に、バルクホルンがおずおずと声をかける。
 彼女を助ける時に、『バルクホルン』だと認識していた。理解していたつもりだった。
 だが、本物だとは思えなかった。思えるはずが無かった。二次元の、それもアニメのキャラが目の前に、現実世界にいるなどという、非常識極まりないことが起きるはずがない。

「へ?あっ、いや、その、なんでもないです……けど、あ~、なんだ……」
「?」
「『コスプレ』じゃ、無いんですよね?」
「『コスプレ』? 何だそれは?」
「…………」
「…………」
「すいません。ご本名をもう一度」
「? ゲルトルート・バルクホルンだが……?」

 少女は再びその名を口にして、本人だと主張している。
 それで東雲の中の何かが切れた。

「っがぁぁぁぁぁぁぁぁー! ああそうだよ! バルクホルンだよ! 本物だよ! そうだよ! そうだよな! ああ、見たさ、見たとも! 空から降りてくるところを! 飛んでるところも! 俺の目がおかしいのか? 頭がおかしいのか? それともこれは夢か!? 幻か?」
「お、落ち着け! 一体何を言っているんだ!?」
「ここは現実で、お前は二次元だってことだー!」
「二次……元……?」

 否定したかった。否定して欲しかった。
 しかし、東雲は見た。
 夜空に光る航行灯を、雪舞う夜空で回るプロペラを、見つけてからずっと追い続けた。着陸するまで見続けた。そして彼女は東雲の前に降り立った。見間違えるはずがない。
 普通の航空機では出来ない動き、現代の技術では作ることの出来ない飛行機械。

──空想の産物『ストライカーユニット』

 彼女はそれを纏って空から舞い降りた。助けるために彼女を担いだ、持った。確かに触れた。感触があった。ぬくもりがあった。実体があった。
 だからといって、こんな現実を「はい。そうですか」と受け入れられる訳がない。
 では、これが現実だと仮定して、夢でも幻でもなく、東雲の頭がイカレていないとするならば、残された可能性は?

「宇宙人か、物の怪ですか?」
「んな!?」
「あ~、そうか。そうだよな。この辺りも数は少ないけど、キツネいるしなぁ。こないだも轢かれてるのいたし……。うん。そうだキツネだ、キツネ。キツネが俺を化かしているんだ。それともキツネの幽霊? ……でも俺、キツネ轢いた事無いですよ?」
「だ、れ、が、キツネかぁー!!」
「っぅぉ!?」

 バルクホルンの怒声が東雲を吹き飛ばす。
 後ろに一回転した東雲が顔を上げると、そこには憤怒の形相で睨むバルクホルンと、締め上げられるちゃぶ台。魔力に包まれた体は青白く光り、頭にはジャーマンポインターの耳。
 哀れ、八つ当たりの対象に選ばれたちゃぶ台が、ミシミシと音を立てる。砕けていないのは、彼女にまだ理性が残っているからだろう。

「先程から黙って聞いていれば、宇宙人だキツネだ幽霊だのと無礼な物言い! いくら恩人とはいえ、人を愚弄するにも程がある!」
「っっっっっっっ!!!!! や、待って! 待って! 落ち着いて!」
「どこをどうすれば、そんな物に見えるというのだ!」
「だから待って! 待って! 待ってください! せ、説明、今、説明しますから!」

 あたふたと枕元に転がったままの公式設定資料集を拾い上げ、そのままバルクホルンにおずおずと差し出す。

「これっ! とにかくこれを見て!!」
「一体なんだというのだ……?」

 バルクホルンは怪訝な顔で受け取ると、パラパラとページをめくっていく。そしてページをめくる速度は徐々に遅く、遅くなっていく。上っ面だけを眺めていた視線の動きも遅くなり、食い入るようにページの隅から隅へと動いていく。
 その度にバルクホルンの顔が青くなったり、赤くなったり……真っ赤になって肩が震え始めた。

「な、な、ななななな何だこれはー!!!!!!」
「あの……ご理解いただけました?」
「何なのだ、この本は!? 何で私たちが載っている!? それに、ふ、風呂場だと!! あまつさえ私たちの裸まで!!! 誰がこんなモノを出したのだ!! まさか広報班の連中か!? 広報活動の一環だというから、大目に見てきたが、こんな隠し撮りをした上に本にしているとは! 許せん!!!」
「へ!? 風呂?! 裸?! ……ぁぁ、あったな~。って、それよりも内容! 本の内容! 読んだ? 分かった? 理解した? お願い分かって!」
「扶桑語で書かれているのに分かるか!」
「分かってないっ!?」
「ああ、だが分かったことが一つある」
「良かった! わかってもらえた!」
「これは即刻処分すべき本だということだ!!」
「NOーっ!」

 それはそうだ。
 自分の裸体が載っている本を見せられて、嬉しい女の子などいない。
 バルクホルンは本を持ち替えると、引き裂く体勢に入る。
 あわてた東雲がちゃぶ台を乗り越え、バルクホルンの手をつかみ、制止しようと懇願する。

「待て待て待て待て待て! やめて! 待って! お願い! それ高いの! 勘弁! マジ勘弁!」
「は、な、せ!」

 しかし悲しいかな、東雲の細腕ではバルクホルンの怪力に勝てようはずもない。

 慈悲も無く、許容も無く

 バルクホルンの腕が無慈悲に振り抜かれ、真っ二つに切り裂かれる公式設定資料集。
 そして、バルクホルンを止めようとした東雲の顔面に、めり込む拳。

「あっ!?」
「げふっ」

 勢いを付けたために起こった喜劇。
 哀れ、東雲の意識は暗闇の中へと落ちて行く。

(ああ……神様……なんでサーニャじゃないんですか……)
「おい!? しっかり! しっかりしろ!」

 東雲浩二 爆沈





[26044] ようこそ バルクホルン!? 2
Name: アルテン◆9a73cf91 ID:54a6d384
Date: 2011/02/21 15:45
「はっ!?」


 誰にも等しくやってくる朝。
 東雲浩二はいつもより早く、いつもよりすっきりとした朝を迎えた。
 敷きっぱなしのセンベイ布団から、上半身を引き剥がし、アゴをなでる。

(夢……か?)

 酷い夢だった。
 アニメのキャラが現れ、助けて、殴り倒される。
 いくらアニメ三昧の日々を送り、妄想に耽る毎日とはいえ、これはありえない。
 速やかに夢か幻として処理すべきだ。でないと黄色い救急車を呼ばれてしまう。

「目が覚めたか?」
「……………………」

 しかし、東雲のその願いは天に届くことも無く、木っ端微塵に打ち砕かれる。
 掛けられた声。
 見るとそこには、黙々と腕立てを繰り返すバルクホルン。

「ちょっと待ってくれ……200! よし」

 切りの良い回数で区切りをつけたバルクホルン。立ち上がり、こちらを向く。
 服も乾いたのだろう。東雲が昏倒している間に着替えを済ませ、拾った時の衣装。つまり軍服と『ズボン』に身を包んでいる。

「あー、ところで、その……大丈夫か?」
(……兄さん……大変です……)
「勝手で申し訳ないが、そこに寝袋があったので使わせてもらった」
(僕の部屋に女の子がいます!)
「……まだ、痛むのか?」

 不慮の事故とは言え、殴り倒してしまった恩人を放置することも出来ず、部屋に留まってくれたらしい。
 後ろめたさからか、控えめな口調で話しかけてくる。

「あの……バルクホルンさん?」
「な、何だ?」
「日本……扶桑語、お上手ですね……」
「ああ。ウチの部隊には扶桑人がいるからな。読み書きは無理だが、会話程度なら問題ない」
(神様……だから、これはやっちゃいけないと……)
「お、おい!? 大丈夫か? やはり痛むのか?」

 痛むと言えば痛む。主に頭が。
 強烈な頭痛に襲われ、頭を抱え込む東雲。
 自分のせいで東雲がおかしくなったかと焦り、のぞき込むバルクホルン。
 東雲は身振りで、心配ないことを伝え、大きくため息を吐き出す。
 しばしの沈黙。
 もう一度、大きく息を吐き出すと東雲は立ち上がり、流し台へ。

「お、おい……」
「とりあえず朝飯にしよう。考えるのはそれから……」



 会話の無い、静かな朝食を済ませ、東雲とバルクホルンは再度、ちゃぶ台をはさみ向かい合った。

「さて、バルクホルンさん……いくつか聞きたい事があるんですが……」
「ああ。私も聞きたい事がある」
「あ、じゃあ、お先にどうぞ」
「いや、そちらからでかまわない」
「はぁ……じゃ、どうしてここに?」
「うむ。昨日現れた、ネウロイ迎撃のために上がったのだが……」

そこで言葉を区切ると、天井を仰ぐ。

「ネウロイが青白い光の塊を撒き散らしたのだ。私は接近していたために、回避することも出来ず、光の塊に包まれた。気が付いた時には、この町の上空を飛んでいた。しかし分からないことが多すぎる。出撃前に確認した時刻は1210時。だが、気付くと夜だ。それに夏だったはずなのに雪まで降っている。……一体ここは『どこ』で『どうなっている』?」
「……え~と、まず場所なんだけど……ここは『日本』の『北海道馬走市』」
「ニホン? ババシリシ? 聞いたことも無い地名だ……どの辺りだ?」
「ちょっと待って。今、地図を………………」

 本棚を探るが、あったのは『北海道道路地図』だけ。まともな世界地図が出てこない。
 正直、道路地図など後でいい。今、見せなければいけないのは世界地図。それが無ければ話しが進まない。
 しばし記憶をたどり、何かの教科書に載っていたような気がしたので、適当にめくってみる。

「あった」

 見付けたのは、分厚い経済の教科書。コミケのカタログ並にでかく、厚い。中身は全て英語で書かれ、授業も翻訳したプリントを渡されるので存在意義が無い。学生からは『鍋敷き』の愛称で呼ばれる一品。これが必修科目なので、必ず買わなくてはならないから性質が悪い。
 バルクホルンに見えるよう、教科書を向けると、地図上の日本を指し示す。

「とりあえず、これを見て。ここが日本」
「扶桑だと? ストライカーで飛べる距離では…………? 何だ? この地図は?」

 教科書を受け取り、まじまじと見つめるバルクホルン。眉間にしわが寄る。
 無理も無い。現実世界の地図とスト魔女世界の地図では、大陸の形も違えば南洋島も無い。

「……ふざけているのか?」
「いや、至って真面目。それが『この世界』の地図」
「『この世界』だと?」
「そう。ここには扶桑もなければ、カールスラントも存在しない」
「カールスラントが存在しないだと? 何をバカなことを……」
「ああ、存在しない。そして今は1945年でさえない」
「バカな!? そんなはずが……」

 反射的にバルクホルンが否定する。
 しかし、東雲の瞳に力がこもり、真実であることを主張する。
 その瞳にバルクホルンがわずかに気圧される。

「何を……何を言っている……ここは一体……」
「まずはコレを見て欲しいんだ」

 取り出したのは一枚のブルーレイディスク。

──『ストライクウィッチーズ2』一巻

 他の巻にしようかとも思ったが、止めた。
 理由は単純。
 パッケージの裏面を見れば分かる。ドラム缶風呂だったり、サウナのシーンが描かれていたりと、まともに見せられるものが少なすぎる。

(割られる……見せたら絶対に割られる!)

 最悪プレステ3ごと破壊されかねない。涙ぐましいまでの節約生活の末に、ようやく手に入れたのだ、破壊される訳にはいかない。
 ともあれプレステ3と、年季の入った28型ブラウン管テレビの電源をON。
 ディスクを読み込ませる。
 真っ暗な画面に、角川のロゴが浮かび上がり、バルクホルンの絶叫が木霊する。

「!? な、ななななな何だ!? これは!?」
「っ!? 何事ぉ!?」
「総天然色だと!? 一体これは!?」
「へ? や、その……『テレビ』だけど……あれ? あの時代って、まだテレビ無かったっけ?」
「いや、テレビは分かる」
「って、それは後で説明するから、とにかく見て!」
「あ、ああ。……!? 竹井少佐に赤ズボン隊だと!?」
「頼むから、黙って見てくれっ!」

 見せた。
 ただ黙々と見せた。
 バルクホルンも見た。黙って見てくれた。
 途中、宮藤が出てくるシーンで腰が浮きかけたような気がしないでもないが、最後まで黙って見てくれた。
 視聴が終わると、東雲はバルクホルンに懸命に説明した。テレビのこと、アニメのこと。
話して、話して、話し倒した。口の端はツバにまみれ、のどは渇き、肩で息をするまで話した。
 彼女がこの世界に存在しないと、アニメの中の架空の人物であると。

「ご、ご理解いただけたでしょうか?」
「…………つまり、私は『おとぎ話の住人』だと、そう言いたい訳だな」
「そう! そう!」
「信じられん……」
(そりゃ、そうか……)

 無理も無い。自身はこうして存在しているのに、『架空の人物』だとその存在を否定されているのだから。
 呆然とするバルクホルン。
 見かねた東雲の提案。

「とりあえず、墜落地点に行ってみるのはどうかな? 『こっち』に来た手掛かりがあるかもしれないし」
「着陸だ!」
「……すいません。でも、まぁ、このままここにいても、何も解決しないと思うんだ」
「確かにその通りだ。よし、行ってみよう。ただ、その前に聞かせて欲しい」
「何?」
「お前の名前だ」
「あれ? 言ってなかったっけ?」
「ああ。聞いていない」

 よくよく思い出してみれば、昨晩は碌に話も出来ずに殴り倒されたのだ。そりゃ名乗る暇もない。

「あ、じゃあ。東雲。東雲浩二です」
「シノノメ……か」
「で、俺からは『お願い』なんだけど……」
「何だ?」
「服着てください! お願いします!」
「何を言っている! 服ならちゃんと着ているだろう」
「誰だ! こんな設定作ったヤツは!!」

 いつもは神とあがめる島田フミカネ先生を、この時ばかりは呪わずにはいられない東雲だった。



[26044] ようこそ バルクホルン!? 3
Name: アルテン◆9a73cf91 ID:e15ac0d0
Date: 2011/02/27 22:38
「ここか」
「……ああ」

 正午をわずかに過ぎた頃。馬走市の外れにある広域農道。
 車から降りた東雲とバルクホルンが、周囲を見渡す。

──白
──白
──白

 真っ白な雪が全てを覆い尽くし、どこまでも広がる銀世界。
 雪の下は全てビート大根の畑。所々に木が点在するだけの雪原。
 まっすぐに伸びた農道は圧雪で真っ白。道外の人が見たら、ここが道路だと気付かないかもしれない。
 防風柵と頭上からぶら下がる矢印標識が、かろうじて道路があると認識させる。
 しかし、せっかくキレイに除雪された農道も、他に車が通る気配は無く、閑散としている。

「ちょうどここら辺に降りたんだ」

 東雲が着陸地点を大まかに指し示す。
 除雪車によって踏み固められた圧雪。氷の上にはバルクホルンが降りて来たことを示す痕跡は何も無い。

「だけど、何でこんな所に降りたの?」
「街の方に降りようかとも考えたが、あそこまで飛べそうになかったし、車が多かったので止めた。私のせいで事故が起きたら申し訳ない」
「あれ? 垂直に離着陸出来たよね?」
「確かに可能だが、あれは魔力の消費量が多いからな。出来るだけ滑走路を使った方が効率がいい。ここは十分な滑走距離と、誘導灯の代わりになる物があったからな」
「誘導灯? あ、なるほど」

 見上げる。頭上には真下を指す矢印標識。
 矢印は道路の端を指し、『道路はここまで』であること示す。転落事故を防ぎ、ドライバーが道路を見失わないように、道路の位置を教えている。内地では路肩にポールを立てるのが一般的だが、北海道では降雪と除雪作業であっという間に埋もれてしまうので、役に立たず、故にこのような吊り下げ式になっている。
 また、近年ではこの標識にLEDを組み込むことにより、夜間、悪天候時における視認性の向上が図られている。
 等間隔に並ぶ標識。
 バルクホルンはコレを目印に着陸したようだ。

「唯一の誤算は、お前の車が進入して来たことだ」

 バルクホルンの声が若干不機嫌なものになる。
 着陸の最後の最後で、東雲の車を避けようとして、もんどりうって転がったのを思い出したらしい。
 その甲斐あって車は無傷だったが……。

「いや、あれは事故だよ! 不可抗力だ! 別に狙った訳じゃないんだ!」
「分かっている」

 怒りと羞恥心の入り混じった複雑な表情を浮かべる。
 東雲はそんなバルクホルンに、何と声をかけて良いやら分からずに立ち尽くす。

「……私のストライカーユニットはどうした?」
「え? ああ、車に積んであるけど」

 昨日から積みっぱなしにしていたことを思い出す。
 東雲の車は小型のハッチバックだったので、トランクに収まりきらず、後部座席を倒してやっと収めた。今はタオルやコートなど、車内にあった布類を総動員して覆っている。
 特にMG42は厳重に包んだ。こんな御時勢。例えオモチャであったとしても、車外から見たときに『銃』が目に付くのを避けたかった。万が一、警官に見られでもしたら『職質→逮捕』のコンボ確定。何せ『実銃』なのだから。

「確認したい」
「ん、ああ。ちょっと待って」

 車のリアハッチを開けると、ストライカーユニットを包んでいたタオルやらの布を剥ぐ。

──Fw190D-9
 バルクホルンの愛馬とも言うべきストライカーユニットが姿を現す。
 決して流麗とは言い難いフォルムではあるものの、実用一点張りの無骨な姿は『機能美』という言葉がふさわしい。実にバルクホルンらしい機体。
 昨日は急いでいたことと、夜だったこともあって、ゆっくりと見ることは出来なかった。
 今、こうして明るい所で見ると、細かな擦り傷や油汚れが目立ち、相当使い込んでいることを伺わせる。

「とりあえず破損は無いようだな」
「多分ね。部品が飛び散ったようには見えなかったし、積む時も何か落ちた感じはしなかったから大丈夫だと思うよ」
「そう願いたいものだな」

 目視で一通りの点検をしていく。
 見える範囲内において異常は無いらしく、バルクホルンの表情が安堵を浮かべる。

「後は動かしてみないと分からないか……」
「今から飛ぶの?」
「いや。今はやめておこう。私の魔法力も回復しきっていなし……第一、こんな格好で飛べるか!」
「え!? やっぱりダメ?」

 バルクホルンの格好を改めて見る。
──ジーパンに黒のジャンパー
 説得と言う名の懇願により、ようやく着てもらった。
 女物の服など当然持っていようはずもなく、東雲の手持ちの服を着てもらっている。
 幸いと言うか何と言うか、東雲はガリガリに痩せているタイプなので、ウエストはベルトを軽く締めただけで問題ナシ。裾はかなり余ったが、適当に折った。ダボッとした感は否めないが、ゆったりめの服装と言えなくも無い感じの仕上がり。
 だが、バルクホルンはジーパンがお気に召さないご様子。

「これではストライカーを履くのに邪魔だ。それに生地が固すぎる」
「仕方ないだろ……それしかなかったんだから……」

 東雲がごにょごにょと口の中でぼやく。
 唯一、お洒落着として持っていた綿パンは洗濯中。そのため、他に選択肢が無かった。
 かといって、バルクホルンが言うところの『ズボン』で外に出す訳にもいかないのでしょうがない。

「まあいい。とりあえずここに手掛かりはなさそうだ」
「そうだね……そういえば他のキャラ……じゃなかった、メンバーは『こっち』に来てないの?」
「分からん。気付いた時には私一人だったから、大丈夫だとは思うが……」
「そっか……この後はどうするの?」
「そうだな、この丘の向こう側も見ておきたい」
「向こう? 馬走湖の方?」
「なるほどあれは湖だったのか」

 馬走湖は馬走市の西部に位置する湖で、サイズもそれなりに大きい。魚やエビが獲れるので、それで生計を立てる人もいる。
 夏場は湖畔のキャンプ場にテントを張り、冬場はワカサギ釣りを楽しむ人たちで溢れる、馬走のレジャースポットの一つだ。

「ネウロイの攻撃を受けた後、その馬走湖の上を飛んでいた……何か手掛かりになるものが見付かるかもしれない」
「りょ~かい。それじゃ行ってみますか」

 ストライカーを布で覆い直し、車を走らせる。
 だが、馬走湖でも手掛かりを得ることは出来ず、二人はアパートの一室へと帰ることになる。



[26044] ようこそ バルクホルン!? 4
Name: アルテン◆9a73cf91 ID:e15ac0d0
Date: 2011/03/06 17:07
「コンタクト!」

夜 2300時
 例の農道でFw190D-9の魔導エンジンに火が入る。
 エンジンは快調と言うほどではないが、問題なく回っている。

「クリアード、フォー、ランウェイ!」

 誘導員気取りの東雲が左右を見回し、付近に通行する車がないことを確認。マグライトを振って農道へと促す。
 バルクホルンもそれを受け、車のリアハッチから腰を上げる。いつも通りの軍服に『ズボン』といういでたち。ホバリングで農道の中央へ。

「東雲!」
「何?」
「今回の飛行は偵察と点検が目的だ。ここで待っていてくれ」
「お~け~」

 確かにバルクホルンはMG42を持っていない。それが『戻ってくる』という意思表示。
と、いうか置いていかれても困る。

(空に上がれば何かしら手掛かりがつかめるかもしれない……)

 バルクホルンはそう考えていた。
 地上からの探索では、何ら手掛かりを見つけることが出来なかった。空からなら地上から見えなかった所を、見ることも出来る。また、空そのものに手掛かりがあるかもしれない。ワラにもすがる思いで、空からの探索に望みを賭ける。
 この探索で、元の世界へ帰る手掛かりが掴めなければ、まさに八方ふさがり。
 夜間という悪条件ではあるが、仕方がない。
 理由は二つ。
 一つはバルクホルンの魔法力が、回復するのを待たなければならなかったこと。今も万全とは言い難いが、かなり回復したらしい。
 もう一つは人目を避けるため。もし誰かに見られようものなら、余計な厄介事を招きかねない。

「離れていろ!」

 言われるままに小走りで距離を取る。
 バルクホルンの表情が険しくなり、エンジンの回転数が上がっていく。
──滑走開始
 バルクホルンの体がゆっくりと前に進み、徐々に速度を上げていく。
 しかし、その姿はどこか危うさを感じさせる。
 小刻みに蛇行し、たまに傾いでは立て直す。そんなことを繰り返しながらも、滑走を続ける。
──離陸
 何とか空へと飛び上がった。
 離陸に成功したものの、バルクホルンの飛行は、さらに危うさを増す。
 上昇しては落ち、風に煽られては転がる。とても不安定な飛行。その度に手足を動かし、必死に制御しようともがいている。
 まるで大気という海に、溺れてしまったかのような有様。
 バルクホルンの姿は夜空に溶け込み、見ることが出来ない。東雲はストライカーユニットの航行灯を目で追う。
 東雲から見ても、その動きは異常で、とてもまともな飛行をしているとは思えない。
 結局、バルクホルンは農道上空を旋回することしか出来ず、飛行継続を断念。高度を落し、着陸態勢に入る。
 ゆらゆらと揺れる危なげな着陸。滑走を終えると、そのまま地面に倒れ込んだ。

「バルクホルン!?」

 東雲は駆け寄ると、その華奢な体を抱え起こす。

「はぁはぁはぁ…………」

 荒い呼吸を繰り返すバルクホルン。
 体は汗にまみれ、服もぐっしょりと濡れている。
 時間にして5分に満たない飛行。その僅かな時間にも関わらず、バルクホルンの体力は消耗しきっている。

「バルクホルン!? おい! 大丈夫か?!」
「くそっ、やはりダメか……」
「『やはり』!? 何!? どういうこと?!」
「……少し休んだら、もう一度飛ぶぞ……」
「!? 何言ってるんだ! そんな状態で飛ぶなんて無理だ! 服だってびしょ濡れじゃないか! 凍傷になっちまう! 今日はもう止めよう、な?」
「…………」
「な? お願いだから」
「……わかった」

 しぶしぶながらも了承するバルクホルン。
 東雲はその言葉に胸をなでおろす。そして気が変わらないうちにと、バルクホルンを車に押し込めると、アパートへの帰途を急いだ。



同時刻 馬走市野取岬 無番地 航空自衛隊馬走駐屯地

「ん?」
「どうした? 渡辺三曹」
「はっ。今レーダーに反応があったようなので……」

 ここ馬走市には航空自衛隊のレーダーサイトがあり、北方領土方面のロシア機に睨みを効かせている。
 当直に当たっていた渡辺が、当直幹部に説明しようとするが、いまいち要領を得ない。

「どれ、見せてみろ」
「はぁ、一瞬何か映ったようなのですが……」
「……何も映ってないじゃないか」

 当直幹部が確認してみるが、レーダーには何の反応もない。
 渡辺が首をかしげる。

「どの辺りだ?」
「天登山付近です」
「……ノイズじゃないか?」
「……ノイズですかね?」
「ノイズだな」

 結局、渡辺が見た光点はノイズとして処理された。



2356時 コーポ長島

「どうやら『こちらの世界』では、飛べないらしい」
「へ? どういうこと?」

 東雲はアパートに戻ると、すぐにバルクホルンを着替えさせた。
 そして昨日と同じく、ちゃぶ台を挟んで向き合うと、開口一番出てきたのがこの言葉。
 いきなり言われても、さっぱり訳がわからない。

「私にも分からない。だが、上手く飛ぶことが出来ない」
「エンジンの不調とかじゃなくて?」
「エンジンに問題は無かった。だから余計に分からないのだ」

 ストライカーユニットは、昼間のうちに簡単な点検を済ませている。その際に破損や故障は見付かっていない。もっとも、バルクホルンは整備兵としての教育を受けた訳ではないので、『目で見て、壊れていないか確認する』程度のことしか出来なかったが。
 しかし、飛行前のアイドリング、それに飛行中でさえもエンジンそのものに異常は感じられなかったという。

──飛べない

 その事実がバルクホルンに重く圧し掛かる。
 二人揃って首をひねるが、答えがさっぱり分からない。

「あ! 設定資料集に何か書いてあるかも」
「設定資料集?」
「確かこの辺りに……ない……あ!」

 昨夜、バルクホルンに引き裂かれたことを思い出す。

「あの……バルクホルンさん? 昨日の本はどちらに?」
「あのいかがわしい本か? ……あそこだ」

 本の内容を思い出し、怒りがぶり返したのだろう。憤然としてゴミ箱を指差す。
 バルクホルンは、東雲を殴ってしまったことは悪いと思っているが、本を引き裂いたことは悪いと思っていない。
 そんなバルクホルンの心情など、東雲には理解できない。もっとも理解できるのなら、年齢=彼女いない歴の非モテのオタクになっていない。
 恐る恐るゴミ箱をのぞく東雲。
 そこには引き裂かれた紙の束が二つ。かつて本だった物が無残な姿をさらしていた。
 ガクリと肩を落して拾い上げる。

(2600円+税……何日食いつなげたことか……)

 バイトもせず、仕送りのみで生活する東雲にとっては大金。食費を切り詰めて購入した本だった。
 湧き上がる悲しみを、いったん端に追いやってページをめくる。開くのはストライカーユニットに関するページ。そしてその記述は『ストライカーユニット開発史』の『呪符発生器』のところにあった。

『増幅された魔法力により、飛行用の呪符を生成する。呪符は3枚から4枚のプロペラ状のもの。この呪符が回転することで、大気中のエーテルを攪拌。揚力と推進力を得る。』
──ストライクウィッチーズ オフィシャルファンブック コンプリートファイル 51ページより引用

「……バルクホルンさん?」
「何か分かったのか!?」
「ここに『大気中のエーテルを攪拌して揚力と推進力を得る』ってありますけど、そうなの?」
「そうだ」
「それじゃ無理じゃん!」
「何!?」
「いや、だって『エーテル』無いもの」
「はぁ?」
「だから『この世界』に『エーテル』はありません」
「何だとー!?!?」

 バルクホルンにとっては驚愕の事実。東雲にとっては当然の事実。
 攪拌すべきエーテルがなければ、推進力を得られるはずもない。飛べないのも道理。

「そんなバカな……エーテルがないなどと……そんな……」
「なるほどねぇ。確かにこれじゃ飛べないよ……!? って、さっきはどうやって飛んだの?」
「気合だ」
「……左様で」

 思わず納得してしまう。バルクホルンには、その一言で事足りる。
 そんな力強い言葉だった。



[26044] 初めての同棲!? 初めてのときめき!?
Name: アルテン◆9a73cf91 ID:e15ac0d0
Date: 2011/03/21 00:37
「ここをジークフリート線とする!」
「……………………………………」

 朝、目覚めるとバルクホルンが誇らしげに宣言した。
 寝ぼけた頭は言葉を咀嚼しきれていないが、状況は見れば分かる。
 天井から垂れ下がる白いシーツ。昨日寝る前にはそんな物はなかった。それが部屋を中央で二分している。

「『ベルリンの壁』の方がしっくりくるのは気のせいか?」
「何だ、それは? ベルリンにそんな物はないぞ」

 一夜にして自分の部屋に不可侵領域を作られた東雲。何とも納得のいかない顔で脱力するほかなかった。
 昨夜、「これ以上迷惑はかけられない」と、バルクホルンは出て行こうとした。「この後、どうするのか?」と聞けば、「野営する」と答えるので、さすがに止めた。
 冬の北海道でそんなことをすれば、洒落ではなく凍死してしまう。事実、馬走市では何年か前に、冬山に逃げ込んだドロボウが凍死する事件が起こっている。
 その話を耳にしていたので、東雲は必死の説得を行った。そんなことになれば目覚めが悪いし、そこまで薄情でもない。
 その甲斐あって、引き止めることに成功。東雲のアパートを拠点に、元の世界へ帰る方法を探すことにした。
 そして二人の同居生活が始まることになったのだが……。

「まあ、いい。これから生活するに当たって、双方のプライベートは尊重せねばならん」
「はぁ……」
「故にここに境界線を引かせてもらった。私はお前の領域を侵さないし、お前も私の領域を侵さない。そうすれば双方共にプライベートは守られる」
「あの、風呂とトイレ……そっち側なんですけど……」
「ぬ…………」

 考慮に入れていなかったらしく、言葉に詰まる。
 ここで少し東雲の部屋の間取りに触れておく。面積は全部で17畳のワンルーム。個別の風呂とトイレが部屋の入り口側に。押入れと簡素なクローゼットが部屋の奥側にある。いたってシンプルな設計。
 家賃は4万ちょっとで、駐車場付き。広大な土地と地価の安さによって実現した、北海道の地方都市ならではのアパート。とは言っても、ここまで広いアパートはなかなか無い。

「まぁ、いいや。とっとと朝飯を済ませよう。今日は買い物に行かないと」
「何か買うものがあるのか?」
「バルクホルンの分の日用品。『その他』」
「気を使わなくてもいい。こちらは居候の身だ。あるもので何とかしよう」
「俺の部屋に女物の服なんて無ぇぇ!」

 境界線に関しては一時棚上げとして、ひとまず朝食にすることにした。


1024時 ラルズプラザ
 馬走市の繁華街と言うのは駅ではなく、バスセンターを中心に広がっている。理由は簡単。鉄道の便が悪すぎるからだ。本数は少なく、遅い。都市間移動でも隣街に行くのであれば、車の方が早いぐらい。そのため利用者が少ない。地元の人間はおろか、観光客でさえあまり使わない。もっとも電化もされていないディーゼル車なので、仕方ないといえば仕方ない。
 バスセンターの周辺には昔からの商店が軒を連ね、買い物客で賑わう。
 その中心に位置するのが総合スーパー「ラルズ」である。地下一階、地上三階の建物で、食品から衣料。日用雑貨まで一通り揃っている。ちなみに馬走で唯一『エスカレーター』がある建物でもある。

「じゃあ、これ財布。中に入っている金額で収まるようにお願いします。で、そこが下着売り場」
「見れば分かる……貴様、私を馬鹿にしているだろう?」

 昨日と同じく、ジーパンと黒のジャンパーに身を包んだバルクホルンが、絡みつくような視線で東雲を見据える。

「めっそうもない!」
「いくら異国の地とはいえ、買い物ぐらい一人で出来る!」
「っ……じゃ、ボクそこで待ってますんで……」

 財布をひったくると、肩を怒らせ下着売り場へ突撃していく。
 東雲も売り場から逃げるように距離を取る。平日の朝一で客がほとんどいないとはいえ、店員の視線が気になる。
 邪魔にならないように、隅っこに移動。売り場がギリギリ見える位置を見付けると、そこに陣取った。

(おっ! 物色してる、物色してる)

 キョロキョロと売り場を見回すバルクホルン。どことなくソワソワとして、落ち着かない。何の気なしに目に付いたショーツを手にとっては、臭い表情を浮かべている。

(あっ! 店員来た!)

 暇を持て余していた年配の店員が、現在唯一の客であるバルクホルンを見付けると、音もなく近付いていく。が、途中で動きが止まる。そのまま回れ右するとバックヤードへと消えた。

(???)

 何事かと首をかしげていると、20代とおぼしき店員を連れて戻って来た。年配の店員がけしかけ、若い店員が恐る恐る声をかける。

(な~るほど)

 なんとなく納得がいった。
 年配の店員は『外国人女性』に、どのように接していいか分からなかったのだろう。
 馬走の住人は外国人に慣れていない訳ではない。むしろ慣れているといった方がいいだろう。オホーツク海に面した馬走港には、日々ロシアの漁船、貨物船が出入りし、船員は上陸のたびに市内で買い物を楽しんでいる。
 ただ、それらは全て『男性』。『外国人女性』などというのはレアな存在なのだ。
 若い店員が日本語で会話出来ることを確認すると、年配の店員を呼び寄せ、三人でなにやら相談を始める。

(大丈夫……かな?)

 東雲がほっと、胸をなでおろそうとした時、バルクホルンが首を横に振りだした。

(?)

 年配の店員がバルクホルンをぐいぐいと引っ張っていく。振り払うことも出来ず、されるがままに引きずられる。後ろからも、何着かの下着を抱えた若い店員が急き立てる。
 バルクホルンの顔がこちらに向いた。

──目と目が逢う

 口をパクパクさせ、困惑しきりの表情。明らかに助けを求めている。

(……見なかったことにしよう)

 バルクホルンは下着と共に試着室に放り込まれた。



一時間後
「東雲……貴様は戦友を見捨てるのか!」
「戦友ちげぇ!」

 すっかり衰弱しきったバルクホルンが、東雲をなじる。

「試着室に押し込まれて、あれやこれやと無理やり着せられたのだぞ! それを貴様は……私は着せ替え人形ではない!」
「あそこは男子禁制なんだ! 不可侵領域だよ! 地雷原だと分かってて突っ込むバカはいないだろ!?」

 余程おもしろおかしく『おもちゃ』にされたらしい。どんな風におもちゃにされたかは想像するしかない。
 とは言え、店員の行動は厚意によるもの。馬走の人は皆やさしく、人情に厚い。それが時として行き過ぎてしまうのは考えものだが……。

「まぁいい……目的は果たした」
「じゃあ、次は服売り場に……」
「待て。服売り場だと?」
「ん? そうだけど?」
「東雲……服はいい。しばらくこれでいい」

 急に弱々しい声で東雲を止める。
 たった今、下着売り場で起こった悪夢がぶり返す。服売り場でも、同じことが繰り返されるに違いない。

「え? でもそれ男物だし、サイズも合ってないし……」
「いや、これでいい。問題ない」
「それでいいなら、俺も助かるけど……」

 東雲がひとまず納得したことに、心の中で安堵する。
 どことなく腑に落ちない東雲にしてみても、出費が抑えられるのはありがたい。仕送りが振り込まれたばかりで、懐が暖かいとはいえ、今回の買い物は想定外。今月はどう切り詰めようかと考えていたところだ。

「じゃあ、次。ホーマック行こう」
「ホー……何?」
「ホームセンター。って言って分かるかな? ……まぁ、行ってみたほうが早いか」
「まだ何か買うのか……」

 ガクリとうなだれるバルクホルン。しかし今は東雲について行く以外に選択肢はなかった。



[26044] 初めての同棲!? 初めてのときめき!? 2
Name: アルテン◆9a73cf91 ID:e15ac0d0
Date: 2011/03/27 14:42
1245時 コーポ長島
「ただいま~」

 アパートに戻ると普段、口にしないようなことを言ってみる。当然、無人の部屋から返事が返ってくる訳もなく、バルクホルンが気を利かせて「おかえり」と言ってくれる訳でもない。

「何をしている」
「扶桑式の『帰ってきた時のあいさつ』など……」
「早く入れ」
「……はい」

 この有様である。
 おとなしく部屋に入り、買って来た物を広げてみる。といっても大した数があるわけではない。
 歯ブラシなどのバルクホルン専用となる日用品がいくつかと、物干し竿が一本。
 まずは天井からぶら下がっているシーツを外す。と、思ったら釘でしっかりと止められている。

「ねぇ、バルクホルン?」
「何だ?」
「どうやって釘打ったの?」
「普通に押し込んだだけだが」
「あ~……」

 バルクホルンの固有魔法が『怪力』だったことを思い出す。金槌の音がしなかったと思ったら魔法で解決したらしい。
 仕方ないので釘抜きで外していく。

(大家さんに怒られないかな……)

 天井に残る釘穴を見ながらぼんやりと考える。
 部屋の中央に物干し竿を渡す。次いでシーツに金具を付けて、そこに掛けてやる。

「よし、完成」

 東雲が作ったのは即席のカーテン。
 こうしておけばすぐに片付けることが出来るし、必要な時だけ出せばよい。東雲が感じる不便さも多少は軽減できるだろう。
 一人ご満悦な東雲が、試しに即席カーテンを動かしてみる。

「こんなもんでどうかな?」
「それはいいのだが……私が作ったジークフリート線と何が違うのだ?」

 バルクホルンの疑問も当然。
 東雲が作ったものは可動式になっただけで、大差がない。布なのだから『のれん』だと考えればどうということはない。
 しかし東雲には東雲の事情がある。

「ん~、まぁ、こうしとかないと色々と不便なんだよ……俺の部屋は……」
「?」

 事情はあるのだが、上手く説明できそうにないので、苦笑いでごまかす。
 ともあれ部屋は二分され、お互い最低限のプライベート空間を確保した。部屋の入り口側をバルクホルンが。奥側を東雲が使う。
 本当は逆の方が良いのだろうが、奥側は東雲の趣味の荷物であふれている。
 特にその中にある本棚の一画。同人誌が収まっている棚だけは、死守しなければならない。
 中身は言わずもがなの『エロ同人』。エイラとサーニャがちゅっちゅしてるのだったり、宮藤とリーネがあんなことやそんなことしてるものに、その他の作品のものまでビッシリと詰まった段があるのだ。

(後で隠しておかないと……)

 境界線作りも終わったので、今後のことを話し合う。
 まずは『元の世界』に帰る方法を探さなければならない。しかし、昨日の偵察では何ら手掛かりを得ることは出来なかった。それどころか『飛べない』という事実まで発覚。状況は悪化している。
 だが、バルクホルンは『元の世界』への帰還をあきらめた訳ではない。
 普段「女の子降ってこないかなぁ」とか「美少女落ちてないかなぁ」などと、のたまわっていた東雲にしてみても、無事に帰してあげたいと思っている。
 だから、出現場所と着陸地点を定期的に見回ることにする。今はそれ以上のことが出来ないし、してみようもない。
 次に話し合ったのは家事の分担。
 居候させてもらうのだからと、バルクホルンが自ら申し出てくれた。
 東雲にしてみればありがたい話なので、二つ返事でお願いする。

「では、今日の私の担当は洗濯だな」
「うん、お願いね。俺は少し部屋を片付けるよ」
「任せろ」

 すっくと立ち上がると、洗濯カゴを抱えて風呂場へ。

「? バルクホルンさん?」
「東雲、洗濯板はどこだ?」
(そうきたか……)

 思わず眉間を押える。

「いや、洗濯板なんて無いから。洗濯はこの機械でするんだよ」
「……それが洗濯機なのか? いやに小さいが……」

 バルクホルンが知っている洗濯機と、形が違いすぎて分からなかったようだ。
 とりあえず東雲が実演してみせる。とは言っても洗濯物と洗剤を入れてスイッチを押すだけだ。全自動なので後は待つだけでいい。
 その間に、他の家電やガステーブルなど、部屋の設備を一通り説明しておく。

「なるほど。ずいぶんと便利な世界なのだな……これがあれば宮藤に楽をさせてやれるのだが……」
「…………」

 何と返して良いのか、分からない。気の利いた慰めの言葉が思いつかない。思い付いたとしても、バルクホルンの心中を思えば、安い慰めの言葉など掛けられなかった。

 洗濯機が電子音を響かせる。洗濯が終わった。

「……あ、洗濯終わったし、干そうか」
「……そうだな」

 洗い終わった衣類を洗濯カゴに収めると、東雲側の領土に移動。普段、洗濯物を干しているもう一本の物干し竿は東雲側にある。

「しかし……改めて見るとハルトマンの部屋並みに汚いな」
「あそこまでひどくはないだろう……」
「大して変わらん」

 東雲側は布団を中心に漫画や教科書、その他趣味の道具が散乱し、『整理整頓』という言葉からは程遠い状況。東雲が「ハルトマンの部屋の方がひどい」などと言う資格はない。目くそ鼻くそ、どんぐりの背比べ、五十歩百歩。どっちの部屋も汚い。

「とりあえず干す時はこっちの物干し竿を……バルクホルンさん?」
「……サーニャ……」
「へ?」

 バルクホルンの視線を追う。
 その先には棚に飾られたサーニャのフィギュア。東雲がスト魔女のフィギュアで唯一所有しているもの。基本的にフィギュアは購入しない主義なのだが、これだけは買わざるをえなかった。サーニャは東雲にとって『俺の嫁』なのだから仕方がない。

「え? あのフィギュアがどうかしたの?」
「…………」
「バルクホル~ン。お~い」
「あ……いや、何でもない」
「気になる?」
「まぁ……な」

 バルクホルンがこの世界に来て三日。自力で帰る手立てはなく、救助が来る気配もない。彼女にとってここは異世界。ただ一人この世界に放り出されたのだ。気丈に振舞っているが、心細くないわけがない。
 フィギュアを見て、元の世界にいる501のメンバーのことを思い出したのだろう。

「…………さて、東雲。洗濯物を干してしまおう」
「ん? あ、そうだね。うん」



1922時 コーポ長島
「で、ですね。バルクホルンさん」
「何だ? 急に改まって?」
「楽にしていいとは言いましたが……下にもう一枚はいていただく訳にはいきませんか?」

 夕食も食べ終わり、ちょっとまったり。と、いったところで東雲が切り出したのは服装のこと。
 今のバルクホルンの格好はといえば、上は紺のトレーナーに、下は『ズボン』一丁。

「家の中でもダメか?」
「ぃ……ゃ、ダメというか何と言うか……その……」
「何か問題があるのか?」
「ぁ……その、問題と言われても……私的にですね……」

 目のやり場に困る。
 うれしいことはうれしいのだ。だが、うれしさよりも気恥ずかしさが先にきてしまう。女の子に免疫のない東雲には、どうしてよいやら分からない。いっそこのまま楽しむぐらいの根性が座っていれば良いのだが、そんな度胸もない『魔法使い予備軍』である。

「だいたい、この世界の『ズボン』の上に『ズボン』を穿くなどという、珍妙な風習は理解しかねる」
(お前らの世界の方が『理解しかねる』わい!)
「しのちゃ~ん! 酒飲もうぜ~! 酒~」
「ん?」
「あっ!?」
「なっ!?」

 突如、二人きりだった部屋に三人目の声が響き渡る。声の主は当然のように部屋に入ってきたが、バルクホルンを見ると、そのまま入り口で固まってしまった。
 部屋に無断で上がり込んで来た男、関口。東雲の親友で、酒と煙草をこよなく愛する。背は160半ばと高い方ではないが、体重は90kg程の恰幅の良い体系。だが決してデブではなく、適度に筋トレをして体を引き締めている。

「し……東雲が!? 東雲が同棲してるーっ!?」
「ちっがーう! 関口、誤解だ! 話を聞け!」
「しかも何て、うらやま……否、けしからんシチュエーション!!」
「聞けー!」
「ちきしょうっ! 呪ってやるー!」
「待てコラー!」

 東雲の制止も聞かず、部屋を飛び出して行く関口。慌てて追いかけようとするが、その姿はもはやアパート前から消えていた。

「東雲。何だ今のは?」
「マズイ……非常にマズイ!」

 玄関口から部屋の中へと急いで戻り、携帯電話を引っつかむ。
 アドレス検索。
 関口の携帯を呼び出す。が、通話中。

「がっ!? あのボケっ!」
「一体何を慌てているんだ? それに何だ? その機械は?」

 バルクホルンが携帯電話のことを尋ねてくるが、今はそれどころではない。質問を無視して、再度、関口を呼び出そうとしたところで後輩からの着信。

「もしもし?」
『東雲さん! 結婚したって本当ですか!?』
「ちげーっ!!」

 切る。
 着信。

「おう!」
『先輩! 「女は紙かjpgに限る」って言ってたじゃないですか! 俺らを裏切るんすね?!』
「うるせー!」

 切る。
 着信。

「なんだ?!」
『幼女監禁してるって本当っすか!?』
「黙れペド野郎!」

 切る。
 着信。

「はい!」
『あ~、ついにやっちゃたか~。ちゃんと自首しないとだめだよ?』
「俺は無実だー!」

 切る。
 着信……

「し、東雲……どうしたと言うのだ。先程から一人で喚き散らして? そこには誰もいないぞ……はっ! まさか気でも狂ったか!?」
「これは電話だっ! って、誰のせいでこうなったと思ってるんだー!」



[26044] 初めての同棲!? 初めてのときめき!? 3
Name: アルテン◆9a73cf91 ID:e15ac0d0
Date: 2011/04/03 11:43
1625時 大学構内
「ここが大学か」
「ええ、はい、そうです」
「まさか、お前が学士だとは思わなかったぞ」
「んな大層なもんでもないよ……」
「そう謙遜するな。大学と言えば学問の最高学府。そこで学ぶ権利を得たと言うだけでも大したものだ」
(言えない……補欠で滑り込んだなんて……言えない……)

 雪の積もるキャンパスを、掘られた道に沿って歩く。
 バルクホルンは大学という物に、何か幻想を抱いているようだ。物珍しそうに、周囲を見回す。
 そんな賛辞を素直に受け取れない東雲。バツの悪そうな顔で、苦笑いを浮かべることしか出来ない。
 東雲の通う大学はそれなりに知名度のある学校ではある。のだが、その分校。本校は遠く離れた東京にある。その分校内でも『学部の財布』と揶揄される学科に通っている。そのレベルは押して知るべし。つまり東雲の学力も、その程度ということ。

「しかし東雲。先程から妙に見られているようなのだが?」
「ええ……まぁ、気にしないでもらえると助かります……」

 弱々しい声でつぶやく。
 授業が終わって間もないこともあって、構内のそこかしこには学生の姿。例外なく、この奇妙な二人組みに注目している。
 馬走では『外国人女性』はレアな存在。それが『美少女』となれば、なおさら珍しく、耳目を集める。
 その隣が東雲であると言うことが、さらに注目を集めている。
 学内での東雲は、それなりに知られている。学生数がそれほど多くはない分校ではあるが、ほぼ全ての学生が、名前は知らなくとも「こんなヤツ」と言えば通じる存在。特に奇矯な行動をしている訳ではないのだが、何故か目に付くらしい。

「やはり、この格好が問題か……」

 何を勘違いしたのか、バルクホルンが自分の服装を見直す。
 黒のジャンパーにベージュのセーター。「ジーパンはいやだ」と言うので、下はクリーム色の綿パン。

「いや、それ絶対違う」
「何!? この服装が問題なのではないのか?」
「お願いですから、黙って着ててください」

 問題は『服装』ではなく、『東雲が美少女を連れている』こと。
 今まで女の影など無かった男が、いきなり女連れで現れたのだ。普通に目を疑う。

「まぁ、それは置いといて……打ち合わせ通りにお願いします」
「うむ。任せろ」
(不安だ……すげー不安だ……)

 二人は人目を振り払うように、目的地へと急ぐ。



1630時 第二学生食堂
「さて、東雲。聞かせてもらおうか」
「お、応よ!」

 食堂の片隅に集まったのは、東雲が所属するサークルのメンバー。部室などという気の利いたものが無いので、彼らは食堂を集会所代わりにしている。
 食堂内は飯時を過ぎ、授業もほとんど終わっているため、閑散としている。彼らの他にはほとんど人はいない。
 東雲がバルクホルンを、大学に連れてきた理由。
 それは昨夜、関口が広めた『あらぬ誤解』を解くための、説明会を開くこと。当の関口がいないのは問題だが、今は延焼を食い止める。

「バルクホルン」
「うむ」

 東雲が促し、自己紹介。
 皆の目、いやレンズが一斉にバルクホルンに向けられる。メガネ装着率9割を誇るメンバー構成ならではの光景。

「私はゲルトルート……」「東郷」「バルクホルンだ」
「ん?」「え?」「?」

 一瞬、つっかえそうになるバルクホルンだったが、東雲がすかさずミドルネームをねじ込む。

「彼女は『ゲルトルート・東郷・バルクホルン』。俺のいとこの娘さんだ。いとこはドイツ人と結婚して、今は向こうに住んでる。で、彼女が日本を旅したいということで、俺の部屋を拠点にしているんだ。突然のことでお前らに話す暇が無かったが、まぁ、そんな訳だ」
「ドウゾヨロシク」
「日本語もペラペラです!」

 皆が呆気にとられているうちに、昨夜考えたシナリオを一気にまくし立てる。
 ミドルネームはいとこのものを使おうかと考えたが、バルクホルンが分かる日本名で、言いやすいもの。ということで『東郷』にした。
 いささか突飛な話ではあるが、「アニメの世界から来た」などと言うより、はるかに現実味がある。
 そもそもバルクホルンは『こちらの世界では飛べない』のだ。「アニメの世界から来た」と信じさせるのに、証拠が『怪力』だけでは弱い。物証となるものも飛べないストライカーユニットでは意味が無いし、MG42は現行日本では御禁制なので見せる訳にもいかない。
 そんな論拠の乏しい状態で「スト魔女のバルクホルン本人なんだぜ!」と言っても誰が信じるだろうか。東雲だって、他人がそんな話をしたところで信じはしない。
 だから、誤魔化す。

「なんだ~、そーだったんですねっ」

 二年の荒井がいかにも納得がいったと相好を崩す。素直な後輩である。

「東雲さんが同棲とか、ボクもおかしいと思ったんですよ~」
(てめえ後で吊るす!)

 このサークルで数少ない洒落者である後輩の岸本が、荒井に同調。

「ひゃっひゃっひゃっ、こいつにそんな甲斐性ある訳ねえだろ」
「そーだよね~。東雲に彼女とかおかしいよね~」
(大きなお世話だ!)

 好き放題にこき下ろす、ふくよかな小泉とぽっちゃりの中川。東雲の同期で腐女子の二人。
 荒井と岸本が『いとこの娘』という作り話を、あっさりと信じてくれたので、場の流れは東雲の話を信じる方向へ。『同棲の真偽』は一応『シロ』と言うことで、皆が納得したらしい。

「ん~と、彼女は学生さんなの?」
「ええ、大学生ですが今は休学中です」
「へ? 何でまた?」
「見聞を広めるために色々な国を回るんだそうで、ついこの間までイタリア。その前はイギリスに行ってました。なっ?」
「あ、ああ。その通りだ」
「へ~」「ほ~」
(ここまでは想定内……)

 上級生の二人。天然パーマで設定オタの山田と、腰痛持ちの巨漢、狩野の質問をあらかじめ用意しておいた答えで返す。

(何とか乗り切れるか?)
「で、東雲。彼女はなんでお前の服を着てるんだ?」
「!?」「!」「!?」「?」

 聞いてきたのは、このサークルの幹事で女オタクの山崎。東雲にとって同期であり、天敵でもある。

(まずい! 非常にマズイ! 服のことなんか何も考えてなかった! ってか何で気付く?!)
「彼女がお前の服着てるとか、おかしいだろ? まさか服を持って来なかった訳じゃないだろ?」
(無いんだよ! クソがぁ!)
「それに、聞けば彼女はお前の部屋で下着だけだったそうじゃないか?」
「ぃゃ、上はトレーナー着てたし……」
「下はパンツだけだったってことだな!!」
(墓穴掘ったぁぁぁ!?)

 ざわつく。
 解けかけた疑惑が、再び皆の心を支配する。

「やっぱり東雲って……」
「え? でも東雲さんってロリじゃ?」
「欲求不満だったんじゃね?」
「ん~親族とは言え、ありえないシチュエーションだわな」
「さあ、東雲。答えてもらおうか?」
「ぁ……ぅ……」

 仁王立ちで詰問する山崎。
 答えに窮する東雲。

──万事休す

(正直に話すしかないのか……?)

 東雲があきらめかけたその時、バルクホルンが静かに立ち上がった。
 その立ち姿はとてもキレイで、穏やかなもの。
 雑音が止み、メンバーの視線が吸い寄せられる。

「私から説明しよう」
「バ……バルクホルン……さん?」



[26044] 初めての同棲!? 初めてのときめき!? 4
Name: アルテン◆9a73cf91 ID:e15ac0d0
Date: 2011/04/10 11:15
1638時 第二学生食堂
「実は衣類を収めたカバンが、手違いで別の船に載せられてしまってな。船会社が探しているが、未だ見付かっていない。着の身着のままで、ここまで来たからな。洗濯している間は、仕方なくこいつの服を借りている」

──どうだ、この完璧な理由

 余程この嘘に自信があったのだろう。どや顔になるバルクホルン。
 しかし、隣に座る東雲は両手で顔を覆ってしまった。

(?)

 怪訝に思い、皆の顔を見る。
 ここにいるサークルメンバーの誰一人として、信じた様子が無い。むしろ新たな燃料が投下され、疑念が深まっている。

「バルクホルンさん? 船で日本まで来たの?」
「ああ、そうだが……」
「え? マジで!?」
「船で旅できるって、何? いいとこのお嬢様か?」
「スゲー! 俺なんて神戸からのフェリーしか乗ったことないですよ!」
「ん~、でも。船で旅できるだけの余裕があるなら、何で新しい服を買わないの?」
「あ! そういえば……」
(な、何なのだ? この反応は?!)

 返ってくる反応の一つ一つに戸惑う。
 無理も無い。バルクホルンがいた時代は、航空機による旅客輸送という物はごく一部でしか行われておらず、近距離路線が主体だった。バルクホルンの常識では、世界を旅するといえば船が普通なのだ。
 だが、今は違う。
 航空機の発達が、より遠く、より速く、より多くの人々を運べるようになり、国外旅行を人々に身近なものにした。
 バルクホルンはそのことを知らない。東雲も教えていない。
 船で長距離を旅することが『金と時間に余裕のある者の娯楽』であることを。

──機転を利かせて緊急回避

 のはずが、避けた先も断崖絶壁。
 何より皆の最大の疑問。「何故パンツ一丁だったのか?」に答えていない。答えがずれている。しかしそれも仕方の無いこと。バルクホルンにとって『ズボン』で過ごすことは普通のことであり、何故問題になっているのか理解していないし、出来ない。
 だから「服がない理由」だけを答えてしまった。余計な燃料と共に。

(し、東雲! 何とかしろ!)

 うろたえたバルクホルンが、アイコンタクトで助けを求める。しかし東雲は未だ顔を手で覆ったまま動かない。

(考えろ、考えろ俺!)

 必死になって考える。一つ一つのウソを組んではバラし、新たなウソを組み込んで『一つのストーリー』をでっち上げろ。

(何か……何か……)
(お困りのようだな、俺1)
(おお! 俺2! 何か妙案が?!)
(バルクホルンを『俺の嫁』と言えばいい。全て解決だ)
(ざっけんな! 俺の嫁はサーニャだ!)

 脳内の自分に怒鳴り返す。
 小さな頃からアニメとマンガに没頭し、兄の洗脳も相まって、生粋のオタクとして育ってきた。そんな彼には生身の女に恋をした経験がない。恋をするのは決まって物語の中のキャラクターだった。数々のキャラに恋をし、「嫁にしたい」と思ったキャラはたくさんいた。しかし、『俺の嫁』と断言したのサーニャだけだ。それだけに思い入れも強い。そのサーニャを裏切るような発言など、東雲には出来ないことだった。
 アホである。

(まあ、落ち着け。このままでは事態は解決しない。恋人同士ということにすれば、やましいことをしていたとしても、皆が納得する。第一、誰も困らない)
(確かに……誰も困らん……)
(ましてやバルクホルンは今、『三次元』だ。何の問題もない)

 今、生身の人間に東雲が思いを寄せているのであれば、とても出来る発言ではない。
 しかし、ここで恋人宣言しても、東雲の思い人は『現実にはいない』のだから問題はない。

(さあ、言って楽になれ。俺1)
(あ、ああ。そう……だな……)
(待て! だまされるでない!)
(俺3……?)
(正気を取り戻すんじゃ俺1! 貴様のサーニャへの愛はその程度か?!)
(!?)
(思い出せ俺1! 初めてサーニャに会った時のときめきを! 『俺の嫁』と言い放った時の決意を!)
(ぁ……ぁぁぁあ……)
(貴様はサーニャを裏切るのか!)
(お、俺は……俺は……なんてことを……。バルクホルンが三次元になったからと、うつつを抜かし、サーニャを裏切るようなことを……)
(さあ行け俺1! 貴様の愛の力を見せてみろ!)
(ああ! 任せろ俺3!)

 顔を覆っていた手が下りる。
 決意に満ちた瞳で、皆を見回す。

「すまない。少々説明が足りなかったようだ」

 東雲が力強く言葉をつむぐ。

「彼女の父親は船会社に勤めていて、そのツテで貨物船に同行させてもらったんだ。船には『飯炊きのバイト』ってことで乗せてもらってるので、旅費はほとんどゼロ。そして積み込みの際に、今話したような事故が起きた」

──話せ、話し続けろ。決して口を挟ませるな
──ウソっぽくてもいい。だが破綻するな

「俺の服を着てる理由は、バルクホルンが説明した通り。新しい服は買いに行く時間がなかっただけだ」

 サークルメンバーが顔を見合わせると、東雲の表情をうかがう。

──表情を殺せ
──俺はウソが下手だ。表情でウソだと悟られるな

「東雲、そこまでは分かった。じゃあ何で彼女は下着だったんだ? いくら服がないって言っても、男の前で下着だけとかありえないだろ?」
「急かすなよ山崎。それはズボンにコーヒーをこぼして、あわてて脱いだところに、関口が来ただけの話しだ!」
「いや『ズボン』は脱いでな……」
「え!? じゃあ?」
「貴様らが考えるような、やましい関係ではない!」

──着地
──ウルトラC! 見事な着地! 自分で自分を褒めてやりたい!

 自分が作ったあらすじに、バルクホルンのウソ。そこに更なるウソを塗り重ねて補強されたストーリー。一応、破綻はしていない。真実味があるかは別問題だが……。

「東雲。お前の話は分かった。で? どこまでが本当の話なんだ?」
(信用されてねぇよ俺!?)

 結局のところ山崎は今の話を信じていない。他のメンバーにしてみても半信半疑。
 皆が共通して理解したのはただ一点。『訳ありの人物』ということ。
 甲斐性のない東雲が彼女を作れる訳ないし、拉致ってくるだけの度胸もない、と言うのが皆の東雲に対する共通認識。端から『東雲に彼女が出来た』など信じていないのだ。

「全部本当の話だ!」
「あ~、分かった分かった。そういうことにしといてやろう」

 山崎が追求の手を緩める。『自分たちが望む本当の話』を、東雲がしないとあきらめたらしい。
 今のところ東雲が騙されている訳でも、騙している様子も感じ取ることが出来なかったので、バルクホルンが『ひとまず安全な人物である』と思われる。とりあえずはそれで引き下がる。締め上げるのはいつでも出来る。どんな『訳』があるのか知らないが、言えない事情があることは察せられた。
 ついでに東雲を面白おかしくイジれたし、今後もイジれるネタなのだから大切に育てよう。
 他のメンバーにしても似たり寄ったり。これ以上の追求はしないようだ。

「さ~て、東雲の客人であることは間違いないんだ。これから歓迎会するよ!」

 ニヤニヤ笑いを浮かべた山崎が、高らかに宣言。

「参加する人は……よしよし全員参加っと。荒井ちゃんと岸本。それと田中は食べ物の買出し。東雲、あんたは飲み物買っといて」
「……はい」
「よし。じゃあ、7時に東雲邸に集合」

 一斉に帰り支度を始めるサークルメンバー。
 呆気にとられるバルクホルン。

「東雲……何が一体どうなったんだ?」
「……ひとまず……これ以上の余計な詮索はされないって、ことかな……」



[26044] 初めての同棲!? 初めてのときめき!? 5
Name: アルテン◆9a73cf91 ID:e15ac0d0
Date: 2011/04/17 22:23
1723時 セイコーマート
「え~と、ウーロン茶にリボンシトロンにガラナはコアップ……いや、メッツにしとくか? それとカツゲンも少し買って……」
「東雲、もうずいぶんな量だぞ」

 満杯になった買い物かごを、バルクホルンが呆れた様子で見下ろす。
 現在、二人は宴会用の飲み物の買出し中。
 場所はもちろん、道民ご用達のコンビニ「セイコーマート」。
 北海道全域に展開するチェーン店でありながら、その販売戦略、商品ラインナップは他のコンビニと一線を画す。力を入れているのが酒類。品揃えが豊富で、しかも安い。特に独自のルートで仕入れられた輸入ワインは、価格のわりに飲める物が多い。
 また、さりげなく米の10kg袋を扱うなど、近所の奥様方にも大変フレンドリーなコンビニである。

「ん? そう? まぁ、あとは酒で終わりだから」

 新しいカゴを持って酒類の陳列棚に移動。
 発泡酒とチューハイの缶を適当に放り込み、さらに焼酎を一瓶。

「日本酒にカルーアとカシスは、まだストックがあるし……」

 部屋に備蓄されているはずの酒を、残量と共に思い出す。今日の宴会に耐えられるだけの量はあったはず。
 そもそも大量に飲むメンバーがあまりいないので、たくさん買う必要もない。それにちょっと凝ったものを飲みたい者は、各々で持ち込むのが通例になっている。

「こんなんでいいかな? あっ、そうだ……」

 何か思い付いたらしい東雲が、陳列棚から白ワインを一本取り出す。と、そのままバルクホルンに手渡した。

「はい」
「ワイン?」
「カールスラント産」
「何っ!?」

 ラベルに顔を近づける。
 実のところドイツ産なのだが、そこに並ぶ文字は確かに母国と同じ。かみ締めるように一文字一文字、指でなぞる。
 何の縁もゆかりもない異世界で出会った、故郷を思い出させる品。母国と同じ文字。今はただそれだけのことがうれしい。
 バルクホルンの顔に喜色が浮かぶ。
 この世界に来てから初めて見る

──バルクホルンの笑顔

 そこにあったのは、年相応の少女の笑顔。
 その笑顔があまりにも可愛くて、東雲には直視出来ない。顔は赤く、鼓動は早く、体の中が沸騰するようだ。

(え? ちょ? 俺、え?)

 顔を手で覆い隠して深呼吸。

(震えるなハート! 燃え尽きるな俺ーっ!)
「東雲!」
「え!? う、うん? な、なななな何かな?」

 高まる鼓動を押え付け、動揺を悟られまいと、努めて平静を装おうとする東雲。しかし、そんな努力とは裏腹に、滑稽なほどに動揺が見て取れる。
 そしてバルクホルンも、そんなことに気付けないほど舞い上がっている。

「このワインは買うんだな?」
「も、もちろん。買わせていただきますです。はい」
「うん。うん。当然だな。しかし一本で足りるのか? もう五、六本買ったほうがよくはないか?」

 嬉々として提案するバルクホルン。

「あ、や、その、そんなにあっても飲みきれないし……」
「そ、それもそうだな」

 柄にもなくはしゃいでいた自分に気付き、顔をそらす。そんな自分が恥ずかしかったのだろう。バルクホルンの頬が桜色に染まる。

「じゃ、じゃあさ、もう一本。赤ワインを買うってことで、どうかな?」
「うむ。そうしよう」

 言うが早いか、バルクホルンは棚から赤ワインを取り出すとカゴに入れる。その動きの一つ一つから、喜びが伝わってくる。

「それじゃ俺、金払ってくるし」

 東雲が飲み物が詰まった二つのカゴを持ち上げる。
 が、カゴの重さで体は傾き、足取りもヨロヨロ。
 何とも非力この上ない。

「東雲。お前は少し鍛えたほうがいいぞ」

 見かねたバルクホルンが、二つのカゴをひょいと奪い取る。
 重さなど感じさせない足取りで、レジに向かう。
 頼もしいことこの上ない。
 バツが悪そうに後に続く東雲。
 しかし、そんなバツの悪さなど、バルクホルンが喜ぶ姿を見ていると、どうでもいいことに思えてきた。



1907時 コーポ長島
「それでは、バルクホルンさんの来日を祝して、かんぱ~い!」
「「「「「「かんぱ~い!」」」」」」

 山崎の音頭で皆が唱和。
 東雲の部屋に集まったのは20人ほど。総面積17畳のワンルームは、人と料理でごった返し、足の踏み場もない。一部メンバーが風呂や玄関で飲んではいるが、ご愛嬌というものだろう。
 サークルメンバーの中で一番デカイ部屋である東雲の部屋は宴会場の指定を受けている。
 東雲には日常の光景だが、バルクホルンにしてみれば、こんなすし詰めの状態でやる宴会など初めて。

「東雲……いつもこんな感じなのか?」
「いつもこんな感じです」
「なるほど。これならばジークフリート線は邪魔でしかないな」

 部屋を二分するシーツは、隅にキレイにまとめられている。
 人口密度の高さに呆れるバルクホルンを横目に、発泡酒を空にする東雲。
 東雲も呆れていた。バルクホルンの周りの人口密度に。
 バルクホルンを中心に、後輩たちが取り囲むように座っている。少しでもお近付きになりたいという下心と共に、陣取っている。しかし、誰一人先手を取る者がいない。上級生と腐女子たちは輪の外側で、その光景を肴に酒を楽しむ。

「バルクホルン。ワインとってもらっていい?」
「ああ」
「どうぞ!」「バルクホルンさん!」
「あ……ありがとう……」

 バルクホルンの手が伸びるより早く、ワインのビンを差し出したのは後輩の岸本と、服部。
 話し掛けるタイミングを、じっと見計らっていた。
 そこに東雲の注文である。見逃す訳にはいかない。このわずかなきっかけをを足掛かりに、バルクホルンと仲良くなるために。
 岸本が白ワイン、服部が赤ワインをそれぞれ差し出す。

「東雲……どっちだ?」
「白」

 バルクホルンにビンを渡し、勝ち誇る岸本。崩れ落ちる服部。
 その姿に皆がふき出す。
 いまいち事態を飲み込めないバルクホルン。やり取りをよそに紙コップにワインを注ぐと、東雲に差し出した。

「ほら、東雲」
「あ、あんがと……」

 バルクホルンの手から紙コップを受け取る。彼女の手に触れないよう、気をつけながら。やはり先のコンビニでの一件で意識してしまう。

「ずるいっすよ東雲先輩!」

 崩れ落ちていた服部が、その光景を目にして跳ね起きる。

「俺もワイン欲しいっす!」
「あ! 俺も!」「じゃあ、ボクももらおうかな」「すいません、こちらにも少し」

 すかさず空のコップを、バルクホルンに突き出す服部。堰を切ったように追随する後輩共。
 次々と出されるコップに一瞬たじろぐが、バルクホルンなりに事態を理解すると、ニンマリと笑顔を浮かべ、順番に注いでいく。

「何だ東雲。やはり足りないのではないか?」
「おめーら! いつもワインなんて飲まねぇじゃねーか!」

 思わず後輩に喚き散らす東雲。
 しかし、そんな喚きもどこ吹く風ぞ。服部がしれっと返す。

「何言ってんすか東雲先輩? 俺らワイン大好きっすよ?」
「美味いっす!」「おかわり!」「ドイツワイン最高っ!」

 いつも通りであれば、残ることも珍しくないワインだが、今日は順調に消化されていく。
 それもこれも『バルクホルンが酌をしてくれる』という特典があればこそ。その特典目当てで、後輩たちは普段飲まないワインを飲んでいる。
 かく言う東雲は日本酒党。ワインが残ることがあれば、バルクホルンが悲しむだろうと思い、少し飲むことにした。それだけのことだったのだが、この事態は想定外。

「そうだろう。そうだろう。我が国のワインは最高だろう! まだあるぞ! さぁ、どんどん飲んでくれ!」

 しかし、バルクホルンは後輩たちの行動を『美味いワインに喜んでいる』と解釈したらしい。
 上機嫌でワインを注いでいくバルクホルン。故郷の物(実際にはドイツ産だが)が褒められるのは、やはりうれしいようだ。

「ん? お前はいいのか?」

 バルクホルンがコップを出してこない後輩に声をかける。
 彼女を取り囲む輪の一番端にいる後輩、田中。カシスをソーダで割ってはちびちびとなめている。

「田中。お前もたまにはワイン飲むか?」
「いや、俺はいいです。東雲さん、俺が酒弱いの知ってるじゃないですか」

 事実、田中は弱い。本人も自覚しているので、アルコール度数の高いものは飲まないし、深酒もしない。

「しかし、最初見た時はビックリしましたよ。ストパンのバルクホルンにそっくりだし、声も似てるし、名前まで一緒じゃないですか。こんな偶然があるのか? って」
「ハッハッハ、オレモヒサシブリニアッタトキハ、ビックリシタヨー」
「ソンナニニテルノカ、シノノメー?」

 田中のクリティカルな感想を、機械的棒読みで返す東雲とバルクホルン。
 アルコールが入り、回転の鈍った脳みそではこれで一杯一杯。いい返しが思いつかない。

「いやもう、本物かってぐらいに!」
「あ、ホントだ!」「うん、似てる似てる」「どれどれ」「お~確かに」

 ワインと格闘していた後輩たちが、一斉にバルクホルンを見る。

「まさか本物じゃないですよね?」
「ソンナコトアルワケナイダロー」
「ですよね~」

 後輩たちが笑い飛ばし、東雲とバルクホルンも乾いた笑いで応える。

「そういえば東雲。『趣味のサークル』ということだったが、どういう集まりなのだ?」

 皆の笑いが収まったところで、話題をそらしにかかるバルクホルン。
 東雲から本当のことを話さないように、きつく言われている。バルクホルンにしてみても、あれこれと詮索されるのは好きではない。

「あれ? 言ってなかったっけ?」
「ああ、聞いていない。お前はいつも大事なことを言い忘れる」
「あ~ゴメン、ゴメン。これは『創作研究同好会』ってグループなんだ」
「『創作』? どんなものを作るんだ?」

 バルクホルンの質問に、答えられず黙り込んでしまう東雲と後輩たち。
 名前は『創作研究同好会』と仰々しいが、特別何かしている訳ではない。アニメやマンガ、ゲームの好きな者が集まって、オタク談義に花を咲かせるだけのサークル。
 何の目的もないサークル活動ではあるが、自分の好きな物を存分に語り合える場所。会員たちにはそれで十分なのだ。
 だから『対外的』に、このサークルのことを説明するのは難しい。何もしていないのだから。

「え~と、ですね……。日本のサブカルチャーである『アニメ』『マンガ』『ゲーム』といったものを……ですね……」

 しどろもどろ説明しようとする東雲。見守る後輩。ニヤニヤと眺める上級生。説明を待つバルクホルン。
 視線が東雲に集まる。
 と、

──着信

 東雲の携帯が『わたしにできること』を奏でて震えだす。

「あ、ゴメン。実家からだ」

 実家からの電話。
 東雲は喧騒を逃れるため、部屋の外へと出た。



1957時 コーポ長島 部屋の前
「もしもし?」

 足踏みしながら電話に出る。少しでも動いていないと、体が寒さでやられていまう。
 外の気温は零度を当の昔に下回り、既にマイナス。凍てつく風が頬を突き刺し、痛い。

『もしもし、浩二?』
「うん。どうしたの、母ちゃん?」

 母からの電話。前に聞いた時よりも、声に元気がないような気がした。
 東雲の母は昨年大病を患い、手術をした。手術自体は無事に終わったが、それ以来すっかり元気がない。
 命に別状はないものの、東雲にとって今の母の状態は心配だ。

『元気でやってるかい? ご飯はちゃんと食べてる?』
「大丈夫だよ。ちゃんとやってる」

 そんな母をなだめるようにやさしく答える。
 母の心配性は相変わらずだ。

『何かあったらすぐに言うんだよ』
「大丈夫、大丈夫。特に問題なんて……」

──バルクホルンが降ってきた

『浩二? 何かあったのかい?』
「え? や、何でもないよ」

 心配そうな母の問いを笑って誤魔化す。
 本当の事を言ったら、余計な心配をかけてしまうだろう。
 その後は他愛のない会話が続く。

『体には気を付けるだよ』
「うん、分かってる。母ちゃんも気をつけて」

 電話を切ると夜空を見上げた。
 粉雪が冬の夜空に舞っている。
 冬の寒さも一段と増してきた。
 東雲は冷えた体を温めるため、部屋へと戻った。



[26044] トゥルーデ 怒りの馬走
Name: アルテン◆9a73cf91 ID:e15ac0d0
Date: 2011/05/04 01:06
1854時 コーポ長島
「87……88……89……」

 一人きりの部屋で腕立てを繰り返すバルクホルン。
 部屋の主たる東雲は、サークル活動だと言って昼過ぎに出掛けたまま戻っていない。
 掃除と洗濯を済ませ、暇を持て余したバルクホルン。今は来るべき帰還の日に備え筋トレに励む。

「ただいま~。すぐに晩飯作るね」

 疲れ切った東雲の声が耳に届く。

「95……遅かったな96……97……」
「ごめんごめん」
「99……100! 夕飯を済ませたら偵察に行くぞ」

 一区切りつけたバルクホルン。立ち上がると東雲に向き直った。偵察とはもちろん、出現場所である馬走湖と、着陸地点に異変が無いかの確認のことだ。

「またトレーニング?」
「ああ、軍人たるもの日々のトレーニングを怠る訳にはいかないからな」

 もはや見慣れてしまったバルクホルンのトレーニング風景。
 東雲には家事以外は、ずっとトレーニングをしている印象。

「しかし飛ぶことも射撃もままならんとは、不便な世界だ。このままでは勘が鈍ってしまう」

 バルクホルンが言葉と共に不満を表情に表す。
 この世界ではストライカーユニットで飛行することは出来ない。射撃訓練も東雲に厳しく止められている。そもそも弾薬がマガジンに残っている分しかないので、射撃訓練を行うだけの余裕などないのだ。
 だから出来ることは筋力トレーニングのみ。それ以外の訓練メニューが組めない。

「あっ、そうか。明日はバルクホルンも一緒に行く?」
「? どこへだ?」

 返事もせずにクローゼットをあさりだす東雲。一番奥からスキーウェアを取り出すと、バルクホルンの前に広げてみせた。

「東雲、これは?」
「スキーウェアだよ」
「スキー? ……なるほど雪中行軍と言う訳だな。こちらに来てからというもの、筋力トレーニングしか出来なかったからな。山岳歩兵の真似事というのも面白いかもしれん。しかし派手すぎないか?」
「いや……まぁ、スキーウェアだし……」

 極彩色に彩られたスキーウェアを二人で見下ろす。
 バルクホルンの言いたいことは分かる。「敵に見付かりやすい」と言いたいのだ。しかし、これはあくまでもスキーウェア。ゲレンデで目立たないウェアなど、危なくてしょうがない。

「じゃあ、まあ、参加ということで。明日は8時半に出発ね」
「うむ。了解した」

 バルクホルンの参加を確認すると、東雲は夕飯の準備に取り掛かった。



0912時 大学裏
 東雲の通う大学は、馬走を代表する山である天登山の山頂付近に建てられている。
 標高が高い山と言う訳ではないが、自然の豊かな山で一部区域は国定公園に指定されている。西に馬走湖を、東にオホーツク海を眺望し、冬は市営のスキー場でスキーを楽しめる。馬走市民に馴染み深い山。その一画に隔離されるように建てられているので、周りは全て森。うっそうと木々が生い茂る。
 また、標高が低いこともあるせいか、平らな所もあり、農地として活用されている。東雲がバルクホルンと出会ったのも、この天登山の農道である。

「傾注! 今日はバルクホルンが参戦することになった!」

 東雲の宣言に、集まったサークルメンバーがどよめきと共に沸き立つ。皆一様にスキーウェアと長靴に身を包んでいる。

「東雲、雪中行軍ではなかったのか?」
「おしい。今日は『サバゲ』です」
「『サバゲ』?」
「平たく言うと『戦争ごっこ』。おもちゃを使った『戦闘訓練』とでも思ってもらえばいいかな」
「『戦闘訓練』か、なるほど」

 『戦闘訓練』と聞いて、やる気が出てきたバルクホルン。鼻息が荒くなる。
 今日はサークルとは言っても創作研ではなく、東雲が幹事を務める『サバイバルゲーム同好会』の集まり。その名の通りサバイバルゲームを楽しむためのサークル。創作研とは掛け持ちだ。
 そう、今日はスキーではなく、サバイバルゲームをするために集まっている。
 集まったのは総計12人。その約半数が、東雲と同じ創作研との掛け持ちになっている。
バルクホルンと初めて会う者もいるので、彼らに紹介しておく。

「そういう訳だ。分かったな、関口?」
「わ、分かったよ、しのちゃん」

 先日騒ぎを起こした関口には特に念押ししておく。
 他のメンバーも噂は伝わっていたので、紹介はごく簡単に終わった。

「東雲さん。銃はどうします?」

 人懐っこい笑顔で、二年の荒井が尋ねてくる。

「同好会の備品を使ってもらうよ」

 言いながら東雲は車から四丁のエアガンを降ろした。
 『M16』
 『MP5A4』
 『G3A3』
 『APS2』
 どれも先輩たちが卒業する時に置いていったものだ。
 今回のようなゲストの参戦や、体験入会の時に貸し出されている。

「バルクホルン、どれにする?」
「見せてもらうぞ」

 一丁づつ手にとって構えてみる。
 さすがと言うか、当然と言うか、銃を構えた姿は堂に入っている。伊達や酔狂で職業軍人は務まらない。
 事情を知らない岸本と服部など、その光景に唖然としている。大方「一から指導してお近付きに」などと考えていたに違いない。

「これにしよう」

 そう言って選んだのは『G3A3』。この中で一番大柄なアサルトライフル。奇しくもドイツ軍のものである。誰も銃の説明をしていないのにドイツのライフルを選ぶあたり、何か通じるものがあるのかもしれない。

「大丈夫なんですか先輩? 使いやすいMP5とか薦めた方が……」
「あ~、大丈夫だろ?」

 一年の岡田が心配そうに進言するが、東雲は事も無げに返す。
 そもそもMG42などという機関銃を振り回しているのだ。G3ぐらいであれば楽に使いこなすことだろう。
 それに本人は後輩たちの心配をよそに、既にサイト調整を始めている。

「よ~し。お前らも準備しろよ~」



0955時 大学裏 セーフティーエリア
「これを……お前たちだけで掘ったのか?」
「そ、半日かけてね」

 周囲を木々に囲まれた縦約200m、横約50mの開けた平原。
 腰辺りまで積もった雪を掘り起こし、網の目のように通路が。所々にタコツボ。やや小高い所にトーチカが掘られている。
 通路脇には掘り返した雪がブロック状に積まれ、背の低い者であれば胸の辺りまで隠れてしまう。
 北海道の雪は粉質で、水気が少なく軽いため、人数と気合さえあれば意外に掘ることができる。

「それじゃルールの説明するね」

 サバイバルゲームとは簡単に言うとエアガンを使った『戦争ごっこ』である。
 ルールは至ってシンプル。

──銃で撃って、当てる。当たれば死亡
──相手の旗を獲るか、全滅させれば勝ち

 フリーズコールの扱いや、銃に当たった時の判定など、チーム毎にローカルルールがあるが、大枠はこれだけ。
 サバゲには審判などいないので、当たった者は自己申告。
 参加者一人一人がルールを理解し、尊守することを求められる。何気にモラルが問われるゲームである。

「理解した。しかし、戦闘訓練にこの服では……。これではいい的だぞ」

 赤いウェアに身を包んだバルクホルン。当然、ウェアに対する不満が出る。
 冬の北海道は恐ろしく冷える。事実、この日の気温は-15℃。そんな環境下でサバゲをしようとした場合、スキーウェアは最も簡単に手に入る、最高の防寒着と言える。
 何しろこれは『戦争ごっこ』なのだ。敵の弾を避けるために伏せ、肉薄するために匍匐し、射撃のために膝を着く。それらを繰り返すと、普通の布製の服では濡れ、すぐに凍ってしまう。
 故にスキーウェア。
 スキーウェアであれば、ウェア自体が凍ることは無い。
 「カラフルで目立ちやすい」程度のことは、甘んじて受け入れるべきデメリットなのだ。
そうでなければ、凍ることを覚悟して布製の服を着用するしかない。
 あくまで「雰囲気が出ない」という雰囲気重視派は、凍ることを理解した上で、ウェアの上にBDU(バトルドレスユニフォーム)を着込む。とは言っても、このサークルに雰囲気重視派は二人だけ。東雲が陸自の二型迷彩、四年の石崎が黒のBDUをそれぞれ着込む。後輩たちはスキーウェアのみの実用重視。

「そう言うだろうと思って、用意しといたよ」

 そう言って東雲が衣嚢から取り出したのは、白のポンチョ。バルクホルンに渡すと着るように促す。

「これなら……まあ、何とかなるか」
「よ~し、じゃあ組決めしようか」

 バルクホルンが納得したところで、東雲は次の段取りを進めていく。



1022時 ゲームフィールド 赤軍スタート地点
「んじゃあ、まあ、一ゲーム目だし、作戦はナシ。先ずは体温めようか」
「作戦を立てないのか!?」

 東雲たちにはゲームだが、バルクホルンにとっては戦闘訓練。
 訓練であればきちんとした『想定』があって、それに沿った作戦を立てる。だが、サバゲはあくまでもゲーム。作戦などあって無きが如し。

「とりあえず一戦目は雰囲気をつかんでよ。エアガンでの撃ち合いがどんなものかさ」
「まぁ……分かった……」

 何とも腑に落ちない感じのバルクホルン。しかしサバゲは初めてのことなので、口を挟んでみようもない。

『そっち準備どお?』

 連絡用のトランシーバーから四年の石崎の声。向こうのチームは準備が整ったようだ。
 東雲が皆を見回す。

「準備いいね?」
「Okっす!」「大丈夫です」「うい」「問題ない」

 全員の準備が出来たことを確認し、石崎に返信。

「こちら東雲。準備ヨシ。送レ」
『了~解~。カウントよろしく』
「了解。ゴーグル確認。セーフティー解除」

 ゲーム前の最終確認。
 次々と安全装置が外されていく。

「カウント! 3……2……1……ターリホー!」

 ゲーム開始。
 開幕と同時に引かれるトリガー。飛び交うBB弾。
 ある者は敵陣に肉薄せんと走り、ある者はタコツボに潜り守備を固める。
 そしてスタート地点から動かない東雲とバルクホルン。

「どうする? 最初は付いて来る? あと、しゃがんでたほうがいいよ」

 通路にしゃがみ、身を隠した東雲がバルクホルンを見上げる。
 正面から微かに吹く風を受けながら、バルクホルンは涼しい顔で、フィールドを見渡す。

「心配は無用だ。この程度の練度なら、私一人でも問題ない」

 それがバルクホルンの初見の感想。不敵な笑みを東雲に向ける。

「そ……そお?」
「ああ、せっかくだから私の『射撃訓練』に付き合ってもらおう」

 ついには『戦闘訓練』から『射撃訓練』に格下げ。フィールドに居る者全てが、『動く的』だと言い切った。

──ポスっ

「あ!」
「ん?」

 バルクホルンは側頭部に『何か』が当たるのを感じた。
 東雲は見た。バルクホルンの頭にBB弾が当たるところを。
 力なく飛んできたBB弾。バルクホルンの髪に押し戻され、力なく転がり落ちる。

「…………」
「…………」

 ゲーム前の試射でエアガンの射程は把握できていた。
 敵は未だ展開を終えておらず、こちらに弾が届くような距離に来ていないはずだった。
 なのに敵弾を喰らってしまった。

──曲射
 まっすぐ狙ったのでは届かない遠方の敵を攻撃する際、BB弾に弾道軌道を描かせることによって、飛距離を稼ぐ。
 そして折り悪く吹いていた風に運ばれたのだ。文字通りの『流れ弾』。痛いと感じるような威力も無く、下手をすれば当たったことにすら気付けない程の弱さ。
 狭いサバゲフィールドでは往々にして起こる出来事。

「あの……バルクホルン? 『ヒット』って言って、セーフティーに戻ってもらって……いいかな?」
「…………HIT」

──ゲルトルート・バルクホルン 第一ゲーム 開始59秒 戦死



[26044] トゥルーデ 怒りの馬走 2
Name: アルテン◆9a73cf91 ID:e15ac0d0
Date: 2011/05/15 22:56
1055時 ゲームフィールド
「ヒット!」

 バルクホルンが放ったBB弾が、荒井の頭を叩く。
 第一ゲームとは打って変わって、始めから本気モードのバルクホルン。
 小刻みな射撃と移動。
 撃っては走り、走っては伏せ、堅実に前へ前へと敵陣に攻め込む。
 敵チームの反撃が来る時、バルクホルンの姿はそこにはない。BB弾がむなしく雪の壁を削るのみ。
 身を潜め、耳を澄ます。射撃音から射点を特定。側面を取るため塹壕を進む。

「先輩、バルクホルンさん前に出過ぎじゃあ……」
「うわぁ……殺る気だよ……」

 心配そうに見つめる岡田と、呆れる東雲。

「岡田、左側の通路押えて。俺は正面から撃ち込んで、敵の目を引きつけるから」
「了解です」
「ヒット!」

 打ち合わせをしている間にも、バルクホルンはまた一人倒す。

「援護……必要ないかな?」



1217時 セーフティーエリア
「バルクホルンさんスゴイっす!」

 服部が感極まった声で、バルクホルンに賛辞を送る。
 今は皆で焚き火を囲んでの昼休憩。コンビニで買ってきたパンやら弁当を食べていた。
 午前中5ゲームを行い、バルクホルンが死亡したのは、初戦の1ゲーム目のみ。あとのゲームでは、バルクホルンのいるチームの圧勝、もしくは優勢勝ち。5ゲーム目には相手チーム六人中五人を倒すという活躍ぶり。正に職業軍人の面目躍如。

「何、この程度。造作も無い」

 謙遜するようでいて、全然謙遜していない。
 ジャムパンを頬張りながら、誇りに満ちた笑みを浮かべている。

「本当にサバゲ初めてなんっすか?」
「ああ」
「バルクホルンの親父さんは猟銃持っててね。その影響で銃の扱いには慣れてるんだよ」

 凍ったおにぎりを炙りながら、適当な設定を捏造する東雲。
 「ネウロイを狩る」と言う事で、間違ってはいないと、自分自身も納得させる。獲物の戦闘力が高すぎる気もするが、この際置いておこう。

「午後は組替えするからね」



1337時 ゲームフィールド
「ヒットー!」
「先輩! 竹下がやられました!」
「何でG3があの距離から当てられるんだよ!」

 午後の2ゲーム目。
 開始早々、自陣の一角を崩される。
 組替えによって敵味方に分かれた東雲とバルクホルン。東雲はその身をもってバルクホルンの強さを味わうことになる。
 午後の1ゲーム目も惨敗だった。もはや『バルクホルン』はフィールドの『恐怖』と同義。

「吉田! 足止めしろ!」
「りょーかいっ」

 一年の吉田がM14を構え、スコープをのぞく。
 スコープを通して一発、二発とバルクホルンに送り込まれるBB弾。しかしBB弾はむなしく雪の壁に刺さるだけ。

「うわっ!? ヒット!」
「!?」

 東雲の後ろからさらにヒットコール。
 今の狙撃で位置のばれた吉田への、見事なカウンタースナイプ。
 バルクホルンが使うG3は、電動ガンの中では旧式。今近の新型電動ガンと比べれば飛距離、射撃精度は明らかに劣る。ましてや今は氷点下15℃の冬。この気温になると『ホップアップ(BB弾に回転を与え飛距離を伸ばす機構)』もまともに使えない。ゴム製のチャンバーが凍り付き、その機能が限定されてしまうためだ。
 飛距離も無く、精度もない旧型で、新型の電動ガン以上の戦果。

──優れた兵士は、優れた兵器に勝る

「やべぇ……バルクホルンが来るぞ……」

 バルクホルンを先頭に、無傷の敵チームが前進を開始。
 敵チームは士気軒昂。勝利を確信して攻め上がってくる。
 対してこちらはもはや浮き足立っている。

「せ、先輩! どうします?!」

 匍匐で敵陣に侵入する予定だった服部。
 前進するタイミングを失い、焦りのにじむ声で東雲にすがる。

「ヒット~」

 さらに味方の損害。
 横で弾幕を張っていた石崎が、手を挙げてセーフティーに戻っていく。
 これで三対六。
 敵の勢いは留まること知らず、さらに前進を続けている。
 うつ伏せで両手に持ったスコーピオンを握り直す服部。
 東雲も89式を構え直すと、腰を浮かせた。



1341時 ゲームフィールド
「関口っ! 後退! 後退しろ! フラッグまで後退だっ!」
「あいよっ!」

 東雲の声がフィールドに響き渡る。
 89式の三点射でけん制する東雲。塹壕を窮屈そうに駆ける関口。
 フィールドの中心付近まで、前進していた東雲たちのチームが、スタート地点である自軍のフラッグに戻っていく。

「守備を固めたか……」

 感慨もなくバルクホルンがつぶやく。
 相手がどう行動しようが、やることは同じ。ただ殲滅するのみ。
 不敵な笑みが浮かぶ。

「トドメを刺すぞ! 付いて来い!」

 バルクホルンの宣言に、雄叫びを上げる五人の男たち。
 彼らを従え先頭を突き進むバルクホルン。
 皆、勝利を確信していた。疑う者など誰もいない。



1342時 フラッグ前
「あいつら、もう勝った気でいやがるな。サバゲってもんを教育してやる!」
「ガッハッハッハッ、いいね! しのちゃん、たまにこういうゲームもいいよ!」
「そーだろ関口! やっぱりサバゲはこーでなくちゃ面白くねぇよな!」

 白い息を吐きながら、笑い合う東雲と関口。
 二人とも分かっていた。バルクホルンを倒したとしても、その後は物量で押されて負けると。たとえ三対五に持ち込めたしても、逆転勝ちするのは難しい。せいぜい時間切れの引き分けが関の山だろう。そもそもバルクホルンを、倒せるかどうかも怪しいのだ。
 だから、せめてバルクホルンを倒して、一矢報いたい。

「来たぞ! 左、任せた!」
「おうっ!」

 塹壕から銃口のみを突き出しての射撃。
 当てることを目的とせず、近付けないことを目的とした牽制射撃。
 案の定、バルクホルンだけが、弾幕を掻い潜って前進してくる。
 一人だけ突出した。

「来い! バルクホルン! 勝負だ!」
「いい覚悟だ東雲! 往くぞ!」

 安っぽい東雲の挑発。しかし、勝負を挑まれれば、逃げないのがバルクホルン。
 東雲の潜む塹壕に適切な射撃を実施。反撃を許さない。
 対する東雲は頭を出すことも出来ず、照準を定めることも出来ない。銃口のみを突き出し、適当にBB弾をばら撒き、威嚇することしか出来ない。

「くそっ!」
「どうした東雲! 口ほどにもないぞ!」

 あらぬ方向に飛んでゆく東雲のBB弾を尻目に、前進を続けるバルクホルン。

「関口、そっちは?」
「大丈夫だ! こっちから来るのはいねぇ」

 積み上げた雪のブロックを盾に、関口から戦況を確認。
 その間にもバルクホルンが放つBB弾が、風切り音と共に頭上を飛び越え、別のBB弾が雪の塹壕を削り取っていく。
 着弾するたび、雪の結晶が舞い踊る。
 関口は健在。バルクホルンに追従する敵はナシ。
 雪のブロックの影から、片目だけで様子を伺う。バルクホルンの位置を確認。

(あと少し……)

 待つ。
 ただひたすらに塹壕に身を潜めて。
 待つ。
 反撃さえも許されず、攻撃に耐えながら。

「どうしたバルクホルン? 俺はまだ生きてるぞ!」
「ほざけ東雲! 手も足も出ないではないか!」
(もうちょい……)

──コーン

「!?」
「ふっ」

 軽やかな音を立て、BB弾が東雲のヘルメットを叩く。
 完全に身を隠した状態での被弾。
 事態を理解出来ず、呆然とする東雲。横にいた関口も何があったのか理解出来ず、唖然としている。
 しかし、BB弾がヘルメットを叩く音は、聞き間違えようも、誤魔化しようもない。

「ヒ、ヒット?」

 呆然としながらも、刷り込まれたルールに従い、口から言葉がこぼれる。
 ゆっくりと手を挙げ、立ち上がる。
 そして東雲は見た。
 雪の壁を貫く、一本の穴を。

──貫通

 バルクホルンが放ったBB弾が、通った跡。
 積み上げた雪を突き破り、その裏側にいた東雲に当てたのだ。

(ウソくせぇ……)
「どうだ東雲? 私に戦いを挑むのは早かったのではないか?」

 勝ち誇るバルクホルンが、さらに歩を進める。
 呆然と穴を見つめていた東雲。
 しかし、近付いて来るバルクホルンを認めると、口の端が吊り上がる。
 そう、ゲームは終わっていない。

「?」
(獲った!)

──1発
──2発
──3発
──4発
──5発

 1m以下の至近距離、それも真横から撃ち出されるBB弾。けたたましいスコーピオンの射撃音と共に、バルクホルンのポンチョを跳ね回る。

「なっ!?」

 驚愕に見開かれるバルクホルンの瞳。
 その目は己が身に起こった事を理解していない。

──伏兵

 ただ一人。
 身を潜め、息を殺し、耐えていた。
 東雲と関口の役目は『餌』。バルクホルンを釣り出すための見える餌。そして『仕掛け』が服部。フィールド中心付近に残り、バルクホルンが目の前に飛び込むのを待つ。
 バルクホルンの進撃路で待ち構えていた、服部。
 この狩場に誘い込むために『後退』してみせた。
 服部の背後を守るため、関口に弾幕を張らせた。
 存在を隠し、注意をそらすため東雲は挑発した。
 全てはこの一瞬のためだけに。

「俺の勝ちだね、バルクホルン♪」
「ぐっ……」

 歯噛みと共に、顔を背ける。
 サバイバルゲームでは、職業軍人は確かに強い。
 日々訓練に励む彼らは、その運動能力において一般的なサバゲーマーを凌駕する。
 また、銃器の専門教育を受けた、彼らの射撃能力は非常に高い。
 しかし、倒せない訳ではない。
 軍人とは言え同じ人。油断もすれば、間違いもする。
 アドバンテージはあれど、覆せないものではない。『戦場』であれば覆せないアドバンテージも、『サバイバルゲーム』であれば、覆すことは十分に可能。
 ましてや、バルクホルンは『航空歩兵』。空での戦いに慣れてはいても、地上戦に慣れていようはずもない。

 最終的にこのゲームに東雲たちは負けた。いくらバルクホルンを倒したとは言え、敵の数的優位は崩せず、全滅。
 それでも、バルクホルンを倒したことは、東雲を満足させる結果だった。
 そして東雲はまだ気付いていなかった。
 『トラの尾』を踏んでしまったことに。



[26044] トゥルーデ 怒りの馬走 3
Name: アルテン◆9a73cf91 ID:e15ac0d0
Date: 2011/05/22 23:19
1522時 セーフティーエリア
「そろそろ最後にしようか」

 日も傾き薄暗くなったフィールド。
 気温もさらに下がって-17℃。このあたりで今日は限界だろう。持ってきた薪も全て、火にくべてしまった。
 あの後のゲームはバルクホルンが、鬼神の如き戦いぶりで、無双。東雲たちの連戦連敗。特に東雲はバルクホルンに執拗に狙われることになった。

「いつも通り、『キツネ狩り』な」

 『キツネ狩り』は『キツネ』と『狩人』に分かれて行う、サバゲのゲームバリエーションの一つ。
 キツネ側はあらかじめフィールド内に潜伏し、狩人を迎え撃つ。
 対する狩人側は、どこかに潜んでいるキツネをあぶり出し、仕留める。
 基本、キツネは少なく、狩人の数は多くして行う。戦力比はその日の参加人数、銃の性能、サバゲーマーの強さなど、諸々の要素を加味して決められる。
 また、キツネはフルオート(連射)での射撃が可能だが、狩人はセミオート(単発)でしか射撃出来ない。
 手練のサバゲーマーであれば、1対10の戦力差を跳ね返すこともある。

「キツネやりたい人~」
「…………」

 反応が無い。
 そもそもこのゲーム、『キツネ』役は人気がない。
 『キツネ』になれば、当然3~5倍の人数と戦わなくてはならない。ゲームの名前通り、『キツネ』は狩り尽くされることのほうが多い。キツネが戦力差をひっくり返して勝つのは難しいのだ。
 そこに加えて、今日はバルクホルンがいる。
 何であれ、バルクホルンの敵にはなりたくないという思いが、皆の動きを慎重なものにする。
 そして当の本人は、ゲーム内容がよく分からないので、動かない。

「仕方ないか……」



1528時 フィールド中心部
「東雲、作戦どうする?」

 結局、キツネ役に決まったのは東雲と四年の石崎。そして一年の吉田の三人。
 三対九のゲーム。
 狩人側のスタート地点であるセーフティーエリアから十分に距離を取ると、作戦会議を始めた。ここなら木立が邪魔して、見えることはない。
 始めから好きな場所に陣取れるキツネは、初期配置でのアドバンテージを生かさなければ、一瞬にして負ける。また、相手を全滅させるのか、時間切れになるまで逃げるのかで、戦い方も違う。
 ただし、狩人側がスタート地点から出れないような、布陣をしてはいけない。狩人が外に出れなければ、ゲームが成立しない。

「ちょっと、やってみたいことがあるんですよね~」

 そう言ってプラスチック製のスコップを掲げて見せる。
 車に積んであったものを、わざわざ降ろしてきたのだ。
 訳が分からず怪訝な表情を浮かべる石崎と吉田。
 珍しく不敵な笑みを浮かべる東雲だった。



1538時 セーフティーエリア
「準備いいですか?」
『いつでもどうぞ~』
「じゃ、行きま~す」

 荒井がトランシーバーで、石崎に連絡。
 準備が整ったことを確認すると、ゲームフィールドへと踏み込む。
 静まり返ったフィールド。
 網の目のように掘られた雪の塹壕。そのどこかに東雲たちキツネが潜む。

「どうします?」
「三人づつに、分かれて進もう」

 警戒。
 横一列、足並みを揃えた前進。フィールドの両端と中央から三人で一組のグループになって進む。
 通路の陰、タコツボを一つ一つ確認しながら。

「居たか?」
「今んとこ見えない」
「こっちにもいない」

 バルクホルンたち狩人はフィールドの三分の二まで前進したが、東雲たちは未だ姿を現さない。
 これまでのところ、探し漏らした場所は無い。

「ん~、トーチカにこもったかなぁ?」

 狩人側から見て、一番奥まったところに掘られたトーチカ。
 やや小高い所に、うずたかく積まれた雪の壁。要所要所に銃眼まで掘られている雪の陣地。
 フィールドに対して撃ち下ろしが可能で、防御も固い。トーチカへと続く通路も一本しか掘られておらず、攻めるには厄介な場所に仕上がっている。

「油断するな。まだあそこに居ると決まった訳では……」
「でっ!? ヒット!」
「ヒット! くそっ!」

 注意を促そうとしたバルクホルン。
 しかし、それは間に合わなかった。

──トーチカからの狙撃

 銃眼から突き出たM14。
 バルクホルンの隣にいた関口と荒井を、瞬く間に撃ち倒す。

「ヒット」

 石崎がトーチカ入り口からSCARを乱射。狩人を削る。
 さらにM14の隣の銃眼から、東雲の89式が現れると、フルオートでBB弾の雨を降らせる。
 キツネ側は完全に引き篭もる体勢。
 狩人側はうかつに前進出来ない。塹壕に伏せ、しゃがみ、キツネ側の攻撃をやり過ごす。

「岸本……岸本」
「何よ、服部ちゃん?」
「ここで突入に成功すると、俺らカッコよくね?」
「おおっ! バルクホルンさんにイイトコ見せようってか?」

 服部の提案に、思わずその後の展開を妄想してしまう岸本。

『良くやった、お前たち。騎士十字章ものの武勲だ。だが、あいにくと勲章の持ち合わせがない……だから、これで許して欲しい』

 キュッとバルクホルンに抱きしめられる岸本。
 妄想終了。
 だらしなく頬が緩む岸本。服部も似たような妄想をしたのだろう。こちらも頬が緩んでいる。

「よーしっ! やるか!」
「さすが! 突撃! 突撃!」

 言うが早いか、立ち上がるとトーチカ目掛けて猛ダッシュ。
 二人が縦一列になって突撃開始。

「あっ!? 待て、お前たち!」
「痛っ! ヒット……」
「うぉちゃぁ!? ヒット! ヒット!」

 SCARと89式の十字砲火で、あえなく玉砕。戦果もナシ。
 手を挙げてトボトボとセーフティーに戻ってゆく。
 後に岸本は語る。

「あの時の、バルクホルンさんの冷たい視線が、忘れられません……」



1549時 ゲームフィールド
(このままでは時間切れ……)

 バルクホルンの顔が、苦虫を噛み潰したものになる。
 数で劣る東雲たちは、その後も健闘し、今や二対三にまで持ち込むことに成功。M14と89式が交互に火線を形成し、狩人の進撃を阻む。
 わずか三人にまで減らされた狩人。トーチカを攻めるには、今一つ打撃力に欠く。

(止むを得んか……)

 深呼吸を一つ。
 頭を出さず、膝を着いたまま、塹壕内を横に滑る。射点を移動。
 立ち上がり、銃眼にBB弾を一発だけ撃ち込むと、再び塹壕に身を隠す。

「ヒ、ヒット~」

 遅れて聞こえたのは吉田の声。
 トーチカからの銃声が止む。
 残るは東雲ただ一人。
 だが、

(撃ってこないだと?)

 トーチカの銃眼から、突き出たまま微動だにしない東雲の89式。
 何か様子がおかしい。

(誘っているのか……?)

 試しに撃ち込んでみるが、反応が無い。

「バルクホルンさん、どうします?」
「……私が突入してみる。二人はここで援護してくれ」

 バルクホルンはゆっくりと立ち上がると、慎重にトーチカへと歩を進めた。



1549時 ゲームフィールド
「なあ、伊藤……援護って、ここで構えてればいいんかな?」
「いいんじゃないかなぁ? ここでって言ってたし……」

 いつでもトーチカに射撃できるようにと、エアガンを構え続ける二人。通路に沿って縦に並ぶ。
 伊藤と竹下。
 何とも暢気な会話。
 バルクホルンを見ると、ちょうどトーチカの入り口に取り付いたところ。慎重に中の様子を伺っている。

「やっぱり、あれ待ち伏せだよな?」
「うん」
「大丈夫かな?」
「どうだろう?」
「二、三発撃っといたほうが、いいのかな?」
「!?…………」
「…………?」
「…………」
「伊藤?」

 銃口と視線を、トーチカに向けたままの会話が途切れる。
 伊藤からの返事が無い。

「伊藤、返事ぐらい……!?」

 竹下が振り向く。
 視界を埋めたのは、東雲の陸自迷彩とハンドガンの銃口。

「っっっっ!?!?」

 軽いパニックになった竹下に、声を出さないようジェスチャー。
 銃口を振ってホールドアップを促す。
 カクカクと頭を縦に振る竹下。ゆっくりと手を挙げて立ち上がる。
 見ると伊藤も同じように手を挙げていた。
 釈然としない顔で、セーフティーに向かって歩き出す二人。
 東雲がどうやって背後に回り、いつの間に近付いて来たのか、分からない。



1550時 トーチカ
「動くなっ! ……なっ!?」

 トーチカ内部に踊り込むバルクホルン。
 しかし、そこに東雲の姿は無い。89式が残されているだけ。
 何度見直してもいない。
 銃眼から突き出された89式は囮。東雲がトーチカにいると思わせる罠。
 トーチカにいた吉田が、M14と交互に、時には両手で撃っていたのだ。

「東雲! どこだ! 出て来い!」

 バルクホルンの怒声。

──こんな単純な罠にかかってしまった

 そんな自分が許せない。
 そして罠を仕掛けた東雲に対する怒りが、沸々と煮えたぎる。

「東雲はここにはいない! まだどこかに隠れて……!?」

 トーチカをやや下ったところにいる二人。竹下と伊藤に警戒を促す。
 が、二人の姿はそこにはない。
 手を挙げ、セーフティに向かって歩く後姿。
 それで何が起きたのかを理解した。
 次の瞬間には、銃を構え、引き金を引き絞る。

「シ、ノ、ノ、メーっ!!!」



1551時 ゲームフィールド
(!? がっ!? のぉ!? っ!?)

 周囲の雪の壁を、BB弾が次々と突き破る。
 腹這いのまま後ずさる。
 竹下と伊藤を倒し、移動をしようとした矢先の、バルクホルンの先制攻撃。
 バルクホルンは、東雲の姿を確認した訳ではない。「この辺りにいるに違いない」と言う予測の元に撃っている。
 云わば『当てずっぽう』。
 しかし、それはただの『当てずっぽう』ではない。軍人としての『経験』と『勘』に裏打ちされた『当てずっぽう』。事実、手当たりしだいに撃ち込まれたBB弾は、東雲をかすめ、その周囲に着弾している。

(逃げっ、逃げないと!!)

 腹這いから四つん這いへ。
 猿のような体勢で、塹壕を駆け戻る。
 が、慌てるあまり、頭は上がり、姿勢を低くし切れない。積み上げた雪の隙間から、緑のヘルメットがチラチラとのぞく。

「そこかっ!!!」
(バレたぁぁぁぁぁぁ?!)

 伏せる。
 当たらないことを祈り、頭を低く。
 しかし、弾が飛んでこない。
 聞こえるのは、弱々しいモーターの音だけ。

(バッテリー切れか!?)
「くっ!」

 バルクホルンの視線が、東雲から外れた。

(今だっ!)

 東雲はヘルメットを脱ぐと、雪の壁に突き刺す。
 T字路の分岐点に掘られたタコツボ。
 バルクホルンから見ると、東雲はタコツボにこもったように見える。ヘルメットはそう見えるように置かれた囮。
 東雲自身は腹這いになって、ハンドガンを構え直す。頼れる物はエアコッキングのP226、ただ一丁。
 正面にはタコツボ。右から左へと伸びる通路。そして東雲を隠し、守るようにそびえる雪の壁。

(当方に迎撃の用意あり!)

──ヘルメットを確認しに来たところを、撃つ!
 バルクホルンには『確認する』以外の選択肢はない。

「あと2分っ!」
「!」

 セーフティーから石崎の声。
 ゲームの制限時間は刻一刻と迫っている。



1552時 ゲームフィールド
(!? 何だ? これは?)

 動かなくなったG3を抱えて、移動するバルクホルン。
 残された手段は『フリーズコール』。それを成功させるためには、逃げられない距離まで肉迫し、銃口を突きつけなければならない。
 東雲を追撃すべく、移動を始めたところで、フィールド中心部に奇妙なものを見付けた。

──プラスチック製のスコップ

 そしてその傍ら、通路脇に掘られた穴。
 人一人が、すっぽりと納まるように作られた穴。いや、カマクラと言った方が的確だろう。
 周囲には内側から突き破ったように、雪の塊が散乱している。

(まさか!?)

 そのまさか。
 ゲーム開始までの短時間で、このカマクラを掘り、入り、入り口を埋め戻したのだ。
 東雲はこの中で、息を殺して潜む。あとは通り過ぎるのを待っていればいい。そうすれば、自動的にバルクホルンたちの背後に回り込める。

「おのれぇ! 東雲っ! 小賢しいマネを!」



1552時 ゲームフィールド
(来た!)

 近付いて来る。
 バルクホルンの足音が。スキーウェアのこすれる音が。
 隠れる気など無いのだろう。堂々と、一定の足音で近付いてくる。

(左からか……)

 このままなら、T字路の左側からバルクホルンが現れる。
 P226のグリップを握り直し、トリガーに指を掛ける。

「あと1分っ!」
(もう少し……あと少し……)

 足音がより鮮明に聞こえる。バルクホルンとの距離は、もう5mもないだろう。
 荒くなりそう呼吸を、押さえ込む。
 刹那、轟音が駆け抜けた。

──舞い上がるヘルメット
──砕ける雪の玉

「っ!? っ?! っ!?」

 バルクホルンが、握り固めた雪の玉で、ヘルメットを吹き飛ばす。
 東雲の脳は、瞬間、起きたことを処理できない。あんぐりと口を開け、落下するヘルメットを見続けた。
 そして、この一瞬が勝負を分けた。
 東雲の潜む路地に、飛び込むバルクホルン。勢いもそのままに、東雲の手ごとP226を踏みつける。

「ぐがぁっ!?」
「随分と手間をかけさせてくれたな、東雲」
「や、やぁ、バルクホルン……ごきげんよう……」

 恐る恐るバルクホルンを見上げる東雲。
 その表情は髪が邪魔して、伺うことが出来ない。
 同時に気付く。バルクホルンの手に、G3が握られていないことに。
 代わりに握られていた物。それは、

「バ、バルクホルン……さん……その……手に、持っていらっしゃるのは……」
「銃が使えなくなったのでな。その代わりだ」

──プラスチック製のスコップ

 バルクホルンはそれを両手で持つと、高々と振り上げる。

「あと30秒!」
「東雲、覚えておくといい……」
「ちょっ!? 待て待て待て待て待てっ! は、はなっ、話せば分かる!!」
「カールスラント軍人に……」
「ウソっ!? マジっ!? ヤーメーテー!!」
「敗北は無い!!」

 スコップは振り下ろされた。



1644時 東雲の車
「う~、まだ痛ぇ~」
「す、すまない……少し、熱くなりすぎたようだ……」

 まだ痛みの残る背中を気にしながら、東雲は愛車のハンドルを握る。
 バルクホルンも冷静さを取り戻し、助手席で小さくなっている。

「……まぁ別にいいんだけど……いや、良くないっ! ……って、別に怒ってる訳じゃなくて……あーっ、もうっ!」

 調子が狂う。
 小さくなっているバルクホルンなど、らしくない。

「……でも……何だ……どうだった? サバゲ……」
「……そうだな……訓練としては物足りなかったが、いい気晴らしにはなった」
「そっか……なら、良かった」
「なあ、東雲……この世界は良いな……戦争が現実のモノではなく、ゲームの中にしかない……」

 バルクホルンの目が、遠いものになる。

(私たちの世界も……ネウロイを倒せば……いつか……)
「あっ! そういえば、バルクホルン! 弾に魔力込めてただろ?!」
「…………何の話だ?」

 ぷいっ、と顔を背ける。

「っっっ! あーっ、もう、ちきしょう! やっぱりだよ! やり直しを要求するーっ!」
「ふっ、いいのか? 次は今回のようにはいかんぞ?」
「なっ!?!?!?」
「東雲、今日は楽しかったぞ」

 ニッと、白い歯を見せて笑うバルクホルン。
 その笑顔はまるで、いたずらを楽しむ子供のようで……。

「あーっ! もうっ、こんド畜生~っ!!」

 バルクホルンの不意打ちに、沸騰してしまう東雲。
 叫んで誤魔化すしか、手が無かった。



[26044] 爆誕!? ナースウィッチげるとちゃん!?
Name: アルテン◆9a73cf91 ID:e15ac0d0
Date: 2011/06/12 22:43
0000時 航空自衛隊 馬走駐屯地
「ん?」
「どうした? 渡辺三曹」
「はぁ、今レーダーに反応があったようなのですが……」

 オホーツク海を臨む野取岬。
 そこに建てられたレーダーサイトは、いつもと何ら変わることなく、北海道の空を見張っていた。
 今日も今日とて、当直に当たっていた渡辺。
 いつも通り、何の異常もなく、勤務時間が過ぎていくはずだった。

「どの辺りだ?」
「馬走湖付近です」
「……何も映ってないな」

 レーダーに映った光点。しかし、それが映ったのは一瞬。今は何も映していない。

「……ノイズか?」
「……ノイズですかね?」
「まぁ、このレーダーも古いからな……」
「ここも『ガメラ』にしないとダメですかねぇ」

 何の悪気もなく言った渡辺だったが、当直幹部の気に障ったらしい。

「渡辺……」
「はい?」
「お前、アレが幾らすると思ってるんだ? もしここを立て直すとなれば、その費用を国民の皆様に負担していただかねばならん。いいか? つまりは税金が使われるんだぞ? 血税がだ! 我々は国民の皆様方の投資が、無駄ではなかったと証明するために、与えられた機材を耐用年数一杯まで使い切り、最大限の効果を上げねばならんのだ! それを貴様は、ちょっと古くなっただけで、新しい機材が欲しいなどと……」
(『古い』言い出したのは、アンタだろ……)

 うんざりとした表情が出そうになるが、神妙な顔を作り続ける。

「渡辺! 自衛官としての自覚が足りん!」
「ハッ! 自覚が足りませんでした! 只今ご教授いただいたことを肝に銘じ、職務に邁進いたします!」
「よろしい! 業務に戻れ!」
「ハッ! 渡辺三曹、業務に復帰します!」

 こうして渡辺が見た光点は、うやむやのうちに忘れ去られた。



0600時 コーポ長島
「起床ーっ!」

 カールスラント軍人の朝は早い。
 時刻が6時ちょうどになったところで、東雲を起こす。
 のだが、部屋を二分するシーツ、『ベルリンの壁』の向こうからは反応がない。

「? 起床ーっ!」

 もう一度、呼びかけてみるが、やはり反応がない。
 仕方なし、シーツをめくり、東雲側に入り込む。
 案の定、そこにあったのは、だらしない東雲の寝顔。起きる気配なし。

「起きろ東雲!」
「ぅぅ~……ぁぁふぅ……」
「起きんかぁ!」
「ふがぁっ!?」

 バルクホルンの怒声が、東雲の鼓膜を揺さぶる。

「ぅぅぅぅ~……」
「目が覚めたか?」
「ねむい……だるい……」
「貴様、それでも扶桑の軍人か!」
「軍人ちげー……ふがぁぁぁぁぁ」

 盛大なあくびと共に体を起こす。
 頭がくらくらする。
 いつもより頭が重いのは、寝起きのせいだけではないだろう。

「なんか……くらくら……する」
「だらしないぞ、東雲。しゃきっとしろ、しゃきっと」
「……………………………………………」

 ぼんやりとする頭。
 ともかく目を覚ますために、顔を洗う。
 しかし、それでもすっきりしない。
 何の気なしに時計を見る。

「あの、バルクホルン? まだ6時なんだけど……」
「もう6時だ」
「何故に俺は起こされたの?」

 東雲の感覚では、6時は起きる時間ではない。

「何を言っている。朝の偵察の時間だ」
「あ~、ゴメン。そうだった……」

 もはや日課になりつつある『偵察』。
 バルクホルンが出現した『馬走湖』と、着陸した『農道』の二箇所を、朝と夜の一日二回見て回る。
 しかし、今のところ何の変化もなく、手掛かりになるようなものは見付かっていない。ましてや、ストライカーユニットによる飛行が出来ない。そのため、バルクホルンが出現したと思われる『馬走湖上空』は、地上からのこまめな観測だけが頼りだ。
 地上の捜索範囲も広げたが、成果は挙がっていない。

「まぁ、いい。早く仕度を……」
「zzz…………」
「寝るなぁー!」
「ふぁがっ?! ごめんごめん……」
「立ったまま寝るんじゃない!」

 東雲がよろける。
 猛烈な睡魔とダルさ。立っているのもつらくなってきた。
 その上、

「っっっっ!? ねぇ、バルクホルン。今日はいつもより寒くない?」

 寒気がする。

「? そんなことはないだろう。ヒーターもちゃんと動いている」

 タイマーで起動したヒーターは、正常に作動中。今も温風を出し続けている。
 ヒーターはバルクホルンの起床時間の前から、動いているので、部屋は十分に暖められている。

「ん?」

 怪訝に思ったバルクホルン。ずいっと近付くと、右手を東雲に伸ばす。

「なっ!?」
「逃げるな」
「ぁ……ぁ……」

 後退り、逃げようとする東雲。しかし、バルクホルンの言葉で、固まってしまう。
 動けない。何故か動けなくなった。
 バルクホルンの右手が、東雲の額に触れる。左手は自分の額へ。
 少しひんやりとしたバルクホルンの右手が、火照った体に心地よい。

「…………」
「ぁぅぁぅぁぅぁぅ……」

 近い。
 近すぎる。
 東雲のすぐ鼻先には、バルクホルンの頭。彼女の髪の香りが、東雲の鼻孔をくすぐ……らない。

──鼻が詰まっている

 しかし、東雲には余裕がない。
 バルクホルンに触られているというだけで、思考停止。高まる鼓動。上がる体温。紅潮する顔。

「ん? ……ん~、熱があるな」
「ぁ、ぁ、ぁ、ぁ……」
「今日は無理だな。寝ていろ」

 すっ、と離れるバルクホルン。
 オーバーヒートしてしまった東雲。言われるがままに布団まで歩くと、軟体動物のように崩れ落ちてしまった。



0730時 コーポ長島
「食べられるか?」
「うん、まぁ、なんとか……」

 そう言ってはみたものの、なかなか喉を通らない。
 茶碗に盛られた雑炊。
 先程から半分も減っていない。
 体温計で測り直した体温は38度5分。そのせいか食欲も起きない。

「……ごめん、やっぱり食べられそうにないや……」
「そうか、まぁ仕方あるまい。大人しく寝ていろ」
「うん……あっ、バルクホルン。薬取ってもらっていいかな?」
「薬? どこにある?」
「そこの棚の一番上のところに」

 東雲が、一つのカラーボックスを指差す。

「これのことか?」
「うん」

 一番上の段にあった小瓶をつまむと、そのまま東雲の前に置いた。

「ありがと……ありゃ? これしかないや」

 市販の風邪薬が入った小瓶。
 しかし、中には一回分の錠剤しか入っていない。

「足りないのか?」
「足りないというか、これ一回分で終わり……あっ、足りないか……」

 やはり頭が回っていない。
 とりあえず、残っていた錠剤を、水と共に飲み下す。

「大丈夫なのか?」
「ただの風邪だろうから、一日寝てれば大丈夫だよ」

 少し心配そうに尋ねるバルクホルン。
 心配させまいと、笑顔を作る東雲。しかし、それはバルクホルンを安心させられる顔ではなかった。



1142時 コーポ長島
「東雲、起きているか?」

 小さな声でバルクホルンが呼びかける。
 だが、東雲からの返事はない。
 そっと、東雲の顔を覗き込む。
 薬が効いてきたのだろうか。朝よりも幾分落ち着いた寝顔。
 起きる気配は無い。

「…………」

 ちゃぶ台に載せられたままの空の薬瓶。
 つまみ上げると、ジャンパーのポケットに入れる。
 下も既に綿パンに着替えている。そのポケットに東雲の財布をねじ込む。
 外出準備は完了。
 バルクホルンは音を立てないよう、静かに部屋を出た。



[26044] 爆誕!? ナースウィッチげるとちゃん!? 2
Name: アルテン◆9a73cf91 ID:e15ac0d0
Date: 2011/06/19 22:11
1208時 歩道
(この方向で合っているはずだが……)

 一人、雪道を歩くバルクホルン。
 機械できれいに除雪された歩道。アスファルトこそ出ていないが、雪は平らに整えられ、歩きやすい。
 東雲のアパートを出て、住宅街を歩き続ける。

(見えた。あの通りだ)

 前方に見えてきたのは、片側二車線の道路。
 数多くの車が行き交う、馬走でも交通量の多い道路。
 その道路に沿って、さらに歩く。わずかな記憶を頼りに。



1234時 City
「これが、『スーパーマーケット』というものか……」

 バルクホルンの目的地。
 スーパーマーケット「City」。
 先日、物干し竿を買いに来たホームセンターの脇に建てられている。その時は外から見るだけだったが、東雲からは「大概の食品が揃っている」と聞かされていた。
 店内に足を踏み入れると、そこには山と積み上げられた、食料品の数々。
 思わずその物量に圧倒される。

(そのカゴを使えばいいのか……)

 しばし店内を観察。
 見れば買い物客は、皆一様に同じカゴに商品を入れている。
 東雲と一緒に行った、コンビニと同じ要領であると悟る。
 財布の中身を確認。
 下着を買いに行った時、東雲から受けた、金額に関するレクチャーを思い出す。
 他の客に倣い、買い物カゴを手に取ると、青果物のコーナーに足を向けた。



1255時 コーポ長島
「バルクホルン……?」

 朝食のあと、横になっていた東雲。
 まともに朝食を食べられなかったこともあって、空腹で目を覚ます。
 そして部屋を見回してみると、バルクホルンがいなかった。
 布団から這い出る。
 部屋のどこにもいない。

「まさか!?」

 朦朧とする頭で玄関へ。

──バルクホルンの靴がない

 もう一度、部屋を見回す。
 バルクホルンの布団の脇には、きれいにたたまれたままの軍服。
 それを見た時、何故だかほっとした。
 出て行った訳ではない。出掛けただけだと理解出来たから。
 だが、そうなると

──何処に行ったか分からない

 バルクホルンは携帯を持っていないので、連絡の取り様がない。

「がーっ! 考えろ! 考えろ俺! いや、待て。その前に落ち着け。先ずは落ち着こう……」

 深呼吸一つ。
 しかし、朦朧とする頭とふらつく体。落ち着くどころではない。

(……そうだ、腹が……腹が減ってるから、頭が回らないんだ……)

 フラフラと冷蔵庫まで歩み寄り、中を覗く。
 入っていたのは、調味料とチューハイの缶だけ。食い物がない。今朝の朝食で尽きたらしい。
 炊飯器も空。炊くしかないが、それすら億劫。
 仕方ないので、食い物のことはあきらめる。
 そうこうしているうちに、目まで回ってきた。危なっかしい足取りで、布団まで歩くと、そのまま倒れこむ。

「バ、バルクホルン……どこに……行ったんだぁ……」



1301時 スーパーマーケット City
「おんや? あれ、バルクホルンさんじゃね?」
「あん?」
「あっ、ホントだ」

 買い物をしていた山崎、小泉、中川の創作研女三人衆。
 講義が午前中で終わったため、これから『腐女子会』でも、と、買出しに来ていた。
 見るとバルクホルンが一人、買い物カゴを持って、売り場を右往左往している。
 なんとなくほっとけない感じがしたので、声を掛けてみる。

「バルクホルンさん」
「ん? あ、ああ、お前たちか」
                                      
 しかめっ面で商品を物色していたバルクホルンだが、見知った顔を目にして、表情が和らぐ。

「東雲は一緒じゃないの?」
「ああ、そのことなんだが……」

 東雲が風邪をひいたこと、食料品が尽きたことをざっと説明する。

「なるほど。それで今日の講義に来なかった訳だ」
「ふむふむ、その上買出しまでしていると」
「いい~話だなぁ」

 三人がバルクホルンのカゴを覗き込む。
 入っていたのはジャガイモと馬鈴薯と二度芋。それとアスパラやニンジンなどの野菜と、肉。加工食品の類は一切入っていない。

「何か随分ヘルシーですよ。奥様?」
「この場合は『本格的』じゃね?」
「これだけでいいの?」
「あー、実は、その……字が読めなくて、だな……」
「え? 日本語がこんなにペラッペラッなのに?!」

 三人が驚き、顔を見合わせる。
 少し恥ずかしそうに顔を背けるバルクホルン。
 確かにカゴの中は、見れば『コレ』と分かるものしかない。
 加工品の方もパッケージを見れば、ある程度までは分かるのだが、字が読めないために、どのような処理が施してあるのか、確信が持てなかったらしい。

「よし! ここは私らが一肌脱ぎますか!」
「さすが山崎!」「うん、いいんじゃない」
「え?」
「私らが、買い物に付き合うよ」
「本当か? その……助かる」

 頼もしい声で請け負う山崎。
 ほっと安堵するバルクホルン。

「で、あと何がいるの?」
「とりあえず、鹿肉を……」
「んなモン無ぇ」

 バルクホルンの要望を聞き、四人で売り場を回る。
 こうなれば後は早い。今までの苦戦がウソのように、カゴが品物で満たされてゆく。日本のスーパーにはないものも多々あったが、とりあえずは希望の品を一通り揃える事が出来た。



1337時 スーパーマーケットCity 入り口
「こんなもんかな?」
「ああ、十分だろう。すまなかったな。恩に着る」

 無事、買い物を済ませたバルクホルン。
 晴れやかな顔で、買い物袋を掲げて見せる。

「いえいえ、どういたしまして」
「そうだ。コレがどこに売っているか教えてもらえないか?」

 何か思い出したバルクホルン。
 ポケットから小瓶を取り出すと、山崎たちに見せる。

「風邪薬?」
「それだったら、すぐそこの薬屋にあるよ」

 ここから徒歩数分のところに、ドラッグストアーがあることを教えてもらうと、足早に向かおうとする。

「あっ、待った。バルクホルンさん」
「ん?」
「ここまでどうやって来たの?」
「? 歩きだが」

 山崎たちが、再び顔を見合わせる。

「東雲ん家からここまで、歩きだと結構かからない?」
「だよなぁ。意外に距離あるはずだよな?」
「50分ちょっとかかったな」
「ごっ!?」

 外を見る。
 パラパラと降り出した雪。気温は-10℃近く。
 改めてバルクホルンを見る。
 パンパンに膨らんだ、スーパーの買い物袋が二つ。

「……あー、バルクホルンさん。また、歩いて帰るの?」
「ああ、そうだが」
「……私たち車で来てるから、乗ってきなさい」
「いや、そこまでしてもらっては、お前たちに迷惑というものだろう。それにまだ薬を買わなくては……」
「い、い、か、ら! それに一人で薬屋行っても、日本語読めないでしょ!」

 山崎の剣幕にたじろぐ。

「そ、そのすまない。……では頼めるか?」

 少しはにかんだように答えるバルクホルンだった。



同時刻 コーポ長島
 その頃、東雲は

「……バル……バルクホルン……バ……」

 うなされていた。



[26044] 爆誕!? ナースウィッチげるとちゃん!? 3
Name: アルテン◆9a73cf91 ID:e15ac0d0
Date: 2011/06/26 23:11
1411時 コーポ長島
「ぶはぁっ!」
「ん? 起きたか」
「おっはー」「よう」「邪魔してるぞ」

 うなされ続けていた東雲が、布団から跳ね起きる。
 荒い呼吸を繰り返しながら、声がした方を見た。
 そこにはコーヒーをすするバルクホルンと、お菓子を貪り食う山崎、小泉、中川の姿。
 ちゃぶ台を囲み、お茶会をしていたらしい。

「バルクホルン!? どこ行ってたんだ?! 心配して……おふぅ……」

 布団を出て、バルクホルンに詰め寄ろうとするが、目が回って立ち上がれない。

「無理をするな」

 バルクホルンは、近付くと布団を直してやる。

「食料がなくなっていたので、買出しに行っていただけだ」
「そ、そう……」
「何を心配していたんだ? ちゃんと書置きもしていっただろう」
「書置き?」
「これだ」

 枕元に置かれていた紙切れを、摘み上げると、東雲に見せる。

「読めるかー!」

 そこに踊る文字はバルクホルンの母国語。
 当然、読める訳もない。

「読めないのか?」
「ったく、うるせーぞ、東雲」
「そーだよ! ってか、何でお前らがここにいる!」

 横になったまま、山崎たちを指差す。

「だから、うるさい。バルクホルンさんの買い物手伝ってやったんだぞ」
「え? そうなの?」
「ああ。彼女たちのおかげで、無事、食料品を入手出来た」
「そうそう、偶然Cityで会ったんだよ」
「だから感謝しろー」「しろー」
(うわっ、ウゼェ……)

 バルクホルン単独での外出にも関わらず、トラブルが起きなかったのは、山崎たちが面倒を見てくれたからだと理解。そこだけは素直に感謝しなくてはならない。
 だが、

「それは分かった。ありがとう。で、何で俺ん家でお茶会なんてやってんだよ?」

 それが分からない。
 何故わざわざ病人の家でしなくてはいけないのか?

「はぁ? バルクホルンさんに招待されたんだよ」
「へ?」
「その通りだ。何か礼をと、思ったのだが、出来ることが他に思いつかなくてな。それにお前の見舞いもしたいと言うのでな」
「そうそう。ついでに、あんたの見舞いも出来るし」
「ついでかよ!?」

 ニヤニヤと笑って答える山崎。
 反射的に突っ込むが、熱のせいかキレがない。

「それはそうと、熱は下がったのか?」

 喚く東雲に呆れながら、バルクホルンが手を伸ばしてくる。

(!? マズイ! 今、バルクホルンに触られたら……それをコイツらに見られたら……)
「どれ」
「バ、バルクホルン! 朝よりも下がったよ! だいぶ楽になった! だから……ひゃっふぅ……」
「っ!」「っっ!!」「っっっ!!!」

 東雲のたわ言など聞かず、額に下ろされるバルクホルンの手。
 一瞬で真っ赤になる東雲の顔。
 声を噛み殺し、笑いを堪えながら、その顔を眺める山崎たち。

(ちくしょう! やっぱりこいつらバルクホルンをダシに、俺をイジリに……)
「ん? まったく下がってないじゃないか」

 こちらの都合などお構いなし。
 とんだ醜態をさらしてしまった東雲。
 今の山崎たちの反応を見せれば、バルクホルンも自重してくれたかもしれない。しかし、山崎たちはバルクホルンの背後。彼女からは見ることは出来ない。

「少し待っていろ」

 立ち上がり、流し台へ。
 蛇口をひねると、洗面器に水を張る。
 その間も、山崎たちは東雲を指差し、笑いをかみ殺している。

(こいつら……憶えてやがれ……)

 歯噛みして堪えるが、羞恥に染まった真っ赤な顔では、余計に笑えるだけである。

「まったく。世話の焼ける」

 ぼやきながらも、水の張った洗面器とタオルを用意してくれたバルクホルン。
 気が付くと足元の方でタオルを絞っていた。
 その姿に、じ~んと心打たれる東雲。
 大学に入り、一人暮らしを始めてから、他人に看病してもらうことなどなかった。
 だが、今は違う。

──バルクホルンが看病してくれる

 それが何と嬉しいことか。
 今まで『咳をしても一人』だったのだ。心打たれぬはずがない。

「バルクホルン……ありがとう……」

 感極まり、目頭が熱くなる。
 今のバルクホルンの姿を見れば、自分の醜態を山崎たちに見られることなど、瑣末ごとにしか感じられぬ。
 もはや他人の目などどうでも良い。ただただ『感謝』の一語に尽きる。
 そして山崎たちも何を得心したのか、神妙な顔で頷き合っている。

「気にするな。こちらは居候の身。せめてもの恩返しだ」

 バルクホルンはそう言って、二枚目のタオルを絞り終えると、顔を上げた。

(ん? 二枚?)

 額に乗せるのであれば、一枚で足りる。
 予備だとしても、絞るのが早すぎる。
 タオルを二枚絞る意味を理解しかね、怪訝な表情になる東雲と山崎たち。
 だが、それ以上考える時間は与えられなかった。
 おもむろに布団を、それも足の方をめくるバルクホルン。

「なっっっ!?」

 こちらの理解の範囲外の行動に、東雲たちの思考は追い着かない。
 抗うことも出来ず、いや、抗おうとする前に、バルクホルンはパッパッと次の行動に移ってゆく。
 東雲のズボンをたくし上げ、すねが露わになる。

「バ、バルクホルン!? 一体何をぉぉぉぉぉ!?」

 バシッといい音を響かせ、むき出しの右すねに貼り付けられる濡れタオル。

「ちょっ!? 待てぇぇぇぇぇぇ!?」

 さらにもう一枚の濡れタオルも、左のすねに貼り付ける。

「これでよし!」
「『よし』じゃ、ねぇー!」

 東雲の両足には、バルクホルンによって貼り付けられた濡れタオル。
 先程までの感謝の念など、もはや消し飛んでしまった東雲が吼える。

「どうした東雲? 大人しく寝ていろ」
「どうしたもこうしたもあるかぁっ! 普通『それ』は頭に載せるものであって、断じて足に載せるものじゃなーいっ!」
「頭だと? 何を言っている。普通は足に載せるものだ!」

 足に載せられた濡れタオルを指差し、必死の抗弁を試みる東雲。
 眉間にしわを寄せ、怪訝な表情になるバルクホルン。
 もはや我慢の限界と、笑い転げる山崎、小泉、中川の三人。

「ぶっははははは足っ?! 足っ!」「あっ、ありえねぇぇぇひゃっひゃっひゃっ」「あはぁはははは東雲のあの顔っ!」
「な!? 何だ!? お前たちまで?!」

 戸惑う。
 これ以上ないくらいに狼狽するバルクホルン。
 普通に看病したはずなのに、何故か笑われている。その理由が分からない。

「バルクホルンさんの国では、足に載せるの?」
「私の故郷ではこうする。ここは違うというのか?」

 やや険しい顔で、バルクホルンは皆を見回す。
 東雲はそこでやっと気付いた。
 バルクホルンがふざけていないことに。真面目に看病してくれていることに。
 そして皆とバルクホルンを隔てるものの正体に。

──異文化

 そもそもバルクホルンは『異国』の人間だ。
 さらに言えば、住んでいる次元も違ったのだ。
 で、あるならば、東雲たちの知らない方法で看病したとしても、何ら不思議なことではない。
 だから、東雲はやさしく、諭すようにバルクホルンに話す。

「バルクホルン。『こっち』では、おでこに載せるんだ」
「そう……なのか?」
「うん」

 やさしく、まるで幼子に話すように。
 バルクホルンの顔から、険しさが取れてゆく。

「そう……か」
「うん」
「だが、額に載せるよりも、この方が効果的だ。そのままでいろ」
「ちょ!? 待て待て待て待て待て! んな足丸出しじゃ、寒くて余計悪くなっちゃうよ!」
「そんなことはない!」
(やべっ! 意固地になった!?)
「そんなに冷えると言うなら、今、暖まるものを作ってやる!」
「へ?」

 肩をいからせ、再び流し台へと向かうバルクホルン。
 小さめの鍋を取り出すと、ガステーブルに載せる。そしてスーパーの買い物袋をあさりだした。

(な、何を作るんだ……)

 東雲の脳裏に一抹の不安。
 何か想像も出来ないような、おぞましいものが出てくるのではないかという恐怖。
 そんな考えが、東雲の頭をグルグル回る。
 だが、そんな思考も山崎たちの笑い声で遮られた。

「だーはっはっはっはっは、良かったなぁ東雲! ちゃんと看病してもらえて!」「うらやましいなぁ~。ひゃっひゃっひゃっひゃっ」「ホントホント。ぷっ……くっくっくっくっく」
「うっせーぞぉ! バカぁ!」

 思わず涙目で返す東雲。
 山崎たち三人の声が、頭に響く。何とも騒がしい。女三人寄れば姦しいとはよく言ったものだ。
 だから仕方の無いことなのだ。
 バルクホルンが取り出した物を見逃しても。プルタブを開ける音を聞き逃しても。
 やかましい山崎たちに目もくれず、バルクホルンは黙々と鍋に入れた液体を温める。

「出来たぞ、東雲」
「え? あ、ああ……」

 そう言ってバルクホルンは、マグカップを突きつける。
 中には、透き通った黄色い液体が、湯気を立てている。

(何だ……レモネードか……)

 ほっと胸をなで下ろす。同時に、少しでもバルクホルンを疑ってしまった自分を恥じた。
 そして再び芽生える『感謝の念』。
 出来上がるまでの早さを考えると、市販のレモネードを温めただけなのだろうが、それでも嬉しい。
 受け取ったマグカップは、余計な熱を帯びておらず、すんなりと持てる程度の熱さ。それで中の飲み物が、ちょうど飲み頃の温度になっていることが分かる。

──バルクホルンの気遣い

 それが心に染み渡る。
 足に載せられたままの、濡れタオルのことなど、もはや頭から消し飛んでしまう。

「さあ、早く飲め。冷めてしまうぞ」
「うん……ありがとうバルクホルン」

 鼻が詰まっていたため、香りを楽しむことは出来ないが、体に優しく、暖まりそうな感じがした。
 何の警戒心もなく、『レモネード』を飲み下す。
 熱すぎず、ちょうど飲みやすい温度に温められた『それ』は、何の抵抗もなく東雲の胃に収まった。
 そして逆流する強烈な匂い。

「ぶふぉっ!?!?!?」
「そんなに慌てて飲むな。誰も取りはしない」
「な、ななななな何じゃこりゃぁー!? バルクホルンっ! こ、これは一体?!」
「『ホットビール』だ」
「「「「『ホットビール』!?」」」」

 思わず東雲と山崎たちがハモる。
 胃から食道、さらには口までさかのぼった凶悪なまでに強烈な匂い。
 香りの正体は『麦』。
 生まれてこの方、ここまで強烈な麦の香りは経験したことがない。
 冷えたビールはもちろんのこと、焼きたてのパンでさえ、ここまで強烈な匂いになりはしない。
 とにかく恐ろしいほどに『不味い』。
 流し台を見れば、確かにそこにあるのはビールの350ml缶。
 さすがの山崎たちも、コレには言葉を失った。

「な、何でビールを温めるの?! 普通は冷やすもんでしょ!」

 見た目に騙された。
 温められたがために、炭酸の抜けきったビール。
 それはもはや『透き通った黄色い液体』でしかない。
 東雲の今までの経験から言えば、『湯気を立てる黄色い液体』で思い当たるのは、レモネードかスープぐらいのものだ。だから間違えるのも無理はない。
 そして東雲の常識では『ビールは冷やす』ものである。

「冷やすだと?! 正気か!? ビールは冷やさずに飲むものだ!」

 対してバルクホルンの常識では『ビールは常温』で飲むものであり、『ホットビール』は風邪の時に飲むものである。

「ぉぉぉぉぉぉぉぉ……なんてもったいない……発泡酒じゃなくて『ビール』……『ビール』なのに……」
「もったいないと思うなら、ちゃんと全部飲め!」
「なっ!? 無理無理無理無理無理っ! これ全部とかどんな罰ゲームですか!?」
「無理なものか! クリスだって全部飲むぞ!」
「お前は妹になんてもの飲ませてんだ!」

 ちなみにドイツ国内法では、ビールは16歳から飲むことが可能で、保護者同伴であれば16歳以下でも飲んでよいとのこと。

「風邪にはこれが一番効くんだ!」
「ウソだぁぁぁぁぁ!」
「騙されたと思って、飲んでみろ!」
「もう騙されたよ!」

 駄々をこねる東雲に、怒りを募らせるバルクホルン。
 涙目で喚き続ける東雲。
 そして茶々を入れ始める山崎。

「東雲~。男だったら、どんなに不味くても、女の子が作ってくれたものは、残さないのが礼儀だぞ~」
「お前ら、この不味さを知らないから……」
「だよなー。残すとか有り得ないよなー」
「うわっ! 東雲最低ー」
「ぐっ……」

 山崎たちが好き放題に東雲を煽る。
 遊ばれていることは分かっている。しかし、反撃しようにも、今まで山崎たちに口で勝てた試しがない。たとえここで反撃に出ても、数の暴力と女の理屈で叩きのめされる。

──負け確定

「ちくしょう! 飲むよ!! 飲めばいいんだろっ!!!」

 自棄になった東雲が、マグカップに残っていたホットビールを、一気に飲み干す。

「……ぶはぁ!」
「さすが東雲!」「愛だねぇ~」「東雲カッコイイー!」
「お前ら……憶えてろ……!? げほっ! ぐほっ! ごほっ!」

 むせる。
 あまりの不味さと、強烈な匂い。見事なコンボに東雲の体は耐えられなかった。
 とにかく咳が止まらない。

「あっ、おい!? 大丈夫か!?」

 バルクホルンは素早く距離を詰めると、東雲の肩をつかむ。
 ガクガクと頭を振りながら、なおも咳き込み続ける東雲。

「ら……らいじょうぶ……」

 弱った体に、温められたアルコールが一気に駆け巡る。
 ろれつは回らず、目は回る。
 ぼんやりとする思考。

「ぁ……れ……もう……」

 限界。
 東雲の上半身が布団に沈み込む。

「おいっ! 東雲!」

──異文化
 それは未知との遭遇。
──異文化
 それは衝撃の連続。
 気を付けて欲しい。異文化コミュニケーションには罠が潜んでいるのだ!



 後日、ふと気になった東雲。
 ネットで検索してみると『ドイツ 風邪 濡れタオル』で数件、『ホットビール』では多数のヒット。あまつさえ『美味しいホットビール』の作り方や、『ホット用ビール』まで引っかかり、文化の溝を深さを思い知らされることになる。



[26044] はたらく お姉ちゃん!?
Name: アルテン◆9a73cf91 ID:e15ac0d0
Date: 2011/08/01 00:13
1448時 馬走信用金庫
「あれ?」

 金を下ろしにATMコーナーに来ていた東雲。
 いつも通りに紙幣を受け取るだけの、簡単な作業。
 しかし、この日は違った。
 タッチパネルに表示されるのは

『残高をお確かめください』

 の、無機質な文字列。

(おかしいなぁ? あと一万は残ってるはずなんだけど……)

 首をひねりながら、ATMの指示に従って残高照会。
 おおかた公共料金の引き落としで、一万を少し割ってしまったのだろう。
 そんな軽い気持ちだった。
 だが、東雲に突き付けられる現実は容赦がない。

『2193円』

 画面に表示される現実。
 預金の全額。

「あ、あれ?」

 見間違いかとも思ったが、何度見直しても表示金額は変わらない。

(金が……ない?)

 今月はめぼしいタイトルがなかったので、ゲームもアニメのBDも買っていない。
 特にオタグッズを買った訳でもない。
 大きな買い物は、何一つしていないはずだった。でも、お金だけは減っている。

(何かしったっけ? …………)

 記憶をたどる東雲。
 と、

──タンタン

「?」

 靴底が床を叩く音。
 チラと後ろを見れば、いらたただしげにこちらを見ている中年男性。その後ろには時計を気にする主婦。さらには自動ドアをくぐったばかりの青年が、携帯をいじりながら列に加わる。

(やべ……)

 気付けば列が出来ている。しかも自分が原因で。
 思考を中断すると、東雲は二千円だけを引き出し、ATMの前から離れた。



1903時 コーポ長島
(今月、何そんなに使ったかな……)
「東雲。夕飯が出来たぞ」
「あ、うん」

 考えるのを止め、バルクホルンとちゃぶ台を挟んで向き合う。

本日のメニュー
・鶏肉のソテー
・ジャガイモのポタージュ
・マッシュポテト
・アスパラとトマトのサラダ
・パン 二種

「すまんな。簡単なものばかりで……」
(……これが原因か……)

 合点がいった。
 バルクホルンが来てから、食費は単純に二倍。
 それにバルクホルンが作る食事は、東雲が作る食事に対して、はるかに豪勢。
 そこに服や、日用品等々。一つ一つの金額は大したことはなくとも、塵も積もればなんとやら。
 たかだが学生一人分の仕送りなど、あっという間に尽きてしまう。

「どうした? 食べないのか?」
「え? あ、うん。いただきます……」

 マッシュポテトを口に運ぶ。
 やわらかなジャガイモの香りが、口の中に広がっていく。滑らかで、クリーミーな舌触り。その滑らかさは、まるで雪を舌に乗せたかのよう。ジャガイモをただ潰しただけでは、こうはならない。芋を一度潰し、さらに裏ごしすることで、ジャガイモとは思えない程、クリーミーな仕上がり。イメージと裏腹に、手間がかかっている。
 他の料理にしてにも然り。
 バルクホルンは『簡単な』と言ったが、それなりの手間が掛けられている。

「美味い……」

 単純に、そんな言葉しか出てこなかった。
 東雲の中にあったマッシュポテトのイメージを、大きく塗り替える。
 一人だった時と比べ、食事ははるかに改善された。
 今まではレトルトを中心に、野菜炒めや、カレーなどの簡単に作れるものしか食べてこなかった。それがバルクホルンが調理するようになってからは、品数が増え、野菜も増え、レトルトは駆逐された。
 自分が出していた食事を思い出すと、申し訳ない気分になる。

「そ、そうか。口に合えばいいんだ……」

 安堵の言葉を漏らすと、パンをちぎる。

(い……言えない……)

 バルクホルンの料理が美味しいので、ついつい忘れそうになるが、この食事こそが東雲の財布を圧迫しているのだ。なんとしても節約してもらわなければならない。
 だが、言えない。
 ここで「食費を削って欲しい」などと言えば、せっかくの料理が逃げてしまいそうな気がして、言えない。
 当のバルクホルンは、東雲の葛藤など分かるはずもなく、うれしそうにアスパラなどつついている。

「どうした東雲?」
「え? あ、いや……うれしそうにたべるなぁ~って思って……」
「そ、そうか?」
「うん」
「んっ、まぁ……何だ……こんな真冬にアスパラが食べられるとは思わなかったからな。つい……」

 恥ずかしげに、軽く頬を染めたバルクホルンの視線が、宙を泳ぐ。
 確かにアスパラは春の野菜。国産は今の時期獲れないが、輸入品が出回っている。
 トマトは九州の温室で栽培されたもの。
 バルクホルンの時代と比べれば、生産や輸送に関わる技術が、飛躍的に発展したため、一年を通して豊富な野菜を食べられるようになった。
 だから、真冬のアスパラが余程珍しく、うれしかったのだろう。

「そういえば東雲。パンがこれで最後だ」
「え?」
「ジャガイモもなくなりそうだ」
「え??」
「また買ってこないといけない」
「えーっ???」

 ついこの間、買ってきたばかりだったはずなのに、もう食材がないという。

「どうした?」
「え……あ、あ~。うん……」

 改めてちゃぶ台に乗った料理を見る。
 十分な量の食事。
 だがこれは、今までの食生活を考えれば、過ぎたものだ。
 やはり言わなくてはならない。

「バルクホルン……」
「どうした? 先程から変だぞ?」
「あの……実は……」

 東雲は申し訳なさそうに、事情を話始めた。



1942時 コーポ長島
「金がない……だと?」
「うん……」
「私としたことが……すまない」

 バルクホルンが申し訳なさそうに、目を伏せる。

「いや、違うよ! バルクホルンは悪くない!」

 慌てた東雲が取り繕うが、納得しない。
 悪いと言えば二人とも悪いのだ。
 バルクホルンは軍に入ってからというもの、食事は支給されるものだったので、『食費』という概念が希薄になっていた。
 東雲は金の管理を怠り、調達から調理まで、食事に関わる一切をバルクホルンに丸投げしてしまった。
 双方共に確認が足りなかったのだ。
 ともあれ、『金欠』という事態に陥ったのは事実。今、重要なのは反省ではなく、現在の状況確認と、打開策の模索。
 残った食材を確認する。

米──健在
味噌──健在
パン──全滅
卵──全滅
ジャガイモ──僅少
その他野菜──全滅
麺類──パスタ一食分。他全滅

 レトルトのパックも軒並み全滅。米と味噌が残っているのが唯一の救い。

「これだけか……」
「うん……これで次の仕送りまでの、一週間ちょっとを過ごさないと……」

 東雲一人であれば、何とかしのげる。
 しかし、今はバルクホルンと二人。
 厳しい。
 バルクホルンに不自由を強いるのも嫌だったし、何よりも彼女の料理が食べられないのが嫌だった。

「東雲。軍資金はあとどのくらいあるんだ?」
「二千円ちょっと……」
「そうか……ではそれで買えるだけの食材を買って……」
「だ、ダメだよ! これはガソリン代に回さないと! 大学どころか偵察にも行けなくなる!」

 東雲の愛車は、燃費と取り回しの良さが取り柄のリッターカーではあるが、一週間を過ごすとなると二千円では足りない。
 スタッドレスタイヤはただでさえ燃費が悪くなるし、凍りついた車を始動するには、多少なりとも暖機運転をしなければならない。冬の北海道では『燃費の良さ』というメリットを十分に発揮できないのだ。

「だが、そうなると……」
「…………」

 これから一週間、食卓には白米と味噌汁だけの生活。
 わびしい。あまりにもわびしい。
 チャーハンやおじやといったバリエーション展開をするにしても、限度というものがある。一人暮らしの男子学生が作れる料理のレパートリーなど、高が知れている。
 バルクホルンにしても『パン』と『ジャガイモ』が主食の国で育ったので、米を使った料理は不得手。

「すまない東雲……私が居るせいでこんなことになってしまって……」
「ちがっ、違うよ! そんことない! そんなことはないんだ!」
「だが、私が居ることで、お前の生活が圧迫されているのは事実だ……」
「ぅ……」

 それは紛れもない事実。
 バルクホルンを引き止めたのは東雲。あの時冷静に考えることが出来れば、こういった事態が起きることは、容易に想像できたはずだ。
 しかし、それも仕方の無いことかもしれない。社会経験の足りない一介の学生に、『人一人を養うコスト』を考え、意識しろと言ってもピンっと来る訳がない。

「だ、大丈夫。何とかする……何とかするから……」
「何か当てがあるのか?」
「ぅぅぅ……あまり頼りたくないけど……」

 おもむろに携帯電話を取り出すと、震える手で目当ての人物にコール。
 待つこともなく、相手はすぐに出た。

『何だ、我が愚弟よ?』

 開口一番これである。
 やたらと尊大な態度で、電話に出たのは東雲の兄。今は実家を出て、中堅の商社勤めをしている。

「あ、兄ちゃん? ちょっとお願いがあるんだけど……」

 いつも通りの尊大な態度に、気圧されそうになるが、何とか持ちこたえ端的に用件を伝える。

「金貸して」
『死ね』
「ぐおぉぉぉぉぉぉ、こんなかわいい弟がお願いしているというのに!」
『誰がかわいいんだ? あ?』
「俺」
『死ね。一回死んで来い』
「ぁぁぁぁぁぁ……俺はやっぱり日本一不幸な美青年だ……」

 兄の攻撃に、わざとらしく嘆く東雲。
 執拗に食い下がる東雲。兄も無慈悲に電話を切ったりしない。なんだかんだと付き合っている。

(兄弟……か……)

 東雲兄弟のやり取りを見ながら、遠い目をするバルクホルン。

(クリスは今、どうしているだろうか……)

 思い出すのは最愛の妹『クリス』。
 この世界に来て、もうそれなりの日数が経ってしまった。
 そんなバルクホルンの心中などお構いなしに、東雲兄弟の交渉と言う名のじゃれあいは続く。

「この前のコミケだって店番したじゃん! そのバイト代だと思って……」
『んなもん、チケットでチャラだ』
「な!? 買いに行けたのなんて午後からだし、一時間しか回らせてくれなかったじゃん! あれじゃチケットの意味がないよ!」
『企業ブースも回ったろ!』
「あれ『ファンネル』じゃん! 俺が欲しいとこ回ってないし!」
『回れるだけありがたいと思え!』
「ひでぇ! ね、ちょっとだけでいいんだよ? 金貸してよ~」
『ダメだ! どうしてもと言うなら親父に頼め!』
「父ちゃんに頼める訳ないだろ!」

 父に頼めば、怒られるのは火を見るより明らか。何より母の耳にも入ってしまう。その母に、要らぬ心配をかけてしまうのが嫌だった。だから実家には電話をせず、兄に頼んだというのに。

「東雲、無理なようなら……」
『!? 浩二……今、女の声が聞こえたようだが?』
「え? え……え~、と……気のせい?」
「一週間程度であれば、工夫次第で何とでも……」
『聞こえる! 確かに聞こえるぞ! この兄の耳を誤魔化せると思うなよ!』
(バルクホルン、静かに!)

 忙しない身振り手振りで、黙るように伝えるも後の祭り。

『貴様、仕送りで生活する身でありながら、女を囲っているとは何事かぁっ!』
「ご、誤解だ! これには色々と事情があって……」
『許るさーん! この兄を差し置き、きゃっきゃうふふのレモンエンジェルでわっほーいしてるようなヤツに貸す金などない!!』
「いや、『きゃっきゃ』も『うふふ』もねーから! ってか『レモンエンジェル』って何だよ?!」
『もげろ!』

──プツっ

 切られた。
 もはや取り付く島もない。
 兄の怒声の後に残されたのは、呆然とたたずむ東雲の姿。

「し、東雲……その……すまない……」
「……どうしよう……」



[26044] はたらく お姉ちゃん!? 2
Name: アルテン◆9a73cf91 ID:e15ac0d0
Date: 2011/09/11 23:39
1434時 ガンショップ『ウィーズ』
「店長ーっ!」

 某ネコ型ロボットにすがるような声を上げ、東雲が店内に飛び込み、バルクホルンが静かに続く。
 飛び込んだ店の名は『ガンショップ ウィーズ』。
 ガンショップと謳ってはいるが、実銃ではなく、遊具である『エアソフトガン』と『鍵』を扱う個人商店。
 東雲たちサバゲーマーのたまり場になっている。

「おんやぁ? 東雲くん、久しぶりだねぇ」

 カウンターにいた店長と呼ばれた中年男性が、ゆっくりと顔を上げると、「全部知ってるよ」という笑みを浮かべる。
 ちなみに馬走のような地方では、エアガンのみで生計を立てるのは難しいため、鍵屋も兼業でやっている。と、いうか元々は鍵屋が本業。
 合鍵の製作や家庭用の鍵の付け替えなどをしていたのだが、店長の趣味が高じてエアガンを扱うようになってしまった。
 そのため合鍵製作のための工作機械とエアガン、その周辺部品が混在する店内は、若干カオス風味だ。

「店長、実は折り入ってお願いが……」
「ほぉ、噂通り美人さんだねぇ」
「あの……聞いてます?」

 東雲の言葉など、耳に届かずといった調子でバルクホルンを見る。
 当のバルクホルンはといえば、ショーケースに収まったエアガンに興味津々。東雲と店長のやり取りなど目に入っていない。

「彼女がねぇ……東雲くんにはもったいないんじゃない?」
「……違います。って、誰が店長に間違った情報を吹き込んだんですか?!」
「違うの? 残念だな。岸本と服部がうれしそうに話すもんだから、てっきり」
「あいつらか……って、それは後でいいんです。ちょっとお願いしたいことがあるんです」
「彼女、紹介してくれないの?」
「あ~、はいはい……バルクホルン」

 呆れ声でバルクホルンを呼ぶと、店長への紹介を始めた。



1446時 ウィーズ店内
「……と、言う訳でして、仕事ありませんか?」
「う~ん、そう言われてもね~」

 東雲の来店目的は、「バイトをさせて欲しい」というお願い。
 話を聞き終えたところで、渋い顔になる店長。
 正直なところ、人手は足りている。都会の有名ショップのように、客の出入りが激しい訳ではないので、店長と奥さんの二人で十分切り盛り出来てしまう。

「そこを何とか……」
「やっぱり、難しいね~」
「ダメですか……?」
「ダメだね~」

 ガクリと肩を落す。
 東雲には他に思いつく当てが無かった。
 急にバイトをしたいと言っても、すぐ雇ってくれるようなところはない。それに東雲に必要なのは「すぐに使える金」。次の仕送りが振り込まれるまでしのげれば、それで良いのだ。
 普通のバイトでは給料が支払われるまで、待たなくてならない。
 『すぐ雇って、すぐ給料をくれる』そんな都合の良いバイトなど、冬の馬走には無い。
 これが春か秋なら違った。
 ご存知のように北海道は、ジャガイモや玉葱をはじめとする農作物の生産が盛んで、広大な農地が広がっている。
 そのため春の作付け、秋の収穫時期には多数の人手を必要とする。農家は『営農集団』というグループを作り、人手や機械を融通しあうが、それでも足りない時がある。その時『バイト』を募集し、労働力を補うのである。そこに潜り込ませてもらえれば、短期間でちょっとまとまった金を手に出来るのだ。
 だが、今は冬。
 当然、農家のバイトなどあろうはずもなく、こうして知己を頼りに来てみたが、そうそう話は上手く進まない。

「力仕事なら自信があるぞ。何でもいい、何かないだろうか?」
「いや、違うんだよ。バルクホルン」

 バルクホルンも健気にアピールとお願い。
 しかし、問題は『人を雇う余裕がない』という経営的なもの。いくら仕事が出来ようが関係ない。

「困ったね~……」

 さして困ったように見えない店長が唸る。
 と、店の電話が鳴った。

「はい。ウィーズです……はい、大丈夫ですよ。……『閉じ込み』? はい、車種は? ……はい。今、どちらでしょうか? ……はい、わかりました。これからお伺いします」

 受話器を置くと、ニヤ~とした笑顔を東雲たちに向ける。

「いや~、東雲くん。運がいいね」
「え?」
「鍵の仕事が入っちゃった。少し店番してくれるかい? その分のバイト代は出すから」
「喜んで!」
「やったな! 東雲!」

 東雲とバルクホルンの顔がほころぶ。
 そんな二人を微笑ましく思いながら、店長は準備を整えると、店を出て行った。



1451時 ウィーズ店内
「で、東雲。何をすればいいんだ?」
「ん~……とりあえず、お客さんが来るのを待つ」

 カウンターの内側に収まった東雲とバルクホルン。
 収まってはみたものの、特に何かをするように言われた訳でもなく、黙って客を待つよりない。
 誰か来ないものかと、店の外を眺める。
 流れる車列。まばらな通行人。凍りついた冬の道をゆっくりと流れていく。

「……誰も来ないな」
「……うん」

 ぼんやりと待つ。
 しかし、来客の気配はない。
 そもそも今日は平日。あまつさえ冬。一般的なサバゲーマーは冬眠の時期。客が来ないのは当然といえば当然。

「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
「……なあ、東雲。あの銃は何だ?」

 不意にバルクホルンが一丁の銃を指差す。

──TOP製 M60

 カウンター脇の整備台に載せられた大型のエアガン。それはエアガンとしては最高クラスの制圧能力を有する。サバゲーマーなら、誰もが一度はゲームで使ってみたいと思うエアガン。

「あぁ、M60ね。多分あの人のだと思うけど……」

 銃本体と後付けされたオプション類から、常連客のものと推察。
 アフターパーツに交換出来るものは、全て交換してあるという豪華仕様。当然カスタムは内部にも及んでいる。東雲のような貧乏学生には、真似しようとしても出来ない一丁。

「撃ってみる?」
「今は店番中だ」
「でも、ほら。お客さんに聞かれた時困るじゃない。『命中精度はどうで』『連射速度はこうで』って説明出来ないと、お客さんも安心して買えないと思うんだ」
「それも……そうだな」
「でしょ?」
「武器の選択は戦場での生死を左右する。客が安心して戦場に赴けるようにするのが、売る者の務めか」
「何か違う気もするけど……今、用意するね」

 店には『試射用』に、充電済みのバッテリーが常備してあるので、それを差し込む。銃口を下へ。トリガーを一回引いて動作を確認。上蓋を開け、これまた『試射用』のBB弾を流し込む。

「おっけ~。そっちにシューティングレンジあるから」

 バルクホルンを伴い、シューティングレンジへと移動。
 店内に作られたレンジは、多少窮屈ではあるものの、電動式ミニターゲットが並び、その奥にはマンターゲットが貼り付けられている。

「はい。バルクホルン」
「ああ」

 東雲からM60を受け取ると、足をしっかり開いたスタンスで構え。後付けされたチューブ式の照準器を覗き込む。

「? 東雲。このスコープ、おかしいぞ」
「ああ、それ『ダット』だよ」

 ダイヤルを回し、スイッチON。中心部に赤い光点が映し出される。
 チューブ型照準器といえば『スコープ』しか知らないバルクホルン。『ダットサイト』は初体験。

「赤い点が見える?」
「ああ」
「その点を標的に合わせて」
「こうか……」

 トリガーを引く。
 M60独特の射撃音を響かせて、BB弾が一本の線になって吐き出される。

「うむ、この銃はいいな。しかしこの『だっと』というのは奇妙な感じだな」
「慣れると『アイアンサイト』より、早くサイティング出来るみたいだけどね」
「そうか……ではもう一度」



1603時 ウィーズ店内
「ただいま~」
「あ、店長。お帰りなさい」
「誰か来たかい?」
「いや~、それが誰も……」

 一仕事終えて、店に戻ってきた店長。
 客の入りぐあいを尋ねてみるが、答えはさっぱりである。
 来客もなかったので、バルクホルンはシューティングレンジで撃ちっ放し。脇には撃ち終えたエアガンが、整然と並ぶ。
 そして東雲はその準備をしていただけ。

「このL96というのもなかなかだな。細かい調整が出来るから、体格に合わせて……ぬ!?」

 L96の試射を終えたバルクホルン。余程集中していたのだろう。
 やっと店長が帰ってきたことに気付く。

「……彼女、ずっと撃ってたの?」
「……ええ、まぁ……」
「こ、これは東雲が『撃ってみないと客に正しく説明出来ない』というので、仕方なく……」
「はっはっはっは、いいよ。いいよ」

 しどろもどろに弁明するバルクホルンに、問題ないことを伝える店長。
 にこやかな笑顔で、シューティングレンジを覗き込む。

──BB弾の絨毯

 撃ち出されたBB弾が、レンジの床一面に敷き詰められている。
 レンジに置かれた机。
 その上には『試射用BB弾』が収まっていたであろう空の容器が、ポツンと置かれていた。

「東雲くん」
「はい?」
「弾代つけとくよ」
「てんちょー!?」



1629時 ウィーズ店内
「店長。終わりましたよ~」
「掃除も完了だ」
「はい、ご苦労さん」

 試射に使った銃を棚に戻し、シューティングレンジに散らばったBB弾も片付けた。
 あとはバイト代をもらうだけ。
 「あわてるな」と二人を目で制しながら、店長がレジを開ける。

「じゃあ、これ。バイト代ね」

 いつもと変わらぬ笑みを浮かべ、東雲とバルクホルン、それぞれの前にバイト代を置いた。

「ありがとうございま……す?」

 勢い込んでお礼を言ってみたまではいいけれど、そのまま固まる東雲。
 カウンターに置かれた硬貨。

──600円

 百円玉と五百円玉が一枚づつ。
 東雲とバルクホルン、二人合わせて

──1200円

「え? 店長? え?」
「どしたい、東雲くん?」
「あの……もうちょっと、何とかなりませんか?」
「何言ってるの東雲くん? ここら辺の最低賃金考えれば、こんなもんだよ」

 東雲たちが店番をしたのは、わずか一時間程度。
 だから、一時間分の給料を払う。至極まっとうな考え方。
 それに特に何か仕事をした訳でもない。エアガン撃って遊んでいただけ。
 バイト代もいくらと決めた訳でもない。
 バルクホルンの分までバイト代を出してくれたのだから、むしろ好意的とさえ言えるだろう。
 東雲の期待値が変に高かっただけなのだ。

「ぁぅぁぅぁぅぁぅ……とりあえず1000円でガソリン入れて、あと200円……」
「東雲、卵だ……卵を買おう!」
「ぁぁ……卵……いいね卵……」

 バルクホルンの提案に、消え入りそうな声で賛同する。

「ちょっと、ちょっと。これじゃ俺が悪者みたいじゃないの」

 当然、渋い顔になる店長。目の前で切ないやり取りをされても困る。
 店長がどうしたものかと考え始めた時、待望の客がやって来た。

「ちーっす。店長、俺の銃出来てます? おっ、東雲くん。久しぶり」
「あ~、ご無沙汰してます……」
「おー、藤田くん。本体は出来たんだけどね」

 ゾンビのような唸り声を上げる東雲を無視して、カウンターにM60を載せる店長。
 先程バルクホルンが撃っていたものである。

「あ、ホロサイトはまだ来てないんすね」
「ん~、ゴメンね。在庫切れだってことだったから、もうちょっと待ってもらえるかい?」
「いいっすよ。また来ますから」

 朗らかに答える藤田。
 年の頃は三十半ば、よく焼けた黒い肌と太い腕が印象的。この店の常連で、東雲たち学生と合同でサバゲをする仲である。

「で、そっちが噂の子?」
「あいつら街中に吹いて回ってるのか……」

 げんなりと東雲がぼやく。噂の元凶である後輩二人を、どう締め上げようか思考をめぐらせる。

「そうだ、藤田くん。こいつらに何かバイト紹介してやってよ」
「バイト?」
「いやね……」

 事のあらましをざっと店長が話し、東雲が補足と修正。
 静かに、時折相槌を打ちながら、藤田は聞いた。

「なるほどね~。そしたらウチ来るかい?」
「え? いいんですか?」
「実はウチに来てるパートさんが、急用で出れなくなっちゃてね。明日から三日間なんだけど、それでもいい?」
「本当っすか?! やります! やらせてください!」
「じゃあ明日の朝9時に店に来てね」
「へい!」

 身も心も晴れやかといった表情で、元気良く答える東雲。
 バルクホルンだけが、状況に付いて行けず、渋い顔を浮かべる。

「なぁ東雲。仕事の内容ぐらい確認してから返事をするべきではないのか?」
「あぁ、大丈夫。大丈夫。藤田さんの店はね……」



[26044] はたらく お姉ちゃん!? 3
Name: アルテン◆9a73cf91 ID:e15ac0d0
Date: 2011/09/11 23:37
──かに

 それは北海道のグルメ

──カニ

 それは美味なるもの

──蟹

 それは高価なもの

0855時 大丸水産
「おはうようございまーす!」
「おはよう」
「おっ、来たね。東雲くん」

 いつもは出さないような大きな声で東雲があいさつすると、藤田は朗らかに二人を迎えてくれた。
 藤田の店『大丸水産』
 オホーツク海で獲れる海の幸を扱う店。その中でも特に『タラバガニ』と『毛ガニ』に力を入れている。その他の海産物も扱ってはいるがやはりメインはカニ。専門店と言っても差し支えないほどだ。それを証明するかのように、店の中央にはカニのみが泳ぐ巨大な生簀が鎮座している。他の商品は店の片隅に申し訳程度にちょこんと陳列されている。
 個人経営ではあるものの、馬走では名の通った店。そして藤田はこの『大丸水産』の社長である。

「助かったよ。珍しく団体さんが立て込んじゃってね」
「はぁ、『団体』ですか……」

 藤田の店は特別大きい訳ではない。どちらかというと、コンパクトにまとまった印象。
 そこに『団体』といわれてもピンと来ない。

(20人くらいかな……)

 漠然とめぼしをつける。

「で、私たちは何をすればいいんだ?」

 やる気満々といった感じでバルクホルンが、藤田に尋ねる。

「おっ、やる気があっていいねぇ。やってもらいたいのは、発送の手伝いと掃除とかの雑用なんだわ」
「ふむ」「あっ、なるほど」
「言われた通り動いてくれればいいから。販売はウチの従業員がするし、特に難しいことはないよ」

 カラカラと藤田は笑うと、従業員との面通しと仕事の説明をしてくれた。



1002時 大丸水産
「社長、お着きですぜ」
「おう!」

 団体客が来るまで、事務所でお茶を飲んでいた従業員一同。
 番頭から到着の報せを受け、全員が立ち上がる。和やかな顔から一転、表情に気迫がこもる。
 そんな中でも空気の読めない男が一人。

(ふぅ~、この調子なら何か楽勝っぽいな~)

 お茶の時間の間にすっかりほだされてしまった東雲。呆けた顔で従業員の後に続く。

「東雲、仕事だぞ。シャンとしろ」
「ん~、大丈夫だよバルクホル……ん?!」

 足が止まる。
 目に入った店内の光景に、我が目を疑った。

(な、なんじゃこりゃぁー!?)

 声に出そうになるが、寸でのところで踏み止まる。
 店内には二台の大型観光バスから吐き出された90人弱の観光客が、カニの生簀を十重二十重に囲んでいる。東雲の位置からではもはや生簀は見ることが出来ない。
 店内は観光客でギッチリ。というか、あふれて入るのをあきらめた人もいる。

(何でこんな真冬に、こんなに観光客が来るんだ?!)

 北海道観光と言えば夏がピーク。しかし、夏の一時だけの収入では観光業者の生活は回らない。そのためどこの自治体でも、冬に観光客を呼ぶのに必死だ。
 冬の北海道観光の成功例としては『札幌雪祭り』がもっとも有名だろう。開催期間中の一週間で240万という観光客を呼び寄せている。
 各自治体はこぞって二匹目のドジョウを狙うが、成果を上げたものはごく少数。
 馬走も雪祭りを開催したのだが、その成果は芳しいものとは言い難い。
 では馬走市は何で観光客を集めているのか?
 答えは『流氷』
 オホーツク海に面した馬走には、毎年一月下旬になると北から流氷が流れ着き、海岸を氷で埋めてしまう。
 その氷で閉ざされた海を、砕氷船に乗って眺めるのが『流氷観光』の楽しみ方。流れ着く流氷は、アザラシなどの動物も一緒に運んでくるので、それら野生動物を楽しむことも出来る。
 砕氷船から見ることは出来ないが、流氷と共に流れ着く生き物では『クリオネ』を忘れることは出来ない。『流氷の天使』のキャッチフレーズで流氷観光の一翼を担い、その愛らしい姿で人々に人気を博している。ちなみに「美味い物ではない」らしい。

「ふ、藤田さん?! 藤田さんは何処に?!」
「落ち着け東雲。あそこだ」

 バルクホルンが指差すのは人垣の中心。水槽の脇に陣取った藤田が、威勢の良い声で観光客に売り込んでいる。

「さあっ! 奥さん! 一つどうです! うちのカニは馬走一だよ!! ほら試しに食べてみて!」
「んまっ! 美味しいわぁ~」「タラバは一味違うわねぇ~」「でも、やっぱりお高いわ~」

 試食として出された細切れのタラバガニを、瞬く間に食べ尽くすと、チラと水槽を覗く中高年のおば様軍団。
 水槽の中には一杯ごとに値札を着けたタラバガニが悠々と泳ぐ。そしてその値札には『10000』とか『8000』とか書かれているのである。

「奥さん! 大丈夫! ウチね、足だけでもやってるから!」

 首尾良く用意しておいた冷凍タラバガニの足を、おば様軍団の前に出す。

「ねっ! これならお値段も半分!」
「あら~、じゃあ一ついただこうかしら」「私もいただくわ」「でも、せっかくだから私は一匹モノにするわぁ」
「毎度っ!」

 次々に客をさばく藤田。他の社員も皆、懸命に売り込んでいる。
 それもそのはず、タラバガニや毛ガニの値段は高く、常日頃からポンポン売れるものではない。だが『観光客』は比較的財布の紐がゆるい。『せっかくだから』とか『旅の思い出に』と考え、高価なものでも『その地の名物』には金を払いがちだ。
 だから藤田たちにとって、財力があり、金払いの良い『中高年の観光客』は上客中の上客。一人たりともおろそかにすることは出来ない。

「俺たちもアレ……やるの?」
「販売は社員がやると言っていたはずだが……」

 呆然と東雲がつぶやき、バルクホルンが渋い顔を作る。
 二人とも考えることは同じ。いきなり藤田のマネをして、売れと言われても出来るものではない。
 どうしたものかと思案にくれていると、後ろから声を掛けられた。

「おう! 若いの!」
「あっ、番頭さん」
「お前ら二人とも、これ持って社長の脇に行け」

 この店の番頭である初老の男性が、東雲とバルクホルンそれぞれにクリップボードを押し付ける。

「いいか? ここにお客さんの『名前』と『住所』を書いてもらえ。それとこの欄に注文を書くんだ」

 発注書と書かれた紙に目を落す。
 紙には『名前』『住所』『注文』の他に、『到着指定日』の項目がある。
 売れるとは言っても、そのまま持ち帰る観光客は極わずか。その日のうちに帰るならいざ知らず、彼らはこの後も色々と見て回るのだ。生物であるカニを持って歩く訳にはいかない。だから彼らが家に帰る日に合わせて、宅急便で送る必要がある。

「売るのは社長がやる。お前らはお客さんにこれを書いてもらうだけでいい」
「は、はぁ」
「書き漏らしがないか、よく確認しろ。わかったな?」

 番頭がきつく念を押す。
 発注書に記載ミスや漏れがあれば、一大事。発送が出来ないという事態にもなりかねない。
 お金はここで払ってもらうので、そうなれば詐欺である。店の信用問題に関わる一大事なのだ。

「すまない。私は扶……日本語の読み書きが出来ないのだが、どうすればいい?」
(あっ! 忘れてた……)

 番頭にハッキリと伝えるバルクホルン。
 日本語が読めないのでは確認のしようがない。
 虚を突かれた番頭は、しばし顔を歪ませた。

「仕方ねぇ。嬢ちゃんには何か別な仕事をやってもらう。若いの! テメェはとっとと社長んとこ行きやがれ!」
「は、はいっ!」

 観光客の群れに突撃を敢行する東雲。
 目指すべき藤田がいるのはこの向こう。この人垣を越えなくてはならない。
 だが、観光客の人ごみに、もみにもまれて流されて、行き着く時はいつになるやら。前に進めず右往左往。

「あれは……大丈夫、なのか?」
「嬢ちゃん、彼氏が心配かい? 大丈夫だよ。すぐ慣れらぁ」
「別に心配している訳では……!?」

 普通に受け答えようとして、はたと止まる。
 えも言われぬ、むずがゆい表情を番頭に向ける。

「っ、誰が『彼氏』かぁっ?!」
「違ったのかい?! 俺ゃまたてっきり」

 日本語の『彼氏』には『恋人』の意味があることを、思い出したらしいバルクホルン。
 反射的に番頭に食って掛かる。

「断じて、違う!」
「かぁ~、見た目通りに情けねぇ野郎だなぁ。俺があと30……いや、20若けれりゃ嬢ちゃんみたいな子を放っとかねぇのに。手ぇ出さねぇとか、ふてぇ野郎だ」
「出さなくていい! 第一、今は仕事の話をするのだろう!」
「おっといけねぇ。じゃあ、こっちに来てくれ」



1139時 大丸水産 店内
「若いの! カニが茹で上がるぞ! ざる持って来い!」
「はいっ!」
「バイト! 氷だ!」
「はいぃぃ!」
「発泡スチロールも持って来い!」
「はひぃぃぃぃ!」

 観光客も引けて一段落。
 などと言うことはなく、店内は別の仕事で慌しい。
 今度は発送の準備に取り掛かる。今、準備しているのは先程の観光客の分ではなく、それ以前に注文をもらった分。
 段取りの分からない東雲。まごつく。段取りどころか、店の配置すら掌握しきれていないのだ。スムーズな仕事が出来る訳がない。

「早くしろっ!」
「すんません! ……あっ!」

──足がもつれた

 社員に煽られ、慌てるあまり足元がお留守になっていた。バランスが崩れ、視界が傾く。

(や、ば……)

 手が伸びる。
 寸でのところで、バルクホルンが東雲の体を受け止めてくれた。
 右手一本で受け止めたバルクホルン。そのまま東雲をまっすぐに立たせる。
 東雲がゆっくりと振り返ると、ビニール製のエプロンと長靴に身を包んだバルクホルンが、咎めるような眼差しを向けていた。

「気をつけろ東雲。これは私が持って行くから、お前は他の物を用意しろ」
「う……うん」

 東雲が持っていた、ざるの山を持ち上げると、バルクホルンはさっさと社員のところに行ってしまう。
 あとには立ち尽くす東雲だけが残された。

(……情けないな……俺)



[26044] はたらく お姉ちゃん!? 4
Name: アルテン◆9a73cf91 ID:e15ac0d0
Date: 2011/10/04 23:04
1109時 大丸水産
 あっと言う間にバイトも最終日。
 だが、やることは変わらない。
 客にカニを売り、箱に詰めて送り出す。ただひたすらに繰り返す、繰り返す。
 いや、東雲だけは仕事が変わった。
 二日目には箱詰め作業から外され、宅急便の伝票書きになってしまった。事実上の戦力外通告。
 バルクホルンと一緒に作業することもなく、事務所で一人黙々と、機械的に伝票を書き続ける。

「…………」
「どうだい若いの? 調子のほうは?」

 東雲がうつろな目を上げると、そこには番頭が立っていた。

「はぁ……まだこれだけです」

 書き上がった伝票の束を見せる。
 まだ半分、いや三分の一もいっていないだろう低い山。全然進んでいない。
 だが、番頭は仕事の進捗具合よりも、東雲のことが気になった。

「なんでぇ、なんでぇ。不景気なツラぶら下げやがって。嬢ちゃんと一緒に仕事が出来なくて、さみしいってか?」
「いえ、そんなことは……」
「分かりやすい野郎だなぁ、おめぇは」

 目を伏せ、顔を背け、否定の言葉を口にするが、東雲の顔からは寂しさが、にじみ出ている。
 クックと声をかみ殺し、番頭が笑う。

「嬢ちゃんのことが心配かぃ?」
「それは……まぁ……」
「嬢ちゃんの前で無様なことになっちまって、恥ずかしいってか?」
「…………」
「嬢ちゃんのことが好きなんだろ?」
「ち、違うっ! 違います! バルクホルンは……その……『いとこ』で……」

 なんの脈絡もない番頭の質問に、東雲が慌てふためく。
 本当は『いとこの娘』と言わなくてはならなかった。最初の面通しの時にも、そう話した。でも、そう言うのももどかしくて、『いとこ』と省略した。

「おいおい、誰がそんなウソ信じるってんだ?」
「いえ、本当に……」
「名字で呼び合う『いとこ』なんていねぇよ」
「!? そ……それは……」

 言葉に詰まる。
 答えられない。あっさりと見抜かれたウソ。そんな些細なことで見破られるとは思わなかった。
 言われて振り返ってみれば、確かにその通りだ。東雲は自分といとこたちが話す時は、名字で呼び合ったりしない。下の名前で呼び合っている。
 今まで誰も突っ込んでこなかったので、無事に騙し通せているものだと思っていた。

「図星かい」
「…………」
「わざわざそんなウソつかなきゃいけねぇってことは、何か事情があんだろ? よかったら相談にのるぜ?」

 ずいっと身を乗り出す番頭。

「で、何だい? 駆け落ちか? って、名字で呼び合う程度だから、そりゃねぇか」
「ぃ……ぇ……本当にそんなんじゃなくて……」
「……まさかとは思うが、ロシアマフィア絡みってこたぁねぇよな?」

 どことなく浮かれた調子だった番頭の顔が、生真面目なものになる。
 この馬走はオホーツク海に面する街としては、比較的大きく、それなりの港もある。北方四島は近く、行き来する漁船、貨物船は多い。特にカニを水揚げするために寄港する漁船は多く、年間を通し相当数の漁船が馬走に入港している。
 その際に船員の振りをしたマフィアが上陸しているというのは、よく聞く話だ。

「そ、そんな物騒な話じゃないんで……」
「そうかい……なら、いいんだけどよ」

 東雲がやんわりと否定すると、番頭も気難しい顔を緩める。
 今の番頭の反応を見ると、マフィアの噂もあながちウソではないらしい。

「じゃあ、一体なんでぇ?」
「……その……すみません……事情は話せなくて……」

 うつむいてしまう。
 話そうかとも考えた。話せば楽になれるとも思った。
 だが、事情があまりにも特殊すぎる。とても話せるものではない。
 まともな神経の持ち主に「彼女はアニメの世界から出てきました」と話したところで、鼻で笑われるのがオチだ。もしくは『いい病院』を紹介してくれることだろう。
 非現実的すぎる。

「そうかい……よっぽどの訳ありみてぇだな……」
「……すいません」
「で、おめぇは嬢ちゃんをどうしたいんだい?」

 改めて、ずずずいっと番頭が体を乗り出す。

「どうって言われても……」

──どうしたいのだろう?

 真面目に考えたことがなかった。
 同居しているのは『同情心』から、協力しているのはバルクホルンが「帰りたい」と言ったから。
 ただその場その場で流されて来ただけ。
 東雲は『消極的な協力者』であって、『積極的な協力者』ではない。

「…………」
「その面ぁ何も考えてなかったな……」
「その……すみません……」
「俺に謝ったってどうにかなるもんじゃねぇよ」

 番頭の呆れ顔とため息。
 東雲に対する失望感。
 それが嫌というほど伝わってくる。

「まぁ、一つ屋根の下に『恋仲』でも『家族』でもねぇ男女が暮らすってなぁ、関心しねぇな」
「それは……」

 その通りだ。
 事情が事情とはいえ、とてもまともな関係には見えない。

「嬢ちゃんと居るのは楽しいかい?」
「それは……まぁ……」

 歯切れの悪い答え。
 最初の頃は戸惑ってばかりだった。振り回されてばかりだった。
 でも、今はどうだろう?
 一緒に行動するのが当たり前になってしまった。
 それを苦とも思わない。むしろ、

──楽しい
──楽しくなってきた

 確かに、バルクホルンといるとトラブルも多い。文化的、歴史的な差異から大小様々な問題が起きる。
 でも、それを差し引いても

──バルクホルンと一緒にいるのが楽しい

 いつの間にか、この状況を楽しんでいた自分がいた。
 無自覚の心境の変化。

「楽しい……ですけど……」
「そうだろ! そうだろ! な? つまりそれは好きってこったろ?」
「いっ!? 何でそうなるんですか?! 『好き』と『楽しい』は別でしょうが!?」

 話が飛ぶ飛ぶ。
 番頭はどうしても『そっち』の方向に話を持って行きたいらしい。

「別なもんかぃ! な? 『チュー』はしたのか?」
「しませんよ!」
「じゃ、『風呂を覗き、覗かれイヤン』も、ねぇのか?!」
「ある訳ないでしょう!」
「おめぇそれでも男かぁ!? あんなかわいい嬢ちゃんと一つ屋根の下で、何もしねぇとかアホか?! なんてもったいねぇんだこのボケは!?」
「『かわいい』って、バルクホルンがぁぁぁあ?!」

 東雲の中でバルクホルンのイメージは『凛々しい』とか『雄々しい』で、『かわいい』からは程遠い。いや、かわいい仕草やら表情を見ていない訳ではないのだが、どうしても前者のイメージが強いのだ。

「だぁー! このっ、どアホぅ! 腹ぁ掻っ捌いて詫び入れやがれ!!」
「そこまで!?」
「いいか! 『馬走の石原裕次郎』と言われたこの俺が、女の扱いってもんを伝授してやらぁ!」
「いいです! 結構です!! 遠慮しときます!!!」
「何だとぉ!? 遠慮すんじゃねぇや! って!? まさか他に好きな女がいるとか言うんじゃねぇだろうな!?」
「っ!?」

 そう、東雲の脳内嫁は『サーニャ』である。
 唯一『嫁』と言ったキャラである。
 しかし、オタクでもない一般人に『嫁』と言っても通じない。字面の通りに解釈されてしまう。

「いや、その……片思いって言うか……手が届かないって言うか……入れないが的確?」
「何をごちゃごちゃ言ってやがる! おめぇじゃそう言う高嶺の花になんざ手が届かねぇに決まってんだろ!」
「ひでぇ!?」
「先ずは身近な『花』を見ろぃ! 近くにいると分からねぇもんだが、よく見りゃキレイな『花』ってなぁたくさんあるんだよ!」



1115 大丸水産 作業場
「事務所の方が騒がしくないか?」

 今日もビニール製のエプロンと長靴を身に着けたバルクホルン。
 発泡スチロールの箱に氷を詰めながら、目の前の社員に聞いてみる。先程から何やら事務所が騒がしい。

「ああ、あのバイト君が捕まったかな」

 尋ねられた中年社員が、氷の上に丁寧にタラバガニを詰めながら、耳を澄ます。
 微かに聞こえるのは東雲と番頭の声。しゃべっていることは分かるが、内容までは分からない。

「捕まる? 捕虜にでもするつもりか?」
「捕虜って……」

 思わず苦笑い。

「専務はああいう、なよなよした若いのを見ると、説教せずにはいられないのさ」
「なるほどな。確かにヤツは『なよなよ』しているから、ちょうどいいかもしれん」
「手厳しいな~」

 破顔する中年社員。
 一人納得するバルクホルン。
 「専務」というのは番頭のことで、本当の役職名である。
 社員にとって、番頭の行動はいつものことらしい。特に驚くこともない。話をしている最中も、手は休むことなく動いている。
 バルクホルンもそれに合わせ、氷を詰め続ける。

「気にしないで大丈夫だ。専務の病気みたいなもんだから」
「そういうものか……」



1728時 大丸水産 事務所
「二人ともお疲れさん」

 朗らかな笑顔の藤田が、バイト代の入った茶封筒を東雲とバルクホルン、それぞれに手渡す。

「ありがとうございます」

 どことなく疲れた顔をしていた東雲が手を伸ばす。
 バルクホルンは静かに受け取る。こちらは東雲と対照的に疲れなど感じさせない。

「助かったよ。また何かあったら頼むね」
「は、はぁ……」
「ん? どしたの東雲くん?」
「その……あまりお役に立てなかったので……」

 茶封筒を両手で持ったまま肩を落す。
 自分の仕事ぶりを振り返ると、バイト代をもらうのが申し訳ない気分になる。とても『役に立った』と胸を張れるものではない。

「何言ってるの東雲くん? 伝票書きもちゃんとした仕事だよ?」
「いえ……でも……」
「東雲、お前は言われた仕事をちゃんとこなした。任務達成だ」

 バルクホルンの力強い断言。
 そこには侮蔑も慰めもない。ただの事実の伝達。
 初日に情けない姿をさらしてしまった東雲。そのことを少し気に病んでいた。
 しかし、バルクホルンの言葉で心が少し軽くなる。

「それに『適材適所』という言葉がある。お前は力仕事に向いていなかっただけだ」
(ぐはっ!?)

 それを気にして落ち込んでいたというのに、何の悪気もなく傷を抉るバルクホルン。
 東雲の顔が歪む。

「お~、大丈夫か? 若いの」

 事務所の入り口から声を掛けられる。
 歪んだままの顔を向けると、そこにはビニール袋を携えた番頭の姿。

「だ、大丈夫です……その、お世話になりました……」
「まぁいいや。ほれ、土産だ。嬢ちゃんと二人で食いな」
「あ、ありがとうございます」

 袋の中を覗くと、そこには『タラバガニ』が鎮座している。

「え? いいんですか? タラバなんてもらっちゃって?」
「アホぅ。テメェこの三日間、何見てやがった。そいつぁ『アブラガニ』だ」
「え?」

 『アブラガニ』とは『タラバガニ』に非常に良く似たカニで、姿形はもちろんのこと、食味まで似ている。食べ比べればその差は歴然なのだが、単体で食べる分には十分な味である。そのくせお値段はタラバの半分。
 パッと見で見分けをつけるのは大変難しい。
 見分けるポイントは甲羅。
 甲羅の中心にある小さな角の数で見分ける。『タラバガニ』は三対六本、『アブラガニ』は二対四本である。

「あっ、本当だ」
「まぁ、『二人で仲良く』食え」

 そう言うと番頭はニヤリと笑い、東雲にもたれかかるようにして顔を近づける。
 嫌でも鼻に入ってくる加齢臭と、染み付いた磯の匂いが気持ち悪い。逃げたいのだが、首にガッチリと腕を回され逃げられない。

(どうでぇ? 『豪華なデぃナー』は? あとは花束の一つも用意すりゃぁ、嬢ちゃんはイチコロってぇ寸法よ)
(え? マジでやれと?)
(あたぼーよ!)

 藤田とバルクホルンの二人に聞こえないように、番頭がボソリとつぶやく。
 東雲の顔が露骨に歪む。

「まぁ、ご苦労さん! 『がんばれ』よ兄弟!」
「ぐほっ!?」

 バンバンと盛大な音を立てて番頭が背中を叩く。
 訳の分からぬ一方的な兄弟関係。
 いぶかしげな顔で見守るバルクホルンと、呆れ顔の藤田。
 これ以上ここにいると危険だと感じた東雲が、声を上げる。

「ば、バルクホルン。あんまり長居しても邪魔になるから、そろそろ帰ろ」
「そうだな」

 相槌を打つバルクホルン。藤田と番頭に向き直ると、姿勢を正す。

「世話になった。感謝する」

 綺麗な直立不動。
 透き通るような感謝の言葉。
 東雲もバルクホルンにならい、姿勢を正すと頭を下げた。

「お世話になりました」
「うん。うん。気をつけて帰ってね」
「はい」

 揃って事務所を出て行く東雲とバルクホルン。
 颯爽と歩くバルクホルンに、東雲がひょこひょこと付いて行く様子を、藤田と番頭は微笑ましく思いながら見送る。
 そして二人が車に乗り込んだことを窓から確認すると、藤田は咎めるような表情を番頭に向ける。だが、半笑い。本気で咎めようとは思っていない。

「ダメですよ専務? 若者をからかっちゃ」
「滅相もねぇ。ただの『年寄りのお節介』ってヤツでさぁ」

 そう言うと番頭はカラカラと笑い、藤田も釣られて笑い出した。



1744時 東雲の車
(花って言ってもなぁ……)

 信号待ちをしながら考える。
 そもそも花屋がどこにあるのか分からない。花とはとんと無縁な生活。気にしたこともなかったので、知らないのも当然。

(!? って待て!? 何を考えていた俺!?)
「東雲」
(俺の嫁はサーニャであって、バルクホルンじゃないんだぞ!?)
「東雲!」
「ふへ!? な、何? バルクホルン?」
「青だ」
「え?」

 いつの間にか青になっていた信号。
 まったく気付いていなかった。
 後続車もクラクションを鳴らし急かしてくる。

(やべっ!?)

 アクセルを開けて、クラッチをつなぐ。
 だが、開けすぎ、急につなぎすぎ。圧雪アイスバーンの上で前輪がむなしく空回り。

「だー!? 一速じゃねえか!?」

 ぼんやりして、一速にギヤを入れていたことにも気付かない。
 投げ込むようにシフトレバーを二速に入れると、車はようやく前に進みだした。

「どうしたんだ東雲?」
「え? あ、うん。ゴメン。ちょっと考え事……」

 まさかバルクホルンに花を贈ろうか、贈るまいか考えていたなど言えない。
 適当に笑って誤魔化そうとするが、上手く笑えない。引きつった笑み。
 バルクホルンは盛大なため息をつくと、前を見たまま東雲に静かに告げる。

「東雲」
「何?」
「花ならいらんぞ」
「ぶっっっ!? ななななななな!?」
「東雲! 赤だ!」
「でっ!?」

 目の前の信号は赤。
 条件反射でブレーキペダルを目一杯踏み込む。
 しかし路面は踏み固められたアイスバーン。
 タイヤがロックし滑り出す車。と、同時に作動するABS。細かな振動が足の裏を激しくノック。あとは止まることを信じて、踏み続けしかない。前には停車中、横には減速中、そして距離を置いて後続車。止まる以外に逃げ場ナシ。

(と、止まれー!!)

 心の中で祈り、叫ぶ。
 衝突さえも覚悟して、歯を食い縛る。

(お願い!)

 祈りが通じたのか、車が応えてくれたのか、前の車まで15cmのところで車が止まる。

「ぷはぁ~……」
「東雲! しっかりせんか!」

 シートに体を押し付けていたバルクホルンが怒鳴る。激しい叱責。

「ご、ゴメン……」
「もう少しで事故になるところだったんだぞ!」
「本当……ごめん……」
「……東雲、どこか安全な場所に車を止めろ」
「うん……」



1759時 セイコーマート駐車場
「何を考えていた?」
「何……って……」

 近くにあったコンビニの駐車場に車を停める。
 怒っている。
 バルクホルンは怒っている。
 東雲はその怒りを受け止められない。うつむき、ただ逃げようとするばかり。

「些細な事故で人命が失われることもあるんだぞ!」
「…………」

 言われなくてもわかっている。
 しかし反論など出来ない。全ては自分が招いた結果。幸いにして事故にならなかっただけ。
 車内を支配したのは無言。
 お互いに声を発することもなく、流れる車の音だけが入ってくる。
 やがて、重いため息と共に、バルクホルンが口を開く。

「……あの番頭に何を吹き込まれた?」
「……何……も……」
「私に花を贈るように言われたんじゃないのか?」
「な、何でそれを……」

 東雲の顔に動揺が走る。

「一緒に作業した社員が色々と教えてくれた」

 憮然とした表情のまま種明かしをするバルクホルン。
 前を向いたまま大きく息を吐き出す。これ以上怒らないように、自らを押さえ込もうとしている。

「まさかとは思うが、私に花を寄越すつもりだったのか?」
「何言ってるんだ! そんなことする訳ないだろ! そんなこと……」

 否定してしまった。

──だが、どうだろう?
──これは本心か?
──本当は花を贈りたかったんじゃないのか?

(違う……俺が好きなのは『サーニャ』で、『バルクホルン』じゃ……)

──では、何故悩んだ?
──サーニャのことだけが好きならば、悩む必要などないのに

「そうか。それを聞いて安心したぞ」
「……そ、そう?」
「あの番頭は『男女』と見れば、すぐ色恋沙汰に結び付ける悪癖があるそうだ。私も作業中に色々と言われた。まさかとは思ったが、お前にも世迷言を言っていたか……」
「う、うん……」
「しかし、お前がそんな戯言に惑わされていないのなら、それでいい。お前はお人好しだから、言われた通りにしなければならないと思ったのだろう」
「……ぅ、うん」
「本気で花を買うなどと言い出したら、正気を疑うところだったぞ」
「……ぅ……ぁ……」
「我々に花など買っている余裕はない。これからは無駄を省き、効率的に軍資金を運用しなければならん。今回のような不測の事態に備え、予備費を作っておくのもいいだろう。これからは無駄使いは厳禁だ」
「そう……だね……」
「それに私にはやらねばならんことがある。世事のくだらんことに付き合っている暇はないからな」

 バルクホルンの顔と声が和らぐ。東雲の否定に安心して。
 そう、バルクホルンには成し遂げねばならないことがある。

『元の世界に帰り、祖国をネウロイから解放する』

 彼女は今この時も、自らが成すべきことを忘れていなかった。
 それが彼女の目標。自らに課した使命。
 そのことを思い出し、東雲の顔に寂しさがにじむ。

──バルクホルンが元の世界へ帰ってしまう

 東雲の頭の中からは、もはや消え失せていた。
 起こるかもしれない事態。ゼロではない可能性。
 しかし、今のところ帰還の方法は見付かっていない。
 彼らは何の異常も、変化も、手掛かりを掴めずにいる。

──帰る方法はあるのか?

 分からない。
 だが、『その事態』が起こらないとは、誰にも断言できない。

──もし、そうなったら?

 考えていなかった。
 考えたくもない。
 当たり前になったバルクホルンとの日常。
 壊れて欲しくない日常。
 壊れてしまうかもしれない日常。
 いつ壊れるかも分からない。壊れないのかもしれない。
 期待と不安。
 自分の言葉、バルクホルンの思い。
 東雲の心に沈殿していく負の感情。
 一方的な感情。
 好きかどうかも分からない。空回りの東雲の心。
 でも、

──今、この時を大事にしよう

 この感情が『愛』なのか、『友情』なのか、それとも別の何かなのか。
 グルグルと絡まりあった感情の糸は解けそうにない。
 結論は後で構わない。今はそのまま棚上げだ。

──バルクホルンと過ごす日々は楽しい

 なら、今この時を楽しもう。
 来るか来ないか分からない終末に、振り回されるのは嫌だ。
 とりあえずの方針を決め、心を落ち着かせると、東雲も表情を緩める。

「ねぇ、バルクホルン。提案があるんだけど」
「ん? 何だ、急に?」
「ワイン買って行かない?」
「何?」

 何がどうなって、その提案なのか、まったく理解できないバルクホルン。
 東雲も自分で言ってから、話しが飛躍したことに気付く。

「あ~、ほら、せっかくカニをもらったんだから、美味しい飲み物もあった方がいいかなって。それにこの三日間『ご苦労様』ってことでさ。思ったより、バイト代ももらえたし……。どうかな?」

 茶封筒に入ったバイト代。
 東雲の言う通り、藤田はバイト代を奮発してくれた。計画的に使えば、しばらくは困らないだろうし、多少の豪勢も許されるだろう。
 バルクホルンのバイト代の方が気持ち多いのは、この際忘れておく。

「『祝杯』……ということか?」
「そんなとこかな」
「たった今、『無駄使いは厳禁』だと言ったばかりだぞ」
「ご、ゴメン……」
「……まあ、たまにはいいだろう」

 どことなく呆れた声を出しつつも、微かに笑うバルクホルン。
 釣られて東雲も笑う。
 そうと決まれば善は急げ。
 車を止めたコンビニは、幸いにして酒類が豊富。ドイツワインも置いてある。
 飛び出すように車を降りた。

「ねぇバルクホルン。今日は赤にしようか? それとも白?」
「カニだから白だな」
「あれ? 魚介類って赤じゃなかったっけ?」
「逆だ」
「あ、あれ? そうだっけ?」



1644時 第501統合戦闘航空団 ミーナ・ディードリンデ・ヴィルケ中佐執務室
「ミーナ!」

 ノックをするのももどかしく、慌てた様子の坂本が執務室に飛び込んでくる。
 部屋の主たるミーナは対照的に動きがない。
 彫像のように動かない。
 その姿には生気がなく、憔悴しきっている。
 おそらく『ミーナが部屋に居る』と、認識して部屋に入らなければ、その存在に気付かなかったかもしれない。
 今のミーナには、それほどまでに生気がない。

「たった今、分析結果が出た! 出来るぞ!」

 そのミーナに生気を取り戻させようというのか、坂本があらん限りの声で、この吉報を伝えてくる。
 ミーナが微かに動く。その目が、耳が、坂本を捉える。
 眼前にまで近付いていた坂本。確固たる決意を持った、力強い顔を向けている。

「……そう……出来るのね?」
「ああ!」

 力強く頷く。
 ミーナは今一度まぶたを閉じる。
 待ちに待った吉報。
 望んでいた知らせ。
 誰よりも待ち望んでいた。
 バルクホルンが行方不明になってから過ごした、失意の日々。
 泣きたかった。叫びたかった。怒りたかった。
 あらゆる負の感情が衝動的にあふれそうだった。
 だが、彼女の立場が、責任が、それを許さない。
 自らの感情を押さえ込み、今日まで過ごしてきた。
 しかし、それも今日で終わりを告げる。
 生気を取り戻す。
 ゆっくりとまぶたを開き、立ち上がると、大きく息を吸い込んだ。

「これより『バルクホルン大尉救出作戦』を実行に移します!」



[26044] 夢で会いましょう!? 【R15】(自粛版)
Name: アルテン◆9a73cf91 ID:e15ac0d0
Date: 2011/10/30 22:35
????時 コーポ長島
 草木も眠る丑三つ時。
 今日も今日とて平和に惰眠を貪るはずだったのだが……

「東雲……」
「……」
「東雲……」
「……?」

 眠りの縁にあった東雲の意識を呼び戻す声。
 かすかに、しかしハッキリと、東雲を呼ぶ声。
 見なくても分かる。バルクホルンの声。

「起きろ……」
「ふぁ……何? バルクホル……んんんん!?」

 目を開けると、東雲の体に馬乗りにまたがるバルクホルン。
 その姿に息を呑む。
 身にまとうのは『ズボン』と『Yシャツ』のみ。あまつさえシャツのボタンがほとんど留められていない。腹の辺りのボタンがかろうじて留められているだけ。
 その扇情的な姿に狼狽し、目を逸らす。その時、自分の体が視界に入る。

「ちょっ!? 何!? 何事!? って、何で俺、裸なのぉぉぉお!?」

 一糸纏わぬ、いや、かろうじてトランクスだけは残った自分の姿に気付く。

「フフフフフフフ……」

 バルクホルンが妖艶な笑みを浮かべ、顔を近付けると、東雲の首筋に「ふぅ」と息を吹きかける。

「ひゃ!?」

 驚いてバルクホルンを振り払おうするが、手足が動かない。
 張り付けにでもされたかのように、大の字に手足を縛られている。
 体の自由を求めてもがくが、振りほどけない。

「な、な、な、何!? 何をするつもりなのバルクホルン!」
「分からんか、東雲?」

 貼り付けたように変わらない笑み。
 バルクホルンはすっと体を離すと、力強く拳を固めた。

「発電だ!」

 高らかな宣言。

──はつでん【発電】(名・する)
 水力や火力、原子力などを利用して電気をおこすこと。
──例解新国語辞典(三省堂)より引用 

「ちょ!? は、発電!?」
「一人で発電するより、二人の方が効率も良かろう?」
「二人!? ままままま待って! それは『自家発電』と言って、一人でするものであって、二人でするものじゃ……」

 その意味を察し、狼狽し、激しく体を揺すり、逃げようともがく東雲。
 そんな哀れな姿さえも、愛おしいと言わんばかりの目で微笑むバルクホルン。
 そのまま東雲の下腹部に顔を近付けると、彼の肌に舌を突き立てた。

「ひゃっ!?」

 東雲の腰が逃げる。
 バルクホルンはその初々しい反応を、目を細めて楽しむと、東雲の左わき腹から胸部にある起動スイッチまで、駆け上がるように一気に舐め上げる。
 彼女の舌が東雲のやせ細った体を、浮き出た肋骨を、次々と乗り越える。後に残るはキラリと光る一筋の唾液。
 そして何のためらいもなく、バルクホルンの舌は、東雲の起動スイッチを押した。

「っ! っ! っ! っ! っ! っ! っ!」

──東雲に電流走る

 飛び上がるように体が跳ねる。
 しかし、手足を縛る縄が体を押え付ける。

「はぁはぁはぁはぁ……バルクホルン……や……止めて……」

 蚊の鳴くような細い声。東雲の懇願。
 一人、恍惚の表情で聞き入るバルクホルン。嗜虐的な笑みを浮かべ、東雲の頭を持ち上げると、彼自身の下半身を見せ付けた。

「『止めて』? 貴様のタービンは発電したがっているようだぞ?」

 既に起動し、準備を整えた東雲の発電用タービン。

「ち、違う! これは……」
「違わん。何も違わんぞ。東雲」

 男前な微笑みを浮かべ、静かに体を離すバルクホルン。
 膝立ちで腰を浮かせると、発電用タービンの真上で止まる。

「東雲……私のダムは、もう決壊寸前だ……楽しませてもらうぞ」
「だ、ダメっ! 初めてはサーニャと、って……」
「サーニャのことなど忘れさせてやる」

 バルクホルンの腰が沈み、水門に手が掛かる。
 このままバルクホルンの水門が開けば、東雲のタービンが回り、発電が始まってしまう。

「ら、らめぇぇぇぇぇ……」



0233時 コーポ長島
「ぇぇぇぇぇぇ!!」

 跳ね起きた。
 上体を起こし、荒い呼吸を繰り返す。
 多少落ち着いたところで、自分の体を見る。
 服を着ている。縄で縛られてもいない。縛られた痕もない。
 部屋を見回す。
 いつも通り、変わらない自分だけの空間。
 バルクホルンが侵入した形跡はない。
 部屋の中央に目を移す。部屋を二分する白いシーツこと『ベルリンの壁』。
 耳を澄ませば、その向こうから聞こえる穏やかなバルクホルンの寝息。

「また、この夢……か……」



0734時 コーポ長島
「東雲、ドレッシングを取ってくれ」
「う、うん……」

 いつも通り、二人揃っての朝食。
 いつもと変わらない風景。
 いつもと違う東雲の態度。
 視線を下に向けたままの東雲が、バルクホルンの前に静かにドレッシングを置く。

(おかしい……)

 朝起きてから、今まで、東雲は一度もバルクホルンと目を合わせようとしない。
 それどころか話そうともしない。
 こちらが話しかけたことに、機械的に反応しているだけだ。

「東雲、どこか調子が悪いのか?」
「え?」
「先程からうつむいてばかりいるぞ」

 バルクホルンの指摘に、東雲が慌てて顔を上げる。
 かろうじて顔をバルクホルンの方に向けるが、目は彼女を見ていない。その後ろにある食器棚に焦点を合わせている。

「そんな事ないよ~、うん、元気元気。大丈夫」

 白々しい答えとしゃべり。
 バルクホルンの眉間にしわが寄る。

(おかしい……)



1205時 大学構内
「東雲さん!」
「ん~?」

 授業も終わって一休み。食堂へと向かう途中、廊下で聞き慣れた声に呼び止められる。
 振り向くとそこには後輩の荒井がいた。

「東雲さん、頼まれてた本が届きましたよ」
「ん? ……お! おお! 届いたか!」

 一瞬、何の事か分からなかったが、少し前に頼んでいたものだったことを思い出す。
 邪魔にならないように揃って廊下の端に移動する。
 荒井がカバンから茶色い紙袋を取り出すと、東雲に手渡した。

「どれどれ~」

 周りの人に見えないように、紙袋の口を軽く開いて覗き込む。
 中には注文通り、エイラーニャの18禁同人誌。前回のコミケで惜しくも買い逃した本だった。
 その後、委託に出たことは知っていたのだが、他に欲しい本も見当たらず、一冊だけでは送料が高くつくので、二の足を踏んでいた。
 その時、荒井が同人ショップの通販を頼むということだったので、便乗させてもらった。そうすれば送料は割り勘になるので、二人ともお得である。

「むふぉ! これは、これは楽しみでござるなぁ~」

 表紙にはかわいらしいサーニャとエイラ。
 期待に胸が、いや、下半身が熱くなる。

「ん?」

 ふと気付く。
 袋の中に、もう一冊入っている。

「荒井、何かもう一冊あるぞ?」
「いやぁ、実はですね。間違えてポチッてしまいまして、東雲さんに引き取ってもらえないかなぁ、と……」
「まぁ、別にいいけど。何の本だ?」

 先日バイトをしたので、懐は暖かい。同人誌一冊分ぐらいはどうということはない。このぐらいの些細なミスは、笑って許すべきだろう。
 袋の中に手を入れ、表紙を覗き見る。

「ぐ!? が!?」

 絶句。
 表紙に踊る「18禁」の文字。それはまだいい。
 問題なのは表紙に描かれているキャラと、タイトルだ。

『いや~ん お姉ちゃんのいちゃ×2ラヴ×2 妹地獄』

──バルクホルン×宮藤×クリス

 何とコメントして良いか、分からない。
 体も思考も氷付く。

「あ、荒井……な……んだ……この……本は……?」

 タイトルからは、もはや中身が想像できない。
 今までバルクホルンメインのエロ同人など、買ったことがないのでなおさらだ。

「こ、これを俺に……引き取れ……と?」
「すいません。他はみんな断られまして、もう東雲さんしか頼める人が……」
「ぐっ……」

 言葉に詰まるが、「引き取る」と言ってしまった。

「荒井くん? 君が引き取るというのは……」
「実は二冊買っちゃったので……」

 逃げようとするも無駄。

「お願いします東雲さん! あと二日で仕送りが入るんですが、それまでしのげそうになくて……これを買ってもらえれば一食、いえ二食は食いつなげるんです!」
「……わかった」

 つい先日、自分も同じ立場になっただけに、そう言われると弱い。
 かわいい後輩の頼みだ、無下には出来ない。
 東雲は財布を取り出すと、キッチリと金を払う。

「ありがとうございます!」
(よりにもよって『バルクホルン本』かよ……)

 手に持った紙袋をもう一度見つめる。
 観念したように重いため息をつくと、東雲は自分のカバンにそれをしまった。



[26044] 夢で会いましょう!? 2 【R15】
Name: アルテン◆9a73cf91 ID:e15ac0d0
Date: 2011/11/13 22:55
1801時 コーポ長島
(さて……この本、如何にしたものか……)

 敷きっぱなしのセンベイ布団の上で考える。
 目の前には昼間に受領した二冊の同人誌。まだビニールを破っていない。
 エイラーニャ本。これはいい。自分で頼んだ本だ。
 問題なのはもう一冊の方。バルクホルン本が問題なのだ。

(……まぁ、せっかく金払ったんだから、見るだけ見てみるか……)

 ビニール袋に手をかける。
 と、その時、『ベルリンの壁』の向こうからバルクホルンの声。

「東雲」
「ば、バルクホルン?!」

 あたふたと二冊の同人誌を布団の下に隠し、振り返る。
 幸いなことに、部屋を二分するシーツはめくられていない。

「先にシャワーを使わせてもらうぞ」
「え? あ、うん」

 不意に声を掛けられたので、条件反射で肯定の返事。
 何を言ったかなんて頭に入ってきていない。
 そしてバルクホルンは、シーツ越しに話しているので、東雲の様子が分からない。
 肯定の返事を聞くと、『ベルリンの壁』からすっと身を離す。

(ほ……)

 心の中で安堵のため息。
 何の話だったか分からないが、バルクホルンに『バルクホルンのエロ同人』を見られるという最悪の事態は回避できた。
 布団の下に隠したエロ同人を、静かに取り出すと、再び目の前に並べる。

(……では改めて)

 再度、ビニール袋を破くために手をかける。
 と、その時、バルクホルン側の電気が消えた。そして聞こえる衣擦れの音。

(ま……さ……か!?)

──バルクホルンの脱衣

 東雲の背後、『ベルリンの壁』の向こうでバルクホルンが服を脱いでいる。
 さて、ここで部屋の間取りを振り返ってみよう。
 面積は全部で17畳。個別の風呂とトイレ。あとは隔てるもののないワンルーム。扉が付いているのは玄関の前室とトイレ、風呂だけ。脱衣所は存在しない。
 つまり、シーツの向こう側のバルクホルンは

──全裸

(しまった! 風呂だったのか!?)

 気付いた時には既に遅し。
 二人の間を隔てるものはシーツ一枚。視線を遮ることは出来ても、音までは遮れない。衣擦れの音が、耳から入り、頭の中で反響、残響、木霊する。
 音だけというのが、さらに良くない。目に見えないだけに、無駄に想像力だけが暴れ出す。いけない妄想が東雲の脳内を、ぐるんぐるんと駆け巡る。

──妄想力

 息を呑み、目が血走る。
 高鳴る鼓動は理性を押し退け、本能のままに東雲を動かそうとしている。
 それを止めるは、今や一本の糸の如く頼りなくなった理性。そして緊張。
 東雲は童貞だ。
 年頃の異性の裸など見たことがない。
 『異性の裸』それは未知との遭遇。己が知らぬことゆえ、体が強張り、思うように動かせない。東雲の本能が緊張に勝った時、理性の糸も切れることは必至。

──風呂の扉が開く

 軽やかな足音と共に、バルクホルンが風呂場に入った。
 実のところ、理性と本能の戦いは、今日に始まったことではない。同居をすると決めた初日から始まっていたのだ。
 今思い起こしても、初日はよく持った。
 初日のバルクホルンは、電気を消さずに服を脱いだのだ。そのためシーツには彼女のシルエットが映し出され、悶絶する羽目になった。
 これが今後毎日繰り返されるのかと思うと、目眩がした。
 それを防ぎ、二度とこの惨劇を繰り返さないために、バルクホルンには電気を消させ、一声かけるようにお願いした。
 イヤホンをして音楽をガンガンと流し、衣擦れの音が耳に入らないようにした。
 動画やマンガを見て、視線がシーツに行かないようにした。
 4、5日もしたら上手く気をそらせるようになっていた。
 しかし、わずかな気の緩みが、これまでの東雲の努力を水泡に帰す。
 やがて聞こえる

──湯浴みの音

 シャワーから吐き出された湯は、バルクホルンの肌をやさしく叩き、蒸気がその肢体を包み込む。
 鎖骨に当たった湯は収束するように谷間を下り、引き締められた腹部を通って、迫力の太ももへ。
 物理法則に従い流れ落ちる湯。その一滴一滴に至るまで、忠実に妄想しようとする東雲の脳。

──妄想力の暴走

 留まるところを知らない東雲の妄想。
 その勢いスツーカの如し。
 この向こうに全裸のバルクホルンが、シャワーを浴びていると思うだけで、東雲の理性は……

(ぐあぁぁぁぁぁあ!)

 のたうつ。
 布団の上をゴロゴロと転がる。転がりまくる。転がっては転がり、また転がってはさらに転がる。
 体力を無駄に使って、無駄に疲れる。
 体力を浪費したところで東雲の動きが止まる。
 荒い息を繰り返しながら、目に入ったイヤホンを手に取ると、素早く装着。MP3プレーヤーの再生スイッチを叩くように押すと、風呂場からの音を遮断。妄想の元凶を断ち切る。
 そしてビニール袋に包まれたままの同人誌を見やる。

(い、今、こんなの見たら……)

 ぞっとしながら、同人誌を手に取ると、そのまま布団の下へと隠した。



????時 コーポ長島
「東雲、貴様は『弟』として可愛がってやろう」
「はぁ!? 何を言って……」
「『貴様の弟』は元気か?」

 バルクホルンの白魚のような指が、『弟』に伸びる。

「ちょ!? まっ!?」

 後退り、逃げようとするが、両腕をつかまれる。

「え? え? え?」

 いつの間に近付いていたのか、右腕に宮藤、左腕にはクリスが絡み付き、東雲の動きを封じている。振り払えない。

「「捕まえたよ、お姉ちゃん」」
「でかしたぞ。私のかわいい妹たち」

 うっとりとした視線を交わすバルクホルンと妹たち。
 東雲だけが蚊帳の外。

「なぁ、東雲。姉妹がいがみ合う……それは悲しいことだと思わんか?」
「そ……そうだね……」
「姉妹が仲良く、助け合う……美しいことだと思わんか?」
「……そうだね」
「うむ。よって我ら姉妹も一致団結せねばならん!」
「お前らもう団結してるだろ!」
「貴様が、まだだ」
「待て! 俺はいいから! 遠慮しとく!」

 待ったナシ。
 返答を無視してバルクホルンの手が、東雲のズボンに掛かる。

「さあ、妹たち。『弟』と対面だ」
「「はい! お姉ちゃん!」」
「い……いやぁぁぁ」

 バルクホルンの手が下がる。



0334時 コーポ長島
「ぁぁぁ……………」

 目が覚めた。
 周囲を見渡す。
 宮藤とクリスどころか、バルクホルンすらいない。

(また夢かよ……)

 天井を見上げながら、額に手をやる。
 ぬるっとした感触。寝汗。
 東雲は汗を無造作に手で拭うと、頭を抱えた。

(どうしちまったんだよ……俺……)



0734時 コーポ長島
「東雲。バターを取ってくれ」
「………………」

 いつも通り、二人揃っての朝食。
 いつもと変わらない風景。
 今日も違う東雲の態度。
 視線を下に向けたままの東雲が、バルクホルンの前に静かにバターを置く。

(おかしい……)

 ここ数日の東雲の態度は明らかにおかしい。
 それどころか日増しに悪化している。
 今日は目を合わさないどころか、返事もしない。

「なあ、東雲」
「………………」
「っ!」

 無言。
 言葉を発せず、目だけで応える東雲。
 鋭い眼光。
 その視線は飢えた獣そのもの。
 同居生活が始まってから今まで、こんな目を向けられたことはない。
 東雲はあまり我を通すタイプではなく、周囲の顔色を伺うような人間だ。だから険しい表情をすることは少なく、常にへらへらとしている。

──無害な男

 それが東雲に対するイメージだった。
 その東雲の目に野生が宿っている。
 初めてみる東雲の険しい表情に、不意を突かれたバルクホルンが思わずたじろぐ。

「きょ、今日も冷え込みそうだな……」
「…………………」

 微かに首を縦に振る東雲。
 そのまま視線を外すと、トーストにかぶり付く。

(い、一体何だというのだ……)



1313時 第二学生食堂
「最近、東雲の様子がおかしい」

 昼休みも終わり、人もまばらになった大学の食堂の片隅。
 東雲が授業に向かい、十分に時間を取ると、バルクホルンが真剣な面持ちで切り出した。

「どんな風に?」

 それを受けて答えるのは、創作研究同行会の山崎、中川、小泉の腐女子三人。
 バルクホルンから「相談がある」と言われ、今は四人だけでテーブルを囲んでいた。
 こちらの世界ではバルクホルンの交友範囲は狭く、東雲の友人たち以外に知っている人はいない。
 その中で『相談できる』、とりわけ同性の知人は山崎たちだけだ。相談相手のチョイスは必然というか、他になかった。

「まず、目を合わせなくなったし、話をしようともしない。今日は返事もしなかった」
「たまたま調子が悪かったんじゃね?」

 小泉が茶化すように尋ねるが、バルクホルンは即座にそれを否定した。

「いや、それはないだろう。食事は普通に取っていたし、熱があるようにも見えなかった」
「じゃ、体調は問題ないってこと?」
「そのはずだ……」

 体調不良でないならば、別に何らかの原因があるはずである。
 しかし、それがわからない。

「何か壊したとか?」
「いや、それはない」
「東雲の秘密に触れてしまったとか?」
「お互いプライベートは守っている」
「変なモノ食わせたとか?」
「残さずに食べているな……」

 益々訳がわからない。
 しかし、バルクホルンに非がある訳ではなさそうだ。
 四人揃って首をかしげる。

「もしかして、テストのことじゃない?」
「テスト?」
「東雲のやつ、単位ヤバイとか言ってたし」

 中川がふと思い出したように言ってみる。
 確かに期末テストまではもう幾日もなく、学生は皆テスト勉強に余念がない。
 そして当の東雲はというと、あまり勉強しているようには思えない。それにバルクホルンが来てからというもの、そちらのほうが忙しく、授業は休みがちだった。出席日数もギリギリだったり、もちろんノートも取れていない。

「あー、そういや、出席足りない分はレポートでなんとか出来ないかって、頼んでるの見たわ」

 小泉が見たのは、とにかく頭を下げてお願いする東雲の姿。
 話の分かる教授には端からお願いして回っていた。
 バルクホルンの顔に切なさが浮かぶ。
 今まで聞いたことのない話。居候として迷惑を掛けないようにしてきたつもりだったが、東雲が表に出さないようにしていただけだった。バルクホルンに見せないようにしていただけだった。
 切ない。
 重荷になっていたことが。
 気付かなかったことが。
 思い上がりだったことが。

「東雲は……そんなこと一言も……何故、言わんのだ……」

 唇を噛み、目を伏せる。テーブルに乗せられたバルクホルンの手は、固く閉じた。
 にじみ出る後悔。
 悔しく、悲しく、不甲斐ない己に対する怒りが沸いてくる。

「いや待った。その割にアイツ、私らに『ノートコピーさせてくれ~』とか言ってこないぞ?」
「おお~、そうだな」

 山崎がこの流れに待ったを掛ける。
 テスト期間が近付くと、ノートのコピーをねだるのがいつもの光景。
 まじめに勉強するのなら、もう東雲が頭を下げに来ていなければおかしい時期。

「じゃあ、違うの?」
「違うのか!?」
「違うんじゃね?」
「何かテストじゃない気がするんだよね~」
「原因が他にあるというのか!?」

 机を叩き立ち上がるバルクホルン。高ぶったままの感情が体を勝手に動かした。
 鼓膜を震わす大きな音が、食堂に響き渡る。
 食堂に居合わせた学生たちが、何事かと視線を向けてくる。

「ば、バルクホルンさん!? 落ち着いて!」
「す、すまない……」

 我に返る。
 静かに腰を下ろすと、山崎たちに向き直る。

「では、原因は何だというのだ?」
「なんだろ?」
「さあ?」
「わかんない」
「「「「ん~……」」」」

 四人揃って頭を抱える。
 しかし、考えても考えても分からない。
 やがて、山崎が携帯電話を取り出した。

「こういうのは、東雲を一番知ってる人に聞くのがいいんじゃね?」
「お、おお! 山梨さんか!」
「ああ! そっかー!」
「? 誰だ?」

 山崎たち三人に一筋の光明。解決の糸口となる人物の名が挙がる。
 バルクホルン一人が蚊帳の外。
 今まで聞いたこともない名前に、首をかしげる。

「今は卒業しちゃったんだけど、東雲の師匠だった人」

 簡単な説明をしながら、アドレス帳から電話番号を探し出すと、迷うことなく電話を掛ける。
 待つことしばし。

『山崎か~? ど~した?』

 件の人物は、気だるそうな声で電話に出た。
 男の名は山梨。
 東雲たちの先輩である。東雲とはマンガやアニメの好みが似通っていたため、意気投合し、よくつるんでいた。大学関連では東雲のことを一番良く知っている人物。

「東雲のことで、ちょっと相談があります」
『ん~? アイツなんかしたの?』

 山崎は東雲がバルクホルンと同居し始めたところから、説明していく。
 話を聞く山梨が『東雲が女の子と同居している』という、いわば青天の霹靂の事柄に何やら喚くが、山崎が一喝を持って黙らせる。
 そして順序立てて現状まで、何とか説明を終えた。
 あとは山梨から答えを引き出すだけ。
 バルクホルンが、固唾を呑んで見守る。

『質問なんだけどさ。同居してどのくらいたったの?』
「三週間ぐらいですか」
『あ~、なるほど。目付き変わってなかった?』
「バルクホルンさん、東雲の目付きって変わった?」
「あ、ああ……何と言うか、鋭いというか……そう! 獲物を狙うような目付きだった」

 急に質問を振られて、少しまごつくが、一番適当な表現を探し当てる。
 山崎はそのまま山梨に伝えると、答えを待った。

『あ~あ~、マズイね、そりゃ。う~ん……』

 山梨には心当たりがあるらしい。しかし、答えをなかなか言わない。
 何かを迷っている。

「山梨さん! 何かわかるんでしょ!? 早く言ってくださいよ!」

 山崎が電話口で怒鳴り散らす。
 じれったい山梨にキレかけている。
 その剣幕に押された山梨が、それでも慎重に言葉を選ぶと、重たそうに口を開いた。

『……二時間程、一人にしてやると直るよ』



[26044] 夢で会いましょう!? 3 【R15】
Name: アルテン◆9a73cf91 ID:e15ac0d0
Date: 2011/12/04 23:06
1328時 第二学生食堂
「二時間一人にする?! 何言ってるんですか?! それで直るんですか?!」
『っ! 電話口で怒鳴るな』

 山梨に大声で噛み付く山崎。
 電話口の向こうで、顔をしかめた山梨が怒鳴り返す。

「二時間? 何のことだ?」
「さあ?」「わからんねぇ」

 顔を見合わせるバルクホルンと中川、小泉。
 電話で話しているので、三人には山梨が言ったことが分からない。山崎の言葉から推測するしかない。

「大体、何で二時間なんですか?! 訳を教えてくださいよ! 訳を!」
『だから怒鳴るなっ!』

 わざとらしい咳払いを一つ。
 山梨は自身と山崎を落ち着けるため、一呼吸分の間を置いた。

『俺が卒業した時のこと憶えてるか?』
「ああ~、最後東雲の部屋に居ましたよね」
『そう、アパートの契約の関係で早く出なきゃいけなかっただろ?』
「え? あれって卒論が……」
『それはどーでもいいの! とにかく一ヶ月ヤツの部屋で世話になった訳』
「はぁ」
『その時と同じだ』
「山梨さんの時もそんなことが?」

 見立てでは『アレ』だが、さすがに女子に向かってストレートな物言いははばかられる。なので、オブラートに包む。

『ヤツは今、『プライベート』がなくて、ストレスが溜まってるから、ちょっと一人にしてやれば、元に戻るの』

 その時はお互い男同士なので、じっと我慢するしかなかったが、今回は違う。
 同居しているのが、男ではなく女なのだ。
 溜まったものはどこかで抜かないと破裂してしまう。
 今の東雲は飢えた獣そのもの。彼の目にバルクホルンは、さぞ美味しそうな餌として映っていることだろう。
 山梨は慎重に言葉を選び続ける。
 東雲の名誉のために。それが師匠としての精一杯のやさしさ。

「なるほど! 『溜まってる』んですね?」

 そのやさしさも、山崎のウキウキと楽しそうな声で台無しになる。
 お見通し。
 席を立ち、バルクホルンたちから少し離れると、声をひそめた。
 山崎の顔が打って変わって生き生きとしてくる。

『……『ストレス』がな』

 半ば無駄だとは思いつつも、隠そうとする山梨。だが、ヒントを出しすぎた。山崎はもう答えにたどり着いている。
 その声は弾むばかりだ。

「なるほど、なるほど。『放出』出来なくて『溜まった』と」

 満面の笑みを浮かべ、核心を突いてくる山崎。

『山崎、女の子がそんな風にいっちゃいけません』
「わかってますって、大丈夫ですよ山梨さん」

 さらに二、三会話を交わすと、山崎は礼を言って電話を切った。



1434時 大学校舎内
(……集中できんかった)

 講義を終え、学食へと向かって歩く東雲。
 テスト前の大事な講義だったというのに、その内容が一切頭に入ってこなかった。
 それと言うのも、脳内で自動再生される妄想が全ていけない。
 少しでも気を緩めると

──バルクホルンの山が
──バルクホルンの谷が
──バルクホルンの丘が

 東雲の脳内で暴れまわる。
 見た訳ではない。全ては妄想の産物。
 にもかかわらず、妄想は日に日に鮮明なものになっていく。
 講義中に発電用タービンが、誤作動を起こす事故も発生し、沈静化に苦労している。
 東雲自身も気付いている。己の限界が近いことに。
 山梨の読みは当たっていた。
 東雲の性欲は我慢の限界なのだ。
 ひょろひょろなよなよの、男らしいところのない男ではあるが、生物学上立派な『雄』である。
 そして二十代前半は、人間にとって体力のピークを迎える時期。
 体力のピークを迎えた雄。
 それは雄としての行動をもっとも活発にする。
 そう、『繁殖したい盛り』なのだ。

(俺はもう……ダメかも知れん……)

 ふやけた頭で薄ぼんやりと思う。
 そしていつも通り授業後のメールチェック。頭は冴えなくとも、染み付いた習慣は体から抜けるものではない。
 一通のメールが届いていたので、何の気なしに開いてみる。

(山梨さん? 珍しいな……)

 用事がある時は直接電話をかけてくるのだが、珍しくメール。
 本文は短かった。

『すまん。許せ』

 ただそれだけしか書いてない。
 首をかしげる。
 何があったのか、思い当たる事が何もない。
 考えても考えても分からない。
 それでも歩きながら考え続けていると、いつの間にか学食に着いていた。



1438時 第二学生食堂
「バルクホルンさん二時間借りるから」
「は?」

 山崎からの通達。
 話の前後は分からないが、決定事項らしい。おそらく文句を付けたところで、くつがえることはないだろう。

「何するの?」

 一緒に遊びに行くほど仲が良かったのかと疑問に思いつつも、尋ねてみる。

「ん? まぁ、買い物とか、お茶とか色々」

 わざと目を逸らしながら、山崎は適当に答える。
 具体的に何をするのか決めていないのが、すぐ分かる。問い詰めてもはぐらかし続けるだろう。

「……わかったよ」

 うんざりした顔で不承不承に了承する。
 同意が得られると、山崎は東雲の腕をつかみ、顔を寄せ、声をひそめた。

「久しぶりの『一人っきり』だねぇ~。思う存分『フィーバー』するといいんじゃな~い?」
「!?」

 顔面蒼白。東雲の顔が凍り付く。
 一瞬、何を言っているのか分からなかった。
 しかし、山崎の声が、態度が、にやけた顔が、全てを物語っている。ハッキリと言わないが、東雲に『自家発電』を勧めている。

「な、な、な!?」
「安心しなよ~東雲~。まだバルクホルンさんには言ってないからぁ」
「な、何を言ってるのかな山崎?」
「とぼけちゃってぇ~。『溜まってる』んだろ?」
「っ!?」

 図星。
 東雲の顔が引きつる。
 その顔の変化を楽しそうに眺める山崎。

「や、やややや山崎!? おおおお前、なななななな何を企んでる?!」
「別に~。『ただの親切心』さ~」
(ウソだ!!)

 東雲の叫びが喉までせり上がってくるが、ぐっと堪えて飲み下す。
 しかし顔は正直だ。誰が見ても東雲の言いたいことが分かる。
 山崎はことさら満足気に笑みを浮かべると、クックと声をかみ殺す。

「まぁ、二時間何をしようと、お前の自由さぁ」



1442時 大学 売店
(急げ! 急げ! 急げ!)

 心の中で叫びつつ焦りに焦る。
 足早に歩きつつ、目的の品を探す。
 目指すは生活雑貨コーナー。

(確かなら、ここら辺に置いて……あった!)

 記憶通りに目当ての商品があったことに安堵しつつ、乱暴に引っ掴むと東雲はレジに向かう。



1523時 山崎のアパート
「本当に一人にするだけで直るのか?」

 もっともと言えばもっともな疑問を口にするバルクホルン。
 山崎、小泉、中川の三人が顔を見合わせ、ニヤリと笑う。
 もはやこの中で知らないのはバルクホルンのみ。小泉と中川には、山崎がこっそりと耳打ちしてある。
 ここは山崎が住むアパートの一室。学食でまったりと時間を潰そうかとも思ったのだが、それではあまりに芸がないので、場所を移した。
 周りに人がいないので、込み入った話も出来る。

「……何だ、その気持ち悪い笑顔は?」
「くっくっく、まぁ、ヤツも一人になりたい時ぐらいあるさ」
「そうそう。知られたくないことがあるんだよ」
「がんばれよ東雲」

 邪悪な笑みで山崎たちは笑い合う。
 東雲のみならず、バルクホルンまでおもちゃにしている。

「何を企んでいるんだ! お前たちは!」

 バルクホルンが不快極まりないといった顔で、山崎たちを睨みつける。

「ん~。ゴメンね、バルクホルンさん。絶対に教えないって東雲と約束しちゃったから」

 山崎はあくまで涼しい顔で受け流す。
 それがまたバルクホルンの癪に触るのだが、この様子では口を割らないだろう。
 東雲と山崎の間で交わされた約束。
 それを思い出すたび、山崎の腹がよじれそうになる。
 あそこまで必死になって懇願する東雲を、今まで見たことがない。最後には泣き出しそうな顔になっていた。

「でも、まぁ、二時間経てばいつもの東雲に戻ってるから」
「……本当か?」
「それは保障する」
「……わかった」

 憮然とした表情で、どっかと座り直すバルクホルン。
 その顔は不機嫌そのもの。
 苦笑を浮かべると、山崎は肩をすくめた。

「さて、このまま二時間、茶飲み話ってのはもったいないから、勉強会でもしようか」
「勉強? そうか、では私は大人しく……」
「何言ってるの。『バルクホルンさんの勉強会』をするの」
「? 私の?」

 山崎の言葉に、バルクホルンが眉をひそめる。
 何故自分が勉強しなければならないのか、何を勉強するのか、皆目見当も付かない。
 そんなバルクホルンの疑問をよそに、どす黒い笑みを浮かべる三人。
 小泉と中川がバックの中をあさりだす。

「となれば、やっぱりバ〇〇だな」
「最初はソフトにヘ〇〇アからじゃない?」
「待て待て、まずは基本のエンピツと消しゴムの関係から行くのが筋だろ」

 何の話か分からないが、順番でもめていることだけは確かだ。
 そしてそれはとてつもなく嫌な予感がした。近付いてはならないと。幾多の戦場を駆け抜け、窮地を潜り抜けてきたバルクホルンの本能が、そう告げている。

「あー、私のことなら、特に気を使わないでもらえると助かるのだが……」
「大丈夫! 大丈夫! バルクホルンさんもすぐに楽しくなるから! さぁ、時間もないからちゃっちゃといくよ!」

 バルクホルンの背中に、未だかつて経験したことのない悪寒が走った。



1515時 コーポ長島
(…………)

 帰ってきた。
 東雲は部屋に帰ってきた。
 久しぶりに一人だけの部屋。一人だけの時間。
 万難を排除することは出来ず、不安と焦燥が入り混じり、穏やかならざる心境であったが、東雲は今、自由になった。
 縛り付けるものは何も無い。
 押える必要も有りはしない。
 ただ、己の欲望に忠実に生きるのみ。
 山崎が指定した時間は17時。その時間になれば山崎たちが、バルクホルンを送り届けてくれる。
 それまでに全てを終わらせなければならない。

(……イクぞ!)



[26044] 夢で会いましょう!? 4 【R15】
Name: アルテン◆9a73cf91 ID:e15ac0d0
Date: 2012/01/09 00:23
1524時 コーポ長島
(今日は何にし~よ~う~かな~♪)

 スキップしそうな勢いで本棚へと向かう東雲。
 足取り軽く跳ねて行く。身も心も軽く、今まで鬱屈していたのがウソのように心晴れやか。満面の笑みを浮かべている。

(どれどれ~。……ん?)

 にこやかに棚を覗き込む。
 が、ここで困った。
 エロ同人を収めていたスペースに、エロ同人が一冊もない。代わりに教科書が鎮座している。

(しまった!?)

 思い出す。
 バルクホルン対策にエロ同人全てを隠したのだ。今は押入れの奥の奥。最深部のダンボールに収められ、カモフラージュとして詰められた夏物衣類の下に眠っている。

(だが、うろたえない! 日本の大学生はうろたえない!)

 踵を返し、敷きっぱなしのせんべい布団へ。
 やおら布団の下に手を突っ込むと、二冊の同人誌を取り出す。
 先日、荒井から受領したばかりの同人誌。封も切られていない真新しい同人誌。受け取った時から、そのままの状態。

(切り札は最後まで取っておくものさ)

 ニヤリと笑う。
 全ては自分の行動の結果なのだが、そんなことは気にしない。
 手には『エイラーニャ本』と『バルクホルン本』。迷うことなくエイラーニャ本のビニールに手を掛ける。
 そして東雲はビニールを破いた。
 待ち焦がれた時。
 ビニールが破ける音は歓喜の声。勝利へのファンファーレ。
 その音が東雲の心に染み渡る。
 ついにこの時が来たのだ。



同時刻 東雲水力発電所 ※イメージです
(まだか……)

 男は窓の外を見続ける。
 視線の先にはダムに貯められた水。それは今もなお増え続けている。
 一週間前から猛烈に降り始めた『欲望』という名の雨は、未だ衰えることなく降り続けている。
 貯水量は当の昔に100%を越え、いつダムが決壊してもおかしくない状況。
 このダムの建造が始まったのが21年前。稼動が始まったのが10年程前。男の人生はこのダムと共に在り続けた。
 だが、未だかつてこのような状況は目にした事がない。男にとって初めての経験。
 一刻も早く放水しなければならない。
 だというのに放水命令は下されない。
 男は焦っていた。
 危険だ。
 もし決壊するようなことがあれば、どれだけの被害が出るか想像もつかない。

(まだか……)
「東雲所長!」
「来たか?」
「ハイ! 放水できます!」

 待てど暮らせど一向に下されなかった放水命令。それが今、下されたのだ。
 男たちの顔に安堵の表情が浮かぶ。
 しかし、彼らの本当の仕事はこれからなのだ。
 所長と呼ばれた男が、顔を引き締める。

「行くぞ東雲くん! 放水準備だ!」



1529時 コーポ長島
「むふ♪」

 読みふける。
 一心不乱にエイラーニャ本を読みふける東雲。
 同人誌の出来は期待に違わぬものだった。わざわざ通販を頼んだ甲斐があったというもの。
 エロさ的には実用度の高いものではないが、そこがサーニャらしさをかもし出し、大変雰囲気が良い。かわいらしい絵柄と相まって、初々しさが出ている。
 グッとくる。
 東雲的に満足のいく一品。
 出来栄えを確認すると、東雲は腰を浮かせた。

──第一拘束具 解除
──第二拘束具 解除
──第三拘束具 解除

 東雲を縛り付ける理性を、一つ一つはがしていく。
 あとは獣になるばかり。

「あ、あれ?」

 間抜けな声。
 獣になるはずだった東雲が、体の異変に気付く。



同時刻 東雲水力発電所 ※あくまでイメージです
「発電用タービン起動しません!」
「何ーっ!?」

 予想外の事態に、発電所全体が浮き足立つ。
 貯水量は十分、水門は開放済み。
 だというのにタービンが起動しない。発電が始まらない。
 想定外もいいところ。

「バカな!? そんな……そんなはずはない!」



1531時 コーポ長島
「何故だ……」

 愕然とした表情で発電用タービンを見下ろす東雲。
 今までこのようなことは起こったことはない。

「何故!? 何故!? 何故!?」

 顔に浮かぶは恐怖の色。
 脳裏をよぎるは、最悪の可能性。

──発電不能

 それは男としての終焉。
 男としてあってはならない不測の事態。それは死刑宣告にも等しい。
 焦る。
 焦る。焦る。焦る。
 何度も何度もエロ同人を読み直し、タービンの再起動を促す。
 好きなキャラ、好みの絵柄、好みのシチュエーション。不足しているものなど何もない。
 しかし、動かない。
 強制起動も試みるが反応がない。

「動け! 動け! 動け! 動いてよ! 今動かなきゃ……ん?」

 その時、もう一冊の同人誌が目に留まる。

──『いや~ん お姉ちゃんのいちゃ×2ラブ×2 妹地獄』

 後輩から渡された同人誌。
 バルクホルンのエロ同人。

(もし……これでも動かなかったら……)

 恐怖。
 恐ろしい。動かないことが恐ろしい。
 しかし、今は試すしかない。
 確かめるしかない。
 修理可能な故障なのか、それとも修理不可能な故障なのかを。
 怖い。
 確かめるのが怖い。
 本当に動かなくなっていたら、この先どのように生きていけばいいのか、見当も付かない。
 一縷の望みを託し、東雲は震える手でビニールを破った。



同時刻 東雲水力発電所 ※くどいようですがイメージです
「タービン起動しました!」
「よーし! 一気に発電しろ!」

 発電開始。
 生み出された電力は、加速度的に増え続ける。
 無事、起動したタービンに所長以下全員が安堵と恍惚の表情を浮かべている。
 発電量を示すメーターは順調に上がっていく。

「東雲所長。もうじき100%になります」
「早いな」
「随分溜まってましたから」
「貯水量はどうなっている?」
「もう一回発電できるだけの水量があります」
「うむ。ではもう一回だ」



1718時 コーポ長島
「……い、今帰ったぞ」

 玄関からバルクホルンのかすれた声。
 よろよろとふらつく足取りで部屋に入ると、倒れ込むように膝を着く。

「バルクホルン!? どうしたの!?」

 東雲が慌てて駆け寄るが、急ブレーキ。
 あと一歩で手が届く距離だが、入れない。その距離に入れない。
 先程までの自分の行いが、頭の中でフラッシュバック。東雲の顔がマグマのように赤くなる。

「ま、まさか、フォークとスプーンが……あのような汚れた関係だったとは……」
「はあ?!」

 心配そうに覗き込む東雲。
 うわ言のようにつぶやくバルクホルン。
 どうやらバルクホルンは、山崎たちの毒気にあてられSAN値をごっそりと削られたようだ。目はうつろ、顔色も悪く、うつむいて顔を上げられない。

「あ、あ~、バルクホルン?」

 赤面したままの東雲が、それでもバルクホルンを気遣おうと、何とか声をかける。
 その声でバルクホルンは失いかけた正気を手繰り寄せた。
 東雲の声。男の声。そう『男』。

(ぬあぁぁぁぁぁぁぁあ!!!)

 突如、猛烈に頭をかきむしるバルクホルン。
 脳裏を駆けるは、山崎たちに教え込まれた『特殊な掛け算』。掛けてはいけない者同士を掛ける禁断の算術。
 目の前の人物も数式に当てはめることが出来る。

「だ、大丈夫? 何かあったの?」
「……問題ない」

 おろおろと、どうしたらいいのかうろたえる東雲。
 そんな東雲を落ち着かせようと、深呼吸で心の平静を取り戻し、邪気を払うと、バルクホルンはゆっくりと顔を上げた。
 そこにあったのは、いつも通りの情けない東雲の姿。
 目元からは野生が抜け、チワワかプードル、いやハムスターかと思うぐらいに大人しい目になっている。
 思わずおかしくなって口元が緩む。

「え? な、何?」
「大丈夫だ……なんでもない……」

 東雲に向けられる安堵と慈しみの眼差し。
 元に戻った東雲に安心感を抱く。

「!?」

 不意に向けられたバルクホルンの弱々しい笑顔。
 東雲の胸の奥が熱くなる。
 再び思い出す。先程までの己の痴態。
 後悔と恥ずかしさと罪悪感がごちゃ混ぜになって、東雲を苛む。

(お、俺は! なんてことを!)

 自己嫌悪。
 仕方なかった、必要悪だったと己を正当化する心を、バルクホルンの笑顔が打ち砕く。
 東雲は自らの行為に恐れ、慄いた。彼女の顔をまともに見ることが出来ない。
 そんなこととは露知らず、元に戻った東雲を見て、バルクホルンも落ち着きを取り戻し始める。
 自分の定位置に付こうと立ち上がる。いつまでもへたり込んでいる訳にはいかない。
 と、部屋の様子が微かに違うことに気が付いた。

「東雲、何故換気扇をつけているんだ?」
「え!?」

 先ず気付いたのが換気扇。
 ガステーブルの上、風呂場、室内用、部屋に取り付けられた全ての換気扇が全力稼動している。真冬であるにも関わらずにだ。
 そのため室内はいつもより寒い。

「ふ、冬でもたまに換気したほうがいいかなぁ~と……ほら! また風邪ひくと悪いし」
「…………」

 内心滝のような汗をかきながら、適当に思いついたことを口に出す。
 誤魔化せたのか分からないが、バルクホルンの追撃はない。
 しかし、彼女の目は忙しなく動き続ける。
 心臓の鼓動が跳ね上がる。
 これ以上何かに気付かないようにと、ビクビクしながら祈った。
 が、

「……何か匂う」
「!?」

 バルクホルンの鼻がひくりと動いた。

「にお……い? ど、ど、どん……」
「……ミントか?」

 心臓に悪い。
 跳ね上がった鼓動が急停止。未来永劫動かなくなるのではないか、という勢いで止まるところだった。
 バルクホルンが気付いたのは消臭剤の香り。それに含まれていたミントの成分。
 帰り際に大学の購買で買ってきた消臭剤。東雲はそれをまるまる一本、部屋にばら撒いたのだ。気付かない訳がない。

「そう! ミント! ミント! 冬場は寒くて換気出来ないだろ? 匂いもこもるし! だから匂い消しを!」
「匂う……か?」
「うんうん」
「そう……か……」

 バルクホルンの顔がどんよりと曇る。
 理由は分からないがバルクホルンが落ち込んでゆく。

「あの、バルクホルン?」
「……つまり貴様はこの二時間、部屋の換気をしていたと?」
「……ま、まぁ」
「それも私に隠れてだ!」
「い?! ちょ?!」

 一転、烈火の如く怒り出すバルクホルン。
 話のつながりが見えず、うろたえる東雲。

「臭いなら臭いと何故言わんのだ!」
「な、何?! なんの話?!」
「東雲! 私はこれから風呂に入る!」
「え???」
「さっさと向こうに行かんかぁーっ!」

 怒鳴り散らして東雲を追い払うと、天井からぶら下がるシーツこと『ベルリンの壁』で部屋を区切る。

「え?! 何?! 何なの?!」

 訳も分からず追い払われた東雲。そのまま呆然と立ち尽くす。
 だが、バルクホルンは東雲の疑問に答えることもなく、さっさと風呂に入ってしまった。

(馬鹿者が!)

 その日、バルクホルンの風呂はいつもより長かった。



[26044] バルクホルンに花束を
Name: アルテン◆9a73cf91 ID:e15ac0d0
Date: 2012/02/11 22:27
0012時 馬走湖畔
「…………」

 バルクホルンは無言で夜空を見上げていた。
 そこは彼女がこの世界に現れた場所。ただその一点のみを見続ける。
 空にはどんよりとした雪雲が広がり、夜空に瞬く星々を見ることは出来ない。

(……やはり、もう……)

 バルクホルンの顔が曇る。
 この世界に来て早一ヶ月。
 毎日この夜空を見上げ続けた。
 しかし夜空は変わることはなかった。雲が空を覆い、雪を降らせるだけ。

(……帰れないのか)

 帰りたい。
 妹のいる元の世界。宮藤のいる元の世界。仲間のいる元の世界へ。
 帰りたい。
 強くなる願い。薄れゆく記憶。
 この世界に来てからというもの、毎日が驚きと衝撃の連続だった。
 時代のギャップ、文化のギャップ、技術のギャップ。どれもこれも彼女の常識の範疇を越えていた。
 それに追いすがり、知識を蓄え、生活をこなすだけでも頭がパンクしそうだった。
 日々新しい情報が濁流のように流れ込み、古い記憶を押し流す。そんな生活が続いた一ヶ月。
 元の世界での生活が遠い昔のような、幻のようにも感じるようになってしまった。

──あきらめ

 その一言がバルクホルンの心に浮かぶ。
 この世界に流れ着いて一ヶ月。そう一ヶ月も経ったのだ。
 それだけの間、行方不明になっているのだ。元の世界ではもう捜索も打ち切られ、『未帰還』として死者と同じ扱いになっているだろう。
 バルクホルン自身、過去にそういった者たちを見てきた。どのように思い、扱ったのかもわかっている。
 そしてその度に自分が何と言ってきたかも。
 だが、当事者の心までは分からなかった。
 そして今ならそれが痛いほど分かる。

──私はここにいる

 見付けて欲しい。
 ここにいることを伝えたい。
 だが、その術がない。
 空を飛べなくなった身が何と無力なことか。
 くやしさに涙腺が緩む。

「うぅぅ~、さみぃ~……」

 背後から東雲の声と雪を踏みしめる音。
 バルクホルンは素早く目元を拭うと、振り返る。

「バルクホルン、一通り回ってみたけど特に変わったところはなかったよ」
「……そうか」

 いつも通り間の抜けた声での結果報告。
 気付かれてはいないようだ。

「……戻るか」
「そうだね。早く帰って暖まろう」

 いそいそと車へ向かう東雲。
 その後をバルクホルンはとぼとぼと付いて行く。
 そして車に乗る前に、もう一度、夜空を見上げた。



1209時 第二学生食堂
「終わった~っ!」

 学食の座席に座るなり、力尽き、机に突っ伏す東雲。
 たった今、期末テストの全日程を終えたのだ。内容はともかく、受けるべきテストを全てこなした。

「よぅ、東雲。どうだった?」
「あ~、何とか答えだけは埋めてきたよ」

 一足先に学食に着いていた山崎たちに、戦果を聞かれる。
 元々勉強が好きな方ではない上に、バルクホルンとの生活が始まってから、なおさら勉強に割く時間が減っていた。
 山崎たちからコピーさせてもらったノートのおかげで、一通り解答欄は埋めることができた。
 後は野となれ山となれだ。

「とにかく、これでしばらく休める……」

 期末テストが終わってしまえば、成績発表まで授業はない。
 その成績発表まではかなり間が開く。追試さえなければ、このまま春休みに入っても問題はないぐらいだ。

「東雲、この後暇だろ?」
「まぁ、暇っていや暇だけど」
「テストも終わったことだし、みんなでカラオケ行こうぜ」
「おっ、いいね。行くよ」
「よし、決まりだ。バルクホルンさんもちゃんと連れてこいよ」

 山崎にしてみれば、バルクホルンはもはやサークルの仲間だ。当然のように言い添える。

「わかってるって」

 東雲にしても最初から連れて行く気である。
 弾むような声で答えると、バルクホルンの待つアパートへ帰るため、いそいそと仕度を始めた。



1639時 カラオケ店
「だぁぁぁぁぁぁぁー!!!」

 絶叫と共にアニソンを歌い上げる東雲。
 エコーのかかった歌声が部屋の中に木霊する。
 部屋の中には総勢9人のサークルの仲間たち。山崎がその後も誘い続け、都合の付く者たちで来ていた。

「ぷひぃ~、叫んだ叫んだ」
「東雲、うるさいぞ~」「ぞ~」

 中川と小泉がブーイング。とは言っても顔はにこやか。いつもの東雲いじりである。
 東雲もそこは心得ていて、わざと苦い顔を作ってお茶らけている。

「東雲さんマイクもらいますよ」

 ちゃっかりとバルクホルンの右隣に陣取っている服部にマイクを渡すと、東雲は彼女の左隣に腰を下ろした。
 部屋の中は和気藹々。仲間と共に過ごす時間を皆楽しんでいる。
 バルクホルン以外は。
 彼女は紅茶の入ったコップを包むように両手で持ったまま、ぼんやりと歌詞の流れる画面を見ていた。

「あ、そういや東雲」
「ん?」

 ふと何かを思い出した山崎が、対面の東雲に声を掛ける。

「明日、空港まで送ってくれない?」
「ん、いいけど。もう実家に帰るのか?」
「バカ! 春から就活しなきゃなんないだろ。その準備だよ」

 どうやら山崎は就職活動の下準備を、早々にすませる腹積もりのようだ。
 確かに理に適った話ではある。
 成績発表の後には、追い出しコンパがあり、卒業式では卒業生を見送らねばならないし、それが終われば自分たちの就職活動を始めねばならない。
 日程は飛び飛びで、遠方から来ている者は実家に帰るタイミングがつかみづらい。であるならば、ここで早々に帰っておくのも一つの手だ。

「……帰る?」

 山崎の言葉に反応したバルクホルンが、無意識にポツリとつぶやく。

「え? どうしたのバルクホルン?」
「……はっ!? いや、なんでもない」

 東雲がバルクホルンの顔を覗き込む。
 いつものように小動物のような目を向けている。
 バルクホルンは慌ててその場を取り繕う。幸い何を言ったかまでは聞かれていないらしい。服部の歌声がかき消してくれたようだ。

「バルクホルンさん、何も歌ってないけどカラオケって初めて?」

 バルクホルンの表情から、何かを感じ取ったらしい山崎が、優しく声を掛ける。

「ああ、初めてで……勝手が分からなくてな……」
「簡単よ! 画面の歌詞を曲に合わせて歌うだけだから」
「そうそう。歌ってみると楽しいもんだよ」

 小さくなるバルクホルンに山崎と東雲が口々に薦める。
 しかし、バルクホルンは益々小さくなるばかりだ。

「その……まだ、この国の字は読めないし……私の知っている歌もなさそうだ……」
((しまった!!))

 東雲と山崎の顔が苦虫を噛み潰したものになる。
 山崎は思い出す。スーパーでの一件を。字が読めなくて困っているバルクホルンに付き合って、買い物を助けたのは他ならぬ山崎自身だ。
 東雲も思い出す。バルクホルンは現代の人間ではないことを。今のカラオケに入っているような曲など、知っている訳がないのだ。ましてや異国の歌ともなればなおさらである。
 共に過ごすようになって一ヶ月。あまりにも自然にコミュニケーションが取れるので失念していたが、バルクホルンは実在しない国の、実在しない人間なのだ。

「すまんな……私のことは気にせず、楽しんでくれ……」

 ぎこちない笑顔を東雲と山崎に向け、そして詫びる。

「…………」
「…………」

 二人とも何と返して良いのか、わからなかった。
 この一画だけが重苦しい空気に包まれる。服部は歌うの夢中で気付いていない。他のメンバーもこちらに目を向けていない。
 バルクホルンのぎこちない笑顔があるだけ。ただ、その顔はいつもよりさびしげに見えた。

(クソッ!)

 やおらリモコンをひったくるように後輩の荒井から奪うと、東雲は曲を探しだす。荒井は何事かといった目を向けてくるが、答えない。気にしている余裕などない。

(何か……何か……)

 文字列を打ち込んでは消し、また打ち込む。

(あった! ……けど……ええい! ままよ!)

 曲の予約。
 荒井はまだ予約していなかったようで、すんなりと次の曲に収まった。
 と、ちょうど良いタイミングで服部も歌い終わる。次に歌う予定だった荒井にマイクを渡そうとしたところで、東雲が声を掛けた。

「服部。マイクもらえるか?」
「え? あれ? だって東雲さん、さっき……」
「悪いな」

 すまなさそうに後輩たちに詫びる。
 服部は首をひねりながらも、マイクを渡してくれた。
 そして東雲は受け取ったマイクを、静かにバルクホルンに差し出す。

「ねぇ、バルクホルン。一曲だけ、歌ってみてくれないかな?」

 やさしく、静かに、諭すようにバルクホルンに語りかける。

「しかし、私は……」

 バルクホルンが拒絶の言葉を言おうとした時、その曲の演奏は始まった。
 今まで皆が歌っていた騒がしい曲とは違う、やさしい音色が部屋を満たしていく。

──ドイツ民謡『眠りの精』

 バルクホルンの目が見開かれる。
 聞き慣れた曲。昔よく聞いた曲。妹によく歌い聞かせた曲。
 ウィッチとして軍に入る前の記憶が、濁流となってあふれ出す。
 最愛の妹ととの思い出。
 妹と駆けた野原。
 妹と遊んだ小川。
 妹と過ごした部屋。

「~♪ ~♪ ~♪」

 無意識のうちに歌っていた。
 その思いを形にするように歌を紡ぐ。
 最愛の妹クリスに、その思いを伝えるように。

「~♪ ~♪ ~♪」

 バルクホルンは歌い続ける。
 やさしく、慈愛に満ちた歌声で。
 さびしく、郷愁を誘う歌声で。
 母国の言葉で歌い続ける。マイクも持たず、あふれ出る記憶に身を任せ、己の声を広げていく。
 マイクを差し出したはいいが、受け取ってもらえなかった東雲。
 バルクホルンの予想外のリアクションに呆気に取られる。それでも歌う彼女を見て、満足気に目を細めると、モニターに目を移した。

「~♪ ~♪ ~♪ …………」

 バルクホルンは歌い上げる。妹への、仲間への、故郷への想いを胸に抱き。
 そして東雲たちは拍手をもって彼女を迎えた。

「いや、よかった~、バルクホルンの歌える曲があって。探してみたけどドイツの曲って子守唄しかなくてさ……」

 そこまで言って東雲が振り返り、止まった。

「馬鹿者……これも子守唄だ……」

──泣いていた

 バルクホルンが。
 開かれた双眸からは一滴また一滴と涙が流れる。拭うこともせず、ただ流れ出るに任せている。
 それでも弱々しい声で東雲を叱る。

「バルクホルンどうしたの?!」

 東雲が驚きの声を上げ、皆がバルクホルンの異変に気付く。一様に心配そうな顔を向け、口々に気遣いの言葉を掛けてくる。
 バルクホルンもそれでやっと気付いたらしい。自分が泣いていることに。

「その、何でもない……顔を洗ってくる」

 消えそうな声でそう言い置くと、ふらりと部屋を出て行ってしまった。
 皆が呆気に取られていた。何が起きたのか、事態を把握することが出来ず呆然と見送る。

「……東雲。行け」
「へ?」

 唐突に山崎が東雲に命じる。
 何がどういうことなのか、理解できない東雲のマヌケ面。
 そのマヌケ面が山崎の怒りに火を点ける。

「いいから! バルクホルンさんを追う!」
「え、でも……」
「バルクホルンさんは多分『ホームシック』なんだよ! さびしいんだよ! お前が選んだ曲が原因だろうがっ!!」
「そ、そうなの?!」

 山崎から考えてもいなかったことを言われ、素っ頓狂な声を上げる東雲。
 本当にそうなのか疑問に思う。他の人の意見を聞こうと皆を見回すが、皆も同じ意見らしい。語らずとも目がそう言っている。

「そーだよ! だから……とっとと行けーっ!!」
「は、はいーっ!」

 山崎の剣幕に押された東雲は弾かれたように立ち上がると、ドタバタと部屋を出て行った。

「ったく、世話の焼ける……」



[26044] バルクホルンに花束を 2
Name: アルテン◆9a73cf91 ID:e15ac0d0
Date: 2012/02/19 22:57
1651時 カラオケ店 洗面所前
「バルクホルン!」

 バルクホルンがちょうど洗面所から出てきたところで、東雲は声をかけた。
 心配そうな目を向けてくる東雲。その眼差しが今のバルクホルンには痛い。

「東雲か……その……すまない……」

 目を伏せ、弱々しい声音で謝罪するバルクホルン。いつもの覇気がない。
 その表情は悲しみと、寂しさに満ちていた。

「バルクホルン、一体……」

 『どうしたの?』と続けようとして、山崎の言葉を思い出す。
 心配で見に来た東雲まで、悲しい顔になる。彼女が元の世界に帰れないことを一番知っているのは自分自身だ。そのことを思い出し、言葉を飲み込む。

「要らぬ心配をかけたな、さあ、戻ろう」

 これ以上、心配をかけまいと笑顔を作るバルクホルン。だが、その笑顔は作り物。歪に歪んだ笑顔からは、悲しさしか見て取ることができない。
 痛々しい笑顔。
 それが東雲の心をえぐる。

「…………バルクホルン」
「……なあ、東雲。……お前も故郷に帰るのか?」
「…………」

 顔を逸らし、ボソリとつぶやくように聞いてくる。
 その姿にいつもの彼女の面影を見ることは出来ない。
 東雲は答えに窮した。
 春休みには実家に帰ると、両親に約束していた。もとより帰るのが普通だと思っていた。
 だが、東雲が実家に帰れば、バルクホルンは一人きりになってしまう。東雲以外、頼る者もなく、不慣れなこの世界で生活せねばならない。
 そして東雲の頭の中で、先程の山崎の言葉が繰り返される。

──ホームシック
──さみしい

 普段のバルクホルンからは想像できない単語。
 しかし、それは今、現実のものとなっている。
 その引き金を引いたのは東雲自身だ。

「…………」
「帰れる所があるなら、帰ったほうがいい……」
「……バルクホルン。俺は……」
「つまらない事を聞いたな。すまない。忘れてくれ……」

 蚊の鳴くような小さな声。
 バルクホルンは顔を背けたまま、東雲の横を通り抜けようと歩き出す。

「待って! 待ってバルクホルン!」

 呼び止める。
 『このままじゃいけない』『何とかしなきゃ』その想いだけが東雲を突き動かす。
 何か考えての事ではない。ただ咄嗟に声が出た。
 ビクリと、バルクホルンの動きが止まる。

「…………」
(ど、どうしよう?! どうすればいいんだ俺?!)

 東雲の思考が高速回転。
 答えを求めて動き出す。

(バルクホルンは『ホームシック』で、だからさびしくて、元の世界に帰れるのが一番いいんだろうけど、それは出来ないから、何か代わりになるものでさびしさを紛らわさなきゃいけなくて、俺が帰るとなおさらさびしくて、連れていくにしても旅費が足りないし、父ちゃんに説明しにくいし、そもそもバルクホルンはついて来てくれるのか?! ああああぁぁぁぁぁ……)

 高速回転の末のオーバーヒート。
 状況を整理しきれないまま脳みそをぶん回したので、思考はぐちゃぐちゃ。浮かぶ答えはネガティブばかり。

「……東雲、先に戻るぞ」
「待った。少し待って」

 深呼吸。
 荒ぶる脳細胞を鎮めると、決然とした眼差しでバルクホルンを見据える。
 本当は答えなんて分かっていた。ただ欲張ろうとしただけ。
 何かを得ようとすれば、何かを失う。当たり前の等価交換。
 あれもこれもと得ようとしても、東雲の腕は短くて、全てを抱えることなど出来はしない。
 ため息を一つ。
 ゆっくりと携帯電話を取り出すと、東雲は電話をかける。

「……あ、母ちゃん? 俺、浩二だけど」
『浩二、どうしたんだい? お前からなんて珍しい』
「ん……ちっとね……」

 電話先は実家。
 東雲から電話をすることは稀だ。そのため東雲の母は少し驚いていた。

『そういえばそろそろ春休みだろ? いつ帰ってくるんだい?』

 心なしか弾んで聞こえる母の声。
 我が子の帰省を心待ちにしていることは、想像に難くない。
 兄は勤務地が遠く離れているため、実家を出て一人暮らし。父も日中は仕事で家にいない。
 母もまた寂しいのだ。

「そのことなんだけど……」

 言いよどむ。
 母の置かれた環境が、心内が察せられるだけに言い辛い。
 それでもバルクホルンをもう一度見つめ直すと、息を吸い込む。

「ゴメン! その……サークルの都合で帰れなくなっちゃったんだ……」
『え? 帰って来れないのかい?』
「うん。ごめん。追い出しコンパの準備とか、卒業する先輩たちの引越しを手伝わなきゃいけなくなって……」

 つらつらとそれらしい理由を並べ立てる。
 東雲の母は黙って一通り聞き終えると、嘆息一つ。

『仕方ないね……世話になった先輩さんたちにはちゃんとご恩返しするんだよ』

 了承すると静かに電話を切った。
 東雲はゆっくりと携帯をしまうと、バルクホルンに向き直る。

「バルクホルン。俺、帰らないよ」
「な!?」

 東雲が選んだのはバルクホルンとの時間。
 母のことが気掛かりではあるが、今はバルクホルンと過ごしたい。自分が彼女の寂しさを少しでも埋められるなら、埋めてあげたい。

「何をやっているんだ貴様は!」

 バルクホルンが怒鳴り、東雲に詰め寄る。
 ネウロイに奪われた祖国、帰れない元の世界。奪われ続けた帰るべき場所。故郷の有り難味を、否応なく実感せざるを得なかったバルクホルンの心の叫び。
 帰れる故郷があるにも関わらず、帰らないなど許し難い暴挙。それが東雲にぶつけられた彼女の怒り。
 バルクホルンの剣幕に東雲が押される、かと思いきや、東雲はバルクホルンにやさしく微笑みかける。

「俺が帰ったら、バルクホルンが生活出来ないじゃん」
「何だと!? 貴様、バカにして! もうこの世界にも慣れた! 一人でも生活出来る! 大体、誰が食事を作っていると思っているんだ!」
「でも字、読めないじゃん」
「ぐ……」
「電話も使えないし」
「ぐぬぬぬ……」
「ね?」
「もういい! 好きにしろ!!」

 顔を真っ赤にして怒鳴り散らすと、背を向ける。
 バルクホルンだって分かっている。東雲がいなければ、この世界で生活できない事を。
 そして気付いてもいた。東雲の気遣いに。
 ただ、自分が原因で気を使わせるのが嫌だった。
 でも、その気遣いは今のバルクホルンにとって、

「……ありがとう」

 感謝。
 ポツリと、東雲に聞こえるか聞こえないかぐらいの、小さな声でつぶやく。
 東雲はその後姿を静かに見つめていた。
 バルクホルンは一歩、また一歩と歩き出す。ゆっくりと部屋へ向かって歩き出す。
 と、少し進んだところで急に振り向いた。

「東雲。頼みがある」



2358時 農道
「コンタクトッ!」

 唸る。
 魔導エンジン『Juma213A-1』に一ヶ月ぶりに火が入る。
 その唸りは今まで動かしてもらえなかった鬱憤を、晴らすかのように荒々しい。
 ここはバルクホルンが一ヶ月前に不時着した農道。彼女は開け放たれた車のリアハッチに腰掛けながら、久しぶりに穿くストライカーユニットの感触を確かめていた。

──獣の咆哮

 その形容こそがふさわしい。
 バルクホルンはその咆哮に目を細めて聞き入る。
 頼もしい愛機の声に心が安らぎ、そして昂ぶってくる。

──飛びたい
──飛ぼう
──空高く

 甲高く唸る咆哮は彼女にそう語りかけているようだった。
 バルクホルンもそう聞こえた。機械が語りかけてくるなど、有り得ないことだが、そう聞こえたような気がする。
 もしストライカーユニットにしゃべる機能があるならば、間違いなくそう言っていただろうと思った。

「クリアード、フォー、ランウェイ!」

 東雲がマグライトを振って、周囲に人、車両が来ていないことを知らせている。
 バルクホルンの顔が上がる。
 その表情は決意に満ちていた。

「油圧……正常。電圧……正常。フラップ……問題ナシ」

 飛行前の点検項目を一つ一つ確認してゆく。
 隣には心配そうな東雲の顔。何かに怯えたように固い表情で覗き込んでくる。

「……バルクホルン」
「そんな顔をするな。大丈夫だ」
「いや……その……戻ってくるんだよね?」
「? ああ、すぐに戻る」

 東雲が何を心配しているのか分からず、不思議そうに返す。
 バルクホルンからその答えをもらい、東雲は安堵の表情を浮かべた。

「東雲、離れていろ」

 東雲が小走りに距離を取る。
 バルクホルンが腰掛けていた車のリアハッチから腰を浮かせた。

──ホバリング開始

 バルクホルンの手が車から離れる。
 地面をなめるように浮き、滑走路たる農道の中央に移動する。
 はずだった。

──転倒

 不様に、これ以上ないくらい不様にバルクホルンが転ぶ。
 宙に舞うはずだったストライカーユニットは、浮くこともなく重力に従い地面に着いた。
 歩くことを前提としていない航空歩兵用のユニットで歩行は不可能。
 バルクホルンも予想外の事態に反応が遅れ、そのままバランスを崩し、倒れた。

「!? バルクホルン?!」

 東雲が駆け寄る。
 倒れたまま動かなくなったバルクホルンを、手早く抱え起こす。

「バルクホルン! 大丈夫?!」
「……東雲……私は……今、飛べたか?」
「っ!? …………」

 呆然と、虚空を見上げるバルクホルンの問いに、東雲は咄嗟に答えることが出来ない。押し黙り、目を背けることしか出来なかった。

「……そうか……もう、私は飛ぶどころか……浮くことさえ……」

 バルクホルンの足から、ストライカーユニットが剥がれ落ちる。
 無機質な音を立て、地面に転がるストライカーユニット。
 それが引き金だった。
 堰を切ったようにバルクホルンが涙を流す。東雲の胸に顔を埋め、声を上げて泣き出した。
 今まで己が築き上げてきたもの全てをかなぐり捨てて、泣いた。
 恥も外聞もなく、己の無力を嘆き、涙を流し続ける。
 東雲はどうすることもできず、腕の中のバルクホルンが泣き止むのを、じっと待つことしかできなかった。



[26044] バルクホルンに花束を 3
Name: アルテン◆9a73cf91 ID:e15ac0d0
Date: 2012/03/20 23:25
0600時 コーポ長島
「起床ーっ!」
「!?」
「東雲! 朝だ! 起きんかっ!」
「???」

 バルクホルンの号令で、東雲が自分の布団から跳ね起きた。
 いつも通りの張りのある、透き通る声。
 東雲は自分の耳を疑った。
 昨夜のバルクホルンを思い出したからだ。
 彼女は泣いていた。
 飛ぶことはおろか、浮くことさえできなくなった己の無力さを嘆き、悔し涙をながしていた。
 なのにどうしたということだろう。彼女の声からはその痕跡を見付ける事が出来ない。
 バルクホルンに一体どのような心境の変化があったのか。
 東雲はその目で確かめるべく、天井からぶら下がるシーツ『ベルリンの壁』をめくる。

「バルクホルン……お、おはよう……」
「うむ。おはよう」

 恐る恐るあいさつをする東雲に、バルクホルンは明朗闊達に応じる。
 仁王立ちで応じたバルクホルンに、昨日の面影は微塵もない。むしろ晴れやかでさえある。
 その姿を見て、東雲は混乱した。
 昨夜の泣きじゃくるバルクホルンと、今目の前にいるバルクホルンとが結び付かない。
 頭の中が『?』で埋め尽くされる。

「どうした東雲? 鳩が豆鉄砲をくらったような顔をして」
「え? あ、あ~、何でもないんだ。ちょっと寝ぼけて……」

 聞くべきか聞かざるべきか。
 まるで昨夜の出来事など、なかったかのように接してくるバルクホルン。その振る舞いを見ていると、昨夜のことが夢か幻のように思えてくる。
聞きづらい。
 バルクホルンの心中にどのような変化があったのか、知りたいのだが聞きづらい。
 聞くきっかけがつかめない。
 だが、このままバルクホルンを見続けている訳にもいかないので、いつも通りに動き出す。

「……とりあえず仕度するね。そろそろ『偵察』の時間だし」

 『偵察』とは、バルクホルンが現れた馬走湖と、着陸した農道に異変がないかを見て回ること。
 この一ヶ月間、朝と夜の一日二回行っていた。
 行うことが出来ない日もあったが、ほぼ毎日行っていた。もはや習慣と言っても差し支えない。

「いや、東雲……『偵察』はもういいんだ……」
「え? もう……いいって……どういう……」

 バルクホルンはそうつぶやくと、目を伏せる。
 東雲は彼女の言葉が信じられなかった。熱心に帰るための手掛かりを探し続けていたのはバルクホルンだ。その本人が「もういい」と言い出している。

「……東雲、私がこの世界に来てから一ヶ月が経った」
「……」
「助けはもう来ないだろう」
「!? ばっ……」

 バルクホルンの言葉に思わず声が出る。
 しかし、それ以上続かない。続けられない。第一、続けたところで何を言うつもりだ?

──慰めるのか?
──あきらめるなとでも言うのか?
──彼女の望んだ答えは何だ?
──お前の望んだ答えは何だ?

 バルクホルンが望んだ答えは、東雲が望んだ答えとは違う。
 彼女が求めた答えは、東雲にとっては悲しみ。
 東雲が求めた答えは、彼女にとって絶望。
 バルクホルンの望みは『帰還』であり、東雲の望みは『このまま続く日常』。
 二人の希望は決して相容れることはない。
 あきらめるなと言えばウソになる。
 慰めるにしてもどうだ?

──お前はうれしいんじゃないのか?

 吐き気がした。
 自分の望みが彼女の不幸によって成り立つことに。
 それを今になってようやく認識した自分に。
 重い沈黙が二人の間を流れる。
 バルクホルンは静かに顔を上げると、決意を宿した瞳を向けてくる。そして全てを振り払うように言い放った。

「東雲……私はこの世界で生きるぞ!」



1032時 男満別空港
「永住?!」
「……うん」
「バルクホルンさんがここに永住するって言ったの?!」
「そうなんだよ……」

 山崎が驚きの声を上げ聞き返す。
 ここは馬走最寄の男満別(だまんべつ)空港のロビー。
 東雲はバルクホルンと共に、実家に帰る山崎を送りに来ていた。
 そして出発までの待ち時間に、山崎に相談してみたのである。

「なんでまた?」

 山崎の疑問はもっともだ。
 昨日のバルクホルンを見ていれば、『永住』などという選択肢が出てくるとは思わなかった。
 当のバルクホルンはといえば「こちらの航空機が見たい」と言って、どこかへいってしまった。

「…………帰れなくなったんだ」
「はぁ?! 何で?!」
「…………」

 この質問には答えない。答えられない。
 答えるとすれば、全てを話さなければならない。
 うつむき、目を逸らすことしか東雲にはできなかった。

「……ふ~ん。まぁ、いいけど。色々と込み入った事情があるみたいだし」
「……ごめん」

 かすれるような声で謝罪の言葉をつぶやく。

「でも、あんたにとっては都合がいいんじゃないの?」
「?」
「好きなんだろ?」
「………………うん」

 いつになく真剣な眼差しで肯定する東雲。
 その表情に山崎がしばし呆気に取られた。普段からこれだけの顔が出来れば、東雲に対する評価も違うのにと思う。肩をすくめ、気を取り直して語りかける。

「じゃあ、告白しちゃいなよ」
「…………いっ!? こ、こここここ告白!?」
「何慌ててんだよ?」

 山崎の何気ない一言に狼狽。
 『告白する』など考えていなかった行動である。いや、考えなかった訳ではない。彼女の不幸に乗じているようで、嫌だったのだ。

「こ、告白しないと、ダメ……かな?」
「はぁ? 当たり前だろ?」
「いや、でも俺は今のままで十分っていうか、満足してるし、それ以上望んでないっていうか……」
「アホか……」

 あきれる。
 へたれだとは思っていたが、ここまでへたれだとは思わなかった。

「今がチャンスだろ? 逃げられても知らねぇぞ」
「逃げるって……そんな……」
「本当、バカだな! ……ほれ、お姫様が戻ってきたぞ」

 山崎に言われて顔を上げると、バルクホルンがこちらに歩いてくるところだった。

「おかえりバルクホルン」
「うむ。今、戻った」
「ねぇ、バルクホルンさん。今、こいつからこっちに『永住』するって聞いたんだけど、本当?」

 戻って来たばかりのバルクホルンに、山崎が疑問を投げかける。
 昨日のカラオケ店での一件を思えば、にわかには信じられない選択だったからだ。
 その質問にバルクホルンは即答せず、目を閉じ、わずかに間を置く。

「……ああ、もう決めたことだ」

 何かを振り払うように言い切る。

「……そう」

 バルクホルンの表情から、山崎は何かを感じ取ったらしい。それ以上問うことはしなかった。

『10時50分発、東京行き。ただいまより搭乗手続きを開始いたします』

 場の空気など読まぬアナウスがロビーに響く。
 ロビーや土産物屋に散らばっていた人たちが、ゆっくりと集まりだす。

「私そろそろ行くわ。……あ、そうそう。バルクホルンさんに渡しとくものがあったんだ」

 そう言って、山崎がカバンの中から取り出したのは一通の封筒。
 バルクホルンは差し出された封筒を、おずおずと受け取った。

「今、開けても?」
「もちろん」

 封筒を静かに開けると、そこから出てきたのは写真の束だった。
 一枚一枚めくっていく。
 そこに映っているのはバルクホルンと東雲、そしてサークルの仲間たち。
 足の踏み場もない中で騒いだ歓迎会。意味もなく学食で撮られたもの。山崎宅での勉強会。その他いろいろ。
 その時の写真。

「これは……」
「プレゼント」

 少し茶目っ気を含んだ声で、山崎がバルクホルンに微笑みかける。

「いいのか? もらっても?」
「もちろん」
「だが、私は……」
「何言ってるの。私たち友だちでしょ? このぐらいは気にしないの!」

 突然のプレゼントに戸惑い、遠慮しようとするバルクホルン。
 だが、山崎は先回りで逃げ道を塞ぐ。微笑みながら。しかし、その顔に敵意や悪意はない。あるのは純粋な好意。

「友……だち……」
「迷惑だった?」
「いや……その……そんなことはない……」

 戸惑いながらもバルクホルンは答えた。
 山崎はその答えに満足すると、満面の笑みで彼女の手を握る。

「ねぇ、バルクホルンさん。帰ってきたら話を聞かせてくれる? あなたの事。故郷の事、家族の事……」
「……ああ、そうだな」

 バルクホルンははにかむと、そっと握り返す。

「……そろそろ行かなきゃ」

 名残惜しそうに、ゆっくりと手を離す二人。
 山崎はカバンを持ち上げると手荷物検査場へと歩き出す。

「またね、バルクホルンさん!」
「……ああ、気をつけてな」

 バルクホルンが微かに微笑み、見送る。
 山崎はその様子を満足気に眺めると、手荷物検査場の入り口へと消えて行く。
 と、思ったら、急に東雲のほうを向いて、怒鳴る。

「東雲! 帰ってきたら、『結果』聞かせてもらうからな!」
「……マジかよ」

 そして返事も聞かずに、手荷物検査場のゲートをくぐっていった。

「……なあ、東雲」
「ん?」
「私は彼女の……友だちになれるだろうか?」
「なれるさ。少なくてもあいつはそう思ってるよ」
「……そうか」



2317時 コーポ長島
『……明日の馬走地方は晴れ。気温は……』

 ぼんやりと、上の空でテレビ画面を見続ける。
 向かい側に座るバルクホルンも同じ。
 会話もなく、画面に流れる天気予報を眺めている。

(しかし……告白かぁ……)

 あれからずっと考えていた。
 確かに山崎の言うことはもっともだ。
 バルクホルンが『この世界で生きる』と決めたので、懸案事項であった『離別』は回避された。東雲的にはそれだけでも喜ばしいことだった。
 しかし、それだけで本当に満足なのか?
 今の生活が続くだけで十分だと思っていた。それ以上望むべきではないと思っていた。
 だが、どうだ?
 己の欲望は大きくなるばかりではないか。
 バルクホルンを抱きしめたい、愛をささやきたい、ささやかれたい、なでたい、なでられたい、キスしたい、温もりを感じたい、感じて欲しい、甘えたい、甘えて欲しい。あんなことやこんなこと、あまつさえそんなことまでしてみたい!
 それをするために、しなければならないこと。
 それは、

──告白

 その先にある関係は

──恋人

 男女関係の終着地点は、一つしかない。
 彼女がこの世界で生きていくのなら、この先のことを考えなくてはならない。
 もしもバルクホルンが他の男に口説かれたらどうする?
 指をくわえて見ているのか?
 お前はそれを許せるのか?
 答えなど決まっている。
 許せるはずがない。
 この先、そういった事態が発生しないとは、誰も保障できない。
 で、あるならば、起こすべき行動は一つ。

──先手必勝!

(……よし! 告白しよう!)

 決意。
 腑抜けた顔を引き締め直し、拳を固める。
 今のバルクホルンは確かに不幸だ。その不幸に乗じるのも確か。
 だからと言って不幸なままで良い訳がない。自分が少しでも彼女を幸せにしてあげられるなら、と思う。東雲自身、己の欲望が勝っていることを自覚している。だから己のエゴを『バルクホルンを幸せにする』というオブラートに包む。
 引け目はある。どさくさ紛れな感じがして嫌だ。
 しかし、この想いは止められない。

「……ん? 東雲、どうかしたのか?」
「へ!? い、いや、なんでもないよ!?」

 声が裏返る。
 不意に声をかけられて焦る。
 声に出していた訳ではないが、何か感付かれたのではないかと焦る。
 大慌てで取り繕うが、焦っているのがバレバレである。

「……そうか」

 しかし、バルクホルンはそうつぶやくと、それ以上興味がないといった感じで、視線をテレビ画面に戻してしまった。
 追求がないことに安堵しつつも、この程度のことで動揺する自分を情けなく感じる。
 だが、告白すればその情けない自分と決別できる気がした。

(……そうだ! 俺は、俺は、バルクホルンと添い遂げる!!)

 再び決意。
 なぜか自信に満ち溢れ、走れ欲望、妄想特急。
 進む弾丸特急の、止め方壁に当たるまで、当たって砕けるそれも良し。砕くは己の心か女の心。当たらぬ限り答えなし。
 しかし、

(……困った)

 東雲は童貞である。
 生身の女子に懸想したことがない。
 当然、告白などしたことがない。されたこともない。
 告白の流儀がわからぬ。
 如何にして想いを伝え、色よい返事を引き出すのか、わからぬ。
 ちらと、バルクホルン方を盗み見る。
 と、バルクホルンがふらりと立ち上がった。
 一瞬、こちらの視線に気付いたのかと思ったが違うようだ。

「東雲。そろそろ寝よう」
「へ? んあ、そ、そうだね……」

 疲れているのだろうか。バルクホルンが虚ろな声と共に立ち上がる。
 東雲がバルクホルンに促され、リモコンに手を伸ばす。そしてテレビの電源を落そうと視線を向けると、見慣れた映像が目に飛び込んできた。
 『氷柱(つらら)』
 ただ氷柱だけの映像が画面いっぱいに映し出されていた。何のひねりもない、BGMすらない氷柱だけの画面。
 やがてテロップが入り、『水道管の凍結に注意しましょう』の文字が浮かぶ。
 冬の北海道では頻繁に流される行政広報。
 北海道では冷え込みが厳しいために、水道管の凍結、それに伴う破裂が珍しくない。
 そのため冷え込みの厳しい日には、このようにテレビなどを通じて、注意を促すのである。

「あ~、今夜は冷え込むみたいだね」
「……そうだな。温かくして寝るとしよう」

それだけ言い残すと、バルクホルンは『ベルリンの壁』を閉めて、部屋を区切った。



0012時 コーポ長島 東雲側
(告白するといっても、どうすれば……)

 一人、布団の中でもんもんと考える。
 今までやったギャルゲーや、アニメにおける告白シーンを思い起こしてみるが、とても参考にはならない。
 ギャルゲーのほとんどが『女の子から男へ告白する』のが主流なためだ。アニメにしても特殊な状況下での告白ばかりで、今回のような『平穏な環境下での女の子へ告白』という、もっともポピュラーなはずのサンプルが思い当たらない。
 東雲が知りたいのは『平穏な環境下での女の子へ告白』の方法なのだ。

(後はもう、当たって砕けるしか……)

 そうあきらめかけた時、ふと先日のバイトの事を思い出す。

──あとは花束の一つも用意すりゃぁ、イチコロってぇ寸法よ

 バイト先で言われたこと。
 それは告白の時に使うアイテム。
 確かにプレゼントは、相手に好意を伝えるもっとも簡単で、確実な手段だ。
 理に適っている。
 同時に思い出す。『花の嫌いな女なんていねぇ!』というセリフ。何年も前に、兄に見せられた某国営放送のアニメの中であったセリフ。

(そうか! 花か!!)

 天啓。
 迷える子羊。
 溺れる者は藁をも掴む。
 暗中模索だった東雲の前に、一筋の光明。
 美しい花束を贈りながら愛をささやく。
 これぞ古式ゆかしい告白のあり方。
 正に王道と言えよう。
 やっと答えの一つに辿り着いた東雲。今まで思い付かなかっただけに、心は踊り、すぐにでも花束を買いに行きたくなる。
 だが、そこでまた一つ思い出してしまった。あのバイトの後のことである。
 東雲はバルクホルンから『花などいらない』『金の無駄だ』と言われていたのだ。
 で、あるならば、下手に花束など贈ろうものなら、喜ばれるどころか、バルクホルンから叱責を受けることは必至。そうなれば告白は失敗となる。
 その状況を想像して、東雲の顔が青ざめる。

(ど、どどどどどどうすれば?!)

 どうするもこうするも他の案を出すしかない。
 しかし、やっと辿り着いた一つの答え。このまま廃棄するには惜しい。と、いうか他に思い浮かばない。

(ん? 待てよ……)

 何か妙案を思い付いたらしい。
 充電中だった携帯電話をつかみ、布団に潜り直すと、なにやら調べ出す。
 こうして恋する青年の夜は更けていく。



1213時 アドリア海上空
「突入開始!」
「突入を開始します!」



[26044] バルクホルンに花束を 4
Name: アルテン◆9a73cf91 ID:e15ac0d0
Date: 2012/06/06 14:47
0001時 航空自衛隊 馬走分屯地
「馬場市上空にアンノウン!?」
「何ーっ!?」

 レーダー上に突如として現れた光点に、渡辺三曹と当直士官が驚きの声を上げる。
 つい先程まではレーダーに反応などなかった。
 何の前触れもなく現れ、それは今もなお飛行を続けている。

「どこから来た?!」
「わかりません! 突然現れました!」
「数は?!」
「機数は3! 所属不明! 人口密集地に向かっています!」

 当直士官の脳裏に『ベレンコ中尉亡命事件』のことがよぎる。

「スクランブル要請!!」



0001時 航空自衛隊 千歳基地
──走る!
──走る!
──走る!

 けたたましいベルの音が鳴り出すと同時に、男たちが己の愛機に向かって走り出す。
 勢いもそのままにハシゴに飛び付くと、F-15Jのコクピットに滑り込む。
 慌しくヘルメットをかぶり視線を上げた時には、機付き整備員がエンジンスタートが可能であることをハンドサインで伝えてきた。彼らの手によりアラートハンガーの扉は、前後共にすでに全開。機首の左側では別の整備員が『REMOVE BEFORE FLIGHT』と書かれた赤いタグを掲げている。
 コクピットに収まった松原一尉が人差し指を掲げる。『エンジン始動』の合図。
 整備員がエアインテークから距離を取った。
 続けて松原は人差し指と中指を立てて『エンジン点火』を合図。
 ジェットエンジン特有の音を響かせ、F100-IHIが目を覚ます。
 火の入ったエンジンは熱を帯び、その鼓動を早めていく。
 動力を得た機体は次々とその機能を立ち上げた。

「ウィザード01、チェック・イン」

 管制塔と僚機に発進準備が整ったことを伝える。
 間を置いて僚機からも準備完了の無線が入る。

『ウ、ウィザード02、チェック・イン』
(池田のヤツ、大丈夫か?)

 アラートハンガーから機体を引き出しながら、二番機に目を向けた。
 どこかぎこちない動作で地上滑走を始めた二番機が目に入る。

「池田、大丈夫か?」
『大丈夫です!』

 心の中で嘆息を付く。
 僚機を努める池田三尉は『イーグルドライバー』になって、まだ間もない。それどころか『アラート要員』になったのもつい最近のことだ。
 まだまだ『ひよっこ』。
 仕方の無いこととは思いつつ、気を引き締めなおす。その分、自分がしっかりしなければいけない。
 ただ、それだけに不安も募る。

(今日のアンノウンは何かが違う……)

 通常は国籍不明機が領空に入る前に空自のレーダーが捉え、事前に『領空侵犯しそうな航空機がいる』ことを伝えてくる。それを受け、アラート要員が準備を整え、領空侵犯が確実となった時、すぐに離陸できるようコックピットで待機しているのが普通だ。
 ジェット機の時代となった現在、領空に入られてから準備したのでは間に合わないためだ。それだけジェット機の移動速度は速い。
 しかし、今日はその『事前通告』なしで、突然の『ホット・スクランブル』である。
 明らかに今までのロシア機と違う。

『ウィザード01。オーダー。ベクター040。エンジェル30バイゲイト。コンタクト・チャンネル1。リード・バック(ウィザード01。指令。方位040。高度30000フィートまでアフターバーナーを使用し上昇せよ。チャンネル1でレーダーサイトとコンタクト。復唱しろ)』
「ウィザード01。ベクター040。エンジェル30バイゲイト。コンタクト・チャンネル1」
『ウィザード01。リード・バック・イズ・コレクト』

 管制官が指示を伝え、松原が復唱。
 その間にも松原と池田の操縦するF-15Jは滑走路へと慌しく向かう。

『ウィザード01。ウィンド・カーム。クリア・フォー・テイクオフ(ウィザード01。風は微風。離陸せよ)』
(風は無くても雪は降ってるがな……)

 滑走路に機体を滑り込ませた松原が、心の中で悪態をつく。
 冬の北海道、雪の降る中でのスクランブルなど珍しくも無い。事実、今この時も粉雪がパラパラとチラついている。

「ラジャー。ウィザード01。クリア・フォー・テイクオフ」

 考えている間に管制塔からの離陸許可。
 復唱し、滑走路に滑り込ませたF-15Jのスロットを押し込む。

──アフターバーナー点火
──ブレーキリリース

 ブレーキという戒めを解かれたF-15Jが猛然と駆ける。
 後ろに傾けられたシートに体を預け、強烈な加速Gに耐える。
 しかし、それも束の間。
 機首を引き上げ、空への階段を駆け上がる。
 着陸脚を引き込みながら、僚機を見た。

(池田は……問題ないな……)

 池田が搭乗する二番機の航行灯が夜の闇の中、近付いて来るのが分かる。

「ウィザード01。エアボーン(ウィザード01。離陸した)」
『ウィザード01。ディスイズ・トレボー。ロウド・アンド・クリア。レーダー・コンタクト。アンダー・マイ・コントロール。ベクター040。エンジェル30バイゲイト。フォロー・データリンク(ウィザード01。こちらトレボー。無線機の感度良好。レーダーで捕捉した。誘導を開始する。方位040。高度30,000フィートに上昇。データリンクに接続しろ)』
「ウィザード01。フォロー・データリンク」

 松原と池田の駆るF-15Jが、粉雪の舞う千歳の空に飛翔する。
 そして離陸したことを報告すると、交信先は千歳管制塔から三沢SOC、『北部航空方面隊作戦指揮所』へと変わる。
 三沢SOCからの指示に従い、データリンクに接続。

(最悪だ!)

 データリンクから流れ込む国籍不明機の情報を読み取りながら、松原は目を覆いたくなった。
 突然の『ホット・スクランブル』、そして『バイゲイト上昇』の指示。「もしや」と思ったが、件の国籍不明機はもう『領土の上』を飛んでいる。
 レーダーサイトの連中はどこを見ていたのかと、問い質したくなる。
 だが、松原をさらに驚かせる事態が直後に起こった。

『ウィザード01。ディスイズ・トレボー。ターゲット・ロスト』
「は!?」

 思わず素で聞き返す。
 目標を見失うなど、今までなかったし、あってはならないことだった。

「トレボー。セイ・アゲイン」
『アイ・セイ・アゲイン。ターゲット・ロスト』

 しかし、管制官は『見失った』と繰り返している。

(……何が起こってる?)



0007時 馬走湖
「で、ここはどこなんだ?」

 長身の少女が豊満な胸を揺らしながら、傍らの少女に尋ねる。

「さ……さぁ……」

 尋ねられた小柄な少女が苦笑いで答える。
 その隣では金髪の少女がマイペースに何かの機械を用意していた。
 彼女達は今、馬走湖にいた。凍り付いた湖面は天然の滑走路として使うことが出来る。一番最初にここが目に付いたので、そのまま着陸したのだ。
 そしてここ馬走湖はレーダーサイトがある野取岬から見て、天登山を間に挟み反対側にある。山陰、つまりレーダーの死角になっている。
 もちろん少女たちがそんな事情を知る由もない。ただの偶然。

「んん~。現在地も分からないんじゃ、動きようもないなぁ……」
「あっ! 見てください、あの建物! 明かりが点いてますよ!」

 小柄な少女が指差す先。
 そこには大きな建物。見渡す限り周辺に建物はなく、その建物だけが湖畔にポツンと建っていた。

「おっ! 本当だ」
「私、聞いて来ますね!」

 そう言うと、小柄な少女は建物に向かって駆け出した。



0010時 ホテル馬走湖荘
(……はぁ~)

 夜勤に当たっていたフロントマンの箱崎は、内心辟易していた。
 ここは馬走湖のほとりに建つホテル『馬走湖荘』。「馬走湖を見渡せる」という景色が売りだ。また、宿泊だけでなく、大浴場を一般に開放しており、宿泊しなくても入浴が可能。地元の人たちからは手近な入浴施設として親しまれている。
 観光シーズンも外れ、宿泊客は少ない。今日はゆっくりと静かな夜勤を期待していた。しかし、それは儚い夢だったようだ。
 客が多いのは大変だが、少なくても大変だ。それも問題を起こす客となれば、下手な団体客を相手にするよりも疲れるものだ。
 そしてそういった問題を起こすヤツは、どこにでもいるものである。

「ほら舘、立てって!」
「うるせー! まだ飲むって言ってんだろ!」
「お客様。こちらではお風邪を召しますので、お部屋に戻られたほうがよろしいかと……」
「なにおう! 客に指図しようってか!? 部屋には酒なんて残ってねえんだよ!」

 同じ問答を繰り返して早一時間。
 フロントの目と鼻の先にある自販機コーナーに陣取った泥酔客は、未だ動く気配はなく、床に大の字になっている。
 客の少ない時期の団体客ということで、喜んで受け入れた一行だった。企業の慰安旅行ということだったので、人数も多く、支払いも期待できた。
 しかし、

「大橋ー! 早く金入れやがれ!」

 ビッと酒の自販機を指差す。
 団体客の中に厄介な客が紛れているのは日常茶飯事だが、ここまで粘る客は珍しい。

「いや、ホントすいません……」

 大橋と呼ばれた泥酔客の同僚が、申し訳なさそうに頭を下げる。そして床に座り込んだ同僚を立たせようと腕を引っ張るのだが、どうにも上手くいかない。
 それもそのはず大橋も酔っていて力が出ないのだ。

「いえいえ、お気になさらずに……」

 何とか営業スマイルを保ち続ける箱崎。
 これもこの一時間で何度も繰り返したやり取り。回数を重ねるごとに箱崎の顔が引きつっていっているのは気のせいではない。
 忍耐力もそろそろ限界、と言う時、それは聞こえてきた。

──コンコン

 入り口から聞こえてくるガラス戸を叩く音。
 箱崎が入り口に目を向ける。気のせいかとも思ったが、二度三度と規則的に自動ドアのガラス戸をノックしている。
 入り口は全ての宿泊客が館内にいることを確認してから施錠。そしてカーテンを閉めてあった。
 団体客は皆へべれけで外に繰り出すだけの余力などなかったし、チェックインしていない予約客もいない。ましてや大浴場の営業時間も終わっており、入浴客とも考えづらい。

「何の音ですかねぇ?」
「さあ?」

 大橋が怪訝な顔で箱崎に尋ねるが、箱崎だって知る由もない。

「お客さんですかねぇ?」
「ど、どうなんでしょう?」
「ひひひひひひっ! バカ大橋、幽霊に決まってんだろ~!」

 何が楽しいのか、床に寝転んでいた舘がむくりと立ち上がる。
 どうやらオカルト系の話は大好物のようだ。

(こいつ、起きれるんじゃねぇか!)

 その様子を見た箱崎の心中に宿る殺意。
 しかし、そこはホテルマンとして鍛え上げた忍耐力で押し殺す。

「私が確認してまいりますので、お客様はどうかお部屋にお戻りください」

 箱崎はそう言い置くと、くるりと踵を返し自動ドアへと向かう。
 時間外れの客であれ、幽霊であれ、この酔っ払いの相手をするより気が楽だ。そう思えば足取りも軽い。
 が、後ろから二人分の足音。

「ひひひひひひひ、さ~てどんな幽霊かな~?」
「おい、舘。戻ろうぜ」

 音の元をすっかり幽霊と決め付けた舘が千鳥足で追ってくる。
 それを止めようと大橋が舘を追うが、本気で止めようとは思っていないようだ。

(……この酔っ払いどもが)

 付いて来る二人を苦々しく思いながら心の中で毒づく。
 そうこうしているうちに箱崎は入り口に着いてしまった。もともと自販機コーナーからそれほど離れている訳でもない。
 二人の泥酔客も追い着いてしまった。
 挙句、

「さぁ、ご対面~! 早く! 早く!」

 などと煽ってくる始末。
 箱崎は心の中でうんざりとしたため息をつくと、自動ドアに掛けられたカーテンをめくる。
 そして眼前に広がる暗闇。

「?」

 箱崎が首をかしげる。
 と、同時に下から声が聞こえてきた。

「あ、よかった~。誰も居なかったらどうしようかと……」

 視線を下に向けると、小柄な少女が安堵の声を漏らしている。
 小さいので死角に入ってしまっていたようだ。
 年の頃は中学生ぐらいだろうか、いや小学生でも通じそうなあどけなさが残る。

(子供?)

 ハッキリと見えるので、とりあえず幽霊ではなさそうだ。
 しかし、こんな時間、こんな場所に何故子供が一人でいるのか分からなかった。
 こちらの疑問をよそに少女が口を開く。

「あの! 道をお聞きしたいんですけど!」

 こちらを見上げ、懸命な様子で尋ねてくる。

(……迷子か)
「なんでぇ~。迷子かよ!?」

 箱崎がそう確信すると同時に、付いて来た舘が残念そうな声を上げる。
 期待していたものと違ったため、舘がふてくされたようにその場にドッカと腰を下ろす。期待外れもいいところだ。
 そして舘は恨めしげな目で、少女をもう一度見た。
 短い栗色の髪に、飾り気の無い緑色のコート。コートは少し大きいのだろうか、裾が余っていて少女の小ささを強調している。
 そして右肩には皮製の負い紐(スリング)。それに繋がれているのだろう、一本の鉄の棒が少女の肩越しに見える。棒の下の方は少女の体に隠れ、見る事が出来ないが何やら大きな物のようだ。
 しかし、何より目を疑ったのは少女の足。先程まで見下ろしていたので気付かなかったが、腰を降ろし目線の高さが下がったので、ようやくその特異な格好に気付く。靴こそ履いているが、スカートもズボンも身にまとっていない。それどころかタイツはおろか靴下さえ履いていない。とても冬の北海道でする格好ではない。

「おい大橋! 痴女だぞ! 痴女! 露出狂だ! 下なんも穿いてねぇ!」
「止めろよ舘。子供だぞ? そんな訳ないだろ」
「アホか! 年なんて関係あるかよ~。変態は変態です~」

 無遠慮に好奇の目を向ける舘を、大橋がたしなめるが、どこか引き気味。
 箱崎もその声に釣られて少女を見直す。
 確かに格好だけを見れば、舘の言う通りかもしれない。しかし箱崎にはそう思えなかった。
 第一に子供の痴女など聞いたことがなかったし、目の前の少女にそんな雰囲気はない。
 第二に冬の北海道をこんな薄着で出歩く人間などいない。日中でも気温はマイナス、高くて0℃にしかならいこの土地で、露出狂が出来るような薄着で出歩けば、凍死するのは子供でも分かる。
 以上の理由から箱崎は何らかの訳ありだろうと考えた。

「あ~、お嬢さん? そこは寒いでしょうから、どうぞ中へ。今、暖かいココアでも……」
「おいおい。コイツ中に入れるつもりかよ?! 変態だぜ?!」
「なにか事件に巻き込まれたのかもしれないでしょう?!」

 箱崎は人道的観点に立ち、少女を中に入れようと思った。後ろで喚いている泥酔客はこの際無視しようと決める。
 もしかしたら厄介な事になるかもしれないが、子供を見捨てるのは気が引けた。
 しかし、目の前の少女はそんな箱崎の思いに気付くこともなく、彼の行動を『親切心』と解釈したらしい。
 少々戸惑いながらも笑みを浮かべると、感謝の念を込めて勢い良く頭を下げた。

「あ、ありがとうございます!」

 そう、勢い良く。

──ゴンッ

 少女の背中から伸びる鉄の棒の先端が自動ドアを叩く。

──ずるり

 そのせいか右肩に掛けていた負い紐が少女の肩からずり落ちる。
 少女の背中に隠れていた物が姿を現す。
 鉄の塊。

──それは少女が持つには無骨で
──それは少女が持つには巨大で
──とても銃には見えなかった

 『それ』は少女の背後から姿を現すと、箱崎たちが何であるか認識する前に地面へと落下した。

──ドンッ

 銃床がコンクリートの床を叩く。
 そして次の瞬間

──暴発!

 乾いた炸裂音と共に吐き出される一発の13mm弾。
 弾丸はガラス製の自動ドアを粉微塵に叩き割り、箱崎の鼻先をかすめ天井へ。天井のコンクリートを抉り取ると、舘の眼前の絨毯に大穴を穿つ。
 マズルフラッシュの閃光に目をやられた箱崎が、二度三度と目をしばたかせる。
 突如起こった出来事を理解出来ずに立ち尽くす。
 まるで時間が止まったかのように、場の全てが凍り付く。

「ご、ごめんなさい! ごめんなさい! あの、大丈夫ですか?! お怪我はありませんか?!」

 目の前の少女が懸命に頭を下げていた。
 脳の処理が追いついてきたのか、箱崎たちがゆっくりと視線を巡らせる。

──砕け散った自動ドア
──抉られた天井
──穴の開いた床

 脳の処理速度が跳ね上がる。
 箱崎たち三人は、ようやく少女が持つ鉄の塊が何であるかを理解した。

「ご……」
「ご?」
「「「強盗だー!!!」」」
「え? え? ……えええええええぇぇぇぇぇぇぇぇ!?」



[26044] バルクホルンに花束を 5
Name: アルテン◆9a73cf91 ID:e15ac0d0
Date: 2012/08/03 18:11
0043時 ホテル馬走湖荘
「……で? その露出狂の女の子が銃を撃ったの?」
「そうなんですよ! お巡りさん!」

 興奮した箱崎が警察官に詰め寄る。
 箱崎たちはあの後ほうほうの体で警察に通報。三人でカウンターに身を隠し、助けを待った。
 そして近くの交番から二人の警官が来た時には、強盗である少女の姿は消えていた。

「おう! こんなバカデカイ銃を俺たちに向けて撃ったんだよ!!」
「そうそう! いきなりズドンって!」

 すっかり酔いも醒めた舘と大橋も早口にまくし立てる。舘は両手を目一杯広げ、その「バカデカイ銃」とやらの大きさを伝えていた。
 その様子に警官が眉をひそめる。
 うるささもさることながら、舘が言う銃のサイズが信じられる大きさではなかったからだ。
 平均的な成人男性が両手を目一杯広げた場合、その長さは一般的なライフル銃よりも長い。とても小さな女の子が扱えるようなサイズではない。

「……もう一度聞くけど、その女の子ってどのくらいの身長?」
「このぐらいでした!」

 箱崎が自分の胸の辺りを指差す。

「いや! もっとデカかった!」
「違う! もう少し小さい!」

 舘は見上げる格好だったのでデカイと言い、大橋は一歩引いた位置から見ていたので小さいと言う。
 警官は小さくため息をつくと、手帳に『推定身長140~150cm』と書き入れた。

「どうだ時岡?」
「見てくださいよ。佐藤巡査長」

 事情聴取をしていた時岡が、上司である佐藤に自分の手帳を手渡す。

「………………」

 一読し、もう一度最初から読み直す。
 頭痛に耐えるように眉間に指を当てると、名状し難い表情で時岡に問いかける。

「どう思う……時岡巡査?」
「さぁ……なんと言ったもんですかね……」

 聞かれた時岡にしても、その表情は複雑。乾いた笑いしか出てこない。
 被害者から聞き取った犯人像はにわかに信じられるものではなく、どれもこれも信憑性に欠ける。
 佐藤はボリボリと頭を掻くと、箱崎たちに向き直った。

「……もう一度お聞きしますがね? 犯人は中学生ぐらいの女の子?」
「はい!」「そうだ!」「ええ!」
「身長は150cmぐらい?」
「はい!!」「いや、もう少し大きい!」「いえ、もう気持ち小さいぐらい」
「身の丈を越えるような大きな銃を所持していたと?」
「はい!!!」「あんなデカイ銃は初めて見た!」「大砲みたいなヤツでした!」
「で、下半身を露出していた……」
「はい!!!!」「変態、確かにあれは変態だった!」「もしかしたら俺たちを油断させようとしてたのかも!」
「…………はぁ~」

 目の前に被害者が居るにもかかわらず、盛大なため息をつく佐藤。
 しかし、被害者の三人はそれを気にした様子はない。興奮していて気にする余裕がない。
 佐藤巡査長の事情聴取はさらに続く。

「とりあえず、その女の子が銃を撃って走り去った。間違いない?」
「はい! 何かスゴイ雄叫びを上げながら走っていったんです!」「あれはこの世のものとは思えなかった……」「うんうん」

 佐藤は何とも名状し難い表情を浮かべると、時岡と顔を合わせ、声をひそめた。

「……どう思う?」
「……だいぶ誇張されてますね。まぁ、酔っ払いの言うことですから」

 にわかに信じられるような話ではない上に、被害者三人のうち二人は酔っ払い。情報の確度は当然落ちる。
 ましてや興奮状態にある場合は、誇張や思い込みで話を大きくしてしまう危険性がある。
 落ち着いてから事情聴取が出来ればよいのだろうが、非常線を張るために最低限の情報は聞き出さねばならない。

「……他に何か気付いたことは?」
「そうですね……あっ! どうも仲間がいたみたいなんです!」
「仲間? もう一人いるのを見たんですか?」
「いえ、見えた訳じゃないんですが、湖の方から別の声が聞こえたんです」
「何と言っていたか分かりますか?」
「いえ、よく聞き取れなくて……」
「そうですか……」

 佐藤は手帳を閉じ、時岡に返した。
 それと同時に二人の無線に通信が入る。イヤホンに手を当て、その内容に耳を澄ます。
 やがて佐藤は「了解」と短くつぶやくと、箱崎たちに向き直った。

「もう一つお聞きしますが、事件と前後してこの辺りを飛ぶ飛行機を見ませんでしたか?」
「飛行機?」
「ええ。もしくはそんな音を聞いたとか」

 箱崎たち三人が怪訝な表情で顔を見合わせる。

「いえ、見ませんでしたが……」
「そうですか……」

 そう言うと佐藤は、唯一の遺留品である空薬莢に目を落す。

「あっ、そういえば……」
「何か思い出しましたか?」
「ええ……」



0044時 オホーツク流氷館
「こ、ここまで来れば大丈夫だろう」
「あ、あのシャーリーさん、逃げてきちゃいましたけど……よかったんですか?」
「仕方ないだろ。話を聞いてくれるような状況じゃなかったし……」

 シャーリーが肩で息をしながら宮藤の疑問に答える。
 ここは天登山に点在する観光施設、『オホーツク流氷館』の駐車場。馬走の観光資源である流氷の展示、解説を行っている。また、山頂に位置する施設であり、展望台からはオホーツク海を眺望できる。国定公園を有する山の中にあるだけあって、周囲はうっそうとした森に囲まれていた。今は営業時間外のため、灯りは消え、周囲は暗い。
 少女たち三人はホテルでの『暴発事件』の後、脱兎の如く逃げ出した。
 あの時、発砲音を聞いたシャーリーは、即座に宮藤の元へと駆け付けた。そして目にしたのは、あの惨状である。
 建物の奥からは男たちの悲鳴と怒号。狼狽しながらも、説明を試みようとする半泣きの宮藤。
 何事か理解が出来ないうちに「警察」「通報」の単語が漏れ聞こえ、「厄介なことになる」と判断したシャーリーは、現場の即時離脱を決定。渋る宮藤を引きずるように逃げ出した。
 逃げずに説明、説得できればよかったのだろうが、箱崎たちはひどい興奮状態で、こちらの話を聞いてもらえる状態になかったというのもある。

「まぁ、あとで扶桑軍に説明してもらえばいいさ」
「でも、基地の場所聞けませんでしたよ……」
「そうだなぁ……」

 シャーリーの眉間にしわが寄る。
 彼女達の行動計画では現地扶桑軍と接触し、その協力を得ることが前提条件となっていた。しかし、その扶桑軍がどこにいるのか分からない。
 そもそも、この世界には『扶桑皇国』自体が存在しないので、扶桑軍も存在しないのだが、彼女達はそのことを知る訳もない。

「まぁ、なんとかなるだろ」
「そ、そんな~……」
「なんにしても今日はここで野営だ。夜の冬山じゃ下手に動くと危ないからな」
「それはそうですけど……」

 シャーリーのお気楽な物言いに、いまいち腑に落ちない宮藤。
 半泣きの表情で金髪の少女に助けを求める。
 金髪の少女、ハルトマンは黙して語らず、ただ一度コクリと頷いた。シャーリーの意見に賛成らしい。

「よし! 野営の準備だ!」



0600時 コーポ長島
(……何をしているのだろうな。私は……)

 朝。
 一人、東雲側との境界線を前にため息をつくバルクホルン。
 元の世界へ帰るつもりがないのなら、もう朝早くに起きて見回りをする必要はない。そのために東雲を起こす必要もない。必要はないと分かっていても、体はいつも通りに目覚め、気が付くといつものように彼を起こそうとしている。
 体に染み付いた習慣は易々と抜けない。
 己の行いに自嘲しながらも、体は勝手に動いてしまう。
 まだ寝ているであろう東雲に、多少の申し訳なさを感じつつ、バルクホルンは『ベルリンの壁』に手を掛けようとした。

「バルクホルン!」
「ぬわぁっ!?」

 突如、東雲がシーツをめくり現れた。
 不意を突かれたバルクホルンが後ずさる。

「し、東雲……起きていたのか?」

 バルクホルンが驚愕と困惑の表情で尋ねてくる。
 共同生活を始めて一ヶ月。その間、東雲がこの時間に起きていたことは、ただの一度もない。いつも彼女が起こしていた。しかも起きていただけならまだしも、着替えまで済ませている。
 今までなかったことだけに、戸惑いを隠せない。
 しかし、東雲は意にも介せず言葉を続ける。

「出かける準備して!」
「? 東雲、もうその必要は……ん?」

 バルクホルンが東雲の背後、床の上に置かれた箱に気付く。
 箱は中が覗けるように、透明なPVCが貼り付けられている。そしてその中に収められたサーニャのフィギュア。

「その箱……どうしたんだ?」

 箱を指差し、不思議そうに尋ねるバルクホルン。
 東雲がサーニャのフィギュアを大切にしていることは、理解していた。棚の良く見える位置に飾り、愛おしそうに眺める姿を、この世界に来て間もない頃に何度も見ていた。
 もっとも、最近はその光景を見なくなってしまったが。

「そのサーニャの人形はお前が大切にしていたものではないのか?」
「こ、これは……その……」

 しどろもどろで返答に窮する。
 今ここでフィギュアを仕舞った理由を話す訳にはいかない。キッと表情を引き締め直すと、声を張り上げバルクホルンの質問を押し流す。

「い、い、か、ら! 早く!」
「わ、わかった……」

 何が何やらさっぱりわからないまま、頷いてしまうバルクホルン。
 東雲はそれを確認すると、足早に部屋の外に出てしまった。

「あっ?! おい、東雲!」

 呆気に取られ、反応が遅れた。慌ててジャンバーをつかむと、東雲を追って外に出る。
 そうこうしているうちに聞こえてくる車のエンジン音。暖気を始め、霜を取り、雪除けまでこなしていく。
 いつもの東雲らしからぬ、テキパキとした動きに面食らう。

「行こう、バルクホルン」



0623時 オホーツク流氷館 駐車場
「さあ、降りて」

 東雲が車を走らせることしばし。
 早朝ということもあってか、他に走る車はなく、スムーズに目的地に到着した。
 腕時計に目をやり時間を確認。幸いなことに、まだ目的の時間になっていない。

(間に合った……)

 心の中で安堵する。
 東の空は白み始めているが、周囲はまだ薄暗い。
 素早く周囲の森に目を走らせる。こちらも問題はない。

「東雲。ここに一体何があるんだ?」

 周囲を見回していたバルクホルンが、東雲に尋ねる。彼女の目で見て、特筆すべきことがなかった。

「バルクホルンに見せたいものがあるんだ」
「見せたいもの?」

 眼前に広がるのはありふれた冬の森。
 わざわざこんな時間に見に来るようなものではない。
 もう一度周囲を見渡すが、やはり変わったところは見付からない。駐車場にただ一台、東雲の車が止まっているだけ。
 そして東雲に目を戻すと、彼は腕時計とにらめっこをしていた。
 時計が時を刻んでいく。

「もう少し……」



0624時 オホーツク流氷館 駐車場脇の森の中
「シャーリーさん……シャーリーさん……」
「んん~…………」

 宮藤が小声でシャーリーを揺り起こす。
 彼女たちは森の中に『かまくら』を作り、一夜を明かしていた。

「誰か来ました」
「………………何!?」

 身構え、音を立てないように外の様子を伺う。
 周囲はまだ薄暗く、顔を見ることが出来ないが、二人分の人影が確認できる。

「どうしましょう?」
「……ハルトマンを起こしておいてくれ」



0626時 オホーツク流氷館 駐車場
「これは……」

 日が昇る。
 流氷に閉ざされたオホーツク海の彼方から、ゆっくりと太陽が姿を現す。
 始め、薄っすらと空を白めた太陽は、昇るにつれて光を強め、東雲とバルクホルンを囲む森を照らし出す。
 そして森の木々は日の光を受け、幻想的な輝きに包まれる。辺り一面、輝く木々で埋め尽くされる。
 バルクホルンはその光景にしばし言葉を失った。

「…………」
「どお、バルクホルン?」
「東雲……これは……?」
「樹氷だよ」

 樹氷は過冷却となった水滴が、樹木に衝突し、その衝撃で凍結・付着して出来る。
 いわば樹木の氷付け。
 その樹木に張り付いた氷が、日の光を浴びて輝いている。

「……気に入ってもらえたかな?」
「あ……ああ……」

 バルクホルンの顔にわずかに喜色が浮かび、ゆっくりと視線を周囲の木々に巡らせる。

「よかった……」

 一人、安堵の息を吐く東雲。
 本当によかったと心の底から思う。
 花を贈れないならと、悩みに悩んで悩み抜いて「木も花もカテゴリは『植物』で一緒だろ!」という暴論の末に辿り着いた答え。
 『金がかからず』『綺麗な植物』という、東雲のニーズを見事なまでに満たしている。
 しかし問題が無かった訳ではない。
 そもそも樹氷が出来ているかわからなかったのだ。
 分かっていたのは寝る前に見た、天気予報と水道管凍結注意のCMによって得られた情報のみ。そう、『晴れる』ことと『冷え込む』ということだけ。
 だから東雲は携帯電話からネットにつなぎ、樹氷のこと、日の出の時間などを調べあげた。そして最低限の条件は満たしていることはわかった。
 だが、樹氷が出来ているかどうか確証が持てなかった。
 しかし東雲は自分の気持ちを抑えることが出来なかった。一刻も早く想いを伝えたかった。
 賭けに出た。
 賭けに負ければ、何の変哲もない冬の森を見せるだけで終わってしまう。そのリスクを冒してでもバルクホルンの喜ぶ顔が見たかった。
 どうしても想いを伝えたかった。
 そして東雲は賭けに勝ったのだ。
 東雲は望んだシチュエーションを手に入れ、バルクホルンも気に入ってくれたようだ。
 あとは

「……バルクホルン」

 東雲はバルクホルンとの距離を、一歩詰める。



0626時 オホーツク流氷館 駐車場脇のかまくら
「…………」
「大丈夫ですか、ハルトマンさん?」

 宮藤に起こされたハルトマン。
 未だ覚醒しきらないのか、焦点の合わない目で宮藤を見ている。

「起きたか? ハルトマン」

 外の様子を伺っていたシャーリーが、視線はそのままに声だけ掛けてくる。
 ハルトマンは目をこすりながら、小さく頷く。

「どうですかシャーリーさん?」
「……警察とか、厄介なのではなさそうだな」

 観察を続けていたシャーリーの所見。
 若干距離があるため、声も聞こえなければ、顔も見えない。

「……どうしましょう?」
「……もう少し、様子を見よう」



0627時 オホーツク流氷館 駐車場
「……ねぇ、バルクホルン……」
「どうした東雲? 改まって」

 樹氷に見入っていたバルクホルンが、東雲と向き合う。
 呼応するように東雲が、また一歩詰め寄る。
 手を伸ばせば届く、手を回せば抱きしめられる距離。
 自分で距離を詰めておきながら、その距離の近さにひるみそうになる。早まる鼓動は心を乱し、思考を混乱させようとなおも高まる。
 東雲は息を止め、歯を食い縛ると、空っ欠の肺から残った空気を搾り出し、新たに冷気を吸い入れる。冬の冷たい空気が、火照った体を内側から冷やす。
 わずかに落ち着きを取り戻した東雲は、意を決して言葉を搾り出した。

「バルクホルンがこっちに来て、もう一ヶ月経ったけど……」
「あ、ああ……」

 バルクホルンが悲しそうに目を伏せる。
 東雲の言葉が止まる。バルクホルンが悲しんでいることをわかっていながら、あえてそれ無視すると、さらに言葉を紡ぐ。

「色々あったけど、その……俺、思ったんだ! バルクホルンと一緒で楽しかったって……」

 そこでまた東雲の言葉が止まる。
 意を決して告白すると決めたものの、緊張のあまり言葉が続かない。水槽から飛び出た金魚のように、パクパクと口だけが空しく動く。

(い、言え! 言うんだ! 俺!)

 脳からの指令に東雲の声帯は応えない。体も鉛のように重くなり、まるで言うことを聞かない。
 それでも、それでも東雲は懇親の力を振り絞り、両腕を持ち上げ、バルクホルンの両肩を掴む。

「っ!」

 バルクホルンの瞳が驚きと困惑で見開かれる。
 突然のことに戸惑いながらも、東雲の真剣な瞳に気圧され、振り払うことも出来ずに立ち尽くす。

「し、東雲っ?!」
「バルクホルン……お、俺……俺は……バルクホルンのことが!」



[26044] バルクホルンに花束を 6
Name: アルテン◆9a73cf91 ID:e15ac0d0
Date: 2012/11/14 18:59
1921時 コーポ長島
「ただいま~」

 疲れた声と共に、東雲がアパートのドアをくぐる。
 と、間を置かずに聞こえてくる小さな足音。トタトタと軽やかな音を響かせ近付いて来る。

「おかえりー!」

 舌足らずな喋りと共に、幼い女の子がひょこりと顔を出す。
 東雲は慈しみの目で微笑み返す。

「遅かったな、浩二」

 少し遅れて台所からバルクホルンの声。リズミカルな包丁の音が聞こえる。料理で手が離せないようだ。

「ごめん、ごめん。バイトの子が急に休んじゃって、仕方なくね」

 そう言って部屋に上がると、女の子の頭を勢い良くなでる。東雲のその手からは愛情があふれていた。今日一日の仕事の疲れなど、この子の笑顔で吹き飛んでしまう。
 女の子もうれしいのか、髪をもみくちゃにされながらも、きゃっきゃと笑いながら東雲にしがみ付く。

「いい子にしてたかぁ~メル?」
「うん!」
「よーし! いい子にはご褒美だぁ~」

 これでもかと言うぐらいまで目尻を下げた東雲が、カバンから小さな箱を取り出すと、メルと呼んだ女の子に手渡した。
 日曜の朝に放送している女の子向けアニメの食玩。
 受け取った女の子はパァっと目を輝かせると、抱きしめ、掲げ、体全体でうれしさを表すようにぴょんぴょん跳ね回る。
 ひとしきり跳ね回ると、タックルかと思うような勢いで東雲に抱き付く女の子。

「開けてもいい?」
「もちろ……」
「ダメだ」

 期待に満ちた女の子に、満面の笑みを持って答えようする東雲。しかし、バルクホルンの待ったがかかる。

「じきに夕飯が出来る。開けるのは明日にするんだ」
「「え~……」」

 不満気な声を上げる東雲と女の子。
 その声に食材と向き合っていたバルクホルンが、包丁を置いて振り向いた。

「ご飯の前にお菓子を食べるんじゃない! それに浩二! 貴様も貴様だ! メルセデスを甘やかすんじゃない!」
「いやでも、これはお菓子がメインじゃなくて、おもちゃがメインであってですね……」
「浩二!」
「……はい」

 バルクホルンの剣幕にしゅんとなる東雲。メルセデスと呼ばれた女の子も、隣で小さくなっている。
 どうやら『メル』は愛称で、『メルセデス』が本当の名前のようだ。
 日本では厳つい輸入外車の名前として知られる『メルセデス』だが、ドイツではれっきとした女性の名前である。

「だいたいだな、いつも金がない金がないと言っているくせに、どうしてこんな無駄遣いをするんだ?!」
「いやそんな大した金額じゃないし……無駄遣いじゃない……よなぁ?」

 何とも気まずそうな調子で、隣の幼子に助けを求める東雲。
 わかっているのか、いないのか。コクコクと頭を縦に振るメルセデス。
 そんな二人を仁王立ちで見下ろすバルクホルン。

「無駄使いというのは、こういった小さな金額の積み重ねが、じわじわと財布を蝕むのだ! 大体この前も買って来たばかりだろう! 一体いくつ買ってくるつもりだ!」
「その……これは全種揃えてこそ初めて価値がありまして……」
「そんなものは初めからない!」

 ぴしゃり。
 東雲の反論をにべもなく否定。
 思わず怯えた子猫のようになる東雲とメル。

「……あ、あ、あ~。メル……今日は何してたんだ?」
「話を聞け!」

 勝てそうに無いと悟ると、とっとと逃げを打つ東雲。
 メルセデスもこれ以上お小言を聞きたくないので、あっさりと話題を振ってくる。

「んとね、ムッティと一緒に病院に行ってきたの」
「バっ!?」
「病院!? メルどこか痛いのか?!」
「んん~ん。ムッティの病院」
「え? ちょ? 何? トゥルーデの?! 怪我?! 病気?! な、何?! どこ?! どこが悪いの?! 調子悪いのか?! 大丈夫なのか?!」
「ま、待て浩二。少し落ち着け……」

──病院

 その一言に東雲が過剰なまでに取り乱す。
 無理もない。今まで病気一つしてこなかったバルクホルンが、病院で診察を受けたというのだ。
 心穏やかでいられるはずがない。

「無理、そう無理はダメだからって何で起きてるの!? 寝て! 寝て! 寝て! 晩飯の仕度なんて後は俺がするから!」
「いや、話をだな……」
「ええ~……ファーティが作るの~?」
「わがまま言うんじゃありません!」
「話を……」
「だって……ファーティすぐ焦がすんだもん……」

 メルセデスが頬を膨らませて抗議。東雲の作る食事にいい思い出がないようだ。
 東雲も料理が下手なのは自覚している。
 しかし事態が事態である。背に腹は代えられない。

「いいかいメル? 今トゥルーデは病気なんだ……そんな時は家族みんなで支え合わないといけないんだ……わかるね?」
「……うん」
「だから少しの間だけ我慢できるね?」
「……うん」
「よし、いい子だ」

 ふて腐れ、口を尖らせながらも、不承不承にうなずくメルセデス。
 そんなメルセデスの頭をやさしくなでる東雲。
 と、

「話を聞かんか!」

 バルクホルンがキレた。

「ダメじゃないかトゥルーデ! 早く横になって……」
「病気でもなければ怪我もしていない」
「え?」

 東雲の動きが止まった。
 鳩が豆鉄砲をくらったかのように目をしばたく。
 やっと止まった東雲の暴走。それを確認すると、バルクホルンは呆れと恥ずかしさの混じったため息を吐き出した。

「メルセデス……まだ二人だけの秘密だと言っただろう」
「ゴメンなさ~い」
「え? え?」
「『健康状態』に問題はない」
「え? じゃ、じゃあ何で病院……」
「…………三ヶ月」
「……へ?」
「二人目だ……」

 恥ずかしさと嬉しさが混ぜこぜになった顔で、そっぽを向くバルクホルン。
 対して東雲は……。
 固まっていた。

「浩二……?」
「ほ……本当?」
「本当だ」
「ウソ……じゃないよね?」
「嘘など言わん」
「い……」
「?」
「イーーーーーヤッハァーーーーーーーー!!!!!」

 やおら歓喜の雄叫びを上げつつバルクホルンを抱きしめる。

「こ、コラっ! 止めんか! メルセデスの前だぞ!」
「すごい! スゴイよ! トゥルーデ!」

 慌てたバルクホルンが、東雲を止めようとするが、聞く耳なんぞありゃしない。
 何度も何度も喜びの言葉を連ね、愛の言葉を重ねていく。

「私も! 私も!」

 何を勘違いしたのか、メルセデスが足元で抱っこをせがむ。
 そんな愛娘を愛おしく思いながら、東雲は片手でメルセデスを抱き上げた。もちろんもう片方の手はバルクホルンを抱きしめたままだ。
 バルクホルンも手を伸ばし、二人でメルセデスを支え合う。

「トゥルーデ……俺、幸せだよ……」
「私もだ……」

 愛する人を抱きしめて、その幸せを噛み締める。
 東雲は自分がトゥルーエンドに辿り着けたのだと悟った。
 だが、彼らの物語は終わった訳ではない。まだこれからも続いていくのだ。
 これは人生という物語の1ページ。
 これから先、彼らの前には数多の艱難辛苦が待ち受けていることだろう。
 しかし、家族となら乗り越えていけると、東雲は強く思った。
 何があってもこの手を離さないと。

(そう、俺たちは登り始めたばかりなんだ……この人生って坂道をよ!)

──fin
 ※ご愛読ありがとうございました。東雲浩二先生の次回作にご期待ください!



「……東雲」

──ん? 何? バルクホルン?

「……東雲」

──あれ? 何で名字で呼ぶの?

「東雲!」
「!?」



0628時 オホーツク流氷館 駐車場
(いかんっ! 妄想していた!)

 不覚!
 不覚!!
 不覚!!!
 一世一代の勝負どころで、まさかの妄想力の暴走。
 告白の途中で女性を放置するなど、男として有り得ない、いや許されざることである。
 視界を現実に引き戻す。
 目の前には東雲が肩をつかんだままのバルクホルンが、驚きと困惑の表情を浮かべたままたたずんでいた。

「その……手を離してくれないか……」
「あ、ご……」

 ごめんと言いかけ、手の力がゆるむ。

(って!? ダメだろ俺!)

 慌てて力を入れ直す。今見た妄想を現実のものとするために。

「聞いてくれバルクホルン!」



0628時 オホーツク流氷館 駐車場脇のかまくら
「……今、『バルクホルン』って聞こえなかったか?」
「…………」

 シャーリーの問いにハルトマンが無言でうなずく。
 東雲の上げた大きな声は、かまくらの中のシャーリーたちには微かに聞こえた程度。
 聞き間違いかもしれない。いまひとつ確信が持てない。
 しかし、

「あ?! 待て! 宮藤!」

 宮藤はかまくらを飛び出すと駆け出した。



0629時 オホーツク流氷館 駐車場
「東雲?」

 いくら待っても東雲の手は離れない。

「……ダメだ……離さない」
「な?! 何を言って……」
「ダメだ! だって俺はバルクホルンのことが!」
「危ない!」

──ヒュッ

 鋭い風切り音と共に飛来する雪の塊。
 青白く光る雪の玉は狙いを違うことなく、東雲の側頭部を穿つ。

「ぷぎゃ!?」

 これ以上ないくらいに情けない断末魔の声を上げて、東雲の視界が真横に流れる。
 バルクホルンの姿が視界から外れる、離すまいと思っていた手があっけなく剥がれる。
 東雲はそのまま圧雪アイスバーンに叩きつけられた。

「!? し、東雲ー!?」

 視界の隅に駆け寄ってくるバルクホルンが見える。
 しかし、

「バルクホルンさーん!」
「宮藤!?」

 バルクホルンを呼ぶ声に、彼女の足が止まった。
 振り向けばそこには懐かしい顔。もう二度と見ることはないとあきらめた顔。
 宮藤は駆け寄ると、そのままバルクホルンに抱きついた。

「バルクホルンさん大丈夫ですか?! 怪我してませんか?!」
「宮藤?! 本当に宮藤なのか?!」
「はい! バルクホルンさんを助けに来ました! さあ、行きましょう! 向こうでシャーリーさんとハルトマンさんが待ってます!」
「何?! あいつらも来てるのか?!」

 宮藤に手を引かれたバルクホルンが、連れて行かれる。
 痛みに悶え、声も出せない東雲。
 東雲は為す術もなく、その後ろ姿を見送るしか出来なかった。

(……俺……忘れられてる……?)

 その後。
 バルクホルンが戻ってきたのは、感動の再開が一通り終わってからのことだった。



0728時 コーポ長島
「すみませんでした……」

 宮藤は深々と頭を下げた。

「あ゛あ゛~……いいんだけどねぇー」

 ちっともよくなさそうに応える東雲。
 仏頂面でそっぽを向く。
 どう見ても不満たらたら、怒り心頭。不機嫌なことこの上ない。
 宮藤が東雲に雪玉を投げつけた理由を聞いてみれば、暴漢だと思ったからだと言う。彼にしてみれば心外と言う他ない。変質者感はあっても、暴漢はない。
 バルクホルンの説明で誤解は解けたものの、いまいち釈然としない。
 あの後、東雲たちは兎にも角にも場所を移すことにした。
 なにせ、この世界に来たばかりの彼女たちは『あの格好』である。人目を避けなければならなかった。
 ストライカーユニットとその他機材、そして人。東雲の車では一度に運びきれず、都合三往復の運搬作業。
 それが終わって、やっと話を聞く段になったところだった。

「で? バルクホルンを助けに来たのは分かったけど、何が一体どうなってるの?」
「その前にさ、ここがどこか教えてくれないか? 扶桑軍と連絡を取りたいんだけど」

 東雲の質問を遮り、シャーリーが尋ねてくる。
 いつも通りの気楽な調子。
 その様子に東雲とバルクホルンが顔を見合わせる。

「ん? どうした?」
「……シャーリー、ここに扶桑軍はいない」
「あ~、そうだよなぁ~。近くに居たら、こんな面倒な事になってないよなぁ」

 ピントの合っていないシャーリーの答え。

「違う。……ここには扶桑なんて国はない。それどころかカールスラントもリベリオンもない。ここは私たちの世界じゃないんだ……」
「はぁ? 何言ってるんだ? だってその兄ちゃん扶桑人だろ? 扶桑語話してるし」

 思わず苦笑いを浮かべる東雲。
 どこから説明したものかと思考を巡らせ、バルクホルンの時と同じように地図からを見せることにする。英語で書かれた分厚い教科書を引っ張り出すと、地図の載っているページを開いた。

「はい。これが『この世界』の地図」

 シャーリーたち三人が差し出された地図を食い入るように見る。

「おお? リベリオンの形が違うぞ?!」
「南洋島が載ってません!」
「…………」

 予想通りの反応が返ってきたので、ちょっとご満悦な東雲。
 そのまま畳み掛けようと『ストライクウィッチーズ』のブルーレイを用意し、テレビの電源を入れた。
 無機質なブラウン管に、突如として映し出される小ざっぱりとした格好の一組の男女。地方局のニュース番組で、どこか垢抜けない感じのするキャスターが、淡々と朝のニュースを伝えている。

「おおおお~?! それ『テレビ』?! 『テレビジョン』か?!」
「YES! テレビジョンです!」

 今まで置物と思っていたのであろう物体に、画像が映し出されたことで驚嘆の声を上げるシャーリー。
 我が意を得たりと、何故か胸を張る東雲。

「すごい! 総天然色ですよシャーリーさん!」
「!」

 驚きの声を上げる宮藤。
 ずずずずずいっと這い寄ってくるハルトマン。
 ことさら満足気な東雲。

「さて、これが『テレビ』であることをご理解いただけたところで、見てもらいたいものが……」

 ブルーレイをセットしようとテレビに向き直ると、東雲の目に一つのニュースが飛び込んできた。

『本日未明、馬走市で強盗未遂事件が発生しました』
「?」

 スタジオから画面が切り替わり、一つの建物を映し出す。
 映し出された映像には、建物を十重二十重に囲むパトカーと警官の群れ。

『事件が起きたのはホテル馬走湖荘で、銃撃によって建物の一部が破壊される被害を受けました』
「なあ宮藤? これ、夜に行ったところじゃないか?」
「あっ、本当だ……」
「へ?」
『事件発生時、従業員と宿泊客がいましたが、いずれも怪我人はいないとのことです。目撃者の証言によりますと、犯人は小柄な女性で、銃撃後、何も盗らずに走り去ったとのことです』
「お前たち……何か知っているのか?」
「知ってるも何も……なぁ?」
「は……はははははは……」

 険しい視線で詰問するバルクホルン。
 バツが悪そうに宮藤に振るシャーリー。
 乾いた笑いしか出てこない宮藤。

『警察では犯人の行方を追っていますが、手掛かりは掴めていないとのことです。なお、犯人は馬走市内に潜伏している可能性が高いとして、警察では不要な外出を控え、戸締りをしっかりするようよう呼び掛けています』
「……これは貴様らの仕業か?」

 ゴウッと熱風が如き怒りのオーラがバルクホルンから立ち昇る。
 ビクッと条件反射で縮こまるシャーリーと宮藤。

「ま、待てバルクホルン! これは誤解! ……事故、そう不幸な事故なんだよ! なっ? 宮藤! そうだろ?」
「そ……そうなんです! 事故なんです! 道を聞こうとしたら私の銃が急に暴発して!」
「だから扶桑軍に間に入ってもらって誤解を解こうと……」
「扶桑軍はいないと言っているだろう!」

 必死の弁明をするシャーリーと宮藤を、バルクホルンが怒鳴りつける。そしてそのままお説教モードへ。
 やり取りを他所に一人引きつった表情を浮かべる東雲。『犯人隠匿』『逃走幇助』そんな単語だけが頭の中をグルグルと回る。

「どうすんだよ!? これー!」



[26044] お願い恋にも時間を!?
Name: アルテン◆9a73cf91 ID:e15ac0d0
Date: 2013/02/20 11:37
0731時 コーポ長島
「どうすんだよ!? これー!」

 虚しく、本当に虚しく東雲の声が木霊する。
 その声は聞く者に同情と哀れみを誘うこと請け合いの木霊だった。

「こ……こいつらが犯人ってことは……俺も共犯ってことで……」

 振って沸いた状況に頭くらくら、体もふらふら。鈍化する思考速度。考えられない考えたくない。だがそれは事態を正しく認識したくないという防衛本能。
 認めたくないのだ。自分が『犯罪者』になったという事実を。

「だーかーらー、扶桑軍に間に入ってもらって説明すりゃいいだろ!」
「わからん奴だな! 扶桑皇国が存在しないから、扶桑軍もいないと何度言わせるつもりだ!」
「だからそれがおかしいっていうんだ! ここは扶桑で、その兄ちゃん扶桑人だろ?! 何で扶桑がないんだよ!」

 家主の気持ちなどまったく斟酌せずに、バルクホルンとシャーリーが怒鳴り合う。
 しかし、シャーリーはここが別世界であることを理解していないため、二人の話はどこまで行っても平行線。交わることがない。
 そんな二人の間に挟まれて、おろおろするばかりの宮藤。
 我関せずとばかりにコーヒーをすするハルトマン。

「えーい! 埒が明かん! 東雲! 説明してやれ!」
「……え? ん、あ、ああ……そうだね……」

 唐突に振られて反応が遅れた。
 正直、東雲にしてみればそれどころではないのだが、話が進まないのであれば仕方がない。そもそもその話をしようとしていたところだったのだ。
 半ば茫然自失の状態ではあるが、東雲はそれでものろのろと体を動かして、ブルーレイをセットした。



0732時 国道39号線
──ピーッ ピッピッ

 笛を吹き、警告灯を振って車を止める時岡巡査。
 すかさず佐藤巡査長が運転席に近寄り、ドライバーに話しかける。

「これからお仕事ですか?」
「ええ」

 多少の戸惑いを見せながらも、質問に答えるサラリーマン風のドライバー。いつもと違う通勤路の風景に、頭の中で疑問符を浮かべる。
 佐藤と時岡の両警官は、ホテルでの事情聴取が終わり、現場の引き継ぎを済ませると検問要員に回された。
 目的はもちろん犯人の逃亡を防ぐためである。
 平和な田舎町に振って沸いたような『凶悪事件』であるために、馬走警察に多少の混乱が見られたが、「兎にも角にも非常線を張らなければならない」ということで、とりあえず配置された二人だった。
 特にこの国道39号線は隣町へと通じている主要幹線道路であり、空港にも通じているため、検問の設置は急務であった。

「免許証を見せてもらえますか」
「……何かあったんですか?」

 ドライバーは免許証を訝しげな顔で渡すと、恐る恐る聞いてみた。

「いやなに、ちょっとした事件ですよ」

 何の検問かは話さない。
 何でもなさそうに、あくまで和やかな声で答える佐藤。だが、その目は決して和やかではない。鋭い目付きで記載事項を確認すると、写真をドライバーの顔と見比べる。
 その間にも時岡がクリップボード片手に、車のナンバーなど必要事項を書きとめていく。

「すいませんが車の車種とナンバーを言っていただけますか」
「? インプレッサ。北見501は320ですが……」

 佐藤の質問に、ますます訝しげな表情になるドライバー。「なぜ車種まで言わなければならないのか?」という疑問が、その表情から見て取れる。
 だがこれは「その車が本当に所有者のものであるか?」という確認。どんなに車に興味がない人間であっても、自分が運転する車の車種とナンバーは憶えるものだ。
 逆に言えば、この二つが一致しないということは、所有者でない可能性が高まる。
 つまり盗難車の可能性が出てくるということ。
 そして盗難車は定番中の定番といえる逃走の足だ。短時間で乗り捨てる車のナンバーなど、わざわざ憶えはしない。
 それを確認する、もっとも簡素な質問。
 佐藤がちらと時岡に目配せをすると、時岡は小さく頷いた。ドライバーの言うナンバーと時岡が確認したナンバーは一致している。

「ご協力ありがとうございました。それではお気をつけて」

 佐藤が車から離れると、ドライバーは訝しげな表情を残したまま車を発進させた。
 朝のラッシュアワーが始まるには微妙に早い時間とあって、通る車はまだまばら。
 今の車で一区切りとばかりに、車の流れが途切れる。

「そういえば聞きましたか巡査長?」
「何をだ?」

 車の流れが途切れたので、職務の緊張感も途切れたのか、時岡が佐藤に話しかけた。

「今回の事件、公開する情報をかなり絞るそうじゃないですか」
「……そのことか」

 やれやれと言った感じでため息をつく佐藤。

「や、だっておかしいじゃないですか? 犯人は銃なんて凶器を持って逃走してるんですよ? 出せる情報はどんどん出して、早く捕まえないとどんなことになるか」
「時岡。お前の言いたいことは、よ~くわかる。だがな、引継ぎの時に鑑識の友人に聞いたんだが、そいつは難しそうだぞ」
「どういうことです?」

 時岡は警官ならば、いや、普通の感覚の人間なら誰もが思うであろうことを口にしたに過ぎない。
 しかし、佐藤はその当然のことが難しいと言う。
 ひとしきり渋面を作ると、佐藤は自嘲気味に訳を教えてくれた。

「そいつが言うには、目撃者の証言通りの女の子『らしい』人物が防犯カメラに映ってたそうだ……」
「だったらなおさら、その画像を公開して……」
「まあ、聞け。もしそれが本当だったら、当然公開は出来ない」
「どうしてですか?!」
「少年法ってもんがあるだろうが」
「あ……」

 現行の法律の下では未成年が犯人または容疑者であった場合、その個人情報は秘匿しなければならない。
 当然、顔写真の公開など出来ようはずもない。

「それにだ……」
「まだ何かあるんですか?」
「画像が粗い上に、暗がりということもあって顔の判別は無理だろう、だとさ」

 佐藤のその言に盛大にため息を漏らして肩を落す時岡。
 結局のところ、犯人逮捕は目撃者の証言に頼る他ないということだ。
 そんな部下のケツの青さを見て、思わず佐藤が苦笑を漏らす。

「ほれ、次の車が来るぞ。準備しろ」



0844時 コーポ長島
「え~……と、言う訳でして、今観てもらった映像の通り、こちらの世界ではあなたたちの存在は空想上のものな訳です」

 スト魔女のアニメを見せ、その他物的証拠を示しながらの説明を終える東雲。
 なんと言うか、ぐったりである。しかし、この説明をするのも二度目とあって、バルクホルンの時と比べると随分要用良く説明していた。
 そして説明を聞き終わった三人はといえば、三者三様。
 シャーリーは新しいおもちゃを与えられた子供の様に目を輝かせ。
 宮藤は理解が追いつかないのか引きつった苦笑いを浮かべ。
 ハルトマンはぼ~っとした感じで何やら考えている。

(……大丈夫か……な?)

 色々な意味で不安になる反応である。

「今の説明でわかったと思うが、ここは扶桑とは似て非なる場所で、我々の常識は通用しない。軽はずみな行動は慎むように」

 バルクホルンが実感のこもった声で東雲の後を引き継ぐ。
 その様は何と言うか引率の先生である。

「特にシャーリー、貴様に言っているんだ!」
「うへっ?! 私?!」

 急に振られたシャーリーが、心外だと言わんばかりの顔になる。

「私は何にもしてないだろ?! やったのは宮藤だって!」
「えっ?! そこで私に振るんですか?!」
「宮藤のは事故だから仕方がない」

 突然の火の粉に面食らう宮藤。
 しかし、矛先が宮藤に向かうとなると、すかさずフォローに入るバルクホルン。なんと言うか『お姉ちゃんマジお姉ちゃん』である。

「いや、仕方ないで済まないんですけど……」
「で、今度はそちらの事を話してくれ。まずどうやってここに来た?」

 東雲が突っ込みを入れるが、そんなささやかな突っ込みさえもあっさりと流される。どこまで行っても不憫。

「説明させていただきます」

 そう前置くと『ウルスラ・ハルトマン』は、メガネフレームの両端を両手でちょこんと持ち上げた。

「まず一ヶ月前から出現しているネウロイなのですが、一定以上のダメージを受けると全身を光の膜で覆うことが確認されています」

 表情からは読み取れないが、その声は真剣だ。

「その光の膜によってこちらからの攻撃を遮断。別の空間に転送しています」
「転送?」
「はい。空間を歪めることにより、こちらの攻撃をまったく別の場所に飛ばすことで、身を守っています」
「それで私も『飛ばされた』と?」

 ウルスラがコクリと頷く。
 今までに聞いたこともない事例だけにバルクホルンが唸る。

「ほんと、参ってるのさ。いくら撃ち込んでもすぐ光の中に篭っちまうし、出てきたと思えば再生してる。キリがない……」
「ん? ちょっと待って。今までだって再生するのなんていくらでもいたよね? 再生速度が早いのだって……。なんでネウロイはそんなことするの?」

 もっともといえばもっともな疑問を東雲が口にする。元々再生能力が備わっているのに、わざわざそんな事をする理由が思いつかない。

「過去の戦闘データを見ると、再生中の撃墜がもっとも多くなっています。おそらくその対抗策として『安全に再生する方法』を模索しているのではないかと推察しています」
「で、再生するだけならまだしも、だんだん固くなってるんだ……」

 うんざりしたようにシャーリーが天井を仰ぎ見る。
 その口調で厄介な敵だと何となく予想できる。

「また、その膜に接近した際に、ストライカーユニットでの飛行に支障が出たほか、リトヴャク中尉からは『扶桑語のラジオが聞こえた』との証言がありました」
(あ、な~る……)

 一つ東雲の腑に落ちた。
 シャーリーたちが『扶桑』とか『扶桑軍』にこだわっていたのは、サーニャのその証言が元になっていたようだ。

「二回目の戦闘時に『光の膜』に対し探査ポッドを投下。リトヴャク中尉の証言通り、扶桑語のラジオ放送を受信。また、探査ポッドに取り付けたカメラが街の夜景を撮影しました」

 東雲たちは知らないが、空自のレーダーに映ったノイズの正体こそが探査ポッド。

「これらの情報から『転送先は扶桑ではないか』と仮説を立てました」
「で、扶桑軍に連絡取って捜索してもらったんだけど、埒が明かなくてさ。仕方ないから私らが探しに来たって訳」

 ウルスラの説明をシャーリーが引き継ぐ。
 そりゃ扶桑にバルクホルンはいないのだから、扶桑軍がいくら捜索したところで埒が明く訳がない。

「なるほど……」

 ひとまず事情が飲み込めてきたバルクホルン。
 ウルスラは地図と赤鉛筆を取り出すと説明を続けた。
 そして地図に楕円形を書き込む。それを囲むようにさらに書き込む。
 都合四つの楕円が木の年輪のように書き込まれた。

「ネウロイはこのような周回軌道を描きながら、週一回のペースで501の防空圏へ侵入と離脱を繰り返しています。そしてその侵攻地域は徐々に南下する傾向にあります」

 そう言ってさらに楕円を書き込む。

「これが来週の予想針路です」
「これは……」

 新たに書き込まれた予想針路にバルクホルンが息を呑む。
 ウルスラが書き込んだ赤い線は、とある地方都市の上を通っていた。それは取りも直さず人口密集地への侵入を意味する。
 もし侵入を許すようなことになれば、都市上空での戦闘が起きることは必至。どれだけの被害が出るかわからない。

「現在、501とロマーニャ軍による迎撃計画が進行中です」
「一回目、二回目と私らが取り逃がし、先週は痺れを切らしたロマーニャ軍が出てきたんだけど、これも惨敗……」
「墜とせるのか?」

 今までの話から不安になったのか、神妙な顔付きで尋ねるバルクホルン。
 その問いにシャーリーは不敵な笑みで応えた。

「そのために来たのさ」



[26044] お願い!恋にも時間を!? 2
Name: アルテン◆9a73cf91 ID:e15ac0d0
Date: 2014/08/31 21:53
0854時 コーポ長島
「作戦の手順を説明させていただきます」

 ウルスラが再びメガネを掛け直す。

「先ず『こちら側』と『元の世界』との接続空域までロケットブースターを用いて上昇。向こう側で攻撃を受けたネウロイが、空域を接続すると同時にこちら側から突入。こちら側と向こう側の中間地点に退避していると予想されるネウロイに攻撃を仕掛けます」
「『こちら側と向こう側の中間地点』? こちら側に出てくるわけではないのか?」

 あまりにも簡単に説明された作戦の概要に、バルクホルンが質問をしていく。

「はい。私たちがこちら側に来た際、周囲にネウロイの姿はありませんでした。中間地点に居ると見て間違いありません」
「こちら側はエーテルが存在しない。だからストライカーで飛行することは出来なかったが、ロケットブースターなら……飛べるのか?」
「……納得しました。そもそもエーテルがなかったのですね。ロケットブースターは化学燃料を用いて飛行するので、飛行可能です。こちら側に来た時、実際に飛んでみたので問題はないと思われます」
「燃料はもつのか? ロケットブースターの燃焼時間はそれほど長くはないはずだ」
「今回の作戦に合わせ、燃料タンクを拡張したものを使用します。燃焼時間は三倍になっているので、予定通りに作戦が進めば、余裕をもって帰還できます」
「……わかった」

 バルクホルンは目を閉じ、腕を組むと考え込んだ。
 とりあえずの疑問点には答えが返ってきた。あとは自分が目的を達成できるかどうか。

「……ん?」

 何か気になる単語が出てきたので、眉間にしわを寄せる東雲。

「ま、最悪、撃墜できなくても、追い立ててやるだけでもいいのさ。落すのは向こうに行ってからでいい」
「我々の任務は『ネウロイを回復させないこと』という訳か」
「そういうこと。あのネウロイに『安全な場所はない』とわからせりゃいいのさ。それとアンタの回収も私らの任務だ。上のほうには言えないけど、ミーナにはネウロイよりアンタのことを優先するよう言われてる」
「その……迷惑を掛けるな……すまん」

 ざっくばらんに任務達成の最低条件を口にするシャーリー。
 バルクホルンはしなければならないことを理解した。

「ね……ねぇ? ちょっといいかな?」

 おどおどとした口調で口を挟んだのは、作戦に関係のないはずの東雲だった。
 意外なところからの質問に、一同は顔を見合わせる。
 ウルスラは視線を東雲に向けると先を促した。

「どうぞ」
「あ……う、うん。あの……それって……さ……ネウロイを倒しても倒せなくても、向こうの世界に……帰るって……こと?」

 言葉に詰まる。上手く喋れない。
 フリーズしかけた脳みそが必死になって言葉を探す。
 嘘であって欲しい。
 起きて欲しくなかった事態。

 ──頼む!

「そうです」

 ハッキリとウルスラはそれだけ告げた。
 その一言で東雲の時が止まる。

「か……帰る……の?」

 ゼンマイ仕掛けの機械のように、カクカクとした動きでバルクホルンを見る。
 そこには『帰れる』という実感を噛み締めた、生気あふれるバルクホルンの笑顔があった。

「ああ、帰れるんだ! 東雲、お前には迷惑をかけたな!」
「……ぅ……ぃや……そんなこと……は……」

 今まで見たことのない、満面の笑みで感謝の言葉を伝えるバルクホルン。
 突然の別れに、ただただ呆然とするしかない東雲。
 そして東雲は気付いてしまった。

(……バルクホルンは……俺と別れることが……悲しくないんだ……)

 バルクホルンにとって、ただの同居人に過ぎないことに。
 気付いてしまった。
 自分だけが勝手に盛り上がっていただけなのだ。

(俺は……)

 東雲は愕然とした面持ちでうなだれる。
 『帰還出来る』という吉報に浮かれるバルクホルンは、東雲の様子に気付かない。

(……んん? この兄ちゃん……まさか?)

 シャーリーだけが東雲の態度に違和感を感じた。
 宮藤はバルクホルンと共に帰還できることを喜び合っているし、ウルスラは東雲に関心を向けていない。

「作戦の実施は一週間後です」

 ウルスラが何の抑揚もない声で、作戦の期日を告げる。

「え? 一週間?」
「何だ東雲? ちゃんと話を聞いていなかったのか?」

 素っ頓狂な声を上げる東雲を、バルクホルンがたしなめる。その目には批難の色が浮かんでいたが、東雲には気にしているほど余裕がない。

(……一週間……まだチャンスはある……か?)

 突然の別れと思っていたのだが、一週間の猶予がある。
 今までが今までだけに、一週間程度でどうにかなるとは思えないが、まだ一縷の望みが残されていた。
 東雲はもはやこれに賭けるしかないのだ。
 自らを奮い立たせ、この一週間の間にバルクホルンの想いを伝えようと、改めて決意する。
 そしてシャーリーが能天気な声で提案。

「で、兄ちゃんさぁ。それまでの間、ここに泊めてくんない?」
「……へ?」
「いやさぁ、さっき言ったけど私ら扶桑軍に協力してもらうつもりだったんだけどさ、扶桑軍がいないとなると泊る場所がなくってさぁ。飯もそんなに持ってきてないし」
「は……はぁ……」

 シャーリーの提案に東雲困惑。
 頭の回転が鈍い。

「えっと……ここで寝泊りすると?」
「YES」
「この……五人で?」
「YES!」

 妙に怪しい笑顔で頷くシャーリー。
 ようやく脳みそが回転した東雲。そこで一つのことに気付いてしまう。

(こ……ここここここここここれはもしや『ハーレムルート』とというヤツではなかろうか!?)

 一人の男が複数の女性に囲まれて一つ屋根の下で生活する。すがすがしいまでにベタで王道な展開。男ならば誰しも一度は夢見るシチュエーション。
 まさかの展開に東雲の心は浮き足立っていく。

(おおおおお落ち着け俺! 一週間泊るだけで、何かある訳じゃないんだぞ!)

 動揺に次ぐ動揺。
 そんな風に思っても、思わず何か期待したいお年頃。

「どうした東雲?」
「ちょ……ゴメン、ちょっと考えさせて」

 顔を背け、乱れた呼吸を整える。
 動揺を悟られぬよう静かに深呼吸。
 一回……。
 二回…………。
 そして東雲は考える。

(ん~と…………………………巨乳……メガネロリ……スク水…………って違う!)

 あふれ出る煩悩が東雲の思考を遮る。
 今の東雲は煩悩に支配され、まともな思考が出来なくなってしまった。
 煩悩、煩悩、また煩悩。
 この年頃の男ならば無理からぬことであるが、冷静な判断など今の東雲には無理の無理無理なのである。

「ん……ん~、いいんじゃ……ないかなぁ……」

 結局、なんの考えもなしに了承してしまう。

「そうだな。こちらの警察に追われているようだし、ここで匿うのがいいだろう」

 バルクホルンも何か観念したように同意した。

「あ……」

 バルクホルンの言葉で思い出す。
 煩悩が暴れて忘れていたが、彼女たちは今、お尋ね者なのだ。
 『ハーレムルート』などと浮かれている場合ではないのだ。自分自身まで警察に追われかねない立場になってしまったのだ。

「あ、ちょ……ちょっと待っ……」
「いや~、話のわかる兄ちゃんでよかったよ。しばらくの間よろしくな」

 悪い笑みを浮かべ、あいさつするシャーリー。それに倣い深々と頭を下げる宮藤と、軽く会釈するウルスラ。
 逃げ道が塞がれていく。

「……い……ゃ、もうちょっと考え……」
「そうと決まれば、東雲!」
「はい?!」

 なんとか撤回を試みようとするも、バルクホルンにあっさりと潰された。

「まず朝食だな!」
「……はい」

 もう、なるようにしかならない。



0917時 東雲家(実家)
「……これと……あれと……それも入れた……」

 東雲の母が一人段ボール箱と格闘していた。
 入れては出し、入れては出しを繰り返し、段ボール箱に目一杯物を詰め込もうと試行錯誤を繰り返す。
 そして出来上がった箱を見て、ほっと安堵に胸をなで下ろす。
 箱の中身は食料品。
 寄木細工のように隙間なくギッチリと詰め込まれている。
 もう一度、詰め忘れがないか確認を終えると、ガムテープで封をした。
 そして伝票のあて先欄に息子が住む馬走の住所を書き込んだ。
 息子から頼まれた訳ではない。
 長期休暇だというのに帰省しない息子を心配してのことだった。
 それに先日の息子からの説明を聞けば、『追い出しコンパ』が控えているという。そうなれば散財の挙句、月末はひもじい思いをするに違いないというのが母の読み。
 最後の最後で泣き付いて来る姿が想像できたので、先手を打とうというのである。
 息子のことを熟知しきった先手である。
 そしてその読みは当たっている。理由が違うだけで。

「さて、電話。電話」

 母はダイヤルを回し、宅急便の集配サービスを頼んだ。



0934時 コーポ長島
「とりあえず服か?」
「服だね」

 朝食を摂り終えた一行を見渡し、バルクホルンが一言。
 それに東雲が同意する。

「服? これじゃマズイのか?」

 二人の言葉に首をかしげるシャーリー。
 予想通りの反応に苦笑いを浮かべる東雲。
 バルクホルンの時の『事故』を思い出してしまい、軽く噴き出した。

「……なんだ東雲? 気持ち悪いぞ」
「ゴメン、ゴメン」

 何かを感じ取ったのか、バルクホルンが冷たい視線を向けてくる。

「ひとまずバルクホルンの服を着ててもらおうよ。買いに行くにしても、まだどこも店やってないから」
「まぁ、それしかあるまい……」

 ため息と共にバルクホルンが同意。人数分の衣類の選択を始めた。
 二人が服と言い出したのは、もちろん『急な来客対策』である。バルクホルンの時のようなことは面倒なので、早めに手を打っておきたい。
 あと、東雲の精神衛生上的な意味でも。

「え~……別にこれでもいいじゃん」

 一人文句を垂れるシャーリー。
 ピクリと眉の釣り上がったバルクホルン。ゆらりとシャーリーに向き直る。

「ダメだ。その格好では目立ちすぎる」
「目立つって、別に礼服着てる訳でもあるまいし……」
「そうじゃない! 私の格好を見て気付くことはないか?」

 すっくと立ち上がると、三人によく見えるように仁王立ち。
 それに合わせ、怪訝な面持ちでバルクホルンを上から下まで観察するシャーリーたち。
 と、何かに気付いた宮藤が口を開く。

「軍服はダメってことですか?」
「それもある」

 次いでシャーリーも口を開いた。

「暗い色ばっかりだな……明るい色の服は着れないのか?」
「それは関係ない!」

 最後にウルスラ。

「男性用のズボン……ですか?」
「その通りだハルトマン!」

 妙に嬉しそうな声で応えるバルクホルン。
 うんうんとひとしきり頷くと、教官口調で説明である。

「この世界では『ズボン』を晒してはいけないという風習がある。故に、このように『ズボン』の上に『男性用ズボン』を穿かなければならない。でなければ、あらぬ誤解を受けることになる」
「あっ……私、露出狂って言われた……」

 バルクホルンの説明で、昨夜のことを思い出した宮藤がボソリと独り言をつぶやく。

「ん? どうした宮藤?」
「いえ、なんでもないです……」

 ものすごく気まずそうに宮藤は目を逸らす。

「ん? そうか? まぁいい。お前たちは早くこれに着替えろ。東雲、お前は向こうだ」
「はい……」

 東雲は追い出された……。



0958時 コーポ長島
「とりあえずはこれでよかろう」
「……そうだねぇ」

 着替えが終わったところで部屋に戻された東雲。
 見れば大体予想通りのことになっていた。

「なぁ、もう少し大きいサイズはないのか? 胸のところがキツイんだけど」

 不満を漏らすシャーリーの胸に東雲の目が吸い寄せられる。
 巨乳派ではなかったはずだが、目の前に大きい乳があれば、自然と見てしまうのは男の悲しい性である。

「あ、生憎と、それより大きい服は今ありませんで……」
「貴様の胸が無駄に大きいだけだ。我慢しろ」
「なにを!?」

 バルクホルンがにべもなく却下。
 シャーリーが食って掛かる。

「それよりも問題はこっちだな」

 バルクホルンはシャーリーを無視すると、宮藤とウルスラを指差す。

「あ~、うん。そうだね~……」

 東雲は二人を見て、バルクホルンが何を言いたいか理解した。
 完全にサイズが合っていない。
 裾と袖を折っているが、そもそものサイズが大きいのでダボダボ。服が歩いているという表現が適切な状態。

「……やっぱり服買わないとダメか」
「そのようだな……」

 不満げな三人を横目に東雲とバルクホルンが買い物の打ち合わせを始める。
 とりあえず、室内着兼寝巻きと外出用にそれぞれ一着づつ。サイズは今着せている服を基準に、バルクホルンが目分量で調整することにする。

「服買いに行くなら私も一緒に行くって。バルクホルンに任せると、地味なのしか買ってこないだろうし」

 シャーリーの同行の申し出に、東雲は当惑、バルクホルンは怒りの表情をもって応える。

「お前たちは今、『犯罪者』なんだ。連れて歩く訳にはいかん」
「見られたのは宮藤だけだから大丈夫だって」
「ダメだ!」

 食い下がろうとするシャーリーを、バルクホルンが一喝をもって封殺。
 とはいかず、なおもブーブーと文句を言い続けるシャーリー。
 バルクホルンは相手にしていられないとばかりに、東雲に向き直る。
 東雲は居心地の悪さを感じながら、バルクホルンと打ち合わせを進めた。

「とりあえず、お金下ろさないと……」
「私がもらったバイト代が、まだ残っている。それを使おう」
「あの……」

 と、宮藤が話に割って入ってきた。

「お金だったら、坂本さんが『困ったら使え』って持たせてくれたのがあります!」
「え? 本当?!」
「でかしたぞ宮藤!」

 宮藤の言葉に東雲とバルクホルンが歓喜の声を上げる。
 どんなに安物の衣類を買ったとしても、三人分を揃えるとなると手痛い出費。また、一週間も滞在するとなると食費もそれなりに掛かってくる。
 衣類にあまり金をかけたくないのが本音だ。

「これです!」

 宮藤はカバンから、ちょっと厚めの茶封筒を取り出すと、東雲に差し出した。
 普通の学生なら見たことがないような厚さ。
 その厚さにビビリながら、おずおずと受け取る東雲。

「あ……ありがとう……これだけあれば、十分足りると思うよ……」

 ビビッている。
 初めて体験する『札束』というものに。
 そして同時に湧き上がる欲望。

(これだけあれば……パソコン……ブルーレイ全巻セット……フィギュア……)

 邪念渦巻く東雲頭脳。
 今まで触れたことのない札束という存在に飲み込まれ、金がなくて買えなかった物が、次々と頭に浮かんできた。

「どうかしたんですか?」

 茶封筒を握ったまま動かない東雲を訝しみ、声をかける宮藤。
 その声で物欲が作り出す幻想から、現実に引き戻される。

「!? な、なんでもないんだ! な、中を確認させてもらっていいかな?」
「は、はい……」

 物欲の幻想からは逃れたが、金欲の魔法は解けていない。
 挙動不審に陥った東雲にとって周囲の目など、もはや瑣末ごと。不審な目を向けられていることに気付きもしない。
 微かに震える手が封筒の封を解き、中を覗きこむ。

(……さ、札束!? 紙幣だ!)

 ゴクリと唾を飲む東雲。
 封筒の中にある紙の束は、まさしく紙幣の質感。間違いない。

(お……お……おおおおおおおぉぉぉぉぉ!)

 心の中で驚愕の声を上げる東雲。
 降って沸いた突然の幸運。あまりの出来事に声が出ないのだ。
 東雲にとって、これはまさに天孫降臨。苦学生活に終止符を打ち、快適なオタライフを手に入れた瞬間といえよう。
 今の心中を一言で表すなら、

(ハレルヤ!)

 である。
 そして東雲は金額を確認すべく、封筒から紙幣を抜き出した。

「ん?!」

 出てきた紙幣を見て動きが止まった。

『百円』

 紙幣にはしっかりと、そう書かれている。
 さらによくよく見る。

『扶桑皇国海軍軍票』

 これもしっかりと、そう書かれている。
 今までの浮かれた動きから一転。錆び付いたゼンマイ仕掛けのような動きで宮藤に顔を向ける。

「あの……宮藤さん? これは……?」
「軍票……ですけど……」

 何が起こったのか理解できない宮藤が恐る恐る答える。

「軍票なんて、どこで使うんじゃーい!」

 東雲の悲しい叫びが木霊する。
 そこには何かに裏切られた者だけが発する、物悲しさがあった。





※リハビリ中



[26044] お願い!恋にも時間を!? 3
Name: アルテン◆9a73cf91 ID:a13bd5fc
Date: 2017/02/26 18:32
1005時 コーポ長島
『オンリー・ウェン・スパゥクン・トゥ・エンドゥ・ダ・ファースト・アンド・ラスト・ワーズ・アウト・オブ・ユア・フィルシィー・スウァーズ・ウィルビー・サー!(口でクソを垂れる前と後にサーをつけろ!)』
「ぶひゃひゃひゃひゃ! いたいた! こんなやつ!」

 テレビに映し出された映画に大爆笑のシャーリー。
 映画とは関係ないことを考えているウルスラ。
 色々と困惑気味の宮藤。
 バルクホルンと東雲は買出し中。その間、彼女達が暇だろうということで、退屈しのぎ用に映画を掛けていったのだ。

『アイ・ディディン・ノウ・デイ・スタック・シッ・ダッ・ハイ! ユー・トライン・トゥ・スクイーズ・アン・インチ・オン・ミー・サムウェアー・ハ?(そびえたつクソのようだ! サバよんでるな!)』
『サー・ノーサー!』
「そうそう! この感じ! この感じ!」

 壮絶に腹を抱えて笑い転げるシャーリー。

「あ、あのリベリオンの軍隊ってこんな感じなんですか?」

 困惑顔の宮藤がシャーリーに尋ねる。
 映画の感想、というよりシャーリーの反応に戸惑っている。

「ひー……ひー……いやぁ、空軍にはこんなのはいなかったけど、昔、海兵隊と合同演習した時に本当にこんなのいてさぁ」
「は、はぁ……」

 笑いすぎたのか、肩で息をしながら答えるシャーリー。
 と、その時、ウルスラがプレステ3のコントローラーを掴んだ。

「…………」

 無言でコントローラーのボタンを一つ一つ押していくウルスラ。
 早送り、一時停止、巻き戻し……画面が目まぐるしく動く。

「あ?! おいっ! 何やってんだ?!」
「え? え?」

 慌てるシャーリーと宮藤。
 目まぐるしく動く画面。何が起こっているのか理解が追いつかない。
 ただわかっているのは『犯人はウルスラ』という事のみ。

「……機能の確認」
「いや、しなくていいから!」
「確認は大事」

 シャーリーが慌てて制止しようとするも、ウルスラには馬耳東風。
 聞く耳を持たない。
 未知の機械を目の当たりにして知的探究心が抑えられない。

「……! ……!」
「あの兄ちゃんが帰ってきてから、ゆっくり調べさせてもらえばいいだろ? な?」
「そ、そうですよ! もしも壊しちゃったら……」

 シャーリーと宮藤が口々に説得の言葉を並べるが、ウルスラの耳に入っているか怪しい。

「なぁおい! 私は続きが見たいんだって!」
「えっ?! そっちなんですか?!」

 シャーリーと宮藤の心配がまったくもって別ベクトル。
 と、

「あ……」
「あ……」
「あ……」

 消えた。

──真っ暗な画面

 訪れる静寂。
 それは三人の不安を掻き立てるには十分過ぎた。

「こ……壊れたんじゃないよな?」
「ど、どうするんですか?!」
「…………」

 ウルスラは無言でポケットからドライバーを取り出した。

「おい?!」
「……修理します」



1142時 コーポ長島
「ただいま~」
「……!? ヤバイ! ……!」

 いかにもくたびれたような声音で帰宅を告げる東雲。
 と同時に室内から聞こえる慌しい物音。

「……ん?」

 怪訝に思いバルクホルンに首をかしげて聞いてみるも、彼女も怪訝な表情を浮かべるのみ。
 とりあえず靴を脱いで玄関から部屋に入ってみる。

「……お、おかえり」
「……おかえりなさい」
「…………」

 宮藤のみこちらを向いて出迎えてくれたが、他の二人はそれぞれがそれぞれに明後日の方向を向いている。
 宮藤にしても笑顔がどこかぎこちない。

「あ、うん。ただいま」

 つられてぎこちなく答える東雲。
 そして広がる静寂。
 そう、静寂。

「あ、映画見終わってたんだ。どうだった? よければ別のも……」

 そこまで言って東雲はふと気付いた。
 テレビ画面が『黒い』のだ。
 本当に見終わっているのであればチャプター画面が表示され、BGMが流れているはずである。
 東雲は『操作方法を教えていない』のだから。

「あ、ああ! お、面白かったよ! あ……なんだ……そう! あの海兵隊のオヤジ! あれよかったな! うん! 新兵時代を思い出したよ! なっ! 宮藤!」
「え?! え? ええ?! そそそそそうですね! 面白かったですよね!」

 冷や汗を掻きながら必死に感想を述べるシャーリーと宮藤。
 その様子にバルクホルンが眉をひそめる。

「お前たち、『何か』あったのか?」
「あ、ある訳ないだろ……」
「そ、そんなことないですよ……」

 今までの経験から『何か』を感じ取ったバルクホルン。
 だが、二人は白を切るばかり。

「あ、あれ?」

 そして部屋の異変に気付いたのは、やはり家主である東雲だった。

「あそこにクッションなんて置いてなかったよね?」

 指差す先はプレステ3が鎮座していた場所。
 だがそこにはプレステ3の姿は見えず、代わりにあるのは大きめのクッション。

「え?! そ、そうだったかな?! 最初からそこにあったと思ったけど!」

 泳ぐ泳ぐシャーリーの目線。
 これ以上ないぐらいに挙動不審。

「な? 宮藤? そうだろ?!」

 わらにもすがる思いで宮藤にすがる。

(なんで私に振るんですか?!)

 宮藤の目が明らかにそう訴えている。

「もういいシャーリー……一体何をしでかしたのか、大人しく白状するんだ」

 深く静かに怒気を含んだバルクホルンの言葉が、部屋の温度を引き下げる。
 彼女はもう確信していた。シャーリーは何かやってはいけないこと、それも致命的な何かをやったのだと。
 その様子に部屋にいた者全てが気圧される。

「ち、違う! これはウルスラが!」
「東雲! 確認しろ!」
「は、ハイ!」

 事ここに至っても抗弁を試みるシャーリー。
 しかし、バルクホルンの無慈悲な命令。
 東雲は考える間もなく条件反射で動いてしまった。

「や、やめろー!」

 シャーリーの願いも虚しく、東雲は勢いよくクッションを剥ぎ取った。

「……あ…………」
「あぁぁぁぁ……」

──おお、プレステ3
──嗚呼、プレステ3
──お前は何故に分解されているのか

 ネジというネジ全てが外され、かつてプレステ3であった物が部品単位にされていた。

「こ、これはウルスラが急に分解し始めて!」
「違います。修理しようとしただけです」
「俺のプレステ3~~~~~!?」

 食い違うシャーリーとウルスラの言い分。
 それをかき消す東雲の絶叫。

「どうしてこうなったー!」



1233時 コーポ長島
「うん! いいじゃないか!」

 いかにも満足したといわんばかりのバルクホルン。
 喜色満面の笑みで宮藤を眺めている。荒々しい鼻息に今にも飛ばされそうである。

「あの……これ変じゃないですか?」

 宮藤がやわらかなピンク色のスカートの裾を摘み上げる。
 所々にフリルがあしらわれた服は、宮藤をいかにも可憐なお嬢さんへと変身させていた。
 しかし、着慣れない服のせいか困惑するばかりだ。

「いいや! 変なところなどない!」

 バルクホルンの力強い断言。

「なぁ? 随分と扱いが違うんじゃないか?」
「…………」

 呆れるシャーリーとウルスラ。
 二人も新たに用意された服に着替えている。シャーリーはカーキ色のセーターにカーゴパンツ。ウルスラはグレーのスウェットにオーバーオール。
 宮藤の服だけがカラフルだ。

「さらに、これと……これだ」

 そう言って赤いフレームのメガネと帽子を宮藤に着けさせる。
 メガネは度の入っていないお洒落用の伊達メガネ、帽子はすっぽりと頭を覆う大きめのものだ。

「うん! うん! いいじゃないか!」

 改めて鼻息を荒くするバルクホルン。顔が赤い。

「バルクホルンさん……こういう服って着慣れてなくって……その……」

 恥ずかしさからかモジモジと抗議の意を示そうとする宮藤。
 だがバルクホルンは退かぬ。

「宮藤。言いたい事はわかる。しかし、お前は今、勘違いとはいえ犯罪者として追われる身だ。いつ目撃者と出くわすとも限らん。だからこうした変装が必要なのだ」

 神妙な顔を顔を作るバルクホルンに圧されて、宮藤も折れた。

「はい……わかりました……」
「どうだ東雲? これなら強盗犯に見えまい!」

 置物のごとく事態の成り行きを見守っていた東雲にバルクホルンが問いかける。
 しかも何故かドヤ顔だ。

「うん、いいんじゃないかな。確かに強盗には見えないし……」

 嬉しそうに話すバルクホルンを見て、東雲も少し嬉しくなる。
 今日は悪い意味で衝撃的な事ばかりだったが、いい事もあるのだ。
 こんな風に笑うバルクホルンは初めて見る。彼女の新たな一面を見れたのが嬉しい。

「あっ、バルクホルン。値札取らないと」

 東雲の指摘で皆の目が値札に吸い寄せられる。

「私、自分で取りますね」

 宮藤がそう言い、値札に手を掛ける。

──そして時が止まった

「……」
「?」「?」「?」

 値札を手にしたまま動かなくなった宮藤。
 東雲たちは何が起きたのかわからない。

「…………」
「どうかしたのか、宮藤?」

 宮藤の顔から血の気が失せ、小刻みに震えている。

「バ……バ、バ……バルクホルンさん!」
「どうした、気分でも悪くなったのか?」
「こ、こ、これ……『3980円』って! これ本当ですか?!」
「ん? ああ、そうだぞ」
「ひぃぃぃぃぃぃぃ~?!」

 真っ青になる宮藤。今にも卒倒しそうだ。

「ぬぬぬぬ脱ぎます!」
「はぁっ?!」

 言うが早いか服を脱ごうとする。が、震える手は思うように動かない。

「ちょっと待て宮藤! 一体どうしたんだ?!」
「だだだって、こんな高い服汚したら大変なことにー!」
「落ち着け! これはそんなに高くない!」
「だって! だって! 『3980円』って豪邸が建てられますよ!」
「は?」「え?」

 宮藤の感覚でいえば『3980円』は庶民には縁遠い金額である。
 ハガキ一枚の郵便料金が二銭。零式艦上戦闘機一機が五万五千円の時代。
 その感覚でいえば、『3980円』はとてつもない大金という事になる。落ち着こうはずもない。

「早く! 早く脱がないとシワが! 汚れがー!」
「落ち着け! 落ち着くんだ宮藤!」

 完全にパニックだ。
 東雲もバルクホルンもどうしてよいかわからず、オロオロしてしまう。

「えっ! コレそんなに高いのか?!」

 錯乱する宮藤に釣られて、シャーリーまで慌てだす。

「そうですよ! 家が建てられます!」
「高くない! そんなに高くない!」

 東雲が必死になって説明しようとするが、宮藤たちには馬耳東風。
 これっぽっちも届きやしない。
 それどころか益々パニックの度合いを深めていく。

「シワが! 汚れが! ……あっ?!」

 錯乱した宮藤が勢い余って、ちゃぶ台にぶつかってしまう。
 その上にはコーヒーの入ったマグカップ。
 マグカップは寸分違わず宮藤目掛けて倒れると、勢いよくコーヒーをぶちまけた。

「あっ!」
「あ……」
「いっやーーーーーー!!」

──絶叫と共にシールド展開!
──襲い来るコーヒーの波!

 しかし、間一髪。
 宮藤のシールドが寸でのところで間に合い、押し寄せたコーヒーの波はバシャリと音を立てて床に落ちた。

「はぁ……はぁ……」
「あ~あ~……」

 床に出来たコーヒーの池を見て東雲とバルクホルンのため息。
 手近にあった布巾でコーヒーを拭き取っていく。

「す、すみません! 私……!」

 宮藤も慌てて後始末に参加しようとするが、服のことを思い出して動けなくなってしまう。

「落ち着け宮藤。この程度の事、問題ない」
「でも……でも……」

 今にも泣き出しそうな顔で言葉を詰まらせる。

「大丈夫だ。何の問題もない」

 バルクホルンは宮藤の頭に手を乗せると優しく撫でた。
 優しく、優しく、まるで幼子をあやすように。
 その優しさに宮藤は少しづつ落ち着きを取り戻していく。

「あ~……宮藤……さん?」

 頃合を見計らって東雲が声をかける。

「今は宮藤さんのいた時代と貨幣価値が変わってて……」

──ピンポーン

 東雲が説明を始めた矢先、不意に呼び鈴が鳴った。

(ったく、誰だよ。こんな時に)

 このタイミングでの来客とは、いつもながら間が悪い。
 心の中で一人愚痴をこぼしながら玄関に向かう。
 大方、サークルの仲間だろうと思い込み、確認もせずドアを開けてしまった。

「どうも~、こんにちわ~」
「え? 警察?」

 そこには制服の警官が立っていた。



[26044] お願い!恋にも時間を!? 4
Name: アルテン◆68e70f79 ID:88056751
Date: 2019/07/24 19:45
1246時 コーポ長島
「え? 警察?」

東雲の目の前には制服の警官。

「お兄さん、この部屋の人だよね?」
「え、ええ。そうですけど……」

急に訪れた警官に呆気に取られる。

「あっ、出掛けるところだった?」

警官は東雲の格好に一瞥をくれると、妙にフレンドリーな声音で聞いてきた。

「え? あぁ……その……さっき帰ってきたばかりなので」

帰ってきてから着替えていないことを思い出す。
宮藤たちの着替えで、一時的に部屋を閉め出されたので着替えられなかったのだ。

「じゃあ、時間大丈夫だね?」
「は、はい……」

やましい事がなくとも、急に警官が現れれば身構えてしまうのは誰しも同じであろう。
もっとも、今の東雲はやましい事だらけなのだが。

──何だこの警官?
──何しに来たんだ?
──まさかバルクホルンたちの事か?

警官の真意がわからない。
警官の目的がわからない。
それを確かめなければならない。
薄氷を踏む思いで警官に問いかける。

「あの、それで……何か?」
「今日は『防犯のお願い』に来ました」
「え?」

目の前の警官は努めて真面目に、だがフレンドリーにそう答える。

「『防犯』……ですか?」
「あれ? お兄さんニュース見てない? 湖荘で強盗未遂があったんだけど」
「あ……ああああぁ。はい。見ました。見ました」
「まだ犯人が逃走中だから、戸締りをしっかりしてください」
「あ、はい……」

警官の目的がわかり一安心。
安堵のあまり間の抜けた返事をしてしまう。

「あ、お友だちにも言っておいてね」
「え? 友だち?」
「え? 今、来てるんでしょ?」

足元に視線を向ける警官。
視線の先には大小取り揃えた靴たち。
警官が来ることなど想定していなかったので、バルクホルンたちの靴は玄関に脱ぎっぱなし。
一瞬で血の気が引く。

「そ、そそそそそそうですね! うん! よく言っておきます!」
「そうしてもらえる?」

内心、汗ダラダラである。
まさか、この奥に犯人が勢揃いとは口が裂けても言えない。
幸い、警官もこのアパートに犯人が居るとは思っていない。気付いていない。
何か確証があってここに来ている訳ではないのだ。
口調と態度から、そのことをおぼろげに感じた東雲がわずかに平常心を取り戻す。
と、同時にある疑問が浮かんできた。

(どこまでわかってるんだろう?)

至極まっとうな疑問である。
そう思ったからには聞かない訳にはいかない衝動にかられる。

「あの……あ~、犯人の『写真』ってあるんですか?」
「ん? どうしてそんなことを?」

警官の表情が引き締まる。
フレンドリーな雰囲気も雲散霧消。
再び血の気が引く東雲。

「あ、いえ、その……ニュースでは『小柄な女性』って言ってただけなんで、特徴がつかめなくて……」

咄嗟に口を突いて出る。
ニュースで言っていた犯人の特徴は『小柄な女性』だけ。これでは対象範囲が広すぎて、犯人の特定に繋がるものが何もない。

「あ~そうかもしれないね~。でもまだ写真ないんだよね~。ただ大きな銃を持っているそうだから、すぐわかると思うよ」
「は、はぁ……」

なんともアバウト。
とりあえず、この警官は手配写真を見た訳ではなさそうだ。
ただ、この警官は『まだ』と言った。この先、手配写真が出てこないとは言い切れない。

「じゃっ、他にも回らないといけないので。戸締りはしっかりとお願いします」
「あ、はい。ご苦労様です……」

パタリと扉が閉められる。
だが東雲は動かない。固まったかのように動けない。
時間にすれば何秒間と言うところだろうか?
警官向けに作った笑顔を張り付かせたまま、音も立てずにぬるりと動き、ドアの覗き穴張り付いた。
まるで軟体生物、例えるなら『海底を走るタコ』のような動作で動くものだから、傍で見ていて気持ち悪い。
だがそんなことはどうでもいい。

(…………行った……か?)

覗き穴から見える範囲に警官の姿はない。
耳を澄ますが話声も聞こえない。

(助かった…………)

緊張が解けた東雲がへなへなと玄関にへたり込む。



1251時 コーポ長島
「……警察帰ったよ……でもガチで探してるっぽい……」

しばし玄関にへたり込んでいた東雲だが、何とか立ち上がると絞り出すような声で部屋にいる四人に伝えた。
警官がいる間の四人は実に静かで、アンブッシュしているのかと思わせるほどだった。
玄関から漏れ聞こえる会話に不穏なものを感じ取っていたからに他ならない。
とりあえず東雲が自分たちに向かって声を発したことで、安全が確保されたことを察し、全員が息を吐き出す。

「あの……東雲さん?」
「ん? 何?」

宮藤がキリリとした表情で尋ねてくる。

「『ガチ』って何ですか?」
「あ~……ガチってのは『本気で』って感じの意味なんだけど……」

普段、何気なく使っている言葉だけに、説明を求められると戸惑うものである。

「と、とにかく警察が探し回ってる! 上手くやり過ごさないと!」

東雲の訴えは実に切実。
もし宮藤たちが捕まろうものなら、東雲も自動的に犯罪者として捕まってしまう。

「そうだな……作戦決行まで捕まる訳にはいかん。ここで息を潜めるしかあるまい」
「いや、決行した後でも捕まりたくないんだけど……」

潜伏。
現状を冷静に分析したバルクホルンの提案。
と、言うか他に手がない。
そもこの馬走の地において、外国人女性はレアな存在。外を出歩けば目立つこと受け合いだ。

「え~?! せっかく扶桑観光できると思ったのに?!」

不満の声を上げたのはシャーリー。
やっぱりというか予想通りというか、露骨に不満な表情。

「貴様は状況というものがわかっていないのか?!」
「わかってるよ! わかってるけど、一週間も閉じこもってたら気がおかしくなるだろ?!」

もっともといえばもっともな意見だが、状況が状況である。
シャーリーが外を出歩こうものなら、周囲の耳目を集めること必至。
要らぬ詮索から、あらぬ誤解を招くに違いない。
いや、誤解ではないのだ。
こうなると真犯人である宮藤が、この中で一番目立たない存在だというのは皮肉としか言いようがない。

「安心しろシャーリー。幸いこの部屋は娯楽の宝庫だ。一週間退屈することもあるまい」

バルクホルンに促され部屋を見回すシャーリーと宮藤。
棚にギッチリ詰まったマンガに小説、ビデオにゲームソフト、エアガンにプラモと一通りのオタクアイテムが部屋のそこかしこに散らばっている。
確かにこれらを全て消化しようとすれば一週間では足りないだろう。
シャーリーは若干の戸惑いを見せながらも、試しに近くにあったマンガのページをパラパラとめくってみた。

「………………なぁ」
「どうした?」
「私、扶桑語読めないんだけど」

またしても言語の壁。
バルクホルンの時もそうだったが、話せはするが読めないパターン。
これでマンガと小説は全てアウト。

「……じゃあ、映画はどうだ?」
「いや、バルクホルン……プレステが……」

おずおずと指差す東雲。
その先にはウルスラに分解されたプレステ3。

「あれが直らないと、映画が見れないよ……」
「くっ……」

なお、現在進行形でウルスラによる修理という名の分解作業が続いている。
おそらくウルスラはプレステ3を『修理』するだけで一週間ここに篭っていられるだろう。
問題はシャーリーだ。
一週間もの間、この部屋でじっと我慢できるような性格ではない。

「なぁ、ちょっとでいいんだよ~。もしなんだったらさ、車に乗ったままそこら辺を回るだけでもいいんだけどな~」

薄暗い笑みを浮かべたシャーリーがささやく。
明らかに怪しい。

((嘘だ!))

バルクホルンと東雲の直感がささやく。
あのシャーリーが車内から景色を眺めただけで満足するはずがない。
しかし抑え込めるかと言えば、それも難しい。
何せ相手はシャーリーなのだから。
ありとあらゆる口実を付け、様々な手段を用いて外出を企てるに違いない。

「とりあえずは二、三日様子を見た方がいいだろう」
「そうだね。今は警察がうろついてるし……それ間はテレビでも見てさ」

と、なればシャーリーの興味を引き続けられる物は、あとはテレビしかない。
誤魔化すようなバルクホルンの提案に、東雲が阿吽の呼吸で合わせる。
バルクホルンがチラと目配せ、わずかにうなずく東雲。
以心伝心。
僅か一か月の間に東雲はバルクホルンの呼吸に合わせられるようになっていた。
テレビのスイッチをON。

『発砲事件のあった馬走市では、警察による捜査が続いています。なお、この事件の影響で市内の小中学校は臨時休校に……』
「事態が悪化してないか……東雲?」
「マズいよ、これ……全国版だし……」

テレビを点ければ、発砲事件の続報。
ただし、今度は全国版。
事態は着々と悪化の一途を辿っている。

「…………」
「…………」
「……な、なんだよ?」

無言でシャーリーを見詰める東雲とバルクホルン。

「……………………」
「……………………」
「……………………わかったよ、大人しくしとくよ! それでいいんだろ?」

ついにシャーリーが無言の圧力に屈した。



1847時 コーポ長島
「お……おお~!」

食卓に五人分の食事が並ぶ。
東雲はその光景に感嘆の声を漏らした。
質素ながらも綺麗にまとめられた佇まい。

本日のメニュー
・縞ホッケの干物
・きゅうりの浅漬け
・白米
・味噌汁

巨大な縞ホッケが皿からはみ出し、その存在感を誇示している。
縞ホッケは北海道ではよく流通している魚で、大きさもさることながら身が厚く食べ応えがあり、安価でありながら大変美味な魚である。
おかずとしてだけでなく、酒の肴としても優秀。
ただ、北海道外で食べようとすると流通コストのせいか、安価とは言い難くなってしまうのがいささか残念。
宮藤が丹念に焼いたのだろう。焦げ目は最小限に綺麗な焼き色。
そして白米。
東雲と同じ米、同じ炊飯器を使ったというのに、見るからに出来が違う。

「米が……光ってる……」
「炊飯器って、初めて使いましたけど便利ですね」

衝撃を受ける東雲を尻目に、あっけらかんと笑う宮藤。
つい数時間前に使い方を教えたばかりだというのに、この適応力。

「なんとなくわかったので、明日はもっと上手に炊きます」
(?! これで本気を出していないだと……?!)

絶句。
宮藤はまだ上手くできると豪語している。

「さあ、冷めないうちに食べてみてください」
「そ、そうだね……じゃあ、いただきます……」

宮藤に促され、手を合わせる。
東雲の言葉を皮切りに、各々がそれぞれの地域の食前の言葉を口にする。

(まずは味噌汁を……)

味噌汁を一口すする。

「?!」

カッと目を見開くや、そのまま固まる東雲。
その様子を不安に思った宮藤が、恐る恐る声を掛ける。

「あの……お口に合いませんでしたか……?」
「……美味い…………」
「え……?」

泣いている。
東雲が泣いている。
いや、実際には泣いていないのだが、東雲の心は泣いていた。
久方ぶり和食。
それも飛び切り美味い和食となれば、心動かされぬはずはない。
味噌汁をもう一口。

「美味い……」

材料はこの部屋にあったものだけ。
つまりは東雲と同じ材料で作っているにも関わらず、東雲が作ったものとは雲泥の差。

(違う……俺は顆粒の出汁の素を使っていたが……これは……まさか鰹節か……?!)

椀の中にかすかにひらめく鰹節。
東雲は面倒なので顆粒の出汁の素を使っていたが、宮藤は違った。
部屋に転がっていたパックの鰹節を使ったのだ。
すかさず米を口に運ぶ。
ふわりと米の香りが口の中を満たす。
噛み、噛み、噛み。
噛むごとに米の甘味が溢れてくる。
味噌汁との相性、秀でるものなり。

(何が……? 何が違う?! 同じ米、同じ炊飯器……なぜここまで違う?)
「あの東雲さん……?」
「気にするな宮藤。この男はたまにこうなる」
「はぁ……」

何が起きたか理解できない宮藤を、達観した言葉でなだめるバルクホルン。
いかにも冷静と言った口調だが、ヒクりヒクりと口の端が持ち上がる。

「……バルクホルンさん?」
「……………………」
「あ、あの……」
「…………ぅまい」
「へ?」
「やっぱり宮藤の飯は美味いなぁ~!」
「っひ?!」

バルクホルンが壊れた。
思わず仰け反る宮藤。
だらしなく。
これ以上ないぐらいにだらしなく相好を崩したバルクホルン。
基地では決して見ることのない表情。

「うん……美味い……美味すぎる……」
「ああ……宮藤の飯は最高だ……」

久しぶりの和食に感銘を受ける東雲。
久しぶりの宮藤の飯に心打たれるバルクホルン。
生ける屍の如き一心不乱さで飯をむさぼる。
噛んだ縞ホッケの脂がジワリと口に広がり、心を満たす。
白米が脂を包み込み、穏やかな味噌汁の流れが清流の如き爽やかさをもたらした。

「「美味い! おかわり!」」

バルクホルンと東雲が揃って茶碗を突き出す。
ドン引きで放心していた宮藤が自我を呼び戻すと茶碗を受け取った。

「は、はい! すぐに!」

その脇ではウルスラが黙々と食事を進め、シャーリーは呆気に取られていた。

「なんだ、この状況……?」



[26044] お願い!恋にも時間を!? 5
Name: アルテン◆68e70f79 ID:37cc8a42
Date: 2020/11/23 11:43
0742時 コーポ長島
「おはようございます!」
「お……おはよう」

 朗らかな挨拶を繰り出す宮藤。
 思わず虚を突かれた東雲が一瞬口ごもる。

(そういえば、昨日から人数が増えたんだった……)

 いつもと違う朝の風景。
 寝惚けた頭を整理しつつ、部屋を見渡す。
 バルクホルンと宮藤は仲睦まじく台所に立ち、シャーリーとウルスラは未だ夢の中。
 東雲の部屋が広いと言っても、五人で寝ればやはり窮屈さを感じる。

「すぐ朝ご飯できますからね」
「……ぁ、はぃ……」

 宮藤の笑みにほだされる。

「東雲、シャリーとウルスラを起こしておいてくれ」
「え? ……ああ、わかったよ…………」

 バルクホルンの指示に、たじろぐ東雲。
 女性を起こしたことがないので勝手がわからぬ。
 とりあえず二人の寝床を見やると、寝袋に収まったシャーリーとウルスラの寝顔。
 ウルスラは小さな寝息を繰り返し落ち着いている。その寝顔はまるで子猫のように愛くるしい。
 対してシャーリー。
 寝袋にキチっと収まっているはずなのに、それでもわかる寝相の悪さ。
 脚があると思われる辺りはガニ股になっているのか歪に膨らみ、右腕は高く高く頭上を突いていた。
 だらしなく開いた口からは涎がだらしなく垂れ下がり、低いイビキをまき散らす。

(とりあえず声かけてみるか)

 東雲はシャーリーの枕元に腰を下ろすと、耳元に口を近付ける。
 近付けるとは言っても女性に慣れていない東雲なので、少し距離を開けている。
 ふと甘い香りが鼻腔をくすぐった。
 シャーリーの体からほのかに香る甘い香り。
 加齢とともに消え失せ、うら若き乙女のみが纏うとされる甘美の芳香。

(うっ?! ……これは?! シャーリーの体臭か?!)

 魅惑的な香りに魅了されそうになるが、涎とイビキが現実に引き戻す。
 危うし東雲。
 食虫植物に惑わされた虫のように飛び込むところだった。
 飛び込んだところで命は取られぬが、社会的に死んでしまう。
 実に恐ろしきは女人の魔力よ。

(あ、危ないところだった……)

 シャーリーの色香に汚染されていないところの空気をふんだんに吸い込む東雲。
 気を取り直して言の葉を掛ける。

「シャーリーさ~ん……朝ですよ~」

 届かぬ。
 イビキに掻き消された言の葉は、シャーリーの鼓膜に届かない。
 音量上げてもう一度。

「おーい起きろー!」

 起きぬ。
 東雲の声を迎撃するかのように、一瞬イビキの音量が跳ね上がる。
 正にイビキの対空砲火。
 シャーリーのイビキはVT信管でも付いているかのように東雲の鼓膜を的確にを揺らし、周囲に不快音を撒き散らす。

「ぐっ?!」

 イビキに圧され、たじろぐ東雲。
 改めて距離を取ると、シャーリーのイビキも安定。
 優秀過ぎる自動迎撃システムに慄く。

「ってか、これ起きてる?! 起きてるよねぇ?!」
「いえ、それでしっかり寝てるんですよ……」
「ああ、まだ起きてはいないな」

 的確過ぎるシャーリーの迎撃に疑心暗鬼に陥る東雲。
 苦笑いの宮藤とバルクホルン。

「シャーリーさんを起こすなら、布団を剝がすのがいいですよ」
「いやこれ寝袋だし……」

 寝袋は剥げない。
 せっかくの宮藤からのアドバイスだが、活かせそうにない。

(ともかく……物理攻撃が有効ってことだよな……)

 東雲は息を大きく吸い込み、止める。
 女人の色香に惑わされぬように。
 意を決してシャーリーの防空識別圏に飛び込むと、耳をつんざくイビキの対空砲火がお出迎え。

(ぐっ?!)

 怯む。
 上からの急降下爆撃をあきらめ、低空からの水平爆撃へ。
 床を這うように手を伸ばす。

(横からだとイビキがうるさくならない……?)

 訝しみながらも両手は寝袋を掴んだ。

(せーの!)

 揺する揺するよ一気に揺する。
 ガクガク揺するがシャーリー起きず。

「起きやがれー!」

 ガックンガックン揺れても起きず。
 揺れが激しくなるたびに、ニヘらと緩むシャーリーの顔。
 夢の中では楽しいロデオ。

「起きてくれー!」

 揺すり続けるうちに、這いつくばっていた東雲の体は自然と起き上がる。
 より強く、より速く揺らすために。
 いつの間にやら東雲の体はシャーリーの直上。
 気付いた時には遅かった。

「!? しまっ」

 『た』まで言えなかった。
 寝袋から突き出ていたシャーリーの右腕が高速で振り下ろされた。

「がっ?!」

 疾風迅雷!
 シャーリーの右腕は一陣の風の如し。
 東雲の側頭部を叩きつける。
 視界がぐるりと回り、天地が入れ替わらんばかり。
 その威力、稲妻の如し。

「びゃ?!」

 電光石火!
 返す刀で繰り出されるアッパーカット。
 今度は逆回転で視界が回る。
 下から打ち出された拳は、まさに88mmの対空砲火。
 成す術もなく撃破され、床に墜落。
 途切れゆく意識の中、最後に見えたのは『健やかなシャーリーの寝顔』だった。



0819時 コーポ長島
本日の朝食
・白米
・豆腐の味噌汁
・白菜の浅漬け
・目玉焼き

「ぉぉぉぉ……まだ痛てぇ……」

 宮藤の作った清く正しい朝食。
 それにいざ挑もうと箸を伸ばした東雲だったが、シャーリーに殴られたところがやっぱり痛い。
 顎を殴られたものだから、口を開けば痛み、咀嚼すればなお痛い。

「あの……大丈夫ですか?」
「大丈夫……じゃない……」

 心配そうに尋ねる宮藤。
 気丈に振舞いたいところだが、そんな気概はシャーリーの拳に砕かれた。

「ごはん、おかゆにしましょうか?」
「お願いしていい?」

 おかゆならば少しは楽に食べられるだろう。
 痛みと情けなさに打ちひしがれながら茶碗を渡す。

「いや~、悪かったね~。どうにも寝相が悪いらしくってさ」

 向かいに座ったシャーリーが軽いノリで謝ってくる。

(……『らしい』って無自覚かよ)

 心の中で悪態を付く東雲。
 抗議したところで軽く流されるだけだろうから、心の中に留めておく。

「それはそうと宮藤。今日の米は少し硬くないか?」

 バルクホルンが二口ほど咀嚼した後、そんなことを口にした。

「そうなんですよ! 昨日炊いた時に、このお米ならもう少し硬い方がいいかなって思って。試しちゃいました」

 悪戯がバレた子供のように、おどけてみせる宮藤。
 些細な変化に気付いてもらえたのが嬉しいのか喜色満面。

「やはりな。昨日よりも、よく噛んだ時の甘味が増していたからな」

 どこぞの美食家よろしく、静かに、そして不敵に笑うバルクホルン。
 その笑みは男前。

(はぅわぁ?!?!)

 笑顔の応酬に挟撃を受ける形となった東雲。

──宮藤のお茶目な笑顔にズキューンときて
──バルクホルンの笑顔にバキューンである

 今の心情を表すならば『右から46cm砲が飛んできたと思ったら、左からドーラ列車砲を撃ち込まれた』感じ。
 二人の笑顔は東雲の心臓を鷲掴み。
 心のトーチカを破砕、粉砕、蹂躙し、突撃、突破せしめたのである。
 この世に生を受けて二十余年、生まれてこの方、彼女ナシの非モテ童貞。
 だから東雲は知らなかったのだ。
 間近でほほ笑む乙女たちが、これほどの破壊力を秘めていることに。
 ズタズタに引き裂かれた東雲の抗戦意思は、もはや一式陸攻以下の防御力しかない。

(や……ヤバいぞ俺……落ち着け俺……そうだ素数! 素数を数えるだ! ……って素数ってどれだ?!)
「東雲さん? もしかして胸も殴られたんですか?」
「へ?」

 いつの間にか横に来ていた宮藤にハッとなる。
 気付くと東雲は胸を押さえていた。
 己の胸の高鳴りを無意識のうちに抑え込もうとしていたらしい。

「い、ぃや、胸は……大丈夫、大丈夫、殴られてなんかいないから」
「無理しないでくださいね」

 そう言うと宮藤はお粥を盛った茶碗を置いてくれた。

(せっかくのご飯も、お粥になっちゃうんだもんな~……)

 東雲の心が急転直下。
 お粥を見て申し訳ない気持ちが湧き出てくる。
 宮藤が『美味しく食べられるように』と硬めに炊いた米も、お粥となっては台無しである。
 そんな気持ちを抱きながらも、パラっと塩を振り、口に運ぶ。

「あっ……おいしい……」

 杞憂であった。
 確かに硬い米を噛んだ時の湧き出るような甘味はないが、このお粥はしっかりと美味しい。
 そのままスッと胃まで流れ落ち、瞬く間に茶碗は空になる。

「おかわりありますよ?」
「あ、じゃあお願い」

 お粥のおかげで胃が落ち着いたのか、冷静さを取り戻す東雲。
 視線を戻すと、しみじみと朝食を食するバルクホルンの姿。
 今も男前な笑みを浮かべている。
 その姿を見て東雲の顔も綻ぶ。
 そしてそれらの流れを見ていたシャーリーは、

(ほう、ほう、ほう、ほぉ~…………これはこれは)

 かつてないほどにニヤついていた。



0901時 馬走警察署
「よお、久しぶり」
「なんだ、佐藤か」

 交番に戻る途中、署にふらりと寄った佐藤巡査長。
 馴染みの鑑識課署員を見付けて声を掛けてみた。

「例の発砲事件、何かわかったか?」
「それをこれから捜査本部に持っていくんだよ」

 そう言って手に持ったファイルをヒラヒラと振ってみせる。

「見れるか?」

 馴染みの気安さもあってか、署員は悪い笑みを浮かべると、ファイルを開いてくれた。

「防犯カメラの映像を解析してみたんだが……」
「…………足しか映ってないな」
「角度が悪すぎたんだ」

 防犯カメラの映像をプリントアウトしたものが数点。
 どれもこれも脚しか映っておらず、肝心の上半身は建物の影。

「現場の足跡と、その写真からわかったのは、犯人の推定身長は150cmほど」

 佐藤が被害者から聞いた目撃証言と概ね一致。
 次のページをめくると、弾丸の写真。

「現場に残されていた弾丸なんだが……12.7mm弾だ」
「デカくないか?!」

 スト魔女の作中において『九九式二号二型改13mm機関銃』と呼称されているが、使用している弾薬は『12.7mm×99弾』と設定されている。

「ああデカい。自衛隊でも使ってる強力なやつだ」

 現在、自衛隊で12.7mm弾を使用するのは『M2重機関銃』のみ。

「じゃあ、自衛隊から盗んだのか?」
「そう思って一番近い美幌駐屯地に問い合わせたが、紛失も盗難もないそうだ。その上、調べてみたら、その弾丸を使う機関銃は38kgもある」
「38kg?!」
「自衛隊員でも普通は持ち歩かないそうだ」

 『M2重機関銃』は陣地に固定するか、車両やヘリコプターに搭載して運用される。

「で、本命はアメリカ軍が使ってる『M82バレット』対物ライフルじゃないかと睨んでる」
「アメリカ軍だぁ?!」
「日本の所轄が問い合わせたところで門前払いだがな。だがこの銃なら一番軽いモデルで10kg程度だ」
「それでも10kgあるのか……」
「ああ、女子供が持ち歩いて、撃てるようなもんじゃない」



1128時 コーポ長島
「どうだハルトマン?」

 真剣な面持ちでウルスラの作業を見守るバルクホルン。
 東雲と宮藤も固唾を飲んで見守っている。

「ユニットに不具合は認められません。問題なく飛べるはずです」

 バルクホルンのストライカーユニットを点検整備。
 それを終えたウルスラがわずかに、ほんのわずかにほほ笑む。
 今回の救出作戦にあたり、ウルスラが招聘された理由の一つは『独力でユニットを修理できること』である。
 今回の作戦においては、バルクホルンのユニットが損傷していることも想定しなければならかった。
 また『スト魔女側の世界との環境の差』、つまるところの『エーテルの有無による差』を技術によって克服することも求められていた。
 ミーナはそれらの要望を満たす人物として、ウルスラを技術省から招聘し、作戦への参加を求めたのであった。

「フラップのワイヤーが緩んでいましたが、調整しておきました」

 ウルスラの言葉にバルクホルンのやる気が満ち満ちてくる。
 頬がわずかに紅潮し、感極まっているのがわかる。

「おっ? 修理終わったか~?」

 テレビを見ていたシャーリーが気の抜けた声で尋ねてきた。
 ちなみにシャーリーは、宮藤とウルスラだけでは不安だということで、指揮、監督役と言うことで選出された。

「で、試運転はいつやるんだ?」

 修理が済んだら試運転をするのは至極当然。
 作戦決行の当日になって「実は直ってませんでした」では話にならない。
 ウルスラの仕事なので心配はないとは思うが、確認は大事。

「どうする東雲? できるだけ早めにテストしておきたいのだが」
「どうって言われても……」

 困ってしまう。
 話を振られるとは思っていなかったので、何も考えてなかった東雲。
 バルクホルンにしてみれば、不具合は早めに洗い出しておきたい。できる事なら今すぐ試運転を行いたい。
 東雲にしてみれば、警察の目が気になるし、まかり間違ってもアパートの中でやらせる訳にもいかない。
 しばし考える。

「……わかった。今日の夜中にやろう」



[26044] お願い!恋にも時間を!? 6
Name: アルテン◆9a73cf91 ID:77549237
Date: 2024/03/20 22:52
0013時 農道
「いいよ! 始めちゃって!」

 例によって例のごとくいつもの農道。
 東雲が周囲を見渡し、人がいないことを確認するとバルクホルンに合図した。

「コンタクトっ!」

 飛行前点検を手早く済ませ、ストライカーユニットに魔力を流し込む。
 魔力で形成されたプロペラがゆっくりと回る。
 一か月ぶりに火の入ったストライカーを見て、思わず破顔するバルクホルン。

「回転数を上げるぞ!」

 じわりと回転数を上げる魔導エンジン。
 その咆哮が強くなるのに合わせてバルクホルンの顔が緩む。
 甲高く唸るエンジン音が彼女の声を代弁するように高まっていく。
 
「ちょっと待て?! 待てって!?」

 車の運転席から慌てたシャーリーの声。
 サイドブレーキレバーを限界まで引き、フットブレーキを踏み増す。

「いきなり回すなって! 車動いちゃってるだろ!?」

 バルクホルンは現在、車のリアハッチに外向きになるように座っている。
 そのため回転数を上げると『プロペラ機が車を押す』状態になってしまう。
 だからシャーリーには運転席でブレーキを踏んでもらっているのだが、昔の車と現代の車の違いに戸惑っている様子。
 だがその目はらんらんと輝き、新しいオモチャをもらった子供そのもの。

「すまない! 久しぶりにストライカーを履いたらつい、な」

 まったくもって謝意のこもっていないバルクホルンの言葉。
 シャーリーのように目を輝かせてはいないものの、昂る気持ちは同じ。

「もう一度いくぞ!」
「あいよ!」



0044時 農道
「忘れ物ないね? じゃ、帰ろう」

 順調に試運転は終了。
 冬の農道と言うこともあり近寄るような者もなく、最大の懸案事項である『誰かに見られる』という事態も起きなかったので、胸を撫で下ろす。
 で、

「……あの……運転席……変わってもらって……いいでしょうか?」

 問題なのはやはり二番目の懸案事項『シャーリー』の存在である。
 試運転が終わったというのに運転席から動く気配がない。

「いやだ♪」
(ぐっ……)

 予想はしていた。
 だが置いてくるという選択は出来なかった。
 バルクホルンという抑止力がいなければ、何をしでかすかわからない。
 留守を任せた宮藤とウルスラではシャーリーを止めることは不可能。
 ゆえにリスクを冒してでも、連れてきた方が被害が少ないと判断したのだ。

「なぁ~帰りはさぁ~私に運転させてくれよ~」
(覚悟はしていたが……)

 実際にやられるとキツイ。

「シャーリー! わがままを言うな! 大体お前はこの国の免許を持っていないだろ!」
「あっ、そうか免許証!」

 至極ごもっともなバルクホルンの指摘。
 運転するならその国で発行された免許証なり国際免許証が必要。

「免許? ライセンスのことか? 国際免許証ならあるぞ」
(あるんかい?!)

 従軍前はいろいろとレースに出ていたシャーリーのこと、持っていても不思議ではない。

「気を付けるのって言っても左側通行ってことぐらいだろ?」
「そういうことじゃない! 私たちはこの国の警察から隠れなければならないんだぞ! そんな人間が公道を運転するなど」
「ぁ、公道でなければ……」

 迂闊。
 ぼそりとつぶやいた東雲の独り言を聞き逃すシャーリーではない。

「え?! 何?! 人目に付かないで走れる場所があんの?」



0055時 大学駐車場
「すごっ! 何これ?! 何これ?!」
「あばばばばば……」

 真夜中の大学駐車場。
 当然、学生も職員も帰っているので、駐車する車はない。
 踏み固められた雪を掻き、コンパクトカーが猛然と駆ける。
 東雲が運転している時には清く正しいコンパクトカーの動きだったが、シャーリーの運転によりWRCカーの如き獰猛な走り。

「エンジンすげー吹け上がりだ!」

 初体験のツインカムエンジンに歓喜するシャーリー。
 今では当たり前のツインカムだがスト魔女の時代には存在しない技術。
 パワーバンドを外さないよう、高回転域までキッチリ踏み込む。

「ダブルクラッチ要らないとか楽過ぎだろ!?」
「ダブ……何? ひっ?!」

 スピードの出し過ぎで雪壁が一気に迫る。
 東雲の経験では、この速度で止まれない。
 短い悲鳴を漏らす東雲。
 ゲラゲラ笑いながらフルブレーキを掛けるシャーリー。

「レツゴ~♪」

──綺麗なノーズダイブからのヒール&トゥ
 ──3速⇒2速
  ──ステアリングロックからのカウンター

 目にも止まらぬ早業で車をコントロール。
 雪壁をかすめて立ち上がる。

「やっば! フルブレーキ掛けてんのに曲がってくぞ!」
「ぶばばばばば……」

 ABSもシャーリーの時代になかった技術。
 わずか数分で機械の特性を掴んだらしく、完全に乗りこなしている。
 テンション爆上がりのシャーリー。
 車内に響く笑い声が一段と高く、車の動きは鋭さを増していく。
 対して助手席の東雲。
 経験したことのない車の動きに翻弄される。
 恐怖と横Gに引きつり意味のある言葉を発することが出来ない。

「楽しっい~~~~♪」

 またも横G。
 ロックトゥロックと絶妙なアクセルコントロールで豪快な卍。
 慣性の分だけ前に進むが、LSDが入っていないのでほぼほぼ真横にGがかかる。
 左右に振られて助手席から落ちそうになる東雲。
 もはやシャーリーの方を向く余裕すらない。
 何をどう操作しているのか理解も視界も追い付かない。

「ぶはははははははは!」
「っ?! っ! っ!」

 東雲は悲鳴を上げる余裕さえ失った。



0133時 大学駐車場
「いや〜騒いだ騒いだ!」

 これ以上ない極上の笑みを浮かべ、バルクホルンの前に車を停めるシャーリー。

「はぁ……満足したようだな……」

 呆れ顔で出迎えるバルクホルン。
 傍らには雪に刺さったストライカーユニット。
 今の運転を見るに、予め車から降りておいて正解だったらしい。

「何言ってんだよ! 最高速やってないだろ?!」

 シャーリー的には大本命である『最高速チャレンジ』をしていないので物足りない。
 だがやらせる訳にはいかない。

「ぉぉぉ……大地が揺れてる……」

 千鳥足の東雲が助手席から降りてきた。
 グロッキーまではいかないものの、グラグラのフラフラ。
 東雲のライフはもうゼロである。

「胃液が横に動く感触を初めて味わったよ……」
「大丈夫か東雲?」

 サッと東雲を支えるバルクホルン。
 
「あ…………うん、ありがとうバルクホルン」

 バルクホルンの腕に収まり、はにかむ東雲。
 息遣いどころか心臓の鼓動さえ聞こえそうな距離。
二人の動きが刹那の時間だけ止まる。
 
(ほうほうほう! うん! これはこれは! 意外と……)

 驚嘆→納得→笑みと一人で百面相をやってるシャーリー。
 腕を組み、半目の笑みを張り付けると、小さな頷きを繰り返す。

「もう大丈夫だから」

 東雲が自分の足で立てるのを確認すると、スッと離れるバルクホルン。
 名残惜しそうな表情がわずかに浮かぶ。

「なぁ、そんなんじゃ危ないだろ? 帰りも私が運転して……」
「いや、大丈夫だ」
「いや、大丈夫です」

 シャーリーのスケベ心、もとい親切心による申し出はあっさり却下。


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