「我々は、無論ですが目的を持ってここに来ています」
エドワードは、そう切り出した。
「今回こうして、大統領閣下との交渉の席を設けて頂いたのは、他でもなく、
アメリカ合衆国政府に対して重大な依頼をしたいが為です」
ハロルドは、その言葉の末部には正直語弊がある、と感じていた。ここに至るまでの電話。思い起こせば、あれの中身は脅迫の一種とも取れるものだった。
それがまだ良性のものか悪性かは不明だが、だがしかし、その程度には、ハロルドは目の前の怪しい男をもはや「疑って」はいなかった。
「わかった、では話を聞かせて頂こう」
落ち着いた、その自白促進作用とでもいうのだろうか、それのある声で、おおよそのアメリカ全権が会話のトスをだす。
それでもエドワードは未だに、もったいぶるような様子を見せている。
動揺、と受け取ることもあるいは可能かもしれない。下をうつむいて、まるで携帯電話をいじっているようにも見える。
それは、彼の「要求」が、彼自身の持つ常識(それさえもハロルドからすれば怪しいものとしか思えないが)に収まっていないであろうということを想像させるに、十分な動きではあった。
やがて、まるで観念したかのようなそぶりを見せ口を開く。
組織、というものを構成するとき重要なファクターとなるものは、大きく二分すると頭脳と体の関係に置き換えられる。
一般的企業ならば管理職と労働者、国家ならば政府と国民。そして軍ならば、指揮官と兵士。
そして知っての通り、頭脳と体というのは実際問題、全く不可分のものなのでもあるのだ。
首を切れば体は死に、政府が倒れれば国民は飢え、指揮官が消えれば兵士は暴走する。
ISAFという組織は現在、上記で言うところの後ろ二つの例の間にある。
軍の構造から、国の構造へと。
「本末転倒だな」
そう言う男。
なにがですか、と聞き返す男とはもちろん非同一人物である。
「平和を目指すため、平等を目指すため、と言って、力量も分からないモノ相手に、上から目線で話している」
「たしかに、本末転倒ですね」
一歩、足を進めると同時に、彼らは言葉の残響を咀嚼する。
ISAFが現在おかれている状況はそれこそ、見るものによって千差万別となる。
ある人によっては「肥溜めに隕石が落ちたようなものだ」とも言われるし、
またある者は「まさに無限に広がる可能性だ」とも表現する。
厄介なのは、この二人の男からすれば、その両者とも正しい認識であると言えるのだ。
「間違いなく、これから俺たちは何かをどうにかする」
抽象的な言葉は、言葉を以って形而下のものへと変化していく。
「どう考え立って今のISAFはジリ貧だ。前の戦争のように、戦いに追われていればあるいはマシだったかもしれないが、もはやアレは『歴史』になってしまっている。『新生ISAF』、だなんて大きく掲げてしまったのも問題だ」
「でも、内部構造的には昔とそんな変わってない、とあなたはいつも言ってるじゃないですか」
「その通り」
「だからこそ、ということですか?」
「ああ、旧態依然とした体制と、現実的な理想主義とが若干の摩擦を孕みつつある」
さらに最悪なのは、ここで息を一つ、続けて、
「そのどちらも現状には適していないってことさ」
廊下、曲がり角、廊下、ひたすら廊下、曲がって曲がって廊下を抜けると、目的地にたどり着く。
部屋の戸を前にして、男のポケットが小さく震える。
そこから取り出した携帯電話の画面を確認し、隣を歩く話し相手に伝える。
「来た」
うなずきは、彼が求めていた最もスマートな返答。
部屋の中に入っても、会話は続く。
「戦わなくてはいけないのでしょうか」
「何と、ということで答えは変わるな」
「全てと、です」
「ならYESだな」
白い部屋。彼らがおおよその悪ではないのはその光の量から分かる。
狭い部屋。異なるモニターで、行う作業はほぼ同じ。全体の様子を、ただ確認する。
数秒。全ての地区で異常なし。そう分かったなら、次の行動は早い。
音が止み、二つのクリック音。
先の連絡は、この動作を求めていたものだった。
「……ついに、ですね」
「ああ、これからだ」
たった1ヵ月。彼らに与えられた猶予だった。
それを十二分に使いきり、その行動を終えたときに男が発したのは、始まりを意味する言葉。
乾いた口を湿らせようとなのか、男は語る。
「俺たちがこれからするのは、明らかに『異端者』としての行動だ。だが、それでもある程度自分を信じて、
ある程度それを省みることが出来たなら、それは自分達にとって最高の英雄行動になる。」
言い聞かせているように聞こえなくも、無い。誰に?
「この世界は混沌そのものだ。明らかに人智を超えたものが、常に睨みを利かせているような、だ」
呼吸音と、どちらが大きいのだろうか。はっきりと聞こえるはずなのに、それがわからない。
蛍光灯がまぶしすぎる。付き添う男はそう感じていた。
「俺たちは自分の考えに従った上で、どうにかしたい。自分の力で、人間を救ってみたい。
ISAFは今こそぐちゃぐちゃだが、それでも目的は一つだ。一ヶ月も居りゃあ、愛着がわくには十分なはずだ。
この世界の混沌を、消し去ってやりたいんだ。そのためにも―――
―――性急に我々の、主権国家性を認めてもらいたいのです」
なるほど。などと冷静に反応を返すハロルドだったが、見事に心は揺さぶられていた。
要約。
彼、もしくは彼らは、アメリカ合衆国からの独立を、宣言している。
それは聞くに、漠然とした目標などではなく、具体的な要求である。さらに、そのために必要なものも揃っているというのだから驚きだ。
多少詳しく書くと、彼の所属する組織「ISAF」は、米領の小島を割譲もしくは購入し、そこに独立国家を建てたい、というのだ。
そんな内容の主張を真面目な顔と言葉遣いと体裁でするのだから、この時点でも恐ろしいほど胡散臭いのだが、それぞれの内容を詰めていくと、これが
また恐ろしい内容となっていくのだ。
まず、彼らが領土として用いたがっている小島。その小島、本当に小さいのだ。
面積にして、134.88㎡。
なんとまあ、テニスコート一面分よりも狭いのだ。
こんな島でも、発見当初はちやほやされた。
太平洋はハワイ諸島の西。ホットスポットからは外れた場所にあるその地域にある日通りかかった日米韓豪四国の合同演習艦隊は、その
水平線の先に影を見つけた。
果て、こんな所に島はあったかと考えた各国艦隊。
だったが、ある国の通信官が突然共用回線で叫んだ。
「あれは未発見の島だ!!」
次の瞬間、各国の艦隊は整っていた隊列を崩し、一目散にその影を目指していった。
実際はその通信官、彼の直感と経験のみを頼りにその判断をしたのだが、幸か不幸か彼の予想は的中していた。
結局一番最初に辿り着き領有を宣言したのはアメリカで、そのまま米領となる運びとなったのだが。
情けのつもりなのだろうか、アメリカはその島の名前に、各国の艦隊指揮官のイニシャルをあてたのだ。
ウエダ、シプ、アイザック、アーノルドの頭文字、「U,S,I,A」。
ユージア島、と。
ユージア島の歴史についてはこの程度で良いだろう。あえて加えるなら、その地勢的価値の無さから米領となった後もほぼ放置されていた、ということくらいであろうか。
この時代に未発見の島が存在するなどありえない、などという議論も存在するが、それは今後の時勢に対して大きな影響を持たないだろう。
おそらく。
彼、もしくはISAFのトンでも主張は続く。次に示されたのは「国民」だった。
彼らの想定人口は、2000、万人。
テニスコート一面分に満たない土地に、である。
後で確認したことではあるが、この独立運動と意思を共にし、新国家の国民を目指す米国人の戸籍には、明らかな改竄がされていた。
エドワードもまた然り、であった。そうすると、その人物たちも恐らくエドワードのような「怪しい」人間なのではあるのだろうが、
これまた恐ろしいことに、そういった胡散スパイもどきの人数はせいぜい200人ほどなのだ。
ミニ国家すら成立しえないであろう島に、2000万人ががどうやって住むことが出来るのだろうか?
200の賛同者が2000万の人口に増えるためには、どんな錬金術が必要なのかか、という疑問も上から伺える。
無論国外の協力者が、という可能性もある。しかし、それでもあと1999万9800人である。
そしてそんな疑問以前に、話す内容のつかめなさとその目的には、大統領諸共ハロルドは首を傾げざるを得なかった。
より正しい表現を用いると、疑問を持ったというより、ちんぷんかんぷんになったとも言えよう。
内容は順序だってなく、突然過ぎる。相手はその技術力以外は全て胡散臭い。
正直言って杜撰だし、そんな計画を語るエドワードは、「世界の平和」をその国で目指すという。
信用しようという方が難しい。
それを相手方もしっかり認識していたのだろうか、「彼ら」は圧倒的な証拠をその会話骨子に組み込んでいた。
「これに、2000万人かね?」
領土としてその島を提示してきたときだった。
マイケルは尋ねた。侮蔑などの感情は感じないものの、それでも疑いの気持ちは混ざっている。
「エドワードさん、流石にそれは」
無理がある、というハロルドの言葉をさえぎり、エドワードは言う。
「ハロルドさん、お願いがあります」
この状況のお願いに、ろくなものを感じはしなかったハロルドではあったが、その内容自体は
ごく簡単なものだったので、さっと引き受けることにした。
しばらくして、持ってきていたノートパソコンに映るのは、件の小島、「ユージア島」である。
発見当初は各国と取り合いこそしたものの、大した資源も、地理的優位性も無いと知った今、早くも放置されていたものである。
上空からの衛星写真はその島が米領となった一ヶ月前のものであり、大手検索サイトのものをそのまま映しているだけであった。
大統領権限を使えば、昨日にも撮られたものを持ってくることも出来るのだろうが、
物を指定した依頼だったので、そのままハロルドは実行した。
本当に何の変哲も無い小島である。あえて言うならば、出来たばかりの島であるが故か、草木が一本も生えていないと言うことだろうか。
なおさら、ここに国を作ろうという考えに疑問符がつくものだが。
「では、最新のものを映してください」
やはり彼は新しい画像があることを知っているのだ。そう考えたハロルドは、大統領にアイコンタクトで許可をとり、
それを表示する。が、
「これではありませんよ、最新のものです」
「いえ、これがそうですよ」
「いえいえ、最新と言うのは、今この瞬間のもののことですよ」
何だって?そう思わず零してしまう。
「今この島の上空には静止衛星がある筈です。そこから送られる画像を直接表示して下さい」
とんでもないことを言ってくれる。正確な、最新の地図とは完全な軍事機密だ。領土として取り合った場所などなおさらである。
そんなものを見せろ、という。ハッキングを大統領の目の前で行えとでも言うのか。
「ハロルド君、やりたまえ」
しかし、なんとマイケルはそれに許可を与え、るどころか命令をしてしまっている。今度は若干の愉快さを含んで。
エドワードのとんちんかんに付き合おうと言う腹らしい。
命令されたハロルドは、残念ながらそれに従うしかなかったし、こんなこともあろうかとと、学園都市側のボットを改造して作った
ハックソフトを利用して衛星にハッキングを仕掛けて、見事成功してしまったことに、さまざまな種類の情けなさを感じてしまっていた。
彼は腐ってもアメリカ国民であった。
画像が表示される、といった段となって画面が一面灰色になってしまった。突然のことにハロルドは戸惑うが、少なくともパソコンが
壊れてしまったわけではないということは分かっていた。
「なんだこれは」
マイケルもその画面を覗き込んで、ハロルドの気持ちを代弁してくれる。ユージア島を表示したつもりではあったのだが、
どうやら違う場所を見ているらしい。一見すると都市のようにも見えるが。
しかし座標軸はそこが確かにユージア島であることを教えてくれている。
「……」
無言で倍率を変化させる。少し高度を低く、倍率を上げる。すると真ん中に茶色がかった丸。
それは先ほどの写真のユージア島と大きさが重なる。
離れてみる。茶色が小さくなり、周りは未だに灰色。まだ離れる。灰色。
ようやく灰色が途切れ、画面の端に青が映る。海だ。
目を逸らすかのように外に目をやる。未だに昼下がりだというのに、外の光をハロルドは素直に受け取れなかった。
憂鬱な灰色でも、沈痛な青でも、喜びの黄色でもない。
強いて言うならば、良くわからなかった。
「……これを見せたかった、と言う訳だ」
うなり声を上げながらマイケルは呟く。
そこに映るのは、巨大な「陸地」。
金星の一日は、一年より長い。
正確な言葉を用いるなら、金星の自転にかかる時間は、公転のそれより長い。
たとえるならば、朝昼夜と過ごす間に、春夏秋冬が過ぎていくようなもの。
画面の下では、主に宇宙や航空を司る部門からメールがわんさかと届いていることを教えてくれている。
(どうやら俺は金星に行かなくてはならないらしい)
つまり、こういうことだ。
エドワードの一日は、長い。
<<これは警告だ>>
状況は確かに変わった。ロシア軍機はほとんど海の藻屑、得体の知れない編隊が飛来してきては、突然撤退を求めてくる。
むしろ降伏勧告ともとれるその言葉の真意は、それでも亀山には届きはしない。
<<繰り返す。学園都市防空部隊に告ぐ。即刻武装解除し、最寄の飛行場へ帰投せよ>>
『悪いが、こちらも仕事なんでな』
やんわりと、しかし確実に拒絶する。
自ら拒むのならば届かないのも当然だ。
事の動きの悠長さに亀山は若干の苛立ちを感じていた。
そもそも。あのSu-37をかくまっているような動きを見せている時点で、敵と見るべきであったのだ。
『あんたらも、現状が理解出来ていないようだ』
彼の中での自信は揺るがない。
相手がどんな所属だろうがなんだろうが、F-22では、いや、他国の技術力では、HsF-00は墜とされない。そう確信している。
周囲をまるで守護霊のように飛び回る小型機達が、その考えを後押しする。
<<そうか>>
肯定の言葉。そこに含まれるのは、紅茶のようなほのかな安堵の気持ちではなく、コーヒーのような苦味を含んだものだった。
哀れみにも似たその言い方が、亀山は気に食わなかった。
(この空を握っているのは明らかに俺達だ。だというのに、奴らはここに居るというだけで、
まるで勝者ような面をしていやがる)
そろそろ叩き潰す頃だろうか、ならその合図でもくれてやろう。
亀山の気持ちはそのような方向に傾いてゆく。
だが、彼の話は続く。
世界が加速する方向へと。
<<本日現地時間21時18分、ニューヨークの国連総会において、ISAF(International Safety Agreement Federation)の国家主権を確認
し、国際連合の加盟を許可する決議が採択された>>
一度に伝えられる言葉は、少しばかり咀嚼してからではないと味がわからないもの。
唐突だ。
先ほど相手の所属として伝えられた、聞き覚えの無い単語。
それが国として認められた?時間。たった今?新しい独立国。ついこの前、
世界で一番新しい国はロシアから独立したのだ、と子供に教えたばかりなのに。
前菜にほんの少し混乱する彼に、やがて、主菜が届けられた。
<<また、同時刻をもって、ISAF臨時全権である我が第223戦術航空隊は、ISAFの名の下に、
日本国学園都市に対する宣戦を、布告をする>>
なお、これは日本国に対する直接的なものではない、と彼は添えた。